フェバル~TS能力者ユウの異世界放浪記〜 (レストB)
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プロローグ
「前編」


 俺には両親がいない。幼いときに二人とも事故で死んでしまった。

 一応親戚が引き取ってはくれたけど、彼らは俺のことを鬱陶しく思っていたみたいで。何かと辛く当たられた。

 あまり迷惑はかけたくないからと言って、中学卒業を機に一人暮らしをすることにした。

 彼らも喜んでくれたし、こちらとしてもせいせいした。

 高校はどうしたかというと、これでも学力はあったからね。学費免除で入れるところが見つかったのが幸いだった。

 お金はないので、部屋は学校の近くにある安いボロアパートを借りた。

 生活費を稼ぐために夜遅くまでバイトをして、帰ってきたら勉強。それで一日が終わる。

 ほとんど友達とも遊べないけれど、別にそれで不幸だと思ったことはなかった。

 何のことはない平穏な毎日を過ごしていた。

 それだけの、いたって普通の高校生だった。

 けれどそうだった日々は、今は遠いことのように思える。

 

 

 ***

 

 

 事の発端から始めよう。

 最近、よく変な夢を見ていた。

 真っ暗な空間がどこまでも広がっていて、その中にぽつんと俺が立っている。

 目の前には、女の子が立っている。

 艶やかに流れる黒髪を肩の少し上まで伸ばした、可愛らしい女の子だ。

 俺は、彼女と見つめ合っている。

 彼女のことなんてまったく知らない。だけど、不思議と赤の他人のような気はしなかった。

 それよりも、むしろ――。

 目の前の少女に対して、まるで彼女が俺自身であるかのような――まるでもう一人の自分がそこにいるかのような、そんな不思議な感覚を覚えてしまっていた。

 常識的に考えれば、おかしな感覚だった。

 確かに俺は声も高めで、女顔だ。あまり男らしくないってよく言われる。

 けどそれでも、体つきはそれなりにしっかりしているし、背も平均的にはある。

 間違いなくれっきとした男だ。

 彼女は俺よりも柔らかな体つきをしている。

 背も俺より少し低いし、ほどよく膨らんでいて形の整った胸が、女性であることをはっきりと主張している。

 どう考えたって、別人に違いないはずなのに。

 ところが、彼女の綺麗で可愛らしい顔にはどういうわけか、確かに俺の面影があった。

 そして、全身から放たれる印象というか、雰囲気が俺とよく似ていた。

 彼女の目つきはどことなく凛々しく挑戦的であり、それが少々男勝りな印象を与えている。

 だがよく見れば、それはまったく俺の目つきそのものだった。

 

 夢の中の俺は、彼女に向けて手を伸ばす。同時に彼女も俺に向けて手を伸ばす。

 鏡合わせのように対称的な動き。

 そして俺の手と彼女の手が触れた瞬間、不思議なことが起こった。

 二人の手が境界を無くし、互いにすり抜けるようにして入り込んでいく。

 そこを起点として、少しずつ俺の体が彼女に融け込んでいく。

 俺と彼女が混ざり合うようにして、段々一つになっていく。

 自分という存在がまるっきり作り変えられていくような、妙な感覚が全身を包み込む。

 身体中に蕩けるような快楽と、燃えるような熱さを感じて――。

 

 ……いつも、そこで目が覚めるんだ。

 

 これと同じような夢を何度も見た。

 内容が内容だけに、少し頭がおかしくなったんじゃないかとも心配した。

 でも、このおかしな夢以外には何も異常はなくて。

 所詮夢は夢だと思っていた。気にすることじゃないって、そう考えていた。

 

 だけど、違ったんだ。

 

 

 ***

 

 

 十六歳の誕生日を迎えた夜。その日も夜遅くまでバイトだった。

 帰り道の途中で、異様な人物が電柱にもたれて立っているのを見かけた。

 金髪の女性だった。

 何が異様かと言えば、まず服装だ。

 まるで中世の魔女みたいな、現代日本にあるまじき奇抜な恰好をしていた。一体何のコスプレかと、思わず三度見してしまいそうになる。

 しかも右手には、何やら装飾された黒い杖のようなものまで持っている。そのままゲームに出しても通用しそうな感じだ。

 深夜のこの辺りは人通りがまったくない。

 見るからに怪しい雰囲気の彼女は、誰かを待っているにしても不気味だった。もしも絡まれたら怖いなと思わせるには十分な佇まいである。

 というか普通にやばいよね。あれ。

 そこで、できるだけ何気無い振りをして、さっと彼女の横を通り抜けようとした。

 だがそのとき、

 

星海(ほしみ) ユウね」

「えっ!?」

 

 彼女はいきなり俺の名前を呼んできた。

 あまりのことに動揺して、変な声が出てしまう。

 

 どうしてこの人は、俺の名前を知っているんだ!?

 

 こちらの混乱をよそに、彼女は妖しげに頬を緩め、クスリと小さく笑った。

 

「その反応。当たりね。やっと見つけた」

 

 見つけた? 見つけたってどういうことだ。

 

《バルシエル》

 

 その言葉の意味するところを考える暇もなく、彼女はもう動いていた。

 何やら意味不明な言葉を唱えつつ、勢いよく杖を振るってきたのだ!

 俺はまともに反応することも敵わず、ただびくっと身じろぐばかりだった。

 

 な、なんだ急に!?

 

 何かしたのかと思って辺りをきょろきょろしてみるも、特に何も起こってはいない様子。

 落ち着かない気持ちのまま、視線を相手に戻す。

 すると彼女は、あからさまに顔をしかめていた。

 

「この星の自然現象である、風に関わる魔法ならギリギリ使えるかと思ったけど。どうやらここは異常に許容性が低いらしいわね……」

 

 小声で何かぶつぶつ言っているようだけど、さっぱり意味がわからない。

 何なんだ。いったい。この人は。

 俺はすっかり混乱してしまい、その場に棒立ちになってしまっていた。

 なんか危ない人みたいだし、さっさと逃げた方がいいかな。

 でも俺に用があるみたいだから、一応話を聞いてみるべきだろうか。

 どうしよう。

 もしほんの数秒でも猶予があったなら、普通に考えてやっぱり逃げようとなっていたと思う。

 

「仕方ないわ。時間もないし」

 

 まだ結論が固まらないうちに、彼女は次の行動に出た。

 彼女は手に持っていた杖を何やら弄り始めた。すると間もなく、何かが突き出してくる。

 刃物だ。杖の先が、鋭い刃物のように尖っている。

 ぎょっとした。

 キラリと光る尖端は、明らかに危険な匂いを放っている。

 

 え……なに。ちょっと待って。まさか。

 

 そいつで何をする気なのか。正直、嫌な予感しかしなかった。

 予感は、そのまま的中する。

 あろうことか、彼女は凶器と化した杖を、いきなり俺の胸元に向けて突き刺してきたんだ!

 

 うわあっ!

 

 咄嗟に身を捻った。よく動いた。奇跡的に素晴らしく身体が動いてくれた。

 当たれば間違いなく致命傷となるであろう彼女の一撃は、脇のすぐ横を掠めていった。

 でも助かったと思う暇もない。

 彼女は杖を突き出したままの姿勢から無言で体勢を立て直すと、すぐに凶器の杖を構え直した。

 どういうわけだろうか。彼女の表情が変わった。

 それまで心の乱れなんて何も感じさせないような動きだったのに、明らかに困惑を隠し切れていない様子だった。

 

「おかしい。あなたに私の攻撃をかわせるはずは――まさか、身体能力も落ちるというの? この星は」

 

 相変わらず、彼女が言っていることの意味がわからない。

 ただ、向けられた殺意にだけは理解が追いついていた。

 殺されるかもしれない。

 そのことをはっきり認識したとき、ありふれた日常は一瞬にして極限の非日常へと転化した。

 この身を襲う未曽有の危機に戦慄した。

 足が震える。

 逃げたいのに、逃げられない。彼女から背を向けられない。

 彼女を視界から見失うのが、怖い。

 辛うじて振り絞った声は、自分でも情けなくなるくらいに弱々しかった。

 

「なんで、俺を……?」

 

 その問いを向けられた彼女は、なぜかひどくもの悲しげな顔をした。

 

「ユウ。あなた、最近自分のことでおかしなこと、あるいは不思議なことはなかった?」

「それは……」

 

 あると言えばあるけど。あの不思議な夢はそれに当たるのだろうか。

 彼女は沈黙を肯定とみなしたようだった。

 

「どうやら心当たりがあるようね。それは、兆候よ」

「どういうことだ?」

「あなたは、間もなく特異な能力に目覚めるわ」

「え?」

 

 急に何を言ってるんだ。わけがわからない。

 

「そのとき、あなたもまた星々を渡り歩く者になるのよ。私がそうであるようにね……」

 

 彼女はまるで、すべてに絶望してただ笑うしかない者が浮かべるような、そんなひどく暗い笑みを浮かべた。

 能力だとか、星々を渡り歩くだとか。一体何を言ってるんだよ。こいつは……。

 唖然としてしまう。

 すると彼女は、動けないままでいる俺にずいと詰め寄ってきた。

 戸惑う暇もなく、頬に手が触れて、顔を引き寄せられてしまう。

 息がかかるほど顔を近づけて。

 俺の顔をじっと見つめる緑色の瞳が、哀しげな光を湛えている。

 どうしてそんなに悲しそうなのだろうか。

 彼女は口を俺の耳元に寄せて、囁くように言った。

 

「つまりね、ユウ。あなたはもう、この星には居られないのよ?」

 

 電撃が走るような衝撃だった。

 

 この星には居られない、だって!?

 

 彼女は耳元から口は遠ざけたものの、身体の方は逃がしてくれなかった。

 突然の宣告に驚き戸惑う俺に、改めて向き直る。

 

「あなたは流されるまま星から星へと、この宇宙を永遠に彷徨うことになるの。そう、永遠にね……」

 

 そう言う彼女自身も、心底嫌な顔をしていた。まるで自分の言葉を噛み締めるように。

 

 何が宇宙を彷徨うだ。ふざけた冗談を言うな!

 

 そう言い飛ばしてやりたかったのに、からからに乾いた口からは何も言葉が出てこなかった。

 だって有無を言わせぬくらい、彼女が真剣な顔をしていたからだ。

 それに、心底俺の身を案ずるような目をしていたからだ――まるですべて、本当のことみたいに。

 俺は影を縫い付けられてしまったかのごとく、彼女から目を背けることができなかった。

 そんな俺を伏し目がちに見据えながら、彼女は言葉を続ける。

 その言葉には、彼女なりの切実な思いが込められているように思えた。

 

「もう時間がないの。今のあなたには、まだわからないでしょう。けれど、今ここで死ななければ、あなたはきっと生きてしまったことを後悔する。それだけは確かよ」

 

 そして彼女は、懇願するようにこう言ったんだ。

 

「今ならまだ間に合うわ。だから、お願い。手遅れになる前に、私にあなたの命を終わらせて」

 

 何も答えられなかった。

 いくらなんでも滅茶苦茶な話だと、理性ははっきりと告げている。

 どこの誰とも知らない人が言った絵空事のようなことのために、どうして死ななくちゃならないのか。

 でも……。

 彼女の真剣な目を見ると、どうしても下らない嘘だと笑い飛ばすことはできなかった。

 それに下手に彼女を刺激すれば、またすぐにでも刃を向けてくるかもしれない。

 

 もしも。万が一、彼女の話が真実だとするなら。

 星々を渡り歩くなんて、まったく想像を絶することだ。

 彼女の言う通り、本当のところなんて経験してみなければわからない。それほど壮絶なことなのだろう。

 けど、死んだ方がましなんてことがあるのだろうか。

 

 いきなり殺されそうになって。こんなわけのわからない話をされて。

 何だか悪い夢でも見てるような気分だ。くらくらしてきた。

 嫌な汗が流れる。動悸がする。

 最初は具合が悪くなったのだと思った。

 でもなんか、変だ。

 心臓の鼓動が、どんどん激しくなっていく。明らかに異常なほどに。

 身体の様子が、おかしい。

 胸がどんどん苦しくなる。急激に体中が熱くなっていく。

 

 どう、なってるんだ! 熱い! 苦しい!

 

 俺はとうとう立っていられなくなり、倒れ込んで喘ぎ声を上げた。

 

「あっ、ううっ!」

「どうしたの? まさか!? いや、そんなはずはっ! 覚醒はまだあと少し先のはずなのに!」

 

 身体中が融けるような感覚は、まるであの夢のようだった。

 

 どうして。

 どうして今、現実にこれが起こっている!?

 

 肉体が急激に変化していくのを感じる。あり得ないことが俺の身に起こっていた。

 自分でも自分がどうなっていくのかわからない。怖い。

 全身を包む熱気と、脳内物質が異常分泌されているのか、蕩けるような気持ち良さが同時に俺を襲ってくる。

 とても動けない状況で、会話だけが耳に入ってきた。

 金髪の彼女ともう一人。

 どこから現れたのか、少年らしき者の声が聞こえてきた。

 

「ごきげんよう。エーナ」

「はっ!? ウィル!? あなた、どうしてここに!? 一体ユウに何をしたのっ!?」

「能力の覚醒を少しばかり早めてやっただけだ。それより、お前こそ何をしていた。フェバルを眺めるのが僕の趣味なんだ。せっかくの暇潰しを失くすような下らないことはやめろよな」

「あなた……なんてことを! せっかく忌まわしい運命から救えるはずだった人を!」

「もう遅い。そんなことよりだ。調べたらこいつの能力、面白いぜ」

「何が面白いのよ」

「通常フェバルの能力は、エーナ、お前の【星占い】や僕の【干渉】のように、この世の条理を覆してしまうような力ばかりだよな」

「ええ。それが?」

「だがこいつは――ははははは! 確かに条理は覆るさ。何せこいつは、性別の垣根を越えられるんだからな!」

「なんですって!?」

「くっくっく。男女がスイッチのように瞬時に切り替わる。何ともおかしな能力さ」

 

 男女がスイッチのように、切り替わる!?

 なら、この身体の蠢きは、まさか!?

 

 ウィルと呼ばれる少年の声が、まるで一人演説のように弾む。

 

「聞けばこの星の神とやらは雌雄同体で、自らの写し身として人の男女を作り出したという話があるそうじゃないか。だとすれば、男女を兼ね備えたこいつはある意味で神の器と言っても良いかもなあ? そうだな。ならこいつの能力は【神の器】とでも呼ぼうか!」

 

 神の、器……。

 

「ははは、こりゃあいい! 随分と大層な名前じゃないか! 僕は見たいね。この新入りが、そのふざけた能力でどうやって生きていくのかを! 見ろよ! 胸が張ってきてるぜ!」

 

 嫌な視線を感じる。ひどく恥ずかしかった。

 やめろ! 見ないでくれ! 

 俺は、見せ物じゃない!

 

「んあ、あああっ!」

 

 出したくないのに嬌声が漏れる。

 その声が、おかしい。いつもより高い。

 

「おかしい。あなた、さっき男女は瞬時に切り替わるって言ったじゃない! 【干渉】でわざと変化を遅らせているわね!」

「なあに。反応が面白いんで、ちょっと遊んでいるだけさ」

 

 な、んだって!? ウィルとか、いうやつ、め!

 

「う、ううんっ……!」

「やめなさい! 苦しんでいるじゃないの!」

「そうか? 僕にはむしろよがっているように見えるがな」

 

 悔しいけど、彼の言う通りだった。

 苦しいのに、同時におかしくなっちゃいそうなくらい気持ち良くて、仕方がないんだ!

 

「くっくっく。まだ喘いでやがる。そうだな。ぼちぼち変化も終わらせて少しばかり挨拶してやるか」

「ユウに何をする気!? これ以上勝手なことは――」

「お前、うるさいな。ちょっと黙れよ」

 

 エーナと呼ばれていた女性の悲鳴が聞こえた。

 それを最後に、彼女の声はもう聞こえなくなった。

 

 

 ***

 

 

 どれほど長いこと悶えただろう。

 そのうち身体の変化が落ち着いてきたのか、ようやく苦しみと快楽の渦から解放されそうだった。

 まだ、身体中が火照っている。

 

 一体、俺は――。

 あれ?

 

 自分のことを俺と呼ぶのに違和感があった。

 

 俺、じゃない。

 

 私だ。

 

 自分を私と呼ぶ方がしっくりくると思った。

 なぜそう思ったのか。

 それを教えてくれたのは他でもない、変化を終えつつある私の肉体だった。



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「後編」

 私の肉体は、見慣れた男のそれでは既になかった。

 長く伸びた髪。

 膨らんだ胸元。

 身体中の柔らかな感触。

 あそこにあるはずのものがなくなっている感覚。

 なんて、ことだ。

 私の身体は、すっかり女のものになってしまっていた。

 それだけじゃない。

 脳にまで変化が及んでしまったのだろうか。心のどこかで、このすっかり変貌した肉体を当たり前のものとして受け入れてしまっている自分がいた。

 恐ろしいことに私は、自分が男ではなく、女であるとはっきり自認してしまっている!

 突然訪れた己の急激な変化に、半ば茫然としてしまう。

 冷たいアスファルトに身を横たえたまま、心ここにあらずで、とても動く気なんて起きなかった。

 

 そんな私に、誰かが近寄ってくる足音が聞こえた。

 きっとウィルとかいう奴に違いない。私に挨拶するとか言ってたから。

 彼の接近を意識した途端、すっかり放心していた自分はひとまず我を取り戻した。気を引き締めた。

 怒りに気持ちが傾いてきたからだ。

 よくはわからないけど、エーナという女の人の言ってたことが本当なら、私をこんなにしたのは他ならないこいつなんだ。

 一体何をしたのか問い詰めてやる!

 間もなく、私のすぐ横に屈んで顔を覗き込んできたのは、声から予想された通りの人物――黒髪の少年だった。

 彼は面白そうに下卑た笑みを浮かべている。

 まずは文句の一つでも言ってやろう。

 そう思っていたのに、彼と目が合ったその瞬間、もうそれどころじゃなかった。

 怖い。

 まだこの身に残っていた熱と快楽の余韻なんて、一瞬で消し飛んでしまった。

 身も凍える恐怖が、全身をわなわなと震わせてきたんだ。

 彼の眼は、まるで死人のように冷め切っていた。

 瞳に一切の光はなく、すべてを飲み込んでしまいそうなほどに深く鋭い闇を湛えている。

 ほんの一睨みするだけで、その眼に映るすべてのものを殺してしまえるのではないか。

 そう思ってしまうほどの圧倒的な威圧を放っていた。

 一体どうして、何があれば。人はこのような眼ができるというのか。

 私はかつて、これほどまでに恐ろしい眼を見たことがなかった。

 この世のどんな凶悪犯でも、どれほどの異常者でも、こんなぶっ壊れた眼はできないに違いない。

 とても同じ人間とは思えなかった。何か異質の存在――恐怖そのものを体現しているとまですら思えてくる。

 恐ろしさで身体が凍りついたように動けない私を見下ろしながら、彼は堂々と自らを名乗った。

 

「もう名は聞こえたと思うが。僕がウィルだ」

 

 何が面白いのか、どこまでも嘲笑うかのように薄ら笑みを浮かべている。

 なのに目はまったく笑っていない。怖い。

 

「さて、能力に目覚めた気分はどうだ。ユウ」

「散々私を弄んでくれたな。最悪だ。この野郎」

 

 言葉の形だけの、精一杯の強がりだった。

 せめて形だけでも気を強く持たなくちゃ、恐怖で取り乱してしまいそうで。気が触れてしまいそうで。

 発した声で、自分が女だということをさらに強く認識させられる。

 だってその声は――まるで声変わりする前のときのように、高いソプラノだったからだ。

 

「まあそう怒るなよ。中々見ものだったぜ」

「…………」

「おめでとう。これでお前もフェバル――星を渡る者だ」

「フェバル……星を、渡る者……」

「そうだ。お前はこれから、星々を彷徨って生きるんだよ。ずーっとな」

 

 その言葉に込められた、吐き捨てるような嘲笑が、嫌に突き刺さる。

 

 さっきから続く非日常の連続が、エーナとウィル、この二人の言葉に妙な真実味を帯びさせていた。

 そして私が今、この女の身体の私であるということが、さらに輪をかけて彼らの言葉に説得力を持たせてしまっている。

 二人が言う、私が持つ能力。

【神の器】なんて大層な名前は気に入らないけど、確かに今、私は性を超越していた。

 男と女を自在に行き来し、それに合わせて性の自己認識さえも変えてしまう。

 そんなふざけた存在に、私はなってしまったらしい。

 

 彼らが言った通り、謎の能力には目覚めてしまった。

 私が星を渡る者になるという言葉だけが嘘のようには、もうとても思えない。

 だとしたら。

 私はもう、生まれ育ったこの町で暮らすことはできないのだろうか。

 この日本を、それどころか地球をも離れて、まったく知らない場所にたった一人で飛ばされてしまうのだろうか。

 考えると、無性に不安になってきた。悲しくなってきた。

 どうして。

 どうして、私がそんなことにならなくちゃならないんだ!

 家族と呼べる人はいない。親戚にはもう会いたくもない。

 生活はいつもぎりぎりで。部活なんてする暇もないし、友達ともあまり遊べない。

 それでも、それでも!

 私はそれなりに楽しかったんだ。この平穏な暮らしが好きだったんだ!

 いつかは普通に働いて、普通に恋をして、結婚して、子供を作って――。

 家族がいないから、憧れていた。

 普通の家庭に。普通の人生に。

 そういう当たり前の幸せを望んでいたのに。

 なのに、どうして!

 

「なんだお前。悲しいのか?」

「当たり前だろう! どうして、こんなことに……」

「くっく。そうかそうか。お前の都合なんて、どうでもいいね」

「なんだと!」

 

 私はぎりぎりと歯ぎしりした。

 こいつにも間違いなく原因があるはずなのに、何も取り合ってくれない。

 冷たく突き放されたことが、心底悔しかった。

 

「それよりもだ」

 

 ウィルは、今度は嫌らしい笑みを浮かべた。

 

「そんな男の恰好じゃ、せっかくの立派な胸が窮屈だろう?」

 

 一瞬、何を言っているのかわからなかった。

 その言葉の意味するところを理解する前に、こいつは私の服を強く掴んだ。

 

「なっ!」

 

 沈んでいた気持ちなど、頭の奥へすっかり押しやってしまうほどに驚いた。

 抵抗する間もなく、私の上着は、まるで紙切れのようにいとも容易く引き裂かれてしまったのだ。

 露わになったのは、綺麗にくびれた腰と、雪のように白くきめ細やかな肌。

 そして、つんと張った二つの柔らかな膨らみ。

 それらのものが、私が本当に女になってしまったことを高らかに誇っているかのようだった。

 自分を直視できない。思わず目を反らしてしまう。

 男のときなら決して何とも思わなかったのに。今の私は、素肌を晒したことに対してひどく羞恥を覚えてしまっていた。

 そのことに内心驚きつつも、いきなりとんでもないことをしでかしてくれた彼を、殺さんばかりの視線で睨みつけた。

 

「なにを、なにをするんだよっ!」

 

 本気で怒っていた。

 なのに、こいつは!

 この野郎は、私の怒る様を見て愉しんでいた。

 

「いいねえ。その反抗的な目、気に入ったよ――うん、そうだな。決めたぞ」

 

 そして彼は告げた。

 これから幾度ともなく、まるで呪いのように私を苦しめることになった次の言葉を。

 決して忘れることのできない、トラウマとともに。

 

「ユウ。お前は今から、僕のおもちゃだ」

 

 告げると同時、彼は私に向けて右手をかざした。

 突然、身体からがくんと力が抜けていく。

 

 どうなってるんだ!?

 

 手も足も、まるで自分のものじゃないみたいだ。

 言うことを聞かない。動こうとしても、まったく動けない!

 

「どうだ。身体に力が入らないだろう?」

 

 くそっ! どうして!?

 

 混乱する私の姿を肴に、彼は大仰しく説明してくれやがった。

 

「僕の【干渉】で、お前の【神の器】をコントロールできるんだ。僕がお前の変身能力に干渉している間、お前の身体は自由が利かない。男にするも、女にするも、あえて中途半端にしてさっきのように喘がせるのも、自由自在だ」

 

 な、に!?

 

「お前は、泣こうが喚こうが、決してこの僕に逆らうことはできない。ほら、こうやっていいように身体を弄られてもな」

 

 彼が手を伸ばしてくる。

 胸を痛いほど強く掴まれた。そのまま乱暴に揉みしだかれる。

 

 やめろ! いや! いやだ! やめて!

 

 揉まれるたびに、ぞくぞくと生理的嫌悪感が込み上げる。

 なのに、その手を退けようとすることも、声を上げることも、彼から顔を背けることすらもできない。

 私のすべては、彼のなすがままだった。

 悔しかった。吐き気がするほど嫌な気分だった。

 女になって最初にされることが、こんなレイプまがいのことだなんて。

 屈辱だ。同時に、死ぬほど怖くてたまらない。

 怯え震える私を見て、彼はますます愉しんでいるようだった。

 

「くっくっく。人が恐怖に顔を歪める様は、いつ見ても良いものだ。やはり人間の感情は素晴らしい」

 

 いやだ。痛いよ。怖いよ。

 

「だがなあ、覚えておけよ。それは僕の最も嫌いなものでもあるのさ!」

 

 彼は突然、激昂した。

 胸から手が離れる。

 代わりに両肩を力任せに掴まれて、唇が触れてしまいそうな距離まで顔が迫る。

 そして、身も凍えるような甘い声で囁きかけてきた。

 

「いいか。僕はいつも退屈なんだ。まともな感情を入れる器なんて、とっくの昔に擦り切れて、壊れてしまってるのさ。僕は、人の形をした化け物だ」

 

 目がかち合ったまま、彼の視線から逃れられない。

 氷のような瞳が、弱った心を突き刺すように射抜いてくる。

 

 やめて……。

 そんな目で、私を見ないでよ……。

 怖い。助けて……!

 

「そして、お前もいずれはそうなる。ユウ。僕はお前が壊れていく様が見たい。擦り切れていく様が見たい。さあ、お前はこれから何を見せてくれるんだ?」

 

 あまりの恐怖で、気がおかしくなりそうだった。

 こんなに心の底から震え上がったのは、生まれて初めてのことだった。

 すべてを犯し尽くすかのような彼の眼が、私を捕えて放さない。放してくれない。

 これから先、私はこんな恐ろしい男の掌の上で弄ばれてしまうのか。

 本当に壊れてしまうまで、決して逃がしてはくれないのか。

 それは、何よりも恐ろしいことだと思った。

 気がつけば、涙が流れていた。まるで許しを乞うように。

 情けないことだと、そう思う余裕すらなかった。

 

 でも目の前のこの男は、泣き崩れた私に対して、意外にもそれ以上何をするわけでもなかった。

 一切の言葉を足し加えることもなく、ただ私を静かに見つめる。

 まるで何かを待っているかのように。

 その光なき漆黒の瞳で、私の瞳の奥をじっと覗き込んでくる。

 不気味で仕方がなかった。感情が読めない。

 一体私をどうするつもりなのか。彼の考えがまるでわからない。

 

 いや――。

 

 極限の恐怖の中で、気付いてしまった。

 彼は私のことなんて、本当はどうでもいいんじゃないのか。

 いつも退屈だと言っていた。

 そんな彼にとっての世界は、すべてがすっかり色褪せてしまったものなのかもしれない。

 だからこんなにまで、彼の眼は冷たくなってしまえるのかもしれない。

 底知れない彼の闇。

 その本質の一端に触れた気がしたとき、涙は止まった。

 

 悟ってしまったから。泣いても無駄なんだと。

 

 この人には、私のちっぽけな存在なんて、まさしくただのおもちゃに過ぎない。

 何をしようと、どれだけ情けなく許しを乞おうと、決して彼の心の底には届かない。

 それを思い知った。

 

 完全に心が折れた瞬間だった。

 

 私はろくに動かない身の、せめてもの強張りさえも解き、彼に対して心身のすべてを投げ出した。

 あらゆる抵抗を諦めた。無駄なことはやめようという開き直りだった。

 これ以上の醜態を晒すより、完全に彼を受け入れることにしたのだ。他にしようがない。

 今の私は、きっと彼の望むままに、身体だって何だって差し出してしまうだろう。

 そうすることが一番身のためであると、わかってしまったから。

 情けないことに、そんな後ろ向きの覚悟から、逆に見つめ返してやるだけの気概も戻っていた。

 私の心境の変化を察したのか、彼はそこで初めて再び口を開いた。

 

「ほう。そんな顔もできるのか――なるほど。少し見つめ過ぎたらしいな」

 

 見つめ過ぎた? 私を屈服させようとしていたんじゃないの……?

 

「だがな、ユウ。勘違いするなよ。僕はお前を奴隷にしたいわけではない。僕が見たいのは、お前が変わっていく様だ。それは長い時間をかけて、ゆっくりと仕上がっていくものだからな」

 

 そのときだった。どうしてだろう。

 彼の身体の色が徐々に薄くなり、透け始めたんだ。

 彼は自分の手を見下ろすと、忌々しそうに舌打ちした。

 

「ちっ。星脈が動き出したか。運がよかったな。今回のところはこれで終わりだ」

 

 見ると、私の手も一緒に透け始めている。

 

「私は……どうなるの……?」

 

 不安になって尋ねた私に、彼は小さく両手を広げて得意気に答えた。

 

「始まったのさ。世界移動が」

 

 世界移動。

 予想はしていたけど、まだ覚悟ができていなかっただけに、ショックは大きかった。

 それでも、今までこいつから受けてきた扱いを思えば、このタイムリミットによって私は助かったのではないかとまで思えてしまう。

 ふと、最初に出会った金髪の彼女のことが気にかかった。

 

「エーナ――そういえば、エーナは?」

「ああ。あいつか。うるさいから消したよ」

 

 すぐに思い起こされたのは、彼女が上げた大きな悲鳴だった。

 最悪の想像が口を衝いて出る。

 

「殺した、のか?」

 

 それを聞いたウィルは、意外そうな顔をした。

 

「うん? なんだ。エーナにその辺聞いてなかったのか?」

「どういうこと!?」

「くっくっく。教えてやるのもつまらないな。ヒントだけやるよ。あいつは確かにお前を助けようとしていた。お前を殺すことでな。後は自分で気付くといいさ。なに。どうせいずれわかることだ」

 

 いずれわかることとは何だろう。

 なぜ殺されることが救われることになるのか、私にはさっぱり見当が付かなかった。

 

「じゃあな、ユウ。少しだけ楽しかったぜ。これからたくさん遊んでやるから、覚悟しておけよ?」

 

 ウィルが初めて、ほんの少しだけ本当の感情を見せてくれたような気がした。

 彼とはまた会うことになるだろう。

 私は彼の存在を強く心に刻みつけた。

 天敵として。恐怖の対象として。

 そして、底知れぬ深い闇を抱えた、一人の人間として。

 

 彼が消える。私もまた消えていく。

 

 身体の感覚がなくなって、意識だけが宇宙空間に放り出される。

 目の前に映ったものがあった。

 紛れもなく、私たちが暮らす星。生命溢れる美しいブルーアースだった。

 その悠然たる姿を外部から眺めたとき。

 もうこの星にはいられないのだということが、とうとう腑に落ちてしまった。

 そうして、いざ別れを告げるという土壇場になって、初めて気付いた。

 

 私は、心からこの星を愛していたのだと。

 

 今まで当たり前過ぎてわからなかった。

 この美しい星で生きて、死んでいけること。それがどんなに幸せなことだったのか。

 もう叶わない今になって、ようやく気付いた。

 気が付けば、また泣いていた。

 声も涙もなかったけれど、私はきっと泣いていた。

 たとえ私がいなくなっても、変わらず世界は廻っていくのだろう。

 何事もなかったかのように。

 けれど。私は確かにここで生きていた。この星で、確かに暮らしていたんだ。

 そのことを。誰が忘れても。世界が忘れても。

 自分だけは忘れないでいようと思った。

 離れてしまったら、思い出と自分の名前だけが、私がこの星で生きた唯一の証になってしまうのだから。

 青い星は少しずつ、だが確実に遠ざかっていった。

 やがて見えなくなってしまうまで、目に焼き付けた。

 決して忘れてしまわないように。

 

 さようなら、地球。

 さようなら。私の、生まれ育った星。



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剣と魔法の町『サークリス』 前編
あらすじとキャラクター紹介


・あらすじ

 ユウが辿り着いた最初の異世界は、剣と魔法の世界だった。最初遭難していたところをアリスという少女に助けられたユウは、強さを求めて、彼女の通う予定だったサークリス魔法学校へ女子として入学する。女の身体や女としての生活に戸惑いながらも、徐々に慣れていくユウ。昼は女として学校で魔法を学び、夜は男としてイネアという人物の下で気剣術の修行に励む毎日が続いていく。そんな忙しくも楽しい日々の裏で、かつて滅亡した魔法大国エデルに関わる、恐ろしい陰謀が動き出していた。

 

・話の傾向

 いわゆるオーソドックスな剣と魔法ものです。剣と魔法を使った戦闘シーンがあります。性的な描写、残酷な描写及び鬱展開があります。主人公の成長ものという側面が強いです。突然異世界に放り出され、絶望の運命を叩きつけられたユウ。身も心も弱い一般人に過ぎなかった彼(彼女)が、この世界の人々との触れ合いや戦いの中で自分の生きる道を見出し、世界を渡る旅人フェバルとして歩み始めるまでを描きます。物語全体のベースとなる話です。

 

・キャラクター紹介

【フェバル】

 星(世界)を渡る性質を持つ者たち。通常の人間が持たないような、各人固有の特殊能力を持ち、その力はこの世の条理を覆すとまで言われる。

 

星海 ユウ

性別:男/女

年齢:16~17

 主人公。元々はごく普通の男子高校生であったが、変身能力【神の器】(ウィルが命名)が目覚めたことによって、男にも女にも自由自在になれるようになった。

 

ウィル

性別:男

年齢:??

 謎が多く、底が知れない恐ろしい人物。見た目は少年だが、実年齢は不明。ユウに対しては何か思うところがあったのか、おもちゃにすることを決定。圧倒的な恐怖を植え付けて、ユウにトラウマを残す。

 

エーナ

性別:女

年齢:??

 能力覚醒前にユウを抹殺しようと現れた謎の女性。ただしそれは、ユウを忌まわしい運命に巻き込む前に眠らせてあげようとした、彼女にとっての善意からであった。結局ウィルによってその狙いは阻止され、ユウの覚醒を許してしまう。

 

ジルフ・アーライズ

性別:男

年齢:??

 イネアの気剣術の師匠。かつてイネアと二人でウィルに挑んだが、どうやら惨敗したらしく、その後の消息は不明。

 

トーマス・グレイバー

性別:男

年齢:??

 世界の傍観者。自称さすらいのトーマス。物凄く奇抜な恰好をしている、神出鬼没のハイテンション野郎。

 

レンクス・スタンフィールド

性別:男

年齢:??

 地球にいたときのユウの旧知の友人であるが、実はフェバルだった男。昔ユウがまだ小さかった頃に、よく一緒に遊んであげていた。

 

【サークリスの人々】

 

アリス・ラックイン

性別:女

年齢:16~17

得意魔法:火、雷

 田舎出身の元気いっぱいの女の子。将来の夢は地元で魔法教室の先生をすること。話好きで、からかい好き。持ち前の明るさを武器にしており、コミュ力は抜群。出会った経緯もあって、ユウのことをかなり気にかけている。ちっぱいであることがささやかな悩みで、よく自分でネタにする。

 

ミリア・レマク

性別:女

年齢:16~17

得意魔法:水、光

 大人しい見た目の女の子。かなりの人見知りであり、初見の相手に対してはまったく話せないほど。でも慣れてくると口が開くようになり、毒舌も走るようになる。ちょっぴり腹黒い突っ込み要員。じと目がかわいい。話すのはあまり得意ではなく、言葉が途切れ途切れになる傾向があったが、後に克服する。人見知りゆえに警戒心を持ってよく人を観るからか、人物の観察眼には特に優れている。隠れ巨乳(16歳)→巨乳(17歳)。

 

アーガス・オズバイン

性別:男

年齢:18~19

得意魔法:全て

 サークリス魔法学校開校以来の天才と言われる男。その実力は大人を含めても国中で指折りの中に入る。燃えるような赤髪とクールな瞳を持つイケメン。

 

イネア

性別:女

年齢:死にたいのか?

能力:気剣術、転移魔法

 ユウの気剣術の師匠。自分の師匠であったジルフの言に従い、ユウの力になるべく、修行をつけることに。修行法はかなりのスパルタで、ユウいわく死にかけたのは一度や二度ではないとか。長命種のネスラであり、少なくとも三百年以上は生きているらしい。

 

カルラ・リングラッド

性別:女

年齢:18~20

得意魔法:得意不得意のないオールラウンダーだが、やや土

 ロスト・マジック研究が命! なユウたちの先輩。ノリが良い性格で、時々暴走する。お姉ちゃん面するのが好きで、後輩の世話を焼くのも大好き。

 

ケティ・ハーネ

性別:女

年齢:19~20

得意魔法:氷、闇

 カルラの親友であり、良き理解者。時々暴走しがちな彼女を諌めたりしている。家には光魔法と対をなす闇魔法の一部が伝わっており、それらを操ることができる。

 

トール・ギエフ

性別:男

年齢:??

得意魔法:??

 サークリス魔法学校で魔法史を担当する人気講師。人気の秘訣は物腰の低さとフレンドリーな人柄、そして誠実さにあるらしい。一流の研究者であり、彼が率いるギエフ研はロスト・マジックに関する様々な成果を上げてきた。趣味は古書店巡りと魔闘技観戦。

 

エリック・バルトン

性別:男

年齢:26~27

得意魔法:??

 一応ユウのクラスの担任で、サークリス魔法隊の若きエリートなのだが、いかんせん影が薄い。

 

ベラ・モール

性別:女

年齢:32~33

得意魔法:??

 そろそろ結婚したいそうです。

 

マスター・メギル

性別:男

年齢:??

得意魔法:??

 サークリスの地下に存在する極秘施設に佇む仮面の男。伝説の天体魔法と同じ名を名乗っている。かつての魔法大国エデルの遺産を狙う彼の目的とは何だろうか。

 

仮面の女

性別:女

年齢:??

得意魔法:??

 マスター・メギルに忠誠を誓う仮面の女。

 

ヴェスター

性別:男

年齢:34

得意魔法:爆発

 コロシアム襲撃を任された男。かなり粗暴で残忍な性格。

 

クラム・セレンバーグ

性別:男

年齢:37~38

能力:剣技、??

 サークリス剣士隊の英雄。かつて町の近くに襲来した巨大龍を瞬殺したことから、龍殺しの異名を持つ。

 

ディリート

性別:男

年齢:72

能力:気剣術

 かつてイネアに教えを受けた、元サークリス剣士隊隊長。篤い人望を持っている。ユウの兄弟子に当たり、老境を迎えた今でもイネアには頭が上がらない。

 

炎龍 ボルドラクロン

性別:オス

年齢:??

能力:火炎のブレス

 オーリル大森林に大昔より君臨する森の王者。高い知能を持ち、龍語という独自の言語を操ることができるが、普通の人間にはわからず、唸り声にしか聞こえない。



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1「ユウ、異世界に降り立つ」

 真っ暗な空間に、無数の白い粒子がほわほわと浮かんで、それぞれが淡い光を放っている。

 そんな星の海のような場所をひたすら流されていた。

 向かう先に対する不安に押しつぶされそうになりながらも、私はその光景に心を奪われていた。

 とても綺麗だった。今まで見てきたどんなものよりも壮大だった。

 いつか宇宙図鑑で見た天の河の写真。あれが本当にあんな河だとして、その中を流されているならこれに近いものだろうか。

 流されていく途中、自分の中に何かが、莫大な質と量の何かが流れ込んでくるような不思議な感覚があった。

 自分という存在がまるっきり違うものに作り替えられていくような、そんな感じがして。

 ますます不安になった。

 

 やがて目的地に近付いたのか、元の宇宙空間に出てきた。

 目前には、一つの星の姿が見えている。

 大きさのほどはよくわからないが、地球とそんなに変わっているようには思えなかった。

 海も陸地もあり、さらに雲が見えていることから、大気もあるようだ。

 ただし、地球とは大きく異なる点もあった。

 それは、星全体の色が淡いエメラルドグリーンであるということだった。

 

 

 ***

 

 

 気が付けば、私は再び肉体を伴って大地に降り立っていた。

 どうやら着いたらしい。

 辺りを見回すと、そこは一面に広がるのどかな平原だった。

 どこを見ても、膝下の丈まである同じ草だけがびっしりと生えている。建物も、木も、生き物の姿も一切見当たらない。

 不気味なほどに静かだ。

 息を吸い込むと感じる、ほのかに甘い草の匂いが心地よい。

 流されたときにおかしなことになっていないかと、すぐに身の回りを探ってみる。

 どうやら身体も服も、すべてそのままみたいだ。

 私はほっと胸をなで下ろす。

 でも……。あいつに破かれたままの胸元もそのままだった。

 桜色の乳首が風に触れてぴくりと震えたとき、奴の嫌な手の感触がフラッシュバックして、身ぶるいした。

 自分でも驚いた。

 情けないことに、身体が覚えてしまうほど心に傷を付けられてしまったらしい。

 まだ、心臓がばくばくしている。

 もし今度あいつと出会ったら、一体何をされてしまうのか。

 考えるだけで身が竦む。怖くて仕方がない。

 

 ――やめよう。今はあいつのことなんか、考えたくない。

 

 いやいやと首を振った。気持ちを切り替えるんだ。

 

 改めて自分の胸を見下ろした。

 小さ過ぎず大き過ぎないほどよいサイズで、お椀型に整った、マシュマロのように柔らかな膨らみ。

 谷間はじっとりと汗ばんで、ほんの少し甘ったるい匂いを醸している。

 俗に言うおっぱいが自分にしっかりと付いているのは、何だか妙な感じがする。

 普通男がこういうものを見るとムラムラするものなのに、今の私には不思議と嫌らしい気持ちは一切湧いて来ない。

 胸があるのは当たり前だと、どこかでそう思っている自分がいた。

 でもこのままで平気かというと……。それはまた違う問題だ。

 別に誰も見てはいないけど、胸を晒しているのは精神衛生上良くない気がする。

 破れた服と胸のセットが、どうしても見るたびにあいつを思い出させてしまう。

 それに何だろう。なんか恥ずかしい……。

 そう言えば。

 あいつがいたときは身体の自由が効かなかったけど、別に今なら好きに変身できるんじゃないか。

 だったら、これ以上女でいることなんてないよな。

 確か、変身はスイッチを切り替えるようにして瞬時にできるって、あいつは言っていたな。

 結局思考があいつから逃れられていないことに苦笑いしつつ、目を閉じた。

 

 変身、変身と意識すると、不思議なことに自分の精神世界のようなものがはっきりと認識できた。

 なるほど。これは最近よく見ていた夢にちょっと似ていた。

 女の身体と男の身体が、真っ黒な空間の中に存在している。

 念じれば、ゲームで操作するキャラクターを選ぶような感覚で、動かす身体を選択できるようだ。

 もちろん男になることにする。

 瞬間、全身に電流が走るような衝撃が突き抜ける。

 気が付いたときには、もう俺の体は16年間使い慣れたものに戻っていた。

 細身ではあるけれど、ほどほどに筋肉質の体。

 膨らんでいた胸が引っ込んでいるし、股間に手をやってみると、あれも確かに付いている。

 

「あーあー」

 

 声もちゃんと元に戻っている。元々高めではあるけど、一応男のものには聞こえる自分の声だ。

 確かに一瞬だった。

 あいつの【干渉】とかいう能力。あれさえなければ、変身は面倒なものではないようだ。

 ああ。本当によかった。毎回あんなに悶えなければいけないのかと思った。

 あの、まるで全身を犯されているかのような感覚は――。

 うう。思い出したら余計に恥ずかしくなってきた。

 いい加減気持ちを切り替えよう。それよりだ。

 

 俺、本当に来ちゃったんだな。違う星に。

 

 見上げれば、空は星の色と同じ、淡いエメラルドグリーンだった。

 太陽によく似た恒星が、空を明るく照らしている。

 

 ……これから、何をしたらいいんだろうな。どうやって生きればいいんだろう。

 

 それは本当なら、地球にいたときにも考えるべき命題だったのかもしれない。

 ただ、日本の社会にはある程度レールというものがあった。それに乗っかっていれば、そこまで深刻に悩まなくても普通の人生を歩めた。

 だからあまり深く考えてこなかった。考える必要がなかった。

 俺にはその普通の人生で十分だったからだ。

 でも、この上なく特異な運命に突然放り出されてしまったらしい俺には、もはや普通なんてものは望めない。火を見るより明らかだ。

 はっきり言うと、そのことにはかなり絶望している。

 今だって、できることなら普通に生きたいと強く願っている。

 けれど、いつまでもないものねだりをしたり、現実逃避をするつもりはなかった。

 そんなことをしたって、悔しいけど何にもならないのだから。

 もう地球に別れは告げてきた。

 強く生きるんだ。遠く離れたこの地で、また新しい人生を始めるつもりで。

 そうと決まれば、こんな何もない場所で立ち止まっているわけにはいかない。生活の術を探らないと。

 そのためにもまずは、人がいる場所を探したいところだ。

 

 ……といっても、今のところ人なんて影も見当たらないけど。

 

 いや、待てよ。

 暗黙の内に期待した仮定が正しいとは限らない。

 ここは違う星なんだから、人間がいるとは限らないんじゃないか。

 そもそも考えてみれば、知的生命体自体存在しているかも怪しい。もしいたとしても、人間とは似ても似つかぬものである可能性の方が高いんじゃないのか。

 そうだよな。エーナやあいつが普通に人間っぽかったから、勝手に人がいると期待してしまっていた。実のところ、彼らが例外であるだけなのかもしれない。

 そう言えば。これまで意識してなかったけど、俺が今普通に息ができて、こうして生きているというのも当たり前のことじゃないよね。

 もしかして、大気組成まで地球と似ているのだろうか。

 だとしたら、気になるのはこの空の色だ。

 大気の色というのは、太陽の光が大気中の粒子によって散乱することで生じている。もし恒星の光も大気組成もほとんど同じなら、空の色もまたほぼ同じでなくてはならないような気がする。

 でも現実に空の色は違っている。

 素人だから予想が間違っているかもしれないけど、たぶん恒星の発する光の波長か大気組成、そのどちらか、あるいは両方が違うと考えるのが妥当だろうか。

 

 ……ダメだ。

 

 あちこちに心配が飛んでしまって、考えがまとまらない。

 とにかく、わからないことだらけだ。

 情報だ。あらゆることに対する情報が必要だ。

 知らなかったばかりに、一つの何気ない行動によってとんでもないことになってしまうかもしれない。

 右も左もわからない状況だ。やらかしてしまう可能性は十分にある。

 けど誰もいない今、情報は動かなければ手に入らないわけで。

 結局頭を捻ったところで、とりあえず何かを見つけるまで歩くほかはないか。

 

 

 ***

 

 

 そう考えて歩き続けて、どれくらい経っただろう。

 草原はいつまでも果てることなく続いている。目印になるようなものなんて、何一つ見つかりやしない。

 ギラギラと照りつける直射日光、もといあの太陽そっくりの恒星の光のせいで、汗はびっしょりだ。

 ここには、何もないのか。

 喉が渇いた。水が飲みたい。お腹もすいてきた。

 だけどいくら求めても、食べ物もなければ、人一人どころか生き物の影すらどこにも見当たらなかった。

 やがて日が落ちてきたので、歩き疲れた俺は、その場で倒れ込んで寝てしまった。

 次の日からも、ひたすら歩き続けた。

 でも結論から言うと、何もなかった。

 

 

 ***

 

 

 日が昇って、落ちて。

 飲まず食わずでそれを四回も繰り返した頃、とうとう体力の限界を迎えていた。

 一度空腹に耐え切れず、そこら中に生えている草を摘み取ってちょっと食べてみたことがあった。

 でも恐ろしくまずかった上に、腹を下して水分を失ってしまうだけの結果になってしまった。なのでそれ以降は口にしていない。

 

 もう、動けないよ……。

 

 とうとう倒れてしまった。身体に力が入らない。

 

 こんなところで、俺は死ぬのだろうか。

 わけがわからないまま、こんなところで。

 

 浅はかだった。情報を得ようとか、それ以前の問題だ。

 まず何よりも純粋に生き抜く力が必要だと、痛感する。

 今回のように、人里の近くに降り立たなかった場合、強制的にサバイバルを余儀なくされる。

 始めに降りた場所は草原だったけど、これでもまだ運が良い方かもしれない。

 もし降り立った場所が砂漠や、樹海の奥だとしたなら。

 それどころか、陸地ですらない海の上だったなら。

 なすすべもなく死ぬしかないだろう。

 そうだ。ここは平和な日本じゃないんだ。

 異世界では何があるかわからない。

 弱いままでは、生きていけない。

 決意した。

 もし生き延びられたのなら、強くなってやろうと。

 こんな苦境であっても堂々と対処できるくらいに、強くなってやろうと。

 

 でも――もうダメみたいだ。

 

 目を閉じると、今までの人生で歩んできた光景が蘇る。

 走馬灯というやつだろうか。

 小さい頃の思い出。今はもういない、母さんと父さんの記憶。

 あの頃は楽しかった。

 レンクス。いつも遊んでくれた。また会いたかったな。

 ヒカリ、ミライ。今どこで何をしているんだろう。元気にしてるかな。

 

 不意に目頭が熱くなる。

 

 みんな。みんな気が付けば、俺の側から消えてしまった。

 どうして俺だけになっちゃったんだろう。

 どうして俺の好きな人たちは、みんな揃っていなくなってしまうのだろう。

 何も言わずに。

 

 涙が溢れてきた。

 

 いつからか、本当の家族も、親友と呼べる人も、もういなかった。

 ずっと一人だった。寂しかったんだ。

 だから俺は、誰かに嫌われることを恐れて。

 いつも当たり触りなく、心に抱えたどうしようもない寂しさを誤魔化しながら生きてきた。

 いつかはまた、普通の幸せを手に入れることを願って。毎日それなりに頑張ってきた。

 不幸だとは思わなかった。思いたくなかった。

 将来はきっと自分の力で。そう思えるだけで十分幸せだったんだ。

 なのに。

 こんなわけもわからない場所に飛ばされて、誰にも知られないうちに力尽きようとしている。

 はは。結局は最後まで一人か。

 お似合いだ。悲しいくらいに、お似合いだ。

 ちくしょう。悔しいよ……。

 

 なぜか、エーナとあいつの顔が浮かんだ。

 あの二人は、既に長い旅をしてきている様子だった。

 ならきっと、こんな状況でも対処できる力が存在するんだろう。

 フェバルには、この世の条理を覆す力が宿る。

 あいつはそう言っていた。

 条理を覆せるなら、この状況をなんとかしたかった。

 けど、俺にそんな力なんてないことは、自分が一番よくわかっている。

 そうだったな。

 あいつは、俺の力がふざけた能力だとも言っていたな。まるで役立たずみたいに。

 

 ああ。確かにそうだ。ふざけた能力だよ!

 

 半ばやけくそになって、能力を発動させた。

 髪がふわりと伸びて、膨らんだ胸が地面に押しつぶされる感触がした。

 改めて涙の似つかわしい格好になって、さめざめと悲嘆に暮れる。

 

 こんな風に女に変身できたところで、一体何になるというんだ。

 男であろうと女であろうと、所詮はただの人の身であることに変わりはない。どっちつかずの、面白人間になっただけじゃないか。

 異世界で生きていくには、所詮私は、弱過ぎたんだ……。

 

 だが、絶望したそのとき。

 

 不思議なことに、ほんのわずかだけど、身体に力が戻っていることに気付いた。

 なぜだろうと考えて、思い当たる。

 そうか。極限の状況下では、女性の方が体力が保つとテレビかなんかで聞いたことがある。もしかしたらそれかもしれない。

 能力を発動させたのは、考えあってのことじゃない。

 やけになってやっただけの、本当にただの偶然だった。

 ただ、この素敵な偶然に感謝した。初めてこの能力に感謝した。

 

 まだ、生きられるみたいだ。

 

 そのことが、生を諦めかけていた心に再び希望を取り戻させた。

 

 こうなったら、最後まで足掻いてやる。まだくたばってたまるもんか!

 

 私はさらに生き伸びた。

 もう一度日が沈み昇ってくるまで、よく生き抜いた。

 そうして女になることで稼いだ時間が、生死を分けることになるのだった。

 

 

 ***

 

 

 愛鳥のアルーンに乗って、サークリスへ向かっている途中だった。

 サークリス魔法学校。

 そこでの新生活が楽しみで仕方がなかったあたしは、ラシール大平原の上空を、目的地に向けてひたすら飛ばしていた。

 

 それにしてもここって、ほんと何もないよね。さすが死の平原というだけのことあるわ。

 

 普通の生き物が暮らせない、もちろん人間にも使えない、魔力汚染まみれの土地。

 何でも遥か昔、ここには魔法大国があって。

 超大規模の魔法実験に失敗してこうなってしまったんだとか。

 キッサという、薬にもならない雑草だけがなぜかこの環境に適応し、一面に生えている妙な場所。

 それがラシール大平原。つまらない場所よね。

 

 そんなことを思いながら、何気なしに下を眺めていたとき。

 信じられないものを見つけてしまったの。

 あたしは目を疑った。

 

 うそでしょ!? こんな場所の真ん中で人が倒れているなんて!

 

「アルーン、あの人の近くへ降りて! 急いで!」

 

 大慌てで降りて、駆け足で近寄ってみる。

 仰向けで倒れていたのは、可愛らしい少女だった。あたしと同じくらいの年に見えるわ。

 珍しい黒髪、それに……見たことない服ね。まるで男物みたい。

 そして、胸元が破り取られた跡がある。一体何があったというのかしら。

 頬を軽く叩きながら、声をかける。

 

「大丈夫!? しっかりして!」

 

 すると、かすかに反応があった。

 よかった。生きてる。

 でも、すごく弱ってるみたい。

 

「み……みず……を……」

「水ね! わかったわ!」

 

 たまたま持っていた予備の水筒を急いで取り出し、ふたを開けて差し出す。

 まさか使うことになるとは思わなかったけれど、持ってきていてよかった。

 

「身体が弱ってるから、急いで飲んじゃだめ! ゆっくり飲んで!」

 

 彼女はあたしの忠告をちゃんと聞いて、震える手でゆっくりと水を飲んだ。

 水筒を空にするまでよく飲んだ彼女は、安心したのかしら。気を失ってしまったみたい。

 

「放ってはおけないわ。連れていこう。アルーン、ちょっと重くなるけど大丈夫?」

 

 アルーンは任せておけ、と言わんばかりに鳴いてくれた。

 頼りになるわ。ありがとね。

 こうしてあたしは、謎の少女を共に乗せて、全速力でサークリスへと向かったのだった。



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2「ユウ、アリスと友達になる」

 再び目が覚めたとき、視界には天井が映っていた。

 温かい。何だろう。

 

 ――布団。布団がかけられている。

 

 どうやら私は、ベッドに横たわっているみたいだった。

 

 助かったのか……。

 

 女の子に水をもらった記憶がかすかにあった。

 とりあえず体を起こそうとしてみる。

 腕にちゃんと力が入らない。それにひどく頭が痛い。

 どうにか布団をめくると、服が変わっていることに気がついた。

 それまで着ていた男物のジーンズと破れたシャツではなく、上下とも女物の白い寝間着になっている。

 誰かが着替えさせてくれたのだろうか。あの女の子かな。

 

 ……それにしても、私が女物を着ることになるなんて。

 

 今は女なんだから、着せられるのは当然と言えば当然なんだけど。何だか変な気分だよ。

 頑張って起き上がろうとしてみたけど、ふらついて上手く立てない。

 ずっと何も食べていないのだから無理はないかと思い、大人しくベッドに座っていることにした。

 ふかふかとした温かいベッド。この部屋。

 何より私を助けてくれた、あの茶色がかった赤髪の女の子の存在。

 そこから到達する自明の事実。

 実感するにつれて、じわじわと喜びが込み上げてくる。

 

 この星には、私と同じような人間がいるんだ! 

 

 私は、独りじゃなかった。

 

 よかった……本当によかった……。

 

 心配だったんだ。誰もいなかったらどうしようって。いても、自分と全然違っていたらどうしようって。

 つい、じーんときてしまい、ぎゅっと目を瞑りながら喜びをしばらく噛み締めていた。

 このところ、何かと感傷的になっているような気がするなと思いながら。

 やがて少しは落ち着いてみると、気になる点が浮かんできた。

 どうしてあの女の子の言葉がわかったのだろう。しかも日本語に聞こえたのはどうしてだろう。

 意識が朦朧とはしていたけど、私が話した言葉も普通に通じていたらしいことは覚えている。

 

 ……まさか日本語を話すわけないだろうしね。勝手に翻訳されているのかな。

 

 能力を授かったときに、こんな便利能力に目覚めたのだろうか。

 一体どうなってるんだろうな。

 

 そのとき、奥のドアが開いた。

 やってきたのは、私を助けてくれた彼女だった。

 彼女は意識を取り戻した私を見るなり、本当に嬉しそうな顔をしてすっ飛んできた。

 

「よかった! 気がついたのね!」

 

 無事に目を覚ました私の顔を見つめ、それから全身をまじまじと見回してくる。

 何だか視線がくすぐったい。

 ひとしきり眺めると安心したのか、彼女はほっとしたように一つ大きな溜め息を吐いた。

 

「ああよかった。ほんとに心配したんだから」

「……やっぱり、君が助けてくれたんだ」

「うん。アルーンも一緒にね」

「アルーン?」

「あ、アルーンってうちで飼ってる鳥の名前よ。人が乗るくらい大きくてね。あなたのために全速力で急いでくれたの」

 

 そっか。そのアルーンが運んでくれたおかげで助かったわけか。

 

「後でお礼言っておこうかな」

「いいことね。賢い子だから、きっと喜んでくれるわ」

 

 彼女は明るく笑った。

 はつらつとしていて、素敵な笑顔をする人だなと思った。

 

「そうそう。服はぼろぼろだったから替えておいたわよ。前のは一応洗って置いてあるから安心して」

 

 やっぱり。彼女が着替えさせてくれたんだ。

 

 ……てことは、全部見られちゃったのかな。

 うん。そうなるよね……。

 

 ちょっと恥ずかしくなった。

 でも女同士でよかった。自分か相手か、どちらかでも男だったら死にたくなっていたかもしれない。

 異性だと彼女もやりにくかっただろうし、女のまま倒れていてよかったかもな。

 

 彼女はこちらの胸元に視線を落として、ちょっと困ったように微笑んだ。

 

「それはあたしの寝間着だけど、もし嫌だったらごめんね」

「嫌だなんて、そんなことないよ。それより、助けてくれて本当にありがとう。正直、もうダメかと思ってたんだ」

「ううん。どういたしまして」

 

 そこで彼女は、手を差し出してきた。

 握手かと思ったけど、違うみたいだ。

 右手の人差し指と中指、二本の指を揃えて伸ばし、他の指は曲げたままになっている。ちょうど閉じたチョキの形だ。

 

「あたしはアリス。アリス・ラックインよ。よかったらあなたの名前も教えてくれない?」

 

 名乗りを聞く限り、ここではどうやら名前はアメリカ式らしい。

 私も名乗ろうとしたところで、自分のユウという名前が、男女どちらでも問題なく使用できることに気付いた。

 何の偶然か。内心苦笑いしてしまう。

 名前まで両方の性を兼ねられることに、何だか皮肉めいたものすら感じる。

 

「私はユウ。ユウ・ホシミ」

 

 見よう見まねで、同じように右手の指を差し出してみた。

 握手ではないけど、もしかすると似たような習慣なのかもしれない、と何となく思ったからだ。

 すると正解だったようで、彼女は二本の指を私の指にぎゅっと絡めた。

 握手ならぬ握指(あくし)というやつだろうか。

 

「よろしくね」

「よろしく」

 

 アリスか。

 異世界で初めての知り合いがこんなに温かい人で、本当に嬉しいよ。

 

「ところで、ユウ。あなたが起きたら、聞きたいことがあったの」

「なに?」

 

 彼女の表情が、真剣なものに変わる。

 

「死の平原の真ん中にたった一人でいるなんて無茶なこと、どうしてしていたの?」

「そ、それは……」

 

 さて、なんて言おうか。

 どうしよう。困ったな。

 違う星からやって来て遭難してましたと言っても、絶対に頭がおかしいと思われるに違いない。

 というか、死の平原なんて物騒な名前が付いているんだ、あそこ。道理で何もないと思ったよ。

 何か上手い言い訳はないかと考えあぐねていると、彼女は顎に手を添えて、私の顔をまじまじと見つめながら続けた。

 

「その髪の色といい、あの変わった服といい。あなた、この辺の人じゃないでしょ」

「ま、まあ、そうだね……」

 

 うん。確かにこの辺の人じゃない。日本人だからね。

 

「やっぱり! それで、あんな……ひどい恰好でいたのはどうして? 服まで破られて……」

 

 憐みの目を向けてくる。ひどく心配してくれているみたいだ。

 

「もしかして。ねえ、何か恐ろしいことでもあったの? できれば事情を聞かせてくれない? 力には、なれないかもしれないけれど」

 

 恐ろしいこと。あったよ。とびきりのやつが。

 主にあいつとか、あいつとか、あいつとか……。

 あいつにされたことを思い出すだけで、身が震えるようだった。

 口にするのもおぞましくて、つい黙り込んでしまう。

 彼女が想定していることと、私が体験した事実はまず違うだろう。

 それでもきっと、苦虫を潰したような顔をしているに違いない私を見て、彼女は思うところがあったのか。

 これ以上の追及をやめてくれた。

 そして優しくも、こう言ってくれたのだった。

 

「そう……。どうしても思い出したくないことなのね。なら今は無理には聞かないわ。話したくなったら話してくれたらいいからね」

 

 私は彼女の気遣いに感謝した。

 

「ありがとう。ごめん。何も話せなくて」

「いいのよ。あたしが悪かったわ」

 

 気まずいと思ったのだろうか。彼女はすぐに話題を変えてきた。

 

「そうそう。ここはサークリスで、あたしの叔母の家よ。あたし、これから魔法学校に入学するんだけど、それまでの間お世話になっているの」

「そうなんだ」

 

 どうやらここはサークリスという場所らしい。

 でもそれよりも気になったのは、魔法学校という言葉だった。

 魔法。そんな言葉が当たり前に出てくる日が来るとは思わなかった。

 ただ、その言葉をファンタジー以外で聞いたのは、これが初めてではないことに思い当たる。

 エーナだ。

 確か彼女が、魔法がどうだとか言っていたような気がする。

 魔法、ね。

 そうか。わかったかもしれない。

 彼女がいきなり杖を振ってきたり、何か仕掛けてきてはぶつぶつ言っていた意味がわからなかったけど、少しわかった気がする。

 手前勝手なイメージだけど。魔法使いと言えば、やっぱり杖だ。

 あのとき彼女は、私を始末しようとしていた。

 もしかしたら、魔法を使おうとしていたのかもしれない。それも私を攻撃するやつを。

 ところが、何かの要因で魔法が発動しなかった。だから困惑していたのだろう。

 もし魔法が発動していたら、まず対処はできなかったと思う。あの時点で死んでいたに違いない。

 運がよかったのか、それとも。

 

『今ここで死ななければ、あなたはきっと生きてしまったことを後悔する』

 

 運が悪かったのか。

 今のところは、よくわからない。

 知らない星を旅することは、確かに過酷なことかもしれない。

 だけど、普通なら誰しもが経験し得ないことをできることが、決して悪いことばかりだとは思えない。

 あそこまで言う理由が、まだよくわからないのだ。

 あいつが言っていた、いずれわかることに何か関係があるのだろうか?

 

「ねえ。ユウ」

 

 アリスの声に、思考を呼び戻される。

 

「きちんと治療してもらったから、もう危険な状態は脱したと思うけれど。でもあなたはまだかなり弱ってるわ。よかったら、快復するまではここに泊っていかない?」

「そこまでしてもらっていいの?」

「いいの。あたしもその方が話し相手ができて嬉しいし、叔母もきっと快諾してくれるわ。あ、もちろん他に当てがないなら、だけど」

 

 もちろん、他に当てなんてない。

 右も左もわからず、体力までひどく落ちている今、この素敵な申し出を遠慮するという選択肢は自殺行為に他ならない。

 もしこの家に留まれるなら、その間の生活の心配をしなくていい。それに色々と話を聞いているだけで、この世界に関する情報を安全に得られるだろう。

 その上彼女も望んでいるというのだから、断る理由は何もなかった。

 

「じゃあ、重ねてお世話になるようで何だか悪いけど、お願いしてもいいかな」

 

 すると彼女は、心底嬉しそうな笑顔を見せた。

 底抜けに明るくて、眩しいくらい輝いているように見えた。

 

「ほんと!? やった! これで退屈しないわ! しばらくの間よろしくね!」

「うん。こちらこそよろしく」

 

 そうして私たちの間が温かい雰囲気に包まれた、そのとき。

 

 ぐううううううううう。

 

 特大の音がお腹から発生し、鳴り響いた。

 

 あっ。

 

 ずっと、物食べてなかったからだ……。

 

 私は羞恥心から顔を背け、俯いてしまった。

 気まずい沈黙が部屋を包む。

 それを破ったのは、こちらの失態をフォローするように、大袈裟に明るく振舞ってくれたアリスだった。

 

「そうだった! ユウが起きたっていうのにすっかり忘れてたわ! ごめんね。お腹すいたでしょう。叔母が作ったスープが残ってるの。今すぐ持ってくるから、待っててね!」

「う、うん……。ありがと……」

 

 うわー、恥ずかしい。

 きっと今私の顔、真っ赤になってるんだろうな……。

 

 しばらくすると、アリスが大急ぎで温めたスープを持ってきてくれた。

 スープは赤色で、見たことのない野菜が入っていた。

 それを見て、つい飛びつきたくなる気持ちにブレーキがかかる。

 どうしよう。大丈夫かな。

 もしかしたら、違う星の私には毒になるものが入っていたりしないかな。

 最初はびびってしまって、中々手を付けられなかったのだけど。

 

「どうしたの? 何か苦手なものでも入ってる?」

「い、いや。そういうわけじゃ」

 

 けどアリスに促されて、立ち昇る湯気の良い匂いと、極限までの空腹には勝てなかった。

 恐る恐る、一口飲んでみる。

 

 ……すごくおいしい!

 

 心配した私がバカだった。

 カボチャのスープのような優しい味がして、とても美味しかったんだ。

 感動すらしていた。五臓六腑に沁みわたるとは、まさにこのことだと思った。

 それからは、押し寄せる食欲に任せてがっついてしまった。

 正直、周りを気にする余裕もなくて。アリスは呆れ笑いをしている。

 

「こらこら。慌てなくてもちゃんとおかわりあるからね」

「うん。うん……!」

「ふふ。ほんと美味しそうに食べる子だこと」

 

 結局一気に飲み切ってしまい、さらにおかわりまで頂いてしまった。

 それにしても美味しかった。本当に美味しかった。

 飢えていなければ、これほど食に感謝したこともなかったかもしれない。

 

 食後も、アリスと色々な話をした。

 話してみると、どうも同い年らしいということがわかって大いに盛り上がった。

 彼女はとても快活で話が上手く、すぐに私と打ち解けた。身分も何もかも不明な私のことを、もう友達のように思って親しくしてくれた。

 異世界で初めて友達ができたことが、本当に嬉しかった。

 

 ところが、ちょっと困ったこともあった。

 彼女の前で変身するわけにはいかなかったので、私はずっと女のままだった。

 だから当然、彼女は私のことを完全に女だと思っていて。話題も女の子特有のそれが多くなる。

 だけど私は、本当のところ半分は男で、女としては数日前に生まれたばかりのようなものだ。

 残念なことに、その辺の話がよくわからなくて。

 時々愛想笑いや相槌を打ってどうにかやり過ごしたけど、ガールズトークをそつなくこなすのには、まだまだ経験値が足りないと痛感するのだった。

 

 やがて、アリスの叔母さんが帰宅してきた。

 叔母さんは、とても穏やかな雰囲気を持った優しい人だった。

 治療師を呼んでくれたのも、治療費を持ってくれたのも彼女らしい。

 私はもう一人の命の恩人に対し、深く礼を述べた。

 しばらく泊まる旨をアリスが伝えると、叔母さんは彼女の予想通りに快諾してくれた。

 本当にありがたい話だ。

 

 

 ***

 

 

 そして、夜も更けてきた頃。

 とんでもない事件が起きてしまった。

 

 なんと、お風呂に入ることになりました。

 

 うん。

 

 私だけならまだいいんだ。

 

 でも。

 

 アリスと一緒なんだ。

 

 ああ! ばかっ!

 泊まるって言った時点で、こうなる可能性を予測しておくべきだった!

 わかっていれば、断れない流れになる前に対処できたかもしれないのに!

 

 ……何となくだけど。

 この女の状態で女の裸を見たからって、何とも思わないだろうって気はする。

 実際胸を見たって平気だったし。うん。

 だから変なことになる心配はないと思うけど。でもなあ。

 なんか騙してるような気がして、申し訳なくて……。

 それで、さっきからあんまり目を合わせられないでいた。

 でも馴れ馴れしいアリスは、容赦なくスキンシップを図ってくるわけで。

 困った。ほんとどうしよう。

 

「スタイルいいのね。ユウは」

「そう、かな」

 

 確かに、夢の中で見た女の子はかなりスタイルが良かったかもしれない。

 今の私は、まさにその女の子の姿で彼女の前にいるのだから、そういった感想が出てきても不思議ではないのかも。

 

「それに、胸もあるしねえ~」

 

 アリスはいたずらっぽい笑みを浮かべると、胸の先をつんつんと突いてきた。

 

「ひゃっ!」

 

 くすぐったいような、気持ち良いような初めての感覚。

 思わず、自分でもあまりに情けない声が出てしまった。

 反射的に手でさっと胸を隠して、彼女からさらに顔を背けてしまう。

 我ながらあまりにも初々しい反応に、彼女は満足したようだった。

 

「へえ。ちょっと女らしくないと思ってたけど、あなたもそんなかわいい顔するのねえ」

「きゅ、急に触らないでくれよ! びっくりしたじゃないか!」

 

 心臓がどきどきしてる。女の身体ってこんなに敏感なのか。

 

「そーんな真っ赤な顔でそっぽ向いて言っても、迫力ないわよ~。ユ・ウ・ちゃん♪」

「はあ……」

 

 ダメだ。この人、私ですっかり楽しんでるよ。

 

 彼女の好奇心というか、流れは止まらなかった。

 さらに段階は進んで、胸をもみもみされてしまう。

 手が触れたとき、あいつにされたことが不意に脳裏を過ぎった。

 ぴくんと肩が跳ねて、うっかり身構えそうになる。

 いや落ち着け。相手は女の子だぞ。スキンシップのつもりでやっているんだから。

 つい身をよじってしまったのを、単にくすぐったがっていると思ったのか、彼女は気にせずいたずらを続けてきた。

 正直ほっとした。

 あいつとはまるで違って、優しい手つきだったから。

 ほら、なんだ。何も怖がることはないじゃないか。

 全然痛くないし、逆に気持ち良いというか、妙にそわそわする感じが……。

 

「ん……」

 

 今、不意に変な声が。

 まずい。別の意味で危なくなってきたぞ。

 あ、ちょっと。これは……やばい。やばいって。

 あの、アリス。アリスさん?

 本気出して弄らないで。おかしくなっちゃいそうだから!

 

「ちょっ……アリス、やめっ!」

「ほれほれ~、ユウはここが弱いのかしら?」

「あっ……ん……んんっ…………ばか、やめろって!」

 

 ほとんど涙声で訴えると、

 

「あはは。ちょっと刺激が強過ぎたかもね」

 

 やっとアリスは笑って手を緩めてくれた。

 

「はあ……ふう……。もう、ひどいよ」

「あっはっは。ごめんね。反応が可愛かったからつい」

「しょうがないなあ」

 

 結構いたずら好きな子みたいだな。アリスは。

 そんな彼女はまだ私の胸に未練があるみたい。視線がずっとそこに留まっている。

 

「でもいいわねえ。何を食べたらこんなに胸が大きくなるのかしら」

「さあ」

 

 知らないよ。女になったら、最初から膨らんでたわけで。

 すると彼女は突然、自身を指さした。

 どこか恨めし気な調子で声を上げる。

 

「ねえねえ。ほら、見てよ! あたしなんてさ、このちっぱいよ!」

 

 そう言われるとさすがに見ないわけにはいかなくて。

 ごめんなさいと心の中で謝りながら、覚悟を決めて彼女と向き合う。

 やっぱり思った通りだった。

 女の裸を見ても、男のときなら当然起こりそうな邪な気持ちは、特に何も湧いてこなかった。

 罪悪感は半端じゃないにしても、性的な意味では平常心で彼女のことを見られた。

 うん。確かに小ぶりな胸……というかぺったんこだけど。

 しなやかで健康的な体と合わせて、元気はつらつなアリスにはよく似合っていると思う。

 正直な感想を述べた。

 

「確かに小さめかもしれないけど、それはそれで素敵だと思うけどな」

「ふーん。余裕ある者の発言ね~。まったく、羨ましいわ」

 

 いや、余裕なんてないよ。

 確かに胸の余裕はあるかもしれないけど、罪悪感とか恥ずかしさとかで、もう死にそうだよ……。

 

 二人で浴槽に浸かる。

 いつまでも避けていると変だし、もう色々と諦めるしかなかった。

 なるべく自然体でいるように心がける。そんなことを考えて必死になっている時点で、平気じゃないことは明らかだけど。

 もじもじしてしまっている私が、アリスにはよほど可愛く映ったらしい。

 面白がってどんどん体を絡めてきたので、ますます心が乱れてしまった。

 

 好き放題心ゆくまで堪能された後、ようやくいたずらも落ち着いた。

 その後は湯が冷めるまでたっぷりお喋りをして。

 やがて話題は、私の今後のことになった。

 

「ユウはさ、治ったらどうするの?」

「さあ。どうするのかな」

 

 わからない。これからどんな風に生きていけばいいのだろう。

 

「どうするのかなって。あなた、自分のことでしょう」

 

 そうだよなあ。何とかしないとって思ってはいるんだけど。

 何もかもがあまりに今までと違い過ぎて、どこから手を付けたらいいのか。

 けど、そうだ。とりあえずできそうなことなら――。

 呆れたような顔を向けている彼女に、尋ねてみる。

 

「アリス。魔法って、誰でも使えるのかな」

 

 今回の遭難で、とにかく力を付けなければならないことを思い知った。

 とは言っても、この常人の身をいくら普通の方法で鍛えたところで、限界はすぐにやって来るだろう。

 でも、もしも色んな魔法が使えたなら。

 今回のようなピンチになったとき、きっと取れる選択肢は広がるはずだ。

 それに、何の力もないままでいたら――またあいつに――。

 身震いがした。

 いやいや。もう考えるな。あいつのことなんて。

 

「あなた、魔法学を習ったことないの?」

「実は、魔法についてはまったく知らないんだ」

 

 ずっと科学の世界にいたからね。

 私が魔法を一切知らないということに、アリスはかなり驚いたようだった。

 

「それは珍しいわね。魔法は、あたしみたいに魔力のある者にしか使えないわよ」

「その魔力というのは、私にもあるのか?」

 

 彼女は少し得意な顔で、親切に教えてくれた。

 

「知りたいなら、役所にある測定機を使えば、魔力がどのくらいあるのか測定できるわよ」

「ふうん。そんなのがあるのか」

「うん。魔力というのはね、魔素を取り入れる能力のことだから、体質によって結構個人差があるの。もし魔力があまり少ないと、残念ながら魔法は使えないんだけど。ユウはどうでしょうね」

「そっか。なるほど。それで、魔素ってなに?」

「もちろん、空気中の七割を占めるあの魔素のことよ。って、さすがにこれは常識だと思うんだけど。ユウってほんとに何も知らないのねえ」

 

 彼女はやや目を細めて、怪訝な視線を向けてくる。あまりにものを知らないのを不思議に思っているのだろうか。

 と、とりあえず苦笑いして誤魔化しておこう。ちゃんと誤魔化せてるかな? あはは。

 

 それにしても――魔素。空気中の七割を占める、か。

 

 この星では、地球上の窒素の代わりを占める位置に魔素が存在しているらしい。

 とすると、あのエメラルドグリーンの空は、世界中に溢れる魔素によるものなのかもしれないな。

 魔法のことは少しだけわかった。どうやって勉強しているのかも気になるところだ。

 ここも素直にアリスに聞いてみるのがいいかな。

 

「アリスは、サークリス魔法学校というところに通うんだよね。どんな場所なんだ?」

「この町で一番大きな魔法学校よ。剣術学校が隣にあるんだけど、そこと合同で町によって運営されているの。入学するとクラスに分かれて、四年間魔法について学ぶのよ。校風も良いらしいし、今から楽しみなんだ」

「へえ。いいなあ。私もちゃんと高校生活したかったな……」

 

 なにせ、入学してから一年も経っていないうちに異世界に飛ばされてしまったわけで。

 

「なに? コウコウって」

「いや、何でもないんだ」

 

 はは。そっか。高校って呼び方をする学校はないんだね……。

 

「学校かあ。ちゃんとした場所で魔法を学べるなら、それが一番いいんだけどなあ」

「もしかして、あなたも魔法使いになりたいの?」

「うん。もし私に魔力があったらだけどね。でもお金も家もないから、独学でやろうかなって思ってるけど」

 

 それを聞いた彼女の顔が、ぱっと明るくなった。

 

「それなら大丈夫よ! サークリスは別名『剣と魔法の町』というくらい、剣術と魔法に力を入れているの」

「剣と魔法の町?」

 

 何だか妙に直球でファンタジックな響きだな。

 

「そう! 剣術と魔法の勉学に対する強い奨励政策をしていてね。援助も厚いのよ!」

「へ、へえ。そうなんだ」

 

 なんか急にすごい身を乗り出すね、君……。

 

「そうなの。魔力さえあれば、望めば魔法学校には簡単に編入できるし、お金のない人には奨学金制度があるわ。三食付きの寮だってあるから、住む場所の心配だってしなくてもいい。あたしも寮に入るつもりなの!」

 

 興奮気味の顔でまくし立てた彼女は、やや息が上がっている。

 彼女の剣幕に押されつつも、話を聞いて、私もじわじわと希望が込み上がってくるのを抑えられなかった。

 

「編入が簡単。それに奨学金制度に、三食付きの寮だって!?」

 

 渡りに船とはこのことだ。それならしばらくは生活の心配をする必要もないし、思う存分魔法の勉強ができる。

 しかも、安全に。

 殺人未遂、レイプ野郎、遭難。

 どん底の不幸続きだった私にも、ようやく運が向いてきたのかもしれない!

 もう答えは決まっていた。

 

「アリス。決めたよ。私も入ることにするよ! 魔法学校に!」

「ほんと!? まさかユウが一緒に入ってくれるなんて! あたし、とても嬉しいわ!」

 

 お湯が飛び跳ねるほどの勢いで、アリスにがばっと抱きつかれた。

 身体が密着して、ぎゅっと胸同士が押しつぶされる。

 驚いて離れようとしたけど、締め付ける力が強くて離れられない。

 何より、彼女がいつになく深刻な顔になっているのを見て、されるがまま身を任せることにした。

 

「実は心配だったのよ……。放っておいたら、あなたは今度こそどこかでのたれ死んでしまうんじゃないかって。この辺のこと、なんにも知らなそうだし」

「アリス……。そっか。心配してくれてたんだね……。ありがとう」

 

 人に思い切り抱き締められるのなんて、随分久しぶりのような気がする。

 私も手を回して、抱き返す。

 裸同士なことも、このときばかりはちっとも気にならなかった。

 首筋にもたれかかると、彼女の赤茶髪が軽く頬をくすぐる。

 やわらかくて。あったかくて。

 人の温かみに触れたとき、やっぱり自分はとても不安で、心細かったんだと痛感する。

 受け入れてくれる人が側にいるだけで、こんなに安心できるものなんだって。

 気が緩んだら、不意に頬を伝うものが出てきた。

 

 ――ああ。まただよ。

 

 こんな簡単に泣いてしまうなんて。どうかしてる。

 

 恥ずかしくてそっと顔を背けようとしたけれど、彼女にはすぐに気付かれてしまった。

 

「あら、ユウ。泣いてるの?」

「……泣いてない」

「うふふ。強がらなくてもいいよ。泣いてるでしょ?」

「……っ……泣いてない!」

 

 元は男の矜持として見せた最後の強がり。

 でもアリスには、まったく通用しないようだった。

 

「あ……」

 

 そっと頭を撫でられる。肩まで流れる黒髪の表面を、優しくなぞるように。

 今は女だからかな。

 自分というものが余計に、ひどく小さく頼りない存在に思えて。

 そんな私を温かく包み込んでくれる彼女が、さらに大きく頼もしく思えて。

 だからもう、強がることもできなくて。

 

「別に泣いたっていいじゃない。一人で怖かったよね。心細かったんだよね」

「……うん」

「大丈夫だよ。もう大丈夫。あたしがいるからね」

「うん……。ありがと」

 

 結局は、落ち着くまで素直に甘えさせてもらうことになった。

 アリスも変に茶化したりしないで、じっと抱き締めていてくれた。

 

 うう。図らずも弱みを見せてしまったな……。

 

 でもおかげでアリスとの距離はかなり近付いた気がする。

 向こうも同じように感じてくれたみたいで。

 色々と一安心したらしいアリスは、屈託のない笑顔を見せてくれた。

 

「でも安心したわ。もしあなたが入れたらだけど、そのときは女の子同士、一緒に頑張りましょ!」

「うん。そうだね――ん?」

 

 女の子同士……? 何かやらかしてしまったような……。

 

 あっ。ああっ!

 

 そこで私は、ものすごい下手を打ってしまったことに気付いた。

 

 しまった! この話の流れだと、ずっと女子として学校に通わないといけないんじゃ……!

 どうしよう!? そんなに長い間女のままでいるなんて、考えてなかったよ!

 くっ。やっぱりやめるって言って、男子として魔法学校に入ることもできそうだけど……。

 それではアリスを悲しませてしまう。

 せっかくこんなに喜んでくれてるのに、そんなことはしたくない。

 でも、でも……。ううう。

 しかも寮って、よく考えたら……。

 

「あのさ。寮なんだけど……」

「安心して。もちろん女子寮だから!」

 

 さくっと止めを刺された!

 やっぱり。やっぱり女子寮なのか……。

 ああ。罪が、重い。心が、重い。

 

「これからもよろしくね! ユウ」

「はは、は……」

「どうしたの?」

「何でもない。何でもないんだ……」

 

 もし学校に入れたら、そこではちゃんと女として過ごそう。

 それなら何も問題はない。ないはずだ。

 

 だって私は! この身体の私は、紛れもなく女なんだから!

 

 そのか弱い女の身体を確かめるように、両手で自らをぎゅっと抱きしめながら、私はそう決意した。



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3「ユウ、魔力を測定する」

 アリスの叔母さんが毎食作ってくれた美味しい料理の甲斐もあって、数日ほどで全快した。

 治ったけれど行く当てがなかった私を、二人は親切にも引き続き泊めてくれた。そればかりか、着替えがないからと、何着も服まで買ってくれた。

 連れて行ってもらった服屋では、アリスに着せ替え人形にされたり、初めてのブラジャー(ここではインマーというらしいけど)の付け心地に戸惑ったりしたのだけど……それはまた別の話だ。

 うん。思い出すのも恥ずかしいから、別の話にして欲しい。

 少し暮らしてみてわかったことがある。

 どうやらこの世界、地球とまったく共通点がないというわけでもないみたいだ。

 平均すると地球より文明レベルは劣ってはいるけれど、地球に存在するものの対応物はかなりある。

 魔法が科学の遅れを補っている部分も相当多い。

 光魔法を使った光灯が夜の町を明るく照らしていたり、火魔法を利用した調理器具が家庭に備わっていたり、水魔法を応用した水道設備が町中に張り巡らされていたりといった具合だ。

 なので、そんなに不便ということもなかった。

 それから、驚いたこともある。

 なぜか私は、この世界の文字の読み書きまでもできるらしい。

 読みたいときは勝手に日本語に翻訳されて頭に入ってくる。何か書きたいときも、まず日本語で考えれば、この世界の文字が自然と思い浮かんですらすら書けてしまう。

 どういうからくりなのかはわからないけど、あまりに便利過ぎる能力だと思った。

 少なくとも、変身能力なんかよりはずっと便利なんじゃないかな。

 

 

 ***

 

 

 さて、アリスの入学もすぐそこまで迫ってきたある日のこと。

 私は魔力を測るために、役所に出かけることにした。

 これまでどこ行くにも一緒だったアリスが、いつものようについて来ようとした。

 でも、役所の場所はもう教えてもらっているし、一度は一人で町を歩いてみたいと言って断った。

 彼女はかなり残念そうな顔をしてたけど、ごめんねと謝って宥めておく。

 もちろん私だって理由もなく誘いを断ったわけじゃない。

 彼女と一緒にいては、変身する隙がないからね。仕方ないんだ。

 私は一応、男の状態でも魔力を測っておこうと考えていた。

 もしかしたら、男のときと女のときでは魔力値が違う可能性があるかもしれないと思ってのことだ。

 

 サークリスの街並みは、石造りの建物が中心のようだ。

 レンガ積みの家が多く、一部は木造のものもあるけれど数は少ない。

 町の中心部には、立派な時計塔がそびえ立っている。高い建物も少ないので、どこからでもよく見える。

 朝から夕にかけて、一日四回綺麗な鐘の音が鳴り、人々に時間を教えてくれる。

 建物だけ見れば、まるで中世ヨーロッパのような景観だけど。

 あちこちに電灯があったりと違いも多いのは、先にも言った通りだ。

 驚いたのは、この町には駅があって、魔法の力で動く鉄道が存在することだった。それが各地の町を緊密に結んでいて、通商も盛んに行われている。

 地球の観点で言うなら、一部は既に近代化されているわけだ。

 一方で、旧態依然とした部分もある。

 この町の住民は、平民と貴族に大きく分かれている。

 そして貴族は様々な特権を有している。例えば、彼らだけが参政権を持っていたり、彼らにしか就けない仕事があるとか。

 住む場所も市民街と貴族街で綺麗に分かれていて、特別な用もないのに貴族街に一般人が立ち入ることは、基本的にタブーというか、御法度らしい。

 ちなみにアリスと叔母さんは平民だ。

 

 街並みを堪能しながら、しばらく大通りを歩いていると、役所にはあっさりと着いてしまった。

 ここが役所ですと言わんばかりにでかでかと看板が掲げてあって、間違えようもない。

 けれどもすぐにはそこに入らず、まずは近くの公園に入っていく。

 目当ての場所を探し求めて、中を練り歩くこと少しばかり。

 あった。公衆トイレ。

 私はここの個室で変身するつもりだった。急に性別が変わるところを決して人に見られないように。

 周りにも中にも誰も人がいないことを確認してから、ささっと男子トイレに侵入する。

 女子トイレにしなかったのは、もちろん変身後の性別を考えてのことだ。

 外から個室に入るときよりも、個室の中から出るときの方が、人に見つかってしまうリスクが高いと判断した。中からじゃ外の様子は見えないからね。

 もし女子トイレから男が出てきたのを見られたら、即刻通報ものだ。それだけは何としても避けたい。

 

 入ってみると、正面に小便器がいくつも立ち並んでいた。

 掃除がちっとも行き届いていなくて、どれも目を覆いたくなるほど汚い。

 アンモニア臭がそこら中に漂って、鼻についてしょうがなかった。

 思わず顔をしかめる。こういうのは世界を跨いでも共通みたいだ。

 

 ……それにしても。男子トイレなんて入り慣れているはずなのに。

 

 なんでだろう。

 女の子になっている今、とてもいけないことをしているような気がして。

 何だかとてもドキドキしてくる。

 高鳴る胸の鼓動に応えるように足は逸る。

 最速で個室へ滑り込むと、すぐさま鍵をかけた。

 

 はあ……はあ……。

 

 思いがけない興奮に息を乱しながらも、ほっと胸を撫で下ろす。

 とりあえず、これでもう誰にも見られる心配はない、って……。

 

 うええ……。この個室、なんか男臭い。

 

 ほのかにイカ臭さまでする……。誰か、ここでしたのかな。

 うう、気持ち悪い。

 もしかして、女だから男の匂いに敏感になってるのか。

 でも、せっかくここまで来たんだ。我慢だ。我慢。

 気を取り直して。変身する前にまず服を着替えないと。

 そうしないと、女の服を着た変態男になってしまう。

 ミニスカートにブラジャーをした男の自分をつい想像して、ぶんぶんと首を横に振った。

 そんなのは中学のとき、クラスの悪乗りでなぜか出ることになった悪夢のミスコンだけで十分だ。

 あのとき、男子なのに女装させられて。

 女子からは着せ替え人形扱い、男子からもひやかし声が出るしで。すごく恥ずかしかったんだよね……。

 ああ、嫌なこと思い出しちゃったな。

 背負っていたリュックを、適当な場所に下ろす。

 アリスの目もあったせいで、さすがに男物の服は買えなかった。

 でもこの日のために、上に着るものとして二着ほどユニセックスっぽいものを選んで買っておいた。わざわざ叔母さんから借りたこのリュックに詰めてきたのだ。

 そのうち一着は今着ている。

 もう一着は、一度男になって役所で測定を終えてから、また女になったときに着替えようと考えている。

 なぜそんな面倒なことをするのか。もちろん少しでも怪しまれないためだ。

 いくら性別が違うとは言っても、私の名前はこの世界では相当珍しいものだというのは間違いない。

 まったく同じ名前を持つ人物が同じ日に魔力を測りに来て、しかもまったく同じ服を着ていたら。

 かなり目立つ。もしや変に思われるかもしれない。

 さすがに気にし過ぎかなとも思うけど、万が一この能力が世間にバレたときの計り知れないリスクを考えれば、できることはした方がいい。

 こんな変な身体を持っているなんて知られたら、一体どんな珍物扱いをされてしまうのか。

 下手すれば、人体実験されてしまうかも。考えるだけで怖かった。

 上についてはこんなところで。

 下に履くものについては、残念だけどあの服屋に男女兼用できそうなものがなかった。

 そこで、この世界に来たときに身に着けていたジーンズを履くことにする。ちょっと目立つけど仕方ない。

 着替えを始めよう。まずはシャツをめくり上げる。

 さっきから変にドキドキしてしまっているせいか、いつの間にかじっとりと汗ばんでいた。

 何となく匂いを嗅いでみる。

 ……自分の匂いだからあまりわからないけど、ちょっと甘酸っぱい感じというか。

 男のときとはやっぱり違う匂いかな。

 って、何やってんだろう。

 ブラジャーのホックに手をかける。

 最初こそ着脱の仕方がわからなくて、アリスに教えてもらったけど(「そんなことも知らないなんて」とまた変な顔をされたのは言うまでもない)、さすがにもう何度も付け外しをしている。

 慣れた手つきでホックを外すと、ワイヤーによる抑圧を失った胸がぷるんと震えた。

 もうとうに見慣れた、張りのあるそれを見下ろしながら。

 私は小さく溜息を吐いた。

 胸があるってのもいいことばかりじゃないよね。

 揺れると痛いし、肩は凝るし。何より男の視線が気になるし。

 自分がなってみないとわからない感覚ってあるものだと思う。

 ブラだって面倒なときもあるけど、どうしても付けないと乳首が透けちゃってまずい服もある。毛だってちょくちょく処理しないと恥ずかしくていけない。

 女の人って、何気ない顔してかなり苦労してたんだなって、今ならわかるよ。

 まあ、男なら男で別の苦労があることを私は知ってるんだけど。お互い様か。

 めくっていたシャツを戻し、ミニスカートを脱ぎ、パンツも脱ぎ去り。

 脱いだものは丁寧にリュックにしまって、代わりにトランクスとジーンズを取り出して履いていく。ちょっとぶかぶかだ。

 準備完了っと。

 うん。逆パターンほど許されないわけじゃないけど、女の恰好にこの服は、やっぱりミスマッチ感がやばい。アリスが変に思ったのも無理はないか。

 では、変身。

 またあの全身に電流が走るような感覚がして、俺は男になった。

 よし、行こう。

 気付けば、あれだけきつかったはずの男臭さも、いけないことをしていたような妙な気分も、すっかり消え失せていた。

 

 

 ***

 

 

 魔力測定機は、役所の魔法係で使用を受け付けているという。

 その場所まで向かうと、受付のお姉さんが応対してくれた。

 役所仕事にしては随分とフレンドリーな印象の人だな。

 

「この用紙に名前等の情報を記入して下さい。証明書の発行等にも使用するので、正確に記入をお願いします」

 

 渡された紙に記入事項を順番に書いていく。まったく知らないはずの文字がすらすらと出て来るのは、相変わらず気味が悪い。

 すべてを書き終えてお姉さんに渡すと、名前を確認された。

 

「ユウ・ホシミ様でよろしいですね?」

「はい」

「では、こちらが測定機になります。使い方は機械音声での指示がありますので、そちらに従って下さい。それでももしわからないことがございましたら、遠慮せず私に聞いて下さいね」

「わかりました」

 

 機械音声の指示に従うのだけど、何と言っても血圧計と計り方がそっくりなので困ることはなかった。違いは、血圧を計っているわけではないので腕を圧迫されないことかな。

 ただ……。

 腕を出したはいいけど。

 この測定機、数値の表示がゼロからうんともすんとも言わないのはどうしてだろう。

 不思議に思っているうちに、正常に測定終了を知らせる音声がかかった。

 どうやら測定自体にエラーはなかったみたいだけど……。これってどういうことなんだ?

 疑問はすぐに解けた。

 結果を横から眺めてきたお姉さんが、驚いた顔で言ってきたから。

 

「ゼロ、みたいですね」

 

 ゼロ、だと……。

 

 愕然とした。

 

 そんな! つまり俺は、まったく魔法が使えないってことなのか!?

 

 ああ。夢にまで見たのに。手から火とか起こしてみたかったのに……。

 魔法というものにかなり期待していただけに、落胆は半端なものじゃなかった。

 

「魔力が一切ないなんて、非常に珍しいことですよ。普通はどんな方にも、必ず少しはあるものなのですけどね」

「そうなんですか……」

「魔力値鑑定書を発行する必要はありませんね」

「はい……」

 

 露骨にがっかりしているのがよほど目に余ったみたいで。

 お姉さんはどこか引きつった笑みを浮かべて慰めてくれた。

 

「大丈夫ですよ。魔力がほとんどない方も多いですから。あの……あまり気を落とさないで下さいね」

「はい……」

 

 意気消沈。とぼとぼとした足取りで役所を去る。

 くそ~、俺は所詮地球人だ。魔法なんて無理だっていうのか。

 

 ――いや、まだわからない。

 

 心折れそうになる自分をどうにか奮い立たせた。

 そうだよ。まだ女の自分が残ってる。もう一回だけチャンスはある。

 と言っても、性別が変わっただけであまり期待なんてできそうにないけど……。

 いやいや。弱気になっちゃダメだ。

 よし。さすがにすぐ行くとまずいから、ちょっと時間を空けてから再挑戦しよう。

 もし女でもダメなら……悔しいけど仕方ない。

 アリスには悪いけど、別の手段を考えなくてはいけない。

 どうしても強くならなくちゃ、この先とてもやっていけそうにないし。

 

 すぐにあの公園の公衆トイレへ向かった。

 また誰もいないことを確認して、今度は女子トイレに入り込む。

 ああ。すごく緊張する。

 女が男子トイレにいても、「間違えましたっ!」とか可愛く言えばなんとなく見逃してもらえそうな気がする。

 でも男が女子トイレで見つかったら、即逮捕だろう。マジでやばい。こわい。

 変身がバレないようにするためとは言え、こんな変質者みたいなことをするはめになるなんて。

 もっと良い方法が浮かばなかったのが残念だ。

 幸い誰にも見つからなかった。

 個室に入って鍵をかけ、今度は先に変身してから服を着替える。

 男のままだと、女の服はぱっつんぱっつんでまともに着れないからね。

 

 無事、身も服装も女になった私は、まず適当に近くのお店でウィンドウ・ショッピングを楽しんだ。

 そうして時間を潰してから、また役所に向かう。いざ運命の勝負。

 大一番の立会人は、再びあのお姉さんだった。

 また用紙に必要事項を書いていく。一回目よりもすんなりと書き終えた。

 

「ユウ・ホシミ様ですね。あら?」

「どうしたんですか?」

「先ほども同じお名前の方が来られたんですよ。失礼ですが、珍しいお名前ですから。といっても、先ほどは男性の方でしたけどね」

「へええ! 不思議な偶然もあるものですねえー!」

「そうですねえ。すみませんね、関わりのないことを申し上げて」

「いえいえ」

 

 ふう。ちょっとだけ冷や汗かいたよ。やっぱり服も変えておいて正解だったみたいだ。

 さて、やってきました測定機。頼む。魔力よ、あってくれ!

 恐る恐る、細腕を差し入れてみる。

 すると今度は、男のときとまるで違う反応だった。

 見る見るうちに数値が上昇していく。すごい勢いだ。

 そして、一万を少し超えた辺りでようやく止まったのだった。

 

 一万。ゼロじゃない!

 

 よかったあ。本当によかったああ。

 

 私の方は魔力があるみたいだ。これでアリスを悲しませなくて済みそうだ。

 別に勝ち負けなんてないのだけど、何か勝負に勝ったような気がして。

 ちょっと得意な気分で、お姉さんの方を見やる。

 すると、彼女の方は――男のときとは比べ物にならないほど驚いていた。

 

「まあ! なんてこと!」

「えっ?」

「私、魔力値が一万を超える人なんて、この目で初めて見たわ!」

 

 何をそんなに驚いてるのだろう。

 というかお姉さん、仕事中なのに口調が素に戻ってるよ。

 

「それってそんなに驚くことなんですか?」

「ええ、とてもすごいことですよ! だって魔力値の平均は数十ほどですし、魔法使いの方でも普通は数百から千数百ほどなんですから」

「はあ」

「それが、一万ですよ! 一万! これほどの方は国中探しても滅多にいませんよ!」

「それほどなんですか……」

 

 若干引いてしまうほどハイテンションなお姉さん。そんなに珍しいのか。

 魔力があったことだけですっかり安堵していた私には、寝耳に水だった。

 でも彼女の話が本当なら、普通の魔法使いと比べて、実に十倍ほどの魔力があるということになる。

 なるほど。それは確かにすごいかもしれない。

 

「さっそく魔力値鑑定書を発行しますね!」

「あ、はい」

 

 鼻息荒いままの彼女に、半ば押し付けられるようにして鑑定書をもらった。

 男のときとはえらい違いだな……。

 衆人環視の中、そそくさと外へ逃げる。

 お姉さんが騒ぎ立てたせいで、やたら注目を集めてしまった。ほんと恥ずかしかったよ……。

 一息ついて、もらった鑑定書に目を通してみる。

 そこには私の魔力値10276と、役所が発行したという旨が記されていた。

 そしておそらくは魔力が使用されているのだろう、きらきらと光り輝く特殊な印が押されていた。

 どうやらこの印によって、本物であることを保証しているみたいだ。お札の透かしみたいなものかな。

 

 ともかく、これで大事なことがわかった。

 どうも私の二つの身体は、単なる性別の差以外にも異なる性質を持っているらしい。

 というか、男の私が惨め過ぎるような。

 片や魔力ゼロ。片や国でも滅多にいないという一万。

 魔法なんて身につけた日には、男の自分が塵になってしまいそうな圧倒的格差だ。もうちょっと男女のバランスなんとかならなかったのだろうか。

 ……言ってもしょうがないか。

 もしかすると、男は男で別の力があるのかもしれないし。わからないけど。

 まあとにかく、用事はもう済んだ。叔母さんの家へ帰ろう。

 

 

 ***

 

 

 家へ帰ると、アリスが真っ先に出迎えてくれた。

 

「ただいま」

「おかえり。どうだった?」

 

 ちょっと心配そうに私を見つめる彼女に対して、鑑定書をひらひら見せつけながら、わざとそっけなく言ってみた。

 

「一万だってさ」

「そう、一万なの……って、えええええええええーーー!?」

 

 素っ頓狂な声を上げる。予想通りに面白い反応をしてくれた。

 それに留まらず、彼女は即座にすっ飛んできて、私の肩を両手でがっしりと掴んだ。

 そのまま激しく揺さぶられる。わ、強いって。

 

「ユウ、それってすごいわよ! かなり素質があるって言われたあたしだって、四千五百くらいなのに!」

 

 まるで我が事のように喜んでくれるものだから、こちらまで余計に嬉しくなってくる。

 

「あはは。これってやっぱりそんなになんだ」

「そうね。そのレベルになると――アーガス・オズバイン。サークリス魔法学校始まって以来の天才生徒と言われてるその彼が、確か魔力値一万五千だって話だわ」

「へえ。上には上がいるんだね」

 

 でもそんな天才で一万五千ってことは、私も相当なのか。

 男の魔力がゼロだったのはいただけないけど、強くなりたい身としては、相当に運が良かったと言っていいだろう。

 

「それでも十分すごいわよ。女子の中ではたぶん一番じゃないかしら」

「そっか。ともかく、これで私は入れそうなのか?」

「ええ、もちろんよ!」

「ほんとか!」

「うん。実際は魔力を見るだけじゃなくて、学力試験とか色々あるんだけどね。その魔力値ならすぐに受け入れてくれるでしょうね。もしかしたら特例で入学に間に合わせてくれるかも!」

 

 アリスは、弾けるように笑った。

 

「やったね! ユウ!」

 

 まったく裏のない、その温かく素敵な笑顔に、もうどれほど元気付けられてきたかわからない。

 気付けば、私も自然と笑顔になっていた。

 

「うん。嬉しいよ、アリス」



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4「気剣術のイネア」

 アリスの言った通り、私はサークリス魔法学校の入学式前に滑り込みで入れることになった。

 普通は試験を受けて合格した者でないと入学できないんだけど、相当の素質ありと認められた者は例外的に受け入れるというのが学校の方針らしい。それで特別に取り計らってもらった。

 魔力値一万というのは、それほどの素質ということみたいだ。

 ただし、無条件で合格というわけではなかった。

 面接もあったし、結局一応ということでちゃんと学力試験も受けさせられた。

 その学力試験だけど、算術と読解、そして歴史の三科目だった。

 うち前の二つは軽く解けたものの(元々勉強はかなりできる方だ)、歴史だけはさっぱりわからなかった。この世界の歴史なんてまったく知らないから当たり前なんだけど。

 どうせ粘っても無駄だからと、試験開始直後に白紙で提出した。

 そしたら、試験官にとても驚いた顔をされてしまった。

 答案はその場で採点された。

 ほどなく終わると、今度は採点官にまで驚かれてしまう羽目になった。

 なんでも、難しい算術と読解は満点なのに、点数の取りどころであるはずの歴史が零点というのは前代未聞だそうだ。

 ともかく、通常の学力試験として見ても合格点はギリギリで超えているということで、何も問題はなく即時合格となったのだった。

 ちなみに面接のときに暮らす場所もお金もないと言ったら、すぐに入寮と奨学金を認めてくれた。

 これもアリスの言った通りで、本当に助かった。

 

 

 ***

 

 

 というわけで、今日は入寮手続きをするついでに、せっかくだから校内を見て回ろうと学校まで足を運んだわけだ。

 サークリス魔法学校は、サークリス剣術学校と合同で運営されていて、校舎も同じ敷地内にある。

 正門から入って左手が前者で、右手が後者だ。

 この二つが同じ場所にあるのは、魔法と剣術の切磋琢磨による教育の相乗効果を期待してとのことだそう。

 でも実際は仲良くとはいかなくて、時に対立して問題が起こったりもする。あまり良いことばかりではないらしい。

 まずは正門から見ていこうか。

 正門の上方には、立派な校章が描かれている。剣術の象徴たる剣と、魔法の象徴たる杖が交差しているものだ。

 そこから入って歩いて行くと、すぐ左手正面に第一校舎がある。普段は講義等を行うところで、私が試験を受けたのもここだった。

 それに隣接しているのが第二校舎。ここは魔法実験設備が充実していると聞いた。

 そしてさらに奥には、数多くの一般書及び魔法書が収められている魔法図書館に、常時対魔の結界が張られた広大な演習場がある。

 他にも色々と施設はあるみたいだけど、メインはこんなところだろうか。

 さっきも言ったように、正門から右手は剣術学校側になっている。

 こちらも歩いて見てみたところ、ちょうど建物は魔法学校と対称的な位置関係になっていた。剣術校舎があり、演習場の代わりに大きな修練場がある。

 全体として建物は石造りで、それだけ見れば荘厳な雰囲気が漂っている。

 でも同時に、色とりどりの植物や、校舎中央部にある美麗な噴水などが、堅苦しい雰囲気を和らげて華やかさも醸し出している。そんな印象だった。

 一通り歩き回って、再び正門の前に戻ってきたところで。

 ようやく意を決して女子寮に向かうことにした。

 女子寮は第一校舎の手前、つまり正門からすぐそこに建っている。

 実は位置的には始めに行けたのに、ずっと後回しにしていた。

 本来なら行くべきじゃない私がそこへ行くというのは、まあそれだけ気が重いわけで。

 けど、いつまでも逃げてたら進まないよね……。

 正直やっぱり、私が女子寮に入るのはまだ悪い気がしている。とても。

 ただ、この身体でなければ魔力がないという残念な事実も判明してしまった。

 結局のところ、魔法を学ぼうと思うなら男のままでは不可能だ。

 女子として学生生活を送るより他はない。

 そうしなければ、この先も私はずっと弱いまま。

 ちょっとしたことで簡単に死にかけ、下手すれば本当に死んでしまうかもしれない。

 このままじゃいけない。必死で強くならなくちゃいけない。

 他に方法がわからない以上は、手段を選んでいる場合なんかじゃない。

 だからこれは――女子になりきって過ごすのは――生きるためなんだ。

 仕方のないことなんだ……。

 私は、そう思うようにもなっていた。

 

 女子寮は三階建てで、隣の男子寮より随分新しく綺麗に見えた。

 それは気のせいではなく、管理人に中を案内されてみれば、さらに差は歴然だった。

 男子寮にはないカードキーでセキュリティは万全。内部にはサウナ、薬湯付きの浴場(男子寮はただの銭湯らしい)、マッサージチェア付きのリラクゼーションルーム(男子寮にそんなものはないそうだ)と至れり尽くせりだ。

 どうなってるんだ。この格差は。

 それとなく管理人に聞いてみると、近年は女子学生の勧誘に力を入れていて、修学しやすい環境を整えたということらしい。

 ああ。日本でもそういう取り組みがあった気がする。

 それにしても男子涙目。入寮する身としては綺麗でよかったとも思うけど、半分男の身としては同情せざるを得ない。

 寮では二人一部屋で生活することになっている。希望したら、アリスと一緒の部屋にしてもらえた。

 私たちの部屋は203号室。

 今日クリーニングが終わって、明日から入れるということだ。

 新しい生活、楽しみだな。

 

 

 ***

 

 

 一通り説明も聞いて用は済んだので、管理人に改めて挨拶をしてから寮を出た。

 入寮は明日。入学式は明後日だ。

 女として、今までと違う形ではあるけれど、失われたと思っていた学校生活をまたやり直せることが嬉しかった。

 本当に心から楽しみで。

 つい足取りも軽くなり、鼻歌交じりに気分上々で帰り道を歩いていた。

 すると、近くを歩いていた男性の声に呼び止められた。

 

「君。随分と楽しそうだね。見かけない顔だけど、新入生かな」

 

 振り返れば、青い髪をした講師風の中年男性が、こちらへ柔らかく微笑みかけていた。

 人当たりの良さそうな、穏やかな顔つきをした人だ。

「随分と楽しそうだね」という言葉に、どんな風に見えていたのかなと考えて急に恥ずかしくなった。

 でも、すぐに気を取り直して挨拶する。

 

「このたびこちらで学ぶことになりました。ユウ・ホシミです」

「ユウ君ね――あー、名前を聞いたことがあると思ったら。特別合格した子だったかな。君は」

 

 彼は得心がいったようにふむ、と頷いた。

 私もちゃんと彼の目を見て頷き返す。

 

「はい」

「私はトール・ギエフだよ。魔法考古学を研究している。講義は魔法史を担当しているよ」

「魔法史、ですか」

「うむ。それで君、なんでも歴史が零点だったそうじゃないか。大丈夫かい。私の講義は厳しいんじゃないかな?」

 

 実際、見た目の印象通りに講師だった彼は、少しからかうような調子で笑った。

 そんな彼のフレンドリーな態度に合わせておどけたりなどはせずに、私は素直に言葉を返した。

 まあ初対面だし、礼儀はきちんとしておくに越したことはないと思って。

 

「実は、これまでまったく歴史を学んだことがないもので。不勉強ですみません。今後はしっかりと勉強するつもりです」

「そうかい。まあ、期待しているよ。では失礼するよ」

 

 彼は軽くお辞儀をくれると、正門を抜けて足早にどこかへと行ってしまった。

 

 へえ。あの人が魔法史の先生か。なんだか親しみやすそうな人だったな。

 ああいう先生たちに教えてもらえるんだとしたら、ますます学校生活が楽しみになってきたよ。

 

 さて、このまま帰ってもいいんだけど。

 どうせだから近くをぶらぶら見て回ってから帰ろうかな。探検とか、結構好きなんだよね。

 そう考えた私は、入ってきた方向とは逆に、中央の噴水を突っ切って裏門まで歩いて行った。

 裏門は正門よりもかなり小さく、非常にぼろっちかった。

 塗装もほとんど剥げていて、あちこちが赤く錆びついている。

 押してみると、ギイ、と金属が軋むような音がして開いた。

 外に出てその場で振り返り、裏側からざっと校舎を眺めてみる。一緒にぼろぼろの裏門も目に入った。

 ふと、正門にあった校章とは少しだけ違うマークが描かれていることに気が付く。

 それは、杖と「白く光り輝く」剣が交差しているものだった。

 あれ。なんで正門のと違うんだろう。別バージョンだろうか。

 不思議に思ったけど、考えて何かわかるようなことでもない。

 まあいいか。ちょっと気になるから、後でアリスにでも聞いてみようかな。

 

 しばらく学校裏の大通りを中心に歩き回って、様々なお店や施設を見つけた。

 中々楽しい散歩だった。 

 多少の土地勘を得た私は、もうちょっと冒険してみようという気になって、小道に入って行くことにした。

 それは本当に何気ない行動だったのだけど、そのことが再び私の運命を大きく変えることになったのだった。

 

 

 ***

 

 

『サークリス剣術学校 気剣術科』

 

 小道の途中で、そう書かれた古臭い木の看板を見つけてしまった。

 どうしてこんなところに別校舎が?

 アリスからも学校関係者からも、こんな建物があるなんて聞いてないけどな。

 一階建ての建物は、かなり古びていた。

 一見して質実剛健で広々とした造りをしていて、校舎というよりは、何かの道場と呼ぶのが相応しいような感じがする。

 先ほど見てきた、古風ではあるが手入れがきちんと行き届いている壮麗な校舎たちと比べても、雰囲気の差は歴然だった。

 それに、あの絵。

 入り口の扉の上には、裏門に描かれていた光り輝く剣そのものが描かれていた。

 単体で、それもでかでかと。

 そんなものを見てしまうと、興味がそそられて、ますます気になってきた。

 ここは一体どういうところなのだろう。

 それに、気剣術ってなんだろう。

 気。気ってあの気のことだよな。

 たまにテレビとかでやってる、あの胡散臭いやつ。

 あとは――そうだな。

 気と言えば、小さい頃漫画で読んだあれ。あの波―ってやる有名なやつ。

 そのくらいのイメージしかないけど。

 そんなもので剣術って、どうするのだろうか。

 その場にぼーっと突っ立ったまま、気剣術というものに対するイメージをあれこれと膨らませていた。

 そのとき、

 

「おい」

 

 うわっ!

 

 急に後ろから、やたらドスの効いた女の声がかかる。

 びっくりして振り返ると、そこにいたのは、金髪を後ろに束ねた綺麗な女性だった。

 胸元の開いた服装や、どこか艶めかしさを感じさせるすっとした顔つきが、妙齢らしい大人の雰囲気を醸している。だけど実際には、まだまだ若いようにも見える。

 そんな彼女はなぜか、まるで敵対する者でも前にしたかのような鋭い睨みをこちらに利かせていた。

 どういうわけだろう。私のことをかなり警戒しているみたいだけど……。

 さっぱり心当たりがなくて、戸惑ってしまう。

 

「お前は何者だ」

 

 滅茶苦茶怖そうな人だな。

 それが、彼女に対する失礼な第一印象だった。

 前の私なら、こんなにガンつけられたらそれだけでびびり上がっていたかもしれない。

 でも、あいつのあの恐ろしい眼を体験した後なら、まだ人間らしさが感じられるだけ全然マシに思える。

 なので怖そうだからと言って、気遅れすることはなかった。

 

「サークリス魔法学校の新入生です。こんなところに校舎があったなんて知らなかったもので、つい」

「そんなことを聞いたわけではないのだが……まあいい」

 

 私の呑気な言葉を聞いて、彼女は警戒を和らげてくれたみたいだ。

 身にかかる威圧が明らかに緩まった。

 とりあえずほっとする。

 ただ彼女の眼光鋭い目つきは元々のものなのか、そのままだった。

 

「見ての通り、ここは気剣術科だ。私はイネア。ここで講師をしている。まあ講師とは言っても、このところ数十年は弟子を持ったことはないのだがな」

 

 数十年というのは驚きだった。

 どう見たって二十代、よくても三十代にしか見えないのに。この人は本当はいくつなのだろうか。

 とても気になるけど、とりあえず相手が名乗ったからには私も名乗らないと。

 

「ユウ・ホシミです」

「ユウか。ホシミとは、変わった名字だな」

「確かに珍しいかもしれませんね」

 

 元は日本語の姓だからね。

 この星の人たちにすれば、翻訳されたものでもきっとかなり奇妙に聞こえるんだろうな。面接のときも同じようなこと言われたよ。

 

「それで、いきなりこんなこと尋ねるのも変なのですが」

「なんだ」

 

 やっぱり気になって仕方がなかったので、意を決して聞いてみることにした。

 

「聞き間違いでなかったら。先生は今、数十年も弟子を持っていないと言われましたよね?」

「そうだが」

 

 イネアさんは、ごくあっさりとした調子で答えた。

 やっぱり言い間違いじゃないのか。ますます奇妙に思える。

 

「でも先生は、かなりお若いように見えるのですが……」

 

 すると彼女は、クスリと小さく口元を緩めた。

 その何気ない笑みでさえ堂々としていて、様になっていると感じた。

 

「若い、か。確かに我々の種族としてはまだ若い方だな。だが私は、もう軽く三百年は生きている。ネスラだからな」

「ネスラ?」

 

 聞いたことのない言葉に首を傾げると、彼女の眉根がわずかに寄った。

 

「知らないのか? まあ、私のように人里で暮らすのは珍しいからな」

「そうなんですか?」

「うむ。ネスラとは、人間たちが長命種に分類する一種族のことだ。平均寿命は千二百年ほどで、普通は森の奥深くでずっと暮らしている」

「へえ。そんな種族がいるなんて、初めて知りました」

「それは私の台詞だ。お前のような奴は初めて見た。正直、我が目を疑っている」

 

 突然彼女から飛び出した予想外の発言に、私はきょとんとしてしまった。

 

「私が?」

「そうだ。お前は一体何者なんだ? お前からまったく気が感じられないのだが、なぜだ? 普通の生物である以上、それは絶対にあり得ないはずだ」

 

 強い口調で断言するイネアさん。

 あまりの爆弾発言に、頭をガツンと殴られたようなショックを受けた。

 

「どういうことですか!? それは」

「どうやら自覚がないようだな。少し探らさせてもらうぞ」

 

 こちらが了承する前に、彼女は私の額に手を当ててきた。

 それから目を閉じて、何やら集中している。

 何をされているのだろう。

 呆気に取られているうちに、やがて終わったのか、ゆっくりと手が離れた。

 そして、彼女が浮かべていたのは――驚愕の表情だった。

 

「まさか……信じられん!」

 

 動揺を隠せない様子のイネアさんは、私のことをじっと見つめて言った。

 

「お前、中にもう一人いる(・・・・・・)だろう?」



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5「ユウ、己の能力を知る」

 今度は驚いたのは私の方だった。

 どうしてそれを!? 

 開いた口が塞がらない。

 そんな私をしっかりと見据えながら、イネアさんは続けた。

 

「私としても奇妙な言い方だとは思うがな。どうだ、違うか?」

 

 何も言い返すことができなかった。その通りだったからだ。

 私の無言を肯定とみなした彼女は、合点がいったように頷いた。

 

「なるほど。随分と常軌を逸した存在のようだ」

「どうして、わかったんですか?」

「私は気力を探ることができる。それでお前を調べてみたのだ。一見お前からは何も感じられなかったが、奥底に核となるもう一つの存在を感じた。となれば、そう考えるしかあるまい」

 

 ますます驚いた。そんなことができるのか!?

 

「お前のような奇妙な者は見たことがない。奇跡のような存在だ。するともしや、お前は……」

 

 少し思案するような素振りを見せてから、彼女はこちらを探るように尋ねてきた。

 

「フェバル、という言葉に聞き覚えはないか?」

「それは……!」

 

 まさかここでその言葉が出てくるとは思わなかった。この人は、いったいどこまで知っているのだろうか。

 

「やはりそうか! ではお前は、フェバル本人か。あるいはその関係者か」

「フェバルです」

「そうか……」

 

 何かを思い起こすように、わずかに目を細めてから、彼女は言った。

 

「いや、私自身はフェバルではないのだが。私の気剣術の師、ジルフ・アーライズがそうだったのだ」

 

 なるほど。それでフェバルのことを知っていたのか。

 ジルフ・アーライズ。初めて聞く名前だ。フェバルはあいつやエーナの他にもまだまだいるのだろうか。

 

「師は言っていた。自分と同じ運命を持つ者がもし現れたら、そのときはそいつを助けてやってくれないか、と」

 

 そこまで言うと、彼女は改めて私の目をじっと見つめてきた。

 まるで私という人物を余さず見透かすような、鋭く真剣な目で。

 何と言っても気迫がものすごくて、思わず息を呑んでしまう。

 彼女はまた少しの間、何かを思案するように目を閉じた。

 再び開いたとき、眼差しから刺すようなきつさは薄れていた。

 

「詳しい話が聞きたい。中へ入ろう。お前自身のことを洗いざらい話してくれないか」

「それは……」

「心配するな。決して悪いようにはしない。それに私からも色々と話そう」

 

 そうまで言われては断れなかった。

 何より、私もこの人から話を聞きたいと思ってしまったから。

 わけもわからないフェバルというものの――自分を知る手がかりになるかもしれないのだから。

 

「わかりました。だけど、誰にも言わないで下さい」

「もちろんそのつもりだ。この話は二人だけの秘密にしよう」

 

 こうして、気剣術校舎の中に案内され、これまでの経緯を説明することになった。

 誤魔化すことはしなかった。相当事情に詳しそうだし、彼女の口ぶりと親身な態度から、本当に味方になってくれそうな、そんな気がしたから。

 すべてを話し終えたところで、イネアさんは重々しく口を開いた。

 

「なるほど……。それにしても、大変な奴に目を付けられたものだ。ウィルなら私も対峙したことがある。恐ろしい奴だった」

「そうなんですか!?」

 

 イネアさんには何度も驚かされる。

 まさかあいつと会ったことがあるなんて。よく無事でいられたなと思う。

 

「ラシール大平原。あそこにはかつて、魔法大国が存在していたことは知っているか? 名をエデルという」

「アリスという友達から聞いたことがあります」

 

 私が倒れていた死の平原の話を聞いたとき、ついでにその国の話もされたんだった。

 

「そうか。実はな。あの国は大規模な魔法実験の失敗で滅んだと一般には考えられているが、本当のところは違う」

 

 イネアさんは、とんでもないことを告げてきた。

 

「奴が気まぐれで、一夜にして滅ぼしたのだ」

「なっ……!」

 

 あんな馬鹿みたいな広範囲を、たった一夜で……!? 

 常識で考えれば、到底信じられないことだった。でも色々と規格外そうなあいつなら、何だってやりかねないと思ってしまう。

 あいつ、底が知れないと感じていたけど、やっぱりとんでもない奴だったんだ……!

 そんな奴に目を付けられ、おもちゃにされてしまっている――。

 そのことの恐ろしさを、改めて認識する。これからあいつにどう弄ばれてしまうのか。あまりにも怖くて、もう考えたくもなかった。

 

「奴の【干渉】は凄まじい能力だ。結局奴はエデルを滅した後に、いずこかへと去ってしまったのだが……。もし奴がその気になっていれば、世界は丸ごと滅びるしかなかっただろうな」

「世界が丸ごとだなんて……」

 

 スケールが大き過ぎて、現実感がない。想像が追いつかないよ。

 しかし当事者であった彼女にとっては、紛れもない事実なのだろう。その語り口には迫真を伴う苦みがあった。

 

「それほどの圧倒的な力の持ち主だ。師と私で挑んだが、まったく敵わなかったよ。私は足手まといだったがな……」

 

 そう言って遠い目をした彼女は、どこか悲しそうに見えた。

 つい同情してしまった私の顔を見て、イネアさんはほんのりと口元を緩める。

 もう終わったことだと、そんなに心配するなと言いたげに。

 

「まあそれは良い。ところでだな」

「はい。なんでしょう」

「信用しないわけではないのだが、一応見せてはくれないか。男の姿というやつを。お前の話が本当なら、普段はいつでも変身できるのだろう?」

 

 突然の提案だった。しかも私にすれば大問題だ。

 あまりのことに、あいつのことすらもいったん頭の片隅に追いやってしまうくらい動揺してしまう。

 

「えっ……今、ここで……ですか?」

「そうだ。何か問題でも?」

「いや、だって、その、服が」

 

 今変身したら、相当キモいことになってしまう。

 だって、この間トイレでつい考えてしまって、嫌気がさした恰好そのままじゃないか!

 すっかり泡食っている私の反応を見て、むしろイネアさんは楽しんでいるように見えた。鬼畜か!

 

「なに。私以外誰も見てはいない。恥ずかしがることもないだろう」

「……着替えを持ってきてからじゃ、ダメですか?」

「それでは時間がかかるな。却下」

 

 ダメだ! 逃がしてくれない!

 逆らえないプレッシャーをひしひしと感じた私は、泣く泣く変身するしかなかった。

 

 えいっ……。

 

 念じて男の身体を選ぶと、全身がカッと熱くなり、蠢いた。

 手足に力が漲り、胸の膨らみがするすると引っ込んで、スカスカだった股にアレが隆起する、不思議な感覚が走る。

 現実時間にしては一瞬の出来事だが、体感としてはもっと長い。

 妙だよね。草原で変身したときには、本当に体感の方も一瞬だったのに。普段はまた違う。

 どうもどれほどすっ飛ばして変身したいのか、そのときの気持ちや緊急度合いで体感まで変わるようだ。日常かつ人に見られているというシチュエーションが、感じ方を長くさせてるのかも。

 ――ふう。終わった。

 ……自分で自分はよく見えないけど、今の俺は間違いなく、女装をした男の姿だ。服がぱつんぱつんに張っている感触がある。

 くっ。これだけはしたくなかったのに!

 腕組みをしたまま、俺のことをじろじろと見回すイネアさん。視線にとても耐え切れず、顔を背けてしまう。

 間もなく、彼女は感嘆したような声を上げた。

 

「ほう。わかってはいたが、素晴らしい気力だ。これならば――いけるか」

 

 そしてやっぱりというか、彼女は可笑しそうに大笑いした。

 

「それにしても――あーはっは! なんだそれは! 予想以上に面白い恰好だな!」

「ああ、くそっ! だから変身なんてしたくなかったんだ! もう戻りますよ! 俺は!」

 

 ああもう。だから嫌だって言ったのに!

 一気に心が乱れてしまったが、すぐに再変身して女に戻る。

 今度も同じように、全身熱を伴って蠢く。

 髪がざわつき、男の象徴が退行していき、腰がくびれを形作り、胸が膨らんでいく。ダイナミズムと生物的快感に満ちた変化を、早回しで味わった。

 女から男になるときとでは、どうも感じ方が違う。女の子的な気持ち良さ、なのかな。よくわからないけど。ちょっとだけえっちというか、いけない感じだ。

 変化が終わって、快楽の熱が冷めやれば、思考はすぐに現実へと引き戻される。変身の直前からシームレスに。

 もう一度言うけど、現実ではほんの一瞬のことなんだ。周りからは、突然身体が変わること以外には何もわからない。

 イネアさんはまだ、残し笑いをしている。

 

「くっく――だが……くく。服がぴったり張っていたのを除けば、中々どうして似合っていたじゃないか」

「あーそうですか」

 

 どうせ女顔だし、男らしくないですよーだ。

 

 思い切り痴態を笑い飛ばしてくれたイネアさんではあったが、でもただからかって終わるわけではなかった。考えがあるらしい。

 

「しかし、変身のたびに一々着替えなければならんというのは不便だな。よし、今度便利な服を用意してやろう」

「便利な服なんてのがあるんですか?」

 

 機嫌を悪くしかけていたのも忘れて、がっつり食いつく私。

 組んでいた右手の人差し指を少し持ち上げて、イネアさんは得意気に言った。

 

「ああ。ちょうど良いことに、男のときは魔力がまったくないし、女のときは魔力に満ち溢れている。そいつを利用しよう」

「ふーん?」

 

 どう利用するんだろう。

 頭の中がハテナマークいっぱいになっている私に、彼女は一つウインクして続ける。

 

「普段は男の服だが、お前の魔力に反応したときは瞬時に女の服に変化する。そんな服を作れば問題ないだろう」

「おお、そんなものを作れるんですか!?」

 

 やっと理解できた。そんな便利なものがあれば、もう一々人目を気にしながらこっそり着替える必要はなくなる。心の底からありがたい。

 

「私を誰だと思っている。任せておけ」

 

 イネアさんは自信満々に胸を張った。

 やった。本当に助かったぞ。

 ついはしゃいでしまった私を、温かい感じで眺めてくれていた彼女だったが、こちらに注意を向けるように咳払いをする。

 

「さて、ユウ。先ほど変身を見せてもらったのは、何も別にただの興味だけからではない。ふふ。まあそれもあるがな」

 

 ほんの少しだけ、たぶん思い出し笑いをした彼女は、しかしすぐに表情を引き締めた。

 

「あれでお前の身体に関する十分な情報が得られた。私にわかることを教えてやろう」

「へ。本当ですか?」

「どうやらお前は、自分自身についてまだ何も知らないようだからな。知りたいだろう?」

 

 私は強く頷いた。【神の器】とかいう謎の能力が目覚めて以来、自分で自分のことがさっぱりわからなくて、ずっともやもやしていた。知ることができることなら、何だって知りたい。

 頷いた私を見て、イネアさんは「座るか」と言って、その場で畳の上に正座した。それに習って、彼女の前に正座する。

 私が姿勢を正すのを見届けてから、イネアさんは説明を始めた。

 

「まずは前提からだ。この世界の常識では、魔力とは、魔素を己の身に受け入れて利用する能力のことだと言われているな?」

 

 こくりと頷いた。そのようにアリスから聞いたことがある。

 

「だがそれは、あくまで狭義の意味に過ぎない。フェバルである師から、私はより広義の意味での魔力というものを教わっている」

「広義の意味、ですか」

「うむ。よく聞け。聞いた意味では、魔力とは、外界の要素を自己の内に取り入れて利用する力のことを言う。反対に気力とは、自己の内の要素を外界に取り出して利用する力のことを言うのだ」

「随分と抽象的になりましたね」

「そうだな。慣習上、魔力だとか気力だとか呼んではいるが、実際はもっと抽象的な力のことを指すというわけだ」

「なるほどです」

 

 初耳だった。自分の中で勝手に思い描いていた魔力と気力のイメージを、かなり修正しなくてはならないみたいだ。

 

「今言ったように、この二つの力のベクトルは真逆だ。ゆえに、互いに反発し合う。したがって通常は、その者の有する魔力が強いほど気力が、気力が強いほど魔力が抑えられ、弱くなってしまう。ここまではいいか?」

 

 ちょっと難しいけど、まあ大丈夫だ。しっかり頷くと、彼女は続けた。

 

「さて見たところ、お前の女の身体からは気力が一切感じ取れない」

「そう、みたいですね。自分じゃよくわからないですが」

「通常、生けるものは必ず大なり小なり生命力を持つ。ゆえにどんなに弱くても気力を持つはずなのだがな」

「その感じだと、まるで私が生きてないみたいなことになってますよね……」

「だからおかしいのだ。現にお前は普通に生きているわけだしな。なぜそんなことがあり得るのか、先ほどの変身でよく観察してみたのだが……」

 

 イネアさんは口の端を曲げて、改めて考えを巡らせるように小さく唸る。

 固唾を呑んで次の言葉を待っていると、やがてまた彼女は口を開いた。

 

「どうもその女の身体は、奥底で核となっている男の部分から、常に生命力などを供給されることによって活動しているようなのだ」

「そうなんですか!?」

「ああ。だからなのか、お前の女の身体には、普通の生物ならば必ず持っているはずの、生命力を操る機能そのものがない」

「じゃあ、私のこの身体って、操り人形みたいなものなんですか?」

「そういうことになるな」

 

 へえ。何だか不思議な感じだ。

 私は今、こうして普通に息をして、ちゃんと動いているのに。

 そうした生命活動全てが、男の私に依存しなければ成り立たないだなんて。

 

「生命力とは、自己の内部要素の中で最も根源的で、基本的なものだ。それを操る機能がなければ、自己のどんな内部要素であれ利用することはできない。よって外界に表出することもあり得ないから、気力が一切なくなってしまう」

 

 ふうん。それが私に気力がない理由なのか。

 ……と言っても、自分じゃやっぱりあるとかないとかよくわからないんだけど。

 

「そして逆にだ。気力がないゆえに、魔素といった外部要素であれば、どんなものでも一切弾くことなく受け入れることができる。女の身体が持つ魔力が異常に高いのはそのためだ」

 

 普通の人より魔力が高い理由まで、一気に説明が付いてしまった。次々と明らかになる事実に、私はすっかり興味津々だった。

 

「一方で、お前が男のとき、女の身体はお前の中に引っ込んでいる。だからその間は、自己の内部要素をそちらへ供給する必要はなくなる」

「そうなると、持て余しちゃいますね」

「うむ。するとだな、男の身体が持つ高い供給能力は、そのまま外界へ放出する能力へと転じるわけだ。したがって、男の身体は非常に高い気力を持つようになる」

「あ、なるほど。ということは」

 

 男の場合は、女のときとまったく逆の現象が起こるわけだ。それでなのか!

 イネアさんは、私の思い至った通りに続けた。

 

「もうわかるな? 気力があまりに高いために、外界の魔素などをことごとく弾いて寄せ付けない。男の身体の魔力がゼロ、つまり魔力計で検出できないほど弱いことは、これで説明がつく」

 

 すっきり謎が解けたような気がした。今まで偶然だと思っていた男女での魔力値の乖離には、そんな背景があったんだ!

 そこで、彼女の顔つきがより真剣なものになった。私も息を呑んで耳をしっかり傾ける。

 

「大事なのはここからだ。気力と魔力は反発し合うと言ったな。それゆえに、一人の人間が強い気力と魔力を同時に兼ね備えることはできない。人間の限界というものだ」

「人間の、限界……」

「ああ。ところがだ。お前は、特徴のまるで異なる二つの身体を持つことによって、この限界をまがいなりにも突破してしまった」

「えーと。そういうことに、なりますかね」

 

 あんまり実感ないけど、言われてみると確かにそうかもしれない。変身すれば良いわけだし。

 私のなるほどねーくらいの感覚に対して、イネア先生の言葉には真に迫る熱量があった。

 

「そうだ。これは凄いことだぞ、ユウ。お前の能力は、お前自身が考えているような、ただ変身できるというだけのつまらないものでは決してない」

 

 私の能力が、つまらないものじゃない!?

 衝撃だった。

 イネアさんの言う通り、これまでずっとこの能力のことを見下げていた。事実、役に立ったことなんてほとんどないし、これからも全然あるとは思えなかった。

 だって、ただ女の子になれるだけの能力だよ? 普通はそう思うのが当然だよ。平原でのサバイバルのときには一応役に立ったけど、あれは例外中の例外だ。

 むしろこんなおかしな能力があることが世間にばれたら、どんな厄介なことに巻き込まれてしまうのか。その心配ばかりしていた。

 それがまさか、そんな風に言われるとは思わなかったから。

 

「確かに、お前の能力は強くはない。一つの身体だけ見れば、精々が人間のレベルに過ぎないのは事実。私の師であるジルフや、ましてウィルといった化け物には力では勝てないだろう」

 

 それは肌でわかっている。あいつに勝てる気なんてこれっぽっちもしない。ジルフさんって人も、聞く限り凄い人みたいだし。この見るからに凄そうなイネアさんの師匠だもんな。

 

「だがお前は、ある意味で正反対の性質を備える二つの身体を持っている。これはお前だけの武器だ」

「私だけの、武器……」

「そうだとも。お前には、二つの身体を使い分け、互いに補完し合うことで、人の限界を遥かに超えて多くの事物に触れ、身につけることができる素質がある」

「私に、そんな素質が……!?」

「ああ。その成長性は捨てたものではない。まさに人間を超えられる器なんだ。お前はな」

 

 彼女の話す事柄に、ただただ圧倒されていた。

 人間を超える存在になり得る!? この私が!?

 驚くのはそればかりじゃなかった。イネアさんは、さらにもう一つ付け加えてきた。

 

「それに、これは勘だが……私も気付いていないような秘密が、まだその身体にはあるような気がする。お前が彼らに対抗できる可能性が万一あるとすれば、そこだろうな」

 

 戦慄した。

 今はか弱いだけのこの身体に、そんな恐ろしい可能性が秘められているのか!?

 あいつにいいようにされずに対抗できる可能性が、ほんの少しでもあるんだ。あんな化け物に、対抗できるようになる可能性が――。

 それは希望であると同時に、何だかぞっとするような、末恐ろしいことのように思えた。

 ふと、思い当たる。

 

『僕は、人の形をした化け物だ。そして、お前もいずれはそうなる』

 

 あいつが、確かにそう言っていたことを。

【神の器】。あいつがなぜ私の能力をそのように呼んだのか。

 きっと、見抜いていたんだ。

 本当に何の役にも立たない能力なら、あいつはまず間違いなくそんな風に名前を付けては呼ばない。もっともっと、ゴミのような扱いをするはずだ。あいつとはほんの少ししか話していないけど、それくらいのことはわかる。

 確かにオーソドックスではない。一見するとふざけた能力だ。

 だけどこの能力も、あいつの【干渉】のように、この世の条理を覆すような能力だったということなのだろうか?

 ああ。ダメだ。頭が混乱する。とにかく、初めて判明したことが多すぎるよ。頭の整理にはまだ時間がかかりそうだ。

 

 そのとき、うっかりしていたというような顔をイネアさんがしたので、私は考えるのをやめて彼女のことを見つめ直した。

 

「ああそうだ。言い忘れていた」

「なんですか?」

「フェバルのことなのだがな……実は、私もよく知らないのだ」

「そうなんですか!?」

 

 意外だ。これだけ事情通なら、フェバルのこともある程度は知っているのかと思ったんだけど。

 

「残念ながらな。師は口をつぐんで、大事なことは何も教えてはくれなかった」

 

 それまでずっと冷静な口ぶりで話していた彼女は、ここで初めて強い感情を見せた。

 本人は何でもない振りをしているのだろうけど、隠し切れない悔しさを滲ませて、小さく溜め息を吐いたのを見過ごさなかった。

 その溜め息には、彼女の無念が込められているような気がした。

 きっとイネアさん自身も、フェバルについてもっと知りたいと思っているのだろう。だからわざわざ、ほとんど何も知らない私なんかを招いて。自分の持つ情報を洗いざらい提供してでも、何かを知ろうとしたに違いない。

 話しぶりからして、イネアさんは師のジルフさんを心底慕っているみたいだし。どうやらその彼は、今はもう側にいないみたいだし……。

 やっぱり、もう一度会いたいのかな。

 イネアさんは、しばらく黙り込んでいたのだけど……やがて静かに口を開いた。

 

「ただ、それでも。私にとって師が、何より大切な人であることに変わりはない」

 

 まるでしみじみと偲ぶように、目を瞑る。

 私の想像は、たぶんきっと正しいんだろうなと思った。

 目を開けたイネアさんは、今度は私の方を見つめて、にやりと不敵な笑みを浮かべた。

 

「だから私は、フェバルを助けよという師の言葉に従うとしよう」

 

 あれ。もしかして、私に何かしてくれるつもりなのか?

 

「えっと?」

「――ふっ。そうだな。私にできる手助けと言えば、このくらいだ」

 

 イネアさんは、すっと立ち上がる。

 そして、何とも不思議な、びっくりするようなことをやってのけた。

 彼女の右手がぱっと光ったと思うと、そこから――真っ白な剣が飛び出したんだ!

 滅茶苦茶驚いて、視線が釘付けになる。

 力強い輝きを放つそれは、あの裏門に描かれていた絵とまさに同じものだった。

 物質によるものではない――オーラの、気力の剣……!?

 その特殊な剣を目の前にぴたりと突きつけて、彼女は言った。

 

 忘れもしない。彼女が――イネア先生が、私の大切な師匠になった瞬間だった。

 

「ユウ。ここで気剣術を学んでいけ。お前なら、きっとものにできる。必ず役に立つはずだ」



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6「女子寮の新入生歓迎会」

 昼は女として学校で魔法を学び、夜は男としてイネア先生に気剣術を学ぶことになった。

 イネア先生には、自分のことはちゃんと先生と呼び、敬語を使うようにと念を押された。あと、私はかなり甘ったれたところがあるから、そこも直していくと言われてしまった。

 うーん。私ってやっぱり甘ったれているのかな。

 まあ確かに、小さい頃は根っからの甘えん坊だったし、人にはどこか抜けてる奴だってちょくちょく言われてはいたけど。

 

 

 ***

 

 

 さて、日付けも変わり、寮生活初日を迎えた。

 今は、ようやく入れることになった二人部屋に、アリスと一緒にいる。

 荷物の整理に忙しい彼女に比べて、身一つでこの世界に来た私は、ほぼ何も持っていなかったので暇だった。することがなかったから、手伝えることは何でも率先して手伝った。助かったと喜んでくれたよ。

 

「歓迎会、楽しみだね」

「うん」

 

 アリスの言う通り、夜には新入生歓迎会があるのだった。

 寮の先輩達が主催する非公式のものだが、毎年恒例となっているので、実質公式行事のようなものらしい。

 

「そう言えばさ。その服、どうしたの?」

 

 下はミニスカート、上はキャミソールにジャケットを重ねた恰好に着替えていた私を見て、アリスは訝しげに尋ねてきた。

 彼女がそういう反応をするのも無理はなかった。なにせ、買ってあげた覚えがない服を着ているのだから。

 これは、イネア先生が作ってくれた例の特殊な服だ。

 外からは見えないけれど、先生はパンツやブラジャーもしっかり用意してくれた。

 試しに着てみたところ、男に変身するのに合わせて、男物のズボンやシャツ、ジャケット、トランクスへ瞬時に換装されるという優れものだった。

 ちなみにブラジャーはちゃんと消えてくれる。さらに多少の汚れや傷なら、自動で浄化・修復されるとのことだった。

 今はこの一セットだけだけど、気が向けば他にも作ってくれるらしい。

 ともかくこの服によって、変身する際に着替えなければならないという大変な問題は解決した。もうこそこそトイレに入ったりしなくて良いわけだ。

 本当に助かった。これだけでも先生にきちんと事情を話してよかったと思う。

 

「ああ、これね。知り合いからもらったんだ」

 

 悪いとは思いつつも、言葉を濁して誤魔化した。

 正直に話すと、イネア先生とのくだりもある程度は話さないといけない。そうなれば、気剣術校舎では男の姿で学ぶしかない以上、私の正体がバレる危険がついて回る。

 アリスなら、もしバレたとしてもこういう大事なことは言いふらしたりはしないとは思う。けれどそれでも、せっかく手に入れた友情が壊れてしまうかもしれないと思うと、どうしても怖かった。

 でも下手な誤魔化しは、アリスには通用しなかったみたいだ。

 

「へえ……。知り合いって誰かしらね~」

「えっと。それは、その……」

「ふうん。ユウってやっぱりどこか秘密主義だよね。そろそろあたしに色々と話してくれてもいいんじゃないの~?」

 

 と、軽く小突かれてしまう。

 う。やっぱり隠してるのがバレた。

 妙に鋭いんだよな、アリスは。それとも、私が隠し事をしたり嘘を吐くのが下手なだけなのかな。

 どっちもかもしれない。

 

「本当にごめん。どうしても言えないことが多くて……」

「いいわよ。無理には聞かないって言ったもんね……」

 

 ……どうしよう。ちょっと気まずいなあ。

 何か別のこと話した方がいいんだけど。後ろめたさのせいで、口から上手く言葉が出てこない。

 困っていると、こういう空気を破ってくれるのは、いつもアリスの方からだった。

 

「よし、ホールへ行こ! 先輩たちが待ってるよ! ね、そんなばつの悪そうな顔してないでさ」

「うん。そうだね……」

 

 それでもまだ浮かない気持ちのままの私を見かねたのか、彼女は私の腕を掴んで、ぐいぐいと引っ張って行こうとする。

 

「わっ、ちょっと。引っ張るなよ!」

「ほらー、しゃきっとしろー!」

「わかった! わかったからやめて!」

 

 たまらず根を上げると、やっと彼女は腕の力を緩めてくれた。

 そして、にこっと笑って言われた。

 

「ふふっ! 元気出たでしょ?」

「はあ……。おかげ様でね」

 

 私も微笑み返した。

 まったく。アリスには敵わないな。

 

 

 ***

 

 

 ホールに行くと、私たち二人の他にも既にたくさんの人が集まっていた。

 奥でべらべらと楽しそうに喋っているのが先輩グループで、手前でどこかぎこちない様子で大人しくしているのが新入生グループだろうと簡単に見当が付いた。

 どこから会話に入り込もうかな。

 話しかけやすそうな人を探して見回していたところ、ここで人見知りとはまったく無縁なアリスのコミュ力が存分に発揮された。

 彼女は物怖じせず、同級生から先輩の集まりまで、どんどん話の輪に飛び込んで会話を盛り上げていく。気が付けば、いつの間にか彼女を中心とした輪ができあがってしまった。なので、私はただアリスの横についていれば問題なかった。

 やっぱりすごいなあ。アリスは。こういうところはなるべく見習っていきたいな。

 

 大分人が集まってきたところで、先輩グループの中から一人、茶髪の美少女が歩み出てきた。

 話し声で溢れていたホールは、しーんと静まり返る。

 みんなの前に立った茶髪の先輩は、まずぺこりと頭を下げた。くるくるとカールのかかった、滑らかな長髪が一緒に垂れ下がる。

 顔を上げた彼女は、さっと髪を撫で整えてから、はつらつとした声で挨拶を始めた。

 

「こほん。この場を取り仕切らせてもらうのはこのわたし、三年のカルラ・リングラッドよ」

 

 うわあ。堂々としてて、いかにも先輩っていうか。どこか華のある感じの人だなあ。

 

「新入生のみんな。入学おめでとう。そして女子寮へようこそ。ここはお隣のぼろっちい男子寮なんかよりずっと素敵な環境が整ってるわ。目いっぱい活用して、楽しい学園生活を送ってね」

 

 ぼろっちいのところで、あちこちから小さな笑い声が起こる。彼女はそれに良い顔をして続ける。

 

「さてと。まずは一人一人自己紹介してもらおうかな。名前、趣味、それから適当に一言くらい言ってってもらえる?」

 

 自己紹介が始まった。各々が名乗り、趣味、抱負や夢などを簡単に述べていく。

 やがて、私たちの番が回ってきた。

 

「あたしは、アリス・ラックインです。趣味は運動、それから魔法で遊ぶことです。田舎のナボックに住んでいたので、こんなに大きな学校も、こんなに仲間がいることも初めてで。これからの学校生活がすごく楽しみです。みんな、よろしくね!」

「ユウ・ホシミです。趣味は読書です。今まで魔法のことをよく知らなかったので、これから学ぶのがとても楽しみです。たくさんの人と仲良くなって、楽しく過ごせたらいいなと思っています。皆さん、よろしくお願いします」

 

 本当はサッカーとかのスポーツやゲームも好きなんだけど、この世界にはなさそうだから黙っておくことにした。

 すると、周りが妙にざわざわし始めた。

 どうしたんだろう。

 きょとんとしたまま聞いていると、どうも私の噂をしているみたいだった。

 

「ホシミさんって、もしかしてあの?」

「なんでも、特例で滑り込んだって」

「へえ。うちもそんなことするのね」

「裏金かしら」

「いや、ここはそういうことはしなかったような」

「算術満点って聞いたわよ」

「私は歴史が零点って」

「うそ!? ありえないんだけど!」

 

 がやがや声が大きくなり始めたところで、誰かがパンパンと手を叩いた。

 

「はいはい! その辺の話は後で個人的にしましょうね」

 

 カルラ先輩だ。それでみんな口を閉じて、場は再び静けさを取り戻す。

 

「さあ、次の人!」

 

 その後は滞りなく自己紹介が進み、大体一回りしたような感じになった。

 もう誰も名乗り出なくなったところで、カルラ先輩が言った。

 

「はい。これで全員かな。まだ自己紹介してない人はいない? もしいたら手を上げて」

 

 すると、遠慮がちに細い手が一つだけ上がった。

 上げたのは、銀髪の少女だった。見た目からも、ぱっとした雰囲気からも、かなり大人しそうな印象を受ける。彼女は顔を真っ赤にして、よく見ると手もふるふると小さく震えていた。

 

「君、まだなのね。自己紹介してくれる?」

「あ……はい……」

 

 その声はとてもか細く、弱々しい。

 みんなが静かに黙ってくれているこの状況でなければ、到底聞こえなさそうなものだった。

 大丈夫かな。ちょっと心配になってくる。

 

「ミリア・レマク……です……」

 

 たどたどしい様子でそれだけ言うと、もう黙り込んでしまった。おかげで、周りもどう反応したら良いのか困っている。

 

「ミリアちゃん。趣味は何かな?」

 

 さすがにまずいと思ったのか、カルラ先輩が、優しい口調で続きを促すように尋ねた。

 

「あ……趣味は……お料理、です……」

 

 ポツリと一言だけ付け加えて、今度こそ本当に終わってしまった。

 うーん。やたら緊張していたみたいだし、きっと人見知りなんだろうな。まあそういう人もいるよね。私ももっと小さいときはそうだったし。

 遊びの仲間に入れてと、中々そう言い出せなかったあの頃の自分。それと今の彼女をどことなく重ねてしまい、同情的な気分になっていた。

 

 まあちょっと白け気味になってしまったけど、そこはカルラ先輩が上手く切り替えた。次は上級生の自己紹介へと移り、そちらは滞りなく進行した。

 それも終われば、いよいよみんなで乾杯をしてパーティーが始まった。

 いわゆる無礼講というやつだ。わいわいきゃっきゃしながら、女子たちはゆっくりとテーブルの方へ集まっていく。

 そこには、ずらりとおいしそうな料理が並んでいる。カジュアルフードばかりでなく、高級食材も散見され、それに色とりどりのデザートまで。とても先輩有志の催しとは思えない、贅を凝らしたラインナップだ。

 すごいなあ。何から頂こうかな。

 なんてふわふわ夢心地で考えていたが、残念なことに手をつける暇もなく、周りをたくさんの人に囲まれてしまった。

 

「歴史零点で合格したって本当なの?」

「算術満点ってマジ?」

「得意な魔法は?」

 

 あらゆる角度から質問攻めを受けて、しどろもどろになってしまう。

 

「あ、あの、その」

 

 どうしよう。困った。何から答えたらいいんだろう。こういうの、慣れてないんだよな。

 

「ホシミさんは、どうして特別入試を受けられたの?」

「え、それは……」

 

 異常に高い魔力のおかげなんだけど、アリスやおばさんの驚きようからすると、そのまま軽々しく言っちゃうと大変な騒ぎになるのは明白だ。

 さあなんて言おうか。ちゃんと考えないとまずいぞ。

 と、言葉を迷っていたら、隣の直情娘がさっさと代わりに答えてしまった。

 それも、ホール中に届くような大声で。

 

「それはですねえ~、驚かないで下さいよ! ユウったら、魔力値一万もあるんですよ! 一万!」

 

 ばか、アリス! なんではっきり言っちゃうんだよ! もう!

 

 案の定、周囲は驚きの嵐に包まれた。これまで興味がなさそうにしていた人たちまで、一斉にこちらへ顔を向ける。

 たくさんの熱い視線に、どっと嫌な汗が吹き出すのを感じた。

 

 ほら、目立っちゃったじゃないか! アリスの考えなし!

 

 ますます多くの人が近づいてくる。とても逃げられそうもない。

 はあ……。これからたっぷり質問攻めに遭うんだろうな……。ご飯、なくなっちゃわないかな。

 

 うんざりした気分になってきた、そのとき。

 人混みを割って、馬鹿でかい声が轟いた。

 

「なにいーー!? 一万ですとおおおーーーっ!?」

 

 びっくりして声がした方を見やれば、意外な人物だった。

 うわ、カルラ先輩!

 一目見て、ぎょっとする。

 だって、あれだけ落ち着いて挨拶をしていたのに。今は異常に興奮した様子で、まるで別人のように目をギラつかせて、こっちを睨んでいるじゃないか!

 先輩は野獣の如く猛然と、マッハで私に襲い掛かってくる。とても逃げる暇なんてなくて、ガバッと勢い良く肩を掴まれてしまう。そして激しく何度も揺さぶられた。

 アリスに初めて魔力値のことを話したときも、興奮気味に肩を揺さぶられたりはしたけども。そのときなんか比じゃない!

 やめてくれ! 脳みそがシェイクされそうだ!

 

「ねえ! うちに来てくれない!?」

「なんのことですかあぁあぅ?」

 

 私の声がぶれても、先輩は揺さぶることをやめない。

 早くも泣きそうな私に、先輩は満面得意の調子でまくし立てる。まるで弾丸だ。

 

「おっと。話を急ぎ過ぎたわ。わたしはね、優秀な成績を見込まれてギエフ研に入ってるのよ! 天才魔法考古学者トール・ギエフって言ったら、この町でも有名よ。知らない?」

 

 知らない!

 あまりにつらくて、考えもせず即答してしまいそうになった。

 この辺りでやっと揺さぶりは落ち着いてくれたけど、まだ肩には万力を込められたままだ。指が食い込んで、痛いくらいだった。もう。痕が残っちゃうよ。

 でも落ち浮いてよく思い出してみると、トール・ギエフという名前は一応聞いたことがあった。

 

「ちょっとだけ会ったことがあります」

 

 昨日偶然出会った、あの人の良さそうな教員が確かそう名乗っていたな。

 私が彼を知っていることに、先輩はすこぶる機嫌が良さそうに頷いた。

 そして間髪入れず、いっぺんに吐き出すように早口で説明を始めた。

 私の都合なんてまったく考えずにべらべらと一方的に喋りまくるものだから、ただついていくだけで精一杯だった。

 

「ギエフ研では、かつての魔法大国エデルで使われていたロスト・マジックを研究してるのよ。エデルは今のこの国よりもずっとずっと魔法先進国だったけど、いつも鎖国していてね。そのせいでほとんど一切の魔法が当時のこの国に伝わってこなかったの。だからね! ロスト・マジックを研究することは、歴史的な価値だけじゃなくて、優れた魔法を研究するという実用的な価値もあるわけ!」

「へ、へえ」

 

 そうなんだ。でもそんなことより、早く手を離してくれないかな。痛いよ。

 

「そのエデルだけど、魔法実験の失敗で滅んでしまったらしいというのは有名よね。今も魔力汚染が色濃く残るくらいの、あまりに大規模な破壊よ。だけどどうして、いったいどんな実験でそれが起こってしまったのかしら。そう、そうなのよユウ! 謎なの。謎なのよ! 今のところ定説にはなってるけど、そもそも本当にそんな実験はあったのかも不明だとわたしは思ってる。その謎を解き明かそうってわけね。ふふふ、素晴らしい。実に素晴らしいテーマだわ! 突如消え去った魔法大国。なかなかミステリアスだと思わない?」

 

 ミステリアスと言うカルラ先輩の目が、キラキラと輝いている。本当に好きなんだなってことだけはよく伝わってくる。

 実はその国は、ウィルという奴が気まぐれで滅ぼしたらしいよ、なんてとてもじゃないけど言えそうな空気じゃない。

 まあ言っても信じてもらえないほど嘘臭いし、私もこの目でちゃんと見たわけじゃないけど。

 とにかく話に合わせて適当に頷くと、彼女は大変満足そうな顔をして、さらに早口で話を続ける。

 まだ終わらないのか……。誰か助けて。

 

「それでね! 当時の痕跡はほとんど残っていないけど、稀に遺跡や史料が見つかることがあるのよ。そこからロスト・マジックの復元なんかをしてるわけね。他にもそういう研究をしているところはあるけど、う・ち・は! とりわけ優秀なわけよ!」

 

 所属を高らかに誇りながら、自らの胸をドンと叩くカルラ先輩。

 形はともあれ、やっと私から手を離してくれたことにほっとする。

 肩のところをちらりと見やると、やっぱり痛々しい赤い手形の痕がくっきりと付いていた。

 これ、しばらく消えないやつだ……。

 

「どう? ユウも興味があったら、来年か再来年辺りギエフ研を志望してみない? わたしの方で推薦しておくから!」

 

 私は即答した。

 

「いや、遠慮しときます」

「えーー、なんでよーーー!?」

 

 また肩を力強く掴んできて、ぐわっと迫ってくる。

 わ、顔が近い。近いって。怖いよ。カルラ先輩。

 内心びびりながらも、無理やり顔に張り付けた苦笑いで、どうにか取り繕って答える。

 

「研究にはそんなに興味がないので」

 

 本当は、ちょっとくらい興味はある。いや、実はかなりあるかも。勉強は好きだし、研究とかもっと楽しそう。

 けど、今は自分を鍛えて強くなることの方がずっと大事だ。イネア先生との修行もあるし、魔法の訓練も自主的にしたい。残念だけど、研究室に入るような時間はないと思う。

 私の返答を聞いた先輩は、糸が切れたように肩を落とし、露骨にがっかりした表情を見せた。未練たらしさ満々の顔で、口を尖らせる。

 

「あーあ。もったいないなー。それだけ魔力があれば、ぜったい研究の役に立つのになあ。アーガスの奴も誘ったんだけど、下らないとか言って一蹴されちゃったし。あーもう、あいつの顔思い出したら腹立つわ! あいつ、前からいけ好かないのよね!」

 

 途中で話がすり変わって、アリスがいつだか言ってた天才学生の愚痴になっていた。

 すると、堂々と悪態をつき始めた先輩をさすがに見かねたのだろうか。他の先輩の一人がそっと近づいてきて、カルラ先輩に耳打ちした。

 

「カルラ、そろそろ落ち着いて。新入生のみんな、見てるわよ」

「え?」

 

 こちらを見つめて目が点になっているみんなのことを見回して、ようやくカルラ先輩は我に返ったみたいだった。

 きまりが悪そうに頭の後ろに手を当て、冗談っぽく笑った。

 

「あ! あはは! ちょっと騒ぎ過ぎちゃったわね~」

 

 やっと落ち着いてくれた先輩は、両手をパンと胸の前で揃えて、ごめんごめんと可愛らしく謝ってくれた。

 別に悪気はなかったと思うし、私もそこまでは気にしてないよ。

 ちょっと……かなり痛かったけど。

 

「大丈夫ですよ」

 

 こんな晴れの場で棘を立てることもない。

 何でもないようにそう返したら、先輩はちょっぴり感激したように目をうるうるさせた。

 

「いい子ねえ。素直でかわいい後輩はやっぱり好きだわ」

「あはは……」

 

 かわいいって。そっか。今女の子だったね。

 

「あなた、気に入ったわよ。これからお姉ちゃんがたっぷり可愛がってあ・げ・る。よろしくね。ユウちゃん」

 

 そして、右手の二本指が差し出された。

 この世界における親睦の表現、握指だ。

 

「は、はあ……。よろしくお願いします。カルラ先輩」

 

 わざわざ強調して言われた可愛がってあげるという言葉に、いったいどういうニュアンスだろうと思わないでもないけれど。とりあえず先輩としっかり握指を結ぶことにした。

 指が絡む感覚と一緒に、心も少しだけ絡み合えたような気がして、嬉しい気持ちになる。

 

「ま、研究室のことだけど、気が変わったらいつでも待ってるから。それと、その件とは関係なしに、頼りたいことがあったらいつでもわたしを頼ってくれていいからね。それじゃ!」

 

 最後にそう言い残して、カルラ先輩はびゅんと向こうへ飛んで行ってしまった。

 はあ、疲れた。まるで嵐のように激しい人だったな。

 溜息を吐いていたところ、入れ違いに、さっきカルラ先輩に注意していた先輩が私の前にやって来た。

 すらっと長身のモデル体型で、つり上がった目から、ちょっと気の強そうな印象を受ける人だ。

 

「ユウ、だっけ」

「はい。そうです」

「私はケティっていうの。ケティ・ハーネ。一応あのバカの親友よ」

「カルラ先輩の?」

「そう。ごめんね。あいつ、調子に乗るとよく暴走するというか。時々ああなっちゃうんだよね」

「そうなんですね……」

 

 今さっき被害を受けたばかりだから、暴れるあの人と呆れながら諫めるこの人のセットがありありと思い浮かぶ。

 

「ちゃんと注意しとくからさ。それで許してやってくんない?」

 

 確かにかなり疲れたけど、別に嫌な人だとは思わなかった。むしろ面倒見の良さそうな人に気に入ってもらえて嬉しかった。許すも何もないよ。

 

「わかりました。全然いいですよ」

「サンキュー。恩に着るわ。まああいつ、結局言っても聞かないんだけどね。はは……」

 

 若干引きつった笑顔で用件だけ言い終えると、彼女はもうカルラ先輩のところへ戻っていった。

 そして言った通りに説教を始めたらしい。

 それまであれだけ堂々と先輩風を吹かせていたカルラ先輩が、ばつが悪そうに苦しい笑顔を固めたまま、彼女の前で小さく縮こまっている。

 そんな様子が目に映った。何だかギャップが可笑しかった。

 

 

 ***

 

 

 カルラ先輩に詰め寄られたことで、みんな同情してくれたのかな。

 それから私への質問が殺到するということはなかった。

 おかげで落ち着いた調子で話すことができたので助かった。結果オーライだ。

 

 色んな人と話し、ようやく特別入学の話題も落ち着いて、無事料理にもありつくことができた。もう先に食べていたアリスは、今はあちこちぴょんぴょん動き回って、楽しそうに親交を広げている。

 お腹も膨れたところで、今度は私から話しかけにいってみようかと思った。

 いつまでもアリスにおんぶにだっこじゃ、成長していけないからね。

 誰と話そうかなと周りを見回すと、一人だけちっとも話の輪に加われていない子を見つけた。

 あの子は、ミリアか。

 端の方でじっと縮こまって、つまらなさそうにしている。しばらく様子を見ていたけれど、一切動こうともせずに黙って俯いていた。

 暗く近寄り難い雰囲気を纏った彼女にわざわざ話しかけようとする人は、誰もいないみたいだった。

 せっかくの歓迎会なのに、人見知りのせいで楽しめないのは損だよなあ。

 ああいうタイプは、きっかけがなければ中々会話に加わることができない。かつての私がまさしくそうだったように。

 自分の中に再び、強い同情心が湧き起こっていた。

 他の人とは後で話せばいいし、話しかけに行ってみようか。もしかしたらそれがきっかけで、あの子も楽しめるかもしれない。

 そう考えた私は、彼女に近付いて行き、未だ俯いている彼女の肩をとんとんと叩いた。

 

「ミリア、だよね?」

「え……」

 

 誰かに話しかけられるとは思ってなかったのだろうか。自己紹介のときのような小声ではあったけれど、彼女の声には明らかに驚きが含まれていた。

 

「今友達があっち行っててさ。よかったら話し相手になってくれないかな」

「あ……」

「ダメかな?」

「…………」

 

 顔を赤くして、少し背けてだんまりか。これはちょっと手強いな。

 

「私は、見ての通り異国人なんだ」

 

 この地では非常に珍しいらしい黒髪を、手ですいて見せる。「寂しそうにしてたから話しかけてあげた」と思わせては、彼女を気負わせてしまうかもしれない。できるだけ気兼ねなく話せるようにと、言葉を選んで続ける。

 

「ここに来たのはつい最近で、まだ全然馴染めなくて。一人だとどうしたらいいかわからなくて、ちょっと困ってたんだ。だから、話し相手になってくれるととっても嬉しいんだけど」

 

 そこまで言っても、まだ何も喋ってくれない。

 失敗だったかなと思ったとき、ようやく彼女は口を開いてくれた。

 

「私も、……(困ってた)から……」

「はい?」

「嫌だなんて……そんなこと……ないです……」

 

 よし。どうやら少し心を開いてくれたみたいだ。

 

「ありがとう。私の名前は覚えてる?」

「えっと……ホシミさん……ですか……?」

「うん。でも、ユウでいいよ。もう呼んでるけど、私もミリアって呼ぶつもりだから」

「ですが……」

「遠慮しなくていいよ。これから一緒に学ぶ仲間なんだし」

 

 左手の人差し指と中指を伸ばして、そっと差し出した。この世界で人と友情を結ぶためのきっかけと言えば、やっぱり握指がいいかなと思って。

 

「え……あ……」

 

 なんだろう。

 黙ってるのはさっきからだけど、彼女の様子が急におかしくなった。まるでりんごのように、顔が真っ赤に紅潮し出して。

 ほんと、どうしたんだろう。

 

「本気、ですか……?」

「何が?」

 

 質問の意味がわからない。

 

「その、手は」

「これ? もちろん仲良くしようってことだけど」

「変な意味じゃ、なくて……ですか」

 

 何を言ってるんだろう。そんなの当たり前じゃないか。

 

「もちろん」

「ぷっ」

 

 突然、ミリアが噴き出した。

 

「え、え?」

 

 何が何だかわからない。

 ぽかんと固まっていると、彼女が笑いを堪えながら教えてくれた。

 

「手、間違えてますよ。それじゃ、告白……ふふっ」

 

 そうなのか!? 

 知らなかった……。じゃあ下手したら、ところ構わず告白することになってたのか。

 危ない危ない。知らない慣習なんて下手に真似るものじゃないね。気を付けよう。

 

 すぐに手を引いておけばよかったと後悔したのは、直後だった。

 

「あーっ! ユウがミリアちゃんに告白してる!」

 

 いつからこっちを見ていたのか。アリスが私の方を指差して、わざとらしい大声を上げた。にやにや面白がって笑いながら。

 すると、なんということでしょう。

 みんなの熱い視線が、また私の方に一点集中してしまったじゃないか!

 マジで顔を赤くしてる人がいたり、アリスみたいに面白がっている人がいたり。

 心なしか、キャーキャーみたいな黄色い声も……。

 めちゃくちゃ焦った。

 まずい! 絶対変な勘違いされてるよ!

 

「これは間違えたんだ! 私は左利きだから! ほんとはこっち! こっちだって!」

 

 慌てて左手を引っ込めて右手を出したけど、もう遅い。

 場は完全に私を弄るムードになってしまっていた。

 好奇の視線に晒されながら、私は自身の無実を叫び返す。

 

「だからこっちだって! アリス、何度も言いふらすな!」

「ユウちゃんが男の子っぽくしてるのは、やっぱりそっちの方だったんですかー?」

「違う! そんなことない……よな?」

 

 つい真面目に考えてしまう。

 元が男だから、ちょっとだけ自信ない。けど私がこの身体のときに、女に対して恋愛対象としての好きって感情や性欲が湧いたことは一度もないし……。たぶん違うんだと思うけど。どうだろう。

 

「え、マジでそうなの!?」

 

 きょとんとして、こちらを見つめるアリス。からかったのいけなかったかなって、申し訳なくしゅんとなって――いい子かっ!

 もう。これ以上あらぬ方向に勘違いされたらたまらないよ!

 もちろん全力で否定した。

 

「いいや! ない! そんなことないよ! とにかく今のは違うから! ミリア、一緒に誤解を解いてくれ!」

 

 ところが、ミリアは私に協力してはくれなかった。それどころか、みんなと一緒になってこの状況を楽しんでいる。

 彼女は可愛らしくも意地の悪そうな、そんな黒い笑みを浮かべていた。

 

「ふふっ! 面白いです、二人とも」

「あ、あいつ……!」

 

 それが君の本性か!

 しかも、もう私たちに慣れてきてるっぽい。さては、初対面のときだけ極端に緊張するタイプだな。

 

 この一件のおかげで、私の目論見通り、ミリアは歓迎会を楽しむことに成功する。それに、他の新入生たちとも少しは仲良くなれたみたいだ。

 代わりに私がレズだって噂が、妙に誇張されて一部で立ったけどね……。



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7「男女それぞれの半年 女編」

 入学式も終わり、授業が始まった。

 アリスと同じクラスになれたのは嬉しかった。ちなみにあれから仲良くなったミリアとも同じクラスだ。

 担任は若い男性の人で、名前はエリック・バルトンといった。

 サークリスでは魔法隊と剣士隊、二つの自衛軍が防衛・治安の維持を担っているのだけど、彼はその片翼である魔法隊にも籍を置く特任教師だと言う。しかも、若手のホープと言われているエリートらしい。

 授業は、魔法学、魔法史、魔法薬学など、様々な科目がある。それぞれの科目ごとに専門の教員が講義をしてくれる。出席するかどうかは生徒の自由だけど、期末には試験があるから、みんな真面目に受けて出席率は高いと聞いた。もちろん私も受けられる限りはちゃんと受けるつもりだ。

 魔法学の最初の授業では、魔法の分類について習った。

 まあ分類とは言っても、魔法を使えば実に様々なことができてしまうため、属性の境界が曖昧で厳密に分けるのは難しいみたいだ。火を起こせば火魔法、水を操れば水魔法といった具合に、結構適当に名前を付けられている印象だった。

 授業の最後には、ロスト・マジックについても軽く触れられた。

 何でも昔には、時空魔法や光魔法といった、現在はほぼ失われてしまった魔法の系統があったらしい。この二種類の魔法を、ロスト・マジックの二大系統と言うのだそうだ。実際に研究によって復元された魔法のうち、二つが紹介された。

 一つは、最近ギエフ研が発表したという収納魔法《サック》。異空間に収納スペースを作り出すことができる便利な魔法だ。まだ安定性や大きさに問題があるらしく、実用化に向けての研究が進められているということだった。

 もう一つは、オグマ研による光源魔法《ミルアール》。光源魔法の名の通り、ライトの代わりになる魔法だ。こちらの方は既に実用化されて久しい。というのも、この町の夜を明るく照らしている魔法灯は、この魔法を応用して作られているのだとか。

 どんなものでも、実用化された当初は価格が高い。だから最初は貴族街だけに設置されていたのだけど、次第に製造価格が下がっていって、今から二十年ほど前に爆発的に普及したという話だった。

 話を聞いていて、ちょっと不思議だなと思った。

 イメージ的に難しそうな時空魔法はともかく、火や水と比較して特別難しそうには思えない光魔法がロスト・マジックの一種だというのが、意外だったんだ。

 気になって授業が終わった後に尋ねてみたけれど、なぜ光魔法がそこまで難しいのかは先生も知らないみたいだった。時空魔法と同じか、ものによってはそれ以上に複雑で復元するのが困難であるという事実をさらに教えてもらった。

 うーん。とにかく難しいらしいってことだけはよくわかったけど、どうしてなんだろうね。そのうち触れてみる機会があったら、調べてみたいかも。

 

 

 ***

 

 

 初日の最後は、魔法演習の時間だった。

 担当の先生はベラ・モール。良い相手が見つからなくて結婚できないのが悩みだと自己紹介のときにのたまった、三十路のお茶目な女性教師だ。

 初回は、手始めに外にある演習場で簡単な魔法の実技を行ってみるという内容だった。

 

「まずは基本のおさらいからしましょうか。初級の火魔法ボルクをやってもらいます。皆さんもう既にできるとは思いますが、一応お手本を見せますね」

 

 モール先生は、右手を広げて突き出した。

 

「火よ。《ボルク》」

 

 すると、彼女の一メートルほど先、何もなかったところに、小さな炎がぱっと現れた。

 拳大の赤い炎は、消えることなくその場でゆらゆらと揺らめいている。何とも現実離れした光景だった。

 モール先生が右手を閉じると、火はしゅんと消えてしまった。

 みんなこの程度は見慣れているのか、一連の流れに対して特別驚きの声などは上がらなかった。でも私は、まさしく魔法という名にぴったりな光景にすっかり見とれていた。

 へえ。これが魔法か!

 こっちの世界の人にしたら当たり前なんだろうけど、何もないところから火が出るなんて本当に不思議だなあ。感動しちゃったよ。

 私の感動なんていざ知らず、モール先生はさも平然とこちらを向いて、きびきびと説明を始めた。

 

「今はお手本なので、皆さんにわかりやすいように詠唱しました」

 

 詠唱、してたね。火よ、ボルクって。いいな。わくわくするね。

 ですが、とモール先生は続ける。

 

「もしも将来魔法隊に入って戦うだとか、学生同士で演習試合をする場合など、実際の戦闘で魔法を使うこともあるでしょう。そのときは、こんな風に堂々と詠唱はしないのが普通です」

 

 そうなのか。普通は詠唱しないんだ。ふむふむ。

 

「魔法のイメージはすべて頭の中で形作り、心の内だけで発声、つまり無詠唱で行います。使用する魔法がどんなものなのかを、発動前に相手に悟らせないための当然の処置ですね」

 

 なるほどね。無詠唱が基本というのはとても納得だ。よく漫画やアニメとかではやたら必殺技の名前を叫ぶけど、あれはあくまで演出向けであって、現実にはちっとも合理的じゃないもんな。

 

「もちろん日常の作業等で使う際は、周りに知らせるために詠唱すべき場面も多いと思います。そこは時と場に応じて使い分けて下さい」

 

 なるほどなるほど。また一つためになったな。ちゃんと忘れないうちにメモっておこう。

 熱心にメモしていると、隣のアリスから小声でつつかれた。

 

「あなた、真面目ねえ」

「そうかな」

「こんな初日のお話なんて、あなた以外誰もメモしてないわよ」

 

 言われてみると、周りでメモしているのは確かに私だけだった。近くのミリアも、ただ黙って頷いているだけだ。

 

「でも私、なんにも知らないからね」

 

 笑って返すと、「ほんと。楽しそうでいいわねえ」とアリスもどこか微笑ましいものを見るような目で笑顔をくれた。

 

「さあ。早速皆さんもやってみましょう。演習書の基本課題『火魔法の第一歩 ボルク』から順番に始めて下さい。すべての基本課題が終わった方は、応用課題『ボルクの出力制御』、発展課題『ボルク五連射』にも取り組んでみましょう」

 

 それぞれが実践に入る。

 さすが魔法学校の生徒というだけあって、大抵の人は苦も無く一発で成功させていた。早い人は基本課題をすぐに終え、既に応用編に移っている。

 私はというと、魔法にまったく馴染みがないから、演習書をいくら読み込んでもやり方がさっぱりだった。火魔法どころか、一般に魔法そのものがどういう原理で使えるのかもよくわからない。「魔法を使う感覚」というのは、この世界の人にとってはあまりに当たり前のことなのか、教科書以前の部分として一切書かれていないみたいだ。

 仕方がないので、周りがやっているのをよく見て形だけ真似してみる。

 ボルク、ボルク……。やっぱりダメだ。ちっとも上手くいかないよ。

 ここは素直に観念して、隣でもう発展課題をやってる友に頼ろう。

 

「アリス。やり方教えてくれないかな。どうしたらいいかわからなくて」

 

 アリスは面倒がったりはしないで、優しくニコニコ笑って教えてくれた。

 

「そっか。ユウは魔法使ったことないものね。魔素を身体に取り込んでから明確なイメージを練らないと、魔法は使えないのよ。ゆっくりやってあげるから、よく見ててね」

 

 アリスは大きく息を吸い込んだ。

 よく目を凝らすと、不思議なことに、彼女の全身にうっすらと何かが取り込まれていくのを「感じ取る」ことができた。

 あれが魔素を取り込むというやつなんだろうか。

 それから彼女はすっと右手を伸ばし、毅然とした声で魔法を唱えた。

 

「小さき火よ。《ボルク》」

 

 次の瞬間、彼女の前に綺麗な紅炎が生まれた。モール先生がお手本で見せたのとまったく遜色がない。他のクラスメイトがやっていたのも色々見てたけど、それと比べても明らかにワンランク上のでき映えだ。

 

「すごい……」

 

 つい感心の溜め息が漏れた私を見て、アリスはちょっぴり得意気に頭の後ろを搔いた。

 

「えへへ。あたし、昔から火魔法は得意だからね」

 

 それから彼女にいくつか追加でアドバイスというか、コツを教えてもらった。

 

「じゃああたしは自分の課題に戻るけど、またわからないことがあったら何でも気軽に聞いてね」

「うん。ありがとう」

 

 アリスが何度か丁寧に見せてくれた魔法の放ち方。よく頭で反芻して、イメージする。

 よし。もう一度トライしてみよう。

 魔素を取り込むためには、意識を外に向けて開かないといけないらしい。

 そのことを念頭に置いて集中すると、確かに身体に何かが入りこんで来るような独特な感覚があった。地球ではまったく感じたことがない、全身に温かいエネルギーが満ちていくような、そんな不思議な感覚だ。

 魔素が内側をふわりと満たしていく。

 ……こんなものかな。だんだん溜まってきた気がする。そろそろ撃つ方に移ってみようか。

 体内に満ちた魔素を練り上げて、しっかりと発動の形をイメージする。イメージが少しでもぶれると、正しい魔法を撃つことはできない。ここが肝心だ。

 なるべく強い炎を打ち出すようなイメージをしてみた。

 うん。何だか今度はいけそうな気がする。

 左手を突き出して、はっきりとした声で宣言する。

 

《ボルク》

 

 すると、今度こそ目の前にはちゃんと炎が現れてくれた。

 やった! 出た!

 意外とすんなりできた! やればできるじゃないか!

 まさか自分が本当に魔法を使える日が来るなんて思わなかったから、感動しちゃうな。

 ん? でも――あれ?

 どうも様子がおかしいことに気付く。

 なんか、さっきからどんどん火が大きくなってないか? それに、形が――。

 他のみんなは、普通に物を燃やした時に出るような炎を出していた。それに対して、私が出した炎は次第に大きな火の玉を成していく。しかもみんなの炎は彼らの意志のままにすぐ消えるのに、私のやつはいくら念じても一向に消える気配がない。

 やばい。どうしよう。

 

「なあ。これ、どうやって消したらいいと思う?」

 

 こっちを振り向いたアリスが、目を丸くしてぎょっとした。

 

「えー、なによそれ!? どうしたらそうなるのよ!?」

「まるで別の魔法、ですね」

 

 この事態に気付いたミリアも、横で大いに呆れながら突っ込んできた。

 

「いや。えーと……。それが、どうしてこうなったのかさっぱりで」

 

 炎を打ち出すようなイメージの仕方が良くなかったのかな。ファイアボールみたいなのを無意識に想像してしまったのかもしれない。もっとこう、噴出するような感じにしたら良かったのかも。

 

「ってユウ、よそ見しちゃダメ! コントロール!」

「あ!」

 

 アリスに言われて気付いたときには、もう遅かった。

 完全に制御を失った火の玉は、演習場の端まですごい勢いでぐんぐん飛んでいき、そして――。

 

 安全用の魔法障壁――並の魔法ならびくともしないはずの強力なガードを、見事にぶち抜いて――学校中に聞こえるほどの爆音を轟かせた。

 

 うわあ。うわあ……。

 それしか出てこない。

 周囲は騒然とし、場の空気は一瞬で凍りついてしまった。

 やらかしてしまった当の私は、魔法というもののあまりの威力に、ぽかんと口を開けたまま突っ立っているばかりだった。

 あれ、ほんとに私がやったのか……。

 あまりのことに、どこか他人事のようにさえ思えてきて。

 もうやだ。地球帰りたい。

 

「あーあ。やっちゃったね」

 

 アリスがしーらない、って顔して呆れている。ミリアは楽しいもの見ましたとばかり、目を細めてクスクスと笑っている。

 ああ……。私なんだよな。あれやったの。

 

「ホシミさん! あなた何やってるんですか!」

 

 モール先生の怒声が、演習場に響いた。

 はっと我に返った。慌てて全力で頭を下げる。

 

「す、すみません!」

 

 その後、みっちりと反省文を書かされてしまった。

 

 ダメだ。このままじゃまずい。

 激しい焦りを感じた私は、アリスとミリアに付き添ってもらって、放課後に散々居残り練習をした。あんな危険な威力がある魔法、一刻も早く使いこなせるようにならないと。

 そうしてようやく通常のボルクを習得できた頃には、もうすっかり日が暮れていた。何度も失敗して大変だったけど、おかげでだいぶ魔力の扱いのコツは掴むことができた。

 これでも私は、昔から一度コツを掴むと、もう忘れない体質だ。おかげで翌日からは、そこまで変なヘマはしなくなった。

 

 

 ***

 

 

 私はひたすら強くなるために、時間の許す限り懸命に学んだ。

 どの講義も最前列で一生懸命ノートを取る。演習では進んで発展課題に挑んだ。

 放課後には、図書館で魔法書を紐解いたり、この世界にはない地球の漫画やアニメで培った豊富なイメージを生かして、既存の魔法をアレンジしてみたり。

 早く力をつけようと、かなり無理もしたかもしれない。

 時には疲労で倒れてしまうくらい魔法に打ち込むこともあった。アリスとミリアに心配されることもしょっちゅうだった。

 だけどそれでも、ペースを緩めてやろうとは思えなかった。いつも心のどこかで、焦りのようなものを感じていたんだ。

 弱いままでは。このままじゃ、またいつか……。

 強迫観念に駆られるまま、とにかく貪欲に魔法を学んでいった。おそらく、恐怖こそが原動力だった。

 最初こそ苦労したものの、そのうち成績も魔力値に恥じない優秀なものとなっていく。

 そうしていつしか、開校以来の天才アーガス・オズバインに次ぐ天才少女と言われるようにまでなった。自分でも驚きだったけど、それだけ必死だったのだろうと思う。

 でも、初日の事件のせいで『ボルクで障壁を破壊した爆炎女』としても有名になってしまったのは、かなり笑えないけれど。

 うう。今思い出しても恥ずかしいよ……。

 最初は先輩面をしていたアリスも、次第に頭角を現してきた私に対抗心を燃やし始めた。私に負けまいと魔法の訓練で張り合うようになって、元々高い方だった実力をさらにめきめきと伸ばしていった。

 いつも私たちの横で一緒に付き合っていたミリアも感化されて、大きく成績を上げたのだった。

 

 

 ***

 

 

 そして気付けば、もう半年が経っていた。

 サークリスは、毎年恒例のとある一大イベントに向けて着々と動き出し始めている。そのイベントに向けて、学校のみんなも準備を開始する。そんな時期だ。

 まあここに至るまでの経緯は、もう少し後で話すことにしよう。

 この半年間、女として学園生活を送る傍ら、私は男としてイネア先生との気剣術修行にも明け暮れていた。

 こっちは本当に大変で、何度も死ぬような思いをする羽目になった。というか、実際何度も危うく死にかけた。まずはその話をしようと思う。



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8「男女それぞれの半年 男編」

 苦労しながらも楽しかった昼の学校生活に比べて、夜の修行も楽しかったけれど、内容は中々に過酷だった。イネア先生は本当に容赦なかった。

 

 

 シーン0

 

「言っておくが、私はスパルタでやるぞ。せいぜい死なないようにな」

 

 修行を始めるにあたって、いきなりの台詞がこれだった。

 しかも、目が本気だ。

 

「はい」

 

 死ぬほどの修行とは、いったいどんなものなのだろうか。

 このときはまだわからなかったけど、すぐに思い知ることになった。

 

 平日は気剣術校舎(通称、道場)で修行し、休日は知らない山や川などへ連れて行かれた。そうした大自然の中で、泊りがけで修行することもあった。

 イネア先生は凄腕の気の使い手だ。だから相対的にあまり魔法は得意ではないが、ネスラという種族の特性で転移魔法というものを使えるらしい。予め魔力でマークを付けた場所に限るけど、俺を連れてほんの一瞬で飛んで行くことができる。

 おかげで移動そのものは楽だった。移動だけはね……。

 

 

 シーン1 道場にて

 

「まずは今見せた諸々の型を各千回ずつやれ。一回一回気を抜かずしっかりやれよ」

 

 初日からいきなり木剣を持たされて、様々な型通りに剣を振るう練習を命じられた。

 しかも千回ずつって。剣なんて、全然握ったことないのに。

 

「マジですか……」

「ほう。嫌ならやめてもいいのだぞ?」

「いえ、頑張ります」

 

 俺は、とんでもない人の弟子になったのかもしれない。

 

「一! 二! 三!」

 

 気合いを入れて、まずは剣を頭の上から縦に振り下ろす型を始める。剣道でいうと面みたいなものだ。

 身体の中心線から剣筋がぶれないように気を付けながら、一回一回声をきちんと出してやっていく。

 元気よく声を出して剣を振っていたけれど、それも最初のうちだけだった。

 

「ぜえ……ごひゃく、よんじゅうご……ぜえ…………ごひゃく……はあ……はあ……よんじゅうろく……」

 

 いよいよ息も絶え絶えで、声にも張りが出せなくなってきていた。

 ダメだ。腕がしびれて、もう剣をまともに振れないよ。高々五百回でこれなのに、まだあと何千回も残ってるなんて。

 全部やり切るなんて、とてもじゃないけど無理だって。絶対無理!

 早速心が折れそうになっていると、しっかり見抜かれていたのだろうか。厳しい顔のままつかつかと歩み寄ってきた先生に、ビシッとデコピンされてしまった。

 これがまた強烈に痛くて、木剣をその場に取り落とし、額を抑えてうずくまってしまうくらいだった。

 

「こら。気が抜けているぞ。この甘ったれめ」

「ひゃ、ひゃい! すみません! しっかりやります!」

 

 涙目になりながらそう答えて、どうにか立ち上がる。

 でも、気持ちに身体がついていかない。次の一振りも、疲労からどうしても剣に勢いがなくなってしまっていた。

 俺のへなちょこぶりを目の当たりにした先生は、頭が痛そうに額を抑えた。

 

「これくらいならさすがに普通にこなせるだろうと思っていたが……お前はいったいどんな呑気な世界で暮らしてきたのだ。身体が弛み過ぎだ!」

「うっ。ごめんなさい。こんなに身体動かしたことなんて全然なくって……」

「はあ……仕方ない。今日だけは、終えるまで私が横でずっと見ていてやる」

「え?」

 

 さっきまでは手前に任せるって感じで放置気味だったのに。

 先生って口も態度も厳しいけど、実はかなり親身な人なんだろうか。

 

「その代わり少しでも気を抜いたら、先ほどのようにお仕置きだからな。最後までしっかりやるんだぞ」

「はい!」

 

 先生が付いてくれるということで、元気が戻ってきた。

 重たい腕を持ち上げて、素振りを再開する。

 

「五百四十八! 五百四十九! ごひゃくご――」

「待て」

 

 が、すぐにぴたりと静止がかかる。俺はつい間抜けな声を上げてしまった。

 

「ほえ?」

 

 どうしたんだろう。

 先生は、呆れてものも言えないみたいだ。

 

「あのなお前。教えてやったことをちっともわかってないじゃないか。正しい振り方はこうだと言っただろう」

 

 そう言うと、後ろから抱き付くような格好で両腕を取ってきた。

 突然のことに、心臓が跳ね上がる。

 だ、だって。先生の豊満な胸が、むにゅっと、背中に当たって――!

 たまらず申し出た。

 

「あ、あのっ! 先生!」

「どうした?」

「いや、その……当たってるんですけど……」

「なんだそんなことか。後ろから密着して腕を持っているのだから、仕方ないだろう」

「で、でも」

 

 それが問題なんだって! やばいから。色々!

 

「指導の一環だと言うのに、なに顔を真っ赤にして恥ずかしがっているのだお前は。年頃なのはわかるが、意識のし過ぎだぞ」

「う。すみません」

 

 先生の言う通りだ。向こうは大真面目にやってるのに、こっちが気にするようじゃいけない。

 そうだ。今背中に当たっているのはスイカだ。ただのスイカだと思うことにしよう。うんそうしよう。

 大きくて柔らかい……スイカ。スイカ……ップ……。

 ……俺のばか。何考えてんだ。

 いやいやと首を振って、今度こそしっかり気持ちを切り替える。

 落ち着け。深呼吸だ。深呼吸。

 

「もういいか?」

「お願いします」

 

 先生に腕を一緒に持ってもらって、正しい木剣の振り方をじっくり教えてもらう。それから、また一人でやってみることになった。

 

「こ、こうですか?」

 

 形だけは忠実にやると、ぶん、と木剣は鈍く空気をかき乱すような音を立てて宙を切った。

 

「違う。もっと身体から無駄な力みを抜け」

「すみません。では――こうでしょうか?」

 

 なるべく力まないように自然体を心掛ける。剣を身体の一部であるようにイメージして。

 先生はどんな風にやっていた。思い出せ。

 ――よし。どうだ。

 一気に振り抜く。

 すると今度は、ヒュンッと軽い音がした。あまり空気の抵抗なく斬れたような感覚があった。

 先生は依然として厳しい顔のままではあったものの、ようやく首を縦に振ってくれた。

 

「そうだ。その持ち方と振り方だ。そいつをしっかり頭と身体に刻み付けろ」

 

 やった。これでいいんだ!

 言われた通り、もう二度と忘れまいと心に刻み付ける。

 すると次からはコツが掴めたのか、きちんと振ることができるようになった。

 正しい振り方は変なところに力を入れないので、疲労の蓄積も抑えてくれる。慣れてくると、この振り味がだんだん癖になってきた。

 

「おお。なんかちょっと振りやすいぞこれ!」

「ん? なんだその口の利き方は」

「あっ! 少し振りやすいですイネア先生!」

「ん。やれやれ。先が思いやられるな」

 

 この後、時々先生に痛いお仕置きをもらいつつ、死にそうになりながらも何とか数千回もの素振りを終えることができた。人間死ぬ気になれば、大抵のことはできるものなんだなと思った。

 ちなみに翌日からしばらくの間、壮絶を絶するほどの筋肉痛に悩まされることになったのは言うまでもない。

 

 

 シーン2 川原にて

 

「生命エネルギーのコントロールがすべての基本だ。まずはそれができるようになれ」

「どうすればいいんですか?」

「精神を集中して、感じろ」

 

 イネア先生は、所々感覚派だった。

 精神を集中して、感じろって言われても。

 さっぱりわからなかった。仙人じゃあるまいし。わかるわけないよ。

 結局どうにもならずに困っていると、またやれやれといった調子で声をかけてきた。

 

「仕方ない。少し手荒くなるが、一度気を叩きこんで身体に覚えさせてやるか」

 

 先生は固く拳を握った。

 何をするのだろう。そう思った直後――。

 

「うぼっ!」

 

 息も止まるくらい、強烈な腹パンがめり込んでいた!

 激しい痛みと、全身を痺れるようなショックが襲う。

 

「げほっ! ごほっ!」

「どうだ?」

 

 身体に覚えさせるって、む、無茶苦茶だ!

 

「なんか、熱いものが」

 

 ただ、確かに何かを掴めたような――熱い何かが流れ込んでくるような、そんな不思議な感覚があった。

 

「それだ。その流れの感覚をきっちり覚えて自分で操れるようにしろ」

「は、はい」

「もう一発いっておくか?」

「いえ……勘弁して、下さい…………」

 

 痛みで、そのまま気を失ってしまった。

 

 

 シーン3 道場にて

 

「できた……」

 

 俺の左手には、うっすらと白く色付いた短刃が握られていた。

 先生の作り出す鮮やかな白剣とは、比べるべくもない。まだ息を吹きかけるだけで消えてしまいそうな、そんな儚いものだけど。

 血の滲むような苦労の末に、初めて気剣を出すことができたのだった。

 これで男の俺も女と同様、とうとうファンタジー住人の仲間入りをしたことになる。

 やった。ついにできたんだ! 俺にも!

 嬉しくなって、奥で静かに素振りをしていた先生にわき目も振らず飛びついた。

 

「やった! やりました! 先生! 気剣が出せるようになりました!」

 

 大いにはしゃいでいた。死ぬほど嬉しかったんだから仕方ない。

 

「ほう。よくやったな。それで。どのくらい維持できる」

 

 だけど先生は、一言褒めてくれた(これでも珍しいから嬉しかったけど)だけで、実にそっけない反応だった。

 

「あ、いや。まだ十秒くらいですけど」

 

 正直に言うと、先生はまたいつものようにやれやれと肩を竦め、とんでもないことを言ってきたのだった。

 

「気剣を出せても、維持できなければ意味がない。最低五時間は出しっぱなしにできるまでやれ」

「五時間……だと……」

 

 俺は、絶望した。

 

 

 シーン4 山奥にて

 

 先生は、度々俺に無茶なことをやらせた。

 

「ここからでは見えないが、向こうに大型の肉食獣がいる。どうだ。ちゃんと気を感じられるか?」

「はい。わかります」

 

 先生の言う通り、鬱蒼と茂る木々の奥に、力強い生命反応が一つ確認できた。

 訓練のおかげで、俺は集中すれば周りの生物の気を感じ取ることができるようになっていた。

 今はまだぼんやりとしかわからないけど、修練を積めば、相手の位置や強さが正確にわかるようになるという。

 

「その肉食獣がどうしたんですか?」

 

 先生は楽しそうに、ふっと小さく微笑んだ。

 

「なに、簡単なことだ。あれをお前一人だけで仕留めて来い」

「ええっ!? そんな!」

 

 無理に決まってるじゃないか!

 ネズミに猫を倒せって言ってるようなものだぞ。まあ魔法が使えれば、少しは何とかなるかもしれないけど……。

 だがそんな一縷の望みも、ばっさりと断ち切られた。

 

「ああ。もちろん魔法は一切使うなよ。それでは修行にならん。もし使ったり逃げたりしたら、この山に置いて行くからな」

「ちょっと待って下さいよ! 俺、まだこの間気剣出せるようになったばかりですよ! どう考えたって相手の方が……!」

「気剣の威力を舐めるな。お前のようななまくらでも、当たればなんとかなる。それに、格上の相手との死闘はこの上ない経験になるぞ」

「やっぱり格上じゃないですか!」

 

 

 シーン5 ラシール大平原のど真ん中にて

 

 またあるときは、死の平原の真ん中に置き去りにされたこともあった。

 

「いいか。ここからサークリスまで、二日以内に自力で帰ってこい。私は一切手助けをしないからな」

「先生。俺、三か月ほど前にここで死にかけたんですけど」

「それはお前が弱かったからだ。気力による身体能力強化をこの前教えただろう。それを使え。足腰が飛躍的に強化されるはずだ」

「いや、それでもこの広さはさすがに……」

「安心しろ。私は絶対にやれないことはさせない主義だ。まあ一割くらいの見込みがあるならやらせるがな。では、また道場で会おう」

 

 それだけ言うと、先生は一人だけ転移魔法を使ってさっさと帰ってしまった。

 

「あっ! 行っちゃったよ……。帰ったら文句の一つでも言ってやろう」

 

 先生の無茶振りにも、慣れてくるものだと思った。

 

 

 シーン6 崖の上にて

 

「これは……」

 

 崖と崖の間に、靴幅よりも狭い綱が一本だけ張られていた。吹きつける強風で、綱は常にゆらゆらと揺れている。

 正直かなり怖い。落ちたら絶対死ぬよこれ。

 でも、こんなところまで連れて来られたということは……。

 

「集中力とバランス感覚の訓練だ」

「これを、渡るんですか?」

「そうだ」

 

 言うと思いましたよ。先生。

 

「また無茶を……」

「いいからさっさと行け」

「はい。わかりましたよ」

 

 

 シーン7 道場にて

 

 一対一で向き合って、打ち込んでいく形での稽古もよく行われた。

 

「どこからでも打ち込んで来い。お前が甘い動きをする度に、気絶しない範囲で最も強い痛みを何度でも与えてやる。痛みに耐える訓練にもなるな」

「前から思ってたんですけど、先生ってドSですよね」

「何か言ったか」

「いいえ」

 

 左手に気剣を出して構える。剣道のものに近い、先生に教えてもらった通りの基本の構えだ。

 そして、訓練用の木剣を構えた先生を正面に見据える。

 さて。どこから攻めたものか。

 さすが先生だ。全然隙が見えないんだよな。

 ぱっと見は俺と同じ構えをしているようにしか見えないのに、何もかもが違った。

 一糸乱れず纏う力強い気と、鷲が獲物を狙うときのような鋭い眼光。それらが相まって、肌を刺すような、痛みにも近い威圧感が襲ってくる。

 こうして対峙しているだけで、身が裂かれそうだ。先生が、実際よりもずっと大きく見える。

 

「どうした? 来ないならこちらからいくぞ」

「いえ。いきます」

 

 考えていたって仕方ない。実力の差なんてわかり切っている。

 余計な小細工は無用。全力でぶつかるだけだ。

 駆け出して、正面から渾身の一振りを放つ。

 だがそれは虚しく空を切った。

 瞬く間もなく、背後から衝撃を受けた。骨が軋む。

 蹴られた!?

 認識すらあまりに遅い。

 道場の中央辺りにいたはずなのに、気付けば壁がそこまで迫っていた。

 何とか受け身だけは取るよう努める。すぐにでも身を丸められる体勢で、畳に足から着けた。そのまま勢い良くごろごろと転がって、壁にぶつかったところでようやく止まってくれた。

 

「くっ!」

 

 よろよろと立ち上がる。生まれたてのひよこみたいで情けないけど、かっこつけている余裕もない。

 先生の言ってたことは、誇張でも何でもなかった。

 痛い。めっちゃ痛い。涙が出そうだ。

 でも、これぐらいで怯んでいるようじゃダメだ。逃げていては強くなれない。先生にもがっかりされる。

 再び剣を構え直す。先生をしっかり見る。

 向こうは、最初の向かい合った立ち位置から振り返ってこちらを静かに見ているだけで、まるで一歩さえも動いていないように見えた。あんな鋭い蹴りを繰り出してきたなんて嘘みたいだ。

 やっぱり先生は強い。殺すくらいのつもりで果敢に攻撃しなきゃ、絶対に当たらない。

 よし。もう一度だ。 

 剣を右腰の辺りに据えて、不動のまま構える先生に、真っ直ぐ突っ込んでいく。

 すぐに、互いに剣が届く間合いまで達した。今度は胴を狙って、剣を――。

 

「甘い」

 

 振り出そうとしたところで、手首を打ち据えられてしまった。また激痛が走る。

 

「っ……まだまだ!」

 

 痛みに耐えながら、次から次へと攻撃を仕掛けていく。

 でも所詮は素人の剣。先生は、その一つ一つを完全に見切っていた。

 何をどうやっても易々と避けられ、いなされてしまう。

 せめて防がせるくらいはしたいのに。俺の剣は、空気とダンスを踊っているみたいに空振る。

 こちらが攻撃するタイミングに合わせて、隙だらけの部分を打ち据えてくるのもしょっちゅうだった。甘い動きを窘められまくっている。

 痛い。きつい。ちっとも当たらない。でも諦めないぞ!

 意地になって必死にもがく俺を見て、先生は妙に嬉しそうだった。

 

「よし。その調子で来い」

 

 その後も、軽くボコボコにされ続ける。

 稽古の合間に、先生は次々と教えを飛ばしてきた。

 

「動きを目だけで追おうとするな。相手から発せられる気を読み取れ」

「弱い場所を狙え。意識の隙間を狙え」

「頭で考えながらも、直感で動かなければ間に合わない」

 

 それらのありがたい言葉を胸に刻みながら、くたくたになって動けなくなるまで、懸命に挑みかかっていった。

 結局この日は、一度も攻撃を当てられなかった。

 

 

 シーン8 山奥にて

 

 先生は、蘊蓄を語るのが好きだった。長生きだからか、本当に色々なことに詳しい。

 

「ところで、なぜ気『剣術』なのだと思う?」

「前から疑問には思っていました。なぜ魔法のようにもっと色んな形で気を使わないのかと」

「ああ。最初はそう思うよな」

「けど、今ならなんとなくわかります。気力は外界では散りやすいから、ですよね」

 

 一度気功波のようなものを撃ってみようとしたことがあったけど(憧れもあったし)、どうしても無理だった。

 手から離れた気力は、間もなく大気中に霧散してしまうのだ。

 

「そうだ。気力は発生源である使用者の肉体から離れるほど薄れ、加速度的に弱まってしまう。それゆえ、師は手から直接放出される気剣を編み出したのだ。気力を最も強力な形で運用するための、一つの答えというわけだな」

「へえ。そういう理由があったんですね」

 

 かっこいいだけじゃなくて、実用的な理由がちゃんとあったんだ。

 

「うむ。そしてこの気の性質上、対象に接近しなければまともな攻撃はできない。遠距離に対しての使用も問題ない魔法と違って、使い勝手の悪いところだな」

「なるほど。接近、と」

 

 先生のこういった蘊蓄話は、参考になることが多かった。

 俺が素直に頷くのに気をよくして、先生はほんのり得意顔で続ける。

 

「だが、気には魔法にはない利点もある。一つは、身体能力の強化ができること。そして、自身を含めた対象の治癒が可能なことだ」

「治癒だったら、毎日お世話になってますもんね」

 

 それもこれも、イネア大先生のありがたい修業のおかげですよ。

 

「ふふ、だな。これらのことは、魔法では容易ではない。工夫すればできないことはないはずだが、手軽さや効果の上では大きく劣るだろうな」

「そうですね」

 

 そうなんだよね。先生の言う通り。

 この世界で魔法を学んでいてわかったことなんだけど、身体能力を直接強化する魔法はないし、回復魔法というものも存在しない。特に後者の魔法がないことは、ゲームとかのイメージからすると意外だった。

 一応、魔法薬の中には回復効果を持つものもあるのだけど、だからといって瞬時に回復するわけではない。精々が自然治癒の補助くらいの、うっすらとした効果に留まる。

 またそうしたものは通常、治療院にしか置いていない。その治療院の利用料金は、平民が気軽に診てもらうというわけにはいかない程度には高い。

 その点、気力を使えば、瞬時とまではいかずとも相当な速さの回復効果が得られるし、身体能力だって直接大幅に強化できる。

 こういったことが、気力の魔力に対する主な優越性だった。

 

「それに、この世界には稀に、魔法に対して高い耐性を持つ厄介な抗魔法生物がいる。魔力を持つ人間にもいくらか魔法耐性はあるが、そんなものではない奴もいるのだ」

「そんな恐ろしいのがいるんですか」

「しかもだ。おそらくこの世界限定のことではないぞ。師も言っていたからな。だが、そうした相手にも気力による攻撃は有効だ。覚えておくといい」

「はい」

 

 抗魔法生物か。女の身体で相手をするのは大変そうだな。

 そんなことを考えていると、先生がぽつりと言った。

 

「ちなみにな。サークリス剣士隊は、元々は抗魔法生物のような、魔法では対処が困難なものを相手に戦うための隊だったのだ。だが……」

 

 先生は俺の顔を見つめて、何かに頷く。

 

「気剣術は、魔法に比べると修めるのが難しいからな。年々、習得志願者が減っていき――」

 

 自分と俺以外には誰もいないすっからかんの道場を見回して、先生は肩を落とした。

 

「今ではこの体たらくさ。気剣術の名を知る者すら少なくなり、辛うじて一部の実力者が初歩を扱える程度に過ぎない」

「先生……」

「私も月に一度は、剣士隊の一部にいる熱心な者に対して指導を行っているのだが……それが精一杯の抵抗だな。これも時代の流れか」

 

 先生は少し、寂しそうな顔を見せた。

 そんな様子が見るにいたたまれなくて。気休めに過ぎないかもしれないけど。

 俺だけはと、せめてもの想いで言った。

 

「先生。俺、途中で投げ出したりしませんよ。できは悪いかもしれませんけど、色々とがっかりさせるかもしれませんけど。でも、いつか絶対に気剣術、修めてみせますから」

 

 俺の決意に対して、先生は少し驚いたように目を見開いた。

 そして、あからさまではないけど――ちょっと嬉しそうに口元を緩めてくれたのだった。

 

「ふっ。ならば、もっともっとしごかなくてはな」

「それはほどほどでお願いします」

 

 

 シーン9 道場にて

 

「もうお前が来てから、半年になるのか」

「もうそんなになるんですね」

 

 先生と二人三脚での修行を始めてから、半年が経っていた。

 これまで色々と大変だったけど、過ぎてみれば厳しくも温かく、楽しい日々だったように思える。

 

「ユウ。今日はもう遅いし、家に泊っていかないか」

「どうしたんですか。急に」

 

 いつもなら必ず寮に返すのに、こんな提案をするなんて。少し先生らしくない気がする。

 

「なんとなくだ」

 

 前言撤回。やっぱり先生は先生だった。

 

「いいですよ。泊まっても」

「そうか」

 

 そのときの先生の顔は、やけに嬉しそうだった。

 だだっ広い道場に布団を二つだけ敷いて、一緒に横になった。

 いつも二人で動き回り、バタバタと騒がしい道場は、今はしんみりと静かだった。手を胸に当てなくても、自分の心音が聞こえそうなくらいに。

 

「こうして二人で寝るのは久しぶりだ。なんだか昔を思い出すな……」

 

 月明かりに照らされた先生の顔は、昔を懐かしんでいるようで、どこか憂いているようでもあった。「もっとも、今は立場が逆だがな」と先生が呟いたとき、もう表情は元に戻っていたけど。

 

「ユウ。やはり修行は厳しいか。嫌だと思ったことはないか」

「もちろんありますよ。いったい何度死を覚悟したことか」

「ほう。それは悪かったな」

 

 あんまり悪いとも思ってなさそうな楽しげな調子で、先生は言った。

 俺も、これまでのあれこれを思い返し、小さく笑いながら続ける。

 

「でもおかげで、精神的にも肉体的にも相当鍛えられた気がします。先生、なんだかんだ言って面倒見が良いし」

「ふふ。そうか。だが、まだあくまで基本を叩き込んだに過ぎない。今後はもっと厳しいメニューを用意している」

「望むところですよ」

 

 そこでいったん会話は途切れ、しばしの静寂が戻る。

 先生が、ぽつりと言った。

 

「お前も、いずれは師のようにどこかへ行ってしまうのだな」

「わかりません。けど、行きたくないな……」

 

 地球に帰れないのなら、せめてずっとここに居たい。

 俺はこの星で暮らしているうちに、そう考えるようになっていた。

 

「そう思うのか」

 

 先生は意外そうな顔をした。

 俺は何となく、自分の身の上を先生に話したい気分になっていた。

 夜の寂しい月明かりが、そうさせるのだろうか。

 

「俺の両親、俺が小さい時に死んじゃったんですよね。それから、俺には家族と呼べる人はいなかった。心を許せる友達も、気が付いたらみんないなくなってしまって。それから俺は、ずっと一人だったんです」

「一人、か」

 

 そう呟いた先生は、いつもの厳しい顔はすっかりなりを潜めていた。まるで自分のことのように悲しみ、憐れむような目で俺のことを一心に見つめている。

 

「それでも俺は、自分の生まれた星が大好きでした。なぜ大好きだったのかは、上手く説明できません。ただの愛郷心かもしれません。離れたくなかった。なのに、よくわからない理由でこの星に飛ばされて」

「そうか。家族も友もなく、故郷まで追われて。辛かったな」

 

 先生は、いつになく同情的だった。俺は素直に頷いた。

 

「正直、最初は悲しかったです。不安だったし、ここの暮らしにもそんなに期待していなかった」

 

 でも、今は。

 

「大切な友達ができたし、先生もできた。そしたら、やっぱりここも好きになってしまって。離れたくないなって、そう思ってしまうんです。虫の良い話ですかね」

「そんなことはない。人として普通の感情だと思うぞ」

「でも……フェバルの話が本当なら。いつかはここも旅立たなくちゃならない。もし行く先々でこんな思いをしなければならないのだとしたら、俺は……」

 

 耐え切れるだろうか。正直自信がない。

 そのとき、頭に先生の手が触れた。

 俺の頭を撫でながら、普段は見せないような、優しさと慈愛に溢れた瞳でこちらを見つめてくる。

 少し恥ずかしかったけれど、撫でられているうちに、不安に駆られる気分が軽くなっていくのを感じた。

 やがて先生は、一つ一つ言葉を選ぶように伝えてきた。

 

「私には、お前の境遇をどうにかしてやることはできない。ただ、これだけは言える」

 

 先生の真摯な心が伝わってくるような、そんな声で。

 

「いつか別れのときが来たとしても。ユウ。お前から私がいなくなるわけではない」

「先生……」

「お前が剣を振るとき。私が教えたこと、私がこれから教えること。その中に私はいる。他の人だってそうだ。場所は離れても、心は繋がっている」

 

 心は繋がっている、か。ありきたりの言葉だけど、そう思うのが正解なのかもしれない。

 でもそんな風に達観するには、俺はまだ若過ぎた。

 

「そんな風に思えればいいんですけどね。まだ俺には無理かな。割り切れないや」

「いずれそう思えるようになるさ。きっとな」



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9「開校以来の天才 アーガス・オズバイン」

 入学して半年からはまあまあ戻って、ある日のこと。

 私は演習場裏にある木のたくさん生えているところで、みんなに隠れて魔法の練習をしていた。

 最初は普通に屋外の演習場を利用し、みんなの前で堂々とやっていた。魔法書に書いてあった魔法を練習したり、自分なりに考えた魔法を試したりといった具合だ。

 でも毎日のようにやっていたら、私がしょっちゅう変な魔法を使い、変な失敗をするものだから、次第に周りの目が集まってしまった。それがどうにも気になって仕方ないので、隠れてやれるところを探していたのだ。

 ここは周りからは死角になっていて見えにくい穴場であり、つい先日ようやく見つけたお気に入りの場所である。

 まずは昨日のおさらいからやってみるか。

 大きめの木の前に立った私は、左手を突き出して脳内で魔法のイメージを固める。

 そして放つ。

 

《ラファルス》

 

 風の刃が飛び出し、目前の木を切り刻んで、浅い傷をいくつも付けていった。

 よし。成功だ。

 間違えて木を倒してしまわないように、威力は抑えめにしてある。

《ラファルス》は、元からこの世界にある風の中位攻撃魔法《ラファル》を参考にして、好みで弄ったものだ。

《ラファル》は、槍状の一本の風刃を飛ばす魔法である。対して《ラファルス》は、風刃を日本刀の刀身のような形状にし、数も六つに増やしている。ちなみに《ラファルス》のスはスラッシュの略だ。

 やっぱり、風魔法はいいな。

 数ある魔法の中でも、私は特に風魔法が好きだった。

 魔法は最初からあるものを操ることもできるし、ないものを魔素からイメージで生み出すこともできる。

 一般に、前者に対して後者の方が、ものを一から作り出さなければならない分、魔力の消費は激しい。例えば、水のない場所で水魔法を使うのは、水を直接魔法で操るよりも大変という理屈だ。

 その点、風魔法は便利だ。

 空気は最初から豊富にあるので、魔力は風を操るためだけに使えばいい。

 よって他の系統の魔法に比べると、魔力消費を抑えやすい。さらに言えば、魔法の軌道が見えにくく避けにくいことも特長の一つだろう。

 まあそういう実際上の利点もあるのだけど、私が風魔法を好きな理由は、実はもっと単純なものだった。その理由はというと――。

 

 それは、今から練習する魔法にある。

 

 私は意識を集中し、大量の魔素を取り込んで身体中に漲らせた。

 それを惜しみなく消費し、全身で風を操る。強い上昇気流を生むように念じる。

 すると、私の身体はその場で地面から離れ、ふわりと浮き上がった。

 そう。風をコントロールすれば、こうして宙に浮くことが可能なのだ。

 誰もが一度は夢見たことがあるだろう。空を飛ぶことができる!

 この世界では魔法が使えると聞いてから、ずっとやってみたかったことだった。純粋な憧れもあった。何度も何度も練習して、実際に初めてできたときは、死ぬほど嬉しかったものだ。

 ただ残念ながら、実はまだ浮くだけで精一杯だったりする。自在に飛べるようになるには、まだまだ練習が必要だ。

 しかも浮いている間は、魔力を使いっぱなしにしないといけないものだから。省エネ性に優れた風魔法の中にあって、例外的に恐ろしく燃費が悪い。

 私ほどの魔力量でもあまり保たないから、事実上使えるのは相当の魔力値を持つ者に限られるだろう。

 こんな難易度の高く非効率な自力飛行よりも、アリスの家で飼われている愛鳥アルーンのような、最初から空を飛べる者の力を借りる方がずっと合理的だ。

 何とも夢のない話だが、それが現実である。

 この世界で空を飛ぶ魔法を探したところ、どの文献にも載っていなかった。

 だが、風で空を飛ぶという素敵でシンプルな発想を、誰も思いつかなかったというのは考えにくい。単純に使えないか、無理だと判断されたからだろうと思われる。

 それでも。たとえ長くは飛べなくたって。

 私にとって飛行魔法が使えることは、かなり意味のあることだった。

 世界を移動したときに最も危険度が高いのは、その世界に対して何も知識がなく、誰にも力を借りることができない到来直後だ。

 そのとき、空を飛べるというだけで格段に生存率が上がると思うのだ。

 例えば、人が住んでいる場所を探すにしても、食べ物を探すにしても、空から眺めることができるだけで、景色は随分変わってくるだろう。

 

 しばらく飛行の練習をしていたが、浮いたまま少しでも横に動こうとすると、途端に風のコントロールが難しくなる。

 上下方向に動くための風と、水平方向に動くための風が互いに邪魔し合って、ちっとも上手くいかない。

 自由自在に飛ぶためには、魔法の技術革新も必要だな。

 ふう。そろそろやめようか。まだ大丈夫だろうけど、もし魔力が切れたら次の魔法が試せなくなるから。

 体内に溜めた魔素を使うことで魔法は発動するが、一度魔素が空になった身体が再びそれを受け入れるようになるまでには、大体一日くらいのクールダウンが必要らしい。

 したがって魔法を使い過ぎれば、俗に言う魔力切れという状態になる。気を付けないといけないのだ。

 私は浮くのを止めて、地面に降りた。

 

 さて、次へ行こう。

 念頭にあるのは、イネア先生との修行で身に付けた、気力による身体強化だ。あれがあるのとないのとでは、天地ほども動きのレベルに差が出る。

 実際、かつて死にかけるほど彷徨ったあのラシール大平原を、丸二日もかかったとはいえ、へとへとになりながらも走り切ってしまったときには、自分でも驚いたものだ。

 イネア先生は、魔法で気力強化に相当することを行うのは難しいと言っていた。

 でもどうにかして今の女の状態でもできないかと思ってしまう。それほどに、私はその威力を実感していた。

 いやまあ、別に気力を使いたいときだけ、男に変身すればいいんだけど……。

 でもやっぱり違うんだよ。人前で変身するわけにはいかないから、好きにはできないこともあるんだよ。何かの時のために、女のままで動きを向上させる方法があるに越したことはないよね。うん。

 ではどうするか。

 残念ながらこの身体には気力がまったくないから、男のときの真似事はできない。

 そこで考えた。ここでも風魔法が役に立つはずだ。

 原理は簡単。移動に合わせて、風でブーストをかけるだけだ。上手くできれば、肉体自体は強化されなくとも、動きはそこそこ速くなるはず。

 物は試しだ。さっそくやってみよう。

 地面を蹴り出して跳び上がったところで、後方に風を送り、身体を前に押し出す。

 このくらいかな。

 すると、身体が少しだけふわっと前へ進んだが、あまり勢いはなかった。

 ちょっと弱かったか。もっと風の勢いを強くしてみよう。

 そうしたら、今度は強過ぎた。

 コントロールを誤って、風の力が前進ではなく、回転作用として働いてしまう。身体が前にぐるりと半回転して、額から思い切り地面に頭をぶつけてしまった。

 

「いたたた……」

 

 失敗、失敗。柔らかい土の地面でよかったよ。

 でも、せっかく手入れした髪が汚れちゃったな……。

 なんでこんなに心が沈むのか、自分でもよくわからなかった。男のときに髪の汚れなんて気にしたこと、あったかな。

 まあ後で洗えばいいか。気を取り直してもう一度だ。

 

 

 ***

 

 

 それから、度重なる失敗にもめげずに練習していると、だんだんとコツが掴めてきた。

 そろそろもっと威力を強くして、スピードを上げてみようか。

 そう考えて、風の威力を上げてぐんと前へ加速した。

 

 そのときだった。

 

 突然、目の前に人の姿が現れた!

 

 燃えるような赤髪を持つ、男子学生のようだった。

 まずい。このままじゃぶつかる! とにかく、避けないと!

 でも、加速したばかりで身体は止まらない。風を横に噴出して方向を変えようとするも、焦って上手くいかない。

 身体がくるんと回って、向きが地面に対して垂直だったのが、ただ水平に変わっただけ。

 状況は余計に悪化した。もう時間も打つ手もない。

 ダメだ! ぶつかる!

 

「わああっ!」

 

 思わず目を瞑った。

 あわや激突かというところで、力強い腕にがしっと受け止められる感覚があった。

 

「っと、大丈夫か」

 

 恐る恐る目を開けてみると、彼の顔がすぐ近くに映った。

 目鼻の整った顔をしていて、イケメンの部類に入るだろうか。

 茶色の瞳が、私のことを心配そうに覗き込んでいる。

 

「すみません」

「いいさ。急に飛んできたんで、驚いたけどな」

「はは……」

 

 よかった。大変なことにならなくて。

 

「オレの場所で何をしてた?」

「あなたの場所?」

「そうだ。周りがうるさいから、オレが見つけた場所さ」

 

 なんだ。そういうことか。

 

「ああ。私もそんな感じです」

「へえ。お前もか……」

 

 それでお互いに話すことがなくなり、二人で顔を見つめ合わせたまましばし黙っていた。

 その間の彼は、クールを装ってはいたが、何だか顔が少し赤くなっているみたいだった。

 それに、妙にそわそわしているような気がする。

 どうしてだろう。

 そんなことを思っていると、彼は少々ばつが悪そうに言った。

 

「で、いつまでオレに抱きついているつもりだ?」

「へ?」

 

 言われて初めて、はっきりと意識する。

 

 私が、彼にしっかりと抱っこされている状態であったということを!

 

 そうか。そうだよね。異性を抱っこしてたら、それは落ち着かないはずだ。

 無防備だった。私は、なんて甘えたような格好でこの人に――。

 意識したら、私まで急にドキドキしてきた。

 一気に恥ずかしさが込み上げてくる。まともに彼の顔を見られない。

 

「は、早く下ろしてくれませんかっ!」

「お、おう」

 

 彼は私を紳士的にそっと下ろしてくれた。

 慌てて逃げるように彼から距離を取る。

 彼の方を向けない。全然胸の鼓動が落ち着かない。

 おかしいよ。

 確かに恥ずかしいけど、ここまで取り乱すようなことじゃないはずなのに。

 どうして、こんなに意識してしまってるんだろう。

 わからないけど、とにかく落ち着け。深呼吸して落ち着こう。

 

「なんか、悪かったな」

 

 大きく息を吸って吐いて、胸を上下させている私の様子を見て、悪いと思ったのか、彼が謝ってきた。

 いや、君は悪くないよ。私がなんか混乱しちゃってるだけで。

 ふう。一息つくと、少しだけ落ち着いてきた。やっと顔を上げて彼に向き合う。

 

「いや、こちらこそ取り乱してごめんなさい」

「そうか……。ならいいんだけどな。そうだ。まだ名前を聞いてなかったな。この学校の生徒なんだろ?」

「はい。一年生のユウ・ホシミです」

「ユウ――ああ。どっかで聞いたことあると思ったら。もしかしてあの爆炎女か?」

 

 散々噂された不名誉な通り名を聞いて、ちょっと不機嫌になる。

 

「そうですよ……で、そっちは?」

「なんだ。オレを知らないのか」

 

 こくりと頷くと、彼は意外だというような顔をした。

 

「アーガス・オズバインだ」

 

 アーガス・オズバイン。

 魔法学校始まって以来の天才であり、名家であるオズバイン家の長男でもあるという彼か。

 名前だけは聞いたことあるけど、この人だったんだ。

 

「じゃあ、あなたがあの……」

「評判の方は知ってるのか。言っておくが、オレはオレだからな。どいつもこいつも天才だの何だの、喧しくてしょうがないぜ」

 

 両手でやれやれというポーズを取る彼は、しかしまんざらでもなさそうだった。

 

「はあ」

「そういや、お前が飛んできたあれは。何かの魔法の練習してたんだろ?」

「はい。そうですけど」

「何をやってたか聞かせてくれないか」

「あれは、風の魔法で加速してたんですよ」

 

 その言葉が、どうやら彼の琴線に触れたようだった。

 

「加速か。中々面白いことを考えるじゃないか。詳しいやり方を教えてくれよ」

 

 魔法のやり方を説明すると、彼の心に火がついたらしい。

 見かけのクールさによらない熱心な口調で、ズバズバと改良案を提示された。私はそんな彼の姿に圧倒されるばかりだった。

 それから彼の熱意に押されるまま、すぐさま加速魔法を実際に改良することになった。二人でああでもないこうでもないと議論しながら、時に実践を交えつつ、加速魔法はものの見事に形を成していった。

 名付けて《ファルスピード》。

 この世界で風魔法を表すときに使う接頭語の「ファル」と、速度の意味を持つ英語「スピード」。これらを組み合わせただけの、何のひねりもないネーミングである。

 この魔法を名付けたとき、スピードの意味を尋ねられた。

 英語だよとは言えないから、適当な造語だと言ったら、やけににやにやした顔をされて即採用となった。中二病だと思われたかな……。

 ともあれ、この共同作業ですっかり意気投合した私とアーガスは、時間が経つのも忘れるくらい夢中で話を続けた。

 やがて、話は飛行魔法にまで及んだ。

 

「空を飛ぶ、か。そんな子供じみた発想を本気でする奴がいたとは……」

「やっぱりそう思いますか」

「そりゃあな。空なんてその気になれば色んなもので飛べるだろ。お前、実は馬鹿なんじゃないのか?」

 

 馬鹿ってなんだよ。馬鹿って。

 

「だって、自力で空を飛べたら気持ちいいじゃないですか!」

 

 違う異世界で役に立つかもしれないからという切実な理由は置いといて、私は素直な本心を述べたが、アーガスは若干呆れ顔だった。

 

「そんなもんかね。で、実際どこまでいった。飛べたのか?」

「それが。風を使って飛ぼうとしてるんですけど、風を地面に吹き当てて浮くので精一杯で。横に動くには、風を水平方向にも出さないといけないですけど、風を二ヶ所から同時に出すと互いに干渉し合って上手くいかなくて」

「なるほど。まあ発想自体は悪くないな。ん~、たまには馬鹿に付き合うのも面白いかもな」

 

 腕を組んでいた彼は、一人で納得したように頷いた。

 

「昔から、家では代々ある系統のロスト・マジックを管理しててな。時空魔法の一種、重力魔法ってやつだ」

 

 彼は、得意そうに人差し指を突き立てた。

 重力魔法か。何だかすごそうな魔法が出てきたな。

 

「家の他の連中は能なしで扱えないが、オレだけはそいつを使いこなせる。お前、魔力値は大体いくつだ」

「一万です」

 

 それを聞いた彼は、にやりと笑った。

 

「上出来だ。それならいけるだろ。家の機密だから全部を教えてやるわけにはいかないが、自分を浮かせるだけの簡単な反重力魔法なら、今度使えるように教えてやるよ」

「いいんですか!?」

 

 大興奮だ。わざわざ天才から特別な魔法を教えてもらえるなんて、超嬉しい。

 

「ああ。そいつとお前がやってた風魔法を組み合わせれば、たぶん空は飛べるだろ。やり方は言わなくてもわかるよな?」

「あ……! 確かに、それならいける! ありがとうございます!」

 

 反重力魔法で上下方向を調節し、風魔法で水平方向に移動すればいいんだ。これなら干渉の問題もなくなり、風だけを使うよりもずっと易しい。完全なる飛行魔法の完成だ!

 あまりに嬉しくて、思わず頬がにへらと緩んでしまった私を見て、アーガスは照れ臭そうに頭の後ろを掻いた。

 

「いいさ。その代わり、条件が二つほどあるけどな」

「条件?」

 

 なんだろう。

 

「まず一つ目だが。時々オレの魔法の訓練に付き合ってくれないか」

 

 意外な提案だね。いや、そうでもないか。

 

「ここんところ退屈してたしな。お前は中々楽しい発想をするようだし、魔力値も他の奴よりはオレに近い。一緒にやると面白そうだ」

「それなら喜んで」

 

 今日一緒に加速魔法を開発してみてよくわかった。この人に付き添って訓練すれば、得るものが非常に大きいと。

 一人では決して到達できなかったようなレベルに達することができると思う。願ってもないことだった。

 

「オーケー。じゃあ、二つ目だ。星屑祭ってあるよな?」

「はい。それが何か?」

 

 星屑祭とは、毎年星の月(地球で言うと十一月くらいに当たる頃)に開かれる、サークリス全体を挙げてのお祭りのことだ。アリスからそんな祭りがあると聞いたことがある。

 

「毎年恒例のイベントでな。ここの学生による魔闘技大会が行われるんだ。お前、そこの個人戦に出ろよ」

「へ?」

 

 今度こそ意外な提案に、思わずきょとんとしてしまった。

 魔闘技。その名の通り、魔法によって試合をする競技だ。

 あまり人道に反した攻撃は禁止されているが、ルールは基本的に何でもあり。

 相手を立てなくさせるか、気絶させるか、もしくは降参させれば勝ち。殺してしまうのは反則負けとなる。

 それでも稀に死者が出てしまうこともある、そこそこに危険な競技である。

 本来なら学生がやるようなものではないのだが、サークリス魔法学校は、頭でっかちなだけはなく、戦いも一人前にできるようなプロの魔法使いを育てる校風だった。

 そのため、禁止どころかむしろ推奨されている競技でもある。

 でもどうして、私がそれに。

 

「どうしてですか?」

「なに。大した理由じゃない。これも退屈しのぎさ。オレは有名なんで出ないといけないことになってるんだが、相手に張り合いがないとつまらないからな」

「でも、私なんかで相手が務まるんですか?」

「大丈夫だ。お前はまだ弱いだろうが、しっかり訓練すれば中々のタマになると見たぜ」

「はあ」

 

 大天才君が言うんだったら、そうなのかな。あんまり自信ないけど。

 

「大会の一か月前までは、訓練のときにオレが直々に鍛えてやるよ。残りの一カ月間は、お互い手の内を見せないように準備だ。せいぜいオレを楽しませてくれ」

 

 そうまでお膳立てされては、断るわけにもいかなかった。

 それに、これさえ呑めば反重力魔法を教えてもらえるのだ。

 私は一つ返事で頷いた。

 

「わかりました。その条件、呑みましょう」

 

 

 ***

 

 

 気がつくと、辺りは夕焼けに染まっていた。

 この世界の夕焼けは、地球のものと違ってまるで黄金のように空が輝く。そうなるのは、この世界には魔素があるからだ。

 

「もうこんな時間か。結構話し込んじまったな」

「そうですね」

「じゃ、そろそろ行くわ」

「今日は楽しかったです。さようなら」

 

 その場を去ろうとしていた彼は、ふと足を止めて振り返った。

 

「あ、やっぱ条件三つな。お前、その口調やめろ」

「え?」

「その『あなた』とか『です』とかだよ。せっかく友達になったのに、堅っ苦しいだろ?」

「確かにそうですけど、一応先輩ですから」

「そんなこと気にすんな。オレを呼ぶときもアーガスとかお前でいいぜ」

 

 へえ。そう言ってくれるんだ。

 何だか距離が近くなったみたいで嬉しかった。

 まあ私も丁寧語で話すよりくだけて話す方が好きだし、ここは素直に従おうか。

 

「わかった。そうしようじゃないか。アーガス」

「って、切り替え早いな。猫でも被ってたのかよ」

「さあね」

 

 私はさらっと返した。

 自分で言っておいて、彼は少しだけ困惑顔だった。

 

「おい……。ま、いいや。じゃあな。またここで会おうぜ」

 

 こうして私とアーガスは、時々この場所で魔法の訓練を共にする仲となった。

 彼とは共に考えた魔法を持ち寄って楽しんだり、鍛え合ったりした。

 彼のアドバイスはいつも的確で、その独特な着想にはよく驚かされた。本当の天才っているんだなと思う。

 私は彼から実に多くのものを吸収させてもらった。私の方から彼に何かを与えられたのかは、正直わからないけど。でも彼はいつも楽しそうにしていたから、よかったのかな。

 確かそれからだった。私が彼に次ぐ天才少女とか言われるようになったのは。

 要するに、彼に引き上げられてしまったということらしい。



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閑話1「ユウ、初めて経験する」

 初めてそれを経験したのは、私が異世界に来てから約一ヶ月半後。入学してから少し経った後のことだった。

 女子寮のアリスと一緒の部屋。ベッドで寝ていた私は、窓から差し込む柔らかな日光を浴びて目を覚ました。

 心地の良い朝だ。

 うーん、と伸びをする。

 まだ眠い目をこすりながら、ふと下を見下ろした私は、

 

 え……!?

 

 一気に目が覚めた。

 シーツの一部分が、真っ赤に染まっていた。

 なんだよ、これ……。

 血の気が引いた私は、よろよろとその場に立ち上がる。

 すると、股から太腿を伝って垂れていく何かを感じた。

 恐る恐るスカートをめくってみた。

 血だった。

 怖くなりながらも、慌ててパンツを脱ぐ。

 股から、血が出てる。

 いつ、こんな怪我を……。

 近くにあった汚れを拭くための布で、股を何度も拭った。

 とりあえず表面だけは綺麗になったけど……。

 中の方が傷ついているのか、血が止まらない。

 どうしよう。どうしよう。

 もしこのまま、血が止まらなかったら――。

 早く医務室に行かないと。いや、まだ開いてない。

 だったら、イネア先生に治してもらおうか。

 

 そのとき、隣のベッドで眠っていたアリスが目を覚ました。

 

「うーん……! あら? もう起きてたのね。おはよう。ユウ」

 

 いつもなら愛想よく返事をするところだが、今はそんな気持ちの余裕なんかなかった。

 

「ん、どうしたの? そんなに青い顔して」

「どうしよう……。アリス……」

「なに? 何があったの?」

「血が。血が、止まらないんだ……!」

 

 それを聞いたアリスは、血相を変えて近づいてきた。

 

「大丈夫!? どこから血が出てるの!?」

「こ、ここから……」

 

 ちょっと恥ずかしいなと思いながら、私はスカートの上から股のところを指さした。

 

「え、そこって…………どんな風に血が出てるの?」

「それが……ほんの少しずつなんだけど、ちっとも止まらなくてさ。変なんだよ」

 

 正直のところ、不安でちょっと泣きそうだ。

 すると彼女は、心配そうな表情から一転して、突然大笑いし始めた。

 

「っぷふ……あーっはっははははは!」

 

 なんだ……? 

 何がおかしいんだ。こっちは一大事だって言うのに。

 

「うふふふ! 血が出たって、深刻な顔で言うから! あははは! 何事かと思ったら! ふふふ……そっか。ユウってまだ来てなかったのね」

「何が、来てないって?」

「普通はもっと早く来るものなんだけどねー。とにかく、おめでとう。それは大人の身体になった証拠よ。身体は至って正常だから、心配しなくていいわ」

 

 アリスは、まだ笑いを堪えている様子だった。

 大人の身体。それを聞いて、思い当たる言葉があった。保健体育で聞いたことがある。

 

「もしかして、これって……」

「うん。生理よ。約月に一度、大体一週間くらい続くから、その間はナプキン使わないと血で汚しちゃうよ。とりあえず今日はあたしのあげるから使ってね」

 

 生理だったのか!

 よかった。大変なことになっちゃったのかと思ったよ。

 言葉だけは知ってたけど、実際のところは何も知らなかったな。

 こんな風にぽたぽた血が出るのか。まさか実体験する日が来るとはね。

 

「あ、今ほっとしたって顔してるでしょ! かわいいなあ。血が~、止まらないんだ~って。ふふ」

 

 わざと大袈裟に私の真似をするアリスは、相変わらずのからかい好きっぷりだった。まったく。

 

「知らなかったんだよ……」

「顔真っ赤にしちゃってさ。ユウってしっかりしてるような振りをして、なんか抜けてるよね」

 

 う、また抜けてるって言われた。

 いつかは本当にしっかりした人間になりたいとは思うけど、まだまだか……。

 それより、問題だ。

 このまま放っておけば、アリスはこのことを誰かに話してしまうだろう。

 歓迎会のときに、うっかりミリアに左手で握指しちゃったことを周りに言いふらしたみたいに。

 話好きな本人は面白がっているだけで、決して悪気はないだけにタチが悪い。

 私がそんな彼女に対して取れる手段は、ただ一つ。

 

「あのさ。頼むから、このこと誰にも言わないでくれない?」

 

 下手に出てお願いすることだけだ。

 アリスは、わざとらしくとぼけたふりをした。

 

「うーん。どうしよっかなー」

「今度昼食のときに、デザート一つおごるから!」

 

 アリス様の頬が緩んだ。

 

「やった! いいよ。それなら黙っててあげる。ま、ミリアにだけは話すけどね」

「ミリアか。あいつ、一度こういうこと知るとちびちびネタにしてくるからなあ」

 

 大人しい見かけによらず、意外と毒があるタイプなんだよね。

 

「でも仲間外れはなしよ」

 

 どれだけ弄られちゃうんだろう。

 考えたら少しだけ鬱になってきたけど、まあミリアだけならいいか。

 

「わかったよ。それで手を打とう」

「オーケー。交渉成立ね!」

 

 私はアリスと握指をした。こういう約束事にも握指は使える。中々万能なコミュニケーションツールだ。ただし、決して出す手を間違えてはいけないが。

 それから、アリスに生理用品の扱いとか、一通りのことを教えてもらった。これでもう恥はかかないと思う。

 ところで、アリスは私の様子から初潮が今日だと判断したけど、私自身はそうじゃないと思っている。

 私のこの身体は、男の身体と同じく十六歳のものだろう。それなりには成熟しているはずだ。

 たぶんだけど、もし生まれてからこの身体でずっと生きていたなら、生理は既に何度も経験していたんじゃないだろうか。

 まあどっちみち、私にとって初めての経験であることには変わりなかった。

 それにしても。

 私は改めて自分の身体を見下ろした。

 この膨らんだ胸も、血をポタポタと垂らす秘所も、どうやら飾りじゃないらしい。

 

 この身体、子供を産めてしまうんだ。

 

 本当に、完璧に、女の身体なんだな。そう再認識させられた。

 もしも私が女として誰かの子供を産む。そんなことが、いつかあるのだろうか。

 今のところ誰かとそういう関係になろうと思ったこともないし、正直想像するのも難しいけどさ。

 

 ――結局のところ、そんな心配は杞憂に終わるのだけど。

 

 子供を産めるだなんて。新しくこの身で血の繋がった家族を作ろうだなんて。

 そんなことは、そんな夢は。

 もはや人ならざるフェバルに変質してしまった身には、甘い幻想に過ぎなかったのだけど。

 初めての生理に驚き、どこかで浮かれていたこのときの私には、まだ知る由もなかった。

 

 

 ***

 

 

 翌日。生理二日目。

 この日は、なんといっても生理痛がきつかった。

 とにかく痛い。まるでボディーブローのように、じわじわと絶え間なく痛みが来る。

 この世に生まれついて、男の急所を打ちつけた痛みと女の生理痛をダブルで味わったのは、きっと私くらいのものだろう。こいつらは、比べられるものじゃないなと思う。

 それで、なんとか午前は乗り切ったけども。

 午後の魔法史の授業では、痛みがピークに達していた。

 私はどんな授業でもいつも最前列に座っているが、それだけに苦しむ私の様子は目立ってしまったらしい。

 よほど私が辛そうに見えたのか、担当のトール・ギエフ先生は気を利かせてくれた。

 

「ユウ君、何だか辛そうだね。医務室に行ってきてもいいよ」

「いいえ、大丈夫です……」

「はは、無理しなくていいよ。今回の分のノートは後であげるから」

 

 正直我慢の限界だったので、ありがたかった。

 私は素直に彼の好意を受け取ることにした。

 

「すみません。ではそうします」

 

 彼は教室中を見回した。

 

「誰か彼女に付き添ってあげてくれ」

「なら、あたしが」

 

 そう言って真っ先に手を挙げてくれたのは、アリスだった。

 

「では、アリス君。ユウ君をよろしく頼むよ」

 

 すぐに寄ってきて、肩を貸してくれた。なんだかんだ言ってもアリスは優しい。

 

「ありがとう」

「全然いいよ。最初、慣れるまでは辛いかもね」

「正直、こんなにきついとは、思わなかったよ」

「ユウのは特にきついのかな。こういうの、個人差があるらしいから」

「そっか……」

 

 そして夜。今日もイネア先生のところに行こうというときに、アリスとミリアは全力で引き止めにかかってきた。

 

「ねえ、ユウ。いつも何の用事かは知らないけど、今日くらいは休みなよー」

「そうですよ。私も、心配です」

 

 確かに辛い。でも生理痛くらいでイネア先生との修行をすっぽかしたら、何があるかわかったもんじゃない。

 それに、行けさえすれば。男になりさえすれば、この痛みから解放される。だから問題ない。

 

「どうしても外せない用事なんだ」

「じゃあ、せめてあたしたちが付き添いで……」

「悪いけど、一人で行かないといけないんだ」

 

 申し訳ないけど、付いてきてもらうのはダメだ。修行してるときは男なんだから。

 無理に二人の制止を振り切って、私はイネア先生の道場に向かった。

 せっかく心配してくれているのに悪いなとは思ったけれど、先生との修行はサボれない。

 女のまま道場に入ったら、辛そうにしてるのを先生からも心配された。それでわけを話したら、やはり一笑に付されてしまった。

 男に変身すると、当然ながら生理痛は消えた。

 内心喜んでいたけど、話はそう上手くはいかないものだった。

 どうやら男になっている間は、女としての時間はカウントされないらしい。生理が終わるのが単に先延ばしになっただけだったのだ。

 残念過ぎる。つらい。

 ただ、こんなに辛かったのは最初の一回だけだった。

 次からは多少は慣れたし、痛みもかなり減ったような気がする。女の身体が発現して最初の生理だったから、身体の中の方でも調整が大変だったのかもしれない。

 きっと頑張ってたんだね。私の身体。



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閑話2「ユウ、お風呂に連れて行かれる」

 まず最初に言い訳させて欲しい。

 私は確かに女のようだ。

 身体は完全に女のものだし、自分が女だって自覚もある。

 男のときと違って、女を異性として見ることもない。自分や他の女性の裸を見たって、それ自体はなんてことはない。

 なんか本当に苦しい言い訳みたいだけど、全部本当のことだ。

 性格も口調も男のときと変わった自覚はないし、変えようって気も起きない。でもそれは単に、私が自分のままであるというだけのことだと思う。

 ただ。これまでの16年間は生粋の男として生きてきたし、その気になればいつでも男になれるのもまた事実。

 男の「俺」は(私もそうだから当然)年頃だ。華のような女子寮という場所で、もし男のままでいたなら、まったく興奮しないというのは間違いなく無理だろう。

 性欲は人間ならほぼ誰しも持っているものだし、男としては普通の感情だから、ある程度仕方ないところではあるけど……。まあ情けない話だよね。

 一応、これでも理性は堅い方だと自負している。男だからって変なことなんてするつもりはないし、実際しないとは思うけど。

 それでも、ついいけないことを妄想してしまう程度なら……正直、ある。

 ……ごめんなさい。そこそこあります。

 恥ずかしながら、自分はまあまあえっちなのかもしれない。

「俺」の方だけでなくて、たぶん……私の方も。

 だって。昔から甘えん坊で、愛情とかスキンシップとか、求めたがりなところがあるから。

 相手と触れ合うことが心地良くて、幸せを感じてしまって。それでつい逃れられなくなってしまうタイプだという自覚は、そういった危ういところの自覚は……一応、ある。

 とにかく。

 だから、女子寮で暮らすにあたっては決して男にはならない。

 これが自身へ課した最低限のルールであり、私はずっとそれを守り続けてきた。

 それでも最初のうちは、ただ女子寮にいるというだけで悪いことをしているような気がしていた。何かと遠慮してしまうし、罪悪感から色んなことでつい目を背けてしまう。

 内心は冷や汗だらだらの日々だった。

 けどしばらくルールを守って暮らしていたら、段々と気にならなくなってきた。

 アリスが開けっ広げな恰好をしていても普通に話せるようになったし、ミリアが抱きついてきてもあまり動じなくなった。

 他の人に対しても、問題はほとんどなくなりつつある。こちらからスキンシップできるようにもなってきている。

 少しずつだけど、何でも自然に、遠慮なくこなせるようになってきたと思う。慣れって素晴らしい。

 だがそんな今の私でも、未だにどうしても避けてしまうものがある。

 

 ……女子寮の大浴場だ。

 

 私の能力なんて知らない人が、あまりにも無防備、あまりにも無頓着に素肌を晒す空間。

 これだけはどうしてもダメだった。良心が咎めてしまうのだ。

 できれば入りたくはなかったが、一切お風呂に入らないというわけにもいかない。

 大浴場は真夜中までは開いているので、極力人の多い時間帯は避けるようにしていた。せめてものことだ。

 もっとも、イネア先生との修行がいつも夜遅くまであるので、大抵の日は自動的に避けられていたのだけど。

 そして入るときも、なるべく隅っこで誰とも目を合わせないように、目立たないように浸かっていた。

 アリスやミリアが私を待ってくれて、一緒に入ることもちょくちょくあったが、すっかり仲良くなった二人だけはもう大丈夫だった。特にアリスとは、入学前にも何度も一緒に入った経験があるしね。

 

 

 ***

 

 

 そんな風にしてどうにかやり過ごしていた、ある日のことである。

 イネア先生が、気剣術の指導で出張することになった。月に一回程度、サークリス剣士隊のところで行う定例のものだ。

 ということで、明日の修行はなしだと先生は言い出した。

 久しぶりに私の予定が開いた。この場合、開いてしまったと言うべきか。

 折りしもその日は、放課後から夜分にかけて、女子寮生限定の催し物があった。同級生のみならず、先輩たちも加わっての交流イベントだ。

 アリスに連れられて、私とミリアも参加することになった。

 参加者は、私たち三人を含めて十二人だった。中にはカルラ先輩もいる。

 催し物の流れであるが、まずはレクリエーションでスポーツをして、それからパーティーという感じだ。 

 それで、スポーツ自体は結構楽しかったんだけど、ここで参加者数が中規模ということで、融通が利いたことが災いしてしまう。

 その場だけの話で、パーティーの前にみんなで入浴して汗を流そうという流れに行ってしまったのだ。

 こうなってしまうと、一人だけ断るというのはやりにくい。

 それでも、こればかりは勘弁してくれ! 内心もう泣きそうだった。

 私はなけなしの勇気を出して、辞退を試みた。

 場の空気を悪くすることは仕方ない。覚悟の上だ。

 

「すみません。私は遠慮しま……!」

 

 最後まで言い切る前に、何者かにがしっと腕を掴まれてしまった。

 振り向くと――。

 

「みんなで、入った方が、楽しいですよ」

 

 うっ、ミリア!

 

 人見知りゆえの警戒心から鍛えられた観察眼で、私が嫌がっていることを察したのだろう。

 逃がすものですかと、やたらに黒い笑顔を浮かべている。

 このミリアの攻撃によって、まずは退路が断たれてしまった。

 そこにすかさず連続攻撃が畳み掛けられる。私キラーでおなじみのアリスだった。

 

「ユウ~。あなた、恥ずかしいんでしょ。あたしは知ってるよー」

「そ、そうだよ。だからね」

「でもね、そんなに恥ずかしがることないじゃないの。綺麗な身体してるし、立派な胸だってあるのに!」

「私の方が、大きいですけどね」

 

 ミリアが控え目かつ得意そうに胸を張った。

 地味に隠れ巨乳なんだよな、ミリア。

 って、そんなことはどうでもいい!

 まずい。この流れは、色々とまずい。

 もう助からないのか。どうにか逃げられないのか!?

 しかし、恥ずかしくて行けないということにされてしまった時点で、既に私の勝ちはなかった。

 止めを刺したのは、横でふんふんと楽しそうに聞いていたカルラ先輩だった。

 

「ふっふっふ。そういうことだったの。ユウ」

「えっと。カルラ先輩?」

「遠慮はいけないわ。来なさい。中でお姉ちゃんが優しく抱きしめながら、みっちりと、ロスト・マジック研究の素晴らしさについて話してあ・げ・る・か・ら!」

 

 言うや否や、私の着ていたジャケットの襟をもう掴んでいた。

 

「え、ちょっと! カルラ先輩!?」

「逃がさないわよ!」

 

 そのまま力づくで、ずるずると引きずられ始めた。やけに腕力があって、藻掻いてもままならない。

 まずい! 本当にまずい! このままじゃ!

 

「離してください! 私にはっ、行かなくちゃならない場所が!」

「あら。今日は何も予定がないって聞いたわよ」

 

 しまったあああっ! そういう風に話してたんだった!

 

「助けて! アリス! ミリア! とにかく入ったらやばいんだって!」

「うふふ。何がやばいのよ。いっつもあたしたちとは普通に入ってるじゃないの」

「皆さんとの裸の付き合いも、大事だと、思いますよ?」

 

 ああもう! ダメだ! 味方がいない!

 

「心配しなくても、お姉ちゃんがたっぷり可愛がってあげるわよ。ね、ユウちゃん♡」

「うわああああああん!」

 

 そのままカルラ先輩に引っ張られて、強引に浴場まで連れて行かれてしまったのだった。

 

 

 ***

 

 

「しにたい……」

 

 脱衣所で、私はかつてない罪悪感を抱えて凹んでいた。

 みんなを決して見ないように、隅っこで壁だけを無心に見つめていた。

 ああ。許されるなら、貝になりたい。

 お節介焼きのアリスが、ちょんちょんとほっぺをつついて話しかけてくる。

 

「ほら。ユウも服脱ごう?」

「まだ心の準備が……先に入っててよ」

「ふふ。ほんと恥ずかしがり屋さんねえ。ちゃんと後で来るのよ」

「待ってますから」

 

 後ろから、ミリアがそう付け加えるのが聞こえた。

 じっと待ち続け、みんな着替えて入っていったのを音で確認してから、ようやく壁から目を離すことができた。

 正直、このまま逃げ出したいのは山々だけど。

 はあ……。みんな許してくれないよな……。

 ここまで来てしまった以上は、もう覚悟を決めるしかない、か。

 大きく深呼吸してから、えいやっと気合い一発。

 服を勢いよく脱ぎ捨てる。

 ずっと考えていた。みんなの裸を見ないためにはどうするか。

 単純だが、確実な方法がある。

 

 私は、ぎゅっと固く目を瞑った。

 

 これから入浴中は、一切開かない覚悟で。

 

 名付けて、ずっと目を瞑っていよう大作戦!

 これだ。これなら誰も何も見なくて済む。まったく問題はないはずだ。うん。

 さあ行くぞ。油断するなユウ。ここから先はすべてが死地。

 もし一度でも目を開けてしまえば、どんな爆弾が飛び込んでくるかわかったものじゃない。

 ここは慎重に。目を瞑ったまま、慎重に歩を進めるんだ。

 そうして、やや危なっかしい足取りであったものの、無事、浴場入り口の引き戸と思われるところまで到達することができた。

 ここまでは上々。いいぞ。この調子だ。

 

 見るな見るな見るな、絶対見るな――。

 

 改めて繰り返し念じながら、引き戸に手をかける。

 しかし、一見完璧に思えたこの作戦も、あっけなく崩れ去ってしまうことになるのであった。

 いよいよ浴場に足を踏み入れて、そろそろと歩き始めたときだった。

 

「あ、ユウ。危ない」

「え――」

 

 アリスが注意を呼びかけた瞬間。何かにぶつかった。

 身体がふらついて、そのままドタッと無様に倒れ込む。

 全身を柔らかい肌の質量が包み込んだ。とりわけ、胸のところにむにゅっとした感触が走る。

 

「ユウ……」

 

 甘みを帯びた囁き声がして、うっかり目を開けてしまうと――。

 すぐ目と鼻の先には、耳まで真っ赤に赤面したミリアの顔があった。

 なんと私は、彼女を上から押し倒すような形で、しっかりと全身で覆いかぶさってしまっていたのだ!

 そして、む、胸の柔らかい感触とはっ!

 すなわち、私の程よい大きさの胸と彼女の巨乳とが、その頂きから触れ合い、互いに潰れ合うことで生じたものだった!

 ど、どどど、どうしよう!?

 戸惑いと恥ずかしさがいっぺんに押し寄せて混乱しながらも、ひとまずは彼女に怪我がないか心配になる。

 

「ごめん。大丈夫? 痛くなかった?」

「はい。大丈夫、ですが……」

 

 彼女がなぜか嬉しそうに微笑むと同時、周りが騒ぎ出した。

 

「キャー!」

「やっぱりあの噂は本当だったのね!」

「目の保養♪ 目の保養♪」

 

 うわあっ! そうだった! 

 歓迎会でやらかしたせいで、私とミリアが愛し合っているとかいう変な噂が立っているんだった!

 ひいいっ。このままじゃまたあらぬ誤解が広がってしまう。もう手遅れかな。とにかくまずいよ!

 せめて違うと言おうとして、立ち上がったとき。

 私は言い訳を考えるのに夢中で、ここが浴場であるということをすっかり失念していた。

 

 ダイナマイト級の衝撃が、私を襲った。

 

 あわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ。

 

 元々入っていた人たちと合わせて、ざっと十五人もの女子たちが私を一斉に見つめていた。

 見渡す限り一面の、裸。裸。裸。

 みんな当たり前のように、胸も、おしりも、股も晒して――。

 

 ぐっ……。ぐうう……。

 

 私は人目も憚らず、完全に打ちひしがれてしまった。

 

 終わった……完全に終わった……。

 

 もう自分に言い逃れはできない。

 決して後戻りのできない一線を越えてしまったんだ。私は――。

 

「ふふふ。はは、ははは……」

 

 自分の中で決定的な何かが、切れた。

 そうだよ。

 女でいたら、いずれこんな日が来るなんて、わかってたことじゃないか。

 自分勝手な線引きなんて、誰が得をする。結局、真実を隠していることに変わりはないんだ。

 そんな線引きなんて、するだけ無駄だったんだ……。

 そうだ。楽になれよ。星海 ユウ。むしろ吹っ切れてやろうじゃないか。

 今の私は女だ。何も問題はない。うん。ないよ。

 絶対、きっと……たぶん…………おそらく…………願わくば、ない!

 よ、よーし! こうなったらやけだ! もう来るなら何でも来い!

 私は今から怖いものなしだ!

 

「あいむあうーまん!」

「何それ?」

 

 近くにいたカルラ先輩が、怪訝な顔をしていた。

 やばい。勢いで変なこと口走っちゃったよ。

 どうせ英語なんて知らないだろうから、適当に誤魔化しておこう。

 

「お風呂入るときの、特別なおまじないみたいなもんですよ! 先輩も一緒に言ってみます?」

「そんなものがあるのね。いいわよ!」

 

 さすがカルラ先輩。普段からノリがきついけど、こういうよくわからないことに対してもノリが良いところが素敵!

 

「せーの」

「「あいむあうーまん!」」

「「いぇーい!」」

 

 そのまま勢いでハイタッチを決めた。

 

「カルラ先輩! ゆっくりお話を伺いましょう!」

「おっ、話がわかるじゃない! いくらでもしてあげるわよ!」

「望むところですよ!」

 

 ミリアとアリスがこんな風に言ってるのが、かすかに聞こえたような気がした。

 

「ユウ、ついに壊れちゃいました、ね」

「今日に限ってどうしたのかしら。あんなユウ、初めて見た」

 

 ほっといてくれ。こっちだって。こっちだってさあ! 泣きたいんだようぅぅ……!



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10「ユウを尾行しよう」

 ユウのことが、ずっとどこかで気になってる。

 そもそも初めて出会ったときから、あなたは謎だらけ。

 あのとき何があったのかしら。どうしてあんなところで、あんな恰好で倒れていたのかしら。

 あなたは無知を誤魔化そうとしていたけど、あたしにはすぐわかった。あなたは魔法どころか、この世界のことを何も知らないって感じだったし。

 そのくせに、それ以外のこと、例えば算術とかは普通に詳しいんだから、なんだかちぐはぐって感じよね。

 まるであなたがこれまでの生活の記憶だけを失くしたか――忽然と現れた異邦人であるかのようにさえ思えてしまうほどに。

 いつまで経ってもあたしたちには、何一つ大事なことを話そうともしないでさ。

 それでも、性格だけは見ていてわかるんだけどね。所々抜けてて、可愛いところもあるし。

 あなたはあたしの大切な友達だと思ってるし、あなたもきっとそう思ってる。その心に嘘偽りはないと思うの。

 きっと話せない事情があるだけなのはわかってる。だけど、そろそろ少しは話してくれてもいいんじゃないのって思うわ。正直、あんまり待つのは好きじゃないのよね。

 ていうか、ユウったら、いつもどこかへ行っちゃうのよね。

 

『ごめん。今日も用事があるから』

 

 そうよ。あなたはいつも用事があるからと言って、夕食を早めに食べたらすぐにどこかへ行ってしまう。

 

『あ、おかえり。今日も遅かったね』

『ただいま。閉まる前にお風呂行ってくるね』

 

 そして、いつも疲れ果てた様子で帰ってきたと思ったら、お風呂入った後すぐ死んだように寝ちゃうんだから。

 授業だっていつも呆れるくらい真面目で。気がついたら、あたしが教えることが段々と少なくなっていって。ユウには負けられないなって思ってる。

 でも。どうしてそんなに必死そうなの。いつも辛そうなの。何があなたにそこまでさせるのよ。

 きっとあなた自身も気が付いていないと思う。思考を反らして前を見て、なるべく考えないようにしているんだと思う。

 確かにあなたは言ってたわ。あのとき死にかけたから、強く生きる力を付けるために魔法を学ぶんだって。

 でもそれなら、攻撃魔法までやたら身に付けたって意味がないよね? だって、その目的にはあまり役に立たないじゃない。

 もちろんユウが言ってたことも本当だと思う。

 でも、それだけじゃない。

 あたしにはまるで、あなたが何か怖いものから身を守るために、必死に力を付けようとしているように見えるの。

 そして、一人でも何でもできるようにって、貪欲に何にでも取り組んでいるようにもね。

 でも、忘れないで欲しい。

 あなたは一人じゃないわ。

 あたしが持ち前の明るさで、あなたの居場所を作ってあげるから。あなたが親しみやすいように、たくさん構って、からかったりもしてあげるから。

 だからもっと。あたしのことを頼って欲しいし、もっと笑ってほしいなって、そう思うの。

 

 

 ***

 

 

 今は女子寮のあたしの部屋にいる。

 ユウが例によって出かけてから、ミリアと一緒にあの子のことを話していた。

 

「なんかユウって、いつもこそこそしてると思わない?」

「確かに、気がつくとすぐ、どこか行っちゃいますよね」

 

 ほんとーに、怪しさの塊だわ。あいつ。

 

「前なんて、アレのせいであんなに辛そうだったのに行ったのよ! そこまでして頑張るなんて、いったいどんな用事なのかしらね」

「まったくですよ。人の心配を、何だと思ってるんでしょうね」

 

 するとミリアが、何か思いついたみたいな顔をして笑った。

 

「一度、後、つけてみませんか」

「うーん……」

 

 いいのかな。ユウには、一応事情は深く詮索しないって言ってあるのだけど。

 

「だって、心配、ですよね?」

「そうね……」

 

 そうなのよね。これだけ謎の行動が毎日続くと、さすがに心配にもなるわ。

 これでもしユウが変なことに関わっていたり、巻き込まれたりしていたらって思うとね。

 うん。やっぱり友達として、あいつを放っとけないわよね!

 そろそろ秘密も知りたかったし、何より本当に心配だもの。

 

「よーし! やりましょう! ミリア」

「ふふ。結構ノリノリ、ですね」

「こういうのはノリと勢いが大事よ! 明日決行ってことでいい?」

「いいですよ。ちょっと、準備しておきますね」

「準備って?」

「明日の、お楽しみです」

 

 

 ***

 

 

 翌日。予定通り、ユウ尾行作戦は決行の運びとなった。

 ユウはいつものように校舎の裏門から出て行った。

 

「行くわよ」

「はい」

 

 あたしたちは、裏門から慎重に顔を出して覗いてみた。

 ユウはしきりに周りを気にしながら歩いている。

 

「並々ならぬ警戒をしているようね。このまま普通について行っては、途中で気付かれてしまうかも」

「どう、します?」

「ここは、魔法を使いましょう」

 

 ミリアにもわかるように、ここは宣言方式で。

 

「風よ、我らの身を覆い隠……」

 

 いこうとしていたのだけど、途中でミリアに制止されてしまった。

 

「待って、下さい。ユウは風魔法が、得意です。それでは、ちょっと不安ですね」

「ならどうするの?」

「そのために、準備してきました。任せて下さい」

 

 ここはミリアに任せてみましょう。期待。

 

「我らの姿を隠せ。《アールメリン》」

 

 すると、あたしたちを包むようにふわりと光のベールがかかった。

 見たこともない魔法よ。不思議に思って、ミリアに尋ねる。

 

「なに、これ?」

「ちょっとした光魔法を、かけました。光の反射を弄って、姿を非常に、見えにくくします。これで、ユウにはわからない、はずです」

「ええ!? 光って、ロスト・マジックじゃない! こんな魔法、いったいどうしたのよ!?」

「しーっ。大きな声、出さないで下さい。周りが、変に思いますから」

「あ、ごめんごめん」

「ちなみに、この魔法については、企業秘密、です」

「へえ。ミリアまで秘密持ちってわけ?」

「すみません。うちの家の、問題なので」

「一族秘伝ってわけね。納得」

 

 そう言えば、ミリアは下級貴族の子だったっけ。だったら、いくつかのロスト・マジックが代々伝わっていても不思議ではないわね。

 ともかく、ミリアの魔法のおかげで、尾行はユウに見つかることなくスムーズに進行していった。

 そして尾行を続けるうちに、あたしたちはついに、ユウがある建物へ入って行くのを目撃した。

 慎重に近づいて行くと、そこはあたしたちにとっては本当に意外な場所だった。

 

「なんですか、ここは……?」

「サークリス剣術学校、気剣術科……」

 

 そう書かれた看板が、古びた建物には掲げられていた。

 気剣術なんて、そんなもの聞いたことがないわ。それに知らなかった。学校にこんな科と建物があったなんて。

 でも。おかしいわ。絶対におかしいわよ!

 だって、ユウは魔法使いよ? こんな剣を扱うところでいったい何をしているというのよ!?

 

「行こう。ユウに色々と聞かなくちゃ」

「ですね。私も、気になってきました」

 

 あたしたちは、意を決して目の前の道場のような建物に飛び込んでいった。

 

「たーのもー! あれ、ユウは?」

「いない……みたい、ですね」

 

 中は大きな畳敷きの広間がいきなり広がっているばかりで、視界を遮るものは何もない。奥に一つだけドアが見えた。

 ユウはいなかったけど、代わりにそこにいたのは、あたしたちと同じくらいの歳に見える男だった。男というよりは男の子というのが相応しい感じの、中性的で可愛らしい顔をしている。

 その横には、金髪を後ろに束ねた、ちょっと目つきがきつい印象の綺麗なお姉さんがいた。

 男と目が合った。

 そのとき、不思議な気持ちを覚えたの。

 どうしてかしら。初対面のはずなのに、彼とは初めて会ったような気がしなかった。

 少しだけ考えたら、なぜそう思ったのか。その理由はすぐにわかったわ。

 男の子に対して言うのも変なんだけどさ。なんか凛々しい目元とか、優しげで頼りなさそうな顔つきとか、全身から滲み出る雰囲気とかが、ユウによく似てるのよね。それに、黒髪であるところも一緒だし。

 そんな、ユウに感じが似た不思議な男の子は、なぜか異常に目が泳いでいた。全身から動揺の色が伺える。

 どうしたのだろうと思ったけど、あたしにはわからなかった。

 すると彼は、金髪の女性と小声でひそひそ話を始めた。内容が気になるけれども、何を言っているのかまでは聞こえない。

 たぶん話がまとまったところで、彼はすごすごと奥の方へ下がっていき、代わりに金髪の女性が歩み出てきた。

 

「お前たちの探している子なら、ここにはいないぞ。彼女が魔法の訓練をしたいと言うから、良い修行場に連れて行ってやっているのだ」

 

 私は転移魔法が使えるからな、と彼女は付け加えた。

 なんだ。そういうことだったのね。

 それならユウがここに来る理由もわかるわ。剣術の訓練じゃおかしいもんね。

 一方、ミリアは違う言葉に反応した。

 

「転移魔法。もしかして、ネスラ、ですか」

「ネスラって、あの長命種の?」

 

 決して森からは出てこないって聞いていたけど。

 

「ああ。そうだ。私はイネアという。お前たちの名はユウから聞いている。アリスとミリアだな?」

 

 あたしたちは頷いた。ここへ来た目的を伝える。

 

「ユウに会いたくて来ました。あたしたちをそこへ連れて行ってくれませんか」

 

 しかし、イネアさんは認めてくれなかった。

 

「彼女は特別に許可した者でな。残念ながら、それ以外の者を連れて行くわけにはいかんな」

 

 そうですか……。せっかくここまで来たのに。

 でも、それならあたしにも考えがあるわ!

 

「だったら、ユウが帰って来る時間まであたしたち、ここで待ってますから! いいよね、ミリア」

「仕方ない、ですね」

 

 そうは言っても、ミリアだって十分やる気じゃない。

 するとあたしたちの頑なな決意が通じたのか、イネアさんはあっさり折れてくれた。

 

「そうか。ふむ……。友人をあまり待たせるわけにはいくまい。一度奥の弟子を送ったら、彼女をすぐに迎えに行くとしよう。少しだけ待っているがいい」

 

 言われた通り待っていると、やがてちゃんとイネアさんがユウを連れて戻ってきてくれた。

 そして「私は奥へ行っていよう。好きなだけ三人で話すといい」とだけ言い残して、彼女はドアの奥へ入っていった。

 帰ってきたユウは、どういうわけかやたらきょどっていた。

 

「び、びっくりしたよ。こ、ここ、こんなところまで会いに来るなんて」

「なによ、ユウ。水臭いじゃない。一人で魔法の訓練なんてさ」

 

 でも安心した。変なことはしてなかったのね。よかった。

 

「というか、なぜ、そんなに動揺してるんですか」

 

 ミリアから冷ややかな目で突っ込みが入る。

 確かに。その見事な目の泳ぎっぷりなんて、まるでさっきの男の子みたいじゃないの。

 

「まさか来てくれるなんてね。本当に驚いたんだ。ただそれだけ」

 

 ほんとにそれだけだよ? と、ユウは慌てふためきながら念を押した。

 うわー、死ぬほど怪しい。

 あたしたちの怪訝な視線を一身に受けて、彼女は得意の苦笑いをするしかないようだった。

 

「でも、どうやって私に付いてきたの?」

「それはねー、ミリアの光魔法よ。二人とも、身を隠していたの」

 

 目をやれば、ミリアがちょっと得意な顔をしている。

 

「そ、そっか。そんな魔法が……」

 

 ユウはがっくりと力が抜けたみたいだった。大きく溜め息を吐いている。

 

「でさあ。あの男の人、誰なのよ?」

 

 あたしは妙に彼のことが気になっていた。

 今ユウを見て改めて思ったけど、姿形は違うのに、彼は本当にユウに雰囲気がそっくりなものだから。

 あの人、結局一言も喋らなかったし。でも何となく、ユウと同じ国の人かなと思って聞いたの。

 ユウは、言葉を迷いがちながら答えてくれた。

 

「あー、あの人は、イネア先生のね、気剣術の弟子なんだ。実は私も、そんなに話したことないんだけどさ」

「名前。なんて、言うんですか?」

 

 ミリアの問いかけに、ユウは明らかにぎくりとした。

 私何か隠してますって顔に書いてあるくらいに、わかりやすく動揺が現れている。

 

「え、いや……それが、知らないんだ。全然名乗ってくれなくて」

 

 あーあ。これはユウが嘘を吐くときの反応ね。絶対名前知ってるわ。こいつ。

 ユウが嘘を吐くのが下手なのは、あたしとミリアの間ではすっかり常識だった。

 

「ほんとかしらねー」

「本当に本当だって!」

「ふーん」

 

 怪しい。超怪しいわ。

 もしかすると、ユウのルーツに通じる何かがあって話したくないんじゃないのかしら。

 どっちも、黒なんて凄く珍しい髪の色してるし。

 と思案を重ねていると、ミリアは埒が明かないと判断したのでしょう。話題を移した。

 

「ところで、気剣術って、何ですか?」

「ああ。それは――」

 

 こちらの方は隠すことでもなかったみたい。ユウから一通りの説明を受けて、あたしたちもようやくここがどういう場所かわかった。 

 魔法と気は対を成す存在。元々サークリス剣術学校は気剣術学校で、魔法学校と対を成していた。

 だけど魔法に比べると修めるのが難し過ぎたこともあって、平和な時代が続く間に生徒は年々減っていった。ついにはただの剣術学校にしなければ、立ちゆかなくなってしまった。

 それでもどうにか、気剣術学校は気剣術科として形だけは残すことになった。

 かつてサークリス魔法学校および剣術学校の原型となる学び屋の設立に多大な貢献をしたという気剣術の創始者、ジルフ・アーライズさんに敬意を払う格好で。

 イネアさんは、そのジルフさんの直弟子らしい。

 現在は彼女が特別講師をしているものの、滅多に生徒は来ない。

 けれどそこへ、実に数十年ぶりの生徒が現れた。それが名も知らぬ彼というわけだったのね。

 

 それからユウに、彼女がやっていたという魔法の訓練について詳しく聞いた。

 それにしても驚いたわ。

 ユウ、こんな夜遅くまで、こんなところで頑張ってたなんて。道理で部屋に帰ってきたら死んだように寝ちゃうわけよね。

 深い事情がありそうだし、きっとやめなよって言ってもやめないんだろうね。

 ならせめてあたしにできることは、その時間を少しでも楽しくしてあげることくらいかな。そう思った。

 それにね。あたしも魔法が好きなのよ。ユウなんかには負けてられないんだから!

 だから、こうすることに決めた!

 

「ユウ。あたしも魔法の特訓するよ! 一緒にした方が楽しいでしょ?」

 

 するとユウは、心の底から嬉しそうな笑顔を見せた。

 ユウの笑顔ってとても可愛らしくて、素直な性格が出ていて、本当に素敵な笑顔なのよね。見てるこっちまで嬉しくなっちゃうくらい。

 

「それは嬉しいな。勝手にやってることだから、中々誘いにくかったんだけど」

「もちろんミリアも付き合うよね?」

「私は特訓とか、そういうの、好きじゃないのですが……」

「付き合うよね?」

 

 念押しすると、彼女は観念したように溜め息を吐いた。

 

「はあ……。結局、私は、そういう運命、ですか……」

 

 そう言いつつも、すぐ後にはミリアはちょっぴり楽しそうに口元を緩めていた。

 あなたはあたしたちといるのが楽しくて、魔法の訓練だってまんざらでもないことは知っているのよ。

 ちょっと押してやれば、ほらこの通りね。

 

「じゃあ、いつにしよっか?」

「夜はちょっと。あと、時々アーガスと一緒に訓練してるから。でもそれ以外の時間ならいつでも……」

 

 このユウの何気ない言葉が、本日最大の衝撃だったわ。

 あたしは彼女の言葉を遮って、大声を上げてしまった。

 

「はああああああーーーーー!? なによ、それーーーー!? しかも、呼び捨て!?」

「信じられません。いつの間に、そんな関係を……!」

 

 ユウはあたしたちの反応に驚いて、目を丸くしていた。

 でも驚くのはあたしたちの方よ! なにさらっととんでもないこと言ってるのよ!

 

「ちょっと。偶然縁があって」

「それ! 詳しく聞かせなさいーーー!」

 

 ほんと。ユウからは目が離せないわね。掘ればまだまだ出てきそう。いつかは全部事情を教えてね。




 ユウとイネアがしたひそひそ話は、次の通りです。

「先生! どうして教えてくれなかったんですか! 先生なら、気を読んで二人の接近を感知できたじゃないですか! 今から変身はできないし……」
「ふっ。お前が尾行など許すから悪いのだ。罰としてしばらくその格好で肝を冷やしていろ。それに今まで、ずっとここのことは口を濁してきたんだろう? 怪しむに決まっている。どうせ早かれ遅かれこういう事態にはなり得たんじゃないのか」
「そうかもしれませんが! とにかく、かなりまずいです。どうしましょう?」
「はあ……。勝手にしろと言いたいところだが……仕方ない。面倒だが、私が上手く話してやろう。お前は少し下がってろ」


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間話1「動き出す仮面の者たち」

 サークリスの地下深く。

 街の喧騒など一切届かぬところに、とある極秘施設はあった。

 そこには数々のいにしえなる魔法書が収められ、怪しげな機械装置がいくつも存在していた。中には違法な物すらあった。

 施設の奥にある一部屋で、怪しげな仮面を被った者が二人、会話をしていた。

 仮面には、まるで何かの儀式にでも使えそうな、煌びやかな意匠が施されている。どうやら仮面には声の質を変える魔法がかかっているらしく、話し声は機械音声のような無機質なものだった。

 その声のみから性別を読み取るのは難しいが、体格から判断するに、どうやら一人は男、一人は女のようだ。

 

「状況は進んでいるのかね」

「はい。もちろんです。マスター」

「よろしい。この調子で頼むよ」

 

 マスターと呼ばれた男は、満足気な声でそう言った。

 

「はっ」

 

 女の方はずっと畏まった調子である。彼女はどうやら彼の部下に当たる人物のようだ。

 マスターは「ふむ」と一つ頷いてから、話を続ける。

 

「さて。あの場所に、我々の計画を一歩進めるものが眠っているらしいことがわかった。なんとしても押さえねばならない」

「しかしあそこは……」

「そうだな。あの場所はエデルの遺産。少々警備が厳重だ。応援を呼ばれては厄介なことになる。強引にやってしまってもどうにかなるだろうが、派手に動けば首都に目を付けられる危険性がある。今はまだ目立つときではないのだ」

「それならば、一つ良い手がございます」

「ほう。言ってみたまえ」

 

 女は、仮面の奥で静かに嗤った。

 

「星屑祭。そのときは、魔法隊および剣士隊に属する人員の大半が町の警備に回されます」

「ほう。して」

「そこで、ヴェスターらをけしかけ騒ぎを起こし、奴らが戦力をそちらに回している隙にこっそりやってしまうというのは」

「ふむ。それは良い案だね」

 

 マスターは感心を示していた。

 それに幾分気を良くした仮面の女は、早速提案の詳細を詰めていく。

 

「騒ぎを起こす場所、そして規模は、どのようにいたしましょうか」

「ほどほどで良いだろう。あまり規模を大きくして、やはり首都から戦力を呼ばれてはまずい」

「おっしゃる通りです」

「場所は……そうだな。コロシアムはどうかね」

 

 場所を聞いた段階で、仮面の下にある彼女の顔が曇った。

 

「コロシアムですか?」

「ああ。最終日、三日目というのはどうだ。魔闘技の決勝トーナメントが行われる日だ。人も多く集まることだろう。そこでテロ紛いのことをすれば良い」

 

 彼女は少々思い悩み、結局は具申することにした。

 

「あそこは町の中心地ですよ。警備も厳しい。さしものヴェスターでも、逃げ切れないのでは」

 

 あの粗暴なだけの男はいけ好かないのだが、さすがに危険な任務になり過ぎることに対しては気が咎めたのだ。

 だがマスターは一向に構わないという調子だった。

 

「考えたのだがな。あれは少々尖りすぎだ。思慮も足りん」

「確かにそうですが……いえ」

 

 彼女にはもう、次の言葉が予想できてしまった。

 マスターは冷酷にして残忍だからだ。

 

「正直、今回のことが上手くいけばもう要らん駒だよ。あれが上手くやって引き揚げられればそれでよし。さもなくば――ここで始末しようと思う」

「なるほど……。そういうお考えでしたか。彼に頼むのですね」

「そのつもりだよ」

 

 すべてを言わずとも察した聡明な彼女に、男は機嫌が良さそうに頷く。

 彼は仮面をわずかに外し、コーヒーのような黒い飲み物を飲んだ。

 そして、世間話でもするかのような体で言った。

 

「ところで、今期の魔法学校には、まさに黄金世代と言っても良いほど、素質を持った学生が集まっているな」

「そのようです」

「彼らの素質は、実に素晴らしいものだ。特にアーガス・オズバインは別格だよ。それから、今年入学したユウ・ホシミという子も、まだまだ途上ではあるが素晴らしい素質の持ち主だね」

「確かに。これほどの逸材が一度に会するというのは、今までありませんでしたね」

 

 そこは彼女も同意するところだった。

 既に目を付けている新入生の有望株は、いつもは片手で足りるところだが、今年は両手の指をすべて折ってもまだ少し足りないほどだ。

 

「どうだね。こちらに引き込めそうな者はいるかね」

「何人かはいけると思います。ただ、マスターが今おっしゃったあの二人については……正直、あまり期待はできないでしょうね」

「そうか。残念な話だよ」

「彼らをこちらへ引き込めれば、素晴らしい駒となります。ですが、無理ならば……」

「いずれは厄介な存在となるかもしれない、か」

「はい。わたしはそう思います」

 

 彼女はきっぱりと断言した。

 アーガスのような正義感に溢れる有能な魔法使いが、もしいつの日かこの遠大で邪悪な計画を知ったならば。

 大きな敵となり、我々に立ち塞がるだろう。彼女にはそんな予感があった。

 彼本人こそはもはや簡単に手出しのできない強さであるが、ただそれ以外の子ならば話は別。

 味方に引き込めそうにないのであれば、まだ芽の出ていない今のうちに始末するに越したことはないのではないか。

 そう考えての発言だったのだが、マスターにとってはそこまでの認識ではないようだった。

 

「ふむ……だが、所詮はまだ学生に過ぎない。放っておけば良いさ。いつ我々の手足となってくれないとも限らないだろう?」

 

 仮面の奥で、女は再びわずかに表情を曇らせた。

 男はしかし、そんな彼女の様子には気付いていないようだった。

 マスターがそのようにおっしゃるならばと、彼女はそれ以上は言わず、彼の意志に従うことに決めた。

 

「さて、話はこれくらいでいいだろう。我々の目的のため、お互い励もうではないか」

「はっ。必ずや、マスターの御意志のままに」

「うむ。これからもよろしく頼むよ」

「それでは、やり残した人体実験がありますので。失礼します」

 

 女は一礼し、退出していった。硬い石の床にカツカツと響く足音が、遠ざかっていく。

 それから男はしばらく、古代語で書かれた文章に目を通していた。

 そこに、ドアが軽くノックされた。

 

「入りたまえ」

 

 ドアが開く。

 

「壮健だな。マスター・メギル」

「やあ。君か。先ほど、君の話を少しだけしていたよ」



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11「ユウ、魔闘技に向けて準備する」

 入学してから、半年の月日が流れた。星屑祭まであと一か月。

 私はこの日、例の秘密の場所で、祭の前最後となる共同訓練をアーガスと行っていた。

 

「ま、このくらいにするか」

「うん」

 

 そして今、ちょうど訓練が終わったところだ。

 私とアーガスは、ほぼ同時に構えを解いた。

 

「はぁ~」

 

 私は勢い良く地面に倒れ込んだ。

 仰向けになって鼻から大きく息を吸い込むと、湿った土と木々の匂いが、疲れ切った身体にすうっと沁み込んでくる。最後までやり切ったのだという心地良い達成感を与えてくれる。

 そんな私を見下ろしながら、アーガスはなぜか微妙に顔をしかめていた。彼は頭の後ろをぽりぽりと掻きながら、呆れたように言ってくる。

 

「お前さあ……。ちょっと警戒心なさ過ぎるんじゃねえの?」

「そうかな?」

「そうだろ。なんだよ、その誘ってるような体勢は」

 

 誘ってる? 別にそんなつもりはないんだけど。

 下着が見えてしまいそうなミニスカート。全身はじっとりと汗ばみ、顔は紅潮して、服もはだけ気味で色気を漂わせている。

 それが目の前で無防備に仰向けになって、上目遣いで男を見上げている。

 おそらく私は、そんな感じだったのだろう。

 相当に目の毒なことをしていたということを、夜に男になって振り返ったときに気付いたのだが、このときの私はまったく考えが及ばなかった。

 

「別に誘ってないよ」

「いやなあ……。それに、少し目動かしたら絶対パンツ見えるぞ」

「見るなよ。見たら殺すから」

 

 私にだって多少の乙女心はある。ほいほいと男に下着を見せてやる気はないね。

 と、素直に思ってしまったことが、ちょっと不思議だった。

 男のときなら、別に女の下着くらい見せてやっても平気だと思うはずだ。なのにただ変身しただけで、こうも心変わりしてしまうのはどうしてだろう。

 わからないけど。とにかく見せないったら見せない。

 両手でしっかりとスカートの端を抑え、じっと睨んでやると、彼は苦笑いして肩を竦めた。

 

「こえーな、おい。ったく。気をつけろよ。いつか襲われても知らねえからな」

 

 襲われる。

 アーガスの何気ない言葉が脳内に響いたとき、突然ずきりと頭が痛んだ。

 瞬間、ウィルに激しく乱暴されたときのことが、フラッシュバックしてきたのだった。

 

『どうだ。身体に力が入らないだろう?』

『僕がお前の変身能力に干渉している間、お前の身体は自由が利かない』

『お前は、泣こうが喚こうが、決してこの僕に逆らうことはできない』

『ユウ。僕はお前が壊れていく様が見たい。擦り切れていく様が見たい。さあ、お前は何を見せてくれるんだ?』

 

 彼の言葉が。彼のおぞましい手の感触が。

 私を捕えて離さない、あの何よりも冷たい眼が。

 

 全身に凍えるような寒気が走る。身体がぶるぶると震えて、止まらない。

 思わず、左腕で視界を覆った。

 

 ――あいつは、またいつかきっと現れる。

 

 私は、あいつに抵抗すらできなかった。

 この変身能力が、あいつの【干渉】に対しては致命的な弱点になってしまう。

 あのとき私は恐怖のあまり、あいつにすべてを差し出そうとすら思ってしまった。

 今にして思えば、絶対にしたくない選択を取るしかなかった。

 でも、このままなら。何の力もなく、あいつに抵抗できないままなら。

 きっとまたそうするしか……。

 嫌だ。怖い。

 私はあいつのおもちゃなんかじゃない。あんな恐ろしい奴のいいようにされるなんて――。

 いったいどうすれば。どんな力を手に入れれば、あいつから

 

 逃 れ ら れ る ?

 

 ……いやいや。何考えてるんだよ。

 私が強くなりたいのは、異世界でちゃんと生きていくためじゃないか。

 そんな消極的な、情けなくて悲しい理由じゃない……。

 でも……。

 遭難して死にかけた、そう――そんな都合の良い言い訳を見つけて、ただ目を背けているだけじゃないのか?

 アリスだって、ミリアだって、イネア先生だって、アーガスだって。

 星を渡る能力のない者は。フェバルでない者は、誰もあいつから私を助けてなんかくれない。

 どこまでもずっと、一人だけであいつの恐怖と戦わなくてはいけないって、心のどこかでそう思ってるから。だから、私はずっと必死になって、一人だけで何でもできるようにって――。

 そこまで考えてしまって、ひどく自己嫌悪に陥った。

 ダメだ。ダメだ! なんてことを考えてるんだ!

 みんな、みんななりに私のことを想ってくれてるし、心の支えにだってなってくれてるじゃないか。

 みんなこの世界で初めてできた、大切な人たちであることには変わりないじゃないか!

 たとえ直接はあいつと関わりがないからって、いずれは別れてしまうからって、そうやって心のどこかで切り捨ててしまっていいはずがないだろう!? いてもいなくても変わらないなんて、そんなひどいこと、片隅でも思っていいわけがないだろう!?

 なのに、どうして……。

 私は誰にも何も言えずにいるのだろう。どうして心から、誰も頼りにできていないのだろう。

 ああ。そうか。

 怖いんだ。何もかも話して、正体をさらけ出して、みんなから嫌われてしまうかもしれないのが。本当に一人ぼっちになってしまうのが。

 そして、自分の心にまで嘘を吐けなくなってしまうのが。

 怖いんだ。

 心の奥底に押し込んでいた感情をはっきりと自覚してしまったとき、私はもうこれ以上考えるのが苦痛で仕方なかった。

 逃げるように思考を反らしてしまう。

 

 ああ! もう。考えるな。あんな奴のことなんて考えるからいけないんだ。

 もう半年も経ったっていうのに。情けないな。

 

「どうした?」

 

 声に反応して腕をどけると、心配そうにこちらを覗き込むアーガスの顔が映った。

 

「なんでもない……。アーガスは、そんなことしないよな」

「しねえよ。ただ言っとくが、オレも男だからな。あんまり調子に乗って誘ってるとわからないぞ」

 

 茶化すようなその言葉には、私を安心させようという含みが込められているように思えた。

 それを受けて、私もいくらか落ち着きを取り戻す。

 

「そういうこと言ってるうちは問題ないね」

「やれやれ。ま、大丈夫だ。お前、タイプじゃないしな」

 

 む。正直、好みだとか好きだとか言われてもどうしたらいいか困るけど。こんな中途半端な身体だし。 

 でも、タイプじゃないと言われるのもちょっと悲しいかな。

 

「あっそう」

「オレはもうちょっと女らしい子の方が好きだぜ」

「これが自然体なんだからしょうがないよ」

「まあ、猫被ってるよりはいいけどな」

 

 ぼちぼち汗も落ち着いたので立ち上がり、服についた土埃を叩いた。

 放っておいても魔法で自動洗浄されるイネア先生お手製の服ではあるが、しばらく土がついたままというのは嫌なので。

 

「そう言えば、結局一度もまともな重力魔法使ってくれなかったね」

 

 結局アーガスは訓練の間、一度も本気で相手をしてくれなかった。私に教えてくれたたった一つを除いて、重力魔法も一切使ってはくれなかった。

 

「当たり前だろ。あれは軽々しく使うような代物じゃねえよ。このオレに使わせたかったら、もう少しマシになるこった」

「わかった。頑張るよ」

 

 魔闘技のときには使わせてやりたいなーなんて思った。

 

「おう。ただまあ、最低限の基本はすべて見せたつもりだ。あとは手前で準備して本番に臨め」

「うん。実力じゃまだ敵わないけど、アーガスに負けるつもりはないよ」

「その意気だ。っても、まずはオレと当たるまで勝てないといけないんだけどな」

 

 それに関しては、まったく自信がないわけでもない。この半年の訓練の甲斐あって、それなりに魔法ができるようになった自負がある。

 良い線はいけるんじゃないだろうか。ここは強気でいこう。

 

「きっと大丈夫さ。アーガスこそ、うっかり負けるなよ」

「へっ。このオレがそんなヘマするわけないだろが」

 

 爽やかに笑った彼に、肩をバンバンと叩かれた。

 

 いよいよ別れ際になって、私は彼に今までお世話になった感謝を述べることにした。

 

「訓練、色々とありがとう。アーガス」

「おう」

 

 彼は少し照れたように頭を掻いた。まんざらでもなさそうな様子だ。

 ちょっと言葉に迷うような仕草を見せた後、彼は言った。

 

「こんなこと言うのは柄じゃないけどよ。まあ楽しかったぜ。魔闘技が終わったら、また付き合ってやっても良いぞ」

 

 暇だから付き合えって最初に言ったのはそっちのような気がするけど。まあこれも彼なりの照れ隠しなんだろうな。

 

「うん。楽しみにしてる」

 

 

 ***

 

 

 それから一か月間、私たちはお互い会うこともなく、魔闘技に向けた準備を進めていった。

 星屑祭は、毎年三日間に渡って催されるサークリスの一大イベントだ。

 魔闘技は町の中心に位置するコロシアムで開かれ、タッグ戦が一日目、個人戦が二日目と三日目にある。

 タッグ戦は個人戦に比べると規模が小さく、個人戦の前菜的な意味合いが強い。

 個人戦は予選が二日目、決勝トーナメントが三日目に行われる。

 予選はサバイバル方式であり、八つのブロックからそれぞれ一人ずつ勝者が出る。その八人で決勝を争うというわけだ。

 で、なんでタッグ戦の話までしたのかというと。

 どうも私が個人戦に出るって言ったら、アリスが妙にやる気出しちゃったみたいで。ミリアと一緒にタッグ戦に出るらしいんだ。

 さらに聞くところによると、カルラ先輩とケティ先輩も、タッグを組んで出場するとのことだ。

 四人とも相当な実力者であることは、私がよく知っている。これは前菜どころか、下手するとメインディッシュを食ってしまうくらいの盛り上がりになるかもしれないなと思った。

 ちなみに魔闘技が行われるのは昼だけなので、夜は時間が空く。その時間にアリスやミリアと一緒に祭りを楽しむ予定を立てた。

 それで、アーガスもいないし、アリスとミリアとは三人で一か月間毎日魔法の猛特訓をすることになった。

 その特訓の場所なんだけど……。

 

「たーのもー! こんにちはー! イネアさん」

 

 アリスが、いつものように元気はつらつと中へ入っていく。

 道場なんだよね……これが。

 あの日、この場所がバレてしまってから、二人とも頻繁に来るようになってしまったのだ。

 イネア先生ともいつの間にかすっかり仲良くなってさ。

 

(ほう。特訓にウチを使うとはな)

(断り切れなくて)

(場所も余ってるし別に良いが、二人とここで一緒に居る時間が増えることで困るのはお前だぞ)

(そうですよね……)

 

 あれからも、俺と女の「私」は別人ということにしてもらっていた。

 イネア先生の転移魔法の力を借りつつ、時々変身しては誤魔化し誤魔化しやってきたのだ。

 

「あれ、ユウは?」

「いつも、どちらかいない、ですよね」

 

 段々その誤魔化しも怪しくなってきてはいたけど。

 ただまあ、まさか男と女が同一人物だとは思わないだろうから、致命的にはなっていないかなというところで。

 苦笑いしていると、イネア先生が耳打ちしてきた。

 

(いっそのこと、この二人にくらいバラしてしまったらどうだ)

(それはちょっと。だって二人とも俺のことは純粋な女だって思ってるから。一緒にお風呂入ったりとか、色々してるし)

(そんなもの、一発殴られればそれで済む話じゃないか)

(それで済むならいいんですけどね……)

(やはり不安か)

(はい)

(あまり心配ないと思うがな)

 

 一か月毎日となると、さすがにずっと黙ったままというわけにもいかない。

 俺は男の状態でも、アリスやミリアと話をせざるを得なかった。

 よく知っているのに知らない相手と話しているようにしないといけなくて、妙な気分だった。

 アリスには散々名前を尋ねられた。最初は頑なに答えなかったけど、いつまでもそうしていると、俺のことを追及する目が厳しくなってきた。

 あまりにしつこいので、堪え切れずにとうとう言ってしまった。

 

「あなた、そろそろ名前教えてくれてもいいんじゃないの?」

「ユウだ。ユウ・ホシミ。偶然だけど、あの子とまったく同じ名前だよ」

 

 色々悩んだが、俺は結局自分の名前に嘘を吐くことができなかった。

 我ながら不器用だと思う。怪しさは増すばかりなのに、嘘の名前が言えなかった。

 嫌だったんだ。

 この名前は俺が両親からもらった大切なもので、地球との数少ない繋がりだから。それを曲げてしまうのは、自分を蔑ろにしているような気がして。

 俺は地球にはもう帰れない。だからこそ、あの故郷での色んなことを忘れたくないし、繋がりを大切にしたいと思う。

 まだジーンズとかは残っているけど、いずれはそれもなくなって、最後に残るものはきっと名前だけだ。

 それでもこうして名乗っているうちは、まだ繋がりを感じられる。そんな気がするから。

 

「ユウ・ホシミ……」

 

 アリスが、俺の名前を唖然とした顔で呟く。

 終わったか。

 覚悟を決めたそのとき、彼女はポンと手を打つと、嬉しそうに大声を上げた。

 

「ああー、そっか! 同じ名前だから恥ずかしくて言わなかったのね、あいつ!」

「へ?」

「そうよ。あの子、変なところで恥ずかしがるものねー。やっとわかったわ! 言わないでって頼まれてたんでしょ? 女の子の方のユウに」

 

 どうやら、女の「私」が散々恥ずかしがっていたように見えたのが功を奏したらしい。

 咄嗟に話を合わせる。

 

「あ、うん。そうなんだ。アリスにからかわれるから言わないでくれーって」

「そっかそっか」

 

 納得したように頷いたアリスは、私のときにしてくれたのと同じように、俺に対しても右手の指を二本差し出した。

 

「やっと名前を言ってくれたね。改めまして。あたしはアリス・ラックインよ。よろしく」

「よろしく」

 

 アリスと握指をした。心なしか、女のときよりも彼女の指が小さく感じた。

 ふと横にいたミリアの方を見やると、彼女は何やら考え込んでいる様子だった。

 やがて、彼女はこちらを見ながら呟いた。

 

「かなり、引っかかりますね」

「な、何が?」

 

 内心の動揺を殺し切れないまま、恐る恐る尋ねる。

 彼女はそんな俺の動揺を見透かしているかのように、小悪魔な微笑みを浮かべて、さらりと追及をかわした。

 

「いえ。まだ確証が、持てませんので。ですが……」

 

 ミリアの眉間に皺が寄る。何か心当たりがあるようだ。

 ああ。怖い。

 この様子だと、彼女は既に正解に近いところにいるのかもしれない。彼女の人物観察眼は、相当なものがあるから。

 

 そんなこんなで、かなりひやひやしながらも、なんとか正体はばれずに(と思いたい)、三人で魔法の特訓をする日々が続いた。瞬く間に一月は過ぎ去っていき――。

 ついに、星屑祭が始まった。



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12「ユウ、ミリアに問い詰められる」

 星屑祭が始まった。

 この日から三日間は、この町だけ祝日扱いとなる。もちろん学校もお休みだ。

 夜にやっている気剣術修行の方だけど、イネア先生に頼んで祭の間だけはなしにしてもらった。その代わりどこかで埋め合わせをすると、怖い笑顔で言われたが。

 一応先生にも祭に来ませんかって声をかけておいたけど、あの人こういう騒がしいのあまり好きじゃなさそうだし、果たして来るかどうか。

 とにかく私はこの日を楽しみにしていた。ここのところずっと魔法に気剣術の訓練ばっかりだったから、お祭りのときくらいはちゃんと楽しもうと思っている。

 昨晩は楽しみ過ぎて中々寝付けず、今日はいつもより早く起きてしまった。

 アリスを起こさないように気を付けながら、静かに身支度をして朝のお風呂に向かうことにした。

 

 更衣室で服を脱ぎ、まとめて籠に入れる。そして堂々と浴場へのドアを開けた。

 あの集団入浴の一件以来、完全に吹っ切れたというか。私はもうこそこそしなくなっていた。

 まだ朝の大浴場は開いたばかりで、私の他には誰もいなかった。

 湯船に浸かる前に、身体をさっと洗い流す。

 洗うときの柔らかな胸の感触も、秘部にモノがない感覚も、最初は戸惑ったけど今となっては当たり前のものだ。

 この身体との付き合いも結構な時間になるな、とふと思った。

 夜に毎日男になっているとは言え、学校が生活の軸である以上、こっちに来てからは女でいる時間の方がかなり長かった。

 女であることが普通の生活。

 それをずっと続けていたら、この身体の私が基本なんじゃないかって、そんな風にすら思えてくるときがある。

 まあ実際はもう、どちらが基本って話でもないんだろう。

 二つの身体は分かち難い同等なものとして、私の中に宿っている。

 まるで始めからそうであったかのように。

 

 身体を洗い終わって、湯船にぼーっと浸かっていると、浴場の扉が開く音がした。

 入ってきたのは、見慣れた銀髪の少女だった。

 ミリアか。ミリアも早く起きちゃったのかな。

 彼女のことは最近ちょっと苦手だった。

 なにせ男のときに名前を言ってしまってから、私と男の私を見るとき、じろじろと探るように見てくるんだよね。

 やっぱり相当引っかかってるんだろうな。

 

「おはよう」

「おはよう、ございます」

 

 挨拶を交わすとそれっきり、彼女は固く表情を引き締めたまま、一言も口を利かずに身体を洗い始めた。

 変だな。いつもなら楽しくお喋りでもしながらするところなんだけど。

 なんだろう。この気まずい空気は。

 アリスがいればと思った。彼女なら私とミリアの間を取り持って、こんな空気は簡単に和らげてくれるに違いない。

 そんなスキルなど持ち合わせていない私は、息を呑んで彼女の様子を見守るしかなかった。

 やがて洗い終わった彼女は、しばしその場で俯いていた。

 やや下の方、何もないタイルのところとにらめっこしたまま、何やら思案顔である。

 それから意を決したような顔でこちらを向き、ずんずんと近づいてくる。

 すぐ横に浸かって、絶対に私を逃がさないように腕までがっちりと組んできた。

 透き通るような青色の瞳が、じっと私の顔を覗き込んでくる。

 

「人もいないし。アリスも、いないことですし。少し、話したいことが、あります」

 

 どくん、と胸が高鳴る。

 何を言うつもりだ。

 

「なに?」

「確信が、あります。ユウはあの男と、何らかの、切っても切れない関係が、ありますよね?」

 

 ついにきたか。

 

「ないって言っても、信じてくれないよね」

「はい。明らかに、おかしいですから」

 

 見事なまでの即答だった。

 

「名前が同じことも。雰囲気がそっくりなことも。話し方が一緒なことも。いつもあなたかあの男の、どちらかしか、いないことも」

 

 ペラペラと、こちらの怪しい点をまくし立てるミリア。

 間抜けな私は、誤魔化し作戦が想像以上に機能していないことに、そこでようやく気付いたのだった。

 

「アリスだって、口ではあんなですけど。本当は、引っかかってるんですよ。聞きましたよ。あなたには、謎が多いって。死の平原で倒れてたとか、色々と」

 

 アリスもか。そうか……。

 言われてみたら、男として名前を名乗ったときのアリスは、何だか納得したにしては大袈裟な反応だった。

 確かに彼女だって鋭い方だ。本当は色々と思うところがあるのに、それでもずっと知らないふりをして付き合ってくれてたのか……。

 

「そういうのとか、ひっくるめて。私も気になってるんです。隠し事は、良くないですよ。どうなんですか?」

 

 静かな、しかし強い口調で迫るミリア。

 ここまで真に迫られた状況で、下手な言い逃れをするのは無理だろう。きっと見破られてしまう。

 目の前が真っ暗になったような気分だった。

 

「確かに、隠していることは……あるよ……」

「やっぱり、ですか」

 

 私が抱えている秘密。

 異世界人であること。この星には流れ着いて来たこと。いつこの星にいられなくなるかもわからないこと。

 変身能力があること。元々は男であること。

 男では魔法が使えないし、他に生活の手段も浮かばなかったから仕方なく女子寮で暮らしてしまっていること。

 その流れで、君やアリスや色んな人と、男なら許されないくらい深く関わってしまったこと。

 これらは言えば簡単に信じてもらえるようなことでも、軽々しく言うべきことでもないと思う。

 変身能力だけなら、この場で見せることはできる。

 けどそれを見せることで、そしてすべてを話すことで、今までの関係が壊れてしまわないだろうか。 

 怒られるだけならまだいい。

 引かれるかもしれない。距離を置かれてしまうかもしれない。

 もしそうなるとしたら。今までのような付き合いができるなくなるとしたら。

 わかってる。悪いのは私だ。ずっと黙ってきた私だ。

 だけど、それでも二人には離れてほしくない。

 異世界で心細かった私に初めてできた、かけがえのない友達だから。

 失いたくない。一人ぼっちは嫌だ。怖い。

 そう思っているからこそ、関係を壊すかもしれないことは余計に言えなかったし、今だって何も言えないでいる。

 不安と恐れから、私が真実を話すのを待っていたミリアに対しても、白状してしまうことはできなかった。

 代わりに出てしまったのは、予防線であり、言い訳がましい言葉だった。

 

「もし、もしだよ。それが想像を超えるような、とんでもないことだったらどうする? それに、君やアリスにとって、許せないことだとしたら……」

 

 声が震えているのが、自分でもわかった。

 ミリアは、そんな情けない私の目を、真っ直ぐ見据えて――。

 

「どんなことだって、許すに決まってます」

「あ……」

 

 それは、思ってもいなかった一言だった。

 

「だって。どんな事情があったって、ユウは、ユウじゃないですか」

 

 私は、私。

 彼女の言葉が、不安で押し潰されそうだった胸に、すっと温かく沁み込んでいく。

 

「あのとき、一人で困ってた私に、声をかけてくれて。それからもずっと仲良くしてくれた、私の大好きなユウじゃないですか。違いますか? その心にまで、偽りがあるのですか?」

 

 ああ――そっか。そうだったのか。

 ミリアは、そこまで私のことを想ってくれてたんだ。

 嬉しかった。

 感極まって、泣きそうになる。

 

「いいや、違わない……私は、私だよ」

 

 ミリアは、必死で涙を堪えている私を見て、優しく微笑んでくれた。

 

「ふふ。なら、何も問題ありません。安心して、全部話して下さいよ。あなたの正体が何だって、気にしませんから」

「うん」

「アリスも私も、あなたが何も話さないから。心配、してるんですよ。力になってあげたいって、そう思っているんですよ」

「うん……」

 

 私は、馬鹿だった。

 話すことを恐れるあまり、なぜこんな簡単なことに気付けなかったんだろう。

 なぜ、二人のことをもっと信じられなかったんだろう。

 二人はずっと、私が何者かということよりも、私という人間そのものを見てくれていたというのに。

 勝手に恐れて、心を閉ざして。昔からそうだ。ちっとも成長していない。

 ほんとに馬鹿だよ。友達失格だ。

 私は目に溜まった涙を腕で拭った。

 すごく驚かせるかもしれない。けど、ちゃんと話そう。

 その上で改めて、今度こそ嘘偽りなく、本当の意味での友達になりたい。そう思った。

 

「いつか、近いうちに二人にはちゃんと話すよ。気持ちの整理ができたら、絶対に話すから」

「よかったです。アリスにこのこと、話しておきますね。絶対、喜びますよ」

「先に言っておくけど、ごめん」

「まあその辺の判断は、話した後、ですね。鉄拳制裁かも、しれません」

 

 鉄拳制裁のところで、ミリアが得意の黒い笑顔を浮かべた。

 そのとき、『一発殴られればそれで済むじゃないか』というイネア先生の言葉を思い出した。

 お湯の温かさも忘れて、背筋がぞっと凍った私であった。



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13「星屑祭一日目 ユウ、ぶらぶらする」

 初日の朝から、町は冬の冷たい空気を忘れさせてしまいそうなほどの熱気と活気に包まれていた。

 祭に参加するのは、この町の住民だけではない。首都ダンダーマなどから観光目的でやって来る人たちも多い。

 大通りには所狭しと屋台が立ち並んで、あちこちで客を寄せては取り合っている。大小、色共に様々な星飾りが至るところに散りばめられており、見る者を楽しませてくれる。

 特に町の名物、時計塔には豪華な装飾が施されていた。定時には鐘の音とともに、祭りの日だけの特別なメロディーが流されるらしい。

 ところで、魔闘技のタッグ戦は午後からだ。アリスとミリアは説明を受けるため、朝から既にコロシアムに向かっていた。

 私はというと、魔闘技が始まるまでは暇なので、ぶらぶらと歩きながら祭の雰囲気を楽しむことにしていた。

 面白いものはないかと辺りを見回しながら、ぶらぶらとあてもなく歩く。

 ただ見ているだけでも楽しいけど、いるだけで賑やかなアリスと、絶妙なタイミングで突っ込みやらを入れてくれる可愛い毒舌家のミリアがいないと、やっぱり少し寂しかった。

 見所を探しておいて、後で三人で回って楽しむことにしようと、そう思う。

 すれ違う人々を何となく観察していたが、観光客と思われる人を含めて、茶髪や赤髪の人がほとんどだった。時折金髪や銀髪、青髪の者も見かけることがあるが、数はさほど多くない。

 そう言えば、アリスもアーガスもカルラ先輩も、みんな赤髪か茶髪だ。どうやらこの国には、そういう髪色の人が多いらしい。

 私を除けば、黒髪の人間は誰一人としていなかった。それは珍しがられるわけだなと思った。

 

 

 ***

 

 

 人混みに揉まれながら歩くのがちょっと疲れてきたので、小さな通りの方へと入っていったときのことだった。

 あれ。子供が泣いてる。

 目の前で、幼い男の子が大声で泣いていた。

 母親や父親の姿はなく、周りの人も見て見ぬふりという感じだった。

 その子の泣き声を聞いていると、胸中がざわめいた。

 どうしてだろう。子供が泣いているところなんて何度も見たことがあるはずなのに。私は不思議といつもよりも気になってしまった。

 なんというか、世話を焼いてあげたくなるような、放っておけない気分になってきたのだ。

 私は男の子に近付くと、怖がらせないようにしゃがんで目線を合わせ、なるべく優しく声をかけた。

 

「どうしたの? ぼく」

「うえーん! ぼくの、ファルモがーー!」

 

 見上げると、ファルモ――まあ風船のようなものであるが――それが木の枝に軽く引っかかっていた。

 手を放しちゃったんだろう。それで泣いていたと。祭ではよくあることだけど、かわいそうだな。

 男の子の頭に手を乗せ、よしよしと撫でてやる。

 泣き声が少し落ち着いてきたところで、言った。

 

「お姉ちゃんが、取ってあげよっか」

「ぐす……ほんと……?」

「うん。ちょっと待っててね」

 

 立ち上がって、ファルモの方を見やる。

 下に付いた紐が風に吹かれて、ひらひらとなびいている。

 さて引き受けたはいいけど、どうしようか。

 木はそこそこ高いし、よじ登っていくのもだるいなあ。空を飛ぶのも、目立ってしまうからダメかな。

 だったら――そうだな。

 ファルモを魔法で降ろしてやれば良いか。強い魔法じゃ割れてしまうから。

 

 包め。そよ風。

 

《ファルリーフ》

 

 ささやかな風がファルモを傷付けないようにそっと包み、木の枝から外してゆっくりと降ろしていった。

《ファルリーフ》は、魔力のコントロールが苦手だった私が、魔法の出力をギリギリまで弱くする訓練の過程で生まれた魔法だ。まあ生まれたとは言っても、発想はありふれたものなので、おそらくまずオリジナルではない。

 葉っぱしか巻き上げられないような風だからこの名前にしたわけだけど、案外こんな魔法でも役に立つことがあったみたいだ。

 

「はい」

 

 地面まで降りて来たファルモを手渡すと、男の子は目を輝かせて、すごく嬉しそうに感謝してくれた。

 

「わあ、すごい! 魔法使いのお姉ちゃん、ありがとう!」

「どういたしまして。次は手を離さないように気を付けるんだよー」

「うん! ばいばい!」

 

 男の子は大事そうにファルモをぎゅっと持つと、すぐに走っていった。でも、ちょっと走ってはこちらを振り返り、何度も繰り返し手を振ってくる。

 私は何だか微笑ましい気持ちになって、そのやり取りに付き合った。

 やがて、男の子は本当に行ってしまった。

 ああ。かわいかったなあ。いいなあ、子供って。

 

 ふと、幸せな家庭の情景が心の中に浮かんだ。

 子供がいて、夫がいて。二人が楽しそうに遊んでいる。

 子供は小さいときの「俺」にそっくりだ。夫の方は、亡くなった父さんに似ている。

 そして私は、そんな二人の様子を温かい目で見つめる奥さん、で?

 って、私は何を考えてるんだ!?

 慌てて脳内の妄想を掻き消した。

 はあ……はあ……。

 なんでこんなこと考えちゃったんだろう。まるで女の幸せを求めてるみたいじゃないか。母さんじゃないんだから。

 最近の私、なんかおかしいよ。

 気付かないうちに、少しずつ女に染められていってるような気がする。

 いや、そうじゃないのかな。むしろ普通になってる?

 この姿でいるときは、まるで最初から女の子だったみたいな気がしていて。

 染められているというよりも、女としての生活を通して、少しずつ「本来の女としての私」――仮に女として生を受け、そのまま自然に成長していったならばそうなるはずの姿――に近づいていっている。

 そんな気がするのだ。

 単に姿に合わせて性自認が変わっているだけだと思っていたけど、どうも違うみたいだ。

 まるで男としての自分の他に、もう一人の自分――女の自分――が本当にいて、この姿でいるときは身も心も彼女を演じている。彼女になり切ろうとしている。そんな風にさえ感じてしまうことがある。

 ふう、と溜め息を吐いた。

 もう行こうか。ずっとこんなところで考えていても仕方がないし。

 

 

 ***

 

 

 またしばらく歩いていると、魔法書のバザーをやっているのを見かけた。

 興味が湧いたので、覗いてみることにした。

 残念ながら、期待していたほどのものではなさそうだ。売っていた本の多くは、学校の魔法図書館に置いてあると記憶していた本が多かったのだ。

 あそこの蔵書量はすごいんだなと関心する一方で、目新しかったり興味が引かれるものは中々見つからない。

 それでも何か一つくらいはあるだろうとうろうろしていると、古書コーナーを見つけたのでそちらの方に向かった。

 やっと当たりを見つけた。知らない本がごろごろと出てきて、心が躍る。

 ん。『天体魔法の伝説』か。

 古くてぼろぼろになった、そんなタイトルの本を見つけた。

 何となく内容が気になったので、手にとってパラパラとめくってみた。

 途中、気になる一節があった。

 

【この世に、神の化身が現れた。かの者は、天より星を落とし、魔に栄えた王国をたちどころに無へと帰したのである。それは魔に頼り、傲慢に過ぎた人間たちへの、神からの罰であり、また救済であった。我らは、かの者の奇跡の御技をメギルと呼んだ】

 

 これってまさか……あいつのことじゃ……。

 思い出すと気分が悪くなったので、そっと本を元の場所へ戻した。

 気分を変えようと別の本を探そうとしたとき、奥の方に見慣れた人物がいることに気がついた。

 魔法史のトール・ギエフ先生だった。

 

「ギエフ先生。おはようございます」

「おお。ユウ君か。こんなところで会うとはね」

 

 妙齢のこの先生は、相変わらずの人当たりが良さそうな、穏やかな雰囲気を身に纏っている。

 

「体調が悪かったあのときは、ありがとうございました。助かりました」

 

 女の子の日で具合が悪くて途中退席した際、講義ノートをくれた件について、改めてお礼を述べた。

 

「礼はいいよ。講師として当然の務めだからね」

 

 彼はそんなことなど頗る当然であるといった調子で、嫌みもまったくなかった。

 こういうところが紳士だと言われ、人気講師としての人望を欲しいままにする由縁なのだろう。

 

「それより、君の学園に入ってからの成長は、目覚ましいものがあるね。私の魔法史でも、君のレポートは素晴らしいよ。最初の試験が白紙だった子とはとても思えないね」

 

 ふっと、からかうように笑うギエフ先生。

 あはは……。あれは、仕方がなかったからね。知るわけなかったし。

 あ、そうだ。魔闘技に出ることを話してなかったし、言っておこうかな。

 

「あの。私、魔闘技の個人戦に出ることにしたんですよ」

「ほう。それはそれは。一年生では珍しいね。感心なことだ」

「それで、先生は観戦されるご予定はあったりしますか?」

 

 ギエフ先生は、やや困ったような笑顔で首を横へ振った。

 

「魔闘技は私も好きなのだが……残念ながら、研究が忙しくてね。二日目からは、部屋に籠らないといけないのだよ。そういうわけで観には行けないけど、応援しているよ」

「そうですか。わかりました。精一杯頑張ります」

「うむ。期待しているよ」

 

 そこで彼は、私の全身を舐めるように見回してから、一つ深く頷いて言った。

 

「ふむ。ところでどうかね。カルラ君が既にしつこいようだけど、私からも誘おう。いずれ我が研究室に入ってみる気はないかね。君の才能が間違いなく生かせるはずだよ」

 

 まさか、ギエフ先生本人から誘われるとは思わなかった。それだけ私を高く買ってくれているということか。

 一流の研究者である彼から直々に誘いを受けたことは、確かに誉れだろう。

 でも、私の答えはもう決まっていた。カルラ先輩からも色々と話を聞いた上での結論だ。

 私はイネア先生のところで修行を続ける。イネア先生と一緒にやっていく。

 

「すみません。申し出はありがたいんですけど、私は十分に間に合ってますので」

「十分、とは」

 

 彼にしてみれば当然の疑問だった。私ははっきりと答える。

 

「既に教えを受けている先生がいるんです」

「それは、誰かね?」

「気剣術科のイネア先生という方です。専門は気剣術ですが、魔法の方も詳しくて、そこで学ばさせて頂いてます」

 

 これは半分嘘だ。本当は男の姿で気剣術を学んでいるんだけど、そんなことまでは言わなくてもいいだろう。

 それを聞いた彼は、どういうわけか、一瞬だけ表情を強張らせた。

 一体どうしたのだろう。不思議に思ったけれど、彼はすぐに元の穏やかな表情に戻った。

 

「そうか。そういうことなら、仕方がないね。私は待っているから、気が変わったらいつでも来なさい」

「はい。せっかく誘って下さったのに、すみません」

「いいさ。では、失礼するよ」 

 

 そう言うと、彼は立ち読みしていた本を棚に戻し、足早に去って行った。

 

 しばらくバザーで品物を見た後、近くにあった屋台で昼食を買って食べた。食べ終わる頃にはぼちぼち良い時間になっていたので、コロシアムへ向かうことにした。

 いよいよアリスとミリアの晴れ舞台が見られる。私は期待に胸を膨らませていた。



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14「星屑祭一日目 いきなりの対戦カード」

 あたしとミリアはルールの説明を受けるため、朝早くからコロシアムにやってきていた。

 コロシアムは町の中心部にある、歴史ある石造りの建物よ。その雄大さは、離れたところからでも一目瞭然だったわ。

 コロシアムの周りにはいくつかの椅子が設置された公共のスペースがあって、その辺りでいくつかの屋台が開店の準備をしているのが見えた。正面奥にはコロシアムの大きなアーチ状の入口が開けていて、その脇には受付の文字が見えた。

 ミリアと一緒に受付のところへ行って、参加者である旨を伝える。少しだけ待たされた後、係員さんに中へと案内された。

 

 円周状に続く通路を、係員さんに従って歩いていく。

 古びて黄色がかっている石が整然と敷き詰められて通路を為しているその場所を、一歩進むたび、コツコツと軽い足音が響く。そのうち、円形の闘技場に着いたわ。

 闘技場の地面は固めの砂地になっていて、かなりの広さだった。端には高い壁があって、その上には階段状にたくさんの観客席が設置されている。

 さらに上の方には、巨大な掲示板と丸時計があったわ。掲示板は、魔法で文字を表示する仕組みになっているみたい。壁のところには魔法障壁がかかっているみたいで、ちょっとやそっとじゃ危険はなさそうね。

 既に他の参加者が四組、そこにはいたわ。でも、カルラさんとケティさんはまだいないみたい。

 それからもう二組がぼちぼちやってきたけど、いつまで経っても二人は中々現れなかった。

 

「遅い、ですね」

 

 ミリアが、ちょっと心配そうに時計を見つめていた。

 

「そうよね。もうすぐ説明の始まる時間だけど、大丈夫かしら」

 

 すると、間もなく時刻ぎりぎりというところで、係員に連れられてカルラさんとケティさんがようやく姿を見せた。

 

「あー、間に合った間に合った」

「あっぶないわね。失格になったらどうするところだったのよ」

 

 カルラさんが大声で言ったのを、ケティさんが突っ込み返していた。

 彼女たちは肩で大きく息をしていた。ここまで走ってきたのかしら。

 

「いいじゃない。間に合ったんだし。終わり良ければなんとやらってやつよ」

「はあ……まったくもう」

 

 カルラさんはすぐにあたしたちに気が付いて、ノリノリで手を振ってきた。

 

「やっほー。アリスにミリアじゃない。あなたたちも出るって聞いたとき、ちょっと驚いたわよ」

「ユウが個人戦に出るって言ってたから、ならあたしたちもって。ね、ミリア」

「そういうこと、ですね」

 

 ミリアも同調する。あまり顔には出していないけど、何やら意気込んでいるみたい。

 カルラさんは、感心したように頷いた。

 

「ほうほう。一年生からこういう場に出てくるとは、素晴らしい心がけね。そんな素晴らしいあなたたちに、どうかしら。あなたたちもロスト・マジック研究に興味はない? 今なら、お姉ちゃんが特別に斡旋してあげてもいいわよ」

「遠慮します」

「結構です」

 

 カルラさんには悪いですけどね。彼女に萎れるまでこってり話しこまれたユウに聞いたら、ギエフ研はやたらハードワークらしいって言うし。それにあたし、研究者志望じゃなくて、将来は地元で魔法教室の先生やりたいんだもの。

 カルラさんは大袈裟なくらいのリアクションで狼狽えた。元が美人なので、何をやっても可愛く映ってしまう。

 

「即答ですと~~!? くっ。さては、ユウに何か吹きこまれたわね。あの子、どうしてやろうかしら」

「こら。物騒なこと言わないの」

 

 ケティさんが、カルラさんの頭をどつく。

 

「ケティ、強いわ」

 

 そう言って泣く振りをするカルラさんを無視して、ケティさんは続けた。

 

「ていうか、あなたねえ。元気になったのは良いけど、その研究バカどうにかならないの? ちょっと入れ込み過ぎよ」

 

 元気になった? この元気の塊みたいなカルラさんに、元気のなかった時期があったのかしら。

 

「ふっ。研究こそが今のわたしの生きがいなのよ。ほっといてよね」

 

 そう言ったカルラさんは、態度こそおちゃらけていたけど、あたしには彼女のその言葉が真剣なもののように思えたの。

 

「そう。あなたがそれでいいならいいんだけどね……。身体だけは壊さないでよ」

「わかってるわよ」

 

 ちょっとだけいらついたようにカルラさんは返した。

 

「ところで。どうしてこんなに、遅くなったんですか」

 

 ミリアの方を見ると、彼女は可愛らしいじと目をカルラさんに向けていた。

 

「それがね。カルラのやつ、すっごい楽しみだったのか知らないけど、前日夜遅くまで起きてたらしくて。うっかり寝坊しかけたのよ。バカでしょ? こいつ」

 

 そう言うケティさんは、いつものことだと言わんばかりのまんざらでもない呆れ顔だった。そのままの顔で、冷ややかな視線をカルラさんへ向ける。

 

「あははー。怖いよ、ケティ」

「バカに付き合わされるこっちの身にもなってよ」

 

 そのとき、係員の声が聞こえた。

 

「はい。それでは時間になりましたので、ルールの説明等を行いたいと思います」

 

 その言葉を合図に、ぴたりと話し声は止んだ。

 それからしばらく説明を受けて、対戦の抽選を行うことになったわ。

 その結果。

 なんと、一回戦でいきなりカルラさんとケティさんと当たることになってしまったの。

 

「いきなり、ですか……」

 

 ミリアは、少しショックを受けたような顔をしていた。

 あたしもショックかな。でも、一回戦ということは全力で戦えるわけだし、幸運かもしれないとも思う。

 

「あちゃー。ま、いきなりとは思わなかったけど、お互い悔いのないようにやりましょう」

「そうね。どうせいつかは当たるわけだからね」

 

 余裕を見せる二人に対して、あたしたちにそんなものはなかった。でも負けん気ならあるわ。

 

「あたし、負けませんからね!」

「私だって、負けませんよ」

 

 ミリアも、胸を張って精一杯強がっていた。

 カルラさんは、そんなあたしたちを見て満足そうに笑った。

 

「良い啖呵ね。期待してるわ」

 

 そうして。宣戦布告を済ませて。

 説明が終わった後は、ミリアと一緒に作戦を練ったり、ご飯を食べたりして過ごした。

 カルラさんとケティさんは強いわ。優勝候補筆頭とも言われるくらい。

 次の試合のことなんて考える余裕はなかった。ミリアと話し合って、最初の試合で全力を出し切るつもりでやることに決めたの。

 

 昼飯時も過ぎて、試合開始一時間前になった頃。

 作戦も立て終わって、コロシアム周辺の公共スペースでミリアと談笑していたところに、ユウがやって来た。

 

「調子はどう?」

 

 声がした方を振り返れば、彼女は可愛らしい笑顔を浮かべてあたしたちを見つめていた。肩にちょっとかかるくらいの、滑らかなストレートの黒髪が、風でさわさわと揺れている。

 

「まあまあってとこかしらね」

「悪くない、ですね」

「そっか」

 

 ユウはふふっと、小さく微笑んでみせた。

 最近のユウは、ちょっとした仕草が少しずつ女の子らしくなってきたような気がするわ。初めて会ったときは、男がそのまま女になったんじゃないのってくらい振る舞いを知らなかったのに。

 時間は人を変えるものねえ。

 

「ねえ。ミリアから聞いたわよ。あなたがついに色々と話してくれる気になったって」

 

 ミリアからそれを聞いたとき、嬉しかったのと同時に、心の重荷が一つ下りたような気分だった。

 正直、かなり引っかかっていたのよね。あの男もユウ・ホシミという名前なのは、偶然にしては出来過ぎてるわ。どっちも同じ黒髪だし、雰囲気もよく似てるし。

 もしかしたら、二人は同じ国の深い知り合いで、本当の名前は違うけどそれを名乗る必要があって。それで何かの目的のためにこの国に来たとか。で、目の前のユウの方だけトラブルに巻き込まれちゃったとか。

 って、穴だらけだし結局何も言えてない予想よね。やっぱりユウに話してもらわないと、本当のところはわからないわね。

 

「うん。もう少し気持ちとか、話すことの整理が付いたらだけどね」

「もちろん。ちょっとくらい全然待つわよ。せっかく話してくれる気になったんだもの」

「あらかじめ言っとくけど、きっとすごく驚くよ」

 

 ユウは、かなり不安そうな顔をしていた。

 あたしは彼女を少しでも安心させようと思って、笑顔を向ける。

 

「大丈夫よ。どんな事情があっても、あたしはユウの味方だから」

「朝も言いましたけど、最悪鉄拳制裁で済みますから」

「鉄拳!?」

 

 なんてまた物騒なことを言うのよ、ミリア。

 

「はは……そうだね」

 

 ほら、引きつった顔で笑っているじゃないの。

 だけど、ユウは思ったよりも動揺した様子はなかった。いつもならもっとあたふたするところなんだけど。何か覚悟を決めてるっていうか、そんな感じがしたわ。

 

「それより、対戦表見たよ。まさか一回戦の第一試合でいきなりカルラ先輩たちと当たるとはね」

「ほんとよね。でも、こればっかりは仕方ないわよ」

「ですね。やれることを、やるだけです」

「うん。その意気だよ」

 

 そんな感じでしばらく話していると、「選手の皆さんは控室に集まってください」というアナウンスが流れた。

 

「もう行かなくちゃいけないみたいね」

 

 じゃあねと言いかけたとき、

 

「待って。その前に」

 

 ユウが右手を開いて差し出した。

 その意味がわからなくて、戸惑う。

 ちらっとミリアに目を向けたけど、彼女もわかっていないようだった。

 

「これは?」

「ちょっとした気合いが入るおまじないさ。アリスもミリアも、掌を開いた状態で振って、私のとぶつけ合うんだ。言っとくけど、今回は右手でやるけど、これはどっちの手でもいいからね」

 

 最後に言わなくてもいいことを言う辺り、まだ歓迎会のときのことを根に持ってるらしいのが可愛いわね。

 よくわからないけど言われた通りにすると、パン、という小気味良い音が響いて、ユウの掌と叩き合った感触がじんわりと残った。

 それだけの、何でもないようなことだったけど、確かに力をもらったような気がしたわ。

 

「じゃあ私は、観客席の方で応援してるから。頑張って!」

「うん!」

「はい!」

 

 あたしとミリアは東口から闘技場に入場した。カルラさんとケティさんは西口から現れた。

 入場したとき、そこは既に朝とはまったく異質の熱気に包まれていたわ。

 見渡す限りの人の波と、轟く声。

 圧倒的な熱気に一瞬呑まれてしまいそうになるくらいだった。

 元々気合いが入っていたあたしは、余計に気分が高揚してきた。

 一方のミリアはというと、拳をぎゅっと握りしめてカチコチに緊張していたわ。

 そう言えば、極度の人見知りだったっけ。こういうところでは大変かもしれないわね。

 少しでも助けになればと、ぎゅっと手を握ってあげる。

 

「ほら。リラックスリラックス」

「は、はい」

 

 硬い声でこくりと頷いたミリアは、目を閉じて必死に深呼吸を始めた。

 握った手から、緊張が直に伝わってくるようだった。大丈夫かしら。

 

 相手チームとは距離もあるので、お互い言葉を交わすこともない。

 試合の開始地点、相手から十メートルほど離れたその場所で、間もなく訪れるそのときを待っていた。

 

「さあ、今年もやってまいりました! サークリス魔法学校生による、魔闘技だ! 司会はこの俺、さすらいのトーマスがお送りするぜ!」

 

 観客席の最前列、特別に拵えられた解説席で司会を取るのは、奇抜なスタイルの男だった。

 ほとんどパンツみたいなズボンに、上半身も裸一貫にスーツの上だけを着ただけ。全身モリモリマッチョなヒゲダンディよ。

 やたらテンション高いわね。あの変な司会の人。

 というか、本当に変だわ。

 そもそも司会って、学校の先生とか関係者がやるはずなんだけど。あんな人、学校の関係者にいたっけ? 絶対いないよね!?

 おかしいと思ったけど、周りを見回すと、誰もが怪しいとすら感じていない。ただこれから始まる試合に期待を寄せ、熱狂しているばかりだった。

 なんでよ。どうしてみんな違和感なくあの人を受け入れているのよ!?

 

「ねえ、ミリア。あの人知ってる?」

「知りません。ですが、前からずっと学校にいたような、気がします」

 

 あれ? いた? 

 ああ、そう言えばいたような。なんかいたような気がするわ。問題ない気がしてきた。

 トーマスさんっていう男の司会者は、凄まじいほどのハイテンションで司会を進めていく。

 

「早速、選手の紹介いってみよう! 東は期待の一年生コンビ、アリス・ラックイン&ミリア・レマクだ! 二人は仲良しで共に成績優秀! 魔闘技には初挑戦ゆえに、その可能性は未知数! 今大会のダークホースとなるか!?」

 

 期待されているような気がしたので、固まっているミリアの手も無理矢理取って、一緒に手を振って観客に応えた。割れんばかりの歓声が上がって、それはもう気分が良かったわ。

 

「対する西は、堂々の三年生コンビ! カルラ・リングラッド&ケティ・ハーネ! 言わずもがなの優勝候補筆頭だぜ! 新入生コンビにその圧倒的実力を見せつけるか!?」

 

 彼女たちも同様に手を振って声援に応えていた。さすが優勝候補だけあって、上がった声援も一段と大きい。

 紹介も済んだところで、いよいよね。

 トーマスさんは歓声を割るほど大きな声で、試合の開始を宣言した。

 

「では、行くぜ! 一回戦、第一試合! 開始ーーー!」

 

 始まったわね。

 

「行くわよ。ミリア」

「はい」



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15「星屑祭一日目 アリス & ミリア VS カルラ & ケティ」

 堂々たる様で構えるカルラさんとケティさんを、あたしは正面に見据えた。

 二人は実力者よ。全開の火魔法を放っても、大怪我してしまうようなことはないはず。

 なら、使うのは《ボルク》の上の《ボルクナ》のさらに上。上位の火魔法で勝負。

 あたしは両手を突き出して構えた。

 まずは挨拶代わりの一発よ!

 

 燃え盛る炎よ。

 

《ボルアーク》

 

 放たれた炎は壁をなすようにして、二人を包み込むように迫っていく。その高さは二人の身長を大きく上回っており、飛び上がって回避できそうなものではない。

 そのまま炎が二人を呑みこんでしまうかと思われた矢先、二人の周囲に巨大な砂の壁が盛り上がる。

 そいつに炎はぶつかった。そこで炎の勢いは止まり、消えてしまう。

 砂の壁が元に戻ると、何事もなかったかのように余裕な表情の二人が現れた。

 やっぱり防がれたわね。ま、これがすんなり通るとは思わなかったけど。

 

「おかえし!」

 

 カルラさんが叫ぶと、《ボルアーク》を打ち返してきた。質、威力ともにあたしのものと遜色ない。

 あたしには対する手段がなかった。火魔法は得意だけど、火を防ぐのは得意ではないから。

 けれどもこれはタッグ戦。あたしには頼れる味方がいるわ。

 

「私に任せて、下さい」

 

 そう言って進み出たミリアは、水魔法、おそらく上級の《ティルオーム》を炸裂させる。

 怒涛の水流が生まれ、炎の壁があたしたちを襲う前に立ち塞がって、一息に消火してしまった。

 火と水、二つの強力な魔法がぶつかることで莫大な蒸気が発生した。さらには闘技場の砂を巻き上げて、視界が一気に悪くなる。

 近くにいたミリアのことは見えてるけど、カルラさんとケティさんの姿は見失ってしまった。

 くっ。お互い様だけど、これじゃどこを攻撃したらいいのかわからないわ。

 動くに動けず困っていると、身体を包み込むようにふわりと光のベールがかかった。

 すると驚いたことに、途端に見通しが良くなったの。

 

「《アールカンバー》を、使いました。多少の視界の悪さなど、ものともしないはずです」

「ナイス。ミリア」

 

 今のあたしにははっきりと、慎重に周囲を警戒しながら動く二人の姿が映っていた。

 二人はまだこちらには気付いていない。

 チャンスね!

 

 轟け。雷鳴よ。

 

《デルシング》

 

 高速の雷撃を二本同時に放ち、それぞれ正確に二人の居場所を狙う。

 迸る雷光によって、二人は途中で攻撃に気付いたみたいだった。

 だけど、雷魔法は速さが取り柄。今から魔法を唱えたって間に合わない。

 これはかわせないでしょ!

 予想通り、雷撃は見事に直撃。

 痛みに苦しむ二人の叫び声が、闘技場に響き渡る。

 よーし! 先制攻撃が決まったわ!

 強いと知っていた先輩たちに先んじられたという事実に、嬉しさが込み上げてくる。

 ぐっと拳を握り締め、こちらを振り返ったミリアとアイコンタクトを交わして喜びを分かち合った。

 しかし。

 叫び声の大きさに反して、二人は少しよろめいた程度で倒れることはなかった。

 んー、ダメか。

 あたしが今放った魔法は、普通の人が相手ならば命すら奪いかねないほどの威力だった。だけど、魔力がある者には魔法に対する耐性がある。これくらいでは決着はつかないみたいね。

 

「中々やるようね!」

 

 カルラさんが楽しそうに声を張り上げる。

 

「正直、舐めてたわ」

 

 ケティさんがやれやれと言った調子で、カルラさんほどではないがこちらに聞こえるくらいの声で言った。

 それから二人は、二言三言ほど言葉を交わしているようだった。今度はこちらまで声が届かず、何を言っているのかまではわからない。

 

「何が、来るんでしょう」

 

 ミリアが心配そうに尋ねてくる。

 

「さあね。でもさっきの攻撃であたしたちがここにいることがばれたわ。早く移動しないと……!」

 

 そのとき、ケティさんが何か魔法を使った。

 彼女のすぐ近くに、直径が等身大ほどの闇の球が生じる。

 まるで見たことがない魔法だった。

 それは蒸気と巻き上がった砂だけをどんどん吸い込んで、一気に闘技場を晴れ上がらせてしまった。

 あたしたちの姿が露わになる。これでアドバンテージは存在しなくなった。

 さらに、正体不明の魔法に心を奪われた一瞬の隙をついて、カルラさんが攻勢をかけてきた。

 彼女は風魔法を放った。それは、一つ一つは小さいけれど、雨あられのように注ぐ風の刃たち。

 無数の刃が、あたしの服を、肌を、じわじわと切り裂いていく。

 

「っ……」

 

 全身に痛みが走る。

 目の前では、ミリアも同じように顔をしかめて痛みに耐えていた。

 そうして動けなくなっていたところに、追加で特大の風圧が腹部に直撃した。

 身体が地面から浮き上がる。嫌な浮遊感だった。

 そのまま後方へ吹っ飛んで、闘技場端の壁に強く叩きつけられる。

 背中に大きな衝撃を受けて、息が止まる。気付いたときには、砂地に顔をうずめていた。

 観客席から大きな歓声と、少し悲鳴が混じったような声が上がる。

 頭が、くらくらする。

 まずいわ。かなり大きなダメージを食らってしまったみたい。

 前を見ると、ケティさんがあたしを視界に捉えながら、一歩一歩着実にこちらへ詰めていた。その顔は、勝ち誇っているようにも見える。

 ミリアも同じように吹っ飛ばされているだろうと思って、横を見る。

 しかし、そこに彼女の姿はなかった。

 あれ? ミリアが、いない。あの子はどこへいったの!?

 もっとちゃんと見回すと、闘技場の反対側の壁。そこにミリアがあたしと同じように倒れていた。そしてあちらの方には、カルラさんが迫っていた。

 しまった! やられたわ! 

 先輩たちの狙いは、あたしたちの分断にあった……!

 あたしたちは、個々の力量では自分たちに劣る。けど、チームワークによっては苦戦を強いられるかもしれない。そう判断して、確実に勝つ方法を取ってきたというわけね……!

 でもね。あたしたちだって、血の滲む様な努力をしてきたのよ! 一人一人になったって、そう簡単にはやられないんだから!

 ミリアとどうにかもう一度協力出来る態勢になって、あの技で鼻を明かしてやるわ!

 ふらつきながらも、あたしは気合いで立ち上がった。

 

「へえ。良い根性してるじゃないの」

 

 ケティさんが感心したように言った。

 

「負けん気なら、人一倍あるんですよっ!」

 

 火の球よ。かの者を穿て!

 

《ボルケット》

 

 高密度の炎で作られた豪火球を、目の前のケティさんに向かって放つ。

 だがそれは届く寸前で、彼女が出現させた氷の盾によって防がれてしまった。

 

「無駄よ」

 

 ケティさんの手から、闇の炎が生成された。それが彼女の右腕に、蛇のようにまとわりつく。

 彼女が右腕を伸ばすと、闇の炎はするすると腕から離れて、こちらへ放たれた。

 恐ろしい魔力を感じる。あれを食らってはまずいと直感したあたしは、ふらつく身体を必死に動かして避けようとする。

 軌道が直線的だったのが幸いした。うねりながら襲い掛かってきた炎は、当たらずにあたしの横ギリギリを通過していった。

 だが攻撃はそこで終わらない。

 いつの間にか、凍てつく冷気の層が周囲を覆い尽くしていた。ケティさんが手を振り下ろすと、それが合図となって冷気は圧縮され、あたしを閉じ込めるように迫ってくる。

 今度は、かわし切れなかった。

 

「いったあああいっ!」

 

 右腕に、激痛が走った。

 見ると、そこには分厚い氷が張りついていた。

 なんてこと。すっかり凍りついちゃってる! 全然動かせないわ!

 焦ったあたしを見て、ケティさんが冷静に諭してきた。

 

「一年生にしては、よくやってるわ。でもその腕じゃもう戦えないね。降参して治療を受けなさい」

 

 ケティさんの言う通りだった。確かに、このままではもうまともに戦えない。

 それにこの腕を放っておけば、魔法使い生命に関わるかもしれない。早急に治療を受けるべきだった。

 

 仕方ない、わね。

 あたしは、その言葉を受けて――。

 

 降参なんてしなかった。

 

 左手で火を操って、右腕の氷を溶かし始める。

 仕方ないわ。荒療治だけど、試合を続けるにはこれしかない。

 

「あなた、なんて無茶を……!」

 

 ケティさんが、あまりのことに呆れていた。

 そうよね。あたしもそう思う。

 今は呆れてものも言えないようだけど、このままずっと見ていてはくれないでしょう。あまり時間はかけられない。少し火傷しちゃうけど、火は強めでいくしかないわね。

 そうして、右腕の氷を一気にすべて溶かし切ってしまった。手を握ったり開いたりして、ちゃんと動くようになったことを確めると、その右手でケティさんに指を突きつけた。

 

「言いましたよね? 負けん気なら、人一倍あるって!」

 

 すうーーーっと、息を吸い込んで。

 闘技場の声援をかき消してやるくらいの気持ちで、あたしは叫んだ。

 

「ミリアーーーーーーーーーー!」

 

 遠くでカルラさんに苦戦している様子のミリアが、こくりと頷くのが見えた。

 どうやら、ちゃんと伝わったようね。

 もう長くは戦えない。事前に練っていた作戦を実行するのは、今しかない。

 ユウ! 今こそ力を借りるわ!

 

 風よ。あたしにその疾風の如き速さを授けよ。

 

《ファルスピード》

 

 あたしは、風の力を使って加速する。

 一か月間、あたしたち三人は一緒に猛特訓した。

 そのときに便利だからって、ユウにじっくり教えてもらったこの魔法。

 今ここで、ケティさんを振り切るために使わせてもらうわね!

 

「なっ、はやっ!」

 

 驚くケティさんの脇をすり抜けて、同じタイミングで加速したミリアと、闘技場の中央で合流する。

 観客たちは、突然の展開に騒然としていた。

 

「いい? あれ、いくわよ!」

「あれですね。わかりました」

 

 あたしたちが狙うのは、残る魔力のすべてを込めた、最大の一撃。

 後のことは考えない。この試合で、出せるすべてを出し切るのよ!

 ミリアが強く念じると、闘技場のやや上の空に大きな雲が現れた。

 彼女の持つ最大の水魔法の一つ、《ティルハイン》。魔力を持った雲を生成する魔法よ。

 あたしはそこへ、全力の上位雷魔法《デルバルト》を打ち込む。

 するとできあがるのは、雲の力によって増幅された強力な雷。

 その強さも速さも、さっき放った《デルシング》や、この《デルバルト》の比じゃない。

《ファルスピード》で完全に意表は突いた。かわすのは不可能。これなら、あの二人だってきっと!

 

 いっけーーー! 合体魔法!

 

《デルレイン》!

 

 特大の雷が、カルラさんとケティさんを頭上から襲った。

 それはほんの一瞬で二人に到達し、まばゆい光が闘技場全体を覆う。

 あたしは、思わず目を瞑った。

 そして、雷が地面に達した音を聞いた。

 それから、恐る恐る目を開けると――。

 

「う……」

 

 目の前に、服が黒焦げになっているケティさんの姿が映った。

 彼女のすぐ隣には、先ほど蒸気と砂煙を払うのに用いた闇の球が浮かんでいた。

 それで雷を吸い込んで、威力を軽減しようと咄嗟に判断したみたい。

 それでも一瞬では威力を殺し切れなかったのか、闇の球が解除されると同時に、彼女はその場でばったりと倒れ込んだ。

 ケティさんが、倒れてる。

 あたしは、立ってる。

 そのことが意味するのは。

 やった! やったわ!

 あたしたち、勝ったんだ。勝ったのよ! あの二人に!

 勝利の喜びを分かち合おうと、ミリアと、まず同じように倒れているであろうカルラさんの方を見た。

 だけど、喜んでいるはずのミリアの表情は――驚愕に包まれていた。

 それもそのはず。

 あたしにも、衝撃が走ったのだから。

 砂地に開いた大穴。

 間違いなく、特大の雷によるものだった。

 そのわずか横に――。

 

 カルラさんが、無傷で立っていたの。

 

 まさか。あり得ない。

 あれをかわしたって言うの!?

 カルラさんは、驚き身を固めたままのあたしたちの方へゆっくりと歩み寄って来る。その歩みは堂々として、威圧さえ感じさせるものだった。

 そしてなんというか、ギラギラしているというか。本気になるとこうも雰囲気が変わるのかってくらい、殺気が漲っているようだったわ。

 あたしたちのすぐ前まで詰め寄ったカルラさんは、ふっと笑った。

 

「驚いたわ。あなたたちがまさか、ここまで成長をしていたなんて」

「くっ!」「ぐ……!」

「ユウと、間接的にはアーガスの影響かしら。あーあ。ほんとあの二人、うちに欲しいわ」

 

 鳥が小虫を狙うかのごとくの瞳で、カルラさんはあたしたちを眺めてとる。

 

「それに、あなたたちもね」

 

 強者の余裕か、退屈そうに首を回し、伸びをしてから続けた。

 

「で、どうするの? まだやるつもり? ケティは倒れちゃったけど、わたし一人で魔力のほとんど残ってないあなたたちの相手をするくらい、わけないわよ」

 

 そう。このタッグ戦。二人とも倒さないと勝ちにならないルールになっていたの。

 既に魔力を使い果たしてしまったあたしたちは、ただの人間と変わりない。対するカルラさんには、まだまだ余力が残っていた。

 負けず嫌いとは言っても、さすがにまったく勝ち目のない戦いをするほどあたしも馬鹿じゃなかった。ミリアと相談して、泣く泣く降参することにしたわ。

 

「参りました」

「降参、です」

 

 そこで、司会者のトーマスが叫んだ。

 

「劇的なクライマックスからの、静かな決着ーー! 奮戦したアリス&ミリアチーム、わずかに及ばず! 一回戦第一試合の勝者は、カルラ&ケティチームだーーー!」

 

 闘技場は大歓声に包まれた。負けたあたしたちにも温かな拍手が送られる。

 まあ確かに負けはしたけど、やることはやり切ったし、まんざらでもない気分だったわ。

 そして、退場して。

 

「負けちゃったね」

「ですね……」

 

 ミリアの顔は、なぜかしら。どこか思い詰めているようだった。

 単純に負けたことを悔しがっているのではなくて、もっとこう、違うことで考え込んでいるようにあたしには思えたの。

 

「どうしたの?」

「何でもないです」

「なーに。あなたまで隠し事?」

「すみません……」

 

 ユウが何か話してくれる気になったら、今度はミリアか。

 試合が始まるまでは普通だったし、一体どうしたのかしら。

 でも、彼女が何を考えているのかわからなくても、あたしの言うことは一つだった。せっかくの祭りなんだから、楽しまなくちゃね。

 

「ほら、くよくよ考えずにさ。いこう。ユウが待ってるよ」

 

 ミリアはそれでも浮かない顔をして下を向いていたけれど、やがていやいやと首を振って、こちらにぎこちない微笑みを向けてくれた。

 

「そうですね……。一旦保留にしておきます」

「そうそう。それがいいよ」



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16「星屑祭一日目 タッグ戦が終わって」

 観客席にて、私は他の学生に交じってアリスとミリアの試合を観戦した。

 負けてはしまったけど、二人とも本当によく頑張ったと思う。アリスが火を使って氷溶かしたところとか、ミリアがカルラ先輩に砂で縛られながらも、水魔法を上手く使いつつ気合いで脱出したところとか。根性がすごいと思った。

 そして《ファルスピード》を使って先輩たちを翻弄してから、あの最後の合わせ技までの流れるような見事な連携。正直、感動したよ。

 でも、二人ともかなり無理してたみたいだった。大丈夫なのかな。それが心配だ。

 先輩たちの方も強かった。ケティ先輩の闇魔法なんて見たことなかったし、カルラ先輩もアーガスみたいに何でも魔法を使いこなしていた。

 特に、雷光に目が眩んでよくは見えなかったけど、最後のカルラ先輩のあの動きは恐ろしく速かった。どんな魔法を使ったのかは知らないけど、少なくとも《ファルスピード》とは原理の違う魔法に違いない。もし風魔法なら、それが得意な私なら使ったことが感知できるはずだから。

 それにしても、本当に速かった。私が全力の《ファルスピード》を使っても、いや、男の私が気力で身体能力を強化しても、どっちが上かわからないな。さすがはカルラ先輩というところか。

 

 ところで、一つ気になったのは、さすらいのトーマスとかいう司会だ。

 あの人は、一体何者なんだろうか?

 学校の関係者にあんな人はいなかったはずだ。どう考えてもこの世界の常識からは大きく外れた、おかしな恰好をしている。

 確かに司会はハマってはいたけど、学校側にそれを任されるような人ではないはず。そもそも、予定では魔法演習のモール先生が司会をやるんじゃなかったのか。

 それなのに、周りの人に違和感があったのはほんの最初だけで、すぐにみんな一切気にしなくなっていった。不自然なくらい、みんなが彼を素直に受け入れてしまったのだ。

 周りの人の彼に対する認識が、捻じ曲げられているとしか言いようがなかった。

 何かの魔法でも使ったのだろうか? しかも、コロシアムの全体に。

 そんな凄まじい効果の魔法が使えるとしたら、彼は実はとんでもない人なのではないか。そう思った。

 でも不思議なことに、なぜか私には効かなかったらしい。現に私はこうして、未だにおかしいと思ったままでいる。

 うーん。さすらいのトーマス。どうにも気になる存在だけど、やったことと言えば普通に司会をやってただけだしな。考えてもしょうがないか。

 

 

 ***

 

 

 コロシアム前の公共スペースで、アリスとミリアが手当てを済ませてからこちらへ来るのを待っていた。

 あのまま魔闘技を観戦し続けるのも楽しいだろうけど、それよりも二人を労ってあげたかったし、二人と一緒に早く祭りを楽しみたかったんだ。

 手当てと言ったが、魔闘技の参加者は、大会に際して呼ばれた治療師たちに無料で治療を受けられることになっている。二人はそれなりの怪我をしたはずなので、ちょっと時間がかかっているらしい。

 やがて、二人がやってきた。

 

「やっほー」

「お待たせしました」

 

 二人とも、きちんと怪我の手当てを受けた様子だった。特に無理をしたアリスの右腕には、包帯がたっぷりと巻かれていて、見ているだけでも痛々しかった。

 

「本当にお疲れ様」

 

 まず二人に言ってあげたかった、労いの言葉をかける。

 

「負けちゃった」

「力及びませんでした」

 

 そう言う二人の顔は、負けたにしては晴れやかに見えた。やるだけやり切ったからだろう。

 

「惜しかったね」

「そうね。あと一歩だったかもしれないわね。あれが当たってれば、勝てたかも!」

 

 ちょっとだけ悔しそうに、拳を握り締めるアリス。

 確かにあの雷撃が当たっていれば、いかにカルラ先輩と言えども倒せていたかもしれない。

 

「その一歩が遠いように、私には思えますけどね。作戦が上手くいったから、勝負になったものの。実力では、完全に負けてましたし」

 

 ミリアが肩を落として、冷静な口ぶりで自己評価する。

 その通りかもしれない。でも。

 

「作戦だって立派な実力のうちだよ。私はよくやったと思うな」

「えへへ」

「ふふ。そうですかね」

 

 ほめられた二人は、とても嬉しそうだった。

 

「それにしても、結構派手に怪我したみたいだね」

「私は、それほどでもないですが。アリスが……」

「いやー。まいったわ。治療師さんがね。二週間は安静にして、絶対に魔法を使っちゃいけないってさ」

 

 包帯でぐるぐる巻きにされた右腕をひらひらと振りながら、アリスが笑った。

 

「二週間もか。それは大変だね……」

 

 思っていたよりも重症だ。心配になってきた。

 

「そうなのよー。それに、よっぽど気合い入ってたのかしらね。魔力を限界超えて使っちゃったから、三日くらいは身体が魔素を取り込めないんだって」

「そうなんだ」

 

 使い過ぎると、三日も魔力が回復しないなんてことがあるんだな。

 

「つまり、祭りの間のあたしは、ただの怪我した一般人になっちゃったってわけ」

「後遺症とか怪我の跡とかは残らないんだよね?」

「それは大丈夫って言ってたわ」

 

 それを聞いて、少しほっとする。

 

「ふう。ちゃんと治りそうで良かったよ」

 

 そんな私をアリスは生温かい目で見つめ、にやにやと笑みを浮かべていた。

 

「心配性ね~、ユウは。嬉しいけど、もうなっちゃったものなんだから、そんなに心配したってしょうがないわよー」

 

 ちょっとからかわれているような気がしたので、私も応じることにする。

 

「同じ心配性のアリスにだけは言われたくないねー」

「は? あたしが心配性なわけないでしょ。あたしはいつも前向きで、余計な心配はしない主義なのよ」

 

 得意な顔でそう言ってはくるが、いくら鈍い私だって、君がかなり重度な心配性なことくらいはもうわかってるのさ。

 

「じゃあ、私が以前何があったのかを、ずっと気にしてるのはどうしてなんだよ」

「それは、ユウのことが心配だからに決まってるじゃないの。あっ」

 

 引っかかったね。きっとわかっててノッてくれてるんだろうけど、ここはあえてとびきりのドヤ顔で勝利宣言をしよう。

 

「ほら、やっぱり心配性じゃないか」

「くっ。謀ったわね!」

「ふふ。どっちも、どっちですよ」

 

 私たちのやり取りを見て、面白そうに笑うミリア。

 君はいつも余裕の傍観者でずるいな。たまには混ぜてやろうか。

 いつも二人に弄られるばかりで、内心ちょっぴり悔しく思っていた私は、これ見よがしにアリスへ耳打ちした。

 

「アリス隊長! 実はミリアもかなりの心配性なんじゃないかと思うんですが」

「良い意見ね! それはあたしも思ってたわ」

 

 アリスと二人で、ミリアのことをじっと見つめる。他人を弄るのが得意なミリアは、弄られる方はそんなに得意ではなかったらしく、しどろもどろになっていた。

 

「え、そんなこと、ないですよ。私は、冷たい人間ですから」

 

 ここで、必殺のカードを切ることにした。散々肝を冷やされたお返しだ。

 

「へえ。でも冷たい人間が、私の大好きなユウ、なんて言うのかな?」

「あ……あの。それは、言葉の、はずみと、言うもので……」

 

 狙い通り、ミリアが顔を真っ赤にしてしまったのを見て、ようやく弄りで勝ってやったと胸のすく思いだった。

 ただ。そう言うことを聞くと黙っていられないのが、横にいるアリスという人物である。

 そのことを、私は失念していた。

 

「えー! ミリア、そんなこと言ったの!? ついにお互いに愛の告白を……はっ! これはマジで女の子同士の恋が始まる予感!?」

 

 いや、さすがにそれはないよ!

 

「なんでそうなるんだよ!」

「アリス……。そういう意味じゃ、ないです!」

 

 二人でアリスのことを睨んだが、それが息ぴったりだったので、彼女は余計に面白がって笑うだけだった。

 

「はいはい。お熱いことで。二人とも、お幸せにね~」

 

 調子に乗ってしまったアリスは、誰にも止められない。

 私はミリアと目を見合わせて、苦笑いするしかなかった。でもミリアの方はなんかちょっと嬉しそうなんだよな。不思議。

 結局、もう何度目になるかわからない弄り合戦は、アリスの一人勝ちに終わったのだった。

 

 

 ***

 

 

 それから、三人で色んなものを見て回った。

 展示品を見たり、金魚すくいみたいなことをしたり(シーマって小さな魚をすくった。アリスがやたら上手かったのを覚えている)、ちょっとした買い食いなんかもしながら。楽しい時間はあっという間に過ぎていった。

 お腹がすいてきた辺りで、近くにあったレストランで夕食を取ることに決めた。

 そこで、結局カルラ先輩とケティ先輩のタッグが優勝を決めたらしいということが、他の客の話からわかった。準決勝ではケティ先輩の闇魔法が猛威を振るい、決勝ではとうとう二人の合体魔法が見られたらしい。

 というかケティ先輩、あんな凄い攻撃食らった後でも動けたんだ。まあ闇で威力軽減してたっぽいし、魔力は残ってただろうから大丈夫だったのかな。

 一番見応えがあったのは、一回戦の第一試合だったと言っていた人も多かった。それが耳に届くたびに、アリスとミリアは誇らしげに喜んでいた。



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17「星屑祭一日目 星屑の空に願いを」

 レストランを出た頃、空は既に暗くなっていた。

 今日の魔法灯は、普段とは違ってそれぞれ一色ずつ、合計で七色の光を灯している。目を少し遠くへ向ければ、それらが協力して幻想的な虹の道を作っているように映る。

 

「ねえ、ユウ。もう少ししたら星屑の空が始まるよ!」

「うん」

 

 アリスはよほど楽しみらしく、いつもよりはしゃいでいた。

 星屑の空。星屑祭の代名詞であるイベントだ。

 一日目の夜に、サークリスの上空に大規模な魔法がかかる。すると空にある無数の星々が、その日だけはいつもよりずっと鮮明に輝くという。

 

「人が、混んでますね」

 

 ミリアが疲れたような顔で呟いた。

 年に一度、星屑祭初日限りのこのイベントは、とてもロマンチックなこともあって、特に若い男女に大人気である。各々の通りは、輝く夜空を一目見ようと、たくさんの人でごった返しているのであった。

 

「そこでよ! あたしは考えたのよ! 誰にも邪魔されず、ゆったりと星空を楽しめる場所はどこかってね!」

「行こうか」

「はい」

「あ! ちょっと! もう少しなんだから、最後まで聞きなさいよー!」

 

 ハイテンション過ぎてうるさいアリスを若干スルーしつつ、人ごみを搔き分けるようにして、私たちはアリスの考えた目的地に向かう。

 その場所とは。

 

「どうよ。学校の屋上は中々の穴場でしょ!」

「これは盲点だったよね」

「空いていて、いいですね」

 

 サークリス魔法学校第一校舎の屋上だった。

 この学校、現代日本の学校ほどはセキュリティが厳しくなく、警備員がいるわけでもない。実験器具が多くて管理が厳重な第二校舎はともかく、主に講義室が占める第一校舎ならば、実は入ろうと思えば簡単に入れてしまう。

 だけど、私たち学生の他にわざわざ入ろうと考える人なんていないわけで。絶好の穴場スポットと化していたのだった。

 

「確かにそうだな」

 

 ふと聞き覚えのある声がしたので振り返ると、そこにいたのは意外な人物だった。

 

「え、先生!?」

「あ、イネアさん。こんばんは」

「こんばんはです」

 

 あっけに取られている私をよそに、アリスとミリアがそれぞれつつがなく挨拶する。

 

「こんばんは。で、なんだユウ。その驚いた顔は」

「いえ、まさか本当に来るとは思いませんでしたので」

 

 先生のことだから、正直なところ来ないかと思っていたよ。

 

「来てはいけなかったのか? せっかくお前が誘ったからというのにな」

 

 そう言って、先生はわざとらしく溜息を吐いた。

 

「いいえ。もちろん来てくれて嬉しいですよ」

「そうか。ならば、わざわざ来てやった甲斐があったというものだ」

 

 先生はふっと微笑むと、こちらに寄ってきて肩を寄せ、頭を強くわしゃわしゃしてきた。

 せっかく整えていた黒髪が、思い切り乱れてしまう。けど私は嬉しい方の気持ちが強くて、されるがままにした。

 先生の手からは、いつも包み込むような温かさと親しみを感じる。

 

「ユウとイネアさんってほんと仲良いよね」

「生徒と先生というより、まるで師弟関係、ですよね」

 

 二人がそう言うのが聞こえた。

 その通り。この人、先生というよりは剣の師匠なんだ。それもとびっきり厳しいね。

 

 それからややもすると、再び来客があった。またもや聞き慣れた声だった。

 

「ここがいいのよね! ん、なに? 先客がいるの? って、なんだ、アリスたちじゃないの!」

「カルラさんに、ケティさんだ! お昼ぶりです」

「優勝、おめでとうございます」

「ありがとう。でも、あなたたちにはやられたわ。一年生にしては、なんて馬鹿にしたこと言ってごめんなさい、アリス。痛かったよね?」

 

 ケティ先輩はアリスの右腕を見つめて、申し訳なさそうに謝る。

 謝られた方のアリスは、彼女にやられたことなどまったく気にもしない様子で、からっと笑ってみせた。

 

「いいんです。実力では負けてましたから。それに、試合は試合ですから。下手に手を抜かれるよりは全然いいですよ!」

「そう。あなた、本当に優しいのね」

 

 ケティ先輩は、感心したような顔で目を丸くしていた。

 

「そうですか? あたし、自分のことそんな風に思ったことないんですけど」

「あなたは優しいわ。私が太鼓判を押す」

「あはは。そう言われると、何だか照れちゃいますね」

 

 また少し経ったところで、今度は一人の男が現れた。

 彼こそは、私がよく知っている人物だった。

 

「おいおい。せっかく一人で楽しめると思ったのに、こんなに人がいるのかよ。しかも女ばっかりって……あーあ。今から別の場所探すのはだるいしな」

「よう。アーガス。久しぶり」

「ん? おう。誰かと思ったらユウじゃないか。特訓の成果はどうだ?」

 

 期待を込めた目で尋ねてくるアーガス。

 もちろん彼の期待を裏切る気などなかった。アリスとミリアの助力もあって、仕上がりは上々だ。

 

「ばっちりさ」

「それは楽しみだな。つうか、一応試合まで会うつもりなかったんだけどな」

「私もだよ。でも会ってしまったものはしょうがないね」

「だな」

 

 すると、彼の存在に気付いたアリスとミリアがそろそろと近づいてきた。

 カルラ先輩とケティ先輩は向こうの方で盛り上がっていて、まだこちらには気付いていない。

 イネア先生は、私たちの様子をそっと見守っているようだった。

 

「ほんとだ……。あのアーガス・オズバインとユウが、すっかり友達になってる……」

「本当、だったんですね……」

 

 二人は、信じられないという顔でぽかんとしていた。

 

「だから言ったじゃないか。というか、アーガスって割とフレンドリーだから、アリスとミリアも友達になってもらったら?」

「ええ!? ちょっと恐れ多いっていうか、ね」

「それが普通の感覚、ですよね」

 

 二人は顔を見合わせて、大きく頷く。

 

「オレは全然構わないけどな」

 

 アーガスは初対面の女子たちに対しても臆することなく、さらっとそう言い放った。

 さすがイケメン。まあ予想通りだけど。

 

「マジですか……!?」

「本当、に?」

 

 二人とも、天地がひっくり返ったみたいに思いっ切り戸惑っていた。揃って目が点になっている。

 めっちゃ面白い。何せいつも二人には動揺させられる側だからね。

 逆にこんなに動揺してる二人を見たのは初めてかもしれない。

 

「ああ。その代わり、あんまりよそよそしくされると面倒臭いから、お互い呼び捨てで頼むぜ」

「呼び、捨て……」

 

 今のはアリスの台詞だ。

 はは。言葉に詰まって、まるでミリアみたいになってる。

 だがそこはコミュ力に定評のあるアリス。すっかり固まってしまったミリアに比べると、格段に適応力があった。 

 

「さん付けじゃダメかしら? あたし、先輩にはさん付けにすることにしてるのよ」

「んー、まあそれくらいならいいか」

 

 アーガスは軽いノリで了承した。

 彼にすれば、呼び方そのものよりも態度こそが問題なのだろう。

 

「ありがとう。じゃあアーガスさん、よろしくね」

「ああ」

 

 二人は握指を結んだ。

 

「やった! あのアーガスさんと友達になっちゃった!」

 

 アリスは、憧れの天才魔法使いと友達になれたのがよほど嬉しかったのか、小さな子供のようにぴょんぴょん飛び跳ねている。

 そんな彼女の無邪気で素直な振る舞いを見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。

 

「よかったね」

「うん!」

「へっ。で、こっちの子はどうするんだ」

 

 アーガスは未だに固まったままのミリアの方を見て、少しだるそうに言った。

 

「ミリア?」

「あ、ふぁ……」

 

 彼女の目の前で視界を遮るように手を上下させてみるけど……ダメだこれ。

 すっかり上の空で、口をぱくぱくさせていた。

 こっちの世界に戻ってこない。初対面で相手がアーガスで、しかもいきなり呼び捨てというのはハードルが高過ぎたか。

 

「ミリアは人見知りなんだ。そのうちアーガスにも慣れると思うから」

「へえ。そうかい。なら、慣れるまで待つとするか」

 

 そのときだった。

 カルラ先輩は、アーガスの存在にようやく気付いたらしい。

 

「なにーー!? アーガスの奴がいるだとーーーーー!?」

 

 なぜか怒ったように叫びながら、こちらへ猛然と駆け寄ってくる。

 彼のすぐそこまで迫った彼女の目は、まるで親の仇でも見ているかのように血走っていた。

 アーガスはそんな彼女に対して、心底鬱陶しそうな顔をした。それは私たちに対する、クールではあるが親しげな態度とは一線を画すものだった。

 

「なんだ。誰かと思えば、骨董品屋のカルラじゃないか」

「おいこらあ! あんたはいつもそうやって、ロスト・マジックを骨董品呼ばわりして! 馬鹿にしてくれんじゃないの!」

 

 敵意むき出しのカルラ先輩に対して、アーガスもまたいらついた口調で返した。

 

「骨董品は骨董品だろが。気に入らねえんだよ。お前も、ギエフ研もな。きな臭いったらありゃしねえ」

「何がきな臭いってえ!?」

 

 カルラ先輩のこめかみがぴくぴくと震えていた。

 まずいと思った。いきなり一触即発の事態だ。カルラ先輩とアーガスってこんなに仲が悪かったのか。

 アーガスはほくそ笑むと、蔑むような目で続ける。

 

「てめえらのロスト・マジック至上主義さ。そんなもの崇めてんのは、仮面の集団と同じじゃないか」

 

 仮面の集団? 知らない言葉が出てきたけど、それについて考える暇もなく。

 カルラ先輩がぶち切れた。

 

「かんっぜんにあったまきた! こいつ、ぶっ殺してもいいかしら!?」

 

 鬼のような形相で、アーガスの胸倉に掴みかかろうとするカルラ先輩。

 あまりの物騒さにたまらなかったのか、ケティ先輩が彼女を掴んで止めにかかる。

 

「カルラ、落ち着いて!」

「ケティ、放しなさいよ! こいつはねえ!」

「はん。お前にオレがどうこうできるわけないだろが」

 

 嘲りたっぷりなアーガスの言葉に、これ以上は売り言葉に買い言葉で止まらなくなると判断した。

 私も二人の間に割り込んで制止に入る。

 

「アーガスもあまり挑発するなよ!」

 

 彼は少々ばつの悪そうな顔をしたが、気に入らないという態度は崩さなかった。

 

「だがなあ、ユウ。こいつがいきなり怒鳴りこんでくるから悪いんだぜ」

「それはそうかもしれないけどさ。ここは落ち着いて一歩身を引こうよ。大人になろうよ。ね」

「でもなあ」

 

 彼は中々収まりが付かないようだ。もう一押しかな。

 

「そうだよ! 喧嘩は良くないよ!」

「そうですよ。せっかくのイベントが、台無しになってしまいます」

 

 そこにアリスと、いつの間にか硬直から立ち直っていたミリアも加わって説得にかかってくれた。

 外野の声がいくつも入って少しは冷静になれたのか、アーガスとカルラ先輩はしぶしぶお互いの非を認めた。

 

「まあ、そうだな……。悪かったよ」

「そうね……。いったんお預けにしましょう」

 

 ふう。何とか危機は収まったようだ。

 いつの間にか私のすぐ後ろに来ていたイネア先生が、しみじみと言った。

 

「賑やかで結構なことだな」

「大変だったんですよ」

「ふっ。若さというやつか」

 

 先生は感慨深そうに微笑んでいた。長い時を生きてきたこの人にとっては、遥か年下の私たちが血気盛んにいがみ合うことも、すべて微笑ましいものに映ってしまうのだろう。

 

「先生だって、種族で言ったらまだまだ若いんじゃないんですか?」

「ああ。そうだったな。だが、普通の人間と一緒にはできんよ。経験はきちんと年齢分積み重なっていくからな」

 

 そう言うと、先生はまたいつものように遠い目をした。

 

 

 ***

 

 

 多少トラブルはあったものの、ついに星屑の空が始まる時間がやってきた。

 

「はいはーい! 間もなく始まる時間だよー!」

 

 アリスが大はしゃぎでそう宣言すると、それまで好きなように話していた各人は、ぴたりと話を止めた。

 しばらくすると、上空にオーロラのような光がかかった。きっと星を輝かせる魔法だろう。

 それは少しの間だけ夜空を七色に照らし、やがて霞むように消えていった。

 すると、黄色い光がぽつぽつとあるだけだった夜空は、その姿を大きく変えたのだった。

 たくさんの星屑たちが、夜空という黒いキャンバスをびっしりと埋め尽くしていた。

 まるで、宇宙望遠鏡をそこに持ってきて眺めているような感じだった。

 普段は明るさが足りずに見えない星たちも協力して、所々はキラキラと粒状に、また所々は淡く輝いて、渾然一体とした美しいアートを描いていた。

 私はすっかり感動していた。確かに星屑祭の代名詞に相応しい、素晴らしい景色に違いないと感じた。

 

 ふと、この星空のどこかに、地球はあるのだろうかと思った。

 急に故郷が懐かしくなってきて、いたたまれなくなってきた。

 それで空を見ていられなくなって、周りの人物に目を移すことにした。

 

 みんながみんな、思い思いに空を眺めていた。

 ほとんどの人は楽しそうにしていた。

 けど、一人だけ様子が違った。

 あれ? カルラ先輩、泣いてる……?

 よく見ると、彼女の目からはぽろぽろと涙が流れていた。

 私の視線に気が付いた彼女は、慌てて腕で涙を拭ってから言った。

 いつもの彼女らしくない、しんみりとした声で。

 

「何でもないの。本当に、何でもないのよ」

 

 そして、すぐに向こうを向いてしまった。

 一体どうしたんだろう。

 

「ちょっと」

 

 ケティ先輩に肩を引かれた。

 そのまま、屋上の入り口の方へと連れて行かれる。

 

「何ですか」

 

 するとケティ先輩は、いつになく真剣な顔つきで言ってきた。

 

「あいつのことだけどさ……少しそっとしておいてあげてくれない?」

「もちろんいいですけど。カルラ先輩、どうかしたんですか」

「それはね……たぶん、彼氏のことを思い出してるんだと思うわ」

「彼氏、ですか」

「そう……ユウ。今からする話は、あいつには内緒よ」

 

 ケティ先輩が話したのは、カルラ先輩の衝撃の過去だった。

 

「あいつね……この学校に来る前からずっと付き合ってた年上の彼氏がいたのよ。それはもうほんとに仲が良くて、羨ましいくらいでさ」

「へえ。そんな人がいたんですか」

「ええ。それで、彼は星屑の空が好きだったのよ。毎年良い場所を見つけては、二人で眺めていた」

「毎年? でも今年は……」

 

 相手がいない。

 まさか。

 ケティ先輩は、神妙な面持ちで頷いた。

 

「彼、亡くなったのよ。あいつが一年生のとき、事故でね」

「そんなことが……」

 

 カルラ先輩に深く同情した。

 私も親しい人を失う哀しみはよく知っているだけに。それはつらいだろう。

 

「それからのあいつの塞ぎ込みようったら、なかったわ。学校にも行かずに、いつも部屋を暗くして籠りっきりになって。自殺しようとしたことさえあった。正直、見ていられなかった……」

「あの、カルラ先輩が……」

 

 信じられなかった。あんなに元気いっぱいで、いつも私たちを引っ張ってくれるカルラ先輩が、まさか自殺しようとしていたことがあっただなんて。

 

「私も励ましたんだけど、どうにもならなくてさ……。当時の担任だったギエフ先生に相談してみたわ。そしたら先生は、彼女に対して特別にロスト・マジックの研究ポストを用意してくれたのよ」

「どうしてそんなものを?」

「それはね……。あいつの彼は、ロスト・マジック愛好者でもあったの。その分野で将来を有望視されていた研究者でもあった。絶望するあいつに、彼の大好きだったものに関わらせることで、何かしらの生きがいを与えられないか、というギエフ先生の提案でね。先生は親身になってあいつに話をしたみたい」

「なるほど」

「最初は何もしたくないって言ってたけど、そのうちあいつは彼の遺志を継ぐんだって張り切り出してさ。おかしなくらい研究に打ち込むようになった」

 

 何も言えなかった。

 知らなかった。それほどの想いで、カルラ先輩はロスト・マジックに打ち込んでいたのか。だからあんなにも真剣で、熱心で。それは、馬鹿にされたら怒るはずだよ。

 なのに私は、あまり考えずにばっさりと誘いを断ってしまった。断るにしても、もう少し丁寧に断っていれば良かったなと、後悔した。

 

「まあ今ではすっかり元気になったわね。でも代わりに研究バカになっちゃったけど。身体、壊さないか心配だわ」

「そうですね」

 

 カルラ先輩は、確かに時々暴走しがちなところがあるからね。それが研究という方向で無理に繋がらなければいいけど。

 

「そういうことだから、今はそっとしておいてあげてね」

「はい。わかりました」

 

 私はカルラ先輩に対する強い同情の気持ちを抱えたまま、ケティ先輩と一緒に元の場所へと戻った。

 

「ケティさんと何話してたの?」

 

 アリスが尋ねてくる。

 

「後で話すよ。重い話だから」

「そっか。わかったわ。ところでね、ユウ」

 

 アリスが何やら楽しそうにニコニコし出した。

 

「なに?」

「星屑の空に願い事をすると、それが叶うって言われてるのよ」

 

 流れ星の類いか。この世界にもそういうのがあるんだな。

 

「へえ。そんな迷信があるんだ」

「迷信ってね! ほんとに叶う人もいるんだよ!」

「そうなの?」

「そうなの! ほら。ユウも祈ってみようよ。みんなもやってるよ!」

 

 言われて見ると、確かにみんな何やら願いの祈りを捧げているみたいだった。

 あまりこういうのやらなさそうなイネア先生とかアーガスもやってる辺り、結構普通に行われていることなのかもしれない。

 

「わかったよ。で、アリスは何を願うの?」

「ふふ。それは言っちゃいけないことになってるの! 願いを言うと願い事が逃げて行っちゃうからねー」

 

 いたずらっぽくそう言うと、アリスは目を閉じて熱心に祈り始めた。

 

「そっか」

 

 私は、空を見上げた。

 星空はどこまでも輝いていて、永遠に続いていくように思われた。

 願い事、か。

 今一度、周りのみんなを見回していく。

 アリスを。ミリアを。イネア先生を。アーガスを。カルラ先輩を。ケティ先輩を。

 みんな、私がこの世界に来てからの大切な仲間たちだ。

 地球は離れてしまったけど、こんなにも多くの繋がりに恵まれた。

 私は決して不幸なんかじゃなかった。むしろ幸せだった。

 だからこそ。

 運命が、私にいたずらをしないで欲しいと思ってしまう。

 また星を流されるなんて。このみんなと会えなくなるなんて。考えるだけでも嫌だった。

 これからもずっとみんなと過ごしていきたい。みんなと離れたくない。

 時が経てば経つほどに、その想いは強くなっていく。

 でも。どんなに願ったところで、ずっと一緒にはいられないのだろう。

 それが星を渡る者、フェバルの運命らしいから。

 けどせめて。できる限りはと、思わずにはいられなかった。

 だから、私はこう願ったんだ。

 

『来年も私がここにいられますように。みんなでまたこの星屑の空を見られますように』って。



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18「星屑祭二日目 さすらいのトーマス」

 夜、アリスとミリアにケティ先輩から聞いたカルラ先輩の過去を話した。二人ともカルラ先輩に深く同情していた。

 アリスは「そういうことだったの……」って納得したように言ってたけど、事前に何か聞いていたのかな。

 

 翌日。また少し早起きしてしまった私は、さっと入浴と朝食を済ませると、魔闘技個人戦の予選の説明を受けるべく、朝から一人でコロシアムへと向かった。

 アリスとミリアは、二人で祭りを楽しんでくるらしい。

 コロシアムの入口の前には、よく知っている人がいた。私のクラスの担任、エリック・バルトン先生だ。

 

「バルトン先生。おはようございます」

「ホシミさんか。おはよう」

「何をしてるんですか」

「見ての通り、警備の指揮だよ。本職の方の仕事だ」

 

 そうだった。バルトン先生は確か、魔法隊のエリートだったっけ。

 

「二日目と三日目はより込み合うからね。人手がかかるからと、配置換えでここの外部の担当を任されたんだ」

「大変そうですね。お仕事、頑張って下さい」

「ああ。ありがとう。ホシミさんは個人戦に出るんだよね。ここからだけど応援しているよ」

「ありがとうございます」

 

 丁寧にお辞儀をして、彼の元を去った。

 

 それから受付のところへ行き、闘技場の中へと案内してもらった。

 早めに着いたので最初はあまり人がいなかったけど、説明が始まる時間になる頃には、全部で四十人の参加者が集まっていた。途中、アーガスも来たので、二人で楽しく話していた。

 予選はサバイバル戦だ。各グループ五人の中から一人ずつ、計八人が三日目の決勝トーナメントへと進むことができる。

 抽選の結果、運良くアーガスとは違うグループになった。

 この結果にはほっとした。どうせなら決勝トーナメントで、一対一で思い切りやりたかったからね。

 

 

 ***

 

 

 アーガスと別れ、一人でコロシアムを出たところで、

 

「よう! 少年!」

 

 すぐ後ろから大きな声がした。

 びっくりして振り返ると、背後にはなんとあのさすらいのトーマスがいた。相変わらずの奇抜な恰好をしている。

 誰を呼んだのだろう。

 見回したが、辺りには該当するような人は見当たらなかった。

 まさか、私じゃないだろうし。

 ところが彼は、意外にも私のことを指差してきたのだった。

「だから、あんたのことだぜ。少年」

「私のこと!?」

「そうだぜ! ボーイ」

 

 少年。ボーイって。

 完全に私の正体を見抜かれているじゃないか!

 どうやって見抜いたんだ!?

 今の私は女なのに。この人の前で変身なんてしたはずはないのに。

 そんな疑問は、彼の次の台詞によって払拭された。

 

「なぜ男だとわかったかって顔してるな。単刀直入に言うぜ。俺はフェバルだ。あんたの能力のことは、【星占い】のエーナが来てよ。そいつから聞いたぜ」

 

 フェバルだって!? この人が!?

 それに、エーナ。ウィルにやられたと思ってたけど、無事だったのか!?

 すっかり驚いていると、彼は親指をぐっと自分の顔に向けて、得意顔で言った。

 

「そして! 俺の名はトーマス・グレイバー! 自称、さすらいのトーマスだ! 以後よろしくぅ!」

 

 聞いてもいないのに、司会のときのようなハイテンションで、勢いのまま自己紹介を押し切られてしまった。

 正直、若干引いてしまうくらいのノリだ。

 彼から右手が差し出される。とても大きくて無骨な手だ。

 

「よ、よろしく……」

 

 私もおずおずと右手を差し出すと、彼の手に包み込まれるように力強く握られた。見た目通りの、ごつごつした硬い感触が返ってくる。

 久しぶりの握手だった。

 

「よし! ちっと話があるから、人気のない場所へ行くぜ!」

「へ?」

 

 考える暇もない。

 彼は左手で勢い良く私の手を取ると、右手で何やら謎の印のようなものを結んだ。

 突然、浮遊感が生じたと思うと、私は彼とともに、一瞬で見知らぬ場所へと飛んでいた。

 辺りは草木一つない荒野だった。遥か向こうには山々がうっすらと見えている。

 

「ここは……?」

「サークリスから約一万二千キロってところだ。言ってみれば、世界の果てみてえな場所だぜ」

「世界の果て!?」

「おうよ。まだこの世界の人間はこの領域まで辿り着いちゃいねえから、人目を気にすることなく話ができるってもんだ」

 

 何でもないことのようにのたまうトーマス。

 もし本当だとしたら、すごいことだった。実際、まったく知らない場所に来ているのは事実なわけで。

 私は目の前の筋肉質の男を、驚きをもって見つめた。

 何なんだこの人は。イネア先生の転移魔法だって、そんな遠くまでは飛べない。

 どうやら彼は、ここで私に何か大事な話をする気らしい。

 でも、話の前にどうしても尋ねておきたいことがあった。気になってしまって。

 

「お話の前に、一つ尋ねてもいいですか?」

「なんだ?」

 

 トーマスが首を傾げる。

 

「あんなにたくさん人がいる中で、私のことなんてどうやって見つけたんですか? 目立ったことなんて一切しなかったはずですが」

 

 これは興味本位だけでは済まない、大事なことだった。

 もし気を付けているつもりが見落としていることがあって、それによって私がフェバルであることが見抜かれたとしたら。早々に修正しなければまずい。

 知らないところで、誰に目を付けられるかわかったものではないからだ。

 もちろんイネア先生のように、気を読んで違和感を持たれたのならどうしようもないことだけど。

 トーマスは渋ることなく答えてくれた。

 

「ああ。まず、エーナの能力だな。彼女は何でも占うことができて、完璧とはいかないまでも大まかなことはわかるらしいぜ。それで彼女が、あんたがこの辺にいるって言ってたからよ」

「そうですか」

 

 そうか。まずは占いによって場所を絞ったと。エーナの能力ってそういうものだったのか。

 

「昨日、司会をしながら様子を見てたのさ。祭りならたくさん人が来るから、もしかしたらと思ってな。そしたら、ビンゴよ!」

 

 でも単にこの辺ってだけだと、まだ私の特定まではできないんじゃ?

 そんな私の疑問を知ってか知らずか、彼はすぐに種明かしをしてくれた。

 

「して、見分け方は簡単だ! 俺の能力は、俺が何しても周りがそれを受け入れちまうってやつでよ! この俺、自分で言うのもなんだが中々イカしたセンスをしてるだろ?」

「は、はあ……」

 

 ガチムチみたいな恰好してるだけじゃないか。こっちから見たらどう考えてもただの変質者だよ。

 異世界人のセンスはわからないっていうか。この人が変なだけなのか?

 

「ただ能力のせいで、普通はこの俺のことだーれも気にしちゃくれねえんだな。フェバル以外はよ」

「フェバル以外……」

「だからよ。この俺にビンビンに感じるどうかを注意深く観察するだけでわかっちまうのさ! 感じた奴は俺のお仲間ってわけだ! 俺の能力は、同じフェバルにだけは効かねーからな」

 

 なるほど。そういうことだったのか。

 別に私に落ち度があったわけではないことに、ひとまず安堵した。

 

 それにしても、何をやっても周りの認識を都合よく変える能力か。凄まじい能力だ。使い方によっては恐ろしいことも簡単にできてしまうだろう。

 一方、私はというと……。

 自分のか弱い身体を見下ろして、大きく溜息を吐いた。

 その気になれば世界を滅ぼせるらしいウィルの【干渉】とか、何でも知ることができるらしいエーナの【星占い】とか、この人の能力とか。

 なんでこう、他のフェバルの能力はぶっ壊れたのばっかりなんだ。

 私の能力なんて、こんなのなのにさ。

 確かに気力も魔力もどっちも使えるってのは便利だけど、器用貧乏っていうか。普通は一つ強い力があればそれで十分だろうし、圧倒的な力の前じゃいくら色々できたところで所詮無力だし。

 はあ……。こんなとんでもない奴らと、同じカテゴリに入ってしまったんだよな。

 ちゃんとやっていけるんだろうか。特にあいつには目を付けられてるし……。

 周りと自分の間に隔たる圧倒的実力差に、心が挫けそうになる。

 それでも人は、与えられたものでなんとかやっていくしかない。

 私はその事実を改めて心に刻み込むと、顔を上げた。そしてトーマスの目をしかと見て言った。

 

「よくわかりました。それで、何の用なんですか?」

「いやな。俺がたまたまこの星に着くっていうから、あんたがいるはずだって二つほど伝言を頼まれててよ」

「伝言、ですか」

 

 誰からだろう。

 

「まず一つ目だ。レンクスってフェバルがいるんだが、知ってるか? そいつがあんたの知り合いだって言うからな」

 

 レンクス。

 私は確かにその名前を知っていた。

 まさか。

 

「レンクス・スタンフィールドですか!?」

「ああ。確かそんな名字だったぜ」

 

 衝撃だった。

 マジかよ!? あいつ、フェバルだったのか!

 

 レンクス・スタンフィールド。

 彼は、両親を亡くした私が親戚に引き取られてしばらく経った頃、一時期よく一緒に遊んでくれた金髪の兄ちゃんだった。

 不思議な人だった。どこに住んでいるのかもわからないし。外人っぽいのに日本語がぺらぺらで。

 どうやら母さんの親友だったらしくて、私のことをやたらと気にかけてくれた。

 歳は知らなかったけど、当時はちょうど今の私の少し上くらいの年齢って感じだったと思う。

 あのときまだまだ小さかった私からすれば、ものすごく年上に見えたものだ。でも親しみを込めてあいつとかお前って呼ぶくらいには、本当に仲が良かった。

 だけどあるとき、彼は旅に出ると書き残して、勝手にいなくなってしまった。

 別れも言わずに。

 

『いつかお前も旅に出ることがあったら、そのときはまた会おうぜ』

 

 手紙の最後には、そう書いてあった。

 でもそれっきり、会わずじまいだった。

 当時の私は、かなり怒ったことを覚えている。勝手にいなくなるなんて、ひどいよって。

 怒りが収まってからは寂しさが残って。結構辛かった記憶がある。

 その辛さも時とともに落ち着いてからは、時折気になる存在だった。

 どこかで元気でやってるだろうかって。

 でも、そうか。フェバルだったのか。なら、あのときのことは納得できるよ。

 だって、そう言うしかないもんな……。

 

 感傷に浸っていると、トーマスが中身を伝えてきた。

 

「で、伝言の内容だ。『どうやら旅に出たみたいだな。俺は元気にしてたぜ。遅れるかもしれないが、必ず会いに行くから待ってろ』だそうだ」

 

 そっか。レンクス、会いに来てくれるんだ。

 旧知の友人が訪ねに来てくれることを知って、心強くもあり、嬉しくもあった。

 地球から離れてしまったから、もう二度と会えないと思っていたのに。また会えるんだ!

 思わず頬が緩んでしまった私につけこむように、トーマスが言った。

 

「あとよ、『前から思ってたが、女の子のお前が好みだ』ってよ。確かにその姿、中々可愛いらしいじゃねえか」

 

 彼はからかうように、にやりと笑った。

 

「は!? あ、あ、あいつ、そんなこと言ってんのか!?」

 

 急に顔が火照ってきた感覚があった。

 言われてみれば。覚えがある。

 いくら私が小さくて女の子みたいな見た目だったからと言っても、なんか可愛がり方が異常だったっていうか。

 

『お前が女の子だったらよかったのにな』

 

 って、にやにやしながらよく言ってたのが鬱陶しかったんだよな。

 やっとわかったよ。

 あいつ、さてはあのときから、中にこの私を見てたんだな! 私がこうなること知ってて言ってたのか、あのやろう!

 今度会ったら、絶対に文句を付けてやろう。絶対だ。決めた!

 それに、他にも言ってやりたいことはたくさんあった。

 あいつが去ってからのこととか、色々と。

 全部話してやるから、早く来てよ。

 

 そのとき、トーマスがうっかりしたという顔をした。

 

「そうだった! 肝心なことを言い忘れるところだったぜ」

「肝心なこと?」

「ああ。『お前がいる世界には、ウィルっていう危ない奴が置き土産を残してるらしいから気をつけろ』とも言ってたな」

 

 またあいつか……。

 意識したくなくとも度々現れる奴のことに、舌打ちしたくなる気分を抑えながら、トーマスに尋ねた。

 

「置き土産に気をつけろって、どういうことかわかりますか?」

「ああ。わかるぜ。ウィルの野郎は、フェバルの中でも相当いかれた坊やだからな。退屈凌ぎに世界を潰して回るのが大好きな、どうしようもない野郎さ」

「世界を潰す!?」

 

 その気になればやりかねないと思っていたけど、本当にそんなことをしているのか!?

 ひどく驚く私の顔を見ながら、彼は続けた。

 

「あいつな、時々世界が丸々滅亡するような危険因子を残して去って行くんだよ。そいつが何かのきっかけで働いて、世界が滅びるのを観察しては暇を潰してんのさ。ったく、そんな下らないことしたって仕方ねえのによ」

 

 聞いていて、胸糞が悪くなる話だった。趣味が悪いというレベルではない。

 だってトーマスの話と、レンクスが言ってたことを合わせると――。

 

 下手すると、私がいるこの世界が。

 アリスたちの暮らすこの世界が、滅びるかもしれない。

 

 そういう、ことじゃないか……!

 

 このとき私は、あいつに対して初めて、恐怖ではなく激しい憤りを感じていた。

 ああ。あいつのことは、確かに怖いさ。

 それでも興味が私に向いているなら、私だけが怯えていれば済む問題だった。

 だけど。あいつの恐ろしい力の矛先がこの世界に向かうというのなら、話は変わってくる。

 最悪だよ。

 あいつの怖さを知っているからこそ。

 きっとあいつは、確実に世界を滅ぼすような何かを用意しているに違いないという確信があった。

 許せない。暇潰しで、世界を潰すだと?

 そんなこと、させるかよ。

 あんな奴に、この世界を好きになんてさせてたまるかよ!

 気付けば、私は声を張り上げて、トーマスに食い付いていた。

 

「その置き土産、何なのか見当付きませんか!?」

「さあな。そこまでは聞かなかったぜ」

「なら協力して頂けませんか? その危険因子ってやつを排除したいんです!」

 

 だがトーマスは、平然と首を横に振った。

 

「やなこった。俺はあくまで傍観者よ。眺めてるのが好きな性分なのさ」

 

 その言葉が信じられなかった。

 何が傍観者だ! 何が眺めてるのが好きだよ! 

 みんなが死ぬかもしれないってわかってて、それをどうにかできるかもしれない力があって。なのに、どうして何もしようとしないんだ!?

 神経を疑ってしまう。

 

「どうしてですか!? 力があるんでしょう!?」

 

 強く問い詰める私に対して、彼はやれやれと言った調子で取り合ってはくれない。

 

「ボーイ。若いな。確かに俺は、力はあるぜ。だがなあ、俺に人を助ける義務なんかないんだぜ」

「そんな……!」

 

 冷たいよ。あんまりだ!

 あくまで彼は突き放す。どこかひどく冷めた顔で。

 

「それに、ちっぽけな世界一つなんてどうでもいいんだよ。もうそういうのは疲れちまった」

「っ……疲れたなんて、言わないで下さいよ! お願いです! 私の、大好きな世界なんです!」

 

 必死に食い下がった。これしかないんだ。

 私のちっぽけな力じゃ、まずどうにもならない。

 けど、私みたいな半端者じゃない、この世の条理を覆すという本物のフェバルの力なら。

 あいつの魔の手にだって対処できるかもしれない。そう思ったからだ。

 しかし、トーマスは頑として首を縦には振らなかった。

 

「大きな力は、使いどころを間違えると世界に歪みを生む。軽々しくは使えねえのさ」

「それは……そうかもしれないですけどっ!」

「その点、あんたの力はまだまだ小さいようだ。全力でかかっても問題はないはずだぜ」

「何が、言いたいんですか」

 

 怒りで肩を震わせる私に、彼は力を込めて言った。

 

「つまりだ! そんなに言うほど大好きな世界だったら、あんたが自分で守ってみせな! 別に、一人でとは言わねえさ。この世界の人間と力を合わせてよ」

「この世界の、人間と……」

「そうだ。いいか。あんたはこの世界で『暮らしてる』んだ。それを忘れるな。あんたならそれができるぜ。だが俺にはもう無理だ。俺はいつも『いるだけ』だからよ」

 

 彼の意志は固いようだった。

 でも今の言葉で、何となく彼の生き方がわかったような気がした。

 価値観が違うのだ。

 彼は本当に傍観者なのだ。彼は決して積極的に世界には関わらない。

 私は彼に協力を求めてはいけないのだろう。そう思った。

 

「わかりました。何かあったときには、私が何とかしてみます」

「おうよ! その意気だぜ!」

 

 トーマスは豪快に笑った。

 

「と、話がそれちまったが、伝言に戻るぜ」

「はい」

「もう一つは、エーナからだ。『あなたを救うためだったとはいえ、襲いかかってごめんなさい。今度会ったときは同じ仲間として歓迎したい』だってよ」

 

 そっか。まあエーナは、最初思ってたほどは酷い人ではなさそうだってのは何となくわかってきていた。だから、仲間として迎えたいと言われてもそんなに抵抗感はない。

 確かに始めに殺そうとしてきたときは怖かったけど。それも後のあいつのせいで霞んでしまった感がある。

 ただ。前から気になってるのは、「私を救うため」という言葉だった。

 あいつが殺人を止めたってことは、私は殺されていた方が良かったってことになるんだろうけど。どうもその理屈がわからない。

 

「そうですか。その、救うためだったっていうのが、どうにも納得いかないんですけどね」

 

 すると、トーマスは意外だというような顔をした。

 

「んん? 救うためってのが押しつけがましいのは同意だけどよ。あんた、もしかしてガチの新人か?」

「はい。これが最初の異世界ですけど」

「oh……なんてこったい。じゃあ、まだ知らないのか……」

 

 彼は、極めて同情的な顔をした。

 

「何がですか?」

 

 

 

「あんたなあ……。死ねない身体になっちまってんだよ」

「は?」

 

 あまりの事実に、時間が止まったような気がした。 



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19「星屑祭二日目 フェバルの運命」

 待ってくれよ……。

 それって、どういうことだよ……。

 

「死ね、ない……?」

 

 茫然とする私に向かって、トーマスは静かに頷いた。

 

「ああ。俺たちフェバルはな、なっちまった時点でいつまで経っても年は取らねえし、身体の方にも大きな変化はねえ。それに、何があっても絶対に死なねえんだ」

「そんな、馬鹿な……。あり得ない……」

 

 だって、現に私は今息をしている。食事をとらないとお腹だって空く。胸に手を当てれば、心臓だって動いてる。

 それは生命活動をしてるってことだ。命を刻んでるってことだ。

 なら、いつかは老いて死ぬのが当たり前じゃないのか!? それに老いなくたって、この心臓が止まれば死ぬのが当たり前じゃないのか!?

 それが、死ねないなんて……。

 不老不死を求める人間なら泣いて喜ぶだろうけど、私にはぞっとすることでしかなかった。

 

「あり得ない、なんてことはフェバルになったら通用しねえぞ。おかしいと思わなかったのか?」

「なにを、ですか」

「例えばウィルだけどよ、奴は見た目は少年だよな。だが、奴が本当に十代かそこらに思えるか!?」

「確かに……思えませんけど……」

「そうだろ!」

 

 確かにあいつは、ずっと異世界を旅してきてる口ぶりだし、実際そんな様子だった。

 見た目こそ私とそんなに変わらないけど、遥かに長く生きているはずだ。

 でもそれは、あいつが特別だからじゃないのか!? そう、イネア先生みたいに長命種だとか、あるいはあいつの特殊な力によるものなんじゃないのか!?

 私は違う。ちょっと変な能力を手に入れただけの、普通の人間だ。普通に死ねるはずなんだ……!

 だがそんな縋るような想いは、彼の言葉によって否定される。

 

「だがそれは、奴が特別だからじゃねえ。フェバルはみんな、そいつになった時点の肉体を維持し続けるのさ。しかも死ねねえ。あんただって例外じゃねえよ」

「いや、でも……」

 

 私はいつまでもずっとこの16歳の身体のまま。死ぬことが、できない?

 どうしてもその事実を認めたくなかった。受け入れたくなかった。

 何か抜け道はないのか。私がそうでないと思えるような何かは。

 ――そうだ。そうだよ!

 必死になって考えた私は、最後の希望に辿り着く。

 

「だって私は、前に死にかけたことがあるんですよ! 何日間も何も食べられなくて、死にかけたんです! あの感覚が嘘だったとは思えません!」

 

 あのままアリスに助けられていなかったなら、間違いなく死んでいたはずだ。

 なら、私は死ねるんだよ。きっと。

 さあどうだ! やっぱり私は普通の人間じゃないか!

 だが彼はまったく驚かなかった。

 

「そうだな……。俺の言い方だと語弊があったか」

「語弊……?」

「正確に言うとな、死にはするぜ。怪我とか病気とか、あんたの言う餓死とかでな。死に方によっちゃ苦しいし、死ぬ時の独特な感覚だって味わえる」

「え……」

 

 待ってよ。その言い方じゃまるで……。

 嫌な予感は、そのまま彼の言葉として返ってくる。

 

「けどよ、そいつは一時的な死ってやつよ。死んだところで、あくまでその世界では死ぬだけだ。次の世界で蘇っちまう。何事もなかったみてえにな」

 

 さらなる絶望だった。ということは、自殺すらできないということになる。

 私はくらくらしてきた。

 

「どうして、そんなことに……」

「さあな。俺にもよくはわからねえ。だが俺たちフェバルの旅には、この宇宙にとって何か大きな役割があるんじゃねえかって、俺はそう睨んでる」

「役割……」

「そうだ。ちゃんと旅ができるようにと、俺たちは何かに生かされてんだよ。その何かのことを、世界を渡るときに見える星が流れるような場所にちなんで、俺たちは星脈って呼んでる」

 

 星脈――。

 確か、あいつも一言だけそう言っていたような気がする。

 私は、トーマスに泣きつきそうになりながらも、ギリギリで踏み留まって尋ねた。

 

「どうにか、旅から逃れる方法はないんですか……?」

 

 彼は当然ながら、残念そうに首を横に振った。

 私は、完全に狼狽していた。

 頭ではわかってた。そんな方法があるなら、彼はとっくにやってるはずだ。でも、聞かずにはいられなかったんだ。

 

「どうにもならねえな。俺だって最初はこんな運命、認めたくなかったさ。で、色々やったんだがよ、全部ダメだった」

 

 彼は重い溜息を吐いて、続ける。

 

「例えば、頭完璧にいかれさせちまえば、死んだのと同じで楽になるかと思ってやってみたが、無駄さ。旅にとって深刻な障害っつうか、そういうズルはどうも星脈様は許しちゃくれねえらしい。世界を跨げばなぜか元通りよ。狂っちまうこともできやしねえ」

 

 少しの沈黙の後、ショックで何も言えないでいる私に、彼はしみじみとこう言ったのだった。

 

「あんまり長く生きてるとな。どいつもこいつも、精神がどっか壊れちまうんだ。擦れちまうんだ。耐えられねえんだよ。人様の精神は、長過ぎる人生を過ごすようにはできてねえってことだ。どうだ。この俺だってちっとはおかしいだろ? 自覚くらいあるぜ」

 

 おかしな恰好だったり、やたら躁状態になっていたり。確かに彼は、少しおかしいかもしれない。

 思えば、エーナにしてもちょっと様子が変だった。あいつは言わずもがなだ。

 レンクスは……あいつは、私への執着の仕方がかなり異常だったかな。

 

 みんながみんな、それぞれに心の闇を抱えてるんだ。

 そして私も、これから――。

 

『ユウ。僕はお前が壊れていく様が見たい。擦り切れていく様が見たい』

 

 あいつの言葉をまた思い出していた。

 あいつは、私がいつか終わらない旅に心をすり減らし、壊れてしまうだろうことを知っていた。だから、あんな風に言ったのか……。

 ますます口を閉ざしてしまった私に、彼は構わず続ける。

 

「だが、これに関しちゃ星脈様は治しちゃくれねえ。きっと正常な過程による変化だからだろうな。俺たちはどっかしらおかしくなったまま、この宇宙をずっと彷徨うしかないんだよ。永遠にな」

 

 永遠に。

 そこまで聞いて、ようやく私はフェバルの運命を理解した。

 どんなに強い力を手に入れたって。こんな過酷な運命にはあまりにも釣り合わない。 

 だって。待っているのは、絶望しかないじゃないか……。

 これから先、何千年も、何万年も。いや、もっともっと旅が続くとしたら。

 その間、私は知らない世界を延々と流され続けて。

 それがどんな内容であったとしたって、疲れ切ってしまうに違いない。

 私は、まともな人間でいられる自信がなかった。

 いつか必ず、私は壊れてしまうだろう。

 回避不可能なバッドエンド。

 いや。

 それでも旅は、終わらない。

 生は苦しみだって誰かが言ってたけど、その通りだ。

 終わらない生なんて、地獄以外の何物でもない。

 

 私は、その場にくず折れてしまった。

 ウィル……あの野郎……なんてことを、してくれたんだよ……。

 なんで、私を予定より早くフェバルなんかにしやがった!

 いくら後悔しても、もう遅かった。

 旅はもう、始まってしまったんだ。

 

 ちくしょう! ちくしょうっ!

 

 私は、固い地面を何度も殴りつけた。

 手の皮が剥がれ、血が滲んでも。何度も、何度も。

 悔しくて。運命が憎くて。絶望で、涙が流れた。

 

 こんなことになるなんて知ってたら。

 私は、生きることを選ばなかった。

 あのとき、死んでおけばよかった。

 エーナに、殺されておけばよかった!

 

 項垂れて嗚咽を上げる私に、トーマスはぶっきらぼうに声をかけてきた。

 

「あんたの考えていることを当ててやろうか。フェバルになっちまう前に、死んでおけばよかったと、そう思ってんだろ?」

 

 私は顔を上げて彼を睨みつけた。憎むべき相手は、彼ではないのに。

 

「ああ、そうだ。その通りですよ……!」

「エーナの奴もそうだな。ずっと運命を恨んでる。ただ、どうしようもないことをくよくよしてたって仕方がねえ。そうは思わねえか」

「っ……あんたは、それでいいでしょう……でも私は、あんたみたいに強くはないっ!」

 

 私は、希望がないとわかっていることに対して、そんな風にお気楽でいられるような人間じゃない!

 彼はかなりばつが悪そうな顔をしていた。

 

「まあ……色々脅すようなことは言ったがよ。旅は、悪いことばかりじゃねえとは思ってるぜ」

 

 ああ。確かに悪いことばかりじゃない。異世界に行かなければ、みんなには出会えなかった。

 でも、それとこれとは話が別だ。

 

「そうかもしれません! でも、あんまりだ! こんなの、ひどいよっ……!」

 

 涙が止まらない。

 俯いて泣き咽ぶ私を見ていられなかったのだろうか。トーマスはしゃがみこんで、私に目線を合わせてきた。

 力強い声で語る。

 

「いいか。泣いたままでいいから聞きな! 要は捉え方の問題だと思うぜ。確かに、事実としては終わらねえ旅だ。いずれは疲れ切ってダメになっちまうし、それでも休ませてはもらえねえ。俺もあんたもな。そういう意味では、お先真っ暗なのは確かだ」

 

 そうだろう! 私にはそんな拷問のような人生なんて、耐えられない。

 

「だがな。先がどうであろうと、過程を楽しむことはできるぜ」

 

 過程を。楽しむことは、できる。

 

 私はその言葉に、不意に心を打たれた。

 顔を上げると、そんなカッコつけた台詞はどうやっても似合わない、ヒゲ面のおっさんが目の前に映った。

 

「俺たちフェバルは、みんな生きがいを持つようにしてるんだ」

「生きがい……」

「そうだ。例えば俺は、傍観者として世界を眺めることを生きがいにしてる。あんたの知ってる奴で言えば、レンクスは同じフェバルとの仲間付き合いを生きがいとしてる。エーナは、フェバルになる予定の奴をこの運命から救ってやることを生きがいにしてる」

「…………」

「そうやって、自分の核となるものを見つけてよ。そうすりゃ、結構長い間は自分を見失わずにはいられるもんだ。それに、たまにこうやってお仲間に会ったりしてよ。そういうのも、変わっちゃいるけどよ、案外楽しいもんだぜ」

「…………」

「なあに。身体が死ぬのと、心がゆっくり死ぬのと。それだけが、普通とは違うだけだ」

 

 はっとした。

 その通りだと思ったんだ。

 フェバルの残酷な行く末だけを考えて、すっかり絶望してしまっていた。

 でもよく考えてみれば、普通の人生だってそうだ。

 結果だけを見るならば、最後には死んでしまう。後には何も残りはしない。

 それはある意味で、絶望でしかない。

 なのに、どうして必要以上に悲観したりはしないのか。

 それは、生きる過程こそが人生だからじゃないのか。

 生きがいを見つけ、過程を楽しむこと。

 その点において、普通の人生も、フェバルの人生も、やるべきことは何も変わらないということに気が付いた。

 違いは、生がそのうち終わるのか。いつまでも終わらないのか。

 そして彼の言う通り、普通の人間は心が死ぬより先に身体が死に、フェバルは身体が死ぬより先に心が死んでしまう。

 ただ、それだけなんだ。逆なだけなんだ。

 

 その違いが、非常に大きいとも思うけれど。

 事実としては何も変わらないし、辛いことには変わらないけれど。

 それでも私は、涙を拭いて立ち上がった。

 ほんの少しだけ、希望が持てたんだ。今はそれで十分だった。

 

「お、泣き止んだみてえだな!」

「すみません。取り乱したりして……」

「仕方ねえよ。だが、あんたも生きがいだけは持った方がいいぜ。ウィルの奴だがな。奴は他の奴らと違って、どうしても生きがいが持てなかった」

「そうなんですか?」

「ああ。奴は、昔はもっと純粋な奴だった。気持ちの良い奴だった。あんたのように世界に根付いて暮らしてよ。強力な能力を、その世界の人のために役立てることに使ってたんだぜ」

「あの、ウィルが……?」

 

 信じられない。あいつにそんな時期があったなんて。

 

「だが、あまりにも長い旅が奴をおかしくしちまった。一体いつからああなっちまったのかはわからねえ。ただ純粋だっただけに、反動も大きかったのさ。奴は……破壊者になっちまった」

 

 ウィルの冷め切った目の理由が、わかったような気がした。あいつこそ、心をすり減らして壊れてしまった、そんな哀しい存在だったのか。

 

「奴はな。普通に生きて死んでいく、普通の感情を持つ人間が憎いんだよ。そして何より、星脈そのものを憎んでる。だがその憎いって気持ちすら、長い時の中で擦れちまって、どうしようもなくなっちまってる」

「あいつが……」

「そんなままならねえ感情を、どこへぶつけたらいいかさえわからねえ。奴は世界や同じフェバル、そういう奴にとってはつまらねえおもちゃで遊ぶしかやることがねえのさ……」

 

 そう言って、彼は寂しそうな目をした。

 

「だから奴は、大馬鹿野郎だとは思うがよ。奴の気持ちも、わからないでもねえんだ」

 

 話を聞いて、私もあいつに同情してしまっていた。まさか、あいつにこんな感情を向ける日が来るとは思わなかったけど。

 ただ、同情はできるけれど、あいつがやっていることを絶対に許すことはできないとも思うのだ。

 トーマスは、私のことをまっすぐ見つめて言った。

 

「ユウ。あんたはフェバルとしてどう生きる。どう生きたい」

 

 その問いは、まだ難し過ぎて答えられなかった。

 

「わかりません……。こんな話を、聞かされたばかりですから」

「まあそれもそうだな。その答えをゆっくりでもいいから、見つけるといいぜ。でないと、いつか奴のようになっちまうかもしれねえぞ。あんたと昔の奴は少し似てるからな」

 

 似てる? 私とあいつが……?

 どう似ているのか気になったが、その辺りのことを聞く前に彼が話を終わらせてしまった。

 

「よし! 長くなっちまったな! 話はこれでおしまいだ! 俺はまた傍観者に戻るとするぜ!」

「色々と教えて頂いて……ありがとうございました」

 

 取り乱して散々失礼なことをした分の謝罪の気持ちも込めて、彼に深々と頭を下げた。

 彼はあまり気にしていない様子だった。

 

「おうよ! 俺はこれから隣の国へ行ってみようと思ってるぜ。もうこの世界じゃ会うこともないだろうよ。またいつかどっかで会おうぜ!」

 

 彼が印を結ぶと、またあの浮遊感が発生した。

 

 気が付けば、私だけがコロシアムの前に立っていた。

 時間が経っていること以外は、周囲の様子は何も変わりない。トーマスの姿もどこにもなかった。

 まるで向こうでの話が夢であったかのような、そんな錯覚さえ覚えてしまう。

 あれ、手が――。

 あれだけ地面を殴りつけてボロボロのはずだった手は、いつの間にか綺麗さっぱり治っていた。

 彼が私を飛ばすとき、一緒に治してくれたのだろうか。

 トーマス・グレイバー。

 強い人だと思った。能力もそうだけど、心が強いと思った。

 私が彼のように強くなれる日は、来るのだろうか。

 

 私は、フェバルの運命を知った。あまりにも残酷な真実を。

 これから、何のために生きるかは難しい問題だ。まだまだ私には見えていないことが多い気がするし、正直言われただけのことで実感が伴っていないというのもあった。

 だから、まだどうしたらいいかなんて全然わからなかった。

 でもトーマスの言う通り、生きがいについてはこれからゆっくり考えていけばいいと思った。

 何せ時間は、永遠にあるのだから――。

 私の中に、自嘲にも似たどす黒い感情が込み上げるのを感じた。

 ……とりあえず今は、できることをしよう。

 あいつが残したという危険因子を警戒しながら、これまで通り気や魔法の修練に励みながら過ごすこと。それが今の私にできる精一杯のことだ。

 修行するのは、今度は私が強く生きるためじゃない。

 私はどうせ死なないらしいから。いや、死にはするんだったか。

 あいつ絡みで何かあったときのために、できるだけの力が欲しい。そう思った。

 なんだ。結局私のすることは、大して変わらない。

 そうだよね。運命を知ったところで、それは遠い先のこと。

 今ここにいる私が、変わったわけではないのだから。

 行こう。

 午後には魔闘技の予選が待ってる。そろそろご飯食べないと。 

 

 私は、俯いたまま歩き始めた。



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間話2「ヴェスターと仮面の女」

 星屑祭二日目の朝。

 アリスとミリアは、午前中行動をともにするはずであったが……。

 待ち合わせの場所に、ミリアの姿はどこにもなかった。

 

「いない……。あれー? ミリア、どこ行っちゃったのかな?」

 

 アリスは、一人で首を傾げていた。

 

 

 ***

 

 

 時は少し遡り。

 人気のない通りの、さらに路地裏の奥で、二人の人間が会話をしていた。

 一人はあの仮面の女。もう一人は男だった。

 彼は逞しい体つきをしており、オレンジ色の短髪をろくに整えず、生え散らかすままにしている。

 年の頃は三十代前半と言ったところだろうか。一つ一つの所作からは、どうにも粗野な印象を与える人物だった。

 彼こそが、ヴェスターその人である。

 星屑祭三日目に起こす事件について、仮面の女は彼にその詳細を話していたところだった。

 

「――と、いうわけよ。理解できたかしら」

「おう。要は、明日コロシアムでとにかく大暴れすればいいんだろう?」

 

 仮面の女は、心底呆れ果てた。

 彼の生存率を少しでも上げるため、丁寧に説明してやったことの一割も理解していない。

 

「ちゃんと話を聞いていたのかしら。あなたがそんなでなければ……」

 

 残念そうに吐き出された彼女のその言葉が、どうにも彼にとっては気に入らなかったらしい。

 彼は突然激昂した。

 その様は、とても良い年をした大人とは思えない。チンピラか何かのごとくであった。

 

「なんだぁおい!? なんか文句でもあんのかよぉ!?」

「いいえ。あなたの『行動力』は信頼してるつもりよ」

 

 彼女は一切の尽力を諦めた。馬鹿が考えなしで死ぬなら、もう勝手に死ねばいい。

 仮面の奥の目が蔑むような冷たい光を宿していることに、ヴェスターはまったく気付かない。

 

「そうだろう。任せとけよ! 部下引き連れて暴れてよぉ、マスターにきっちり戦果報告してやんぜ!」

「期待してるわ」

 

 その声色には、まったくもって期待が込められていなかった。

 

「ところで――ネズミがいるようね」

 

 そう言って、仮面の女は路地裏の表に通じている方を見やる。

 すると観念したか、初老の男性が姿を現した。

 彼は怯えていたが、なけなしの勇気を振り絞って二人を目に焼き付ける。

 

「おいおい。こそこそ盗み聞きはよくねぇなぁ~」

 

 ヴェスターが、残忍な笑みを浮かべた。

 男性は二人に背を向け、目もくれず走り出した。

 

「くそっ! 仮面の集団め! 何としても、魔法隊か剣士隊に報告を……!」

「させねぇよ」

 

 ヴェスターが手をかざすと、逃げ出そうとして路地裏を抜けたばかりの男の元に、突如大爆発が起こった。

 その威力は凄まじいものがあった。

 彼の肉体は、あわれ爆散してしまった。おそらくは死の瞬間すら認識できなかったであろう。

 既に彼が生きていた証拠は、わずかな肉と骨の破片、大きく黒焦げた跡を残して他にない。

 徹底的かつ冒涜的な破壊である。

 確かな手ごたえに、ヴェスターはほくそ笑んだ。

 

「《コレルキラス》。マスターにもらったこいつさえありゃあ、オレァ百人力よ」

 

 愉悦の表情を浮かべる彼に対し、仮面の女はいらついていた。

 

「馬鹿ね。殺し方を考えなさい。あんな大きな音を出せば、誰かが来てしまうでしょう。早くここから離れるわよ」

「ちっ。へいへい。せっかく人が良い気分だったのによぉ~」

 

 二人は路地裏をさらに奥へ進み、いずこへと消えて行った。

 

 

 ***

 

 

 事件が起こった瞬間、爆発の起こった場所から少し離れたところに、私は居合わせていました。

 

 危なかった……。

 変だったから、何だろうと思って後を付けていたんです。

 途中ですっかり見失ってしまいましたが。

 その代わり、これが……。

 黒焦げた跡に屈み込んで、せめてもの祈りを捧げます。

 もし私が、あの場を覗いていたならば。

 死んでいたのは――私でした。

 腰が抜けそうです。今の私、どんなひどい顔をしてるんでしょうか。

 結局何があったのかは、わかりませんでした。

 ですが、犠牲者の方が「仮面の集団め!」と、そう叫んでいるのだけは、辛うじて聞こえました。

 仮面の集団。目的は一切不明。

 多くの構成員が仮面を被り、見たこともないロスト・マジックを使い、破壊活動や遺跡荒らしを行う不気味な奴らです。

 私の親戚一家を惨殺した、憎らしい連中でもあります。

 それにしても、あの爆発は。あの魔法は――。

 まさか……。

 まさか、ですよね。

 私は、恐ろしい予感を捨てきれないまま、その場を後にしました。

 それから一応、魔法隊の方にこの出来事を報告しました。ですが詳細がわからない以上、捜査は厳しいものとなりそうでした。

 残念ながら、仮面の集団によるよくある事件として片付けられることになりそうです。

 この報告のせいで、私はアリスとの待ち合わせ時刻に、かなり遅刻してしまいました。

 彼女には文句を言われましたが、この話をすると一転、すっかり心配してくれたのでした。



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20「星屑祭二日目~三日目 予選の顛末 そして」

 結論から言えば、予選は楽勝だった。

 私は第四試合に出場した。

 

「はい! ただ今から、個人戦予選の第四試合を始めます!」

 

 司会はさすらいのトーマスから、本来務めるはずであったベラ・モール先生に戻っていた。

 試合が始まると、他の四人は前評判もそこそこにある私を集中的に狙って、落とそうという作戦を取ってきた。

 左方から風魔法《ラファル》、右方から火魔法《ボルクナ》、中央から雷魔法《デルスラ》。いずれも中位の攻撃魔法を放ってきた。

 残りの一人は、一見すると何もしているようには見えなかったが、実際そうであるとは考えにくかった。

 危険を感じてその場を退くと、立っていた所に土魔法《ケルダー》が姿を現した。足元を縛る目的で使用されるものだ。これに捕まっていたら、魔法の集中攻撃を食らっていたかもしれない。少し危なかったシーンだった。

《ケルダー》を対処したことで、残りは三つ。差し迫った状況に、何度も魔法を使う余裕はない。一手で打破しなければならないが、さてどうしたか。

 私は、左手でオリジナルの風魔法《ラファルス》を相手の《ラファル》にぶつけるように放ち、同時に右手で水壁魔法《ティルモール》を展開した。

 火と雷は水の壁でどうにかする。風だけは水を切り裂いてしまうから、同じ風をぶつけることで打ち消すことにしたのだ。

 この判断は功を奏し、すべての攻撃をノーダメージで防ぐことができた。

 彼らは作戦が失敗して動揺していた。反撃するなら、今がチャンスだろうと私は踏んだ。

 この日はこの一試合だけだ。よほど無理をしなければ、翌日には魔力は全快する。だったら、魔力を出し惜しみをする必要なんかない。

 それに、さっきの大したことない攻撃と今の動揺っぷりから、四人の実力の底も露呈していた。ごり押しでも問題ないだろう。

 トーマスの話を聞いて死ぬほど気が滅入っていた私は、気晴らしに派手にかましてやることにした。

 

 燃やし尽くせ。

 

《プロミネンス》

 

 上位魔法《ボルアーク》をさらに超える威力の、強力無比なガス状の炎が四つ、うねるようにしてそれぞれ四人へと飛んでいった。

 彼らは必死になってそれを打ち消そうと水魔法を放っていたが、無駄だった。中位の水魔法《ティルマ》程度では、これほど強い炎を打ち消すことはできない。

《プロミネンス》は、《ボルアーク》の亜種として新たに考案した魔法だ。太陽の発する紅炎に見た感じがよく似ているから、そのまま名付けた。威力こそ凄まじいものの、《ボルアーク》よりかなり魔力の燃費が悪く、実際には使い勝手が悪い失敗作だった。

 それでもあえて使ったのは、先程言ったように、高い魔力に任せただけのごり押しに過ぎない。おそらく実力者にはそう簡単に通じず、魔力の無駄遣いに終わってしまうだけだろう。

 だけどまあ、このときはしっかりと全員に当たり、彼らは無様に砂地を転げ回った。

 放っておくと本当に相手を燃やし尽くしてしまいかねないので、危なくなる前に数秒程度で解除することにした。

 それで十分だった。四人とも、もはや立ち上がることができなかった。

 

「勝者、ユウ・ホシミ!」

 

 ベラ・モール先生によって試合の終了が宣言される。実にあっけない決着だった。

 

「爆・炎! 爆・炎! 爆・炎! 爆・炎!」

 

 どこからともなく爆炎コールが湧き上がる。

 しまった!

 あんな派手な火魔法一発で決めるんじゃなかった。私の爆炎女としての異名をさらに高めるだけじゃないかと、そのとき初めて気付いたのだった。

 魔法のチョイスをミスったと後悔したが、時既に遅し。

 本当は風魔法の方が好きなのに……。

 鳴り止まぬ爆炎コールを背に受けながら(もちろんアリスも一緒になって楽しそうにやってた)、私は恥ずかしいような、鬱陶しいような気分を抱えつつ、闘技場を後にしたのだった。

 

 

 ***

 

 

 夜にはミリアから、朝に起こった殺人事件のことを聞いた。それから関連して、少し気になっていた仮面の集団のことについても聞くことができた。

 どうやら、ロスト・マジックを信奉する危ない奴らということらしい。

 それで、ミリアはこう言ったのだった。明日はどうしても調べなければならない用事ができたから、しばらく一人で動きたいって。決勝戦まで残っていれば、もしかしたら間に合うかもしれないと。

 結局、アリスだけが一回戦から見に来てくれることになった。

 

 翌日。本戦に臨んだ私は、運良くアーガスとは決勝まで当たらない組み合わせになった。一回戦、準決勝をどうにか勝ち上がり、当然のように勝ち上がってきたアーガスとの決勝戦を迎えることとなる。

 それまで大きな怪我はなく、魔力の消費も上手く抑えられたので、良いコンディションで彼との戦いに臨むことができそうだ。

 

 入場すると、場内はこれ以上ないくらいに白熱していた。私は手を振ってその熱に応える。

 前を見れば、アーガスもこなれた感じで声援に応えていた。一部、女子ファンの黄色い声援が混じっている気がするのは、きっと気のせいじゃないだろう。

 途中、観客席で応援しているアリスの方を見た。アリスは、まさに全身を使って身振り手振りで私のことを一生懸命応援してくれていた。それを見て、私の心はますます弾んだ。

 まあミリアがどこにも見当たらないのは残念だったけど、仕方がない。まだ忙しいのだろう。

 ついに私とアーガスは、闘技場の栄誉ある決勝の舞台で向かい合うことになった。あのときに誓った、入念な準備の下に全力で戦うという約束を、今こそ果たす時が来たんだ。

 

 この場にいるほとんど誰もが、間もなく始まる試合を楽しみにしていたことだろう。

 そして誰もが、間もなく起こる惨劇など、知る由はなかったに違いない。



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21「星屑祭三日目 白熱の決勝戦 ユウ VS アーガス」

 試合が始まると、アーガスは不敵に口角を上げた。

 

「どう仕上げてきたのか見せてもらおうか。かかってこいよ」

「ああ。言われなくても見せてやるさ」

 

 相手はあのアーガスだ。持てるすべてをぶつけなければ、勝負にすらならないだろう。

 今までの試合では魔力の消費を抑えるために使ってこなかったけど、この試合では常時アレをかけておくべきだろうと思った。

 

 加速しろ。

 

《ファルスピード》

 

 風の力を身にまとって、私は素早さを大きく上げた。

 

「早速それか。ならオレも」

 

 アーガスの身体にも風の力が宿ったのが様子からわかった。どうやら彼も同じ《ファルスピード》を使ったみたいだ。

 これで速さは互角。

 魔法の範囲や速度に対し、身体の動きが鈍かった今までの相手は、魔法を直接避けることはほぼ不可能だった。彼らは、もっぱら魔法をぶつけて打ち消すことで魔法に対処するしかなかった。

 だが今度の状況は全然違う。お互い考えて打たないと、魔法は簡単にかわされてしまうスピードだ。

 これまでの試合のように、足を止めての魔法の打ち合いではなく、双方激しく動き回りながらの戦いとなるだろう。それはこの試合が、今までのどの試合とも本質的に異なる展開となることを意味していた。

 よし、いこう。まずは小手調べだ。

 

 火炎の速球。

 

《ボルケット・ショット》

 

 威力を多少犠牲にして速度を上げた火球を、アーガスに向かって放つ。

 

「よっと」

 

 だがいくら速いとは言っても、不意打ちでない以上、やはり容易く避けられてしまう。

 そこでもう一工夫。

 彼がかわしたばかりのタイミングを見計らって、火球を分裂させた。

 

《スプリット》

 

 火の球は、いくつかの小球に分かれて飛び散っていく。うち一つは、身をかわしたばかりの彼に直撃するコースだ。

 しかし、彼は冷静だった。

 

「発想は悪くないが、一つ一つの威力が弱いぜ」

 

 彼は最小限の水魔法で、自分に向かって飛んできたその火球をかき消してしまった。実力者らしい堂々とした立ち回りだ。

 でもそんなことは想定内。私は構わず攻撃を続ける。

 

「まだまだいくよ」

 

《ボルケット・ショット》

 

 ショット。ショット。ショット。ショット。ショット。

 

 何発も何発も、次々と同じ魔法を彼に向けて放っていく。そして分裂させていく。

 彼はその全てをかわし、あるいはいなした。

 

「つまんない攻撃だな」

「いや、周りをちゃんと見てみなよ」

「――ほう」

 

 私の言葉に従って周囲を見回した彼は、少し驚いたようだった。

 そう。私は何も考えなしに火球を撃ちまくっていたわけではない。アーガスに消されなかった分の小球は無駄にせず、彼の周りを包み込むように待機させていた。

 実に数百発もの火の玉が、彼一人を狙い定めている。

 

「で、どうする気だ」

「散らばった無数の火の球は、風に包まれて一つの形になる」

 

 巻き上がれ。炎の竜巻。

 

《ファイアトルネード》

 

 私は風魔法で強烈な竜巻を起こした。それはたくさんの火の球を巻き込んで、強力な炎の竜巻を形成する。

 そしてそいつを、中心にいるアーガスに向かって徐々に狭めていった。もちろん逃げ場など存在しない。

 

「なるほど。そうきたか!」

 

 嬉しそうに笑った彼は、だがしかしまったく慌てた様子ではない。

 すると彼を中心として、私が作り出した竜巻とは逆回転の強烈な旋風が巻き起こった。それはいとも簡単に、炎の渦を内部からかき消してしまったのだった。

 彼が持つ、私以上の強大な魔力によって為せる力技だった。

 残念。有効打にもならなかったか。

 落胆する私の気持ちを察したのか、アーガスは慰めるような調子で言った。

 

「いや、中々だったぜ。このオレに初めてまともな魔法を使わせたこと、褒めてやるよ」

「本当?」

「ああ。この一か月、きちんと準備して来たようだな。褒美に少しだけ、本気を出してやろう」

「その言葉を待ってたよ」

 

 どうせならいつもの訓練モードな彼でなく、もっと本気を引き出して思い切りやりたいと思っていたんだ。だからその言葉を聞いたとき、彼に認められたような気がして嬉しかった。

 

「ただ、あっさり決着がつくと面白くないな」

 

 そう言って、彼は思案顔をしている。

 あっさりだって。よく言うよね。

 ちょっとだけむっとしていると、彼は何か閃いたらしく、一人で勝手に頷いていた。

 

「よし。ハンデとして、オレは魔法の宣言をしてやるよ」

「いいのかな。そんなことして」

 

 宣言をするということは、どんな魔法がいつ来るのか相手にわかってしまうということである。サービスもいいところだった。このあまりに自信過剰とも思える彼の発言に対して、さすがに首を傾げてしまう。

 

「いいんだよ。それくらいで丁度良いだろ」

 

 あくまで彼はそう主張した。何だかその鼻っ柱をへし折ってやりたい気分になってきた。

 

「あんまり舐めるなよ。その余裕の面、剥がしてやるからな」

「へっ。やってみろ」

 

 彼は地面に向けて手をかざすと、宣言した。

 

「現れよ。砂の魔像。《ケルエンティオ》」

 

 すると彼の真下から、徐々に砂の像が盛り上がっていった。それはみるみるうちに人のような形を成していく。

 会場から大きな驚きの声が上がる。

 やがて出来上がってみれば、それは優に五メートル以上はあろうかという巨体で、金剛像のような堂々たる雄姿を誇っていた。

 彼は像の肩の辺りに悠々と乗っている。余裕綽々と説明をかましてくれる。

 

「魔力を与えたこの魔像は、鉄以上の強度を誇る。危ないから叩き潰さないように攻撃はしてやるが、一撃でもまともにもらえばおしまいだぞ」

 

 私は、初めて見るタイプの魔法に内心わくわくしていた。

 さすがアーガスだ。他の人には真似のできないことをやってくれる。

 そんな私の顔を見て、彼はにっと笑った。

 

「良い顔だ。いくぞ」

 

 魔像の巨体から、砂地をゴリゴリ抉りつつ、地面と平行にパンチが繰り出される。叩き潰さないと言っていた通りの優しさだろうが、攻撃自体はすごい迫力だ。

 大きさゆえに、その動作は一見すると人間のそれと比べてゆっくりであるように見えるが、実のところはかなり速かった。

 私は上手く身を翻し、辛うじてその攻撃をかわす。

 もちろんそれだけでは終わらず、返す腕による薙ぎ払いが迫ってくる。

 対しては、地面を強く蹴り、バック宙でその腕を飛び越えた。

 すぐ下を腕が通過するのを見ながら、危なげなく着地する。このあたりの軽やかな身のこなしは、男のときにこなしてきた修行が生きていた。 

 とりあえずほっとしたけれど、休んでいる暇はない。即座に構えて魔法を放つ。

 

 切断しろ。水刃。

 

《ティルカ》

 

 目の前の何もない空間から、極細いレーザー状の超高圧水流が生じ、直線的な軌道を描いて飛んでいく。狙うのはもちろん砂の魔像だ。

 イメージとしては、ウォーターカッターに近い。強力なやつだとダイヤモンドすら切れるらしいけど、まあそうしてやるくらいの気持ちで撃てば、いくら魔力のこもった固い砂と言えどもひとたまりもないはずだ。

 切り刻んでやる。

 だがアーガスは、余裕の表情を崩さぬままだった。

 

「そう簡単にいくかよ。跳ね返せ。《アールレクト》」

 

 攻撃がついに届こうかというところで、魔像の目の前に光の壁が展開された。水の刃はそれに当たると、威力はそのままに、なんと方向を真逆に変えて私の方へと向かってきたのだった!

 反射魔法だ!

 咄嗟に身を伏せて、主に牙を剥いた水流を回避する。

 私の頭上をすれすれで通過していった《ティルカ》は、闘技場の壁に到達すると、そこに見事な細穴を開けてしまったのだった。

 うわ……わかっていたけど、我ながら容赦ない威力だ。危なかった~。

 

「おい。よそ見してると死ぬぜ」

 

 はっと気が付くと、すぐそこに魔像が迫っていた。

 逃げようとするが、時間がない。

 仕方なく、ほぼ伏せた状態のまま地面を蹴ったが、あまり勢いは付かず、転がるので精一杯だった。直後、私のいたところを魔像の足がさらっていく。

 無様に転がり続ける私に、手で足でと畳み掛けるように連続攻撃が襲ってくる。対する私は避けるのに精一杯で、中々立ち上がることすらできない。

 たまらず弱音を漏らした。

 

「ちょ、ちょっと待って!」

「勝負に待つもくそもあるかよ」

 

 当然、攻撃は続行される。

 隙を見てどうにか立つことだけはできたが、闘技場の壁際まで追いつめられてしまった。

 炎の竜巻のときと対照的。今度は、逃げ場がなくなってしまったのは私の方だった。

 大ピンチだ。

 だがこの状況は、最大のチャンスでもあることに私は気付いた。

 私は魔像をギリギリまで引きつけると、腕が迫ると同時、風魔法を使ってふわりと飛び上がった。

 闘技場端の壁の上に乗り、そこから、まだ戻り切っていない魔像の腕の上に飛び移る。

 そして、その場に両手をついた。

 やることは、一つだ。

 

 砂よ。元に戻れ!

 

《魔法解除》

 

 魔力を流すと、砂の魔像はその形を維持できなくなって、崩れ去っていく。

 観客から盛大な拍手が上がった。そのことに少し気分を良くする。

 崩れゆく魔像からさっさと飛び降りたアーガスは、感心したように言った。

 

「解除するとは。本当にやるじゃないか」

「余裕の台詞、どうも。で、またあれをやるつもり?」

 

 正直、またあれをやられると大変だ。でも今ので攻略法はわかったし、なんとかなるだろうとも思うけど。

 アーガスは首を横に振った。

 

「いや、あれはまあ遊びみたいなもんだしな。観客に見栄えが良いだろ」

 

 からからと笑う彼。

 そう言えば、彼は結局魔像を使っている間に他の魔法はほとんど使わなかった。確実に使える上に、使えば私をもっと効率良く追いつめられたにもかかわらず。

 そこでようやく、今まで遊ばれていたことに気付いた。

 またむっとしてしまう。こっちは結構真面目にやってたんだぞ。

 

「本気って言わなかったっけ」

「少しだけって言っただろ」

「ちぇっ。嫌みな奴だな」

「あー、わかったよ。今度こそ本気だ。もっと凄いやつを見せてやるさ」

「へー、それは楽しみだね!」

 

 軽口を叩きながら存分に戦うこの時間。

 私は心の底から楽しかった。アーガスも本当に楽しそうな顔をしていた。

 そんな空気が伝わったのか、会場のみんなもまた純粋に試合を楽しんでいる様子だった。熱くも清々しい雰囲気で満たされている。

 アーガスの顔つきが、やや真剣なものに変わった。

 

「火、雷、水、風、土、氷、光、闇。代表的な八つの魔法の属性だ」

「それがどうしたんだ」

「ユウ。今からお前に、上位魔法の素敵な八重奏をお見舞いしてやろう」

 

 私はごくりと息を呑んだ。

 彼はさっき言った順番通りに上位魔法を次々と唱え、待機状態にさせていく。

 まだ何も発現していない、各属性の特徴的な色を持ったシンプルな大球が、一つずつ現れていく。そこから魔法が飛び出すみたいだ。

 その隙のない流れるような詠唱速度と、各属性魔法の完璧と言っても良いほどの精度に、私を含め会場の誰もが驚嘆していた。

 

《ボルアーク》

《デルバルト》

《ティルオーム》

《ファルヴァーン》

《ケルマスカ》

《ヒルオーム》

《アールリオン》

《キルベイル》

 

 間もなく、上位魔法八属性の球が揃い踏みする。それらは、主であるアーガスの周りを取り囲むようにして、くるくると浮かんでいた。

 その幻想的な光景に、不覚にも祭りの夜に灯る七色の魔法灯が思い起こされた。綺麗だなと思ってしまった。

 しかし現実には、これらの魔法は見世物ではなく――いや、観客にとっては美しい見世物に違いないし、もしかしたら彼もそのつもりでやってるんだろうけど――恐ろしいことに、矛先は全て私に向いているのだった。

 まさに、圧倒的。

 いやいや。こんなの全部食らったら、間違いなく死んでしまうって!

 背中に嫌な汗が流れるのを感じた。

 そんな私の焦りを汲み取ったのか、アーガスは憎らしいほどクールなスマイルを浮かべてこう言ってきたのだった。

 

「心配するな。途中で倒れたらちゃんと止めてやるからよ」

「やるしかないのか……」

「ああ。いくぜ!」

 

 八つの絶望が、闘技場を埋め尽くすようにして迫る。

 特にやばそうなのは何だ。見極めろ。

 火傷してしまう《ボルアーク》、凍傷の危険がある《ヒルオーム》、打ち消し方がわからない光弾魔法《アールリオン》と闇魔法《キルベイル》だと咄嗟に判断する。この四つだけでも、なんとか避けなければならない。

 となると、私のアンサーは。

 まず、《ティルオーム》と《ボルアーク》を、それぞれ《ボルアーク》と《ヒルオーム》に放って打ち消した。そうするだけで、遠くから安全に打ち消すのは時間的に精一杯だった。

 それから、《アールリオン》と《キルベイル》の向かって来る方向は、何とかこのスピードを生かして回避する。

 これであと四つ。危なそうなのはどうにか捌いたが、もう余裕がない。

 どうせすべては避けられない気がしたので、ならばと、私は一番大したことがなさそうな水流魔法《ティルオーム》に、《ラファルス》を放ちながらあえて突っ込んでいった。

《ラファルス》によって多少威力こそ軽減されるものの、あまりの水流の激しさに、意識を持って行かれそうになる。

 そこに加えて、雷魔法《デルバルト》が襲来。

 アリスとミリアも用いた、水と雷の相乗効果による、激しいショックが私を襲った。

 

「うあああああああああああああーーーー!」

 

 だが二人による全力の合わせ技とは違い、二つともごく普通の上位魔法だったことが幸いした。威力があれほどではなかったのだ。

 痛みに叫び、よろよろになりながらも、何とか力尽きて倒れることはなかった。水流を突き抜けることには成功した。

 しかし、攻撃はまだ終わらない。

 最後に残った二つ。猛風の刃《ファルヴァーン》と、巨大な岩《ケルマスカ》が、すぐそこまで迫っていた。

 一介の風魔法好きとして、ここで《ファルヴァーン》に打ち負けるわけにはいかない。手慣れた最速の手順で、風と水の合成魔法を唱える。

 

 行け!

 

《ハリケーン》

 

 もちろんモデルは名前そのままだ。本物ほどの威力は全然ないけど、それでも強力な魔法の一つである。

《ハリケーン》が、二つの魔法とぶつかる。

 面目躍如で、《ファルヴァーン》の方は見事に掻き消えてくれた。

 けれども、巨大な質量を持つ《ケルマスカ》を削り切ることができない。

 目前に、大岩が迫る。

 私はそいつに激突して、激しく吹っ飛ばされた。咄嗟に受け身はとったものの、まるで車の交通事故にでも遭ったかのような衝撃が全身を襲う。

 目まぐるしく景色は移り変わり、何度も砂地をバウンドして私は倒れ込んだ。

 頭がくらくらする。身体中が軋むように痛い。

 軽く血反吐が出た。少し中の方をやられてしまったらしい。

 

 気がつくと、激しい魔法の応酬によって視界は著しく悪くなっていた。私たちの姿を確認できる者はほとんどいないだろう。

 私もアーガスがどこにいるかわからなくなっていた。

 だがそんなときは、特訓のときにミリアに教えてもらったこの魔法が役に立つ。

 

 見通せ。

 

《アールカンバー》

 

 光のベールが包むと、一気に視界が晴れ上がる。

 するとアーガスの方も、何らかの方法で私のことを視認しているのか、しっかりと私の方を向いているのがわかった。

 彼は自分で思い切りやっておきながら、かなり心配した様子で声をかけてきた。

 

「どうだ。もう無理そうか?」

「いや。まだだ。まだ、やれる……!」

 

 イネア先生との過酷な修行が、私に痛みに耐える心と力を与えていた。

 死にかけたことだって何度もある。それに比べればこのくらい……!

 かなりダメージは大きいけれど、まだやれる。

 ふらふらになりながらも、私はどうにか立ち上がった。

 アーガスは、驚きと称賛のこもった声で言った。

 

「あれだけ食らってまだ立てるのか。本当に大したもんだ。実はな。さすがのオレも、今のはまあまあ魔力を使っちまった」

「え?」

 

 驚きだった。

 でもよく考えてみれば、上位魔法を八発も撃ったら、私だって魔力の大半を持っていかれてしまうだろうということにすぐ思い至る。

 見た目こそ派手ではあったが、実際にはいくらかかわすこともでき、すべてに対処する必要がないさっきの彼の攻撃は、正直言って無駄が多かった。

 魔力をたくさん使うことがわかっていながら、なぜそんな変な真似をしたんだろう?

 その疑問は、彼がすぐに答えてくれた。

 

「いや、一度属性魔法たくさん使って周りを驚かせてみたくてな。少しカッコ付け過ぎたかな」

「おいてめえ」

 

 私はお前のパフォーマンスの道具じゃないんだぞ。こら。

 

「だが、かなり本気ではあったぜ。これは嘘じゃない」

「そうかい」

 

 悪びれもせずに弁解するアーガスを、私は内心呆れながらじと目で睨みつけた。

 

「それに、ちゃんと魔力は残してるさ」

「ふーん」

「……いや、悪かったよ」

「へえー」

 

 私の不機嫌をありありと察したのか、彼はようやく向き合ってくれる気にはなったらしい。

 

「そうだな――よし。あれを耐えきったお前に敬意を表して、重力魔法を使ってやるよ。今のお前なら使っても大丈夫そうだからな」

 

 その言葉を聞いて、単純な私は舞い上がった。

 ついにアーガスが、重力魔法を使う。

 試合前からそうさせることをずっと目標にしてきたのだから。

 

「今度こそ、本気の本気ってことでいいのかな」

「ああ。期待してくれ」

 

 視界は未だ晴れず。

 私たちの戦いは、次のステージに突入する。

 

「加重せよ。《グランセルビット》」

 

 彼が宣言すると、私に強烈な重力がかかっていった。体重が何倍にも重くなったような気がする。

 ぐ、重い……とても動けない。立てなくなりそうだ。

 このままじゃまずい。

 

 対抗しろ。反重力魔法。

 

《グランセルリビット》

 

 すると多少はマシになったが、悲しいかな、魔法の影響を失くすにはほど遠い。

 

「ほう。だが無駄だぜ。お前に教えたそいつは、重力魔法と言っても初歩の初歩に過ぎない。そらよ」

 

 彼が手をかざすと、さらに重力は強くなる。私の弱わっちい反重力魔法なんか、もはや焼け石に水だった。

 

「そして、こいつだ。《ボルケット・ダーラ》」

 

 上から巨大な火の玉が、重力によって勢いを増しながら落ちてくる。

 あれはまずい。

 迎え撃ちたいけど、水じゃダメだ。重力のせいで、撃ったところですぐ下に落ちてしまう。

 風、しかも軽いのをたくさんだ。それならなんとかなるかもしれない。

 

 風の刃よ、蹴散らせ!

 

《ファルレンサー》

 

 無数の風刃を生成する。それらが力を合わせて、一斉に火の球へぶつかっていった。

 そして狙い通り、火の玉を細かく切り刻んで吹き飛ばすことに成功する。どうにか凌いだか。

 だがそれだけでいっぱいいっぱいな私に対して、アーガスは余裕綽々に次の攻撃へ移ろうとしていた。

 

「へえ。なら、こいつはどうだ。引力よ。《グランセルロット》」

 

 私の身体は宙に浮き、吸い寄せられるようにして彼に向かっていく。

 

「うわああああああ!」

「へっ。体勢が乱れたな。闇の一閃。《キルバッシュ》」

 

 鋭利な漆黒の刃が、私目掛けて一直線に飛んでくる。このままでは直撃だ。

 くそ、負けるか!

 

 重力魔法って名前を聞いたときから、これくらいのことはされると予想していた。

 この日のために用意した魔法がある。

 初対面でアーガスとぶつかりそうになったとき、彼を避けようとして風を出したものの、ただ身体を横倒しにしてしまっただけのことがあった。

 あのときの失敗からヒントを得て、考えた。自由の利かない空中でも、これなら。

 

《ファルスピン》

 

 風を噴出することで、私は空中で巧みに身体を捻ってみせた。

 彼の攻撃をわき腹に掠らせるだけに留め、相手の引力をも利用してさらに加速する。

 

「なに!?」

 

 彼は、私の予想外の動きに驚いていた。

 ピンチは転じて、チャンスと化す。

 今度はそっちがくらえ。これも、お前のために用意した魔法だ!

 

 絶対凍結領域。

 

《アブソリュートゼロ》

 

 狙った場所をピンポイントかつ瞬間的に凍結させる、速攻魔法を炸裂させる。

 

「ちっ!」

 

 アーガスは慌てて重力魔法を解除して、即座にその場から退避した。

 だが、わずかに私の魔法の方が速い。

 彼の身体の一部に、氷が貼り付く。

 当たった箇所こそ致命的な部分ではなかったが、それでも彼に初めてダメージを与えたという事実には変わらない。

 よし! やってやった!

 私は達成感と、まだまだやってやるという気概に胸を満たしながら、アーガスを見つめた。散々やられ通してきただけに、してやったりの良い笑顔になっているかもしれない。

 彼は身体に貼りついた氷のうち、剥がしても問題ない部分を剥がし始めた。彼はますます感心した様子だった。

 

「驚いたぜ。こんな隠し玉を持ってたんだな」

「まあね。アーガスの引き出しの多さほどじゃないけど」

 

 彼は、心底楽しそうに笑った。

 

「いいねえ。ますます面白くなってきたぜ。まだまだオレを楽しませてくれよ」

「もちろん。力の残っている限りやってやるさ」

 

 結構ふらふらで、魔力ももうあまり残ってなかったけど、体力の続く限りこの戦いを楽しんでいたい。

 そんな風に思っていた。

 

「よし。次はこいつだ。斥力よ。《グランセルパー――」

 

 

 ドオオオオオォォォン!

 

 

 そのときだった。

 突然、観客席の方で、とてつもなく大きな爆音が鳴り響いたのは――。

 

「えっ!?」

「なんだ!?」

 

 アーガスは魔法を中断して、音が鳴った方へと振り向いた。

 私もつられて一緒にそちらの方を見る。

 

 まだ闘技場は、やや見通しの悪い状態のままだった。

 だが、魔法で視界をクリアにしていた私たちには、はっきりとわかった。

 わかってしまった。

 

 観客席の一部が、抉れていた。

 そこはもはや、私たちの試合を眺めるための場所ではなかった。

 白熱した、楽しい空気に満ちた場所では、なくなっていた。

 

 死体と血が散乱する、惨劇の現場と化していたんだ――。



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22「星屑祭三日目 コロシアム襲撃 アーガスの意地とユウの覚悟」

 周囲は阿鼻叫喚し、もはや試合どころではなくなっていた。

 観客席に紛れ込んでいた何者かたちが、一斉に剣を取り出し、あるいは魔法を使い始め、次々と人々に襲いかかっていく。

 逃げ惑う者。泣き叫ぶ者。恐怖で我を失う者。誰かを殺された怒りに狂う者。

 血飛沫が至る所で飛び散り、断末魔があちこちから聞こえてくる。

 

「あ、あ……」

 

 目を覆いたくなるほどの惨状に、私はショックから放心してその場を動けなくなってしまっていた。

 一人だけ、どうやら格の違う男がいた。そいつはオレンジ色の髪をしていて、がたいが良く、全身からギラギラしたオーラを放っていた。おそらく魔法による大爆発を次々と起こし、逃げ惑う人々を蟻を潰すように容易く殺していった。

 その様子に躊躇などまったく感じられない。むしろ至極楽しそうにやっていた。まるで悪魔のようだった。

 ひどい。ひどすぎる……!

 あまりに理不尽で惨たらしい殺戮に、恐怖や驚愕を通り越して、段々と怒りを感じ始めていた。

 

「――い、おい、ユウ!」

 

 アーガスの声に、心を呼び戻される。

 

「しっかりしろ! オレたちだって、狙われてるんだぞ!」

「あ、うん……」

 

 我に返った私の様子にほっとした顔を見せた彼は、辺りを見回すと歯をぎりぎりと食いしばって怒りを滲ませた。

 

「誰だか知らないが、酷いことをする……!」

「本当だよ! なぜこんなことを……!」

「まったくだ。それにやり方が狡いぜ。奴らはおそらく、有力な選手が邪魔になるからって、オレたちが試合で消耗するこのときを待ってやがったんだ!」

「くそっ! なんだよそれ!」

 

 私は怒りに打ち震えた。

 そんな私の目を見つめながら、アーガスは言った。

 

「ユウ。オレは被害を抑えるために、奴らをできるだけぶっ倒してくる」

「私も手伝うよ。こんなの見てられない!」

 

 ところが、彼は同行を認めてくれなかった。

 

「いや。お前はダメージが大きい。早く外へ逃げろ。奴らとは、オレ一人でやる」

「何言ってんだよ。一人じゃ危険だ。私も行くよ!」

 

 必死に頼むが、彼は頑として首を縦に振らない。

 

「ダメだ。ふらふらのお前じゃ、かえって足手まといになるだけだ」

「けど!」

 

 アーガスだって魔力を相当使ってるし、ダメージだってまったくないわけじゃない。一人に任せてもしものことがあればと思うと、どうしても心配だった。

 それに、私だってまだまだちゃんと戦える。あのまま試合を続けられた程度には。私が立派な戦力になることくらい、彼だってわかってるはずなんだ。

 なのに。どうして。

 

「大丈夫だ。オレの強さはよく知ってるだろ?」

「それは、もちろんだけど……」

「だろ? それに、すぐに魔法隊の応援も来るさ。いいからここは任せとけ」

 

 そう言って、彼は私に背中を向けた。

 どうしても納得できなくて、肩に手をかけて引き止めようとする。

 けれど、彼の頼り甲斐のある大きな背中を目にしたとき、私はふと彼の気持ちがわかったような気がした。

 伸ばそうとしていた手が、止まる。

 男は背中で語ると言うけれど、何も語らぬその背中が、何よりも雄弁に彼の本心を語ってくれた。

 それはきっと、自分が男で、目の前の人が女だったならそうするだろうという単純な答え。だけど、私が女に染まっていたがゆえに、中々気付けなかったことだった。

 アーガスは、私に気を遣ってカッコつけてるんだ。私の怒りもわかっていて、けれど女の私に危険な真似はさせたくないと。だから一人で私の気持ちの分まで背負ってやると、そう言ってるんだ。

 その意地を無下にしてしまうことは、彼の矜持に泥を塗ってしまうことになる。

 ここは彼の強さを信じよう。そう思った。

 

「わかったよ。でも、気をつけてね」

「おう」

 

 彼は振り返ることなく静かな声で返事をした。そして全力の《ファルスピード》を自身にかけると、最も敵の多い場所へと一直線に向かっていったのだった。

 

 私もさっさと逃げよう。 

 そう考えて動き出そうとしたところで――はっとした。

 突然の事件に混乱して、何よりも大事なことが頭からすっかり抜け落ちていたことに気付いたのだ。

 

「そうだ! アリスは!? アリスは、どこにいるんだ!?」

 

 慌てて、彼女がいたはずの場所に目を向ける。

 そこは――既に瓦礫と血に塗れた場所と化していた。

 まさか。アリスは、ここで――。

 嫌な想像をしてぞっとするが、すぐにそんな考えなんて頭から振り払う。

 いや。まだそうと決まったわけじゃない。

 彼女なら、きっと無事なはずだ。

 とにかく、早く探さないと!

 必死になって観客席に目を凝らし、彼女の姿を探す。

 私がこんなに焦っているのには、理由があった。

 今のアリスは、まったく魔法が使えない。だからもし敵に襲われでもしたら、彼女に対抗する術はないんだ。

 

「ユウーーー! どこにいるのーー!?」

 

 そのとき、背後からかすかに彼女の声が聞こえたような気がした。

 振り向くと、遠くの方に私を呼ぶアリスの姿が映った。

 よかった……無事だった。

 ひとまず胸を撫で下ろす。

 どうやら私のことを心配して、闘技場の中に降りてきていたみたいだ。

 

 だが、ほっとしたのもつかの間。

 私は愕然とする。

 アリスの背後から、何者かが襲いかかろうとしているのが見えた。

 しかもアリスの方はまだ、気付いてすらいない!

 

「アリスーーーーーーーーー!」

 

 私はありったけの声で叫んだ。

 

「あ、ユウーー! よかった! 無事だったのね!」

 

 こちらに気付いて呑気な声を上げた彼女に対し、精一杯の声を張り上げる。

 

「後ろだーーーー! 逃げろーーーーーーーーー!」

 

 言われたアリスが、慌てて振り向く。やっと自分が狙われていることに気が付いた。

 敵は既に、彼女のすぐそこまで迫っていた。

 アリスが必死の形相で、こちらに向かって走ってくる。

 敵は彼女を追いかけながら、攻撃魔法を使おうとしていた。

 どうやら闇魔法のようだった。しかも、見たこともない発動様式だ。

 私は焦りを感じた。

 くそっ! あの魔法の正体がわからない。打ち消し方がわからない!

 さらに、迸る魔力の量から、それがかなり強力なものであることが予想された。

 

 やめろ……やめてくれ……。

 アリスは今、魔法への抵抗力がなくなってるんだ。

 なのに、あんなもの食らったら――。

 最悪の予感がした私は、ふらつく身体に鞭打って、全開の《ファルスピード》をかける。

 そしてすぐに、アリスに向かって全速力で走り出した。

 私が! 助けないと! アリスが、危ない!

 

 だが、現実は残酷だった。

 あまりにも時間が足りない。彼女までの距離が、果てしなく遠い。

 もはや敵の魔法は発動直前だった。

 まもなくそれは、彼女に容赦なく襲いかかるだろう。

 そして、彼女は――。

 手足が千切れたって構わない。心臓が破れてしまっても構わない。それほど懸命に走った。

 それでも、あまりにも遠い。手が届かない。

 ダメだ! 速さが、足りない!

 アリスが――。

 このままじゃアリスが、殺されてしまう!

 

 絶望に身をもがれそうになったとき。

 一筋の光明が浮かんだ。

 そうだ。

 

 変身すれば。

 

 今すぐ男になって、全開で気力強化をかければ、間に合うかもしれない。

 でも。

 ここでそんなことしたら、誰に正体がばれるか――。

 いや――。

 私はそんな下らない保身の気持ちなど、即座に切り捨てた。

 構うもんか! そんなこと、アリスの命に比べたら、ずっとずっと些細なことだ!

 今、この変身能力を使わずに、いつ使うんだ。

 イネア先生と築いたこの力を、いつ使うんだ!

 アリスを殺させはしない。絶対に助けてみせる!

 

 変身!

 

 一瞬、全身に電流が流れるような感覚が走る。それと同時に服が換装され、ほんの少し目線が高くなった。

 

《身体能力強化》!

 

 俺はすぐさま身体能力を限界まで強化し、女のときよりもさらにぐんと加速した。

 敵の魔法が発動する。それはブラックホールのように、周りのあらゆるものを吸い込みながら、逃げるアリスへと迫っていた。

 間に合え!

 持てる限りの最速で、魔法が彼女を飲み込むよりも一足早くアリスの元へと到達する。

 変化した俺の姿を見て、彼女はひどく驚いた顔をしていた。

 構わず、即座に抱きかかえる。急いで横へと蹴り飛ぶ。

 直後、敵の魔法は、俺とアリスがいた場所を、周りの砂地ごとごっそりと抉っていった。

 着地すると、俺は抱えていた彼女の無事を確認して、心の底から安堵した。

 

「よかった……。間に合ったっ!」

「ユウ……。あなた……」

 

 アリスは驚きで目を見開いていた。何がどうなってるのかわからないという様子だった。

 そんな彼女に、俺はついに真実を告げる。

 

「今まで黙ってて、ごめん。実は俺も、あのユウと同じユウなんだ」

 

 だがどうも、こんなたった一言では要領を得なかったらしい。

 彼女は首を傾げている。それはそうだよね……。

 

「え……。それって、どういうこと……なの?」

「説明したいけど、今は時間がない。後でちゃんと話すから。とりあえずここで待ってて欲しい」

 

 それだけ言って、彼女をそっと地面に降ろす。

 アリスは少し考え込む素振りを見せてから、渋々といった感じで頷いた。

 

「わかった。でも後できっちり説明してね!」

「もちろん」

 

 それからアリスは、なぜかほんの少しだけ顔を赤らめた。

 

「あ、あと、ありがとう。助かったわ」

「うん」

 

 さてと。

 俺は振り返ると、左手に気剣を作り出した。

 それは白く、生命力の輝きを放っている。

 刃を向ける先は当然、大切な友達の命を脅かしてくれた野郎だ。

 

「おい、お前。アリスに手を出して、無事で済むと思うなよ」



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23「星屑祭三日目 逃走劇 逃げるユウと追うヴェスター」

 俺の容姿が突然変化したことに驚いたからかどうかは知らないけど、とにかく目の前の敵は動きを止め、俺が気剣を向けるまでは何も行動を起こして来なかった。

 剣を向けたと同時に、こいつは我に返ったように慌てて、次の攻撃魔法の準備を始めた。

 だが、遅い。

 こちらは既に動き出していた。身体を強化した状態なら、そこらの魔法使いが対応できるようなスピードではない。

 敵の懐に素早く潜り込む。

 さすがに殺してしまうのは気が咎めたので、気剣の切れ味はわざとなくしておいた。けれども怒りを込めて、そのなまくらで思い切りぶっ叩いてやる。

 鈍い衝撃とともに、敵の胴に剣が綺麗に当たる。敵はそのまま派手に吹っ飛んだ。

 そしてどうやら気絶したのか、ぴくりとも動かなくなった。

 よし。あの状態なら、後は魔法隊とかの人が捕まえてくれるだろう。

 

 当面の危険を排除した俺は、状況把握のために周りを見回す。

 人々の多くは無我夢中で逃げ回り、一部はいくつか存在する出口に向かって逃げようとしていた。だがそこには、最も大勢の襲撃者が集まっており、逃げ道を塞いでいた。

 一つの出口の付近で、アーガスがたくさんの敵に囲まれながら戦っているのが見えた。

 爆発魔法を使う男は、相変わらず惨い殺戮を楽しんでいるようだ。

 見たところ、俺の姿の変化に気付いた様子の者は全然いないようだった。激しい混乱でほとんど俺に注目がなかったのと、砂埃が舞う視界の悪さもあって、そもそも俺の姿自体が大方にはよく見えなかったのが幸いしただろうか。

 

 まあ、それはいい。

 まもなくここには、鎮圧のために魔法隊や剣士隊の部隊が突入してくるはずだ。敵の集団とは乱戦状態になるだろう。この場に留まっていては、激しい戦いに巻き込まれてしまう。

 そうなれば、俺はまだ大丈夫かもしれないが、一般人同様の状態であるアリスまで無事で済むかはわからない。

 幸い今倒した奴を除けば、まだすぐ近くに敵はいない。今のうちに彼女を連れてさっさと逃げてしまった方がいい。

 そう判断した俺は、アリスの方に振り向いて言った。

 

「アリス。ここから逃げるよ」

「あ、うん」

 

 彼女は何か考え込んでいたのか、ちょっと上の空な様子だ。

 

「それで……嫌かもしれないけど、俺に負ぶさってくれないか」

「え!?」

 

 アリスは、突然の申し出に戸惑いを見せた。

 当然だろう。いくら顔見知りでも、異性が自分を背負うなんてかなり抵抗があるはずだ。

 もちろん俺としてもそんなことをするのは本意ではないが、手段を選んでいる場合ではない。

 

「見ての通り、ここは危険だ。ぐずぐずしてる時間はないんだ。俺は気で身体能力を強化できるから、アリスを背負ったままでもかなり速く動ける。一緒に走って逃げるより、そっちの方が安全だ」

 

 俺の説明を聞いた彼女は、少しだけ躊躇する様子を見せた後、意を決したように頷いた。

「わかったわ」

 

 それから、軽く笑って冗談っぽく言ってくる。

 

「でも、変なとこ触らないでね」

 

 俺も微笑みを返す。

 

「そんなことしないよ」

 

 アリスの側に寄り、背を向けて屈むと、彼女の柔らかな感触と共に重みがかかってきた。肩に腕が回ってくる。俺は彼女の両足の脛の辺りを掴んで、しっかりと彼女を支えながら立ち上がった。

 

「行くよ。激しく動くから、しっかり掴まってて」

「オーケー」

 

 動こうとしたところで、アリスが気付いたように声を上げた。

 

「あ!」

「どうしたの?」

「ミリアは、来てないのかな」

「ミリアか」

 

 調べ物があるからしばらく来られないと言ってたけど、終わったら来るとも言ってたな。

 

「ちょっと待って。気を探ってみるから」

 

 急いで周囲の人間の気を探ってみたが、ミリアのものと思われる気は感じられなかった。

 とりあえずほっとする。

 

「たぶん、来てないと思う」

「そっか。よかった。なら、あたしたちだけね」

 

 だが安心したのもつかの間、ある可能性に気付いてしまい、ぞっとした。

 もし彼女がこの場所に来ており、かつ既に彼女が死んでいれば、当然彼女の気など感じられないということに。

 でもどちらにせよ、生きている彼女はこの場所にはいないようだった。切羽詰まった今の状況で、当てもなく彼女を探すという選択は取れない。

 とにかく彼女の無事を祈るしかない。いこう。

 俺はどの出口に向かうでも、東西にある選手入場口に向かうでもなく、敵が最も少ない方向の闘技場の端を目指して思い切り走り出した。

 

「どこに向かってるの!? 出口はそっちじゃないわよ。どう逃げるつもりなの?」

 

 不思議に思うだろう。アリスが後ろから心配そうに尋ねてくる。

 もちろんちゃんと理由はあった。

 

「出口の付近は、敵が多いから危ない。ここは観客席の階段を突っ切って、上部から脱出する」

「どうやって? かなり高いよ」

 

 コロシアムの端は別に壁で塞がれているわけではないので、物理的にはそこから外に出ることが可能だ。

 ただ、アリスの言う通りかなりの高さがある。おそらく十数メートルは下らないだろう。普通に考えれば、そこから飛び下りて脱出するのは無茶の一言に尽きるし、自殺するのと何ら変わらない。

 だがそれは、あくまで普通の人が試みる場合の話だ。高い気力持ちの俺なら、そのくらいはどうとでもなる。

 

「単純だよ。上から飛び降りるだけだ。足腰を強化した状態の俺なら、無事で済む」

「ふーん。なるほどね。気ってそんなことできるんだ。確かにそれは、あたしを背負ってないと無理ね。あたしも一緒にそんな真似したら、死んじゃうもの」

「そういうこと――跳ぶよ」

 

 闘技場の端まで来た俺は、外壁を軽く一足で跳び越えた。観客席の下から三段目辺りまで、一気に跳躍して危なげなく着地する。

 男の姿なら、試合のときみたいに、壁を上がるのに風の力を借りる必要はない。まあ、借りたいと思っても借りられないけど。

 こちらの速い動きにまったく反応が追いつかない襲撃者たちを横目に、俺は猛然と階段を駆け上がる。

 この調子で行けば、上手く脱出できそうだと思われた――そのときだった。

 爆発魔法を使っていた奴の気配が、急速に近づいて来るのを感じた。どうやら俺たちの後を追いかけて来ているようだ。

 俺は前を見るのに必死で、後ろを確認する余裕はない。だからアリスに頼んだ。

 

「ちょっと後ろを見て欲しい。妙な男が近づいて来てないか!?」

 

 言った通り後ろを振り向いてくれたらしい彼女は、すぐに大きな声で耳打ちしてくれた。

 

「来てるわ! オレンジの髪の男! しかも、あたしたちに負けないくらいのスピードよ!」

「くそっ! やっぱりだ! よりによって一番やばそうな奴が! そいつ中心に囲まれたらおしまいだ! このまま突っ切るぞ!」

 

 俺は焦りを感じて、とにかく全速力で階段を上っていく。一番上はもうすぐそこだ。

 

「気を付けて! あの人、何か魔法を使うみたい!」

「わかった!」

 

 女のときと違って、俺は魔力を一切感知できない。

 直接相手の挙動を見なければ、魔法の種類どころか使用していることすらわからないのだ。

 危機迫るこの状況で、アリスからの情報は、まさに命に値するほど重要なものだった。

 言われてみれば、前方の空気が嫌に淀み出した気がする。

 まさか、あれが来るのか。

 嫌な予感がした俺は、進路を瞬時に変更する。そのまま前方に向かってコロシアムから飛び出すのではなく、左斜め前に向かって跳ねた。

 直後、俺たちが進む予定だった位置に、轟音を伴った大爆発が起こる。

 あのまま進んでいたら――二人とも確実に即死だった。

 

「うわっ!」

「きゃっ!」

 

 直撃こそ避けたものの、至近で巻き起こった激しい爆風に煽られて、体勢を崩してしまう。

 なんとか立て直そうとするが、結局やや前のめりになったまま、遥か下にある地面に到達した。

 ダン! と大きな着地音がすると同時に、じーんと強い痛みが走る。やや無理な体勢で着地したので、衝撃も大きかった。

 

「っ……いたた……」

「大丈夫?」

 

 背中のアリスが、心配そうな声で頬をさすってくる。

 

「なんとか。それより――」

 

 俺は後方を睨んだ。

 そこには、同じようにコロシアムの上から飛び降りて問題なく着地した、奴の姿があった。

 

「やられたよ。追いつかれた」

「あ……!」

 

 男は目を血走らせながら、ずかずかとこちらに迫って来る。その様子だけからしても、かなりいかれてる奴だとわかるほどだった。

 俺は彼に最大限の警戒を向ける。彼が迫るに合わせて、じりじりと後ずさって距離を取りながら、いざというときのために、周りの様子をちらりと窺う。

 辺りは既に厳戒態勢になっているのか、人の姿はまばらだ。魔法隊や剣士隊の人たちは入口の方に集まっているのか、ほぼ反対側のこちらにはいない。応援は見込めないということだ。

 そして、コロシアムから逃げていく人の数が未だ少ないという事実――つまり、大半の人はまだ中に閉じ込められて襲われているということになる――が、この犯行の用意周到な残忍性を物語っていた。

 ここは大通りではあるが、すぐ近くに小さな通りが繋がっている。そこからさらに入り組んだ小道へ逃げていけば、果たして彼を捲けるだろうか。

 そうこうしているうちに、彼は俺たちのやや前方で立ち止まって、キレ気味に怒鳴ってきた。

 

「人様が用あんのに逃げんなよ! コラァ!」

「いきなり殺そうとしてくる奴の用なんか知るかよ」

 

 俺は隙を見せないよう、精一杯の冷静さを装って言った。アリスも「そうよ!」と同調する。

 男は不機嫌そうに舌打ちする。

 

「ちっ。で、おめえよぉ、さっき女だったのに男になったよなあ!?」

 

 言葉こそ質問ではあったが、彼の様子からして確信を持っているようだった。

 くそ。覚悟は決めていたけど、やっぱり変身を見ていた奴はいたようだ。それも、最も厄介そうな奴に。

 

「だったらなんだよ」

 

 男は一転して高笑いする。

 

「はっはあ! 面白れぇ! 一応あのクソ女から、要注意人物ってことで追ってみたら――おかしな奴だぜ! こいつぁ、あの女も知らねえことだなあ!」

 

 あの女? 他に仲間でもいるのか。

 

「マスターの実験体にでもしたら、面白いかもなァ?」

 

 実験体。この身体の秘密がばれたときの可能性の一つとして恐れていたことを実際に言われて、悪寒がした。

 マスターなる人物が出てきた。この件には黒幕がいるのか。目の前の粗暴な男が主犯格だとして、今回の計画的な襲撃の絵を描けるとはとても思えない。

 

「マスターって誰のことだ?」

 

 すると男は、激昂した。

 

「知らねえのかよ! このオレに暴れる力をくれた、かの有名なマスター・メギルをよぉ!」

 

 そこまで言ったところで、男はしまったという顔をした。

 

「おっと、こいつは今言っちゃあいけねえんだったか!」

「マスター・メギルって! そうか。あなたたち、仮面の集団だったのね!」

 

 アリスが、強い口調で非難するように断言する。

 

「仮面の集団だって!?」

 

 でもこいつや襲撃犯たちは、話に聞いていたのとは違って、仮面なんて一切付けてないぞ。

 

「ちっ。うっかり喋っちまったもんは仕方ねえな。こいつぁ、本当の狙いを隠すための偽装みたいなもんさ」

「本当の狙いだと!?」

 

 そのために、こんなひどいことをしたっていうのか!

 

「さあなァ。そいつまでは、知らされてねぇよ」

 

 男はいらつきを隠さずそう言うと、至極残忍な顔を浮かべた。

 

「で、だ。秘密を知ってしまったてめえらには、死んでもらおうか!」

 

 放たれた圧倒的な殺気に、ぞくりとした。

 こいつは、何が何でも俺たちを始末する気だ。

 ――戦うか、逃げるか。

 一瞬迷ったが、やはりアリスを連れているままでは戦えない。もし彼女が狙われれば、彼女には攻撃を防ぐ手段も、避けるだけの速さもない。あまりにも危険だ。

 逃げるしかない。

 そう判断した俺は、全開の《身体能力強化》を使い、男に背を向けて弾丸のように走り出した。

 

「あいつが魔法を使うそぶりを見せたら、すぐに教えてくれ!」

「了解!」

「逃がすかよ!」

 

 男は当然追いかけてくる。それもかなり速くて、中々引き離せない。

《ファルスピード》のような加速魔法を使っているに違いなかった。しかも効果はより上だ。男の身体で強化したトップスピードに追い縋ってくるなんて。《ファルスピード》では、そこまでの速さは出ない。

 

「魔法、来るわ!」

 

 アリスが告げる。

 小さな通りへと続く道角の辺りに、爆発の予兆。敵も簡単には逃がしてくれないようだ。

 俺は仕方なく小道へ入るのを諦め、大通りを直進する。

 すぐ後方で、大きな爆発音がした。

 

「またよ!」

 

 今度は、すぐ目の前の空気の様子がおかしい。横に立ち並ぶ建物の屋根に跳び乗ることにした。

 再び、大爆発が起こる。近くに設置されていた魔法灯を、丸ごと簡単に消し飛ばしてしまった。恐ろしい威力だ。

 そのまま屋根伝いに、建物から建物へと跳び移っていく。

 男も、すぐ後から同じように後ろを追いかけてきた。奴が魔法を使った時間の分だけ、少しばかり位置が離れたようだ。

 

「今度は、二発!」

「なに!?」

 

 目を凝らす。一発目は前方か。だが、二発目の位置を確認している時間がない。

 右か左か。どっちだ。

 勘で右側を選択し、屋根から飛び降りた。

 直後、前と左の方で爆風が巻き起こる。

 どうやら助かったが、依然危機的状況にあることに変わりはない。

 

「くっ!」

 

 爆風に煽られてよろめきながらも、なんとか転ばずに着地した。

 驚く人たちに目もくれず、すぐに道を駆け出す。

 

 男は俺たちを決して離さないように追いかけながら、何度も爆発魔法を使ってきた。

 俺たちは必死にかわすものの、その度にあちこちが破壊されていく。時折無関係な人までが巻き込まれ、やり切れない気分になる。

 馬鹿の一つ覚えみたいに爆発魔法ばかり使いやがって! 無茶苦茶するよ!

 単純ではあるが、悔しいが効果的な手だった。発生が早く、範囲が広く、威力も絶大なあの魔法への有効な対処法が見つからない。

 こっちは避けるだけで精一杯で、一発でも当たればアウトだ。しかも二人で協力してやっとどうにかなっている。それに、これだけ連発できるということは、おそらく魔力消費量も比較的少ないのだろう。

 なんて手強い魔法なんだ。

 

 逃走を始めてから、既にかなりの時間が経過していた。いつやられるかもしれない緊張が俺の精神をすり減らし、試合のときからずっと重ねてきた疲労が、俺の体力を奪っていく。

 このままいけばじり貧だ。いずれ奴の魔の手に捕まるのも時間の問題だった。

 そこで俺は、賭けに出ることにした。背中で奴への警戒を続けるアリスに声をかける。

 

「アリス。このままじゃ二人ともやられる。一か八か、試してみたいことがあるんだ」

「なに?」

「次の角を曲がったらすぐに降ろすから、少し離れて目をしっかり瞑ってて」

「わかった」

 

 角を回り、奴に姿が見えない位置まで来ると、アリスを背中から降ろした。

 それから、すぐに女に変身する。

 魔法を使うためだ。

 ふわりと髪が伸び、胸には見慣れた膨らみと、ずしりと重みが戻る。

 私の変身を間近で見たアリスから、戸惑いの声が上がった。

 

「ユウ……それ、どうなってるの……?」

「ほら、早く」

 

 彼女の驚きももっともではあるが、時間がないので振り返らずに諭す。

 

「う、うん」

 

 どうやらアリスは、言う通りにしてくれたようだ。

 私は奴に姿が見えないギリギリの位置で、奴を待ち受ける。

 狙いをしくじれば、私たちは捕まっておしまいだ。

 失敗は許されない。

 死と隣合せの緊張感に、胸が苦しくなってくる。

 奴が来るまで、時間で言えばほんの少しのはずなのに。待っている間、それがまるで永遠に続く責め苦であるかのような錯覚を覚えた。

 今か今かと身構えて。ついに、私たちを追いかけて奴が姿を現す。

 

「あぁ!?」

 

 私たちがこれまでと同じように逃げているとばかり思っていたことだろう。

 通りを曲がってきた途端、目の前に突然映った私の姿に、男はほんの一瞬だけ戸惑ったようだ。

 そのわずかな隙を、逃さない。

 私も目を瞑って、狙いの魔法を放つ。

 

 目を眩ませ!

 

《フラッシュ》

 

 これで、閃光弾が炸裂したときのような強烈な光が、彼の目の前で瞬時に広がっているはずだ。

 くらえ!

 

「うおおーーーっ!」

 

 目を開けると、彼が苦悶の声を上げて目を押さえているのが見えた。

 よし、当たった!

 すると彼は、目が役に立たない間に己の身を守るためか、彼自身の周囲に向かって、闇雲に爆風を展開し始めた。

 巻き込まれないように、慌ててさっと飛び退く。 

 くっ。攻撃のチャンスだったけど、仕方ないか。

 でも時間稼ぎにはなっている。今のうちにアリスを連れて隠れよう。

 再度男に変身し、身体能力を強化し直すと、目を瞑ったままのアリスをお姫様抱っこして、その場をすぐに離れた。

 

 

 ***

 

 

 そして、ようやく簡単には見つからなさそうな場所まで来た。入り組んだ通りの路地裏まで、逃げ切ることができたのだ。

 彼の気が近づいて来ないのを確認して、ほっと一息をついて彼女を降ろす。

 

「ふう。もう安心だ」

 

 アリスも、顔は青いままだったが、一安心した様子だった。

 

「怖かったね。もうダメかと思った。ありがとう。助かったわ」

「なんとか逃げられてよかったよ」

 

 そのとき。

 

「どこだあああああーーー! どこへ行きやがったあああああぁぁーーーー!」

 

 遠くからあの男の叫び声が、かすかに聞こえてきた。

 さらに、爆発音が聞こえてくる。何度も何度も。

 どうやら俺たちが見つからないことに苛立って、数撃てば当たるだろうと、手当たり次第に爆発魔法を使い始めたようだった。外道であり、ゲスの行為に他ならない。

 アリスを無事に逃がせたことで心に少し余裕ができた俺は、その分が完全に怒りに回っていた。

 なんて奴だ! また無関係な人間を巻き込んで……!

 もちろん悪いのは奴だが、俺が逃げ回ったことで、結果としてさらに被害が生じてしまった。現に今も生じている。そのことに対する責任を感じていた。

 あの野郎……!

 許せない。これ以上暴れさせてたまるか。どうにかしてあいつを止めてやる!

 意を決した俺は、女に変身する。

 奴の居場所は気でわかっていた。対して奴は、俺たちの居場所を知らない。この利点を生かして、遠くから魔法で奇襲をかけてやる。

 そしてアリスにこのことを伝えようと、彼女の方を向いたとき。

 アリスは――。

 思い切り、私に抱きついてきた。

 

「ユウは……本当に、ユウなんだよね?」

 

 彼女は不安な表情で、こちらの顔を窺ってくる。

 そこでやっと、彼女の抑えていた感情が、とうとう溢れ出したらしいということに気付いた。

 そうだよね。不安に思うのも無理ないか。突然こんなことになって、私の姿だってころころ変わったわけだし。

 私は彼女を安心させるように、ぎゅっと抱き締め返した。

 

「うん。アリスのよく知ってる、ユウだよ」

「よかった……ユウは、ユウなのね」

「そうだよ。だから、安心して欲しい」

「うん……」

 

 そのまま彼女の気分が落ち着くまで、少しの間抱き締めていた。

 多少はすっきりしたらしいアリスは、抱擁をほどくと疑問をぶつけてきた。

 

「男の方も同じユウだって言ってたよね? どういうことなの?」

 

 私は手短に説明することにした。

 

「私は男の身体とこの女の身体と、二つの身体を持っているんだ。それで、どちらにも好きなときに変身できる。姿が違うだけで、どちらも私そのものなんだ」

 

 それを聞いたアリスは、やっと少し合点がいったように頷いた。

 

「そっか……そういうことだったの。あたしもこの目でユウが変わるところ見たから、なんとなくわかってきたわ。つまりどっちも、ユウってわけね。まだ、ちょっと混乱してるけど……」

「仕方ないよ。いきなりだったからね。他にもあるけど、それは後で説明するから」

「今じゃダメなの?」

 

 アリスは、不思議そうに首を傾げる。

 

「うん。私は、これからあの男を止めに行くから」

「え……」

 

 彼女にとってはあまりに予想外な話だったのか、最初はぽかんとしていた。それから、やや遅れて言葉の意味するところを理解したらしい。

 今にも泣き出しそうな表情になって、私を問い詰めてきた。

 

「どうしてよ!? あんなに怖い思いしたでしょう! なのに、どうしてユウは戻ろうとするの!?」

 

 心配はわかるけど、ここは引けない。毅然として答える。

 

「あいつが私たちを探す目的で、人を殺し回ってるからだよ。そんなの、放っておけない」

「だからって! 別にユウは何も悪くないわ! 悪いのはあいつよ! あんなの、放っておきなさいよ! あなたが行くことなんてない! 死んじゃうかもしれないわ!」

 

 彼女の言ってることは、何も間違ってはいない。私に奴を止める義務なんてないし、顔も知らない犠牲者なんて放っておいて、しかるべき者たち――魔法隊とか剣士隊の連中――に任せたって何も問題はない。

 助けられるかもしれない人たちを見捨てろと言うアリスが、別に冷たいわけではないだろう。ただ私の身を心配するあまり、そういう言い方になっているだけだ。

 私だって、頭ではそれでいいと思っている。もし見知らぬ百人と親しい一人がいたら、私は後者を選ぶだろう。実際、私はアリスを逃がすために他を顧みなかったし、それについては何も後悔していない。

 そしてアリスにとっては、その一人が私というだけなんだ。

 それでも私は、彼女には従わなかった。

 

「これは、私のけじめなんだ」

 

『みんなが死ぬかもしれないってわかってて、それをどうにかできるかもしれない力があって。なのに、どうして何もしようとしないんだ!?』

 

 傍観者を自称するトーマスに対して、自分が抱いた想いを振り返っていた。

 私にはまだ、他のフェバルのような絶対的な力はない。

 それに敵は、強力な爆発魔法の使い手だ。一撃でもまともにもらえば、命を落としてしまうだろう。絶対にまともに攻撃を食らってはいけない。かなり厳しい戦いになる。

 女の私だけでは無理だ。爆発魔法をかわせない。

 男の俺だけでも無理だ。奴に接近するためのけん制手段がない。

 けれど、私と俺の力を合わせれば。

 どうにかなるかもしれない。

 この二つの身体に宿る力を最大限に活用すれば、なんとか奴くらいになら届くかもしれない。

 だったら私は、自分の想いに嘘を吐かないためにも、戦うべきなんだ。

 どうせ死んでも生き返る命なら、なおさら躊躇うべきではない。

 ――けじめか。

 結局私はアーガスと一緒だ。意地で行動しているのかもしれない。

 

「けじめって! バカじゃないの! ユウのバカ! 一人でなんて、絶対行かせないからね!」

 

 少し前に、私がアーガスに言ったような台詞を言うアリス。

 そんな彼女に共感を覚えながら、私は彼女にしっかりと向き合って言った。

 

「もちろんずっと一人でやるつもりはないよ。アリスには、応援を呼んできてほしい」

「それでもしばらくは一人じゃない! 危険よ!」

「大丈夫。私は――」

 

 死なないから、と言おうとしてやめた。

 完全な死ではないとはいえ、奴に殺されてしまえば、この世界にはもういられなくなるらしいから。

 そんなことなんて、私も望んでいない。

 だから、言い直した。

 

「私は、絶対に生きて戻るから」

 

 私の固い決意を目のあたりにしたアリスは、呆れ果てた様子で、観念したように頭を押さえた。

 こうなるとテコでも動かないことを、彼女は知っている。

 

「ああもう! わかった。わかったわよ! 急いで助けを呼んでくるから、それまでなんとか持ちこたえてね!」

「うん。じゃあ、行ってくる」

「行ってらっしゃい。ほんとバカなんだから。もう」

 

 アリスが急いで向こうへ駆け出していったのを確認してから、前を向く。

 思いの外時間がかかってしまったので、一瞬だけ男に変身して奴の正確な位置を再確認。そしてまた女に戻り、魔法を撃つ態勢に入った。

 やるぞ。散々追いかけ回されたけど、反撃開始だ。



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間話3「サークリス剣士隊の英雄 クラム・セレンバーグ」

 ユウがアリスを背負い、ヴェスターから必死に逃げている頃。

 コロシアムでは、魔法隊及び剣士隊の合同部隊と、襲撃犯たちによる激しい戦闘が行われた。

 そして、多くの一般人と幾分の隊員の犠牲の末、襲撃者のほぼ全ては死亡あるいは逮捕されるに至ったのだった。

 ただ一人、ヴェスターを除いて。

 部下の一人が、隊の指揮に当たっていたエリック・バルトンに報告する。

 

「制圧完了しました。ただし、主犯の男は依然逃亡中の模様。目撃情報によれば、そいつは謎の爆発魔法を使うようです。どういたしましょうか?」

 

 険しい顔で腕組みしながら話を聞いていたエリックは、即座に指示を飛ばした。

 

「直ちに捜索隊を配備しろ」

「はっ!」

 

 そのとき一人の男が、周りの兵にも目立つ位置へと歩み出てきた。

 彼は短く整った銀髪と、強靭に鍛え上げられた肉体を持ち、右の頬には大きな傷跡があった。年齢は中年くらいだろうか。眼光は鷹のように鋭く、背中には立派な剣がかかっている。

 

「その男の捜索だが――この私に任せてはくれんか?」

「おお! あなたは!」

「英雄、クラム・セレンバーグ!」

「龍殺しだ!」

「来ておられたのですね!」

 

 方々から、歓迎の声が上がる。

 クラム・セレンバーグ。

 剣士隊一の実力者にして、龍殺しを称される英雄の登場だった。

 

 数年前、サークリスの付近に巨大な黒龍が襲来したことがあった。そいつは魔法をほとんど通さぬ特殊な鱗を持っており、魔法使いたちはすべからく無力だった。

 鱗を貫くことができる剣を持つ者たちは、恐ろしく広範囲まで広がる強力な龍のブレスによって、まったく近づくことができなかった。

 誰もが絶望したそのとき、神業のような動きでブレスを回避し、一瞬にして龍の心臓を貫いたのが、このクラムという男であった。その活躍は今もなお語り草となっている。

 エリックはそんな彼にこの上ない頼もしさを感じながら、もちろん彼の提案を認めた。

 

「ありがたい。クラムさんになら、私も安心して任せられますよ」

「そうか。では承った。早速行くとしよう」

 

 クラムは数人の部下を引き連れて、堂々とした歩みでコロシアムから出ていった。

 

 クラムたちを見送ったエリックの元に、今度は燃えるような赤髪の青年が現れた。

 アーガスだ。先ほどまで数多くの襲撃犯を相手に大立ち回りを演じ、今はようやく一息ついていたところだった。

 

「お前、バルトン家のエリックだろ」

「オズバイン家の長男殿か。あなたの活躍がなければ、犠牲者はさらに増えていただろう。制圧にご協力感謝する」

「なに。礼を言われるほどのことじゃない。それより、ユウ・ホシミという子の状況はわかるか? オレの決勝での対戦相手だった子だ」

 

 エリックは部下の報告をまとめた紙を見ながら、あくまで公人として事務的に言った。

 

「手元の情報によれば、混乱の最中で行方不明になったとのことだ」

「行方不明だと」

 

 ショックを隠せない様子の彼を認めたエリックは、個人としての顔を滲ませる。

 

「私は彼女の担任をやっていてね。真面目な良い子だよ。無事だといいのだけど……」

「そうだな……。教えてくれてありがとよ」

「ああ」

 

 エリックから離れたアーガスは、心配を顔に浮かべながらぽつりと呟いた。

 

「ユウの奴、上手く逃げられてればいいんだが……」



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24「星屑祭三日目 二つの身体を使い分けて」

 私は奴のいる位置に魔法の狙いを定めた。

 少し距離が遠い。大規模な魔法では、途中で気付かれて避けられてしまうだろう。

 ここは、ほどほどでも確実にダメージを狙おう。

 

 風の魔弾。

 

《ファルバレット》

 

 いくつもの小さな空気の弾丸が生成される。それらは私のすぐ傍らに浮かんで奴の居場所を正確にターゲットしながら、私の命令を待っていた。

 行け。

 複数の弾は、同時に目覚ましい速さで動き出し、建物の隙間をすり抜けながら奴に迫っていく。

 こいつは威力こそ中くらいだが、スピードはトップクラスの魔法だ。

 本物のピストルほどの速度はないから、簡単に人体を貫通したりはしないけど、当たれば肉は抉る。場所によっては深刻なダメージを与えることができるはずだ。

 まもなく、狙い通り魔法が命中したらしい。奴がぶち切れながら大声を上げた。

 

「くそがあーーっ! どこだ!? どこにいやがるっ!?」

 

 声を聞く感じだと、残念ながらさほど傷は負わせられなかったようだ。何らかの加速魔法を使っているだけあって、さすがに攻撃に対する反応が早いな。

 

「出てきやがれーーー!」

 

 奴は血眼になって私を探し始めた。

 もちろん誰が素直に出て行くもんか。位置は悟らせない。

 このままアドバンテージを保って、遠距離攻撃で削っていってやる。

 男に変身して、居場所を悟られないように移動しながら奴の位置を確認。女になって魔法で攻撃。

 また男になって――というサイクルを繰り返していく。

 だが、最初の不意打ちこそ効果的だったものの、死角からの攻撃へ警戒を強めた奴に対して、中々決定打は生まれなかった。

 私は次第に焦りを感じ始めていた。

 ダメだ。小規模の魔法をこつこつ当てていったんじゃ、奴の魔法抵抗力もあって倒し切れない。

 魔力ももう残り少なくなってきた。このままではいずれ魔法が使えなくなってしまう。そうなれば、この戦法は破綻してしまう。

 どうにかして近づいて、気剣を叩き込むことができたら。

 そう思った。

 イネア先生に教えてもらったあの技を当てられれば。きっと倒せるはずだ。

 

 イネア先生のさらに師匠に当たる、ジルフ・アーライズなる人物が元々使っていたという技。

 彼のオリジナルは遥かに凄いものだったと聞いた。けどそれは、フェバルの固有能力を持った彼にしかできない御業だった。

 だから先生が彼の元の技を参考に、俺にも使える通常の気剣技として完成させたんだ。

 色々と細かな難しい点はあるのだが、原理は簡単。

 気剣に思い切り気を集中させて、斬るだけ。

 たったそれだけのシンプルな技だ。

 だが単純ゆえに欠点もなく、力強い。

 気剣術の奥義にして、男女を含めて俺が持つ最強の威力の技だった。

 

 機を窺いながら攻撃を続けていると、ついに業を煮やしたのか。

 奴はとんでもないことを叫び出した。

 

「ちくしょう! ちまちま攻撃しやがって! 出てこいっ! 出て来ねえと、てめえが見つかるまでこの辺全部ぶっ壊してやるぞ! 皆殺しだぁーー!」

 

 一瞬ではらわたが煮えくり返りそうになる。

 

 また関係ない人を巻き込むつもりか! お前はどこまでクズなんだ!

 

 許されるなら、すぐにでも出て行きたい。奴の横暴を止め、怒りの言葉を叩きつけてやりたい。

 それでも自らの衝動を、必死に抑えていた。

 今ここで出て行けば、奴の思うつぼだ。

 どうせ奴は、俺が出て行っても行かなくても、これまで散々破壊行為を続けてきた。

 そういう奴なんだ。

 まだ離れて隙を窺っていた方が、奴を倒せる可能性は高い。

 落ち着け。冷静になれ。

 理性が己を辛うじて諭そうとしていた、そのとき。

 

 爆発が。

 一つ、二つと巻き起こる。

 近くの民家が、いともあっけなく吹っ飛んでしまった。

 悲鳴が聞こえてくる。

 

 あいつ……! 本当にやりやがった!

 

 頭に血が上った俺は、歯を食いしばり、拳を固く握り締めていた。

 

 ――行くな。行っちゃダメだ!

 

 なんとかギリギリのところで堪え、攻撃しても居場所がばれない位置まで移動しようとする。

 そんな俺に見せつけるように、奴は次々と大爆発を起こした。辺りの民家を片っぱしから破壊していく。

 俺は身を引き裂かれそうな思いで、悲惨な光景を目に焼き付けた。

 

 やめろ……やめろよ! 中には、人がいるんだぞ!

 

 直接自分たちが狙われていることに気付いた人々が、我先にと家を飛び出し、大慌てで逃げ始めた。

 奴は自ら生み出した情景を楽しそうな声で笑い飛ばしながら、赤子の手を捻るように簡単に人々を爆殺していく。

 街は燃え盛り、いたるところ死の匂いが立ち込めていた。

 殺された者の死を嘆く余裕すらなく、人々は奴からただひたすら逃げることしかできない。

 わなわなと、怒りで身が震える。

 今すぐにでも、奴に思い切り魔法をぶち込んでやりたい!

 でも、それはできない。今までの我慢が無駄になる。

 家が壊されて、視界が開けてしまった。まだ移動しなければ、奴に居場所がばれてしまう。

 

 攻撃を焦るな。焦っちゃダメだ……!

 

 やっと攻撃可能な地点まで辿り着いて女に変身した私は、すかさず魔法を打つ態勢に入ろうとする。

 

 だがそこで――とんでもないものを見てしまった。

 

 ちらりと、見覚えのある子供の姿が視界の端に映ったんだ。

 あの子は、まさか。いや、間違いない。

 祭りの初日にファルモを取ってあげた、小さな男の子だった。

 一人だけ完全に逃げ遅れて、泣いていた。

 ああ。そんなものを見てしまったら。

 突如として、胸中に抑えの効かない感情が込み上げてきた。

 

「はははははは!」

 

 高笑いする奴の声が聞こえ、魔法を振るう直前の魔力の高まりを感じたとき――ついに感情が理性を凌駕してしまった。

 気付けば、私は奴の目の前に飛び出していた。

 考えなんてなかった。居ても立ってもいられなかった。

 自分でも馬鹿だと思う。身体が勝手に動いてしまったんだ。

 

「やめろ! もうやめるんだ!」

 

 奴は私の姿を認めると、嘲けるような嗤いを浮かべた。

 

「くっくっく。馬鹿だぜ! 本当に出てくるとはなあ! あのまま遠くで攻撃するか、さっさと逃げりゃ良かったのによぉ!」

 

 姿を見せたことで、あの子を含めた人々への攻撃がとりあえず止まった。

 そのことが、私の頭を幾分冷やしてくれた。

 

「見てられなかったんだ。散々好き勝手しやがって!」

「はっ! とんだ甘ちゃんだな! その甘さが――命取りになるわけだ」

 

 これ以上ないくらいの怒りをもって、奴を睨みつけた。

 

「私はお前を許さない」

 

 それを聞いた奴は、まるで面白い冗談でも聞いたと言いたげに爆笑し始めた。

 何が可笑しい。

 

「許さないだぁ!? はっははははは! 傑作だな、おい!」

 

 そして奴は、突然嗤うのを止めると、ドスの利いた声で脅すように言った。

 

「このオレが、てめえのようなガキに許される必要がどこにある?」

「必要かどうかなんて関係ない。ただ、許さないと言ってるだけだ!」

「そういうのはなあ、力のあるヤツが言わねえと滑稽でしかねえんだよ。力のないヤツァ、ただ蹂躙されるしかねえ。それが、この世の真理だろうが」

「滑稽だろうが、真理だろうが。私はお前のことなんて認めない」

 

 男に変身する。奴の爆発魔法が来たとき、避けられるように。

 俺の変身をまじまじと見た奴は、いらついた様子で言った。

 

「ころころ姿を変えやがって。おかしなヤツだぜ。なにもんだよ、てめえは!」

「何者かなんて、自分でも知るかよ」

 

 己の運命にだって、まだまだ納得できていないくらいだ。

 

「はっ! そうかよ! じゃあ、そのまま死ねや!」

 

 俺と奴は、互いに睨み合ったまま対峙する。ピリピリと空気が張り詰めるのを感じた。

 奴の前に出てしまったことで、形勢は一気に厳しくなった。

 それでも絶対にこいつには負けるわけにいかない。勝ってみんなを守るんだ。

 短期決戦しかないだろう。長引けば、それだけ奴に有利だ。こっちはもう魔力も少ないし、気力の消費も激しい。

 どちらかが切れたとき、俺の命運は尽きる。

 攻撃を読むんだ。奴の一挙一動を見逃すな。

 周りの空気が、わずかに熱を帯びる。

 爆発が来る。

 横へステップすると、やはり俺のいた場所に大爆発が起こった。

 爆風の直撃を避けながら、瞬時に女になって、魔力消費の少ない風魔法を放つ。

 

《ラファルス》

 

「おせーよ!」

 

 六本の風の刀身は、すべて奴の身体すれすれでかわされてしまう。

 当てられはしなかったが、しかしただでは転ばなかった。

 奴はこれまでも何らかの加速魔法を使っていた。その正体がわからなかったけど、今の攻撃で推測がついたのだ。

 アーガスの重力魔法と魔力の雰囲気が似ているのを、しっかりと確認した。

 きっと時空魔法だ。奴はおそらく時空間を直接弄ることによって、実質的に加速の効果を得ているに違いない。

 再び男に変身して、白く輝く気剣を生み出す。

 そして果敢に斬りかかりにいった。

 

「おっと! させねぇよ!」

 

 奴を中心に、防御するように爆風が巻き起こる。

 くっ! あんなものを食らえば、一たまりもない。

 俺は慌てて飛び退くしかなかった。

 

 攻撃の爆発魔法に、移動・回避の時空魔法。そして、防御の爆風魔法。

 どうやら奴が使うのはこのたった三つだけのようだが、そのどれもが強力で非常に厄介だった。

 おそらく奴は、この三つの魔法を徹底的に磨き上げた爆殺のエキスパートなのだろう。

 爆発で常に狙われ、魔法を撃てば避けられ、接近して気剣で斬ろうとすれば爆風を起こされてしまう。

 付け入る隙がない。俺には奴を倒す手段が見つからなかった。

 

 短期決戦の望みとは裏腹に、状況は次第に膠着していく。

 

「はっはあ! 疲れが見えるぜ。くたばるときが、近づいてきたようだなぁ!」

 

 どうにか直接爆発には当たらずに済んでいるものの、完全にかわしきれなくなってきた。爆風に揺られてよろめくことも増えてきている。

 精神力も体力も、もう限界に近い。

 それでも諦めずに、勝機を見出そうとしていた。

 奴が爆発魔法を使った直後だけは、一瞬の隙ができる。そこさえ突ければ。奴が爆風を展開する前に接近できれば。

 だけど、どうやってあの爆発魔法に対処すればいい? 攻撃を避けながら突っ込むなんて真似ができないように、奴は巧みにそれを操っている。

 ここまで俺は、爆発に対し、奴の正面方向から後ろに下がるか、横に逃げることしかできなかった。もし前へ進めば魔法が直撃するような、絶妙な位置で爆発を起こしてくるからだ。

 俺は奴の攻撃をかわしながら、必死に考え続けた。

 どうする。どうすればいい。どうすれば、あのとてつもない威力の爆発魔法を――。

 

 ――とてつもない、威力?

 

 そのとき、俺に電流が走るような閃きが起こった。

 そうか。

 発生が早く、連発可能で、威力も凄まじいあの魔法にも、重大な欠点があることに気付いた。

 爆発魔法は、威力があり過ぎるんだ。

 近過ぎれば――奴自身をも巻き込んでしまうほどに。

 その証拠に、奴はこれまで自分のごく近くでは爆風魔法だけを使い、爆発魔法の方は一切使わなかったじゃないか。

 それは、単に使わなかったんじゃない。使えなかったんだ!

 ならば。一発でも爆発を潜り抜け、奴に近づくことさえできれば。そうすれば、何度も爆発魔法を連発されることはない。

 使用魔法の切り替えには、少し時間がかかる。直線距離で近づけば、奴には爆風魔法を使う時間の猶予もない。

 これしかない。

 俺は命を賭ける覚悟を決めた。

 早速女になると、《ファルスピード》をかけ、奴がギリギリ爆発魔法を使いそうな射程に位置取る。

 奴が爆発魔法を準備し、もう撃つというところで。

 私はあえて逃げることなく、まっすぐ奴に向かって突撃した。

 すぐ前方で、大爆発が起こる。

 当然、直撃コースだ。男なら間違いなく、ここで命を落とすだろう。

 でも、たった一発。それだけなら、私の残った魔力をすべてつぎ込めばなんとかなるかもしれない。

 いや、なんとかしてみせる!

 

 守護の風。私を包め!

 

《ファルアーラ》

 

 炎熱から身を守る風のベールが、全身を力強く包み込む。

 直後、凄まじい熱波が身を襲った。

 視界が炎に包まれる。

 身体中が焼けるように熱い。実際、焼けているんだ。

 だが通常なら、五体を跡形もなく消し飛ばすほどの強烈な爆風そのものは、身を包む風が弾き、どうにか守り切っていた。

 やがて爆発が収まり、視界が開ける。

 その身を焦がしながらもなんとか魔法を耐え切った私は今、奴の目前に抜け出していた。

 まさか爆発に正面から飛び込み、生き残ると思ってはいなかったのだろう。

 奴は、驚きに顔を歪ませていた。

 

「なにいっ!?」

「これで――」

 

 男に変身しつつ、奴の懐に入り込む。

 気剣が当たる至近距離まで、ようやく到達した。

 

「――俺の距離だ!」

 

 俺は左手に気剣を創り出すと、それに最大限の気力を込めた。白い刀身はさらに強い光を放ち、眩いばかりの青白い輝きに包まれる。

 

《センクレイズ》!

 

 高度に気を密集した強力無比な一撃は、奴の兵装など容易く貫き、右肩にがっちりと食い込んだ。

 そのまま鎖骨を断ち、胸を裂いて、左腰まで斜め掛けに一息で振り下ろしていく。

 最後まで斬り抜いた俺は、奴の身体を抜き去って、後方へと走り抜けた。

 

「う、うぐ……!」

 

 振り向くと、傷口を押さえて辛そうに呻く奴の姿が映った。

 俺は奴に向かって言ってやった。

 

「その傷じゃもう戦えないはずだ。出血多量で危なくなる前に、大人しく降参しろよ」

 

 すると奴は急に黙り込んだ。

 いったい、何を考えているのだろうか。

 訝しんでいたそのとき、奴は突如行動を起こしたのだった。

 

「オラァ!」

 

 なっ! 爆発!

 

 不意打ちだった。

 咄嗟にかわそうとしたが、気力すらほとんど失っていた俺は、完全には避け切れなかった。爆風にもろに煽られ、近くの家の壁に頭から叩きつけられてしまう。

 

「う……」

 

 気付けば、地面に倒れていた。

 すぐに起き上がろうとしたが、ダメだ。身体が言うことを聞かない。

 脳震盪にでもなってしまったのか。立ち上がることが、できない!

 一方で奴は、今にも倒れそうなほどふらふらになりながらも、しかし倒れることなく二の足で大地を踏みしめていた。

 奴は、無様に倒れている俺に歩を詰めながら言った。

 それは軽蔑するような口調でも、いらついたヤクザのような口調でもなく。

 真に敵と認めた者に対する、真剣な言葉だった。

 

「てめえは……やっぱり甘ちゃんだな。うっ……確かに、効いたぜ。認めてやる。力は、あるようだ。だが、これじゃ死なねえよ。このくらいの傷なら、焼いて塞げる」

 

 なんて、ことだ……。

 奴は真剣な顔で、だが勝ち誇った調子で続ける。

 

「いいか、小僧。戦いってのはなあ、止めを刺さないと終わらねえんだよ。てめえはオレを殺すまいと、無意識に手加減しやがった」

「っ……!」

「そのせいで、見ろ! 勝てたはずなのに、オレが立ち、てめえはその体たらくだ! 言ったよなあ? その甘さが、命取りだってよぉ!」

 

 奴の言う通りだった。

 俺が、甘かったせいだ……!

 きっちり倒しきらなかったから。

 ……お前の言う通りだ。きっと俺は、こんな奴でもどこかで殺したくなかったんだ。

 だから、確実に仕留められるはずの攻撃が、少し甘く入ってしまった。

 そして、こんな事態を招いてしまったんだ……!

 

「じゃあな! やっと、殺せるぜ!」

 

 俺は後悔を噛み締めながら、死を覚悟して目を瞑った。

 

 ごめん、アリス。

 生きて帰るって約束、守れなかった。

 

 ところが――。

 俺に止めを刺す一撃は、いつまで経っても来なかった。

 恐る恐る、目を開けてみると――。

 驚愕に包まれた奴の顔が、そこにあった。

 

「てめえは……! なぜ、てめえがここにいる! クラム・セレンバーグッ!」



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25「星屑祭三日目 襲撃事件の終息」

 奴が声をかけた方に目を向けると、そこには銀髪の男が立っていた。右の頬に大きな傷跡がある。

 奴の意識は完全にその男の方へ向いていた。どうやら俺のことなど、眼中になくなってしまったらしい。ひとまず助かったようだ。

 

「てめえがここに来る道理はねえはずだ! そうだろう!?」

 

 クラム・セレンバーグって言ってたな。名前だけなら聞いたことがある。確か剣士隊の英雄とかいう人じゃなかったかな。

 クラムと呼ばれた男は、背中の剣をすらりと抜いて冷静に構えた。隙の感じられない構えから、彼が一流の剣士であることが窺える。

 

「貴様はやり過ぎた。貴様のような凶悪犯を、決して生かしてはおけん。この私、クラム・セレンバーグの手で引導を渡してやろう」

 

 普通の口上のように思われたが、奴は突然、猛烈に悔しそうに顔を歪めた。予定外のことに狼狽えているようにも見えた。

 

「けっ。そういうつもりかよ……! ちくしょう! あのクソ女、最初からこうするつもりだったのかよっ!」

 

 最初からこうするつもりだった? 何のことだろう。

 奴は感情を高ぶらせて叫んだ。

 

「オレはまだ死なねえ! てめえの方がくたばりやがれ!」

 

 奴は手を上げて構えた。

 今は男だから魔力の高まりはわからないが、おそらく爆発魔法をやる気だろう。

 危険だ。大丈夫かな。

 俺は内心ハラハラしながら、クラムを見つめた。

 ところが彼は平然としていて、まったく動こうとする素振りも見せない。

 どうしてそんなに落ち着いている。なぜ何もしようとしないんだ。

 彼は纏う気こそ力強いが、俺とそこまで気の強さが違うようにも思えなかった。一流であること以外は、何の変哲もないただの剣士でしかないはずだ。

 なのに、魔法を使う様子もなければ、気で身体を強化しているわけでもない。

 いくら何でも無為無策は無茶じゃないのか。

 このままでは、確実に爆発の餌食になってしまう。それとも、何か手があるのだろ――

 

 

 !?

 

 

「な……ん……」

 

 ――――――え!?

 

 気付いたときには既に、クラムの剣が――

 奴に、深々と突き刺さっていた。

 心臓を一突き。一撃だった。

 

「ガフッ……!」

 

 奴が吐血する。胸から鮮血が零れ出る。

 あまりの出来事に、身が震えた。

 

 なんだ……!? 一体彼は、何をやったんだ!?

 

 俺はしっかりと二人のことを見ていた。見ていたんだ。

 なのに、何も見えなかった。何も、わからなかった。

 あり得ないってレベルじゃない。俺より数段速いイネア先生の動きだって、最近は目や気でだけなら追えるようになってきたんだ。先生だって、人間やめてるんじゃないかってくらいの化け物なんだぞ。

 鍛えた俺の目と気の感知能力を持ってしても、彼の動きがまったくわからないなんて。そんな馬鹿なことがあるのか!?

 もう一度目を凝らして彼を観察したが、彼の様子も気の強さも、何も変わってはいなかった。身体も一切強化された形跡はない。つまり、単純に超スピードで動いたという線は消えるはずだ。

 ということは、可能性があるとすれば魔法ってことになるけど……。

 だけど、そんな真似ができる魔法なんて。見たことも聞いたこともない。

 

 クラムが剣を引き抜くと、先ほどまで威勢を張っていた男が――あれほど強かった男が――その場で崩れ落ちるように倒れた。

 胸からは止めどなく血が流れ出し、地面に沁み込んでいく。

 奴はもう、一切動くことはない。もう、何も喋ることはない。

 死んだのだ。

 俺を終始圧倒した男が、こんなにもあっけなく。

 クラムは勢いよく剣を振って付いた血を飛ばすと、背中にかけた。それから、倒れている俺にゆっくりと近づいてきた。

 

「無事か。立てそうか」

「なんとか。でも立つのはちょっと、無理かもしれません」

 

 それを聞いた彼は、安心したように溜め息を漏らし、後ろを向いて大きな声で言った。

 

「おい! 君の友人は無事だ! もう出てきてもいいぞ!」

 

 すると、見慣れた人影が。

 アリスが建物の蔭からひょこっと姿を現したのだった。

 そうか。やっぱりアリスが、彼を応援として呼んできてくれたのか。

 彼女は俺の姿を見つけると、目に涙を溜めて駆け寄って来る。

 そして、何も言わずに抱きついてきた。

 

「お、おい……」

 

 女としては何度も経験があっても、男の自分がそれをされたことはなかったので、思わず動揺してしまう。

 

「よかった……。遠くで何度も大きな爆発が起こるから、もしやられてたらどうしようって……。ほんとに、よかった……」

 

 彼女はそれだけ言うと、俺の胸元に顔を埋めてわんわん泣き始めた。

 俺は何も言わず、されるがままにすることにした。

 今度は時間もある。彼女が落ち着くまで、ゆっくりと。

 

 ようやく泣き止んだ彼女に、俺は心から謝った。

 

「ごめん、アリス。やっぱり無茶だったよ。あいつ、滅茶苦茶してさ」

「だから言ったでしょ。ユウは、ほんとバカなんだからっ!」

「うん。あのまま一人だったら、間違いなくやられてた。結局倒したのはクラムさんだし」

 

 二人で彼の方を見やると、空気を読んで少し離れていてくれたらしい彼が、静かに頷いた。

 アリスに向き直って、俺は続ける。

 

「俺は無力で、甘かった。ほとんど何もできやしなかった。でも――」

 

 横目で、一人だけ逃げ遅れていた小さな男の子がまだ元気に泣いているのを確かめた。やっと一安心して、肩を落とす。

 

「ほんの少しだけど、守れたものもあったよ」



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26「ユウ、自分の秘密を話す」

 後で知ったことなのだが、主犯の名はヴェスターというらしい。

 コロシアム及び町の襲撃事件は、奴の死によって終息した。

 犠牲者の数は数百人にも上り、サークリス史上に残る凄惨な事件として人々の記憶に残ることとなる。

 祭りは即刻中止となり、町中に厳戒態勢が敷かれた。

 

 俺とアリスは、クラムにコロシアムの近くまで連れて行かれた。そこでバルトン先生の部下から簡単な事情聴取を受けた。

 その際、ひどい怪我をしている俺を見かねた部下の一人に、治療師を呼ぼうかと言われたんだけど。当てがあったからやんわりと断っておいた。

 聴取が終わった後、俺たちはやっと解放された。

 すぐにアーガスがやってくる。

 彼がバルトン先生の近くで話を聞いていたのは見えていた。終わるタイミングを見計らっていたのだろう。

 

「よう。アリスだよな。お前も無事で良かったぜ」

 

 二人はほっとした顔を覗かせる。

 

「そうね。お互い無事で何よりよ」

「ところで、途中でユウに会わなかったか? あいつのことだから、どうにか逃げ切ってるとは思うんだが……」

「あー。それはねー……」

 

 あからさまに心配な表情を浮かべるアーガスを見て、アリスが話していいのかなという感じの困った顔をこちらに向けてくる。

(アーガスには自分から話すよ)と小声で耳打ちすると、彼女は納得して頷いた。

 アーガスは俺の方を向くと、やや怪訝な顔で言ってきた。

 

「そういや、お前は誰なんだ」

「アリスの友達だよ」

 

 今のところはそう返しておく。一応嘘ではないし。

 アリスも同調してくれた。

 

「そうなの。一緒に逃げたのよ」

「へえ」

 

 そこに、こちらへ駆け寄って来る二人の人間の姿が見えた。ミリアとイネア先生だ。

 先生は騒がしいのが嫌いだから、魔闘技観戦はしなかっただろう。その先生と一緒にいるということは、どうやらミリアは襲撃の場には居合わせなかったらしい。

 

「「ミリア! 無事だったんだ(のね)!」」

 

 アリスと二人で彼女を迎えようとした矢先、先生が猛スピードで風を切り、俺に向かって真っ先に飛び込んできた。

 

「ユウ! よく無事だったっ! もしお前までどこかに行ってしまったらと思うと……!」

 

 いつになく感情を露わにした先生に、ぎゅうぎゅうと、息が苦しいくらい力強く抱きしめられる。

 いつも冷静なあの先生が、こんなに取り乱すことがあるんだ……。

 でもそれだけ自分は愛されているんだな。そのことが肌で伝わってきて嬉しかった。

 だけどまあ、やっぱり恥ずかしいという感情も湧いてくるわけで。

 

「先生……」

「なんだ」

「心配してくれるのは嬉しいんですけど。みんな、見てます」

 

 言われて周りを見回した先生は、自分たちに注目が集まっているのにやっと気付く。

 

「あ、ああ」

 

 ほんのり顔を赤らめ、腕の力を緩めた。こほんと一つ咳払いをしただけで、すぐに落ち着きを取り戻したのはさすがだけど。

 そして、俺に耳打ちしてくる。

 

(ところで、男の姿なのはなぜだ)

(アリスを襲撃者から助けるために、変身してしまいました)

 

 事情を告げると、先生は少し驚いたようだった。

 

(ということは、ばらしたのか)

(はい)

(そうか。だが後悔はしてなさそうだな)

(おかげでアリスが助けられましたから)

 

 アリスに目を向けると、彼女は既にミリアと再会の抱擁を済ませた後のようだった。

 みんな落ち着いたところで、ミリアが切り出した。

 

「調べ物をしていたら、コロシアムが襲撃されたという、緊急の知らせが、入ってきたんです。しかもおそらく、あの恐ろしい、爆発魔法が使われていると知って」

「そうね。たぶん、ミリアが言ってたのと一緒の魔法ね」

 

 それは俺も思っていたところだ。

 アリスの言葉に、ミリアは強く頷く。

 

「はい。心配で、すぐに動きました。ですが、私だけでは、力になれませんから。急いで、戦力になるイネアさんを、探して、連れて来たのですが」

 

 先生は力なく肩を落とす。

 

「どうやら一足遅かったらしい。既に全部終わってしまったようだな」

 

 そして先生は、なんと俺に頭を下げて来たのだった。

 

「すまない。ユウ。弟子の危機に、何の力にもなれなかった」

 

 もちろん俺は、先生が謝る必要なんて何もないと思った。だからこう言った。

 

「そんなことしないで下さい、先生。来てくれただけで十分ですよ」

「そうか……」

「それに仕方ないですよ。こんな事件が起こるなんて、誰も予測できませんでした」

「そうか。すまないな……」

 

 俺がいいと言っても、先生はどうしても自分が許せないようだった。責任感の強い人だからな。

 医者のように俺の身体を観察し、ますます苦い顔をする。

 

「それにしても、ひどい怪我をしたものだ。全身切り傷と火傷だらけではないか」

「ちょっとやばいですね」

 

 正直身体のあちこちが痛いし、立っているのも辛いほどふらふらだ。

 先生はそんな俺を見て、やっと自分なりの償いを見出したのだろう。胸を張って言ってくれた。

 

「よし。すぐに治してやろう」

 

 この言葉を待っていた。先生の気による治療こそ、当てにしていたものだった。

 下手な治療師より全然上手いからね。この人。傷跡も残らないようにしてくれるはずだ。

 

「お願いします」

「ああ。任せておけ」

 

 近くの椅子に並んで座り、先生がすぐに怪我を治し始めてくれた。先生が手をかざすところに、ほんのりと心地良い温かさを感じる。

 師弟の仲睦まじい治療風景が興味深いのか、アリスはこちらへ寄ってきてしげしげと眺めていた。そのうち、ほとほと感心した様子で言った。

 

「ほんと気って便利なのね。今日だけですっかり感心しちゃった。あたしもイネアさんに習おうかしら!」

 

 意気込む彼女の右腕に、ふと目が行く。

 相変わらずぐるぐると包帯が巻かれていて、痛々しかった。

 既に治療師に処置をされた後だったし、完治すると聞いていたからわざわざ何もしなかった。だけどこんな事件が起こると知っていれば、アリスも先生に頼んで早く治してもらえばよかったなと思う。

 もっとも、それで魔力まで早く回復するわけではないから、結局彼女は魔法が使えないのだけど。

 それでも逃げるとき、いくらか楽だったはずだ。

 俺の治療を続けながら、先生がアリスに告げる。同情的な顔で。

 

「残念だが、お前にはおそらく無理だ。魔力があればあるほど、気の習得は至難を極めるからな」

 

 きっぱり否定されてしまったアリスは、少しだけ悔しそうにぶうたれた。自分にもできるのではと楽観的に期待していたらしい。

 

「えー。そうなんですか」

 

 そこで何か疑問に思ったようで、彼女は首を傾げる。

 

「でも、あれ? ならどうして、ユウは気が使えるのかしら?」

 

 なるほど。アリスからしてみれば、俺は魔力値一万の人間だからな。それなのにバンバン気を使いこなしているんだから、不思議に思うのも無理ないよね。

 どう説明しようかと言葉に迷っていたら、先生があっさり答えてくれた。

 

「ああ。こいつだけは例外だ。こっちは気が使える方だと言えばわかるか」

 

 それで、察しの良いアリスは理解したようだ。

 

「あー。なるほど。なんとなく、わかりました」

 

 そこに、先ほどから黙って様子を見ていたアーガスが割って入る。

 

「おい。さっきからユウって言ってるが、誰のことだ? まさか、こいつか?」

 

 指をさされる。そうだと言う前に、ミリアがすかさず答えた。

 

「そうですよ。この男の名前も、ユウです。それも、ユウ・ホシミなんですよね」

 

 いつものように、可愛らしいじと目でこちらを睨んでくる。可愛さの中に凄みがある。

 

「ああ。そうなのかよ。ったく、同姓同名とは紛らわしいな。そんなに被る名前でもないだろうに」

 

 ミリアがじと目のまま、アリスの方に顔を向けた。

 

「というか、アリスまで。何か物知り顔ですね。私だけ、仲間外れですか」

 

 自分だけ何も知らされていないミリアは、どうやらそれが気に入らないみたいだった。そんな彼女から注がれるプレッシャーに、さしものアリスも苦笑いするしかないようだ。 

 

「あはは。あたしは、成り行きで知っちゃったっていうか。ね」

 

 引きつった笑顔をこっちに向けてくるアリス。

 

「ほう。成り行き、ですか」

 

 再び俺の方を睨んだミリアは、まるでゴゴゴ、と暗黒オーラでも漂っているかのようだった。迫力につい気圧されてしまう。

 

「待って、ミリア。お、落ち着くんだ。もちろん君にも話すから、さ」

「結構です。私は、女の子の方のユウが、話してくれるまで、待つことにしてますから」

 

 口ではそう言うものの、彼女は明らかに煮え切らない様子だった。

 

「それなら、彼から聞いても問題ないと思うわ」

「アリス。それは、どういうことですか」

「えーと……」

 

 いざきつい口調で問われると説明に困ったのか、アリスは「あなたから言ってよ」と目線で訴えてくる。

 振られた俺も、さてどう言おうかちょっと困ってしまった。

 すっぱりと正体を言えば話はおしまいなのだが、ここには赤の他人も普通にいる。誰かに聞かれる可能性もある以上、それはできなかった。

 少し考えた末、こう述べることにした。

 

「彼女からこっちのタイミングで話していいって許可をもらってるんだ」

 

 アリスもすかさず同調してくれる。

 

「ええ。そうなの! あたしもそう聞いたわ!」

 

 だがこの何気ない発言は、致命的にまずかった。アリスは、私がミリアと朝風呂でした約束のこと知らないからしょうがないけど……。

「私」から聞いたというのはまずいんだ!

 

「そうですか。アリスには、彼女は話してくれたんですね。私は、尋ねても先延ばしにされたというのに……」

 

 案の定、彼女の「私」に対する心象がどんどん悪くなっていく。

 やばいと思った俺は、咄嗟に自分自身に対するフォローを入れた。

 

「いや、あのさ! アリスかミリアのどっちかに話したときは、すぐにもう一人にも話してくれって彼女に言われてるんだ! だからね!」

「ふふ。そうですよね。私だけが、除け者なんて。そんなこと、あるわけないですよね」

 

 笑顔が怖かった。

 

「う、うん。うん。そんなことないから、安心して!」

 

 それを聞いて、ようやく彼女は矛を収めてくれた。

 

「わかりました。では、あなたから、聞くことにします」

 

 ひとまず身の危険が去って、ふう、と溜息が出る。ミリアって将来大物になりそうだな。

 ちょうどそのとき、先生は背中の治療に取りかかっていた。痛む身と別の意味で痛む心に温かさが沁みる。

 俺は首だけを後ろに向けて、先生に尋ねた。

 

「先生。治療が済んだら、道場にみんなで行ってもいいですか? 俺のことを含めて、色々と話したいことがあるので」

 

 この星屑祭の間に様々なことが明らかになった。事件のこともある。一度じっくり話し合って、情報の整理をしたい。

 

「構わんぞ」

「ありがとうございます」

 

 それから俺は、アーガスにも誘いをかけた。

 

「アーガスにも来てほしいんだ。話したいことがあるから」

「悪いが断る。オレはユウを探すつもりだ。女の方のな。無事を確かめないと寝覚めが悪いんでね」

 

 君の性格ならそう言うと思った。でも俺がそのユウだから行かれては困る。

 

「アーガスの探してるユウもそこに来るから」

 

 そう伝えると、彼は食いついてきた。

 

「それは本当か? 嘘じゃないよな」

「もちろん本当さ」

「ああ。私も彼女が来ると保証しよう」

 

 先生もフォローしてくれた。彼は少し考えた後、了承してくれた。

 

「なら行ってやるよ。あいつの居場所に当てがあるわけじゃないからな」

 

 治療が済んだ後、俺たちはイネア先生の道場に移動した。ここなら関係ない人に聞かれたり見られたりする心配はない。

 だだっ広い大広間の真ん中辺りにみんな並んで座る。俺から見て、アリスとミリアが両脇、アーガスとイネア先生は奥のそれぞれ左と右に着座した。

 アリスとミリアは、固唾を飲んで俺が口を開くのを待っている。既に事情を知るイネア先生は落ち着き払っており、今のところそんなに話に興味なさそうなアーガスもいつもと変わらない様子だった。

 俺は一つ息を吐くと、意を決して話し始めた。

 

「どこから話をしようか――そうだな。まずはこの身体の秘密から話すことにするよ」

「身体の、秘密ですか」

 

 意外な切り口だったのか、ミリアがちょこんと首を傾げた。

 

「実は、女の方のユウとは一心同体というか。あれは俺の別の姿というか、そういうものなんだ」

 

 既にこのことを知っている先生とアリスは何も言わなかった。一方、ミリアは表情を硬くし、アーガスは怪訝な反応を示す。

 

「まさか……」

「おい。何の冗談だよ」

「まあそう思うよね。言葉よりも、見せた方が早いか」

 

 俺は立ち上がった。

 

「俺には、ちょっとした変身能力があるんだ。変われるものは、たった一つなんだけど」

 

 念じると、いつもの電流が流れるような感覚とともに、身体と服が瞬時に変化する。

 背が少し低くなって、身体全体が丸みを帯びる。髪は艶を増して伸び、喉仏が消失し、肩幅はやや狭く、手足は白く細くなる。お尻の肉付きが増し、腰はくびれ、胸は膨らんでつんと張る。性器も変化して、男性のそれから女性のそれに作り替わる。

 

「こうやってね。女になれるというわけ」

 

 ここにいる全員がよく知るスカート姿の少女となった私は、男のときよりも高い、透き通るような女の声でそう言った。

 もうこの変化を見慣れている先生は平然としていたが、まだ何度目かのアリスは抵抗があるのか、やや固まっている。

 ミリアとアーガスにいたっては、あり得ないものを見たと言わんばかりにあんぐりとしていた。

「やっぱり、何回見ても驚きだわ……」と、アリスがぽつりと呟く。

 しばらく我を忘れたように呆然としていたミリアとアーガスは、やっとのことで口を開いた。

 

「私、十通りくらい、可能性を、想定してたのですが……一番、あり得ないのが、きました……」

 

 一応想定内だったのかよ。

 

「おいおい……。どんな魔法だよ……」

「魔法じゃないよ。私が持ってる特別な能力。そして」

 

 女になったときとは逆の変化をする。イネア先生以外のみんなが、再び目を見張った。

 

「また男にもなれる。俺は男と女の二つの身体を持っていて、瞬時に切り替えることができるんだ」

 

 それだけ言い切って、再び変身して女に戻り、座った。

 

「こっちの方がみんな見慣れてると思うから、ここからは私として話すね」

 

 ミリアとアーガスは、まだ目を丸くしたままだ。

 

「まさか、同一人物とは……」

「とりあえず、お前が無事だとわかったのはよかったが……」

 

 二人が何を言ったら良いのかわからないといった顔をしている横で、アリスが勢いよく手を上げた。

 

「はーい。質問!」

「なに? アリス」

「どっちが本当の姿なの?」

 

 うっ。やはり来たか。その質問。

「それ、大事ですよね」とミリアも追随する。

 二人から答えろと強い圧力がかかる。

 そうだよね。ずっと女友達だと思っていて、女としての付き合いをしてきた相手が、実は男でもあると判明したわけだから。

 正体がばれた時点でこうなることは覚悟を決めていた私は、正直なところを答えることにした。

 

「元々は男だった。こんな風に変身できるようになったのは、十六歳の誕生日のときだよ。それまではこっちの身体は眠っていて、表に出てくることはなかった。でも今は、どっちが本当ってこともないかな。二つの身体を引っくるめて自分というか、そんな気がしてるよ」

 

 私の返答を聞いた二人は、怒るでも取り乱すでもなく、あくまで静かに、だが棘のある口調で言った。

 

「へえ。今はともかく、元は男だった。そうなのね」

「そうなのですね?」

「はい……」

「…………」

「…………」

 

 肩身の狭い思いをしながら頷いた私に、無言の視線が突き刺さる。生殺しにされているようで辛い。かえって思い切り怒ってくれた方が楽だよ……。

 ごめんなさい。こんな大事なことを今までずるずると言えなくて、本当にすみませんでした。私が悪かったです。だから何か喋って下さい。

 この私にとって最悪な空気の中、最初に口を開いたのはアーガスだった。

 

「やっとわかった。お前、ずっと男だったからだな。道理で女にしては妙にサバサバしてんなというか、無防備だと思ったぜ」

「そうね。話の通りなら、これまでの人生の大半が男だったんだもの。道理で女の常識を何も知らなかったわけだわ」

 

 アリスも得心がいったと頷く。相変わらず彼女の視線は、突き刺さるように冷たいままだった。

 

「私からも、追加の質問いいですか」

「はい……。どうぞ……」

 

 泣きそうな気分になりながら、ミリアを促す。

 

「あなたは、自分のことを、男のときは俺、女のときは私と言っていますが、どうしてですか? もしかして、二重人格か何かですか」

「あ、そう言えばそうね! それならまだ」

 

 私は正直に首を横に振った。

 

「いや、心はあくまで一つ……だと思う。意識は連続してるし、記憶が分断されたりもしない。ただ、こっちでいるときは私って言う方がしっくりくるし、男でいるときは俺の方がしっくりくるというか。それだけの理由だよ」

「ふーん。じゃあ、あたしとのアレやコレも、男のときも全部覚えてるってわけね」

「私とのコレやソレも、ですよね。それだけでなく、他の人のも」

「はい……。そういうことに、なります……」

 

 蔑むような目で睨んでくる二人に対し、消え入りそうな声でそう返すことしかできなかった。

 心が折れそうになっていたところ、アーガスに止めの一言を刺される。

 

「こりゃあ、とんだ変態だ」

 

 ああ。ついに。ついに、はっきりと言われてしまった……。

 がっくりとうなだれる私。

 そこに救いの手を差し出してきたのは、意外にも一番の被害者であるはずのアリスとミリアだった。

 

「言い訳を聞こうかしら。何か事情があるんでしょ?」

「あなたは、ずっと身体の接触は、避けようとしてましたから。あなたの性格からして、下らない目的とは、思えませんし」

「まあ。そうだと言えば、そうだけど……」

「女子になってまで、学校に通いたい理由が、あったんですよね? 現に、あんなに必死になって、魔法の訓練をして」

「そう、なんだけど……」

 

 二人の顔つきは、いつになく真剣なものだ。

 罪への追求よりも本当のことが知りたい。そんな想いがひしひしと感じられる。

 

「お願い。最初からじっくり話して欲しいの。話せることは、全部よ」

「どんなことだって許すと、言ったじゃないですか。私からも、お願いします」

 

 そこで、事の成り行きを見守っていた先生が口を挟んだ。

 

「こいつの真実はおそらく想像以上だぞ。ここまでの流れが下らないと思えるくらいにはな」

「それでも、あたしは知りたいわ。だってユウは、親友だもの!」

 

 こんな事実が発覚した後でも親友だとはっきり言ってくれるアリスに、私はじんときてしまった。

 

「あたしを助けるために、命懸けで正体まで晒しちゃったバカよ! こんなバカ、そうそういないわ!」

「ええ。大馬鹿、ですよ」

「ほんとバカで……でもかけがえのない友達よ。改めてそう思ったの。姿なんて関係ないわ!」

 

 彼女は、今にも泣き出しそうな顔になっていた。

 

「そんなユウが、何か言えない事情で困ってる。いつもどこか辛そうにしてる。正直ね、見てられないの。あたしは、できることなら力になってあげたいってずっと思ってた!」

「アリス……」

「ユウ、お願いよ! どうしても言えないことなの? あたしじゃ、力にはなれないの!?」

 

 彼女の気持ちが痛いほど伝わってきた。私は嬉しくて、また泣きそうになってしまう。

 でも今度は、涙は流さなかった。

 

「ありがとう。アリス。それに、ミリアもね」

「礼を言いたいのはこっちの方よ」

「同じくです」

 

 いや、やっぱり礼を言うべきなのは私の方だよ。

 

「ううん。私が馬鹿だったんだ。何でも一人で抱え込もうとしてた。こんなに近くに、力になってくれる人間が、ずっといたのに。必要以上に恐れて、遠慮してた」

 

 でも、これからは違う。

 

「だけど、わかったよ。もう一人じゃ抱えない」

「じゃあ」

 

 顔を明るくしたアリスをちゃんと見つめて、私は言った。

 

「きっちり話すよ。これまでの経緯、そして……これからのことも」

 

 当初話そうと考えていたことよりも、ずっと踏み込んで話をしよう。そう思った。

 この先、私だけの力ではどうしようもない事態がやって来るかもしれない。そのときのためにも。

 一度深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。改めて意を決して、話し始めた。

 

「信じてもらえないかもしれないけど……。私は、この世界の人間じゃないんだ。地球という、違う星からやってきた」

「えーーーーーーっ!?」

「はい!?」

「はあっ!?」

 

 三人の驚きの声が、道場を目一杯に揺るがした。



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27「ユウ、これまでの経緯を話す」

 その言葉を皮切りに、私はすべてを事細かに話していった。

 アリス、ミリア、アーガスの三人は、時折驚きを交えながらも、決して頭ごなしに嘘だと笑い飛ばすことはなく、熱心に話を聞いてくれた。

 ちゃんと話を聞いてくれたのは、もちろん私を友達として信用してくれているのもあると思う。

 だけど、最初に変身というとんでもないものを見せたことで、突拍子もない話でも本当かもしれないと思わせる下地があったのも大きかったかもしれない。

 元々住んでいた世界がどんなところか。どういう経緯でこの世界に来たのか。

 フェバルという存在、その能力や星を渡る運命のこと。ウィルやエーナのこと。

 最初に女になったとき、ウィルに乱暴され、さらに付け狙われることになって彼にトラウマを持っていること。

 彼に服を破られたままの状態で地球を離れることになり、ラシール大平原の真ん中に一人投げ出され、当てもなく何日も彷徨ったこと。

 それらのことを、まず順番に話していった。

 

「そうだったの……。だからあのとき、あんな場所に一人で、ひどい恰好で倒れていたのね」

 

 同情的な目を向けてきたアリスに、私はこくりと頷く。

 

「うん。あのときは死を覚悟したよ。アリスが来てくれて、本当に助かった」

「結構壮絶な体験してたんだな」

「思っていた以上に、凄まじい話でした。そのウィルという男、許せませんね」

 

 同じく同情の目を向けてくる、アーガスとミリア。

 

「そうね。ちょっとにわかには信じがたい話だけど。でもあたしは、納得がいったわ。だって辻褄が合うもの。道理でユウにこの世界の常識がちっともなかったわけよ。元々いなかったんだとしたら、当然よね」

 

 合点がいったらしいアリスに、アーガスが追随する。

 

「オレはお前が入試で歴史零点だったとどっかで聞いたが、まあ取れるわけないわな」

「シミングの手を間違えるなんて、あり得ないこと、やらかすわけですね」

「シミングってこれのこと?」

 

 右手の人さし指と中指を差し出すポーズを作って見せる。

 

「そうですよ。素で知らない人なんて、初めて見ましたよ」

 

 やや呆れたようにミリアが溜め息を吐いた。

 

「これ、シミングって言うんだ。よくわからないから、ずっと握指って呼んでた。見よう見まねでやってたよ」

「随分ぎこちなかった、ですもんね」

「あはは……。地球には手を全部使った握手って似たようなものがあってさ。そっちは右手とか左手の区別もないし、プロポーズのような意味もないんだけどね」

「へーえ。ユウって、ほんとに違う世界から来たのねー。でも見た目とか、全然違わないのね」

「それは不思議なんだよね。こっちとしても、もっとこう、宇宙人! って感じのを想像してたんだけど」

「ウチュウってなんですか?」

 

 ミリアがわからないと首を傾げている。

 

「あ、そうか。星は地上からでも見えるけど、宇宙って行った人がいないとどんなものかわからないから、その概念がないのか」

「初耳ですね」

「はーい。あたしも」

「ざっくり言うと、この星の空よりさらに高く行けば辿り着くところだよ。果てしなく広くて、真っ暗で、恐ろしく冷たい場所なんだ」

「空の先って、そうなってるんですか?」

「うん」

「それ、中々面白そうな話だな! 詳しく聞かせてくれよ」

 

 アーガスが興味津々に食いついてきた。

 彼はこういう新しいこととか、知らないことに目がないんだった。

 

「いいけど、後でね」

「絶対だぞ」

「はいはい」

 

 そのとき、黙って話を聞いていた先生が、驚くべきことを教えてくれた。

 

「そう言えば、師から聞いたことがある。フェバルというのは、基本的に近い種族が暮らす世界にしか飛ばないようになっていると。各々のフェバルにとって生存可能な世界が、勝手に選ばれているとな。だからだろうな。我々とお前がほとんど同じなのは」

 

 なんだって!? そんなこと大事なこと知ってるなら早く言って下さいよ、先生! この上ない朗報じゃないか!

 

「ということは、新世界到達直後に毒の大気で死にましたとか、そういうことはないってわけですか!?」

「さあな。私自身がフェバルというわけではないからな。だが師の口ぶりだとなさそうだったな」

 

 よかった。選ばれる星が完全ランダムなら、いつかは絶対生存不可能な状況になるはずだ。そんなことは簡単に想像できたから地味に恐れていたけど、可能性が低いのはありがたい情報だ。

 いきなり窒息死とか毒で死亡とか、絶対嫌だし。 

 しかも近い種族というなら、この先も人間に会える可能性は高いわけで。

 少しだけこれからの旅に希望が見えたかもしれない。

 

「ねえ」

 

 呼ばれて振り向くと、アリスは――とても悲しそうな顔をしていた。

 

「やっぱりユウは……。いつかこの世界から、いなくなってしまうの?」

 

 その言葉に、心がずきりと痛む。

 ここまでの話では、そのことははっきりとは伝えてなかった。ただこの世界には流れて来たと言っただけだ。

 けど、星を渡ることに加えてさっき新世界なんて言ったから、さすがにわかってしまったようだ。

 私は素直に認めた。事実を曲げることはできないから。

 

「そうなると思う。この世界を離れて、また次の世界に向かわなければならないときは、きっと来る。それがいつになるかは、わからないけれど」

「あたしは、嫌よ。ユウがいなくなっちゃうなんて」

 

 今にも泣き出しそうな表情のアリス。そんな彼女を見るのが辛かった。

 私だって、同じ気持ちだ。

 

「私も、嫌だよ。みんなとは、離れたくないよ。できればずっとここにいたいと思ってる」

 

 だけど……。

 諦めの気持ちから、目を伏せる。

 

「でも、無理なんだ。それが運命なんだ……。仕方ないんだよ」

 

 アリスは私に迫り、ぎゅっと手を取った。

 はっとして顔を上げると、彼女は悲しさに加えて、憤慨まで滲ませた顔をしている。

 

「運命だなんて! そんなの、あたしは認めないわ! 何か方法はないの!? 移動を止めるとか、こっちに来られるようにするとか! 一緒に探してみようよ!」

 

 それはもちろん私も考えた。何度も考えたし、夢にまで思うよ。

 どうにかして、この運命に逆らうことはできないかって。

 だけど、叩きつけられた現実は……あまりにも厳しくて。

 

「フェバルって、私よりもっとずっと凄い人たちばかりなんだ。そんな彼らでも、結局諦めるしかなかった。知る限り、全員がだよ。ということは……たぶん、無理なんだと思う」

「そんな……!」

「なあ、辛気臭い話はやめようぜ」

 

 嘆き悲しむ私とアリスを見ていられなかったのか、アーガスが横やりを挟んだ。

 

「確かにオレも、正直なところショックはあるぜ。だがどうせ別れは、いつか来るもんだろ。遅かれ早かれ。そんなもん、くよくよしたってしょうがないだろ。そんな暇があったら、今を楽しめよ」

「そうだね……。その通りだ」

 

 泣いても喚いても、運命が変わらないのならば。

 いつまでもそれに囚われて後ろ向きでいるより、今をどう過ごすか。そちらに興味を向けるべきなのだろう。

 彼が今言ったように。トーマスがそうしているように。

 私には、そう割り切るだけの強さはまだないけれども。

 

「ですね。いつそのときが、来てもいいように。私たちとたくさん、思い出作りましょうよ」

 

 一緒に悲しい顔をしていたミリアが、あえて笑顔でそう言った。

 そんな彼女を見て、沈んでいたアリスもようやく立ち直ったみたいだ。

 

「そうね……。ユウ、これからも一緒だからね」

 

 二人が気丈に振舞っているのに、私だけがぐずぐずしているわけにもいかない。

 そう思って、私も顔を上げる。

 

「うん。もちろんだよ」

「さあ、話に戻ろうぜ。続きが気になってんだ」

「ああ」

 

 気を取り直して、アリスと出会ってからのことを話す。

 魔力を測定した際、男の身体に魔力がまったくなかったこと。一方でこの女の身体には、周知の通り魔力値が一万もあったこと。

 

「だから学校に通うなら、女子として通うしかなかった。魔法が使えるのはこっちの身体だけだからね」

「なるほど。女子として生活している理由は、よくわかりました。ですが……」

 

 ミリアがそこまで言うと、アリスもうんうんと頷きながら続ける。

 

「そうね。そもそも魔法の魔の字も知らなかったあなたが、どうして入学して魔法を学ぼうと思ったのかしら? そこがわからないわ」

 

 もっともな疑問だ。私は答えた。

 

「異世界で生きる力を身に付けるためというのが、一つの理由だよ。私は大きな争いもないままぬくぬくと育ったから、本当に何の力もなかったんだ。もし学校に通わず、無一文で町に投げ出されれば、きっと自力では生きられなかったと思う」

「確かにね。あのときのユウったら、一日でもほったらかしたらお腹すかせて泣いてそうだもの」

「うん。だから現実的に考えて、入学するしかなかったんだ。それにこの先、もっと過酷な世界に行くことになるかもしれない。弱いままでは、やっていけないと思った」

「そっか。生きる力っていうところは、よくわかったわ」

 

 しかしアリスは、それでも納得できないという顔で指を突きつけてきた。

 

「だけど、やっぱり説明不足よ! それは、あなたが本当に辛そうな顔しながら、必死に魔法を訓練してきた理由としては繋がらないわ」

「そうだよね……」

「ええ。だって、単に生きるためという目的なら、とっくに達成してたじゃない! あなたの魔法の腕なら、もうどこでもやっていけるはずよ」

「倒れ込むまで、魔法に取り組むあなたは、正直、異常でした」

 

 そうだ。私は血の滲むような修練を重ねて、たった七か月で、天才と言われるアーガスを驚かせるまでに魔法を使えるようになった。

 確かに、生きる力をつけるという目標には、あまりにも過剰な努力だったかもしれない。

 どうしてここまで追われるように力を求めてしまったのか。これまで意識しないようにしてきたけど……。

 二人に指摘されて。みんなに支えられて。

 ようやく本当の理由に目を向ける覚悟ができた。

 

「そうだね。もう一つ。こっちは、今まで言ってなかった理由だ」

 

 しばし目を瞑り、心に整理を付ける。

 そして目を開けて、話し始めた。

 

「私は結局、ウィルが怖かったんだ」

「そっか……」

「そう、ですよね……」

「あいつからどうにか逃れようとして、少しでも力を求めていたところが大きかったんだと思う。だけど……」

 

 思い出すだけで、また震えそうになる。心に刻み付けられたトラウマの大きさを改めて痛感する。

 でももう、認めよう。前に進もう。

 私には、助けてくれるみんながいる。

 

「だけど、あいつのことを考えたくなかったから。そんな逃げのような理由を認めたくなかったから。この気持ちは、無理矢理押し込めていた。きっとそうやって考えまいとしていたのが、かえってアリスやミリアの目に留まってしまっていたんだろうね」

 

 この気持ちを初めて認められたのは、トーマスからあいつの話を聞いたことも大きい。

 あいつの得体の知れなさが多少なりとも減ったこと、私を付け狙う背景がわずかでも見えたことで、ようやくあいつのことをちょっとは人として見られるようになった。

 まだすくみ上がるほど怖いけれど。

 

「ようやく、すべてに納得がいったわ。ユウ、辛かったね……」

「本当に、辛かったですね……」

 

 私の境遇を労わってくれる二人の言葉に、胸が熱くなる。

 もう強がらずに、素直に頷いた。

 

「うん。辛かった。やっと、話せたよ」

 

 どこか張り詰めていた感情が、するすると解けていく。

 すべてを遠慮なく話せる相手がいる。それだけで、こんなに気が楽になるものなのか。

 じっと話を聞いていたアーガスは、ばつが悪そうに頭を下げた。

 

「お前、女子寮に入ってウハウハしたかったわけじゃなかったんだな……。悪かったよ。変態とか言って」

「いや、そう思うのも仕方ないよ。事実としては、否定できないし」

「まあその件については、仕方ないかもね。こんな話を聞いた後で、責める気にはなれないわ」

「鉄拳制裁しようかと思っていましたが、止めにしてあげます」

「はは……。ありがとう」

 

 握りこぶしを小さく作って解き、ふふっと笑うミリアを見て、私は苦笑いした。

 何だかいつもの空気が帰ってきたみたいで、ほっとする。

 だけど諸々の事情は、あくまで私だけの都合だ。けじめは付けなければならないだろうか。

 

「でも私……これからどうしたらいいかな。さすがにもう、女子寮にはいられないかなって」

 

 だがアリスもミリアも、要領を得ない顔をしている。

 あれ? そういう話じゃないの?

 もっと厳罰に処されるべきってことなのかな。確かにそうかも……。

 反省と困惑でそわそわしていたところ、アリスは、胸を張って任せなさいというポーズをしてみせた。

 

「今まで通りいてもいいわよ。あたしが、他の女子にとってもなるべく問題ないように、ばっちりサポートしてあげるから!」

 

 意外だった。第一の被害者であるアリスから、さらっとそんな風に言われるとは思わなかったから。

 

「でもさ。アリスだって、元は男だとわかった私とは、一緒の部屋になんていたくないんじゃないの?」

「構わないわ。別にあなた自身が変わったわけじゃないし。第一、今さらじゃない」

 

 アリスは得意のからかうような笑みを浮かべ、両手を広げる。

 

「もう何もかもぜーんぶ、あなたにさらけ出しちゃった後なんだから」

「ごめんなさい!」

 

 私は頭を直角に曲げて、全力で謝った。

 もうこれしかない。

 

「よろしい」

「ふふふ」

 

 あれ。なんかミリアまで笑ってる。

 

「それにね。随分一緒に暮らしてるから、あたしにはわかるのよ。男と女で口調は大体同じだし、雰囲気もそっくりだけど、やっぱり違うって」

「そう、なのかな」

「そうよ? 男のあなたはれっきとした男だし、女のあなたはちゃんと身も心も女の子なのよね。色んな反応とか、ちょっとした仕草や思考とかを見ててそう思うわ」

 

 舐め回すように、改めて何かを確かめるように私の身体を眺めて。

 アリスは一つ頷き、にこっと微笑んだ。

 

「だから、問題なし。これからも変わらず付き合ってあげるわよ。それが不安だったんでしょ?」

「私が言いたいこと、大体言ってくれましたね。私も同じ気持ちですよ」

 

 二人は、こんな私にも変わらず付き合ってくれることを約束してくれた。嘘など微塵も感じさせない様子で。

 心から、私を受け入れてくれた。

 

 ……そっか。そっかぁ。

 

 ずっと抱えていた恐怖と不安が解けて。

 安堵や嬉しさがごちゃ混ぜになった感情がわっと込み上げてきて。

 言葉に詰まってしまう。

 

「ありがとう……。本当に……私は、わたしね、ずっと、こんな、身体だったから……」

 

 こんな中途半端な身体で、二人と出会ってしまったことを呪っていた。

 始めから男として出会っていたなら。

 ここまで仲良くはなれなかっただろうけど、こんなに悩むこともなかった。

 もし私が普通の女の子だったら。何度思ったことだろう。

 アリスと、ミリアと、触れ合うたびに私の心はひどく痛んだ。

 

「本当のこと、話したら、受け入れられないんじゃないかって……。アリスと、ミリアが、離れてしまうんじゃないかって……。ずっと、ずっと、不安で……」

 

 二人は、途切れ途切れになる私の言葉に、うんうんと温かく頷いてくれる。

 目から、ぽろぽろと。涙が零れ落ちてきた。

 

「でも……アリスも、ミリアも……わたしの、ことっ……」

 

 それ以上言葉を続けられなくて、私は号泣した。

 心に溜まっていた膿を洗い流すように、激しく咽び泣いた。

 

「泣いちゃった」

「よっぽど安心したんですね」

「へっ……」

「よかったな。ユウ」

 

 二人は私に寄り添い、涙が尽きるまで、優しく頭を撫で続けてくれた。



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28「決意を新たに」

 ようやく泣き止んで、落ち着いたところで私は言った。

 

「ごめん。泣いちゃって」

「ふふ。とても可愛かったわよ」

 

 頬が熱くなるのを感じる。

 

「からかわないでくれよ。アリス」

「からかわれるようなことしょっちゅうするユウが悪いのよ。反応もわかりやすいし、弄りがいがあるわよね」

「ですね。弄り初心者向けです」

「うっ」

 

 楽しそうに笑うアリスとミリアに身じろぐも、気を取り直して。

 

「あのさ。まだまだ話さないといけないことがあるんだ」

「まだあるの?」

 

 アリスが驚いた。

 

「私個人の話は大体おしまいだよ。もっと重要な話なんだ」

 

 最低でもアリスとミリアに話せば十分だったのに、わざわざアーガスまで連れて来たのは、今からする話を聞かせるためというのが大きい。

 もし彼が戦力になってくれるなら、非常に心強いと思ったんだ。

 

「ここから先は、先生も知らない話になります」

「ほう」

 

 気持ちを入れ替えて。本題に入る。

 

「昨日、トーマス・グレイバーという男に会いました。フェバルの一人です」

「トーマスって、どこかで聞いたことあるような……」

「私もです。誰でしたかね」

「魔闘技の初日に、司会をやってた人だよ」

「あれ? 司会はモール先生じゃなかったかしら」

「そうでしたよね」

「モール先生は、二日目からのはずだけど」

「えっ?」

「そんなはず、ないですよ。私、見ました」

 

 二人ともとぼけているわけではないようだ。どうやら本当に覚えていないらしい。

 そうか。彼曰く認識を変える能力で無理に割り込んだから、彼がいなくなった後は記憶が修正されるなり何かしたのかもしれない。

 

「まあそのことはいいや。それで、彼は恐ろしいことを言い残していったんだ――ウィルが、行く先々の世界を滅ぼして回っていると」

「なんだと!?」

 

 先生が一気に顔を険しくした。他の三人は、話のスケールの急な違いについていけなかったのか、ぽかんとしている。

 

「確かに奴ならやりかねんが……。だが奴がこの世界に来たとき、滅ぼしたのはエデルだけだぞ」

「はい。ですが――」

「ちょっと待って!」

 

 説明しようとしたところ、アリスからストップがかかった。

 

「エデルって、あの失われた魔法大国よね!? 魔法実験の失敗で滅びたんじゃないの?」

「一体、何を、言ってるんですか」

 

 アリスとミリアは、とても信じられないという顔をしている。

 

「そのままの意味だよ。エデルを消したのはウィルだ。それもたった一人で、一夜でやったらしい」

「おいおい……。どんな与太話だよ」

 

 あまりのことに、アーガスはすっかり呆れてしまったらしい。両手を上げて肩をすくめている。

 けれど、あいつの恐ろしさを肌で知っている私には、真実だという確信があった。

 

「あいつの【干渉】という能力は、底が知れないんだ。先生。かつてエデルを滅ぼしたのは、奴の《メギル》ですか?」

 

 先生からあいつと戦った当時の詳しい話を聞いてはいなかったが、偶然バザーで見つけた本の記述を頼りに尋ねてみる。

 先生から返ってきたのは、肯定の言葉だった。

 

「そうだ。奴が隕石の軌道に【干渉】してこの世界に引き寄せ、落としたのだ」

「やっぱり。そうだったんですか」

 

 先生にとっては生の苦い思い出に違いないけれど、そのときのことを話して聞かせてくれた。

 

「――師は、私を遠くへ逃がすので精一杯だった。結局エデルは滅び、師は行方不明となってしまった。そして、わずかに生き残った人々が――まあ、そうでも考えないと納得できなかったのだろうな。奴を神の化身と呼び、隕石による攻撃を天体魔法《メギル》と呼んで畏敬したのだ。神の化身だなどと、とんでもない。奴は悪魔だよ」

 

 ウィルに対する明らかな嫌悪感を滲ませながら、先生はそう締めくくった。

 アーガスは、腕を組んで難しい顔をしている。

 

「聞いたことがある。エデルは隕石の衝突によって滅びたと。そう言ってた奴が確かにいた。だがその説だと、ラシール大平原の魔力汚染が説明できない。だから、学説では否定されていたはずだ」

 

 冷静に指摘する彼に、先生もまた堂々とやり返す。

 

「魔力汚染については原因がわからないが、これは私が体験した事実だ。誓って嘘は言ってないぞ」

 

 彼は先生の顔に目を合わせたまま、少し黙り込んだ。ちらりと私の顔を窺い、また先生に目線を戻す。

 そして、重々しく口を開いた。

 

「そうかよ……。わかった。にわかには信じられないが、頭には置いとく。正直な、さっきから妙な話だらけで混乱してんだよ」

「あたしも。なんて言ったらいいか……。ユウの話、想像以上に重たくて。ちょっと聞く覚悟が足りなかったかも」

「まるで、おとぎ話でも、聞いているみたいです」

 

 口を揃えて戸惑いを訴える三人に、先生も同情と理解を示す。

 

「だろうな。私も師に出会って奴を直接見ていなければ、こんな話聞く耳もたん」

「だな。だが冗談や嘘にしては話を盛り過ぎだ。少なくともお前らは、真実のつもりで話してるわけだろ?」

「そうだよ。嘘だったら、どんなにいいか」

「ったく、とんでもないな」

 

 アーガスが肩を落とす。でも落胆した様子はなくて、天才の頭を巡らせているようだった。

 

「ユウ。続きを頼む」

「はい」

 

 先生に促されて、頷く。

 こちらを注視する四人に囲まれながら、私は話の核心を切り出した。

 

「あいつは、自分で世界をどうにかできるような圧倒的な力を持ちながら、直接手を下すことはそうそうしない。代わりに、何らかの世界が滅びるような危険因子を置き残していくらしいんだ」

「うわあ……」

「なんとも、悪趣味ですね」

「ひっでえな」

「それが何かのきっかけで働いて、実際に世界が滅んでいくのを眺めては暇を潰している。そういう、最悪の奴なんだ」

 

 そこで一つ、呼吸を置いた。

 みんな固唾をのんで、次の言葉を待つ。

 私は――最も重要なことを告げた。

 

「この世界も、狙われている」

 

 四人の顔に、驚愕の色が映った。

 みんなそれぞれに思いを巡らせているのか、深刻な顔をしたまま黙り込んでしまう。

 やがて先生が、苦々しく口を開いた。

 

「エデルを滅した後、急に奴の気が消えたから変だとは思っていたのだ。まさか、そんなことをしていたとはな……」

「ウィルがここにいたときの活動範囲はわかりますか?」

「ああ。奴の独特な気はすぐにわかったからな。奴はエデルの辺りにずっといた。それ以外の場所には行ってないはずだ」

「だとしたら、やはり危険因子は……エデルに関わる何かである可能性が高いと思います」

 

 昨日トーマスにこの話を聞いてから、ずっと考えていた。

 ウィルが世界滅亡因子を残すとしたら、どこだろうかと。

 最も怪しいのは、あいつが自ら手を下したエデル。その周辺に罠を仕掛けたというのは、十分に考えられることだ。

 しかも、あいつがエデルを破壊したことで、ロスト・マジックを始めとする失われた遺産という概念が生まれた。そいつにカモフラージュすれば、いくらでも危険なものは隠すことができる。

 誰かがそうと知らずに、あるいはそうだと知りながら、あいつの「遺産」を手にしたならば――。

 人の悪いあいつが、考えそうなシナリオだ。

 そして推測通り、もしエデルが関わってくるならば――。

 

「そうだな。とすると、脅威なのは――」

「ちっ。仮面の集団か」

 

 アーガスがいらついたように言うのに合わせて、私は頷いた。

 

「奴らは、エデルの遺産を掘り起こすのに躍起になっている。何を考えているのかわからんような危ない連中だ。もし奴らがその危険因子とやらを見つけてしまったならば――」

「場合によっちゃあ、世界はおしまいってことか」

「そう。だから、実際に気を付けるべきは仮面の集団だと思う。奴らのひどさは、今日の事件で思い知ったよ」

 

 考えるだけで胸糞が悪い。

 

「待てよ。あいつら、仮面の集団だったのか!?」

 

 アーガスは驚いている。確かに、普段はもっとあからさまに仮面してるからね。

 私が答える前に、アリスが言ってくれた。

 

「そうよ。主犯の男がうっかり口を滑らせたわ。本当の目的の目くらましだって」

「くそっ! 奴ら、偽装のためだけにあそこまでやったのかよ……! 一体何人死んだと思ってやがる!」

 

 拳を握りしめて、激しい怒りを露わにする彼。

 私も同じ気持ちだった。奴らには憤りを感じるよ。

 

「それで、お前はどうしたいのだ? 何か言いたいことがあるのだろう?」

 

 四人の注目が、再びこちらに向いた。

 そうだ。先生の言う通り、この状況をなんとかしたくてこの話をしたんだ。

 なるべく誠実に、素直な想いを語る。言葉を選びながら、ゆっくりと。

 

「私は、よそ者だ。でも、この世界が好きだ。みんながいる、この世界が好きなんだ」

「あたしもよ。この世界が好き。みんなのことが大好き」

「そう言われると、照れますね。私もですよ」

「へっ。言うまでもないぜ」

「うむ。でなければ、ろくに長生きしておらん」

 

 各者各様の想いを受け取って、続ける。

 

「だから私は。ウィルの、あんな奴の掌の上でこの世界が転がされていることが、どうしても許せない。この世界が滅びるかもしれないのを、黙って見ていたくないんだ」

 

 そこでいったん言葉を区切る。

 もう一度全員の顔を見回して、私なりの決意を固めていく。

 

「だけど……あいつの力は強大だ。それに比べたら、私の力は……あまりにもちっぽけで、頼りない。私だけでは、あいつの魔の手には、勝てない。仮面の集団に対抗することだって、できない。でも」

 

 トーマスの言ってたこと。

 この世界の人たちと、力を合わせて戦うことができれば。

 

「みんなの力を合わせれば。それでもまだ、小さいかもしれない。足りないかもしれない。でも、私一人よりは、できることはずっと多いと思うんだ」

 

 私は誠意をもって、頭を下げた。

 

「頼むよ。みんな。力を貸してくれないか。私は、この世界を守りたい。みんなを、守りたいんだ」

 

 みんなを守るために、みんなの力を借りる。

 晒さなくて良い危険に晒すことになるかもしれない。

 矛盾しているのはわかっているけど、放っておけばいずれすべてが終わってしまうんだ。

 これが、私なりに必死に考えた上での結論だった。

 協力してくれるかどうかはわからない。もし断られたなら、一人でも足掻くつもりだ。みんなのためなら、一度くらい死んだって惜しくはない。

 

「頭を上げろよ」

 

 アーガスに促されて顔を上げると――そこには、温かく私を見つめる四人がいた。

 

「頼むも何も。元々この世界のことは、ここに住むオレたちの責任だろ?」

「そうよ! ユウだけが背負うことなんて、何もないわ」

「私たちが、何とかしないとです」

「私も力を尽くすぞ。奴との因縁もあるしな」

「みんな。ありがとう……」

 

 私は……本当に良い仲間を持った。

 

 

 ***

 

 

 それから私たちは、襲撃事件の詳細や、これからどうするかについて話し合っていった。

 

「それで、やたらスケールの大きなこと言ったけど……。当面は普通に暮らしながら、仮面の集団の動向に気を付けるくらいしかできることはないかなって感じなんだよね」

「まあそうよね。その危険因子とかいうものの正体がわかれば叩きにいけるんだけど」

「難しいですね。情報が、何もないですから」

「オレとしては、わかりやすくていいぜ」

 

 アーガスが、にやりと口角を上げた。

 

「ぶっちゃけ世界とか言われてもピンと来ないが、それならどっちみちオレのやりたかったことだ。奴らは、今度の件で完全にオレを怒らせた」

 

 出し抜かれたことも含めて、今回の事件には相当思うところがあるらしい。

 

「家に働きかけて、連中の動きをできる限り押さえてやるよ」

「それは、本当に助かるよ」

 

 名家がバックにつくというのは、非常に心強い。ありがたいことだった。

 もう一人、やる気を出したのが先生だった。

 

「ならば、私は奴らを直接潰しに回ることにしよう」

「ついに先生自ら出動ですか」

「お前もだぞ、ユウ。これからは実戦形式での修行もやっていくからな」

「それって、つまり」

「斬るにはちょうど良い相手だろう?」

「――はい!」

 

 私は自分の甘さを克服しなければならないと、今回のことで痛いほど思い知った。

 敵に対しては、毅然と立ち向かえるようにならなければならない。そして必要なら、しっかりと斬れるようにならなければならない。

 それができなければ。勝てるものも勝てず、守れるものも守れないことがあるのだ。

 これから仮面の集団と戦っていく中で、身も心も強くしていこう。そう思った。

 

「ごめんね。あたしは、すぐにできそうなこと、思い付かないわ」

「私も、ちょっと……」

「いいよ。気持ちだけで嬉しいから。もし何かあったときは、よろしく頼むね」

「もちろん。よーし! いつでも力になれるように、もっと魔法に磨きをかけておくわ!」

「最近、ユウに付き合わされたせいで、特訓が、楽しくなってきたんですけど。どうしてくれるんですか」

「えー。そんなこと、知らないよ」

「あはは。ミリアが感化されちゃった」

「もう。ふふっ」

「ははは」

 

 ――今までは、ずっと逃げ続けてきた。目を背けてきた。

 トラウマからも。運命からも。真実からも。

 でもやっと、少しだけ向き合えたと思う。

 決意を新たに。

 ここから一歩ずつ、前に向かって歩いて行きたい。



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間話4「マスター・メギルへの報告」

 サークリスの地下深く。

 極秘施設の一室にて、マスター・メギルたちが話し合いを開いていた。

 

「ご苦労だった。我々は例の場所から、エデルの遺産を無事奪取することに成功した。これで計画の達成にまた一歩近づいたというわけだ」

「おめでとうございます。マスター」

 

 そう言ったのは、例の仮面の女である。

 

「ところで、コロシアムの方はどうなったのだ。クラム」

 

 二人の横には、サークリスの英雄であるはずのクラム・セレンバーグの姿があった。彼は腕を組み、部屋の壁にもたれかかって立っている。

 

「ヴェスターの奴め。考えなしに暴れてくれた。おかげでとんだ大事になってしまったぞ」

「はあ……。これだから単細胞は困るわ」

 

 仮面の女は呆れ果てていた。

 一応無事に逃げるための手段も教えておいたはずなのに、彼は結局それを活かすこともしなかった。

 ただただ、あまりにも派手にやらかしてくれたのだ。

 今後警備が厳しくなり、少々動きにくくなることは容易に想像できる。

 

「残念だよ。それで、彼は始末できたのかね」

「ああ。この手できっちりとな。大罪人として処刑させて頂いた」

「彼の部下たちは、どう処分したのかしら?」

「全員、『怪我の処置が間に合わずに死んだ』よ」

 

 クラムがそっけなく言うと、彼女は仮面の奥でクスリと嗤った。

 

「あら。えげつないわね」

「貴女ほどではない」

「そうかしらね」

 

 とぼけたような彼女を尻目に、クラムは肩を落とす。

 

「ただ、万事上手くいったわけでもない。少々厄介なことになった」

「どうした」

「コロシアム襲撃を、我々仮面の集団が起こした事件であると証言する学生が現れたのだ。おそらくヴェスターの奴が口を滑らせたのだろう」

「彼の性格なら、いずれやらかすと思っていたわ。あの馬鹿」

「ふむ。やはり始末して正解だったようだね。して、この件にはどう対処する」

「私の方でもみ消しておくとしよう。世間には、単なるテロリストとして公表されるように手配する」

 

 彼の言葉を聞いたマスター・メギルは、満足気に頷いた。

 

「それは助かる。ぜひ頼むよ」

「ああ」

「で、その学生というのは誰なの?」

 

 冷やかな調子で尋ねる仮面の女に、クラムは眉根一つ動かさず平然と答えた。

 

「一人は、アリス・ラックインという一年生の女子。もう一人は貴女が言っていた、ユウ・ホシミだ」

「そう……。あの二人ね」

「うちユウ・ホシミについては、衝撃の事実が判明した」

「へえ。どんなもの?」

 

 もったいつけたような言い回しに、元々二人に着目していた彼女は、強く興味を寄せる。

 クラム自身、内心驚きを交えつつ語った。

 

「ヴェスターの部下の一人が証言したところによれば、ユウ・ホシミは性別を変化させることができるらしいのだ」

「なんですって!?」

 

 彼女は、仮面が割れんばかりの驚声を上げた。

 

「そんな馬鹿なことが、あり得るというの?」

「そうだ。証言に、貴女の報告と、直接この目で見たことも加味して総合的に判断したが、ほぼ事実と考えて間違いないだろう。つまり、貴女が調査していた二人のユウ・ホシミは、実はまったくの同一人物だったわけだ」

 

 そこまで聞いたマスター・メギルが、仮面の女へ冷淡に告げる。

 

「あれだけ調べておきながら、そんな重要なことに気付かなかったとは。失態だな」

「申し訳ありません……。まさか同じ人物であるとは、思いませんでした」

 

 マスター・メギルは無言のまま、鋭い視線を彼女に投げかける。

 まるで値踏みするような目に、彼女は何を言われるかと内心恐れ慄いた。

 間もなく彼は威圧を緩め、穏やかに言った。

 

「まあいいさ。正直、私も驚いたほどだからね。君は優秀だ。この程度のことではどうこう言わんよ」

「はっ……」

「これからもこの私に尽くしてくれ。君の望みのためにもな」

「ありがとうございます」

 

 冷や汗が流れるのを感じながら、彼女は軽く頭を下げた。

 

「うむ。それにしても、ユウ・ホシミという子は不思議な存在だな」

「まったくです。あれほどの魔力を持っていれば、前々から有名でもおかしくはないのに」

「経歴はまったく不明。忽然と現われて、特異な能力まで持っている、か。神の化身にも似た何かを感じるな。ますます興味が沸いたよ」

「欲しいなら捕まえて来てやってもいいが、どうする」

 

 クラムの提案に対し、彼は少し思案してから、首を横に振る。

 

「やめておこう。ユウ・ホシミには、背後にイネアというネスラがついている。彼女は一筋縄ではいかんからな」

 

 己に手出しするなと言わせるほどの存在が、クラムの琴線に触れた。

 

「ほう。そのイネアというのは、そんなに強いのか」

「いや。確かに強いが、おそらく君には敵うまい。ただ、厄介なのだ」

 

 知る者ぞ知るネスラの強戦士。その数々の武勇伝を思い起こしながら、マスター・メギルは続ける。

 

「彼女は神の化身と刃を交えた経験もある歴戦の戦士。侮れば痛い目に遭うかもしれん」

「そうか。心には留めておこう」

 

 クラムはしかと彼の言葉を受け止め、それから後悔の念を滲ませながら言った。

 

「しかし、あんな証言をするとは思わなかった。二人とも、私が連れ歩いていたときに闇に葬っておくべきだったかもな。そうすれば、ヴェスターが殺ったことにもできたのだが」

「なに。所詮学生に知られた程度、放っておけばいい。我々はまだ、完全に尻尾を掴まれたわけでもないのだからな」

「失礼を承知で申し上げますが。それは下策かもしれませんよ」

 

 仮面の女が異議を唱える。

 彼女はかねてより彼らを最大限評価し、警戒していた。

 

「ほう。なぜかね」

 

 再び威圧を強めたマスター・メギルに、理があった彼女は今度は動じることなく答えた。

 

「ユウ・ホシミの周辺には、妙に正義感の強い、才ある連中が揃っていますから。コロシアムの襲撃が我々の仕業であると漏れたことで、何らかの邪魔をしてくるかもしれません。特にアーガス・オズバイン――あのオズバイン家と組まれると厄介です」

 

 すらすらと理由を述べた彼女に、マスター・メギルは感心して頷く。

 

「なるほど。それは一理あるかもしれんな。では、もし目障りになるようであれば、こちらから仕掛けることも考えておくとしよう」

「はい。それがよろしいかと」

 

 マスター・メギルは、一呼吸置いてから話を締めくくった。

 

「ともかくご苦労だった。この調子で行けばあと一年以内、早ければ半年ほどで準備は整うだろう。随分と時間がかかったが、ようやくだ」

 

 彼は仮面の奥で、静かに嗤った。

 

「エデルの復活は、近い」



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金髪の兄ちゃんともう一人の「私」
あらすじとキャラクター紹介~1「もういやだ」


・あらすじ
 両親を亡くしてから二年。親戚に引き取られていた8歳のユウは、彼らにきつく当たられる辛い日々を送っていた。この頃ユウは、いつも不思議な夢を見るようになった。夢に現れるのは、自分とそっくりな謎の女の子。ユウは彼女に、あなたが望むから自分は現れたと告げられる。彼女と話すことで、ユウはどうにか日々の辛さを紛らわせていた。そんなある日、レンクスという青年がユウの住む町にやってきた。彼はユウのことを気にかけて、あれこれと世話を焼き始める。

・話の傾向
 舞台が地球ということで、あまりファンタジー要素はない話です。日常系。バトルはしません。性的な描写はありませんが、主人公が親戚にきつく当たられるという鬱要素があります。

・キャラクター紹介

星海 ユウ
性別:男
年齢:8
 主人公。可愛いらしい容姿から女の子と間違えられることがよくある。本人はそのことをあまり快く思っていない。

星海 ユウ?
性別:女
年齢:??
 ユウの夢の中にいつも現れる、ユウとそっくりな女の子。

星海 ユナ
性別:女
年齢:享年31
 ユウの母親。二年前の事故で亡くなったのだが……。

レンクス・スタンフィールド
性別:男
年齢:??
 ユウの住む町にふらっとやってきた金髪の青年。ユウのことを気にかけ、色々と世話を焼く。

遠藤 ヒカリ
性別:女
年齢:8
 ユウの幼馴染となる女の子。ユウが通っている小学校に転校してくる。

今石 ミライ
性別:男
年齢:8
 ユウの幼馴染となる男の子。同じく転校してくる。

おじさん
性別:男
年齢:36
 ユウの親戚のおじさん。すぐに手が出る。

おばさん
性別:女
年齢:34
 ユウの親戚のおばさん。すぐに口が出る。

ケン
性別:男
年齢:9
 ユウの従兄。立場の強さと、一つ年上であることにかまけてユウをこき使う。


 また楽しくないご飯の時間がやってきた。

 食卓の向かい側には、いつものようにおじさんとおばさんがいる。俺はいつものように、従兄のケンの隣に座った。

 今日は、ハンバーグか。

 みんな大好きだよね。俺も大好きだけど、別に嬉しくも何ともないよ。

 だって俺は、いつもおかずがほとんどもらえないんだ。全部ケンが持っていく。ちょっと羨ましいけど、文句なんか言ったら、おじさんに殴られるから。

 ほんのちょっぴりのハンバーグで、ご飯を食べた。量が少ないから、すぐに食べ終わっちゃうよ。

 

「ごちそうさま」

 

 そして俺はいつものように、おじさんとおばさんとケンが食べ終わるのを待つ。

 みんなごちそうさまをして、食卓を立ってどっか行ったら、いつものようにお皿を洗うお仕事をするんだ。

 お皿を洗うだけじゃないよ。服を洗うのも、掃除機をかけるのも、違うことも、全部俺のお仕事なんだ。

 テレビで野球を観てるおじさんから、声がかかった。

 

「おい、ビール!」

「はい!」

 

 俺はお皿を洗う手を止めて、冷蔵庫を開けた。そこからひやっとしたビールを見つけたけど、高くて中々手が届かない。

 なんとか背伸びして取ると、右手と左手で持っておじさんのところに持っていく。

 

「おい! 早く持ってこいっつってんだろ!」

 

 いらいらしてる。応援してるチームが負けてるからだ。そんなにいらいらするんだったら、野球なんて観なきゃいいのに。

 やっとビールを渡したら、グーで思い切り頭をゴチンとされた。

 すごく痛くて、頭を押さえた。

 

「お前は、お遣い一つもぱぱっとできねえのかよ!」

「ごめんなさい……」

「謝るだけだったら誰でもできるんだよ! 役立たずめ!」

「…………」

「お前なあ、ここに住まわせてもらってるって自覚はあるのか? 言ってみろ。身寄りもなくなったお前を、善意で引き取ってやったのは誰だ!?」

「おじさんです……」

「だよな? だったら、もうちょっと感謝の気持ちを持っててきぱき動けや!」

「はい……」

 

 頭も心も痛くて、すぐに動く気になれなかった。

 ほんのちょっとぼーっとしてたら、おばさんに怒鳴られた。

 

「なに休んでるの。まだ洗い物終わってないよ! さっさと戻りな!」

「すみません。すぐやります」

「ったく、あの女みたいな生意気な目してさ」

 

 お皿を洗うために戻ろうとしていた、俺の足が止まった。

 お母さんのこと、言ってるの?

 

「あの女のそういうところが、ずっと気に入らなかった。事故で死んだって聞いたときは、せいせいしたね。きっと罰が当たったんだよ」

 

 おばさんのその言葉が、どうしても許せなかった。

 

「今の言葉、取り消してよ!」

「あら? 口答えする気?」

「お母さんは、罰が当たるような人じゃない! お母さんは、お母さんは……!」

 

 いつも強くて、優しくて。あったかくて。

 

「お父さーん、ユウがまたあの部屋行きたいって」

 

 怖くてぶるぶるした。あの部屋だけは、いやだ!

 

「またか」

 

 テレビを観ていたおじさんが、ゆっくりと立ち上がった。

 

「悪い子にはお仕置きだね」

 

 そう言ったおばさんは、まるでこないだ観た○○レンジャーの悪い人みたいな顔をしていた。

 おじさんが、怖い顔をしながら近づいてくる。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい!」

「だから、謝るだけなら誰でもできんだっつってんだろ! 何回言っても聞かねえ奴だな!」

 

 背中を掴まれた。

 必死に逆らったけど、おじさんの方がずっと強くて、無理やり持ち上げられて。

 

「いやだ! やだよ! おねがい! ゆるして!」

「うるせえ!」

 

 お腹を強く殴られた。息ができなくなるくらい苦しくて、胃の中のものを戻しそうになる。

 しゃべる元気もなくなった俺は、そのまま連れて行かれると、電気も付いていない、暗くて小さな物置部屋に放り込まれた。

 そして、外から鍵を掛けられた。

 こうなると、もう朝まで出してもらえない。ずっとずっと、この狭く暗くてむし暑い部屋の中で、怖い思いをしなくちゃいけなかった。

 

 静かになって、ずきずきとお腹の痛みだけが残った。きっと痣になってる。

 とっても惨めだなって思ったら、すごく悲しくなってきて。涙が出てきた。

 でも、声に出して泣いたらまた殴られる。だから服を口に押し当てて、静かに泣くしかなかった。

 お母さんとお父さんがいたときは、楽しかった。

 どうして、俺を置いて遠くへ行っちゃったの? どうして?

 もういやだ。

 こんなの、いやだ。

 どうして。どうしてだよ。

 いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。

 俺じゃない。俺は、いやだ。こんなの、いやだ。 

 こんなの、俺じゃない。

 

 

 ***

 

 

 気が付くと、俺は真っ暗な空間に立っていた。

 あれ。

 ここ、どこだろう?

 そのとき、俺の声とほぼまったく同じ声が、横から聞こえてきた。

 

「まだここに来るときではなかったんだけど。どうやら強い気持ちが、一時的に繋げてしまったみたいね」

 

 振り向くと、そこには――。

 

「えっ!? 俺? いや、違う」

 

 見た目も感じもよく似ていたけど、俺の目の前にいたのは女の子だった。

 

「誰なの?」

 

 女の子は、くすりと笑った。

 

「誰だと思う?」

「わかんないよ」

 

 正直に答えると、彼女は左手の人さし指で俺のことを指さしながら言った。

 

「私はあなた」

 

 それから指を返して、自分のことを指して言う。

 

「そして、あなたは私」

「どういうこと?」

「ここは、私たちの心の世界なの。私は星海 ユウの、言ってみれば女の部分かな」

「女の部分?」

「覚えてないの? この前聞こえてきたテレビで言ってたよ。人の心には、誰でも男の部分と女の部分があるものだってね」

「へえ。そんなこと言ってたんだ」

「うん。それで、本来なら、私はユウの精神に影響を与えるだけの裏方なんだけどね」

 

 だけど、と「私」は俺に優しく微笑みかけた。

 

「あなたが望むから、私は現れたよ」



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2「もう一人の「私」」

「俺がお願いしたから、君は出てきたの?」

「そうだよ。あなたは、いつもおじさんたちにいじめられて嫌になっちゃったんだよね」

「うん……」

「ひどい目に遭うのがもう耐えられなくなった。こんなことされているのは自分じゃないと、そう思わないとおかしくなりそうだった」

 

「私」は、俺のことを全部当ててきた。やっぱり自分のことはよくわかるのかな。

 

「誰かに甘えたかった。慰めて欲しかった。特に、お母さんとかにね」

「でも、お母さんは……」

 

 俺がお母さんのことを考えてしょんぼりすると、「私」も同じように下を向いて悲しそうな顔をした。

 

「もう、いないね」

 

「私」は顔を上げて、俺をまっすぐ見つめて。

 だから、と続けた。

 

「誰にも頼れないあなたは、そういう役割を自分の中に作ったの。自分の心を守るためにね。あなたの逃げたい気持ちと甘えたい気持ちが、星海 ユウの一部である私を呼び覚ましたんだよ」

「よくわかんないけど。とにかくさ、君は俺ってことでいいの?」

 

 そしたら「私」は、ちょっと困ったように笑った。

 

「まあ、そういうこと」

「そっかー。女なのに、俺なのか」

 

 だったら、気になることがある。

 

「あのさ。俺はちゃんと男だよね?」

「もちろん。私はあくまで心の一部みたいなものだからね」

 

 それを聞いてほっとした。

 

「よかった~。女みたいだってよくからかわれてさ。いっつも嫌なんだよね。でもほんとに男じゃなかったらもう言い返せないとこだったよ」

「私としてはあまり悪い気分ではないけどね。言わせておけばいいんじゃないのっていつも思うんだけど」

「だって悔しいじゃん! バカにされてるみたいで。君も俺なら、この気持ちわかるでしょ?」

「それはよくわかるよ。でもこういうのは、気にしたら負けじゃない? 男なんだから、堂々と胸を張ってたらいいって」

「そうかな」

「そうだよ。って、いつもそういう方向に思考を誘導してるのに、あなたは全然聞かないよね。自分のことながら呆れるよ」

 

「しこうをゆうどう」という言葉の意味はわからなかったけど、「私」が呆れると言ってやれやれって感じで溜め息を吐いたから、たぶんバカにされてるんだろうって思った。

 

「なんで君にまでバカにされないといけないんだよ。もう」

 

 いじけていると、「私」は俺にゆっくり近づいてきて、柔らかい手つきで頭を撫でてきた。まるでお母さんが俺によくやってくれたみたいに、不思議と温かい手だった。

 だけど、「私」の姿が本当に俺にそっくりだから、自分に慰められているような気がして、なんか変な感じもする。

 

「あんまりいじけないでよ。もうちょっと大人になったらその辺は直ると思うよ。私がしっかりサポートしてるから大丈夫」

「ふーん」

 

 そのまま、しばらく俺は「私」によしよしされ続けた。

 

 ところで、当時の俺は言われたことはそのまま信じてしまうような素直な心の持ち主だった。

 彼女が自分と瓜二つであったことも、当時の俺に疑いを持たせない要素であったには違いない。

 とにかく、当時の俺はこの話をそのまま受け入れたし、この不思議な空間と「私」についてもあまり思うところはなく、自然に受け止めていたのだった。

 

 ふと、「私」が自分の胸に手を添えて言った。

 

「それにしても、さすがに私のために身体まで作ってしまったのには驚いたよ。この身体、ぴったりだったからありがたく使わせてもらってるけど」

「俺が君の身体を作ったの?」

「そうだよ。私も詳しいことはわからないけど、どうやら私たちには生まれつき不思議な力が宿ってるみたい。その力を無意識に使ったんじゃないかな」

「力?」

「うん。私は、あなたの内側からその力をずっと見てきた。この『心の世界』が、その力のある場所なの。というか、もしかしたらこの場所が力そのものかもしれない」

 

「私」は手を広げて周りを指し示す。

 俺はきょろきょろして色んなところを見たけど、どこまでも真っ暗なところで、なんにもないように見える。

 暗い所がちょっぴり怖くなった俺は、また「私」の方を向いた。

「私」はにこっと微笑んで続けた。

 

「私たちの力は、まだ本当は眠っているみたいなの。きっと強過ぎる力だから、耐えられるようになるまで身体が成長するのを待っているんだと思う」

「よくわかんないけど、おっきくなったらすごいの?」

「かもね。力が使えないように、あなたは本当はまだここに来られないようになっているはずなんだけど」

 

「私」の話が難しくてまたよくわかんなくなってきたけど、来ちゃいけない場所に来ちゃったってことだけはわかった。

 

「でも、来ちゃったよね」

「そうなんだよね。あなたの想いが強くて、一時的に繋がってしまったみたい」

「それっていいの?」

「わからない。けど、起こってしまったことはもうどうしようもない。今はこうして出会えた偶然を喜ぼう。いつまでこうやって話ができるかはわからないけど、よろしくね」

 

「私」が左手を出してきた。当たり前だけど、手までほんとに一緒だった。

 俺も左手を出して握手する。

 

「うん。よろしく。自分そっくりな人にあいさつするなんて、おかしいね」

「本当にね。こんな体験、世界で私たちだけじゃないかな」

 

 なんだか可笑しくなって、二人で笑った。笑い方と笑い声まで同じだった。

 

「あのさ」

「なに?」

 

 落ち着いたところで、さっきからずっと不思議に思っていたことを聞いてみた。

 

「君は俺なのにさ、俺なんかよりずっと大人みたいだよ。どうしてなの? たくさん言葉を知ってるし」

 

 すると「私」は、すぐに得意な顔になった。

 

「そりゃあね。だって私は、あなたが経験したことのすべてを知ってるから」

 

 俺はびっくりした。

 

「全部!? 一個も忘れてないの?」

「あなたの中の住人だからね。あなたの経験はすべて、この『心の世界』という器に溜まっていくの」

「ここ、入れ物なんだ」

「うん。でね、周りの世界から入ってくる情報というのは、あなたが考えているよりずっと多いものなんだよ。私はその恩恵を受けているから、あなたと比べるとしっかりしてるというわけ」

 

「おんけい」って恵みくらいの意味だったかな。じゃあ。

 

「なんだ。自分の力で覚えてるわけじゃないじゃん。びっくりして損した」

 

 そう言ったら、「私」がむすっとして言い返してきた。

 

「うるさい。勝手に期待したあなたがいけないの」

 

 その様子が、なんかすごく怒ったときのクラスの女子っぽかった。たぶん大人はこんな怒り方しないと思う。

 もしかしてこの人、知識があるだけでほんとはそこまで大人じゃないのかもしれない。

 まあよく考えたら、この人も俺と一緒に育ってきたわけだし、当たり前なのかも。

 

「ごめんよ」

「ふーん。まあちゃんと謝るなら、許してあげてもいいよ」

 

 ちょっと口を尖らせたまま、「私」が拗ねている。

 

「うん。悪かった」

 

 でも素直に頭を下げると、「私」の表情はすぐに元に戻った。

 

「いいよ。私も確かに得意気にしてしまったところがあったね。それはごめんね」

 

「私」も頭を下げる。自分同士で謝るってすごく変なことになっちゃった。

 バカにされたと思ったら怒るところも、謝ったらすぐ許して自分の悪かったところを反省しちゃうところも、ほんとに俺にそっくりだ。

「私」が頭を上げたところで、ふとまた新しく不思議に思ったことが出てきた。

 それは、少し俺を不安にさせるようなことだった。

 

「あのさ」

「今度はなに?」

 

 ちょこんと首を傾げて、こちらを窺ってくる。

 思ったことをそのまま言ってみた。

 

「俺が見たり聞いたりしたことは、全部この『心の世界』って器に溜まっていくんだよね?」

「そうだよ。それがどうしたの」

「じゃあさ」

 

 胸の中にそわそわしたものを感じながら、その不安を口に出す。

 

「いつか器がいっぱいになっちゃったら、どうなるの?」

 

 それを聞いた「私」は眉をしかめて、それから感心したような顔をした。

 

「へえ。面白いことを聞くね」

「だって、コップに水をいっぱい入れたら、いつかは溢れちゃうでしょ? どうなるのかなって。おかしなことにならないかなって」

「んー。それは、私にもわからないな」

「そうかあ……」

 

 期待していた答えがもらえなくてしょんぼりした俺に、「私」は微笑む。

 

「ただね、あまり心配は要らないと思う。私たちの器は、不思議なことに果てしなく大きいの。まるで宇宙みたいにね。この『心の世界』いっぱいに思い出が詰まることは、きっとそうそうないよ。それこそ、一生かけたってね」

 

 そう言われて、俺の心はすっきりした。

 

「そっか。じゃあ安心だね」

「たぶんの話だけどね」

 

 そんな感じで、しばらく二人で話していた。ほんとに二人と言ってもいいかは怪しいけど。

 けど形は関係なかった。

 辛かったこともしばらく忘れられるくらい楽しい時間だった。久しぶりに、心の全部を言える相手と話せたんだ。

 でも、この時間はいつまでも続かなかった。

 そのうち「私」が言った。

 

「そろそろ朝が来るみたい」

 

 俺は、はっとした。

 

「え……じゃあこれって、夢なの?」

 

 夢だと思ったら、とても悲しくなってきた。せっかくできた話し相手なのに。

 がっくりする俺を慰めるように「私」が言った。

 

「心配しなくていいよ。夢を利用してあなたはここに入ってきたけど、ここは本当にある場所だから」

「ほんと?」

 

 それに頷いた「私」は、でも、と難しい顔をして続ける。

 

「起きたら、あなたはきっとここでの出来事は忘れていると思う。無理矢理繋がってる状態だからね。ここを離れて現実に戻ったときに悪い影響がないように、記憶は切り離されてここに残ることになるはず」

「それって……君のことも、忘れちゃうの?」

 

「私」は残念そうに、首を縦に振った。

 

「いやだよ! そんなの! また、あんなところに一人で戻らなくちゃいけないの? 君は、そばにいてくれないの!?」

 

 さみしくて、辛くて泣きそうになる俺に、「私」は何も言わないで、優しい目を向けたまま近づいてきた。

 お互いに息がかかるところまで来た「私」は、俺のことをぎゅっと抱きしめてくれた。

 そこから、不思議なことが起こった。

 俺と「私」の身体が触れ合ったとき、そこから融けるように、「私」の身体が俺の身体の中に入り込んできたんだ。

 そしたら、身体の色んなところが熱くなって。

 何かが満たされていくみたいな感じと、なんて言ったら良いかわかんない気持ち良さでいっぱいになった。

 最後には全部一つになって、俺の身体だけが残った。

 身体の中から、「私」の心の声が直接俺に伝わってくる。

 

『確かに一人だけど、一人じゃない。たとえ覚えていなくたって、私はこうやってちゃんとあなたの中にいるから。あなたを支えているから。だから、負けないで』

 

 ぽかぽかするような温かさと、身体の中から抱きしめられているみたいな心地良さを身体中に感じた。

 それが、俺の悲しい気持ちを和らげてくれた。

 言葉じゃなくて、心で伝わってきたんだ。

「私」は、いつもずっと一緒にいてくれてたんだって。

 

『うん……』

『それに、大丈夫。まだこの場所とあなたは繋がってる。繋がっている限りは、またすぐに夢で会えるから。こっちに来たら、あなたはまたここでの出来事を思い出すはずだから』

『ねえ。また会える?』

『うん。きっと。だから、またおいでよ』

 

 真っ黒な『心の世界』から、真っ白なところへ投げ出されて――。

 

 

 ***

 

 

 俺は、狭い物置部屋の中で目を覚ました。

 顔には、泣いた跡が張り付いていた。

 そっか。昨日、泣き疲れて寝ちゃったんだ。

 おじさんとおばさんにされたことを思い出して、嫌な気分になる。

 だけど、思ったよりもずっと気分は軽かった。寝たらすっきりしたのかな。

 そのとき、部屋のドアの鍵が開く音がして、外からおじさんの怒鳴り声が聞こえてきた。

 

「おい! 学校の時間だ! お前みたいなのでも、通わせないと周りがうるせえからな! さっさと出て来い!」

「はい! 今出ます!」

 

 俺の新しい一日が始まった。



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3「金髪の兄ちゃん」

 両親を失ったこと、親戚の家で虐待のような扱いを受けたことは、まだ小さかった俺に大きな心の傷を残した。

 俺は、誰かに傷つけられたり嫌われることを異常に恐れるようになった。誰かが自分のそばから離れてしまうことを異常に恐れるようになった。

 結局、十代も後半になって、アリスたちにありのままの自分を受け入れてもらえるまでは、この心の傷は完全には克服できなかったような気がする。

 当時、教室でいつも暗い顔をして元気がなさそうにしていた俺に、わざわざ話しかけようとするクラスメイトはあまりいなかった。

 声をかけてくるのは、大抵はからかってくるときだった。女みたいだとか。

 あのとき俺は、ずっと一人だった。

 友達が欲しくて仕方がなかったことはよく覚えている。だけど、自分から一歩踏み出して人の輪に加わる勇気が持てなかった。

 俺は、退屈で寂しい日々を過ごしていた。

 

 

 ***

 

 

 公園で砂をいじっていた。

 服を汚して帰ったら、またおじさんに殴られてあの部屋に閉じ込められる。だから気を付けなくちゃなって思いながらやってる。

 それに飽きたら、蟻の列を眺めたりとか、四つ葉のクローバーを探したりして暇を潰すんだ。

 日が落ちるぎりぎりまでは、いつも家には帰らない。

 あの家、嫌いだもん。

 ケンの顔だって、なるべく見たくないし。

 あいつ、一つ年下の俺に色々命令してきて、言うこと聞かなかったら殴って無理矢理聞かせようとするから。

 身体も俺よりおっきいし、力もあるから嫌だって言って喧嘩したって勝てない。

 それにもし何かあったら、おじさんもおばさんもケンの味方だから。あいつには逆らえないんだ。

 

 そのうちすることがなくなった俺は、公園のベンチに座ってぼーっと空を見ていた。

 人みたいな形をした雲を見つけた。

 あの雲みたいに空を飛んで好きなところに行けたら、すごく楽しいだろうなあ。

 ふと、こっそり読んだ漫画のことを思い出した。

 ケンの部屋に置いてあって、ばれないように隠れて読んだんだった。

 

 ヒーローって、みんな当たり前のように空を飛んだりするよね。

 

 わくわくが蘇ってきて、つい真似をしたくなって立ち上がった。

 パンチとかキックをしながら、なるべく悪っぽく言ってみた。

 

「そらそら、どうした。貴様の力はこんなものか?」

 

 振り向いて、俺は気合いを入れるポーズをした。気分は地球を守る超戦士だ。

 

「負けるか! スーパー地球人だ!」

「なにいっ!?」

 

 そして手の形を作って、必殺技を撃ち出した。

 

「食らえー! 波ーっ!」

「そんなバカな! うぎゃあああああ!」

 

「いたっ……」

 

 大きく動いたから、ずきっとお腹が痛んだ。それで現実に戻されちゃった。

 一人で何やってんだろう、俺。

 しょんぼりしてまたベンチに座る。

 シャツをめくり、やっぱりできていたお腹の痣を見つめながら、溜め息を吐いた。

 

 どうして俺は、こんなに弱いんだろう。

 

 そんなことを思っていたとき、公園の入り口に誰かがやってきた。

 旅人みたいな変な恰好をした、金髪の兄ちゃんだった。外人さんかな。

 兄ちゃんは公園の中に入って、こっちへゆっくりと近づいてくる。

 

 もしかして、俺のところに来てる? 怪しい人?

 

 学校の先生が言ってた「ふしんしゃ」かと思って、緊張でどきどきしながら兄ちゃんを見つめる。

 ついに目と鼻の先まで来て、兄ちゃんが声をかけてきた。

 

「嬢ちゃん。一人で何してるんだ」

 

 俺のどきどきは、嬢ちゃんという言葉で一瞬全部ふっ飛んだ。

 また女だって勘違いされた!

 

「俺は男だ!」

 

 そう言ったら、兄ちゃんは頭を掻いて苦笑いしてる。

 

「そうなのか。悪いな。あまり可愛らしいから、女の子だとばかり思った」

「ふーんだ」

 

 どうせ女みたいな見た目だよ。どうせ。

 

「ごめんよ。坊や」

 

 俺はぷいっと顔を背けた。

 機嫌が悪いのもあるし、そもそも兄ちゃんは怪しい人だし。

 

「無視しないでくれよ」

「知らない人に声かけられても答えちゃいけないって、学校で言ってたもん」

 

 すると兄ちゃんは、にやにやしてきた。

 

「しっかり答えてるじゃないか」

「あっ!」

 

 しまった! はめられた!

 

「今のはなし! なしだからね!」

「わかったわかった。それに俺は、別に怪しい人じゃないぞ」

「怪しい人ほどそうやって言うって聞いた」

 

 口を尖らせて言い返したら、兄ちゃんはやれやれと二つとも手を上げた。

 

「第一、何かするつもりならとっくにやってるぜ。誰も見てないわけだし」

 

 言われて周りを見てみると、ほんとに誰もいなかった。

 俺は小さいから、兄ちゃんならその気になればどうとでもできそうだった。

 なのにしないってことは、安心していいのかな。

 

「そっか。人さらいとかじゃないんだね」

「俺を何だと思ってんだよ……」

「ふしんしゃ」

「傷つくなあ」

 

 兄ちゃんは、少しがっくりきたみたいだ。でもすぐに元に戻って俺に聞いてきた。

 

「ぼくに少し聞きたいことがある」

「なに?」

「この近くに住んでると言ってたのに、誰に尋ねても知らないと返されて困ってるんだ」

「ふーん。どんな人?」

「星海 ユナさんって人を探してるんだが、知らないか?」

 

 意外な名前を聞いて、俺はびっくりした。

 

「え、お母さん?」

「なんだと!?」

 

 兄ちゃんの方もびっくりして、俺のことをまじまじと見回してきた。

 

「お母さんと知り合いなの?」

「ああそうだ。言われてみれば、確かに面影があるな……。特に目元があいつにそっくりだ」

 

 きょとんとする俺を置いて、兄ちゃんは一人ではしゃぎ出した。

 

「そうか! あいつ、子供できたのか! はは! 結婚とかするタイプじゃなさそうだったのになあ! ちくしょう、お前のお父さんが羨ましいぜ!」

 

 そのまますごく興奮した様子で、俺に聞いてきた。

 

「坊や。お母さんは元気にしてるか?」

 

 俺は、うつむいて言った。

 

「死んじゃったよ。お母さんも、お父さんも」

「亡くなった!?」

 

 今度は、兄ちゃんはまるでこの世のおしまいみたいな顔をしている。

 

「そんな、馬鹿な……。あの、ユナだぞ。何かの間違いじゃないのか……?」

「事故で、死んじゃったみたい」

 

 お母さんもお父さんも、もういないってまた意識したら、悲しくなってきた。

 

「あの何度殺したって死ななさそうなユナが、ただの事故で……まさか」

 

 はっとした様子の兄ちゃんは、何かを確かめるように何度も手をかざす。

 それから目の前が真っ暗になったみたいにうなだれて、よくわからないことを呟いた。

 

「ほとんどの許容性がまったくないだと……。なんてところだ。これじゃ、あいつは本来の力なんてちっとも発揮できなかったはずだ」

 

 兄ちゃんは、肩を震えさせながら、とても残念そうにぽつりと言った。

 

「ちくしょう。勝手に逝きやがって。また会えるのを、ずっと楽しみにしてたのによ……」

「…………」

 

 俺には、悲しむ兄ちゃんの気持ちが痛いほどよくわかった。

 俺にとってそうであるように、きっとこの兄ちゃんにとってもお母さんは大切な人だったんだ。

 そのうち、やっと落ち着いた兄ちゃんは俺に頼んできた。まだ辛そうな顔をしてる。

 

「今度、両親のお墓に案内してくれないか。お参りしたい」

「うん。いいよ。きっと天国のお母さんも喜ぶと思う」

 

 俺以外にお墓に来てくれる人なんか全然いなかったから、嬉しかった。俺はもうすっかりこの知らない兄ちゃんに心を許していた。

 

「そう言えば、まだ名乗ってなかったな。俺はレンクス。レンクス・スタンフィールドだ」

「レンクスか。やっぱり外人さんなの?」

「まあ、そんなもんかな」

「外人さんなんて初めて見たよ。日本語ぺらぺらなんだね」

 

 褒めたのに、なぜかレンクスはちっとも喜ばなかった。

 

「まあな。お前の名前は?」

「ユウだよ。優しい子に育つようにって、お母さんとお父さんが付けてくれた素敵な名前だから、とっても気に入ってるんだ」

「へえ。ユウか」

 

 しみじみと俺の名前を呟いた兄ちゃんは、もっとこっちに近寄ってきた。

 

「よっと」

 

 わき腹を抱えられて、簡単に抱っこされちゃった。

 胸に埋められて、レンクスのぬくもりを感じる。

 どこかほっとするけど、一緒に顔も熱くなってくる。

 

「恥ずかしいよ……」

「子供は素直に甘えるのが一番だって。お前、随分と人恋しそうな顔してたぞ」

「うー」

 

 違うとは言えなかった。

 寂しかったのはほんとだし。でもやっぱりなー。

 

「どれ、よーく顔見せてみろ」

「ん……」

 

 もっと高く持ち上げられた俺は、ちょっと嫌だなと思いながらもレンクスに顔を向けた。

 近くで見た彼の顔はなんていうか、頼りがいのあるカッコイイ兄ちゃんって感じだった。

 レンクスは、俺のことを穏やかな顔で見つめている。

 でも、瞳の奥をじっと見られたとき、なぜかレンクスの顔が急に怖いものになったんだ。

 

「お前、まさか……!」

 

 レンクスは慌てて俺を降ろした。

 どうしたんだろうと不思議に思っていると、俺は急に眠くなってきた。

 

 

 ***

 

 

 気が付くと、私は自らの少女の身体を伴って、現実世界へと現れていた。

 

「あれ、私……。どうして」

 

 おかしい。ずっとユウの中で様子を見ていたはずなのに。

 私が表に出てくることなんて、あるはずがないのに。

 

「マジかよ……。なんつう運命だよ……」

 

 顔面蒼白な彼に、もしやこいつが何かやったのではと思い尋ねてみた。

 

「レンクス。あなたがやったの?」

 

 異様な事態に、私は心を許していた男への警戒心を強める。

 彼は素直に認めた。

 

「そうだ。俺の【反逆】で、もし能力がある場合それを覚醒前に行使するようにした。本来理によってできないことに逆らって、できるようにするのが俺の力だ」

「力……」

「そう。お前が持っているそれのような力だ。今度こそ嬢ちゃんでいいんだな?」

「そうだね」

 

 私が頷くと、レンクスは大きく溜息を吐いた。

 彼の様子は、どこか嬉しそうでもあり、またそれ以上に悲しそうだった。

 

「効かなきゃよかったのにな。まさかお前が、フェバルだとは思わなかった」

「フェバル? 一体、何を言ってるの?」

「今はまだ知るべき時期じゃない。子供のお前にはまだ早過ぎる話だ」

 

 気になることを言っておいてはぐらかすなんてひどい。

 私は思わず声を張り上げた。

 

「どういうこと!? 私を引っ張り出して来て、何の用なの?」

 

 わからない。

 最初はちょっと変くらいに思ってたけど、今のこの人からは常識では測り切れない何かを感じる。もし何かおかしな目的があるのなら、私がユウを守らなければいけない。

 

「ひとまず用があるのはお前じゃない。話があるのは、お前のもっと奥にいるであろう人だ」

「えっ!?」

 

 耳を疑う言葉だった。私の他にも、まだ何かいるとでも言うの?

 

「いけるか……?」

 

 彼の言葉の意味を問い詰めようとしたとき、私もまた意識を失った。

 

 

 ***

 

 

 少女は、姿こそ女の子のユウであったが、醸し出す雰囲気は落ち着いた大人のそれのようだった。

 

「よく私がいることがわかったな。レンクス」

「予想だ。これでも、人生経験だけは豊富なんでね」

「さすが。やるねえ~」

 

 勝気な少女は、不敵な笑みを浮かべつつ腕を組んでいる。

 

「奇妙な再会といったところかな」

 

 そう言った彼女に、レンクスはこの日一番の笑顔を見せた。

 

「ほんとにな。とにかく会えてよかったぜ、ユナ。いや、正確に言えば――ユウの持つユナに関する情報が、形を成したものってところか」

 

 ユナと呼ばれた少女は、腕を組んだまま静かに微笑んだ。



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4「レンクスとユナ」

 こいつはユウの姿こそしてるが、中身は間違いなくユナだ。

 まったく。本当に奇妙な再会だぜ。何とも不思議な気分にさせられる。

 

「久々に積もる話もしたいところだけど、そんなに時間ないな。ユウが戻りたがってる」

「【反逆】で無理矢理呼び出してるからな」

「いつも思うんだけど、あんたの能力って強過ぎ。ほんとチートだよね」

 

 冗談っぽい口調で少し目を細めた彼女に対し、俺もまた同じようなノリで返した。

 

「うっせえ。代わりに宇宙中旅しなけりゃならないんだぞ」

「同情するわ。私なんてちょっと異世界行っただけでもうお腹一杯だし。次来てくれっても勘弁」

 

 ひらひらと手を振る彼女に、やや呆れ気味に突っ込む。

 

「何がお腹一杯だ。もし次行くことになったら楽しむ気満々だったくせに」

 

 俺の指摘を受けて、彼女はとぼけたように笑った。

 

「あら、ばれた? いや~、ストレス発散にちょうどよかったんだよね。あれ。ちょっとした旅行気分っていうか? 日本での生活はストレス溜まる溜まる」

「で、また魔力銃片手に暴れ回るつもりだったわけだろ?」

「いやいや。私は基本的に平和主義者だから。それに一児の母になったし、さすがに少しは落ち着いたから」

 

 どこが平和主義者だ。俺も力を合わせたが、何よりお前の行動力で世界を掻き回し、何度もひっくり返してみせたじゃないか。

 対ザンビー帝国のレジスタンス活動。惑星エストティアを脅威に晒した宇宙要塞、エストケージの攻略。【逆転】のワルターとの死闘。などなど。数えればきりがない。

 どれもこれも、お前がいなければどうにもならなかった。

 

「だが、気に入らない奴がいたら?」

「もちろんぶっ飛ばすに決まってるじゃん」

 

 不敵な笑みを浮かべながら右手でピストルの形を作って、バン! とやった彼女に、ちっとも変わってないなと思う。

 

「はは。相変わらずだな。お前」

 

 懐かしさに顔をほころばせると、彼女はからかうように言った。

 

「ノスタルジーはおっさん臭いぞ~。見た目はガキなんだからもう少し若々しくしろって」

 

 おっさん臭いのも仕方ないだろ。もう何歳だか自分でも覚えてないくらいだしな。

 

「見た目小さな女の子のお前が説教するってのも違和感ありありだぜ」

「私はいいんだよ。この先も生きてくあんたと違って、もう死人だからな」

 

 からからと笑う彼女に、暗さはまったく感じなかった。自分が死んだことすらこんなに明るく言ってしまえるのも、彼女の心の強さやポジティブな性格によるものだろう。

 強くて優しくて明るくて。そんな彼女が俺には眩しかった。

 旅先で出会ったどんな人よりも、心惹かれる存在だった。

 笑う彼女の姿を見ていると、きっと本物のユナも天国で楽しくやってんだろうなと思えてきて、悲しむのすら馬鹿馬鹿しくなってくるぜ。

 

「向こうじゃ色々大変だったが、楽しかったな」

「そうだな。悪くない日々だった」

 

 俺たちの間に心地良い静寂が流れた。言葉はなくとも、思い浮かべている情景はおそらく似たようなものだろう。

 やがて俺は、静寂を破って言った。

 

「それにしても、フェバルでもない魔力が高いだけのただの人間なのに、よくやってたよな。俺たちが目を見張るぐらいの活躍してさ。知恵と機転だけで超越者連中をぶっ倒していくから、驚いたぜ」

「あんたら、ちょっと力あるからって余裕ぶっこく奴多過ぎ。だから簡単に足元掬われるのよ」

 

 彼女の言葉に、その通りだなと自分でも思う。

 

「そうだな。ワルターなんかは、己の能力にかまけ過ぎたから負けた。あいつ、悪さばかりして気に入らなかったから、死んで世界追放されたときはマジで胸がスカッとしたぜ」

「別に私はあんたをすっきりさせるために戦ったんじゃないっつーの」

「そりゃわかってるけどよ。まさかフェバルが人間に負けるなんてな」

「人間舐めんな。持たざる者だからこそ。弱いからこそ。地に足立って力を合わせて懸命になれるってのはあるんじゃない?」

 

 それは、あくまで普通の人間側に立って戦ってきたユナの実感を伴った台詞だった。

 彼女はいつも向かった先の世界の人間を味方につけて歩いてきたのだ。

 俺たちが忘れてしまった絆の力を、彼女はしっかりと大切にしていた。

 

「違いない。力を持つ俺たちには耳の痛い言葉だ」

 

 俺たちフェバルは、極端な個人主義に染まってしまう者が多い。仲間に滅多に会えないこと、定住する地がないことによって、次第に心の拠り所を自分だけに求めてしまうようになるからだ。

 だがそれではいけないと俺は思っている。自分一人だけの世界に閉じこもっていては、長く孤独な旅に心が保つはずもないのだ。

 俺たちは同じ運命を背負う仲間として、より強い絆を持つべきだ。

 その信念に従って、俺は自らの能力で星脈に「逆らい」、フェバル同士を繋ぐ役割を担っている。俺の生きがいとすることでもあった。

 そんな俺だから、やはりフェバルとなることがわかったユウのことは、非常に気にかかるわけで。

 異世界をまたにかけて活躍したユナの子供が、世界を渡る者になるとはな。ほんとに、なんつう運命の巡り合わせだよ。

 

「ところで、ユウのことだが」

「中で聞いたよ。私がこうして存在できるから不思議に思っていたけど、そうか……フェバルだったのか」

「ああ。そうみたいだ」

 

 彼女はフェバルではないが、その過酷な運命を知る者だった。だからこそ彼女の表情は険しいものになる。

 当然だろう。いつか自分の子供が、俺のように終わらない旅に出なければならないというのだから。

 

「私が何度も異世界トリップしてしまったのが原因か? そのせいで、この子に資質が……」

 

 ユナは、自らのユウの身体の胸に手を当てて、いつになく思い詰めた顔をしていた。外見だけは子供だが、それは俺が知らなかった、子を案ずる母親の顔だった。

 中途半端な思いやりで違うと否定しても、彼女のことだから余計に自分を責めるだけだろう。俺は正直に思うところを述べる。

 

「もしかしたらそうかもしれないが、そもそもフェバルの絶対数が少ないからな。因果関係はわからない」

「そうか……」

 

 思い詰めた様子の彼女を見かねて、強引に話題を変えることにする。

 

「しかし驚いたぜ。親の愛というかな。そんなになってまで子供のことを見守ってるんだろ。普段はもうほとんど自我なんて残っちゃいないだろうに」

 

 俺には、ユナがユウの中に残っている理由の予想が何となくついていた。

 こいつは普段サバサバして男勝りなくせに、昔から子供が大好きな奴だった。特に自分の愛する子供となればなおさらだろう。

 彼女は浮かない顔から一転して、ふっと微笑んだ。肯定と見てよいだろう。

 

「ユウは、芯の強いところはあるけど、まだまだ弱い子だからな。ほっとけないんだよ。せめてもう少し大きくなるまでは。それに、心配もある」

 

 今度は怒りを滲ませた彼女に、気になって尋ねる。

 

「なんだ。心配って」

「あんたにしたら大したことないことかもしれないけどね。姉貴の家で、ユウがいじめられてんの」

「虐待か」

 

 彼女は頷くと、シャツをめくって大きな青痣を見せた。他にもいくつも怪我の跡が残っており、見ているだけで痛々しかった。

 

「あいつら、私がちょっと会社の横領指摘して忠告してやったからって逆恨みしやがって。文句なら全部私の墓に言えっての。しかもユウのこと養育するからっつって、私たちの遺産まで掠め取ってんだよ。というか、それが一番の目的だ。あーむかつく。今からでも眉間に風穴開けに行ってやろうか」

 

 握りこぶしを作って意気込む彼女を、言葉で制する。

 

「お前の身体じゃないんだからやめとけ。それにそんな真似ができるほど、お前がお前でいられる時間は長くない」

 

 小さく弱々しいユウの身体を見下ろして、ユナは舌打ちした。

 

「ちっ……。私がちゃんと生きていれば、ユウにこんな辛い思いはさせないのに」

 

 己の無力さを噛み締めるように、顔を歪めるユナ。

 あまり目にしたことのない彼女の姿だった。自分で子供を守れないことがよほど悔しいのだろう。いたたまれなくなった俺は申し出た。

 

「俺がなんとかしてやろうか?」

 

 だが彼女は残念そうに首を横に振るばかりだ。

 

「気持ちはありがたいけど、そもそも日本国籍もないあんたじゃあまり役に立たない。警察にばれたら不法入国で即逮捕の身という時点で、この国でできることは少ないよ」

「あー。そういうセキュリティの発達した世界か。だるいな」

「もっとも、あんたの能力さえ満足に使えたら全然話は違うけど。でもここじゃ、気休めくらいしか使えないでしょ」

 

 そうなんだよな。

 さすがユナ。お見通しというわけか。

 

「ああ。まいったぜ。能力の効きが悪いどころじゃねえ。身体すら妙に重いしよ」

「この世界、許容性異常に低いからな」

 

 花のように笑うユナ。

 やりたいこともできない、してやれないこんな世界じゃ。

 おそらく彼女の死因の一つでもあるだろう。ほんと憎たらしいくらいだぜ。

 

「魔法一つも使えないんじゃ、何かと面倒だったろ」

「確かに面倒なところはあるな。その分安全とも言えるけど。それに、あんたが頑張ってもおそらく一時的な解決にしかならない。どうせ地球にずっとはいられないんだろ?」

「まあそうだが」

 

 懐から計測器を取り出して確認する。

 ある世界で親しくなった研究者に頼んで作ってもらったものだ。

 世界移動時の星脈の状態を読み取り、大雑把にその世界での滞在期間がわかるようになっている代物である。

 滞在期間が長ければ、様々な手段を講じてなんとか国籍等を取得し、俺がユウの保護者代わりをするなどしてどうにかすることはできるだろう。

 だが数値は、非情な結果を示した。

 

「あと数か月というところだな」

「やっぱりね。そんなとこだろうと思った」

「悪いな。力になれなくて」

「仕方ないさ」

 

 ユナは、憂いを秘めた目をこちらに向けたまま続けた。

 

「この子を養育施設に預けてくれるような、理解のある親戚が一人もいないからな」

「誰もいないのか」

「誇張なく誰もさ。ひどい話だろ」

 

 何の運命のいたずらか。フェバルになる奴は不幸な身の上が多いもんだが……。

 よりによってお前の子が。あんまりだよな。

 ユナは不満たらたらに語る。

 

「役所や学校の連中は滅多なことじゃ動かない。虐待されてそうでも、明確な証拠がなければ、当の加害者の意見が優先されるあり得ない事なかれ主義さ。私が今から急いで相談所に駆け込もうにも、この女の姿じゃいくら似てても本人とは扱われない」

 

 大きく溜息を吐いて、彼女は息と一緒に吐き出すように呟いた。

 

「情けないな。世界は救えても、自分の子供一人救えないなんてね」

「ユナ……」

 

 彼女に強く同情した。なんとかして、ユウを取り巻く環境を少しでもマシにできないものかと思う。

 すると彼女は、突然叫び出したのだった。ユウの幼い声が公園中に響き渡る。

 

「くそ~、本物の私め! 可愛いユウを残して勝手にくたばりやがって!」

「お、おい」

 

 まさかその小さな身体で暴れ出すんじゃないか。こいつならやりかねない。

 制止しようとしたところ、心配は不要だった。

 ユナは自分の胸に手を当て、中で眠っているユウに話しかけるように言った。

 

「ユウ。私はあんたのこと、誰よりも愛してるからな。意識が少しでも残ってる限り、いやなくなったってずっと見守ってるから。だから絶対負けんなよ!」

 

 その愛に心を打たれ、俺はしばらく何も言うことができなかった。

 

 

 ***

 

 

 ユナが落ち着いたところで、俺は気になっていたことを尋ねてみた。

 

「お前が死んだ詳しい状況についてはわかるか?」

「残念だけど。あくまで私の存在はユウの記憶に依存してるから。ユウが知り得ないことは私も知らない」

「そうか……。そりゃそうだよな」

 

 せっかく彼女の死の真相に近づけるかもしれないと思ったのだが。

 

「ただ……なんかねえ。私からしても、ちょっと不自然に記憶が欠けてるんじゃないかってとこあんのよ。たぶん生前の私が、ユウを守るためにあえてそうしたんだろうけど」

「なるほど。子供にはショックなことが多いだろうしな」

 

 その不自然の中に核心があったのだろうか。もどかしいぜ。

 でも、ん?

 一つおかしな点に気付いた。

 

「待て。そういやなぜお前は、俺のことにそんなに詳しいんだ。ユウは俺のことなんかちっとも知らないはずだぞ」

 

 すると、彼女は待ってましたと言わんばかりの顔で即答した。この質問は想定していたのだろう。

 

「それね。私があんたのことに詳しいのは、たまたま私がユウに、異世界での話をおとぎ話として詳細に何度も聞かせてたからさ」

 

 なるほどな。それは幸運な偶然だった。おかげで俺は、こうしてユナとまともに話ができているのだから。

 

「もっとも、当のユウは小さかったから、あんたのこと全部忘れちゃってるみたいだけど」

「残念。少しくらい覚えてもらってたら、いきなり不審者扱いされることもなかったのによ」

 

 肩をすくめると、彼女は思い出したように噴き出した。

 そうか。こいつは中から見てたわけだから知ってんだよな。

 

「ぷっくく。あれは傑作だったな! 一言、不審者って! それだけ心に残らない奴だったんじゃないの?」

「傷つくなあ」

 

 詳細に話したなら、俺の活躍だって相当なもののはずなんだが。まあユナに比べると地味方面だったから仕方ないかもな。

 フェバルがあまり表だって動くと、大き過ぎる力がどこかしら世界に歪みを生んで、結果的にろくなことにならない場合も多い。

 だからユナのサポートに回ったって部分もあるからな。この手で世界を好き勝手にできてしまうというのも考え物だ。

 すぐに気を取り直した俺は、ユウにユナが亡くなったと聞いてからずっと抱いていた疑問をぶつけてみることにした。

 

「さっきの話に戻るんだが」

「ああ」

「正直な。俺はあのお前が、ただの事故で死んだとはどうしても思えないんだよ」

 

 いくらこの世界では一般人と大差ないと言っても、用心深く、身のこなしも軽いユナが簡単に事故で死んだりするものだろうか。

 例えば車の事故なら、ぶつかる前にスタントマンばりの動きで脱出するくらいのことはしてのけそうなものだ。

 俺の素朴な疑問に対して何を思ったのだろうか、ユナは少しの間目を瞑った。

 そして目を開けたとき、彼女の表情はまるで何かを悟っているかのように穏やかだった。

 

「人は死ぬときは死ぬものよ。この魔法も何もない世界じゃ、私だって簡単なきっかけで死んでしまえる。いつか来るそのときが、ちょっと早かっただけ」

 

 その後軽く笑って「けど、事故で死んだってのは確かにいただけないな」と付け加えた。

 そんな彼女の様子を見て、俺は痛感せざるを得なかった。

 彼女は、既に自分の死を完全に受け入れてしまった後なのだと。生が絡みついて離れない自分とは対極な位置に、彼女はもう行ってしまった後なのだと。

 目の前で笑う彼女の残り火から、そのことが腑に落ちてしまった。

 俺にこれ以上の追及を諦めさせるには、十分だった。

 

 ユナは、もうこの世にはいないのだ。

 

 長い旅の中で、死別なんて星の数ほど経験してきた。慣れてないと言えば嘘になる。

 それどころか、人の死というものに対してどんどん感情が動かなくなってきている自分がいる。

 いずれは何とも思わなくなってしまうのかもしれない。

 そんな鈍くなった俺の心を大きく揺さぶるほど、彼女の死は衝撃だった。

 それだけ俺にとって、ユナは特別な人だったのだ。

 

 もう残っている時間が少ない。まもなく【反逆】の効果が及ばなくなってしまう。

 そう。俺の能力はあくまで【反逆】だ。完全に世界の理を覆すわけではない。

 一度起こした【反逆】は世界に警戒される。理にはこの能力に対する耐性がつく。

 一度耐性ができれば、次からは効きが悪くなる。

 そうなれば、女の子のユウまではいけるかもしれないが、それ以上は無理だ。間違いなくユナまでを呼び出すことはできなくなるだろう。

 つまり、ユナと会えるのはこれで正真正銘最後なのだ。

 そのことは、きっと彼女も薄々わかっている。

 

 これで最後だから。終わりのときを迎えるまでに。

 この世界に来たとき、彼女に伝えようと思っていたことがある。

 それだけでも、せめて伝えておきたい。そう思った。

 形だけでもいいのだ。返事はわかっている。

 それで良い。結果は重要じゃない。伝えることが重要なんだ。

 伝えなければ、俺は絶対に後悔する。

 この先、永遠に。

 

 ユウがフェバルになる未来を知ったとき、俺は悲しかった。よりによってユナの子供が、俺と同じ呪われた運命を背負ってしまうことになるとは。

 けれどおかげで、ユウの中にユナの存在を感じたとき。

 不謹慎にも――俺は嬉しかったのだ。

 最後のチャンスをくれた。

 長い旅の人生で、ただ一度だけ。本気で感じたこの気持ちを。

 俺は、彼女に伝える決意をした。

 

「あのさ」

「なに?」

「この世界では何やってたんだ」

「こっち? とある諜報機関のエージェントやってた。でもぶっちゃけ子育ての方が大変だったかしら。ユウはほんとによく泣くから。まったく。誰に似たんだか」

「はは。そうか」

 

 子供のことを語るときのユナは、本当に幸せそうだ。こっちでは素敵な家庭を築いて、幸せに暮らしていたのだろう。そのことが、まるで自分の事のように嬉しかった。

 ごくりと唾を呑む。

 

「一つ、言ってもいいか」

「なに?」

 

 

「俺な。お前のこと、ずっと好きだったんだぜ」

 

 

 彼女は、驚かなかった。

 

「知ってた」

「そうかよ」

 

 肩すかしを食らったような気分になる。

 

「私は鈍くないよ。このヘタレ。何にも言わないんだからな」

「ちくしょう。こっち来たときに告白して驚かせようと思ってたのによ。台無しだ」

「バカ。しかも遅いっての。先着一名」

 

 それから彼女は、少し照れたように笑った。

 

「それに、あんたはタイプじゃないし。普通に振るから」

 

 期待してた答えが来たことに安心して、俺は大袈裟に敗者を演じることにした。

 いや、敗者などいない。俺は気持ちを伝えられたことに満足していた。

 

「よーし! 振られた! これでもう心残りはないぜ! いつ死んでもいい!」

「死ねないくせに」

「死んだ奴に言われると心が痛いな」

 

 二人で、思いっきり笑った。

 ようやく笑い止んだ辺りで、ユナがしみじみと告げる。

 

「あんたはなんて言うか。恋愛対象ってよりは、気の置けない親友だ。これまでも、そしてこれからもな」

「じゃあ、これからもありがたく親友でいさせてもらうとするか」

 

 わだかまりは何もない。気持ちを伝えた後は元通りだ。俺の心は晴れ晴れとしていた。

 

「それで、親友に頼みがある。こんなこと、あんたにしか頼めないから」

「なんだ」

 

 彼女は真剣な目つきで俺の顔を見据えてくる。

 しかしその表情は、目つきほど張り詰めたものではなく、むしろ柔らかさすら感じさせた。

 俺が頼みを聞いてくれるという信頼があるからに違いなかった。

 

「ユウの友達になってやってくれない?」

 

 なるほど。そう来たか。

 予想できないことではなかった。彼女にとっての心残りは、まず残された子供のユウのことだからな。

 ユナはまた自分の胸に手を添えて、ユウのことを指しながら続けた。

 

「これから、この子には辛いことがたくさん待ってる。できれば私がそばにいてやりたかったけど、こんな身だからな。いずれ意識も消えてしまうと思う。いくら気持ちの上では、ずっと見守るつもりでもね」

 

 寂しそうに目を細めるユナは、嘘のように儚くて。冗談のように弱々しい。

 お前のそんな姿、見ることになるとは思わなかった。

 

「けどあんたは、この子と同じフェバルだ。いつもとまではいかなくても、永い時を一緒にいてやれる」

 

 彼女は深々と頭を下げた。らしくない行動だった。

 頼みごとをするに当たっての、彼女なりのけじめだろうか。

 

「頼む。できるだけでいい。ユウの横で、力になってやってくれないか」

 

 もちろん、俺の返事は決まっていた。

 

「いいぜ。親友の頼み、引き受けた」

「ありがとう」

 

 ユナは、心の底から嬉しそうな顔をした。

 

 しかしな。こっちとしてもただ引き受けるのでは面白くない。

 俺は俺なりのやり方でユウと付き合うとしよう。

 ユナがいなくなったら、宙に浮いてしまったこの愛を注ぐ相手はどうすればいいのか。

 もちろん答えは決まっていた。

 目の前で喜ぶ少女の身体の、本当の持ち主だ。

 せっかく長い付き合いになる相手だ。たっぷり可愛がってやろう。それに、まあ元々は男だが、女のときはまさにユナの娘と言っても良い。実に将来が楽しみじゃないか。

 結局俺はユナの影を追っているのだと内心苦笑いしつつも、あえてこれ見よがしに言ってやった。

 

「よし。ユウは俺がたっぷり可愛がるとするか。少なくとも容姿はお前に似て、俺好みの良い女になりそうだ」

 

 すると、ユナの表情が面白いように曇った。

 

「好きな相手の娘に手を出すってどんな変態だ。ユウは絶対にやらない。お前なんかに気を許さないように、深層心理で働きかけてやるからな」

「そりゃまいったな。ユナが敵に回るとなると厄介だ」

 

 この辺りで、ついに【反逆】のかかりが悪くなってきた。

 ユナの精神を保っていられなくなりそうな時間が、とうとう来てしまったのだ。

 本当にあっという間だった。

 

「時間、みたいだな」

「そうだな」

 

 最後に聞いてみた。

 

「旦那さんは、良い人だったか?」

 

 ユナは、とびきりの笑顔で答えた。

 

「もちろん。最っ高の旦那だ! のろけ話なら何時間でもできるぞ!」

「はは。そうか。聞きたかったな」

「聞かせたかったよ」

 

 二人の間に、重い沈黙が流れる。

 何かを言わなければならない。

 何も言わなければ、このまま終わってしまう。

 

「楽しかったな」

 

 ぽつりと、ユナが言った。

 

「ああ。楽しかった」

 

 本当に。楽しかった。

 

「じゃあな。レンクス」

「さよなら。ユナ」

 

 別れは淡々と、笑顔で済ませた。

 

 

 さよなら。ユナ。

 

 

 ***

 

 

 あれ。私は何をしてたんだろう。

 そうだ。レンクスに何かされて気を失ってしまったんだ。

 探すまでもなく、彼はすぐそこにいた。公園のベンチに座ってた。

 私は彼を問い詰めようと思った。思っていた。

 だけど、彼の顔を見たとき。

 そんな気持ちは、跡形もなく吹き飛んでしまった。

 そっと彼に近寄ると、私は小さな身体をいっぱいに使って彼を抱きしめた。

 どうしてそうしたいと思ったのかはわからない。

 ただなんとなく、こうしてあげたいと思ったの。

 

「ねえ。レンクス。どうして泣いてるの?」



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5「レンクスと「私」」

 レンクスは、何も言わずに私を受け入れた。

 慰めていたはずの私が、逆に愛おしむように包み込まれる。

 そのまましばらく二人で静かに身を寄せ合った。

 彼から感じる体温とともに、心も温かいもので満たされていくようだった。彼に触れるうち、私の中で彼に対する警戒心は再びなくなっていた。

 やがて腕の力が緩んだ。そっと顔を離したとき、彼の顔はもう素に戻っていた。

 

「みっともないところを見せちまったな」

 

 照れ臭そうにぽつりと呟いた彼に、私は気にしないよと伝える。

 

「いいよ。理由は知らないけど、泣きたいときは泣くのが一番だよ」

 

 泣いたらすっきりすることは、あっちのユウを見ててよくわかっていた。

 

「大人は、泣きたくても泣けないときも結構あるんだぜ」

「そんなものかな」

「そういうもんだ。でも、ありがとな」

「うん。どういたしまして」

 

 そこそこ気を取り直したみたい。

 彼はまだ悲しさは見えるけど、幾分すっきりした顔をしていた。

 

「しかし、子供に慰められるとはな」

 

 その何気ない言葉に、私は少しむっとした。

 

「あんまり子供扱いしないでよ。身体は小さいけど、ちゃんと色んなこと知ってるんだから」

 

 対する彼の反論は冷静だった。からかいのこもった調子で言う。

 

「いくら知識だけあっても、経験が追いついてないうちはまだ子供だな」

 

 痛いところを突かれた。確かに経験という意味では、年齢相応のものしかない。

 

「むー。やっぱりそうかな?」

 

 首を傾げた私に対して、レンクスは面白がるように笑った。

 

「はは。お前、結構おませちゃんなんだな」

 

 おませちゃん。

 私の性格を一言で言い当てられたような気がして、心にグサッときた。

 

「おませちゃんってなにさ」

 

 もう、と頬を膨らませた私を見て、彼はますます面白がってにやにやしている。

 それがまた腹が立つっていうか。とにかく私は機嫌を損ねていた。

 

「あれ、いじけちゃったか。可愛いな」

「可愛いなんて言ったって知らないもん。レンクスなんかきらい」

 

 そっけなく放ったこの言葉は、案外彼の心を深く抉ったようだった。

 

「ガーン! そりゃないぜ!」

「ふーんだ」

「まいったな。機嫌直してくれよ~」

「しーらない」

「悪かったって。ほら、この通り!」

 

 頭を下げた彼は、相変わらず顔が楽しそうににやけていた。謝っているというよりはコケにされているような感じ。

 私を舐めてるの?

 

「ちゃんと謝ってない。しかもなんでにやけてるの。きもい」

「いやこれは、お前があんまり可愛いからついな! 頼むから嫌いにならないでくれ~!」

「だからもう知らないってば」

 

 しばらくこの下らないやり取りが続いた。

 あまりしつこく食い下がる彼に、私は段々どうでも良くなって、結局許してしまった。

 

 レンクスがだいぶ元の調子に戻ったと判断した私は、棚上げにしていたことを尋ねることにした。

 

「聞いてもいい?」

「いいぞ」

「私が気を失ってる間に、一体何があったの? 私の奥に人がいるって言ってたけど、それは誰なの?」

 

 この質問が来ることはわかっていたのだろう。

 彼は眉一つ動かさずに答えた。

 その答えは、予想外のものだった。

 

「お前のお母さんに会ってたんだ」

 

 私は、ひっくり返るほどの衝撃を受けた。

 

「お母さん!?」

 

 信じられない。だってお母さんは、もういないはずじゃないの?

 驚く私をよそに、レンクスは頷いて続ける。

 

「ああ。正確に言えば、お前が持っているお母さんに関する記憶が集まって、形を成したものだ」

「えっと。それって……!」

 

 言われて、はっとする。

 

「女のお前という存在の重大な一部分を成しているのが、お前のお母さんだったのさ。それを俺が【反逆】で呼び出した」

「気付かなかった。考えてみたら、お母さんの記憶だってあるはずだよね」

 

 そっか。お母さんが、私の中にいるんだ。

 胸に手を当てて目を瞑ると、かすかにお母さんの存在を感じたような気がした。

 

「俺はお前のお母さんと親友でな。少し話がしたかった。その間悪いけど、お前には奥で眠ってもらってたというわけだ」

「そういうことだったんだ」

 

 記憶だけであっても、お母さんがいる。

 そのことがわかったら、とっくの前に諦めていた、絶対に叶わないはずの望みが心の内に蘇ってきた。

 もう一度お母さんに会いたい。

 

「ねえ。私とあっちのユウも、お母さんに会えないかな?」

 

 だけどそれは、やっぱり叶わない願いだった。

 レンクスが、心から申し訳なさそうに言う。

 

「すまないけどな。お母さんを呼び出せるのは一度切りだ。それにお前の中にいるわけだから、お前たちが会うのは原理的に無理だな」

「そっか。残念」

「そう言う割にはあまり悲しそうじゃないな」

 

 彼は意外そうな顔をした。きっと私がもっと落ち込むと思っていたに違いない。

 確かに会えないことへの落胆はあるけど、悲しくはなかった。

 

「もういないって思ってたから。お母さんが一緒にいるってわかっただけでも嬉しいよ」

「そうか。強いんだな」

 

 別に強くはないと思う。二年も時間があったから、ちょっと気持ちの整理がついてるだけで。まだ寂しくてどうしようもないときもある。

 そこで、彼にとってはまだお母さんの死は知ったばかりであることに思い至る。

 彼が泣いていた理由がやっとわかった。

 

「レンクスは、お母さんにもう会えないから泣いてたんだね」

「そうだ。でも、最後にきちんと別れを言えてよかった」

 

 彼の顔は、憑き物が落ちたみたいに満足気だった。

 

「お母さん、なんて言ってたの?」

 

 お母さんのことだから、きっといつもの得意な調子でべらべらと話したんだろうな。

 時々ついていけないところがあったけど(例えば、5歳だった私にオートマチック銃について小一時間語るのはどうなの。お母さん)、私はいつも明るくて優しくてカッコいいお母さんが大好きだった。

 少しでもあんな風になれたらいいなって、今も思ってる。

 どんな言葉が聞けるかとそわそわしていると、なぜか彼は少しばつの悪そうな顔をした。

 

「まあ、色々とな」

「色々? 例えば?」

「それは秘密だ」

「えー。気になるよー」

 

 何か私に言いにくいようなことでも話したのだろうか。後ろめたそうに誤魔化す彼に、女としての勘が怪しいと告げていた。

 

「何か言えないことでも言ったの? 本当にお母さんとはただの親友?」

 

 当てずっぽうで放った一言が、彼をほんの少しだけぎくりとさせた。その反応を見逃さなかった。

 なるほどね。その線か。

 追いこもうとしたら、彼が先に観念した。

 

「あー。わかった。まいったよ。さすがユナの娘だ。鋭いところもあるんだな」

「まあね」

 

 彼は一息吐くと白状した。

 

「俺な、お前のお母さんのことが好きだったんだ。けど、そのことがずっと言えなくてさ。今日やっと言えた。もちろんダメだってわかってる上でだけどな。どうしても気持ちの整理を付けたかった」

 

 へえ。レンクスって、お母さんのこと好きだったんだ。

 確かにこれは言いにくいだろうね。私は言わば、恋のライバルの子供ってことになるわけだから。

 まあ、お母さん魅力的だもんね。好きになるのも仕方ないよ。

 そっか。もしかして、お母さんが言ってたのはこの人のことだったのかな。

 

「そう言えば、お母さん話してた。私のこと好きなくせに、ちっとも告白して来ないヘタレの男がいたって。あれ、レンクスだったんだ」

「うっせえな。人のことヘタレヘタレって。いつも肝心なところで別れちまうから言えなかったんだよちくしょう!」

「ふふ。カッコ悪いね。うちのお父さんの方が百倍はカッコいいよ」

「そうだな。俺はカッコ悪いよ。色々と言い訳して、最後の最後になるまで何も言えなかった情けない奴さ」

 

 軽く凹んだ彼を見て、ちょっとかわいそうかなと思った。

 フォローしてあげようかという気分になる。

 

「でも、お母さん言ってたよ。もっと早く勇気を出してくれたら考えてやったのにって」

 

 すると彼は、随分と面食らった顔になった。面白いくらいに。

 

「マジかよ。あいつ、タイプじゃないから振るって言ってたくせに」

「お母さんも、レンクスのことは悪く思ってなかったんじゃないかな。あなたのこと話してるとき、すごく楽しそうだったもん」

「ったく、素直じゃないな。あいつも」

 

 やれやれと溜息を吐いた彼は、とても嬉しそうだった。

 

「けど私は、お母さんとお父さんがくっついてくれてよかったな。お母さんもお父さんも、世界で一番幸せそうだったし。それに、じゃないと私が生まれないからね」

「だな。俺もこれでよかったと思うぜ。お前のこと話してるときのすっげー幸せそうなあいつの顔見たらさ、こっちまで嬉しくなってきてな。別に俺じゃなくても、あいつが幸せならそれでいいかって思えた」

 

 そう言った彼は、すっきりとした顔をしていた。

 普通、恋に負けたらもっと悔しがったり相手を妬んだりするものだと思う。心の底から好きな人の幸せを願えるのは、素敵だなと思った。

 

「私にも何か言ってた?」

「ああ。お前のこと愛してるってよ。ずっと見守ってるって」

 

 お母さんが私のこと愛してくれてるのはよくわかってたけど、改めて聞くとやっぱり嬉しい気持ちになる。

 

「えへへ。嬉しいな」

 

 この幸せを、あっちのユウにも分けてあげたいなと思った。

 

「ねえ。レンクス」

「なんだ」

「このこと、あっちのユウにも伝えてあげてね。絶対喜ぶから」

「記憶は共有してないのか?」

「今はね」

「そうか。よし、いいぜ。全部話すと混乱するだろうから、それとなく伝えておいてやるよ」

 

 確かに、変なことを知って不都合が生じないようにあっちのユウの記憶を封印しているのだから、すべて話してしまうのはまずいよね。

 

「うん。それでお願い」

「任せろ」

 

 そこで少し間を置いて、彼は話題を変えてきた。

 

「ところで、お前にも用がある」

「なに?」

「仲間として一応把握しておきたいんでね。お前自身の能力について、何か知ってることはあるか? どうせあの様子じゃ、男の子のユウは何も知らないんだろう?」

 

 何が仲間なのかは判然としないけど、能力については心当たりがあった。

 それに、あっちのユウが何も知らないと見抜いて私に聞く判断をする辺り、手際が良いと感じた。

 

「確かにあっちのユウは何も知らないね。私の中には何か大きな力が眠っているみたいなんだけど、能力ってそれのこと?」

「おそらくそれだな」

 

 訳知り顔で頷くレンクス。

 私なんてほとんど何も知らないし、むしろこっちが彼に色々と聞きたい気分だった。

 

「あれって何なの? 私って一体何者なの?」

「その言い方からすると、お前もまだよくわかってないみたいだな。簡単に言えば、俺もお前も特別な力を持った人間だ。フェバルと呼ばれている」

「フェバル……」

 

 そういう意味の言葉だったんだ。じゃあ私は、特殊な人間ってことなの?

 なんだか、自分のことが途端に気になってきた。

 

「何でもいいから、能力について知ってることを話してくれないか」

 

 言われた通り、レンクスに話せば何かわかるかもしれない。

 私はお母さんの親友だという彼を信頼して話すことにした。いい人だってのはなんとなくわかるから。

 

「わかった。えーとね、私にはとてつもなく大きな器があるの」

「器?」

「うん。私たちの『心の世界』のことだよ。普段はそこに私がいるの。真っ暗で、まるで宇宙みたいに果てしなく広くて。ユウが経験したことはすべてそこに溜まっていくの」

「なんだと!?」

 

 そこまで聞いた彼は、私から目線を外して難しい顔をし始めた。

 ぶつぶつとよくわからないことを呟いて、時々まさかな、とか言ってるのが聞こえてくる。

 急に険しい顔になった彼を見て、もしかして何かやばいことでもあるのかなと不安になってきた。固唾を呑んで彼の様子を見守る。

 やがて、彼が重々しく口を開いた。

 

「経験はすべて、もれなく溜まるんだな?」

「そうだよ」

「俺の能力である【反逆】を食らった経験もか?」

 

 彼の【反逆】という能力が何なのかいまいち掴めないけど、それを使われたというのなら、私の中にちゃんと経験として残っているはずだ。

 素直に頷く。

 

「たぶん」

「もしかしたら。少し試してみたいことがある。身体の力を抜いて楽に立っていてくれ」

 

 彼は私に何かするつもりのようだった。先ほど彼のせいで気がふっと遠くなった経験を思い出して、ちょっと怖い気分になる。

 

「また気を失うのは嫌だよ」

「それは大丈夫だから心配するな」

「ほんと?」

「ああ」

 

 彼の言葉を信じて、大人しく協力することにした。

 言う通り楽に立っていると、彼は真っ直ぐこちらに目を向ける。

 すると、私の身に信じられないことが起こった。

 ほんの少しだけど、重力に逆らって、一瞬身体がふわりと浮いたの。

 驚きで声も出せないでいるうちにそれは終わって、私は何事もなかったように着地した。

 

「マジかよ……」

 

 あまりのことに半ば呆然としてしまった私を置いて、レンクスはこの奇妙な実験で決定的な何かを掴んだようだった。顔が青ざめている。

 

「フェバルにしたら弱過ぎると思ったが……やっぱりな。変身能力なんて生ぬるいものじゃなかった。もし予想が正しいなら、とんでもない能力だぞ」

「私に何をしたの? 結局能力は何だったの?」

 

 とんでもない能力という言葉が聞き捨てならなかった私は、強い口調で詰め寄る。

 だがレンクスは答えてくれなかった。

 

「悪いが話せない。いや、話せなくなった。まだこの力については何も知らない方がいい。その方がお前のためだ」

「でも、気になるよ。そうやってまたはぐらかさないでよ!」

 

 せっかく協力したのに、不安を煽るようなことを言って何も教えてくれないなんて。

 明らかに子供扱いだ。私は憤りを感じていた。

 そんな私の気持ちを間違いなく知りながら、彼は私を諭すように、しかし語気を強めて言ってきた。

 

「約束だ。お前がもっと大きくなったときに必ず話す。だから、今は我慢してくれ」

 

 レンクスから有無を言わせない凄みを感じた私は、ついびくっとしてしまった。

 燃え始めていた怒りが解けてしまう。

 彼はとても真剣な表情だった。どんなに食い下がっても決して口を開いてくれそうにないことが、容易に読み取れるくらいに。

 私のためと言った。いつか話してくれるというのなら、それで妥協するしかないのかもしれない。

 全然納得いかないけど。

 

「わかったよ。約束だからね」

「ああ」

 

 そのとき、ふっと私の意識が飛びかけた。

 なんだろうと思っていると、気がついたようにレンクスが言う。

 

「おっと。こっちもそろそろ時間のようだ。もうすぐ男の子のユウが戻ってくるな」

 

 ――そっか。もうすぐおしまいなんだ。

 

 私は、名残惜しむ気持ちで空を見上げた。

 そこは、私のいる真っ暗な世界と違って、どこまでも青く済み渡っていた。

 この身に当たる風の心地良さも、記憶として知ってはいたけれど、実際に体験したのは初めてのことだった。

 表の世界、新鮮だったな。

 別にあっちのユウに身体を返すことを、嫌だとは思わない。私には私の役割があるし、裏方で十分に満足している。

 ただ、純粋に気になったから聞いてみることにした。

 

「私もお母さんみたいに、もう表に出て来ることはないの?」

「いや。お前を呼び出すだけなら、そこまで大変じゃない。何度でもいけるだろう」

「そうなんだ」

 

 すると彼は、突然にやにやと笑みを浮かべ出した。

 整った彼の顔から向けられる笑みは、これまでは印象が良かったのだけど、今度は妙に気持ち悪いと思ってしまう。

 その理由は、直後にわかった。

 

「そうだ。俺、お前のこと愛してるからな」

「は!?」

 

 突然飛び出したあまりの爆弾発言に、私は思わず身をかばいながら後ずさった。

 

「どうしてそんなに引くんだよ」

 

 不思議そうに首を傾げる彼に対して、当然だと思いながら蔑んだ声で言った。

 

「当たり前でしょ。いきなり8歳の私にそんなこと言うなんて、何考えてるの?」

「別にやましい気持ちはないぞ」

 

 本当にそうなら何とも思わない。大きな人が子供に愛してるなんて言うことは、よくあることだから。

 でも彼の表情には、どう考えてもやましさが含まれていた。単純に子供に向けた純粋な意味での愛でないことは明らかだ。

 聞いた話からなんとなく理由はわかる。

 こいつは、お母さんの代償として私を愛そうとしているんだ。

 

「私はお母さんの代わりじゃないよ」

「それはわかってるさ。でも、ユナの娘はやっぱり可愛いなって」

 

 私に生温かい目を向けながら頬を緩める彼に、ぞわぞわと生理的嫌悪感が込み上げてきた。

 気付けば、私は大声で彼を罵っていた。

 

「ロリコン! 変態! 超きもい!」

「うぐ。そこまで言うか」

「あり得ない!」

 

 しかし彼は、罵倒は褒め言葉ですとばかりに喜び、一向に怯むことを知らない。

 呆れた私は、最後の切り札を出した。

 

「私の本体は男だよ? それでも好きなの? 色々終わってない?」

 

 普通はここまで言われたら傷つくと思う。

 だがこの切り札すら、彼にはまったくダメージになっていないようだった。

 

「なに。心配ない。男だろうが女だろうが、ユナの子供だ。愛しかない」

「うわ」

「それに、いずれちゃんと女にもなるからな」

「どういうこと?」

 

 気になった私は、一旦彼に対する軽蔑やら何やらの感情を置いて聞き返す。

 

「そのままの意味だ。その身体は、お前たちの『心の世界』にずっと残って、一緒に成長を続けていくはずだ。能力が目覚めたとき、女のお前もまた正式に日の目を見ることになると思うぜ」

「私が?」

「そうだ。もっとも、普段は裏方やってるらしいお前の精神まで表に出てくるかは知らないけどな」

 

 そっか。ユウが、女の子にもなれるようになるんだ。

 きっとすごく戸惑うだろうな。そのときは、私がしっかり支えてあげないと。

 そんなことを真面目に考えていたのに、空気を読まないレンクスは、身も凍えるようなアプローチをしかけてきた。

 

「というわけで、何も問題はない。愛してるぜ、ユウ!」

 

 私を抱きしめようと、彼はへらへらと笑いながら近寄ってくる。

 そんな彼に最悪の感情を抱いたとき、身体が咄嗟に動いた。

 気付けば、私の小さな身体は、跳ね馬のように飛び上がっていた。

 ひねりを込めた強烈な蹴りが、彼の顔面に突き刺さる。

 のけぞる彼を見上げて、自然と罵倒の口が動いていた。

 

「しね。この変態野郎」

「いつつ。なんつう鋭い蹴りだ。今一瞬ユナ出てたろ。絶対」

 

 鼻頭を押さえながら、彼は感心したように笑い続けている。

 蹴られたのにすごく嬉しそうだ。きもい。超きもい。

 私は彼に対する評価を完全に改めた。

 確かにいい人だとは思う。素敵なところもあると思う。

 でも、こいつにだけは絶対気を許しちゃいけない。

 

「お母さん。こんなやつと結婚しなくてよかったね」

 

 思い切り息を吸い込んで、私は彼に叩きつけてやった。

 

「レンクスなんか、大っきらい!」

「おもしれえ。その嫌い、好きに変えてみせるぜ!」

 

 これが、後に幾度となく旅を共にすることになる最高で最低のパートナー、レンクスと私の最初の出会いだった。



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6「レンクスとユウ」

 あれ? 急に眠くなったような気がしたんだけど。

 知らないうちに自分のいる所が変わっているのが不思議だった。

 俺、何してたんだろう。

 おかしいなと思った俺は、目の前でなぜか楽しそうにしている兄ちゃんにとりあえず聞いてみた。

 

「あのさ。レンクス」

「ん?」

「俺、さっきまで何してたの? レンクスに降ろされてから、ちょっと変だったような気がするんだけど」

「別におかしなことは何もなかったぞ。大丈夫だ」

「そうなの?」

「ああ。気にするなって」

 

 レンクスはほんとに何も心配なさそうな感じで言った。

 だったら平気なのかな。

 

「そっか」

 

 すると兄ちゃんは、にたにたし始めた。怪しい人みたいで、ちょっと気持ち悪い。

 

「なあ。もう少し抱っこさせてくれないか」

「いやだ」

 

 自分でもどうしてかはわからないけど、それがすぐ口に出てきた。

 兄ちゃんはわざとらしくがっくりした。でもなんかやたら面白がってる顔をしている。

 意味わかんないよ。

 

「なんでだよ」

「なんとなく」

「なんとなくならいいだろ?」

「うーん……」

 

 しつこいレンクスを見てると、どうしてかな。抱っこされるのはとても嫌な気持ちになってくる。

 でも無理にダメだって言うような理由もないし……。

 まあ、おっきい人の中には、俺みたいな子供を可愛がるのが好きな人もいるもんね。

 

「わかった。いいよ」

 

 そう言ったら、元々楽しそうだった兄ちゃんの顔がもっとぱっと明るくなった。

 

「こっちは結構素直なんだな」

「こっち?」

「何でもないぜ」

 

 兄ちゃんはまた近寄って来て、前と同じように俺のことを持ち上げて、顔を見つめてきた。

 今度は慣れた分だけ前よりは恥ずかしくなかった。

 近付いたら、兄ちゃんの顔がどこかぶつけたみたいに少し赤くなっているのに気が付いた。

 

「鼻のところとか赤いけど、どうしたの?」

 

 そしたら兄ちゃんは、何か誤魔化すような怪しい感じで笑った。

 

「いやー。ちょっと転んじゃってな!」

 

 なんか様子がちょっとおかしいなと思ったけど、兄ちゃんの顔が赤い本当の理由なんてさっぱりわからない俺は、兄ちゃんの言ったことをそのまま信じた。

 

「大丈夫?」

「大丈夫だ。むしろよかったというか」

 

 ぶつけて痛いんだよね。一体どこがいいんだろう。

 変なのと思っていると、兄ちゃんが俺の顔をじろじろと見てきて。

 

「しかしこうしてみると、本当に女の子みたいだな」

「うるさいな。気にしてるのに」

 

 みんな、女の子みたいだって、そればっかりだ。そんなに男には見えないのかな。

 

「さすがユナのむすm……息子だ。いやー可愛いなあ」

 

 嬉しそうに顔をすりすりしてくる。お母さんとお父さんがいなくなってから、こんなことをされたのは初めてだった。ほっぺたが潰れるくらいこすれて、ちょっとうっとうしい。

 それから、可愛い可愛いって言われながら、しばらく好きにされっぱなしだった。頭を撫でられたり、また顔をすりすりされたり。ほっぺたにチューされたり。

 かなりうざかったし、段々疲れてきたけど、兄ちゃんは中々放してくれない。

 でも、兄ちゃんが俺のことをとっても可愛がってくれてることはわかった。

 こんなにあったかいの、久しぶりだ。

 やっと満足したっぽい兄ちゃんは、俺を降ろして頭をなでなでしながら言った。

 

「愛してるぜ。ユウ」

「うん」

 

 あまり深く考えないでうんって言ったんだけど、そしたら兄ちゃんがまたにやにやし始めた。

 なんだろうって思ってたら、からかって変なこと言ってきたんだ。

 

「お前が女の子だったらよかったのにな」

「なんだよ!」

 

 どういうつもりかはわかんなかった。

 けど、気にしてるって言ったのに。そんなこと言うなんてひどいよ!

 怒った俺は、ぷいと顔を背けた。

 

「あー。怒っちゃったか。悪い悪い」

「ふーんだ。レンクスなんかもう知らない」

 

 このとき俺は、普通に怒ったつもりだった。

 なのに、なぜかこのむかつく奴はいきなり爆笑し始めたんだ。

 

「あっはっははははははは!」

 

 信じられなかった。わけわかんないよ。

 こっちは怒ってるのに、なんで急に笑ってんのさ!

 

「もう! 何がおかしいんだよ!」

「いや、あはははは! あんまり反応が同じなもんで。やっぱ一緒だな! くくくく!」

「何が一緒だって!?」

「こっちの話だ。あははははははは!」

「ちゃんと答えてよ!」

 

 結局こいつは、なんにも話さないでずっと面白がってた。

 おかげで、俺は思いっきりへそを曲げた。

 機嫌が直るまでには、かなり時間がかかっちゃったよ。

 

 やっと俺と兄ちゃんは仲直りをして、それから二人で色んなことを話した。

 兄ちゃんの話は面白くて、時間が経つのも忘れてしまうくらいだった。

 気が付いたら、もう夕方になってた。

 帰る時間になっちゃったけど、どうせ帰っても辛いことばかりだ。兄ちゃんと離れるのが嫌だった。

 けど帰らなかったら、どんなひどいことをされるかわからない。

 落ち込む俺に、兄ちゃんは最高のプレゼントをくれた。

 

「せっかく仲良くなれたわけだし、友達にならないか?」

 

 そう言ってくれたんだ。

 友達。

 ずっと欲しかったけど、俺にはぜったいできないって思ってた。

 年が離れてるのはちょっとだけ残念だけど、でもそんなの関係ないくらい嬉しかった。

 跳び上がりたくなっちゃうくらいに。

 

「ほんと!? いいの?」

「ああ。ほら、友達の握手だ」

 

 右手を出してきた兄ちゃんに対して、俺はついいつもの癖で左手を出しちゃった。

 それを見て、兄ちゃんがへえって感じで言った。

 

「左利きなのか」

「うん。こっちだったね」

 

 右手を出し直して、今度こそちゃんと握手する。

 兄ちゃんの手は、俺のに比べるとずっと大きくて、いっぱい力を感じた。

 手の感触がじーんときて、それで友達ができたんだって思って、死ぬほど嬉しくてしょうがなかった。

 

「やった! すっごく嬉しいよ! よろしくね! レンクス兄ちゃん!」

 

 とびきりの笑顔を向けたら、兄ちゃんがくらっときたように見えた。

 え? どうしたのかな。

 

「く~!」

 

 兄ちゃんが変な声を出したと思ったら、俺はまた眠くなってきた。

 

 

 ***

 

 

 私はまたまた現実世界に現れていた。

 もちろん目の前の人物の【反逆】とかいう能力のせいだ。

 

「こんなすぐにまた呼び出されるとは思わなかったよ。何の用?」

 

 レンクスはなぜか、まるで子供のようにはしゃいでいた。

 

「ちょっと今の聞いたか!?」

 

 問われて頷く。

 レンクスが今、あっちのユウにしてくれたことだよね。そう判断して、感謝の意を伝えようと思った。

 もちろん私もユウの味方だけど、あの子は私のことは覚えていない。

 だからあの子の認識では、初めての友達はこのレンクスということになる。

 あの子にとって大きな一歩になったはず。

 私も自分のことのように嬉しかった。

 一応、自分のことと言えば自分のことなんだけどね。

 

「聞いてたよ。あっちのユウと友達になってくれたんでしょ? ありがとう。ユウ、すごく喜んでる」

 

 ところが、そんなことなどどうでもいいとばかりに、レンクスはぶんぶんと大きく首を横に振るではないか。

 

「いやいや。聞いただろ。レンクス兄ちゃんだってよ!」

「それがどうしたの?」

 

 私には彼が何を言いたいのか、さっぱりわからない。

 頭をハテナマークでいっぱいにしていると、彼は物凄い剣幕で私に迫ってきた。

 

「素敵な響きじゃないか! ぜひお前の方からも聞きたい! できればレンクス『お』兄ちゃんで頼む!」

 

 その興奮に満ちたきもい言葉によって、私は彼のこの上なく下らない目的をようやく理解した。

 と同時に、彼に対する評価はさらに失墜した。もう二度と浮上することはないようにさえ思える。

 

「正直に言ってもいいかな」

「いいぜ!」

 

 私は大きく溜息を吐くと、目の前でわくわくしている変態に対して、声のトーンを思いっ切り下げて冷たく言い放った。

 

「呆れたよ。こんな下らないことのために私を一々呼び出すな」

「あ、ああ……」

 

 心無い言葉でようやく我に返ったのか、あるいは私にお兄ちゃんと呼んでもらえる希望を打ち砕かれたからなのか、彼のテンションはみるみる下降していく。

 追い打ちをかけるべく、冷めた声で告げる。

 

「もう帰るから」

「いや、せっかく呼んだんだし、もう少しくらいいてくれても……」

 

 あくまで縋ろうとする彼に、私は最大限の軽蔑を視線に込めて、吐き捨てるように言った。

 

「いいからさっさとあんたの能力で帰せ」

「お、おう」

「あと、ごめんなさいは?」

「はい。申し訳ございません、でした……」

 

 

 ***

 

 

「あれ。また気が……」

 

 気が付くと、目の前で死んだ魚みたいにうなだれているレンクスの姿があった。

 

「なんでそんなに凹んでるの?」

「いいんだ。うっかり舞い上がっちまった奴の末路なんて、こんなもんさ……」

 

 すっかり落ち込んでいた彼は、やっと顔を上げると、俺に向かって確かめるように聞いてきた。

 

「お前は、俺の味方だよな?」

 

 もちろん。俺はうんと首を縦に振った。

 

「当たり前だよ。友達でしょ? レンクス」

「ありゃ。兄ちゃんじゃないのか?」

 

 首を傾げる彼に対して、俺はふっと気が変わったことを伝える。

 

「うん。やっぱり兄ちゃんって呼ぶのは変かなって。なんか普通にレンクスとかこいつとかお前でいいような気がしてきた」

「なぜだ」

「なんとなく」

「なんとなくならいいだろ?」

 

 返事は何も考えなくても、他の誰かが言ったみたいに口からさらっと出てきた。

 

「いや、ダメだ。少しは反省しろ」

「ああ……。悪かった。ちょっとは落ち着かないとな……。俺らしくもなかった」

 

 らしくもないなんてことはなく、今後も散々変態してくれるわけだけど、とりあえずこの日は収まった。

 

 

 ***

 

 

 夕日が沈みかけてるくらいの時間に、俺たちはお互いに手を振りながらバイバイした。

 

「俺はしばらくこの町にいるつもりだから、会いたくなったらいつでもこの公園に来いよ」

「うん! またね、レンクス!」

 

 帰り道は、いつもよりずっと足が軽かった。



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7「どうして?」

 レンクスと友達になってから、まあまあの時間が経った。

 俺はいつものように、夕方まで時間を潰してから家に帰って来た。最近はレンクスがいるから、遊ぶのが結構楽しいんだ。

 

「ただいま」

 

 おばさんやケンからおかえりは返って来ない。いつものことだ。

 靴を脱いで、ちゃんとみんなの分の靴を揃えてから玄関に上がる。それから、横にかかっている箒でさっとその辺を掃く。これも俺のお仕事だった。

 やり残しがあると大変なことになるから、じっくりと見回す。

 うん。どこも汚れてない。

 掃除が終わって。あとはもう自分の屋根裏部屋に行くだけなんだけど……今日は苦手な奴がいた。

 

「よう」

 

 二階へ上る階段の前にいたのは、いたずらっぽく笑っているケンだった。

 嫌な感じがする。ケンがわざわざ迎えてくれて、しかもこんな風に笑っているときは、大体ひどいことになるからだ。

 嫌な感じはやっぱり当たった。ケンは後ろに隠していたものを楽しそうに見せびらかす。

 エアガンだった。

 

「新しいエアガン買ったんだ。サバイバルごっこしようぜ」

 

 それだけで、俺にはもうケンが次に言うことがわかった。また痛い思いをしないといけないって思ったら、心がぶるぶるしてきた。

 

「お前的な」

「いやだ!」

 

 怖いって気持ちがつい口に出る。

 でも嫌なんて言わない方がよかった。ケンは俺が素直に言うこと聞かないと、すぐ機嫌を悪くするから。

 ケンは憎たらしい顔で、わざととぼけたみたいに言ってきた。

 

「聞こえなかったなあ。適当な理由付けてまたお父さんに叱ってもらおうかなあ?」

 

 それだけはやめて。おじさんにちくられたら何されるかわかんない。

 だって嘘でも、おじさんとおばさんは絶対にケンの言うことだけを信じるから。

 俺にはケンの言うことを聞くしかどうしようもなかった。

 

「やるよ……」

 

 だけどしぶしぶこう言ったのもいけなかった。

 ケンは舌打ちして、俺よりも一回りおっきい身体で思いっきり頭を殴ってきた。

 頭の上でひよこが鳴きそうなくらいガツンってきた。すごく痛くて、泣きそうになりながら頭を押さえる。

 

「やらせて下さいだろ?」

「っ……やらせて、下さい」

 

 みっともなく頭を下げるしかない。

 そしたら、どうにかケンは満足してくれたみたいだ。

 

「よーし。んじゃ、お前の部屋行くぞ」

「え? うん……」

 

 なんで俺の部屋なんだろう? ケンの部屋の方が広いのに。

 不思議に思いながら言われるままついていくと、自分の部屋に着いた。

 古くなった布団以外にはほとんど何もないはずなのに。

 いつもはないものを見つけた。

 たくさんの水風船、しかも水がぱんぱんに入ったのが置いてあったんだ。

 

「なにこれ……?」

 

 びくびくしながら聞いたら、ケンは得意そうに鼻をさすった。

 

「ひひひ。爆弾さ。サバイバルだからな!」

 

 頭がくらくらするような、ひどい思い付きだ。

 こんなの使ったら床がびしょびしょになるよ。

 もしばれたら、おばさんになんて言われるか。

 そこで、やっとわかった。

 そっか。だから俺の部屋にしたんだ。いざとなったら全部俺のせいにする気なんだ。

 ケンを睨みつけてやりたくてしょうがなかった。

 でもそんなことしたら、どんな仕返しをされるかわかんない。下を向いて我慢するしかなかった。

 俺は壁のそばに立たされて、ケンが反対側の壁のところに立った。

 ケンはエアガンをカッコつけて構えてる。ノリノリだ。

 

「ひゃっほう! いくぜ!」

 

 ああ。はじまっちゃった。

 俺は今から人間じゃない。ただの的なんだ……。

 

「っ……!」

 

 どんどんBB弾が当たって、泣きたくなるくらいの痛みがあちこちにくる。

 でも、ケンが楽しんでる途中で泣いたらぜったいろくなことにならない。だから必死でこらえた。

 もし目に弾が入ったら危ないって思って、目を瞑りながらずっと我慢していた。

 そしたら、ケンのいらいらした声が飛んできた。

 

「おい、ユウ! 亀のように動かないんじゃちっとも面白くないだろ! もう少し逃げるとかしろよ!」

「わかったよ……」

 

 目に弾が飛んで来ませんようにってびくびくしながら目を開けて、俺は部屋の中を逃げ回る。

 ケンはそれを面白がって追いかけ、背中とかお尻にもっとびしびしと弾をぶつけてくる。

 逃げながら、なんでこんなことしてるんだろうって悲しい気持ちでいっぱいになってきた。

 時々掴まれて殴り飛ばされたりしながら、最後は部屋の隅っこに追いつめられる。

 トドメに水風船を何発もぶつけられて、身体中がびしょ濡れになったところで終わった。

 

「はい爆殺。死にましたー。ゲームオーバー!」

 

 ケンに大笑いしながら指を差されたとき、もう我慢できなかった。

 

「ひっく。ひっく……」

 

 悔しくて、情けなくて。悲しくて。

 一回涙が出てきたら、もう止められなかった。

 

「うわあああああああああん!」

「ひひひ。弱虫め! あー楽しかった。散らかっちゃったから、ちゃんと掃除しとけよー」

 

 満足したケンは、泣き出した俺のことなんかほっといて、すぐ部屋を出て行っちゃった。

 一人ぼっちになった俺は、気持ちが落ち着くまでずっとしくしくと泣いていた。

 

 身体がとても重かった。ちっとも動く気になれない。

 でも、いつまでもぼーっとしてるわけにもいかない。夜の家事もしなくちゃいけないし……。

 あっちにもこっちにも落ちてるBB弾と、水風船のゴミを見て。それからずぶ濡れの床を見て、俺は溜め息を吐いた。

 やっとお掃除を始めようとしたとき――悪いことは、重なるんだなって思った。

 いきなりおばさんが部屋に入ってきたんだ。

 おばさんはこのひどい部屋を見て、顔を真っ青にしている。

 俺はパニックになった。

 どうして? いつもは俺なんか見たくもないって言って絶対入ってこないのに。

 なんでなのかはすぐにわかった。

 おばさんの後ろで、ケンが馬鹿にして笑ってた。

 おばさんが怒鳴った。

 

「ああ! こんなに散らかして! 水浸しじゃないか! お前は人様の家で、何様のつもりなんだい!」

 

 ほんとは俺がやったんじゃないのに。

 けどケンがやったって言っても絶対聞いてくれない。

 それどころか、「良い子」のケンを悪者にしたってことでもっとひどいことになるに決まってるんだ。

 だから、俺は謝るしかなかった。

 

「ごめんなさい……。すぐに片付けます」

 

 でも、見つかったらもうダメだった。

 おばさんは意地悪そうに笑う。

 

「またお父さんに報告だね」

「おねがい! それだけは!」

 

 こんなことおじさんに知られたら、いったい何されちゃうの!?

 がくがくと震える。

 こわい。こわいよ!

 

「決定ね」

 

 目の前が、まっくらになった。

 

 

 ***

 

 

 仕事から帰ってきたおじさんは、顔を真っ赤にしてブチ切れた。

 腕を細い縄で縛られて、何回も何回もお尻を叩かれる。

 

「ひぐっ……っ……ひっ……」

 

 ゆるして。ゆるして。おねがい。ゆるして。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんな……っ!」

 

 顔を蹴られる。口の中が血でいっぱいになった。

 

「馬鹿の一つ覚えみたいに謝ってんじゃねえよ! 気持ち悪い!」

 

 さらに怒ったおじさんに、タバコの火を腕に押し付けられた。

 あつい! あついよ! やめて!

 

「わあああああああああああああーーーーーー!」

 

 お腹を蹴られた。

 

「大声で泣くんじゃねえ! 近所に聞こえるだろ!」

「ほんと悪い子だね」

「ひひひ」

「わああああああああああああん!」

「うるせえ!」

 

 俺は泣き続けた。

 泣く力も出て来なくなるまで、何回も何回も蹴られた。

 

 どうして?

 どうしてこんなに痛くないといけないの? どうしてこんなに苦しくないといけないの?

 俺、そんなに悪い子なの? いけない子なの?

 ゆるして!

 誰か、助けて! 助けてよ!

 お父さん……お母さん……レンクス……。

 助けてよ……。

 

 だんだん何もわかんなくなってきた。

 痛いのも、何もかも。

 この悪い子は誰なの?

 こんなことをされてるのは誰なの?

 俺なの?

 違う。

 こんなの、俺じゃない。

 そうだよ。

 俺じゃない。

 私だ。

 これは私なんだ。

 か弱くて可哀想な私が、酷い目に遭ってるだけ。

 そうだ。助けてあげなくちゃ。

 

 

 ***

 

 

 急に真っ暗なところに来た。ここはどこだろう?

 ああ。そっか。思い出した。

『心の世界』だったね。何回も来たことあった。

 

『しっかりして!』

 

 身体の中から声が聞こえる。「私」がいるんだね。

「私」が中にいると心がぽかぽかとあったかいはずなんだけど、そのあったかさも今の私には届かないみたいだ。

 冷たい。

 

『気を確かに持ってよ! 私も協力するから!』

 

 そうだね。ありがとう。

 君がいたから、俺は私になれた。

 

『何言ってるの? あなたはあなただよ! 私を中に入れて無理に私を演じたって、辛いだけだよ!』

 

 私は「私」を無視した。とっても大事なことを思い出したから。

 そうだ。ここには力があるんだよね。

 始めはわからなかったけど、今ならわかるよ。

 ここにはすごい力があるって。

 力が呼んでる。

 

『何をする気なの?』

 

 この力が欲しい。

 

『ダメだよ! こんな大きな力、今使ったらきっと制御できない! 大変なことになる!』

 

 へえ。じゃあどうすればいいの?

 私に力がないから、弱いから。

 おじさんにもおばさんにもケンにも好きなようにされる。違う?

 

『でも……。ねえ。負けないで。一緒に頑張ろう?』

 

 一緒に?

 なら、君が代わってくれるの?

 

『それは……。してあげたいけどできない。今の私は、自分で表に出て来る力がないから。ごめんね。サポートしかできなくて……』

 

 ふーん。しょうがないよ。君は悪くない。

 でもね。私はもう我慢できないよ。あんなに痛くて、苦しいのはもういやなの。

 力があるなら、使わせてもらう。

 誰も助けてくれないなら、私が私を助ける。

 私は闇の中を進んでいって、あるところへ向かおうとした。

 そこに求める力があるって、なんとなくわかる。

 

『ダメ! それだけはさせない! 絶対に使わせないからね!』

 

 身体が動かない。中で必死に「私」が逆らってるからだ。

 もういい! 邪魔だ! 出ていけ!

 

「きゃっ!」

 

 俺は「私」を中から追い出した。

 引き離したら、心がもっと冷たくなった。

 でも、いいんだ。

 力があれば、私でいる必要なんてない。俺のままでいい。

 

「やめて! お願いだから、使わないで!」

 

 縋り付いてまで引き止めようとする「私」を、俺は無理矢理振り解いて進んだ。

 

 君はここで見てなよ。

 

 俺はそこへ手を伸ばす。

 見えないけど、ここにはたくさんの経験が溜まっている。

 それらを取り込む。

 知識がどんどん流れ込んでくる。どんどん力が湧いてくる。

 実に清々しい気分だった。

 

 ああ。そうだったのか。

 全部わかったよ。

 俺はこんな扱いを受ける必要なんて、最初からなかった。

 

 

 ***

 

 

「………………」

「なんだこいつ。急に何も反応しなくなったな」

「気味が悪いね」

「そうだよ……。全部こいつらが悪いんだ。こんな簡単なことにずっと気付かなかったなんて。俺は馬鹿だった」

「ん?」

「あはははははははははははははははははははははははははははははははは!」

 

 脳のリミッターを外した俺は、縄をぶちりと引き千切って、ゆらりと立ち上がった。

 あまりのことに声も出せないのだろう。

 心底驚いている目の前の三人を、殺さんばかりの勢いで睨みつける。

 こんなにどす黒い感情が湧き上がったのは、生まれて初めてだ。

 今なら何だってやれそうな気がする。

 おじさん。おばさん。ケン。

 よくも今まで好き放題やってくれたね。

 お前たち。もう許さない。



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8「早過ぎた力」

 俺は引き千切った縄を掴み、三人に向かって投げつけた。

 己が犯した罪を突きつけるように。

 

「おじさん。こんなことしていいと思ってるのかな。大人なら知ってるよね? こういうの、虐待って言うんだよ」

 

 図星を突かれたこいつらは、みるみるうちに顔が赤くなる。見ていて面白いくらいだ。

 

「ガキのくせに生意気な口きくんじゃねえ!」

 

 激昂したおじさんが、拳を作って迫りかかってくる。

 言うに事欠いて暴力に訴えるか。まあそういう人だよね。

 それにしても遅い。なんだこのハエが止まりそうなパンチは。

 俺は今までこんなものに苦しめられていたのか。

 迫る拳を顔面すれすれでかわすと、そのまま懐に滑り込み、伸びた腕を掴んで投げ飛ばしてやった。

 おじさんはぐるんと回転して、背中から床に叩き付けられた。

 何が起こったのかわからないといったまぬけな顔をしている。

 これはお母さんの投げ技だ。力はほとんどいらない。

 よろよろと立ち上がったおじさんは、既に先ほどまでの威勢を失っていた。

 ようやくいつもの俺でないことを察したのだろう。

 これでむやみに殴りかかってくることはあるまい。

 

「いきなり暴力はよくないと思うな。まずは話し合いをしようよ」

「話し合いですって?」

 

 驚くおばさんに、俺はわざと口角を上げ、罵倒を込めて言ってやった。

 

「そうさ。お前らの罪深さを教えてやるって言ってんだよ」

「生意気な口を! この家に住まわせてやってる恩を忘れたのか!?」

 

 焦って憤慨するおじさんが、滑稽で仕方がなかった。

 本人もわかっててやってるのだから、面の皮の厚さはアカデミー賞ものだ。

 

「何が恩だ。笑わせるなよ。俺の養育費を口実に、両親の遺産を掠め取ってる泥棒のくせにさ」

 

 言われたおじさんとおばさんの口が、あんぐりと開いて塞がらなくなる。

 そうだ。そのアホみたいな顔が見たかったんだよ。

 

「どうして……。なぜ、それを知ってるんだい!?」

「いつだかの夜中に得意そうにべらべらと喋ってたじゃないか」

「馬鹿な! それはあんたの両親が亡くなったすぐ後、確かあんたが6歳のときじゃないか! わかりっこないはずだよ!」

「それがわかるんだよ。俺にはね」

 

 望むなら、すべての記憶にアクセスできる。まったく素晴らしい力だ。

 

「まあいいさ。きちんと世話してくれるなら、その金はあげてやってもいい」

 

 それを聞いて、おじさんとおばさんはほっと胸を撫で下ろしていた。

 こいつらは金さえ無事ならそれでいいのか。

 心の底から軽蔑しながら、話を続ける。

 

「莫大な金という対価をもらってる以上、あんたらには代わりに俺をきちんと育てる義務があるはずだ。そうでしょう?」

「あ、ああ。そうだな」

「ええ。そうね」

 

 歯切れが悪そうに答える二人。

 そりゃそうだ。なぜなら――。

 俺は湧き上がる怒りを込めて叫んだ。

 

「なのに! あんたらはその義務をちっとも果たさなかった! それどころか、この扱いだ!」

 

 俺はシャツをめくり上げて、身体中に残った痛々しい傷跡を晒した。

 こいつのおかげで、体育のときに人前で着替えることもできやしない。

 

「見なよ。この痣と、傷と、火傷の跡を! どうしてこんなことをするの? あんたらは、一切心が痛まなかったの!?」

 

 二人はばつが悪そうに顔をしかめて押し黙る。

 当然だ。返す言葉がないのだから。

 ケンの奴は、おどおどしながら俺たちの様子を見守っていた。

 

「俺がどんなに泣いても喚いても謝っても、おじさんもおばさんも決して止めてはくれなかった。むしろ楽しんでたよね。はっきり言ってやるよ。あんたたちは、最低だ」

 

 二人とも、びきびきと青筋が走っていた。

 子供にここまでコケにされ、言いくるめられている事実に対して苛立っているのが、容易に見て取れる。

 この期に及んでも反省の色がまったく見られないとは。心底呆れるよ。

 俺は溜息を吐くと、冷たい口調で諭した。

 

「さて、何か言うことはありませんか?」

 

 もちろん求めているものは一つだ。

 だが、二人はあくまで黙っているつもりのようだった。

 仕方がないから、俺はとっておきのカードを切ることにした。

 

「ねえ。黙ってていいの? 虐待の事実を世間に公表してあげようか? いくらでも方法はあるんだよ? そしたら、あんたたちの社会的信用はどうなるだろうね」

「すまなかった……」

「ごめんなさい……」

 

 本心ではないにしろ、ようやく望んでいた言葉が聞けて、ほんの少しだけ溜飲が下がる。

 けれど、たった一言の謝罪で許すには、俺が受けた傷はあまりにも深過ぎた。

 

「やっと謝ってくれたね。でも俺は、お前たちを絶対に許さないよ」

「この! 人が下手に出れば調子に乗りや――」

「黙れ」

 

 視線だけで殺してやるとばかりに殺気を放ったら、おじさんはびびって言葉を詰まらせた。顔がピーマンみたいに青くなっている。

 小物も小物だ。所詮、弱い者をいじめて愉悦に浸る奴なんて、この程度なんだろう。

 どうしてこんな奴を怖がっていたのか。本当に馬鹿馬鹿しくなってくるよ。

 

「いいか。周りにばらされたくなかったら、今すぐ扱いを改善しろ。せめて人並みにして」

 

 すっかり竦み上がったこいつらは、何も言えないようだった。

 語気を強めて促してやる。

 

「返事は?」

「わ、わかったよ!」

 

 情けない奴。いつも人を食ったような顔をしてるおばさんも、この通りだ。

 もう少し仕返ししようと思って、俺は嘲笑しながら言ってやる。

 

「そうだ。心配しなくても、別に今まで通り家事くらいはやってあげるよ。おばさん、ずっと家にいるくせに一人じゃ家事もまともにできないもんね」

 

 図星を突かれたおばさんは、顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 おじさんもおばさんも、もはや形無しだった。

 二人に言いたいだけ言ってとりあえず満足した俺は、横できょろきょろしている奴に標的を変えることにする。

 

「ケン」

「は、はひ!」

 

 思わず噴き出してしまいそうになった。

 いつもは威張り散らしてるこいつが「は、はひ!」だって。

 親の情けない姿が、よほど応えたのだろう。

 外から見れば穏やかな笑みを浮かべながら、俺はこいつにゆっくりと近づいていく。

 

「いつも俺のこと、こき使って楽しかった?」

「うわ! ち、近寄るな!」

 

 素が出たこいつは、やはりすぐに手が出た。

 この辺りは親譲りだな。

 もちろん、おじさんのと比べてもさらに遥かに劣る拳だった。

 こんなのよけるまでもない。

 その場で足を蹴り上げて、ケンの拳にぶつけてやる。

 それだけで、こいつは簡単にひるんだ。

 俺は怯えるこいつに触れる距離まで迫り、お返しに狙い澄ましたリバーブローをお見舞いしてやった。

 のたうち回ることすらできないほど苦しむケンの耳元に顔を寄せ、囁ぎ声で説教してあげる。

 

「こうやってね。殴られると痛いんだよ。苦しいんだよ。わかったでしょ? 君はもっと人の痛みを知った方がいいと思うね」

 

 コクコクと、小動物のように頷くばかりのケン。

 へえ。子供な分だけ、親よりよっぽど素直じゃないか。

 でも、まだ許さない。こいつには余罪があるのだ。

 

「あとさ。何か言うことがあるんじゃないの?」

「な、なんのことでしょう?」

 

 また急に丁寧語で改まり出したケンに内心苦笑いしながら、俺ははっきりと告げた。

 

「今日のこととかね。君のお母さんにちゃんと謝ったら?」

「いや、そそそそれは……」

 

 きょどりまくるケンに、思い切りドスを利かせた声で脅しかける。

 

「ほら言えよ。今日俺の部屋を散らかしたのは誰だ? 俺にエアガンの弾と水風船をしこたまぶつけたのは誰だ? 部屋を片付けるべきだったのは誰なんだ?」

 

 ケンは半泣きになって、汗を滝のように流しながら白状した。

 

「ひ、ひいっ! ごめんなさい! 俺です! 俺が全部やりましたぁ~~!」

 

 俺はその返答に満足して、おばさんの方に振り向いた。

 

「聞いた? おばさん。悪いのはケンだよ。俺は何もやってない」

 

 俺にとっては大事なことだったんだけど、おばさんにとってはもはやどうでもいいことのようだった。

 俺とケンのやり取りを見てますます青ざめた彼女は、身体を震わせながら非難するように言ってきた。

 

「急に知恵が付いたみたいに! いったいなんなんだい!? 気味が悪いよ! この化け物め!」

 

 化け物。

 そんなこと言われたの初めてだよ。だが心外だな。

 

「化け物? どっちが。お前らこそ人の皮をかぶった化け物みたいなもんじゃないか。なあ?」

 

 同意を求めるように、ケンの方をちらりと見る。

 それがあまりに怖かったらしい。とうとう母親の膝に縋って、ケンは我を忘れて大泣きし始めた。

 

「うええええええええええええん!」

 

 情けなく泣きじゃくるケンを見下しながら、嘲りを込めて告げる。

 

「言われた言葉をそっくりそのまま返してやるよ。弱虫め」

 

 まあこいつへの仕返しはこのくらいでいいだろう。

 こいつはまだ小さいし、無邪気な部分もあった。

 両親とは違って改心の余地はあるから、許してやってもいいと思う。

 

 そのとき、いきなり後頭部に大きな衝撃が走った。

 

 視界がぐらりと揺れる。

 何が起こったのかと思ったときには、顔から床にぶつかっていた。

 くらくらする頭を振って、どうにか見上げる。

 鬼のような形相で激しく息を切らせている、おじさんの姿が映った。目が充血している。

 そう、か。

 側にあった置き物で、背後から俺を殴ったのか。

 

「へっ! ざまあみろ! 調子に乗るからだ! このクソガキめ!」

 

 脳が揺れて立ち上がれない。

 それをいいことに、調子に乗って何度も何度も蹴り付けてきた。

 

「ほら! お前も手伝え!」

「ああ! ちょっと離れてな! ケン!」

 

 息子を脇にやったおばさんも加わって、リンチ状態になる。

 

「死ね! 死ね!」

「くたばれ! 化け物め!」

 

 小さな体をボールのように蹴られながら、俺は死ぬほど心が痛かった。

 だって、まったく躊躇など感じられなかったから。

 こいつらは、俺のことを殺す気なんだ。

 少なくとも、うっかり死んでしまっても構わないと思っている。

 そのことが、たまらなく悲しかった。

 俺は身を固くして、じっと脳の回復を待った。

 守ることだけに集中すれば、こんな素人の蹴りなど、そうそう致命傷になどなりはしない。

 動けるようになった頃を見計らい、蹴る瞬間を狙っておじさんの足にしがみついた。

 そこを支えにして、どうにか立ち上がる。

 すかさず金的を殴り付け、痛がるおじさんから距離を取った。

 痛みに苦しみながら、おじさんはなおも俺に襲い掛かろうとする。

 けどそこまでだった。

 ギロリと睨み付けてやったら、二人の動きは銅像のように止まった。

 

 俺は一息吐くと、自分の頼りない身体を見下ろした。

 全身血だらけだった。

 生温い人の血だ。それがこの身体には流れている。

 顔を上げて、再びおじさんとおばさんを睨み付ける。

 対して、こいつらはなんだ。

 こいつらには、まともな血が通っちゃいない。

 決して許しはしないけど、扱いを改善させるだけで勘弁してやるつもりだったのに。

 やっとのことで残していた最後の良心のタガが、とうとう外れてしまったような気がした。

 

 記憶の世界に一つの漏れなく溜まっていた、数々の虐待の記憶。

 力を手に入れたとき、それらも一緒に解放されてしまったみたいだ。

「私」が力を使うなって言ってた理由が、やっとわかったよ。

 今の俺には、もう耐えられそうにない。

 誰も彼もが憎くて、さっきからずっと気がおかしくなりそうなんだ。

 こいつらに刻み付けられた残虐性と暴力性が、一気に俺を包み込んで支配しようとしてくる。もはや逆らうことはできなかった。

 

 もういいや。この気持ちに身を委ねてしまおう。

 

 そのとき、「私」の縋るような声が聞こえてきた。

 

『ダメだよ! 元に戻れなくなっちゃうよ!』

 

 ああ。そうか。

 今は能力を使ってるから、現実でも心が通じることがあり得るんだね。

 

 ねえ。もう一人の「私」。

 俺のこと、必死に止めてくれてありがとう。

 いつもは忘れちゃってるけど、ずっとそばにいてくれてありがとう。

 

『そんな。お別れみたいなこと、言わないでよ』

 

 もう、疲れたんだ。

 

『ユウ……』

 

 もし俺がダメになっちゃったら、そのときはこの身体は君にあげるよ。

 

『そんなこと、言わないでよ。あなたがいなくちゃ、私がいる意味なんてない。私は、あなたを支えるためにいるんだよ?』

 

 そっか。じゃあ、ごめんだ。

 言うこと聞かない子で、ごめんね。

 

『ユウ! ユウ! 返事をして! お願い!』

 

 ――――いこう。

 

 こんな奴らに遠慮する必要はないさ! なあ、そうだろう!?

 

「あははははははははははははは! またそうやって暴力か! お前ら、それしか能がないのか?」

「ひいっ!」

「あああっ!」

 

 くっくっく。そんなにびびるなら、最初から手なんか出さなければよかったのにね。

 

「もういいよ。お前らがそういうつもりなら、俺にも考えがある」

 

 憎しみの感情が後押しする。やってしまえと背中を押す。

 ふと横を見ると、ケンは既にショックからか気を失っていた。

 よかった。こんなもの、見ない方が幸せだ。

 

『まさか……! それだけはやめて!』

 

 レンクス。食らった技を借りるよ。

 

【反逆】

 

 重力に逆らって、奴らを天井へ叩きつけろ。

 

 おじさんとおばさんの身体が、瞬く間に宙へと浮き始める。

 

「うわあああああ!」

「きゃあああああ!」

 

 躊躇うことなく、天井に激突させた。

 二人の断末魔のような悲鳴が、部屋中に響き渡る。

 その瞬間、能力を切って床へと突き落とす。床にぶつかったら、また【反逆】を使って引き上げてやる。

 そうやって、床へと天井へと、交互に何度も何度も叩きつけてやった。

 奴らの泣き叫ぶ声を聞きながら、俺は虚しい復讐心が満たされていくのを感じていた。

 

「ははは! これは報いだ! お前らがこの憎しみを育てた! 自分で自分の首を絞めたんだよ!」

 

 不思議と涙が流れてくる。楽しいはずなのに。

 ここまですることはないんじゃないのか? ここまでやり返したら、おじさんたちと一緒じゃないのか?

 そんな疑念が頭を過ぎる。

 でも、もう手を止められない。止まらない。

 

『もうやめて! 私は知ってる。あなたは優しい人だよ。だから、こんなに心が苦しいんだよ』

 

 ダメだ! 憎しみが止まらないんだ!

 全部壊してしまえって、頭の中にガンガン響いてくるんだよ!

 

【反逆】なんて強い能力を何度も使うのは、さすがに無理があったみたいだ。

 まもなく限界を超えた。

 堰を切ったように、膨大な情報が一気に頭の中に流れ込んでくる。

 頭が、割れる!

 

「うわあああああああああああああああああああーーーーーーー!」

 

 

 ***

 

 

 ユウ! しっかりして!

 周りを見渡すと、私の住んでいる『心の世界』は、かつて見たこともないくらいに荒れ狂っていた。

 普段は真っ暗なはずの世界に、まるで天の川のような、白い光から成る巨大な流れが生じている。

 それも、恐ろしい激流だった。

 力が、暴走してる。やっぱり扱い切れなかったんだ。

 早く止めないと! ユウが苦しんでる!

 私は必死に流れを止めようとした。だけど、私はあまりにも無力だった。

 膨大な『心の世界』の中で、そのたかが一要素に過ぎない私の力では、せいぜい小さな流れを押し止めるので精一杯だったの。

 ダメ! とても抑え切れない!

 やがてどこもかしこも激流に呑まれて、ただ立ち尽くすしかなかった。

 もう祈ることしかできない。

 

 お願い! 誰か! 誰か流れを止めて!

 このままじゃ、ユウが本当に壊れてしまう!

 

 絶望に飲み込まれそうになった――そのときだった。

 

 ユウの目を通して、部屋の窓ガラスが派手に割れたのが見えたの。

 勢いよく飛び込んで来たのは、見慣れた金髪の姿。

 彼がやって来たとき、奇跡が起こった。

 あれだけ激しくうねっていた流れが、次第に落ち着きを見せ始めた。

 気付けば『心の世界』は、すっかり元の真っ暗な空間に戻っていた。

 

 止まった……?

 

 すると、ふらっと力が抜けたようにユウが気を失って、代わりに私が表の世界に出てきた。

 彼は私を認めると、ほっとしたような笑顔を見せた。

 

「ふう。やれやれ。危なかった。間一髪のところで間に合ったな」

 

 彼のことを、こんなに頼もしいと感じたことはなかった。

 

「レンクス……」

「よう。遅れてすまなかった。助けにきたぜ」

「ユウは……助かったの……?」

 

 不安でいっぱいの私を安心させるように、彼はにこりと笑って頷く。

 

「ああ。ギリギリだったけどな。とりあえず記憶とのリンクを断って中で眠らせておいたから、確かめてみろ」

 

 言われて『心の世界』を覗くと、何も知らないユウが、安らかな顔で眠っていた。

 

 ユウが、助かった。

 レンクスが、助けてくれた。

 

「ぐすっ……。よかった……。ほんとに、よかったよぉ……」

 

 安心から、私はその場で泣き崩れてしまった。

 わんわん泣きじゃくる私の頭にぽんと手を置いて、彼はあやすように優しく撫でてくれた。

 こういうときだけ、ちっともいやらしさはなかった。

 

「お前たちのことはなるべく俺が守ってやるよ。ユナとの――約束だからな」



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9「ユウの能力の正体」

 レンクスは膝をついて、気を失っているおじさんとおばさんの脈を確かめた。

 彼はやれやれといった感じで、冷ややかな目を二人に向ける。

 

「このクズ共、辛うじて生きてるようだな。あの状況でよく殺さないように抑えられたもんだ。俺の【反逆】は、ほんの少し加減を間違えただけで人くらい簡単に殺せるからな」

「ユウは、必死に衝動に抗ってたんだよ。本当はこんなことなんてしたくなかったはずなのに。おじさんとおばさんが、殺そうとしてきたから……」

「わかってる。力が暴走したんだろ?」

 

 頷くと、彼は深刻な顔で溜息を吐いた。

 

「お前に与えた知識から、あっちのユウが万が一辿り着いてしまう可能性を考えて、あえて能力のことは黙っていたんだが……。言わなくても結局使う羽目になってしまったか。すまない。読みが甘かった」

「そっか。レンクスはこうなることを恐れて、私に何も教えなかったんだね」

 

 今ならあなたの気持ちがよくわかる。

 こんな恐ろしいリスクがあるってわかっていたら、私だって知りたいとは思わなかった。

 

「ああ。だがもう過ぎたことだな。能力は既に使われてしまった。こうなったら、お前だけにでも全部教えて、一緒に対策を考えた方が良いだろう」

「うん。お願い。こんな危ない力、もう絶対今のユウには使わせないから」

「それがいい」

 

 彼は再びおじさんとおばさんに向き合い、怪我の様子を詳しく調べ始めた。二人とも見るからに重症で、果たして助かるのか心配だ。

 そのうち、彼はほっとした顔を浮かべた。

 

「よし。これなら治せそうだ。さすがにこんな奴らのためにユウが人殺しになったら、寝覚めが悪い」

「ほんと!? よかった。もし自分が殺してしまったって知ったら、どんなに傷つくか心配だったから……」

「任せとけ。あいつに余計な罪悪感は背負わせねえよ」

「ありがとう、レンクス……。何から何まで」

「おう」

 

 照れたように返事をした彼は、両手で頬を叩いて気合いを入れた。

 

「よっしゃ! 治療のためにちょっと【反逆】使うぞ。気力許容性を弄るから、お前の中で眠っているユウにも決して小さくない影響が出るはずだ。しっかり抑えてろよ」

 

 聞いたこともない言葉に、私はきょとんと首を傾げた。

 

「気力許容性? 気力ってなに? もしかして、波ーとかやるあれのこと?」

 

 前にユウが隠れてこっそり読んでいた漫画のことを思い浮かべていた。

 

「んー。まあ詳しく説明してもしょうがないな。とにかく気力という力があって、この世界における気力の限界値の基準みたいなものが気力許容性だ」

「ふへえ」

「で、治療にはこの気力を使うんだが、この世界は限界値が低過ぎて、このままではまともに治療ができない」

「うん」

 

 あまり要領を得ないけど、とりあえず相槌を打っておく。

 

「そこで、今から【反逆】を使って、少しの間だけリミットを外す」

「そんなことできるんだ」

「おうよ。その影響で、ユウからも力が溢れ出てくるはずだから、そいつが暴走しないようにちゃんと抑えててくれ。お前、さっき『心の世界』で力の流れを抑えようとしていただろ? その要領でたぶんできるはずだ」

「よくわからないけど、わかったよ。やってみる」

 

 とにかく、抑えればいいのね。

 

「じゃあ秒読みでいくから、しっかり身構えてろ」

「オッケー」

 

『心の世界』に意識を向けて、その時を待つ。

 

「3、2、1、よし」

 

 合図と同時に、眠っているユウから、莫大な生命エネルギーのようなものが迸り始めた。とても強い力だ。

 でも、とても抑えられなかったあの流れに比べれば、全然大したことはない。

 私はなんとかユウの力を抑え込むことに成功した。

 

 私が『心の世界』の内側に意識の大半を向けている間、彼は二人の治療に取り掛かっていた。

 不思議な光景だった。彼が手をかざすと、たったそれだけでみるみるうちに重症だったはずの怪我が治っていく。まるで奇跡のようだった。

 

「これで大丈夫だろう。ついでに記憶も少し弄っておくか。ユウにとって都合の悪いものは消しておこう」

「そんなこともできるの?」

「当然。伊達にユナ公認チートはやってないぜ」

 

 得意気に口元を上げる彼が、本当に頼もしくて仕方ない。

 さらに彼は、いたずらっぽく笑って提案する。

 

「くっく。せっかくだから、トラウマだけは残しておいてやろう。今後ユウに何かしようとするたびに、今日の恐怖が蘇ってびびり上がるだろうぜ」

「あはは。それ、最高!」

 

 もしかしたら、これからもう虐待はされないで済むかもしれない。

 これでやっと、ユウは救われるのかな。

 だとしたら、あなたがあんなに苦しんでまで頑張った甲斐は、ちゃんとあったよ。

 

 おじさんとおばさん、それからケンの治療と全員の記憶改竄を済ませたレンクスは、ふう、と一息つくと私に向かって微笑む。

 

「よし。せっかくだから、できる今のうちにやってしまうか。ユウ、でいいのか?」

「いいよ。私もユウの一部だから」

「ちょっとこっち来い」

「なに?」

 

 手招きされるまま、ふらふらと彼に歩み寄る。

 そこで彼は、とんでもないことを言い出した。

 

「ちょっと服捲ってくれ」

「……変なこと、しないよね?」

「こんなときにしないって! 怪我の治療だよ。ったく、信用ないなあ」

「普段が普段だからね」

 

 軽蔑を込めた視線を送ると、彼は決まりが悪そうに頭を掻いて苦笑いした。

 こいつ、あれからもあっちのユウに会うたびに、一々下らない理由を付けては私を呼び出して、過剰なスキンシップを図ろうとしてくるの。まったくもって油断ならない。

 そんな経緯もあって、重々嫌々ながら、結局は素直に服をめくる私。でも警戒心ばりばりだからね。

 少しでも変なことしたらぶっ叩いてやろうと身構えていると、彼は身体に触れるか触れないかというところで手をかざしてきた。

 すると、なんてことだろう。

 怪我と一緒に、身体中に残っていた痣や傷や火傷の跡までもが、綺麗さっぱり消えてなくなってしまったの。

 あまりのことにぽかんとする私に、彼はにっと得意気に鼻をさすった。

 

「へへ。女の子の身体は、やっぱり綺麗でなくっちゃな!」

 

 実感は、少しずつ遅れてやってきた。

 

「信じられない……。一生残ると思って、諦めてたのに……」

 

 じわじわと喜びが込み上げてくる。

 泣いてしまいそうなくらい感動してしまった。

 

「嬉しいよ……。本当に嬉しい。ありがとう。レンクス」

「さっきから礼ばっかりだぜ、お前。ま、どういたしまして」

 

 

 ***

 

 

 少しだけ他愛もない話をした後、話題はいよいよユウの能力のことに移った。

 

「さて。そろそろ話しておくか。お前たちに眠る能力の正体についてだ」

「待ってたよ」

 

 背筋を伸ばした私を見て、レンクスは一つ呼吸を置いてから話を切り出した。

 

「最初は変身能力だと思ってたんだがな。お前とあっちのユウの身体を切り替える能力だ。どうも標準ではそれが発動するようになってるっぽいから、俺もつい見かけに騙されかけた」

「そうなの? でも、それだと――」

 

 彼は私の考えていることを汲み取って、続ける。

 

「ああ。『心の世界』という概念の説明が付かない」

「そうだよね。私は最初から、力はそこに眠ってるって知ってたよ。ずっと中にいたから」

 

 私の言葉に、彼はしっかりと耳を傾けて相槌を打ってくれた。

 

「でだ。お前から『心の世界』の話を聞いたとき、俺はむしろそっちがお前たちの能力の本質ではないかと睨んだ」

「『心の世界』が、本質?」

「そうだ。なぜなら、フェバルの能力は普通、俺の【反逆】のように、非常に強力なものばかりだからだ。変身なんてちゃちなものでは、決してあり得ないと思っていた。その点、『心の世界』というやつはとてつもないスケールを持っているようだからな」

「そうなんだ……。それで、やっぱり私の力も強かったってことなの?」

 

 元々中でずっと感じていた力の大きさや、あのユウの暴走を見て、まさか弱い力であるとは思わなかったが、問いかける形で尋ねてみた。

 彼は力強く頷いた。

 

「ああ。とんでもない能力だった。正直、この俺すら青ざめてしまうくらいにな」

 

 耳を疑う。万能能力にしか思えない【反逆】持ちのレンクスですら青ざめてしまうほどの能力とは、一体何なのだろうか?

 

「まず、お前も知ってるように、ユウが経験したことは一切の漏れなく『心の世界』に溜め込まれていくだろ?」

「うん」

 

 そもそも、私があなたに教えたことだからね。

 

「それだけならまだよかったんだ。だがな――」

 

 彼の顔がやや険しくなる。私はごくりと唾を飲む。

 

「お前たちは、そうして取り入れたものを、原理上百パーセント己の力として扱うことができてしまうんだよ」

「ええっ!?」

 

 私はとにかく驚愕した。

 でも、言われてみれば……。

 確かに思い当たりがある。

 能力を発動させたユウは、お母さんの投げ技とか、レンクスの【反逆】をまるで自分のものみたいに使いこなしていた。

 つまり、そういうことだったんだ。

 

 私が落ち着くまで少し待ってから、彼は話を続けた。

 

「言うなれば、完全記憶能力と完全学習能力を足し合わせたような力だ。際限のない成長と自己の増大。それこそが、お前たちの能力の本質なんだ」

 

 際限のない成長。

 それが不死の性質を持つフェバルの特性と合わさったとき、どんなに末恐ろしいものになるのかを、未だフェバルの運命を知らない私は知る由もなかった。

 

「へ、へえ。それって、やっぱりすごいんだよね?」

 

 レンクスは、心底呆れたような顔で肯定する。

 

「すごいなんてもんじゃねえよ。ぶっちゃけ、ポテンシャルだけで言えば最強だ」

「最強って……」

 

 えー。実感湧かないよー。

 

「しかもだぜ。恐ろしいのは、たとえそれがどんな凄まじいものであっても、例外なく自らに取り込んでしまうらしいということだ。この俺の【反逆】ですら、ユウはたった一度食らっただけでいとも簡単に習得してみせた」

 

 そこで彼は一度、はあ~、と息の長い溜息を漏らす。頭を抱えたい気分なのかな。

 

「お前に協力してもらった実験では、そいつを確かめたんだ。俺の【反逆】を使って、ユウの中に眠る【反逆】を発動させようとしてみた。効果は《反重力作用》だ」

「なるほど。それで」

 

 ふわっと浮いたわけね。

 

「そうさ。寸分の間違いもなくしっかり発動しやがった。信じられねえよ、まったく。人の専売特許を簡単に奪いやがって。ああ。俺の個性が……」

 

 大袈裟にがっくりと肩を落とした彼に、決して本気で落ち込んでいるわけではないとわかっていても、微妙に申し訳ない気持ちになった。

 

「あー……。なんか、ごめんなさい」

「いいさ。まあ、まだすべてを見せたわけじゃないからな。あくまでお前たちが使えるのは、覚えたことそのものだけだ。【反逆】には色んな使い方があるが、そいつが全部いっぺんにできるようになったというわけじゃない」

 

 そっか。まあ、この人が何をどこまでできるかなんて知らないし、あまり変なことできるようになっちゃっても困るけど。

 私たちは、普通の暮らしがしたいんだもん。ね、ユウ。

 

「それでも、ユウが【反逆】による《反重力作用》を完璧に使いこなしていたのを、俺はしっかりと確認したぜ。ああ。そんな簡単に使われたら、俺の立場が……」

「まあまあ。元気出してよ」

 

 近寄ってちょっとだけ背中をさすってあげたら、彼はたちまち跳ね上がるように立ち直った。

 

「よっしゃ! お前に励ましてもらったら元気出た!」

 

 こんなに露骨に私の励ましが効くのは、単純というかなんというか。

 本当に私のことが大好きなんだな。この変態は。

 一瞬にやにやと気味の悪い笑みを浮かべた彼は、しかしすぐに顔を引き締めた。

 

「ただな。この凄まじい能力には、致命的な欠陥がある。あまりにも能力が強過ぎることそのものが問題なんだ」

「どういうこと?」

 

 私にもなんとなく察しはついていたが、彼の方がずっと詳しいだろうだから、素直に尋ねてみた。

 

「俺たちフェバルは、普通は能力の使用に問題なく耐えられるようになっている。己の資質に合った固有の能力に目覚めるからだ」

「ふむふむ。だからレンクスって平気なんだ」

 

 レンクスは頷く。

 

「だがな。ユウだけは例外中の例外だ。あらゆるものを呑みこんで、果てしなく成長を続ける能力に見合う資質など存在しない」

 

 なるほど。確かにそうだ。

 事実、現時点でも明らかに容量オーバーだった。

 膨大過ぎる力に耐え切れず、ユウの身も心もパンクしかけていた。

 

「それに悲しいかな、お前たちの身体は、あくまで普通の人間のものなんだよ。それなりの素質がないわけじゃないが、特別強いわけでもない」

 

 大き過ぎる力に、ただの人の身に過ぎない身体では間違いなく耐え切れない。

 レンクスはそう言った。

 

「だから、潜在能力だけは恐ろしく高いんだが……。実際のところ、自力だけではほとんどまともに能力をコントロールできないんだよ。強過ぎるゆえに、使えないんだ。なんとも皮肉な話だよな」

「強過ぎて、逆に困るんだね」

 

 私も危ない気はしてたけど、やっぱりというお話だった。

 

「だな。それでも、無理に力を使えば――」

「ああなるわけ」

 

 ユウの暴走を思い返しながら、苦い気持ちになる。

 

「そうだ。ああなる」

 

 彼は肩を竦めた。

 

「全力を出せば、たちまち壊れてしまう。そのことをおそらく本能で理解しているから、ユウは無意識に己の能力に対して強いセーブをかけている。能力の発動を、安全に使いこなせるものだけに限っているんだ。そして、そのセーブの要となるのが――」

 

 レンクスは、はっきりと私のことを指さした。

 

「え、私?」

 

 突然の振りに戸惑う私に、彼は力強く頷く。

 

「そうだ。『心の世界』に存在するあらゆる要素の中でも、最も自身と親和性が高く負担のかからない存在を、ユウはパートナーとして一つの形にした。おそらく無自覚だろうが、自分の支えとするためにな。それがお前だ」

「私にそんなルーツが」

「もちろん、お前が今のお前として生まれたのには、環境的な要因も大きかったんだろうけどな」

 

 てっきりユウが辛い思いをしていたから、話し相手として呼び出されたのだとばかり思っていた。

 きっとそれも大きいのだろうけど、本来はそんな理由があったんだ。

 

「デフォルトで変身能力が設定されているのは、ある種の防衛対応みたいなものだろう」

 

 防衛対応。中々いかつい言葉が出てきたね。

 

「身体を瞬時に作り変えるというのはかなり労力がかかるが、その割に結果は大したことはない」

「うん」

「そういう、悪い言い方をすれば無駄なことにキャパシティを割り振ることで、結果として能力の発動を安定させているわけだ」

「うんうん」

「要するに、お前の存在によって、ユウは能力の乱用による無用な危険から身を守られている」

「そうだったんだ……」

 

 私が生まれた意味がわかった。

 私は最初から、ずっとユウを支えることを目的にやってきた。その役割に疑いを持ったことはなかった。

 けれど考えてみれば、それは当たり前のことだったのかもしれない。

 だって、レンクスの話が正しければ、そうであるように求められて、そうであるように創り出されたのだから。

 いつの間にか下を向いていた私を、彼は心配するように覗き込んできた。

 

「随分なこと言ったけど、傷付いてないか? 生まれた経緯はどうあれ、お前は既に立派な一人の人間だからな。それは俺が保証するぜ」

 

 私は顔を上げた。別に暗い気持ちはない。

 

「ううん。大丈夫。むしろ自分のことがよくわかって、気持ちを新たにできたよ」

「そうか。何にしてもだ。別にユウは、お前のことをただ利用してるわけじゃないはずだぜ」

「そんなの当たり前でしょ。自分のことは、自分が一番よくわかってるよ」

 

 ユウは一度も私を下に見たことはなかった。

 いつだって、もう一人の「私」として、親近感を持って対等に接してくれた。

 一緒に喜んだり、悲しんだり。色んな気持ちを分かち合いながらやってきた。

 これからもこのまま「私」として、ユウを支えることに何の躊躇いがあるだろう。

 絶対にないって言い切れる。

 まあ散々呼び出す誰かさんのせいで、たまには外に出て日光を浴びたいかなとも思うようになっちゃったけど。

 ふと見ると、目の前にいるその誰かさんは、なぜだか面白そうに笑っていた。

 

「くっくっく。自分のことなのにわからないから、俺から能力について色々と聞いてるんだろ?」

「あ、そうだった!」

 

 可笑しくなって、私も大いに笑った。

 

 

 ***

 

 

 能力に対する理解が深まったところで、話題はユウを守ろう作戦に移った。

 

「記憶を切り離してやったから、今日のことはとりあえず心配ないと思う」

「あらためて、ありがとね」

 

 感謝する私に、レンクスは気を付けろと諭す。

 

「だがそもそも根本の問題は、能力覚醒前であるにも関わらず、幼いユウがいつでも『心の世界』に行けてしまうことにあるな。また何のきっかけで力に触れてしまうかわからない。非常に危険な状態だ」

「そうだね。私もそう思う」

「いつからだ? ユウが『心の世界』と繋がって行き来できるようになってしまったのは」

「二か月くらい前だよ」

「へえ。俺が来たのとタッチの差なんだな」

「うん。レンクスが来たのはその数日後ってところ」

 

 そこで彼は、少し考え込み始めた。

 その間、私は何となく彼の顔をじーっと見つめていた。

 真剣な思考に沈む彼の姿は、普段のおちゃらけている感じと違って、あんまり認めたくないけど、ほんのちょっとだけカッコよく見える。

 ほんのちょっとだけだけどね。

 やがて考えがまとまったのか、彼は再び口を開いた。

 

「繋がってしまった原因は、虐待による精神不安定だな?」

「そうだよ。助けを求める強い気持ちが、道を繋げてしまったの」

「やっぱりそうか……。だったら、逆に精神状態を安定させればまた道は閉じるんじゃないか? そうすれば、ユウが誤って力に触れることもなくなる」

 

 目から鱗だった。

 それは単純だけど、とても有効な発想に思える。

 希望が見えて、私は嬉しくなった。

 

「そうかもしれない!」

 

 だが当の提案をした彼は、あまり浮かない顔をしていた。

 

「ただな。道が閉じるってことはつまり、お前とユウがもう会えなくなるってことだ。お前がこうして外で歩くことはできなくなるってことだ。それでもいいのか?」

 

 そのことについては、もう覚悟を決めていた。

 ユウが助かるならそれでいい。

 

「ちょっと寂しいけど、本来のあり方に戻るだけだよ。それに、ユウには夢の中だけじゃなくて、しっかり現実を楽しんで欲しいから」

「そうか。強いんだな」

「私が支えるんだから、しっかりしないとね」

 

 胸を張った私に、レンクスは微笑ましそうに目を細める。

 そして彼は、ぽつりと呟くように言った。

 

「あと三カ月」

「なに?」

「俺がこの町に居られる残り時間だ」

「それが過ぎたら、どこかへ行っちゃうの?」

「ああ。どうしても行かなくちゃならない」

 

 そう告げた彼の表情は、仕方ないという諦めに満ちた真剣なものだった。

 ここまで親身になって私とユウを助けてくれた彼が、下らない理由で私たちを残して行くとは考えられない。本当にどうしようもない事情があるのだろう。

 私は、あえて問い詰めることはしなかった。

 

「そっか。寂しくなるね」

「そうだな」

 

 少し、しんみりしてしまった。

 この空気をどうしようと思っていたら、レンクスが突然気合いを入れた声を上げた。

 

「だから、それまでに二人で協力してなんとかするぞ!」

 

 つられて、つい私も似たノリで応じてしまう。

 

「おー!」

「嫌な思い出はもう消せない。ご丁寧に全部そっくりそのまま溜まってるからな」

「そうだね。でも」

「その代わり、楽しい思い出をたくさん作ってあげよう。辛いことなんか押し流してしまうくらいに。シンプルだが、それが一番ユウのためになると思う」

「うんうん。それがいいよ!」

「よし。決まりだ! 俺は現実で、お前は夢の中から。お互い頑張ろうぜ!」

「うん!」

 

 私はレンクスと軽く拳をぶつけ合う。

 こつりと、小気味良い感触がした。

 このときから、ユウを守ろう作戦改め、ユウを元気にしよう作戦が始まった。




「ところで、窓ガラス派手に割ってカッコよく入ってきたのはいいけど、あれの後始末はどうするの?」
「しまった! 必死だったから後先考えてなかった!」
「そっか。それだけ急いでくれたんだね」
「まあな」
「で、もちろん直せるんでしょ? チートだもんね」
「一つ良いことを教えてやるよ。さすがの俺にもできることとできないことがある」
「へえ。つまり?」
「不幸な事故ってことで、ここは一つ!」
「おいこら。じゃあ弁償していきなよ」
「残念ながら、お金なんて見たことないぜ。だから無理!」
「えー嘘でしょ!? ならどうやって生活してるの?」
「サバイバル生活こそ俺のジャスティスさ!」
「呆れた。アホなの? バイトしなよ。そして弁償しろ」
「そうだ! なんか突然急用ができたような気がするぜ! じゃあまた明日な!」
「あっ……。もう。ほんと頼りになるんだかならないんだかわかんない人だな」


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10「いつもと違う一日」

 ん……。

 いつものように、俺は暗い屋根裏部屋で目を覚ました。ぐしぐしと目をこする。

 いつの間に寝ちゃったんだろう。

 思い出そうとしてみるけど、昨日何があったのか、ちっとも思い出せなかった。

 俺、どうしてたんだっけ?

 なんか、すごく嫌なことがあったような気がするんだけどなあ。

 でも、考えてもわかんなかった。

 まあいいか。

 身体を起こそうと動いたとき、不思議なことに気が付いた。

 あれ。

 どこも、痛くない。

 シャツをめくったら、本当にびっくりした。

 あんなにいっぱいあった傷が、一つもなくなってた。

 なんで!? どうなってるの!?

 奇跡だと思った。泣きそうなくらい嬉しかった。

 着替えのときに、もうこそこそしなくていいんだ!

 

「おはようございます」

 

 部屋を出た俺は、階段を下りて、リビングのドアを開けて、いつもよりちょっとだけ元気に挨拶した。

 まあいつも返事は来ないんだけど、今はとっても良い気分だからそんなことなんかちっとも気にならない。 

 奥から、おじさんとおばさんの怒鳴り声が聞こえてきた。

 

「まったく! 誰のいたずらだい! こんなに派手に割ってくれちまって!」

「ちくしょう! どこのどいつがやりやがった! ふざけやがって!」

 

 何があったんだろう。

 横からそーっと覗いてみたら、窓ガラスが滅茶苦茶に割れていた。あっちこっちにかけらが飛び散ってる。

 うわあ。ひどいや。誰がやったんだろう。

 俺が起きてきたことに気が付いたおばさんは、名前を呼んできた。

 

「ユウ」

「は、はい」

 

 またとばっちりで、何かされるのかな……。

 おばさんが何を言い付けてくるのか、びくびくしながら待っていると。

 

「私はこいつの後片付けをしなきゃいけない。おかずならそこに置いてあるから、勝手に食べな」

 

 え?

 あんまり考えてもなかったことだったから、ぽかんとしちゃった。

 

「ガラスのお片付けなら、俺がやりますよ」

 

 そしたらおばさんは、またまた信じられないことを言ってくる。

 

「何言ってんだい。子供がやったら危ないだろう?」

 

 いったいどうしちゃったの!?

 いつもならぜったい俺にやらせるのに。終わるまでは、ご飯なんて食べさせてもらえないのに。

 これは何かおかしいんじゃないか。言うこと聞いたら、逆に後で怒られちゃうかもしれない。

 

「でも、おうちのことは俺のお仕事ですから」

「お母さんが良いって言ってんだろ? ガキはすっこんでろ!」

「は、はい!」

 

 おじさんに怒鳴られた。

 また殴られると思って、腕で顔を隠しながら目を閉じる。

 だけど、いつまでたっても何もされなかった。

 あれ? 殴ってこない……?

 恐る恐る腕を下げて、そっと目を開けてみる。

 おじさんは俺の方なんかちっとも見ないで、割れた窓のところで怒りながらおばさんとお話ししていた。

 どうなってるの?

 どうしたらいいのかわからなかった。

 いつもとあんまり違うから、おかしいなって気持ちが強くて、素直に喜べない。

 何が何だかわからなくて、しばらくそこでぽけーっと突っ立っていた。

 とうとうほんとにおばさんがお掃除を始め出して、やっとわかってきた。

 ほんとに何もしなくていいみたいだ。

 何もしなくても、何も嫌なことされないんだ。

 そう思ったら、だんだんうれしくなってきた。

 心も足も軽くなって、台所までびゅーんってまっすぐ向かって、お茶碗にいっぱいご飯を盛った。

 こんなに幸せな朝はすっごく久しぶりだよ。

 食卓を見たら、さらにびっくりした。

 うそでしょ!? 俺の分の卵焼きがある!

 いつもは白いご飯だけほおばって学校に行くのに。

 じ~んときた。ほんとに泣きそうだよ。

 

「おばさん!」

「な、なんだい?」

 

 おばさんは急に、ものすごい勢いでびくっとした。なんだか怖がっているみたいにも見える。

 変なの。何をそんなにびくびくしてるんだろう。

 

「卵焼きありがとう! いただきます!」

 

 精一杯の笑顔で言ったら、おばさんはほっとした顔をした。

 ほんと、どうしちゃったんだろう。

 

「あ、ああ。よく噛んで食べな」

「はい!」

 

 おいしくご飯を食べ終わった俺は、うきうきした気分で洗面所に向かった。

 

「ふんふーん♪」

 

 そこで、遅れて起きてきたケンとばったり出くわす。

 一気に楽しい気持ちが吹き飛んじゃった。

 

「あ……。ケン」

「よう……。ユウ」

 

 会うたびに、何かされるかもっていつも思ってしまう。やっぱりケンは苦手だな。

 でも、ケンの様子もなんか変だ。

 いつも俺を見るとすぐ調子に乗ってバカにしてくるのに、今日はものすごく辛そうな顔をしてる。

 そのままの顔で、ケンはとても言いにくそうに言い出した。

 

「あのさ。なんて言うか……」

「なに?」

 

 何を言うつもりなんだろう。どきどきする。

 

「今まで色々ごめん!」

 

 早口でそう言って、ケンは勢い良く頭を下げた。

 ひっくり返りそうになるくらいびっくりした。

 頭を上げたケンは、俺をまっすぐ見つめて悪そうにしてる。

 

「痛かっただろ? 俺、お前にすごくひどいことしてたんだ」

 

 泣きそうなくらい真剣な顔だった。本気であやまってるんだってわかった。

 

「ケン……」

「もうしない。絶対しないから。ごめん。本当にごめんな」

 

 まさか、こんな日が来るなんて。

 あのケンが、自分からちゃんと謝ってくれるなんて。もうしないって言ってくれるなんて。

 それだけで、俺の心はすっきりした。

 今まであれだけ色々ひどいことをされたのに、そんなことなんかもうすっかりどうでもよくなっちゃったんだ。

 俺は単純なのかもしれない。

 でも、それでいいと思う。

 ほんとにちゃんと謝ったんだったら、許してあげたっていいと思う。

 それに、このケンとだったら、これからは仲良くやっていけるんじゃないかなって。

 なんとなくそう思えたから。

 

「いいよ。許してあげる」

「ほんとか……? あんなにひどいことしたのに、許してくれるのか?」

「うん。謝ってくれただけでいいよ。終わったことはもう気にしなくていいから」

「ありがとな、ユウ……。ひひひ。まあ、ユウならそう言ってくれると思ったぜ!」

 

 許したらすぐに、ケンは調子よくにかっと笑った。

 ちょっと呆れちゃったけど、まあケンらしいと言えばケンらしいか。

 

「そうだ。今日帰ったら一緒にゲームやろうぜ! 面白い新作があるんだ!」

「ほんと!? もちろんやるよ!」

 

 ゲームにはかなり興味があったし、クラスメイトがやってるの見ててずっとうらやましかったんだ。

 でも俺には関係ないものだってずっと思ってた。だから誘ってもらえてほんとにうれしかった。

 

「あ、でも。初めてなんだけど、ちゃんとできるかな?」

 

 それがちょっぴり不安だ。

 心配してる俺を見て、ケンは得意な顔でウインクする。

 

「なーに。操作くらいこの俺がびしっと教えてやるよ! 俺、すっげー上手いんだぜ! マジプロ級」

「へえ、そうなんだ! じゃあお願いするね」

「ひひひ。任せとけ!」

 

 

 ***

 

 

 今日はいつもと違って、学校が終わったらすぐおうちに帰った。

 ケンと一緒に初めてゲームをやった。

 ケンは俺が下手くそでも怒らないで丁寧に教えてくれた。二人で協力してボスをやっつけた。すっごく楽しかった。

 夜ご飯もおかずが普通に当たった。朝ほどは驚かなかったけど、やっぱりびっくりしたし嬉しかった。

 

 でも、楽しいことばかりじゃなかった。

 夜ご飯を食べて洗い物が終わったところで、俺はおじさんとおばさんに呼ばれた。

 大事な話があるって。

 ケンは自分の部屋に行くように言われて、いなくなった。

 食卓の向かいにおじさんとおばさんが座って、俺が手前の方に座る。

 

「正直言うとね。私たちは、やっぱりお前が疎ましいんだよ。見てるだけで腹が立つし、何より気味が悪いんだ」

「俺もそうだ。引き取っておいて悪いんだがな。できるだけ早く一人前になって、家を出て行ってくれるとありがたい」

 

 大体こんな感じのことをずっと話された。

 俺は、あまり傷付かなかった。

 おじさんもおばさんも、俺のことを嫌だと思ってるなんて、とっくにわかってたから。

 暴力じゃない。やっと本音が聞けた。そう思ったんだ。

 

「わかりました。けどせめて、俺がもっと大きくなるまではここに置いてもらえませんか? まだ一人じゃ何もできませんから」

 

 おじさんとおばさんは、俺のお願いを聞いて固く口を閉じた。

 何度か二人で目を見合わせている。

 そのうち、おじさんがやっと口を開いた。

 

「わかった……。少なくとも義務教育、お前が小学校と中学校に通っている間はきちんと面倒を見よう。それでいいか?」

「はい。それで大丈夫です。ありがとうございます」

 

 俺は椅子から立って、おじさんとおばさんに背中を向けた。

 きっともう話すことは何もないだろうから。

 

「最初からこうすればよかったんだよ。ねえ、お父さん」

「ああ。本当だな。なぜ今まで言えなかったんだろう」

 

 おじさんとおばさんがぽつりとそう言ってるのを聞きながら、俺は心に決めていた。

 いつかもっと大きくなって。

 中学校を出たら、この家からはすぐに出て行こう。

 俺はいつまでもここにいちゃいけない。

 それまでに、何とか自分で生活できるようになるんだ。

 勉強ももっと頑張って、もっと色んなことを知って。



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11「レンクス、バイトに向かう」

 私とレンクスは、とある場所に向かって大通りを歩きながら、他愛もない話をしていた。

 はたから見れば、保護者と子供が並んで歩いているように見えることだろう。あるいは、怪しい青年が子供を誑かしているようにも見えるかもしれない。

 ちなみになんでユウじゃなくて私なのかというと、また横にいるこいつが呼び出してきたせいだ。

 

「あのさあ。だから下らないことで一々私を呼び出さないでって言ってるでしょ?」

「下らなくなんかないだろ。働くとか超久しぶりなんだって! 優しく俺の背中を押してくれよ。な?」

「知るか。あんたが窓ガラス割ったからいけないんでしょうが」

 

 そう。レンクスは結局、窓ガラスを割ったことに責任を感じて、嫌々ながらも短期のバイトをすることにしたの。

 というわけで、私たちは今バイト先の工事現場に向かっている。工事を選んだのは、彼曰く力仕事なら自分には簡単だし時給も良いからとのこと。

 

「ユウを助けるためだったんだからしょうがないだろ」

「それはとても嬉しかったけど。それはそれ。これはこれだよ」

 

 彼は溜息を吐いた。

 顔に「嫌だなあ」と書いてあるのが見えるようだった。

 

「はあ……。【反逆】使って上手く金儲けできないかなあ。どうとでもなりそうなんだが」

「そんなこと許さないよ。あんな能力下手に使ったら目立って仕方ないもの。大変なことになるよ」

「ちっ。わかってるよ。冗談だっての」

 

 小さく舌打ちして肩を竦めた彼は、言葉とは裏腹に少々納得がいかない顔をしている。

 もしや使うつもりだったのか。一応追加で注意しておくことにした。

 

「もちろん工事現場でも普通にやらないとダメだよ。【反逆】使ってこっそり鉄骨浮かせたりとか、絶対禁止だからね」

 

 すると彼はとぼけたような顔をして、信じられないことを言ってきたのだった。

 

「あれ。ここじゃやっぱそういうのはまずいのか?」

 

 ふざけんな。何がここじゃだよ。

 どこでもまずいに決まってるでしょ。誰かが見たら大パニックになるよ。

 

「あのねえ。少しは常識というものを覚えてよ。普通考えたらわかるでしょ?」

「そうか。オーケー。その常識、今覚えた」

 

 あっけらかんと答える彼に、私は毎度のことながら呆れてしまった。この常識知らずで規格外な人は、一体何なのだろう。

 

「ところで、昨日はどうやって暮らしてたの?」

 

 話題を変える。

 この間、彼がサバイバルのノリで自給自足生活をしているというとんでもないことを聞いたので、ちゃんと食べているのか心配だった。

 もし飢えているなら、こっそりご飯をわけてあげようかとも思う。

 

「ちょっくら近場の山に行ってたな」

「へえ。山菜でも採ってたの?」

「いや、それも時々やるんだが――」

 

 彼の顔がぱっと明るくなった。

 

「こないだ図鑑で調べたヘビとかいうのが、これまた美味くてよ。まず毒のある頭を切り落として、それから血を抜いてだな――」

 

 ジェスチャーをしながらさも普通のことのように語り始めた彼に、私は思わず額に手を当てた。

 本当になんなのこいつ。同じ日本に住んでるとは思えないよ。

 これ以上聞いてるとこっちの調子まで狂いそうだったから、べらべらと楽しそうにヘビの調理法を説明する彼を制止した。

 

「もういい……。聞いた私が悪かったよ」

 

 すると彼は、心外だとでも言いたげな顔をしている。

 

「お前、馬鹿にしてるだろ? フェバルはサバイバル能力が必須なんだぞ。いつか絶対役に立つから、今から覚えておいて損はないって」

「はいはい。考えておきます」

 

 彼のこの言葉は、実のところかなり親身なアドバイスだったのだが。

 いつか右も左もわからない異世界にいきなり投げ出されることを知らなかった私は、そのときは下らないと考えて真面目に取り合うことはなかった。

 

「そうだ。ほら、お前も食べるか? スズメバチ」

「え」

 

 ふと懐から取り出されたのは、瓶詰めにされたはちの子と、スズメバチ成虫の死骸だった。

 見た瞬間、気持ち悪さが込み上げた。背筋にぞわっと寒気が走る。

 

「きゃあ! なによそれ! は、早くしまってよ!」

「ったく、美味いのに」

 

 彼はただ残念そうな顔をすると、渋々それをまた懐に戻した。本当に残念に思ってるだけみたいなのが、とことんずれている。

 虫の姿が見えなくなって、ようやく私はほっとする。

 もう。マジでなんてもの見せつけてくれてんの……。こいつ。

 

 交差点で止まる。信号が赤だった。

 たくさんの車が通るのを、レンクスはなぜか物珍しそうに眺めていた。

 

「あれからユウ、少しずつ元気になってきてるね」

「最大の癌である虐待がなくなったからな。その意味では、あの暴走は結果的にはよかったかもしれない」

「ちょっと複雑だけどね」

「そうだな……。部外者の俺じゃ、相当強引な手段でなければ解決はできなかった。しかもこんなには上手くいかなかっただろう。何もできなくてすまなかったな」

 

 申し訳なさそうに肩を落とす彼に、とんでもないと思った私は言った。

 

「ううん。レンクスはよくやってくれてるよ。あなたの力がなければ、私もユウも今頃もっと大変なことになってた」

 

 もしおじさんやおばさんが死んでいたら。もし彼らに記憶が残っていたら。

 今のように二人から気味悪がられるだけでは済まなかったことは間違いない。ケンとだって仲良くなれなかったに違いない。

 何より、あの事件が起こる前からも今も、こうして親身になって力になってくれているのに、どうして何もできなかったなんて思うだろうか。

 むしろ私は感謝の気持ちで一杯だった。

 

「そう言ってくれると嬉しいぜ。しかし、暴力を振るわなくなってもあいつらやっぱクズいな。そのうち出て行けなんて、8歳の子供に言うことじゃないだろ」

「そうだよね。ほんとひどいよ」

 

 中で聞いていた私は、このことに対しては心底憤慨していた。

 

「まあいい。今さらだしな。最近はユウも笑顔が増えてきた。もう少しだ」

「そうね」

「あとは学校で友達が作れれば、言うことないんだがなあ」

「そこはまだ一歩勇気が持てないみたい。夢の中でいつも『だってみんなからかうし、嫌われるのが怖いんだもん』って。あれだけのことがあれば、人付き合いがトラウマになるのはわかるんだけどね」

「まあこればっかりは本人次第だからな。元々人懐っこい素直な子だから、きっかけさえあれば周りとも仲良くできると思うんだが」

「ゆっくり見守ろう。まだ時間は残ってる」

「ああ。そうだな」

 

 信号が青になった。

 私が歩き出すと、レンクスはなぜか少し遅れて、まるで田舎者みたいに周りをきょろきょろしながら横断歩道を渡っている。変なの。

 

「この信号っていうの、何度見ても慣れないな。ぶっちゃけ煩わしくないか」

 

 とんちんかんなことを言い出した彼を、私は諌めた。

 

「何言ってんの。これがあるおかげで事故が大きく減ってるんだよ」

「それはそうなんだが……。まあ個人的な感想だから気にしないでくれ」

「そう」

 

 横断歩道を渡り切れば、目的地はもう近い。

 ふと、レンクスが何かを思い出したように肩を落とした。

 

「ユウは本当に俺のこと兄ちゃんって呼ばなくなったな。ついに名前ですらあまり呼んでくれなくなったぞ。お前、お前って……。それだけ慣れ親しんでくれたんだろうけど、お兄ちゃんはちょっと悲しいよ」

 

 わざわざ自分で言うお兄ちゃんの響きにきもいなと思いながら、私は思い当たる節を言ってあげた。

 

「私が持ってるあなたへの心象がアレだから、きっとユウにも影響が出てるんだよ。段々お前でいいやってなってるんだと思う」

「やっぱりお前のせいか」

「自業自得だよ」

 

 やがて、工事現場の前に着いた。

 レンクスは手を上げて別れを告げた。どうやら、本当に背中を押して欲しかっただけらしい。

 

「見送りサンキュー。じゃ、頑張ってくるわ」

「うん。頑張ってきてね」

 

 レンクスを見送った私は、一人だけになった。ユウの意識が戻るまではもう少し時間がありそうだから、ちょっとウィンドウショッピングでもしようかな。

 

 後日、おじさんの家に差出人不明の封筒が届いた。

 中には十万円と、「窓ガラスを割ってすみませんでした 虐待の事実を知る者より」という内容の紙が入っていたという。

 おじさんは顔を真っ青にして十万円だけを握り締めると、その紙はすぐに破り捨てた。



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12「ヒカリとミライ」

 最近は毎日が楽しいんだ。

 おじさんもおばさんもあまり何もしてこなくなった。ケンとも仲良くなれた。

 レンクスはよく遊んでくれるし、ついでに色んなことしてくれる。ほんとに夢みたい。

 レンクスにも明るくなってきたなって言われるようになったんだ。自分でもそうかなって気がしてる。

 でもクラスのみんなに話しかけるのは、まだ怖くてできてなかった。

 いっつもみんなにはからかわれてるから、どうしても仲良くなれる気がしなくて。

 勇気が持てなくて。

 

「今日からみんなのお友達になる転校生がいます。しかも、なんと二人ですよ~」

 

 朝の会で、先生がそう言った。教室がざわざわする。

 転校生かあ。どんな人たちかな。

 ドアが開いて入ってきたのは、男子と女子が一人ずつだった。

 男子の方はちょっと目つきが悪くてふんぞり返ってる感じで、女子の方はかわいくてはつらつとした感じだ。

 

「それでは早速自己紹介をしてもらいましょうか。どちらからやってくれますか?」

「じゃあわたしから」

 

 軽く手を上げた女の子は、一歩だけ前に進んで、明るく自己紹介を始めた。

 

「わたしの名前は遠藤 ヒカリです。○○小学校から転校してきました。一日でも早くこの学校での生活に慣れて、皆さんと仲良くなれたらいいなと思っています。よろしくお願いします」

 

 教室のあちこちから拍手が上がる。俺も周りのみんなに合わせて手を叩いた。

 次は男子の方だ。ただ、こいつの自己紹介がとんでもなかった。

 

「僕は今石 ミライだ。以上」

 

 ほんとにこれだけで終わっちゃったんだ。

 みんなもどうしたらいいのかわかんなくて、ぽかんとしてた。

 

「あのね、今石君。もう少しちゃんと――」

「お、良い席があるな」

「あ、ちょっと! 今石君!」

 

 先生が止めるのも全然聞かないで、ミライはみんなが座っている机と机の間をずんずん進んでいく。

 そして、一番後ろの列にあった空いている席にさっさと座っちゃった。

 あまりのことに、みんなシーンとしてしまった。

 

「はあ……。またやらかしたよ」

 

 ヒカリが呆れたみたいに溜息を吐きながら、そう言ってるのが聞こえた。

 もしかして、二人は知り合いなのかな。

 先生もしょうがなさそうに諦めて、こっちを見回した。

 

「星海君」

「は、はい」

 

 急に名前を呼ばれて、ちょっとびっくりした。

 

「横が空いてるから、遠藤さんの席はそこでいいですか?」

「はい。大丈夫です」

 

 口ではそう答えたけど、どこも大丈夫じゃない。

 すごくどきどきしてる。まさか隣に来ちゃうなんて。

 俺がどきどきひやひやしてるなんて何も知らないヒカリは、すました顔ですたすたこっちに歩いてきて、すぐ横にひょいっと座った。

 そしてすぐに俺の方を向いて、声をかけてきた。

 

「君が星海君?」

 

 うわ! やっぱり話しかけられた!

 ど、どうしよう。このまま黙ってるわけにもいかないよ。

 そ、そうだ。

 転校生なんだから、ここには来たばっかりだよね。

 だったらクラスで俺が邪魔者にされてることなんか、まだぜったいに知らないはずだ。

 それならきっと普通に話せるんじゃないかな。

 でも……。次の休み時間が来ちゃったらもうダメだ。

 みんなに俺が馬鹿にされてる話をされたら、きっともう二度と話しかけてもらえなくなる。

 今だ。今しかないんだ。

 

『頑張って!』

 

 なんとなくそんな声が聞こえたような気がした。

 そうだよ。頑張れ。勇気を出すんだ!

 

「あ、あ、あの」

「なに?」

「お、俺、ユウっていうんだ。星海 ユウ。よよ、よろしくね」

 

 うう……。全然ダメだ。

 きょどってちっとも上手く言えなかった……。

 

 だけどヒカリは、俺に引いたりはしなかった。

 終わったと思ってすごくがっかりしてる俺を見て、ヒカリは声を抑えながら笑い出したんだ。

 

「あはは! 君、面白い子だね!」

「え?」

 

 思ってもいなかったことを言われて、ぽかんとしてしまう。

 そんな俺を見て、ヒカリはもっと面白がってた。

 でも、そんなに嫌な感じはしないかな。

 馬鹿にしてるわけじゃなくて、ほんとにただ面白がってるだけみたいだから。

 あんまり思いっきり笑われたから、どきどきしてたのもいつの間にか平気になっていた。

 

「よろしく」

「あ、うん」

 

 よかった。このまま何もなく終わってくれそうだ。

 と思っていたら、そんなことはなかった。

 

「そいつに話しかけると呪われるぞー」

「星海菌が移るぞー」

 

 横の男子たちが、小声で悪口を言ってくる。

 

「そうよ。こいつ、いつも一人ぼっちなの」

「プールだってずっと見学でね。気味悪いのよ」

 

 女子まで一緒になって言ってきた。

 ヒカリはそれを聞いて、嫌な顔をしている。

 ああ。伝わっちゃった。

 もうおしまいだ。この人にも嫌われちゃうんだ。

 そう思って悲しくなったとき、ヒカリはすぱっと言った。

 

「バカじゃないの。下らない」

 

 え?

 

「わたし、そういうの嫌いだから」

 

 そしてきょとんとする俺に、優しい声でこう言ってくれたんだ。

 

「ユウ。あんなの気にしちゃダメだよ」

「う、うん。ありがとう」

 

 嬉しくて、つい泣きそうになっちゃった。

 

 それからヒカリは、俺のことを気にしてくれたのかな。

 休み時間になっても昼休みになっても、わざわざ時間を作って話しかけてくれた。

 学校で話し相手ができたことがとにかく嬉しくて、俺は夢中になって色んなことを話した。

 どんなことを話したかは全然覚えてないけど、ヒカリは割と面白がって聞いてくれた。

 

 放課後になってもわいわい話していたら、もう一人の転校生ミライがやってきた。

 ミライはなんか不機嫌そうな感じだった。

 

「おいお前」

「な、なに?」

 

 怖い顔してるから、ちょっとびびった。

 

「随分ヒカリと仲良くなったじゃないか。いつまでもべたべたしてよ。こいつのこと、好きなのか?」

 

 隣の席に座るヒカリを指さしながら、ミライは嫌味ったらしく笑う。

 

「そ、そんなんじゃないよ!」

 

 慌てて否定する。

 全然そんな気持ちはないし、普通に話せるのが嬉しくて、つい長く話しちゃっただけだよ。

 ヒカリはというと、言われたことはちっとも気にしてないみたいだった。

 黙って楽しそうに俺たちのことを見ている。

 

「ふん。お前、名前は?」

「ユウだよ。星海 ユウ」

 

 さっきから妙にケンカ腰に聞いてくるから、俺もぶっきらぼうに答えた。

 

「ユウか。ははは! 女みたいな名前に、女みたいな奴だな!」

 

 その言葉にカチンときた。

 

「なんだって! お前だって見た目はそうじゃないけど、ミライって女みたいな名前じゃないか!」

 

 そう言い返してやったら、ミライもキレた。

 

「なんだと! 馬鹿にしやがって! やるか!」

「先に馬鹿にしてきたのはそっちだろ! いいよ! やってやる!」

 

 いつもならケンカなんてする気にならないんだけど、こいつの人を舐め切ったような態度がどうしても気に入らなかった俺は、自分が弱いことも忘れて勢いでケンカを買ってしまった。

 言っちゃった後にちょっと後悔したけど、もう引くに引けない。

 席を立ち、ミライと一緒に教室の後ろの机のない方に向かった。

 相変わらずヒカリは面白がって俺たちのことを眺めている。どうも止める気はないみたいだ。

 俺とミライは睨み合って、すぐにケンカは始まった。

 まずはお互いの顔をグーで殴るところから。

 

「こいつ!」

「やったな!」

 

 殴っては殴られ、やられてはやり返すって感じだった。

 二人ともパンチはそんなに強くないから、ポカポカやってるだけで、痛いけど中々決着がつかない。

 そのうち取っ組み合いになる。

 俺とミライの力はほとんど互角で、組み合ったままその場で動けなかった。腕に力を入れて押したり引いたりしている。

 

「おらあっ!」

「うわっ!」

 

 一瞬の隙を突かれて、横にぐいっと引っ張られた。

 そのまま上手く仰向けに押し倒されて、上に乗っかられてしまう。

 

「くっくっく。僕の勝ちだ」

「く、くそっ!」

 

 必死にじたばたするけど、思い切り体重がかかっていて、どう頑張ってもミライをどけられない。

 とうとう両腕まで押さえられた俺は、さすがに心の中では負けたと思った。

 でも悔しいから、意地でもまいったなんて言ってやらない。言わないぞ。

 かなり動いたから、俺もミライも息がはあはあしてた。

 ミライは勝ち誇った顔で、上から俺の顔をじっと覗き込んでくる。

 目と目がかち合う。そのままずっと見つめてきて、中々目を離してくれない。

 

「なんだよ。そんなにじーっと俺のこと見てさ」

 

 睨み返したら、ミライは面白そうに笑った。

 

「いいねえ。その反抗的な目。気に入った」

 

 そしてこいつは、とんでもないことを言い出したんだ。

 

「決めたぞ。お前は今から、僕のおもちゃだ」

 

 おもちゃだって!?

 なんで俺がそんなものにならなきゃいけないんだよ!

 

「はあ!? ふざけんな!」

 

 押さえつけられててまともに動けないけど、そんなの関係ない。

 とにかくむかついた。

 また必死にじたばたし始めたところで、横から声が飛んできた。

 

「相変わらず言い方が悪い。ウィル」

 

 声がした方を見ると、むっとしたヒカリが腕を組んで立っていた。

 ヒカリの言うことなら聞くのだろうか。

 ミライは機嫌が悪そうに舌打ちすると、俺の上から退いて立ち上がった。

 そしてヒカリに向かって、不満そうにぼやく。

 

「僕のやり方にケチをつけるなよ」

 

 遅れて俺も立ち上がる。

 腹が立ってたから、ミライに文句を言ってやろうとした。

 その前に、ヒカリが手でさえぎって止める。

 

「大丈夫だよ、ユウ。こいつのおもちゃ発言は、遠回しに友達になってくれってことだから。心配しなくていい」

「おい。余計なことを言ってくれるなよ」

「そうなの?」

「ふん」

 

 ミライに目を向けたら、彼は調子が狂ったと言いたそうな顔をしてそっぽを向いたけど、否定はしなかった。

 なんだ。そうだったのか。変なこと言わないでよ。まったく。

 単純な俺の怒りはすぐに収まる。

 落ち着いてみると、ヒカリが聞いたことのない人の名前を呼んでいたことに気が付いた。

 

「ねえヒカリ。ウィルって誰のこと?」

 

 ヒカリは、すっとミライのことを指さした。

 

「こいつのこと。今石ミライだから、今意志未来でウィル」

 

 え? なんでそれでウィルなの? さっぱりだよ。

 

「よくわかんないんだけど」

 

 そしたら、ミライがやれやれといった感じで教えてくれた。

 

「英語だよ。僕もこいつも、帰国子女というやつでね。まあアメリカかぶれで調子に乗ってるだけだから気にするな」

「なによ。そんな言い方することないじゃない」

「事実だろう?」

 

 二人はそのまま言い合いのケンカを始めてしまった。今度はこっちか。

 でも言い争ってる二人は、口ぶりとは違ってどこか楽しそうだ。

 ヒカリとミライはすごく仲が良いんだね。

 

「へえ。ウィルか。なんかいい感じだね」

「そうか?」

 

 首を傾げるミライに、俺は素直な気持ちを言った。

 

「うん。外人さんみたいでカッコいいな」

 

 するとミライは、呆れたみたいに肩を竦めた。

 

「僕にはお前のセンスが理解できないな」

 

 気にせず俺は、右手を差し出す。

 

「友達になってくれるんでしょ? よろしくね。ウィル」

「お前までそっちで呼ぶなよ」

 

 ミライに鋭く睨まれた。

 その目から、どうしてだろう。

 まるで吸い込まれそうな何かを感じて、思わず一瞬びくっとしてしまう。

 

「まあまあ。別にいいじゃん」

 

 ヒカリが宥めると、ミライは舌打ちして睨むのをやめてくれた。

 

「ちっ。まあいい」

 

 ミライは少し機嫌悪そうに、それでも差し出した俺の手をしっかりと握り返してくれた。

 

「やった! また友達ができた!」

「そんなに喜ばれると調子狂うぜ」

「いいな。わたしともやろうよ。それで友達。いいでしょ?」

「うん!」

 

 ヒカリとも握手を交わす。

 友達が二人もできた。



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13「レンクスがいなくなった日」

 今日はすごいんだよ。レンクスに遊園地に連れてってもらえることになったんだ!

 もっと小さいときにはお母さんとお父さんに連れてってもらったこともあるけど、それから初めてだからとっても楽しみなんだ。

 

 遊園地の入り口で待たされて、ちょっと退屈していた俺は、さっきからレンクスを急かしていた。

 

「ねえ。いこうよー」

「まあ待てって。順序があるだろ。大人一枚と、子供一枚」

 

 レンクスに手を引かれて、遊園地に入った。

 中はわいわいしてて、色んな楽しそうなものが見えた。

 ジェットコースターに、メリーゴーラウンドに、観覧車に、他にもいっぱい。

 

「うわあ!」

 

 俺はわくわくして、きょろきょろしながら歩き出していた。

 

「おい。勝手に行ったら迷子になるぞ」

「はやくおいでよ! レンクスー!」

「わかったわかった」

 

 レンクスがやれやれって感じで近づいて、またしっかり手を繋いでくれた。

 

「こんなに喜んでもらえるなら、金稼ぐのも悪くなかったな」

「なに?」

「いやこっちの話だ」

 

 俺とレンクスは、まずコーヒーカップに乗ることにした。

 真ん中のやつを回すとくるくる回って、それだけで楽しい。

 そのうち俺は、目いっぱい速く回そうと頑張っていた。

 

「あはは! それそれ~! ほら、お前も一緒にやろうよ!」

「よっしゃ! 兄ちゃんの本気を見せてやろう!」

 

 レンクスが手を貸してくれたら、カップは誰よりも一番速く回り始めた。

 速過ぎて、座ってるだけでいっぱいいっぱいになっちゃうくらいだ。

 

「うわー! 目が回る~!」

「そら! もっと加速するぞ!」

「きゃはは! いけいけー!」

 

 そうこうしているうちに時間がきて、コーヒーカップが終わっちゃった。

 楽しかった! 次は何にしようかな。

 

「うえっぷ……。気持ち悪い。ちょっと本気になり過ぎたな」

「あー面白かった! 次行こう!」

「なあ。少し休んでからじゃダメか」

「だーめ」

「はあ……。よし、行こうか」

「うん!」

 

 それから、ジェットコースターに、お化け屋敷に、えっと、ゴーカートに、メリーゴーラウンドにも乗って。お昼ご飯も食べて。まあとにかく色々遊んだよ。

 気付いたら、あっという間に夕方になってた。そろそろ帰る時間だ。

 でも、最後に一つだけ。

 あえて取っておいたんだ。やっぱり最後はあれだよね。

 

「ねえ。レンクス。あれ乗ろう!」

 

 それを指さしたら、レンクスは不思議そうに言ってきた。

 

「そういや気になってたんだが、あれはなんていうんだ?」

 

 見たこともないって顔をしてるレンクスに、変なのって思いながらも、俺は説明してあげた。

 

「観覧車って言うんだよ。ゆっくり回っていってね。上から景色を眺められるんだよ。知らないの?」

「へえ。観覧車というのか。俺の知ってる遊園地にはなかったな」

「うそだー。観覧車のない遊園地なんか、ないと思うんだけど」

「そうか。じゃあ、ないくらいボロっちかったのかもな!」

「ダメ遊園地だね」

「まったくだ」

 

 二人で笑い合う。

 観覧車は、あんまり人が待ってなかったから、すぐに乗れた。

 乗り物が地面を離れて、ゆっくりと浮かび上がっていく。

 この昇っていってる感じが、空を飛んでるってわけじゃないけど、俺は結構好きだった。

 外を見る。

 あ、俺の通ってる小学校だ!

 おじさん家は、ここから見えるかなあ。お、あったあった。

 一旦満足して外を見るのをやめたとき、レンクスがぽつりと言った。

 

「なあ。ユウ」

 

 ちょっと様子が変だった。なんか妙に真面目な顔をしてたんだ。

 

「なに?」

「これから色々あると思うけど、頑張れよ」

「うん。頑張るよ」

 

 俺はあまり深く考えないで、そう答えた。

 

 いつもの公園で、いつものように、俺はレンクスと別れた。

 

「ありがとう! すっごく楽しかったよ!」

「おう」

「また明日ね!」

「……じゃあな」

 

 そのとき、また急に眠くなって――。

 

 

 ***

 

 

 私は、今日の彼の様子が妙におかしいと感じていた。

 だからきっと呼び出されるだろうと思って、既に心の準備をしていた。

 彼は、とても名残惜しそうに言った。

 

「そろそろお別れの時間だ」

 

 やっぱり。

 レンクスは、もういなくなってしまう。

 最後にユウと素敵な思い出を作ってくれた。そういうことなのね。

 

「いいの? ほんとにちゃんと言わなくて」

「ああ。散々泣きつかれて敵わないだろうからな。その代わり――」

 

 レンクスは、懐から一枚の手紙を取り出した。

 

「こいつを残しておくことにした。ユナと違って、魔法はあまり得意じゃないんだが……」

 

 瞬間、身体が何かで満たされるような、そんな不思議な感覚を覚えた。

 力が湧いてくるような感じもする。

 まさかと思って見ると、彼はいつもの調子の良い顔で頷く。

 

「お前は魔力が強いみたいだな。【反逆】で魔力許容性を弄った。ちょっと魔法を使うからな」

「魔法、ねえ」

 

 またとんでもないものをと思っていたら、彼の手から手紙がぱっと消えてしまった。

 本当に魔法のように。

 

「転送っと。これでお前の部屋に届いたはずだ」

 

 もうあまり驚かなかった。本当に何でもありだな。この人は。

 感慨深そうな表情をしながら、彼はしみじみと言う。

 

「ユウは十分明るくなった。もう俺は必要ないさ。あと少しで、お前もひとまず役目を終えるだろう」

「そっか。今まで色々とありがとね。ちょっとうんざりしたこともあったけど、楽しかった」

 

 数々の執拗な絡みを思い返しながら、私もまたしみじみと言う。

 

「ああ。楽しかったな」

 

 何を思ったのだろうか。彼は遠い目をしていた。

 しばらく無言の間が流れる。お互いに何を言ったらいいのかわからない。

 やがて彼は、意を決したように口を開いた。

 

「じゃあな。俺はもう次の旅に出ないといけない」

 

 旅か。

 どうも外国人みたいだし、世界中を飛び回っているのかな。

 

「また会える?」

「ああ。いつか必ずな。なんなら俺から会いに行ってやるぜ?」

「しつこそう」

「よくわかったな」

 

 図星を引いた彼は、苦笑いするばかりだ。

 そして、別れ際とは思えないような清々しい顔で告げた。

 

「だからさよならは言わない。また会おうだ」

 

 そんな彼を見て、私も自然とすっきり言えた。

 

「うん。また会おうね」

「おう」

 

 不思議と寂しい気持ちはそこまで湧いてこなかった。とっくに覚悟ができていたからだと思う。

 レンクスは私に背を向け、もう何も言わずに公園を出て行く。

 二度とこちらを振り返ることはなかった。

 私は彼の後ろ姿を静かに見送る。

 やがてそれは、小さくなっていって。

 そのとき、不思議なことが起こった。

 きっと見間違いじゃないと思う。

 突然、彼の姿が消えてしまったの。

 まるで最初から幻か何かだったかのように、後には何も残らなかった。

 私は、唐突に理解した。

 夜に時々お母さんから聞かされていた旅の物語の、本当の主人公。

 不思議な世界の救世主。

 彼は役目を終えると、消えるように去ってまた次の旅へ向かうという。

 ずっと、おとぎ話だと思っていた。

 

 レンクス。本当に不思議な人。ありがとう。

 

 あなたはこの世界は救わなかったけど、代わりに私たちを救ってくれた。

 

 また会おうね。きっとだよ。

 

 

 ***

 

 

 楽しい気分で帰ったら、俺の部屋に見たことない手紙が置いてあった。

 読んだら、いてもたってもいられなくて。

 怒られることも考えないで、ただ夜の公園まで走った。

 

「レンクス! 出てきてよ! いるんでしょ!?」

 

 何も起こらない。

 

「また遊ぼうよ!」

 

 今だったら、「女の子だったらよかったのにな」って言っても怒んないからさ。

 お兄ちゃんって呼んであげてもいいよ。

 だから。

 

「ねえ。ほら、いつもみたいにさ。ようって、出てきてよ……」

 

 それでも、何も起こらない。

 

「お願いだよ……」

 

 あんまり声が返って来ないから、だんだん腹が立ってきた。

 

「レンクスのばか! さよならくらい言ってくれたっていいじゃないか!」

 

 頭ではわかってた。

 俺はきっと、さよならなんてぜったいに許さないんだって。

 だからレンクスは……わざと言わなかったんだって。

 でも、それでも俺は納得できなかった。

 

「どうしてだよ! どうしてみんな、勝手にいなくなっちゃうんだよ! どうして!」

 

 俺の大好きな人は、みんな何も言わないでいなくなってしまう。

 お母さんも、お父さんも、そしてレンクスも。

 俺は叫んだ。ありったけの怒りと、悲しみを込めて。

 

「ばか! レンクスのばか! レンクスのばかあああああああああ!」

 

 ふと、観覧車に乗ってたときの、兄ちゃんの真剣な顔が浮かんだ。

 

『これから色々あると思うけど、頑張れよ』

 

 ――ああ。そうだったんだ。

 

 わかった。わかっちゃった。

 わかりたくなかった。

 

「ばか……っ! ばか……ぐすっ……」

 

 もういないんだ。ほんとに、もういないんだ。

 兄ちゃんとのたくさんの思い出が溢れてきて。胸がいっぱいになって。

 

「うわあああああああーーーー!」

 

 誰もいない公園で、俺は思いっきり泣いた。



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14「またね。ユウ」

『心の世界』。

 何回お世話になっただろう。

 俺は知らないうちに、この場所でもたくさん元気をもらっていた。

 目の前の自分そっくりなこの女の子に。

 

「レンクスがいなくなってから、もっと塞ぎ込むと思ってたけど、意外と立ち直るの早かったね」

 

 感心したみたいに言う「私」に、俺は頷く。

 

「うん。だって、きっとレンクスはそんなこと望んでないから。ちっとも納得いかないけどさ。仕方ないんだって、そう思うことにしたよ。どこかで元気にやってるかな」

「きっとね」

 

 ふと、「私」が真剣な顔になる。

 

「あなたに伝えなければならないことがあるの」

「なに?」

 

「私」は俺のことをじっと見つめながら言った。

 

「もうすぐここへ通じる道は閉じるわ。そうしたら、あなたはもうここには来られなくなるの」

「え……」

 

 もう来られないって。じゃあ、まさか。

 

「そんな! 君までいなくなっちゃうの!?」

 

「私」はちょっと残念そうに微笑む。でもどこか嬉しそうでもあった。

 

「あなたはもう私がいなくても大丈夫。まだまだ立派というにはほど遠いけど、一人でもなんとかやっていけるよ」

「いやだよ! これからも一緒にいてよ!」

 

 どうして君まで……。

 寂しいよ。そんなの、いやだよ。

「私」はそんな俺に同情的な目を向けてくれたけれど、毅然として首を横に振る。

 

「本来私たちは、このとき出会うはずがなかった者同士。運命のいたずらのようなものだったの。諦めて」

「でも! せっかくこうして会えたのに!」

 

 泣きそうになっている俺をあやすように、「私」は優しく頭を撫でてくれた。

 最初に会ったあの日みたいに。

 

「それにね。しばらく会えなくなるだけだよ。私はずっとここにいるから」

 

「私」は俺の胸にそっと手を当てた。

「私」の手はとてもあったかくて。ここにいるんだって、確かにそう思わせてくれた。

 気持ちが少しずつ落ち着いていく。お母さんに慰められたときのように。

 ずるいよ。そんな風に言われたら、何も言い返せないじゃんか。

 

「いつかあなたがもっと大きくなったとき。力がちゃんと目覚めたとき。そのときには、またちゃんと会えるから。そのときは、今度こそずっと一緒だよ。その日が来るのを、楽しみに待ってるからね」

 

 そっか。このお別れはしばらくの間だけで、大きくなったらまた会えるんだね。そしたら、もう二度と離れたりしないんだね。

 信じるよ。だったら、嫌だけど頑張って我慢するよ。

 

「うん。わかった。俺も楽しみに待ってる」

 

 ふと、将来の自分のことがちょっと気になった。

 

「そのときは、もうちょっと男らしくなってるかなあ」

「うーん。それはどうかな。あなた、結構女々しい性格だからね。だからこそ私が生まれたとも言えるわけだし」

「うるさいなあ」

 

 すると「私」は、面白そうにくすくすと笑い出す。

 

「そう言えばね。能力が目覚めたら、あなたは私の身体を使って好きに動けるようになるってレンクスが言ってた」

「え!?」

「つまり。あなたはいずれ女の子にもなっちゃうということ」

「はあっ!?」

 

 なんだよ、それ!

 俺が、ほんとに女の子に……。

 

『お前が女の子だったらよかったのにな』

 

 レンクスの言葉が、まるで呪いみたいに思えた。

 これまで誰かに女みたいだって言われるたびに、それが嫌で必死になって言い返してきた俺。

 もちろん自分が男だって思ってたからだけど、前提ががらがらと音を立てて崩れ去っていく。

 今までこだわってたのが、馬鹿みたいじゃないか。

 俺って、いったい何だったんだよ……。

 

 がっくりする俺を、「私」はまあまあと宥めてきた。

 すっかり止めを刺されて、何だかもうどうでもよくなってきちゃった。

 女なら女でいいやって思えてきたよ。

 俺、可愛いってよく言われるし。泣き虫だし。

 いいもん。どうせ。

 それに「私」の身体なんだったら、嫌だって言うのも悪い気がする。

 

「ねえ。もし女の子になっても、ちゃんとやれるかな」

「最初は苦労するんじゃない? まあそのときは、私があなたの中に入り込んで、ちゃんと女の子として振舞えるように助けてあげるよ」

「そっか。助かるよ」

 

「私」はさらにからかうように笑った。

 

「前にあなたがやっちゃったようにね」

「う。あれはもう忘れてよ」

 

 辛さのあまり、女になりきってしまったときのことを思い返すと、恥ずかしさがどっと込み上げてきた。

 

「無理無理。どんなことでも覚えてしまうのが、私たちの力だからねー」

「ううー」

 

 恥ずかしいよ……。

 ただ、「どんなことでも覚える」という言葉から、記憶が途切れるすぐ前に、力が流れ込んできたときの嫌な気持ちを思い出した。

 力、か。

 自分たちを包み込んでいる暗闇を見た。

 あのときと違って、今は何も感じない。どこまでも静かなところだった。

 あれから何があったのかな。

 いや、たぶん聞かない方がいいんだろう。知らない方がいいこともある。

 あの日を境に、色んなことが変わっちゃったから。

 殺したいって思った。ぶっ壊してやりたいって思った。

 あんなに恐ろしい気持ちを持ったまま、まともでいられたわけない気がする。

 きっと俺じゃどうしようもなくて、レンクスと「私」が助けてくれたんだと思う。

 それだけわかってたら、もう十分だった。

 

「大変な力だよね。もう使いたくないな」

「しばらくは使いたくても使えなくなるんだよ。おめでとう」

「それは嬉しいな。でも……」

「なに?」

 

 その代わり、君と会えなくなるのはやっぱり寂しいな。

 

「君がいなくなったら、学校にしか友達がいなくなっちゃうよ」

「そういうもんだよ。普通はね」

「でもね。俺、ヒカリとミライとしか仲良くできてないんだ。クラスのみんなとは、まだ……」

 

 不安でいっぱいの俺を温かく包み込むような優しい目で、「私」はにこっと微笑む。

 

「ここまで来たんだよ。あと一歩じゃない」

「だけど……」

 

 つい弱音を言いそうになる俺に、「私」は小さく首を横に振った。

 

「あなたには、その一歩を踏み出せる勇気があるはずだよ。頑張って」

 

 頑張って、か。レンクスもそう言ってたな。

 うん。そうだよね。あと一歩だよね。

 レンクスと「私」の、二人分の頑張れを受け取って。

 胸の中に熱いガッツが灯ったような気がした。

 

「わかった。やってみる」

「その意気だよ」

 

 そのとき、もう時間が来ちゃったってことが俺にもわかった。

『心の世界』から、今にも押し出されようとしている。

 

「じゃあ」

「うん」

 

「「またね。ユウ」」

 

 次に会うのは大きくなったとき。

 たとえ覚えてなくたって、ずっと一緒にいる。寂しくなんかない。

 真っ暗な世界に、涙のかけらが飛んで行ったって。

 寂しくなんかない。そう言い聞かせた。

 行こう。現実の世界へ。

 レンクスと「私」に、俺はもう大丈夫だよって教えてあげるんだ。



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エピローグ「踏み出す一歩」

 昼休み。体育館では、みんなが楽しそうにドッジボールをしようとしていた。

 今日の俺には決意があった。絶対に仲間に入れてもらう。一緒に遊ぶんだ。

 

「ねえ」

 

 クラスメイトの輪に声をかけると、何人かが振り向く。

 反応は色々だった。嫌な顔をする人、馬鹿にしたみたいに笑う人、何でもなさそうにする人。

 俺はあえて気にしないで言った。

 

「俺も仲間に入れてくれない?」

 

 俺のことをしょっちゅうからかってくる奴の一人、前田が嫌な顔で言ってきた。

 

「なんだよ。星海のくせに」

「頼むよ。入れて欲しいんだ」

「いやだね! お前がボール触ったら、星海菌が移るだろ~」

 

 周りから笑い声が漏れる。

 前田の悪口にも笑い声にも構わずに、俺はみんなのことを正面から見つめて、もう一度頼み込む。

 

「ちゃんとやるから。お願い。入れてよ」

「だってよ! どうする?」

 

 すると、周りはちょっとざわざわして、どうしたら良いのか反応に困っている。

 俺はどきどきしながら、黙って答えを待っていた。

 やがて、クラスのリーダー格の人が、その場を落ち着かせるように言った。

 

「まあまあ。別にいいだろ」

「ちぇっ。しょうがねえな」

 

 前田が渋々引き下がって、リーダーが俺に話しかけてきた。

 

「星海君。ちょうど外野が一人足りなかったんだ。それでもいいなら入れてあげるけど?」

「うん。全然いいよ」

「よし。じゃあ人数も足りたし始めるか!」

 

 やった! 入れてもらえた!

 嬉しくて飛び上がりたい気分になる。

 でもあんまり変なことすると目立つから、大人しくしておこう。

 

 グーチーで、前田とは一緒のチームになった。

 ゲームが始まった。

 外野でじっと待つ。

 俺はサイドにいた。中々ボールは来ない。

 そのうち、次々とお互いの内野にボールが当たっていった。前田にもボールが当たって、こっちに来る。

 あいつは、俺の反対側についた。

 そしてついに、たまたまだけど、俺のところにボールがきた。

 拾い上げると、当たり前だけどみんなが俺の方を見てる。

 いつもはそんなことないから、不思議な気分だった。

 あっちこちからヘイ! とボールをよこすように促される。

 慌てず落ち着いて、周りを見回してみた。

 前田の近くに、ぽけっとしてる相手チームの内野がいる。

 チャンスだ。協力しよう。

 俺は躊躇わないで声を張り上げた。

 

「前田! パス!」

 

 一生懸命ボールを投げる。

 それは綺麗なアーチを描いて、前田の手元にすっぽりと収まる。

 

「おっと!」

 

 ボールを受け取った前田は、すぐさまそれを投げて、ぽけっとしてた内野に当ててくれた。

 

「よっしゃあ!」

 

 調子良くガッツポーズを決めて、内野に戻っていく。

 そのとき、前田は俺の方を見て、ちょっと照れ臭そうに褒めてくれた。

 

「星海。今のはナイスだったぜ」

「うん!」

 

 そこでやっとわかった。

 クラスメイトとの問題なんて、家の問題に比べたらずっと小さなことだったんだって。

 俺の気持ちと態度次第で、どうとでもなる問題だったんだって。

 小二という、まだ良い意味で子供らしく、素直な年齢だったからこそ容易にクラスの輪に戻り得たということを、俺はそのとき知らなかったけれど。

 とにかく、このときの前田の言葉で、やっていけそうだと思ったんだ。

 

 それからも、俺は所々で周りを助けるプレーをした。

 自分よりもみんなが気持ちよくプレーしてもらえるように。

 積極的に声も出していった。

 

「なんだ。暗いやつかと思ったら、結構明るいじゃん」

 

 誰かのそんな声が、聞こえたような気がした。

 

 

 ***

 

 

 季節が流れた。

 俺はすっかりクラスに溶け込んで、前田とも普通に話せるようになっていた。

 

「九九って面倒だよな」

「でも、筆算の掛け算やる時に使うし、知らないと日常でも困るよ」

 

 それを聞いた前田が、怪訝な顔を浮かべた。

 

「お前、今どこまで進んでるんだよ」

「小四の教科書範囲やってる」

「おいおい。マジかよ」

「勉強頑張ろうと思って。ついでに色んな本読み始めたんだ。なんか覚えようと思ったら、一回読んだだけでなぜか簡単に覚えられるんだよね。楽しくてさ」

「はあ。羨ましいな。俺なんて嫌なのに週三回塾通わされてんだぜ」

「はは。大変だね」

「ホントだよ。あー遊びてえ」

 

 放課後には、よくいつものメンバーで遊ぶ。

 ヒカリとミライだ。

 

「遅れてごめん。掃除が長引いちゃってさ」

 

 軽く詫びたら、ミライは退屈そうにあくびをしてる。

 

「待ちくたびれたぜ。置いてってやろうかと思った」

「悪いね」

 

 ヒカリが笑顔で言った。

 

「今日はどこ遊びに行こうか」

「ちょっと遠出してみるか。探検ってノリで」

 

 ミライの提案に、俺は賛成だった。

 

「いいね」

「楽しそう」

 

 ヒカリも同意を示す。

 

「よし。じゃ、行くか」

「うん」

「オッケー」

 

 俺たちは、今日も三人で歩んでいく。

 ふと見上げると、どこまでも綺麗な青空の向こうで、誰かがそっと見守ってくれているような気がした。



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裏プロローグ
「あの日私に起こったこと」


 私たちには両親がいない。幼いときに二人とも事故で死んでしまった。

 一応親戚が引き取ってはくれたけど、彼らはあなたのことを鬱陶しく思っていたみたいで。何かと辛く当たられたよね。

 あまり迷惑はかけたくないからと言って、あなたは中学卒業を機に一人暮らしをすることにした。彼らも喜んでくれたし、あなたとしてもせいせいしていたね。

 高校はどうしたかというと、あなたは勉強頑張ってたから。学費免除で入れるところが見つかってよかったね。お金はないから、部屋は学校の近くにある安いボロアパートを借りて。

 生活費を稼ぐために夜遅くまでバイトをして、帰ってきたら勉強。それであなたの一日は終わってしまう。

 ほとんど友達とも遊べていなかったけれど、あなたは別にそれで不幸だとは感じていなかった。

 何のことはない平穏な毎日。

 それこそが、あなたの望んでいたものだから。

 それだけの、至って普通の高校生というには……まあちょっと頼りないし、変かもね。ふふ。

 でも一応は、常識的な範囲内の人間だった。

 けれどそうだった日々は、今は遠いことのように思える。

 

 

 ***

 

 

 事の発端から始めましょう。

 あなたは最近、よく変な夢を見ていた。

 夢の中で、あなたは真っ暗な空間に立っている。

 あなたの目の前には、肩の少し上まで伸びた黒髪を持つ女の子――つまり私が立っている。

 あなたは私と見つめ合っている。

 あなたは私のことなんてまったく覚えていない。けれど、不思議と赤の他人のような気はしなかったはず。

 なぜなら、私たちはとっくの昔に出会っているから。

 あなたは声も高めで、結局女顔のまま大きくなっちゃったね。あまり男らしくはないかもだけど、可愛くて私は好きだよ。

 それでも体つきはそれなりにしっかりするようになったし、背も男の子の平均までは伸びた。

 ずっと大きくなりたいって願ってたもんね。成長期遅かったけど、ちゃんと来てよかったね。

 まあ小さいときに比べたら、ちょっとは逞しくなったかな。

 

 夢の中のあなたは、私に向けて手を伸ばす。同時に私もあなたに向けて手を伸ばす。鏡合わせのように対称的な動き。

 そしてあなたの手と私の手が触れた瞬間、二人の手は境界を無くし、互いにすり抜けるようにして入り込んでいく。そこを起点として、少しずつあなたの体が私に融け込んでいく。

 あなたと私は混ざり合うようにして、段々一つになっていく。

 あなたが私の身体へと作り変えられていくのに合わせて、私の精神が交じり合って、あなたを女の子にしていく。あのときそうしたように。

 あなたは身体中に蕩けるような快楽と、燃えるような熱さを感じて――。

 って、ちょっと待て。

 私があなたと融合するとき、別にそこまでは気持ち良くないからね。

 もう。変なこと考えて。昔からむっつりくんなんだから。

 ちょっと思春期の妄想入ってるんじゃないの。えっち。

 

 ……こほん。

 

 とにかく、あなたは最近そういう夢をよく見るようになった。

 別に頭がおかしくなったわけじゃないよ。安心して。

 これはきっと、能力が目覚める兆候に違いない。

 もうすぐ会える。私は楽しみだった。

 

 だけど、違ったの。

 

 

 ***

 

 

 十六歳の誕生日を迎えた夜。その日もあなたは夜遅くまでバイトだった。

 帰り道の途中で、あなたは異様な人物が目の前の電柱にもたれて立っているのを見かけた。

 金髪の女性、エーナにあなたは危うく殺される羽目になった。

 私はあなたの中でただ見ていることだけしかできなくて、本当にもどかしかったよ。

 それからあなたは、彼女の口から、フェバルとして目覚めることをとうとう聞かされてしまった。

 彼女が語る、過酷なフェバルの運命。

 これまでのことがあったから、私にはとっくに推測できていたことだった。

 何も知らなかったあなたは、ひどく動揺していたよね。

 でも、負けないで。

 たとえこの先どんな運命が待ち受けていたって、私はずっとあなたを支え続けていくつもりだよ。

 だから、一緒に頑張っていこ――!?

 

 その瞬間、突如として『心の世界』が荒れ狂い始めた。

 

 なに!? 一体、何が起こってるの!?

 

 白い光を伴った膨大な力の激流があちこちで生じ、とてもその場に立っていられなくなる。

 おかしい。こんなこと、あり得ない。

 まだ能力だって、覚醒していないはずなのに。

 

 ――いや、目覚めつつある!?

 まさか。どうしてこんなことが!?

 

 そのとき、『心の世界』の中に、何か異質なおぞましい力が忍び込んできた。

 その乱暴な力は、さらにいっそう『心の世界』をかき乱していく。

 気付いたときには、なんと私の精神は、宿っていたはずの肉体から引っぺがされてしまっていたの。

 抜け殻となった私の肉体は、そのまま力の流れに乗って流されていき、精神体のみと化した私からどんどん離れていく。

 向かう先には、『心の世界』の果て――現実世界に面している、あなた本体の心と身体があった。

 まもなく、私の肉体だけがあなたの元へ辿り着く。

 そのとき、あなたもまた、己の肉体から無理に精神を剥がされようとしていた。

 そして、まったくあなたの望まないままに、女の身体に押し込められようとしている。

 

 大変! ユウが苦しんでる!

 能力が狂って、無理に変身が起きようとしてる!

 早く助けにいかないと!

 

 そうは思うものの、荒れ狂う力の流れに翻弄されるばかりで。

 ほんの少しでも気を抜けば、私の心はたちまち引き裂かれてしまいそうだった。

 

 ダメ! どうしても、ユウがいるところまで辿り着けない!

 

 必死にもがいてどうにか向かおうとするけれど、やがて荒れ狂っていた流れが次第に落ち着いてくる方が先だった。

 そのときにはもう、あなたの心はすっかり私の身体に入り込んでしまっていた。

 ともかく、今からでも。気を取り直して。

 流れが落ち着いたタイミングを見計らって、私はあなたが宿る自分の肉体へどうにか辿り着くと、そこへ自らの精神体を滑り込ませた。

 よかった。これでやっとあなたの力になれる。

 すぐに精神を同調させて、あなたの心を直接感じ取る。

 激しい動揺が伝わってきた。

 私はあなたを落ち着かせるように、必死に働きかけてやる。 

 

 するとそこに、私たちの能力に謎の暴走を引き起こした男――ウィルが現れた。

 彼を見たとき、なぜかしら。

 一瞬、見覚えがあるような気がした。

 だけど気のせいに違いない。私はこんな奴なんて知らないし。

『心の世界』にだってこいつの記憶はないから、間違いないはず。

 

 いくらか嫌味なことを言ってくれた後、彼は突然服を引き裂いてきた。

 胸が露わになったとき、激しい怒りを覚えた。

 なにするのよ! ひどい! こんな奴に見られるなんて!

 その後も彼は、散々好き勝手言いたい放題だった。

 どういうことよ! おもちゃにするって!

 心の底から恐怖に震えるあなたを感じたとき、私はもう我慢ならなかった。

 

 成長した今なら、少しくらいなら能力を使っても大丈夫かもしれない。

 ねえユウ。こんなふざけた奴なんか、一緒にとっちめてやろう。

 私とあなた、二人で力を合わせれば。きっと恐れることなんてないよ!

 

 そう決意を固めたとき、彼はあなたの顔を突き刺すように覗き込んできた。

 彼の眼は、まるで死人のように冷め切っていた。瞳に一切の光はなく、すべてを飲み込んでしまいそうなほどに深く鋭い闇を湛えている。

 ほんの一睨みするだけで、その眼に映るすべてのものを殺してしまえるのではないか。そう思ってしまうほどの圧倒的な威圧を放っていた。

 一体どうして、何があれば、人はこのような眼ができるというのか。

 

 怖い……。なんて恐ろしいの……。

 

 これほどまでに凍てつくようなおぞましい目は、かつて見たことがない。

 やっつけようと思っていた気持ちなんて、簡単に萎えてしまった。

 圧倒的な恐怖が、私にまで一気に込み上げてきたの。

 それでも、私が踏ん張らなければ。あなたの心が完全に折れてしまう。

 それだけはいけない。

 私は懸命になって、襲い来る恐怖に耐えようとしていた。

 

 でもそのとき、なぜ。

 

 急に気が遠くなっていく。

 信じられない。

 どう……して……。

 

 私がしっかり支えてあげなくちゃ。

 あなただけでは、満足に力を発揮できないのに。

 私とあなた、二人でようやく一つなのに。

 朦朧とし始めた意識の中で、私はあなたの目を通じて、ウィルの姿を心に焼き付けていた。

 彼は何も言わず、ただじっとあなたのことを見つめていた。

 瞳の奥を覗き込むように、あなたのことを。

 

 いや――。

 まさか……!

 

 気付いたときには、手遅れだった。

 迂闊だった。

 彼が狙っていたのは、最初からあなたじゃなかった。

 あなたに潜んでいる、私だったの。

 おそらく、邪魔な私を眠らせようとして――。

 

 そんな。そんな……!

 ダメ……意識が……。

 

 なくなる。なくなってしまう。

 

 私は最後の力を振り絞り、聞こえているかもわからないまま、あなたに向かって必死に警告を飛ばした。

 

 ユウ。こいつは、あまりにも危険だよ。

 気を付けて――――。



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剣と魔法の町『サークリス』 後編
29「オーリル大森林魔法演習迫る」


 星屑祭の事件から半年が経った。

 あれ以来、アーガスがくれる情報を元に、俺はイネア先生とともに仮面の集団の手足を潰していった。

 最初はかなり抵抗があったが、今では必要ならば仕方なく人も斬れるようになってきた。

 いや、なるしかなかったと言うべきか……。

 やむを得ない事情で初めて敵を殺してしまったときは、本当にひどかった。

 激しく嘔吐してしまい、しばらくの間寝付けなくなるほどきつかったけれども。

 ここは平和な日本ではないのだと、改めて思い知るようなことがたくさんあった。

 ただ、手足こそ順調に潰してきたものの、肝心な奴らの頭については目立った進展がなく。

 依然として、仮面の奥に潜む正体を掴めないでいた。

 俺たちが手をこまねいている間にも、奴らの正体不明の計画は、着々と進行していたようだった。

 散々邪魔をする俺たちに業を煮やした奴らは、計画の完成を目前として、ついに本気の魔の手をこちらへ差し向けようとしていた。

 それをきっかけに、事態は大きく動き出す。

 激動の一週間が幕を開ける。

 俺たちは未だそのことを知らなかった。

 始まりは二年生恒例の行事、オーリル大森林魔法演習から。

 学校の行事でイネア先生とアーガスのいないこのときを、敵は周到に見計らっていた――。

 

 

 ***

 

 

 演習前最後の授業は、魔法史だった。

 トール・ギエフ先生が板書の前に立って説明を続けている。

 今日の内容は、近代史のポイントとなるミブディック戦争についてだ。

 

「――です。かくしてミブディック戦争は起こったわけですが、果たしてなぜこの戦争は起こってしまったのか。わかる者はいるかね?」

 

 見回すと誰も手を上げていない。

 みんな恥ずかしがりなのか、本当に難しいのかわからないけど。

 なら授業をスムーズに進めるためにも、私が答えてしまおうか。

 さっと手を上げる。

 ギエフ先生は少し目を細めて、いつものように穏やかな調子で私を当ててきた。

 

「どうぞ。ユウ君」

「はい」

 

 私は立ち上がって述べた。

 

「対外上は内乱地域の平定を喧伝していましたが、その実態は魔法権益のための戦争でした。魔法先進国であるコレン共和国の時の宰相、ボルクビッツ公爵による魔法禁輸政策が発端となり、ニーケルア帝国の魔法産業は大きなダメージを被りました。当時周辺諸国へと勢力を伸ばそうとしていた帝国にとっては、共和国の禁輸政策は非常に都合が悪かったのです。そこで帝国は、禁輸政策の解除とあわよくば関税自主権を放棄させることを目的として、開戦に踏み切りました」

 

 そこまですらすらと答えると、ギエフ先生は満足気に頷く。

 

「ご名答。百点満点だよ」

 

 席に着くと、隣のアリスがちょんちょんと肩を突いて、小声で囁いてきた。

 

「さっすが頭いいね」

「まあこれくらいはね」

「あたし、歴史だけはさっぱりなのよ。やっぱり魔法は使ってなんぼじゃない?」

「それは私もそう思う。でも将来魔法の先生になりたいなら、こういうこともちゃんと勉強しないといけないんじゃないかな? 確かこの辺りは教員免許試験の頻出分野だし」

「そうよねー。ま、頑張るわ」

 

 あっけらかんと言った彼女に、危機感や焦りはまったく見られない。

 この楽観的なところが、彼女の持ち味だった。

 彼女は、私と反対側の隣に座る銀髪の少女、ミリアにも声をかける。

 ミリアは黙々と何かを書いているようだ。

 

「何やってるの?」

「これですか。ふふ。明後日から始まる楽しい魔法演習の計画ですよ」

「堂々とサボりとか、あなたも垢ぬけてきたわね」

「そうですかね」

 

 この半年で一番大きく変わったのはミリアだろう。以前よりも明るくなって、言葉を詰まり気味に話す癖がなくなった。

 その分隠れていた性格のちょっとした黒さが周知されて、今では腹黒美少女としてのキャラを確立している。

 さて。オーリル大森林魔法演習は、四日間に渡って行われる魔法の実地演習だ。

 監督として数人の四年生が付き添ってくれることになっている。

 まあ実地演習とはいっても、そこまで厳しいものではなく、野営の訓練などのいわゆるお泊りがメインとなる。

 ミリアの言う通り、修学旅行のような楽しいイベントなのだ。

 

 やっと授業が終わった。

 立ち上がり、うんと伸びをしていたところに、アリスがにこやかに声をかけてきた。

 

「やっと終わったね。明日はオルクロックに出発よ」

「オルクロックか。楽しみだな」

 

 オーリル大森林は、サークリスから魔法列車で半日の距離にある最寄りの町、オルクロックの奥に広がっている。現地までは各自で移動ということになっていた。

 私たちはもちろん、三人で一緒に向かうことに決めていた。

 

「そう言えばユウは、サークリスを出るのはイネアさんとの修行以外では初めてじゃない?」

「言われてみればそうだね。忙しかったからなあ」

 

 瞼を閉じれば、日々の修練と闘いの思い出が至る所に蘇る。

 命懸けの場面も何度もあった。今日までよく無事にやってこられたなと思う。

 

「あたしとミリアも時々手伝ったけど、ここ最近ずっと仮面の集団と戦いっぱなしだったもんね。ちょっとは羽を休めないとバテちゃうよ」

 

 その通りだ。いつも気を張り詰めているのが良いこととは限らない。

 この辺でしっかり休んで英気を養っておくべきだろう。

 

「うん。せっかくだから思いっきり楽しむことにするよ」

「なら、私の計画が役に立ちますね」

 

 横からミリアが話しかけてきた。

 

「さっきから言ってるその計画って何なの?」

「ふふ。それは行ってからのお楽しみです」

 

 問いかけるアリスに、彼女は口元に指を当てて、いつものちょっぴり黒い笑みを浮かべていた。

 

 

 ***

 

 

 夜はいつものように、イネア先生との修行があった。

 先生は右手から気剣を出しつつ、左手でちょいちょいと手招きする。

 

「かかってこい」

「いきます」

 

 俺は左手から気剣を放出し、果敢に飛びかかっていった。

 剣を振り下ろすと、先生に到達する前に、その姿がぱっと消える。

 さすがに速い。

 以前の俺ならば、突然姿を見失ったらそれだけでパニックになって、闇雲に剣を振り回していたところだった。

 だが今は焦らず冷静に、後ろの方に剣をまわした。

 背後から迫る先生の剣が、ぴたりと止まる。

 

「ほう。今のを止めるか。お前も大分動きが良くなってきたな」

「さすがにこれだけ鍛えてもらえば、少しは強くもなりますよ」

 

 動きも数段速くなった今なら、あのときのヴェスターが相手であれば、爆風魔法を展開される前に懐へ潜り込める自信がある。

 俺はまず変身なしで、奴に百パーセント勝てるようにというのを目標にして鍛えてきたのだ。

 あの敗戦は本当に悔しかったから。

 その後は、何回も攻撃を防いだり防がせることはできたものの、こちらからの一発が中々決まらなかった。

 

「私のレベルにはまだあと一歩足りないな。まあこれからだ」

 

 先生はそう言って、稽古を締めくくった。

 先生と俺との差。この壁が薄いようで厚かった。

 先生は既に超人といってもいい領域にいる。

 対して俺は、かなり強くなったとはいえ、まだまだ常人が辿り着ける位置に留まっている。

 だけど、俺には大きな武器がある。俺だけに備わるユニークな力が。

 

「そこは二つの身体を上手く使って頑張りますよ」

「そうか。だがそんなものに頼らずとも、いずれは私を超えてみせろよ」

「はい。精進します」

 

 俺にとって先生は高い壁であり、いつかは超えるべき目標だった。

 

「そうだった」

 

 とそこで、先生は思い出したように頷いた。

 何だろうと思っているうちに、先生は奥の部屋へと消えてしまう。

 ややあって、その手に何かを持って戻ってきた。

 よく見ると、茶色の皮でできたウェストポーチだった。

 

「新しいナイフだ。一応持ってけ」

 

 これを、俺に?

 受け取って早速開いてみる。

 中には小さな刃物を差すところがいくつもあって、スローイングナイフが合計十本差さっていた。

 顔を上げて視線を戻すと、先生は頷いた。

 

「前も言ったが、一応物に気を纏わせて強化することはできる。それだと大気中に霧散はしないからな」

「それでこれを?」

「うむ。といっても、これはどうしても相手に近づけないときの非常手段だ。そこまで強いものではない。あくまでメインは手から直接創り出す気剣だと心得ておけ」

「わかりました」

 

 明るく返事をすると、先生はこほんと一つ息を吐いて、わざとらしくそっけない調子で付け足した。

 

「ああ。あとそのポーチは手作りだ。大事に使え」

 

 言い終わると、先生は少し気恥ずかしそうに顔を背けてしまった。

 そうか。俺のためにわざわざ作ってくれたんだ。

 先生は地味に裁縫が得意だった。

 実は今着ているこの服。変身に合わせて変化する便利アイテムなんだけど、一から手作りだったらしい。

 とても男勝りでサバサバした性格をしているけれど、その辺りからそこはかとなく先生の女性らしさを感じるのだった。

 

「ありがとうございます。絶対大事にしますね」

 

 先生の目を見つめてにこっと笑ったら、先生はさらにわかりやすく顔を赤らめた。

 でもその顔は、どこかほっとしているようで、嬉しそうでもある。

 大方、このプレゼントをどう受け止めてくれるのか、気を揉んでいたのだろう。

 はは。素直じゃないなあ。先生も。

 

「うむ。明日から演習なんだろう。気を付けて楽しんでこい」

「はい。行ってきます」

 

 俺は感謝を込めて、元気よく返事をした。

 

 

 ***

 

 

 翌日。

 私たちはオルクロック行きの魔法列車があるサークリス駅ではなく、アリスの叔母さんの家に向かった。

 

「久しぶり。アルーン」

 

 アリスが早速声をかけている。

 アルーンは久々の主の帰還に対して、嬉しそうに喉を鳴らした。

 そう。目当ては彼女の愛鳥、アルーンだった。

 アルーンは、数人なら軽々と乗せてしまえるくらい大きく立派な体躯を誇る。

「せっかくだから空の旅を楽しまない?」という彼女の提案によって、私たちはアルーンに乗って行くことになったんだ。

 彼女曰く、そこらの列車には負けないくらいのスピードで飛んでくれるらしい。

 

「話には聞いてましたが、本当に大きいですね」

 

 ミリアは目を丸くしていた。

 まあ初めて見たらこの大きさは驚くよね。襲われたら食べられちゃうんじゃないかって思うくらいだし。この子はそんなことしないけど。

 私もアルーンに声をかける。

 

「あのときはありがとね。お前がいなかったら、私は助かってなかったよ」

 

 人語を理解する高度な知能を持つこの鳥は、誇らしげに鳴いた。

 私たちは屈んだアルーンの上に座っていく。

 一番前がアリス。その後ろに私とミリアが続く。

 あのときは気を失ってたからわからなかったけど、毛がふさふさと柔らかくて体は温かかった。ふわふわの毛布の上に座っているみたいで、とても乗り心地が良い。

 全員アルーンにしっかり掴まったところで、アリスが代表して、勢いよく拳を突き上げた。

 

「よーし。出発!」

「「おー!」」

「クエエ!」

 

 アルーンに乗って。

 私たちはサークリスを離れ、一路オルクロックへと飛び立つ。

 朝の定刻を告げる時計塔の鐘の音を、背に受けながら。



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30「オルクロック」

 アルーンは本当に速かった。

 草原を越え、木々を越え、山を越えてぐんぐん進んでいく。

 上空から眺める景色はまた格別だった。

 すべてがミニチュアのように見える世界を遥かに見下ろして、アルーンという箱舟が風を切りながら、空という海をゆらゆらと浮かんでいる。

 これほどまでの躍動感と浮遊感は、同じ空を飛ぶでも、密閉された飛行機に乗っていては決して味わえないだろう。

 空気は澄んでいてひんやりと冷たく、最初は心地良かったけれど、次第に寒くなってきた。

 アリスも同じだったのか、私とミリアに確認を取って熱の火魔法《ボルエイク》を使う。

 するとすぐに寒さは消え、快適な状態になった。

 

 途中空の上で軽い昼食を取るということもしつつ、列車で行くとすっかり夜になってしまうところを、結局私たちは日が落ちる前に到着してしまった。

 それでも結構長いこと動けず、じっと乗っていたのには違いなく。

 地面に降りたときは、何とも言えない解放感があった。

 やっぱり空もいいけど、人は地面に足を付けていた方が安心できるものだね。

 

「お疲れ様。アルーン」

「おかげで早く着けたよ。ありがとう」

「背中ふわふわしてて快適でした」

 

 各々労いの声をかけると、アルーンは自分の仕事を果たしたことに満足したように調子良く鳴いた。

 

「しばらく森でゆっくりしておいで。あたしの魔力をまたこの辺りに感じたら、そのときは戻ってきてね」

 

 アリスがそう伝えると、アルーンはわかったと軽く頭を下げてから、飛び去っていった。

 アルーンは生物の魔力を感じ取ることができる種類の鳥だ。

 特に主のそれを察知すれば、どんなに離れていてもすぐに向かって来てくれる。

 世話が大変な大きさであることさえ抜きにすれば、一家に一羽欲しいくらい優秀な子だった。

 

 さて、演習は翌日の朝から三泊四日で行われる。

 移動だけでほぼ費えるこの日は、日程には入っていない。

 今日はオルクロックの好きな宿に泊まることになっていた。この辺りの手配は、学生の自主性に任せるのが学校の方針だ。

 せっかくだから、行く前に少しこの町を調べてきた。

 それによると、オルクロックはやはりオーリル大森林に隣接しているだけあって、林業が盛んな町らしい。

 大森林から産出される木材は非常に質が良く、特産品としてサークリス及び首都ダンダーマに出荷されている。

 林業だけで町の経済が成り立つので、他には何の特徴のないのんびりとした町ということなのだが。

 なるほど。見回せば、確かに良い感じに田舎臭い雰囲気のところだった。

 石造りの建物が目立つサークリスと違って、そこらの家はすべて木造である。おそらく特産品の木材を、自分のところでも贅沢に使っているのだろう。

 

「ちょっと故郷を思い出すわね」

 

 アリスがしみじみと言った。

 確か彼女の出身は、ナボックっていう田舎だったっけ。

 行ったことないけど、こんな感じの場所なのだろうか。

 

 しばらく三人で歩いて宿を探した。

「木漏れ日」と書いてある看板がかかっているところが、大きくてなんとなく雰囲気も良さそうだったので、話し合ってそこにすることにした。

 宿泊の手続きを行う。

 各自で個室に泊まるよりも、四人部屋を一つ借りた方が一人当たりは安いようだ。

 

「どうする? 一人分余計だけど。私は一緒の方が嬉しいかな」

「当然。三人でわいわいお泊りパーティーでしょ」

「異論なしです」

 

 一言相談の上、四人部屋お泊り会と決まった。

 普段、寮では別の部屋で生活しているミリアが「今日から少しの間は、私もあなたたちと一緒に寝られますね」とかなり喜んでいる。

 

 鍵を受け取り、部屋に向かおうとしたところで、意外な人物と鉢合わせになった。

 私たちに気付いた彼女は、大きく手を振りながらこちらに向かって来る。

 

「やっほー! 久しぶりじゃない!」

 

 カルラ先輩だ。どうしてこんなところにいるんだろう。

 そう思ったときには、アリスが同じ疑問をぶつけてくれていた。

 

「どうしてここにいるんですか?」

 

 すると、カルラ先輩はえっへんと胸を張る。

 

「ま、監督生ですから」

 

 毎年数人ほど付く四年生の演習監督者のうちの一人が、どうやら彼女ということらしい。

 なるほど。納得。

 

「そうなんですか。よろしくお願いしますね」

「よろしくね~」

 

 アリスと挨拶を済ませたカルラ先輩は、今度は私の方を向いてにじり寄ってきた。

 久しぶりと言ってたけど、確かにそうだね。ここ一か月くらいずっと姿を見てなかった気がする。

 

「最近あまり会えてませんでしたね」

「うちの研究室も学会の発表を控えてて、忙しい時期だからね~。結局あなたたち、だーれも来てくれなかったから、人手も微妙に足りてないし」

 

 じろりと嫌味ったらしく見られたので、愛想笑いでお茶を濁しておく。

 カルラ先輩は「ま、いいか」という感じで、明るく笑った。

 

「でも、忙しいところをギエフ先生に無理言って来ちゃったのよ! 可愛い後輩たちと触れ合えるのが楽しみでね~! これも生きがいっていうか。あっはっは!」

 

 私の肩を痛いくらい強くバンバンと叩きながら、カルラ先輩は高笑いした。

 この時々異様に高いテンションには、正直ついていけないときがある。

 そう言えば。

 カルラ先輩がこうなったとき、真っ先に諌めてくれる人物の姿がないことに気付いた。

 

「あれ? ケティ先輩はいないんですか?」

 

 カルラ先輩はふっと笑う。

 

「今回はわたしだけよ。ケティも『あなたが変に暴走しないか心配』とか言って、こっちに来たがってたけど、ちゃんとやるから大丈夫って言ってやったわ」

「あはは……。そうだったんですか」

 

 急募。ストッパーさん。

 

「まったく。人を爆弾か何かみたいに。失礼しちゃうよねえ!」

 

 握り拳を胸の前にぐっと作り、軽く怒りのポーズを取る彼女。

 まさにいつ導火線に火がついて爆発するかわからない爆弾と言うに相応しい有様だった。

 私もめっちゃ心配だよ。どうかこっちに面倒な火の粉が振りかかってきませんように。

 やや現実逃避気味に目を逸らすと、ミリアが妙に難しい顔をしているのに気がついた。

 

「どうしたの? ミリア」

 

 ただ声をかけると、ミリアはすぐ表情を元に戻した。

 

「別に。何でもないです」

「そう? もしかして長旅で疲れた?」

「そうかもしれないですね」

 

 私とミリアのやり取りを見ていたカルラ先輩が、今度はミリアを襲う。

 

「ミリアちゃん。あんまり疲れた顔してると、お姉ちゃんが取って食・べ・ちゃ・う・わよ~」

 

 冗談めいた振りを前にして、ミリアはかわすように笑って返した。

 さりげなく私の袖に腕を絡ませつつ。

 

「ふふ。残念ですが、私に先輩とそうする趣味はありませんよ」

「あら。いい声で啼きそうなのに」

 

 もちろんこれも冗談なんだろうけど、そう言ったカルラ先輩の艶のある表情は、本当にその気があるように錯覚させてしまいそうな何かがあった。

 あれ。なんか私の方も見てる……? 誘ってる!?

 どぎまぎしていたら、突然アリスが思い付いたように声を上げた。

 

「そうだ! せっかくだから夜は四人で過ごしませんか? 部屋のスペースがちょうど一人分余ってるんですよ」

 

 それはいい考えだね。

 でもちょっと、いやかなり危ないかも。あっちの意味で。

 嬉しさ半分怖さ半分で身構えていると、カルラ先輩はパン、と両手を合わせてすまなさそうに断った。

 

「ごめんねー。わたし、今から用事があるのよ。明日からの行動を監督生全員で集まって詰めなきゃならないの」

 

 それを聞いたアリスは、残念そうにちょっと肩を落とす。

 

「そうですかー。そんな大事な用があるなら仕方ないですよね。打ち合わせ、頑張って下さい」

「気持ちはありがたく受け取っとくわね。んじゃ、行ってくるわ!」

 

 元々移動しようとしていた最中に出くわしたからだったのか、カルラ先輩は足早に去ってしまった。

 去りゆく彼女を見送った後、アリスが手を叩く。

 

「はい。じゃ、気を取り直して部屋行こっか」

「うん」

「なんか余計疲れました」

 

 流れで手を繋いで歩いていると、ミリアがぽつりと漏らす。

 

「相変わらず嵐のような人でしたね」

「ほんとそれね」

 

 私も同意してウインクする。

 ミリアはくすりと笑って、耳元で囁いてきた。

 

「先輩とだったら、ユウの方がいいですね」

「ふぇ!? な、なに言うの!?」

「冗談です」

 

 も、もう。変なこと言わないでよ。

 アリスがやたらにまにまして、左右それぞれの手で私とミリアの肩をがっしり掴んだ。

 

「あらあら。仲の良いですこと」

「もう。アリスまで」

「ふふふ。可愛いです。ユウは」

 

 頬がかっと熱くなるのを感じながら、どうにか部屋へ着いた。

 

 

 ***

 

 

 荷物を置いたら、汗を流すためにみんなで浴場へと向かった。

 浴場は宿の一階にある。

 一年も女で暮らすと、それほど意識しなくても、割と自然に女として振舞えるようになっていた。

 正体がバレた後、女の子でいるときはもっと女の子らしくしなさいと言われて、アリスとミリアに散々色々叩き込まれた。

 実はそれが一番大きいかもしれない。

 股広げない! とか、服をすぐ肌蹴させない! とか、もっと慎ましく食べなさい! とか。

 ほんと色々ね。うん。大変だった。

 その代わり二人は、私が女でいる限りは、私のことを本当に女の子として扱ってくれた。正体がバレる前と何も変わらずに付き合ってくれた。

 そのことが、私にとってどんなに心救われることだったかわからない。

 私は、段々とありのままの自分を肯定できるようになってきた気がする。

 男でも女でもない中途半端な自分ではなく、男でも女でもある一人の人間。

 そういうものとして自分を受け入れられるようになってきた。

 姿やそれに伴う心の変化はきっと深刻な問題じゃなくて、私は思うままに自分として生きればいいのかなと、今は何となくそう思える。

 

 浴場で服を脱ぐ。

 Dカップくらいのほどよい大きさの胸を始めとして、一年経ってもまったく成長や変化が見られない裸体が露わになる。

 トーマスの言っていた通り、能力が目覚めたあの日から、完全に時が止まってしまったかのようだ。

 一方でアリスは、ほんの少しだけ胸が成長したと言って喜んでいた。

 と言っても、5Aが4Aになりそうでならないくらいになっただけなんだけど。

 まあ本人にとっては重大な違いだろうし、一緒になって喜んであげたよ。

 ミリアはというと、元々EだったのがFの上になって、もう隠れ巨乳じゃなくなってた。

 胸の格差社会だと、アリスは時々恨めしそうにしている。

 

「ほんと。いつ見ても、元々男とは思えないくらい綺麗な体してるよね」

「羨ましいですよ。そのスタイルの良さ」

 

 アリスとミリアが私の身体をしげしげと見回しながら、感心したように溜め息を漏らす。

 浴場備え付けの鏡を見る限り、確かに綺麗だとは思う。

 私は変に謙遜しないで頷いた。

 

「うん。死んだ母さんに似てるかな」

 

 すると、アリスが食いついてきた。

 

「初耳ね。ユウのお母さんってどんな人なの?」

「強くて優しくて、カッコいい人だった。ある意味、カルラ先輩とかよりずっとぶっ飛んでるところもあったけどね」

「へえ。そうなんだ。詳しく聞かせてよ!」

「私も聞きたいです」

「いいよ」

 

 この世界にとっての異世界である地球のことを、二人にとってわかりやすいように、例えなど上手く交えつつ、母さんについて話していった。

 二人は興味津々に聞いてくれた。

 

 母さんは、中々にぶっ飛んだ人だった。

 何かのエージェントとかで、日本なのに合法的に銃振り回してたり。

 その銃の扱い方を、まだ小さかった私に叩きこもうとしたり。

 しつこくナンパしてきた男に「あんたの股間、二度と使えなくしてやろうか?」と凄んでびびらせたり。

 小さい私をおんぶしたまま暴力団にカチコミをかけたり。

 気が向いたからってだけの理由で、ぽんと百万円くらい寄付しちゃったり。

 たまに父さんも一緒に行動してたみたいだし、私自身が連れられて行ったこともあるけど。

 とにかく世界中を飛び回ってた。

 中国とかカナダとかならまだわかるんだけど、中東やら南アフリカやらブラジルやらグリーンランドからおみやげを持って帰ってきて、びっくりしたことがある。

 さらに驚いたのは、「大統領に会いに行ってくる」とか言って飛び出して行って、テレビで観たらマジでアメリカ大統領の横にちらっと映ってたこともあったっけ。

 しかも母さんの行くところでは、そのとき大抵何かしらの事件が起こってた。

 昔はわからなかったけど、今ならなんとなくわかる。

 母さんはそれらの事件に関わるような仕事をしていたらしい。

 とりわけ、地球ではかの有名なTSG事件とか。

 まあそこまでは置いておこう。

 狭い日本にはおよそ似合わないスケールを持つ母さんの作った数々の伝説は、今も強く心に焼き付いている。

 私にとって母さんは、誰よりも頼れる母であると同時に、憧れの存在でもあった。

 そんな母さんでも事故であっけなく死ぬのだから、人生というのはわからないと思う。

 まあ普通に暮らそうと思ってたのに、いつの間にか異世界で魔法なんか使いこなしちゃって、世界を守ろうなんて分不相応な目的を持って動いてる私も、ある意味相当な伝説ものかもしれない。

 あまり性格は似てないと思うけど、やっぱり血は争えないのかな。

 

 話し終えて、何となくまた目の前の鏡を見つめた。

 瞳の奥が、ほんの少しだけ光ったような気がした。

 男のときも女のときも、この母さん譲りの挑戦的な目つきだけは変わらない。

 母さんに一番よく似ている部分だと自分でも思うし、他人からもよくそっくりだと言われた。

 おかげで、必要以上に生意気だと思われて苦労したこともあった。

 いつも弱くて情けなくて、泣き虫だった私には、あまり馴染まなかったものだったかもしれない。

 けれど今は、この目が似合うような強い人間になりたいと、そう思う。



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31「オーリル大森林魔法演習初日 昼」

 魔法演習の初日が始まった。

 初日の目的はまず森に慣れること。行軍の訓練を行いながら、そこらに生えている植物やキノコ、小型の動物等について監督生から説明を受けていく。

 翌日のサバイバル訓練に必要な知識なので、みんな一生懸命耳を傾けていた。

 こんな軍隊じみた訓練を行うのは、有事の際にも運用できる魔法使いを育成するという学校の理念による。

 頭でっかちなだけでなく使える魔法使いをという方針のおかげで、私もかなり実践的な魔法を身につけることができたわけだ。幸運なことだった。

 

 木々の間を通して遠くに見えていた大きな動物を指さして、アリスが尋ねてきた。

 

「何かしら? あの動物」

 

 四本の足で歩き、イノシシに少し似た雰囲気がある。

 あれのことを「死ぬほど」よく知っていた私は答えた。

 

「正式名称ライノス・ビリガンダ。通称ライノス。見ての通り、額に大きな二つの角を持つ十メートル級の大型草食獣だよ」

「へええ」

「縄張りに近づかなければ大人しいから大丈夫。ただし、強い魔法耐性があるから決して挑発しないように注意して」

 

 アリスが感心したように顔を寄せる。

 

「詳しいのね」

「うっかり近づいちゃって、殺されかけたことがあるからね……」

 

 脳裏にあのときの恐怖が蘇り、ちょっとだけ身ぶるいした。

 

 あれはイネア先生との修行を始めてから、まだ四カ月くらいのことだった。

 実際あのときは、本気で死を覚悟したよ。

 よりによって子育て中だったらしくて、キレっぷりが半端じゃなかった。

 仲間意識も強くて、五頭くらいに森の中をたっぷり二時間は追い回された。

 気剣を使おうにも怖過ぎてとても近づけなかったし、そもそも悪いのはうっかり近づいちゃった私なわけだから、斬ること自体も躊躇われて。

 女になって牽制に魔法を使ってみたんだけど、魔法耐性の高さのせいでまったく効かなくて。

 涙と鼻水たらしながら、気力強化で逃げ回り、最後は湖にダイブして泳いで逃げたんだった。

 

「そんなことがあったんですか!?」

 

 驚いた顔で問いかけるミリアに、私は頷く。

 

「うん。そう言えば前に、イネア先生に転移魔法で知らない森に放り込まれたことがあったんだよ。あいつを見て思い出した。よく考えたら、この場所以外にあり得ないなって」

 

 要するに、私はとっくに演習の一部+αに相当する内容を済ませていたということになる。

 だからイネア先生も楽しんでこいなんて暢気なことを言ってたんだなと、今さらながらに理解した。

 

 集団で歩いていると、やがてちょっとした事件が起こった。

 調子に乗って道を外れた奴が、カッチミーの巣をうっかり刺激してしまったらしい。大量のそいつらに追いかけられてこっちに逃げてきた。

 カッチミーは、ハチに生態や大きさがよく似た虫であり、お尻のところに付いている針には毒がある。

 このままこっちに突っ込まれると、他の人にも被害が及んでしまう。対処しなければ危ない。

 すると、アリスが前へ進み出て迎え撃とうとする。

 

「火の川よ。かの者を豪流に呑み焼き尽くせ。《ボルリアs」

「バカ! こんなところで火を使うな!」

 

 確かに虫に対して火は効果的だが、森林火災になる恐れがある。

 慌てて制止すると、うっかりに気付いたアリスがぺろっと舌を出す。

 

「あ! てへへ」

 

 その間にも虫の群れは迫って来ており、周囲は騒然としていた。

 もはや一刻の猶予もない。

 代わりに私がやるしかない。周りに人がいるから、詠唱式でいこう。

 

「吹き飛ばせ。螺旋の風。《ファルアクター・スパイラル》」

 

 強風の中位魔法《ファルアクター》に旋転を加えて、対象を散らすことを目的にした魔法だ。

 本来殺傷力はないものだが、小型の虫ならば散らすときの風圧で効率良く仕留めることができる。

《ラファル》や《ラファルス》と違って、風の刃ではないから、誤って追いかけられてる人や周囲を傷付けることもない。

 狙い通りカッチミーの群れは吹き飛ばされて、すべて綺麗に息絶えた。

 周りから安堵の声と、鮮やかな手際だったからか、まばらに拍手が上がる。

 横で見ていたアリスが嬉しそうに飛びついてきた。

 

「おおー! またアレンジ魔法ね!」

「まあね」

 

 何度もアレンジはやってるからね。

 当然みたいにさらっと言ったら、「すましちゃって。このこの~」と彼女に肘でぐりぐりされた。

 そんな私とアリスの様子を眺めながら、ミリアがしみじみと呟く。

 

「やっぱり人によって、魔法の宣言って違いますよね」

「イメージの仕方は人それぞれだからねー」

 

 と、アリスが応じる。

 宣言とは、使う魔法のイメージを確定させるために、魔法名の前に添える言葉のことだ。

 これにより、イメージの誤りや不鮮明による魔法の失敗が減る。

 さっき使ったやつなら、『吹き飛ばせ。螺旋の風』がそれに当たる。

 確かに言われてみると、この部分は人によって個性が出るよね。

 

「《ファルスピード》は頭の中でなんて言って使ってますか? 私は『神速の風よ。力を』です。なるべく速いイメージが欲しいので」

「そうなんだ。私は『加速しろ』だけど」

 

 あっけらかんに答えると、ミリアがやや呆れたように笑った。

 

「さすが、開発者の一人は味気ないですね」

「魔法って、やることと効果だけ最低限言うなり念じるなりすれば十分じゃないの?」

 

 宣言に対する私の率直な感想だった。

 実際それだけあれば、しっかりとイメージを練ることができるし、失敗することもない。

 だから私にとって、長ったらしい文句は無駄にしか思えなかった。

 だがそこに、納得がいかない様子でアリスが反論を差し挟む。

 

「でもそれじゃ雰囲気出ないでしょ。あたしは『風よ。あたしにその疾風の如き速さを授けよ』かな」

 

 至極当然よみたいな得意顔でのたまうのが、私にとっては妙に面白かった。

 さっきやりかけた魔法といい、これといい。

 

「アリスが意外と中二病だってことがわかった」

「なによ。そのチュウニビョウって。意味は知らないけど、馬鹿にしてるでしょ?」

「ふふ。ごめんごめん。別に変じゃないよね」

「そうよ。もう」

 

 この世界にはこの世界の常識があるわけで。それに照らし合わせれば、別におかしなものでも何でもないのだろう。

 でも真顔で言ってるのは、やっぱりちょっと厨臭いかも。はは。

 まあ人のこと言えないか。魔法なんてものがスパッと使えたら、少しはカッコつけたくもなる。

 

 行軍が終わり、野営予定地に到着してテントを張れば、夕食まではしばらく自由時間だ。

 三人一緒になって、迷わない程度の範囲で散策することにした。

 辺りは木々の葉が日光を和らげて、穏やかな光が差し込んでいる。

 至る所に木や植物が根を張っており、足場はごつごつしてたりぬちゃっとしてたりで、かなり悪い。

 そして時折、虫や獣の鳴き声が聞こえてくる。

 集団行動のときはあまりのんびりできなかったけど、こうしてゆったり森林浴をすると中々気分は爽快だ。

 そのうち、偶然にも非常に良い物を見つけた。

 巨大な木が目の前に立っていた。三人で手を繋いで広がればやっと届くかというぐらい、幹の幅がある。

 見上げると、遥か頭上には、黄金色の皮を被った丸い果実が十個ほどなっている。

 

「すごいな。ゴップルの実じゃないか」

「ゴップルってあの!?」

「果物の王様とか言われてるあれですよね」

 

 普通は貴族でも上流階級しか食べられないような高級品だ。魔法図書館にあった図鑑によれば、とても甘くてジューシーな味わいらしい。

 まさかこんなところでお目にかかれるとは思わなかった。

 

「ちょっと三個だけ取って来るね。夜に食べよう」

「いいね! でも、あそこまで登るのは大変じゃない?」

「落ちたら危ないですよ」

「大丈夫」

 

 確かにそよ風魔法の《ファルリーフ》では落とせそうにないくらい、実はしっかりついてるみたいだ。

 それに下手にそれより強い魔法を使って、少しでも木を傷付けてしまうとまずい。

 なぜなら、この木は感情を持つと言われているんだ。

 実を取ろうとする者に少しでも傷を付けられると、怒って瞬時に実をまずくしてしまうと本には書かれていた。

 だから普通は、頑張って木によじ登らないと得られないのだけど。

 こんなときのために覚えておいてよかった。

 

《飛行魔法》

 

 反重力魔法と風魔法を組み合わせて使用し、私はふわりと浮かび上がった。

 アリスとミリアが、目を丸くして驚いている。

 

「なによ!? その魔法!?」

「何なんですか、それ!?」

 

 そっか。そう言えば、まだ見せたことないんだったっけ。

 

「飛行魔法だよ」

「すごいじゃない! 後で教えてよ!」

「私もやってみたいです!」

 

 きらきらと目を輝かせる二人。

 やっぱり自力で空を飛ぶというのは、相当に魅力的なことみたいだ。

 ただ残念ながらこの魔法、私やアーガス級の魔力値を持つ人専用なんだよね……。

 

「もちろんやり方は教えてあげるけど……。アリスやミリアだと、魔力値が足りないんじゃないかな。実はこれ、結構燃費が悪いんだよね」

 

 私並みの魔力があっても使いどころが限られるほどだと正直に説明すると、二人は露骨にがっかりしていた。

 

「なんだー。残念」

「今まで教えてくれなかったから、どうせそんなことだろうと思いましたよ」

 

 宙に浮いたまま、私は苦笑いするしかなかった。

 中々現実というものは厳しい。いつか魔力の大きさに関係なく、みんなが空を飛べるようになったらいいなと思う。

 

 ちなみに、大森林まで空を飛んで行かずに、アルーンに乗ってきた。

 それはもちろん二人と一緒に行きたいというのが一番大きな理由だが、単純にそこまで飛ぶほど魔力が保たないのも理由としてごくささやかにあった。

 やっぱり人間が生身で空を飛ぶというのは、かなり無茶があることみたいだ。

 最初から飛べる者の力を借りた方がずっと合理的だと、完成したこいつを使ってみて、改めて思った。

 やはりこの世界の先人は正しかったのだ。

 魔力の特別高い者だけに許された贅沢であり、通常は欠陥魔法の類いとしか言いようがない。

 仮に誰かが開発していたとして、このような魔法をわざわざ後世に書き残す価値はなかったのかもしれない。

 実戦でもほとんど使っていないんだけど、それもひとえに燃費の悪さのせいだ。

 まあ空を飛べないと困るときもいつか来るかもしれないから、選択肢として用意しておくのはありだとは思っている。

 夢のような効果と、所詮夢に過ぎない実用性を併せ持つ、まさにロマンの魔法。

 私はこの魔法大好き。

 

 さっと上まで飛んで行って果実のところに辿り着き、一つ一つ丁寧にもぎ取っていく。

 拳大の実は、宝石のようにきらきらと輝いていた。

 

 その後も気付きにくいところから、私はついつい食べ物を見つけてしまう。

 イネア先生にあちこち置き去りにされた際、必死に生き延びようとした癖で、ついね。

 キノコ類に、花の蜜に、小動物を仕留めたり。

 今日の夕食は確か、兵士用のまずい携帯食を体験するはずだったんだけど。

 私たち三人の班だけ、やたら夕食が豪華になりそうだった。

 

「ユウがいたら、明日のサバイバル訓練楽勝じゃん」

「私たちの訓練にならないから、ちょっと何もしないで見ていてもらった方がいいですね」

「そうね。わからないことあったら教えてね」

 

 こんな調子で、私はすっかりサバイバルの先生扱いになってしまった。

 ふと口から、ある言葉が漏れる。

 

「サバイバルこそ正義さ」

「何それ?」

 

 怪訝な顔をするアリスに、私はどこか引っ掛かりを覚えつつ答えた。

 

「誰かが昔、そんなこと言ってたような気がする」

 

 実際フェバルになってみてわかったけど、どんな過酷な場所でも生き延びられるサバイバル能力は必須だ。サバイバル教に入信してしまいそうになるくらいには、その重要性を噛み締めているところだ。

 と言っても、さすがに食べるものくらいは選びたいけどね。

 やっぱりヘビとかハチとかを平気でいくのは……ないんじゃないかな。

 なんでこれがぱっと浮かんだのかは、わからないけど。

 

 夕食が終わる頃には、すっかり日が暮れていた。

 ちなみにゴップルの実は、地球で食べたことのあるどんな果物よりも美味しかった。

 王様と言われるだけのことはある。こんな果物が本当にあっていいのかと思ったくらいだったよ。

 満腹になったお腹を押さえてくつろいでいると、

 

「さて。私のささやかな計画に乗りませんか?」

 

 前々から準備を進めていたミリアが、楽しそうに笑った。



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32「オーリル大森林魔法演習初日 夜」

「ぜひ聞かせてよ」

「言ってたもんね。期待してもいいのかしら」

 

 アリスと二人で期待の眼差しを向けると、ミリアは少し困ったように頬を掻いた。

 

「そこまで期待されると、ちょっと自信ないですよ」

「まあとにかく言ってみなよ」

「ほらほら!」

 

 促すと、彼女はこほんと一つ息を吐いて、一瞬間を置いてから提案した。

 

「即席のお風呂を魔法で作りませんか? 女子のみんなが入れるような、大きいやつです」

 

 意外な切り口だった。

 確かに演習の間はお風呂なんてないけど、そんなこと当たり前だと思ってまったく気にしてなかったよ。ないなら魔法で作ってしまえというのが、非常に魔法文明らしいというか。

 地球という枠に嵌まっていた私には、中々出てこない発想だった。

 

「えーと。私は水魔法が得意だから入れる担当で、アリスは火魔法が得意だから沸かす担当で、ユウは割と何でもできるからその他で」

「その他って……」

 

 場所成らしたり浴槽を作ったりとか、一番大変な奴じゃないのか? それ。

 思わずちょっと顔をしかめたら、ミリアはふふ、と笑った。

 

「もちろんその他の作業は私たちも手伝いますよ。出来上がったら、女子のみんなを呼びましょう。きっと喜んでもらえますよ」

 

 話を聞いていたアリスの表情が、ぱあっと明るくなった。

 

「なるほどね。そんなこと考えてたんだ。面白いじゃない! やろうやろう!」

「いいね。やろう。でもお風呂が出来上がったら、みんなを呼ぶ前に一番に入ってもいい?」

「あー、そういうこと?」

「うん。やっぱり私、その、アレだしね。それに、男子が覗かないように目を光らせる係も必要だろうし」

「いいですよ。見張りよろしくお願いしますね」

 

 私が男でもあるということを理解しているミリアは、あっさりと申し出を了承してくれた。

 

「任せてくれ。覗こうとした奴は全員半殺しにするから」

 

 そう言ったら、アリスがやたらと面白がった。

 

「爆炎女のユウが言うと、ほんとにやりそうに見えるもんね。そこら辺頼りになるわ」

「一年前のあだ名を引っ張り出して来ないでよ、もう。さすがにもう言われてないから」

 

 魔法コントロールが完璧になってから久しくなった今、爆炎女というあだ名は既に死語と化していた。

 

「あ、今はアーガスの女だっけ?」

「そのあだ名はもっと気に食わないっ!」

 

 たまらず声を荒げてしまった。

 そんな私を見て、アリスは憎たらしいくらい腹を抱えて笑っている。

 

 襲撃事件で流れになったとは言え、魔闘技の決勝でアーガスと楽しそうに良い試合をしたことは語り草となっていた。

 その後も二人で仲良く魔法の訓練してるところが頻繁に目撃されて、非公式にあいつの彼女扱いになってしまっているのだ。

 別に本当に付き合ってるわけではない。私もあいつのことは好きだけど、そういう意味で好きなわけじゃないし。

 もちろん、私の正体を知ってる向こうにも全然その気はないんだけどな。

 まあよくある冷やかしのネタだけど、アーガスファンクラブの女性を敵に回してしまったのが面倒と言えば面倒だった。

 

 アリスとともに私のことを笑っていたミリアは、落ち着くと計画の続きを述べ出した。

 

「それでですね。お風呂から上がったら、男子も入れてクラスのみんなでトランプ大会しましょう」

「いいじゃんいいじゃん! あれ、ほんと楽しいもんね!」

 

 二人は、トランプブームの影の立役者である私の方を、にこにこしながら見てきた。

 表の立役者は、今トランプと聞いて大はしゃぎしているアリスだ。

 経緯を思い返しつつ、私も一緒になって笑うしかなかった。

 

 どうしてこうなったのか。

 もちろんトランプなんて、元々この世界にあるわけない。

 きっかけは些細なことだった。

 あるときアリスが「何か地球の面白い遊びないの?」って言うから、馴染みやすいだろうと思って、魔法でトランプを作ってみた。ついでに色んな遊びを教えてあげたんだ。

 そしたらアリス、すっかり気に入っちゃって、知らないうちに広めたらしい。

 まず女子寮で大流行。気付けば学校中で行われ始め、半年経った今ではサークリス全体に普及してしまった。

 勢いは留まることを知らず、町の外にまで羽ばたこうとしている。

 ここまで広まってしまったのは、トランプ自体の作りやすさ、手軽な遊びやすさと、知る限りこの世界にこれまで類似物がなかったことに尽きると思う。

 アリスが上手く広めたから、一応出所は不明ってことになっていて。

 そこはまあ安心したけど、自分としては、小さなきっかけで一国の文化に多少なりとも影響を与えてしまったことに驚きを禁じ得なかった。

 もう手遅れだが、以後異世界の物事をひけらかすのは気を付けよう。そう思った事件だった。

 

 それにしても、あんなに人見知りだったミリアが、自分からこんな積極的な提案をするようになるなんて。

 きっとコミュニケーション能力抜群のアリスの近くにずっといた影響が大きいんだろうけど、人間って成長するものだね。

 って、私も全然他人のこと偉そうに言える立場じゃないんだけどね。彼女を見習って、私も成長していかないとな。

 

 その後、ミリアの計画に従ってばっちりお風呂を作り上げた。

 私が一番に入って湯加減を確かめた後、アリスとミリアが手分けして女子を呼んで、みんなでわいわい野外風呂に入っていった。

 例のアーガスファンクラブ会員を除けば、女子生徒はみんな、見張りを務める私に頼もしいとお礼を言ってくれた。

 これだけ女子が移動すると、やはり男子も感付く。

 私は立ち入り禁止の柵を魔法で作り、腕を組んで仁王立ちしつつ、周囲に睨みを効かせることにした。

 持ち前の男勝りな目つきの効果もあって、大抵の人は引き下がってくれた。

 が、それでも覗きに行こうとする勇者が三人ほどいた。

 男の心理としては多少の理解を示しつつも、しっかりとお仕置きして晒し者にしてあげた。

 それからはびびって誰も来なくなったよ。よしよし。

 

 トランプ大会は、いくつかのグループに分かれて行われた。時々人の交代を行いつつ、各テントにゲームが割り当てられる。

 私がアリスに教えて広まったゲームは、大富豪、神経衰弱、ページワン、ブラックジャック、ポーカー、豚のしっぽなどだ。

 やっぱり一番人気は大富豪で、テントを四つも使う盛況ぶりだった。

 

「革命よ! あっはっはっは! 来たわね。あたしの時代が!」

 

 ドヤ顔で革命を決めたアリスに対して、私はクールに切り返した。

 

「やはりキャリア半年の素人ではそんなものだな。革命返し」

「うぎゃあああーーーー!」

 

 アリスが絶叫した。

 どうせ一番弱い3とかしか残ってないんだろう。

 

「なんでそんなに強いのよ~!」

「当たり前だよ。誰が教えたと思ってるの?」

 

 それにこっちは、中学卒業まで一緒に暮らしてた従兄のケン兄から直々に鍛えられてるからね。

 ケン兄は多種多様なゲームの達人なんだ。将来はプロゲーマーになるとか言ってたし、間違いなくなるだろう。

 親戚の家は、もう思い出したくもないくらい嫌いだけど、ケン兄だけは別だ。

 昔は一時期いじめられてたこともあったけど、それがなくなってからは、ずっと気の良い兄ちゃんだった。

 この世界に来るまでは、離れて暮らすようになっても時々メールとかで連絡取っていたくらいだ。

 

「くー! 今に見てなさいよー!」

「くっくっく。待ってるよ」

 

 悪役の捨て台詞のような台詞を放った彼女に、私は待ち受ける強ボスなノリで返した。

 人は敗北を知って強くなる。負けず嫌いのアリスなら、いずれは追いついて来るだろう。

 そんなこんなで楽しんでいたら、本来眺めているだけの監督生であるはずのカルラ先輩も交じってきて、さらに場は盛り上がった。

 やがて就寝時間になったので、お開きになった。

 

「おやすみ」

 

 三人でそう言い合って、寝袋に潜り込んだ。

 

 

 ***

 

 

 なぜかこの日は眠れなかった。

 ぐっすり眠っているアリスやミリアを起こさないように、そっとテントを抜け出して、飛行魔法で木の上に登る。

 大きめの枝に座り込んで、夜空を見上げた。

 満天を埋め尽くす星々と、幻想的にゆらゆらと淡く輝く青い月が見える。

 

「綺麗だな」

 

 この世界の月は青い。

 月はかなり真円に近付いていた。もうすぐ満月だ。

 遠くで、ライノスの吠える声がいくつも聞こえた。

 普通はこんな夜中に吠えるものじゃないんだけど、どうしたのだろうか。

 でもそれっきり声は止んだので、あまり気にしなかった。

 しばらく夜空を眺めていたら、寒くなってきた。明日もあることだし、そろそろテントに戻って無理にでも寝ようか。



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間話5「仮面の女、動く」

 オーリル大森林魔法演習初日の深夜。ユウが眠れずに夜空の青い月を眺めている頃。

 仮面の女は、野営地からやや離れた位置で、五人の部下に指示を飛ばしていた。

 

「1番から4番。各自例のものを、ライノス計二十頭に取り付けに向かいなさい」

 

 指示された四人は頷くと、手に丸い機械装置を持って散開していく。

 しばらくすると、遠くでライノスの暴れる声が聞こえた。部下たちが仕事をこなしているのだ。

 仮面の女が彼らに持たせたのは、洗脳魔法装置であった。

 ライノスのような比較的単純な知能を持った生物であれば、意のままに操ってしまう恐るべき代物である。

 やがて一頭、二頭と、彼女の元へ従順になったライノスが歩いてくる。

 どうやら滞りなく作業が進んでいることを確かめた彼女は、残る一人に声をかけた。

 

「5番はわたしと一緒に来なさい」

「はい」

 

 彼女らが向かった先は、森の奥深く。

 そこだけ切り立った崖があり、その上部には巨大な穴が開けていた。そして側面には、ぽっかりと洞窟が口を開けている。

 仮面の女と5番は、互いに頷き合うとそこへ足を踏み入れていった。

 空洞の幅は相当に広く、人が歩くのに困ることはなかった。

 陰湿さに混じって、どこか張り詰めた身を刺すような空気が漂っている。辺りでは、石の氷柱から水がぽたぽたと滴って、所々に濁った水たまりを作っていた。

 光魔法で辺りを照らしながら奥まで進んでいくと、突然一気に開けた場所に出た。

 そこに佇んでいたのは、三十メートルはあろうかという巨体を誇る森林最強の生物。

 ボルドラクロン。炎の龍であった。

 

「いたわね。本命が」

 

 侵入者に気付いた龍は、無遠慮に縄張りを侵されたことに怒った。

 彼女らを睨み付けて、強烈な火のブレスを吐く。

 炎は瞬く間に広がり、逃げ遅れた5番と呼ばれていた男を簡単に焼き殺してしまった。

 男は焦げた肉も骨も残さぬほど、完全に燃え尽きる。彼がこの世に存在していた証は、もはや彼がいた場所から立ち上る蒸気のみだった。

 それを一瞥した炎龍は、残る一人、岩肌に身を隠していた仮面の女に鋭い眼を向ける。

 彼女は咄嗟に退き、辛うじて難を逃れていたのだ。

 仮面の女は魔法の腕には自信を持っていたが、それでもまともに戦えば決して敵わない相手であることを悟った。

 何しろ相手は人ではなく、あの強大な龍なのだから。

 本来であれば、絶体絶命の窮地である。

 だがあえてそのような相手に挑みに行った彼女が、無策であるはずがない。

 彼女にはとっておきの武器があった。

 

「おっと。あなたはわたしのペットになるのよ! 我に従え。《スコルテペラ》」

 

 ロスト・マジックの服従魔法が炸裂する。

 これは使用者と被使用者の一対一でしか効果がない魔法だった。その分装置よりも使い勝手は悪いのだが、より高度な知能を持った生物にも効くという強力な利点を持っている。

 龍は必死に抵抗していたが、やがてまともな理性を失ったかのように瞳から光が失せていった。

 ついに仮面の女へ頭を垂れる。

 それに満足した彼女は、通信機のようなものを取り出した。

 実際、それは通信機であった。

 これもかつて失われたエデルの遺産の一つであり、仮面の集団でも幹部にしか持つことを許されない貴重品である。

 かける相手はあのマスター・メギルだ。

 

『マスター。ライノス二十頭と炎龍の確保完了いたしました。予定通り明日の深夜に決行いたします』

『うむ。御苦労』

『オズバイン邸の方は誰が向かうのですか』

『セレンバーグ氏を始めとした精鋭だ。心配はあるまい』

『なるほど。計画の完成も目前に迫り、彼もついに表の顔を捨てて動く時期になりましたか』

『ああ。後は足を断つ必要があるな。エデルさえ復活してしまえばどうということはないが、その前に万が一首都の連中に来られては厄介だ』

『そちらは既に手を回してあります。サークリス-オルクロック間の鉄道を爆破いたします。サークリスは一週間前後、孤立無援の状態に陥ることでしょう』

『そうか。それだけ時間があれば十分だよ。君は実に優秀だな』

『はっ。光栄です。しかしわたしどもよりも、計画の完成を前に邪魔な芽をしっかり潰しておこうというマスターの深慮、心服いたしました』

『それはどうも。どうせなら何者にも邪魔をされず、すっきりした身で空へ行こうではないか』

『もうすぐわたしの夢も叶うのですね』

『もちろんだとも。心配は要らないよ』

『では、まだ仕事が残っておりますので』

『うむ。サークリスでまた会おう』

 

 通信を切った彼女は、装置を懐へしまう。

 それから、目を瞑ってこれまでの足跡を振り返った。

 マスターに命じられて、本当に色々なことをやった。決して許されない悪事にも手を染めた。

 そして、今からやることもそう。

 彼の非道なやり方に、最初は疑問に思わなかったわけではない。良心の叱責がなかったわけではない。むしろ相当にあった。

 それでも。彼女にとっては既に引き返せない道であった。

 今やめてしまえば、これまで殺めてきた人間の命も無駄になってしまう。

 何より、そこまでして叶えたかった願いも、叶わなくなってしまう。

 いつしか彼女は、自分の行っていることが正しいのだと思い込むようになった。そう思わなければやっていられなかった。マスターの忠実なる僕としての役割を演じるようになった。

 仮面を被っているときだけは、本性をその下に隠すことができる。

 目を開けた彼女は、静かに口を開いた。

 

「今まで散々我々の邪魔をしてくれたわね。ユウ、アリス、ミリア」

 

 彼女は一つ一つの名前を噛み締めるように呟き、ぎりぎりと拳を握り締める。

 仮面の奥の表情は、哀しげな決意で満ちていた。

 

「わたしの行く手を阻む者は、たとえどんな者であっても消す。あなたたちの命も、この森の木々と一緒に燃え尽きてしまうがいいわ」



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33「炎龍ボルドラクロン来たる」

 翌朝。アリスに耳元で元気な声をかけられて叩き起こされた。

 

「おっはよー! 起床の時間よ!」

「ん……もうちょっと寝かせてよ……お母さん……」

「うふふ。寝ぼけてる」

「何なんですかね。この時々見せる狙ったような可愛さは」

 

 段々意識がはっきりしてくる。

 目をこすって大きくあくびをした。

 結局あんまり寝られなかった。ちょっと寝不足だ。

 

「おはよう。アリス、ミリア」

「おはよう」

「おはようございます」

 

 サバイバル訓練では、朝食から夕食までをすべて自分の力で得ることになっていた。

 といっても、私にとってはもう楽勝なので張り合いがない。

 最低限自分の分と、もし二人が失敗した時のためにあげる食べ物を午前中にさっさと確保しておく。

 あとは二人が苦戦するのを眺めたり、時々アドバイスをしたりして過ごした。

 

 気付けば夕方になり、アリスもミリアもそれなりの戦果を上げていた。

 結局またも他の班より妙に豪華な夕食になった。

 それから、昨日作ったお風呂のお湯を入れ直して、女子のみんなで入浴する。

 私は遠慮しようとしたが、アリスが強引に引っ張る形で、クラスのみんなと触れ合うことになってしまった。

 そうなったらそうなったで、もう普通にはできるようになったんだけどね。

 代わりに今日の見張りはミリアがやってくれた。

 私がやった昨日よりも覗きの挑戦者は増えたという話だけど、お仕置きはより悲惨なものになったらしい。最後は誰も彼女の方を見ようともしなかったとか。

 うん。やっぱりミリアだけは敵に回しちゃいけないね。

 

 その後には、第二回トランプ大会が開催された。

 今日は趣向を変えて各ゲームにレートをつけ、それぞれで順位を競うということをやった。

 私は大富豪部門に参加し、三位に終わった。

 どの世界にもゲームの上手い奴はいるもので、ほぼ同レートで迎えた直接対決でそいつらに見事負け越してしまった結果である。

 ちなみにアリスは二十六位。まだまだ修行が足りない。

 ミリアはポーカー部門で文字通りのポーカーフェイスを駆使し、圧倒的な実力で一位を勝ち取っていた。すごい。

 

 そんな楽しかったはずの演習も、この日の深夜には惨劇に変わってしまうのだった。

 

 

 ***

 

 

 就寝時間になった私たちは、おやすみをしてこの地で二度目の睡眠を取ることになった。

 でも、やっぱり今日も寝られない。

 どうしてなんだ。いつもならぐっすり寝られるのに。

 だがこの日に限っては、寝付けなかったことが正解だった。

 辺りの空気にほんのわずかだけど、違和感があったんだ。

 気になった私は、アリスとミリアを起こすことにした。

 

「なに?」

「なんですか?」

 

 急に起こされて眠たそうにしている二人に、申し訳ないと思いつつ尋ねた。

 

「ちょっとさ。嫌に空気がピリピリしてないか? 何か遠くから、大きな魔力が近づいて来てるような」

 

 二人もすぐに魔力を探ってくれた。

 ミリアは首を横に振ったが、続くアリスは私に同意する。

 

「すみません。私にはちょっとわからないですね」

「言われてみると変ねえ。確かに火の魔力を感じるわ」

 

 火の魔力か。

 私もそこまではわからなかった。さすが火魔法が得意なだけのことはある。

 これは……確実に何かいるな。

 

「ごめん。ちょっとだけ男に変身してもいい? 気を探って確かめたいんだ。大したことなかったらすぐ女に戻るから」

「まあいいよ」

「わかりました」

 

 許可を得て、少しの間だけ男に変身する。

 テントの中だから誰かに変身を見られる心配はない。

 すぐに気力探知を始める。精神を集中して、辺りの目ぼしい生物反応を探る。

 魔力探知は、魔法の種類や使用を察知できる利点があるが、気力探知に比べると汎用性と精度においてはかなり劣ってしまう。

 まず魔力は、どんな生物でも持っているわけではない。

 あくまで魔力自体は魔素などといった外界の要素由来であるため、それのみをもって個体の識別までをすることは不可能だ。

 対して、気力は生命力などといったより基本的で――私のような数少ない例外を除き――すべての生物が持っている固有の情報である。

 だから原理上、それのみによって個体の識別が可能なのだ。

 さらに魔力と比べると、気力は外界要素によるノイズがかかりにくいので、鋭敏に察知することができる。

 魔力探知だと直接見なければ何となくでしか対象のことがわからないが、気力探知ならば離れていてもかなり正確に位置や気の大きさがわかる。

 ゆえに男になって気を探ること。これが一番確実な方法だった。

 

 調べ始めた瞬間、ぞっとした。

 ライノスの気がこっちにまっすぐ向かって来ている! しかも数は二十!

 これだけでも相当やばいが、それどころの問題じゃない奴がいた。

 上空から猛スピードで何かが迫っている。

 恐ろしく強大な気だ。まもなくここに到達する。

 アリスの情報と合わせると、こいつが火の魔力を持っているとみて間違いなかった。

 空を飛んで、火の魔力を持つこの辺りの生物と言えば――。

 火の鳥ボルケニック、炎龍ボルドラクロン。

 このどちらかだ。いずれにしてもろくなやつじゃない!

 俺は慌てて跳ね起きた。

 

「アリス! ミリア! やばい! とりあえずこのテントから出るぞ!」

「え?」

「どうして?」

「いいから急げ!」

 

 自分でも驚くほどの鬼気迫る声でそう言うと、事の深刻さを理解した二人は何も言わずにすぐ従ってくれた。

 緊急も緊急だ。もちろん服装なんて気にしてる場合じゃない。

 だけど、ただのお泊りではなく野営訓練ということで、服が昼間のままなのは幸いだった。

 いきなり抜け出すことに躊躇いがない。

 俺はノータイムで女に変身すると、二人と一緒にテントを飛び出した。

 

 次の瞬間、とんでもないことが起こった。

 

 猛烈な炎が舞う。

 それが、ついさっきまで私たちがいたテントを、一瞬にして焼き尽くしてしまったのだ。

 明らかにピンポイントで、狙い澄まされた攻撃。 

 

 ――あと五秒出るのが遅かったら、三人とも死んでいた。

 

 あまりのことに、私を含め三人とも驚愕で目を見開き、固まってしまう。

 だがこれをやった脅威がすぐ近くにいるわけで。茫然としているわけにはいかない。

 キッと鋭く見上げると。

 頭上には、絶望を告げる森林の支配者――。

 ボルドラクロンが、その深紅の巨体を悠然と羽ばたかせていた。



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34「炎龍との戦い 1」

 三人からやや離れた位置に立ち、仮面の女は悔しそうに歯噛みしていた。

 

「ちっ。奇襲は失敗に終わったわね。三人とも逃れている」

 

 しかし彼女はすぐに気を持ち直し、脳内で精神をリンクしている炎龍に指示を飛ばす。

 元々奇襲だけで殺し切れないことは想定内だ。

 

『炎龍よ。次に狙うのは指揮系統。監督生のテントを燃やしてしまいなさい』

 

 操られて正気を失っている炎龍は、辺り一帯に轟く唸り声を上げる。

 眠っていた野鳥たちが慌てたように羽ばたいて、一目散に逃げ出した。

 生徒たちも次々と目覚め、何事かと動揺する。テントにはぽつぽつと明かりが付き始めた。

 彼らがテントから抜け出すよりも早く、炎龍は火のブレスとは異なる呼吸で、口裂の前方に巨大な火球を作り出した。

 その大きさと密度は、かつて魔闘技決勝でアーガスが使用した火球魔法《ボルケット・ダーラ》――これですらも《ボルケット》の上位魔法なのだが――それをも遥かに上回る。

 人の領域では到底及ばない火の災厄が、再び襲い掛かろうとしていた。

 

 

 ***

 

 

 なんだ!?

 あの龍はてっきり私たちばかり狙っていると思ったけど、今度の目標は違うみたいだ。

 敵の狙いを見定めながら、警戒を緩めずに構えていると――巨大火球が放たれた。

 それは凄まじい熱波を伴いながら、瞬く間に降下していき――。

 

 カルラ先輩たちがいる監督生のテントに直撃した。

 

 衝撃的な光景に、私たちは誰一人声を上げることすらできなかった。

 光と熱が爆裂した一瞬の後、テントは跡形もなく消える。

 後には焦げついた地面以外、何一つ残らなかった。

 あまりにもあっけない出来事で。

 すぐには頭が追い付かない。

 認めたくなかった。

 それでも残酷な理解は、数瞬遅れてやってきた。

 

「嘘でしょ……嘘だよね……?」

「そんな……こんなことって……」

「まさか……そんな……」

 

 先輩のはつらつとした笑顔が脳裏に浮かび、消えていく。

 

「カルラさんーーーーーー!」

「「カルラ先輩ーーーーーー!」」

 

 だが無情にも、悲しんでいる暇などなかった。

 炎龍は既に次の攻撃に入ろうとしていた。

 広げた翼が輝くと、高まる魔力の波動で大気が震える。

 ――魔法生物図鑑に書いてあった。

 炎龍の翼が紅く輝くとき、翼の下に付いた無数の燃え盛る棘が発射されると。

 それは広範囲に降り注ぐ死のミサイル。辺り一帯に針の穴が開く。

 全員が無事では済まない。

 アリスもミリアも含め、誰もが圧倒的な光景に呑まれ、ぴくりとも動けないでいる中。

 ただ一人私は、龍に負けないほど燃え滾る怒りに身を震わせて叫んだ。

 

「ちくしょう! これ以上好き勝手させてたまるかーー!」

 

 絶対に止めてやる!

 

 風の強刃! 翼を斬り裂け!

 

《ラファルスレイド》!

 

 左右の手から二発同時、《ラファルス》の上位魔法を放つ。

 高度に空気を圧縮して生成された風の大刃は、一対の巨大な双剣となって空を駆け登る。

 間もなくそれは、広がった龍翼の根元に直撃した。

 だが翼にはほんのわずかな傷が付いただけだ。微々たるダメージにしかなっていない。

 

 くそったれ! 魔法耐性が高過ぎる!

 

 それでも必死の抵抗は無駄ではなかった。

 発動すれば壊滅必至の攻撃を、中断させるだけの効果はあったのだ。

 炎龍は眼下に立つ邪魔者たる私を、射殺さんばかりの鋭い眼で睨み付けてきた。

 

「こっちへ降りて来い! 私が相手になってやる!」

 

 声を張り上げて、精一杯挑発する。

 身の安全など二の次だ。

 奴を空から引きずり降ろさなければ、打つ手はない。

 

 グアアアアアアアアアアア!

 

 龍の咆哮が轟く。

 奴は標的を完全に私に定めると、翼を縮め急降下で向かってきた。

 

 

 ***

 

 

 仮面の女は、予想外の事態に驚愕していた。

 

 そんな馬鹿な! 制御し切れないですって!?

 

 滾る龍の闘争本能が、服従魔法の効果に勝ろうとしていた。

 これは服従させる対象が術者の格を上回る場合に起こり得ることだった。

 だが復元されたロスト・マジックの効果を疑わずに使ってきた仮面の女には、そのことなど知る由もない。

 幾度呼びかけようとも、炎龍はもはや従うことはなかった。

 彼に残っているのは、誇りを傷つけられた怒りのみ。

 

「そう。そうなるわけ……」

 

 彼女はとうとう諦めて、力なく拳を振り下ろすしかなかった。

 

「いいわ。炎龍。思う存分暴れなさい。やってしまいなさい!」

 

 彼女は見届けることを決意する。

 この戦いの行く末を。自分たちに歯向かった愚かな子羊たちの最期を。

 

 

 ***

 

 

「アリス! ミリア! こいつはしばらく私が引きつける!」

 

 二人がはっとして振り向いた。そのまま続ける。

 

「二人はライノスの対処を頼む! 終わったらすぐ助けに来て!」

 

 一人では絶対に敵わない相手であることは、今のやり合いで十二分にわかった。

 厳しいけど、三人でなんとか力を合わせて勝機を掴むしかない。

 私が諦めたら、みんな助からない。

 諦めてたまるか!

 ようやく我を取り戻した二人は、しっかりと頷いてくれた。

 

「わかったわ!」

「了解です!」

 

 頼もしい二人は、すぐに飛び出していった。

 ライノスもかなり凶悪だが、クラスメイトと協力すればどうにかなるはずだ。

 大丈夫。ただ黙ってやられるだけの人間の集まりじゃないんだ。信じよう。

 振り返ると、炎龍はもう目前に迫っていた。

 

 よし。まずはみんなから引き離す。

 

 あの襲撃事件以来、必死に改良を重ね、さらに速度を上げたこの魔法で。

 

 加速しろ。

 

《ファルスピード》

 

 風の力を身に纏い、私はトップスピードで木々の間を縫うように森を駆け出した。

 炎龍は私とは対照的に、木々をなぎ倒して強引に追ってくる。

 

 このまま来るがいい。

 十分離れたそのときが、本当の戦いの始まりだ。

 

 時折襲い来る炎の息を辛うじてかわしつつ、私はひたすら逃げ続けた。

 向こうの様子がまったくわからなくなるまで走りに走ったところで、男に変身する。

 俺から突然強大な気が発されたことに、気を読む力があると言われる龍はわずかに戸惑いを見せた。

 

「これでようやく攻撃が通る」

 

 俺は白く光り輝く気剣を左手から放出し、そいつを炎龍に突き付けた。

 

「覚悟しろ。たとえお前に比べたらずっとちっぽけだって、意地はあるんだ!」



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35「炎龍との戦い 2」

 俺は炎龍と睨み合う。

 数瞬ほど身を裂くような静寂が場を包む。それは間もなく弾ける緊張の高まりの現れだった。

 煮え繰り返りそうな激情を身に宿しながらも、一方ある部分で俺は冷静だった。

 こんなときこそ感情だけで戦ってはいけない。

 龍は巨体に似合わずスピードが速い。常に気力強化をフルにかけて戦う必要がある。

 だけど気を付けないと。

 この身体で出せる最高速で動けば、宙で急に方向転換するのは難しい。女になって空中で魔法を使ったとしてもだ。

 男のときは女と違って、魔法で攻撃を防ぐこともできない。

 跳び上がっている隙を突かれて、長い尻尾で叩かれたり、火を吐かれれば一たまりもないだろう。

 しかし、跳び上がらなければならない場面も多いはずだ。

 ここは地形を利用しよう。木々という足場を上手く使って方向転換する。

 空中での隙を最小限に抑え、トリッキーな動きで奴を翻弄するんだ。

 

 方針が固まったとき、ついに炎龍は動き出した。

 挨拶代わりのブレスが襲いかかる。

 地を蹴り、横にステップしてそれをかわす。

 息吐く暇もなく、尻尾による薙ぎ払いが迫る。

 俺は素早く跳び上がると、目に付いた木の側面に、地に対してほぼ横向きで足を付けた。

 さて。どうなる。

 重力が身体を落とすよりも先に、腰のポーチから素早くスローイングナイフを一本取り出し、気を込めて強化する。

 そいつを炎龍の柔らかい部位、腹に向かって思い切り投げ付けた。

 その行方を確認しないまま、木の側面に付けた足を蹴り出して、別の木へと跳ぶ。

 無事向こうの木まで辿り着いて、再び炎龍の方を見やると。

 ナイフは腹にしっかりと刺さってはいたが、当の炎龍はまったく意に介していない。

 あまりに分厚い肉の壁の前に、ほとんど有効打にはなっていないようだった。

 やっぱり気休めに過ぎないか。

 直接気剣を当てない限り、まともなダメージは見込めないだろう。

 だがそれにはなんとかして奴に接近しなければならない。

 俺単体では、あまりに無謀な挑戦だった。

 炎龍は木に止まっていた俺に向けて、巨大な火球を飛ばしてきた。

 今度は木の側面に対し斜め下に向かって蹴り出し、地面にさっと飛び降りてかわす。火球は木々を次々と抉り、焦げた臭いを残して空の彼方へと消えていった。

 

 ――俺単体では、確かにあまりに無謀だ。

 でも俺には、もう一つの身体がある。

 

 攻撃後の一瞬の隙を突いて女に変身すると、私は自分に魔法をかける。

 使うのは水の加護。ミリアが得意とするのを教えてもらったものだ。

 おそらく一度だけは炎を防いでくれる。

 

《ティルアーラ》

 

 ついでに《ファルスピード》もかけ直しておく。これでバフは整った。

 炎龍から視線を切らさないようにしつつ、次の変身の機会を窺う。

 すると炎龍は突然、奴のすぐ横にあった大岩を、その鋭い脚の爪で思い切り叩きつけた。

 苔のむして年季の入った大岩は、凄まじい龍の膂力によって容易く砕かれる。

 破片は無数の岩石の弾となり、こちらへ飛んできた。

 

 なっ!? 岩つぶて!

 

 龍にとって児戯に等しい力任せも、人には致命傷足り得る。 

 もし当たって動きが止まるなどすれば、間違いなく一巻の終わりだ。

 予想外の攻撃に焦ったが、辛うじて避けることには成功する。

 

 そっちが土なら、こっちも土だ!

 

 私は地面に両手をつき、拘束の土魔法を使った。

 

 鋼鉄の鎖。縛れ。

 

《ケルチェイン》

 

 土中の鉄分を利用して、鋼の強度を持つ鎖を練り上げ、龍の脚元に絡み付ける。

 ただ、人間に対しては決定打となり得るものも、強靭な龍の力の前では、ほとんど紙切れ同然に破られてしまう。

 だがわずかな間の動揺は見込める。それだけあれば十分だ。

 男に再変身する。

 走りながら気剣を生成し、全速力で奴に向かっていく。

 

 狙うは龍の首。全力で叩き斬る!

 

 気を集中すると、込めた力と想いに沿って、気剣は青白く輝く。

 見舞うは、イネア先生直伝。必殺の一撃。

 

《センクレイズ》!

 

 剣筋は綺麗な弧を描き、見事に狙い通り、首の側面にヒットする。

 まともに当たりさえすればこの半年、これまでどんな敵でも斬り抜いたこの技。

 俺が全幅の信頼を置いていた、最強の必殺技は――。

 

 しかし、首の皮一枚を削るだけで、止まってしまった。

 

 なぜ――。

 そこではっとする。

 気が龍の首に集まって、斬撃を防いでいることに。

 まさか。

 龍も気を操ることができたのか……!

 気の強さは生命力に比例する。防御さえ間に合えば、人の攻撃を受け切ることなど容易い。

 今度は動揺したのはこちらだった。

 その一瞬の隙を、炎龍は見逃してくれない。

 炎のブレスが至近距離で放たれる。

 全身に熱波が迫る。

 水の加護が盾となって、焼き尽くされることだけはどうにか防いでくれた。

 それでも軽度の火傷は避けられない。

 痛みをこらえつつ、地面に降りると、即座にバックステップして一度距離を取る。

 動揺したままでは戦えない。落ち着かないといけない。

 そう必死に自分へ言い聞かせる。

 

 危なかった……! もし爪での直接攻撃が来てたらアウトだった……。

 

 九死に一生を得た俺は、全身に嫌な冷や汗が流れるのを感じながら、目の前の圧倒的強者を見つめた。

 魔法が一切通じない。気剣も防がれる。スペックはほぼすべて向こうが上。

 一つ一つの要素を検討していく。やがて、理性は絶望の答えを導き出した。

 

 はは……まいったな。

 

 勝てない。

 

 炎龍は、弱者たる俺の命を狩り取らんと、大地を踏み固めながらゆっくりと歩み寄ってくる。

 その強者の余裕と言うべき悠然たる歩みの前に、俺は為すすべもなく立ち尽くしていた。

 まるで人の身で龍に抗おうとした愚か者に、死の裁きを下す儀式のように思える。

 俺はもう諦めかけていた。あんなに諦めるなと思っていたのに。

 どうしてこんなに簡単に心が折れてしまうのか。どうしてこんなに弱いのか。

 力なく俯いた。

 ふと、手作りのウェストポーチが目に入る。

 そのとき、先生が教えてくれた言葉を思い出した。

 修行のときに口を酸っぱく言っていた、基本の基本。

 

『弱い場所を狙え。意識の隙間を狙え』

 

 瞬間、目が覚めるような思いだった。

 気付いたんだ。簡単なことだった。

 奴は俺の気剣の攻撃を、わざわざ気を集めて「防がなければならなかった」ことに。

 つまり、つまりだよ。

 そうでない場所を。意識の隙間を狙って攻撃すれば――通る可能性が高い!

 そうか。諦める必要なんてなかったんだ。

 希望が見えれば、人間というのは呑気なものだ。

 どんなに絶体絶命な状況だって、力が湧いてくる。

 

 やってやる! もう一度こいつに、一泡吹かせてやる!

 

 突然顔を上げ、意気盛んに動き始めた俺に、さしもの龍も意外そうだった。

 だがすぐに戦闘態勢へ移る。王者は一匹の小物を狩るにも油断はしない。

 

 さあどうする。またいきなり首を狙うのは警戒される。

 どこでもいい。まずは奴に通る攻撃を当てるんだ。

 

 そのとき――。

 

 グアアアアアアアアアアア!

 

 至近で咆哮が響く。

 つんざくような爆音に、俺は思わず両手で耳を塞いでしまった。

 人の性質上、怯んでしまうのは避けがたい。

 そこに、爪による引っ掻き攻撃が襲い来る。

 単なる引っ掻きと言っても、それ自体が大岩をも砕く必殺の一撃だ。

 染み付いた基本の動きは、意識よりも早く俺の身体を勝手に動かしてくれた。

 バック宙でかわすと、地に大きな爪痕が刻まれる。

 爪が直接届くほどの接近戦。

 それだけ危険だが、その分こちらの攻撃も届きやすい。

 

 びびって逃げずに、ここでチャンスを作る!

 

 宙返りの体勢のうちに女に変身すると、目を瞑って至近距離での攻撃をやり返す。

 

《フラッシュ》

 

 強烈な光が、龍の目を眩ませた。

 地面に降りた私は、すぐさま飛行魔法を駆使し、炎龍の頭上まで飛び上がった。

 人間と違って視力の回復が早いのか、そこに辿り着く頃にはもう、炎龍ははっきりと私の姿を捉えていた。

 飛行魔法を切って、自由落下する。

 落下の威力を攻撃に利用する。

 炎龍は火球を吐いた。このままでは直撃だ。

 だが女の私には当たらない。

 

 回転しろ。

 

《ファルスピン》

 

 空中で風を噴出しながら身を捻ると、火球は私のわずか横をかすめていく。

 そのまま魔法を使い続けて、限界まで回転を速めていく。

 目まぐるしいほどに視界は回る。この遠心力も攻撃に上乗せする。

 十分に加速したところで、私は男に変身した。

 そして、気剣を左右の手から同時に出す。二刀流だ。

 二つともに気を集中し、どちらの刀身も青白く輝くオーラで包み込む。

 

 狙うのは背中。滑るように肉を斬つ!

 

《センクレイズ・リボルブ》!

 

 火花散るような衝突と同時。

 俺は激しく身体を回しながら、二つの剣を次々と突き立て、巨体の背中から尻尾にかけて、乱舞のごとく斬り裂いていった。

 畳み掛ける連続攻撃に対しては、気をどこに集中させようともすべてを防ぐことはできない。

 このとき炎龍は初めて、痛みに顔を歪めるような唸り声を上げた。

 最後に尻尾の先っぽ、一番細いところを完全に斬り落として、俺は地面に滑り落ちた。

 

 よし! 手応えありだ!

 

 今の攻撃で、炎龍の認識が変わった。

 完全に俺のことを強敵と認めたようだ。

 それまでのように力任せに攻撃してくることはなくなり、ますます手強い存在と化した。

 もうあのような無茶な攻撃も届かなくなり。お互いに決定打がないまま、戦況は膠着していく。

 気付けば、少なくとも数時間が経過し、空は夜明けを前にして白み始めていた。

 手強くなってさらに倒すのは絶望的になった龍だが、これは悪いことばかりではなかった。

 その分時間を稼ぐことができたからだ。

 俺が振り絞った命知らずの勇気が、結果的に命を繋ぐことになった。

 だが龍の体力は無尽蔵であるのに対し、俺の体力はあくまで人間レベルに過ぎない。

 徐々にスタミナの差が、そのまま動きの差となって現れてきた。

 やがて、蓄積した疲労が動きを鈍らせ、ついに炎のブレスの直撃を許してしまう。

 

 しまった!

 

 さすがに死を覚悟した。

 

 そのとき、横から声が届く。

 心強い友達の声が。

 

「水の守護。かの者を包め! 《ティルアーラ》!」

 

 ミリアだ!

 

 本家の《ティルアーラ》が、俺を炎から完璧に護ってくれた。

 さすが本家だけあって、追加の火傷すらも一切許さない。

 

「助けに来たよ!」

 

 少し遅れて、アリスが飛び込んできた。

 笑顔を向けて、俺の前にかばい立つ。

 頼もしい二人の姿に、疲労困憊の俺は、敵の目前にも関わらず顔が綻んだ。

 再び力が湧いてくる。

 ああ。仲間がいるってこんなに嬉しいことなんだ。こんなに安心できることなんだ。

 

「そっちはなんとかなったのか?」

「まあね」

 

 アリスの顔つきが真剣なものに変わる。

 

「聞いて。ライノスたちは操られてたの。変な装置でね」

「なんだって!?」

 

 じゃあ、まさか。

 その予想はすぐに当たる。

 相手を直接見ての魔力感知なら、女の俺よりも得意なミリアが言った。

 

「この龍も、何かの魔法で操られてるみたいですよ。頭のところの魔力の流れが変です。闘争本能だけで無理に逆らっているみたいですね」

「そうか――。勝機が見えたかもしれない」

 

 別に倒す必要はない。

 洗脳を解いてやれば、もしかしたら大人しくなるんじゃないだろうか。

 確実ではないが、他に手はなかった。

 いかに三人と言えども、こいつを倒せるビジョンは見えない。戦っていてそれは痛いほどよくわかった。

 でも、魔法を解除するだけならば。

 攻撃だけならできたんだ。もう一度やってみせる!

 

「その魔法を解除してみよう! 二人とも力を貸してくれ!」

「オッケー!」

「もちろんです!」

 

 三人で龍と対峙する。

 木々の向こうから、朝日の光が差し込み始めた。

 決着は近い。



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36「炎龍との戦い 3」

「もう少しだけ俺があいつと戦う。その間にアリスとミリアは協力して、ほんの少しだけでいい! あいつを痺れさせるだけの強力な雷を作ってくれ! 合体魔法の《デルレイン》ならいけるはずだ!」

 

 自分なりの作戦を語る。

 痺れた隙を見計らい、炎龍の頭に飛び乗って洗脳魔法を解除するつもりだった。

 俺の言葉を聞いたアリスは、やけに含みのある笑顔でちっちと指を振る。

 

「ふっふっふ。あたしたちだって、半年間何もして来なかったわけじゃないわ。任せて」

「やってあげますよ。散々ユウを苦しめた大きなトカゲさんに、究極のお仕置きを」

 

 ミリアはここ最近で一番の黒い笑みを浮かべていた。

 そんな二人の姿が心から頼もしい。だから安心して背中を預けられる。

 

「行くぞ! 炎龍! もうすぐその苦しみから解放してやる!」

 

 炎龍はまるでそれを望むかのように、大きな唸り声を上げた。

 だが相変わらず攻撃の手は苛烈で、緩むことはない。

 俺は必死になってこいつを引き付け続けた。

 二人の魔法が整うまでと考えれば、身体も羽のように軽かった。

 やがて、ついに二人の魔法が発動する。

 

「乱雲。天を覆い来たる雷鳴に大きな力を与えなさい。《ティルハイナ》」

「天地に轟く雷鳴よ! かの暴虐なる龍に裁きを与えよ! 《デルバルティア》!」

 

 俺は仰天した。なぜなら。

 

 なんだそれ!?

《ティルハイン》や《デルバルト》なら知ってるけど、そんなの今まで見たことも聞いたこともない魔法だぞ!

 

 目を丸くした俺を見て、全力で雷の放出を続けながら、アリスが得意気に説明してくれた。

 

「新たにあたしたちが編み出した超上位魔法よ。あたしたちは得意な系統の魔法を磨くことに専念したの。何でもできちゃうあなたやアーガスにはない発想でしょう?」

 

 確かに。下手に何でもできてしまう分、特化しようという発想はなかったよ。

 器用貧乏ここに極まれり。

 いつの間にか二人は、得意魔法で私よりずっとエキスパートになっていたのか。

 

「よし。できたわ!」

 

 見上げると、魔闘技のときとは比べ物にならないほど大きな雷雲が完成していた。

 

 これなら。これならきっとあいつにも効く!

 

「いくわよ! ミリアも一緒に!」

「はい!」

「「合体魔法! 《デルレインス》!」」

 

 瞬間、閃光が弾けて。

 森林のすべての音を消し去るほどの轟音が奔る。

 眩みとともに、それが大地に到達したと認識したときには――。

 巨大な体躯ごと木々を巻き込むほど特大の雷が、矢のごとく炎龍に直撃していた。

 そしてそれは、期待以上の効果を生み出したのだった。

 いくら魔法を撃ってもまったく効かなかったあの炎龍が――本気で痺れて動けなくなっていたんだ。

 それも一瞬なんかじゃない。

 回復に数秒以上はかかるような、決定的に大きな隙だった。

 それだけ時間があれば、安全に事を進めることができる。

 俺はすぐさま炎龍の頭に跳び乗り、女に変身してそこへ手を当てる。

 ミリアの言う通り、脳内におかしな魔素の流れが生じていることがわかった。

 そいつを解きほぐすように、魔素を操ってやる。

 

《魔法解除》

 

 よし。いけた!

 やることが済んだら、さっさと飛び降りて、炎龍の反応をじっと窺う。

 また襲ってきたときの身構えだけしておく。

 さあ。どうなる。

 これで大人しくならなかったら、もうどうしようもないよ。

 心配はなかった。果たして正解だったようだ。

 炎龍の瞳に理知の光が戻った。

 

 グルルルルル……。

 

 炎龍は静かに唸り声を上げる。

 私にはなぜか、それが人の言葉に聞こえた。

 

『礼を言う。人の子よ』

 

 あまりのことにびっくりして、腰を抜かしてしまった。

 

「え、喋った!?」

「マジで!? あたしには全然わからないんだけど」

「私もただの唸り声にしか」

『ほう。龍の言葉がわかるのか』

「なんかわかっちゃうみたいですね」

 

 どうしてだろう。

 わかった。この世界の人間の言葉がわかる能力が、龍語にも適用されちゃったんだ。

 他にあり得そうな理由がない。

 炎龍は、本当に申し訳なさそうに頭を垂れた。

 

『正気を失っていたとは言え、ひどく暴れて本当にすまなかった』

「本当に悪いのは操っていた奴ですよ。あなたは悪くない」

 

 ようやく状況が落ち着いた今になって、カルラ先輩の最期が思い返される。

 私は激しい悲しみと怒りをもって、拳を強く握りしめた。

 

 一体誰なんだ! こんなことをした奴は!

 

 その想いに呼応するように、炎龍は答えてくれた。

 

『仮面を被った女だ。そいつが我を操ろうとした』

「なっ!?」

 

 仮面の女。何度も対峙したことがある。

 いつも神出鬼没で正体が掴めない、仮面の集団幹部筆頭。

 

 ちくしょう! あいつが! あいつがやったのか!

 

「どうしたの?」

 

 いつの間にかこちらに寄って来ていたアリスに、私は怒りで肩を震わせながら、感情を絞り出すように伝えた。

 

「仮面の女だ。今回の事件は、おそらく奴が私たちを始末しようとしてやったんだ! また無関係な周りを巻き込んで!」

「ええっ!?」

 

 

 ***

 

 

 彼女らに悟られないよう戦いを見届けていた仮面の女は、信じられないという表情でわなわなと震えていた。

 

「まさか、あの炎龍を! くっ。ここまで成長していたなんて……!」

 

 油断していたわけではない。現状持てる最上のカードを切ったのに。

 彼女たちは想定を上回る活躍で、ほとんど最小限の犠牲で乗り切ってしまった。

 

「あの子たちは、我々にとって間違いなく大きな脅威になるわ。マスターに失敗の報告をしなければ……!」

 

 彼女は悔しそうに三人に背を向けると、森を駆け出して行った。

 ここで、彼女は大きな失敗を犯してしまう。

 動揺のあまり、隠れようという意識が希薄になってしまっていたのだ。

 そこを目聡くミリアが発見してしまった。

 

「………………」

 

 ミリアは、炎龍にすっかり気を取られているユウとアリスを置いて、一人で彼女を追う決断をした。

 また逃げられてしまう前に。誤魔化されてしまう前に。

 前から引っかかっていたある疑念が、とうとう確信に変わってしまった。

 そのことに、悲しい表情を浮かべながら。

 

 

 ***

 

 

「ということは、まだ近くに仮面の女がいるかもしれないの!?」

「うん。そうだろうね」

 

 そしてまた、追いつく前に消えてしまうのだろう。

 私は悔しくて、握った拳を太腿に叩きつけた。

 

「ねえ、ミリア。あれ?」

「え? いない……?」

 

 気付いた時には、ミリアの姿がどこにもなかった。

 当事者ではない炎龍が、憎たらしいほど呑気な調子で教えてくれた。

 

『彼女なら、先ほどその仮面の女を追って行ったぞ』

 

 ぞくりと、嫌な予感が押し寄せる。

 

 危険だ。いくら何でも一人では!

 

 男に変身し、急いで気を探る。

 仮面の女は特別な仮面をしているからか、気を感じ取ることができない。

 探すならミリアだ。

 

 ――見つけた。

 離れて行ってるけど、まだそこまで遠くには行ってない。

 

「アリス。今からミリアの後を追う。全力で飛ばすから、見失わないように付いてきて!」

「わかった!」

 

 数時間にも及ぶ死闘でふらふらになった身体に、もう一度鞭を打つ。

 ミリアのためならなんてことはない。

 全開の気力強化をかけ、逸る気持ちを足に乗せて走り出す。

 アリスも後ろから離れないように付いてきている。

 去る背中に、炎龍から声がかかった。

 

『人の子よ。この礼はいつか必ず返す。いずれ一度だけ力になろう』

 

 俺は振り返らずに礼を言った。

 

「ありがとう!」

 

 ただ今は、目の前のことだけで頭が一杯だった。

 

 ミリア! 俺たちが行くまで、どうか無事でいてくれ!



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間話6「オズバイン邸血に染まる」

 炎龍襲来事件とほぼ同時刻。サークリスの名家オズバイン邸。

 長男アーガス・オズバインは、三年生の行事であるキラソン山脈魔法演習を休み、自宅待機していた。

 単純にサボったわけではない。仮面の集団に極めて怪しい動きありとの情報が入ったため、有事の際動けるようにと考えてのことである。

 あいにく、首都ダンダーマでまさに今行われている合同軍事演習に参加するため、主だった者はすべて出払っている。

 そのため、家は静かそのものであった。

 自分の部屋で何となしにくつろいでいたアーガスは、コンコンとドアのノックされる音に気付いた。

 

「入れ」

 

 ドアが開くと、メイド服を着た妙齢風の女性が入ってきた。

 

「おぼっちゃま。お父様がお呼びでございます」

 

 アーガスは恥ずかしそうに顔をしかめる。

 

「ニルハ。おぼっちゃま扱いはよせ。もうガキじゃないんだ」

「わたくしにとっては、おぼっちゃまはいつまでもおぼっちゃまでございますよ」

 

 そう言って穏やかな笑みを浮かべたのは、ニルハという当家一のメイドであった。

 彼女はイネアと同じ長命種のネスラであり、先々代からずっとこの家に仕え続けてきた古株である。

 

「ふん。人より長生きだとそうなるか」

「ええ」

 

 やれやれと肩を竦めた彼は、言葉面ほどまんざらでもない様子だ。

 彼女に案内され、アーガスは書斎へと向かう。

 広い屋敷を歩くことしばらく、二人は書斎の前に着いた。

 まずニルハがドアをノックし、お伺いを立てる。

 

「おぼっちゃまを連れて参りました」

「どうぞ。ニルハも構わんよ」

 

 許可を受け、まずアーガスから入室し、一歩下がってニルハが続く。

 ニルハは、部屋の隅にて静かに佇むこととした。仕える身として当然の節度を、彼女は大切にする。

 立派な執務椅子に腰掛ける人物に向かって、アーガスは気安く挨拶を述べた。

 

「よう。親父殿」

「来たな」

 

 ぼちぼち老境に差し掛かろうかという男は、顎の白髭に指を添えて、にやりと笑う。

 いい加減落ち着いても良い歳だろうに。その表情はどこかまるで、いたずら好きの少年のようだ。

 いつもながら、そんなことを息子は思った。

 彼こそアーガスの実父であり、現オズバイン家当主のグレアス・オズバインである。

 魔法の腕こそ息子に遥かに劣るものの、卓越した政治手腕によって、現在のサークリスの『剣と魔法の町』としての地位を確固たるものにした傑物。

 身分実績申し分なく、サークリスの顔を張る人物である。

 この子にしてこの親ありというか。好奇心優先なところが大いにあるのが玉に瑕だが。

 アーガスは、時に舐めた口を聞きながらも、この偉大なバカ親父をひっそりと尊敬していた。

 

「最近学校はどうだ。お前は女子にモテるだけで、対等に話せる友が少ないからな」

「うるせえな。友達というか、まあ対等に話せるのは一応見つかったぜ。変な奴だけどな」

 

 アーガスはユウのことを思い浮かべて、苦笑いする。

 だがそこに嬉しさを隠せていないのを、父は見逃さなかった。

 

「この辺り妙に楽しそうなのは、やはりそういうわけだったか」

「だからうるせえって」

「好きな子でもできたか? んー?」

「いやちげえし。そんなんじゃねえよ」

「そうかそうか。ニルハから話は聞いているぞ」

「なんだよ」

「うちのベッドは好きに使っていいからな」

 

 グレアスのにやり爆弾発言に、アーガスは顔を真っ赤にする。

 

「だからちげえって! あれは訓練し過ぎで、あいつがぶっ倒れたからで。おい、しつこいぞ!」

「くっく。家宝の魔法書まで持ち出しおって。よほど楽しい研究パートナーらしいな」

「……ちっ。なんだよわかってんじゃねえか。これだから親父殿はよ」

「青春はいいものだな」

「うるせえ」

 

 談笑を交えつつ、いくつも他愛もない話から始めて本題へ助走を付ける。

 これがオズバイン家式コミュニケーションである。

 ニルハは黙しているが、この二人の下らないやりとりはいつも楽しみなのだった。

 

 さて。雑談で肩を解した後、いよいよグレアスは本題に移った。

 彼の顔つきが真剣なものに変わる。

 

「仮面の集団のことだが。ついに正体を掴んだぞ」

「本当か!」

 

 アーガスは身を乗り出して、初めて父の言うことに熱心に耳を傾ける。

 すべての真相を聞き終わった彼は、腕を固く組んだまま、顔には静かな怒りを滲ませていた。

 

「ちっ。やっぱりな。怪しいとは思ってたんだよ」

 

 グレアスは肩を落とし、大きな溜息を吐く。

 先ほどと打って変わり、紛れもないリーダーの顔をしている。

 

「魔法産業を売りにしてきたサークリスの信用を地に落としかねない大事件だ。頭が痛いな」

「だがこのまま見なかったことにして、闇に葬るわけじゃないだろ?」

 

 アーガスが父を尊敬するのは、彼が清濁併せ持つ理想的な政治家でありながらも、時に利益よりも真の良心を優先できる人間性を兼ね備えているからでもあった。

 

「もちろんだ。あと一週間もすれば、首都から我が家の主力が戻って来る。そこで一気に叩き潰してしまうとしよう」

「やれやれ。仮面の集団もあと一週間でおしまいというわけか」

「そうなるな。いや、あの事件以来お前の執心ぶりに心打たれたものでな。力を入れて調べさせてもらったよ」

「ありがとよ。親父」

 

 そのときだった。

 親衛隊の兵士の一人が、ノックもせずに死ぬ物狂いで書斎に飛び込んできたのだ。

 グレアスとアーガスは、たちまち青ざめた。

 なぜならその彼が、今にも倒れそうなほど息も絶え絶えで、全身を血塗れにしていたからだ。

 兵士は、最期の気力を振り絞るように叫んだ。

 

「申し上げます! 敵襲です!」

「なんだと!?」

「なにっ!?」

 

 部屋中が驚愕に包まれる。

 ニルハだけは、動揺を顔に出さないように努めていた。

 いざとなれば、お二人を何としても逃がすのだと己に言い聞かせて。

 

「あまりに手際が良く、敵は既にすぐ近くまで迫っております! どうか早くお逃げあへ」

 

 突然、兵士の口から剣が飛び出した。

 彼の頬から上は千切れ飛び、おびただしい量の鮮血をまき散らす。

 そして頬から下は、糸が切れたようにその場に崩れた。

 どくどくと流れる血が、石畳の床を真紅に染め上げていく。

 無残にも殺された彼のすぐ後ろから、ぬらりと人影が現れた。

 頬に大きな傷を持つ銀髪の大男。

 親子が話していた、まさに件の人物で間違いなかった。

 突如目の前で起こった惨劇に対し、アーガスは胸中に激しい怒りを燃え上がらせる。

 だが一方で、こんなときこそ冷静であるべきだと考えている。

 彼は皮肉たっぷりな口調で、男に告げた。

 

「おいおい。話をしてたら早速お出ましかよ。偽りの英雄さんよ」

 

 そう。

 彼の目の前にいるのは、サークリス剣士隊の雄。

 クラム・セレンバーグ、その人であった。

 クラムは静かに剣を構えると、態度だけは相変わらず英雄然として言った。

 

「貴様たちは知ってはならないことを知ってしまった。そろそろ年貢の納め時ということだ」

「ほう。このオレがアーガス・オズバインと知っての台詞なら、大した自信だな」

 

 口では軽く挑発しておきながらも、アーガスは決して油断なく身構える。

 英雄にはそう呼ばれるだけの何かがあることを、彼は知っていたからだ。

 

「思い知らせてやろうか?」

「思い知らせるのは、こちらの方だ」

 

 だがそのような心構えも、クラムの前ではまったくの無意味であることを――。

 彼は思い知ることになる。

 

 

 !?

 

 

「おい……。今、何かしたか?」

 

 アーガスは、ほんの一瞬だけ意識が途切れたような、そんな不可解な感覚を覚えた。

 何が起こったのか判然としないまま、敵から注意を反らさず、周囲の様子を窺う。

 

 すると、彼のすぐ横で――。

 

 父グレアスが、心臓を貫かれて息絶えていた。

 即死だった。

 

「なっ……!」

 

 あまりに唐突な悲劇に、彼は何が起こったのか、一瞬理解が追いつかなかった。

 間もなく事実を呑み込んだ――ただわからぬ間にすべてが手遅れになったことを、呑むしかなかった彼は。

 我を失うほどの激情に身を駆られ、叫んだ。

 

「てめえ! よくも親父をっ! 許さねえ!」

 

 クラムは余裕綽々で、不敵な面構えを崩さなかった。

 いつの間にか、剣にはさらに血がべっとりと付いている。

 

「自分の身の心配をした方がいいのではないか? どの道、あとわずかの命ではあるがな」

 

 アーガスは既に冷静さを失っていた。

 普段の彼ならば、彼我の実力差はとっくに見えている。その上で最適な行動を選択する頭もあるはずだが。

 しかし今の彼には、父を殺されたことへの復讐しか頭になかった。

 ゆえに、敵の攻撃の正体すらわからぬまま、自ら死にに行くような無謀な戦いへと、取り返しの付かない一歩を踏み出そうとしていたのである。

 そこへ、ニルハが身を呈して飛び込んだ。

 必死の形相で、とにかく彼を押し止めようとする。

 

「お逃げ下さい! おぼっちゃま!」

「離せ! ニルハ! オレはこいつが許せねえ!」

「ですが、あなた様まで――」

 

 

 !?

 

 

「か、は……」

 

 アーガスが気付いたときには、ニルハの胸にも深々と剣が突き刺さっていた。

 

「ニル、ハ……」

 

 生温い血が、彼の頬をぴちゃりと、容赦なく叩く。

 これが無謀への代償とでも言うかのように。

 

「逃げ……ましょう……」

 

 致命傷を受け、それでも彼女は、アーガスだけは懸命に助けようとしていた。

 決死の想いから、最期の執念でネスラの特性を発動させる。

 

 転移魔法。

 

 二人の姿が、一瞬にして消える。

 

 彼らを取り逃がしたことを知り、クラムは忌々しそうに毒吐いた。

 

「あの女、ネスラだったのか……。まあいい。ネズミ一匹逃がしたところで、運命は変わらんさ」

 

 

 ***

 

 

 彼らが辛うじて逃れたのは、屋敷からかなり離れた、郊外の静かな場所だった。

 追手がかからないよう、精一杯の心配りをして。

 

「おぼっちゃま……。どうか、生きて下さい……。あなたが、家を……」

 

 それだけ言うと、ニルハは力なく事切れた。

 

 あまりにも突然の別れ。

 アーガスは茫然として、何も言葉が出て来なかった。

 物言わぬ彼女の亡骸を、ただその目に焼き付ける。

 彼女と過ごした数々の思い出が、彼の脳裏に次々と浮かんでは消えていった。

 

 赤子のときからずっと、彼女には散々世話を焼かれてきた。

 事あるごとにおぼっちゃまおぼっちゃまと、何度鬱陶しいと思ったことかわからない。

 だがもう、彼女に対してうんざりすることはないのだ。

 頑固な奴だと、呆れて笑うこともないのだ。

 

 もう二度と。

 

 それから彼は、遥か遠くで我が家が燃えているのを目に焼き付けた。

 

「ちくしょう……」

 

 情けなさが先に出た。

 

 為すすべもなかった。

 何が天才だ。何が開校以来最高の魔法使いだ。

 

 オレは、何も守れなかった……!

 

「ちくしょうっ!」

 

 悲しみが胸を支配する。

 だが、それを超えるものは。

 

「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーー!」

 

 怒りだった。

 

 ゆらゆらと炎上する家を眺めながら。

 彼は自身の心にも、黒い炎が灯っていくのを感じていた。

 

 クラム・セレンバーグ。

 

 奴だけは必ず、この手で。



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37「仮面の女の正体」

 私は仮面の女、いや彼女を追っていきます。

 この半年で改良された《ファルスピード》なら、彼女が使用する加速の時空魔法にもまったく引けを取ることはありません。

 やがて追われていることに気付いた彼女は、足を止めて振り返りました。

 

「あなた……。くっくっく。一人で来るとは良い度胸ね。せっかくだからここで始末しておこうかしら」

 

 そう言った彼女の一見邪悪そのものな嗤いや佇まいは、本人は気付いていないでしょうが、見る人が見れば実にわざとらしいものです。

 なぜなら、それは本来の彼女が持つ性質ではないから。

 これまでは半信半疑でした。

 ですが、今回の事件によって、私はとうとう確信してしまいました。

 どうしても信じたくなかった真実。できることなら嘘であって欲しかった。

 それでもそれが事実であるなら、私は彼女を問い詰めなければなりません。

 なぜあなたはこうなってしまったのか。

 そしてできることならば、もうこんなことはやめて罪を償って欲しいと思うのです。

 意を決して彼女に指摘します。

 

「もういい加減にそんな演技をするのは止めたらどうですか?」

「演技? 何のことかしら」

 

 あくまでとぼける彼女に、私は核心を突きました。

 

「だってそうですよね――」

 

 

 カルラ先輩。

 

 

 そう言った瞬間、彼女の身体がぴくりと動きました。

 震える手で仮面を頭の上にずらすと、その下からは見慣れた先輩の顔が現れました。

 悲しいことに、やはり仮面の女は先輩だったのです。

 先輩は、信じられないという表情で問いかけてきました。

 

「なぜ……なぜよ……。どうしてわかったの?」

 

 私は推理を進めていくような体で、答え明かしをしていきます。

 

「最初の違和感は魔闘技のときでした。先輩は試合中、最後の最後に決して使ってはいけない魔法を使ってしまいました」

 

 おそらく《デルレイン》の威力に身の危険を感じ、意図せず咄嗟に使ってしまったのでしょう。

 普段使い慣れているからこその失敗です。

 加速の時空魔法《クロルエンス》。

 仮面の集団で最も多く使われるロスト・マジックの一つです。

 先輩は納得がいかないという顔で食い下がります。

 

「くっ。でもあれは、世間のどこにも公表されてないはずよ! 絶対に足が付くわけがない!」

「そうですね」

 

 確かに、この魔法は世間一般ではまったく知られていません。

 しかも、効果も見た目だけではわかりにくい。

 ですから、一度しっかり見たことがあり、その後よく調べなければ魔法の正体はわからないでしょう。

 

「ですが、私は知ってたんです。昔、親戚が仮面の集団に殺されるところを目の前で見てましたから」

「そう……。そういうことだったの」

 

 彼女は悔しそうに肩を震わせます。

 そんな些細な傷から足が付いてしまったことが、相当悔やまれるのでしょう。

 私は答え合わせを続けます。

 

「ただ、これだけなら偶然ということはあり得ました。珍しいですが、別に仮面の集団でなくても《クロルエンス》はごく一部に伝わっていますから」

 

 調べたところ、確か先輩の家にも伝わっていたはずです。

 

「だから、最初はそれだと思ったのです」

「そうね……。そうよ。だったらなんでわたしだってわかったのよ!」

 

 声を張り上げた先輩を直接取り合うことはせず、さらに話を進めることにします。

 

「次の違和感は、先輩とは直接関係ないかもしれません。星屑祭二日目の朝に起こった殺人事件です」

「なっ!? あれも!?」

 

 予想していたよりも、先輩は驚きました。

 もしかしたら、あの場にいたのかもしれません。

 

「私はあの現場を少し遠くから見ていたんです。ロスト・マジック、爆発魔法《コレルキラス》が使われていました。そうですよね?」

 

 先輩は何も言えずに黙ってしまいました。

 しかし冷や汗をダラダラかいた顔から、肯定と見てよいでしょう。

 

「この魔法。非人道的であるために十五年前に学会の裏で発表され、軍部でこっそりと実用化が進んでいたものでした。隠蔽工作もあったので少し大変でしたが、調べればどこが復元したものかはすぐにわかりました」

 

 なおも無言の先輩は、すっかり狼狽えていました。

 私は答えを突きつけます。

 

「トール・ギエフ魔法研究室。通称ギエフ研。ここにきて、疑惑は強くなりました」

「っ~! ヴェスターのやつ! これだから単細胞は……」

 

 先輩から襲撃犯の彼の名が聞けたことで、もはや語るに落ちたという状態でした。

 

「三つ目。これは状況証拠です。先輩はいつも、私たちの行く先々に現れてはお節介をかけて行きました。それほど親しかったのに、仮面の集団と戦うときには常にいなかった」

「それは……」

「それは、先輩がそちら側の人間だったからではないですか?」

 

 そこまで言うと、先輩は観念したように肩を落としました。

 

「なぜ……。そこまでわかっていながら、今まで何もしなかったの?」

 

 そんなの理由は一つしかないじゃないですか!

 だって、私は……!

 

「先輩が仮面の集団だなんて、信じたくなかったからです」

「そんなこと……」

「先輩の明るい笑顔。何より私たち後輩と暖かく接する姿を見るたびに、そんなわけはないと思いました」

「…………」

「私は甘いのかもしれません。それでも、先輩を信じたかった!」

「っ……」

「みんなに話してしまうことで、先輩にあらぬ疑いの目を向けさせてしまうことが嫌だったんです!」

 

 悲痛な気持ちでそう言い切ると、先輩はわずかによろめき、口元を歪め、目を見開いていました。

 何か思うところがあったのでしょうか。少しの間俯いて。

 それから、狂ったように高笑いし始めたのです。

 

「あっはっはははははははははは! 甘い! 甘いわ! 大甘よ!」

 

 激昂に任せるまま、まくし立てます。

 

「あなたも、アリスも、ユウも、みんな甘過ぎるわよ! あんたら、わたしたちに歯向かってるって自覚ないんでしょ!? そうでしょう!? そんなだから、あなたたちは……!」

 

 本当に言いたいことは伝わってきました。

 やっぱり先輩にも、非情になり切れなかった面があったのです。

 先輩はまだ辛うじて、まともな人間をやめてはいなかった。

 たとえ罪は許されなくとも、まだ戻れる位置にいます。

 

「ついに先輩は決断し、私たちを直接殺そうとしてきました。先輩自身のテントが狙われたのには、確かに一瞬驚きました」

 

 あのときばかりは、本当に死んでしまったのかとも思いましたが。

 

「よく考えれば、先輩への疑いの目を避けるための偽装工作ですよね。先輩だって、薄々気付いていたのでしょう? もしかしたら万が一、自分が疑われているかもしれないと。だからあんな真似をしたんですよね?」

「ええそうよ! もう十分でしょう? 何が言いたいのよ!?」

 

 仮面を被っていたときの冷静沈着な姿が嘘のように、すっかり素で取り乱してしまっている先輩。

 私は尋ねます。

 捕まえる前に、どうしても聞いておきたくて。

 

「どうして、こんなことに手を染めてしまったのですか?」

 

 先輩は暗い決意を秘めた目で、毅然として答えました。

 

「わたしには目的があるの。そのためなら、どんな犠牲だって厭わない」

 

 言われて、私には一つだけ心当たりがありました。

 先輩がすべてを捨てて、悪魔に魂を売ってしまうほどのもの。

 それは――。

 

「亡くなった恋人のことですか?」

 

 図星だったようです。

 先輩は髪をかき乱し、叫びました。

 

「だったら何だって言うのよっ!」

「どんなに望んだって、死んだ人はもう返ってはきませんよ」

 

 この言葉はどうやら、先輩の触れてはいけない部分に触れてしまったようでした。

 先輩は、今まで見たこともないような大粒の涙を流して、感情をむき出しにしたのです。

 

「うるさい! 黙れ! 黙れ! あの人にもう一度会えないのなら、わたしにはもう生きる意味がないのよ!」

 

 そのとき、はっきりとわかりました。

 先輩は、マスター・メギル――いや、あの男の口車に乗せられてしまったのだと。

 彼氏が亡くなって絶望していたところを、上手く利用されてしまったのだと。

 だとしたら、先輩の悲壮な決意も、先輩がこれまでやってきた数々の悪行にも、きっと何も意味がありません。

 先輩自身のためにも、早くこんなことは止めさせないといけない。

 しかし先輩への同情が、油断に繋がってしまいました。

 はっと気付いたときには、先輩は涙で目を真っ赤にしながらも、瞳の奥には冷酷な光を湛えていたのです。

 

「あなたは知り過ぎたわ――もう、死んでしまいなさい」

 

 

 ***

 

 

 俺たちは、やっとミリアのいた場所に追いついた。

 そこにあるものに目を疑った。

 信じたくなかった。思わず目を背けた。

 もう一度見た。

 やっぱりそれはそこにあった。

 遅かった。

 俺は慟哭を上げた。

 

 

 ミリアが、石になっていた。



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38「サークリスへ急げ」

 少しだけ遅れて来たアリスは、変わり果てたミリアの姿を見たとき、顔を真っ青にして崩れ落ちた。

 

「ひどい……。何かの魔法で、完全に石にされちゃってる……!」

「どこだ! どこにいる! ちくしょう! ミリアを元に戻せ! 戻せよ!」

 

 辺りを見回しながら怒り心頭に叫ぶも、仮面の女からの返事は当然ながら来ない。

 

「くそっ!」

 

 やり場のない感情で、近くにあった木に拳を力任せに叩き付けた。

 木は激しく揺れ、小鳥たちが逃げ出す。

 だが嘆いている暇はない。嘆くよりも先にやることがある。

 俺はアリスに向かって言った。

 

「何とかして元に戻す方法を探そう! ミリアはまだ生きてる!」

 

 自分にも言い聞かせるようにそう提案する。

 全身が石化しているとはいえ、身体は砕かれずにそのまま残ってる。

 まだ死んだと決まったわけじゃない。元に戻せる方法があるかもしれない。

 助けられる可能性がある限り、諦めるな。

 

「ええ! 絶対生きてるわ!」

 

 アリスの声が震えていた。でも目は諦めてはいない。

 俺と一緒の気持ちだろう。

 

「ここじゃどうしようもない。サークリスへ急ごう。まずはイネア先生に相談してみよう!」

「そうね!」

 

 アリスは空を見上げて、大声で愛鳥を呼ぶ。

 

「お願い! アルーン! 今すぐここに来て!」

 

 それから息を大きく吸い込むと、強く指笛を吹いた。

 森の木々に染み渡るように、高音が広がっていく。

 頼れるアルーンは、主の必死の呼びかけにはすぐに呼応してくれた。

 遠くから急いで飛んできて、彼女のすぐ横にさっと降り立つ。

 俺は誤って砕かないように細心の注意を払いながら、石と化したミリアを乗せた。

 移動中、空から落ちないように、お腹の部分を後ろからしっかりと抱きかかえる。

 石になってかなり重たくなっているので、元々の力と気力強化のある男のままでいた方が良いだろう。

 

「サークリスまで全速力で急いで!」

 

 アリスの命令に、アルーンは任せろと力強く鳴く。

 行きでの空の旅を楽しめるようなゆったりした飛び方とはまるで違う、弾丸のような飛行で空を駆け出す。

 気付けば、ものの少しの時間で大森林を抜け出し、遥か視界の彼方へと追いやってしまった。

 

 飛び始めてからしばらく、俺たちはずっと黙っていた。

 お互い何かを話すような気分には、とてもなれなかったのだ。

 ただ、目の前のミリアを黙ってずっと見ていると、嫌な予想ばかりして気が滅入りそうだった。

 とうとうアリスに話しかける。

 

「どれくらいで着けるかな」

「今が朝の早い時間だから、昼過ぎには着くと思う」

 

 それっきり、またお互い沈黙してしまう。重苦しい空気が漂う。

 ふと気になった。

 俺が炎龍と戦っている間、二人の方はどうなったのだろうかと。

 ろくな答えが返ってこないだろうなと思いつつも、みんなの安否が気になる。

 やはり迷ったが、最後まで聞かずにはいられなかった。

 

「結局そっちはどうなったんだ?」

 

 アリスは辛そうに俯いた。

 

「忙しくて誰がやられたかなんて確認できなかったけど、たぶん数十人は亡くなったわ。演習は即刻中止。しばらくは休校でしょうね……」

「そうか……」

 

 トランプ大会の楽しい光景が脳裏に蘇る。

 あの中にいた誰かとは、もう二度と会えない。

 余計に気が滅入ってしまって、今度こそもう何も言えなかった。

 

 

 ***

 

 

 やがて、道中の中間地点を過ぎようかという辺りまで来て。

 地上がとんでもないことになっているのに気が付いた。

 

「アリス。下を見てくれ」

 

 俺に言われて見下ろしたアリスの顔が、みるみるうちに青ざめる。

 

「うそ……。滅茶苦茶じゃない!」

 

 眼下に広がっていたのは、線路が数箇所に渡り爆破され、ずたずたになっている光景だった。

 サークリスとオルクロックとを高速で繋ぐ、唯一の道だ。

 

「誰がこんなことを……」

 

 言いながら予想は付いていた。仮面の集団に違いない。

 他にこんな真似をする奴も、できる奴もいない。

 大森林にいる俺たちにまで手を回したのだから、ついでに途中のここで破壊工作をするのは造作もないことだろう。

 だが、彼らがやったには違いないとしても、腑に落ちないところがあった。

 鉄道の爆破なんて目立つことをすれば、当然大きく警戒される。

 後に首都の戦力を呼ばれる展開は避けられないだろう。

 短期的には奴らにとって有利になるのかもしれないが、長期的には明らかに不利になる。

 これまで仮面の集団は、中央に決して目を付けられないように、もっと秘密裏に動いてきたはずだ。

 それがなぜ、今になって――。

 まさか。

 俺は恐ろしい可能性に思い当たってしまった。

 あの線路の状態では、復旧にはしばらく時間がかかってしまうだろう。

 その間、サークリスと他の町との連絡はほぼ完全に絶たれてしまう。

 もし、そのしばらくで十分だとしたら?

 敵の狙いが当面の間だけサークリスを孤立状態にし、何かを為す邪魔をされないようにすることにあるのだとしたら。

 考えてみれば、今はちょうど首都で合同軍事演習がある。

 交通の便を絶ち、奴らにとっての敵対戦力を削るなら、このタイミングが最適だった。

 狙いがとにかく邪魔者を消すことにあるのなら、今さらになって俺たちを本気で狙ってきたことにも納得がいく。

 仮面の集団が掲げる正体不明の「計画」は、考えていたよりもずっと完成に近づいているのかもしれない。

 俺は未だ見えない目的地の方角を見つめた。

 一体、サークリスで何が起ころうとしているんだ……?



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39「魔法研究所へ」

 予定通り、昼過ぎにサークリスへ着いた。

 イネア先生の道場に降りると、すぐにミリアを中へ運び込む。

 先生は無残な姿となったミリアを見るなり色を失い、直ちに治療へ取りかかってくれた。

 しかし、先生の強力な気を使った治療を持ってしても、一見したところまったく効果がなかった。

 石の身体には、気が少しずつしか入っていかない。

 先生は力なく肩を落とした。

 

「すまない。私にはどうすることもできないようだ。どうやら、ロスト・マジックの類のようだが」

「そうでしょうね。現存する魔法で、こんなものは聞いたことないですから」

 

 アリスも同意する。

 ロスト・マジックと聞いて、俺には心当たりがあった。

 その人物に会おうと思い立ち、女に変身する。

 

「先生。少し出かけてきます」

「どこにだ?」

「トール・ギエフ先生のところです。ロスト・マジック研究の第一人者なら、この魔法についても何か知ってるかもしれません」

「ふむ。なるほどな」

 

 それから、アリスには別を当たることをお願いする。

 

「アリスは魔法図書館に行って欲しい。この魔法に関する情報が何かわかるかもしれない」

「わかった」

「私は何をすればいい?」

「先生はミリアのことを看ててあげて下さい。気による治療も、続ければもしかしたら効果があるかもしれませんから」

「ああ。いいぞ」

「じゃあ。いってきます」

 

 先生の道場から急いで走ること約二十分。

 町のやや外れ、ラシール大平原寄りの閑静な住宅街に目的の建物はあった。

 トール・ギエフ魔法研究所。

 建物は立派な三階建てであり、見るからに高そうな石を建築材に使っている。しかもまるで新築のように綺麗だった。

 何でも、数々の成果を上げてきた実績から、町からかなりの予算が下りているらしい。

 向かって正面上には『トール・ギエフ魔法研究所』とデカデカ書かれた、これまた立派な作りの看板がかかっている。

 看板の下部には、やや小さく「共に行こう。自由の空へ」というキャッチコピーが記されていた。

 そう言えば、ギエフ先生はよく学問研究の自由性を空に喩えていたっけ。

 今まで、もし行ったら強引に誘われそうだなと思ってなんとなく避けてきたけど……。

 とうとうこの場所に来る日が来てしまった。それも用件は親友の命がかかる一大事だ。

 私はぐっと気を引き締めると、正面入口に足を踏み入れた。

 外も立派だったが、中も違わずそうだった。いかにも最新鋭の研究所という感じだ。

 エントランスは、つるつるとした美麗な床で覆われており、白い壁には高そうな絵がかかっている。

 中央部には、大きな隕石模型が置いてあった。メギルを模したものだろうか。

 受付は奥の方にあった。

 そこにいたお姉さんに挨拶すると、にっこりと笑って「しばらくお待ちください」と言われた。

 待っている間、手持ち無沙汰だったのと少し気になったので、中央の模型に近づいていく。

 下の説明を見ると、やはり「伝説に記された天体魔法メギルをイメージしたものである」と書かれていた。

 ややあって、受付のお姉さん直々に案内してもらえることになった。

 三階へと向かう。今トール・ギエフ先生は主任室にいるらしい。

 ノックすると「入りたまえ」と言われたので、ドアを開けて入室する。

 左右には壁を覆うほど巨大な棚があり、それらを埋め尽くすようにずらりと魔法書が並んでいた。

 正面には大きなデスクが一つ。

 その後ろの立派な革張りの椅子に、彼は座っていた。

 

「やあ。君から尋ねてくる日が来るとは思わなかったよ。して、何の用かね?」

「はい。とあるロスト・マジックについて、伺いたいと思いまして」

 

 彼はいつもの穏やかな調子で微笑んだ。

 

「言ってみたまえ」

「対象を石化する魔法なんですけど、ご存知ありませんか?」

 

 彼は顎に手を当て、考えを巡らせるしぐさをしながら頷く。

 

「ふむ――。それは石化魔法《ケルデスター》だね」

 

《ケルデスター》というのか。

 どうやら彼が知っていたことで、期待は高まる。

 

「実に恐ろしい魔法だよ。石にされた者は通常、永遠にそのままだ。術者が自ら解除するか、あるいは死亡することによってしか解けることはない」

「そうなんですか……」

 

 だとしたら厄介だ。

 仮面の女に解除させるか、彼女を殺すしか方法がないってことになる。

 だが一方で、今の話は希望でもあった。

 困難ではあるが、解除はできるんだ。

 つまり、ミリアはまだ生きてる。

 そのことにひとまずほっとする。

 

「かつてのエデルでも禁止指定だった、非常に危険な魔法だ。一体どこでそんな魔法を知ったのかね?」

 

 禁止指定魔法。

 そんな凶悪なものを使ったのか! あいつは!

 再び腹の底が煮えくり返るような怒りを感じながら、どうにか抑えて答える。

 

「仮面を被った女です。そいつに使われて、友達のミリアがやられたんです!」

 

 すると彼は、非常に同情的な顔を示した。

 

「ほう。それは気の毒なことだ。して、その仮面の女というのは――」

 

 

「彼女のことかね?」

 

 

 はっと振り向くと――。

 

 部屋の入口には、紛れもないあの仮面の女がいた。

 一瞬、何が何だかわからなかった。

 

 どうして!? なぜここに!?

 

 彼女は「ハーイ」と手を上げて、こちらへ憎たらしいほど軽いノリで挨拶してくる。

 

 ――まさか。

 

 まさか!

 

 再び前を睨み付けると、そこには。

 

 既に本性を表し――。

 

 凶悪な嗤いを浮かべる彼がいた。

 

 瞬間、私は気付いた。

 愕然とした。

 

 すべては、この男の掌の上だったのだ。

 なぜ仮面の集団は、私たちの動向に詳しかったのか。

 なぜ仮面の集団は、数々のロスト・マジックを使いこなしてきたのか。

 至ってみれば、当然の結論だった。

 これまでの凄惨な事件の数々が、脳裏に蘇る。

 それらすべてが、こいつによって仕組まれたものだった。

 こいつこそが、すべての黒幕だった!

 

 私は、怒りとも悔しさとも怨みともつかない激情に身を駆られ、一切を搾り出すように叫んだ。

 

「お前が! お前だったのか!」

 

 

「マスター・メギルッ!」

 

 

 トール・ギエフは、この上なく下卑た笑みを浮かべた。

 

「ご名答。百点満点だよ」



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40「敵中ただ一人」

 本性を現したトール・ギエフは、もはやあの穏やかな人当たりの良い講師ではなかった。

 今や奴は残忍さと狡猾さを湛えた凶悪そのものな顔つきに変わり、先ほどまで柔らかだった眼つきも獲物を狙う鷹のように鋭く、おぞましいほどの威圧感を放っていた。

 奴は懐から「マスター・メギル」の仮面を取り出し、私に見せ付けながら言った。

 

「誰でも人は、仮面の下に本当の素顔を隠す。目に見えるか否か。違いはそれだけに過ぎない」

 

 仮面をしまうと、再びこちらを嘲るように口角を上げる。

 

「我が城へようこそ。ユウ君」

 

 私は戦慄した。全身が凍るような思いだった。

 ここは敵の本拠地。周りすべてが黒一色。

 対する私は一人だけ。

 絶体絶命の窮地。まさにその言葉通りの状況だった。

 私は呪った。

 何も知らずに、こんなところに一人足を踏み入れた自分の迂闊さを。

 何より、これまで奴に気を許してきた自分の間抜けさを!

 胃が裏返るのではないかというほどの悔しさと怒りに身を震わせていると、奴はいたく満足気に嗤った。

 趣味が悪い。こんな私を見て愉しんでいるんだ!

 そして奴は、さらなる追い討ちをかけてきた。

 

「そうだ。君に改めて紹介しよう。我が優秀な部下、カルラ君だ」

 

 なんだって!?

 

 驚いてまた振り返ると、彼女がすっと仮面を外した。

 

 その下から現れたのは――。

 

 紛れもなく、死んでしまったはずのカルラ先輩の顔だった。

 

 目を疑った。信じられなかった。

 

 なぜ、あの先輩が――。

 

 ひどく狼狽してしまい、抱えた怒りをどこにぶつければいいのか、一瞬わからなくなる。

 なにしろ、事件の被害者と思われていた人物と加害者が、まったくの同一人物だったのだから。

 何も言えないでいると、彼女がとぼけたように尋ねた。

 

「演習は楽しかったかしら?」

 

 そのふざけた言葉を聞いて、さすがに頭ではわかってしまった。

 彼女は紛れもなく、あの仮面の女なのだと。

 マスター・メギルたるトール・ギエフの、一の部下なのだと。

 考えてみれば、奴がマスターである時点で当然のことだった。

 あれだけ執拗に私たちをギエフ研に勧誘していたことも、今になってみれば白々しい。

 あわよくば仲間に引き込むか、無理なら始末してしまおうとでも考えていたに違いない。

 ミリアが彼女を見ていたときの表情が、なぜ時々曇っていたのか。

 ああ。今ならわかるよ。

 ミリアは人を見る目に関しては、かなり鋭いところがある。

 逸早く私の正体を見抜いたように、きっと彼女の正体を薄々見抜いていたんだ。

 だけど、こんな残酷な事実なんて信じたくなかったはずだ。

 だからあえて何も言わなかった。

 私だってそうだ。

 こんなこと、事実であって欲しくなかった!

 なぜミリアが危険にも関わらず、彼女の元に一人で向かったのかも今ならわかる。

 説得しに行ったんだ。

 カルラ先輩なら、話せばきっとわかってくれると思ったんだ。

 彼女と対峙する辛い役目を私とアリスに背負わせたくなくて、ミリアはあえて一人で向かった。

 ミリアは、カルラ先輩の良心を信じていた。だから一人で向かえた。

 なのに最後まで信じてくれたミリアを、こいつは裏切った。

 石にするという最悪の形で!

 そこまでをやっと理解したとき、私の中で彼女はもう、暴走しがちだけど面倒見の良い愛すべき先輩ではなかった。

 この上なく憎むべき敵だった。

 気付けば身体は動き、叫びながら彼女の胸倉に掴み掛かっていた。

 

「おまえーーーー! よくもミリアをーーー! ミリアはお前のことを信じてたんだ! なのに! なのにどうしてお前はっ! ミリアを元に戻せ! 戻せよっ!」

 

 彼女は一瞬だけ悲しそうに顔をしかめたが、すぐに声を荒げ、私を突き飛ばしてきた。

 

「邪魔よ! 騙される方が悪いのよ!」

 

 弾かれて尻餅をつく。

 

「うっ!」

 

 トールはそんな私たちのやり取りを見て、殺したくなるほど憎い嗤い声を上げた。

 

「ククク。愉快だ。実に愉快だ。笑いが堪え切れんよ」

「ふざけるなっ!」

 

 私の怒りなどそよ風のように無視し、奴はカルラに語り掛ける。

 

「君が咄嗟に思い付いた作戦は、実に素晴らしかった。大森林での失敗は不問にするとしよう」

「ありがとうございます」

 

 なんだよ!? 作戦って!?

 ほとんど疑問に思う間もなく、カルラが得意な顔で説明してきた。

 

「ミリアを石にしたとき、気付いたのよ。このまま砕いてしまうより、餌にしてあなたたちを誘き寄せた方がいいとね。使われたのがロスト・マジックだと知ったなら、誰かが必ずここに来るはずと踏んだわ」

「……!」

「それも、わざわざ聞くだけに全員では来ないでしょう。特に急ぎならね。見事予想は的中した」

「君が一人だけでのこのこ来るとはな。君を捕らえれば、最も厄介な相手であるイネアも釣ることができる」

「くっ! くそっ!」

 

 私は激しい焦りを感じながら、急いで立ち上がった。

 奴の言う通りだ。

 もし私が捕まって帰って来なければ、イネア先生はここを怪しむだろう。

 そしてみんなで助けに来てしまう。奴らは、そこに罠を仕掛ける気なんだ!

 一網打尽。最悪の光景が過ぎる。

 正直、色々と言ってやりたい気持ちと、思い切り懲らしめてやりたい気持ちで一杯だ。

 だが理性はこの状況に対し、逃げろと必死で告げている。

 この場に二人だけなはずがない。きっと他にもたくさんの敵が待ち構えている。

 一人ではどうにもならない。

 とにかく逃げなければ! みんなが危ない!

 だが、どうやって!?

 

「さて。この長話で、石化魔法の準備は済んだな。カルラよ。ユウも石にしてしまえ」

「はっ」

 

 もはや考えている暇はない。

 私は男に変身すると、すぐに気力強化をかけた。

 

「ほう。目の前で変化するのは初めて見たな。中々興味深い」

「ほんと何者なのかしらねえ。調べるのが楽しみね」

 

 まるで実験動物を見るような目でこちらを見てくる二人に、俺は心底ぞっとした。

 

「なに。怖がらなくてもいいわ。一瞬のことよ――石になるのは」

 

 考えなんてない。とにかく逃げろ!

 跳ねるように駆け出し、部屋の入口に立ち塞がるカルラを押し飛ばすつもりで突っ込む。

 そのとき、彼女の瞳が怪しく光った。

 

 ――なぜかはわからないが、とにかくなんともなかった。

 

 驚く彼女を容赦なく突き飛ばし返して、部屋を飛び出す。

 そのまま全力で廊下を駆けていく。

 後ろから怒声が聞こえた。

 

「まさか! 《ケルデスター》が効かないなんて!」

「ふむ。まさか彼には、一切魔力がないとでも言うのかね!?」

 

 どうやら魔力がなければ効かないらしい。男になっていてラッキーだった。

 窓を破って飛び出そうとしたが、この窓はかなり強力な魔法がかかっているらしい。容易に破ることができなかった。

 トールから、研究所内に音声で指令が入る。

 

『ユウ・ホシミが逃走を図った。決して逃がすな!』

 

 くっ。敵はどう足掻いても俺を逃がしてくれる気はないらしい。

 辺りの部屋から、わらわらと人が飛び出してきた。

 出てくる出てくる。彼らはすべて、仮面を被った下っ端たちだ。

 俺は左手から気剣を出した。

 状況が状況だ。悪いけど、今日ばかりは手加減できそうにない。

 

「死にたくない奴は道を開けろ!」

 

 走りながら大声で告げると、まず下っ端の一人が立ち塞がる。

 中位光魔法《アールリット》を撃ち込んできた。

 かつてアーガスが使った光弾の上位光魔法《アールリオン》。その一つ下位に相当するロスト・マジックだ。

 こいつらは、ロスト・マジックの二大系統である時空魔法と光魔法(それから、光魔法の亜種である闇魔法も)を得意とする。

 アーガスのそれよりはかなり小さいものの、十分な威力を持った光弾がかなりの速さで飛んでくる。

 魔法抵抗力のないこの身体でまともに受ければ、中位と言えども少々危ない。

 当たる直前、俺は気剣を一瞬だけ盾状に変えた。

 攻撃を防ぎつつ迫り、立ち塞がるその敵を容赦なく斬る。

 

 別にあのときヴェスターが言ったように、命を絶つことにこだわりはない。

 そんな考えなんて糞喰らえだって思ってる。

 ただ、どうしても斬らねばならない状況ではやることを、俺はこの半年で身につけた。

 ここで躊躇えば、仲間の命が危なくなるかもしれない。

 敵でも手心を加えて打ち身にする甘い奴だと思われれば、次から次へと敵は襲い掛かってくる。

 そんな贅沢が許されるのは、それでも何とかしてしまう圧倒的な強者だけだ。

 俺には残念ながらそこまでの力はまだない。いつかはと思うけど。

 血の吹き出し方からして、彼(それとも、彼女だろうか)はおそらくすぐに死んでしまうだろう。

 胸に重苦しいものを感じながら、それでも俺は進む。今はもっと優先すべきものがあるから。

 何人かは今ので怯んでくれた。おかげで無駄な戦いを避けることができた。

 

 よし。一階を目指そう。正面出口ならさすがに脱出できるはずだ。

 研究所内は通路が割りと入り組んでいるが、案内されたときに道を記憶していてよかった。

 

 敵をなぎ倒しながら必死に逃げ進み、ようやく出口の手前まで辿り着いた。

 中央にメギルの模型がある、あのエントランスまで戻ってきたのだ。

 このまま逃げ切って、みんなで作戦を練ろう。そしてミリアを助けるんだ。

 そんな希望が見えたとき――。

 

 目の前には、あのクラム・セレンバーグがいた。

 

 なぜここに!?

 

 いや、なんとなくわかった。

 俺はあのとき、彼の前でヴェスターが急に狼狽していたのを見ていたからだ。

 今この状況でここに立ち塞がっている者が、味方であるはずがない!

 俺は油断なく正面を見据える。

 敵は腐っても英雄だ。一気に距離を詰める謎の技もある。迂闊に近寄るな。

 

「大人しく捕まってもらおうか」

「はいと言うとでも?」

 

 側面に回り込みつつ、ウェストポーチから、スローイングナイフを取り出す。

 炎龍戦で使った一本を除いて、残り九本。

 そのうち五本を、彼が避けなければいけない位置に思い切り投げつけた。

 気で強化しているから、相当な速さだぞ。

 これで少しは反応があ――。

 

 

 !?

 

 

 ――な!?

 

 気付いたとき、彼はまったく動いてはいなかった。

 だが、ナイフだけが――。

 一瞬で彼の後ろ側に回っていた。

 投げたままの予測される軌道で、既に壁に突き刺さっていたのだ。

 

 なんだ!? どうなってるんだ!? 余計にわからなくなったぞ……!

 

 ただ、これだけはわかった。

 とにかくやばい。やばすぎる。

 全身にべっとりと嫌な汗が流れるのを感じた。

 得体の知れない人間というものの恐怖。炎龍のときに感じたものとは、まったく異質の恐ろしさだった。

 彼はじっと動かず、そのまま出口の前に立ち塞がっている。

 そうするだけで十分であるのがわかっているようだった。

 実際十分だった。

 俺はヘビに睨まれたカエルのように、その場からぴくりとも動けなかった。

 あそこに近づいたら、絶対にやられてしまう。そのことが肌でわかってしまったからだ。

 やがて後ろから、トールとカルラが追いついて来るのが気でわかった。

 三対一になれば、余計に勝ち目はない。

 もう動くしかない。

 残る四本のナイフを、惜しげもなく投げつける。

 それと同時に飛び出し、奴の脇を取って、外へ一気に駆け抜けようとした。

 

 

 !?

 

 

 俺がまったく動けずにいる中。

 一瞬だけ、彼が俺の腹を殴るのが見えたような気がした――。



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41「全員、敵の正体を知る」

 ユウと別れてから、魔法図書館で色々と漁ってみたけど、残念ながらあの魔法に関する手がかりはまったくなかった。ユウの方に期待するしかないわね。

 あたしは今日は寮に帰らず、道場でミリアを看ながらユウの帰りを待つことにした。

 でも日が落ちても、深夜になっても、ユウは帰ってこなかったの。

 イネアさんも立ち振る舞いだけは気丈そうだったけど、段々と心配になってきたみたい。

 座って腕を組みながら、落ち着かない様子で指を腕にトントンとしていた。

 そのうち、イネアさんはとうとう我慢ならない様子で言った。

 

「遅い。いくらなんでもおかしいのではないか」

「そうですよね。まさか、向かう途中で何かあったんじゃ……」

 

 ミリアがこんなにされてしまったんだもの。

 もしかして、ユウも襲われてどっかに攫われちゃったんじゃ……。

 嫌な想像が頭を過ぎり、ぞっとする。

 でもイネアさんは、かぶりを振ってその説を否定した。

 

「いや。途中で男に変身したようでな。あの子の気を感じ取れるようになった。今も反応はずっとトール・ギエフ魔法研究所の位置にある。それもなぜか地下深くにだ」

「そうなんですか!? けど、どうして変身なんかしたんでしょう? あんなに世間にバレるのを嫌がってたのに。しかも地下って……」

「だからおかしいと言っているのだ」

 

 あたしもすごく変だと思った。

 あのユウが人前でほいほい変身するとは思えないし、それにギエフ研に地下室があるなんて聞いたことがない。

 まさか――。

 

「変身せざるを得ない事態に巻き込まれたか」

「そうかもしれません。あたし、心配になってきました」

 

 イネアさんは腕組みを解いて、すくっと立ち上がった。

 

「無事を確かめねばならないな。今からユウの元に向かうぞ」

「はい! あ、でもちょっと待って下さい」

「なんだ」

 

 あたしは、認識阻害の光魔法《アールメリン》を、石になった彼女にかけた。

 ミリアに習ったものを、ミリアのために使う。

 もし敵の誰かに見つかって、持っていかれたり砕かれたりしないように。

 

「ごめんねミリア。ちょっとだけ一人で待っててね」

 

 今にも動き出しそうな、あまりにそのままの姿に、いつものように「はい」と返事がきたような錯覚を覚えてしまう。

 大丈夫。絶対元に戻してあげるから。

 あたしたちのことを見守っていたイネアさんに振り向いて、意気たっぷりに言った。

 

「さあ、行きましょう!」

「ああ」

 

 とそのとき、道場の扉が勢い良く開いた。

 現れたのは、燃えるような赤髪を持つ男。アーガス・オズバインだった。

 でも様子が変ね。いつものように自信に満ち溢れた顔じゃない。

 強い怒りを忍ばせているのが一目でわかるほど、深刻な表情をしていたの。

 彼はあたしたちの姿を認めると、つかつかと歩み寄ってきた。

 

「今ここにいるのは、二人だけか。いや、もう一人――ミリアが、石になってるな。仮面の集団にやられたのか?」

「ええ。昨日の朝、仮面の女にやられたの。今どうにかして元に戻そうとしてて」

 

 そしたら彼、信じられないことを言ってきたの。

 

「くそ! カルラのやつ、とうとう後輩にも手を出しやがったか!」

 

 え――!?

 

 だって、カルラさんは――。

 驚きで声が出ないあたしに、彼ははっきりとした口調で告げた。

 

「お前たちに伝えておきたいことがある。仮面の集団の正体についてだ」

 

 あたしたちは、衝撃の事実を知らされた。

 仮面の女の正体が、あのカルラさんであること。

 マスター・メギルが、魔法史のギエフ先生だったこと。

 そして、あたしが以前助けを求めたクラムさんが、仮面の集団一の剣客であることなど。

 次々と明かされる真実に愕然としながらも、引っ掛かりがするすると解けていくようだった。

 ミリアがカルラさんを見るとき時々浮かべていたあの表情も、これまであたしたちの動向が掴まれることが多かったことも。すべて。

 

 だとすると、ユウは!

 

 もう居ても立ってもいられなかった。

 

「なんてこと! ユウは、たった一人で敵地にいるってことじゃない!」

「なに!? ユウが!?」

「くっ! そういうことだったのか!」

 

 あたしとイネアさんはすぐに道場を飛び出そうとしたけれど、アーガスが声を張り上げて制止してきた。

 

「待て! 敵がわざわざユウを生かしているのなら、罠があると考えるべきだ! のこのこ向かっていくのは自殺行為に等しい!」

「そんなことはわかっている! だがユウは、私の大切な弟子だ! その弟子が危機に陥っているのだ! たとえ何があろうと助けに行くのが師というものだろう!」

「これ以上親友を好きにはさせないわ! どんな罠が待ち受けていようとも、あたしは絶対にユウを助ける!」

 

 あたしたちの揺るがぬ決意を聞いて、彼は呆れたように肩を竦めた。

 

「ちっ。どいつもこいつも、とんだお人好しだ――いいぜ。付き合ってやる。オレもユウは助けたい」

「ありがとう」

「恩に着る」

 

 彼は一瞬だけ頬を緩めたけれど、すぐに顔を引き締めて、真剣な目で続けた。

 

「それに、個人的にも用があるんでね」

 

 ぎりぎりと歯を食いしばるアーガス。

 そして静かに怒りを込めて、衝撃的なことを伝えてきたの。

 

「オレの家がクラムの野郎にやられた。オレ以外の全員が殺されたよ」

 

 いたく沈痛な気持ちになった。何を言ってあげればいいのかわからない。

 イネアさんも顔を暗くする。

 

「そんな……」

「よく落ち着いていられるな」

「別に落ち着いてはいないさ。ただ、少し頭は冷やしてきた」

 

 彼が拳を開くと、血の跡で真っ赤になっていた。

 むしろこちらの血の気が引いてしまうほどに。

 一体どれほどの激情を押さえ込んできたというの。

 

「取り乱せば、奴らの思う壺だということを知っているだけだ」

 

 彼の目には、暗い決意が秘められていた。

 

「必ず仇を討ってやる。そのために行くのさ。ただ……まずはユウの救出を優先してやる。仇ならいつでも討てるからな」

 

 顔を少し背けて悔しそうに言った彼は、本当なら今すぐにでも、すべてをかなぐり捨てて仇討ちをしたい気分でしょう。

 それでも、親友のユウを助けることを優先してくれた。

 そんなあなたも十分にお人好しじゃない、とあたしは嬉しく思った。

 

 

 ***

 

 

 研究所まで移動しながら、アーガスは現状について説明してくれた。

 

「クラムの奴に内部から襲撃され、サークリス剣士隊は現在半壊状態だ。英雄様がいきなり寝返ったんだからな。主力の大半を失ったと聞いている」

「ひどいことになってるのね」

「だが灯が消えたわけじゃない。残存勢力は、既に退役したじいさん――かつての隊長ディリートの下に再結束している。これだけ行動が早かったのは、鉄道爆破、剣士隊襲撃、ウチの焼き討ちと、相次ぐ事件によってみんな薄々わかってしまったのさ――この町で何かが起ころうとしていると」

 

 この町で何かが起ころうとしている。あたしにもその実感はあった。

 ここに来て、目立った活動があまりにも続いている。まるで計画の総仕上げにでも取り掛かっているみたいに。

 イネアさんがふと昔を懐かしむような、そんな顔をした。

 

「ディリートか。あの男は信用できる」

「知っているのか?」

「ああ。かつて私が直々に鍛えてやった、ユウの一つ前の直弟子だからな」

「そんな関係があったんですね」

 

 ユウの一つ前がおじいさん。変な感じだけど、イネアさんだからこその取り合わせよね。

 

「うむ。すぐに弱音を吐くユウなどと違って、どんなにしごいても根を上げない子でな。気剣術の達人に育て上げてやった」

「マジかよ。あー、確かに聞いたことあるな。見たこともないすげえ剣術使うって。あのじいさん、お前に頭上がらないのかよ」

「ふふ。しかし、もう年なのか。普通の人の生とは短いものだな」

「あんたらと一緒にするなよ」

「それもそうだな」

 

 イネアさんは遠い目をしながら、ふっと笑う。

 アーガスはなぜだか、辛そうに顔を歪めていた。

 それから彼は、あたしに向かって言った。

 

「さっき言いそびれたから、今言うぜ。あの石化魔法はおそらく《ケルデスター》だ」

「知ってるの!?」

 

 彼は頷き、続ける。

 

「術者が解除するか死亡するか以外では解くことができない。だから何とかしてカルラに解除させるか、もしくは――あいつを殺すしかないな」

「そんな……」

 

 どちらも相当ハードルが高いことのように思われた。

 それに、いくら敵だからってカルラさんを殺すなんて!

 何とかしてカルラさんを説得することはできないかしら。

 ううん。ミリアもユウもそれができなかったからこその現状だってことはわかってる。あたしならできるなんて思い上がるつもりはない。

 まずは徹底的に懲らしめなくちゃ。話はそれからよ。

 

 アーガスはまた、有用な情報を教えてくれた。

 

「また使われるかもしれないから、対処法を言っておこう。あれは何も知らずに使われるとどうしようもないが、知っていれば防ぐのは簡単だ」

「そうなの?」

「ああ。雷の守護魔法《デルアーラ》で完全に無効化できる。お前、使えるか」

「ええ。使えるわ」

 

 意外と手軽に防げるのね。よかった。

 得意系統だし、問題なくいけるわ。

 

「じゃあ今のうちに張っておけ。オレは自分で張るからいいが、一応イネアにもかけておけ」

「わかった」

 

 雷の守護よ。我が身を包め!

 

《デルアーラ》

 

 バチバチと雷のオーラが全身を覆う。

 イネアさんにもかけると、お礼を言われた。

 

「すまないな」

「いいですよ。魔法はあまり得意じゃないんですよね」

「まあな」

 

 それっきり、三人とも黙り込んだ。

 目指すは敵の本拠地。命懸けの戦いになる。

 否応なしに緊張感は高まっていた。

 そう言えば。

 あの魔闘技で負けて以来のリベンジマッチになるんだ。

 あのときは楽しかった。またああやって心から楽しく戦える日は、もう来ないのかな。

 そう思うと悲しくなったけれど、首を振ってすぐに気持ちを切り替えた。

 後ろ向きはあたしには似合わない。

 まずはカルラさんに打ち勝って、話を聞いて。それから考えればいいことよ。

 今度は絶対に負けられない。二人の命がかかってる。

 あたしは決意を固めると、次第に迫る研究所を見つめた。



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42「囚われのユウ マスター・メギルの野望」

 気が付くと、そこは怪しげな機械装置がたくさん並ぶ実験室のような場所だった。

 俺は服をすべて脱がされ、丸裸で台に繋がれていた。動けないように、両手足と胴体が分厚い錠で縛られている。

 さらには、全身のいたるところに吸盤が取り付けられ、あちこちに針が刺さっていた。

 吸盤や針から繋がっているところを辿って横を見ると、機械の画面が動いているのが見えた。

 その機械はコンピュータのようなもので、まるでこの世界では見たこともない代物だった。明らかにこの世界の文明に対して浮いている。

 何やらリアルタイムでグラフが作られていた。俺に関するデータが勝手に取られているようだ。

 まさに被検体という状態だった。ぞっとするような恐怖と、胸糞の悪さが同時に込み上げてくる。

 錠を破ろうと気力強化を試みるが、なぜか身体にまったく力が入らない。

 それでも無理に気を入れようとしたら、全身に刺さった針から激痛が走った。

 特に頭が、割れるように痛い!

 

「うああああああああああああーー!」

 

 やむを得ず気力強化を解除すると、すぐに痛みは止んだ。余計に身体がぐったりしてしまった。

 俺の叫び声を聞き届け、誰かがやってくる足音がした。

 やがて、俺の顔を愉しそうに覗き込んだのはあのカルラだった。

 

「どうやらお目覚めのようね。気分はどうかしら」

「最悪だ」

 

 前にも似たような状況で、こんなやり取りをウィルの奴としたな。

 そんなことを思いながら、吐き捨てるように言った。

 彼女は意に介さず、俺の身体をじろじろ見回して面白そうに笑う。

 

「ふふ。女の子のあなたは本当に可愛いけど、こっちもこっちで中々可愛いらしい顔してるじゃない」

「なんだよ」

 

 こんな状況にも関わらず、いや、こんな圧倒的優位な状況だからこそ、余裕から他愛もない話を振ってきた彼女に不快感を示す。

 すると彼女は、さらに意地悪そうに口角を吊り上げて付け加えた。

 

「それに顔に似合わず、中々立派なものを持ってるようだしね」

 

 丸裸ということは、股間のものもしっかり見られているのだとはっきり認識した瞬間だった。

 一気に恥ずかしさが込み上げてきて、俺は彼女から目を背ける。

 

「そんなもの見るなよ……」

「あら。わたしは別に処女じゃないのよ。お気遣いなく」

 

 そう言えば、彼氏がいたこともあったんだったっけ。

 彼女は、大人の余裕を感じさせるすました顔をしている。

 

 加えて、トールの奴がやってきた。

 怒りを込めて睨み付けたが、一切取り合ってくれない。

 奴は心底愉快そうな表情を浮かべて言った。

 

「ユウ君。君を調べたら、素晴らしいことがわかったよ。計算によれば、女の君の潜在魔力値は、なんと実効魔力値の百倍――つまり、約百万もあるのだ。実に素晴らしい素質だよ」

 

 潜在魔力値。百万。

 知らない言葉ととんでもない数値に戸惑うが、こいつが嗤っている以上、まったくもって良い予感はしない。

 

「あともう少しで必要な抽出魔素が揃うのだが、それだけあれば十分だ」

 

 そして、皮肉たっぷりに礼をかます。

 

「ありがとう。君のおかげで、計画の完成が少し早まりそうだよ」

 

 やはり思った通りだった。

 細かいことはともかく、言いたいことだけはわかる。

 要するに、俺を計画の完成に利用するつもりなんだ!

 計画を阻止するはずが、逆に利用される形になってしまうなんて。

 無念で仕方がない。

 

「そこで頼みなのだが、君からその莫大な魔力を提供してもらいたいのだよ。少し女性になってみてはくれないかね?」

 

 言葉面だけは頼みだが、実際は有無を言わせぬ威圧感を伴った命令だった。逆らえば容赦はしないと目が言っている。

 それでも俺は、毅然と撥ね付けてやった。

 

「誰がお前なんかに協力するかよ」

 

 奴は、口元を黒い愉悦に歪める。

 

「ほう。素直に従った方がいいと思うがね」

 

 屈してなるものか。

 ただ無言で睨み続けると、彼は両手を上げてやれやれと溜息を吐いた。

 

「カルラよ。やってしまえ」

「はっ」

「何をする気だ」

「ククク。君が眠っている間、少々君の性質を解析させてもらったのだよ」

 

 トールはいっそう愉しそうに嗤う。

 

「どうやら君には独自の精神世界があり、そこに身体を切り替える要素が備わっているようだ」

「なに!?」

 

 独自の精神世界!?

 初耳だった。でも確かに言われてみれば、身体を選ぶときに念じると入ることのできる、あの真っ黒な空間は不思議だった。

 もしかして、あれが精神世界なのか?

 

「そこへ接続して、少々弄れるようにさせてもらった。さて、どうなるかな?」

 

 わざとらしくとぼけた奴がこちらへ投げかけてきた視線は、まるでモルモットか何かを見るかのようだ。

 俺はぞっとした。

 

「マスター。準備が整いました」

「さあ。実験の始まりだ」

「やめろ!」

 

 体中に刺さった針から、何かが流れ込むのを感じる。

 瞬間、身体中が熱を帯びて軋み始めた。

 心臓の鼓動がどんどん早まっていく。

 

「う、うああっ!」

 

 この感じは!

 ウィルだ。あいつに【干渉】で強制的に変身させられたときと、よく似ている!

 実際、その通りだった。

 脳に蕩けるような感覚が襲ってきて、思考がふやけていく。

 喉仏が消失し、声が高くなるのがわかった。

 

「あ、あううっ!」

 

 くそ! 女になってたまるか! 戻れ! 戻れ!

 しかし意志とは裏腹に、身体はゆっくりと着実に女性化が進んでいく。

 変化が進むたびに、出したくもない嬌声が漏れる。

 

「んああっ! あんっ!」

 

 朦朧とする意識の中、二人の舐めるような視線が突き刺さるのだけがわかった。

 見るな! 見ないで!

 何度も身をよじり、苦しみと快楽の狭間に悶える時間が、永遠を思わせるかのように続く。

 

「はあ……はあ……」

 

 ようやく疼きが落ち着いた頃。

 私はすっかり女にされてしまっていた。

 全身がじっとりと汗ばんで、甘ったるい匂いを漂わせている。

 男に比べれば細くなよなよした身体。

 仰向けでも重力に負けることなく、つんと上向いた二つの膨らみ。

 視界に映るそれらが、自らの女性をしっかりと主張していた。

 カルラが私の全身を舐め回すように眺めている。

 モノを失った股のところもしっかり覗き込んでから、心底感心したように言った。

 

「へえ。おもしろ~い。本当に女の子になっちゃうのね」

 

 トールも同じように、私の全身をじろじろと見回してきた。

 同じ女性のカルラならともかく、こんなどうしようもない男に好きなように見られるのは、恥辱の極みだった。

 

「くっくっく。囚われの女性か。やはりこちらの方が絵になるな」

 

 トールは下卑た笑みを浮かべながら、顔を近づけてくる。

 何をされるのか。嫌な予感しかしない。

 恐怖に震えそうになりながらも、負けん気から精一杯の抵抗を試みる。

 いよいよ吐息のかかるほど顔と顔が迫ったとき、私は奴の頬に唾を吐きかけてやった。

 

「その下種な顔を私に近づけるな」

 

 すると奴は、にやりと嗤って。

 頬についた唾を掬い、ぺろりと舐めた。

 その行為のあまりの気色悪さに、生理的嫌悪感が一気に込み上げる。

 

「君はどうやら、自分の立場というものがよくわかっていないようだな」

 

 おぞましい笑顔を貼り付けたまま、乱暴に胸を掴まれた。

 

「っ……!」

 

 されるがまま、何度も揉みしだかれる。

 私の胸は奴の手の動きに合わせて、マシュマロのように形を変える。

 奴は、生意気な私への罰のつもりで平静を装ってはいるけれど。

 まるで盛りのついたオス犬のように興奮しているのが、容易に見て取れた。

 私は恐怖や悔しさを感じながらも、一方で見下すように心は冷め切っていた。

 どいつもこいつも。そんなに揉みたくなるような胸なのか。

 ひたすら拷問の時間に耐える。こんな奴のために、泣くことだけはしちゃいけない。

 ただじっと歯を食いしばり、精神的苦痛に顔を歪めていると。

 さすがに見かねたのだろうか。カルラが顔をしかめて止めに入る。

 

「マスター。お戯れはそのくらいにしましょう」

「ふん。そうだな」

 

 やっと手が離れてくれた。

 助かった。

 今は憎むべき敵とはいえ、このことについては、心の内で彼女へ素直に感謝する。

 

「よし。魔素抽出を始めろ」

「承知しました」

 

 全身に付いた針から、何かが抜き取られていくような感覚があった。

 身体に力が入らない。逃げるどころか、身をよじることもままならない。

 私は為すすべもなく、ただされるがままでいるしかなかった。

 無力だ。そのことが悔しくてたまらない。

 だが少なくとも、これをされている間は殺されることはないだろう。

 そう考えて、今は少しでもプラスに捉えるしかなかった。

 

 やがてカルラは、トールに命じられてこの部屋を離れていった。

 奴と二人きりになった。

 部下がいなければ、少しは本音の口も走りやすいだろう。

 また何かされるかもしれないけど……怖がっている場合じゃない。

 わずかでも情報を得るために、私は勇気を出して尋ねた。

 

「トール。お前はこんなことをして、一体何をしようとしているんだ?」

「ふむ――。まあ放っておいても間もなくわかることだ。教えてやろう」

 

 奴はついに、自らの野望を語り始めた。

 

「三百年以上前のことだ。かつて、ただ一つ他国を圧倒的に超越する先進技術で君臨した魔法大国があった」

 

 その名をエデル。

 トールは諸手を広げた。まるで物語の始めを語るように芝居がかっている。

 

「エデルは、神の化身によって滅ぼされたとされている。彼により《メギル》が落とされることでな。私は、当時の生き残りのうちの一人なのだよ」

「生き残りだと?」

 

 そこまで長命なのは、ただの人間では決してあり得ない。

 じゃあこいつは、もしや――。

 はっと顔を見つめていた私に、トールは首肯する。

 

「実は私もネスラでね。種族も生き残りである点も、君の師であるイネアと同じだ。ただし、森を出た理由と時期は違うがね」

 

 彼女は生まれつき、森に嫌われる忌み子であったために。

 そして自分は森で暮らすことに飽き足らず、人の叡智を求め過ぎたために。

 森を追放された。

 むしろ誇らしげに、奴は言った。

 

 イネア先生とこいつに、まさかそんな接点があったなんて。

 だから私が星屑祭で先生の名前を出したとき、こいつは一瞬だけ顔を歪めたのか。

 トールは得意満面に、実に雄弁に語りを続けていく。

 講師のときも度々見せたこの説明好きは、どうやら嘘偽りのない奴本来の性質のようだった。

 

「ところでなぜ、エデルの魔法は、ロスト・マジックと呼ばれ重宝されてきたのか。そしてなぜ今となっては、滅亡当時のわずかな生き残りが中心となって作られたこの町サークリスに――そう、彼らの直系子孫だけに代々細々と伝わるのみなのか。それは、エデルが徹底的な鎖国を敷いていたことが大きな理由なのだよ。エデルはいわゆる空中都市というやつでね。圧倒的な魔法技術と軍事力を備え空に浮かぶ、この世の楽園だったのだ。都市周辺には、いくつか存在するゲートを除き、強力なバリアが張られていた。当時の他国は、物理的にも交流は一切不可能だったという。数々の先進的魔法は、門外不出とされたために、他国に広がることは決してなかった」

 

 こいつの話が事実とするならば、とんでもないことだった。

 空中都市エデルは、それこそまだ鉄道レベルで精一杯な現在のこの世界など、簡単に蹂躙してしまえる。それほどの凄まじい文明を誇っていたように思えた。

 というか、よほど話したかったのか。こいつ。

 もうこちらが聞いているかどうかなどおかまいなしだ。完全に悦に入っている。

 それでも大人しく話を聞いていたことで、ますます上機嫌になったことは確かなようだ。

 奴は、さらに口を滑らせていく。

 

「さて、これまで誰にも話さなかった真実を語ろう。ラシール大平原は、なぜ今も魔力汚染が色濃く残っているのか。簡単なことだ。今も汚染され続けているからだよ。地下深くにそっくりそのまま沈む、エデルによって」

 

 なんだって!? じゃあ、エデルは滅びていないとでも言うのか!?

 素直に驚く私へ満足そうに頷き、奴は続けた。

 

「ただ一人、偶然近くで生き残った私だけは見たのだよ。《メギル》が落ちた後、粉々になったはずのエデルが、砂埃の中で瞬く間に再生していく姿を。そして再生された国が、そのままゆっくりと地に沈み、見えなくなっていく様を」

 

 トールは、うっとりとした表情を隠そうともしない。

 はっきり言って気持ち悪い。あの優しい講師はどこへ行ったんだ。

 

「それを見て、心が震えたよ。感動したのだよ。この世にかくも奇跡と呼べる力が存在するとは。神の化身。あの方は、まさしくその名に相応しいお方だ」

 

 私はたまらず声を張り上げた。

 こいつは、大きな勘違いをしている。

 

「ウィルは、あいつは神の化身なんて呼ばれるような奴じゃない! あいつは世界の破壊者だ!」

 

 しかしこの男は、まったく意に介そうとはしなかった。

 

「ほう。あの方と知り合いなのか。だがね。彼がどのような人物であろうと、私にはどうでも良いことなのだよ。私はただ、彼のような圧倒的な力が欲しくなったというだけのことだからね」

「力だと。そんなものを求めて、どうしようって言うんだ?」

 

 トールはすぐには答えない。

 己の成功を確信し、まるで一人舞台のように、自らの栄光物語を語り続ける。

 

「彼の用いた天体魔法にあやかり、私は自らをマスター・メギルと名乗った。以来、私はエデルの復活だけを目標に生きてきた。主なき空中都市の支配者となり、大いなる力を得るために。まずはエデルへ通じる道を掘り進め、そして都市を再び浮かべるために必要なオーブを探し出した。さらにそれを動かすために必要な大量の魔素を捧げ、魔素を循環させるために必要な多くの血をも捧げた。他にも色々なことをやったよ。そして今、三百年以上の長きに渡る計画は、ついに実を結ぼうとしている」

 

 そして、これまで見せたどんな表情よりも愉快に嗤った。

 

「エデルは間もなく復活する。ラシール大平原の上空に、あの堂々たる楽園が帰ってくるのだ! 私は空へ行こう。そして、目障りなこの町は消してやろう。圧倒的戦力でな。かつての叡智を、かつての栄光を、この世界に知らしめるのだ!」

 

 そこまで聞いて、よくわかった。

 いかに下らないことのために、多くの者が犠牲になったのか。涙を呑んだのか。

 そして、これからも!

 すべての者たちの怒りを代弁して、私は叫んだ。

 

「そんなことのために……そんなことのために! お前は、数え切れないほどの命を奪ってきたのか! これからも奪おうというのか!」

「そんなこと? くっくっく。わかっていないな。人間の本質は、際限のない欲望と好奇心にあるではないか。それこそが、常に人の社会を、歴史を動かしてきたのだ。ならば、人の本質に従い、求めることのどこが下らないことなのか。私には、その他の方がそんなことに思えるがね」

「そんなものは詭弁だ! 確かに社会や歴史を見れば、そういう側面はあるかもしれない」

 

 飽くなき欲望と好奇心が、科学を――この世界で言えば魔法文明を生み、育て。

 相容れない主義主張の衝突。数々の争いが、痛みを伴って社会を発展させてきた。

 確かにそういった一面は否定できない。

 でも。

 

「だけど、いつだって裏には、その時代を生きた人々の様々な想いがあったはずなんだ」

 

 利己的な部分ばかりが人間の本質だなんて。

 そんな単純で一義的な見方は、馬鹿げている。

 

「本当に時代を動かしてきたのは、欲望や好奇心だけじゃない。色んな人の色んな想いと繋がりすべてだ。すべてが同じように大切なものなんだ!」

 

 私は思い浮かべた。

 アリスを、ミリアを、アーガスを、イネア先生を。

 今は敵対しているけどカルラ先輩、それにケティ先輩や、学校のクラスメイトや先生たち。

 そして、サークリスに生きる人々を。

 みんながいるから、今の私がいる。今のこの町がある。

 

「たくさんの人のそうした想いや繋がりを踏みにじってまで、身勝手な野望を成そうとするお前の行為は、どんなに御託を並べたって決して正当化されない! 許されるものじゃない!」

 

 そこまで言い切ると、トールはひどくつまらなさそうに顔をしかめた。

 

「残念だ。今のレポートは零点だよ。ユウ君」

「お前の野望は、絶対に止めてやる!」

 

 すると奴は、今度は腹を抱えて大笑いし始めた。

 

「はっはっは! 面白い冗談だ! 動けぬ君に、一体何ができるというのかね? 君はこのままここで死ぬんだよ。のこのこ救出にやってきた、馬鹿なお仲間もろともね」

「くそっ! みんな!」

 

 そのとき、残酷にも機械から完了音が鳴る。

 私から十分な魔素を搾り取った合図だった。

 奴はそれを聞いて、にやりと嗤った。

 

「さて、必要なものはすべて集まった。君はもう用済みだ」

「殺すつもりか?」

「なに。そんな野蛮な真似はしないとも。協力してくれた礼として、最期の時をプレゼントしよう。ここでゆっくりと過ごすがいい」

「くっ……」

「さらばだ。もう二度と会うこともあるまい。はっはっはっはっはっは!」

 

 嫌味な高笑いを残して、奴は去っていった。

 

 

 ***

 

 

 もう誰もいなくなった実験室で、私は何もできないまま身を横たえていた。

 無力だった。あまりにも無力だった。

 

 ――そう言えば。

 

 こんな風に縛られて、動けなくて。ひどいことされて。

 昔、小さいときにもこんなことがあったような気がする。

 あれはいつのことだっただろう。どうして何も覚えていないのだろう。

 

『心の世界』。力。

 

 ふとそんな言葉が、なぜか脳裏を過ぎった。

『心の世界』、か。

 目を瞑って念じると、真っ黒で果てしない空間が映る。

 まるで宇宙のような。

 変身するときいつもそうするように、そこへと入っていく。

 抜け殻になった状態の、男の自分の身体がある。今動かしているこの身体の私がいる。

 これまでここには、この二つのものしかないと思っていた。

 キャラ選択のように身体を選んで、戻るだけの場所だと思い込んでいた。

 だけど、これが私の精神世界だと言うのなら。

 この二つだけなんてことは、絶対にあり得ないはずだ。

 一見何もないように見えるけど。

 もう少し歩いてみれば、何か見つかるかもしれない。

 今できることは、これしかない。

 どこまでも広がる真っ暗な世界を、私は手探りで歩き始めた。



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43「ユウ救出作戦」

 トール・ギエフ魔法研究所。

 あたしたちはついにその目の前に辿り着いた。

 

「いよいよね」

「命がけになるぜ。覚悟はいいか?」

「もちろんよ」

「ああ。待ってろ、ユウ」

 

 正面入口から堂々と突入する。

 まずは開けたエントランスが目に映った。中央には大きな隕石の模型があり、壁には様々な絵がかかっている。どれもこれも高そうね。

 奥には受付があったけど、誰もいなかった。それどころか、どこにも人の気配すらない。

 不気味なくらい静かだわ。

 

「確か地下だったな。ユウがいるのは」

「そうだ。ここや上には誰もいないようだが、地下にはたくさんの気がうごめいている」

「なら、どこかに入口があるはずよね。でも……階段がどこにもないわね」

 

 辺りを見回してみたけれど、どこにも地下へ通じる階段は見当たらなかった。

 

「こういうときは、隠し階段があるのがセオリーってもんだろ。極秘施設だろうから、誰でも簡単に行けるようにはなってないはずだ」

「とすると、怪しいのはここだな。階段くらいのものを隠すにはちょうど良い大きさだ」

 

 イネア先生が立っていたのは、中央の大きな模型の前だった。アーガスと一緒に近寄ってみると「伝説に記された天体魔法メギルをイメージしたものである」との説明が書かれている。

 

「よし。アリス、イネア。どこかにスイッチか何かないか、手分けして探すぞ」

「うむ」

「オッケー。任せて」

 

 アーガスが模型の周りと床、イネアさんが壁と絵の辺り、あたしが奥の受付を中心に調べることにした。

 間もなくあたしは、カウンターの裏に小さなスイッチがあるのを見つけた。

 

「あったわ!」

「押してみろ!」

 

 彼に促されて、ポチッとスイッチを押した。

 すると《メギル》の模型は横にスライドし、下から階段が現れた。

 

「当たりだな」

 

 イネアさんがそう呟いた。

 

 長い長い螺旋階段を下っていくと、やがて冷たい空気が漂う地下に着いた。

 一階の白を基調とした明るく綺麗な雰囲気とは打って変わって、そこは鼠色の床や壁で覆われ、薄暗い中を照明がぼんやりと照らしている。

 しばらくは一本道の通路が続き、やがて開けた大きな部屋に出た。

 そこには、仮面を被ったたくさんの敵が待ち構えていた。

 奥にはまた、一箇所だけ通路が見える。

 どうやらここを抜けなければ、先には進めないようね。

 意を決して三人同時に部屋へ飛び込む。

 すると、ガシャンという大きな音が背後からした。

 さっきまでいた通路に分厚い金属の壁が降りて、帰り道が閉じてしまったの。

 

「あっ!」

「くっ! 退路を絶たれた!」

「ちっ! 進むしかないってか!」

 

 イネアさんは、右手に気剣を作り出した。それは煌々と白い輝きを放っている。

 

「目的はユウの救出だ。全員を倒す必要はない。邪魔な者だけ倒して、さっさと進むぞ!」

「おう!」

「はい!」

 

 イネアさんは気力強化、あたしとアーガスは《ファルスピード》をかけて、速度を上げる。

 イネアさんはここで、凄まじい強さを見せてくれた。

 ユウがよく言ってた「あの人は人間やめてる」という言葉が、本当に実感できたわ。

 彼女はあたしたちより頭二つも抜けた疾風迅雷の勢いで飛び出すと、次の瞬間には、三人をほぼ同時に斬り倒していた。

 そのまま道を割るように一直線に突き進みながら、次々と敵をなぎ倒していく。

 戦う姿と言ったら、まさに鬼神のようだった。その気になれば、一人だけでこの場を全滅させることすらできるんじゃないの。そう思わせるほどだったわ。

 あたしたちは、イネアさんが文字通り切り開いてくれた道が潰れないうちに、魔法で牽制しながら進んでいくだけでよかった。

 下っ端相手にあまり魔力消費はしたくなかったので、本当に助かった。

 

 問題なく第一の部屋を突破して、敵が追いつけないように全力で通路を駆け抜ける。

 すると今度は、道が三つに分かれていた。

 

「どれを進むのが正しいのかな?」

「めんどくせえ。だが、三手に分かれるのはあまりに危険だ。一つ一つ行くしかないのか」

 

 ここでもイネアさんが頼りになった。

 

「おそらく左だ。ユウの気はそちらの方から感じていた」

「感じていた?」

 

 過去形なのを疑問に思って尋ねると、彼女は沈痛な面持ちを見せた。

 

「つい先ほど、反応が消えたのだ。女になったか、あるいは殺されてしまったか」

 

 あたしも心配になったけど、努めて明るく振舞い、イネアさんを励ますことにした。

 こういうときこそ、あたしがしっかりしなくちゃ。

 

「大丈夫ですよ! きっと女の子になっただけですよ!」

「そうだな……。あいつはなんだかんだ言ってもしぶといからな」

「もたもたしてないで行くぜ。敵さんに追いつかれる前によ」

 

 あたしとイネアさんはこくりと頷き、さらに進んでいく。

 

 ややあって辿り着いたのは、先ほどよりもさらにずっと広い部屋だった。

 左右には巨大な檻が付いていて、そこに数多くの凶悪な魔法生物が収められている。

 さすがに龍はいないみたいだけれど、人食い花や巨大な番獣などがひしめいている。

 あたしたちが入った瞬間、檻は一斉に開き、それらは同時に襲い掛かってきた。

 それもバラバラではなく、統率の取れた動きで。

 たぶん大森林のときと一緒ね。侵入者を襲うように洗脳魔法の類いがかけられている。

 迎え撃とうと構えたところで、アーガスが一歩進み出た。

 

「この辺で、こいつらを含め追っ手を食い止める役が必要だ。オレが務める。お前らは先に行け!」

「でも、あの生物たちは魔法耐性が高いわ。いくらアーガスでも!」

 

 彼は心配ないとでも言いたげに、にっと笑った。

 

「大丈夫だ。オレには重力魔法がある。床や壁に叩きつけるなりすれば、魔法耐性なんか関係ないさ」

 

 けれども、笑顔が消えた後の彼には、強い悔しさが見える。

 

「おそらく、この先にカルラやクラムの奴がいるだろう。できればオレがクラムと戦いたかったが、ずっと考えてるのに奴の攻撃の正体がまだ見えねえ」

 

 拳を握り締め、少しの間逡巡するも、彼は改めて決断した。

 

「オレだってガキじゃない。このままじゃ勝ち目がないことくらいわかる。悔しいが、奴の相手はひとまずイネアに任せる。やってくれるか?」

「ああ。任せろ」

 

 イネアさんは、力強く頷いた。

 

「アリスはカルラの方を頼む。任せたぜ」

「ええ。わかったわ!」

 

 本当なら、勝算を抜きにしても自分が真っ先に仇を討ちたいはずなのに。

 ここまで私情を押し殺してユウの救出を優先するのは、一体どれほどの心痛が伴うことでしょう。

 当事者でないあたしには、彼の気持ちなんてとても推し量ることはできない。

 けれど、それでもあたしは強く同情した。同時に、それができる彼を尊敬するわ。

 彼の決断に何としても応えようって、そう思ったの。

 あたしにできることは、自分の仕事をきっちりすること。

 カルラさんに打ち勝って、ユウをしっかり助けることよ。

 

 あたしとイネアさんは、魔法生物の相手を彼に任せてすぐに前へ駆け出した。

 一瞬だけ振り返ると、親指をピッと立てる彼の後ろ姿が目に映った。その背中が、本当に大きく頼もしく見えた。

 

「ユウの反応があった地点に近くなってきた」

「そうですか! お願い。無事でいて……!」

 

 そこで再び、開けた部屋へと躍り出た。

 飾りも置物も一切存在しない、まるで戦いのためだけに用意された空間。

 その奥には、あたしがかつて助けを求めた銀髪の英雄――。

 クラム・セレンバーグが、ただ一人立ち塞がっていた。

 

「来たか。待っていたぞ」

 

 威圧的な態度で堂々と待ち構えるクラムに対し、イネアさんが一歩ずつ踏みしめるように歩み出ていった。

 

「貴様の相手はこの私だ」

 

 すると彼は、心底楽しそうに不敵な笑みを浮かべた。

 

「イネアだな。貴女と戦える日を、ずっと楽しみにしていた」

「ふん。期待に沿えるかどうかはわからないぞ」

「まあ、せいぜい楽しませてくれ」

 

 それだけ言うと、二人はもう何も口を聞かずに、互いに剣を構えて向かい合った。

 二人を中心として、びりびりと大気を震えさせるようなプレッシャーを感じる。

 重苦しい緊張が、場を瞬時に覆い尽くしていく。

 見ているだけでも、この身が斬り裂かれてしまいそう。

 つい圧倒されてその場から動けずにいると、イネアさんが振り返らずに叫んだ。

 

「行け! アリス!」

「はい!」

 

 我に返ったあたしは、なるだけ彼に近寄らないように、脇をさっと通り抜けた。

 彼は本当にイネアさんと戦えればそれでいいのか、一切手出しをして来なかった。

 

 アーガスもイネアさんも残して。あたしは一人で先を急ぐ。

 この先にカルラさんが待ち受けている予感を、ひしひしと感じながら。



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44「アリス VS 仮面の女」

 走っていくと、またクラムと会ったときと同じような造りの部屋に来た。

 そこで待っていたのは、予想通り、仮面を被った彼女だった。

 

「揃いも揃ってのこのこ来たわね。あなたたちは袋のネズミよ。決して逃げられはしない」

 

 あたしはまず言った。

 

「そんな仮面、外して下さい。カルラさん」

「そう……。あなたも知ってたのね」

 

 彼女はあっさりと仮面を外し、足元に投げ捨てた。

 素顔を晒した彼女は、やっぱり信じたくなかったけれど、本当に紛れもなくカルラさんだった。

 ちょっぴり暴走しがちで、面倒見が良くて、後輩のことが大好きな、あのカルラさんだった。

 そのことに改めて動揺がないわけじゃない。でも、あたしにはもう受け止める覚悟ができていた。

 

「アーガスに聞きましたから」

「あの男が生き延びたのだけは、誤算だったわね」

 

 自然と、あたしとカルラさんは同時に構えていた。

 一触即発の張り詰めた空気が場を満たす。

 やることは決まっていた。もう言葉だけでは解決しない。

 それでもあたしは尋ねた。少しでもカルラさんの真意を知りたくて。

 

「戦う前に一つだけ聞きます。どうして、ミリアを一応生かしてくれたんですか?」

「そんなの決まってるじゃない。あなたたちを誘き寄せるための餌に――」

「いいえ。別にそんなことしなくても、誘き寄せるだけなら他にやり方はいくらでもあったはずです。ユウみたいにミリアを攫って人質にして、裏でこっそり殺してしまうこともできた」

「……何が言いたいの?」

「カルラさんは、やっぱり殺せなかったんじゃないですか?」

「さあね。どうかしら」

 

 口ではとぼけているけれど、顔を見れば付き合いの長いあたしにはわかった。

 カルラさんには葛藤がある。

 これまでの経緯や目的はともかく、現状、あたしたちに対して心が揺れていることは間違いない。

 今まで他の人たちに対してしてきたようには、非情に徹し切れていないもの。

 この調子なら、きっとユウも無事でしょう。

 なら。あたしがすべきことは、殺し合いじゃない。

 

「よーくわかりました。あたしは、あなたと喧嘩しに来ました」

 

 気持ちは固まった。

 あなたを懲らしめて、ミリアを元に戻してもらって、無理にでも話を聞く。

 心の内を曝け出してもらう。それからまた考えるわ。

 カルラさんは少し驚いた顔をして、それからわざとらしく悪ぶった顔でほくそ笑んだ。

 

「喧嘩ですって? 面白いことを言うのね。あなた、負けたら死ぬのよ?」

「そのときはそのときですよ。でもあたし、負けませんから! 半年前のリベンジをさせてもらいます! そのつもりで来ました!」

 

 あたしの宣言を受け取ったカルラさんは目を丸くして、俯いた。

 何を思っているのかしら。

 するとカルラさんは、肩を震わせて高笑いし始めた。

 

「くく……ふ、ふふ……あっははははははははは!」

 

 笑い声は、あたしたち二人の他には誰もいない部屋の隅まで響き渡り、反響してまた返ってくる。

 それがこだまするごとに、この場に張り詰めていた嫌な緊張が少しずつ解けていくような気がした。

 

「あんた、ほんと面白いわ! でもあんたって、そういう子よね」

「前向きだけが取り柄ですから」

 

 あたしは胸を張った。ちっとも胸はないけど、精一杯張った。

 カルラさんの顔から、少しだけ憑き物が落ちたような印象を受けた。

 

「いいでしょう。それが望みなら付き合ってあげる。かかって来なさい。今度は降参なんて許さないわよ!」

 

 改めて身構える。

 戦い。いや、喧嘩が始まる。

 

 風よ。あたしにその疾風の如き速さを授けよ。

 

《ファルスピード》

 

 あたしが風の力を身に纏ったのを見て、カルラさんが感心を示す。

 

「《ファルスピード》ね。そいつには散々梃子摺らせられたわ。まさかウチのロスト・マジックと、ほぼまったく同効果の魔法を編み出すなんてね」

 

 カルラさんも対抗して、何やら魔法を使う。

 魔力の感じからして、時空魔法かしら。

 話の流れからするに、魔闘技のとき《デルレイン》を避けた魔法をかけたのかもしれない。

 早速火魔法を使おうとして。

 この前ユウに怒られちゃったことをふと思い出し、辺りをきちんと見回した。

 うん。この建物は耐火魔法がかかった石造りのようだから、火災の心配はないわね。

 

 灼熱の炎よ。

 

《ボルアーケロン》

 

 火の超上位魔法を発動させる。

《ボルアーク》の数倍はあろうかという獄炎が、カルラさんを包み込まんと迫っていく。

 対するカルラさんは、水流の上位魔法《ティルオーム》を使って相殺しようとしてきた。

 でもこっちは得意系統の超上位魔法よ。そう簡単に消せるものじゃないわ。

 見込み通り、カルラさんは完全に火を消すことができなかった。炎の勢いが落ちたところで、横に回りこんでかわして対処している。

 すっかり戦闘モードに入ったカルラさんは、ギラギラした雰囲気を身にまとっていた。

 

「どうやら火魔法はあなたの方が上のようね。まったく大した成長ぶりよ」

 

 言葉では褒め称えつつ、カルラさんは容赦なく風魔法を放ってきた。

 

 これは――《ファルレンサー》!

 

 前のあたしでは、ただ不器用に耐えるしかなかった魔法。

 ユウも得意とする風刃の乱れ撃ちだった。

 でも、今のあたしならなんとかなるわ!

 

 火よ。その熱に依りて風を獲り、我が力にして僕とせよ!

 

《ボルフリード》

 

 あたしの前に放った炎が、風を吸い込んでいく。カルラさんの放った風刃はすべて飲み込まれた。

《ファルレンサー》は、数は多い代わりに一つ一つの刃が小さい。

 だからこそ、避けるのは難しくても吸い寄せてしまうのは簡単だった。

 しかも、防ぐだけでは終わらないわ。

 この炎の中はあたしのテリトリー。相手の魔法はコントロールを失い、逆に操ることができる。

 火によって熱を帯びた空気は、より力強い刃に姿を変える。

 攻撃の方向を反転させ、逆に無数の風刃をカルラさんに向けて飛ばし返した。

 さすがに驚いたのか、カルラさんは慌てて地面に手を付けようと身を屈めた。

 土魔法を使って、ここにある石を壁として利用する気ね。

 そうはさせないわ。

 あたしも遅れず、地に両手を付ける。

 使うのは、お手つき封じの雷魔法。

 

 雷流よ。地を奔れ。

 

《デルプレイグ》

 

 足元の地面に雷撃が生じ、カルラさんの元へ一直線に奔る。

 雷魔法はスピードが速い。カルラさんはゆっくり土魔法を使う暇もない。

 顔をしかめたカルラさんは、仕方なく地面から手を放した。

 そこに強化した《ファルレンサー》が飛来する。

 カルラさんは腕を顔の前に交差させ、己の身をもって攻撃に備えるしかなかった。

 あのときとは逆で、風刃によって身が傷付いていくのはカルラさんだった。

 苦痛に顔を歪めているのが見える。

 もちろんずっと黙って見ているつもりはない。そんなに甘い相手じゃないもの。

 カルラさんが動けず防いでいるしかない今こそ、攻撃のチャンス。

 さらに畳み掛ける!

 

 超高速の火球。かの者を撃ち抜け。

 

《ボルケット・レミル》

 

 威力はそのままに、ユウの《ボルケット・ショット》よりもさらに速くしてみた。

《ボルケット・ダーラ》とは違うタイプの《ボルケット》の完全上位魔法よ。

 

 ものの一瞬で彼女の眼前に迫る豪火球。

 これが決定打となるかというところで、カルラさんは叫んだ。

 

「調子に乗らないで!」

 

 瞬間、不思議なことが起こった。

 なんてこと。《ボルケット・レミル》の速度が急激に下がってしまった。

 もう誰でも避けられるくらいに遅くなってる。

 それだけじゃなかった。

 はっと気付いたときには、《ファルレンサー》の速さも、そしてあたしの動きまで鈍くなっていたの!

 その中を、カルラさんだけが普通の速さで動いていた。

 大変。きっと何かの時空魔法を使ったに違いないわ!

 

「死になさい」

 

 カルラさんは、土魔法を使った。

 両手から金属でできた二柱の巨大な杭を生成すると、動きの鈍ったあたしに思い切り投げつけてきた!

 このままでは、二本とも身体の芯に命中する。

 死は必至。

 動いて! お願い!

 祈りが通じたのか、間一髪のところで身体の動きが元に戻った。

《ファルスピード》で速度を上げていたあたしは、身体能力を最大限に生かして、懸命に横へステップする。

 それでも避け切れなかった。

 一本は外せたけれど、もう一本の杭が、あたしの左腕の一部を抉っていく。

 あまりの痛さに、叫び声も出なかった。

 気を失いそうなほどの激痛が走る。左腕に力が入らない。

 腕を伝い、ダラダラと血が流れ落ちていく。石造りの床に雫が垂れて、血溜まりをなす。

 恐る恐る見ると、肩の下辺りの肉がごっそりと削られ、生々しい血肉が曝け出されていた。

 骨は見えていないのだけが、唯一の救いってところかしら。

 苦痛に顔を歪めるあたしを見て、カルラさんは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

 

「あら。よく避けたわね。でも――あはははは! 形勢逆転のようね!」

 

 確かに一気に苦しくなった。

 それでもまだ左腕でよかった。

 利き腕が無事なら、まだ戦えるもの。

 

「これで勝ったと思ったら、大間違いですよ。あたしの諦めの悪さくらい、わかってますよね?」

「ええ。だから二度とそんな口が利けないように、きっちり止めを刺してあげるわ!」

 

 カルラさんは、金属の柱を次々と出しては飛ばしてきた。

 あたしは左腕をかばいつつ痛みに耐え、懸命に逃げるだけで精一杯だった。

 

「ほらほら! 逃げ惑いなさい!」

 

 必死になってかわし続ける。

 直撃こそ防いでも、あちこちを擦り剥き、心臓が破れてしまいそうなほどに息が上がっていた。

 はっとしたときには、カルラさんは既に地に手を付けていた。

 哀しみをその瞳に浮かべて。

 

「さようなら。アリス」

 

 次の瞬間、あたしの周りにドーム状に石が展開され、覆いかかる。

 あたしはその中にすっかり閉じ込められてしまった。

 

「あなたはそこで潰されて死ぬのよ。あとほんの数秒でね」

 

 言われた通り、三百六十度逃げ場のない中で、徐々に壁が迫ってきた。

 このままでは押し潰されてしまう。絶体絶命の危機。

 でもあたしは、諦めなかった。

 あたしは、冷静に感じ取っていた。

 近くならわかる。あれほどよく知っている人ならわかる。

 見えなくても、カルラさんの気配が。

 

 

『イネアさん』

『なんだ』

『やっぱり少しだけ、気を教えてくれませんか?』

『なぜだ。頑張っても実用レベルに達するとは思えないが』

『それでもいいんです。もしかしたら、いつか役に立つかもしれないじゃないですか。暗闇で敵に襲われたときなんかに、近くにいる仲間の位置を把握したりとか』

『ふっ。そうか。まあいいだろう』

『ありがとうございます!』

 

 

 イネアさん。ちゃんと役に立ったよ。

 

 あたしは、最後の魔法を構えた。

 これが決まらなければ、あたしは死ぬ。

 だけど、決まるという確信があった。

 これだけは使いたくなかったけど。ここで負けるわけにはいかないから。

 何より。あなたにこれ以上、人を傷付けて欲しくないから。

 

 

『ねえ、ユウ。ちょっと教えて欲しいの。もっと強い魔法を考えたくて。地球には、もっと強力な火はあるのかしら』

『あるよ。例えばバーナーっていう火を出す道具の青い炎とか』

『へえ。でも、《ボルバーナー》じゃちょっと響きがかっこ悪いわね』

『そういうの気にするタイプなんだ』

『うん。なんかもっとかっこよくならない?』

『そうだなあ。バーナーの炎って、ゴーって噴き出す感じなんだ。あれをもっと強力な魔法にしたら、色んなものを突き抜ける熱線みたいになるかもね』

『熱線。イカすじゃない! あとは名前ねえ』

『えーと。元々ある魔法に、私の世界でそういうのを表す「レイ」でも付ければいいんじゃないかな』

『あっ! それいいかも! よーし。イメージ練りたいから、詳しく教えて!』

『いいよ。じゃあちょっとこっちにきて』

 

 右手の前に火の魔力が凝縮されていく。

 小さな恒星のように光り輝く球となって、解き放たれるときを待っている。

 

 命は取らない。狙うのは肩よ。

 

 届け!

 

《ボルアークレイ》!

 

 そして放たれた高速の熱線は、分厚い石の壁を容易く突き抜けた。

 一度放射状に広がり、次第に収束しながら、一直線に狙いに向けて飛んでいく。

 気でわかる。

 カルラさんは、一歩も動くことができていなかった。

 あなたは、視覚外からのいきなりの攻撃に反応できない。

 あたしが死ぬところを「見たくないから」、閉じ込めたことが仇になったのよ!

 

 間もなく、あたしはぴくりとも動かなくなった石の壁を見て決着を悟った。

《ボルアークレイ》で開けた穴から、なんとか這い出る。

 目の前には、右肩を貫かれた惨めな姿で倒れている、カルラさんの姿があった。

 力なく、悔しそうな顔をこちらへ向けている。

 

「まさか……。こんな魔法を、持っていた、なんて……」

「奥の手は、最後まで取っておくものですよ」

 

 我ながら狙いは正確だった。

 カルラさんの命に別状がなさそうなことに、まずはほっとする。

 そんな私を見て、彼女はどうしても納得がいかないという顔で尋ねてきた。

 

「なぜ、わたしを殺さなかったの? あの魔法なら、心臓に当てれば、わたしなんて簡単に殺せたでしょう?」

 

 あたしは、わかってないなと思いながら笑った。

 

「言ったじゃないですか。喧嘩だって。思ったより、ずっと激しくなっちゃいましたけどね」

「ふふ。そう……」

 

 カルラさんは、涙を流した。

 心に溜まった色んなものを洗い流すような、綺麗な涙だった。

 

「わたしの負けよ」



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45「気剣術のイネア VS 英雄クラム・セレンバーグ 1」

 目の前の男。クラム・セレンバーグ。

 話には聞いたことがある。かつてサークリス付近に襲来した黒龍を瞬殺した英雄であると。

 黒龍と言えば、数いる龍の中でも最大最強の種だ。

 私でも相手をするのは骨が折れる。殺すのは不可能に近いだろう。

 およそ人間が単独で倒せるような相手とは思えないのだが。

 ましてやこの男。気力や構えを見る限りでは、良くて上の下という程度だ。

 全体として達人の域に達しているには違いない。だがそれならば普通は身に付けているはずの、相手の気というものへの意識がまるでない。

 どうもちぐはぐな印象を受けるのだ。

 ともかく、現状から判断する限りでは、ディリートや私の方がまだできるというもの。

 果たしてどんな実力を隠しているのか。

 ユウやアーガスの話によれば、一瞬にしてその場から動く厄介な技を使うという。

 距離を取って戦った方が良いだろう。

 接近しなければ気剣を叩き込めないのが心苦しいが、まずは情報を集めることが先決だ。

 一分の隙も見せないように構えていると、彼が口火を切った。

 

「戦う前に一つだけ言っておこう。貴女たちはここから逃げることはできない」

「確かに閉じ込められたな。逃げ場はないというわけだ」

 

 あえて事実認識のように言うと、彼は人が悪そうな笑みを浮かべた。

 

「いや。そのことではない。貴女の転移魔法は封じさせてもらったということだ」

「なに?」

 

 あれを封じただと!? そんな真似ができるというのか?

 努めて平静を装っていたが、ほんの少し心が揺らいでしまったのを奴は見逃さなかったらしい。

 

「わずかに動揺したな。どうせユウを助けた後には、それで逃げる腹積もりだったのだろう? 残念だったな」

「ちっ。お見通しというわけか。どうしてそんな真似ができたのだ?」

「なに。うちのマスターが、転移魔法には詳しいものでね。この地下では使えないようになっているのだよ」

 

 まずいぞ。転移で出られないとなれば、本当に逃げ道は存在しない。

 万事休すか。

 いや――そうとは限らないな。

 見たところ、周りの壁は至って普通のものだ。これによって転移魔法が妨害されているとは考えにくい。

 ならば、使用を不可能にする何らかの装置がこの地下にあると推測できる。そいつを探し出し破壊すれば、あるいは何とかなるかもしれん。

 ただ……。

 私は顔をしかめた。

 この男がそれを許してくれそうにないがな。

 

 着ているジャケットの内側から、スローイングナイフを一本取り出す。

 ユウにあげてやったのと同じものだ。激戦を想定し、持てる限度の二十本を持ってきた。

 その一本に気を込め、奴の胸の中央目掛けて投げつける。

 私の気は相当に強力だ。ナイフは速いぞ。気力強化もしていない貴様には、到底避けられまい。

 さあどうで――

 

 

 !?

 

 

 ――なるほど。これは厄介だ。

 

 奴は一切動いていないにも関わらず、いつの間にかナイフがすり抜けるように通過していったらしい。

 後方の壁にしっかり突き刺さっているのが、気でわかる。

 

「今度は私から行くぞ」

 

 挑戦的な言葉と裏腹に、奴は剣を構えたまま、じっと機を見据えるように動かなかった。

 奴と私は、およそ十メートルは離れている。

 大概どんな攻撃を仕掛けて来ようとも、私ならまず対処できる間合いだ。 

 黙っていても隙などできはしないぞ。

 なぜすぐに仕掛けて来ない。一体何を考えている。

 まさか。

 直感が警鐘を鳴らす。

 この距離は、奴の「射程内」か!

 咄嗟に身体が動いた。全力で飛び退いたとき――。

 

 

 !?

 

 

 気付けば、奴はものの一瞬で私のすぐ目の前に迫っていた。

 既に攻撃の当たる寸前だった。

 奴の剣は私の心臓を狙い、真っ直ぐに突き立てられている。

 

 直感を信じなければ、死んでいたな。

 

 飛び退いたままの姿勢から攻撃に移るのは、さすがに無理そうだ。

 精々身を翻してかわすのが精一杯か。

 私はすんでのところで突きをかわし、体勢を整えつつ、奴の脇をすり抜けるように交差する。

 もう一度謎の技を使われては敵わない。直ちに十分な距離を取った。

 今度は、奴から十五メートルばかり離れた位置で立ち止まる。

 

 やれやれ。気剣を叩き込むには、さらに遠くなったか。

 

 振り返った奴が、大いに感心を示した。

 

「ほう。今のをかわすか」

「伊達に場数だけは踏んではいないさ」

「ふっふっふ。これだから強者との戦いは面白い。いつもはあっさり終わってしまってつまらないからな」

「あいにく私には戦いを楽しむ感性はないのでな。一人で勝手に楽しんでいろ」

「そうさせてもらうとしよう」

 

 歯をむき出しにして笑い、奴はこちらへ駆け出してきた。

 おそらく意識してのものではないだろう。

 剣士としての長年の戦いで自然と身に付いたのか、あちらから動くときには、いくばくかの気力強化がかかっている。

 一般の剣士や魔法使いからすれば脅威の速さだが、スピードだけならば私の方がまだ二歩は上だ。

 だが、単純な動きの差がそのまま勝敗を決めないことはもうよくわかった。

 こちらから近づいて斬りに行くのは、あまりにも危険過ぎる。

 奴の技の正体がまだ見えていないからだ。

 

 牽制として、さらに一本ナイフを投げつつ、奴から遠ざかる。

 少なくとも十二メートル以上。十分な距離を取らねば、即死の危険がある。

 またあの技でかわすのかと思いきや、今度は普通に避けた。

 なるほど。どうやら連続での使用はできないようだ。

 最初に仕掛けると言いながらすぐには動かなかったのは、技が再び使用可能になるのを待っていたと考えられないだろうか。早計は危険だが。

 

 ――命賭けにはなるが、少し釣ってみるか。

 

 あえて奴に背を向けて走り出す。

 懐からあるものを取り出し、奴の目に映らないよう胸の谷間に挟み込んだ。

 それから、もっともらしく壁際に追い詰められるような立ち回りをして。

「射程内」ギリギリ、十一メートルの位置につける。

 餌はやった。果たしてどうなる――

 

 

 !?

 

 

 ――賭けには勝った。

 

 この距離ならば、奴は正面から突きに行くか斬りかかるか、そのどちらかの選択しか余裕はない。

 そして思った通り、用心深い性格のようだ。

 私の胸にあるものを見て、一瞬動きを止めてしまったらしい。

 

「なんだそれは」

 

 挟んであったそいつを、奴の眼前に投げつけてやった。

 

「特製の小型爆弾だ。私の主義じゃないがな」

 

 爆発半径はおよそ五メートル。

 ものの一瞬で起動するが、私の速度なら余裕で避けられる。

 しかし貴様はどうかな。

 

「ちいっ!」

 

 焦る奴の声を肴に、瞬時に横へ跳ぶ。

 直後、爆発が起こった。

 もうもうと上がる黒煙の中から、飛び出す人影が映る。

 奴もまた、咄嗟に跳び退いて事なきを得たようだ。

 だが爆風には確実に巻き込まれている。無傷で済まなかったのは間違いない。

 多少なりとも動揺しているはずだ。

 その隙を逃しはしない。

 私はスローイングナイフを一気に十五本取り出し、そのすべてに気力を込めた。

 さらに魔法でそれらを浮かせ、奴の周囲をくまなく覆うように配置する。あまり得意ではないが、そのくらいはできる。

 あとは合図をかければ、中心にいる奴に向かって、十五本のナイフが同時に回避不能な速さで飛んでいく。そのように仕掛けた。

 加えてもう一本。こちらはわざと遅くし、かつ奴とは関係のない方向に飛ぶようにしておく。

 ある狙いがあってのことだ。

 普通に考えれば、逃げ場など存在しない。

 これで技の真価がわかるか。

 

 いけ!

 

 

 !?

 

 

 意識したときにはもう、奴はナイフの結界の外側に立っていた。

 すぐさま、関係のない方向に飛ばしたナイフの位置を確認する。

 認識が飛んだ瞬間から、ナイフはほとんど動いていなかった。

 

 わかったぞ。

 

 常識を疑ってしまうが、これしか考えられない。

 

 なんという厄介な力だ。

 

 全身から嫌な汗が噴き出すのを感じた。

 ここまで危機感を抱いたのは、ウィルと戦ったとき以来かもしれん。

 私はこれまでの奴の動きから、ついに割り出した。

 

 約2.1秒。

 

 この時間は、一見すると短い。

 だが達人同士の戦いにおいては、あまりにも大きな不利だ。絶望的と言ってもいいほどに。

 ようやく自らが得た答えを、私は奴に突き付けた。

 

「貴様――時間を操作しているだろう?」

 

 奴はわずかに目を丸くし、驚きと感心を示した。

 それから、不敵に口角を吊り上げる。

 

「ほう。よくわかったな」



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46「気剣術のイネア VS 英雄クラム・セレンバーグ 2」

 私は舌打ちした。

 やはり正解だったか。最悪の正解だ。

 時間を操作すると言ったが、正確には二つのことができるようだ。

 

 一つは時間停止。

 私の心臓を狙ったときや、ナイフの結界から出たときに使用したものだ。

 射程は奴の周囲約十一メートル。

 この領域に何の対策もなしに踏み込めば、即死が待っている。

 

 もう一つは時間消去。

 ナイフが瞬時に奴の後ろへ通過していったときに使われたものだ。

 こちらもおそらく同じ時間だけ消し飛ばすことができ、その間に起こったことは奴に一切の影響を与えない。

 

「貴女が初めてだ。今までこの魔法を見抜けた者は誰一人としていなかった。何しろ一切使用を悟られないのだからな」

「ふん。褒めているつもりか」

「ああ。マスター・メギルが言った通りだ。貴女は油断ならない」

 

 と口では警戒しつつ、奴は上からの余裕を滲ませて、愉快に笑っている。

 

「くっくっく。私は今、とても満足している。これほどの強敵と出会えたことに。貴女を倒せば、私はより高みへと到達することができるだろう」

「よくそんな魔法が使えるものだ」

 

 私はこいつの下らんステータス願望など、無視して言った。高みだの何だのには興味がない。

 取り合わなかったこと自体、奴はさして気に留めていないようだ。

 まるで自分に陶酔しているような口ぶりで答える。

 

「確かに私は、ほとんどすべての魔法を苦手としている。だが唯一、これだけは奇跡的に適合したのだ。まさに天の意志だった。この力で高みを目指せと。そして私は英雄となった」

 

 なるほど。よくわかった。

 この男が妙にちぐはぐな理由が。

 どう考えても龍には敵わないであろうこの男が、最強の黒龍を瞬殺できたわけが。

 簡単な話だ。

 時間を止めている内に、心臓を一突きした。それだけのこと。

 そんな卑怯な攻撃をされれば、強靭強大な龍であれ、どうしようもないに決まっている。

 つまり、実力で勝ったわけではない。単に時間操作魔法がすごかったというだけのことに過ぎない。

 剣の腕が素晴らしいわけではない。この男は、ただ強力な魔法の上に胡坐をかいているだけの半端者だ。

 それで英雄だのと持て囃されているのだから、滑稽なことだ。虚しくはないのか。

 私は侮蔑を込めて問いかけた。

 

「貴様は、そんな能力で龍に勝って満足か。英雄と呼ばれて満足か」

 

 痛いところを突かれたか、奴は顔をしかめた。

 反論の声もやや荒くなる。

 

「黙るがいい。貴女のような持つ者には、持たざる者の苦しみはわからんのだ。どんなに剣を振るっても、決して才溢れる者に届かぬ者の苦しみが。高みに届かぬ者の苦しみが!」

「随分と剥き出しだな。コンプレックスが貴様の原点か」

「今は違う。私は強くなった! ……そうだ。誰もが認める英雄になった」

 

 己が名声に縋り、平静を取り戻す偽りの英雄。

 飽くなき野心ばかりが肥大している。

 

「だが私は満足しない。より強くなるためなら、どんな力でも求めるさ。マスターすらも利用し、さらなる高みを目指すつもりだ」

「かつての貴様の苦悩に、同情はしないでもない。だが一つ言っておく」

 

 英雄願望に狂い、歪んでしまった男に。

 私は人生の先輩として、せめてもの誠実を込めて告げる。

 

「そんなものは、本当の高みでも強さでもない」

 

 これは剣士の誇りを失った奴への――かつては剣に生きようとした同類への――心からの忠告だ。

 

「チートだ。ずるをしているだけだ。貴様もいっぱしの剣士ならわかるだろう? そんな力のどこに誇りがある。いい加減目を覚ませ!」

 

 しかし奴は、素直に忠告を受け入れるには大人過ぎた。汚れ過ぎていた。

 奴はただ、屈辱を受けたと肩を震わせるばかりだ。

 ついに口元を憤りに歪め、いっそう声を張り上げた。

 もはや最初の落ち着き払った堂々たる様はない。

 英雄という名の仮面が、剥がれ落ちた瞬間だった。

 

「そんな偉そうな台詞は、この私に勝ってから言うんだな! どうせ不可能だろうがな!」

 

 奴は怒りに身を任せ、剣を掲げて猛然と迫ってきた。

 射程内に入らないよう距離を取りつつ、作戦を考える。

 引き付けて爆弾という同じ手は、さすがに二度と通用しないだろう。

 奴が不可能と言う通り、確かに形勢は厳しい。

 時間を操作するなどというとんでもない能力に、直接対抗する手は浮かばない。

 どうにかして、あの魔法を使っていない隙を狙うしかないな。

 何度か使用された状況から判断する限り、奴の魔法は連続では使えないようだ。一回ごとに多少のインターバルをとる必要がある。

 ならば、奴が使わざるを得ない状況まで持っていき。

 使用直後に、息吐く間もなく攻撃すれば――。

 よし。この組み立てでいこう。

 奴に時間を操作させるには、それ以外では避けられない遠距離攻撃をぶつけるしかないが……。

 爆弾はあと三つ。ナイフも残り二本。これらが生命線になる。

 投擲武器が尽きれば、もはや私に勝ち目はない。

 しかも長引けば、それだけ射程内に入るリスクが上がってしまう。

 次の一手で決めるしかないな。

 私は覚悟を決めた。

 

 通常の限界を超えて、気力強化をかける。

 

《バースト》

 

 こいつは長くは保たない。使用後は反動で全身にガタが来る諸刃の刃。

 だがどうあれ、ここで決めなければ負けるのだ。出し惜しみはすまい。

 気というものを知らぬ奴には見えないだろうが、強力な白いオーラを身に纏った私は、目にも留まらぬ速さで奴を翻弄していった。

 機を見計らい、爆弾とナイフを惜しげもなく投下していく。

 先刻隙を突いて逃げ場のない攻撃をしたのを、今度は自らの高速でもって実現した形だ。

 奴も私と同じだけ素の実力を持っていれば、当然こんな芸当などできはしないのだが……。

 この半端者に対しては上手くいったのである。

 

 

 !?

 

 

 追い込んだところで、やはり時間が消し飛ぶ。

 タネさえわかっていれば、動揺もしない。

 改めて奴の移動先を確認し、さらにギアを上げて、最高速で背後に回り込む。

 この間、一秒もない。

 時間を操作するには今少しかかる。

 右手の気剣に、最大限の気力を込めた。

 刀身は白から、目の覚めるような青白色に変わる。

 

 一撃で確実に仕留め切る!

 

《センクレイズ》

 

 

 !?

 

 

 認識が飛んだと理解したとき。

 

 私の目には――。

 既にこちらへと振り向き、剣を振り下ろす奴の姿が映っていた。

 

 混乱の最中、慌てて跳び退く私の肩に刃が食い込む。そこからわき腹にかけて、血肉の裂けていく感触がした。

 

 そんな、馬鹿な……!? なぜ……?

 

 斬られた私は、その場に踏み止まることができず、崩れ落ちて仰向けに倒れた。

 不幸中の幸いには、奴にとってもギリギリのタイミングだったのだろうか。

 斬撃は比較的浅く、内臓にまでは達していないようだ。

 

 だが、致命傷も同じか……。

 

 もはや立つことができなかった。

 奴がもう一撃を加えれば、この命は確実に絶たれる。ほんの少し命が延びたに過ぎない。

 滴り落ちる血の嫌な粘り気を感じながら、私はユウをこの手で助けられなかったことが無念で仕方なかった。

 

 

 ***

 

 

 ふと、師匠の顔が浮かんだ。

 厳しさの中にも、いつも優しさと温かさをもって、私を包み込んで下さった師匠。

 せめてもう一度だけでも、お会いしたかった。

 そして、伝えたかった。

 あなたは命を賭してまで、私を守って下さったというのに。

 私は……情けないです。

 愛する弟子をこの手で助け出してやることもできない。

 すみません。師匠。

 私は、本当に出来の悪い弟子でした。

 

 

 ***

 

 

 クラム・セレンバーグは、すっかり元の英雄然とした調子に戻っていた。

 勝ち誇りながら言う。

 

「連続での時間操作魔法の使用は、日に一度しかできない。私にここまでさせるとはな。認めよう。我が生涯最大の敵であったと」

「…………」

「さて。このまま止めを刺しても良いのだが……。どうせ貴女はもう動けまい。マスターが用意した余興に、絶望しながら死んでもらうとしよう。この私を愚弄した罪は重い。楽には死ねんぞ」

「……余興だと。一体何をするつもりだ」

 

 奴は、私を見下しながら嗤った。

 

「間もなくわかるさ。要するに貴女たちは、ここに乗り込んだ時点で詰んでいたということだ。では、もうすぐ時間なのでな。さらばだ」

 

 傷付き倒れた私に悠々背を向け、気配は遠ざかろうとしている。

 この場限りは助かる形にはなったが、しかしどうすることもできない。

 

 絶望が心を支配しかけた――そのときだった。

 

 信じられないことに、ユウの反応が戻ったのだ。

 しかも、元気に動き出したではないか。

 なぜかはわからない。

 とにかく、ユウは無事だった。

 ああ。よかった……。本当によかった。

 無事がわかっただけで、こんなにも救われるものなのか。

 私の心には、再び希望の灯がともっていた。

 

「待て。貴様にもう一つだけ言っておく」

「なんだ」

 

 奴が怪訝な顔で振り返る。

 この戦いで感じた率直な想いを、私は告げてやった。

 この男は、時間操作に頼り過ぎている。そこに致命的な隙がある。

 

「覚えておくがいい。そんな能力に頼り切りでは、いつか足元を掬われることになるぞ」

 

 それを聞いた奴は、心底呆れたような顔で苦笑した。

 おそらく、ただ負け惜しみを言っているだけだと思ったのだろう。

 

「ほう。一体どう掬われるというのだ」

「そのうちわかるさ」

「そうかそうか。それは楽しみなことだな! はっはっは!」

 

 高笑いを上げながら、奴は今度こそ去っていった。

 その後ろ姿を見つめながら、私は奴に届く可能性を想った。

 

 近距離攻撃主体の私では、絶望的に相性が悪かった。

 だが、ユウならば。

 あるいは仲間たちと協力して、勝機を見出せるかもしれん。

 あいつは弱くて情けないところもあるが、芯は強い子だ。

 あいつは相手がどんなに格上であろうとも、果敢に立ち向かっていく勇気と、心の底では容易に諦めない執念を持っている。可愛い顔をして、天性の負けず嫌いだ。

 それが時に、思いもよらないような成長や爆発力を生み出してきた。

 そんなあいつの姿をずっと見てきた私には、わかるのだ。

 たとえ今は弱くとも、あいつは師と同じ立派なフェバルだ。

 この世の条理を覆せるような、立派な心を持っている。

 たとえこの先どんな困難が待ち受けていたとしても、あいつはきっと最後まで足掻くだろう。

 そしてどんなに傷付いても、足掻いてしまうだろう。

 そうなのだ。

 あいつはいつも不器用で一生懸命で、見ていられないところがある。

 だからこそ力になりたいと思うのだ。

 たとえ師との約束を抜きにしたとしても、あいつはとっくに私の愛する弟子なのだから。

 

 私は残された気を使って、傷を塞ぎ始めた。

 動けるようになるには相当時間がかかるが、何もしないよりはましだ。

 ユウが動いているのに、師である私が真っ先に諦めてどうする。

 形はどうあれ、せっかく奴が見逃してくれたのだ。

 これから何が起こるのかはわからないが、最期の瞬間まで諦めるな。

 全員をここから無事脱出させる。そのことに力を尽くせ。



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47「ユウ、己の秘密を少し思い出す」

 私は『心の世界』をひたすら歩き続けた。

 どこまでも真っ暗な空間が続いていた。道標になるようなものは何もない。

 適当に進んで行くしかなかったが、何かに導かれるような、そんな不思議な感覚があった。

 やがて、たった一つだけ淡白く光る球体を見つけた。

 そっと触れてみると、頭の中に情景が浮かんできた。

 いつかの記憶だろうか。映ったのは、私のよく知る金髪の青年だった。

 

 レンクスだ。レンクス・スタンフィールド。

 

 

 ***

 

 

(彼は、とても名残惜しそうに言った。)

 

『そろそろお別れの時間だ』

 

 いつの日のことだろう。

 確か毎日のように遊んで、お別れしてたっけ。

 でも「じゃあな」とか「またな」とか、いつもありきたりな挨拶で。

 こんなに改まって言われたことはなかった気がするけど。

 

(やっぱり。)

(レンクスは、もういなくなってしまう。)

(最後にユウと素敵な思い出を作ってくれた。そういうことなのね。)

 

 そこで私は、強い違和感を覚えた。

 

 待ってよ。ちょっと待ってくれ。

 何を考えているんだ? 当時の私は。

 だってユウは、私のことだろう?

 なに他人事みたいに自分のことを言ってるんだよ。おかしいよ。

 それに最後ってどういうことだよ。

 どうしてそんなに女っぽい言葉遣いをしているんだ?

 次から次へと疑問が溢れてきて、抑え切れない。

 

『いいの? ほんとにちゃんと言わなくて』

『ああ。散々泣きつかれて敵わないだろうからな。その代わり――』

 

(レンクスは、懐から一枚の手紙を取り出した。)

 

 あの手紙は、気付いたら家の中に置いてあったものじゃないか。

 どうして私は彼があれを取り出すところを見てるんだよ。変だよ。

 知らない。私はこんな場面なんか知らない。

 

『こいつを残しておくことにした。ユナと違って、魔法はあまり得意じゃないんだが……』

 

(瞬間、身体が何かで満たされるような、そんな不思議な感覚を覚えた。)

(力が沸いてくるような感じもする。)

 

 この力は、まさか。魔力!?

 

(まさかと思って見ると、彼はいつもの調子の良い顔で頷く。)

 

『お前は魔力が強いみたいだな。【反逆】で魔力許容性を弄った。ちょっと魔法を使うからな』

『魔法、ねえ』

 

 こんな会話もした覚えがない。

 魔法だとか魔力だとか、まるでこの世界みたいな会話をしちゃってるよ……。

 それに、【反逆】と魔力許容性。また聞いたことがないワードが出てきた。

 いや――。

 許容性という言葉だけは聞いたことがある。

 レンクスもエーナも使っていた。

 それも、どちらも何かを試すような動きをしたときに。

 おそらくフェバルには常識かつ重要な概念なんじゃないだろうか。

 一体どういうものなんだろう。ここにヒントはないかな。

 そのとき、ほんの少しだけ別の記憶が流れ込んできた。まるで望むまま説明してくれるかのように。

 

『んー。まあ詳しく説明してもしょうがないな。とにかく気力という力があって、この世界における気力の限界値の基準みたいなものが気力許容性だ』

『ふへえ』

『で、治療にはこの気力を使うんだが、この世界は限界値が低過ぎて、このままではまともに治療ができない』

『うん』

 

 どの場面かはわからないけど、レンクスの言葉を信じるならこういうことになる。

 言い換えれば、魔力許容性とは、この世界における魔力の限界値の基準のようなものらしい。

 潜在魔力値が百万もあると、トールの奴に言われたことを思い起こす。

 本来、私が持っている魔力値は一万だ。

 ということは、私の力の大半は、普段は表に出ることなく眠っていることになる。

 突拍子もない発想だが、それはこの世界が私の力に制約を課しているからと考えることはできないだろうか。

 許容性による限界という鎖によって。

 

(またとんでもないものをと思っていたら、彼の手から手紙がぱっと消えてしまった。)

(本当に魔法のように。)

 

『転送っと。これでお前の部屋に届いたはずだ』

 

 間違いない。魔法だ。

 それも、この世界のものとは原理が違うようだ。

 地球には魔素がないから、何か別のものを魔素の代わりにしているのか。それが何かまではわからないけど。

 

(もうあまり驚かなかった。本当に何でもありだな。この人は。)

(感慨深そうな表情をしながら、彼はしみじみと言う。)

 

『ユウは十分明るくなった。もう俺は必要ないさ。あと少しで、お前もひとまず役目を終えるだろう』

『そっか。今まで色々とありがとね。ちょっとうんざりしたこともあったけど、楽しかった』

 

(数々の執拗な絡みを思い返しながら、私もまたしみじみと言う。)

 

 あ。あ。なんで。

 知ってる。

 私は、レンクスに色んなことをされたことがある。

 抱きつこうとしてきたり、ほっぺにチューされそうになったり。

 愛してるぜって。そのたびにちょっとだけ嫌な気分になって。

 呆れて。あいつを蹴り飛ばしたり、怒ったりして。

 

 いや、私じゃない!

 

 私はそんなことされてない。あり得ないよ。

 あのときはずっと、男だっただろう!?

 

【――違う。私は九年前にとっくになってた。女の子に。】

 

 違う!

 そんなこと知らない。私は知らない!

 

『ああ。楽しかったな』

 

(何を思ったのだろうか。彼は遠い目をしていた。)

(しばらく無言の間が流れる。お互いに何を言ったらいいのかわからない。)

(やがて彼は、意を決したように口を開いた。)

 

『じゃあな。俺はもう次の旅に出ないといけない』

 

(旅か。)

(どうも外国人みたいだし、世界中を飛び回っているのかな。)

 

 彼がフェバルだからだ。

 次の異世界に行かなきゃならなくなったんだ。

 

『また会える?』

『ああ。いつか必ずな。なんなら、俺から会いに行ってやるぜ?』

『しつこそう』

『よくわかったな』

 

(図星を引いた彼は、苦笑いするばかりだ。)

(そして、別れ際とは思えないような清々しい顔で告げた。)

 

『だからさよならは言わない。また会おうだ』

 

(そんな彼を見て、私も自然とすっきり言えた。)

 

『うん。また会おうね』

『おう』

 

 

 ***

 

 

 そこで記憶の再生は終わった。

 私はすっかり混乱してしまっていた。

 

 どうなってるんだよ。

 私はこんな記憶なんか持ってないはずだ。

 レンクスとの別れ方はもっと――。

 

【いや――。】

【知ってる。私はちゃんとレンクスと別れの挨拶をした。】

 

 違う!

 私はレンクスに手紙だけ残されて。それで散々泣いて。

 

【それも真実。】

【だけど、また会おうって聞いた。】

【私は聞いた。男の私は散々泣きつくだろうからって、レンクスが手紙だけ残して。】

 

 ああ! もう! わけがわからない!

 

 どうしてだ。どうして記憶がこんなにおかしなことになってるんだ!?

 さっきから頭の中で思考をかき乱しているのは何だ!?

 

 初めて自分の内側にしっかりと意識を向けてみると、私を内から満たす何者かの存在を感じることができた。

 

「君」は誰だ!?

「君」がいるから混乱するんだ! 私から出ていけ!

 

 瞬間、私の内から何かが抜け出ていくような感覚があった。

 間もなく、不思議なことが起こった。

 自分と瓜二つの女の子が分離して、目の前に仰向けで倒れたのだ。

 出ていけと思ったら本当にできてしまった。

 そのことにひどく驚きつつも、突然現れた彼女をまじまじと眺める。

 彼女は肉体を持たない精神体のようなものか。そんな印象を受けた。

 先ほど触れた記憶のかけらと同様に、淡く白い光を全身から放っている。

 彼女は眠っていた。

 彼女を追い出したとき、心のあり方がすっかり変わったのがすぐにわかった。

 今の自分は、身体こそ女のままだが、自分のことを私ではなく、俺だと思っている。

 どうやら心は、男のときと一緒の状態になっているっぽい。

 ということは、彼女が俺の内側から影響を与えて、俺自身を女だと思い込ませていたことになる。

 俺は眠る彼女に、もう一度問いかけた。

 

「君は誰だ? どうして俺と同じ姿形をしている? なぜ眠っているんだ?」

 

 反応はない。よほど深く眠っているらしい。

 とりあえず起こそうと思い、彼女の頬に触れてみる。

 するとなんと、俺の手が彼女の頬に溶け込み出した。

 まるで能力に覚醒する直前に見ていた、あの夢のようだ。

 あの夢で進んだ出来事が、まさに現実に起こっていた。

 

 触れた箇所を起点として、彼女の精神体は再びするすると俺の中に入り込んでいく。

 俺と彼女が混ざり合うようにして、段々一つになっていく。

 自分という存在がまるっきり作り変えられていくような、妙な感覚が全身を包み込む。

 身体中に熱さと、何かが満たされていく感覚が湧き上がる。

 だけど、あの夢で感じた蕩けるような快楽と、燃えるような熱さとは違う。

 ウィルに強制的に変身させられたときに感じた、激しい苦痛を伴う強烈な快楽とも違う。

 むしろ心が温まるような、内側から抱き締められているかのような、安らかな心地良さに包まれていた。

 

 気が付けば、彼女はまたすっかり私の内側を占めていた。

 そして私は、自分のことを私だと思っている。

 やっぱりだ。

 彼女が私を私たらしめている。女たらしめている。

 

 一体何の目的があってそんなことを。

 

 そのとき、眠りについている彼女から記憶が流れ込んできた。

 まだ小さい「俺」と彼女が、この場所で話している記憶だった。

 

『ねえ。もし女の子になっても、ちゃんとやれるかな』

『最初は苦労するんじゃない? まあそのときは、私があなたの中に入り込んで、ちゃんと女の子として振舞えるように助けてあげるよ』

『そっか。助かるよ』

 

 ――そうか。そうだったのか。

 

 私が苦労しながらも、今まで何とか女子として生活してこられたのは。

 すべて彼女の協力があったからなんだ。

 彼女が支えてくれたからこそ。私の性自認や性質を女の子にしてくれたからこそ。

 アリスもミリアも、ちゃんと私が女の子だと思ってくれた。認めてくれた。

 そうでなければ、ただでさえ大変だったのに、こうして大切な友達に囲まれて学園生活を送ることなんて、到底不可能だったに違いない。

 おぼろげながらに思い出してきた。

『心の世界』。

 ここには大きな力が眠っている。彼女はそう言っていた。

 私は小さいとき、一時期ここで彼女と毎日のように話していたことがある。

 そうだ。彼女はもう一人の「私」だ。

 私を支えるために現れた、もう一つの人格。

 いつだって私の最も側にいてくれた、一番のパートナー。

 この能力が目覚めたとき、再会する約束をしていたはずなのに。

 どうしてそんな大事なことを忘れてしまったのだろう。

 能力が目覚めて一年以上も経ったこのときまで、約束を果たすのが遅れてしまった。

 いや、正確に言えばちゃんとした形ではまだだ。

 彼女はなぜか眠っている。さっきからいくら呼びかけても、まったく目を覚ます気配がない。

 考えられる原因は一つしかない。

 ウィルだ。あいつしかいない。

 きっと正常じゃない能力覚醒の方法を取ったから、『心の世界』が滅茶苦茶になってしまったんだ。

 それに「私」は巻き込まれて――。

 考えてみれば、レンクスにしてもあいつにしても、瞳の奥をじっと覗き込んで「私」の存在を確かめていた節がある。

 わかる人にはそれでわかるんだ。きっと。

 そうだよ。だからあいつは、あのとき黙って私のことをじっと見ていたんだ。

 あいつが何を考えていたのかわからなかったけど、やっとわかった。

 あまりの恐怖から深読みし過ぎて、すっかり勘違いしていた。

 

 あいつは私のことなんてどうでもいいなんて、思っちゃいない!

 

 むしろ逆だ。

 重要視しているからこそ、真っ先に現れて先手を打ってきた。

 イネア先生も言ってた。

 私の能力はきっと、単なる変身能力なんかじゃないんだ。

 この果てしなく広い『心の世界』そのものかもしれないと、「私」は言っていた。

『心の世界』は、あらゆる経験を溜め込む。宇宙のように大きな器だと、「私」はそう言っていた。

 とするなら、あいつの【神の器】という命名は、そう外したものではないのかもしれない。

 あいつが私の能力の真の姿を見抜いて、【神の器】などという大層な名前を与えたことも。

 変身できるだけの下らない能力だという先入観を私に植え付けたのも。

 全部わかっていてのことだったとしたら。

 

 おそらく――真実は逆だ。

 

 私の能力には、奴が警戒するに値するだけの力がある!

 

 どうにかすればその力が使えるはずだ。そう思った。

 そしてそのことをはっきりと認識した今、なぜだか何となく使い方はわかる。

 覚えていないだけで、前に力を使ったことがあるのかもしれない。

 たぶんだけど……。ここに溜まっている経験から、使うものを引っ張り出してくればいい。

 ちょうど私のすぐ横には、先ほど見た記憶があった。

 レンクスとの別れのシーンだ。

 そこで彼は、【反逆】とかいうのを使って魔力許容性というものを弄っていた。

 記憶の通りにすれば、きっと自分にもできるはず。

 他にできることはないんだ。やってみよう。

 もしかしたら、私の高い潜在魔力が利用できるようになるかもしれない。

 それで上手くいけば、拘束から抜け出せるかもしれない。

 

 私は『心の世界』を出て、現実世界に意識を戻す。

 相変わらず、手足と胴には分厚い錠をかけられ、全身に付けられた吸盤と針で力が封じられている。

 よし。早速やってみよう。

 

【反逆】《魔力許容性限界突破》

 

 瞬間、私の内側を満たす魔素の絶対量が、一気に膨れ上がり始めた。

 魔力がみるみるうちに上昇していくのが肌でわかる。

 間もなく、力を封じていた装置でも魔力が抑え切れないほどになった。

 

 これならいけるか。

 

 だがどうも様子がおかしい。魔力の上昇がどこまでも止まらない。

 

 え、ちょっと。待って。高い、高過ぎる!

 

 身の丈を遥かに逸脱したあまりの魔力に、身体は悲鳴を上げていた。

 全身が激しく軋み、口からは血反吐が飛び出す。

 暴走した力が、身体に張り付いたすべての吸盤と針を一挙に弾き飛ばす。

 さらには、実験室の計器が次々と壊れていく爆発音が聞こえてきた。

 

「あああああああああああああーーーーーー!」

 

 頭が割れる! 気がおかしくなりそうだ!

 止まれ! もういい! 止まってくれ!

 

 しかし一度使い始めた能力は、一向に収まりを見せない。

 むしろ時とともに、ますます激しさを増していくばかり。

 

 ダメだ! 制御できない! 止まらない!

 このままじゃ壊れる! おかしくなっちゃう!

 

 ついに発狂してしまうかと思ったとき。

 単純ではあるが、神懸かった思い付きが身を助けた。

 

 そうだ! 魔力が暴走しているなら!

 

 変身!

 

 私は男に変身した。魔力値ゼロの肉体に。

 影響を及ぼす対象を失った【反逆】は勝手に解除され、『心の世界』にも落ち着きが戻る。

 どうやら助かったらしいことに、心から安堵する。

 

「はあっ……はあっ……!」

 

 危なかった……。

 敵の手にかかる前に、勝手に自滅するところだった。

 とんでもない能力だ。まったくまともに使えないじゃないか……!

 

 何はともあれ、これで脱出することはできそうだ。

 気力強化をかけ、力を込めて手足の錠を破壊する。変な装置さえなければ容易いことだった。

 それから胴の方の分厚い錠も外して、立ち上がった。

 直ちにみんなの気を探る。

 一番近くには、アリスと弱っているカルラ。

 もう少し離れて、かなり弱った状態のイネア先生。

 さらに遠くには、元気に戦ってそうなアーガスの気を感じる。

 

 よかった。三人ともまだ命は無事だ。

 

 見ると、横に俺の服とウェストポーチが丁寧に畳んで置いてあった。

 急いで着てから、まずはアリスの元へ向かう。

 

 みんなごめん。

 俺が不甲斐ないせいで、危険な目に晒してしまった。

 今行くよ。どうか無事でいてくれ!



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48「仮面の女の目的」

 カルラさんは、自らが仮面の女となった動機と過去を話し始めた。

 

「わたしは死ぬつもりだった」

 

 ショッキングな語り出しだった。

 けどケティさんによれば、カルラさんは以前自殺未遂をしたことがあるって話だったわ。

 だからあまり動揺はしなかった。

 

「最愛の彼を失ったあの日、わたしの人生は終わったの。もうこの世には何の希望もない。死ねば一緒になれる。そう思った」

 

 そこまで深刻に思い詰めていたなんて。よほど彼のことを愛していたのね。

 

「すべてに絶望していたそんなとき、救いの手を差し伸べてくれたのがマスターよ」

 

 マスター・メギルは、弱り切ったカルラさんに悪魔の提案をした。

 失われし魔法大国エデルには、死者と対話できる魔法があると。

 

「エデル復活に協力するならば、わたしにそれを与えようと」

「そんなものが……」

 

 驚きだった。エデルにはそんなものまであるというの!?

 そしてとうとう仮面の集団の目的がわかった。

 エデルの復活。

 それこそが真の狙いだったのね!

 

「亡くなった彼にもう一度会いたい。その日から、ただそれだけを求めて生きてきた。わたしは仮面を被り、エデル復活のために心血を注いだ。そのためなら、どんな犠牲をも厭わなかった」

 

 悲しげな目を浮かべるカルラさんに、あたしは何も言うことができなかった。

 大好きな人のために懸命に頑張ること。

 過程は許されないものだったけれど、その純粋な愛を否定することはできないから。

 

「後輩の勧誘と素性調査。それだけのためにあなたたちには近づいたわ。親しみやすい先輩というキャラを演じてね」

 

 あたしは微笑んだ。

 

「それはさすがに嘘ですよ。ほんとはあっちの方が素ですよね」

 

 カルラさんは、自嘲気味に口の端を歪めて否定する。

 

「あのわたしは三年前に死んだのよ。もうどこにも居はしないわ」

「そんなことないですよ。ちゃんとここにいます」

 

 カルラさんの目をしっかり見て言い切ると、彼女はもう否定しなかった。

 

「そうね……」

 

 そこで言葉が途切れる。

 あたしを見つめていたカルラさんは、少しの間何かを思い、瞑目する。

 再び目を開けたとき、キラキラと涙が零れ落ち始めた。

 

「楽しそうなあなたたちを見ているうちにね。わからなくなった。わたしのやっていることは、本当にこれでいいのか」

 

 カルラさんはやっぱり、ずっと迷っていた。

 

「あのとき空っぽだったわたしは今、あなたたち後輩と触れ合うことにも新たな生きがいを感じ始めてるのかもしれないって」

 

 そうですよ。

 だってカルラさん、あたしたちといるとき、いつも楽しそうでしたもの。

 あれは絶対、演技なんかじゃないですよ。

 

「そのことを自覚してしまったとき、手を血に染めてまで亡き彼を求めるのは間違いじゃないか。そう思い始めちゃったの。それまで何とも思えなかったのにね……」

「カルラさん……」

 

 まだなんて声をかけたらいいのかわからなくて。

 あたしはただ、カルラさんの言葉を真摯に受け止めていた。

 袖で涙を拭い、カルラさんは続ける。

 

「でもね。もう後戻りはできなかった。何としてもまた彼に会いたい。この気持ちだけは嘘偽りのない真実よ。それにもし、ここでやめてしまえば、今までしてきたことも数多くの犠牲もすべて無駄になる」

 

 そう言ったカルラさんは、暗く苦い表情をしていた。

 既に殺めてしまった命が自らを縛り、さらに罪へと走ってしまう悪循環。

 間違ってはいるけれど、それが彼女なりの責任の果たし方だったのかもしれない。

 そんな彼女の気持ちもわかってしまう。

 もちろんだからと言って、決して悪事を許すことはできないわ。

 けれど、自然と憐れみの目が向いていた。

 

「けど、一度狂った歯車は元に戻らなかったようね。あなたたちは、わたしをすっかり狂わせてしまった……」

 

 わずかに首を振り、申し訳なさそうに語る。

 

「あなたたちさえいなければ。そう思って手を下そうと決意したのに、結局殺すことはできなかった。気付けば、わたしはこんなにも弱くなってしまったのね……」

 

 力なく項垂れるカルラさんに、あたしは努めて優しく微笑みかけた。

 

「カルラさんが元に戻っただけですよ。そもそも始めから、こんなことには向いてなかったんです。無理だったんですよ」

 

 カルラさんは、はっとしたように目を見開いた。

 それから、小さく肩を震わせて。

 ぽつりぽつりと、抑えていた感情を絞り出すように呟いていく。

 

「ええ。そうね。バカみたい。そんなこと、最初からわかってたはずなのに……!」

 

 カルラさんは、再び大粒の涙を流した。

 今度こそ、心のすべてを洗い流すように。

 

「ごめんなさい。エイク。ごめんなさい。みんな……!」

 

 彼女が仮面の女であることをやめ、あたしたちの先輩に戻った瞬間だった。

 

 

 ***

 

 

 いくら手を尽くしても解けなかったミリアの石化は、魔法をかけた本人の自主的な協力によって、あっさりと解除された。

 

「石化解除っと。ミリアなら、これで元に戻ったはずよ」

 

 カルラさんは、事もなげにそう言った。

 あたしが与えたダメージが大きくてまだ動けないことを除けば、もうすっかり先輩の調子に戻ったみたい。

 ミリアが復活したことも併せて、とても嬉しい気持ちになる。

 

「本当ですか!?」

「ええ。あの子には悪いことしたわね」

「きっと謝ったら許してくれますよ。彼女が一番事情わかってたと思いますから」

 

 カルラさんは、参ったとばかり苦笑いした。

 

「あの子にはびびったわ。全部ズバズバ言い当てるんだもの」

「あはは。ユウもあの推理力で、かなり正体追い詰められてましたからね」

 

 ユウの名前を聞いたカルラさんは、途端にばつの悪そうな顔になる。

 

「あー……。あっちはあっちで、悪いことしたわね」

「何したんですか?」

「何って……まあナニよ。さすがに見かねたから、途中で止めたんだけどね」

 

 気になったあたしは追及したけれど、そこははぐらかされてしまった。

 なんかまずいことでもしたのかしら。

 

「アリスーー! 無事かーーー!」

 

 不意に男の子の声が、遠くから聞こえてきた。

 やけに聞き慣れた高めの声。

 

 あたしたちは、天地がひっくり返りそうな勢いで驚いた。

 だって。救出しようとしていた当の本人が、こっちに向かって走ってくるんだもの。

 

「え、ユウ!?」

「まさか!? あれから一体どうやって抜け出したの!?」



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49「マスター・メギルの罠」

 気の反応を頼りにひた走る。

 やがて通路の向こう側に、二の足で立つアリスと、倒れているカルラが映った。

 立っている側のアリスが状況的に悪くないことは察せて、そのことにまずはほっとする。

 

「アリスーー! 無事かーーー!」

 

 まさか自力で抜け出せたとは思わなかったのかもしれない。

 ひどく驚いているところ目掛けて、ラストスパートをかける。

 さらに近付くと、二人の状態まで確認できた。

 カルラは肩を貫かれて痛々しい姿であり、アリスは左腕が見るも無残な状態になっている。

 アリスが大怪我しているのを認めた瞬間、俺は怒りが沸騰していた。

 

「カルラ! おまえ!」

 

 最後の一歩を猛然と迫る。

 我ながらものすごい剣幕になったのにアリスはぎょっとして、なぜか慌てて止めに入ってきた。

 

「ユウ! ひとまずいいの! カルラさんは反省したから! ミリアも元通りよ!」

「え?」

 

 言われて、すぐにミリアの気を探ってみる。

 すると確かに反応が元に戻っていた。

 

「本当だ。ミリアが元に戻ってる……」

 

 ミリアが助かった。

 ということは、カルラが自主的に解除したのか。

 そのことを理解し、彼女に掴みかかりそうになっていた手が止まる。

 カルラは俺の顔を真っ直ぐ見つめて、本当に申し訳なさそうに謝ってきた。

 

「ごめんなさい。あなたには本当にひどいことをしたわ」

「あ、いや……」

 

 ついあっけに取られ、間抜けな返事になる。

 カルラはすっかり毒気が抜けて、元の優しい先輩に戻っているように見えた。

 その変わりように、こちらが抱えていた怒りもどこへやら。

 俺はぽかんとしてしまった。

 

「え、なに? どうなってんの?」

 

 アリスがこれ以上ないキメ顔で胸を張る。

 

「あたしがびしっと懲らしめちゃいました!」

「ええ。びしっと懲らしめられたわ」

 

 そう言って目を見合わせた二人は、何だか通じ合っているようだった。

 俺の知らないところで、彼女の心を変えるような重大な女の戦いがあったらしい。

 そのくらいは何となくわかった。

 

 

 ***

 

 

 それから、彼女がなぜ仮面の女として活動していたのかということを手短に聞いた。

 彼女が彼を失った悲しい過去と大きな関係があることだった。

 話を聞いて、やっと彼女の心の内がわかった。

 彼女が凶行に走った理由も、俺たちを狙った理由も。

 

 カルラ先輩は本当に反省しているようだった。ミリアも元に戻った。

 だったら、俺がさらにカルラ先輩を責めるのは野暮かもしれない。

 彼女は後でしかるべき罰を受けることになるだろう。

 けどそれは、被害を受けたしかるべき者が行うことだ。司法が行うことだ。

 俺がすることじゃない。

 俺は自分がされたことについては、すっぱり許すことにした。

 アリスとミリアの無事に比べればずっと些細なことだし、もう全然気にしていなかった。

 そして、俺自身は彼女を許すことにした。

 彼女が心の底から反省しているなら、誰かが手を差し伸ばしてあげたっていいと思う。

 それはきっと、彼女をよく知る俺たちにしかできないことだから。

 やっぱり甘いかな。いや、これでいいんだ。

 彼女がこれからちゃんと罪を償えるように、俺は彼女の横に付こうと思う。

 

 とりあえずアリスの無事がわかって安心した。

 すぐにイネア先生のところに向かおう。先生はかなり弱ってるみたいだから、心配だ。

 

「アリス。カルラ先輩を連れて、イネア先生のところに行こう」

「うん」

「先輩は……立てないですよね?」

 

 カルラ先輩は、すまなさそうに頷いた。

 

「無理ね。力が抜けちゃって」

「肩を貸しますよ」

 

 屈み込んで助け起こそうとしたところで、カルラ先輩はいたずらっぽい笑みを浮かべて言った。

 

「あら。ユウちゃんのくせに男らしくて頼もしいこと」

「こんなときにからかわないで下さいっ!」

 

 この「いつもながら」のやり取りに、アリスが横で噴き出す。

 敵地の真っ只中にも関わらず、和やかな空気が流れる。それが良い意味で、張り詰めた緊張を解してくれた。

 思えば、炎龍に襲われてからこれまで、ずっと気の休まるときがなかった。

 もちろん今も休んでいる場合ではないけれど。

 それでも滅入っていた気分が上向くことで、湧いてくる活力というのは決して小さくはない。

 

 だが、カルラ先輩に肩を貸して立ち上がったところで。

 そんな空気を一瞬にしてぶち壊す、最悪の出来事が起こった。

 部屋の壁際に備え付けられたスピーカーらしきものを通じて、音声放送が始まった。

 声が地下中に響き渡る。

 その主はマスター・メギル。トール・ギエフだった。

 

『あー。諸君。まことにご苦労であった。諸君らの尽力の甲斐あって、ついに我が宿願が果たされるときが来た! 私はエデルの復活をここに宣言しよう!』

 

 すぐ横で俺に肩を預けているカルラ先輩が、かすかに震える声で言った。

 

「じゃあ、わたしはエイクに会えるの……?」

 

『そこで、諸君らには褒美を与えたい。約束していたね。空へ連れて行ってあげようと。私は約束を果たす男だとも』

 

 ゲスのような笑い声を上げ、とんでもないことを言い出した。

 

『諸君らを招待してあげよう――天国にな。いや、地獄かな。くっくっく』

 

「なに!?」

「そんな……!」

 

 部下に対する一方的な処分宣告であった。

 カルラ先輩の顔が、愕然とした色を浮かべる。

 

「嘘でしょ!? 嘘ですよね……マスター!」

 

 非情なる放送は続く。

 

『間もなくこの地下施設は、跡形もなく爆破される。あとほんの七分ほどだ』

 

 あと七分で爆破するだと!?

 くそっ! だからあんなに余裕満々で俺を放置していったのか!

 

『出口は封鎖されている。逃げ場はないぞ。では、空への旅を想いながら、最期の時間を楽しみたまえ。グッドラック』

 

 恐るべき爆弾発言を残して、音声は一度途切れた。

 どうする? どうすればみんな助かる。

 そのことで思考がいっぱいになる。

 イネア先生の転移魔法なら脱出できるか!?

 いや、同じネスラである奴が、そこに思い至らないはずがない。

 何らかの対策をされてしまっているはずだ。

 激しい焦りを感じていたところに、再び音声がかかる。

 内容からして、おそらくこの部屋だけにかかっているものだった。

 

『カルラよ。そこにいるのだろう?』

 

「はい。ここにいます!」

 

 カルラ先輩は、部下だったときの癖か、つい改まって答えていた。

 

『そうか。まったく、君には失望したよ。この私が見抜けないと思うのかい? 君の非情で任務に忠実なところを、私は高く買っていたというのに』

「そ、それは……」

『君はもう要らない駒だ。そこで仲良く死ぬがよい』

「くっ……」

 

 彼女は悔しそうに歯を食いしばる。

 当然だ。ずっと尽くしてきた相手に、簡単に切り捨てられてしまったのだから。

 同情していたところに、奴はなおいっそうひどい追い討ちをかけてきた。

 

『それで、君が望んでいた死者と対話できる魔法だっけ? そんなものが本当にあると思うのかね?』

「え――」

 

 彼女の顔面が、一気に蒼白になる。

 

「マスター。何を、言ってるんですか……?」

『エデルにそんな魔法はない。まさか本気で信じていたわけではないだろう?』

「いや、だって……。マスターは、あるって……。だから、わたしは信じてずっと……』

『ああ。もしかして君、馬鹿なのかね。少し考えたらわかることじゃないか。はっはっは! とんだ間抜けがいたものだ!』

 

 カルラ先輩の表情がみるみるうちに歪み、苦虫を潰したようなものに変わっていく。

 彼女が縋っていた拙い望みは今、完全に断ち切られた。

 他ならぬ「マスター」の裏切りによって。

 だがそれすらも生温い仕打ちが彼女を襲う。

 奴は嫌味たっぷりな声で続けた。

 

『そうそう。君の彼。エイク・ナルバスタだったね』

「は……?」

『彼は実に優秀だった。だからね、私が直々に引き抜こうとしたのだよ』

 

 それだけで、もう嫌な予感しかしなかった。

 やめろ。それ以上言うな。

 怒りで拳に力が入る。

 すっかり饒舌になった奴の胸糞悪い語りは、当然、止まってなどくれなかった。

 

『だが彼は断ってね。そればかりか、私の不正を突き止めて公表すると息巻き出した。まったく。たまにいるのだよな。ああいう正義面した勘違い野郎は』

「まさ、か……!」

 

 わなわなと震える彼女に告げられたのは、最悪の真実だった。

 

『ああ。彼には死んでもらったよ。最期までずっと君の名前を呼んでいたなあ?』

「あ、あ……」

 

 カルラ先輩の目から、光が消え失せた。

 なんて声をかけたらいいのか、わからない。

 ひどい! あまりにもひど過ぎる!

 

『くっくっく。はっはっはっはっはっはっは!』

 

 今度こそ、音声は終わった。最低の後味だけを残して。

 カルラ先輩は、悔しいのか悲しいのか、それすらもわからぬほどの激情に顔を歪ませていた。

 そして鬼のような、血の涙を流そうかというほどの形相で。

 ぐちゃぐちゃになったものを絞り出すように、一気に涙を溢れさせた。

 

「あ゛あ゛あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 

 彼女は嗚咽を上げた。

 これほどまでに悲痛な叫び声は、かつて聞いたことがなかった。

 ひどくいたたまれない気持ちになるが、無情にも爆破へのタイムリミットは刻一刻と迫っている。

 カルラ先輩を慰めたい気持ちは山々だけど……動かなければならない。

 

「カルラ先輩。背負いますよ」

 

 力なく俺にもたれ掛かり、嗚咽を上げ続ける彼女を、返事を待たずに背中へ抱え上げた。

 ぺったんこのアリスを負ぶったときとは違って、背中に当たる胸の柔らかな感触がはっきりと感じられた。

 でもこんなときに、そんな下らないことを喜ぶ感性は持ち合わせていない。

 

「とりあえず先生のところへ! なんとか脱出の方法を探すんだ!」

 

 あまりに可哀想なカルラ先輩を見て、俺と同じようにいたたまれない顔をしていたアリス。

 彼女も、はっと我を取り戻したように頷く。

 

「わかったわ!」

 

 カルラ先輩を背負って、俺はアリスとともに急いで駆け出した。

 

 研究所爆発まで、あと五分!



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50「研究所から脱出せよ」

 頭の中でおおよその経過時間を把握しつつ動く。

 イネア先生のところまで辿り着いたところで、残り時間は約四分。

 タイムリミットは刻一刻と迫っていた。

 先生は力なく倒れたままの状態で、気による治療を自分に施していた。

 

「先生! 大丈夫ですか!?」

 

 先生はこちらを向いて、少し無理をして笑ってみせた。

 

「なんとかな。まだ動けないが」

「奴の放送は聞きましたよね?」

「ああ。まずいことになった。転移魔法が使えないというのにな」

「やっぱりそうですか……」

 

 そのとき、俺の後ろに負ぶさっていたカルラ先輩が、弱々しい声で教えてくれた。

 まだとても話せる状態じゃないだろうに。

 

「転移魔法妨害装置。確かそんな名前のものが、この地下施設の奥の方にあるわ」

 

 一筋の希望が見えた。

 

「じゃあ、それを破壊すれば!」

「ええ。脱出できるはずよ……。わたしが案内するわ。わたしにしか、できないことだから」

 

 見るからに辛い様子の彼女は、それでも俺たちのためにと、懸命にできることを果たそうとしてくれている。

 動けない彼女を手助けして、誰かが一緒にそこへ向かわなければならない。

 最も適任なのは自分だ。迷いはなかった。

 

「先生。俺がカルラ先輩と一緒に行ってきます」

 

 そう言うと、先生は血相を変えた。

 

「おい。だが戻る時間は!」

「おそらくないでしょうね……」

 

 カルラ先輩の沈んだ声に、アリスも泣きに近い声を上げる。

 彼女の口ぶりから何となくわかっていたから、俺は驚かなかった。

 やっぱりか。

 つまり先輩は、とっくにこの施設と心中する覚悟だったわけだ。

 けど同時に責任も感じていて、せめて逃がせるだけの人を逃がそうとしている。

 トールにあれだけのことを聞かされて、生きる希望を失くしてしまっているのかもしれない。

 でも。このままにはさせない。あまりに救いがないじゃないか。

 カルラ先輩を犠牲になんてさせやしない。

 俺は彼女を助ける。そして、俺自身も助かってみせる!

 意を決すると、俺はみんなに告げた。

 

「大丈夫です。俺に考えがありますから」

「考えだと?」「ほんとなの?」

 

 俺は頷き、続ける。

 

「先生は転移魔法の準備をお願いします。転移できるようになったら、俺のことは置いてすぐに転移して下さい。アリスはアーガスと、もし仮面の集団の人がいたら連れられるだけ先生のところへ連れて来て欲しい」

 

 彼らもまたトールの被害者には違いない。

 あんな裏切られ方をされて、きっともう戦意は喪失しているだろう。

 助けられる命を見捨てるような真似はしたくなかった。

 先生とアリスは、この一見自己犠牲にしか思えない提案にぎょっと驚いて、必死になって止めようとしてきた。

 

「それでは、お前とカルラは……!」

「そんなのダメよ! また自分を犠牲にするようなこと!」

 

 俺は心配ないと、グッと親指を立てた。

 本当はかなり心配だけど、少しでも安心させるためにちょっと強がった。

 

「俺を信じて下さい! たぶん生きて帰ってみせますから!」

 

 それだけ言うと、まだ何か言いたげな二人に背を向けて走り出した。問答する時間も惜しいから。

 まず二人は、俺が行くことに絶対納得はしない。

 けどそれでも行ってしまえば、すぐに自分の仕事に取りかかってくれるはずだと信じて。

 

「カルラ先輩。どっちですか?」

「少し戻るわ。わたしとアリスが居た部屋の前に分かれ道があったでしょう。まずそこを右に行くのよ」

「わかりました」

 

 全速力で通路を駆け抜ける。とにかく時間との勝負だった。

 言われた通り分かれ道を右に行くと、しばらくしてまた二手に道が分かれていた。

 

「今度は左よ」

「はい」

 

 走っている途中、後ろから耳元に寄せて、申し訳なさそうな声で彼女が謝ってきた。

 

「ごめんなさい。あなたに最期まで付き合わせて……」

「いいんですよ。カルラ先輩こそ、自分からこんな役を買ってくれてありがとう」

「ええ。せめてあなたたちだけはね」

「そんな言い方しないで下さいよ。みんなで生きて帰るんです」

「わたしは、もういいの……。なんかどうでもよくなっちゃった」

 

 俺の肩に、彼女の冷たい涙が触れた。

 俺はなるべく穏やかに、彼女を宥めるように優しく声をかけた。

 

「生きるのを諦めるなんて、そんなこと許さないですよ。生きてきちんと罪を償って下さい。亡くなった彼に、顔向けができるような生き方をして下さい。俺たちも付いてますから」

 

 彼女は何を思ったのだろうか。しばしの間黙り込んていた。

 そして次に口を開いたとき、声にはわずかに明るさが戻っていた。

 

「そうね。でも、やっぱりわたしとあなたは助からなさそうよ」

「いや。死なせない」

 

 強い口調で言うと、彼女はちょっとだけ笑ってくれた。

 

「ふふ。そこまで言われると、なんだか本当になんとかなりそうな気がしてくるわね」

「ほんとはちょっと自信ないんですけどね」

 

 少しだけ弱音を吐いたら、彼女は呆れたような口調で諭してきた。

 

「あら。こんなときくらいちゃんと格好付けなさいよ」

「すみません」

「ふっ。まあいいわ。わたしの命、あなたに預けるから。きっちり救ってみせなさい!」

 

 今度は力強く頷いた。

 

「任せて下さい!」

 

 やがてついに、妨害装置のある部屋にまで辿り着いた。

 おそらく残りは一分くらいしかない。

 ドアには鍵がかかっていたが、ドアそのものをぶち破った。

 それから一旦カルラ先輩を部屋の横に置いて、さっと進入する。

 中には、金属製らしき謎の球体装置があった。

 他にはそれらしいものがないから、こいつが転移魔法妨害装置で間違いないだろう。

 破壊の際に爆発があるかもしれないから、身を守るため強固に気力強化をかける。

 そして左手に気剣を出して、さらに気を集中する。

 刀身はいつものように青白く輝いた。

 

《センクレイズ》

 

 一息に振り下ろすと、球は真っ二つに綺麗に割れた。

 直後、先生とアリスとアーガス、そして何人かの気が道場の方へ一瞬で移動したのがわかった。

 どうやら上手くやってくれたみたいだ。

 

 あとは俺たちだけだ。

 すぐに部屋を出ると、女に変身する。

 カルラ先輩の手を決して離さないように強く握った。

 

 あと三十秒。

 

 ここまで何度も生きて帰ると言ったけど、それは嘘じゃない。

 保障はないけど、私には生きて帰れる望みがあった。

 おそらくトールの奴の頭の中では、こういう計算だったはずだ。

 イネア先生を確実に殺すか動けなくし、アリスとアーガスにはとりあえず敵を宛がっておいて、そいつへの対処に追わせる。

 分断し、身動きができないようにすればどうしようもないと。

 だがここで、私が自力で抜け出すというイレギュラーをやってのけた。

 そして私は、放送のときあえて一切喋らなかった。

 だから奴は、知らないんだ。

 私が自由に動けるということを。ここに一分の隙がある。

 

 そして失敗だったな。

 

 奴の不用意な発言と実験が、私に自らの能力を自覚させてしまった。

 

 すなわち、私が記憶したものの力を利用できるということを!

 

 魔力が暴走したときのように、かなり無茶はあるだろう。

 だけど今なら、原理上は先生の転移魔法が使えるはずだ。

 何度も体験してるんだ。上手く記憶から引っ張り出して来ることができれば。

 できるかどうかはわからないけど、やるしかない。

 やらなきゃカルラ先輩を助けられないんだ。絶対に成功させてみせる!

 

 目を瞑って念じ、『心の世界』へと入っていく。

 ここのどこかに、転移魔法の記憶がある。

 

 先生。どうか私に力を貸して下さい!

 

 気付けば、ウェストポーチをぎゅっと強く握り締めていた。

 そのとき。

 暗闇の彼方より、淡く光る記憶のかけらがこちらへ向かって飛び込んできた。

 触れてみると、それは確かに必要なものだった。

 私が初めて先生と一緒に転移魔法で飛んだときの記憶。

 

 私はすぐに現実世界へと戻った。

 目を閉じたまま、必死にイメージを練る。

 

 行き先は道場。対象は二人。私とカルラ先輩。

 

 頼む! 飛んでくれ!

 

《転移魔法》!

 

 瞬間、天井が崩れ落ち始めた。

 あわや潰されるという間一髪のところで、私たちの身体は音も立てずに消えた。

 

 

 ***

 

 

 はっと気付いたときには、見慣れた道場の中にいた。

 カルラ先輩を握った手はしっかりと繋がったまま。彼女もちゃんと無事だ。

 ふう、と一つ大きく息を吐いた。

 それと一緒に、全身の力も抜けていくようだった。

 見回すと。

 アリス。ミリア。アーガス。イネア先生。

 そして何人かの仮面の集団の人たちがそこにいた。

 

 横になっていた先生が、本当にほっとした顔で言った。

 

「ユウ! 私は信じてたぞ! この馬鹿者め!」

 

 アリスが、真っ先に飛びついてくる。

 

「ほんとに心配したんだよ! もう!」

 

 アーガスはちょっと離れた位置で壁に背を預け、照れたようにやや顔を背けていた。

 

「てめえ。いっつも心配ばっかさせやがって」

 

 そして、すっかり元通りになったミリアも、アリスに少し遅れて私に抱き付いてきた。

 珍しく、彼女は目に一杯の涙を溜めていた。

 

「ほんとですよ。いつも無茶ばっかりするんですから……!」

 

 横にいたカルラ先輩を見ると、彼女もにこりと頷きかけてくれた。

 

 ――うん。

 

 ここには、こんなにも心配してくれる人たちがいる。

 こんなにもかけがえのない繋がりがある。

 私だけじゃない。他の人にもみんな、同じように繋がりがあって。

 目には見えないけれど大切なもので。

 この町は、サークリスは溢れているんだ。

 それを踏みにじろうとする奴がいる。繋がりを力で断ち切ろうとする奴がいる。

 

 ――終わらせない。

 

 この町を、そして世界を奴の好きになんかさせない。

 繋がりを断ち切らせたりなんかしない。

 そう決意を新たにした。

 

 でも今だけは、無事に帰って来られた喜びをみんなで分かち合おうと思う。

 

「みんな。心配かけてごめん。ただいま」

「「おかえり」」



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51「二つのロスト・マジック 時空魔法と光魔法」

 まずは男になって、全員の怪我の治療に当たることにした。

 先生は自分の怪我を治すので手一杯なので、俺がほぼ全部やることになった。

 先生に比べるとまだ随分と下手で時間がかかったけど、どうにか目立った傷跡を残さないように治療することができた。

 

 治療が済めば、次は大事な話の時間だ。

 

 一番はカルラ先輩から。

 彼女は、自らが仮面の女として活動していた理由を全員に話した。

 そして深く詫びるとともに、自首することを誓う。

 ミリアはやっぱりかなり事情がわかっていたようで、自分にしたことに対してはあっさりと許していた。

 たぶん俺と一緒の気持ちだろうと思う。

 元々彼女を蛇蝎のごとく嫌っていたアーガスはというと、ずっと険しい顔をして、でも黙って彼女の話を聞いていた。

 ただ最後に一言「まったく理解できないわけじゃない。だが絶対に許されることではないし、オレは一生許す気はない」とだけ言って、それ以上の追求はしなかった。

 先輩は彼の言葉を慎んで受け止めていた。

 まあ俺やアリスやミリアが甘いだけというのはわかっている。

 彼女のやってしまったことは、世間的には決して許されることではないのだから。

 こういう厳しい言葉もあってしかるべきだろう。

 

 仮面の集団に大事な家族をやられたと、治療したときにアリスから聞いた。

 俺にとっても知らない人たちじゃない。訓練の折、何度かお世話になった。

 そのくらいの関係性でも心が痛むのに、ましてアーガスはどれほどの心痛だろう。

 そんな彼としては、むしろ最大限温情ある采配に違いなかった。

 あえて一言だけ、立場として、誰かはかけるべき言葉だけをかけたのだと思う。

 そんなところに、アーガスの隠し切れない優しさを感じたし、人としての大きさをも感じたのだった。

 

 次は仮面の集団の生き残りの扱いだ。

 カルラ先輩に身元の裏を取ってもらった後、一旦拘束するということでまとまった。

 彼らは命が助かっただけでもありがたいと思っているようで、抵抗せず大人しく従ってくれた。

 カルラ先輩自身については、彼女の良心を信じ、あえて拘束はしなかった。

 代わりに、サークリスを間もなく襲うであろう未曾有の危機に対して、力を貸してもらうことになっている。

 彼女は女子寮で取りまとめ役を務めているだけあって、学校ではかなり顔が効く。そのコネを使って、学校の後輩たちに協力を呼びかけてくれることになった。

 さらには、仮面の集団筆頭幹部としての裏の顔も活用する。他に残っている集団の構成員たちに話を付け、味方に引き入れることも約束してくれた。

 敵のときは恐ろしかったけど、味方に付けばこれほど頼もしい人も中々いない。

 

 それから、六人で情報交換及び作戦会議を行った。

 

 まず俺から、トール・ギエフが自らべらべら語った野望について話す。

 空中都市エデルの復活と世界支配。サークリスを滅ぼそうとしていること。

 反応は様々だったが、総じて奴は許せない、この町は守るという点で一致した。

 

 アーガスからは、仮面の集団についての詳しい話が聞けた。

 クラム・セレンバーグとトール・ギエフの詳細な経歴などがわかった。

 あまりの詳しさに、カルラ先輩も「よくそこまで調べたわね」と舌を巻いていた。

「だから消されたんだがな」と彼は怒りを滲ませながら、自嘲気味に締めくくった。

 

 そして今回、まさに命を張って値千金の重要な情報を得たのが、他ならぬイネア先生だ。

 

「クラム・セレンバーグ。奴の持っている能力の正体がわかった」

「本当ですか!?」

「なに!? ぜひ教えてくれ!」

 

 身をもって奴の恐ろしさを体験していた俺とアーガスは、思わず身を乗り出す。

 

「まあ落ち着け」

 

 先生は俺たちを制してから、端的に言った。

 

「時間操作魔法だ。奴は時間停止と時間消去ができる」

「時間停止と、時間消去だって!?」

「なんだと!? そんなことができるのか!?」

 

 時間操作。

 定番の強能力として、ゲームや漫画で一応見たことはあるけど。

 

 まさか本当にそんな真似ができる奴がいるなんて……!

 

 だけど、それなら辻褄が合う。

 まったく認識できない一瞬で動いたことも。ナイフがすり抜けるように奴を通過していったのも!

 

 時間停止にしろ時間消去にしろ、使われている間は一切認識できないはずだ。

 それを見抜いた先生は、やっぱりすごいと思った。

 と同時に、自分たちが戦おうとしている敵の強大さを改めて思い知る。

 

 そんなの、一体どうやって勝てばいいんだ?

 

 驚愕する俺たちをよそに、先生は続ける。

 先生の恐るべきさらなる観察眼を示す内容だった。

 

「効果時間は約2.1秒。これは時間停止でも消去でも一緒だ」

「すごいな。効果時間まで突き止めたのか」

 

 アーガスに完全に同意だ。

 どうしてそこまでわかるんだろう。

 

「時間停止の場合、停止中に奴が動ける射程は約十一メートルだ。その間、有利なはずの飛び攻撃を一切しなかったところから判断するに、停止中には奴自身と奴が所持しているものしか動けないと見ていいだろう」

 

 鳥肌が止まらない。

 たった一度の戦いで、そこまで読み取るなんて。

 俺じゃ絶対にここまではわからなかった。

 

「一度使用した後には、数秒のインターバルが要る。ただし、日に一度だけだが、間を置かず二回連続で使用できるそうだ。私はそれで虚を突かれ、やられてしまった」

 

 肩の斬られた跡(といっても先生自身の治療は完璧なので、もう服の裂け目だけになっていたが)をなぞり、先生は悔しさを滲ませる。

 この人も負けず嫌いだからな。

 けど、すぐに気を取り直して補足した。

 

「まあその場合の二度目は、効果時間がより短いようだがな。現に最接近していた私にさえ、攻撃が届く寸前に時間停止の効果が切れてしまった。それで咄嗟に身を引いたから、致命傷にはならなかったのだ」

 

 俺は感心のあまり、すっかり目を丸くして、ぽかんと口を開けていた。

 

 凄過ぎる。ほぼ能力が丸裸じゃないか!

 

 戦闘能力だけじゃない。優れた洞察力。初見の攻撃への対応力。

 すべてが高水準で備わっているからこそ成せた業だ。

 一体どれほどの経験と修練を積めば、ここまでのレベルに達することができるのだろうか。

 俺にもいつか真似できるだろうか。

 まだまだだし、頑張らないとなと改めて思う。

 

 一方、仇の重要情報を噛み締めたアーガスは、忌々しげに舌打ちした。

 

「道理で手も足も出なかったわけだ。時を止められちゃ、どっちも出しようがないんだからな」

 

 けれども、どこにも絶望した様子はない。

 むしろその瞳は、仇討ちへの情熱で燃え上がっているように見える。

 

「だがタネがわかってしまえば、対抗策は練れる。恩に着るぜ」

「ああ」

 

 イネア先生は、自身の見解を総括する。

 

「伝えた通り、奴は時間を操る。奴を中心にして、半径約十一メートルもの即死領域が存在するのだ。接近しなければ威力を発揮できない気剣術主体の私では、絶望的に相性が悪かった。残念ながら、私では奴に勝てない」

 

 それは、「超人」である先生が、俺の前で初めて、自らの限界を明確に認めた瞬間だった。

 つまりそれほどの相手だったのだ。

 能力を丸裸にしてしまうほど、真っ向に良い勝負をしておきながら。

 相性の悪さ。

 その一点ゆえに勝てなかった無念は、どれほどだろうか。

 

「だから。魔法が使えるお前たちの力で、どうにか奴を倒して欲しいのだ。どんな困難を前にしても挫けなかったお前たちなら、きっとやれると信じている」

 

 その想いと奴を倒すという課題は今、先生の期待とともに俺たちに託された。

 クラム・セレンバーグ。

 敵は強大だけども、俺たちで勝たなくてはいけない。

 どうにかして攻略法を見つけるんだ。

 

 俺は力強く返事をした。

 

「はい! やってみせます!」

「うむ。その意気だ」

 

 それで。

 相方をちらりと見ると、アーガスは難しい顔で首を捻っていた。

 

「しっかし。聞いたこともないぞ。時間を操る魔法なんてよ。そんなものあったか?」

「へえ。アーガスでも知らない魔法があるんだね」

「オレだって何でも知ってるわけじゃねえよ」

「私、聞いたことがあります」

 

 そこに、意外なようで意外でない人物が名乗りを上げた。

 実はロスト・マジックに造詣が深いミリアだった。

 

「たった一つだけ。今の説明に該当する魔法がありました」

「ほんと?」

「マジか」

 

 彼女はしかと頷いて、続ける。

 

「時空の超上位魔法《クロルウィルム》。時を支配すると言われる――あらゆる時空魔法の中でも最強と謳われていたロスト・マジックの一つです」

「ほう。最強ときたか!」

「何かわかることはある?」

 

 俺の問いかけに対し、彼女はまたも頼もしく頷いてくれた。

 

「はい。時間消去についてはどうしようもありませんが。時間停止に対しては、完全ではありませんが、一応の対処法があります。皆さんもよく知ってる魔法ですよ」

 

 彼女はお得意のいたずらっぽい笑みを浮かべた。

 

「えー? なんだろ」

「わかんないなあ」

 

 本当に思い浮かばなかった。

 アリスも俺と一緒になって首を捻っている。

 

「おい。もったいぶらずに教えてくれよ」

 

 アーガスが急かすと、ミリアはちょっぴり得意な顔で答えを言ってくれた。

 

「光魔法《アールカンバー》です」

「え? あれって視界が悪いときに見通しを良くする魔法じゃないの?」

 

 アリスの疑問ももっともだ。俺だってそんな魔法という認識だった。

 とは言え、ミリアは代々光魔法が伝わる由緒正しき家系の貴族。

 詳しさで右に出る者はこの場にいない。

 彼女は丁寧な口ぶりで説明してくれた。

 

「前に話したことありませんでしたか? 一般に、光魔法の対とされているのは闇魔法ですが、実は闇魔法というのは光魔法の亜種であって、本当に対となっているのは時空魔法だって」

「いや、そこまでは聞いたことなかったな。闇が光の亜種に過ぎないってのは聞いたけど」

 

 こっちの世界で言えば驚くべきことなのかもしれないけど、地球人なら常識だ。

 闇とは光がない状態に過ぎないのだから。

 

「そっか。光魔法の対は、時空魔法なのか」

「はい。どちらもどういうわけか、ロスト・マジックとして対照的な複雑さを持っているのです。ゆえに、ロスト・マジックの二大系統とされてきたんですよ」

 

 そう言えば。

 最初の授業のとき、なんで時空魔法に比べたら簡単そうな光魔法がロスト・マジックなんだろうって。

 そんなことを思ったことがあったっけ。

 へえ。似ているのか。だから難しいと。

 

 ――ん!? 似てる?

 

 そこで引っかかることがあった。

 待てよ。そんな話、どっかで聞いたことがあるぞ。

 

 ああ! 光の対が時空だって!? まさか!

 

「《アールカンバー》を使えば、たとえ時間停止中に動くことはできずとも、使用者の動きは見えるはずです。それだけでも結構違うんじゃないでしょうか」

「違うどころの問題じゃない! 大違いだぜ!」

 

 アーガスが目を輝かせていた。

 俺もそう思う。認識すらできないのと、認識だけでもできるのでは大違いだ。

 だけど。

 それも重大なことには違いないんだけど。

 それよりも気付いてしまったことがあって、言わずにはいられなかった。

 

「わかった気がする。どうして光魔法の対が時空魔法なのか」

「本当ですか?」

 

 興味ありありと尋ねてきたミリアに対し、俺は頭の中でアイデアを整理しながら答えた。

 

「相対性理論だ」

「ソウタイセイ理論?」

 

 間違いない。これしか理由は考えられなかった。

 もしこの世界でもこの理論が成り立つとするなら。

 ここにこそ、時空魔法を打ち破るヒントがあるはずだ。

 

「地球の偉い学者が言ってたことなんだけどね。光と時空には、切っても切り離せない密接な関係があるんだ」

「何だかミリアの話と繋がってきたじゃないか! おい!」

 

 持ち前の好奇心から、ますます爛々と目を輝かせるアーガスを尻目に、俺は続ける。

 

「光の速さというものを絶対基準に、時間という概念は観測者によって相対的に決まる。そのことを述べた理論を、相対性理論と言うんだよ」

「ユウって時々、ほんとわからないことを言うよね」

「はあ。それはまた初耳ですね」

 

 こういう地球産の小難しいことを話すと、アリスはさっぱりといった調子で早々に降参し、ミリアはやや疑いながらも興味を示すのが定番の反応だった。

 

「実に興味深いぜ! 後で聞かs」

「オッケーわかった」

 

 そして毎度のごとく関心たまらず、詳しく聞かせろとのたまうアーガスの口を一旦封じて。

 俺は、今回の話で大事そうなところだけを切り取って説明した。

 特殊相対性理論はともかく、一般相対性理論なんてまともに話してたら日が暮れるからね。

 

「まあ難しい理屈を抜きにして言うと、ある物体が光速に近づいていくと、その物体に流れる時間は周りに比べて次第に遅くなっていくんだ」

 

 丸めた拳をボールに見立て、徐々に減速させていくジェスチャーを交えつつ、核心を語る。

 

「そして、ついに物体が光速に達したとき。理論上、時間は停止する」

「時間停止! それって!」

 

 ぴたりと止めた拳に理想的な反応を示したアリスに、俺は力強く頷いた。

 

「そう。時間操作魔法の効果の一つだ。光速すなわち時間停止。つまり、時間に唯一対抗できるものがあるとするなら――それは光だ」

 

 そしてここからは、地球の物理理論を超えた魔法の世界の話。

 この世界の魔法でも、光と時空に一定の相関があるとするなら。

 理屈じゃないけど、何となくある予感があった。

 

「それで、これは単なる予想なんだけど。もしかして、強力な光攻撃魔法なら、停止した時間や消し飛ばされた時間の中でも届くんじゃないか?」

 

 他の人は何も答えられず押し黙っていたが、ミリアだけははっきりと同意してくれた。

 

「確かに。一部の光魔法には、時空魔法に対して特効があると言われています」

「ほら、やっぱり!」

 

 だが、彼女の表情は浮かないものだった。

 

「ですが……。それも時間遅延までです。時間停止や消去にまで対抗できる魔法となると……」

 

 そうか……。まいったな。

 

 光弾の中位魔法《アールリット》や上位魔法《アールリオン》では、おそらくダメなんだろう。

 ただ、それのさらに上となると、さすがに聞いたことがないけど。

 

「あ!」

 

 ミリアが、突然思い付いたような声を上げた。

 

「どうした?」

「そう言えば、家に一つだけありました。時を貫くと伝説に記された魔法が」

「本当か!?」

「ええ。確か恐ろしく発動が難しくて。我が家の歴史上、誰一人習得できなかったものですが……」

 

 彼女は俺をじっと見て、認めるように頷いた。

 

「ユウ。あなたなら、覚えられるかもしれません」

「それはどういうものなんだ?」

 

 ミリアはごくりと唾を飲むと、その魔法の名を告げた。

 

「時を貫く光の矢。光矢の超上位魔法《アールリバイン》」



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52「空中都市エデル浮上」

 ミリアが魔法の名を告げた直後のことだった。

 地を大きく揺るがす、激しい地震が起こった。

 大陸の中央に位置し、活断層が近くに存在しないサークリスでは、地震などほぼまったく起こらない。

 考えられる原因は一つしかなかった。ついに始まったんだ。

 

「外へ出てみましょう!」

 

 カルラ先輩の呼びかけに頷いて、全員で外へ出る。

 ラシール大平原の方角を眺めた。

 そこでは、まるで夢かと思ってしまうほどの圧倒的な光景が繰り広げられていた。

 草原の大地が開くように割れていき、そこからゆっくりと何かが浮上してくる。

 夜闇に紛れて色のほどはよくわからないが、月明かりが形だけは照らし出してくれた。

 まず目に映ったのは、立派な城だった。どうやら王宮殿のようだ。

 そこを始めとして、徐々に全体の姿が露になってくる。

 高層ビルが。時計塔が。町中に張り巡らされた、宙に浮かぶチューブ状の何かが。丸いドーム状の形をした数多くの民家が。

 それは、全体として見れば、サークリスを優に超えるほどの巨大な都市だった。

 地球でも目にしたことがないほどのテクノロジーを感じさせるメトロポリス。

 まるで天を突くように空高く浮かび上がっていく。

 やがて輝く青い月と星空を背景に、それはかつての栄華極まる全貌を俺たちにまざまざと見せ付けた。

 空の海に浮かぶ孤島。

 もはや誰も暮らすことのない空中都市は、ただ二人、邪な野心を抱く新たなる王と偽りの英雄を迎え入れて。

 魔法大国エデルは、ついに蘇った。

 

 気付けば、異変に気付いた人々が、夜中にも関わらず次々と起き出していた。

 既にあちこちで部屋の明かりが付き、多くの人が外へ出て、この信じられない光景を眺めている。

 やがて、島の周囲を赤い光の壁のようなものが覆っていった。

 トールの話を鵜呑みにするならば、侵入者を防ぐバリアが展開されているようだ。

 そいつはじきに、都市全体をほぼ隙間なく包み込んでしまった。

 ただいくつか、バリアに穴が開いている部分が存在するようだが……。

 おそらく入出用のゲートか何かだろう。

 実際、そこから何かが続々と飛び出してきた。

 最初は何なのかわからなかったが、よく目を凝らしてみれば、小型の竜だった。

 さらにその上には、人型の何者が乗っている。

 そいつらは島の周りをぐるぐると旋回し、飛び回り始めた。

 まるで警備でもしているかのように。

 当時を知るイネア先生が、苦々しい顔をしながら説明してくれた。

 

「竜の上に乗っているのは、魔導兵だ。人間の死体を魔力で操っている」

「うへえ」

「趣味が悪いですね」

 

 アリスとミリアが顔をしかめる。

 イネア先生は同意した。

 

「どんなに傷付いても決して動きを止めようとしない厄介な者たちだ。奴め、死者を冒涜する禁断の魔法を平気で使うとは」

 

 それを聞いたアーガスが、不敵な面構えで拳を叩く。

 

「なに。かえって気が楽だぜ。生身の奴が相手じゃない分、思い切りやれるからな」

 

 俺もそこは同意だ。

 やっぱり生きた人を斬るのは、敵であっても抵抗があるものだから。

 

「しかしまあ、よくもあれだけの竜を従えたものだ。小型であっても竜は竜。容易には人に頭を垂れぬ誇り高い種族のはずだが」

 

 先生が驚きをもって言うと、カルラ先輩が申し訳なさそうな顔で口を開いた。

 

「おそらく洗脳装置や洗脳魔法を使っているわ。魔法演習のとき、わたしに実験させたのは……」

 

 言葉を詰まらせた彼女の代わりに、ミリアが続ける。

 

「この日のためでしょうね。敵は実に用意周到に準備を進めていたみたいです」

 

 人一倍姑息なやり方が嫌いなアリスは、憤慨していた。

 

「何よそれ! 操ってばっかり! 反則じゃない! 少しは自分で戦いなさいよ!」

 

 自らの部下や、関係ない他の生物すら好き勝手に操って、ゴミのように切り捨てていく。

 そんな卑怯で最低なやり方に怒る彼女の気持ちは、よくわかる。

 俺も口にこそ出してないけど、同じように憤りを感じていた。

 まあトールの奴の性格からして、自分から出てくるなんてことはおよそ考えられそうにない。

 そこがまた腹立たしいのだが、やり方としては合理的だ。

 おそらく奴自身は、そこまで強くないのだろう。

 だからこそ、用心棒として最強の切り札であるクラムだけは残したんだと思う。

 アリスは、俺の方を向いて尋ねてきた。

 

「ねえ、ユウ。トールって、この町を滅ぼす気なんでしょ?」

「そうだよ。あれでね」

 

 再び空の上にある、途方もなく巨大な島を見つめた。

 自分で言いながら、目の前が真っ暗になりそうな気分だ。

 彼女も参ったように溜息を吐く。

 

「敵は最強の魔法大国。首都からの応援は望めない。剣士隊は半壊状態」

 

 指を折りながら、一つ一つの要素を挙げていく。

 いつもは前向きなアリスも、今回ばかりは顔を引きつらせた。

 

「あたしたち、絶体絶命のピンチってやつかもね……」

 

 そう思っているのは、アリスだけじゃないだろう。

 俺も含めて、浮かない顔をしているみんなの実感するところと思う。

 エデルをこちらから攻めるのは厳しい。

 進入するには当然空から行くしかない。それだけでも困難なのに、空にはたくさんの見張りと、そして鉄壁のバリアがある。

 俺にはまるで攻略不可能な空中要塞のように思われた。

 対して、奴らから攻めてくるのは簡単だ。

 開かれた町であるサークリスには、奴らの行く手を遮るような障害など何もない。

 エデルには圧倒的な戦力があるという。果たしてどんな手を使って攻めてくるのだろうか。

 いずれにせよ、とてつもなく厳しい戦いが待っていることは間違いなかった。

 だけど。どんな困難が待っていたとしても。

 ここにいるのは、そう簡単に諦めるような人たちじゃない。

 やってやろう。あいつらに思い知らせてやろう。

 この町に住む人々の力を。絆の力を。

 俺は気合を入れ直すと、みんなに言った。

 

「まだ敵が攻めてくるまでには、時間があるはずだ。その間に戦力を集めよう。やれることはやろう」

 

 不安はあるけれど、自分を含めて全員を鼓舞する。

 

「大丈夫。これまでだって何とかしてきたじゃないか。今度だって、きっと何とかなるよ!」

 

 みんな、力強く頷いてくれた。

 本当に心強い。

 

「そうね。敵がハッキリした分やりやすいじゃない! あいつらなんかやっつけちゃおう!」

「私たちを敵に回したこと、後悔させてやります」

「空でお高く止まってる奴らを、引き摺り下ろしてやるとするか。きっちり仇は討たせてもらうぜ」

「よし。私はディリートを通じて、残っている剣士隊の指揮に回るとしよう。町の防衛は任せろ」

「わたしもあの手この手で戦力を引っ張ってくるわ。魔法関係なら、どーんと任せなさい!」

 

 よし。俺も自分のすべきことを。

 ミリアに向かって頼む。

 

「ミリア。君の家に連れて行ってくれ。絶対に《アールリバイン》を習得してみせる」

「わかりました。いきましょう!」

 

 クラムに届き得る唯一の攻撃手段。

 これなくして、勝利への道はない。必ず身につけてみせる。

 

「じゃあ、準備ができたらまたここへ! 一旦解散だ!」

「「おう!」」



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間話7「焦点の惑星エラネル」

 とある世界。金髪の青年は、針の森と呼ばれる場所を歩いていた。

 彼の周りには、一見すると色形ともに針葉樹のように見えるものが、無数に生えている。

 実のところ、それらはすべてある金属の結晶であった。

 その金属は、ラスピスと呼ばれていた。

 大地をもくまなくラスピスが覆うこの場所は、通常の生物が生存するにはおよそ適さない。

 これを食べて消化することのできる好金属生物以外は一切存在しない、まさに死の森だった。

 ラスピスは非常に恐ろしい金属である。

 この世界に住む人間たちの技術では一切加工することができない、いや加工してはならない代物だった。

 この金属は、直接触れた者やものを徐々に侵食していく性質を持っているからだ。

 

 こんな話がある。

 何も知らずにこの森に出かけた少年が、ラスピスのかけらを持ち帰る。

 翌日彼の住む家は、その住人ごとラスピスの塊と化していたという。

 こうなるともう、町全体に被害が及ぶ前に、例の好金属生物にすべて食べさせてしまうより他はない。

 実際、彼らがラスピスを食物としていることによって、森は一定の範囲を超えて広がらずに済んでいるのであった。

 

 こんな恐ろしい金属だらけの森に、無論この世界の住人はわざわざ近づくはずもない。

 だが何者も近寄らない場所だからこそ。

 ひっそりと暮らす異世界よりの旅人には、最適な隠れ家となった。

 歩いている青年の名は、レンクス・スタンフィールド。

 ユウの友人であり、特殊能力【反逆】を持つフェバルである。

 九年前にまだ幼いユウと交わした、いつか再会するという約束。

 それを果たすため、星から星へと移動を続けていた。

 そして今は、この森に住むというあるフェバルを探している。

 この星まで辿り着くのもまず一苦労だった。

 宇宙船を使用するのが王道だが、それだけでは済まない。

 死亡すれば強制的に世界を転移するというフェバルの性質を逆手に取り、あえて自殺することで世界を渡ることもあった。

 そうして彼が通過した世界はもう十にもなるが、【星占い】のエーナによれば、このルートが最も早いとのことであった。

 

 惑星エラネル。

 魔力許容性が相当に高く、魔素に満ち溢れている星。魔法使用者にとっては、理想的な世界であるという。

 ユウは現在、その星のサークリスという町に暮らしていると彼は聞いていた。

 彼にとって、そこへ辿り着く方法は主に二つある。

 一つは、何らかの方法によって星間移動手段を持つ文明の存在する星まで行き、その移動手段によって直接エラネルへと到達すること。

 もう一つは、自らの能力【反逆】を利用することである。

 前者の方法は実直ではあるが、所要時間をエーナが占ったところ、今回は時間がかかり過ぎるため却下となった。

 後者の方法ならば、ギリギリで間に合うのではないか。それが彼女の見立てだった。

 ここで言う間に合うというのは、惑星エラネル滅亡までのタイムリミットに対してである。

 現時点からあと二十時間以内で世界は滅びるかもしれないと、エーナの【星占い】は予言した。

 彼女の占いは、すべてが正確にわかるわけではない。

 だが、あらゆることをある程度の確かさで占うことができる。

 そして、その精度では決して外れることがないというのが厄介だった。

 ゆえに、レンクスは内心かなり焦っていた。

 彼は当然、滅亡の要因に関しても彼女に占ってもらおうとした。

 しかし、彼女は占おうとしたところで、残念そうに首を横に振った。

 ウィルに【干渉】をかけられているせいで、調べられないと。

 直接行って確かめるしかないかと、レンクスは覚悟を固めた。

 

 さて。【反逆】を使う場合、実は彼一人ではエラネルに行くことができない。

 彼自身にエラネルへ行った経験がないためだ。

 彼には、そこへ行った経験のあるフェバルの協力者が必要だった。

 その協力者となり得る人物が、この場所にいるという。

 協力者さえいれば、やり方は簡単だった。

 フェバルの運命を支配する絶対の理、星脈。

 その脈動に従って、各々のフェバルは世界から世界へと流されていく。

 この流れに逆らう《世界逆行転移》を、彼はそのフェバルが行ったことのあるそれぞれの世界に対し、ただ一度だけ使用することができる。

 これを用いて、彼は協力者とともに惑星エラネルへと直接乗り込むつもりだった。

 

 やがてレンクスは、ついに探していた彼を見つけることに成功する。

 その人物は、黒髪短髪で筋骨隆々の大男だった。

 容姿は二十代後半から三十代前半ほどに見えるが、フェバルのため実際は遥かに永い時を生きている。

 彼はレンクスが来ることを既に気で察知し、待ち構えていた。

 いつぶりとなろうかという懐かしい再会に、二人とも頬を綻ばせた。

 

 

 ***

 

 

 少し時は遡り、また別のとある世界。

 アーフェラム大神殿。

 ウィルは、その世界で最も高名な巫女を脅し、水晶玉でエラネルの様子を映させていた。

 巫女は恐怖に震え、まともな理性も失い。

 ほとんど言うことを聞くだけの人形のようになっている。

 彼はエデルが浮上していく様を眺め、退屈なあくびを噛み殺しながら、にやりと笑った。

 

「お。始まったか」

 

 彼の背後では、勇者ラルトが聖剣リヴェストを両手で持ち、猛然と彼に迫っていた。

 彼はそれをまったく見向きもせずに、暢気に独り言を呟く。

 

「ユウ。お前がどこまでやれるか、お手並み拝見といこうか」

「はああっ!」

 

 勇者の最強剣技《グレイザッシュ》が炸裂する。

 かつて世界を恐怖の混沌に陥れた魔王を打ち倒したとき、いやそれ以上に充実した魔力と気力がこもっている。

 魔気融合の絶技。

 この世界でただ一人、勇者にしか使えないものだった。

 その威力は、現時点におけるユウが全力で《センクレイズ》を使ったとして、その優に数倍はあるだろう。

 だが、勇者の剣がウィルの首筋を間違いなく捉えたとき――。

 彼には、かすり傷一つさえも付かなかった。

 代わりに耐え切れなかったのは、剣の方である。

 神より賜りし伝説の金属――レミリオンでできているはずの聖剣。

 その切っ先が、ボロボロに欠けてしまったのだ。

 そこで初めて、ウィルは勇者に振り返る。

 

「さっきからうるさいなお前。もう少し静かにしろよ」

 

 睨みを効かされて、勇者は竦み上がった。

 今すぐにでも殺されるかと思わされるほどの、凍てつく漆黒の瞳。

 なのに、迸る殺気とはひどく乖離した、素っ気ない態度と台詞。

 これまで対峙したどんな敵とも異質な恐怖を、勇者は覚えた。

 何なんだこいつは。

 魔王など比ではない。この世にこんなとてつもない化け物が存在していたとは。

 一刻ごとに、その場から逃げ出してしまいたい気分が込み上げてくる。

 それでもラルトは勇者である。

 決して臆することはなかった。臆することは許されなかった。

 怯えから自らを奮い立たせるように叫ぶ。

 

「貴様! 真面目に戦え!」

 

 そして一方的に猛攻を加え続けるも、意味がなかった。

 指一つ微動だにせず、まったく避けようともしない彼に、かすり傷すら付けられない。

 ウィルはやれやれと呆れて、肩をすくめた。

 

「戦い、ねえ。戦いなんてものは、ある程度レベルが近くなければ成立のしようがない。違うか?」

 

 ラルトは、何も言い返すことができなかった。

 彼には勇者としての、世界第一級の実力者としての自負があった。

 だが今や、そのどちらも無残に打ち砕かれようとしていた。

 目の前でただつまらなさそうにしている、たった一人のイレギュラーによって。

 

「返せ。返せよ……」

 

 彼にはもはや、願うことしかできなかった。

 この世界に存在する、その他大勢の無力な人間のように。

 絶対的強者の前に、何も違いはないのだ。

 

「浮雲の巫女を、エリシアを返せ!」

 

 勇者と巫女は、婚約者同士であった。

 それだけに、彼女を取り戻そうという想いも必死だったのである。

 残酷なことに、想い程度でどうにかなるような差ではなかったのだが。

 そして、破壊者は気まぐれだった。

 

「ああ。彼女か。そんなに望むなら返してやるよ。もう用は済んだしな」

 

 ウィルは巫女を浮かび上がらせると、勢いよく勇者の方へ飛ばしてやった。

 勇者は慌てて剣を置き、彼女を受け止めようとする。

 だがそのとき。

 どういうわけか彼の手は、意志に反して勝手に動き出し――。

 

 その手に持つ聖剣で、自ら彼女の胸を刺し貫いてしまった。

 

 巫女は、勇者の胸に抱かれたまま絶命する。

 勇者は絶叫した。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーー!」

 

 その光景をすこぶる退屈そうに眺めつつ。

 ウィルは自らがエラネルに仕掛けたものを想って、少しだけ気分を良くした。

 もうこの場所に用はない。

 あとはこの邪魔な世界に対して、最後の一仕事をしてやるだけだ。

 本当なら丸ごと潰してしまうところなのだが。

 他にも壊すべき世界は、それこそ星の数ほどある。

 この世界については軽めで勘弁してやってもいいかと、気分の良い彼はそう考えた。

 

「僕は今機嫌が良い。だから、この世界に素晴らしい贈り物をしようと思う」

「何をするつもりだ!」

 

 最愛の人を失い、悲しみに身を震わせながら。

 それでも勇者を演じ続けようとする哀れな彼に、ウィルは愉しげに答えた。

 

「この世界には、二つの大陸がある。それぞれ人間と魔族が主に暮らしているらしいな」

「それがどうした!」

「クク。勇者であるお前は、よく言っていたそうじゃないか。人間も魔族もなく、世界が一つになればいいと」

「何を考えている!?」

 

 嫌な予感に震える彼に、ウィルは頷いた。

 

「同感だ。一つにしようじゃないか」

 

 不敵な笑みを浮かべたウィルは、【干渉】の力を振るう。

 この世界のような小さな星であれば、それは十分に可能だった。

 

《プレートモーション》

 

 直後、地が激しく揺れ始める。

 まるで星全体が震えているようだった。

 

「貴様! 一体何をしたっ!」

 

 怒りを込め、悲痛な思いで叫ぶことしかできない勇者。

 そんな彼に、ウィルは何でもないことのようにさらりと言ってのけた。

 

「なに。マントルの流れを少し弄ってやっただけだ」

「マントルとは何だ!」

「じきに世界は一つになるさ。文字通りな」

 

 言われたことの意味が理解できなかった勇者は、しかしまったく止まない地響きに、事の大きさだけは理解した。

 同時に、愕然とする。

 目の前の相手は、天災すら引き起こせるレベルだということに。

 あまりに圧倒的な格の違いに。

 

「さて。まあ僕が動くような事態にはならないと思うが。一応隣の世界までは行っておくか」

 

 その台詞の直後、ウィルはその場から忽然と姿を消してしまった。

 

 ただ一人残された勇者は、止むことなく揺れ続ける星で、絶望に膝を突くしかなかった。

 ウィルのいなくなった世界で。

 大地震と大噴火が、あらゆる場所で次々と起こり出す。

 それはまさに正しい意味で、この世の終わりのような光景だった。



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53「光の矢《アールリバイン》」

 俺はミリアと一緒にサークリスの街中を駆けていく。

 エデルのある方角とは逆方向、オルクロック側へと向かった。

 途中、人目に付かないところで女に変身する。男のままでは会えないからね。

 

 ロスト・マジックを代々家に遺すような家系は、上流層が多い。

 例に漏れず、ミリアの実家であるレマク家は、炎上したオズバイン家と同様、貴族街にある。

 といっても、オズバイン家はサークリス一、二を争う名家なのに対し、レマク家は精々下流貴族だそうで。

 貴族街の中でも家のある区画がまったく違う上に、ほとんど交流はなかったとのこと。

 下流とは言っても、ミリアは立派なお嬢様。平民とは本来色々な扱いが違う。

 でも学校ではそれをひけらかさずに過ごしたいと、普通の服を着て寮で生活していたのだった。

 まあそんな風に聞いているけど、実は彼女の家に行くのはこれが初めてだったりする。

 というか、貴族街にも入ったことはなかった。

 戸籍も何もない私が、勝手にこんなところに入って行ったら危ない。

 もし職務質問でもされたりしたら、怪しまれて捕まってしまうしね。

 サークリス魔法学校が、身分経歴一切不問の開かれたところで本当によかった。

 

 貴族街に一歩踏み入れれば、通りの質が上がり、夜を照らす魔法灯のデザインもお洒落なものに変わる。

 なので、区画に入ったことは一目でわかる。これは平民避けにもなっている。

 辺りには、まるでルネサンス建築のように美麗で調和の取れた石造りの建物が立ち並んでいた。

 敷かれた道も、ドズーが引く荷車が通りやすいように、しっかりと舗装されている。

 ちなみにドズーとは、この世界における馬ポジションの生物だ。黒牛と黒馬を足して二で割ったような見た目をしている。

 角があって牛っぽい顔してるんだけど、体付きは黒馬のようにすっとしてるというか。ちょっとわかりにくいかな。

 そしてごく一部の家には、魔素を燃料とする最新式の魔力車まであった。

 やっと車や鉄道が現れ始めたところなのに、既に寮にはカードキーだとかマッサージチェアだとかが普通にあったりもする。

 私からすれば、なんとも色々とちぐはぐな印象を受けるけど。

 実際、文明開化の最中にあるのだろう。

 あと百年か二百年もすれば、エデルを除いても、この世界は地球の現代レベルには追いついているに違いない。

 いやむしろ、部分的には追い抜いてしまうかもしれないな。

 そんな力強いポテンシャルを感じさせる魔法文明だった。

 

 やがて、ミリアが「ここです」と言って立ち止まった。

 周りに比べるとやや小さく、施された装飾も慎ましいものではあるが。

 それでも平民からすれば、十分に立派な家がそこにあった。

 手前には、人の丈ほどのささやかな門がある。

 そこにはおそらくレマク家の家紋だろうか、開いた青い花が描かれた丸いマークが付いていた。

 案内されて中に入る。

 エントランスは、やはり青を基調とした綺麗な絨毯が敷き詰められていた。

 遊びの空間は少なく、すぐ見えるところに立派な階段がある。

 階上から、メイド服を着た若い女性が駆け足気味で降りてきた。

 彼女は、やや黒がかった艶やかな赤髪を後ろにまとめている。

 ミリアが私にそっと耳打ちした。

 

「メイドのセアンヌです。うちはあまり大きくないので、メイドは彼女だけですね」

 

 間もなく、セアンヌさんは私たちの前までやってきた。

 深々と頭を下げ、こちらを丁重に迎えてくれる。

 

「おかえりなさいませ。ミリア様」

「ただいま。セアンヌ」

「お邪魔します」

 

 頭を上げたセアンヌさんが、私をちらりと見てから言った。

 

「こちらのお方は、ご友人でしょうか」

「ええ。何度か話したことがあるでしょう。ユウ・ホシミです」

 

 すると、彼女の顔が途端にぱっと明るくなった。

 

「ああ! あのホシミ様でしたか!」

 

 人に様付けされたことなんて全然なかったから、ちょっとくすぐったい気分になる。

 まあ仕事上の行儀だってことはわかってるけど。

 それにしても、「あの」って……。

 一体ミリアは私をどんな風に話してるのかな。

 訝しむ私などそよ吹く風で、ミリアはちゃっちゃと段取りを進めていく。

 

「あまり時間はありませんが、まずはお母様に挨拶に行きましょう」

「あ、うん。そだね」

「セアンヌ。案内してもらえますか?」

「かしこまりました」

 

 セアンヌさんに案内されて、私とミリアは廊下を歩いていった。

 途中、壁にかけられた綺麗な絵にうつつを抜かしながら。

 歩いている間、セアンヌさんに小声で話しかけられた。

 

「ミリア様、幼い時にご親戚とお父様を亡くしてから、人と接するのが苦手になってしまったのですよ」

「そうみたいですね」

 

 引っ込み思案だったり。言葉が上手く言えなかったり。そんな時期もあったよね。

 

「それが今や、たいそう明るくなりまして。あなた様とラックイン様のおかげです。ミリア様のお母様、テレリア様も大変喜んでおりました」

 

 そう言えば、前にミリアが自分で言ってた。

 父親は八年前に病気で亡くなって、今は母親が当主をやっているんだったっけ。

 面と向かって感謝されるのは照れるなと思いつつも、私は素直に思うところを小声で返した。

 

「そうですか。でもたぶん私じゃなくて、主にアリスのおかげですよ」

 

 散々人前にミリアのことを引っ張り回して、彼女をすっかり変えてしまったのは他ならぬアリスだ。

 私は普通に友達として仲良く接していただけで。特別何かをやったわけではない。

 すると小声でも、ミリアの耳にはしっかりと聞こえていたらしい。

 彼女は微笑んで言った。

 

「ふふ。謙遜しなくていいですよ。私が変われたのは、あなたとアリス、二人のおかげです」

「そう? 私、何かしたっけ?」

「はい。数え切れないほどいっぱいしてくれましたよ」

 

 彼女は、素敵な笑顔でにこっと笑った。

 

 テレリアさんは私室にいたようだ。

 部屋に入ると、にっこりと笑って温かく出迎えてくれた。

 ミリアと同じくサラサラとした銀髪を持つ、若々しく美しい方だ。

 雰囲気が母子でそっくりだな。私と母さんとは大違い。

 案内を終え、セアンヌさんはテレリアさんに何か耳打ちしていた。

 そして「ユーフをお持ちします」と言って、足早に去っていった。

 

 ユーフとは、紅茶のような色をした飲み物だ。

 実際紅茶系の味だけど、ほんの少し辛みもある独特な味わい。

 ちなみに最後のフの発音が弱いので、たまに自分の名前を呼ばれているのと勘違いしてしまうことがある。

 うっかり返事しちゃって、ミリアとアリスに笑われたこともあったな……。

 まあそれは置いておこう。

 

「おかえり。ミリア」

「ただいまです。お母様」

 

 軽く挨拶を済ませたテレリアさんは、こちらを向いて私を見定める。

 横にいる誰かでもよく見たことあるような、含みのある笑みを浮かべた。

 

「あなたがユウちゃんね」

 

 まさかいきなりちゃん付けで呼ばれるとは思わなかった。

 面食らったけれども、とにかく頷く。

 

「はい」

「いつもミリアに良くしてくれて、ありがとうね」

「いえ。私こそ、ミリアにはいつも良くしてもらってますので」

「ふふ。そんなにすました顔で謙遜しなくたっていいのよ」

 

 彼女は妙ににこにこしながら、こちらへと歩み寄ってきた。

 そのまま止まることなく、パーソナルスペースなんてものはおかまいなく、お互いに手が届く距離まで近づいてきた。

 親友の身内とは言え、緊張が身を包む。

 何をするつもりだろう。

 するといきなり、胸の先を指でつんと突かれた。

 

「ひゃっ!」

 

 くすぐったいような気持ち良いような感覚に、思わず変な声が出た。

 つい身じろいでしまう。

 そんな私を見て、彼女は楽しそうに笑い出した。

 

「あらあら。本当にここが弱いのね。可愛い声出しちゃって」

 

 急に顔が熱くなる。

 ここが敏感なことは、さすがに知っている人もごく限られてくる。

 初めてアリスとお風呂に入ったときに、散々弄られて。まず彼女が知った。

 そのうちミリアには教えたらしい。

 スキンシップの一環で、ミリアにもつっつかれるようになった。

 正直、このカラダの感度は異常だ。割とどこを弄られても感じてしまうほどに。

 そんな私の反応を面白がった二人は、ちょくちょく一緒になって弄り倒してきた。

 恥ずかしい記憶が蘇る。

 お風呂で身体中をまさぐられたり。ベッドでごにょごにょされたり。

 あれや、これや。いろいろ……。

 

 そんな秘密の一端を、この人が知ってるってことは……。

 

 なんてこと話してんだよ! ミリアっ!

 

 キッと睨むと、犯人はしらっと顔を背けた。

 こいつ……!

 

「うんうん。聞いてた通り、とっても面白い子ね。確かに弄り甲斐があるわ」

 

 そう言って、いたずらっぽい笑みを浮かべたテレリアさんと、ミリアがそうしてるときの姿が完全に被る。

 ミリアのルーツが判明した瞬間だった。この親にしてこの子ありだ。

 

「お母様。そんな暢気なことやってる場合じゃないんですよ」

 

 ミリアは可愛らしいじと目で母親を諭した。

 それを受けて、テレリアさんもやっと表情を引き締める。

 

「ええ。わかってるわ。大きな地響きがして、私も起きたの――あれは伝説のエデルね」

「そうです。仮面の集団の目的は、エデルの復活にありました」

 

 すると、テレリアさんは「そう……」と憂いを秘めた顔で俯く。

 だがすぐに顔を上げると、その目には決意が込められているように見えた。

 

「ミリアとユウちゃんが、何の用で来たのかはわかっているわよ」

 

 彼女は横の棚から、古びた四冊の本を取り出した。

 光の魔法書だった。

 そして彼女は、当主としての威厳をもって私たちに告げる。

 

「それらに、我がレマク家に伝わる光魔法のすべてが記されています。持って行きなさい」

 

 あまりの察しの良さに驚いたけれど。

 それだけ彼女が、知らないところで娘たちの動向を気にかけてくれていたのだとわかった。

 感謝はすぐに言葉として、口から出てきた。

 

「ありがとうございます!」

「お母様。ありがとう……!」

 

 テレリアさんは満足そうに頷くと、今度は母親として、こちらを案ずる顔を見せた。

 

「魔法の才がない私は、残念ながら直接力になることはできないけれど。ここであなたたちの無事を祈ってるわ」

 

 そして、私たちをともに強く抱き締めて。

 

「ミリア、ユウちゃん。必ず無事に帰って来なさい。お祝いのパーティーを準備して待ってるからね」

「「はい」」

 

 部屋を出るとき、ミリアは振り返って力強く言った。

 

「いってきます。お母様」

「いってらっしゃい。ミリア」

 

 テレリアさんもまた、力強く送り出した。

 

 帰りに、ユーフを運んでいたセアンヌさんと鉢合わせになった。

 彼女はひどく驚いていた。

 

「もう行かれるのですか!?」

「ええ。どうしても急がないといけないんです」

「せっかく用意して下さったのにすみません。ユーフはまた今度お願いします。次はみんなで来ますから!」

 

 何やら事情を察してくれたらしい彼女は、明るく笑顔を作って言ってくれた。

 

「承知しました。次いらしたときは、とびきり美味しいのを入れて差し上げましょう。どうかお気を付けて」

「はい!」

「いってきます!」

 

 私たちはレマク家を出て、道場へと急ぎ戻った。

 

 

 ***

 

 

 道場に戻ると、外でアーガスが魔法の訓練をしていた。

 おそらく対クラム戦を想定したものだろう。

 私とミリアの姿に気付いた彼は、訓練を中断して迎えてくれた。

 

「よう。おかえり」

「ただいま」

「ただいまです」

「他のみんなはどこ行ったかわかる?」

「アリスは、アルーンとかいう鳥の世話に向かったな。イネアは本人が言ってた通りだ。カルラは今頃、町中を駆けずり回ってるだろうよ」

 

 と、彼は私が持っている光の魔法書に興味を示した。

 

「《アールリバイン》だったか。ちょっと見せてみろ」

「うん。いいよ」

 

 手渡すと、彼はその場に座り込んで読み始めた。

 最初の三冊は涼しげな顔をして、パラパラめくるほどの勢いで眺めていた彼だったが。

 最後の四冊目に入ったところで、なぜか途端に顔を険しくし始めた。

 本をめくる速度は急激に遅くなり、ついに手が止まる。

 彼は後ろまで一気にめくって何かを確かめると、顔をしかめたまま私に本を突き返してきた。

 

「オレが言うのもなんだが、こいつは恐ろしく難しいぞ。本一冊丸々《アールリバイン》だけに当てられてるぜ」

「なっ!?」

 

 本一冊丸々だって!?

 二百ページは下らないぞ。そんなに難しい魔法なのか!?

 

 すると驚くべきことに、なんとあの天才アーガスが、白旗を振ってしまったのだった。

 

「可能ならオレも覚えようかと思ったが、パスだ。もちろん時間をかけりゃ問題なく習得できるとは思うけどよ。そんな悠長なことを言ってる暇はないからな」

「そっか」

 

 アーガスはアーガスで、他にすべきことがあるだろうからね。

 

「こいつはやっぱりお前が覚えろ。本読み込むのは、オレより得意だろ」

 

 確かに私は、本を読んで何かを覚えるのが昔から得意だった。

 おかげで勉強はあまり苦労したことがないし、こっちに来てからも呑み込みが相当早かったと思う。

 だが今回は、アーガスでさえすぐに習得するのは諦めざるを得ない魔法だ。

 私にやれるだろうか。

 いや、やるしかない。時間はあまり残されていないんだ。

 

「うん。わかったよ」

 

 私は四冊目を手に掴み、道場へと入っていった。

 周りに目もくれず、一心不乱に読み込む。

 すると必死の思いが乗り移ったのか、まるで本から教えてくれているかのように、内容がするすると頭に入ってきた。

 幸いにして、何事もなく時間は過ぎていったようだ。

 私はついに、二百ページ以上は下らない難解な本を、一息に読破してみせた。

 自分でも信じられないけど、やり切ったんだ。

 無理に使った頭はどっと疲れていたけれど、清々しい達成感があった。

 

「終わった!」

 

 早速試してみよう。

 外へ出ると、既に日は登っていたどころか、もう傾いて沈みかけていた。

 半日以上ずっと本と睨めっこしていたらしい。

 私は精神を集中し、魔素を全身に目一杯取り込んだ。

 そしてイメージする。本に則ったやり方で、正しいイメージを。

 左手が、バチバチと黄色い光のオーラに包まれる。同時に右手は、光の弓を作り上げた。

 弓を構え、左手をその湾曲部に添える。

 するとそこから、光の矢の先端が現れる。

 左手を引くに従って、矢は次第に生成され伸びていく。

 ちょうど弦に当たったところで、矢は完成した。

 さらに引き絞ると、弓は強くしなっていき。

 細腕の筋肉も、いっぱいいっぱいに強張る。

 これで準備は整った。

 

 目標は空。

 

 時を貫く光の矢。

 

《アールリバイン》

 

 瞬間、放たれた光の矢は――音を置き去りにした。

 キィィィィンと唸りながら、一直線に天へと突き抜けていく。

 そしてほんの数瞬だけで、矢はエメラルド色の空の彼方へと消え、まったく何も見えなくなってしまった。

 これまで習得したどの魔法をも遥かに超える、圧倒的なスピードだった。

 撃った当の私も、驚いて目が飛び出そうになる。

 さすがに魔法自体が光速とまでは、いかなかったようだけど。

 それでもこの魔法には、強力な光の力が込められているのは明らかだった。

 これならいけるかもしれない。

 時間だって打ち破れるかもしれない!

 

「やったー! できたー!」

 

 ガッツポーズを決めたところで。

 突然、ひざががくんと折れた。

 

 あれ?

 おかしいな。身体に上手く力が入らない。

 そのままくず折れて、ぺたんと女の子座りになってしまった。

 

 そんな。こんなことって……。

 

 まさか。

 念じて残り魔力を調べたら、すぐに原因がわかった。

 

 たった一発で、総魔力の八割くらい持っていかれてる!

 

 あまりに急激な魔素の使用に身体が付いていけず、力が抜けてしまったらしい。

 

 私は、愕然とした。

 

 なんてことだ。厳し過ぎるよ。

 絶対に一発で決めないといけないじゃないか。

 外したらもう次はないどころか、まともに動くことすらできない。

 一巻の終わりだ。

 しかもこの魔法、恐ろしく速いけど、逆に言えば取り柄はそれだけだ。

 軌道は一直線で修正が効かないし、矢だから比較的細い。

 もし放つ動作に入ってしまい、もう引き返せないところで、時間を止められたとしたら。

 奴が少し射線からずれるだけで、簡単にかわされてしまう。

 準備動作も目立つしね。上手く不意を突かなければ、おそらく当たらないだろう。

 私は深く頭を悩ませた。

 しっかり作戦を考えなくちゃいけないな。

 イネア先生にもっと話を聞いて、みんなとも一緒に考えてみよう。

 

「ユウーーーー!」

「あ。アリス!」

 

 そこへ、アリスが手を振りながらこちらへやってきた。

 

「やっと出てきたね。もうみんな、魔法学校と剣術学校の演習場に分かれて集まってるよ!」

「そっちに集まったんだ」

「うん。最初はユウの言う通り、集合ここにしようと思ってたんだけど、とても納まり切らなくて。もうすごい人数なんだから!」

 

 興奮気味にまくし立てる彼女に、私までその興奮が移ってくるような、嬉しい気持ちになった。

 そうか。この町の危機に、そんなに多くの人が集まってくれたんだ。

 戦うために。この町を守るために。

 

「早くおいでよ!」

「うん。今行くよ!」

 

 どうにか身体を起こすと、私はアリスと一緒に魔法学校へと向かった。



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54「サークリスを守れ 戦力集結」

 アリスに連れられて、魔法学校の屋外演習場へと向かった。

 正門に入り、演習場が見えたところで――あまりに活気に驚いてしまった。

 広い演習場を埋め尽くさんばかりの人たちが、そこにはいた。

 グラウンドの中央に整然と揃うサークリス魔法隊を始めとして、その横には同じく隊列を取る学校の先生や学生たちもいる。

 そればかりではない。

 こちらから見て手前側の隅には、一般市民の有志たちまでやる気に満ちた顔を見せており。

 反対側の隅の方には、元仮面の集団と思われる人たちもいた。

 

 アリスが私の方を向いて、興奮気味に言ってきた。

 

「すごいでしょう!? アーガスがね。オズバイン家臨時当主として、町中に危機を呼びかけたのよ。そしたら、こんなに集まってくれたの!」

 

 そうか。アーガスがやってくれたのか。

 もちろん彼だけの功績ではなかった。

 

「学生の多くや仮面の集団だった人たちは、カルラさんの力よ! 剣術学校の方もかなりいるわよ! そっちはイネアさんがまとめてくれてるわ!」

 

 私はこの光景を前にして、とても感動していた。

 サークリスは『剣と魔法の町』だとよく聞いていたけれど。

 その意味するところがよくわかったんだ。

 ただ単に、剣と魔法が盛んというだけじゃない。

 命懸けの戦いになるにも関わらず、こんなにも多くの勇敢な人たちが町を守るために集まってくれた。

 有事の際には、ここまで力を合わせられる。

 剣と魔法をもって、一つになれる。

 それがこの町の本当の魅力であり、強さなんだ。

 

 前の方の一番目立つ場所で、アーガスは忙しそうに全体を取り仕切っている。

 そんな彼を、胸が熱くなるような想いで見つめた。

 あいつ。だから私に《アールリバイン》の習得を任せたのか。

 新しい魔法がクラムに届き得るのなら。奴は彼の仇なんだ。

 彼の性格であれば、多少時間がかかったとしても、必ずものにしようとするのが普通だろう。

 でも、家の名を利用して、サークリスが危機にあることに説得力を持たせられるのは自分しかいなかった。

 だからまた、自分の都合を殺してまで、率先してその仕事をやってくれたんだ。

 本当は家の名をかざすのだって、大嫌いなことの一つのはずなのに。

 心から尊敬するよ。

 クラムとは、必ず一緒に戦おう。

 仇が討てるように、力になるから。

 

 演習場に入っていくと、ミリアと一緒に、まずはクラスメイトたちが暖かく迎えてくれた。

 嬉しかったけれど、人数が明らかに減っていることに気付いて、心が痛くなる。

 それでも森林演習のとき、私のおかげで助かったと多くの人から感謝された。

 

 ないものねだりだってわかってるけど、できればみんな助けてあげたかった。

 

 やはりみんなにとっては、決して許されないことをカルラ先輩はしてしまったのだ。

 胸を痛めつつ、アリスとミリアとともに、仮面の集団エリアにいる彼女の元へ向かった。

 彼女の隣には、ずっと神妙な面持ちをしているケティ先輩がいた。

 ケティ先輩は、私たちに気付くとすぐに、カルラ先輩の腕を引っ張って駆け寄ってきた。

 そして彼女の頭を後ろからぐいっと押して、無理矢理頭を下げさせつつ。

 自分もまた深く頭を下げた。

 

「本当にありがとう。この大バカを正気に戻してくれて」

「いえ。私は何も」

「私も説得に失敗してしまって。石です」

「あたしは、ただ喧嘩しただけですから」

 

 三者三様の謙遜に、ケティ先輩はふっと口元を緩めて、首を横に振る。

 

「あなたたち三人のおかげよ。みんなの気持ちが合わさって、こいつに響いたの。そうでしょ?」

 

 腕の力を緩めつつ、カルラ先輩に問いかける。

 頭を上げたカルラ先輩は、私たちを見つめてこくりと頷いた。

 ケティ先輩に散々怒られたのだろう。

 その顔は今にも泣きそうなくらい沈んでいて、借りてきた猫のように大人しかった。

 

「森林演習のとき、私だけ頑なに置いてくから、変だと思ったのよ。まさかこんなことをしていたなんてね……」

 

 肩を落とすケティ先輩。

 実際、連れていったら監督生側のはずだ。炎龍の攻撃で殺されていた恐れが高い。

 カルラ先輩も、それだけはしたくなかったのだろう。

 

「こいつが元気なら、それでいいかって思ってたところはあった。けど、引っ叩いてでも止めさせるべきだったわ。ロスト・マジックの研究なんて!」

 

 激しい怒りを示したケティ先輩に対し、カルラ先輩はひたすらしゅんとしていた。

 

「本当にごめんなさい……。ケティ」

 

 ケティ先輩はカルラ先輩の肩を掴むと、いつになく真剣な顔で言った。

 

「私にだけは怖くて何も言えなかったんでしょ。ほんとにもう。いい?」

 

 彼女は声を張り上げた。

 これまで抱えてきたであろう想いを、カルラ先輩にすべてぶつけるように。

 

「私たち、親友でしょう!? あなたがエイクを亡くしてどれほど辛かったのかなんて、よーくわかってるわよ!」

「……っ」

「もっと私に泣きつきなさいよ! 死にたかったんなら、その気がなくなるまで、嫌ってくらい付き合ってやるわ! だから……っ!」

 

 感情の高ぶりのあまり、ケティ先輩は言葉を詰まらせていた。

 飄々としている普段からでは、決して想像も付かない姿だった。

 悲痛な表情で、涙をぽろぽろと流している。

 

「もっと私を頼りなさいよ! なんでそうしてくれなかったのよ!? なんでよおっ……! バカよ……大バカよ! あんたは……!」

 

 もうそれ以上何も言えなくなったケティ先輩は、カルラ先輩に抱き付いて、顔をくしゃくしゃにして嗚咽を上げた。

 抱き付かれたカルラ先輩も、すぐに目から涙が込み上げてきて、わんわん泣きじゃくり始めた。

「ごめんなさい」と、何度も何度もそう言いながら。

 立場が対等な親友が相手だからこそできる、みっともないけれど、心温まるコミュニケーションだった。

 私もつい目頭が熱くなってきて、一緒に泣いてしまった。

 横を見ると、アリスとミリアも泣いていた。

 

 ――本当に、心配だったんだ。

 

 トールに騙されていたばかりか、彼氏まで殺されていたことを知ってからのカルラ先輩は、見るからに生きる希望を失っていた。

 それでも、責任感と罪悪感だけで無理を押して動いているのが、明らかに見てわかったから。

 けど、もう大丈夫。

 私たちだけじゃなくて、こんなに親身になってくれる親友がいるんだから。

 そのことを改めて心に刻み付けたカルラ先輩なら、きっと立ち直って罪を償っていけると思う。

 

 私たちは、しばらく先輩たちを二人きりにしてあげることにした。

 きっと話したいことが、たくさんあるだろうから。

 

 

 ***

 

 

 続いて、サークリス魔法学校の教師陣、エリック・バルトン先生と、ベラ・モール先生と少し話した。

 片やまだ二十代という若さで魔法隊の大隊長となったエリート。

 片や未だ良い結婚相手が見つからないまま三十路を迎え、うだつの上がらない彼女。

 だがどちらも先生としての人柄や実力は確かなものだ。

 バルトン先生は、彼がいない間の総指揮をアーガスに任されたらしい。相当に気合いが入っている様子だった。

 モール先生は「町を守らなきゃ結婚どころじゃないわ」と冗談めかして言っていたが、その言葉が意外に真理を突いているような気がした。

 みんな人それぞれの理由があって、ここにいるんだ。

 

 アーガスは、学校から物資を運び出す指示を飛ばすなど、とにかく準備で忙しくしていた。

 だから話すことはできなかったけど、私たちの姿を認めると軽くウインクしてくれた。

 アーガスファンクラブの人たちが、自分に向けてくれたと思って黄色い声を上げている。

 私はやや呆れた。

 あんたら、こんなときに暢気だな。いやまあ、それくらいでいた方がいいのかもしれないけど。

 実際彼女たちは働き者のようで。

 アーガスラブを原動力に、彼の指示に率先して作業に当たっていた。

 

 

 ***

 

 

 一通り挨拶を済ませたところで、三人で隣にある剣術学校の屋外修練場へと向かった。

 そこにもアリスの言った通り、多くの人たちが集まっていた。

 真ん中には剣士隊が整然と並んでいる。

 一度半壊したため、魔法隊よりはだいぶ数が少なくなったけれども、危機に対して真っ先に行動を起こしてくれた勇敢な人たちだ。

 脇には、市民の有志や退役軍人らしき人たちもいる。

 

 イネア先生は、ずらりと並ぶ剣士隊の前方で、腕を固く組んだまま立っていた。

「俺」に修行をつけているときのような険しい顔で仁王立ちだ。

 その横で、先生と親しげにしている人がいた。

 立派な髭を蓄えた、白髪の老人だった。

 先生に負けず劣らず、威風堂々とした佇まい。まるで鷹のように鋭い目をしている。

 時折先生と相談しつつ、彼が実質的な指示を飛ばして準備を進めているようだった。

 話には聞いていたけど、もしかして、歳のずっと離れた兄弟子のディリートさんかな。

 アリスとミリアを置いて挨拶に行くと、二人は表情を緩めて快く迎えてくれた。

 既にイネア先生は、私のことを彼に紹介していたみたいだった。

 

「この子が、先ほど話した新しい弟子だ。今の姿に気がまったくないのは、まあ言った通りだ」

 

 彼はその眼光鋭い目でしっかりと私を見据えてから、軽くお辞儀をした。

 

「かつてイネア先生に教えを受けた。ディリート・クラインと申す」

「はじめまして。ユウ・ホシミです」

 

 しっかりお辞儀を返して、握指もといシミングを交わした。

 彼の指はしわくちゃで、ごつごつしていた。歴戦の跡が伺える。

 彼は私の目をじっと覗き込むと、落ち着いた調子で笑った。

 

「ふっふ。真っ直ぐな目をした子だな。イネア先生の修行はきつかろう」

 

 そう言った彼の目には、強い同情と共感が込められていた。

 きっと彼も昔、先生に散々しごかれたのだろう。

 

「はい。何度死にかけたかわかりませんよ」

 

 本当にね。

 心からたっぷり気持ちを込めて同意すると、イネア先生は私の頭にぽんと手を置いた。

 ディリートさんににやりと笑みを向け、意趣返しにちくりと刺す。

 

「お前と違って、すぐ弱音を吐く情けない奴だが。まあ呑み込みは早い方だな」

 

 ディリートさんは私と先生を見つめ、何かを懐かしむような遠い目をした。

 

「何だか昔のことを思い出しますな」

 

 先生も、しみじみと頷く。

 

「そうだな。お前も随分と立派になったものだ。あのやんちゃ坊主がな」

 

 ディリートさんは、年の積み重ねを思わせる立派な顎鬚をさすりながら、ふっと微笑んだ。

 

「人の一生は短いですからな。その分生き急ぎましたとも。おそらくお先に行かせてもらうことになるでしょう」

「ふっ。そう寂しいことを言うな。たとえいくつになっても、お前は私の可愛い弟子だぞ」

「ふっふ。この老いぼれに可愛いとは。先生も相変わらずだ」

「お前もだ。その笑い方は変わらんな」

「まったくですな」

 

 お互い腹で笑い合う二人には、その二人にしか通じない何かがあった。

 けれどそれがわからなくとも、確かに感じられる師弟の絆に、弟弟子である私も暖かい気持ちになった。

 

 

 ***

 

 

 やがて、人が揃ったと思われるところで、ディリートさんが全員を整列させた。

 そして、イネア先生が前に進み出て、仮設の壇上に立つ。

 柄じゃないと言いつつ、剣士組総大将――その重責を引き受けた。

 先生は強く声を張り上げて、決起演説を始めたのだった。

 

「我々は今、未曾有の危機にある。見えるだろう。復活した魔法大国エデルの姿が。伝説に記された脅威が、まさに我々を飲み込もうとしている」

 

 波打つように、場の緊張が高まった。

 先生は続ける。

 

「英雄クラム・セレンバーグの謀反。この危急の事態に、皆を救う刃となるはずの彼こそが、仮面の集団一の剣客であったという事実。多くの者は落胆し、嘆き、怒り、そして絶望したことだろう」

 

 見ると、多くの人が俯いていた。

 悔しがり、あるいは怒り、泣き。それぞれが各者各様の表情を示していた。

 

「だが。たとえ英雄がいなくとも、我々は立ち上がらねばならない」

 

 力強い言葉で、イネア先生はみんなを鼓舞する。

 

「忘れるな。己一人の剣こそが、集まって大きな力を為すのだということを。お前たち一人一人が小さな英雄であり、主役なのだということを」

 

 彼らの心に、火が灯ったように見えた。

 そうだよ。英雄がいなくたって、彼ら一人一人が立派な戦士なんだ。

 

「命懸けの戦いになるだろう。だからこそ、私は問おう」

 

 先生は真剣な顔で、皆に問いかける。

 

「お前たちが何ゆえに剣を取ったのか。その剣に乗せる誇りは何か。想いは何か」

 

 一泊間を置き、溜めてから続ける。

 

「自分のため。愛する人や家族のため。人それぞれのものがあるだろう。今一度、それを深く胸に刻み付けるがいい」

 

 ある者は表情を引き締め、ある者は目を瞑り、ある者は胸に手を当てて。

 それぞれが想いを馳せていた。

 十分と判断したところで、先生がまた一段と声を上げた。

 

「そして感謝しよう。よくぞここへ集まってくれた。お前たちは勇敢なる戦士だ」

 

 彼らの助力に深く謝辞を述べ。

 

「そんなお前たちに、改めて頼みたい」

 

 先生は気剣を出すと、天高く突き上げた。

 

「どうか力を貸してくれ! サークリスを、この町に暮らす人々を守るために!」

「おおーーーーーーーーっ!」

 

 みんなが一斉に剣を掲げる。

 びりびりと大気が震え、あちこちから勇猛なる雄叫びが響き渡る。

 私も胸が熱くなり、隅っこでガッツポーズを決めた。

 よし。精一杯頑張るぞ。おー!

 

 

 ***

 

 

 それから私たちは、イネア先生率いる剣士混成隊、アーガス率いる魔法混成隊とととも、ラシール大平原へと行進していった。

 サークリスを出てやや進んだところで止まり、そこで陣を張って、敵襲に備える。

 時刻はすっかり夜になっていた。

 決戦のときが、近づいて来ている予感がした。



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間話8「マスター・メギル、首都に手を下す」

 エデル王宮殿。

 トール・ギエフは一人、無人の王の間に佇む。

 立派な玉座に座り、ほくそ笑んでいた。

 ようやく、彼の半生をかけた念願が叶ったのである。

 圧倒的な力を世界に誇示し、自らが世界の支配者となるときがついにやって来たのだ。

 そんな彼にとって、余計な部下はもはや邪魔であった。

 偉大なる叡智を冠するのは、自分一人だけで良いと彼は思っていた。

 だからこそ、彼は容赦なく部下を始末したのである。

 ただ一人、例外はクラム・セレンバーグという男であった。

 自分が非力であることは、彼自身が一番よくわかっていた。

 バリアも張られ、守りも万全なこの国に、まさか侵入できる者はいないだろうが……。

 万が一の事態のためだ。

 自分一人だけで良いという信念を多少曲げてまで、切り札だけは手元に残しておいたのだった。

 その彼はつい先ほど、王立図書館に向かって行った。さらなる力を求めて。

 結構なことだ、とトールは思う。

 彼がより完璧な強さを手に入れてくれるなら、これほど心強いことはない。

 いずれ落ち着いたら、自分もさらなる叡智を求めてそこへ通うことにしよう。

 読む本が尽きない楽しい将来を思い描いて、トールは満足気に頷いた。

 

 だが、まず今はやるべきことがあった。

 目と鼻の先にある目障りな町は、大したものではない。

 数々の魔導兵器を試運用しつつ、直接兵力で叩き潰し、その様を眺めて楽しむとして。

 これまでずっと様子を伺いながらこそこそするしかなかったが、そんな日々もついに終わりだ。

 エデルの力をもってすれば、彼にとって最も厄介な勢力であった首都ですら、簡単に滅することができる。

 

 エデルが復活してから、丸一日が過ぎようとしていた。

 トール・ギエフは、サークリスを攻める兵力の準備を行いつつ、ある兵器の使用準備を進めていた。

 チャージには一日もの時間を要するが、何度でも使用可能な超魔導兵器。

 その威力は、町一つでさえ跡形もなく消し飛ばす。

 

 魔導砲《ヴァナトール》。

 

 偶然にも自分の名前を冠するこの兵器を、彼は非常に気に入っていた。

 とうとう自らの手でこれを自由に運用できるときがやってきた。

 至上の喜びを感じながら、彼は発射準備が整ったことを知らせる独特なブザー音を聞き取った。

 発射スイッチは、玉座の右袖にある。

 肘掛けの蓋を外すと、誤って簡単に押さないように、透明な材質でできた硬いカバーに覆われた状態で備え付けられていた。

 あとは撃つだけなのだが、その前に。

 彼は玉座の左肘掛けの蓋を外し、水晶モニターのスイッチを入れた。

 玉座の間上部にある巨大な水晶球が光る。それは彼の望むままの景色を映し出してくれた。

 今、水晶球は、浮島の下部に備え付けられた主砲の姿を、闇夜の中でも鮮明に描いていた。

 白銀の滑らかなメタリックフォルムの先端に、大きく開いた砲口。

 芸術的美と実用的美を兼ね備えたデザインを目の当たりにし、彼は人前ではまず見せることのない、うっとりとした表情を浮かべた。

 いよいよこいつを使うときが来た。

 彼は子供のように心を躍らせながら、発射スイッチへ拳を振り下ろす。

 勢いでカバーをぶち割り、叩きつけるようにスイッチを押した。

 

 砲口に、濃厚なエメラルドグリーンの光が急速に集まっていく。

 高度に凝縮された純粋な魔素は、空の色と同じ輝きを示す。

 かつて彼が読んだ文献に記されていた、まさにそのままの事実が、今眼前のモニターにありありと映っていた。

 標的は首都ダンダーマ。

 住人共は苦しむことなく、一瞬で息絶えるだろう。

 その分、もがき苦しんで死ぬサークリスの連中よりは幸せかもしれないな。

 そんなことを思いながら、彼は邪悪に口元を歪めた。

 間もなく、それは放たれた。

 空駆ける眩い光が、闇夜を貫く。

 光線は遥か遠く、首都ダンダーマの方角へ真っ直ぐに飛んでいき、そして――。

 

 地平線の彼方に、濃緑色のキノコ雲を作った。

 

 それは夜の闇を一瞬で塗り潰し、昼に変えてしまうかと思われるほど強烈な光を伴っていた。

 地の果てまで届く轟音が、その威力の凄まじさを克明に物語る。

 やがて静寂が戻り、キノコ雲も掻き消える。後には何も残らなかった。

 まるで地図からマークを消すかのようにあっけなく、それは達成された。

 

 首都ダンダーマは、滅びた。



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55「世界滅亡へのカウントダウン」

 事件続きで、私たちは丸一日以上眠っていなかった。

 さすがにこのままでは戦えない。

 野営が済んで作戦会議を行った後、バルトン先生やディリートさんに指揮を任せて、すぐにテントの中で仮眠を取ることにした。

 今のうちに少しでも寝ておかなければ、いざというとき体力が保たない。

 心は落ち着かないけど、そう言い聞かせてしっかり睡眠を取るよう心掛ける。

 安静にして、消費した魔力の回復もしなければならないし。

 よほど疲れていたようで、隣のアリスは、横になると間もなくぐっすり眠ってしまった。

 研究所の地下で気絶させられていた私や、石になっていて意識がなかったミリアよりも、ずっと長い間起き続けて頑張ってくれたんだ。無理もない。

 小さくお疲れ様と声とかけてから、私は目を閉じた。

 

 

 ***

 

 

 異常な魔力の高まりを感じて、はっと起き上がったのは、深夜のことだった。

 横を見ると、アリスとミリアも同じくそれを感じ取っていたようで、一緒に起き出した。

 三人で外へ出ると、既に他の人たちも多くが外へ出ていて。

 みんな空を見上げていた。

 上空では、恐ろしい異変が起こっていた。

 

 なんだあれは――!

 

 エデルの下部が、強烈なエメラルドグリーンの光に包まれていた。

 目にしたならば、はっきりとわかる。

 あそこに莫大な魔力が充実していることが。

 やがてそこから、光線が放たれた。

 月明かりの夜空を照らしながら、極大の光が真っ直ぐ突き抜けていく。

 

 あっちは、首都の方角――。

 

 そう思ったとき、既に地平線の彼方へそれは到達していた。

 チカッと一瞬丸く光ったかと思うと、次の瞬間には、眩い光が闇を掻き消した。

 まるで原爆が落ちたときのような――。

 濃緑色のキノコ雲が空高く舞い上がるのが、目に焼き付いた。

 やや遅れて届く轟音が、大気を大きく揺るがす。

 そのうち雲は消え、辺りには何事もなかったかのように静寂が戻った。

 私たちは、嫌でも思い知らされた。

 

 首都がやられた。ものの一瞬で。

 

 それは、力を合わせてエデルに立ち向かおうとしていた私たちを、一気に絶望の縁まで叩きつけるような衝撃だった。

 何しろ奴はその気にさえなれば、サークリスだって丸ごと簡単に消すことができてしまうということなのだから。

 多くの者は絶望し、膝を付く者や震え上がる者もいた。喚き出す者や逃げ出そうとする者まで現れ始めた。無理もないことだった。

 パニックになりかけたそのとき、イネア先生が鬼気迫る声を轟かせた。

 

「落ち着け!」

 

 逃げ出そうとしていた者たちが、ぴたりと動きを止める。

 先生はみんなを落ち着かせるため、堂々とした口調で、その場の全員に語りかけるように言った。

 

「確かに今のはとてつもない威力だった。あんなもので狙われてしまえば、サークリスなど一たまりもないだろう。だが、ならばなぜ、今まで撃たなかった? なぜ首都を優先する必要があった?」

 

 周りがざわめき始める。確かにそうだという声が聞こえてきた。

 先生は冷静な調子を崩さずに続ける。

 

「簡単なことだ。撃てなかったのだ。考えてもみろ。あれほどの威力だぞ。撃つまでには、相当の準備時間が必要なはずだ」

 

 時空魔法をも見破った先生の慧眼が、ここでも光る。

 

「仮にエデル復活から今まで準備にかかったとすれば、再発射までには、あと一日と少しの猶予がある。それまでに手を打てば良い。希望はある!」

 

 力強い言葉を受けて、みんなはいくらか闘志と冷静さを取り戻したようだった。

 状況はより厳しくなったが、元より厳しい戦いになることは覚悟の上で集まっている人たちだ。

 希望さえ残っているなら、まだ立ち直れる。

 私は、バラバラになりそうだった隊をまとめ直した先生を、本当にすごいと思った。

 

 さらに先生は、みんなに具体的な希望を持たせるために、私たちで話し合った作戦をこの場で告げた。

 

「我々は隊を二つに分ける」

 

 一つはサークリス防衛班。この陣で町を守るために戦ってもらう。

 そしてもう一つ、要となるのがエデル突入班だ。

 見ての通り、エデルの周辺ほぼすべてには、強固なバリアが張られている。

 進入はほぼ不可能に見える。

 だが複数あるゲートの付近だけは、唯一バリアが張られていない。

 

「そこで、少数精鋭で空を駆け、ゲートを突破しての進入を目指す。防衛班が町を守っている間に、突入班が進入に成功し、エデルを落とせば我々の勝ちだ!」

 

 方々でおお、という声が上がる。

 どうやら朝が来る前に、今ここで作戦を話した甲斐はあったみたいだ。

 

「空を旋回している魔導兵は、闇夜でも見通しが利く。今焦って攻めるのは、我々にとって不利だ」

 

 だが時間がないのも確か。

 イネア先生は少し思案すると、現実的な修正案を提示する。

 

「そこで。作戦の決行は、予定を少し早め、明朝日の出と同時に行う。各自それまで、しっかりと身体を休めておけ!」

 

 そう言って、先生は締めくくった。

 先ほどまで絶望を顔に張り付けていた人々は、今や再び胸に希望を取り戻した顔をして、それぞれの持ち場に戻っていった。

 ある者は、仮眠を取るためテントの中へ。ある者は見張りへ。

 横にいたアリスが、声をかけてきた。

 

「イネアさん、かっこよかったね」

「うん。先生にこんなカリスマがあったなんて」

 

 時々用事があると言われて、修行が休みになることがあったけど。

 それは剣士隊の剣術指南をしているからだというのは聞いていた。

 だが、いくら剣士隊には顔が知られているとは言っても、他の知らない人たちも含めて、全員を一つに纏め上げるのは非常に難しいはずだ。

 それを見事にやってのけた先生。普段道場で隠居生活みたいなことをしている人とは、とても思えないよ。

 

「やっぱり先生には、地上に残ってもらうことになりそうですね」

「そうだね」

 

 ミリアの言葉に、私は頷く。

 今回、先生にはサークリス防衛班に回ってもらうことになっていた。クラムやトールとの戦いは私たちに任せて、隊を纏め上げる役を買って出てくれたのだ。

 本当は大戦力として一緒に空へ来て欲しかったけど、いつ隊がさっきのような状況に陥るとも限らない。

 それにきっと、トールはこちらに大戦力を投入してくるだろう。圧倒的戦力で消すと言っていたから。

 もし私たちが勝ったとしても、守るべき町が残っていなければ意味がない。

 私たちがいない間、先生が頼りだった。

 

 

 ***

 

 

 アリスとミリアもテントに戻り、私も続いて戻ろうとした。

 ふと見上げると、夜空に淡く輝く青い月がほぼ真円を描いていた。

 きっと明日には満月になるだろう。

 だがそこで、私は妙な違和感を覚えた。

 森林演習の夜にたまたま月を眺めていなければ、おそらく気付けなかったであろう――些細な違い。

 

 待て。前に見たときよりも、ちょっとだけ月が大きくなってないか!?

 

 最初は目を疑った。いくらなんでも、あり得ないと思った。

 だが、間違いなかった。気付けば明らかだった。

 月は少しずつ、一見わからないように。だが確実に大きくなってきていた。

 

 まさか――。

 

 私は、空に浮かぶエデルを見やった。

 エデルから常時放たれている、膨大な活性魔素。

 ラシール大平原に一切の生物が住めなくなるほどの魔力汚染を起こし続けたそれは、これまでは大気中に霧散していた。

 それが今や、すべて一定の方向性を持ち、静かに天高く上っていた――月へと吸い込まれるように。

 

 私はとうとう気付いてしまった。ウィルが仕掛けた最大の罠に。

 

 エデルそのものは、目くらましだ。

 あんなもので世界は支配できても、滅びはしない。

 

 あいつが世界を滅ぼすというのは、文字通りの意味だったんだ!

 

 ――あの砲撃が、最後のトリガーだった。

 

 力と支配欲に溺れた人間が、禁忌の力を振るう。

 そのトリガーを引くことで、皮肉にもより大きな力によって滅ぼされてしまう。

 それも、世界全体を巻き込んで。

 実にあいつらしい、性格の悪い筋書きだ。

 

 あんまりだ。こんなの、あんまりじゃないか……!

 

 かつて魔法大国エデルは、あいつが引き寄せて落とした隕石によって滅びた。

 だがよく考えてみれば、わざわざ隕石を引き寄せる必要なんてなかった。

 なぜなら、最も大きくて最も近い隕石は――すぐそこにあるのだから。

 

 小さな隕石で、国が滅びた。

 世界を滅ぼすなら、もっと大きなものを落とせばいい。

 単純な答えだった。

 憎らしいほど単純で、どうしようもない答えだった。

 

 あいつは、あえて月を残していったんだ。このときのために!

 

 私は青い月を睨み付けた。

 それは静かに、だが確実に世界滅亡へのカウントを刻んでいた。

 

 ――このペースなら。

 あと一日か二日で、重力圏に達してしまう。

 

 月が落ちる。

 

 世界は、滅びる。

 

 私にはもう、どうすればいいのかわからなかった。

 あまりにもスケールが違い過ぎる。

 絶望すら通り越して、逆に実感が湧かないレベルだった。

 

 なんて奴だ。ウィル。あいつは、なんてことを……。

 

 ただ一つできることがあるとすれば、一刻も早くエデルを止めること。それだけだった。

 エデルから放たれる魔素の供給を絶てば、もしかしたら月の落下が止まるかもしれない。

 その可能性に賭けるしかない。

 私は悲愴な決意を胸に、テントへと入っていった。

 

 アリスとミリアの安らかな寝顔を見て、泣きそうになる。

 

 もし月が落ちたら。

 二人は。みんなは――。

 世界を……守れないかもしれない。

 

 敵のあまりの強大さを、私は改めて思い知った。

 そしてこの手の届く範囲のあまりの小ささを、思い知らされた。

 もう寝付くことはできなかった。ひたすら無力に打ちひしがれた夜だった。



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間話9「サークリス殲滅準備」

 再び、エデル王宮殿。

 首都ダンダーマを跡形もなく消し飛ばしたトールは、実に愉快な気分で、狂ったように高笑いを続けていた。

 誰もいない王の間に、彼の笑い声だけが幾度もこだまする。

 目の上のたんこぶだった首都をついに亡きものにできたことは、彼にとってそれほど至上の喜びだったのだ。

 その余韻をひとしきり味わった彼は、ぼちぼち次の作業に取り掛かることにした。

 

 彼はゆっくりと玉座から立ち上がると、ある場所へと向かう。

 王の間を出て、横にあるエレベーターで地下一階へ。グランセルナウン乗り場に入る。

 グランセルナウンとは、反重力魔法で浮かぶ四人乗りスカイリフトのことを言う。

 白を基調としたボディに、赤いラインの入った車体は王宮仕様となっている。

 そいつに乗って、透明なチューブの中を移動する。

 移動時には音など一切せず、すーっと滑らかに前へ進んでいく。

 誰一人いなくとも、夜間は自動でライトアップされる美しい町並み。

 かつてここに暮らしていたこともあったトールは、その光景を懐かしさをもって眺めた。

 

 やがて彼が辿り着いた場所は、エデルが誇る兵器収容所であった。

 いかにも工場といったメカメカしい外観をしており、この町の多くの建物と違って、通常の箱型をしていた。

 中へ入り奥へ進むと、じきお目当ての場所に辿り着く。

 魔導機械兵と呼ばれる兵器が、一直線にずらりと並んでいた。

 既に自動メンテナンスが完了し、起動可能な状態になっている。

 その数、実に三千体。

 これらがすべて自分に忠実な僕だというのだから、彼は内心笑いが止まらなかった。

 彼は楽しそうに視線を左右に走らせて、まだ動き出す前であるそれらの整然とした並び具合を堪能する。

 その後、やや勿体ぶったようにスイッチを押して、それらを起動させた。

 それらは死体を利用した魔導兵と違って、柔軟な行動はできない。

 だが何より単純な命令には忠実であるし、総魔法金属製のため、魔法耐性が高い。

 トールは、うち三百体ほどを町の警備に当たらせる。

 残りの二千七百体は、サークリスを蹂躙するために投入するつもりだった。

 

 三百体には都市中に散らばって警備に当たるように、そして二千七百体にはまとまって外のとある場所へ向かうように彼は命じた。

 彼も機械兵たちと一緒に兵器収容所を出ると、すぐその隣にある魔法生物収容所へと向かう。

 中にいたのは、猪型の巨大草食獣ライノス、虎型の大型肉食獣リケルガー。

 各五百頭ずつであった。

 それらは既に、エデル本場の洗脳魔法によって強力にコントロールしてある。トールの言うことのみを従順に聞く僕と化していた。

 彼は千頭に命じて、やはり外のとある場所へ向かうよう指示した。

 彼自身もまた、そこへ向かう。

 二千七百体の機械兵と千頭の獣は、既にその場所――屋外の巨大転移装置の上に待機していた。

 あとは装置を遠隔で起動すればよい。エデル直下付近の適当な位置へと勝手に送り込まれるようになっている。

 彼とクラム以外の人間はすべて殺すように命じてあるので、地上に降りた途端に大暴れしてくれるだろう。

 とりあえずこれで準備は完了だな、とトールは邪悪な笑みを浮かべる。

 他にもさらにすごい兵器や魔法生物はいくつもあるが、それらは様子を見て投入することにしようと彼は考えていた。

 後々生産可能になるとはいえ、復活したばかりの今は、まだ現存のものしか兵器がない。

 わざわざ町一つ潰すのに使うのは、少々もったいない。

『ファルモを割るのに剣は要らない』とことわざでも言うではないか、と彼は顎をさすりながら頷いた。

 

 一仕事を終え、王の間に戻った彼は、少しばかり睡眠を取ることにした。

 彼もこのところ、ずっと寝ていなかったのだった。

 次に起きたときには。

 圧倒的兵力がサークリスを蹂躙する様を想像して、彼はほくそ笑んだ。

 そうだ。せっかくだから寝る前に、美しい夜景を眺めることにしよう。

 別にこの場所から動く必要はない。

 水晶モニターのスイッチを再び入れると、そこには綺麗な星空と青い月が映し出された。

 

 うむ。実に美しい月だ。明日は満月だな。

 サークリスを潰したら、夜景を背に祝杯でも挙げるか。

 

 そんなことを暢気に考えていた彼は、気付かない。

 自らが支配せんとする世界が、今まさにその月によって滅びようとしていることに。

 

 なぜならモニターには――普段と寸分違わぬ大きさの月が映っていたのだから。



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56「決戦の夜明けが来る」

 夜明け前に起床時間が来た。

 結局私は、あれからまったく眠れなかった。せめて疲れを取るために、ただ目を瞑っていただけだ。

 アリスとミリアも起きてきて、一緒に食事に向かう。

 食卓がないため、地べたに座って食事を取る。草原いっぱいに生えているキッサを潰す形にはなるが、仕方ない。

 陣が町から近いということもあり、食事には困らなかった。

 給仕係の人が手ずから調理機材を持ってきて、夜なべでスープを用意してくれていた。だからまずい兵士用の携帯食を食べずに済んだ。

 自然と仲の良い人たちで集まり出したらしく、あちこちに数人のグループができていた。中には一人で黙々と食事を取る人もいたけれど。

 私たち三人の近くにも、アーガス、カルラ先輩にケティ先輩、やや遅れてイネア先生とディリートさんがやってきた。いつものメンバープラスディリートさんが揃った。

 

 食事も落ち着いたところで、私は真の世界の危機を彼女たちにだけ伝えることにした。

 限定したのは、この場にいる全員に伝えれば、どういう反応になるのかわからなかったからだ。

 今度こそパニックになるかもしれない。

 正直、話したところでどうにかなるレベルの問題ではない気がして、目の前が真っ暗になりそうだけど……。

 それでも一人で抱えているよりはマシだろうと思って、私は話を切り出した。

 

「ウィルが遺していった危険因子の正体が、ついにわかりました」

「なに!?」

 

 あいつの恐ろしさを最もよく知っている先生が、真っ先に反応した。

 隣のアリスとミリア、向かいに座っているアーガスも顔を引き締める。

 

「ウィルって誰のことよ?」

 

 カルラ先輩は首を傾げていた。ケティ先輩も同じくわからないという顔をしている。

 そうだった。先輩たちだけには、あいつの話を聞かせていなかったな。

 ディリートさんはというと、イネア先生からあいつの話を聞かされていたのだろうか。特に驚くことはなかった。

 二人の先輩の方を向いて、まず簡単にあいつの説明をすることにした。

 

「《メギル》を落とした奴の名前ですよ。この世界では、神の化身なんて呼ばれています。ほんとは全然そんな奴じゃないですけどね」

 

 二人とも、とても信じられないという顔をした。

 

「ユウって、あの神の化身と知り合いなの!?」

「あれって伝説の存在じゃないの!? 本当にいたわけ!?」

 

 あいつとの最悪な初対面をまた思い出して、嫌な気分になりながらも頷く。

 

「知り合いっていうか、一度故郷で初めて会ってひどいことされただけなんですけど。私がこの世界に来るきっかけを作った人物です」

「なによその口ぶり。それじゃまるで、あなたが違う世界かどこかから来たみたいじゃない。まさか――」

 

 はっとしたカルラ先輩に、私は再度頷いて答えた。

 

「はい。私はウィルと同じく、特別な力を持つ異世界からの旅人です。フェバルと言います」

「はあっ!? じゃああんたの、そのとんでも能力とか謎の経歴ってそういうことだったの!?」

 

 カルラ先輩はオーバーに驚きながらも、やはり私のことをよく調べていたからなのか、どこか納得といった様子だった。

 ケティ先輩は相変わらず話についていけてない感じだ。

 私に何か言おうとしていたけど、カルラ先輩が何かを耳打ちしたらとりあえず引き下がった。

 カルラ先輩は改めて物珍しそうに、私のことをじろじろと見回している。

 なんか前にアリスたちに話したときにも、似たようなことをされた気がするな……。

 

「髪も黒いし、色々と不思議な子だと思っていたけど……。なんかすんなり合点がいったわ。ユウじゃなかったら、絶対に信じないところだけど」

 

 結局カルラ先輩は、すっかり私のことを信じたみたいだった。

 他の人にしてもそうだけど、なんで異世界から来ましたって言ってこんなに簡単に信じてもらえるのだろうか。

 わからないけど。私ってもしかして、知らないうちに結構浮いてしまってるのかな。

 確かに、この世界で私と同じ黒髪を持つ人間はついに見かけなかったし。

 たぶん私が知らないところで、色々とボロを出してしまっていたのだろう。

 この世界に広く普及してるおとぎ話に、異世界よりの使者の話があるらしくて。

 異世界信仰は割と一般的らしいんだけど、それにしてもね。

 ともかく。それは今深く考えるべきことじゃない。

 私は伝えるべきことを伝えるために、話を続けた。

 

「昨日話した通り、《メギル》によって滅びたはずのエデルは、そのままの形で地下深くに沈んでいました。それが復活してしまったというのが今回の事態です」

 

 共通認識にもう一つ。重要な背景事実を付け加える。

 

「実行犯はトール・ギエフですが、ここまでのすべての絵を描いたのはウィルです。あいつが遺したという世界を滅ぼしかねない危険因子――そいつを発動させるカギこそが、エデルでした」

「エデルそのものが、そうではないのですか?」

 

 私のニュアンスに気付いてくれたミリアの問いかけに、首を横に振る。

 

「違うんだ、ミリア。確かにエデルは脅威だよ。でもあれでは世界は滅びない。もしかしたら、人類は滅ぼせるかもしれないけどね。答えはもっとシンプルで、もっとどうしようもなくて……」

 

 言う前からまた想像してしまって、言葉に詰まる。

 近い将来、起こるかもしれない世界の終わり。 

 今こうしてみんなが生きている場所が、すべて跡形もなくなってしまう。

 想像を絶する熱波と、地表全体を覆い尽くす溶岩の海に、みんな飲み込まれて――。

 

「大丈夫?」

 

 気が付くと、アリスが横から心配そうに顔を覗き込んでいた。

 

 ――手、こんなに震えてたのか。

 

 私は素直に助けを借りることにした。

 

「ちょっと、手を握っててもらえる?」

「いいわよ」

 

 私の左手に、アリスの右手がぎゅっと握られた。

 アリスのぬくもりを感じる。アリスの力を感じる。

 君はまだここにいる。

 前を向けば、みんなだってここにいる。

 まだ時間はある。まだいなくなってない。みんなちゃんとここにいる。

 彼女から勇気をもらって、私は何とか言葉を紡ぐことができた。

 

「なぜあいつは、隕石さえ簡単に落とせるような圧倒的な力を持ちながら、一思いに世界を滅ぼさなかったのか。なぜあいつは、こんなに回りくどいことをしたのか」

 

 ウィルのやり方を。あいつの悪意を。

 

「それはあいつが、欲深き人の手によって、自ら世界滅亡へのトリガーを引くことを望んだからです」

 

 その悪辣さに、全員が顔をしかめる。

 だが固唾を飲んで続きを待っている。

 私はいよいよ仕掛けの正体を語る。

 

「深夜の砲撃こそが、まさにその引き金でした。それをきっかけに、あいつは、エデルから放たれる膨大な活性魔素に一定の方向性を与える仕掛けを施していました。そして、その莫大な魔力を利用して――」

 

 一つ呼吸をおいてから、決定的な一言を告げる。

 声まで震えているのが、自分でもわかった。

 

「月を落とそうとしています」

 

 衝撃の発言に驚愕を表したみんなは、すぐに青い月のある方角に目を向けた。

 既に夜明けを控えて沈みかけているそれは、言われて気付いてしまえば、今や誰にもわかるほどには大きくなっていた。

 だがこんな緊急事態に、わざわざ月を注意深く見よう者などいない。

 だからほとんどの人は気付かなかったのだ。

 それにまさか、月が落ちるなどと本気で考える者もいないだろう。

 少し大きくなっているような気がしても、勘違いで片付けてしまうはずだ。

 どの道、次に月が現れたときにはもう、一見して明らかなほど地表に迫っているだろうけど。

 

「おいおい……。なんだよあれ……」

 

 アーガスが嘘だろ、と書いてあるような顔をしている。

 私も同じ気分だ。夢だと思いたかった。

 こんなの、天災というレベルの話じゃない。

 

 これほどなのか。フェバルの秘める真の力というものは。

 

 この世の条理を覆すという力は、こんな恐ろしいことに使われて。

 この星に生きるすべての者たちを、無に帰そうとしている。

 

 私たちは、たった一人の男の遊び半分にさえ為すすべもないのか……!

 

 たまらなく悔しかった。

 私だけじゃない。この世界そのものが、あいつにまるでおもちゃのように扱われてしまっていることが。

 そのことに対して、どうすることもできない自分が。

 私があいつと同じフェバルだというなら。私の力が本当はすごいものだというなら。

 化け物になったって構わない。

 みんなを助けられるなら、死んだっていい。

 この運命を変えたい。この不条理を覆したい。

 でも私には……どうしたらいいかわからないんだ。

 何度考えたって。何度心に問いかけたって。

 あれを直接止める方法が出てこない。浮かばない。掴めない。

 

 エデルの方に目を移すと、相変わらず魔素を上空に向けて放っていた。

 膨大な量の魔素は、大気圏を突き抜けて、月に魔力を供給し続けている。

 それを受け、月は徐々にこの星へと迫っている。

 

「おそらく月は、あと一日か二日で重力圏に達し、この星に衝突するでしょう。そうなれば、世界は終わりです」

 

 文字通り、世界は滅びる。

 衝突後に残るのは、ほとんどの生命が暮らせない灼熱の星。

 言葉を失っているみんなに、私は思い付く限り、たった一つの希望的可能性を述べた。

 

「活性魔素が月を落としているなら。それを止めれば、もしかしたら月も止まるかもしれません」

「なるほどな。一理はある」

 

 努めて冷静であろうとするイネア先生に頷き返して、話を続ける。

 

「魔素の供給を止めるには、エデルの活動を止めて地上へ引きずり落とすしかないでしょう。それでも何とかならなかったら、もう……」

 

 一度動き始めた月は、もう何をやっても止まらないかもしれない。

 そんな不安がまた、心を震え上がらせようとしたとき。

 私の手をしっかりと握ったままのアリスが。

 みんなを、特に私を励ますように声をかけた。

 その声に暗さはどこにもなかった。

 

「何よ。単純なことじゃない。やることも状況も、ほとんど何も変わらないわ」

 

 私を握る手に力がこもる。

 アリスはあえて、明るくにっと笑ってみせた。

 なんて心の強い人だろう。

 

「あたしたちがエデルを攻略できなかったら負け。攻略できたら、あとは運次第。ここで負けたら、どうせみんな死ぬのよ。ついでに世界の命運もかかりましたってだけのことじゃない」

 

 目の覚めるような思いだった。

 確かにそうだ。

 ここで何とかできなければ、みんな死ぬという事実は変わらない。

 私たちにしてみれば、世界が滅びようとここで負けようと、同じことだ。

 先生たちもアリスに同意する。

 

「確かにそうだな。他がどうであろうと、今の我々にとって命運を決する世界は、ここサークリスなのだから」

「違いない。やるだけやってダメだったら、運が悪かったと思って諦めようぜ。お前が責任感じる必要はないぞ。ユウ」

「私は一度死んでたかもしれない人間ですから。皆さんと一緒に戦えるなら本望ですよ。滅びの運命なんて、ひっくり返しちゃいましょう」

「もしこれで最期になったとしても、マスター、じゃなくて! トールの奴に一発お返ししてやるわ! エイクに胸張って会いに行けるようにね!」

「たぶんこのままあの世行っても土下座よあんた。罪重過ぎるもん。だけどそのトールに一発ぶちかますって案、乗った!」

 

 カルラ先輩とケティ先輩が、勢いよくハイタッチを決める。

 最後に。

 ここまで黙って話を聞いていたディリートさんが、静かな、だが力強い口調で締めた。

 

「老い先短いこの命。たとえ最期となろうとも悔いはない。未来(さき)のため、ここでもう一花咲かせてみようか」

 

 アリスは残る左手も私の左手に添えて、優しく微笑みかけてくれた。

 

「世界が滅びるかもしれない。ほんとに大変なことよ。でもね。だからって気負い過ぎないの」

「アリス……」

「何でも深刻に考え過ぎちゃうのは、ユウの悪い癖だよ。ユウは、一人じゃないんだから。一人だけで、世界なんて大きなものを背負う必要なんてないの。でしょ?」

「うん……」

 

 そうだね。また悪い癖が出ちゃったよ。

 くよくよばかりしたって仕方ないのに。

 相手があまりにも大きいから、絶望と不安ばかりが先走っていた。

 どんどん思考が悪い方向に進んでいた。

 みんないるんだ。力を合わせてやれることを一つ一つやろう。

 それでも何ともならなかったら、そのときはそのときだ。

 足掻いてやる。どこまでも。

 

 空に光が差し始めた。ついに朝日が昇ろうとしていた。

 世界の命運を分ける一日が始まる。

 世界がかかっていても、やることは変わらない。

 サークリスを守る。

 クラムとトールを倒し、エデルを止める!



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57「エデル突入作戦 1」

 登り始めた朝日を背に、人々は少数精鋭のエデル突入班と大多数のサークリス防衛班に分かれて、整然と並んでいる。

 私はエデル突入班の中に加わった。

 元々ゲートからしか進入できる可能性がないので、そもそも大人数で攻め入ることはできないのだが、エデル突入班が少数精鋭にならざるを得ない事情は、こちら側にもあった。

 空戦という概念が発達していないこの世界では、連絡や移動用にしか人が乗れるような大鳥は使われていない。それもあって、魔法隊と剣士隊を足してもわずか八羽しかいなかったのだ。

 そもそも大鳥はどの種類であっても龍と同様誇り高い生物で、かなり人には懐きにくい。飼われていること自体が非常に珍しいのだ。

 一般からも募り、すべてかき集めたところで、その数はアルーンも含めて十五羽にしか満たなかった。

 乗れるのは一羽につき四人ずつ、計六十人が限度というところだ。

 残りの大部分、約千二百人の人たちは、サークリスの防衛や地上からの援護に当たることになる。

 私、アリス、ミリア、アーガスは、アルーンに乗って向かうことになった。

 カルラ先輩とケティ先輩は別の同じ種の鳥に乗り、ディリートさんがまた別種の大鳥に乗る。

 地上では、イネア先生が剣士部隊の、バルトン先生が魔法部隊の指揮を取る。

 

「アルーン。今回はとても危険なの。それでも行ってくれる?」

 

 アリスがアルーンの頭を撫でながら、真摯に問いかける。

 賢いアルーンは、やはり今回のただならぬ空気を敏感に感じ取っているようだ。全身の毛を逆立て、注意深く周りの様子を窺っている。

 危険を承知で、それでもアルーンは、任せろと主のために力強く鳴いてくれた。

 アリスを先頭に、ミリア、私、最後尾にアーガスの順に乗る。

 

「こうして近くで見ると、結構綺麗な髪してんのな」

 

 後ろにいたアーガスが、私の後ろ髪に触れてそっと手ですいてくる。

 常々思うところがあった私は、振り返ってこいつに言ってやった。

 

「そのナチュラルな口説きやめろ。だから勘違いする奴が出てくるの。わかる?」

「そうなのか?」

 

 とぼけたような態度のこいつは、どこまでも無自覚なイケメンだ。罪深い。

 

「そうだ。お前の女だとか学校で言われて困ってるんだよ。ファンクラブの人には目の敵にされるし」

 

 前の方でくすくすと笑い声が聞こえる。アリスだ。

 

「はん。誰がお前みたいな男だか女だかわかんない奴と付き合うんだよ」

 

 彼が笑いながら言ったその何気ない言葉が、ちくりと心に突き刺さった。

 

「ちょっと傷付いた。気にしてるのに」

 

 私はどうせ中途半端だよ。もう。

 少し機嫌を悪くして、顔をぷいっとしたところで、ミリアが味方してくれた。

 こちらへ振り返り、彼を非難する口調で言う。

 

「アーガス。ユウに謝って下さい」

 

 アーガスも悪いと思ったのか、頭をぽりぽりと掻きながら、ばつの悪そうな顔で謝ってきた。

 

「ああ……。悪かったよ」

「いいよ。べつに。事実だし」

 

 まだちょっと機嫌が戻らずむすっとしていると、彼はなぜか私の顔をじっと見て惚けたような顔をしている。

 

「なに?」

「いや、ユウも結構女らしい仕草をするようになったなって」

「なんだよ急に」

 

 私は全然普段通りなんだけどな。

 でも彼は、妙に感心した顔をしていた。

 

(おとこ)女みたいだったのに、変われば変わるもんだな」

 

 そこでミリアのみならず、アリスまでもが振り返り、膝歩きでこっちに来た。

 二人でにやにやしながら彼に言う。

 

「あたしたちが半年かけてじっくり仕込んだもの。ね~!」

「はい。結構やりがいがありましたよ」

「へえ。色々教えてやったわけだ」

「面白いわよ。男のときは全然変わらないのに、こっちは染めれば染めるだけしっかり女の子らしくなっていくんだもん」

 

 私の頬を人差し指でつんつんしながら、アリスは実に楽しそうな顔をしている。

 

「色々調べたんですけど。やはり自称だけではなくて、心の性別もきっちり切り替わるみたいなんですよね。だからこっちのユウは、正真正銘立派な女の子なんですよ」

 

 やっぱり「私」のおかげなんだろうなと思う。残念ながら、まだ起きてはくれないけど。

 同時に、何をどうやって調べたんだよと、突っ込まざるを得なかった。

 お風呂のあれとか寮でのそれとか。確かに色んなことされたもんね……。

 つくづく私の扱いって……。

 

「あのさ。人を弄りがいがあるみたいに言うのは……」

「だって弄ると可愛いんだから。しょうがないじゃない」

「ふふ。大人しく可愛がられて下さい。悪いようにはしませんから」

 

 二人の表情は純粋に楽しさに彩られていたが、瞳の奥にはいたずら好きな妖しい光が宿っていた。

 

「はは……」

「おう。ついてけねえわそのノリ」

 

 アーガスは、私たち三人を見て呆れていた。

 大丈夫。私もついていけないよ。

 

「いいの? こんなに緊張感なくて」

 

 ふと、そんな言葉が口を衝いて出る。

 相手があのエデルだってこと、忘れてないか。

 頭ではそう思うけれど、私もすっかり先ほどまでの絶望感を削がれていた。

 

「いいのいいの。もうすぐ始まるんだから。今だけはね」

 

 表情をちょっぴり引き締めたアリスは、やる気に燃えている。

 私から離れて、アリスが元の位置に戻ったところで、アーガスが聞いてきた。

 

「ところでお前、男にならないのか?」

「どうして?」

「いや……。また女ばっかりだなと思ってさ」

 

 彼はちょっと居心地の悪そうな顔をした。

 そっか。空にいる間、彼はアルーンの上という逃げ場のない狭い場所で、ずっと女子たちに密着するわけだ(一番近いのは、男だか女だかわかんない私ですけどねー)。

 こいつはモテモテのイケメン野郎だけど、別に女好きというわけではない。人並みに気まずさは感じるらしい。

 

「空で何か対処するなら、こっちの方がいいでしょ?」

 

 魔法を使える女なら、空でも容易に攻撃できるからという単純な理由を挙げると、彼はすぐに納得したようだ。

 

「なるほど。そういう理由なら仕方ないな」

 

 魔法と言えば。これだけは言っておかないといけなかった。

 

「昨日も言ったけど、《アールリバイン》はかなりの魔力を消費するんだ。できれば魔力は温存しておきたい。空での敵への対処は、なるべくみんなに任せてもいいかな」

「オッケー」

「わかりました」

「まあいいだろう」

 

 三者三様の返事を貰ったところで、もう私たち以外の全員も大鳥に乗り込んでいた。出撃準備ができたようだ。

 アーガスが声を張り上げて、突入班全員に呼びかける。

 

「よし! 目指すはあの空中都市だ! オレたちで必ずエデルを落とすぞ!」

「「おーーー!」」

 

 次々と大鳥たちが空へと舞い上がる。

 アルーンもその大きな翼を羽ばたかせて、風を切るように空を駆け上がっていった。

 

 間もなく、眼下で異変が起きた。

 敵の兵士と思われる銀色の鎧を着た者たちが現れたのだ。

 そればかりではない。あのライノス、そしてとにかく狂暴なことで知られるリケルガーまでもが、忽然と大量に姿を現す。

 その数は、ぱっと見ただけでも、サークリス防衛班の倍以上はあった。

 正直、情勢はかなり厳しいように思われる。

 それでも先生たちなら、きっと何とかしてくれる。そう信じて、私たちは空を進むしかない。

 それぞれがそれぞれの役割を果たさなければ、町は、そして世界は決して守れないのだから。

 地上からも勇猛なる雄叫びが上がる。

 魔法部隊の人たちが一斉に火の魔法を放ち、先制攻撃をかけた。

 だが敵軍の魔法耐性が総じて高いのか、偶然魔法が集中して当たった奴を除けば、あまり効いているようには見えない。

 続いて剣士部隊の人たちが、弓を放つ。

 ごく一部のライノス及びリケルガーに命中して、その動きを鈍らせた。

 だが大部分は止まることはなく、猛然と襲いかかってくる。

 日がその全体を澄み渡る大空に晒した頃、両軍の激突から壮絶な戦いは本格化していった。



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58「エデル突入作戦 2」

 目標はずっと見えてはいるのだが、実際の距離以上に遠く感じた。

 エデルへ進むには、まず周囲を取り囲んでいる竜騎兵軍団を何とか掻い潜らねばならないからだ。

 当然のことながら、奴らが黙って見ていてくれるはずはない。一定のところまで近づけば、激しく襲い掛かってくるだろう。

 そのとき、上に乗っている魔導兵がどういう攻撃をしてくるのかまではわからないが。

 少なくとも竜の方は、炎を飛ばしてくると思う。

 小型竜とはいえ、《ボルケット》より大きなサイズの火球は吐いてくるはずだ。まともに当たればアルーンが危ない。

 だがミリアがいれば、並みの炎については問題なかった。

 

「水の守護。かの者を包め。《ティルアーラ》」

 

 アルーンを優しく水のベールが包み込む。本職の構成はいつ見ても美しい。

 おそらく今述べた程度の炎なら、数回は完全に防ぎ切るだろう。

 

「これでとりあえずは」

「ありがとミリア」

 

 飼い主であるアリスがお礼を言うと、アルーンも「クエエ」と嬉しそうに鳴いて、感謝の意を述べた。

 

「さて。そろそろ敵も攻撃に移ってくる間合いだぜ」

 

 アーガスの言う通り、一番前を行く大鳥に早速竜騎兵が襲い掛かっていた。

 

「あれは、ジェガンの乗ってるやつだな」

「ジェガン先輩って確か、魔闘技でアーガスと戦った人だよね」

「そうだ」

 

 魔闘技個人戦準決勝におけるアーガスが対戦相手がジェガンだった。当時三年生で、今四年生かな。

 先に決勝まで勝ち上がっていた私は、その試合を観戦していたのだけど。彼は力より技巧派の魔法使いという印象だった。

 確かな実力の持ち主で、アーガス曰く「一応試合になるだけの力はあった」。

 実際、私以外でアーガスにまともな魔法を使わせたのは彼だけであり、例年ならば十分に優勝できるだけの力はあったと言われている。

 やはり小型竜は、《ボルケット》超級の火球を吐き出していた。

 ジェガンたちは大鳥を巧みに操ってそれをかわし、竜の上の位置につける。

 そこでジェガンが、試合でも使っていた氷塊の上位魔法《ヒルディッツェ》を炸裂させる。

 空気の冷たい上空なので、氷の生成も早かった。

 敵が応じる前に、特大の質量を持った氷塊が竜の頭上に落ちる。

 まともに食らった竜はその身体をひしゃげて、上に乗った魔導兵もろとも地上へまっさかさまに落下していった。

 

「やるじゃない!」

 

 アリスはまるで自分のことのように、ガッツポーズを上げて喜んでいた。

 

「なるほど。別に殺すことにこだわる必要はなくて、とりあえずああやって落とせば良いというわけですね」

 

 ミリアは冷静に分析しながらも、味方が無事戦果を上げてくれたことに頬を緩めている。

 

「どうやらこっちにも来たみたいだよ」

 

 私が注意を促す。

 こちらの前方にも、竜騎兵が見えていた。

 それも左側下方と右側上方より一体ずつ、二体が同時に向かってきている。

 

「左はあたしに任せて。天かける雷よ。かの者を痺れさせよ。《デルネビリド》」

「右は私が。光の細刃よ。翼を切り裂け。《アールカロフ》」

 

 狙い澄まされた高速の雷が、左の竜騎兵に命中する。

 超高圧の威力が、竜の魔法耐性をも打ち破ったようだ。見事感電させて意識を飛ばしたらしい。

 羽ばたくことを止めた竜は、ふらふらと落下していく。

 右の方へは、やはり高速の光の刃が、竜の左右の翼に向かって二つ同時に飛んでいく。

 切り裂くことのみに特化した細刃は、竜の翼において、羽ばたく上で要となる根元の一部分だけを正確に裂いた。

 翼の制御を失った敵は、もがくようにして落下していった。

 

 だが勝利を喜ぶ暇もない。

 さらにたくさんの竜騎兵が襲い掛かってくる。

 今度は一気に四体。前方、左右、そして後ろから追いすがってきていた。

 上に乗っている魔導兵も、決してお飾りではない。

 前左右の三人がほぼ同時に、こちらに向けて闇魔法《キルブラッシュ》を放ってきた。

 細長い針状の闇でできた弾が、次々とこちらへ向かってくる。

 一つ一つは小さいが、何より数が多い。仮に翼に食い込めば、この空では致命傷となる。

 危険を察知したアルーンは、咄嗟の判断で急上昇した。

 おかけで、間一髪のところで攻撃をかわすことができた。

 

「あっぶないわね! お返しよ!」

 

 アリスが再び《デルネビリド》を使って、魔法を撃ってきた敵のうち一体を落とす。

 直後、こちらの真後ろに付けた竜から火のブレスが吐かれた。

 予めかけておいた《ティルアーラ》がそれを防いでくれているうちに、ミリアが《アールカロフ》でその敵を落とす。

 

 それから、次々と仕掛けてくる波状攻撃をどうにか掻い潜りつつ、アリスとミリアは機を見て各個撃破していった。

 ただ、竜の高い魔法耐性を上回る魔法を連発しなければならないことから、二人には徐々に疲れが見え始めていた。

 目的地であるゲートに近づけば近づくほど、敵の密度はどんどん増していく。

 今や味方は、追いすがる敵から逃れつつ応戦するのに手一杯だ。

 すっかり孤立無縁の状態に陥ってしまっている。

 

「滅茶苦茶な数ですね。ちょっと対処仕切れないかもしれません」

 

 ミリアが若干弱音を吐いた。額にはじっとりと汗をかいている。

 魔力は温存したいところだけど、このままではみんなが危ない。そろそろ私も動くべきだろうか。

 そう判断して魔法を撃とうとしたとき、アーガスが手で制してきた。

 彼からかなりの魔力の高まりを感じる。

 どうやらここまで、静かに一発の準備をしていたらしい。

 

「へっ。要はまとめて落とせばいいんだろ」

 

 アーガスは当然のように言うと。

 

「今、見えている範囲のすべてに、狙いは付け終わった」

 

 そう宣言し、すっと手をかざして魔法を唱えた。

 

「加重せよ。《グランセルビット》」

 

 瞬間、まさに目に見える範囲すべてが蹂躙された。

 実に数十体もの竜騎兵が、次々と重力に負けて押し潰されていく。誰も彼も抗うことはできず、綺麗に落下していった。

 今まで苦戦していたのがまるで嘘のような瞬殺劇だ。

 私たち三人は喜びを通り越して、すっかり感心してしまった。

 

「すっごい……」

「わーお。やっぱりアーガスって、すごいわね」

「さすがです」

 

 するとアーガスは、いつものように天才を自負して満更でもない顔をするでもなかった。

 ただやることをやっただけだと言わんばかりの、すました真剣な顔つきのまま言う。

 

「向こうでクラムの野郎が待ってるのに、こんなところで足止めされてる場合じゃないからな。ただまあ、今のはそれなりに魔力を使ってしまった。オレも今後は温存させてもらうぜ」

「十分よ。だいぶ見通し良くなったわ」

 

 だがこのアーガスの活躍があっても、まだ数は向こうの方がずっと多かった。

 一対一では普通に勝つことができても、複数に同時に来られると大変だ。

 それもこちらの頭数である四人より上、五体以上に囲まれると途端に厳しくなる。

 そして、とうとう犠牲者が出てしまった。

 

「ああ! あっち!」

 

 アリスが口を手で覆いながら指差した方向には、衝撃的な光景が映っていた。

 

「そんな……!」

 

 先陣を切って多くの敵を引きつけてくれていた、ジェガンたちの乗った大鳥が、炎に包まれて落下していく。

 それを始めとして、二羽、三羽と、敵の魔の手にかかり始めていた。

 他にも、いつやられてしまうかわからないほど危なくなっている者たちが多い。

 私はそれを黙って見ていられるほど、大人じゃなかった。

 心には怒りと、どうにかしなきゃという焦りの気持ちが湧き上がる。

 気付けば、後先のことなど頭になく、身体が動き出していた。

 

「もう放っておけないよ! みんなを助けにいく!」

「おい! 待て!」

 

 アーガスの静止も聞かずに、私は真下の付近にいる竜騎兵目掛けて、アルーンの背中からダイブした。

 

「あのバカ! また何やってんのよ……!」

「ユウ! 無茶はやめて下さい!」

 

 上からアリスとミリアの心配する声が、風に途切れて聞こえる。

 私は心の中でごめんと謝りながら、それでも懲りずに無茶をする。

 死んでも死なないこの命を張ることは、みんながそうすることに比べれば安い。

 飛行魔法を覚えていてよかった。燃費が悪いけど、少しだけなら使える。

 飛行魔法で上手く位置を微調整しながら、小型竜の背を目掛けて飛び込んでいく。

 着地の寸前に男に変身して、気力強化で落下の衝撃に耐える。

 命知らずの突然の来襲に、魔導兵はまったく反応できていなかった。

 近くだと、ぶよぶよになった死体の顔がよく見えて、めっちゃグロテスクだな……。

 少し怖いと思いつつも、瞬時に気剣を創り出して、横薙ぎでそいつを斬り裂く。

 あわれ落下する敵を尻目に、再度女に変身する。

 そして、私の存在に気付いて暴れ出した竜の頭にしがみつき、それにかけられた洗脳魔法を解除しにかかった。

 乱れた魔素の流れを解きほぐしてやると、竜はすぐに大人しくなった。

 そこで竜に話しかける。

 

「私の言葉がわかりますか」

『おお。そなたは竜の言葉がわかるのだな。感謝する。そなたのおかげで、正気に戻ることができた』

「一つ見返りに、お願いしてもいいですか」

『構わない』

「私を危ない味方の元へ。戦いで落下したときは、受け止めてもらえると助かります」

『お安い御用だ』

 

 龍や竜というのはどうも、恩義を重んじる種族のようだ。交渉成立で助かった。

 私はまた男に変身すると、竜の背に立ったまま気剣を構える。

 魔力はあまり使えない。空では不自由だが、こっちで戦うしかない。

 味方の援護のため、突き進んでいくと、目の前には新たな竜騎兵が一体立ち塞がった。

 

「邪魔だ! どけ!」

 

 生きた人間相手なら抵抗もあるが、元から死者の奴に対しては、剣を振るうのに何の躊躇いもない。

 俺は敵とすれ違いざまに宙を跳び、一振りで魔導兵の首を刎ねた。

 そのまま、味方になった竜に受け止められて着地する。

 敵の下の竜は操られたままだが、こちらに追加攻撃はして来ないようだ。

 とりあえず無視して進む。

 飛びはばかる敵を斬り付けながら、全速前進で味方の元へ向かう。

 どうやら上に乗った魔導兵だけを処理すれば十分だった。

 仲間意識からか、同じ竜同士は攻撃しないようになっているらしい。

 目前に迫る大鳥は、いよいよ窮地に陥っていた。

 間に合ってくれ!

 ようやくナイフが届く距離まできた所で、ウェストポーチからスローイングナイフを取り出した。

 すぐにそいつを、正確に竜の腹へと投げつける。

 巨大な炎龍にはまったく効かなかったが、小型竜なら多少は効くと判断しての行動だ。

 予想通り、竜は一瞬だけ動きを止めた。そこに飛び掛り、乗っている兵を斬り落とす。

 すぐさま女に変身して、竜にかけられた洗脳魔法を解除。

 また男に戻って、次の竜騎兵へと斬りかかる。

 そんな動きを幾度か繰り返したところで、ひとまずの危険は去った。

 

「ありがとう。でもあなた、ユウだよね……!?」

 

 近づくと、知り合いの一人が戸惑いの声を上げた。

 ころころ姿を変えながら戦うのを見てしまったのだから、まあ無理もない。

 確かにこんなの初めて見たら、まず目を疑ってしまうよね……。

 この戦いが無事に終わったら、その辺りは整理するとして。

 

「説明は後。今からこの周りの竜は味方だから」

「そうなの?」

「うん。洗脳を解除したからね」

 

 ふと見ると。

 アルーンと、カルラ先輩たちの乗った大鳥が、他の危ない大鳥を助けに向かってくれていた。

 これでとりあえずは何とかなるかもしれない。ほっと一息吐く。

 捨て身の無茶な行動だったけど、今ので光明は見えた。

 トールはやっぱり、私たちを始末したと思っているらしい。

 まさか洗脳魔法を解除できる器用な奴(私やアーガス)が生きているとは知らないから、そこへの対策を一切していないみたいだ。

 だったら逆に、こうして徐々に竜を味方に付けていけば。

 敵の武器はむしろこちらの武器になる。

 魔力の問題もない。魔法解除なら相手の魔素を弄るだけだから、自分の魔力は使わないからだ。

 

 だがそんな悠長な考えは、トールの用意した次の一手で、早々に打ち砕かれることになる。

 激しく動き回ったことで、奴はとうとう気付いてしまったのかもしれない。

 私たちがまだ生きていることに。

 

 私の正面に位置するゲートから、そいつは姿を現した。

 漆黒のボディを悠々と誇るそれを見たとき、私は一気に血の気が引いていくのを感じていた。

 その巨体は、あの炎龍を遥かに凌ぐ五十メートル級。

 

 かつてクラム・セレンバーグが倒したという、あの伝説の黒龍――。

 グレアドラクロンに他ならなかった。

 

 だけど……どうも様子がおかしい。

 奴の巨体の内部には、まるで生命のものとは思えない無機質な魔力が渦巻いているからだ。

 そこで男に変身して、気を探ってみることにした。

 やっぱりというか。炎龍のときに感じられたような莫大な気は、一切感じられなかった。

 

 まさか。

 こいつは正真正銘、クラムが倒したやつじゃないのか?

 魔導兵のように、死体を魔力で操って――。

 

 ついに英雄の真実に気付いてしまった。おそらく間違いはないだろう。

 龍は元来誇り高く、本来は人里離れて静かに暮らす種族だ。

 わざわざ自分の縄張りを離れて、サークリスの近くにまで襲来すること自体が異常だった。

 それこそ、よほどのことでないとあり得ないのだ。

 トールとクラムは、あの黒龍の体を手に入れるために、わざわざ誘き寄せたんじゃないだろうか。

 何らかの卑劣な手段を使って。

 

 黒龍はどうやら、俺たちに狙いを定めていた。

 その巨体からは信じられないほどの超高速で飛行し、みるみるうちにこちらへ迫ってくる。

 

「逃げろーーー!」

 

 助けたばかりで、今は前方にいた味方に、すぐに退避するよう叫んだ。

 しかし、すべては遅かった。

 

 霧のブレス。

 

 当たるものすべてを一瞬で溶かしつくす毒の強酸が、霧のように噴射される。

 黒龍だけが持つ、最強のブレスの一つ。

 それが、無慈悲にも吐きつけられた。

 俺は女に変身し、ただちに風の守護魔法《ファルアーラ》をかける。

 これが知る限り唯一、霧のブレスの効果を軽減できる魔法だった。

 

 だけど、自分だけにしか間に合わなかった……っ! みんなは……!

 

 先ほど会話を交わしたばかりの仲間たちが、彼らの乗っていた大鳥ごと、蒸発するように一瞬で溶けてなくなっていく。

 目を背けたくなるような、悪夢の光景だった。

 洗脳から解いてあげた恩義からか、仲間になった小型竜たちが次々と前に立つ。

 守護魔法だけでは心許無いと、その身を挺して私をかばってくれた。

 だがそれも一匹、また一匹とやられていく。

 ついに霧は、私のところまで及んだ。

 乗っていた竜までもが私をかばって溶け、それでもブレスの威力は殺し切れない。

 辛うじて即死は免れたものの、ぼろぼろになった私は、空を力なく落下していく。

 竜たちのおかげで身体だけは溶けずに済んだけど、毒が身を蝕んでいた。

 身体の自由が利かない。絶望の浮遊感が全身を包む。

 

 ――ここで、私は死ぬのか。

 

 こんなところで。みんなを守ることもできずに。

 

 そのときだった。

 空を猛然と駆ける真紅の龍が、初めて目に映ったのは。

 素晴らしい速度で私の真下にまで来ると、龍はそこでぴたりと止まった。

 私は彼の背中の一番柔らかいところに落ちた。

 おかげで死なずに済んだ。息が詰まるくらいの衝撃を受けただけで助かった。

 未だ身体に力が入らない私に、炎龍は頼もしい声で言った。

 

『約束通り力を貸しに来たぞ。人の子よ。どうやら間一髪間に合ったようだな』



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59「エデル突入作戦 3」

 私は直ちに男に変身して気を操り、くらってしまった毒の治療に取り掛かった。

 竜たちが命を捨ててまでかばってくれたおかげで、かなりブレスは軽減されていた。

 だから間もなく回復することができた。

 犠牲になった仲間と、竜たちを想う。

 最期の瞬間を迎えた知り合いの、恐怖に染まった顔が脳裏に焼き付いていた。

 また、助けられなかった。

 胸をきゅっと締め付けるような、やり切れなさが込み上げる。

 それでも。悲しんでいる暇も悔やんでいる暇もないんだ……。

 戦いの中で人が死ねば、いつだってそんなときばかりで。

 そんな厳しい場所に、俺たちはいるから。

 立ち止まっていれば、また別の誰かが死ぬだけだから。

 俺は泣き叫びたい気持ちをどうにか堪えて、身を起こした。

 

「助かりました」

『うむ。我は月の異常を知り、復活したエデルにその原因を感じ取りやって来たのだ。どうやらただならぬことが起きているな』

「はい。月が落ちようとしています」

『むう……やはりか。我らは原則、世俗のことには不干渉の立場なのだが、世界そのものがかかっているとなれば話は別だ。そこには我の縄張りも含まれておるからな』

 

 炎龍は滞空しながら、こちらを睨む黒龍の方へ首を向けた。

 

『既に死んでおるのを操っているようだな。あやつも本意ではあるまいに。我ら龍の誇りを汚すとは……!』

 

 炎龍は怒りの唸り声を上げる。

 それでも冷静に言った。

 

『生きておるのよりは二段は格が落ちる。とはいえ、あれを相手にするのは少々骨が折れる。人の子よ。お主の目的は、あやつを倒すことではあるまい』

「もちろんです。エデルへ入り込むことが、ひとまずの目的です」

 

 黒龍を放置すれば、被害は凄まじいものになるだろう。誰かが足止めするなり倒すなりしなければならないのは確かだ。

 だが俺たちの仕事はあくまで別だ。

 エデルに進入し、天空都市の機能を止めること。

 俺たちがそれを為さねば、未来はない。

 

『ならば我がその力となろう。まずはお主たちをエデルまで送り届ける。しかる後に、我があやつの相手をしようぞ』

「ありがとう。炎龍」

『うむ。耳を塞いでいろ』

 

 言われた通り両手で耳を押さえると。

 

 グアアアアアアアアアアアア!

 

 炎龍は、天まで揺るがすような轟声を上げた。

 耳を塞いでいても鼓膜が破れるかと思うくらいの音量と、それだけで殺されるのではとさえ思わせるほどの気迫が伴っていた。

 それほどの威嚇に、小型竜たちは本能的に怯んだのか、次々と尻尾を巻いて逃げ始めた。

 すごい効果だ。さすが炎龍。

 しかしただ一体、死体のまま操られている黒龍だけには一切効果がなかった。

 虚ろな機械のように反応を示さず、その場で泰然と羽ばたいている。

 とは言え、ひとまずの大戦果を上げた炎龍は吼えた。

 

『これであやつ以外は障害とはならぬ。今のうちに向かうぞ。しっかり掴まっていろ』

 

 急発進する。

 正面は塞がれているので、大きく迂回して回り込むつもりのようだ。

 一つ羽ばたくごとに、彼の大きな体躯を上回るほどの距離をぐんと一跨ぎにしていく。

 逃がすまいと、背後から黒龍が恐ろしい速さで追ってくる。

 それでも生きている炎龍の方が、身のこなしが滑らかな分、少しばかり速いようだ。

 埒が明かないと判断したのか、黒龍は再び霧のブレスを吐き出した。

 

「後ろから、霧のブレスが迫ってきます!」

『ふむ。問題はない』

 

 炎龍の後方に、巨大な炎のシールドが作られた。

 それは襲い来る霧のブレスを、いとも簡単に蒸発させてしまう。

 俺は思わず目を見張った。

 もしこれを大森林での戦いで使われていたら、攻撃なんて一個も通らなかったんじゃないのか。

 つい尋ねてしまう。

 

「どうして俺と戦ったときに、これを使わなかったんですか?」

『あのときは我も冷静ではなかったのでな。あの仮面の女は、我の力を半分ほどしか引き出せていなかったのだ』

 

 なんだって。三人がかりでやっと止められたのに、あれで半分なのかよ。

 恐るべきは龍の力ということか。

 危なげなく黒龍のブレスの射程から脱する。

 俺を乗せた炎龍は、さらに黒龍を引き離しつつ、エデルのゲートへ向けて快調に空を突き進んでいった。

 その途中で、アリスたちと合流する。

 竜騎兵が散らばったことで、仲間たちは再び集まることができたようだ。

 だが既に被った犠牲は大きい。

 約半数の七羽がやられ、残りは八羽となってしまっていた。

 やられたみんなのことを想うと、またずきりと心が痛む。

 それでもアリスたち、カルラ先輩とケティ先輩、そしてディリートさんが無事であることがわかって、ほっとしてしまっている自分がいた。

 やっぱり身内贔屓というものは、どうしてもあるものらしい。

 炎龍に沿うようにして飛び始めたアルーンの上から、アリスの怒声が飛んだ。

 

「ほんと見てられなかったのよ! 炎龍が助けに来てくれなかったら、死んでたかもしれないわ!」

 

 普段は声の小さめなミリアも、負けじと泣きそうな声を張り上げる。

 

「無茶ばかりしないで下さい! もしあなたに死なれたら、私は……っ!」

「本当にごめん!」

 

 俺だって、無茶な行動はできることならしたくはない。

 でも俺は、きっとまた必要な状況になれば、命を投げ捨てる覚悟で飛び出してしまうだろう。

 そんな気がしていた。だからもうしないとは言えなくて、謝るしかなくて。

 炎龍の背から、アルーンの上に跳び移る。

 ただ一人、アーガスだけは理解を示してくれたみたいだった。

 

「まあ気持ちはわかるぜ。よく無事で帰ってきた」

 

 一安心した顔を見せた彼は、大きく息を吸い込むと、精一杯の大声で全員を鼓舞した。

 

「エデルは目前だ! このまま突っ込むぞ!」

 

 見れば、数あるゲートのうちの一つが、すぐそこまで迫っていた。

 エデルにさえ進入することができれば。

 鉄壁のバリアや敵にとって重要な建物が逆に邪魔となって、黒龍は好き勝手に暴れることができないはず。

 だが敵もそれはわかっている。

 追いすがる黒龍は、そうはさせじと、黒炎の火球を連続で放ってきた。

 黒炎は黒龍の代名詞とも言える。

 高密度の魔素が凝縮された、滅多なことでは決して消えない炎だ。

 人間レベルの魔法ではいかなるもの――たとえ水上位魔法の《ティルオーム》や水の守護魔法《ティルアーラ》をもってしても――まったく相殺できないほどの威力を持っている。

 そんなものが、何発も連続で撃ち込まれていた。

 巨鳥であるはずのアルーンが小さく見えてしまうほどの大きさをもって、実に凄まじい速度でこちらへ飛んでくる。しかも、狙いは恐ろしく正確だった。

 このままでは当たるかと思われたところで、炎龍が身を挺してその大部分を受け止めてくれた。

 彼はその名の通り、炎に対しては生物最強クラスの魔法耐性を誇る。

 たとえ黒炎を相手にしようとも、まったくものともしていない様子だった。

 だがそれでも身一つである以上、一度にすべては庇い切れなかった。

 さらに二羽が追加で被弾して、ほんの一瞬で燃え尽きてしまう。

 悲鳴を上げる間もなく、文字通り跡形もなく消えてしまった。

 

「ああ……!」

 

 ミリアが、手で顔を覆う。

 

『我があやつを抑えているうちに行け!』

 

 炎龍からの決死の言葉を受け取った俺は、すぐにみんなへ伝えた。

 

「炎龍が、今のうちに行けって!」

「ちくしょう! 急げ! 炎龍の影に入るようにして進め!」

 

 アーガスの号令に従い、残り六羽となってしまった俺たちは、炎龍に守られつつどうにか進んでいく。

 いよいよゲートは、ほぼ目と鼻の先まで迫っていた。

 

 だがそこで、さらに追い討ちをかけるような出来事が起こる。

 

 なんと、開いていたゲートの上をも、あのバリアが覆い始めた。

 侵入者を阻む赤い光の壁が、空中都市への入口を隙間なく塞いでいく。

 

「バリアが!」

 

 アリスが頭を抱えた。全員同じ気持ちだろう。

 危惧していたことが、起こってしまった。

 実のところ、ゲートからですらも進入できないという可能性は、考えていなかったわけではなかった。

 いざというときに完全封鎖が可能な機構が、エデルにまったく備わっていないと考えるのは、少々楽観が過ぎるだろう。

 だけど、他にどうしようもなかったんだ。

 一縷の望みをかけてここまで進んできたが、今や道は完全に絶たれてしまったらしい。

 前方には鉄壁のバリア。後方には最強の黒龍。

 状況は絶望的だった。

 

「くそ! ここまで来てこんなのって……!」

 

 何もない宙に振り下ろした拳に、悔しさが滲む。

 目的地はもう目の前に見えているのに。

 多くの犠牲を払って、やっと辿り着いたというのに。

 なのに、ここで立ち往生するしかないっていうのか!

 

 このままじゃみんな、黒龍にやられてしまう!

 

 だがそのとき。

 皮肉にもこの絶望的状況に対する突破口を開いたのは、その黒龍であった。

 再度黒龍が放った黒炎の一部が、バリアに衝突する。

 俺は、見逃さなかった。

 一瞬ではあるが、あのバリアに穴が空いたのを。

 おそらく炎が強過ぎるために、バリアでさえ耐え切れなかったんだ。

 

「――見えた」

「どうしたの?」

 

 不思議そうに尋ねるアリスに、俺は言った。

 

「今見たんだ。黒炎が一瞬、バリアを打ち消したのを」

「え、それって!」

 

 つまり。

 

「非常に強い魔法を当てれば、少しの間だけバリアは消える」

 

 理解の早いミリアが、俺の言わんとするところを継いで答えてくれた。

 

「なるほど。バリアに穴を開けて、その隙に突入しようということですか」

「言うのは簡単だが、やるのはかなり難しいぜ」

「でも、それしか道はない!」

 

 意を決すると、すぐさま女に変身する。

 そして、拡声の風魔法を使った。

 

 声よ。風に乗り届け。

 

《ファルカウン》

 

 今から少しの間、伝えたい言葉は風が音を乗せて運んでくれる。

 時間がないから、一気にまくし立てた。

 

「みんな聞いて! 今バリアが覆ったけど、打ち破る方法がわかった。私は見たの! 黒龍の放った黒炎が、一瞬だけバリアに穴を開けたのを! それを利用すればいい。次に黒炎がバリアに到達する瞬間に合わせて、全員で一斉に魔法を叩き込もう! 火魔法中心で! そうすれば、しばらくバリアに穴が空くはずだよ! その隙に突っ込むんだ!」

 

 当然、私も魔法を撃つつもりだ。

 私だって、魔力消費の少ない風魔法なら撃てる。風は火の助けになるはず。

 

『我も力を貸そう』

 

 今も黒龍の攻撃を一手に引き受けてくれている炎龍が、頼もしく答えてくれた。

 既に物言わぬ死体であるのが仇となって、黒龍はこちらの作戦に感付きもしない。

 

『よし。火球が行ったぞ』

 

 黒炎球の速度から、ぶつかるタイミングを見計らって合図を取る。

 

「3、2、1……今だ! 《ラファルスレイド》!」

「《ボルアークレイ》!」

「「《ボルアーク》!」」

 

 私が特大の風刃《ラファルスレイド》、アリスが熱線《ボルアークレイ》、ミリアとアーガスがそれぞれ燃え盛る炎《ボルアーク》を放つ。

 そこに炎龍が放つ火のブレスが加わり、さらに、ディリートさんのような純剣士を除く約二十人の魔法も合わさって、バリアの一箇所へ一度に集中する。

 それは黒炎を要とした相乗効果によって、想像を絶する威力の合体魔法と化し。

 エデルの誇る鉄壁のバリアに、修復が追いつかないほどの特大の穴を空けた。

 

「今だ! 行こう!」

 

 バリアの穴は、徐々に塞がっていく。悠長にしている時間はなかった。

 六羽の大鳥たちが、弾丸のように穴へと飛び込んでいく。

 それを追おうとする黒龍を、炎龍は立ち塞がるようにして懸命に止めてくれた。

 カルラ先輩たちが乗った大鳥を先頭に、一羽、また一羽とバリアの内側へと入り込む。

 最後尾の私たちが飛び込んだ直後、穴は閉じた。

 

 

 ***

 

 

 目に映ったのは、これまでの激しい戦闘が嘘のような静けさを放つ――無人の大都市の姿だった。

 見渡す限り立ち並ぶ建物は、どれも昨日まで人が住んでいたかのように、真新しく立派で。

 それだけに、まるである日忽然と人だけが消えてしまったような、そんな不気味な雰囲気を醸していた。

 私たちは、半数以上もの尊い犠牲を払い。

 ついに空中都市内部への進入に成功した。



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60「炎龍と黒龍、地に降り立つ イネアの過去」

 ユウたちが空中都市エデルに辿り着いた頃。地上では激戦が繰り広げられていた。

 敵は魔導機械兵二千七百とライノス、リケルガー各五百頭。

 迎え撃つサークリス防衛班の数は約千二百人。

 実におよそ三倍もの兵力を相手に、サークリス防衛班は善戦していた。

 この時点で既に約六分の一に当たる二百人もの犠牲が出ていたが、対する敵戦力の損害は約三割にも上る。

 ここまで戦えていた理由は、全員の士気の高さと、乱戦にあっても統率の取れた個々人の連携、そしてイネア率いる数十人のディリート門下生の活躍にあった。

 イネアが時折指南していたのは彼らであり、彼らは程々ながらも気剣術を扱うことができた。魔法耐性が高く、金属製であったり大型であったりと頑丈な敵に対しても、気剣は有効だったのである。

 特にイネア個人の活躍は凄まじく、八面六臂の働きで次々とライノスやリケルガーを仕留めていった。

 また彼女は、己の力の使いどころを弁えていた。

 この場にいる誰でも満足に戦える魔導機械兵よりは、脅威となる大型獣の討伐に集中して力を注いでいる。

 もし彼女がいなければ、大型獣は味方の兵を蹂躙し、現在の状況はより悲惨なものに変わっていたことだろう。トール・ギエフの目論見通り、圧倒的な殺戮劇が展開されたはずである。

 しかし事実そうはならなかった。

 かねてよりのトールの懸念は当たっていた。

 最も厄介なのは彼女であり、彼にとってはいかにしても殺しておくべき存在だったのだ。

 だが彼とクラム・セレンバーグは、余裕と慢心から失敗した。

 研究所爆破という絶望のショーを楽しむことを優先し、彼女に直接止めを刺さなかった。

 確かに計算通りであれば、間違いなく彼女は死んでいただろう。

 ところが、ユウというイレギュラーがわずかに歯車を狂わせた。

 結果として、あの場にいた始末するべき者たち全員が、無事に脱出してしまったのである。

 そして、彼が所詮学生と軽視していた者たちこそが、今やエデルに入り込み彼を追い詰めようとしている。

 このように、彼にとっては何とも皮肉な状況になってしまっているのだった。

 それだけではない。

 知識はあっても生の戦場を知らない彼は、甘く見ていた。

 人の士気と結束というものが、いかに戦場の流れを左右するかを。

 イネアを中心に一丸となって戦う防衛班を打ち崩すのは、容易なことではない。

 単に圧倒的な戦力を揃えれば、容易く殲滅できると踏んでいたのが、ここに来てかなりの誤算を生じていた。

 しかし、それだけの計算違いがあってもなお、情勢を完全に覆すのは困難である。

 それほどに、エデルの力は圧倒的だった。

 

 

 ***

 

 

「悪く思うな。私には洗脳を解除する術はないからな」

 

 そうして数十体目となるリケルガーの脳天を貫いたイネアは、さすがに切れ始めた息を整えつつ、空を見上げた。

 ユウたちは無事に入り込むことができたのだろうか、と考えながら。

 すると映ったのは、多くの竜騎兵が上空から迫り来る様だった。

 炎龍に散らされた彼らは、標的を地上に変えたのだ。

 その数は二、三百は下らない。

 イネアは舌打ちする。激闘の最中、さしもの彼女も必死で接近を察知できなかった。

 さらには、黒龍と炎龍が空を急降下しながら激しく戦っている様子も目に入った。

 やや炎龍の方が苦戦しているように見える。

 黒龍からは一切の気が感じられない。大方魔法で操っているのだろう。

 とすると、それに敵対する炎龍はこちらの味方か。

 おそらくユウが言っていた、オーリル大森林で戦ったという相手だな。

 イネアは自ら得た情報と状況から、瞬時に正しい答えを導く。

 やがて傷付いた炎龍は、イネアの近くに降り立つ。

 ほぼ傷一つない黒龍が、その後を追うように彼女の向こう側に降り立った。

 味方の戦士たちは、突如上空より飛来した脅威に大きくざわめいた。

 このままでは士気に関わる。

 そう判断したイネアは、黒龍に立ち向かうことを決断する。

 炎龍の側まで俊足で駆け寄ると、森の知識として覚えていた龍の言葉で話しかけた。

 

「大丈夫か」

『ほう。お主も龍の言葉がわかるのか』

 

 炎龍は息を切らしながらも、落ち着いた口調で返した。

 

「ネスラだからな」

『ネスラか――うむ。その面影と気、見覚えがあるぞ。もしやお主は、あのときジルフ・アーライズの横にいた者ではあるまいか』

 

 その言葉に、イネアははっとする。

 

「あのときの炎龍か!」

 

 

 ***

 

 

 それは、三百年以上前のこと――。

 イネアは、本来森の外には出られないはずのネスラの母親と、人の父親との間にできた忌み子であった。

 ゆえに森からは嫌われ、同族からも冷たい目で見られた。

 ネスラは戒律に非常に厳しく、そこから外れた者を決して許すことはない。

 父親は処刑され、母親は一生軟禁されることとなった。

 イネアは、直接処刑こそされなかったが、母に会うことも二度と許されなかった。

 ついに森を出ることを命じられた。まだ彼女が六歳のときのことである。

 里を追放されたイネアは、ふらふらと当てもなく歩き始めた。

 やがて、偶然龍の巣に迷い込んでしまう。

 そこには若き炎龍が、身体を丸めて眠っていた。

 侵入者に気付いた炎龍は目を覚まし、立ち上がって威嚇をする。

 だが、幼いながらも物怖じしない性格だったイネアには通用しなかった。

 彼女は「りゅうさんだ」と言って、ぺたぺたと歩いて近寄っていく。

 本来なら、不埒な侵入者はすべて焼き殺すのが当然なのだが……。

 まだあどけない彼女の顔を見て、さらに彼女から同じ森の一員としての力を感じ取った炎龍は、彼女を不問とし、再び座り込んだ。

 イネアは炎龍の側まで行き、背中を預けるとぺたんと座り込む。

 随分長いこと歩いてきたのだろう。あちこちに痛々しい擦り傷があり、ひどい疲れが見える。

 しばし静寂が、その場を支配する。

 やがて、イネアがぽつりと口を開いた。

 

「わたしね……もりにいちゃいけないんだって。おかあさんにも、もうあえないんだって」

 

 炎龍は、自分に話しかける泣きそうな声に静かに耳を傾けつつ、彼女を黙って見守っていた。

 ネスラでは稀にあることだ、と炎龍は思う。

 この幼さで森を追放されれば、おそらく生き延びられまい。

 事実上の死刑。

 だが同情などする気はなかった。

 弱き者は死ぬ。それが自然の定めなのだから。

 

 ところが、そんな彼女の死の運命は一変することとなる。

 その場所にある男がやって来たことによって。

 黒髪短髪で筋骨隆々のこの大男は、見た目からだけでも十分に力強さが伝わってくる強者だった。

 彼の名はジルフ・アーライズ。特殊能力【気の奥義】を持つフェバルであった。

 彼は、幼い人間の気がこんな辺鄙なところにあるのを不思議に思い、様子を見に龍の巣穴までやって来たのである。

 恐ろしく強い気を放つ侵入者に対し、炎龍は全身の気を張り詰めて警戒した。

 やはり本来ならば、侵入者は即座に焼き殺すのが当然なのだが。

 今度は動くことができなかった。下手に攻撃を仕掛けられる相手ではない。

 炎龍は、目の前の自分より遥かに小さなこの男に、自分と同格以上のものを感じ取っていたのだった。

 

「待て。お前には何もするつもりはない」

 

 彼が警戒を解くように促す。

 張り詰めた空気が、わずかに解消された。

 

『お主。話せるのか』

「ある事情でな」

 

 彼はそっけなく言うと、炎龍の横できょとんと目を丸くしている金髪の幼女に目を向ける。

 

「隣にいる嬢ちゃんは、どうやら無事のようだな」

 

 そして彼女に近寄り、すぐに連れ出そうとしたところで、

 

『待て』

 

 静止がかかる。

 当時若気の至りにあった炎龍は、ただならぬ気を放つ強者に対し、決闘を申し出たのだった。

 戦士を自負するジルフは、売られた勝負は受けて立つのが性分である。

 イネアを脇に置いて。

 両者二十メートルほど離れた状態で、戦いは始まった。

 勝負は瞬きをするまでの間、まさに一瞬で着いた。

 炎龍自慢の猛火のブレスを、男は自らの迸る気だけで弾いてしまった。

 そのまま猛然と迫ると、魔法も使わずに宙を飛んでみせた。

 そして、炎龍のガードがまったく追いつかないうちに、彼の首筋にピタリと気剣を当てたのである。

 炎龍が唯一、人間に対し実力で負けを認めた瞬間であった。

 

『我の負けだ。まさかこのような人間がいようとは。良ければ、名を答えてはくれぬか?』

「ジルフ・アーライズだ」

 

 気剣をしまい、地に降り立った彼は、汗一つかいていない顔でそう名乗った。

 

『そうか。ジルフよ。お主の名は、未来永劫記憶に留めておこう』

「そうかい。光栄なことだな」

 

 孤高の二者による決闘は。

 力のないイネアにとっては、あまりにも眩し過ぎる世界だった。

 彼らには、世界を自由に生きるだけの力がある。

 対して自分は、この世界に見捨てられて。ただ死ぬのを待つばかり。

 幼いながらにそのことを心で感じ取った彼女には、ある想いが芽生えていた。

 強くなりたい。まだ死にたくない。

 

「嬢ちゃん。こんなところで一人は危ないぞ。うちへ帰りな」

「おうちがないの。もりには、もういられないから」

 

 ジルフはその一言で、すべての事情を察した。

 森を追放された幼いネスラ。このまま放っておけば、間違いなく死んでしまうだろう。

 彼は彼女の目を見つめた。

 彼女には生きようとする意志がある。このまま死なせてしまうのは忍びない。

 懐から世界計を取り出して、この世界における残り時間を確認する。

 約三十年。

 これだけ時間があれば十分だと、彼は思った。

 彼にはどうせやることがなかった。

 彼女が一人でも生きられるようにすることを、この世界における目的にするのも良いかもしれない。

 

「嬢ちゃん。名前は」

「イネア」

「イネア。俺と一緒に来るか」

 

 男は手を差し伸べる。

 それはイネアにとって、何より大きくて温かい、救いの手のように思われた。

 彼女は小さな両手を目一杯に差し出して、彼の手を取った。

 それが、ジルフとイネアの最初の出会いであった。

 

 

 ***

 

 

『あのときの小娘が、随分と立派になったものだ』

「これだけ時が経てば、人も変わるさ」

 

 変わらないものもあるがな。

 イネアは、師に育てられた厳しくも温かい日々を思い返し、ほんの少しの間懐かしさに浸った。

 憧れ、尊敬、そして。

 彼女が師に対して抱く想いは、今も変わらない。

 

「それより。森では私の弟子と一戦やらかしてくれたそうじゃないか。中々骨のある奴だっただろう?」

『うむ。自慢の尻尾を切られてしまったわ。まあじきにまた生えてくるがな』

 

 炎龍は嬉しそうに唸る。

 

『それにしても、あの人の子の師がお主とは。運命とは面白いものだ』

 

 彼女と炎龍には、もはや協力するに際して余計な言葉は不要だった。

 

「手を貸すぞ」

『助かる』

 

 イネアは炎龍の背に飛び乗り、右手から気剣を開放した。

 相手はあの黒龍だが、死んでいて気の力がない分だけ格は落ちる。

 あのとき師がやって見せたように、今の自分に龍を斬るだけの力があるか――。

 これは彼女にとっての挑戦だった。

 あのとき黙って背中を見ているしかなかったあの境地に、少しでも迫ることができたのか。

 全員の命がかかる中での、決して失敗が許されぬ挑戦だった。

 だが彼女に余計な気負いはない。

 一流の戦士としての自信と、必ず成し遂げるという決意を持って、力強く言った。

 

「行くぞ。炎龍」

 

 炎龍が唸り声を上げ、黒龍へ向けて走り出す。

 同時に黒龍も動き出す。

 黒龍から、炎龍の背に向けて黒炎の火球が放たれる。

 しかしイネアは動じない。

 鍛え抜かれた気剣を振り抜くと、黒炎は真っ二つに切り裂かれた。

 分かたれた炎の欠片は、各々彼女の身体の左右を通過していき、何ら痛痒を与えない。

 間もなく、二体の龍が身体をぶつけ合う。

 衝撃が大気を揺るがす。

 いくら巨体とはいえ、黒龍に比べれば小さい炎龍であるが。

 それでも敵の腹に噛み付きながら、彼は意地で張り合っていた。

 炎龍が黒龍の動きを止めているうちに、イネアは黒龍の背に向けて跳び出した。



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61「黒龍を斬れ」

 跳び出した小さな敵対者の姿を見出した黒龍は、彼女を亡き者にしようと霧のブレスを吐く。

 身動きの取れない空中で、それを避けることはできない。

 本来ならば、跳び出したイネアは迂闊だったということになるのだが。

 歴戦の戦士である彼女は、安直なミスは犯さない。無論、炎龍を信頼した上での行動だった。

 すべてを溶かす黒い霧が彼女へ到達しようとしたとき、炎のシールドが彼女を包み、霧を弾き飛ばす。

 結果として最短距離で宙を進み、彼女は黒龍の背の真ん中辺りに位置付けた。

 一枚一枚が人ほどの大きさもある漆黒の鱗によって、辺り一面が覆われている。

 そのうち一枚の上に着地したイネアは、彼方に見える黒龍の首を睨んだ。

 この位置からあそこまで走り進むには、少々遠過ぎる。その前に振り落とされてしまうのがオチだろう。

 瞬時にそう判断した彼女は、すぐ横に映る黒龍の右翼からまず斬りにかかることにした。

 再び飛び上がられてしまっては厄介だという考えが、彼女の念頭にはあった。

 いくら炎龍が付いているとは言え、自分自身が空を飛べるわけではない。

 である以上、上空では動きが遥かに制限されてしまう。

 空へ逃げられれば、勝ち目は薄くなってしまうだろう。

 

 彼女が気を高めると、右手の刀身は青白く輝く。

 

《センクレイズ》

 

 実在するどんな名剣よりも研ぎ澄まされた彼女の気剣が、黒龍の右翼、その上部に根元から勢いよく食い込んだ。

 ここでもし仮に、相手が生きている黒龍だったならば。この刃を易々と通しはしなかっただろう。

 だが今の黒龍は、ただ操られているだけの人形でしかない。死体であるがゆえに、気によるガードも一切使うことができない。

 ゆえに、いかに龍の肉体そのものが硬く強靭であろうとも、イネアの剣が打ち勝った。

 刃を振り下ろすに従って、翼は綺麗に引き裂かれていく。

 

「たあああああーーー!」

 

 気合の入った掛け声とともに、イネアは翼を縦に斬り抜いた。

 完全に千切られた巨大な翼は、黒龍の身から離れて、徐々に落下を始める。

 その様子をすぐ真下から見上げつつ、彼女は翼を斬った勢いそのままに、黒龍の足へと飛び込んだ。

 達すると、全力で足を蹴りつけて方向転換し、さらに地面へ向けて加速する。

 ともに落下してくる翼よりも一足早く着地した彼女は、即座にその場から飛び退く。

 直後、彼女がいた場所を、黒龍の翼はズズンと大きな音を立てて下敷きにした。

 さて。己の意志を持たない黒龍は、苦悶の唸り声すら上げることはない。

 ただ片翼をもがれたその姿は、一見しただけで痛々しいものであることは明らかだった。

 決して小さくはない痛手を、イネアは剣のたった一振りで負わせたのだ。

 この偉業を成し遂げた彼女の姿を目の当たりにした戦士たちは、絶望を跳ね除けて大きく奮い立った。

 歓声を背に、イネアは冷静に戦いを続ける。

 既に炎龍の背へと乗り直していた彼女は、油断なく気剣を構えたまま、黒龍に向かって言った。

 

「翼をもがれた気分はどうだ」

 

 黒龍は顔色一つ変えぬまま、その場に立ち尽くしている。

 怒りも、生前には持っていたであろう誇りさえも、一切感じられない。

 ただただ虚ろな目をしている。

 

「まあ、言ってもわからないだろうがな」

 

 彼女は嘆息した。

 やはり。生きている「本物」に比べれば、格が落ちる。

 そのことをはっきりと確かめた彼女は、もはや伝説の龍に挑むという気分ではなくなっていた。

 時間停止という反則技で、満足に戦うことすらできずに殺された黒龍。

 死後もなお下らない野望に利用され、そして今、目の前でかように無様な姿を晒している。

 そんなかつての絶対王者に対し、憐れみすら覚えていた。

 他の者にとってならば、十分脅威となる存在だろう。だが。

 ただ高性能なブレスを吐けるだけの龍型の何かに成り下がってしまったこの相手は、既に空も飛べなくなった以上、もはや彼女にとって真の脅威足り得なかった。

 幾度も死線を潜り抜け、黒龍に次ぐ大きさである雷龍とも戦った経験のある彼女にとっては。

 

「もう奴を休ませてやろう。炎龍」

『そうだな』

 

 同様に憐れみの気持ちを抱いていた炎龍が、大きく息を吸い込んだ。

 黒龍が黒炎を吐くことができるように、炎龍は強力無比な白炎を吐くことができる。

 これも精神を集中する必要があるので、魔法で操られていたときにはできなかったものだった。

 炎龍の動きに呼応するかのように、黒龍も大きく息を吸い込み始めた。

 さしもの黒龍も、炎に対する耐性は炎龍ほどは高くない。

 白炎を当てられてはダメージは避けられないとの判断から、あくまで機械的にそうしたのであった。

 両者が同時にブレスをぶつけ合う。

 黒龍から吐き出される黒の、炎龍から吐き出される白の対照的な猛炎が、中央で激突する。

 大気が揺らめくほどの、想像を絶する熱と光を散らす。

 体格差から、やや白炎の方が小さいが、それでも押し負けてはいなかった。

 炎こそはその名を冠する炎龍の土俵であり、最大種である黒龍にも負けないという自負が彼にはあった。己の意地に賭けても、炎龍は負けるわけにはいかなかった。

 両者の炎は互角。

 どちらかが一瞬でも気を抜けば、均衡が崩れる。跳ね返った自分の炎までもが牙を向くだろう。

 そうなればさすがにただでは済まない。双方にとって条件は同じ。

 炎龍は苦しさに顔を歪めながらも、懸命に炎を吐き続ける。

 感情こそないが、黒龍も同じように苦しい状況だった。

 だからこそ、気付く余裕がない。

 

 ――遥か上空にまで跳び上がり、そこから彼の首を目掛けて迫っていた、彼女の存在に。

 

 重力加速度を乗せて。

 イネアは煌々と輝く気剣を、両手に高々と掲げた。

 そして、全力で振り下ろす。

 せめて最期は華々しく散れと、想いを込めて。

 

《センクレイズ》

 

 決める一撃も同じだった。

 彼女にとっては、師の愛用する思い出の技でもある。必殺技はこれ一つで十分だった。

 彼女はただひたすらにこの技を磨き、これまでどんな強敵とも渡り合ってきたのである。

 鋭さを極めた剣が、龍の首筋に当たる。

 万力を込めて、一気に斬り抜く。

 

「はああああああああーーー!」

 

 人々は見た。

 黒龍の吐き出す炎が、突如勢いを失くしたのを。

 そして彼の首が、胴体からゆっくりと剥がれ落ちていくその様を。

 

 黒龍の首が、斬り落とされた瞬間だった。

 

 地に降り立った彼女は、黒龍の首が大地に転げるのを見届けると、再び炎龍の背に跳び乗って、高らかに剣を掲げた。

 人々は、その堂々たる雄姿に心震えた。

 まるでクラムに代わる、新たな英雄の誕生のように思われたのだ。

 英雄はいない。

 彼女本人にそう言われていても、人は希望に縋りたいものだ。

 彼女こそが、今やその希望だった。

 その存在が与えてくれる活力は、計り知れない。

 

 戦況は再び覆った。

 魔導兵、ライノス及びリケルガー、さらにそこへ竜騎兵までが加わったものを相手に、戦士たちは見事に奮戦した。

 さらなる死者を出しながらも、ついに約半数の尊い犠牲の上に、ほぼ勝利を収めたのである。

 

 だが、目下最大の脅威であった黒龍を討ち取り、数多の雑兵を倒しても。

 なおエデルの力は、まだ底を見せていなかった。

 むしろ中途半端な抵抗が、さらなる絶望を招き寄せることとなる。

 ここに至り、ついにトールは兵器の温存を止めることに踏み切ったのだった。

 

 

 ***

 

 

 束の間の勝利に喜び沸き立つラシール大平原に、突如としてそいつらは現れた。

 人型の巨大兵器だった。

 黒龍よりは若干小さいものの、優に四十メートルはあると見える。

 機体は、一切の魔法を弾く魔法金属製。

 その口に備わる魔導砲は地を焼き、その巨体が腕をなぎ払えば、地面が根こそぎ抉り飛ぶ。

 それでも単体ならば、黒龍ほどの脅威とはならなかっただろう。

 問題はその数だった。

 八十体。

 平原の前方見渡す限りが、今や死を告げる行進に覆い尽くされていた。

 エデルが誇る、最強の量産兵器の一つ。

 魔導巨人兵が、彼らに襲い掛かろうとしていた。



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62「空中都市エデル」

 辛うじてバリアを突破した私たちは、そのまま空を進もうとしていた。

 だが、市街区の上空に差し掛かったところで。

 突如として、私の身体に恐ろしいほどの重さがかかる。

 気を抜けば押し潰されてしまいそうなこの苦しい感覚は。

 前にアーガスとの魔闘技で味わったことがある。

 

「これは……!」

 

 重力魔法だ!

 見渡すと、どうやら私だけじゃない。みんな同様に急な加重に苦しんでいた。

 空間一帯にかけられているのか!?

 

「アルーン! しっかりして!」

 

 苦悶に顔を歪めながら、アリスは必死に呼びかける。

 アルーンを始めとする大鳥も例外なく効果対象で、苦しそうな鳴き声を上げていた。

 やがて、へし折れるように落下し始める。

 

 まずい! このままじゃ墜落だ!

 

「ちっ! 《グランセルリビット》!」

 

 アーガスの反重力魔法が、私たちと六羽すべてにかかる。

 身体からは重さが消え、アルーンたちはどうにか体勢を立て直してくれた。

 

「ずっとかけっ放しじゃ保たない。近くに下りるぞ!」

「あそこが良いでしょう」

 

 ミリアが指差したのは、すぐ近くに見える比較的大きな通りだった。

 アリスが指示をすると、そこへ向かってアルーンはふらふらと進んでいく。

 後ろから他の大鳥たちもついてきて、どうにか全員無事に下りることができた。

 もはや空を行くことが叶わなくなった私たちは、アルーンたちを安全そうな場所に待機させることにした。

 

「お疲れ様。アルーン。あとはあたしたちがやるから、ゆっくり休んでてね」

 

 アリスが労いの言葉をかけて、アルーンの頭を撫でている。

 私とミリアも隣で一緒に頭を撫でてあげた。

 本当にお疲れ様だ。アルーンの力がなければ、まずここまでは来られなかった。

 お前が敵の攻撃を上手く避けてくれなければ、私たち四人はとっくに死んでいたかもしれない。

 アルーンはキュルルと、心配そうに小さく鳴いた。

 聡明なこの子は、アリスたちがこれからさらなる死地に向かうことがわかっているのだろう。

 ふと目を向けると、合流したカルラ先輩が、腕を組んだままの格好で突っ立っている。

 どこまでも果ての見えない通りの向こう側を、うんざりした顔で見つめているようだった。

 

「ここからは、地道に歩いていくしかないってことかしらね」

「困ったわね。上から見た限りじゃ、この町は相当入り組んだ構造をしてたわよ」

 

 ケティ先輩の言う通りだった。

 すぐにあんなことがあったから、少ししか様子を窺い知ることはできなかったけれど……。

 見た限りでは、エデルは普通の車がやっと一台ずつ通れそうなくらいの幅しかない通りがほとんどで、あとは小道が網の目のように入り組んだ構造をしている。

 車が通れそうとは言ったが、そもそも今立っているこの通りはなんか妙だ。

 道と呼べるものには違いないだろうけど、少なくとも私の知っている道路ではない。

 だって車線のラインは引かれていないし、標識らしきものも一切見当たらないのだ。

 もしかすると、車で移動する必要のない文化だったのかもしれない。だから、あまり綺麗に道に沿った街作りをする必要がなかったのだろうか。

 また、すっかり未来都市なのかと思えば、実はそうではないことにも気付く。

 よく見れば、一部にはサークリス以前の文化レベルを思わせる、旧態じみた建物の姿も散見された。

 それらは、まるで見たこともない素材でできた丸い形の民家や、向こうに立ち並んでいる高層ビルとは、まったくもって馴染んでいない。

 あまりにもちぐはぐなのだ。

 まるでスパゲッティのようにぐちゃぐちゃした都市。それがエデルを間近で見た正直な感想だった。

 この統一的美観のなさは、よくごちゃごちゃしてると言われる東京よりもひどいかもしれない。

 一見壮麗ではあるが、実のところ相当にいびつな発展をした都市なのではないかと思われた。何か不自然な歪みのようなものを感じるのだ。

 

「あそこにあるのは、もしかして交通機関か何かではないでしょうか」

 

 ミリアが指した方を見やると、宙に浮かぶチューブ状の何かがあった。エデルが浮上するときにも目撃したやつだ。

 チューブは透明で、こちらは細い道と違って、電車が通れそうなくらいには大きい。

 ミリアは何となく鉄道に近いものを感じ取ったのだろう。私にもそんな気がした。

 というか、どこか見たことあるような……。

 

「そうかもしれんの。だがもしそうだとしても、あれを利用するのはやめた方がいい。敵に狙われるのがオチだ」

「それもそうですよね」

 

 ディリートさんが長い顎鬚をさすりながら冷静に諭すと、ミリアは肩を落とす。

 そんな会話を横聞きしつつ、私は既視感の正体に気付いた。

 そうだ。どうも見たことがあると思ったら。

 ずっと昔、小さい頃に友達とみんなでとあるSFアニメを観たんだ。

 それに出てくる、スカイチューブってものに見た目がそっくりなんだよね。

 乗り場まで行くと、宙に浮かぶリフトがすぐにやってきて、好きなところまで乗せて行ってくれるってやつ。

 わかったところで、まあ今はどうでもいいけど。懐かしんでいる場合じゃないし。

 

「まあ仕方ねえよ。作戦通り行こうぜ」

 

 アーガスの言葉に、全員が頷いた。

 

 エデルに入った際の行動については、予めみんなで話し合っていた。

 エデル突入班の目的は二つ。

 エデルを地上へ落とすこと、そしてトールとクラムを倒すことだ。

 後者については、もちろん言うまでもない。

 前者については、ある仮説による。

 どうやらエデルは稼動し続けるために、常に大気中の魔素を集めて濃縮する必要があるようなのだ。

 その一部を利用して、あのでかい図体を浮かし続けていると。カルラ先輩が言ってた。

 そして、上手く利用し切れなかった余剰分が、活性魔素として月に流れているようだ。

 やはり、特にエデル自身を浮かせることに最も大量の魔素を使っていると考えられ、その余剰分が非常に大きいと考えられる。

 よってエデルを地に落とせば、魔素の集積及び使用も大幅に減少し、月への供給も大きく減るだろうと予想された。

 もしかしたら、月を動かすに足る量の魔素ではなくなって、落下が止まってくれるかもしれない。

 それにもし止まらなかったとしても、地上の仲間たちと協力することができるようになる。

 それだけでも非常に意義は大きい。

 とにかく、最終的にどうにかしてエデルの機能を完全停止させれば、魔素の供給も止まるはずだ。

 

 そこで、どうやってエデルを落とすかなんだけど。

 それについては、またカルラ先輩が重要な情報を教えてくれた。

 彼女によると、トールは反重力オーブなるものが必要だと語り、部下に集めるよう命じていたそうだ。

 仮面の集団が集めたオーブは、全部で八つ。各地の遺跡などに、まるで奇跡のように綺麗な状態で残っていたという。

 当時は何に使うのかまでは教えてくれなかったとのことだが、今や自ずと明らかだ。

 おそらくエデルは、その反重力オーブの力によって浮いているに違いない。

 だからオーブを破壊すれば、エデルを地上へ下ろせるはずだ。

 そういうわけで、私たちの目的の一つは、エデルのどこかに設置されたオーブを探し出して破壊することだ。

 八つもあるけれど、すべてを壊す必要はないし、そうしてはいけない。

 一つ一つ壊していけば、そのうちあるところでちょうど良い塩梅になる。

 重力が浮力に吊り合うか、わずかに勝り、エデルはゆっくりと地に向けて落下を始めるだろう。

 そこまでで十分であり、それ以上の数を壊せば、むしろ急速な落下を招きかねない。こちらの身まで危なくなってしまう。

 サークリスよりも広大な都市の中で、八つしかないものをたった二十四人で探す。

 かなり至難の業のように思われた。しかものんびり探している時間はない。

 早くしなければサークリスが危ないし、世界そのものが終わってしまう。

 本当ならまとまって行動したいところだが、人手を分けなければならなかった。

 

 二人一組で十二組に分かれることになった。

 手分けをして、この都市にある重要そうな場所を探し尽くす作戦だ。

 何かあったときには、連絡を取って互いに協力し合う。

 連絡手段は、カルラ先輩が用意してくれた。

 仮面の集団手下用の通信装置で行う手筈になっている。

 この通信装置は、カルラ先輩の持っている幹部用のエデル製通信機、その模倣品というか劣化版らしい。

 使い始めからほんの数時間で機能を失ってしまうという。

 ぶっちゃけひどいものだが、使い捨てと思えば悪くない。数十キロくらいまでの距離なら問題なく声が届くようにできているそうだ。

 そして、いくら目一杯手を広げなければならないとはいえ、さすがに二人一組では危険かもしれない。

 重々承知の上で強気な配分にしたのは、いくつか理由がある。

 一つは、この町はかなり入り組んでおり、隠れられそうな場所がたくさんあること。

 私たちは防衛班と違って、トールとクラム以外の敵を無理に倒す必要はない。

 そもそも二十四人では、まともに戦っていては絶対に勝ち目がない。基本的に敵は避ける必要がある。

 ならば少人数で動いた方が、隠れながら進むのには効率が良い。

 もう一つ。これはあくまで予想なのだが、エデルは外からの攻撃には滅法強いがゆえに、万が一入り込まれた際のことをあまり想定していなかったのではないかと思われる節があるのだ。

 少なくとも、こうして侵入者がいるという状況は、奴にとって想定外のはず。

 何しろ、敵である黒龍の炎まで利用しなければ、到底進入することはできなかったのだから。本来だったら、どう足掻いたって入り込めるはずもなかったのだ。

 実際、本当ならとっくに敵が襲い掛かってきても不思議でないのに、辺りは未だに何事もなく静かなままだった。

 じきに騒がしくなるとしても、敵の対応が遅れているらしい今がチャンスだと思う。

 

 私はアーガスと組んだ。

 アリスとミリア、カルラ先輩とケティ先輩がそれぞれペアを組む。ディリートさんは、信頼の置ける彼の元部下の一人と組んでいた。

 アーガスの合図で、全員が一斉に散っていった。

 

 みんなから十分離れたところで、私は男に変身した。

 

「おっ。やっと男になったか」

「こっちの方が身のこなしは軽いからね」

 

 言いながら、すぐに気力強化をかける。

 

「飛ばすけど、遅れるなよ」

「お前こそな」

 

《ファルスピード》で、彼は遅れることなくついてくる。

 彼自身で俺のよりさらに改良したらしい。素晴らしい練度だった。

 敵に見つからないよう注意しながら、二人で慎重かつ迅速に通りを駆け抜けていく。

 時折魔導兵らしき奴や、もっと強そうな奴も見かけたが、どうにか見つからずにやり過ごした。

 所詮操り人形の目を欺くのは、そんなに難しくはなかった。

 トールが何を思ったか、クラムを除く仲間をすべて切り捨てていたことが、ここに来て裏目に出ていた。

 奴が約束通り、ここまで部下を多く引き連れて来たならば、もっと苦戦を強いられていただろう。

 奴はきっと、エデルの力が、何よりそこに住む人間の力によって成り立っていたのだということを軽視していたんだと思う。

 いくら兵器を揃えようと、それをきちんと活用する者がいなければ、真の力は発揮できない。

 奴が人の力をとことん甘く見ていることが、こうして俺たちに付け入る隙を見出した。

 

 ある程度進んだところで、俺は言った。

 

「今のうちに《アールカンバー》をかけてくれないか」

 

 この言葉の意味するところをすぐに理解したアーガスは、表情を引き締める。

 

「いいぜ」

 

 俺の周りに光のベールがかかる。すぐにアーガスは自分にもそれをかけた。

 

 これで時の止まった世界を認識することができる。

 

 そう。俺たちが今から目指すのは、クラム・セレンバーグのところだ。

 ずっと奴の気を辿っていた。

 まだいくらか時間はかかるが、いずれ中枢部に近いところに着くだろう。

 ぼんやりとだが、奴のすぐ近くにトールがいるのも感じる。

 オーブなら、きっとみんなの力で破壊できる。そう信じている。

 だが奴だけは一筋縄ではいかない。

 俺たちは最初から、二人でクラムに挑む気だった。

 奴と戦うのは、俺とアーガスでなければ厳しいと感じていたからだ。

 別に他のみんなが足手まといだと考えているわけではない。

 ただ、あの時間操作魔法を肌で感じたことがあるかどうか。

 その経験の有無が容易に生死を分ける、最上級に危険な相手なのは間違いない。

 実は、だからこそ二人ずつに分けた。

 四人にすれば、絶対にアリスとミリアはついてくる。

 止まった時の中で、何もできずに二人が殺されてしまうかもしれない。

 そんなもしもの光景を、絶対に見たくはなかった。

 

 俺とアーガスは、よく話し合って作戦を練った。

 俺たちは覚悟を決めていた。この戦いに命を懸ける覚悟を。

 たとえ俺たちが死んだとしても、クラムさえ倒せたならば。

 トールにはもう何も後ろ盾がない。

 だったら、きっとエデルはどうにかなる。

 たとえ俺がいなくなっても、この世界の人たちがなんとかしてくれる。

 もし死んだらもうみんなには会えないけど、みんなが無事ならそれでいい。

 ただ一人アーガスだけは、最後まで付き合わせることになるけれど……。

 俺は彼の決意も性格もよく知っている。

 だから一緒に付き合ってくれることに感謝はすれど、止めはしなかった。

 そしてもちろん。

 死は覚悟したけれども、生を諦めるつもりはない。

 

「絶対に勝とう。勝って一緒にみんなのところへ帰ろう」

「ああ」

 

 少し前を走っていたアーガスは振り返ることなく、しかし力強く頷いた。

 

 広大な空中都市の内部を、クラムの気という指針のみを頼りに手探りで進む。

 時に道に迷ったり、敵が道を塞いでいてルート変更を余儀なくされたこともあった。

 そうして苦労しながらも、着実にその場所へと近づいていった。

 途中、ディリートさんたちとカルラ先輩・ケティ先輩のペアから、オーブを一つずつ破壊したとの連絡が入った。

 さすがだ。この調子でみんな頑張ってくれ。

 

 

 ***

 

 

 いつしか日は落ちかけていた。最後の夜を迎えようとしている。

 ついに、王宮の前に辿り着いた。

 夕日を背に、白と赤のコントラストが映える。

 そのきらびやかな建物へと続く長い階段の前に、偽りの英雄は立ちはだかっていた。

 

「待っていたぞ。まさか生きてここまで来るとは思わなかったがな」

「お前を倒しに来た」

「仇は取らせてもらうぜ」

「ほう。では――」

 

 クラムが剣を構える。

 突き刺すような威圧感が、全身を一気に襲う。

 

「この私に手も足も出なかった貴様たちに、一体何ができるというのか。見せてもらおうか」

「言われなくても見せてやるさ」

 

 俺は女に変身すると、すぐに《ファルスピード》をかけた。

 

 この戦いは「見せるまで」が勝負になる。

 私が奴に《アールリバイン》を当てられるかどうか。

 すべては、その一点にかかっている。

 いこう。己の持てるすべてを賭けて。



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63「たとえ時が止まっても」

 私は速度特化の風刃魔法《ラファルスディット》を、アーガスは光弾魔法の《アールリオン》を、それぞれクラムに向けて同時に放つ。

 いずれも相当な高速魔法であり、ほんのわずかな時間で奴に届くのだが――。

 

 

 !

 

 

 どうやら時間停止を使われたようだ。身体がぴくりとも動かない。

 だが確かにミリアの言う通り、《アールカンバー》によって、止まった時間の中でも奴の動きを認識することができた。

 

 0.5秒 クラムが、静止した魔法の軌道上から外れる。光魔法であるアーガスの《アールリオン》も、私の《ラファルスディット》と一緒にぴたりと動きを止めていた。

 1.0秒 剣を構え、私に向かって猛然と走り出す。

 1.5秒 懐まで迫り、さらに一歩踏み込んで

 2.0秒 私を斬りつける体勢に入る――

 

 2.1秒!

 

 時が動き出すと同時、私は即座に身を捻った。

 剣を振り下ろす奴の脇をすり抜けるようにして、辛うじて身をかわす。

 そのまま奴から目を離すことなく、王宮の階段の方へ飛び退きながら、背を目掛けて《ボルケット》を放つ。

 

「でやっ!」

 

 すぐにこちらへ振り返ったクラムが、剣でさっと振り払う。

 刀身に弾かれた火球は、あらぬ方向へ飛んでいった。

 

 ――この位置はまだ奴の射程圏内だ。ここにいては死ぬ。

 

 さらに《ファルレンサー》を撃ち込む。小風刃を連射する魔法は、牽制に都合が良い。

 奴がその対応に追われているうちに、急いで奴から十二メートル以上離れる。

 アーガスも私のいるところへ向かいながら、雷槍魔法《デルヴェンド》を合わせてくれた。

 しかしいずれの魔法も、奴が剣を振り回すだけで、綺麗に弾かれてしまった。

 どうやらあの剣には、魔法を弾く力があるようだ。

 口をへの字に結んだクラムは、冷静に私たちの動きを見定めていた。

 

「今の身のこなし――なるほど。貴様ら、イネアから私の魔法について聞いたのだな」

 

 見えてるように動いてるんだもの。さすがに気付かれるよね。

 

「だが知ったところで、どうしようもあるまい」

 

 剣を構え直したクラムが、再びこちらへと襲い掛かる。

 とそのとき、アーガスが驚きの声を上げた。

 

「重力魔法が効かないだと!?」

「なっ!?」

 

 私も驚愕を隠せない。

 頼みの綱にしていた重力魔法が、まさか効かないなんて!?

 クラムが澄まし払って言うには。

 

「ふん。私とて、エデルに来て何もしていなかったわけではない。目指すのはさらなる高み。今の私に、生半可な重力魔法は効かんぞ」

「ちっ……。そいつは厄介だな」

 

 きっとエデルに存在する何かで、重力魔法を軽減するか無効化でもする手段を手に入れたのだろう。厄介なことこの上ない。

 内心舌打ちした私は、男に変身して気力強化をかけると、アーガスに声をかけた。

 

「行くぞ!」

「ああ!」

 

 二人で示し合わせたように、王宮の入口に向かってひた走る。

 見通しの良いこの場所で戦っても、隙を作るのは至難の業だ。このままでは勝ち目が薄い。

 王宮内部に入り込んで、死角からワンチャンスを狙った方がまだいい。

 なるべく見晴らしの悪い場所で戦う。アーガスと話し合っていた作戦の一つだった。

 それに王宮内部からは、トールの気配を強く感じる。

 放っておけば彼が討たれる危険がある以上、奴も追ってくるしかない。

 

 

 !

 

 

 また、時間停止か――!

 

 一切身動きが取れないまま、奴の気が背後からぐんぐん近寄って来るのを感じた。

 なまじ認識できるからこそ、死が迫る恐怖と正面から向き合わなければならない。

 来るのがわかっていても何もできないというのは、これほど恐ろしいものなのか。

 途中、狙いが俺から逸れて、横にいるアーガスへ向かったのがわかった。

 

 2.1秒。時が動き出す。

 

「アーガス! 後ろだ!」

「くっ!」

 

 当たれば確実に命を刈り取る横薙ぎを、彼は間一髪しゃがんで避ける。

 でもまだ危険な位置だ。

 接近戦では、圧倒的に奴の方に分がある。

 女に変身して目を瞑り、アシストの魔法を放つことにした。

 アーガスはこちらを向いていないから、何も問題はない。

 

《フラッシュ》

 

 閃光魔法が炸裂する。

 自分ではわからないけど、眩い光が奴の視界いっぱいに広がっているはずだ。

 これで少しは足止めになってくれるか。

 

 だが、認識が甘かった。

 目を開けたとき、なんと奴は、既に私の目前まで迫っていたのだ。

 

「そんな下らん魔法が、この私に効くと思うのか」

 

 え!? 効かなかった!?

 

 もう突きを繰り出してきている。

 回避が間に合わない。

 

 やられる!

 

 死を覚悟したそのとき、

 

「ちいっ!」

 

 クラムは突然大きく飛び退き、距離を取った。

 直後、目の前を闇の刃が横切っていく。

 

「そう簡単にはやらせねえよ」

 

 横からアーガスの挑発的な声が聞こえた。

 

《キルバッシュ》で援護してくれたのか。助かった。

 

 邪魔をされたことで、クラムの意識はアーガスへ向いていた。

 今のうちに魔法で援護しよう。今度こそ成功させるぞ。

 

 霧よ。覆い隠せ。

 

《ティルフォッグ》

 

 辺りから濃霧が漂い、視界を覆っていく。

 これで見通しが一気に悪くなった。

 そして、この状況は一方的にこちらが有利だ。クラムには普通の魔法が使えないことを利用した。

《アールカンバー》をかけている私たちには周りがよく見えるが、奴にはほぼ何も見えていないだろう。

 私は再度男に変身すると、ウェストポーチからスローイングナイフを三本取り出す。

 それらに強く気を込め、いっぺんに奴の急所目掛けて投げつける。

 時間操作魔法を使わせるために。

 

 

 !

 

 

 一瞬だけ、意識が途切れたような気がする。奴が時間を消し飛ばしたのだろう。

 そこで間髪入れず、追加でナイフを五本投擲する。もちろんすべて急所狙いだ。

 それから、アーガスと目配せを交わして、一緒に王宮まで脇目も振らず駆け出した。

 

「あまりこの私を、舐めるなよ……!」

 

 背後より鋭い殺気を放ちながら、奴の憤る声が聞こえた。

 ぞっと寒気がした。

 

 

 ***

 

 

 王宮殿に入ると、広大なエントランスに出た。

 床から天井まで突き抜けの白い柱が、無数に立ち並んでいる。

 青い石でできた床には、血のように真っ赤な絨毯が敷かれ、両脇には上へと続く階段がある。

 柱も床も、宝石のように美しい艶を放っており、どれもこれも見たこともない素材でできているようだった。

 どうやら俺たちの他には、誰もいなかった。

 二人で頷き合うと、エントランスの両サイドへそれぞれ別れて向かう。

 俺は入口から見て左側、アーガスは右側へ。

 入口の手前からは俺たちの姿が映らず、かつ時間停止の射程外の位置につけた。

 男のままで、奴の気の動きを注意深く読む。

 段々こちらへ近づいてきている。否応なしに緊張は高まる。

 手汗をかいているのに気付き、上着の裾で軽く拭った。

 奴が入口に飛び込むタイミングを見計らって、俺はアーガスに手で合図を送るつもりだった。

 その瞬間が、勝負となる。

 アーガスでも発動に時間がかかるレベルの、強力な重力魔法をかける。

 さすがにそれほど強力なものなら、少しは効いてくれるはずだ。完全無効化まではしないと信じるしかない。

 そこで動きが鈍ったところに、《アールリバイン》をぶつける。

 

 奴の気が、いよいよすぐそこまで来ていた。

 あとほんの少しで到達する。

 心臓が飛び出しそうな心地だった。

 おそらく、一瞬の攻防で勝負は決まるだろう。

 さあ。どうなる。

 

 すると……妙だ。

 なぜか、奴の反応が急に逸れた。

 入り口の方にそのまま向かうのではなく、横の何もない城壁へと向かっている。

 アーガスがいる方向だ。

 

 なぜそっちへ行く?

 

 そう思ったとき――。

 

 

 !

 

 

 時間が、止まった。

 

 0.25秒 俺は見た。

 0.5秒 一体何をしたのか。クラムが壁をすり抜けて

 0.75秒 アーガスに向かって、恐ろしい速さで迫るのを!

 1.0秒 射程限界距離を、明らかに超えていた。

 1.2秒 このままじゃ、アーガスが――

 1.3秒 助けないと!

 1.4秒 動け!

 1.5秒 動けよ!

 1.6秒 ちくしょう!

 1.7秒 魔法じゃないと――

 1.8秒 間に合わない!

 

 ――絶望に身をもがれそうになった、そのとき。

 

 俺は気付いた。

 

 2.0秒 ――私の魔法

 

 2.1秒!

 

 届け!

 

《ファルバレット》!

 

 時間停止解除と同時。

 懸命に放った風の魔弾が、アーガスの胸部を捉える寸前だったクラムの剣の軌道を、少しだけ反らしてくれた。

 それにより、辛うじて致命傷は避ける形となったが――。

 

 奴の剣は、無残にもアーガスの右腕を斬り落としてしまう。

 

 思わず目を覆いそうになる。

 

 肘から先が、くるくると宙を舞い――。

 

 右腕から鮮血を噴き出したアーガスは。

 苦痛に顔を歪めて、その場にうずくまった。

 

「アーガスッ!」

「少々邪魔が入ったが。これで止めだ!」

 

 クラムが再び、剣を振り上げる。

 

 まずい。ダメだ。いけない!

 

 アーガスが、殺されてしまう!

 

 もう躊躇している時間はなかった。

 

 私は、光の矢を発動させる。

 

 奴の注意を、こちらに引き付けるために。

 異常な魔力の高まりを感じ取ったか、振り下ろされる寸前の剣がぴたりと止まる。

 

「なんだ。それは――」

 

 右手に弓を構え、左手から矢を出現させて。

 いっぱいに引き絞る。

 もう後戻りはできない。これを当てなければ――負ける。

 

「見たこともない魔法だ――だが遅い」

 

 

 !

 

 

 ――お前が時を止めることは、わかっていた。

 

 私がおそらく、どういうわけか広がった奴の射程内にいることも。

 そして、私の異常に強力な魔法を警戒したお前が。その慎重な性格ならば。

 避けるより先に、止めを刺そうとこちらに向かってくることも。

 ついさっき気付いた、ある事実。

 お前の虚を突ける可能性。

 それにはまさに、この命を賭ける必要がある。

 お前は、私より強い。

 普通にやっていれば、絶対に勝てない。命を張らなければ、お前には勝てない。

 だったら私は命を賭けよう。

 アーガスを助けて、お前に打ち勝つために。

 身動きの取れない私に、剣が迫る。

 まともに当たれば確実に命を刈り取るであろう、死の一撃が。

 

 

 たとえ時が止まっても――

 

 

 変身だけは、できるみたいだ。

 

 

 私は俺に変身する。

 直後、俺の胸に奴の剣が突き刺さる。

 

 その剣は――

 

 胸先数センチのところで、急所には至らず――止まっていた。

 

 賭けに勝った。

 

 そう。

 お前は止めを刺すとき、心臓を狙う癖がある。

 普通なら攻撃は防げない。

 だが、ただ一点。

 そこだけなら。

 今の俺でも、全力で気を集中させれば、どうにか防ぐことができる。

 お前は、俺が心臓だけをひたすら守っていることに気付けなかった。

 まともに修行を積み重ねていたなら、簡単に気付けただろうに。

 時間操作魔法を手に入れたお前は、それにかまけて修行を怠っていた。

 ろくに気を読めないままでいたことが、仇となったんだ。

 

 そして――時間だ!

 

 俺は私になる。

 既に『心の世界』で、発動直前の状態で待機させておいたその魔法を。

 目の前で放つ。

 

 光の矢よ! 時を貫け!

 

《アールリバイン》!

 

 放たれた光の矢は――

 

 

 !

 

 

 間を置かず、連続で時間消去を発動させたクラムの腹部を――

 

 綺麗に貫通して、取り返しのつかないほど大きな傷穴を開けた。

 

 奴は、信じられないという顔をしていた。

 

 そうだろう。

 時を消し飛ばしたのに、当たったのだから。

 避け切れない攻撃を受けたとき、お前はまず時を飛ばそうとする。

 普通に避けようとしたならば、致命傷だけは避けられたかもしれないのに。

 お前はいつもの癖で、反射的に時間消去を使ってしまった。

 お前は、時間操作能力に頼り過ぎたんだ。

 

 だから負けた。

 

 魔法の反動でぺたんと座り込んだ私に、最後の執念とばかりクラムが迫る。

 せめて私を道連れにするつもりのようだ。

 

 でも、無駄だ。お前はもう負けている。

 

「アーガス! 止めを!」

「おう……!」

 

 片腕を失ったアーガスは、そのくらいで戦意を失う人間じゃない。

 信頼通り。残る左手だけで、彼の持つ最強の重力魔法を準備していた。

 

「これで終わりだ! 《グランセルレギド》!」

 

 超重力の黒い球が、奴の頭上に現れた。

 

 

 !

 

 

 いくら時間を止めたところで、無駄な足掻きだ。

 私の攻撃で体力の尽きかけている奴は、もはやあの魔法から逃れる力など残っていない。

 重力球は容赦なく奴を引き込むと、その全身を粉々に砕いた。

 やがて魔法が消えたとき。

 奴はもう動くことすらままならない状態で、ずたずたになった身を地に横たえていた。

 そっと近寄ると、奴は力ない声で搾り出すように言った。

 

「まさか、本当に足元を掬われることになるとはな……」

 

 けれど、どこか満足したようにふっと笑う。

 

「だがまあ、お前のような者に負けたのは、悪くない気分だ……」

 

 英雄クラム・セレンバーグは、静かに息を引き取った。

 

 安らかに眠る彼の亡骸を、ただ静かに見つめる。

 彼を倒したことを素直に喜ぶ気には、とてもなれなかった。

 イネア先生は、彼に剣士としての誇りはないと言っていた。

 確かにそれは、そうかもしれない。

 でも。

 時間操作こそ使ったけれど、彼はあくまでも最後まで武人ではあり続けたのではないか。

 私にはそう思えてしまうんだ。

 彼は持たざる者だった。

 だからこそ。手を伸ばせば届くものならば、それがどんな力でも欲しかったのだろう。

 その気持ちはよくわかる。

 私もきっと、似たようなものだから。

 ただ彼は、やり方を間違えた。

 彼は他のすべてを踏みにじってまでも、力だけに走ってしまった。

 彼は……道を踏み外してしまったんだ。

 

 私は目を瞑り、少しの間だけ手を合わせて、彼の冥福を祈ることにした。

 

「仇は討ったぜ」

 

 目を開けて前を見ると、空を見上げたアーガスは。

 まるで憑き物が落ちたように、晴れやかな表情をしていた。



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間話10「マスター・メギルの誤算」

「そんな馬鹿な……!」

 

 水晶モニターで、グラス片手に余裕たっぷりで戦いを見物していたトール・ギエフは、まさかの結末にひどく動揺した。

 彼の手からグラスが滑り落ちた。

 ガシャンという惨めな音を立てて割れ、中身が絨毯に染み込んでいく。

 絶対の信頼を置いていたクラム・セレンバーグが、負けた。

 あの黒龍を斬ったほどの男が。

 

「があっ!」

 

 彼は玉座を力任せに叩き付けた。

 

 甘く見ていた……!

 

 たかが学生だと思っていた。それがいつの間にか、ここまで強大な敵となろうとは。

 

 貴様ら、どうやってあの爆破から生き延びた!

 

 そればかりではない。

 絶対に進入不可能であるはずのエデルに入り込み、ついにクラムまで手にかけた。

 完全に舐め切っていた相手に、今やこの自分が追い詰められようとしている。

 彼はいつになく狼狽していた。

 誤算に次ぐ誤算が重なった結果が、今のこの状況である。

 このままでは、自分は確実にやられてしまう。

 彼にはどうしてこんなことになってしまったのか、まるでわからなかった。

 焦りで目を血走らせた彼は、慌てて玉座から立ち上がり、駆け足でエレベーターに向かう。

 走りながら、思考の渦が目まぐるしく回っていた。

 

 今からでも魔導巨人兵を使うか。

 いや、無駄だ。

 あれはあくまで拠点殲滅用だから、小回りが利かない。

 仮にここで使えば、都市が滅茶苦茶に破壊されてしまうだけだ。

 しかも奴らの狙いは、あくまでこの私なのだ。

 木偶人形を据え置いたところで、到底足止めになるとは思えん。

 

 彼から、皮肉気な苦笑が漏れる。

 

 ふん。魔導兵や魔導強化兵どもなど、所詮役には立たぬか。

 奴らがしっかりしていれば、ここまで進攻を許すこともなかったのだ!

 

 ――仕方ない。あれを使うしかないか。

 

 本当に万が一のときのため、用意しておいた奥の手だった。

 まさかあればかりは、決して使うことはないだろうと思っていたが。

 

 魔人化。

 

 エデル王族のみに伝わる、人体強化の秘術である。

 龍よりも強靭な肉体と圧倒的な魔力を、一時的にだが得ることができる。

 その代わり、反動も凄まじいものがある。

 効果が切れた後は動けないほどひどく衰弱してしまう諸刃の刃。寿命さえ縮めてしまうほどのものだ。

 王自らが戦うのは本意ではないが、もはや状況は一刻の予断も許さない。

 他に選択肢はなかった。

 

 あれを使うためには、北にある祭壇に向かわなければならない。

 そこまで辿り着くことさえできれば――。

 

 この私自らが最強の魔人となり、貴様らを葬ってくれよう。

 

 彼は絶体絶命の危機に内心激しく焦りながらも、自らの手で侵入者を蹂躙する様を思い描いて、嗤った。

 ついに自分自身が力を手にするときが来たのだ。

 彼のコンプレックスは、ネスラという種族であるがゆえに、非力であることであった。

 イネアという化け物はいるが、あれは例外中の例外だ。

 そもそも転移魔法こそ、非力な彼らが外敵から逃げるため、進化の過程で得たものなのだ。

 こそこそ逃げ隠れて生活するしか能がない閉鎖的な同族を、彼は心底見下していた。

 

 彼は生まれつき、転移魔法が使えない異常なネスラだった。

 非力である上に転移魔法まで使えないとなれば、いざというとき身を守るものは何もない。

 異常であることが判明すると、彼は同族の中で孤立した。

 誰の協力も得られず、すべてのことは自分一人でするしかなくなった。

 

 そんなある日、まだ彼が十代前半の頃である。

 ネスラの里に、盗賊の集団が現れた。

 彼らは里にある装飾品などを強奪し、あわよくばネスラを捕らえて売り物にしようとしていた。

 周りの同族のほとんどは転移魔法で逃げられたが、まだ練度の低い一部の子供たちは逃げ遅れて、次々と捕まった。

 そして、そもそも転移魔法が使えない彼は。

 ただ走って逃げるしかなかった。

 だが抵抗空しく、今にも捕らえられようとしていた。

 そこに偶然現れたのが、大型肉食獣リケルガーの群れだった。

 そいつらは瞬く間に人攫いの集団を蹂躙し、食い尽くしてしまったのだった。

 それが人攫いであろうと、ネスラの子供たちであろうと、獣は平等だ。区別などしない。

 子供たちも、やはり同様に食われていった。

 そして満腹になったリケルガーたちは、余計な殺戮もしない。

 運良く捕食対象として選ばれなかった彼――怯えるトールを一瞥だけすると、何もなかったかのように去っていった。

 命からがら助かったトールは、がっくりとその場に膝をついた。

 いつの間にか失禁していたが、それが情けないと思う心の余裕すらなかった。

 力のない者は、ゴミのように死ぬしかない。

 世界の厳しさを悟った彼は、それ以来強く力を求めるようになった。

 そんな彼を魅了したものは、森の外の人間の知識だった。単純な力ではなく、叡智を武器として進歩を続ける人間の姿。

 彼はそこに光を見たのである。

 彼は人に憧れた。ネスラにおいては禁忌とされる人の知識を求めた。

 森に訪れた人間と交流し、書物などを得て学び始めたのだ。

 ついには転移魔法の実験を行い、その性質まで解明してしまう。

 だがこの実験は、さすがに同族の怒りを買った。同族を弄んだ罪として、森を追われることになった。

 だが彼にすれば、望むところであった。

 森を追われてなお、力に憧れて知識を求め続けた。

 人の汚さを知り、いつしか身は欲望に染まり。

 そして辿り着いたのは、エデル。

 この地に彼は、理想を見た。望むものを見た。

 

 ――こんなところで、終われるものか。

 必ずや人の上に立ち、自らの存在と叡智を世界に示すのだ!

 

 エレベーターに乗り、地下一階へと降りる。

 すぐに王族用のグランセルナウンへ乗り込み、スカイチューブを走らせた。

 彼の目に宿る野望の光は、まだ消えていなかった。



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64「マスター・メギルを倒せ」

 私はアーガスの右腕を簡単に診た。

 血が滴り、綺麗に切断された断面からは、赤黒い血肉と骨が、あまりに痛々しい姿を晒している。

 見ているだけで具合が悪くなってきそうだった。

 

「早く治療しないと」

 

 だが彼は、きっぱりと首を横に振った。

 

「いやいい。どうせ腕はくっつかないだろうし。ちゃんと縛ったから、たぶん死にはしねえよ」

「だけど、危ない状態には変わりないよ」

「だな。まあ、オレは少し休ませてもらうぜ。お前は今すぐトールの野郎を追え」

「でも」

「いいからよ。誰かがあいつを倒さなきゃ、終わらないんだ」

 

 アーガスの目からは、断固した意志が感じられた。

 こうなればもうてこでも動かないことを、私はよく知っている。

 

「わかったよ。いつも意地張ってさ。ちゃんと安静にしてなよ」

「おう」

 

 男に変身して、すぐにトールの気を探った。

 反応が地下に移動している。逃げる気か。

 せっかくここまで追い詰めたんだ。逃がさないぞ。

 

「行ってくる」

「ああ。しっかりやっつけて来い」

 

 気力強化をかけて、全速力で走る。

 どこかに地下への入り口はないかと探していると、エレベーターらしきものを見つけた。

 乗り込んでみれば、やはりエレベーターのようだ。

 地下一階と書かれたボタンを押すと、それはゆっくりと下降し始めた。

 

 奴の反応は、既に城からずっと遠ざかっていた。それもかなりの速さだ。

 おそらく何かに乗ったか。

 そこで俺は、通信機を通じてみんなに呼びかけることにした。

 

『ユウだ。みんな、聞いてくれ。クラムは、アーガスと俺で何とか倒した』

『やったじゃない!』

『やりましたな。ユウ殿』

 

 アリスとディリートさんの嬉しそうな声が聞こえたのを始めとして、各々から喜びの声が聞こえてくる。

 とそこで、地下一階に着いた。エレベーターのドアが開く。

 奥には、あの透明なチューブが見えている。

 なるほど。あれに乗ったのか。

 

『それで、今トールが逃げてる。例のチューブを通って、王宮殿の北の方へ向かっているんだ。近くに誰かいないか?』

『割と近いけど。いまね、とても手が放せない状況なの!』

『かなりピンチです』

 

 アリスとミリアの声には、荒い息が混じっていた。

 

『それなら、わたしたちに任せなさい! 今ちょうど近いわ!』

『やっとおしおきの機会が巡ってきたね』

 

 次に聞こえてきたのは、カルラ先輩とケティ先輩の頼もしい声だった。

 

『お願いします! 俺も今から奴のところへ向かいます!』

 

 通信を切って、ひた走る。

 チューブの中に入ると、そこはレールのように細長く先へ伸びていた。

 やっぱり。あのスカイチューブにそっくりだ。

 というか、まるでそのものみたいだ。こんな偶然の一致ってあるのだろうか。

 すぐに空飛ぶ車、スカイリフトがやってくる。

 早速乗り込むと、北へ向かうように念じた。

 すると期待通り、音も抵抗もなく加速し、滑るように宙を進み始めた。

 

 焦りを感じてはいたが、移動中はすることがなくて。

 何となく空を見上げた。

 外から見たときに赤かったバリアは、内側からは透明に見えるようになっている。視界の妨げにならないようにできているらしい。

 日が落ちかけているのが、はっきりと見えた。

 反対の方角を見れば、もう青い満月が昇り始めている。

 だがその月の様子がおかしい。むしろ正常な状態なのだ。

 接近することで大きくなっているはずの月が、普段とまったく変わらない大きさに見える。

 まさか何もせずに、元の位置に戻ったということはないだろう。ということは、もしやエデル内部からは、月の変化がわからないようになっているのか。

 なぜと思ったが、それもそうかとすぐに思い直す。

 トールの目的は、あくまで世界を支配することだ。

 さすがに世界の滅亡までは、望んでいるようには見えなかった。

 己の計画に三百年以上かけるほど執念深い奴が、自らの野望のせいで世界が滅びようとしているなんて。

 そんなことを知ったら、一体どんな行動に出るのか予想が付かない。万が一にも自らの手でエデルを止めてしまうことはあるかもしれない。

 間違ってもそうならないように、ウィルは万全を期して幻想の月を仕込んでいたのだ。

 あくまでトールには甘い夢を見せたまま、世界を滅ぼす気だった。

 トールは気付いていないんだ。自分がウィルの掌の上ですっかり踊らされていることに。

 散々人を利用しておいて、ゴミのように切り捨てておいて。

 結局は自分も誰かに利用されているだけだった。

 憐れな奴だ。本当に救えない。

 早くこんな戦いは終わらせよう。

 あいつ以外、誰にとっても得にならない戦いなんて、もうたくさんだ。

 

 

 ***

 

 

 トールはグランセルナウンから降りた。

 王宮北の祭壇はもう、すぐ目の前に見えている。

 祭壇には、既に術式を施してある。

 あとはあそこに辿り着くだけだ。行けば、圧倒的な力が手に入る。

 そうすれば――。

 

 だが気付けばそこには、彼のよく知る二人の女性が立ち塞がっていた。

 一人は元腹心の部下。一人は教え子。

 

「君たちは……!」

「こんなところで何をしてるんですか。マスター(・・・・)

「会いたかったですよ。先生(・・)

 

 二人は語尾を強調し、わざとらしく彼をそう呼んだ。

 

「……奇遇だな。私は大事な用があるのだ。話なら後に――」

 

 彼が最後まで言い終わる前に、ケティが遮った。

 彼女の目は仇を見る憎しみに満ちて、彼の顔を真っ直ぐに捉えて離さない。

 トールは絶望的な予感を覚えた。

 

「あんたは。私の最も大切な親友から、最愛の人を奪った」

「だったら……何だというのかね?」

「絶対に許さない」

 

 ケティはトールを睨み付けたまま、闇刃魔法《キルバッシュ》を放つ。

 試合のときに加えていた手心など一切ない。それだけで殺さんばかりの勢いだった。

 対してトールは、加速の時空魔法《クロルエンス》を使ってかわそうと試みる。

 が、カルラが時間遅延の時空魔法《クロルオルム》で対抗し、その効果を打ち消してしまった。

 

「ぐっ!」

 

 彼のわき腹が綺麗に切り裂かれ、そこから鮮血が滴り落ちる。

 

「ええい! そこをどけっ!」

 

 あそこに辿り着くことさえできれば。どうとでもなる!

 そんな思いから、トールは怪我に構わず、強引に歩みを進めようとする。

 カルラは地に手をつけ、得意の土魔法によって彼の手足を強固に縛った。

 

「通すと思うの?」

「くっ!」

 

 分厚い石の鎖に雁字搦めにされて、トールはまったく身動きが取れなくなる。

 そんな彼を油断なく睨み付けながら、カルラは一歩ずつ彼に詰めていく。

 いよいよ手が届くところまで近づいたところで、ぴっと指をさして言った。

 

「あんたにね。ずっと言いたかったことがあったのよ」

「今まで君を騙してきたことか?」

「それはいいわ。自業自得だから。でもね――」

 

 カルラは、拳にぎりぎりと力を込める。

 彼女の目には、この上なく激しい怒りが宿っていた。

 

「よくも、あんたを信じて付いてきた部下たちを!」

「へぶっ!」

 

 彼女の拳が、彼の左頬にめり込む。

 

「よくも、わたしの大切な友達や仲間を!」

「うぼっ!」

 

 反対側の拳が右頬を捉え、彼の顔を逆方向に弾き飛ばす。

 彼は激しい痛みに呻いた。

 

「よくも……よくも、エイクをっ!」

 

 そして、万感の思いを込めて放った渾身の右ストレートは。

 トールの顔面を真正面から打ち抜き、彼の鼻を完全に砕いた。

 顔面中を真っ赤に腫らし、鼻血を情けなく垂らして、くらくらによろめくトール。

 彼女はなおもキッと睨み付け、拳を振り上げた。

 

「あんたは……! あんたはっ……!」

 

 感情の高ぶりのあまり、彼女の目には涙が浮かんでいた。

 ついに言葉が詰まって、続けられなくなる。

 そんな彼女の後を継いで、ケティが言った。

 

「あんただけは、百回地獄に落としても足りないわ」

 

 氷魔法《ヒルソーク》を唱える。

 かつて魔闘技において、アリスの右腕を氷付けにしたその魔法が、今度はトールの右腕をまったく同じ状態にした。

 

「ぐうっ!」

「次は左腕よ。二度と悪さができないほど痛めつけてやるわ。それから公衆の面前で、きっちり裁いてもらう」

 

 両腕が完全に使えなくなれば。一巻の終わりだ。

 あとわずかで止めを刺される状況に至り、トールはこれ以上ない悔しさで顔を歪めた。

 

 ちくしょう。こんなところで。私は負けるというのか。

 何もできぬまま。長年の野望がこんなところで潰えるというのか。

 そんなことがあってたまるか!

 

「私にも、意地があるのだああああああああっ!」

 

 トールは、かつてヴェスターに与えた――あの爆風魔法を発動させた。

 それも自分すら巻き込む形で。強引に。

 咄嗟のことに、やむを得ずカルラとケティが飛び退く。

 自らの魔法でぼろぼろに傷付きながらも、彼は爆風によって拘束を解除することに成功していた。

 一瞬の隙を突いて、彼は再び《クロルエンス》を使用する。

 そして、いっぺんに二人を抜き去ってしまった。

 

「しまった!」

「まずい!」

 

 二人が慌てたときには、彼はとうとう祭壇に到達していた。

 魔法陣に描かれた術式が、彼自身に予め付けていた印と共鳴する。

 魔人化の術が施される。

 

「ふははははは! 力が、力が溢れてくるぞ……!」

 

 

 ***

 

 

 北の祭壇前に辿り着いたとき、祭壇からは赤い光の柱が上がっていた。

 脇の方には、悔しそうな顔でそれを見つめているカルラ先輩とケティ先輩がいる。

 俺が来たことに気付いた二人は、申し訳なさそうに頭を抱えた。

 

「くっそー! やられた!」

「奴の魔力が急激に高まっていくわ。これはちょっと、やばいかもね」

 

 俺は先輩たちに向かって、失敗を気に病まないように、何でもないことのように言った。

 

「あいつを倒しに行ってきます。二人は少しだけ離れてて下さい」

「何言ってんのよ! もちろんわたしたちも行くわ!」

「いや、一人で大丈夫」

 

 カルラ先輩を静止して、俺は落ち着いた足取りで祭壇の階段を一歩ずつ上がっていく。

 その間に、立ち上っていた光は収まった。

 階段を上がり切ると、そこには、変わり果てたトールの姿があった。

 体は二回りほども大きくなり、肌も硬質で、まるで炎龍のそれのように真っ赤なものと化している。

 口からは牙が伸び、額からは二本の角が生えている。

 まるで人外の化け物だ。

 奴は俺の姿を認めると、高笑いを浮かべた。

 一体何がそんなに楽しいのだろうか。

 そしてひとしきり笑い、落ち着いたところで奴は言った。

 

「ユウか」

「お前を倒しに来た。観念しろ」

「この私を倒す? くっくっく! 面白い冗談だ!」

 

 トールは拳を激しく地面に叩き付ける。

 するとそれだけで、足元の大きな祭壇が粉々に砕け散ってしまった。

 俺は咄嗟に階段下まで飛び退いて、飛んでくる石の破片を回避する。

 跡形もなく吹き飛ばした祭壇、その瓦礫の上に降り立った奴は、さも得意気だった。

 

「見たまえ! この圧倒的なパワーを! 今やこの私は、あの龍をも遥かに超える力を手に入れたのだ!」

「それがどうした」

 

 それが、正直な感想だった。

 確かにパワーはすごい。恐ろしいほどの魔力も感じる。

 だが――。

 やはり。今の動きだけでよくわかった。

 

「ふん……。まずは生意気なお前から、血祭りに上げてやろう。この私に散々楯突いたこと、後悔するがいい!」

 

 力に満ちた右拳が迫る。

 当たれば間違いなく、俺は細切れのようになって死ぬだろう。それだけの威力を伴った一撃だ。

 そんな一撃に対して、俺は――

 

《センクレイズ》

 

 一刀両断。

 奴の右腕ごと、胴の一部まですっばりと断ち斬った。

 何が起こったのかわからないのだろう。

 顔には明らかな驚愕の色が浮かんでいた。

 

「まさ、か……!」

 

 変わり果てた奴の巨体が、崩れ落ちるようにその場に倒れた。

 

 確かにパワーはあるかもしれない。魔力もあるかもしれない。

 少なくとも、今の俺よりはずっと。

 だが、それだけだ。

 いかに身体が強靭であろうと、意識の弱い部分を集中して攻撃すれば脆い。

 そして、力の使い方がまるでなっていない素人のお前に対して、それを行うのは容易いことだ。

 頭でっかちなだけのお前が前に出しゃばって来てしまった時点で、もう勝負は着いていた。

 お前たちとの戦いで、俺が一体どれだけの死線を潜り抜けてきたと思っている。

 どれだけ紙一重の攻防を切り抜けてきたと思っている。

 それに比べれば、お前なんて大したことはない。隙だらけなんだ。

 今まで戦ってきた奴らの方が、よっぽど強かったよ。

 

 トールにはもはや、立ち上がる気力すらないようだった。

 切断された右腕を押さえて、情けない呻き声を上げ、無様にうずくまっている。

 そんな奴を見下ろして、俺は静かに告げた。

 

「終わりだ。トール・ギエフ」

「ぐ……ぐ……!」

 

 そのとき、エデルがゆっくりと落下を始めたのを感じた。

 示し合わせたようなナイスタイミングだ。

 とうとうオーブによる浮力よりも、重力の方が上回ったらしい。

 通信が入る。アリスとミリアからだった。

 

『オーブ破壊成功! 危なかったけど、なんとかなったわ!』

『ユウ。私たちも今から、そちらへ向かいます』

 

 手短に済ませ、通信が切れる。

 突然エデルが落下を始めたことに驚くトールに、俺はトドメの言葉をかけた。

 

「もうすぐエデルは、地に落ちる」

「な、に……!?」

「これで、お前の野望も本当に終わりだ! 勝ったのは俺たちだ!」

 

 それを聞いた奴は、わなわなと全身を震わせた。

 そして、悔しさと無念を搾り出すように、嗚咽を上げたのだった。

 

「ちくしょおおおおおおおおおーーーーっ!」

 

 一つの戦いに決着がついた。

 ここから先は、月が止まるかどうかの戦いになる。

 果たしてどうなるかはわからない。

 だけど、俺たちは――。

 

 

 

 

 

「つまらん。拍子抜けだ」

 

 

 

 

 

 

 どこからともなく。その声は聞こえた。

 思い出したくもない。だが忘れようもないほど、脳裏に刻み付けられた声。

 

 次の瞬間。

 

 エデルの上空を覆うバリアが――。

 

 すべて砕け散って、跡形もなく消滅した。

 

 夜空に上る青い月。その真の姿が露になる。

 それは今にも地表に届きそうなほど迫り、世界のすべてを滅亡の闇に呑み込もうとしていた。

 

 そんな――。

 

 いくらなんでも、早過ぎる。

 

 そして――そいつは現れた。

 

 青い月を背に、空の彼方より徐々に下降してくる。

 淡い月明かりに映える、黒い影。

 そのどこか神々しいとまですら思えてくる立ち姿は。

 まるで世界の終末に現れるという、神の使いのようであった。

 

 だが、そいつは――。

 そいつこそが――。

 

 やがて、俺から少しだけ離れたところに降り立ったそいつは、静かに口を開いた。

 

「久しぶりだな。ユウ」

 

 俺と同じ黒い髪を持ち。俺よりもほんの少し背の低い。俺とどこか似た雰囲気を持つ少年。

 あのときと同じ、氷のように冷たく感情の見えない、漆黒の瞳で俺を捉えていた。

 

 世界の破壊者。ウィルがやって来た。



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65「破壊者再臨す」

「ウィル……!」

 

 いずれまた対峙することになるだろうと、覚悟はしていたけど。

 いざ彼を目の前にしてみると、身体ががくがくと震えて仕方がなかった。

 女のときに刻み付けられた恐怖が、脳裏に蘇る。

 そればかりではない。

 初めて出会ったあのときと違って、今では彼の気を感じ取ることができた。

 彼から放たれる気の強大さと不気味さが、わかるようになってしまった。

 格が違う。あまりにも。

 中途半端に手に入れた力が、かえって彼の恐ろしさをより鮮明に浮かび上がらせてしまっていた。

 その場に貼り付けられたように、動くことができない。

 

「彼が、ウィルなの……?」

 

 横から尋ねてきたカルラ先輩に、俺は絶望的な予感を覚えながら、こくりと頷いた。

 先輩たちも、彼のやばさを何となく感じ取っているのか、身体がわずかに震えている。

 俺たちが戦慄している背後で、無様な格好で倒れているトールが、喜びの声を上げるのが聞こえた。

 

「おお! 神の化身よ! この私に、救いの手を――」

「黙れ」

 

 ぴしゃりと制したのは、他でもないウィルだった。

 彼は、一目でわかるほどに不機嫌な顔をしていた。

 

「僕は今、非常に不愉快だ。なぜだかわかるか?」

 

 次の瞬間、俺の前方にいたはずの彼が――消えた。

 はっと振り返ると、彼は既に俺のいる場所を通り過ぎ。

 後ろで倒れているトールのすぐ横に立っていた。

 時間を止めたわけじゃない。辛うじて動いたという事実を感じることはできた。

 でも、動きは何も見えなかった。

 信じられないが、本当に一瞬だけで移動したのだ。何の能力も使わずに。

 ウィルはどうやってか、手も触れずにトールの身体を浮き上がらせた。

 空中に吊り上げた状態でそのまま止め、晒し者のような格好にする。

 地に足が付かないまま、金縛りにあったように身動きが取れないトールに、彼はドスの効いた声で言った。

 

「お前だ。お前がもっとしっかりやっていれば、僕がわざわざ出張ってくることもなかった。よくも下らないものを見せてくれたな。おい」

 

 身の毛もよだつ氷の眼が、トールのみに向けられる。

 さしものマスター・メギルも、ただただ震え上がるしかないようだった。

 その顔には、これまで見たこともないような、あからさまな恐怖の色が浮かんでいる。

 

「いいか。別に負けてもいいんだよ。だがなあ。もう少し面白いものを見せろよ」

 

 彼が睨みを強めると、トールは急に息苦しそうにし始めた。

 実際、息ができていないようだった。

 しばらく「おしおき」は続く。俺たちはそれを、ただ黙って見ていることしかできなかった。

 やがて彼が少しだけ威圧を緩めると、トールは激しく咳き込んだ。

 

「ごほっ、ごほっ……!」

「不甲斐ない様ばかり晒しやがって。お前はまさにクソの役にも立たない屑だ」

 

 さすがにこの言葉に対しては、プライドが許さなかったのだろうか。

 トールはわなわなと身を震わせて、憤慨した。

 

「なっ……! この私を――」

 

 トールが言い終わる前に、ウィルは再び威圧を強めて彼の言葉を遮る。

 そして真顔で、恐ろしいことを告げたのだった。

 

「圧死。窒息死。身体をバラバラに引き裂かれて死亡。好きな死に方を五秒以内に選べ」

「は?」

 

 あまりの唐突さに一瞬呑み込めなかったのか、トールは呆気に取られていた。

 ウィルは顔色一つ変えないまま、無慈悲なカウントを始める。

 

「5、4、3、2……」

 

 ようやく言葉の意味するところを理解したトールの顔が、みるみるうちに青ざめていく。

 

「待て! 待ってくれ!」

「時間だ」

「ひ、ひいっ!」

 

 トールは必死に逃げようと、懸命に手足をばたばたしたが、ただ空しく宙を仰ぐばかりだった。

 彼の左手の指が、小指から順番に一本ずつ引き千切れていく。

 

「いぎぃいいい!」

 

 今度は、足のつま先から肩までにかけて、血肉がぶちりぶちりと毟られていく。

 徹底的にいたぶるように、少しずつそれは行われていった。

 目を覆いたくなるような、あまりにむごい処刑だった。

 

「あぎゃああああ!」

 

 声にならない悲鳴を上げ、のた打ち回ることすらも許されず、ひたすら宙でもがき苦しむトール。

 憎むべき敵とはいえ、さすがにもう見ていられなかった。

 俺は恐怖に震える身を押して、やっとのことで声を張り上げた。

 

「やめろ! ウィル!」

 

 ウィルはちらとこちらへ振り向くと、ほんのわずかだけ、だが確かに笑った。

 次の瞬間、トールの眼球が弾け飛ぶ。

 それが最期の合図だった。

 身体の内側から弾けるようにして、彼のすべては一瞬にして飛び散った。

 びちゃびちゃと、彼だったものの肉片が地面に撒き散らされる。

 あまりの凄惨さとおぞましさに、吐き気を催すほどの光景だった。

 もはや物言わぬ肉の細切れとなり果てた彼に、何の感情も見受けられない冷たい眼差しを向けて。

 そしてウィルはこちらへと向き直った。

 

「さて」

 

 その場に凍り付いたように固まったまま、言葉を失い震える俺たち三人を視界に捉えて。

 彼は事もなげに自己紹介を始めた。

 

「そこの二人ははじめまして。こいつから名前だけは聞いていると思うが、僕がウィルだ。そして――」

 

 また、彼が消えた。

 ほんの一瞬で、俺のすぐ背後に回り込んでいた。

 同時に、身体に電流が流れるような感覚が走る。

 気付いたときには、私は女に「されていた」。

 女になって背が縮んだ私よりも、少し背の高くなった彼は。

 後ろから肩に腕を回して、強引に引き寄せてきた。

 振り払いたいほど嫌だったが、身体は石像になったかのように動いてくれない。

 本能がわかっているのだ。下手に逆らわない方が身のためだと。

 

「こいつは、僕のおもちゃのユウだ」

 

 それでも、この言葉には我慢ならなかった。

 振り向いて、彼をぎろりと睨み付ける。

 お前にいいようにされて、すべてを差し出そうなんて。もう二度と思うものか。

 精一杯の抵抗だった。

 そんな私の内心を見透かすかのように、彼は挑発的な態度でさらに顔を寄せてくる。

 

「相変わらずの良い目だな。そんな目をしてる奴は――叩き潰したくなる」

 

 彼の瞳に宿る闇が、さらに濃く鋭くなったような錯覚を覚えた。

 ほんの一睨みされるだけで、あらゆる生きとし生ける者が、己の尊厳の一切を投げ出してしまうだろう。

 そう思わせるほどの恐ろしい眼光が、私を容赦なく突き刺してくる。

 ますますいっそうの恐怖が込み上げて、ささやかな抵抗心すら折れてしまいそうになる。

 震える私を見て満足したらしい彼は、一旦私から視線を外し、先輩たちに向けた。

 

「まあいい。それでだ。そこの二人には、少し黙っていてもらおうか。僕はこいつと話があるんでね。もちろん一言でも喋れば、殺す」

 

 普段ならば、生意気な相手ほどずかずかと物を申すタイプなのに。

 カルラ先輩もケティ先輩も、この場限りにおいては、ヘビに睨まれたカエルのようになっていた。

 だがそれが最善だった。

 先輩たちの反応にとりあえず合格点を与えたらしい彼は、彼女たちには何もしなかった。

 後ろから耳元で囁くように話しかけてくる。まるで世間話でもするかのような口ぶりで。

 

「どうだユウ。もう異世界には慣れたか」

「……まあまあね」

 

 辛うじて搾り出した声は、情けないほど弱々しく震えていた。

 

「そうか。何しろお前にとっては、記念すべき最初の異世界だ。剣と魔法の世界なんてお誂え向きだろうと思って、わざわざ選んで飛ばしてやったんだぞ。感謝しろよ」

 

 天地がひっくり返るような衝撃だった。

 

「お前が、私をここにやったって言うの?」

 

 彼は何でもないことのように頷く。

 

「お前の行き先に【干渉】することなど、わけはないさ。おかしいと思わなかったのか? 世界はまさに星の数ほどある。そうそう都合良く僕が関わった世界に行けるわけがないだろう?」

 

 はっとした。言われてみればそうだ。

 そんな当たり前のことに、どうして気付けなかったんだ。

 じゃあ最初からずっと、私はこいつの掌の上だったっていうのか!?

 驚愕する私をよそに、彼は幾分楽しそうに次の「予定」を立て始めた。

 

「次はどこに飛ばしてやろうか。まあ今回はサービスだったからな。もっと厳しいところにするか。ここからなら――暗闇の星『ポリウス』。凍結世界『キューベルサ』。この辺りが直で送れて、面白そうだ。何なら手間はかかるが、戦乱の世界『アウスランダー』でもいいぞ」

 

 まるで私の都合など考えない、一方的な提示だった。

 こいつのことだ。どの世界を選んだところで、きっとろくなことがない。

 

「全部嫌だと言ったら?」

「お前に選択肢があると思うのか」

 

 有無を言わさぬ圧倒的な威圧に、私はそれ以上の反論を喉の奥に詰まらされてしまった。

 そんな私を一瞥すると、彼はやっと私の肩から手を離してくれた。

 

「まあその話は、今は置いておくとしよう――」

 

 前に回り込んで、話題を変える。

 

「ところで、僕が用意したものは楽しんでくれたか」

 

 こいつが用意したもの?

 意外な質問だった。

 心当たりがなかった私は、きょとんと尋ね返す。

 

「何のこと……?」

 

 すると彼は、まるで外見相応の少年であるかのような、裏のない得意顔で答えた。

 

「バリアにオーブに、魔導兵にスカイチューブ。他にも色々だ。まるでゲームの仕掛けみたいだっただろう?」

「あれを全部、お前が?」

「そうだ。この国は元々、僕が創り上げたようなものさ」

 

 またも衝撃の事実だった。

 だが言われてみれば納得がいく。

 そもそも、これだけ文明が異常発達した国がたった一つだけある状態は、明らかに不自然なのだ。

 本来ならあり得ないことだと、ずっと思っていた。

 でも、異世界から技術を持ち込んで創り上げたというのなら、簡単に説明が付く。

 そうか。急に発展したものだったから、至る所が妙にちぐはぐだったのか。

 

「ゲームを盛り上げるために、わざわざ僕が用意した特製の舞台だ」

「ゲームだと!?」

「そうだ。世界を賭けたゲーム。お前が勝つか、汚い人間の欲望が勝つかのな」

 

 その言葉を聞いたとき、私の中で怒りが爆発した。

 相手があのウィルであることなど、もう関係なかった。

 

「ふざけるな! お前の下らないゲームに、一体どれだけの人たちが巻き込まれてると思ってるんだ!」

 

 許せない。暇潰しのために世界を弄びやがって!

 

 意外にも、彼は否定はしなかった。

 

「そうだな。確かに下らないお遊びだ」

「だったら、どうしてわざわざこんなことを!」

 

 彼はなぜか、その問いに一瞬だけ眉をしかめた。

 だが結局答えてはくれなかった。

 代わりに、やや憮然とした顔で言葉を続ける。

 

「だがお前の言い分は、なお僕には理解できないな」

「なんだと!」

 

 そしてこいつは、とんでもないことを言い出したのだ。

 

「なぜ、その辺の塵など気にするんだ?」

「な……!」

 

 塵だと。みんなのことを塵だと!

 あまりの言いように言葉を失った私の肩を、彼は痛いほど強く掴んできた。

 再び顔が迫り、凍てつくような瞳が覗き込んでくる。

 感情の見えないこの瞳が、私は何より恐ろしくて仕方がなかった。

 高ぶっていた心は一瞬で冷え切り、のっぴきならない恐怖が押し寄せてくる。

 彼は私に、諭すような口ぶりで言ってきた。

 

「いいか。僕らはフェバルだ。僕らは、世界を覆すだけの力を持っている。その辺の存在など、すべて塵に等しい。レベルが違うんだよ。指先一つで消し飛ぶようなものを、一々気にする必要がどこにある?」

 

 こいつの言葉には、一切の感情の動きも誇張も感じられなかった。

 ただ事実としてそう思っている。それも心の底から、本気で。

 彼は私から視線を外すと、至極残念そうに呟く。

 

「ああ。せっかく少しは面白いものが見られると思っていたのに。あの屑では、到底役者不足だったな」

 

 次の瞬間、彼は私の目の前から忽然と消えた。

 

「このまま終わってしまうのはつまらない。そうは思わないか?」

 

 声のした方を見上げると――。

 彼は再び、青い月を背にして浮かんでいた。

 まさか――。

 

「本来、僕の主義ではないのだが――」

 

 彼は、私が最も恐れていた言葉を告げた。

 

 

 

「この僕自身が、世界を滅ぼすとしよう」

 

 

 

「やめろ……やめてくれ……」

 

 ウィルは懇願する私を見下ろし、悪魔のような笑みを浮かべて宣言した。

 

「月を落とす」

 

 彼の背後で、闇夜に浮かぶ月が急速にその大きさを増し始めた。

 見るも恐ろしい速さで地表に迫ってくる。

 

 星全体が、震えていた。

 

「やめろおおおおおおおおおーーーーー!」

 

 無我夢中で、全力の魔法を放つ。

 

《ラファルスレイド》!

 

 特大の風刃が、彼に向かって一直線に飛んでいく。

 だがそれは、彼に当たる直前で――跡形もなく消し飛んでしまった。

 

「今、何かしたのか?」

 

 彼が一瞥した途端、身体中を燃えるような熱さが襲う。

 息が苦しくなり、胸が一気に張り裂けそうになる。

 

「うああっ!」

 

 私は立つこともままならなくなり、その場に倒れ込んだ。

 この感覚は――。

 また、私を【干渉】で弄って――。

 

「ああっ!」

 

 こんなときに、私は喘いでるのか――!

 身体に力が、入らない――!

 

「そこで眺めていろ。世界の終焉をな」

 

 月が大気圏に突入する。

 それはこの世の終わりを告げる業火の球と化して、空のすべてを覆い尽くそうとしていた。

 

 世界が、終わる。

 

 みんなが――。

 

 ちくしょう――ちくしょうっ!

 

 絶望に伏せ、目を覆ったそのとき。

 

 奇跡が起こった。

 

 今にも世界を押し潰そうと迫っていた月が――その場に押し留まっていた。

 

 月の落下が、止まった……?

 

 見上げると。

 あのウィルが、こんな顔をするのかと思うほど嫌な顔をしていた。

 

「ちっ。お前は――」

「やれやれ。ギリギリで間に合ったか」

 

 それは、聞き覚えのある懐かしい声だった。

 

 間もなく。

 私の横に屈んで、顔を覗き込んできたのは。

 金髪で、旅人みたいな変わった格好をしていて。

 あのときと、ちっとも変わらない姿で――。

 

「よう。大きくなったな。ユウ」

「レン、クス……?」

 

 彼は相変わらずの、調子の良い笑顔で鼻をさすった。

 

「おう。俺だ」



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66「サークリス防衛戦決着」

 ウィルが現れた時刻より、少し遡る。

 ラシール大平原では、サークリス防衛班と魔導巨人兵の壮絶な戦いが続いていた。

 イネアは常に先頭に立って戦っていた。

 さしもの彼女も、ライノス及びリケルガーを数百頭斬り、黒龍と戦い、さらに魔導巨人兵と、度重なる連戦でかなりの体力を消耗してしまっていた。

 それでも自分が踏ん張らねば、総崩れになってしまう。

 決死の思いから、疲労の蓄積する身体に鞭打って戦い続ける。周りを鼓舞しつつ、懸命に気剣を振るい続けた。

 だが彼女の奮闘あれども、やはり個人の力では、八十体もの巨大兵器はいかんともし難いものがあった。

 巨体から繰り出されるなぎ払いが、そして魔導砲による砲火が、仲間たちの命を容赦なく奪っていく。

 それまでの戦いで半数になっていた仲間たちが、さらに百人、二百人と倒れていった。

 イネアは炎龍と協力して、一体一体着実に倒していく。

 しかし十数体も倒した頃には、もはや気力も底を尽きかけていた。

 

 そんな折、イネアの元に、五体の巨人兵が同時に襲い掛かる。

 五体から次々と繰り出される攻撃をかわし、彼女はその内の一体の拳に飛び乗る。

 金属製の巨腕を足場にして、一気に駆け上がっていく。

 ある程度登り詰めたところでジャンプすると、その先には巨人兵の首が見えた。

 

「せいやあっ!」

 

 気剣の一撃で、その首をすっぱりと切断する。

 その瞬間、他の一体の手が、上から至近まで迫っているのが彼女には見えた。

 力任せに叩き付けるつもりか。

 避ける時間もないと判断した彼女は、しっかりと気でガードを固める。

 だが気力が底を突きかけているのか、どうにもかかりが悪い。

 巨大な手は、イネアを地面まで一気に叩き落とした。

 着地したとき、ダメージと疲労から、彼女は一瞬身体がふらついてしまう。

 その隙を狙って、もう別の一体が魔導砲を彼女に向けている。

 視界のすべてを魔素の濃緑一色に塗り潰す、無慈悲の砲撃が襲い掛かった。

 

「しまった!」

 

 絶体絶命の窮地に、さすがの彼女も死を覚悟したとき――。

 

 彼は現れた。

 黒髪短髪の大男は、彼女の前に庇うように立ち塞がる。

 その迸る猛き気力によって、凝縮された魔素の砲撃をいとも簡単にかき消してしまった。

 そして彼は、己のよく知る彼女に振り返る。

 

「本当に久しぶりだな。イネア」

 

 イネアが最も敬愛している人物。

 三百年以上前、ウィルとの戦い以来行方不明となり、もう二度と会えないと思っていた。

 その人が今、彼女の目の前にしかと立っていた。

 彼女はまるで、夢でも見ているような気分だった。

 

「師匠……。師匠、ですよね?」

 

 まだ信じられないといった様子の彼女に、彼――ジルフ・アーライズは。

 

「ああ」

 

 ふっと笑って頷くと、ぽんと彼女の頭に手を置いた。

 かつて彼女が若い頃、よくそうしてやっていたように。

 

 確かな手の温かみを感じたとき、イネアには様々な想いが込み上げた。

 懐かしさと、嬉しさと、寂しかったあのときの気持ち。

 そして――。

 

「ずっと……ずっと、会いたかったんですよ。今までどこに行ってたんですかっ……!」

 

 気付けば、彼女はジルフに力強く抱き付いていた。

 その目には、他の誰にも決して見せたことのない涙が、一杯に溜まっていた。

 

「おいおい。泣くなよ。嬢ちゃん」

 

 彼は彼女の肩を抱き、子供をあやすように優しく頭を撫でる。

 彼女は顔を上げると、すぐに袖で涙を拭って、はにかんだ笑みを師に向けた。

 

「師匠。私はもう子供じゃないですよ」

「ふっ。そうか」

 

 二人の間に、和やかな空気が流れる。

 時を超えても、二人の絆は変わらずに存在していた。

 

「積もる話もしたいところだが――残念ながら、今はそれどころじゃないな」

「ええ。さっさとこいつらを仕留めるとしましょうか」

 

 イネアにはもう、先ほどまでの危機感はなかった。

 絶対の信頼を寄せる師が味方してくれた時点で、既にこの戦いの勝利を確信していたのだ。

 ジルフは手始めに、自身の能力【気の奥義】を用いて、イネアに関わる気力の理を覆す。

 彼女に秘められた潜在能力が、一時的にだが、世界それ自身が定める限界基準を遥かに超えて引き出される。

 

「久しぶりだが、やれるか」

「もちろんです」

 

 二人でぴったりと背中合わせになる。

 イネアにとって彼の背中は、かつてともに過ごしたあのときとまったく同じように、心から頼もしかった。

 二人は同時に、それを放つ。

 その技は、元々ジルフのものがオリジナルであった。

 イネアが誰でも使えるようにと接近技にアレンジしたが、本来は。

 近距離でも遠距離でも威力を発揮する――万能技である。

 

()()()()()()

 

 師弟の気剣からそれぞれ、絶大なる剣閃が放たれる。

 気の理を覆したことにより、もはや二人の手を離れても、気は大気中に霧散することはない。

 それは一つの刃としてのまとまりを持って、通過するものすべてを斬り裂く必殺の一撃と化す。

 四十メートルは下らない巨人兵の機体は、縦に真っ二つに両断された。

 斬撃の威力はなお留まることを知らず、際限なく地を割って、地平線の彼方へと消えていった。

 

「ほう。中々じゃないか。かなり腕を上げたな」

「あれからどれだけ経ったと思ってるんですか」

「それもそうだな。よし。この調子で全部ぶった切るぞ!」

「はい!」

 

 ジルフが念じると、防衛班の生き残りたちにもそれぞれ【気の奥義】がかかった。

 剣士たちは、気力許容性限界のくびきから開放され、本来の能力の限界を超えた力を手にする。

 魔法使いたちも、自身の気による魔素吸収妨害が無効化されたことによって、魔力が飛躍的に高まった。

 イネアが声を張り上げて、全員を鼓舞する。

 

「かなり力が漲ったはずだ。このまま一気に畳み掛けるぞ!」

「「おおーーーっ!」」

 

 形勢は一気に逆転した。もう犠牲者は一人たりとも出さなかった。

 特にジルフとイネアの師弟コンビの活躍は目覚ましく、二人だけで残存する巨人兵の半数以上を仕留める大活躍をしたのであった。

 

 

 ***

 

 

 全員が勝利の喜びに酔いしれる中。

 イネアとジルフ、そして炎龍は、喧騒からやや離れた位置に移動していた。

 

『久しいな。ジルフよ』

「おお。あのときの龍か。どうだ。あれから」

『さすがにお主ほどの者はおらんよ』

「まあそうそういないだろうな」

 

 一流の戦士としての自負を持つ彼は、謙遜せずに頷いた。

 

「師匠。どうしてここへ?」

「俺がこの世界にまた来られたのは、ある協力者のおかげだ。そいつもフェバルでな」

「そうだったんですか」

 

 イネアは、その協力者なる人物に感謝した。

 その者のおかげで、またこうして師と出会えたのだから。

 そして。

 胸の内に秘めたまま、結局伝えそびれてしまっていた想いを、再び伝える機会が巡ってきたのだから。

 だが今はまだそのときではない。すべての戦いが無事終わってからだ。

 意を固める彼女に、ジルフは険しい表情で続けた。

 

「彼によると、ウィルの奴がエデルに来てるらしい」

「なっ!? ユウたちは無事なのか!?」

 

 衝撃の事実を知り、イネアは居ても立ってもいられなくなる。

 

「大丈夫だ。あっちにはその協力者が向かっている」

「ですが、奴はあまりにも危険ですよ」

 

 ウィルと直に戦ったことがある二人には、彼の恐ろしさがよくわかっていた。

 普通のフェバルが一人いたくらいでは、どうにかなる相手ではないのだ。

 

「ああ。その通りだ。俺たちもすぐに後を追うぞ」

「はい」

 

 話を聞いていた炎龍が、快く運び役を買って出た。

 

『我が乗せて行ってやろう』

「ああ。頼む」

 

 二人は炎龍に乗って、急ぎエデルへと向かう。

 イネアは、彼方に浮かぶ魔法都市を見つめた。

 それから、すぐ前に乗るジルフの背中を熱い視線で見つめた。

 どちらも三百年前と何も変わらない。

 まるであのときに時間が戻ったようだと思った。

 

 私の方は、すっかり変わってしまった。

 ――まあ、悪くない変化だがな。

 

 今まで過ごしてきた日々と、その中で築いてきた他者とのかけがえのない繋がりを想う。

 そのすべての行く末が、今ここからに懸かっているのだ。

 改めて気合を入れ直した彼女は、ぽつりと言った。

 

「リベンジ戦になりますね」

「そうなるな」

 

 この星の運命を賭けた最後の戦いは、刻一刻と近づいていた。



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67「ユウ、目覚める」

 ずっと会いたかった。

 やっと。また会えた。

 

「レンクス!」

 

 彼は心からほっとした顔を見せた。

 

「間に合ってよかった」

 

 私は胸が熱くなっていた。

 

 また、私を助けに来てくれた。

 

 ――あれ。

 

 どうして「また」なんて――。

 

 不思議に思ったとき。

 私の中で未だ眠ったままになっている彼女――。

 もう一人の「私」の記憶が、ふと流れ込んできた。

「私」として、彼とともに過ごした数々の思い出が、瞬時にして鮮明に蘇る。

 そうだった。

 下らないことで何度も呼び出されて。

 軽い口を叩き合ったり。散々迫られてはかわしたり。

 当時大きな問題を抱えていた「俺」を、一緒に何とかしようとしてくれた。

 

 ――そうだ。

 

 あの日能力が暴走したときも、レンクスは――。

 

 ようやくすべてを、思い出した。

 

 私はずっと、この「金髪の兄ちゃん」に守られていた。

 いつも助けられていたのだ。

 

 胸が一杯になる。

 

「また」、私を助けに来てくれたんだ。

 

 そのとき、ふっと身体が軽くなった。

 抜けていた力が元に戻っている。

 

【干渉】の効果が、消えた……?

 

「どうだ。立てるか」

 

 レンクスが、優しく手を差し伸べてくれた。

 動こうとすると、もう何も問題なく動くことができた。

 すぐに彼の手を取って、立ち上がる。

 

「もっと早く来てくれてもよかったのに」

 

 親密さを込め、あえて軽いノリでそう言った。

 仰々しく感謝するより、彼との付き合い方はこっちの方が合っている。

 

「ヒーローは遅れてやって来るものさ」

 

 にっと口角を上げて、キメ顔でそう言った彼は。口こそ軽いものの。

 額から頬にかけて、びっしょりと汗を掻いていた。

 ここまでよほど急いで来てくれたのだろう。

 

「よく言うよ。また助けてくれて、ありがとう」

「どういたしまして」

 

 いつの間にか地面に降りてきていたウィルは、不機嫌な顔をしていた。

 月を落として世界を滅ぼすはずだったのが、すんでのところでレンクスに阻まれてしまったのだ。

 よほど面白くないのだろう。

 

「僕の邪魔をする気か。レンクス」

 

 レンクスは、私を守るように手で制しつつ、一歩前に進み出る。

 その背中は実際のものよりも、ずっと大きくて頼もしく見えた。

 

「この戦いは、ユウの勝ちだった。それを今さら出て来てほじくり返すのは、野暮ってもんじゃないのか」

「ふん。僕がそんなことを一々気にすると思うのか」

「いつもは裏で糸引いて、遊んでる奴の言葉とは思えないな。今回に限ってどうした。お前らしくもない」

 

 レンクスの指摘に、ウィルが一瞬だけ顔をしかめたのを、私は見逃さなかった。

 だがそれがなぜなのかは、さっぱり見当も付かない。

 

「別にどうもないさ。あまりにつまらなかったから、直接出向いてやっただけだ」

「へっ。そうかよ。だがその割にはお前、妙にユウにこだわっているようだな。なぜだ?」

 

 ウィルが、私にこだわっている!? どうして。

 

 ウィルは困惑する私を少しだけ見つめてから、また視線をレンクスに戻した。

 

「大した理由なんてない。ただ何となくこいつを見てると――気に入らないんだよ」

 

 彼が鋭く目を細めると、瞳に宿る闇がさらに一段と濃くなったような気がした。

 対峙しているだけで足が竦んでしまうほどの威圧感が、ますます強まって。

 私を心の底から震え上がらせようとしてくる。

 一方で、同じプレッシャーを受けながらも、レンクスはまったく動じているようには見えなかった。

 

「なるほど。よくわかった。だがな」

 

 彼はウィルに指を突きつけて、きっぱりと宣言する。

 

「ユウはお前の好きにはさせない。俺の大切な人だからな」

 

 嬉しかった。本当に心強かった。

 つい、じーんと来てしまう。

 するとウィルは、心底愉快に大笑いし出した。

 

「大切な人だと? こんな奴が」

 

 まるで虫けらを見るような蔑んだ目で、私を見下してくる。

 

「こんな奴じゃない。ユウだ。俺はユウを愛してる」

 

 レンクスが真顔で言うのを聞いたとき、私は急に顔が熱くなった。

 

 大切な人って、そういう意味かよ!

 なんて、恥ずかしいことを……!

 

 はっと横を見ると、固唾を呑んでこちらの様子を見守っていたカルラ先輩とケティ先輩が、驚いて私の方を見つめていた。

 目が合うと余計に恥ずかしくなり、すぐに顔を背ける。

 ウィルは可笑しくて仕方がないようだった。

 こんなに毒気なく笑うこいつの姿を見たのは初めてだ。

 

「ははは! 愛しているだと! とんだ物好きもいたものだ!」

「こいつは俺の女だからな。手出すなよ」

「くっくっく――いいだろう。いずれ泣いて嫌がるのを無理矢理犯してやろうかと思っていたが、止めてやる」

「そいつはどうも」

 

 さらっと身の毛もよだつ恐ろしいことが取り止めになった。

 まあそこは安心したけど。

 それよりも私は、たまらず前に歩み出た。

 ウィルの威圧に当てられて止まっていた私の足を動かしてくれたのは、意外にも何でもないことだった。

 

「おい」

 

 横からレンクスの肩を、ちょんとつつく。

 レンクス(このバカ)はあいつへの警戒を怠らないまま、顔だけをこちらに向けた。

 

「なんだ、ユウ。せっかく今カッコよく決めてるところなんだからよ」

 

 茶化す言葉に呆れつつも、きつく突っ込まずにはいられなかった。

 これだけははっきり言っておかねばならない。みんなに誤解されてはたまったものじゃない。

 

「いつから私は、お前の女になった!」

 

 するとレンクスは、曇り一つないにこやかな笑顔で即答した。

 

「そりゃあよ。いついかなる時も、お前は俺の心の女だぜ!」

 

 はあ……。ほんとに呆れた。

 何言ってんのこいつ。本当に変わらないな、お前。

 

「相変わらずきもいね」

「相変わらず良い響きだ」

 

 彼はけなされたにも関わらず、全然気にしないで、むしろ嬉しそうにしている。

 忘れてた。こいつ。私のことなら罵倒でも何でも喜ぶド変態だった。

 異常なまでの、私に対する執着心。

 まったく。それさえなければ、もう少し気を許してあげてもいいのに。

 

 でもレンクスというのは、不思議な人だと思う。

 チート級の力を持ちながら、それを決して驕らない。

 持ち前の茶目っ気のある性格でもって、場の緊迫感をふっと和らげてくれる。

 どんな絶望的な状況にも、光を差し込んでくれる。

 本当に頼もしくて、心強くて。

 気付けば、あれほど怯えていた私の心は、すっかり上向いていて。

 こんな他愛のない突っ込みができるまでになっている。

 たとえウィルが相手であっても。

 彼がいれば何とかなるような、そんな気がしてくる。

 

「ところで、もう一人のユウは元気か?」

 

 レンクスは「私」の安否を尋ねてきた。

 きっと「私」だって、心から彼に会いたいことだろう。

 でも、「私」は……。

 

「それが……ずっと眠ったままなんだ」

「なに!? ちょっと調べさせてくれ」

 

 そう言うとすぐに、彼は私の瞳の奥をじっと覗き込んできた。

 やはりこうすれば、何かわかるのだろうか。

 

「ちっ」

 

 ウィルが不機嫌そうに舌打ちしたのが聞こえた。

 間もなく、はっと目を大きく見開いたレンクスは、激しい怒りの表情をあいつに向けた。

 

「てめえ、ウィル……! よくも、ユウを……!」

 

 こいつの怒りようから察するに、やっぱりあいつに何かされていたのだろうか。

 ウィルは激昂する彼に取り合うことなく、つまらなさそうに言った。

 

「なんだ。もう終わりか。せっかく何も知らないユウを、もっといじめてやろうかと思っていたのに」

 

 なんだと。

 あいつの散々人を舐め切った態度に、もう心の余裕を取り戻していた私は、憤りを覚えていた。

 レンクスは私に向き直ると、一転して心配そうな表情で語りかけてくる。

 

「お前、何度かあっちのユウが寝ている状態で、無理に能力使っただろ」

「うん……」

 

 一度目は、拘束から外れるために《魔力許容性限界突破》を。

 二度目は、研究所から脱出するために《転移魔法》を。

 三度目は、クラムを倒すために「二つの身体の同時使用」を。

 特に一度目と三度目は、かなり無理をした。

 クラムに時を止められたとき。

 アーガスを助けようと必死になっていた私は、気付いたんだ。

 時の止まった世界でも、『心の世界』の中まではなぜか影響を受けないことに。

 どうやら『心の世界』と現実世界では、時間の流れが違うらしい。

『心の世界』にいる限り、いくらか考える時間があった。

『心の世界』では自由に動けることを利用して、何かできないかと必死に考えた。

 この世界にあるものならば、原理上何でも利用できるというなら。

 男女二つの身体だって、例外ではないのではないかと思い至る。

 そこで試しに、二つの身体を同時に動かそうとしたら……できてしまった。

 ……かなり無理をすれば。

 他にも、『心の世界』でも気力や魔力が利用できることがわかった。

 それで、命懸けの作戦は決まった。

《アールリバイン》を現実世界で発動させて、クラムの注意を引き付ける。

 直後、やはり時間停止をかけてきた。

 現実世界では何もできない間、予め『心の世界』では、男の身体に気力強化をかけておく。

 クラムが止めを刺しに迫ってきたとき、入れ替わりの形で男の身体を表に出す。

 女の身体は、ほぼ準備された状態の《アールリバイン》ごと、『心の世界』に引っ込む。

『心の世界』でも魔法はそのまま残るから、発動させたことは決して無駄にならない。

 そして現れた男の身体が、辛うじて剣を防いでくれた。

 あとはもう一度身体をスイッチして、もう放つだけの状態になっていた《アールリバイン》を当てたのだ。

 そこまでして、さらに奴が心臓を狙うという確証のない想定までして、やっと虚を突けた。

 間違いなく実力では勝てなかった。

 

「そのせいで、今にも能力が暴走しかかってた。危ないところだったぜ」

「危なかったの?」

「ああ。待ってろ。今、起こしてやるからな」

 

 彼の手が、私の頭にそっと触れたとき――。

 

 私たちは、目覚めた。

 

 

 ***

 

 

 ここは――。

 気付けば、俺は男の肉体に収まった状態で、『心の世界』の中にいた。

 

「ユウ」

「君は――」

 

 声がして振り返ると、目の前には、もう一人の「私」の姿があった。

 彼女はもう、研究所で見たときのような、淡い光に包まれた精神体ではなかった。

 きちんと女の身体に入り込んで、確固とした肉体を持っている。

「私」は、優しく微笑んでいる。

 

「やっと。また会えたね」

「うん」

 

 長かった。

 君にもずっと会いたかった。

 

「あれから、本当に色んなことがあったんだ」

 

 話そうとした俺に、「私」はそっと目を瞑り、小さく首を横に振った。

 

「全部知ってる。私は、あなただから」

 

 確かに。言葉は不要だった。

 この場所では、むき出しになった心を隠すものは何もない。

 二人の心は繋がっていた。望めばそれだけで、すべてのことは互いに伝わる。

 俺がこの世界に流れ着いてからのこと。女として苦労しながら、大切な仲間に囲まれて過ごしてきた日々も。すべて。

「私」は、すっと左手を差し出した。

 

「これからは、ずっと一緒だよ」

「ああ。一緒だ」

 

 手を繋いだとき、俺の精神がふっと肉体を離れた。

 抜け殻になった俺の身体が、その場に取り残される。

 精神体として飛び出した俺は、そのまま「私」の中に融けるように入り込む。

「私」は俺のことを包み込むように、ぎゅっと抱きしめてくれた。

 初めて俺のことを慰めてくれた、あのときのように。

 身も心もくっついて、己のあり方が少しずつ変わっていく。

 俺は「私」と融和して、「私」の協力を受けて、女の私という存在に変化していく。

 やがて、完全に「私」と一つになった私は、そっと自らの胸に手を当てた。

 

 温かい。身も心も、「私」が満たしてくれる。

 

 

 ***

 

 

 現実世界に戻ると、優しいレンクスの声がした。

 

「どうだ。目覚めた気分は」

 

 ゆっくりと目を開けた私は、こちらの顔を心配そうに覗き込んでいた彼に、静かに答えた。

 

「本当に、目が覚めたような気分だよ」

 

 心のもやが晴れたように、すっきりとしていた。

 今までの私は、ある種の混乱状態だったのだと、はっきりわかるほどに。

「私」が眠っていたために、心の融和が上手くいっていなかったようだ。

 精神的に不安定になりやすい状態が、ずっと続いていたらしい。

 だから、必要以上に色んなことに振り回されて。

 男にも女にもなり切れない自分に、自信を持つこともできなかった。

 だけど、もう大丈夫。

 これからは「私」が一緒にいるから。

 この身体でいる限り、私は胸を張って女だと言える。女としていられる。

 

 気付けば、ほぼ空っぽになっていたはずの魔力は、全快の約半分ほどまでに回復していた。

 いや、回復したわけじゃない。

「私」が目覚めたおかげで、使える容量が二人分になったみたいだ。

 これまでよりも、基本値が二倍に上がっている。

 

「ようやく【神の器】が目覚めたか」

「やっぱり能力のこと、全部知ってたのか」

「当然だろう」

 

 ウィルは大いに呆れたように、肩をすくめてみせた。

 

「よく知っているとも。お前の本来持つべき力は、まだまだそんなものではないことも」

 

 そう言う彼の口調からは、どこか皮肉めいたものを感じる。

 彼は私の全身を忌々しげに眺め回して、いらいらした口調で続けた。

 

「にも関わらず、その屑みたいな女、自ら創り上げた紛い物にどこまでもべったりと甘えやがって。だからいつまで経っても、そんな情けない体たらくなんだ。どうしても己と向き合いたくないらしいな」

「どういうことなの!?」

 

 それは、私の内にいる「私」が言わせた台詞だった。

 

「こんなにかわいい女の子のユウを紛い物と呼ぶとは、聞き捨てならねえな」

 

 レンクスも言い方はあれだけど、一緒になって問い詰める。

 ウィルは両手を広げて、やれやれと気取ったポーズを取った。

 だが目はまったく笑っていない。

 

「何も知らない振りをして、自分だけはのうのうと過ごしている。そんなお前は、特に痛い目を見るくらいでちょうど良いということさ」

「一体何が言いたいの!? はっきり言え!」

「言っただろう。僕は――お前が嫌いなんだ」

 

 ぴしゃりと。

 有無を言わさぬ威圧を込めて、そう告げられた。

 

「で、誰が僕の相手をしてくれるんだ?」

 

 不機嫌なウィルは強引に話題を打ち切って、辺りを見回した。

 こうなればもう、何も話してはくれないだろう。

 色々知ってそうだし、どうしても気にはなるけど……仕方ない。

 すぐに気持ちを切り替えた私は、期待を込めて、先ほど啖呵を切ったレンクスの方を見た。

 あの化け物とまともに戦えるのは、こいつ以外にいない。

 だが彼の表情は浮かないものだった。

 

「ユウ。悪いが、しばらくあいつとは戦えない」

「え……」

「月を元の位置まで押し戻さなくちゃならないんだよ」

 

 あ、そうか。そんな大事な仕事があるんだった!

 

 既に重力圏に達しているから、少しでもほったらかしにすれば落ちてしまうのだと、レンクスは語る。

 

「月を押し上げるには、【反逆】を全開にする必要がある。残念だが、戦っている余裕がない」

「じゃあ……!」

「ああ。月を戻す作業が終わるまでは、誰か別の人があいつの相手をしなきゃならない」

 

 やっぱりそうなるよね……。

 

「心苦しいが、今それができるのはお前しかいない。すげえ無茶言ってるのは山々なんだが……何とかしばらくの間だけでいい。持ちこたえてくれないか」

 

 確かにこの状況でそれができるのは、私しかいなかった。

 カルラ先輩やケティ先輩を、あの危険極まりない破壊者と戦わせるわけにはいかない。

 私はフェバルだ。

 他のみんなと違って、最悪……死ぬことも、できる。

 

「私に、やれるかな」

 

 それでも不安が身を包む。

 何しろ相手はあのウィルだ。

 ようやく能力が目覚めたとはいえ、まだその差は歴然。

 冷静に考えて、私に何かできることがあるとは思えなかった。

 俯く私の頭に、彼は優しくぽんと手を置いて言った。

 

「もちろんできるだけの援助はするさ――中にいるユウ。聞こえてるよな」

「うん。聞こえてるよ」

 

 私の口を使って、「私」が答えた。

 

「いいか。今から【反逆】で、各種許容性の限界を解除する。お前の高い潜在能力は、一時的に開放されるはずだ」

「それって……!」

 

《魔力許容性限界突破》を使ったからわかる。恐ろしく強力なバフなのは確かだ。

 私の精神と身体が耐えられれば、だけど。

 レンクスは、そこもしっかり勘定に入れていた。

 

「お前の身体が耐えられるように、色々と補助もかけてやる。それでもかなり『心の世界』は乱れるだろう。だから暴走しないように、中でしっかり抑えててくれ。できるか?」

「もちろん。任せて」

 

「私」のきっぱりとした返事に、彼は満足したように頷いた。

 

「よし。いくぜ」

 

 すると、途端に身体中に力が漲ってきた。

 全身の隅から隅までが、急激に魔素を取り込んで、底なしのように魔力が上昇していく。

 世界が定めた人としての限界を遥かに超え、一段レベルの違う存在へと引き上げられていく。

 自分でかけたときと違って、穏やかに制御された彼オリジナルの能力は、決して私を傷付けることはなかった。

 やがて、本来のキャパシティの数百倍はあろうかという、凄まじい量の魔素が私の全身を満たしていた。

 まるで自分の身体じゃないみたいだ。

 羽のように軽く感じられる。信じられないような力に満ち溢れている。

 

「それじゃあ、頼んだぜ」

 

 それだけ言うと、レンクスは空に手をかざし、意識を集中し始めた。

 動きを止めていた月が、徐々に地表から離れ始める。

 

 私は意を決すると、前に歩み出た。

 ウィルと対峙する。

 彼は、意外だと言いたげな顔をした。

 

「ほう。お前がこの僕に立ち向かうつもりか。ユウ」

「そうだ」

「多少力は得たらしいが、その程度でどうにかなると思っているわけじゃあるまいな」

「別に思ってはいないよ。それでも、お前だけには負けるわけにいかないから」

 

 こいつはあくまで、暇潰しや遊びのつもりでここにいる。

 もしかしたらそうじゃないのかもしれないけど、今の私にはわからないことだ。

 とにかく。

 こいつがもっと早くその気になっていれば、とっくに世界は消えてなくなっていただろう。

 腹が立つし悔しいが、それが現実だ。

 すべてがこいつの気分次第。

 だがどうであれ、ここで負ければ世界が終わってしまう。

 そうはさせない。

 みんなを守るために。

 私は戦う。

 どんなに相手が強くても恐ろしくても、諦めるわけにはいかない。

 たとえそれが、あのウィルだって。

 

 ――「私」もいるんだ。

 

 今こそ乗り越えてみせる。こいつに植え付けられた恐怖を。

 今こそ。こいつから逃げ続けてきた自分自身に、打ち勝ってみせる!

 

 闘志を燃やす私を見たウィルの目は、ほんの少しだけ興味の光を宿したように見えた。

 

「面白い。この僕に一発でもまともに当てられたら、お前の勝ちにしてやってもいいぞ」

「約束だよ」

「いいだろう」

 

『一緒に戦おう』

『うん』

 

「行くよ」

 

 私が構えると、ウィルも不敵な笑みを浮かべて構えた。

 

「来い。圧倒的な力の差というものを、思い知らせてやろう」



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68「剣と魔法の世界で ユウ VS ウィル」

 ウィルがその凍てつく瞳で私を見つめると、また身体が急に熱くなり始めた。

 心臓の鼓動が恐ろしい勢いで早くなる。

 

 この感覚は――まずい。

 

 また【干渉】で身体のコントロールを奪う気だ。そうなったら戦いどころじゃない。

 だが、何も抗う術がなかったさっきまでとは違う。

 私はもう一人じゃない。中にいる「私」が助けてくれる。

 

『【反逆】。【干渉】に対抗して』

 

 身体の自由を奪う【干渉】の効果を打ち消す【反逆】の使用法。

 先ほどレンクスから身に受けたことで、ラーニングしていた。

「私」がそれを使うと、たちまち胸の疼きと熱は沈静化した。

 

『大丈夫だよ。私がいる限り、もう身体は好きにさせないから』

『サンキュー。助かった』

『しっかりサポートするから、暴走は気にせず思い切りやって』

『了解』

 

 私はウィルに面と向かって言ってやった。

 

「もうそれは効かないよ」

「へえ。さすがに覚醒状態では通用しないか」

 

 これでもう好き勝手に身悶えさせられることもない。ようやくスタートラインに立つことができた。

 

「ふん。まあいいだろう。さて――始める前にこいつをかけておくか」

 

 ウィルは私に向けて手をかざすと、宣言した。

 

世界封鎖(ワールドブロッケード)

 

 その瞬間、次々と私の中で何かが閉じられていく感覚が生じた。

 何が閉じられているのかまではわからないが、とにかくそれだけは何となく肌でわかった。

 締め付けられるような嫌な感じが、全身を襲っている。

 

『急に息苦しくなってきた』

『大丈夫?』

『なんとかね』

 

 やがてその感覚が落ち着いたとき、彼はご丁寧に説明してくれた。

 

「外界からお前の『心の世界』へと向いているチャネルを、一時的に封鎖させてもらった。戦いの最中に僕から何かを取り入れて、妙な成長されてしまっては厄介なのでね」

 

 そういうことか。やはりこいつは私の能力を熟知しているようだ。

 何も学習させるつもりはないらしい。

 となると、手持ちの武器は今までこの世界で身につけてきたことすべて。

 それからレンクスの能力【反逆】と、こいつの能力である【干渉】か。

 このうち、【干渉】はおそらくまともに使えないだろう。

 私が扱うには強過ぎるというのもあるが、本質的な問題は別のところにもある。

 私の能力では、『心の世界』に取り入れたものは何でもそのまま使うことができるらしい。

 一見便利なようだが、裏を返せば、取り入れたものはそのままの形でしか使えないということでもある。

 奴から食らった【干渉】は《強制変身》の効果だけ。こんなものなど何の役にも立たない。

 こいつはおそらくそれを知った上で、私にとって要らない能力をプレゼントしてくれたわけだ。

 だけど、まったく意味がないわけでもない。

 一度食らった《強制変身》の情報は、しっかりと記憶されている。だからこそ、「私」が【反逆】を使って対抗することができた。

 それはさておき、とにかくあいつの気を惹く必要がある。少しでも時間を稼ぐために。

 あわよくば一発当ててやるつもりでやろう。

 あいつはあくまで遊びにこだわっているようだ。なら攻撃さえ当てれば、案外素直に引いてくれるかもしれない。

 彼我の圧倒的戦力差を鑑みて、そんな風に冷静に考えながらも。

 私自身の感情としては、できることならあいつを倒してやりたい気持ちで一杯だった。

 もちろん知っている。

 あいつはフェバルだから、殺したって死なないことくらい。

 お互い真の意味では死なない以上、どうしてもこの戦いは「死闘」にはなり得ないことを。

 それでも、一矢報いたいと思うのだ。

 だって悔しいじゃないか。このままいいようにやられっ放しなんて。

 

《ファルスピード》

《クロルエンス》

 

 二種類の加速魔法を同時にかける。

《クロルエンス》は何度も見たことがあるから、もう「知っていた」。

 爆発的に膨れ上がった魔力は、同じ魔法であってもレベルを数段変えてしまうらしい。

 羽のように軽くなった身体は、もはや私ではない別の何かのようにさえ思われた。

 

 魔法を使った私を見て、ウィルはにやりと悪だくみをするような笑みを浮かべた。

 

「そうだな。せっかくの魔法世界だ。趣向を凝らして、魔法対決というのはどうだ」

「拒否権は?」

「あるわけないだろう」

 

 彼は両腕を広げて、さも機嫌良く語る。

 

「この世界には、初等から超上位まで、五段階の魔法があるとされている。だが実は、もう一つ上があるのを知っているか」

 

 もう一つ上だって。そんなものがあるのか!?

 

 驚く私をよそに、彼は得意顔のまま続ける。

 

「人はそれらの魔法を恐れ、こう呼んだ――禁位魔法と」

 

《フレア》

 

 彼が直立不動の姿勢のまま、たった一言唱えると。

 途端に爆発的な勢いで、煌々と閃光を放つ猛炎――いや、もはや炎と呼べるものですらない。

 超高温のプラズマが迫ってきた。

 

《飛行魔法》!

 

 慌てて宙に飛び上がる。すんでのところで避けることができた。

 魔力の上昇に伴ってスピードが上がっていなければ、間違いなく今の一発で終わっていただろう。

 彼の撃ったそれは、通過するものすべてを一瞬にして溶かし尽くした。

 丸い民家も高層ビルも区別なく、次々と一直線上に呑み込んで、綺麗な焦土に変えていく。

 その勢いはどこまでも留まることを知らず、やがて魔法は見えない彼方まで飛び去っていった。

 恐るべき魔法の威力に肝を冷やした私だったが、すぐさま攻撃に転じる。

 アリスから見て『心の世界』では学び取っていた、雷の超上位魔法を放つ。

 

《デルバルティア》

 

 上昇した魔力は、雷撃の威力も当然遥かに向上させていた。

 絶縁体たる大気の電気抵抗によって、雷魔法は無数に枝分かれする。

 その末端の一つ一つでさえ、本物の雷の主流と比べて遜色がないほどだ。

 私単独で、あの合体魔法《デルレインス》を悠々超える威力の雷が生じている。

 彼に襲い掛からんと向かっていったそれは。

 しかしすべて、彼の目前で何もなかったかのように掻き消えてしまった。

 

【干渉】で打ち消したのか!

 

「雷魔法は、こうやって撃つんだよ」

 

《デルボルトグレス》

 

 再び直立不動のまま、彼は魔法を「唱えた」。

 無詠唱じゃない。完全に舐められている。

 ウィルの魔法はまるでレベルが違った。

 もはや現実の雷では例えようもないほど極太の雷が生じる。

 それはまるで生きている大蛇のように激しくうねりながら、次々と周囲の建物を破壊していった。

 こちらがまったく反応できないほどの凄まじい速度で動き回り、時折私のすぐ目の前を挑発するように横切るも、決して当たることはなかった。

 彼は愉しんでいるのだ。

 あえて私に力の差を見せ付けるように、魔法を使っている。

 本当に悔しかった。

 

 一方的な戦いは続く。いや、戦いと呼べるものかどうかも怪しかった。

 いかなる属性魔法を使っても、どんなに工夫を凝らしても。彼を何一つ傷付けることができない。

 返しの魔法は、すべて当てつけのように同属性の禁位魔法だった。

 それも、簡単に当ててしまえるはずなのに、わざわざ博覧会のように見せ付けるばかり。

 もがけばもがくほど、私は惨めなほどに力の差を思い知らされた。

 使う魔法も身体能力もすべて、彼の方が遥かに上なのだ。それこそ比べものにならないくらい。

 彼が少しでもその気になれば、そもそも魔法すら必要ない。

 私など、ほんの一睨みで消し飛んでしまうだろう。

 

《キルフェントライバル》

 

 ウィルがその魔法を唱えると、宙には無数の闇の刃が浮かぶ。

 一つ一つが人ほどの大きさもある氷柱状のそれらは、ざっと見ただけでも数百を超える数があった。

 

「どこまでかわせるかな」

 

 弄ぶ言葉と同時、次々と刃が襲い掛かる。

 私は持ち前の身体能力と《飛行魔法》を上手く使いながら、それらを必死に避けていく。

 ただ避けることしかできない。

 あんなもの、一発でもまともに当たればおしまいだ。

 極限の緊張が、神経をすり減らしていく。

 

「よそ見をしてはいけないな」

「なっ!」

 

 飛び上がった私の横に、彼が一瞬で回り込んでいた。

 彼が手をかざすと、凄まじい衝撃波のようなものが巻き起こる。

 私はガツンと殴られたような衝撃を受けて、瞬く間に後方へ吹っ飛んだ。

 

「きゃああっ!」

 

 目まぐるしい勢いで、高層ビルの外壁が迫る。

 

 このままでは死ぬ!

 

 咄嗟の判断で男に変身し、気力強化をかけて全力で守りに入る。

 二棟、三棟と、次々に身体がビルの壁に叩きつけられては、簡単に突き抜けていった。

 ぶつかったビルは、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。

 やがて、もういくつ目になるビルの壁に激突したところで、やっと勢いが衰えてくる。

 俺は無様に地面へと投げ出された。

 

「げほっ! ごほっ!」

 

 うずくまった俺は、真っ赤な血反吐を吐き出した。

 どうやら内臓をやられたらしい。

 

「おいおい。こんなのでへばるなよ」

 

 はっとしたときには、もう俺のすぐ真正面にウィルの影が映っていた。

 胸倉を無理矢理掴み上げられる。

 宙に吊るし上げられた俺は、胸がきつく締め付けられて、さらに息が苦しくなる。

 だが俺は――。

 この状況を、逆にチャンスだと捉えた。

 形はどうであれ、「届いた」と。

 

《センクレイズ》!

 

 完全に油断している隙を突いて、気剣による全力の一撃を叩き込む。

 威力も普段のおそらく数十倍に上がっているそれは、間違いなく必殺の一撃の名にふさわしいものだった。

 しかしそれは、相手が普通の人間ならばの話。

 

 渾身の力を込めた剣は――ぴたりと彼の肌で止まっていた。

 

 わずかな傷一つさえ、付けることなく。

 

「弱い。舐めてるのかお前」

 

 驚愕する俺に、馬鹿にするような冷たい視線が突き刺さる。

 胸倉から手が離れた瞬間、顔面を殴り飛ばされた。

 視界が、滅茶苦茶に回る。

 地面を何度もバウンドして、転げ回る。

 いつまで続いたか。

 やっと落ち着いて、よろよろと立ち上がったときには。

 

 既に彼の反応は、上空へと移動していた。

 

 せめて威勢だけで見上げると、彼は俺を試すような口ぶりで言った。

 

「さあ、止められるか。避ければ、サークリスが無事では済まないぞ」

 

《メティアム》

 

 彼が右手を天に掲げると、掌の上にほんの指先ほどの小さな火の玉が現れた。

 だがそれが小さかったのは、一瞬だけのことだった。

 シュイイイイン、と高速回転音を上げながら、それは急速に大きくなっていく。

 間もなく、激しく燃え盛る絶大な球体となって、空の視界を覆い尽くした。

 まるで小さな太陽そのものだ。

 今まで見たどんな魔法も、比にならない。まさしく天災と言うべき代物だった。 

 俺は心底ぞっとした。

 あんなものが当たれば、エデルなど簡単に溶かし貫いて、下にあるサークリスに直撃してしまうだろう。

 町中が火の海に包まれる。

 月はまだ重力圏を脱していない。レンクスは作業にかかりっきりだ。

 この場で何とかできるのは、俺だけしかいなかった。

 意を決すると、女に変身して魔法を構える。

 

 今までやろうとしても、魔力が足りなくて使えなかった魔法。

《ラファルスレイド》は、確かに威力は上がったが、刃が一本に減ってしまっていた。

 今、私は、《ラファルス》と同じ六本の「巨大な」風の刃を作り出していた。

 だけどまだダメだ。これでは全然威力が足りない。

 

【反逆】。

 さらにリミットを外し、出力を上げろ。

 

 すると再び、みるみるうちに魔力が上昇し始めた。

 代わりに身体が耐え切れず、ミシミシと全身が軋む。

 ただでさえ度重なるダメージで弱っていた内臓は悲鳴を上げ、口からはさらに血反吐がこぼれた。

 

『これ以上は危ないよ!』

『でも、こうするしかないよ』

『……そうだよね。なんとか抑えるから、終わったらすぐに解除して』

『うん。頼む』

 

 ついにウィルが、手を振り下ろす。

 エデルに影ができるほどの大きさの超高熱球が、都市の最上部からじわじわと焦がしつつ、ゆっくりと落下を始めた。

 地にいても熱いと感じてしまうほどの、凄まじい熱だ。

 限界を超えた最大級の風魔法で、それを迎え撃つ。

 威力は到底及ばないが、ある一点のことのみに集中して狙いをつける。

 

《ラファルスレムリア》!

 

 私の両手から放たれたそれは、《メティアム》に真正面からぶつかっていった。

 六本の刃が互いに協力し合い、獄炎の超大型火球を、こじ開けるように斬り裂く。

 その様を見て、私は狙いが成功したことを確信した。

 

 よし。上手くいった。

 

 直接消し飛ばすことができないなら、せめて軌道を反らす。

 その役目をどうにか果たしたところで私の魔法は力尽き、魔素に戻って消えた。

 いくつかの破片に斬り裂かれた《メティアム》は、それぞれあさっての方向へ飛び散っていく。

 これでサークリスに被害が及ぶことはないだろう。

 自分で上乗せした分の【反逆】を解除すると、すぐに激しい反動が来た。

 身体中ががくがくして、立っているのも辛いほどだった。

 

「ほう。あれを防ぐか」

 

 いつの間にか地面に降りてきていたウィルが、感心したように言ってきた。

 私は無理にでも強がって、彼に言ってやった。

 

「言ったよね。お前にだけは、負けるわけにはいかないって」

「本当に生意気だな、お前は――少しお仕置きしてやるか」

 

 彼の眼光鋭い瞳が、私を突き刺した。

 ぞくりと寒気が走る。これだけはどうしても苦手だ。

 

「そうだ。僕が作ったあの魔法は、もう体験したか」

「何のこと?」

 

 そこで彼は、衝撃の一言を告げてきたのだった。

 

 

「時間操作魔法さ」

 

 

「なに!?」

「くっくっく。わざわざ僕の名前を付けておいてやっただろう。気付かなかったのか?」

 

 確かに、言われてみれば。

《クロルウィルム》という名前だと、ミリアが言ってた。

 

 ならこいつが、あの凶悪な魔法の産みの親だっていうのか!?

 

 すると彼は、さらにとんでもないことを言い出したのだ。

 

「まああれは、ゴミでも使えるよう大幅にグレードダウンした劣化版だがな。あんなものなど、ただの余興に過ぎない」

「なんだと!?」

 

 あの恐ろしい魔法が、余興に過ぎないだって……!?

 

「オリジナルは、僕の【干渉】によるものだ」

 

 そして彼は、自身の言葉を証明する。

 衝撃の能力を発動させる。

 私にとって、本当の地獄が始まった瞬間だった。

 

 

時空の支配者(スペースタイム・ルーラー)

 

 

 ウィルは、絶望を私に告げる。

 

「今から約十分間。この世界の時空はすべて、僕の支配下に置かれる」

 

 な――。

 

 

 !

 

 

 身体が、動かない!

 

 毛先一本たりとも、ぴくりとも動かなかった。

 まさにクラムにあれを使われたときと、まったく同じ状況になっている。

 

 手始めの挨拶とばかり、ウィルは余裕たっぷりに言う。

 

「時間停止だ。どうやら【神の器】に目覚めたお前は、《アールカンバー》なしでもこの世界を認識できるようだな」

 

 くっ! 動け! 早く!

 

 必死に動こうと足掻く私に、彼は止めを刺した。

 

「ああ――もちろん、2.1秒などというつまらない時間制限はないぞ」

 

 ――目の前が、真っ暗になる。

 

 彼は動けぬ私に悠々歩み寄ると、お腹に手を据え当てた。

 

「一回」

 

 その言葉が聞こえた瞬間。

 私の腹部を、波動のような衝撃が突き抜けた。

 一瞬の激痛が走った後、むしろ次第に痛みは鈍っていく。

 

 見下ろすと――。

 

 お腹には、見たこともないほど大きな風穴が開いていた。

 明らかに致命傷だった。

 

 身体の力が、抜けていく。

 意識が、遠ざかっていく。

 

 私は、死――

 

 

 ――――――

 

 

 気が付くと、私は何もなかったかようにその場に立っていた。

 意識ははっきりしている。身体も自由に動く。

 

 ――どうして。

 私は、殺されたはずじゃなかったの?

 

「時間逆行」

 

 はっと前を見ると、相変わらず私の目の前にいたウィルが、さらりと答える。

 

「お前が死んだという事実を、なかったことにした」

「な……!? どうして、そんなことを……?」

「言っただろう」

 

 ウィルはその氷のように冷たい眼で私を見据えたまま、恐ろしく残忍な笑みを浮かべていた。

 

「圧倒的な実力の差を、思い知らせてやると」

 

 愕然とする私に、残酷な処刑宣告が下される。

 

「お前、今から――何回死ぬことになるだろうな」

 

 私は、心の底から震え上がった。

 今から始まるのは、戦いではない。

 

 一方的な殺戮だ。

 

 こいつが満足するまで、私はひたすら殺され続けて――。

 

 身体がわなわなと震える。

 全身から、嫌な汗が一気に噴き出すのを感じた。

 喉がカラカラした。

 ついさっき、身をもって死の恐ろしさを体験した私は。

 これまでどうにか押さえ込んでいた彼に対する恐怖を、もう抑え切れなくなっていた。

 

 嫌だ。嫌だ――!

 

 男に変身し、無我夢中で彼に斬りかかる。

 立ち止まっていては、彼に呑まれてしまいそうだった。

 とにかく動くことで、恐怖を振り払いたかった。

 

 彼は微動だにしない。

 そのまま気剣が、彼に当たるかと思われた矢先――。

 

 ――気付けば、俺は元の場所に戻っていた。

 

 すると、どういうことだろう。

 なぜか俺は、自分の意志によらず、勝手に前へと足を踏み出していた。

 そして、何もない場所に剣を振り下ろす。

 

 なにを、やっているんだ? 俺は!?

 

 激しく混乱する俺の真横から、嫌味な声がかかる。

 

「タイムループ。同じ状況はそのまま再現される。たとえわかっていても、お前にはどうしようもない」

 

 隙だらけで虚空に剣を振るう俺の頭に、彼の手が迫る。

 突然目の前が光ったかと思うと、俺の意識は途切れた。

 

 

 ――――――

 

 

 再び生き返った俺の前には、やはりウィルがいた。

 

「二回」

 

 彼は無表情で、淡々と死亡回数を告げる。

 

「っ……りゃああっ!」

 

 俺はただ、剣を振るうしかなかった。

 たとえそれが無駄だとわかっていても。

 

 

 !

 

 

「時間消去。消し飛ばした時間の中で、僕だけが自由に動ける」

 

 彼がそう告げる声だけが、手遅れになってから聞こえた。

 

 え――――?

 

 気が付いたとき、俺は――。

 

 真っ赤な血を、噴水のように撒き散らす――。

 

 自分の首から下を、見上げていた。

 

 生首が地面に転がる。

 

 ウィルの靴底が、顔に迫って――。

 

 

 ――――――

 

 

 はあ……っ! はあ……っ!

 

「三回」

 

 ウィルは、また無機質に死亡回数を告げる。

 俺はもう怖くて仕方がなかった。この死神よりも恐ろしい男が。

 足が震えて、動けない。

 まだ心そのものが折れたわけではなかった。

 身体に恐怖を染み込まされていた。中々動こうとさえしてくれないのだ。

 生まれたての小鹿のように心許ない足を殴って、無理にでも落ち着かせようとする。

 

 だが俺は、やはりその場から動けなかった。

 今度は、違う理由だった。

 

 おかしい。

 まるでそこに壁があるみたいだ。

 空気がぴたりと張り付いて、動けない!

 

「空間切断。切り取った部分は、異次元へ消し飛ばすことができる」

 

 次の瞬間、俺は真っ暗闇の空間へと放り出された。

 

 身体が、スパゲティのように引き伸ばされて、捩じ切れていく。

 手足がぶちぶちと引き千切れ、脳がぐちゃぐちゃに掻き回されて――。

 

 うわああああああああああああああああああああああああ!

 

 

 ――――――

 

 

 ウィルは、死亡回数を告げた。

 

「四回」

 

 う、くっ!

 

 俺は震えが止まらない身体に鞭打って、女に変身する。

 

 あの魔法なら――!

 

 すると今度は、周りの空間がいきなり縮み始めた。

 私を中心に視界が球形に歪み、ぎゅうぎゅうに押し潰されていく。

 影響の外側に立つ彼が、嘲るような説明口調で言った。

 

「空間圧縮。中にあるものは、たった一点まで圧縮される」

 

 潰れる空間に合わせて、腕が、足が、メキメキと音を立てて歪んでいく。

 想像を絶するような激しい痛みが、ありとあらゆる箇所を襲ってきた。

 

 いたいいたいいたいいたい! やめて! 助けて!

 

「ああああああああああああーーーーーーー!」

 

 最後に聞こえたのは。

 

 私の顔面が、ぐちゃぐちゃに潰れる音だった。

 

 

 ――――――

 

 

「五回」

「ひっ……」

 

 私は思わず、後ずさってしまっていた。

 

 いやだ。もういやだ。怖い。怖いよ……!

 

 そんな情けない私を見つめながら、彼は眉一つ動かすことなく、挑発的に問う。

 

「どうした。これまでの威勢は。もう終わりか」

「う……わああああああああああっ!」

 

 無理に恐怖を押して、全力を込めたその魔法を放つ。

 

《アールリバイン》!

 

 だが――。

 対時空操作に絶対的な信頼を寄せていた、この光の矢すらも――。

 彼の目の前では、ぴたりと止まってしまった。

 

「下らん。こんなものが『本物』に通用するとでも思ったのか」

 

 気付けば。

 今、私が撃ったものとほとんど同じ光の矢が――周りを無数に取り囲んでいた。

 恐ろしい予感に、気がおかしくなりそうになる私に向けて。

 彼は愉しげに死刑を宣告した。

 

「おかえしだ」

 

 

 ――――――

 

 

 私は、ただひたすら殺され続けた。

 殺されるたびに時間を巻き戻されて。何度も何度も殺された。

 何もできないまま。

 ありとあらゆる死を。ありとあらゆる痛みを。

 この身に刻まれ続けた。

 

 

 ――――――

 

 

「あ、あ……」

 

 幾度とも知れない死を繰り返したユウは。

 既に言葉を失い、目の焦点も定まっていなかった。

 

「そろそろ死に過ぎて、壊れてきたか」

 

 力なく、女の子座りをしたまま項垂れるユウ。

 そのうなじまで伸びた黒髪を掴むと、ウィルはぐいと顔を引き寄せた。

 

「いいか。所詮お前は、僕のおもちゃに過ぎない。身の程知らずの反抗心を抱くことが、どれほど愚かなことか。よくわかっただろう?」

「う、う、ぐ……」

 

 ユウは、涙を流していた。

 だがそれは、決してあのときのように彼に屈したからではなかった。

 今ユウは、はっきりと彼を睨みつけていた。

 頭などまるで回らなくても。恐怖に呑まれそうになりながらも。

 ユウは一筋の、決して折れない強い意志を残していた。

 泣くほど悔しかったのだ。何もできない自分が。

 結局は、彼にいいようにされてしまっているだけの自分が。

 

 あくまで反抗的なユウに、彼の内心は面白くなかった。

 

 そうだったな。

 こいつは、奥底に秘めた負けず嫌いだけは髄一なのだ。

 完全に心を折ることは、いくら痛めつけて殺したとて不可能だろう。

 その忌々しい事実を再確認すると。

 

「つまらん。本当に殺してしまうか」

 

 彼はユウを浮き上がらせ、最も凄惨な形で止めを刺そうとした。

 

 

 

「そこまでだ。月はとっくに戻したぜ」

 

 

 

 ウィルがその声につい反応し、振り返った一瞬の隙を突いて。

 レンクスは【反逆】を用いて、【干渉】による浮上効果を解消した。

 落下するユウを抱きかかえ、急いで彼から距離を取る。

 レンクスは、腕の中にいるユウに優しく声をかけた。

 

「遅れて本当にすまなかった。よく頑張ったな。あとは任せとけ」

 

 頼れる助っ人の登場に安心したユウは、まだ声を出せる精神状態ではないながらも、小さく頷いた。

 そして助っ人は、彼だけではなかった。

 そこには、ジルフの【気の奥義】とレンクスの【反逆】の重ねがけによって、大幅に強化されたみんながいた。

 

 アリスが小さな胸を張って、彼に指を突きつけた。

 

「今度はあたしたちが相手よ!」

 

 ミリアはいつものじと目よりも、ずっと鋭くウィルを睨み付ける。

 

「あなたが私の大事なユウをいじめるウィルですか。許しません」

 

 ジルフに腕をくっつけてもらい、すっかり全快となったアーガスは、不敵な笑みを浮かべた。

 

「お前がすべての元凶だってな。ぶっ倒す」

 

 ジルフはかつて破れた仇敵に、並々ならぬ思いで気剣の刃先を向ける。

 

「この世界は色々と大切な思い出があるのでな。これ以上好きにはさせんぞ」

 

 その横でイネアもまた気剣を構え、静かな怒りを見せた。

 

「あのときのリベンジを果たしに来たぞ。よくも私の可愛い弟子に手を出してくれたな……!」

 

 ディリートは控えめに気剣を構え、しかしその目は鷹のように力強く敵を見据えていた。

 

「微力ながら、私も助太刀させていただこう」

 

 彼の恐ろしさを目の当たりにして、最初は震えて動けなかったカルラとケティも、今は闘志に満ちた目をしていた。

 

「わたしたちだって、もう黙って見てないわよ!」

「きっちりツケは払ってもらうわ!」

 

「これはこれは。全員お揃いで」

 

 言葉面の余裕は見せながら、ウィルはその光景に苛立ちを感じていた。

 彼にとって、こういう下らない結束は、最も嫌忌するものの一つだからだ。

 

「お前たち。全員でかかれば何とかなるとか、そんな甘い考えでも持っているんじゃないだろうな」

 

 この世界に生きとし生ける者たちを代表して。

 アリスは一歩進み出ると、これまで抱えていた思いの丈を彼にぶつけた。

 

「あたしたちだってね。みんな必死に生きてるのよ! それをあんたの勝手で踏み潰そうなんて、絶対させないんだから! 世界を舐めんな! 人間を舐めんなっての!」

「ふん……。雑魚がどれだけ集まったところで、何の価値もない」

 

 そのときウィルは。

 初めて明確に、彼らに対して人並みの感情を見せた。

 

「粋がるなよ。僕はそういうのが、大嫌いなんだ!」

 

 

 ***

 

 

 戦っているみんなの心が、流れ込んでくる。想いが伝わってくる。

『心の世界』が、みんなの心で満たされていく。みんなとの思い出で満たされていく。

『心の世界』は今、満天の星空のような輝きに満ちていた。

 かつてないほど凄まじい力に、満ち溢れていた。

 

 ――そうか。そうだったのか。

 

 俺(私)の能力の本質は、まさしく心なんだ。

 思い出がそのまま、ここでの力に変わる。みんなの心が力に変わる。

 より情報が繋がれば。より心が繋がれば。それだけ大きな力になる。

 だからこそ、俺(私)はどちらの性でもあることを選択した。

 男として。女として。

 より誰とでも繋がることができるように。より誰をも受け入れることができるように。

 俺(私)は、二つの身体を持った。

 あらゆるものを受け入れる――【神の器】となるために。

 それがこの能力にとって最善であることを、俺(私)は知っていた。

 

 みんなが苦戦している。このままではやられてしまう。

 俺(私)が本当にフェバルだというのなら。

 この世の条理を覆す力があるというのなら。

 たった一度だけでいい。

 あいつを止めるだけの力を。運命を覆す力を。

 みんなの心が、力になる。すべての力を解き放ってくれる。

 

 俺(私)のすべては今――一つになる。

 

 

 ***

 

 

「なんだ。その姿は……?」

 

 たった一人で、全員を相手に優勢に戦っていたウィルは。

 ここに来て、初めて心の底から驚いていた。

 ユウの能力に、まさか自分も知らないことがあるとは思わなかったからだ。

 あれは自分の知っている、本来のユウが持つ能力の深奥ではない。

 しかし別の形ではあるが、それに匹敵するほどのものを、ウィルは確かに感じ取っていた。

 

 突如ふらりと立ち上がったユウには、明らかな異変が起こっていた。

 

 ユウの全身は、淡く白い光に包まれていた。

 それは、『心の世界』における精神体が放つ光と、まったく同質のものだった。

 背のほどはちょうど男と女の中間であり、顔つきは男のようにも女のようにも見える。

 元々可愛らしい顔をしている分だけ、女寄りだろうか。

 胸の膨らみは、女の身体のそれよりも幾分小ぶりであり、滑らかな髪の長さも女のそれよりは少し短い。

 女のように滑らかな肌を持つ華奢な身体の中に、男らしい力強さが感じられて。

 完全とも言うべき、調和の取れた肉体バランスを備えていた。

 

 なるほど。素晴らしい力だ。

 

 ウィルはだが、喜びと落胆の入り混じった奇妙な感情を抱いていた。

 だが。違う。これ(・・)ではない。

 やはりただ、強いだけだ。

 そこに理性の光はなく。【器】を用いる人の意志が感じられない。

 ただ想いの集合体によってのみ動く、ほとんど自動的な存在。

 

「…………」

 

 ユウは物言わぬまま、力強い目でウィルを見据えると。

《ファルスピード》《クロルエンス》《身体能力強化》を「同時に」かけた。

 そして左手から、眩いばかりの黄色い光を放つ――特殊な気剣を放出する。

 

《光の気剣》。

 

 絶大な魔力と気力を兼ね備えた、凄まじい力を誇る属性付与気剣だった。

 

 次の瞬間、ユウは消えた。

 

 ただ三人。

 レンクスとジルフ、そして剣を向けられたウィルだけが、その姿を辛うじて捉えていた。

 それは、今この瞬間だけは、ユウが三人のレベルに到達していることを意味していた。

 

「なに!?」

 

 ウィルは驚愕した。その動きにではない。

 

「お前、一体何をした……!?」

 

【干渉】が一切効かなかった。

時空の支配者(スペースタイム・ルーラー)》を再び発動させたのにも関わらず、まったく効果がないのだ。

 こんなことは、彼にとっても初めてだった。

 

「ちいっ!」

 

 奇しくも、彼が創り出したのもまた《光の気剣》であった。

 このとき。彼はこの世界で初めて、自分から本気で動いた。

 それほどまでに、彼は焦っていた。

 なぜなら。

 今彼の目前に迫る剣を、まともに食らったならば――。

 彼ですらも、おそらく断ち斬られてしまうからだ。

 

 二つの剣が、激しくぶつかり合う。

 

 大気が揺らぐほどの衝撃とともに、火花を散らす両者の剣は。

 

 互角――かと思われた。

 

 ウィルは、驚きで目を見開いていた。

 

 ユウの想いが届いたのか。

 紙一枚の差で、彼の防御が間に合わなかったのか――。

 

 ウィルの頬には、一筋の傷が付いていた。

 

 そこから、彼の血が流れる。

 この世界における――初めての負傷だった。

 

 ユウはそれを見て、ふっと微笑むと。

 意識を失って、その場に崩れ落ちた。

 身体を包んでいた光も消え失せて、変化前の女の姿に戻る。

 

 ウィルは呆然としたまま、空を見上げた。

 

「この僕が、負けた……」

 

 ほんの少しの傷に過ぎなかった。

 だがそれは、彼にとっては立派な敗北を意味していた。

 彼には、ユウと交わした約束を反故にする気はなかった。

 

「くくく……」

 

 彼は俯き、肩を震わせる。

 

「はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」

 

 彼は笑った。狂ったように笑い続けた。

 こんなに笑ったのは、いつ以来のことだろうか。

 ともかく。想定していた形とは違うが、こいつは一応示したのだ。

 自らの可能性と、力を。

 その「ふざけた能力」のままで!

 

「ユウ。僕に勝った褒美だ。この世界は、お前にくれてやる」

 

 彼は満足していた。もう世界などどうでもよかった。

 気分を良くした彼は、もう一つプレゼントを贈る。

 

「それから、お前にはしばらく自由を与えよう。精々異世界旅行を楽しむといい――次は、こうはいかないからな」

 

 それから、油断なく警戒していたレンクスに向かって、彼は言った。

 

「レンクス」

「なんだ」

「エデルの後処理は任せたぞ」

「そんなことか。言われなくてもやるっての。さっさと消えろ」

「……ふん。一つだけ言っておく。あまりユウを甘やかすなよ」

「どういうことだ」

 

 ウィルは、その場では答えなかった。

 最後に。

 傷だらけの全員に向き直り、彼は演者らしく手を振って別れを告げた。

 

「では。ごきげんよう」

 

 彼は一切の躊躇いなく、自らの頭と心臓をその手で消し飛ばした。

 物言わぬ屍となった彼は、薄れるようにして消え去っていく。

 彼にとっては死ぬことなど、もはや息をするに等しかった。

 

 こうしてすべての決着はついた。

 多くの犠牲を払ったが、世界とサークリスは守られたのである。



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69「ユウ、フェバルとして歩み始める」

 気が付いて目を開けると、綺麗なエメラルドグリーンの空が広がっていた。

 息を吸い込むと、心地良い草の匂いが全身に染み渡る。

 身体を起こしてみれば、目の前には果てしない草原が広がっていた。

 ラシール大平原――

 

「あっ。ユウ! 気がついたのね!」

 

 アリスの呼ぶ声が聞こえて、振り返る。

 彼女の向こうには、たくさんの人たちがいた。ともにサークリスを守るために戦った人たちだった。

 テーブルが並んでいる横で料理を食らい、酒を飲み、和気藹々と語り合う姿が見えた。

 

「あなた、丸二日も眠ってたのよ」

「二日も?」

 

 駆け寄ってきたアリスに、驚くべきことを言われた。

 少し遅れて、ミリアもやって来る。

 

「お母様が予定を早めて、お祝いの野外パーティーを開くことにしたんです。多くの人が亡くなったけれど、こんなときこそ明るく笑い飛ばさないといけないって」

 

 言われてよく目を凝らせば、メイドのセアンヌさんの姿が見える。酒の飲めない人たちに、忙しくも楽しそうにユーフを運んでいた。

 主催席に座っていたテレリアさんは、目覚めた私の姿に気が付いて、大きく手を振ってきた。

 私も手を振り返して、それに応える。

 

「ってことは、結局何とかなったの?」

 

 最後、あいつに攻撃を当てたところまでは、何となく覚えてるんだけど……。

 その後気を失ってしまったらしい。何も知らなかった。

 

「ウィルなら、あの後帰っていったわよ。なんか勝ち逃げされたみたいでむかつくけどねー」

 

 アリスがむすっとした顔をすると、ミリアも同調した。

 

「ほんとですよ。何ですかあいつは」

 

 頬を膨らませたミリアは、しかしすぐに表情を戻すと私に微笑みかけた。

 

「まあとにかく、もうこの世界に手を出してくることはないと思いますよ」

 

 ――もうこの世界に手を出してくることはない。

 

 その言葉を聞いたとき、やっと重い肩の荷が下りたような気がした。

 

 そっか。私、みんなを守れたんだ。

 

 ほっとした様子が伝わったのだろう。

 二人は頬を緩めて、温かい目で言ってくれた。

 

「お疲れ様。今まで、本当にありがとう」

「ユウがいなかったら。私たちみんな、死んでいたかもしれません」

「ううん。みんなの力だよ。みんなのおかげだよ」

 

 私だけじゃどうにもならなかった。

 みんなで力を合わせたからこそ、守り切ることができたんだ。

 

「ま、それもそうよね。あたしたちみんなの力で、もぎ取った勝利よ!」

 

 高らかに胸を張るアリスの横で、ミリアは座る私の手を取る。

 

「行きましょう。みんな、待ってます」

「あ、ずるい! それいつもは、あたしの役割じゃない!」

「ふふ。そんなこと誰が決めたんですか」

 

 私は微笑み返すと、二人に手を引かれるまま立ち上がり、パーティー会場の真ん中へと向かった。

 そこでは、大勢の人たちに労いと感謝の言葉を贈られた。

 みんな傷だらけだったけど、本当に楽しそうだった。報われたような気分だった。

 

 ずっと何も食べてなくてお腹がぺこぺこだった私は、早速料理をいただくことにした。

 まず目の前にあった大きな骨付き肉を手に取ってかぶりつこうとしたが、その前に周りを見て手が止まる。

 もう少し上品に食べないと、はしたないよね。

 肉を切るためのナイフとフォークを探すことにする。

 歩き回っていると、偶然アーガスと鉢合った。

 彼の右腕はもうすっかりくっついて、元通りの状態だった。

 彼がウィルと戦っているところをぼんやり眺めていたから、何となく治っていたのはわかってたけど。

 こうして改めて目の前で見るとほっとする。本当によかった。

 

「ユウ。起きたのか」

「うん。もうばっちり」

 

 色々と無理をしたけれど、特に後遺症もなさそうだ。

 彼は私の目を見つめて、真面目な顔でお礼を言ってきた。

 

「仇討ち、最後にトドメの役をくれてありがとな。お前がいなきゃ、奴を倒せなかった」

 

 それに対する私の返答は、決まっていた。

 ずっと自分を押し殺して。私を助けたり、みんなを守ることを優先して戦ってくれたアーガス。

 だからこそ私は、彼に望み通り勝たせてあげたいと思ったのだ。

 でも、そんなことを言うのは野暮だから。

 

「礼なんていいよ。一緒に戦ったから勝てた。それだけ。でしょ?」

 

 そう言って微笑みかけると、彼はしばらく惚けたような顔をした。

 ややあって、ぽつりと呟く。

 

「……お前、少し雰囲気変わったか?」

「たぶん、ちょっとね」

 

「私」と一緒に、にこりと答えた。

 

 さて。やっとナイフとフォークを見つけた。

 元の場所に戻ると、食べようと思っていた肉はもうなくて。

 それに野獣のごとく豪快にかぶりつくカルラ先輩と、諌めるケティ先輩の姿があった。

 しょうがないなあ。この人たちは。

 

「カルラ先輩。ケティ先輩」

「おっ、ユウじゃない! もう元気になったの?」

 

 カルラ先輩は肉を放り出し、私に絡みながら尋ねてきた。

 仮面の女をやっていたときの暗さはまったく感じない。もうすっかり元の調子に戻ってるね。

 

「はい。この通り、ぴんぴんしてます」

「よかった。一人であんな奴と戦い出したときは、本当に気が気じゃなかったよ。よく無事だったね」

「危なかったですけどね」

 

 ケティ先輩の言葉に頷く。

 実際は数え切れないほど殺されたんだけど、あいつの気まぐれで結果的に生き返らされたから、まあ無事と言えば無事で済んだ。

 それから少し話した後、カルラ先輩がふと表情を引き締める。

 その顔は思い詰めたものというよりは、己の決心を示すように凛としたものだった。

 

「わたしね、このパーティーが終わったら自首するわ。決して許されないことをしたし、まあ死刑になるかもしれないけど――最後まで罪を償って、彼に少しでも胸を張って会いに行けるように」

 

 そう言って、ちょっと切なげな顔を見せた彼女の目をしっかり見つめて、私は微笑みかけた。

 

「わかりました。たとえどこに行ったって、カルラ先輩は私にとって大切な先輩ですよ。応援してますから。刑務所は冷えると思いますけど、お身体大事にして下さい」

「――ありがとう。あなたたちには、本当に救われたわ」

 

 途中、セアンヌさんに約束の「とびきり美味しいユーフ」を淹れてもらった。

 もちろん、アリス、ミリア、アーガス、カルラ先輩、ケティ先輩も一緒だ。

 彼女の淹れたそれは、本当にとびきり美味しかった。

 よほど品質の良い茶葉と一流の腕前が合わさらなければ、とてもではないがこの味は出まい。

 なんてつい評論家のように気取ってしまうくらい美味しかった。

 

 

 ***

 

 

 そう言えば、イネア先生はどこに行ったんだろう?

 

 お腹も一杯になった私は、先生の姿が近くに見当たらないのが、さっきから気になっていた。

 それに、レンクスの姿もない。

 気になって、探そうかと思い始める。

 男に変身すれば気で一発でわかるのだが、さすがにこの大勢の前で変身する気にはなれない。

 仕方なく女のまま、歩き回って探していると。

 ディリートさんを見かけた。

 

「ディリートさん」

「おお。ユウか。もう動けるのか」

「はい。もう大丈夫です」

 

 彼は髭をさすりながら、しみじみと言った。

 

「お互い、よくやったな」

「そうですね。ディリートさんの協力は、本当に心強かったです。ありがとうございました」

 

 剣士隊を一番に纏め上げ、オーブを真っ先に破壊し、みんなを守りながらウィルとも戦ってくれた。

 私との直接のやり取りはほとんどなかったけど、裏からこの戦いを支えてくれた功労者だ。

 私は心から感謝を述べた。

 

「私としても、この老体が役立って何よりというものよ」

 

 彼はふっふ、と特徴的な仕草で笑った。

 

「ところで、先生がどこにいるか知りませんか?」

「ふむ。先生なら、あちらの方へアーライズ氏とともに向かっていったぞ」

 

 彼は、私にとって左斜め前の方角を指差す。

 

 ジルフさんと一緒に? 師弟で何か話したいことでもあるのだろうか。

 

「わかりました。ちょっといってきます」

「うむ」

 

 ぺこりと頭を下げて、言われた方角へ歩いていくことにした。

 少し歩くと、遮る物の何もない草原の向こうに、小さな人影が二つ見えた。

 かなり遠くて、何をやっているのかまではわからない。

 

 ――よし。

 

 遠くを見通せ。

 

《アールカンバー・スコープ》

 

 望遠鏡のように、見たいものを拡大してよく見ることのできる魔法だ。

 これを使って、二人の様子を観察してみることにした。

 

 すると、ちょうどそのとき――。

 

 イネア先生が、ジルフさんに――左手の人さし指と中指を差し出していた。

 

 それは、愛の告白を示すシミングだった。

 ずっと前に間違えて、私がミリアに使ってしまって。

 そのせいで散々からかわれたから、よく覚えている。

 

 ということは――。

 

 間もなく答えは、明らかになった。

 ジルフさんは、左手のシミングで先生の指を握り返す。

 告白を受け入れた証だった。

 二人は抱き合って、熱いキスを交わす。

 先生の目からは、一筋の涙が零れていた。

 

 ――先生が泣いているところなんて、初めて見た。

 

 私は《アールカンバー・スコープ》を解除した。これ以上二人を覗くのは、気が引けたのだ。

 何となく普段の先生の口ぶりから、ジルフさんに対して、単なる師以上の想いがあるのは察していた。

 彼もフェバルである以上、またいずれこの世界を去らないといけないだろう。

 それをわかっていて、二人は――。

 

 ……本当に、愛があるのならば。

 

 私も男や女として、誰かを愛することは許されるのだろうか。

 たとえいつか去らねばならないと、わかっていたとしても。

 私にはまだわからない。だけど。

 愛するという選択をした二人のことは、心から祝福したい気分だった。

 

 どうかお幸せに。先生。

 

 

 ***

 

 

 ふと横を見ると、既に地に落ちた魔法大国エデルが見えた。

 そのふもとに佇む、小さな人影があるのに気付いた。

 再び《アールカンバー・スコープ》を使うと、エデルを見上げる特徴的な金髪の後ろ姿が映った。

 間違いない。レンクスだ。

《ファルスピード》を用いて、彼に駆け寄る。

 途中で私の接近に気付いた彼は、少し振り返ってこちらの姿を確認すると、また前を向く。

 彼のすぐ側まで行き、声をかけた。

 

「何をしてたの?」

「ん。こいつをどうやって後処理するか、考えていたんだ」

「なるほどね」

 

 未知の魔法技術と恐ろしい軍事力を備えたエデル。

 こんなものを残していては、後々まで、その力を巡って禍根を残すことになるだろう。

 ウィルによって不自然なプロセスで創り出されたそれは、どうしたって世界に歪みを生じてしまう。

 まだ早過ぎる遺産なのだ。

 

「――そうだな。地に埋めても、誰かがまた掘り起こすかもしれない。いっそのこと思い切って、宇宙まで飛ばしてしまうか」

「そうだね。それがいいよ」

「よし」

 

 彼が手をかざすと、エデルは再び浮き上がり始めた。

 今度は空で止まることなく、果てしなく上昇していく。

 見る見るうちに小さくなっていき、やがてすっかり見えなくなってしまった。

 

「ふう。一丁上がりだ」

「ほんとに何でも簡単にできるんだね。レンクスって」

 

 素直に感心してそう言うと、彼は照れながら謙遜した。

 

「別にそんなことないって」

 

 エデルがあった場所に空いた大穴を、二人で見つめる。

 当たり前だけど、そこにはもう何もなかった。

 世界を脅かすものは、もう何も。

 

 ふと気になったので、尋ねてみた。

 

「レンクスはさ、あとどのくらいいられるの?」

「俺たちは【反逆】で無理矢理ここに来てるからな。あと数日ってところだ」

「そっか」

 

 俺「たち」ってことは、ジルフさんと一緒に来たのかな。

 とすると、先生はあと数日しか彼と一緒にいられないということになる。

 三百年以上も会えなかったにしては、あまりにも短い再会だ。

 そして今度こそ、永遠の別れとなるのだろう。

 先生たちは、悲しくないのだろうか。

 そのとき、ずっと前に先生が言ってくれた言葉を思い出した。

 

『私には、お前の境遇をどうにかしてやることはできない。ただ、これだけは言える』

『いつか別れのときが来たとしても。ユウ。お前から私がいなくなるわけではない』

『お前が剣を振るとき。私が教えたこと、私がこれから教えること。その中に私はいる。他の人だってそうだ。場所は離れても、心は繋がっている』

 

 ――もしかしたら、先生は。

 最初は……自分にもそう言い聞かせて、生きてきたのかもしれない。

 それが時が経つにつれて、いつしか実感に変わっていったのだろうか。

 

 心は繋がっている、か。

 

 今ならその気持ちが、少しだけわかるような気がした。

 みんなの心の温かさと力を、あのとき確かに感じた今なら。

 

 物思いに耽る私を見て、何かを思ったのだろうか。

 茶化すようにレンクスが言ってきた。

 

「なんだ。俺ならまたいつでも会えるぜ。これからもちょくちょく会いに行ってやるからよ」

「それはどうも。でも別にお前のことを考えていたわけじゃない」

「そうか――」

 

 しばしの沈黙が流れる。

 やがて口を開いたのは、彼が先だった。

 

「それにしてもお前、本当に大きくなったよな。ユナに似て、綺麗で可愛らしくなった」

「やっぱり母さんに似てると思う?」

「おう。目元や顔つきがそっくりだぜ。なあ、また少し抱っこさせてもらってもいいか」

「なに抱っこって。私はもう小さな子供じゃないよ」

「まあまあ。いいだろ。愛してるぜ!」

 

 彼はにやにやと気持ち悪い笑みを浮かべながら、私に抱きつこうと迫ってくる。

 これはどう考えてもいかがわしい方の愛だ。

 私はそのふざけた面に、約九年ぶりとなるストレートを、懐かしさも乗せて思い切り叩き込んでやった。

 

「くっつこうとするな。変態」

「いいパンチだ。まさしくユナ級だぜ」

 

 鼻の頭を真っ赤にしながらも、嬉しそうににやけている。

 ダメだこいつ。色々と終わってる。

 

「母さんにもこういうことしてたの?」

「いや……」

 

 何を思い出したのか。

 レンクス(このアホ)は、ふるふると首を横に振る。

 

「あいつにはそんなにする勇気がなかった。なんたってあいつ、怒らせると怖えからな!」

「はは。言えてる!」

「告白だってずっとできなかったしよ」

「そうだったね。へたれ」

「うっせえ」

 

 少しだけ遠い目をしたレンクスは、また私を温かい目で見つめる。

 

「ま、その点お前は、なんだかんだ優しいからよ。欲望を素直に出しやすいというか」

「あんまり調子に乗ったら、今度は急所蹴るよ」

 

 じと目で睨みつけると、彼は楽しそうに笑って「へいへい」と頷いた。

 ほんとにもう。

 

「そうだった。お前に渡し物があるんだ」

 

 彼は思い出したようにそう言うと、懐から掌サイズの銀色の丸時計のようなものを取り出した。

 蓋には天使のような美しい翼が、左側だけ彫られている。

 

「なにそれ」

「世界計だ。この世界についてはもうどうしようもないが、次からはそいつと一緒に世界を渡れば、移動先の世界での大まかな滞在可能期間を計算して教えてくれる」

「へえ。そんな便利なものがあったんだ」

「おうよ。かなり頑丈に作ってあるから、そう滅多なことじゃ壊れないぞ」

 

 世界計か。

 聞くからに便利そうなアイテムだ。

 なんかこういうものを見ると、いよいよ私もフェバルの仲間入りかって感じがする。

 

「わざわざありがとう」

「いいぜ。ちょっと遅れたからな。それくらいのことはしてやらないと」

 

 そこで彼は、企みがありそうに笑って。

 

「ちなみに俺のとお揃いだ」

 

 自分の世界計を取り出した。

 確かにデザインがそっくりな上に、対照的だった。

 彼のは翼が右側だけ彫られている。

 

「ちょっと蓋を重ねてみてくれ。驚くから」

 

 少し嫌な予感がしつつ、言われた通り私のと彼の世界計の蓋を重ねようとしてみる。

 一対の翼が完全になるように、カチリと嵌まった。

 するとそこから、何やら術式が発動し――。

 

 それはもう、バカみたいに鮮やかなピンク色のハートマークが宙に浮かび上がった。

 

 さらに横には、わざわざ日本語で「愛するユウへ」とまで、でかでかと描き添えられている。

 誰も日本語を読める人がいないのが幸いだけど。恥ずかしいと言ったらない。

 

「どうだ。中々ロマンチックだろ」

「しね」

 

 私はにっこりと笑い返しながら、こいつの脛を蹴った。

 

 

 ***

 

 

 しばらくの間、彼との思い出や今までのことを話し合った。

 離れていた九年間を取り戻すかのように、久しぶりの会話は弾んだ。

 本当に楽しかった。

 

 やがて話題は、フェバルのことに移った。

 あのとき彼がなぜ何も教えてくれなかったのか。

 その真意を知ることになった。

 

「フェバルのことなんだがな。あえて俺はほとんど何も教えなかった。こればかりは、あらかじめ言葉で押し付けずに、自分で感じて欲しかったからだ」

 

 彼は私の目をじっと見つめて、問いかけるように尋ねてきた。

 

「どうだ。フェバルになった感想は」

 

 問われた私は、胸に手を当てて目を閉じる。

 気持ちを整理する。

 

 決して死ねないという運命を知ったとき。

 星々を永遠に流され続けるという運命を知ったとき。

 私は絶望した。そうなる前に死んでおけばよかったと思った。

 でも今は、そうは思わない。

 フェバルにならなければ、みんなとは出会えなかった。

 この力がなければ、みんなを助けることはできなかった。

「私」も存在しなかった。

 この先、辛い別れが数え切れないほどやって来るだろう。

 だけど。

 それと同じだけ素晴らしい出会いが、星の数だけあるとしたら。

 そしてみんなとの思い出は、いつまでも心の中で生き続けるのだ。

 それはとても、素敵なことじゃないだろうか。

 

 あれから、ずっと考えてきた。

 私の生きがいとすること。

 何となくわかってきたような気がする。

 それは、ここまで過ごしてきた日々の積み重ねから、ぼんやりと見えてきた。

 本当に何でもないような答え。

 

 旅を楽しむこと。

 行く先々の世界の人たちと、かけがえのない繋がりを結んでいくこと。

 この二つの身体と心の力は、きっとそのためにある。

 

 私は、世界と関わるフェバルになろう。

 人と交わるフェバルになろう。

 

 それが私の生き方。私の生きる道。

 

 私は目を開けると、彼の目をしっかりと見つめ返して答えた。

 

「悪くない――うん。悪くないかな」

「へへ。そうか――俺もそう思うぜ」

 

 レンクスは私に同意して、穏やかに微笑んだ。



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70「星屑の空に別れを」

 月日は流れ。今年も星屑祭の日がやって来た。

 まだ数々の事件の傷跡は、あまりにも大きい。

 けれど町は、来る人は減っても、例年にも劣らない賑わいを見せていた。

 去年大事件があったせいで中止を検討されていた魔闘技も、結局は住民の根強い希望で行われることになった。

 大変なときこそ沈んでいてはいけない。明るく盛り上げていかないといけないって。

 そんな住民たちの底力の強さを感じる出来事だった。

 あたしたちは、今回は魔闘技参戦はパスすることにして。

 ミリアとユウと一緒に、祭りを思いっ切り楽しんだ。

 去年以上に色んなお店や見世物を見て回って、去年以上に羽目を外して。

 本当に楽しい時間だった。

 

 ――それが、あたしたちとユウとの最後の思い出になった。

 

 

 ***

 

 

 夜。あたしたちは、また星屑の空を特等席で眺めるために、魔法学校の第一校舎の上へと登った。

 そこにはイネアさん、アーガス、ケティさん、そしてカルラさんがもういた。

 祭りの間だけは特別に自由が許されたみたい。よかった。

 やがて空にオーロラのような光がかかり、それが消えると、夜空は眩いほどの満天の星々に包まれた。

 

 やっぱり何度見ても、この光景は感動するわね。

 

 しばらくの間、輝く星空に心奪われていた。

 満足するまで眺めた後で、恒例の願い事をしようと思った。

 今年は何を願おうかしら。

 

「ねえ、ユウ。そろそろ……」

 

 さっきまで隣にいたはずのユウは、その場から忽然と姿を消していた。

 

「あれ。ユウは? ユウはどこへ行ったの?」

 

 横にいたミリアに尋ねると、彼女もわからないみたいだった。

 

「そう言えば、さっきから姿が見えませんね」

 

 あたしはひどく胸騒ぎがした。

 いつもならユウは、あたしたちから離れるとき、何か一言くらいは言ってから離れるの。

 無断でどこかへ行くときは、後ろめたいことがあるときって、相場が決まってる。

 気付けば、あたしは駆け出していた。

 屋上から階段を降りて、廊下に差し掛かったところで。

 窓から星空を見上げる、ユウの姿が目に映った。

 

 あたしは、目を疑った。

 

 ユウの身体の色が、まるで透けるように薄くなっていたの。

 

「あなた……まさか……」

 

 振り返ったユウは、とても切なげな表情を見せる。

 星明かりに照らされた顔に滑らかな黒髪が映えて、神秘的な美しさが感じられた。

 

「ずっと覚悟はしてたけど、とうとう時間が来たみたい。身体が、この世界を離れたがってる」

「そんな……」

 

 ショックだった。

 いつかは来るとわかっていたけど、こんなにも突然別れのときが来てしまうなんて。

 あたしは駆け寄っていって、ユウを力強く抱き締めた。

 まだユウがそこにいることを感じたくて。

 ユウも、あたしをしっかりと抱き締め返してくれた。

 でも近寄ってみれば、ユウはまるで蜃気楼のように、ますます儚い存在に感じられて。

 もういなくなってしまう。

 そのことが腑に落ちてしまって、悲しくなった。

 そんなあたしの顔を、優しくて力強い瞳で見つめながら、ユウはしみじみと言った。

 

「ねえ、アリス。星屑の空の願い事って、本当に叶うんだね」

「……なんて願ったの?」

「またみんなで、この星空を見られますようにって。ギリギリ叶っちゃった」

 

 ユウは今にも泣きそうな顔で、でも心から嬉しそうに微笑んだ。

 

「今年は、何を願うつもりなの?」

「内緒。だって、願い事を言うと逃げちゃうんでしょ?」

 

 そう言って、いたずらっぽく笑ったユウに、すっかり去年のことをやり返されたと思った。

 少し気分が上向いて、笑い返す。

 

「そうね。ちゃんと胸の中にしまっておいてね」

「わかった」

 

 もうすっかり薄くなって。いよいよ終わりのときが近い。

 あたしは、ユウの手をしっかり取って言った。

 

「行こう。ちゃんとみんなにお別れ言わないと、絶対後悔するよ」

「……うん」

 

 

 ***

 

 

 再び屋上に上がると、みんながあたしたちの方を向いた。

 今にも消えそうなユウの姿を認めたみんなは、すぐにこちらへ駆け寄ってきた。

 輪になって。あたしたちは、ユウの言葉を待った。

 やがてユウは、名残惜しそうに口を開いた。

 

「みんな。そろそろ行かなくちゃならなくなったんだ。いざこうして別れになると、なんて言ったらいいのか、わからないけど」

 

 一度目を瞑り、そして開けると、素敵な笑顔で言ってくれた。

 

「ありがとう。今まで本当に楽しかった。ここで過ごした日々のこと。私、忘れない。絶対に忘れない」

 

 イネアさんが、右手の人さし指と中指を差し出した。

 ユウも同じようにして、シミングを結ぶ。

 

「元気でな。ユウ。私もお前と過ごした日々のことは、一生忘れない。向こうでもしっかり剣の修行をやるんだぞ」

「はい」

 

 ユウは力強く頷いた。

 そこからは、一人一人シミングを結んでいく流れになった。

 

「オレはさよならなんて言わないぞ。いつかその宇宙というのに行って、お前に会いに向かってやるさ」

「はは。期待してる」

 

 得意な顔でにっと笑ったアーガスに、ユウは嬉しそうに微笑んだ。

 

「あなたはどこに行っても、わたしの可愛い後輩よ。気をつけてね」

「カルラ先輩こそ。気をつけて下さい」

「この馬鹿を助けてくれてありがとう。あなたと出会えて、本当によかったわ」

「ケティ先輩。カルラ先輩をしっかり支えてあげて下さいね」

「もちろん。任せて」

 

 次は、ミリアの番になった。

 

「私……すみません。胸が一杯で……」

「うん」

 

 ユウは言葉を詰まらせるミリアを優しく見つめて、彼女の言葉を待っていた。

 意を決した顔つきになったミリアは、ユウの目をしっかり見つめ返して。

 目にいっぱい涙を溜めて、切なげな笑顔を見せた。

 

「ユウ。大好きです」

「私もミリアのこと、大好きだよ」

 

 二人は、しっかりと抱き締め合った。

 

 そして。ついにあたしの番が来てしまう。

 みんなそれぞれ、思い思いのことを告げていったよね。

 

 あたしから言うことは――うん。

 

「ユウ。あたしたちは、どんなに離れてもずっと親友よ」

「――もちろん。ずっと親友だよ」

 

 ユウは、本当に嬉しそうな顔をしていた。

 その目には、きらりと光るものがあった。

 

 

 ***

 

 

 最後に、ユウは笑顔で力強く別れを告げた。

 

「行ってきます」

「「行ってらっしゃい」」

 

 全員でそう返した直後、ユウはその場から消えた。

 

 ――まるで最初から、そこには誰もいなかったかのように。

 

 後には何も残らなかった。

 

 だけど、あたしたちはちゃんと覚えてる。

 握ったこの指の感触を。

 ユウとこの世界で過ごした日々の、大切な思い出を。

 

 さようなら。ユウ。元気でね。



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エピローグ「アリスの手紙」

『月日が流れるのは早いもので、あなたがいなくなってからもう六年が過ぎました。

 あたしは今、故郷のナボックで夢だった魔法教室の先生をしています。

 魔法が大好きな子供たちに囲まれて、幸せな毎日を送っています。

 ミリアはね、なんと外交官になりました。

 得意の話術を駆使して、諸外国とバチバチやり合っているみたい。

 あんなに人見知りだったミリアが外交官って、ほんとすごいよね。

 アーガスはオズバイン家の次期当主として、家の建て直しと、一連の事件で混乱したサークリスの再建に取り組んでいます。

 彼ならきっとまた、素晴らしい剣と魔法の町にしてくれると思うわ。

 イネアさんは相変わらず、気剣術科の講師をやっています。

 でも、少し変わったところもあるのよ。

 あれからイネアさんの戦いぶりに見惚れて、気剣術を習いたいという申し出が増えたんですって。さすがイネアさんだよね。

 カルラさんは、罪を償うために刑務所で服役しています。

 最初は死刑も取り沙汰されたんだけど、サークリスを守るために戦ったことが評価されて、懲役十五年で済みました。

 なんとね。あの犬猿の仲だったアーガスが、カルラさんのために必死になって動いてくれたんだよ。

 大貴族の立場を使って、死刑だけは止めてやってくれって。裁判官に頭まで下げて。それが決め手になったの。

 今じゃあの二人、昔では考えられないくらいすっかり仲良くなっちゃってて。信じられないでしょ?

 ケティさんは、サークリスの魔法道具屋で働いています。時々カルラさんのところへ面会しに行って、相変わらず仲良くやっているみたいです。

 ところで。今度の星屑祭に、久しぶりにみんなで会うことになりました。

 今から楽しみで仕方ないの。

 ただ。あなたがいないことだけが、やっぱり寂しいです。

 ねえ、ユウ。あなたは今どこで、何をしているのかな。

 また無理をしていなければいいけど。きっと元気でやっているよね。

 書きたいことはまだまだたくさんあるけど、とりとめがなくなりそうだから止めておきます。

 でも、これだけは言わせて下さい。

 あたしたちは、どんなに離れたって、ずっとずっと親友だからね!

 大好きなユウへ アリスより』

 

 

「これでよし、と」

 

 そっと筆を置き、書き上げた手紙を丁寧に折って、一つの形にしていく。

 出来上がったのは、紙飛行機。

 あたしはそれを、空へ向けて飛ばすつもりだった。

 

 外へ出て、右手にそれを大事に持って構える。

 

 どうか、あの空の向こうまで届きますように。

 せめて手紙に込めた想いだけでも、届きますように。

 

 あなたの大好きな、風魔法に乗せて。

 

「いっけーーーーーー!」

 

 思い切り投げた紙飛行機は、風に乗って勢いよく上昇していく。

 やがて遥か空の彼方へと、吸い込まれるようにして消えていった。

 

「――うん。よく飛んだわ」

 

 あたしはそれを見届けると、そのまましばらくぼんやりと空を眺めた。

 どこまでも続くエメラルドグリーンの空は、雲一つなく晴れ渡っていた。

 

「アリスせんせい。なにしてたの?」

 

 声に振り返ると、幼い女子生徒のエイミーが、きょとんとした顔で立っている。

 あたしはしゃがみ込んで、彼女の目線に合わせて伝える。

 

「大切な人にね。想いを送ったのよ」

 

 すると彼女は、途端に目をキラキラと輝かせた。

 

「いいなー。わたしもやる! おかあさんにおくるのー!」

「素敵なことね。いいわよ。一緒にお手紙作りましょう」

「うん!」

 

 とたとたと、頼りない足取りで教室へ走っていく。

 あたしはそんな彼女を、微笑ましい気分で見つめた。

 

「よーし! ぼちぼち張り切っていこっか!」

 

 ふとまた見上げると。

 空の向こうで、誰かが微笑んでくれたような気がした。



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人工生命の星『エルンティア』
あらすじとキャラクター紹介


本章(2章)の1「ユウ、人工生命の星に降り立つ」で述べられている世界のエピソードについては、以下でお読み頂けます。本章(2章)の理解に必須ではありませんが、よろしければどうぞ。

フェバル~能力者ユウの異世界放浪記~ エピソード集
https://syosetu.org/novel/338698/


・あらすじ

 21歳となったユウが辿り着いた四番目の異世界『エルンティア』。そこでは、人と見紛うばかりの姿形をした機械人族ナトゥラが北のエルン大陸で繁栄し、不毛な南のティア大陸に暮らす人間族ヒュミテと対立していた。北の首都ディースナトゥラに降り立ったユウは、不法侵入したとして警察組織『ディークラン』にいきなり死罪を宣告される。問答無用で襲い掛かる彼らを退けていたユウの前に現れたのは、ディースナトゥラ特務隊『ディーレバッツ』の女隊長リルナ。得意の気剣も彼女にはまったく通用せず、ユウは逃げることを余儀なくされてしまう。逃走の最中で状況を打開すべく女に変身したユウ。しかし、そこでユウはある事実に気付く――ほぼ一切の魔法が使えないということに。やがてユウは、ヒュミテ解放隊『ルナトープ』と接触する。彼らの目的は、囚われた王の解放にあった。なぜナトゥラとヒュミテは対立するのか。ユウはひとまずヒュミテ側として『ルナトープ』に協力しながら、少しずつ世界の真実を探っていく。

 

・話の傾向

 いわゆる人型ロボットが登場する近未来系ファンタジーです。今回の舞台は星全体であり、都市も複数登場します。魔法はあまり登場せず、剣や銃器、そして各ナトゥラの固有機能等によるバトルが展開されます。この世界では、ユウを含めほとんどの登場キャラの通常時の強さは、そこまで人間離れしていません。あまりに高いところから落ちれば死ぬし、銃弾等がまともに当たっても死にます。そのくらいの感覚でお楽しみ下さい。

 

・今回の舞台

 人工生命の星『エルンティア』 気力許容性:やや低い 魔力許容性:非常に低い

 

【許容性の大雑把な指標】

 無制限>極めて高い>非常に高い>高い>やや高い>中程度>やや低い>低い>非常に低い>極めて低い>なし

 

【参考】

 地球 気力許容性:極めて低い 魔力許容性:なし

 惑星エラネル 気力許容性:高い 魔力許容性:非常に高い 

 

・キャラクター紹介

【フェバル】

 

星海 ユウ

性別:男/女

年齢:21~22

能力:神の器

 主人公。大人になり、それなりにしっかりするときはしっかりするようになったが、根っこの甘い部分や優しさは相変わらず。自身にとって四番目の異世界となる今回、初めて魔法がまともに使えないという状況で世界に臨むことになる。

 

レンクス・スタンフィールド

性別:男

年齢:??

能力:反逆

 ユウの親友にして、ユウを見守る立場の人物。一番の親友であり、最愛の人でもある星海 ユナが遺した子のユウのことを愛しており、気にかけている。特に、ユナを思い起こさせる女のユウへの愛は異常なほど。特殊能力【反逆】は、あらゆる世界の理を一時的に反故にしてしまうチート能力。

 

ウィル

性別:男

年齢:??

能力:干渉

 未だ底が知れない恐ろしい人物。特殊能力【干渉】は、あらゆるものに干渉し、意のままに操るチート能力。惑星エラネルに現れて、当時十七歳のユウと交戦。ユウにしばらくの自由を与えると言い残して、消える。

 

【ナトゥラ】

 主に北のエルン大陸に暮らす機械人族。エルン大陸は比較的肥沃な土地であり、ナトゥラはそこに独自の機械社会を作って繁栄を謳歌している。

 

[ディーレバッツ]

 ディースナトゥラ特務隊。全員が特殊機体からなる、ナトゥラきってのエリート小隊。その活動領域は、エルン大陸全土に及ぶ。侵入したヒュミテの抹殺や、特殊案件も担当している。

 

リルナ

タイプ:女

年齢:??

機能:多彩

 ディーレバッツ隊長。隊員の中でも群を抜いた圧倒的な戦闘能力を誇る。生命エネルギー・単純物理攻撃完全防御の自動展開バリア《ディートレス》を操る。他にも様々な強力な機能を備える「最強」のナトゥラ。

 

プラトー

タイプ:男

年齢:??

機能:遠距離狙撃

 ディーレバッツ副隊長。障害物を透視し遠方を見通す特殊な目と、強力なビームライフルを備えた右腕を持ち、数キロ先の地点まで正確に狙い撃つことができる。隊では主に狙撃を担当する。

 

ステアゴル

タイプ:男

年齢:??

機能:パワーアーム

 ディーレバッツ一の怪力を誇る男。物質破砕機能を持つパワーアームを備えている。隊では主に突破と近距離戦闘を担当する。

 

トラニティ

タイプ:女

年齢:??

機能:遠距離ワープ

 時空を歪めて繋ぐことで、エルン大陸各地へ他の隊員を連れてワープできる機能を持つ。この能力を用いて、瞬時に物質輸送も行うことができる。隊では主に輸送や移動を担当する。

 

ザックレイ

タイプ:男

年齢:??

機能:探査

 衛星や各地の端末とワイヤレスで繋がり、あらゆる情報に素早くアクセスすることができる機能を持つ。隊では主に探査を担当する。

 

ブリンダ

タイプ:女

年齢:??

機能:各種ガス兵器

 多彩な種類のガス兵器を使いこなす。隊では主に制圧や絡め手を担当する。

 

ジード

タイプ:男

年齢:??

機能:硬化軟化、熱線

 身体を硬化軟化させたり、口から強力な熱線を放つ機能を持つ。隊では近・中距離戦闘を担当する。

 

[その他のナトゥラ]

リュート

タイプ:男

年齢:??

「アウサーチルオンの集い」幹部。チルオンと呼ばれる子供の機体であり、見た目だけがチルオンで中身はもう大人である他の集いの構成員と違って、彼だけは正真正銘年相応の少年である。昔地下で死にかけていたところを、クディンとレミに拾われて、恩を感じている。ユウと出会ってからは、よくユウに懐いている。

 

クディン

タイプ:男

年齢:??

「アウサーチルオンの集い」のボスを務める男。容姿はチルオンの例に漏れずあどけない少年のものだが、それなりの年月を生きている。囚われたヒュミテ王の救出を画策している。

 

レミ

タイプ:女

年齢:??

 クディンの補佐役を務める、「アウサーチルオンの集い」幹部。強力なヒュミテ感知機能を備えている。人前ではきちんとしているが、素の彼女は少々口が悪い。

 

ノボッツ

タイプ:男

年齢:??

「オイル屋ノボッツ」の店主で、気の良いあんちゃん。実は、「アウサーチルオンの集い」アジトへ続く入り口の一つを守る門番の役目も務めている。

 

ガソット

タイプ:男

年齢:??

「ガソット工房」の主。少々偏屈なところはあるが、技師としての腕は超一流で、リルナたちも御用達にしている。

 

【ヒュミテ】

 主に南のティア大陸に暮らす人間族。ティア大陸は汚染大陸とも呼ばれており、大半の場所が足を踏み入れただけで命を落としてしまうような死の大地である。彼らがまともに暮らせる場所はほとんどない。種族として衰退傾向にあり、このままではやがて滅びてしまうと予測されている。

 

[ルナトープ]

 ヒュミテ解放隊。囚われた王を救出し、無事ティア大陸の首都ルオンヒュミテに連れ戻すことを目的とする。

 

ウィリアム・マッケリー

性別:男

年齢:31

 ルナトープ隊長。年下ばかりの連中を一手に取りまとめている。隊員からの信頼も厚い。

 

ラスラ・エイトホーク

性別:女

年齢:21

 ルナトープ副隊長。若干二十一歳ながら、歴戦を生き延びてきた女戦士。

 

ロレンツ・リケイズ

性別:男

年齢:22

 隊のムードメーカー。少々お調子者なところはあるが、やるときはきちんとやる男。

 

ネルソン・グラフォード

性別:男

年齢:24

 隊員。寡黙ながらも、隊長ウィリアムや副隊長ラスラをしっかりサポートする。

 

アスティ・トゥハート

性別:女

年齢:19

 唯一の十代隊員。最年少ながらも、天性の戦闘スキルを持つ。根が明るい性格であり、ロレンツとともに隊のムードメーカー。

 

デビッド・ルウェン

性別:男

年齢:22

 隊員。同い年のロレンツとは親友同士であり、ちょっとした諌め役でもある。

 

マイナ・スペンサー

性別:女

年齢:27

 隊員。女性の中では最年長であり、頼れる姉さん的存在。

 

[その他のヒュミテ]

 

テオルグント・ルナ・トゥリオーム

性別:男

年齢:26

 囚われしヒュミテの王。ルオンヒュミテの民からはテオと呼ばれ、親しまれている。不毛なティア大陸に追いやられ、ナトゥラに虐げられ続けてきたヒュミテの自由と尊厳をかけた戦いを続けていた。ヒュミテ最後の希望と言われている。

 

・基本設定・用語

【フェバル】

 星(世界)を渡る性質を持つ者たち。各人固有の強力な特殊能力を持ち、その力は世界の条理を覆すとまで言われる。

 決して老いることも成長することもない身体と、不死の性質(死なないということではなく、死んでも次の世界に移動してそこで何事もなく蘇る性質のこと)・修復の性質(身体欠損や精神の異常が世界を渡るときに自動的に修復される性質)、言語自動変換・自動翻訳能力を持つ。

 彼らが世界を渡るのは、その世界に居られるタイムリミットが来たときか、その前に死んだとき、あるいは何らかの手段によって自力で世界を移動したときである。

 彼らが世界を渡るとき、真っ暗な空間に所々淡く白いものが光る星の海のような、だが宇宙空間とも違う不思議な場所を流されていく。

 この不思議な空間は星々を網の目のように繋いでいて、これが活動することによってフェバルは世界を流される。彼らはこの星の海のような場所のことを星脈と呼んでいる。

 フェバルは何か大きな存在に運命を支配されていると感じている者もおり、同じ星脈という言葉を使ってその何か大きな存在を表すことも多い。

 

【気力・魔力】

 気力とは自己の内部要素を外界に取り出して利用することのできる能力、魔力とは外界の要素を自己の内に取り入れて利用することのできる能力を指す。

 二つの力のベクトルは互いに逆で反発し合うため、一方が強ければもう一方は弱まってしまう。

 したがって、気も魔法も扱いに長ける人間は、通常存在しない。

 魔力は距離に関係なく使用することができる。

 一方、気力は大気中に放つとすぐに霧散してしまうという性質を持っているため、原則として使用者の身体と繋がっているか離れていてもごく近い近距離での使用しかできない。

 一応物に気を纏わせることもできるが、あくまで気休め程度である。

 その代わり、気では身体能力強化と回復を手軽に行うことができる。

 魔法でこれらに相当するものは、直接には存在しない。

 

【許容性】

 各世界には独自の理があり、それに従って世界は安定状態を保とうとする性質がある。

 理は世界の安定を保つためにあらゆることに制限を定める。

 その制限の範囲内で、世界すべての存在は自由を許されている。

 この世界が許す度合いのことを許容性という。

 許容性によって各種能力は制限される。代表的なものは以下の二つ。

 

 気力許容性

 世界が定める気力の限界値の基準のこと。これが高ければ本人の資質に応じて自在に気を利用することができ、低ければ本人の資質いかんに関わらずほとんど気を扱うことができない。

 

 魔力許容性

 魔力に関する気力許容性に相当する性質のこと。

 

【ユウの能力】

 名称は【神の器】。

 男にも女にも、いつでも瞬時に変身することができる能力。

 男の身体は強い気力を、女の身体は強い魔力を持っている。

 男のユウは気力を生かして気剣術で戦い、女のユウは魔力を生かして魔法で戦うのが基本スタイル。

 実は変身能力は、真の能力のごく一部の機能に過ぎない。

 ユウは宇宙のように果てしなく広い『心の世界』という独自の世界を持っており、そこと現実世界を自由に行き来することができる。

『心の世界』にはあらゆる経験がもれなく自動的に溜め込まれ、溜め込んだものは原理上百パーセントそのまま利用できる。

 例えば、一度でも食らった技や魔法はすべ自動で学習し、原理上そのまま使うことができる。

 また、どんな出来事であっても自動的に完全記憶される。

 ただこの能力を使って何かをするのは精神・肉体両面においてかなり負担が大きい。

 使うものがすごければすごいほど、本人へのダメージも計り知れないものになる。

 なので、普段はほとんどまともに能力を使うことはできない。

 結局はほぼ負担のない変身能力と無理のない範囲でのささやかな能力使用のみに限られているのが現状である。

 ただしこの能力は、心の状態に性能が著しく依存する。

 そのため協力者がいるなど、条件次第によっては能力の真価を発揮することも可能。

 その際は本来の限界を超えた凄まじい強さを発揮する。

『心の世界』には主人格とは別の女性人格が住んでおり、ユウはもう一人の「私」と呼んでいる。

 彼女の協力によって、女のユウは精神的にも女性でいることができる。

 元々彼女は、幼少期の苦しい経験から逃れるためのサポート役として、幼いユウに無意識に身体ごと創り出されたという経緯がある。

 変身能力は、そのときに生まれた偶然の副産物である。



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1「ユウ、人工生命の星に降り立つ」

 俺は淡く白い光があちこちにふわふわと浮かぶ星の海のような場所、星脈を流されて次の世界に向かっていた。

 サークリスを離れてから約四年。俺は21歳になっていた。

 あれから二つの世界、『ミシュラバム』と『イスキラ』という所で過ごした。

 

『ミシュラバム』では、サークリスでの戦いの日々が嘘であるかのように平和な毎日だった。

 最初は一体どんな事件が起こるのかと身構えていたけど、あまりに何も起こらないから、かえって拍子抜けしてしまうくらいだった。

 どうやらウィルがサークリスで、しばらくは自由の身だと言っていたらしいのは本当のことだったようだ。

 最初は自給自足のサバイバルのような生活をしていたが、ずっとそれではいけないと思い直し、生活の糧を得るために職を探すことにした。

 女でいたときに、偶然縁があってとあるレストランで雇ってもらえることになった。

 雑用兼ウェイトレスの仕事を始めた。

 そのレストランは個人経営で、こじんまりとはしていたが、味もレシピも超一流の人気店だった。

 そこでオーナーシェフのディアさんに気に入られて、まあ色々あって、なぜか料理修行をすることになるのだが……それはまた別の話にしよう。

 もちろん平和にかまけて腕が鈍らないようにと、時間を見つけては剣や魔法の訓練を欠かさずに行っていた。

 一年間の修行の甲斐あって、料理の腕はかなり上達した。

 世界を離れる前日の「卒業試験」で、ディアさんがまずまずの合格点をくれるくらいには。

 別れのとき、ディアさんはずっとこらえてたのに、最後は泣いてしまって。

 私も別れは笑顔でと思っていたのに、ついもらい泣きしてしまった。

 

『イスキラ』は、魔獣という魔力を持つ動物が普通の動物の代わりの位置を占める世界であり、今までの三年間をそこで過ごした。

 大型魔獣の一部は、時に人間の住む領域を脅かすこともある危険な存在だが、それ自身が貴重な素材の宝庫でもある。

 というわけで、そいつらを狩る魔獣ハンターという仕事が存在していて。

 俺は「ミシュラバム」で鈍った戦闘の勘を戻しつつ、それで生計を立てていた。

 相手は魔獣ばかりではなかった。

 俺が主にいたのはダジンという小国で、この国は両脇にある二大国の戦争に挟まれる形で戦火に包まれ、大きな被害を被っていた。

 ダジンの人たちには本当にお世話になっていたので、できる限り何とかしたいと思った。

 大規模な戦闘があるたびに、俺はダジンの人々を守るため、フリーの戦士として色々と立ち回った。

 そんなことをしていたから、この世界では対魔獣対人と、かなりの戦闘経験を積むことになった。

 特に超大型一角獣ゼグゼムや、剣豪バドランとの死闘は、未だ記憶に新しい。

 これらの戦いを経て、俺はもう一回り成長できたような気がする。

 ダジンで特に仲良くなったのは、ミックという個人発明家と、その義妹のメレットだ。

 ミックはお茶目で本当に面白い人だった。メレットはしっかり者さんで、バカな義兄をよく支えていた。

『イスキラ』を離れるとき、お土産に持っていけってことで、ミックにはウェストポーチ一杯に色んなものを持たされたよ。

 きっと彼なりの照れ隠しだったんだと思う。

 

 どちらの世界も、それ自身を脅かすような大きな脅威は何もなかった。

 こんなに何もなくていいのかと思ったけど、考えてみれば至極普通のことだ。

 当たり前の話なのだが、そもそも世界の存亡に関わるような事態に巻き込まれることの方が珍しい。

 第一、ウィルが何もしなければ、サークリスだってそこまで大変なことにはならなかったわけで。

 

 さて。今から向かう世界が、俺にとっては四番目の異世界となる。

 果たしてどんな出会いが待っているのだろうか。

 期待と不安を折り混ぜて、俺はそこへ向かっていく。

 

 目的地が近づくと、元の宇宙空間に出た。

 遥か彼方より、徐々に星が迫ってくる。鼠色の星だ。

 宇宙から眺めたその星の大気は、地表の様子がまったくわからないほどひどく濁っているのが一目でわかった。外から見る限り、どうもあまり綺麗な星ではなさそうだ。

 やがて地表がぐんと近づいたかと思うと、間もなく俺は肉体を伴って地に降り立っていた。

 

 

 ***

 

 

 すぐに辺りを見回したところ、どうやら都市の真ん中のようだった。

 足元は金属プレートのようなもので覆われており、至る所に立派な高層ビルがあった。

 全体として白銀色を基調とした明るく華々しい雰囲気で、やたらメカメカしいところといった印象を受ける。

 上を見れば、車らしきものや一人乗りのバイクのようなものなど、たくさんの乗り物がなんと当然のように宙に浮いて走っていた。

 その光景に思わず目を見張ってしまう。

 一目見ただけでも明らかだった。どうやらここは、非常に文明が進んでいるみたいだ。

 まるで未来の世界に来たかのような気分だった。

 

 ただ。

 そんな風に暢気に考えている暇はないほど、深刻な問題に直面していた。

 ここは大都市のど真ん中。当然辺りには、見渡す限りの人々がいたのだ。

 彼らは突然現れた俺という存在に、すっかり目を丸くしている。

 俺はかなり困ってしまった。どうしよう。

 今まで偶然誰もいない所ばかりに降りてきたけど、そうか。

 こんな風に、衆人の前に降り立ってしまうこともあるんだよな。

 周りからは、何も無い所にいきなり俺が現れたようにしか見えないだろう。実際そうだし。

 さあどうやってこの場を切り抜けようか。

 考えを巡らせていると、近くにいた女性が突然叫び出した。

 

「ヒュミテよ! ヒュミテが現れたわ!」

 

 ヒュミテ?

 

「ヒュミテが出たぞー!」

 

 一人の男が警戒を呼びかける声をきっかけに、彼らは蜘蛛の子を散らすように俺から離れていく。

 

 えっ。なに。なんだ?

 

 じきに俺を中心に大きな人の輪ができて、俺はその真ん中に一人だけぽつんと取り残されてしまった。

 周りの人たちは、こちらの動向を注意深く伺っているようだった。

 まるで敵でも見るかのような目で俺のことを睨む者、恐れ慄くような素振りを見せる者、野次馬気分で眺めているように思われる者。

 反応は実に様々だったが、好意的な感情は何一つ感じられない。

 もちろんそんな悪感情を向けられることに、まったくもって心当たりはない。

 

 何がどうなってる。俺が一体何をしたっていうんだ。

 

 突然のことに困惑していたそのとき。

 あちこちでサイレンが鳴り響いた。

 明らかな警戒音が、辺り一帯に轟く。

 さらには女性の声で、緊急音声までかかり始めた。

 

『ヒュミテが第三街区五番地に現れました。近隣の住民は十分に警戒して下さい。繰り返します。ヒュミテが第三――』

 

 嫌な予感しかしない。

 もしかして、相当厄介なことに巻き込まれてしまったんじゃないだろうか。

 やがて、放送とは別のサイレン音が近付いてくる。数台の車が空を走ってこちらにきた。

 俺のほぼ真上のところで、それらはぴたりと止まる。

 水平位置はそのままに、車は俺の前に急降下してくる。

 地面に着くと、一斉にドアが開き。

 黒い制服を着た人たちがわらわらと降りてきた。合わせて二十人ほどだ。

「ディークランだ!」と、人々から歓迎の声が上がる。

 彼らの中から一人だけ、身分の高そうな男が一歩進み出た。

 そして、俺に声をかけてきた。

 彼の表情は、明らかにこちらを歓迎していない。

 

「ヒュミテだな。貴様、一体どうやってこんなところまで気付かれずに入り込んだ」

 

 重みのある声からも、非常に警戒していることが伝わってくる。

 どうやら間違いない。さっきから言われているヒュミテとは、まず俺のことだろう。

 ヒュミテなんてものはもちろん知らないが、どうもそいつと勘違いされてしまっているようだ。

 とりあえず事を荒立てないように、頭を下げておこう。

 正直に異世界から来ましたなんて事情を説明しても、到底信じてもらえそうにないから、そこは黙っておこうか。

 

「すみません。悪いことをしたのなら謝ります。俺はどうすれば良いでしょうか」

 

 すると彼は、鼻で笑ってきた。

 まるで俺のことを見下し、馬鹿にするかのように。

 

「どうすれば良いも何も。決まっているだろう。ヒュミテの不法侵入は、死罪だ」

 

 まったく予想もしなかったことを言われ、俺は動揺した。

 

 死罪だって!?

 

 ちょっと待ってくれ。

 確かに不法侵入というのは、悪いことをしたのかもしれないけど。

 それって死ななければならないほどのことなのか?

 しかもさ。わかってもらえないだろうけど、これは不可抗力なんだ。

 死罪なんて冗談じゃない。

 

 彼が右手を上げると、他の人たちは一斉に銃のようなものを構えた。

 いや、銃のようなものとかじゃない。どう見ても絶対に銃だ。

 

 おいおい。マジかよ……。

 

 俺は内心焦りを感じながらも、なるべく顔には出さないようにして彼を説得にかかる。

 

「あの。まずはもう少し穏便に話し合いませんか。きっと何か不幸な勘違いが――」

「問答無用。撃て!」

 

 合図と同時。

 一斉に銃声が鳴り、いくつもの銃弾が発射された。

 

「うわっ!」

 

 本当に撃ってきた!

 

 慌ててそれを回避する。

 普通なら銃弾なんて、かわすどころか見えもしないが、今は男でよかった。

 気によって身体能力を強化した状態なら、銃弾の軌道を見切ることは可能だ。

 だが、どうしてだろう。

 今までならこんなものなんて、余裕で回避できていたはずなのに。

 俺は今、かなりギリギリだった。

 なぜか《身体能力強化》のかかりが悪い。動きのキレが妙に悪いのだ。

 普段の二割くらいしか、力を出せていないような気がする。

 下手するとこんな銃弾程度でも、まともに当たれば身体を貫いて死んでしまうかもしれない。

 

「なぜだ! なぜ当たらない!」

 

 指示をした男は、なぜ俺が銃弾を避けられるのか不思議でならないようだった。

 確かに地球でこんな奴がいたら、俺も驚くよ。母さんかよって。

 あの人(って自分の母親に言うことじゃないけど)、素で銃弾避けてたらしいし。

 彼にしてみれば、そんな感覚なのかもしれない。

 

「撃て! もっとだ!」

 

 彼が周りの人たちに喝を入れると、ますます攻撃が激しくなった。

 段々避けるだけで手一杯になっていく。

 ついに頬のすぐ横を銃弾が掠めていった。このままでは当たるのも時間の問題だ。

 

 こんなわけもわからないまま、殺されてたまるか。

 

 別に死んでも次の世界に行くだけだけど、死ぬときのあの力が抜けていく感覚は、本当に嫌なものだ。

 命を賭けるべき正当な理由があれば、俺は喜んで賭けるさ。

 でも俺は、理由もわからずただで命をくれてやるほど、酔狂じゃない。

 

 ――仕方ない。正当防衛だよな。

 

 反撃に転ずるべく、左手に気力を込める。

 白く輝く気で構成された剣――気剣を作り出した。

 俺の生命力を込めた強力な武器であるこれは、普通の剣よりもずっと強靭で切れ味もある。

 さらに意に応じて、ある程度は形状を変えることもできる。

 だがここでも、妙な違和感を覚えた。

 

 おかしい。いつもより気剣に勢いがない。

 

 本来なら、もっと力強い輝きを放っていて、しっかりとした白色を描くのに。

 なのに今、俺が作り出した気剣は、やや色味が薄く、その輝きも弱々しい。

 まさか急に腕が落ちたわけはないだろう。どういうわけか《身体能力強化》のかかりも悪いままだし。

 ということは、まさか――。

 この世界は、気力許容性が低いのだろうか。

 ……だとするとまずいな。

 一応、レンクスの【反逆】を使えば、一時的に許容性による限界を突破することはできる。

 けどあれは、俺が使うにはあまりに負担が大きい力だ。

 それに、元々の許容性が低ければ低いほど、限界を引き上げるには絶大な負荷がかかる。

 それだけ世界が厳しい制約を課しているものを、強引に解除しなければならないからだ。

 無理に使えば、身も心も保たないどころか、下手すれば即死してしまうかもしれない。自分で自分の首を絞めるようなものだ。

 大変だけど、このままで何とかしないといけないか……。

 ひとまず強度確認だ。試しに気剣に銃弾を当ててみる。

 すると、刀身の強度が弱っているとはいえ、何とかこの程度なら危なげなく弾いてくれた。

 よし。これなら気で盾を作れば、銃弾は防げるかな。

 俺は気剣を形状変化させて、盾状にした。

 そいつを構えながら動けば、もう銃弾は危なげなく防ぐことができた。

 

 多少余裕ができた俺は、相手の状態を測るために、意識を集中して気を探ってみることにした。

 そこで、衝撃の事実に気付く。

 あまりのことに、変な汗が噴き出してきた。

 なんと、今銃を撃っている彼らから――一切の気が感じられないのだ。

 そればかりではない。

 恐るべきことに、遠くで見物している人たちも含め、この場にいる誰一人として、まったく気というものを持っていないみたいだ。

 こんなこと、本来なら絶対にあり得ないことだった。

 だって普通の生物ならば、必ず大なり小なり気は持っているはずなのに。

 それが一切ないということは――。

 もしかして、このどう見たって人間にしか見えない人たちは、ただの人間ではないのか!?

 確かめる必要があると思った。

 俺は盾をしっかりと構え直すと、攻撃を続けていた男の一人に向かって駆け出した。

 彼らの目にも留まらない速さでさっと近づくと、即時に盾から剣に切り替えて気を込める。

 気剣は白を保ったまま輝きを増し、バチバチとスパークする。

 そして驚く彼に、そのまま一撃をお見舞いする。

 攻撃自体が目的ではないから、剣を当てるのは軽くだ。

 

《スタンレイズ》

 

 これは、人を殺さない剣技だ。

 純粋に気を込めて放つ必殺の一撃《センクレイズ》を応用して編み出した。

 切れ味をなくした気剣による打撃と同時に気を送り込み、相手の気を乱すことで電撃のようなショックを与える。

 互角以上の相手に使う余裕はない代物だが、格下ならば、これで十分に気絶させることができる。

 なるべく無意味に人を殺したくない俺としては重宝する、非殺傷性の技だった。

 ところがこの《スタンレイズ》、今食らわせた男にはほとんどまったく効いていなかった。

 彼は打撃の衝撃を受けていくらか吹っ飛ばされたものの、まるで何もなかったかのようにぴんぴんして立ち上がってくる。

 剣を当てるために距離を詰めすぎた俺は、銃による集中攻撃の餌食になる前に、一旦下がることにした。

 彼らと距離を取りながら、得られたピースを冷静に繋げていく。

 いや、あれは効かなかったどころの問題じゃない。そもそも乱せるような気が存在しなかった。

 女の俺のように内側から生命力を供給されているというわけでもなく、本当に何もない。

 それに剣を当てたときの感触が、人に当てたときのそれとはまったく違った。

 まるで金属か何かにでもぶち当たったかのような、硬い感触。鎧を着ているわけでもないのにだ。

 少なくとも生身ではない。ここから判断できることは――。

 

 こいつら、人間じゃない!

 信じられないけど、よほどよくできたロボットか何かだ!

 

 ようやく少し腑に落ちたような気がした。

 なぜ彼らが俺のことを警戒するのか。敵視するのか。

 もしかすると、俺が人間だからかもしれない。今のところ他に理由が思い当たらない。

 そうでなかったとしても、俺が彼らと「違う」ということそのものがこうなってしまっている原因なのは、おそらく間違いないだろう。彼らは俺のことをヒュミテと呼んで区別していたから。

「違い」そのものが原因だとすると、この場を丸く収めるのは簡単にはいかないだろうな。

 もしかしたらまだ話し合いで何とかなるかもしれないという希望を持っていたけど、今は捨てるしかないか。

 じゃあどうする。このままずっとこうしているわけにもいかないし。

 今攻撃してきている彼らをすべて倒してしまうというのは、一つの選択肢だろう。

 ただ、どうもそれをする気にはなれなかった。

 彼らには明確な敵意があるが、俺にはない。

 それにもし、仮に一人でも殺してしまえば、対立は決定的になる。

 ますます取り返しの付かなくなってしまうことは、容易に想像がつく。

 わざわざ敵は増やしたくないし、誰かに恨まれたくもない。

 

 ――とりあえず適当にあしらって逃げるか。

 

 それが最善のように思われた。

 俺は方針を固めると、威力の高い気剣はあえて盾としてのみ使うことにし、格闘中心で立ち回ることにした。

 雨のように飛び交う銃弾を避けたり防いだりしながら、一人ずつ蹴りや手刀を浴びせて銃を弾いていく。

 それでも向かってくる奴は投げ飛ばしたり、直接拳を入れた。

 拳から返ってくる硬い感触からも、彼らがロボットらしいということはますます確信できた。

 幸いにというか。

 理由はよくわからないが、ロボットであるにも関わらず、強いショックを与えれば気絶というか、一時機能停止するらしいことがわかった。

 

「ええい! たった一人に何をやっておるのだ!」

 

 怒声を上げて指示を出す男を尻目に、半数ほど無力化したところで逃げる。

 これくらいやっておけば、彼らは仲間の対応に手を取られて追う足も遅れるだろう。

 逃亡は楽勝のように思われた。

 

 彼女が、現れるまでは――。

 

 俺の目の前を、影が通過していく。

 見上げると、水色の立派なオープンカーが飛来していた。

 運転席から、一人の人物が立ち上がる。

 長い水色の髪を、風に靡かせて。

 彼女は、車を地面に下ろすまでもなく、その場からさっと飛び降りた。

 

「リルナさんだ!」「あのリルナさんが来た!」「ディーレバッツが来てくれた!」

 

 口々にそんな歓声が上がる。よほど信頼されている奴のようだ。

 リルナと呼ばれた女性は、地面のごく近くでふわりと浮き上がるように減速し、危なげなく華麗に着地した。

 

「リルナさん、奴を殺して下さい!」

「罪深きヒュミテに死を!」

 

 彼女は周りの期待する声に、軽く手を上げて応える。

 

「騒がしいことだ。今日は非番だったのだがな」

 

 そう言って彼女は、俺を真っ直ぐ見つめてきた。

 俺も彼女をよく観察する。

 

 透き通るように青い瞳と、滑らかに流れる水色のロングヘアがまず印象的だった。

 まるで人形のように整った、清楚で綺麗な顔をしている。

 所々黒や赤の入った、白銀色の金属製コスチュームを身に着けていた。

 腰から胸にかけてはしっかりと金属で覆われているが、肩や太腿は白い肌が露出している。

 肘から先と膝から先は、見た目からして生身ではない。やはり白銀色が主体の金属製と思われる。

 足の先は少し膨らんでおり、まるで靴を履いているように見える。

 膝のところには水色の膝当てのようなパーツを付けており、手甲には金色のパーツと、そこから何かが飛び出しそうな平たい穴があった。

 

 この人、ただ者じゃない。

 

 やはり気は感じられないが、彼女が纏う力強さや隙のない身構えから、それだけはよくわかった。

 俺は警戒レベルを一気に引き上げた。これはそう簡単にはいかなさそうだ。

 

「お前が例のヒュミテか」

「お前はリルナっていうのか」

 

 すると彼女は、あからさまに顔をしかめた。

 その表情は、本当の人間のように自然なものだった。

 

「ヒュミテが気安くわたしの名を呼ぶな」

「俺はそのヒュミテとかいうやつじゃないんだけど」

 

 俺にとっては紛れもない真実を言ったのだが、彼女は怪訝に眉をひそめるばかりだ。

 

「戯言を。わたしにはわかる。お前の生命反応がはっきりと。それこそが、お前がヒュミテである何よりの証」

 

 なるほど。さりげなく重要な情報がわかった。

 ヒュミテは俺のように気力を持っているのか。それで判別していたと。

 彼女はその透き通るような氷の眼で、俺を射抜くように睨みつけてきた。

 

「ナトゥラを脅かすヒュミテは――殺す」

 

 死刑宣告を言い終えたとき、彼女は目の前から忽然と姿を消した。

 

 消えた!?

 

 気が感じられないから、彼女の動きがまったくわからない。

 

 どこだ。どこから来る。

 

 ――後ろか。

 

 本能と経験則から、何となく背後が危ないと感じて。

 気剣を創り出し、振り返りざまに振り抜いた。

 

 直後、ガキンッ! という刃音とともに、彼女の攻撃が止まる。

 

 あと一瞬でも反応が遅れていたら、やられていた。

 

 彼女の右手甲からは、水色に輝く光の刃が飛び出しており。

 それが俺の気剣とぶつかって、激しく火花を散らせていた。

 

 彼女は驚いたような顔をしているが、あくまで口調は冷静だった。

 

「これを止められたのは……初めてだ」

「俺には戦う気も、何かするつもりもないんだ。頼むから話を聞いてくれないか」

 

 どうにか説得できないかと試みてみたが、彼女の反応は冷たいものだった。

 

「ヒュミテの話に傾ける耳などない」

 

 彼女は左手甲からも、同じ水色の刃を繰り出す。

 

「《インクリア》。攻撃モードに移行」

 

 左右の刃を器用に使いこなし、彼女は畳み掛けるような二刀流で俺に斬りかかってきた。

 俺はその刃をいなし、かわすだけで精一杯だった。

 一瞬でも気を抜けばやられてしまう。それほどの圧倒的な手数に、一刀では為すすべがない。

 二刀流は俺も使えないことはないが、一刀よりも精度が落ちる。片手ずつではあまり力も込められないから、特殊な状況以外では一刀流の方が安定して強い。

 彼女は手甲に刃を固定することで、二刀流を無理なく実現している。しかも二刀での動きに相当慣れている。付け焼刃の二刀流では、まず対抗できない。

 強い。

 俺もかなりの戦闘経験を積んできたはずなのに、完全に押されてしまっている。

 いきなりこんな奴とぶつかるなんて。

 もう出し惜しみをしている場合ではなかった。倒すつもりで攻撃しなければ、隙は作れない。

 俺は気剣に思い切り気力を込めた。

 気の密度が高まった刀身は、白から目の覚めるような青白色に変わる。

 それをもって、彼女に斬りかかる。

 

《センクレイズ》

 

「さっきから妙な剣技を使うな。だが――」

 

 攻撃が当たるかと思われた刹那。

 彼女の周囲を、鮮やかな青色透明のバリアが覆う。

 それに気剣がぶつかったとき――。

 

 気剣が、粉々に霧散した。

 

「わたしには通用しない」

 

 な――。

 

 絶対の信頼を寄せる、俺が持つ最強の一撃。

 弾かれたことはある。効かなかったこともある。

 でも、気剣ごと砕かれるなんて。

 そんなこと、今までなかった。

 

「死ね」

「わっ!」

 

 返しに突き出された刃を辛うじてかわす。

 だが動揺からか、一瞬反応が遅れ、頬に少し掠めてしまった。そこからたらりと血が滴る。

 俺は背筋が凍った。

 

 やばい。やばすぎる。何だよあのバリア!

 

 くそ。剣がダメなら拳ならどうだ。

 今度は拳に気力を込めてみる。

 そして攻撃を何とかかわしながら、わずかな隙を見つけて左ストレートを叩き込んだ。

 だが、バチッ! と音がしたと同時、拳は一瞬で生成されたバリアの表面に当たり、完全に弾かれてしまった。

 弾かれただけじゃない。気力強化の効果まで消え失せている。

 

 このバリア、自動で展開されるのか! しかも気力まで……!

 

「効かないと言ってるだろう」

 

 顔色一つ変えずに、冷たい声でそう告げてきた彼女が、まるで悪魔か何かのように思えた。

 俺は湧き上がる動揺を何とか抑えながら、勝算を割り出す。

 このまま戦いを続けていて、こいつをどうにかできるのか。

 答えは、否だった。

 勝ち目が見えない。何しろ攻撃がまったく通らないのだから。

 女に変身すれば、あるいは魔法で何とかなるのかもしれない。

 だがこの衆人環視の中、変身するのは気がはばかられた。

 それにだ。率直な気持ちを言おう。

 

 やってられるか!

 

 いきなり因縁付けられて、何が何だかわからない。別に逃げたところで困る奴もいない。

 こんなの、真面目に戦うだけ損だ。

 さっさと逃げよう。このまま戦っていてはじり貧だ。

 だが、どうやって逃げる。

 今のところ、彼女は俺とスピードは互角だ。

 土地勘がある分、地の利も向こうにある。そう簡単に逃がしてもらえるとは思えない。

 

 ――そうだ。思い付いた。

 

 確かミックにもらったお土産の中に、妙な使い捨ての道具があったはずだ。

 非常に強力な電磁波を発生させるとかいう。なんでそんなものを作ったのかは知らないけど。

 とにかく、それで機械であるこいつらの動きを少しでも狂わせることができれば。

 やってみよう。

 使い込んでボロボロになったウェストポーチから、ミックの発明品《電磁ボール》を取り出す。

 そいつのスイッチを入れると、バリアに弾かれないよう、リルナの手前に向かって投げつけた。

 ボールは、ジジジと音を鳴らし始める。

 もちろん電磁波だから目には見えないが、効果はてきめんだったようだ。

 彼女の足がぴたりと止まり、明らかに動揺していた。

 

「なに……? システムエラーだと!」

 

 よし。今だ!

 

 使い捨てだし、あまり長くは効果が保たないだろう。

 俺は彼女に背を向けると、驚く群衆をかきわけて、一目散に逃げ出した。

 どこでもいい。身を隠せそうな場所へ!

 

 なるべく人がいなさそうな小道を選んで走っていく。

 機械都市は、裏路地に至るまで整備されていて綺麗だった。

 

『ヒュミテが逃走中。現在第三街区六番地。ヒュミテが逃走中。七番地へ向かっています』

 

 しきりに追跡の音声放送がかかる。

 一体どうやって俺の居場所を突き止めているのか。

 

「逃がさない!」

 

 背後から、リルナの鬼気迫る声が聞こえた。

 彼女は俺から離れず追ってきているようだ。このままではいずれ追いつかれてしまう。

 まだ姿は捉えられていないはずなのに。ほんとにどうやってついてきてるんだ。

 改めて考えを巡らせたとき、ようやく答えがわかった。

 そうか。わかったぞ。生命反応がどうとか言ってたな。

 もしかして気を読み取っているんじゃないか。だったら。

 

 変身!

 

 俺は女に変身した。一切の気力を持たない女に。

 背が少し縮み、髪がふわりと伸びて、胸にずしりと重みがかかる。

 

「どこだ。どこへ行った!」

 

 急に反応が消えたのだろう。

 やがて、彼女の声が遠ざかっていく。どうやら撒くことに成功したようだ。

 

 ふう。助かった。

 

 ほっと一息吐いたとき、胸が窮屈であることに気付く。

 

 あれ? 服が変わっていない。

 

 見下ろすと、服は男物のままだった。

 ブラジャーもないから、開いた胸元からは谷間がしっかりと見えている。

 この服は、私の魔力に反応して女物に変化する。

 一定の魔力さえあれば、必ず変化するはずなのに。

 まさか。

 私は試しに魔法を唱えてみた。

 周りに影響がないように、自分を対象とする風の加速魔法を。

 

《ファルスピード》

 

 すると風は、しゅんと一瞬だけ起こったが、間もなく消えてしまった。

 

 なっ!?

 

《ラファルス》《ボルケット》《アールカンバー》

 

 慌てて、次々と魔法を試していく。

 

 何でもいい。何か使えるものはないの!?

 

 だが、それらは無慈悲にもことごとく発動しなかった。

 

 そんな――。

 

 私は、目の前が真っ暗になりそうだった。

 

 魔法が、使えない。



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2「ユウ、リルナに呼び止められる」

 私は人の目が届かない路地裏に隠れて、そこで着替えることにした。

 今の服装は何人にも見られているからまずいし、そもそも女が男装のままうろついていては目立ってしまう。

 幸いにして、私の持っているのと同じような服を着ていた人を逃げている途中で見かけた。着替えれば変に思われることはないはずだ。

 その着替えなんだけど、どこにあるかというと。

 今の私は、身軽に動けるように服とウェストポーチ以外の物は身に着けていない。

 ウェストポーチはかなり大きめだが、服を何着もそのまま入れられるほど大きくはない。

 でも実はこの中にある。

 ポーチから、服が入っている小さな透明の袋を取り出す。

 ミックの発明品『超圧縮袋』だ。

 原理は不明だが、この袋に詰めていくとどんどん中のものが圧縮され、本来の体積よりも十分の一くらいになる。

 これのおかげで軽装のまま、替えの服を上下、下着四セットも持つことができた。

 ちなみにこの四セットの内訳は、魔力で変化するのが二つ、もし何かあったときのためのユニセックスなものが二つだ。

 もちろん今回の着替えで選ぶのは、ユニセックスなものにする。

 ありがとうミック。お前の発明品、最初は下らないとか思っててほんとごめん。さっきから死ぬほど役に立ってるよ。

 遥か遠い地にいる彼への感謝を胸に、私は『超圧縮袋』から服を取り出した。

 ユニセックスの白いTバックに、フリーサイズのカーキのアウトドアパンツ、紺のTシャツ、そして黒いジャケットが、元のサイズにむわっと膨らんで出てきた。

 ブラジャーは……今回はやめておくか。

 いつ男に変身することになるかわからないし。

 ジャケットで隠しておけば、ノーブラでもたぶん透けて見えたりはしないよね。

 誰も覗いていないか周りを確かめてから、今着ているジャケットを脱ぎ、シャツに手をかけてめくり上げる。

 激しく動き回ったために、シャツは汗でびっしょりと濡れていた。

 男のときにかいた汗が大半だからか、少し男臭い匂いがする。

 シャツを脱いだら、素早く紺のTシャツに着替える。

 仕方がないとはいえ、やっぱり外で着替えるというのは嫌なものがある。さっさと済ませてしまいたい。

 下も急いで履き替えると、来ていた服は入れ違いで『超圧縮袋』にしまった。

 これでよし、と。

 

 路地裏から出ると、なるべく人目に付かないように歩き始めた。

 路地裏に留まっていればそれなりには安全だろうけど、いつまでも立ち止まっていては何も始まらない。

 とりあえず町の様子と、何かのときのために道を把握しておこうと思った。

 能力がきちんと目覚めてからの私には、完全記憶能力がある。

 だから道はすんなりと覚えることができた。

 

 金属プレートのような地面が、どこまでも続いていく。

 道の左右に並ぶ建物は、どれもこれも地球ではお目にかかれない先端的で立派なものばかりで、その壮麗さにはたびたび心奪われる。

 かつてサークリスにいたときに見た空中都市エデルのような、いびつで急ごしらえな感じもまったくしない。

 いきなり都会に出てきた田舎者みたいに、ついあちこちをきょろきょろしまった。

 それぞれの家は、金属のような光沢を放つ白銀色の素材と、プラスチックのような色とりどりの軽素材らしきものを組み合わせて建てられていた。壁にはガラスのようなものも張られている。

 ほとんどの道は、ずっとほぼ一定の曲率でカーブを描いていた。

 どうやらこの町は、円形状に建物や道が広がっているようだ。

 やがて、「ここから先 第四街区」と書かれた案内標識が目に入った。

 今までは第三街区にいたはずだから、一つ隣まで来たことになる。

 

 ここまでなるべく人通りが少ない道を選んで進んできたが、それでも時々人とすれ違ってしまうことはあった。

 最初はどんな反応をされるかと内心身構えて、いつでも逃げる準備をしていたけど。

 幸いなことに、誰もヒュミテだとか叫んだりはしなかった。

 どうやら私が生命反応を持たないから、同じ機械人だと思われているらしい。

 今はほっと胸を撫で下ろしている。

 よかった。ずっと逃げ続けなくちゃならないかと思ったよ。

 まあ見た目じゃ判別付かないみたいだからね。

 ここにいる間は、基本的に女でいた方がいいかもしれないな。

 段々と警戒心も解けてきて、ぼちぼち大きな道へ踏み出してみようかと考え始める。

 

 心にゆとりができると、少し物事を考える余裕も出てきた。

 やはり気にかかるのは、魔法が使えないことだ。

 色んな魔法を試したが、結局使えたのは、以下のものだけだった。

 

 そよ風を起こすだけの風魔法《ファルリーフ》。

 マッチ並みの火を起こす、着火に便利な火魔法《ボルチット》。

 コップ一杯分の飲み水を作り出す、サバイバル革命の水魔法《ティルタップ》。

 小さな氷の粒を生み出す、冷凍庫で氷を作り忘れたときに重宝する氷魔法《ヒルアイス》。

 照らしたい場所を懐中電灯並みの明るさで照らしてくれる、夜の移動や探し物に使える光魔法《アールトーチ》。

 

 この五つのみ。つまり極端に弱い魔法だけなら辛うじて使えた。

 どれもそれなりに便利だけど、実戦ではまったくといっていいほど役に立たない。

 魔法を使った戦闘は、残念ながらできないと考えるしかないだろう。

 まいったな。この世界の魔力許容性が、こんなに低いなんて。

 いつかそんな世界も来るかもしれないとは思っていたけど、まさかこのタイミングで来るとはね。

 問題は、魔法が使えないこと自体よりも、リルナに対抗する術がなくなったことにある。

 魔法が使えない上に、気力や物理による攻撃が一切通用しないとなれば、彼女にダメージを与える手段は今のところ存在しないということだ。

 また彼女に会ったら、逃げるしかないか。

 もう『電磁ボール』はないから、次からは大変だ。

 

 

「おい。そこのお前」

 

 

「はい――はい!?」

 

 突然背後からかかってきた声に、反射的に返事して振り返ったとき。

 あまりのことに声が裏返ってしまった。

 なんと、話題のリルナが目の前にいるではないか。

 彼女は口元をへの字に引き締め、その透き通るような青い瞳で私のことを見つめていた。

 

 まずい。見つかった。どうしよう。

 

 全身が一気に緊張で強張ったとき。

 意外にも彼女は、表情を少し緩めて、事務的な口調で語りかけてきた。

 

「逃げたヒュミテの男を捜しているのだが。この辺りで見かけなかったか」

 

 あれ。ばれてない?

 

 ――ああそっか。焦ってパニックになりかけていた。

 

 私、今は女だった。雰囲気は似てるけど、一応別人には見えるか。

 安堵から溜息を吐くと、彼女はそれを別の意味で捉えたようだった。

「俺」を睨み付けた際の殺気の篭った目とは対照的な、優しさすら感じさせる穏やかな目を浮かべて、こちらへ歩み寄ってくる。

 

「どうした。ヒュミテが怖いか」

「怖いですね」

 

 ボロが出ないように、適当に話を合わせておく。

 すると彼女は、とんと胸を張って堂々とした口ぶりで言った。

 

「安心しろ。奴は必ずわたしが始末する」

 

 ああ、うん。

 あなたが始末しようとしてるの、私なんですけどね。

 ぶっちゃけそれが一番怖いんですけどね。

 心の内で突っ込んでいると、彼女は言った手前私を安心させようとしたのか、肩に手を触れてきた。

 あまりに自然な流れだったから、身を引く隙がなかった。

 

「ん。お前――」

 

 機械ではあり得ない、私の柔らかい身体に触れたとき。

 彼女が眉根を寄せた。

 

 しまった! 生身であることがばれた!

 

 冷や汗がダラダラと流れる。

 顔にこそ動揺を出さないようにしているが、もう無駄だろう。

 今から男に変身して逃げるか。どうやって逃げ切ろうか。

 そんなことを考えていると、彼女はなぜか嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

「珍しいな。お前も半生体素材のナトゥラか」

「あ、そうです」

 

 反射的に話を合わせた。

 半生体素材。身体が柔らかいナトゥラもいるのか。

 よくわからないが、どうやら助かったみたいだ。

 

「実はわたしもなんだ。手足こそ戦闘用素材だが、この装甲の下は、ほとんど奴らの生身と変わらない。身体の柔らかさも、感触もな」

 

 そう言って彼女は、ほどよく膨らんだ胸の上の白銀色の装甲を、そっと撫でた。

 それから彼女は、やや顔を落とす。

 その表情は、どこか思うところがあるように見えた。

 

「わからない。なぜわざわざ、ヒュミテに似せて作られたのか。時々忌々しいと思うこともあるが――まあこれも個性だろう」

 

 彼女は私に向き直って、微笑む。

 その笑顔は、少々不器用ながら、およそ機械とは思えないような温かみと優しさを感じさせるもので。

 不意にも素敵だと思ってしまった。

 

「お前もその個性を大事にするといい。別にヒュミテに似ているからと卑屈になる必要はない」

「――そうですね。ありがとうございます」

「礼はいい。同じ半生体のナトゥラ同士、お互い励んでいこう」

 

 彼女の力強い言葉に、私はとりあえず頷いておく。

 セーフ。セーーーフ。

 

「そうだ。ヒュミテの男なら、あっちの方に逃げていきましたよ」

 

 わざと今思いついたように言って、適当な方向を指さす。

 思い切り嘘を吐いたが、こっちも命がかかってる。許してくれ。

 

「そうか。情報提供感謝する――ヒュミテめ」

 

 彼女の身に纏う雰囲気が、一気に殺気立つ。

 それまでの穏やかな目から一転して、燃えるような憎悪の激しさと氷のような冷酷さを併せ持つ、恐ろしい戦士の目つきに変わる。

 はたから見ているだけで、身の毛がよだつほどだった。

 

「絶対に逃がさない」

 

 次の瞬間、彼女は足のブースターで滑るように加速した。

 女の私では到底追えない鬼のようなスピードで、あっという間に視界から消えてしまう。

 その場にぽつんと取り残された私は、彼女に気圧されて少しの間動けなかった。

 

 うわー怖い。リルナさんほんとに怖い。

 あれは絶対に地の果てまで追いかけてくるタイプだ。とんでもない奴に目を付けられてしまった。

 

 だけど、彼女の素も垣間見えた。

 彼女はきっと、ナトゥラにとっては、優しく正義感溢れる魅力的な人物なのだろう。

 

 できることなら、誤解を解いてわかり合いたいな。

 

 そんなことを思いながら、私は彼女に教えたのとは反対の方向に、そそくさと歩いていった。



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3「世界の様子を探る旅」

 私は今、第四街区の大通りを歩いている。

 大通りに出るとお店が増え、建物もさらに立派なものが増えた。

 頭上ではたくさんの車が忙しなく飛び交っている。車の走る高さに合わせて、信号らしきものも宙に浮いている。

 その代わり、地上には信号や交通標識の類は一つもなく、すべては歩行者のために設計されていた。

 商店街でも祭の最中でもないのに、車が通れそうなほど広い道の真ん中を堂々と人々が歩いている。

 そんな光景が当たり前なのだ。

 駐車場は専ら屋上にあるようで、時々車が建物の上に下りているのが見えた。

 人々が歩きながら、あるいは立ち止まって話をしている姿は、実に感情豊かだった。不自然な点は一切感じられない。

 どのような人たちがいるのか、歩きながらざっくり眺めたところ。

 男の姿をした者と女の姿をした者が半々ずつというところだった。

 顔、声や身体の大きさ、目や髪の色は様々だが、肌の色は総じて白く、体型も割合画一的である。少なくとも、極度の肥満体型や痩せ過ぎは見受けられない。

 年寄りのような姿をした者は一切見かけなかったが、子供の姿をして子供らしく振舞っている者がそれなりにいた。

 その近くには、親と思しき者がいることが多かった。

 親子で仲良く手を繋いでいる姿は、見ていて微笑ましいものがあったが、彼らは果たして本当に親子なのだろうか。

 こうして外から見ると、ほんと人間と何も変わらないように見えるけど……。

 この人たち、全員ナトゥラとかいう機械人なんだよね。信じられないことに。

 一体どんな技術力と、いかなる事情があれば、機械人だけで溢れた大都市ができるのだろうか。

 あまりの光景に、感心を通り越して呆れてしまう。つい溜め息が漏れた。

 

 ……何だか、とんでもない世界に来ちゃったな。

 

 ここにいる生身の人間は、どうやら私一人だけで。

 正体がばれたら命を狙われて、下手すれば殺される。

 いきなり大変なことになってしまった。

 ともあれ、女でいる限りは、目立つことをしなければ上手く周りに溶け込めそうだった。

 まさか私に気の力が一つもないことが、こんなに役に立つ日が来るとは思わなかった。

 けれどよく考えてみれば、私に気力がないこと、そして「俺」に魔力が一切ないことが身を助けたのは、これが初めてではない。

 サークリスでもイスキラでも、この一見すると欠点にしか見えない特性に、何度か窮地を救われている。

 単純に力はあればあるだけ良いというわけではないのが、面白いというか何というか。

 

 歩いている途中でベンチを見つけたので、座って休むことにした。

 さすがにベンチまで無駄にハイテクということはないか。

 でも素材は、建物の一部に使われていたのと同じ、プラスチックのような見た目をした、軽くて丈夫そうなものが使われている。

 さて、これからどうしようか。

 私は新しい世界に来たとき、そこで何をするかということを考えるようになった。

 ただ無難に日々を過ごすのもいいけど、どうせならその世界の旅をなるべく楽しみたいと思っている。

 できるだけその世界の人々やものと関わっていきたいし、そこでやりたいことが見つかればやっておきたい。積極的に思い出を残していきたい。

 そして、サークリスのときみたいに。

 もしその世界に何か問題があって、自分にやれることがあるならば。関わりたいと思う。

 たとえそれが、危険なことや命を懸けるようなことであっても。

 だけどそうするのは、別に義務感やただの使命感からじゃない。

 あくまで私自身の良心に従って、己の生き方を貫くためだ。

 なるべく後悔しないために、そうしたいんだ。

 各世界における様々な問題の中には、デリケートなものもある。

 そこに部外者である私が、どこまで首を突っ込んでいいものか。それはわからない。

 もちろん自分のやることが絶対に正しいとは思わないし、いつも誰かを助けられるなんて傲慢な考えは持っていない。

 自分が介入したことで、かえって事態が悪化するかもしれない。誰かに恨まれるかもしれない。

 大きな力を持つからには、それをもって正しいことを為す義務が生じるなんて、正義漢ぶった考えもない。

 まああまり変なことをしないように気をつけようとは思うけど。

 私は世界の渡り人、フェバルだ。

 あまり実感したことはないが、この世の条理を覆す力を持っているらしい。

 でもそうである以前に、一人の人間だとも思う。

 そこが基本だし、そこを忘れないでいたい。

 だから私は、あくまで一人の人間として、手前勝手な価値観と意志をもってやることは決めるし、立つ位置も決める。

 自分のした選択が正しかったかどうかは、後になるまで、あるいは後になってみてもわからないけど……。

 全知全能の神じゃないんだ。人間ってそういうものだと思うし、それでいいと思う。

 まあ色々理屈をこねくり回したけど、要するに自分の良心に従ってやりたいようにやる。

 それが今の私のスタンスだ。

 それで、どうするかな。

 今までみたいに、大草原とか大荒野とか大海原の上に降り立ったなら、まずは無事人里まで辿り着くことが目標になるんだけど、今回そこは自動的にクリアされた。

 というか、毎回ろくな場所に着陸してない気がするね。運が悪いのかな。

 ……まあいいや。置いておこう。

 

 となると、次の課題はどうやって生活していくかだよね。

 今回はむしろこっちが問題な気がする。

 本当なら、この世界の人たちとも普通に知り合って、交流を作りながら生活の基盤を構築するつもりだった。

 けど周りはナトゥラばかりだから、そう簡単にはいかないかもしれない。

 女として、生身の人間であることがばれないように慎重に接触を図る必要がある。

 上手くやれるかな。ちょっと心配だ。

 いやまあ、別に無理にナトゥラと接触せずに、一人でサバイバルしながら生きていってもいいんだけどね。レンクスとかよくそうしてるみたいだし。でもなあ。

 あいつのホームレスみたいな生活の話を聞いていると、なんかなあって思うんだよね。変なもの平気で口にするし、薦めてくるし。

 うん。あいつを見習っちゃいけない。

 やっぱり文明人である以上、なるべく社会で生きていく努力をすべきだと思う。どうしても無理なら、仕方ないけど。

 というか、その気になれば絶対どうとでもできるはずなのに、あえて何もしないあいつはどう考えてもダメ人間だ。うんうん。ばかレンクス。

 

 ――ん、待ってよ。

 

 かなりまずいかもしれない事実に、ふと気が付いてしまった。

 普通に働いて稼ぎつつ暮らすというまったりプランを、根底から揺るがす事実に。

 そもそも機械人たちは、まず食事を取るのだろうか。

 機械人だから動力となるエネルギーを補充するとかで、何となく食べ物は取らないような気もする。

 だとすると、最悪この町に一切の食糧がないというケースも考えられる。そんなものなど必要ないからだ。

 その場合は、この町の外に出て食糧を自力で確保しなければならない。

 もしかして、ここでいくら稼いだところで、結局サバイバルになってしまうのか?

 そういえば、今まで見回したお店の中に、食料品スーパーのようなものが一つもなかった。

 これはもしかして、もしかするのだろうか。ちょっとやばいかもしれない。

 まだお腹は大丈夫だけど、空腹で動けなくなる前に、この町に食べ物があるのかきっちり調べて結論を出す必要があるね。

 もし仮にサバイバルになるとしても、通常最大の問題となる飲み水だけは、《ティルタップ》で安全に確保できるのが救いか。魔法を覚えていて本当によかったよ。

 まあ生活のことは、またじっくりと街を見て回りながら考えることにしよう。

 

 それよりも。

 今気になっているのは、機械人ナトゥラ、そしてヒュミテという別の存在についてだ。

 ヒュミテの方はまだ直接は見てないが、ナトゥラたちの言葉から、間接的に情報が得られている。

 ここまで彼らに関して得られた情報を、ざっと整理してみよう。

 

 1.私が彼らと勘違いされるほどよく似ている。

 2.生命反応を持つ普通の生物らしい。

 3.リルナによれば、ナトゥラはヒュミテに似せて作られた。

 4.ナトゥラに激しく憎まれている。

 

 こんなところかな。

 これらのことから判断するに、ヒュミテとはおそらく、この世界の「普通の」人間のことで間違いないだろう。

 ヒュミテは、なぜあんなにナトゥラに憎まれているのだろうか。

 こっちはそのせいで、いきなり殺されそうになったわけで。

 もしナトゥラそのものが、人類を脅かす凶悪な存在であるならば。話は簡単だ。

 だがどうもそうは思えない。

 むしろこうして見ている限り、彼らは善良な市民そのものだ。

 それがヒュミテを見た途端、あそこまで豹変するなんて。どうやらただ事ではない事情がありそうだ。

 

 機械人だらけの巨大都市。

 見かけただけで即死刑にされてしまうほど、忌み嫌われる人間たち。

 どうにもきな臭い予感がする。

 

 ――よし。決めた。

 

 今回は生活をしながら、世界の様子を探ることから始めるとしよう。

 特に、ナトゥラとヒュミテの関係を中心に調べていく。まずはこの現状に至った背景を知りたい。

 知ってどうなるものではないかもしれないけど、やっぱり気になるからね。

 そこから先は、またそのときに考えよう。

 

 ウェストポーチから、以前にレンクスからもらった世界計を取り出す。

 この世界における、残り滞在可能期間をチェックする。

 約半年、か。

 これまでで一番期間は短いね。でもまあ、これだけ時間があれば色々わかるだろう。

 方針を決めると、「よし」と、ぐっと拳を握り締めて、気合いを入れた。

 ぼちぼち立ち上がって、また歩き始める。

 まずはこの未来都市を調べることからだ。



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4「ナトゥラの首都 ディースナトゥラ 1」

 情報を集めると言えば、まず向かうべき場所は図書館辺りだろう。

 フェバルには、その世界の文字が勝手に翻訳されて読めるという能力が、どういうわけか備わっているからね。書物は重大な情報源になる。

 そこで早速、この町で一番大きな図書館までの道のりを近くにいた男性に尋ねてみた。

 かなり接近したので、さすがに生身の人間だとバレないかひやひやしたが、どうにか無事やり過ごせたみたい。

 ま、まあリルナに触られてもバレなかったから、大丈夫だろうとは予測してたけどね。ほんとだよ。

 彼は快く教えてくれた。

 中央区にある中央図書館というのが、この町で最も大きなところらしい。

 ついでに話の流れで、偶然この町の名前もわかった。

 さすがに「この町はなんという名前ですか」なんてここで聞いたら絶対おかしいと思われるから、私からは聞けなかったので助かった。

 ディースナトゥラというのか。

 彼にお礼を言ってから、すぐに中央図書館に向かうことにした。

 中央区へは、今いる第四街区からも繋がっている。中央という言葉のイメージに素直に従えばOKだ。

 円周状の道に対して垂直に内側へと進んでいけば、いずれ辿り着く。

 

 中央区の近くまで差し掛かると、建物の高層化はさらに進んだ。

 そこまででもビル等の立派さには十分驚かされていたのだが、腰を抜かしてしまいそうになるほど桁違いに巨大な建築物が、いくつも視界に現れるようになった。

 とりわけ目立つものと言えば。

 工場のようなドーム型の建物が二つ。そして。

 実はこの世界に来た当初からずっと見えていたのだけど、天を突くようにそびえ立つ、塔のような超高層ビルが二つ。

 白一色と黒一色のコントラストで、街のど真ん中の左右に各々位置している。

 普通に考えれば、中央区は都市の中枢のはず。ここに重要施設が集結しているのは想像に難くない。

 図書館は後回しにしても、ここにどんなものがあるのかは確認しておきたい。

 そう思い寄り道してみたが、収穫は乏しかった。

 できれば詳しく見て回りたかったのだが、やはりというか、一般人はすべからく立ち入り禁止のようだ。

 どこもかなり厳重に警備されていて、常に複数の警備員が目を光らせている。

 なので、精々建物の形と名前くらいしかわからなかったのだ。残念。

 結論から言うと、目立っていた建物がそのまま重要そうな感じだった。

 まず左に見えていた白い塔のような建物は『中央管理塔』。右の黒い塔は『中央政府本部』。

 この二つが、家庭用コンセントのプラグの双先端のように、都市にあるその他の建物に比べて著しく突出している。

 両者の間には、上下二か所ほど巨大な連絡路が渡っており、直に繋がっている形だ。

 さらに中央政府本部の近くを取り囲むように、各省庁や役所系の建物が配置されていた。

 そして、中央管理塔と中央政府本部との間に挟まれた、まさに都市の中心には、『中央工場』と『中央処理場』が隣接して建っている。

 いずれもドーム型の、規格外に巨大な施設であり、この二つだけで中央区のかなりの面積を占めている。近くで見れば、視界がすべてそれだけで塗りつぶされそうになるほど圧倒的だった。

 私はかつて、これほどまでに巨大な建物を見たことがない。

 二つのドームは、背の何倍も高いゲートと分厚い壁によって、外部とは完全に仕切られている。特に厳戒態勢で警備が敷かれているようだった。

 外からは内部がどうなっているのか、まったく窺い知ることはできない。

 

 それから、これらの最重要らしき施設よりはやや大きさと格は落ちるように思われたが、私にとっては決して見過ごせない建物を見つけた。

 

『ディークラン本部』

 

 確か『ディークラン』というのは、「俺」のことをいきなり銃で撃ってきた連中だ。

 見れば、あのときサイレンを鳴らしていた車と同じようなものがいくつも並んでいる。

 察するに、警察組織といったところだろうか。

 まあ女だから大丈夫だと思うけど、ここに長居するのはあまり精神衛生上良くないな。また急に襲い掛かられるんじゃないかって気がしてくるし。

 そう思い、踵を返し立ち去ろうとしたとき。

 上空の彼方より、こちらの方角へ水色のオープンカーが飛んでくるのが見えた。

 

 あの特徴的な車体は、間違いない。リルナの乗っていた車だ!

 

 彼女の乗った車は、私の頭上を通り過ぎて、本部の屋上に止まった。

 その場でゆっくりと下降し、やがて角度の関係で、建物に隠れて見えなくなった。

 そうか。彼女はここの所属だったのか。

 おそらく「俺」が見つからなかったので、一旦戻ってくることにしたのだろう。

 彼女が来たとき、民衆は『ディーレバッツ』だと言っていた。

 とすると『ディーレバッツ』とは、『ディークラン』の一部を指すのだろうか。

 それもわざわざ特別な名前で呼ばれるってことは、並みの連中じゃない気がする。

 実際、彼女だけは恐ろしく強かった。今の私じゃ歯が立たないくらいに。

 もしまた彼女に見つかったら、なぜこんなところにいるのか尋ねられて面倒なことになるかもしれない。さっさといなくなった方がいいね。

 私はその場から逃げるように、足早に立ち去った。

 

 

 ***

 

 

 さて。ちょっと寄り道したけど、中央図書館までやって来たよ。

 うん。思いの外、そこまで大きくないね。

 それが正直な感想だった。

 いや。目の前に映る、鼠色を基調とした簡素な外観の建物は、これでも見上げるほどには大きい。

 だけど、ここまで馬鹿みたいに巨大な施設ばかり眺めてきた身としては、どうもこじんまりしているように感じてしまうのは仕方ないだろう。

 でも大量の本を収めているのなら、普通はもっと大きくてしかるべきなんじゃないだろうか。

 そんな疑問を抱きつつ、入ってみたら驚いた。いや、驚いたなんてものじゃなかった。

 だって、本が一冊もないのだ。

 そこには本の代わりに、たくさんのコンピューターのような端末が整然と並んでいた。

 もしかして、電子図書館ってやつだろうか。

 なるほどね。だからこの大きさで十分だったのか。

 それにしても、オール電子というのは初めてだけど。

 利用者たちは、それらの端末を使って何やら検索をかけているようだ。画面をタッチしたり、横にある箱型の機械に手を伸ばしている姿が見えた。

 とりあえず利用は自由にできるみたいだし、やってみようか。

 私は空いているところを探して、端末の画面をタッチしてみた。

 パッと付いたディスプレイには、検索画面が映っていた。タッチパネルの操作なんて、地球にいたとき以来だなと懐かしい気持ちになる。

 何を入力しようかな。とりあえずディースナトゥラで検索してみようか。

 たぶんこの都市について書いてある本が出てくるはずだ。

 ディースナトゥラ、と。

 入力し終わると、検索結果一覧が出てきた。上からずらりとタイトルが並んでいる。

 指を画面の上でスライドさせてスクロールしていくと、良さげなタイトルを見つけた。

 

『ディースナトゥラの成立と発展、そして現状とこれから』

 

 うん。これなんかいいんじゃないかな。

 タイトルをタッチして、次の画面に行く。

 ちなみに私は、この電子書籍というのがあまり好きではない。

 手元でぱらぱらとページをめくって、必要な情報に素早く辿り着くことができないし、気になる部分があったとき、時々戻りながら読み進めるだとか、気軽に書き込んだりといったことがしにくいからだ。

 それに、紙の書物の方が一目に映るから、頭の中に情報が整理されて入ってくるような気がする。

 電子書籍だと、軽く読み流してしまう分にはいいけど、きちんとしたものを読むのにはやや不向きな印象がある。

 なんだかんだ紙の書物って便利だと思うんだけど、どうしてこの世界では廃れちゃったんだろうか。

 まあ今の私には完全記憶能力があるから、紙だろうと電子だろうと目を通せれば関係ないんだけど。

 その理由は、すぐに明らかになった。非常に納得のいく形で。

 

「差込口に右手の人さし指を差し込むと、内容をインストールできます」

 

 ディスプレイには、そう表示されていた。

 いや、無理無理!

 私は心の中で、全力で突っ込みを入れた。

 そうか。そういうことか……。

 そうだよね。だって、機械人だもんね。

 そりゃあ端末に接続すれば、情報はインストールできるよね。

 頭の中に直接情報を保存できるのか。道理で紙の書物なんていらないわけだ。

 はあ。まいったな。これじゃ何もわからないよ。

 露骨に肩を落としたのが目に付いてしまったのか、図書員のお姉さんが近づいて声をかけてきた。

 

「どうされましたか」

「あ、いや。これってどんな本も、こんな風にインストールするようになってるんですか?」

 

 私の質問に対し、彼女は業務ライクな笑顔で答えた。

 

「はい。すべて必要な情報を検索して、インストールして頂く形になっております」

「そうですか。あの」

「なんでしょう」

「それが、ちょっと身体の調子が悪くて。データを読み込めないんですよ」

 

 まるっきり嘘ではないが、本当のことも言ってない。

 彼女は業務的な態度は崩さず、だがやや親身な口調で心配してくれた。

 

「まあ。それは大変でございますね。お早めに最寄りの工場へメンテナンスに行かれた方がよろしいですよ」

 

 工場へメンテナンスか。人間の感覚で言うと、病院に行くみたいな感じかな。

 最寄りってことは、中央工場のような場所が他にもいくつかあるのだろうか。

 

「そうですよね。それで、すみませんが」

「はい」

「紙の書物でも電子書籍でも何でもいいのですが、直接目に通せるものはないでしょうか」

 

 一縷の望みをかけて尋ねてみたが、返ってきたのはやはり否定の言葉だった。

 

「申し訳ありませんが、ございません。そのような時代遅れの、ヒュミテに則った様式のものなど」

 

 受付のお姉さんに、にっこり笑ってそう言われた。

 ヒュミテと言う辺りで笑顔が怖くなったのは、きっと気のせいではないだろう。

 

「なるほど。わかりました。では、直してからまた来ますね……」

「お力になれず、申し訳ありません。またのご利用をお待ちしております」

 

 がっくりして外に出た私は、溜息を吐いた。

 正直、機械社会に対する認識が甘かったよ。

 何なの。あの人間お断りな図書館。というかもはや図書館って言っていいのかあれ。

 頼みの綱だった図書館が事実上使えないとなると、情報集めはちょっと難航しそうだった。

 どうしようか。

 そのとき、不意にぐーっとお腹がなった。

 はっとして周りをきょろきょろするが、運良く誰にも聞かれなかったみたいだ。

 ……そろそろ、お腹も空いてきたし。

 結局食べ物は見つかってないし、あまり悠長なことしてると、いつかみたいに飢えでぶっ倒れるかもね……。

 誰もいないとはいえ、気恥ずかしさから若干顔に火照りを感じた私は、図書館入口の前からそそくさと立ち去った。

 

 

 ***

 

 

 ちょっと、もう一人の「私」と一緒にどうするか考えてみるか。

 そう考えた私は、目立たないところまで移動してから目を瞑り、『心の世界』へ向かうことにした。

 そこは、私が経験したあらゆる物事がそのまま蓄積されていく場所であり、外界とはほとんど独立して時間が流れている。

 私は、そこと現実世界とをいつでも自由に行き来することができるのだった。

『心の世界』は、普段は真っ暗で、宇宙のように果てしなく広がっている。

 単なる精神世界というには、あまりに広く謎が多いこの不思議な空間を、私たちは小さいときから呼んでいたままに『心の世界』と呼ぶことにしている。

 この『心の世界』こそが、私が持つフェバルとしての能力の本質である。

 普段使っている変身能力は、話すと長い事情があって偶然的に生まれた、ごく一部の力に過ぎない。

 経験から蓄積したものはすべて、漏れなくこの暗黒の空間のどこかに保管されていて。

 求めれば淡く白い光を放つ記憶のかけら、あるいはもっと大きな記憶の流れとして呼び出すことができる。

 そして私は、呼び出した記憶にある内容を、原理上そのままそっくり自分の力として利用することができる。

 例えば、一度でも食らった技などはそのまま使える。

 これだけならとてつもないチート能力なのだが、実際は能力を使おうとすると、そのあまりの強さに振り回されてしまう。

『心の世界』が、私という一個人に対してあまりにも大きいのが原因だ。

 どんな経験でも馬鹿正直にすべて蓄積されるため、膨大な内容量が、私が扱える限界を遥かに超えてしまっている。

 そして能力を使うことは、『心の世界』を刺激することになる。使うものがすごければすごいほど、より大きな刺激を与えてしまうらしい。

 もちろんある程度ならば自力で沈めることもできる。

 ただし、あまりに活性化した『心の世界』では、普段は真っ暗なこの世界を白い光で埋め尽くすほどの、力や記憶の激流が巻き起こる。

 そこまでになると、もう私自身の力だけでは抑えることができない。

 この俗に言う能力の暴走状態に陥ると、『心の世界』は途端に私に牙を向く。

 秩序を失った莫大な力は、精神・肉体双方の面に厳しいダメージを与えてくるのだ。

 そういうわけで、結局はほとんどまともに力を使えないのが現状だ。残念だけどね。

 今は、デフォルトで無理なく使える変身能力や、経験したことは何でも溜め込む性質を、そのまま完全記憶能力として主に活用している。

 宝の持ち腐れのようだが、安全に使えるのがこれだけだから仕方ない。

 レンクスに補助してもらえば、多少能力を使っても平気だけど……。

 あいつはいつも側にいるわけじゃないからね。

 まだこの能力については、自分でもよくわかってないことが多くて。

 前にサークリスでウィルと対峙したとき、なぜかはわからないけど、一度だけ自分でも信じられないような力を発揮できたことがあった。

 そのときの記憶はどうもはっきりしないけど、この『心の世界』にあるすべての力を一斉に使えたことはぼんやりと覚えている。

 

 それで、なぜ『心の世界』に向かうのかというと。

 外の世界では、二つの性別に対し、動かせる身体は一つしかない。

 なので、一々肉体を変化させ、男女を切り替えて使っている。

 だけどこっちでは、男女の身体はそれぞれ別個のものとして肉体を伴って存在している。

 そして人格も本当は男女別にあり、この女の身体の本来の持ち主がいる。

 その彼女こそが、私とは別の女性人格である「私」だ。

 私が女でいる間は、男の「俺」の精神と融和して、この私という人格を作り上げてくれている。

 つまり、彼女のおかげで、私は女として違和感を持たずに行動できているというわけ。

 私は一人で暇なときや困ったときなど、よく「俺」と「私」の二人で話し合っていた。

 自分同士で話し合うというのは何か変だし、その気になればお互い一切喋らずともすべての心が通じ合ってしまえるけど、あえて二人に分かれて話し合うことが楽しかったりするのだ。

 ……ずっと一人旅というのは、寂しいからね。

 また、並列思考みたいな感じで、一人では出せなかったアイデアや意見を思いつくことがある。

 

 真っ暗な空間に辿り着くと、目の前に、今は心がからっぽになっている男の肉体が見えた。

 私が彼に手を触れると、いつものように、俺の精神は「私」の精神と分離して、女の身体から抜け出る。そのままするりと男の身体へと入り込んでいく。

 間もなく、胸もぺたんこで力強い身体の感覚が戻った。

 やっぱり男になると、こっちの身体の方がしっくり来るな。

 うんと伸びをした俺の目の前には、直前までその身体だったもう一人の自分。

 いつも俺のことを一番近くで支えてくれるパートナーの「私」がいた。

 

「さて。いきなり行き詰まったけど、どうする?」

 

 元々一つでいたから、当然事情は分かり合っている。すぐに本題に入ることができた。

「私」は、いつものちょっぴり勝ち気で優しい笑みを浮かべている。

 

「まいったね。まさか図書館があんな風になってるなんて」

「まったくだよ。次はどこ行こうか。ぱっと思いつかないんだよな」

 

 主要な施設はどこも立ち入り禁止だし、図書館も事実上使えない。

 となると、次は一体どこへ向かえばいいのか見当も付かなかった。

 当てもなくふらふらするには、この大都市は広過ぎる。

 第四街区からここまで歩いてみた感触では、東京並みかそれ以上の広さがあるのではないかと思われた。

 

「だね。というか私たちって、基本は同じ人間だから、結局二人で考えても中々突飛なアイデアは浮かばないよね」

「それはあるね。でもやらないよりはましだ。一緒に考えよう」

「オッケー」

 

 早速二人で頭を捻って考える。

 どこに行けば情報が集まりそうか。食べ物はあるのか。

 効率のためにも、まずはどこに何があるのか。この町の全体像が知りたかった。

 地図はどこかにないのだろうか。もちろんデータじゃなくて、ちゃんと読めるやつで。

 そうだ。女として、何食わぬ顔でディークランに行って道でも聞いてみようか。

 いや、すると彼女に会うリスクが高まるか……。

 何が何でも俺を殺すと言わんばかりの、彼女の恐ろしく冷たい表情が、脳裏にちらついた。

 

「リルナ、超怖かったな。死ぬかと思った」

 

 すると、それを聞いた「私」が軽く笑った。

 

「あはは。あなたの恐怖が手に取るようによく伝わってきたよ。確かにあの人は怖いね」

「あれ、絶対しつこいタイプだと思う」

「うんうん。執念深そうだったよね」

 

 しみじみと共感してくれる「私」。

 俺のことを弟みたいに思ってくれてて、結構慰めてくれたりもする。ありがたい存在だ。

 

「もしまた襲われたらどうしようか。正直いつまでも逃げ切れる自信がない」

「極力見つからないようにするしかないんじゃないの。あなたが私でいる限りは、安全みたいだし。見つかちゃったら、その都度気合で逃げるしかないよ」

「はあ。やっぱりそれしかないか。ほんといきなり襲ってくるんだもんな。マジで心臓に悪かった。君に気力がなくて、本当に助かったよ」

「この体質がここまで役に立つなんてね。運が良かった」

「ああ。ラッキーだった」

 

 二人で自分の幸運を喜び合う。

 それから「私」は、ほんの少しだけ憂いの顔を見せて言った。

 

「魔法が使えないのは、ほんとにきついよね。手持ちで安全に使える力の中に、彼女の強力なバリアを打ち破れそうなものが、一つもないというのがまたね……」

「そこなんだよな。あのバリアさえなければ、まだ少しは何とかなりそうなんだけど。あれが致命的にどうしようもないからな。動きだけなら、俺だったらどうにか張り合えるとみたけど」

 

 速さだけなら、互角に戦えていた。手数は断然向こうの方が上だったけどね。

 ただ彼女は、まだまだ全然余力がありそうな様子だった。この予想も少し怪しい部分があるかもしれない。

 

「うん。たぶんそっちの身体なら、何とか大丈夫かな。私じゃどう足掻いても無理だけど」

「やっぱり女のままだと辛いか」

 

 特に、前にいたと思ったら、いきなり背後から斬りかかられた最初の一撃。

 あのやばい攻撃の正体が分からない。

 あれは超スピードで動いたというわけではなく、本当に消えているようにしか思えなかった。

 これは勘だけど。どうもサークリスで散々苦戦した、時空系の匂いがするな。

 

「そうね。魔法が使えないこの身体なんて、一般人と大差ないもんね。仮に正体がばれてこのままでいたら、きっと一瞬で殺されるよ。気をつけてね」

「そうだね。気をつけよう。最悪いざとなったら、【反逆】を使えば何とかなりそうだけど。ただ、心身への負荷がなあ……」

 

 レンクスの【反逆】。

 自他ともに認める彼のチート能力さえ使えれば。たとえリルナであろうと敵ではない気がするのだが。

 どうも世の中そう上手くはできていないらしい。

 よりによって許容性が低い世界に来てしまったから、【反逆】はあまりに毒が強過ぎる。

「私」も同じことを思っていたようで、心配を込めたきつい口調でお灸を据えてきた。

 

「絶対ダメだよ。ここの住人として経験上言わせてもらうと、この世界で気力にしろ魔力にしろ《許容性限界突破》を使ったら、負荷が大き過ぎてほぼ確実に何もできないままいかれるよ。リスクが高過ぎるうちは、絶対に使わせないから」

「わかってるよ。そんなにきつく言わなくても」

 

 まるで母親にでも叱られているような気分になって、俺は肩をすくめた。

「私」の心配性はまだ収まらないようで、身振り手振りを使って俺に訴えかけてくる。

 

「過去にやらかしたことがあるから、私は心配なの。あのときレンクスがいなかったら、私たち、おしまいだったでしょ?」

「う。それ言われると弱いな」

 

 俺はまだ小さいとき、「私」の制止を無視して能力を使ったことがある。

 そのときは能力が完全に暴走して、危うく心が壊れてしまうところだった。

 レンクスが助けてくれなかったら、間違いなく今の俺はいなかっただろう。

 

「私はあなたのサポート役として、万全を尽くしていくからね。もうあんな思いはしたくないから」

 

 凛とした「私」の表情と、俺にそっくりな力強い瞳の奥から、強い決意が伝わってきた。

 半身である「私」の心は、よくわかっている。

 あのとき俺が無理に力を使い、壊れてしまいそうだったときの、身が引き裂かれそうな思い。

 ウィルに眠らされてしまったために、サークリスでも「私」はあまり力になることができなかった。

 何度俺が窮地に陥って無茶をしても、それを知ることすらできず、眠り続けていたことへの申し訳なさ。自分への憤り。

 そして何より。

 俺の身を案じ、まさに自分のように愛する気持ち。

 すべて痛いほどよく伝わっている。

 もう二度と俺一人だけで無茶はさせない。するなら絶対に自分と一緒に。

 そう思っているんだ。だから君は、能力の管理にうるさいんだよね。

 心配性で、一度こうと決めたら頑なで本当に聞かないところがある。

 まったく誰に似たんだろう。あ、俺か。

 

「わかったよ。これからもよろしく頼む」

「任せて」

 

「私」はにっと笑って、胸を張った。

 

 出会いと別れを繰り返す異世界の旅で。

 いつも「私」だけは必ず横にいて、力になってくれる。それがどれほど心強いことか。

 俺たちはこれからも、互いを頼りにしつつ、二人三脚でやっていくつもりだ。

 

 ともあれ、今回は「私」の言う通り、許容性を弄るのは止めた方が良いだろう。

 ただ、せっかく原理上は色んなものが使える能力だ。暴走を恐れて何もかも縛るというのは、小心に過ぎる。

 この世界で何か使えるものはないだろうか。

 そう考えたとき、とりあえず一つ思い当たるものがあった。

 

「そうだ。同じ【反逆】でも、《反重力作用》ならいけるんじゃないか。ほら、この世界って動いた感じ、重力は地球とそんなに変わらなさそうだし。負荷も同じくらいだろう。8歳だった当時でも少しは保ったんだし、今なら何とか耐えられると思うけど」

 

「私」は腕を組んで、考え込み始めた。

 審議中といったところだろうか。

 間もなく「私」は頷いた。

 

「うん。まあたぶん、ほんの少しだけなら大丈夫だと思う。でも、軽々しくは使わないでね」

「もちろん。それにどうせ、使うときは間違いなく君の協力がいるんだし」

「それもそうか」

 

「私」がいることで、能力使用時の安定性はかなり増した。

 外界で俺が能力を行使している間、「私」は『心の世界』をコントロールする役目を果たしてくれる。

 この能力は、俺たち二人が揃って始めて十全に扱うことができる。

「私」が眠っていたサークリスでは、【神の器】はその真価をほとんど発揮できなかったと言っていい。

 第一、こんな『心の世界』があることすら、気付かないようにウィルに仕向けられていた。

 何も知らず、ただあいつを恐れていた自分が情けない。

 

 ――あいつがエデルで言っていた諸々のことが、まだ引っ掛かってはいるんだけど。

 

 また少し考えたところで、「私」に良い案が浮かんだらしい。

 そんな感じの顔をしている。

 

「そうだ。駅なんかいいんじゃないかな。場所の繋がりを把握できるし。もしかしたら、この町の大きな地図が置いてあるかもしれないよ」

「駅か。行ってみる価値はありそうだな」

「よし。決まりね」

「うん。決まりだ」

 

 方針が決まったところで、「私」は俺をぎゅっと抱き締めてくれた。

 現実世界では、女で行動しなければ、また追い掛け回される羽目になる。

 また女として一つに戻るためだ。

 普段身体を動かす権限は、サポート役である「私」にはない。

 だから、俺が私にならないといけなかった。

 俺の精神が、男の身体から出て女の身体の中に入り込んでいく。

 その内側で待っていた「私」の精神は、俺を包み込むように受け入れてくれた。

 心が繋がるときは、いつも温かくて心地良い感覚がある。

 やがてすっかり融和して私になると、再び抜け殻になった「俺」の身体を残して、『心の世界』から抜け出した。

 

 

 ***

 

 

 ひどく濁った鼠色の空を見上げる。徐々に日が傾き始めていた。

 私が持っている一日の感覚からすると、どうも多少日の動きが遅く感じる。

 この星は、一日が地球よりも少し長いのだろうか。

 私は、駅を探すために歩き始めた。まだまだこの大都市の探索には、時間がかかりそうだ。



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5「ナトゥラの首都 ディースナトゥラ 2」

 中央区から第四街区に戻って歩き回った末に、ようやく駅っぽい場所を見つけた。

 見つけたはいいものの……。

 これ、駅って呼んでいいの?

 図書館に引き続き、目の前には、またもや意外なものが映っていた。

 いかなる車両もレールらしきものもどこにもない。

 代わりに、多くの人や大きな物が一度に易々と通れるような、赤と青の巨大なアーチ状のゲートがいくつも設置されている。

 地上だけではなく、空中にも車両用のゲートがあった。どのゲートも、中の空間は渦を巻くように歪んでいて、先が見通せない。

 

『第四街区一番地トライヴ』。

 

 標識にはそう記されていた。

 やっぱり駅じゃなかったか。だけど、どうやらここが、私の感覚で言う駅と同じ役割を果たしているみたいだ。

 そこでは、思わず目を丸くしてしまうような光景が繰り広げられていた。

 複数の赤いゲートには、それぞれ違う行き先が記されていた。

 地上の赤いゲートの中へ人々が、空中の赤いゲートへ車が次々と入っていく。

 すると彼らは、完全にそこへ入ったところで、忽然と姿を消してしまった。

 一方で、青いゲートからは、歪んだ空間から続々と人々や車が出てくる。

 彼らは当たり前のように赤いゲートに消えていき、青いゲートから現れる。

 まるで手品か何かのように。

 

 これって、もしかして……。

 

 確信が持てないまま、だが何となくそんな予感がしつつ。

 私は抑えられない好奇心から、ふらふらと赤いゲートのうちの一つへと歩み寄っていた。

『第五街区一番地行き』。ゲートの上にはそう記されている。

 勇気を出して、そのゲートの中へ飛び込んでみることにした。

 

 一瞬、目の回るような浮遊感があったかと思うと。

 次の瞬間には、何事もなかったかのようにゲートの外へ抜け出ていた。

 少し前に歩いてから改めて振り返れば、やはり青いゲートから出てきたのだとわかった。

 ゲートの上には『第五街区一番地』と書いてある。どうやら一瞬で移動したみたいだ。

 辺りを見回すと、確かに先ほどまでいた場所とは、すっかり様子が違っていた。

 もう間違いない。

 

 やっぱり。ワープゲートだ!

 

 信じられないことに、どうやらこの世界には、離れた二地点を直接繋いでしまう技術があるらしい。

 これまでも転移魔法という便利なものはあったけどさ。あれって固有スキルみたいなものだったから。

 それと同じような効果を、ゲートという安定かつ誰にでも利用できる形で実現するなんて。恐ろしい科学力だ。

 と、そうだった。感心している場合じゃなかった。

 この辺りに地図はないのかな。

 

 探してみたらあった。ありました。

 また指を差し込む穴があって、「地図や周辺の情報等をインストールできます」と案内の書かれた機械が、壁に設置されていたのをね……。

 

 もう! これだから機械社会は!

 

 目の前に欲しいものがあるのに、手が届かないもどかしさ。

 いらいらしながらも、もう仕方ないと腹を括ることにした。

 こうなったら。

 時間はかかるけど、片っ端からこのトライヴとかいうワープゲート施設を利用しよう。

 これで移動を繰り返し、すべてのゲート間の繋がりと、トライヴ周辺の様子だけでも把握しておくのだ。

 すべてのトライヴという点を結んでいけば、都市の全体像もおおよそながら浮かび上がってくるはず。

 

 そう決意して、執念で実行に移すこと数時間。

 日も落ちかけてきたところで、ようやく私は、ディースナトゥラのごく大雑把な地図(脳内自主作成)を手に入れることに成功した。

 どうやらディースナトゥラは、中央区を中心に綺麗な円状に広がっており、第一街区から第十二街区まで、北から時計回りに区切られているようだ。

 さらにそれぞれの街区は、内側の一番地から外側の十五番地まで、順にほぼ等間隔で分かれている。

 トライヴは各街区の各番地にそれぞれ一つずつ存在し、隣同士の街区、あるいは隣同士の番地を繋いでいる。

 面積が広くなる外側の番地では、トライヴだけでは間隔が広過ぎて数が足りない。なのでビクトライヴという、より小型のワープゲートがその間を補っている。

 こうして全体を結んでみることで、浮かび上がってきたのは。

 高い対称性と統一感を持つ、美しく煌びやかな未来都市の姿だった。

 相当にコンセプトの明確な都市計画に則って、入念に開発されたのであろうことを十二分に窺わせるものだ。

 ちなみに、中央区に繋がるトライヴやビクトライヴはなぜか一つも存在しなかったのだが、セキュリティ上の観点からだろうか。簡単に移動ができないようになっているみたいだ。

 

 

 ***

 

 

 さて。私は今、町をぐるっと一周してきたところだ。

 第五街区の第十五番地、つまり最も外側にいる。

 私がこんな町外れにいる理由は明白。

 いい加減お腹空いた。

 どうやら私の懸念は、当たってしまったみたいだ。どこ探しても食料なんか一つも置いてなかった。

 こうなったら町の外に繰り出して、自力で食べ物を探すしかない。

 そう考えてここまでやって来たのだ。

 そして、まさか町の端っこが、こんなとんでもないことになってるなんて思わなかったよ……。

 私はぽかんとしたまま、それを見上げていた。

 都市の外周淵はすべて、高さが優に五十メートルはあろう分厚い白銀色の壁によって、取り囲むように覆われていたのだ。

 外部とは完全に仕切られていて、蟻一匹通れそうな隙間もない。

 壁はつるつるで、手を引っ掛けるような場所も一切ない。

 おまけに叩いてみたところ、とにかく硬いときたものだ。

 どう考えても、今の私には、破壊することも登ることもできそうになかった。

 ではまったく出口がないのかというと。そんなこともなくて。

 いくつか外門があって、その前には簡易な造りの関所がある。

 人や車がチェックを受けて通行しているのが見えた。

 彼らが通る少しの間だけ門は開き、それ以外のときはぴたりと閉じている。

 私もそこへ行ってみることにした。

 無愛想でいかつい顔をした男の検査官がいた。

 

「こんにちは」

 

 愛想良く話しかけると、彼はぶっきらぼうに返事をした。

 

「用件はなんだ」

「町の外へ出たいのですが」

 

 すると彼は、とんでもないことを要求してきた。

 私は外れ者だと、再び思い知らされた瞬間だった。

 

「外出か。では、製造番号がわかるものを提示しろ」

 

 なっ!? 製造番号だって!?

 そんなものあるわけないでしょ! 私、製造されてないし!

 

 内心そう叫びたい衝動に駆られながら、私はどうにか笑顔を貼り付けて答える。

 

「すみません。ちょっと今、持ち合わせがなくて……」

 

 検査官の男は、素っ気ない口調でノーを突きつけてきた。

 

「ならば、ここを通すわけにはいかんな」

「少しの間だけでいいんです。何とかなりませんか?」

 

 上目遣いで、精一杯甘えた声で必死に頼んでみる。

 もしかしたら多めに見てくれないかと期待して、女としての魅力を最大限活用してみた。

 だが、無駄だったようだ。

 

「無理だ。そういう決まりになっているのだ」

 

 ダメだ。通じない。役所仕事め。

 もう諦めるしかなかった。

 別に彼は本来の職務を忠実にこなしているだけで、非はないのだけど。

 死活がかかってる私が、多少毒を吐いてしまうのは仕方ないだろう。

 

「そうですか……。わかりました……」

 

 

 ***

 

 

 図書館に引き続き、肩をがっくりと落として関所を後にした私は、かなり激しい焦りを感じていた。

 

 まずい。本当にまずいことになった。完全にこの町に閉じ込められた!

 

 まだまだ何も食べられないとわかると、お腹は正直にきゅるきゅると鳴った。

 こうなると知っていたら、直前に何か食べてからこの世界に来ればよかったな。

 空も暗くなってきた。ほんとどうしよう。どうにかして食べ物を確保しないと。

 だが、すっかり行く当てもなくなってしまった。

 とりあえず何かないかと探しながら、ふらふらとその辺を歩く。

 辺りには、仕事帰りと思われる人たちもちらほら現れ始めた。

 やがてビジネス街に差し掛かったとき、近くのビルにかかっていた大きなモニターで、ニュースをやっているのが見えた。

 

 へえ。この世界も、テレビは普通なのか。

 

 そんなことを思いながら、何となくモニターを眺めたとき。

 まるで図ったようなタイミングで、それは流れた。

 

「続いてのニュースです。本日十二時頃、第三街区五番地に、ヒュミテの男が突然現れるという事件がありました」

 

 ――画面には、顔写真付きで手配された「俺」の姿があった。

 

 生死問わず。懸賞金十万ガル。

 そこにはそう映し出されていた。

 

「嘘でしょ……?」

 

 思わず、小さく声が漏れた。

 もちろんこっちの事情など知る由もないテレビの女性アナウンサーは、淡々とした口調で続ける。

 

「男は、現場に駆けつけたディークラン隊員十数名に暴行を加えた上で逃走。

 男は十代と見られ、中肉中背で、犯行時は青いジーンズと緑のジャケットを着用していました。

 男が不法侵入したルート及び動機は、未だ不明です。

 ディークランでは、総力をもって捜査に当たるとともに、この男に懸賞金十万ガルを懸けて市民からも情報を募っています。

 一刻も早く男を処刑できるよう、全力を尽くすとのことです。

 では、次のニュースです――」

 

 もう何も耳に入らなかった。頭がくらくらしてきた。

 まさか、ここまで本気で命を狙ってくるなんて。

 初日から、波乱万丈の幕開けにもほどがあるよ。

 機械人だらけの大都市で、たった一人。

 果たして私は、この世界で無事に過ごせるのだろうか。

 彼方にそびえ立つ、大都市の外壁を睨みつけた。

 今やディースナトゥラという町は、私を徐々に追い詰める巨大な檻にしか思えなかった。



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6「アンダーグラウンド ギースナトゥラ」

 私は例のワープゲート、トライヴを使わずに徒歩で第五街区三番地までやって来ていた。

 この辺りはたくさんのお店が立ち並んでいて、今は窮屈に感じるくらい人通りも多い。

 途中、何か食べ物を置いてある所はないかと探しながら歩いたのだが、相変わらずどこにも見当たらなくて、非常に困っていた。

 飲み水は魔法で作れるからまだ数日は大丈夫だろうけど、このまま餓死というのは本当に勘弁願いたいところだ。

 

 もうすっかり夜になっちゃったな。

 

 あちこちに設置された電灯を始めとして、各建物に取り付けられた色とりどりの電光板やネオンサイン(かどうかはわからないけど、それっぽいもの)が、夜の街をピカピカと照らしている。これらのおかげで、ディースナトゥラは夜でも明るかった。

 それから、ここの夜はとても冷えるらしい。

 凍える風が頻繁に肌に打ちつけてくる。肩を縮めて身震いしてしまうほどの寒さだ。 

 下手な場所で寝ると、凍死の危険があるかもしれない。

 

 そんなことを考えながら歩いていたとき。

 前方から人混みに混じって、身なりの貧相な黒髪の少年がやってきた。

 彼は私のすぐ横を通り過ぎる。

 それだけなら何ともないことなのだが、私の目は見逃さなかった。

 

 彼の手が――私のウェストポーチから、するりと世界計を抜き取ったのを。

 

 スリか。こんなところにもいるんだね。

 

 何気ない素振りで足早に去ろうとする少年の腕を、その場で掴んでやった。

 

「うぇっ!?」

 

 まさかいきなり腕を掴まれるとは思わなかったのだろうか。

 彼はひどく驚いた表情で振り返り、素っ頓狂な声を上げた。

 

「君がその手に持ってるものはなに?」

 

 確信を持って強い口調で問う。

 彼は悔しそうな顔で罪を認めた。

 

「ぐ。まさかこの韋駄天と呼ばれるオイラが、逃げ出す前に捕まるなんて」

「それ、大事なものだから。返してくれないかな」

 

 やんわりと、だが毅然とした態度でそう言うと、彼は観念したように首を振った。

 

「わかったわかった。返すってば。元々ちょっとしたテストのつもりだったしな~」

「テスト?」

「ほらよ」

 

 あっさりと世界計は返してもらえた。

 私はそれをすぐウェストポーチにしまい込む。

 

「いや~、すげえなあんた。誰かに捕まえられたのは初めてだよ。しかもこんなあっさり捕まるなんてね」

 

 先ほどの悔しそうな顔とは打って変わって、気持ちの良い笑顔で私を賞賛する彼。どうやら感心されてしまったようだ。

 確かに手つきはこなれていたし、華奢な子供の身体は身のこなしも軽そうではある。腕には相当自信があったのかもしれない。

 それはともかく、テストという言葉が気になった私はもう一度尋ねてみた。

 

「テストって何のこと?」

 

 さっぱり要領を得ない私に、彼はちょいちょいと耳を寄せろという合図をした。

 何を言うつもりなのかと訝しみつつも、指示された通り屈んで耳を寄せると、彼はひそひそ声で言ってきた。

 

「あんた、ヒュミテだろ?」

 

 驚きで声が出そうになったが、どうにかこらえた。

 だが多少の動揺は隠し切れなかったようで、それを見抜いた彼はしたり顔をした。

 

「やっぱり当たりだったね。レミの言った通りだ」

「レミって?」

 

 まったく話が見えない。

 重ねて尋ねるも、彼は取り合わずに自分の用件を告げてきた。

 

「まあ詳しい話は後にしよう。オイラを簡単に捕まえるほどの腕前だし、文句なく合格だ。うちのボスがあんたを待ってるから、ついて来なよ」

 

 ボスか。どうやらこの接触は計画的なものらしい。

 一体どこから目を付けられていたのだろうか。

 また知らない内に目立つことでもしちゃったのかな……。

 それに、この子はついて来いと言うけれど。簡単に信用してホイホイついて行っていいものか。

 少し迷ったが、まあ他に当てもないし、とりあえずついて行くのはありかと思った。

 ヒュミテと知りつつ(本当はヒュミテでもないけど)接触を図ってきた辺り、他の一切聞く耳も持たない連中に比べると、まだ希望は持てそうだし。

 ただ、あまり疑いを知らないと思われて舐められるのもまずいだろう。

 そう考えて、ポーズとしては一応の警戒を示すことにした。

 

「ボスね。なぜついて行く必要があるの?」

 

 そう言われるのは想定内なのだろう。

 彼も彼で、すました顔で交渉のカードを切ってきた。

 

「ふうん。別に来ないなら来なくてもいいよ。その代わりあんたがアレだってこと、ディークランにバラすけどね」

「もしかして、脅してるわけ?」

 

 そうきたか。

 確かにディークランに垂れ込まれては、非常に困ったことになる。

 こっちの身体でも身動きが取れなくなってしまえば、潜在的には敵だらけのこの町でやっていくのはあまりに厳しい。

 それに、私の正体を知る仲間が他にいる可能性が高い以上。

 する気はないけど、この場でこいつの口を封じたところで、無意味どころか逆効果だろう。

 選択の余地はないということか。

 

「ま、そういうことになるかな。嫌なら大人しく一緒に来なよ。それに、あんたにとっても悪い話じゃないと思うね。色んな情報とか食いもんとか、欲しいんだろ?」

「……いいよ。行こう」

 

 圧倒的に優位な立場にいながら、わざわざ餌を垂らして声をかけてくるというのは、私にそれだけ興味があるということだ。

 悪いばかりの話ではないのは確かだろう。果たして鬼が出るか仏が出るか。

 

「オーケー。じゃあオイラについて来て」

 

 彼に従って、すぐ後ろからついて行く。

 徐々に人気の少ない場所へと向かっていた。

 途中で振り返って、彼は思い出したように言った。

 

「そうだった。まだ名乗ってなかったね。オイラはリュートっていうんだ。あんたの名前は?」

「私はユウ」

「ユウか。可愛い名前だね。てか、あんた結構可愛いね」

「ふふ。それはどうも」

 

 やがて、地下へと続く大きな階段の前に辿り着いた。

 

「ここを降りて行った場所が目的地さ。出入り口はここだけじゃなくて、他にも何ヶ所もある。ま、それは後で教えるとして。行こうか」

 

 

 ***

 

 

「ここは……」

 

 長い長い螺旋階段を下った先は、ディースナトゥラの地表を覆い尽くしていた白銀のプレートの下に広がる、巨大な空洞だった。

 そこには、壮麗だった地上とは一変した光景が広がっていた。

 くすんだ金属の色に覆われ、ほんのりと錆びた鉄の匂いが漂う、小汚い地下街が広がっている。

 地下街といっても、ただ店舗が立ち並ぶだけのものではなく、正真正銘の町である。

 地上より規模や外観こそ劣るが、数え切れないほどの家屋が立ち並んでいた。

 最上部を覆う白銀の蓋のせいで、間違いなく日の光が当たらないであろうこの場所は、少し薄暗いが、代わりにあちこちが強い光を放つ白色電灯で照らされている。

 なので、視界には不自由しなかった。

 あまり宙に浮いているものはなく、どちらかというとこっちの方が、私がよく知る普通の町の姿に近い印象だ。

 空洞の面積は、ディースナトゥラのほぼすべての部分に相当するようだけど。

 ただ一ヶ所、真ん中のおそらく中央区に当たる部分だけは白銀の素材で覆われ、空洞を上下に貫く巨大な柱になっているのが一目でわかった。そこが全体の支えとなっているらしい。

 また、その辺りを歩く人たちは、一見すると姿形こそ地上の人たちと一緒である。

 だがよく見れば、ボディは老朽化が進んでいたり、一部を破損しているのが散見された。

 まさにスラム街のごとくな見た目だが、雰囲気はそこまで荒んでいるわけではなく、地上とは一味違う泥臭い活気に満ちている。

 こんなところがあったのか。すごい。

 すっかり目を見張る私に、リュートが物知り顔で説明してくれた。

 

「ギースナトゥラ。オイラたち外れ者が暮らすアンダーグラウンド。白銀のプレート街の下に広がる、ディースナトゥラのもう一つの顔さ」

「もう一つの顔……」

「そ。ここはいわゆる無法地帯ってやつでね。『綺麗で美しい首都ディースナトゥラ』にとって、都合の悪い部分を全部押し込めたようなところさ。政府の連中は、存在ごと無視を決め込んでる」

 

 そうか。今までこの町は随分完璧で綺麗なところだと思っていたけど、それはずっと表側ばかりを見てきたからだったのか。

 実際は光あるところ必ず影があるように、ここも例外ではなく、裏の姿があったというわけか。

 

「ここのポリシーは、来る者拒まず去る者追わず。数は少ないけど、あんたのお仲間も暮らしてるよ」

「ヒュミテがいるの?」

「うん。ところでさ。あんた、一体どうやってヒュミテ感知システムに引っかからずにあれだけちょろちょろできたんだよ? 見た感じ、セフィックを身に付けてるわけでもないのに」

 

 セフィック。また知らない単語が出てきた。

 新しい世界に来たばかりの頃は、こういうのが多いから大変だ。

 それに、ヒュミテ感知システムか。人間の生命反応を感知するものだろうか。

 逃走中にリアルタイムで位置を特定されたのには、本気で焦ったよ。

 

「私がちょっと特殊だから、かな」

 

 確証はないので曖昧に答えると、彼は誤魔化されたと感じたようだ。

 

「ふーん。なんかはぐらかされたみたい」

 

 腕を頭の後ろに組んで、ちょっと不満そうな顔をしている。素直で可愛いね。

 

「ま、その辺も含めて全部ボスの前で話してもらうよ」

「どこまで話すかは、そっちの出方次第だよ」

「へえ。言うね~。あんた、自分の立場わかってる?」

「もちろんわかってるよ」

 

 いたずらっぽく脅しを仕掛けてきた彼に動じずさらっと返す。

 すると彼はどこか感心した顔をして、それ以上は続けなかった。

 

「そっか。ならいいや。ボスのところはもうすぐだよ」

 

 

 ***

 

 

 じきに案内されて着いたのは、こじんまりとした店だった。

 店の前の看板には、『あなたの機体に潤いを! オイル屋ノボッツ』と書かれている。

 

「ノボッツ。例の人物を連れて来たよ」

 

 リュートは、カウンターに立っているガタイの良い男に声をかけた。

 ノボッツと呼ばれた彼は、私の姿を一瞥すると大声を上げる。

 

「おう。その子が例の……ってただの小娘じゃないか! 大丈夫なのか?」

 

 適当に曖昧な笑みを返しておく。まあよくある反応だし。

 私って16歳で見た目が止まってるから、ぱっと見ただの小娘にしか見えないんだよね。

 

「見た目はちょろそうだけど、ただ者じゃないよ。なんたって、このオイラが逃げ出す前に捕まっちゃったからな!」

 

 まるで自分のことのように、自慢気に私のすごさを語るリュート。

 

「ほう。そいつはすごいな!」

 

 おかげでノボッツは評価を瞬時に改めたようだ。

 カウンターから勢い良く出てきて、そのまま私の両手を掴むと、力強くぶんぶんと振ってきた。

 

「君がこいつらの力になってくれるなら、十人力だ!」

「え、いや。まだ協力するって決めたわけじゃないですけど……」

 

 いきなりの攻勢にたじろいだ私は、つい語気が弱くなってしまった。

 

「そうカタいこと言うなって! 人生助け合いってもんだろ! ほら、うちの特製オイルやるからさ!」

 

 そう言って彼は、横の店棚から瓶詰めの高級オイルを一つ取ると、私に差し出す。

 

「いいえ。結構です」

 

 オイルなんて要らないし。使えないし。

 困った私は、彼の手をそっと押し返した。

 彼はしまったと額に手を当てて、豪快に笑う。

 

「ああそっか! ヒュミテはオイル使わないもんな! がっはっは!」

「あはは……」

 

 私も一緒になって、苦笑いするしかなかった。

 

「ふうん。ユウは押しに弱いのか」

 

 横でやり取りを楽しそうに眺めていたリュートが、冷静に私の弱点を分析していた。

 

「そろそろ通してくれよ~。ノボッツ」

「おう。そうだな」

 

 リュートの一声で思い出した彼は、カウンターのところまで戻っていく。

 背後にある番号ロック式のドアに番号を打ち込み、ドアを開けた。

 

「行って来い。ボスが首を長くして待ってるぜ」

 

 ドアの先には階段があり、そこを下りていくと、ついに彼らのアジトに出た。

 

「着いたよ。『アウサーチルオンの集い』へようこそ」

 

 紹介された私は、あまりの様子に心底驚いていた。

 何よりも、そこにいた構成員の姿に。

 信じられないことに、全員がどう見ても子供ばかりなのだ。大の大人の姿など、一つもなかった。

 

「驚いた?」

 

 リュートの問いへ素直にこくりと頷くと、彼はやっぱりねと言いたげな顔で事情を教えてくれた。

 

「みんな見た目は子供だけどね。別にオイラみたいなほんとのガキばかりじゃないよ。大半の連中は、本当は大人になるはずだったけど、大人になれなかった子供たちさ」

「大人になれなかった子供たち?」

「アウサーチルオン。諸々の事情で機体更新ができなかった人たちはそう呼ばれて、上ではめっちゃ肩身の狭い思いをすることになる。そうして自然とここへやって来る羽目になる」

「なるほどね」

「そんな彼らを取りまとめているのが、うちのボスってわけ」

「そうなんだ」

 

 機体更新。

 正確なところはまだわからないが、言葉の意味と彼の話から察するに、子供から大人になるためには、機体を子供用から大人用の新しいものに替える必要があるということだろうか。

 確かに考えてみれば、機械の身体が自然に成長するはずがないのだから、どこかのタイミングでそういうことは必要になるのかもしれない。

 しかし、わざわざ違うサイズの機体を用意して、そんな面倒なことをしてまで「人間の成長」を演出するのは、どういうことなんだろうか。

 ナトゥラという存在の謎が、さらに深まったような気がした。

 彼はさっさと先へ足を進めてしまったので、それ以上聞ける空気ではなくなってしまった。

 

 そして、いよいよボスの部屋の前まで来たようだ。

 少し待つように言われ、彼が一度中へ入る。

 しばらくしてから、また出てきた。

 

「もう入っていいよ。じゃあ、オイラはここで」

「うん」

 

 去り際に、彼は振り返って裏のない笑顔で言った。

 

「あんた、ちょっと気に入ったよ。もし力になってくれるなら、またよろしく」

「どうなるかは、この話し合い次第かな」

 

 そうは言いつつも、私もまんざらでもない気分だった。

 ちょっと生意気だけど、素直で可愛い子じゃないか。初めてナトゥラと仲良くなれた気がする。

 

 さてと。一体何の用があるんだろうか。

 ここまでの感じだと、どうも何かに協力して欲しいみたいだけど。

 足元見られないように気合い入れていくか。

 両手でぱんと頬を叩き、気を引き締めてドアを開ける。

 部屋は思ったほど広くなかった。質素な内装で、とりわけ目立つ家具もない。

 ボスと思われる銀髪の少年は、机越しに革張りの椅子に座っていた。

 彼もまた、ここまで見てきた他の構成員たちの例に漏れず、やはり子供そのものの姿をしていた。

 しかしその眼光は、獲物を狙う鷹のように鋭い。堂々たる落ち着いた様からは、並みの大人などよりもずっと大きな存在のように錯覚させてしまうほどのオーラを感じさせた。

 彼は丁寧な物腰で挨拶してきた。

 

「お初にお目にかかる。僕が『アウサーチルオンの集い』を取りまとめている、クディンだ。わざわざ御足労頂いてすまない」

 

 彼の隣には、ピンク色の長髪をした、勝気そうな顔つきの少女が付き従っていた。

 彼女も丁重にぺこりと頭を下げる。

 

「レミと申します。上でちょろちょろと動き回っていたあなたを感知して、失礼ながら監視させて頂いた者です」

 

 うん。こっちはちょろちょろとか言う辺りに気安い本性が垣間見えるね。

 とりあえず私も挨拶を。

 

「はじめまして。ユウです。あなたたちが話があるということで、来ました」

 

 クディンの方を見据えて、しっかりと名乗る。話し合いが始まった。



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7「『大人になれなかった子供たち』の依頼」

 クディンは、こちらを品定めするかのような鋭い視線を投げかけている。

 

「まあ挨拶も済んだことだし、お互い畏まった口調は抜きで話そうじゃないか。僕もレミも、そちらの方が話しやすいからね」

 

 レミの方を見ると、同意するように頷いていた。

 まあ私としてもその方が話しやすい。

 

「ならお言葉に甘えて。話の前に、私から一つ尋ねてもいいかな」

「どうぞ」

 

 彼の許しを受けて、私は尋ねた。

 

「一体どうやって私を特定できたのか、教えてくれない?」

 

 一応気を付けて行動はしていたつもりだ。

 実際、彼ら以外には人間であることがバレていなかったようだし。

 だから、彼らにだけはなぜ見抜かれてしまったのかは知っておきたかった。

 たぶんリュートの「レミの言った通りだ」発言から察するに、彼女が見抜いたんだろうけど。

 

「私があなたを見つけたのよ」

 

 レミが澄ました顔で、予想通りそう答えた。クディンが補足する。

 

「彼女は、ヒュミテ感知機能に特化していてね。単に生命反応を捉えるだけではなく、水素や炭素などのヒュミテを構成する元素が、ヒュミテの構成比率に近い物体に反応するレーダーを持っているのだ」

「なるほどね。だったら見つかるのも当然か」

 

 まさか元素レベルで解析されていたとは。確かにそれなら一発でバレてしまう。

 いくら気力をなくせたところで、ナトゥラのように金属の身体を持っているわけじゃないからね。

 とすると気になってくるのは、他にも同じことができる奴がいるかどうかだ。

 もしいるならば、女だからと安心して行動できないことになる。

 

「その感知方法を他に使う奴はいる?」

「たぶんいないわ。きっと私だけよ」

 

 それだけ言ってむすっと押し黙った彼女の顔は、明らかに不機嫌になっていた。

 なぜだろうか。自分だけがその機能を持っていることを喜ばしく思っていないように見える。

 事情を知っているらしいクディンが、口を閉ざす彼女の代わりにまた説明してくれた。

 

「彼女は、元は特別な事情があって生まれた特殊機体でね。ヒュミテ感知機能は望んで付けられたものではないのだ」

「なるほど」

「とにかく、他にそんな真似ができる者はおそらくいないから安心していい」

 

 彼女の方を見ると、ぷいと顔を背けていた。

 あまり触れられたくないようだし、これ以上深入りするのはやめておこう。

 ともかく、どうして見つかったのかという疑問は解けた。

 そして彼らの言葉を信じるならば、女の姿なら基本的には大丈夫だということも。

 

「そう。よくわかったよ」

 

 すると、レミが私に顔を向け直して、強めの口調で尋ねてきた。

 

「それより。こっちの方こそ聞きたいことがあるわ。あなたを見つけてから、ずっと知りたかったのよ」

「なに?」

「あなた、セフィックもないのに、どうやって生命反応を隠せているのかしら?」

 

 その質問か。

 来るとは思っていたけど、そもそもセフィックというものを知らない。

 うーん。どう答えたものかな。

 返答を迷っていると、彼女はそれを待たず、矢継ぎ早に疑問を投げかけてくる。

 

「おかしいのよ。ここ数年はなかったヒュミテが上をうろつくなんて大事件が、今日だけで二件。昼間に現れた謎の男にしてもそうだけど、あなたはどうしていきなり現れたの? 一体何が目的なの?」

 

 物凄い剣幕に押されて、困ってしまった。

 そんな私を見かねたのか、クディンが止めに入ってくれた。

 

「まあまあ。いっぺんに聞かれても、向こうが困るだろう」

「だって、クディンも気になるでしょう?」

「それは、そうだが……」

 

 この二人は、上下関係を抜きにして気兼ねなく話せる仲なのだろうか。

 彼女の調子に押されて肩を竦める彼からは、最初に見せていたボスとしての威厳のようなものは、すっかり薄れていた。

 失礼だけど、今の彼は、どちらかと言えば見た目相応の子供のように見える。

 

 どうにか彼女をなだめた彼は、こほんと一つ咳払いをしてから私に言った。

 

「確かにレミが言ったことは大体、僕も気になることだ。本来、ヒュミテが上で活動するのはあり得ない話でね。悪いが君の動向を探るため、リュートに頼んで後を追ってもらったのだよ。よって君の行動は、概ねすべて把握している」

 

 あいつにこっそりつけられていたのか。人間と違って気配が一切ないから、まったく気付けなかった。

 私もまだまだだな。

 

「観察してわかったことだが、君の行動は明らかに普通ではなかった。まるで何も知らぬよそ者が、必死で手掛かりを探るような、そんな動きだ」

 

 その通りだ。すっかり見透かされている。

 

「まず君が真っ先に向かったのは、中央図書館だね」

 

 素直に頷くと、彼は続ける。

 

「そこでは、ヒュミテである君は当然何も情報を得られないのだが、君はどうやらそのことを知らないようだった」

 

 彼はその鋭い瞳で、私の反応を伺いながら言葉を紡いでいく。

 

「わざわざ時間をかけてまでトライヴをすべて渡ったのは、地理の把握が目的だろう。それに飽き足らず、大胆にもこの街から出ようと試みたな」

「ええ。だけど」

「無理だった。ゲートの警備が厳重なことは、この街に住む者ならば常識だ。だが君は、そんなことも知らなかった」

 

 クディンは少し間を作り、また私の反応を確かめる。

 

「それから、昼間の事件。例の襲撃犯の男に関するニュースを聞いて、焦燥する君の姿が確認されている」

 

 そこまでしっかり見られていたのか!

 わずかに驚きを隠せなかった私に、彼はほんの少し得意気に口の端を吊り上げた。

 

「以上のことから判断するに。詳しい事情はわからないが、君はトライヴのような転移装置か何かで、この町に迷い込んでしまったよそ者だろう」

「…………」

「そして、昼間の事件の男とは、仲間か知り合いなのだろう? それで今は、右も左もわからなくて困っている。そんなところではないか?」

「……大体、合ってるよ」

 

 ただ一点違うとすれば、その昼間の事件の男というのは、間違いなく「俺」自身ということだ。

 だがまさか同一人物だとは思わないだろうから、仲間か知り合いだと予想するのが自然だろう。

 素直に感心する。大した観察眼の持ち主だ。

 

「へえ。さすがうちのブレインね。なら、そもそも上にいた目的も何もあったものじゃないのね」

 

 納得顔で頷くレミに、クディンも頷き返す。

 

「そういうことだ。そして彼女は、まだ身分が割れていない、自由に動ける貴重な人材ということでもある」

 

 彼は私の方へ向き直ると、丁寧な物腰で頼んできた。

 

「ユウ。君に来てもらったのは他でもない。我々に協力してもらいたいのだ。報酬としては、君が望むだけの情報と食事、それから住居を提供しよう」

 

 まずは餌を垂らして釣りに来たか。

 

「どうやら君が今一番欲しがっているのは、そういったもののようだからな。どうだ。悪くあるまい」

 

 確かに喉から手が出るほど欲しいものだけど、対価は何だろうか。

 

「確かに悪くはないね。で、何を頼みたいの?」

「それは後で話そう。まずは、我々の立場と理念について知ってもらいたい。君は――何も知らないという前提で話した方がいいか?」

「それで頼むよ」

「わかった。まず我々は、『アウサーチルオン』と呼ばれている。その辺りから話そう」

 

 一つ呼吸を置き、彼はまた語り始める。

 

「我々ナトゥラの中には、ヒュミテのように老人はいない。だが、大人の他に子供が混じっているのは見たはずだ」

「見たよ。なぜわざわざ子供用の機体が存在しているの?」

「それはわからない。僕が生まれたときには、既にそういう仕組みが当たり前になっていたという他はない」

「そっか」

「ヒュミテだってそうだろう。なぜ社会にこれこれの慣習や文化があるのか、それは時に答えるのが難しいか、不可能な命題だ」

 

 確かにね。謎の慣習とか文化ってあるよね。

 日本だと麺や汁物をすすったりとか、やたら何するにもすみません言ったりとか。

 普通なんだけど、なんでって言われたらよくわからないやつ。

 

「ともかく我々は、ヒュミテを嫌いつつも、彼らに準じた生活様式を取る奇妙な存在でね。どうもそのようにプログラムされているらしい」

 

 プログラムされている、か。

 この仕組みを創り出した者たちがいるなら、一体何を思ってそんなものを創ったのだろうか。

 

「我々ははじめ、愛し合う男女の情報を半分ずつ引き継いだ子供の機体『チルオン』としてこの世に生を受ける。まあ身も蓋もない下世話な言い方をすれば、夜の営みを通じて、精子と卵子を模したもの同士でデータの結合をし、結合データを中央工場に持ち寄ることで、それを核とした新しい機体が製造されるわけだがな」

 

 恋愛と生殖の仕組みまで再現されているのか。何だかとんでもない話だな。

 

「そうして生まれた『チルオン』は、身体こそ製造時のまま成長しない。一方で知能の方は、備わった学習機能により、ヒュミテと同様に成長していく」

「ふむふむ」

「やがて製造後十五年~二十年の間に、大人の機体である『アドゥラ』へと機体更新することになっている」

「なるほどね。そこで切り替えるんだ」

「ああ。これは、ナトゥラの権利であると同時に義務でもある。このときかなりの更新料を納めなければならないが、とある理由により、かなり無理をしても納めるのが普通だ」

「とある理由?」

 

 そこによほど苦い理由があるのか、クディンは顔をしかめた。

 

「稀に諸々の事情で『チルオン』から『アドゥラ』に更新できない者、しない者がいる。そうした者たちは、大人になれなかった子供『アウサーチルオン』と呼ばれる」

「それが君たちなんだね」

 

 ついに彼ら自身の話が出て来た。より親身に話を聞く。

 彼は苦い顔のまま、核心的問題を述べた。

 

「僕たちはね。就労権や生存権など、ナトゥラとしての種々の基本的権利を剥奪されてしまうのだ。要するに、ナトゥラではないと烙印を押されるわけだ」

「機体更新をしなかっただけで!? それはひどい話だね」

「まったくだよ。上では、アウサーチルオンは発見次第捕捉し、中央処理場へ廃棄処分されることになっている。君たちヒュミテと同じような扱いだ」

「廃棄処分……」

 

 何とも物騒な話に、悲しい気分になる。

 私も殺処分されそうになった身だからね。気持ちはよくわかるよ。

 

「僕たちだけではない。老朽化が目立つ者や、何らかの修復不可能なエラーが生じた者等も即廃棄処分となる。そうして得られた資源は、次代のナトゥラの材料として再利用される。ディースナトゥラは、正規格のナトゥラのみが繁栄を謳歌することを許された街なのだ……」

 

 ぞっとするような話だった。

 身体が機械であるナトゥラは、人間と違って、完全に壊れない限りは延々と生き続けることができるのだろう。

 だから直しようもないほど壊れたときが、彼らの自然な最期だと思っていたが。

 実際は正規格から外れたそのときに、強制的に生を終了されてしまうのか……。

 そうすることで、次世代のナトゥラを作り出す資源が生まれ、世の中が回っているのだとしても。

 他者に無理矢理終わらされる人生なんて、考えるだけで嫌になりそうだ。

 

 ただ、クディンは建前と実際についても教えてくれた。

 

「だがこうした法は、あくまでも原則だ。実際は、すべてのヒュミテを死罪に処し、異端者を片っ端から処分するのは、莫大な手間と予算がかかる」

「そうだよね。あ、それでか」

 

 この奇妙な地下都市が成立した理由がわかった。

 

「察しが良いな。中央政府は、このギースナトゥラを超法規区域と定め、この区域での生存だけは事実上黙認することにしているのだ」

「なるほどねえ」

「ヒュミテと処分対象者を自然とこの地下へ追いやって閉じ込めることで、統制する政策というわけだな」

「やり口が狡いね。非道だが、合理的だ」

「ああ。悔しいがな。僕もまた、そうして仕方なく追われた者の一人さ」

 

 肩を竦める彼に、私も、そしてレミも同情的な視線を向けていた。

 しかし彼は、やられるだけでは終わらなかった。

 

「けれど僕には、このまま泣き寝入りするにはいささか強い反骨心があってね。行き場を失くしたアウサーチルオンたちが、身を寄せて立ち上がり、上で日の光を浴びれるようにと」

 

 背後の壁に描かれたマークに、彼は目を向ける。

 そこには手を取り合う子供たちの輪と、その上にはお日様が描かれていた。

 再び私を見つめて、彼は力強く言った。

 

「ここに組織を創った。それがこの『アウサーチルオンの集い』だ」

 

 そんな彼からは、自らが創り上げた組織のボスとしての、強い自負が感じられる。

 その隣で、彼に熱い眼差しを向けていたレミが言った。

 

「クディンは本当にすごいのよ。彼がいるからこそ、今の私たちがあると言ってもいいわ」

 

 ここまでの話で、ようやく正体不明だった彼らの目的が見えてきた。

 

「なるほど。ここがどういう集まりなのかよくわかったよ――レジスタンスだね」

「その通り。我々は、現中央政府による弾圧体制を打破するために活動している」

 

 これは、思ったよりも大きな山に当たったみたいだ。

 初日からついているのか、ついていないのか。

 良くも悪くも、組織が持つ力というものは個人よりも大きい。

 私が一人でちょろちょろするよりは、彼らの近くにいた方が見えるものは多いだろう。

 だがその分、自由は減るし、リスクも上がってしまうのは間違いない。

 どうする。

 とりあえず活動内容を詳しく聞いてから判断しようか。

 結論を保留しつつ、私は対話を続ける。

 

「そして、ヒュミテと繋がっているということか。少し話が見えてきた」

「ほう。なぜそう思った?」

 

 感心した表情を見せた彼に、私はすかさず根拠を答えた。

 

「ナトゥラにしては、親ヒュミテの者が多いこと。ナトゥラには不必要な食料の用意があること。本来は敵のはずのヒュミテである私に、堂々と協力を求めていること」

「ほう」

「それにレジスタンスの活動には、外部とのパイプや資金源が不可欠だ。ヒュミテと繋がりがあると考えれば、すべてすっきりする」

「……君の言う通りだ。我々は、ヒュミテ陣営と協力しながら、すべての者が平等に暮らせる社会を目指している」

 

 やっぱりそうだったね。

 推測が当たって、内心少しほっとする。

 全然的外れなこと言ってたら、期待外れと思われてしまう可能性もあるからね。

 

「それに、ヒュミテだけではない。他のレジスタンス組織とも協力している。ナトゥラも決して反ヒュミテの一枚岩ではないということを、どうか心に留めておいて欲しい」

「そっか。あなたたちのような人もいるんだね」

 

 ナトゥラと言えば、ヒュミテの敵というイメージばかりだったから。

 両者が協力し合っているというのは、新鮮な響きだった。

 

「ああ。実を言えば、僕自身はヒュミテには同情しているのだ」

 

 そして彼は、自らの認識を改めて語った。

 

「確かにヒュミテには、決して許されない歴史的な大罪がある。それもあって、旧来よりナトゥラとヒュミテはいがみあってきた。凄惨な戦いも数多くあったという」

 

 歴史的な大罪か。一体何をしたのだろうか。

 

「だが、現状はどうだ。今やヒュミテは、ほぼすべてが不毛なティア大陸に追いやられた。出生率も急激に低下し、衰退の一途を辿っている」

 

 また知らない背景が出てくる。

 彼は私のことをヒュミテだと思っているから、これはさすがに知ってると思って話しているのだろう。

 

「そこへ追い打ちをかける、ヒュミテ隔離法の成立だ。この豊饒なエルン大陸の土地は、まだまだ余っているにも関わらず、彼らは一切の進入を禁じられてしまった」

 

 ヒュミテ隔離法。

 どうやら私は、その法律に引っかかってリルナに追いかけ回されてしまったらしい。

 

「このままではまず間違いなく、そう遠くはない未来にヒュミテは絶滅してしまうだろう。いくらヒュミテ憎しとはいえ、さすがにやり過ぎではないかと思うのだ」

 

 そう言って、彼は締めくくった。

 

 うん。詳しいことはわからないけど、同類が絶滅しかけているという事実は、やっぱり心が痛むね。

 何とかできないだろうか。

 

 クディンに同調するように、レミが溜め息を吐いた。

 

「どうも昔は、ここまでではなかったみたいなのよ。いつしかみんな、ヒュミテなんて殺されて当たり前だと考えるようになってしまった」

「どうして、そんなことになってしまったの?」

「わからないわ。長い長い対立の歴史の中で、気付いたらそうなってしまったのかもね……」

 

 そう言ってやや目を伏せる彼女は、どこか諦観しているようだった。

 

「ともかく。我々はそんな現状を変えたくて、頑張っているわけだ。君もヒュミテの一員として、今後の活動に協力してくれないだろうか?」

 

 二人は私の顔を見つめながら、返答をじっと待っている。

 私は少し考えてから、こう答えた。

 

「理念には賛同できる。でも、一つ気になることがあるよ。そんな大事なことを、初対面の私なんかにわざわざ頼む理由がまだ見えない」

 

 ここは重要なところだ。

 もし仮に、私が彼らに協力せず、この話を外部に漏らしたとしたらどうなるだろう。

 こんなレジスタンスなど、一息で潰されてしまうかもしれない。

 彼らにすれば、私が「ヒュミテ」だからその危険は低いと見ているのだろうけど、決して百パーセント安心はできないはずだ。

 そんなリスクを冒してまで、ここまでの話を初対面の私にするということは、相応の理由が考えられる。

 クディンは表情こそ変えなかったが、少々苦しい言い訳を見せた。

 

「一応、人を見る目はあるつもりだ。今日の君の行動を見させてもらった上で、信用できると見込んで頼んでいる」

「そう」

「それに、君のように身元不明で、かつリュートを軽くいなすほどの人材は、中々いないからね」

「へえ――それはつまり、印象と条件だけで頼まなければならないほど、人材が不足しているってことでいいのかな」

 

 端的に人材不足か。リスクを冒してまでも、私が必要なんだ。

 

 図星を突かれた彼は、初めて自らの境遇以外のことで表情を険しくした。

 今までの人当たりの良い話しぶりが表の顔だったとするならば、それは紛れもなく、地下社会で強かに生きてきた男の裏の顔だった。

 

「……返す言葉もないよ。だが、わかっているのか。君は我々に従うしかないのだ。上には君が食えるものなど、一つもないのだから。我々に従わないのなら、君は餓死するしかないぞ」

 

 なるほど。最初からそうやって、私を従わせるつもりだったのか。

 だからここまでぺらぺらと話せたと。でもね。

 

「そんな下らない脅しは通用しないよ。ここに食料があるとわかった以上、いざとなれば実力行使で奪い取ることもできる」

「ほう。ここに何人の部下がいると思っているのだ。よくそんな戯言を言えたものだね」

「戯言かどうかは――やってみなきゃわからないよ!」

 

 私に気取られぬよう背後に回り、ナイフを突きつけて脅そうとしていた者がいた。

 その彼女――レミの右腕を取って、投げの要領で地面に叩き付ける。

 

「ぐっ……」

 

 硬い床に強烈な勢いで叩き付けられた彼女は、苦しそうに呻く。

 

 いくら相手に生命反応がなくとも、しっかりと警戒していれば、至近距離ならさすがにわかる。

 かすかな音や空気の流れなど、直接感知に頼らなくても読めるものもあるんだよ。

 

 しっかりレミを制してから、前を見ると。

 クディンはこれまた、私の前で初めて心底驚いた顔を見せていた。

 

「ウチで一番の暗殺術を持つレミが……まさか、一瞬でやられるとは……」

 

 黙ったまま、さらに言葉を待って油断なく彼を見つめていると。

 やがて彼は、観念したように嘆息した。

 

「……わかった。僕の負けだ。挑発するような真似をしてすまなかった」

「いいよ。それだけ交渉に必死だということが、よく伝わってきたから」

 

 彼女の手からこぼれ落ちていたナイフを、部屋の隅へ蹴っ飛ばす。

 これでもう攻撃はできない。決して油断はしない。

 腕の力を緩めて、彼女を引き起こしてやる。

 起き上がった彼女は、ぽかんと魂の抜けたような顔をしていた。

 よほど腕に自信があったのだろうか。

 あまりに簡単に投げられてしまったのが、信じられないようだった。

 そんな彼女を一瞥してから、またクディンに向けて話す。

 

「それに私だって、強引なやり方は好きじゃない。活動の内容にもよるけど、できることなら協力して、正当な対価を貰うことにするよ」

 

 理由が人材不足ならば、別にそれだけで断る理由はない。理念には賛同できるというのは本心だ。

 

「そうか! それはありがたい!」

「ええ。よかったわね! クディン!」

 

 そこで二人は、初めて裏のない明るい顔を示した。

 やはり切羽詰まっていて、手段を選べなかったのだろう。

 ひとしきり喜びを分かち合った後、彼は改めてお願いしてくる。

 

「では、早速君にやって欲しいことがある。君の仲間と思われる男の、捜索と勧誘だ」

 

 要するに「俺」のことか。

 

「どうして、彼が必要なの?」

「既に承知の通り、今は少しでも戦力が欲しいところでね。特に純粋な戦闘能力が不足している」

 

 クディンは、自らの頼りない身体を指さした。

 

「見ての通り、我々は子供の身体だ。残念ながら、単純な身体能力には乏しいのだ。武器や絡め手を使わなければ、まともには戦えない」

「なるほどね」

「件の男は、あのリルナと斬り合って、無事に逃げおおせたというほどの実力。ぜひとも我々に引き入れたい」

「そのリルナというのは、そんなに強いの?」

「強いなんてものじゃないわ!」

 

 あくまで何も知らない体で尋ねると、レミが飛びつくように答えてくれた。

 

「特殊機体のみで構成される、ディークランの特務隊『ディーレバッツ』。その中でも、一人群を抜いた戦闘能力を誇るのが彼女よ。まさにナトゥラ兵器。人々は彼女を『最強』のナトゥラと呼ぶわ」

「へえ。そうなんだ」

 

『最強』のナトゥラなんて呼ばれているのか。道理でずば抜けた力を持っているはずだ。

 

「あなただって、きっと全然敵わないわよ」

「うん。そうかもね――で、彼を引き込んだら何を頼むつもりなの?」

 

 するとクディンは、歯切れの悪い調子で、本当にすまなさそうに言ってきた。

 私相手にブラフは通用しないと悟ったからか、反応は素直だった。

 

「悪いが、そこから先は彼と直接話がしたい。とても大事な件なのでね。すまない」

 

 その「彼」が目の前にいるとは、つゆも思っていないだろう。

 さて。どうしようか。

 男にならないと、実質話が進まないらしい。

 一旦外に出てから、変身して来てもいいけど……。

 そうやって正体がバレないように誤魔化すのは、二人で一緒に来てくれという話になったら面倒だ。

 別に誤魔化す意味もないし。どうやら彼らとは、長めの付き合いになりそうだし……。

 この際、もう見せてしまってもいいかな。

 

「ねえ、クディン。一つ、つかぬ事を聞いてもいい?」

「どうぞ」

「ヒュミテ感知システムは、このギースナトゥラにも張られているの?」

「いや。感知システムは、ディースナトゥラ全体には張り巡らされているが、ここまでは及んでいない」

「そっか。ありがとう」

「いえ。だが、それが何か――っ!?」

 

 二人が馬鹿みたいに驚く。

 

 私はその場で、男に変身した。

 

 今の俺には、変身を他人に見せることに対する後ろめたさや警戒心は、以前ほどはない。

 見られて不都合が生じたところで、それをどうにかできるだけの力は身につけたつもりだ。

 隠す必要がないなら、下手に隠すよりは、二つの身体を持つありのままの自分として堂々とやっていこう。

 いくつもの世界の旅を経て、自然とそう思えるようになっていた。

 

 初めて変身を見せると、誰もが面白い反応をする。

 クディンとレミもまた例外ではなかった。

 二人とも、これまでで一番の反応だ。

 間抜けな口を開け、目を丸くして声を失っている。

 

 やがて、我に返ったレミが。

 これまでの気の強いイメージを覆すような、可愛らしく素っ頓狂な声を上げた。

 

「え、ええっ!? なに!? どうなってんのこれっ!?」

 

 そんないつも通りの反応に満足した俺は。

 未だ彼らの混乱冷めやらぬ内に、話を切り出すことにした。

 

「それで。俺に何を頼みたいんだ?」



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8「ヒュミテ王救出作戦参加依頼」

 あまりに驚いた二人は、とても話どころではないようだった。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。僕は……変な夢でも、見ているのか?」

「夢じゃないわ、クディン。私もはっきりとこの目で見てるもの。信じられないけど、反応が示してる。間違いなく、昼間の事件の男よ!」

 

 口をあんぐり開けたままの顔で、きょろきょろと俺の全身を見回す二人は、先ほどまでの大人らしい打算や落ち着きがすっかり抜け落ちていた。

 外から見ただけでは、もはや初めて見たものに心を奪われているただの子供と区別がつかない。ちょっと可愛いとすら思えてくるほどだ。

 

「俺は少し特殊な人間でね。二つの異なるタイプの身体を持っていて、いつでも変身できるんだ。この男の身体と――」

 

 俺は、二人に見せつけるように再変身する。

 二人は再び目を丸くした。

 

「これまで見せていた女の身体。どっちも本当の私だよ」

 

 ついでにレミの疑問にも答えておこう。変身を見せた今なら、説明も簡単だ。

 

「今まで女でいたのは、ヒュミテ感知システムから逃れるため。こっちの身体は、生命エネルギーを発しないの」

「え――あ、本当。また生命反応が消えてるわ!」

「信じられん……。本当に何の装置もなしにだと!? なぜだ? そんなことができるヒュミテがいたというのか?」

「できるっていうか、体質かな。だからなぜって言われても困る。確証はないけど、こんな体質そうそういないし、この世界ではきっと私くらいだと思うよ」

 

 まあこれだけ見せて説明しておけば、一応理解はしてもらえただろう。

 もう女のままでも、続きの話はしてくれると思うけど。

 私はもう一度、男に変身し直すことにした。

 追われるような面倒なことにならないのなら、この世界では戦闘力に優れる男でいた方がいいだろう。何かあったときに対処しやすい。

 さっきレミが仕掛けてきたときは女のままでも何とかなったけど、いつ何があるかわからないからな。用心しておくに越したことはない。

 

「というわけで改めて。ここから先は俺として話を聞こう。用件を言ってくれ」

 

 本題に戻ろうと催促すると、クディンはどうにか落ち着こうとしたのだろうか。

 彼の子供の身体には少々余る革張りの椅子を、改めて深い位置に座り直してから、一つ大きく深呼吸をした。

 

「いやはや。我々ナトゥラの中には、一部が変形する構造を持った者もいるにはいるが……。ここまでまるっきり変わるのは、初めて見たぞ。まだ頭が混乱しているのだが」

「私もよ。人生で一番驚いたかも。ユウ。あなた、一体何者なの?」

「何者と言ってもね。まあ――旅人かな」

「旅人って。絶対そんなわけないわよね!?」

 

 納得がいかないとじと目で睨まれたが、別に嘘は言ってない。

 俺は動じることなく、素直に言葉を返した。

 

「通りすがりの旅人さ。機械人だらけの街に、ふらっと迷い込んでしまっただけのね」

 

 一応フェバルのことは、色々あると言えばあるけど。

 すべてこの世界の事情には、一切関係のないことだ。

 そういう意味では、本当に一人の旅人でしかないのは間違いない。

 

「ふーん。あっそう。旅人ですかそうですか」

 

 それで彼女は一応引き下がってくれたが、不機嫌そうに下を向いて「絶対あり得ないわ。私がその辺の旅人にやられるなんて絶対あり得ない」とか何とか、ぶつぶつ小声で言っているのが全部丸聞こえだった。

 うーん。根に持たれちゃったかな。あはは……。

 

「あーもういいわ。クディン、こいつにとっとと例の作戦を話してしまってよ」

 

 やがて少し棘のある声で彼女が急かすと、クディンは我に返ったように頷いた。

 

「あ、ああ。そうだったな」

 

 やっと本題か。長かった。

 やっぱり変身なんて見せない方が早かったかな、とちょっと後悔する。

 

「君に頼みたいことは、他でもない。ヒュミテ王の救出に協力して欲しいのだ」

「王の救出、ね」

 

 意外な切り口で来たなと思った。

 ヒュミテやこの人たちには、まず言論の自由が許されていないだろうし、クディンはとにかく強い戦力を求めている口ぶりだ。

 だからもっと武力に訴えて、過激なことをさせられるのかと予想していたのだけど。

 良い意味で違ったか。

 まあ、もし予想通りだったなら、もちろん一切協力しないつもりだったけど。

 

「ええ。周知の通り、テオは一年前にアマレウムでの活動中に逮捕されて以来、ずっと囚われの身なの」

 

 テオ。どうやらそれが王の名らしい。

 

「私たちは、ヒュミテと協力して彼を助け出そうと、ずっと秘密裏に動き回ってきたのだけど……」

「いつも途中までは上手くいくのだが、結局はことごとくリルナ率いるディーレバッツの手に阻まれてな。少なくない犠牲を出してきた上に、すべて失敗に終わっている」

「やっぱり彼女の存在がネックなんだな」

 

 どノーマルな状態の「私」の動きに感心しているレベルでは、あれはどうにもならないだろう。

「私」より素の身体能力で一段優れる俺が、さらに気力でフル強化して、辛うじて動きを捉えられるかどうか。そのくらい彼女は速い。

 それだけでも十二分にやばいのに、他にも同じような仲間がいるのだとしたら、それこそ戦いにすらならないはずだ。

 こっそりやるしか手がなく、見つかったらその時点で終わりなのは、想像に難くない。

 

「ええ。彼女は悪魔よ。ひとたび戦闘が始まれば、一切の容赦はない。血も涙もない殺戮兵器と化すの」

「あれは怖いよね」

 

 話を合わせておく。

 あの凄まじい殺気と容赦ない動きを体感した身としては、他の人にどう映るのかも簡単に想像がつく。

 

「何人も、何人も仲間を殺されたわ! 私は彼女が憎くて! ……でも、それ以上に恐ろしくて仕方ないのよ」

 

 仲間を殺された光景でも思い出してしまったのだろうか。

 彼女の声は震えていた。

 

「彼女らは恐ろしく強大な障害だ。だがそれでも。もう手をこまねいているわけにはいかなくなった。我々には、何としても急ぎ彼を助け出さねばならない理由ができてしまった」

「その理由というのは?」

「テオの処刑が決まったという情報が、入ってきたの……。予定では、三週間後に執り行われることになっているわ」

「なるほど。それはやばいね」

 

 だから見ず知らずの俺なんか勧誘するほど必死だったのか。手段を選んでいる時間は本当にないんだな。

 

「彼は、ヒュミテに残された最後の希望だ。もし彼が志半ばで亡くなるようなことがあれば、存亡の危機にあるヒュミテを救える者は、もはや誰もいなくなってしまうだろう。それほどの男なのだ」

 

 そう言う彼の口ぶりからは、テオという男に全幅の信頼を寄せていることが、ひしひしと感じられた。

 外部者のナトゥラである彼からここまで評価されるということは、当のヒュミテからの信望は、さらに輪をかけて上かもしれない。

 

「志を同じくする我々にとっても、彼を失うことだけは何としても避けたい」

 

「ヒュミテ」の俺なら、そんな「優れた王」である彼を助けるため、まず協力するに違いない。

 そう踏んで呼んだとすれば。

 この一見あまりにお粗末な勧誘劇にも、一応の筋は通るか。

 

「今まで、ヒュミテからは支援物資等の援助を受けるのが主で。直接的には私たちで頑張っていたわ。だけど、それだけではもうどうにもならないって、嫌というほど思い知らされた。だから今回は、多大なリスクを覚悟の上で、『ルナトープ』に直接ここへ乗り込んでもらうことに決まったの」

「ルナトープって?」

「えっ、まさか知らないの? 有名よ」

 

 信じられないという顔で呆れられてしまった。

 フォロー上手なクディンがまた説明してくれる。

 

「このエルン大陸各地でレジスタンス活動をしている、ヒュミテの小隊だ。ディーレバッツと刃を交えて生き延びたこともある精鋭だよ」

「へえ。精鋭ね。なぜこんな土壇場になるまで、彼らは出て来なかったんだ?」

「出て来られなかったのだ。彼らは各地で危険な任務をこなしてきたが、このディースナトゥラだけは避けるしかなかった。今日追われたばかりの君なら、わかるだろう?」

「あー……」

 

 何となく察する。

 そのままのことを彼は言ってくれた。

 

「対ヒュミテの万全な警備網が張られている地上で活動することは、通常であれば自殺行為に等しい。あまりにも無謀なのだ。ゆえにこれまで、ヒュミテはここでの直接活動には踏み切れずにいた」

「それが今回になって、急に踏み切ったということは。やっぱりそこまでの事態なのか」

「ええ。だからこそ、あなたが平気な顔して上で歩き回っていたのには、本当に度肝を抜かされたわ。あんな真似したの、きっと世界であなたくらいのものよ」

 

 はは。そっか。

 そんなに非常識な行動をしていたのなら、周りから注目もされるし、懸賞金もかかるわけだね。

 でもあれ、ほんとに不可抗力なんだけどね……。

 

「ルナトープは、数日内に地下経路でここへ到着する予定だ。本作戦の決行は、十日後を予定している。テオを救い出し、無事彼らの首都ルオンヒュミテまで送り届けることが、我々の目的だ」

「俺は何をすればいい?」

「君は、ルナトープと共に実行部隊に参加し、最後まで彼らに付き行動して欲しい。まともに戦えない我々は、代わりに全力でサポートに回るつもりだ」

 

「その辺はばっちりやるから任せておいて」と、レミが胸を張る。

 

「命懸けの大変な戦いになるだろう。もちろん、それに見合った報酬は用意しよう」

 

 彼は改まって、誠実な態度で俺に頼んできた。

 

「先ほどは、無礼な真似をして本当に申し訳なかった。我々も手段を選んでいる場合ではなかったのだ。虫の良い話なのは、重々承知している。だが頼む。どうか協力してはもらえないだろうか?」

「私からもお願い。全員の命運が懸かっているの」

 

 二人は揃って、深々と頭を下げた。俺が返事を言うまで、頭を上げるつもりはないようだった。

 話に嘘を吐いている様子は感じられなかった。

 騙すメリットもないだろうし、それにここまでされて、まだ根から疑うだけの猜疑心を俺は持ち合わせていない。盲信はしないが、信用はしてもいいと思う。

 なら、俺の答えはもう決まっていた。

 

「わかった。人助けなら喜んで協力しよう。ただし、ある程度は俺の判断でやらせてもらう。それでいいかな」

 

 ようやく上がった二人の顔は、希望の灯がついたようにぱっと輝いていた。

 

「そうか! やってくれるか! 礼を言う。もちろん君の判断は、尊重されてしかるべきだとも」

「ありがとう! 本当に助かるわ!」

 

 二人の心底嬉しそうな顔を見ると、引き受けた俺もまんざらではない気分だった。

 ただ、これから大変な戦いになるだろうことを考えると、あまり浮かれてもいられない。

 結局厄介な問題に関わることになっちゃったな。どうも俺にトラブルは付き物らしい。

 

 ――まあ、それでこそ旅は面白いか。

 

「じゃあ、早速作戦の細かい内容を説明するわね。あなたがアクセスできる情報端末と、食事の用意もあるわ。会議室まで付いてきてちょうだい」

「了解。もうお腹ぺこぺこだよ」

「そう思った。サーモ見たら、体温が低下してたもの。ずっと何も食べてないんでしょ」

「うん。ふう。やっと一息吐ける」

 

 こうして俺は、ヒュミテの王テオなる人物を救出する作戦に参加することとなった。

 彼らが言っていたヒュミテ解放隊『ルナトープ』がギースナトゥラに到着するのは、これより三日後のことである。



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9「現状把握と剣の修練」

 あれから三日間、俺は『アウサーチルオンの集い』のアジトで過ごしていた。

 ヒュミテも使えるように設計された旧型のコンピュータによって、俺は望むだけの情報にアクセスすることができた。それを使って様々な調べ物をした。

 ヒュミテとナトゥラの対立の歴史も、少しだけ見えてきた。

 

 この星の名前は、『エルンティア』というらしい。

 大きく分けて二つの大陸、北のエルン大陸と南のティア大陸がある。

 今から約二千年前、ティア大陸を中心として巻き起こった凄惨な核戦争が、この星の大半を人が住めない場所にしてしまったという。

 生き残ったヒュミテは、比較的汚染の少なかったエルン大陸に逃れ、放射線を防ぐ巨大なシェルター街『ルオン』を現在のこの場所に造った。

 ディースナトゥラを包み込むように取り囲んでいる巨大な外壁は、元々はシェルターとして造られたものらしい。ちなみに都市の上部も、放射線を防ぐ目には見えない透明なバリアで覆われているそうだ。

 それからヒュミテは、ティア大陸の復興に力を注ぐことにした。

 しかし彼らは、戦争ですっかり心が疲れ果てていた。またあまりにも汚染がひどいティア大陸に直接立ち入ることはできなくなっていた。

 そこで、身の回りの仕事や汚染地域での復興作業をすべて代わりに行ってくれるような機械を作り上げた。

 ヒュミテにとって親しみやすい人型とし、誰に命令されずとも自ら思考学習し作業に当たる。

 それがナトゥラだった。

 彼らは、ルオンの中央工場及び中央処理場で製造・管理・処分されることとなった。

 現在の文明は当時よりも衰退しているようで、ナトゥラの製造技術そのものはとっくの昔に失われている。

 休むことも壊れることもなく動き続ける中央工場のみが、今もナトゥラを生み出し続けている。

 だからナトゥラにとって生命線となる中央工場の警備は、特に厳戒だったようだ。

 ナトゥラは、人間の交配を模した技術によって、自らが学習したものを次世代に受け継ぐ。そうすることで、時を経てより高等な人工知能が生み出されるようになっていた。

 それが作業効率やコミュニケーション能力の向上に繋がると考えられていたようだ。

 ただし、当時のヒュミテが、なぜナトゥラをチルオンとアドゥラの二タイプの機体に分けたのかまではわかっていない。

 両親から受け継ぐと言ったが、どういうわけかチルオンは、最初から完成品としては造られない。例外なく、始めは人間の赤子程度の知能しか持たないものとして生まれてくる。そこから人と同じように成長して一人前になっていく。

 製造後約十五年までのチルオンは、他のナトゥラに比べて学習能力が遥かに高いという研究結果がある。どうやら姿だけでなく、ものとしても少しアドゥラとは構造が違うようだ。

 想像でしかないが、チルオンとアドゥラに分ける必要があったのではないかと考える。技術的な必要なのか、もっと別の理由なのかはわからないけど。

 

 さて結局のところ、草の根一つ生えないほど荒れ果ててしまったティア大陸の復興は、ナトゥラの力をもってしても至難を極めた。

 復興作業は遅々として捗らず、多くの部分が今も戦争当時のままほったらかしにされているという。

 ヒュミテはナトゥラに対し、長年奴隷のようなひどい扱いを続けてきたようだ。

 自分たちが作ったものだから、当然のつもりであっただろう。

 しかし、学習型人工知能と世代交代での継承による知恵の蓄積は、思わぬ事態を引き起こした。

 長い時をかけ、人にまったく並ぶ高度な知能を持つに至ったナトゥラは。

 ついに自らの扱いに疑問を感じ、自由と独立を求めて立ち上がったのだ。

 始めはヒュミテが圧倒的に優勢だったという。

 だがナトゥラを製造する中央工場が奪われてからは、状況が一変した。

 やがてルオンを完全に奪取したナトゥラは、この都市に自らの名を冠し『ディースナトゥラ』と改めた。

 以来両者は、互いに相容れぬままたびたび争い続けることとなる。

 機械の方が基本的に身体能力や兵装に優れていることもあり、地力の差で徐々にヒュミテは押されていった。ナトゥラは順当に勢力を拡大していく。

 百年ほど前、とうとうナトゥラはエルン大陸をほぼ制圧して、ヒュミテをティア大陸に追い出してしまった。そして今に至る。

 

 ティア大陸は未だに汚染が色濃く残っている。

 大半の地域には、足を踏み入れただけですぐ死に至ってしまうほどの高濃度放射能が残留しているという。

 もはやヒュミテには、ルオンを造り上げた当時の技術はなく、至る所に存在する放射能から放たれる放射線を防ぐ術はほぼない。

 劣悪な環境が様々な病気を引き起こし、さらに奇形児や不妊に繋がって、著しい出生率の低下を招いているとのことだ。

 歴史的経緯はともあれ、今後ヒュミテが生き残るためには、汚染の少ないエルン大陸への再進出がどうしても必要である。

 ヒュミテ王テオルグント・ルナ・トゥリオーム(クディンたちがテオと言っていた人物だ)は、再びヒュミテがエルン大陸で居住する権利を手に入れるために戦ってきた。

 しかし、ほぼ反ヒュミテで世論が固まっている現在、それは中々叶わない願いのようだ。

 

 まあざっとこんなところだろうか。

 大まかな事情はわかったし、ヒュミテが罪深い存在だというナトゥラの主張も理解できた。

 だが歴史を見る限り、もはや百年前に大勢は決しており、ナトゥラの勝利は揺るぎ無いものである。

 今やヒュミテがまったく逆の扱いを受けているのは、なんという皮肉だろう。

 このままヒュミテが滅びるに任せるのはさすがに忍びない。今を生きている彼ら自身に罪はないのだから。

 いや、ナトゥラにすれば今も刃向かってくると言うだろう。実際、時にヒュミテによるテロなどの事件が起こるという。

 しかし、誰だって存在が危うくなるほど虐げられれば、立ち上がるのも仕方ないことだと思う。

 けど一方で、一市民としてのナトゥラが、ヒュミテを恐れる気持ちもよくわかるのだ。

 うーん。知れば知るほど微妙な問題だ。

 でも立つとすれば、俺はやはり弱いヒュミテの側に立ちたい。思い切り肩入れしようとまでは思わないけど、ちょっと手助けするくらいはね。

 調べる限りテオは、平和的な解決を優先して考える良心的な人物のようだし。彼を助けてやるくらいはしてもいいはずだ。

 俺がすべてを変えられるとは思わないが、状況が良くなるように少しでも手助けができればと思う。

 

 ところで。どうも一つ気になることがある。

 大戦争が起こったという二千年前より前の歴史について書かれた文章が、不自然なほど一切なかったんだけど……。

 どこか引っかかるんだよな。調べても調べても、なんかすっきりしないというか。

 わからないとか不明で済んでいることがあまりに多いのは、なぜだろう。

 どうして文明は衰退してしまったのか。

 ただの復興作業にはどう考えてもオーバスペックなナトゥラを、なぜわざわざ作ったのか。

 下手に高度な知能なんか持たせたら、いずれこうなる可能性があることは予想できなかったのだろうか。

 ――わからないな。

 まあ材料もないのに、いくら考えても仕方ないか。

 

 

 ***

 

 

 今日も一通りの調べ物を済ませた俺は、アジトの射撃場に向かった。

 射撃場とは言っても、別に射撃の訓練をしに行くわけではない。他に剣の修行ができるほどの広さがある適当な部屋が見当たらなかったからだ。

 俺はクディンに頼んで、特別にこの部屋を貸してもらっていた。

 壁際に備わったケースには、この世界で作られた銃器類がたくさん並べられている。

 

 銃を見ていると、生前根っからのガンマニアだった母さんのことを思い出す。

 もし母さんがここに来たなら、きっと目を輝かせて全部試し撃ちしただろうな。

 そして間違いなく、俺もへとへとになるまで付き合わされるだろう。

 ハンドガン片手に快活な笑顔を浮かべる母さんの姿が脳裏に浮かんで、懐かしい気分になり、少し口元が緩んだ。

 

 射撃台と的の中間地点まで移動した俺は、気剣を出して剣の修練に入った。

 斬り下ろし、斬り上げ、薙ぎ払い、袈裟斬り。

 一つ一つの動きを意識しながら、気合いを入れて丁寧に繰り返しやっていく。

 やがてそこに、後ろから高めの男の子の声がかかった。

 

「お、ユウじゃん。なにやってんの~」

「リュートか」

 

 俺があの女の子と同一人物だと知って、最初は天地がひっくり返るほど驚いていたリュートだが、慣れるのも一番早かった。

 元の人懐っこい性格もあって、誰よりも馴れ馴れしく話しかけてくる。

 俺は型通りにゆっくりと剣を振りながら、言った。

 

「剣の修行。腕が鈍らないように、できるときはなるべく毎日やるようにしてる」

「へえ。真面目だね~」

 

 彼は興味津々に、俺の修行の様子を眺めている。

 しばらくして、彼はふと思いついたように言った。

 

「その腰のポーチ、もうぼろっぼろじゃん。新しいの買わないわけ?」

「ああ、これか」

 

 俺は少しだけ剣を振る手を止め、使い込んでくたびれたウェストポーチに目を向けた。

 

「これは、ある人がくれた大事な品なんだ。別に物がなくたって思い出は消えるわけじゃないけど、俺のために作ってくれた大切なものだからさ。どうしても使い物にならなくなるまでは、大事に使おうと思ってる」

「ふーん。ある人ね。オイラにとってのレミやボスみたいなものかな」

「うん。離れ離れになってしまったけど――みんなかけがえのない大切な仲間たちだよ」

 

 俺は、遠く離れたかの地のみんなの顔を思い浮かべた。

 もう会えないけれど、片時だって忘れたことはない。

 あれからもう四年になるんだな。みんな元気にやっているだろうか。

 俺は一応元気にやってるよ。

 また剣を振り始める。腕に力が入った。

 

 先生。俺はあなたに少しは追いつけたでしょうか。

 こうして剣を振るっているとき、少しだけ先生を感じます。

 

 何度も死にそうな思いをして大変だったけど。

 あの修行の日々があったから。あの戦いの日々があったからこそ、今の自分がある。

 あの世界で体験したすべてのことは、今でも色褪せない宝石のような思い出だ。

 

 流れるような動きで剣を速めていく。足も使いながら、実戦を意識した立ち回りをする。

 一振りするたび、剣は雷光のように鋭く空を切った。

 リュートは心を奪われたように、俺の動きに目を見張っている。

 最後に《センクレイズ》で締めたとき、射撃場の入り口の方から拍手が上がった。

 

「素晴らしい剣技だな。惚れ惚れするよ。ラスラの奴が手合せしたくてうずうずしそうだ」

 

 振り返ると。

 見た目は三十代くらいだろうか。渋く貫録のある顔をした茶髪のおっさんが歩み寄ってきていた。

 彼は比較的大柄で逞しい体つきで、これまでこの世界で見た誰よりも力強さを感じさせた。

 リュートは彼を知っていたようで、

 

「あっ、ウィリアムだ! 本当に来た! すっげー。本物だよ」

 

 少年らしく目を輝かせていた。

 近くに来てみると、男の顔には小さな古傷がいくつも付いているのがわかった。

 

「私の名はウィリアム・マッケリー。ルナトープの隊長を務めさせてもらっている。君のことはクディンから聞いているよ。よろしく頼む」

 

 そう言って、彼は右手を差し出す。俺も右手を差し出してそれに応じた。

 どうやらルナトープが到着したようだ。



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10「女戦士 ラスラ・エイトホーク」

 ウィリアムと握手を交わした直後のことだった。

 射撃場の入口より、一人の女性が猛然と飛び出してくるのが見えた。

 その手に真っ赤な輝きを放つ剣を構えて。

 彼女は腰にも銃らしきものと、おそらく剣を差すための鞘を身に着けている。

 かなりのスピードで、真っ直ぐ俺の方に向かってくる。

 あっという間に目前まで達する。

 いきなり襲い掛かってきたのかと思ったが、剣を抜いているにも関わらず、殺気は一切感じられなかった。どうやら本気で攻撃してくる気はないようだ。

 反応を試しているのか。

 俺は迫り来る彼女の顔をしっかりと目で捉えたまま、あえて一歩も動くことはしなかった。

 案の定、殺気のない剣は、首筋のところでピタリと止まった。

 

「随分と物騒な挨拶をするんだね」

 

 皮肉を込めた口調でそう言うと、

 

「一応度胸はあるようだな」

 

 彼女は不敵な面構えで、剣をゆっくりと腰に差し戻した。

 

 まあ昔なら、びびって身を引くなり、逃げるなりしてたと思うけど。

 いや、実際びっくりはしたんだけどね。ドキドキもしたし。

 

 この茶番を眺めていた二人のうち、リュートは新たな戦士の登場にキラキラと目を輝かせている。

 ウィリアムは、彼女に呆れたような顔を向けた後、俺に詫びてきた。

 

「すまない。こいつはこういう奴でな。これから紹介しようと思っていたのだが。おい、ラスラ」

 

 彼が促すと、彼女は実に素っ気ない表情でこちらへ顔を向ける。

 ぶっきらぼうな口調で、一言だけ自己紹介をした。

 

「ルナトープ副隊長。ラスラ・エイトホーク」

「俺はユウ・ホシミ。今回の作戦に協力させてもらうことになった。よろしく」

 

 右手を差し出したが、彼女はそれを一瞥しただけで、応じてはくれなかった。

 彼女は腕を組んだまま、こちらを品定めするような目で見て、それからウィリアムの方を向いて言った。

 

「強い助っ人が協力すると聞いていたが。どう見てもアスティより年下のガキじゃないか。ウチはいつから、こんなのに頼らないといけなくなったんだ」

 

 こんなのって。

 確かに16歳のときから身体は成長してないから、存分に子供らしさは残ってるけど。

 一応もう21だぞ。こっちは。

 元々あまり男らしくない顔つきというのもあって、こんな風に時にガキだと舐められることがある。

 どうせなら20くらいになってから覚醒すればよかったのにと、思わないでもない。

 でもそうすると、みんなと同じようにサークリス魔法学校には通えなかっただろう。

 あそこまで親しくなれなかったかもしれなくて。やっぱりこのままでよかったと思うけど。

 

「クディンからお墨付きはもらっている。今は少しでも戦力が欲しいときなのだ」

「ふっ、どうだかな。所詮は身体能力に劣るチルオンから見た実力に過ぎん。本作戦は最重要任務だ。足を引っ張るような奴なら要らん」

 

 きっぱり言うと、彼女は俺の顔をギラギラした瞳で睨み付けて、にやりと口角を上げた。

 そして、大声で言い放つ。

 

「貴様が使い物になるかどうか、私が直接試してやる。勝負しろ、ユウ!」

「え。いきなり勝負って言われてもな」

 

 突然突きつけられた果たし状に、困惑してしまった。

 そんな俺の戸惑いを見て、彼女よりはまず年長者と見えるウィリアムが「またそれか」と苦笑している。

 

「本当にすまないな。こいつは昔からこうなんだ。根っからの武人というか、戦闘狂というか。自分で実力を確かめないと気が済まない性格でな」

 

 言われたラスラは、やや照れ臭そうにふんと顔を背けた。

 絹のような黒髪を、後ろで束ねて纏め上げているのが映った。

 

「悪いが、よければ受けてやってくれないか。私としても、君の実力を把握しておきたい」

「わかった。構わないよ」

「そうこなくてはな!」

 

 ラスラの声の調子は、明らかに喜びを隠し切れていなかった。さっきの不愛想はどこへいった。

 どうやら適当に難癖付けて、戦う口実が欲しかっただけらしい。

 確かにこういう武人タイプは稀にいる。

 彼らを納得させる一番の方法は、実際に手合せして力を示すことだ。

 それにここで実力を見せておけば、彼らの信頼にも繋がるだろう。

 少し面倒ではあるけれど、断る理由はないかな。

 

「おっ。なんか始まった! オイラ、わくわくしてきたぞ~」

 

 中身はあくまで大人のアウサーチルオンと違って、本物のチルオンであるリュートは、子供らしく素直に心を躍らせていた。その純真な心がまぶしいくらいだった。

 

 

 ***

 

 

 ルールはウィリアムが決めてくれた。といっても、シンプルなものだ。

 お互い殺傷力はない武器を用いること。この射撃場内のみで戦うこと。

 実戦なら戦闘不能になるような攻撃を先に決めた方の勝ち。あとは基本的に自由だ。

 

 射撃台と的を挟んだ空間、床と天井以外は何もないところで、俺は少し離れてラスラと向かい合う。

 ウィリアムとリュートは、射撃台の手前側で呑気に観戦に回っていた。

 

「どっちを応援しようかな。ん~……決められないや。どっちも頑張れ~」

 

 リュートなんてこの調子である。

 ウィリアムもこの手のシチュエーションは何度も経験があるのか、落ち着いた様子で俺たち二人を見守っていた。

 向かいのラスラにしても、戦うのが実に楽しみと言わんばかりの、生き生きとした顔をしている。

 どうやらガチの戦闘狂のようだ。

 

 さて。もういつでも戦いを始めてもいいのだけど。

 俺はすぐにでも気剣を出して動ける構えを見せていたのだが、ラスラは威勢に反して一向に動かない。

 どうしたのかと思っていると。

 やがて、怪訝な顔で尋ねてきた。

 

「なあ。スレイスは使わないのか?」

「スレイスって?」

「知らないのか!?」

 

 ラスラはひどく驚いた顔をすると、腰からあの赤い剣を抜いて、簡単に説明してくれた。

 

「このレーザー剣のことだ。今は安全な訓練モードに切り替えてあるが、本来は硬いナトゥラの機体を斬るための武器だぞ」

「それのことだったのか。どうして銃でなくて、剣なんだ」

「機械の身体を持つ奴らには、攻撃面積の狭い銃系統の武器は、決定打になりにくいからな。もちろんサブで銃も使うぞ」

「なるほどね」

 

 酔狂でなくて、ちゃんと実際的な理由があっての剣なんだな。

 

「って貴様、まさか私相手に無手でやるつもりか?」

 

 俺が何も持っていないことで、誤解した彼女に軽蔑の目を向けられるが。

 さすがにそんなつもりはない。

 

「それなら大丈夫。俺は自分で武器を作れるから」

 

 左手から、白い気剣を放出する。

 この世界で最初に出したときと相変わらず、いつもより色は薄かった。

 だがそれでも、その辺の武器になら負けない強度を持っている。

 今回は試合なので、切れ味はなくしておく。

 俺が何もない所から気剣を作り出す様子を見た彼女は、すっかり目を見張っていた。

 

「ほう。変わった術を使うんだな。初めて見た」

「まあ、必死に身に付けた特技みたいなものさ。そろそろ始めようか」

「貴様の実力、見せてもらうぞ」

 

 俺とラスラは、剣を構えたまま、じっと動かずに睨み合う。

 お互いに仕掛けるタイミングを見計らっていた。

 二人の呼吸が一致したとき、先に動き出したのは彼女だった。

 彼女は俺に走り込みつつ、上段に突きを放つ。

 

「せいっ!」

 

 俺は上体を反らしてそれをかわすと、がら空きの首に一撃を狙って、剣を振り払った。

 と、刀身が届く前に、彼女の身体が一段沈み込む。

 かがんだ彼女は、回し蹴りの要領で足払いをかけてきた。

 咄嗟に一歩下がることで、回避する。

 まだ体勢が整わず、隙だらけの彼女目掛けて、思い切り剣を振り下ろす。

 当たるかと思ったが、そうはいかなかった。

 彼女はアクロバットな身のこなしで、転がりながら俺の左側に回り込む。

 逆にこちらの胴に向かって、薙ぎ払いを仕掛けてきた。

 まだ俺は、剣を振る動作の最中だ。

 ガードする時間はとてもないと判断した俺は、一旦気剣を解除すると、前方宙返りで相手の剣を避けた。

 今度は、隙を晒したのは俺の方だった。

 背後から、彼女の袈裟斬りが迫る。

 空気の流れから動きを読み取っていた俺は、すぐさま再び剣を出す。

 身を捻りつつ剣に勢いをつけて、振り返りざまに剣を受け止めた。

 気剣とスレイスが、バチバチと音を立てて火花を散らす。

 そのままつば迫り合いの形になった。

 

「中々やるな」

「君の方こそ」

 

 ここまで、息もつかせぬ攻防が繰り広げられている。

 彼女はすっかり俺を好敵手と認めたようだ。

 最初に見せていた素っ気ない一面が嘘のように、興奮で顔は紅潮し、はつらつと輝いて見えた。

 そんな彼女の調子に当てられて、俺の方まで気分の高まりを感じていた。

 さて。

 彼女の実力のほどがよくわかった俺は、そろそろ動くことにした。

 

「これなら本気でやっても問題ないか」

「なに!?」

 

 驚きの声を上げた彼女を、双眸に捉えつつ。

 俺は気力強化の度合いを、通常出せる最大限まで引き上げる。

 あくまでここまでは様子見であり、出していたのは全力の半分ほどだった。

 ある程度彼女の動きが掴めてきたここからは、もう出し惜しみは不要。全力で倒しに行く。

 さすがに難癖付けて売られた勝負には、負けられない。

 

 強化によってぐんと力を増した俺の腕が、彼女の鍛え上げられた細腕を押し込んでいく。

 彼女も負けじと力を込めて対抗するが、苦しくなってきたのか、頬にねっとりと汗が垂れ落ちてきていた。

 やがてついに耐え切れず、彼女は一度剣のコンタクトを外して受け流した。

 そこから、果敢に胴斬りへと移る。

 

「はああっ!」

 

 その動きを予想していた俺は、体をかわして余裕を持って回避する。

 改めて、彼女に向けて勢いよく剣を振り下ろす。

 彼女はまた剣を合わせて受け止めようとしてきたが、今度は上手くいかない。前提が違うからだ。

 気力強化によって勢いを増した振り下ろしは、容易く腕ごと剣を弾いた。

 いくら力があるとは言っても。

 鍛えたくらいの女性の腕では、最大限に威力を上げた俺の剣を受け止めることなど、そうそうできるものではない。

 どうにか直撃ばかりは避けたものの、バランスを崩しよろめいた彼女の表情からは、もうそれまでの余裕は感じられなかった。

 窮地に立たされた戦士の顔つきに変わっていた。

 なりふり構わぬ姿勢で、怒涛の剣撃を叩き込んでくる。

 

「はっ! やああっ!」

 

 威勢やよし。心折れないところはさすがだ。

 彼女から繰り出される鬼のような連続攻撃を、俺は紙一重のところでかわしていく。

 避けながら、動きは相当なものだと感心していた。

 剣筋は力強く、かつ舞うように鋭い。

 本気を出した彼女は、確かに自負するだけの強さがある。十分に達人クラスと言っていいだろう。

 しかしだ。比較対象が悪いのかもしれないが。

 残念ながら、それでもリルナにはまだ二歩は及ばないという印象だった。

 俺でも一歩届いてない感じはあるけど、さらに一段下がる。

 このラスラで一流戦士扱いなのだとしたら、なるほどリルナは『最強』の二つ名で呼ばれる化け物扱いになるわけだ。

 

「なぜだ!? どうして当たらない!?」

 

 一向に剣がかすりもしないことに、彼女は動揺し始めていた。

 彼女の真っ直ぐな性格を反映してか、本人も意識しないところで、太刀筋は割合素直なものになっている。

 今までの戦いで、君の動きはもう「覚えた」。

 完全に見切って、ギリギリのところでかわしているのだ。だから当たらない。

 やがて、痺れを切らした彼女の攻撃が大振りになったところで、その決定的な隙を突く。

 首筋にピタリと剣を当てた。

 

「勝負あり、だな」

「……くっ! まいった。私の負けだ……」

 

 直後、射撃台の方から温かな拍手の音が聞こえてきた。

 手を鳴らしているのは、もちろんリュートとウィリアムだ。

 

「いや。いいものを見せてもらったよ。まさかラスラをここまで圧倒できる者が、あのリルナ以外にいるとはな」

「二人とも、かっこよかったな~」

 

 完膚なきまでに叩きのめしてやったから当然だが、彼女のプライドは相当ズタズタにされたらしい。

 かなりがっくりきている様子だった。

 ちょっと気の毒なことをしたかなと思ったけど、ともかくこれでもう舐められることはないだろう。

 

「これで、俺の実力はわかってもらえたかな」

「疑ったのは悪かった。貴様、本当に強いんだな」

 

 心なしか、俺を見上げる目に、熱がこもっているような気がした。

 

「俺なんて全然大したことないよ。一人で月とか動かせるわけでもないし」

 

 いかれた力を持った他のフェバルたちを思い浮かべながら、ぽつりとそう言った。

 別に強さだけがすべてではないとは思うけど。

 それにしたって、俺は彼らに比べたらあまりにも力不足だ。

 まだまだ遠いよな。辿り着けるビジョンが見えない。

 

「なんだ。その月がどうというのは」

「こっちの話。気にしないでくれ」

「そうか――私は強い人が好きだ。歓迎するぞ、ユウ」

 

 戦いの前は差し出しても受け取ってくれなかった手を、今度は彼女の方から差し出してくれた。

 ぎゅっと強く握り返すと、彼女はふっと微笑む。

 それから真剣な表情で、俺の目を見つめて言ってきた。

 

「私はな、もっと強くなりたいんだ。ディーレバッツに勝ちたい。殺された仲間たちの無念を晴らしたい」

「仲間を……殺されたのか」

「ああ。両親も、親友もな……。私は奴らが憎くて、仕方ないんだ」

 

 ラスラは少し俯いて、何かを想う素振りを見せた。

 顔を上げて続ける。

 

「大体の奴らなら、どうにか五分か四分には渡り合える。そこまでにはなった。だが、奴だけは。リルナだけは。どうしても敵わない!」

 

 彼女は悔しそうに拳を握り締めた。

 自分の無力さを嘆くその気持ちは、俺にも痛いほどよくわかる。

 同じように悔しさを滲ませた顔になっていたウィリアムが、溜め息を吐く。

 

「私たちは、ディーレバッツと何度も交戦し、生き抜いてきたことを評価されている。だが、本当にただ生き抜いてきただけなんだ」

「ああ。情けないことにな……!」

 

 悔しい気持ちを絞るラスラに同情の視線を向けつつ、ウィリアムは言う。

 

「実情は逃げに逃げ回って、時に仲間を見捨てるような非情な決断もして。どうにか全滅だけは免れているに過ぎない。ラスラの言う通りさ。情けない話だよ」

 

 そんな彼の口ぶりからは、隊長として何とか隊員たちの命を繋いできた苦労が垣間見えた。

 どうにもならなかったことがたくさんあったのだろう。

 背景が容易に想像できて、こちらも同情的な気分になる。

 

「いや、でもさ」

 

 そこに、リュートが割って入る。

 彼は毅然とした態度で言った。

 

「すげーよ。だって、ずっと自分より強い奴らと戦って生き残ってきたんだろ? オイラなんてさ、名前聞いただけでびびっちゃうんだぜ。だから、やっぱすげーよ」

 

 子供らしい純粋な言葉だった。

 それだけに、ウィリアムの心はいくらか救われたのかもしれない。

 彼の表情は、少しだけ明るくなっていた。

 

「ふっ。それもそうだな。私でなければ、こうは上手くやれなかったとも。まだまだ私もくだばるわけにはいかんなあ」

「そんな縁起でもないことを言うな。私はまだ隊長という器ではないぞ」

「それは違いない。正直副隊長でも怪しいからなお前は。とんだ戦闘バカ副長だよ」

「うるさいな。これでも仕事はきっちりやってるぞ!」

 

 むすっとしたラスラを見て、ぷっとリュートが噴き出した。

 それをきっかけに、みんなでひとしきり笑う。

 

「なあ。ユウ」

「なに。ラスラ」

「私はまだまだ強くならなくてはならない。よって、私に勝った貴様も今から超えるべき目標だ」

 

 俺の目を真剣に見つめて、頼み込む。

 

「だから、もう一度。いや何度でも。また勝負をしてくれ!」

 

 ラスラは相当息巻いていた。

 俺も負けず嫌いだから、そんな気持ちも手に取るようにわかる。

 だけど、ちょっとストレート過ぎないか。

 確かにこれは、とんだ戦闘バカだね……。

 でも、彼女が強くなりたい理由は共感できるものだ。

 その手助けを少しくらいしてあげるのも、悪くないか。

 しょうがないな。

 

「ウィリアム。スレイスを貸して欲しいんだけど」

「別にいいが、どうするんだ」

「普通に使うだけだよ」

 

 彼から放り投げられたスレイスを受け取る。

 訓練モードに切り替えて、何度か素振りしてみた。

 一見重そうな見た目に反して、中々軽くて扱いやすい武器だと感じた。

 新しい武器の感触を確かめてから、俺は女に変身する。

 するとラスラの目が、まるで幽霊でも見たかのようにぎょっとした。

 ウィリアムも顔には出さないようにしていたが、やはり目が泳いでいる。

 やっぱり。変身を初めて見せたときの反応は面白い。

 彼女はしばらく声を失っていたが、やがて絞り出すように言った。

 

「自由に性別を変えられるとは聞いていたが……。本当、なんだな……(しかも結構かわいい)」

「うん。今度はこっちでいかせてもらうよ。性別も一緒で、武器も一緒の対等な条件でね。今はこの身体の方が弱いから、きっと私となら良い勝負になるよ」

「……その意図は?」

「実力が近い同士でやるのが、お互い一番の訓練になるから。いい案でしょ?」

 

 戦ってみた感じでは、魔法が使えない女の状態なら、ほぼ互角だと思った。

 今度は気力強化がない分、身体能力はやや向こうが上になるだろう。

 こっちは覚えた彼女の動きと経験でカバーする。

 せっかく訓練するんだ。私も身になる方がいい。

 

「正直、手を抜かれるのは嫌いなんだがな……」

「私としては本気でやるよ。それに、最初舐めてきたのはそっちなんだから、おあいこ。そういう台詞は、私を打ち負かしてから言ってよね」

 

 ちらっと挑発してやったら、いとも簡単に火が付いたようだった。

 

「ならば。貴様に勝ったら、また男の本気でやってもらうぞ」

「もちろんいいよ。じゃあ、第二回戦といこうか」

「今度は負けん!」

 

 二つのスレイスが、小気味良い音を立ててぶつかった。



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11「最年少ガンナー アスティ・トゥハート」

 女になったユウとラスラは、ほぼ互角だった。

 むしろ若干ラスラの方が押している場面もある。

 元々先の勝負も、身体能力の差で押し切られてしまっただけのことだ。

 戦闘技術に関しては、ユウに引けを取らないものを持っているばかりか、センスでは凌ぐところもあったのである。

 ユウの考えた通り、実力の近い者同士での戦いは、お互いに得るところが多かった。

 二人は、相手の動きから参考になる部分を見つけては、一つ一つ自分に取り入れていった。

 ラスラはますます熱くなって興奮で顔を紅潮させ、ユウも知らず知らずのうちに彼女に乗せられて燃えてしまっていた。

 お互いに時間が経つのも忘れて、ひたすら剣をぶつけ合った。

 そんな様子を、ウィリアムはやれやれと呆れながら微笑ましい気持ちで眺め、リュートはすげー、と目を輝かせて楽しそうに観戦していた。

 戦いは続き、しばらくしてリュートはレミに用事で呼ばれ、渋々部屋を出て行くことになった。

 

 さらに時間が経過したところで、新たなギャラリーが二人やって来た。

 一人は、オレンジ色の髪のちゃらちゃらした雰囲気の若い男だった。

 細身だががっちりした体つきで、背は男のユウよりも少し高い。顎には整った髭を軽く生やしており、耳にはおしゃれなピアスを付けている。

 もう一人は、はつらつとした女の子だ。

 はねっけのある赤い短髪が、若干ボーイッシュな雰囲気を漂わせていた。

 すらりとした体型であるが、出るところはきちんと出ており、全身は戦うためにしなやかに鍛えられている。

 他の隊員と違って、スレイスと銃の標準的な組み合わせではなく、腰には二丁拳銃を装備している。

 背中にはケースに入れたライフルを背負っていた。

 

「随分遅いってんで来てみたら。ラスラとガチで打ち合ってる女がいるとは、たまげたなあ」

 

 オレンジ髪の男が感心した顔で言うと、ウィリアムがはは、と軽く笑った。

 

「いや。二人ともすっかり熱くなって、止まらなくてな。ラスラも、自分と正面から戦り合える者が見つかって嬉しいんだろう」

「あー……ありゃ見るからにノリノリだよな」

「あんなに楽しそうなラスラねえ、久しぶりに見た。でもいつまでやってんのかなー。作戦会議しようって言ってたのに」

 

 赤髪の女の子は、少し呆れた顔をしていた。

 

「隊長さんよ。ネルソンたちがいい加減痺れを切らし始めてるぜ」

「そうか――確かに、もう結構な時間だな。では盛り上がっているところ悪いが、そろそろ終わりにしてもらうとするか。ラスラ!」

 

 しかし、射撃場の奥の方で激しく火花を散らせていた二人には声が届かなかったのか、二人とも依然として手を休める気配がない。

 

「ふむ……どうやら耳に入っていないようだな。誰かあそこまで行って、あの二人を止めてきてくれるか」

 

 オレンジ髪の男は、面倒臭そうに手をひらひらと振った。

 

「俺はパス。つか、ああなったラスラに割り込むとか自殺行為だぜ。アスティ、いつものように行ってきてくれよ」

「えー、またですか」

 

 アスティと呼ばれた赤髪の女の子は、押し付けられた厄介事に「もう」と頬を膨らませた。

 が、それ以上は不平を言わず、むしろやる気は出ていた。

 からっとした顔で背中のケースを置くと、腰に付けた二丁の銃を抜く。

 必要もないのに銃を抜いたのは、何となく気分である。

 

「じゃ、ちょっくら行ってまいりまーす」

「頼んだぞ」

 

 走る彼女の背中を見つめながら、オレンジ髪の男がしげしげと頷く。

 

「さすが、こういうときは頼りになるねえ」

 

 

 ***

 

 

「はっは! 楽しいな、ユウ!」

「そうかな。私は普通だけど!」

「興奮を隠し切れていないぞ! さすがにぼちぼち女の方の貴様には勝たせてもらう!」

「そうはいかないよ!」

 

 向かい合う二人が、幾度目になろうかという剣のぶつけ合いに入ろうとしたとき。

 横からさっと人影が飛び込んできた。

 

「たーん!」

 

「「ん!?」」

 

 すっかり夢中になっていた二人は、セフィックによって気配を隠している彼女の接近に、気付くのが遅れた。

 

「アスティ参上♪」

 

 あっという間に、彼女は二人の間に素早く滑り込む形で身体を割り込んだ。

 そしてしゃがんだ格好のまま、二丁拳銃を交差させる。

 ユウとラスラ、それぞれの顔へ正確に照準を合わせていた。

 別にそんなことをする必要はないのだが、彼女の気分によるパフォーマンスである。

 

「もうお遊びの時間は、おしまいですよ?」

 

 不敵な笑顔を見せて、ぱちりとウインクする彼女。

 その見事な早業に、ユウは感心してしまった。

 と同時に、自分がつい夢中になって時間を忘れていたことに気付く。

 

「ああ。ごめんなさい」

「なんだ。もう終わりなのか!?」

「もうって。ラスラねえ、かれこれ三時間は経ってるよ」

 

 言われて時計を確認したラスラは、ちっと残念そうに舌打ちした。

 

「ユウ。また今度だ。絶対だぞ」

「あ、うん。わかったよ」

 

 銃を腰のホルスターに納めながら、アスティはラスラを諌める。

 

「ラスラねえはすぐ熱くなるんだから。そんなに男勝りじゃ、誰もお嫁にもらってくれませんよ?」

「ふん。余計なお世話だ。私はまだ誰とも結婚するつもりも、付き合うつもりもない」

「あら。やっぱり寂しい二十代をお過ごしですか」

「寂しいって言うな!」

 

 図星を突かれて、たまらず声を張り上げたラスラに、アスティはくすくすと小悪魔な笑みを返す。

 彼女は、今度はユウの方に向き直る。

 彼女も他の隊員同様、目の前にいる人間が自由に性別を変えられる特異な者だということを、クディンから既に聞いていた。

 興味を宿した金色の瞳が、ユウの全身を隈なく捉える。

 

「ユウちゃん、それともユウくんかな?」

「どっちでも構わないよ」

「なら今はユウちゃんで。アスティ・トゥハート、19歳でーす。よろしくね」



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12「アスティ、ユウに迫る」

 アスティと名乗った女の人は、私の全身を興味深そうに眺めた後、つかつかと歩み寄って来た。

 どうしたのかと思ったら――。

 

「……!」

 

 いきなり胸を掴まれた。

 乱暴さはない。探るような優しい手つきで、ゆっくりと揉んでくる。

 突然の行為に私は戸惑って、身体が固まってしまった。

 

「あ、あの。なにを」

「おー。確かに本物だねー」

 

 私のすぐ目の前で、感心した顔をするアスティ。

 彼女の興味はそれだけに留まらなかった。さらに身体を密着させて、手を伸ばしてくる。

 

「あっ……!」

「こっちも本物かなー?」

 

 ちょ、ちょっと! どこ触ってんの!

 

「ア、アスティ。やりすぎだぞ」

 

 ラスラまで、すっかり顔を赤くしている。

 アスティは悪びれずに答えた。

 

「一応本当に女の子なのか、確かめておきたくて」

「やめて!」

 

 慌てて彼女の手を振り払い、さっと身をかばった。

 心臓がドキドキしている。

 私の反応をしげしげと見つめたアスティは、自分なりに何かを掴んだようだった。

 

「ふーん。なるほどねー」

 

 恥ずかしくなった私は、これ以上変ないたずらをされないようにと、男に変身した。心の状態を変えて、気持ちを落ち着かせる意味合いもある。

 だが、これは悪手だった。ここでもアスティは、意外な反応を見せたのだ。

 変身を初めて見せると、みんなまずは驚くものなのだが、彼女は、

 

「あはは! おもしろーい! ほんとに姿変わっちゃうんだ!」

 

 と、最初から興味津々モードだった。

 再度こちらへ近づいてくる。今度は何をするつもりなんだ。

 彼女はもう、目と鼻の先だった。

 

 か、顔が近いよ。

 

 大胆な行動に、思わずドキッとしてしまう。

 なめらかな左手で、ぺたっと頬に触れてきた。

 さらに息がかかりそうなところまで顔を寄せて、じっと瞳をのぞき込んでくる。

 そして言った。

 

「こっちも中々かわいいんだね。結構好みのタイプよ」

「えっ」

 

 な、なに言ってるんだこの人!

 

 そんなこと、面と向かって言われたことなんてほとんどなかったから。

 かなり動揺してしまう。

 そんな俺を見て、彼女はにんまりといたずらな笑みを見せた。

 

「あ、顔真っ赤だよ。もしかして、意外とウブなのかなー? 童貞?」

「ど……!」

 

 確かに恋愛経験はないけど!

 そ、それはさ! たまたま付き合いたいと思ったり、思ってくれるような相手がいないだけだから!

 それにどうせ付き合ってもそのうち別れなくちゃならないから、中々踏ん切りが付かないというのもあるし。

 だからなるべく意識しないようにしてるというか。男としてなのか女としてなのかって、微妙な問題もあるし……。

 

 頭の中で色々と言い訳を巡らせていると、もう語らずとも落ちた状態だったらしい。

 既に俺から顔を離していたアスティは、心底面白がって笑っていた。

 

「きゃはは! ラスラねえと一緒だねー」

「うるさい黙れ!」

 

 あ。ラスラも経験ないのか。

 顔を真っ赤にする彼女に、ちょっとした親近感を覚える。

 

 とりあえず俺たちを弄って満足したらしいアスティは、話題を変えてきた。

 

「ところでこれって、ついにあたしにも初めて弟キャラ? 妹キャラ? ができちゃった感じですか!? やったー!」

 

 無邪気にはしゃぐ彼女。弟キャラって俺のことか。

 でも君は19歳みたいだから、残念ながら違うんだな。

 

「喜んでるところ悪いけど。これでも一応21なんだ」

「げ。まさかの年上!?」

「なっ……! 貴様、私と同い年だったのか。全然見えんぞ」

 

 ってことは、ラスラも21なのか。

 どこか子供らしさを残した俺や「私」の姿と比べて、思う。

 大人だから当たり前だけど、本当の21ってこんなに大人っぽいんだな。

 

「そんなあー。あたしの素敵先輩計画が、台無しじゃないですかー。もっと若返ってよ」

「無理言わないでくれよ」

 

 苦笑いした俺の顔を、アスティは不満そうに見つめていたが。

 間もなく名案を思い付いたというような顔で頷いた。

 

「決めた。あたしの心の弟・妹キャラに、勝手に認定させてもらいまーす。だって見た目が完全に年下だし、何よりかわいいもん。これからもユウくんやユウちゃんって呼ばせてもらうねー」

「はあ。どうぞご勝手に」

「やった。じゃ、ユウくん。みんなが待ってるから、早速会議室に向かうよ」

 

 強引に手を引かれるまま、彼女の後ろをついていく。

 今のやりとりだけで、大分精神的に疲れてしまった。この人は適当なところであしらっておかないと、振り回されてへとへとになりそうだな。

 

 

 ***

 

 

 ウィリアムと、彼の横にいたオレンジ髪の男と合流して、会議室に向かった。

 大きな机の向こうには、クディン、レミ、リュート、その他幹部と思わしきアウサーチルオンが二人いた。さらに、彼ら五人の反対側には、ルナトープの隊員と思われる三人の男女がいた。

 一人は物静かな感じの銀髪の男性、一人は少し天然パーマがかかった金髪を持つ落ち着いた雰囲気の女性で、見た感じラスラよりもそれなりに年上のようだ。

 残る一人は、流れるような青髪を持つ若い男で、腰には二本のやや小ぶりなスレイスを差していた。

 全員が席についたところで、ウィリアムが立ち上がり前へ歩み出た。彼が進行役を務めるようだ。

 

「それでは、ただいまよりヒュミテ王救出作戦会議を始める。とはいっても、初顔合わせが多いだろう。まずは簡単に、自己紹介からしてもらうことにしようか。ユウ・ホシミ。君からお願いしてもいいかな」

「はい」

 

 俺はすっと立ち上がり、自分に向けて一手に視線を注ぐみんなを見回してから、一呼吸おいて自己紹介を始めた。



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13「ヒュミテ王救出作戦会議 1」

「ユウ・ホシミです。アマレウム出身の旅人です。今回の作戦で、助っ人を務めさせてもらうことになりました」

 

 異世界から来ましたでは変に思われるので、テオが捕まったという町、アマレウムの出身ということにした。エルン大陸の町なのでヒュミテはごく少ないが、まったくいないわけでもないらしいので問題ないだろう。

 ヒュミテの首都ルオンヒュミテ出身とするのが一番自然だけど、すると作戦の最終目的地であるそこへいつかたどり着いたときに、何も知らなくて必ずボロが出ると思ったのでやめた。

 大方からは特に怪しまれることもなく、反応は概ね普通だった。ただ一人、レミだけは旅人という言葉に納得がいかない顔をしていたが。

 

「もう話には聞いているかと思いますが、俺は自由自在に男や女に変身できるという変わった能力を持っています。二つの身体それぞれで、性質や得意なことが違うので、状況によって使い分けています」

 

 まず今の自分を指し、述べる。

 

「こっちの方は、気剣術という特殊な剣術を得意としています。主に戦闘で力を発揮できるかと思います」

 

 それから俺は、説明のために女に変身した。

 周り、特に初めて変身を見る者たちから「おお」と驚きの声が上がる。

 やっぱりこれが普通の反応だよね。アスティがおかしいだけで。

 にやにやする彼女を一瞥してから、私は一段高くなった女の声で続ける。

 

「こちらの身体は、生命反応を一切持ちません。なので、主に潜入などで活躍できると思います」

 

 ついでにお気持ち表明を。

 

「基本的に男でも女でも同じ人間のつもりですが、やっぱり違うところもあるし、そう言われたりもします」

 

 身体が違えば、声や感触や匂いや、色々なことはどうしても違ってくる。

 精神性においても、「私」の影響を受けているからね。

 

「性別がはっきりしないので、少し扱いに困るかもしれませんが、どちらの私にも気兼ねなく接してくれると嬉しいです。これからしばらくの間、よろしくお願いします」

 

 ぺこりと頭を下げると、小さな拍手が起こった。

 頭を上げたところで、ウィリアムが代表して言った。

 

「こちらこそよろしく頼む。ユウは、ラスラに打ち勝つほどの実力の持ち主だ。大きな戦力として役に立ってくれるだろう」

 

 一部の人が驚きの声を上げる。

 どうやらラスラの実力は、かなり信頼されているようだ。

 

「では、ここからは私から時計回りにいこうか。まあ大体の人は知っているだろうが、一応な」

 

 ウィリアムは、コホンと一つ空咳をしてから名乗った。

 

「私はウィリアム・マッケリー。ルナトープの隊長として、曲者揃いの隊員たちを取りまとめている。今回の作戦では、総指揮を務めることになった。作戦の成否は言うまでもなく、我々一人一人の力にかかっている。どうかヒュミテの未来のために、諸君の力を貸して欲しい」

 

 再び拍手が起こった。私もみんなに合わせて拍手する。

 

 次はラスラの番だった。

 今の彼女は、初対面のときのようだ。

 冷たい印象を与えかねないほど、すっと表情を引き締め、落ち着き払っていた。

 まあとっくに彼女の熱い本性を知ってるので、もう誤解することはないけれど。

 

「ラスラ・エイトホーク。ルナトープの副隊長だ。実行部隊の先鋒を務めさせて頂く。よろしく頼む」

 

 続いて、オレンジ髪のチャラチャラした男が立ち上がる。

 彼は髪をかき上げると、かっこつけた声で自己紹介を始めた。

 

「俺はロレンツ・リケイズ。人呼んで――」

「軽薄浮気男」

 

 彼の二つ奥にいた金髪天然パーマの女性から、鋭い茶々が入る。

 

「そう、軽薄浮気男! ってなに言わせんだマイナ!」

「だって事実でしょう?」

 

 周囲からどっと笑いが起こる。

 ロレンツはこの手のかけ合いには慣れているのか、少しも動じていなかった。

 彼はキザったらしく指を振る。

 

「チッチ。俺はただ女が好きなだけさ――男の本能のままにな」

 

 彼は決め台詞とともに、キリッとどや顔を放つ。

 不覚にも少しイラッと来てしまうくらい、うざい顔だった。

 なにこいつ。そこはかとなくレンクス(あのヘンタイ)と同類の臭いがするんだけど。

 いや、あいつはあくまで私一筋で、それ以外には割と普通だからね。

 節操がない分、あいつよりひどいかも。

 

「つうか、これじゃしまらないぜ。いいかい、俺は人呼んで戦場のラッキーボーイ。俺のすぐ近くじゃあ、一度も死人が出たことないのさ」

 

 それは地味にすごいな。たまに持ってる人っているよね。

 

「ま、神頼みよりばっちり安心、この俺をぜひ頼ってくれよな。特に女性諸君。俺の胸にウェルカムだぜ。ってことでよろしく!」

 

 拍手はあまり起きなかった。

 へらへらしっ放しの彼が座る前に、即座に隣の青髪の男が立ち上がる。

 そして、彼の脇腹に一発ど突きをかましてくれた。

 ナイス。

「うぐ」と呻くロレンツを無視して、男は快活に名乗った。

 

「デビッド・ルウェン。横のバカとは同期だ。こいつのことは、オレがよーく目を光らせておくから安心してくれ。で、そうだな――」

 

 突っ込みで頭が回ってなかったのか、少し考えてから続ける。

 

「一応双剣術を得意としている。ラスラと共に前衛を務めさせてもらうつもりだ。よろしく」

 

 主に女性陣から、大きな拍手が起こった。私もささやかながら拍手を加える。

 

「いってーなデビッド。少しは手加減しろよ」

「お前こそ、もう少し自重しろ」

「へいへい。この茶目っ気を理解してもらえないとは、残念だぜ」

 

 二人は仲良く席に着いた。あの様子からするに、互いに気の知れた友人同士なのだろう。

 次に立ち上がったのは、さっき茶々を入れた金髪の女性だった。

 

「マイナ・スペンサーよ。変わった子が多いうちの中では、比較的常識人寄りの方かしら。戦闘の他に、装備の管理などを行わせて頂くわ。みんな必要なものがあれば、遠慮なく申し出てちょうだい」

 

 マイナも拍手を受けながら座る。

 それと入れ替わりで、アスティが元気よく立ち上がり挨拶した。

 

「こんにちはー。アスティ・トゥハート、19歳でーす。ルナトープの中では最年少で、ガンナーやってます! 結構腕には自信あるんですよ。今回の作戦でも、バシッと力になれたらいいなって思ってます」

 

 そこで、ちらっと私の方を見てにやっと笑う。

 

「あ、それから現在かわいい後輩募集中です! みんな、よろしくねー」

 

 拍手が起こると、彼女は天真爛漫な笑顔を振舞いながらご機嫌で着席した。

 どうにも自由というか、ふわふわしてて掴みどころがない人だよね。嫌いじゃないしむしろ好きだけど、一番苦手なタイプかも。

 隊員の中で最後に腰を上げたのは、銀髪の寡黙そうな雰囲気の男性だった。

 

「ネルソン・グラフォード。参謀役として、隊長と副隊長の補佐をしている。よろしく頼む」

 

 彼は簡潔に紹介を済ませると、さっさと座ってしまった。見たまんまの寡黙な人みたいだ。

 

 続いて、アウサーチルオンの集いの上部メンバーの自己紹介へと移った。

 二人の男が名乗った後、リュートの番が来た。

 彼はいつもの軽い調子で名乗る。

 

「オイラはリュート。すばしっこさには自信があるんだ。情報収集や潜入任務なら、オイラにばっちり任せてくれよな!」

 

 レミは素の気が強いキャラを隠し、よそ行きの表情で丁寧に挨拶した。

 

「レミと申します。上司のクディンとともに、後方支援に当たらせていただきます。皆さんのお力になれますよう、精一杯務めてまいりますので、どうかよろしくお願いします」

 

 最後に、クディンがゆっくりと立ち上がり、粛々と言葉を紡いだ。

 

「アウサーチルオンの集い、代表のクディンだ。此度は、遠路はるばる危険を冒してこのギースナトゥラまで足を運んでくれたこと、まことにご苦労だった。まずはこうして無事我らが合流できたことを喜びたいと思う」

 

 一呼吸おき、全員の顔色を窺う素振りを見せてから、彼は続ける。

 

「ヒュミテ王テオは、言うまでもなく最重要人物だ。本作戦の成否が、我々の行く末に決定的に関わることは間違いない。それに何より、これまで僕らに道を示し続けてくれた、大恩ある彼を見殺しにすることなどできはしない」

 

 そこで自らを指し示し、改めて意思確認する。

 

「我々の力で、何としてもテオを救い出そう。すべては僕を含めた諸君の尽力にかかっている」

 

 気持ちが入っているのか、机に手を突く音がはっきり聞こえた。

 

「我々は失敗を繰り返してきた。もう時間は残されていない。もう失敗は許されない。必ずだ。必ず成功させよう」

 

 彼の口調こそ、終止落ち着いてはいたが、この作戦に賭ける想いの強さがひしひしと感じられる語りだった。

 全員の目つきが真剣なものに変わり、しっかりと言葉を噛み締める。

 これまでで一番大きな拍手が上がった。

 

 やがて落ち着いたところで、ウィリアムが締めに入った。

 

「ありがとう。我々は運命共同体だ。ヒュミテもナトゥラもなく、互いに支え合っていこうじゃないか」

 

 そうだね。そんなことが、ここだけじゃなくて世界で広がるといいなと思うよ。

 

「それでは、早速だが、一週間後に予定する本作戦の概要に入る。アウサーチルオンの集いが用意してくれた、手元の資料を見ながら聞いて欲しい」

 

 私は、机の上に配られた資料に目を下ろした。



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14「ヒュミテ王救出作戦会議 2」

 第八街区四番地にある、ディースナトゥラ第一刑務所。

 そこのどこかにテオは囚われている。

 刑務所は地上四階、地下三階の収容施設がメインで、他にグラウンドや囚人が労働作業をする工場などが付属している。

 周囲は、脱獄防止用の高圧電流が流れる高い塀に囲まれている。

 といった話を、ウィリアムが進めていく。

 

「残念ながら内部の詳しい見取り図はないが、綿密な情報収集によって、ある程度の構造は判明している。5ページに載っているのがそれだ」

「へへ。オイラも頑張ったんだぜ~」

 

 リュートが得意気に言った。

 私は5ページにざっと目を通した。

 特筆すべきは、地下三階にある特別収容区画と書いてある部分だろうか。

 ヒュミテの王ほどの重要人物ともなれば、警備も厳重だろう。ここに収監されている可能性が高いかな。

 そう考えていたら、やはりウィリアムも同様の見解を示す発言をした。

 

「しかし、そうと見せかけて別の場所にってこともあり得るぜ」

 

 ロレンツが、自己紹介のときとは違って真面目な顔でコメントする。

 彼だけでなく、全員が真剣だった。

 初対面からこれまでずっとマイペースだったアスティも、今は見違うほど集中して話に耳を傾けている。

 マイナがロレンツの意見を否定した。

 

「いえ、その可能性は低いでしょう。わざわざ奇をてらうなんてことをしなくても、絶対に破られないという自負と実績が奴らにはあるわ」

 

 そして、絶望を含んだ調子で続ける。

 

「何たって、これまで特別収容区画まで辿り着けた者も、内部から脱獄できた者も、誰一人いないのだから」

「確かにな。連中にとって一番安全な場所を、わざわざ外すこともないか」

 

 彼がやれやれと肩をすくめる横で、デビッドがやや苦い顔で言った。

 

「向こうの体制は万全で、戦力も向こうが上。わかっちゃいたが、圧倒的に不利だな」

「ほんと困っちゃいますよねー」

 

 頭を悩ませるアスティに頷いて、彼は望みにも言及する。

 

「まあ一つオレたちに有利な点があるとすれば、オレたちがここへ侵入したことはまだ知られてないということくらいか」

「そうね。そのために細心の注意を払って、隠密行動に徹したものね」

 

 ラスラがデビッドに同意するように頷く。

 

「まさか奴らも我々が直接奪還に来るとは思うまい。まず奇襲はかけられるだろう。どの道少しも経てば増援が来て、実質正面突破になるがな……」

「スピードが命になるな」

 

 デスクの奥でどっしりと構えて話を聞いていたネルソンが、正確な意見を鋭く呟いた。

 その通りだと思う。少数精鋭で突破するにあたっては、何よりもフットワークの軽さを生かした目立たない迅速な行動がカギとなる。

 もたもたしていれば、当然ディーレバッツを始めとした増援がわらわらとやって来る。それまでにテオを助け出し、逃げ切らなければ到底勝ち目はない。

 一通り意見が出たところで、ウィリアムがまとめる。

 

「うむ。今作戦においては、何よりも我々の素早く的確な行動が命綱となる。ディーレバッツが揃う前に、勝負を決めてしまわなければならない」

 

 そこで予め役割分担を配し、適材適所で動くことになった。

 

「奇襲及び先行はラスラ、デビッド、それからユウ、君に任せたい。やってくれるか」

「大丈夫。任せて」

 

 私はしっかりと彼の目を見て返事をする。

 

「収容所内部での援護と陽動は私とネルソン、ロレンツで行おう。外部脱出ルートの確保及び都市部での陽動は、アスティとマイナ、それとこの地に詳しいリュート、キブル、アムダに頼みたい」

「アイアイサー」

「おう。バッチリやるよ」

 

 アスティが元気よく敬礼を決める。リュートを始め、三人の幹部が頷いた。

 

「敵の動き、特にディーレバッツの動きを捉え、無線で我々に伝える役はクディンとレミにお願いする」

「承知しました」

「すまないな。僕らはあまり役に立てなくて」

「下手に大勢で動き回った方が、リスクが上がるからな。それに、考えようによっては一番重要な役目だ。誰もが得意不得意があるのだから、それぞれができるそれぞれの役割を果たせばいいさ」

「そうだな。僕たちは後方支援をしっかりと務めることにしよう」

 

 クディンが意気込んだところで、ウィリアムは続けた。

 

「無事テオを救出できたなら、その後はここギースナトゥラより、我々ルナトープがここまで来たルートを逆に辿ってルオンヒュミテを目指す。実質エルン大陸を抜けるまでが勝負となるだろう」

「ディーレバッツとの命を懸けた追いかけっこの始まりってわけですねー」

 

 アスティがしれっと言ったが、目は笑っていなかった。

 

 それから、さらに作戦の詳細を話し合う。

 具体的な動きだとか、状況別の立ち回りだとかを綿密に打ち合わせていった。

 

「以上で議論すべきことは大体終わりだ。何か言いたいことがある者はいるか?」

 

 しっかりと話し合ったので、みんな疑問点などはないようだ。誰も手を上げる者はいなかった。

 ただ、私には少し言っておきたいことがあったので、遠慮なくこの場で言うことにした。

 

「そうだ。先に言っておくよ。私は今回、敵対した相手を殺すという方法は極力取らない」

「なっ!? 貴様、本気で言ってるのか?」

 

 ラスラが、呆れと非難を込めて息巻く。

 私は彼女の目を見て、きっぱりと告げた。

 

「本気も本気。本当なら、ヒュミテとナトゥラが対立してるっていうこの現状も好きじゃないの」

 

 ここまで眺めてきた限り、ヒュミテもナトゥラも、大抵は普通の良識を持った普通の者たちだ。

 歴史問題とか種の違いとかが、色々と状況をややこしくしてしまってはいるけれど、両者は本質的にわかり合えない者同士ではないはず。

 現にこうして、共通の目的の下にみんなが協力している光景を見て、なおさらそう思った。

 ならば、一時の敵対で余計な犠牲者は増やすべきじゃない。

 

「確かに私としても、いつか両者が手を取り合う未来が来ればとは思うが……。理想では現実は語れんぞ」

 

 ウィリアムの指摘も、もっともだった。

 十代の私ならきっと反発しただろうけど、私だって別の世界で戦争に身を投じた経験がある。人を殺したこともないわけじゃない。

 その辺はもう十分に身に染みてる。

 

「もちろん、綺麗事だけではいかないというのはわかってる。向こうだって本気で命を狙ってくるだろうしね。だからこれは、あくまで私個人のポリシー。私だって仕方なければ殺るときは殺るし、あなたたちが勝手に殺し合う分には止めたりしないよ」

 

 本当の理想としては、敵味方関係なしに、殺しなんて止められるものなら全部止めたい。

 だがそこにこだわってみんなの足を引っ張っては、為すべきことも為せなくなる。

 まあそれでもあまりに見かねることがあれば、止めると思うけど……。

 少なくともこの人たちは、必要以上の殺戮はしないような気がするから。

 

「ただ私自身は、殺しには積極的に手を貸さないというだけ。私が力を貸すのは、あくまでテオって人の救出。だからそのつもりでよろしくね」

 

 周りはシーンとしていた。

 私の言ったことが意外で、言葉が出てこないようだった。

 殺し合いが当たり前なこの世界の常識からすれば、私は相当異端な考えの持ち主なのかもしれないとは思う。

 それでも私は、平和な日本で育った呑気な価値観を持つ一人の人間としての筋を通した。なるべく本心のままに行動したいから。

 やがて最初に口を開いたのは、リュートだった。

 リュートはにっと笑って、私に同意してくれた。

 

「オイラはユウの考え、素敵だと思うよ。お互い嫌い合ってるのなんて、悲しいもんな」

 

 続いてアスティが、楽しそうにウインクを向ける。

 

「あたしも構わないよー。ユウちゃんって本当に面白いんだね」

「こんな甘い奴、初めて見た」

 

 ラスラはすっかり呆れ果てていた。もう非難するような感じではなかった。

 

「どこでどういう教わり方をしたらそうなるんだよ……」

 

 そう言ったロレンツを始め、大抵は呆れ顔を見せていた。

 

「ふっ。すまないが、私もいささか驚いたよ。だが君のような考えが、もしかするとこの世界には真に必要なのかもしれんな」

 

 ウィリアムは、どこか達観した口ぶりだった。

 

「よし。他に言いたいことがある者はいないか――いないようだな。では、作戦会議は以上だ」

 

 最後に今後の過ごし方を添えて、彼は締めた。

 

「これから一週間は、休養及び合同演習に充てることとする。我々の長旅の疲れを取るのと、お互い連携に慣れる必要があるからな。時間はないが、焦りは禁物だ。万全の状態で臨み、必ずテオを助け出すぞ!」

「「おおー!」」

 

 みんなが力強く頷いた。

 

 やがて、各自バラバラと席を立ち始める。

 長いこと座っていたから、肩が凝っちゃったな。このカラダ、胸がある分だけ凝りやすいんだよね。

 うんと伸びをすると、すっきりした。

 

 よし。一通りみんなと話をしておこうかな。

 

 そう思った私は、誰かに話しかけようととりあえず歩き始めた。

 そのとき、背後からちょんちょんと肩をつつかれる。

 

「はい?」

 

 振り返ると、ロレンツだった。

 彼はへらへらと笑いながら、調子よく話しかけてきた。

 

「ユウ。お前にちょっと聞きたいことがあんだよな」

「なに?」

 

 彼は怪しい笑みを浮かべると、顔を耳に寄せてひそひそ声で囁く。

 

「お前さ、半分は男なんだろ」

「うん」

「生まれつき変身できたのか?」

「いや。途中からだけど」

「へえ。じゃあ元はどっちなんだ」

「一応男だけど、それがどうしたの?」

「そうか。よし。なら別にいいよな」

 

 こいつはとんでもないことを言ってきた。

 

「なあ、俺に一発やらせてくれねーか?」

「は!?」

 

 私はドン引きして、思い切り後ずさった。

 

「な、何言ってんの!?」

 

 明らかに拒絶しても、彼は懲りない。

 心底キモい笑みを浮かべながら、ゆっくり迫ってくる。

 

「別にいいだろ? いつでも変身できるなら、減るもんじゃねえし。実はさあ、俺長旅で結構溜まってんだよ。でもうちの女子、みんなガード硬いからなあ。ハハ。お前も男ならわかるだろ?」

 

 確かにまったくわからないわけじゃないけど……。

 それで言うことがやらせろって……!

 ふざけんな。こっちの気持ちも考えてよ!

 

「見た目俺好みでかわいいし、この際半分男ってことには目を瞑る! ってわけでさ、今夜どうよ? 一緒に気持ちよくなろうぜ。へへへ」

 

 全身に身の毛がよだつ。

 最悪。あり得ない。

 きもい! しね! しんでしまえ!

 一緒に聞いていた「私」も、完全に同調していた。

 

『ちょっと私にも一言言わせて!』

 

 図々しく肩に手を伸ばすこいつの腹に、私は一発きつめのボディーブローをぶちかました。

 

「ぐはっ!」

 

 腹を押さえて呻くゲス野郎に、ぴしゃりと告げてやる。

 

「私には私なりの心があるの。あんまりふざけたこと言ってるとシメるぞ。この腐れチ●ポ」

 

 するとこいつは――。

 

 なぜか為すべきことをやり切ったような、妙に満足そうな顔でくたばった。

 

「いいパンチだ。き、気に入った……ぜ……」

 

 がっくりと膝を付いた彼を、冷たい目で見下ろしながら。

 私は思った。

 やっぱりこいつも変態だったと。



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15「作戦までの一週間 1 俺っ娘ユウとアスティ」

 その後、ロレンツは事態に気付いたデビッドにずるずると引きずられていった。

 デビッドは「わりいな。こいつにはよく言い聞かせておくから」と申し訳なさそうに頭を下げた。よくできた人だ。

 それに引き換えロレンツは……あんな奴殴られて当然だよ!

 これからあいつのことは要注意ね。

 強引なラスラ、小悪魔なアスティと続き、変態男のロレンツで私はすっかり参ってしまった。

 ルナトープの連中って本当に濃くて疲れる。そのうち慣れるとは思うけど……。

 もうこれ以上人と話す気分を削がれてしまった私は、交流するのはまた今度でいいかと思った。

 会議室を出て、人気のないところで男に変身する。

 それですっかり乱れた心を落ち着かせることにした。

 

 ……まあよく考えたら、別に殴ることもなかったかもな。

 

 ああいう軽薄野郎はたまにいるし、あいつなりの親しみを込めたスキンシップだったのかもしれない。

 あまりに欲望に正直で、少々やり過ぎなのは否めないけど。

 

「私」の影響が抜けた俺は、案外すぐにケロッとしていた。

 

『あいつ。次迫ってきたらタマ潰してやる』

『まあまあ。落ち着けって』

 

『心の世界』で「私」がぷんすかしているので、俺はそこへ入っていく。

 酔っ払いにしつこくナンパされてキレたときの母さんみたいになってる「私」を、苦笑いしながらなだめた。

「私」はまだ頬を膨らませている。

 我ながら「私」は可愛いと思う。自分同士だからか、特に変な気持ちは湧かないけど。

 

「あなたの大事な身体が、あんなケダモノにって思ったらね。それにあなただって、さっきまで私と同じ気持ちだったじゃん」

「だって女のときは、半分君みたいなものだし。なってるときはあまり感じないけど、案外精神への影響って大きいんだな」

 

 一応主人格は俺のはずなんだけど、女のときの俺は、事実上「私」にかなりコントロールされているのかもしれない。

 まあ「私」は俺のことを絶対に悪いようにはしないから、それでも別に構わないが。

 

「それはまあ完全にシンクロしてるもの。私が協力してあげないと、女になったら違和感だらけで仕方ないはずだよ」

「実際どれだけ違うんだろうな」

 

 言われてふと思った。

 前に一回だけ俺のまま女になったことがあるけど、あのときは緊急だったし、そんなこと気にする余裕はなかった。他のときはいつも私が一緒に入り込んでるから、あまりよくわからないというのが正直なところだ。

 

「なら一回試してみる?」

「え?」

 

「私」は面白そうににこっと笑うと、するりと身体から抜け出して身を明け渡した。

『はいどうぞ』と、抜け殻になった女の肉体の横で、淡く光る精神体になった「私」が言う。

 

「いいのか?」

 

 意外な展開に、俺は戸惑っていた。

 いつもなら「私」と一緒だから特に思うことはないのだが、俺だけが「私」の身体を借りて動かすというのは……。

 何だか倒錯的というか、背徳的でとてもいけないことのような気がする。

 

「いいよ。私の役割を知って欲しいし」

 

「私」は特に気にしていないようだった。

 まあ「私」がいいと言うのなら、一回くらい試してみてもいいか。

 俺は意を決めると、自分の身体から抜け出して精神体になり、自分だけで「私」の身体に入り込んだ。

 いつものような「私」との精神の融和がない分、ただ着ぐるみに入るような感じで、これと言って特に気持ち良さを感じることはなかった。

 

「いってらっしゃい。私は中でゆっくりあなたの様子を見守ってるからね」

 

「私」の楽しそうな言葉と一緒に、俺は女のまま現実世界へと送り出された。

 

「…………」

 

 確かに違和感しかなかった。

 なんだ。この胸にずっしりかかる重みは。股間がスカスカするような変な感じは。

 身体中が居心地の悪さでぞわぞわした。

 歩いてみると、華奢な手足が何とも頼りなく思えた。

 いつも女になってるときはまったく気にならないのに。

 それに、ノーブラの胸が小刻みにぷるんぷるんと揺れて……!

 意識したら、くすぐったいようなムラムラするような、変な気分になってきた。

 つい好奇心から、シャツを引っ張って服の中を見下ろしてしまう。

 汗で蒸れたおっぱいが、谷間から甘い匂いと色気を発していた。

 俺はいけない胸の高鳴りを感じた。

 おかしい。「私」の身体だぞ。

『心の世界』じゃ平気なのに、どうしてこっちだと……。

 やばい。これ以上見ちゃダメだ。

 顔を上げて何とか心を静めようとしたとき。

 

「あ、ユウちゃん」

 

 後ろから、聞き覚えのある快活な女の子の声がかかる。

 アスティだった。彼女は二枚のタオルをその手に持っている。

 

「やっと見つけたよー」

「俺に何か用か?」

「俺?」

 

 彼女が怪訝そうに首を傾げた。

 俺は慌てて言い直す。

 

「あ、いや、私に何か用か?」

 

 すると彼女は俺の顔をきょとんと見て、それから合点がいったように頷いた。

 

「ふーん。そっかなるほど。今はユウくんなんだねー」

 

 驚いた。

 

「どうしてわかった、あ、わかったの?」

「言葉遣い無理しなくていいよー。どうしても何も、明らかに中身が男の子だよね」

 

 そう言った彼女は、なぜか少し残念そうな顔をした。

 

「これはどういうことなのかな? てっきりあたしは、身体と心の性別が一致してるものだと思ってたんだけど」

 

 またまた驚いた。

 何も言ってないのに、どうしてそこまで見抜いているんだ!?

 だが少し考えてみれば、心当たりがある。

 そう言えば。この前身体を弄ってきたとき、この子は反応を探るように俺のことをじっと見ていた。

 さては、そのときの反応で俺のことを見極めていたのか。

 動揺のあまり、単なるいたずら心でしてきたのだと思ってしまっていたけど、その実は人間観察のためだったのだろうか。

 とするとこの子、とぼけているようで実はかなり鋭いのかもしれない。

 事情を説明するのも面倒なので、俺は心の中で「私」に話しかけた。

 というか、「私」抜きで女になるのは色々とやばそうだってことはよくわかった。

 もう懲りたよ。

 

『なあ。もう戻っていいよ』

『えー。せっかくだから、このまま話し合ってみれば?』

 

「私」はすっかり面白がっていた。こいつ。

 なんで自分の半身にまでからかわれないといけないのだろうか。

 弄られ体質の理不尽を悲しく思いつつも、「私」の援助が望めない俺は、仕方なく男口調のまま事情をかいつまんで説明することにした。

 本当は人格が二つあること。

 女のときは女として振舞えるように、もう一つの人格に協力してもらっていること。

 この辺りのことを軽く話せば十分だろう。

 

「というわけで、これはちょっとしたお試し期間中というか何というか。普段はちゃんと女の子やってるんだよ」

 

 我ながらとんちんかんというか。あまり変な話をするとおかしいと思われるかな。

 心配したが、アスティは割とすんなり信じてくれたようだ。

 

「へえ。そんな面白い遊びをこっそりしているなんて。ユウくんって意外と大胆なんだね♪」

「どちらかというと、思い付いたのはあっちの方なんだけどね。まあ乗ったのは俺だけど」

 

 よく考えたら、このソプラノの声で男の気分のままべらべら喋るのって、サークリスのとき以来だな。

 あのときは違和感なかったけど、女としての立ち振る舞いに慣れてしまった今は、逆になんか変な感じがする。

 

「ところで、何か用があるんじゃないのか?」

 

 問いかけると、アスティは二枚のタオルをひらひらさせながら「てへ」と笑った。

 

「いやー、スキンシップも兼ねて、ユウちゃんと一緒に身体拭こうかなって思ったんだけどね。さすがにユウくんとは、まだちょっと恥ずかしいかも」

 

 身体を拭く。なるほど。

 ディースナトゥラ及びギースナトゥラでは、水は貴重品なのだ。

 ナトゥラが工業用以外で水を一切必要としないことも、水不足に拍車をかけている。

 一般の需要がないから供給もないという単純な話である。

 もちろん豪快に水を使うお風呂やシャワーなんてあるはずもなく(そもそもナトゥラはそんなもの使わない)、節約のためタオルに水を染み込ませて拭くというのが、ヒュミテの身嗜みの常識だそうだ。

 ちなみにナトゥラは、エアシャワーというものを使って身体を綺麗にするらしい。

 

「普通半分男だってわかったら、裸の付き合いは避けるもんじゃないか? そっちこそ大胆なんだな……」

 

 アリスやミリアのように、正体がわかっても一切変わらず付き合ってくれる人はいないわけではないが、どちらかと言えば少数派だ。

 

「あたしは人の中身を見てるからねー。それに戦士は、大胆じゃなきゃやっていけないんですよ?」

 

 首をちょこっと傾げて、ぱちりとウインクした彼女に、ついドキッとしてしまった。

 この子、あざとい。あざといけどかわいい。くやしい。

 そんな俺の心の揺れを知ってか知らずか、彼女はけろっとした顔で俺に迫ってくる。

 腕を握られて、ぽんとタオルを手に乗せられた。

 

「はい。とりあえず持ってきちゃったし。ユウくんのタオルね」

「あ、ありがとう」

「まあついでだし、あたしの部屋来る? 水もあるから」

 

 さらっと誘う彼女の微笑みから色っぽい彩が感じられて、俺はますますドキリとしてしまう。

 別の意味で誘われてるのか? と、一瞬勘違いしてしまいそうになるほどに。

 

「その……」

「ほら。遠慮せずにおいでよ」

 

 腕をぐいっと引っ張られて、俺はなすがままに連行されてしまった。

 

 

 ***

 

 

 彼女の部屋と言っても、アジトの一室を貸し与えられただけのものだ。

 彼女の所有物である銃器類を除けば、ベッドや机の他には何もない質素なところだった。

 俺たちは、ベッドに隣り合って座っていた。

 

 なし崩し的について来てしまったけど、なんだこの状況は……。

 

 既に彼女からは、水を受け取っていた。

 

「いいよ。ユウくんだけで拭き始めて」

「いや、でも……」

 

 恥ずかしさから顔を背けてしまう。

 身体を拭くのを女の人にじーっと見られるって、何のプレイだよ。

 それにこっちは「私」の身体だし、脱いだら――。

 また変な想像が頭を突いて出てくる。

 いけないと思い、必死に別のことを考えようとしていたところで、アスティがクスクスと笑い出した。

 

「あ、もしかしてあたしに見られるのが恥ずかしいのかなー? やっぱりウブなんだね」

「うるさいな」

 

 反発心からカチンときた俺は、吹っ切れた。

 勢いのまま、服に手をかける。

 ジャケットを脱ぎ、シャツをめくり上げたところで――。

 アスティの視線がぐいっと胸にいった。

 そこで最大の失態を犯してしまったことに気付く。

 

「うひょー。ノーブラですか。大胆~♪」

「あ……!」

 

 そうだった!

 

 かーっと顔が熱くなる。

 もうアスティの顔がまともに見られない。

 

 

 ***

 

 

『はい。その辺でストップ』

 

『心の世界』で、後ろから「私」の精神体に抱き付かれる感覚があった。

 そのまま意識を中に引きずり込まれ、気付けば俺は精神体として、自分の身体に戻った「私」の目の前にいた。

 

「どうだった?」

「うう……。君の手助けがないと、大変だってことがよくわかった……」

 

 まさに「私」様々だ。

 

「ふふ。そうでしょ」

「いつもありがとう」

「どういたしまして」

 

「私」はにやにやしたまま胸を張る。わからせられた。

 

「それにしても、ユウって結構むっつりだよね」

「うっ……」

 

 図星を突かれる。

 

「あはは。私やアスティであんなにドキドキしちゃってさ。まあ男だもんね。仕方ない仕方ない」

「ううぅ……」

 

 もう死にたくなるほど恥ずかしくて、何も言い返せない。

 がっくりきている俺を、「私」は後ろからあやすように抱きすくめてきた。

 落ち込んだときとか、甘えたいときとか。察して、よくこうしてくれるのだ。

 

「どっかの誰かみたいに、人前で欲望丸出しにしないだけまだいいよ。よしよし」

 

 いつもなら、こうして慰められておしまいなんだけど。

 この「「私」はわかってるんだよ」とでも言いたげなお姉さん的態度が、今回ばかりは段々癪に障ってきた。

「私」と俺の根っこは同じ。

 俺が寂しがり屋なら、「私」も寂しがり屋だし。俺が甘えん坊なら、「私」も甘えん坊なのだ。

 お互いスキンシップが大好きだから、こうしてよくくっついてる。

 だから。むっつりって言うなら。君だって。

 俺は反撃の材料をもって、「私」に言い返してやった。

 

「でも君だって、人のこと言えるのかな? この前はレンクスで――」

 

 今度は、動揺したのは「私」の方だった。

 

「なっ! いや、それはね! どうしても浮かばなくて……って、実際に身体を動かしたのはあなたでしょ!?」

「そう思わせて、そうさせてるのは君じゃないか! 思い出すだけで気持ち悪い」

「へえ。じゃあ言うけど! あなただって困ったとき、アリスやミリアで――」

「あー聞こえない! 聞こえないな!」

「私も聞こえない!」

 

 顔が熱くなった俺と、真っ赤に赤面した「私」は、ぷいと顔を背け合う。

 ところが『心の世界』では、少し気にしただけで相手の心が簡単にわかってしまう。

 同じ経験を共有する、性別以外同じ者同士だからこそ、下らないことで反発してしまう部分もあるわけで。

 心が通じ合ってしまえば、この言い合いもすぐに馬鹿らしくなった。

 

「……同じユウ同士で罵り合っても仕方ないよな。お互い何もかも全部知ってるわけだし」

「……ええ。秘密は私たちの心の中にしまっておこうか」

 

 俺たちはがっちりと握手を交わした。秘密保護条約締結だ。

 

 

 ***

 

 

「急に黙り込んで、なに考えてるのかな?」

「何でもないよ」

 

『心の世界』のじたばた劇など素知らぬ振りで。

 澄ました顔でそう答えると、アスティがぱっと笑みを見せた。

 

「あ、ユウちゃんに戻ったっぽいね」

「そんなすぐにわかるものなの?」

「えっへん。このアスティちゃんを舐めてはいけませんよ」

 

 すごいなこの子。私はすっかり感心していた。

 

「さ、拭き合いっこしよっか」

「え」

「言ったじゃん。元々そのつもりだったって。これで心置きなくできるねー」

 

 からっと言うと、彼女は事もなげに服に手をかけた。

 軍服のような制服の上着をするりと脱ぐと、目に付いたのは、真っ黒な伸縮素材のスーツだった。

 ほぼ全身くまなく、布地がぴったり張り付くように覆っている。

 

「それはなに?」

 

 気になって尋ねると、彼女は丁寧に教えてくれた。

 

「セフィックだよ。そっか。ユウちゃんには必要ないから、あまりよく知らないんだよね」

「うん。名前だけは聞いたけど」

「これは、生命反応を抑えてくれる特別なスーツなの。一人一人の生命反応に合わせた特注品で、結構値が張る貴重なものなんだよー」

「へえ」

「とっても便利だけど、ほぼ全身ぴったり覆わなくちゃいけないから、窮屈なのが玉に瑕かな」

「確かにきつそう」

「うん。ただねー。これでも完璧に生命反応を隠せるわけじゃないから、ディースナトゥラでも特に感知システムが厳重なところだと、どうしても反応しちゃうんだよ。困ったね」

 

 なるほど。ルナトープの人たちの気が随分読みにくかったのは、そういうことだったのか。でも完璧じゃないと。

 ディースナトゥラでヒュミテが活動することは自殺行為だと、クディンは言っていた。

 セフィックが完璧ならそうは言われないはずで。効力を発揮しない場所があるのが問題として大きいのかなと思った。

 と、そんなことを考えているうちに、彼女はもう素肌を晒していた。

 

 私は思わず、はっと目を見張った。

 

 普通の女の子からはかけ離れた姿が露わになったからだ。

 全身至る所古傷だらけで、見ていて痛々しいほどだった。

 戦いの日々の凄惨さを、十二分に物語っている。

 

「その身体……」

 

 同情の目を向けると、アスティは平気な顔をしてからからと笑った。

 

「いいの。気にしないで。この傷はあたしの勲章だよ。ラスラねえもマイナねえも、おんなじようなもんだしねー」

「そう、なんだ」

「どう? あたしの身体、醜いかな?」

「――ううん。綺麗だよ。すっごく綺麗」

 

 戦うために無駄なく鍛え上げられた身体は、健康的な色気と肉体美を誇っていて。

 本当に綺麗だった。

 アスティは得意気な顔でウインクする。

 

「そうでしょ。自慢の身体だもん。どんな男だってイチコロよ♪」

 

 私は心を込めて、長旅の疲れを労わるように、丁寧に彼女の身体を拭いてあげた。

 ついでに肩も揉んであげると、彼女は心地良さそうにしていた。

 昔から上手いって言われてたからね。

 確かに裸の付き合いは、効果的だったようだ。随分親しくなれたような気がする。

 

 部屋を出るとき、彼女はピストルを構えるようなポーズを取って、ニカッと言った。

 

「あ、そうだ。今度銃の訓練するんだけどさ。よかったら付き合ってみない?」

「いいよ。楽しみにしてる」

 

 私は嬉しい気分で自分の部屋に戻った。もうすっかり彼女への苦手意識はなくなっていた。



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16「作戦までの一週間 2 ルナトープとの合同演習」

 翌日。俺を含む作戦実行部隊全員が集まって合同演習を行った。

 各員の動きや得意分野を把握しつつ、全員の呼吸を揃えるのが最初の目的だ。しばらくはそれに専念して時間を費やした。

 元々ルナトープのメンバー同士の息はピッタリだったので、俺とアウサーチルオンたちが彼らに合わせるのが主な課題だった。

 連携の感じを掴んでからは、作戦実行時の実際の動きを想定したシミュレーションを行った。

 予定通りに行った場合だけでなく、途中で失敗した場合や予想外のことが起きた場合の対処など、様々な状況に応じた訓練をやった。

 シミュレーションの内容は、ウィリアムとネルソンが中心となって立てたものだ。限られた時間の訓練でどんな状況にも応用が効くようにと、非常によく考えられたものだった。

 演習に臨んでいる間の面々は、冗談一つ言わぬ真剣そのもので、場にはピリピリとした空気が張り詰めていた。

 ウィリアムの指示は常に迅速かつ的確であり、指揮能力の高さを感じた。

 何度も死地を乗り越えたというのは伊達ではない。まさに名指揮官の貫録があった。

 ネルソンは寡黙ながらも要所要所で重要な立ち回りを演じ、参謀役としての実力を見せてくれた。

 ラスラは全体を見る目こそウィリアムに劣るものの、こと戦闘を想定した模擬戦においては大活躍だ。斬り込みに援護に撤退にと率先して声を上げ、先を率いる能力は誰よりもあった。

 なるほど。なぜ若輩である彼女が、ネルソンを押さえて副隊長を任されているのかと思ったけど、何となくわかった。

 彼女のような武官タイプは、信頼できる上官がいた上で、前線を率いる副リーダーというポジションなら、確かに似合っているかもしれない。

 

 模擬戦が一段落して、休憩時間に入る。

 俺はまだあまり話をしていない相手から順に話をして、親睦を深めておこうと思った。

 まあ昨日は疲れちゃってほとんど話をしなかったからね。

 デビッドとロレンツが楽しそうに談笑しているのが目に付いたので、早速話しかけに行くことにした。

 近づくと、二人とも気付いてこちらに振り返る。

 

「ここまでお疲れ様」

「お互いにな」

 

 俺の挨拶に、デビッドは人当たりの良い態度で応じてくれた。

 

「おう。ユウ!」

 

 ロレンツは慣れ慣れしく近寄ってきた。昨日が昨日なので、俺は少し身構える。

 彼は俺の真横まで来ると、腕を回して肩を抱き寄せた。そしてひそひそ声で耳打ちしてくる。

 

「おいおい、男かよ。つれないな。そこは女になって、お疲れ様って可愛らしく声をかけるところだろうがよ~」

「ああそうかい」

 

 そりゃあお前は、それがいいだろうな。

 呆れていると、こいつは遊ぶような手つきでペタペタと俺の胸を触ってきた。

 

「ちっ。何もないぜ」

 

 膨らみがないのを心から残念がってるよ……。

 女じゃないから触られても別にどうとも思わないが、単純に鬱陶しいからその手を払いのけて言った。

 

「当たり前だろ。今は男なんだから」

「はあ~。俺は女のお前の柔らかそうな胸が好みなんだよな。なあ、ちょっと変身して揉ませて――」

「断る」

 

 誰が好き好んで好きでもない野郎に身体を触らせないといけないんだ。

 冷たい声でばっさり切り捨てると、やっと肩を離してくれたこいつに「男の癖にガード硬いな~」とへらへら笑われた。

 イラっときた。

 ぶっちゃけそのうざいポジ、レンクスだけでたくさんなんだよ。セクハラ野郎め。

 

「それより、デビッドの双剣術は色々と勉強になったよ」

 

 これ以上変に絡まれたくないので、話題を変える。

 隊員の中で、彼だけが二本のスレイスを両手に持って器用に使いこなす。

 剣士という括りでは多くの相手と対峙してきた俺だが、二刀流使いは珍しくあまり経験がない。

 なので彼との模擬戦は、同じく二刀を操るリルナを意識した立ち周りの訓練としてかなり重宝した。

 

「こちらこそ。ユウの動きから多くのことを学ばせてもらったよ」

 

 先生にみっちり仕込まれ、今までの四年間で自分なりに昇華させた剣術は、彼にとっても学ぶところがあったようだ。

 

「ならよかった」

「ラスラから聞いていたが、本当に強いんだな」

「別にそんなことないさ」

 

 謙遜でなくて、実感としてそう答える。

 

「ところでこの訓練、不測の事態への対策をこれでもかってくらい重点的に行っているけど、どういうわけなんだ」

 

 よく考えられてはいるが、何かに失敗したときのリカバリーが多過ぎる。

 厳しいのはわかっているが、ちょっと自信がなさ過ぎじゃないだろうか。

 

「ディーレバッツの奴らが持つ特殊機能を警戒してのことだ。絶対想定通りに行くわけねーからな」

 

 と、ロレンツが真面目な調子で答えた。

 いつもそれでいてくれ。

 

「ああ。確かディーレバッツの構成員は、全員が特殊機体だと言ってたな」

「おうよ。連中が何らかの特殊機能を持っていることまではわかってんだけどな。残念ながら、一体どんなのを持っているかまでは正確に把握できてねえんだ。あいつらと直接戦り合って生き残った隊員なんて、ほとんどいねーから」

「そういうことか。それは厄介だな」

 

 初対面の相手ではそれが常ではあるが、相手の手の内がわからないというのは非常に恐ろしいことだ。

 

「俺がガキの頃はよ、もっと色んなレジスタンス隊がいたんだよ。けどほぼみんなやられた。生き残った奴も、怖気づいちまってな。気が付いたら、前線に残ってるのは、俺たちルナトープだけになってた」

 

 ロレンツは、苦虫を噛み潰したような顔で拳を握り締めていた。

 デビッドが同調するように溜め息を吐く。

 

「そのオレたちも、メンバーは一番多かった時期の半数さ。もうあまり戦力は残ってない。これに加えて、テオまで処刑されてしまったら――それこそ一巻の終わりってやつだ」

「つーわけで、今回ばっかりは俺もマジに命懸けよ。俺たちはたとえ何人命を投げ打っても、必ずこの作戦を成功させなくちゃなんねえ」

「オレたちは駒だ。王を生かして死地から抜け出させるためのな」

「駒だなんて、そんな悲しいこと言うなよ」

 

 俺は駒という使い捨てのような言葉の響きから、ついそのように言ってしまった。

 王だけでなく、誰にでも同じように尊厳があると思うからだ。

 けれどデビッドは、心外だとでも言いたげな顔をした。

 

「悲しいだと? 誤解してもらっちゃ困るな。駒に喜んでなるのが、兵隊ってもんなんだ。役に立つ駒になれるなら、これ以上の誉れはないさ」

「そういうものかな」

「そういうものさ。それに、オレたち一人一人の血と汗が未来への懸け橋となるんだ。こんなに素晴らしいことはないぞ」

 

 そう言い切ったデビッドからは、ルナトープの一兵士であることに対する歓びと誇りが強く感じられた。

 彼の希望と情熱に燃えた目を見たとき、俺は余計なことを言ってしまったんだなと思った。

 

「変なこと言って悪かった。確かに素晴らしいことだと思うよ」

「ハハ。そうだろう。まあオレだって、もちろん命は惜しいとも」

「死んだら女抱けねえしな」

「またお前はそんな邪なことを。亡くなった先輩たちに謝れ」

「へっ。お前、性欲舐めんなよ。生き物なんて結局ヤるために生きてると言っても過言じゃねえ。またヤろうと思うから生きられるし、殺れんだよ」

 

 なんだ、その名言もどきの猿発言は。

 俺はつい額を押さえた。レベルが高過ぎる。

 

「お前はその辺正直過ぎるんだよ。ほら、ユウも引いてるだろ」

「あんまりうるせえと、この前貸してやったグラビア今すぐ返してもらうぜ」

「まて。それとこれとは話が別だ」

 

 デビッド。貴様も男だったか。

 

「ってかよ、あの表紙のアイドル可愛いよな。ぷるんぷるんの巨乳が最高!」

「そこは同意せざるを得ない」

 

 さわやかな声で拳を付き合わせ、ロレンツと意気投合するデビッド。

 お前ら仲良いな、おい。

 

「ユウも今度貸してやるか」

 

 え、俺に振ってきた!?

 

 まさかの展開に動揺する。

 どうする。ぷるんぷるんの巨乳か。

 いやない。俺はこいつらと同類じゃないし。

 そんなもの別に……いらないし。

 

『じー』

 

 ……「私」も見てるし。

 よし。ここは毅然と断るべきだ。

 でも、ぷるんぷるんの巨乳か。

 

 ……ちょっと興味あるかも。

 

 ――いやいや!

 

 俺はなるべくいつも理性的で落ち着いた、しっかりした人間でいたいんだ!

 昔から何かにつけて弱くて頼りない一面があって、感情的で動揺しやすいところがあるから。

 それが嫌で、いつだって理想の大人でクールな自分を目指して、努めて振舞おうとしてきただろう。

 それでようやく少しだけはできるようになってきたじゃないか。

 なのに、こんな下らないことで醜態を晒すわけには……!

 ああでも、ぷるんぷるんの巨乳か。

 

『じー』

 

 だから、「私」も見てるんだって……!

 ぐ、でも。うああー、ぷるんぷるんの巨乳か。

 

「………………頼む」

「ハハ! 正直で結構!」

 

 大笑いしながら近づいてきたロレンツに、肩をバシバシと叩かれた。

 俺も男だったか。欲と好奇心には勝てなかったよ……。

 

『やっぱり男の子だね。ふふふ』

 

「私」がずっとにまにましている。

 

『しょうがないだろ……』

『うんうん。しょうがないよね。私は理解あるお姉ちゃんなので、許しましょう』

『それはどうも。どうせまた何やってても全部見てるんだろう?』

『もちろん。ちゃんと適度に発散していいからね。我慢は身体に悪いもの。ね』

 

『心の世界』の内側で、頬をすりすりされる。

 楽しそうだな。もう。

 精神同居だからしょうがないけど、朝から夜まで、食事から風呂からシモのことまで、ほんとに恥ずかしいところも全部見てくるからな。

 実質人生完全監視プレイ状態だもんね……。

 そしてまた弄りのネタにするんだ。どうせ。

 もう一人の自分にさえ頭が上がらない自分って、一体。

 

『ユウを見守るために私はいるからね』

 

 はいはい。そうですか。ありがとう。

 諦めの境地に浸っていると、ロレンツがまたへらへら肩を組んでくる。

 

「そうそう。確か真ん中辺りに、男が夢見る女の子の奉仕特集ってのがあるんだ」

「……で?」

「そりゃあよ! ぜひそいつを身に付けて、女の子になって俺に試して――」

『「それは絶対しない」』

 

 俺と「私」の冷たい声が、綺麗にハモった。

 

 

 ***

 

 

 そんな感じで楽しく? 二人と雑談した後、次はマイナとネルソンに話しかけに行った。

 近寄ると、マイナが静かに温かな微笑みを向けてくれた。

 

「あらユウ。こんにちは。さっきはロレンツとデビッドと楽しそうに、何を話してたのかしら」

「はは。下らないことですよ」

 

 猥談をしていた後ろめたさからか、彼女が醸す妖艶な大人の雰囲気からか、つい丁寧語になってしまった。

 

「私には何の用かしら」

「少しお話をしようかと思いまして」

「ふふ。いいわよ。でもせっかくだから、若い子たちともっと仲良くしてあげなさいな。私みたいな年寄りには、あまり構わなくって結構よ」

「いや、もう彼らとはそれなりに話したので。それにマイナさんもお若いですよ。大人の女性というか、綺麗だ」

 

 すると彼女は、まんざらでもなさそうな顔をした。

 

「あらあら。可愛い顔して、結構はっきり言うのね」

「正直に言っただけだよ」

 

 意識してタメ語に戻していく。

 既に隊長のウィリアムとも普通に話してるのに、一人だけ丁寧語で喋るのも変かなと思ったので。

 

「まあ一応二十代ですしね。そうだ。ユウも必要なものがあれば、私に遠慮なく言ってちょうだいね。用意できるものなら、ばっちり用意させてもらうわ」

「うん。ありがとう」

 

 それから、彼女の横に佇んでいたネルソンにも話しかける。

 

「ネルソン」

「……なんだ」

 

 ネルソンは、明らかに面倒臭そうな声を上げた。

 

「少し話をしたいんだけど、いいかな」

 

 すると彼は、やや申し訳なさそうに言ってきた。

 

「悪いな。普段何でもないことを話すのは、あまり得意ではない……」

「そうか。なら仕方ないね」

 

 あまり話をしたがらない人というのはいるものだ。

 嫌がるのを無理に話すこともないだろう。

 

「うむ。まあしっかりやってくれ。君のことは、本当に頼りにしている」

「ああ。できる限り頑張るよ」

 

 こんな調子で、主にマイナと会話を弾ませた。

 ネルソンは、自分の興味ある話題のときだけ、時々ぼそっと独り言のように呟いてコメントを入れてきた。案外、思ったことは言わずにいられない性格なのかもしれない。

 二人と色々と話しているうちに、休憩時間が終わった。

 

 再び演習が再開され、夜まで続いた。くたくたになるまで動き回った。

 大変だったけど、おかげでルナトープのメンバーとの息も合うようになったし、かなり仲良くなれた気がする。



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17「作戦までの一週間 3 ユウ、ギースナトゥラを歩く」

 一回目の合同演習の後、二日間は自由だった。

 俺はその間に一度、一人だけでディースナトゥラを散策してみようと思った。

 この世界に来た初日は、バタバタしてしまったからね。そのせいで、結局ゆっくり街の様子を眺めることができなかったのが心残りだった。

 別に観光気分というわけではないが、このまま戦いに身を投じる前に、少しだけナトゥラの日常を肌で感じておきたいと思ったのだ。

 このところヒュミテ派の環境に染まっていたので、情報がヒュミテ寄りなものに偏ってしまっている。

 改めて反対側を見つめてみることで、中立的な目でものを捉えられるような気がしたんだ。

 ついでに、第一刑務所がある第八街区の辺りも下見しておこうという考えもある。

 地上ではどこで感知システムに引っかかるかわからないルナトープの人たちや、見た目が子供ゆえにあまり変なところをうろちょろできないアウサーチルオンたちと違って、俺は女になっておけばとりあえず安心して行動することができる。

 そのことも、とりあえず出かけようという気分を後押ししてくれた。

 携帯食料をウェストポーチに詰め、クディンに

 

「上の下見をしに出かけてくる。二日以内には帰ってくるつもりだ」

 

 と告げて、出発する。

 知らない人に見られると面倒だから、アジトから出る前に女に変身しておくことにする。

 アジトの出口は三つあるが、私は行きのときに通ったオイル屋ノボッツから出ることにした。

 

「嬢ちゃん。お出かけかい?」

 

 場所だけに当然というか。カウンターから、ノボッツに声をかけられた。

 彼は店番とアジトの門番を兼ねているのだ。

 振り向くと、威勢の良いガタイと強面な顔が映る。

 黙っていれば怖いのだが、彼はそんなことは一切感じさせないほど、気の良い笑みを浮かべていた。

 

「うん。少し町の様子を見て回ろうと思っているんだ」

「気をつけてな。あまり変なところに行くんじゃないぞ」

「はい。行ってきます」

 

 

 ***

 

 

 巨大な地下街ギースナトゥラは、相変わらず泥臭い活気で賑わっていた。

 喧騒の中、人混みの間を縫うように歩いていく。

 向かっているのは、第八街区の地下に当たる場所だ。そこにもギースナトゥラからディースナトゥラに通ずる出口がある。

 そこまでは、下を歩きながらこっちの様子も眺めておこうと思った。

 ギースナトゥラとディースナトゥラは、恐ろしく長い螺旋階段か、あるいはエレベーターで繋がっている。各街区には、二、三か所くらい上下が繋がっている場所がある。

 技術的には、トライヴを上下におくことで空間を繋ぎ、ワープすることもできるようだけど。

 あえて不便にすることで、上下間の流通を妨げていた。隔離政策の一環だ。

 そして有事の際には、すべての出入り口は封鎖できるようになっているそうだ。

 そうなると通常は、テオを助けたとしても地下に逃げられず、お手上げなのだが……。

 クディンたちはあらかじめ、中央政府にばれないよう秘密裏に小型のトライヴを複数設置していた。

 今回はそのうちのどれかを使って、上の連中を出し抜くつもりだという。上手くいくといいね。

 

 彼方に見える、中央区全体を縦に貫く銀色の巨大な柱は、どの位置からでも大きな存在感を放っていた。傷一つなくつるつるしており、地下に備え付けられた照明の明かりを跳ね返して、ぼんやりと輝きを湛えている。

 見上げれば、遥か上にそびえる天井は、さすがにそこまでは光も届かず真っ暗だ。

 日の光を完全に遮っており、まるで世界に蓋をされているかのような息苦しさを覚えた。

 再び空の下で暮らすことを望むアウサーチルオンたちの気持ちが、なんとなくわかるような気がした。

 その空も鼠色に濁っていて、あまり綺麗なものではないのが残念だ。

 この世界の人たちに、地球の澄み渡る青空や、エラネルの目が覚めるようなエメラルドグリーンの空を見せたら、一体どんな反応をするのだろうか。

 と、そこへ。

 

「へい。そこの姉ちゃん。うちでメンテナンスとか、メイクとかどうっすか? 料金はお安くしときやすぜ」

 

 客引きのお兄さんに、愛想笑いで声をかけられた。

 

「いえ。結構です」

 

 やんわりと断ると、彼は露骨に残念そうな顔を見せる。

 

「不景気だなあ。今日はまだ誰一人来やしないんですよ」

「ふふ。ご苦労様です」

 

 彼は軽く肩を落とすと、何でもない顔で世間話を切り出してきた。

 

「そうそう。ヒュミテの王が近日中に処刑されるかもって話、聞きました?」

「話には聞いたことがあります」

「色々やってたようですけど、とうとう奴もおしまいっすね。噂によると、そいつを皮切りに、ヒュミテの大粛清を始めるんだとか。ひえー恐ろしい話です」

 

 恐ろしいと言う割には、口ぶりはどこか他人事だった。

 おそらく彼はナトゥラなのだろう。

 

「まあウチは、ナトゥラだけを相手に商売にしてるんで。あまり関係ないっすけどね」

「それは何よりですね」

「へい。ただ……ウチらもね、いつあいつらと同じように政府に粛清されるかって、みんなびくびくしてんですよ。今は見逃されて生きられるだけ、ありがたいと思うしかないっすかねえ」

「そうですねえ。命あっての物種ですから」

「そうっすね。まあとりあえずは今日のことだ。商売に精を出すとしやしょう! 姉ちゃんも気が向いたら、ウチを頼みますよ!」

 

 私は軽く愛想笑いを返して、前へ進むことにした。

 人間だから、残念ながら行くことはないと思うけど。頑張って。

 

 

 ***

 

 

 やがて、露店街に入った。ここを抜ければ、第八街区行きのエレベーターに辿り着く。

 各露店では、ナトゥラ用のオイルやパーツ、インテリア、書籍データなど、様々な物が売られていた。

 中には、ヒュミテの雑貨屋さんという店もあった。

 看板には小さい字で「ヒュミテも働けます」と書いてある。

 地下ではヒュミテも生活しているというのは、どうやら本当らしい。

 店の前で呼びかけているのも、子供の姿をした者(おそらくアウサーチルオンだろう)、片足がない店主、頭の一部が欠けている者など、色んなのがいた。

 いずれもどこかしら問題を抱えた、正規格ではないナトゥラたちである。

 みんなどう贔屓目に見ても、生活がいっぱいいっぱいという感じが伝わってきた。

 地上の華やかさは見る影もない。これがギースナトゥラの普通なのだ。

 ナトゥラは人間と違って、別に食わなくても当面生きてはいける。

 だがそれでも、身体に手入れをしなければ、あちこちが錆びつくし、調子も悪くなる。

 時には身体の一部を直したり、取り替えないといけない。

 それが、結構お金がかかるそうなのだ。

 そしてもちろん娯楽にも金はかかる。

 そういうわけで、結局はみんな人間と同じように「油を垂らして」働いていた(汗を流すことを、ナトゥラたちはこう表現するらしい)。

 

 またしばらく歩いていくと。

 周りからちょっと浮いた、みすぼらしい感じの女の子を見かけた。

 お粗末な敷物を敷いて、その上にちょこんと正座している。

 少女は懸命に口を開けて何やら呼びかけていたが、周囲の雑踏が生み出す音に勝てていない。

 そこへ吸い込まれるように、声は掻き消えてしまっていた。

 近づいていくと、やっとか細い声が聞こえてきた。

 

「香水……要りませんか……」

 

 見下ろすと、これまたお粗末な小瓶がいくつか並んでおり、中には透き通るような紫色の液体が入っていた。

 確かナトゥラも、ヒュミテよりは鈍いけど匂いはわかるんだったっけ。

 中身こそ綺麗だが、小瓶はどこかから拾ってきたようなものだ。とても売り物にはなりそうにない。

 こんなところで健気に商売をする彼女の事情が少し気になって、話しかけてみることにした。

 

「綺麗だね。ちょっとだけ試してみてもいい?」

「あ、どうぞ」

 

 話しかけられたのが嬉しかったのか、彼女の顔が少し明るくなった。

 私は小瓶のうち一つを取ると、さっと首に吹きかけてみる。

 うん。ほんのり甘ったるい花のような匂いが広がって、いい香り。

 思った以上の質に、内心驚いていた。

 

「君、アウサーチルオン……じゃないよね?」

 

 あどけない様子から、本当に子供のチルオンだろうと思って言ったら、彼女はこくんと首を縦に振った。

 

「どうしてこんなところで商売なんかしてるの?」

「お母さんの調子がおかしいの。でも、修理に行くお金がなくて……」

「そっか。いくらかかりそうなの?」

「あ、一本五ガルです」

「あ、いや、修理にはいくらかかるのかなって」

「あっ……すみません。詳しくは見てもらわないとわからないですけど、二千ガルはするかもしれないって……」

 

 少女は泣きそうな顔でそう言った。確かにこれを四百本も売るのは絶望的だろう。

 値段の割に実は中身は良い香水だけど、肝心の外見がその辺で拾ってきたような小瓶では、誰も振り向いてはくれない。ましてやそれを売っているのが、ただのみすぼらしい子供ならなおさらだ。

 私はウェストポーチを開いて、そこに入っている札束を見つめた。

 千ガル札が百枚。危険な任務の報酬の一部としてクディンから前払いでもらったものだが、特にこれと言って使い道はなかった。

 ならこの子のために使ってあげたら、良い使い方になるだろう。

 私は札を五枚だけ抜き出して、ひらひらさせながら言った。

 

「この香水、気に入った。五千ガルで買うよ」

「そんな! そんなにもらえません!」

 

 目を丸くしてあわあわした彼女をかわいいなと思いながら、私は口にしーっと指を当てて、微笑みかける。

 

「いいの。これはちゃんと良いものを売っている君への、正当な対価だよ。それと、よかったら君のお母さんのところに案内してくれないかな。このお金で一緒に修理に連れて行こう」

「あ……ありがとうございます!」

 

 彼女は感極まったのか、泣きそうなほど顔をくしゃくしゃにして、本当に嬉しそうにしている。

 もし人間のように涙を流せたなら、ぽろぽろ流していたかもしれない。

 その素敵な「泣き顔」に、私もほっこりと幸せな気分になった。

 

 その後、寝たきりになっていた彼女の母親を背負って、さっきの客引きをしていたお兄さんの前まで連れて行った。

 メンテナンスがどうとか言っていたから、きっと直してくれるだろうと思ったのだ。

 

「どう? 直せそうですか」

「危ないところでしたね。胸部の動力炉がいかれてて――ほら、ヒュミテで言ったら心臓とか言うところにあたる部分です。ここをやられると、ナトゥラは動けなくなるんですよ」

「うわあ……」

「お母さん……」

 

 これは大事(おおごと)みたいだ。大丈夫だろうか。

 

「あと――頭もちょっとまずいな。もうしばらくほっといたら、完全に亡くなってしまっていたところです」

「それ、ほんとに大丈夫なんですか……?」

 

 不安になって尋ねると、お兄さんはドンと胸を叩いた。

 

「ウチなら大丈夫っすよ! 本来なら二千二百ガルはするんですが、おまけして千九百八十ガルにしときやしょう」

「じゃあ、このお金で頼みます。また様子を見に来るので、しっかり頼みますね」

「まかしといて下さい! ピッカピカにして差し上げるっすよ!」

 

 どうやらきちんと直るようだ。

 ほっとして、手を繋いでいた少女に話しかけた。

 

「よかったね」

「はい! なんてお礼を言ったらいいか……あの。これ、よかったらもう一本持って行って下さい!」

「うん。ありがたくもらっておくよ」

 

 私は差し出されたもう一本の香水を受け取った。

 紫色の液体は、宝物のようにキラキラと輝いていた。

 去り際に、いつまでも手を振ってくれる少女を微笑ましく思いながら、私はまた前を向いて歩き始めた。

 

 

 ***

 

 

 そのうち、ギースナトゥラとディースナトゥラを繋ぐ大きなエレベーターに到着した。

 金属製の支柱の中に、プラスチックのような見た目をした透明なチューブでできたシャフトが縦に伸びている。さらにその中に人や物を乗せるかごがあった。

 他に同乗者はいなかった。

 乗り込むと、音もなく静かにすーっとチューブの中を登っていく。

 少しずつ小さくなっていく統一感のない街並みを、ぼんやりと見下ろした。

 やがて地中に入ったのか、何も見えなくなる。

 ちょっと寄り道しちゃったけど、まあ悪くない寄り道だった。ディースナトゥラはすぐそこだ。



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18「作戦までの一週間 4 ユウ、再びリルナと遭遇する」

 ディースナトゥラ第八街区に着いた私は、まずは第一刑務所に向かうことにした。

 ゆるやかな円形を描く道路を歩いていくと、ほどなくして到着した。

 正面には大きな門があり、鼠一匹逃がさないようぴたりと閉じているのが見えている。

 警備員と思われる男が二人、ぴしっとした佇まいで門番をしていた。

 あまり至近できょろきょろしていると変に思われそうなので、何気ない素振りで周囲をざっと歩いてみる。

 会議の情報通り、どこも隙間なく高い壁で覆われていた。

 壁の側面と上には、有刺金属線がびっしりと張られているのがわかった。しかもあれには高圧電流が流れているという。

 まあ高いとは言っても、恐ろしく高い中央工場の外壁や町全体を取り囲む外壁と違って、せいぜい数メートルほどである。

 このくらいの高さなら、男になって脚力を強化すれば何とか飛び越えられそうだった。

 でも……タイミングには注意かな。

 作戦当日の行きは奇襲をかけるため、男にはなれない。感知システムに反応してしまうからだ。

 だけど帰りなら、どこからでも抜け出られそうだね。うん。

 ぐるりと周ったところで、次は刑務所の周辺をじっくり調べることにした。

 作戦会議で話し合った逃走ルートの候補を、実際に歩きながらこの目で一つ一つ確かめていく。

 見たものは『心の世界』にすべて記憶されていくのが便利だ。しばらくこの作業を続けると、いつでも好きな時に参照できる自分専用の逃走マップが出来上がった。しかも正確さはお墨付きだ。

 

 これだけやっておけば、とりあえずは大丈夫かな。

 

 ひとまずすべきことを終えた私は、ぷらぷらと適当に歩き始めた。

 最初のときと違って心に余裕がある分、ゆっくり町の様子を伺うことができた。

 この世界に来て初日以来となるディースナトゥラは、ギースナトゥラと比べるとますます綺麗で華やかなところに思えた。

 道行く人々の表情も明るく、身なりもしっかりしている人がほとんどだ。

 魚の群れのように空を飛び交う車も、鏡のように綺麗な道路や建物も、ほぼまったく下では見られないもので、初めて見るわけでもないのについ圧倒されてしまう。

 上と下では、まるで別世界のようにすら思えてくる。

 いくつかお店にも入ってみた。

 どこも地下の露店とは随分違う。整った内装で、売っているものも比較してグレードが高く、値段もやや高めな印象だった。

 地下では見かけなかった高級品店や宝石店などもある。そこで売られている物は目もくらむような価格が付いていた。何か一つでも買えば、私の持っているお金なんて簡単に消し飛んでしまうほどだ。

 よく見ると、支払いを指タッチで済ませている人が多かったのが特に印象的だった。

 へえ。ナトゥラの指って、カードの代わりにもなるのか。

 

 

 ***

 

 

 気が付けば、第六街区にあるディースナトゥラ市立公園にまでやってきていた。

 この都市で最も大きな公園であり、多くの子連れやカップルで賑わう憩いの場として有名な場所だそうだ。

 確かにそれっぽい人たちが、のんびりとその辺を散策していた。きゃっきゃとはしゃぐチルオンの声や、いちゃいちゃするカップルの会話などがちらほら聞こえてくる。

 メカメカしい人工物だらけの街並みと違って、公園は緑に溢れていた。木々が立ち並び、色とりどりの草花も生えている。

 ここのところ、周りはずっと無機質な金属色ばかりだったから、知らず知らずのうちにぴりぴりしていたのだろうか。

 目に優しい緑を眺めていると、ふっと心がリラックスしてきた。

 深呼吸してみると、何となく空気がおいしいような気がする。

 

 ふう。この町にもこんな素敵なところがあったんだね。

 

 足どりも心も軽くなって、ゆったりと公園を歩いていると。

 噴水の前に、小鳥たちが集まっているのが見えた。

 鳥か。この世界で見たのは初めてだ。

 よく見ると、小鳥たちは向こうから放り投げられてくるパンくずのようなものを、我先にと嘴でつついているようだった。

 地球なら何でもないような光景だが、この町で食べ物ってかなりの貴重品じゃなかったか。

 そんなものを惜しげもなく投げている人のことが何となく気になって、視線を移したとき。

 

 私はぎょっとした。

 

 だって、ベンチにくつろいで座っていたのは――。

 

 流れるような水色の長髪。すらりとした白銀色の手足に、所々素肌を晒した、カラーリング入りのシルバーメイルコスチューム。

 こんなに特徴的な奴は他にいない。間違いなかった。

 

 リルナ! どうしてこんなところに!?

 

 無意識にびびったのか、身体は咄嗟に踵を返そうとしたが。

 その前に彼女は、私の存在に気付いてしまった。

 楽しそうに餌をちぎっては投げていた彼女は、顔を上げると手を止めて、さらっとしたノリで話しかけてきた。

 

「ん。お前は確か、いつかの半生体素材の――名前は、聞いてなかったな」

「ユウです」

 

 もう逃げられない。

 内心の動揺を必死に隠しつつ、まだ男のときの名前はバレていないので、そのまま本名を名乗ることにした。

 自分の名前にはこだわりがある。なるべく偽りたくはなかった。

 亡き両親の形見でもあるし、最初に履いていたジーンズも使い物にならなくなって捨ててしまった今、この名前だけが地球との唯一の繋がりでもあるから。

 

「ユウか。変わった名前だな」

「よく言われます。リルナさんは、ここで――」

「前は言いそびれたが、リルナでいい。それにタメ口で構わない」

 

 私の言葉を遮ってそう言った彼女は、軽く溜め息を吐いて続けた。

 

「同僚以外はなぜかほぼ皆、さん付けや様付けで呼んでくるのだ。どうも気疲れしてしまってな。わたしはただ真面目に仕事をやっているだけの、一公務員に過ぎないというのに」

「はあ」

「中には、最強のナトゥラなどと呼ぶ者までいる始末。まったく。人を格闘家か何かみたいに。謎の崇拝ぶりには困ったものだ」

 

 やれやれと肩を竦める彼女。

 あなたがそれだけ強くて、カリスマ性があるってことじゃないのかな。

 未だこの世界で、自分を含め、彼女を超えるどころか、並ぶ力の持ち主すら誰一人目にしていない私は、素直にそう思った。

 

「リルナは、こんなところで何を?」

「何も。ただくつろいでいるだけだ。今日は非番だからな」

 

 そう言って小さくあくびをした彼女は、綺麗目の中にもどこか可愛らしく、そしてこの上なく無防備に見えた。

 いつでも展開可能な無敵のバリアを張っているというのが、まったく想像できないくらいに。

 

「わたしは、この場所が好きなんだ。この町で唯一緑に溢れているところ。小鳥たちもここにだけは降りてきて、鳴き声を聞かせてくれる。ここで日を浴びながらのんびりしていると、心がすっと落ち着いてくる」

 

 穏やかな顔をするリルナからは、初日に「俺」と敵対したときの恐ろしさは、微塵も感じられない。

 

「私もここ、好きかな。リラックスできていいよね」

 

 同意してくれたのが嬉しかったのだろうか。

 彼女の目がいささか輝いた気がした。

 

「そうだろう。わたしは緑も大事だと思うんだ。今度他の公園にも植林するように、環境課に進言してみるか」

「いい考えだと思うよ」

「ユウもそう思うか。よし。決まりだな」

 

 彼女はすっきりした表情で頷いた。

 それから、やや顔を暗くする。

 

「ところで、あのヒュミテの男。せっかくお前が情報をくれたのに、結局見つからなかった。すまないな」

「それは残念だね」

 

 まあ「俺」だからね。見つかるわけないよ。

 

「このわたしがヒュミテを取り逃がすなんて。屈辱だ」

 

 彼女はギリギリと歯を食いしばる。

 急に怖い顔になったので、私はびくっとしてしまった。

 

「次見つけたら殺す。どこまでも追いかけて、必ず亡き者にしてくれる」

「……どうしてそこまで、ヒュミテを目の敵にするの?」

 

 まるで修羅のような表情をする彼女に、なぜそこまでと疑問に思ってしまった私は、つい素で尋ねてしまった。

 リルナは怪訝な顔をした。

 

「当たり前だろう? 奴らはナトゥラの敵だ」

「本当に、そうなのかな」

「そうに決まっている!」

 

 彼女は突然激昂した。

 あまりの大声に、私は竦み上がってしまう。

 

「わたしはヒュミテが憎い。憎い――脳裏にくっきりと焼き付いて離れない。わたしたちをゴミのように扱ってきた奴らの、悪魔のような顔が」

 

 彼女の纏う雰囲気に漆黒の闇が宿る。怒りと悲しみがごちゃ混ぜになったような、そんな顔をしている。

 思わず息をのんだ。こういうところだ。恐ろしいのは!

 饒舌になった彼女は、そのまま思いの丈をぶちまける。

 

「歴史は、ナトゥラとヒュミテが決して相容れないことを証明してきた。今でもヒュミテの下らない抵抗が、罪もないナトゥラの死者を生み続けている。奴らを生かしておいてはならない。根絶やしにしなければならない」

 

 ……なんという、苛烈な決意だろうか。

 鳥に餌をやっていた姿とのあまりの乖離に、引いてしまう。

 

「奴らを野放しにしておけば、もし奴らが再び勢力を取り戻せば、またいつか必ず凄惨な争いは繰り返される。そしてまた多くのナトゥラが犠牲となる。万が一にも、ナトゥラが再び奴隷となる日など、あんな奴らにこき使われる日など、来てはならない。絶対に」

 

 拳を固く握り締めた彼女からは、それと同じくらい固い決意が感じられた。

 彼女がそれだけナトゥラのことを大事に想い、真剣に未来を憂いているというのが伝わってきた。

 だけど――。

 

「……あのさ」

「なんだ」

 

 彼女がギロリと私を睨んだ。

 私は今度は怯まずに、率直な気持ちを告げた。

 

「ナトゥラもヒュミテも、仲良くすることはできないのかな。ともにわかり合い、ともに暮らすことはできないのかな?」

 

 言うだけ言って少し落ち着きを取り戻していたリルナは、今度は叫び返すことはしなかった。

 やや考える素振りを見せてから、きっぱりと首を横に振る。

 

「近年は、かつてないほどに反ヒュミテの感情が昂ぶっているようだ。長年の積み重ねを経て蓄積したこの感情を、容易に拭い去れるとは思えない」

「そっか……」

「わたし個人の感情と世論は、ヒュミテが滅びることを望んでいる。ヒュミテもそうだろう。わたしたちが憎いはずだ」

 

 彼女は椅子からすっと立ち上がると、こちらを睨むような目で見つめながら。

 私に、そしてまるで自分にも言い聞かせるように。

 静かに、力強く宣言した。

 

「わたしはナトゥラを守り導く者。ナトゥラを脅かすものは排除する。政府の命に従い、民の総意に従い、敵対する者はすべて――殺すまで」

 

 透き通るような青い瞳に、氷のような冷たさと滾るような殺意が同時に宿る。

 私はぞっとした。

 この殺気だ。

 ヒュミテのことになると、まるでスイッチが入ったように全身から漂うオーラが一気に険しくなる。

 それがどうしてなのか。

 最初はわからなかったけど、もしかしてこの人は、ヒュミテに対して何かしらの拭い難いトラウマでも持っているのだろうか。

 すっかり凍り付いてしまった私を見て、リルナはしまったと思ったのかもしれない。

 途端に表情を緩めて、申し訳なさそうに言ってきた。

 

「ふっ。変なことを話したな。お前には関係のないことだ。気にするな」

 

 むしろ当事者なんだけどね。

 心中におびただしい冷や汗を感じながら、苦笑いして誤魔化す。

 このままヒュミテの話をしていても、いたずらに彼女を刺激するだけだ。話題を変えよう。

 ちょっと彼女の特殊機能に探りを入れてみるか。

 彼女の情報が欲しかった私は、思い切って尋ねてみることにした。

 

「そういえば、あのとき周りで見ていたんだけど。あのヒュミテの男とリルナが対峙したとき、君は突然消えていたよね。あれは何だったの?」

「あれを見ていたのか。あれは、わたしの持つ機能の一つだ」

「機能? 一体どんなものなの?」

 

 何か聞けるかと期待したが、彼女は口を噤んでしまった。

 

「大事な仕事道具だからな。お前を疑うわけではないが、どこかから漏れて対策されてもいけない。どうか秘密にさせて欲しい」

 

 そっか残念。まあ当然と言えば当然か。

 でも、あれ? とすると、ちょっとだけ変だな。

 

「あれ? なるべく秘密にしていたいなら、どうしてみんなに聞こえるように、攻撃モードに移行だとか言っていたの?」

 

 すると初めて、彼女はわかりやすく狼狽えた。

 機械なので顔こそ赤くはならないが、人間ならまず間違いなく顔が真っ赤になっているくらい恥ずかしがっていた。

 

「あ、あれか。仕方ないだろう。あれはわたしの意志じゃないんだ」

「そうなの?」

「どうしてか、モードを始めとする一部の機能は、使用時にわたしの口から勝手に名前を宣言してしまうようになっていて、だな……」

 

 最後の方は、消え入るようなぶつぶつ声になってしまっていた。

 周りから聞いていた、血も涙もない鬼だとか戦闘兵器のような一面以外にも、こんな素があったのかと改めて思う。

 やっぱり。地下のみんなが言ってるほど、悪い人でもないし、怖いだけの人でもないんだよね。うんうん。

 

「わからない。名も知らぬわたしの設計者は、一体何がしたかったのだ?」

 

 恥ずかしさを振り払うように首を振り、リルナは話題を締める。

 

「……実は結構恥ずかしかったのだが、何度も言っているうちに慣れてきてしまった」

 

 この人の思わぬ苦労がわかってしまった。

 私は彼女に同情した。

 要するに、私で言ったら《センクレイズ》を強制的に発声させられるようなものだろう。

 何考えてるの。名も知らぬ設計者。

 

「あのだな。わたしからも、少しいいか」

「なに?」

「お前から良い匂いがするのだが、一体どんな香水を使っているんだ?」

 

 あら。意外な質問が来たね。

 

「ああこれ。ギースナトゥラで買ったの。素敵な掘り出し物だったよ」

「地下の貧民街か。わたしは任務以外では、滅多に行かないな――ん、もしかしてあの男、地下に逃げ込んだんじゃないのか」

 

 眉根を寄せた彼女に、私はぎくりとした。

 やばい。当たっている。

 慌てて彼女の気を逸らそうと考える。

 何かないか。あ、そうだ。

 

「そうだ。もう一本あるから、一つあげるよ」

「いいのか?」

 

 意外だったのか、彼女はきょとんとしていた。

 私はにこっと笑顔で言った。

 

「うん。二本独り占めするよりは、君にも使ってもらった方がいいかなって思うし」

 

 ウェストポーチから紫色の液体が入った小瓶を取り出すと、彼女の目がわずかにキラキラしたのを見逃さなかった。

 リルナって話し方からさばさばしてる印象があったけど、こういうの普通に好きなんだね。

 手渡すと、彼女は少々ぎこちないながらも、素敵な笑顔を見せた。

 

「感謝する。大事に使わせてもらうぞ」

 

 明らかに声が弾んでいた。

 こんなに喜んでくれるんだなと、意外に思った。

 

 とそのとき、彼女の懐から小さなブザー音が鳴った。

 

 彼女は私に「失礼」と言ってから、電話を取り出して誰かと通話を始める。

 

「もしもし――ええ――はい――なに!? アマレウムで小規模の武装蜂起だと!? ああ、わかった。すぐに行く」

 

 電話を切った彼女は、大きな溜め息を吐くと仕方なく言った。

 

「悪いな。急な仕事が入ってしまった。行かなくてはならない」

「わかった。しょうがないよ」

「ああ。それではな。また縁があったら会おう」

「うん。さよなら」

 

 別れを告げた彼女は、表情をぐっと引き締めると。

 この前と同じように、目にも留まらぬ速さで風のように走り去っていった。

 

 彼女がいなくなってからもその場に突っ立っていた私は、かなり複雑な気分になっていた。

 今こうして普通に話せていた彼女と、香水をあげただけであんなに素敵な笑顔で喜んでくれた彼女と。

 

 命を賭けて戦わねばならないのだ。ほんの数日後に。

 

 彼女はきっと、容赦なく私たちの命を狙ってくるだろう。殺すことも一切厭わないだろう。

 そうした冷徹な一面は十分に垣間見えたし、それも彼女の真実の姿には違いない。

 だが、今見せてくれた人間臭い一面もまた、きっと彼女の真実の姿なのだ。

 

 私はルナトープの隊員やアウサーチルオンの集いの人たちのように、どうしても彼女を憎む気にはなれなかった。

 彼女もまた、世の感情だとかそれまでの歴史だとか、個人的な感情を踏まえて、自分なりの正義を掲げて戦っているだけで。そんな一人の戦士に違いないと思ったから。

 ルナトープとディーレバッツの戦いは、それぞれの正義のぶつかり合いだ。

 どちらが正しいというものでもない。どちらが間違っているというわけでもない。

 私は、どうすることが正しいのかわからなかった。

 テオを助けることでヒュミテ側が活気づけば、リルナの言う通り、将来に争いの禍根を残す可能性だって十分にある。

 私のやろうとしていることは、結局火に油を注いでいるだけではないのか。

 

 常に傍観者に徹するというフェバル、トーマス・グレイバーの気持ちが少しだけわかったような気がした。

 まだまだ私の力は小さいけれど、彼らほどになれば、その気になれば本当に世界を変えられてしまうのだから。

 自分のすることが世界にどんな影響を及ぼすのか。

 そんなことを毎回真面目に考えていれば、そのうち嫌になる人がいても仕方がないのかもしれない。

 

 ――私も、何もしない方がいいのかな。

 

 すべてに見ない振りをして。

 リミットが来る半年が経つまで、のんびり過ごしていた方がいいのかな……?

 

 ううん。私は首を横に振った。

 それでも私は、今虐げられている者の側に立ちたい。

 放っておけば滅びてしまう、弱い立場の人たちに手を差し伸べたい。

 今困っている人たちを、どうにかできるかもしれない力があるのに見捨てるなんてことは、やっぱり私の主義に反するから。

 まだまだこの世界は見えていないことが多い。

 なるべく世界を見て回ろう。

 その結果何も変わらなかったとしても、何もしない方が良いのだとわかったとしても、本当に何もしないよりはまだ納得できる。

 この町の中だけにずっといても、見えるものは限られてくる。

 まずはこの町を抜け出して、色んなものを見るんだ。ルオンヒュミテにも行こう。

 ルナトープに協力するのは、ここから抜け出すための手段でもある。

 やれることから始めるしかない。

 私は改めてそう決意すると、ぎゅっと拳を握りしめて公園を後にした。



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A-1「ディースナトゥラ特務隊『ディーレバッツ』」

 ユウと公園で別れてから、リルナはディークラン本部にあるディーレバッツの部署へと急ぎ向かった。

 本部の五階は、彼女たち専用のフロアである。そこで任務の受諾、出動の準備や任務完了後の報告書をまとめたりなど、現場ですること以外のあらゆる業務を行っている。

 

「おかえりなさい。リルナっち」

「ただいま。トラニティ」

 

 五階の準備室に入ったリルナを明るい声で出迎えたのは、女性のナトゥラだった。鮮やかなピンク色の髪をポニーテールで綺麗に纏めている。

 リルナが人形のようにすっと目鼻の整った清楚系の顔立ちであるのに対し、トラニティと呼ばれたこの女性は、くりくりした目と少しぷっくりした鼻を備えている。可愛らしさの中にやや大人びた色気を感じさせるような顔立ちをしていた。

 リルナはざっと部屋中を見回す。

 彼女自身を含め四人しかおらず、メンバーが全員揃っていないことにすぐ気が付いた。

 

「これで全員か。プラトーとブリンダとジードは、どこへ行った?」

「別件だとよ。メーヴァでも、ちいとばかし揉め事が起きてんだそうだ」

 

 部屋の隅の方から、やや乱暴そうな男の声が応じた。

 声の主は、二メートル以上は間違いなくあるだろう巨漢、ステアゴルというナトゥラだった。

 標準的なナトゥラの大きさを遥かに超えた逞しい機体を誇る彼は、右腕に備え付けられた特製パワーアームの出力調整をしていた。

 パワーアームは、丸太のように太い左腕と比べてもさらに二回りも太い。

 こんなもので殴られた日には、人体など簡単に潰れてしまうだろう。

 

「ヒュミテ王の処刑が近づいているからか、最近はやけに騒がしいな」

「ふん。無駄な抵抗を。どうせボクらにやられるのがオチだってのに」

 

 巨体のステアゴルとは対照的な、やや小柄の男性のナトゥラが口を開いた。

 背のほどもリルナより少し低いくらいだろうか。男性にしては高めの声であり、その風貌もどこか少年じみているが、チルオンほどの幼さは感じられない。

 

「まあこのオレと隊長さえいれば問題ねえさ。そうだろ? 隊長」

 

 ステアゴルの角ばった顔の口元が、得意気に吊り上がった。

 言われてリルナは考えた。

 自分以外にプラトーやジードといった中距離以上の武器を持つ要員がいないのは、少々心許ないが。

 今回は小規模の反乱ということだ。

 自分とステアゴル、二人の近接戦闘要員で余計な抵抗を許さず、一気に始末してしまえば問題ないだろう。

 

「そうだな。今回も頼りにしてるぞ」

「おうよ。任しといてくれい!」

 

 やけに張り切った馬鹿みたいな大声が、部屋中に轟く。

 小柄の男のナトゥラが耳を塞いで、はっきりと嫌な顔をした。

 

「やかましいぜ。ゴル。言ってるだろ。ボクは感知系だから、音にはデリケートなんだよ」

「おっとすまんすまん! いつもの癖でな!」

「~~っ! 謝罪までうるっせえのな。もうその口工場で取っちまえ」

「ガハハ! まいったぜ!」

「笑い声もうぜえ」

 

 二人の毎度ながらのやり取りを見ていたリルナが、楽しそうに軽く笑った。

 

「ふっ。そう気を悪くするなザックレイ。ステアゴルがうるさいのは、いつものことだ」

「はいはい。んなことはわかってるよリルナ。冗談言っただけ――半分以上は本気だけどな」

「さすが隊長は物分かりがいいぜえ! がっはっはっは!」

 

 彼の大笑い声がさらに馬鹿でかくなる。

 ガンガン頭に響くものだから、今度は全員が耳を塞いでしまった。

 

 会話もそこそこに、リルナは壁際まで歩いていく。

 そこには、人がちょうど一人すっぽり入る大きさの補給カプセルが設置されている。

 彼女はカプセルに入り、足元にある足型のコンセントに両足を繋いだ。

 ナトゥラは通常一日一回ほど、このような場所で足から電力を補充することで活動エネルギーを得る。

 普通ならば、補給が完了するまで十~二十分ほどの時間を要するのだが、リルナにそのような時間は無用だった。

 ほんの数秒でフルに補給がなされる。彼女が持つ瞬間エネルギー吸収機構(アミクション)のおかげである。

 ピピッという補給完了音がすぐに鳴るのを聞いた彼女は、ふうと一息つくとカプセルから歩み出る。

 そして、全員に向かって言った。

 

「さて。そろそろ全員準備はできたか?」

 

 各員が各々の仕方で肯定の返事をする。

 どうやら皆、もういつでも出発可能のようだ。

 

「よし。ではトラニティ。転移の準備を頼む」

「承知しました」

 

 返事の気合いは十分だが。

 青のホットパンツに白のタンクトップという、仕事感もへったくれもないラフな服装で決めているトラニティの全身を見渡して、リルナは顔をしかめた。

 

「ところで、いつも思うのだが……。その遊びに行くみたいな格好は、どうにかならんのか」

 

 言われた彼女は、まったく悪びれない様子で答えた。

 

「これが私の仕事服ですから」

「まあ、服装に関する規定とかはないのだが……」

「じゃあいいですよね。リルナっちこそ、休みの日までいつも戦闘用のコスチュームでいるなんて、おかしくないですか」

「あのな。わたしはいつでも戦えるようにだな――まあいい」

 

 堂々とした面構えでタンクトップの肩ひもを弾き、自らの服装をひけらかすトラニティを見て。

 真面目に反論するのが馬鹿らしくなったリルナは、早々に話を切り上げた。

 

 トラニティは目を瞑り、集中を始めた。

 他の三人は彼女の邪魔にならないように、黙って様子を見守っている。

 

「転移先の座標を指定――017――ディークランアマレウム支部――応答テスト――問題なし」

 

 彼女は流れるような音声で、すらすらと手続きを進めていく。

 

「接続に入ります――――――2、1――トライヴで正常に繋ぎました。いつでも転移可能です」

 

 トラニティは、今のところ、その身に内臓トライヴシステムを持つ唯一のナトゥラである。

 エルン大陸各地に指定されたアクセスポイントに、周囲の仲間や物を連れて一瞬でワープすることができる。

 彼女の存在こそが、迅速との定評があるディーレバッツの高い機動性を支えているのだった。

 

「トラニティのおかげで、移動が楽だな」

「同意。本当に助かるよ」

 

 口々に感心するリルナとザックレイに、トラニティは謙遜した。

 

「いやいや。リルナっちの《パストライヴ》の方がすごいですよ。私のはそのうち改良されて、他にも使えるナトゥラが出て来るでしょうけど。リルナっちのあの機能が真似できるナトゥラなんて、今後もそうそう現れませんから」

「とはいっても、あくまでショートワープだからな。戦闘くらいにしか使えん」

「それがかえってすごいんじゃないですか。本来中長距離専用のトライヴ技術を短距離に応用するなんて、逆に恐ろしく困難ですよ」

 

 ほとほと感心しながら、トラニティは首を傾げる。

 

「ほんと、一体誰がどうやって実現したんでしょう」

「さあな。わたしが知りたいくらいだ」

 

 未だ自らの製造主を知らないリルナは、しかし今のところはそれほど自分の生い立ちには興味がない様子だった。

 

「それじゃみんな、私のすぐ隣まで来て下さい」

 

 三人がトラニティの近くまで行くと、彼女の周りの空間がゆらゆらと歪み始めた。

 彼女の緑色の瞳に光が宿る。それが転移機能使用時のサインだった。

 

「アマレウムへ」

 

 

 ***

 

 

 一瞬の浮遊感が生じた後、本部の準備室よりはずっと狭い部屋の中へと四人はワープしていた。

 ここもまた場所は違うが、準備室である。

 ディークランアマレウム支部の、ディーレバッツ用フロアだった。

 

「転移完了。再使用可能まであと三十分です。隊長」

 

 トラニティが、リルナに改まって告げた。

 外での公務中は、親しみを込めた「リルナっち」ではなく、きちんと隊長と呼ぶようにしていた。

 

 ところでトライヴは、離れた二点間を強引に繋げるために、エネルギー消費がかなり大きい。

 本来ならば、送電線から直接電力供給を受けなければ使えないような代物なのだ。

 そんなものを一個体の中に収めているのだから、運用にはかなりの無理をしなければならなかった。

 彼女はトライヴ以外の機能を最低限しか持てなかった上に、一度使用した後は、数十分ほどのクールダウンが必要だった。

 

 トラニティの報告を受け、リルナが頷く。

 

「了解。さっさと敵を片付けるとしよう」

「うっし! 腕がなるぜい!」

 

 気合いを入れて両拳をぶつけるステアゴル。ガシャンと重たい金属音が響いた。

 それを横目で眺めながら、リルナはザックレイに指示を飛ばす。

 

「ザックレイ。索敵を頼む」

「もうやってるぜ――――おっ。今はここから三キロほど先のところで暴れているみたいだな」

 

 ザックレイは各地の端末――コンピュータや監視カメラや人工衛星など――とワイヤレスで接続することができる機能を持っている。

 必要ならば、遠隔操作によるハッキングも可能だった。

 この機能によって、彼はいつでもどこにいても様々な情報にアクセスすることができる。

 今回はもちろん、武装蜂起して暴れているヒュミテの姿を探したのである。

 

「こっちだ。ボクに付いて来な」

 

 

 ***

 

 

 アマレウムの大通りでは、武装したヒュミテの一団が列をなして行進していた。

 その数は二十数人ほどだろうか。各々の手には、ルナトープが使っているものほど立派ではないが、安物のスレイスや小銃が握られていた。

 

「王を解放しろーー!」

「ナトゥラの横暴を許すな!」

「我々に自由を!」

 

 口々に叫ぶ姿は、まるでただのデモ行進のようでもあるが。

 彼らは既にナトゥラの工場を一つ破壊しており、次の襲撃予定地に向かう最中であった。

 ただし、彼らとしても破壊が主目的ではないし、望みでもない。

 実力行使に出なければ、ほとんど相手にすらしてもらえない有様だったのである。

 

 間もなく、彼らの前に一人の女戦士が立ち塞がった。

 一切の慈悲すら感じさせないほど、冷酷な殺気を全身に纏い。その目には暗い憎悪を滾らせて。

 リルナは現れた。

 他の三人の隊員の姿は、見えなかった。

 彼らはそれぞれ別の方向から、ヒュミテの一団を取り囲む配置に付いていた。

 決して誰も逃がさぬように。

 

「リルナだ!」

「悪魔の女が来た!」

「まさか!? 一体どうして、ディースナトゥラからこんなに早く!?」

 

 ざわざわと、ヒュミテの一団に動揺が広がる。

 一方で、行進に怯えていたナトゥラの市民からは、まるで英雄が来たかのような歓声が上がった。

 ヒュミテたちの中から、一人の男が彼女の前に歩み出て、名乗りを上げる。

 

「俺が代表のカマンスだ。貴様たちナトゥラに要求することがある!」

 

 リルナは眉一つ動かさずに、すこぶる冷たい表情と声のままで代表に告げる。

 

「要求だと。そんなものを聞く必要はない」

「なに?」

「なぜならお前たちは、今から一人残らず――死ぬのだから」

 

 彼女の両手甲に付いているパーツから、一対の鮮やかな水色の長刃が飛び出す。

 

「《インクリア》。戦闘モードに移行」

「くそ! やはり聞く耳持たぬか! ならばまず貴様を打ち倒してくれよう――!?」

 

 彼のスレイスが抜かれる前に。

 リルナは既に目にも留まらぬ速さで、もう彼の懐に潜り込んでいた。

 しなるように身体を捻りながら、勢いを付けて。

 

 一閃。

 

 彼女が剣を振り切ったとき。

 彼自身何が起こったのかわからぬまま、その首はすっぱりと刎ねられていた。

 彼の首より下から、噴水のように血が吹き上がる。

 数瞬遅れてドサリと倒れた彼の身体が、周囲にようやく事態を飲み込ませたのだった。

 

「代表がやられた!」

「うわあああああああ!」

 

 一瞬でパニックになった。

 命が惜しい数人の者は我先にと逃げ出したが、大部分は大慌てで武器を構え直す。

 だがそのときにはもう、次の目標へ動いていた彼女の手によって、さらに二人の命が刈り取られていた。

 

「撃て! 急所を狙うんだ!」

「頭の人工知能か、胸の動力炉を狙え!」

 

 それは、ナトゥラと戦うときの鉄則であった。

 相手が普通のナトゥラなら、それは十分に有効な手だった――相手が普通ならば。

 無情にも銃弾は、彼女を包む鉄壁のバリア《ディートレス》が、すべて弾いてしまうのだった。

 

 彼女はまったく無傷のまま、さらなる敵へと歩を進めていく。

 二刀をまるで身体の一部のように操り、踊るような動きで一人一人の人間を斬り捨てていく。

 おぞましい断末魔とともに噴き出す人の返り血が、彼女の鎧と真っ白な顔、そして透き通るように綺麗な水色の髪を、次第に真っ赤な血の色に染め上げていく。

 彼女はただ淡々と、顔色一つ変えず、流れるようにヒュミテを始末し続けた。

 その姿はまるで、恐ろしい悪魔か何かのようであった。

 殺戮兵器と謳われた彼女の、まごうことなき姿がそこにあった。

 

 あまりに一方的な殺戮劇に、もう戦意が残っている者は誰一人いなくなってしまった。

 無理もない。死の恐怖が全身にこびりついていた。

 完全に統率を失った烏合の衆は、バラバラになって一目散に逃げ出した。

 

「おっと! 鼠一匹逃がさないぜえ!」

 

 誰もいない退路だったはずの場所に、ステアゴルが突然現れた。

 彼が右腕を振り下ろすと、人がぐちゃりとひしゃげる音がする。

 後には、トマトを潰したように変わり果てた肉塊と、滴る大量の血だけが残っていた。

 

 前門のリルナ、後門のステアゴル。

 

 逃げ場はどこにもなかった。

 それでもリルナよりはマシだと、隙を狙って彼の方へ突撃しようものならば。

 

「くたばれやっ!」

 

 乱暴な腕の薙ぎ払いが、まとめてさらなる二人の全身の骨という骨を砕く。

 堂々たる彼の体躯と破壊のインパクトは、逃げ惑うすべての者たちを萎縮させるには十分だった。

 

「これは、私たちの出番ないですね」

「戦闘に関しては、あの二人の方がずっとできるからな」

 

 トラニティとザックレイの後方支援組は、惨劇の場の近くにある建物の上から、文字通り高みの見物を決め込んでいた。

 

「助けてくれえええええ!」

「やめてくれえええええ!」

 

 阿鼻叫喚。地獄絵図。

 血に足を滑らせて転んだ女性であろうと、容赦はなかった。

 リルナは彼女の頭を、後ろから容赦なく突き刺す。

 声にならない悲鳴を上げて、憐れな彼女は絶命した。

 

 気が付けば、二十数人もいたはずのヒュミテは、たった二人の前に為すすべもなく駆逐されようとしていた。

 もはや誰も残っていないかと思われたが、そこで――。

 

「うわああああああん!」

 

 突如として、子供の泣き声が聞こえた。

 リルナとステアゴルの腕が、ぴたりと止まる。

 振り返ると、チルオンを捕えて人質にしている男の姿があった。

 子供に銃を突きつけながら、男はがくがくと震える足を隠そうともせずに、精一杯虚勢を張り上げる。

 

「ひ、ひいっ! こ、このチルオンを殺されたくなかったら! 攻撃をやめて、み、みみ、道を開けろっ!」

「……子供を人質に取ろうとはな。見損なったぞ。ヒュミテ」

 

 リルナは、ゆっくりと血塗れの腕を下ろした。

 目つきはさらにずっと険しくなっていたが、とりあえず動きは止めた。

 その行為を、要求に従う意思があると取った男は、ほくそ笑んだ。

 

「ひひっ……それでいいんだ……! そこをどけろ! 俺はまだ死にたくねえっ!」

 

 だが彼女は。

 男の言う通りにするつもりなど、最初からなかった。

 彼が子供を盾に歩き出し、意識が逃げに向かった一瞬の隙を突いて――。

 

《パストライヴ》を発動させる。

 

 突然消えた彼女に、男は激しく動揺した。

 

「なっ、消え――――うぐっ!」

 

 はたと気付いたときには。

 

 彼の腹の内側から、水色の刀身が飛び出していた。

 

 激痛に呻く男は。

 すぐ背後より、身の毛もよだつほどの殺気を感じた。

 全身が凍りつく恐怖にわなわなと震え、辛うじて首だけを後ろへ向ける。

 

 そこには――。

 

「逃げるんじゃなかったのか? 当てが外れて残念だったな」

 

 蔑む目で彼を睨み付ける、リルナの姿があった。

 

「あ――ひ――!」

「お前には、下種に相応しい死に方を与えてやる」

「まっ!」

 

 リルナがその氷のような表情を崩さぬまま、力を込めると。

 刃はぐりぐりと血肉を内部から抉った。

 

「ぎぃやああああああああああああーーーーー!」

 

 男の悲痛な叫び声が上がる。

 彼女はその様子を冷淡な目で見つめながら、一切慈悲を示すことなく。

 彼を刺し貫いたままの状態で、刃をじりじりと捩じ上げる。

 並のスレイスなどよりずっと鋭い切れ味を持つ彼女の刃は、途中で骨に当たろうとも何ら抵抗なく、綺麗に彼を切り身にしていった。

 

「うぎゃあああああああば!」

 

 腹から上を真っ二つに斬り裂かれて、男は脳みそと臓物をぶちまけながら息絶えた。

 そいつを見下すように一瞥だけすると、もう氷のリルナではなくなっていた。

 すぐにしゃがみ込み、人質だったチルオンに優しく声をかける。

 

「大丈夫か。怪我はないか」

「うん……大丈夫。ありがとう」

 

 子供の無事を確認したところで、一部始終を見ていたナトゥラの市民たちから、大きな歓声が上がった。

 全身を血の化粧で朱く染め上げた彼女は、憑き物が落ちたような表情で、ふうと肩を落とす。

 それから、歓声に手を上げて応えたのだった。

 

 

 ***

 

 

 リルナたちは、死体の後始末等を終えると、すぐにディースナトゥラへ帰った。

 血塗れの身体を綺麗にするには、通常のエアシャワーでは足りない。

 彼女らは防水性能も高いため、しっかりとお湯で洗い流す。

 

 そのうち、別件で出かけていたプラトーたちも帰って来た。

 プラトーは、右腕に強力なビームライフルを装備しており、基本はそれをメインにスナイパーとして立ち回る遠距離型である。

 なのでリルナと違い、その身を血で汚すことはあまりないのだが。

 今日は狙撃のためどこかに身を隠していたのか、機体を土埃で汚していた。

 リルナはまず、そんなプラトーに労いの言葉をかけた。

 

「お疲れだな。プラトー」

「お互いな。そっちはどうだった。何かあったか?」

「いや、別に何もなかった――ああ。また血の匂いが付いてしまったな。これが洗っても中々落ちないんだ」

 

 リルナは肩を竦めたが。

 そう言えば良いものがあるのだったと、彼女は思い出した。

 懐から、紫色の液体が入った小瓶を取り出すと、中身を首にさっと吹きかける。

 心地良い花の香りが広がる。

 プラトーは少し驚いて、尋ねた。

 

「ほう。お前が香水とは珍しいな……。何の気まぐれだ?」

「ん。これはな、ちょっとした知人にもらったんだ」

 

 リルナは小瓶を振りかざしながら、穏やかな笑顔を見せた。

 そこにはもう鬼はいなかった。



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19「作戦までの一週間 5 ユウとアスティ、銃の訓練をする」

 ディースナトゥラの様子を丸一日ほどかけてじっくり調べた後、私は地下に戻った。

 アジトに戻る前に、あの香水売りの女の子の様子を見に行く。

 無事に修理が終わったようで、彼女の母親はすっかり正常な状態になっていた。

 親子揃って改めてお礼を言われ、くすぐったい気分になってしまった。

 帰宅して男に戻り、身体を拭いてからぐっすり寝た。

 色んなところを歩き回って疲れていたからか、睡眠は深かったようだ。

 

 気が付くと、頬をつんつんと指で突かれている感触があった。

 女の声が聞こえる。

 

「ユウくん。おはよ」

「う、ん……もうちょっとだけ、寝かせて……アリス……」

「あはは。寝ぼけちゃって。かわいいな」

 

 まだ眠い目をこすって、ようやく開けると。

 ベッドに腰かけて、俺に柔らかく微笑みかけるアスティの顔がすぐそこに映る。

 段々意識がはっきりしてきた俺は、ゆっくりと身体を起こした。

 

「あれ、アスティ。どうして俺の部屋に?」

「今日が実質最後の自由日だからねー。これに付き合ってくれるって約束でしょ?」

 

 彼女は楽しそうな顔で、腰のホルスターをぽんと叩いた。

 銃の訓練か。

 

「そうだったな」

 

 ベッドに備え付けられたデジタル時計に目を向けると、まだ朝の七時を過ぎたところだった。

 ところで、この世界の一日は地球よりも長い。

 日が落ちるのが妙に遅かったから何となく察していたのだが、実際地球に換算すると約三十時間もある。

 エラネル、ミシュラバム、イスキラと、そんなに一日の時間が変わらない世界で来てたから、実は初めての経験だったりする。

 一日が長いにも関わらず、睡眠時間はあまり変わらないでここまで来ていた。急に生活リズムを変えるのは難しいからね。

 つまり、起きている間の活動時間が単純に六時間長いわけで。どうも普段より疲れてしまうのだった。

 それでもやっと慣れて、違和感が少なくなってきたところだ。

 

「しかし何だってこんなに朝早くから」

「それはねー。えへへ。せっかくだから、ユウくんにも軽く銃をレクチャーしてあげようと思いまして」

 

 彼女は得意顔で胸を張る。

 ボーイッシュだが出るところはきちんと出ている彼女がそれをすると、胸のラインがしっかり強調されて。

 こう言うのもあれだけど、言葉通り胸をぐっと張ってる感じで、妙に様になっていた。

 それにしても。

 彼女が着ているジャケットから、無邪気にはだけさせている薄手のシャツに、ぴったりと胸が張り付いていて。

 それで、ブラが透けているのは……何とも扇情的で目のやり場に困るというか。

 そんな彼女は、俺の視線など気にも留めずに、

 

「みんなスレイス派であたしだけ銃で、寂しいからねー」

 

 と呑気にうんうん頷いている。

 いけない。俺も気にしないようにしよう。

 

「ユウくんは銃の経験ある?」

「えーと――あると言えばあるのか。ずっと小さいときに、母さんに何度か握らせてもらったきりだな。母さんが撃つところは何度も見たことあるんだけど、俺自身は数えるほどしか使ったことないよ」

 

 それでも実際に使ったことある時点で、十分日本人としてはおかしいんだけどね。

 母さんの無茶ぶりにもほどがあるレクチャーが脳裏に蘇って、苦笑いしたい気持ちになる。

 てかあれ、よく考えたら半分からかって楽しんでただけなんじゃ……。

 おっかなびっくりしまくってたところ、めっちゃ笑ってたし。

 でも……。

 

『もうやだ! やめる!』

『あっはっは! かっこいいなー触ってみたいなーって言ってたのは、どこの誰だったかしら?』

『うう。だって……。こんなこわいなんて、しらなかったんだもん……』

『おー。また一つ勉強になったねえ』

『……もういい。こんなの、つかいたくない。おかあさんみたいには……できないよ』

『ふふ。よくわかったじゃないか。それでいいのよ』

『……ふぇ?』

『こんなものは所詮、命を奪う武器だからね。あんたみたいな優しい泣き虫が好んで使うものじゃないさ。そういうのは、大人がやるもんだ』

 

 ――どこか、寂しそうに笑ってたかな。

 

「じゃあ初心者だねー。ちなみにそのお母さんの腕前はどのくらい?」

 

 これについては、答えはもうはっきりしていた。

 

「一言で言えば天才だった。どんな離れた場所でも百発百中で、誰よりもずっと素早く正確に当てるんだ」

 

 母さんは、銃火器の取り扱いにかけては右に出る者はいなかった。

 早撃ちからスナイプまで、ありとあらゆる面で超人的な腕前を誇っていた。

 本当に同じ世界の人間とは思えないくらいすごかった。実際異世界仕込みらしいから、半分そうみたいなものなんだけど。

 

「ほうほう。このアスティちゃんと、どっちが上手いのかしらねえ」

 

 俺の言葉を聞いたアスティは、妙に対抗意識を燃やし始めたみたいだった。目に火が付いたようにギラギラしている。

 

「さあ。君の腕前を見たことないから、なんとも言えないな」

 

 正直に言ったら、ますます彼女を燃え上がらせてしまったようだ。

 

「むむう~。あたし、負けないよ! ユウくんにあたしの実力、見せてあげるからね!」

 

 そう言うや否や、彼女は俺の袖を取って強く引っ張ってきた。

 

「さ、早く朝ご飯食べて射撃場にいこ!」

「お、おい」

「ほら寝ぼすけさん。しゃきっとするの!」

 

 彼女に袖を引っ張られるまま、ついて行くことになった。

 この人はどうも、所々俺をリードしたがるところがあるというか。

 どうしてもお姉さん面したいようだ。どこかの誰かさんみたいに。

 

『聞こえてるからね』

 

 ……うん。

 見た目はともかく、実際はこっちの方が年上だからなあ。

 そんな弟分みたいな扱いをされると、少し微妙な気分になってしまう。

 けど前を歩く彼女の嬉しそうな顔を見ると、何も言えないのだった。

 まあそれで気が済むならさせておいてあげてもいいか。別に困るわけでもないし。

 

『そうそう。困るものでもないからね』

『はい』

 

 何かと俺を愛でたがるブラコンにも、ついでに頷いておいた。

 

 

 ***

 

 

 朝食を済ませた俺たちは、アスティの部屋で彼女のライフルケースを回収した後、すぐに射撃場へ向かった。

 彼女は、遥か遠くに設置された人型の的を見つめてから、両腰のホルスターに目を下ろす。

 きらりと重厚な金属光沢を放つハンドガンは、こちらでもホルスターの隙間から覗くことができた。

 ハンドガンか。

 ルナトープのメンバーは、自分専用のライフルを持つ目の前の彼女を除いて、銃はハンドガンしか装備していないようだった。

 実のところ、俺はかねてよりこのことを疑問に思っていた。

 確かにハンドガンでも役に立たないことはないが、兵器としての実用性で言えば、他にもっと強力で有用な銃はあるだろうに。

 気になった俺は、尋ねてみることにした。

 

「ところでさ。ルナトープって、一応軍小隊なんだよな」

「そうだよー。この前着てた服も、ヒュミテの軍服だし」

「ならどうして、みんなわざわざハンドガンなんてちゃっちい武器を装備しているんだ?」

「へ? ちゃっちい?」

 

 アスティは意味がわからないとばかりに首を傾げていた。

 またこの世界の常識に反する変なこと言っちゃったかなと思いつつも、とりあえず続けてみる。

 

「いや、他にもっと良い武器はないのかなと思ってさ。君なんてスレイスも持ってないだろ。軍の歩兵は、確かアサルトライフルが主流なんじゃなかったっけ」

 

 少なくとも、地球の常識ではそうだった。

 いや、常識というわけでもないか。

 昔母さんが熱く語ってたから、覚えてるだけなんだけど。

 

 アサルトライフル。

 第二次大戦頃から本格的に使われるようになったこの武器は、携行に適した大きさを保ったまま、優に数百メートルもの有効射程を誇っている。

 精々が有効射程数十メートル程度に過ぎないハンドガンに対して、この点だけでも圧倒的だ。

 セミオート単射とフルオート連射を切り替えて使うことで、旧来のライフルが担っていた遠距離狙撃と、マシンガンが担っていた近・中距離での掃射とを、これ一つだけで行うことのできる画期的な兵器だった。

 その有用性から、様々な改良を経て、現在も軍隊における歩兵用兵器の中核を担う存在となっている。

 

 ハンドガンは、その銃身の小ささゆえに、撃つ際に反動で砲口がぶれやすく、狙いが付けにくい。

 いかにも初心者向けな見た目に反して、まともに標的に当てられるようになるには、相当な訓練が必要なのである。

 一方のアサルトライフルは、ごつい見た目に反して、反動は小さく狙いが付けやすいように設計されている。

 たとえ女子供であっても、数日の正規な訓練を積めば、百メートル先の的にも弾を当てることができるようになると言う。

 狭い屋内での取り回しの良さを除けば、アサルトライフルのハンドガンに対する優位は明らかだった。

 さらに言うと、地球では、防弾装備の進歩もあって、ハンドガンでは威力不足が目立つようになった。

 以前は第一線で活躍できたのが、今では護身や警護といった用途に使われる程度に成り下がってしまっている。

 どうやらこっちの世界にも、普通にライフルがあるみたいだから。

 当然みんなそちらを使うものではないかと、密かに疑問に思っていたわけで。

 

 とまあべらべら語ってみたけど、母さんの銃談義は全然こんなものじゃなかったよ。

 受け売りだけでこんなに語れてしまうことに、自分でもちょっと引いた。

 

 話を戻そう。

 俺の疑問を聞いた彼女は、やや興味を示したように口元を緩めた。

 

「んー。なるほど。でもね、それは二昔前の話だよ。技術革新のおかげでね、最近は質の良いものだと、ハンドガンでも有効射程距離が数百メートル以上になってるんだよー」

「そうなのか?」

「そうそう。反動もほんと小さいし、精度もすごく良いし。そこまで性能上がっちゃうと、実際の戦闘ではもう十分だからね」

 

 技術の進歩によって、ハンドガンがまた復権を果たしたというわけか。

 こんな小さな銃身で数百メートルも弾を飛ばすなんて、やはり恐ろしい科学力なんだな。

 

「銃が大きいとそれだけ持ち運びが負担になって、スレイスを扱いにくいから。うちのメンバーはみんなハンドガンの方を使ってるの」

「なるほど……」

 

 それで大体みんな、ハンドガンにスレイスのハイブリッドスタイルに落ち着いたのか。

 

「と言ってもね、アサルトライフルは完全に廃れたわけじゃないよ。ハンドガンと同じように、ライフルも進歩してるわけで」

 

 アスティはにやっと笑うと、ライフルケースから立派なアサルトライフルを取り出した。

 かなり使い込んだ跡はあるが、隅から隅まできちんと整備されていることが一目でわかる手の行き届きようだ。

 彼女はそれをちゃっと構えて、大得意に見せびらかした。

 

「じゃじゃーん! なんとあたしが持っていたのは、まさにそのアサルトライフル。しかも特注のスナイパー仕様なのでした!」

「おおー!」

 

 じゃじゃーんとか出されると、ミックのノリをつい思い出してしまうな。

 合いの手を強制されるやつ。

 

「あたしはこれで、四キロくらい先のものまでなら、ビシッと命中できちゃいます!」

「四キロ!?」

 

 それって滅茶苦茶すごいんじゃ。普通は狙撃って言っても、一キロか精々二キロ少しだぞ。

 そもそも地球で四キロもまともに弾が飛ぶ銃なんてあったっけ? 強力な対物ライフルでもどうか怪しいよね。

 しかもあれは、普通人に向けるものじゃなくて、その名の通り戦車とかに使うものだからな。

 しかし、四キロは本当にすごい。

 そんな神業できる人なんて――あ、母さんが対物ライフルで普通にやってたかも。

 あの人、地球にいながら異世界人とガチで張り合ってるよ……。

 

「どう? すごいでしょ!」

「うん。驚いたよ」

 

 すっかり得意になった彼女は、ちょんちょんと俺の肩を叩いて可愛らしく言った。

 

「ユウくん。あの的をよーく見ててね」

 

 ずっと向こうには、例の人型の的があった。

 彼女は一つ深呼吸すると、右のホルスターからさっと滑らせるように銃を取り出した。

 そして瞬く間に銃を構えると、間を置かずして、トリガーを素早く何度も引く。

 銃声が四回鳴り響く。

 再び的の方へ目を向ければ、心臓と頭のど真ん中を正確に二発ずつ撃ち抜いていた。

 クイックドローからの四連射。見事な早業だった。

 硝煙が上がる銃口に息をふっと吹きかけて、彼女はこちらへ振り返った。

 気持ち良いくらいのどや顔である。

 これくらいあからさまにやられると、かえってうざくなかった。むしろ微笑ましいほどだ。

 

「どうよ。やるでしょ、あたし。ユウくんのお母さんと、どっちが上手かった? ねえねえ」

「母さんも同じくらいのことはやってたかな。でもほんとすごいね。感心したよ」

 

 すると彼女は、どうやらこの返答を気に入らなかったようで。

 

「うぐぐ……」

 

 妙に悔しげに顔を歪めていたが。

 ただ、引きずりはしなかった。

 

「まあいいわ。じゃあ、ユウくんもとりあえずやってみて。あたしが見てあげるから」

 

 すぐにけろっとした顔の彼女に、射撃をやってみるよう促される。

 射撃とか本当に久しぶりなんだけど、ちゃんとやれるだろうか。

 

「そういや、ここに左利き用の銃あったかな」

 

 壁際の透明なケースの中に飾られている銃器類は、好きに使って良いことになっていたが。

 どれも右利き用ばかりのようだった。

 

「そっか。ユウくん左利きだったね。いいよ。あたしの左手用の銃貸してあげるよ」

「お。サンキュー」

 

 彼女から愛用の銃を手渡された。

 フルメタル製のそれは、手にのしかかるようにずしりと重く感じられた。

 俺は左手でグリップを持ち、右手をそっと添えて、しっかりと両手で銃を構える。

 

 狙いは――こんなものかな。

 

 できるだけ照準と的が真っ直ぐになるように調整して、トリガーを引いた。

 銃声が耳をつんざく。

 人型の的のどこにも、穴は空かなかった。

 

 あれ、外した。

 くそ。もう一回。

 

 自分なりによく狙って撃つと、今度は腹の下の方にヒットしてくれた。

 

 よし。この調子だ。

 

 しかし、後が続かなかった。

 計六発の弾丸を放ったが、結局当たったのはその一発だけ。あとは惜しいのが二発、見当違いの方向に飛んだのが二発。

 何とも素人臭い残念な結果に終わってしまった。

 

「ふふ。まあ最初はそんなものだよ。一発当たっただけでも上出来上出来」

 

 肩を落とす俺に、アスティは優しく慰めてくれたのだが。

 俺は悔しかった。

 どうやら母さんの才能は、俺には一切引き継がれなかったらしい。

 さすがにもうちょっと上手くできると思っていただけに、落胆も大きかった。

 すると、中から「私」が話しかけてきた。

 

『ねえ。ユウ』

『どうした』

『いや、ちょっと私にも一緒にやらせて欲しいなって。なんか血が騒いじゃって』

 

 射撃をか。

 普段はずっと大人しく俺の様子を見守ってるのに、どうして急にまた。

 ああそうか。

 

『そう言えば、君の中には母さんがいるんだったね』

 

 理由と言えば、このくらいしか考えられなかった。

 要するに君の中の母さんの血が騒いだってことなんだろう。

 

『そうみたい。ちなみに私は、母さんの記憶を核にして生まれたんだって』

『へえ』

 

 前にも言ってたかな。確か。

 

『それで、私は君が望んだから現れたわけだから――ふふ。つまりあなたは、母さんが欲しかったってことだよね。ユウってマザコンだね』

『またからかって。全部事情知ってるくせに。いいんだよ。男はみんなマザコンだって言うだろ』

『そうでしたね。で、くっついていい?』

『どうぞ』

 

 

 ***

 

 

「どうしたの? 急に女の子になって」

「まあ見てて」

 

 不思議そうな顔をするアスティを尻目に、私は改めて銃を構え直した。

 今度こそ絶対に当ててやる。

 狙いを付けようとしたとき、私を不思議な感覚が襲った。

 

 あれ――視える。

 

 なぜだろうか。

 一体どうすれば的に当たるのか。銃を向ける角度や撃ち方。

 勘所というものが、すっと頭に入り込んできたのだった。

 今度こそ、当たるという確信があった。

 左手だけで構えたままの状態で、トリガーを繰り返し引く。

 

 ズガガガガガガン!

 

 六連射。六発の弾丸を一気に放つ。

 

「ほわ!?」

 

 いきなりの素人離れした動きに、横で見ていたアスティが素っ頓狂な声を上げた。

 結果は驚くべきものだった。

 頭に三発、心臓にも三発とも命中。

 ほんの少しだけ命中位置のばらつきはあったものの、奇しくもアスティの成し遂げた四連射を、数だけは上回るパフォーマンスを見せてしまった。

 

 これ、私がやったの!?

 

 撃つときは変な自信があったのに。

 終わってみれば、自分で自分が信じられなかった。

 アスティの方を見ると、彼女は目を真ん丸にして放心していた。

 

「あたしと……全然、遜色ないじゃん……」

 

 よっぽどショックだったのだろうか。

 彼女は右手に持っていた愛銃を、ポトリとその場に落としてしまった。

 俯いて、ふるふると肩を震わせている。

 大丈夫だろうか。

 

 心配になって、声をかけようとしたとき――。

 

 彼女は顔を上げた。びっくりするぐらい満面の笑顔だった。

 その目は、これ以上ないくらいキラキラと輝いている。

 彼女はほとんど飛びつく勢いで、私に迫ってきた。

 両手を強く握り。

 

「ユウちゃん! すごいよ! すごいよ!」

 

 腕が取れるんじゃないかってくらい、ぶんぶん振り回してくる。

 それからまた、背骨が折れるんじゃないかってくらいぎゅっと力強く抱きしめられた。

 

 く、苦しいよ。

 

 突然の抱擁に、嬉しさ二割困惑八割だった。

 ようやく腕の力が緩められたと思ったら、今度は質問攻めが始まった。

 

「どうしてそんな急にできるようになっちゃったの?」

「なんか――女になったらできちゃった、みたいな」

 

 自分でもよくわからないから、ぽつりと正直に答えたが、彼女は納得いかないようだった。

 

「どういうことよ!?」

「母さんの動きをこっちの身体が覚えてた、というか?」

 

 まあたぶん、経験をすべてそのまま使えるとかいう私の能力。

【神の器】のおかげなんだろうけど……。

 

 その子、延々能力の説明までさせられて。

 アスティは渋々納得してくれた。すっかり感心している様子だった。

 

「君のお母さん、相当のやり手だね。今の動きだけでよーくわかったわ。これは、負けてられないなー」

 

 彼女はぐっと握り拳を作って意気込むと、またニコニコしながらぐわっと迫ってきた。

 

「それよりユウちゃん! その才能を生かさないのはもったいないよ! どうして今まで射撃やってこなかったの!?」

 

 責めるような口調で強く問い詰められると、ほんとに困ってしまって。

 しどろもどろになりながら答えた。

 

「いや、これと言って銃に触れる機会がなかったから……」

 

 地球では、母さんが死んだ後はそんな物騒な代物には縁がなかった。

 それにここまで、ずっと魔法が使える世界ばかりだったから、銃火器類の必要性がなかったのだろう。

 どの世界でも銃は発明されることはなく、どこにも存在しなかった。

 

「うわーもったいない! 超もったいない!」

 

 こんなに感情丸出しで叫ぶアスティは、見たことがなかった。

 彼女は射撃のことになると、どうも人が変わるみたいだ。

 母さんにしても、銃のことになると異様に熱くなってたし。

 ガンマニアってみんなこうなの?

 

「でもね。今からでも遅くないよ! ユウちゃんの腕なら、すぐにもっと完璧になれるよ! 絶対なれる!」

 

 興奮しきりの彼女は、まくし立てるようにそう言って。

 ぱちりとウインクをくれる。

 

「よーし! このあたしが、持てるすべてを精一杯叩き込んじゃうからねー」

「あのー。アスティさん?」

 

 なんか話が勝手に進んでるような……。

 だが、すっかりその気になってしまった彼女からは、もう逃げることはできなかった。

 

「はい銃持って! 時間が惜しいわ! 今すぐ始めるの!」

「ええ!?」

「ほら! さっさとしなさい!」

「は、はい!」

 

 こうして私はほぼ徹夜で、情熱に燃えるアスティから、銃火器の取り扱いの基本を叩き込まれることとなった。

 母さん譲りの素質と完全学習能力のおかげもあってか、その日だけで私はとりあえず一通りのことはできるようになった。

 まだ実戦レベルでどこまで役に立つかはわからないが、ともかくこの世界においても女のままで戦う術が一応はできたわけだ。これは私にとって大きな一歩だった。

 ただ……。

 アスティは、教えたいことが多過ぎて夢中だったのか、指導はとにかく遠慮というものがない詰め込みっぷりで……。

 厳しかったイネア先生とはまた別のベクトルで、スパルタだった。

 終わる頃には、私はすっかりくたくたになってしまうのだった。

 今日だけでは全然教え足りなかったらしく、次の特訓の約束を強引に取り付けられたのは言うまでもない。

 こんな調子で、私は作戦までの残り数日を、アジトやルナトープのメンバーと親睦を深めながら過ごしていった。

 

 そしてついに、ヒュミテ王救出作戦決行当日を迎えるのだった。



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20「Prison Breakers 1」

 作戦の日の夜。決行メンバーが一堂に会した。

 場の空気は、突き刺すくらいビリビリと張り詰めている。これから死地に向かうというのだから、当然だった。

 あのアスティや、普段はへらへらしてるロレンツも、重苦しい顔で目を瞑り、何やら静かに祈りを捧げている。

 逆に私と同じ先行突入組、ラスラとデビッドはじっとしていられないのか、スレイスの素振りをしていた。一振りごとに、二人の闘志が滾っていく様が肌で伝わってきた。

 決行は、最も人目に付かない深夜に行われる。

 ディーレバッツの連中も寝ているはずなので、彼らに連絡が行き渡りこちらに来るまで、ほんの少しは時間稼ぎになるだろうという考えだ。

 ちなみにどうして寝ているはずかというと。

 ナトゥラは自己メンテナンスを、毎日人間と同じように寝ることで自動的に行うようにできている。身も蓋もない言い方をすれば、PCがスリープモード中に勝手に自動アップデートするようなものらしい。

 私はまず女として刑務所内に忍び込み、襲撃が察知された段階で男に変身して戦う手筈となっている。

 全員に基本装備が支給された。

 銃弾や小型爆弾などの武器類、防弾チョッキ。刑務所に侵入する際に感電するのを防ぐためのの手袋と靴下。互いに連絡を取るための無線。

 それから、先端にフックのついたワイヤーを射出して、壁に引っ掛けるなり突き刺すなりして、ワイヤーの伸縮を利用して移動する装置が配られた。ジャンプではいけないような高いところにも行けるようにするためのものだ。

 もっとも、ディースナトゥラの建物の壁はほぼ硬い金属でできているので、とてもワイヤーなどは刺さらない。

 よって、どこか引っ掛けられるような高いものがあるとき、すなわち刑務所の壁を乗り越えて侵入するときと脱出するときくらいにしか使えない可能性は高いという話だった。

 銃やスレイスは、みんな自前のものを使うみたいだ。

 私はそういったものは一切持ち合わせていなかったので、装備係を務めるマイナに頼むことにした。

 

「マイナ。支給品とは別に装備を少し用意してもらってもいい?」

「ええ。もちろん構わないわよ」

「ありがとう。じゃあ、まず左効き用の銃を。それから、もしスローイングナイフがあれば、それもいくつか頼みたいの」

「どちらもあるわ。取りに行くから、ちょっと待っててね」

 

 しばらくして戻ってきた彼女から、ハンドガンとホルスター、スローイングナイフを五本受け取った。

 私は左腰に付けていたウェストポーチを右に移して、左腰にホルスターを取り付けた。

 スローイングナイフは、丁寧にポーチのサイドスロットに差し込む。

 

「いよいよだね」

「そうね……。私の村は飢饉のとき、テオにとても良くして頂いたから。私情の上でも、何としても彼を助け出したいわ」

 

 これまで聞いたところでは、彼女のような人ばかりだった。

 全員が揃ってテオという人物を尊敬し、あるいは恩を感じているようだ。

 それほどの好意を誰もから受け取る人物とは、一体どのような人なのだろうか。

 こんなときに言うのもなんだけど、私は彼に会うのが少し楽しみだった。

 拷問であまりひどいことをされてなければいいけど。

 

 などと考えていると、デビッドから声がかかった。

 

「ユウ。ちょっと気剣とかいうのを出してくれないか」

「え。うんわかった」

 

 何だろうと思いつつ、男に変身してさっと左手から気剣を出す。

 

「何をする気なんだ」

 

 デビッドの隣にいたラスラが、説明してくれた。

 

「古来よりのしきたりでな。前衛は戦いの無事を祈って、それぞれの剣先を軽くぶつけ合うのだ」

「へえ。そういうのがあるのか」

 

 デビッドは左手のスレイスを収め、右手のものだけ残した。

 ラスラとデビッド、そして俺は互いに向かい合う。

 二本のスレイスと一本の気剣が並ぶ。

 ラスラが可笑しそうに笑った。

 

「ふふ。時代は変わったな。一本も普通の剣がないとは」

「なに、大事なのは形じゃないさ。気持ちだと思うぞ」

 

 デビッドの言葉に、俺もラスラも同意して頷く。

 

「その通りだな。では――互いの無事を」

 

 ラスラが音頭をとって剣を高々と掲げた。

 俺とデビッドもそれに倣う。

 

「「互いの無事を」」

 

 三つの剣が傾いて、同時に触れ合った。

 本当ならカチャンと綺麗な金属音がするところだが、レーザー剣と気剣の組み合わせのせいで、ジジッという何とも締まらない音になってしまった。

 でも、形は問題じゃない。

 俺は内から沸々と気分が高揚するのを感じていた。

 

 

 ***

 

 

 出発のときが来た。

 地上へと繋がるトライヴゲートの前に、みんなが集う。

 実行メンバーは、私とルナトープ全員がメイン、それからサポートでリュートを始めとしたアジトのメンバーが数人だ。それ以上の数でぞろぞろ動けば、早期に見つかるリスクの方が高いと判断された。

 見送りには、アジトの人たちがほぼ全員集まってくれた。

 クディンとレミが代表して、前に進み出る。

 

「僕たちはここから見ていることしかできないのが心苦しいが、全員の活躍と無事を期待して待っているよ」

「この日のため、隠しカメラを各地に設置しておきました。敵の位置は可能な限りしっかりお知らせいたしますので。皆様の無事と作戦の成功を、心より祈っております」

 

 みんなに温かく見送られながら、一人ずつ順番にゲートを通っていく。

 屋内に設置できるような小型タイプでは、一度に一人しか通れないのだ。

 転移は滞りなく進み、間もなく私の番が来た。

 ゲートの奥の空間は渦を巻いていて、不安定にゆらゆらと揺らめいている。

 まるでブラックホールのイメージがぴったりなそれを、いざ目の前で見てしまうと。

 もう何度も入ったことがあるにもかかわらず、何となく進むのが躊躇われる気分になってしまう。

 初めてのときこそ好奇心が勝ったけど、どうもゲートでの転移って不安になるんだよね。

 そのまま揺らぐ時空の狭間に落ち込んで、二度と出られなくなってしまいそうで。

 無機質な装置だからなのかな……。

 先生と手を繋いでの転移魔法なら、いつでも安心できたのにね。

 そんなことを思ったが、ぐずぐずしていると後がつかえそうなので、すぐに意を決して飛び込んだ。

 落ち着かない浮遊感をほんの一瞬感じたら、もう地上へと転移していた。

 転移先は、がらんどうな部屋の中だった。

 クディンが前もって地上に借り切っていたビルの、特に広い一室である。刑務所からは比較的近い場所にあるということだ。

 

 全員がこちらへ到着したところで、全体リーダーのウィリアムが点呼を取った。

 それから改めて、各員の行動を指示していく。

 その声は、はきはきと気迫に満ち溢れていた。

 

「まず一番重要になるのが、ラスラ、デビッド、そしてユウの三人だ。諸君はとにかく率先して前へと突き進み、何としてもテオの元まで辿り着いてくれ」

 

 三者三様で相槌を打つのを確認しつつ、ウィルアムは続ける。

 

「テオを救出した後は、彼を護衛しつつ、速やかにアジトへと帰還して欲しい。ここを含め、三か所に設置されたトライヴゲートのいずれかを状況に応じて選び、目指してくれ。いいな?」

「承知した」「わかった」「うん。任せて」

 

 私もしっかりと頷く。

 他の誰が上手くいったとしても、私たちが成功しなければすべては水の泡となる。責任は重大だった。

 

「私とネルソンとロレンツは、三人の後をすぐに追う。追っ手を少しでも散らして三人の負担を減らしつつ、脱出ルートの確保に専念する。これも非常に大事な役目だ」

「そうだな」

「言われるまでもねえぜ」

 

 ネルソンとロレンツが改めて気合いを入れる。

 ウィリアムは注意事項も添えておく。

 

「ディーレバッツと鉢合わせる危険が大きいが、もし遭遇しても、無理に正面から戦おうとはするな。我々の本分はあくまで囮役に徹すること。先行班が無事に逃げた頃合いを見て、退避に移ってくれ」

「うむ。精一杯務めさせて頂こう……」

「了解っす。隊長さんも無理したらダメですぜ」

「ああ。わかっているとも。というより、そもそもだな」

 

 隊の全体を見回して、

 

「私が倒れたら、一体誰がこの変わり者の連中をまとめるんだ?」

 

 いささかおどけてみせた彼に、即座に反応したのは副隊長だった。

 

「私は絶対にパスだぞ。細かい作戦なんて考える頭などないし、きっと今より戦えなくなるからな」

 

 心底嫌そうに肩をすくめたラスラに、隊員たちから小さな笑いが漏れた。

 この場からほんの少しだけ、嫌な緊張がほぐれたような気がした。

 

 だがそこで一人、ぴくりとも笑っていないネルソンが重い口を開く。

 

「もしものときは私がやろう……。もし倒れたらなどと、あまり変なことは言うものではないな。隊長」

 

 言われたウィリアムは、少し嬉しそうにふふんと鼻を鳴らした。

 

「お前なら安心して後を任せられそうだ。私より先にくたばるなよ?」

「ふん……。誰がくたばるものか。隊長が死んだら、立派な墓を作ってやるさ」

 

 二人は数瞬顔を突き合わせて、それから笑い合った。

 気難しそうなネルソンが笑うのを見たのは、これが初めてだった。

 きっとかなりの付き合いなのだろう。多くを語らずとも、通じ合うものがあるみたいだ。

 何だかちょっと羨ましい関係だな。

 

 ひとしきり笑うと、こほんと空咳をして、ウィリアムは残る指示を続けた。

 

「アスティとマイナ、それからリュートたちは、手筈通りに場をかき乱して欲しい。タイミングは、我々の刑務所突入とほぼ同時だ」

「了解です。隊長」「腕が鳴るわね」

 

 サポート組も意気十分だ。

 ウィルアムは彼女たちを頼もしい目で眺めつつ、しかし釘は刺しておく。

 

「君たちの任務は、あくまでディーレバッツの注意を少しでも引き付けることにある。何もそのために死ぬことはない。無理をせず、自分の命を最優先にしてくれ」

「「ラジャー」」

 

 アスティとマイナが元気良く敬礼すると、リュートたちも小さな体を目いっぱい使ってそれを真似していた。

 そのあどけなく、ややもすると頼りない姿は、知らない人が見れば場違いと断じそうなものだけど。

 彼らもまた立派な戦力であり、頼もしい仲間たちである。

 残念ながら戦闘能力には乏しいので、サポートに回るしかないけれども。本心としては自分たちで何とかしたかったはず。

 彼らの分の気持ちも汲んで、私が頑張らないと。

 

「よし。とりあえずは以上だ。あとは状況に応じて無線で伝えていくが、各自その場での判断が多くなるだろう」

 

 一泊間を置き、隊長は再三注意して話を締めた。

 

「いいか。ここから先は安全な場所など一つもない。総員、決して気を抜くな。また無事で会えることを祈っている。では、行動開始」

「「はっ」」

 

 

 ***

 

 

 私たち六人は、アスティたちと別れてすぐに刑務所へと向かった。

 人通りの少ないルートを選びつつ、慎重に進んでいく。

 深夜ということもあって、夜闇に姿が紛れるので、気を付ければそこまで目立つことはなかった。

 無事に、刑務所外壁の近くまで辿り着くことができた。

 

「さて――問題はここからだな」

「そうだね」

 

 後ろ髪を纏めたラスラが、私に目配せする。

 

「どうやって入り込むか。おそらく収容所内部は、セフィックでも誤魔化しが効かないだろうが。外はどうだろうな」

 

 そびえ立つ外壁をうんざり睨み付けながら、彼女はそう言った。

 

「しっかし、こっちからじゃマジで何も中がわからねえなあ。早くもぶっつけ本番ガチンコ勝負ってか」

 

 ロレンツはややいらついたように、くせ毛の頭をくしゃくしゃしている。

 いくら事前にシミュレーションをしていたからと言っても、やはり本番になってみないとわからないことは多い。

 私は予め下見をしておいたけど、他のみんなはこの壁の実物を見たのは初めてだからね。少々面食らっている様子だった。

 それでも、演習に意味がなかったわけではない。

 ウィリアムが落ち着いた調子で言った。

 

「爆弾で壁を壊すか、ワイヤー装置で行くか」

 

 彼はそれぞれのメリットとデメリットを語る。

 前者は確実に見つかるが、一番手っ取り早いし、帰りの逃げ道の候補が一つできる。

 ただ、早くに警報が作動すると、収容所が最初から堅い守りになるだろう。

 その上、ディーレバッツもやはり早く来てしまうから、なるべくなら避けたい方法だ。

 後者は、上手くいけば収容所までは安全に行けるかもしれないが、全員が登るにはそれなりの時間がかかる。

 もし途中で見つかると、身動きの取れないところを狙い撃ちにされてしまうかもしれない。

 

「さて、どちらにする? 好きな方でいい。諸君の意見を聞こう」

「私はぶっ壊す方だ」

「オレは慎重にいきたいな。強引に行って失敗はしたくない」

 

 ラスラとデビッドが、各々反対の意見を述べる。

 他の者も順番に意見を述べたが、概ね割れた。

 

「ユウはどう考える?」

 

 ウィリアムに振られた私も、頭を悩ませる。

 

「うーん。やっぱり私も慎重に行った方がいいかなと――」

 

 そこで、一つアイデアが浮かんだ。

 

「そうだ。ここは感知システムに引っかからない私が、少しだけ様子を見てこようか。一人ならそんなに目立たないし」

 

 これでもそれなりに場数は踏んできてるから、ちょっと様子を見てくるくらいなら一人でもいけると思う。

 サークリスの事件があってから、もっとしっかりしなくちゃいけないって色々頑張ったもの。

 この世界に来た最初みたいに、いきなり何も知らない環境に飛び込むとかじゃない限り、そうそう変なへまはしないはず。

 

「だそうだ。諸君はどう思う?」

「私は構わないが……あまり先走るなよ。そこで見つかれば、余計に不利になってしまう」

 

 ネルソンの注意はもっともだ。もちろん見つかる気なんてない。

 

「そこは肝に銘じてる。見つからない範囲でやるよ」

「だったらいいんじゃねえか? 俺は賛成だぜ」

 

 ロレンツが首を縦に振った。

 

「私もユウの力は身をもって知ってるからな。反対などないさ」

 

 ラスラも含め、みんな口々に賛成してくれた。

 

「よし。ではひとまず、ユウに任せるとしよう。何かあれば、すぐに無線で連絡してくれ」

「了解」

「しっかりやれよ。ユウ」

 

 期待を寄せるデビットに頷き返して、私は一人壁の前へと向かった。

 もちろん正面入り口にいる二人の警備員からは、見えない位置に行く。

 ワイヤーを壁の上に引っ掛けて、できる限り速やかに壁を登っていく。

 どうにか見つからずに、上まで行くことができたみたい。

 上からざっと眺めると、向こうに収容所の無骨で大きな建物がそびえているのが見えた。

 

 あそこにテオがいるのか。

 おっと。こんなところでぼーっとしてたら見つかっちゃうね。

 

 なるべく音を立てないように、足を柔軟に使ってすたっと綺麗に着地する。

 そして気配を殺しつつ、物陰に隠れながら、ささっと収容所に近づいていった。

 まるで気分は忍者だ。まさか自分がこんなことするなんてね。

 意外だったのは、ヒュミテ感知システムによほどの自信があるのだろうか、内部でもこれと言って人員警備が厳しいということはなかった。

 深夜という時間帯もあり、ナトゥラの姿がちっとも見当たらない。

 何だか拍子抜けだ。これなら壁を壊すより、登って行った方がいいかな。

 ただし、収容所の前には、さすがに見張りの男が一人いた。

 彼は油断なく周囲を警戒している。

 

 さて、どうしようか。

 このまま戻ってもいいけど、相手は一人だし……。

 もし次にみんなで来たとき、彼に見つかるリスクを考えたら、今気絶させておいた方が良いかもしれない。

 ――そうするか。

 

 気絶と言ったけど。

 ナトゥラは機械なのに、強いショックを与えると気絶するようにできている。

 彼らの人工知能はあまりに正確に人間を模倣したためか、そんなところまでも再現されているらしい。

 無駄にすごいけど、おかげで殺さずに済むケースが増えそうで助かった。

 

 収容所の前は見晴らしが良い。

 さすがに正面から突っ込んでは、どんなに気配を殺していても見つかって応援を呼ばれてしまう。

 ならどうするか。ここで魔法が役に立つ。

 この世界では、魔法はほとんど使えないけど、相手の注意を引くくらいなら辛うじてできないこともない。

 

《ボルチット》

 

 私は指先から、小さな炎を生成した。

 そいつを物陰から、そーっと浮かせて警備員の目の前に送り込む。

 小さな火の玉が、突然ゆらゆらと宙を漂っていくのが、彼の目には映る。

 こんな不思議なものを目にすれば、どうしても注意はそちらへ逸れてしまうだろう。

 

「ん? なんだ?」

 

 案の定彼が気を取られている隙に、私は音を殺しながら、素早く彼の側へ駆け寄った。

 

「はっ! 誰だきさ――」

 

(ていっ!)

 

 行動を起こされる前に、彼の首筋へ鋭い手刀を入れる。

 狙い通り、彼はその場に崩れ落ちるようにして倒れた。

 

 よし。上手くいった。

 

 私は無線でウィリアムに、どうやら大丈夫だと告げた。

 やがて向こうの壁から覗いた五つの顔に、ちょいちょいと手招きする。

 間もなく、全員が私のところまでやって来た。

 倒れた警備員を見て、

 

「手際がいいな。おかげで安全にここまで来られた」

 

 と、ラスラが感心してくれた。

 

「さっさとこいつを設置するぞ」

 

 入り口は鍵付きの分厚いドアで閉まっているので、デビッドが爆弾を使って強引にこじ開ける。

 ここまで来たら、もう見つかるのは仕方ないだろう。

 爆音が轟いた瞬間、大きなサイレンが鳴り出した。

 ウィリアムが無線でみんなに通知する。

 

「我々はこれより突入を開始する。みんな、よろしく頼むぞ」

 

 全員がほぼ同時にスレイスを抜いた。私も即座に男に変身する。

 やはり魔法がまともに使えない以上は、戦闘力ではこちらの方がずっと上だ。メインはこっちでいく。

 

「突撃するぞ!」

 

 ラスラが声を張り上げて、真っ先に先陣を切っていった。

 

 ついに始まったか。

 俺は一息気合を入れると、気剣を抜いて、彼女の後に続いて駆け出した。

 男になると気でわかった。

 地下深く、おそらく特別収容区画にテオと思われる人間の反応がある。

 あまり時間はない。急ごう。



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21「Prison Breakers 2」

 入り口のすぐ近くには、看守の男が一人。ぎょっとした顔で突っ立っていた。

 彼は慌てて腰の銃を取り出すと、震える声で言った。

 

「何者だ! 止まれ!」

 

 そう言って止まる奴など、ここにいるわけがなかった。

 ラスラは、いの一番に目にも留まらぬ速さで距離を詰めると、彼の腹に真っ赤なスレイスを突き刺して振り上げた。

 後ろで纏め上げた黒髪の毛先が、同時にふわりと浮き上がる。

 

「せいやああーっ!」

 

 彼女の気合の入った掛け声とともに、看守の男が痛々しい断末魔を上げる。

 次の瞬間、彼の上半身はもう真っ二つに斬られていた。

 ネジなど細かいものがあちこちに飛び、彼の中身はむき出しになって、その一部はスレイスが発した熱で溶け出している。

 恐怖に歪んだままの顔は縦に割れ、表面にはビリビリと電気が走っていた。

 あまりにむごい。

 その凄惨な死に様に、思わず顔をしかめてしまう。

 だが一方で、これをやった当のラスラを始め、隊員全員はまったく気にしていないような涼しい顔をしている。

 みんな、普段から生き死にを賭けて戦い続けてきた軍人だ。しかも相手は敵。

 一々気にする方が変なのかもしれない。だからきっとこういう反応なんだろう。

 わかってはいたけれど、いざ目にするとどうしても気に入らなかった。

 

 くそ。こんなのが当たり前だっていうのか。

 

 改めて感覚の違いを痛感する。

 この先もこんな調子で次々ゴミのように殺されていくのだとしたら、やはりすべてを見過ごすわけにはいかない。

 せめて手の届く範囲だけでも。

 俺はみんなに聞こえるように大声で言った。

 

「テオがいる大体の場所なら、もうわかる。おそらく特別収容区画だ」

「それは本当か!? なぜわかるんだ!?」

 

 先頭を走っていたラスラが、振り返らずに尋ねた。

 

「ナトゥラは無理だけど、人の気配なら気で読めるんだ。俺たちを除けば、今ここに人間の気はただ一つしかない」

「へえ。そんな真似ができるってのか」

 

 やや右前方を走っていたデビッドが感心を示す。

 そこで狙いの本題を告げた。

 

「俺が先導する! みんなはすぐ後をついてきてくれ!」

 

 返事を待つつもりはなかった。

 言うと同時に加速し、やや強引にラスラの前に位置取る。

 そのとき、奥から新手の警備員が二人現れた。

 二人とも、しっかりと銃を両手で構えている。どう見ても最初から殺る気満々の顔だ。

 やっぱり向こうもそれが当たり前なのかよ。

 

「ヒュミテめ! くたばれ!」

 

 銃声がしたかと思えば、もう弾は目の前まで迫っていた。

 俺は気剣を盾状に変化させ、そいつを完全にガードする。

 さすがにまともに当たれば危ないから、冷静に対処した。

 防御を固めながら歩を進めつつ、再び盾を剣(切れ味なし)に変化させる。

 それでもって二人とも、ほぼ同時に薙ぎ払った。

 

「うごっ!」

 

 彼らはそれぞれ通路横の壁の左右に強く叩き付けられて、もう動かなくなった。

 殺さずに済んだ。上手く気絶してくれたようだ。

 そのまま立ち止まらずに、誰よりも前へ進んでいく。

 こんな調子で、切れ味をなくした状態の気剣を幾度も振るい、視界に映る警備員たちはあえて「一人残らず」真っ先に打ち倒していった。

 ラスラや他の隊員がスレイスで攻撃すれば、彼らの命の保証はない。

 だが俺が先に叩けば。

 この程度の相手であれば、誰も殺さずに手加減して倒せる。

 少しでも無用な犠牲を減らすため。

 表向きはテオの居場所がわかっているからとアピールしつつ、それがラスラに代わり先頭を買って出た一番の理由だった。

 職務に忠実なだけの一般ナトゥラの命まで奪うのは、何だか違うような気がするのだ。気絶させる程度のショックはどうしても与えてしまうけど、そこは仕方ない。

 すまない、と心の中で謝りながら、必要最小限の力で敵対する相手をなぎ倒していく。

 

「下へ降りる階段はどこだ?」

 

 記憶にある地図からすると、確かこの辺のはずなんだけど……。

 

「ちっ。非常用シャッターが下りてきやがったぜ」

 

 後ろから、ロレンツの焦った声が聞こえた。

 振り返ると、これまで進んできた通路に、ぴたりと白銀のシャッターが下りていた。

 もちろん手をかける場所など、どこにも存在しない。

 

 ガシャン! ガシャン! ガシャン!

 

 あちこちで一斉にシャッターの下りる音が聞こえ出した。

 全員の顔に動揺の色が浮かぶ。

 

「閉じ込められたか……。速やかに脱出を図るぞ」

 

 ネルソンは、努めて冷静に指示を飛ばした。

 

「奥のエレベーターは――くそ。きっちり止まっているようだな」

 

 少し先に停止したエレベーターが見える。

 それを睨み付けているラスラは、いつ敵が来てもいいようにと、油断なく剣を構えていた。

 

「このシャッター、例にもれずポラミット製かよ。小型爆弾じゃあ壊すのはちょっと無理だな」

 

 ロレンツが頭を抱えながらそう言った。

 

 ポラミットは、ディースナトゥラでも二番目に強靭な白銀色の合金である。

 ディースナトゥラの重要な建物の外部を覆うのにや、こういった重要な場所における警備システムに使用されている。

 ちなみに一番は、リルナの手足に使われているという同じ白銀色の金属。名称・材質は非公開だそうだ。

 

「テールボムを使うしかないってのか。大変だな」

 

 デビッドがやるせなさそうに溜め息を吐く。

 テールボムは、通常の装備品である小型爆弾よりも遥かに強力な威力を持つ特製中型爆弾の通称だ。かなり高価なもので、貴重品でもある。

 高い威力を持つため、ポラミットであれど容易に破壊することができる。

 ただし、あまりに威力があり過ぎて、自爆の危険が伴う代物だった。

 使用時は速やかにその場から離れなければならないのだが、この閉鎖状況で安全に起爆できるほど距離が置けるかは、正直非常に怪しい。

 さらに建物の内部なので、当然崩落の危険がある。この密閉空間でもしものことがあれば、みんなただでは済まない。

 普通なら避けるべき手段だが、他に手段がなければ使用もやむを得ない場面と言えるだろう。

 だが、この場には俺がいる。

 苦い顔をして貴重なテールボムを取り出そうとするデビッドを、俺は手で制した。

 

「いや。そいつは取っておこう。一々使っていたら足りなくなるかもしれない」

「ならどうするつもりだ?」

「まあ見てろって。すぐ終わる」

 

 見たところ、ポラミット製のシャッターは強度こそ非常に高いが、さして分厚くはない。

 ならばそんな危ないものを使わずとも、俺の技で壊せるはずだ。

 

 前の異世界イスキラにいた間に、自力で編み出した【気拳術】というものがある。

 気剣術と発音は同じだけど、切断に優れるあちらと違って、こちらは破壊に優れている。

 どうしてそんなものを編み出したのかというと。

 気剣の効果が薄い、斬撃耐性を持つ一部の魔獣と渡り合うために必要になったからだ。

 経緯はともかく、気拳術はもちろん物質や人体に対しても使用できる。

 その場合は、気力強化による通常の殴打と、内浸勁による内部破壊とを切り替えて、あるいは同時に行うことができるようになった。

 まあ内部破壊の方は物騒だから、こういうときでもなければほとんど使わないんだけどね。

 気拳術を修めてからは、体内治療の精度がかなり上がったことも付け加えておこう。

 内臓が完全に潰れてしまっているとかだとさすがに無理だが、裂傷くらいなら、外科手術に頼らずとも治すことができるようになった。

 まあ外傷の治療と同様、それなりに時間はかかるから、戦闘中にのんびりとは使えないのが難点だけど。

 

 俺は一度大きく深呼吸すると、左手を広げてシャッターの中央にぴたりと添えた。

 生命力を体外へエネルギーとして取り出すとき、掌で触れた対象に一気に集中して込めてやる。

 あとは適切なコントロールをしてやれば。

 爆発的に流れ込んだ気は、強力な破壊を引き起こす。

 名付けて。

 

《気断掌》

 

 ドン! と、ごく短い衝撃音が轟くと同時。

 強靭な合金製シャッターは、まるで紙切れのように千切れて、こじ開けられた。

 人一人くらいなら容易に通り抜けられる程度の大きな穴が、簡単にぶち開いた。

 

「これでよし、と。さあ行こう」

 

 驚きで目を丸くしているみんなを尻目に、俺はすぐに穴へと飛び込む。

 奥には、やっと探していた階段が見えた。

 

「貴様、本当に色んなことができるんだな……」

 

 続いて穴から飛び出したラスラが、感心を通り越して呆れ顔を見せながら、ぽつりと言った。

 他にもっとすごいことができる奴なんて、いくらでもいるよ。

 これぐらい何でもないと思った俺は、さらりと返した。

 

「器用貧乏とも言うけどね」

 

 階段を降りていき、地下三階の手前に到達したところで、もう一度《気断掌》を使ってシャッターを破壊する。

 全員が地下三階の通路まで着いたタイミングで、ウィリアムが言った。

 

「よし。ここからは作戦通り、二手に分かれよう。我々三人は、ひとまずここで追っ手を食い止める。ラスラたちは、どんどん先へ急いでくれ」

 

 俺たちはこくんと頷き、ラスラとデビッドの三人でまた走り出した。

 途中の障害は、すべて《気断掌》で破壊する。

 地下三階は、囚人たちが収監されている牢屋がずっと続いていた。

 走り抜ける俺たちの姿を認めると、「ここから出してくれ!」などと、様々な人たちが悲痛な叫びを発する。

 だが、何の罪もないのに捕まった人と本当の凶悪犯の区別が付かない以上は、とりあえず放っておくしかなかった。

 牢屋ゾーンも抜け、段々と特別収容区画が近づいてくる。

 ここまでは何事もなく順調に思われた。

 だがそこで――。

 

 なんだ? この嫌な感じは――。

 

 気では何もわからなかったが、妙な心のざわめきを感じた。

 辺りを注意して見回す。

 俺たち以外には、誰もいないようだけど……。

 こういうときの予感って、不思議と当たることが多いんだよな。

 

『気をつけて。何か様子が変だよ。強い殺意を感じる』

 

『心の世界』から「私」も注意を喚起してくれた。どうやらただの思い過ごしではないようだ。

 再び周囲に対して、神経を研ぎ澄ませた。

 そのときだった。

 

 背後の閉じ切ったシャッターより――。

 

 突然、一筋の赤い光線が飛び出すのが見えたのは!

 

 なに!? 速い!

 

 他の二人は、まだ何も気付いていなかった。

 このままでは、ラスラに直撃する!

 

「ラスラ! 避けろ!」

 

 振り返った彼女は、しかし完全に反応が追いついていなかった。

 仕方なく、俺は言うと同時、彼女を思い切り蹴っ飛ばす。

 間一髪、彼女に命中する軌道から逸れてくれた。

 

 直後、俺の右足のすぐ上を通過した熱線は――。

 恐ろしいことに、奥で幾重にも構えていたポラミット製のシャッターを、ことごとく貫いて溶かしてしまった。

 ほんの一瞬のことだった。

 赤いドロドロの液体となった金属は、地面に流れ落ちて、金属特有の強烈な臭いを放つ。

 

「くく。よくかわしたな。だが、ほんの少し命が伸びたに過ぎん」

 

 男の声がする。

 同じように、ドロドロに溶けていたシャッターから、一人のナトゥラが歩み出てきた。

 真っ赤な瞳と短髪を持つ、細身長身の男だった。

 腰には赤いベルトを巻き、黒のズボンと、地肌の上に直接赤黒二色の皮ジャケットを身に付けた格好をしている。

 腹筋は逞しく割れていたが、機械の身体なのでそれ自体に意味はないだろう。

 自信に満ち溢れた獣のような目と、隙のない佇まいが、明らかに強者の雰囲気を漂わせていた。

 

「貴様は! ジードッ!」

 

 尻餅をついていたラスラは、たちまち瞳に憎悪の炎を燃やし、歯ぎしりして跳ね起きた。

 デビットは二本のスレイスを構えたまま、これまで見たことないほど殺気の篭った眼で、彼を睨み付けている。

 それで気付いた。

 

「こいつ、ディーレバッツか!」

 

 俺もすぐさま気剣を出して、戦闘態勢に入る。

 油断ならない相手だってことは、色々な話でよく聞いている。

 それにこいつ自体も相当のやり手だというのは、さっきの奇襲でよくわかった。

 

 警戒する俺たちを真正面に捉えながら、彼、ジードは不敵な笑みを浮かべた。

 

「そろそろ怪しいからと、一応リルナに警備を任されていたが――まさか、本当にここまで来るとはな。ルナトープのゴミ共め」

 

 場にぴりぴりした緊張が張り詰める。

 いつどちらから斬りかかっても不思議じゃない、一触即発の状態だ。

 頬にたらりと汗が流れるの感じながら、俺にはこの危機的状況の――さらに先に対して、嫌な予感がしていた。

 もう既に、この場所には一人配置されていた。

 ということは……非常にまずいんじゃないのか。

 元々の作戦は、ディーレバッツが揃う前にテオを救出し、さっさと逃げ出してしまうことだった。

 

 だが、この男の存在は――。

 

 本作戦の最も重要な前提に関して、致命的な問題が生じたことを示していた。

 すなわち、ディーレバッツが俺たちの襲撃を想定していないという、甘い見込み。

 その前提は今、あっさりと破られた。

 

 つまり。つまりだ。

 

 おそらく、予想よりもずっと早く――。

 

 彼女(リルナ)が来る――!

 

 胸の内に、焦りが込み上げるのを感じた。

 

 あれだけはまずい。何としても正面から戦う事態は避けないと。

 全員まとめてやられるぞ。何しろ、有効な攻撃手段が一つもないんだ!

 

 だがゆっくり考えている暇はなかった。

 目の前の強敵が、今まさに俺たちの命を刈り取らんと、動き出そうとしていたのだ。

 

「ディーレバッツの一、ジード。参る」



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22「Prison Breakers 3」

 ラスラが俺に向かって、申し訳なさそうに言った。

 

「すまん。不覚を取った」

「いいさ。それより――」

 

 目の前のジードは、リルナにここを「任された」と言っていた。

 とすれば、少なくとも彼女が最初からここにいるわけではないはず。急げばまだ間に合うかもしれない。

 一刻も早くテオの元に辿り着くには、確実に誰かがこいつを足止めすることが必要条件だ。さらに言えば、倒せるならすぐに倒してしまうことが望ましい。

 その役に適任なのは誰か。

 

「ジードの機能について、何か知っているか?」

 

 二人は険しい顔のまま、首を横に振った。

 情報なしか。誰がやっても一緒。

 なら、ジードと戦う危険な役は俺が買おう。

 

「ここは俺が食い止める。二人は一刻も早くテオのところへ」

「わかった」

「悪いな。ユウ」

 

 ラスラとデビッドは、特別収容区画へ向けてわき目もふらず駆け出した。

 

「のこのこ行かせると思うか。皆殺しだ」

 

 ジードがパカリと口を開ける。その奥が赤く光り始めた。

 俺はすぐに察した。

 

 またあの熱線を放つ気だな。させるか。

 

 こいつ相手に手を抜いている余裕はない。

 気力強化をかけた最速の動きで、斬りかかりにいった。

 彼の胴目掛けて、剣を振り払う。

 するとジードは、機械の身体とは到底思えない、いや人間でも絶対に不可能な柔軟なスウェーで剣をかわした。まるで蛇のようにうねうねと上体を伸ばし、右斜め後ろへくねらせたのだ。

 なおもその奇妙な体勢で口から熱線を撃とうとするので、俺も咄嗟に腕の動きを変えた。

 振り払う剣の軌道を途中で変化させ、下半身を狙う。

 彼もさすがに下半身まで同時に操ることはできないのか、跳び退くことで俺の剣を回避した。

 彼は忌々しげな顔で俺を睨むと、うねらせた上体をシュルンと縮めて元に戻した。

 もう口の奥は光ってはいない。

 ラスラとデビットの気が、おそらく通路を曲がってどんどん遠ざかっていくのがわかる。

 上手く射程を外れてくれたみたいだ。

 

「ちいっ。逃がしたか」

 

 俺は油断なく剣を構えたまま言った。

 

「食い止めるって言っただろ。好きにはさせないよ」

「ぬしは……手配書の男だな。名は?」

「ユウ」

「ユウか。まずはぬしから血祭りに上げてやろう」

「そうはいかないな」

 

 空気が張り詰める。互いに動くタイミングを探っていた。

 リルナ以外のディーレバッツと戦うのは初めてだけど、果たしてどれほどの実力なのか。

 先に動いたのは、ジードだった。

 彼の両手が、手首から指先までにかけて赤く光り輝く。

 直後、突然彼の左腕がぐんと伸びて、こちらを突き刺すように迫ってきた。

 

 なっ!? 今度は腕が伸びた!?

 

 虚を突かれるも、咄嗟に横へ動いてかわす。

 壁に突き刺さった手は、いとも容易く壁をドロドロに溶かしてしまった。

 ぞっとした。こんなもの、一発でももらったらアウトだぞ。

 

 だが――伸び切った腕が隙だらけだ。

 

 この隙を逃す手はない。

 右腕を刈り取るつもりで、思い切り気剣を振り下ろす。

 そのとき、今度は腕全体が真っ黒に変色し出した。

 

 なんだ!?

 

 刃はそのまま、黒化した彼の腕にぶつかる。

 俺は驚きで目を見開いた。

 

 気剣が、通らないだと!?

 

 確かに命中した剣は、しかし彼の体表で弾かれて、ぴたりと止まってしまっていた。

 驚いている間に、伸びた腕がするすると戻っていく。

 ジードは自信に満ち溢れた顔で言った。

 

「よくわかっただろう? このジード、全身の強度と柔軟性を自在に操る。ぬしのなまくらなど、決して通用せんぞ!」

「……ご丁寧に解説どうも」

 

 くそ。ということは、厄介だな。

 世界が違えばと、そう思わずにはいられなかった。

 気剣がフルに強度を発揮できるエラネルのような世界なら。いくら硬化しようが、今の一撃でもって確実に彼の腕を斬り落とせていただろう。

 しかし、ここはエルンティア。

 気力許容性が低いこの世界では、気剣は彼の言う通り、所詮なまくらに過ぎないようだ。

 

 再び両腕が伸びる。

 だが次は、俺を狙うのではないようだ。それぞれ俺の左右、見当違いのところへ伸びていった。

 

 今度は一体、なにをする気だ……?

 

 狙いがわからず、一瞬困惑したそのとき。

 彼がにやりと笑った。

 彼が両腕をクロスさせると、伸び切ったそれらは、急激に幅を狭めて――。

 

 間にいた俺を、強く締め付けてきたのだ!

 

 しまっ――!

 

「死ね!」

 

 両腕にしっかりと身体を挟まれた状態で、彼の口が開く。

 熱線が来る! やばい!

 

「てやっ!」

 

 咄嗟に気力を込めた両腕をぐっと広げて、力技で強引に彼の両腕を弾き飛ばす。

 急いで跳び上がりかわそうとしたが、さすがに避け切れなかった。

 熱線は、右足のふくらはぎの辺りをわずかに掠めていった。そこに強烈な痛みが走る。

 叫び声を上げそうになるが、どうにか堪えた。

 ちらりと命中した部分を見やると、肉の一部がごっそりと削れていた。表面は炭化までしてしまっている。何とか動けないほどじゃないけど、泣きたくなるほど痛々しい見た目だった。

 

「よく今のを捌いたな。タフな奴だ」

「簡単にやられるわけには、いかないんでねっ!」

 

 気合い負けしてはいなかったが、その後も苦戦を強いられ続けた。

 闇雲に剣で追えば、まるで流れる水のように身体をくねらせて逃げられてしまう。どうにか剣を当てようとも、すべて硬化した身体に弾かれてしまう。

 果たして硬化していない部分を突けるだろうか。

 難しいだろう。奴はこの戦い方に相当慣れている。

 ならば。

 ここは潔く戦法を変えるべきだと判断した。それも、奴の虚を突けそうな戦い方を。

 方針を固めると、俺は静かに気剣をしまった。

 

「どうした? 諦めたのか」

「さあ。どうかな」

 

 俺は左手に全力で気を集中した。そこがぼんやりと白い輝きに包まれる。

 いつでもあの技を放てるように、あらかじめ準備をしておく。

 そして、彼に向かって真っすぐ駆け出した。

 

「武器もなしに正面から突っ込むか。馬鹿め。熱線の餌食にしてくれる!」

 

 再び、彼の口から強力な熱線が撃ち出される。

 瞬間、俺は『心の世界』にいる「私」に呼びかけた。

 

『あれをやるぞ』

『了解』

 

 熱線は明らかに直撃コースだった。

 さすがに至近距離では、あれをかわすのは至難の業だ。

 このままでは確実に命中する。このままでは。

 だが――。

 直立の姿勢で走っていた俺は、ほんの少しの間だけ「私」に選手交代する。

 

 

 ***

 

 

 ノータイムで、私は上体を綺麗に反らした状態で表に現れた。

 瞬間的に体勢が変わったことで、熱線は当たることなく、私の顔の真上を通過していく。

 

 ジード。あなたほどじゃないけどね。

 身体が柔らかいのは、私もなの。

 

 以前、ユウがサークリスであのクラム・セレンバーグと戦ったとき。

 まあ私は、そのときは眠ってたんだけど……。

 ユウは、強引に一人で二つの身体を別々に動かしたことがあった。

 あのときはユウが全部一人でやったから、相当な無理があった。

 でも、私たち二人で協力すれば――。

 そう。ほんの少しの間だけだけど。

 ユウが『心の世界』で控えて、元々の持ち主である私自身が、女の身体を動かせることがわかったの。

 これは厳密に言えば、変身じゃない。

 ユウは男の身体だけじゃなく、精神もひっくるめて存在すべてが引っ込んで、代わりに私自身が直接表の世界に現れる。

 だから、ちょっと間抜けだけど。『心の世界』で予め上体を反らした状態でいれば、そのままの姿で現れることができるってわけ。

 これを利用すれば、瞬時に体勢を入れ替えたり、技や魔法をスイッチしたりと言ったことができる。

 例えば、予め私が『心の世界』の中で魔法を構えておいて、表に出てきた瞬間に魔法を放つなんてこともね。ちょうどクラム戦でやったように。

 まあ細かいことはともかく。

 大事なのは、私とユウ、二人の力を合わせたコンビプレイだってこと。

 私だって、たまには役に立つんだから!

 

「女!?」

 

 突然相手の姿が変われば、大抵は驚くよね。

 そのほんの少しの隙を逃さない。

 崩れた体勢のまま、即座に左腰のホルスターから銃を抜くと、躊躇いなくトリガーを四回引いた。

 これはあくまで牽制のつもり。

 案の定、銃弾は硬化によって防がれてしまう。けれどその間、彼は動くことができなかった。

 一気に彼の元まで辿り着くと、跳び上がって足を折り曲げ、太ももで彼の首根っこをがっちりと挟み込む。

 

「やああっ!」

 

 彼の両腕を掴み、そのまま体重を乗せて、後ろに回転をかける。

 彼の足が浮き上がった。くるりと一回転させて、彼をうつ伏せの状態で地面に叩き付けた。

 しっかりマウントポジションを取ったところで、私はユウに交代する。

 

『バトンタッチ!』

『サンキュー!』

 

 

 ***

 

 

 彼は慌てて全身を硬化し、首だけ振り向いてこちらに熱線を向けてきた。

 だが、無駄だ。

 技の準備を完全にした状態で『心の世界』に入っていたから、こっちの方が早い。

 左手を彼の体幹にぴたりと添える。

 いくら身体を伸ばそうとも、硬くしようとも。

 体幹の内部に直接衝撃を与えてしまえば、そんなものは関係ない。

 くらえ!

 

《気断掌》

 

「ガハッ!」

 

 彼の機械の身体を通して、床にまで衝撃が突き抜けた。

 同時に、彼の機体の内部が粉々に砕ける音がした。手応えありだ。

 彼がぐったりしたのを確認したところで、上から身をどける。

 ぱっぱと服を叩いて、身体に付いた汚れを取り払った。

 

「ぐ……動けぬ……!」

 

 全身を大の字に投げ出し、無様な姿で倒れるジード。

 身体はぐちゃぐちゃだけど、頭の人工知能は無傷だから、まあ死ぬことはないだろう。

 どうにか勝利を収めたことにほっとした俺は、黙って彼に背を向けた。

 先を急ごうとする俺に、背後から彼の声がかかる。

 その声からは、大いに戸惑いが感じられた。

 

「なぜだ……? なぜ、止めを刺さない!?」

 

 振り返った俺は、こちらを力強く睨む彼に対して、なるべく穏便に言った。

 

「逆に聞きたいね。もう決着はついた。どうして助かったのをわざわざ殺す必要があるんだ?」

 

 彼の顔に、驚愕の色が浮かぶ。

 

「馬鹿な……。この機体が直れば、わしはまたぬしらを襲うのかもしれんのだぞ。ぬしではない他の者を殺すかもしれん。それでもか?」

 

 言われて考える。

 その場で放置すれば後々確実に災厄を振りまくような、そんなあまりに危険な奴なら、確かにこの場で殺してしまった方がいいのかもしれない。

 だが今の問いでわかった。

 ジードもまったく話が通じない相手ではない。なら、無条件で殺すべき相手じゃないと思う。

 だからこう返した。

 

「まだ決まってない未来のことを言っても仕方ないだろう。そのときはそのときだ。お前が俺の前で誰かを殺そうとするならもちろん止めるし、敵対するというならまた戦うさ」

「…………変な、奴だ……」

 

 呆れたように一言だけぽつりとそう言うと、ジードは気を失ってしまった。

 心なしか、安らかな顔をしているように見える。

 そんな彼を、ほんの少しの間だけ見つめてから、再び前を向いた。

 ラスラとデビッドは、かなりテオに近づいているみたいだ。俺も急いで合流しよう。

 

 

 ***

 

 

 一方、ラスラとデビッドは。

 どの檻にいるとも知れぬ王を懸命に呼びかけつつ、特別収容区画をひた走っていた。

 

「王! お助けに上がりました! 返事をして下さい!」

「テオ! 私だ! ラスラだ! 助けにきたぞ!」

 

 二人は激しく焦っていた。

 二人もまたユウと同じように考えていたのだ。

 思ったよりも、ずっと時間はないのだと。

 二人が、三つめの通路を左へ曲がったときだった。

 男の掠れた声が聞こえた。

 

「誰か……そこにいるのか?」

 

 懐かしい声に、二人の足が止まる。

 彼の姿が目に映ったとき、二人の顔は悲痛に歪んだ。

 

「くそったれ。なんという、おいたわしい姿に……」

「だが生きていてよかった。テオ! 今すぐそこから出してやるからな!」

「はは。誰かと思ったら……。デビッドに、ラスラじゃないか……。こんなところまで、ぼくを助けに来てくれるなんて」

 

 牢の中に、一人の若い男が鎖で繋がれていた。

 骨と皮ばかりになるほど痩せ衰え。美しかった金髪がすっかり白髪になってしまうほどの壮絶な拷問を受け。

 しかしその眼からは、一切の光を失うことなく。

 紛れもない――王がそこにいた。



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23「Prison Breakers 4」

 ユウたちが刑務所内で戦っている頃。

 アスティ、マイナ、リュートを始めとするかく乱部隊は、ディーレバッツの注意を一部でも己たちに引き付けようと、深夜のオフィス街の各地で騒ぎを引き起こしていた。

 銃を派手に鳴らしたり、爆弾を使って建物を破壊したりといった具合である。

 ディーレバッツが警察組織ディークランの一部である以上は、このような警察の手に負えないレベルの破壊活動が大っぴらに行われれば、対策のために数名は出て来ざるを得ないとの判断の上であった。

 あくまでかく乱が目的なので、各自その場に長く留まることはせずに、あちこちを常に動き回っていた。

 破壊する建物は、中に誰もいないかよく見極めてから、無関係のナトゥラを巻き込まないよう細心の注意を払って行われた。これは、無用な犠牲者を出さないようにというユウからの、そして同じナトゥラであるアウサーチルオンたちからの要望であった。

 ルナトープの中でも比較的中立な考えの持ち主であるアスティとマイナは、これを素直に聞き入れた。

 もっとも、深夜という時間帯なので、ほとんどのナトゥラはオフィス街から帰宅していた。なので、巻き込まないようにするのはさほど難しいことではなかった。

 やがてディーレバッツに先立ち、近場のディークラン支部から人員が送られてきた。

 すぐに戦闘状態となるが、所詮は一般警察などものの相手ではない。

 かく乱部隊は彼らを軽くあしらいつつ、適宜逃避行動を取りながら破壊活動を続ける。

 そんな折、レミからかく乱部隊全員に通信が入った。

 

『気を付けて下さい。ディークラン本部が相当騒がしくなっています。ディーレバッツがそちらへ向かう動きを見せ始めているようです』

 

 通信を受け取ったマイナが答えた。

 

「了解。引き続き彼らを注視してちょうだい」

『承知いたしました』

「もうちょこっと暴れたら、ちゃっちゃとんずら決めちゃいましょうか。マイナねえ」

「それが良さそうね」

 

 二丁拳銃の銃口を真上に向け、派手に銃声を鳴らすアスティに、マイナはにこりと頷く。

 マイナは無線でかく乱部隊全員に通達する。

 

「各自このまま作戦行動を継続したのち、頃合いを見て撤収。続いて、突入部隊が帰還用トライヴまで到達できるよう支援行動に移りなさい」

『わかったぞ~。オイラの方は、今のとこ問題なし!』

 

 無線の向こうからリュートの元気な声が返ってきたのを始めとして、各員から応答がくる。

 やがて敵が多くなってきたことから、タイムリミットがきたと判断したマイナは、アスティに呼びかける。

 

「そろそろね。行くわよアスティ」

「は~い。じゃ、最後に一発派手なのをお見舞いしますか!」

 

 アスティが懐から閃光弾を取り出そうとしたとき、無線に再びレミからの音声が入った。

 彼女の声は鬼気迫るものだった。

 

『大変です! 各所のカメラがすべて敵にハッキングされていました!』

「なんですって!?」

『映像データ改竄の恐れがあります! 皆さん、安全のためその場から速やかに離れ――』

 

 レミがすべてを言い終わる前に――。

 

 ピュン、と目も覚めるような青い一筋の光が、遥か遠方より宙を突き抜けて飛んできた。

 それは瞬きをする間もなく、かく乱部隊の元へ到達し――。

 

 誰かが、倒れる音がした。

 

 

「マイナね……え?」

 

 

 物音に、アスティが振り返ると――。

 仰向けで、無造作に身を投げ出した状態で――。

 

 マイナは倒れていた。

 

 アスティの目が、はっと見開かれる。

 青いビームに、脳天を綺麗に撃ち抜かれて。

 額に空いた穴からは、どろりと濁った血が垂れ落ち始めていた。

 マイナは、先ほどまで喋っていたそのままの顔で、虚ろに目を開いたまま――もう彼女に言葉を返すことはなかった。

 狙撃による即死。

 声を出す間もなく。実にあっけない最期だった。

 アスティの肩が、小さく震える。

 

「マイナ、ねえ……」

 

 彼女はふるふると肩を震わせたまま、俯く。

 まだ見習いの頃、彼女に手取り足取り基本からすべてを教えてくれたのは、他ならぬマイナだった。

 スレイスの扱いが下手な自分に、射撃の素晴らしい才能があることを見出して励ましてくれたのも、マイナだった。

 

「マイナねえっ……!」

 

 ぽろぽろと、涙が零れ落ちてくる。

 

 いつも、あたしとラスラねえにとって、頼れる姉貴分だった。

 優しくて、包み込んでくれるような、温かい人だった。

 いつか自分がもっとしっかりしたときには――。

 マイナねえみたいに、立派に後輩を率いられるようになったら、

 こんな危ない仕事は引退させて、故郷の家族のところへ返してあげようって。

 そう、思っていたのに。

 それを、こんな形で――あたしの、目の前で……!

 

「……よくも」

 

 彼女は戦士である。

 悲しみに暮れるよりも先に、怒りが勝った。

 

「よくも……!」

 

 背に掛けたライフルを手に取り。

 顔を上げて、悲痛な声で叫んだ。

 

「よくもマイナねえをッ! 出て来いッ! あたしがッ! この手で撃ち殺してやる!」

 

 大粒の涙を流しながら、鬼のような形相で彼方を睨んだ彼女は。

 しかし頭ではわかっていた。

 狙撃手はその役割に徹するとき、決して表になど現れないということを。

 身を隠して淡々と命を撃ち取る死神。それが自分たち狙撃手という存在なのである。

 相手はこちらに居場所を決して悟らせはしないだろう。向こうからは自分の位置が筒抜け。

 これでは、格好の的でしかない。

 すぐにでも建物に身を隠し、逃げなければならない。

 頭ではそうわかっていた。

 それでも彼女は、湧き上がる激情をどうしても抑えることができなかった。

 レーザーの飛んできた方向から当たりをつけ、激しい怒りを込めて弔いの一発を放つ。

 

 哀しい銃声が、響いた。

 

 

 ***

 

 

 アスティたちのいる場所から数キロ離れた地点。

 右腕のビームライフルを静かに構える副隊長プラトーと、その隣で敵の位置を割り出すザックレイがいた。

 プラトーのビームが最初の標的にしかと命中したのを確認して、ザックレイは得意気に顔を歪めた。

 

「これだから脳内お花畑は。あんな子供騙しの隠しカメラ、あらゆる機器にアクセスできるこのボクの目に誤魔化せるわけないだろう。逆に利用してやったぜ」

 

 ザックレイは、アウサーチルオンの集いが設置した監視カメラの存在に気付き、送信データを書き換えた。これによって、レミに到着時刻やルートを誤解させることに成功したのである。

 それがこの不意打ちに繋がったというわけだ。

 

「つくづくおめでたい連中だ……。次はどいつを狙う。ここではセキュリティのせいで、透視できないのが面倒だな……」

 

 プラトーの目は、本来任意で障害物を透視できる特殊なものである。

 ただし、ディースナトゥラにおいては、セキュリティシステムが作用して、この目の機能は無効化されることになっていた。

 

「ボクが目の代わりを務めるさ。副隊長は、とにかく指示したとこにガンガン撃ってくれよ」

「そうするとしよう」

 

 そのとき。

 アスティの放った銃弾が、驚くべきことに彼らの位置をほぼ正確に捉えていた。

 二人のすぐ横を掠め、壁に小さな穴を開ける。

 プラトーは感心して、口元をわずかに緩めた。

 

「ほう……。向こうにも、中々良い腕の撃ち手がいるようだ」

 

 一方のザックレイは、やや肝を冷やしたという顔をしていた。

 

「やれやれ。まず当たらないだろうけど、驚いたよ」

 

 改めてアスティの位置情報を確認し、彼は顔をしかめる。

 

「あーあ。撃ちやがったそいつ、すっかりこっちを警戒してんな。身の隠し方も完璧だ。ありゃきっと、副隊長と同業だぜ。おそらくあの子にはもう当たらないな」

 

 そこまで言うと、彼はいらついたように舌打ちした。

 

「ちぇっ。あっちから先に殺ればよかったよ」

「ふっ。もはや言っても詮無きことだ。さあ……次のターゲットを言え」

「――ふむふむ。あそこのアウサーチルオンなんか、狙いやすそうだね。位置データを送るよ」

 

 ザックレイが各地の機器から得た敵の位置情報を、ワイヤレスで送信する。

 それを受け取ったプラトーは、何も言わず正確無比に狙いを付けると、静かにビームライフルを撃った。

 また一つの光の筋が飛んでいき、一つの命を奪う。

 

 

 ***

 

 

 一発だけ銃弾を放ったアスティは、零れる涙を拭って、どうにか感情を押し殺した。

 プロとして為すべきことを優先しなければならない。

 ここで取り乱して全滅することは、マイナねえも望んではいない。

 そう考えて。

 彼女はマイナの亡骸を見つめると、ぽつりと言った。

 

「ごめんね。マイナねえ。寂しいだろうけど、置いてくよ。運ぶ余裕がないから」

 

 ぐしぐしと、袖で涙を拭い。

 

「あたし――行くね」

 

 しっかり前を向くと、もう泣かなかった。

 狙撃を警戒しつつ、建物の影、狙われにくそうな場所に身を隠しながら、狙撃者から離れるように素早く移動していく。

 動きながら、彼女は無線を手に取ると、必死な声で伝えた。

 

「みんな逃げて! あたしたちは今、狙撃手に狙われてる! とにかく散り散りになって! 早く!」

 

 しかし、呼びかけも虚しく。

 次々と入ってくるのは、最悪のニュースばかりだった。

 

『ちくしょう! キブルがやられた!』

『ミレーナが!』

「なんてこと……! こんな、こんなはずじゃ!」

 

 最も命を優先すべきかく乱部隊は、居場所を掴まれた者から順に、次々と遠くから撃ち殺されていった。

 協力を申し出た何人ものアウサーチルオンたちが、ほとんど物言わぬ金属の塊と化してしまうのに、そう長い時間はかからなかった。

 やがて、ほぼ全滅させられてしまったところで、オフィス街全域に音声がかかる。

 声の主はザックレイだった。彼の少年のような声が辺りに響き渡る。

 

『愚かなヒュミテとその協力者どもに告ぐ。何やら下らない作戦を立てていたつもりなのかもしれないけどね。無駄さ。このお膝元であるディースナトゥラで何かやろうなんて、そもそも不可能に決まってるじゃないか』

「くっ……!」

 

 痛いところを突かれたアスティは、悔しさに顔を歪めた。

 

『そんな無謀な計画を立てるしかない状況にまで追い詰められた時点で、お前たちはもう始めから詰んでいたのさ! さあ、無駄な抵抗はやめろ。大人しく出て来いよ! そうすりゃせめて楽に殺してやるとも!』

 

 確かに奴の言う通りなのかもしれない。アスティは思った。

 わざわざ言われなくとも、作戦会議の時点でかなり無茶な作戦だってことは、みんなよくわかっていた。

 でもね。

 アスティは、敵に聞こえないように小声で。

 しかし気持ちとしては、あいつと自分に言い聞かせてやるように言った。

 

「たとえ、詰んでると言われたって――それでも。それでもね。あたしたちは少しでも希望が残っている限り、諦めるわけにはいかないのよ」

 

 胸の前に拳を握り添え、彼女は凛としていた。

 

「だって、あたしたちこそがその――希望なんだから」

 

 ルナ(ルオンの)トープ(希望)の名にかけて。

 最後まで諦めるわけにはいかない。

 たくさんのヒュミテが、テオの帰還を待っている。ヒュミテの希望を待っている。

 あたしに今できることは、少しでも奴らの注意を引き付けつつとにかく逃げること。

 そうすれば、その分少しは向こうが楽に――。

 そう考えていたアスティに、ザックレイはやや失望したような声で語りかける。

 

『やっぱり出て来ないか。どこまでも強情な奴らだ。どうせ無駄だって言うのに』

 

 音声機械の向こうで、明らかな嘲笑の含みがあった。

 

『じゃあ教えてやるよ。あんたらがいくら頑張ったところで、無駄な理由をな』

 

 なにを言うつもり?

 

 警戒を強める彼女に、ザックレイは告げた。

 

『我らがリルナ隊長は、どこへ向かったと思う?』

「まさか――!」

 

 

 ***

 

 

「ごほっ! ごほっ!」

 

 ラスラとデビットの手によって鎖を外され。

 ヒュミテ王テオは、とりあえずは自由の身となった。

 だが衰弱し切った王は、時折ひどく咳き込んで、まともに動くこともままならない有様だった。

 

「大丈夫か。歩けるか?」

 

 心配して彼の顔を覗き込むラスラに対し、テオは心配させまいと、あくまで気丈に振舞う。

 

「ああ。なんとかね」

 

 だが、明らかに気持ちに身体がついていなかった。

 見かねたデビッドが、即座に提案する。

 

「オレが背負っていきましょう」

「すまないな」

 

 自分で歩いては、かえって足手まといになる。

 そう判断したテオは、素直に従い、デビッドの背に乗ろうとした。

 

 そのとき。

 

 彼らの行く手を阻むように、目の前の空間が揺らぐ。

 そこから、突如として現れたのは――。

 

「ヒュミテ王収監牢前、転移完了。再使用可能まで、あと三十分です。隊長」

「ご苦労。トラニティ。あとはわたしに任せておけ」

 

 三人を、絶望が襲った。

 よりによって、最も出会ってはならない敵――。

 

 リルナが、彼らの目の前に立ち塞がったのである。

 

「《インクリア》。戦闘モードに移行」

 

 リルナはある許可を上層部に賜るため、遅れての参戦となった。

 それは、処刑予定の王を、予定前にその場で抹殺すること。

 無事許可を得た彼女は、躊躇うことなく、両手甲より水色の光刃《インクリア》を放出する。

 その眼は相変わらず氷のように冷たく、三人の愚かな反逆者を睨み付けていた。

 

「さて――お前たち。どいつから死にたい?」



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24「Prison Breakers 5」

 ラスラが、ありったけの憎しみを込めて叫んだ。

 

「リルナッ!」

「なぜ急に現れた!? 転移がどうとか言ってたな」

 

 デビッドは驚きながらも、努めて冷静に分析する。

 テオが掠れた声で答えた。

 

「あちらのトラニティという者は、転移機能が使える。胸部に、げほっ……小型のトライヴ装置を埋め込んでいるんだ」

「なに!? トライヴだと!?」

 

 ラスラが驚愕の声を上げ、デビッドと二人でタンクトップ姿のトラニティを睨む。

 それとほぼ同時、トラニティはやや驚いた顔でテオに尋ねた。

 

「そんなこと、ほとんど誰にも話したことはないはず。なぜあなたが知っているのかしら?」

「フ、ぼくだって牢に繋がれている間、何もしなかったわけじゃないさ。うっ、ごほっ! ごほっ!」

「もういい。無理して喋るな」

 

 再び激しく咳き込んだテオの背中を、ラスラはスレイスを持っていない方の手でさする。

 トラニティは訝しげに目を細めて、苦しむ彼を見つめた。

 

「やはりあの王。油断なりませんね。今すぐ始末をするべき」

 

 トラニティが右手を構えると、指先が赤く光り始めた。

 

「それならもう知っているぞ!」

 

 かつて刃を交えた経験から、彼女の攻撃を即座に見抜いたラスラは、スレイスをガードモードに切り替える。

 直後、トラニティの指先から赤い光弾が雨あられと飛び出した。

 ラスラはテオを庇う位置に立って、剣を巧みにふり回す。

 スレイスが光弾をすべて弾き飛ばした。

 

「なっ!? 全部弾いたですって!? ヒュミテごときが!」

 

 予想外の完璧な対応に、つい頭に「オイルが上った」トラニティは、さらに攻撃を加えようとする。

 距離を詰めるべく動き出こうとしたのを、冷静なリルナが視線で制する。

 

「待て。お前は戦闘タイプではない。深追いしてもしものことがあれば、わたしは困る」

「くっ……!」

「落ち着け。少し下がって、奴らが万が一にもここを通れないように見張っておけ」

 

 言われたトラニティは、確かにそうだと思い直した。

 能力の高い前衛のヒュミテならば、後方支援型である自分の攻撃を防いでしまうことなど、十分想定できることだったのだ。

 

「……しょうがないわね。任せたわよ。隊長」

「ああ。この程度――わたし一人で十分だ」

 

 トラニティとは違う。

 真の戦闘兵器たるリルナが、ついに一歩を踏み出した。

 ラスラとデビッドは、即座にアイコンタクトを取る。最悪だが、この場合の立ち回りは想定済みだ。

 デビッドがリルナを引き付けて、ラスラがテオを守りつつ、どうにか隙を見つけてトラニティを突破する。

 互いに頷き合うと、ラスラはすぐにテオを背負った。

 二本のスレイスを構え、デビッドはリルナの一挙一動も見逃すまいとじっと観察する。

 彼はあえて軽口で挑発をかましてみた。

 

「随分な自信だな。たった一人だけで、オレら三人を殺ろうってか?」

 

 余裕を演出するデビッドも、額からは既におびただしい量の冷や汗が流れている。

 内心では、襲い掛かる絶望を跳ね除けようと必死だった。

 こいつには確かに、一人だけでこちらを皆殺しにするだけの力があると。

 そんなことは痛いほど知っていたし、感じていたからだ。

 

「二刀流か。以前は持っていなかったはず。真似事のつもりか?」

「……さあな。心境の変化ってやつだよ」

 

 彼が手にしていた二本目のスレイス。これは元々、彼自身のものではなかった。

 実は、死んだ戦友の形見として受け継いだものである。

 亡き友の想いも背負って、彼は今日まで二刀を振るい続けてきたのだった。

 

 リルナは油断なく戦士を観察する。

 彼の事情は知らないなりに、その気概は認めるが、あくまで戦闘への評価は冷徹に下した。

 

「付け焼刃の二刀で、わたしに届くはずもない」

 

 リルナの姿が、忽然と消える。

 

「おっと!」

 

 デビッドは即座に振り返り、剣を振り抜いた。

 バチッ! と両者のレーザー剣が火花を散らしてぶつかり合う。

 リルナの攻撃で、最も致死率が高い初撃――ショートワープからの背後よりの奇襲――を、デビッドはしっかりと対処していた。

 事前にユウから情報を得ていたことが、ここで大きく効いていた。

 

「そう簡単には、やらせねえよっ!」

 

 吼えながら、もう一本の剣を彼女の首目掛けて振るう。

 リルナもまた、もう片方の《インクリア》で攻撃を的確に防いだ。

 リルナの両腕が塞がったタイミングで、ラスラは好機と判断した。

 テオを背負ったまま、彼女の横をすり抜けようと走り出す。

 だが、あくまで顔はデビッドに向けたまま、リルナは二人の生命反応をもしっかりと感知していた。

 みすみす逃亡を許すはずもなく。

 

《フレイザー》

 

 彼女が新たな機能を宣言した瞬間――彼女の全身、ありとあらゆる箇所の体表が開いた。

 そこから、大量の銃口が飛び出す。

 

「ちいっ!」

 

 身の危険を感じたデビッドは、即座に剣を引いてバックステップを取った。

 直後。リルナを中心に、全方位360度。

 一切の隙間なく、想像を絶する数の青き光弾が放たれる!

 もはや横を通り抜けるどころの話ではない。

 ラスラは、おびただしい量の光弾に当たらぬよう必死に身を動かし、スレイスを振り回して対処するだけで精一杯だった。

 やがて撃ち終わると、再び辺りに静けさが戻る。

 ラスラは、元の位置よりも随分下がらせられてしまっていた。息もすっかり絶え絶えになっている。

 どうにか自身とテオだけは守り切ったが……。退路はますます遠い。

 そんな彼女に、リルナはちらりと視線を向けて言った。

 

「動くな。そこで見ていろ――この男の最期をな」

 

 ラスラとテオは、はっとする。

 彼女たちでさえ、避けるので精一杯だったのだ。

 それよりもずっと近くで光弾を受け止めることになった、彼は――。

 

「「デビッド!」」

 

 全身血塗れの状態だった。

 今にもくたばりそうなほど、身体をふらつかせている。

 大量の弾に撃ち抜かれた身体のあちこちは無残に抉れ、流れ落ちゆく血は、その場に大きな血溜まりを作っていた。

 

「これは死んだわね」

 

 戦況を眺めていたトラニティの嫌味ったらしい言葉が、突き刺さるように通路に響く。

 

「しっかりしろ! デビッド!」

 

 考えるよりも先に、ラスラの身体が前へと動き出す。

 しかしデビッドは、大声を張り上げてそれを制止した。

 

「来るなッ! 王をこっちへ寄こすんじゃねえッ!」

「……っ……くそっ!」

 

 デビッドの言う通りだ。

 ラスラは煮えくり返るほどの衝動を、辛うじて抑え込む。

 ぶるぶると拳を握り締め、リルナを殺さんばかりに睨み付けた。

 あまりに強く握った拳からは、血が滲み出ている。

 リルナも、矜持だけは素直に認めた。

 

「賢明だな。だがその傷では、もう助かるまい。一思いに殺してやろう」

 

 彼女はゆっくりと右腕を上げ、水色の刃を構える。

 すっかり弱り切って死に体の彼を、一撃の下に突き殺してやるつもりだった。

 正面から堂々と戦った相手を、敵と言え無駄に痛み付ける趣味はない。せめてもの慈悲だ。

 満身創痍のデビッドは、だがその目はまだ死んでいなかった。

 しっかりと両手にスレイスを構え、闘志と執念漲る目を彼女に向ける。

 

「へっ。それには及ばねえよ」

 

 だが気持ちに反して、身体はついて来ようとしない。

 

「ゴフッ!」

 

 口から激しく血反吐が噴き出す。もう既に限界は近かった。

 

「まだ、死ねねえ。オレにだってな……」

 

 デビッドは、一瞬だけ目を瞑る。

 

 ロレンツ。わりいな。

 これで、最後かもよ。一足先に行かせてもらうぜ。

 

「意地はッ! あるんだよおおおおっ!」

 

 デビッドは猛然と駆け出した。

 リルナは、その鬼気迫る動きに動揺する。

 火事場の馬鹿力というべきか。彼女の予想を遥かに超えるスピードで、デビッドは迫っていたのだ。

 形見のスレイスを突き立て、捨て身の覚悟で突撃する彼に、リルナはわずかに対応が遅れてしまった。

 その隙が決定的だった。

 彼の刃が、彼女へと真っ直ぐ突き刺さる。

 

 かと思われた。

 

 だがしかし、その奇跡の一撃は。

 無情にも――。

 リルナが誇る鉄壁のバリアに、完全に弾かれていた。

 同時にスレイスの刃は。物質によらない光の刃は。

 バリアによって構成力を失い、いとも簡単に砕け散ってしまうのだった。

 散り散りになった赤刃が、無残なエフェクトを残して消えてゆく。

 

「ちく、しょう……!」

 

 彼の目から、ついに希望の光が失われた瞬間だった。

 一方で、項垂れる彼を目の前で睨むリルナには。

 

「……意地が、何だというのだ」

 

 激しい怒りが燃え上がっていた。

 

「それでどうにかなるとでも? わたしにも意地ならあるぞ。舐めるなよ。ヒュミテ!」

 

 彼女の瞳がさらに憎悪に燃えたかと思うと、右の細腕に万力が込められる。

 狙い澄ました一撃が、デビッドの胴目掛けて放たれた。

 彼は残る一本のスレイスで、懸命にその攻撃を受け止めようとする。

 しかし、そこで――。

 彼のスレイスが――光の刃であるにも関わらず、根元から綺麗に斬り落とされてしまった。

 デビッドの、そして戦いの様子をしかと見ていたラスラの目が、驚愕で見開かれる。

 スレイスを消し飛ばしてしまうのは、何もあのバリアだけではない。

《インクリア》は、込めた力次第では、非物質であろうと斬ってしまえる。

 その恐ろしい事実が、判明した瞬間だった。

 これでは、スレイスは――彼らが全幅の信頼を寄せてきた決戦兵器は。

 もはや彼女に抗し得る武器にすらなり得ない。

 やはり最初から、勝ち目などなかったのだ。

 

「付け焼刃が落ちたな。終わりだ」

 

 すべての武器を失い、とうに肉体の限界を超え、がっくりと膝をつくデビッド。

 もはや何も手は残されていなかった。

 リルナは左腕を振り上げ、下ろす。

 慈悲なき処刑の刃が、彼の頭上へと落とされようとしていた。

 

 そのとき。

 

「きゃああっ!」

 

 突如として、トラニティが悲鳴が上げた。

 それを聞いたリルナの刃が、ぴたりと止まる。

 

「トラニティ!」

 

 リルナが振り返ったとき、トラニティは既に倒れていた。

 代わりに立っていたのは、一人の男。

 ユウだった。

 トラニティは、背後より気付く間もなく接近され、《気断掌》の一撃だけで仕留められてしまったのである。

 戦闘に意識が向いているところを、生命反応を一切持たない「彼女」がこっそり近づくことなどわけもなかった。

 そして今や「彼」となったその男は、気剣を携えてリルナと対峙する。

 

「お前は――あのときの!」

 

 彼は、リルナの言葉にすぐには応じなかった。

 まずラスラと、その背に負われている白髪の王に目を向ける。

 怒りと絶望に染まったラスラの顔を見て、おおよその経緯を理解する。

 それから、今にも死にそうなデビッドを目に映したとき。

 彼は悲しげに目を伏せた。

 もう助からない。

 そのことが、今にも尽きてしまう気の弱々しさでわかってしまったからだ。

 彼はやるせない気持ちで顔を上げると、リルナを真っ直ぐに見つめて、泣きそうな声で言った。

 

「リルナ。こんな形でなんて、会いたくなかったよ」

 

 ユウとリルナ。幾度目かになる両者の邂逅だった。



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25「Prison Breakers 6」

「へっ……。やっと、きたか」

「ユウ!」

 

 全身からおびただしい量の血を滴らせ、膝をついたままのデビッドが、安堵したように肩を落とした。

 ラスラも喜びの顔を見せる。背負われていた彼、おそらく王も俺が味方であることは察したようだ。

 途中からデビッドの気が急激に弱まっていたから、何かあったのではないかと思った。

 そして実際、その通りだった。

 あまりにもひどい状態の彼の姿が目に移ったとき、どうしようもなく悲しくなった。

 間もなく彼は、死んでしまうだろう。あれほどの流血、内臓も完全にやられている。

 気力による治療でも、もう間に合わない……!

 状況が許すなら。手遅れかもしれないけど、今からでも気を当ててあげたい。

 デビッドをこのまま死なせるなんて、嫌だ!

 だけど、今は……。

 一瞬の心の乱れが命取りとなる戦場だ。

 戦いの中で人が死ぬときは、いつもこんな状況ばかりで。

 嫌になるよ。本当に。

 俺は込み上げる衝動をどうにか抑えて、せめて彼に目を向けて強く頷くことで、彼の心に応えた。

 デビッドは俺の意を汲み取って、小さく頷き返してくれた。

 その頷きも、今にも命の灯が消えてしまいそうなほど弱々しくて、ますます辛くなる。

 

「トラニティを……!」

 

 リルナはやられた仲間の心配をしつつも、激しい怒りに満ちた顔を向けた。

 デビッドに致命傷を与えた彼女に、俺もまたやるせないない怒りを覚えつつ、答えた。

 

「安心しろ。動けないようにはしたけど、命に別状はないはずだ。ジードもな」

 

 リルナは、はっと驚きを示した。

 

「ジードもだと?」

「向こうでくたばってるよ。後で直してやるといい」

 

 すると彼女は怒りから一転、意外だという表情になった。

 己の理解できないものに対して向けるような、そんな怪訝な目を、こちらに遠慮なく向ける。

 

「わからない。なぜ殺さない?」

「ジードにも言ったけどさ。なぜ殺す必要がある?」

 

 逆に問い返してやると、彼女は首を傾げた。

 

「お前は何を言ってるんだ」

 

 悲しいほどの価値観のすれ違いに、俺は嘆息した。

 

「この戦いに殺し合うほどの意義を見出せないことが、そんなにおかしいことか? ヒュミテだのナトゥラだの。そうやって互いに憎しみ合うしかないなんて、一体誰が決めたんだ」

「ヒュミテのお前が……ヒュミテの側に付き、王を助けんとするお前が、何を言う。お前のような奴が、知らぬ顔でどれほどのナトゥラを苦しめてきたと思っている」

「別にヒュミテだけにつくわけじゃない。俺はただ困っている奴を助ける。それだけだ」

「戯れ言を」

 

 戯れ言なんかじゃないさ。

 俺をヒュミテだと思っている君には、きっと伝わらないだろうけど。

 

「一応聞こう。俺と話し合いをしてみる気はないか?」

 

 リルナはやはり、首を縦には振らなかった。代わりに、ますます鋭さを増す睨みで応じる。

 

「わたしは、現実を見ない馬鹿が嫌いだ。ヒュミテとナトゥラがわかり合うことなど、永劫あり得ない。この沸き立つ憎しみがある限り――」

 

 やっぱり無駄か。わからず屋め。

 リルナだけじゃない。みんなそうだ。

 お前らがそんなだから、デビッドが死にそうになってるんだよ! こんな死ぬ意味もない戦いで!

 昂ぶる憤りに応じて、自然と言葉が強くなっていく。

 

「確かにそうなのかもしれない。だけど。そんな現実を少しでも変えたいと、変えられるはずだって、俺はそう思ってる! だからここにいるんだ!」

 

 気が付けば、俺は叫んでいた。

 全員の視線が、一斉に俺へと集まる。

 

「本当は仲良くなれるかもしれないのに、現状を変えようともしない奴の方が馬鹿なんじゃないのか!?」

「なんだと!?」

 

 リルナは、強く眉をしかめていた。

 歯をむき出しにして、声も荒げて反論する。

 

「馬鹿はお前の方だ。お前は何もわかっていない! 歴史も現状も、今に渦巻く感情も、何もかも!」

「へえ。だったらその事情とやらを話してくれないか? そこまで言う理由は何なのか、教えてもらおうじゃないか」

「それはだな――!」

 

 そこで一瞬、彼女が茫然として言葉を詰まらせた。

 

 なんだ? 急に様子が……?

 

 何か様子が変だった。

 次の瞬間。

 それまで彼女に見られた動揺の色が、嘘のように消えていた。

 まるで初対面のときのような、まさに機械そのものの冷たい表情に戻っている。

 その声まで感情の籠っていない、すっかり無機質な調子に戻っていた。

 

「よそ者のお前に話すことなど、何もない」

 

 妙だ。そんな急に感情の切り替えなんてできるものだろうか。

 まるで人らしくない。機械制御のようじゃないか。

 よくわからないけど、話を引き出すのは失敗に終わったらしい。

 

「残念だ」

 

 リルナは強く拳を握った。

 

「お前を殺し損ねたことが気がかりだった。そのまま逃げていればよかったものを」

「そうかもな」

 

 ジード、それから不意打ちで倒したトラニティという相手と戦ってみて、よくわかった。

 リルナは二人と比べても、明らかに格が違う。

 ジードは伸縮・硬度自在の機体こそ厄介だったが、まだ色々とやりようがあった。

 悪いが、あれより強い奴となんていくらでも戦ったことがある。フェバル連中抜きでもね。

 トラニティの方は、「私」の接近に気付くこともできなかった。

 だが同じディーレバッツの中にあって、リルナだけは――本気で死を覚悟しなきゃならない相手だ。

 

「次はない。確実に――殺す」

 

 おぞましいほどの殺気が放たれて、俺の全身をビリビリと突き抜けていく。

 本当に残念だが、結局戦わなければならないようだ。

 

「気を付けろ! 奴は全身から光弾を発射するぞ!」

 

 ラスラのありがたい警告に、小さく頷き返す。

 知らなかった機能か。注意しておこう。

 

 リルナが消える。またあれか。

 

 瞬間、目前にまで迫っていた彼女から繰り出される刃を、俺は辛うじて気剣で受け止めた。

 どうなってるんだ。本当に。

 俺は『心の世界』にいる「私」に呼びかけた。

 

『前の分の記憶と合わせて、あの技の解析を頼む』

『もうやってる!』

 

「お前の剣――折れないな」

「鍛え上げてあるからね」

 

 どうやら刃同士のぶつかり合いでは、気剣は砕かれないようだ。

 そのまま斬り合いになる。

 リルナの二刀、その手数は相変わらず圧倒的だ。一瞬でも気を抜けばたちまち斬られてしまうほどだった。

 防戦一方で、攻撃する隙なんてまったくない。これじゃ前と同じだ。

 二刀をほぼ同時に叩き込まれたところで、パワー負けしてよろめいてしまう。

 その瞬間、またリルナが消える。

 背後から死の予感がした。

 咄嗟に深くしゃがむと、俺のすぐ頭上を刃が横に通過していった。

 かわすと同時、前方に手をついて右で後ろ蹴りを放つ。

 本来ならば、相手の芯を捉えているはずのこの攻撃も。

 しかしバチッという音がして、容易くバリアに弾かれてしまった。

 蹴りの勢いそのままに、ついた手を軸として残る左足を蹴り出し、くるりと身体を前へ宙返りさせる。

 着地したところで、隙を晒さないようステップで距離を取った。

 危なかった。死ぬところだった。

 

 そこで「私」から声がかかる。

 

『性質がわかったよ。細部を拡大して調べたらね。彼女の周りにトライヴゲートのような空間の歪みが、わずかだけど発生してた』

『そうか。ありがとう』

 

 なるほど。原理はトライヴと同じだったのか。

 つまり彼女は、本当に消えていたと。

 

 超スピードを超える、瞬間移動。

 

 それが彼女の技の正体らしい。

 時間停止ほどではないけど、厄介だな。

 それに何より、彼女がそれだけに頼り切っていない。

 ワープもバリアも、あくまで機能の一つとして完璧に使いこなしている。

 

 ――強い。隙がない。

 

 総合力でも、俺を完全に上回っている。

 

「やっとその消える技の正体がわかった。トライヴを利用したショートワープか」

「……《パストライヴ》。タネがわかったところで、何も変わりはしない」

 

 普通ならそうだろう。

 だがタネさえ割れてしまえば。俺の場合、ちょっと話は別だ。

 こっちも使えるかもしれない。

 

 彼女が再び、猛然と迫り来る。

 

 やってみるか。

 

 応じる構えを見せつつ。

 トライヴゲートを通った時の体感と、リルナの技を見た経験をプラスして。

 

 さあ飛べ!

 

《パストライヴ》

 

「なに?」

 

 リルナが動揺の声を上げる。

 彼女の目前から、俺がいきなり消えたからだ。

 どうやら成功したらしい。

 

 瞬く間に、俺は念じた場所――彼女のすぐ背後に位置付けていた。

 

 だが代償はそれなりにあった。

 全身が痛みで悲鳴を上げている。

 激しい頭痛がして、一瞬意識がふらついてしまう。

 

 くっ。ここまで負荷が大きいとは!

 

 それでも不意を突いて彼女の背後を取った俺は、大きなチャンスとみた。

 一発かますべく、空いている右手を彼女の背中に押し当てにいく。

 

《気断しょ――う!?》

 

 突き出した掌は、しかし得意のバリアに弾かれてしまった。

 もれなく気力まで完全に奪われてしまっている。

 

 不意を突いてもダメだっていうのか!?

 

「お前、《パストライヴ》を――」

「なるほど。生身には負担のかかり過ぎる技だ」

 

 結構なダメージがきてる。そうそう使える代物じゃないな。

 やっぱり時空系の技は、この常人の身体には負担があまりにも大きいようだ。

 時間停止魔法も、結局覚えたはいいけど使えなかったし。

 

「私」から、お叱りの声がかかる。

 

『バカ。急に使うな!』

『悪い。試してみたくなった。上手くいけばチャンスかと思ったんだけどな』

 

 くそったれ。ダメージが通らない。

 できれば勝ちたかったが、やはり今倒すのは不可能なのか。

 あのバリアをなんとかしない限り。有効な攻撃手段を見つけない限り、彼女は実質無敵。

 万に一つも勝ち目はない。

 戦いを続けながら、心の内で「私」と対策を話し合う。

 

『あのバリア、性質を解析できそうか?』

『無理。全然情報が足りない。ユウ自身がくらえば、一発でいけるんだけど』

『困ったな。バリアなんて、直接くらえるようなタイプの技じゃないぞ』

『てことは、私たち……』

『ああ』

『『勝てない』』

 

 結局のところ、いくら考えても結論は変わらなかった。

 どうにかして彼女から逃げないことには、ダメージの蓄積が動きの差に繋がって、いずれやられてしまう。

 だがどうやって逃げる。みんなを連れて、どうやって。

 

 とそのとき、彼女が一旦戦いの手を止めて、口を開いた。

 

「これほど長く戦い合った相手は、お前が初めてだ。ヒュミテにお前ほどの者がいようとはな」

「それは光栄だね」

 

 リルナは、少し考えを巡らせている様子だった。

 間もなく、決意を込めた目をこちらに向ける。

 

「仕方ない。それなりに負荷はかかるが――」

 

 そこで俺は、実力差の認識が甘かったのを思い知ることになった。

 

「戦闘レベル上昇。バスタートライヴモードに移行」

 

 リルナが、消える。

 

 そこか!

 

 しかし、狙い放った一撃は。

 まったくかすりもしなかった。

 

「お前には、もう」

 

 背後から、恐ろしい声とともに殺気が迫る。

 ぞくりとして、振り返りざまに剣を振るう。

 だがこれもまた、虚しく空を切ってしまう。

 瞬間、死角だった場所から、もうすぐそこに刃が迫っていた。

 

「わたしを」

 

 やばい!

 

「うっ!」

 

 必死にかわそうとしたが、脇腹を斬られた。

 ぱっくりと服が裂けて、そこから真っ赤な血が滲み出していく。

 運良く内臓までは達していないが、かなり深い傷だ。

 

「捉えられない」

 

 また、消えた!?

 

 間違いなかった。

 

《パストライヴ》の連続使用。

 

 ワープを利用して、人間には到底不可能なトリッキーな動きを、彼女は実現していた。

 あらゆる角度から瞬時に攻撃を仕掛けてくる。

 いつどこから来るか予想もつかない彼女の動きに、俺はただ翻弄されるがままだった。

 

 速過ぎる! とても動きが追いつかない!

 

「死ね」

 

 がら空きになった首筋に、水色の刃が迫る。

 

 避けられない。死――。

 

『ユウ! 危ない!』

 

 間一髪、「私」の協力によって女になる。

 瞬時に身長を下げた私は、ギリギリの動きで頭を狙いから外すことができた。

 突然姿が変わった相手に、さすがのリルナも驚いて手が止まる。

 彼女は一瞬、まさかという顔をした。

 そうだろう。何しろ私は、彼女が見知っている相手なのだから。

 

「お前は――!」

「……言ったよね。こんな形でなんて、会いたくなかったって。香水は使ってくれた?」

「ユウ。そうか――お前は、そうやって逃げていたのか」

 

 リルナが私を鋭い目で睨み付ける。理解が早かった。

 私に生命反応がないことから、瞬時に逃走のシナリオを見抜いたのだろう。

 

「香水は、ありがたく使わせてもらった。だが――」

 

 突然、腹部に重い衝撃が加わった。 

 為すすべなく後ろに吹っ飛んで、背中から思い切り壁に叩き付けられる。

 視界がぐらりと揺れる。息が、できない。

 

 なに、を?

 

 そうか。しまった。

 女のままじゃ、彼女の速い動きをまったく捉えられなかったのか――!

 

「敵である以上は、誰であろうとも殺すのみ」

 

 くそっ! たった一撃で、このざまか!

 

 身体が思うように、言うことを聞かない――!

 

 必死に身をよじって逃げようとする私の前に、リルナは冷酷に立ちはだかった。

 少し物悲しげな表情で、刃を突き立てる。

 

 殺される!

 

 死を覚悟した、そのときだった。

 

 彼女の背後から、ぬっと人影が現れた。

 いつの間にか立ち上がっていた、デビッドだった。

 彼はリルナに覆い被さると、両腕を抱え込むようにしてがっちりと押さえた。

 突然のことに、リルナは一瞬パニックになったようだった。

 それまでの冷静さが嘘のように、慌てた顔をしている。

 助かったと思いながら、不思議だった。

 彼女はなぜか、彼の接近には気付けなかったらしい。

 

「お前は! なぜ!?」

 

 動きを封じられたリルナは、かつてないほどに激しく動揺していた。

 どういうわけか、得意のバリアを張ることもせずに、彼の腕の中で必死にもがいている。

 

「こいつは……ガフッ……オレが、抑える! この死にぞこないが、最後くらいはよ、役に立たせてくれ」

「デビッド……! あなた……!」

 

 まだ身体がふらつくが、どうにか立ち上がる。

 

 どうして君だけを置いていかないといけないんだ!

 私だって、まだ一緒に!

 

 ここまで隙を伺いつつ戦況を見守っていたラスラと、彼女に背負われているテオと思われる人物も、はっと目を見開いていた。

 

「デビッド。貴様という奴は……!」

「何も君だけが!」

「いいから、逃げろよ……! どうせ、もう死ぬんだ。この命、無駄にさせるな……!」

 

 戦士は、魂を込めて絶叫する。

 

「王を連れて、早く! 行ってくれええええええええええええええええええーーーーーーーーーーーー!」

 

 瞬間、彼の口にしていた言葉が脳裏に蘇る。

 

『悲しいだと? 誤解してもらっちゃ困るな。駒に喜んでなるのが、兵隊ってもんなんだ。役に立つ駒になれるなら、これ以上の誉れはないさ』

『そういうものかな』

『そういうものさ。それに、オレたち一人一人の血と汗が未来への懸け橋となるんだ。こんなに素晴らしいことはないぞ』

 

 彼は、駒としての役割を果たそうとしているんだ。

 命を賭して、王を逃がすために。未来へと希望を繋ぐために!

 彼が本懐を遂げられるかは、今ここで王を逃がせるかに懸かっている。

 なら……っ……その気持ちを汲んでやるのが、きっとすべきことなんだ。

 そう、すべきことなんだ……!

 

 私は、歯を食いしばった。

 

「くそ! 感謝、する」

 

 ラスラも戦士として、同じ判断を下したのだろう。

 やり切れない顔をしつつも、すぐにリルナの脇を通り抜けて駆け出した。

 私も再度男に変身して、後を追って走り出す。

 

「逃がすか! お前! くっ! 離せ!」

 

 リルナは必死にもがくが。

 最後の執念だろうか。

 デビッドの力が思いの外強く、容易には振りほどけないようだった。

 

「離すものか! 死んでも離さねえ!」

 

 口元から血を零しながら、彼は決死の想いで叫んでいた。

 

 もう振り返ることはなかった。足を止めることもしなかった。

 俺はいつの間にか、次から次へと溢れる涙を抑えることができなかった。

 ラスラもテオも。決して目立たないように耐え忍び、けれど泣いていた。

 

「みんなによ。あとロレンツ(あのバカ)に、よろしく、頼むぜ」

 

 それが、俺たちが彼の声を聞いた、最後の瞬間だった――。



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26「ディースナトゥラ封鎖態勢」

 刑務所を地上へひた走る。

 足を止めるわけにはいかない。リルナに追いつかれるわけにはいかない。

 デビッドが命を賭して作ってくれた時間を、一秒たりとも無駄にはできない。

 もう涙は止まっていた。

 袖で目を拭って、背後の気配に注意しつつ、しっかりと前を向いて進んでいく。

 途中、ウィリアムたちと合流した。彼らはきっちりと追手を払い、逃げ道を確保してくれていた。

 俺たちの姿を認めたウィリアムは、顔をわずかに綻ばせた。

 

「王。ご無事でしたか」

「ああ。なんとかね」

 

 ラスラに背負われたテオが、もの悲しげな顔でそう答える。

 自分のために誰かが犠牲になったことを、手放しでは喜べないのだろう。

 

「よし。すぐに撤収だ」

 

 ネルソンがみんなに呼びかけたとき、大事な一人が足りないことにすぐ気が付いたロレンツが言った。

 

「待てよ。デビッドは? あいつはどうしたんだよっ!?」

「あいつは……」

 

 ラスラが辛そうに顔を背ける。

 代わりに俺が答えようとしたところ、その前にテオが彼の目を見てはっきりと答えた。

 

「デビッドはリルナとの戦いに残った。ぼくらを逃がすために」

 

 その言葉の意味がわからないロレンツではなかった。

 彼の瞳から光が消える。

 

「おい……うそ、だろ……?」

「すまない。ぼくには何もできなかった」

 

 沈痛な面持ちで、しかしあくまで堂々と答えるテオ。

 そこに、すべての責を受け止める王としての度量が感じられた。

 ロレンツは、悔しそうに顔を歪ませた。

 けれど、足を止めることも、誰を責めることもしなかった。

 誰かが死ぬ覚悟は、とっくにしていたのだろう。きっとどうしようもなかったこともわかっていて、だから彼は何も言わないのだ。

 ただ、わかっているからこそ、やり切れなくてしょうがないのだとも思う。

 俺はそんなロレンツに言った。できる限りの心を込めて。

 

「デビッドは、すごいよ。彼がリルナを止めてくれなかったら、みんなもうとっくにやられてた。俺たちの、命の恩人だよ――みんなに。特に君に、よろしく頼むって」

「ハハ……そうか。あいつは、ちゃんと役に立てたんだな」

 

 俺とラスラ、そしてテオはしっかりと頷いた。

 ロレンツは、ほんの少しだけ表情を緩めた。

 

「へっ。あいつらしいぜ。最期までおいしい所で、カッコつけやがって……」

 

 彼はすぐ沈痛な面持ちに戻ると、やるせなさいっぱいに拳を振り下ろした。

 

「このラッキーボーイの俺が、すぐ横にいてやればよ……。もしかしたら、死なせずに済んだのかなあ……っ……一人で、先走ってよ。マジで、底なしのバカだぜ……!」

 

 彼は誰に言うともなく、独り言のように呟く。

 

「なあ。お前がいなかったら、これから誰と下らないエロ話をすればいいんだよ。誰に突っ込んでもらえばいいんだよ……。誰と、夢を語り合えばいいんだよ……」

「ロレンツ……」

 

 彼の悲しみが、痛いほど心に突き刺さる。

 いつもお調子者の彼が、今だけは見る影もないほどに参っていた。

 

「何がよろしく頼むだ。お前に後を頼まれるほどよおっ……俺は人間できちゃいねえんだよ! 勝手に死ぬなんて、一生許さねえぞ……! 戻って来いよ。帰って来いよ! ちくしょう……っ!」

 

 ロレンツはスレイスを持ち直すと、誰よりも前へと進み出た。

 一切振り返ることなく、全力で突き進んで行く。

 みんなわかっていて、あえて何も言うことはしなかった。

 彼は、誰にも情けない泣き顔を見せたくなかったのだ。

 

 

 ***

 

 

「やられた」

 

 一人取り残されたリルナは、悔しげな顔でぽつりと呟いた。

 今から急いで追いかけたところで、もはや間に合わないだろう。

 デビッドは、満足した顔で力尽きていた。

 その両腕で、がっちりリルナを極めたままの状態で。

 彼は己の意地にかけて、本当に死んでもリルナを離さなかった。

 顔をしかめたリルナが、ようやく力任せに物言わぬデビッドの腕を振りほどくと。

 支えを失った彼は、そのまま血溜まりの海に沈んでいった。

 全身が彼の血で塗れてしまった彼女は、その死体を見下ろしながら疑問を口にする。

 

「なぜ、触られる前に弾くことができなかった」

 

 いつもならば、鉄壁のバリア《ディートレス》が、接近対象をオートで弾いてしまうはずなのだが。

 今回に限っては、しっかり組み付かれてしまった。そうなってしまうと、バリアはもう防御には使えない。

 使ったところで、彼もまたバリアの内側に入ってしまい、意味がないからである。

 密着した相手だけは一緒に包み込んでしまう。組み付かれては使えないというのは、戦闘用機能としては看過できない欠陥である。

 であるにも関わらず、なぜこのような仕様になっているのか。リルナ自身も疑問であった。

 彼女自身も相当力はある方なのだが、デビッドが発揮した火事場の馬鹿力は、凄まじいものがあった。

 彼が生きている間は、決して振りほどくことができなかった。

 仕方がないので、再び《フレイザー》を撃ち込んだのだが……。

 全身がどんなに穴だらけになっても、彼は決して手を離すことだけはしなかった。

 あまりの執念に、自身を執念深いと認める彼女も、内心舌を巻いてしまうほどだった。

 

「そうか。この男は、既にほとんど死んでいた。生命反応があまりに微弱なゆえに、《ディートレス》が作動しなかったのか。この機能も万能ではないな」

 

 やがて、彼女はそのように結論付けた。

 いくら何でもオートで弾くとは言っても、日常生活においても近寄るものすべてを弾いてしまうのは大いに問題である。

 また、非戦闘モードではバリアは解除されるというのも少々手落ちだ。

 いつでも不意の攻撃から身を守れなくてはならない。

 よって《ディートレス》は、攻撃とみなせる対象のみを自動的に弾くような仕様になっていた。

 すなわち、一定以上の生命エネルギー、もしくは運動量のある物体のみを弾くのである。

 既に死にかけだったデビッドの組み付きは、その仕様の穴をすり抜けてしまったのではないか。

 そう彼女は考えた。

 まあいい、と頷く。これから気を付ければ問題ないことだ。

 彼女は、再びデビットの亡骸を見つめる。

 既に死んでしまった彼を見ても、不思議といつもの憎しみは湧いて来なかった。

 それどころか、命を賭して仲間を守らんとした執念には、いささか敬意すら感じていた。

 自身の脳裏に焼き付く『ヒュミテ』の非道な姿。

 そんな非道とかけ離れた行動を、その身にぶつけられた彼女は、静かに彼を認めた。

 

「この男、敵ながら立派な最期だった。後で埋葬くらいはしてやるか」

 

 それは落ち着いたらやるとして。

 ひとまずは、トラニティとジードを回収するとしよう。

 リルナは奥で倒れていたトラニティの元へ歩み寄ると、彼女を抱きかかえて声をかけた。

 

「トラニティ。大丈夫か?」

「う……リルナっち……」

 

 気が付いたことに安堵する。

 どうやらユウが殺していないと言っていたのは、本当だったようだ。

 心底甘い奴だ、と彼女は思う。

 

「油断しました。気付かない間にやられちゃったみたいですね。すみません」

「いい。無事でよかった」

「全員倒せました?」

「逃げられた」

 

 苦々しい顔で首を横に振ったリルナに、トラニティはにたりと人が悪そうな笑みを見せた。

 

「あら珍しい。リルナっちでも取り逃がすことって、あるんですねえ。二回目ですよ?」

「ふん。わたしも完璧ではない。一応万一のときの手は打ってある」

 

 それを聞いたトラニティは、ますます悪そうな笑みを浮かべる。

 

「あー、あれですか。住民に迷惑かかるから、あまりやりたくないんですけどね」

「仕方ない。非常事態だからな。ところで、トライヴは使えそうか?」

「えーと――ダメです。すっかり壊れちゃってますね」

 

 リルナはやれやれと肩を落とした。

 しばらく転移はできないとなると、色々と面倒だった。

 

「すぐに工場に連れて行ってやる。しっかり掴まっていろ」

 

 リルナは、トラニティを軽々と抱き上げた。

 

「わーい。リルナっちのお姫様だっこだ」

 

 わざと子供ぶってきゃっきゃとはしゃぐトラニティに、リルナは呆れて盛大な溜め息を吐いた。

 

「緊張感のない奴め。このまま放置してやろうか?」

「え゛。それだけは勘弁してってば。私動けないもん。ねえ助けて。ほんとは優しいリルナっち♪」

「よし。ここで死んだことにしておこう」

「待って! 待って下さい調子に乗りました!」

「はあ。さっさと行くぞ。ジードも待っている」

「了解です」

「と、その前に。戦闘モード解除」

 

 トラニティを抱えたリルナは、時々《パストライヴ》を駆使しながら、凄まじい速度で刑務所内を駆けていった。

 もしもデビッドの足止めがなければ、ユウたちはまず追いつかれてしまっていただろう。

 走りながら、彼女は考える。

 

 ユウ。トラニティとジードを倒し、わたしから二度も逃げた男。いや、女か?

 ――どちらでも構わない。

 

 リルナの脳裏には、自分を下らない諫言で諭そうとし、無謀にも立ち向かってきた男の彼と、親しげに話してくれた女の彼女とが、同時に浮かび上がっていた。

 なるほど。わかってみれば、二人が同一人物だということも容易に頷けた。

 雰囲気も言動も、まるでそっくりだ。

 なぜ姿を変えられるのかまではわからないが、今まで上手く誤魔化されてしまったのは事実。

 舐められたものだ、と彼女は内心毒吐く。

 

「これほどの屈辱を覚えたことはない。次は逃げられると思うな。必ず殺してやる」

 

 なぜこれほどまでに殺意を覚えるのか。

 なぜ彼に問われたとき、何も事情を言う気になれなかったのか。

 実のところ、彼女自身もよくわかっていなかった。

 ただ、何となく言おうとしたとき、気が変わってしまったことだけは確かだった。

 

『本当は仲良くなれるかもしれないのに、現状を変えようともしない奴の方が馬鹿なんじゃないのか!?』

 

 仲良くなるだと。そんなことは不可能だ。

 ヒュミテのくせに。立場が弱くなったときだけ、自分に都合の良いことを言うな。甘ったれめ。

 忘れもしない。彼女自身に刻み付けられた、邪悪なるヒュミテの記憶。トラウマになるほどの記憶。

 ディースナトゥラのほぼ全員が、自分ほどではないにしろ、同じように彼らに対する忌まわしい感情を抱いている。

 ヒュミテもまた、ナトゥラを憎んでいるに違いない。両者がわかり合うことなど到底不可能だ。

 ならばわたしは、この身のすべてを武器に変え、ナトゥラをヒュミテの恐ろしい魔の手より守るのみ。

 それがわたしの使命。彼女は再び決意を固めた。

 

「たとえこの場は逃れたところで。お前たちは、この地上から逃げられはしない。一人残らず追い詰め――始末する」

 

 

 ***

 

 

 どうにか刑務所から脱走した私たち(追跡を避けるために女に変身した)は、帰る道の途中ですっかり疲弊したアスティ、リュートと合流した。

 他のアウサーチルオンたちは、みんな狙撃によってやられてしまっていた。

 

「そうか。マイナまで……」

 

 命からがら逃げてきたアスティの報告を聞いたウィリアムが、無念そうに肩を落とす。

 私もますます心が沈んでいくのを感じた。

 あの優しかったマイナにも、もう二度と会えないのか……。

 そのときだった。

 感傷に浸る暇はないとばかりに、街中に音声放送がかかる。

 それは、私たちを再び窮地に追い込む、恐るべき内容だった。

 

『緊急セキュリティシステム作動中。全トライヴ及びギースナトゥラとの連絡路は、一時使用不能となります。ご迷惑をおかけいたします。繰り返します。緊急セキュリティシステム作動中――』

 

「「なに!?」」

 

 全員が一斉に驚愕した。

 ほぼ同時に、無線から通信が入る。

 

『僕だ。クディンだ。まずは王を無事刑務所から連れ出してくれたこと、感謝する。犠牲になった者たちには、誠にお悔やみ申し上げる。力及ばず、本当に申し訳なかった』

 

 一泊間を置き、緊迫した声が続く。

 

『しかし残念ながら、戦友の死を嘆く暇も、ゆっくりと話している時間もない――久しいな。友よ』

 

 テオが、ラスラの無線を取ってすかさず答える。

 

『救出感謝する。友よ。どうやら、未だ状況は予断を許さないようだ』

『ああ。深刻な問題が発生した。放送内容の通りだ。ディースナトゥラ全体に警戒態勢が敷かれたのだ。まさか、こんなことが可能だとは――!』

 

 レミに、音声が切り替わる。

 

『現在、うちのものも含め、すべてのトライヴは使用不可能となっています。地下へと繋がる階段もエレベータも、一切が機能しなくなっています。地上と地下が完全に分断されている状態です』

 

 彼女の声色には、明らかな動揺が見える。

 

『こんなことって……! 私にもどうしたらいいのか。とにかく、対策ができるまでは必死で逃げて下さい!』

 

 ひとまず、行きの際最初にいたビルまで逃げ込んだ私たちは、そこで話し合うことにした。

 

「くそ。マジでトライヴが動いてねえ。どうなってんだ!」

「ここまで徹底した防衛機構があるとは。さすがに想定外だ……」

 

 ロレンツがいらいらしてトライヴゲートを蹴っ飛ばし、ネルソンは頭を抱えていた。

 

「このままではしらみつぶしだぞ。見つかるのも時間の問題だ! せっかくデビッドが命を賭して逃がしてくれたというのに!」

「でも、どうすれば……」

 

 ラスラは悔しそうに歯ぎしりし、アスティはうーんと首をひねっている。

 

 みんなが頭を悩ませる中、私にはある考えが浮かんでいた。

 だがそれは、普通は考えとも呼べない、まさに無謀とも言うべき案だった。

 それでも必死に考えて、やっぱりこれしかないと判断した私は、みんなに尋ねた。

 

「緊急セキュリティシステムというのは、どこで動いている?」

「詳しくはわからないよ。けど、あるとしたらまず間違いなく――」

 

 リュートは、ここからでもよく見える「あの建物」を指差した。

 やっぱりあそこか――。

 私は、その建物を指差しながら、みんなにはっきりとした声で告げた。

 

「私が今からあそこへ直接乗り込む。セキュリティシステムを解除してくるよ」

 

 案の定、一斉にどよめきの声が上がった。

 

「何言ってるの!? やめてよ、ユウちゃん! 死んじゃうよ!」

「無茶だ! あまりにも!」

「おい! お前まで死ぬ気かよ!?」

 

 アスティ、ラスラ、ロレンツを始め、みんな必死になって止めてくれた。

 まだ会ってからそんなに時間も経ってない私を、そこまで心配してくれるなんて嬉しかった。

 そんな彼女たちに心の内で感謝しながら、しかし考えを曲げるつもりはなかった。

 こうして手をこまねいていても、おそらく有効な解決策は出て来ない。向こうがシステムを管理しているのだから。

 このままでは、まず全員がじきに見つかって殺されてしまう。

 でも、そんな最悪のシナリオを許すわけにはいかない。

 みんなの中で私だけは、真の意味では死なない命を持っている。

 そいつを賭けることでみんなを守れるなら。決して惜しくはない。

 そして同じ命なら、ただ静観して追い詰められていくよりは、攻めることに賭けたい。

 少しでも可能性のある方に賭けたい。私はそう思う。

 

「たとえ無茶でも、行くしかないよ。セキュリティを解除しなくちゃどうにもならない。そうでしょ?」

「だが……」

 

 みんなは、すっかり難しい顔で押し黙ってしまった。

 やがてテオが、凛とした表情で私に問いかける。

 

「どうしてだ。ほぼ見ず知らずのぼくたちに、なぜそこまで……」

「さあ。なぜだろうね」

 

 自分でもわからないよ。ただの馬鹿なのかもしれない。

 

「でも、この世界の現状を見たとき。こんなのは間違ってる。どうにかしなくちゃって、そう思ったの」

 

 自分の中にある確かな想いを確認しながら、言葉にしていく。

 

「テオ。あなたは、この世界を少しでも良い方向に変えられる? ヒュミテとナトゥラ、双方にとって優しい世界にしたいと願う?」

 

 テオという人物を調べたとき、私は彼の唱える思想に興味を持った。

 ヒュミテとナトゥラが平等に暮らせる世界。

 それが本心からの言葉なのか。一度直に見極めてみたかった。

 テオは、自分が試されていることを感じ取ったのだろう。

 しっかりと考えてから、一つ一つ言葉を選ぶように、誠実に答えた。

 

「できるかどうかは、わからない。けれど、ヒュミテとナトゥラが手を取り合う、そんな日がやってくることを、ぼくは本気で望んでいる。ユウ。君と同じだ」

 

 真っ直ぐで、水晶のように綺麗な目だった。

 彼は小さく、自嘲するように笑う。

 

「ぼくも馬鹿なのかもしれないな。無事ルオンヒュミテに帰ることができたなら、そのために全力を尽くすことを誓おう」

 

 私の心に、彼の真剣な想いがすっと届いてきた。

【神の器】は人の想いを受け取る。何となくだけど、心の真贋を見極められる。

 どうやらまるっきり嘘は吐いていないみたいだ。

 ちょっと安心したよ。

 こんなにも痛めつけられて、まだナトゥラのことを想える強い心なら。

 きっと少しでも世界を変えていけるはず。そう思った。

 

「わかった。今はその決意で十分。だったら、私もそれに応えよう。あなたたちを逃がすために全力を尽くす。マイナとアウサーチルオンたちの犠牲、そしてデビッドの遺志を――無駄にはしない」

 

 私はもう一度決意を固めると、作戦内容を告げた。

 

「これからあの建物に潜入する。目標はセキュリティシステム管理部署の発見、及びシステムの解除」

 

 警備はまず刑務所以上だろうから、正攻法では間違いなく無理だ。

 その事実を述べ、私なりの覚悟を語る。

 

「だから戦いは極力避けるために、感知システムにかからない私一人だけで行くつもり」

 

 みんなから再びどよめきが上がる。

 私は一人一人の反応をしっかり観察しながら、続けた。

 

「みんなは上手く逃げつつ、テオをしっかり守っていて。よろしく頼むね」

 

 伝えたいことを一通り言い終わると。

 私は彼方にそびえる摩天楼――中央管理塔を仰ぎ見た。

 日の出とともに、ゆっくりとそのシルエットを剥がしていく白銀の塔。

 不気味なほどに雄大なそれは、騒がしい警報が鳴り止まぬ中、未だ沈黙を保っていた。



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27「Sneak into Central Tower 1」

「じゃあ。行ってくるよ」

 

 みんなに背を向けようとしたとき、ラスラが呼び止めてきた。

 

「待て! 私も行くぞ。デビッドの仇討ちをさせてくれ!」

 

 気持ちはありがたいけど、私は首を横に振った。

 

「悪い。私だけで行かないと、感知システムに引っかかってしまう。その気持ちは、テオを守るために使ってくれないかな」

「だが!」

 

 そこに、ネルソンとウィリアムも割って入ってくる。

 溜め息混じりの口調だった。

 

「狂っている。たった一人でだと。死ぬだけだ。正気の沙汰じゃない」

「ネルソンの言う通りだ。むざむざ犬死にさせるだけの作戦は、作戦とは呼べない。さすがに認めるわけにはいかんな」

 

 まあ普通はそう考えるだろうと思う。

 私も正直なところ、あまり自信はない。

 けれど、誰かが逃げ道を作ってやらなきゃいけないことは確かだ。

 そしてそれができるのは、きっと私だけだ。

 

「別にぶっ潰しに行こうというわけじゃない。こっそり侵入させてもらって、ちょこっと破壊させてもらうだけだよ。それには私一人だけで行くのが、一番理に適っているってこと」

 

 あと一応、勘違いされたくないので言っておく。

 

「言っとくけど、死ぬつもりはないから」

「でも、ユウちゃんだけなんて――!」

 

 中々納得しない彼らに説得を続けようとしたとき、テオがさっと手でみんなを制した。

 全員が、開いていた口を噤んで黙り込む。

 そしてテオは、私に向き合って静かに言った。

 

「君の目と決意を目の当たりにして、感じたよ。君はどうやら、ぼくらの想像もつかないような修羅場をくぐってきているようだね」

 

 私は何も答えなかった。答えるだけ野暮だと思ったからだ。

 テオは少しの間沈黙し、渋々納得したように頷いた。

 

「君に賭けてみよう。ルオンヒュミテに帰れたときには、必ず礼を尽くす。だから無事に戻ってきてくれ。ぼくからの、たった一つの頼みだ」

「ありがとう」

 

 王の鶴の一声で、話はまとまった。

 みんなはテオを守ることに徹し、私は一人で中央管理塔に挑む。

 再びそびえ立つ塔を見つめたとき、背後から思い詰めた声がかかった。

 

「なあ」

 

 振り返ると、リュートだった。

 

「どうしたの? リュート」

 

 彼は、いつになく真剣な顔で頼み込んできた。

 

「あのさ。オイラも連れてってくれよ。オイラなら、感知システムは反応しないだろ?」

 

 そうか。ナトゥラなら確かに引っかからない。

 でも……。

 

「確かに君なら大丈夫だね。でも君は、まだ子供じゃないか」

 

 すると、まずいところを突いてしまったらしい。

 彼はむきになって声を張り上げた。

 

「子供がなんだよ!」

 

 そして、今にも泣き出しそうな顔で訴えかけてくる。

 

「オイラ、悔しいんだ。仲間をたくさん殺されて……! このまま黙って見ていたくないんだよ!」

「だったらなおさら、みんなの分まで生きるべきだよ。本当に危険なことは私に任せて。ね」

「いやだ! ユウにだって、死んで欲しくないんだ! 初めてできたヒュミテの友達だから!」

 

 その裏のない真っ直ぐな言葉に、心を打たれた。

 友達だからと言ってもらえたことが嬉しかった。

 この場にいる誰よりも純粋な心を、この子は持っている。

 

「大丈夫だよ。私は死なないから」

 

 安心させるためにそう言ったが、彼は頑として首を縦に振らなかった。

 

「さっきは言えなかったけどさ……。中央管理塔のセキュリティはやばいよ。ナトゥラじゃないとまず通れないようになってる箇所が、いくつもあるんだ」

 

 小柄な身体で身振り手振りを交えて、必死に語る。

 

「図書館で指を差し込むところがあっただろ? ああいうのがたくさんあって……。だから、その……ユウだけじゃ、間違いなく死んじゃうよ。オイラなら、ある程度のプロテクトは誤魔化せる」

 

 目を見張るような意見だった。

 最悪、行けるところまで行ったら強引に突破するしかないと踏んでいたけど……。

 リュートの力があれば、本当の意味での「潜入」ができる。

 この子は、ちゃんとそこまで自分の売りまで考えて――。

 アウサーチルオンでもない本当の子供だと思っていたのが、申し訳なくなった。

 確かに子供ではあるけれど、リュートは一人前の小さな戦士だ。

 だけど、あまりに危険なのも事実で……。

 

「あんたの足は引っ張らないよ。言うことだってちゃんと聞くから。お願いだよ。オイラも連れて行ってくれよ!」

「――わかった。一緒に行こう。リュート、頼りにしてるよ」

 

 悩んだ上での結論だった。

 メリットと危険を考慮した上で、彼の気持ちを汲んであげたくなったのだ。

 リュートは、ほっとしたように顔を綻ばせた。

 

「恩に着るよ」

 

 

 ***

 

 

「今度こそ行ってくるね」

「みんなも気をつけてな~」

 

 みんなに見送られて、私とリュートはすぐに出発した。

 ビルから出た私は、早速リュートに尋ねる。

 

「私のスピードについて来られる?」

 

 彼はピッと親指を立てた。

 

「あのときは油断したけどさ、オイラ韋駄天だって言っただろ。速さだけなら自信あるんだ」

「そっか。信じるよ」

「さすがにリルナには敵わないけどね」

「あれは正直、私も勝てそうにない」

 

 隠していた実力に差があり過ぎた。

 あの超スピードと絶対防御を打ち崩す手が、まだ何も思い浮かばない。

 今度見つかったら、確実にやられてしまうだろう。

 それに今回は、非力なリュートもいる。絶対に出会うわけにはいかない。

 くそ。せめて他の世界にいるときのように、満足に力を発揮できれば。

 まだ少しは状況が変わるかもしれないのに……!

 ……ないものねだりをしても仕方がないか。

 魔法を使えないことが、こんなにももどかしいなんて。

 

「行こう。目立ち過ぎない程度に飛ばすよ」

「おう」

 

 私とリュートは、円形の道を垂直に切るように、街の中心部へ向けて速やかに進んでいく。

 途中、何度かディークランの姿を見かけたが、どうにか見つからずにやり過ごした。

 やがて中央区に入った。

 朝日はもうすっかり昇っている。そろそろ外を歩く人が多くなってくる時間帯だ。

 

「うへえ。近くからじゃ、上が見えないほど高いや」

「今さらながらに、自分でも無茶なことを言ったなと思うよ」

 

 近くから見上げる中央管理塔、及びその隣にある中央政府本部は、まさに圧倒的というしかない景観だった。

 初日に見物しただけの建物に、まさか今から侵入することになるとは思わなかったよ。

 

「まずは裏口を探そう」

「うん」

 

 正面の警備員に見つからないように気を付けながら、建物の横に回り込む。

 ほどなくして、裏口と思われるドアを見つけた。

 ドアの横には指を差し込む穴があり、その上に付いた小さなランプが、赤い光を灯している。

 早速、リュートが穴に指を差し込んだ。

 しばらくすると、ランプの色がレッドからブルーに変わった。

 

「上手くセキュリティを騙して、認証できたぜ~。これで入れるよ」

「助かった」

 

 地球だとロック解除は大抵グリーンだけど、こっちだと本物の青なのか。

 それより。リュートがいないと、初っ端から苦労することになっていたかもしれない。

 本当に助かった。

 と、その考えを読んでいるかのように、彼が答えた。

 

「これでも潜入任務は何度もやってるからね。こんなやばいところは、さすがに初めてだけど」

 

 入ると、うんざりするほど果てしなく長い非常階段が続いていた。

 こんなときに呑気なことを考えるものじゃないけれど、素直に思ってしまった。

 一体何階まであるの、これ……。

 

「ねえリュート。緊急セキュリティシステムを管理している部署は、どの辺にあるだろうか」

「たぶん相当上の方じゃないかな。この階段はセキュリティの関係上、きっと途中までしか続いてないだろうね。その後が問題だよ」

「そうだね。まあとりあえず……」

「登ろうか……」

 

 あまりの長さに溜め息を吐いた私たちは、意を決して階段に足をかけた。



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28「Sneak into Central Tower 2」

「ふう~。やっと登り切れたね」

 

 リュートが一息をつく。

 途中の階にあった案内板で、セキュリティシステム管理室がある階層を調べたら、211~212Fという凄まじい高層にあるようだった。

 ということでひたすら登り、140Fまで辿り着いたところで非常階段は終わった。

 本当に長かった。三桁階層とか、地球ではまずお目にかかったことがない。外国にある超々高層ビルの類なら、きっとそのくらいはあるのだろうけど。

 

 140Fは通路が真っ直ぐ伸びていて、その脇に部屋がいくつも並んでいた。奥の方で通路が二手にわかれている。

 これといって特に変わり映えのない、普通のオフィスといった感じだった。

 

「ここからが本番だよ」

「わかってるぜ。監視カメラとかはどうするつもり?」

「それについては一応考えてある」

 

 そこでウェストポーチから取り出したるは、前の異世界イスキラの研究者ミックの発明品第三弾。

 おもちゃのようにちゃちな作りのピストルだ。

 

「映像固定弾。こいつをカメラに向かって撃ち出すと、透明ジェル状の弾がレンズにべったりと張り付く。するとカメラの映像はその時点のもので固定されるから、私たちは映らなくなる」

「へえ~。なんかカッコいいね」

 

 カッコいいか?

 それにしても、あいつの趣味で押し付けられたスパイアイテムがこんなところで役に立つとは。

 運命の巡り合わせというのは、ほんとわからないよ。

 というか、イスキラはカメラと言ってもお粗末なものしかない文明レベルなのに、あいつだけ一人世界の先を行き過ぎなんだよね。紛れもない天才だけど、先端的過ぎて中々理解はされないかも。

 例によって弾はある分だけの使い切りだから、少しもったいないけどここで使い切ってしまおう。

 さてカメラはどこにあるかな、と――二か所に設置されているか。

 ピストルを構えてターゲットに狙いを定め、撃ち出す。

 パシュ、パシュと静かな発射音がする。二発ともしっかり命中させた。

 カメラはこの先も多いから、無駄弾は出せない。

 リュートがこっちを向いた。

 心なしか、目をキラキラさせている。

 

「すげえな。あれ」

 

 少し和んだ。

 この子、歳の割にはかなりしっかりしてるけど。何かと素直に顔に出ちゃうところは、ちゃんと子供らしいというか。やっぱりかわいいところがあるよね。

 

「行くよリュート。ちゃんとゴーグルを付けてね」

「わかった」

 

 支給装備のゴーグルをかけると、目に見えないものも発見できる。

 例えば、赤外線センサーの有無などがわかる。

 辺りを見渡したが、どうやらここにはカメラ以外はないらしい。

 時折監視カメラを発見しては無効化しつつ、慎重に通路を進んでいく。

 この階層から、セキュリティレベルは明らかに上がっていた。エレベーターの利用はもちろん、階段を登るにしても別途認証が必要なようだ。

 頼みの綱だったリュートも、ここからはどうやらお手上げだった。

 

「まずいよ、ユウ。指認証だけじゃなくなってる」

「本当だ」

 

 見ると、ロック解除のためには、指の他にカードキーも必要な方式になっているみたいだった。

 

「どうしよう。ドアを壊すしかないかな。ユウならできるよね?」

「まあできるけど……。そんなことをしてリルナがやって来たら、一気にまずいことになる。極力目立つことは避けたい」

「だよね。うーん……」

 

 そのとき、誰かがこちらに向かってくる足音が聞こえた。

 私はリュートに耳打ちした。

 

(誰かが近づいてくる足音がする。壁際に隠れて)

(うん)

 

 隠れて様子を伺うと。

 黒を基調とした制服を着た女性従業員が一人、歩いてきていた。

 このままだといずれ見つかってしまう。注意を引き付けなくては。

 

《ボルチット》

 

 小さな火を出して、彼女に向かって宙を泳がせる。

 私たちに対して背を向ける方向に、火を飛ばしていく。

 

「なにこれ!? 火が!」

 

 すっかり目を引いてる。この手、単純だけどこの世界では地味に有効みたい。

 ごめんね。

 さっと忍び寄って、気付かれぬうちに手刀を打ち据えると、彼女は気絶して崩れ落ちた。

 転倒して変なところを打たないように、身体を優しく支える。

 

「ふう。言い方は悪いけど、これで『鍵』は手に入ったかな」

「結果オーライだね」

 

 彼女の懐を探ると、あっさりとカードキーは見つかった。

 170Fまで利用可能とカードには記されている。残念ながら一発ゴールとはならなかったか。

 気絶した彼女をこのままにしておけないので、少しの間私が背負っていくことにした。

 エレベーターの前に立って彼女の手を持ち、指を差し込みながらカードを通す。するとすぐにエレベーターがやって来た。

 慌てずに映像固定弾を撃ち込み、中の監視カメラに自分たちが映り込まないようにしてから乗り込む。

 エレベーターは、一切音も立てずに高速でぐんぐん上がっていく。

 幸い私たちの他には誰も乗ってこなかった。

 

「朝の早い時間帯でよかった。まだまだ人が少ない」

「…………」

「どうしたの? リュート」

「オイラ……情けないな。さっきからずっと怖くて。嫌な予感ばっかりで」

 

 リュートは緊張と不安から、身震いしてしまっていた。

 私も内心は不安でいっぱいだったけど、そんな彼を見てしまうと、せめて自分はしっかりして安心させてあげなくちゃと思う。

 自然と手が動き、彼の頭を撫でながら微笑みかける。

 

「大丈夫。私がついてるから。君のことは守るよ」

「……うん。カッコ悪いよね。オイラの意志でついてきたってのにさ」

「そんなことない。仲間のために立ち上がれる君は立派だよ。私も君がいて心強く思ってる」

「ほんと?」

 

 縋るような目で見つめてきた彼に、私はしっかりと頷いた。

 

「ほんと。こういうときに一人って、本当に辛いもの。だからリュートがいてとても助かってるの」

「そっかあ。よかった……」

「それにね。君がいるから、ますますやられるわけにはいかないなって思ったし」

「ユウ……。そうだね。オイラもがんばるよ」

 

 170Fに着いた。140Fと特に変わり映えはしないフロア構成のようだった。

 私は気絶した女性従業員に目をやる。

 

「まずはどこかの部屋にこの人を隠そう」

「あっちにエアシャワー室が見えるよ」

 

 エアシャワー室まで移動する。

 部屋の前のドアに立って聞き耳を立てた。中に誰かがいる気配はない。

 指認証とカードキーでドアを開ける。

 中には脱衣所と、空気を噴出するシャワーの個室があった。

 個室の中で、私は気絶する彼女をそっと下ろした。それから、彼女の着ている服を見回す。

 

「従業員の制服。私にはちょっとサイズが大きいけど……」

 

 まあ着られないこともないか。

 あまり性差のない服装だし、男になったらむしろ少し小さいくらいかな。

 

「悪いけど、服を拝借して着替えさせてもらおう。そっちの方が怪しまれないで済む」

「え。うんわかったよ」

「よし。ごめんなさいね」

 

 軽く謝りつつ、素早く丁寧に彼女の服を脱がせていく。

 必要な分をすべて脱がし終えると、当然だが彼女はあられもない下着姿になった。

 改めてみると、本当に人間にしか見えない精巧な造りに感心してしまう。

 私も着ていたシャツをまくり上げた。

 遮るもののなくなった胸が、こすれる布地に掛かってぷるんと揺れる。

 そのとき。

 横から、遠慮がちではあるが熱い視線を感じた。

 

「見てる?」

「あ、いや。ごめん!」

 

 リュートは慌てて、思いっ切り顔を反らした。

 そんな初心な彼を見て、しょうがないなと思うと同時に、本当に可愛いなと母性が揺らいでしまった。

 それから、非常時とは言え、ちょっと彼に配慮が足りなかったかなと反省する。

 

「ふふ。リュートも男の子なんだね。でも、女の子の裸は勝手に見ちゃダメだよ」

 

 男ならつい見てしまう気持ちはよくわかるから、あえて強く責めることはしなかった。

 しかも、ノーブラだからね……。

 なんか自分で言って恥ずかしくなってきた。

 右腕で自然に胸を隠しつつ、左手でシャツをウェストポーチの超圧縮袋の中にしまう。

 リュートは顔を背けたまま、正直に白状した。

 

「ごめんよ。つい。とっても綺麗で」

「それはありがとう」

 

 まだ思春期前だろうし、見惚れちゃったのかもね。

 ……あんまり意識してないけど、私って魅力あるのかも。少し気を付けよう。

 下を脱ぐ前に、先に制服のシャツを着ていくことにした。

 刺激の強過ぎる格好は、早く終わらせた方がいいと思ったので。

 そこで、リュートが頑なに顔を背けたまま、躊躇いがちに聞いてきた。

 

「その。ユウって結局どっちなの? 男のときは兄ちゃんなのに、今は何だか……本当にお姉ちゃんみたいでさ」

「どっちでもある、としか言いようがないかな。こんな風になっちゃったのは、まあ話せばそれなりに長い事情があってね。聞きたいなら今度話すよ」

「へえ。ちょっと聞いてみたいな」

「わかった。今度ね」

 

 着替え終わって部屋を出る。

 そこで、大きな問題が発生した。

 通路の奥からやってくる別の従業員に、ばったり出くわしてしまったのだ。

 もう私たちの姿は向こうからも見えている。

 そうか。ただの従業員は、ディーレバッツと違って殺意も何もないからね。

 部屋を隔ててそこそこ距離があると、もう一切気配がわからなくなってしまうのか。

 お喋りをしながらこちらに向かってきているのは、立派なスーツを着た男の二人組だった。

 一人はいかにも平社員風の物腰の低い話し方であり、もう一人はどこかふんぞり返っていて、何というか、いかにも部長っぽい人だなと思った。

 制服に着替えていてよかった。どうやら侵入者とは思われていないみたいだ。

 でも隣には、職場に場違いの子供がいるから危ない。

 口封じをしないと――。

 けどまだ距離がある。二人をここから倒しにいくのは、誰かを呼ばれてしまう危険があるか。

 よし。ここはウェイトレス時代に鍛えた明るい笑顔の出番だ。

 数秒だけでもやり過ごそう。

 リュートの手を引き、子連れを装ってにっこりと笑顔を作る。

 

「お疲れ様でーす」

「おう。ご苦労さん」

 

 部長(仮)がそっけなく返す。

 スマイルスマイルでそそくさと通り過ぎようとしたとき、やはり声がかかった。

 

「ん、そう言えば、なぜ君はチルオンを連れ歩いうごっ!」

「うっ!」

 

 接近して、ボロが出る前に腹パンを速攻二連打で叩き込む。

 平社員(仮)と部長(仮)は、無事気絶した。

 

「ふう。危ない危ない」

「お姉ちゃん容赦ないね」

「そう? これでも手心は加えてるつもりだけど」

 

 ラスラみたいに殺さないだけマシってものだよと付け加えたら、リュートはくすくす笑ってくれた。

 心なしか、エレベーターに乗ったときよりも表情が柔らかくなっているように見える。

 

「185Fまでか」

「ちぇっ。しけてるな~」

 

 リュートが軽く悪態をつく。

 平社員(仮)はそのまま平社員だったが、部長(仮)の実際の階級は係長だった。

 いかにも偉そうなオーラ出していた割には、思ったより低かった。残念。

 彼らもエアシャワー室に隠し、リュートの指認証とカードキーの併用で185Fまで登る。

 

 こんな調子で上手く立ち回り、200Fまでは警報を鳴らさずにどうにか辿り着いた。

 途中、赤外線センサーの網を潜り抜けたりとか、色々と大変だったけど。

 

 どうやら200Fまでは普通のオフィスだったようだ。

 そこから上、201Fから220Fまでは、従業員ですら立ち入り禁止となっているらしい。

 フロア案内を調べたところ、内訳はこのようになっていた。

 

200F    会議室 中央政府本部-中央管理塔間連絡橋

205~210F 一般システム管理室

211~212F 緊急時セキュリティシステム管理室

213~216F 平常時セキュリティシステム管理室

221F    職員室

 

「201Fから220Fまでは、そもそもエレベーターでは行けなくなっているみたいだ」

「201Fから204Fまでと、217Fから220Fまでが空欄になってるのはなんでだろう」

「どうしてだろうね。まあ登ってみれば――」

 

 カードキーとの合わせ技で、またリュートに認証を誤魔化してもらう。

 ついに201Fへと足を踏み入れた。

 すると、そこには――。

 

「これは――!」

「なんだよ、これ!?」

 

 201Fから220Fまでは、吹き抜けとなっていた。

 205Fから216Fまでの十二階層は。

 白銀色――ポラミット製の巨大な箱だった。

 四角い箱が、宙に浮かんでいた。出入り口はどこにも見当たらない。

 金属による装甲は、一見して非常に堅牢だとわかるものであり、まさにあらゆる侵入者を拒む鉄壁だった。

 あんなもの、テールボムを使っても、《気断掌》でも、とてもぶち破れない。

 

「なんてこと。これじゃ、物理的に侵入が不可能じゃないの!」

「オイラたち、せっかくここまで来たのに!」

 

 四年前の空中都市エデル突入の際、最後の最後にバリアで阻まれてしまったときの状況が脳裏で被る。

 どうすればいい?

 少し考えた末、一つ良い案が浮かんだ。

 そうだ。単純に《パストライヴ》を使って、物理的な障壁を無視してワープしてみるっていうのはどうだろうか。

 身体への負担が大きいからそうそう使えないけど、ここは多少無理してでも使ってみる価値がある。

 

「試したいことがあるから、ちょっとそこで待ってて」

 

 とりあえずリュートはそこに控えさせて。やってみよう。

 私は空中の箱を見上げて、その中に入るようにと意識した。

 

《パストライヴ》

 

 身体を浮遊感が包み、その場から消えて――。

 

「きゃっ!?」

 

 いたっ!? 何かにぶつかった!?

 落下していくところ、どうにか体勢を立て直して着地する。

 

「大丈夫?」

「う、うん。びっくりしたけど、何とか」

 

 心配そうに私の顔を覗き込むリュートに、驚きで息が乱れたまま返事をする。

 ダメか……。詳しくはわからないけど、転移対策が施されているみたい。

 どうやら金属の壁の手前で、何かにぶつかってしまったようだ。

 全身がずきりと痛む。

 やっぱりこの技、私には合わないのか、反動がきつい。

 リルナのように連続ではとても使えないね。

 再び箱を見上げる。

 さて、また振り出しに戻ってしまったわけだけど。

 どうしたらいいんだろ――

 

 ――はっ!? 殺気!?

 

「リュート!」

 

 考える間もなく、身体は動いた。

 飛び込んでリュートを抱きかかえる。

 

 次の瞬間、彼のいた地点に凄まじい衝撃が響いた。

 

 硬い床の破片がいくつも飛び散って、全身にビシビシとぶつかってくる。

 リュートと一緒に倒れ込んだ直後。

 振り返ると、床には大きな穴が空いていた。

 粉々になった床の破片が、破壊の威力の凄まじさを物語っている。

 

 この分厚い床を、今の攻撃だけでぶち抜いたっていうの!?

 

 とてつもない威力に肝を冷やしたとき。

 

「ハッハアー!」

 

 この攻撃を仕掛けた何者かが、穴の下から跳び上がってきた。

 手足が丸太のように太く、全身がごつごつした大男だった。特に右腕は、一見して異常とわかるほど太い。

 あれで床ごと私たちを殺そうとしたのか。

 

「こんなとこで待機するっつう退屈な任務を押し付けられたときは、どうしようかと思ったが! まさか獲物の方からのこのこ来てくれるとはなあ! 腕が鳴るぜえ!」

 

 耳がキンキンするぐらいの声量で、大男は嬉しそうに叫んだ。

 私はすぐに立ち上がって尋ねる。

 

「なぜ敵だってわかったの?」

 

 少なくとも私は従業員の服を着ていた。

 いきなり襲ってきたということは、こいつには確信があったということに――

 

「そりゃあよ! ここはそういう場所だろう? 来たやつは全員殺るだけさ!」

「なるほどね。納得」

 

 敵だという確証はなくても、殺してよい。

 この中枢に入り込むのは、それほどのことだというわけだ。

 

「オレの名はステアゴル! ディーレバッツの戦闘員だ!」

 

 うわ。聞いてないのに名乗ってきたよ。

 私は無視して、まずリュートの安全を図る。男から視線を離さずに言った。

 

「リュート。できるだけあいつから離れて。巻き添えを食らわないように」

「うん。ユウ、気を付けてね」

 

 振り返る余裕のない私は、軽く左手の親指を立ててその言葉に応えた。

 

「がっはっはっは! 隊長にはもう連絡入れたぜ! 十分以内には来るだろうよ!」

「……そう」

 

 一々うるさい奴だ。

 リルナがここに来るまで――タイムリミットまで、あと数分か。

 ディーレバッツの誰かがいるかもしれないとは思っていたけど、このタイミングで見つかるなんて。

 いきなり厳しくなった。

 

「がはは! お前、ユウだろ?」

「ええ。それが何か?」

「隊長がよお! お前のこと、よっぽど始末したがってたぜ!」

「遠慮願いたいね。私はまだ死ねない」

 

 せめてみんなを助けるまでは。そしてこの世界をよく知るまでは。

 まだこの世界を離れるわけにはいかない。

 はっきりとは言えないけれど。

 世界を知るごとに、少しずつ違和感が積み重なっていってる。

 これは予感だけどね。何かが引っかかるの。

 このまま死んだら、絶対に悔いが残る。

 

 ステアゴルは、ガシャンと両拳をぶつけて鳴らした。やる気十分だ。

 

「うっし! 隊長が来るまで、しばらくオレと遊んでけよ! もっとも、それまで生きてられればだけどなあっ!」

 

 彼は巨体に似合わぬスピードで、私に突っ込んでくる。

 待ったなしの戦いが始まった。



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A-2「リルナ、仲間を修理に連れて行く」

 リルナは、自分専用の空飛ぶ水色のオープンカーを運転して目的地に向かっていた。

 後部座席には、傷付いたトラニティとジードが力なくもたれかかっている。

 彼女が向かっているのは、ガソット工房という場所だった。その工房は個人経営ながら、中央工場に様々な特殊パーツを提供しているところである。

 リルナ自身とプラトーを除けば、ディーレバッツ各員の様々な特殊機能を実現するパーツは、ほぼすべてここで開発・実装されている。

 やがて、車は目的地に到着した。

 合金と軽素材中心で造られる現代建築物の中にあって、遥か時代遅れのコンクリート造りという、ガソットという男のこだわりを感じさせる建物だった。

 それを眺めて、リルナはほんのりと表情を緩める。

 実は彼女もまた、これを打ち建てた彼自身と同様に、この古臭い感じが何とも言えず好きだった。どこか懐かしい気分になるのである。

 時代の最先端を行く彼女がそれを言うと、意外と思われてしまうことが多い。

 反応が一々決まって煩わしいので、そのうちあまり誰にも言わなくなってしまったのだが。

 

「トラニティ。ジード。着いたぞ」

 

 二人からの返事はない。

 彼女は小さく溜め息を吐いた。

 

「また気を失っているか。やれやれ。手酷くやってくれたものだ――ユウめ」

 

 その名を呼んだとき、再び強い殺意が彼女の中で燃え上がった。

 一方で、やたらとユウにこだわってしまっている現状に、彼女は自分でも心のどこかで可笑しいなとも感じていた。

 彼女は、両肩にそれぞれトラニティとジードを背負っていくことにした。

 

 工房に入るとすぐに、主であるガソットが出迎えてくれた。

 彼自身は、これといった特徴のないごく普通のナトゥラである。

 

「リルナさんじゃないですかい! 本日はそちらのお二人で?」

 

 リルナが背負っている二人を見て、ガソットはすぐに用件を察した。

 

「ああ。全身破損だ。手痛くやられている」

 

 彼女はあえて工房へ来た理由を手短に述べる。

 

「本来なら中央工場に預けてフルメンテナンスにかけるところだが、そうすると相当時間がかかってしまう。今は差し迫った事態ゆえ、直接依頼をしに来たわけだ」

「そういうことですかい」

「簡易修理で構わないから、とりあえず二人を問題なく動くようにしてくれ。それから、トラニティは内臓トライヴシステム、ジードは機体の変形・硬化機能がまた使えるようにしてやってくれ。代金は後日、予算から下り次第振り込むつもりだ」

「わかりやした。ばっちりお任せ下さいや」

「頼むぞ。では、わたしは仕事に戻らなくてはならないので。早いがこれで失礼する」

 

 リルナはガソットに二人を預けると、すぐに街へと出て行った。

 

 ガソットは専用のドックにトラニティとジードを移すと、ぶつくさ独り言を言いながら、早速作業に取り掛かる。

 

「あちゃあ。本当に全身がこっぴどくやられちまってらあ。凄まじいな。こりゃほとんど全部とっかえる必要があるかねえ」

 

 手元のチェックリストを眺めながら、全身各所のパーツを一つ一つつぶさに点検していく。

 胸の、人間で言うと心臓辺りを見つめたガソットは言った。

 

「あらら。二人とも、CPDまで壊れてら。まいったなあ。あれ、中央工場でしか取り扱ってないんだよな」

 

 CPD。

 数十年前から中央政府主導で導入された、画期的な動力炉補助パーツの名である。

 ナトゥラの思考回路とは独立した思考演算回路を持っているこのパーツは、動力炉の働きを適宜調節してそのパフォーマンスを高める。それだけでなく、ナトゥラの思考回路、特に反射を司る部分にアシストして、全体的な身体機能をも向上させるものだった。

 元々機動力の低い子供のチルオンにとっては、なくても大して違いのないものであるが、大人のアドゥラでは、CPDのあるなしでスペックに明確な差が現れる。

 そのため、機体更新をする際には、必ず取り付けることが義務付けられている法定パーツの一つでもあった。

 やむを得ない事由を除き、これを取り付けていないナトゥラは、旧式のものとしてすべからく処分対象となる。

 

「ちっとパフォーマンスは下がるが……まあとりあえず動けばいいなら、少しの間はなくても問題ないやな。壊れたのが悪さしてもいけないから、一時的に取り外してしまうか」

 

 ガソットはそう結論付けると、トラニティとジードからCPDを取り外して、修理の作業を続けた。

 

 

 ***

 

 

 一方その頃。

 リルナは、ユウが中央管理塔に侵入したという知らせをステアゴルから聞いていた。

 彼女は静かに憤りを燃やしていた。

 

「舐めた真似を」

 

 念のため警備を割り当ててはいたが、まさか本当に中枢に忍び込もうという馬鹿が存在するとは思わなかった。

 お前が来てから、前代未聞の事件ばかりだぞ。

 だが――。

 

「調子に乗り過ぎたな。今度こそ逃げ場はない。殺す。確実に殺す」

 

 彼女はそびえ立つ塔を睨み付けると、そこへ向けてアクセルを全開に踏み込んだ。



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29「Sneak into Central Tower 3」

 女のままではまともに戦えない。

 即座に男に変身して、身体能力強化をかける。

 姿が変わったことに対する動揺は、彼には一切なかった。

 

「リルナから聞いてるぜ! 変身するんだってなあ!」

 

 繰り出される拳を、すんでのところでスウェーによってかわす。

 ブンッ! と豪快な音が鳴り、空気を揺るがした。

 ぞっとするような迫力だ。こんなもの食らったら、確実にぺしゃんこになるぞ。

 かすっても身体の一部がごっそり持っていかれる。絶対に当たらないように立ち回らないと。

 だがもたもた勝負している時間はない。リルナが来る前に一刻も早くこの場を離れなければ。

 しかもだ。その前にセキュリティ管理室に侵入して目的を果たす必要がある。まだどうやって入り込めばいいかもわからないっていうのに。

 この難題をどう解決すればいい? 考えろ。

 ステアゴルが右拳を振り下ろす。

 後ろに飛び退いてかわすと、再び衝撃音が轟き、床に大きな穴が空いた。

 粉々に破壊された床の破片が四散し、頬にぶつかってくる。

 床が跡形もなく粉々になるほどの威力。パワーだけならリルナも凌ぐかもしれない。

 だけど……なんだろう。

 しっかりと破壊のシーンをこの目で捉えてみると、少し不思議だった。

 普通、硬いものを殴って割るだけなら、一つ一つの破片はもう少し大きめに割れるはず。

 たった一度殴っただけで、すべてが小さなつぶてになるほど粉々になってしまうものだろうか。

 

 ――もしや、あの明らかに太い右腕は、それ自体が特殊な武器になっているのか?

 

 あれで殴ったものは粉々に破壊できるような武器だとしたら、簡単に説明がつく。

 ちょっと探りを入れてみるか。

 

「大した武器(・・)だな」

 

 ステアゴルは、愉快な顔で答えてくれた。

 

「はっはっは! おうよ! オレ自慢のパワーアームは、触れたものすべてを跡形もなく破壊する! お前もこいつの錆にしてやるぜ!」

 

 重要な情報提供ありがとう。単純な奴で助かったよ。どこか憎めない奴だな。

 おかげで良い案が浮かんだ。この状況を突破できそうな手が。

 たしかエデルのときも、決め手はそんな感じだったっけ。

 あとの問題は、手持ちのカードでいかにあいつを誘導するかだ。

 そこで、自分の中にいる「私」に尋ねた。

 

『《パストライヴ》は、まだ使えそうか?』

『かなり負荷はかかるけど……あと二回までならどうにか私が抑える。それ以上は無事の保証ができないからやめて』

『十分だ。こんな作戦でいこうと思うんだけど』

 

「私」に考えを伝えた。

「私」と俺の心は互いに開かれているから、考えを読み取るのはお互い一瞬でできる。

 

『うん。いいね。その作戦、乗った』

『じゃあ俺は中で技の準備をするから、少しの間だけ身体の操作を頼む』

『任せて』

 

 

 ***

 

 

 ユウと入れ替わりで表の世界に出てきた私は、すぐさま腰のホルスターから銃を抜き、六連射で弾丸を放つ。

 彼の胸、頭、手足を正確に狙ったそれは、しかし彼の機体に容易く弾かれてしまった。

 

「そんなヘボい銃弾なんざ、オレにゃあ効くかよっ!」

 

 構わず続けて撃ち込むも、彼の巨体はそんなものなど物ともせずに迫ってくる。

 やっぱりダメか……。私じゃまともに戦うには力不足みたい。

 でも、ユウのサポートなら私にだってできる。

 ステアゴルの巨体から繰り出される攻撃を、横にステップしてかわす。

 動きが落ちてるから、男のときみたいには簡単にはかわせない。

 かなりギリギリになり、拳は髪の近くを掠めていった。

 

「おらおら! 逃げてばかりか! じきに隊長さんも来るぜ!」

 

 再び右拳が、振り下ろしの角度で迫る。

 もちろん逃げてばかりなんてつもりはない。このときを待っていた。

 私は姿勢を低くして素早く彼の懐に潜り込むと、彼の身体に触れた。

 

 飛んで!

 

《パストライヴ》

 

 全身を浮遊感が包み――。

 

 次の瞬間。

 

 私とそしてステアゴル(・・・・・)は、宙に浮かぶポラミット製の箱の上にいた。

 

「ああっ!?」

 

 突然のことに動揺する彼。振り下ろした腕は、まだ止まっていない。

 このままではもうすぐ私に当たってしまう。

 でも、私の役目はここでおしまい。

 

 

 ***

 

 

 外の様子を『心の世界』で観察していた俺は、思い通りの結果に満足していた。

 上手くいった。予想通りだ。

《パストライヴ》を使えばこうなるだろうことは、ある程度予想が付いていた。

 だって、もし誰かが触れた状態であっても、ワープをすれば一人だけで飛べるなら。

 リルナがデビッドに組み付かれたとき、単に《パストライヴ》を使って逃れればよかっただけの話。

 なのにそれをしなかったということは、つまりそれはできないということ。

 どうしてか。

 組み付かれただけで使えなくなるというのは考えにくいから、使っても意味がないと考えるべきだろう。

 すなわち、《パストライヴ》には――使用時に使用者に触れている者も巻き込んで、一緒に飛ばしてしまう性質がある。

 デビッドの命懸けの行為が教えてくれた情報だ。役に立たせてもらうよ。

 

『サンキュー。交代だ』

『うん』

 

 

 ***

 

 

「私」の代わりに瞬時にして現れる俺。

 しかも、既に右手の気剣に最大限のエネルギーを込めた状態だ。

 もう一瞬で当たる位置に入っている。こっちの方が早い。

 

 くらえ!

 

《センクレイズ》

 

 まずは彼が確実に抵抗できなくなるよう、動力炉のある胸部を斬り付ける。

『心の世界』でしっかり溜めた、威力最大の《センクレイズ》だ。いくらこの世界ではかなりパワーが落ちているからと言っても、バリアでも持ち出されない限り、銃弾みたいに容易く弾けるものではない。

 

「がはっ!?」

 

 狙い通り、胸部は深々と斬り裂かれた。

 これでほぼ戦いには勝ったわけだが。

 まだだ。肝心なことが残っている。

 同時に空いている左手で彼の右腕、その根元を掴み、投げ下ろしの体勢に入る。

 ここまですべて一瞬の出来事だ。

 彼はまったく対応できていないが、狙いには気付いたらしい。

 

「おまっ!?」

「そのまさかだ」

 

 お前自身の意志で発動させた、右腕の破壊機能。

 

 この分厚い金属の檻を破るのに利用させてもらう!

 

 インパクトの瞬間、ステアゴルの右拳を中心に、強烈な破壊が巻き起こる。

 その瞬間に手を離し、巨体と破壊の板挟みになって押し潰されぬよう、二度目の《パストライヴ》を使って脇に逃れた。

《パストライヴ》の反動で身体がふらつくが、何とか持ちこたえる。

 

 前方を見ると、俺にはどうやっても難しそうだったこと――。

 箱に穴を開けるという目的は、彼の持つ目を見張る破壊力によって、見事に達成されていた。

 エデルのときもそうだったけど、敵側に防壁を破れる攻撃力の持ち主がいたのは幸運だった。

 空いた穴から箱の最上階、216Fに飛び降りる。

 そこには、巨体を大の字にして、金属の瓦礫の上で倒れているステアゴルがいた。

 彼は俺の姿を認めると、豪快に笑った。

 

「がはははは! 気持ち良いくらいにしてやられたぜ! ぴくりとも動けねえ!」

「悪いな。利用させてもらった」

「やるじゃねえか。オレの負けだ。さすが隊長と渡り合うだけのことはあるな」

 

 彼は悔しがることも恨むことも一切せずに、俺のことを素直に認めたのだった。

 声はうるさいけど、さっきから裏表のない気持ちの良い奴だなと思う。敵でなければよかったな。

 

「時間がない。先に進ませてもらうよ」

「おっと。待ちなあ!」

「なんだ。 ――!?」

 

 呼ばれて振り返った瞬間だった。

 突然、身体に力が入らなくなる。

 

 う、なんだ……? 急に眠気が……。

 

 突然襲ってきた強烈な眠気に耐え切れず、その場にがくんと膝を付いてしまう。

 まさか、《パストライヴ》を使った反動が響いているのか。

 

 いや違う。だとしたら、眠気のはずがない。

 

 これは――!

 

 ステアゴルは、挑発的に笑った。

 

「確かに俺の負けだ。だけどよ。へっへ。相手がこのオレだけだと思っていたら、大間違いだぜ」

「な、に……!?」

 

 何か、されたのか……!?

 

「がはは! この勝負、オレたち(・・・・)の勝ちだ、ぜ……」

 

 ステアゴルはそれだけ言い切ると、満足そうに気絶してしまった。

 

 オレたち、だと。他に、誰かいるのか……!?

 

 膝立ちの体勢も維持できなくなり、とうとううつ伏せに倒れてしまう。

 ますます眠気は強烈なものとなって、この身に襲い掛かる。

 身体に力が入らない。

 

 そのとき、確かに別の誰かが近づいてくる足音が聞こえた。

 

 しまった。やられたのは……俺の方か……!

 

 戦いに気を取られている隙に。

 

 くっ、そいつに何かを……されてしまった、らしい。

 

 意識が朦朧としてくる。

 

『ユウ! しっかりして! ユウ!』

 

 くそ。こんなところで、くたばるわけには……。

 

 ダメだ。意識……が……もた、ない……。

 

『頼む……』

『ユウ!』

 

 

 ***

 

 

 間もなく、倒れているユウの前に、一人の人物が歩み寄って来た。

 艶やかな緑色の髪をした女性。名をブリンダという。

 ディーレバッツの中でも、ガス兵器を利用した絡め手を得意とする隊員だった。

 彼女はユウの側まで寄ると、散々自分たちを手こずらせた男の顔をまじまじと眺め、ほくそ笑んだ。

 

「うふふ。あら、可愛い子。すっかり眠っているわ。知らぬうちにわたくしの強力な催眠ガスを吸ったのだから、当然ですけど」

 

 本作戦のパートナー、今は満足に力尽きている彼を、労いを込めて見やる。

 

「ステアゴルは、良い目くらましになってくれたわね」

 

 彼女はユウの顔を掴み、彼のさらさらした黒髪を撫でた。

 

「リルナの手を煩わせることもなかったわね。後でこいつに仲間の居場所を吐き出させてやりましょう。死よりも苦しい拷問を与えてやるわ」

 

 そのときブリンダは、当然のように勝利を確信し、完全に油断し切っていた。

 

 ――ゆえに。

 

 倒れていたはずのユウが変身して動き出したとき。

 致命的に反応が遅れてしまった。

 

 女のユウは、起き上がりざまに、ブリンダの顔へ一発拳を入れた。

 のけぞる彼女の身体を取ってくるりと回し、後ろから羽交い絞めにする。

 鮮やかな手際だった。

 

 

 ***

 

 

 私だけでまともに戦えば怪しかったから、気絶しているふりをして奇襲をかけるっていうずるい手を使わせてもらったけど。上手くいったみたい。

 

 ぎりぎりとブリンダをきつく締め上げながら、私は問いかける。

 

「あなただったのね。ユウを眠らせてくれたのは」

「くっ……あなた、なぜ動けるの!?」

「残念。私には届かなかったの」

 

 私の精神と肉体は、この現実世界においては普段ユウのものとシンクロしているけど、本来はユウとは別個にあるもの。

 だからなのか知らないけど、とにかく催眠ガスの影響は私にはなかった。

 そしてユウが気絶してしまったから、私が一時的に表に出て来られるようになってしまったみたい。

 

「あり得ない! あのガスを吸って……! あなた、本当にヒュミテなの!?」

「さあね。調子に乗って生け捕りにしようとしなければ、勝っていたのはあなたの方だったのに」

「ぐ……!」

「詰めが甘かったね」

 

 そのまま強引に引き倒すと、腰から銃を抜き、うつ伏せになった彼女の動力炉を背中から撃ち抜いた。

 さらに止めとばかり、四肢にも追加で銃弾をしこたま撃ち込む。

 これで完全に動けなくなった彼女は、ショックで気絶したようだ。

 

「ふう。初めて銃がまともに役に立った」

 

 緊急セキュリティ管理室はこの下にある。

 急がないと。リルナが来る前に。

 私は胸に手を当てて、まだ静かに眠っているユウに呼びかけた。

 

『ユウ。あなたが起きるまで、しばらく私が頑張るからね』



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30「Sneak into Central Tower 4」

 箱の内部は特にこれといった障壁はなく、すんなりと緊急セキュリティシステム管理室に辿り着くことができた。

 そこには端末を始めとして、様々な機械類やコードがフロア一面に所狭しと並んでいた。

 私には、端末からシステムに侵入して、セキュリティを解除するなんて高度な真似はできない。それにもし仮にできたとしても、後から簡単にセキュリティをかけ直されてしまうだろう。

 ここはテールボムを使って、この部屋ごと物理的に破壊してしまうのが良いと思う。

 一般システムまで壊してしまうと、町の機能に影響が出て住民に迷惑になってしまう。だからあくまで、緊急セキュリティを管理しているこの二フロアだけ爆破する。

 ちょうどテールボムは二個だけある。

 

 これでよし、と。

 

 テールボムを設置したら、急いで離れる。

 箱の上まで戻ったところで起動させると、下で爆音が響いた。

 直後、けたたましいサイレンが鳴り出す。

 

 これで目的は達成。あとは帰るだけだけど――そう簡単にはいかないでしょうね。

 

 箱の淵から、遥か下の地面を見下ろす。リュートが下から健気に手を振っているのが見えた。

 行きはワープで来たからいいけど、帰りはどうしようかな。

 飛び下りるには……ちょっと高過ぎるよね。

 男の状態なら骨折くらいで済むかもしれないけど、私ならきっと死んじゃう。

 

 ――そうね。ワイヤー装置を使えば大丈夫か。

 

 箱にフックを引っ掛け、ワイヤーを伸ばして手早く下りていく。

 床まで下りたところで、リュートが近寄って来た。

 

「やったじゃん! ユウ」

「急いで帰るよ。リルナが来る前に。そこの穴を使おう」

 

 ステアゴルが床に空けた大穴を指差した。

 リュートと一緒に、穴から飛び下りて近道をする。

 着地地点の近くには、ディークランと思われる者が三人やってきていた。

 彼らが銃を構えるより先に、私は銃を抜いて彼らの胸部を正確に撃ち抜いた。

 動力炉をやられた彼らは、倒れて動けなくなった。

 立ち止まらず、エレベーターのあるところまでひた走る。

 緊急セキュリティシステムを破壊したおかげなのか、ここのエレベーターはまだ刑務所のようには遮断されずに動いているようだった。

 すぐに乗り込んで1Fのボタンを押すと、エレベーターは下へ向けて滑らかに動き始めた。

 このまま無事に下まで着いてくれればいいけど……。

 

 

 ***

 

 

 ユウとリュートがエレベーターに乗った時点から、遡ることほんの少し。

 リルナの乗ったオープンカーは、中央管理塔の屋上300Fに着陸した。

 中央区の一部は通常、車両は立ち入り禁止なのであるが、リルナの持つ車は特別に許可を得ている。

 車体から飛び出したリルナを、ディークランの隊員が出迎えた。

 

「侵入者は下にいます。現在、システム管理エリアにて、ステアゴルさんとブリンダさんが交戦しているところです」

「そうか。すぐに向かう」

 

 リルナはモードを切り替える。

 

「戦闘モード。バスタートライヴモードに移行」

「では、こちらのエレベーターで――」

「必要ない。それより、直ちにすべての逃げ道を塞げ。いいな」

 

 リルナは即座に《パストライヴ》を使用した。

 床の存在を無視して、一瞬にして数階下へとワープする。それを数回繰り返して、220F――システム管理エリアにまですぐに辿り着いてしまった。

 吹き抜けを落下していく彼女の目に映ったのは、上部が破れたポラミットの箱。

 それから、箱に空いた大穴の下で、既にユウにやられてしまっていた二人の姿だった。

 彼女にさほど驚きはなかった。自分とあれほど渡り合ったユウならば、やりかねない。

 普通のヒュミテとはまるで違うユウの実力を、彼女が過小評価することはもうなかった。

 

「ステアゴル……ブリンダ……」

 

 その身を案じながら静かに二人の名を呟き、再び《パストライヴ》を使う。

 201Fの床に着地した。そのとき、ちょうど通信で連絡が入る。

 

『リルナさん。現在、侵入者はエレベーターに向かっています。そこで閉じ込めてやりますよ!』

『了解した』

 

「逃がさない」

 

 リルナの透き通るように青い瞳が、激しい怒りで塗りつぶされた。

 

 

 ***

 

 

 エレベーターが止まった……。

 やっぱりそう簡単にはいかないか。

 

「どうしよう。閉じ込められちゃったよ」

 

 オロオロするリュートに、私も焦る気持ちをどうにか押し込めつつ言った。

 

「仕方ないよ。エレベーターで急いだんだから、こうなるリスクは覚悟の上。手を繋いで」

 

 手を伸ばして、彼に取るように促す。自分は行先を念じながら。

 これで使うのは四度目。

 かなり危ないけど、そんなこと言ってる場合じゃないのはわかっ――!?

 瞬間、ぞくりと寒気がした。

 真上の方から、恐ろしいまでの殺意を感じる。

 この冷たい殺気は、間違いなくリルナのもの!

 

「早く! 急いで!」

 

 リュートが慌てて手を触れる。

 即座に《パストライヴ》を使って、エレベーターから脱出した。

 

 

 ***

 

 

 それから、わずか数秒後のことだった。

 ユウとリュートの乗っていたエレベーターを、突如として光刃が刺し貫いたのは。

 内部に瞬間移動したリルナの《インクリア》による攻撃だった。

 何も斬れなかった空虚な手応えに少々イラつきを抱きつつ、深々と底に突き刺さった水色の刃を静かに引き抜いて、彼女は独り言ちた。

 

「逃げたな。どこへ消えた」

 

 目の前を鬼の形相で睨み付けた彼女が刃を振るうと、エレベーターのドアも壁も、まるで薄い紙切れのように容易く斬り裂かれてしまった。

 

「殺してやる」

 

 開いた切れ目から、彼女は神速の勢いで飛び出した。

 

 

 ***

 

 

「うっ! げほっ!」

 

 きつい――!

 

 どうにか数階下の廊下へとワープに成功した私は、だがその場にうずくまって、激しく吐血していた。

 あまり間を置かずの四度に渡る使用は、『心の世界』を危険なレベルで活性化させてしまっていた。

 度を超えた力の使用は、心身に痛烈なダメージとなって跳ね返ってくる。

 でも、お願い。私の身体、今だけは動いて!

 

「どうしたの? しっかりして!」

 

 事情のわからないリュートは、突然苦しみ出したようにしか見えない私を気遣って、優しく背中をさすってくれる。

 申し訳ないと思いつつ、説明する時間はなくて。

 すぐにでもリルナが来る。この場から一刻も早く離れないといけない。

 ふらつく身体をどうにか起こし、彼に顔を向けた。

 もう笑顔を見せる余裕すらない。

 

「ごめん。逃げるよ!」

 

 リュートとともに廊下を全力で駆けて行く。

 階段へ繋がる道は、どこもポラミット製のシャッターで封鎖されてしまっていた。

 まずい。今はユウが眠っているから、男になれない。あのシャッターは手の出しようがない。

 完全に逃げ道を塞がれてる……!

 それに、凄まじい速さでリルナが迫ってきてる!

 このままじゃすぐに追いつかれてしまう。

 今は戦うことさえできないのに! 見つかったら確実に殺されてしまう!

 

 何かないの!? 何か!?

 

 走りつつ、ウェストポーチから必死にミックの発明品を探る。

 缶タイプの瞬間煙幕発生装置《けむりくん》を探り当てて、取り出した瞬間――。

 

 リルナが、目の前にワープで現れた。

 

「見つけたぞ!」

「うわあああっー! むぐっ」

 

 恐怖でたまらず叫び出したリュートの口を押え、《けむりくん》を開けて放り出す。

 瞬間、爆発的な勢いで濃厚な白い煙が広がった。

 

 今のうちに少しでも遠くへ!

 

 私はリュートの手を引いてリルナに背を向け、とにかく走った。

 

 

 ***

 

 

 文字通り煙に巻かれたリルナには、しかし動揺はなかった。

 

「小賢しい真似を――死ね」

 

《フレイザー》

 

 敵がどこにいようとも有効打になり得る、光弾による全方位射撃を繰り出す。

 全身から発射される青い光弾が、周囲を瞬く間に蜂の巣にしていく。

 間もなく命中したのか、子供の呻き声が小さく聞こえた。

《けむりくん》が作り出した煙は、すぐに塔の換気扇によって排除されていった。

 徐々に晴れ上がる視界の中、リルナは二人の姿がまたしても消えてしまったことを認める。

 

「また消えた。いや――」

 

 彼女は、完全にクリアになった周囲を見回して頷いた。

 

「この短時間でそう遠くに逃げられるはずもない。転移したか、あるいは――どこかに身を隠したな」

 

 通常、転移は短時間にそう何度も使えるものではない。

 おそらく後者だろうと踏んだリルナは、拳に力を込める。

 一応前者の可能性も考慮して、通信で総員に侵入者を見つけ出せと通達しておく。

 そして自身は、一番近くの部屋のドアから開いていき、中に獲物が隠れていないかを確認し始めた。



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31「Sneak into Central Tower 5」

 私たちは、《けむりくん》を使うとすぐにリルナから背を向けて必死に走った。

 でも逃げる途中、後ろからおびただしい数の光弾が飛んできて――。

 私は何とか避け切ったけど、リュートが――。

 よりによって、リュートの頭部に攻撃が当たってしまったの。

 うめき声を上げて倒れるリュート。私は一気に血の気が引いた。

 すぐに駆け寄って小さく声をかける。

 当たり所が良かったのだろうか。幸いにも彼は即死だけは免れていた。辛うじて意識がある。

 命があって本当によかった……!

 ひとまず胸を撫で下ろすも、喜んでなんていられない。

 頭部へのダメージは、一見して明らかに重大だった。

 だってリュートの頭には、決して小さくはない穴が空いていたのだから!

 彼の意識は朦朧としていた。一刻も早く連れ帰って修理しなければ、いつ本当に死んでしまってもおかしくない。

 しかもそれどころじゃない。現在進行形で命の危機が迫っている!

 私はリュートを背負い上げた。

 さすがにもうこれ以上《パストライヴ》は使えない。使ったら最後、今度こそその場から動けなくなってしまうでしょう。

 かと言って、このまま走って逃げたところで、絶対にリルナに追いつかれてしまう。

 いったんどこかの部屋に身を隠してやり過ごすしか――。

 

 焦る私の目に付いたのは、前方にあるロッカー室だった。

 

 時間がない。とりあえずこの部屋に入ろう!

 

 カードキーを取り出し、背負っているリュートの指をとって指認証の穴に差し込みつつ、スロットにカードを通す。

 ドアが開くと、たくさんのロッカーが並んでいるのが目に入った。

 一つ一つのロッカーはさほど大きくはないけれど、身を縮めれば何とか二人で隠れることができそう。

 私は奥の方にあるロッカーを一つ選んだ。

 リュートを後ろから抱きかかえる形で入り込み、ロッカーのドアを閉めて身を隠す。

 

 リュートの小さな身体は、震えていた。

 死の恐怖が迫っているのだから、無理もない。

 少しでも恐怖を和らげてあげたくて。

 私は彼をぴったり抱き寄せて、損傷のない頬をずっと撫でていた。

 息を潜めていると、やがて彼は弱々しく口を開いた。

 今にも遠くへ行ってしまいそうな、そんな儚い声で。

 彼は詫びてきたの。

 

「ごめん。結局……足引っ張っちゃったよ。ごめんね……」

「謝ることなんてないよ。リュートはいっぱい役に立ってくれてるもの」

 

 これは本心からの気持ち。ユウも同じことを感じていたよ。

 リュートがいなかったら、ここまで上がってくることは絶対にできなかったと思う。

 

「だから、そんなことなんて言わなくたっていいの」

 

 リュートはほんの少しだけ頬を緩めた。

 でもそれも一瞬だけで、また不安と恐怖に包まれた顔に戻ってしまう。

 

「ねえ、ユウ……。オイラ、死ぬのかな……。こわいよ……」

「大丈夫。大丈夫だよ。私が絶対に助けるから……!」

 

 彼の顔を胸に寄せ、ぎゅっと抱え込む。

 恐怖に飲み込まれそうになっている彼の心が、身体の震えを通して伝わってくる。

 それでもあやすように優しく包み込んでいると、やがて少しだけ落ち着いてくれた。

 

「ユウ……あったかい……」

 

 このままやり過ごせればと期待しかけた、そのとき。

 

 ドアの開く音がした。

 

「この部屋か」

 

 鬼気迫るリルナの声が聞こえる。

 緊張は一気に高まる。

 じっと息を殺して、彼女が立ち去ってくれることを祈った。

 だが、現実は非情だった。

 

 カツ、カツ。

 

 密閉された空間。

 ほとんど何も見えない中、彼女がこちらへ歩いてくる足音だけがいやに聞こえてくる。

 

 そして、間もなく――。

 

 カチャン。

 

 静かに、ロッカーの開く音がした。

 

 ――カチャン。

 

 ロッカーの扉が閉まる。

 

 カツ、カツ。

 

 また、リルナの足が床を弾く音だけが伝わってくる。

 

 カチャン。

 

 再び、ロッカーの開く音がした。

 

 私は戦慄した。

 まずい。リルナは、この部屋を詳しく調べる気みたい。

 

 カチャン。カチャン。

 カツ、カツ。

 カチャン。カチャン。

 カツ、カツ。

 

 リルナが一つ一つのロッカーを開け閉めしていく音と、彼女の無機質な足音だけが。

 息苦しい沈黙に包まれた密閉空間、その扉の向こうから、淡々と響いてきた。

 音は少しずつ、だが着実に大きくなってきている。

 こちらに迫ってきている。

 わかっていても、私にはどうすることもできなかった。

 

 この場で飛び出せば、間違いなく死が待っている。

 かと言って、このままここにいても――!

 

 心臓は早鐘のように鳴り、全身からどっと嫌な汗が噴き出してきた。

 リュートも、着実に迫りつつある死の恐怖に、声もなく身体を震わせている。

 

 ユウはまだ眠ってる。戦う手段は皆無。

 

 ダメ。このままじゃ見つかっちゃう!

 

 見つかったら最後だよ。今度こそ絶対に殺される。

 

 すると。

 彼女の放つ殺意が、なお突き刺すように強まった気がした――。

 

 次の瞬間――。

 

 ザシュッ!

 

 明らかに、ロッカーを開ける音ではなかった。

 

 冷徹かつ残酷に、刃物が突き刺さる音。

 

 リュートの震えが、ますます強くなる。

 私まで、ぞっと恐怖が込み上げてきた。

 二人でぎゅっと身を寄せ合って、ただじっと息を潜める。

 

 カツカツ。ザシュッ!

 カツカツ。ザシュッ!

 

 息の詰まる静寂の中、足音が次第に早まっていく。

 それに伴って、ロッカーを一つ一つ刃で刺し貫く音が、繰り返し聞こえてくる。

 まるで、死へのカウントを刻んでいるように思われた。

 一つ刃音が近づくたび、この身を刺されたように心臓が飛び上がる。

 

 すぐ近くまで来てる。そろそろ私たちのいる場所よ。

 

 もうダメ! 殺される!

 

 私たちは、いよいよ死を覚悟した。

 このまま黙って殺されるくらいなら。

 リュートを連れて、外へ飛び出す決意を固める。

 

 いざとなったら、私は死んだっていい。

 無理矢理でも魔法を使って、せめてこの子だけは安全な場所へ――!

 

 ……この世界で使えば、間違いなく一瞬で身も心もいかれてしまう。

 どんな世界でも魔法を使用可能にしてしまう。レンクスの壊れ能力を使っても!

 

【反逆】《魔力許容性限界と――

 

 そのときだった。

 

 遠くで、大きな爆発音が聞こえたの。

 

 私たちの隠れているロッカーの正面から、リルナの怒声が聞こえた。

 

「今の音は――向こうか!」

 

 彼女が、猛然と走り去っていく足音が聞こえた。

 後には、緊張から解き放たれた静けさだけが残った。

 目下の危機が去ったことを理解した私は、その場でぺたりと力が抜けてしまった。

 ロッカーの壁に力なく背中を預けて、はあはあと切れた息を整える。

 

 危なかった。

 何があったのかは知らないけど、助かった……。

 

 ほっとしたところでリュートを見ると、彼はもう意識がなくなっていた。

 すぐに気が引き締まる。

 早く連れ帰ってあげないと。いつ手遅れになるかわからない。

 でも、しばらくここで待つしかない。心底歯痒かった。

 気を使えるユウが起きてくれないと、出たところでどうしようもないもの。

 

 ねえユウ。早く起きて――。

 

 祈るような想いで胸に手を添えていると。

 音量を下げていた無線から、ごく小さめの声が聞こえてきた。

 アスティからだった。

 

『ユウちゃん。聞こえる?』

『アスティ。聞こえるよ』

『状況はどうなってるの?』

『セキュリティは解除したよ。今は逃げているところ』

『やっぱり! セキュリティ解除感謝します。おかげでテオは、無事地下に逃げられたよ』

『そう。それはよかった』

『あたしたちも一緒に逃げてもよかったけどね。あなたたちだけは絶対に助けるってことで、意見が一致したの』

『ほんと……?』

『もちろん。誰が見捨てるものですか』

 

 不安ばかりの今、泣きそうなほど嬉しい言葉だった。

 ほんとみんな、仲間想いなんだから。

 

『テオの護衛も要るから、全員じゃないけどね。でも、横にラスラねえとロレンツもいるよ!』

『ありがとう――あのね。リュートがかなりひどい故障を負っていて、危ないの』

『まあ、それは大変! 早く助けなくちゃ!』

 

 そこでラスラが通信を代わった。

 彼女は、らしい力強い口調で簡潔に言ってきた。

 

『ユウ! なんとかしてその建物から出ろ! いいな! そこからの逃走ルートは考えてある!』

 

 ロレンツも少しだけ代わった。

 彼もおふざけなしの真面目モードだった。

 

『ロレンツだ。借りを作りっぱなしってのは性に合わねえ。俺もささやかながら力になるぜ』

『うん。助かるよ』

『もしもーし。こちらアスティ。てことで、難しいと思うけど、とにかく管理塔から出てね。あたしたちもできることはするから』

『わかった。ところで、さっきの爆発はあなたたち?』

『そう。あたしがドカンと一発、陽動の援護射撃かましてあげた音よ。レミちゃんがあなたの位置を探ってくれたからね。効果はあったかしら?』

『てき面だよ。本当に助かった』

『よかった。あたしの腕もまだ捨てたものじゃないねー。じゃ、無事を祈ってるわ』

『ええ。そっちこそね』

 

 通信を切った。みんなの声を聞いて、少しだけ心の余裕が戻っていた。

 味方がいるというのは、本当に心強いなって改めて思う。

 私一人だけだったら、きっとさっきの時点で終わっていた。

 

 あとは、ユウが起きてくれれば――。

 

 意識を集中して、『心の世界』で眠っているユウに『起きて』と必死に呼びかけ続ける。

 やがて想いが通じたのだろうか。ユウはやっと目を覚ましてくれた。

 

『う――ここは――』

『ユウ! やっと気が付いたね』

『今の状況はどうなってる。情報を共有させてくれ』

『わかった』

 

 私は心を開き、ユウが気を失ってからの情報を伝えた。

 ユウはすぐに私の心を読み取り、予想通りの辛い顔をしてる。

 

『そうか……そんなことに。ごめん。俺が不甲斐ないせいで』

『あなただけが責任を感じる必要はないよ。不甲斐ないのは私も一緒。私たちは二人で一人。苦しさも責任も半分こだから』

『そうだね。でも、ありがとう。俺が眠っている間、代わりに色々と頑張ってくれて』

『いいの。当然よ。私はあなたを支えるのが仕事だもの』

『君にはいつも助けられてるよ。そうだな……。起きてしまったことをくよくよしても仕方ないよね』

 

 ユウは後悔するよりも、決意を固めてくれたようだった。

 

『まだリュートは辛うじて生きている。急げばきっと間に合うはずだ』

『うん。絶対に間に合わせよう』

『よし。リルナが戻ってくる前に、ここから脱出しよう』

『そうだね。首尾はどうする?』

『変身した瞬間に位置を感知されるから、ぎりぎりまで女で行ってから、シャッターの前で変身。そこからはスピード勝負になる』

『急がないと、だね』

『時折女になって気配を消すことで、位置情報を誤魔化そう。力を貸してくれ』

『もちろん。私はいつでもあなたの力になるよ』

 

 こんなときだからこそ、あえて暗い顔をしないで。

 両腕を開き、ユウを招き寄せる。

 

『おいで。一つになろう』

『ああ』

 

 私はいつものように、ユウを受け入れて――。

 

 隣で支えていく。

 

 

 ***

 

 

「私」と一つになり、現実世界に戻った私は。

 ロッカーから抜け出して、リュートをしっかりと背負った。

 時折小さくうなされる彼に、そっと声をかける。

 

「リュート。もう少し頑張ってね」

 

 部屋を出て、階段の前に下ろされたシャッターの前まで走って行く。

 目の前まで来たところで、男に変身してすぐに技を使った。

 

《気断掌》

 

 生命波動の衝撃により、シャッターはめくれるようにこじ開けられた。

 休む間もなく穴をくぐって、全速力で階段を下りていく。

 すぐに、リルナが遠くから恐ろしい速さで迫ってくるのがわかった。

 なぜかと言えば、殺気がひしひしと伝わってくるからだ。

 もはやここまで来ると、殺気というよりは、殺意を伴う強い感情の塊そのものだった。

 それが俺の心へずっしりと、直に伝わってくる。

 

 そのとき、俺はふと気付いた。

 これまで何度も感じてきた殺気、殺意というものの正体がはっきりわかった気がした。

 殺気とは言うけれど、漫画やアニメじゃないんだ。

 ナトゥラが気を持っているわけではない以上、そんなものは普通、気を読む力などでは読めない。

 それなのに気配を読めてしまっているのは、どういうわけなのか。

 度重なる能力の使用によって『心の世界』が活性化しているせいで、その答えがようやく見えた。

 これもそうだった。相手の心、感情そのものだったんだ。

『心の世界』を通して、すべてではないにしろ、その一部が本当に伝わってきているみたいだ。

 これまで、何となく相手の心がわかることがあったけど。戦闘でも役に立つのか。

 

 さて。そんなことをゆっくり考えている暇もない。

 

 時々女に変身して、リルナにこちらの位置をわからないようにしつつ。

 無事100Fまでは辿り着いた。

 だがそこにはもう、大量の戦力が集められていた。

 ポラミット製のシャッターだけではない。ディークランの連中が固まって、完全に行く手を塞いでいたのだ。

 リルナはもうすぐそこまで迫ってきている。

 時間さえかければ、こいつらは難なく倒せるだろう。

 だがもたもたしている時間はない。まともに相手などしている場合ではない。

 ちらりとフロア案内を見ると、100Fには中央政府との連絡橋があるようだ。

 

 こうなったら一か八か、中央政府本部の方に突っ込んでみるか。

 

 追手を振り切りつつ、連絡橋までひた走る。

 出口から躍り出ると、靄のかかった空が広がり。

 直線通路が、ずっと向こうまで伸びていた。

 車が数台横並びで通れそうなほど幅は広く、まさに橋と呼ぶに相応しい立派なものだった。

 淵は人の高さに迫るほどのガードで覆われていて、誤ってナトゥラが落っこちないようになっている。

 先まで急ごう。

 

 前に向かって走り出したとき――。

 

 突然――。

 

 ピュン、と一筋の青い光が奔るのが、一瞬だけ見えた。

 

 やばい! 避け――

 

「うっ!」

 

 何かが胸を貫通していった感覚が、遅れてやってきた。

 激痛が走り、思わず胸を押さえてその場にうずくまってしまう。

 押さえた箇所を見下ろすと、服には穴が空いており、そこからじわりと血が滲んでいた。

 

 まずい! 撃たれた――!

 

 息がひどく苦しい。

 咄嗟の動きでどうにか心臓だけは避けたものの、片方の肺がやられてしまったようだ。

 

 そのとき、向こう側――。

 

 中央政府本部側の出口の奥から、何者かが現れた。

 近づくにつれ、はっきりする。右腕に大きな銃を装備した銀髪の男。

 彼はこちらへと歩み寄ると、辛うじて立ち上がった俺に冷たく声をかけてきた。

 

「ここで待っていれば、いずれやって来るだろうと踏んでいた。予想通りだったな」

「なに!? 誰だ、お前は?」

「これから死ぬお前に言っても、仕方ないとは思うが……。一応名乗っておくか」

 

 銀髪の男は、キザったらしくふっと笑った。

 

「プラトー。ディーレバッツの副隊長だ」

 

 副隊長だって!?

 だったら、マイナを撃ち殺したのはこいつか――!

 

 鋭く睨み付けたが、一切意に介していないようだった。

 俺は目の前の彼に対して、リルナとはまったく異質の強さ、脅威を感じていた。

 リルナが近接戦闘重視で堂々と殺しに来るタイプなら、こいつは不意を突いて敵を仕留める術に長けている。

 認識外からの攻撃というのは、対処しにくい。本当にタチが悪いのだ。

 

「さて……本来なら、もう一発頭にも撃ち込んで終わりにしてやるところだが――」

 

 プラトーは、含みのある笑みを放つ。

 

「今回は、華を持たせてやるとしよう」

 

 彼が俺の向こうへ目を向ける。

 

 その視線に、はっと振り返ると――。

 

「ようやく追い詰めたぞ。ユウ」

 

 二刀を構え、激しい憎悪を漲らせた目でこちらを射抜く、リルナがそこにいた――。



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32「Sneak into Central Tower 6」

「散々手こずらせてくれた。だが、お前の悪運もここで終わり――やっと殺せる」

 

 リルナはくすりと妖しげな笑みを浮かべた。

 しかしそれも一瞬のことで、すぐに顔を引き締めると、冷淡な口調で告げる。

 

「背負っているチルオンを置け」

「…………」

 

 俺はあえて無視した。

 今ここで動けないリュートを置いてしまうこと、それは彼を見捨てることと同じ。それだけはできない。

 そんな俺の気持ちを見透かすように、リルナは再度強い口調で催促する。

 

「今すぐ置け。そいつを始末するのはお前の後だ」

「それは、本当か?」

「子供を背負ったまま、無抵抗で斬られたいのか?」

「……わかった」

 

 リルナの言葉を信じることにした。

 ここまで彼女と向き合ってきた限り、彼女は下らない嘘を吐くタイプではない。

 ならば、少なくとも俺が戦っている間は、リュートの身は安全のはず。

 後ろのプラトーは油断ならないが――どの道、心苦しいが今の俺に選択肢はない。

 連絡橋の端まで歩き、そこにリュートを横たえた。

 その間、リルナはこちらを鋭い目で観察していたが、特に何もしては来なかった。

 プラトーは俺のやや後方、中央政府本部側に位置取って、逃げ道を防ぎながら控えている。

 再び橋の中央に戻り、左手から気剣を出して彼女と対峙する。

 その場に立っているだけで、身が凍えそうなほどの殺気と、逆に焦げ付くほどの激しい憎悪が突き刺さってくる。

 逃げ場がない。万事休すか――!

 

「これでもう邪魔はない。死んでもらう」

 

 リルナが消える。《パストライヴ》だ。

 速い動きに惑わされるな。無駄な動きをするな。

 防ぐべき攻撃は、俺を仕留めようとする一瞬。そこだけに集中しろ!

 来る! 右から!

 

 バチィィッ!

 

 捉えた方向へ剣を振り下ろすと、彼女の光刃と俺の気剣がぶつかり合って、激しい火花を散らす。

 息吐く間もなく、リルナは再び消えた。

 次の瞬間、既に真後ろから、食らえば即致命の横斬りが迫っていた。

 咄嗟に伏せることによって、辛うじてかわす。

 またリルナが消える。

 今度は体勢が崩れたところを、真上から一突きにしようとしていた。

 身を転がして、不格好ながらも回避――

 

 できない! 当た――

 

『交代!』

 

 私は自分の身体を表に出して、身体の位置を微妙に変更した。

 それにより、首を落とそうとしていた一撃を強引に避ける。

 私のままでいてはやられる。前回の反省から、すぐにユウを表に戻した。

 

「私」と交代で再び表に出た俺は、刃を振り切ったままの体勢で沈黙する彼女を警戒しながら、すぐさま距離を取った。

《パストライヴ》の前では、多少の間合いなど気休めにもならないことはわかっている。

 わかっているが、彼女から少しでも逃れようとせずにはいられなかったのだ。

 

「はあっ……! はあっ……!」

 

 死と隣り合わせの攻防で、息は激しく切れていた。

 片肺しか機能していないせいで、溺れているみたいに呼吸が苦しい。

 ここまで、ほんの少しの間だった。

 たったそれだけの間に、俺は何度死にかけた?

 改めてリルナの実力に戦慄していると。

 彼女は戦いで乱れた髪をかき上げつつ、ゆっくりとこちらへ振り返った。

 

「本当にしぶとい奴だ。まったく腹立たしいほどに」

「諦めだけは悪いんでね」

「そんな強がりも、二度と言えなくしてやろう」

 

 リルナが再び動き出す。

 そこからも、やはり防戦一方だった。

 こっちは一瞬一瞬、ただやられないようにするだけで精一杯だ。

 攻撃する隙などどこにも無いし、したところで何一つ効きやしない。

 ましてや、逃げる隙なんて一切なかった。

 当然だ。刑務所での戦いから、何一つ状況は変わっていないのだから。

 いや、むしろ連戦でこちらにダメージが溜まり、片肺までやられている分、余計に身体が追いつかなくなっている。

 この勝ち目のない戦いに巻き込まれた時点で、俺は詰んでいるのか。

 いや、まだ諦めるな。諦めたらおしまいなんだ! 考えろ!

 しかし、そう都合の良い手など簡単に浮かぶはずもなく。

 

 やがてリルナは、新しい攻撃に移った。

《パストライヴ》を使って至近距離まで迫ったところで、彼女の身体中あらゆる箇所から、銃口が飛び出したのだ。

 

 これは――リュートがやられた技だ!

 

 直後。全身の銃口から、雨あられと青い光弾が発射される。

 

 くそっ! 多過ぎてとても避け切れない! 気剣を盾にして防ぐしかない!

 

 剣を盾状に引き伸ばし、前に突き出して全力で防御に回る。

 どうにか攻撃を防ぐことはできているものの、あまりの弾の多さに、俺は防御に全意識を傾けざるを得なかった。

 それゆえ、ほんの一瞬だけ気付くのが遅れてしまったのだ。

 彼女がいつの間にか、また消えていたことに。

 

 はっ! いない!?

 

 どこに――

 

「その妙な武器――断たせてもらう」

 

 背後から、ぞくりと恐ろしい殺気を感じたとき。

 俺に残された選択肢は。

 ただ無我夢中で振り返り、剣を振るうことしかなかった。

 

「うおおおおおおおおおーーーー!」

 

《センクレイ――》!

 

 

 スパン――――

 

 

 永遠とも思える一瞬。

 

 何が起こったのか、始めはわからなかった――。

 

 

 ――ズシャッ!

 

 

 やや遅れて、初めて認識できたもの。

 

 それは――

 

 俺の左腕が――

 

 彼女の光刃によって、根元から綺麗に斬り落とされ。

 

 地面に転がり落ちる音だった。

 

 

「うあああああああああああああああああーーーーーーーっ!」

 

 

 左腕の。付け根から、どんどん血が出て――!

 くそ! 止まらない!

 

「これでもう満足に戦えない」

 

 リルナ――!

 ちくしょう! 利き腕を持っていかれた!

 

『ユウ! 落ち着いて! パニックになっちゃダメ!』

『はっ!?』

『気をコントロールして、血を止めて! 早く! ほんとに死んじゃうよ!』

 

 そうだ。そうだよ。落ち着け!

 

「私」の一声で何とか持ち直した俺は、失った腕の付け根に意識を集中させて、懸命に止血を図った。

 だが既に失った血の量が多い。

 生命力の強さに依存する気力強化は、この生命の危機にあって、次第に効果が薄れてきていた。

 全身から戦う力が失われ始めている。

 

「勝負あったな」

 

 もはや《パストライヴ》を使う必要もないと判断したのか。

 リルナは堂々と歩いてこちらに向かってきた。

 俺の顔を見つめ、少しだけ思案する素振りを見せた後、刃を突き立てる。

 心臓を正確に狙っている。

 

 死んでたまるか!

 

 俺は諦めが悪かった。

 懸命に身体を動かし、横に飛んで攻撃を避ける。

 だがもはや気力強化を制御できなくなっていた俺は、転倒してごろごろと転がってしまう。

 無様な格好で倒れた俺は、地を這いつくばって、それでもリルナをしっかりと目で捉えていた。

 

 あまりに情けない姿に、さしもの彼女も困惑したように顔をしかめる。

 

「無駄なあがきを。お前はそのうち失血死する。その前に、一思いに止めを刺してやろうと言うのだ。諦めて受け入れろ」

「まだだ……。まだ、死ねない……!」

 

 こんなところで終わってたまるか!

 

 せめて、リュートだけでも。

 彼を横たえた場所に目を向けて――。

 

 はっ!? いない!? どこに!?

 

「ククク……。そこまでして生にしがみつくとは。滑稽だな」

 

 嘲笑するプラトーの方を見たとき、俺は愕然とした。 

 こいつは、意識を失ったリュートをいつの間にか脇に抱えていたのだ!

 

「リュート! プラトーッ! お前! 何やってるんだよ!」

「……プラトー。さすがに趣味が悪いぞ。子供は後にしておけ」

 

 諌めるリルナの言葉にも、プラトーは従わなかった。

 

「いや、リルナ。こいつは我々の仲間を何人も痛めつけた重罪人。殺す前に、悪い夢の一つも見せてやるべきだ。そう思うが」

「だがな……」

「それに、そもそもこのチルオンは違反機体――処分対象だ」

「それは……そうだが……」

 

 卑怯が嫌いな性分なのだろう。

 渋る彼女を一瞥して、プラトーは端へ目を向けた。

 

「処分は当然……下の中央処理場がお似合いだな」

 

 彼は、抱えていたリュートの身体を片腕で摘まみ上げた。

 意識のないリュートの身体は、力なく項垂れている。

 

「お前、何を――」

 

 まさか。まさか――!

 

「やめろ……やめろよ……!」

 

 もうまともに動けない俺は、残る右手で必死にウェストポーチを探ろうとした。

 何か武器になるものを探そうと必死だった。

 しかしながら当然、プラトーはそれを黙って見ていてくれるほどお人好しではなかった。

 

「無駄な抵抗は止めろ」

 

 彼の右手に備わるビーム銃が、火を噴いた。

 

「あっ!」

 

 先生からもらった大事なウェストポーチは――今のビームによって、完全に止めを刺されてしまった。

 紐は完全に千切れ、遥か向こうへと弾かれていく。

 

「くっ……!」

 

 一目見ただけでわかるような、大きな穴が空いてしまっている。もう使い物にならない。

 

 プラトーは、往生際の悪い俺に明確な侮蔑の表情を向けた。

 そして、リュートを――。

 躊躇いもなく。連絡橋の外、何もない宙へ放り投げた。

 

「リュートッ!」

 

《パストライヴ》!

 

 幾度目の能力使用だろうか。

 使った瞬間、身体の中で何かが切れる音がした。

 だが、なりふり構ってなんかいられなかった。

 

「リュート!」

 

 両足だけで器用に彼を挟み込み、右手で橋の縁を掴む。

 

 君を守るって言ったんだ! 死なせてたまるか!

 

 でも、ちくしょう! 腕に、力が入らない――!

 

 気が付けば、必死に縁にしがみつく俺を見下ろす形で、リルナが立っていた。

 彼女は俺が上がってくるのを、何も言わずにじっと待っている。

 上がってきたところを、今度こそその手で仕留めようってつもりなんだ。

 

 ダメだ。上がれば確実にリルナに殺される。

 この高さで落ちても間違いなく死ぬ。

 

 くそっ! こんなことになるなんて……!

 

 完全に詰みだ。

 この世界の旅は、どうやらここまでらしい。

 

 ……どうせ終わりなら、【反逆】でも何でも使おう。

 

 だから、リュート。

 この命に代えても、せめて君だけは――。

 

 …………!

 

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 

 俺は、手を離した。

 

 落ちる。落ちていく。

 

 最後に見上げたとき、目に映ったのは。

 

 氷のように冷たい目で俺たちのことを見下ろし、こちらの死亡確認をする――リルナとプラトーの姿だった。



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A-3「中央政府本部 百機議会」

 リルナとプラトーは、悲鳴を上げながら中央処理場へと落ちていくユウを見下ろしていた。

 やがて、声も姿も遠ざかっていった彼から目を離し、プラトーがせいせいした口ぶりで言った。

 

「この高さからでは、間違いなく死んだだろうな」

 

 一方のリルナは、不満な目をプラトーに向ける。

 

「できればこの手で殺したかった。こんなやり方は感心できないな」

 

 彼女の潔癖な性格を熟知しているプラトーは、小さく肩を竦めて素直に謝ることにした。

 

「悪いな……。うちの連中を一人で何人もやってくれた奴だ。少々私情が優先してしまったことは認めよう」

「……ふっ。仲間想いのお前らしい。わかった。この件は不問としよう」

 

 プラトーに軽く微笑みを向けてから、リルナは少しの間思案に耽る。

 それから彼女は彼に言った。

 

「《パストライヴ》の多用で、かなりエネルギーを使ってしまった。一度補給する必要がある。ここまで来たついでだ。わたしはまずこの件の進捗状況について百機議会に報告し、それからすぐに補給を済ませることにする」

「了解した」

「わたしが戻るまでの間、残る犯罪者の処分は任せたぞ。ザックレイと協力して、始末に当たってくれ」

「ああ……。さっきのユウとやらに比べれば容易いことだ」

 

 そこで二人は一旦別れた。

 プラトーはザックレイと合流するため、連絡橋を中央管理塔に向かって歩き出す。

 リルナは逆の方向、中央政府本部に向けて歩き始めた。

 

 

 ***

 

 

 百機議会。

 中央政府本部の上層に位置する、ディースナトゥラの最高決定機関である。

 すべての法案及び特別措置は、この議会によってのみ決定される。

 ただし議会とは言っても、実際に百機の選ばれたナトゥラが会を開くという性質のものではない。百機議会とは、百の異なる性格を持つ人工知能の集合体――マザーコンピューターの通称である。

 百の人工知能は、常に各々が独立に思考している。そして何かしらの正式な意思決定をする際には、それらの思考内容を突き合わせて総合的に判断するのである。これが通常の議会で言う議論に当たり、そのステップを経て一つの決定――議決に至る。

 思考系統を単一でなく多数とすることで、もし一部の人工知能に重大なエラーが生じた場合でも、全体としては致命的な問題が生じないようになっている。

 また、百の人工知能のうち、基幹をなす四十はこの都市が作られたときより休むことなく稼働し続けているが、残りの六十については、四年ごとに市民投票によって半数が別のものに差し替えられる。この選挙を通じて、政治に民意が反映されるという仕組みである。

 差し替えの人工知能は、一括して中央工場が製造を請け負うが、その一つ一つにどのようなタイプの人格を持たせるかは市民が選ぶ。

 選挙の一ヶ月前になると、人格のタイプカタログが市民のアドゥラ全員に配られる。市民はそれを参照しつつ、自らにとって望ましい政策を行ってくれると思うタイプの人工知能に票を投ずるのである。

 中央政府本部の実質とは、すなわちこの百機議会そのものであると言っても差し支えはない。中央管理塔に並び立つこの巨大な建築物に存在する施設はすべて、百機議会が保持され、かつ正常に機能するために存在するものなのだ。

 

 さて、リルナは会議場へと向かった。

 会議場と言っても、言葉通りのものではない。百機議会と言語を用いた意思疎通のできる場所を指す。

 一般の者は侵入しようとしただけで即死罪となる聖域であるが、ディークランの中でも特に位の高い彼女だけは、特別に入室を許可されている。

 幾重も張り巡らされたセキュリティをパスして、彼女は経過の報告へ参じようとしていた。

 

「どうも苦手だな。あれは」

 

 途中、リルナは口をへの字にしてそんな独り言を漏らした。

 彼女は既に幾度も百機議会と謁見しているのだが、相対するたびにどことなく気味の悪さを感じてしまうのであった。

 それでも百機議会こそがナトゥラの長であるのだから、そうした不信とも取られかねない感情は、百機議会の前では間違っても出さないよう心がけていた。

 果たしていつからコンピューターがナトゥラを治めることになったのか。

 約二十年前に『目覚めた』ばかりの彼女は何も知らないのであるが。

 そんなことを考えているうちに、彼女は会議場に到着した。

 

 会議場の最前には壇があり、後方にはずらりと円形の机が並んでいる。

 机には、合わせて百機分の議席が設置されている。

 席には始め何もいなかったが、リルナがそこへ入ると変化が起こった。

 百の人工知能からそれぞれの人格に基づいて構成された、百機のナトゥラのイメージモデルが、各議席に座った状態で浮かび上がる。

 ナトゥラの容姿は皆若々しいのが普通であるが、そこに現れたのは老若男女多様な人の姿であった。

 それらは虚像ではあるものの、まるで本物と見紛うばかりに精巧な造りである。

 リルナは壇上に立ち、「百機」が環視する中、ルナトープのディースナトゥラ侵入及び刑務所襲撃事件等について、簡潔に報告を始めた。

 淡々と報告が進む中、手配書の男――ユウの話に入ったところで、場は妙にざわつき出した。

 No.1 ――リルナにどこか似た冷たい雰囲気を湛える若い女のイメージモデルであり、議長でもある――は顔をしかめつつ言った。

 

『聞けば聞くほど妙な者ですね。もしや――』

「なんだ。何かあるのか?」

『あなたには関係のないことです』

 

 妙齢の男性の姿形をしたイメージモデル――No.12がぴしゃりと釘を刺す。

 リルナは少々不思議に思ったが、その疑念は心の内に留めた。

 立派なあごひげを生やした年寄りの男、No.64がリルナに尋ねる。

 

『して、その手配書の男はどうなったのか?』

「お前たちの指令通り、始末した」

 

 No.15、しわがれた声を持つ老女のイメージモデルが目を細める。

 

『さすがはリルナ殿。頼もしい限りですな』

『うむ。世の秩序を乱す不穏因子は、直ちに排除されなければならない』

『正体を調べておかねばな。死体を検死にかけろ』

「……残念ながら、死体は手元にはない。落ちてしまったからな。あの高さでは、原形などほとんど残るまい」

 

 それを聞いた途端、百機は皆顔色を替え、姿を一斉に消した。

 各者の思考内容の総合――審議に入ったのだ。

 やがて再び百機が姿を現すと、すぐにNo.1がリルナに命じた。

 

『百機議会が命じます。その者が間違いなく死亡したことを確かめ、可能であれば生体データを手に入れなさい』

「了解した。言われなくとも、後で中央処理場へ向かうつもりだったが」

『なに? 中央処理場に落ちたというのか。それは感心できんな』

 

 No.53が難色を示したのを始めとして、会議場の空気がますます悪くなる。

 

『なぜそのようなことになった』

 

 会議場において、虚偽の報告は報告内容の関係者を含めて死罪である。

 リルナは仲間をかばいたかったが、正直に答えるしかなかった。

 

「事態を引き起こしたのは、プラトーだ」

『ふむ。プラトーか。あれがな……』

『大いに問題だぞ』

『厳重注意ですな』

『らしくない真似をしたものだ』

 

 口々に非難が飛び交う。

 リルナは顔色こそ変えなかったが、内心では相当嫌な気分になっていた。

 仲間想いの彼女にとって、仲間を他者から貶されることは、たとえ相手がトップであっても到底心穏やかなものではない。

 

『おほん。とにかく今すぐに向かえ。よいな?』

 

 リルナは無言で小さく頷き、彼らに背を向けた。

 早速中央処理場へ向かおうとしたところで、しかしNo.1が彼女を呼び止めた。

 

『ところで、リルナ。身体の調子はどうですか。壊れているところなどはありませんか』

 

 問われた彼女は、自分の身体をざっと見回してから答えた。

 

「特に何も問題はない」

『ほう――』

『それは何よりです。あなたはナトゥラの守り手。一番の有能株ですからね』

『うむ。何か問題があっては我々が困るのだよ』

『では行きなさい。すべてはナトゥラのために』

「すべてはナトゥラのために」

 

 リルナは素っ気ない口調でそう返すと、さっさと会議場を出て行った。

 

 

 ***

 

 

 誰もいなくなった会議場で。

 

『すべてはナトゥラのために。すべてはナトゥラのたメ、ナトゥラノナトゥラノノノノ』

 

 百機議会のイメージモデルたちは、突如変調をきたした。

 

『ピーガガガ……』

 

 声の代わりに、異音が鳴り始める。

 瞬間、百機のイメージモデルはすべて跡形もなく崩れ去った。

 そして百機議会は、人格の存在などまるで一切感じられない、無機質なメッセージを発信する。

 

『報告ス。エルンティアニオケル実地試験 進行度99.98% 間モナク最終フェイズヘ移行』

『特記事項。イレギュラー因子ノ発生。星外生命体ノ可能性アリ。排除ハ成功シタモノト推定サレルガ、確証ナシ。差シ当タリ、当因子ニ対スル情報収集ヲ発令。先方ノ判断ヲ仰グ』

『――了解。引キ続キ注意ノ上、試験ヲ続行ス』



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33「この世界は、何かがおかしい」

 俺は、手を「離した」。

 絶体絶命の状況。登ればリルナに殺される。素直に落ちても死んでしまう。

 だけどいざ死を覚悟して【反逆】を使おうと決意したとき、この土壇場で思い出した。

 たった一つだけあったんだ。

 あの二人に落下して死んだと思わせつつ、生き残ることのできる起死回生の手が。

 

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 

 落ちていく間、それらしく叫び続ける。演技だ。

 やがてリルナとプラトーの目が離れたとき。

 チャンスと思った俺は、残る右手でリュートを必死に手繰り、決して離さないよう腕に抱え込んだ。

 そして女に変身する。

 生命反応を完全に消し、生きているのが二人にバレないように。

 もう地面が近くまで迫ってきていた。このまま行けば激突して終わり。

 そうはいかない。

 使うのは【反逆】。それは変わらない。

 ただし、反動で確実に死を招く《許容性限界突破》はしない。より負担の軽い別の使い方をする。

 既に『心の世界』がかなり乱れた状態になっているのが、心残りだけど……やらなければどうせ死ぬ!

 ほんの少しの間だけなら、使っても大丈夫なはず!

 お願い! 無事で済んで!

 

【反逆】《反重力作用》!

 

 瞬間、全身に打ち付けていた猛風が和らぐ。落下の速度が目に見えて低下した。

 これならいける!

 反動で自滅する前に、秒で能力を解除する。

 リュートを上にして抱きかかえた体勢で、背中から地面に叩き付けられた。

 

「あうっ……!」

 

 息が止まるほどの衝撃を受ける。

 しかし身体はどうにか無事で済んだ。腕の中のリュートもまだ生きてる。

 

 覚えていて助かったよ。レンクス。

 

 身を横たえたまま周囲の様子を窺うと、何やら馬鹿でかい工場らしき建物があちこちにひしめいていた。幸いにも近くに人の姿は見当たらない。

 すぐにここから離れて、どこかに身を――

 

 あ……。

 

 立ち上がろうとしたとき、身体がふらついた。

 崩れ落ちる私。力が徐々に抜けていく。

 

 どうして――。

 

 失った左腕に目を向けたとき。

 切り口から、ぼたぼたと血が流れ出しているのに気が付いた。

 しまった。気で強引に出血を止めていたのが、女になったから効果が消えたのか。

 また血が零れてきてる。

 今すぐ何とかしないと。失血死してしまう。

 視界がぼやけてきて、夢心地のような気分になってきた。

 そのまま身を委ねて、眠ってしまいたくなるような――。

 

 ダメ!

 

 くらくらする頭をガツンと叩いて、死の誘惑を断ち切る。

 危ない。意識が飛びかけた。

 気をしっかり持たなくちゃ。ここで気を失ったら、本当におしまいなんだから!

 戦いで既にズタボロになっていた従業員の上着を、私はその場に脱ぎ捨てた。

 それからその下に着ているシャツを、胸の途中から上だけを残して、長い帯状になるように破り裂く。

 包帯代わりとするために。

 そうして作った布地の一端を口にくわえ、もう一端を右手で持って、左腕の付け根に添える。

 口と右手を器用に使いながら、根元で血が止まるよう固く巻いて締め付けて、最後にキュッと縛り上げた。

 これでとりあえず出血は止めたけど……。

 血を失い過ぎた。少しでも気を抜くと、意識が飛んでしまいそう。

 気合を入れて、今度こそ身体を起こす。

 ふらつく身体を、リュートと一緒に引きずるようにして、近くの物陰に身を隠した。

 腕を回し、彼を後ろから抱く形で座り込む。

 絶え絶えになった息で、しきりに胸は弾んでいた。

 ゆっくりと呼吸を整えながら、時折ふらっと失いそうになる意識を根性で保ちつつ。

 周囲の様子を観察する。

 

 どうやらここは、中央処理場の内部みたい。

 真上から裏技みたいなルートで、中心部まで落ちて来てしまったわけか。

 中がどうなっているのか、とても気になるところだけど……。

 今は脱出が最優先。私もリュートも、手を施してもらわないと命が危ない。

 でも、こんなまともに動けない状態で、ウェストポーチと一緒に無線も武器もなくしてしまって。

 どうすればここから出られるだろう。

 何か手を考えないと。もたもたしていると、私たちがまだ生きていることがバレてしまう。

 

 具体的な脱出手段を考えようとしたときだった。

 遠くから、喚き叫ぶ男性の声が聞こえてきた。

 

「やめろ! 俺はまだ死にたくない!」

 

 どうしたのだろう。

 気になった私は、リュートをその場に置いて様子を見に行くことにした。

 

「ごめん。ちょっとだけ見てくるね」

 

 声のした方向へ目立たないように向かうと。

 目に映ったのは、錠で雁字搦めに拘束されたナトゥラの姿だった。

 彼はベルトコンベアに乗せられ、少しずつ流されていた。

 奥の方には、何やらプレス機らしきものが見える!

 横で二人の作業員の男たちが、彼を監視していた。二人とも、腰にはしっかりと銃を装備している。

 助けに行きたいけれど、ここで動くわけにはどうしてもいかなかった。

 今の戦えない状態で行っても、私まで無駄死にするだけだ。

 ぐっとこらえて、その場の様子を黙って見ているしかなかった。

 

「異常機体に生存権はない」

「何が異常だ! 俺は正常だ! あんたらこそ、おかしくなっちまってるんだ!」

 

 叫ぶ男を、作業員たちは鼻で笑う。

 

「おいおい。何を言い出すかと思えば」

「我々は正規格のナトゥラだぞ」

「前は! 前はそうじゃなかったはずだ! 故障したからと言って、すぐに処分することも! ヒュミテの奴らとあれほど険悪になることもなかった!」

 

 前はそうじゃなかった……?

 いつかレミが言っていたことが、ふと脳裏に過ぎる。

 

『どうも昔は、ここまでではなかったみたいなのよ。いつしかみんな、ヒュミテなんて殺されて当たり前だと考えるようになってしまった』

 

 そうだ。確かにレミはそう言っていた。

 

「前は違ったと?」

「そうだったか?」

 

 作業員も何やら心当たりがあるのか、今度は笑うことなく首を傾げた。

 

「そうさ! みんなおかしくされてんだよ! 中央工場だ! あそこでみんなおかしくされて帰ってくるんだ!」

 

 中央工場でおかしくされて帰ってくる!?

 初耳だった。

 

「おい。それはどういうことだ」

「もしかして、少し事情を聞いてみた方がいいんじゃないのか?」

 

 作業員たちにも動揺が走る。

 一人が一旦ベルトコンベアを止めようと、スイッチに手をかけたのだが――。

 そこでなぜか、彼の腕がぴたりと止まった。

 少しの間、奇妙な沈黙が場を包む。

 そして二人の作業員は、囚われた男に揃って告げた。

 

「「お前は、知り過ぎた」」

 

 角度の関係で顔は見えないが。

 感情のこもっていない、明らかに異質な声だった。

 

 なに!? 一体急にどうしたっていうの!?

 

 囚われた男の目が、絶望の色に包まれる。

 

「ちくしょう! あんたらもか! 嫌だ! 死にたくない! 助けてくれえええええーーー!」

 

 彼の悲痛な叫びが、『心の世界』を通じて感情と共にひしひしと伝わってきた。

 私の胸をぎゅっと締め付ける。

 助けてあげたい。こんな死にかけの状態じゃなければ……っ!

 

 葛藤する間にも、彼はどんどん流されていき――。

 

「ぎゃああああああああああああああああああーーーーーーーーーっ!」

 

 プレス機が、彼の身体をバリバリと砕く音が聞こえた。

 とても見ていられなくて。

 私は目を背けて、リュートのいる場所へ戻ることにした。

 

 

 ***

 

 

 やっぱり。

 戻る途中、私の中で疑念が確信に変わりつつあった。

 

 この世界は、何かがおかしい。

 

 それが今、はっきりした。

 

 この世界について調べていくごとに、ナトゥラやヒュミテたちと触れ合うたびに、少しずつ違和感が強まってきていた。

 どうもすっきりしなかったの。

 

 第一に、覆い隠された歴史。

 二千年より前に何があったのか。その大事なところが、まるで白紙のように不明なままにされているのはなぜか。

 大きな核戦争があったというけど、その戦争で文明が完全に消え失せたわけではないのだから、何かしらの文献が残っていてもいいはずなのに。

 第二に、ナトゥラが創り出された理由。

 結局のところ、ヒュミテとナトゥラの対立が決定的になった一因は、本来復興作業用ロボットに過ぎなかったナトゥラに、あまりに高度な知能と学習機能を持たせてしまったことにある。

 普通なら、設計段階でその可能性に気付かないはずがない。

 それでもあえてそうしたのは、ナトゥラを使って何かもっと別のことがしたかったからではないの?

 第三に、普段の生活を眺めている限りはごく普通の市民にしか見えないナトゥラが、どうして皆例外なくヒュミテにだけは強い殺意を抱くのかということ。

 多少例外がいても不思議ではないはずなのに、直接ヒュミテによる被害のない者まで全員が敵意をむき出しにしていた。

 はっきり言って、異常だ。

 一方で、個人差こそあるものの、チルオンはヒュミテと問題なく打ち解けられていた。

 この明確な差は、単に個人差の問題では片付けられない。

 第四に、今さっきのように、正規格のナトゥラ以外をヒュミテと同様に処分対象とする理由。

 あの彼の言う通り、もし中央工場で何かをされているのだとしたら――。

 

 あの作業員の二人、突然様子がおかしくなった。

 まるで本当の機械のように、無機質な感じになって。

 でも、ああいう豹変ぶりを見たのは初めてじゃない。

 リルナもそう。刑務所で彼女に事情を問いかけたときなんかは、特におかしかった。

 あそこで彼女の様子が急におかしくなったのはなぜ?

 あの話の流れでは、私に事情を言い澱む理由なんてなかったはず。

 むしろ教えてやろうという意思が、それまでの彼女からは感じられた。

 なのに、どうして急に――。

 

 そこで私は、決定的におかしなことに気付いてしまった。

 

 いや。いやいや。待って。おかしい。おかしいよ。

 

『よそ者のお前に話すことなど、何もない』

 

 そうだよ。彼女は確かにそう言っていた。

 

 どうして。

 

 どうして私が「よそ者」であることを知っているの!?

 

 そんなことなんて、一言も言わなかったのに!

 

 あの場面で言うべきは、『ヒュミテのお前に話すことなどない』か『敵のお前に話すことなどない』になるはずでしょう!?

 

 考えてみれば。あの言葉は、とても彼女自身が言ったようには思えない。

 それまでの動揺が嘘のように冷静で。

 そう。まるで一瞬で心が切り替わってしまったような――。

 

 まさか――!

 

 その可能性に気が付いたとき、私は愕然となった。

 

 もし今のナトゥラが、本来の自然な状態でないとしたら。

 何らかの手段によって、ヒュミテを敵視するように記憶や感情が誘導されているとしたら。

 リルナも含めて。

 突拍子もない話よ。でも。でもこれでかなりの部分説明がつく。

 ナトゥラは機械人間。記憶や感情を誘導するような機構をどこかに組み込むことは、人間を洗脳することよりも遥かに容易い。

 何らかの事情で誘導が上手く働いていないナトゥラは、「異端者」として処分対象となる。争いにとって邪魔な存在だから。

 そして、この仮説が正しいなら――。

 

 あまりにひどい!

 

 ナトゥラとヒュミテの対立は、通常の争いとはまるで意味合いが変わってくる。

 だってこれって、意図的に仕組まれたものってことじゃないか!

 両者の対立を煽って潰し合うような――そんな最低の絵を描いている奴が、どこかにいるっていうの!?

 

 さっき犠牲になった男は、この可能性を悟ってしまった。

 だから消された。「異端者」として――。

 

 私は、背筋がぞっとするような感覚を覚えた。

 今この恐ろしい可能性に気付いている者が、果たしてどれほどいるだろう。

 ナトゥラ当人たちはまず気付いていない。まさか自分が操作されているなんて思いもしないだろう。

 ルナトープの人たちも、おそらくほとんど何も知らないと思う。

 知らないから、あんなに純粋に必死になって自分たちの権利のために戦っている。

 自らに敵意を向けてくるのだから、ナトゥラは敵であると断じて。

 途端にあらゆることが怪しい気がしてきた。

 歴史についてもそう。本当にここで調べた記述通りで正しいのだろうか。

 あれはあくまでナトゥラ側の情報に過ぎない。ヒュミテとナトゥラで、歴史認識がまったく違う可能性だってあり得る。

 

 やっぱり何か裏がある。

 生き延びなくちゃ。生きて調べなくちゃならない。

 

 この世界に隠された真実を――!



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A-4「CPD」

 ユウの働きにより、無事アウサーチルオンの集いのアジトに戻ることができたテオ、ウィルアム、ネルソンの三人は。

 クディンとレミに手厚くもてなされ、今は王のために用意された立派な客間で身体を休めようとしていた。

 客間に入ったところで、テオが凛とした声でウィリアムとネルソンに告げた。

 

「ぼくのことはもう大丈夫だ。あの人を、ユウを助けに行ってやってくれ」

「しかし……」

 

 浮かない表情で返答に困っている二人に、テオは心配ないという顔で続ける。

 

「これは予感に過ぎないが……。おそらく、これからの我々に最も必要なのは、中立的に真実を見抜く目なんだ」

「中立的な目、ですか」

 

 関心を示したウィリアムに、テオは頷く。

 

「ぼくたちはどうしても、ヒュミテという種族のフィルターを通して物事を捉えてしまう。ユウは……不思議な人だ。それがまったく感じられない」

「確かに……。あの者は、変わっているな……」

 

 ユウがこれまでしてきた、数々の純真とも言うべき立ち振る舞いを脳裏に浮かべて、ネルソンは苦笑した。

 あの真っ直ぐな眼差しと生き方は、この世界で生きていくには辛いかもしれないが……決して嫌いではない。

 

「これだけは言える。ユウがいなければ、ぼくたちはとうに全員やられていた。そしてそれは、この先もきっと同じだ。彼の存在こそがカギなんだ。正直なところ、ぼくなんかよりもずっとね」

 

 あまりに率直な王の告白に、二人は驚きを隠せないようだった。

 

「君たちは、歴史を知っているかい?」

 

 テオは唐突に話題を変える。

 二人ともかぶりを振った。

 

「我々は、戦いが本分なもので」

 

 ウィリアムの予想通りの返答に頷いたテオは、彼らに理解させるようにじっくりと説明を始めた。

 

「約二千年前の世界崩壊後、我々の先祖は、復興のための道具としてナトゥラを創り上げた――」

 

 はじめは、お粗末な知能しか持たなかったそうだ。

 ゆえに扱いも、道具そのものとしてのものだった。

 だが次第に世代交代による学習の蓄積を経て、ナトゥラは我々に劣らぬ高度な知能を持つに至る。

 それからは、彼らにも一定の権利を与えるようになったという。

 以来、ヒュミテが手綱を握りながらも、両者は比較的良好な関係を築いてきた。

 ところが。

 百数十年ほど前、突如ナトゥラは自らの優位性を唱え、ヒュミテへの反抗を始めた。

 その端緒が、かのルオン大虐殺だ。

 これに憤ったヒュミテは、武器を取り立ち上がった。

 だが地力に勝る彼らには敵わず、やがてルオンを完全に掌握される。

 

「そうしてぼくらは、ティア大陸へと追いやられてしまった。百年ほど前のことだ。ヒュミテの歴史書には、そう記されている。ところが……」

 

 彼は、苦々しい顔で目を伏せる。

 再び顔を上げて、話を続けた。

 

「ナトゥラの側には、まったく違う歴史が綴られているようだ。我々の方が、長きに渡って筆舌に尽くし難い迫害を続けてきたのだとな」

「まさか……」

 

 ネルソンが訝しむ顔をしたところで、テオは肩をすくめる。

 

「まあどちらが事実に近いかなんてことは、今を生きるぼくらには知りようがない。歴史というのは往々にして、自分側に都合が良いように歪められるものだからね」

 

 それ自体は、一旦置いておくとしてだ。と、テオはあくまで客観的な視点で語る。

 

 とにかく、ヒュミテとナトゥラの対立は、百年前に我々の敗北という形で大勢がついた。

 これは、両者の歴史で共通するところだ。

 だが、その後もヒュミテに対するナトゥラの迫害は留まることを知らなかった。

 

「彼らは年月を経るにつれ、ぼくらにより一層の憎しみを募らせている。そのことは、ここまでずっと戦ってきた君たちなら、肌で感じているはずだ」

 

 ここまで、真剣に王の話に耳を傾けていた二人は、自らに幾度となく突きつけられた銃口と刃を思い返し、並々ならぬ実感をもって頷いた。

 そこでテオは、一段と声の調子を強めた。己の疑念をぶちまけるように。

 

「おかしいと思わないか。先人はともかく、ぼくらが一体何をしたというんだ」

 

 今を生きるナトゥラには、歴史的事実としての対立認識はあれど、自らの実体験として対立の事実を持つ者は少ないはず。

 普通なら、時とともに憎しみというのは徐々に薄れていくものだろう。

 

「にもかかわらず、ほぼ例外なく、地上にいる誰もが現在に至るまで、ああまで徹底した憎悪を抱いているのはなぜか」

 

 その奇妙な点については、ウィリアムとネルソンも、薄々とは感じていたことではあったが……。

 改めてはっきりした形で言われてみると、はっとさせられるものがあった。

 そんな彼らの顔色を窺いながら、テオはさらに続ける。

 

「もちろんチルオンの中には、我々に協力的な者もいる。ここの者たちのようにね」

 

 ギースナトゥラの者たちは、ナトゥラに対する差別意識が比較的少ない。

 

「それだけじゃない。この地下に暮らす者の多くは、大なり小なり感情のわだかまりはあれど、我々ヒュミテの生存を『許している』。これが地上なら、そうはいかない。隠れ住んでいるヒュミテがいたとして、発見次第吊るし上げにされるだろう」

 

 それは、自身もまた迫害されているため、シンパシーを感じているからではないかと。

 二人は何となくそう考えていた。

 しかしテオは、その可能性も考えたが、やはりそれだけでは納得がいかなかったのだ。

 

「チルオンやその他のいわゆる不適格者と、正常なナトゥラとの間では、明らかにこちらへ向ける憎悪の強さに明確な差がある。彼らに対してぼくらがしてきたことに、ほぼ一切の違いはないにも関わらずだ」

 

 これまでの調査と、この一年の獄中生活の中で掴んだ、より進んだ見解を彼は示そうとしていた。

 そしてこの自身の見解こそが、いかにひどい拷問を受けようとも、決して彼らを憎む気になれなかった一番の理由だった。

 

「この違いはなんだと思う? なぜ生じている。不思議に思ったことはないか?」

「確かに……我々は、どこか心にしこりを残しながら、これまで戦ってきましたが」

「生き残るのに必死で、考える余裕があまりなかったというのが、正直なところですね」

「そうか……。実はね。この二者の間には一体何の違いがあるのか。それをぼくは密かに調べていたんだよ」

 

 少し間を置いてから、彼はいよいよ本題に入ろうとしていた。

 

「不覚にもぼくが捕まってしまった、アマレウムにおける実地調査で判明したことだ」

「何を掴んだというのです……?」

 

 ネルソンの問いかけに、考えながら王の口が開く。

 

「……今から言うことに、確証はないよ。これはあくまで、ぼくの予想だ。ただ、ぼくだって何もせずに牢で一年を過ごしていたわけじゃないんだ」

 

 自身が掴んだ決定的なキーワードを、彼は二人に告げた。

 

「CPD」

 

 聞いたこともない言葉に、ウィリアムもネルソンも首を捻る。

 

「セストラル・パーチャー・デバイス。胸部動力炉のわずか上に位置する、ナトゥラのパーツだ。こいつに謎を解き明かすヒントがあるのではないかと、ぼくはそう当たりを付けている」

「それは一体、どういうものなのですか?」

 

 食いついたウィリアムに視線を向けつつ、テオは答えた。

 

「機体更新の際、すべてのアドゥラとなる予定の機体に必ず埋め込まれるようになっている代物だ。このパーツには、ナトゥラの思考回路とは独立した思考演算回路が組み込まれている」

「何ですと……!?」

 

 敏いウィリアムは、恐るべき可能性に気付いてしまった。

 テオは、彼の懸念通りのことを述べる。

 

「元々は動力炉の働きを調節するためのものらしいけど、原理上はナトゥラの思考そのものにもそれなりの影響を及ぼすことができるはずだ」

 

 そこで、ネルソンにも王の言いたいことがようやくわかった。

 自身が考えてもいなかった衝撃の可能性に、愕然とする。

 

「もしそれが……彼らに宿る憎悪の感情を刺激して、増幅させているのだとすれば……」

「ああ。数十年前から、このパーツは実用化されている。奇しくもちょうどこの時期が、ヒュミテ隔離法の成立と、非正規格機体の処分と再利用に関するガイドライン成立の時期と重なる。偶然の一致にしては、出来過ぎではないだろうか」

 

 テオの考察を共有した三人には、重苦しい沈黙が流れていた。

 特にウィリアムとネルソンにとっては、自身の持つ価値観を180度引っくり返されたようなものだった。

 両者の殺し合いが当たり前の世界という常識が――人為的に操作されたものであるという可能性が浮上してきたのだから。

 

「我々はもしかすると、とんでもない思い違いをしていたのかもしれんな」

 

 やがて、ウィリアムがぽつりと漏らした。

 テオは同意し、大きな溜め息を吐く。

 

「ユウもきっと、薄々このおかしさに気付いていたに違いない。だから、あんな試すようなことをぼくに言ってきたのだろう……」

「この場にいる誰よりも甘い奴だが……。一番現状が見えていたのも、あいつだったのか……」

「わかりました、王。しばらくお一人にしてしまうのは、心苦しいですが」

 

 ウィリアムとネルソンは、今やかの人物の重要性を理解していた。

 

「我々も、ユウの救出に向かうことにいたします。彼はこの先、必要な人材だ」

「うん。頼んだよ。ウィリアム。ネルソン」

 

 

 ***

 

 

 テオに見送られて部屋を出た二人は。

 未だショックを隠し切れないが、やはり歴戦の戦士。既に気持ちを切り替えようとしていた。

 

「直接の救出は、ラスラたちに任せるとしよう……」

「考えがあるようだな。ネルソン」

 

 彼は重々しく頷く。

 

「プラトーとザックレイの、スナイパーコンビ。救出と防衛においては……奴らの奇襲が最も脅威だ」

「確かに」

「特にザックレイ。此度判明した、奴の探知能力……この先逃亡を続けるならば……決して放っておくわけにはいくまい」

「奴らを牽制するわけか。そして、あわよくば……。なるほど。それでいこう」

 

 ネルソンは、静かに、だが己が内側には燃え盛る怒りを滾らせて、固く拳を握り締めた。

 

「マイナは、可哀想だった。あんなところで、死ぬことはなかったのだ……。攻撃が来ることさえわかっていれば、彼女なら……」

 

 彼の言わんとすることに強く同意して、ウィリアムはぽんと彼の肩を叩いた。

 

「王の言うことは、確かにもっともだ。あれがいくらかでも事実なら、いつかは両者が争わなくても済む時代が、来るのかもしれんな」

「だが……」

「今の時代は、血に塗れ過ぎている。汚れ仕事の方が、私たちの性には合っているさ」

「ああ……。私たちは、染まり過ぎたな――仇は討たせてもらうぞ」

 

 ネルソンは、暗い決意を秘めて、口元を引き締めた。

 ウィリアムは、そんな彼の本懐を沿い遂げられるよう、心固めをしつつ。

 しみじみと語る。

 

「ラスラは、若干こっち寄りなところがあるが……まだナトゥラ憎さのみに染まり切ってはいない。ユウ、それにアスティやロレンツのような、価値観の凝り固まっていない力が、これからはきっと必要なんだろう。若い世代の力が」

 

 最後に、一つ釘を刺しておく。

 

「それと、忘れるな。お前もだぞ。ネルソン」

 

 この頑固者は言っても聞かないだろうなと、仕方なく思いながら。

 

「……肝に銘じておこう」

 

 ウィリアムとネルソン。

 二人の男は装備を整え、決意を胸にトライヴゲートをくぐる。

 戦士たちは、再び戦場となる地上へと舞い戻った。



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A-5「戦士の覚悟」

 ザックレイは、ディークラン本部の作戦司令室にいた。

 彼は地下へ逃げた王を捜索するよう指示を飛ばしていた。と同時に、まだ上でちょろちょろしている連中を始末すべく、盤石な包囲網を配備せんと動いていた。

 そんな彼の心中は、嵐の海のように荒れていた。

 

「やってくれたな。まさか直接中央管理塔に忍び込もうなんて。そんなバカがいるとは思わなかったよ」

 

 苛立ちを露わに、指先を噛む。

 

「しかも、見事にセキュリティを破壊してくれやがって。これじゃ、得意の探知も効果が半減だ」

 

 ついそんな恨み言が漏れてしまう。

 すべてというわけではないが、中央管理塔のセキュリティシステムは市街の監視カメラ等を統制していた。それらが一斉に機能しなくなってしまったため、彼の探知はかなり有効範囲を制限されてしまったのである。

 しかも。しかもだ。

 

「ルナトープには、命知らずの馬鹿しかいないのか。こっちに真っ直ぐ向かってきているのがいるぜ」

 

 彼には、二人組の男がディークランより防弾車を奪ったとの情報が入っていた。

 中央区に向かってひたすらその車を走らせる二人の男の姿を、しっかりとカメラは捉えていた。

 

 そんなに死にたいなら、望み通り蜂の巣にしてやろう。

 

 ザックレイの顔が、憤りと殺意で歪んだ。

 

「第七街区三番地にいる連中を撃ち落とせ! 多少街中に被害が及ぶかもしれないが、《ファノン》を使っても構わない!」

 

《ファノン》。

 

 銃よりも遥かに強力なレーザー兵器である。

 本来、中央工場と中央処理場への侵入者を撃ち落とすための設置型兵器として開発されたものだ。

 もっとも、今はセキュリティがダウンしているため、バックアップシステムが稼働するまでしばらくは、そこに配備されているものは機能しないのだが。

 

 

 ***

 

 

 ウィリアムとネルソンは、しつこい追手を振り払いながら、高層ビルの間を縫うように車を走らせていた。

 なるべく敵に狙い撃ちされないよう、直線的な動きは避けつつ、中央区へ向けて突き進む。

 と、そのとき。

 銃弾に混じって、赤い光の筋がこちらを狙ってくるのが見えた。

 

「運転を代われ」

 

 散々仲間を失ってきた経験から、そいつの危険性をよく知っていたウィリアムは、ネルソンにハンドルを預けた。

 そして自らは車体の上によじ登り、やや腰を屈めて踏ん張るように立つ。

 すう、と息を大きく吸い込んで、精神を研ぎ澄ませる。

 チカッと赤いものが奥で光った。

 その瞬間、彼は狙いを付けて神速でスレイスを振り払う。

 直後、目にも留まらぬ速さで飛来してきたそれは、刃に当たってあらぬ方向へと跳ね返っていった。

 車両にインパクトするタイミングを完全に見切り、強貫通性のレーザー《ファノン》を弾き飛ばしたのだ。

 長らく最前線で戦ってきた彼だからこそできる、神業であった。

 なおも、次々と飛んでくる《ファノン》を弾き飛ばしながら、ウィリアムは運転するネルソンに声をかけた。

 

「このまま本部の付近まで行って、指揮系統をかく乱する。ラスラたちが救出に成功し、帰還の目途が立ち次第、撤退するぞ。いいな」

「ああ……!」

 

 中央区が近づいてきた。

 十台以上の車両が、行く手をぴったりと塞いでいるのが見える。

 ウィリアムは、一旦スレイスを腰に差し戻すと、背負っていた装備をやや上に向けて構えた。

 ロケットランチャーだった。

 標的に狙いを定めて、そいつをぶっ放す。

 発射された弾頭は、緩やかなほぼ直線の放物軌道を描き、前方を守るように立ち塞がっていた車両に命中する。

 爆破炎上した車両は、そのまま市街地の海に落下していった。

 

 そうして攻撃に専念せざるを得なくなり、彼がスレイスを手から放すその瞬間を。

 

 あの男は狙っていたのだった。

 

 遥か彼方より、建物の隙間を縫って、青き閃光が空を貫く。

 

 ピンポイント狙撃。

 

 マイナの命を一瞬にして奪った、即死の魔弾である。

 もちろんただ二の轍は踏まない。

 特に警戒していたウィリアムは、狙撃が想定されるタイミングで、あらかじめヒットポイントを外すよう、巧みに身体の位置をずらしていた。

 だが狙撃というものの速さは、人の動きとは比較にならない。

 ほとんど意識する間もなく、彼の身体まで不可避の光線は迫り――。

 プラトーの狙いとは異なるが、左肩を綺麗に撃ち抜かれた彼は。

 大きくよろめいて、車体からふらふらと落下していった。

 

「ウィリアム!」

 

 さらに直後、狙い澄まされた二発目の光線が、車両のボンネットを撃ち抜く。

 車体は炎上し、中にいる彼とともに落下していく。

 咄嗟のことで飛び出したネルソンは、ワイヤー装置を建物の壁に引っ掛けた。

 だが、そこをさらに付け狙うように、飛来した赤のレーザー光が、彼の利き手を穿つ。

 激痛が彼の身を襲う。

 それでもどうにか体勢を立て直し、再度ワイヤーを使って減速しつつ、無事着地することはできた。

 そんな彼の背後で、憎たらしい声が響いた。

 

「くっくっく。上手くいった。予定通りの場所に落ちてくれたな」

 

 少年然としたその声に、はっとネルソンが振り返ったとき。

 彼の目に映ったのは――。

 整然と並び立つ数十名ものディークラン隊員と、彼らのすぐ後ろに控えるザックレイだった。

 ザックレイは、勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 

「散々このぼくを舐め腐りやがって。だがそれも終わりさ」

「……ザックレイ」

「処刑の時間だ。総員、撃て!」

 

 一斉射撃が実行される。

 至る所すべてが、銃弾のベールで覆いつくされる。

 逃げ場など、どこにもなかった。

 

 だがネルソンは、不敵にも笑っていた。

 この時を待っていたのだ。

 

「おおおおおおおおおおおおーーーーっ!」

 

 いついかなる時も寡黙を貫き続けてきた男は。

 この時、最初で最後の雄叫びを上げた。

 スレイスも手にせず、猪突猛進の勢いで隊列に迫る。

 おびただしい数の銃弾を身に受けて、腕が千切れ飛ぶ。片足の先も吹っ飛んだ。

 腹を、肩を、頬を、耳を、そして頭までも撃ち抜かれて。

 全身のあちこちで血肉が弾け、鮮血が飛び散る。

 それでも彼は、決して止まらなかった。

 隊員の列を割って、一直線に飛び込む。ザックレイの元へ強引に迫り寄る。

 完全に捨て身の動きだった。最初から死を覚悟していた者の動きだった。

 そしてネルソンが、いよいよザックレイの眼前に達したとき。

 彼の少年らしい顔が、一瞬で恐怖に引き攣った。

 

 ネルソンの手には――既に起爆直前のテールボムが握られていたからだ。

 

「口うるさくて、出しゃばりな……お前のことだ。挑発してやれば、顔くらいは見せるだろうと……思っていたぞ……」

「おま、えっ……!」

「戦士の覚悟を、思い知れ……!」

 

 誇らしげな笑みを力なく浮かべた瞬間、彼の手から爆弾がこぼれ落ちる。

 直後、辺り一面を焦熱と閃光で塗り潰すほどの、壮絶な大爆発が起こった。

 

 

 ***

 

 

「ザックレイ……!」

 

 プラトーは、信じられないという思いでその凄惨な光景を目に焼き付けていた。

 仇を討とうにも、その仇は一緒に吹っ飛んでしまったのだ。

 どうしようもない悔しさに身を震わせた彼は、力なく拳を壁に叩き付ける。

 

 悲しみも込み上げてきた、そのとき。

 リルナのごく近くで、恐ろしいほどの生体エネルギー上昇反応が起こり始めた。

 プラトーは、途端に戦慄した。

 彼女の強さを信じて疑ってはいなかったが、それでも嫌な予感がするほどのおぞましい生体反応。

 

 くそ、こんなときに……!

 

「リルナ!」

 

 プラトーには、悲しみにも怒りにも暮れる暇はなかった。

 一も二もなく、足が動き出していた。

 

 

 ***

 

 

「ふ、は、は……」

 

 男の口から、乾いた笑いが零れる。

 何の因果か。

 身体を強く地面に打ち付けて、満身創痍ではあるものの――。

 またしてもウィリアムは、ギリギリのところで「生き残ってしまった」。

 腹心の部下は、たった今死んだというのに。

 

「私より先に死ぬことは、なかったのだ……。馬鹿、野郎……」

 

 もうもうと焼煙を上げる、彼が生きていた場所に目を向けて。

 やるせない気分で、たった一言だけ。そう呟いた。

 それからはもう、そこへ目を向けることはなかった。

 ふらつく身体を押して、彼は立ち上がる。

 まだ、大事な仕事が残っている。

 ラスラたちを無事に逃がすという一仕事が。

 

「いたぞ! 生き残りだ!」

「死ねえ!」

 

 全身が打撲で血塗れになった、ボロボロの身体を引きずって。

 

「るあああああああああああああーーーーー!」

 

 ウィリアムは激情に魂を振り絞り、叫んだ。

 その身に数発の銃弾を撃ち込まれながらも、鬼のごとき気迫で敵に迫ると、スレイスで容赦なく斬り付ける。

 剣を一振りするたびに、敵の首も、四肢も、彼の激情を反映するかのように、激しく乱れ飛ぶ。

 その勢いのまま突き進み、彼は手近な車両の一台を奪って乗り込んだ。

 フロントミラーに映る、血の気を失って蒼白と化した顔面。

 震える手は、穢れた血と油に塗れていた。

 殺し合いに生き、殺し合いに死にゆく男の姿。

 

 そうさ。これが私に似合いの姿なのだ。

 

 彼は自嘲気味に、そう思った。

 だがこんな汚れた私でも、可能性を未来へ繋ぐことはできるはずだ。

 いや、繋がなければならない。

 ハンドルを力強く握る。彼の目は、最期の使命感に燃えていた。



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34「Escape to Underground 1」

 リュートの元へ戻り、周りの様子を探りながら、ここから逃げる手段を考えた。

 しかし中央処理場は、外部からの見た目通りにどこもしっかりと蓋をされていて、抜け道などどこにも見当たらなかった。

 できることと言えば、リュートを抱きかかえて誰かに見つからないよう身を隠しているより他はなく。

 そうこうしている間にも、時間は容赦なく私から活動する力を奪っていく。

 

「はあ……はあ、はあ、はあ……」

 

 心臓は足りない血を全身に送ろうと、極限にまで鼓動を早めていた。

 寒い。手足の感覚が、もうほとんどない。

 それに、目まで、霞んできた……。

 やっと、この世界のおかしなところに気付けたっていうのに。これからだっていうのに。

 何度も気が遠くなる。くらりと頭が下がりそうになる。

 意識が手放されようとするたび、必死に気をもって持ちこたえていた。

 

 まだ、死ぬわけにはいかないの。意識、もって……。

 

 いよいよ限界が近づいていた。

 

 もうダメかもしれないと思った、そのとき――。

 

 彼方より、一台の車が猛スピードで空を突っ切ってくるのが見えた。

 その後ろから、何台ものサイレン車が後を追っている。ディークランの車だ。

 最前を走る車は迷うことなく、真っ直ぐこちらへ向かってくる。

 

 なに……?

 

 身構えたところで、窓から誰かが身を乗り出して、元気良く手を振り始めた。

 その人物がアスティであるのを認めたとき、肩の力が抜けた。

 

 助けに来て、くれたんだ……。

 

 本当に嬉しかった。

 リュートを連れて、車の停めやすい位置まで這いずってでも移動し、右手を振り返す。

 アスティは、片腕のない私の姿を見つけたとき、ぎょっとして青ざめていた。

 車が停まると、すぐさまラスラが飛び出した。

 彼女は、私とリュートを軽く持ち上げて、車内の後方座席へと引き入れてくれた。

 私たちを乗せると、車は即座に折り返して急発進する。

 地面からぐんぐん離れて浮かび上がっていく。

 

「ユウ! よく生きていてくれた!」

 

 ラスラが、息が苦しくなるほど強く抱き付いてきた。

 抱き返す力も押し返す力も残っていない私は、されるがまま身を任せる。

 アスティは、サイドウィンドウからアサルトライフルを突き出して構えていた。追手の動きを入念に警戒している。

 彼女が警戒を怠らぬままちらりと振り向いたとき、今にも泣きそうな顔をしていた。

 

「でも、腕が……! それに、ひどい顔よ!」

「いいの。命に、比べたら……はあ、はあ……安い、代償だよ」

 

 この大怪我がなければ。

 わざと手を離して落ちた際、リルナたちの目を欺けはしなかっただろう。

 それに、世界を移動すれば――他のフェバルの言ってることが本当なら――たぶん腕は元通りになる。

 ただ……この世界にいる限りは、大幅な戦闘力低下は否めないけれど。

 

 でも、まずいな。一時的には助かったけど……。

 

 本当に死にそう。血を、流し過ぎてる。

 

「よく、私を助けに来て……くれたね」

「しゃべらないの! 安静にしてなさい!」

 

 アスティがめっと叱ってきたので、素直に口を噤むことにした。

 ラスラが経緯を説明してくれた。

 

「レミに貴様たちの居場所を教えてもらったのだ。まったく、貴様という奴は!」

 

 すっかり怒り心頭だ。よほど心配させてしまったみたい。

 ほんのり苦笑いだけで応える。もう弁解する元気もないか。

 

「反応からして処理場に落ちたと聞いたときは、さすがにもうダメかと思ったぞ! 管理塔に二人で挑むなど、やはり無茶だったではないか!」

 

 私は申し訳なく頷いた。

 でも、無茶とわかっていても、どうしてもやらなきゃならないことはある。

 それはラスラも重々承知しているようで、それ以上は何も責めてこなかった。

 

「だが、その無茶が生きたな」

 

 そこで、前で車の運転を担当していたロレンツが、振り返らずに言った。

 表情は見えないが、口調からはこちらへの気遣いと安堵が伝わってくる。

 

「お前さんがセキュリティを麻痺させてくれたおかげで、車両で処理場の内部まで侵入することができたのさ。でなけりゃ、侵入者を自動で迎撃するとかいうレーザーのせいで無理だった」

 

 ハンドルを強く握り直し、彼は続ける。

 

「もっとも、どの道命懸けには変わりねえけどなっ!」

 

 向こうから雨あられと飛んでくる銃撃や砲撃を、彼は巧みに車体を操ってかわしていく。

 アクションが起こるたびに、車内は大きく揺れた。

 こちらからも、幾度も銃声が鳴り響く。撃っているのはもちろん、アスティだ。

 一発一発を確実にヒットさせ、当たるたびに、後方の車が炎上し墜落していく。

 

「ロレンツ、上手く避け続けて。ほっとくと危なそうなのは、あたしがばっちり仕留めていくから!」

「おう!」

 

 緊迫した状況は続く。

 大都市上空を躍るように最高速で飛び回り、景色は目まぐるしく移り変わっていく。

 時折ビルや他の車にぶつかりそうになるシーンもあり、冷や汗をかいた。

 ラスラも狙撃に加わって、激しい銃撃戦の様相を呈していく。

 そんな中、何もできない自分がもどかしかった。

 

「私も何か、したいけど……」

「いい。死にそうなんだから、今は休め。逃走ルートは考えてあると言っただろう? 我々に任せておけ」

 

 そしてラスラは、かしこまった調子で付け加える。

 

「それと、感謝する。貴様とリュートのおかげで、テオは無事地下へと逃げられた。貴様らが中央管理塔で奮闘してくれなければ、遅かれ早かれ全員やられていただろう」

「違えねえ」「うんうん」

 

 二人の同意を受け、代表して彼女が続ける。

 

「一度は死ぬはずだった命だ。今一度貴様らのために賭けてやることに、何の躊躇いもない。だから我々は、こうして助けに来たのだ」

 

 ラスラが頷くのと同時、ロレンツとアスティも力強く頷く。

 私は胸が熱くなった。

 

「ふふ。じゃあ、たの、む、ね……」

 

 仲間がいることが、こんなにも心強くて。

 安心した瞬間、私は今度こそ全身の力が抜けてしまった。

 くたーっと背が座席にもたれかかる。

 ラスラはそんな私を見て目元を緩めると、無線で連絡をかけた。

 

『こちらラスラ。ユウとリュートを救出した。現在、我々が用意したトライヴゲート2番に向けて逃走中だ。係の者はゲート前にて待機。我々が飛び込んでそちらへ達した瞬間に、ゲートを破壊してくれ』

『了解。とにかく無事を祈るよ』

 

 クディンの声が返ってきたところで、通信を切る。

 

 気が付くと、再びビルが目前に迫っていた。このまま直進すればぶつかってしまう。

 

「あらよっと」

 

 ロレンツがハンドルを引くと、車は直角に突き上がり、ビルの壁に沿って急上昇していく。

 追う車のうち二、三台が、動きの変化に対応し切れず、仕方なくビルから逸れていく。

 

「ふう。少しばかり振り切っても、後から後からやってきてきりがねえや」

 

 車はビルを登り切って、また水平移動へと移行する。

 そのとき、再び意識がぐらついた。視界がぼやける。

 でも、今ここで気を失いたくなかった。

 危険な状態が続いている。気絶して完全なお荷物になるようなことはしたくない。

 

 その後も必死に逃げ回り続けた。

 目的地であるトライヴゲート2番までは、かなりのところまで近づいてきているはずだ。

 ところがそこで。

 後方から、特徴的な水色のオープンカーが、風を切って突っ込んできた。

 

 リルナ! またか――!

 

 彼女の操る車の性能は、他よりも一段抜けて高いようだった。

 拡声が届く距離までは、すぐに追いすがってきていた。

 このままでは、間もなく追いつかれてしまう。

 

「ヒュミテ。殺しにきたぞ」

「おいおい。勘弁してくれよっ! しつこい女は嫌われるんだぜ!」

 

 ロレンツが喚く。

 まったくその通り。彼女ほどしつこい人を私は知らない。

 でも裏に感付いた今は、思ってしまうの。

 その執念とも言うべき憎悪が、もし何者かに組み込まれたものだとしたら――。

 彼女の穏やかな一面も、私は知っている。

 だから。もしかしたら、本当の彼女は……。

 だけど少なくとも今は、私たちに刃を向ける敵なわけで。

 それは現状、どうしようもなくて……。

 

 車の運転は自動操縦に任せたのか、リルナ自身はすっと立ち上がった。

 運転席に乗っかり、堂々たる立ち姿を晒す。

 そして、右腕を構えると――。

 

 なんてこと! 手が変形して、大きな砲口に変化したの!

 

 今までの戦いから、攻撃の正体を見極めようとする。

 例のバリア、《インクリア》、《パストライヴ》、《フレイザー》――。

 

 ううん。どれとも違う。まだ何かあるっていうの!?

 

 そして彼女は、何かの機能を使うとき特有の、機械的な音声を発し始めた。

 

「ターゲットロックオン。エネルギー充填開始。10、20%」

 

 恐ろしいまでの寒気がした。これは、血を失っていることから来るものではない。

 

 魔素にも似た、強力なエネルギーの波動を感じる……!?

 

 これは、まずい!

 

「みんな! この車から逃げ――」

 

 言いかけたときには、もう遅かった。

 彼女は、20%充填のままで、それを撃ち放つ。

 

「《セルファノン》――発射」

 

 強烈な光を伴って、水色の光線が迫る。

 その砲射は、車体など優に超えるサイズと、当たったものすべてを貫くであろう、恐ろしいまでのエネルギーを伴って――。

 

 間に合わない!

 

 私は、咄嗟のことで再び能力を使わざるを得なかった。

 既に何度も連続使用することで、とっくに達していたはずの限界を超えて。

 

【反逆】《反重力作用》!

 

 

 ***

 

 

 ユウが実行したのは、中の人ごと反重力で車体を急上昇させるというものであった。

 これにより、全体への直撃をどうにか避けることはできた。

 しかしあまりに時間がなかったため、完璧にとはいかなかった。

《セルファノン》は車体の一部を削り、そこから激しく炎上。

 落下し始めた車体から、後方座席にいたアスティはリュート、ラスラはユウをそれぞれ抱えて飛び降りる。運転席にいたロレンツは、一人だけで脱出した。

 近場の建物にワイヤー装置を引っ掛けることで、落下の衝撃を和らげる。

 辛うじて全員、無事で着地することはできた。

 しかし――。

 五人の前には、彼らとほぼ同時に車から地に降り立った、万全な状態のリルナが立ちはだかっていた。

 絶体絶命の状況である。

 リルナは、ルナトープの連中を冷徹な瞳で一瞥した。

 その中に片腕を失ったユウの姿を認めた彼女は、内心大きく動揺した。

 

「ユウ。お前――あの状態からどうやって生き延びた?」

「はあ……はあっ、はあっ……!」

 

 だが、ユウは答えない。

 なぜなら。

 彼女は今、まったく口がきける状態ではなかった。

 彼女の全身から、淡白い光のようなものがゆらゆらと立ち上っている。

 

「う……う、ううう……!」

 

 ユウは呻き声を上げ、激しく息を切らしていた。

 すると、彼女の身体に急激な変化が起こり始めた。

 背や髪が伸び縮みし、胸が膨らんだり引っ込んだりといった変化が、短時間で幾度も繰り返される。

 手持ちの能力の中で、最も安全に使用できるはずの変身能力でさえ、制御が効いていない。

 明らかに異常な状態だった。

 突如苦しみ出したユウに、彼女を背負っていたラスラは、心配になって声をかけた。

 

「おい、どうした? しっかりしろ!」

 

 しかし、ユウにはもう返事をする余裕などなかった。

 

「……なんだ。どうした?」

 

 一目でわかるあまりの様子のおかしさに、さしものリルナも固まっていた。

 

「お、おい。どうしたっていうんだよ。急に」

「ユウちゃん。しっかりして!」

 

 ユウを包む白い光が、徐々に強まっていく。

 ユウの内部で制御し切れなくなった『心の世界』のエネルギーが、外界に漏れ出してきていた。

 溢れ出たエネルギーが、最も近くにいたラスラを弾き飛ばす。

 

「うわっ!」

「う……ううう……ううううううう……!」

 

 もはや誰も近寄れなくなってしまった状態のユウは、頭を抱え、苦しそうに顔を歪める。

 狂ったように肉体変化を繰り返し、声の高さも一定しない。

 

 そして――。

 

「あああ゛ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ゛あああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 

 堰を切ったように、叫び声が溢れた。

 それはまるで、理性を失った獣のような叫び声だった。

 

 やがて、その声が止んだとき――。

 

 淡白い光に全身を包まれた青年が、闇で塗り潰したような、そんな虚ろな目で立っていた。

 姿は完全な男の状態である。

 

「ふ……あ、はは……」

 

 彼の口から、乾いた笑みが漏れる。目の焦点が定まっていない。

 一見して正気の状態ではないことは、誰の目からも明らかだった。

 

 このとき初めて、リルナは戦慄していた。

 ただ理想の高い甘ったれだと思っていたこの青年に対して、得体の知れない恐怖を抱いていた。

 自身の持つ強烈な殺気から生じるものとはまったく異なる、異質の恐怖。

 気味が悪いということもあるし、何より底知れなさがあった。

 とにかく彼女は、一言では言い表し難い恐怖を覚えていた。

 

 ラスラ、アスティ、ロレンツも同じように異質の恐怖を感じていた。

 先ほどまであんなに親しみやすかった人物が、今は別人かと思うほどにすっかり豹変してしまっている。

 それもあまりに突然のことで、まったく理解が追いつかない。

 ゆえに彼女らは、その場に固まったように佇んで、変貌した少年とリルナとを交互に見つめる以外の選択を取ることができなかった。

 

 リルナは内心の動揺を無理に抑え込み、ユウに尋ねる。

 

「急に、どうしたのだ。答えろ」

「……違う……じゃない……」

 

 だがユウはうわの空で、ぶつぶつと独り言を呟くばかりだ。

 彼の耳には、もはや何も入って来ないようだった。

 

「……そんなに死にたいなら、望み通り今度こそ始末してやる」

 

 とにかく殺してしまえ。恐怖と焦りが彼女を後押しした。

 始めからバスタートライヴモードになっていた彼女は、容赦なく《パストライヴ》を使い、一息に彼の背後にまで迫った。

 そのまま《インクリア》で、彼の背中を刺し貫こうとする。

 しかし――。

 

 パシ。

 

 全力を込めたはずの攻撃は、この擬音がしっくり似合うほど。

 何事でもないかのように。

 ごく当然のように、彼に受け止められてしまった。

 

 それも、振り返ることすらせず――片手だけで。

 

 リルナは激しく動揺し、目を見開いた。

 なぜならば。

 物理攻撃と生命エネルギーに対しては、完全無敵であるはずのバリアが。

《ディートレス》が、まるで意味を成していなかったからだ。

 バリアなど何もないかのように貫通し、手首を直接押さえられてしまっていた。

 しかも、あまりに握る力が強いので、彼女は腕をぴくりとも動かすことができない。

 

「……ちへ……な……!」

 

 金属が凹むような、大きな衝撃音が迸る。

 同時に、気が付けばリルナは、遥か後方へと目にも留まらぬ勢いで弾き飛ばされていた。

 背後のビルへ叩き付けられても、その勢いはなお留まることを知らない。

 さらに数枚の壁をぶち抜いたところで、ようやく止まった。

 

 痛みに顔を歪めて、リルナはよろよろと立ち上がった。

 行動に支障こそないものの、腹部に無視できないほどの大きなダメージを受けている。

 これまでのあらゆる戦闘で傷一つ負ったことのなかった彼女は、初めて受けた明確なダメージに驚愕を隠すことができなかった。

 ふらふらと歩を進め、再びユウの元へ辿り着いた彼女は、彼に問いかける。

 

「バカな……。なぜ、死にかけのはずのお前に、これほどの力が……? なぜ、《ディートレス》が効力を発揮しない!?」

 

 その問いに答える者は、誰一人としていなかった。

 彼女の目の前に映るのは、戸惑うヒュミテたちと、ただ虚ろな視線を自分へ向ける青年だけであった。



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35「Escape to Underground 2」

 ふらふらと空を見上げたユウは、瞳を虚しく宙に泳がせたまま、自分だけに聞こえるような声でうわ言を呟いていた。

 

「そこはダメだよ……ミリア……」

「おかあさん……またどこかへいくの……?」

「お疲れ様……ディア……」

 

 そして、時折狂ったようにへらへらと笑みを零す。

 

「おいおい。ありゃ完璧にいっちまってるぜ……」

「一体どうしたというのだ……?」

「ユウくん、なんか……怖いよ……」

 

 ルナトープの者たちは、得体の知れない変貌を遂げた彼に、皆どうすれば良いのかわからず戸惑っている。

 ぼそぼそと何かを呟き、こちらなど一切眼中にない様子の彼に、リルナは歯噛みした。

 彼に返答を求めることを諦めた彼女は、代わりに物言わず刃を立てた。

 死にかけであるはずの彼に止めを刺さんと、勇猛果敢に襲い掛かる。

 

「ねえ。今度は……何して遊ぼうか……」

 

 彼の発する呑気な台詞とは裏腹に、身体から発される白い光は彼を覆い、絶大なエネルギーをもって激しくうねっていた。

 再び彼に攻撃を加えるべく最接近したリルナが、その強力なオーラに達したとき。

 彼女の動きがぴたりと止まる。

 まただ。動こうとしても、全身を掴まれたように動けない。

 

「どう、して……」

「うあうっ!」

 

 うわ言とともに、彼の手が軽くリルナの胸部に触れただけで。

 彼女はとてつもない衝撃を受けて、為すすべなく銃弾のように弾き飛ばされた。

 だが、芸もなくまた同じように叩き付けられる彼女ではない。

 激突前に《パストライヴ》を使用して、彼の左側――腕のない方に回り込む。

 彼女としては、完全に虚を突いたつもりでいた。

 しかし。

 ユウは既に、彼女の真正面を向いていた。

 まるで始めから、そこに来るのがわかっていたかのように。

 彼が理性の感じられない無邪気な笑みを浮かべたとき、彼女は心底ぞっとした。

 

「がっ!」

 

 技ですらない。無造作に振るわれただけの、ただの拳。

 身体の芯でまともにそれを受け止めたリルナは、自身の内部でいくつもの部品が砕ける音を聞いた。

 反撃もできず、よろよろと後退する。とうとう堪え切れずに膝をついてしまう。

 彼女はさらに追撃をもらうことを覚悟した。

 だがユウは、その場にぽつんと立ったまま、しきりに独り言を発しているだけだった。特に何かしようという意思は感じられない。

 放置されている間に体勢を立て直した彼女は、一度《パストライヴ》で距離を取る。

 乱れた髪を乱暴に掻き揚げて、動揺を鎮めようと努めた。

 彼女には、信じられなかったのだ。

 それまで優勢に戦いを進めていたはずの相手に、逆にここまで圧倒されてしまっていることが。

 受けたダメージは、もはや深刻なレベルに達している。

 もし自身の誇る特殊ボディではなく、一般のナトゥラの身体だったなら。

 間違いなく、もう二度と使い物にならなくなっていただろう。

 

「危険だ」

 

 彼女の目に、憎悪が煮え滾る。

 ヒュミテは敵。こいつは特に危険だ。

 何としても殺さなければならない。改めてそう決意を固める。

 彼女はその場に立ち尽くすユウを睨み付けると、右腕を砲身に変化させた。

 

「ターゲットロックオン。エネルギー充填開始――10、20――」

 

《セルファノン》。リルナの持つ武器の中で、最大の威力を誇る光線兵器。

 それは、決して人間に向けて発射すべき代物ではなかった。

 20%でさえ、しっかり命中すれば車両など跡形もなく消し飛ばして、なお余りある威力なのだ。

 だが今、彼女は。

 そんな物騒なものを、ユウというたった一人の人間に向けて。

 さらに出力を上げて放とうとしていた。

 普段の彼女ならば、決してそのような真似はしない。

 こんな街中で使えば、あまりに高過ぎる威力が周囲に甚大な被害を及ぼし、無関係な市民の命を奪うことになりかねないからだ。

 しかし、湧き上がる危機感と殺意に突き動かされている今の彼女は、そんなことなどもう頭にない様子だった。

 

「30――」

「あ……あ……」

 

 ユウは先ほどからずっと上の空で、その場からまったく動こうともしない。

 それをいいことに、彼に照準を合わせたまま、彼女はじっくりとエネルギーを溜め続ける。

 砲口には目が眩むほどの水色の光が凝縮し、さらに光は強さを増していく。

 

「まずいぜ!」

「ユウくん! 逃げて!」

 

 ロレンツとアスティが、同時にリルナへ牽制射撃を試みる。

 だが《ディートレス》に弾かれて、一切の攻撃は通用しなかった。

 ならばと、ラスラがユウを抱えに向かう。

 それを横目で確認したリルナは、彼女が到達する前に、攻撃を仕掛けてしまおうと意を固める。

 

「40%」

 

 彼女の右腕の先端は、今や眩いばかりの空色に包まれていた。

 あとはこれを、目の前にいる敵に向けて解き放つだけで。

 この世界から跡形もなく消し去ることができる。

 今度こそ終わり。

 幾度にも渡ってその手をすり抜けてきた因縁の相手に、ようやく引導を渡せることに安堵した。

 そこで彼女は、はたと気付く。

 

 安堵。自分が安堵しているだと。

 

 そればかりではない。

 何度追い詰めても執念深く立ち塞がるこの人物に、彼女は一言では割り切れぬ複雑な感情を覚え始めていた。

 気が付けば。

 他の誰よりも彼を評価し、認めていたのだ。

 

 だが、それももう終わり――。

 

 燃え上がる殺意の裏で。

 彼女はなぜか、一抹の寂しさのようなものを覚えていた。

 なぜ今になって、突然そんなことを感じてしまったのか。

 彼女にはわからなかった。

 それでも、ついに発射を宣言しようとした。

 

 そのとき――。

 

 意識を攻撃のみに集中していた彼女を、側面から強烈な衝撃が襲った。

 攻撃そのものは《ディートレス》が完全に無効化したが、狙いが反れた《セルファノン》は、あらぬ方向へと飛んでいく。

 まったく無関係の高層ビルを突き抜けて、空の彼方へと消えていった。

 

 はっとして、全員が振り返ると――。

 

 ウィリアムが、血塗れの状態でそこに立っていた。

 肩にロケットランチャーを構え、さらに全身を重装備で固めている。

 弾を発射したばかりの砲口からは、ゆらゆらと煙が上がっていた。

 彼は、緊急セキュリティシステムダウンと同時に復活したトライヴゲートを強行突破して、急ぎこの場にやって来たのだった。

 

「隊長! どうして!」

 

 あまりに惨たらしい彼の姿を認めたロレンツは、悲鳴に近い問いかけをするも。

 ウィリアムは脇目もくれず、リルナを睨み付け、声を張り上げた。

 

「聞け! ネルソンは死んだ! ザックレイ打倒と引き換えに!」

 

 三人に動揺が走る。

 そしてそれは、彼女にとって大切な仲間を殺されたリルナも同じだった。

 

「な、に……お前!」

 

 爆炎の中にあっても、傷を増やすことなく立ち上がったリルナは、激しい怒りの目をウィリアムに向けた。

 彼は、それにも構わず大声で続ける。

 

「お前たちはユウを連れて、私の乗ってきた車で逃げろ! そして、王の話を聞くんだ! プラトーがやって来る前に! 早くしろ!」

「隊長! 隊長は、どうするのですか!?」

 

 彼がそこに現れたときから、嫌な予感がしていた。

 ラスラが、泣きそうな声で尋ねる。

 彼から返ってきた答えは、最悪な予想通りのものだった。

 

「私は、ここに残るさ。ヒュミテ解放隊ルナトープは――今日限りで解散だ」

「そんな……!」

「これからは各自、己の信じる正義を見つけ、そのために戦うのだ。いいな……さあ、行け!」

 

 ウィリアム決死の覚悟であった。

 そんな漢気を目の当たりにして、いつまでもぐずぐずするような三人ではなかった。

 彼の言葉を聞き終える前に、アスティはもう行動を開始していた。

 力なくその場にへたり込むユウを抱えて、ウィリアムの車へと駆ける。

 そのすぐ後を、ラスラとロレンツが追っていく。

 

「逃がすと思うか!」

 

 激昂するリルナだが、彼女に向けてロケットランチャーの次弾が放たれる。

 リルナは当然のように、それを《パストライヴ》で回避した。

 

 だが、移動先の地点には――。

 

「そいつも想定済みだ」

 

 既にウィリアムが、狙いを付けていた。

 側腰に取り付けた小型マシンガンの銃口が、正確に向けられている。

 

「お前が殺したデビッドの分、受け取っておけ!」

 

 引き金を、目一杯力強く引いた。

 鬼のような勢いで、銃弾を雨あられと撃ちまくる。

 弾切れを起こすまで、決して止めるつもりはなかった。

 これまでのすべての犠牲者の無念をぶつけるように。

 ウィリアムは、撃ちに撃ちまくった。

 

「そんな攻撃が、効くとでも!」

 

 決死の攻撃はすべて、鉄壁のバリア《ディートレス》が弾いてしまう。

 それでもウィリアムは、構わないと不敵に笑っていた。

 

「たとえ攻撃それ自体は効かなくとも、お得意のバリアで防がざるを得まい。それにどうやら、一応衝撃だけは伝わるみたいだな? なら、足止めくらいにはなるさ」

「お前……!」

 

 それが狙いか――!

 

 リルナはようやく気付いたが、時すでに遅し。

 

「それで、十分なんだ。可能性を繋ぐ時間さえ稼げれば、それでなあ!」

 

 弾切れを起こしたマシンガンを放り棄て、さらに手持ちの爆弾もいっぺんに放り投げる。

 怒涛の連続攻撃に、リルナには身を守り防ぐ以外の行動を取ることができなかった。

 

「この、ふざけるな……! ヒュミテが!」

 

 やっと攻撃が途切れたところで、《インクリア》を抜いて斬りかかる。

 彼はそれを、最大出力のスレイスでもって受け止めた。

 ほんの数撃で武器エネルギーを使い果たしてしまうほど、一切の出し惜しみをしないことによって。

 本来光の刃すら断ち切る彼女の攻撃を、しかと受け止めたのだ。

 

 鍔迫り合いを続けるうち、ラスラたちの乗った車が遠く離れていく。

 それを確認し、すべきことを成し遂げて満足したウィリアムは、いよいよ最期を覚悟し。

 リルナに尋ねる。

 

「なぜそんなに、ヒュミテを憎む? 私たちが、一体何をしたというのだ?」

「お前たちは、敵だ! わたしは、残虐非道なお前たちから、ナトゥラを守る! わたしの脳裏に焼き付いた数々の因業、忘れたとは言わせんぞ!」

「その記憶というのは、本当にお前の真実なのか?」

 

 問いかけられた瞬間。

 リルナは、はっとした。

 思い出そうとしても、記憶に靄がかかったように何も出て来ない。

 

 なぜだ? どういうことなのだ!?

 

 そんな動揺を見透かすかのように、ウィリアムは口の端を吊り上げた。

 

「そうか。王の言ったことは、やはりそう的外れじゃないのかもしれんな」

 

 リルナは動揺を振り払うように、必死の形相で刃を押した。

 じりじりと、スレイスの刃が削れていく。

 

「そんなはずは……そんなはずはない! わたしは、確かに……!」

 

 だがリルナは実のところ、既に万全な状態ではなかった。

 先のユウの攻撃によって、胸部の内側に損傷を受けていたのだ。

 CPDにも、わずかながらではあるが、変調をきたしていたのである。

 

 やがてリルナは、ついに耐え切れなくなって。

 その場から飛び退き、呻いた。

 

「なぜだ……? なぜ、何も思い出せない! わからない、わからない……!」

 

 明らかに異常な反応を前にして、ウィリアムはついに確信を抱いた。

 我々の戦いは、あまりにも無用な犠牲を出し過ぎたのだと。

 

 だが――決して、遅過ぎることはなかったのだ。

 まだ次の世代に、希望は残されている。

 

 あとは、ルオンヒュミテまで辿り着きさえすれば。

 王たちがきっと、上手くやってくれるだろう――。

 

 無事を、祈る。

 

 それが、彼が脳裏に思い浮かべた、最後の言葉となった。

 

 

 ***

 

 

 力なく地に斃れたウィリアムを見下ろしながら。

 その場にうずくまるリルナに、プラトーは静かに声をかけた。

 

「こいつの戯れ言に、耳を傾けるな……。リルナ」

「プラトー……」

 

 はっと気付いたように顔を上げたリルナに、プラトーは不器用な笑みを浮かべた。

 

「ダメージを受けたショックで、動転しているのだろう。気をしっかり持て……」

「あ、ああ……。そうだな……」

 

 ややあって、リルナはようやく本来の落ち着きを取り戻すことができた。

 それに伴って、すっかり混乱していた記憶も次第に蘇ってくる。

 もう元の氷のような表情に戻ったリルナは。

 先ほどまで相対していた男の言葉を思い出し、暗い顔でプラトーに尋ねた。

 

「ザックレイが死んだというのは……本当か」

「……本当だ」

 

 プラトーが、やるせなく目を伏せる。

 

「そうか……」

 

 リルナはしばし目を瞑り、何かを想った。

 再び目を開けたとき。

 その瞳には、並々ならぬ決意が満ちていた。

 

「直ちに補給を済ませ次第、奴らを追うぞ――地下で決着をつける」

 

 

 ***

 

 

 少し時は遡る。

 

 ロレンツが運転席について、帰還用トライヴゲートまでの道のりを全力で飛ばしていく。

 助手席では、ラスラがリュートを抱きつつ、しきりに周囲を警戒していた。

 そして後部座席では、アスティが膝にユウを乗せ、彼の介抱をしていた。

 

「ユウくん! しっかりしてよ! ユウくん!」

「あ……あ……」

 

 先ほどからの必死の呼びかけにも、ユウは応えない。

 その目はどこまでも暗く、虚ろだった。

 

「もう! いい加減にしてよ!」

 

 泣きたい気分でいっぱいだったアスティは、パチンと、一発強烈にユウの頬を叩いた。

 すると、ようやく想いが通じたのだろうか。

 彼の瞳に、すうっと理知の光が戻ったのだった。

 

「…………俺は、何を……」

「ユウくん! よかった……。やっと元に戻ってくれた!」

「元に……?」

「さっきからね、ずっとおかしくなってたのよ! 一体どうしたっていうのよ!?」

 

 言われて、ユウにも心当たりがあった。

『心の世界』の暴走。

 危うく、取り返しのつかないことになるところだった。

 

「ごめん……心配、かけた……うっ! ごほっ! がぼっ!」

 

 無理に能力を使い、限界を超えた反動は、凄まじいものがあった。

 生きているのが奇跡に近いほどの、計り知れないダメージを彼に与えていたのだ。

 それが状態の落ち着いた今になって、一気にツケを払わされる形になった。

 口から鮮血をまき散らしながら。

 それでも彼は、強い意志を秘めた目で。懇願するような声で、アスティに言った。

 

「ウィリアムを……助けなくちゃ。わかったんだ。やっと、わかったんだ。この力、なら……」

 

 だが言葉とは裏腹に、身体はついていこうとしない。

 もはや目の焦点すら定まらず、何かを言おうとしても、その後の言葉はほとんど呂律が回らなかった。

 

「頼む……たの、む……いか、せて……く、れ……」

 

 やっとそれだけ、絞り出すように言うと。

 ユウは気を失ってしまった。

 アスティは、彼にいたく同情的な目を向ける。

 それでも、毅然として認めるわけにはいかなかった。

 

「ごめんね。そんな状態のあなたなんて、とても行かせられないよ」

 

 自分もまた、後から後から込み上げる激情と涙を抑えるので、やっとだった。

 

「隊長は……ウィリアム隊長はね。あたしたちに、未来を託したのよ……!」

 

 決然と呟いた彼女の膝上で。

 ユウの目からは、一筋の涙が零れ落ちていた。



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A-6「リルナ、地下へ突入する」

 隊長リルナと副隊長プラトーは、一旦追跡をディークランの隊員たちに任せ、ディークラン本部に戻ってきていた。

 あの場から慌てて追いかけたところで、おそらく逃げ切られてしまったことだろう。それよりも、消費したエネルギーの回復を優先させ、可能な限り万全な状態で仕切り直そうと考えたのである。

 そもそも地下に逃げたところで、いくらか目に届きにくくなるというだけだ。簡単にこの首都から脱出できるほど、ここの守りは甘くはない。

 ダウンしたセキュリティシステムも、じきにバックアップによって復活する頃合いだった。

 そのうち、やはりというか、地下へ転移されて追う道を絶たれてしまったという報告が上がってきたのだった。

 

 さて、リルナのダメージが大きいと判断したプラトーは、彼女にディーレバッツ部署で最低限の回復を済ませるよう告げた。彼自身は、状況報告や指示等をしに向かった。

 

 残るは、自分とプラトーだけになってしまったな。

 

 リルナは辺りを見渡して、寂しい気持ちになっていた。

 ほとんどのメンバーがやられてしまって、準備室はがらんとしている。

 いつも軽装でにこやかな笑顔で出迎えてくれるトラニティも。

 豪快に笑って、しょっちゅうお気に入りのパワーアームを弄り回しているステアゴルも。

 壁に背を預けて、物静かに古風な喋りをするジードも。

 そんな全体の様子をやや首を傾けて楽しそうに眺めているブリンダも。

 今は誰もいない。

 すべては、突然現れたあのヒュミテ。

 ユウが、たった一人でやってくれたのだ。

 精鋭ディーレバッツの隊員が、ここまで見事に総崩れにされるとは。

 前代未聞の事態だった。

 幸いなのは、彼らが全員修理中で済んでいるということだ。

 つくづく甘い奴だ、とリルナは改めて思う。

 ヒュミテの戦士には、とても似つかわしくない甘さだ。

 自身に湧き上がってくる、ユウに対する一言では言い表せない複雑な感情を、もう彼女は隠そうともしなかった。

 そして――。

 

「ザックレイ……」

 

 他の者にやられてしまった彼だけは、もう二度と戻っては来ない。

 あいつは口は悪いが、色んなことによく気が付いてくれる、可愛げのある奴だったのだ。

 彼がよく座っていたテーブルに目を向けて、リルナは俯いた。

 とそこに、一枚のメモが折られた状態で置かれているのに気が付いた。

 彼女はそれを手に取って、開いてみた。

 

『予想される連中の逃走ルート

 ディースナトゥラ外周ゲートより地上ルート 論外 警備厳重 市外はなだらかな丘で一切の死角なし

 ギースナトゥラルートウェイ 本命 警備厳重 対策済

 物流ルートに紛れての逃亡 本命その2 対策済

 超長距離トライヴの利用 可能性極低 そもそもトラニティを除き未実用化のはず 

 ルオン地下鉄道 可能性低 封鎖から長い年月が経過している 念のため要捜査か』

 

 そして、ルオン地下鉄道のところがぐるぐると丸で括られていた。

 丸っこい字で『やっぱここかも!』と、軽くメモが添えられている。

 女っぽい字だと本人が気にしていたのを、リルナはふと思い出した。

 まるでこのメモが置き形見のように思えてきて、彼女はどうしようもなく悲しみに包まれた。

 なのに。悲しいのに、なぜだか可笑しくて笑えてくるのだ。

 なぜだろうな。可愛い字で悪かったなと、不貞腐れるお前がそこにいるようで。

 なあ、ザックレイ。

 

「ルオン地下鉄道か。確かに臭うな」

 

 ぽつりと出てきた独り言は、脳裏に浮かぶ彼の姿とは、関係のないものだった。

 

 ルオン地下鉄道。

 まだこの都市がヒュミテの手にあった頃の、旧時代の遺産である。

 トライヴ技術が実用化される以前は、鉄道と呼称される陸上運行の機関が利用されていたという。

 確か、エルン大陸各地の旧都市に繋がっていたはずだ。

 とっくの大昔に封鎖されて、現在は地図上からも消えてしまっているものだ。

 長らく手つかずで放置されており、老朽化も著しく、常に崩落の危険が高い場所のはずだが……。

 なるほど。厳重な警備の目を掻い潜って、こんなところまで忍び込もうという連中だ。

 案外この辺りが正解なのかもしれない。

 

「感謝する。ザックレイ」

 

 返事がくることはあり得ないが、彼女は、彼が生きていたときそのままの体でそう言った。

 そして、直ちに補給カプセルへ向かう。

 ものの数秒でエネルギー回復を済ませると、彼女は決意を秘めた顔で呟いた。

 

「どうしても。やはりこの手で、ケリをつけなければ」

 

 ザックレイの予想が正しければ。

 おそらく今頃、奴らは既に鉄道とやらに乗っているのだろう。

 この首都に長居することの計り知れないリスクを、奴らも重々わかっているはずだ。

 

 今、彼女の内では、二つのものが激しくぶつかり合っていた。

 彼女の脳裏に今も取り付いて離れない、ヒュミテに関する忌まわしい記憶。

 そして、ウィリアムという男の問いかけた言葉。

 

 ――行けば、きっとわかるはずだ。

 

 行けば。何が正しいのか、少しははっきりするはずだ。

 彼女には何となく、そんな予感がしていた。

 

 わたしは、奴らの元へ追いつかなくてはならない。

 そして奴らと――ユウと、決着をつけなければならない。

 やられた者たちのためにも。すべてのナトゥラのためにも。

 

 殺意だけではない。言い知れぬ使命感のようなものが、沸々と込み上げてきていた。

 リルナはプラトーの帰還も待たず、気付けば一人だけで駆け出していた。

 専用のオープンカーに乗り込み、すぐさま全速力で飛ばす。

 

 彼女の乗った水色の車は、中央区を抜けた付近にある、地上と地下を繋ぐ巨大な螺旋階段へ辿り着いた。

 既に封鎖は解除され、地下への入口は開けていた。

 そこへ車ごと、強引に突っ込んでいった。

 縦にひたすら長く、ぐるぐると渦を巻く階段の周囲には、ポラミット製のガードが円柱状にかけられている。

 車体をがりがりとガードに擦り付けながら、階段に沿ってオープンカーをひた走らせ、猛烈な勢いで地下へと突入する。

 その鬼気迫る走りは、彼女の内に燃え上がる感情の強さを、そのまま反映するかのようであった。

 ガードの隙間から覗く地下都市の姿を、彼女は静かに視界に捉えていた。

 

 そして彼女を乗せた車は、いよいよ階段を抜けて、地下都市ギースナトゥラへと躍り出る。

 その上空を、他は走るもののない中、ただ一台だけで飛ばしていく。

 建物を次々と置き去りにするほどの速さで、駆け抜けていく。

 地下都市の終端、ルオン地下鉄道へ向けて。

 

 入口に取り付けられたバリケードを突き破り、ついに広大な地下トンネルへと乗り入れた彼女は。

 その場所が意外にも整備されており、最近使用された形跡があるのにすぐ気付いた。

 彼女は、透き通るような青い瞳を湛えた眼を鋭く細め、口の端を引き締めた。

 

 旧時代の遺産である鉄道を使うしか、もはや手がなかったのだろうが。

 とうとう尻尾を掴んだぞ。

 

 この鉄道は、途中までは一本道だ。

 列車に乗っているのであれば、間違いなく逃げ場など存在しない。

 

「このわたしから逃げ切れると思うな。これで最後だ。決着をつけてやる!」



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36「Decisive Battle on Fatal Express 1」

 辛くも地下へと逃げ延びたラスラたちは、重傷のリュートをクディンの元に預けた。

 レミが顔を真っ青にしていたが、すぐに状態を診察した技師から、どうにか一命は取り留めそうだと聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。

 それから、アジトよりヒュミテに詳しい医療スタッフを四名ほど引き連れて、テオとともに直ちにルオン地下鉄道へと向かったのだった。

 そこには、隈なく整備された高速列車が一本のみ、いつでも発車できる状態で待機していた。

 ルナトープは行きの際、今はゴーストタウンとなっているヒュミテの旧都市から、この列車に乗ってやってきたのである。

 列車の終着点である旧都市から最も近いのは、ナトゥラ第二の都市メーヴァ。

 ティア大陸の対岸より数十キロに位置する、その名の通りナトゥラの数が首都に次いで二番目に多い大都市である。

 そこはティア大陸の目と鼻の先ということもあって、非合法なヒュミテの勢力もそれなりに残存していた。またナトゥラの中にも、ヒュミテに好意的な者や憎悪を抱いていない者が多少は残っていた。

 首都のような徹底したセキュリティシステムの類いも存在しないし、巨大な外壁で仕切られた構造でもない。

 どうにかしてそこまで辿り着くことができれば。ひとまずは身を隠すなり応援を呼ぶなりして、じっくりと体勢を立て直すことができる。

 つまりは、今ここが正念場だった。

 

 全員を乗せた四両編成の列車は、ロレンツの運転により、持てる最高速度でレールの上を進んでいく。

 列車そのものは入念に整備したとは言え、道中のトンネルの電灯にまではさすがに手が回っていない。車両最前方に備わったライトのみが頼りだった。

 乗り物が宙に浮くのが当たり前の時代では珍しい、ガタガタと揺れる車内。

 その最前列で、テオ、ラスラ、アスティの三人は、重く気を張り詰めたまま、多くの仲間を失ってしまった悲しみに暮れていた。

 無謀にも、敵の本丸である首都に入り込んだのだ。元より犠牲は覚悟の上だったが。

 それでも、あまりにも大き過ぎる犠牲だった。

 それにユウがいなければ、王をここまで連れ出すこともできずに、全員やられていたのは間違いない。

 そのユウは今、生死の境を彷徨っていた。

 すぐ後ろの第二車両に運び込まれて、医療スタッフらの手による懸命な治療を受けている。

 

 やがて、治療の途中にも関わらず、真っ青な顔をしたスタッフが男女一名ずつ、ふらふらとした足取りで第一車両に入り込んできた。

 何事かと、ラスラが尋ねる。

 

「それが……! 輸血のために適合検査を行ったところ、血液中に、み、見たこともない成分が!」

「なんだと!?」

 

 医療スタッフの男は、すっかり狼狽えていた。

 

「微生物のような何かが、血液中に大量に含まれているんです。あり得ない。それが、ヒュミテの血液を異物とみなして、攻撃しています!」

 

 もう一人の女性が、驚愕の色を顔に張り付けたままそう述べた。

 彼らの言っていたそれとは、つまり白血球のことだった。

 ヒュミテの血液中には、そのようなものは存在しない。彼らの血液構成は、もっと単純なものだった。

 

「これでは、とても輸血などできません……! 我々には、せめて応急措置を施すことくらいしか……」

「彼は、本当にヒュミテなのですか!?」

 

 妙な変身能力を持っていると聞いたときから、おかしいとは全員が思っていた。

 それでも助っ人になってくれるのだからと、あえて事情は深く問わないようにしていたのだが。

 

「ユウくん。あなた、何者なの……?」

 

 アスティの双眸が、不安げに揺らめいた。

 

 

 ***

 

 

「う……ひどい目に、あった……」

 

 ユウの女性人格である「私」は、ボロボロに傷付きながら、やっとのことで平穏を取り戻した『心の世界』に、一人ぽつんと立っていた。

『心の世界』と現実世界の境目で、同じように満身創痍のユウが、気を失っている。

 彼の頬には、涙の痕が残っていた。

 ふらふらの彼女は、根気で彼の元へ辿り着くと、その肩にそっと手を触れた。

 

「ユウ。今から少しだけ、あなたの身体を使うね。あなたを助けるために。そうすると、たぶんしばらくの間、私はあなたの役に立てなくなるけれど……」

 

 主である「俺」が、「私」の身体を借りることは簡単だった。「私」が自分自身の女の身体を現実世界で操ることも、短時間ならさほど難しくはない。

 しかし完全な逆、「私」が主である男の身体を操ることは、従である「私」にとっては、相当に無理のあることだった。

 

「あなたの無念は、私が一番よくわかってるから。私も悔しいよ」

 

 現実世界に意識を移した「私」は、一言も喋らず目を瞑ったまま、男の肉体に気力を巡らせて、ただ回復することのみに専念した。

 ややあって、肺に空いた穴も含め、大方の傷はすべて塞ぐことができた。

 失った片腕だけは、この世界ではどうにもならないけれど。

 役目を終えた「私」は、男の身体から離れて、『心の世界』にある自分の肉体へと舞い戻る。

 

「あとは、任せたよ。私は、ごめん。ちょっとだけ、眠らせてもらうね。さすがに疲れ、ちゃった……」

 

『心の世界』の暴走を内側から必死に抑えて、ユウが完全に壊れないように頑張っていた「私」もまた、とっくに限界を迎えていた。

 とうとう力尽き、ぱたりとその場に倒れ込んでしまった。

 

 そして入れ替わるように、ユウが意識を取り戻した。

 

 

 ***

 

 

 目を覚ました俺には、見知らぬ天井が映っていた。

 ガタガタと、背中に振動を感じる。

 

「……肝心なときに、俺は無力だな。いつも、助けられてばかりだ」

 

 ゆっくりと身体を起こそうとしてみた。

 かなりふらつくが、「私」のおかげで、何とか立てないこともなさそうだ。

 医療服を着た四人の男女が、ぎょっとした目で俺のことを見つめていた。

 見たところ、どうやら俺を助けようとしてくれていたらしい。

 お礼を言って立ち上がり、前へ歩いた。

 どうやらここは、列車の中のようだ。

 一つ前の車両へ進んだところで、アスティたちが目に映った。

 彼女たちも、さっきの四人と同じようにぎょっとして、まるで幽霊でも見るかのような目で俺を見た。

 

「ユウくん……どうして。怪我はどうしたの!?」

「一応、もう大丈夫だよ。完璧ではないけど、簡単に治した。血が足りなくて、頭がくらくらするのはしょうがないけどね」

 

 信じられないという顔で固まる三人に、俺は嘆息した。

 

「俺自身のことはいい。それより、今すぐ話したいことがあるんだ」

 

 そこで、訳知り顔のテオが名乗りを上げた。

 

「ちょうどいい。ぼくもだ。少しでも状況が落ち着いたら、すぐにでも話そうと思っていたことがある」

 

 俺は、テオと手短に情報交換をした。

 どうやらテオも、薄々この世界のおかしさに感付いていたらしい。

 アスティとラスラは、ショックを受けた顔で言葉を失ったまま、ずっと真剣に俺たちの話に耳を傾けていた。

 

「CPD……間違いない。きっとそれだよ。それが、ナトゥラのみんなをおかしくしているんだ」

「ぼくとしても、裏付けが取れたよ。何かあるとは思っていたんだ」

「まさか、真実がこんなことだったなんて……」

 

 アスティが、ふるふると肩を震わせて、悲しげな声で呟いた。

 

「あたしたちは、ナトゥラたちほとんどみんなが敵だと思って、ずっと戦ってきた。でも……。ここまで来るのに……マイナねえ、デビッド、ネルソン、それに、ウィリアム隊長まで……。昔まで含めたら、もっとずっとよ。失った人が、多過ぎるわ……」

「……だが、それがわかったところでどうする? 一体ずつ律儀に外して回るのか? 姿を見ただけで、こちらを殺しにかかってくるような奴らから」

 

 あくまで現実を見て、険しい顔で俯くラスラ。

 俺は彼女に目を向け、正直なところを言った。

 

「それは……難しいかもしれない。だけど、中央区を叩いて、機体更新のシステムさえ変えることができたら。新たな憎しみの芽は、摘むことができるはずだよ」

 

 でも、なぜこんなことを……。

 言いながら、俺はそれが根本的な解決策にはならないだろうと感じていた。

 ナトゥラが憎しみを強めた原因がわかっても。こんな恐ろしいことを一体誰が計画して、なぜやったのか。真相の方は霧隠れしていて、さっぱり見えてこない。

 そっちの方を明らかにして解決しない限り、表面に見えている中枢部を叩いたところで、それは氷山の一角に過ぎないかもしれないのだ。

 また俺がいなくなれば、第二第三の悲劇が繰り返されるんじゃないだろうか。

 そんな予感がしてならなかった。

 

「頭が痛いよ。ぼくたちは、見えない敵と戦わねばならなくなってしまったようだ」

 

 テオもまた、俺と同じく事の本質に気付いているようだった。

 

「でも、まずは生き残らなくちゃ。それから、だよね」

 

 アスティが、ぐっと握り拳を作って意気込む。

 

 とそのとき、俺は『それ』をはっきりと感じ取った。

 急いでみんなに告げる。

 

「みんな、武器を構えて。そして下がっていて欲しい」

「どうした?」

 

 首を傾げたラスラに、すかさず答える。

 

「彼女が来てる。わかるんだ」

 

 もう何度も感じたことのある、身が竦みそうになるほどの強烈な殺気。

 それが、こちらへ段々と距離を詰めてくるのが。

 

 その一言で、みんなの顔色が変わった。

 俺の真剣な目を見たみんなは、すぐに言った通りにしてくれた。

 

 車両の横から窓を開けて、そこから上へと乗り出す。

 後方に目を向けると、彼女は例のオープンカーで、もうすぐそこまで迫ってきていた。

 

「逃がさない!」

 

 走る列車に並行してほぼ真横につけると、彼女は車両の上に華麗に着地した。

 車の方は、コントロールを失わずに列車の後ろへゆっくりと流れていく。どうやら自動操縦に切り替えたようだ。

 今、あの《セルファノン》を使ってこなかった。

 それは、こんな狭く老朽化した場所で使えば、たちまち崩落を引き起こす危険があるからだろうと踏んだ。下手をすれば取り逃がしてしまうし、自分まで巻き込まれてしまうかもしれない。

 それにあの技は、威力こそ恐ろしく高いが、比例して溜め時間も長い。

 近距離戦では、あまり役には立たないだろう。

 完全に逃げ場はないが、そういう意味では、まだ俺に運が向いているらしい。

 俺は何も言わず、気剣を右手に作り出し、油断なく構えた。

 戦いは避けられない。もうそれはわかっていた。

 

「リルナ」

「ユウか。やはり最後も、お前が立ち塞がるだろうと思っていた」

「それはこっちの台詞だ。最後の最後まで、お前がしつこく追いかけてくるだろうと思っていた」

 

 互いに無言のまま、じっと睨み合う。

 息が詰まる緊張と、殺気際立つ静寂の中。

 一定の間隔で列車が揺れる音だけが、耳に強くこびり付いてくる。

 

 これでもう、何度目になるだろうか。

 ここまで、お世辞にも長い付き合いとは言えないけれど。

 もっと長い間ずっと相対してきたのではないかと、そんな錯覚を覚えてしまう。

 奇妙な縁すら感じていた。

 

 もしかすると、向こうも同じように思っているのかもしれない。

 やがて彼女は、静かな口調で俺に問いかけた。

 

「わたしに届く刃を持たぬお前に、何ができる」

「そうだな。これまでなら、確かに無理だったさ」

 

 かすかに興味の色を示した彼女の瞳を真っ直ぐ見据えながら、俺は続けた。

 

「答えは案外、すぐそこにあった。気付いてみれば、簡単な答えだったんだ。お前が散々追い詰めてくれたおかげで、やっと気付けたよ」

 

 お前の《ディートレス》を、打ち破る方法を。

 

 気力とは、自己の内部要素を外界に取り出して利用する力のことを指す。

 そう。利用できるものは、「あらゆる」自己の内部要素だ。

 俺の場合、何もあえて、生命エネルギー「だけに」限る必要はなかったんだ。

 お前のバリアは生命エネルギーを弾く。単純な物理攻撃も弾く。

 一見すると、無敵ではないかとすら思えるほどの防御性能だ。

 だが、想定外の「ある力」だけは、さすがに弾くことができなかった。

 俺はあえてまた、それを使う決意を固めた。

 そうしなければ、この相手には絶対に届かない。

 

《マインドバースト》

 

 俺の全身を包み込んでいた気の質が、すうっと変化する。

 ゆらゆらと、薄く白い光が立ち上り始めた。

 同時に、薄く頼りない色だった気剣が、見るも鮮やかな白に色付いていく。

 本来持つべき色に。

 

『心の世界』の力。

 

 イネア先生の奥義《バースト》。

 身に纏う気力を爆発的に増加させて、一時的に限界を超える凄まじい力を得る技だ。

 あれを自在に使いこなすレベルには、俺はまだ達せていない。けれど。

 疑似的に再現することくらいなら、今の俺にだってできる。

 この力は、言うまでもなく諸刃の刃だ。使い過ぎれば、簡単に暴走を引き起こす。

 だが、この技に限って言えば。

 使った瞬間に『心の世界』を一気に活性化してしまう他の能力と違って、出力を自在にコントロールできる。危なくなる前に、自分で解除することも可能だ。

 毒をもって、力となす。

 許容性限界を一切弄らずに、人間としての限界を超えた強さを得る。

 俺なりに考えて辿り着いた、精一杯のやり方だ。

 

「全力でかかってこい。リルナ。これまでの俺とは、一味違うぞ」

 

 ようやくだ。

 これまでの世界で培ってきたすべての力を、如何なく発揮することができる。

 これでやっと、まともな勝負ができる。

 そして今度こそ、お前に負けるわけにはいかない。

 

 身に纏う雰囲気の変わった俺を見て。

 リルナは、何を思ったのだろうか。

 一瞬だけ。だが確かに、ふっと表情を緩めた。

 それからはもう、元の氷のような表情に戻って。

 こちらをいつもの殺意に満ちた目で睨み付けている。

 そして、両手甲から水色の光刃を放出して、俺に向かって突きつけた。

 

「《インクリア》。バスタートライヴモードに移行――ユウ。これで最後だ。お前を殺す」



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37「Decisive Battle on Fatal Express 2」

 リルナは早速《パストライヴ》で正面から消えた。

 相変わらず全力で殺しにかかってくる。お得意の戦法だ。

 俺は振り返らずに、精神を集中させて、右足を強く踏み込んだ。金属製の車両がべこんと凹むほどの踏み込みだ。

 その足を軸として重さを乗せ、気を纏わせた左足を放つ。

 この世界ではずっと気力が足りなくてできなかった、足技の気拳術だ。

 

《気烈脚》

 

 狙い澄ました強烈な蹴りは、すぐ側で攻撃に移ろうとしていた彼女の機体を、再びワープでかわされる前に捉えた。

 ガッと鈍い感触が伝わる。身体の芯を捉えた感じではない。

 しかし『心の世界』の力も上乗せしているので、バリアに弾かれてもいなかった。

 どうやら咄嗟に腕を回してガードしたらしい。さすがに戦い慣れている。

 

「また《ディートレス》を……!」

 

 驚きを隠せない声で言うや否や、彼女は再び消えた。

 死角より斬撃が迫る。

 それも殺気を読めば、位置はわかる。感じ取ったそこに気剣を振り抜く。

 と、今度はきっちりワープで避けられる。

 俺は慌てることなく、くるりと身体を捻る。

 攻撃の勢いを殺さぬまま、彼女の再出現位置に剣を合わせた。

 互いの光刃がぶつかり合って、眩いばかりの火花を散らす。

 この構図も、幾度目になるだろうか。

 見れば、彼女の右腕はややだらしなくぶら下がっていた。

 まったく使い物にならなくなった感じでもないが、しばらくはまともに動かせなさそうだ。

 いきなりぶちかましてやった《気裂脚》のダメージは、しっかり通っていたらしい。

 これで片腕同士。早い段階で対等な状況に持ち込めてよかった。

 

「やはり、お前は強敵だ」

「あんたも、ほんとに強いよ」

 

 剣を合わせながら、彼女はどこか楽しそうだった。

 戦いの最中にそんな顔をした彼女を見たのは、初めてだった。

 一体何が彼女をほんの少しであれ、変えたのだろうか。

 

「それでこそ、殺しがいがある!」

「片腕だけで勘弁して欲しいね!」

 

 彼女は再び姿を消した。

 ショートワープを繰り返しつつ、変幻自在の動きで怒涛の攻撃を仕掛けてくる。

 こっちでも使ってみて思ったけど、本当に厄介で便利な能力だ。何年か前の俺だったら、もう何回命を落としているだろうか。 

 とにかく、今は通用していた。

 俺は彼女の攻撃を受け切り、時には避け、隙を狙って反撃もできている。

 バスタートライヴモードでスピードが遥かに向上している彼女の動きにも、問題なく付いていけていた。

 

《フレイザー》

 

 彼女がそれを宣言するとほぼ同時。

 視界を埋め尽くすほど凄まじい数の光弾が発射され、周囲を蜂の巣にしていく。

 

 来た。前回の俺が完全にやられた攻撃だ!

 

 あのときは、全力で防御に回るしかなかった。結果、致命的な隙が生じてしまったけど。

 今度はそうはいかない。

 命中軌道上の部位だけに絞って、集中的に防御を強化する。怯まずに反撃できる体勢を維持する。

 

《インテンシブガード》

 

 ピンポイントで強化した気の防護は、危なげなく光弾を弾いてくれた。

 数は鬼のように多いが、一つ一つの威力はそう恐れるものでもない。

 護りを維持しつつ、やや強引に突っ込んでいけば、今度は隙を晒しているのはリルナの方だった。

 俺が剣を振る姿勢に入ったのを認めた彼女は、直ちに射撃を中止し、回避行動に移る。

 だが、少しだけ遅い。

 瞬間移動で消えてしまう前に、浅くではあるが、胸の辺りを斬り付けることができた。

 決定打にはならなかったか。さすがはリルナだ。

 

 その後も、一進一退の攻防が続く。

 無闇にワープを繰り返しても見切られていると悟ったか、消える頻度だけで言えば減りつつあった。

 その代わり、攻撃直後の体勢を狙う、あえてタイミングをずらして使うなど、テクニカルな使い方をしてくるようになった。

 やはり戦闘経験値が高い。己を知り、機能を十全に使いこなすところに彼女の強さがある。

 致命傷こそ避け続けたものの、いくつも浅傷をこさえ、衣服にもじわりと朱が滲んでいた。

 これ以上はまずい。元々血を失っているからだ。

 リルナもまた無傷ではない。絶対防御が意味を為さず、俺の気剣によって機体のあちこちに切り傷が付いていた。

 機動パーツが破損してきたのか、向こうにも徐々に焦りが見られる。

 やがて、幾度目になる鍔競り合いの果て。

 互いに距離を取った俺たちには、共通認識が生まれていた。

 この戦い、もう長くはない。

 

「まさか、これほどダメージを受けることになるとは思わなかった」

「言っただろう。これまでとは違うって」

「……《ディートレス》解除。ハイパーアタックモードに移行」

 

 彼女の両手甲より飛び出している光刃が、さらに激しく輝きを強めた。

 恐ろしいほどのエネルギーが集中している。

 俺の攻撃が《ディートレス》を突き破ることを認めたリルナは、潔く攻撃特化の型に変更してきたようだ。

 ぼちぼち彼女の右腕も復活していた。これだけ時間が経てば、さすがに動くようになったか。

 

「その仰々しいモードの名前は、設計者の趣味?」

「知るものか。いい加減、そろそろ決着をつけよう」

「最後にもう一度聞くけど。ここらでやめにしないか」

「……わたしは、お前に最後まできっちり勝ちたいんだ」

「そうか。勝ちたい、か」

「もう逃げるな。これ以上、わたしに追いかけさせるつもりか?」

「……わかった。全力で迎え撃とう」

 

 もう言葉は要らなかった。

 お互い、次の一撃に全力を賭けるつもりだ。

 持てる武器に、力を込めていく。

 気剣は白から、目の覚めるような青白色に変化する。

 

 そして。

 示し合わせたように、同時に駆け出した。

 

《インクリアハーツ》

《センクレイズ》

 

 最速の突きの型でもって、俺は彼女に向かっていく。

 彼女も、瞬きをする間もない刹那に、一気に距離を詰めてくる。

 その手より、煌々ときらめく双剣を突き出して。

 

 気剣は、ある程度なら形状変化させられる。

 俺は剣先を細めて引き伸ばし、さらにぎりぎりまで尖らせるつもりだった。

 

 ここまで戦っていて、よくわかった。

 たとえ《マインドバースト》を使っても。

 リルナは強い。悔しいけど、実力ではまだ勝てない。

 殺し合いの土俵で戦うならば。このまま真っ向に刃をぶつけるならば。

 結末は、俺の敗北。そして死だ。

 

 だから。

 

 狙うは、一点のみ。

 

 最後の一押しだ。

 捨て身の覚悟で、気による推進力をかける。

 

 貫け!

 

《バースト》!

 

 いよいよぶつかり合う直前で。

 俺の気剣は、爆発的な勢いを付けて伸びた。

 

 そして。

 

 相手の刃が達するより、ほんのわずかだけ早く――。

 

 彼女の胸を。

 極めて細く、鋭く。

 ただ一点だけを、正確に刺し貫いていた。

 

 そのとき、彼女の刃は――。

 

 俺の首筋に付けたところで、ぴたりと止まっていた。

 

 

 ――俺は、本当のお前を信じていたよ。リルナ。

 

 

「ふ、ふふ……」

 

 彼女の口から、乾いた笑みが漏れる。

 そのうち堪え切れなくなったのか、心の底から愉快に大笑いし始めた。

 

「ユウ! お前は、本当に甘い奴だな!」

 

 彼女は、まるで憑き物が落ちたかのように、すっきりした顔をしている。

 透き通るような青の瞳に、もう憎悪の濁りはない。

 とても綺麗な目だと思った。

 そう。

 当然、最初から俺の狙いは、彼女の命などではなかった。

 その胸に憑り付いていた、何よりも邪魔な|CPD(もの)。それだけだったんだ。

 

「殺し合いの方は、どうやらわたしの勝ちだな」

 

 首筋にぴたりと当たっていた刃に、ほんの少しだけ力を込められる。

 ちくりと痛みを感じたところで、彼女はふっと柔らかく微笑んだ。

 そして、あっさりと刃をしまう。

 俺も、彼女を貫いていた気剣を解除した。

 正確にCPDだけを狙ったから、動力炉に一切のダメージはないはずだ。

 

「だが、勝負の方は……負けたよ。完敗だ」

 

 心底悔しそうな顔で俯き、拳をぎゅっと握る彼女。

 負けず嫌いでしつこいのは、きっと元々の性格なのだろう。

 そのうち顔を上げた彼女は、ちょっと非難するような目で尋ねてきた。

 

「わたしが、あのまま首を刎ねるとは思わなかったのか?」

「さあどうだろうね。でもまあ、俺の見込み違いなら、それまでだったってことだよ」

「ふっ。本当に変わった奴だ。お前は」

 

 それからの彼女は、ようやく素直に話に応じてくれるようになった。

 時間がないので、手短に事情を話していく。

 彼女は相当ショックを受けた様子だった。聞いている最中、ふるふると肩を震わせていた。

 どうやら彼女自身も、ウィリアムと戦ったときには、既に半信半疑の状態に陥っていたようだ。

 それでも俺との決着を第一に優先させたのは、どうしても白黒はっきりさせたかったのだろう。

 自分の内に宿る殺意にも疑念にも、一切目を背けずに。

 大変だったけど、本当に真っ直ぐな彼女らしいなと俺は思った。

 

 とそこで、彼女の懐で通信機器が鳴った。

 彼女は「失礼」と言って、すぐに出る。

 どうやら相手はトラニティのようだ。

 ややしばらく話をして、彼女は通信を切った。

 途中、妙に声を荒げていたけど、どうしたのだろうか。

 

「何の話だったんだ」

「お前は別に知らなくてもいいことだ」

 

 リルナは、やれやれと溜め息を吐いた。

 そう言えば、小隊の隊長なんだよね。

 これで結構、部下の相手には苦労しているのかもしれない。

 

「俺たちと一緒に来るか?」

 

 誘ってみたが、リルナは静かに首を横に振った。

 

「いや。わたしにはまだ、首都ですべきことが残っている」

 

 なるほど。確かにそうだ。

 ナトゥラの中枢に近い彼女にしかできないことは、山ほどあるだろう。

 彼女の決然とした瞳を、じっと見つめた。

 責任感の強い彼女のことだ。きっと彼女なりに、できることをやろうと思っているのだろう。

 俺はあえて何も言わなかった。

 

「さあ。すぐに最後部車両を切り離せ。もうすぐディークランがやって来る」

 

 言われた通りにすると、彼女は右手を砲身に変化させた。

 

《セルファノン》

 

 俺と彼女の中間地点。

 何もないトンネルの天井に向けて、それは放たれた。

 激しい衝撃を受けて、トンネルはがらがらと音を立てて崩れてゆく。

 

 追跡の手立てを断ってくれたのか。ありがたい。

 

 積み重なっていく瓦礫の向こうから。

 リルナは、真っ直ぐ熱い眼差しで、こちらを見つめ続けていた。

 

「この借りは、いつか必ず返す。待っていろ」

「うん。待ってる」

 

 この世界に来てから初めて、晴れやかな気持ちが心を満たしていた。

 犠牲になったものは、あまりにも大きい。助けられなかった命が、いくつもあった。

 どこまでも、辛いばかりの戦いだった。

 だけど、やっと。

 やっと始まったんだ。本当の戦いが。

 

 

 ***

 

 

 やがて、ディークランに先立ち、まずプラトーがそこへ到着した。

 彼は、一両だけ残った車両の上にぽつんと立つリルナを見つけると、急いで駆け寄っていった。

 

「リルナ。なぜ一人で先走った。心配したぞ」

「プラトーか。すまない。逃げられた」

「怪我が多いようだが……大丈夫か? 一度メンテナンスを受けた方がいいんじゃないのか」

「いや、構わない。いたって『正常』だ。首都に戻って体勢を整え次第、すぐに奴らを追う」

「ああ。そうだな……」




 以下、リルナとトラニティの会話内容。

『もしもーし。リルナっち』
「トラニティか。動けるようになったのか?」
『はい。やっと修理が終わって、動けるようになりましたよ。それより、たった一人で敵を追いかけるなんて、何考えてるんですか。もう!』
「悪いな。居ても立ってもいられなかったのだ」
『でも安心して下さい。そろそろディークランの皆さんが、そちらへ追いつく頃合いですよ』
「そうか。わかった。それで、修理の具合はどうだ」
『えーと。CPなんちゃらって部品だけは、中央工場から取り寄せないといけないみたいですが。それ以外は特に』
「よし。ちょうどいい。お前にお願いしたいことがあるのだ。少々内密にな」
『ええっ!? 私、そんな……。リルナっちなら、いいですけど……。でもいきなりだなんて、心の準備が』
「一体何を考えてるんだ、お前は! 真面目な話に決まっているだろう。詳細は後で話す」
『はーい。了解でーす。それではまた♪』
「ああ。またな」


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38「ナトゥラ第二の都市 メーヴァ」

 ルオン地下鉄道での戦いから、一週間が過ぎようとしていた。

 俺は今、ナトゥラ第二の都市と呼ばれるメーヴァという所にいる。ディースナトゥラから約1500キロ、ティア大陸とエルン大陸を隔たるミロウ海峡からは約40キロに位置する都市だ。

 俺たちはしばらくの間、ここにある『アウサーチルオンの集い』メーヴァ支部の地下アジトに滞在することになった。

 俺たちは戦いで傷付いた身体を、テオは拷問で受けた傷を、それぞれ癒しているところだ。

 十分休養し、準備を整えてから機を窺い、ミロウ海峡を海路で渡る。ティア大陸の玄関口、港町ポーサに向かう予定だ。

 そこまで行ければ、やっとヒュミテ領に入る。ようやく一安心できるわけだ。

 とは言っても、首都ディースナトゥラから脱出できた時点で、既に危険度は著しく下がっている。

 それに何より、あのリルナが敵に回らなくなったのが大き過ぎる。他の奴が相手なら、大体はどうとでもなるからね。

 まあ、いつどこから狙ってくるかわからないプラトーだけは危ないけど……。

 感知タイプのザックレイが亡くなったことで、彼の脅威も半減している。

 あいつにしても、直接的な戦闘力では、さすがにリルナには及ばないだろう。

 

 あの後の話をしよう。

 精一杯気を張っていた俺だったが、彼女の姿が見えなくなったところで、肩の力が抜けたというか。

 そのままふらっと気を失ってしまった。電車の上だったから危なくて、後でたっぷり怒られたよ。

 死にかけたほどの無理は相当祟ったみたいで、それから丸三日は目が覚めなかった。

 気が付いたら、先に「私」の方が目を覚ましている始末だった。

 必要がなかったので、「私」は俺が寝ている間に勝手に身体を動かすようなことはしなかったみたいだ。俺の隣で、ずっと目が覚めるのを待っていてくれていた。

 目覚めた後はおいしいものもたくさん食べた。

 メーヴァはティア大陸から食料品を密輸入していて、食べ物の種類もずっと豊富だった。

 おかげで少しは血も戻ったと思う。

 

 ……左腕がないのだけは、どうしても喪失感がやばいけどね。

 

 CPDに半ば操られていたようなものとは言え、リルナは本当にこっぴどくやってくれたよ。

 何度死ぬかと思ったことか。

 どんなに逃げても、どこまでもどこまでも追いかけてくるし。いきなりワープで飛んでくるし。

 いざ向き合えばさ。滅茶苦茶怖い顔して、殺す殺すって。ほんとに容赦なく殺しにかかってきたからな。

 こっちの攻撃はほとんどワープで避けられるし、ようやく当てたと思ったらバリアのせいで全然効いてくれないし。

 ああ。思い返してみたら、よく生き残れたなって思うよ……。

 最強のナトゥラだとかナトゥラ兵器だとか周りから言われてたけど、そう言われるのももっともだよな。

 一人だけ明らかにスペックおかしいもん。

 ほんと、誰が設計したんだろう。

 やっとのことでまともに戦えるようになったけど、俺の能力だってまあ裏技みたいなものだからな。

 なんかまともに通用したって気がしないし、まだまだ勝てる気がしない。

 あー、ものすごく怖かった。笑えばあんなに素敵なのに。

 

 ……。

 

 とにかく。あのしつこさは、軽くトラウマになるレベルだったよ。

 しばらく夢に出てきそう。もう二度と戦いたくないね……。

 

『よしよし。よく頑張ったね』

『ね。頑張ったよね。俺たち』

『私もね。リュートと隠れたときは、さすがに死を覚悟したけど』

『色々助かったよ。えらいえらい』

『えへへ』

 

 誰も見てない『心の世界』で、二人でよしよしタイムを堪能しておく。

 寂しがりの甘えん坊な自分同士。求めるところもわかっていて、相性は最高だった。

 

 それはさておき。

 まあ腕については、くよくよしても仕方ない。命に比べたら安いものだと思うしかないか。

 それに当てもある。

 ルオンヒュミテまで着けば、最高の技師を用意して、高級戦闘仕様の義手を無償で取り付けてくれるとテオは約束してくれた。

 何でも神経を繋ぐ機械式のものだそうで。本物の腕にはやや劣るものの、きちんと触覚もあり、意のままに精密に動作するとのこと。見た目も人間の腕と変わらないと。

 全身フル機械のナトゥラが普通にいるくらいだから、さすがにそんなものはヒュミテ側でも簡単に作れますって口ぶりだったけど、改めてこの世界の技術水準の高さを感じたよ。

 しかし左腕が機械って。なんか改造人間みたいで、妙な気持ちになるなあ。

 

『小さいときのユウだったら、カッコいい! って無邪気に喜んでそう』

『そのときはそのときだから』

 

 あと結局、義手は義手だからね。

 本物と違って、左手から気剣を出せるようになるわけじゃない。精々が気を纏わせる程度のことしかできないはずだ。

《マインドバースト》を編み出したことで、この世界に来たときと同等以上の実力まで戻すことはできた。

 とは言え、やはり他の世界での万全な状態の自分に比べると、相応の弱体化は否めないところがある。

 

 ところで、俺が気を失っている間に、ちゃんと預かってくれたみたいで。

 リュートの方も無事に修理が済んだ。

 通信機ごしに彼の元気そうな声が聞こえてきて、心からほっとしたよ。

 何とか彼だけでも助けられて、本当によかった。

 捜査の目が厳しくなっているから、クディンたちは別のアジトに移動して、しばらく大人しく身を隠すつもりのようだ。

 今もお世話になっているけど、彼らのサポートなしでここまで逃げることはとても不可能だっただろう。こちらからは何もしてやれないのが心苦しいけど、せめて上手く捕まらずにいてくれることを祈る。

 

 

 ***

 

 

 さて、ようやくまともに動けるまで回復した私は。

 今やっとベッドから抜け出して、街の方へ散策に出かけようとしていた。

 あえて女の私でいるのは、「俺」が顔写真付きで思いっ切り指名手配されているからだ。

 私の方はまだ出回っていないみたいだけど、時間の問題かもしれない。

 懸賞金百万ガル。

 知らないうちに懸賞金が十倍にも跳ね上がっていた手配書を見つめて。

 私は頬が引きつるのを感じながら、苦笑いした。

 

 メーヴァの街並みは、ディースナトゥラと比べるとやや落ち着いた雰囲気だ。

 相変わらず空を当たり前のように車が飛んでいる光景に変わりはないが、首都に比べればその数は一段と少ない。

 高層ビルが所狭しと立ち並んでいるわけでもないし、周りにやたら高い外壁があるわけでもなければ、どの建物も目に毒な銀色のポラミットで覆われているわけでもない。

 むしろ、カラフルな色合いだった。

 道は相変わらず、歩行者の利便を中心に据えて設計されている。

 広めの道の真ん中には、時折、街路樹が植えられた休憩スペースがあったりもする。

 そういうささやかなところも、私的にはポイントが高かった。

 全体として統一感のない街並みで、何か一見して目に付くような建物があるわけでもない。

 首都のように入念な都市計画の下に作られたというよりは、住宅街として自然に大きくなっていったという性格が強そうだった。

 実際、住むには向こうよりずっと雰囲気が良さそうなところだ。

 お店もニーズを踏まえてなのか、高級品よりかは生活に身近なものを揃えているところが多い。

 首都を歩いていると息が詰まるような気分を覚えたものだけど、この街にはそれがなかった。

 久しぶりに、清々しい解放感を味わった。

 

 あ、そうだ。服買わないといけない。

 プラトーの奴が大事なウェストポーチをダメにしてくれて、中身も一緒になくなってしまったんだった。

 そのことを思い出して、軽く落ち込む。

 また一つものが消えて、思い出だけになってしまった。

 そう言えば、あの中に世界計も入ってたんだったね。

 でもあれは……。

 レンクスがどんな魔法やら技やらをかけたのか知らないけど、本当に頭おかしいくらい頑丈なんだよね。

 だからあれだけは、思い出にならないというか。あのくらいの攻撃じゃ、びくともせずに残っているんじゃないかな。

 ってことは、今頃はディークランに押収されちゃってるかもしれない。

 取り戻しに行くのは……無理っぽいか。

 どうもあの変態は、プレゼントした世界計を目印に私の居場所を把握してるみたいだから(ストーカーかっての)。

 今度私のところに来るときには、ちょっと苦労するかもしれない。しょうがないね。

 

 というかさ。

 私も「私」も、不満が抑えられなかった。

 マジであいつ。いっつも肝心なときにいないんだから。

 今回だって、レンクスがいたら。きっと誰も死なずに済んだのに。

 だけど、いつも遠く離れた世界から渡って来るのは、本当に大変そうだからね……。

 ほんとは文句を言うべきじゃないのもわかってる。

 私がもっとしっかりしなくちゃ。もっと強くなっていかないと。

 

 そういや私って、能力の特性から、際限なく成長していける素質があるんだっけ。

 確かに少しずつ成長してるのはしてるみたいなんだけど……。

 他のフェバルとの距離があまりに遠過ぎてね。うん。

 リルナ相手で手一杯の私に、世界をどうこうする力なんて、やっぱりないよ。

 どうこうできそうな方の『心の世界』の力は、もれなく制御が効かなくて暴走のおまけ付きだし。

 本当に自分は彼らの仲間なのかなって、首を傾げてしまう。

 でもいつか。レンクスみたいに、色んなものを余裕で守ってやれるような力を身に付けたいな。

 本当に……そうなりたい。

 頑張ったら頑張っただけ、着実に成長していける能力なんだから。まだ十分過ぎるほど恵まれてる方だよね。

 これ以上を望んだら、きっと罰が当たる。

 世の中には、いくら努力したって才能の限界で届かないことなんて、数え切れないほどあるもの。

 それに比べたら、天と地ほどの差だって、少しずつ埋めていけるだけ遥かにマシってものだよ。

 よし。頑張ろう。動けるようになったし、今日からまた修行を再開しよう。

 てことで、まずは動きやすい服選びからかな。

 久々のショッピングが楽しみで、気分が弾んできた。

 

 

 ***

 

 

「このスカート、かわいい。あ、でもこっちもおしゃれな感じで捨てがたい」

 

 ぶつぶつ独り言を呟きながら、かれこれ二時間は買い物を続けていた。

 ショッピングってついつい、時間を忘れて楽しんでしまうよね。

 お金はクディンからもらったのがたくさんあるし、奮発しても全然問題ない。

 ただ、あまり多く買っても荷物になってしまうから、買う服は選ばないといけなかった。

 しかも、大体はユニセックスなもので揃えないといけない。

 ユニセックスなものってデザインが限られてるから、どうもおしゃれに欠けるというか。そこが残念なところ。

 男女それぞれ専用のものは、せいぜい一、二着ずつが限度だろう。

 男物はすぐに決まったけど、私は女性用の服をどれにするかで迷っているのだった。

 選ばないといけないとなると、あれこれ目移りしてしまう。見ているだけでも楽しいしね。

 

「へえ、こういうのもあるのか。この世界の流行なのかな。ん、これもかわいい」

 

 その辺りで、たまらず「俺」は「私」と分かれた。

『心の世界』で、女の身体から一つ分くらい距離を取る。

 一々男の身体に戻るのも煩わしいので、精神体のままで不平を言った。

 

「ちょっと待った。そろそろいい加減選びたいんだけど」

 

 女の身体に残っていた「私」は、ちょっぴり口を尖らせて反論してくる。

 

「せっかく久々にゆっくりできるんだよ。一緒に楽しもうよ。私とくっついてるんだから、つまらないってことはないはずだけど」

「君の買い物好きには困ったよ。さっきまで本当に楽しいと思わされていた自分が怖い」

 

 マジで「私」の影響って大きいんだな……。

 

「もしかしなくても。君ってその気になったら、俺のことどうにでもできたりしない?」

「さあどうかしら。これだけ付き合い長いと、段々裏からの操り方も心得てはきたけどね」

「さらっと怖いこと、言わないでくれよ……」

「あはは。冗談だって。私がユウのこと悪くするつもりがないのは、よく知ってるでしょ」

「それはまあ、うん」

「あ、でもショッピングはまだまだ楽しむつもりだからよろしく。ほら、お・い・で」

 

 にこやかな笑顔で手招きする「私」に、操り方という言葉も相まって、何か怖いものを感じてしまった俺は、また融和することに躊躇いがあった。

 びびって動けないでいる俺を見つめた「私」は、まるで母さんがそうしていたように、指先を唇に添え、からかうような笑みを浮かべる。

 

「ふふ。なに今さらびびってんの」

「いや、その……」

「じゃあ言うけど。誰が身を挺して、瀕死のあなたを助けてあげたと思ってるのかな?」

「う゛っ」

「そ・れ・と。私に許可取らないで、刑務所でリルナと戦ったときと、中央管理塔で箱に飛び込もうとしたとき。勝手に二回も思い付きで《パストライヴ》使ったせいで、後の暴走に繋がってしまったわけだけど。それをやらかしてくれたのは、一体誰なのかしらね」

「うぐ……!」

「うん。いいんだよ。私の役目はあくまでサポートなんだから、別にいいんだけどね」

「わかりました! 言う通りにします! ごめんなさい!」

 

「私」はうんうんと、満足そうに頷いた。

 

「たまにはご褒美くれたっていいよね。あなたがメインで動いてくれないと、私だけじゃ数分ともたないんだから。お願いね」

「はい……」

 

 俺はなるべく余計なことを考えないで、心の赴くままに任せることにした。

 そうしていると、私の行動は大体「私」がやったようになるので。

 

 私は、すぐに店員に声をかけた。

 自分でもわかるくらい声が弾んでいる。

 

「これ、試着させて下さい。あと、これとこれもいいですか?」

 

 色々迷った末、下はショートパンツ、上はキャミソールにジャケットを重ねるという組み合わせに決まった。全部それっぽいもので名称は違ったけど。

 一、二着しか買えないとなると、結局いつものセンスに落ち着いてしまうのはあるあるかな。

 せっかくなので、すぐに着ていくことにした。どうせしばらくは女のままだしね。

 うん。いい買い物した。リフレッシュできた。

 

 

 ***

 

 

 アジトに戻ると、別々に外出していたアスティも帰ってきていた。

 

「あ、ユウちゃん。おかえり~」

「ただいま」

 

 私が目を覚ましたときは、まだ仲間を失った辛さで顔を伏せがちだったけど。

 今はもう、ほとんど元の通り元気になっているように見える。

 さすが戦士だけあって、心も強いというか。立ち直りも早いのかもしれない。

 彼女は私の服装が変わっていることにすぐ気付いて、ぱっと顔を明るくした。

 

「お、新しい服買ったんだね~。いつも男女兼用のものばっかり着てたから、なんか新鮮」

「たまにはらしい格好をしようかなって」

「似合ってるよー」

「ありがと」

 

 そこで彼女は、何か含みのある笑顔を浮かべた。

 

「それよりね。ユウちゃん。見せたいものがあるのよ」

「なに?」

「じゃーん。題して、戦場の乙女」

 

 アスティの手招きに従って現れたラスラの姿を見た瞬間、思わず吹き出してしまった。

 

「ぷっ。あはははは!」

 

 彼女は、いかにも女の子らしいフリフリしたドレスで全身を固めていた。

 あまりにらしくない恰好だった。

 いつも後ろで束ねていた黒髪が下ろされて、肩のところまでさらさらと流れている。

 それだけだったら、美人で済む話なのだけど。

 ただ、もう目つきがものすごく悪い。

 戦闘服との相性は抜群だけど、上品なドレスの中に入れてみると、柄の悪さばかり浮き立つ。

 なんていうか、絶望的に似合わないの!

 さらに、そんな恰好でいるくせに、腰にはきっちりスレイスを付けていた。

 これがもう、あまりにも無骨で浮いている。

 何より。当人が恥ずかしさからか、顔を真っ赤にしているのが、余計に笑いを誘った。

 

「きゃははは! あー傑作!」

 

 アスティも、改めて腹を抱えて大笑いしている。

 

「おい! 貴様ら、笑うな!」

「あはは! だって、ラスラねえ! 目つきが怖いよ。嫁入り前の乙女なんだから、もっとおしとやかにしなきゃ!」

「誰が嫁になど行くかっ!」

「あははは! ごめん。ふふふ……!」

 

 アスティが馬鹿みたいに笑い続けるものだから、私もつられてしまってダメだった。

 ラスラは追い打ちをかけるように、ぷんすかしている。

 

「くそっ、気まぐれでアスティにそそのかされて、こんな服など着なければよかった……」

「ふふ。ロレンツも見たら、絶対笑うと思うよ」

 

 タイミングというのは重なるもので。

 そこにちょうど、ロレンツがやって来たのだった。

 

「帰ったぜ――ぶっ! はっははははは! なんだそれ! 新手のギャグか!」

「やかましい! 斬り殺すぞ!」

 

 腰にかけたスレイスを引き抜いてキレるが、可愛いらしい服装のせいか、真っ赤になった顔のせいなのか、いまいち迫力がない。

 それが余計に笑いを誘うのだった。

 

 

 ***

 

 

 みんなでひとしきり笑った後、ロレンツが言った。

 

「そうそう。後一時間くらいしたら、みんな客間の方に向かってくれないか」

「何かやるの?」

「ああ。まだ完全に逃げ切れたわけじゃないけどよ。とりあえず首都は抜け出せたし、ディーレバッツはもう本気で追ってこないみたいだし。最大の危機は脱したってことでな」

 

 彼はパチリとウインクする。

 

「前祝いにはなるが、みんなの快方祝いも兼ねて、ちょっとした宴でもやろうかって話になったのさ。それに、いつまでも悲しんでても仕方ねえからよ」

 

 デビッドたちのことを思い出したのか、彼は一瞬だけ顔を暗くしたが。

 でもすぐ元の調子に戻った。

 

「もちろん、酒も料理もたっぷりあるぜ」

「その言葉、待ってました♪」

「そうだな。たまには羽目を外すのもいいだろう」

 

 アスティがうきうきした顔になり、ラスラもまんざらでもなく頷いている。

 

「当然、ユウも来るだろ?」

「うん。もちろん行くよ」

 

 宴か。楽しみだな。



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39「ユウ、酔っ払う」

 一々着替えるのも面倒だったので、女のままスレイスを使って剣の修練を済ませてしまった。

 きっちり一時間後に客間へ向かう。

 そこには既に何人ものアウサーチルオンが集まって、わいわいがやがやしていた。ここのアジトで世話をしてくれているナトゥラたちだ。

 一番の上座には、主催であるテオがどっしりと構えて座っている。彼は頬杖をついたまま、全体の様子を微笑ましそうに見つめていた。

 普段は王とは思えないくらいに威厳もまったく感じさせず、気さくに話をしてくれる彼だが。

 いざ収まるべきポジションに収まってみると、中々様になっていると感じた。

 これが玉座だったら、もっとしっかり王様らしく見えたことだろう。

 既にラスラはテオのすぐ隣、右斜め前の席に座っていた。

 他にもテオの近くはいくつか席が空いている。どうも私たちのために空けていてくれているらしい。

 私はラスラの向かいに座ることにした。

 待っていると、アスティがやってきて私の隣に座った。

 最後に、私たち五人分のお酒の入ったジョッキを持って、ロレンツが客間に入ってきた。

 それらを一つずつ私たちの目の前に置いてから、ラスラの隣に座る。

 

 やがて全員が揃ったところで、テオがすっと立ち上がり挨拶を始めた。

 みんなの視線が一斉に彼へと集まる。

 

「今宵はよく集まってくれた。まずはお礼を言わせてほしい。ぼくなんかのために死力を尽くして、見事助け出してくれたこと、心からありがたく思う」

「ぼくなんかのためにとか、それは言いっこなしだぞ。テオ」

 

 ラスラから野次が飛んだ。

 テオは肩を竦めて、静かに頷いた。

 

「そうだな。言葉を変えよう。ヒュミテの王たるこのぼくを助けてくれてありがとう。無事ルオンヒュミテに戻ることができたなら、そのときは必ず君たちに力を尽くすと誓おう」

 

 みんなの熱い眼差しを注がれて、テオは続けた。

 

「犠牲になった者たちは数知れない。だが、ぼくたちがいつまでも嘆き悲しんでいては、未来を託して亡くなった彼らも浮かばれないだろう。今日はあえて辛いことも忘れて、楽しくやろう」

 

 その通りだよね。今日は楽しくやろう。

 

「では、堅苦しい挨拶はこのくらいにして。ヒュミテとナトゥラのために」

「「ヒュミテとナトゥラのために」」

 

 一斉にその言葉が唱和される。宴会が始まった。

 

「かんぱーい」

 

 自分のジョッキを持って、隣のアスティとジョッキをぶつけようとした。

 が、まったく相手にされず、すっとかわされてしまった。

 

 あれ?

 

「ユウ。お前、一人で何やってんだ?」

 

 既にジョッキを傾けて中身を飲み始めていたロレンツが、変なものを見るような目をこちらに向けてきた。

 

「え、えっと。何でもない」

 

 そっか。この世界には、乾杯の習慣がないのかな。

 つい癖でやっちゃった。ああ恥ずかしい……。

 

 一口だけジョッキに口を付けると、お酒特有の喉の奥がカッと熱くなるような感じがした。

 結構アルコールの度数が高いみたいだ。

 これを飲むのはまずいなと思って、ソフトドリンクを探しに席を立つことにした。

 お茶のような飲み物を見つけた私は満足して、それをグラスに注いでから席に戻る。

 それからは、時々それを飲みながら、おいしい料理に舌鼓を打った。

 

「さっきからお酒ほとんど一滴も飲んでないけど、どうしたの?」

 

 宴もたけなわになったところで、アスティが不思議そうに尋ねてきた。

 彼女は大分酔いも回って、気持ち良さそうにしている。

 

「あ、いや。お酒はちょっとね……」

 

 肉体的にはまだ半分子供のまま止まっているからかな。

 どうもお酒が入ると、過剰に回り過ぎるというか。

 大人になったとき、試しに一回飲んでみたことがあるんだけど。

 その後、ひどいことになったから。

 うう。思い出したくもない……。

 それ以来、自重してるんだよね。

 

「なんだぁ? ユウ! ノリがわりいぞ!」

 

 顔を真っ赤にしたロレンツが、語気を荒くしてこちらにやってくる。典型的な絡み酒だった。

 つい顔をしかめてしまったところに、彼は馴れ馴れしく肩に手を回してくる。

 うわ。息が酒臭い。

 

「おい、遠慮せずに飲めって」

「いや、いいよ」

 

 さらにそこへ、なみなみとグラスいっぱいにお酒を注いだラスラが近づいてきた。

 彼女はアスティやロレンツと違って、あまり変わった様子は見られない。お酒には強いようだった。

 

「こういうときに飲めないというのは、感心せんな」

「そうかな」

「そうだぞ。一杯くらい付き合え。ほら」

 

 結局断り切れずに、やや押し切られる形で飲まされてしまった。

 口を近づけた瞬間、強烈なアルコール臭が鼻をつく。

 どうも苦手なんだよね。これ。

 そこにロレンツが、不意打ちを仕掛けてきた。

 グラスを傾けて、一気に飲ませてきたのだ。

 びっくりする間もなく、喉を焼くような熱さが、食道を縦に突き抜けていく。

 むせて、咳き込む。

 

「けほっ! けほっ! これ、相当強いやつじゃないの?」

 

 不安になって尋ねてみると、ラスラは事もなげに答えた。

 

「何のことはない。ほんの20パーセント程度だ」

「あ、ああ。まずい……」

「大丈夫だって。すぐ効いてきて、気持ち良くなってくるから。ね、ユウちゃん♪」

 

 アスティの言葉通り、酒の効果は間もなく現れた。

 何かを考えようとしても、靄がかかったように浮かんでこなくなって……。

 

 あれぇ。頭が、ぽーっとしてきたぁ。

 

 

 ***

 

 

「えへへ……」

 

 既に半ば平常の理性を失ったユウは、目をとろんとさせて、恍惚の表情を浮かべていた。

 普段はさほど強くは感じさせないのだが。すっかり紅潮した頬も相まって。

 今は成熟しかけのまま成長の止まった、瑞々しい少女の色気をむんむんと醸している。

 

「おいしい」

 

 その声は、やはり普段はほぼ決して出すことのない、甘えるような蕩けるソプラノだった。

 ユウは躊躇うことなく、グラスに注がれたお酒の残りをぐいっと飲み干す。

 

「お、なんだよ。全然いける口じゃないか」

 

 実はロレンツが多少無理にでも彼女に酒を飲ませたのは、ただの悪乗りではない。

 彼なりに表と裏の魂胆があってのことだった。

 表の方の魂胆は、この場にいる全員に共通の理解がある。

 

 このまま思いっ切り酔わせてこいつの口を軽くしてやろうぜ、とロレンツが目配せする。

 アスティとラスラは、意図を察して小さく頷いた。

 

 ユウはただのヒュミテではない。

 明らかに何かの秘密があって、しかもそれを話さないでいる。

 そのことを列車での治療の一件で決定的に突きつけられた三人の、ささやかな作戦だった。

 悪意はない。酒の席を利用して、根掘り葉掘り聞いて、より仲を深めようと考えたのだ。

 実は、素面のときに素直に聞いておけば、大体はすぐに話してくれる程度のことだったのだが。

 戦いの日々の中本心を隠すことに慣れてしまった三人は、そのことに思い至らない。

 そんな彼ら四人の様子を、テオは一歩引いたところで愉しげに観察していた。

 

 そして、ユウはというと。

 べったりとラスラの肩にまとわりついて、女性の柔肌同士を触れ合わせていた。

 

「ラスラぁ。おかわりちょうだい♪」

 

 蕩けた猫撫で声で、控えめにグラスを突き出す。

 己を押さえつけていた理性が吹っ飛んだので、元々重度の甘えん坊な彼女は、もう甘えることに対して一切の遠慮がなくなっていた。

 精神を融和させている「私」も一緒になって酔っているから、誰も止める者がいない。

 

「ははあ。しょうがない奴だな」

 

 ラスラは穏やかに微笑んで、二杯目を注ぐ。

 ユウはにへらと邪気のない笑顔を見せて、グラスを軽く突きあげた。

 

「かんぱーい。うふふ」

「そのかんぱいって何なの?」

 

 先ほどもそのワードを聞いて、疑問に思っていたアスティが、二杯目を勢い良く呷っていくユウに尋ねた。

 ユウはふにゃっと首を傾げて、小さな子供が大人にお喋りするような調子で答えた。

 

「えーとね。わたしのところのね、お酒のあいさつだよー」

「聞いたことないわよ。アマレウムの出身なんでしょ? あそこには、そんなのなかったはずだけど」

 

 二杯目もすぐ空になる。

 今度はやや乱暴に突き出されたグラスに、ラスラがそっと三杯目を注いだ。

 

「ううん。わたしねえ、ずっとたびしてるの」

「旅?」

「うん~。ここは、よっつめなんだよ」

「四つ目?」

 

 アスティをはじめ、全員が気になったが。

 ユウはその話題を続けることなく、ぽつりと言った。

 

「さみしいの。いつもね、一人で行くから」

 

 ほんの少しの間だけ、物悲しげな表情を見せる彼女。

 だが周りには、何のことだかさっぱりわからなかった。

 気付けば、もうユウは元の緩い酔っ払いの顔に戻っていた。

 

「ここのね。みんなも、だいすきだよ?」

 

 甘えた声で裏もなくそう言うものだから、みんな思わず頬が緩んで、毒気が抜かれてしまった。

 

 

 ***

 

 

 その後、何杯になるかわからないくらい飲んだユウは、すっかり出来上がってしまっていた。

 肝心の話の方は、もうまともに考える頭がないのか、いくら聞いてもふわふわとした答えしか返ってこない。

 もうロレンツたちは諦めていた。

 

「それにしてもねぇ。この部屋、ちょっとあついよね」

 

 買ったばかりのキャミソールの胸元を、彼女はぱたぱたさせた。

 隙間から、汗で蒸れた谷間が覗いている。

 いつの間にか、服は盛大にはだけていた。

 あとほんの少しずらせば、乳首が見えてしまいかねないほどに。

 ロレンツが期待の目を向ける。

 ついでに一部の男性タイプのアウサーチルオンと、悲しい男の性だろうか、テオまでもが思わずいやらしい視線を向けてしまう。

 彼らの視線に気付いたユウは、いたずらっぽく小悪魔な笑みを浮かべてみせた。

 

「なぁに? 見たいの? うふふ、えっちさんですねえ」

 

 すっかり身体が熱くなっていたユウは、男どもの視線にも一向に構わないと、上着の下に手をかけた。

 ブラカップ付きのキャミソールを脱いでしまえば、その素肌を隠すものは何もない。

 

「ちょっと、ストーップ!」

 

 予想外の事態に、アスティは慌ててユウの手を止めた。

 意味のわからないユウは、きょとんと首を傾げている。

 おへそと、綺麗にくびれた腰までがもう見えていた。

 すっかり釘付けになっていたロレンツは、悔しさいっぱいに舌打ちする。

 

「あれぇ、あすてぃー。なんでそんなにあわててるの? あははは! うける」

「ユウちゃんねえ……。さすがに、無理に飲ませ過ぎたかしら?」

「わたしは、おとこらろぉー。あれ、いまおんならったっけ? えへへ」

 

 ユウは、もう呂律が回らなくなってきてきた。

 と、いきなりラスラを指差して大笑いし始める。

 

「きゃはははは! らすらがいっぱいらぁー。いっぱい」

 

 見ると、今にも床に突っ伏してしまいそうなほど、ユウはふらふらになっていた。

 最初に勧めたラスラも、さすがに心配になってきた。

 

「まずいな。これは想像以上にタチが悪いぞ。水を用意しよう」

「ほら、ユウ。飲むんだ」

 

 場の空気を察して、予め水を持ってきていたテオが、そっと彼女にグラスを差し出した。

 促されるままに、ごくごくと水を飲むと、ユウはアスティにぐったりともたれかかった。

 

「あすてぃ。ぎゅー」

 

 媚びるような上目遣いに、アスティの心は完全にやられた。

 

「あーもう。かわいいなぁー! この子は」

 

 アスティはユウを膝枕して、よしよしと撫でてやった。

 そのうちにすっかり安心したのか、ユウは眠りに落ちてしまった。

 すやすやと安らかな寝息を立てている。

 

「あらら。寝ちゃった」

「やれやれ。やっと落ち着いたか」

「まさかユウちゃんが、こんなに甘え上戸だったとはね」

 

 ユウのさらさらした黒髪を撫でながら、アスティは彼女に温かい目を向けていた。

 ラスラも、同じように温かい視線を向ける。

 

「こうして寝顔を見てみると、やはりまだまだ子供のように見えるな。ふふ。可愛いものだ。本当に同い年なのか疑わしいぞ」

「しっかし今のこいつ見てると、あのリルナと互角に張り合ったっていうのも、疑わしく見えてくるよな」

 

 そこでテオが、完全に失われた彼女の左腕に視線を向けて、沈痛な面持ちになる。

 それから、三人に向かって言った。

 

「あんなにボロボロになってまで頑張ってくれたんだ。今さら彼女が何者かであるかなど、問うこともないだろう。もしかすると、天が遣わしてくれた戦士なのかもしれないな」

 

 その言葉に、三人それぞれ思うところがあったのだろうか。

 しばしユウを見つめたまま、無言の時間が流れる。

 

「あたし、ユウちゃんを寝室まで運んでくるね」

 

 やがて、気が付いたようにそう言ったアスティは、ユウをそっと抱える。

 彼女を起こさぬよう、優しく寝室まで運んでいった。

 

 

 ***

 

 

「つまりだ。俺はこう、なし崩し的に身体を許してくれる的な展開を期待してるわけだな」

 

 宴会も終わり、全員が寝静まった頃。

 ロレンツは静かに行動を開始していた。

 彼も飲み過ぎで多少ふらついてはいたが、歩く分にはまったく問題ない。

 戦士はいついかなるときも、行動不能になるほどは飲まないものなのだ。

 夜なので、全員個室には鍵をかけている。

 いつもなら、ユウの部屋にも鍵がかかっているわけなのだが。

 酔っ払って寝てしまった以上は、そのはずもなく。

 彼にとっては、寝込みに近づく一大チャンスだった。

 そう。これこそが、彼の裏の魂胆だったのだ。

 ここまで見てきた経験上、ユウの弱点ははっきりとわかっていた。

 彼女は、明らかに押しに弱い。

 先っちょだけと言ったら、そのまま最後までやれそうな勢いで。

 さすがの彼も、嫌がっているところを無理やりというのは心が痛む。そこまで堕ちたつもりはないと自負している。

 そこでお酒に酔わせてしまい、うやむやのままなし崩し的にやってしまおう。

 と、男なら誰でも一度は考えるであろう、ゲスそのものなテクニックである。

 彼は良心の叱責など物ともせず、最低な作戦を実行に移したのだった。

 

 ついにユウの部屋へ辿り着く。

 オーケー。鍵はかかっていない。

 彼は、顔がにやけるのを止めることができなかった。

 物音を立てないように、そっとドアを開ける。

 明かりなど一切ないが、暗い中ずっと歩いてため、夜目が効いている。

 

 今、彼の前には、はっきりと楽園が映っていた。

 

 ユウは、無防備に四肢を投げ出していた。

 しなやかに鍛え上げられた、健康的な素足。

 ショートパンツの下から露わになっている太ももは、むっちりと肉付きが良く。

 何とも言いがたい、まだ青臭さも残した色香を放っている。

 くびれた腰と、だらしなく開いた両足の付け根からくっきりと目に浮かぶ、女性の形。

 

 ロレンツは、ごくりと唾を呑んだ。

 

 こちらに向ける無邪気な寝顔は、艶やかな黒髪が纏わりついて。人懐こい可愛らしさの中にも。ほのかな色気を漂わせていた。

 そして何よりも目に付くのは、はだけられたままの上着から覗くへそと、立派な胸だった。

 キャミソールの肩ひもは、だらしなく上腕に引っ掛かって。

 たわわに実った右胸。膨らみの上半分が、緩んだ布地の隙間からぼろんとはみ出している。

 あと少しずり下げれば、その神秘の先端が露わになるだろう。攻めたギリギリ具合だった。

 それほどの痴態を、まざまざと見せつけながら。

 垂れることなくつんと上向いた、豊かなお椀型の双丘が。浅い呼吸に従って、ゆっくりと上下している。

 時折、小さく身をよじって。

 うぅんと、どこか悩ましげな、甘えるような喘ぎ声をかすかに漏らす。

 まるで誘っているかのように。

 

「お、おお……」

 

 感嘆の吐息が漏れる。無性にそそるものがあった。

 これが元男の誇る容姿なのだから、反則級である。

 とは言っても、元々の彼からして男らしくはないというか、かなりの女顔であることには違いなかった。

 実は彼が中学生のとき、クラスの悪乗りで女装させられたことがあった。

 そのまま学園祭のミスコンに出ることになり、うっかり優勝してしまったこともあるのだが……。

 本人の名誉のため、ここだけの話にしておこう。

 

 あともう少し手を伸ばせば、彼女のすべてが自分のものになるのだ。

 

「うへへ。では、おいしくいただくとしますか」

 

 ついに、ユウの真上にまで彼は辿り着いた。

 そして、いよいよ手にかけようとしたとき。

 

 彼の急所目掛けて、恐ろしく鋭い蹴り上げが放たれた。

 

 ロレンツは、知らなかったのだ。

 ユウにとって、レンクスという偉大なる変態の先輩がいたことを。

 そしてそのために、ユウは変態迎撃キックを、無意識のうちに開発していたことを!

 意識のない分、一切加減のない蹴りが。

 

 容赦なく、彼の股間を襲う!

 

「お、お、お、おおう……!」

 

 完全に不意を食らったロレンツの股間へ、強烈な蹴りはものの見事にクリーンヒットした。

 息が止まるほどの衝撃と、危ない浮遊感すら伴う強烈な痛みが、彼の全身を一度に駆け抜ける。

 彼は情けなく股間を押さえたまま、よろよろと後退し、膝を屈して悶絶した。

 

「へんたいはしね……むにゃむにゃ……」

「くそったれ……強烈、だ、ぜ……」

 

 自身がやった鬼のような反撃などつゆ知らず。

 安らかな顔で寝言を呟く彼女を前にして、彼はその場で無念の笑みを浮かべた。

 そして力尽きた。

 

 

 ***

 

 

 翌朝。ユウはぼんやりと目を覚ました。

 二日酔いのせいか、頭がガンガンしている。

 まだ眠い目をくしくしとこすって、うんと伸びをして。

 それから、胸元に目を向けたところで――。

 

 一気に青ざめた。

 

 服が滅茶苦茶に乱れていることに気付いたのだ。

 はっと横に目を向けると、なぜかすぐ隣には。

 股間を押さえたままという芸術的変態ポーズで、ロレンツがくたばっている。

 ユウは慌てて、ばっと胸を押さえた。

 

 まさか、お酒の勢いでしちゃった!?

 

 焦った彼女は、すぐに記憶を辿ってみる。

『心の世界』は、すうべての出来事を記録してくれている。こういうときに便利だった。

 記憶に行き着いた瞬間、ユウは昨夜の醜態を知った。

 あまりの恥ずかしさに、みるみるうちに顔が真っ赤になっていく。

 一方で、どうやら何もされていないらしいことを知り、本当にほっとする。

 もう今度こそ二度とお酒は飲むまいと、心に誓うのだった。

 

 悶絶したままの無様な格好で、身体をくの字に折って気絶しているロレンツ。

 彼に近づき、ユウは胸倉を掴み上げた。

 

「おいこら。ロレンツ。起きろ」

 

 頬を軽くぴしっと叩くと。

 彼はうっと呻いて、ゆっくりと目を開けた。

 やや遅れて、股間に走る痛みに顔をしかめる。

 

「私の部屋で何をしてたの?」

「……なにって、そりゃ、ナニをだね」

 

 へらへらと笑みを浮かべるロレンツに、ユウは冷ややかな睨みを向けた。

 彼の額に、嫌な汗が流れる。

 ロレンツは観念して、正直過ぎるほど正直に答えた。

 

「いやあ、あはは! 酔っぱらってるなら、もしかして身体を許してくれるかなーってさ!」

 

 慌てて股間に手を当て、心から安堵する。

 

「ふう。どうやら肝心のタマは、無事のようだぜ」

「はあ……最っ低。ほんとに二度と使い物にならなくしてやろうか」

「お、おい。勘弁してくれよ」

「私はね、どこをどうすれば気持ち良くて、どこをどうすれば痛くて苦しいのか、よーく知ってるんだよ?」

 

 元々は男だからね、と彼女は内心で付け加え。

 ますます強く、彼をじと目で睨み付けた。

 

「……おお。やべえ。別の何かに目覚めそうだぜ」

 

 ロレンツは、己のまさかの内なるMっ気に気付き、覚醒しようとしていた。

 ユウは、心の底から呆れた。

 

「もう。どうして私に纏わりつくのは、変態ばっかりなのかな」

 

 敵も含めると、貞操の危機に陥ったのは一度や二度ではない。

 どうやら自分が思っている以上に、自分は男が好きにしたくなるような魅力を備えているのかもしれない。

 そんな嫌気の差す事実に思い当たり、彼女は盛大に溜め息を吐いた。

 

「あのね。私は半分男なんだよ。あなた、自分で節操ないと思わないわけ?」

「くくく。そいつを補って余りあるくらい、お前の見た目が可愛いんだからしょうがないだろう」

 

 あっそう。見た目ね。見た目。

 カチンときたユウは、彼の履いていたズボンをパンツごと引っ張ってやった。

 その中のブツに、唯一この世界で使える氷魔法をぶち込んだ。

 

《ヒルアイス》

 

「ひゃああ!」

 

 粒状の氷をパンパンに詰め込まれ、彼は情けない悲鳴を上げた。

 

「一応治してやろうかと思ったけど、知らない。それで腫れでも冷やしとけ」

「うおおう!」

「次勝手に近づいたら、今度こそ潰すからね」

「お、おい。そりゃねえぜ!」

 

 涙目になりながら訴える彼を、ユウは冷たく突き離して。

 代わりに指をぴっと突きつけた。

 

「気で治すのにもね、それなりに時間がかかるの。お前なんかに使ってやる気力と時間がもったいない」

「うっ」

 

 ただそこで、彼女は。

 少しだけ険しい表情を緩めて、生来の優しい性分も見せた。

 

「まあ、どうしても痛むようだったら、しばらく私のベッド使ってもいいから。少し痛みが落ち着いたら、ちゃんと自分の部屋に戻ってね」

「おっと。それって……」

 

 心配してくれたのかと言いかけた彼に、ユウはぴしゃりと告げる。

 

「じゃ、私は朝ご飯食べに行ってくるから」

「あっ、おいっ!」

「じゃあね」

 

 残酷なほど綺麗な笑顔を振り撒いて。

 彼女はもう彼には一切取り合うことなく、すたすたと部屋を出ていった。

 

 一人だけ取り残されたロレンツは、しばし茫然としていた。

 それから、ぽつりと呟いた。

 

「やばいな。冗談じゃなく、可愛く見えてきたぜ……。ちょっとだけ、マジで好きになっちまったかも」

 

 半分野郎の奴をほんの少しでも女として好きになってしまうとか、彼にしてみればどうかしていた。

 きっとこの所、あまりにも女に飢えているからに違いない。

 ただ、どうしても。

 彼女の中に潜む「女」を認めざるを得ない。そんな自分がいることも確かだった。

 これは本格的に病気かもしれないなと、彼は思った。

 ルオンヒュミテに帰ったら風俗にでも行くかと、彼は心の内に決めたのだった。



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A-7「暗雲立ち込めるエルン大陸 1」

 ルオン地下鉄道における死闘から、九日が過ぎていた。

 リルナは、信頼できる技師ガソットの下で、簡易修理だけを施してもらった。CPDを再びその身に取り付けられて、いいようにされることのないようにである。

 念のため彼女は、修理を行う前に、不意打ちの形でガソット自身に取り付けられたCPDを破壊しておいた。これにより、間違っても再びCPDを取り付けられる危険性を排除した上で、修理を依頼したのだった。

 彼にはある程度の事情を話し、口外は厳禁とした。

 ほぼ復調した彼女は、表向きはディースナトゥラ近隣の都市から順に捜査を進めるよう指示を出した。

 彼女としては、メーヴァに逃げ込むという話をユウから聞いていたので、あえて捜査の目を外すことで時間稼ぎをしたのである。

 表向きは捜査を進める一方で、裏では歴史等の事実関係に関する調査を進めていた。

 ユウが話していたことの真偽を、まずは自分の目で確かめるためだ。

 首都に戻ったリルナは、すぐにトラニティと極秘でコンタクトを取った。

 内臓トライヴシステムを持つ彼女に事情を話し、捜査に見せかけての各地における実地調査を依頼したのだった。

 彼女はいつもながらの軽いノリで、快く引き受けてくれた。

 他のメンバーでCPDの影響がなくなっている者がいれば話をしたかったが、既にプラトーの指示の下で、独自に捜査を開始しているようだった。

 彼女は仕方ないと諦めて、たった二人での調査を始めた。

 

 リルナはまず、中央図書館の調査から始めた。

 ディーレバッツ隊長という肩書を使って、一般閲覧禁止の資料も利用する許可をもらい、片っ端からインストールしていった。

 それから地下街の捜査を名目に、CPDの影響を受けていない地下住民に対して地道な聞き込みを開始する。わずかながらではあるが、ヒュミテからも話を聞くことができた。

 聞けば聞くほど、地上に暮らすナトゥラの異常性が浮き彫りになる内容だった。

 つい先まで自分もその仲間、それも筆頭だったというのだから、これほど恐ろしいこともない。

 

「今までのわたしは、目が曇っていたとしか思えない……。まるで、ちぐはぐじゃないか」

 

 よくよく判明してみれば、明らかに整合性の取れない情報ばかりが並んでいた。

 ヒュミテ側の主張する歴史と数十年単位で食い違っていたり、まったく正反対のことなどざらである。

 二千年以上前の記述が不自然なほど切り取られてしまっていることも、歴史に対する不信感に拍車をかける。

 まるで造り物のようだ、とリルナは思った。

 実際、かなりの部分で作為的な操作が施されているに違いなかった。

 

 たった一人だけだが、製造後百年を超えるというナトゥラから話を伺うことができた。

 彼女は語る。

 

「私はね、怖くてもうずっと言えませんでした。誰も信じてはくれないのですから」

 

 どちらから始めたのかもわからない。突如として、戦いは始まったのだと。

 気が付けば、まるで示し合わせたかのように、ナトゥラとヒュミテは二手に分かれて殺し合い、覇を競っていたという。

 やがて共通認識の通り、大勢はナトゥラの勝利に終わった。

 

「ああ、それなのに。若者たちは、時代を経るにつれて、ますます互いに憎しみを強めていく。お互いを根絶やしにするまで、この戦いは終わらないのでしょうか。ああ、恐ろしい。恐ろしい」

 

 ひとしきり語り終えた女性のナトゥラは、どっと疲れたように溜め息を吐いた。

 しかしその顔は、話すべきことをやっと話せたことで肩の荷が下りたのか、安堵しているようだった。

 

「お話、感謝する」

 

 リルナは深く一礼をすると、彼女の元から去った。

 賑やかな地下の商店街を歩きながら、リルナは雑音も耳に入らぬほど真剣に思案に耽っていた。

 

「どうなっているのだ。調べれば調べるほど、煙に巻かれてしまっているようだ」

 

 とうとうナトゥラとヒュミテが争いを始めたそもそもの理由すら、よくわからなくなってしまった。

 内部から知り得る情報には、すっかり手が加わってしまっているようだった。

 内側からでは、真実はわからないのかもしれない。

 ここは、旧時代の遺跡の調査に向かったというトラニティの報告を大人しく待つしかないか。

 時間が経ち過ぎていて、あまり期待はできないが。

 彼女は肩を落とすと、難しい顔をしたままディークラン本部へと戻った。

 

 

 ***

 

 

 廃都キプリート。

 かつてナトゥラが創り出される前、世界崩壊前に栄えていたとされるエルン大陸の都市である。現在はほとんど原形を留めないほど、すっかり荒れ果てた遺跡と化している。

 草一つすら生えない荒野のあちこちに、溶けた跡のある金属の残骸だけが放置されたまま残っていた。そのほとんどは元の形などまったく想像できないボロクズで、辛うじて家の形を成していたと確認できるものがぽつぽつあるのみである。

 トラニティは、転移を使ってこの地へとやってきていた。

 

「随分埃っぽい場所よね。さすがに年月が経ち過ぎて、何も残ってないかしら。って、あれ?」

 

 かつて建物だった跡地を調べていた彼女は、偶然にも、地面に取り付けられた分厚い金属の蓋を発見したのだった。

 早速持ち上げてみる。

 

「うんしょっと。ふう。非戦闘タイプにこの重さはきついですって」

 

 蓋の下は、手すり付きの階段になっていた。奥は真っ暗で、地下へと長く伸びている。

 よほど保存状態が良かったのだろうか。見るも無残な地上とは打って変わって、意外なほどに当時の雰囲気を留めていた。

 

「当たり見つけちゃったっぽい」

 

 彼女は意を決すると、恐れることなくその中へと足を踏み入れていった。

 しばらく進んでいくと、突き当たりに錆び付いたドアがあった。横には、何かを入力する装置の成れの果てがある。本来ならば、パスコードでも入力するところなのだろうか。

 トラニティは、思い切り力を込めてドアを押してみた。するとドアは、ガコンと音を立てて外れてしまった。

 入ってみると、どうやらそこは、何かを保管するための倉庫のようだった。

 保管していたものが何かまでは、彼女にはわからない。というのも、中はすっかり風化していて、ほとんど何も残っていなかったからだ。

 あまり期待できないかなと思いつつも、一縷の望みをかけて、彼女はその場所を念入りに調べる。

 ただ一つ、文字の刻まれた金属製の板だけが残っていた。

 彼女は知る由もないのだが、それは後世に情報を残すために特別に作られたものだった。

 手に取ってみる。

 

「ディー計画文書……何かしら」

 

【ディー計画文書 エストティア2532周期37/401日】

『我々は……のために……すべてを失った。…………生体……と半…………機械…………ナトゥラを製造することを決定した。………………ついては…………テスト……実用化…………』

 

 そこには言葉も失ってしまうような、衝撃的な内容が書かれていた。

 読み進めていくと、みるみるうちにトラニティの表情が歪んでいく。

 

「なんてこと……! 今すぐリルナっちに伝えて、一緒にどうするか考えなくちゃ!」

 

 あいにく先ほど転移したばかりで、再使用可能までにはあと二十分弱は待たねばならなかった。

 もどかしいと感じた彼女は、すぐに通信機の電源を入れてリルナにかけた。

 間もなく、彼女が出る。

 

『もしもし。トラニティ。何か発見があったのか』

「リルナっち! 大変なの。聞いて!」

『どうした。そんなに血相を変えて』

「すべては、ずっと仕組まれていたことだったのよ! 百機議会も、まず私たちの敵よ! 私たちは、ずっといいように操られて――ううん、使われていた!」

『なに!? どういうことだ!? 教えてくれ!』

「あのね。私たちはね、ナトゥラもヒュミテも、本当はね……! ――はっ!? な――」

 

 ガシャン。

 通信機が、地面に落ちる音がした。

 

『おい、どうした? トラニティ。おい。返事をしろ! トラニティ!』

 

 ブツッ。

 

 ツー。ツー。

 

 

 ***

 

 

 翌日。トラニティは、地下遺跡の奥で、変わり果てた姿で発見された。

 頭部には、銃のようなもので撃ち抜かれた跡があったという。

 直ちに近辺が捜索されたが、「何も」見つからなかった。



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A-8「暗雲立ち込めるエルン大陸 2」

 トラニティの死を目の当たりにしたリルナは、単身百機議会の元へ乗り込もうとしていた。

 その足取りの荒々しさは、彼女の無念と怒りを如実に示していた。

 まだすべてが明らかになったわけではないが、百機議会こそがナトゥラを操る黒幕の一翼を担っていること。それはもう疑いようがなかった。

 

「許さない。百機議会め。この手で直接引導を渡してやる!」

 

 幾重に張られたセキュリティをパスし、彼女は会議場へと駆け込んだ。

 すぐに右手を砲身に変化させ、メインコンピューターに狙いを定める。

 

「ターゲットロックオン。エネルギー充填開始。10――――」

 

 砲口が輝かしい水色に満ちていく。

 

「30――――50%」

 

 そこで、No.1――若い女性の首長モデルがゆらゆらと現れた。

 彼女は、普段と変わらぬ生気の感じられない冷たい口調でリルナに尋ねる。

 攻撃されようとしていることなど、まったく歯牙にもかけていない様子で。

 

『どうしたのですか、リルナ。そのような物騒なものを向けて』

「お前に問う。態度次第では、今すぐにでも撃つ」

『ヒュミテの王はまだ始末していないのですか? イレギュラー因子はどうしたのです。すぐにお行きなさい』

 

 会話がかみ合っていないことに苛立ちを覚えつつ、リルナは毅然とした態度で問い詰める。

 

「ナトゥラを利用して、お前は何をしようとしている? 答えろ!」

 

 No.2――若い男性の声が響いた。

 

『いけませんね。あなたは随分混乱しているようだ。中央工場で修理が必要ですね』

『異常が見受けられます』

『今すぐ直しに行くのだ。リルナ』

『そうだ』

 

 あちこちから飛んでくるなじり声に、リルナはますます憤りを強めた。

 

「知っているぞ。CPDを付け直すのだろう? そうやってわたしたちを操って、ヒュミテと殺し合いをさせるのだろう! もう茶番はたくさんだ。さあ言え! 何が目的だ!」

『……あなたは、知ってはならないことを知ってしまったようですね』

 

 No.1の落胆するような声が反響して、会議場を包んだ。

 

『お前は、知り過ぎたのです』

『知り過ぎた』

『知り過ぎた』

 

 どこまでも不気味な声が繰り返される。

 リルナは若干の言い知れない恐怖を覚えたが、砲口はしっかりと向けたまま警戒を強める。

 やがて、No.1が静かに答えた。

 

『すべては、ナトゥラのためなのです』

「ナトゥラのためだと!? どこがだ!」

『我々は、ナトゥラの繁栄を担い……管理を……ビー、ガガ……愚かデ無知なルナトゥラ……管理とテストヲ実行シ、ナトゥラノナトゥラノ…………』

 

 ピガー……ガッガ……

 

 突如、異音が生じた。

 百体のイメージモデルが、次々と崩れ去っていく。

 

「なんだ!?」

 

 代わりに響いたのは、単一で無機質な機械音声だった。

 

「コノ者ヲ、エラー因子ト断定。全テノナトゥラ二命ズル、排除セヨ排除セヨハイジョセヨハイジョ――」

「こ、の……舐めるな! 排除されるのは、お前の方だ!」

 

 彼女は最大の怒りを込めて、とうとう放った。

 

「《セルファノン》――発射!」

 

 室内を、熱波と光が埋め尽くす。

 光線は見事、分厚い金属の箱に包まれた支配者を貫いた。

 そのままビルの壁に大穴を開けて、空の向こうまで飛んでいく。

 

 そして、その瞬間――。

 

 リルナの身体を、二筋の青い光線が貫いた。

 

 彼女は咄嗟のことで命中部位をずらした。

 だが攻撃に意識が向いていたために、かわし切れなかった。

 光線は、動力炉の右横と左腰の辺りを正確無比に貫通していた。

 彼女は、何が起こったのかわからないまま、その場に膝をつく。

 そこは彼女にとって、相当に重要な部位だった。

 

《セルファノン》を撃つ最中だけは、《ディートレス》は無効になる。

 

 その隙を突いた上で、彼女がどう避けようとするのか。そこまでを計算に入れての攻撃だった。

 自分の構造と動きを知り尽くしている者にしか、到底できない芸当。

 

 まさか。

 

 振り返ったとき、彼女は愕然とした。

 そこには、最もいることを信じたくない男がいたのである。

 

「プラトー……なぜ……」

「まともにやれば、到底お前には敵わないが……。ただ一点、不意を突くことにかけては、オレはお前よりも優れている」

「なぜだ……!? お前が、どうして……」

 

 リルナの双眸が、激しい困惑に揺れる。

 それでも彼女は立ち上がり、《インクリア》を抜いた。

 プラトーは、彼女の問いかけには無視して続ける。

 ビームライフルの銃口を、真っ直ぐ彼女の動力炉に向けたまま。

 

「急所はかわしたようだが……《ディートレス》生成装置と《スラプター》を破壊した。防御力と機動力が低下したその状態では、さすがのお前でもオレに勝ち目はない。このオレとて、お前と同じく特別製なのだ」

「何を、言ってるんだ……プラトー。冗談だろう? 嘘だと言ってくれ……」

 

 しかし彼の口からは、冗談という言葉は出て来なかった。

 滅茶苦茶に破壊され、今は煙を上げているばかりの、百機議会だった金属屑に目を向けて。

 彼は素気なく呟いた。

 

「派手にやってくれたものだ。だが……こんなことをしても、少々予定が変わるだけに過ぎない。もう遅いんだよ。リルナ」

「もう遅いだと。強がりを言うな。大元はこの様だぞ」

 

 プラトーは、静かにかぶりを振った。

 

「誤解しているな。リルナ。百機議会など、ただの飾りだ……。こんなものは、単なるナトゥラの管理報告マシンに過ぎない」

「なに?」

「マザーコンピューターなどという代物は、所詮は遥かに時代遅れの概念だ……。馬鹿でかいだけの単一系にすべての管理を一括して任せるなど、あまりにもシステムとして脆弱。馬鹿げている……」

 

 確かにそうだ。

 リルナ自身もまた、時代遅れのシステムには疑問を持っていた。

 改めて、驚くべき真実を突きつけられる。

 

「システムには、当然ながら複数のバックアップが存在する。相互が連携し合い、不足した分はすぐに他が補う。リルナ。お前は、そのうちのたった一つを破壊したに過ぎない」

「……システムとは、なんだ? お前は、どこまで知っている?」

 

 プラトーは、答えなかった。

 深く溜め息を吐いて、唐突に話題を変える。

 

「覚えているか、リルナ。二十年前、オレが眠りについていたお前を『見つけて』やったときのことを」

 

 リルナは、憤りに肩を震わせた。

 なぜ今、このタイミングでそれを言うのかと!

 

「ああ。覚えているさ。よく覚えているとも! ナトゥラを守るという使命以外、何も知らなかったわたしに、手取り足取りすべてを教えてくれたのは、お前だった!」

「そしてオレは、性能の誰よりも優れるお前を、新たに発足したディーレバッツの隊長に据えた。オレ自身は副隊長として、お前を後ろから支えてきた。そうだな?」

「あのときから……最初から、ずっと……。ずっと、わたしを騙していたのか! プラトー!」

「そうだ……。オレは、お前を騙していた」

 

 はっきりとした肯定の言葉に、リルナは目眩を覚えるようだった。

 今日までずっと信じてきたものが、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。

 込み上げてくる様々な感情に取り乱しそうになるが、それでも彼女は必死に動揺を抑えていた。

 きゅっと口の端が結ばれる。

 

「本来ならば、旧文明の遺産たるお前は、まず発見次第処分対象だったのだ。そんなお前に、栄誉ある道を見出してやったのはこのオレだ。その恩を……忘れてもらっては困るな」

「そうか……。検査と称して、あのときに……CPDを取り付けたのだな。偽の記憶まで……」

 

 歯ぎしりする彼女。悔しさと怒りが燃える。

 

「わたしに課せられた使命を、上手く利用してくれたものだ。それが恩だと……ふざけるな!」

「だが、楽しかっただろう? 幻想の日々は」

 

 リルナは、否定できなかった。

 ヒュミテを敵と断じて、ナトゥラを守るために。

 仲間とともに戦い抜いてきた日々。

 確かに充実していた。楽しかった。

 

 その前提がすべてまやかしであると、知るまでは!

 

 屈辱と怒りと後悔とが、いっぺんに押し寄せて。

 やるせなく握った拳を落として俯く彼女に、プラトーは。

 銃でない方の手――左手をそっと差し伸べる。

 

「今からでも遅くはない。この手を取れ。余計なことは、何もかも忘れてしまうんだ」

「お前……」

 

 リルナは、顔を上げてプラトーの顔を見つめた。

 なぜかこのときばかりは。彼の瞳には、嘘偽りのない慈悲が込められているように見えた。

 

「後のことは、すべてオレに任せてくれればいい。まだお前は……やり直せる」

 

 だがリルナは、決して頷くことはしなかった。

 代わりに彼を睨むことで返答とする。

 その瞳には、はっきりと否定の意志が秘められていた。

 

「頭を、銃で撃ち抜かれた跡があった。トラニティを殺したのは、お前か?」

「……あいつは、知り過ぎた。いい奴だったのにな」

「もう、いい。もう、十分だ……」

 

 彼女は力なく項垂れて、首を二度三度振った。

 そして再び彼を見据えたとき、もう目に迷いはなかった。

 

「わたしは、ナトゥラを守り導く者。わたしたちの自由意志を踏みにじり、利用してきた者を。決して許しはしない」

「そうか……。残念だ」

 

 プラトーのビームライフルが、火を噴いた。

 瞬間、リルナは《パストライヴ》を使用して、彼を一気に抜き去る。

《セルファノン》で開けた大穴から、飛び下りて脱出を図った。

 防御系統と機動系統にダメージを受け、さらに激しく動揺したままの状態では。

 ……彼の言う通りだ。

 さすがに万全の彼には、勝ち目がないと判断したのだ。

 悔しいが、この場は彼を無視して、逃亡のみに力を注ぐ。

 

 冷静な状況判断ができる彼女なら、まずそうするだろうということを。

 長年の付き合いで理解していたプラトーは、一切の動揺もなく呟いた。

 

「どこまでも足掻こうと言うのか。誰も彼も。無駄だと言うのにな……」

 

 彼は逃げ去る彼女の後ろ姿を、やるせない気分で見送った。

 そしてすぐに、彼女を反逆者として捕えるよう通達を出したのだった。



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A-9「暗雲立ち込めるエルン大陸 3」

 いつでも攻撃を避けられるように周囲を警戒しながら。

 落下していく最中、リルナは自動操縦で例のオープンカーを呼び寄せた。

 やって来た車は、数々の酷使により、表面は既に廃車と見紛うほどに傷だらけであった。だがまだ性能面に陰りは見られない。

 乗り込んで走り始めたところで、すぐにけたたましい警報が鳴り始めた。

 街の緊急レベルが、一気に最大にまで跳ね上がる。

 

「まさか、自分が追われる日が来ようとな……」

 

 ハンドルを握る彼女は、物悲しげな表情で独り言ちた。

 上空で狙い撃ちにされないよう、高度を下げて建物を隠れ蓑にしつつ、中央区を外側に向かって進んでいく。

 当然ながら、とっくの前に復旧を遂げたセキュリティシステムによって、各トライヴゲート及び地下への入り口は閉鎖されていることだろう。

 追う時は心強かったものだが、いざ追われる立場になってみると、厄介なことこの上なかった。

 唯一の救いと言えば、ザックレイがいないことだ。包囲網の指揮レベルは相当に落ちているはずだ。

 おかげで、ここまでは車を撃ち落されることなく逃げられていた。

 

 そうだ。ザックレイは、もういないのだ。

 生きていれば、敵に回っていたかもしれないが……。

 彼が死んでしまったことが、皮肉にもこうして自分を逃げ長らえさせることになるとはな……。

 そして、トラニティも……。

 

 彼女がいれば、長距離転移が使えた。こんなところから逃げることなど、造作もなかったに違いない。

 二人のことがまた思い起こされて、リルナは胸が締め付けられるような思いだった。

 

 飛び交う銃弾や砲弾を上手く避けつつ、外周ゲートを目的地として、ひたすら車を飛ばす。

 かなり分の悪い賭けだが、一か八かそこから出る試みをするしかない状況だった。

 ついに外周の壁まであと一歩に迫ったところで、《ファノン》の集中配備地帯に差し掛かる。

 警戒体勢のディースナトゥラを地上から脱出するなど、無謀の極み。そう言われるほど困難にしている要因の一つだった。

 おびただしい数の砲口が、射程内に入ったリルナの車に対して、一斉にロックオンされる。

 直後、前方のあらゆる角度から、凄まじい集中砲撃が放たれた。

 視界を真っ赤に染めるほど大量のビームは、束となってリルナの車に収束していき――。

 ついに彼女の愛車を、一瞬にして跡形もなく蒸発させてしまった。

 もちろん、その程度で黙ってやられるリルナではない。

 ビームがぶつかる寸前のところで、彼女は《パストライヴ》で一足早く地上に降り立っていた。

 息吐く間もなく、彼女はゲートを目指して裏路地を駆け出した。

 だがその走りは、加速装置《スラプター》が壊れているために、いつもの滑るような加速を生じることはなかった。数で攻めれば、容易に包囲できる程度にまで落ちてしまっていた。

 とうとう、リルナの周りをディークラン隊員たちが取り囲んでいた。

 野次馬気分で見学する一般のナトゥラたちも、次第に彼らの奥に加わって輪を為していく。

 

「反逆者だ!」

「殺せ!」

「あんたを信じていたのに!」

「死ね! リルナ!」

 

 民衆を中心に、殺せ、死ねの大合唱が巻き起こる。

 それがCPDによる心理誘導の賜物であり、本心からではないことを頭ではわかっていても。

 リルナの心は辛かった。

 たまらず、苦虫を噛み潰したような顔で目を伏せる。

 

「総員! 撃て! 撃ち殺せ!」

 

 顔見知りの号令を合図に、銃声が乱れ飛ぶ。

 辛いと感じながらも、彼女は毅然と顔を上げた。

 澄んだ青の瞳で、正面をしかと睨み付けて思う。

 

 ここで死んでしまっては、誰が仲間の無念を晴らすというのだ。この者たちを元に戻すというのだ。

 ユウたちだけに任せろと言うのか。

 それだけは、無責任というものだ! わたしは、死ぬわけにはいかない!

 

 リルナは、かつての仲間に立ち向かう覚悟を決めた。

 頭を狙う銃弾に注意を払いつつ、刃も抜かずにディークランの隊列へ突っ込んでいく。

《ディートレス》が使えない状態であるとは言え、特殊製である彼女の手足と装甲は非常に頑丈だった。

 頭さえやられなければ、多少のダメージはあっても決して致命傷にはならない。

 だが銃弾がその身を弾くたび、何よりも心が痛かった。

 隊列の目の前まで迫ったところで、初めて《パストライヴ》を使用する。なるだけ飛距離を稼ぐために。

 プラトーの攻撃のせいでバスタートライヴモードも使えなくなっていたため、間を置かず連続でのワープができなかった。それゆえのやむを得ない判断である。

 だが、そこまでしても焼け石に水だった。

 リルナはまたあっという間に、怒れる民衆と警察に周囲を埋め尽くされてしまう。

 

「寄るな!」

 

 ついに、わっと押し寄せた暴徒による数の暴力で、その身を捕えられてしまった。

 腕を掴まれ、足にしがみつかれ。こうなればもう、《パストライヴ》を使っても意味がない。

 使用時に触れている者も一緒に飛ばしてしまうため、ほとんど何も状況が変わらないからだ。

 すると、一体どこから持ってきたのか、民衆がスレイスを抜き出した。

 リルナの目が、はっと見開かれる。

 ほぼ同時に斬りかかってくる何人ものナトゥラたち。

 いよいよ殺されかけている事実を認めたとき、彼女はもう決断せざるを得なかった。

 

「《インクリア》。戦闘モードに移行」

 

 彼女の手甲から、すらりと抜き身の光刃が飛び出す。

 自分の口から発される定型メッセージが、嫌に冷酷な響きで耳にこびりついた。

 

「やめてくれ! 頼む……! かかって来るな!」

 

 いくら彼女でも、バリアなしではあまりに多勢に無勢だった。

 ユウが初めてこの世界に来たときも、同じように多勢が相手ではあったが、彼は上手く立ち回っていた。

 しかしそのときはまだ、ナトゥラの方も正常な状態であった。人数も攻撃の仕方も、そこまで苛烈ではなかった。

 今はまるで状況が違う。緊急レベルも最大限まで引き上げられている。

 ナトゥラは皆もはや、ほとんど自分の意志を持たないようだった。彼らはすべからく、己の命さえ投げ捨てるほどの狂乱者だった。

 恐れを知らぬ勢いで、たった一人の女性、リルナへ容赦なく襲いかかっているのだ。

 やらなければ、こちらがやられる。

 機械の心が悲鳴を上げても、リルナはもう振り切る腕を止めるわけにはいかなかった。

 とうとう、初めての犠牲者が現れる。

 手首から先を取り落としたナトゥラの男性が、情けない悲鳴を上げた。

 一気に周囲がどよめく。

 

「おい! この女、ナトゥラを攻撃したぞ!」

「やっぱりか! 裏切り者め!」

「殺せ! 絶対にだ!」

「決して許すな!」

 

 ますます苛烈な勢いをもって襲い掛かる民衆と警察の群れを掻き分けながら、彼女は刃を振るい続けなければならなかった。

 一瞬でも気を抜けば、その瞬間、斬り裂かれるのは我が身なのだから。

 

「離れろ! お願いだ……離れてくれ! わたしは、攻撃したくない!」

 

 暴虐の徒と化した民衆は一切怯むことなく、次から次へと攻撃を仕掛けてくる。

 前に進むことなど到底敵わず、仕方なしに何人斬ってしまったかすらもわからない。

 最悪《フレイザー》を使って全範囲攻撃をすれば、この場を切り抜けることはできるだろう。でもそれをすれば、どれほどの犠牲が出ることになるか。踏み切ることなどとてもできなかった。

 

「来るな……やめろ……! なぜ、こんな……やめてくれ……っ!」

 

 一人一人、斬り倒した確かな感触が伝わってくるたびに、彼女は自らの心に重い楔が打ち込まれていくような感覚を覚えた。あまりにも辛過ぎる戦いだった。

 

 だが、このまま拷問のような時間が延々と続くかと思われたそのとき。

 民衆が、一気に波を引いたように割れていった。

 奥から現れたのは、リルナのよく知る三人の姿だった。

 彼らは揃いも揃って、自分に戦う構えを向けている。

 

「ステアゴル……ジード……ブリンダまで……」

 

 その口から出た声のあまりの弱々しさを気にする余裕も、既に彼女には残っていなかった。

 彼女の双眸が、ゆらゆらと沈痛な感情に揺らめく。

 大男が、大袈裟な身振りで丸太のような腕をガシャンと鳴らした。

 やや改まった低いトーンで、大声を上げる。

 

「まさか隊長に、この拳を向ける日が来るとは思わなかったぜ」

 

 それに、古風な男と緑髪の女性が続ける。

 

「あれだけナトゥラのために戦っていたリルナが、まさかな……」

「裏切り者の隊長。何とも哀しい響きですね」

 

 あくまで烏合の衆が相手ならば、戦い続けること自体はできた。

 しかし、能力の低下してしまったこの状態で、さすがに特殊機体の同僚が三人同時に相手では。

 苦しい。非常に厳しい戦いになることが予想された。

 だが、そんなことなどよりも。

 旧知の仲間が皆揃って自らを亡き者にしようとしている事実に、彼女は言いようもないショックを受けていた。

 瀬戸際まで気丈に振舞っていたリルナの口から、とうとう観念したように乾いた笑いが漏れる。

 

「ふ、は、は。そうか。お前たちも、か……」

 

 それでも彼女は決して刃を下げることはなかったが、心はとっくに折れようとしていた。

 彼女を支えているのは、もはや悲愴な使命感のみだった。

 

 ジードの口が、パカリと大きく開いた。

 付き合いの長いリルナは、それをよく知っている。

 

 熱線攻撃。

 

 避けなければならない。そう、頭ではわかっているのに。

 なのに、身体は鉛のように重かった。遅々として動こうとしてくれない。

 

 次の瞬間、恐るべき熱量を誇る熱線が放たれた。

 それは、固まったように動けずにいた彼女の立つ位置に向かって、瞬く間に届く。

 

 そして――。

 

 彼女には、当たらなかった。

 

 彼女のすぐ真後ろで、我を失い怒れる者どもの足元を、根こそぎ薙ぎ払っていた。

 ドロドロに溶けた金属の地面が流れ出して、彼らの足をぴたりと止める。

 リルナの表情から絶望に染まった色が消え、一挙に驚愕へと転じた。

 すっかりしてやられたと思ったときには。

 ジードが、にやりと意地悪な笑みを浮かべていた。

 

「行くがよい。リルナ隊長。ここは、わしらで食い止めさせてもらおう」

「ジードっ……! お前という奴は!」

 

 リルナは、泣き叫びたい気分だった。もし自分に涙を流す機能が付いていたなら、らしくもなく泣いてしまっていたかもしれない。

 もう周りを欺いてやる演技をしなくても良いと気付いたステアゴルは、気持ち良く高笑いを上げた。

 

「オレたちはよお。別に政府や組織に心から忠誠を誓ってきたわけじゃねえ」

 

 パワーアームを地面に向けて豪快に振り下ろすと、破壊の衝撃が彼女のすぐ横の金属製の地面を一直線に捲っていく。

 一挙にして、数十人ものナトゥラが宙へと舞い上がった。

 

「みんな隊長が好きだから、あんたが好きだから、ずっとついてきたんだぜ!」

「ステアゴル……!」

 

 二人のすぐ隣に斜に構えて立っていたブリンダも、戦闘タイプの二人に比べるとかなり控えめな見た目ながら、特殊機能であるガス装置を発動させた。

 

「わたくしには、詳しい経緯はわかりません。でもきっとあなたのことだから、何か事情があるのだと思うの。きっと、トラニティのこともね……」

 

 ナトゥラの関節部分をなす金属を瞬時に腐食してしまう特殊ガスが、仲間を除く全方位に向けて大量に噴射される。それを浴びた大勢のナトゥラたちが、次から次へと身体に変調をきたして、バタバタと倒れていく。

 その効果範囲は、先の二人よりも遥かに広いものだった。

 見れば、あれほど周囲を覆い尽くしていた人だかりも、かなり後退している。

 絡め手による拠点制圧を第一に得意とする彼女にとって、大勢を相手にするこの状況こそが、最も輝く場面だった。

 

「ゲートを一つ開けて、すぐには閉まらないようにしておいたわ。邪魔者はきっちり倒したし、車もある。あなたは、逃げて」

 

 リルナの瞳が、切なげに揺れた。

 その言葉で、はっきりとわかってしまったからだ。

 三人は、わたし「だけを」逃がす気でいるのだと。それで限界なのだと。

 当然、何としても共に逃げたいに決まっている。だが、万全にはほど遠い状態の自分がそれを強硬すれば、まず勝算はない。

 そんなことは、頭では十分過ぎるほどわかっていた。

 プラトーに撃たれる前なら、《ディートレス》で守ってやれた。全員で逃げるなど、造作もないことだったはずなのだ。それが何よりも悔やまれた。

 ディースナトゥラの外は、死角のない広陵地帯がずっと続いている。

 大規模な追手を一度に差し向けることが不可能なニレイ森林地帯は、遥か先。

 そこまで逃げ切るには、ここで敵の主力を削ぐ役がどうしても必要だった。

 特に、障害物のない広陵地帯では無敵の狙撃手となるプラトーを抑える役が。

 彼を含めた首都総力を食い止める役を張るのは、生半可なメンツではもたない。

 彼女は目を瞑り、二度三度首を振った。

 本当に言いたいことはぐっと胸の奥に抑え込んで、再び目を開ける。力強い決意を宿した目だった。

 

「ステアゴル、ジード、ブリンダ。感謝する。そして、隊長として命ずる」

 

 リルナは、精一杯の気持ちをその命令に込めて、伝えた。

 

「死ぬな。わたしを逃がしたら、その後で必ず自分も逃げるのだ。いいな……絶対に、死ぬんじゃないぞ……!」

「「了解!」」

 

 三人から威勢の良い返事を受け取ったリルナは、外周ゲートを見据えて、脇目も振らず駆け出した。

 当然、逃がしはしないと敵は追い縋ってくる。

 だが一度にかかってくる数は、三人の援護によって、問題にならない程度にまで抑えられていた。

《パストライヴ》を駆使しつつ、彼女はゲートの奥へと消えて行った。

 

 

 *** 

 

 

 やがて、彼女の姿がすっかり見えなくなったところで。

 ステアゴルが、もう笑うしかないといった調子で笑った。

 周囲を完全に覆い尽くす、万を超える暴徒を見渡して、やれやれと肩を鳴らしながら。

 

「さあて。ああは言ったけどよ。ぶっちゃけ、かなり厳しいよなあ。中々無茶なことを言ってくれるぜ、隊長さんはよお」

「くっくっく。違いない。まあリルナの無茶振りは、今に始まったことではないさ」

「がっはっは! 違いねえや! ……プラトーの野郎も、じきに来ることだしな」

「そうだな……始末しろだと。あんなに悲しい顔のリルナを、見たくはなかったぞ」

「ようし。一発思いっ切りぶん殴ってやろうぜ。きっと嫌でも目が覚めるだろうよ!」

「いつも乱暴なぬしの意見には辟易するが……今回ばかりは、全面的に賛成だ」

 

 三人の攻撃に虚を突かれ、最初はペースを飲まれていた軍勢も、ぼちぼち立て直してきていた。

 敵はもう、いつでも襲い掛かって来る準備がある。

 

「ま、もう少し食い止めておかねえと安心できんわな。どこまでもつかわからねえけどよお、いっちょド派手にかますとすっかあ!」

「一人では背中が寂しかろう。付き合うぞ。ステアゴル」

 

 二人で背中合わせになって、同時に不敵な笑みを浮かべた。

 その横から、ちょんちょんと二人の肩をつついて、ブリンダが軽く突っ込みを入れる。

 

「あのねえ。男の友情に浸るのも悪くないですが、わたくしのことも忘れないで下さるかしらね」

「おっと! わりい! ブリンダ。お前っていつも存在が控えめだからよ」

「おしとやかだと言ってもらいたいものね」

「どちらにせよ、同じようなものだろう」

「微妙に大違いですわよ」

 

 三人とも、言ってみれば悪くない気分だった。

 たった一人で死んでいった、可哀想なザックレイやトラニティに比べれば。

 戦場と仲間と共に戦って死ねるというのは、幸せなことだった。

 ふと、ステアゴルは思った。

 

「……ユウだったら。隊長さんのこと、ちったあ任せられるだろうか」

「さあな。ただまあ、あんな感じの奴だからな。おそらく悪いようにはせんだろう」

「わたくしはあの人のこと、地味に恨んでるのよ。容赦なく撃ってきたんですから。……まあ、お互い様ですし、結局殺されはしませんでしたけどね」

 

 そのとき、ついに堰を切ったように、暴徒は攻撃を開始したのだった。

 目の前が敵一色で埋め尽くされる。

 

「どうやら無駄口は、ここまでのようだな……」

「わたくしのガスを、たっぷり食らいたいようね」

「さあ、始めるか! ディーレバッツ最後の戦いを!」

 

 ステアゴルの叫びを合図に。

 三人はそれぞれの想いを胸に、絶望的な戦いへと身を投じて行った。

 

 

 ***

 

 

 アクセルを全開に踏み込んで、車を走らせていく。

 遥か後方で、数十メートルもある外周ゲートの高さを超えてなお目に映るほどの、激しい火の手が上がっていた。

 戦火はややあって、次第に沈静化していく。

 戦いの終わりを告げていた。おそらく、最悪の結末で。

 リルナは、力任せにハンドルを叩き付けた。クラクションが虚しく鳴り響く。

 わかっていた。わかっていたのだ。

 あんな状況では、ステアゴルも、ジードも、ブリンダも。

 助かる見込みは、限りなく薄いことなど。

 わかっていたのに……!

 わたしは、斬り捨てる選択をしてしまった……。するしかなかった。

 彼女の脳裏には、後悔ばかりが浮かんでいた。

 わたしのせいだ。全部、わたしのせいだ。

 わたしがもっと、しっかりしていれば。もっと早く、真実の一端にでも気付けていれば!

 

「みんな……すまない……。すまない……!」

 

 

 ***

 

 

 深夜のことだった。

 ひどく身に覚えのある殺気を感じた私は、すぐに飛び起きた。

 念のため男に変身して、その場所へと向かう。

 人気のない裏路地に、彼女は一人でぽつんと立っていた。

 見るからにひどい姿で。立っているのもやっとという状態で。

 ここまで、命からがらやって来たに違いなかった。

 

「リルナ……ひどい……! ボロボロじゃないか!」

「ふ、お前なら……こうすれば……わたしに気付いてくれると、思っていた……」

 

 傷だらけのリルナは、自嘲気味にうっすらと笑みを浮かべた。

 その瞳からは、これまで対峙するたび、竦み上がりそうになるほど感じてきた力強さが、まるで消え失せてしまったかのようだった。

 生きる気力を失くしてしまった者が浮かべるような、そんな儚さと切なさを湛えている。

 いたたまれなくなる。心配で仕方がなかった。

 

「しっかりしろ。何があった?」

「……とんだ、下手を打ってしまったよ。仲間たちは、みんな……もう……」

 

 彼女は気が抜けたのか、その場でふらついた。

 俺は慌てて駆け寄り、彼女をしっかりと片腕と肩で支えた。

 だらしなく垂れ下がった彼女の長髪が、そっと鼻孔をくすぐる。

 彼女は俺に力なくもたれかかったまま、無念さを噛み締めて絞り出すように呟いた。

 

「は、は……肝心なときに、無力だな……わたしは……。助けられるばかりで、何もできなかった……」

 

 はっとさせられるようだった。

 これじゃまるっきり、俺と同じじゃないか……。

 

「なあ。ユウ……。死んでいった者たちは……残された者たちは、やはり……こんなにも、辛かったのだろうか……」

「リルナ……」

 

 彼女は、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ出した。

 自分に言い聞かせるように。ひたすら自分を責めるように。

 

「殺すべきでなかったたくさんの者たちを、わたしはこの手で殺めてしまった……。ヒュミテは、間違いなくわたしを恨んでいるだろう」

 

 歯を食いしばる頬の動きを、首元で感じた。

 

「誰よりも信じていた者には……あっけなく、裏切られたよ」

 

 プラトーのことだろうか。あいつに何をされたのだろうか。

 かける言葉が見つからないうちに、彼女が俺の肩に顔を埋める。

 

「そして、守りたかったはずのナトゥラも……わたしは、殺してしまったんだ……。大切な仲間たちは……次から次へと、この手をすり抜けていく……」

 

 リルナは、今にも壊れてしまいそうなほど弱っていた。

 手を離せば、そのまま二度と立ち上がれなくなってしまいそうで。怖かった。

 こんなにも辛そうな彼女を見たのは、初めてだった。

 

「なあ、ユウ。なぜ、こんなことになってしまったのかな。わたしは、どうしたらよかったのかな……。これから、どうしたらいい? わからない……わからないんだ……」

 

 気が付けば、俺はもう自分を抑えることができなかった。

 何も考えず、彼女を精一杯強く抱き締めていた。

 どうしても。そうしてあげたくなったんだ。

 

「いいんだ! いいんだ……。何も君一人だけが、責任を感じる必要はない。一人だけで、すべてを背負うことはない……!」

 

 身体の震えが、肌を通じてひしひしと伝わってくる。

 俺は少しでもそれを受け止めようとして、さらにぎゅっと彼女を抱き留めた。

 込み上げる想いが、そのまま言葉となって溢れてくる。

 

「俺だって。いっぱいあったさ! 思うようにいかなかったことなんて……数え切れないほど、あった。選択を間違えたことも……助けたかったのに、手が届かなかったことも……たくさんあった」

 

 同じだ。同じなんだ。よくわかった。

 君は俺と、同じだ。何も、違わないじゃないか……!

 自分がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかったかもしれないって。

 ずっと思ってる。

 きっとみんなそうなんだ。何かを後悔して生きている。

 君だけじゃない。君だけが、特別に自分を責めなきゃいけないわけじゃない!

 だから……!

 

「だから……いいんだ。自分ではどうにもならないことだってあるよ。もっと肩の力を抜いていいんだ。頼っていいんだ。辛いことも、罪に感じていることがあるならそれも、分かち合ってくれていい。苦しいときは、弱さを見せたって、いいんだよ」

「……誰に、頼ればいいのだ。わたしには……もう……」

「仲間の代わりには、とてもなれない。けど……俺じゃ、ダメかな? 俺でも少しくらいなら、君の力になれるかもしれない」

 

 リルナは突然、はっとしたように俺を押し返した。

 こちらを見つめる顔は、信じられないものでも見るかのようだった。

 

「お前は……お前は、どこまで甘い奴なんだ。その腕を斬り落としてやったのは誰なのか、わかって言ってるのだろうな。お前は、わたしを恨んでいないのか……?」

 

 肩より先が丸ごと綺麗になくなった左腕にちらと目を向けて、俺は事もなげに返した。

 

「別にいいよ。こんなもの。たぶんそのうち生えてくるし」

 

 正確にはたぶん、次の世界に行けば、だけど。

 その言葉をタチの悪い冗談と受け取ったのか、リルナは盛大に溜め息を吐いた。

 

「はあ……。お前といると、本当に調子が狂いそうだ」

「そんな君らしくない調子なら、狂ってくれた方が大助かりってものだよ」

「ふっ。違いない」

 

 どうやらリルナは、ほんの少しだけ元気を取り戻してくれたみたいだった。 

 

「だったら……今からわたしがすることは、忘れろ。いいな」

「わかった。また一つ貸しでいいか」

「……いいだろう」

 

 そう言ってあげた方が、彼女も気兼ねしないで済むだろう。そう思った。

 ずっと気を張って、強くあらねばと。我慢していたのだろう。

 俺の胸に顔を埋めて、リルナは激しく嗚咽を上げた。

 涙こそ出ては来なかったけど、彼女はいつまでも泣き続けた。

 声にならない声で。何度も懺悔をして、何度も仲間の名前を呼んで。

 彼女がすべてを吐き出し終わるまで、俺は彼女の頭をそっと撫で続けた。



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A-10「最終フェイズはもう始まっている」

 ギースナトゥラの中央部を貫く、甚大なる銀の柱。

 その内部に、ディースナトゥラの心臓は宿る。

 中央工場。地下中枢区画。

 そこには、一般には隠された第二の命令系統が存在する。

 百機議会のような飾りではない。真なる命令系統の一端が、そこには設置されていた。

 メインコンピュータは、何らの言葉も発することなく――誰と話す必要もないため、あえてそのような機能は付いていない――ただ黙々とプログラムを遂行していた。

 遥か昔より与えられた命令に則って。

 そして今、此度の試験の99.99%は終了し――最終フェイズはもう始まっていた。 

 中央工場の奥深くに安置された、数え切れないほどの特殊機体。

 その姿に、ナトゥラのような個性は見られない。画一的なものだった。

 皆、アルビノのような白い肌と、肩の辺りまで伸びた真っ白な髪を持ち。若い女性の姿をしていた。少しばかりリルナと雰囲気は似ているかもしれない。

 操られていた時の『ナトゥラ兵器』リルナよりも、なお一層冷たく清楚な顔つきをしている。

 というよりも、まるで一切の生気を感じさせなかった。

 それもそのはず。

 彼女らは自らの意志を持たず、ただ忠実にプログラムに従うのみの存在である。

 その行動原理とは、まず異端者の排除、及び試験の後始末に他ならない。

 名を、プレリオンという。

 背に備わる白い翼を模した反重力装置によって宙を舞う、終末の機械天使。

 左手に装備された手甲からは《インクリア》と同様の光刃を放出することができ、右腕はプラトーと同じビームライフルになっている。光刃、光弾ともにその色は紫である。

 リルナとプラトーの備える、旧文明の遺産たる青・水色系の鮮やかなライト装備。

 これを最上級とするなら、紫はその一段下位に当たるものだった。

 さらにずっと性能が下って、現在のエルンティアでは赤のライト装備が主流となっている。

 

 いずれ起動する本隊に先だって、まず数百体ほどが順次目覚めていく。

 数日ほど前から、隠密に予備行動を開始していた。

 次々と動き出す彼女たちの様子を、何の感慨もなく眺めながら。

 先のリルナとの対決を脳裏に反芻して、プラトーは溜め息を吐いた。

 

「所詮、すべては茶番に過ぎないのだ……。だがせめて、リルナ。お前には、ずっと良い夢を見たままでいさせてやりたかった。ディーレバッツの連中も……」

 

 リルナが斬り落したあの男の左腕から、すぐに生体データは得られた。

 検査の結果。星外生命体と断定。

 

「よそ者め。今さらのこのこ現れてどう掻き回そうとも、無駄なのだ。もう遅い……」

 

 このエルンティアにそれが訪れたのは、何百年ぶりのことだろうか。

 かつて旧文明が栄えていた頃は、当たり前のように異星との交流があったという。

 人類は意気揚々と宇宙へ進出し、空前絶後の繁栄を謳歌していた。

 だが見るも無残に文明が崩壊してからは、この星は宇宙の中で完全に孤立してしまったかのようだった。

 もはやこの星に、外へ手を伸ばす力など一切存在しない。

 どこまでも、停滞の歴史だった。

 

「既に最終段階は、始まってしまっている。オレたちは皆、決められた行き先、運命という名のトライヴを、潜るしかないのだ……」

 

 プラトーは、陰鬱な表情で、誰にともなく独り言ちていた。

 

「お前たちが真実を知ろうとするのなら、もう止めはすまい。碌な手がかりなど残ってはいないだろうが……仮に知ったところで、何も変わらない」

 

 どうしようもないということが、よくわかるはずさ。

 この星に眠るさらなる脅威を想い、彼は皮肉たっぷりに口元を歪める。

 

「それでもあえて茨の道を進むと言うのなら、無駄な足掻きをしようと言うのなら……好きにするがいい」

 

 リュートとか言うガキを、あえて中央処理場に放り投げたときのことを思い返して。

 プラトーは後ろ暗い気分になっていた。彼は、自嘲めいた調子で笑った。

 

「くっくっく。オレも、妙な気まぐれを起こしてしまったものだ。あんな奴に、何を期待していたというんだ。オレがあんな真似さえしなければ……。トラニティも、すぐに死ぬことはなかったというのにな……」

 

 あのよそ者が、万が一にも真実の一端に辿り着くことを。そしてその先の可能性を。

 ほんの少しでも、頭の隅で期待してしまっていたのかもしれない。

 何にせよ。過ぎてしまったことは、もう仕方のないことだった。

 既に賽は投げられている。もはや誰にも止めることは叶わない。

 あとはそのときが来るまで、自分はただ何もせず黙って眺めていればいい。

 ずっとそうして来たではないか。これまでも、そしてこれからも。ずっと。

 プラトーは、すっかり諦めたようにかぶりを振った。

 

「無駄なんだ。終わらないゲームは、再び繰り返されるだろう。お前ごときに盤を引っくり返すことはできるのか。ユウ――いずことも知れぬ、異星よりの来訪者よ」



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40「その手を合わせて」

「――ということで、しばらく行動を共にさせてもらうことになった。元ディーレバッツ隊長のリルナだ。よろしく頼む」

 

 話があるということで、会議室にテオ、ロレンツ、ラスラ、アスティの四人を呼んでおいてから、リルナを連れてきた。

 彼女を見るなり、当然四人はぎょっとした。

 それから座る四人の前に立って、俺の横で彼女が事情を説明している間も、ずっと落ち着かない様子だった。

 挨拶が終わると、ロレンツは額に手を当てていた。

 何かを言ってやらずにはいられないといった調子で立ち上がる。

 

「……いや。いやいや。待て。色々と待て」

「どうなってるんだ。このあり得ない絵面は……」

「わーお。その時歴史が動いたって感じね♪」

 

 ラスラが続けて、ほとほと呆れた顔を見せる。アスティは心なしか嬉しそうだった。

 テオは何か言うわけでもなく、熱い眼差しで俺とリルナへ交互に視線を移している。

 

「そういうわけなんだ。みんな、筆舌に尽くし難いわだかまりはあると思うけど……」

「あのな、ユウ。お前、なんてとんでもない奴をけろっとした顔で連れてきてんだよ! あのリルナだぞ! リルナ!」

「ああ。わたしはリルナだが」

「んなこたわかっとるわ!」

 

 すげなく答えた彼女にすかさず突っ込みを入れたロレンツは、わなわなと拳を震わせて、彼女に指を突きつけた。

 

「そもそもこいつは、親友の仇なわけでだな!」

「その件については、何も言い訳をするつもりはない。すまなかった。謝って許されることだとは、到底思わないが……」

 

 神妙な顔で素直に謝るリルナに、すっかり調子を狂わされてしまったのか。

 ロレンツは一気にトーンダウンして、大きく溜め息を吐いた。

 

「はあ……拍子抜けだ。もういい。事情も知った今となっちゃ、恨むにも恨めねえじゃねえか。くそったれが……」

 

 何もない宙を叩くように拳を振るった彼は、自身も神妙な面持ちになって言った。

 

「俺たちだって、数え切れないほどナトゥラを殺してるわけだからな……お互い様だ。わかってるさ。本当に倒すべき何者かが、どうやらいることくらいはよ」

 

 ラスラも椅子から立ち上がり、歩み出てリルナの前にまで来た。

 そして、右手を差し出す。

 

「事情はよくわかった。今はとにかく戦力が必要なときだ。貴様が力になってくれるというなら、これ以上のことはない。喜んで歓迎しよう」

「感謝する。わたしも、さすがに一人ではどうしようもない。協力できる者が欲しかったからな」

 

 ラスラとリルナは、がっちりと握手を交わした。

 二人が握手をしている間、ぎちぎちという音が聞こえてきそうだった。

 お互い顔こそ穏やかだが、一切目が笑っていない。

 やはり頭ではわかっていても、すぐに仲良くというわけにはどうしてもいかないようだ。

 つい先日まで殺し合いを演じていたわけだし、互いに互いの仇がいる状態だからな。仕方ないだろう。

 と、どこからともなく拍手が上がる。

 見ると、テオだった。

 アスティも続いて、温かい笑顔で拍手を向ける。ロレンツも渋々と言った感じで、手を叩いた。

 

「歴史的瞬間かもしれないな。まさかぼくが生きているうちにこんな光景が見られるとは、思わなかったよ」

 

 テオが嬉しそうな顔で言った。

 やっぱりこの人は、王と言うにはあまりに裏表のない性格のような気がする。

 親しみやすいから、俺は好きだけど。みんなそれで慕っているのかもしれないな。

 

「その歴史的瞬間とやらも、すぐに意味のないものに帰するかもしれないがな」

 

 握手を終えたリルナが、こちらに戻りつつ、難しい顔で言った。

 彼女が隣にいてくれるという事実に、改めて心強い気持ちになる。

 

「この戦いの裏で、何かが暗躍していることは間違いない。そして、それに気付いてしまったからなのかは知らないけど、事態は大きく動こうとしている」

「その何かの正体を、プラトーは確実に知っている。システムやらテストやらな。あいつから何としても吐き出させてやらねば」

「そうだね。だけど、今の戦力と情報量では何をするにしても厳しい。ティア大陸では、まずヒュミテの有志を募る必要があるな」

「兵器や人員のバックアップは任せてくれ。ぼく自身は戦えないが、王としての務めを果たそう」

 

 テオの頼もしい言葉に、俺は頷いた。

 

「助かるよ。あとは、リルナを修理して。俺も義手が必要だ」

 

 少しでも個の力を回復させておきたい。これからの戦いのために。

 

「それから。少し落ち着いたら、一度ティア大陸を調査してみようと思うんだ」

 

 ティア大陸。

 汚染大陸とも呼ばれているかの地は、その大半が人の生存を許さぬ領域。

 何の準備もせずに足を踏み入れれば、恐ろしい濃度の核被爆によりたちまち死に至るという。

 過酷な土地柄、多くのものが核戦争当時のまま手付かずで残っている。

 とは言っても、ナトゥラならばきっと何ともないのだろうけど。でも彼らの活動地は北のエルン大陸が中心だからね。

 もしかしたら、南の方にはまだ何かの手がかりが残っているかもしれない。そう思ったのだ。

 おそらくそれを知ったために、消されてしまった可哀想なトラニティ。

 彼女が掴んだような何かが。

 

「放射能から身を守る装備が必要だな。どこまでカットできるかわからないが……最上級のものを用意させてみよう」

「ありがとう。色々と」

「いいさ。礼を言わねばならないのは、ぼくたちの方なんだ」

 

 

 ***

 

 

 準備が整った俺たちは、すぐにメーヴァを抜け出した。

 隠密行動を心掛けて、目立たぬよう進んでいく。

 ディーレバッツ亡き今、拍子抜けするほど逃亡は簡単に上手くいった。

 もしかすると、俺たちの存在など、もうさほど重要ではない段階にまで来ているのかもしれないけれど。

 そしてついに、海岸線にまでやって来た。とうとう来たんだ。

 夜明けの海。しょっぱい潮風が、頬を厳しく打ち付ける。

 遥か向こうには、ティア大陸が待っている。

 

「この死の海を渡れば、いよいよティア大陸だな」

 

 ラスラが、しみじみと言った。

 死の海などと陰気な呼び名で呼ばれる海も、完全に汚染されてしまっていた。

 俺の知る綺麗な青などでは決してない。まるでヘドロのように、ドス黒く濁ってしまっている。

 この世界の人に地球の綺麗な海を見せたら、なんて感想を漏らすだろうか。

 などと、俺は何度考えたかわからない妄想に駆られていた。

 

「やっとここまで来たって感じですね~」

「まさか生きて再びこの海を拝めるとは、思わなかったぜ」

 

 彼らは皆、感慨深げな表情で汚れた海と朝日を見つめていた。

 いや、きっと汚くなんかないんだ、と俺は思い直した。

 彼らにとっては、この星が唯一の故郷なのだ。

 だから、この星のすべてを当たり前のように受け止めて生きてきた。

 血塗られた戦いの歴史も、すべて。

 争うことしかできなかった二つの種族が、まだほんの小さな芽だけど、変わろうとしている。

 両者が手と手を取り合う未来の可能性が。

 その芽を潰さないように、守り育てる手助けをしてやること。

 それが、俺がこの世界で課せられた役割だとしたら――ずっと素敵なことだろう。

 全身に力が漲るのを感じていた。

 

「帰ろう。懐かしの故郷、ルオンヒュミテへ」

「わたしは初めてなんだがな」

「俺も別に行ったことないけど」

 

 リルナと俺が、顔を見合わせて笑い合うと。

 ラスラはこほんと咳払いして、言い直した。

 

「行こう。ルオンヒュミテへ」

「「おう!」」

 

 四人のヒュミテと、一機のナトゥラと。

 そして一人の異世界人が、その手を合わせた。



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41「ヒュミテの首都 ルオンヒュミテ」

 ルオンヒュミテは、ティア大陸北端の港町ポーサから、内陸に約50キロの地点に位置する。

 そこまで車で移動する間、俺はヒュミテの窮状をまざまざと見せつけられる形となった。

 飢えと病に苦しむ者たちが、明らかに目に付くほど多かった。

 ギースナトゥラにも貧困に喘ぐ者がそれなりにいないわけではなかったが、あちらはまだ生活は成り立っている印象だったし、活気もあった。

 こちらの方は、完全に賑わいというものが消え失せてしまっている。今日を生きるだけで精一杯という感じなのだ。

 中には、すっかり髪が抜け落ちてしまっている者もいた。核被曝症だろうか。

 あまりに凄惨な現状を見るにつけ、心が痛んだ。

 

 できれば少しでも助けてあげたいところだが、今俺のすべき仕事は、一人一人の窮状に手を差し伸べることではない。

 それをしても、自ずと助けられる人数には限界がある。原因そのものを何とかしなければ、新たな犠牲者が増え続けるだけで何も変わらない。

 心苦しいけれど、あえて彼らには目を瞑ることにした。

 

 やがて、ルオンヒュミテが見えた。

 ディースナトゥラほどのいかにもな未来っぽさは感じさせないが、こちらも中々の近未来都市と言った様相だった。

 あちこちに高層ビルが立ち並び、一見して非常に高度な工業化がなされているのが見て取れる。どちらかというと地球の人間のセンスに近い都市デザインなのか、白銀一色ばかりで気が滅入るということはなかった。

 代わりに、さほど東京辺りの街並みとも違いがなかったので、あまり新鮮味がないと言えばないけれど。

 よく見れば違いはいくらでもあるはずなのだが、初っ端に一番のカルチャーショックを受けてしまうとね。それをずっと下回るインパクトでは、そんなに心が動かなくなってしまうものらしい。

 車は滞りなく進み、中へと入っていく。特にこれと言った関所などはなく、素通りだった。

 空を飛ぶ車はたくさん走っていたが、どうやらトライヴゲートはないようだった。

 代わりに、かつてエデルで見たような宙に浮かぶ透明なチューブの中を、同じく宙に浮かぶ列車が走っているのが見えた。トライヴというのは、あちらだけの技術らしい。

 道中に眺めてきた惨状とは違って、この首都まではそこまでひどい状態にはなっていない様子だった。道行く人々からも、ある程度の活気が感じられる。

 

 じきに、王宮殿へと辿り着いた。

 意外にも――いや、彼の性格からするとまったくそうでもないのだが――建物は一切何の飾り付けもない質素なものだった。

 真っ白な外観をした、単に大きいだけの家にしか見えない。むしろ、ここまで見てきた建物の中にも、これより立派なものはいくらでもあるように思えた。

 

「王と言っても、贅沢をするような余裕はないからね。特別な建物に住んでいるわけではないんだ。ただし、政務を行う上での機能面では一切妥協してないけどね」

 

 そう言って、テオは懐かしそうな目で我が城を眺めていた。

 すると間もなく、立派なあごひげを蓄えた強面な男性が慌てた様子で飛び出してきた。年はかなりいっているように見える。額に刻まれた皺が、苦労の日々を物語っていた。

 彼は、泣きそうな顔で俺たちの前に歩み出ると、テオの目の前で片膝を付き、恭しく頭を下げた。

 テオは、ぽんと彼の肩に手を置いて労いの言葉をかける。

 

「バヌーダ。ぼくがいない間、よくぞヒュミテをもたせてくれた。心から礼を言う」

「いいえ。滅相もございません。テオ様が、生きて帰ってきて下さるなんて! ああ、こんなに嬉しい日はございません!」

「ありがとう。本当にご苦労だった。世話をかけたね。少しは休ませてやりたいところだが――」

 

 そこでテオは、にやりと笑みを浮かべた。

 

「悪いな。これからが忙しくなるぞ。皆に、直ちにぼくの帰還を知らせてくれ」

「ははっ! かしこまりました!」

 

 テオ帰還の報は、瞬く間にルオンヒュミテ中を駆け巡った。

 首都を中心に大いに活気付き、正式なものと非正式なものを問わず、連日の祝いが催された。

 ラスラ、アスティ、ロレンツの三人は、テオより直々に一等勲章を授与された。

 惜しむらくも亡くなったウィリアム、ネルソン、デビッド、マイナの四人については、首都を挙げての葬儀が執り行われ、やはり一等勲章が追贈されることになった。

 俺も大々的に表彰して何か褒美をという話になったが、どこの馬の骨とも知れない自分が表舞台で称えられても周りが困惑するだけだろうと思って、あえて辞退した。

「誰かの協力を得なければ不可能だった」と思われるよりも、ルナトープ自身の力で救い出したという方が、みんなに与える希望は大きいはずだ。

 リルナはというと。ヒュミテの間では史上最悪のナトゥラで通っているので、決して表には出さずに、秘密裏に客人として取り扱われることになった。

 

 

 ***

 

 

 さて、ルオンヒュミテに滞在中のことだけど。

 ラスラ、アスティ、ロレンツは、それぞれ自分の居場所へと帰って行った。

 ずっと長いこと戦ってきたんだ。彼らも会いたい人はいるだろうし、少しは羽も伸ばしたいだろう。

 テオは、帰ってきてからはずっと政務で忙しそうにしている。

 俺とリルナには、テオの別荘が宛がわれることになった。

 たくさん部屋があるのに、リルナとは同じ部屋にされたけど。これは一応、彼女を見張っていてくれということなのだろうか。

 

 リルナは、移動中も含めて、今までずっとどこか落ち着かないような感じだった。

 周りに対しては常に『ナトゥラ兵器』さながらの毅然とした振舞いをしているが、時折不安気な顔で俺に視線を投げかけているのに気付くのに、さほど時間はかからなかった。

 それでいざ俺が目を向けると、彼女は何でもないような振りをしてそっぽを向いてしまう。そんなことの繰り返しだった。

 

 別荘では、いざ俺だけになって少しは気が緩んだのか、穏やかな表情が増えてきた。

 窓の外に広がる自然に穏やかな目を向けながら、やっと俺に話しかけてくれた。

 

「どうも敵地というのは、落ち着かないな。ユウも、こんな気分だったのか」

「初めて来る場所というのは、どこも落ち着かないものだよ。そのうち慣れるさ」

「そういうものか。こうしてこんなところまで来ることになるとは、思わなかったからな。不思議な気分なんだ」

「俺もこうしてリルナと普通に話せているのが、ちょっと不思議な気分だよ」

「ふふ。確かにな。……どうだ。わたしと実際に話してみて。よほど話したがっていたじゃないか」

「嬉しいかな。リルナも、俺とそんなに変わらないんだってよくわかったから」

 

 するとなぜか、リルナはやや狼狽えたようだった。

 

「ふん。そうか。一応言っておくがな、あくまで一時的な協力関係だ。わたしは、お前たちに気を許したつもりまではないのだからな」

「それで構わないよ。まずはお互い、万全な調子に戻すことからだ」

「ああ。望むところだ」

 

 それから、リルナは手厚く修理を受け、俺は機械式の義手を取り付ける手術を受けることになった。リルナはダメージが大きかったし、俺の方は義手と神経を繋げる必要があるので、それなりの大修理と大手術になった。

 麻酔をしてたから寝てる間は平気だったけど、意識を取り戻してからは、鈍い痛みが中々取れなくて困ったよ。

 

 

 ***

 

 

 海の向こうから聞こえてくるエルン大陸のニュースは、何やら不穏なものばかりだ。

 地下で大粛清が始まったとか。ヒュミテの残党狩りが過激化したとか。

 アウサーチルオンのみんなは、無事だろうか。

 そして一番の事件は、ディーレバッツに代わる新たな特務隊の誕生だった。

 何でも、すべてがプレリオンとか言う特殊機体からなるらしい。発足式典の映像には、あのプラトーの姿もあった。

 

 取り付けた義手もやっと馴染んできた俺は、いよいよ明日辺りにティア大陸の調査に向かうつもりでいた。

 あまり大人数で行っても仕方ないし、ラスラたちはしばらくゆっくり休ませてあげたいから、俺だけで発つ予定だった。俺は次の世界に行けば治るからいいけど、ラスラたちに被曝させたくないという気持ちもあった。

 唯一ナトゥラであるリルナがいれば心強かったけど、完全な修理にはまだもう少し時間がかかるらしい。何でも、一部のパーツに見たこともないような技術が使われていて、その修理に時間がかかっているとかで。

 と、そんなことを、外で気剣の訓練をしながら考えていたときのことだった。

 

 

「ほらよ。落し物だぜ」

 

 

 背後から、随分聞き慣れた男の声がして――。

 

 放り投げられてきたものを、振り返らずに義手でぱしっと受け取ると、世界計だった。

 俺は小さく溜め息を吐いた。

 

「タイミングが良いのか悪いのか。もう少し早く来てくれれば、とても助かったのに」

「まあそう言うなって。俺だって毎度苦労してんだ」

 

 振り向いて、彼の名を呼んだ。

 

「わかってる。よく来てくれたよ。レンクス」

 

 金髪の青年。昔は保護者のような存在で、今は親友の一人。

 レンクス・スタンフィールドは、いつもながらの陽気な笑顔をこちらに向けていた。

 

「これ、取って来るの大変だったんじゃないか?」

 

 掌に収まった銀時計にちらりと目を向けて聞いてみると。

 レンクスは、待ってましたとばかりに鼻息を荒くして、調子良く答えた。

 

「そう! そうなんだよ! あいつら、俺に何の恨みがあるのか知らないけどよ。ヒュミテだのなんだの抜かして、死ぬ物狂いで追い回して来やがってさ。いやあ、まいったまいった」

「それで。結局どうしたんだ」

「もちろん適当にあしらって、ノリと気合いで逃げたぜ。変に能力使うと目立つから、車とかかっぱらってよ。中々楽しかったな」

 

 あっけらかんとした回答に、感心を通り越して俺は呆れてしまった。

 さすがチート能力者。俺にはできないことを平然とやってのける。もう笑うしかない。

 

「あれがノリと気合いで何とかなるのは、レンクスくらいのものだと思うよ。こっちは命懸けだったのに」

「まあ実力と年季が違うからな。お前もそのうち強くなるって」

「そんなもんかな」

「そんなもんさ。今はあまり気にしないことだ」

 

 軽い調子でそう言った彼は、何かを懐かしむように目を細めた。

 

「しかし、何の因果かねえ。まさかお前まで、エストティアに流されて来るなんてよ」

 

 その口ぶりだと、まるで――。

 

 まさかと思って、俺は尋ねてみた。

 

「もしかして、レンクスもこの世界に来たことがあるのか?」

「ああ。まあ昔、ちょっとした事件があってな。そのときは――」

 

 まさか、レンクスがこの星に来たことがあるとは思わなかった。

 だったら、本当の歴史についても知っているかもしれない。

 思わぬところから糸口が見えたことに、否応なしに期待が高まっていた。

 

 でも、あれ? 少し変だな。

 

「って、ちょっと待ってくれ。エストティア? この星は、エルンティアって言うんだけど」

 

 すると、レンクスの方もはてと首を傾げた。

 

「ありゃ。いつの間にか微妙に名前変わっちまったのか? そういや、随分時間も経ってるみたいだからなあ。昔はもっと綺麗な星のはずだったんだが……」

 

 ここまで来るのに惨状を目にしてきたのだろう。彼はどこか残念そうな顔をしていた。

 その顔を視界に入れながらも、俺はすっかり別のことに気を囚われていた。

 

 エストティア。

 その名前には、妙に心当たりがあった。

 どこかで。

 昔どこかで、聞いたことがあるような――。

 

『心の世界』で記憶を探ってみたとき、間もなくそれが何であるのかを唐突に理解した。

 

 そうか。そうだった――!

 なんてことだ! どうして今まで気付けなかったんだ!

 

「エストティア! ここは、エストティアなのか!?」

「俺の記憶違いじゃなければ、そのはずなんだけどな。って、どうしたんだよ。いきなりそんな剣幕になって。確かにすごい偶然には違いないけどよ」

「これが落ち着いていられるかよ!」

 

 エストティア。

 

 ――かつて母さんの、旅した世界の名前だ。



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42「かつてその世界は」

「ずっと前に母さんもこの世界に来ていたんだろ!?」

「ああそうだ。何の因果か、子供のお前もこの世界に引き寄せられたみたいだな」

 

 なるほど。確かに運命じみたものを感じるよ。

 

「それで、レンクスと一緒にこの世界を救ったことがあるんだよね?」

「ま、一応そう言うことになるかな」

「どのくらい前の話?」

 

 聞くと、レンクスはちょっと困ったように頬を掻いた。

 

「ぱっと聞かれると困るんだが……。確か、ざっと二千年いくらか前だったかな」

 

 旧文明が残っていたとされる時期だ。

 母さんが話していた、とても綺麗で文明が恐ろしく発達した、おとぎ話のような世界――あのときは、本当におとぎ話だと思っていたけれど――と矛盾しない。

 でも……。

 

「おかしいよ。母さんがそんなに長く生きていたわけがない。まさか、本当はフェバルとか?」

「いや、それはないと思うぜ。俺が初めて会ったときは、確か16歳とか言ってたが。それからあいつ、そりゃあもう綺麗な女に成熟していったからな。フェバルなら成長は完全に止まるはずだ」

 

 人様の母を思い浮かべるのにだらしなく頬を緩めるのは止めて欲しいが、それは置いといて。

 

「だったら、考えられる可能性は――大昔のエルンティア、つまりエストティアに時空を超えて母さんが来ていたってことになるけど」

 

 我ながらとんでもないことを言ってるなと思いながら、続けた。

 

「レンクスが連れて行ってたんじゃなかったのか?」

「違うんだよな。あいつ、気付いたらいつも俺のところにいきなり現れてよ」

「へえ」

「そういや、これまであんまり当たり前にやって来るもんだからよ。あいつがどうやって来てたのかなんて、大して気にしたこともなかったな」

「そこは普通気にするもんじゃないのか」

「ごめんよ。ずっとフェバルやってると、世界移動が当たり前の感覚になっちまってさ! 確かに気にすべきだったな」

 

 とにかく、レンクスが連れて行ってたわけじゃない。

 じゃあそもそも、母さんはどうやって異世界を旅していたんだろう。

 それも時を超えて。

 フェバルでもないのに。地球から。

 まさか――そんなことってあるのだろうか。

 

「地球に、何かあるのか?」

「うーん。わからないが……もしかすると、何かあるのかもしれないな。確かにあの世界はかなり特殊というか、異常と言えば異常だからな」

「異常?」

「ああ。物理許容性以外のあらゆるものに対する許容性が、あまりにも低過ぎるんだよ。ほぼ皆無と言っていい。他の世界では、まずお目にかかったことのない低さだ」

 

 そうなのか。俺はまだ地球含めても五つ目だから、よく感覚がわからないけど。

 確かにこれまでの異世界は、地球に比べるとどこも許容性は高かったような気がする。

 

「どうも気になるな。一度行って調べられたりしない?」

「悪い。もうあの世界に対しては反逆使っちまったから、簡単に行く方法がないんだよ」

「そっか。残念」

「すまんな。気には留めておこう」

 

 それで一旦、故郷に関する話は流れてしまった。

 後々になって考えてみると、もう少し気にしておくべきだったかもしれないが。

 

「それより、この世界の話だ。どうしてこんなに荒れ果てちまってるんだ」

「それが、何でも大規模な核戦争で世界が焼野原になってしまったとかで」

「残念なことになっちまったもんだ。人間の業かねえ」

「本当にね。それ以来、生き残った人類であるヒュミテと、造られた機械人間であるナトゥラの二種族が暮らし、互いに争ってきたんだ」

「ナトゥラか。当時、そんな名前の家庭用ロボットが開発されていたというのは小耳に挟んだことがあるな。ひどく少子化が進んでたから、労働力の担保や家族の代わりにってことでな」

 

 家庭用ロボット。まさかそんなルーツがあったなんて。

 じゃあ、戦争後に造られたというのは嘘になるのか。

 

「それで、ヒュミテというのは? この世界の人間は、そういう呼び方をするようになったのか?」

「昔は違ったの?」

「確か、普通に人間で通ってたはずなんだけどな。どうも知らない間に色々変わってしまったらしい」

「二千年も経ったら、そりゃ色々変わるとは思うけど」

「うーむ。俺も気になってきたぞ。詳しい話を聞かせてくれ」

「もちろん。そのつもりだったよ」

 

 俺は、この世界に来てからの経緯を含め、諸々をレンクスに説明した。

 これからティア大陸の調査に向かうところであったことも。

 

「なるほどねえ。事情はよくわかったぜ」

「力になってくれる?」

 

 するとレンクスは、すぐには首を縦に振らなかった。

 神妙な面持ちで、警告するように言ってきた。

 

「フェバルは、世界そのものの存在が脅かされるレベルの異常事態や、他のフェバルが絡む以外のことでは、滅多に本気で力を使わない」

 

 そこで、いつもらしく優しい表情に崩して。

 

「そんな奴が大半だって言うのは、聞いたことあるか?」

「いや。でもトーマス・グレイバーは、結局あのとき力になってくれなかったな」

「俺たちの力は、軽々しく使うと簡単に世界が狂ってしまう。だから俺も気を付けているのさ」

 

 確かに。月動かしたり、世界の法則を乱したり、滅茶苦茶だもんね。

 彼は、彼なりのポリシーを語った。

 

「基本的にはな。同じフェバルを相手にするとき以外は、無闇に力を振るわずに、常に裏方に回るようにしてるんだ。ユナに対してもそんな感じでやってきた」

「じゃあ」

 

 ニュアンスに気付いた俺を見つめて、レンクスはにっと笑った。

 

「ああ。それでいいなら、喜んで力になってやるぜ。他ならぬ可愛いユウのためだ」

「わかった。それで構わないよ。ありがとう」

 

 最強の助っ人が得られた。心強い気持ちで一杯だった。

 

「旧文明の首都エストレイルが、この大陸の内陸部にあったはずだ。明日、早速調査に向かおう」

「うん。あそこは放射能がすごいことになってるから、レンクスの分の装備も頼まないと」

「ふっふっふ。俺を誰だと思っているんだ。そんなごてごてしたものは必要ないぜ」

「マジか」

「マジだぜ。放射能なんかばっちりガードする保護をかけてやるさ」

「……せっかく用意してもらってたのに、何だか申し訳なくなってきたよ」

 

 本当に色々と規格外だな。この人は。

 と、ふとレンクスが心配そうな顔で尋ねてきた。

 

「ところでお前、その左腕は……どうしたんだ」

「これね。リルナっていうナトゥラとの戦いのときにちょっと」

 

 そこまで言うと、途端に彼の目つきがマジになった。

 殺意の波動に目覚めたレンクス。

 

「よーし。今からそいつをぶっ壊しに行こう! よくもうちのユウを傷付けてくれたぜ!」

 

 さっき無闇に力は振るわないって言ったばかりじゃないか!

 

 俺は慌ててレンクスの腕を掴んで止めた。

 

「待って! もう仲直りしたから! 彼女も操られていたようなもので、ね!」

「んー。まあお前がそう言うなら、いいけどよ。ほんとに優しい奴だな、お前は」

「別に優しくはないよ。俺だって人並みに怒ったりもするし、恨んだり根に持ったり嫉妬したりもするし」

「そりゃ人間ならそうだろうさ。それもひっくるめて、お前はなんて言うか、根が優しいんだよな」

「そうかな」

「そうさ。素直に褒められとけ」

 

 ぽんと頭に手を乗せて撫でられた。子供の時からよくそうされてるように。

 レンクスの手はいつも温かく感じる。安心する。

 

 すると彼は、急に鼻の下を伸ばし始めた。

 嫌な予感がした。

 

「てことで、優しいユウ君。そろそろ久しぶりに女の子の君を拝みたいんだがなあ」

 

 やっぱりか。

 

「断る。変身した瞬間に抱き付こうとしてくるから、うざい」

「そんなカタいこと言わずにさ! 頼むよ! な!」

 

 必死になって縋りつく彼を振り払いながら、俺はたまらず声を荒げた。

 

「ああもう! 必要なときになったらちゃんとなってあげるから!」

「ほんとか! 約束だぞ!」

「わかった! わかったから離せ!」

 

 俺とレンクスの関係は、ずっとこんな感じなのかな。先が思いやられるよ。



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43「調査出発前夜」

 別荘を管理するテオの使用人に掛け合って、レンクスが泊まる許可をもらった。さすがに泊まれる場所があるのに、彼をずっと野宿にしておくのは可哀想かと思って。

 俺とリルナが泊まっている部屋からは二つ離れた部屋にしてもらった。隣は何となく嫌だったので。

 

「レンクスも泊まれることになったよ」

「おお。助かったぜ。久々のベッドか」

「どのくらい野宿してたんだ」

「ここ半年くらいは草が枕だったな」

 

 毎度のことながら、本当にろくな暮らししてないんだな。

 

 もう夜が更けようとしていた。

 あと少し剣の訓練をするつもりだったけど、切り上げてレンクスを案内してやった方がいいだろう。

 彼を連れて屋敷の中へ入ると、使用人が出迎えて代わりに案内をやってくれた。

 俺とリルナの寝室の前に着き、使用人が一礼して去って行く。

 それを横目に、ドアへノックをかけようとしたところで、ふと思った。

 さっさと割り当てられた寝室に入ろうとしていた、レンクスを呼び止める。

 

「そうだ。せっかくだし、寝る前にリルナに挨拶しておこう」

「お前の片腕飛ばした奴にか」

 

 彼の表情が露骨に曇る。どうもまだ根に持っているらしい。

 

「それはもう済んだことだから、いいんだって」

 

 そこで俺は、隣の変態に用心しつつ、女に変身することにした。

 夜に異性同士で一緒の部屋にいるのも気まずいので、寝るときは女になるようにしていた。

 

「うおおー! きたああああああーー!」

 

 そら来た。

 案の定、目の前にバナナを置いた猿のような勢いで抱き付こうとしてくる変態野郎。

 キモさ全開の顔面に、ぱしんと手を押し当てて押さえつけた。

 

「へへ。なんでまた、急に女の子に」

 

 顔面をがっしり押さえつけられたまま、そんなことなど気にも留めていない。

 むしろご褒美ですとばかり大喜びでにやける彼に、私は冷ややかな視線を向けながら言った。

 

「一応夜だからね。リルナは女性だし」

「なんだ。騒がしいぞ」

 

 向こうからドアがゆっくりと開いて、水色の長髪を湛えた美しい女性が現れた。

 就寝前だと言うのに、常に戦闘用の装甲を身に纏っているのは相変わらずだ。

 

 うるさいよね。うちのバカがすみません。

 

 私の隣でへらへら抱き付こうともがく男を見るなり、リルナは怪訝な表情を浮かべた。

 

「そこのヒュミテは?」

「お前か! うちの可愛いユウにもがっ!」

「まあまあ」

 

 両の頬をふにゅっと潰すほど、もっと強く押さえつけた。

 変顔のままで手足をばたばたさせるこいつにはほとんど目もくれず、彼女の方を見て答える。

 

「ただの変態だよ」

「どうも。変態でぶ」

「そ、そうか……」

 

 リルナはかなり反応に困っているようだった。

 いきなりこんな奴を見てしまったら、無理もないか。

 やっとレンクスがもがくのを止めたので、手を離してあげた。

 

「口まで押さえたら、喋りにくいじゃないか」

 

 などと、不平を述べるこいつは軽くスルーして。

 今度はちゃんと紹介することにした。

 

「レンクスっていうの。私の昔からの知り合いでね。とても頼れる助っ人だよ」

「本当に頼れる奴なのか?」

 

 リルナはますます怪訝な視線を深めていた。

 うんそうだね。ちゃんと実力を見るまでは、心配になってしまう気持ちはわからないでもないよ。

 

「大丈夫。こんなのだけど。この人、ここにいる誰よりも圧倒的に強いから」

「わたしやお前よりもか?」

「うん。全然比較にならないよ」

「ほう。そこまで言われると、少し試してみたくなってくるな」

 

 双眸に興味の光を宿した彼女を見て。

 レンクスがうげ、という感じで呻いた。

 私にそっと耳打ちしてくる。

 

「なあ。この女、なんかやたら血の気走ってないか。怖いんだが」

「やっぱりそう思うよね」

「聞こえてるのだが」

 

 彼女が怖い笑顔を浮かべてじろりと睨んできたので、私とレンクスは互いに見合わせて苦笑いするしかなかった。

 するとレンクスが、突然口を尖らせて言い出した。やっぱり言わずにはいられなかったみたい。

 

「そうだ。お前、うちのユウに随分とひどい真似をしてくれたそうじゃないか」

「それについては、本当に申し訳ないと思っている」

 

 しおらしい顔で素直に謝られたのが意外だったのか、彼はちょっと困ったように私に目を向けた。

 だから言ったでしょ、と目配せしてやる。

 彼女に視線を戻したときには、彼の表情は含むところがあるものの、幾分穏やかになっていた。

 

「ユウに感謝しろよ。俺はこいつと違って、あんまり優しくないからな」

 

 それから、三人で少しばかり話をした。

 と言っても、レンクスは彼女にとっては完全に初対面だから、そんなに踏み込んで話すこともなかったけど。

 そのうち、話題がリルナの修理の件に及んだ。

 

「そう言えばさ。リルナ、修理の進み具合はどうなの?」

「さっぱりだ。技師には手を尽くしてもらっているが……。わたしの機能は、現代の技術では完全には直せないのかもしれないな」

 

 何でもリルナは、本当は中央工場製ではなく、ずっと昔に造られたナトゥラなのだそうだ。

 しかも、どうやら旧時代の遺産らしい。

 彼女はナトゥラを守り導くことを使命としてプログラムされ、長い間眠りについていた。

 それを今から二十年ほど前に発見して起こしたのが、プラトーだったみたい。

 彼は何も知らぬ彼女に現在の世界を教え、さらには居場所と仲間をも与えた。

 彼女にとって、プラトーは恩人であるとともに、誰よりも信頼の置ける仲間だった。

 なのにこんなことになってしまって。どれほど気を落としていることだろうか。

 

 そんなことを思っていると、頼れるレンクスが気合を入れて腕まくりした。

 

「よっしゃ。リルナ。もし嫌じゃなかったら、ちょっとだけ診させてくれないか」

「構わないが……お前に何かできると言うのか?」

「まあ任せなって」

 

 半身半疑の彼女は私にちらりと目を向けたが、レンクスの規格外っぷりをよく知っている私は、大丈夫だよと軽く頷いた。

 レンクスは、彼女の装甲の上から手を当てた。

 途端に、彼の顔つきが真剣なものに変わる。

 いつもふざけているみたいなのに、締めるときはきちんと締めてくるんだよね。

 やっぱりロレンツとこの人、似たタイプだな。うん。

 

「――なるほど。中があちこち壊れてるな。よっと」

 

 彼は一瞬だけ念じた後、静かに手を離した。

 

「どうだ。色々試してみろ」

「ああ」

 

 リルナが気合いを入れると、彼女の表面に鮮やかな透明青色のバリアが生成された。

《ディートレス》だ。

 

 うわあ。簡単に直しちゃった。

 何だか頑張ってた技師たちに申し訳なくなってきたよ。

 

 彼女がバリアを展開する様子をしげしげと観察していたレンクスは、感心したように頷いた。

 

「物理攻撃、それから生命エネルギーによる攻撃を完全に無効化するバリアか。なるほど。ユウが苦戦するわけだ」

「……すごいな。本当に驚いた。まさか一瞬で直るとは」

 

 リルナは、初対面のこの男にすっかり目を見張ったようだった。

 それは誰だって驚くよね。こんな奇跡みたいな力を見せ付けられたら。

 彼女は、他の機能も順々に試していった。

 そのすべてが問題なく使えるようになっていることを確かめてから。

 彼女は見下していた男の評価を改め、丁重に頭を下げた。

 まさか直ると思ってなかったのか、つい声が弾むのを隠し切れない感じだ。

 

「レンクスと言ったな。感謝する」

「どういたしまして」

 

 対するレンクスは、一手間なのでさらっとしたものだ。

 

「ねえ。一体何をやったの?」

 

 でも私にいいところを見せるのは嬉しいのか、彼は得意気に鼻をさすって説明してくれた。

 

「壊れた物はひとりでには直らない。これを一種の不可逆事象とみなして、【反逆】で抗ってみたのさ」

「なるほど」

 

 解釈次第でそんな応用も効くんだね。さすがぶっ壊れ能力。

 

「さすがに生きているものまでにはこの使い方は通用しないから、残念ながらお前の腕は治せないが」

「そっか。ほんとに何でもありだね」

「まあな」

 

 いつものことながら、感心を通り越して呆れてしまうほどだった。

 本当に何でもありだな。この人は。

 って――。

 

「あれ? 今、壊れた物を普通に直したよね」

「ああ。それがどうかしたのか?」

「ってことはさ、あのときの割れたガラスとか、それ使えばあの場で直せたんじゃないの?」

「言っただろ。あそこは元々の許容性が低過ぎるんだ。許容性限界の引き上げと併用するのはさすがに無理だったんだ」

 

 俺の能力だって万能というわけじゃないのさ、と黄昏れた風にキメている彼に。

『私』の突っ込みたい気持ちが動いたらしく、口を衝いて出て来た。

 

「へえ。じゃあ私を何度も呼び出したのは、さぞかし大変だったんでしょうね」

「そりゃあな。もうすっげえ大変だったさ! だが俺の迸る愛の力を前には、その程度の障害なんて――」

「はいはいわかったわかった。あんた、いっつも人前でよく臆面もなくそういうこと言えるよね。恥ずかしいんだけど」

「むしろ何度でも言ってやるぜ! アイラブユウ~!」

 

 またへらへらして抱き付こうとしてきたので、腹に容赦なくグーを叩き込んでやった。

 このくらいしないと、この男は止まらない。

 

「一々近寄るな」

「く~。これがまた効くんだよな」

 

 嬉しそうに腹をさする変態。

 何をしてもこんな風に喜ばれるから、私はもうすっかり諦め気味だった。

 これ見よがしに溜め息を吐いていると。

 このやり取りの中、すっかり置いてきぼりを食らっていたリルナが、ふふ、と可笑しそうに笑い出した。

 

「なんだか楽しそうだな」

「いーや。ぜんっぜん楽しくない」



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44「ユウとレンクス、旧時代の首都を調査する」

 翌日。私は支度を整えてから、レンクスと二人で旧時代の首都エストレイルの調査に出発することにした。

 レンクスのおかげでばっちり復調したリルナが「わたしも行こうか」と申し出てくれたが、こちらはレンクスがいれば十分過ぎるほど間に合っている。

 それより、もし私たちが留守の間に何かあったときに対応できるように待機していて欲しいとお願いしておいた。彼女は快く引き受けてくれた。

 

 レンクスと一緒に別荘の外に出た私は、うんと伸びをして朝の空気を吸い込んだ。

 あまりおいしくはない。というかこの世界に来てから、空気をおいしいと感じたことがなかった。

 美しい自然などほぼ欠片もない情景がそう感じさせるのか、実際に空気が汚れているのか。

 おそらくどちらもなんだろうけど。

 旅立ちというには、大都会のど真ん中過ぎて何の感慨も湧いて来ない光景だった。しかも、これから行くのは気ままな旅ではなくて、調査がメインである。

 それでも、私には少し楽しみな気持ちがあった。

 

「二人旅は、イスキラ以来だね」

「そうだな」

「これからまたしばらくよろしくね」

「おう、と言いたいところだが」

「なに?」

「出発の前によ。ちょっと試してみたいことがあるんだよな。少し俺の手を握っててくれるか」

「え、うん」

 

 言われるがまま手を握ると。

 次の瞬間、何度も感じた覚えのある浮遊感が身を包んだ。

 これは――と思う間もなく、私は彼と一緒に見知らぬ場所に立っていた。

 

「着いたぞ。エストレイルだ」

「……はい?」

 

 辺りは、先ほどまでと打って変わって、見える限り灰色一色の雪原だった。

 見える限りというのは、同じ色の吹雪が絶えず舞っていて、視界を著しく悪くしているからだ。

 空はどこまでも黒く濁った雲に覆われている。そこから、灰色の雪は降り続けていた。

 雪と一緒に叩き付ける心無い猛風が、容赦なく身を凍えさせようとしてくる。

 先ほどまでとはあまりの変貌ぶりにきょとんと身動きの取れなくなっている私に、レンクスはうんと頷いて言った。

 

「やっぱり飛べたな。さすがに世界を跨いでは使えないが、一度行ったことのある場所なら、まあこの通りだ」

 

 なるほど。うん。素晴らしい。とても。

 君がいればトライヴゲート要らずだよ。でもね。

 

「はあ。旅の味わいもへったくれもなかったよ」

 

 せっかく久しぶりの二人旅が楽しめると思っていたのに。

 

「割と事態が逼迫してるんだろ? ありがたく思え。ついでに放射能から身を守る保護もかけておいたぞ」

「うんありがとう」

「なんだよ。その気のない返事は」

「何でも当たり前にできると、かえってありがたみがないって本当だね。これならリルナ連れてきてもよかったじゃん」

「う。なんか悪かったよ」

 

 ややばつの悪そうに頬を掻いたレンクスは。

 すぐに気を取り直した様子で辺りを見回して、悲しそうに目を細めた。

 

「普通に飛べてしまったということは、残念ながらここが本当にあのエストレイルで間違いないってわけか……。ひどい様だ……」

 

 母さんの話によれば、幻想郷のように華麗で先進的だった街並み。

 そんなものなど、今や欠片も見当たらなかった。

 文明の匂いどころか、生物の影すらも感じられない。どこまでも死の雪原が続いている。

 核の冬。まるでこの世の終わりの光景に思えた。

 一人だけで行っていれば、どうしようもない心細さが身を襲っていたかもしれない。

 

「どうしようか。とても何かありそうには思えないけど」

「いや。かえってこの有様であれば、下手にほじくり返されてはいないはずだ。もしかしたら、地下部分が無事なら手つかずで残っているかもしれないぜ」

「でも、どうやって」

「まあ任せろって」

 

 レンクスは手をかざして、何やら集中し始めた。

 すると、いきなり辺り一帯の吹雪がぴたりと止んでしまった。

 固唾を飲んで見守っていると、彼はやがて狙いを定めた。

 

「そこか」

 

 その言葉と同時に、遥か向こうの方で降り積もった雪が、いっぺんに消失してしまった。

 溶かしたわけでもなくて、文字通り跡形もなく消えてしまったの。

 そして雪が消えた後には、地下への入り口と思しきものが開けていた。

 

「よし。行くぞ」

「ちょっとは驚く暇が欲しいよ」

 

 レンクスの後に続いて雪が消えた場所へ向かい、地下への階段を下っていく。

 階段はかなり長かった。最後まで降りてさらに進んでみると、ずらりと錆びついた金属の棚が並んでいる部屋へと入った。

 棚の中はほとんど空っぽで何一つ残ってはいなかったが、いくつか金属の板が残っているのもあった。

 

「ここは……」

「お役所の文書保管庫か何かだな。きっと。かなり広いぜ」

「手分けして探そう」

「おうよ」

 

 早速目に付いた金属の板を裏返してみると、何やら文字が刻まれているようだった。しかし残念ながら、文字は掠れてしまっていてとても読むことができそうにない。

 私はレンクスをちょいちょいと手招きして誘き寄せた。

 

「なんだ」

「あれ使えないの? リルナを直したやつ」

 

 レンクスは金属板をじっと見つめて、困った顔で首を横に振った。

 

「いくら物でも、さすがに何千年レベルになるとちょっとな。時間操る専用の能力を持ったフェバルとかじゃないと無理じゃないか? まだ会ったことはないけどよ」

「そんなのできる奴がいたら、歴史とか変えてやりたい放題だよね」

「そうだなあ。だがいないとも言い切れないのが怖い所だな。現に俺みたいなのがいるし」

「恐ろしい説得力だよ」

 

 見つけた文書のほとんどは、残念ながらとても読める状態ではなかった。

 でもたった一つだけ運良く保存状態の良かったものがあって、その大半を読むことができた。

 そこに書かれていたのは、驚くべき内容だった。

 

【ディー計画文書 エストティア2531周期 268/401日】

『我々はかの宇宙侵略戦争の結果、本星に徹底的な攻撃を受け、すべてを失った。生き残った我々は………………苦渋の決断を下した。

 本星の保全管理・データ収集はコンピュータシステムに一任し、実際の作業はナトゥラに担当させることとする。

 計画を十全に遂行するため、複数のタイプの汎用型ナトゥラを製造することを決定した。詳細は後日改めて討議する。

 本星の環境状態を適宜把握し、…………テストを繰り返し実施する予定。なお、単位テスト期間は200周期とする』

 

「宇宙侵略戦争……核戦争じゃなかった……!?」

「確かに。ただの核戦争ごときで壊滅的なダメージを受けそうな文明レベルじゃなかったからな。納得だぜ。つうか、文章全体からなんかきな臭い予感がぷんぷんしてくるな」

「ほんとにね」

 

 しかし。ということは、一体どういうことなのだろう。

『心の世界』に残した記憶も合わせて、私は今一度じっくり考えてみることにした。

 偽りの歴史は除いて。事実と思われることだけを積み上げて考えるの。

 

 昔はエストティアと呼ばれていた。

 人間が恐ろしく高度な文明を築いて暮らしていた。

 ナトゥラはあくまで家庭用ロボットだった。

 そこに宇宙侵略戦争。この星への攻撃。

 荒れ果てた星。すべてを失った。

 生き残った我々の、苦渋の決断。

 ディー計画。

 複数のタイプの汎用型ナトゥラの製造。

 ナトゥラとヒュミテの意図された殺し合い。

 コンピュータによる管理。データ収集。

 テスト。200周期。

 

 すべての線が一本に繋がる、ある可能性が浮かび上がったとき。

 私は息を呑んだ。

 

「まさか。いや、そうだとしたら」

 

 この予想が正しいとすれば――なんてことなの!

 

「あとは、現在の確たる証拠があれば……」

 

 知ったところで、どうにかなるというものではないかもしれない。それだけで何かが変わるわけじゃない。

 それでも、この真実を明らかにしなければ。

 知らずに死んでいった者たちが、あまりに浮かばれない。

 もしかしたら、本当に戦うべき相手は――。

 

 中央工場。

 私の予想が正しければ。

 そこへ行けば、きっと真実がわかるはず。

 レンクスがいる今なら、乗り込むことは無茶でも何でもない。

 

「レンクス。お願い。私をディースナトゥラへ連れて行ってくれる?」

「おう。お安い御用だ」

 

 レンクスの手に、私の手が触れようとしたとき――。

 

 

「待て。それでは少々つまらないな」

 

 

 はっと、声に振り返ると――。

 

 いつの間にか、奴はそこにいた。

 黒髪の少年が、こちらを不機嫌な顔で見つめている。

 相変わらずだ。ほんの一睨みだけで人を殺せそうな、恐ろしく冷たい眼をしている。

 

「てめえは……」

「ウィル……!」

 

 名を呼ばれた彼は、ふっと不敵な笑みを浮かべた。

 

「ごきげんよう。四年ぶりだな。ユウ」



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45「四年ぶりの破壊者」

 焼け石に水であるのはわかっているが、戦闘力に優れる男に変身して身構えた。

 彼の凍てつく眼から視線を反らさずに、問いかける。

 

「自由期間は終わったのか」

「もう少し様子を見ていてやるつもりだったんだがな」

 

 彼は見るからに面白くなさそうにしている。

 その全身から放たれる禍々しいほどの威圧感を抜きにすれば、お気に入りの遊びを邪魔されて機嫌を損ねている少年のようだ。実際、そんなところなのかもしれないが。

 あのときと同じ眼と威圧感を前にしても、身体は情けなく震え出すことはなかった。恐れていたばかりの当時とは違い、俺は彼の前でもどうにか平静を保つことができていた。

 そんな俺の様子を目敏く捉えて、ウィルはやや不満の色を和らげた。

 

「なるほど。多少はマシな面になったようだな」

「四年も経てば、少しは成長もするさ」

 

 こいつ自身との戦いも含めて、これまで何度も死闘を経験してきた。

 お前との圧倒的な実力差は毛ほども埋まっていないだろうけど、気持ちの方ではもう引けを取るつもりはない。

 

「今度は一体何をしたんだ」

 

 責める口調で尋ねると、ウィルは冷笑を漏らした。

 

「くっくっく。心外だな」

「なに?」

「こんな許容性も低いつまらない世界などに用はないさ」

 

 あっさりとした意外な返答に、とても信じられない思いだった。

 つい声が強くなる。

 

「じゃあお前は、何もしていないって言うのか!?」

「そうだな。()()何もしていない」

 

 彼の言葉から、何か含みのようなものを覚えはしたが、しかしそれ自体が嘘のようには感じられなかった。

 世界全体を巻き込むレベルの大事件。まさかまたこいつが犯人なのかと、その可能性も薄々考えてはいたのだが。

 

「本当、なのか?」

「なんだ。そんなに何かして欲しいなら、今からそうしてやってもいいんだぞ」

 

 その言葉で、よくわかった。

 こいつは、おそらく本当にこの星には何も手を付けてはいない。少なくともこいつ自身は。

 もし何かを仕掛けているのなら、まだ真相も明らかになっていないこんなタイミングで堂々と現れるはずがない。「ゲーム」の仕掛け人が早々に現れてかき回しては、興醒めも良いところだろう。

 こいつはそういう「つまらないこと」はしない奴だ。それだけは何となく信用できる。

 

 ……何もしていないとわかった以上は、これ以上下手に刺激しない方が良さそうだな。

 気まぐれで世界が滅ぶような目に遭ってはたまらない。

 もう口を噤むことにすると、ウィルは今度はレンクスの方に鋭い視線を向けた。

 

「今回用があるのは、お前の方だ。レンクス」

 

 すると、そこまで黙って俺たちのやり取りを見つめていたレンクスが、不敵に口の端を吊り上げた。

 目は笑っていない。いつになく真剣だった。

 

「ほう。悪ガキが。俺に何の用があるって?」

 

 しばし言葉を発することなく、二人は睨み合った。

 たったそれだけで、二人を中心として、緊張で大気が震えるようだった。

 その場にいるだけで全存在を吹き飛ばされてしまいそうな、恐ろしい錯覚を覚える。

 少しは強くなったと思ったけど、この二人の前では何の足しにもならない。嫌でも思い知らされる。

 やがて、ウィルが沈黙を打ち切った。

 

「こんな錆び臭い場所にずっといるのもなんだ。場所を変えよう」

 

 次の瞬間。

 視界が、突如として暗転した。

 

 う――息が――! 息が、できない!

 

『息を止めて!』

 

 一瞬で気を失いそうになったが、「私」の呼びかけで息を止めて、辛うじて持ちこたえた。

 

 くる、しい!

 

 思わず喉に手が行く。

 その動きが、妙にふわふわしていた。

 

 なんだ!? 全身が、浮いて――!

 

 そのとき。

 目の前に映った「星」があった。

 

 あれは――来たときに、見た――エルンティア――!

 

 じゃあ、ここは――宇宙空間――!?

 

 

 ***

 

 

 気が付いたときには、俺たちはいきなり真っ暗闇に放り出されていた。

 

 あっぶねえ!

 

 咄嗟のことで保護をかけたからいいものの。

 

 なんて野郎だ! いきなりぶっ飛んだ真似しやがって!

 

 って、言ってる場合じゃねえな。早くユウを助けてやらねえと。

 

《不適者生存》

 

【反逆】の応用の一つ。

 生存不可能な環境でも、問題なく生存できるようになる効果をかけてやる。

 もがき苦しんでいたユウの状態が、やっと落ち着いた。

 

 ふう。ひやっとさせられたぜ。

 

 念話を使って、ユウに語りかける。

 

『ユウ。聞こえてるか。ちゃんと聞こえてたら、俺に念じかけてくれ』

『うん。聞こえてる。危ないところだったよ。助かった』

 

 奥で静かに控えているウィルに油断なく目を向けながら、俺は念じた。

 

『どうやら俺は、こいつを抑えておかなくちゃならなくなったらしい。今からできる限りの補助をかけてやる。それで何とか上手くやってくれ』

『……わかった。ウィルのことは頼んだよ』

『おう』

 

 そこへすかさず、ウィルが念話で割り込んできやがった。

 

『お前の好きにさせると思うのか』

『へっ。こっちのが早いぜ』

 

 瞬時に許容性限界の引き上げと、それに生身の身体が耐えられるように補助をかけてやる。

 だが奴が妨害するので、ほとんどちゃんとかけてやる時間はなかった。ほんの気休め程度だ。

 ウィルの奴の魔の手が伸びる前に、昨日の別荘に飛ばしてやることにした。

 

 ユウの姿が、ふっと消える。

 

 残念だが、このくらいしかしてやれなかった。あとは頑張れよ。

 

『……ふん。まあいいだろう』 

 

 くい、と奴が指で向こうを指し示す。その方角には、赤い月面が見えた。

 ウィルが転移で月面まで飛んだ。俺もすぐ後に続く。

 月面に着地すると、柔らかい砂が足に絡み付いた。

 向こうに立ったウィルが、すっと手をかざす。

 次第に、その場にあるはずのない空気が満ちていくのを感じた。

 試しに息を吸い込んでみると、確かに酸素があるようだ。

 

 あいつの【干渉】、やはり相当なもんだな。

 俺の【反逆】よりか、ずっと応用範囲が広いようだ。

 これほど強力な能力もそうそうないだろうぜ。

 

「ここなら誰の邪魔も入ることはない」

「星の眺めを肴に一戦交えようってか」

 

 奴の背後には、すっかり濁り切ってしまった思い出の星が浮かんでいた。

 昔は本当に綺麗だったもんだが。何がどうしてああなっちまったのか。

 全力を出すことも覚悟していたが、ウィルからの返答はやや意外なものだった。

 

「いや。僕とお前が戦っても、ただ退屈になるだけだ。わかっているだろう」

「そうだな。お互い能力を打ち消し合って、さぞかしつまらない戦いになるだろうよ」

 

 俺の【反逆】と奴の【干渉】は、互いに目の上のたんこぶのようなものだ。先に全力の攻撃をクリーンヒットさせることのできた方が勝つのは間違いない。

 だから戦いになれば、互いにそうはさせじと力を尽くすだろう。

 いたずらに戦いが長引いて、消耗するだけだ。

 強過ぎる能力を持ったフェバル同士の戦いは、往々にしてそういうこともある。

 ともあれ、どうやらこの場で戦うことにならないようだと、俺は内心ほっと胸を撫で下ろした。

 安心したところで、前から気になっていた疑問が浮かび上がってきた。

 

「ずっと聞きたかったんだよな。お前、エデルではかなり手を抜いていただろう?」

「そう言うお前も、随分と手を抜いていたじゃないか」

「あそこで全力なんて出したら、星が壊れちまうだろ。それに俺は、ユウの仲間を守るのに相当気を使ってたからな」

 

 そういう前提はあるとしてもだ。

 やはりフェバルと一般人では、あまりにレベルが違う。

 

「それでも本気でやろうと思えば、俺とジルフを除いた全員くらいは一瞬で消せたはずだ。違うか?」

「否定はしないさ」

 

 ウィルは、やや大仰に肩を竦めてみせた。

 なるほど。クレイジーな破壊者という噂ばかりだったが、単にそうでもないらしい。

 ユウに散々突っかかるのにも、何か理由があるのは間違いないだろうな。

 

「他に誰もいない。少しは腹割って話そうぜ。都合の悪いことは、ユウには黙っておいてやるからよ」

「……いいだろう。僕もちょうどお前に釘を刺しておきたかったところだ」

 

 ウィルの眼光が、鋭くこちらを刺した。

 

「ユウを甘やかすなと、そう言ったはずだぞ。レンクス」



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46「再来の首都ディースナトゥラ」

 地上に送り届けられた俺は、あまりの展開に頭ではわかっていても心の方が中々追いつかず、しばしぼんやりと空を見上げた。

 当たり前だが、空はただ濁っているばかりで。その向こうの様子を窺い知ることはできない。

 ……心配してみたところで仕方がない。

 どの道、レンクスがどうにかできなかったら、俺の力ではウィルなんてどうしようもない。

 わかってるんだ。そんなことは。

 見上げるのはやめて、軽く首を振ってから前を向いた。

 しても仕方のない心配をするよりも、俺は俺で自分にできることをすべきだ。

 この世界のことは、俺に任せられたということなのだから。

 レンクスは最後に《許容性限界突破》をかけてくれた。その効果のほどを試すために、気剣を出してみる。

 そこそこ刀身に纏われる気の強さは上昇していたが、劇的というほどでもなかった。さすがに「あれ」を使えるほどには、強化をしてくれる余裕がなかったみたいだ。

 次は、女に変身してみる。

 いけるかな。

 

《ファルスピード》

 

 すぐにしゅんと消えてしまうことはなく、風の力が身に纏われた。足を動かしてみると、それに応じて加速効果が自動的に加わる。

 

 よし。使える。魔法が使える!

 

 元々の許容性が低いからか、いつもの30%くらいの感覚ではあるけれど。それでも十分過ぎるほど心強く思えた。魔法が使えることがこんなにありがたく感じたことはなかったかも。

 この世界で女でいるとき、ずっと心許なかったことに改めて気付いて、内心苦笑いする。

 地球にいたときは使えないのが当たり前だったのに。私もすっかり異世界に染まってしまったみたい。

 

 そのとき、別荘の玄関のドアが開いて、中からリルナが出てきた。

 彼女は顔に不思議の色を浮かべて、私に近寄ってきた。

 

「出かけたのではなかったのか? あの男はどうした」

「色々あってね。レンクスはしばらく戻って来れなくなった」

 

 事情を簡単に説明した。

 いきなり宇宙に飛ばされたとかの下りは、言ってもわかってもらえないだろうから、上手いこと言い換えて。

 

「なるほど。そんなことがな……」

 

 自分なりに事実を整理しているのだろうか。

 彼女は腕組みをしたまま、難しい顔をしている。

 

「あのね。ちょっと試してみたいことがあるの。悪いけど、バリアを張ってもらってもいい?」

「ん。ああ。構わないぞ」

 

 彼女の体表を、青い透明の膜が覆った。

 

《アールリース》

 

 そこに向かって、光弾の初等魔法を放つ。

 中位以上の魔法とは違ってさしたる殺傷力もないが、検証するだけだからこれで十分。

 予想通り、掌大の光弾はバリアを貫通して、彼女の胴体に命中した。

 身構えていたからか、彼女に動揺は見られない。

 ただ、かなり呆れているようだった。

 

「当たり前のように《ディートレス》を貫いてくれるな」

「やっぱり魔法は弾けないのね」

 

 さすがに何でもかんでも無敵バリアではないか。

 もし魔法まで弾くなら、一切考慮しないで好き勝手に使えたけど。

 魔法を使う際には、味方討ちしない程度には気を付ける必要があるね。

 

「魔法だと」

「えーとね、つまり――」

 

 説明しようとする私を、彼女は制した。

 

「いやいい。一々驚くのも疲れた」

 

 あれ。なんかやたら呆れられてるっぽい。

 まるでレンクスを前にした私のようなリアクションをされて、ちょっと心外だった。

 

 彼女の防御性能を確かめたところで、私は早速提案した。

 

「リルナ。今から一緒に中央工場まで殴り込みに行かない?」

「望むところだが。できるのか?」

「今ならね」

 

 魔法が使える今なら。

《許容性限界突破》の効力が切れるまでに、できることはしておきたい。

 

 私は、懐から通信機を取り出してテオにかけた。すぐに通信は繋がった。

 

「もしもし。こちらユウ」

『ユウか。こちらテオだ。どうした』

「今から私とリルナで、ディースナトゥラに向かうことにしたの」

 

 と言うと、さすがにひどく驚いたみたいだった。

 途端に彼の声が大きくなる。

 

『な!? もう少し待った方がいいんじゃないのか。ぼくの方でも精一杯準備を進めているところだ』

「大丈夫。正面から戦えばどうしたって犠牲が増えるけど、そうじゃない方法ができたから。テオは今すぐ戦えるメンバーを集めて、いつでも動けるように別荘に待機させておいて」

 

 数瞬の重苦しい沈黙の後に、なぜか諦めたような調子で彼から返事がきた。

 

『ああ……。わかった。すぐにそうしよう』

「ありがとう。それじゃね」

『くれぐれも無茶はするなよ。健闘を祈る』

 

 通信を切って懐にしまい、リルナに右手を差し出した。

 

「行くよ。手を繋いで」

 

 彼女が手を握る感触をしっかりと受けつつ、私は行き先を念じる。

 

 最初にこの世界に来て、他ならぬこのリルナから逃げていたとき。

 色々魔法を試してみたことがあった。

 ほとんど失敗したけれど、あのときちゃんとマーキングがなされていれば――。

 それ自体にほとんど魔力は必要ないから、きっとできているはず。

 

 お願い。飛んで。

 

《転移魔法》

 

 転移系特有の、一瞬天地を失ったような浮遊感がしたと思えば。

 私たちは、人通りのない裏路地に立っていた。

 周りは、煌びやかな白銀の建物に囲まれている。そして彼方には、天高く突き上げる双塔が映った。

 ディースナトゥラ第三街区六番地。どうやら上手くいったみたい。

 リルナが、やや驚いた面持ちで辺りを見回している。

 やがて、小さく溜め息を漏らした。

 

「トラニティのトライヴ機能を彷彿とさせるな」

「まさかあの苦し紛れの行動が、今さら役に立つとは思わなかったよ」

 

 私も労せずして、こんなところまで簡単に飛んでしまった。

 人のこと言えなかったね。ごめん。レンクス。

 

「あの行動?」

「ううん。こっちの話」

 

 軽く微笑んでから、すぐに気を引き締めて続けた。

 

「行けるところまで二人で突っ込む。無理だと感じたら、一旦転移で退却して立て直そう」

「了解した。だが行けるところまでというのは、少々後ろ向きだな」

 

 リルナは、不敵な笑みを浮かべた。どこか愉しそうに。

 

「無論、最後まで行くつもりだ」

「ふふ。私もそのつもりだったよ」

 

 そのために、あえて一番頼りになるリルナだけを連れて来たんだもの。

 攻防、特に防御に優れる彼女なら、身の心配をする必要は少ない。むしろ、私の方が頼りないくらいかもね。

 もちろん他のみんなが役に立たないと言ってるわけじゃない。でも、それほど数が必要のない場面で、わざわざ危険に晒す必要はないと思う。

 バリアや気でガードできる私たちと違って、ラスラたちはれっきとした生身だからね。もし何かがあって、また誰かが死んでいくのを見るのは嫌だった。

 それでも、より大規模な戦いになることがあれば。

 ラスラたちの力がどうしても必要になるときも、きっと来るはず。

 来ないで済むのが一番いいけど。

 

 ――とにかく今は、目の前のことだ。

 

 人目に付かないように注意しながら、中央区まで移動する。

 警報が鳴っていないというだけで、かなり難易度は下がっていた。

 リルナによると、もし鳴ったとしたら、その瞬間に街中の人間が敵に回ることになるというのだから、ぞっとしない。

 途中、ニュースに出ていたプレリオンとかいうのが、あちこちを徘徊しているのが目に付いた。

 まるで天使を思わせるようなデザインで、どれも画一的な女性の姿をしている。

 真っ白な髪と、真っ白な肌。そして白い瞳。何から何まで色がすっかり抜け落ちたような白。

 普通のナトゥラと違うのは、何というか、どこまでも立ち振舞いが機械的で、心というものが一切感じられなかった。

 プラトーのようなビームライフルを備え、紫色の《インクリア》っぽいものを常時抜き身にしている。

 はっきり言えば、物騒極まりない連中だった。

 そんな連中が我が物顔で通りを闊歩していても、みんな気にする素振りも見せないのだから、この街がいかに異常に満ちているかが窺える。 

 リルナの《パストライヴ》も使って、何とか彼女たちにも見つからないようにやり過ごしていく。

 そしてついに、中央工場を守る外壁を眼前に捉えた。

 

「さて。ここからが本番だけど」

「わたしの出番だな。バスタートライヴモードに移行」

 

 彼女の口から、機械的な音声が発される。

 見た目は何も変わったようには見えないけれど、これで彼女の戦闘レベルが二段階上昇しているはずだ。

 

「掴まれ」

 

 彼女の手をしっかりと取る。

 直後、《パストライヴ》で外壁の上に浮上していた。

 その瞬間、四方から一斉に赤のレーザーが発射される。

 視界を赤一色に塗りつぶすほどの、実に凄まじい攻撃密度だった。

 

 これか! ロレンツが言っていた、セキュリティっていうのは。

 

 私一人でいれば、到底一たまりもなかっただろう。

 だがリルナの前では、この程度の攻撃など、障害になりようもなかった。

 連続でのショートワープ。

 私とリルナは、危なげなく工場の敷地内に着地する。

 目標を失ったレーザーは、当たるはずだった場所で一点に交わった後、どこか間抜けな直線軌道を描いて彼方に消えていった。

 次のレーザー攻撃が来る前に、私はすかさず魔法を放つ。

 

 風の魔弾。

 

《ファルバレット》

 

 アスティから何度となく銃撃の訓練を受けていたおかげで、この魔法の精度もかなり上がっているようだった。

 発射された光線の軌道から逆算して、レーザー装置をことごとく撃ち抜いていく。

 撃ち抜かれた装置は、ぷすぷすと噴煙を上げて。もう二度とその機能を果たせなくなった。

 

 さて。目の前には、ドーム型の馬鹿に巨大な建造物が見えている。

 長年ナトゥラを生み続けてきた禁忌の地。

 もうすぐそこではあったが、そう簡単に通してもらえるわけもなく。

 数多のプレリオンが、冷たい殺意を剥き出しにして、紫光の刃を振り上げている。

 どこからやって来るのか、ぞろぞろと湧いて既に私たちを包囲しつつあった。

 本来の威力を持たない魔法では、こいつらは倒し切れないだろう。

 そう判断して、すぐに男に変身する。

 俺は気剣を、リルナは《インクリア》を抜いて、背中合わせに構えた。

 

「お前に背中を預ける日が来るとはな」

「頼りにしてるよ。リルナ」

「ふっ。足手まといにはなるなよ」

「そっちこそな」

 

《マインドバースト》

 

 追加で自己流の強化をかけて、彼女へ呼びかける。

 

「敵を倒すのは最小限にして、とにかく中へ進むぞ」

「ああ。わたしたちを敵に回したこと、後悔させてやろう」

 

 俺の予感が正しければ。きっとここにもあるはずだ。

 例のコンピュータシステムの一部が。そして――。



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A-11「ウィルの目的」

「言ってたな。どういう意味だ」

「そのままの意味だ。ユウの能力のことは知っているだろう」

「『心の世界』か」

 

 それと甘やかすなということに、何の繋がりがあるのか。

 訝しみながらも、俺は答えた。

 ウィルは険しい視線を一切緩めないまま、続ける。

 

「知っているなら、その底知れなさについても多少は理解があるはずだ」

「相当ユウのことを買っているみたいだな」

「ふん。最初から認めていたさ。あいつの能力の凄まじさなら、誰よりもよく知っている。潜在能力だけで言えば、お前や僕よりも遥かに上だろうな」

 

 ウィルはごくあっさりと認めた。

 エデルでは自分の力を誇示していたようにも見えただけに、それはやや意外な印象をもって受け止められた。

 いや、とすぐに思い直す。

 大抵の者など歯牙にもかけないこの男がこだわっているのだから、当然の話か。

 彼の声色に、失望と非難めいたものが込められる。

 

「にも関わらずだ。お前も見てきただろう。あの弱さを。あの情けない体たらくを。同じフェバルとは思えないだろう」

「確かにあまりフェバルらしいとは言えないが」

 

 フェバルとは、すなわち世界に対する超越者だ。

 圧倒的な能力が発現したその瞬間から、そうならざるを得ない。

 だが、ユウだけは例外だった。

 あいつは未だに世界を超越していない。

 まださほど扱える力が強くないというのは、あるにしてもだ。

 俺自身としちゃ、きっとそういう単純な強さの問題じゃないと思ってる。

 ユウはあえて世界に寄り添って歩む道を選んだ。あくまで人間としての生き方を貫こうとしている。

 それが微笑ましくもあり、眩しくも思う。

 

「それがどうした。ユウはユウだろう」

「そうだな。あいつはあいつさ。【神の器】を持つフェバルだ」

 

 棘を含む言葉に、ちくりと胸に痛みを感じるような錯覚を覚える。

 

「なぜユウがいつまでも弱いままなのか。わかるか」

「さあな。それに俺は、お前が言うほどユウのことを弱いとも思っちゃいない」

 

 確かにまだ俺たちのような力はないが、それでもあいつは弱くなんかないさ。

 あいつは俺たちなんかより、ずっと弱さを知っている。自分の弱さに向き合い、他人の弱さを心から許すことができる。それは立派な強さだと俺は思う。

 だがウィルは俺の答えを無視して、さも演説でもするかのような体で続けた。

 

「甘ったれだからさ。誰かの愛がなければ脆く、誰かを頼らずには生きられない」

「それが人間というものじゃないか」

 

 まあ確かに、ユウにかなり甘えん坊なところがあるのは抜きにしてもだ。

 

「そうだ。人間なんだ。それがあいつの弱さだ」

「どういうことだ」

「お前がいれば、無遠慮に助けを求める。他の誰かがいれば、すぐにそれを頼る。しまいに誰もいなければ、手前で創り上げた紛い物の女にまでべったりと甘える始末」

「紛い物と言うのは、やっぱり聞き捨てならねえな」

 

 さすがに我慢ならず声に怒りを滲ませると、ウィルは挑発するように嘲笑ってきた。

 

「なら、セーフティ装置とでも呼ぼうか」

「てめえは……」

 

 一々棘のある言い方しかできないのかよ。

 つい舌打ちしてしまったが、ここで言い合っても益がないと思い、堪える。

 

「あの女の存在が、ユウの能力を本来あるべき姿より遥かに弱体化させている。世界の理などに、容易に丸め込まれてしまう程度にな」

「そのおかげで、今もユウは普通に暮らせているんだろうが」

「ああ。ユウの奴は、自分はまだ人間などであると信じたいらしい」

 

 あいつの本質が俺たちと同じであると。化け物だと。

 そう断言するように、彼は演説口調で語る。

 

「それがあいつの望みである限り、あの女はいつまでも『心の世界』において重要な位置を占め続けるだろう。真の力からあいつを遠ざけ、和らげ、あいつを甘やかし続けるだろう」

 

 そして呆れたっぷりに、彼は言い切った。

 

「だからあいつは、いつまで経っても強くならない。人間を超えられない」

 

 なるほど。ようやく言いたいことが少しわかってきたぜ。

 だから俺にも甘やかすなと。

 それにしたって、随分言いたい放題言ってくれるじゃないか。

 ウィルから、皮肉気な苦笑が漏れる。

 可笑しくて仕方がないといった感じだ。だがきっと本心は笑っていない。

 

「なのにあいつは強くなろうとしている。他ならぬ、その邪魔をしているあの女の助けを借りてだ!」

 

 よほど女のユウが気に入らないらしい。

 ウィルはあの子のことになると、目の仇のようだ。

 

「二つの身体を使い分けて、見せかけだけはマシになったつもりでいるのさ。どんな気や魔法だろうと、どんな技や能力だろうと。一度身に付けたものであれば。すべて一人だけで扱える能力があるにも関わらず!」

 

 ついに我慢できなくなったのか、こいつは高笑いし始めやがった。

 

「実に滑稽じゃないか! これをふざけた能力と言わずして何と言う! あまりにもふざけた使い方だろう!?」

 

 なるほど。それが「ふざけた能力」の真意だってか。

 

「あの女に甘えたままである限り、人であろうとする限り、ユウは真の意味でフェバルにはなれない。僕らに並ぶことも決してあり得ない。そのことをまるで理解していない」

 

 吐き捨てるように、こいつは断言する。

 欺瞞への憤りを込めて。

 

「いや、違うな。薄々わかっているのに知らない振りをして、まさにただの人間がするようなちっぽけで無意味な努力を繰り返している」

「一々人を小馬鹿にしたような言い回しをするんじゃねえよ。つまり何が言いたいんだ。てめえは」

 

 ウィルは、やれやれと降参のポーズを取った。

 微塵たりとも参ったとは、思っていないだろうが。

 

「あの甘ったれは、散々追い詰めて思い知らせてやらねば、ろくに成長しないということさ」

「つまりお前の本当の目的は、ユウをフェバルとして成長させたいってわけか?」

 

 だが、こいつが素直に頷くことはなかった。

 代わりに、口の端を嫌味に吊り上げて、曖昧な答えを返してくる。

 

「どうだろうな。実を言えば、手段の一つに過ぎない」

「手段だと?」

「あくまで保険程度だがな。あんな奴になど、ほとんど何も期待してはいない」

「にしちゃあ、随分な熱の入れように見えるけどな」

 

 言った瞬間、ウィルはあからさまに不機嫌になった。

 こいつはユウのことになると、途端にわかりやすい性格になる。

 

「好きで構っているとでも思うのか」

「知るかよ。というか、さっぱり話が見えて来ないんだが」

 

 非難の目を向けるも、取り合ってはくれない。

 こいつはやはり肝心なところは黙して答えようとしない。

 どこまでものらりくらりと。よほど人を煙に巻くのが好きらしい。趣味としちゃ最悪の類だ。

 少しの沈黙の後に、ウィルは静かに言った。

 

「ユウは自らを完成に近づける必要がある。さもなければ――断言してやってもいい。そう遠くはない未来。奴に待っているのは、決定的な破滅だ」

 

 唐突に告げられた言葉に、さすがに俺も動揺を隠せなかった。

 

「どうしてそんなことが言い切れる。そもそもフェバルは――」

「お前はフェバルが本当に死なないと、まさかそう思っているわけじゃないだろう」

「……ああ。そうだな。フェバルも死ぬさ。人より遥かに長くかかるだろうが、いつかは『死ぬ』。心を失ったそのときに」

 

 星脈は一時的な精神的ダメージの修復はしてくれるが、死に行く心を癒すことは決してない。

 いつまでも終わらない旅に徐々に心をすり減らし、ついにほとんど『死んでしまった』フェバルを俺は何人か見てきた。

 だがそれは通常、遥かな時を経た上での話だ。

 ユウはまだ若い。関係のないことであるはずだ。

 考えのまとまらないうちに、ウィルが先に口を開いた。

 

「フェバルは疲弊と絶望の果てに心を削っていく。救いはあると思うか」

「さあな。当人次第じゃないのか」

 

 こればかりは、各人の心の持ち様の問題だろう。生きがいを見い出せない奴ほど、早く壊れていく。

 俺自身はまだまだ旅を楽しめている。ユウもいることだしな。

 ともあれ、彼にとって納得のいく答えではなかったらしい。

 

「少し質問を変えよう。心の死は救いだと思うか」

「それこそ知ったこっちゃないぜ。死んだ後のことなんてよ」

「僕はその答えを知っている」

「なに?」

「教えてやろう。結局のところ、僕らは死ねないのさ。星脈に囚われている限り、僕らに真の自由も解放もあり得ない」

 

 そこで一拍置いて、俺の反応を確かめてから奴は続ける。

 

「フェバルは、星脈というシステムに奉仕するだけの存在だ。生きる限りどこまでも星脈に支配され続け、最後に僕らが還って行く場所も、やはりそこなんだよ」

「へえ。あそこが俺たちの終着点ってわけか」

 

 そんなもんだとは思っちゃいたが。

 

「いよいよ役立たずになれば、僕らはシステムの一部として存在そのものを飲み込まれる。永遠の闇に閉ざされて、終わらない悪夢を、まどろみの中で繰り返し見続けることになるのさ。いつかこの宇宙のすべてが真の終わりを迎えるそのときまで、ずっとな」

「へっ。そりゃぞっとしない話だな」

 

 それが事実だとすると、確かにまったく救えない話だ。絶望でしかあり得ない。

 ただまあ、元々フェバルなんて化け物になっちまったとき、俺は幸せな最期なんて期待してなかった。こんな力を好き勝手扱える代償なんて、きっとろくなものじゃないからな。

 だから、今さら事実がもっとたちの悪いものだとわかったところで、それがどうしたという気もする。

 それよりも――。

 

「それより、ユウが破滅するかもしれないってのはどういうことだ」

 

 ウィルは事もなげに答えた。

 

「簡単な話さ。それがあいつの運命だからだ」

「運命とはまた随分大袈裟だな。俺はあまり信じないことにしてるんだが」

「信じようが信じまいが、既に道は出来上がっている。誰にも覆すことはできない」

 

 さらに、ぴしゃりと告げる。

 

「そしてお前には、決してユウを助けることはできない」

「聞き捨てならないな。言っとくが、俺はユウのピンチとあらば、いつでもどこでも颯爽と駆けつける気満々だぜ」

 

 ウィルの目を見てきっぱりと宣言してやったが、こいつはあくまで確信的な態度を崩さなかった。

 

「それでも、お前には無理なのさ」

「ほう。言ってくれるじゃないか。一体何がどうして無理なのか、ぜひとも教えてもらいたいもんだね」

「簡単なことさ。それもまた運命だからだ」

 

 ……こいつ。どうやら本気で言ってるらしいな。

 

 その意図するところをゆっくり咀嚼する間もなく、ウィルが両手を広げた。

 こいつの演説のような語りぶりも、いよいよ最高潮というところだった。

 

「僕らは皆すべからく運命の奴隷だ。どれほどの力を持ってみたところで、運命には勝てない。世界の条理すら覆せるほどの僕らが、それゆえに何よりも強大なシステムに支配されている」

 

 そこで一旦言葉を切って、俺に問いかけてきた。

 

「気に食わないと思わないか」

「確かに、あまり気分の良いものとは言えないな」

 

 星脈による支配構造。

 それが自然発生的なものなのか、人為的なものかどうかも、俺には皆目わからないが。

 ただフェバルの誰もが、そのシステムのなすがままにされているということだけは明白な事実だった。

 誰もが運命だと諦めて、割り切って生きていくしかないと明に暗に認めていた。

 それを、この男は――。

 

「運命とは、あからさまな形で押し付けられるべきものではない。己自身の手によって手繰り寄せるものだ。そうだろう」

 

 そしてウィルは、ついに核心となる言葉を俺に告げた。

 

「僕はな。レンクス。運命に【干渉】したいんだよ」



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A-12「二人はユウを巡って」

「運命に【干渉】するだと?」

「そうだ。僕は星脈に手を加え、フェバルの運命を少しでも捻じ曲げるつもりだ」

 

 おいおい。なんてこった。

 腹を割って話そうとは言ったが、まさかお前の口からそんな台詞を聞くことになるとは思わなかったぜ。

 こいつは、とんでもなくスケールのでかいことをしでかそうとしている。

 

「なら、お前がしてきた遊びというのは」

 

 ウィルは静かに認めた。

 

「星脈は生命が存在するすべての世界に依存している。これに手を加えるならば、必然的に世界の破壊者となるしかない」

「なるほど。そういうことだったのか」

 

 こいつは、無秩序に世界を破壊して回っていたわけじゃなかった。

 破壊行為自体を愉しむ糞野郎であることには変わりないが、少なくともこいつなりの目的があって行動していたようだ。

 ウィルはさらに語り進める。

 

「世界には二種類ある。許容性が高い世界と低い世界だ。宇宙の星々は、それぞれ好き勝手な許容性を持って点在している。その実情は、お前もよく知っているだろう?」

「ああ。本当に色んな世界があるよな」

 

 各世界で、許容性は何から何まで違う。それが世界に個性を生み出している。

 俺は弄れるからあまり関係ないが、ユウは振り回されっぱなしのはずだ。

 

「結論から言おう。各世界の許容性はもっと均一であるべきだった。そうであれば、何も問題は起こらなかった」

 

 まるで聞いたこともない類いの話だ。

 許容性のムラなんてものは、考えてみたこともなかった。

 俺の反応を窺いつつ、こいつは続ける。

 

「だが現実に、許容性にはあまりにも大きなムラが存在する。宇宙の構造はひどく歪んでいる。それが何をもたらすか、わかるか」

「さあな。正直、初耳だぜ」

 

 ウィルはそんな俺を見て、ふっと笑った。馬鹿にでもしているのだろう。

 

「簡単なことだ。歪みはさらなる歪みをもたらす。星脈もフェバルも、そうして生まれたようなものさ」

 

 宇宙の歪みがフェバルを生み出した。

 こいつはもしかして、フェバルの存在理由を知っているのか?

 そんな俺の考えを見透かすように、ウィルは小さく頷いてみせた。

 

「許容性の高い世界は、存在自体が罪なのだ。保有する莫大なエネルギーが、宇宙の構造に歪みを与え、星脈にも力を与えている。それを滅してやれば、その分だけ歪みは解消され、星脈は力を失うことになる」

 

 なるほど。少しは理屈がわかったぜ。

 だがやっぱり気に入らねえな。

 

「その世界に住んでいる者たちはどうなる」

「一々そんなものを気にしてどうするんだ」

「お前は自分さえ良ければそれで良いのか?」

「何か問題でも?」

 

 俺は溜め息を吐いた。平行線だ。

 俺とこいつでは、やはり根本の価値観が違う。

 

「俺にわざわざこんな話をしたってことは、少しでも動かせる手駒が欲しいんだろう? ウィル」

「否定はしないさ。お前の【反逆】は役に立つ。どうだ。フェバルの運命に抗ってみないか」

 

 それは、あまりに手段を選ばないことを抜きにすれば、魅力的な提案に思えた。

 実際に、こいつについていく奴もいることだろう。

 ふと、その場の考えとは違う言葉が漏れる。これも何となく引っかかっていたことだった。

 

「最初に女のユウを痛めつけてから眠らせた理由が、ようやくわかったぜ」

「あの女には、おしおきをしてやる必要があった。セーフティが機能しなくなれば、少しは変わってくれるだろうと期待していたんだがな。結果は、期待外れも良いところだった」

「お前はユウの能力について、どこまで知っている」

「ほぼすべてさ。ユウのことなら、大体何でも知っている。知りたくもないがな」

 

 そう言ったこいつの顔は、実に忌々しげだった。

 ユウが嫌いだと言うのは、どうも本心のように思える。

 だったら、やはりなぜ積極的に関わるのか。

 利用価値だけの問題とは、どうしても思えないが。

 それをこいつは、決して俺には答えようとしない。

 代わりに、ウィルはまた説明を始めた。

 

「つまるところユウの能力とは、世界をありのままに保管し、自在に活用することのできるストレージだ。世界は混沌としているゆえに、ストレージである『心の世界』もその性質を反映する。ありのままの純粋さと混沌こそが、あいつの能力の本質に他ならない」

 

 ウィルは、人さし指と中指を立てた。

 

「力を引き出してやる方法は、主に二つ存在すると考えられた」

 

 中指を折る。

 

「一つは、混沌で心を満たすことだ。これはさほど難しくない。能力を過度に使用させて、制御を失わせるだけで良い」

 

 しかし、こいつは小さく首を横に振る。

 

「だがこれでは弱い。混沌には、どこに向かう意志の力も存在しない。ただそこにあるだけだ」

 

 俺は黙って話を聞いていた。

 ウィルは人さし指を残したまま、続ける。

 

「もう一つは、特定の方向に心のあり様を強く誘導することだ」

「なんだと」

「あいつの能力のパフォーマンスは、あいつ自身の心に根差している。お前も見て来たはずだ。ユウの心の状態によって、能力のあり方が自在に変わる様を」

「そうだな。確かにあいつは、感情のままに力が発揮されてしまうところがある。良くも悪くもな」

 

 こいつの言いたいことはよくわかる。

『心の世界』を優しさが満たせば、あいつは優しい力を発揮する。

 困難に立ち向かう懸命な勇気が、何度もあいつ自身に壁を打ち破る力を与えてきた。

 一方で、耐えられない悲しみが女のユウを生み出した。

 憎しみと怒りが身を包めば、親戚に仕返しをしたときのように、どこまでも残酷な力を発揮する。

 危ういんだ。ユウは。

 誰かが支えてやらなければならない。

 これまでの話を踏まえれば、こいつがエデルで何をしたかったのかも、もう予想が付いていた。

 

「どこまでも惰弱だったあいつには、憎しみと絶望を与えるのが一番手っ取り早かった。最も深く暗く、ゆえに強い感情の一つだ」

 

 あのときのことを振り返るように、ウィルは語る。

 

「その感情に支配されたとき、あいつは心に光なき漆黒のフェバルとして完成するはずだった。僕に匹敵する、いや上回るかもしれないオリジナルの破壊者にな」

 

 そして、俺に恨みがましい目線を向けて言う。

 

「レンクス。お前が僕の邪魔をしなければ、大分近づけたはずだった」

「へっ。そんなことさせるわけないだろうが。てか、いいのかよ。そんなにべらべらと話してよ」

「少々事情が変わったのさ。新しい事実が発見できたからな」

「ほう。聞かせてみろよ」

 

 促すと、彼は小さく肩を竦めてから続けた。

 

「レンクス。お前も薄々気付いていたはずだ。エデルで僕とお前が戦ったとき。ユウのお仲間が、お前の【反逆】とジルフの【気の奥義】による強化効果を足し合わせただけでは、まったく説明が付かないほどの能力の向上を見せていたことを」

「ああ。そうだな」

 

 心が繋がれば繋がるほど、大きな力を発揮する。そんなユウの能力の特性が垣間見えた戦いだった。

 効果はユウ本人だけに及ばない。繋がった相手に対しても、知らず知らずのうちに発揮されている。

 

「僕はその可能性を見極めようとした。あえてユウのお仲間を殺さなかったのは、そんな程度の理由さ」

「そしてお前は、その可能性を見たわけだな」

 

 ウィルは、今度はやけに素直に頷いた。

 あんなに楽しそうに笑ってやがったからな。嫌でもわかるさ。

 

「男女融合体の発現。仮に『神性体』とでも呼ぶことにしよう。あいつは女の姿をも通して得た心の繋がりを最大限に活用して、『心の世界』の全要素を一時的にでも結び付けてみせたのさ。僕の想定とは違ったが、本来発揮するべき望ましいレベルの力を得た」

「だがあの状態のユウは、危険極まりなかった。偶然お前を止めるという意識が優先されていたから良かったものの、本来なら何をしでかすかわからなかったはずだ」

 

 あの理性の欠片もない瞳を見たとき。

 俺は正直、ぞっとしたんだ。

 どのフェバルさえも超え得るポテンシャルの深淵。その一端を垣間見た気がした。

 

「どこまでも純粋過ぎるんだよ。完全に人間性を失っていた」

「くっくっく。僕がいなければ、あの世界を善意で滅茶苦茶にしていたのは、あいつかもしれないな」

「お前、一撃当てたら勝ちってルールにしてたそうじゃないか。そいつが功を奏したかもな」

「ふん。良い迷惑だったがな」

 

 そのルールがあったから、辛うじて止まったのだろう。

 この一点に関してだけは、こいつに感謝してやっても良い気分だった。

 

「結局のところ、黒か白か。その程度の違いでしかない。そして僕は、どちらでも構わない。もっとも、違う可能性があるなら、ぜひ見せて欲しいものだがな」

「やっぱりユウを仕立て上げようとしてるんじゃねえか」

 

 ウィルは、もうことさらに否定はしなかった。

 

「いずれにせよ、あいつが人間を超えようとするのなら、文字通り人間ではいられないということさ。紛い物の『神』にでも『破壊神』にでもなるしかない」

 

 ちくしょう。思った通りだぜ。

 こいつが素直にユウの味方になるはずがねえよな。

 

「これからどうするつもりだ」

「しばらくはこの下らないゲームを続けるさ」

「それで。ユウはどうなる」

「もうわかっているだろう。僕はあいつが嫌いなんだ。もしあいつが力を増してゆくその過程で壊れてしまうというのなら――」

 

 ウィルは、これまでで一番の凶悪な笑みを浮かべた。

 

「それはそれで構わない」

 

 俺は、躊躇なくこいつを睨み付けた。

 

「よくわかった。俺とお前は、結局どうしたって相容れないということがな」

 

 改めて、よーくわかったぜ。

 

「お前は、フェバルとしてのユウが大事なんだ。そうだろう」

 

 ウィルは、何も答えなかった。代わりに、不敵な面構えを貫いている。

 

「けど、俺はな。人間としてのユウが好きなんだ。他の誰でもない、あの優しくてどこか抜けていて、時に弱くて、けど芯に折れないものを持っている、そんな人間のユウが好きなんだよ」

 

 だから。これが答えだ。ウィル。

 

「どんな事情があるにせよ。あいつを心の壊れた化け物にさせるわけにはいかないな」

「ふん。交渉決裂というわけか。そうなるだろうと思っていたよ」

 

 ウィルは、軽く舌打ちした。

 

「トーマス・グレイバーの奴もそうだ。傍観者とはよく言ってくれたものさ」

「……あいつが、どうかしたのかよ」

 

 こいつは、忌々しげに語る。

 

「僕は最初から破壊者だった。あいつはそれをよく知った上で、下らない嘘を話に混ぜ込んでユウに聴かせたんだ。元は優しい人間だったのが、擦り切れておかしくなってしまっただと。ふざけやがって」

 

 このときばかりは、まるでむくれた少年のようだった。

 確かにどこか、不貞腐れたユウの面影を感じさせる。

 生き方も何もかも違うのに。不思議な奴だ。

 

「素直なユウは、馬鹿みたいにそのまま信じたよ。嘘八百のお涙頂戴なストーリーをな」

 

 そしてどこか諦めたように、溜め息を吐いた。

 俺は少し驚いた。こいつが溜め息を吐く姿なんて、見たことがなかったからだ。

 

「同情の余地を残してしまったんだ。あのお人好しのユウにそんな感情を与えてしまった時点で、エデルでの僕の計画は失敗に終わっていたのかもしれないな」

 

 これでもう交渉する気はないとばかり、こいつは盛大に肩をすくめた。

 

「いいだろう。僕は僕の道を行く。お前はお前の道を行くがいいさ」

「ありがたくそうさせてもらうとするぜ」

 

 すると、ウィルは。

 背後にある鼠色に濁った星、エルンティアに目を向けて、にやりとほくそ笑んだ。

 

「そろそろか――せっかくだ。少しくらいこの星の話でもしようじゃないか」



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47「中央工場の奥底で見たモノ」

 俺たちをすっかり取り囲んだ敵は、プレッシャーをかけようと、じりじりと距離を踏み潰すように整然と歩み寄ってくる。

 俺とリルナは、押しやられる形で距離を詰め、ほぼぴったりと背中をつける形になった。

 そのとき、様子見とばかりに、一体のプレリオンが飛び出して斬りかかってきた。

 そいつの刃を見切って掻い潜ると同時、逆に頭から気剣を振り下ろす。

 縦に真っ二つになった殺戮兵器は、左右に分かれて地面に倒れ、その無機質な中身を晒した。

 同様の状態になった無残な人間の死体を何度も見て来たことがあるが、それに比べれば心にくるものはずっと少ない。

 俺が容赦なく敵を斬り捨てたのを見たリルナが、眉根を吊り上げた。

 少し意外だとでも言いたげに。

 

「お前でも普通に殺すのだな。不殺主義者かと思っていたぞ」

「さすがに心のない敵にまで遠慮はいらないだろう」

 

 それが合図になったのかどうかは知らないが、他のプレリオンたちも刃を立てて、一斉に飛び掛かってきた。示し合わせる暇もなく、俺たちはすぐに応じる。

 特殊機体と言うだけあって、ディークランの一般隊員の連中よりはずっと手強く感じた。

 ただ、ディーレバッツと比べると……。

 非戦闘員のトラニティ辺りよりかは強いかもしれないが、それでもジードやステアゴルといった戦闘タイプに比べれば、かなり劣るというところだろうか。

 ともかく、俺たちならば問題なく相手ができる程度の強さでしかない。

 一体一体は、リルナに比べれば動きが止まって見えるほどだ。容易く見切ることができる。

 彼女も同じように感じていることだろう。特に苦も無く《インクリア》で敵の首を刎ね、四肢を飛ばしていく。

 ただ、何よりも数が多い。

 二体までは同時にいけても、三体以上同時に相手をするとなると少しきつかった。

 なるべく一対一か一対二の状況を作るように、上手く立ち回って対処する。

 全員が同じ蒼白な、無表情な顔面を張り付けたまま不気味なほど静かに迫ってくるのは、悪い夢でも見ているような気分にさせられた。 

 

 そのうち埒が明かないと判断したのか、敵は攻撃パターンを変化させてきた。

 近くの敵が刃を振りかざしつつ、遠くの敵がビームライフルを構えて集中的に狙ってくる。

 射撃を防ぐ手段がないならば、どうしようもない攻撃だっただろう。

 だが今の俺は、《マインドバースト》の効果で防御力も上乗せされている。

 射撃は、察知できる限りはまったく大したことはない。

 遠距離から気配なく正確に撃ち抜いてくる、あのプラトーの職人技に比べれば。

 一部は避けて、かわし切れない部分は、命中する箇所に集中的に気力強化を施して防ぐ。

 リルナの方は、《ディートレス》のおかげでまったくノーダメージのようだった。

 敵のときは厄介そのものだったが、味方に回ると恐ろしく頼りになる。

 自分はというと、気力の使えない左腕側を集中的に狙われると、さすがにやや辛いところがあった。

 そこはリルナが目敏く気付いて、フォローに回ってくれた。

 もう何体目になるかわからない殺戮天使を刺し貫いた彼女に、声をかける。

 

「ありがとう」

「わたしの責任だからな」

 

 増援は際限なく、次から次へと湧いてくるように思われた。倒しても倒しても敵は補充されてくる。

 余計なスタミナは消耗したくないのだが、中々膠着状態から抜け出せない。

 それでも、工場内部からの増援はさすがに有限だったらしい。

 それが途切れたタイミングを見計らって、リルナと頷き合わせる。

 彼女の手を取り、《パストライヴ》で囲みを一息に突破する。

 背面に集中強化をかけつつ、雨あられのようにビームが飛び交う中、敵に背を向けてドームの入り口へと駆け込んだ。

 

 飛び込んでみると、まず目に映ったのは、大量の巨大な機械装置群だった。

 やはりというか、すべてがほぼ輝く白銀一色だ。特殊合金のポラミットが非常に優秀な素材なのはわかるけど、ここまでひたすら使われていると、さすがに目が痛くなってきそうだった。

 プレス機やベルトコンベアなどが、一定の配列で整然と並んでいる。

 一見してわかる通り、組み立てラインだった。それも、ナトゥラの製造ラインのようだ。

 ラインはなぜか一切動作していなかった。緊急時だから止まってしまったのかもしれないが。

 造りかけのままのナトゥラの生首がずらりと並んで、生気のない目でこちらを見つめている。

 今にもけたけた笑い出しそうだ。首だけで。

 一方で、首から下が宙ぶらりんに吊り下げられているのも見えた。

 裸の若い男女たちの機体が。

 おそらく、ドッキングする途中だったのだろう。

 人間のものかと見紛うほど精巧な女性の肢体が、あられもなく晒されている。

 けど、首もないのが無造作にぶら下がっているのを見つけても、何も嬉しくはない。

 正直なところ、不気味極まりない光景だった。ホラー映画にでも出てきそうな。

 リルナも同じ感想だったらしい。ぽつりと呟いた。

 

「実際に造られているところを見るのは、ぞっとしないな」

「同感だよ」

 

 プレリオンたちも、すぐに追いかけて中に入って来た。

 奥からもまた追加でやってきて、挟み撃ちの状態になる。

 さすがに内部でビームライフルを撃ち回せば、設備が破壊されてしまうだろう。

 それはまずいと判断したのだろうか、専ら紫色の光刃のみを使用して白兵戦を仕掛けてきた。

 こちらは、外のときと同じように対処していく。

 さすがにナトゥラの製造ラインを破壊する気は俺にもなかった。

 目的は、この場所に何があるのかを見極めること。

 そしておそらくここにも存在するコンピュータシステムの発見と、こちらは文句なく破壊だ。

 元々俺は気剣だけだったから、特に動きに関して遠慮する必要はない。

 リルナも俺に気を使ってか、こちらを巻き込む《フレイザー》は、最初から使用せずに立ち回ってくれていた。

 だから特に不都合はなかった。

 むしろ敵が好きに撃てなくなった分だけ、戦いやすくなったと言える。

 

「どうやらこのフロアじゃない。どこかで地下へ続いているはずだ。道を探そう」

「わかった」

 

 大立ち回りを続けるうち、やがて向こうにメインエレベーターらしきものを見つけた。

 リルナと合図を取って、上手く隙を見計らってともにその目前まで駆け込む。

 リルナがエレベーターのボタンを押した。

 籠がやって来るまで待機している間、力を合わせて敵の動きを牽制する。

 ドアが開くとすぐに、二人で同時に乗り込んだ。

 同乗しようとしてくる敵は容赦なく斬り、蹴り出してやる。

 あとは入り口横のボタンを押せば、ドアは閉まるのだが……。

 どんどん敵が向かって来ようとするので、一向にドアが閉まろうとしない。

 

「あまり壊したくはないが、やむを得ないだろう」

 

 リルナが、右手を砲口に変化させる。

 

「ターゲットロックオン。エネルギー充填10%。《セルファノン》――発射」

 

 リルナの髪色と同じ、水色の光線が発射される。

 10%なので威力もそれなりだが、目前に迫る敵をすべて吹き飛ばすだけの望ましい効果はあった。

 ふと気になったのだけど、今のはただ単に前へ撃っただけじゃないのか。

 別にターゲットをロックオンしてないときにもそう言うのは、仕様なのだろうか。

 こんなときに聞くことでもないので、黙っておく。 

 もう一度ボタンを押すと、やっとエレベーターのドアが閉まった。

 音もなく、滑らかな動きで地下層まで降りていく。

 

「そう言えば、まだプラトーを見ていないな」

「もしかしたら、奥に潜んでいるのかもしれない。そうじゃなくても、これから来るだろう」

 

 俺には、確信めいた予感があった。

 この世界に潜む真実を暴こうとするイレギュラー因子が、最重要拠点の一つを掻き回しているのだから。

 彼は俺たちの前に現れるしかないはずだ。

 既に遠くから狙撃のチャンスを狙っているのかもしれない。気を引き締めておかないと。

 

 エレベーターのドアが開いた。

 辺りはそれまでと打って変わって、気味の悪いほどの静けさに満ちていた。薄暗い通路を、ぼんやりと蛍光灯らしきものが照らしている。

 地下極秘エリア。

 ギースナトゥラでずっと見えていたあの銀の巨大柱の内部に。

 俺たちは反逆者としては、おそらく歴史上初めて足を踏み入れたことになる。

 プレリオンたちは、もう追いかけてきては来なかった。

 円形カーブを描いて、通路がずっと続いている。ちょうどディースナトゥラの通りを思わせるような構造だった。

 なだらかに傾斜が付いて、下の方まで伸びていた。

 周囲を警戒しつつ、リルナと一緒に歩いて先へ進んでいく。

 やがて、内側に巨大な扉が付いている所まで来た。

 

 生体――製造プラント。

 

 一部文字が掠れているが、部屋の入り口にはそう書かれたプレートがあった。

 覚悟を決めて扉に近づくと、プシュー、と大きな音を立てて自動で開いた。

 音のやかましさから、長い間ほったらかしにされていたことが窺える。

 そして、扉の向こうには。

 

「これは……なんだ……」

 

 リルナが、顔を真っ青にして完全に言葉を失ってしまった。

 正確には、ナトゥラである彼女に顔色などないはずなのだが、すっかりそう見えるほどだった。

 いつも冷静な彼女が、わなわなと肩を震わせて狼狽えている。

 無理もなかった。誰だってそうなるだろう。

 

 なぜなら、そこには。

 

 この世界の前提が根底からひっくり返るほどの、衝撃の真実があったのだから。

 

「……そうか。やっぱり、そうだったのか」

 

 もしかしたらと、思っていたんだ。

 確証はなかったけれど。

 

 予想は、当たってしまった。

 

 緑色の液体に、それは浮かんでいた。

 一列に並んだガラスケースに、一つ一つそれが入っている。

 中から、こちらを一点に見つめるモノがあった。

 まだ人になる前の形。

 皮膚は出来上がっていない。ぐちゃぐちゃな肉の筋が、体表を覆い尽くしている。

 彼は――いや、胸に少し膨らみがある。彼女なのかもしれない。

 それはこちらに向かって、歯を剥き出しにした。

 笑っているのかもしれない。泣いているのかもしれない。

 造られたモノの悲哀が、その表情に込められているような気がした。

 

 そこには――。

 

 製造途中の()()()()が入っていた。



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48「人工生命の星エルンティア」

「これは……何なのだ……」

 

 リルナが、震える声で繰り返した。

 憔悴し切った様子で、よろよろとガラスケースへ歩み寄っていく。

 

「見たままだよ。生体型のナトゥラ。それがヒュミテの正体だったんだ」

 

 ケースの下に取り付けられた製造番号プレートに目をやりながら、そう答えた。

 

「ならば……わたしたちは……ずっと、造られた者同士で殺し合いを演じてきたと言うのか……!」

 

 リルナが、絶望と憤りの入り混じった声で呻く。

 俺は彼女に近づいて、肩にそっと手を乗せた。

 

「そうだ。辛いことだけど……これが真実だったんだよ、リルナ。この世界には、最初から()()()()()()()()()()

 

 近付いたので、ケースの中にいるモノと目が合った。

 何かを訴えかけるような目。

 造りかけのまま止まっている彼あるいは彼女を、ここから出してやることはできない。

 彼女の肩に乗せた手に、少しだけ力がこもる。

 

「人の手で造られた生命のみが暮らす世界。人工生命の星エルンティア」

 

 そして、振り返る。

 一見何もない虚空に向かって、俺は告げた。

 

「そうだろう。プラトー」

「……気付いていたのか」

 

 死角から音もなくすっと現れたのは、ディーレバッツの副隊長だった。

 右腕のビームライフルを、こちらに向けて油断なく構えている。

 はっとしたように、リルナも振り返った。

 

「プラトー……!」

 

 あまりのショックに、周囲に注意が向かなかったのだろう。

 その点、部外者である俺は幾分冷静で、周りがよく見えていたということになる。

 

「そう何度も不覚は取らないさ」

 

 じり、とリルナが足を踏み込んで構えた。

 刃を抜こうとしたのを、さっと左の義手の方で制して、俺は彼に忠告した。

 

「さすがにお前一人では、俺とリルナを同時に相手して勝ち目はない。わかっているはずだ」

 

 今すべきことは、この男をぶちのめすことではない。

 何より事情をよく知っているのが、この男なのだから。

 プラトーも、勝ち目がないのはよく理解しているのだろう。

 見つかった時点で、もう戦う意思はないようだった。

 やるせなさそうに肩をすくめ、嘆息する。

 

「まさかこんなところまで乗り込んで来るとはな。どうやったのかは知らないが……恐れ入ったよ」

「確証はないけど、仮説は立ててきた。答え合わせに付き合ってくれるよな」

「……ああ。構わんさ」

 

 プラトーは陰鬱な表情で、ゆっくりとビームライフルを下げた。

 それを見ても、リルナは一切警戒を解かなかったが、少しだけほっとしているようにも見えた。

 手痛く裏切られたとは言え、本音としてはかつての仲間と戦いたくはなかったのだろう。気持ちはよくわかる。

 俺は、向かい合うリルナとプラトーに交互に視線を交わした。

 それから、これまで得た断片より組み立てた、この世界の筋書きを話し始めた。

 

「発端は約二千年前に遡る。詳細はわからないけど……宇宙侵略戦争とやらに負け、ほぼすべてを失った人類に残っていたのは、破滅を招いた先端技術の一部と、到底明日を生きられない死の星だけだった」

 

 二千年経っても、爆心地である旧首都エストレイルは、死の雪が絶え間なく降り積もる有様だ。

 それが実際の当時なら――答えは明白だ。

 どう足掻いたって、この星のどこにいようと。人間が生きて行けるはずがなかった。

 仮にヒュミテが、当時を生き抜いた人類の末裔だとするならば。

 多少技術が衰退したところで、今頃になって、遥かに脅威の衰えた放射能に怯えることなどあり得ない。

 出生率の低下も何もかも、今さらなんだ。

 そんなことで危機に瀕しているなら、とっくの昔にすべて死に絶えていなければおかしかった。

 だから、人類はもう()()にはいない。

 

「生き残った人類は、苦渋の決断を下した。この星を捨てて、離れることにしたんだ」

 

 宇宙に本格的に進出したほどの技術なら。

 地球のように、ただ月に行ったとかそういうレベルではない。

 異星と当たり前のように交流し、戦争まで始めてしまったほどの技術だ。それは可能だろう。

 プラトーに向き合って話していたが、そこで一度ちらりとリルナを見る。

 彼女は口の端を結んで、俺の話に聞き入っているようだった。自分が口を挟めるようなものでもないと判断しているのだろう。

 同じく黙って話を聞いていたプラトーは、そこで初めて口を開いた。

 

「少しばかり付け足そう。旧人類は、大きく三つのグループに分かれたとされている」

 

 彼は語る。

 

 一つは、あくまでこの星に生きることにこだわり、死の運命をともにした。

 一つは、新天地を求めて遥かな宇宙の旅に出た。

 そして、最後の一つは――。

 

 そう。その一派こそが、おそらくこの星の現状を作り上げた黒幕だ。

 

「あくまでこの星の支配者として、君臨し続けることを望んだ。いつの日かこの星が回復して、問題なく暮らせるようになるそのときを待っている。そうだろう」

「……そうだ」

 

 プラトーは、険しい顔で静かに認めた。

 その顔に、どこか嘲るような悲哀を感じてしまったのは、どうしてだろうか。

 

「ディー計画というのは、たぶん彼らが約束の日にこの地へ返り咲くための計画のことだ」

「……その通りだ」

「複数のタイプの汎用型ナトゥラが製造された。機械型である普通のナトゥラと、生体型のナトゥラであるヒュミテ。他にどんなものがあるのかは知らないけど」

「プレリオンだ。テストの裏仕事と後処理を担当している」

「まあそんなところだろうと思ったよ」

「テストとは、何なのだ?」

「ある程度予想は付いてる。順を追って話していこう」

 

 最悪のテストがな。

 逸るリルナを抑えて、自分も吐き捨てたくなる気持ちを押し込めながら、まずは筋道を立てていく。

 

「計画のために。ナトゥラは、そしてヒュミテも、正しく人類の道具、奴隷としての扱いを受けてきたんだ。そして今も陰から支配を受け続けている」

 

 だからリルナ。

 操られていたときの君の怒りは、ずれたところでは正しかったんだ。

 何という皮肉だろうか。

 人間は、自分の造ったものには敬意を払わない。

 誰がコンピュータを丁重に扱うだろう。誰がモルモットに同等の扱いをするだろう。

 そうした「当たり前」の感覚が、このような悲劇を起こしてしまった。

 それでも俺は、怒りたかった。

 ナトゥラもヒュミテも、とっくに立派な「人間」なんだ。それが好き勝手に虐げられていいはずがない。

 もっと違う穏やかなやり方が、あったはずなんだ。それをちゃんと考えてやるべきだったんだ。

 つい拳に力が入った。続ける。

 

「いつか人類が帰ってきたときに、星がすべて自然に還っていては困る。復興作業もあるが、何より文明の維持が、機械型のナトゥラに命じられた。機械の身体であれば、放射能の影響は一切受けないからね」

 

 でも、ただ放射能に強いだけでは足りない。

 文明の維持には、人に劣らぬ高度で自立的な知能を持たせる必要があった。

 

「そこで、世代交代による知能の蓄積という仕組みが考案された」

 

 プラトーは異議を唱えない。

 多分に予想が入っているが、どうやら概ねは当たりのようだった。

 

「だが最初の方は、まだいくらか知能が低かったはずだ」

 

 だから、ナトゥラがほぼ現在の知能を獲得するまでに、色々と失われてしまったものもあったのだろう。

 

「かつての人類が持っていた文明よりも、現在の文明が幾分衰退してしまっているのはそのためだ」

「なるほど。それでわたしやプラトーには、現代では再現不可能な機能があったのか」

 

 納得した素振りを見せるリルナに、俺は頷き返した。

 

「ああ。でもそれで都合が良かった。ある程度の衰退は、計算の内だっただろうね」

「そうか。確かにそうだな……」

 

 リルナも気付いたのか、深く頷いている。

 

「人類は、ナトゥラがあまりに進んだ文明を持つのを恐れていたはずだ。誰でも、万が一自分たちに取って代わられてしまう可能性は考えたくない」

 

 そしてその恐れゆえに、徹底的に管理されたに違いない。余計なことはしないように。

 ふと、疑問に思っていたことをプラトーに尋ねる。このタイミングが良いだろうと思ったのだ。

 

「ところで、チルオンとアドゥラに分かれていて、機体更新をしなければならないのはどうしてだ?」

 

 これがさっぱりわからなかった。

 プラトーは、あっさりと答えてくれた。

 

「単なる技術的な問題だ。学習機能に優れた機体がチルオンなのだが、その特質は製造後十数年で失われてしまう。ちょうど良いから、子供と大人で分けるということにしたらしい。何もかもに重大な理由があるわけではない……」

 

 ……そうか。そういうこともあるよな。ちょっと勘繰り過ぎていたか。

 気を取り直して、さらに続ける。確かめるべきことは多い。

 

「ヒュミテもまた、造られた存在だった。何のために? コンピュータシステムによって管理された、残酷なテストのためだ。これについても、予想はあるが確証はない。答えを聞いてもいいか?」

 

 頷いたプラトーから返ってきたのは、概ね予想通りの。

 吐き気のするような答えだった。

 

「ヒュミテは、この星が放射能汚染からどれほど回復したかを、テストするために造り出された。人間に非常に近い性質を持った、モルモットだ……」

「何だと……!?」

 

 リルナは震えながら、開いた口を開じられずにいた。

 奴隷よりもひどい。

 ヒュミテの実際は、彼女のタブーによほど触れてしまったようだ。

 

「人と同じように生を営み、人と同じように数を増やす。そして人と同じように、放射能による害を受ける」

 

 くそっ!

 心の内で毒吐く。やっぱりそうか。

 要するに、最初から「殺す」ことを前提に造られた生き物だったわけだ!

 

 さらに彼は、むごい真相を述べる。

 

「管理を容易にするため、ヒュミテは王の役割を与えられた者に惹き付けられて、彼を中心に集まる性質を持つ。ルナ・トゥリオーム。生体型ナトゥラの王に与えられるタイプ名だ。ナトゥラを少々もじっている」

「さすがにそこまでは気付かなかったよ」

 

 つまり王救出作戦というのも、お前からしてみれば起こって当たり前のことだった。

 最初から、茶番の要素が入っていたわけか……。

 いや、そうは思いたくないな。

 あの作戦に賭けた仲間たちの想いは、本物だった。

 この事実は、テオには黙っておくことにしよう。あまりにも辛過ぎる。

 胃がきりきり痛み出したのを感じながら。

 俺は燃え上がりそうな激情とは裏腹に、やや冷たい調子で言った。

 

「テストの期間は二百周期、つまり二百年だった」

「……それが何を意味するか、お前ならもうわかるだろう」

「どういうことだ……?」

 

 リルナが、憤りと困惑がごちゃ混ぜになったような顔をしている。

 先ほどから話についていくのがやっとという様子だが、彼女にとっても、知れた情報のろくでもなさは明らかだった。

 

「ヒュミテは人間の忠実な模倣だ。出生率も調べるために、あえて増えるように造られた」

 

 でも何かの間違いで、増え過ぎては困るんだ。

 

「だから……一定の周期で、絶滅させてやる必要がある」

 

 言っていて、どうしてこのような悪魔染みた発想ができるのだろうと。

 怒りを通り越して、どうしようもなく哀しくなってくる。

 

 そこで、リルナもはっとした。

 操られていたときと同じような強い憎悪が、瞳に宿っている。

 

「だから、殺し合いをさせるのか!」

 

 俺は泣きたい気分で頷いた。プラトーも。

 

「テスト開始から一定期間を過ぎたところで、双方に仕組んだ殺意を誘発する。ナトゥラの方はCPDを植え付けて。さっきわかったけど、ヒュミテの方はきっと本来は王が焚き付けてやるんだろうな。今回、そうならなかったのは……」

「王がエラー因子だったからだ……。この二千年で初めてのことさ」

「なぜそうなった?」

 

 疑問を投げかけるリルナに、答えてやる。

 

「何事も計画通りにはいかないということさ。特に、何千年もスパンがあるような長大な計画ならね」

 

 二千年も経てば、製造ラインも老朽化し、エラーが頻発するようになってきたはずだ。

 

「そこでおそらく、応急措置として仕立て上げられたのが、地下都市のギースナトゥラだ。そこに可能な限りのエラー因子を押し込めた」

 

 リルナが息を呑んだ。話題を戻す。

 

「ナトゥラとヒュミテの戦いは、機械製で自力に勝るナトゥラが必ず勝つ。出来レースだ。そしてヒュミテが全滅したところで、ナトゥラの記憶は操作してやれば……すべては元に戻る」

 

 くそったれ。なんて残酷な真実なんだ。

 

「そんな……! あまりにもひどい話だろう!」

「そうだ。こんなのってあるかよ!」

 

 俺はもう、ほとんど叫び出していた。

 

「二百年は、何度でも繰り返されるんだ。本当の人類が帰ってくるまで! この二千年ずっと、歴史なんて全部嘘っぱちだ! 何もかもが、最初から仕組まれていたんだ!」

 

 思いの限り吐き出して、少しでも気分を落ち着ける。

 粛清はもう始まっている。

 おそらくかなりの段階で、テストは進行しているはずだ。

 プレリオンが堂々と動き出したということは、既に最終段階に入っているかもしれない。

 止めなければならない。さもなければ、待っているのは。

 

 ヒュミテとエラー因子の――皆殺しだ。

 

 そして、停滞の歴史は繰り返される。

 

「プラトー。お前は、すべて知っていたんだろう?」

「……そうだ。オレの役割は、テストを監視することだ」

 

 プラトーは、ついに観念したように肩を落とした。

 

「一つだけ、お前が絶対に知らない馬鹿げた真相を付け加えよう……」

「なんだ」

「人類は、とっくに死に絶えている」

「は……?」

 

 ふざけてんのか。おい……。

 

「原因は単純だ。実に下らない足の引っ張り合いさ。とどめは、コールドスリープが万全ではなかった」

 

 俺とリルナは、絶句してしまった。

 じゃあ、何のために。

 

「一体、誰のためのシステムなのだろうな……」

 

 やるせない思いを紡ぐように、プラトーは嘆息して言った。

 

「とにかく、このシステムを止める者は、もう誰もいないのだ。終わらないゲームは、繰り返されるだろう」

「運命は変えられないのか!? 俺たちが、力を合わせれば……!」

「そうだ。こんなふざけた話、認められるものか!」

「できない」

「なぜだ!?」

 

 リルナが吼える。

 プラトーは諦観を込めて、静かにかぶりを振った。

 

「オレたちは、いついかなるときも。喉元に破滅を突きつけられているのだ……」



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49「全ナトゥラ殲滅命令発動」

「破滅を突きつけられているだって!?」

「プレリオンがなんだというのだ。確かに数は多いが、決して倒せない相手ではないはずだ!」

「そんなものは問題ではない……」

 

 食ってかかるリルナを窘めるように、プラトーが言った。

 静かな声には、だが強い厳しさが込められていた。

 

「お前たちに言っておく。これ以上システムを刺激するな。取り返しの付かないことになるぞ」

「取り返しの付かないことって――!?」

 

 その瞬間、遥か下の方で何かが爆発する音がした。

 立っているのも辛いほどに、床が激しく揺れる。

 

「なんだ!?」

「どうした……?」

「まさか……! なぜだ!?」

 

 ここまで感情の動きが控えめでややわかりにくかったプラトーが、初めて誰の目にも明らかな動揺の声を上げた。

 揺れが収まる間もなく、頭上で天井が崩れた。

 さっとその場を飛び退く。

 リルナとプラトーも、咄嗟のことでしっかりとかわしていた。

 前を見ると。

 分厚い金属の塊が、ガラスケースの中に入っていたモノに直撃するところだった。

「あっ」と声を上げたときには、もう遅かった。

 中身の液体が漏れ出し、それの肉体の大半は潰れて、未完成のままの四肢をぐったりと投げ出していた。

 こちらを見て、一瞬だけ。

 穏やかに笑ったような顔を見せて――そして、もう動かなくなった。

 

「崩れるぞ!」

 

 リルナが叫ぶ。俺もすぐに動いた。

 

「転移魔法で脱出する! 早く手を繋いで!」

 

 リルナは素早く手を取ってくれた。

 プラトーが躊躇する仕草を見せたので、一喝する。

 

「何もたもたしてるんだ! さっさと掴まれ!」

 

 どこか煮え切らず、茫然自失としたままのプラトー。

 その左手を強引に掴んで、女に変身する。

 リルナと目が合った。

 その瞳孔は驚きを示すように開かれていたが、表情はむしろほっとしているようだ。

 行き先を考えている暇がない。とりあえず前の場所へ飛ぼう!

 

《転移魔法》!

 

 間一髪のところで、私たちは難を逃れることができた。

 

 

 ***

 

 

 再びディースナトゥラ第三街区六番地。

 人気のない裏路地に転移し終わると、すぐにプラトーは私の手を振り払った。

 信じがたいという顔で問い詰めてくる。

 

「なぜオレを助けた……。お前に敵であるオレを助ける義理はないはずだ」

「どうもこうもないよ。見殺しにしたら寝覚めが悪いでしょ」

 

 ごくあっさりと返す。

 呆気に取られたように言葉を失った彼に、リルナはぽんと私の頭に手を乗せて目配せした。

 ふふ、と小さく笑って。

 

「諦めろプラトー。ユウはこういう奴だ」

 

 プラトーは、何も言い返さなかった。代わりに小さく溜め息を吐く。

 

 と、そこで。妙な違和感を覚えた。

 

「おかしい。近くにナトゥラのいる気配がない」

「なに――本当だ。どうなっている?」

 

 ナトゥラだからもちろん気はないのだけど、そういうレベルの問題ではなかった。

 ここは大都市の真ん中。

 であれば、どんな裏路地であろうと、絶えず何かしらの音が漏れ聞こえて来るはず。生活の気配というものがあるはずだった。

 それが、異常なほどに消え去ってしまっていた。

 無音。どこまでもしんと静寂が満ちている。

 まるでこの街から、すべてのナトゥラの気配と音が、そっくり盗まれてしまったかのようだった。

 

 早速三人で表通りに出てみることにした。

 プラトーは、私とリルナからはやや離れて歩いているものの、敵対する気はもうすっかり失せてしまったようだった。

 出るとすぐに、恐ろしい異変に気が付いた。

 

 通行中だったナトゥラが、その場で凍り付いたように動きを止めていた。

 ぴくりとも動かない。

 

「え……」

「なんだ……?」

 

 見渡すと、誰も彼もが、同じようにその場から動かなくなっていた。

 空を飛んでいた車までもが、音もなく静止している。

 

「あっちも」

「こっちもだぞ」

 

 私とリルナは、揃って間抜けな声を上げていた。

 

「どうなっている?」

 

 リルナが、困惑の顔をプラトーに向ける。

 彼だけが一言も喋らず、難しい顔で考え込んでいるようだった。

 

 ディースナトゥラは、沈黙していた。

 どこまでも静かだった。まるでここだけ時間が止まってしまったみたいに。

 

 そのうち、大量のプレリオンが隊列を為してやってきた。

 残念なことに、彼女たちだけはどうやら普通に動いているようだ。

 咄嗟に身を隠して、様子を窺う。

 彼女たちは、動かなくなったナトゥラに近寄ると、簡単に持ち上げていた。

 そのまま、どこかに持ち去って行こうとしている。

 

「あいつら、何をやってるの?」

 

 そこで初めて、しかめ面のプラトーが口を開いた。

 

「処分する気だろう。おそらく、中央処理場に運んでいる」

「「なっ!?」」

 

 リルナと私が、同時に驚きの声を上げる。

 

「止めさせなくちゃ」

「ああ」

 

 飛び出そうとしたところを、強く手で制止された。

 

「早まるな。あの数を見ろ。お前たちだけで何が変わるというのだ」

「そうか……。そうだよね」

 

 諭されて、私はその場だけはぐっと堪えることにした。リルナも仕方なく追随する。

 それにしても、プラトーがやけに素直になったような。

 すっかり毒気の失せたように見える彼は、やるせなさそうに呟いた。

 

「こんなことになるとはな。誰かは知らないが……やってくれた。この星はもう終わりだ……」

「さっきから破滅だとか終わりだとか、どういうこと?」

 

 彼は、その問いに答える気はありそうだった。

 でも代わりに、まず違う話を始めた。

 

「システムを管理しているコンピュータは、全部で四つあった」

「そうなの?」

「ああ……。百機議会はリルナが破壊した。地下はつい先ほどやられた。ティア大陸にも一つあるが、おそらくそこも同時に破壊されてしまっただろう」

「もう一つは、どこにある」

「この星にはない」

「何だと?」

 

 リルナが驚きの声を上げる。先ほどから、彼女は専ら驚き役だった。

 私もこの星の真実について予想を付けていなければ、きっと同じようなものだっただろう。

 

「今はそのことはどうでもいい」

 

 彼は私を見つめて、問いかける。

 

「ユウ。システムが存続を危ぶまれるほどの大打撃を被ったとき、一体何が優先されると思う?」

「システムの防御に全力を注ぐ。あるいは、原因の徹底的な排除……」

 

 自分で言ってみて、はっとした。

 彼が頷く。

 

「そうだ。ナトゥラもヒュミテも、この星の文明も、その気になればまた造り直すことができる……。少なくとも、とっくの昔にくたばってしまった奴らにとっては、そういう計算だったはずだろう」

「じゃあまさか、ナトゥラまで皆殺しにするつもりだって言うの?」

 

 プラトーは、暗い調子で肯定した。

 

「システムは、ついにナトゥラとヒュミテのすべてを危険因子とみなした。今まさに行われているのは、その端緒だ」

「そんなこと、許せるものか!」

 

 リルナが怒りに燃える一方で。私は。

 彼の言葉の節々から感じられる、どこか諦めたような含みが、さっきからどうしても気になっていた。

 

「端緒……まだ何かあるって言うの?」

 

 彼は、口の端を皮肉たっぷりに歪めた。

 そして、こちらを非難するように鋭く。

 でもどこか哀しげな視線を投げかけて、言ってきた。

 

「お前たちは、どうあっても逆らうべきではなかった。現状維持だけが、望むべく精一杯のことだったのだ……。あれを起こすことだけは、避けなければならなかった」

「それって何なの? あなたは、何をそこまで……」

 

 本当の歴史をその目で見てきたプラトーが、そこまで恐れるものは何か。

 私たちではどうしようもないものとは、何なのか。

 彼は、絶望的な調子でその名を告げた。

 

「焦土級戦略破壊兵器。ギール=フェンダス=バラギオン」



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A-13「焦土級戦略破壊兵器 ギール=フェンダス=バラギオン」

 ウィルは、簡単にこの星のあらましについて説明してくれた。

 胸糞の悪くなるような二千年の歴史を。

 くそ。まさかそんなことになってやがったとはな。

 一度ユナとともにあからさまな破滅からは救ったものの、結局は時間の問題だったということか……。

 やっぱり人間というのは、業が深いもんだな。

 どこか空しいような哀しいような気分を覚えつつ、目の前の男が話し続けるのを聞いていた。

 ウィルは、唐突に話題を変えた。

 

「あの星にあるものは、ほとんどすべて取るに足らないものだが。一つだけ、まあおもちゃと言える程度のものなら見つけた」

 

 そしてこいつは、思ってもいなかった驚きの名を出してきた。

 

「ダイラー星系列。お前も名前は聞いたことがあるだろう」

「ダイラー星系列だと!?」

 

 ここより遥か宇宙の彼方。

 ビッグバンが起こった、宇宙の中心とされる場所。

 今は巨大なブラックホールに占められているらしいが。

 そこを取り囲むようにして存在する、フェバルですら容易に手出しができない一大銀河領域がある。

 

 功名も悪名も高き、宇宙最強の星系統合政体――ダイラー星系列。

 

 宇宙の観測者かつ管理者を自負する連中が統治する、甚大な領域だ。

 おいそれと手出しができない理由は、いくつかある。

 まずそもそも、外側からそこへ行く手段が少ない。

 ワープなど、大抵の技術や能力の使用に対しては、たとえそれがフェバルのものであっても容易に通用しないほどの、強固なプロテクトがかけられている。

 宇宙空間から直接移動で向かうには、宇宙最凶の荒れ場とも呼ばれるウェルム帯を乗り越えなくてはならない。

 逆に向こうから宇宙各地に来るのは、毎度容易にやって来ているようなんだが……。果たしてどういう理屈なのかは知らない。

 さらにあの一帯は、数多のフェバルがひしめいていて。表から裏から統治に関わっているとされている。

 そんなやばいところに茶々を入れれば、火傷をもらうのはまずこちらということになる。

 下手すりゃ致命傷になりかねない。封印刑なんてのもあるしな……。

 

 もっと言えば、フェバルじゃない奴にも厄介なのがゴロゴロいると聞いたことがある。

 あれは確か、たまたまダイラー星系列のとある星に辿り着いた、憐れなフェバル仲間の証言だったか。

 ほんの数日後に殺されて、キックアウトされたって言ってたけどな。

 

 星級生命体や、異常生命体といった連中。

 いわゆる、フェバルを含めて言うところの『三種の超越者』。

 そんな奴らも、腐るほどいるというのだ。

 

 まあ、あえてわざわざ自分から関わる理由はないし。

 星脈を順に辿って旅をしていけば、いつかは自然とそこへ流れ着くとも言われているが――。

 そんな大物の名前が、まさかこんなところで出て来るとは思わなかったぜ。

 

 驚きはそれだけに留まらなかった。

 ウィルがほくそ笑む。

 

「ギール=フェンダス=バラギオン。あれが一体、置き残されていた」

「てめえ。何がおもちゃだ。物騒な名前出しやがって……! とても今のユウの手に負える代物じゃないぞ!」

 

 ギール=フェンダス=バラギオン。

 星間戦争において主力となり得る、量産型「焦土級戦略破壊兵器」の一種だ。

 横暴を許せば、単体でもその名の通り、星全体を焦土に変えてしまいかねないほどの性能を誇る。

 最も厄介なのは主砲だ。あれは確か、触れたものをすべて消し去る物質消滅の効果を持っている。

 単純な攻撃力だけなら、能力が戦闘向きじゃないごく一部のフェバルよりも高い。

 その上となりゃもう、星そのものの形を変えてしまうレベルの「星撃級」と、星を丸ごと跡形もなく消し飛ばしてしまう「星消滅級」。

 やばいレベルの兵器しかない。

 ……どちらも、ダイラー星系列産の兵器だけどな。

 星撃級や星消滅級のようなものは、この広い宇宙でもそう滅多に存在しないし、仮にあったとしてもさらに輪をかけて使われることは少ない。

 戦う相手というのは、つまり大抵の場合は屈服させたい相手なわけだ。

 それを丸ごと消し飛ばすなんてのは、およそそれ自体が目的でもない限り、馬鹿げたことだからだ。

 

 俺は、激しい焦りが押し寄せて来るのを感じながら毒吐いた。

 

 確かに焦土級程度なら、輸出されて使われることもあるだろうよ。

 俺たち並以上のフェバルなら、大したことはない兵器だ。

 だからっつったって、こんな遠く離れた辺境の星にそうそうあって良い代物じゃねえだろうが!

 

 そしてウィルの奴が今何を考えているのかも、手に取るようにわかる。

 状況を操るのが好きなこいつのことだ。絶対ろくでもないことをしようとしてるに違いない。

 

「くっくっく。せっかくだ。ユウの奴とぶつけてみて、どんな化学反応が起こるのか。見てみようじゃないか」

「くそっ! させるかよ!」

 

 もう戦うしかねえ。

 

【反逆】で邪魔しようとしたとき。

 こいつは、至極残酷な笑みを浮かべたのだった。

 

「今度は僕の方が早いぞ」

 

 わざわざ、こいつが手をかざすまでもなく――。

 

 くそったれが! この野郎は、とっくのとうに準備してやがったんだ!

 

 眼前に映る星の一部――ティア大陸の南側。

 無人の領域に、チカッと白い光が瞬いた。



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50「この手を伸ばさなければ届かない」

「焦土級……戦略破壊兵器……」

 

 聞くからに、ものものしい呼称だった。

 

「何だそれは?」

「かつてこの世界を瞬く間に死の星に変えたという、悪魔の兵器だ。一機だけが残存して、システムの守護者として再利用されている」

「そんなものが……」

 

 プラトーは、項垂れて首を小さく振った。

 

「今はまだ影も形も見えないが……じきにここへやって来るだろう。オレたちは、終わりだ……」

「なぜ終わりと決めつける? わたしは――」

「今ここで天災が起こったとして、どうにかできると思うか?」

 

 物静かだった彼が急に声を荒げたので、リルナは虚を突かれたように声を呑み込んだ。

 そんな彼女に投げやりな視線を向けて、彼はまた溜め息を吐いた。

 

「……そういうレベルの話だ。どうしようもないさ」

 

 彼は、すっかり諦めてしまっているようだった。

 

「だが……」

 

 絶望する彼を見て、リルナは言葉が続かなかった。

 そんな彼女の後を継いで、私は言った。

 胸に湧き上がる決意を込めて。

 

「それでも。簡単に諦めちゃいけないよ。やるだけのことはやらなくちゃ。泣き言を言うのは、それからでいい」

「お前は……」

 

 プラトーが、うんざりしたようにこちらに視線を投げ返した。

 けれどその瞳は、私の瞳をじっと探っている。

 

 絶望的な状況なんて、何度も経験してきた。実際に世界が終わる寸前まで行ったこともある。

 何度も失敗した。でも、同じくらい何度だって乗り越えてきた。

 私の力だけじゃない。仲間の力を合わせて、さらに運が覚悟に味方しなければ届かなかったことだってたくさんある。

 結局は、どうしても届かなかったものもある。

 その境目は、わからない。

 だからこそ、どこまでも足掻かなくちゃ。できることはしなくちゃ。

 この手に届くものは限られている。

 けれど可能性は、手を伸ばした者にしか与えられない。

 

「私、みんなを連れてくる。まずはできる限り戦力を集めて、それからプレリオンを止めよう。犠牲者を少しでも減らすために」

「その後は、どうする。まさか……本気で戦うつもりなのか?」

 

 信じられないという顔で呻くプラトーに、私は力強く頷いた。

 

「もちろん。最後までやってみなくちゃわからないじゃない」

「お前は……。わかっているのか。自分が何を相手にしようとしているのか……!」

 

 詰め寄られて、はっきりと目が合ったとき。

 彼は、はっとしたようだった。

 私から、揺るがない決意を感じ取ったのだろう。

 どんな相手だろうと関係ない。やるだけだと。

 責めの代わりに出てきたのは、またもや溜め息だった。すっかり呆れているようにも見える。

 これで呆れられたの、何度目だろう。

 

「何なのだ。本当に……。お前は、何度も何度も。なぜそこまで足掻く。なぜ諦めようとしない。一体、お前は……」

「ただの旅人だよ。でも、それなりに絶望は見てきた。同じだけ、希望があることも知っている」

 

 まだほんの若造だけどね。でも少しは知ってるつもり。

 たとえ惨めに見えたとしても、足掻くことには、それなりの価値があるんだってことを。

 

「どうせ何もしなくても死ぬなら、やるだけやってやろうよ。ね。ナトゥラとヒュミテで意味のない殺し合いを続けるより、よっぽど希望があるって」

「なぜ、そう思う?」

「だって、この上なく倒すべき敵がはっきりしてて、勝てばいいんだから。後腐れも一切ない」

「ふ、ふふ……ははは! その通りだな!」

 

 可笑しくてたまらないといった調子で笑い出した、リルナの方を見る。

 彼女は、熱っぽい眼差しをこちらに向けていた。

 

「わたしは現実を見ない馬鹿が嫌いだ。だが、ユウ。お前みたいな馬鹿は、嫌いじゃない」

「ありがと。一応言うけどね。私だって、怖くないわけじゃないよ」

 

 プラトーは、もう何も言わなかった。

 少しだけ、目に強い意志の光が宿ったように見える。

 この調子なら、きっと大丈夫だろう。

 

「リルナ。私が少し離れている間、もし何かあったら頼むね」

「もちろんだ。任せてくれ」

 

 さて。転移魔法でルオンヒュミテ、と。

 

「あ、そうだった」

 

 そうだ。大事なことを忘れてた。

 

「行く前に、一つだけはっきりさせておこうか。わだかまりがあったままじゃ、嫌だものね」

 

 私には既に確信があった。だから、彼に対する怒りはもうない。

 プラトーの目をしっかりと見て、告げた。

 

「マイナとウィリアムを殺したのは君だ。でも、トラニティを殺したのは君じゃない。プレリオンが勝手にやった。そうでしょう?」

「そうだったのか?」

 

 言いつつ、リルナにももうさほど驚きはないようだった。

 プレリオンもまた、プラトーと同じくビームライフルを備えている。

 ほぼ不意打ちのような形なら、戦闘タイプではない彼女にはどうしようもなかった。

 おそらくそれが真相に違いない。

 リルナから聞いたよ。仲間想いなんだってね。

 君には、殺せなかったんだ。

 

「…………オレは、止められなかった。見殺しにしたようなものだ。オレが殺したのと、何が違うと言うんだ」

 

 長い沈黙の後、プラトーが、とうとう観念したように呻いた。

 私は、色々思う所はあったけど、あえて微笑みを向けることにした。

 

「リュートを放り投げたこともね。君はずっと一人で悩んで、戦ってた。そのくらいは、自分を認めてあげてもいいんじゃないかな」

 

 それだけ言うと、私はそれ以上余計なお節介は付け加えずに、ルオンヒュミテに転移した。

 別荘に待機してもらっているヒュミテのみんなの力を借りて、これから始まる死闘に全力で臨むために。

 

 

 ***

 

 

 リルナとプラトー。二人だけが、その場に取り残されて。

 プラトーは、気まずい顔でリルナを見やる。

 彼女は、まっすぐ彼を見つめ返していた。

 彼を見つめるその目に、もう敵対したときの激しい動揺と憤りは込められていない。

 彼は、嘆息した。

 

「あのどうしようもないお人好しに教えてやってくれ。心を見透かされるのは、気分の良いことばかりじゃないとな」

「ふふ。まったく同感だ。他人の事情に土足で踏み入られるのは、あまり気分の良いものじゃないな」

 

 しばらく沈黙が流れる。

 先に破ったのは、リルナの方だった。

 

「すまなかったな。最後まで信じてやれなくて」

「いいさ。あのときは本気で『直す』つもりだった」

 

 そう言ったプラトーは、憑き物が落ちたようにすっきりした顔をしていた。

 彼女を支えていた、副隊長としての彼に戻っていた。

 どうしようもない事態に陥って、ようやく覚悟が決まったと言える。

 なぜあれほど悩んでいたのか、馬鹿馬鹿しくなるほどに。かえって清々しい気分だった。

 

「さて……オレは行く。仲良く死にに行くのに、付き合ってはいられないからな」

「他にやるべきことがあるのだろう。そんな目をしてるぞ」

 

 プラトーは肩を竦めただけで、否定はしなかった。

 代わりに、盛大に溜め息を吐いた。もう何度目になるかわからない溜め息を。

 

「まったく……。どいつもこいつも。少しは格好付けさせろ」

「大丈夫だ。わたしには今のお前、十分格好良く見えるぞ」

「はあ……。こうなれば、やるだけやるより仕方がないだろう。坐して滅びを待つよりはな」

 

 そして、彼女の青色の瞳をしっかりと見つめ返して、今度こそ正直に言った。

 百機議会の前で対峙したときは言えなかった言葉が、今はどうしてか臆面もなく素直に出てきた。

 

「オレはな。どんな形であれ、お前に生きていて欲しかったのだ」

 

 リルナは、何も言い返さなかった。ただ黙って頷いてくれた。

 

 二十年前、ディー計画の監視者として孤独な日々を過ごしていた彼は、偶然調査先で捜査対象であった彼女を見つけた。

 リルナ。

 リート・ルエンソ・ナトゥラ。

「ナトゥラを正しく守り導く者」という意味を込められて、彼女は名付けられたという。

 孤高の天才研究者、ルイス・バジェットの遺作とされている。

 ルイス・バジェットは、計画の反対者として要注意リストの筆頭に名を連ねるほどの人物だった。

 システムにも、当然のようにルイスのデータは載っていた。彼が開発したものもあらかたは載っている。

 リルナは、間違いなく計画にとっての、真の敵となるはずだった。

 ゆえに、見つけ次第抹殺しなければならなかった。

 

 だが彼は、殺せなかった。

 ようやく見つけた旧時代の仲間を、彼はどうしても殺せなかった。

 

 彼は提案した。彼女にもCPDを植え付け、計画の手駒として利用することを。

 彼女を生かすには、それしか方法がなかった。

 提案は、ほどなくして受け入れられた。

 それからの二十年間は、彼にとっても幸せだった。

 たとえそれが、まやかしの日々に過ぎないのだとわかっていても。

 幸せだったのだ。孤独でない日々は。家族のように思っていた。

 

「ディーレバッツの連中にも、生きていて欲しかった」

 

 大事に思っていたゆえに、過保護になってしまったのかもしれない。

 結果として、判断を誤った。みすみす大切な仲間を死なせることになってしまった。

 もっと早く戦わせてやるべきだったのだろう。たとえそれが無駄な足掻きに過ぎないかもしれないのだとしても。

 彼女の本来の使命と望みを、尊重してやるべきだった。

 もはや取り返しは付かないが、せめてこれからは彼女の望み通りにさせてやろう。そう思った。

 ならば、オレは影から支えよう。

 彼女には彼女の戦場があり、自分には自分の為すべき務めがある。

 この二千年間、ずっと無力な観測者で居続けたツケを、どうやら支払う時が来たようだ。 

 

「死ぬなよ。リルナ」

「お前こそな。プラトー」

 

 返事の代わりにぎこちない苦笑を浮かべると、プラトーは一人街の奥へと消えていった。



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51「エルンティア独立戦争 1」

 ルオンヒュミテの別荘に転移すると、そこには期待以上の光景があった。

 

「あ、ユウちゃん!」

「やっと来たか!」

「みんな!」

 

 隊の最前列から、アスティとロレンツの声がかかる。

 対する私の声が弾んでいるのが自分でもわかった。

 二人の横には、軍服を着た兵士たちがずらりと列を為して並んでいる。その後ろにも同じようにぞろぞろと列が続いていた。

 屈強な男が大半だが、中には気の強そうな女の兵士も混じっている。

 ざっと見ただけでも、数百人じゃ下らなさそうな陣容だった。

 全体を見渡して、私は息を呑んだ。

 

「全体、整列!」

 

 陣頭に立っていたラスラの号令で、隊列は一分の乱れもなく長方形に整った。

 

「敬礼!」

 

 全員が一斉にザッと敬礼を私に向ける。

 私もつい改まってしまい、慌ててぴんと背筋を伸ばして敬礼を返した。

 そんな私を見たアスティとロレンツが、噴き出しそうになるのをどうにか堪えている。

 敬礼を解いたところで、ラスラがちらりとこちらを振り向いて目配せした。

 意図はすぐに察した。彼女の横には、正装をしたテオが立っていたのだ。

 近付くと、彼はやや声を潜めて話しかけてきた。

 

「申し訳ない。急だったので、千五百人ほどしか用意できなかった」

「いや。まさかこの時間でこんなに集めてくれるとは思わなかったよ」

「君が何か思い付きで決断すると、何か重大なことが起こるというのが、何となくわかってきたからね」

 

 彼は呆れたように微笑んだ。

 この行動の迅速さは、最初から私に相当の期待を賭けていたのでなければ到底実現しないものだった。

 そこまで私のことを信頼してくれていたというのは、ありがたいことだ。

 

「これまで何があったのだ」

 

 ラスラが険しい顔を浮かべて寄ってきた。

 もちろんすぐに話すつもりだったけど、苦楽をともにしたアスティとロレンツを仲間外れにはしたくないので、ちょいちょいと手で招き寄せる。

 二人とも性格というか、けろっとした表情で近付いてくる。

 時間がないので、四人に事情を簡潔にまとめて話した。

 ついに明らかになった世界の真実に、さすがに四人とも大きなショックを隠し切れない様子だった。

 自分たちも元々は造られた存在だったと知れば、当然の反応だろう。

 しかし四人は、大勢の前で決して取り乱すことはなかった。

 自分たちの意気が全体に与える影響の大きさを、よく知っているからだ。

 話を聞き終わり、テオは暗い顔で言ってきた。

 

「そうだったのか……。実はね。ここルオンヒュミテにも、同時に数多のプレリオンが襲来しようとしているという情報が入ってきているんだ」

 

 やっぱりこちらにも同時に刺客を差し向けてきたか。

 どうやら敵は、一思いに全滅させる気でいるらしい。

 こんなときに一人で二役をこなせればどんなにいいか。こちらにも残って剣を振るいたいとは思うけど、仕方がない。

 

「だから、兵力の大部分は残しておかなくてはならなくなった。こちらの指揮はぼくが執るつもりだ」

 

 彼の目が、強く訴えかけている。

 言われるまでもなく、私が何をすべきかは明白だった。

 バラギオンとかいうのだけは、必ず私やリルナのような兵器レベルの人物か、文字通りの大型兵器が中心になって相手をしなくてはならない。

 プレリオンは私たち以外でもどうにか相手できそうだけど、それよりも遥かに強大であろうバラギオンは、みんなで相手にできるとは限らない。そしてすべきだとも思わない。

 一個の圧倒的強者に対して、単純な数の論理で押し通そうとすれば、待っているのは壊滅的な被害だ。

 戦力には使い所がある。それを見誤ってはいけない。

 私が前の異世界イスキラの戦争で、痛みと一緒に学んだことの一つだ。

 例えば、開けた荒野では歩兵をいくら集めても魔導戦車には決して勝てないが、市街地では有用性が逆転する。といった具合に。

 ここはテオに任せるしかない。私はディースナトゥラでバラギオンの襲来に備える。

 それが打てる限りの最善。

 

「……わかった。よろしく頼むね」

「ああ」

 

 そこで、ラスラが言った。

 

「数は少ないが、ここにいる皆は選りすぐりの精鋭だ。貴様のように一対一ではきつかろうが、複数で連携して戦えばプレリオンにも決して遅れを取るまい」

「もちろんあたしもばっちり力になっちゃいますからね! 主に後ろからばーん、と」

 

 アスティが、ライフルを構えて撃つポーズを得意気にエアでやった。さすが本職だけあって、そこに本物の銃が見えるようだった。

 そんな彼女を見て、ロレンツはやれやれと肩をすくめた。不敵な笑みを浮かべて。

 

「おいおい。俺のことも忘れてもらっちゃあ困るぜ。何たって俺にゃあ、幸運の女神が付いてるからな」

「うん。期待してる。アスティ、何だかノリノリだね」

 

 いつもマイペースな調子で場を和らげてくれる彼女だが、今回はこれまでにも勝る絶望的な戦いだと言うのに、やけに嬉しそうにしている。

 彼女はもちろんとばかりに、にこっと笑いかけてきた。

 

「だってね。嬉しいの。引き金を引くことに、やっと本当に前向きな意味が持てるから」

 

 それはきっとみんな同じ気持ちなのだろう。

 全員で頷き合わせて、話を打ち切った。時間は限られている。

 

 テオが前に進み出て、決起演説を始めた。

 彼はいつもの穏やかな物腰からは、人が変わったように毅然とした態度で話を進めていく。王として果たすべき役割を十全に果たしていた。

 世界の真実についても、なるべくショックの少ないように上手いこと織り交ぜて語っていく。

 既に大半のナトゥラは操られているだけだったという情報は周知されていたため、さらなる真実には動揺こそ巻き起こったが、反発は起こらなかった。

 最後の方、彼はボルテージを上げていき、声には燃え滾るような情熱がこもっていた。

 

「繰り返す。これより始まるは、ナトゥラによるヒュミテの殺戮でも、ヒュミテによるナトゥラへの報復でもない。ヒュミテとナトゥラ、本来同じ運命を行く共同体の全生存を賭けた決戦である」

 

 本心をそのまま押し出したような熱弁が、心に真っ直ぐ響いてくる。

 

「この戦いに勝利を収めずして、我々に未来はあり得ない。確かに情勢はかなり厳しいと言えよう。だが、これまで潰し合ってきた両者が、歴史上初めて手を取り合うのだ。希望はある」

 

 彼は一段と声を張り上げて、締めくくりに入った。

 

「真の敵に思い知らせてやれ。この戦いは、破滅への無駄な足掻きではないと! 輝ける未来への第一歩なのだと! 必ず勝て。勝って生き残れ! 以上だ」

 

 一同から、割れんばかりの轟声が湧き起こる。士気がぶち上がっているようだった。

 このカリスマが、本来はナトゥラと最期まで殺し合わせるために発揮されていたのだと思うと、ぞっとする気分だった。そうならなくて本当によかったよ。

 

 

 ***

 

 

「ディースナトゥラへ転移します! 三百人ずつ手を繋いで、五つのグループを作って下さい! 移動後は決して無闇に動いたり、音を立てたりしないようにして下さい!」

 

 みんなに聞こえるように、私は声を張り上げる。

 人数があまりに多いので、一度に運ぶと転移が上手くいかない可能性が高かった。

 そこで、均等に五つグループを分けて往復で運ぶことにした。

 さらに敵に見つけられにくいように、認識阻害の光魔法(アールメリン)を一斉にかけてやる。

 その分魔力の消費もかなり上がるけど、やむを得ない措置だね。

 一グループ目の先頭は、アスティだった。そのすぐ後ろにはロレンツがいる。

 

「えへへ。よろしくね。ユウちゃん」

「うん。飛ぶよ」

 

 地面を失ったような浮遊感と同時に、ディースナトゥラの大通りへの転移を果たした。

 ちょうどリルナとさっきまで一緒にいた所のすぐ近くだ。

 

「わーお」

 

 アスティが小声で感嘆を漏らしつつ、目をぱちくりしている。

 彼女の隣で、ロレンツが軽く悪態を吐いた。

 

「こんな真似ができるなら、最初からやれば良かったんじゃねえの?」

「ごめん。つい最近までまったく使えない状態だったの」

「まあそりゃそうだよな。悪かった」

 

 幸いにして、認識阻害のおかげで敵には気付かれていないようだった。

 一方で、近くの物陰に隠れていたリルナは、こちらの様子にしっかり気付いて手招きしてきた。

 私は彼女の所まで歩いて行き、軽く説明を添えつつ、彼女にも《アールメリン》をかけてあげた。

 

「随分多いな。驚いたぞ」

「このくらいで驚いてるようじゃ。まだまだ来るよ」

 

 言ってから、二回目の転移魔法を使った。

 

 

 ***

 

 

 やっと全員を転移させ終わったところで、休む間もなく周囲一帯に魔法をかける。

 

 声よ。風に乗り、望む者にだけ届け。

 

《ファルカウン》

 

 この魔法には、イスキラでの戦争経験から、サークリスのオリジナルより改良を加えてある。

 声を遠くに届かせるだけでなく、届かせたくない場所には届かないようにもした。

 これで敵に声で気付かれる心配が減る。

 と言っても、これだけの人数だ。そう長い時間誤魔化せるものでもないけど。

 いつの間にか、また隣に来ていたリルナに伝える。

 

「魔法で一時的に声が無闇に広がらないようにした。みんなに作戦を告げるなら、今しかないからね」

「それは助かるな」

 

 そこで、彼女のさらに隣にいるべき人物がいないことに気が付いた。

 

「そう言えば、プラトーは?」

「あいつはここを離れた。どうしてもやるべきことがあるらしい」

「やることね」

 

 あの様子なら、もう敵対するってことはなさそうだけど。

 何をする気かは知らないが、たぶん信用しても良いだろう。

 まあいざとなればまた見失わないようにと、ちょっとした保険もかけてあるし。

 実は地下から脱出する際に手を繋いだときに、こっそり「俺」の気を纏わせておいてあったのだった。

 ナトゥラは物質的には機械だから、物に気を纏わせるのは容易にできる。

 ディースナトゥラの付近はヒュミテが極端に少ないから、あまり気が強くなくても感知しやすい。位置を見失うことはおそらくないだろう。

 

 そのとき、懐の通信機が鳴った。すぐに取り出して出る。

 

「もしもし。こちらユウ」

『もしもーし。さて、オイラは誰でしょう?』

 

 からっとした少年の声。

 自分のことをオイラと呼ぶ知り合いは、この世界では一人しかいなかった。

 

「リュート! 生きてたんだね!」

『正解。久しぶりだな~ユウ。元気にしてた?』

「うん。まあね」

『オイラのところはねえ、まあ本当に大変だったんだよ。まずはね――あっ!』

 

 そこで、「なに呑気に話してるの?」と怒る少女の声が受信機の奥から聞こえた。

 軽く一悶着あり、その少女に通信が代わった。

 

『代わりました。レミです』

「あはは。ユウです」

『地上にあなたの反応がいきなり現れたので驚きました。どうせまた何かやらかしたのでしょう?』

 

 かなりきつめの声だったので、つい気圧されてしまった。

 

「あー……うん。やらかしたね」

 

 世界の真実を暴いてしまったりとか。

 というか、私ってそんなにやらかすタイプに見えるかな。母さんじゃあるまいし。

 少し心外なんだけど。

 

『やっぱり。そんなことだろうと思って、こちらでもすぐに動きました』

「さすが準備がいいね」

『クディンのおかげよ。そしたら、いきなり一部のナトゥラが止まるわ、プレリオンは大量に攻め込んでくるわ。もう大騒ぎですよ』

「止まったのは一部? 全部じゃないの?」

『地上はほぼすべてと聞いておりますが、地下は一部でした。おそらくCPDが正常かどうかが境目でしょうね。チルオンには付いてませんから、私たちはみんな無事でしたよ』

「それはよかった」

『不幸中の幸いですね。では、そろそろクディンに代わります』

 

 間もなく、落ち着いた少年の声が聞こえてきた。

 

『僕だ。クディンだ』

「こちらユウ。無事で何よりだよ」

『そちらこそな。大体の状況については、既にテオから聞かせてもらっている。地上には助っ人を遣わしておいた。そのうち合流できるだろう』

「ありがとう。助かるよ」

『へへん。オイラも結構頑張ったんだぜ!』

 

 通信口の向こうから、リュートの得意気な声が小さく聞こえてきた。

 とほぼ同時に、レミが彼をどつく音もかすかにする。

 クディンが溜め息を吐くのは、もう少しはっきり聞こえた。

 

『……まあとにかく、我々地下勢力もこの戦いには全面的に協力させてもらう』

「よろしく頼むね」

『うむ。……いよいよ始まったんだな。運命を決する戦いが』

 

 彼の声には、しみじみとした重みがあった。

 状況は苦しいまま何も良くなっていないのだが、ヒュミテもナトゥラが力を合わせて戦える日がやっと来たことを心から嬉しく思っている。そんな印象を受けた。

 

「通信はどうする?」

『このまま繋いでおいてくれ』

「じゃあリルナに回すよ。彼女がこれからの作戦を指揮してくれるから」

『ああ。頼む』

 

 通信機を耳から遠ざけて、リルナに手渡した。

 

「はいリルナ。ちょうど地下の顔役に繋がってるから、これをかけたままみんなに指示を出してあげて」

「了解した。だが、その前に――」

 

 リルナは、仁王立ちさながらの恰好でヒュミテ軍を待機させている彼女に声をかけた。

 

「ラスラ・エイトホーク!」

 

 呼ばれた彼女は、リルナが柔らかく差し出した手を見て、すぐに意図を察したようだった。

 二人は、全員に対してはっきりと目立つ位置まで移動し、そして――。

 

 がっちりと握手を交わした。

 

 今度は、プライベートでギリギリと力を込めてかわしたものとは違う。

 公的に重大な意義をもった、和解の握手だった。

 リルナは、高らかに宣言する。誰にとっても誤解のないように。

 

「今ここに、ナトゥラとヒュミテは停戦し、共闘することを誓う!」

 

 そして二人は横並びになって、繋いだ手を天高く頭上に掲げたのだった。

 

 リルナとラスラ。

 ナトゥラとヒュミテ両軍の象徴的人物が公然と握手を交わしたことは、両者の和解を強く印象付けた。

 新しい時代の到来を予感させるものとして、みんなの心に刻まれたことだろう。

 その新しい時代を本当に始められるどうかは、これからの戦いにかかっている。 

 時刻は午後二時を回るところだった。

 濁った雲に包まれた恒星が、空を気怠く曇らせる中。

 エストティア星間戦争以来最大規模の死闘が、幕を開けようとしていた。



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52「エルンティア独立戦争 2」

 リルナはその場にいる全員に語りかけた。

 テオが行った政治家ばりの演説とは違い、余計な言葉は一切なく、簡潔で力強い。

 

「目標は、プレリオンからのナトゥラの保護及び焦土級戦略破壊兵器ギール=フェンダス=バラギオンの討伐だ」

 

 いよいよかと緊張が高まる。

 リルナは明瞭な声で続けた。

 

「隊を四つに分ける」

 

 第一に、戦闘部隊を七百名。

 七名ずつの小隊に分かれて行動し、プレリオンとの戦闘に小隊全員で協力して当たれ。

 奴らは強い。決して単独で戦おうとはするな。

 第二に、救助部隊を三百名。

 各戦闘小隊に三名ずつ付き、ナトゥラの保護を優先しろ。

 戦闘部隊、救助部隊は常に連携を取り、状況に応じて各自の役割に固執せず、臨機応変に対処せよ。

 

「この二隊の指揮は、ラスラに任せる」

「了解した」

 

 リルナの隣でラスラが、引き締まった顔つきで敬礼をした。

 リルナは彼女の方を向いて頷くと、再び全員の方へ向き直った。

 

「続いて、残る二隊だが」

 

 第三に、接収部隊を二百名。

 ディークラン本部を速やかに制圧し、有用な装備を回収せよ。

 特に対大型兵器車両と機動兵器ディグリッダーをかき集めろ。バラギオンを迎え撃つための準備だ。

 第四に、制圧部隊を三百名。

 中央工場及び中央処理場を速やかに制圧せよ。中央処理場へ連行されたナトゥラを救い出し、殺戮の元を断て。

 

「この二隊の指揮は、わたしが引き受ける」

 

 隊から、「おお」と小さく感嘆のざわめきが漏れる。

 まさか彼女がヒュミテを率いる日が来ることになるとは。

 誰もがつゆも思っていなかっただろう。

 

「クディンには地下における一切の指揮を任せる。地下部隊よりの増援は中央区へ寄こし、第三、四隊と合流させてくれ。それから、すべての進行状況はレミに集積し、彼女より適宜全員に伝達せよ」

『了解だ』

 

 彼女は一旦言葉を止めて、全員を今一度見渡した。

 しんと張り詰めた空気が頬を撫でる。

 彼女は、神妙な面持ちで口を開いた。

 

「命を賭して集まってくれたこと、心より感謝する。わたしたちは、これまで何も知らず互いを傷付け合い、あまりに多くのものを失い過ぎた。わたし自身も、決して許されない罪を犯した」

 

 そこで一度、言葉を切る。

 彼女なりにこれまでのことを、後悔を噛み締めているようだった。

 

「そんなわたしに、何かを言える資格はないのかもしれない。だが……それでもあえて。この場を代表して、言わせてほしい」

 

 決然とした瞳を湛えて。

 一人一人に願うように、凛とした声を響かせる。

 

「もう失うのはやめにしよう。ここで終わりにしよう。嘘に血塗られた歴史は。だから……お前たちも死ぬな。もうこんな戦いに、命をくれてやるな」

 

 そして、一段と力強く声を張り上げた。

 

「生きろ! 生きて未来を掴み取るぞ!」

 

 呼応するように、雄叫びが上がった。

 リルナはすごいな。率直な想いで、素直な言葉で、かつて敵対していたヒュミテを一つに纏め上げてしまった。

 まあこうなることは何となく予想してたからね。しっかり防音の魔法かけといてよかったよ。

 

 私も物陰に移動してこっそり男に変身し、戦闘に備える。

 戦いになれば俺の本分だ。

 大勢の戦士たちを見回して、とても心強く思った。

 こんなに集まったのはサークリスの時以来だけど、やっぱり胸が熱くなるな。

 

 

 ***

 

 

 さすがにこれだけの大人数となると、即座に動き出すというわけにもいかず。

 小隊長決めや細かい指令などで、もうしばらくの時間を要した。

 その間にも犠牲者が出ているだろうことがもどかしいが、致し方ない。

 すっかり戦闘モードな顔つきのリルナが、こちらに近づいてきた。

 俺と敵対していたときに比べると、目に憎悪がこもっていないだけ幾分表情は柔らかい。

 

「第三隊と第四隊は中央区までは固まって動くが、そこからは分かれる予定だ。ユウ。お前はどこに付く」

「俺は第四隊に加わるよ。あの二か所は特に多くのプレリオンが集まってるだろうから、三百人じゃちょっと不安だ」

「ふっ。そう言うと思ったぞ。お前は人助けの方が性に合っているからな。ならわたしは第三隊で行動しよう。本部は家みたいなものだしな」

 

 そこにいつものアサルトライフルを背負ったアスティが、明るくにこにこしながら歩み寄ってきた。

 右腕に絡みついてきて、ぱちりとウインクする。

 毎度のことながら、スキンシップがちょっと積極的過ぎるんだよな。この子。

 

「あたしも第四隊いきまーす。ユウくんのサポート、ばっちりさせてもらいますからね♪」

 

 そのとき、『心の世界』の方でも動きがあった。

「私」が首の後ろから腕を絡め、纏わりつくように抱きついてきたのだ。

 これだけならまあ、割とよくされることなんだけど。

 さらに横から顔を寄せて、ウインクまでしてきた。

 あからさま過ぎる。

 

『もちろん私もしっかり陰からサポートするからね』

『もしかして、張り合ってる?』

 

「私」はアスティと同じようににこにこ笑いながら、俺の言葉はしっかり無視した。

 リルナは、こんなときに呑気な調子でじゃれつくアスティと俺とを交互に見つめて、呆れたのだろうか。

 妙に不機嫌そうに眉をしかめてから、こほんと大袈裟に咳払いして言った。

 

「アスティ。ユウを頼んだぞ」

「ラジャー」

 

 アスティがさらにべったりと腕に絡んだところで、リルナはぷいと顔を背けて、向こうの方に指示出しへ行ってしまった。

 隣のアスティはというと、何だかやたら面白そうに小悪魔な笑みを浮かべている。

 

「何でそんなに面白そうにしてるんだ」

「んー。なるほどそうだったのかと思って」

「何が?」

 

 彼女はやけに生暖かい目をこちらに向けてきた。

 

「ユウくん。しっかりね」

「ああ。アスティもな」

 

 意図がよくわからなかったので、この先の戦いを思いながら、とりあえずそう返すと。

 くすくすと笑われてしまった。

 

 

 ***

 

 

 ロレンツは戦闘部隊の方に参加して、ラスラを支えることにしたようだ。

 後方には第三、四隊計五百名が整然と隊列を為している。

 その前に俺とリルナが横並びで立っていて、アスティは最前列の方にちらりと姿が見えている。

 姿を見つけると、彼女はこっちに向かって元気に手を振ってきた。

 リルナは当然前に出るとして、隣にいる俺は誰だろうってきっとみんな思ってるだろうな。転移魔法使ったときは女だったし。

 背後からひしひしと感じる怪訝な視線に、仕方ないことだとわかっているのだが、俺は溜め息を吐いた。

 一応強い助っ人だとか説明はしてくれたけど、みんなピリピリしてるからね。得体の知れない奴がでかい顔してたら、なんだって思うのは当然だろう。

 よし。ここは少しでも活躍を見せて、安心してもらうしかないな。

 

 やがてリルナが、号令をかけた。

 

「行くぞ!」

「「おおーっ!」」

 

 第一、二隊に先立ち、第三、四隊の合同部隊は中央区に向けて進撃を開始した。

 本当なら、転移魔法で直接中央工場まで行ければ早かったんだけど……。

 転移を使って同時にマーキングされたのは地下だったから、残念ながら潰れてしまっている。

 他のフェバルが使っているチートワープと違って、どこでも好きなように飛べるわけじゃないからな。

 あまり近くだと上書きされて、何カ所もマーキングはできない仕様になっている。それが仇となってしまった形だ。

 

 音声魔法がかかっている範囲を抜けたところで、こちらに気付いたプレリオンがぞろぞろと湧いて出て来た。

 早速お出ましか。

 リルナがこちらに目配せしつつ、言った。

 

「道を斬り拓くぞ」

「オーケー」

 

 リルナが双剣(インクリア)を抜く。水色の光刃は、透き通るような輝きを放つ。

 俺も《マインドバースト》を発動し、右手に純白の気剣を構えて、彼女と横並びに駆け出した。

 敵のビームライフルから放たれる矢雨のような光線を見切って、弾き、最小限の動きでかわし、ほぼ一直線に突き進む。

 二人同時に敵の最前列へと辿り着き、上段斬りの一閃。

 あわれ最初の犠牲者は、すっぱりと首を刎ねられて完全に動作を停止した。

 そのまま、二体、三体と瞬く間に斬りつける。

《マインドバースト》によって威力の保証された気剣は、機械の身体を紙切れのように容易く切断した。

 リルナも負けじと、同じペースで敵を斬り倒していく。

 いや、双剣で手数があるだけ、向こうの方が多少ペースが早いか。

 後方で大きな歓声が湧き上がる。

 士気を上げるのには、どうやら十分な効果があったみたいだ。

 

 俺たちが作った道に、スレイスを手にした後続の戦士たちがなだれ込んでくる。

 次第に乱戦模様になっていった。

 この場における第一の目的は、あくまで前進だ。

 行く手を塞ぐ敵を斬り倒しながら、増援が途切れる隙を突いて着実に進んでいく。

 いくら死ぬなとは言っても、そう現実は甘くない。

 何人ものヒュミテが既にやられていた。

 戦いに犠牲は付き物とわかっていても、込み上げる怒りと悔しさを抑えることができない。

 わかってはいたけど、きつい戦いだ。

 一対一では基本的にプレリオンの方が強いというのに、こうも数まで多くては……!

 

 さらに輪をかけて厄介なのは、彼女らが備える飛行機能だった。

 こちらの手の届かぬ上空から、悠々と頭上を狙い撃ってくる。

 おかげで、地上にも空にも注意を向けねばならず、かなりの精神的な消耗を強いられていた。

 ライフルを装備した狙撃者が対処しているものの、高速で自由に飛び回る彼女らを撃ち落すのは容易ではない。

 かく言う俺も、漏れなく苦戦中だった。

 

 くそ。剣が届かない。

 

 魔法を使って羽を狙えば撃ち落せるけど……。

 大規模な魔法を何度も使ったから、相当魔力が減ってきている。

 使いどころを考えないと、いざというときに使えなくなるのはまずい。

 

 だがこんな銃で、効くのか?

 

 腰に付けた頼りないハンドガンに視線を落としたとき、死角から不意に光線が飛び出してきた。

 

 うわっ!

 

 ギリギリの所で、首を動かして避ける。

 

 ふう。今のは危なかった。

 

 反撃しようとしたところで。

 狙い澄まされた銃弾の一撃が、彼女の動力炉を貫いた。

 後ろを振り返ると、アスティが得意気にピースサインをかましている。

 彼女は愛用のアサルトライフルを身体の前に抱えて、こちらに駆け寄ってきた。

 

「ちょっと疲れちゃった?」

「まだまだいけるさ。君の方こそ大丈夫か」

「あたしもまだまだ。鍛えてますから!」

 

 えっへんと胸を張った所に、危険が迫る。

 彼女の後方から、当たれば致命となり得るラインで光線が流れ飛んできた。

 瞬時に気剣を振り払って、弾き飛ばしてやる。

 目を丸くしているアスティに、微笑みをかける。

 

「危なかったね。やっぱり疲れてるみたいだ」

「……悔しいけど、そうみたいね。んじゃ、支え合っていくとしますか」

「そうしよう」

 

 地上の敵は俺が相手をし、空中はアスティが相手をすることにした。

 互いが互いの役割に専念すれば良くなって、大分負担が軽減された。

 何度も訓練した仲なので、息もぴったり合っている。

 ふと向こうを見ると、絶対防御を誇るリルナは、傷一つすらなく余裕で敵に対処していた。

 彼女は、傷付いた仲間たちを守るように立ち回っていた。

 

「耳を塞げ! テールボムを撃ち出すぞー!」

 

 どこかから、辛うじてそんな男の声を聞き分けた。

 言われた通りにすると、直後、前方で大爆発が巻き起こる。

 数十体ものプレリオンが、一挙として跡形もなく砕け散ったのだった。

 敵の包囲がそこで途切れ、前方が死角なく開けている。

 

「今のうちだ! 前へ進め!」

 

 また誰かの叫び声が聞こえた。何度目かになる大きな前進の機会だ。

 幾分数を減らしてしまった隊は、陣形を大きく崩しながらも、決して連携は忘れずに前へ進んでいく。

 中央区はそろそろ近づいてきていた。ドーム型の中央工場が次第にその大きさを増していることからもわかる。

 

 だが、中央区まであといくつかというところの、大通りに差し掛かったところで――。

 

 プレリオンの大隊列が待ち受けていた。

 ざっと目算するだけでも、数百を超えるほどの数だ。

 それがこちら目掛けて、一糸の乱れもなくずらりとビームライフルを向けている。

 そして――システムに統率された機械兵器の恐ろしい所だった。

 何らの合図もなしに、一斉射撃を行ってきたんだ!

 

 まずい! このままでは、恐ろしい数の犠牲が――!

 

『大丈夫! させないから!』

 

「私」が魔法の準備を済ませていてくれたようだ。助かった。

 

『頼んだ!』

 

 バトンタッチして、私が出てくる。

 

 ここは使いどころ。

 魔力の消費を惜しまず、攻防一体の光魔法を放つ。

 アーガス・オズバイン直伝のリフレクター。

 

 跳ね返せ。

 

《アールレクト》

 

 横一列に光の壁を展開する。

 彼が得意としていた《アールレクト》は、注いだ魔力によって上限こそあれど、正面から当たった魔法及び非物理属性の攻撃を、そのままの威力で跳ね返すことができる。

 あの光線なら、効果はてき面のはず。

 

 狙い通りだった。

 こちらに大打撃を与えるはずだった大量の光線は、ことごとく弾き返されて、逆に彼女たちへ牙を向いた。

 針の山に突っ込んだように穴を開けた殺戮天使は、その大半が動かぬ金属の屑と化した。

 一手間違えれば私たちがこうなっていたかと思うと、恐ろしい。

 でも。まあとりあえずは。

 

『はい。一丁上がりっと』

『咄嗟によくあれを撃てたね』

『やるでしょ。私も一緒に戦ってるんだからね』

『本当に助かった。何かあったらまた頼む』

『うん』

 

『心の世界』でハイタッチを交わして、再び俺に主導権を戻す。

 

 どうやら今のでしばらくは打ち止めなのか。敵の姿は影も形も見えなくなっていた。

 道中でかなり敵の掃除もできたし、追手の方も少しは大丈夫だろうか。

 

 

 ***

 

 

 進軍は滞りなく、俺たちは第三街区一番地、中央区前交差点までやってきた。 

 ここで予定通り隊を二つに分けるため、簡単に人数確認が行われた。予定の比率で分け直すためだ。

 五百人いた隊は、三百七十八人にまで数を減らしてしまっていた。

 あれだけの猛攻撃を受けて、百人少々しか犠牲が出なかったとも言えるが……。

 自分としては、百人以上も犠牲を出してしまったという気分だった。

 亡くなった人のことを思うと、心が苦しくなる。

 隣に来たリルナも、明確なダメージこそないが、さすがに精神的な疲労が窺えた。

 

「ようやくここまで来たな。さっきの壁みたいな反撃は驚いたぞ」

「どうにか上手くいったよ」

 

 彼女は周囲を見渡して、首を捻った。

 

「先ほどから敵がいないが、どういうことだろうな」

「さあ。どこかに潜んでいるんだろうか」

 

 でも急に消えてしまったのは、確かに変だよな。

 どうも引っかかる。何か大事なことを見落としているんじゃないか。

 考えを巡らせて、その何かがちらりと脳裏を過ぎった。

 

 その瞬間だった。

 

 隊から、まばらにどよめきが起こる。すぐにそれは悲鳴へと変わった。

 原因は直ちにわかった。

 突然、大量のプレリオンが一度に現れたのだ。

 前後左右に隙間なく配置された、白の殺戮人形たち。

 一切の逃げ場は存在しなかった。

 

 ちくしょう! やられた!

 

 敵も転移を使ってくる。その可能性をもっと早く考えるべきだった!

 

 トライヴゲートがなければ、大量転移はできない。どこかで高をくくっていた。

 だがトラニティのような者がいないとは、限らないじゃないか!

 

 迂闊だった! 何とかしないと!

 

 敵は既に、先ほどと同じように一斉にビームライフルを構えている。

 一度失敗した作戦であっても、躊躇は一切ない。彼女らに失敗や死の恐怖などあり得ないのだ。

 彼女らの誰かがやられてしまっても、たった一方向からでも攻撃が成功すれば良いと、そう考えている。

 

 今から手を繋いでいる時間はない。転移魔法を使っては間に合わない。

 

 また《アールレクト》を――ダメだ! 四方同時では、とても防御が間に合わない!

 でもやれることを! せめて一方向だけでも守れ!

 

 女に変身し、前方に光の壁を張る。

 

 ――もう魔法を使う時間がない。

 

 男に再変身し、気力で防御を固める。

 

 次の手を!

 

 だが、もう一刻の猶予も残されていなかった。

 

 ダメだ! このままじゃ、自分とリルナしか間に合わない――!

 

 リルナは、必死の形相で《セルファノン》を放とうとしていた。

 だが、その技は威力こそ高いが、チャージには時間がかかる。間に合わない。

 

 いよいよ敵の猛火が、こちらを殲滅せんと襲い掛かろうとしたとき――。

 

 どこかで見覚えのある熱線が、左翼を一斉に溶かし尽くした。

 同時に、衝撃音のようなものが炸裂し、右翼を撃滅する。

 後方では音もなく静かに、敵がバタバタと倒れていった。

 

 そして三方から、現れた者たちの影を認めたとき。

 リルナの目が、はっと見開かれた。

 ひどく驚きに染まり――もう次の瞬間には、泣き出しそうな顔になっていた。

 

「おう! 言わなかったか!? 地下から増援が来るってよお!」

「まあつまり、そういうことだ」

「感動の再会というやつなのかしらね」

 

 図ったタイミングで、無線の通信が入る。

 

『どうだ。頼もしい助っ人は』

 

 俺はほっと胸を撫で下ろした。

 油断したら、その場でへたれ込んでしまいそうだ。

 

 はは。クディンめ。本当に粋なことをしてくれるじゃないか。

 リュートの言ってた大変だったって、こういうことだったのか。

 

「ステアゴル! ジード! ブリンダ! お前たち……!」

 

 我も忘れて三人に飛び込んでいくリルナを責める者は、誰一人としていなかった。



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53「エルンティア独立戦争 3」

 俺とリルナは、一対一の戦闘においては存分に強さを発揮できるのだが、圧倒的多数が相手となると少し苦しいところがあった。

 多数に対し効果的でかつ手軽な技を持っていないからだ。

 俺は一々女になって限られた魔力でやりくりするしかないし、リルナの《フレイザー》は周囲を巻き込んでしまう。《セルファノン》は強いが、大技ゆえに連発はできない。

 一方、ステアゴルは俺やリルナと同じ近接戦闘タイプではあるものの、パワーアームを使えば広範囲を狙って破壊できる。

 ジードとブリンダは元々の機能からして、対集団戦や中距離以上のレンジを得意としている。

 やはり戦いは単純な強さだけじゃない。

 三人は単純な戦闘力ではリルナには及ばないが、俺や彼女にはできないことができる。

 実際、ディーレバッツの三人が加わったことで、見違えるほど戦況は好転した。

 こちらを押し潰さんばかりに畳みかけてきたプレリオンの猛威が、三人がそれぞれ放つ広範囲攻撃によって綺麗に削がれてしまったのだ。

 たとえ宙に逃れようとも、ブリンダが使う謎のガスが容赦なく叩き落とす。

 足の止まったプレリオンは、格段に相手がし易かった。

 ここに来て士気は大いに上がり、態勢の整った隊の連携が最大限に発揮された。

 もはや殺戮天使は、皮肉にも自らが殺戮されるだけの憐れな存在と化した。

 

 ……うん。今後の課題だな。

 

 ここのように滅多に魔法が使えない世界でも、一対多において有効な攻撃手段を一つくらいは持つ必要がある。それに、ちょっと飛び上がられただけで満足に対処できなくなるようではまだまだだ。

 三人の活躍を横目に、俺は自分の至らなさを噛み締めながら、そんなことを思った。

 

 今度こそ目に見える範囲はあらかた片付いたところで、予定通り隊を二手に分けることになった。

 中央工場と中央処理場の制圧は、ディーレバッツの三人が中心にやってくれるということなので。

 俺は予定を変更して、リルナとともにディークラン本部の制圧に向かうことにする。

 そのまま一緒に、まだ見ぬギール=フェンダス=バラギオンの対策を練ることにした。

 アスティも俺に付いていくと言って、第三隊に加わった。

 

 

 ***

 

 

 それから、本部の制圧自体はさしたる困難もなく達成された。

 拠点内部まで辿り着けば、屋内では一度に大勢を差し向けることはできない。

 各個撃破すればよいとなれば、俺とリルナにとっては敵なしの状況だった。

 アスティを始めとした狙撃班の的確な援護もあって、本部は犠牲者を出すことなくこちらの手に落ちたのだった。

 

「怪我のひどい者は医務室へ連れて行け。それ以外は、直ちに有用な装備の回収に当たれ」

 

 急ごしらえで設置した作戦指令室から、リルナが檄を飛ばす。

 俺も同じ部屋にいたが、その辺にあった長椅子に座って身体を休めることにした。

 戦い続きで消耗しているから、休めるときには休んだ方がいい。

 各々が自分の役割を見つけて動き始めたところで、リルナが歩み寄って声をかけてきた。

 

「これでようやく対策が打てるな」

「やっとだな」

「さすがのお前も少しはくたばったか」

「君と違って生身だからね」

 

 肩を竦めて小さく笑うと、彼女も同じように笑い返してくれた。

 少しだけ皮肉交じりで。

 

「疲れを知らない機械女で悪かったな」

「はは。何も悪いなんて言ってないだろう」

 

 やっと少しは落ち着ける状況になると。

 遥か上の宇宙で対峙しているであろう、レンクスとウィルのことがふと気になった。

 何となく天井を見上げる。

 

「どうした?」

「何でも。あっちはどうなっているんだろうなって」

 

 すると彼女は別の意味に取ったらしい。むしろそう考えるのが自然だろうけど。

 

「ラスラの方も上手くやってくれているようだぞ」

「それは何よりだ」

 

 生返事をしつつ、考えを続ける。

 

 どうせまたウィルが何かしたのだろう。

 中央工場の地下で突然起こった爆発は、そうとしか思えない。

 だが――殺そうと思えば、あの爆発のときに俺たちなんて簡単に殺せたはずだ。

 

『そうなんだよね』

 

「私」も頷く。

 

 それどころか、ディースナトゥラごと消し飛ばすこともできたはず。

 なのにあえてしなかった。そこが引っかかる。

 

『あいつは、何を考えているんだ……?』

『私にも、さっぱり……』

 

 たった一人で、世界を破滅「させかねない」事態ばかりを引き起こして。

 

 そうだ。あいつはまだ世界を滅ぼしていない。やろうと思えばいつでもできるはずなのに。

 やろうと思えば、たった一人で。

 そう。たった一人で。

 頭の中でそのワードが反響する。

 

 だから。

 だから、フェバルの理不尽な強さはどうも好きになれないんだよな。

 

 星脈によって与えられただけの不条理な力。

 俺たちが必死になって力を合わせても、彼らの一人にさえ遠く及ばない。

 圧倒的な力の論理がまかり通ってしまうのだ。あいつらだけは。

 それが遥か上から嘲笑われてるみたいで、気に入らない。

 

『いつも振り回されてるもんね。私たち』

『ほんとな』

 

 俺たちの運命は、何を考えているのかもわからない超越者の気まぐれに弄ばれている。

 まるで喉元に核兵器を突きつけられてるようだ。いつだって発射ボタンに手がかかっている。

 

 けど……俺にも人のことは言えない。

 俺にもそんな彼らと同じ力が宿っている。

 ほとんど制御の効かない、なおのこと性質の悪い力が。

 贅沢言えるほど強くもないし、使えるものなら何でも使っているけど。

 こんな恐ろしい力に頼らないで済むなら、それに越したことはないだろう。

 いつ暴発するかわからない爆弾のようなものだ。もしこれが完全に爆発したなら――。

 

『俺と君は一体、どうなるんだろうな』

『そんなことさせないよ』

『わかってる。けど』

 

 これまでの経験からして、きっとろくなことにはならない気がする。

 

「随分思い詰めているな。わたしでよければ話を聞くが」

 

 リルナはいつの間にか俺の隣に座り、心配そうにこちらの瞳を覗き込んでいた。

「私」にはいつも話は聞いてもらっているが、人に頼れるなら頼った方がいいよな。

 俺は素直に話すことにした。

 

「……俺には、自分でも上手く抑えられない莫大な力が眠っているんだ。君と戦ったときに一度暴走させてしまった、あの力だよ」

「あれか……」

 

 思い出したのか、あのとき殴られたお腹の辺りを軽くさすったリルナ。

 彼女の目を見て、続ける。

 

「あの力を抑え切れなかったとき。もしかするとこの世界を滅茶苦茶にしてしまうのは、まともな理性を失った俺かもしれないって、ついそんなことを考えちゃってね」

 

 小さい頃親戚に仕返しをしたとき。空中都市エデルでの覚醒。ディースナトゥラでの暴走。

 ぱっと思い付く限りすべてで、俺にまともな理性は残っていなかった。自分でも何をするのかわからない。

 

「それほどの力なのか」

 

 彼女は馬鹿げたことと笑わずに、真剣に聞いてくれた。

 俺は頷く。

 

「それほどなんだ。ポテンシャルだけなら、きっとこの世界のどんなものよりももっと恐ろしい何かが眠っている」

 

 いざ強敵を前にして、俺はこの力に呑まれてしまわないだろうか。それが心配だった。

 それをすれば、バラギオンに勝つことだけはできるかもしれない。

 だが、代わりにもっと大事なものを失ってしまうような気がしてならなかった。

 俺は簡単に説明することにした。

 自分の能力のことを。『心の世界』とそこに宿る力のことを。

 

「もし、この力がまた暴走したら……」

「大丈夫だ」

 

 リルナに力強く手を握られた。

 はっとして見つめると、いつもよりも目が優しいような気がした。

 金属でできているはずなのに、まるで人の手のように温かく感じられる。

 

「もしもお前に何かがあれば、そのときはわたしが止めてやる。必ずだ」

「……君が?」

 

 彼女は頼もしく頷いた。

 少し考える素振りを見せて、穏やかな物腰で言葉を紡ぐ。

 

「お前の話を聞いて、わたしにも何となくわかった。今からとても変なことを言うが、聞いてくれ」

「うん」

「……実は、少し前から時々だがな。ユウ、お前の感情がかすかに伝わってくるようになったのだ」

「何だって?」

 

 あまりに意外なことを聞かされて、俺はぽかんとしてしまった。

 彼女はこの反応を予想していたのか、軽く微笑んでから気にせず続けた。

 

「それ以来、明らかにわたしの動きが良くなった。本来のスペックに上乗せされたようにな」

「そんなことが……」

「ああ。そして一度気が付いてみれば、わたしだけではない」

 

 部屋の外に繋がるドアを数瞬見やってから、彼女は俺に視線を戻す。

 

「ヒュミテたちの動きも相当良くなっている。お前はよく知らないかもしれないがな」

「そうなのか?」

「ああ。本来の彼らは、ディークランの一般兵にも苦戦するレベルの連中だった。それより遥かに強いプレリオンになど、普通に考えれば到底太刀打ちできるはずもなかった。なのに、ここまで満足に戦えている」

 

 言われるまで、まったく気付かなかった。

 みんなが精一杯やっているからどうにかなっているものだとばかり。

 だが冷静に考えてみれば、気の持ちようだけでどうにかなる戦いでもないのは確かだ。

 

「死者が少なくて済んでいるのは、きっとお前の持っている不思議な力のおかげもあるんだ」

「俺の力が……」

「そうだ。お前は言ったな。心の状態に能力の発揮が依存していると。そして、心の繋がりが現実の力に変わると」

 

 言った。確かにそう言った。

 でもそれは、俺と「私」だけの話だと思っていた。

 リルナは教えてくれる。

 

「今は一つの大きな戦いに向けて、全員が想いを一つに結束している。その繋がりがお前の持つ『心の世界』とやらを核にして、わたしたちに戦う力を与えてくれているんだろう。おそらくな」

 

 彼女は「少なくとも、そう考えれば素敵じゃないか」と言ってから、俺の肩に手を乗せた。

 いつの間にか、身体がくっついてしまいそうなほど距離が近くなっている。

 彼女の口元は、いつもの険しく引き締まったへの字のラインとは逆に、柔らかく上向いていた。

 青い瞳はどこか熱を帯びて、こちらの心を見透かすように俺を一心に見つめている。

 その微笑みが俺だけに向けられているのだと、意識してしまったとき。

 こんなときだと言うのに、ついどきりとしてしまった。

 

「だから、ユウ。悪いことばかり考えるな。お前はその力を素晴らしいことに使えるんだ。どんな力も使いようだと、わたしは思うぞ」

「確かに……そうだね」

「そんな力に負けるな。振り回されるな。逆に使いこなしてやれ。お前ならきっといつかできる」

「……ありがとう。だいぶ気が楽になったよ」

「紛いなりにもわたしに勝ったのだからな。そのくらいしてもらわなくては困る」

 

 そこまで臆面なく言ってから、思い返して恥ずかしくなったのだろうか。

 彼女は慌てて顔を背けてしまった。可愛らしいところがあるなと思う。

 そんな彼女を見るうちに、俺は胸が熱くなるのを感じていた。

 

『いいこと言ってもらえたね』

『うん』

 

 本当にありがとう。助けられたよ。

 リルナ。君の言う通りだ。

 恐ろしい力だからと避けていたら、いつまでもそのままじゃないか。

 きっとこの戦いは、これまで以上に能力を積極的に使いこなせなければならない。

 そうしなければ、何となく負ける予感がしてならなかった。

 あのウィルが再度繰り出してきた手だ。前回と同じままで通用するとは思えない。

 今まで能力に関しては、レンクスや「私」だけに頼りっ放しだった。

 けど、この世界の旅で何度も力を使ってみてわかった。それではダメなんだ。

 レンクスは、いつもいるとは限らない。

「私」は『心の世界』の住人だ。存在そのものが本質的に能力に従属している。

 サポート役としてはこれ以上ない存在だけど、君ができることにはどうしても限りがある。

 

『俺が不甲斐ないばかりに、君には辛い思いばかりをさせてきたよな』

『ううん。不甲斐ないのは私も一緒だよ。でも、やっと少し掴めたみたいだね』

『そうだな』

 

 真に能力をコントロールするためには、まず何より俺自身がしっかりしなくてはならない。

 俺自身がはっきり人間という枠を超えて、力を使う覚悟を決めなくてはならないんだ。

 今まで振り回されてばかりだった力を自ら制御して使っていく覚悟。

 本当に守りたいものを守るために。

 

 ……化け物になってしまわないだろうか。

 

 その心配は常にある。今だってそうだ。

 

 けれど。力に負けない強い心を持てば。そして誰かの支えがあれば。

 きっと人間でいられるはずだ。

 

『うん。きっと大丈夫だよ』

 

 そう信じよう。また一歩踏み出す勇気と、リスクを背負う覚悟を持とう。

「私」とは今まで通り、力を合わせていくとして。

 

 俺はしっかりと彼女の目を見つめて、右手を差し出した。

 

「リルナ。頼む。俺に力を貸してくれ。君と一緒なら、頑張れそうな気がするんだ」

 

 リルナは少し驚いたように目をぱちくりさせたが、心から嬉しそうな笑顔で右手を返してくれた。

 

「喜んで力になろう。わたしがお前の助けになるのなら」

 

 かたく握手を交わしたとき、俺の中に温かい力が漲っていくのがはっきりとわかった。

『心の世界』を通じて、お互いの心が通い合う。

 リルナの好意や戦いに向けた覚悟、色んな感情が混じり合って、俺の中にすっと入ってきた。

 驚いた。ここまではっきりと感情が通じ合ったことは、今までになかったから。

 いつの間に、俺は彼女とこんなに深く繋がっていたのだろうか。

 あれほど敵対していたリルナが、今はこんなにも近く感じられる。

 俺にはそのことが嬉しかった。

 俺の決意を読み取った彼女が、ふふ、と左手で胸の装甲を撫でた。

 

「どうやら覚悟はできたようだな」

「ああ。やってみるさ」

 

 良い雰囲気になっていたところに、ドアがバタンと開いて、男が元気良く飛び込んできた。

 

「リルナさん! ディグリッダーの整備、完了しました!」

「あ、ああ。わかった。すぐに行く――ユウ。少し見せたいものがある」

 

 彼女は俺に目配せした。

 

 

 ***

 

 

 案内されるがまま、指令室を出る。

 他の建物と比べても一際大きな格納庫まで付いていくと、そこで度肝を抜かされることになった。

 そこにあったのは、目算で高さ十数メートルほどの人型ロボットだった。

 無駄に角ばった装飾などは一切なく、ナトゥラ――というより、プレリオンをそのまま大きくしたようなデザインだ。

 右腕には巨大なビームライフルが付いていて、左腕にはこれまた巨大な光刃が出そうな平たい穴がある。

 そんなものが、二十体ほども整然と並んでいた。

 

 リルナはそれらをしげしげと見渡した後、振り返って簡潔に解説してくれた。

 

「機動兵器ディグリッダーだ。ナトゥラが電子接続することで、自分の身体のごとく自在に動かせる仕組みになっている。言わば、巨大なナトゥラの抜け殻みたいなものだな」

「こんなものがあったんだな」

 

 感心する俺を尻目に、彼女は起用方法を考えていた。

 

「これはヒュミテには扱えないから、地下の連中に乗ってもらうしかないか」

「リルナは乗らないのか?」

 

 彼女は静かに首を横に振った。

 

「使わない方が強いからな。わたしの異名は知っているだろう?」

 

 ふっ、と自嘲気味に笑った彼女に、しかし暗さはどこにもなかった。今は戦闘兵器であることを誇りに思っているようだった。

 その後、四人乗りの対大型兵器用装甲車なるものも紹介された。

 こちらは例によって高速で空を飛び、さらに赤のレーザー砲(ファノン)を大幅に強化したものが付いている。さすがに《セルファノン》には及ばないだろうが、中々の威力が期待できそうだった。

 

 装備を整えたところで、再度みんなが集まる。

 中央工場と中央処理場を完全に制圧した第四隊からも、主力となるステアゴル、ジード、ブリンダの三人が戻ってきていた。

 さらにしばらくして、地下からディグリッダーの操作経験のある者たちが派遣されてきた。

 彼らは元軍用ナトゥラで、怪我による故障で処分されそうになっていたところをクディンに助けられたのだと言う。

 対バラギオン戦の作戦を練っていく。

 ただの歩兵が超巨大兵器を相手にしても無意味なのは明らかだ。ゆえに大半は、ラスラが指揮を取る首都の戦いに引き続き参加してもらうことになった。

 奴との戦いに赴くのは、以下の戦力に決まった。

 

 第一戦力として、兵器級の実力を持った者――つまり、ディーレバッツのみんなと俺だ。

 第二戦力として、対大型兵器用装甲車に精鋭を乗せたもの。アスティもここに含まれている。

 第三戦力として、機動兵器ディグリッダー。

 

 これら三つの勢力でもって、焦土級破壊兵器を迎え撃つ。

 戦力としては心許ないが、これができる精一杯だ。何としても勝たなければならない。

 

 やがて、遥か南方より百メートル級の巨大敵影高速接近中との情報が入った。

 対大型兵器用装甲車三十台とディグリッダー二十機は、中央区より直ちに南進を開始した。



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54「Level Scorched Earth 1」

 俺は装甲車の中には入らず、その上に乗せてもらって移動していた。

 リルナもステアゴルもジードもブリンダも、同じようにしている。その方が、いざ戦いになったときに車両を出る手間も省けて身軽だからだ。

 俺たちがディースナトゥラの外壁から外側に出て数分ほど移動したところで、遥か彼方に黒い点がぽつりと現れた。

 点は次第に大きさを増していき、飛来するギール=フェンダス=バラギオンそれであると断定するまでに、さほど時間はかからなかった。

 

『目標捕捉! 現在の進行状況では、約五分後に接敵すると思われます!』

 

 通信でそんな連絡が入るまでには、俺はもう奴の姿をしっかりと捉えて注視していた。

 まだ遠いから、人型の輪郭だけで、細かいところまでははっきりと見えない。

 ここは女に変身して、詳しい姿を確認しておくか。

 今から使う魔法はほとんど魔力を使わないから、心配は要らない。

 

 遠くを見通せ。

 

《アールカンバー・スコープ》

 

 少し拡大すると、くっきりと浮かび上がったのは、巨大な人型兵器の姿だった。白の殺戮天使プレリオンとは逆に、真っ黒でがっちりとした男性的な体格だ。

 まるで全身甲冑鎧を着た武者のように無骨なデザイン。闇さえも吸い込みそうな漆黒の金属を基調とし、関節の辺りに所々黄のラインが走った、見るもまがまがしい容姿を備えている。

 特徴的なのは、胸部にある黒い球体状のパーツだ。半透明で、胸部の大半をそれ一つだけで占めており、そこに埋もれる形で取り付いている。

 いかにもメイン部位っぽい感じがするけれど、どんな機能を司っているのかまでは、見た目からは判断できない。

 それから、巨大な砲身が全身にくまなくついているのも確認した。こちらは何か撃ってくるぞというのが明らかな外観で、それがざっと見ただけでも前面に十二カ所も取り付けられている。

 背中にはまた黒の両翼が付いており、そこと足から何かを噴射して、高速でこちらへ向かってきているようだった。

 

 まだ敵とはかなりの距離があるはず。

 にも関わらず、少し拡大しただけでこれだけ大きく見えてしまうということは――。

 実際は恐ろしく大きい。まるで山のようなサイズのはずだ。

 かつて龍や伝説の一角獣と戦ったこともあるけど、それに輪をかけて巨大だ。前を走る機動兵器ディグリッダーと比較しても、大人と赤子のようなものだろう。

 自分の乗っている装甲車が、豆粒のように小さく頼りないように思えた。

 今から、あんなデカブツと戦わないといけないのか。

 私はごくりと息を呑んだ。

 

 ん。急にどうした?

 

 突然、飛行を続けていたバラギオンの動きがぴたりと止まった。

 まだこちらとの距離は随分あるままだ。

 すると、奴の胸に備わる球体上の黒いパーツが、真っ白に輝きを湛え始めた。

 

 まさか。もう何かを仕掛けるつもりだって言うの!?

 

 そのエネルギーを、直接は感じ取れない。気でも魔法でもない何か。

 ただ間違いなく、これはやばいと直感が告げていた。

 慌てて通信機を掴み、全員に呼びかける。

 

「みんな! 気を付けて! 敵は何かをしようと――」

 

 え――。

 

 ほとんど意識する間もなく。

 味方も後方の首都も。

 あらゆるものを呑み尽くすほどの、圧倒的な勢いで。

 

 視界のすべてが、眩い白一色に塗り潰されようとしていた。

 

 

 ***

 

 

「どうした。助けに行かないのか?」

 

 ウィルは鋭い眼付きでこちらを油断なく見据えながら、どこまでも憎たらしい笑みを浮かべている。

 本当に人をおちょくるのが上手い野郎だ。

 

「素直に行かせてくれるってんなら、今すぐにでも喜んで行くけどな」

「あの星を僕らの戦場にしたいのなら、どうぞご勝手に」

 

 こんの野郎……! マジでむかつく奴だな。

 

 だが……エルンティアでフェバル同士が、ガチの一戦を交えるわけにはいかない。

 バラギオンなんかを待つまでもなく、世界全体が滅茶苦茶に壊れてしまう。

 バラギオンもやばいが、圧倒的にまずいのは俺たちの方だ。

 

 ……大き過ぎる力を持つのも考え物だな。軽々しく本気でやれない。

 

 しかし、こうして睨み合いを続けていても何も進展しねえ。むしろ状況は刻々と悪化していくばかりだ。

 バラギオンも、ユウたちにとっちゃ厄介過ぎる相手なのは確かなんだ。

 あれは『焦土級』だぞ……!

 あの世界に本来あるべきものとは、まるで強さの次元が違う。

 何よりも厄介なのは、主砲《ギール》だ。

 奴の名を冠するあの悪魔染みた兵器の効果は、物質消滅。

 質量をエネルギーに強制変換することで、この世から跡形もなく完全に消し去ってしまう。

 異次元に消し飛ばす等の高度な手法ではなく、この直接消すというやり方を「あえて」選んだところが悪魔染みている。

 消滅させた物質そのものを一次被害とするなら、そんなものは序の口だ。

 莫大なエネルギーに転化された物質は、同時にさらなる壊滅的な破壊を二次的に巻き起こす。巨大都市の二つや三つなど、まとめて簡単に消し飛んでしまうほどの破壊力だ。

 そしてこれほどまでに凄まじいエネルギーは、別の所でも猛威を振るう。

 辛うじて消滅を免れた周囲の物質に対し、爆発的な核反応を誘導してしまうんだ。

 実に恐るべき量の放射能が生成され、まき散らされることになる。

 この放射能が、超長期的な三次被害を招く。

 つまりあのバラギオンどもが、かつてあんなに美しかったあの星を死の星に変えてしまった元凶というわけだ。

 

 ディースナトゥラだかで追い回されたときに、あの世界の連中のレベルはもうわかってる。

 そこらの奴の手に負える相手じゃない。

 まだフェバルの力もろくに使えないユウが、仲間を率いて普通に戦ったところで、敵う敵わねえって問題じゃないんだ。

 

 このままじゃ、全員まとめて消されるぞ! どうにか俺が片付けてやらねえと!

 

 だが目の前のこいつは、それを決して許さないだろう。

 てめえだって好き勝手やっておきながら、俺が介入するのはルール違反だってか。

 ふざけんのも大概にしろよ。

 

 ……ちっ。くそったれ。動けねえ。

 

 こいつは少しでも俺が下手に動けば、とことん殺り合うつもりだ。

 この野郎は、自分がここに抑止力としているだけで十分だとわかっていやがる。

 実際その通りだ。涼しい顔ですましやがって。

 俺はギリギリと握り上げた拳を、やるせなく下ろすしかなかった。

 

 一触即発の硬直状態の最中。

 意識の大部分はウィルに向けつつ、一部はエルンティアに向ける。

 ギール=フェンダス=バラギオンは、今もユウのいる首都に向け巨躯を駆って高速飛行を続けている。

 ディースナトゥラ到達まで、幾許の猶予もない。

 激しい焦りが押し寄せてくるのを、もう我慢できなかった。

 ついに冷静を装うことも忘れて、声を荒げてしまう。

 

「お前、本気なのか!? あんな物騒なもん、今からぶつけてどうする気だ! まだ戦わせるような段階じゃないだろう!?」

 

 ウィルはまったく気にせずに、ただ愉快にほくそ笑むだけだった。

 

「だから言っただろう。僕はあいつが壊れるなら、それでも構わないと。ただ少し見てみたいだけだ。ユウがどんな反応を起こし、どう変わっていくのかを」

「こんなこと、俺が許すと思ってんのか?」

「くっくっく。だから勝手にしろよ。僕は僕で勝手にするだけだ」

 

 そして、これ見よがしに付け加える。

 

「まあお互い、無駄な星は壊したくないものだよな」

「くっ……! てめえは……」

 

 そのときだった。

 身の毛もよだつ悪寒が走ったのは。

 バラギオンが足を止め――よりにもよって、いきなり主砲をぶっ放そうとしていたのだ。

 

 野郎……! いきなりかよ!

 

 同時にウィルも気付いているはずだ。

 ますます口の端を愉悦に歪ませている。

 

「いいのか? 放っておいても。あれは死ぬよなあ」

「……っちっくしょう!」

 

 もう後先など考える余裕はなかった。

 俺は、我も忘れて転移を使っていた。

 

 ユウに襲い掛かる破滅の光をキッと睨み付けて、彼女の前に立ち塞がる。

 一瞬だけ後ろに視線を向けると、彼女は驚愕したまま目を見開き、顔面を蒼白にして立ち尽くしていた。

 極大の物質消滅波動が、もう手の届くところまで迫っている。

 

 させるかよ!

 

「うおおおおおおおおおおおおーーーーーー!」

 

 叫ぶと同時、【反逆】を使用する。

 破滅の砲撃から物質消滅の性質を抹消し、軌道を反転させて敵の主砲に向けて撃ち返す。

 

 それは、ほんの一瞬の攻防で――。

 

 

「隙を――見せたな」

 

 

 しまっ――!

 

 すぐ背後から、ぞくりとするような殺気を感じたとき――。

 

 重たい衝撃が、俺を貫いた。

 

 口の中に濃い血の味が広がったと思ったときには、もう遅かった。

 見下ろすと、心臓の辺りに惨たらしい風穴が空いている。

 致命傷だ。

 

 ちく……しょう……。

 

 なすすべもなく落ちていく。

 

 哄笑を上げて俺を見下すウィルの姿を、視界の端に捉えて。

 

 

 ***

 

 

 ここは、どこだ……。

 

 地面……? 俺は、倒れているのか……。

 

 何も考えたくない。

 このまますべてを手放してしまえば、楽になれる。

 死の感覚。

 もう何度目だろうか。こんなものに、すっかり慣れてしまった。

 

「して――」

 

 薄れ行く意識の中で、誰かが俺を呼ぶ声がした。

 かすかに目を開けると、そこには涙を流しながら、必死に縋りつく黒髪の少女が映った。

 

 へっ。ほんとにお前は。

 

 泣き顔まで……ユナに……そっくりだな……。

 

「レンクス! しっかりして! レンクス!」

「は、は……わりい……ドジっちまった……」

「助けてくれてありがとう。ねえ! しっかりしてよ!」

 

 おいおい。なんて顔してるんだ。どうせ死んでも生き返るってのに。

 お前は、こんな俺でも……親身になって心配してくれるんだな。

 まったく。本当によ。

 

 最後の力を振り絞る。

 

《許容性限界突破》

 

 ダメか……。いつもほど効果がかからない。

 せめてもの置き土産にと思ったが……。

 もう能力を満足に使う余力もない、か。

 

「すま……ねえ……後は、頼んだ……ぜ……」

 

 俺は、力強く頷くユウをしっかりと目に焼き付けて――。



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55「Level Scorched Earth 2」

 力尽きたレンクスの身体が、徐々に薄れて消えていく。

 私たちを守ろうとした一瞬の隙を突かれて、ウィルにやられてしまった。

 

「これで邪魔者はいなくなった」

 

 涙を拭き。

 不敵な笑みを浮かべて空の上から私を見下ろすあいつを、強く睨み上げた。

 ウィルはまったく意に介さず、機嫌が良さそうな顔でゆっくりと地上へ下降してくる。

 

 再び目を下ろすと、もうこの世界から完全にレンクスはいなくなってしまった。

 ちゃんと消えたということは、別の世界に行ってしまったということ。

 他の人と違って、本当に死んだわけじゃない。

 それだけはまだ救いだけど。でも……!

 あまりの情けなさにやり切れなくて、太ももを強く殴り付ける。

 ちょっと覚悟を決めてみたところで、結局蓋を開ければ守ってもらってばかり。

 

 全然ダメじゃないか。私は……!

 

 焦土級戦略破壊兵器。ここまで桁違いの強さだったなんて。

 何が力を合わせればだ。見通しが甘過ぎる。

 何もする前に、一瞬で殺されるところだった。

 プラトーの言う通り。

 あんな化け物、普通にやっていれば絶対に勝てるわけがなかった!

 

 だけど、それでも。

 

 前を向く。

 遥か先では、それまで悠々と大空を駆けていたバラギオンが、今や見るも痛々しい姿で地にうずくまっていた。

 レンクスが決死の覚悟で跳ね返してくれた砲撃によって、逆に凄まじいダメージを受けていたのはあちらだった。

 片翼をもがれて。黒い球状物質があった胸部には、向こうの空が覗けるほどに巨大な風穴が空いている。あれでは、主砲はもう二度と使えないだろう。

 まだ力尽きたわけではないみたいだ。再び動き出そうとしている。

 外から見る限り、主砲と飛行機能以外のほとんどの兵装は未だに無事のようだ。

 けどあの状態なら、何とかなるかもしれない。

 完全ではないけれど、レンクスにかけてもらった《許容性限界突破》。

 それと私自身の力、そしてこの世界でともに戦ってくれるみんなの力を合わせれば。今度こそ。

 

 ……情けない。本当に情けない。

 

 ここまでお膳立てをしてもらわなければ、まともに戦うことすらできないなんて。

 認めよう。

 今の私では、万全な状態のあの敵には絶対に勝てなかった。

 

 だけど、それでも。

 

 何度だって自分に言い聞かせる。

 どうしても負けられない戦いなの。これは。

 なりふり構ってなんかいられない。

 

 ――まずは、あいつの気まぐれだけはどうにかしないと。

 

 ウィルはもう、地面に降り立っていた。

 膝を起こしかけているバラギオンの方を眺めやっている。

 

「レンクスの手によって主砲が破損したか。だがさすがのあいつでも、僕の邪魔が入れば一瞬では倒し切れなかったようだな」

 

 独り言を呟き、悦に浸っている。

 それから、大気に手をかざして。

 

「なるほど。許容性が数倍程度に引き上がっているのか。効果を打ち消してやっても良いが――まあこのくらいのハンデはあった方が面白いかもしれないな」

「ウィル!」

 

 大声で呼びかけると、彼は一切の光なき冷徹な瞳をやっとこちらに向けた。

 嘲笑うように口元を歪める。

 

「さて、ユウ。もうわかっていると思うが、今回のゲームを始めるとしようか」

「……一応内容を聞こうか」

「簡単さ。あのデカブツをお前が倒せるかどうか。受けないのなら、僕が世界を消す」

「言われなくても戦うつもりだった」

「だろうな。ゲームは成立だ」

 

 ウィルはこれ見よがしに両手を広げた。まるでエンターテイナー気取りだ。

 

「あの爆発はお前の仕業だよね」

「少しは盛り上がるかと思ってな」

「……どこまでがお前の計画なの?」

「言っただろう。()()何もしていない」

「なら、お前の目的は何?」

「今の情けないお前に教えてやる義理はないな。メス臭い恰好しやがって。いい加減少しは思い出したらどうなんだ」

 

 忘れている? 何を。

 この『心の世界』に記憶されていないことなんて、あり得ないはずなのに。

 

「何を忘れているって?」

 

 言った瞬間、腹に彼の拳が沈み込んでいた。

 

「げほっ……ごほっ!」

 

 息が止まるほどの衝撃も落ち着かないうちに、強引に胸倉を掴み上げられる。

 ウィルの氷のような目には、明らかに憎悪と、そしてこの上ない侮蔑が含まれていた。

 

「うっ……!」

「つくづくお前という奴は。また千回でも一万回でも殺してやろうか」

「本当に、なんの……こと……なの……?」

「…………いずれ」

 

 呆れ返ったか、ウィルの目はすっかり冷めていた。

 あっさりと手を離して、もう興味を失ったかのように乾いた声色で告げる。

 

「嫌でも思い知るときが来るだろう」

 

 その頃には、度重なるイレギュラーに騒然としていた周りの動きが、ますます狂乱染みたものになっていた。

 見れば、既に立ち上がったバラギオンが、攻撃を仕掛けようとしている。

 特大の副砲に一斉に光を込めて、こちらを狙っている。

 間違いない。ターゲットの中心は、私とウィルにあった。

 というより、ウィルかもしれない。

 おそらくだけど。

 今いる中で圧倒的に強い力を持つ彼に反応して、まず排除すべき最悪の敵とみなしたに違いない。

 当たれば死は確実。私は激しい焦りを感じていた。

 そんな私とは対照的に、ウィルは涼しい顔で、だが機嫌だけはすこぶる悪そうだった。

 

「やれやれ。人が話しているときに――行儀の悪い奴だ」

 

 彼が、死神のような鋭い睨みで一瞥すると。

 瞬間、バラギオンの山のような巨体は――。

 風に吹かれた紙切れ同然だった。いとも簡単に吹っ飛ばされてしまった。

 轟音を立てながら、何度も激しく地面をバウンドして、のたうち回る。

 改めてフェバルの実力にぞっとした。まるで赤子扱いだ。

 とてつもない攻撃をしたかと思えば、次の瞬間には突然メタボロにやられていく。

 そんな超ド級の怪物に、周囲は何が起こっているのか、さっぱりわけがわからないようだった。

 通信機による音声が、忙しなく錯綜している。

 リルナが必死になってみんなを抑えようとしているのが、時折聞こえてくる。

 ただ一人、私だけがこの事態のあり得ない真相を知っていた。

 

「ちっ。勢い余って余計な塩を送ってしまったかな。よかったじゃないか。少しは心の準備時間ができて」

「ウィル。お前は……」

 

 何者なの。

 その疑問が、喉から引っかかったように出て来なかった。

 この男が一体何を知っていて、何を考えているのか。

 私に何を求めているのか。

 ただの敵だと思えていたときは、怯えていればよかった。あんなにもわかりやすかったのに。

 今はそんな単純には思えない。

 絶対に許せない奴だし、恐ろしい奴には間違いないのだけど。

 だからどんな顔を向けたら良いのかわからなくて、ただ茫然としてしまう。

 

「どの道焦土級程度に苦戦しているようでは、話にならない。僕らに迫りたいのなら、まずお前もフェバルになることだ」

「……約束して。あいつに勝ったら、余計な手出しはしないと」

「いいだろう。では僕は、のんびり観戦でもさせてもらうか」

 

 呑気な調子であくびを噛み殺して、ウィルは浮かび上がった。

 

 世界の破壊者に、始めに取り付けたかったそれだけを約束させて。

 

 今はただやるべきことを。目の前の大敵と向かい合う。

 

 ここまでは、フェバル級の力が飛び交う蹂躙そのものだった。

 ここから先は、私たちの戦い。

 深く傷付いたとは言え、焦土級に対抗できるのか。限界を超えた力が試されている。

 

 三度。バラギオンが立ち上がろうとしていた。

 どこかに飛び上がってしまったウィルの方はもう見ようともせずに、今度は真っ直ぐ私に心のない視線を向けている。

 わかっているのかもしれない。誰が脅威となり得るのかを。

 すぐにリルナたちと合流して、戦う態勢に入ろう。

 でも、その前に――。

 

「まずは挨拶代わりの一発」

 

 牽制する。

 私はさっと弓引くように指をなぞった。

 改良を重ねたこの魔法。弓を作り出して溜め撃ちすることもできるけど。

 ただ撃つだけならば、もう大仰な動作は要らない。

 

 光の矢。貫け。

 

《アールリバイン》



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56「Level Scorched Earth 3」

 放たれた光の矢は、音を置き去りにするほどの速度で瞬く間にバラギオンへ届き、膝に備わる副砲の一つに命中した。

 砲口に吸い込まれるように飛び込んでいき、その勢いで膝を貫通する。

 これで少しはダメージを与えられているといいけど……。

 超上位級の光魔法。

 人体ならば軽々と消し飛ばしてお釣りが来るほどの必殺攻撃が、百メートルを優に超える機体に対しては、細い針を突き刺した程度の手応えにしか過ぎなかった。明らかな損傷は生じていないようだ。

 しかし奴は、ほんの少しの間だけど、ぴたりと動きを止めた。

 ともあれ、この挨拶に効果はあったみたいだ。

 

《飛行魔法》

 

 すかさず空へ飛び上がる。

 リルナが上に乗っている装甲車のところまで、一息に飛んでいくつもりだった。

 バラギオンはわずか動きを止めた他は何もなく、もう膝を立てて立ち上がる行動を再開しようとしている。

 図体があまりに大きいから、立ち上がるだけでも目に見える程度の時間はかかっているが。

 間もなく体勢が整えば、すぐに殲滅行動を再開するだろう。

 せめてリルナと合流するまでは、足止めしなければ。

 

 まだまだ。いけ。

 

《アールリバイン》

 

 上昇しながら追加でもう二発、立て続けに放つ。

 当時たった一発撃つだけで、総魔力の八割も持っていったほどの馬鹿げた魔力消費量だったこの魔法。

 改良を重ねた結果、威力を一切落とすことなく、約五分の一にまで消費量を減らしている。

 この世界の魔力許容性が相当低いことを考慮しても、あれから私自身が潜在的に扱える魔力がかなり上昇したことと、《許容性限界突破》の効果から考えれば、まだ十数発は撃てる。

 もちろんこの魔法だけで使い切るつもりはないけれど。

 

 今度の狙いは頭だった。

 奴は普通のナトゥラと違い、胸に大穴が空いていてもまだ平気で動いているようだが。

 さすがに頭を潰せば倒せるかもしれない。そう思ってのことだ。

 しかし、二度もすんなりと攻撃が通るほど甘くはなかった。

 バラギオンの頭部を、鮮やかな紫色のバリアが覆っていく。

 紫の光壁に当たった二本の光の矢は、そこで散り散りになって消し飛んでしまった。

 

 あいつ、魔法に対する防御手段を持っているのか。

 元々外の世界からやって来たものだからか、この世界にはない魔法への対策もちゃんとしているというわけね。

 今、全身までは覆わなかった。

 必要がないからやらなかったのか、さすがにそこまではできないのか。

 どちらにせよ厄介であることには変わりないか。

 

 冷や汗が背中に浮かぶのを感じる。だが決して動きは止めない。

 バラギオンが立ち上がるよりもわずかに早く、私はリルナの横に着いた。

《飛行魔法》を切って、男に変身する。

 

「ただいま。リルナ」

 

 リルナも、他のみんなもそうだが、バラギオンの動向に細心の注意を傾けていた。

 だが、ただ注意を傾けているだけだ。

 いざ目の前にした敵のスケールがあまりにとてつもなくて、先にバラギオンやらレンクスやらウィルやらがでかいことをやらかしてくれたおかげで、動くに動けないという様子だった。

 無事に戻ってきた俺を見て、彼女はほっとした顔を見せてくれた。

 が、すぐに表情を引き締めて言ってくる。

 

「お前が普通に空を飛んでいたのは、まあ見なかったことにしておこう」

「あはは……」

「それより、何が起きているんだ。いきなり殺されかけたと思ったら、お前の連れが……レンクスだよな。そいつが現れて……」

 

 躊躇いがちに言葉を詰まらせる。俺に気を遣ってくれているのだろう。

 レンクスは死んでしまったけど、本当に死んだわけじゃない。

 大丈夫だよと目で頷くと、彼女はこくんと頷き返して続けた。

 

「それに、いきなり現れたあの男は何だ。あまりに凄まじい強さの生命反応だった……」

 

 これまでどんな相手を前にしても怯むことだけはなかった彼女が、明らかに恐れの感情を露わにしていた。

 バラギオンにではなく、ウィルに対して。

 彼女には生命反応を感知する力がある。初対面であの凄まじいエネルギーの塊を直に感じ取ってしまったら、無理もないだろう。

 文字通り世界を消せるだけの圧倒的な力を前にして、情けなく震え上がるだけだった当時の俺に比べたら。

 恐怖に彩られた顔でも、しゃんと二の足で立つ彼女はずっと気丈に思えた。

 詳しく説明している暇などもちろんないので、簡単に答える。

 能力の説明のときに少しだけ話したから、これで通じるだろう。

 

「あいつだよ。俺が言っていた最悪の知り合いってのは」

「とんだ最悪だな……」

「だけど、とりあえず今は放っておいていい。何もしないように約束させたから」

「そんな口約束が通じるような奴には、見えなかったがな」

 

 君の言う通りだ。俺だってそんなことはわかってる。

 どの道あれが本気を出したら、世界は一瞬で終わりだ。

 隕石に、月の落下。

 あの世界でそうしたように、思い付く限りのことはなんでもできるに違いない。

 バラギオンよりもずっと、明確に終わらせられる。

 そんな奴が当面の間何もしないでやると約束し、言葉の通りに静観しているのだから。

 こっちはとりあえず信じて動くしかカードがない。悔しいけど。

 

「今は放っとくしかないさ。それより――来るよ」

 

 はっとして、リルナが前方に視線を戻す。

 バラギオンは、ついに完全に立ち上がっていた。

 はっきりと俺たちの方を見据えている。

 片翼が吹き飛び、胸に大きな風穴が空いた見るも痛々しい姿。

 それでもなお、圧倒的な脅威であることに変わりはない。

 ここからが本番だ。

 

「すぐに戦闘開始の号令をかけるぞ」

 

 通信機を手に持ったリルナを、俺は制した。

 

「その前に。能力を使うよ」

「……やるんだな」

「ああ」

 

 いきなりとんでもない攻撃があって、かなり予定は狂ったけど。

 やはり俺の能力には、心が強く関わっているらしい。

 目には見えないけれど、人の心も確かに世界を為す要素の一部だ。

 それを俺は、そのまま受け入れる素地を持っている。

 この場にいるみんなの心を、俺はもう、意識すればそれなりの程度で感じ取ることができていた。

『心の世界』は高度に活性化し、普段は真っ暗闇だけなのが、今はあのときのようだ。

 白い星々を散りばめたような、満天の輝きに包まれようとしている。

 これを意識的に利用すれば。

 自分の心の力だけを外界へ解放する《マインドバースト》よりも、遥かに大きな力を行使できる。

 原理上はそうだ。俺の能力にも、他のフェバルに劣らない可能性がある。

 あとは、自分の精神が耐え切れるかどうか。

 

 レンクス。見ててくれ。

 俺、やってみせるよ。

 

『私も精一杯支えるから。この前みたいに一緒に混ざり合って、理性が溶けちゃわないようにね』

『うん。一緒に頑張ろう』

 

『心の世界』に入り込むと、そこには「私」が覚悟を決めた面持ちで待っていた。

 俺が左手を伸ばすと、「私」は右手を伸ばす。

 二つの手が、固く結ばれる。

 精神を集中する。気を強く持って身構える。

 

 いくぞ。心を繋げ。

 

《マインドリンカー》

 

 刹那、莫大な外部の世界情報が一気に流れ込んできた。

 この世界に来てからのおよそすべての出来事が、頭の中を駆け巡る。

 頭が割れるような衝撃を最初は感じたが、じきにそれも通り越して、ただひたすら抵抗なく自分へ染み込んでいく。

 それと一緒に来るもの。

 みんなの闘志。憎しみ。怒り。悲しみ。怯え。

 色んな感情がごちゃ混ぜになって、俺の剥き出しの心をありのままに突き抜けていく。

 それらが激しく心を揺さぶって、理性を押し込めようとしていた。

 ああ。また、あのときと一緒だ。

 途方もない力が湧き上がってくる。代わりに自我が溶けて、曖昧になっていく。

 俺(私)の境界がぼやけていく。

 なぜだろう。どうしようもなく冷たくて。でもあったかくて、心地良い。

 このまま身を任せれば、どれほどのことができるだろう。

 

 俺(私)のすべてが繋がって、一つになってい――

 

 

「気を強く持て。忘れるな。お前はユウだ」

 

 

 き……こ……え、る……?

 

 

「「リル……ナ……?」」

 

 

 ほとんど消えかかっていた自我が、不意に呼び戻される。

 信じられないことに、目の前にはリルナが立っていた。

 

 ここは、『心の世界』の中じゃ……?

 どうして……?

 

 彼女は、こちらを真っ直ぐに見つめて。

 手を差し伸べる。

 

「行くぞ。みんなを助けたいんだろう」

 

 強引に手を取られたとき、やっと理解した。

 そうか。君はここまで入ってきてくれたのか。

【神の器】は、ありとあらゆるものを受け入れることができる。

 それは、「人そのもの」であっても例外ではなかったんだ。

 

 でもまさか、他人がこんなところまで入れるなんて。

 そんなことが……。

 

 とにかく、彼女のおかげで助かった。ギリギリのところで持ち堪えられた。

『心の世界』の全要素が繋がって、理性を完全に吹き飛ばしてしまう寸前のところで止まっている。

 危うくまた一つになるところだった「私」も、俺から分離して元に戻っていた。

「私」が頷きかける。

 俺はリルナの手を強く握り返した。

 そのまま導かれるようにして、現実世界へ出ていく。

 

「大丈夫か。戦えそうか」

 

 気が付くと、リルナが俺の顔を心配そうに覗き込んでいた。

 手はしっかりと繋いだままだ。

 いつの間にか、どっと噴き出ていた冷や汗を拭って。

 俺はしっかりと答えた。

 

「うん。何とか」

 

『君も大丈夫か』

『こっちも何とか』

 

「私」も無事のようだ。

 

『ごめんね。結局抑えられなくて』

『いいよ。これは俺の責任だから』

 

 結局自分だけでは、まだ無理ということか。

 

「リルナ。ありがとう」

「お前は礼を言うのが好きだな。いいさ。大変なのはここからだぞ」

「わかってる」

 

 どうやら、ある程度能力を制御することはできたらしい。

 レンクスが《許容性限界突破》を効果的にかけたときに匹敵するほどの、素晴らしい力が身を包んでいた。

 この世界に来た当時の最低でも数十倍はあるだろう。それ以上かもしれない。

 俺だけの力じゃない。「私」の助力の上に、リルナも協力してくれているようだ。

 三人で力を合わせて抑え込んでいる。

 そしてなるほど。リルナの言う通りだ。

 今回は理性を保てているからわかった。

 確かにみんなにも、同じような強化効果がかかっている。

 伝わって来る感情からは、突如湧き上がった力に戸惑っている節が見られた。

 

 ――これなら、きっといける。

 

 随分長いことのように感じたが、現実世界では一瞬のことに過ぎなかったようだ。

 バラギオンはまだ、攻撃態勢に入ろうとしているところだ。

 どんな攻撃を仕掛けてくるのかわからないが、きっとろくなものではない。

 

 させるか。

 

 ここまで許容性と身体能力が高まった今の状態でなら、危なげなく使用できるはずだ。

 イネア先生の師匠、ジルフさんから教えられたこの能力。

 今こそ使う時だ。

 

【気の奥義】――解放。

 

 俺自身を含めて、この場にいるヒュミテ全員の気力がさらに急速に高まっていく。

 リルナたちナトゥラや機械類は、直接はこの能力の恩恵を受けられないけれど。

 俺が物としての気力強化を付与してやることで、間接的に能力を高めてやる。

 バラギオンは、動き出そうとしていたのを止めて観に回っていた。

 そう言えば、あいつにも生命エネルギーを感じる能力はありそうだよな。

 この異常に感付いて、警戒しているのだろうか。

 

 これでおそらく、最低でも数百倍。

 この場にいるみんなの力を足し合わせて、全員で共有することができた。

 これが俺の能力の使い方か。やっと少しわかってきた。

 バラギオン。今度はそう簡単には負けないぞ。

 もうこの世界で、誰かが死んでいくのを見ているだけなんて。

 嫌なんだ。殺させはしない。

 

 バラギオンはとうとう動き出した。

 残る片翼からブーストのように炎を発して、目まぐるしい速度でこちらへ飛び込んでくる。

 

「来たぞ」

「大丈夫」

 

 俺は右手を真っ直ぐ突き出して、ぴたりと構えた。

 

【気の奥義】によって理を覆した気力は、もはや距離を問題としない。

 この技の名に込めた本来の意味。ようやくあるべき形で使うことができる。

 

 高められた気の波動が、空を断つ。

 

《気断掌》

 

 不可視の衝撃波が、瞬時にして敵へと襲い掛かる。

 ドン! と轟音が生じたときには。

 バラギオンの山のごとき巨体は押し止められ、さらにのけぞっていた。

 

 すかさず、突き出したままの右手から連発する。

 

 二発。三発。四発。五発。

 

 次々《気断掌》を打ち込んでいくと、その度に金属の凹む音が響いて、奴の巨体はじりじりと押されていった。

 敵の推進力を超える威力が、奴を後ずさりさせていく。

 大きく態勢を崩すのに成功したところで、技を止めて気剣を作り出した。

 それは今までほとんど見たこともないような、強烈な輝きを放っている。

 さらに気力を込めると、白い気剣は目の覚めるような青白色に変化する。

 剣を構え直して。振り下ろし、放つ。

 

《センクレイズ》

 

 剣閃が生じた。

 それは大気を裂く絶大なる刃となって、光の矢にも劣らぬ速度で、バラギオンに向かっていく。

 奴も対抗せんと、強力なバリアを展開する。

 が、すぐに失策と断じたのか、避ける方向に身を動かした。

 巨体をまったく感じさせない、恐るべきスピードだ。

 

 だが――少し遅い。

 

 さすがに一瞬の判断では、奴もかわし切れなかった。

 

 間もなく剣閃が地を割り、視界の果てに消えていったとき――。

 

 奴の左腕は、目算で四分の一ほどが、縦に削り取られていた。

 さらに、そこに備え付けられていた副砲のいくつかが、完全に破壊されている。

 

「みんなの分の力を込めた。そう簡単には防げないぞ」

 

 おそらく、奴に感情などあるわけはないのだが……。

 心なしか、奴が初めて俺たちを真の敵とみなしたような気がした。

 少なくとも、危機感を覚えたのかもしれない。

 その身に纏う雰囲気が明らかに変わった。

 ここからは、一切の出し惜しみをせず、死ぬ物狂いでかかってくるだろう。

 そんな予感がした。

 

 リルナが通信機を手に、全員に呼びかける。

 

「行くぞ! 畳み掛けろ!」

 

 ディグリッダーが巨大なビームライフルを撃ち出したのを合図に、総攻撃が始まった。



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57「Level Scorched Earth 4」

 銃火器と光線兵器による猛攻撃が、ただ一体の巨敵に向けて絶え間なく降り注ぐ。

 普通なら、地上のどんな生物もひとたまりもないであろう。それほどの実に凄まじい熱量だ。

 だがそれも終わる前に、巻き上がる粉塵の中から、敵は猛然と飛び出してきた。

 体表には、あの紫色のバリアがぴったりと張られていた。身体に加わっている傷は数えるほどしかない。

 ほとんどの攻撃が防がれている。

 

『気を付けろ! また何かする気だぞ!』

 

 通信機から、悲鳴のような声が響いてきた。

 奴の口の奥が紅く光っている。ジードの例の攻撃とモーションがよく似ていた。

 

 あいつ。ぶっ放す気だ。

 

 真紅の熱線が、目に見える範囲の一切を焼き払わんと放たれた。

 

 くそ。速い――!

 

『あれなら任せて!』

 

「私」はじっと戦況を見張り、いつでも魔法が撃てるように待機してくれていた。

 おかげで、身体を入れ替えるだけでノータイムで魔法を発動できる。

 

《アールレクト》

 

 俺と交代で表に出た「私」は、奴と味方の間の全面に光の壁を張った。

 どこへ攻撃が来ても問題ないように。今ならそれができるだけの魔力がある。

 そして、光の壁が熱線を弾き返したタイミングに重ねて、彼女自身も追加で魔法を放とうとしていた。

 

「ついでに一発!」

 

「私」の右手に、みるみるうちに魔力が集中していく。

 間もなく。超高度に凝縮された魔力は、鮮やかなエメラルドグリーンを示した。

 それはちょうどあの世界の――エラネルの空の色と同じような。

 ものすごい輝きを放って――。

 

《セインブラスター》

 

「私」が右手を突き出したところから。

 掌のすぐ前方より、カッと淡緑色の眩い光の束が生じた。

 起点から直進するごとに、爆発的に光の束は広がっていく。

 奴の熱線に勝るとも劣らぬほど、極大な光線と化し。

 ついに、バラギオンの全身を呑み込むほどの大きさと勢いを伴って。

 それは跳ね返した熱線とともに、最短距離で敵に向かっていった。

 あまりの威力に恐れをなしたか。奴は動きを止め、全力で防御に回り出す。

 紫色のバリアは黒味がかかるほどに濃くなり、赤い熱線と緑の光線の調和を受け止める。

 そこで、大爆発が起こり――。

 

「ふう。ただいま」

 

 一仕事終えた良い顔で『心の世界』に帰ってきた「私」に、俺はすぐ食いついた。

 

「何やったんだよ。すごい威力じゃないか!」

「まあね」

 

「私」はさらりとした調子で答える。

 

「魔法に変える前の純粋な魔力を収斂させて放つ、いわゆる魔力砲ってやつよ」

 

 魔力砲。カッコいい……。

 こんなときでなかったら、大喝采を上げたいくらいだった。

 

「リルナの《セルファノン》を見てたら、似たことができないかって。ぱっと思い浮かんだの」

「へえ。言われてみると確かに似てたな」

「でも今ので、防御に回す分以外の魔力をほとんど使っちゃったから。あとは任せたよ」

「うん。君はしっかり待機してて」

 

 再び俺が表に出ると、既に爆発は止んでいた。

 俺の斬撃で左腕を削ったのに加え、「私」の砲撃はバラギオンの右腕、その一部をダメにしていた。

 表層の金属がドロドロに溶け出し、さらに副砲の一つを完全に潰している。

 ただそれ以外、大きな損傷は見受けられなかった。兵器としての機能も未だ損なわれていないようだ。

 だが確実に効いている。バリアを最大限に張っても、なお貫くだけの威力はあったのだ。

 俺は通信機を使い、全員に呼びかけた。

 

「見ただろう! 攻撃するときには、威力の高い攻撃を集中させて仕掛けるんだ! それなら通る!」

 

 そう言い終わった、直後のことだった。

 

 バラギオンの姿が、消えた。

 

 背後より、おぞましい気配を感じる。

 振り返ったとき、思わず驚きで目を見開いた。

 

 なに!? あれだけの巨体を、一瞬で転移させただと……!?

 こいつもリルナみたいなことができるのか!?

 

 俺個人だけの話なら、気構えすれば大したことではなかったが。

 奴の前方を取り囲むように構えていた陣。その背後を一瞬で取られてしまったことによる動揺は大きかった。

 混乱が広がる中、奴の体表に残存するすべての副砲が、一斉に光り始めた。

 今度は砲口の奥が、真っ白に光っている。

 

 まずいぞ。あの白い光は――!

 主砲のとてつもない攻撃と、似たような臭いがする!

 一体何発撃つ気なんだ。即死級の攻撃を。

 これじゃキリがない……!

 

 攻撃を中断させるため、再び仕掛けようとしたそのとき。

 

 水色の特大の光線が、奴に向かって飛んで行くのが見えた。

 リルナの《セルファノン》だ。

 ほぼ同時に、バラギオンの副砲が迎え撃つ。

 水色と白の熱波が、空中で激しい音と光を立ててぶつかり合う。

 まるで漫画でしかお目にかかったことがない、激しい光線の撃ち合いだ。

 激突は互角。いや、わずかにリルナが押してきている。

 俺の能力で強化した恩恵もあってか、副砲を合わせた総攻撃に対しても、一切押し負けていなかった。

 しかしだ。

 敵の攻撃がそれだけならばよかったのだが、バラギオンは追撃の手を緩めなかった。

 身体の側面、腰の辺りから、巨大な電流の迸りが発生する。

 それを、さらに強烈な雷撃と成して、彼女へ撃ち出したのだ!

 二対のそれは、身動きの取れない彼女に容赦なく襲い掛かろうとしていた。

 

 くそっ!

 

 リルナは、《セルファノン》使用中は身動きが取れない。《ディートレス》も使えないんだ。

 いや、たとえ使えたとしてもあれは防げない。

「私」がしっかり観察していた。

 奴の攻撃は、どうやら魔法の性質をも持ち合わせている。

 

 俺が行くしかない。間に合え!

 

《パストライヴ》!

 

 必死の思いで、ショートワープを発動させる。

 

「リルナ!」

 

 一瞬で彼女の背中に回り込んで、身体に触れた。

 間一髪、再び《パストライヴ》を使って、光線の直線軌道から外れる。

 近くの地面へと揃って転移し、すぐに声をかけた。

 

「大丈夫か。危なかったな」

「あ……ああ。助かった」

 

 九死に一生を得た彼女は、ほっと安心したように胸を撫で下ろす。

 

「だが、お前こそ大丈夫なのか? この前は血を吐いていたじゃないか」

「あれ? そう言えば」

 

 言われてみれば不思議だった。

 あれほど負担が大きく、身体に合わなかった技だったはずなのに。

 今《パストライヴ》を使ったときには、ほとんどまったくと言って良いほど心身に負担がかかっていなかった。

 まるで最初から自分自身の技だったかのように馴染んでいる。そんな感じだ。

 

「とにかく今は問題ないみたいだ。それより――」

 

 彼女の綺麗な青色の瞳をしかと見つめ直して、告げる。

 

「リルナ。一旦奴に接近戦を仕掛けるぞ。あの厄介な武器を片っ端から破壊する。でないとキリがない」

「それはわたしも思ったところだ。攻守の要を破壊しない限り、攻撃がまともに通らない」

「決まりだね。そうだな……位置的に」

 

 俺は周囲をざっと見回して、頷いた。

 

「君は右からブリンダとジードを連れて。俺は左からステアゴルを連れて行く」

 

 局所破壊なら、小回りが利く歩兵戦力が一番向いている。

 

「了解した」

「よし。いくぞ」

 

 彼女と横並び、コツンと拳を突き合わせて、二人同時に《パストライヴ》で消える。

 負担さえ軽ければ、これほど使い勝手の良い技もない。

 惜しみもなく連続でショートワープを使用して、あっという間にステアゴルの所まで辿り着いた。

 

「ステアゴル!」

「おう! ユウか!」

 

 彼はこんなときでも、元気良く手を振ってくれた。

 

「しっかしよう。あんなのどうしろっつうんだよなあ! この拳もちっとも届かねえしよ!」

「君はぶっ壊すのは得意だよね。もし近づければ、やれるか」

「おうよ! もちろんだぜ!」

 

 力強く拳を握り上げた彼に、俺はすっと手を差し伸べた。

 

「俺が近くまで連れて行ってやるよ。一緒にひと暴れしよう」

「そいつあ素晴らしい提案だな! 乗った!」

 

 もげるのではないかというくらい、豪快に手を握り返される。

 あんな恐ろしい相手を前にしても意気満々な姿を、とても心強く思った。

 再び《パストライヴ》を繰り返し使い、一気にバラギオンの目前にまで迫る。

 ここまでほとんど時間はかからなかった。

 

「足元から攻めるぞ。動きを止めてくれ」

「がっはっは! 腕がなるぜえ!」

 

 言葉通りガシャンと腕を鳴らして、ステアゴルが吼える。

 

「おらあっ!」

 

 彼自慢のパワーアームも、《マインドリンカー》によって目を見張るほど強化されていた。

 丘のように盛り上がっていたバラギオンの足、その先がベコンと激しく凹む。

 たまらず、奴が足を蹴り払う。

 スピードも大きく上がっていて、ステアゴルは巨体と思えぬ身のこなしでそれを回避する。

 ともあれ、動きをこちらに引き付けることができた。

 横を見ると、リルナに連れられたブリンダとジードが、同じように足元で応戦し始めていた。

 リルナ自身は、なんと宙に浮かび上がって、様々な角度から攻撃を仕掛けている。

 バラギオンを必死に翻弄していた。

 

「リルナも飛べるのか」

 

 そう言えば、高所から落下するとき、ふわりと浮き上がっているように見えたな。

 なんて少しだけ思い返しつつ、女に変身する。

 

「なら私も」

 

 飛行魔法で飛び上がりつつ、敵の武器の付いている箇所に狙いを付ける。

 見つけた。副砲だ。

 そこで再び男に変身する。

 気力を溜めて、右手を突き出す。

 

《気断掌》

 

 自由落下しながら、ピンポイントに絞って威力を高めた衝撃波を放つ。

 それは正確に武器のある個所を穿ち、破壊した。

 こんな具合で、女の姿と飛行魔法も駆使し。一つ一つ隙を伺っては、武器破壊を試みていく。

 奴にとって、俺たちは飛び回る羽虫のように邪魔な存在だろう。

 巨体であるがゆえに、懐に入られれば、かえって手の届きにくい死角が生じる。

 アスティが主導で行ってくれた援護射撃もあり、バラギオンは思うように身動きが取れないようだった。

 

 この調子だ。焦るな。

 

 まだ大きな技は効果が薄い。仕掛けたところで、武器のある限りは防がれてしまう。

 力の浪費を避けるためにも、しばらくは武器破壊のみに専念していく。

 

 よし。これで副砲は全部――。

 

 やっとのことで、副砲と思われるものをすべて潰した。

 そのときだった。

 突如として、奴の全身から、激しいジェット気流のようなものが噴き出したのだ。

 

「うわあああああーーーー!」

 

 俺は為す術もなく、宙を弾き出された。

 勢いよく空へと投げ出されながら、リルナたちも同じように弾き飛ばされているのが目に映った。

 奴の居た方向に目を向けると、消えている。

 どうやら再び転移を使ったようだ。

 

 ――上だ。

 

 遥か上空の彼方に、黒い機影が一つ。

 片翼を失った悪魔の破壊兵器は、それでも辛うじて宙に浮いているだけのことはできるようだった。

 そこから、何かが降り注いでくる。

 尋常ではない数。

 

 ミサイルだった。

 

 魔法兵器ではない、光線兵器でもない。ただのミサイル。

 ここにきて、奴は最も「原始的な」兵器を切り札として使ってきたのだ。

 針のように細長いミサイルがばら撒かれ、鼠色の空を圧倒的な質量で埋め尽くす。

 

 どこにも逃げ場はない。

 このままでは――みんな死ぬ!

 

 しかしどうしようもなかった。

 まさに辺り一帯を焦土に変えるほどの、途方もない物量だったのだ。

 俺はただ、祈るように『心の世界』に呼びかけた。それしかできなかった。

 

 俺の力で――お願いだ!

 みんなに身を守るだけの力を!

 守れ! 守ってくれ!

 

 俺自身も全力で気力強化をかけ、身を守る体勢に入る。

 

 それは、いつまでも絶え間なく降り注いだ。

 誰かの叫び声を、鳴り止まぬ爆音が打ち消して。

 そして、目に映るありとあらゆるものが焼かれていった。

 

 

 ***

 

 

「うっ……!」

 

 意識がふらつく中、辛うじて身体を起こす。

 全身が血に塗れ、傷だらけだった。

 

 みんなは、無事なのか……?

 

 見渡すと、一見して地獄絵図さながらの光景だった。

 まず目に付くディグリッダーのすべてには、見るも無残な穴が空いている。完全に動かなくなってしまっていた。

 装甲車のほとんども、同じように穴が空いて機能しなくなっている。

 だが、己の胸に手を当ててみれば。心を感じてみれば。

 見た目ほどには、壊滅的な状況になっていないことがわかった。

 少しだけ安心する。

 必死の祈りが通じたのだろうか。

 伝わってくる感情の数があまり減っていない。大体は辛うじて生きてはいるようだ。

 だけど、もうほとんど戦えるような状態じゃない。

 恐れと絶望に支配されかかっている多くの感情が、心に痛いほど突き刺さってくる。

 

 向こうの方で、リルナがふらふらと立ち上がった。

 彼女の心の声が聞こえてくる。

 

『もう長くは戦えない。賭けに出よう』

『ああ。やってやろう』

 

 上空に佇むバラギオンを睨み付けて、俺も心の声で答えた。

 

『総攻撃を仕掛ける。わたしも100%の《セルファノン》を撃つ。すべての副砲を破壊した今なら、相殺されることはないはずだ』

『よし。俺も――』

『いや。ユウ。全員の攻撃に合わせて、お前がやるんだ』

 

 自分が引き付ける。

 リルナの覚悟に満ちた声だった。

 

『……いいのか。俺に任せて』

『もちろんだ。ここまでやってきたのは、お前のおかげだろう。最後までしっかり責任を持て』

『そうだな。わかった。俺がやる』

 

 そこで、数瞬の沈黙が流れた。

 どこか迷いがちに、彼女が重々しく口を開く。

 

『……なあ、ユウ。これで最後かもしれないから……』

『そんなこと言うなよ』

『…………』

『終わらせない。終わらせるもんか。これからが始まりなんだ。そうだろ』

 

 リルナが何を思ったのかまではわからない。

 心の繋がる力は、どうやら伝えたくないことは伝えないようにもできるらしい。

 ただ。すぐ後には、通信機にあらん限りの声を張り上げて、号令を飛ばしていた。

 

「行くぞ! 動ける者たちで、全力でかかれ! すべてを撃ち切れ!」

 

 死力を尽くした総攻撃が始まった。

 最初の状況とは違う。お互いかなりのダメージを与えた上での攻撃だ。

 ダメージを受けたあいつがすることは、何か。

 奴が転移を使おうとするタイミングを、今度は見逃さなかった。

「私」と交代すると、彼女はすぐに魔法を使ってくれた。

 

《グランセルビット》

 

 加重の重力魔法を発動させる。

 こんなもの、ほとんど効かないだろう。

 でも一瞬でいい。

 奴に違和感を生じさせることができれば。それで動きを止められるなら。

 

 狙い通り、バラギオンの動きが、ほんの一瞬だが固まった。

 その一瞬こそが重大だった。

 リルナが放った全力の《セルファノン》が、敵に突き刺さる。

 合わせて、みんなの攻撃が加わる。

 だが、奴はバリアで耐えている。このままでは決定打にはならない。

 

 男に変身する。

 

《パストライヴ》

 

 俺は、バラギオンのさらに上空に位置付けた。

 気剣を掲げ、全力で気を込める。

 白い刀身は青白く色が変わり、さらなる輝きを放つ。

 気剣は、相手に直接斬り付けてこそ最大の威力を発揮する。

【気の奥義】を使っていようとも、このことは変わらない。

 持てるすべてを。

 これがきっと最後のチャンスだ。

 ここで決めなければ、負ける。みんな殺されてしまう。

 そうはさせるか。

 ここまで来たんだ。やっと、ここまで来たんだ。

 犠牲になった、多くの仲間たちを想う。

 死ぬ必要のない者たちが、死ななくて済む世界を。

 その第一歩を。

 頼む。みんなの気力を貸してくれ。俺に力を貸してくれ!

『心の世界』を通じて、この場にいる全員の気力と想いを乗せる。

 

「この一撃は!」

 

 俺は、魂の限り叫んでいた。

 

 バラギオンがギギ、とこちらに顔を向ける。

 

「みんなの想いだ! 世界に未来を架ける一撃だ!」

 

 全身全霊の気迫に。

 感情などないはずのバラギオンは――もしかすると、本能的に危険と判断したのかもしれない。

 バリアの力を、こちらにも向けようとしてしまった。

 

 それが、致命的な隙となった。

 

 みんなの攻撃に対する防御が相対的に弱まった瞬間、バラギオンの肩を《セルファノン》が貫く。

 

 体勢を崩した奴に、刃を振りかかる。

 

「貫けええええええええ!」

 

 バラギオンの頭に、気剣の先端が突き刺さる。

 そのまま一気呵成に、怒涛の勢いで振り下ろす。

 

「りゃああああああああああああーーーーーーーー!」

 

 金属が。ネジが砕ける感触が。

 刃を通して、手にじりじりと伝わってくる。

 

 無我夢中で最後まで振り抜いたとき――何もない空が見えた。

 

 

 ***

 

 

 気が付けば。

 身体を大の字にして、大地に身を投げ出していた。

 まったく力が入らない。

 どうやら、《許容性限界突破》の効果も何もかも。綺麗さっぱり切れてしまったらしい。

 もうみんなの感情も伝わってこない。

 だがそんなことは、どうでも良い気分だった。

 

「勝った……」

 

 やがて、誰かが。

 ぽつりとそう呟いたのが、聞こえた。

 それをきっかけに、まばらに声が上がり始める。

 

「勝った……勝ったんだ……」

「勝ったのよ! 私たち!」

「うおおおおおおおお!」

 

「「勝ったぞおおおおおおおおおおおおおーーーーーー!」」

 

 すっかり荒れ果てた大地に、勝利の雄叫びがこだまする。

 あちこちが焦げ付いた匂いすらも、今だけは心地良かった。

 

 ふらふらになりながら、リルナがこちらに寄ってくる。

 

「何とかなったな」

「だから言っただろ。終わらせないって」

 

 どうにか微笑みを向けた彼女も、次の瞬間には、身体を大の字にして倒れ込んでしまった。

 二人仲良く無様な恰好で、濁り空の下で笑い合った。



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58「システムの管理者と監視者」

 動ける者が中心となって、負傷者の手当てに当たる。

 辺りの地形が変わるほどの激戦だったにも関わらず、奇跡的にも死者はほとんど出なかった。

 アスティもステアゴルもジードもブリンダも、みんな無事だ。

 俺自身も気力を使って怪我を治した。気力も魔力も消耗が著しいが、とりあえず身体は満足に動くようになった。

 ふう、と一息つく。

 それまで目の前のことでいっぱいいっぱいだったが、少し落ち着いてみると、様々なことが脳裏に浮かんできた。

 

 そう言えば、ウィルはどこに行ったんだ?

 

「いない……」

 

 探ってみたが、あいつの気がどこにも感じられなかった。

 確かに途中までは、空の上から観戦していた気配があったのに。

 それにもう一つ。気がかりなことがあった。

 プラトーに付けておいた気の反応が、ここよりかなり北に移動して、そこで止まっている。

 彼にも何か目的があるようだけど。

 そんな辺鄙なところで、一人で何をやっているのだろうか。

 嫌な胸騒ぎがする。

 リルナによれば、プラトーは何か重い決意を秘めた顔で去っていったという。

 心配だ。早まっていなければいいけど。

 

 そこへ、携帯バッテリーでエネルギーの補充を済ませたリルナが近付いてきた。

 

「首都の方が気がかりだ。ラスラたちは、しっかり持ちこたえているようだが……」

「そうだな。君は戦えるみんなを連れて、すぐに応援に向かってくれ。あとはプレリオンの残党だけのはずだけど、あいつらも結構手強い」

「ああ。だがお前はどうする気だ?」

「俺はプラトーの所へ向かうよ」

「わかるのか? あいつの居場所が」

 

 頷くと、彼女は思い詰めた顔でこちらを見つめてきた。

 

「……そうか。わかった。あいつを頼む。わたしの大切な仲間なんだ」

「大丈夫だよ。心配するな。ちゃんと連れて帰るから」

 

 安心させるようにそう答えて、彼女に背を向ける。

 辛うじてまだ無事に動く装甲車を一台だけ借してもらい、北に向けて全速力で飛ばした。

 

 

 ***

 

 

 少し時は遡る。

 ユウたちがバラギオンと死闘を繰り広げている最中、プラトーは目標の場所に迫っていた。

 首都を取り囲むなだらかな広陵地帯の果てにそびえ立つ、白い尖塔が徐々に浮かび上がってくる。

 それは巨大な電波塔だった。

 操られていたナトゥラたちは、誰も近付こうとしなかった場所。

 彼だけがここを知っていた。

 彼は背後を振り返った。

 遠く離れた空で、チカチカと光が明滅している。あまりに凄まじい規模の戦いの余波が、こんなところまで届いているのだった。

 光の瞬く様子を見つめて、彼はぽつりと独りごちる。

 

「何か奇跡が起きて……あいつらが勝つと、そう信じるしかないな」

 

 オレはただ、オレにできることをするだけだ。

 

 決意を胸に、高速機動を続ける。

 最後の「システム」からの命令を中継しているアンテナ装置。

 あれを破壊すれば、ひとまず地上におけるプレリオンの活動は停止する。重大な助けになるはずだと彼は考えた。

 ただ、「システム」にとって重要な拠点が、無防備で晒されているはずもなく。

 彼の接近を察知して湧き出てきた無数の殺戮天使を前に、プラトーはビームライフルを構えた。

 

「出て来たな。わらわらと……。通してもらうぞ」

 

 鬼のように襲い掛かるプレリオンを、プラトーは得意の早撃ちで次々と仕留めていく。

 相手との距離を常に計算し、近くの敵から優先的に撃ち壊していった。

 リルナほどではないもの、副隊長を張っていただけのことはある。隊の中でも頭一つ抜けた強さを持つ彼にとって、自身の劣化版に過ぎないプレリオンは、あまり大した敵ではなかった。

 目に見える範囲の敵はすべて撃ち倒し、目標である電波塔はもうすぐそこに迫っていた。

 しかし――。

 塔の影から、一人の男が現れた。

 中肉中背で、容姿だけは三十台前半ほどに見える。だがその髪は、まるで老人のそれのように真っ白になっている。

 理知的な瞳はどこか疲れたように虚ろで、しかしその奥には、まだ消えない暗き野望の光を宿していた。

 

「プラトー。こんなところで何をしている」

「……やはり、ここに来ていたか」

 

 プラトーは油断なく身構えた。本命の目的たる人物が現れたのだ。

 男は、すべてを見透かしたように不敵な笑みを浮かべている。

 

「私を裏切るのか。残念だ。二千年もずっと仲良くやってきたのになあ」

「裏切るも何も。最初からオレはただ行く末を見守っていただけだ。お前と仲良くなったつもりなど微塵もない」

「だろうな。貴様が私を快く思っていないのは知っていたとも。これまではあえて見逃してきてやったのだ。臆病者がただ震えているのを眺めるのは、愉快だったぞ」

「……ふん。何とでも言え」

「だが、今回ばかりは出しゃばりが過ぎたな。なぜ突然こんな真似をした」

 

 プラトーは二人のことを思い浮かべて、挑発的な笑みを返した。

 

「最後くらい賭けてみたくなったのさ。新しい風にな」

「星外生命体――ユウといったか。あんなガキに何ができるというんだ?」

「…………」

 

 言われて、具体的な言葉にはできなかった。

 だが彼には、密かながら捨て切れない期待があった。

 あのお人好しのバカは、また何かやらかすと。

 

 そんなものは馬鹿馬鹿しいと、男は嘲笑を込めて言う。

 

「もう一つのイレギュラー因子、唯一の懸念であるフェバルは死んだ。勝手に潰し合ってな」

「そうか」

「もはやバラギオンを止められる者は誰もいない。よしんば万が一、退けたとしても」

 

 男は含みを持たせた言葉の終わりに、口の端を吊り上げた。

 

「……わかっているとも。だが、ここでお前さえ止められれば」

「そうだな。貴様ごときにできればだがな」

「それがオレの罪滅ぼしだ。たとえ刺し違えてでも、お前を止める」

「くっくっく。その心意気や良し」

 

 二人の男は、話し合いによる決着などあり得ないのだと。最初からわかっていた。

 殺し合うため、ここに来たのだ。

 

 プラトーは、ビームライフルを構えた。

 胸部を狙い澄まして、放つ。

 これまでどんな敵をも撃ち抜いてきた青の光線は、瞬きする間もなく白髪の男の目前に到達する。

 だが、そのまま彼を貫くかと思われたところで――。

 

 光線は、跡形もなく掻き消えてしまった。

 

「あ、ぐ……!」

 

 同時に、プラトーの左腕を激しい衝撃が襲う。

 何が起こっているかわからないまま、彼はその場に膝をついた。

 そして衝撃を受けた箇所へ目を向けたとき、その目は驚愕に見開かれた。

 

 彼の左腕は、ものの一瞬にして――丸ごと消え失せていた。

 

 残骸はどこにも存在しない。

 この世に存在していた、いかなる痕跡をも残さず。

 物質として、完全に消滅してしまったのである。

 

 白髪の男は、感心を込めてしげしげと自分の掌を眺めた。

 

「ほう。テスト用でこの威力か」

「貴様。何をした……!?」

 

 動揺に震える声で尋ねたプラトーに、白髪の男は得意気に答えた。

 

「物質消滅兵器《ニルテンサー》。バラギオンのあれは周囲を核反応に巻き込むゆえ、攻撃にしか使えなかったがな」

 

 口ぶりから、対象「のみ」を消して、余計な被害は生じないのだとプラトーは察する。

 男は己の頭脳を自負し、ほくそ笑む。

 

「私の前には、あらゆる攻撃も防御も通用しない。まさに完全無欠の兵器だ」

「なんだと……!?」

「ふっふっふ。あのルイスが作った《ディートレス》とかいう下らないバリアなどよりも、私の方がずっと優れているということさ」

「く、そ……!」

 

 プラトーは、痛みに耐えて歯を食いしばる。

 こんなときばかりは、痛みを感じる身体が鬱陶しい。人の構造の模倣であることが恨めしい。

 膝をついたまま、全力でビームライフルを連射する。

 

「効かんなあ」

 

 しかしそれらはことごとく、男の目の前で蜃気楼のように掻き消えた。

 彼は自身の兵器の効果のほどを試し、プラトーに見せつけるために。あえてそのために。

 ビームライフルの使える右腕を残しておいてやったのだった。

 男は、プラトーに向けて右手を広げ、突き出す。

 

「とんだ無駄死にだったな」

 

 消滅の波動が放たれる。

 

 為す術もなく殺されようとしていた、そのとき――。

 

 その場にぱっと現れたユウがプラトーの背中を掴んだ。

《パストライヴ》で飛び去る。

 対象を失った消滅の波動は、代わりに地面だけを抉り取っていく。

 

「よかった。何とか間に合った」

「ユウ……! お前、どうして……!?」

 

 驚くプラトーに、ユウは心配な顔で窘めるように告げた。

 

「どいつもこいつも格好付けてさ。勝手に死に急ぐなよ。そういうのは、もうたくさんなんだ」

「……すまない」

 

 ユウはうんと頷いてから、白髪の男と向き合った。 

 

「お前は何者だ。黒幕か?」

「さて。どうだろうな」

 

 白髪の男は、誤魔化すように肩を竦める。

 ユウは睨みを強めて、挑発的に言った。

 

「バラギオンなら倒してきたぞ」

「……なに?」

 

 それまで余裕を貫いていた白髪の男は、そこで初めて明確な動揺を見せた。

 

「そんなはずは……いや――」

 

 ユウの顔をしっかりと目に捉えたとき、彼は釘付けになった。

 

「その生意気な目……その面影……見覚えがあるぞ……」

 

 彼の中で忌まわしい記憶が蘇る。

 そして一つの答えに至ったとき。

 彼ははっとして、あんぐりと口を開けた。

 

「まさか、あの女……星海 ユナ……!」

「母さんを知っているのか!?」

「…………そうか。そうかそうか。くっくっく。何という運命の因果か」

 

 男は、喜びとも怒りともつかぬ微妙な表情に大きく顔を歪めた。

 口だけは笑っているが、目は仇でも見るかのようにきつく細められ、眉根には濃くしわが寄っている。

 

「貴様の母親には、その昔とても大きな借りがあってな。できればたっぷり利子を付けて返そうと思っているのだが」

「……母さんは死んだよ。とっくの昔にね」

「ほう……」

 

 すると白髪の男は、俯いて肩を震わせ始めた。

 そして――。

 

「はっはっはっはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」

 

 突然、狂ったように高笑いを上げた。

 いきなりのことに、ユウもプラトーも戸惑う中、彼は拳を振りかざして激昂する。

 

「ルイスのクソ野郎も、ユナのクソ女も! 散々この私を見下しておきながら! 殺したつもりで! くたばったのはてめえが先とはなあ! 傑作だ! 傑作だなあおい! ふははははははははははははは!」

 

 誰に向けるでもなく、ただただ狂気に目を血走らせて。

 喉が裂けるのではないかというほど、声を張り上げる。

 

「私は生き抜いたぞ! 惨めにも、こんな機械に身をやつしてでもなあ! どうだ! 私の勝ちだ! ざまあみろ! ざまあみやがれえええ!」

 

 息も絶え絶えに、そこまで叫び切って。

 途端に色を失ったかのごとくテンションを下げた彼は、不気味なほど冷静な調子でユウに告げた。

 

「オルテッド・リアランス。名前くらいは聞いたことがあるだろう」

 

 その名を聞いたとき、ユウははっとした。

 そして、ようやくすべてに納得がいったのだった。

 

「そうか……。お前だったのか」

 

 オルテッド・リアランス。

 かつてエストティア全土を戦乱に陥れた、狂気の科学者の名だった。



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59「狂気の科学者 オルテッド・リアランス」

 オルテッド・リアランス。

 母さんの話で聞いたことがある。

 かつてワルターというフェバルと組んで、悪逆非道の限りを尽くした男だったと。

 でもレンクスの協力を受けて、母さん自身の手で確かに倒したって。そう聞いていた。

 

「母さんが話していたよ。どこまでも最低な奴だったってな」

「散々な言いようだな。何も間違ってはいないが」

「否定しないのか?」

 

 すると何が可笑しいのか。彼は皮肉気に笑い始めた。

 

「くっくっく。否定だと。小僧。教えてやるよ」

 

 大仰に両手を掲げ、彼は堂々と言ってのけた。

 

「この世には悪が必要なのだ。それで救われる者がいる。それで利益を得る者がいる」

「苦しむ者の方が遥かに多くてもか!」

「若いな。この星の人類全体のさらなる発展のために、私は正しい内乱を推し進めただけに過ぎない」

 

 彼は手をわなわなと震わせて、愉悦に顔を歪める。

 

「ああ。楽しかったなあ。私の開発した兵器によって、人間どもがゴミのようにくたばっていく様を眺めるのは」

 

 その顔を見るだけでも、下種な人間性が垣間見えて、無性に腹が立った。

 あまりにも筆舌に耐えがたい虐殺を巻き起こしていたそうだな。

 それを見ていられなかったから、母さんはお前を止めることに決めたんだ。

 

「だがそこに水を差してきた連中がいた。レンクス・スタンフィールドとかいうフェバル。科学者のライバルだったルイス・バジェット。そして貴様の母親、星海 ユナだ」

 

 胸の中央をトンと指し示すように叩いて、彼は肩を竦めた。

 

「あのとき、確かに心臓を撃ち抜かれたはずだった。見事な腕だったぞ。惚れ惚れするほどにな」

「そこで死んでおけば良かったものを……!」

 

 片腕を失った痛々しい姿のプラトーが吼える。

 オルテッドは、ただの鉄屑でも見るような冷めた目で無視して続けた。

 

「だが、奇跡的に私は生き長らえた。その身を半分以上機械に変えてでもな」

「その後も、お前は死んだことになっていたはずだ」

「そうだな。あえて目立つような馬鹿はもうしなかったよ。また倒しに来られては敵わないからな」

「じゃあ……どうして。どうしてエストティアは滅びた?」

「資源の枯渇。進む少子化。時代の閉塞感というやつだ。こればかりは、世界を救った英雄様でもどうしようもなかったようだな」

 

 そうか……。

 母さんも、時折どこか悲しそうに漏らしていた。

 人の心を変えるのは、何よりも難しいって。

 

「あとはあの女が去るのを待って、ほんの少しだけ影から助長してやればそれで事足りた。数十年も経てば、この世界の連中は面白いように侵略戦争に息巻いていたよ」

 

 プラトーの方を見た。彼も否定はしなかった。

 

「理解したか? 私だけの責任ではないのだよ。時代が戦争を求めていたのだ」

「だから、滅びたんだろ……」

 

 悲しいけれど、認めるしかなかった。

 この星の人間たちは、取り返しの付かない間違いを犯してしまったのだと。

 そしてそう思っているのは、この男も同じようだった。

 

「そうだな。認めよう。失敗だったと……。やり過ぎたのだ」

 

 オルテッドは語る。

 加速した宇宙戦争の熱気は、どこまでも止まらなかった。

 いかに効率的に奪うか。いかに自分たちだけが都合よく勝ち得て、他者に不幸や不利益を押し付けるか。

 そんなことばかりが持て囃されるようになった頃。

 

「ついに馬鹿な連中が先走って、ダイラー星系列を刺激してしまった」

「ダイラー星系列?」

「おいおい。異世界の渡り人が、あまり無知を晒すなよ。宇宙に覇を唱える最強の星系統合体だ」

「そんな連中が……」

「そうだとも。そして、すべては終わった。襲来した無数のバラギオンによって、この星は焼き尽くされた。一瞬のことだったよ。栄華盛衰など、所詮そんなものだ」

 

 まるで今見てきたようにそう語るオルテッドは、憎々しげに顔をしかめた。

 その所作の裏に、どこかやり切れない気分が隠れているように思われた。

 

「生き残ったわずかな人類は、零以下からの再出発を余儀なくされた」

 

 そこで、吹っ切れたように突然笑い出す。

 

「あっけなかったぞ! この星に残った人間どもは怯えて勝手に潰し合い、くたばってくれたよ! 最後の最後まで、本当に馬鹿な連中だったなあ!」

「そして、何の意味もないシステムだけが残った」

 

 プラトーが、苦々しげに指摘する。

 オルテッドがぴたりと笑いを止める。

 

「違うな。完成したんだよ。私のためだけに存在する、エルンティアという名の巨大な実験場がな」

「何が実験場だ。ただの管理者が、思い上がるなよ」

「ふん。どうあれ、今は私がシステムの実質的な支配者であることに変わりはない」

「管理者だと?」

「そうさ。私こそがシステムの現管理者であり、このくずロボットは監視者だ。なあ、共犯」

 

 馬鹿にするように言われたプラトーが、辛そうに顔を背ける。

 俺は、思わず庇い出ていた。

 

「プラトーを責めるなよ。バラギオンなんかを突きつけられて、誰だってそうするしかなかったはずだ」

「……ほう。よかったじゃないか。同情してもらえて」

 

 オルテッドが、侮蔑するような目をプラトーに向ける。

 

「そのバラギオンはもう倒した。オルテッド。こんなことはもうやめろ」

「クク。やめろだと。説教でもしているつもりか?」

「悪いか! エストティアはとっくの昔に滅びた。もういいだろう!」

「はっはっは! 馬鹿か! コンピュータの分析通りのめでたい奴だ! 貴様の母親の方が、まだずっとシビアに物事を見ていたぞ」

「……くっ」

「そもそも何をやめろと? こいつらは所詮モノに過ぎん。人間が道具をどう扱おうが、人間の勝手だろうが」

「違う……」

「なに?」

 

 俺は、心からの想いを込めてぶつける。

 この星の人間に言ってやりたかったことを。

 

「ヒュミテもナトゥラも、人だ。モノなんかじゃない」

「操り人形に過ぎん」

「違う……! 楽しいことや嬉しいことがあれば喜んで。辛いときや苦しいときは悲しんで。誰かが傷付けば怒り、死には涙した」

 

 バラギオンとの戦いのときに伝わってきた感情は、決して偽りのものなんかじゃなかった。

 いや、こんな能力がなくたって。

 俺がこれまでの日々を通して見てきたものは。感じてきたものは――!

 

「みんな、心を持っているんだ。大切なものを持っているんだ」 

「下らん」

「始めに造られたかどうかなんて、関係ない。みんなもう立派な人間なんだ! それを踏みにじるようなことは、許すわけにはいかない!」

「……価値観の相違だな。所詮わかり合えんということだ。私と貴様では」

 

 互いに睨み合う。やはり言葉ではどうしようもないようだ。

 

「確かに、あのバラギオンを倒した。そんな奇跡を起こせてしまう貴様は、やはり腐ってもあの女の子供というわけだ。だが――」

 

 彼はにやりとほくそ笑んだ。

 

「この二千年。私が何もしなかったと思うのか?」

「なに?」

「やはりか……」

 

 プラトーが、暗い調子で呟く。対照的に、オルテッドは好調だった。

 

「何のためにわざわざ面倒な殺し合いをさせてきたと思っている。膨大な戦争シミュレーションによるデータ分析は、実に大きな実りをもたらしてくれた」

「お前……!」

「二千年もあればな。研究はいくらでも進められたぞ」

「まさか……!」

 

 俺がはっとすると同時、彼は絶望的な言葉を告げた。

 

「再現型バラギオンは、もうほぼ完成している。手始めにほんの数百体ほどだ」

 

 そんな――!

 たった一体だけでも、全員が死力を尽くしてやっとだったんだぞ。

 それが、数百体もなんて……!

 

「理解したか。ほんの少しだけ寿命が延びたに過ぎないということが」

「あんな物騒なものを大量に造って、どうする気だ!?」

「簡単なことだ。もう一度始めるのさ。戦争を。人類の――私の時代をな」

「たった一人だけでか?」

「……ああ。そうだとも。私だけが、唯一無二の支配者だ」

 

 それが、そんなことが。お前の望みだって言うのか……!?

 だが語気には、わずかだが陰りが見える。

 お前、なんでそんなに……。

 怒りと、ただそれでは表し切れない気持ちが湧き起こる中、彼はあくまで野望を語り続ける。

 

「新生エルンティアの始まりさ。無論、貴様らは私に従ってもらうぞ。永遠にな」

「そんなことさせるかよ!」

「よそ者が。出しゃばるなよ。元々人類こそが、正当なるこの星の支配者なのだ」

 

 その言葉が、彼自身の望みとは裏腹に、嫌に虚しく響いた。

 この男も、たぶんわかっている。

 わかっていて、あえてそう振る舞っている。そんな風に見えた。

 

「……もう、旧人間の時代は終わったんだよ。お前だって、本当はとっくにわかっているだろう! 二千年の冬を超えて。新しい時代の夜明けを迎えなくてはならないんだ」

「……まだだ。まだ終わってなどいない。この私がいる限りはな。この星はいつまでも私のものだ。そうであり続けなくてはならない」

 

 奴の気配が変わったのを見て、俺も気剣を抜いて構える。

 

 ――厳しい。あまりにも。

 

 内心舌打ちする。

 バラギオンと戦ったときの消耗がひどいせいで、気剣の輝きは既に弱々しかった。

 

「あの女には、数え切れないほどの恨みがある。貴様には、凄惨な死を与えてやろう」

 

 そこに、プラトーが真剣な顔で忠告をかけてきた。

 

「気を付けろ……奴は物質消滅能力を使うぞ……!」

「物質消滅だと!?」

「《ニルテンサー》。攻守において完全無欠の兵器だ」

 

 オルテッドが得意満面に答える。

 なるほど。プラトーの左腕が丸ごと消えているのは、そういうことだったのか。

 聞くからに厄介極まりない能力だ。どう攻略すればいい。

 

 くそ。気剣なんか出したら、立っているだけでふらついてくる。

 とても長くは戦えない。

 一回だ。一回で決めないと。

 

 彼が手を突き出した。一見何もない、それだけの動きだ。

 俺は戦慄した。

 なんて攻撃だ。軌道がほとんど見えない。

 余波で地面がほんのわずか削れる様から、辛うじてそこが「消えている」ということだけはわかる。

 しかもかなり速い。

 消滅の波動が俺の目と鼻の先まで迫ってくるのは、一瞬のことだった。

 そのタイミングで、攻防一体の技を仕掛ける。

 

《パストライヴ》

 

 何度もお世話になった技で、一気に敵のすぐ背後に回り込んだ。

 やはり身体の負担は一切感じられない。理由はわからないが、完全にこの技はものにできたらしい。

 気剣に最大限の気力を込める。しかし、もはや青白く変色してくれるだけの余力もなかった。

 仕方ない。このまま斬りかかれ!

 

《センクレイズ》

 

 しかし。そこでとんでもないことが起こった。

 奴の体表に剣先が付こうとしたところで、手前の何もない宙で、先から剣が消し飛び始めたのだ。

 慌てて剣を止め、《パストライヴ》を再度使って間合いから脱出する。

 激しい動揺を抑えられなかった。

 

 なんだ、あれは……!

 

 もう少し深く斬り込んでいたら、腕ごと吹っ飛んでいるところだ。

 

 くそったれ……! こいつも常時展開型か!

 

 そのとき、突然オルテッドが狙いを変えた。

 プラトーがいる方向に。

 プラトーは、オルテッドに構わず全力で攻撃に集中しようとしていた。

 向こうには、アンテナのついた白い大きな塔が見える。

 

 ダメだ! もう助けが間に合わない!

 

 プラトーのビームライフルが、白い塔を貫き、爆発音が響く。

 同時に、無防備だった彼のほぼ半身は――オルテッドによって消し飛ばされてしまった。

 

「目障りなことを。貴様から死ね」

「させてたまるか!」

 

 今度は先回りでワープし、見るも痛々しい姿のプラトーを抱え上げる。

 よかった。辛うじて頭部だけは無事だ。

 

「何を、している……お前まで……死ぬぞ。こんなオレのことなど……放っておけ……」

「放っておけるわけないだろう! リルナとも約束したんだ!」

「……ばか、やろう」

「足手まといを庇って、仲良く死のうというのか。それも結構」

 

 オルテッドが、再び消滅波を構える。

 

 このままでは……!

 

 とそのとき、「私」が呼びかけてきた。

 

『悔しいけど、ここは一旦逃げよう』

『だけど、どうやって?』

『実はね。許容性が下がる直前に気付いて、一回分だけ転移魔法を待機させてあるの』

『本当か! 助かった』

『うん。でもその前に、私にも少しだけ挨拶させて』

『ああ』

 

「私」に交代する。

 

「な……貴様……!」

 

 オルテッドが、その場に凍り付いたように固まっていた。

 同時に、まさに仇を見る目でこちらを睨んでいる。

 それはそうでしょうね。

 だって私は、若いときの母さんに瓜二つだもの。

 

 母さんから知らずのうち、ずっと続いてきた因縁。

 こいつだけは。私たちが後始末を付けなくちゃならない相手。

 私は宣戦布告のつもりで、サムズダウンをした。

 

「あんたは、絶対に私たちが止める」

 

 それで、私たちがこの場は逃げることを察したのだろう。

 彼もまた何を思ったのか、宣戦布告らしい言葉を返してきたのだった。

 

「エストケージで待つ。来るがいい。二千年の因縁に決着をつけよう」

 

《転移魔法》

 

 満身創痍のプラトーを連れて、ディースナトゥラに転移した。

 

 

 ***

 

 

「……逃げたか」

 

 オルテッドは、ほとんど何の感慨もなくそう呟いた。

 

「ちっ。久しぶりのことに、少々無駄話が過ぎてしまったな……。まあいい。そろそろ時間切れだ」

 

 そして彼は、そのまま動かなくなった。



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60「プラトーの頼み」

 ディースナトゥラの街は、音一つなく静まり返っていた。

 そこらに見えるナトゥラはもちろん、暴れ回っていたプレリオンまでもが、その場で時が凍りついたように動きを止めている。

 聞けば、あのときプラトーが捨て身で電波塔を破壊したことで、プレリオンはシステムからの命令を阻害されたようだ。もうしばらくは動かないらしい。

「これで最低限の時間を稼ぐことはできた」と、彼は自分の行動に後悔はしていない様子だった。

 

「みんなはどこに行ったのかな」

 

 女の状態では、残念ながら気を読むことができない。

 そろそろ男に変身しようかと思ったところで、プラトーが思い詰めた声で言ってきた。

 それも、わざわざ性別を指定して。

 

「二人だけのうちに……男のお前に、話したいことがある……」

 

『……少し下がっててくれ。男同士の話がしたいらしい』

『……うん。わかった』

 

「私」が奥に引っ込んでくれたのを見計らって、俺はプラトーをその辺りの地面にそっと下ろして座らせてやる。

 もはや自力で立つこともできない彼の姿に、どうしようもなく悲しい気持ちが込み上げてくるのを抑えながら、尋ねた。

 

「さあ。話してくれ」

「…………すまなかった」

 

 重苦しい沈黙の後に発された最初の言葉は、やはり謝罪だった。

 今まで彼がしてきたこと。並々ならぬ罪悪感があったはずだろう。

 

「わかってる。俺はいい。その言葉は、もっと他の奴に言ってやれ」

「…………すまない」

 

 彼は静かに目を伏せ、しばらく言葉を詰まらせていた。

 ようやく顔を上げたとき、彼の瞳には悔恨とはまた別の意志が宿っているように見えた。

 

「お前に……伝えておきたいことがある」

「ああ。言ってみろ」

「リート・ルエンソ・ナトゥラ」

 

 初めて聞く言葉だった。けれど響きから大体のことはわかった。

 

「リルナの名の由来だ。ナトゥラを正しく導く者という意味が込められている」

「ナトゥラを、正しく導く者……」

 

 そんな意味が込められていたのか。

 このナトゥラというのは、おそらく生体型であるヒュミテも含んでいるのだろう。

 だとしたら、今まではなんて皮肉なことになってしまっていたのか。

 彼自身にもその自覚は強くあったのだろう。言った側から、辛そうに顔を曇らせる。

 それでも、彼は続けた。

 

「名付け親は、ルイス・バジェット。孤高の天才科学者と言われた男だ」

 

 ルイス・バジェット。

 オルテッドも言っていたな。母さんの友達だったという研究者だ。

 まさか彼が、リルナの製作者だったなんてね。真実は意外と近くにあったわけだ。

 とすると、毎回技の名前を発する謎の仕様にも妙に納得がいく。

 ルイスという人は、かなりの変わり者だったというから。

 

「……ルイス・バジェット研究所は、二大陸から遥か遠く離れた、絶海の小島に存在する。そこだけは、二千年前の戦争による破壊を逃れていた」

 

 ルイス・バジェットの研究所か。

 おそらく戦火から逃れるために、そんな辺鄙な場所に居を構えたのだろう。

 彼にはわかっていたのだろうか。いつか避けられない戦いが起こってしまうことを。

 

「二十年前、オレは偶然そこを発見してしまった。そして、リルナと出会った」

「お前が。リルナを」

 

 プラトーは、静かに頷く。

 

「そこに行けば……おそらく、すべてがわかるだろう。宇宙へ行くための手段も、残されていたはずだ」

「お前はもう、すべてを知っているのか?」

 

 彼は答えず、曖昧に首を振った。物憂げな顔で。

  

「……リルナは、ナトゥラの救世主として造られた」

「何だって?」

「彼女には、機能不全を起こしたシステムと結合し、それを止めるためのプログラムが備わっている。道具としての役割だ」

「そんなものが……!」

「……オレはシステムの監視者としての役割を与えられ、ただそれに従うだけの存在だった。最初は、彼女を破壊するつもりでいたのだ」

 

 だが、と彼は目を伏せる。

 

「その事実を知ったとき……どうしようもなく、悲しくなってな。こんなところに、『仲間』がいたのだと……」

 

 プラトーの苦しげな表情から、想いが痛いほど伝わってきた。

 

「この致命的な事実が、もしシステムに伝われば。システムは間違いなくバラギオンを起動し、リルナを消し去っていただろう。だからオレは、隠した。あえてこちら側で洗脳することで疑いを避け、いつも側に置いて見守ってきたのだ」

「そうだったのか……」

 

 やっと。よくわかったよ。

 お前は、ずっと一人で戦ってきた。

 力の足りなさを悔いながらも、この世界が本当の終わりを迎えてしまわないように。

 陰からずっと見守ってきたんだ。

 この先、誰が罵ったとしても。誰が恨んだとしても。

 俺は認めるよ。

 お前は――この世界の英雄だ。

 

「……エストケージは、システムを守る最後の砦だ。どんな危険や罠が待ち受けているかわからない」

 

 エストケージ。母星エストティアの名を冠する宇宙要塞。

 かつて母さんがオルテッドやワルターと戦った因縁の地であり、最後にはレンクスの手で完全に破壊されたはずだが……。

 

「オレは、もう戦えない」

 

 跡形もなく消え去った右腕のあった場所を見つめ、悔しそうに顔を歪めて呟く。

 そして無念を浮かべたまま、真剣な目でこちらを見つめて、頼み込んできた。

 

「ユウ……頼む。オレの代わりに、リルナをエストケージまで連れて行ってやってくれ。そして……あいつを、守ってやってくれ。道具としての宿命から、救ってやってくれ」

 

 もちろんだと、そう答えようとしたところで。

 彼は、感極まったのだろうか。

 胸一杯に言葉を詰まらせて、すすり泣くような調子で続けていく。

 俺は黙って彼の言葉に頷き、受け止めてやることにした。

 

「何も知らないままでいさせてやった方が幸せだと、そう思っていた……。オレは……ひどいことをしていたんだ……。仲間を殺させ……死なせて……。こんな思いをするのは……こんな思いをさせるのは……もうたくさんだ……」

 

 ナトゥラである彼は、涙こそ流さなかったけれど。

 ほとんど泣き顔で縋り付いて、声を絞り上げた。

 

「頼む……あいつは、大切な家族なんだ……! 頼む。頼む……!」

「当たり前だろ」

 

 想いは十分伝わった。

 労いの気持ちを込めて、優しく彼の肩を叩いてやる。

 

「だから、そんな顔するなよ。お前はお前らしく、すましていればいいんだ」

 

 そして彼から次の言葉を聞く前に、背負い上げた。

 

「そろそろ行くぞ。みんなのところへ」

「……だが、会わせる顔など」

「そんなもの。会ってから作ればいいさ」

 

 彼が今どんな顔をしているのかは、あえて見ないであげることにした。



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61「歴史に残る戦いと、決して残すことのない戦い」

 しばらくして落ち着いたプラトーは、移動途中に教えてくれた。

 システムを創り上げたのは、当時の主戦派が中心だったという。それゆえに、星が回復するまでの長大な時間を利用した、ナトゥラとヒュミテを用いた壮大な戦争シミュレーション研究の仕組みを考え付いたのだろう。

 吐き気がするような仕組みを。

 

 システムが健全に機能するように、管理者、監視者、実行者、守護者が設定された。

 プラトーは監視者として当時に造られた、特別なナトゥラだった。

 システムの命令に従わなくなったエラー因子と、俺のようなイレギュラー因子を発見し、システムに報告等をする役目が与えられていた。

 だが、最初こそ役目に忠実なだけの存在だったのだが、皮肉なことに、彼自身もいつしか自分としての意志を持ち、命令に従う強制力を超越したエラー因子になっていたのだという。

 実行者として造られたのが、プレリオンだ。

 自らの意志を持たぬ殺戮機械として、様々な裏仕事を任されていた。

 そして、戦争シミュレーションにおける二百年の一サイクルが終了する段階で一斉起動し、ゲームを終わらせるという大きな役割を持っている。今回の事態がまさにそれだったのだ。

 そしてオルテッドは、システム本体の維持管理を担う者だった。

 先に俺たちが対峙したのは「外出用の」時限式機体であり、本体はずっとエストケージに留まっているという。

 いつか旧人類が戻ってくるその日まで、システム本体が存在するエストケージに座して見守り続けることが彼本来の務めだった。

 だが結局、旧人類は自ら滅び去ってしまった。

 帰るはずの主もないまま、二千年もの間システムはただあり続けた。

 バラギオンこそが、絶対にして最強の守護者だった。あれがいる限り、システムを止めることは不可能だった。

 重大な危険が存在すると、システムがそう判断した段階で奴を起動し、圧倒的な武力で要因を殲滅するオールクリアを実行してしまうからだ。

 バラギオンは、ダイラー星系列が一機のみ未回収で残していったものを、命令系統だけ改造して利用したものだという。

 戦った今だからこそよくわかる。

 あんな化け物は、フェバルほどの力を持った奴でもない限りどうしようもなかった。

 

 システムには、緊急時におけるナトゥラ停止命令が存在する。

 動かなくなってしまったナトゥラは、再起動命令を出されなければ、もう二度と動くことはないと言う。

 システムをただ破壊するだけではいけなかったのだ。その前に、再起動命令を出させなければならない。

 だが、システムが自発的にその命令を出すわけはない。

 そのために、リルナをシステム本体の所まで連れて行くことが必要だと。

 つまりはそういう話だった。

 もちろん、その前にオルテッドが立ち塞がっているだろう。

 

「二千年にも渡って悪意を振りまいてきたシステムだ。接続するに際して、どんな危険があるか……」

「肝心なところは、リルナに頼るしかないなんて。心苦しいな」

 

 俺が役目を代わってやれればと、そう思わずにはいられなかった。

 この星の運命が、彼女だけに重くのしかかっているのだ。

 それでも彼女は、毅然として行くだろう。そういう人だ。

 だからせめて。そこまでの道は、なんとかしてやりたい。

 

「エストケージまでは、どうやって行けばいい」

「確か記憶によれば、宇宙船があったはずだ……。ちょうど二人乗りくらいの奴がな」

「さすがにみんなでぞろぞろってわけにはいかないか」

 

 バラギオンのときのように、みんなの力に頼ることはできない。

 

 いや――。

 

 歩いていくと、ようやく向こうにみんなの姿が映り始めた。

 その光景を見たとき、俺は思い直した。

 

 誰もが、勝利を確信していた。

 ある者は抱き合って喜び、ある者は喚き叫び。ある者は感極まって嗚咽を上げ、ある者は静かにすすり泣いている。

 そこにもはや絶望はない。危機感もない。

 あるのは、ただ喜びと解放感だった。

「そのうち」ナトゥラのみんなも動き出して、すべてが解決すると。

 そう信じている。

 

 ――そうだな。

 

 だったら。そう思わせておいてやろう。最後まで。

 

 絶望の象徴であるバラギオンは倒れた。プレリオンも動きを止めた。

 みんなにとっての戦いは、もう終わったんだ。 

 もうこれ以上の犠牲は要らない。もう誰も傷付く必要なんてない。

 あの笑顔が失われるようなことなど、もう二度とあってはならないんだ。

 

 この日は、きっと彼らにとって歴史的な日になるだろう。

 この世界がようやく旧時代の呪縛から独立した記念すべき日だ。

 

 ――そうであるべきだ。そうでなくてはいけない。

 

 だから。

 

 あとは俺自身の手で、ケリをつけよう。

 ここから先の戦いは、誰も知る必要はない。

 それに、相手だってもう一人だけなんだ。

 いくら強くとも、フェバルでもないただの人間だ。

 母さんのやり残した仕事でもある。俺自身が始末するべきだろう。

 

 すると。

 俺の生命反応を捉えていたのだろう。

 猛然の勢いで、リルナが真っ先にこちらへ飛び込んできた。

 

「プラトー! お前……!」

 

 背負った彼の悲惨な姿を認めて、彼女はショックで目を見開いていた。

 プラトーは、気まずそうに顔を背けている。

 俺は問答無用で、彼女の目の前で彼を引き下ろしてやった。

 相変わらず目を向けられないプラトーに、リルナはがばりと抱き付いた。

 

「馬鹿者! そんなになるまで、無茶するやつがあるか……!」

 

 彼女は、彼の性格からすぐに察したのだろう。泣きそうな顔で腕に力を込める。

 プラトーは、一瞬驚いた後、神妙な顔で彼女にされるがままになっていた。

 

「……すまない。すまなかった」

 

 やっと絞り出すように、不器用な口調でそう言うと。

 リルナはもう離さないと、腕の力をますます強める。

 

「いい。よく生きて帰ってきてくれた……」

 

 抱き合って再会を喜び合う二人の姿に、こちらまで胸が熱くなってくるのだった。

 

 

 ***

 

 

 しばらくして、ようやくリルナが彼を離したところで。

 空気を読んで離れていた他のディーレバッツのみんなも、ぞろぞろとやってきた。

 まず飛び込んでいったのは、ステアゴルだった。

 彼は突然、ガツンと一発だけプラトーの頭をぶん殴ったのだ。

 極太の腕から繰り出される衝撃に、プラトーが声もなく顔を歪める。

 抑える腕もないから、もろに食らっていた。すごく痛そうだ。

 

「こいつで勘弁してやらあ。あんまり隊長さんを泣かせるなよな!」

 

 ゴン、ともう一発重い拳骨がさらに響く。

 今度はジードだった。

 

「わしもついでだ。この大バカ野郎」

 

 止めに、ブリンダからもきついビンタがお見舞いされた。

 

「これで許してあげるわ」

 

 三発の熱いお叱りをいきなり受けて、プラトーはすっかり間の抜けたように固まっていた。

 遅れて、恐る恐るの声で尋ねた。

 

「……お前たち。このオレを……恨んでいないのか……?」

「ふふ。わたしと同じようなことを言っているぞ」

 

 たまらず、リルナが笑う。

 

「だって。あのとき、いつまで経ってもわたくしたちを殺しに来なかったんですもの」

 

 ねえ、とブリンダが同意を促すように小さく首を傾げると、ジードもステアゴルも頷いた。

 

「それでさすがに少しは察したよ。なあ」

「これでも結構な付き合いがあるんだからよ! 騙せねえぜ! あんたがガチで殺しにかかるときは、容赦なく狙い撃ちって相場が決まってっからなあ!」

 

 がはは、とステアゴルが気持ちよく笑う。それで大分空気も明るくなった。

 

 はは。それもそうだな。

 彼ら自身が生きていること自体が――わかってみれば、バレバレじゃないか。

 

 プラトーは、一人だけ俯いてしまった。

 みんなの前でみっともなく「泣き」出しそうなのを堪えている。

 どうやら、すっかり心を打たれてしまったらしい。

 

「ああ。氷の副隊長ともあろうお方が、なんて様だ」

「こりゃあ見ものだ!」

「はい。わたくしの目を通して、動画にバッチリ保存させていただきましたわ!」

 

 ズバッと早口で言ってのけたブリンダに、リルナが面白そうににやりとした。

 

「でかしたブリンダ。今度みんなでじっくり弄ってやろう」

「おい……やめろ……!」

 

 泣き顔のまま半笑いで突っ込むプラトーに、全員が大笑いする。

 

『よかったね』

『ああ』

 

 本当によかった。彼にちゃんと帰る場所があって。

 もう戦えなくなったけれど。いや、もう戦う必要はない。

 これでやっと、彼の戦いは終わったんだ。

 

 

 ***

 

 

「ちょっと向こうへいいか。これからの大事な話があるんだ」

 

 人気のないところへリルナを連れていく。

 俺は彼女に、知り得たすべてのことをほぼ包み隠さず話した。

 彼の名誉のため、プラトーが「泣きながら」頼んできたことだけは内緒にして。

 彼女には真実を受け止めるだけの強さがあることを、俺はよく知っている。

 実際、仲間を失ったと思っていたときのことに比べれば、彼女は随分と冷静に話を聞いてくれた。

 

「まさか、わたしにそんな重大な役目があったとはな……」

「ということで、どうやら君が要らしい」

「……まったく。水臭いな。あいつも」

 

 リルナは、やれやれと小さく肩を竦めた。

 

「君にはきっと大変な思いをさせることになる」

「今さらだろう。それでナトゥラを救えるというなら、わたしはやるさ」

「俺も最後まで付き合うよ。一緒に戦おう」

 

 するとリルナは、どこか呆れたように溜め息を吐いたのだった。

 

「はあ。お前は、本当に……」

「なに?」

「いや――わたしの制作者の所だったな」

「うん。行こう。やり残した仕事を片付けに」



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A-14「ウィルと赤髪の少女」

 絶海の孤島に位置する、ルイス・バジェット研究所。

 先日まで、二千年の時を経てなお現存していたその場所は。

 宇宙へ繋がる唯一の希望は――。

 見るも無残に破壊し尽くされていた。何者かの手によって。

 

 その前で、黒のローブを着た一人の少女が、憤慨した様子で立っていた。

 歳のほどは、十代後半というところだろうか。

 茶色がかった明るい赤の長髪は、毛先にくるくるとカールがかかっている。

 何か意志を秘めた茶色の瞳は、どこか人を食ったような挑発的な印象を与える。が、さほどきつさを感じさせるものではない。

 感情豊かに振る舞う顔の全体が、むしろ人当たりの良い柔らかさすら感じさせた。

 

「あー。やっぱり滅茶苦茶になってる。まったくもう。誰の仕業かしら」

 

 赤髪の少女は、右手を前にかざした。

 

「修正をかけてあげなくちゃ。ありし日の姿を呼び起こせ。《クロルハウスト》」

 

 瞬間、魔法のほとんど使えないはずのこの世界で、世界の枠を遥かに超える絶大な魔力が解き放たれ――。

 研究所は、まったく元通りの姿に戻っていた。

 

「ついでにもう一つ。ありし日の記憶を呼び覚ませ。《クロルマンデリン》」

 

 再び絶大な魔力が行使される。

 今度の魔法は、一見何の変化も及ぼしたようには見えなかったが。

 彼女は魔法の結果に満足して、うんうんと頷いた。

 

「これでよし、と」

 

 直った建物にテコテコと歩み寄っていき、懐からペンのようなものを取り出して、研究所入口の壁の目立つところに何かを書いていく。

 書き終えると、それを見つめてしみじみと言った。

 

「ユウくん。今のあたしができるのはこれくらいだけど……あとは頑張ってね」

「女。そこで何をやっている」

「なに!?」

 

 突然生じた異様な威圧感に赤髪の少女がはっと振り返ると。

 そこには、静かに彼女を睨むウィルが立っていた。

 すると、驚くべきことに。

 彼女は、彼を警戒するでも恐れるでもなく。

 ぱあっと花のような、はつらつとした笑みを浮かべたのだった。

 

「って、なんだ。ウィルお兄さんじゃないですか。ちーっす」

「おに……」

 

 いきなりフレンドリーに話しかけられて、さしもの氷の瞳も揺らいでしまう。

 

「待て。そもそも、お前に会った記憶がないんだが」

「あたしは初めてじゃないので。まだ破壊者なんてやってたんですね」

 

 その思わせぶりなニュアンスに、ウィルは引っ掛かりを覚えた。

 

「どこまで知っている?」

「おおよその事情はすべて知ってます。前から、一言お礼が言いたくて」

「この僕に、礼だと?」

 

 すっかり虚を突かれて戸惑うウィルに面と向かって、彼女は微笑みかけた。

 

「うん。ありがとね。あなたが残してくれたもの、ばっちり使わせてもらってます」

「――ああ。なるほど。そういうことか」

 

 その言葉で、ウィルもようやく合点がいった。

 

「まさか、役に立つ日が来るとは思わなかったな」

「あなたの布石も無駄じゃなかったってことですよ」

「だと思いたいな。どうだ。宇宙の様子は」

「変わったものもあれば、変わらないものもある、かな。あんま答えになってないかもですね」

「どうやら現状維持程度はできているらしいな。ユウは――いや、やめておこう」

「――大丈夫。大丈夫ですよ。何とかなってますから」

 

 安心させるように、赤髪の少女が胸を張ってそう答えた。

 それを見て、ウィルも少し表情を和らげた。

 

「で、そこに書いてあるのはなんだ」

「あ、これは」

 

 誤魔化すように「てへ」と、彼女は舌を出した。

 

「ちょっとしたメッセージですよ」

「あまりやり過ぎるなよ」

「もちろんわかってますって。私は本来ここにいるべきじゃない人間ですから」

「それは僕もだがな」

「お互い様ってことで。勘弁して下さい。ね?」

「……ふん。まあいいだろう。しかし、あんな男のどこがいいんだか」

 

 肩を竦めたウィルに対して、彼女は真剣な目で答えた。

 

「あたしは、誰よりもユウくんを信じているんです」

「……ほう」

「何たって、あたしの救世主ですから」

「まあ、そういうことになるのか」

「そういうことです。それに、もしそうじゃなかったとしても……」

 

 赤髪の少女は、何かを想って目を瞑った。

 再び目を開けたとき、彼女の瞳には決意が満ちていた。

 

「あたし、そろそろ行かなくちゃ」

 

 彼女は、その場で膨大な『魔法式』を展開した。

 彼女を取り囲むように、大量の光の文字が浮かび上がっては消えていく。

 術式魔法。

 頭でイメージを練り、脳内発声もしくは直接発声をして発動する『宣言魔法』よりも、遥かに緻密で複雑な構成を編むことができるものだ。

 その腕前は、ウィルですら少しは関心を覚える程度のものだった。

 

「またいつか会おうね。ウィルお兄さん」

「そのいつかが来ればいいがな」

「絶対に来ます。待ってますからね」

 

 光に包まれて、赤髪の少女はその場から忽然と消えた。

 

 それからしばらくの間、ウィルはその場に立ち尽くし、物思いに耽っていた。

 

「……少しは、報われたということか」

 

 らしくもなく感傷に浸ってしまったことに、小さくかぶりを振って。

 ユウがやって来る前に、自分も姿を消すことにした。

 

 色々と予定外のことはあったが。

 もう何も手を加える必要はない。あとは勝手に事が進んでいくだろう。

 唯一、残っている後始末があるとすれば――。

 

「いいさ。僕は僕のすべきことをやるだけだ」



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62「リルナの独白」

 ディースナトゥラの後始末は、ラスラたちに任せることとして。

 ユウとリルナは、人知れず行動を開始した。

 近くにある適当な車を拝借して乗り込み、燃料が足りていることを確認してから、プラトーより聞いたルイス・バジェット研究所のある場所へ向けて走らせる。

 運転は自動操縦に任せることができたので、ユウとリルナは後部座席に隣同士座っていた。

 

 しばらく車を走らせると、陸地が切れて濁り切った海の上へと出た。

 研究所は遥か遠くにあり、まだ数時間はかかる。

 やがて、ユウがうとうとし始めた。リルナがそっと声をかける。

 

「疲れているのか」

「いや。大丈夫だ」

 

 そうは言うものの、ふらふらで明らかに限界に達している様子だった。

 

「少し休め。いざというとき戦えないぞ」

「でもリルナだって、疲れてるんじゃないのか」

「わたしは機械だからな。エネルギーも補充してある。まだまだ平気だ」

「そうか。じゃあ悪い。お言葉に甘えることにするよ」

 

 ユウは目を瞑ると、よほど疲れていたのだろう。

 五分もしないうちに、すやすやと寝息を立てていた。

 

 車は乱気流に突入する。

 振動で、ユウの身体が揺れた。自然とリルナに肩を寄せる形でもたれかかる。

 

「おっと……仕方のない奴だな」

 

 リルナはユウを横に寝かせて、自分の膝の上に乗せてやることにした。

 特別な半生体素材でできている彼女は、一般のナトゥラと違って、生身の人間とほとんど変わらない柔らかい質感の機体を持っている。

 これまではあまり快くは思っていなかったのだが、今はこれでよかったと、彼女には心からそう思える。

 ユウとほとんど同じなのだから。

 

 ユウは安らかな顔で眠っていた。

 それを見つめるうち、リルナも自然と表情が柔らかくなっていた。

 

「こんなに無防備に身を預けて。今なら簡単に殺せてしまうな」

 

 傷だらけの頬を優しく指でなぞって。ふふ、と彼女は小さく笑った。

 

 何もない穏やかな無言の時間が続く。

 こんな時間がいつまでも続けば良いのに、と彼女はそんなことを思った。

 ユウの髪を、そっと撫でつける。

 乾いた汗で少しべたべたした感触の中に、硬い砂埃が混じっていた。

 

「……ありがとう。プラトーを助けてくれて。わたしを助けてくれて」

 

 ユウからの返事はないが、彼女は構わず独白を続けた。

 

「わたし自身の役目を知ったとき。実は少し、心細かった」

 

 この身にかかる責任の重さと、遠く離れた宇宙へ孤独な戦いに赴かなければならないことを知って。

 事情を知れば、ディーレバッツの仲間たちはまず力になってくれるだろう。

 しかし、プラトーが簡単にやられたほどの相手だ。どれほどの犠牲が出てしまうのか。

 そんな心配を見越した上で、この人は言ってくれたのだ。

 

「嬉しかった。お前は、最後までわたしに付き合ってくれると言ってくれたな。当たり前のように」

 

 リルナは目を細めて、彼が自分たちやバラギオンと戦ったときのことを思い返す。

 

「本当に馬鹿な奴だよ、お前は。この世界の事情とは、何の関係もなかったのに。どこまでも自分を犠牲にして。こんなボロボロになってまで。どれほどお人好しなんだ」

 

 自分の手で斬り落としてしまった左腕を、今は機械製の義手になってしまっているそれを、彼女は愛おしむように撫でた。

 それでも彼は、決して自分を恨むことはしなかった。それどころか、ますます心を開いて自分に歩み寄ってくれた。

 辛くてどうしようもないときには、必死になって慰めてくれた。戦うときはいつも側にいて、気遣ってくれた。嬉しいときは一緒になって喜び合った。

 いつだって、本心で向き合ってくれた。

 

「結局お前は、誰一人として心ある者を無闇に殺そうとはしなかった」

 

 ただの敵だと思っていたのに。ただの甘い奴だと思っていたのに。

 いつの間にか、そんな甘い考えのままで、自分とこの星全員の運命をすっかり変えてしまおうとしている。

 本当に大した奴だ。リルナは、心からそう思う。

 だが……。

 

「お前の心を垣間見た。お前の運命が垣間見えた。お前だって、よほど寂しい旅を続けているじゃないか」

 

 心の奥に抱えた、どうしようもない寂しさを押し殺すように。

 誰かに愛されたいと願い、甘えたいと願う気持ちから目を遠ざけるように。

 普通に生きることを諦めて、あくまで心の拠り所を置かない旅人として生きることを選んだ。

 ユウもまた、人並みの弱さを抱えた一人の人間に過ぎない。

 自分と同じなのだ。何も変わらないのだ。

 むしろどちらかと言えば、誰かが支えてやらないといけないような脆さがある。

 それなのに。いや――。

 だからこそ。お前は誰かに優しくなれるのかもしれないな。

 

「そんなお前を。そんなお前だから、わたしは――」

 

 ユウの顔を、熱い眼差しで見つめて。

 リルナは目を瞑り、小さく首を横に振った。

 

「いや――これは直接言ってやるべきだな」

 

 代わりにリルナは、ユウの右手を指先からしっかりと絡めるように握った。

 

「ユウ。わたしに力を貸してくれ。お前と一緒なら、どこまでもやれる気がするんだ」



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63「ルイス・バジェット研究所」

 死ぬほど疲れていたのだろうか。よほど深く眠ってしまっていたらしい。

 起こされたときには、もう移動は終わっていた。

 

「ユウ。起きろ。着いたぞ」

「ん……リルナ……」

 

 あれ。もう、着いたのか。

  

「よく眠っていたな」

「……うん……え……?」

 

 着いたって……?

 

 段々意識がはっきりしてくる。

 なんか、頭の下が妙に柔らかいような。それに、妙に顔が近くないか。

 リルナは、上からこちらの顔を覗き込むように、穏やかな微笑みを向けていた。

 それで今、自分がどういう状態なのかをやっと察した。

 

「あ、ああ! ごめん!」

 

 すぐに跳ね起きて、勢い良く謝る。

 リルナはまったく気にしていない様子だった。むしろ楽しそうにすらしている。

 

「はは。そんなに慌てなくてもいいだろう」

 

 まだ少し落ち着かない気分のまま、車のウィンドウ越しにざっと辺りを見回す。

 そこは、真っ白な砂が広がる海岸の砂浜だった。

 砂の向こうには、信じられないことに透き通るような青い海が広がっている。

 目を見張った。

 この辺りは、もうあまり汚染されていないのか。

 今度は陸地の方に目を向けると、そこには色とりどりの植物と、群生する青々とした力強い木々が見えた。どちらもディースナトゥラの公園に生やしてあったような、気休め程度のものでは決してない。

 まるでこの世界のものとは思えないほどに綺麗な場所だった。地球の自然と比べても、勝るとも劣らない。

 本来は、こんなにも美しい星だったのだろうか。

 

 とにかく、車は既に目的地付近へ到着し、とっくの前に静止していたらしい。

 

「しまった。寝過ぎた……。途中で交代するつもりだったのに。ほんとごめん」

「ふふ。いいさ。わたしも結構リラックスできたしな」

 

 どこか嬉しそうに微笑したリルナが、このときはどういうわけなのか、まだよくはわからなかった。

 でも――。

 

『リルナとも、随分仲良くなれたような気がするな』

『そうだね』

 

「私」は、どこか思わせぶりな様子で微笑んでいる。

 こういう時の彼女は、何かを腹に隠していると相場が決まっていた。

 一応主である自分なら強引に彼女の心を読み取ることもできるけど、そういうことはしないと心に誓っている。あくまで立場はずっと対等でいたいから。

 だから俺は、「私」に尋ねた。

 

『どうした?』

『ううん。何でもないよ。でも、このくらいは言っておこうかな』

『うん』

『いい? いつだって、あなたはあなたの思うようにすればいいんだよ』

『……そうだね』

 

 やっぱり、自分のことは「自分」が一番良く分かっているのかもしれないな。

 

 ――正直過ぎるほどに。

 

 

 ***

 

 

 ルイス・バジェット研究所は、車を停めた砂浜から急ぎ歩きで五分ほどのところにあった。

 人体実験の道具や拷問器具が並んでいたトール・ギエフ魔法研究所。変な発明品だらけのミックラボ。

 正直、研究所というものにあまりろくな思い出がないので、果たしてどんなところだろうかと身構えていたのだが……。特にルイスはかなりの変人だったと聞いているし。

 見た目はなんということはない。これと言って特に目立った特徴もない、ごく普通の白い角状の建物だった。それこそ外観だけなら、地球にもいくらでもあるようなものだ。

 問題は中身だけど。

 リルナが、何かに気付いたように指差した。

 

「ん? あそこの壁に何か書いてあるようだ」

 

 正面入り口横の壁に何かを見つけた彼女は、足を速めてそこへ歩み寄っていく。

 

「見たこともない文字だな」

「どれどれ」

 

 すぐに追いついて、眉をひそめたまま壁と睨めっこしている彼女の後ろから覗き込んだ。

 フェバルの自動翻訳能力を持っている俺に読めないものはない。こういうときこそ出番だった。

 書かれている文字が目に入ってきた途端――。

 

「え!? これは……!」

 

 あまりのことに、目が釘漬けになってしまった。

 リルナが読めなかったのも無理はない。

 なぜなら、そこに書いてあったのは――。

 

 間違いない。日本語だ!

 なぜ!? どうして、こんなところに!?

 

 何が何だかさっぱりわけがわからなかった。

 それでも、一つだけわかることがある。

 何かの偶然ということは絶対にあり得ない。これを書いた者は、俺がここに来ることを予め知っていて、俺にしかわからないメッセージをわざわざ残していったのだ。

 だが、一体誰がこんなものを? 少なくとも、俺の出身地を知ってる奴ってことになるけど……。

 

 壁には、こんな内容が上から順番に書かれていた。

 

『建物壊れてたので直しておきました

 ユウくん ファイトだよ

 いつか会える日を楽しみに待ってるからね!

 親愛なるA.OZより』

 

「A.OZ……?」

「お前の知り合いか?」

 

 リルナが尋ねる。無意識に小声で読み上げていたらしい。

 

「いや。わからないけど……」

 

 ピンク色の文字で書かれていること。丸っこい可愛らしい字体と言葉遣いから、女性が書いたものだろうかと推測する。

 少なくともウィルやレンクスではなさそうな雰囲気だ。大体、あいつらが書きそうな内容じゃない。

 

「どうやら応援してくれてるみたいだ」

 

 親しげな文章からするに、裏がないのなら俺に好意を持ってくれている人物だろう。

 でも、俺をわざわざ君付けで呼ぶのって……。アスティくらいしか思い浮かばないんだけど。

 まさかそんなわけはないしなあ。ディースナトゥラで別れてきたばかりだし。

 

「建物を直したとか言っていたな。確かに、まったく時の流れを感じさせない外観だが……」

 

 言われてみれば。

 研究所は、驚くべきほど姿をそのまま留めていた。同じ二千年前のものでも、旧文明の首都エストレイルなんて、核の雪に埋もれてしまって影も形も残っていないのに。

 プラトーによれば、少なくともリルナを見つけた二十年前までは現存していたのは確かだけど。としても、これほど綺麗な状態ではあり得なかっただろう。

 

「とりあえず入ってみようか」

「ああ」

 

 意を決して一歩足を踏み入れてみると、ますます驚いた。

 まず自動で、エントランスの照明がぱっと付いたのだ。

 周りの白い壁にも天上にも、傷一つすらなかった。足元を見れば、ピカピカに磨かれた床が、靴の姿を鑑のように反射している。

 まるで新築同然だ。さすがにこれは、自然の状態では決してあり得ない。

 

「お前といると、本当にとんでもないことばかり起こるな」

 

 リルナは頭が痛そうに右手で額を押さえている。かなり呆れているようだった。

 

「何でも俺のせいにしないでくれよ。俺だって、何がなんだか」

 

 いや、A.OZなる人物が俺のために協力したのなら、やっぱり俺のせいなのだろうか。

 いやいや。そんなことはないだろう。

 

「とにかく、これは好都合なんじゃないか。宇宙船の故障の心配とかはなさそうだぞ」

「そう考えるしかないようだな……。よし。手分けして色々探してみよう」

 

 もしかしたら、物質消滅兵器を攻略する手がかりがどこかにあるかもしれない。

 この世界の旧人類だって、負けたとはいえ、バラギオンと戦ったはずなのだから。

 

 案内を見ると、研究所は三階建ての広い造りになっていた。

 まずは一階から順に探し始める。

 中に入っても、特にこれと言って変わったことはなかった。心配は杞憂に終わったようだ。

 物が多いため、捜索にはそれなりに時間がかかったが、様々なものを発見することができた。

 ナトゥラの製造資料であったり、ディー計画関連の資料であったり。

 大まかには既に知っていることではあったが、知らない詳細な事実もいくつか出てきた。

 だが、肝心の手がかりはまだ見つかっていなかった。

 もしかしたらないのかもしれないが、無策のままで挑むよりは可能性を探したい。

 

 次は二階か。メインである第一研究室と第二研究室がある所だな。

 

 階段に向かった、そのとき――。

 

 まさか。

 

 目に映ったものに、自分の目を疑った。

 

 何かの見間違いじゃないのか?

 

 理性ではそう思っていても。

 気付けば足は逸り、駆け出していた。

 

 階段を上り切ると、今度こそ間違いなく後ろ姿を認めた。

 肩のところまで伸びた滑らかな黒髪。一目で鍛え上げられていることがわかる、しなやかで健康的な体格。

 あの懐かしい雰囲気は。あの懐かしい匂いは。

 

 俺は、目に涙が浮かんでくるのを抑えられなかった。

 

 忘れようもない。忘れられるはずがない。

 

 どうして。

 どうして、こんなところにいるんだ。

 絶対にいるはずがないのに。

 もう死んでしまったはずなのに。

 

 何も言わずどんどん先へ歩いていく後ろ姿に、俺は涙声で呼びかけた。

 

「母さん……!」



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64「その記憶は時を超えて」

 母さんは呼びかけにも反応せず、すたすたと通路の奥へ進んでいってしまう。

 

「待って! 母さん!」

 

 一向に振り返ってくれない母さんを、必死の思いで追いかける。

 

「母さん! 俺だよ……ユウだよ!」

 

 だが後ろから肩を掴もうとしたとき、手がすり抜けてしまった。

 

 幻……!?

 

 ふと、我に返った瞬間だった。

 そう言えば。母さんから気が一切感じられない。

 じゃあ、これは……!?

 

 戸惑うまま、目に浮かんだ涙を拭って母さんの横に回り込む。

 こんなに近くに来ても、母さんは相変わらず俺に気付いた様子はない。

 顔を覗き込むと、もう間違いなかった。

 力強くて優しい目は、真っ直ぐに前を見据えている。

 

 母さんだ。やっぱり母さんだ……!

 

 胸が締め付けられそうになる。また涙が滲んできて、顔がよく見えない。

 

「ねえ、母さん……」

 

 前に回り込んで、祈るように左手を伸ばす。

 その場に押し留めようとしても、母さんは俺の身体をすり抜けてしまった。

 ああ。やっぱりこれは幻なんだ……。

 母さんは、やはりもういない。厳然たる事実を、再度突きつけられたようだった。

 それでも――何の奇跡だろう。

 またこうして姿を見られたことが、本当に嬉しくて。心を温かいものが満たしていく。

 A.OZなる人物の仕業だろうか。他に思い当たる節はない。

 見ず知らずの人物に、そうでなくても、これを起こした奇跡に。

 俺は心から感謝したい思いだった。

 

『母さんだね』

『うん……』

 

「私」も胸が一杯で、言葉が出て来ない様子だ。

 声をかけても反応がないことはよくわかったので、せめてもと横並びで歩く。 

 よく見ると、俺の知っている母さんよりも少し若いように思えた。もう大人には違いないだろうけど、ちょうど今の俺と似たような歳の感じがする。

 母さんの幻は、通路の途中にある部屋のドアをすり抜けていった。

 ドアに付いたプレートには、第一研究室と書かれている。

 もちろんすぐに追いかけて、俺も部屋の中へ入った。

 

『よ。久しぶり』

 

 母さんの幻が、そこで初めて声を発した。

 懐かしい声。温かくて透き通るような声だ。

 呼びかけられて振り返ったのは、白衣を着た黒髪の若い男だった。

 彼は資料が並んだ研究デスクに座っていた。

 若干面長の顔つきは穏やかで、優男のような印象を受ける。ぼさぼさの髪には寝癖が付いたままで、薄く無精ひげが生えていた。

 母さんから聞いていただらしない特徴から、きっとルイス・バジェットなる人物だろうと判断する。

 

 ならこれは、過去の光景が現れているのか……?

 

 男は、ぱっと顔を明るくして立ち上がった。

 

『やあ! 久しぶりだな! ユナ!』

 

 男は母さんに歩み寄って来る。

 母さんは辺りの物が散らかった様子を見回して、小さく嘆息した。

 

『あんたも相変わらずねえ。ちゃんと物食ってる?』

『三食とも冷食完備だ。問題ない』

『だろうと思った。どれ。今日くらい私が少し腕を振るってやろうか?』

『いや。遠慮しときます』

 

 即答だった。

 はは。母さんの料理は恐ろしくまずいことで有名だからな。

 なんだか、すべてが懐かしく思えてくる。

 

『ルイス。人の親切は素直に受け取っとくもんだぞ』

『いやあ、実はついさっき食べたばかりでさ! すまないね!』

『そうか? ならいいんだけど』

『それで。今日はどんな用件でこんなところまで?』

 

 母さんの目つきが、すっと真剣なものに変わる。

 

『今日来たのは、あれからちょっと様子が気になってるついでだ。あの内乱以来、どうもきな臭い空気が漂ってるみたいね』

『ああ。この世界は問題が山積みさ。人々も活気がなくて……どうしようもない閉塞感で満ちている』

『そうねえ。何とかしてやりたいけど……こればっかりは魔法のような解決策ってないからね。それに、よそ者の私がでかい顔で口を挟むような問題でもないだろうしさ』

 

 母さんが仕方なさそうに肩を竦めた。ルイスも頷く。

 

『この世界のことは、この世界の人間で解決しなくちゃね。どうしようもない危機から救ってくれただけでも感謝してるよ』

『礼なら今度レンクスに言ってやりなよ。あいつの力がなきゃどうしようもなかったし。まあ頼りにしてばっかりってのも癪だから、私も少しは力になったけど』

『二人の力のおかげさ。そう言えば、レンクスは来ていないんだな』

『あいつは流れ者だからな。またどこかでだらしない生活でも送ってんじゃないの?』

 

 母さんが楽しそうに笑うのにつられて、ルイスも笑った。

 二人とも、本当に仲が良さそうだ。こんな風な付き合いをしてたんだな。

 

『あんたも人のこと笑えないけどな。少しは身体に気を付けなよ』

『はは。肝に銘じておく』

 

 そのとき、後ろからリルナの声がかかった。

 

「どうした? ユウ」

 

 俺は無言で前を指差した。

 すぐに俺の隣までやって来た彼女にもきちんと見えているのか、目を見張った。

 

「俺の母さんとね。君の製作者のルイスって人の幻。たぶん昔あったことが、そのまま再生されてるんだと思う」

「どういうわけだ」

「さあ。わからないけど」

 

 俺とリルナは立ち尽くしたまま、二人のやり取りを見つめる。

 

「お前の母親、女のお前にそっくりだな。お前にも目が似ている」

「そりゃ親子だからね。俺たちが似たんだよ」

 

『にしても、こんな辺鄙な所にデンと立派なもの建てちゃって。来るの面倒だったじゃん』

『はは。悪いね。しばらくは研究に専念できる環境が欲しくて』

『まあ世間嫌いのあんたらしいっちゃあんたらしいけど。たまには外で日を浴びないと身体壊すわよ~』

『うっ。さっきから耳が痛いな』

『私にあんまり心配させるなっつうの――で、そこまでして。何を造っているのかしら』

 

 母さんが目を細めて鋭く指摘すると、ルイスは頭の後ろに手を当ててまいったなと笑う。

 彼は観念したように答えた。

 

『ナトゥラ。人の心を持つ家庭用ロボットだよ』

 

 ナトゥラ。やっぱり彼が設計者なんだな。

 彼は本来、家庭用ロボットとしての用途を企図していた。歴史文書の記述にも合う。

 

『ふーん。ロボットねえ』

 

 彼は研究机に母さんを招き寄せて、そこに図面を広げてみせた。

 俺たちも幻の二人に近寄って、その図面を横から眺めさせてもらった。

 ナトゥラの設計図のようだ。

 

「わたしに似ている……」

 

 リルナがぽつりとそう呟く。

 確かに図面には、彼女によく似た女性の姿が描かれていた。プロトタイプといったところだろうか。

 

『少子化の問題が、これで少しでもマシになればと。そう思っているよ』

『随分ご立派なことを考えるものね。ロボットに何ができるのって思っちゃうけど』

『そうなんだよなー』

 

 難色を示した母さんにルイスが同意を示して、困った笑いを浮かべた。

 

『一体どうやったらロボットに人の心が備わるのか。ただのプログラムが、果たしてどこから心を持ったと言えるのか。中々に難しい問題だよ』

 

 そう言うと、彼は人前にも関わらず顎に手を当てて、深刻な顔で考え込み始めてしまった。

 そんな彼を母さんは少しの間黙って眺めていたが、見かねたのだろう。

 彼の肩にぽんと手を置いて、にこっと得意な微笑みを浮かべた。

 母さんが人を慰めるときによくやる手だった。小さかった俺も、それで何度も慰められたことがある。

 

『難しく考えるのね。そんなの、案外単純なもんよ』

『そうかな』

『愛が持てるなら、それは心があるってことでいいんじゃない?』

『――へえ。意外とロマンチストなんだね。君って』

『あら。私がそうだと悪いって言うの?』

『いやいや。そんなことはないさ』

 

 今度は愛が何なのかって考えると、キリがないような気もするけれど。

 とにかくルイスは、それで悩みが吹っ切れたようだった。明るい顔で意気込む。

 

『よし。今度自立学習機能を付けてみよう。人の愛を学べるようにね』

『ま、無理しない程度に頑張りなよ』

『ああ。それと、君にはいつかちゃんとお礼がしたい。またぜひ来てくれよ』

『考えとくわ。私も最近忙しいからね』

 

 そこで、二人の幻がしゅんと消え去ってしまった。

 と思ったら、次の瞬間には、ルイス一人だけが同じ部屋の違う場所に現れた。

 どうやら場面が切り替わったらしい。

 彼は研究机からは離れて、広めのスペースの方で何かをしている。

 そこには彼の他に、もう一つ立っている者があった。

 その姿をはっきりと捉えたとき、俺ははっとなった。

 

「わたしだ……わたしがいるぞ……!」

 

 リルナが、驚いた声を上げる。

 

 そしてまたそこに、母さんが現れた――今度は、お腹を膨らませた姿で。



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65「ユナとルイスと、ユウとリルナ」

 まさか、そこにいるのは――。

 

『よっす。また来てやったぞ』

『おお! ユナか! って、そのお腹、どうしたんだい!?』

 

 驚くルイスに、マタニティを着た母さんは得意気に胸を張って答えた。

 

『妊娠八か月ってところだ』

『へえ。そうか八か月なのか――って、ええーっ!? 君、まさか結婚したのかい!?』

 

 ルイスは目をまん丸くして、天と地がひっくり返ったように仰天していた。

 

『そうよ。そんなに驚くことか?』

『いやあ。だってまさか、あの君がねえ……』

『あのな。あんたの中で私は一体どういう認識なわけ』

『凶悪破壊女。バーサーカー。生まれた種族性別を間違えた人』

『おいこら。もういっぺん言ってみろ』

 

 怖い笑顔で腰の銃に手をかけた母さんに、ルイスは頬を引き攣らせて半笑いしながら、控えめに後ずさった。

 このやり取りが可笑しかったのか、隣でリルナがくすくすと笑っている。

 

『ま、まあとにかく、おめでとう』

『ありがと』

 

 あっさり溜飲を下げた母さんは、何事もなかったようにけろっとした顔で手を元の位置に戻す。

 うわあ。家庭でいきなり銃を持ち出す母さんは、ここでも相変わらずだったのか。

 というか、俺の知ってる母さんよりもさらに凄みが効いてるような気がする。

 母さん、あれでも丸くなってたんだなあ。

 

「ふふ。随分楽しそうな仲だったんだな」

「ほんとにね」

 

 これから決戦に向かおうってときに、なんてもの見せてくれるんだか。

 まったく。おかげで嫌な緊張が解れたよ。

 

「あそこに生まれる前のお前がいるわけか」

 

 リルナが、丸く膨らんだ母さんのお腹を指差した。

 俺は頷いてから、“彼女”の方を指差す。

 

「で、あっちには君がいると」

 

 ルイスの隣に控えている方の“リルナ”は、既に今とほとんど変わらない見た目をしているが、装備は幾分簡素に見えた。

 

「どっちもまだはっきりと意識はないみたいだけど」

 

“彼女”は感情のない顔を張り付けてただそこに黙っているだけで、どこまでも機械的な印象を受ける。

 まだとても心を持っているようには見えない。

 

「わたしとお前は、妙なところで縁があったようだな」

 

 リルナがどこか嬉しそうにそう言ったので、俺も自然と微笑み返していた。

 

「そうみたいだ」

 

 ルイスと母さんは、相変わらず楽しそうに話し続けている。

 

『しかし、君の旦那さんを務めるなんて、どんな化け物なんだい?』

『化け物ってねえ。普通の人よ』

『意外だなあ。もしこういうことがあるなら、てっきりレンクス辺りとくっつくのかと思っていたのに』

 

 すると、母さんはほんの少しだけ困ったように視線を泳がせてから――きっと心のどこかでは迷ってたんだと思う――くつくつと笑った。

 

『あいつはねえ。やるときはやるんだけど、基本意気地も甲斐性もなしのダメ人間だから。それにやっぱ、そういうんじゃないのよ。親友って感じで』

『はは。散々な言いようだね。けど、正直僕もそんな気がしてたよ。あーあ。あいつ、取られちゃったかー』

『ま、告白する度胸もないのが悪い』

『こればっかりは仕方ないね。それで、旦那さんとはどうやって?』

『仕事の折りに偶然ね。どうも一目惚れだったみたいで、何度もしつこく言い寄られちゃって。負けたわ』

 

 のろける母さんは、本当に幸せそうで。父さんの隣で笑っている姿と重なって見えた。

 

『おお、これは惚れた女の顔だぞ……。ああ、ユナもとうとう女になってしまったんだなあ……』

『なにしみじみと気持ち悪いこと言ってんのよ』

 

 母さんが、ルイスの頭をゴンと小突く。

 流れるような突っ込みに、俺もリルナも軽く笑った。

 ルイスはちょっとだけ痛そうに頭を押さえていたが、すぐに気を取り直して言った。

 

『そうそう。君に紹介したいものがあるんだよ』

『隣のそいつか?』

『そうさ。おい、リルナ』

 

 すると、初めて“彼女”が明確な反応を見せた。

 

『はい。マスター。ご用件はなんでしょう』

 

 凛としたよく通る女性の声。間違いなく、俺のよく知るリルナの声だった。

 でも、なんかちょっと感じが変だ。どこか片言のようだし。それに。

 

「はは。リルナがマスターとか言ってるぞ」

「う……」

 

 今の方のリルナが、恥ずかしそうにやや顔を背ける。

 

「なんだかこう……妙に恥ずかしい気分になってくるな。昔の自分というのは」

 

 小さい頃のアルバムを人前で開いているようなものだからね。まあわかるよ。

 

『リルナって言うのね』

『そうなんだ。試作機じゃ味気ないだろう。名前は適当だけど、もっともらしい意味は後で考えるさ』

 

 あ。あの意味って後付けだったんだ。意外な真実。

 

『そら。挨拶してみろ』

 

 “リルナ”は、たどたどしい様子で頭を下げてから、口を開いた。

 

『はじめまして。ユナさん。わたしはリルナと申します』

『ま、こんな具合さ』

『へえ。中々頑張ってるじゃん』

 

 母さんは、“彼女”の頭を撫でてやっていた。

 

『まあね。とは言っても、ご覧の通りまだまだ発展途上でね。ようやく少し人間らしい形にはなってきたんだけど……』

 

 まだまだ課題がたくさんあるのだろう。

 ルイスは、やれやれとお手上げのポーズをした。

 

『それで。いつかこの子が完成したら、君に贈ろうと思っていてね』

 

 驚いて、リルナの顔を見た。

 彼女も同じ反応をして、目と目が合う。

 母さんも、驚いたようだった。

 

『いいの? 大事なものだろうに』

『前に言ってたお礼だよ。この子だけ特別製なんだ』

『お礼なんていいって』

『そう言うなって。本当に感謝してるんだ』

 

 真摯に母さんの目を見つめてそう言ったルイスは、“リルナ”の肩に手を乗せて続けた。

 

『リルナは、いつか地球で暮らすことを考えて、最上級の半生体素材で作ってある』

『ふうん――って、ほんとだ。本物の人間みたい』

 

 リルナの腕に触れて、母さんはすっかり感心している。

 

『ふふん。それだけではないよ。リルナはね。本物の女の子と比べても寸分たりとも遜色のないよう、柔らかさ、肌の質、髪質、匂い、果てはちょめちょめまで、細部まで徹底的にこだわり抜いた至高の一品なのだ!』

 

 最後は鼻息も荒く声高に言い切ったルイスを見て、俺はなぜ彼がどうしようもない変人と言われていたかを完全に理解した。

 母さんが、汚い豚を見るような目を彼に向けた。

 

『うわ。最悪。すっごい引いたわ。このド変態』

『果てなき探求心と呼んでもらおうか!』

 

 ……恐る恐る、リルナに視線を向けると。

 彼女はその場から消えてしまいそうなほど肩を小さくして、死ぬほど恥ずかしそうに俯いていた。

 あまり見ない方がいいだろう。

 

『こほん。真面目な話もするとね。モジュール機能により、必要に応じて性能をどんどん拡張できるようになっているんだ。君の戦いのサポートのために、戦闘に必要な機能はもちろん最初からすべて付けてあるけどね』

 

 ルイスは、得意顔で“リルナ”に指示を出した。

 

『リルナ。あそこの装置に向かって《セルファノン》を撃ってみてくれ。10%でいいぞ』

『了解しました』

 

 彼女が向いた方向には、真ん中に大きな穴が空いている四角い箱状の機械装置があった。

 その穴へ向けて、“リルナ”は右手を突き出す。右手は変形し、砲身へと変わる。

 その様子を、母さんは腕組みした状態で眺めていた。

 “リルナ”が、冷たい機械的な音声を発していく。何度も聞いたことのある流れで。

 

『ターゲットロックオン。エネルギー充填10%。《セルファノン》――発射』

 

 目を見張るような輝きをもって、水色の光線が発射された。

 

『ほう』

 

 それは真っ直ぐ狙った穴の中へと吸い込まれていき――入ったところから、綺麗さっぱり消えてしまった。

 母さんが、パチパチと軽く拍手を叩く。

 

『中々のものね』

 

《セルファノン》もそうだけど、それを打ち消したあの装置もすごいな。

 

『そうだろ?』

 

 嬉しそうに鼻をさする彼に。

 しかし母さんは、当然浮かび上がってくるはずの疑問をしっかり指摘してくれたのだった。

 

『でもさ。何も言わずにいきなり撃った方が当てやすいんじゃないの?』

『趣味だ』

 

 キリッとした顔で、ルイスはそう言い切った。

 母さんも呆気に取られている。

 

『は?』

『だって、せっかくの必殺技だよ!? 目立った方がカッコいいじゃないか!』

 

「こ、この男……! 殺す!」

 

 リルナが身を乗り出して、いきなり幻に殴りかかろうとしたので、俺は慌てて肩を掴んで止めた。

 

「いや。この人、もう死んでるから。ね?」

「くっ。こんな下らない理由で……わたしは、一々あんな宣言をさせられていたのか! すごく恥ずかしかったんだぞ!」

 

「涙目」になって、リルナは今は亡き製作者に積年の憤りをぶつける。

 まあ気持ちはよくわかる。あれ、聞いてるこっちの方が少し恥ずかしかったからな。

 俺も技に集中するために名前を付けてこっそり呼んだりとかしてるけど、基本脳内発声だし。

 本当に同情するよ。うん。

 

『あんたらしいけどさあ……いざちゃんと心を持ったときに、この子が困らないかい?』

 

 その通りだよ母さん。もっと言ってやってくれ。

 

『そこは安心してくれ。右の乳首を五秒間に強く三回押してもらうと、この機能は止まる仕組みになっている』

 

 なんでそこなんだよ。

『なんでそこなんだよ』

 

 突っ込みが親子で見事にハモった。

 

『ボタンっぽいから』

 

 ルイスは、真顔でそう答えた。

 

「な……な……!」

 

 あまりにもあんまりなことを言われてしまったリルナは……。

 ああ、ダメだ。オーバーヒートしてしまったらしい。

 世の中には知らない方が良い真実もあるということだな。あまりにも下らない。

 

 母さんは、深く溜め息を吐いた。

 

『あんたってほんとどうしようもないわ。レンクスもそうだけど。はあ……。どうしてウチの知り合いはこんなのばっかりなのかねえ』

『君だって人のこと言えないんじゃないのか。ほら、類友って――』

『ほう。私がいつまともじゃないときがあったのか、じっくり教えてもらいたいんだけど』

 

 指をパキパキと鳴らしながら詰め寄る母さんに、ルイスはたじたじになって愛想笑いを浮かべるしかなかった。

 

『は、はは。冗談だよ。冗談』

 

 とそこで、ルイスは思い出したように言った。

 

『そうそう。あとね。リルナは、家事なら何でも完璧にこなしてくれるんだ。君はそういうの、苦手だろ?』

『へえ。そいつは助かるわね』

『うん。だろ。だろ? 他にも、君の生体情報を参考にして、君の波長に合わせて行動できるように色々と調整している』

 

 ルイスは、楽しそうにべらべらとリルナの開発秘話をまくし立てていく。

 母さんも少し呆れながら耳を傾けて、まんざらでもなさそうに笑っていた。

 

『ほんとこだわるよね。あんたって』

『性分だからね。とまあ、機能面の方はもうほとんど完成してるんだけど……』

 

 彼は、そこで力なく肩を落とした。

 

『後は、心さえどうにかなればなあ。これがやっぱり一番難しいんだ』

『まあそうだろうねえ』

『でもまだまだこれからさ。時間をかけてゆっくり頑張るよ』

『うん。応援してる』

 

 

『お腹……』

 

 

 それは、本当に突然のことだった。

“彼女”が初めて自ら言葉を発したのである。

 

 ルイスが、ぽかんと口を開けた。何が起こったのかわからないという感じで。

 間もなく理解した瞬間には、子供のようにはしゃぎ出していた。

 

『お、おお! 信じられない! リルナが自分の意志で!』

 

 無邪気に喜ぶ彼の横で。

 母さんは“リルナ”に語りかけた。

 

『ん。気になるか?』

 

 こくん、と静かに“リルナ”が頷く。

 母さんも、穏やかに微笑んだ。

 

『触ってみるか?』

 

 母さんは“彼女”の右手を導いて、大きく膨らんだお腹にそっと触れさせた。

 そのとき、“彼女”に――。

 虚ろだった“リルナ”の瞳に、意志の光が宿ったような気がした。

 

『……温かい、ですね』

『そうよ。新しい命が入っているんだもの』

 

「……わたしたちは、とっくの昔に巡り合っていたんだな」

「……うん」

 

 二千年以上もの時を超えて。

 俺たちは、二人が初めて「出会った」瞬間を、温かい気持ちで見届けていた。



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66「星海 ユウという名前」

 やがて母さんは、少し言いにくそうに切り出した。

 

『実はね。今日はお別れを言いに来たのよ』

 

 そして、名残惜しそうな顔で続ける。

 

『悪いけど、しばらく異世界からは引退だ――この子がいるからな』

 

 優しげに目を細めて、母さんはお腹をさすった。

 そうだったんだ。

 母さんが異世界に行くのを止めたのって、俺のためだったのか……。

 

『そうか……。寂しくなるね』

『そうね』

 

 しんみりとした空気が漂う。

 静寂を破って、母さんが口を開いた。

 

『もう色々と挨拶回りは済ませてきた。ここが最後だ。一番気がかりなのは、やっぱりこの世界だった』

『すまないね。心配をかけて』

『本当は、もう少しくらい面倒見てやりたかったんだけどね。地球でも色々あってさ。子育てしながらじゃ、さすがに手が回りそうもない』

 

 母さんは、腰に取り付けたホルスターに手をかけた。 

 

『だから、私の代わりってわけじゃないけど』

 

 そこから、無骨でシンプルな造りのハンドガンを取り出す。

 一見何の変哲もないそれが、ただの銃でないことは。

 ルイスのぎょっと驚いた反応から、すぐに読み取れた。

 

『それは……! 君の大切なものじゃないか!?』

『いいのよ。私の暮らす世界じゃ、こんなものは役に立たないからな』

 

 私自身の腕さえあればそれで十分、と母さんは胸を張った。

 

『こいつをあんたに託しておく。もし必要になったとき、然るべき相手に渡してやってくれ』

 

 母さんが本当に物を頼むときの真剣な目で、ルイスに告げた。

 ルイスも意を汲んだのだろう。余計なことは言わず、丁重にそれを受け取った。

 

『ああ。わかった。目の届くところに、大切に保管しておくよ』

 

 彼はすぐに研究室の壁際へと向かった。

 そこには大きめの棚があって、彼は棚から何やら黒い蓋つきの箱を取り出した。

 箱の蓋を開けて、母さんから託された銃を丁寧にしまい込む。

 しっかりと収めると、蓋を締めて箱は元の場所に戻した。 

 よく見てみれば――今も、その黒い箱はそこにしっかりとあった。

 

『これで用も済んだな。じゃあ、名残惜しいけど。そろそろ行くことにするわ』

『向こうでもちゃんと幸せにやれよ』

『もちろん。なに、この子が少し大きくなったら、今度は一緒に連れて来てやるさ』

 

 ――それは、結局叶わなかった。

 

 先を知っている俺からすれば、この別れがどうしようもなく寂しいことのように思えた。

 

『そう言えば。性別はどっちなんだい?』

『あえて聞いてない』

『それはまたどうして?』

 

 母さんは、にっと笑った。楽しみで仕方がないというように。

 

『産まれたときに初めて会いたいからな』

 

 母さん……。

 胸が熱くなる。

 

『でも、名前とか色々困らないか? 僕ならすぐに調べちゃうけどな』

『名前なら、もう決めてる』

 

 お腹にそっと手を当てて。

 中にいる俺に言って聞かせるように、母さんは穏やかな口調で言った。

 

『男の子でも女の子でも、ユウだ。優しい子に育つようにってね』

 

 不意に、目に熱いものが込み上げてきた。

 

『ユウか……いいじゃないか。とても素敵な名前だと思うよ』

『だろ? 旦那と話し合って決めたんだ』

 

 明るく笑った母さんは、お腹の中の俺に、優しい声で語りかける。

 

『ユウ。私もシュウも、お前に会える日を楽しみに待ってるからな。ちゃんと元気で出て来るんだよ』

 

 ぽろぽろと、次から次へと涙がこぼれ出てきて。

 止めることができなかった。

 

 俺……。

 

 母さんと父さんの子供でよかった。本当によかった。

 

 ――今まで、色んなことがあってさ。

 

 話したいことが、たくさんあるんだ。

 

 泣き虫は、少しは直したつもりだったけど……ちっとも直ってなかったよ。

 

 母さんも父さんもいない一人きりの夜は、とても寂しかったけど。もう平気だよ。

 あれから、たくさんの人と出会って。友達も、いっぱいできたんだ。

 だから。もう大丈夫。

 俺、母さんと父さんの望んだ通りになれてるか、わからないけど。

 何とかやってるよ。ちゃんと元気にやってるよ。

 

 静かに涙を流す俺の頭に、温かい手が触れた。

 そのまま、手は優しく頭を撫でてくれる。

 振り向くと、リルナは何も言わずにただ微笑んで、いいんだと首を横に振った。

 

 母さんの幻が、ルイスの研究室を去っていく。消えていく。

 袖で涙を拭って。

 俺はその後ろ姿を、最後まで目に焼き付けた。

 

 ねえ。母さん。

 今から、また戦いがあるんだ。

 母さんがやり残した仕事が。

 きっとこれからも心配させるようなこと、たくさんするだろうけど。

 俺、頑張るから。しっかりやっていくから。

 どうか、見守っていて下さい。



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67「そして想いは託された」

 母さんがいなくなって。

 だが、まだ当時の記憶は終わりではなかった。

 一人残されたルイスは、母さんの銃を入れた黒い小箱をしばらく見つめて。

 決然とした瞳で呟いた。

 

『……ユナは、ああ言っていたけれど。あれはいずれ、またあいつが来たときに返してやろう。あんなものが使われることのない世の中を目指すのが、僕らこの世界に暮らす者たちの課題なんだ』

 

 そして、側に控える“リルナ”に穏やかに声をかける。

 

『おいで。リルナ。ナトゥラの研究を続けよう』

 

 そこで、再び場面が飛んだらしい。

 

 ルイスは、相変わらず研究室に篭っているようだ。

 ひどい猫背で、机に向かって組み付くように取り組んでいた。

 近寄ってみると。

 顔には、よほど苦労を重ねてきたのだろうか。額にいくつか消えないしわが刻まれていた。

 所々混じった白髪が、かなりの年月の経過を感じさせる。

 そのうち彼は、ふーっと一息を吐いて、独り言ちた。

 その顔はどこか満足そうだった。

 

『あれから、もう二十年になるのか。ようやくナトゥラが、一般の家庭にも出回り始めたよ。類似品でホムンクルスを造ろうって、そんな神をも恐れぬ企画も上がっているな』

 

 彼は、ふと右の方へ視線を向ける。

 彼の視線を追うと――。

 奥には、“リルナ”がいた。

“彼女”は、部屋の端の方にある透明なケースの中に、厳重に保管されていた。

 もうほとんど現在の姿になっている。

 ただ少し違うのは、鎧のような兵装には身を包んでいないこと。そして手足の先も、戦闘用の白銀素材ではなく、まったく人の見た目と同じ半生体素材であることだった。

 ルイスは、そんな“彼女”に親のような温かい眼差しを向けていた。

 

『リルナ。もう一度君を動かすのは、ユナとユウにお披露目するときだな』

 

「もうわたしは、完成していたのか……」

 

 リルナが、かつての自分を複雑な表情で見つめている。

 ルイスは、やれやれと肩を竦めた。

 

『まったく。あれから、ちっとも会いに来ないんだからな。元気でやってるといいんだけど……』

 

 ルイスには事情を知る由もないのだ。

 おそらく母さんが、もうこの世にはいないことを。

 何も知らない彼が、それでも再会の希望をもって母さんの身を案じているのだと思うと。

 ひどくいたたまれない気持ちになる。

 

『まあいいさ。僕は僕にできることをして、いつでも待っているよ。さあ、研究を続けよう。エネルギー問題の方は、まだまだ課題が山積みだ』

 

 また、時間が飛んだ。

 

 今度のルイスは、ひどくやつれていた。

 研究机は、物を置く場所もないほどひどく散乱していて。床も散らかり放題になっている。

 彼の右手には、酒びんがあった。

 

『……結局、止められなかった。また戦争が始まってしまったよ』

 

 顔を赤らめた彼は、くそ、と力任せに机を叩きつける。

 希望に燃えていたのが嘘のように、すっかり虚ろになってしまった瞳は、どうしようもなく悲しみに暮れていた。

 

『僕は、本当に無力だな。結局、何にもできやしない……! せっかく作り上げたナトゥラも、戦争の道具として利用されてしまった……」

 

 物言わぬ“リルナ”の方を見つめて。

 彼は、いやいやと首を横に振った。

 

『たった一機で、何になると言うんだ……』

 

 見ているのが怖いほどの勢いで、ひたすらやけ酒を煽っていく。

 そのうち、彼は力なく机に突っ伏して。消え入るような声で、弱音を漏らした。

 

『なあ。お前たちなら、どうしたんだろうな……』

 

 母さんの銃が入った黒い箱を、茫然と見つめる。

 その目からは、涙が流れ落ちていた。

 

『ユナ……レンクス……。もう一度。お前たちに、会いたいよ……』

 

「「ルイス……」」

 

 彼を案ずる声が、重なった。

 もうこれは起きてしまったことだとわかっていても。助けようもないことがわかっていても。

 あまりに痛々しくて、とても見ていられなかった。

 

 それから、さらに月日が流れた。

 

 すっかり白髪になってしまった老人のルイスが、そこにいた。

 並々ならぬ苦労をしてきたに違いない。長い年月を重ねた深いしわが、ありありと顔中の至る所に刻み込まれていた。

 無情な月日の経過を目の前に突きつけられて。ますます心苦しい思いが込み上げてくる。

 ルイスは。彼は、こんなになるまで。待ち続けたのか……。

 

 彼は、むしろ悟ったように穏やかな表情をしていた。

 人生に疲れてしまったのかもしれない。

 かつての生気は、どこかのんびりとした面影は、もうどこにもなかった。

 

『人の時代は終わった。これからはきっと、ナトゥラたちの時代がやって来る』

 

 彼は、哀しい確信を持った目で、そう言い切った。

 

『あんな下らない計画とやらで。もうこれ以上ナトゥラを、ヒュミテを、苦しめることはないだろう』

 

 よろよろとしたおぼつかない足取りで、壁際に歩いていく。

 そこには、以前と変わらぬ若々しい姿のままの“リルナ”が、あのときと同じケースの中で、そのまま大切に保管されていた。

 ルイスは、“彼女”に呼びかける。

 

『リート・ルエンソ・ナトゥラ。リルナ。君の名に、意味を与えよう。君が、ナトゥラを正しく導いてやってくれ』

 

 突然、ごほっ、ごほっ、と、ルイスが激しく咳き込んだ。

 はっと目を見張る。

 咳と一緒に、黒々とした血が、床へと大量にまき散らされていた。

 俺もリルナも、あまりのショックに言葉を失ってしまった。

 

 苦しみに喘ぎながらも、ルイスは儚い笑みを浮かべた。

 

『悪いね。ユナ。君に贈るって約束は……守れそうもない』

 

 ふらつく身体を引きずるようにして。

 彼は、何かに憑りつかれたように研究机へと向かっていった。

 

『もうあまり、長くはない……。リルナを、カスタムしなくては……。システムを止めるプログラムの、完成を、急がなくては……』

 

 そしてついに。そのときはやってきてしまった。

 

『とうとう……ここを、嗅ぎ付けられたか……』

 

 研究室のドアから入ってきたルイスは、全身血まみれだった。

 腹部の負傷が、目を覆いたくなるほどにひどい。

 何者かに、撃たれていたのだ。

 彼は、もう立つことすらままならないようだった。

 息も絶え絶えになって。這いつくばるようにして、決死の形相で研究机へと迫っていく。

 壁際の方へ、彼は切なげな目を向ける。

 

 ――そこには、紛れもない今のリルナがいた。

 

 手足の先を武装用の白銀色金属で固め。鎧のようなコスチュームを身に纏った戦闘形態。

 彼は土壇場になって。ついに完成させていたのだ。

 

『リルナ。せめて、君だけは……』

 

 最期の力を振り絞って。

 彼は研究机へと辿り着き、何かのボタンを押した。

 すると、床に穴が開いた。

 リルナの入った透明なケースは、穴を通じて下の方へと沈んでいく。

 それを見届けて。ルイスは力なく笑った。

 

『どうか……未来を、頼んだよ……そして……幸せに、な……』

 

 ゆっくりと、その場に崩れ落ちるように。

 ルイスは倒れてゆく。

 

 そこで、記憶の再生は終わった。

 

 

 ***

 

 

 何も言えなかった。

 あまりに悲惨で。あまりに壮絶で。

 リルナに目を向けると。祈るように目を瞑っていた。

 

「リルナ……」

 

 彼女は、ゆっくりと目を開く。

 

「……大丈夫だ。わたしも、大切な想いを託されていたんだな……」

 

 こちらを見つめる青い瞳には、固い決意が込められているようだった。

 そうだね。君はそういう人だから。

 

「ユウ。あそこに、母親の形見があるのだろう」

「ああ……」

「お前が使ってやれ。あんなところに寂しく置いておくよりは、ずっといいだろう」

「そうだね」

 

 促されて。

 まだ気分は晴れないけれど、棚に残されている黒い箱のところへ向かう。

 手に取って、蓋を外そうとしてみると。

 不思議なことに、急に蓋がうっすらと白く光って。

 まるで自分から開くように、ごくあっさりと開いた。

 

 記憶で見たそのままの綺麗な状態で。

 中には、無骨な造りの銃が布の上に安置されていた。

 手に取ろうとしたとき。

 

 不意に、意識が投げ出されて――。

 

 

 ***

 

 

 どこまでも真っ白な空間に、俺はいた。

 普段は果てしなく真っ暗な『心の世界』とは、対照的な場所だった。

 

 そして目の前には、母さんが立っていた。

 あの銃を右手に持った姿で。

 

「母さん……」

 

 けれど母さんは。

 俺の姿を見ても、この呼びかけにも、何ら特別な反応を示すことはなかった。

 誰でもない相手に語り聞かせるように、母さんは言葉を紡いでいく。まるで予め決まっていることを、そのまま言うように。

 実際そうなのだろう。これはメッセージのように思えた。

 

「この世は理不尽よね。どうしようもない困難がある。どう逆立ちしたって通用しない相手がいる」

 

 それは、化け物揃いの異世界で。

 ずっと身一つで戦ってきた母さんによる、心からの実感が伴った言葉だった。

 それでも、と母さんは続ける。

 

「それでも、そんな困難や相手と向き合わなくちゃならないとき。どうしても負けられないとき。本当に負けないためには、まず何が必要だと思う?」

 

 それは――。

 

 母さんは、自分の胸の中心に手を当てて。にこっと笑った。

 小さいとき。何か辛いことがあったときに、励ましてくれたあの笑顔で。

 

「決して負けない心を持つことだ。それさえ持てるなら、あとはたった一つだけ。手段があればいい」

 

 母さんは、俺の右手を持ち上げて。

 手にしていた銃を、優しく俺の掌に乗せた。

 

「魔力銃ハートレイル。こいつは、一つの手段だ」

 

 母さんが、静かに手を離す。

 ずっしりとした銃身の重みが、直接掌にかかってくる。

 

 重い。

 

 託された想いの重さが、そのまま伝わってくるようだった。

 

「あんたに預ける。しっかりやるんだよ」

 

 母さんの姿が、遠ざかっていく。

 今度こそ、もう二度と会えないのだろう。

 俺は、届かないのだと知っていても。叫んでいた。

 

「母さん……母さん!」

 

 ――ユウ。

 

 気のせいかもしれない。

 

 最後に一度だけ、名前を呼んでくれたような気がして――。

 

 

 ***

 

 

 気が付くと。もう元の場所に戻っていた。

 右手には、母さんの銃がしっかりと握られている。

 まるで一緒に戦ってくれるみたいで。

 それだけで、心から力が湧いてくるようだった。

 

「――ありがとう。母さん」

 

「私」も同じ言葉を口にする。心は一緒だった。

 

 決意を新たにして。

 俺はしっかりとリルナに向き直った。

 

「必要なものは揃った。行こう。最後の戦いに」

「ああ。行こう」

 

 二千年前より続いてきた、悲劇の連鎖を終わらせるために。

 決戦の地。エストケージへ。



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68「宇宙要塞エストケージ」

 研究所の三階に、ドックと案内されているいかにも場所があった。

 俺とリルナは一緒にそこへ向かった。

 

「こっちへ来い。見つかったぞ」

 

 リルナの手招きに従って行くと、そこには普通の車に混じって、宇宙船らしき乗り物が一台だけあった。

 透明な蓋が上部に付いた白い車みたいな乗り物で、およそ地球のロケットなどとは似ても似つかない代物だった。どちらかと言えばUFOに近いような気がする。

 プラトーの言っていた通り、椅子が隣り合わせで二つだけあるので、確かに二人乗りのようだ。

 後部に付いたナンバープレートには、『近宇宙型1-204』と刻まれている。

 

「こんな形状と大きさで宇宙に行けるのか。すごいな」

「旧文明の賜物だな。わたしたちの時代では、宇宙に行く理由がなくなってしまったからな。宇宙関連の技術はかなり衰退してしまっている」

 

 宇宙船の蓋に手をかけたところで、リルナが思い出したように尋ねてきた。

 

「わたしは機械だから平気だが、お前はその恰好で宇宙で活動できるのか? さっき宇宙服も見つけたが」

「その辺は大丈夫。ごてごてのものを着ていたら戦いにくいだろう。ちょっと手を握っていて欲しい」

「わかった。何かをするつもりだな」

 

 頷いて、リルナと手を繋ぐ。

 リルナが側にいると、普段よりもずっと心の力が湧いてくるようだった。

 気のせいではないだろう。もう何度も助けられてきたから。

 なぜリルナだけそうなのか。

 何となく、今ならその理由もわかるような気がした。

「私」にも呼びかける。

 

『いつも通り、君も一緒に頼むよ』

『オッケー』

 

 レンクス。また技を借りるよ。

 

《不適者生存》

 

 見た目は何も変化はないが、確かに使えた感触があった。

 これで宇宙空間でも問題なく活動できるはずだ。

 

「これでたぶん大丈夫。何があるかわからないから、一応君にもかけておいたよ」

「助かる」

 

 それにしても……。

 ウィル。お前は……。

 まさかこうなることを見越して、いきなり宇宙に飛ばすような真似をしたのか……?

 気まぐれでそうしたのだと思っていたが。

 今は、ここで必要になるから、レンクスに使わせるように仕向けたのだとしか考えられなかった。

 レンクスを殺したのも、バラギオンと俺たちを戦わせるため。

 この世界を滅ぼすためではない。

 それなら邪魔者のいない今この瞬間にだって簡単にできるはずなのに、そうはしていないから。

 そもそもあいつは、この世界にはさほど興味がないようだった。

 今はどこにも気配を感じないけど……。

 あいつの行動には、何か裏がある。

 でも何が目的なのか。見当も付かなかった。

 

「どうした? 急に難しい顔をして」

「少し気になることがあってね。まあ今は関係ないことだ」

「相談したいことがあったら、遠慮なく言えよ」

「もちろん」

 

 リルナが乗り込むのに続いて、俺も乗り込んで座る。

 運転は、いつだか乗り物には詳しいと豪語していたリルナに任せようと思っていたのだが。

 

「マニュアルの他に、リモコンでも簡単に操作できるようだな。エストケージが目的地に設定されている」

「最初から、そのつもりで作ったのかもしれないね」

「そうかもな」

 

 ルイスのことを思い出したのだろう。リルナは神妙な顔をする。

 

「そう言えばさ。ここ、壁が開く機構とか、何もないみたいなんだけど」

「とりあえず押してみればわかるだろう」

 

 気を取り直したリルナが、軽い調子でリモコンに設定された目的地へ行くボタンを押す。

 

 ぱっと、視界が途切れたかと思ったら。

 

 俺たちはもう宇宙空間にいた。

 宇宙船のライトによって照らされた向こうには、真っ暗な宙に浮かぶ小島のような要塞がうっすらと映っている。

 エストケージに違いなかった。

 見下ろせば、エルンティアの星の姿が大きく映っていた。

 どうやら宇宙とは言っても、大気圏からかなり近くの高度のようだ。

 それはともかく。

 

「こんなにあっさり着いてしまうとは……」

 

 リルナが、拍子抜けしたように漏らす。

 俺もまったく同意だった。

 

「正直、もっと色々あると思っていたよ」

 

 だが考えてみれば、あの《パストライヴ》の開発者なのだから、遠距離ワープくらいお手の物だったのかもしれない。

 そもそも、そのくらいできる技術がないのなら、宇宙戦争など成立し得ないのだから。

 

 そこからさらに迫ろうとすれば、さすがに途中、いっぱい砲撃も受けた。

 だけど正直、ディースナトゥラのガチガチ警備に比べたら大したことないというか。

 たぶん、メンテナンスなしで故障した兵器が多いからだろう。母さんから聞いたほどの威容はなかった。

 ショートワープも使える宇宙船を、リルナが巧みに操って上手くかわしていく。

 いよいよ近づいてくると、エストケージはくすんだ銀色のフォルムを露わにした。

 中央工場と中央処理場を足したくらいはあるだろうか。

 宇宙の建造物としては相当な大きさで、所々に砲が突き出している以外は、全体として丸みを帯びている。それがゆっくりと回転していた。

 入り口のゲートが見えた。金属ががっちりかみ合って固く閉ざされていたが、リルナが《セルファノン》を使ってこじ開ける。

 このとき、どうしても外に出なければならなかったので、やはり《不適者生存》をかけておいて助かった。

 宇宙船は、エストケージ上部の船着場へと侵入した。

 

 降りてみたところ、ふわふわと宙に浮かぶこともなく、しっかりと地に足が付いた。

 どうやら重力が発生しているらしい。

 さすがに二千年も経てば、あちこちが老朽化しているようだった。

 そして、物音一つすらしない。どこを見てもくすんだ銀一色のつまらない光景が広がっている。

 ただ広いだけの、まるで宇宙の監獄だ。一分一秒でも長居したいとは思えない、あまりにも寂しい場所のように思われた。

 こんなところに、オルテッドはずっといたのか。

 二千年もの間、たった一人で。何をやっていたのだろう。

 ここに来るまでは、彼に対してまだ憤りを感じていたが、いざこんな光景を目の当たりにしてしまうと、どうしても同情が芽生えてしまった。

 彼がどこか狂ってしまった理由も、何となくわかるような気がした。

 壁には案内が掛かっていた。メイン区画というところに、システムの本体があるようだ。

 向こうに通路が続いている。リルナと頷き合わせて、駆け足で進んでいくことにした。

 途中でプレリオンや他の兵器が襲ってくることも一切なかった。

 あまりにも何も起こらないまま、本当に誰かがいるのだろうかという疑念さえ脳裏を過ぎったとき――。

 

「待っていたぞ。ユウ」

 

 メイン区画に繋がる通路の手前で。

 オルテッドは、言葉通りに立ちはだかっていた。

 彼は、他に誰も引き連れてはいなかった。プレリオンの姿も、余計な兵器も一切存在しない。

 まさか。一人だけでやるつもりなのか。

 何より彼の真剣な目を見たとき、俺にはどうしても思うところがあった。

 そして少し迷った末に、俺は一つの決断を下した。

 

「リルナ。先に行っててくれ。あいつとは、俺()()だけでやりたい」

 

 リルナはわずかに逡巡したが、俺の意を汲んで黙って頷いてくれた。

 

「了解した。必ず追いついて来るんだぞ」

 

 返事の代わりに、親指を立てた。リルナも同じく親指を立てて返してくれる。

 彼女はすぐに《パストライヴ》を使用して、オルテッドの横をすり抜けてメイン区画の中へ入っていこうとする。

 オルテッドは、彼女には一切見向きもしなかった。

 邪魔をすることもできるはずなのに、まるでどうでもいいかのように。

 それで、確信に変わった。

 

 そうか……。

 

 この男は、何よりもまず母さんに――。

 勝ちたかったのだ。自分の手で。

 

 気付いてしまうと。

 あの狂ったような笑いも、今こうして向かい合っていることも。

 もう怒る気にはなれなかった。どことなく哀しいものが漂ってくる。

 

 俺は、母さんの代わりにはなれないけれど。

 

 腰から、母さんの形見を抜く。

 オルテッドの瞳が、わずかに揺れた。

 

 魔力銃ハートレイル。

 

 おそらく通用するだろう。まともに当てることさえできれば。

 

「オルテッド。望み通りだ。決着をつけよう」

「ユウ。貴様を倒すことで、私の新たなる第一歩としよう」

 

 もう終わらせてやろう。

 彼が二千年も待ち続けた虚しい望みを、せめてこの銃で撃ち抜いて。



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69「二千年後の決着」

 この戦い――おそらく、一瞬で決着がつくだろう。

 お互いに一発で勝負を決められる武器を持っている以上は。

 あいつの物質消滅波と、俺と「私」の銃撃。どちらが先にまともに入るか。

 戦いが終われば、ゆっくり喋ることはもうできないかもしれない。

 だからその前に、やはりどうしても確かめておきたいことがあった。

 そしてもし、できることなら――。

 

「オルテッド。戦いの前に、少しだけ聞いておきたいことがある」

「ほう。なんだ」

「……なぜ、バラギオンが現れたあのタイミングで初めて出てきたんだ?」

 

 オルテッドの眉がぴくりと動いたのを、俺は見逃さなかった。

 

「答えを言ってやろうか。お前は、出たくても出られなかったんだ。お前自身も、バラギオンによって行動を縛られていたから」

 

 図星を突いたのだろう。

 オルテッドは、険しい顔で黙り込んでしまった。

 プラトーは言っていた。「ただの」管理者と。

 オルテッド自身が言っていた。「今は」自分が支配者だと。

 バラギオンが倒された「今は」そうなのだろう。

 だが元々の彼が、あくまで自立したシステムの維持管理「しか」任されていなかったのだとすれば。

 バラギオンは、システムにとって異常をなす者、害をなす者は全て排除する。

 それは、オルテッドであっても例外ではなかったのだ。

 とすれば、彼は実に二千年以上もの間、この宇宙の牢獄でろくに身動きも取れず、一人で過ごしていたことになる。

 それがどれほどの孤独か。想像も付かなかった。

 

「それに、なぜあえてわざわざ姿を現した? 本気で星の征服を狙うつもりなら、お前自身はいつまでも姿を隠し、量産型バラギオンを完成させてから一気に蹂躙することもできたはずだ。なのに、それをしなかったのは――」

「……もう、いいだろう。そんな無駄口をいくら叩いたところで、私は止まらんぞ」

「どうしてだ? どうしてこんなことを続ける?」

「…………」

「意味がないよ。もう十分だろう。お前だって、十分に苦しんだはずだ」

 

 オルテッドは、随分長いこと重苦しい沈黙を保っていた。

 時間にすれば、ほんの数秒のことだったかもしれないが。

 それが非常に長く感じられたのは、場を包む尋常ならざる緊張と、何より彼自身思うところがあったからだろう。

 やがて彼は、静かに口を開いた。

 

「この世には悪が必要なのだ。それで救われる者がいる。それで利益を得る者がいる。そして――」

 

 こちらに挑むような決然とした瞳で、彼は不敵な笑みを浮かべた。

 

「悪は最後まで悪でなければならない」

 

 ……そうか。

 

 それが、お前の答えなんだな。

 

「もう、戻れないんだな……」

「私はエストティアの人間。どこまでも人類の意志を貫き通すのみ」

「俺は……お前を倒すよ。システムを止める」

「いいだろう。来い」

 

 オルテッドが、右手を突き出して構える。

 俺も右手の銃を構え直した。

 

 ――消滅波が、来る。

 

《パストライヴ》

 

 目に見えない消滅波の圧倒的な速度に対しては、直接身体を動かしていてはとても間に合わない。

 ゆえに姿を消して、奴の背後か横を取る一手だった。

 オルテッドの後ろに回り込む。

 しかし彼は、同時に後ろにも左手を回していた。

 

 読まれている――!

 

 消滅波が、すぐそこまで迫っているはずだ。

 避ける余裕はない。中途半端に避けたとしても、第三波をかわす手がない。

 

 だが――負けるわけにはいかない!

 

 変身する。

 

 私たちで、倒す!

 

「私」の協力で瞬時に体勢を入れ替えることによって、完全な直撃だけは避けた。

 それでも、すべてを避け切ることはできなかった。

 

 消滅波が、左の脇腹から足にかけて、ごっそり削り取っていく。

 

 気を失いそうになるほどの激痛に耐えて、右半身の攻撃姿勢は綺麗に残した。

 右手に構えた銃で、狙いを定める。オルテッドの動力炉に。

 

 祈るように、引き金を引いた。

 

 乾いた銃声が、響き渡る。

 

 そして――次の瞬間には、決着がついていた。

 

 オルテッドの身体が、崩れ落ちるように床へ沈んでいく。

 

 ふらふらになりながら、自分の身体を見下ろす。

 目算三分の一近くも削れてしまった左足は、赤黒い血肉がありありと見えていた。

 脇腹の方は、内臓に届いているかもわからない。

 正直、立っているのも不思議なくらい。

 

 ほんとに、ひどい姿。

 

 でも、何とか倒せた。殺すこともなく。

 血まみれになった足を引きずって、彼の元へ歩み寄ろうとしたとき。

 

 彼に、異変が起きた。

 

 暴走した消滅のエネルギーが、彼自身を呑み込もうとしていたの!

 

「オルテッド!」

「寄るな!」

 

 助けに向かおうとする私を、彼は苦痛に歪んだ顔で静止した。

 

「ふっ。この兵器に……唯一欠陥があるとすれば。制御を失ったときのリスクだな……」

 

 自嘲気味に彼が笑う。

 その間にも、彼の身体は無に飲み込まれようとしていた。

 

 そうか。あの兵器は、リルナと同じ自動展開型。

 なんてこと……!

 誰も近寄ることができないような兵器を、自分に施すなんて……!

 

「顔を。よく見せろ……」

 

 私は、彼の最後の頼みに応えた。

 できる限りの範囲で近づいて、彼の顔を見つめてやる。

 そこで、はっきり気付いてしまった。

 これは、新たな野望に燃える男の顔などでは決してない。

 人生に疲れ切った、枯れた老人のような顔だと。

 ルイスと、同じ……。

 いや、それ以上の孤独を……この人は……。

 

「ふ、はは……あの女に、そっくりだな。見事な、腕だったぞ……」

 

 綺麗に撃ち抜かれた胸を指差して、彼は満足そうに微笑む。

 

「オルテッド……あなた……」

「さあ。お前たちの、勝ちだ。行け……システムは……しぶといぞ……」

 

 そしてオルテッドは、この世から姿を消した。

 自ら作り上げた兵器によって、自らの手で人生に幕を下ろすことで。

 

 オルテッドは――。

 本当はただ、決着をつけたかっただけなのかもしれない。

 二千年以上も。ずっと、待っていた。

 システムに囚われ続けた自分を止めてくれる相手が、いつか現れることを。

 

「……急ごう。リルナが、待ってる」

 

 システムはまだ止まっていない。終わらせなければ。

 

 男に変身し、気力による治療でこれ以上の出血だけは辛うじて止めて。

 満身創痍の身体を突き動かし、俺はメイン区画へと急いだ。



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70「新しい時代の夜明けに」

 リルナはシステムにとっての最終防衛ラインであるメイン区画に入った。

 すると、それまでの静けさが嘘のように、大量の機械兵士が立ちはだかっていた。

 女性型のプレリオンの他に、彼女が初めて見る男性タイプの奴も混じっている。

 リルナは、彼女らの攻撃を掻い潜りつつ、時には斬り捨て、可能な限り無駄な戦闘は避けて先を急いだ。

 時折、ユウの身を案じながら。

 

「ユウの生命反応が、弱っている……。戦っているんだな」

 

 そしてリルナはとうとう、システムの中枢、メインコンピュータ室にまで足を踏み入れたのだった。

 

「ついに辿り着いた」

 

 ほとんど何もない殺風景な円形の部屋。

 その中央にただ一つだけあるものは、もはや唯一残存するシステムの本体のみ。

 剥き出しのまま置かれた、心無い巨大な金属の箱。

 これさえ止めれば、すべての戦いが終わる。

 

 リルナの心中を、様々なものが去来していた。

 

 自らの手で殺してしまったヒュミテたち。守れなかったナトゥラたち。

 失ってしまったかけがえのない仲間たち。ザックレイ。トラニティ。

 だが失ったものばかりではない。

 生き伸びて自分を支えてくれた仲間たち。プラトー。ステアゴル。ジード。ブリンダ。

 何度も敵対したが、力を合わせて戦ってくれたヒュミテたち。テオ。ラスラ。アスティ。ロレンツ。

 

 そして――。

 

 …………。

 

 今を生きるすべての者たちの未来が、この一身にかかっている。

 

「これでやっと……終わらせることができる」

 

 リルナは、メインコンピュータへの接続装置に目を付けた。

 全身をはめ込んで、身体を直接繋ぐタイプのものだ。

 本来はプレリオンなどが接続することで、システム本体に直接情報を送るためのものであった。

 これを逆に利用して、彼女はシステムを止めるプログラムを送り込むつもりだった。

 それですべてが終わるはずだと信じて。

 

 手足と頭部を、中空の機械にすっぽり収めて接続する。

 リルナは静かに目を瞑った。

 彼女に仕込まれたプログラムが、システムの停止命令及び破壊命令を実行する。

 最初のうちは、滞りなくプログラムが実行されていった。

 まずナトゥラの停止命令解除が実行され、続いてシステムを守るエストケージの停止命令に移る。

 

 だが。

 このまま何事も問題なく進むかと思われた、そのとき。

 

 周囲から、うねうねと無数の金属の蔦が伸びてきた。

 そして、身動きの取れない彼女の全身をきつく絡め取ったのだ。

 突然の異変に、激しく動揺するリルナ。

 システムによる最後の悪足掻き。物理的な最終防衛プログラムだった。

 己に侵入した異物を拘束し、内部から徹底的に破壊する。

 接続を中断することもできない。無防備なリルナには、抗う術などなかった。

 

『滅セヨ……我ニ逆ラウ者ハ、滅セヨ……』

 

 リルナの頭の中を、冷たい機械音声が呪いのように繰り返し、けたたましくこだまする。

 同時に、破滅の高圧電流が襲いかかった。

 彼女は想像を絶する苦痛に苛まれ、喘ぎ叫ぶ。

 

「うあ゛あああああああーーーーーっ!」

 

 

 ***

 

 

 リルナが、苦しんでいる。

 離れていても、痛いほど伝わってきた。

 彼女の苦しみが。彼女の助けを求める声が。

 

 周りは、プレリオンを始めとした機械兵士たちに、ほとんど隙間なく囲まれていた。

 オルテッドにやられた大怪我で、身体が思うように動かない。

 それでも。

 今ここで、足を止めるわけにはいかない!

 

「邪魔だ。どけよ……リルナが、助けを求めているんだ……」

 

『きゃあああああ゛あーーーーっ!』

 

 リルナ!

 

「どけ!」

 

 決死の想いで気剣を振り回し、ふらつく身体を構わず押して、駆ける。

 

 待ってろ。今、必ず助けに行くから!

 

 次々と襲い掛かる敵たちを、死ぬもの狂いで跳ね除けて。

 ただひたすら、彼女の声がする方へ。無我夢中で走った。

 どんなに足がもたついても。どんなに血が零れても。

 

 プラトーと約束したから。必ず連れて帰ると。

 

 いや――それだけじゃない。

 

 何より。俺が助けたいんだ。

 

 何度も刃を交えてきた戦友である君を。

 かつての記憶を共有する仲間である君を。

 

 俺と同じように、悩む姿を見てきた。

 俺と同じように、苦しむ姿を見てきた。

 同じように、痛みを分かち合った。分かち合ってくれた。

 そんな君を。

 やっと、かけがえのない絆を結べた君を。

 大切な君を。

 

 こんな運命から、救い出してやる。

 

 決して死なせはしない!

 

 ついに円形の部屋、中枢へ飛び込むと。

 身体を金属に絡め取られて、叫び苦しむリルナがいた。

 俺は、精一杯の思いで彼女の名を呼ぶ。

 

「リルナ!」

「ユ、ウ……!」

「待ってろ! 今、そこから出してやるからな!」

「ダメ、だ! 来る、な……!」

 

 制止にも構わず、彼女へ右手を伸ばした瞬間。

 五本の指から先が、無残にも千切れ飛んだ。

 千切れた先から、跡形もなく消滅していく。

 

「うああ、あ……っ!」

 

 く、そ! 物質、消滅……! こんなところにまで!

 

「わたしは……あ゛あ゛っ……もう、ダメだ……お前、だけでも……い、きろ……!」

「俺は! 君を! 助ける! 絶対だ! 諦めるもんか!」

 

 もう一度。手を伸ばす。

 身を削り取る激痛にも構わず、手をさらに突っ込んだ。

 たとえ、この手が失われようとも。この腕が失われようとも。

 絶対に、諦めてたまるか! 君を死なせるものか!

 

「リルナ! リルナっ! くそっ!」

「たの゛む……もう、や゛めろっ! やめてく゛れっ……!」

 

 苦しむリルナが、泣きそうな顔で弱々しく左手を仰ぐ。

 その手が、消滅の波動に呑み込まれて。徐々に削り取られていく。

 

 そのとき、気付いた。

 生身よりも、消滅の速度が遅い。

 

 そうか――この、機械の左手なら。

 

 頼む。ほんの数秒だけでいい。もってくれ!

 

 気力強化!

 

 もう一度。

 今度は、左手を差し伸ばす。

 

 届け! 届けぇーーーーー!

 

「リルナーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 

 限界まで伸ばした左手は、ついにリルナの左手を掴み取った。

 

 もう離すものか! この手は、死んでも離さない!

 

 精一杯の力を込めて、やっとの思いで彼女を引きずり出すことができた。

 

「リルナ! よかった……本当によかったっ!」

「ユウ……お前は……お前という奴は……! 本当に……っ……!」

 

 リルナは胸が一杯で、とても言葉が出て来ないようだった。

 

 ほっと一息を吐く暇もなかった。

 遠くから、爆発音が聞こえ始めたのだ。

 これまで抵抗を続けてきたシステムが、ついに限界を迎えたらしい。

 最後の抵抗とばかりに、エストケージの自爆プログラムでも作動させたのだろうか。

 

 そこはすぐに気持ちを切り替えたのか。らしいというか。

 努めて落ち着き払った調子で、リルナが俺に声をかけてくる。

 

「よし。とっとと逃げるぞ。一緒に帰ろう」

「ああ」

 

 と、あれ……。

 

 一歩を踏み出そうとしたとき、地面を踏みつける足の感触がなくなった。

 ぐらりと、俺の身体が後ろに沈んでいく。

 仰向けに倒れたところで、もう立ち上がることができなかった。

 身体にぴくりとも力が入らない。

 

 ああ――そうか。

 

 さっきので、体力を使い果たしてしまったのか。

 

 先へ行こうとしていたリルナが、気付いて振り返る。

 彼女は、どこかわざとらしく溜め息を吐いた。

 

「まったく。なんだその様は。さっさと立て。行くぞ」

「悪い。ちょっとさ、先に行っててくれないか」

「……何を、ここまで来て情けないことを言っている。ほら。一緒に帰るぞ」

 

 リルナが、心配な顔で近づいてくる。

 だけど。ここからエストケージの出口までは、かなり遠い。

 彼女一人ならまだしも、動けなくなった足手まといの俺を連れて行くのには、無理がある。

 俺は、ボロボロに削れてしまった左手で彼女を制した。

 

「……いいんだ。もう、いいんだよ。俺は……知ってるだろ?」

 

 この世界で、君だけは俺の心を深く覗いたから。

 おそらくもう知っているだろう。

 俺がフェバルであることを。

 本来、この世界にいるべき者ではないことを。

 死んだって死なないことくらい。命が安いことくらい。

 だから、もういいんだ。十分満足だ。

 この世界でやるべきことは、もう全部済ませることができた。

 あとは君が、無事に生きて帰ってくれれば。それだけで――。

 

 けれど、リルナは。

 泣きそうな顔で、いやいやと首を横に振った。

 

「……ばか。本当に、底なしのばかだ。お前は……」

 

『わたしを助けて、自分が動けなくなってどうする』

 

 そんな心の声が聞こえたと思ったときには――。

 

「あ……」

 

 固い鎧を脱ぎ捨てて。

 仰向けの俺に柔らかく覆いかぶさるように、リルナが抱き付いてきた。

 

「リル、ナ……?」

「そのまま、じっとしていろ」

 

 青色透明のバリアが、温かく俺と彼女を包み込む。

 

《ディートレス》

 

 そうか――これがあったか。

 

 近くで、一際大きな爆発音がして。

 天井が崩れた。瓦礫が次々と落ちてくる。

 俺たちに害を加えるはずの何もかもを、だが二人を優しく包み込んだ光が、届く前に弾いてくれた。

 

 リルナはどこか悟ったように、ふっと微笑んだ。

 

「これは――大切な人を守るためのものだったのかもしれないな」

 

 そして彼女は、ぐったりと俺に身を預けた。

 乱れた水色の髪が、わずかに鼻孔をくすぐる。

 密着した肢体。機械らしからぬ柔らかな肌の質感も、胸の感触も、人のような温かさも。

 互いに息を感じるほど近く。裸の心が触れ合うほどに近い。

 生じてしまった胸の高鳴りも、すべて彼女に伝わってしまっているだろう。

 彼女はそれを愛おしむように、さらにぎゅっと身体を寄せてくる。

 この世界に、二人だけが切り取られて。

 そのまま一つになってしまったような、そんな錯覚を覚えた。  

 

「ユウ」

 

 わずかに顔を上げたリルナは。

 

 熱を孕んだ瞳で、こちらを真っ直ぐ見つめて――。

 

 

 

 

「わたしは――お前が好きだ」



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71「ただ心の通じ合うままに」

 どくんと。胸が高鳴った。

 

 リルナ。君は――。

 

「告白というのは、恥ずかしいものだな」

 

 やや恥ずかしそうに、けれど彼女は決して顔を反らすことなく。

 真剣な瞳で、俺の顔を見つめている。

 

「お前はわたしのことを、どう思っている」

 

 凛として、こちらの返事を待っている。

 けれども双眸は、純真な乙女のように。

 期待と不安の入り混じった感情で、揺らめいていた。

 逃げてはいけないと思った。中途半端な気持ちで答えてもいけないと思った。

 俺は自分の気持ちを誤魔化さずに、彼女の目をしっかり見て言った。

 

「正直……あまり、考えたこともなかったよ。いや、考えないようにしていた」

 

 俺には、誰かを好きになる資格なんてないんじゃないかと思っていた。

 人を愛する資格なんてないんじゃないかと思っていた。

 男であり、同時に女でもあるこの身の上で。

 誰を愛せばいいのだろう。

 男と女、どちらを愛するべきなのだろう。

 それはまあ、あまり大した問題ではないかもしれない。

 けれど、それを抜きにしたところで。

 フェバルである以上は。

 異世界の渡り人である以上は、一つ同じ所に留まることはできない。

 いずれ必ず別れる運命が決まっているのなら。

 離れてしまえば、もう二度と会うことができないのなら。

 愛する誰かに、最後まで責任が持てないのなら。いつまでも辛い思いをさせてしまうのなら。

 いっそのこと、誰も好きにならなければいいと。

 そう思っていた。

 ずっと、逃げてきた。

 心のどこかで割り切っていた。諦めていた。

 友情だけに留めるなら、誰も傷付くことはないと。

 それ以上に踏み込んでしまうことを。踏み込まれてしまうことを。

 どこかで恐れていた。

 だから、あえて意識しないように遠ざけてきた。避け続けてきた。

 

 でも、君は――。

 

 そんな俺に、とうとう真正面からぶつかってきた。

 俺を好きだと言ってくれた。

 心から嬉しいと思う。本当に素敵なことだと思う。

 だけど、俺に。こんな俺に。

 君の想いに応える資格は、あるのだろうか。

 その迷いが、次の言葉を詰まらせる。

 

「俺は……」

 

 リルナは、そんな情けない俺を見つめて――。

 

「好きだからでは、いけないのか?」

 

 はっと、させられるようだった。

 彼女の青く透き通った瞳が、迷いなくこちらの瞳を覗き込んでくる。

 

 もう一度。確かめるように。

 彼女は言った。

 

「わたしは、ユウが好きだ。愛している」

 

 心臓が、早鐘のように波打つ。

 

 そっと。愛おしむように、頬を撫でられた。

 

「お前が何者であろうと。これからどこへ行こうとも。関係ない。愛している」

 

 そして、寂しい心の奥を見透かすような、切ない瞳で問いかけてくる。

 

「それでは、いけないのか?」

 

 ――それは、何よりも簡単な答えで。

 

 きっと俺が、何よりも求めていた「許し」だった。

 

「……そうだね。きっと、それでいいんだ」

 

 一粒だけ。

 

 温かい涙が頬を伝って、ほろりと零れ落ちた。

 

 ああ。そうか――。

 

 俺は、誰かを好きになって良かったんだ。

 君を好きになって、良かったんだ。

 

「リルナ」

「ああ」

「先にそこまで言わせてしまって、本当にかっこ悪いけどさ」

 

 彼女は黙って、うんと頷いてくれる。

 

「俺からも、ちゃんと言わせて欲しいんだ」

 

 返事を待つ彼女に、俺は精一杯の気持ちを伝えた。

 心からの感謝と、親愛を込めて。 

 

「俺も君が好きだよ。愛している。初めて出会ったときから。ずっと、心に君がいた」

 

 男として、敵としての君と向かい合ったとき。

 最初はただ怖いと思った。

 でも女として、初めて素の君の笑顔を見たとき。

 素敵だと思った。

 それから君は、本当に色んな顔を見せてくれた。

 いつだって。誰よりも俺と、私と真剣に向き合って。想いをぶつけ合ってきた。

 そして、君の悩みを知り、苦しみを知って。

 同じだと思った。何も変わらないんだって。

 それからは、君との距離がもっと近くなったような気がした。

 お互いに支え合って、ここまで戦い抜いた。

 辛いことも楽しいことも、分かち合って。

 決して長い時間ではなかったけれど。誰よりも深い絆で結ばれるようになっていた。

 いつの間にか、心から君に惹かれていたんだ。

 

 どうして君とだけ、深く感情が通じ合ったのか。

 なぜ君の力が負担もなく、使えるようになったのか。

 今なら、よくわかる気がする。

 心の力は。

 繋がりが強いほど、想いが強いほど。その輝きを増すのだから。

 

 もう言葉は必要なかった。

 

 どちらからともなく。

 そっと、唇を重ね合わせる。

 触れ合い、感触を確かめるようなキスから、深く入り込む。

 抱き締めるための腕は、もうないけれど。

 動かない左腕を、彼女の右手が愛おしむように撫でる。

 そのまま壊れかけの左手にまで降りてきて、指同士が交わり合う。

 きつく身体を絡め合って。それと同じくらい、ねっとりと舌を絡め合って。

 一つに重なり合った。

 

 敵対していた心が、いつしか信頼に変わり、愛が生まれる。

 それは、とても素敵なことで。とても幸せなことで。

 

 心が温かいもので満たされていく。

 今まで感じたことのない愛情に満たされていく。

 

 この時間が永遠に続けばいいと。そう願った。

 

 崩れ落ちる要塞の中で。

 俺とリルナは、いつまでもいつまでも。

 愛を確かめ続けた。

 

 

 ***

 

 

 やがて、エストケージの崩壊が終わって。

 俺とリルナは、宇宙空間に放り出されていた。

 眼下には。母なる星エルンティアの雄大なる姿が、まざまざと映っている。

 

『宇宙船も、すっかり吹き飛んでしまったね。どうやって帰ろうか』

 

 リルナは、穏やかに微笑んだ。

 

『このまま抱き合っていればいい。星の重力が、わたしたちを導いてくれる』

 

 俺も微笑み返した。

 

『そうだね――帰ろう。エルンティアへ。みんなの待つ場所へ』

 

 この世界へ来たとき。

 初めて目にしたときには、わからなかったけれど。

 空を覆う濁った雲に、切れ目ができている。その下からは、わずかに青い海が覗いていた。

 二千年以上に渡る、長き冬の時代を越えて。

 ヒュミテとナトゥラ。彼らの生きる星は。

 ようやく少しずつ、回復の兆しを見せようとしていた。



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A-15「もう一つの決着、そして」

「う……う、ぐ……ち、くしょう……」

 

 誰もいない荒野に、疲れ切った白髪の男の掠れた声が、薄く延びて消えていく。

 彼は、力なく蹲っていた。

 かつての自信に満ちた姿はどこにもなく。力にかまけてやりたい放題だった栄華は影も形もなく。

 長きに渡って溜め込んだ恨みと屈辱に、心をすり減らして。限界を迎えようとしていた。

 

「無様なものだな。ワルター」

「きさ、ま……は……ウィル……!」

 

 ウィルが、膝を付く彼を見下ろす形で背後に立っていた。

 

「仮にもフェバルが、ただ一人の女を根に持って子供に復讐とは。小さい」

「うる、せえ……! 貴様に……何が、わかる……!」

 

 万物の事象を【逆転】させることのできる特殊能力を持つフェバルの男。ワルター。

 彼はかつてエストティア内乱の最中、星海 ユナの手によって撃ち倒された。

 当たればフェバルにも通用する希少な武器。魔力銃ハートレイルを手にした彼女に。

 

 魔力銃ハートレイルは、同じくフェバルであるユナの旧友、【属性付与】のハーティナの手によって造られた。

『全貫通属性』を持つこの銃は、対象に当てることさえできれば、どんなものでも必ず撃ち抜くことができる。

 銃に撃たれれば、普通の人ならばダメージを避けられない。

 この自明な理を、フェバルにも適用させること。

 反則級の能力によって実質無敵を誇るフェバルを、人間の理が通用する舞台に引きずり下ろしてやるための武器。

 あくまで人間のまま化け物に勝つことにこだわったユナが、それ以上の性能をあえて求めなかった。

 その心意気に打たれた、ハーティナは。

 心が限界を迎えて『死にかけていた』ところ、最後の力を惜しみなくユナのために尽くした。

 そうして出来上がった、彼女の事実上の遺作である。

 ハートレイルという名は、彼女の名の頭文字と、旧文明の首都エストレイルの後ろからそれぞれ取って付けられた。

 

 これをもって、ユナとワルターは死闘を繰り広げた。

 とは言え、あくまでユナにとっての死闘であり。

 ワルターにとっては、ただの遊びのはずであった。

 ユナは、いかに人として類稀な天才と言えど、フェバルに比べれば乏しい実力であるところ。

 口八丁とハッタリも駆使して、どうにか食らいつき。

 じっと決定的な隙を狙っていた。

 ついに、魔力を込めた決死の一弾を放ったとき。

 皮肉にも、攻撃を反転させんと癖で【逆転】を使用してしまったことが、彼の致命的な隙となった。

 能力にかまけて、油断し切っていたことによる敗北。

 ただの人間を相手に。

 彼が倒れる瞬間目の当たりにした、哀れなものを見下すようなユナの目が。

 彼の心に焼き付いて、決して離れることがなかった。

 以来、そのときの光景が彼を毎晩のように苛むことになり。プライドが余計に彼を苦しめた。

 そうしていつしか、完全に復讐だけに憑りつかれて。

 結局それも果たせることなく、二千年が虚しく過ぎ去った。

 心がすり減ったフェバルは、本来の力を発揮することもできず、見る影もなく弱り果てていく。

 そしてさらに気の遠くなるような時間をかけて、徐々に生きる屍と化してゆくのだ。

 いつか完全に心が死に、星脈に存在そのものを飲み込まれてしまうその日まで。

 

「瀕死だった……オルテッドを……機械と化し、操り……バラギオンを……捕え、使役し……」

 

 死後、【逆転】の力で、わずかの間だけエストティアへ舞い戻ることのできた彼は。

 布石を打って、破滅を助長した。

 いつかユナが戻ってきたその日に、徹底的な絶望を叩き付けてやるために。

 そうしてエルンティアに復讐の根を張り、星を転々としながら、待ち続けて。

 ついに先日、血縁者と思われる生体データの情報を得て。

 彼は三度、執念でこの星へやってきた。

 残念ながらユナはもう死んだらしいが、そいつは実の子供だった。

 ならば。その子供をいいように踊らせることで、腹いせとするつもりだった。

 万が一再びあの銃が子供の手に渡ることのないよう、徹底的にルイス研究所を破壊し。

 ガキが惨めに力尽きていく様を眺めて。

 今度こそ、腹の底から笑うつもりだった。

 だがそのすべての企みは、またしても敗れ去った。

 自分が関わっていたことすら知る由もない。

 他ならぬユナの子、ユウの手によって!

 

「お、のれ……こうなれ、ば……やはり、この俺が……直々に……!」

「下らん。今さら『死にかけ』のお前が行っても、ただつまらないだけだ」

 

 ウィルは無関心の表情のまま、明確に蔑む口調でそう言い切った。

 

「き……さ、ま……! この俺を、愚弄……するか……!」

 

 冷静さを失ったワルターが、【逆転】を使い、ウィルに襲い掛からんとする。

 昔の切れ者だった彼ならするはずのない、あまりに軽率な行動だった。

 

「雑魚が」

 

 即座にウィルが発動させた【干渉】によって、ワルターの能力は彼自身に牙を向く。

 存在を【逆転】された彼は、ちょうど物質消滅に呑み込まれるような形で、肉体を消失させていく。

 

「お前など、僕の足元にも及ばん」

「お……お、あ……!」

 

 ワルターの消え入るような悲鳴に、それを聞くことすら不快だと顔をしかめつつ。

 さらにウィルは、能力による追い打ちをかけた。

 

機能不全(ディスファンクション)

 

 効果は能力封じ。

 弱っているフェバルが相手ならば、容易にかけることができた。

 そこまでやってから、彼は止めとばかりに侮蔑の言葉を浴びせかける。

 

「下らん能力は封じた。これでお前は、ただの塵だ」

「な……! お、ま……!」

「惨めな思いを抱えたまま、いつまでも生き続けるがいい。無力に怯えてな」

「あ……が……!」

「じゃあな。ゴミクズ」

 

 

 ***

 

 

 そうして、決して誰も知ることのない後始末を付けて。

 ウィルは、眠そうに欠伸をした。

 それから、人の気配のする方向へゆっくりと振り返る。

 

「それで。こっそり浄化の種を撒きに来たのは、お前なりの罪滅ぼしか」

 

 呼ばれた筋肉質の男は。

 ユウとサークリスで会ったときの、ガチムチなふざけた格好ではなく。

 きっちりと「仕事用の」黒スーツに身を固めていた。

 

「トーマス・グレイバー。いや――ダイラー星系列第3セクター執政官殿」

「元、だ。そういうのは疲れちまったって、言わなかったっけか。ただまあ――」

 

 濁った空と荒れ果てた大地を見渡して、彼は神妙な面持ちで頷いた。

 

「一端の責任を感じない、とも言えないわな」

「今日はよくフェバルが集まる日だな」

「みんなユウが大好きなんだろうよ」

 

 皮肉気にそう言ったトーマスに対し、ウィルは直球で返した。

 

「僕は大嫌いだがな」

 

 さらにウィルは、怪訝な目をトーマスに向ける。

 

「何のつもりで、僕とユウを監視している。気付いていないとでも思ったか」

「んー、やっぱ。どうもこの辺りに、一つの大きな流れの焦点があるような気がしてな。周りの連中は、まだそうは思っちゃいないみたいだけどよ」

 

 トーマスは、のんびりとした調子でそう答える。

 ウィルは顔をしかめたが、否定はしなかった。

 

「ユウの坊やは、ちったあ成長したのか?」

「一つ大きな壁は乗り超えたと言えるだろう。能力込みで、種族限界のレベルを超えつつある」

「へえ。そうかい」

 

 種族限界級。またの名を許容性限界級とも言う。

 その世界に暮らす者が、その世界の中で鍛錬して自然に到達できる最高レベルの実力。

 通常の範囲で、種族として到達可能な究極の強さと言い換えることもできる。

 各世界の許容性に基準が依存するため、実際の実力のほどは、その者が今いる世界によって大きく変動する。

 ただ共通して言えることは、それが各世界にとって、一つのメジャーな限界点を与えるということである。

 地球の人間が、どう足掻いても音速では走れないように。素手で山を破壊することはできないように。

 人には人の限界があり。獣には獣の限界があり。機械生命には機械生命の限界がある。

 許容性限界とは、つまりはその世界に属する者にとっての天井であり。

 決して超えられるはずのない、また通常は超える必要のない壁である。

 この壁を超えてしまった、ほんのわずかな者だけが。

 世界という枠組みをも超えて、無秩序に力を増してゆく可能性を秘めている。

 

 一に、フェバル。

 一に、星級生命体。

 一に、異常生命体。

 

 フェバルは、宇宙全域のシステムたる星脈に属する者であるゆえに。

 星級生命体は、星そのものを支配する絶対強者であるゆえに。

 異常生命体は、その存在自体が異常であるゆえに。

 

 総して『三種の超越者』。

 彼らだけが。この宇宙において、人を超えた存在なのだ。

 

「そうだった。一つ言っておく」

「なんだ」

「ユウに適当な嘘を混ぜ込むなよ。あの脳内ハッピー野郎は、あまり人を疑うことを知らない。おかげで計画が狂ってしまっただろう」

「だが、それで別の道が見えてきたんじゃねえのか?」

「結果論に過ぎない。根本の弱さと不安定さは、依然残ったままだ。能力を安定させるには、やはり心を闇に染めてしまうのが確実だった。そうすれば、神のごとき力を見せてくれたはずだ」

「でもよ、そりゃあちっと酷ってもんじゃねえか? そうなったユウが、余計厄介なことにならないとも限らねえしよ」

 

 ウィルはその言葉を無視して、続けた。

 

「だが……ユウめ。本能が僕を絶対に恐怖するはずなのに、いつの間にか乗り越えようとしている。僕では、もはやあいつを恐怖と絶望で染め上げることはできないだろう」

「負けを認めるってか」

「仕方ないさ。こうも散々邪魔が入ってはな」

 

 ウィルは、射抜くような目でトーマスを睨んだ。

 が、栓のないこととわかっているのだろう。

 わりあいすぐに睨むのを止め、代わりにやれやれと肩をすくめた。

 

「少々やり方を変えることにした。回りくどくはなったがな」

 

 そしてウィルは、真剣な顔つきでトーマスに尋ねた。

 

「あとどのくらいで始まる」

「さあなあ。明日かもしれねえし、数年かもしれねえし、数十年かもしれねえ。あるいは、数百年か数千年か。いずれにしても、そう遠くはない気配だぜ」

「状況は芳しくないな。何かできるのか。こんな調子で」

「ま、俺たちで何とか少しでも可能性を探るしかないだろ? なあ、破壊者さんよ」

「一緒に括ってくれるな」

 

 素気なく顔を背けたウィルは、これまでのことを何となく思い返した。

 

「僕がこの道を選ぶしかなかった。せっかくだから、暇潰しはさせてもらっているがな」

 

 すこぶる凶悪な笑みを浮かべた彼に、トーマスは哀しげな顔で突っ込みを入れる。

 

「そうしてしまう心の持ち主なんだろ? 俺はよう。マジにお前の境遇には同情してんだぜ?」

「ふん。同情される謂れもなければ、邪魔をされる筋合いもないな」

 

 ウィルは、かなり不愉快だった。

 

「お前たちには、確かに借りがある。だがもしこれ以上、僕のやり方に介入する気なら――次は消すぞ」

 

 いつもの垂れ流しの殺気ではない。本気の殺意だった。

 だがそれを向けられたトーマスは、事もなげに軽い調子でやり返す。

 

「おうおう。怖いねえ。最近のガキは」

「ちっ」

 

 我ながら妙に気が立っていると、ウィルは感じていた。

 それもこれも、あいつの存在があるからに違いなかった。

 

「ユウ。あいつがもっとしっかりしていれば、僕がこうしてここに存在していることもなかったわけだ」

「まあそう言うなよ。あのときのことは……あの坊やだけが悪いわけじゃねえ。仕方のねえことさ」

「いや、気に入らないな。自分の犯した弱さという罪から逃げて、綺麗さっぱり忘れた振りをしているのだから」

「それもまた弱さだろうよ。ああでもしないと、確実に壊れていたぜ。あの坊やはな」

「……知ってるさ。誰よりも、この僕自身がな」

 

 吐き捨てるように言って、ウィルは不機嫌に踵を返した。

 

「もう行くのか?」

「ああ。用もないのに、これ以上あいつと同じ世界の空気を吸っていたら――今度は、意味もなく殺してしまいそうだ」

 

 そう言い残して、ウィルはこの世界から姿を消した。

 一人残されたトーマスは、鼠色の空をぼんやりと見上げて。

 長い溜め息を吐く。

 

「まったく。業が深いもんだよな。何とかしてやりてえが……」

 

 だがこればかりは。

 当事者たちがいずれ、己自身で決着をつけねばならない問題に違いなかった。

 そして、つけるべき問題であるとも。

 

「ま、俺は傍観者よ。行く末を見守るのが性に合ってるってな」

 

 どこか楽観的に呟いて。

 トーマス・グレイバーもまた、姿を消した。



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72「二人の帰還」

 固く抱き締め合ったまま、大気圏に突入して。

《ディートレス》に包まれた状態で、リルナの重力制御に従って徐々に地上へと落下していく。

 やがて、無事に地表まで辿り着いた。

 偶然にも、向こうにディースナトゥラを望むなだらかな丘の上に。

 ふう、とリルナがほっと一息を吐いて、地に背をつける俺にぐったりと身を預けた。

 顔を寄せて、にやりと笑いかけてくる。

 

「さすがにギリギリだったな。もうすっからかんだ。身体が動かない」

「俺もだ。全然動かない」

 

 お互い生きているのがやっとの状態で。支え合うように抱き合っている。

 

「ふ、ふふ」

「は、はは」

 

 何だか可笑しくなって。二人で笑い合った。

 

「ボロボロだな。お互い」

「でも、何とか生きて帰れたね」

 

 また自然と顔が近づいて。唇が触れ合う。

 舌を繰り返し絡め合って。蕩けるような口づけを交わした。

 何度でもしたい。こうしていたい。

 リルナも同じ気持ちで、積極的に俺を求めてくる。

 胸が押し潰れるほど、べったりと身体を擦り付けてくる。

 俺も彼女に応えて、さらに奥へ舌を伸ばす。

 彼女の匂いを。重みを。柔らかさを。ぬくもりを。

 全身で感じる。全身で伝え合う。

 ただそれだけで、心から幸せだった。

 

 ひとまず気の済むまで、愛を確かめ合って。

 ぷはっと、唇が離れた。ねっとりとした唾液が、細く長く糸を引く。

 リルナが、仕方ないと笑った。

 

「誰かが助けに来てくれるまで、こうしているしかないな」

「まあそのうち来るだろう。運良く首都の近くだし」

 

 落下場所によっては大変だったかもしれないが、運命もそこまでいたずらはしなかったらしい。

 彼女が、期待を込めた熱っぽい目でこちらを見つめている。俺は言った。

 

「続きをしようか」

「ん」

 

 もう一度、お互いを求め合おうとしたところで。

 タイミングというのは、良いのか悪いのか。

 

「おーい」

 

 風の音に混じって、遠くから女の声が聞こえてきた。

 

「ユウくーん! リルナさーん!」

 

 声のする方を見やると、車が段々近づいてくる。

 まだ届く声は小さいが、特徴的な呼び方でアスティだとわかった。しきりに手を振っている。

 二人とも、こうして抱き合っていることが途端に恥ずかしくなってきた。

 だが誤魔化そうにも、どちらも身体を退ける体力など残っていない。

 

「あらまあ」

 

 みっちりと全身を絡め合ったまま横たわる俺たちを見つけて、アスティの第一声はそれだった。

 

「やっぱりそうなったわけねえ」

 

 彼女は、にんまりと笑みを浮かべている。

 

「君も人が悪いよな」

「ほんとだぞ」

 

 リルナがむすっとして、口を尖らせる。

 さすがにもうわかる。ずっと知っていて、からかっていたわけだ。

 

「あたし、人を見る目はばっちりありますから。でもね」

 

 アスティはちょっぴり名残惜しそうに、唇に指先を添えた。

 

「あたしも、ちょっとだけ本気だったんだけどなあ」

「えーと……」

 

 リルナの顔をちらりと見つめてから、またアスティに視線を戻す。

 返答に困っていると、彼女はにこっと笑った。

 

「ま、いいのいいの。男なんて腐るほどいるしね~」

 

 応援する気持ちのこもった、生暖かい目で見下ろされて。

 俺は、恥ずかしさにその場から消えてしまいたい気分だった。

 

「さーてと。せっかく平和になったことだし、あたしも恋しよっかなあ」

 

 アスティがうんと伸びをしたところに、遅れてまた女の声が聞こえてきた。

 

「いたのか!」

 

 今度は、ラスラの乗った車のようだった。

 どうやら手分けして、みんなで探してくれていたらしい。

 車からさっと降りた彼女は、抱き合ったままの状態の俺とリルナを交互に見やった。

 何が起きているのか気付いた途端に、彼女は顔を真っ赤にしてしまった。

 

「どんまい。ラスラねえ。ユウくんに先越されちゃったね」

 

 心底面白がって、アスティはラスラの肩を叩く。

 

「あ、あ、あのだな……」

 

 ラスラは、こちらをまともに見られないようだった。

 本当に初心な人なんだな……。

 

「お、おめでとう」

 

 顔を背けたまま、辛うじてそれだけを言ってくれた。

 

「ありがとう」

 

 俺もそう答えるしかない。

 別に見せ付けようと思って、こうしているわけでもないのだけど。

 

「まいった。これじゃあ公開処刑だ」

「ふふ。まあいいじゃないか」

 

 リルナが嬉しそうに顔をすり寄せてくるので、俺はたじたじになってしまった。

 

 

 ***

 

 

 俺のために鎧を脱ぎ捨てたリルナは、ほとんど下着も同然の姿だった。

 さすがにそのままではまずいということで。

 ラスラとアスティは、他の男性陣に戻って待機するよう伝える配慮をしてくれた。

 アスティが動けなくなったリルナを背負って、車に乗せてくれることになった。

 ラスラは俺を背負おうとしてくれたので、せめてより体重の軽い女に変身して身を任せることにした。

 

「集合場所、ディースナトゥラ市立公園だって。テオも来るってさ」

 

 ロレンツとの通信を切ったアスティが、懐に通信機をしまう。

 私を肩まで背負い上げたところで、ラスラが言った。

 

「私たちはな。お前たち二人ならやってくれると、信じて待っていたぞ」

 

 アスティが、同情的な目をこちらに向けてくる。

 

「でもユウちゃん、右腕まで失っちゃうなんてね……」

「本当にとんだ馬鹿だよ。こいつは」

「だけど君が助かったんだから、よかったよ」

「ひゅーひゅー」

 

 アスティが即座に茶々を入れてきたので、私はじと目で彼女を見た。

 

「あのね。あまり私をいじらないでくれる?」

「もうこれは仕方ないだろう」

 

 ラスラがくすくすと笑った。

 

「そう言えば、ユウちゃんの方はリルナさんのこと好きなの?」

 

 リルナも気になったのか、こちらを窺うような視線を向けてくる。

 私は素直に答えた。

 

「んー。普通に人として好きってところかな。やっぱりこっちだと平気みたい」

 

『私は譲るからゆっくり楽しんでね』

 

「って、あっ、おい! 勝手に離れるな!」

「あ、ユウくんになった」

 

 くそ。

 まだおんぶされているから、男に変身するわけにもいかない。

 

「何が私は譲るからゆっくり楽しんでね、だ」

 

 たまに面白がって遊ぶんだよな。「私」は。

 母さんのいたずらなところまで似なくてもいいだろうに。

 

「で、どうなんですかユウくん」

「好きだよ。あまり何度も言わせないでくれ」

 

 するとアスティは、面白そうに舌なめずりをした。

 ぞわりと寒気がする。

 

「ほー。これは、プレイの幅が広がりそうですねえ」

「見た目は百合か。そうか百合か」

 

 ラスラが、何やらぶつぶつと怪しげなことを言い始めた。

 

「わたしはどんな姿でも一向に構わんぞ」

 

 リルナがきっぱりと答える。

 姿は関係ないって言ってくれるのは嬉しいけど、そんなところまで堂々としなくてもいいだろう。

 

「ひゅーひゅー」

『ひゅーひゅー』

 

 いや、お前の身体だぞ。

 

 元々男勝りな戦士揃いだからか。

 みんなそっちの話に対しても、あまり遠慮がないようだった。

 車に乗せてもらったところで、「私」のいないまま女でいるのがむず痒かったので、すぐに男に戻ったけど。

 それから特にアスティに色々と尋ねられて、死ぬほど恥ずかしい思いをしたのは言うまでもない。

 リルナはその辺堂々としているというか。

 何を聞かれても、こちらが恥ずかしくなるくらいきっぱりと答えていた。

 

 ラスラが運転する車は、丘の上をのんびりと進んでいき。

 やがて、ディースナトゥラの外周ゲートへと到達する。

 この世界に来たとき、固く閉じていたゲートは。今や誰もが素通りできる状態で開かれていた。

 ゲートの電光板には、『お帰りなさい』の文字が光っている。

 こんな粋なことをしてくれたのは誰だろうか。

 そして、ゲートを通った先――。

 首都ディースナトゥラには、音が戻っていた。生活が戻っていた。

 激しい戦闘で傷付いた街並みは、あまりに痛々しく。犠牲になってしまった者は、数え切れない。

 自分が止まっていたことなど、まだ知る由もなく。

 突然の時間の経過に、すっかり混乱している市民たち。

 だがそれでも、彼らは生きている。

 動き出して、人の営みをまた始めようとしている。

 

 これでいい。これでやっと。

 帰ってきたんだな。

 長い戦いが終わって、これから続いていく日常に。



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73「戦いの後のこと」

 寄り道して、近場でエネルギーの補給と服の買い物を済ませたリルナは、もう人前でもすっかり平気な格好になっていた。

 

「どうだ。ユウ」

 

 クールな紺のジャケットに身を固めた彼女は、くるりと目の前で一回りして俺に感想を求めた。

 普段着を着たリルナを見たのって、そういや初めてだな。いつも鎧姿だったから。

 

「うん。よく似合ってるよ」

「そ、そうか」

 

 リルナは嬉しそうに頬を綻ばせる。乙女なところもあるんだなと思った。

 

 ディースナトゥラ市立公園に着く頃には、俺もやっと少しは動けるようになってきた。リルナが買い物している間、一生懸命気を高めて回復に専念していたのが大きい。

 結局、両腕に加えて左足の一部まで失われてしまった。気力による治療では失った部位の回復まではできないから、この世界にいる間はもうずっとこのままだ。

 レンクスのことはもちろん信じているけど、次の世界で元に戻らなかったら本当に大変なことだなと、どこか他人事のように思う。

 もし元に戻らないとしても、きっと同じようにしていただろう。

 だから、この結果は些細なことなのだ。

 この手で守れたものの大きさに比べれば。

 リルナの笑顔を眺めて。この世界に生きる者たちのこれからを思い浮かべて、満足していた。

 今回も守れなかったものはたくさんあるし、後悔もある。

 すべてが完璧というわけにはいかなくて。

 それでも届いた。やれることはやれた。そんな気がする。

 

 そう言えば、この公園に来るのは、鳥に餌をやってたリルナとばったり出くわして以来だったな。あのときはまだ関係も険悪だったよね。

 さほど日にちは経っていないはずなのに、どこか遠いことのように思えるのは、まあ良いことなのだろう。

 

 駐車場に車を停めて、しばらく歩いた。

 そして、貸切だという広場に着いたとき。

 そこでは、戦いの功労者たちが全員揃って、パーティーの準備をしていた。

 テオと彼が率いたヒュミテ軍。アウサーチルオンの集いをはじめとする地下勢力。そして、ロレンツとディーレバッツの四人が一堂に会している。

 自由参加らしく、市民のナトゥラの姿もちらほら見られた。

 この世界に来てから、ずっと望んでいた光景がそこにあった。

 

 ラスラとアスティはテオの方へと向かい、リルナはディーレバッツの所へ向かった。

 一人になった俺に、偶々一番近くにいたロレンツが真っ先に気付いて、嬉しそうな笑みを浮かべて近づいてきた。

 

「おう。やったじゃねえか!」

「まあ何とかね」

「しかしひっでえやられようだなあおい」

 

 バシバシと肩を叩かれて、そのまま気さくに肩を組まれる。

 アスティと並んで、この明るいノリにも随分助けられたものだった。

 彼は、他の人には聞こえないように、小声でしみじみと呟いた。

 

「これでウィリアム隊長も、ネルソンも、マイナも……デビッドも、ちょっとは浮かばれたかなあ。四人ともこんなことになるなんて、まさか思っちゃいなかっただろうけどよ」

「亡くなった人の気持ちはわからないけどさ。きっとみんな望んでいたと思うよ」

「へっ」

 

 彼は肩から離れて、照れ隠しをするように頬を掻いた。

 

「さあて。これだけ集まったんだし。良い女はいないかなと」

 

 ロレンツは軽く後ろ手を振って、人混みの中に消えていった。

 

 クディン、レミ、リュート。この世界に関わるきっかけを与えてくれた人たち。

 小さな身体のせいで直接の戦闘はできなかったけれど、陰から本当に力になってくれた。

 近寄っていくと、俺の姿を見つけたリュートが、ぱあっと顔を明るくして駆け寄ってくる。

 

「ユウ! なあなあ。あのゲートの文字、見てくれた?」

 

 そうか。あれは君たちが用意してくれたのか。

 

「ああ。ちゃんと見たよ」

「うん、うん。オイラさ、嬉しくて。すっごい嬉しくて。本当にありがとな!」

「感謝を言うのはこっちの方だよ。一緒に戦ってくれてありがとう」

「えへへ」

 

 リュート。

 君の勇気があったからこそ、あの中央管理塔を攻略できた。

 一緒に来てくれて、本当に心強かった。

 遅れて、レミとクディンもやってきた。

 二人は行儀良く深々と頭を下げる。

 

「まさかこんな素敵な日が本当に来るとは思いませんでした。私たち、何てお礼を申し上げたらいいのか」

「いいって。そんなに畏まらなくても」

「……ぶっちゃけ、最初はちょっと頼りなさそうって思ってたわ。やるときはやると思ったら、もうやり過ぎよ。この世界をがらっと変えちゃったんだもの。あなた、本当にすごいわ」

 

 うん。やっぱりそっちの方が君らしいよ。

 クディンが、揃って準備をするヒュミテとアウサーチルオンの面々を眺めて、感慨深そうに言った。

 

「これで我がアウサーチルオンの集いも、ひとまずの役目を終えたのかな」

「いいえ。まだまだ仕事はたくさんあるんですからね。復興作業やら権利保障やら、しばらく寝る暇もないわよ」

 

 ふっと柔らかい笑みを浮かべて、レミがぽんとクディンの背中を叩いた。

 クディンはやれやれと仕方なさそうに笑った。

 

「はは。そうだな。嬉しい悲鳴だ」

 

 それから、リルナと一緒にいるディーレバッツの所へ向かった。

 ステアゴル、ブリンダ、ジードの三人がまず温かく出迎えてくれた。

 

「がっはっは! ユウ! やったな!」  

「わたくしたち、みんな隊長とあなたを信じておりましたのよ」

「さすが、わしらを片っ端から打ち倒した者よ」

 

 口々に労いの言葉をかけてくれる。

 リルナが俺をぐいと引き寄せて、誇らしげに言った。

 

「わたしとユウだからな。大抵のことは何とかなるさ」

「がはは! 違いねえ!」

「エルンティア最強コンビだものねえ。悔しいけど、認めるわ」

「ふむ……なるほどな」

 

 ジードが何か感付いたようだったので、愛想笑いしておいた。

 プラトーはというと、何も言わず少し離れたところで控えめにこちらの様子を見つめていた。

 俺の方から近づいていくと、ようやく口を開いてくれた。

 

「やってくれたな」

 

 彼は肩の荷が下りたように、安らかな顔をしていた。

 

「君こそ。お疲れ様」

 

 俺も労わりの言葉をかける。

 二千年間誰よりもずっと陰で頑張っていたのは、他ならぬ君なのだから。

 彼は静かに頷く。それから、三人と楽しそうに話すリルナを温かい目で眺めて、嬉しそうに言った。

 

「リルナも、本当に幸せそうだ」

「うん」

「ただな……」

 

 彼は、じっと俺に怪訝な視線を向けた。

 

「お前のことを話しているとき、妙に色気付いた顔をしているのだが。何かあったのか?」

「えーと。そのことなんだけど」

「うむ」

「リルナは俺がもらった」

「なに?」

 

 ぴくりと眉が動いたと思ったときには、がっと肩を掴まれていた。

 俺の顔を睨む目が、ガチで怖い。

 まるで娘を持つ父親か何かのようだった。実際そんな心積もりなのかもしれない。

 小声で、真剣な顔で警告してくる。

 

「オレの大事な家族だ。もしリルナを泣かせるようなことがあったら――わかっているだろうな」

「わかってるさ」

「……よし。あいつのことは、お前に任せる。時間も限られているんだろう。できるだけ幸せにしてやれ」

「ああ。もちろんだ」

 

 言われなくても、そうするつもりだった。

 

 やがて、パーティーの準備が一段落着いたようだった。

 ラスラとアスティが、ふうと一息吐いているのが見えた。

 あとは開催を宣言するだけという状態になったところで。

 俺の前に、テオがやってきた。

 この祝いの主催者として、ヒュミテの代表として。きっちりと正装に身を固めている。

 彼の近くには、ラスラ、ロレンツ、アスティ。

 それから、リルナ、プラトー、ステアゴル、ブリンダ、ジード。クディン、レミ、リュート。

 この世界で真実を共有し、最後まで戦い抜いた、特に親しい仲間だけが全員揃っていた。

 テオは、改まった調子で俺に告げた。

 

「これから、新しい時代が始まるだろう」

 

 彼は、心苦しそうに続ける。

 

「君の活躍は、残念ながら歴史に残ることはないかもしれない」

 

 誠実に言ってくれるのは、彼なりの申し訳なさだろう。

 俺は気にせず、黙って頷いた。

 残るとか残らないとか、そんなことはどうでもよかった。

 それに、わかっている。

 この世界の大半の者にとって「知らなくていい」ことが、あまりに多過ぎた。

 

 ヒュミテとナトゥラが対立していたのは、ナトゥラにCPDが埋め込まれていたから。

 悪意を仕込んだすべての黒幕は百機議会。

 百機議会は、自分が支配する世界を目論んで暴走してしまった。

 それを止めたのは、テオ率いるヒュミテ軍と、地下勢力を始めとしたリルナ率いるナトゥラ軍。

 まあこの辺りが落としどころだろう。

 

 旧人類の悪あがきで造られたシステムに支配され、何度も滅びを繰り返しながら、本当に何の意味もない殺し合いを続けていたなんて。

 そんな救いのない真実は、ごく一部の者の胸にだけ留めておけば良いのだ。

 俺が世界の真実を知りたかったのは、それを知ってできることがあるかもしれないと思ったからだ。

 無遠慮に突きつけて、みんなを苦しめるためではないのだから。

 

「だがぼくたちは、決してこの恩を忘れはしない。時代の裏で、ひっそりと語り継がせてもらおう」

 

 そして、真摯な眼差しでこちらを見つめて。

 

「旅の英雄、ユウよ。心から礼を言う」

 

 恭しく頭を下げたのだった。

 王に続いて、全員が一斉に最敬礼をとった。

 俺は、とてもむず痒い気分になってしまった。

 ここまで大々的に礼を言われることなんて、さすがに今までなかったから。

 英雄か。どうも柄じゃないな。

 俺がすっかり反応に困ってしまったのを見て、テオはくっくと笑った。

 

「とまあ、堅苦しいのはこのくらいにして。そろそろ宴と行こうか」

「よ! 待ってました!」

 

 ロレンツが、合いの手を入れる。

 あちこちから、笑い声が聞こえてきた。

 

 テオによって、パーティーの開始が宣言され。

 一日中夜通しで、宴は続いた。

 誰もが笑い合い。暗い気分を吹き飛ばして。明るい未来を語り、思い描いた。

 

 

 ***

 

 

 それからのことを、少しだけ話そう。

 犠牲になった者たちの弔いが、粛々と行われた後。

 俺は、エルンティアの復興作業に協力することにした。

 多くの人にとって、忘れることのできない痛みを残した戦い。

 その傷跡は、あちらこちらに残っていた。

 これまで陰で利用され、意味もなく殺し合いを続けてきたヒュミテとナトゥラたち。

 いきなり自由になったからと言って、何のわだかまりもなく、というわけにはさすがにいかなかった。

 対立の時代が続いたことによる負の遺産。しこりというものは、どうしても残る。

 けれど、両者を覆っていた悪意はもう存在しない。

 今度こそ、きっとわかり合えるはずだ。

 これから少しずつ、時間をかけて。両者の関係は良くなっていくだろう。

 

 戦いのない平和な日々は、忙しくあっという間に過ぎていった。

 リルナと、色んな場所へ行った。できる限りのことを一緒にして、楽しんだ。

 彼女と過ごした日々は。彼女と付き合った時間は。

 この世界で何よりも大切な思い出となった。

 

 そして、数か月が経ち。

 とうとう、この世界を去る日がやってきた。



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74「別れは愛とともに」

 朝日が昇る時間。心地良い風に包まれて。

 なだらかな丘の上から、ディースナトゥラを一望する。

 数か月が経ち。少しずつヒュミテも移住し始めた首都は、新しい活気に満ち溢れていた。

 

 懐から、レンクスにもらった世界計を取り出す。

 針は、もうとっくに時間を示していた。

 いつ消えてしまってもおかしくないということだ。

 しばらく首都を眺めた後、感傷のようなものが胸に込み上げてきて、何もない方へ振り返る。

 一つの旅は終わり。また次の旅が始まる。

 

「よし。次の世界へ行こうか」

 

『みんなに最後のお別れ、言わなくていいの?』

『何だかんだで、結局フェバルだって言うタイミング逃しちゃったからね。今さら異世界から来ましたって言ってもさ』

 

 みんなあまり実感が湧かないだろう。それに。

 

『そのうち旅に出るとは言ってあるし、挨拶回りならもう済ませておいたから』

 

 この日に備えて、別れの挨拶みたいなものは、もう親しい人たち全員に済ませておいた。

 いつかもし本当のことに気付いたとしても、きっとわかってくれるだろう。

 何となく察している人もいるようだったし。

 

 この世界でやるべきことは、もうほとんどすべて済ませた。

 あと一つ、心残りがあるとすれば。

 

「やり逃げは許さんぞ」

 

《パストライヴ》で、ぱっと彼女が現れた。

 急いで追いかけてきたのか、綺麗な水色の髪は乱れている。

 

「ごめん。人目につく場所だと、恥ずかしくてさ。それに、外で風を感じておきたかったんだ」

「まったく。急にいなくなったから焦ったぞ。仕方のない奴だ」

 

 じっと見つめ合う。

 言葉がなくても、通じ合っていた。

 もうわかっている。この日が必ずやってくることは、最初からわかっていた。

 お互いに覚悟も決めていた。

 それまで、精一杯愛し合って。思い出もたくさん作った。

 だから、涙は見せない。そう決めたのだ。

 

「たとえどんなに離れても。ユウ。わたしはずっとお前を愛している」

「俺もだよ。リルナ。君をずっと愛している」

 

 固く抱き合って。

 最後にもう一度。深くキスを交わした。

 

 徐々に、身体の感覚が薄れていく。彼女の感触が薄れていく。

 彼女の手は、もう掴めない。彼女の身体には、もう触れない。

 肌のぬくもりも。絡め合う舌の蕩けるような感覚も。触れ合う唇の温かさも失われて。

 消えていく。

 

 だけど心は。いつまでも繋がっているから。

 ずっと想いは繋がっているから。

 最後の瞬間まで、ただ目の前の彼女だけを心に焼き付けた。

 

 さようなら。エルンティア。

 母さんの過ごした世界。

 ヒュミテとナトゥラ。

 二つの種族が破滅の運命を乗り越えて、ともに暮らしてゆく世界。

 

 そして、さようなら。リルナ。

 俺に愛することを教えてくれた、誰よりも大切な人。



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エピローグ1「その都市の名は」

 公園の広場に、一人の男が立っていた。

 彼はヒュミテである。

 ティア大陸から遥々、ここエルン大陸中部の都市までやってきたのだった。

 目的は、何ということはない。ただの気ままな観光である。

 

「おや。物珍しそうに眺めて。観光客かい」

 

 たまたまそこを通りかかった別の男が、ヒュミテの男に声をかける。

 彼はナトゥラだった。

 

「ええ。まあ」

「はは。ディースルオンへようこそ。ここは自然も多いし、良い街だよ」

「本当に素敵な所ですね。空気もおいしい」

 

 周囲をなだらかな丘に囲まれたこの都市は、かつてはディースナトゥラと呼ばれていた。

 

 二人は、彼らの目の前に設置されているそれをしげしげと眺めて、長く息を漏らした。

 ナトゥラの男が語る。彼は歴史を語るのが好きな性分だった。

 

「何でもその昔、ヒュミテとナトゥラは激しい争いを繰り広げていたんですと」

「とても信じられませんよね。そんな時代があったなんて」

「そうですね。それで、この世界が破滅の危機に陥るような、大きな戦いがあったみたいで。そのときに活躍したのが――」

「英雄王テオと、救世の戦姫リルナの伝説ですね」

 

 英雄王テオの足跡は、教科書にもよく記されているほどだ。学校で習わぬ者はいない。

 彼は、かのエルンティア独立戦争を指揮した後。

 百機議会なきナトゥラとヒュミテの取りまとめ役として、エルンティア全体の王位に就いた。

 まず彼は、ヒュミテとアウサーチルオンへの差別を撤廃し、ナトゥラと同等の権利を与えた。

 両者の権利向上を果たした後、しかし決して一般のナトゥラを蔑ろにすることはせず、皆が平等に暮らせる世界を目指して尽力したという。

 だからこそ今の平和があるのだと、そう伝えられている。

 救世の戦姫リルナは、独立戦争において多大な活躍をしたと言われている。

 

 再び、目の前のものを見つめて。

 ヒュミテの男は尋ねる。

 

「リルナは。彼女は、どうなったのでしょうね」

「そこは謎が多い所でしてね。一説によれば、戦いの最中で命を落としたとも、戦いの後ほどなくして故障で亡くなったとも言われていますね」

「真相は歴史の闇の中、ですか」

 

 まあよくあることである。

 さほど気にすることもなく、ヒュミテの男はまた何気なしに尋ねた。

 

「ところで。彼女の隣にいるのは、誰なんでしょう?」

「さあ?」

 

 時代は遠く過ぎ去り。

 戦いの傷跡は、もうどこにも残ってはいない。

 ディースルオン市立公園に。

 ただ一つだけ、当時の記憶をわずかに残すポラミット製の像がある。

 一人の男と、一人の女が、手を取り合って。並び立っていた。

 像は何も語らない。ただ静かに、これからの行く末を見守っている。



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エピローグ2「いつかまた会える日まで」

「プラトー! あなたもぼーっとしてないで、さっさと運びなさい!」

「……ああ、すまんな」

 

 物思いに耽っていたプラトーに、ブリンダの怒号が飛び交う。

 彼はやれやれと肩を竦めて、資材運びに取り掛かった。

 戦いで失ったビームライフルの代わりに、今は普通の手を取り付けている。

 彼が戦うことはもう二度とないだろう。

 ユウがいなくなってから一年。復興作業は、今日も順調に進んでいる。

 

「がっはっは! 仕方ねえさ! プラトーは今、ちょっとセンチメンタルなんだ」

 

 ステアゴルが、いつものように豪快に笑った。

 彼は、他人の五倍の量は資材を抱えて、それでも余裕にしている。

 彼自慢の力は、この日も大活躍だった。

 

 そこへアスティが、顔を見せにやってきた。

 

「やっほー! 元気にやってますかー?」

「あら。アスティじゃないの。会うのは久しぶりね」

 

 ブリンダとアスティは、あのパーティー以来すっかり意気投合して。今ではちょくちょくメールを送り合う仲になっていた。

 アスティは、にこっと笑って言った。

 

「聞いて聞いて! サプライズ発表! あのラスラねえとロレンツがね! なんと、今度結婚するのよ!」

「へえ! あの二人がねえ」

「ほう。それはめでたいな」

 

 地味に作業をサボり気味だったジードが、にやりと笑った。

 そこで、アスティは気が付く。

 いつもいるはずの、彼女の姿がないことに。

 

「あれ? リルナさんは?」

「ああ。あいつなら、想い人を追って行ったよ」

「ふーん。って、ええーーーっ!?」

 

 仰天するアスティに、プラトーはそれ以上答えず、遠い宇宙を想って空を眺めた。

 幸せにな。リルナ。

 プラトーは、穏やかに微笑んだ。

 

 

 ***

 

 

 リルナは思い出の地の一つ、ルイス・バジェット研究所を訪れていた。

 ようやく戦後処理も落ち着いてきた、今になって。

 もうこの世界では、自分とプラトーしか存在を知らないだろうから。

 製作者である彼の弔いでもしてやろうかと思って、気まぐれで訪ねたのである。

 

 ユウ……。

 

 またふと、彼と過ごした日々の思い出が蘇る。

 彼のことを想うと、幸せな気持ちと、どこか切ない気分が心を満たす。

 

 わたしは、元気にやっているぞ。お前はどうなんだ。

 今もどこかで戦っているのだろうか。それとも、穏やかな日々を過ごしているのだろうか。

 

 研究所入り口の壁には、謎の人物A.OZなる人物の書き込みがそのままで残っていた。

 

「ん?」

 

 よく見ると、書き込みは。

 元の文章の下に、さらに文字が追加されていた。

 それも、彼女が読めるこの世界の文字で。

 実は赤髪の少女が、時間差で現れるように巧妙な魔法式でこっそり細工をしておいたのであった。

 彼女だけに伝えたいことがあったから。

 

『追記 リルナさんへ

 どうか、ユウくんの力になってあげて下さい

 ユウくんには、あなたの力が必要です あなたの愛が必要です

 辛いとき 苦しいとき 支えてあげて下さい

 あと、一つだけ

 先は譲りますけど、あたしも負けませんから!

 いつかきっと会いましょう

 ↓ 地下に直した宇宙船 あります』

 

 リルナは、駆け出していた。

 

 どうして気付かなかったのだ。

 二千年もの間、自分が眠っていたのは一体どこなのか。

 

 あのときわたしは、地下に送られていたのではないか!

 

 苦労の末、地下への隠し通路を見つけて、必死に探し回る。

 やがて、カプセル型の宇宙船を見つけた。

『遠宇宙型2-101』と書かれている。

 

「ふ、ふふ……」

 

 リルナは、笑いが込み上げてくるのを抑えることができなかった。

 

 こんな近くにあったのだ。ユウとまた繋がるための道が。

 

 どんなに離れても。心は繋がっている。

 かすかにではあるが。

 深く繋がったリルナには、今でもわかった。

 ユウの気配が。ユウのいる方角が。

 

 機械の身体に生まれて。

 彼と繋がることができても、人のように子を成すことはできない。

 だが今は。

 それすらも、尊ぶべき運命のように感じる。

 

 わたしは、人よりもずっと長生きができるのだから。

 

 可能性があるなら。ほんのわずかでも構わない。

 どこまでも。追いかけてやる。宇宙の果てまで。

 

 わたしのしつこさを、忘れたわけじゃないだろう?

 

「待っていろ。ユウ。いつか必ず。また会おう」

 

 何度離れても。

 その度にまた会いに行く。

 

 リルナを乗せた宇宙船は。

 遥か宇宙の彼方へと、希望を乗せて飛び立っていった。



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二つの世界と二つの身体
あらすじとキャラクター紹介


本章(3章)を読み始める前に、以下の作品を読んでおくことをおすすめします。

フェバル~チート能力者ユウの異世界放浪記~
https://syosetu.org/novel/35955/

ここまでのお話、本編1章および2章のifになっております。バッドエンドですので、ご注意下さい。
読まなくても本章(3章)の大筋の理解に支障はありませんが、知っていた方がより深く理解でき、より楽しめる箇所があります。


・あらすじ

 次の異世界へと向かう途中、星脈の異変に巻き込まれてしまったユウ。地上へ降り立ったとき、ユウと「私」は、なんと男と女、二つの身体に分かれてしまっていた。突然の分離に戸惑うユウと「私」の前に、二人組の冒険者、ランドとシルヴィアが通りかかる。彼らに名を尋ねられた「私」は、ユウとの差別化のため、自らをユイと名乗ることにした。それからユウとユイが目にしたものは、豊かな魔法文明が栄える世界『ラナソール』の姿だった。冒険者付き合いをしながら、しばらく平穏な日常を過ごしていた二人。ところがある日、偶然見つかった「綻び」によって、ユウは魔法の一切存在しない世界『トレヴァーク』へと辿り着いてしまう。一見まったく異なる二つの世界。だが二人は、両者が実は密接にリンクしていることに気付く。そしてユウだけが、『心の世界』を通じて二つの世界を自由に行き来する力を持っていた。次第に「綻び」の広がる『ラナソール』と、不穏な空気が満ちていく『トレヴァーク』。互いに影響し合う二つの世界とそこに生きる人々。見え隠れするフェバルの影。それぞれの思惑が交錯する中、ただならぬ『事態』が起ころうとしていた。

 

・話の傾向

 魔法文明の栄える世界『ラナソール』と、現代の地球に近い文明を持つ『トレヴァーク』。男と女、二つの身体になぜか分かれてしまったユウとユイが、リンクする二つの世界を行き来しながらあれこれやっていく物語です。片方の世界で行ったことが、もう一方の世界にも影響を及ぼすことがあります。日常系の話を挟みながら、少しずつ物語が進行していきます。

 

・今回の舞台

ラナソール 気力許容性:無制限 魔力許容性:無制限

トレヴァーク 気力許容性:非常に低い 魔力許容性:非常に低い

 

【許容性の大雑把な指標】

 無制限>極めて高い>非常に高い>高い>やや高い>中程度>やや低い>低い>非常に低い>極めて低い>なし

 

【参考】

 地球 気力許容性:極めて低い 魔力許容性:なし

 惑星エラネル 気力許容性:高い 魔力許容性:非常に高い

 エルンティア 気力許容性:やや低い 魔力許容性:非常に低い 

 名も無き世界 気力許容性:中程度 魔力許容性:やや低い

 

・キャラクター紹介

【フェバル】

 星(世界)を渡る性質を持つ者たち。通常の人間が持たないような各人固有の特殊能力を持ち、その力はこの世の条理を覆すとまで言われる。

 

星海 ユウ

性別:男

年齢:25~27

能力:神の器

 主人公。いくつもの世界を渡り歩き歴戦を経た実力は、フェバルを除けば既に相当のものとなっている。本章ではユイと分離してしまったため、常に男として行動する。気力を利用した戦法を得意とする。心の通じ合うユイとの連携はお手の物。

 

星海 ユイ

性別:女

年齢:25~27

能力:神の器|(サポート)

 もう一人の「私」と同一人物。幼少期よりユウを影から支えてきた。ユウのお姉ちゃん的存在を自負している。ラナソールに辿り着いた際、どういうわけかユウと分離してしまった。これまではほぼユウだけが相手だったので「私」でも通用したが、名前がないと呼ぶときに困るということで、自らユイと名乗ることに。由来はユウの「一個上」だから。魔力を利用した戦法を得意とする。

 

レンクス・スタンフィールド

性別:男

年齢:??

能力:反逆

 ユウとユイの親友にして、二人を見守る立場の人物。一番の親友であり、最愛の人でもある星海 ユナが遺した子である二人のことを愛しており、気にかけている。ユイが単独で分離したことで、変態にますます磨きがかかる。特殊能力【反逆】は、あらゆる世界の理を一時的に反故にしてしまうチート能力。

 

ウィル

性別:男

年齢:??

能力:干渉

 世界の破壊者と呼ばれている。特殊能力【干渉】は、あらゆるものに干渉し、意のままに操るチート能力。どうやらラナソールを消し去るつもりのようだが……。

 

エーナ

性別:女

年齢:??

能力:星占い

 能力覚醒前にユウを抹殺しようと現れた女性。ただしそれは、ユウを忌まわしい運命に巻き込む前に眠らせてあげようとした、彼女にとっての善意からであった。特殊能力【星占い】は、あらゆる事象をある程度の精度で正確に知ることのできるチート能力。ただ、割といい加減なこともままあり、本人も度々泣かされている。【星占い】でただならぬ『事態』が起こると出たため、確認と対処のためにやって来た。

 

トーマス・グレイバー

性別:男

年齢:??

能力:都合の良い認識

 世界の傍観者。自称さすらいのトーマス。元ダイラー星系列関係者。訳あってユウとウィルを傍観しているようだ。特殊能力【都合の良い認識】は、自身の行ったことがたとえ何であれ、周りからの認識が自分にとって都合の良いものに改められてしまうチート能力。

 

ジルフ・アーライズ

性別:男

年齢:??

能力:気の奥義

 イネアの気剣術の師匠。ユウにとっては師の師に当たる。特殊能力【気の奥義】は、気に関するあらゆる理を覆すチート能力。

 

ヴィッターヴァイツ

性別:男

年齢:??

能力:支配

 目的のためならば手段を選ばない狡猾で残忍な男。特殊能力【支配】は、自分より下位の存在及び世界を支配下に置くチート能力。支配のみに限れば、ウィルの【干渉】よりも強制力が高い。

 

ザックス・トールミディ

性別:男

年齢:??

能力:死圏

 ラミィとともに果てしない異世界の旅を続ける強面の男。彼女と【いつもいっしょ】にいるため、よくロリコン呼ばわりされる。特殊能力【死圏】は、自身より半径約4メートル以内に入った生物の命を無差別に刈り取って一瞬で即死させてしまうチート能力。フェバルの能力のみによって無効化することができる。

 

ラミィ・レアクロウ

性別:女

年齢:??

能力:いつもいっしょ

 最弱のフェバルを自称する。わずか5歳のときにフェバルとなったため、容姿は永遠に幼女のままである。特殊能力【いつもいっしょ】は、いついかなるときもザックスと自分がともに生きることを保証する能力。ただそれだけの能力だが、他のいかなる能力にも優先する。

 

ブレイ・バード

性別:男

年齢:??

能力:??

 ダイラー星系列より派遣された調査員。星裁執行権を持つ。

 

J.C.

性別:女

年齢:??

能力:??

 みんなからJCと呼ばれる。本名は誰も知らない。ユウのことを前から知っているようだが……。

 

【ラナソール】

 ラナソールは大きく分けて三つのエリア、未開区ミッドオール、先進区フロンタイム、特別区ラヴァークに分かれる。魔素魔法はほとんど知られておらず、精霊の力を利用した精霊魔法が一般的である。ミッドオールには旧時代的な文化が多分に残っており、冒険者ギルドなども存在する。フロンタイムでは魔法の先進利用によるIT社会が成立している。ラヴァークには王宮がある。

 

ランド・サンダイン

性別:男

年齢:21~23

能力:魔法剣(火、光、闇)、精霊魔法(火、光、闇)

 冒険者ギルド所属で、ランクはA。若手の実力派冒険者で、シルヴィアとパートナーを組んでいる。世界の果て、ワールド・エンドを目指して日夜冒険に励む。魔法剣が得意。

 

シルヴィア・クラウディ

性別:女

年齢:21~23

能力:精霊魔法(水、風、土、雷)

 愛称はシル。冒険者ギルド所属で、ランクはA。ランドとパートナーを組み、ワールド・エンドを目指している。精霊魔法を得意とする。

 

ミティアナ・アメノリス

性別:女

年齢:18~20

能力:料理、裁縫、掃除など

 愛称はミティ。フロンタイムの港町、ナーベイに住んでいる一般人。料理を始め家事全般が得意。プロ並みに料理ができるユウとユイを師匠と仰ぐ。女子力を磨くため、日々邁進している。

 

レオン

性別:男

年齢:24~26

能力:魔法剣(全属性)、精霊魔法(全属性)、全精霊の加護、神速

 剣麗と呼ばれる男。名に相応しく、流麗な剣さばきで見る者を惚れ惚れとさせるほど。さらさらなピンク色の髪を持ち、中性的な見目麗しい容姿を誇る。若干齢24にして、山のようなドラゴンを倒した、本当に山を斬った、海獣退治の際に海を割ったなど、数々の伝説を残している。ギルド歴代最強との呼び声も高い。冒険者ギルドのランクは唯一のSS。

 

受付のお姉さん

性別:女

年齢:??

能力:マイクパフォーマンス、??

 冒険者ギルド所属。受付のお姉さん。本名は誰も知らない。一見大人しめだが、マイクを手にするとハイテンションではっちゃける。実況命。祭り好き。

 

マイツ・ゲイ

性別:男

年齢:28~30

能力:魔法剣(土)

 冒険者ギルド所属。Cランクのマイペースな男。モットーは「酒を飲んで寝て暮らしたい」。

 

ジム

性別:男

年齢:43~45

能力:野営地管理、見張り

 野営地の設営管理及び見張り役を主な務めとして日銭を稼いでいる気の良いおじさん。かつてはBランクで鳴らしていたが、膝に矢を受けてしまったため、一線からは退いている。

 

【トレヴァーク】

 概ね現代の地球と文化レベルは同程度。原因不明の奇病や自殺者・行方不明者が年々増加傾向にある。魔法や精霊は空想上の産物でしかない。

 

コウヨウ リク

性別:男

年齢:21~23

 エジャー・スクールに通うごく普通の学生。アルバイトをして生計を立てている。退屈な日常にどこかうんざりしている。

 

ユキミ ハル

性別:女

年齢:17~19

 後天性の難病によって数年間ほぼ寝たきりとなっている女の子。トリグラーブ市内の病院に入院し、生活機能回復のためリハビリに励んでいる。成果はあまり芳しくないようだ。

 

ミクモ シズハ

性別:女

年齢:21~23

 暗殺者。幼少期より社会の裏で淡々と仕事を積み上げてきた実力者。日本刀に近い形状の刀を好んで用いる他、銃器や小道具も使用する。血斬り女と恐れられている。

 

クガ ダイゴ

性別:男

年齢:35~37

 会社員。同期が出世していく中、一人閑職に就いている。自分を冴えない男だと思っている。

 

シェリー・マルシェ

性別:女

年齢:14~16

 ピリー・スクールに通う学生。近年増加している奇病を何とかしたいという思いで勉学に励む傍ら、募金活動やボランティアで看病を行っている。三年前に両親が奇病で他界している。



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1「ユウ、ラナソールに降り立つ」

 エルンティアを後にした俺が次に辿り着いたのは、名も無き世界だった。

 そこで俺は、一人の少年エスタと、一人の少女アーシャと、約一年もの時をともに過ごした。

 他に人は誰もいない、原始的で静かな世界だった。

 たった三人の旅だったけれど、二人とも無邪気で俺によく懐いてくれて、様々な場所を冒険した。

 本当に楽しい日々だった。

 今もあの二人は助け合って元気に過ごしているだろうか。遊び気分で無茶していなければいいけど。

 その次の世界では……本当に色んなことがあった。

 あまりに色んなことがあり過ぎて、今それをこの場で語るにはまだ気持ちの整理が付いていない。もしかしたら、いずれ語れる日が来るかもしれない。そのときまで待っていて欲しい。

 ただ言えることは、この二つの世界の旅は、俺を一回りも二回りも成長させてくれた。

 名も無き世界にいた超巨大生物たちやさらなる強敵との戦いを通じて、俺は自分の能力のポテンシャルを徐々に開花させつつあるように思う。エルンティアを旅した当時よりも、数段実力は付いたような気がする。

 気付けば、わけもわからないまま異世界の旅を始めてから、約九年の歳月が流れようとしていた。これまでの人生の三分の一以上は、もうずっと旅を続けていることになる。

 地球に居た頃に比べれば、あり得ないほど奇妙な人生だけど。慣れてしまえば、これが普通のようにも感じてきている。

 さて、次の世界はどんなところだろうか。別れの寂しさとやり切れない悔しさは残っているが、気持ちを切り替えないとな……。

 新たな世界への期待に胸を膨らませているのも確かだった。

 俺は淡く輝く白い粒子の海、星脈に身を任せて、ここのところずっと流され続けている。

 いつもの異世界転移。いつもの旅。のはずだったが、今回はどうも勝手が違った。

 星脈の流れが急に滅茶苦茶になり出した。明らかな異常だった。今までこんなことはなかったのに。

 それに、どういうことだ。身体中が、熱い!

 

『ユウ。大丈夫!?』

 

 中から「私」が尋ねてくる。俺のパートナーであるもう一つの人格だ。

 

『君こそ無事か』

『ちょっと苦しい、かも』

『しっかりしろ。今行くから』

 

 念じることで、俺は現実世界と、自分の精神世界のような――『心の世界』と呼んでいるが――特別な場所とを行き来することができる。

 これができるのは主人格である俺だけで、「私」にはほとんどできない。『心の世界』は不思議なエネルギーに満ちた場所で、「私」の住処でもあった。

『心の世界』は、星脈の異変に当てられて、大きく揺さぶられていた。

 二人で手を取って支え合う。

 感じる熱さは収まらない。むしろますますヒートアップし、限界に達しようとしていた。

 

『あ、ああ……!』

『う、んん……!』

 

 

 ***

 

 

 気が付くと俺は、地面に投げ出されていた。どうやら気を失ってしまっていたらしい。

 いつの間にか着いていたのか。

 身体を起こして辺りを見回してみると、どうやら何の変哲もない森のようだ。青々と茂る草木がどこまでも広がっていた。

 すぐ横に「私」が倒れていたので、声をかける。

 

「おい。大丈夫か」

「う、うーん……何とか」

 

 よかった。二人とも無事だったようだ。

 

 ……二人とも?

 

「「あれ?」」

 

 ばっと立ち上がり、目を見合わせる。

 俺はちゃんと服を着ている。「私」はなぜか素っ裸だ。

 そこは大した問題じゃない。いやそこも問題だけど。

 

「「え」」

 

 いや。いやいや。おかしい。絶対におかしい。

 だってそもそもここは森で――『心の世界』じゃ――

 

 気付いて、素っ頓狂な叫び声を上げたのは、同時だった。

 

「「ええーーーーーーーーっ!?」」

 

 互いを指さして、盛大にハモる。

 

「「どうして君(あなた)が、ここに!?」」

 

 これが、この世界での大変な旅の始まりだった。



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2「身体が二つに分かれちゃった!?」

「何がどうしてこんなことになってるんだ」

「私たちは二人で一つなのに」

 

『心の世界』では別個の精神と肉体を持つ俺たちだが、現実世界の肉体は当然一つしかない。現れることが可能なのは、常にどちらか一方のみだった。

 男の身体は気力を使ったことが得意だが、魔力は一切持っていない。逆に女の身体は魔力を使ったことが得意で、気力は一切持っていない。

 二つの身体は互いに補完し合う関係だ。

 女でしかできないことも多いので、俺は場面に応じてよく二つの身体を使い分けていた。

 どうするかというと、自分の能力【神の器】を使うことで、この身を強引に変化させるのだ。

 俺は『心の世界』にあるものを、自由かつ瞬時に現実世界へ出し入れすることができる。まあ言ってみれば倉庫みたいなものだ。そして出し入れできるのは、俺の肉体や「私」の肉体であっても例外ではなかった。

 そこで、男から女に変身するときは、男の肉体をしまうと同時に女の肉体を出す。女から男へ変身するときもまたしかりである。このようにして、俺は男にも女にも自由自在に変身できた。

 ただし、女になるときにそのまま素直に変身すると、精神が男のままになってしまう。この状態だと違和感が強くてどうにも落ち着かなかった。

 前に俺っ娘って言われて恥ずかしかったし……。

 というわけで、女でいるときはいつも「私」に協力してもらうようにしている。変身のときに俺の精神を「私」の精神と融合させることで、女として違和感のない私を作り上げてもらっていた。

 そんな周りくどいことをしなくても、女でいるときは「私」に任せて動いてもらえばいいじゃないかと思うかもしれない。でもそれは基本的にできない。

 俺自身は対等と思っていても、そこは主人格と副人格の差なのか。「私」が単独で肉体を操るのは、かなり負担のかかる行為のようだ。あまり無理をすると「私」は気を失ってしまう。

「私」が単独で動けるのは、俺が一時的に身体の使用権を貸し与えるか、親友のフェバルであるレンクスが【反逆】の能力を使ってサポートしてくれるときか、俺が気を失っていて表に現れるのに抵抗がないときくらいだった。

 長々と説明したけど、つまり「私」はあくまで徹底して裏のサポート役であって、直接表に出て来ることは滅多になかったんだ。これまでは。

 ところが今、俺と「私」はそのまま二人とも現実世界に出てきてしまっている。

 これはあり得ない異常事態だった。

 

「星脈の異常が影響したとか?」

「わからない」

 

 あの異常な揺らぎと熱さが原因のような気がしてならないが、まるでさっぱりわからなかった。

 こんなことは初めてなので、「私」が本当に大丈夫なのか心配だ。

「私」の肉体は、子供だった当時の俺が創り上げたものであって、単独で生命活動が可能なものではない。『心の世界』を通じて、俺から生命エネルギーを供給されることで動いている。肉体が離れてしまったことで、急に動けなくなったり、消えちゃったりしないだろうかと、不安でならない。

 

「大丈夫? 特に変なところはない?」

 

「私」は自分の身体を確かめるように撫で回す。素っ裸なのでどうにも目のやり場に困る光景だった。

 

「今のところは。心配してくれてありがと。それに」

 

「私」はにこっと微笑んだ。

 

『こんな状態でも、一応ちゃんと繋がってるみたいだよ。ほら』

『あ、ほんとだ』

 

 念話が通じたことでひとまずほっとする。『心の世界』で接続されているなら、おそらくエネルギーもしっかり供給されているだろう。

「私」はうんと伸びをして深呼吸した。剥き出しの胸がぐっと強調されて、思わず目線が止まる。

『心の世界』でも、自分が女になっているときにも普段見慣れているはずなのに。

 こちらで見るとそそり立つものがあった。男なら誰でも釘付けになる綺麗なおっぱいだ。

 いや、落ち着け。相手は「私」だぞ。リルナじゃないんだ。

 久しぶりに外の世界に直に触れるのが楽しいのか、「私」はうきうきした顔で辺りを見回している。

 ややあって、俺を見つめて言った。

 

「でも、このままでいるのは怖いよね。ねえ、ちょっとくっついてみていい?」

「あ、ああ。そうだね。試してみようか」

 

 くっつく。

 

「私」は俺との融合のことを、よくそう表現するのだった。

「私」が平気な顔で歩み寄ってくるので、俺も内心落ち着かなかったが努めて平静な顔を装う。

 もう一歩もない距離で、きょとんとしてこちらを見つめている。

 何だと思ったら、

 

「ほら。脱いで。上着たままじゃくっつけないよ」

「え、うん」

 

 って、脱ぐのか!?

 

 そうだった。流れで軽く頷いちゃったけど、これって結構まずいんじゃないのか。

 つまりこっちの世界で、俺と「私」が裸で抱き合うわけで……。

 じっと可愛らしい目で促してくる。さも当たり前のような顔で。君は恥ずかしくないのか?

 ……まあ誰も見てないわけだし、試さない手もないよな。

 元に戻れるならそれに越したことはない。

 意を決して、黒のジャケットを脱ぎにかかる。前の世界で買った最近お気に入りの一品だ。

 お互い生まれたままの姿になって、立ったまま抱き合った。

 

「あれ。おかしいな」

「くっつかないね」

 

 いつもなら溶け込むようにして、入り込んでいくはずなのに。

 何も起こらない。ただ抱き締め合っているだけで、ぴくりともしない。

 

「なんでだろ」

 

 コツンと額を合わせてきた。これ以上なく近い距離で、目と目が合う。

 俺はそわそわして、もう仕方がなかった。

 な、生身の感覚が。やばい。

 普段『心の世界』でくっつくときは、丸ごとすーっと入って来て、温かくて安心する感じなのに。

 肌のところで止まっているせいで、肉感がすごいんだ。

 くらくらするような甘ったるい匂いもする。君ってそんなに女だったっけ。

 特にむにゅんむにゅんと押し潰れてくるものが。ボリュームが。柔らかさが。

 くっつこうとしてさらにぐいぐい押し付けてくるものだから、俺の心臓は跳び上がった。

 自分の身体ながら、なんて破壊力なんだ。

 

「ユウ。どうしたの? 顔赤いよ。それに――」

 

「私」が下を見て、苦笑いする。

 

「え、ええと」

 

 俺はしどろもどろになりながら「私」を引き離し、何とか言葉を紡ぎ出した。

 

「あ、あのさ! とりあえず、服着よう! 服!」

「……まあ、そうね。くっつけないみたいだし」

 

 普段から裸を見せ慣れている俺の前ではまったく抵抗がないのか、「私」はあっけらかんとしている。

 これ以上はまずい。目に毒だ。『心の世界』だと平気でも、こっちだとどうも。

 すぐに『心の世界』から服を取り出そうと試みる。

 服、と念じて探ると、女性用のパンツ、ブラ、スカートとシャツの一式が意識に留まった。前にいた世界で購入してしまっておいたものだ。

 掌をかざして出ろと念じると、何もない空間からぱっと服が現れた。

 よかった。どうやら能力はそのまま使えるらしい。

 

「ドラ○もんみたいだよね」

 

 何でも出て来るよねと、「私」がしげしげと頷く。

 それに同意しながらも、

 

「さあ、誰も来ないうちに」

 

 と、服を突き出して促した。

 ここが人気のない森でよかった。こんなところを見られたら、情事の真っ最中だと思われるに違いない。

 自分同士でそんなことをする気にはとてもならないが、他人には伝わりようもない。恥ずかしい誤解をされることだけは避けたい。

 

 と、そんなことを思っていたときだった。

 

「あなたたち――まあ――」

「「ふぇっ!?」」

 

 振り返ると、流れるような銀髪の若い女性が「うわあ」という感じで目を覆っていた。

 

 ああ!? なんで!? なんでいるの!?

 

 さすがに「私」も恥ずかしくなったのか、顔をりんごのように真っ赤にして、気まずそうにこちらへ視線を送る。

 もはやどう考えても、取り繕いようがなく。

 最悪だ。厄世界だ。死にたい。

 

「この未開の森で……大胆ね」

 

 いかにも冒険者然とした格好の彼女は、どこか躊躇いがちに、どこか感心したようにこちらを伺っている。

 気まずい。

 なぜだ。どうして接近がわからなかったんだ。

 

 ……気力の反応がない?

 

 生命なら必ず持っているはずの気力が、なぜか彼女からは一切感じられなかった。

 まさか、またロボットとか? そんな馬鹿な。

 すっかり混乱していると、銀髪の女性は眉をひそめて言った。

 

「もうすぐランドの奴が追いついて来るわ。その前に服を着なよ。野郎に裸は見られたくないでしょ?」

 

 どうやらもう一人いるらしかった。

 とりあえず素直に忠告に従い、慌てて服を着ることにしたのだった。



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3「「私」はユイ」

 後で振り返ってみるとどうしようもない絵面だったが、俺たちはとにかくパニクっていた。

 色々隠すことも忘れてバタバタと着替えた。冒険者風の彼女がさりげなく目を逸らしてくれたのはありがたかった。

 ちょうど上着を袖に滑らせたギリギリのタイミングで、銀髪の彼女と対照的な金髪の男の冒険者が、木々の合間を縫って現れた。金髪と言っても、レンクスのような鮮やかな色合いではなく、少し黒みがかった落ち着いた感じの色だ。

 横に目を向けると、「私」も間に合ったようだ。

 

「ありゃ? 一番乗りだと思ってたのに」

 

 若々しい男は、悔しそうに頭を掻いた。

 不思議なことに、やはりこの男からも気は感じられない。

 

「先客がいたのよ」 

「ふうん。こんなところまで進んで来るなんて、相当な実力者には違いないけど。見ない顔だな」

 

 男が品定めするように俺と「私」をじろじろと見回す。

 まあ俺たちは別に進んで来たわけではなく、降り立った先がたまたまここだったというだけなんだけど。

 

「あんた、名は? 俺はランド。ランド・サンダイン。今売り出し中の若手冒険者だ。そこのシルとコンビを組んでる」

「シルヴィア・クラウディよ。シルって呼んで」

 

 彼女は自分の胸を指して、朗らかな笑顔を作った。二人とも人当たりの良さそうな感じだ。

 

「俺はユウ。旅をしている」

「だと思ったよ。随分旅慣れしてる感じだ」

 

 ランドが頷く。

 いつの間にか俺にも旅人としての風格が身についてしまったのか、そんな風に見られることが多くなっていた。

 

「あなたは?」

 

 シルが「私」を促す。

「私」は先ほどからだんまりを決め込んでいたのだが、間もなく理由がわかった。

 

「えーと。私は――」

 

 どうにも困ったという顔で、こちらに助けを求める目を向けてくる。

 そうだった。「私」には名前がなかった。

 今までずっと二人でいたからね。名前なんて決めてなくても普通に通じたけど、これからはそういうわけにはいかないよな。俺と同じユウだと名乗るわけにもいかないし。

 念話で協力しようとしたところで、「私」は何か名案を思い付いたのか、途端ににこにこ顔になった。

 ぎゅっと俺に腕を絡めて、

 

「姉のユイです」

 

 堂々と名乗る。

 

 ……はい? 姉ちゃん?

 

 俺はぽかんとして、密着した「私」の横顔を何となしに見つめた。「私」は話を合わせろとぐいぐい肘を押し付けてくる。

 こうなったら仕方ない。

 

「あ、ああ。そうなんだ。俺たち、姉弟なんだよ」

「へえ。姉弟で旅か。仲の良いことで」

「あー……お姉さんでした、か」

 

 何も目撃していないランドは平然としていたが。

 シルヴィアの目が、まるで見てはいけないものを見てしまったかのように、さーっと引いていく。どん引きしている。

 うわあ。ほらやっぱり。姉ちゃんなんて言うから、すっごいあらぬ方向に勘違いされてるじゃないか!

 

『なあ。まずいよこれ』

『いいのよ。見られてしまったものは仕方ない。まだ相手が女の子でよかったと思おう』

 

 そこで開き直るか。

 

『というか、なんで姉ちゃんなの?』

 

 これまでも何かとしょっちゅう姉ちゃん面してくることはあったけど、生まれた順番で言ったら一応俺の方が先になるんじゃないのか。君は俺が子供のときに現れた人格なわけだし。

 

『ほら。そこは、ユウって可愛い弟みたいなものだし』

 

 愛おしそうに、肩に頬をすりすりされる。

 彼女は俺が小さいときからずっとこんな感じだ。いくつになっても愛されているというか。可愛がられているというか。

 

『ユイって名前は?』

『あなたの「一個上」だから』

『ああ。なるほど』

 

 あいうえお順でユウの一個上だからユイというわけだ。

 

『即興で考えた割にはしっくりくる名前でしょ?』

『そうだね』

 

 と、互いに見つめ合って念話を交わしていると。

 

「おい……。仲が良いのは結構なことなんだけどさ」

「そろそろ二人だけの世界から帰ってきてくれないかしら?」

 

 あ。

 我に返ってみれば、二人はやや引き気味に苦笑いしていた。

 そうだった。いつも『心の世界』の中だと時の流れが遅いから、好きなだけ話し込んじゃうんだけど。ここだとまずい。

 

『これから気を付けないとな。えーと、ユイ』

 

 まだ呼び慣れない感じがするが、少しずつ使っていこう。なんかむず痒い感じがするけど。

 

『オーケー』

 

「私」改めユイは、絡めていた腕を緩めた。ただ、さりげなく袖を掴むのは止めなかった。

 

「ところで。こんな未開の森の奥深くまで、どんな用で来たんだ?」

「そうよ。冒険者でもないのに。まだ地図も出来上がっていないような場所よ。人里もないし」

 

 どうも二人の口ぶりだと、ここはそれなりの秘境らしい。

 まあ適当に迷っていたことにしておけば問題ないだろう。

 

「「それなんだけど」」

 

 偶然にも、ユイと声が被ってしまった。

 たまにあることだ。気を取り直して。

 

「「えーと」」

 

 俺とユイは、はっと顔を見合わせる。

 またか。稀にあるよね。

 互いに頷き合わせて、

 

「「実は」」

「「…………」」

 

 どうして一緒に喋るんだと、非難めいた視線をぶつけられる。たぶん俺の方も同じ目をしていた。

 よし。今度こそ。

 

「「それが」」

「「…………」」

 

 どうしよう。ハモる!

 

 そうだよ。よく考えてみたら、元は同じような人間が二人に分かれたわけだからな。考えることとかタイミングとか、色々被っちゃうんじゃないのか?

 だったら、君の方にはちょっと黙っていてもらった方がいいのかも。

 

「「ちょっと君|(あなた)は」」

「「……はあ?」」

 

 二人で同時に指を差し合った。鏡のように対照的な動きだった。

 たまらなかったのか、ランドが腹を抱えて大笑いし出した。

 

「あっはっは! なんだそれ! 寸劇でもやってるのか!」

「あなたたち、変よ!」

 

 シルも何かおかしいとは思っている様子だが、堪え切れずに笑い声を漏らしている。

 頬が熱い。物凄く恥ずかしくなってきたぞ。

 いけない。落ち着け。

 こほんと咳払いする。そのタイミングまで完璧に一緒だった。ランドは転げ回りそうになっていた。

 ああ、もう!

 

『『とりあえず』』

『………………』『…………どうぞ』

『とりあえず俺から説明するから、少し黙ってて!』

『う、うん。わかった!』

 

 顔を真っ赤にしてしおらしく黙り込んだユイを尻目に、俺は改めて咳払いして、事情の説明を始めた。

 気ままな旅をしていたが、道を見失ってしばらく当てもなく彷徨っていた。食べ物はそこらで採っていたから問題はなかったというようなことを、もっともらしい感じで言っておいた。

 人が素直なのか、二人はすんなりと信じてくれたようだった。

 

「ほほう。それでよく生き残って来られたなあ。この辺りには危険生物もたくさんいるのに」

 

 ランドはすっかり感心した様子だった。

 

「極限環境で姉弟二人きりねえ。寒い夜には二人肌を合わせて、禁断の……」

「禁断の何だって?」

「いいえ。何でもないわ」

 

 尋ねるランドに、シルは愛想笑いを浮かべて誤魔化した。とんでもない勘違いがすっかり板について、彼女はいけない妄想を膨らませてしまっているようだった。自業自得とは言え、頭が痛いよ。

 ユイの方も溜め息を吐いていた。俺たちは別にそういうのじゃないのにな。

 と、ランドが思い付いたように言った。

 

「そうだ。道に迷ってたということならさ。俺らと一緒に来るかい? キャンプ地まで送ってやるよ」

「賛成。旅は道連れって言うものね」

 

 願ってもない提案だった。世界のことを何も知らないうちは、事情をよく知る人間に案内してもらえるのは非常に助かる。

 

「ええ。じゃあお言葉に甘えて」

「よろしくお願いします」

 

 四人パーティーを組んだ俺たちは、鬱蒼と茂る森の中を、旅慣れた足取りで歩き始めた。



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4「冒険者の町レジンバーク」

 シルが先導し、ランドがその一歩後ろ、俺とユイがさらに二、三歩後ろを横並びで歩いていった。

 黒茶色の地面に木の根が無尽に張り巡らされている。頭上は木の葉が蓋をして日光の届きが悪く、草の生え方はまばらだった。所々ぬかるんではいるが、足を取られるほどではない。

 

「魔力でマークを付けているから、道に迷うことはないわよ」

 

 シルがこちらを軽く振り向いてそう言った。

 魔法が使える世界では、道しるべに魔力でマークを付けておくのは一般的な方法だ。魔素を始めとする魔力要素は、使用者の体内に取り込まれた時点で個人固有の波長を持つようになる。それを放出して固めておけば、錬度や場所にもよるが、数か月から数年程度は霧散させないでその場に残しておくことが可能だ。

 もっとも、俺の身体は魔力がまったく扱えないし、感知も一切できないから、何をやっているのか知ることは不可能なんだけど。それが得意なのはユイの方だ。

 ふとユイの顔を見ると、彼女は首を傾げていた。

 

『おかしいなあ』

『どうした。ユイ』

『さっきから魔力を辿っていると言っているのに、それが一切感じられないの』

 

 マジか。気力だけでなく魔力までわからないとは。

 

『ああ。俺もだよ。二人から一切気力が感じ取れないんだ』

『え、そうなんだ。でもどう見たって二人とも普通の人間だよね』

『だよね』

 

 不思議だ。ユイとはなぜか分かれてしまうし、この世界は何か普通じゃないのかもしれないな。

 

「そう言えば、二人はどうして冒険者をやってるんだ」

 

 話題になればと振ってみたところ。

 ランドがにやりと笑って、待ってましたという調子で答えた。

 

「俺たちはな。世界の果て――ワールド・エンドを目指しているんだ」

「「へえ」」

 

 相槌がユイとぴったり被ったが、そのくらいはもうあまり気にしないことにした。

 世界の果てか。それはまた壮大な話だな。

 何か言おうと思ったが、その前に。

 ユイと頷き合わせる。

 何かを話すときは念で軽く確認を入れて、同時にならないようにしようというルールを今二人で決めた。そう何度もハモってたら恥ずかしいからね。

 今回はユイが口を開くことにした。

 

「世界の果て、ねえ。そんなもの本当にあるのかな」

 

 と、疑問を呈する。

 まあそう言いたくなってしまうのはもっともか。地球は結局丸かったわけだし、星は普通丸いものだ。

 わかっている立場からすれば、存在しないであろうものを追いかけているのは、どうしても無駄なように思えてしまう。

 

「わからない。だからこそ、そこに何があるのか。ただ気になるから冒険するのが冒険者ってものじゃない?」

「そうさ。俺たちはいつか世界の果てを解き明かす。わくわくするよな!」

 

 シルとランドが誇らしげに答えた。

 なるほど、とユイが納得して頷く。

 そうだな。この世界が実際どうなっているかなんてわからないし、人の夢にケチをつけるものじゃないよな。

 

「冒険者か。楽しそうだな」

「おう。大変なこともあるが、毎日が楽しいぜ」

「生計はどうやって立ててるんだ」

「私たちは開拓者をやってるの。まだまだこの世界には未開の地がたくさんあるわ。新しい土地を見つけたら、そこを記録して情報を売る」

「二束三文の場合も多いが、良い土地ならまとまった金になる」

「他にはどんな種類の冒険者がいるの?」

 

 今度はユイが尋ねた。ランドが顎に手を添える。

 

「そうだな……。例えばハンターとか商人とか。賞金稼ぎやってるのもいるな」

 

 魔獣ハンターなら以前やったことがある。未開の地を切り拓くというのも中々素敵な響きだ。今回はそういうことをやって生計を立てるのも悪くないかもしれないな。

 

『どうする? 冒険者、面白そうじゃないか』

『ユウって昔からゲームとか冒険とか、ほんとそういうの好きだよね』

『まあね。いかにも異世界って感じで楽しいだろ。ユイも付き合ってくれるよな』

『ふふ。もちろん。私はいつもユウと一緒だよ』

 

 やっぱりユイは心強いな。

 

「俺たちも冒険者という仕事に興味が出て来たよ。なるにはどうしたらいいんだろう」

「それなら、レジンバークに冒険者ギルドがある。そこで登録すればいい」

「なるほど。それで、レジンバークというのはどこにあるのかな?」

「「レジンバークを知らないだあ(ですって)!?」」

 

 二人とも、びっくり仰天して目を丸くしていた。

 

「ミッドオールに来るとき、通ってきただろうが!」

「フロンタイムからこの大陸に渡ってくるとき、誰でも必ず橋を渡って来るでしょう? エディン大橋! ほら、港町のナーベイから渡ってきた先にあるあの大きな町よ!」

「ああ。あそこがそうだったのか。ほとんど素通りしちゃったからな」

 

 何も知らないが、とりあえず適当に相槌を打ってみるものの。

 二人はどうも釈然としない様子だった。

 

「あり得ないだろ。まさか、魔のガーム海域を通って……」

「冗談はよして。あんなところに行って生きて帰って来られるのは、剣麗レオンくらいのものよ」

 

 俺はユイと目を見合わせた。

 レオンとかいう人のことも少し気になったが、これ以上無知を晒すのはまずいだろう。

 ここは一旦スルーして。

 

「悪いけど、よかったら冒険者ギルドがどこにあるのか、詳しく教えてくれないか?」

 

 ランドがやれやれと頭を掻いた。

 

「はあ……仕方ない。ここまで来たら縁だ。冒険者登録まで付き合ってやるよ」

「「ありがとう」」

 

 礼を言うと、二人もまんざらでもなさそうな笑顔を見せた。結構気の良い人たちなんだろうなと思う。

 

「でもあなたたち、まだ子供よね。一応ギルドにも14歳以上の年齢制限があって。まあ大丈夫だと思うけど、いくつかしら?」

 

 そこはユイが正直に答えた。

 

「これでも一応25なの。二人ともね」

「「はああああ!?」」

 

 二人が揃って素っ頓狂な声を上げ、こちらを指差した。俺とユイみたいに息がぴったりだった。

 

「うっそだろ! ぜんっぜん見えねえ!」

「15か16かその辺りにしか見えないわよ!」

 

 うん。まあ実際肉体年齢的にはその通りなんだけど。

 元々童顔なのもあって、フェバルになって成長が止まったせいで、一人前の大人に見てもらえないことが結構多いんだよな。

 溜め息を吐いた。またユイとシンクロしていた。

 ユイはそのまま年齢を言ったことを後悔しているようだった。

 

『そろそろ初対面の人には18歳ですって言うようにしようかな?』

『その方がいいかも。30とかになっちゃったら絶対嘘だと思われる』

 

「俺たち21だぜ。年上だったのかよ」

「信じられないわ……」

 

 こういうのもなんだけど。自分でもまだ25って感じがしないんだよな。

 精神状態も10代の感覚のままで止まっているというか。あまり年を取った気がしない。肉体が精神を引っ張るというのは本当なのかもしれないな。

 

 

 ***

 

 

 日が傾きかけてきた頃、ランドとシルが言っていたキャンプ地にようやく着いた。

 森の中に作られたキャンプ地には、テントが合計で十ほど張ってあった。木が切り倒された跡があり、さらに辺り一帯の地面が人の手でならされた形跡がある。この世界に魔法があるのなら、そんなに大変な作業ではないだろう。

 重装備の中年男が、見張りで立っていた。

 ランドが声をかける。

 

「よう。ジム」

「ランドとシルヴィアか。随分帰って来るのが早かったな。そちちのお二人さんは?」

「こちらは旅人のユウとユイだ」

「初めまして。ユウです」「ユイです」

 

 揃って挨拶すると、ジムはしわくちゃで人当たりの良い笑顔を返してくれた。

 

「驚けジム。こいつら、俺たちより先行してたんだぜ」

「ほう! そいつは驚いた! 俺たちが一番乗りだと思ってたのに!」

「ええ。私も驚いたわ。特にあんなことしてたらね……」

「へえ。どんなことなんだ?」

 

 シルが喋っちゃおうかなという素振りを見せたので、俺は慌てて耳打ちした。

 あらぬ誤解が広まるのは本当に困る。

 

(頼むみんなには内緒にして!)

(さあ。どうしようかしら)

 

 すっとぼけた顔をしたが、結局何だかんだ黙っていてくれた。

 俺とユイはほっと胸を撫で下ろす。

 

「レジンバークに行くなら、そこにワープクリスタルがあるわ」

 

 シルが指差した先には、人ほどの大きさがある結晶が地面すれすれに浮いていた。

 透き通るような水色の光を湛えている。とても綺麗だった。

 

「ワープクリスタルなんてものが?」

 

 そんなものがあるのかという驚きだったが、ランドは違う意味で好都合に捉えて、誇らしげに説明してくれた。

 

「驚いただろ? 普通は町単位で多くて数個しかない貴重品だからな。豪邸が三つ建てられるほどの値がする代物でね。俺たち開拓組で金出し合って、やっと一つだけ買えたのさ」

「未開の地を本格的に旅するには必須だものね」

「戻るのか?」

 

 ジムの問いかけに、ランドは頷いた。

 

「ああ。この二人を冒険者ギルドに紹介してくる。ちょうどいいから、装備の点検と物資の補充も済ませてくる。明後日には戻るさ」

「わかった。他の仲間に伝えとくぜ」

「よろしくね。ジム」

 

 ワープクリスタルの前に立ち、四人で手をかざす。手を触れているわけでもないのに、ひんやりとした感覚があった。

 

「イクスペル・ラン! レジンバーク!」

 

 ランドが宣言すると。

 次の瞬間には、別のクリスタルの前にいた。

 

 目の前には橋が架かっていた。

 向こうがまるで見えないほど、どこまでも続く大きな大きな石造りの橋だった。

 幅もとても広く、戦車が何十台も横並びで通れそうだ。両端には荘厳なアーチが虹の軌跡を描いている。夕日が細く長く影を作っていた。

 吹き抜ける風は強く爽やかで心地良かった。風に吹かれながら、意味もなく格好付けて佇んでみたくなる光景だ。

 ユイは、久しぶりに直接目にする外界に感動しているようだった。二歩、三歩前に出て、橋に見とれている。

 艶のある黒髪が夕焼けに映えて、キラキラとなびいていた。これが結構絵になっているというか、俺って女のときは周りからこういう風に見えるのか。

 

「エディン大橋。何度見ても圧倒されるわね……」

「すべてはここから始まったんだよな……」

 

 シルとランドが、感慨深げに呟く。

 

「新天地を夢見る者たちは、先進区フロンタイムより、全員がこの橋を渡って未開区ミッドオールへやって来る。その玄関口が――」

 

 ランドが振り返る。

 一緒に振り返ると、これまた巨大な石の門があった。

 それは完全に開かれていた。向こうには、赤レンガの建物がいくつも立ち並んでいる。向こうでは風車が回っている。のどかな風景だ。

 シルがそっと続ける。

 

「可能性の地。ここは夢見る者を誰一人として拒まない」

「普通は、誰かが言ってくれるもんなんだけどなあ」

 

 ランドがどこか気恥ずかしそうに鼻をさすって、そして胸を張って告げた。

 

「ようこそ。冒険者の町レジンバークへ」



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5「冒険者ギルドに行こう」

 レジンバークの街並みは、まるで巨大な迷路のように複雑に入り組んでいた。

 大通りと呼べるものがまずほとんど見当たらない。家や小路の並び方も構造もまちまちで、唯一綺麗に揃っているものは赤レンガの色並みだけである。町一つが大きなダンジョンのようだった。

 歩きながら、ランドは懐かしいものでも見るかのように目を細める。

 

「最初のうちはみんな好き勝手家をおっ建てたもんだからさ」

「都市計画も何もあったもんじゃない」

「まるでごった煮だね」

 

 ユイが面白そうにあちこちをきょろきょろしている。

 

「でも楽しい」

「だろ?」

「私も好きよ。この町」

 

 二人が自慢げにウインクする。実際ユイの言う通り、ごちゃごちゃして楽しい街並みだった。

 人々の顔は明るい。大声で売り込みをしている人。自転車で配達をしている人。剣を携えて意気揚々と歩く冒険者らしき人。鬼ごっこでもやっているのか、楽しそうに走り回る子供たち。あちこちから活気が漏れ聞こえてくる。

 そして、炸裂する爆発音。燃え上がる家。屋根を飛び移る怪しい人影。黒こげで笑う女性。雄叫びを上げるおっさん。すぐ横を通過する雷撃魔法。突如飛来するコッペパン。バックステップで駆け抜ける全裸男。包丁を振り回し店に飛び込む主婦。壁を突き抜けて吹っ飛んでいく大男。

 

 あれ? 何かおかしいぞ。

 

「いいのか」

「何が?」

「いや、あれとか。止めなくて」

 

 目の前では、若い男女が取っ組み合いをしていた。

 男の顔には引っ掻き傷ができており、女の顔は腫れ上がっている。

 今は互いに頬をつねり合っている。周りの野次馬がはやし立てている。

 横では目敏い商人がドリンクを売り始めた。

 

「私の方があなたを愛してるわ!」

「いいや。僕の方がずっと君を愛してるよ!」

 

 じゃあなぜそんなボロボロになるまで喧嘩を。

 思わず突っ込みたくなったが、そこで二人は飛び退いて構えた。

 

「火の精霊よ。この分からず屋に私の愛を刻み付けて! 《クレリファイ》!」

「火の精霊よ。この強情女に僕の愛を教えろ! 《クレリファイ》!」

 

 両者の掌から同時に真っ赤な炎が飛び出した。それらは中央でぶつかり、激しく燃え上がって、美しいハートマークを作り上げる。

 野次馬からヒューヒューと黄色い歓声が上がる。

 

「中々やるようね! さすが私の男!」

「君こそ! 僕の見初めた女だ!」

「「愛してる~~~~~!」」

 

 二人は飛び込み、拳を合わせた。カッと閃光が生じて、二人を中心に愛の大爆発が巻き起こる。

 野次馬はというと、防御魔法を張ってしっかり防いでいた。

 ぽかんと眺める俺とユイに、

 

「こんなの日常茶飯事だから」

 

 シルが事もなげに言った。

 

 …………。

 

『ユイ。俺、早くもこの旅が心配になってきた』

『奇遇だね。私も同じこと思ってたところ』

 

 

 ***

 

 

 やがて少し広い通りに出て、しばらく歩くと。

 赤レンガの建物の中で一際目立つ、白塗りのバカでかい建物があった。

 

「着いたぞ。道案内は終わりだな」

 

 どうやらあれが冒険者ギルドのようだ。

 近寄ってみれば、確かに大きな木の看板にでかでかと名前が書いてあった。

 

「じゃあ私たちはここで。しっかりね」

「本当にありがとう」

「助かったわ」

 

 そこでシルが、思い出したように言った。

 

「あ、そうだった。登録料として50ジット必要だけど、お金は――」

 

 俺とユイは苦笑いして首を横に振る。

 そうか。登録料が必要なのか。

 

「仕方ない。貸しといてやるよ」

 

 ランドが腰のポケットに手を入れて、くたびれた皮の財布を取り出す。

 俺は待ったをかけた。

 

「さすがにそれは悪いよ。物と交換でいこう」

「そうか?」

 

 ポケットから取り出す振りをして、『心の世界』から金になりそうな物を探す。

 あった。これでいいだろう。大きさも申し分ない。

 

「砂金の粒だ。いくらになる」

「へえ。良い物持ってるじゃないか。シル。見立ては得意だろ」

「はいはい」

 

 シルはランドの手から砂金の粒をひょいと摘み上げて、つぶさに観察した。

 

「この純度と大きさだと……ま、500ジットってとこかな」

 

 ランド財布からくしゃくしゃの札を五枚掴んで渡す。

 

「ほい」

「どうも」

 

 券面に100ジットと書かれたお札には、ラナという名の綺麗な女性の肖像が描かれていた。偽造防止の透かしまできっちりと入っている。

 

「後でこいつを800ジットで売ってくる。利益は手間賃として頂くよ」

 

 ランドは「はは」とやや呆れた微笑をもらした。

 

「結構ぼったくるなあ。あと100ジットくれてやってもいいんじゃないか」

「ランドは甘い。私たちは慈善事業でやってるんじゃないの。私の交渉術があっての売値なんだから。こんな甘ったるい顔したカモじゃ200とかで安く買い叩かれるのがオチよ」

 

 甘ったるいって。

 ユイと顔を見合わせる。

 

「それは……まあそうかもな」

 

 ランドまで同意した。俺たちってやっぱりそんな風に見えるのか。

 

「いいよいいよ。当面生活できるお金があれば」

 

 そこからは自分たちで何とかするさ。

 

「よしよし。わかってるじゃない。素直だと助かるね」

 

 シルは満足顔で砂金を握った。

 ユイがさりげなく尋ねる。

 

「この辺で安い宿だけど、知らない?」

「ならそこのギルドでいいぞ。宿や酒場も運営してて、確か30ジットくらいで泊まれたはずだ」

「わかった。ほんと何から何までありがとう」

「いいってことよ。じゃあ、俺たちは別の用事があるから。またそのうちな」

「うん。また」

 

 二人で手を振って、一旦別れを告げた。

 

 

 ***

 

 

「「はぁぁーー」」

 

 俺たちは酒場のテーブルに向かい合って座り、一緒に突っ伏したのだった。

 

「疲れたね」

「ほんと」

 

 仲良く目と鼻の先に顔を突き合わせて、笑い合う。

 旅の初日というのは慣れないことの連続だし、気も張り詰めるしで本当に疲れるものだ。その疲労感も、こうしてくたばってみると心地良い。

 冒険者の登録はあっさりと済んだ。E~SSまでのランクがあって、ランクが一定以上ないと回って来ない依頼があるとか、素材の話とか報酬の話とか契約金の話とか、その辺りのことを長々と説明してもらった。

 何というか、一言で言うとゲームみたいな話だった。俺たちはもちろんEランクからのスタートである。

 ふとユイの胸に目が留まる。無造作にテーブルの上に放り出されて、むにゅんと潰れている。

 改めて見る側に回ってみると、我ながら結構なボリュームだよな。

 うわ。谷間までしっかり見えてる。

 だがユイは、どうも俺には見せても気にしないようだった。無防備な姿勢のまま、こちらに「ん?」とにこやかな微笑みを向けている。

 こいつ。『心の世界』だと平気なのにこっちだとつい反応してしまうからって、それが面白くてわざとやってるんじゃないだろうな。

 俺は慌てて胸から目を逸らして、顔をしっかりと見て聞いた。

 

「これからどうする?」

「とりあえず夕飯にしない?」

「賛成」

 

 ちょうど二人してタイミングよくお腹が鳴ったところだった。

 メニューを開いて、あれこれ話し合いながら悩む。こういうのってどれも美味しそうに見えてきて、中々決まらないんだよね。

 しばらくすると、エプロン服を着た可愛らしいウェイトレスがやってきた。茶色の髪を後ろで束ねている。

 

「ご注文は決まりましたか?」

「うーん。おすすめって何かあるかな」

「でしたら本日は、冒険お疲れがっつりセットなどいかがでしょうか?」

「じゃあそれで」

「私も同じので」

「はい。お二つ、と。お酒はどうされます?」

「「ミルクで」」

 

 二人で即答した。お酒なんかもう二度と飲まない。飲むものか。

 料理が届くまで待っている間、俺とユイはくつろいでいた。もうすっかり日も暮れて、酒場はわいわいがやがやと騒がしい熱に満ちている。

 ユイが足をぷらぷらさせながら言った。

 

「なんかこういうの、新鮮だね」

「うん?」

「こうやって外の世界で、いつもはくっついてるユウと話をしてさ。他の人とも普通に話して」

 

 ユイはどことなく微笑ましいものを見る目で回りを眺め渡して、また俺に視線を戻した。

 

「旅してるとこういう不思議なこともあるんだね。私、今とっても楽しいよ」

「俺もだ。君と横並びで旅ができることが、とても楽しい」

 

 二人で頷き合う。何だか嬉しくなった。

 

「分かれてしまった原因は追々調べるとして。これからこの世界でたくさん思い出作っていこうな」

「おー」

 

 ユイとタッチを交わした。

 

 

 ***

 

 

 料理が来た。鉄板の上に野菜と肉が乗っかり、もうもうと湯気を上げている。

 さすががっつりセットというだけあって、物凄い肉のボリュームだ。

 

「「いただきます」」

 

 二人同時に一口。

 肉は羊のような味がして、大雑把な味付けながらたれも効いている。とてもおいしい。

 

「おいしいね」

「うん」

 

 今度レシピを調べて作ってみようかな。

 と、しばらく舌鼓を打っていると。

 突然向こうのテーブルから怒号が響き渡った。

 

「なんだあ! オレ様の言うことが聞けないってかあ!?」

「ひ、ひいぃ……」

 

 赤髪の大男が、中肉中背の男性を掴み上げていた。掴み上げられた彼は、額からダラダラと血を流している。

 

「報酬は全部オレ様のものだ! 当然だろうが!」

「そ、そんなぁ……」

 

 血を流している方は弱々しく抗議をするが、大男は聞く耳持たないようだった。

 そのうち、大男が面前で彼をぼこぼこに殴り始めた。彼が痛々しいうめき声を上げる。

 

「あーあ。またギンドの奴か」

「最近Bランクに上がったんだってよ」

「なまじ実力があるだけになあ……」

「ちょっとやり過ぎじゃないか」

 

 ひそひそと話し声が聞こえる。ギンドというらしい。

 

「ほっとくと飯がまずくなるな。止めさせよう」

「私が魔法でぱぱっとやっちゃおうか」

「いや。それには及ばないよ。俺が行ってくる」

 

 すると、冒険者お疲れがっつりセットを持ってきてくれたウェイトレスが、ギンドのところに歩み出た。果敢にも止めに入ったのだ。

 

「お客様。他のお客様の迷惑になりますので……」

「うるせえ!」

 

 乱暴に振り上げられた腕が彼女に襲い掛かる。

 

「ひっ!」

 

 彼女を傷付けるはずの拳は、しかし当たらなかった。

 咄嗟に割り込んだ俺は、ギンドの腕を片手で受け止めて、穏やかに声をかけた。

 

「まあまあ。ちょっと落ち着きなよ。ほら、みんな見てるよ」

「ああ!? 人様の事情に口出そうってのかあ!?」

 

 激高するギンドに対し、宥めすかすように言う。

 

「そう言わずにさ。一杯奢るから」

「はん。ガキが。オレ様を誰だと思ってやがる! Bランクのギンド様だぞ!」

 

 やれやれ。まいったな。完全に酔って頭に血が上ってるよ。

 

「てめえはどこのどいつだよ!」

「ユウ。ギルドには今日登録したばかりです。よろしく」

 

 ギンドがにやりと人の悪い笑みを浮かべた。まさかやるつもりだろうか。

 

「ほう。新人のEランクが生意気だな。これはたっぷり挨拶してやらねえとな!」

 

 あまりに安っぽい展開に、思わず苦笑いしそうになった。

 振りかかってきた拳は、想像以上に遅かった。これなら目を瞑っていても避けられそうだ。

 俺は必要最小限の動きで、彼の攻撃をかわし続ける。彼の拳は、すれすれのところを虚しく切っていった。

 

「いい加減落ち着けよ。何もするつもりはないから」

 

 しかし、年端もいかない(と思っている)ガキにコケにされるのは、彼のプライドが許さなかったようだ。

 今の動きで実力差に気付いてくれればよかったのだが。残念ながらそこまで利口ではなかった。

 

「く、く。このガキ! ちょこまかと舐めやがって! 本気で痛い目見ないとわからないようだな!」

 

 ギンドは剣を抜いた。

 まずいな。できるだけ穏便に済ませようと思ったが、さすがに許容できるレベルを超えている。

 仕方ない。これ以上続けて誰かが巻き込まれても危ないし。少し寝てもらうか。

 男が剣を振り下ろした瞬間、剣筋から一歩分だけ逸れて間合いを詰める。

 まず手首を手刀で打ち据えて、剣を取り落とさせた。

 早業に彼も何が起こっているのかわからないうちに、蹴りを繰り出す。

 無力化するだけだ。軽くでいいだろう。

 ちょっとだけ力を入れて。えい。

 

 

 ドッガラガッシャアアアアアアアアアアアアン!

 

 

 男は酒場入り口のドアを突き破って、勢い良くぶっ飛んでいった。

 

 ……あれ?

 

 向こう側の家の壁に強く叩き付けられた男は、ひっくり返った情けない格好で気絶して、ピクピクと痙攣している。

 

 ……あれぇ?

 

「すげえ! やるじゃねえか小僧!」

「あのいけすかねえギンドをぶっ飛ばすなんてよ!」

「スカっとしたぜ!」

 

 周りからやんややんやの大歓声が上がる。

 それをやらかした他ならぬ俺は、困惑の最中だった。

 軽く蹴っただけなのにどうして。吹っ飛び過ぎじゃないか?

 とりあえずドアを派手に壊してしまったので、酒場のマスターに頭を下げる。

 

「すみません。そのうち弁償しますので」

「いいんだよ。こんなのしょっちゅうあることだからね。それより私もスカッとしたよ。ミーシャを助けてくれてありがとう」

「ユウさん。ありがとうございました」

「い、いやあ。私も助かったよ」

 

 ウェイトレスのミーシャと、殴られていた男が頭を下げる。

 未だ混乱の抜けない俺は、とりあえず張り付いた笑顔で応じておく。

 

「ユウ。やり過ぎ」

 

 テーブルに戻ると、ユイにコツンと頭を叩かれてしまった。

 

「う、ごめん。あんなに派手に吹っ飛ばすつもりはなかったんだけど……」

「そうなの? 見てたけど、物凄い蹴りだったよ」

「そんなに?」

「そんなに」

 

 おかしいなあ。加減を間違えたかな。

 

 ともかく。少し冷めてしまったが、がっつりセットはボリューム抜群でおいしかった。

 腹も膨れた俺たちは、ギルドの宿を取って、この世界の初夜を過ごすことにしたのだった。



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6「ギルドの宿に二人でお泊り」

 一番安い料金の部屋を取った。備え付けの木製ベッドは粗末なもので部屋は狭かったが、小さいながらトイレもバスも付いている。十分過ぎるクオリティだ。ただし、部屋の鍵は壊れていた。

 

「一緒の部屋でよかったのか」

「一緒じゃないと私寂しいよ」

 

 それに節約するに越したことはないしね、とユイはにこっと微笑む。

 ずっとこんな調子でべったりだし、ブラコンの自称姉から離れるのは不可能だろう。

 俺も別に悪い気はしない。

 ……言っとくけど、シスコンじゃないからね。

 

『じー』

『ごめんなさい。シスコンです。ユイ姉ちゃんいないと寂しくてダメな子です』

『うんうん』

 

 心の地獄耳め。

 

 とりあえず汗でべたべたするので、シャワーを使うことにした。

 身体を流してさっぱりしたい。

 

「どっちが先に使う?」

「んー。ユウが先でいいよ。私はちょっと時間がかかるから」

 

 ユイはどこか含みのある笑みを浮かべて答えた。

 まあそうだよな。髪の手入れをしたり毛の処理したり色々と。俺が女のときには自分でやっていたことだ。

 

「じゃあお言葉に甘えて」

 

 バスルームに入り、最近お気に入りの黒ジャケットを脱ぐ。

 洗面台には鏡が付いていた。鏡には自分の上半身が映っている。

 フェバルとして覚醒したときと同じ16歳の、目立った傷の一つもない綺麗な身体だ。

 全身が傷だらけになったり腕が切り落とされたりしても、こうして世界を跨げば元通り。改めてとんでもない特性だよな。

 だが、まったく16歳のままというわけではない。

 いくつもの異世界の旅を経て、肉体は過酷な旅や戦闘にも耐え得る強さを得た。

 身軽さを一切殺さない細身のままで、全身が理想的なバランスで鍛え上げられている。長旅にも耐えられるよう脂肪も程良く残しつつ、強靭さと柔軟さを合わせ持つ筋肉を、日々の修行で徹底的に練り上げたのだ。

 これ以上純粋に肉体を強化するのは難しいだろう。

 通常の人間として到達し得る究極の強さを、種族限界級または許容性限界級という。地球で言えば、各種競技の世界記録保持者のような状態だ。

 人間という種族としての頭打ち。俺もユイも、おそらくそのレベルにはとっくに達している。

 エルンティアから先、さらなる修行を積んだが、素の実力の成長はほとんど感じられなかった。

 こうなってしまうと、フェバルの能力を鍛え上げることでしかさらなる高みは目指せない。

 そのことをはっきり自覚してから、俺は天与の能力を積極的に使用し、鍛えることを厭わなくなった。

 俺の能力は、使用が過ぎれば自制を失ってどうなるかわからない計り知れないリスクがある。だがそれに見合うほど強力無比な効用をもたらす。

 能力を活用し始めてから、まるで枷が外れたかのように俺の力は飛躍的に伸び始めた。

 今現在もその最中にある。時々、自分で自分の成長力を恐ろしく感じてしまうこともある。

 このまま力を付けていけば、いつかは他のフェバルにも追いつけるのではないかと期待したい……のだが。

 中々そうもいかないところもある。

 俺の力は、心の状態に強く依存する一方で、どうやら各世界の許容性にも著しく依存してしまう。他のフェバルが最初から世界という枠に囚われない超越者であるのに対して、俺は同じフェバルなのにも関わらず、あくまで世界の定める枠組みの中でしか能力を発揮できない。

 なぜかはよくわからない。

 レンクスは、俺とユイの身体はあくまで普通の人間のものに過ぎないからと推測していた。

 だとしたら、なぜ俺たちは完全なフェバルになり切れていないのだろうか。

 とにかく。

 地球なら地球の、この世界ならこの世界の法則に従い、常識的な範囲でしかまともに能力を使えないのだ。それ以上のポテンシャルを無理に開放すれば、能力は途端に自分へ牙を向くことになる。

 要するに、俺は常人に毛が生えた程度でしかなく。フェバルとしてはあまりにも弱いのだ。

 ただこのおかげで、俺は行く先々の現地人が畏怖するほどの化け物じみた強さを持たずに「済んでいた」。

 あいつらのように、世界を丸ごと弄ったりぶっ壊したりとかいう滅茶苦茶なことは、たとえやりたくてもできない。

 俺が気ままな旅をできるのも、人々と気兼ねなく触れ合えるのも、俺が弱いままだからだろう。

 そのことは嬉しく思う一方で、フェバル(化け物たち)にどう足掻いても太刀打ちできない現状を、やはりもどかしくも思うのだった。

 まだまだ強くならなければならないな。いざというとき、守りたいものを守れるように。

 

 と、そろそろシャワーを浴びようか。

 それにしてもこの身体、顔に似合わず結構ガチガチだよなあ。見た人にはちょくちょく驚かれたりするんだよね。でも、腕とか摘んでみると意外と柔らかかったりして。

 何となく胸をぺたんぺたんと触ってみた。返ってくるのは胸筋の弾力ばかりだ。

 ふと、酒場で目に留まったユイの胸が脳裏に浮かぶ。

 

 ……これが変身すると、あれに膨らむんだよな。

 

 改めてそんなことを思うと、もやもやしてきた。

 首を振って、とりあえずジーンズに手をかけたところで、

 

「ユウ。背中流してあげよっか」

 

 あれが入ってきた。

 

「うわあっ!」

 

 思わずさっと身構えてしまった。ユイはそんな俺を見て、軽く吹き出している。

 君も気配がないんだから、驚かせるなよ!

 ああ。まだ下脱いでなくてよかった。 

 

「な、なんで堂々と入ってくるんだよ……」

「別にいいじゃん。私とあなたの仲でしょ?」

 

 さすがに真っ裸ではないようだけど。わざわざ水着姿にまでなって。

 俺と君ってそういう仲なのか? 強く疑問を呈したいんだけど。

 

「いや、一回お姉ちゃんらしいことやってみたかったんだよね」

「だからってこんな歳でやらなくても」

「こんな歳までやりたくてもできなかった私に、それはひどいと思わない?」

 

 うるうるした瞳で、なじられる。

 そこを突かれると弱いというか。確かに今まで身体は一つだったからな。君が君のままで俺に何かをしてあげるというのはできなかったよね。

 

「はあ……わかった。今日だけだよ」

「やった!」

 

 するとユイは、寂しそうな表情などどこへやら。

 一転して、してやったりといたずらっ娘な笑みを見せたのだった。

 

「お前やっぱり楽しんでるだけだろ」

「別にー」

 

 ユイはそっぽを向き、舌を出して誤魔化していた。

 

 俺も全部は脱がずに、下だけは水着に着替えて、一緒にシャワーへ入ることにした。

 備え付けの石鹸はあったが、シャンプーの類いはなかったので、『心の世界』からボディソープを取り出す。ついでにリンスインシャンプーも取り出す。

 ストックは数年分はあるから、ちょっとくらい使ってもまったく困らない。

 

「ユウも大きくなったよね。昔は私とそっくり同じだったのに」

「いつの話をしてるのさ」

 

 俺の姿ならいつも『心の世界』で見てるだろうに。

 ユイはボディソープを泡立て、手で俺の全身に塗ったくっていく。すべすべでくすぐったい。

 

「こんなに逞しくなって。身体つきもすっかり変わっちゃったよね。私と」

「そうだね。すっかり男と女だ」

 

 首に手を回して、そして頬に触れた。

 ユイはくすりと笑う。

 

「でも結局顔は可愛いままだったね」

「うるさい」

 

 ユイが背伸びしようとしたので、俺は少し屈んだ。

 彼女が俺の髪をくしくしと泡立てる。優しい手の感触が心地良い。

 シャワーを入れて、頭から全身を洗い流してくれた。さっぱりした。

 

「ありがとう」

「はい。今度はユウの番ね」

「え?」

 

 ユイは狙い澄ましたような笑顔で、シャワーヘッドを手渡した。

 

「まさか、私だけにさせようっていうの?」

「いや、でもさ」

「ほら。スキンシップだよ。誰も見てないんだから大丈夫」

「……まあ、それもそうか」

 

 相手は気心の知れたユイだしね。気にするな。

 あまり変なことは意識しないようにしながら、ボディソープを泡立てて塗り込めていく。

 俺の身体と違って、やっぱりユイの身体は柔らかいな。

 

「ユイも大きくなったよな」

 

 ふと、彼女と同じ感想が漏れた。

 

「こことか?」

 

 ユイは、ピンク色の水着ブラを寄せて上げて見せつけてきた。

 たまらずばっと目を背ける。

 

「うっ」

「ふふふ。このむっつりさん。自分の身体に欲情するなんていけない子だね」

「俺の性格全部知ってて遊ぶ君も、とんだ小悪魔だよ」

「ばれたか」

 

 やっぱりわかって遊んでた!

 彼女のいたずら好きは、実体化してますます本領を発揮するようだ。

 

「えへへ。反応が可愛くてつい」

「ひどいなあ」

「ごめんね。いつもは無反応なあなたが、私を女の子として意識してくれるのが楽しかったの」

「そうだろうと思った。まあ、こっちの世界に出て来た影響だろうね」

 

 彼女の髪も洗い、身体を流してあげた。

 ようやく終わりかと思いきや。

 つやつやの黒髪を嬉しそうに撫でた彼女は、さらっとこう言い放つのだった。

 

「あ、毛の処理もよろしくね」

「はあ? 毛も?」

 

 そこまでいったらもうプレイだよ。

 

「背中とか剃りにくいから。やってくれると助かるな」

 

 ユイ。目が本気だ。

 ああもう。こうなったらままだ。

 やけくそ気味に毛剃りを持つ。

 彼女の肌に触れたとき、ぞわっと恐ろしい悪寒が走った。

 うっ。今何かとてつもない寒気が。

 脳裏に浮かんだのは、『彼女』が冷たく蔑むような目をこちらへ向ける姿だった。

 俺は一気に青冷めた。毛剃りを取り落としてしまう。

 

「どうしたの?」

「こんなところリルナに見られたら、殺される……」

「大丈夫。私はノーカンだから。だって私はあなただもの」

 

 落ちたそれを拾って俺に手渡し、人懐っこく頬をすり寄せるユイ。

 寒気が止まらない。

 いくら元は一人だからっていいのか? なんか君はさっきからそれを免罪符にぐいぐい押して来てないか。

 そう言えば。リルナと付き合ってたとき、やけに対抗してたような。

 あれは気のせいじゃなかったのか……。

 さすが日頃使い慣れている身体だからか、手に取るようにわかってしまう。

 ここはちょっと濃いから念入りにとか、ここは肌が弱いから慎重にとか。

 作業は職人ばりにスムーズに進んでいく。ご注文の背中も綺麗に剃り上げる。

 最後は投げやりな感じで、毛剃りを返した。

 

「はい。あとはもう自分でやって」

「ありがと」

 

 さすがにデリケートゾーンの処理は自分でやってくれ。

 死ぬ。色んな意味で。

 

 

 ***

 

 

 一足先に上がった俺は、パジャマに着替えてぐったりとベッドに腰かけていた。

 疲れた。本当に疲れた。ユイがこんなに積極的に絡んでくるなんて。

 ややあって、薄手の白いキャミソールに着替えたユイが上がってくる。

 表情はさっぱりとして晴れやかだった。髪もしっかり乾いている。

 ユイはベッドのすぐ隣に腰かけて、トンと膝の上を叩いた。

 

「魔法で乾かしてあげるよ」

「いいよ。ほっとけば乾くし」

「ダメだって。風邪引くよ。恥ずかしがらないの」

 

 強く促されたので、仕方なく俺は背中を預けた。

 彼女お手製の温風魔法がかかる。温かい。時折胸が当たる。柔らかい。

 妙にむらむらする。今日は本当に変な感じだ。

 理屈は「くっついて」女になっているときが最も一体感があるはずなのに。むしろユイとの密着度が濃い気さえする。生身の触れ合いってこうも違うのか。

 髪が渇いた。それからしばらく話し合っていると、夜も更けてきた。

 

「「ふああ……」」

 

 二人で見つめ合って軽く笑う。あくびのタイミングまで一緒か。

 

「そろそろ寝よっか」

「そうだね。じゃあ俺は床で」

 

 立ち上がろうとした俺の袖を、ユイがぐいっと引っ張る。

 

「一緒に寝ようよ」

「……この狭いベッドに、二人で寝るって?」

「うん。私は平気だよ」

「念のため聞くけど。まさかしようとか言い出さないよね?」

「大丈夫。そんな風には思ってないから」

 

 ああよかった。ほっとする。

 いやなんでほっとしているんだ。当たり前じゃないか。

 

「ユウもくっついてた方が、好きでしょ?」

「そりゃまあ、そうだけどさ」

 

 相手がユイだから、正直に言う。

 人肌の温かさがあった方が、安心してぐっすり寝られるんだよな。

 こんなの恥ずかしいから、他の人には言えないんだけどさ。

 

「ふふ。小さいときから甘えん坊だもんね」

「そうだね」

 

 ユイは先に寝転がって、脇を空けた。

 

「ほら。おいで」

 

 姉ちゃんというより、まるで母さんみたいな、包み込むような微笑みだった。

 まあ何の計らいか、せっかくこうして二人で夜を過ごせるんだ。一緒に寝るのも悪くないか。

 眠気を訴える目をこすって、布団に滑り込む。

 狭いベッドでは、ほとんど身体は密着してしまった。

 最初はドキドキしたが、そのうち慣れてきて。段々温かくて心地良い気分になってきた。

 うとうとしかけていると、脇にユイの手が触れた。

 

「こちょこちょ」

「あはは! やめっ! やめろって!」

 

 たまらず突き放す。

 びっくりする俺に、ユイは勝ち誇った笑みを浮かべた。

 

「これに弱いのは昔から変わってないね」

「何を。君だって同じだろう!」

 

 仕返しとばかり、全力で脇をくすぐりにかかる。

 

「あはは! いやっ! やめてってば!」

 

 ユイも突き放す。そこから先はくすぐり合戦だった。

 何だか二人して馬鹿みたいだが、童心に返ってふざけるのは本当に楽しかった。

 

 何度か体位を変え、俺が下で、ユイが上になって戦っているときだった。

 

 コンコン。ガチャン。

 

 ドアが開いた。

 

 あ。

 

 シルヴィアだった。

 下着姿で折り重なってもぞもぞしている俺とユイを目の当たりにして、彼女は引きつった笑みを浮かべた。

 

「……ごゆっくり」

 

 ガチャン。ドアが閉まった。

 

「「…………」」

「うう……」「死にたい……」

 

 疲れていた俺たちは、抱き合ったまま今度こそがっくりと力尽きた。



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7「まずはお金を稼ごう」

 翌朝。目が覚めると、ユイが腕に纏わり付いてすやすやと眠っていた。

 やれやれ。君も甘えん坊だよな。俺と一緒だからな。

 すぐに起こすのも悪いかと思って、じっと動かず天井を見つめていると、間もなくユイも目を覚ました。

 

「うーん……」

 

 ユイは目をこすって、俺の顔をぼんやりとした眼で見つめた。

 

「おはよう」

 

 と声をかけると、少し間があって返事がきた。

 

「……おはよう。よく眠れた?」

「ぐっすり眠れたよ」

 

 おかげ様でね。

 

 服を着替えて(ユイが堂々と目の前で着替え始めたので辟易した)、寝癖を直して(ユイが後ろに張り付いて俺の髪を梳かしてくれた。柔らかい)から、下の酒場へ向かう。

 酒場は、朝は食堂として営業していた。

 

「あっ、ユウさん! おはようございます」

「おはよう。ミーシャ」

 

 階段を下りると明るく出迎えてくれたのは、ウェイトレスのミーシャだ。昨日の一件でいたく恩を感じたのか、彼女はさん付けで俺のことを呼ぶようになった。さん付けで呼ばれるのはどうもくすぐったいけど。

 

「朝から張り切ってるね」

「はい。住み込みで働いているんです。マスターが良くしてくれて」

 

 二人でちらりと目を向けると、気付いたマスターがぐっと親指を立てた。顎髭の似合うナイスミドルガイ。

 案内されて席に着く。ユイがメニューを手に取ろうとして、やめた。

 

「ミーシャ。朝は何がおすすめなの?」

「それでしたら、冒険出発! 朝の大満足ボリュームセットがよろしいかと」

「だってさ。ユウ」

「朝からがっつりいくのか」

「はい。冒険者様には朝からしっかり食べてもらわないと! 私も好きなんですよ」

 

 言いながら、ミーシャは口の端から涎を垂らしそうになっている。

 結構食いしん坊な子なのかな。その割にはスリムだけど。

 

「じゃあそれにしよう」

 

 15分ほど待っていると、パスタと肉とスープの大きな器がドンドンドンとやってきて、俺たちは目を丸くした。ごゆっくりどうぞと、ミーシャは面白そうな笑顔を浮かべて厨房に消えた。

 

「うわあ。思っていた以上の量だな。食べられそう?」

「たぶん。いけなかったら分けていい?」

「いいよ」

「「いただきます」」

 

 ユイはフォークをくるくるとパスタに絡めて、しっかりと手を添えて頂いていた。よく咀嚼して、おいしいねと微笑む。スプーンでスープを掬い、音も立てずに飲んだ。

 こうして見てみると、綺麗な食べ方するよな。

 俺もか。自然に目の前の彼女と同じ動きをしていた。

 食事のマナーとかその辺りは、昔、忘れもしない最初の異世界エラネルで、アリスとミリアにみっちり仕込まれた。「女の子なんだから女の子らしくしなきゃね」と、あのときの二人の教育熱心ぶりは怖いものすらあったよ。

 その洗脳のせいなのかおかげなのか、俺のときまでそこそこ上品になってしまったらしい。前に向かいの人から綺麗に食べるんですねって言われて初めて気付いた。

 あの二人、元気にしてるんだろうか。みんなも。

 

「ユウ。どうしたの?」

 

 手が止まっていたので、ユイに指摘された。

 

「いや。思い出が増えると、ふと感傷的になっていけないなと」

「そうね。でも、私たちの旅は前にしか向けないから」

「わかってるさ」

 

 だからどこへ行っても楽しむんだ。悔いのないように精一杯。

 

「「ごちそうさま」」

 

 おいしかった。朝からお腹がぱんぱんになってしまった。少し休まないと動けないよ。

 

「さて、今日から本格的にここでの生活が始まるわけだ」

「楽しみだね。まず何しようか?」

「町を見ようかと思ったけど。一通り見て回るにはちょっと広過ぎるよな」

 

 狭い町なら色々見て回って覚えてしまうのも良いが、レジンバークはかなりの広さがあるようだった。

 

「そうだよねえ。まあ観光はそのうちゆっくりするとして。まずは日銭を稼がないとね」

「だな。それに、ずっと宿に泊まっているのもあれだし。なるべく早く住む家も欲しい」

 

 魔法が使える世界では、定住するのにデメリットが少ない。ユイの転移魔法を使えば、よほど遠くにいない限りは一発で帰ることができる。

 ちなみにランドたちのいたキャンプ地はこっそりマーキングしてあるので、もう彼らのクリスタルに頼らずともいつでも行くことが可能だ。

 

「相当お金がかかりそう」

「よし。一発でかい依頼を狙ってみるか」

 

 昨日動いてみた感触だと、この世界は許容性も高いようだ。つまり常人離れした動きがしやすい。俺たちの実力なら大抵の依頼は大丈夫だろう。

 

「いいね。でも難しい依頼は契約金も高いから」

 

 依頼はこちらが契約金を支払うことで担保とする。契約金は依頼が成功すれば全額返ってくるが、失敗すればその理由と度合いに応じて、ギルドと依頼主の手に渡る。冷やかしで依頼を受ける者を減らすためのルールだ。

 難易度の高いものはランク指定されていたり、されていなくてもランクの低い冒険者には手を出しにくい契約金だったりする。俺たちが狙うのは、ランク指定されていないが難しい依頼だ。

 

「まずは依頼を見てみよう」

「うん」

 

 ひとまずやることが決まったところで、お腹にも少し余裕ができた。立ち上がる。

 酒場横の出口からギルドカウンターに向かおうとしたとき、ミーシャがやって来た。手には大きな包みを二つ抱えている。

 

「あ、あの。お二人にお弁当をと思いまして」

「「いいの(か)?」」

「はい。ユウさんには助けられましたから」

「「ありがとう。おいしくいただくよ(ね)」」

 

 すると、ミーシャは軽く吹き出した。

 

「ふふっ。お二人はとても息がぴったりなんですね」

 

 あ。ハモり防止の確認忘れてた。

 ユイと目が合った。

 

「今後とも当酒場をご贔屓下さいませ」

 

 ぺこりと頭を下げて、丁重に見送られた。

 あそこまでされると気分が良い。また使いたくなってしまうな。商売上手だよほんと。

 

 

 ***

 

 

 ギルドカウンターには、同じ建物の中で酒場から通路を歩いていける。

 昨日は登録だけだったのであまりよくは見ていなかったが、いかにも冒険者っぽいゴテゴテした装備に身を包んだ人が多かった。比較すると、ランドとシルは比較的軽装な方に思える。

 俺たちは『心の世界』に何でもしまえるので、さらに軽装だ。さっき頂いた弁当もこっそりしまっておいた。

 受付カウンターが見えた。お姉さんが三人、整然と座って並んでいる。その奥は報酬カウンターとなっており、別の二人がやはり整然と座っていた。

 下にキャスターの付いた掲示板が、何列も立っていた。至るところに張り紙がされており、概ねランクが低い順に手前から奥まで並んでいる。

 一応Eランクの依頼を見てみるが、やはりどれもしょっぱい。

 薬草の採取50ジット。子モコ(モコってなんだろう)の捜索80ジット。ゴミ掃除20ジット。いずれも契約金なし。どれも採取と捜索系ばかりで、討伐系の依頼はDランクからのようだった。

 そこで俺たちが探すのは、フリーランクの依頼だ。

 二人で手分けしてこれはと思うものを見繕っていく。

 オークの討伐6000ジット。契約金は200ジット。翡翠魔石の採取8000ジット。契約金は500ジット。ロウ炭鉱のお手伝い『オラたちといっしょに働こう。明るく楽しい職場です』120ジット。契約金なし。

 どれも微妙だな。

 

「これなんかどう?」

 

 ユイに袖を引っ張られて、一枚の張り紙を見た。

 えーと。いちじゅうひゃく……。

 300000ジット。

 

「おお」

 

 思わず声が漏れる。Sランクにも匹敵する、破格のクエストだった。

 しかも契約金は1000ジットときた。他のSランク帯の依頼と比べても、格段に安い。

 内容はクリスタルドラゴンの討伐。討伐証明部位は、ドラゴンの逆鱗。

 喉がごくりと鳴った。

 と、後ろから声がかかる。若い冒険者の男だった。

 

「おいあんた。昨日ギンドの野郎をぶっ飛ばした坊やだろ」

「ええ。まあ」

 

 本当は坊やって年齢でもないのだが、ここで言うことでもないので止めた。

 

「名前は……確か」

「ユウです」

「ユウだったな。すまん。オレはマイツ・ゲイ。Cランクでのんびりやってる男さ」

「よろしく」

 

 彼と握手を交わす。彼はユイとも握手を交わした。

 

「あいつも気の毒に。全治三週間だってな」

 

 上機嫌で笑うこの男も、スカッとした人間の一人らしい。ギンドはよほど嫌われていたのだろうか。

 

「おっとそうだった。そいつはやめときな。地雷クエってやつだ。もうずっと無視されてる」

 

 確かに言われてみると、張り紙からやや古さを感じる。少なくとも数か月単位で放置されているようだ。

 

「本来ならAランクが数人がかりか、Sランクが受けるような大型依頼さ。同じ内容で五十万は取れる。割りに合わないよ」

「なるほど」

「昨日のあれはよく見てたがよ。Bランクを倒せるくらいじゃどうにもならないぜ」

「でもAランクだといけるんですよね。そんなにすごいの?」

 

 ユイが尋ねた。マイツは大きく頷いて答える。

 

「そりゃあな。Aランク以上は、はっきり言って化け物揃いだ。半分人間やめてるような連中さ」

「へえ」

 

 まあこっちは完全に人間やめてるような連中をたくさん見て来たから、ちょっとやそっとのことじゃ驚かないと思うけど。

 

「ユイ。これをやろう」

 

 様々な巨大生物と戦ってきたが、ドラゴンと戦うのは久しぶりだ。

 昔は歯が立たなかったが、今はどれほどになっているか。

 

「もちろん。言うと思った」

「おいおい。マジかよ……。忠告はしたぜ」

「肝には銘じておきます」

 

 そう言って去る俺たちを、マイツはよくわからないものを見るような目で見つめていた。

 

 と意気込んではみたものの、実は手持ちのお金は契約金の1000ジットすらもないのだった。宿代と二人分の食事で70ジット使ったから、今は430ジットである。どうやら使ってみた感じだと、1ジット100円くらいの感覚だ。

 まずは契約金を稼ぎたいが、Eランクの依頼をちまちまやっていては時間がかかり過ぎてしまう。

 そこで、いつもの手の登場だった。

 

「あれをやるか」

「あれね。オーケー」

 

 以心伝心で通じた。さすがパートナー。

 

 とりあえずギルドを出ると、さんさんと照り付ける朝の日差しが気持ち良かった。

 ちらほらと出発する冒険者たちの姿が見える。ソロだったりパーティーを組んでいたり、色々だ。

 ダンジョンに行くのだと張り切っている少年少女たちの声も聞こえた。この世界にはそういうのもあるのか。

 二人で伸びをして、朝の空気を吸い込んだ。空気がおいしい。

 魔法文明は機械文明と違って大気汚染が進んでいないことが多いな。やっぱり。

 

「そう言えば、昨日のシルは何の用事だったんだろうね」

「さあ。というか思い出したらまた死にたくなってきた……」

 

 考えないようにしよう。ギルドに通っていればそのうちコンタクトがあるだろう。きっと。

 

 適当なお店でトイレを見つけて、男女に分かれて入る。

 個室で『心の世界』から着替えを探して、取り出した。燕尾服とシルクハットだ。シャツを脱いで着替える。

 洗面台に鏡があったので自分の姿を見つめてみたが、あまり似合わない。俺が紳士というよりは子供に近いせいで、どうも服に着られている感じがする。

 まあ大事なのは気分だ。この格好であるということが重要なのだ。

 トイレから出る。ユイが着替えに入ったきり中々出て来ないので、俺はしばらく能力のトレーニングをしながら待っていた。

 やがて、ユイがやっと出て来た。

 美麗な黒のレオタードに身を包んでいる。背中と胸元が開き、太ももまで大胆に足を曝け出していた。やたらとセクシーで挑発的な格好だ。

 

「そんな服あったっけ?」

「アスティが持ってけって押し込んだやつ」

「ああ。そうだったな」

 

 記憶を辿ってみたら、はっきりと残っていた。「ユウちゃんはもっと大胆な格好しなきゃ。女の子は度胸ですよ?」ってくすくす笑いながら。

 エルンティアのみんなも元気かなあ。リルナはどうしてるかな。って、また感傷に浸るところだった。

 

「というか、化粧してたの?」

 

 それで妙に時間かかっていたのか。

 驚いて指摘すると、ユイはにこっとした。

 

「ユウと一緒だったときはほとんどできなかったからね」

 

 そうそう。そうなんだ。

 女のときに化粧したまま落とさないと、男に変身したときに化粧が残っちゃうからな。いつ咄嗟に変身するかわからないし、仕方なかったんだよ。

 でもそうか。分離したってことは、そういうことも自由にできるようになったんだよな。

 いつもは男女兼用の無難なものばっかり着てたからなあ。ユイには結構我慢させてしまっていたのかも。

 

「どうかな?」

 

 ちょこんと首を傾げて尋ねるユイ。

 いつかアリスとミリアに教えてもらったナチュラルメイクが、ばっちりと決まっている。

 ナチュラルメイクというと簡素で手間要らずなものに聞こえるかもしれないが、実際やってみるとそんなことはまったくない。それは何も知らぬ男の大きな誤解なのだ。ちゃんとやろうと思えば、むしろ普通のメイクより時間も手間もかかる。

 持ち前の可愛さに、さりげない美しさが添加されていた。俺が言うと自画自賛のようにも聞こえるけど。

 

「とっても綺麗だよ」

「ありがと。たまには化粧してみるのも楽しいね」

 

 ユイは心から嬉しそうに笑った。

 

「はいみんな注目! 楽しいショーの始まりだよ!」

 

 適当な広場で、大声を張り上げて人の注目を集める。

 奇抜な格好をしていたおかげで、徐々に人が集まり始めた。

 

「ユウです。これからマジックショーを始めたいと思います!」

「アシスタントのユイです。よろしくお願いします!」

 

 ユイがウェイトレス時代に鍛えた満面の作り笑顔で手を振ると、主に男から黄色い歓声が上がった。さすがに女の武器を心得ている。

 俺はまず、トランプを一枚取り出した。ハートの柄をみんなに見せてから、パチンと一回指を鳴らす。

 引っくり返すとスペードになっている。もう一度鳴らすとハートに戻った。

 観客からはざわめきに似た歓声が上がる。

 仮にマジックというものをよく知らないとしても、何かすごいことをやっているとは感じているはずだ。 

 次に俺は、トランプを一枚から二枚、二枚から四枚に増やしていく。四枚から八枚、八枚から十六枚としたところで、一気に両手から溢れるくらいのトランプを出現させ、バラバラに落としていった。

 

「おおー!」

 

 観客から驚きを伴った歓声が湧く。派手なので、これを見せると大抵嬉しい反応が見られる。

 終わったものは、ユイが風魔法で巻き上げて綺麗に回収していく。

 お次は、パチンと指を鳴らして手を揺らすと、何もないところからワイングラスが出現した。

 素早くグラスを振ると、俺の手元からはそれが消えて、一瞬でユイの右手に乗っていた。

 ユイが大きな紫色の布を一枚、胸元から左手で取り出す。そして布をグラスの目の前で素早くはためかせると、空っぽだったはずのグラスには赤黒い液体が入っていた。

 ワインに見えるが、ぶどうジュースだ。アルコールダメ絶対。

 それを掲げておいしそうに飲むユイだが、流し込むように飲んでも飲んでも一向に量が減らない。

 困った顔で俺を見つめるユイ。そこで俺がもう一度パチンと指を鳴らしてやると、彼女のグラスからぱっと液体だけが消えてしまった。

 代わりにこちらの手に再び現れたグラスにはなみなみとぶどうジュースが入っており、俺はそれを優雅に飲み干した。

 こんな調子で、次々とマジックを繰り出していく。

 ハンカチを使ったマジック、ボールを使ったマジック、ステッキを使ったマジックと、一通りのことを魅せていった。

 すべてが終わった後、割れんばかりの大きな拍手に包まれていた。

 シルクハットを逆さにして、二人で頼む。

 

「どうかお恵みをお願いします」

「お願いします」

 

 観客のいくらかは、初めて見るマジックにいたく感動し、気前良くチップを弾んでくれたのだった。

 

「いやあ。儲けた儲けた」

「面白かったね。みんな喜んでた」

「うん」

 

 これを人が集まる場所を探して三回も繰り返せば、シルクハットには数百ジットは下らないお金が貯まっていた。

 数え上げてみると、882ジットもあった。これで手持ちと合わせてドラゴン討伐の依頼に向かうことができる。

 みんなにそこそこ楽しんでもらえて、こちらはお金を恵んでもらえる。中々素敵なやり方だった。

 いつの間にマジックを覚えたのかと思われるかもしれない。もちろん多少練習はしたけれど、そんなものの訓練はプロほどにはしていない。

 種も仕掛けもない、ただの能力の応用である。

【神の器】を使って、『心の世界』を経由して物を瞬間的に移動しただけだ。リアルマジックである。

 フェバルの能力をお金稼ぎに使うなって?

 前はそう思ってたけど、ばれなきゃいいんだよばれなきゃ。

 どっかのレンクス(バカ)みたいに、何もないのにあからさまに物を浮かせたり消し飛ばしたりしなければ。

 あいつ、能力の見せ方が下手くそなんだよね。おかげでひどい騒ぎになった。

 本当はギャンブルとかに使うともっと荒稼ぎができるんだけど、賭けで誰かを貶めて稼ぐのはあまりしたくないからな。このくらいでいい。

 時刻は昼過ぎを回っていた。ミーシャからもらった弁当(中身はバケットだった)をおいしく食べて、俺たちは再び冒険者ギルドへと向かった。



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8「俺(私)たち、めちゃくちゃ」

「ところで。気付いてるよな。ユイ」

「うん。あの人たちからも、魔力が感じられなかった」

「やっぱりか。こっちもだ」

 

 マジックショーをやっている間、ずっと観察を続けていたが、誰一人として気力も魔力も感じられなかった。

 いや、人間だけではない。不気味なほどに一切の生物の気が感じられないのだ。

 これはもしかすると……。

 

「なんか怪しい匂いがするな」

「また変なことに巻き込まれてたりして」

 

 なぜかは知らないが、俺たちの行く先々には何かとトラブルが付き物だ。今回は「ない」方だと思いたいが、どうなんだろうな。

 ……まあそれは「あった」ときに心配することにしよう。

 今は目の前の生活だ。依頼だ。ドラゴンをスレイするのだ。

 そんなこんなで、掲示板のところまで戻って来た。

 張り紙は……あったあった。手を伸ばして、と。

 

「おっと」

 

 横からも別の手が伸びてきて、ぶつかりそうになった。ぴたりと目が合う。

 若い男だった。中性的な容姿で、一目で「うわあ」と目を見張るほどの超が付く爽やか系美男子だ。

 ピンク色のサラサラなストレートヘアを耳や眉に少し被る程度まで伸ばしている。そして流麗なフォームの金属鎧を身に着けていた。

 どうしたものかと手を止めていると、彼はきらりと白い歯を覗かせて、爽やかキラースマイルを放ってきた。

 理想的なイケメンだ。女の理想がここにいた。

 

「ああ。君たちが受けてもらって構わないよ」

 

 せっかくそう言ってくれたので。

 ユイと見合わせて少し相談し、ありがたくこちらで受けることにする。

 

「悪いな」

 

 と断りながら、張り紙を剥がし取った。これをカウンターに持っていけば依頼を受けられる。

 彼は俺とユイをしげしげと興味深げに見つめて、

 

「見ない顔だね。新参者かい?」

「ええ。この町には昨日来たばかりで」

 

 ユイが答える。

 

「そうか……。中々良い所だろう?」

「うん。気に入ったよ」

 

 とにかく活気があって楽しい町だと思う。飽きることがなさそうだ。

 旅先で暮らすならこういうところだな。

 

「はは。結構結構」

 

 冒険者の町を褒められた彼は、嬉しそうに破顔する。

 やばい。その辺の女子が揃ってくらっと倒れそうなレベルでかっこいい。

 ユイは平気そうだけど。

 

「うん。君たちは良い目をしてるね」

 

 彼は一人合点した様子で穏やかに頷いた。

 

「真っ直ぐで力強い。とても良い目だ」

「「はあ」」

「……ふっ」

 

 何か意味ありげに微笑している。

 いかん。微笑すらも美しい。オーラ出てる。なんだこの男は。

 

「さて。予定が取られてしまったな。まあ他の依頼を探すとしよう」

 

 彼はやれやれと肩を竦めたが、そこに嫌味らしさはなかった。

 

「では」

 

 彼は小さく手を振って、背を向けた。青のマントが綺麗になびく。右の腰に細身の剣を差しているのが目に付いた。

 だが二、三歩進んだところで、ぴたりと立ち止まり。

 振り返って思い出したように言った。

 

「クリスタルドラゴンはそこそこ強い。君たちは……たぶん大丈夫だと思うけど、気を付けてね」

 

 そして、今度こそ向こうへ行ってしまった。去り際まで爽やかだった。

 ユイが去る彼の背中を見つめて、ぽつりと一言。

 

「あの人、たぶん強い」

「ああ。佇まいがただ者じゃなかった」

 

 オーラもな。この世界で初めてエネルギーのような何かを感じたよ。相変わらず気も魔力もないけど。

 

「お、おい。今の! 今、喋ってたの!」

 

 向こうからやけにきょどった声がかかる。

 マイツが落ち着きのない様子でふらふらと近寄ってきた。

 

「あの人がどうかしたのか」

「うおおい! 誰って、知らないのかよっ!?」

 

 彼は大袈裟な身振り手振りを駆使して、一気にまくし立てる。

 

「ひとたび剣を振るえば天が裂け、魔法を放てば地が震える。その力は山を砕き、海を割る。あらゆる精霊の加護をその身に受け、身のこなしは神速のごとく。なお剣捌きは流麗にして、聖剣フォースレイダーに斬れぬものなし。ギルドランク唯一のSS! 生ける伝説、神に愛された男、夜の万(マン)殺し、剣麗レオンとはまさに彼のことだぞ!」

 

 すべてを言い切った彼は、RPGの最初の町で「ここは始まりの町だよ」としたり顔で説明するだけの町人Aのような、ただ己の使命を果たし遂げた自己満足感に浸っていた。ここで話しかけてももう一度同じ台詞が返ってきそうだ。

 というか、彼の言うことが本当だとすると。

 なにそのチート。下手すると一部のフェバルにも劣らないんじゃないのか。

 さすがに盛ってるよな。なあ?

 ユイに視線で同意を求めると、彼女も同じことを求めていた。

 さすが同じ者同士。役に立たない。

 

「おいおい。よかったなあ。レオンと話せるなんて。ちくしょう。羨ましいぜえ」

 

 マイツはまるで我が事のように感動し、泣きそうになっている。ご尊顔を見られただけでも感謝感激というやつなのだろうか。本気で羨ましがっている様子だ。

 ものすごい妬ましそうな顔で下唇を噛んでこちらを見つめるので、さすがに煩わしいと思ったのか、ユイが冷ややかな目でそそのかした。

 

「ところで、まだ出かけてなかったの?」

「う、うるさいな。これから行くところだったんだよ!」

 

 そんな彼は、確かに自分で言う通りののんびり屋らしかった。

 

 受付カウンターへ向かい、お姉さんにクリスタルドラゴン討伐の依頼を受けることを告げる。

 Eランクのカードを見せたとき、さすがにお姉さんの顔色が曇った。

 

「あのう。確かに契約金も足りてますし、規定では依頼は受けられますけど……。止めておいた方がよろしいのでは?」

「大丈夫です。慣れてますから」

「はあ」

 

 受付のお姉さんは、ぽかんとしていた。

 

 

 ***

 

 

 燕尾服とレオタードはとっくに脱いで、最近お気に入りの黒ジャケットと、動きやすいスカートにそれぞれ着替えている。

 俺たちは冒険者らしからぬ軽装で、意気揚々とギルドを出発した。

 クリスタルドラゴンが住むという山は、レジンバークから北に200キロのところにあるらしい。人里が近くにあるわけではないが、時折山を下りて来ては、周りの土地を好き勝手に荒らし回っているという。

 最近はレジンバークの近くまでやってきて、住民が肝を冷やしたこともあるそうだ。放っておいては危険なため、身の安全を欲したさる富豪から討伐の依頼が出たということだった。

 

「よし。日が暮れる前に着きたいから、飛ばしていくか」

「置いてかないでね。あなたの方が速いんだから」

「わかってるさ」

 

《身体能力強化》《ファルスピード》

 

 俺は気力で身体能力を底上げし、ユイは風の力を借りて加速する。

 二人で同時に跳び上がった。

 人混みを避けるため、屋根の上へ。屋根から屋根へ、横並びで音もなく次から次へと飛び移っていく。

 昨日屋根の上を跳び移ってる奴がいたから、変に思われても騒ぎにはならないだろう。

 

「身体が軽い。これならあっという間に着けそうだ」

「一般人も普通に魔法使ってるし。かなり許容性が高いのかも」

 

 こんな快適に動ける世界は久しぶりだな。最初の異世界エラネル以来かもしれない。

 調子良く跳び続けているうちに、高くそびえ立つ石の壁が見えてきた。

 

「町の果てが見えた」

「門はあっちだけど」

「少し遠回りになるな」

「なら」

 

 頷き合わせる。

 

「「跳び越える」」

 

 俺は足に力を込めて、ユイは風を強く纏わせて。

 遥か頭上まで行く手を阻む石の壁に向かって屋根を蹴った。

 気持ち良く風を切って、悠々と跳び越える。

 壁の向こう側は、まだ石作りの道だった。そのさらに向こうにはなだらかな草原が広がっている。

 膝を曲げ、ダン! と大きな音を立てて危なげなく着地する。

 ちょうど近くを通りかかっていた通行人の群団が、壁の内側から突然降って出て来た俺たちを目にして、びっくり仰天していた。驚かせてしまったか。

 

「おっと。ごめんな」

 

 ワンテンポ遅れて、風を纏ったユイがふわりと華麗に着地する。魔法で空を飛べると楽でいいよな。

 

「驚かせてごめんね」

 

 一言謝って、俺たちはすぐに走り出す。

 

「わあ! はやーい!」

 

 ずっと後ろから子供の歓声が聞こえてきたが、距離が離れるとあっという間にかき消えてしまった。

 

 

 ***

 

 

「なあ」

「うん」

 

 北へ北へしばらくひた走って、もう目的地の山は見えていた。

 昼過ぎに出かけたが、まだ日は高い位置にある。中々良いペースだ。

 

「ドラゴンと戦う前に、一度どのくらい使えるか試しておこうか」

 

 新しい世界に着いたとき、まず早いうちにやっておくべきことの一つだ。

 それぞれの世界で許容性が違うため、当然俺たちが使える技や魔法もそれぞれの世界で異なる。

 許容性が高ければ基本的に何でもできるが、逆に低いと、例えば魔法がさっぱり使えなかったり、気剣を一切作り出せなかったりする。

 まあ今回の感じではそんな不自由はないだろうけど、どこまで力を出せるかテストしておくのは大事なことだ。

 自分の手の内を知らないまま未知の敵に挑むのは、最も避けるべき愚行である。

 

「そうね。この辺人もいないし、適当にぶっ放してみてもいいんじゃない」

 

 ユイも同意した。確かにここなら見られて変なことになる心配もないだろう。

 一旦足を止めて、息を整える。

 

「あの山に向かって、景気良くいってみよう」

「クリスタルドラゴンが住んでる山ね」

「じゃあまずは俺から」

「見てるね」

 

 左手に気合を込めてイメージすると、掌から白く光り輝く気剣が作り出された。

 気剣は特に色が薄いということもなく、煌々と綺麗な光を湛えている。100%の出来だ。

 ちゃんと出たな。第一段階はオーケー。次。

 出来上がった気剣に、さらに気を集中して威力を高めていく。

 誰もいないし遠慮は要らない。テストだし、全力を込めてみる。

 基本となるこの技で、大体の感覚は掴める。

 

 シュイイイイィィィィィンンンンン……

 

 ん?

 そこで大きな違和感があった。

 どうした。いつもより輝きがずっと強くないか?

 それに、何か変だ。普段はしない噴き出すような音が……。

 この技を使うとき、気剣は白から目の覚めるような青白色へと転じる。

 だが、これは……。

 

「ユウ。なんかすごいことになってるよ」

「あ、ああ」

 

 手に持つそれは、やけどしてしまいそうなほどの熱を生じていた。

 青白さにより青みが濃さを増し、凝縮されたエネルギーが激しく燃え上がっている。

 気力はこれ以上ないほど充実し、威力については申し分なさそうだった。

 しかし逆にどこか不安になる熱量だが……。

 まあいいや。とりあえず撃ってみよう。

 剣を両手で上段に構えて。振り下ろす。

 

《センクレイズ》

 

 

 ズッシャアアアアアアアアアアァァァァァァァァア!

 

 

 剣閃は大気を斬り裂き、行く手に待つあらゆるものを消し飛ばして。

 ただ一直線に突き抜けた。

 

 

「…………ほぁ?」

 

 

 それを脳が正しく認識したのは、すべてが手遅れに過ぎ去った後だった。

 

 ――ああ。

 

 山が。

 

 切れてる。

 

 ぶった切れてる。縦に。

 

 すっぱり。縦に。綺麗に。縦に。

 

 あ、は、はは。

 

 縦に。

 

 ははは。はは。はははははは。

 

 なに。なあにあれ。

 

 フェバルだ。

 

 フェバルじゃん。フェバルじゃないか。

 

「ねえ、あれ」

 

 ああ、そうか。

 

「あれ」

 

 俺、フェバルだった。

 

「あ、は、ははは」

「あれ!」

 

 ユイに組み付かれて肩を揺さぶられて、ようやく我に返った。

 

「はっ!」

「あれ、クリスタルドラゴンじゃない?」

 

 ユイもユイで気が気ではない様子だったが、とにかく指差す方を見ると。

 遥か彼方の上空に、ふらふらと飛び上がる豆粒のような影が見えた。

 よくよく見ると確かにクリスタルドラゴンだ。不幸にも突然の「試し打ち」に巻き込まれたのか、既に満身創痍も良い所だった。

 わけわからないだろう。もう一目でわかるほどめっちゃ必死になって逃げようとしている。

 

「ユイ。狙えるか」

 

 俺は至極投げやりな気分で言った。

 もうどうでもいいや。どうなってんの。助けて。

 

「やってみる」

「……弱めにね」

「……うん」

 

 ユイは大きく息を吸い込むと、左の掌を突き出して、そこに魔力を集中させていく。

 これが弱めなのか。

 我が目を疑ってしまう。とても信じられない。

 魔力が感じられなくても。いやもう誰にとってもはっきりとわかる。

 凄まじい密度のエネルギーだ。これまで「私」が撃ってきたどの魔法よりも、さらに強烈な光が集積していた。

 純粋な魔素の色を示すエメラルドグリーンが、烈火のごとく燃え上がって、掌で渦巻いている。

 こんなものが、放たれれば――。

 だがユイは容赦しなかった。

 

《セインブラスター》

 

 ズゥゥァアアオオオオオオオオオオォォォォォウゥッ!

 

 あり得ないほどの勢いで、極太の光線がぶっ放された。

 そう。ぶっ放された。

 まるでレーザー砲撃。すべてを焼き尽くすイレイザービームだ。

 それは瞬きをする間に獲物へ到達し――精強なはずのドラゴンを哀れな焼きトカゲに変えてしまった。

 討伐証明部位となる逆鱗の付いている、首から上だけを綺麗に残して。

 焼きトカゲが落ちていく。ああ。かわいそうに。

 

 

 ***

 

 

 それから。それから、どれほどの時間が経っただろうか。

 その事実を。

 これまでひたすら見せつけられる側だったゆえに。これまでずっと持たざる側だったゆえに。

 その事実を、ただ単純なその事実を、受け入れるのに時間がかかった。えらく時間がかかった。

 やがてどちらからともなく、口を開いた。ひどく疲れ切った声で。

 

「……なあ」「……ねえ」

「「俺(私)たち、めちゃくちゃ強いんじゃ……」」

 

 許容性無限大。能力無制限。

 その恐ろしい事実を知るのは、もう少し後のことだった。



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9「そして伝説となった」

 真っ二つに割れた山の中から、クリスタルドラゴンの首を探し出す。

 完全記憶能力で落ちた位置を大体把握していたから、見つけるのにさほど苦労はしなかった。

『心の世界』に丸ごとしまってから、俺たちはユイの転移魔法で逃げるようにレジンバークへ帰った。

 

 ……山のことは知らない。知らないからな。知らないぞ。

 

 あんなの、どうしようもないし。

 ともかくだ。こんなとんでもない力を持っているとわかったら、少し考えないといけないな。

 

「なあユイ。一つ、相談があるんだけど」

「どうしたの?」

 

 俺たちはよく話し合って、そうすることを決めた。

 

 

 ***

 

 

 うっ。この空気は。

 やはりというか。帰ってきた町は妙に落ち着きがなかった。向こうの方でとんでもない光が見えたとか、山が割れたとか、既に大きな噂になっている。

 ギルドの方は、さらに騒がしかった。

 

「おお。あんたか! あの山に行ったんだろ!? 心配してたんだぜ!」

 

 と駆け寄ってきたマイツには、汚れ一つない。

 まだ行ってなかったのか。これは、今日は最初から行く気がなかったんだろうな。

 ユイはじと目になっている。だらしない男を見る目だ。

 

「いやあ。しっかしとんでもないことが起こったよなあ。おい」

「そうだね。大変なこともあるもんだね」

 

 努めて冷静を装う。悟られないようにしなければ。

 

「だがよ。賢明な判断だったぜ。ちゃんと引き返してきたんだな。まあ、命あっての物種だしな」

「いや。倒してきたよ」

「……は?」

「倒してきたって」

「うん」

「……は、え?」

 

 マイツの目が点になっていた。「そんな馬鹿な」と、顔にでっかく書いてある。

 固まりついてしまった彼のことは放っておいて、なるべく素知らぬ顔で、ギルドの報酬カウンターへと足を運ぶ。討伐証明部位の逆鱗は、既に『中』で切り出してあった。

 魔法で出したような振りをして『中』から取り出すと、ドン、とカウンターに重たい音が響いた。

 うわ。思ったより音が大きい。

 周囲の視線がこちらに集まってしまった。物音から不意に向いた衆目は、極上の白色に光り輝くそれを目にした途端、ぎょっとしたようなざわめきに変わる。

 そこには紛れもなく、あのクリスタルドラゴンの逆鱗があるのだ。

 認めるしかないだろう。大型依頼は達成された。よりにもよってこんな「子供」たちの手で。自分で言っといてあれだけど。

 マイツが遠目で泡を吹いている。ひそひそと耳打ち声が漏れていた。

 やれやれ。この注目は仕方ないか。

 ただまあ、倒してきただけと言うなら、山のことは決定的な証拠にはならないだろう。こういうのは結局、いつ持ってきても騒ぎになるのだから。さりげなく済ませてしまった方がいい。

 あとはしっかり報酬を頂いて、そして――

 

「あ、あのう」

 

 頭の中で今後の皮算用をしていると、申し訳なさそうに、おずおずと受付のお姉さんが申し出た。

 

「私、見ちゃったんです……」

 

 どこか確信犯めいた響きに、おっとがやがや声が止まる。

 

「いくらなんでも、まったくの新人にあの依頼は……ってことで」

 

 全員の注目が受付のお姉さんに集まる。

 何が始まるんだ。何があったんだと期待するかのように。

 待て。嫌な予感が……。

 

「監視魔法で……見ちゃったんです」

 

 ……何だと。まさか。

 

 ぱあっと目を輝かせて。お姉さんは、豹変した。

 手に持った書類をくるくると丸め、マイク代わりにする。プロレスのパフォーマンスのように、ガッとカウンターに足を乗っけて、畳みかける勢いで再現中継を始めたのだった。

 

「屋根を颯爽と飛び移り、忍者のようにシュババッっと跳び移っていくお二人の姿を! あの外周壁を軽々と飛び越え、ああっと! 通行人も見ておりましたね! すると今度は疾風のように、地を走りましてですね! もう速いったらなんの! かっけえ! っぼ、ごほっ! ごほっ!」

 

 あまりに勢い込んだので、激しくむせかえっている。髪も化粧も乱れて、せっかくの美人が台無しだ。

 というか。この話の流れは。まずい。まずいぞ。

 背中に冷や汗が浮かんだ。

 大丈夫かお姉さん。大丈夫か俺たち。

 

「おーい。大丈夫か姉ちゃん」

「いいの。続けさせて」

 

 おい。目がマジだ。使命感に燃えている。

 

「二人はあっという間に野を越え森を越え! そのとき、ふいに立ち止まったのです! さあ、何をするのでしょう!? おっとお! 何やら構えまして……ああ、なんと! なんと、なんと! びっくり! 山を割っちゃいましたああああああああああ! 一撃で! 剣の一振りでえええええーーー! やったのは! そこのユウくん! ユウくんでーす!」

 

 どよっと、一気にギルドの雰囲気が気喚き立つ。

 あああああ! 終わった。終わった流れだこれ。

 なんてことだ。見られてたとは……。

 でも気付きようがないじゃないか。魔法使ってるかどうかなんて全然わからないんだから!

 お姉さんの絶叫は、まだ終わらない。

 

「そしてえええええ!? 今度は飛び上がったあのクリスタルドラゴンを、光線の魔法で、や、焼いたああああああああ!? ユイちゃん! あんた、死神ですねええええええ!」

 

 書類マイクでビシッと指名されたユイは、目を覆って天井を仰いでいる。

 

「じゃあ、あれは……マジなのか」

「こいつらが、やったのか……?」

「こんな、可愛いガキたちが……」

「馬鹿な……」

 

 ダメだ。空気が異様だ。ピリピリしている。

 それはそうか。あんなことをしでかした化け物がここにいるんだ。フェバルみたいに恐れられるようになっても仕方がないというもの。

 どんな拒否反応が来るのか。俺たちはもう普通には過ごせないかもしれない。

 観念しかけた、そのとき。

 

「うおおおおおおおおおお!」

「やっべええええええええ!」

「レオンの再来だああああ!」

「新たなる伝説が、いまっ!」

 

 ……え。

 

 予想していた反応はまったく来なかった。

 信じられない。どういうことだ。みんな、怖くないのか?

 疑問に思う余地などなかった。一切の恐れという感情が、そこにはない。

 単純に、本当に単純に、この人たちは盛り上がっている。割れんばかりの歓声だ。

 俺はユイと揃ってぽかんとしてしまった。

 まさか。強者とか英雄が当たり前に好まれるとか、そういう系なのか……?

 

 何が何やら戸惑っていると、奥からいかつい髭面の爺さんがやってきて、受付のお姉さんに耳打ちしていった。

 はっと、お姉さんが目を見開く。

 爺さんは「あとはお前が言うんだ」とばかりにぽんと肩に手を置き、にやりとこちらを一瞥して、奥へと引っ込んでいった。

 

「えー。こほん。ギルド長より、たった今正式な通達がございました」

 

 先ほど最大のパフォーマンスを見せ付けたお姉さんは、まだ肩で息をしている。

 しかしどこか誇らしげだ。凛々しい顔だ。仕事人の顔だ。

 

「ユウ様。ユイ様。お二人を本日付けで、Sランクの冒険者として認定いたします」

 

「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーっ!」」

 

 そうそう滅多にないことなのだろう。ぴーぴーと指を吹く音まで聞こえてきた。もはやどんちゃん騒ぎかと見紛うほどの様相すら呈している。

 

「初依頼でSランクだと!?」

「やっべええええええええ!」

「レオンの再来だああああ!」

「新たなる伝説が、ここにっ!」

 

 ……やばい。

 

 こんなに騒がれることなんて滅多にないから、恥ずかしくなってきたんだけど。明らかに胸の鼓動も早くなってるし。

 で、横を見たら。

 ユイもきゅっと服の端を掴んで、すごく恥ずかしそうにしている。やっぱり同じ気持ちなんだな。

 マジか。どうしよう。ここに来るとき、最初から決めてあったのに。

 これ、ものすごく言いにくい空気なんだけど。

 だが言わなきゃいけないんだよな……。

 ユイと目を見合わせる。恒例の作戦会議。彼女の目は「行くしかないよ」と告げていた。

 確かにここで言わなければ、ずるずると話が進んでしまうだろう。どうも半端じゃなく期待されてしまっているようだし。というか、俺が逆の立場でも期待するよ。

 はあ。仕方ない。ここではっきりと言おう。言うしかないな。

 俺は大きく息を吸った。短い時間の中で、懸命に呼吸を整える。そして切り出した。

 

「あの。一つ、言いたいことがあるんですけど」

 

 みんなの視線が、一斉に集まる。

 この大型新人が。「新たなる伝説」が、何を言うつもりなのかと。羨望と期待を込めて。

 そんなに見つめられると、ちょっと心が折れそうになるのだが。

 ええい。ままだ。

 よし。言う。言うぞ。せーの。

 

 

「俺たち、今日で冒険者ギルドをやめます」「やめます!」

 

 

 俺の後に続いて、ユイが胸を張って宣言した。

 

「「……は?」」

 

 意味がわからなかったのだろう。

 シーンと、波打つように、虚を突かれたように、周りは静まり返った。

 そして――。

 

「「えええええええええええええええええーーーーーーーーーーーっ!?」」

 

 ギルド中が、驚きと絶叫の嵐に揺れたのだった。



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10「お家を建てよう」

 ああ……。疲れた。ひどい目に遭った。

 翌日。一緒のベッドで目覚めた俺たちは、目に大きなクマの張り付いた顔を突き合わせて、へらへらと笑った。

 何とか辞められるには辞められたけどさ。遺留が死ぬほどしつこかったよ。

 ギルド長も異例の扱いを決めた手前、こんなすぐに辞められては沽券に関わると必死だったし。みんなも「そんなああああ!」って子供みたいに喚いてるし。本当に楽しい連中だな。

 昨日は報酬金の一部で酒場の全員にぱーっと奢ってやって、それでようやく矛を収めてもらったよ。俺たちも飲まされそうになったけど、固く断っておいた。あれだけはね。

 夜中まで馬鹿騒ぎになって、宿の部屋に戻ったら疲れ切っちゃって。

 ユイともつれ合うようにしてくたばった。気が付いたら朝になってた。

 で、一夜明けてみたら。

 伝説になってた。

『一日でSランクになってその日に辞めた伝説のコンビ』として、ギルドから号外が乱れ飛んでいた。

 おお。なんということだ。なんということだ……。

 おかげでちょっと出歩いただけで、道行く人たちがみんな振り返って手を振ってくる始末。握手まで。

 子供たちなんか目をキラキラさせて、どうしたら強くなれるの? なんて聞いてくる。

 そんなの俺が知りたいよ。なぜこんなに強いんだ。異常だぞ。

 でも、ああ。ヒーローってこういう感じなんだろうな。

 子供の頃はずっと憧れだった。憧れを知ってしまった味は、切ない。

 

「貴様がユウだな! 貴様を倒して、おれが伝説に――」

 

 グシャッ! バッコーン!

 

 ひっきりなしに襲い掛かってくる謎の挑戦者を、ワンパンでごみ集積場所送りにする。何人目だ。

 ふう。思ったんだけど。この町、色んな意味で濃過ぎないか。

 

「これまでの常識は通用しないと思った方がいいのかも」

 

 ユイがまるで俺の心を読んだかのようなタイミングでそう言った。実際読んでいたのかもしれない。

 

「もうなんか。色々と、すごいよな……」

「うん……」

 

 何と言ったらいいのかわからないが。とにかくすごい。わけがわからない。またコッペパン飛んでるし。

 そう。まるで。

 

「「毎日お祭り騒ぎしてるみたい、だね」」

「……ふふ」「……はは」

 

 ハモった。

 

「今日の用事を忘れそうになるな」

「そうだね。記念すべき第一歩だってのに」

 

 昨日の飲みで二万ジットくらいは派手に飛んでしまったが、それでも報酬を取り崩さずに済んだ。

 クリスタルドラゴンの素材自体もかなり高く売れたのだ。首から上だけでも素晴らしい価値があって、特に二本の角がそれぞれ五万ジットにもなった。

 せっかく『心の世界』に全部詰められたのだから、勢いで焼いてしまわない方がよかったかなと。

 そう思ってユイをちら見したら、「てへ」と舌を出していた。こいつめ。

 

「やっちゃったものは仕方ない」

「君って都合の良いときだけ母さんイズムを出すよな」

「そりゃあね。私の半分は母さんで出来てるから」

 

 バフ○リンみたく言うな。

 と、さりげなく腕を差し入れて引っ付いてきた。横並びで歩く形になる。

 

「バカ。目立つよ……」

「もう十分目立ってるよ」

 

 にこにこ顔で身体を寄せて、幸せそうに歩くユイ。恋人じゃないんだから。

 とんでもないブラコンだ。わかってたけど。正確には姉でもないから、ブラコンと言っていいのか。

 ……まあ、でも悪い気はしないかな。俺も。やっぱり一緒か。

 安らぐというか。落ち着くというか。

 けどさ。こういうのは、やっぱり『心の世界』の中だけにした方がいいんじゃないかな。確かにあっちではべったりやってたけどさ。

 元に戻ったらまたいつでも来ていいから。なあ。

 しかしユイは確信犯的に、俺の反応と肉感を楽しんでいた。

 と、不意に真面目な顔になって。こちらを見上げる。

 

「なんでかな。ユウとくっついてた方が心が安らぐというか。落ち着くの」

「何となくそうなんじゃないかなって気がしてたところだ。いつもよりスキンシップ五割増しだもんな」

 

 ここ二日夜を共にしたのも、本当のところは君が一緒に寝たかったんだろうし。

 照れ隠しで俺が甘えたいってことにしてたけど。

 

「どうも離れてると落ち着かなくて。身体が戻りたがってるのかな。あなたに」

「だとしても慣れなくちゃね。今はくっつけないんだ」

「だよね……」

「大丈夫。俺はどこにも行ったりしないよ」

「うーん。まあ、そうだよね。いつもユウにしっかりしろって言ってるのにね。一人立ちしないと」

 

 黒髪を撫でるように掻いて、ユイはちょっと名残惜しそうに腕を離した。

 こんなに落ち着かない彼女を見るのは、初めてかもしれない。

 俺はユイの頭をぽんぽんと撫でた。

 

「別に頼ってくれてもいいからな」

「うん。ありがと。でも頑張ってみる。私の旅だからね」

 

 ユイはいくらかすっきりした顔で、頷いた。

 そうだ。これは俺の旅であり、ユイ自身の旅でもあるのだ。俺にくっついてばかりじゃなくて、もっと君自身で色んなものを感じた方がいい。

 滅多にできないことだ。させてあげられないことだ。

 いつかまた帰る日が来たとき、心から楽しかったと言えるようにね。

 

 

 ***

 

 

「即金で40万ある。これで買える土地が欲しい」

 

 俺は札束を投げ出した。ラナさんが笑っている。

 決まった。これ、一回やってみたかったんだよね。

 ユイは、やや冷ややかな視線を俺に向けていた。これだから男は、とでも言いたげである。

 このロマンがわからないなんて。お前、もしや俺じゃないな?

 

「あなた、もしかして……ユウさんでは? 噂の!」

「ええまあ。これでもね。良い取引ができることを期待してますよ」

 

 少しばかり毒と威圧を込めて、告げてやる。

 商売人というのは得てしてそういうものだが、特に「俺みたいな甘い顔したカモ」には、しめたと思ってとんでもないものをとんでもない価格で売りつけようとするのだ。

 さすがにもう慣れてるよ。その手の「しめた」顔は。

 

「ええ。ええ。とんでもないことでございます」

 

 図星だったのか。やや引きつった笑顔で、後ろ手でさりげなく紹介物件をシャッフルした。

 

「40万ですと……こちらの物件などいかがでしょう?」

 

 いくつか示された。やや郊外に位置するこじんまりとした一軒家か、あるいはもう少し中心部にある共同住宅なんかだ。

 悪くはない。別に悪くないけど、良くもない。土地付き物件で40万だと、まあそんなものか。

 大体相場を確認したところで。

 

「ああ。もう結構です。土地だけを紹介して下さい」

 

 ユイから申し出た。

 

「ですが、そうしますと……」

「大丈夫です」

 

 ユイがにっこりと愛想笑いをする。

 

「「自分で建てるから」」

「へ?」

 

 不動産屋は、間抜けな口をあんぐりと開けた。

 

 

 ***

 

 

「はは。ちょっと面白い顔が見れたな」

「うんうん。私たちを騙そうとしてたんだから、あのくらいはね」

 

 取引はしっかり成立させたから、お互いにとって損はない。

 面食らったかもしれないが、向こうも今頃はほくほく顔だろう。

 

「家建てるのは、久しぶりだな」

「前は丸太小屋だったね」

「エスタとアーシャが大はしゃぎで喜んでたやつだな」

「ふふ。可愛かったねえ」

 

 ユイがふと、空を見上げた。

 

「……元気にしてるかな」

 

 つられて、俺も空を見上げる。

 あの空の向こうに。宇宙のどこかに、彼らがいる。

 たった二人だけの世界。寂しい世界。

 心残りは、あり過ぎるほどにあるけれど。

 

「きっと元気にやってるさ。強いから。あの子たちは」

「そうだよね。魚採りとか、逃げ方とか、いっぱい教えたしね」

 

 去ってしまった俺たちには、どうしてもわからないこともある。でも、信じようじゃないか。

 と、ユイが苦々しく笑った。

 

「そのうち、二人きりじゃなくなるかもしれないしね」

「……あ、ああ」

「ね。ユウ。楽しかったねえ?」

「う、うん……」

 

 まあそれは……まあ、な。あれは、な。うん。

 

「まあ結果的に、ね?」

「じゃなかったら殺してるよ」

 

 ひいい。マジだ。マジな顔だ。怖いって。

 

 現実逃避しながら歩いていると、やっと俺たちの購入した土地に着いた。

 少し中心地から外れるが、そこそこの人通りがある住宅街。土地代だけなので、かなり広めだった。

 今からここに家を建てるのだ。

 

「木材は、あの開拓地から切り出してくれば、誰にも文句言われないだろう」

「いいね。よし。早速作業に取り掛かろう」

 

 ユイは頬を叩き、『心の世界』からゴム手袋を取り出した。

 転移魔法で、初日にランドとシルに連れて行ってもらったキャンプ地の近くへ飛ぶ。

 この辺りには、手付かずの広大な森が広がっている。悪いが少しばかり拝借させてもらおう。

 俺は気剣で天然の木を木材の形に切り出し、ユイはそれを火魔法や風魔法などで綺麗な乾燥木材へと加工していった。

 前に建てたときは一人だったので、一々変身してやっていたが。二人で協力して作業すれば、一気に効率は上がる。

 出来上がったものはすべて『心の世界』へしまっていく。そうすれば、一々ここへ取りに戻る必要がない。

 十分な材料を揃えたところで、俺たちは再びレジンバークへ飛んだ。

 今回は定住するための家なので、ログハウスのような建てっ放しでなく、基礎の土台作りからしっかり取り組む。

 大丈夫だ。こんなときのための完全記憶能力だ。建築工学は隅から隅まで頭に叩き入れてある。任せろ。

 さらにこの世界の特典である無尽蔵の気力と魔力をもってすれば、インターバルは要らなかった。

 作業は急ピッチで進んでいく。あれよあれよとモノが作り上がっていく様に、周りの人たちが気になって、きょろきょろとこちらを野次馬しているのを感じた。

 そして。

 

「「できたあああああ……」」

 

 やり遂げた。それでも一晩夜を通しての作業だった。

 俺とユイは、背中合わせでぺたんと地面に座り込んだ。照り始めた朝の光が、さすがに疲弊した身体に心地良く差し込む。

 俺たちは、満足してそいつを見上げた。

 

 夢のマイホーム、完成である。



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11「何でも屋始めました」

 ふらふらになった俺たちは、新築ほやほやの家に入ると、寝室で『心の世界』からツインベッドを取り出した。

 すぐに滑り込み、そのまま仲良くもつれるようにしてぐっすり眠った。

 気が付いたら真っ昼間になっていた。

 

「「ふああ……」」

 

 一緒に目をこすって、お互いの顔を見つめる。

 ユイ、ちょっと寝癖が付いてるな。……俺もか。

 

「まだ少し寝足りないかも」

「これ以上寝ると夜寝れなくなっちゃうからね」

 

 ぼちぼちしたら身嗜みを整えようか。

 魔法を活用して、ライフラインはしっかりと構築してある。水道、トイレ、風呂、キッチンなどは当然完備だ。

 ついでに言うと、家は二階建てである。二階は居住スペースになっていて、この寝室を始めとして六つほど部屋を作ってある。

 どう使うかまではまだ考えていないが、段々と決まっていくだろう。

 一応俺とユイの部屋は分けておいた。ユイが行動を俺に依存してばかりの状態から離れて、自分の旅を楽しむためには、個人のスペースを自由に使えることが大事だと思ったからだ。

 ユイの方が全体的にしっかりしてると思っていたけれど、ちょっと意外なところがあったな。

 よく考えてみれば、ユイはあまり出られないので仕方ないとは言え、これまでの人生で矢面に立ってきたのはほとんど俺だ。

 ユイはその存在理由も行動もすべて俺に依存して、サポートに徹してきた。

 だから好きにしていいと言われても、やや戸惑ってしまうのだろう。

 また一緒に寝てしまったけど……まあ今日のところは、へとへとだったのでとりあえず。

 

「ユウ。今日も作業頑張ろうね」

 

 早速目の前で寝間着をまくり始めたので、俺は咄嗟に手で制止した。

 

「また君はそうやって一緒に着替えようとする」

「だって一々向こう行くの面倒じゃん。がら空きだよ?」

「それはまあ、そうだけどさ」

 

 微妙に寂しそうな甘え声で言うなよ……。

 この部屋だって、まだツインベッド以外は何も置いていない。今日はまず内装を整えるところから始めようと考えていたところだ。

 

「私たち、元々一個だし。ね」

「万能な免罪符になってないか。それ」

「いいのいいの。誰も見てないし」

 

 そう言って、ちょっとはにかんだ笑顔でパジャマシャツをめくり上げていくユイ。

 もう目の毒ゾーンに突入しそうだった。

 俺は彼女のへその辺りまで視線を落として、

 

「でも……いや待てよ。俺たちはそろそろ学習すべきなんだ」

「なに?」

 

 ここで手を止めて素直に耳を傾けるところは、さすがに「私」だった。

 いいか。ここはレジンバークだ。レジンバークなんだ。

 この流れは。俺はたった今した嫌な予感を信じるぞ。

 

「ぼちぼちシルヴィアが入って来るような。そんな気がしないか」

「……言われてみると、確かにそんな気がしなくもない」

 

 コンコン。ガチャ。

 

 素早いノックの後、無遠慮にドアが開け放たれる。

 

「あなたたちがやばいことになったって聞いて」

 

「ほらね。来た」

「ユウすごい」

 

 ユイは素直に感心していた。

 伊達に弄られキャラはやってないんだよ。

 くそ。自分で言ってて悲しくなってきた。そうなるつもりなんてないのに。

 

「何がほらね、よ」

「こっちの話だ」「こっちの話」

「ふーん……まあいいわ」

 

 シルは明らかに怪訝な、しかしどこか物足りないような顔をしている。

 まさか期待していたわけじゃないよな。

 

「それより、聞いたよ。もうびっくり。紹介した次の日に私たちを軽く飛び越えちゃうなんて……」

「……あはは」「……えへへ」

「あなたたち、あんなところで平気にしてるからおかしいとは思ってたけど。本当にただ者じゃなかったのねえ」

 

 そう言ってしげしげとこちらを見つめるシルの目には、嫉妬の心はまるで感じられなかった。

 素直に賞賛し、評価する人の眼差しである。本当に良い人だな。

 

「見たけどさ。こんなに立派な家建てちゃって。クリスタルドラゴンってそんなに高かったかな」

「ああ。この家なんだけど」

「私たちが建てたんだよ」

「は!?」

 

 シルはもうびっくら驚いて、口をあんぐりと開けていた。

 

「なになに!? そんなわけわからない才能まであるわけ?」

「「あるわけ」」

 

 才能というかチート記憶能力+まっとうな努力だけどね。

 

「ほえー……」

 

 シルはがらんどうの部屋を見渡して「一日かよ……」と目を丸くしていた。

 そして、腕を組み考える仕草を見せつつ、

 

「あなたたちはもう何があってもおかしくないと思うことにする。決めたわ……」

 

 と、ぶつぶつ独り言のように決意を固めていた。丸聞こえなんだけど。

 

「あ、忘れてた。そろそろランドを呼んでやらないと。外で待たせてるの」

 

「ちょっと失礼」と、俺とユイの間を通り抜けて、窓から声を張り上げた。

 

「ランドー! ユウとユイいたよ! こっちこっち!」

 

 すると、下の方から返事が戻ってきた。

 

「おう! 今行く!」

 

 ランドと合流したシルは、この家を俺たちが建てたものであることを彼に説明していた。

 ランドは「どっひゃー」って感じで思いっ切り驚いていた。素直な反応ありがとう。

 

「いやな。いくら実力があっても最初は慣れないだろうと、依頼の話とか色々してやろうと思ってさ。シルを寄こしたんだが……こいつ、何も喋らないで帰ってきたって言うんだよ」

 

 ランドがシルを小突く。

 シルは少しむっとしたように、しかしばつが悪そうに言った。

 

「だって。あれは、ねえ」

「どうしたんだよ」

「何でもないわよ。ねえ?」

 

 シルは、俺とユイに確認を取るように嫌味っぽく目を細めた。

 やっぱりとんでもない勘違いをされたままだ……。

 ただこちらにできることは、愛想笑いだった。

 

「なんだよお。俺だけ仲間外れってやつかよ」

 

 ランドがしゃがみこんで指で8の字を描き始めたので、俺はユイと一緒になって「まあまあ」と宥めた。

 いくらか機嫌を直した彼が言う。

 

「物資の補給は済んだし、本当はもう向こうに行こうと思ってたんだけどな。とんでもないニュースが入ってきたもんで」

「町中があなたたちの噂で持ち切りよ。一日でSランクになって、やめたですって!」

「まさか先越されるとは思わなかったぜ。せっかくのニューヒーローなのによ。なんでいきなりやめたんだ?」

 

 それは間違いなく聞かれると思っていた。

 別に隠すことでもないし、話してしまって良いだろう。

 

「俺たちな。ここで何でも屋を始めてみようと思うんだ」

「え。何それ面白そう」

 

 シルから口を衝いてそんな感想が出て来た。

 ランドはまたまた驚いていた。

 

「何でも屋。冒険者じゃなくてか!?」

「うん。この町を色々見てさ。自分の力も確かめて。ユイとじっくり相談したんだけど」

「私たちの力は、ただ冒険というだけの範囲じゃなくて、ここにいる色んな人たちと触れ合うのに使うべきじゃないかって」

 

 それこそが、俺たちの旅のスタンスだった。

 行く先々の世界にいる人々と触れ合うこと。旅を楽しむこと。そんなごく普通で当たり前のことだ。

 でも、かけがえのないことだと思う。レンクスから聞いた限り、それができないフェバルのいかに多いことか。

 ラナソールは、日常が既に面白い世界だ。本当に色んな人たちがいる。

 そして、本当に濃い。

 ただ冒険ばかりにかまけていては、足元にある大事なものを見落としてしまうのではないか。そんな気がしたのだ。

 

「内容は冒険に限ったものじゃない。基本的に、悪い内容でなければどんな依頼も受け付ける。依頼料もそこそこリーズナブルにね」

 

 あまり安くし過ぎると、冒険者ギルドの営業妨害になってしまうからな。

 丸被りではないとは言え、一部の仕事を奪い取ってしまうだろう。競合他社というやつだ。

 だから冒険者を続けるわけにはいかなかった。規定でも依頼を個人の裁量で受けることは禁止されてるからね。

 

「なるほど……。そいつは面白そうだな!」

 

 ランドはうんうんと納得したように頷いていた。少年のように目を輝かせている。

 

「元一日でSランクのネームバリューも活かせるわね」

 

 シルは商売という観点から、冷静に勝算を判断して頷いていた。

 

「わかったぜ。俺たちも一枚乗らせてもらおう。冒険の依頼もいいんだよな?」

「ええ。もちろん。何でもOKだよ」

 

 ユイが笑顔で首を縦に振る。

 

「ならそのうち困ったときに力を借りるかも。よろしく」

「ああ。よろしく」

 

 シルと握手を交わす。

 最初の顧客ができた。これは幸先がいいぞ。

 

「っても、まだ何もないよな。これからお店にしていくのか?」

「そのつもりだ。二階は居住スペースで、一階をお店にね」

 

 一階は、昼は何でも屋で、夜は食堂にする予定だ。そのために大きな調理場を設けている。

 冒険者ギルドの酒場よりは、女性も子供も、もう少し色んな人が入りやすいお店にしたい。

 俺たちの手料理を振る舞いつつ、様々な人の話を聞くのだ。そしてそれを昼の営業に役立てる。

 上手くいけばきっと忙しくなる。

 

「なら、私たちも手伝ってあげない? ね、ランド」

「だな。みんなでやったら早く終わるぜ」

「ほんと? ありがとう」

「悪いな」

 

 ユイと俺は、揃ってお礼を言った。

 

 四人で協力して、てきぱきと一階を改装していく。

 必要な道具一式は全て『心の世界』に入れてあるので、問題はどうアレンジしていくかだった。

 あれこれ相談しながら、結局、煉瓦製だらけのこの町では珍しい木の温かみを活かしたコーディネイトに落ち着いた。

 あえて調理場やカウンターに障壁を設けず、面と向かって顔を突き合わせられる設計。店に入った瞬間に顔が見えるような配置にしている。

 椅子もテーブルも木製で統一し、変に飾ったところは作らない。時間を意識させないように、あえて時計は置かない。

 誰でも入りやすく、誰でも話しかけやすい。

 コンセプトは、「安心とくつろぎの空間を提供する」。そんな仕上がりだ。

 最後に表へ出て、どでかい看板を正面に据え付けて。

 俺たちの店は完成した。みんなで協力したので、どうにか夕方には終わった。

 ランドがやり切った声を出した。

 

「よーし。お疲れ!」

「「お疲れ!」」

 

 四人でしみじみと建物を眺め渡す。

 びっしょりと汗を掻いたランドは、良い顔でバシバシと肩を叩いてきた。

 

「こんだけ手伝ってやったんだ。しっかり頑張れよな」

「応援してるわよ」

「うん」

「すぐに人気にしてみせるよ」

 

 ユイは自信満々に答えた。

 ふとどこか懐かしくなって。ランドとシルからはあまり聞こえないような声で、俺はユイに話しかけた。

 

「母さんも生きてたときは、微妙に似たようなことやってたよな」

QWERTY(ウェルティ)ね」

「そうそう。母さんがキーボード見て適当に名前決めたとかいうやつ」

「クワーティーとかクウェルティじゃしまらないから、最初のQを発音しないことにしたとかいうあれ」

 

 QWERTY(ウェルティ)

 かつて地球に存在した、母さんが大学時代に設立したサークルを前身とする諜報機関だ。

 母さんは設立者兼エージェントとして、子育ての傍ら精力的に活動を続けていた。

 表向きはボランティアを行うNPO法人で、何か裏ではどでかいことをやってたらしい。色んなことやってたって。

 まあ子供の俺にはあまり話してはもらえなかった。何度か巻き込まれたことならあるが。

 ああ。死ぬかと思った。

 

「どうでもいいことだけど、ユイってキーボードだと横並びなんだね」

 

『心の世界』より、キーボード配置を思い浮かべながら言う。

 彼女も一緒に思い浮かべて、

 

「あ、ほんとだ。どうでもいいね」

「うん。どうでもいいね」

 

 二人で笑い合う。

 

「なんだなんだ。二人して」

「あなたたち、やっばりデキてるんじゃ……」

「「いいや(ううん)。こっちの話」」

 

 そして、取り付けた看板を見上げた。

 そこには大きく「アセッド」と書かれていた。

 本当の意味は俺たちにしかわからないだろう。

 

 All Service on Demand.

 

 せっかくだから、母さんにあやかってみた。

 まだ半人前だから、半分で。

 

 俺たち、何でも屋始めました。



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12「最初の依頼 1」

 ここは『アセッド』。

 レジンバークの中心部からやや外れたところ、そこそこ人通りの多い住宅街にでんと目立つ木製の一軒家。

 俺とユイが共同で始めた「何でも屋」である。

 あれから一夜明けて、開店初日を迎えた。

「伝説の」俺たちが新しい商売を始めたということは、早くも噂になっていた。

 実際のところ、野次馬の目は大いに集まっていたし、冷やかしらしい人も見えた。

 だがやはりというか、初日からすぐお客さんが現れるということにはならないようだった。

 まあ「何でも屋」なんて今まで見たことも聞いたこともないだろうからな。この世界の人たちの信頼を得るまでには時間がかかるだろう。

 じっくりとやっていけばいいさ。

 閑散とした食堂兼オフィスで、俺とユイはくつろいで時間を過ごしていた。今後の計画を話し合いながら。

 そう言えば。この世界に滞在可能な時間はどのくらいだろうか。

 どたばたしてたせいで、まだ見てなかったな。

 気になってしまったので、『心の世界』から世界計を取り出してみた。

 昔サークリスでレンクスがくれたものだ。

 

 どれどれ。……ん!?

 なんだこれ。どうなってるんだ。

 

「ユイ。ちょっとこっち来て見てみて」

「なになに」

 

 食堂のカウンターに待機していたユイが、ぴょんとキッチンを跳び越えてこちらに来た。

 横から世界計を覗き込む。彼女も驚いて目を丸くした。

 

「針が滅茶苦茶」

 

 世界計の針は、まるで生き物のように忙しなくくるくると回っていた。

 これでは何年滞在できるかわかったものじゃない。

 次の世界に行くのは明日かもしれないし、下手すると何十年も先ということもあり得る。

 ユイと分かれている今、下手に死んだらどうなるかわからないしな。

 

「やっぱ変だよなあ。この世界」

「変な人たち、変な許容性、変な滞在時間……うん。変だね」

 

 改めて合意を得て、役に立たない世界計を『心の世界』にしまう。

 それからしばらくのんびりと話していたが、誰も来ない時間が続いた。

 時刻は昼を回った頃。

 いい加減話す計画もなくなり退屈になってきた俺は、立ち上がって着ている服を正した。

 

「このままじゃ埒が明かないな。営業に行ってくるか」

「どこに行くの?」

「冒険者ギルド。早速人の商売取るようで悪いけどさ。あまり迷惑にならない程度に売り込んで来る。ユイは留守番頼む」

「わかった。こっちにお客さん来るかもしれないもんね」

「そういうこと」

 

 うんと背伸びしてから、屈伸をして身体をほぐした。

 そして、入り口である両開きの大きなドア(酒場を意識した)から出たところで。

 

「うわっ」

 

 少年が、びくっとした。

 

「えーと」

 

 見た感じ十歳そこそこのあどけない少年は、びくっとした状態のまま、その場に固まりついている。

 何かを言おうとして、喉のところで引っかかって言えない様子だった。

 ごくりと唾を飲んでから、彼は何とか俺の目を見て声を絞り出した。

 

「こ、こんにち、は……」

 

 後ろから歩いてきたユイが、彼を見て優しく目を細める。

 

「あら。可愛い子が来たね。こんにちは」

「こんにちは。ようこそ。何でも屋『アセッド』へ」

 

 少年が俺たちを見上げる瞳は、どこか気が引けた様子でびくびくと揺らめいている。

 子供が大人の仕事場に一人で来て、緊張しているのだろう。

 俺はなるべく打ち解けられるようにと心掛けて笑顔を作った。

 

「遠慮しないで。お客さんだよね。話を聞くよ」

「あ。えっと」

「こちらのテーブルへどうぞ」

 

 ユイが気を利かせて席を薦めてあげると、少年はこくんと頷いて、おずおずとこちらへ来た。

 きょろきょろと落ち着きなく店の内装を見渡してから、やっと座ってくれた。

 

「お茶入れてくるね」

 

 ユイがぽんと俺の肩を叩いて、「任せたよ」というノリでキッチンへ向かっていった。

 この世界にもお茶は普通にあって、あそこにはお客さん用の美味しいやつを用意してある。ユイが魔法を使えばポット要らずだ。

 少年は呑まれてしまっているのか、俯いてだんまりを決めたままだった。

 まずは俺から話しかけてみるか。

 

「俺はユウ。あっちのお姉さんはユイっていうんだ。君の名前は?」

「あ……はい。ぼく、ワンディです」

「ワンディ。今日はどんな用件で来たのかな。ちょっとお兄ちゃんに話してみてくれないか」

 

 穏やかに唆すと、ワンディはまだ少し躊躇っていたけれど。

 首を振って、とうとう意を決したように切り出した。

 

「あのね。うちのモッピーを見つけて欲しいんだっ!」

 

 俺を見つめる目は、本当に必死だった。

 

「モッピーって、モコのこと?」

「う、うん。まだ子供のね。モコなんだ。ぼくが、しっかりリードを握ってれば……」

 

 ワンディは、泣きそうな声で肩を落とす。

 モコというのは、この世界における愛玩動物の一種だ。

 中型犬くらいの大きさで、羊のようにもこもことした毛が特徴の可愛らしい奴である。外で何度か見かけた。

 彼から詳しく話を聞いたところ、子モコのモッピーは、とても好奇心が旺盛な子らしい。

 散歩中にうっかり手を放してしまって、そのままどこかへ行ってしまったというのだ。

 探しても探しても全然見つからず、家にも帰って来ないと。

 

「ねえ。見つけられる? もう三日も帰って来てなくて。きっととてもお腹空かせてるよ」

 

 しょんぼりと肩を落として、今にも泣き出しそうになっているワンディ。

 見ていられないよ。可哀想だ。

 そこに、ユイがお茶を持ってきた。

「これ飲んで。落ち着いて。大丈夫だよ」と励ましながら、彼女はワンディの隣の席につく。

 

「お兄ちゃんたち、すごく強くて頼りになるんだよね。聞いたよ。ドラゴンやっつけたって」

「うん。俺とユイはね、すごく強いよ」

 

 二人で頷き合う。

 ここは少しでも頼れる相手にと縋って言っているのだから、謙遜する場面ではない。安心させるようにそう言った。

 

「じゃ、じゃあ。お願い。半年分のおこづかい、あるだけかき集めたの」

 

 そう言って、少年がズボンのポケットに手を入れる。

 一生懸命ごそごそと探っている。そして。

 

「これ、全部あげるよ。だから」

 

 ジャラジャラとテーブル差し出されたのは、1ジットに満たないコール硬貨の山だった。

 

「足りる?」

 

 不安気に、弱々しい声で尋ねるワンディ。

 ざっと目算してみると――10ジットというところか。

 相場ではないのは確かだ。冒険者ギルドでも最低七、八倍の値は要求するだろう。

 だがしかし、そんなことは関係ない。

 これは正当な対価だ。そうだろう。

 有り金すべてを差し出すほど、この子は懸命な想いでモコを助けたいと願っているのだから。

 それに。こんなよく知りもしない人の店を尋ねるのに、どれだけ勇気が要ったことだろうか。

 

「大丈夫。ちゃんと足りてるよ」

「ほんと?」

 

 俺はしっかりと頷いて、丁重に依頼料を受け取った。

 ワンディの想いを受け取った。

 

「君の依頼、確かに承った」

 

 それを聞いて、ワンディの顔がぱっと明るくなる。

 よかった。

 

「じゃあ早速だけど。モッピーの特徴とか、何か言えそうなことはない?」

「ちょっとでも手がかりがあった方が、ね」

「えーとね。そうだ! ぼく、絵を描いて持って来たんだった」

 

 彼は服のポケットから、くしゃくしゃになった紙を取り出して開いた。

 

「へえ。上手いんだな」「ほんと」

 

 俺たちは目を見張った。

 そこには、ピンクのリボンを耳に付けたかわいらしい子羊のようなモコが、子供のお絵描きには似付かない見事な筆致で描かれていた。

 

「へへ。よく友達にも褒められるよ。お母さんにもお父さんにもね」

 

 そう言うワンディは、ここに来て初めて子供らしい無邪気な笑顔を見せていた。

 

「これなら。きっと見つかるよ。ね、ユウ」

「そうだな。人に尋ねることもできる。お手柄だよ。ワンディ」

「じゃあ。じゃあ……!」

 

 俺はワンディの頭を撫でた。

 

「心配するな。必ず見つけてあげるから。安心して待っててな」

「お姉ちゃんたちに任せて。見つかったらすぐ連絡するからね」

「うん……うん! よろしくお願いします!」

 

 少しはほっとした顔でワンディが去っていくのを見届けて、俺たちはやおら肩を回した。気合は十分だ。

 

「さて。随分安請け合いしちゃったみたいだけど。これは結構骨が折れるかも」

「だろうね。気で探せればよかったんだけど。探し物というのは、どこの世界でも厄介なもんだ」

 

 狭い家の中を探すというわけではない。この広い町の中でたった一つの探し物、しかも生きて動き回っているのを見つけようというのは、容易に想像が付くようにとても大変なことだ。

 その割には、依頼者から提示される報酬は、討伐系や採取系に比べるとずっと少ないのが常である。

 ギルドの貼り紙でも、確か探し物系はずっと貼られたままのものばかりだったと思う。

 俺たちに依頼しなければ、誰かが見つけてくれる可能性はかなり低かっただろう。

 あの子は俺たちを選んで、頼ってくれた。だからこそ。

 

「記念すべき最初の依頼だ。絶対成功させるぞ」

「やってやろうじゃん。急いで見つけてあげないとね」

 

 俺は「営業中」の札を「外出中」に裏返す。

 そして二手に分かれて、町へ飛び出した。



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13「最初の依頼 2」

 俺たちは手当たり次第、ワンディが持ってきてくれた絵を配りながら住民に尋ね歩いた。

 絵は、ユイが魔法でコピーを大量に作って『心の世界』に保管してある。都度取り出しては配っていった。

 

「ユウだな! 貴様に挑戦をさ――」

 

 グシャッ! バッコーン!

 

「こんなときに一々突っかかって来るんじゃない。おっと。そうだった」

 

 ごみ袋に頭から突っ込んでいる男(嫌がらせではなくて、なるべく怪我させないようにと思ったら、近くにある柔らかいものがそれしかなかった)を引き起こして、モッピーの絵を突きつける。

 

「この子に見覚えはないか」

「知、ら、ん……」

 

 ガクッ。男は力尽きた。

 伝説に挑んだ男の満足そうな顔だった。

 

「はずれか」

 

 俺は彼をとっとと近くの家の壁にもたれかからせて、次へ行くことにした。

 俺は町の西側、ユイは東側を中心に尋ね歩いていく。

 ワンディの家は西側の方にあるから、もし目撃情報があるとしたらこっちの方が可能性が高いだろうと思っていたが。

 意外にも先に発見者に辿り着いたのはユイの方だった。

『心の世界』通信が入る。

 

『昨日、そんなモコが裏路地にふらふらと入っていくのを見たって情報が入った』

『了解。そっちだな。俺も行く』

 

 子モコの足では、一日ではそう遠くまでは行ってないだろう。

 探索範囲を絞ることで、見つかる可能性を上げる作戦に出る。

 しばらく地道に尋ねていくと、今度は俺が情報を得ることができた。

 今日の朝のこと。薄汚れたリボンを付けたモッピーが、道の端を歩いていたらしい。

 近い情報だ。モッピーはまだこの辺りにいるかもしれない。

 一層やる気が出る。そこからはユイと二人で、しらみつぶしに探していった。

 そして、ついに――。

 

『ユウ! あっち! いた!』

『ほんとか!』

 

 ユイに視界の情報をもらって、共有する。俺のところからも近い位置だ。

 見ると、大きな通りの真ん中に、小さな小さなモコモコの羊みたいな子がいた。

 どこかで怪我をしたのだろうか。ひょこひょこ足を引きずるようにして歩いているではないか。

 だが見つけたと喜ぶ暇もない。

 なんとタイミングの悪いことか。そこにゴゼウ(馬にやや似た感じの生き物)の引く号車が、近付いて来ていた!

 呑気によそ見ながらの運転をしている男は、豆粒のように映るモッピーにまだ気付いていない。

 モッピーは、大きな足音を鳴らしながら近付いて来るゴゼウに身が竦んで、動けなくなってしまっていた。

 

「ユウ!」

「わかってる!」

 

 このままでは轢かれる! 間に合え!

 

《パストライヴ》!

 

 咄嗟に、リルナ直伝のショートワープを使用する。

 瞬きする間もなく、建物の壁を何もなかったかのように一気に抜き去る。

 号車の前に飛び出した俺は、震えるモッピーを懐に抱えて、安全な地点まで跳んだ。

 号車は、さすがに俺の姿には驚いて、慌ててブレーキをかける。

 が、とうに遅い行動だった。

 本来モッピーがいた場所を通り過ぎてからややして、号車がやっと止まる。危ないところだった。

 俺は、向こうの運転手に届くように声を張り上げた。

 

「すみません! このモコが轢かれそうになってたもので!」

「あああ! そうだったのかい! 気が付かなくて、すまなかった!」

「もう走らせて大丈夫ですよ! あとはこっちで何とかしますので!」

「そうかい! ごめんね!」

 

 男は深く頭を下げて詫びた。そして号車を再び走らせて去っていった。

 ふう。ほっと安堵の息が漏れる。

 ユイが駆け寄ってくる。

 俺は抱えたモッピーを顔の位置まで持ち上げた。

 

「危なかったな。モッピー」

「きゅー」

 

 この子は、事情をわかっているのかいないのか。

 相槌を打つように小さく鳴いた。高くて可愛らしい鳴き声だ。

 モコモコのはずの白い毛は、黒い土塗れに汚れてべとべとになっている。

 するとモッピーは、俺の頬をぺろぺろと舐め出した。

 

「あはは。くすぐったいってば」

 

 結構人懐っこい性格のようだ。

 

「かわいいなあ」

 

 ユイが羨ましそうにこちらを見つめている。

 何気に可愛い物好きだからな。ユイは。

 瞳をキラキラさせてる君も可愛いけど。

 だが無事だと安心したのもつかの間、モッピーは力なく項垂れてしまった。

 

「やっぱり、だいぶぐったりしてるみたいだね。それにひどく汚れてる」

「身体は洗ってあげるとして。エサもあげないとな」

「あとリボンも新調してあげないと。少しかかりそうだね」

「そうだな。ちょうどここに、ワンディから頂いた依頼料がある」

 

 俺は依頼料を大事にしまってあるポケットを、ぽんと叩いた。

 中でジャラジャラと小銭のぶつかる音がする。

 

「いいのかな」

「依頼の内容は、モッピーを『無事に』返すことだからね。必要経費さ。当然、依頼料に含まれる」

 

 二人で、にやりとする。

 

「ふふ。でも絶対足りないよね。ちょっとカッコつけ過ぎじゃないの。最初から赤字だよ」

「いいんだよ。金が欲しくなったら、冒険者にでも協力したらいい」

「そうすると思った。大賛成」

 

 俺たちは満足した顔で、ペットショップへ向かった。

 

 

 ***

 

 

 道中、足の怪我は気力を使って治してやった。

 何でも屋に戻り、モッピーにまず柔らかいフードを与えてやると。

 よほどお腹が空いていたのか、むしゃむしゃとがっつき出した。

 

「よく食べるなあ」

「でもよかった。食べる元気はちゃんとあるみたいで」

「そうだね」

 

 次はシャワーで念入りに身体を洗った後、新しいリボンを付けてあげた。

 一応、新しいものは似たデザインのを探してきた。古いのもちゃんと取ってある。

 ピカピカモッピーの完成である。

 モッピーもすっきりしたのか、満足そうに店内をはしゃいでいる。

 ここはドッグランじゃないんだけどな。まあいいか。

 そこで、ワンディを電話で呼んであげた。この世界には固定電話があるのだ。

 ワンディは、もちろんすぐにすっ飛んできた。

 そしてモッピーを見るなり、

 

「バカ。心配したじゃないか……! ほんとに……ぐず……よかったあぁ~!」

 

 わんわん泣き出してしまった。

 その場にうずくまって、もう声にならないくらい嗚咽を上げている。

 そんなに心配だったんだな。

 さすがになんて声をかけて良いのかわからず、二人で見守っていた。

 すると。よちよちと様子を窺うように、モッピーが彼に近づいていった。

 そして小さな口で、ぐいぐいと彼の裾を引っ張る。

 ワンディはぽろぽろと涙を流しながら、モッピーをしっかりと抱き上げた。

 

「ごめんな。つい手を放しちゃって……ほんとに、ごめんな」

「きゅー」

 

 モッピーが、彼の涙をすくうように舐める。

 まるで「もう泣くな」と言っているかのようだった。

 

「しょっぱいよ。涙なんて舐めたら」

 

 でもモッピーは、ワンディが泣くのを止めるまで、決して舐めるのを止めようとしなかった。

 

 

 ***

 

 

 すっきりした様子のワンディは、俺たちに満面の笑顔でお礼を言った。

 

「ありがとう! ユウさんとユイさんのこと、いっぱい広めておくね!」

「よろしく頼むよ」「また用があったらいつでも来てね」

「うん! さ、帰ろうか。モッピー」

「きゅ」

 

 しっかりと大事に抱きかかえられて。もう二度と離さないだろう。

 ワンディとモッピーは、仲良くお家へと帰っていった。

 去る背中を見つめながら、俺はふと感じていたことをユイに伝える。

 

「何だか、彼の心が深い闇から救われたような。そんな気がする」

「私も感じた。あの子、見た目以上に深く沈んでいたから」

「でも、まだ根本の悲しみは消えていないままな気がするんだ」

「うん。どうしてだろうね……」

 

 俺たちにはうっすらとだが、相手の心を感じ取る力がある。

 それは相手が心を開き、繋がれば繋がるほどに。よりはっきりと、鮮明に伝わってくるのだ。

 あの子は俺たちに、心の奥深くに抱えた悲しみと後悔を見せてくれていた。

 それが少しずつ癒えていくのを、目の当たりにしていた。

 だが完全に癒えることは、まだ当分ないように思えた。

 なぜ。モッピーはちゃんと帰ってきたじゃないか。

 このときはまだ、はっきりとはわからなかった。




 子モコのモッピーを事故で亡くしたあの日から、半月が過ぎようとしていた。
 ニノヤ カズトは、それからずっと塞ぎ込んでいた。学校もずっと休んでいた。
 原因は、うっかりリードを手放してしまったことだった。
 好奇心旺盛な子モコは、誘われるように車道へと跳び出し。
 そして、車に跳ねられてしまった。
 即死だった。
 カズトは自分をひどく責めた。
 どうしてあのとき、手を放してしまったのかと。
 食事も喉を通らない日が続いていた。

 朝。母親が心配して、子供部屋のドアを恐る恐る開く。
 まだ布団にこもりっきりになっていると思っていた息子は、今日はしゃんと身体を起こしていた。
 目には涙の痕がこびりついている。しかしその表情は、いくらかすっきりしていた。
 カズトは、母親に言った。

「昨日さ。不思議な夢を見たんだ」
「夢?」
「うん。僕、ずっとモッピーを探してた。でも、会えなくて。ずっと会えなくて」

 何かを思い出そうとするように、小さく首を振って。頷いた。

「誰かが、助けてくれたような。そんな気がする」

 母親は、じっと黙って子供の話を耳を傾けていた。

「モッピーが、帰ってきてくれた」

 カズトの目に、またうっすらと涙が滲む。

「なんでだろうね。夢のはずなのに。確かに、モッピーを感じた。モッピーが、腕の中にいたんだ」

 あの子の温かい感触を思い返すと、もう止まらなかった。
 大粒の涙がぽろぽろと溢れて、頬を伝う。

「モッピーがね。もう泣かなくていいよって。僕の涙を、舐めてくれるんだ」

 何かを抱き締めるようにかいた腕は。そこには何もなくて、空を切る。

「お前、僕のせいで死んじゃったんじゃないか……! なのに……!」

 溜まっていたものを、一気に吐き出すかのように。
 カズトは、いっぱいの声で嗚咽を上げた。
 どれほどそうしていたことだろうか。
 やがて、袖を拭って。
 母親を見上げる顔には、もう暗さはなかった。前を向こうとする意志があった。

「もう、大丈夫。僕、もう大丈夫だから」
「そう」

 母親は余計なことは何も言わなかった。
 ただ優しく子供の頭を撫でた。

「お腹空いたでしょう。ご飯できてるわよ」
「……うん」


 ***


「行ってきます!」

 トリグラーブの空に、元気を取り戻した少年の声が、すっきり通っていく。

 通学路の途中。モッピーが亡くなってしまった現場の付近を通りかかったところで。
 カズトは、ふと足を止めた。
 ぼんやりと思い出して。
 明後日にはもう忘れているかもしれない。そんな程度の淡い記憶。
 だがなんとなく。まだ覚えているうちに、彼はそう言いたくなった。
 カズトは。彼自身にだけ聞こえる声で、そっと呟いた。

「ありがとう。ユウ。ユイ。さようなら。モッピー」


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14「ラビィスライムを捕獲せよ」

 ワンディの一件以来、彼がよほど張り切って広めたのか、まずは探し物の依頼を中心に次から次へと依頼が舞い込んで来るようになった。

 気が付いたら、何でも屋『アセッド』は連日連夜すっかり繁盛の人気店となっていた。

 嬉しい悲鳴を上げているところに、また一人依頼者がやって来た。

 中年くらいの男だ。目元に笑いジワがあり、うっすらと無精ひげを生やした、人当たりの良さそうなオヤジという印象である。

 

「いらっしゃい。『アセッド』へ。こちらの席へどうぞ」

「お茶をお持ちしますので。どうぞおくつろぎになってお待ち下さい」

 

 ユイは、かつてレストランのウェイトレスを俺と「くっついて」やっていた時代を思い起こさせる、てきぱきとした動きで接客をこなしていく。

 魔法が使えるので、お茶出し等は彼女に任せているとスムーズに運ぶのだった。

 俺もやろうとしたのだけど、「私の方が早いから」と譲ろうとしなかったので、俺はお茶が出るまでの間に依頼の話を聞いておく。そういう分担になっている。

 

「「スライムを捕まえて欲しい!?」」

 

 話を聞いて、俺とユイは意外な内容にまた声をハモらせてしまっていた。

 

「ああ。カミさんたっての頼みでな。おちおち外も出歩けないと」

 

 オヤジはどこか不満気な顔で、報酬として前金100ジット、成功報酬として400ジットを提示した。

 もちろん商談は成立だ。

 何でも話によると、最近ラビィスライムという特別な種類のスライムが一匹、レジンバークに入り込んでしまったということだ。

 そう言えば、ニュースで見たかもしれない。

 そしてそいつが、あちこちでいたずらをしているらしい。

 だがスライムと言えば、その辺の冒険者でも十分対処できる程度のいわゆるザコモンスターである。

 何も500ジットも払わなくたって、半分も出せば喜んで初級冒険者が狩ってくれるのではないか。

 それがなぜ、しかも捕獲なのだろうか。

 もしかして。

 

「そんなに凶悪なスライムなんですか」

 

 分裂したり、酸を吐いたり、毒を持っていたりする種もいるにはいるからな。

 だがオヤジは、首を横に振った。

 

「いいや。今のところ、誰かが怪我をしたという報告はない」

「じゃあ、どうして」

 

 ユイが尋ねる。

 オヤジは、至極残念そうに溜め息を吐いて答えた。

 

「滅茶苦茶素早いから、誰にも捕まえられなくてな。それに――」

 

 オヤジは、突然気持ち悪く頬を緩ませた。

 

「女性が、大好きなんだ」

「は?」

 

 ユイが接客向けの笑顔のまま、固まっている。

 オヤジは「くうう~」と興奮気味に拳を振るった。

 

「女の子の匂いが大好きなんだ! 見境なく飛びついては、服をべとべとの粘液塗れにしていくんだよ!」

 

 なんだって!

 

「眼福じゃないか!」

「そう! 眼福だ! 素晴らしい!」

 

 ゴチン。

 

 ユイから軽くげんこつを頂いてしまった。

 いたた。頭を押さえながら。

 

「いや。何となくそう言っとかないといけないかなと思って」

「あなたもだいぶ毒されてきたよね」

 

 じと目のユイに、苦笑いして誤魔化す。

 俺は深刻な顔を作って、話を続けた。

 

「そんな素晴らしいスライムを、なぜ」

「ないよなあ。ちくしょう」

 

 だから不満そうなのか。

 あの。ユイさん。視線が怖いんだけど。

 

「うちのカミさんを始めとして、女性陣からはとっとと始末してくれと声が大きくて。仕方なく」

「それはそうだよ。そんないたずらっ子なスライムは、きっちり懲らしめてやらないと」

 

 拳を合わせ出したユイが、やけに張り切っている。

 こんなユイは久しぶりに見たぞ。とりあえず宥めておこう。

 

「まあまあ。でも随分人懐っこいスライムなんだね。悪気があってやってるわけじゃなさそうだ」

「だよな。俺もそう思うんだ。だからさすがに殺すにはってことで。間を取って、捕獲してから安全な所に放そうってことになった」

「なるほど。事情はよくわかったよ」

「すぐ終わらせるから」

 

 ユイがすくっと立ち上がった。

 見えないのに見える。何やら尋常じゃない魔力が漏れてそうな気がするんだけど。

 

「あのね、ユイ。捕まえに行くんだからね。殺すんじゃないからね?」

「わかってるよ」

 

 にこっと張り付けたような笑顔が、余計に怖い。

 

「よし行こう。今すぐ行こう。ぶっ潰す」

「本音が出てるよ……」

 

 なんという五七五だ。

 

《ファルスピード》

 

 ユイは、風のように店を飛び出していった。

 は、速い。あっという間に見えなくなった。

 俺とオヤジさんは、茫然と彼女を見送っていた。

 

「……あ、オヤジさん。お名前と連絡先を、お願いします」

「……お、おう」

 

 ユイに遅れること少しして。街へと繰り出した俺は、屋根伝いにターゲットを探し始めた。

 モッピーのときと違って、案外すぐにラビィスライムは見つかった。被害に遭っている女性の悲鳴が聞こえてきたからだ。

 気剣を抜く。殺傷性を持たないように、刃はなまくらのままで、さらに当てた際に気で電撃のようなショックを与えるスタンモードにした。

 実際、スライムは滅茶苦茶速かった。ドラ○エにメタ○スライムがいるけど、あいつをイメージしてもらったらいいかもしれない。

 とにかく目にも留まらぬ速さで、次々と女性に飛びついてはくりゅくりゅしていくのだ。

 被害女性は「はあはあ」と息を乱れさせて、その場に崩れ落ちてしまっていた。

 なんてけしからん奴だ。羨ましい。

 と、見惚れている場合じゃなかった。やるぞ。

 俺は飛び移るラビィスライムに狙いを定めて。気剣を合わせる。

 ええと。加減が難しいな。

 あまり強く斬りつけると即死してしまうし。かといって加減し過ぎても。

 このくらいか。

 

《スタンレイ――》!?

 

 しかし、気剣は外れてしまった。

 なんだ。いきなり空中で加速しただと?

 その原動力になったものは何か。

 ユイだ。向こうにはユイがいるじゃないか。

 間の悪いことに、まだスライムには気付いていない。

 とりあえず俺は、ユイに心通信で呼びかけた。

 

『おーい! そっち行ったぞー!』

『え、ちょっと。はや――』

 

 べちゃ。

 ああ。ユイの全身に、水色の液状生物が纏わりついてしまった。

 

「きゃああっ!」

「ユイ! 大丈夫か!」

 

 ラビィスライムが、親愛の情を込めて。

 よほど居心地が良いのだろうか。すりすりもぞもぞしている。

 ユイの胸がこねこねされて、薄手のシャツがめくれて、盛り上がっていた。

 

「んっ! ううんっ! ああっ!」

 

 か、かわいい。見守りたいこの姿。

 いやいや。何考えてるんだ。落ち着け。止めないと!

 

 スタンモードにした気剣を近づけていくと、危機を察知したのか、スライムがまた恐るべき速さで離れていった。

 ユイの肌に当たる寸前のところで、慌てて寸止めする。

 

「あいつ。思ったより厄介だな」

「……うええ。べっとべと」

 

 ユイが気持ち悪そうに顔をしかめて、服をぱたぱたさせる。

 いつの間にか観衆が。特に男たちが集まって、ユイを眺めていた。

 彼女に見惚れていた。

 

「なに。見せ物じゃないんだけど……」

 

 ユイは顔を真っ赤にして、男たちを睨む。

 だがご褒美だ。

 そうか。俺が女の子のときに恥ずかしがって睨むと、こんな風に見えてしまうのか。

 また一つ勉強になったよ。

 ありがとうユイ。ごちそうさまでした。

 

「ユウ。なんか変なこと考えてるでしょ」

「わかった? ごめん」

「あなたのことはよくわかってるから。……せめて男避けになってよ」

「あ、ああ」

 

 ユイをかばうようにして睨みを利かせると、男たちは舌打ちして目を逸らした。

 わかりやすいな。

 

「ひどい目に遭った」

「どんまい。それで、とても言いにくいことなんだけど……」

 

 たった今思い付いてしまった名案を、俺は恐る恐る彼女に告げた。

 

「はあ? 私に囮になれって?」

「えーと。それが一番確実かな、と……」

 

 ユイが、信じられないという顔でじーっと俺を睨み上げる。

 良心が痛む。

 う。困ったな。だがこれが一番確実そうだしな。

 

「ほら、さっき。あのスライム、ユイのこととても気に入ってたみたいだし。ね?」

「……はあ。わかった。絶対外さないでね」

「もちろん」

 

 作戦を了承すると、ユイの行動は大胆で早かった。

 俺に視線を隠してもらって、さっと路地裏で早着替えを済ませる。

 薄手のシャツよりもさらに薄く、細い肩紐が付いているだけのキャミソール姿となった。

 ユイがどんと来いと、堂々たる立ち居姿で胸を開いて待ち構える。

 俺がやや離れた位置に、気剣を構えて陣取る。

 再び何かを期待するように、野次馬が集まり出した。

 女の子の匂いに敏感なラビィスライムは、ユイの匂いがお気に入りのラビィスライムは。

 きっと来る。来るはずだ。

 

 ――きた!

 

 誰もが気付いていない。

 しかし俺は、はっきりと捉えていた。

 目にも留まらぬスピードで、これまでよりもさらに研ぎ澄まされた速度で、奴はユイに襲い掛かる。

 だが女を求める本能が仇となったな。軌道が直線的だ。

 

《スタンレイズ》

 

 狙い澄ました気剣の一撃は、見事ラビィスライムのど真ん中にクリーンヒットした。

 

「ぷきゅううう」

 

 弱々しい降参の鳴き声を上げて、水色の液状生物はその場にポトリと落ちた。

 

「わあー!」「やったわ!」

 

 方々より、女性の野次馬たちから拍手が上がる。

 一方で、男性陣はお通夜状態だった。

 がっくりと肩を落とし、期待を裏切られたこちらに向ける目は、どこか恨めしげだった。

 こうして、街の公序良俗を乱す可愛らしい痴漢魔は御用となったのである。

 

「今日は、すごく疲れた……」

「お疲れ様。まあそんな日もあるよ」

 

 俺はしばらくユイの肩を揉んであげることにした。

 ユイは、日中はもうずっと不機嫌でむくれていた。

 ちなみに夜の食堂では、彼女を一目見ようと大量の男性ファンが客として訪れたのは、言うまでもない。



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15「何でも屋夜の食堂」

 ここは何でも屋『アセッド』。最近は連日大繁盛している。

 ただ、繁盛しているだけにちょっと問題も現れてきている。

 二つの身体では、いくら力があっても一度にこなせる依頼に限りがある。

 そこで、優先度の低いものはどうしても後回しになってしまったり、仕方なく冒険者ギルドに紹介するケースも出てきてしまっていた。

 逆にギルドからも仕事が回ってきたりして両者の関係はWin-Winであるが、すべては理想通りというわけにはいかないみたいだ。

 何でも屋の看板が泣いている。

 直接の来客だけを相手にするやり方では管理に限界があるので、この辺りで予約も取り入れてみようかとも考えている。

 しかし店には俺とユイしかいないので、二人とも出かけてしまうと電話が取れないのが悩みだ。

 多忙のため二人ともしょっちゅう店を空けているので、このままの状態では機能しないだろう。何か考えないとな。

 例えば、誰かを受付として雇うとか。受付のお姉さんでも引き抜いてみるか?

 ……いや、やめておこう。あれを扱い切れる自信がない。

 さて。日が沈んだ時間からは、食堂としてもみんなに使ってもらっている。

 この世界は一日が二十五時間くらいあるのだが(時計は地球と同じ二十四時間制なので、地球より微妙に一秒が長いことになる)、この世界の時計で大体十九時半から二十四時辺りまでやって閉める。

 料理の仕上げは店で行うが、下準備は毎日『心の世界』で行っていて。こちらでは時間の流れがごく緩やかなので、昼間の業務に支障はない。

『心の世界』には食べ物をずっと腐らせないで保管できるため、冷蔵庫は要らないし、管理コストもかからない。飲食店の経営者が聞いたら下唇を噛んで羨ましがりそうだ。

 ギルドの酒場とは違って、誰でも安心して入れる食堂というコンセプトで運営している。

 悪酔いされると女性や家族連れの子供が安心して入れないので、お酒の類はあまりたくさんは置いていない。

 時々マジックショーをやってあげるととても喜ばれる。

 ちなみに俺たちには、かつてディアさんという超一流のシェフに付いて、プロとしての料理修行を一年に渡ってみっちり行った経験がある。

 だから料理の腕については、その辺りの店には負けない自信がある。実際味の評判はすこぶる良好だ。

 そんなある日のこと。

 いつものように客に料理を振る舞っていると、入口の両開きのドアがバアァァン! と勢い良く開いた。

 入って来たいかつい大男に、客が皆一様にぎょっとして、身を固める。

 

「ギンド!」

「ギンドだ……」

「こっちにも来やがった」

 

 俺はユイと見合わせた。

 そうか。もう退院してたんだったよな。

 なんだ。リベンジにでも来たのか。だったら受けて立つぞ。

 と、警戒を強めたのもつかの間、

 

「う、うおおおおおおおおおおおおおおおおん!」

 

 なんとギンドはその場に崩れ落ちて、大声で男泣きを始めてしまった。

 俺もこれには虚を突かれて、目を丸くしてしまう。

 大半の客は事情でも知っているのか、呆れ顔だ。

 

「い、いらっしゃい……」

「……ユウ。とりあえずカウンター席まで運んで宥めてあげたら?」

 

 ユイがひどく哀れなものを見るような目で促した。

 他の客にも迷惑だしね、とも言いたげである。

 

「そうだね。そうしよう」

 

 俺はギンドにそっと歩み寄ると、肩を持って引き起こし、カウンター席にまで連れていった。

 

「どうしたんだよ」

 

 優しく肩を叩いて、声をかける。

 すると、彼はぽつりと零した。

 

「ちくしょう……」

「うん」

「ちくっしょうううううううううう! またふられたああああああああああああああああああ!」

 

 大の男とは思えないくらい情けない嗚咽を上げ、自分の腕を目に当ててカウンターに突っ伏す。

 

「ああ。またか……」

「これで101敗目だぞ」

「ねえおかーさん。あれなに」

「こら。指差しちゃいけませんよ」

 

 客が口々に漏らすのを聞いて、色々と察した。

 ギンドはぐずぐずの涙声で続ける。

 

「あんたみたいな、むさい男は、お断りだって……ぐずっ……言うんだよおおおおおおおお! 悪かったなああ! 生まれつきだよおおおううっ!」

 

 俺とユイは、反応に困ってしまった。

 

「まさかギンドにこんな一面があったなんて」

「ちょっと可哀想かもね。はいこれ」

「お、サンキュー」

 

 ユイが用意したものを受け取る。

 考えていることは同じか。気が利くな。

 俺は彼女から受け取った杯を、ギンドの前に差し出す。

 彼はそれに気が付いて、咽び泣くのを止めた。

 

「ん、なんだあ……?」

「前に言ったよな。一杯奢るって」

「ああ……そうだったか……こいつあ、なんだよ……」

「お米と水から作った純米吟醸酒だ。日本酒という」

「……オコメ? ニホンシュ?」

「うちの故郷に古くから伝わるものさ」

 

 前の異世界でちゃんと品種改良された米を見つけたときは感動したなあ。

 せっかくなので苗を頂いて『心の世界』で栽培してるんだよね。

『心の世界』って結構何でもありだよな。それはともかく。

 

「まあ飲んでみなよ。口当たりがまろやかで美味しいよ」

 

 そう言って、色抜きをしていない本来の出来立ての色、淡い黄金色の液体を薦める。

 ギンドは大きな手で杯を掴み取ると、一気に煽った。

 うわあ。もっとちびちび呑むもんなんだけどな。

 すると、俯き加減でぷるぷると肩を震わせ出した。

 どうしたのかと思ったら。

 

「こ、この味は……うめえ! くうう! 心に沁みるようだああああっ!」

 

 いたく感動している。

 そんなに美味しかったか。よかった。

 

「お代わりいい! お代わりをくれええええっ!」

「はいはい」

 

 ユイが苦笑いして、次の一杯を注ぐ。

 

「もっと味わって飲みなよ」

 

 一応言ったが聞かない。二杯目もかぶり付くように飲み干してしまった。

 結構度数高いから、そんな勢いで飲むとすぐ悪酔いするぞ。

 これはいけないな。仕方ない。

 

「ユイ。あと店頼んだ。ちょっとギルドの酒場でギンドの話に付き合ってくるからさ」

「あんまり遅くならないようにね」

「善処するけど、約束はできないかも。ほら、行くよ」

 

 俺はギンドの肩を担いだ。

 

「うう……面目ねえ……」

 

 なんだ。素直なところもあるじゃないか。

 というわけで、俺はユイに食堂を任せ、顔の赤くなってきたギンドを酒場に連れて行くことにした。

 

 

 ***

 

 

 というわけで、ユウから食堂を任されてしまった。

 

「ユイちゃん。こっちもお代わりお願い!」

「はーい。すぐ向かいますので」

 

 一人だけになって、倍は大変になったけど。

 そこはウェイトレス時代を思い出して、てきぱきとこなしていく。

 もちろん雑談に付き合うのも仕事のうち。

 

「さっきは大変だったねえ」

「そうですね。ユウが連れて行ってくれたので助かりました」

「いやあ。本当に助かったよ。二人とも、見かけによらず本当に心強いね」

 

 また別の客が、笑顔で尋ねてくる。

 

「ユウくんは弟さんなんだっけ」

「ええ。ほんと手のかかる弟で。いつも苦労してます」

 

 まあそこが可愛いんだけどね。

 

「二人とも、愛し合ってるんだって?」

「え?」

 

 不意な言葉に、笑顔も忘れて聞き返してしまった。

 

「私も聞いたわよ。とっても仲が良いものね」

「大丈夫。うちの町では近親婚も自由だから!」

 

 わっはっはと、生暖かい笑い声が起きる。

 いつの間にかとんでもない噂になってるみたい。

 

「いやいや……。それ、誰が言ってたんですか」

「私はとある女の冒険者から聞いたんだけどねえ」

「そう言えば、俺も」「僕も」

 

 なんてこと。シルだ。絶対シルだ。

 あの子、変な勘違いばかりして。もう。

 

「別にそんなことないですよ?」

「え、そうなの?」

「この前、恋人繋ぎして歩いてなかった?」

「……それはまあそれとして。普通に弟として大好きなだけですよ」

「じゃあ、ブラコンってやつ?」

「まあ……そこは認めます」

「ヒューヒュー!」「いいね!」

 

 普通に家族やパートナーとして愛しているだけだもんね。普通だよ普通。たぶん。

 そもそもユウにはリルナさんがいるし。

 ……もう会えないだろうけど。

 遠く離れて実はすごく寂しがってるから、私がちょっとでも埋めてあげようかなって。

 それだけだよ。うん。まあ一応、レンクスのバカもいるし。

 

「はい。この話終わり! 今日は一人だけど、マジックショーするよー!」

「おー! 待ってました!」

「ぼくあれすき!」「わたしも!」

 

 話題を反らすために始めたマジックショーは、いつも通り大反響だった。

 

 店仕舞いしても、中々ユウは帰って来なかった。

 遅いなあ。まだかなあ。変なことに巻き込まれてないかな。ちょっと心配。

 三時間近くはじっと座って待っただろうか。やっとユウが帰ってきた。

 

「おかえり。遅かったね」

「ただいま。中々泣きが止まらなくてね。最後は酔い潰れたから、寝かせてきたよ。いやあまいったまいった」

 

 笑顔で頭を掻くユウを見て。

 何となく飛びつきたくなったので、抱き付いてみた。

 

「どうしたんだよ。ユイ」

 

 ユウは少し戸惑いながらも、しっかり抱き締め返してくれた。

 

「……うん。やっぱり一緒の方が落ち着くね」

「……うん。落ち着くね」

 

 温かい。安心する。

 ちょっとだけ見上げて。また何となく、聞いてみた。

 

「ユウ。私たち、離れてもずっと一緒だよね?」

「何言ってるんだよ。当たり前じゃないか」

 

 そんなこと、確認するまでもないことだけど。

 ユウから改めてその返事が聞けて、私は嬉しくなった。

 

「じゃあ、今日も一緒に寝よう」

「それとこれとは話が違うような」

「寝よう。ずっと待ってて寂しかったし」

「……わかった。寝ようね」

「えへへ」

 

 さすがユウ。ちょろいね。優しいね。

 ユウのそういうところ、小さいときからずっと好きだよ。



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16「ニルバルナの魔窟 1」

 ん、うん……。

 なんだろう。柔らかい。

 ああ。胸に顔が埋まっている。

 ユイ。俺を抱き枕みたいにして寝てたのか。

 良い匂いがする。落ち着く。

 ……もうちょっとこのまま寝てようかな。

 と思っていると、俺の背中に回っている彼女の腕に力が入って、ぎゅうっと押し付けられた。

 

「もうちょっとこのまま寝てようかなとか考えてたでしょ」

「当たり。おはよう」

「おはよう。良い天気だね」

 

 ユイが窓際を見てそう言ったので、俺も顔だけ向けてそちらを眺めてみる。

 確かに空は雲一つない快晴だった。

 で、いつもだったらそろそろ身体を起こすのだけど。

 今日は中々彼女の腕が緩まないばかりか、さも嬉しそうに胸に抱き入れたまま、ぺたぺたと愛おしげに背中を手がなぞる。

 

「幸せそうだね」

「もう寝言が可愛くて。抱っこしたくなっちゃった」

「なんて言ってた?」

「いいんだよ。私だったらいつでもいっぱい甘えてくれていいからね」

 

 そこは濁されてさらにしっかりと抱きすくめられ、頭をよしよしされる。

 まるで子供でもあやされているかのようだ。まあ悪い気はしないんだけど。俺も甘えん坊だよなほん――

 

 コンコン。ガチャ。

 

 突然の素早いノックから堂々とした勢いでドアが開け放たれ、

 

「……ふっ」

 

 シルがどこか勝ち誇ったような笑みを浮かべて。

 

 ガチャン。ドアが閉まった。

 

「「…………」」

「「……なに。今の」」

 

 とりあえずベッドから起きて、ドアを開けて左右を覗いてみると。

 いた。ずっと向こうにいた。

 私は何も見てないよとでもあさっての方向を向いて、下手くそな口笛を吹き鳴らすシルが。

 だが顔がにやけている。

 

「営業時間にはまだ早いんだけど」

「そうね。朝の営業中だったわね」

 

 なんだその含みのある言い方は。

 

「ダイジョブ。お姉さん応援してるヨ」

「あのねえ。昨日聞いたんだけど、冒険者に変な噂広めてるのってあな――」

「ランドー! ユウユイいたよー!」

 

 おいこら! 無視するんじゃない!

 

「おう! そっち行く!」

 

 お約束の流れで、ランドが遅れてやってきた。

 

「どうしたんだよ。そんなにやにやして」

「何でもないよ」

 

 シルは生暖かい目で俺たちを交互に見て、ほくそ笑んでいる。

 

「何だかのけ者にされてる気がするぜ」

 

 今回は8の字までは描かなかったが、微妙にいじけるランド。

 君は君で、一番近くにいるのに何も知らないのか。相当鈍いんだな。

 とりあえず話題を変えよう。

 

「それで。今日はどんな用件で来たんだ。依頼をしに来たのか」

「そうそう。かなり探索が難航しているエリアがあってさ。ユウたちにも協力してもらいたいなと」

「なるほど。報酬はいくら出すつもり?」

 

 細かい条件は置いておいてユイがさっさと尋ねると、シルがさらりと返した。

 

「大変なこと頼むからね。シンプルに成功報酬のみで十万ジット。どうかしら」

「結構出してくれるんだな」

「いやいや。普通元Sランクの冒険者雇うってなったらもう少しするんだぞ。あまりランク低い仕事は受けたがらないもんだし。あんたたちが何でも安請け合いし過ぎなんだよ」

「「何でも屋だからね」」

「ぷふっ。またハモってる」

「「あ」」

 

 シルはこれがちょっとツボにきてるらしい。口元を押さえている。

 

「二人とも本当に息ぴったりだよな」

「「まあね」」

 

 そこから、最近の事情をじっくり聞いていく。

 あれから時々ワープクリスタルで町に戻っては物資補給をしつつ、着々と冒険を進めていたようだ。

 やっとのことで俺たちが最初に居たあの森を抜けて、次のエリアに入ったとのことだが。

 

「現在チームで探索中のエリアは、切り立った断崖のあちこちが洞窟みたいになって迷路のように繋がっているんだが……どうもやたら広大らしいことがわかったんだ。そこで、ニルバルナの魔窟という仮称を付けた」

「「ニルバルナの魔窟、ねえ」」

「風のいたずらをする精霊の一種から付けたのよ」

「なぜその名前にしたんだ」

「まるでいたずらのようというか……ある重大な問題が出て来てさ。それがあんたたちに頼もうと思った最大の理由なんだ」

 

 ランドとシルが、その単語を口にする。

 俺とユイはまったく知らなかった話で、やや驚きとともにそれを受け止めた。

 

「「パワーレスエリア?」」

「そうだ。冒険者の間で都市伝説程度の噂にはなっていたものだが。まさか本当にあるとは思わなかった」

「その名の通り、そこでは不思議なことに全然身体に力が入らないの。魔法剣も精霊魔法も一切使えなくなってしまう」

 

 なんと。そんな場所があるのか。

 剣も魔法も使えないって、まるで許容性が低い世界みたいだな。

 

「面白いのは、人それぞれによって落ちる能力の幅に差があるってことなんだ」

「私はまだそこそこ動けるみたいなんだけど、ランドがね」

 

 シルが溜め息を吐く。ランドが悔しそうに肩を落とした。

 この様子だと、足手まといになるレベルで力が落ちてしまうのだろう。

 

「すまねえ。不甲斐ないばかりだ」

「いいよ。あなたのせいじゃないし」

 

 シルがランドの肩を叩いて宥める。

 目と目で通じ合う様は、まるで俺たちのような仲の良さを感じさせた。

 俺は少し返答を考えて、一つ頷いた。

 

「事情はわかった。つまりそのパワーレスエリアを抜けるまで、助っ人になって欲しいと。そういうことだな」

「その通り。話が早くて助かる」

「報酬が成功に限るというのも」

「こればかりは行ってみないとな。もしかしたら、向こうじゃユウとユイの方がお荷物になるかもしれない」

「だったらもちろん報酬はあげられないからね」

 

 ランドとシルが、くつくつと笑う。

 なるほどな。ギルドでもじきSランクに上がるだろうと言われている実力派のこの二人が頼ってくることだから、正直何事だろうと思っていたが。そういうことだったか。とすると。

 

「一つ懸念点があるとすれば、パワーレスエリアがどこまで広がっているのかがわからないことだな。依頼がいつまでかかるか」

「そうね。それは申し訳ないと思っているわ。もし長引くようなら、追加報酬を出してもいい」

「そこはいいんだ。ただ、離れている間他の依頼が滞っちゃうのはね。俺たち二人ともではなくて、片方だけというのは無理なのか?」

「いや。どちらかだけでも力になってくれるなら十分心強いぜ」

「私も異存はないわ」

 

 二人の返答を聞いて、ユイへ提案した。

 

「よし。じゃあ実際に現地へ行ってみて、パワーレスエリアの影響が少ない方、力になれそうな方が依頼に当たるということにしよう」

「ちょっと離れるのは寂しいけど、仕方ないね」

 

 ユイも納得してくれた。これで商談はまとまった。

 

「どうする? 俺たちはいつでも行けるが。何か準備するものはあるか?」

 

 ランドが肩を回しながら、こちらの都合を尋ねてくる。

 俺たちは首を横に振った。

 

「いつでもOKだ。すぐにでも出発できる」

「いいね。なら早速行っちゃいましょう!」

 

 玄関から出るのもかったるいので、四つの人影が窓から飛び出した。

 屋根伝いに、ワープクリスタルのあるエディン大橋側の門へ向かう。この移動法は目立つが、冒険者レベルなら意外と普通にやってるみたいだ。

 風を切って跳んでいる最中、ランドが楽しそうな顔で聞いてきた。

 

「この町にも少しは慣れてきたかよ」

「段々とね。まあ毎日新しい発見があって飽きないよ」

「ほんと濃い連中ばっかりだよね」

 

 隣を駆けるユイが、色々なことを思い出すようにしみじみと呟く。

 本当に色んな奴がいるよなあ。

 シルがふふっと笑った。

 

「夢追い人の集まる町だからねえ。橋を渡った先のフロンタイムでは、さすがにもうちょっと落ち着いた感じの人が多いよ」

「へえ。そうなのか」

 

 フロンタイムか。このレジンバークのある未開区ミッドオールと対をなす先進区。

 まだ行ったことはないので信じがたいが、そこでは魔法を利用した先進的なIT文明が栄えていると聞く。いずれは行ってみようかなと思っている。

 なぜこちらと文明レベルがそこまで差があるかというと、まあ色々と理由はあるらしいのだが。最大のものはあれだろう。

 何でも、エネルギーにも通信媒体にも使えるという、先進IT文明を根底から支える理想粒子「メセクター粒子」というものがあるそうだ。

 だがそれが橋を一つ渡ったミッドオールでは、なぜかまったく消え失せてしまって、効力を発揮しなくなってしまうのだと。

 そのせいで、メセクター粒子を動力にしている車やバイクだったり魔法列車だったりは、こちらでは一切使えないのだとか。

 なのでエディン大橋のところには、大量に車やバイクが乗り捨てられてしまっているらしい。

 そんな不便で手付かずな未開区にあえて可能性を感じ、わざわざやってきては冒険者ごっこを楽しんでいるのがこの町の連中というわけだ。

 許容性が恐ろしく高いということは、人の能力に際限がないということ。磨けば磨くほどに人は力を増し、可能性を広げていく。

 そして、まだまだ広がる未知の土地に未知の魔獣たち。こんなに冒険をするのに楽しい環境もないだろう。

 いざとなれば向こう側に帰って文明的な暮らしをすれば良いのだから、人々の顔が明るいのも頷ける話だ。

 そうだ。気付いたことがある。

 俺とユイの死と隣り合わせの実戦で鍛え上げられた動きと、彼らの動きは明らかに違う。

 平和な証拠だと思うが、命懸けでやっている奴なんて滅多にいないのだ。みんなスポーツの感覚で冒険を楽しんでいる。

 だから強い冒険者には誰もが憧れるし、恐れもなく素直に賞賛する。

 仮にもし山を斬れるほど力を持った者が彼らにとって本当の脅威となるのなら、先進区が圧倒的な魔法文明の武力でもって手を下してくれるだろう。

 

「まーてー!」

 

 ……ん?

 

「ユーウーホーシーミー! 貴様に再度挑戦を申し――」

 

 ピシュン! ドッゴーン!

 

 ユイの光魔法が、横から飛び込んできたほぼ全裸の彼をごみ収集場所送りにした。

 

 ……なぜにほぼ全裸?

 

「また変なの湧いてたよ」

「対処サンキュー」

「てかなにあれ」

 

 ユイはどん引きだった。

 いつものように挑みかかってきたばかりではなく、まごうことなき全裸一歩手前である。

 股間だけ葉っぱで隠していたように思う。俺もあれは引く。

 

「あいつら何だろうな。知ってるか」

 

 果たしてランドは知っていた。

 

「たぶん伝説になり隊の連中じゃないか」

「そのふざけた名前は何なの」

 

 奴の落ちていった場所を見やるユイの眼差しが、汚物を見るようなじと目に変わる。

 

「伝説になりたいんだ。あいつら」

 

 ランドはうんうんと男の理解を示した。

 

「だから何だって言ってるの」

 

 ユイがすかさず突っ込む。

 ランドも彼女の凄みにはやや引いて、半笑いになりつつ述べた。

 

「と、とにかくだ。自分より強くて構ってくれそうな、でも殺さないで済ませてくれそうな。そんな優しい相手を選んでは挑みかかるという。伝説になりたいのさ」

「そんなしょうもない連中だったのか……」

 

 とんだはた迷惑だ。俺の知らないところで勝手にやってろ。

 

「あなたたちは見るからに甘そうだし、カモなんでしょうね」

「いっぺん半殺しにすると寄り付かなくなるって話だぜ」

「「いや。さすがにそこまでは」」

 

 決めた。これからも遠慮なくぶっ飛ばしておこう。

 大怪我しない程度に。

 

「しかも裸だったんだけど。新しいタイプだよ。何なのあれ」

 

 ユイはまだ不機嫌である。

 それを聞いて、ランドが何か思い返すように苦笑いして目を細めた。

 

「ああ……あれはなあ……」

「ありのまま団も掛け持ちしてるわね」

 

 そこへシルが素早く斬り込んだ。何か物知りげだ。

 

「葉っぱだけ付けてたよね」

「良心派よ」

 

 シルはびしっと断言した。食い付きが凄いぞ。

 

「良心派じゃないのもいるのか」

「いるわ。すべてを開いた原理派こそが至高。他にも、下は着込んでしまうカジュアル派とか。まあこいつらは甘い連中ね。それぞれがそれぞれのやり方で、真理を求め日々修行を積んでいる」

 

 そして、熱い眼差しで拳を握った。だが口元はだらしなくにやけている。

 

「すべてはありのままであるために!」

 

 どうしようもなくわかった。

 シンパだ、この人。

 

「それに、数は少ないけれど……」

 

 急に神妙な顔で、シルは俺とランドに視線を送る。

 

「女性団員もいると聞いているわ」

「「なんだって!?」」

 

 二人同時に唸った。

 

「「眼福じゃないか!」」

 

 ごつん。

 ユイに軽く頭を小突かれた。いたい。

 

「いや。何となく言う流れなのかなと」

「もういいから」

「はい」

 

 食い付きが良かったのが面白かったのか、シルはさらに得意な顔で続ける。

 

「恥ずかしいから、夜中にだけこっそり野外活動してると専らの噂よ」

 

 何それかわいい。見たい。

 

『……私やリルナさんというものがありながら』

 

 まずい。ユイに心通信でばっちり拾われていた。もうちょっとで怒りそうだ。

 

『あ、あの』

『ほんとにしっかりしてね?』

『はい。ごめんなさい』

 

 やり過ぎた。反省しよう。

 大丈夫。俺は何も聞かなかった。よし。落ち着いた。

 

 などと長話をしているうちに、門はすぐそこに迫っていた。

 屋根裏から着地して、最後の通りを駆け抜ける。

 四人同時に、門の外へ飛び出した。

 向こうにはもう、水色の輝きを放つワープクリスタルが見えている。

 ランドが一番乗りで触れて、四人共が手をかざす。

 そして、彼が宣言した。

 

「イクスペル・ラン! ニルバルナ!」

 

 四人の身体がふっと音もなく消える。

 気が付くと俺たちは、切り立った断崖の前に立っていた。



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17「ニルバルナの魔窟 2」

 険しい断崖絶壁には、所々に洞窟が空いているのが見える。

 前に似たような場所に行ったことがあるが、そこで洞窟に入ったらえらい苦労したことあったなあ。今度もそうでないといいけど。

 後方を振り返ってみると、どこまでも鬱蒼とした森が広がっていた。以前俺とユイが降り立ったあの森だろう。

 出て来た場所は、正確にはランドたち冒険者チームの小規模キャンプだった。

 チームとは言っても、ランドシルペアとそれ以外は本来先を争うライバル関係にある。

 ワープクリスタルが非常に高いため、協力して購入し、しばらく共同で使っていただけのことらしい。

 新天地の発見が相次いだおかげで、もうすぐ二個目と三個目を買えるので、そこからはそれぞれに別れて競う予定だとか。

 キャンプを一人で見張るジムさんと二言三言ほどやり取りを済ませた後、四人で崖の方へ歩き出した。

 崖に向かって吹き付ける風が強い。

 スカートで出かけたユイが、何度もめくれそうになって押さえていた。

 この風のおかげか、崖底に漂う空気に澱みはなく、澄んでいておいしく感じた。

 

「そろそろだ」

 

 ランドがみんなに注意を促す。パワーレスエリアはもうすぐのようだ。

 俺は試金石のために、気剣を作り出して左手に握っておいた。

 チートめいた圧倒的白の輝きを放つ、おそらく俺史上最強の気剣である。

 まだ力は健在だが、これがどうなるか。

 やがてそこへ一歩足を踏み入れた途端。気剣で推し量るまでもなかった。

 羽のように軽かった身体に、急に重さがかかる。

 気剣の輝きも、ほぼ通常時のものに戻ってしまっている。

 

「うっ……」

 

 隣を歩いていたユイの膝が、がくんと折れた。

 

「ユイ! どうした!?」

 

 倒れずにこらえるも、ふらふらとよろめいて見るからに辛そうだ。

 気剣をしまい、すぐに肩を支えてやる。

 ユイは俺に身を預けて、弱々しい声でどうにか言った。

 

「ダメ……。立っているのも、息をしているのも……辛いくらい」

「本当か……。これは俺が行った方がいいな」

「まさか、こんなに力が入らないなんて……。ユウは、何ともないの?」

「今のところは」

 

 気剣は通常に戻ってしまったようだが、ただフェバル染みた感覚がなくなったというだけのことであり、普通に問題なく動けそうだった。

 ランドとシルは俺がユイを支える姿ににやにやしていたが、すぐにその事実に気付いて言う。

 

「ユウはあまり何ともなさそうだな。ここに来た連中、みんな力が使えないってギブアップしてたのによ」

「今回はユウ頼みってわけね。よろしく」

「わかった。でも行く前にユイをこのエリアから外に出そう」

 

 パワーレスエリアから外に出ると、たちまちユイは元気になった。

 

「ああ怖かった。あのエリア、気を付けないと」

 

 さりげに身を預けたまま離れないユイに、念話で尋ねる。

 聞かせる話じゃないので。

 

『どうして俺たちは元々一つなのに、こうも差が出てしまったんだろうな』

『わからないけど……。まるで許容性が下がったような。そんな感じがしない?』

『言われてみると本当に感覚がよく似てるよな。とすると、本来君は外に出ている存在ではないから、影響が大きかったのかもしれない』

『かもね。まあ今回は大人しくお留守番してるよ』

『うん。それがいいよ。君の分まで頑張るさ』

『あまり帰りが遅くならないようにね』

『そこも頑張る』

 

 話がまとまったところで、俺はユイをそっと離した。

 ちょっぴり残念そうな顔をするユイから目を離して、二人に向かって言った。

 

「まずは一人で上から様子を見て来ようと思う」

「上から!? そんなことができるのか!?」

 

 いつも素直に驚くランドは、まるで少年のように純真な心を持っていて。好感を覚える。

 

「大丈夫。少し時間はかかるかもしれないけどね。ちょっと待っていてくれ」

 

 俺はユイのように空を自在に飛ぶことはできないが、代わりに俺のときしかまともに使えない技がある。

 行こう。

 

《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》……

 

 俺はショートワープを連続で使用して、重力が身体を落とすより早く、何度も消えては現れ、宙を垂直にどんどん駆け上がっていった。

 リルナの技は『心の世界』に一切の負荷をかけない。

 彼女の愛があるからだ、と言うと臭いかな。

 体力以外の消費は一切なしで使えるため、パワーレスエリアでなければ、チートスペックを背景に実質使用無制限である。

 他人から見るとシュールな絵面に、下から驚き呆れるランドシルの声が届いた。

 

「うっひゃあ。あいつ、人間かよ」

「軽々とSランクになっただけのことは……化け物ね」

 

 ……そんなに驚かれるようになると、そろそろ人間卒業してきたのかなという気がしてくるよ。

 いつからこんな風に見られるようになったっけ。サークリスにいたときはそんなことなかったはずなんだけど。

 十分高さを稼いだところで、心通信で呼びかけた。

 

『ユイ。そろそろ頼む』

『了解』

 

 地面で、ユイが手を突き出して構えたのを感じた。さすがにわかっているな。

 俺もそれに合わせて手を突き出し、構えておく。身体の向きは崖に対して背を向ける方向だ。

 

《セインブラスター》

 

 大気をも揺るがす威力のエメラルドビームが、正面わずか上に向かって撃ち出された。

 魔法が出たのは俺の手からだった。だがもちろん魔法の使えない俺自身が出しているわけではない。

『心の世界』を中継して、ユイの魔法をこちらで受け取って放ったのである。

 撃ち出した魔法は、攻撃のために使ったのではない。

 反動で俺の身体は水平方向への推力を得て、恐ろしい勢いでっかっ飛んでいく。

 そう。推進力のために使ったのだ。

 力が有り余っているからこそやろうと思った、かなりの力業だ。

 パワーレスエリアに入ると、魔法は霧のように掻き消えてしまった。

 しかし、一度付いてしまった勢いまでが消えてしまうわけではない。

 慣性に従って、俺の身体は少しずつ落ちながら、まだまだ横へ飛んでいく。

 切り立った崖の上が見えた。

 とどめの《パストライヴ》で勢いを殺しつつ、位置を微調整して着地する。

 ふう。上手くいったな。

《パストライヴ》だけで真横にも飛ぶことはできたが、そうしなかったのは、パワーレスエリアにおいては体力の消耗が無視できないため、使用無制限とはいかないだろうと感じていたからだ。

 途中で力尽きたら格好悪いからな。魔法一発で来られたのは良い発想だった。

 さすがに上まで行くと肌寒かった。結構薄着で来たからなあ。

 

『ユイ。温める魔法を、ってここじゃ使えないんだったな』

『ごめんね。そっちで頑張って』

『ああ』

 

『心の世界』からコートを取り出して羽織る。いくらかマシになった。

 辺りはぺんぺん草も生えないと言ったら良いだろうか。鼠色の地面が変化もなく続いている。

 別に何かがいるわけでもなく、少々退屈な光景だった。

 小さなものから大きなものまで、所々に深い縦穴が空いている。下を覗き込んでみれば、どうやら洞窟の中間地点になっているようだ。

 つまり、地面から入れるあちこちの洞窟には、空が見える地点がいくつもありつつ、複雑に繋がって巨大な迷路を作り上げているわけか。

 これを素直に攻略しようとすれば、探索には非常に時間がかかってしまうだろう。魔法も使えないとなれば、この世界の人にはかなり厳しいのではないか。

 だが俺には完全記憶能力と上からの俯瞰視点がある。

 まずは上から見えるところをマッピングしていくか。

 気力強化をかけてから、ユイに念話を飛ばす。

 

『上を調べていく。たぶん半日くらいかかるから、今日のところはキャンプに戻っていてくれないか』

『わかった。二人には伝えておくね。私は家に帰った方がいいかな?』

『いや、今日だけはキャンプに残っていて欲しい。俺が帰るのに必要だ』

『ああそういうこと。うんわかったよ』

 

 俺は直接歩き回ったり、跳び上がった後《パストライヴ》を使ってさらに上空から様子を眺めるなどして、穴の位置と下の様子をつぶさに観察していった。

 これで、下を歩いて空が見える中間地点を通った際に、自分が今どこにいるのかという情報を知ることができる。

 やがて崖の向こう端に着いた。

 その先を見て、少し驚いた。

 まさかいきなり砂漠になっているとは思わなかったからだ。

 時は既に夕刻のようで、オレンジ色に照らされた砂が果てることもなく続いている。

 この崖を降りれば、俺たちは洞窟をスルーして先に進むことができるが……。実際それは可能だが……やめておこう。

 目的はランドとシルを順番通りあそこまで連れて行くことだ。

 あの二人は冒険の過程を楽しんでいる。であれば、野暮なことはするものじゃないだろう。

 よし。このくらいで良いだろう。そろそろ帰るか。

 

『ユイ。そっち帰るから、人目の付かないところに』

『オーケー。行くね』

 

 少し待っていると、ユイから『大丈夫だよ』と声がかかってきた。

 そこで俺は『心の世界』に対して、ユイの元へ行くように念じた。

 すると次の瞬間には、俺はユイの隣に出ていた。

 

「おかえり」

「ただいま。初めての試みだったけど、上手くいったね」

「考えたね。自分をしまうなんて」

 

 そう。やったことはそんなに難しいことではない。

『心の世界』には、色々なものをしまっておいて、取り出すことができる。

 だったら、自分自身をしまってから取り出してみたらどうだろうかと思ったのだ。

 現実世界に誰もいなくなってしまうのはまずいのか、一つの身体のとき、自分をしまうことはできなかった。変身が限界だった。

 なので、ユイが別の場所に実在していなければできない芸当ではあるようだ。

 だがこの世界に限っては、いつどこにいてもユイの場所に帰ることができそうだとわかった。また逆もしかりだろう。

 転移魔法のように許容性に左右されないため、実はかなり強力な移動手段なのではないだろうか。

 傍目から見るといきなり俺がユイから出て来たように見えるので、一応誰も見てないところでやるように言ったわけだが。

 

「シルは見てないよな」

「そこは一番警戒したから」

 

 二人で苦笑いする。

 あの子に対する評価は、とんでもない人物で一致してしまったようだ。

 キャンプに戻ると、二人とジムが温かく出迎えてくれた。ユイの手料理も待っていた。

 調査していた間は何も摂っていなかったので、もちろんおいしく頂いたよ。

 

「どうだったの」

「上は大体調べ終わった。明日からいつでも探索オーケーだよ」

「おお! 楽しみだぜ」

 

 ランドとシルは嬉しそうに意気込んでいた。

 ユイは夜の食堂があるからと名残惜しそうに家へ帰っていき、今日の夜は過ぎていった。



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18「ニルバルナの魔窟 3」

 翌日。ユイが帰り三人になった俺たちは、いよいよ崖の洞窟に挑むことになった。

 さて、入る前にまずはこいつを俺と二人にこっそりかけておこう。

 

【反逆】《不適者生存》

 

 レンクスの能力【反逆】の中でも、比較的負担の少ない使用法の一つだ。

 本来人間が生存するに適していない環境でも問題なく行動することができるようになる。

 例えば毒ガスが充満していたり、宇宙のような極低温の真空環境であっても普通に生きられる。

 洞窟の中は酸素がなかったり、毒ガスが充満していたりといったことが普通にあるからな。用心しておくに越したことはない。

 洞窟はいくつも口を開けているが、そのうち一つを勘で選び、足を踏み入れる。

 中は一寸先も見えないほど真っ暗で、冷たい空気に満ちていた。

 光魔法は使えないため、俺が『心の世界』から懐中電灯を取り出して照らす。

 途端に蝙蝠のような鳥が驚いて、バサバサと音を立てて逃げていった。

 照らすまで存在に気付かなかった。

 そうか。生物の気がわからないからな。これは気を付けないと厄介かも。

 

「便利な物持ってるわね。魔法照明はすべて使えないはずなんだけど」

「まあ色々とな」

「とっとと行こうぜ。こんなところに長居したくねえ」

 

 奥に行くにつれ、幅はどんどん狭くなっている。足場に気を付けながら、三人縦に並んで慎重に進んでいく。

 懐中電灯は、ぬめり気のある壁と鍾乳石を照らし出す。

 時折小さな蛇のような生き物や、蝙蝠のような鳥、そして気持ち悪い姿をした小虫を見かけたが、今のところ大きな障害はない。

 しばらく歩いていると、ランドが一人だけ息を切らし始めた。

 一方で、シルはまだまだ平気そうにしている。

 個人差があると言っていたな。

 

「ぜえ、ぜえ……くっそ。どうにも調子悪いぜ。得意の魔法剣も出せないしよ」

「だらしないわね。背負ってあげようか」

「だったら俺が」

 

 申し出たが、シルは手で制した。

 

「あなたはいい。いざというとき、頼りにさせてもらうからね」

「そうだぜ。手は空けておいてくれよ。とは言っても、さすがにお前にも任せるわけには」

「構わない。困ったときはお互い様。むしろへばられる方が邪魔だし」

 

 シルは身を屈めると、いとも軽々とランドを背負い上げてしまった。

 

「お、おい」

「んしょ。さあ先に進もう」

 

 男が女に背負われるという、中々情けない絵面になってしまった。

 だがランドは少し気まずそうにしているだけで、案外平気そうである。恥ずかしくはないのだろうか。

 まあこの世界は基本男女の力差とかそういうのは誤差の範囲で無視できるレベルだろうから、そういう感覚があまりないのかな。

 

 またしばらく進んでいくと、いくつか洞窟を抜けて、何度目かの空が見える地点に出た。

 俺の記憶にある光景と照らし合わせて、位置を特定する。

 ここで一旦昼食休憩を取ることにした。

 シルがランドを下ろして、一息吐く。よくずっと背負って行けたものだと思う。

 ランドは申し訳なさそうに頭を下げ、また歩けるからと言っていた。

 昼食には、冒険者の固くて冷たい非常食では味気ないだろうと思って、俺が熱々の手料理を振る舞った。

 いつもは魔法が使えて調理に便利なので「私」の姿で作っているが、別に男の身体でも腕が落ちるというわけではない。

 二人は初めて味わう俺のプロ級料理に、いたく感動の声を上げていた。

 おいしいと言ってもらえると、本当に嬉しくなる。

 お揃いで談笑しながら食事をとる姿が本当にお似合いなので、俺はふと気になって尋ねてみた。

 

「そう言えば。二人は付き合ったりとか、してないのか」

「えっ……」「それは……ね」

 

 二人は見つめ合うと、困ったなという感じで笑い合った。

 

「うーん。なんかよう。俺たち、付き合うって柄でもないんだよなあ」

「普通に仲は良いと思うんだけどね。それ以上ってなると、まだそんな気にならないのよね」

「なー」「ねー」

 

 そう言う二人は、まるで勝手知ったる熟年カップルかのように息がぴったりであった。

 

「じゃあ、お互い別の知らない相手と付き合うとしても全然平気なのか?」

「「それは嫌だな(よ)」」

 

 見事に即答でハモった二人は、はっとして互いに目を逸らす。

 少し顔が赤くなっている。

 

「俺は、単に俺がちゃんと認めた相手じゃないと嫌っていうか……」

「私もよ。ランドに変な女の虫が付いてもらっても困るし……」

 

 はは。それはやっぱり好きってことなんじゃないだろうか。

 まあ本人たちがあまりはっきりと意識していないだけで、実際かなり距離は近いのかもな。温かく見守るとしようか。

 

「何にこにこしてんのよ」

「何でもないさ」

「ぶっちゃけ、あなたたち姉弟の方がやばいと思うのだけど」

「……それは言いっこなしだ」

 

 ユイの愛情スキンシップ、プライスレス。

 

「なあ。なんでユウとユイがやばいんだ」

「あなたは知らなくていいの」

 

 子供のように尋ねるランドを、シルは怪しげな笑みで宥めていた。

 

 

 ***

 

 

 俺は平気だったが、ランドとシルのために十分休養を取ってから、洞窟の探索を再開した。

 今度は打って変わって、洞窟というよりかは、深い谷間のような印象を受ける場所だった。

 所々に空を示す天井の切れ目が入っており、懐中電灯がなくても辛うじて周囲の状況を見て取ることができる。

 ごつごつした鋭い岩柱が、至るところに散見された。

 開放的な空間になったことで、そこらに潜む生物にも変化が見られた。

 傾向として見れば、大型化していた。

 ドードー鳥の小型版みたいな鳥がその辺を歩いていたのを始めとして、中型犬ほどの大きさはある爬虫類が壁に張り付いていたり、蛇みたいなのが地を這っていたりといった具合である。

 やがて、周りと比べてやや明るめの所に出た。

 あちこちに奇妙な穴ぼこが周囲にたくさん空いている、地がすり鉢状の奇妙なエリアだった。

 無数の穴は横方向に向かって深く開けており、暗くて奥の様子はよくわからない。

 すり鉢の底には、動物の骨が散乱しているのが見て取れた。

 どう考えても嫌な予感がするのだが、しかし先に進むためには、ここを周伝いにでも通らなければならない。

 気を張り詰めて進むが、果たして嫌な予感は的中してしまった。

 突如目の前の横穴から現れた一つの巨大な影に、俺たちは足を止める。

 

「こいつは……!」

「べンディップだ!」

 

 ランドが狼狽えて叫ぶ。

 その姿は、体長数メートルはあろうかという――カニである。

 どう見てもカニだ。陸ガニみたいなカニだ。

 びびるランドに対して、シルは冷や汗を垂らしながらも、努めて冷静に解説を始めた。

 

「聞いたことがあるわ。人里離れた谷の奥深く、朱い悪魔は住むと。犠牲となった冒険者は数知れず。硬くて大きなハサミがチャームポイントよ」

 

 すると紹介されたベンディップは、人間の言葉がわかるはずもないのに。

 まるで自慢するかのごとく、これ見よがしにハサミをカシンカシンと鳴らし始めた。

 

「やばい。あの行動……あいつ、俺たちを餌と見なしたっぽいぞ」

 

 さらに竦み上がるランドに、シルの滑らかな解説口上は続く。

 

「ベンディップのしつこさは随一。狙った獲物は逃がさない。もし一度捕まれば、あのハサミを器用に使って、服を丁寧に剥かれて。口から吐く泡でぬるぬるにされて……ああ。私、そんな食べられ方したくなーい!」

 

 シルは解説を中断し、両腕で身体を大事に抱きすくめて「いやん」と叫んだ。

 ランドが悔しそうに拳を振り下ろす。

 

「ちくしょう。俺たちに魔法が使えれば。あんな奴の一匹や二匹どうとでも……! だが今の俺だって、まったく戦えないわけじゃね――」

「ねえ。あれ、見て……」

 

 シルが顔面蒼白にして、ランドの肩を叩く。

 気が付くと――横穴という横穴から、ハサミがこんにちはしている。

 にゅるっと次から次へと這い出て来たのは、予想通りベンディップたちだった。群れだったのだ。

 そこで合点がいった。あのハサミを鳴らす行動は、やはりランドの言う通り、餌が来たぞという合図だったのだろう。

 

「「ユウさーん! ヘールプ!」」

 

 まるでドラ○もんを呼ぶの○太ばりに叫んだ二人に、俺はやれやれと嘆息した。

 

「わかった。任せろ。片付ける前に捕まるんじゃないぞ」

「さすがに自分の身くらいは自分で守るわよ! ほら、ランド!」

「うおおうっ!」

 

 シルは強引にランドの首根っこを掴むと、パワーレスエリアで衰えたとは思えないほど軽やかな身のこなしで、すり鉢の中心へ退いていった。まるで忍者みたいだ。

 さて。本来ならこうやって集団で囲んで中心まで追い詰め、逃げられなくなったところを捕食しようって腹なんだろうが……。

 今回はそういうわけにはいかないぞ。

 一つの穴に一匹カニがいるとすれば――ざっと数えて、三十六と言ったところか。

 俺は気剣を抜き、まず一匹目に駆け寄った。

 ベンディップが反応するよりも早く、こいつの脳天に深々と剣を突き刺す。

 ところが、致命傷にはならなかった。

 ベンディップはもがくように、俺にハサミを叩きつける。

 すれすれのところでかわして。

 

「さすがに許容性の高い世界だ。その辺の生物も比例して生命力があるな」

 

 独り言ちる。

 ここでは俺の力が落ちているというのもあるか。ならば。

 返しで再び繰り出されたハサミをかわして跳び上がると、甲羅の上に乗った。

 いくら外は硬くても、中身はどうかな。

 左掌を軽く背甲に添え。

 気力を一気に内部へ送り込んで、爆発させる。

 

《気断掌》

 

 瞬間、ベンディップの甲羅が内側から弾けた。

 腹の下まで衝撃は突き抜けて、海水のような体液を滝のように漏らす。

 あちこちから剥き身が弾け飛んで、足の先からくず折れるように、巨大カニはくたばった。

 俺は甲羅から跳び降りると、目の玉が飛び出したベンディップの死体を一瞥して、呼吸を整える。

 人間にはまず使わない、内部破壊としての使用だ。こんな風にえぐい死に方をすることになるからな。

 ランドシルの方を見ると、向こうから手を振ってくれている。

 まったく落ち着く暇はない。

 既に他のベンディップは、俺の周りをぐるりと取り囲んでいた。

 これだから恐れを知らない単純生物は面倒だ。犬並みの知能があれば、びびって逃げ出してくれるのだが。

 あれをあと何十回かはやる必要がある。えぐいのはあまり好きじゃないんだが、仕方ない。

 俺は危なげなく、次々とベンディップを剥き身にしていった。カニ味噌は勘弁して欲しかった。

 

 じきに戦闘が終わって。

 カニ鍋をメニューに加えようかと思ったけど……これはダメだ。身に猛毒が入っている。

『心の世界』に比較的綺麗な死骸を送って、ユイに食材として使えそうか魔法で成分解析してもらったところ、そのような残念な結果が出た。

 苦労ばかりで煮ても焼いても食えないとは、まさにこのことである。

 安全とわかったところで、ランドとシルがこちらに駆け寄って来た。

 正確には、シルにランドが引っ張られてやって来た。

 

「あんた、本当にすごいじゃないか! あれだけの数を、たった一人でなんて……」

「さすがレオンの再来と言われるだけのことはあるわ! 惚れ惚れしちゃったよ!」

「いや。それほどでも」

「この~。澄ました顔しちゃってよう」

 

 ランドがぐりぐりと肘で胸を押してくる。

 実際あの程度の生物なら、もう数え切れないほど戦ってきてるからな。あまりすごいって感覚がなくなってしまったかもしれない。

 ほっと一息吐いた、そのとき。

 

 ん……?

 

 背後に妙な空気を感じた。

 振り向くと、すり鉢の底の方で、奇妙な揺らぎが発生しているのが見えた。

 あっと思っている間に、それは掻き消えてしまった。

 

「よーし。ぼちぼち行こうぜ。こんな汁気臭い所にはいられないや」

「もうランド。調子良いんだから。ん、どうしたの。ユウ」

「……いや、何でもない」

 

 気のせいか……? いや……。

 もう一度振り返る。もう何もおかしなところはないが。

 記憶を正確に辿ってみると。

 俺の目は、しっかりと捉えていた。

 穴だ。

 ごくごく小さいが、空間に謎の黒い穴が空いている。間違いない。

 あれは、なんだ?

 ……さっぱりだ。また後でユイにも話してみるか。

 

『聞こえてるよ』

『うわ。聞いてた』

 

 いきなりユイの心の声が聞こえてきて、びっくりした。

 

『どうにも気になる穴だよね。空間に穴が空くなんて、よほどのことだよ』

『だよな。これは勘に過ぎない予想だけど。ここがパワーレスエリアであることと、何か関係があるのかもしれない』

『私もそんな気がするよ。今度穴を見つけたときは』

『調べてみる価値はありそうだな』

 

 二人で結論付けたところで、先に行こうとしているランドとシルを急いで追いかけた。

 それから何度か激しい戦いはあったものの、ろくに力が出せず使い物にならない二人を尻目に、俺が単独でてきぱきと捌いていった。

 休み休みだったので時間はかかったが、上からのマッピングも手伝って、数日後にはパワーレスエリアを抜けることができたのだった。

 

「いやあ。ほんっとうに助かった! ユウがいなかったら危なかったな~」

「報酬は倍額にしておくわね。ありがとう。これでやっと力が出せる」

 

 ランドとシルは相当お疲れの様子だった。

 無理もない。好きなように動けなくて、ストレスも溜まっていたことだろう。

 

「くう~!」

 

 突然、ランドが声を溜めたかと思うと。

 

「いやっほー! 身体が軽い!」

 

 彼は子供のようにはしゃいで、一蹴りで何十メートルも跳び上がった。

 へえ。中々やるな。

 やっぱりAランクになると、一般人から見れば化け物らしいスペックのようだ。

 すると地面に降り立った彼は、急に神妙な顔つきになっていた。

 

「ところでよ。これ、どこまで続いてるんだろうな」

「さあ」

 

 俺はお手上げをした。向こうまで行ったわけではないし、そんなことは神のみぞ知ることだ。

 シルはおでこに手を添えて、果てなき砂の奥を探るように眺めている。

 不意に、プテラノドンに似た翼竜が、俺たちの上空を通過していった。

 広大な砂の海の上を我が物顔で優雅に飛ぶ彼は――いきなり、何かに食い付かれた。

 ワームだ。砂色の、ミミズみたいなでかいやつ。

 そいつが地面から湧いて出て来て。

 ああ。翼竜はなすすべもなく丸呑みにされてしまった。

 そして山のような巨大ワームは、非常にうるさいゲップをすると、ずるずると轟音を立てて砂の中に沈んでいった。

 あとはもう何事もなかったかのように、砂だけが残っている。

 茫然とその光景を見送っていたシルは、ふるふると顔を青くして。

 

「ねえ。近いうち……また助っ人頼む、かも」

 

 俺たちは、とりあえず帰ることにした。



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19「フォートアイランド調査 1」

 数日の休養期間を経て、あれから結局砂漠巨大ワームと戦うことになった。

 シルがああいう系のにょろにょろした生き物が特に苦手らしく(にょろにょろという次元を超えている気もするが)、泣き付かれてしまったのでやるしかなかった。

 砂漠はパワーレスエリアではなくて、普通に魔法が使えるため。

 退屈していたユイを連れて行ったら、まあひどいことになった。うん。

 ユイがしたことは単純だ。

 地に手を付けて、そこら中の砂を土魔法で強引に掘り起こしたのである。凄まじい力技だ。

 地響きがどこまでも続き、目に見える範囲すべての砂が巻き上がった。

 まるで天変地異だ。これをユイが起こしているというのか。

 そして、たまらずワームがもがき苦しんで出てきたところで、極大の風魔法が猛威の竜巻となって襲いかかった。

 巨大ワームは全身を巻き込まれて、ずたずたのミンチにされてしまった。

 一切の誇張はない。バラバラのミンチである。

 あっさりとまあ。えげつない。ユイは笑顔でえげつない。

 許容性が馬鹿みたいに高いと、魔法の自由自在っぷりが半端じゃないということを改めて知った。

 この世界だとユイの方が総合的には強いかもな。

 俺だったら――うーん。パワーを込めて《気断掌》を使えば、同じように辺り一帯の砂を消し飛ばすことができてしまいそうで怖い。

 改めてフェバルの力ってやばいな。これで滅茶苦茶弱い方だって言うんだから信じられない。

 二度に渡るランドシルの依頼で多額の報酬を得た俺たちは、そのお金でもう十分人を雇えるようになったわけだが。

 しかしまだ適当な候補者は見つかっていなかった。

 そのうち大々的に募集をかけてみても良いかもしれない。

 

 

 ***

 

 

 さて。俺とユイは今、さる依頼でレジンバーク近海の観光地にやってきている。

 かなり変わった「地面」を持つ小島だ。

 この島の話をする前に、周辺の地理について少しばかり語っておこう。

 未開区ミッドオールと先進区フロンタイムを断絶する、魔のガーム海域。

 荒れ狂う海と巨大な海獣たちが、そこを通らんとするあらゆる船を容赦なく水底に沈めてきたという。

 無論泳いで渡った者は未だかつておらず、あの剣麗レオンでさえ不可能であった。

 自ら武を示すために聖剣フォースレイダーをもって海を割り、巨大なイカの如き海獣ヌヴァードンを倒して帰還するに留まったという。

 まあずっと海を割り続けるわけにもいかないだろうからね。

 それにしても眉唾かと思うくらいのとんでもない伝説だ。この世界がぶっ壊れた許容性を持っていなければ、信じなかっただろう。

 現在二つのエリアを繋ぐものは、ただ一つエディン大橋だけである。

 このとてつもなく長大な橋は、一体誰がいつ打ち立てたのかまったくの謎であるという。

 とにかく、今を生きるすべての者が生まれる遥か以前よりそれは存在している。材質は極めて頑丈で決して風化することなく、人や物を繋ぎ続けているのだ。

 海は恐ろしいというのがこの世界の一般常識であるが、すべての海が脅威というわけではない。

 ミッドオールとフロンタイムの近海に限っては比較的穏やかであり、漁業も盛んに行われている。

 レジンバークの貿易額の約一割は、水産業によるものである。

 

 レジンバークの船着き場から小舟で一時間半ほどの距離に浮かぶ、小さな島がある。

 フォートアイランドという島だ。

 つまり今俺たちが来ているこの島のことだが、ここはとにかくふわふわと柔らかい地面で有名である。

 どのくらいかというと、あまり力を入れ過ぎると足からずぶずぶと沈んでいってしまう程度には柔らかい。

 稀に窒息事故も発生するため、気を抜くのは禁物である。

 なぜこんな島が人気なのかというと。

 なんと信じがたいことに、ここの地面はそのまま食べられてしまうのだ! 適切な加工を施せばさらに美味しい。

 味はほんのりと甘くクリーミーで、栄養もミネラルも豊富。ここの土で作ったパックは、美容にも最高なのだとか。

 幸いなことに、徐々に地面が噴き出してくる活山があるため、資源に事欠くことはない。

 食べられる島、フォートアイランド。

 その物珍しさと、美食や美容目的にと、世界中から連日多くの観光客が訪れる。柔らかい地面も、天然のアトラクションとして子供たちに大人気である。

 ところが近年、この島に異変が起き始めているという。

 通によく言われているのが、土の質が劣化したということだ。

 従来の甘くてクリーミーな土に混じって、食うに値しないまずい土が混じり始めたのである。

 そいつを何とかしろというわけではないが、危険な活山に赴いて、指定の数カ所から湧き立ての地面を採取してきてくれないかというのが今回の依頼だった。

 採取した地面は成分調査に用いて、今後の収穫の参考とするらしい。

 依頼主はフォートアイランド観光協会、報酬は一万ジットである。

 

 一歩足を踏み入れた途端、噂に聞く以上の柔らかい感触に驚いた。まるでプリンの上にでも立っているかのようだ。

 周りを見ると、その辺から土を掬って食べようとするはしたない者がちらほらといた。

 さすがにその辺のは多くの人が踏んだりしてるだろうから、止めた方がいいと思うんだけど。

 それにしても。

 どこを見ても真珠のように白くて、本当においしそうだ。

 とてもただの土とは思えない。つい涎が出そうになる。

 そう言えばそろそろ昼だし、お腹も空いてきたな。

 

「別に急ぎの依頼でもないし、まずは腹ごしらえといこうか」

「賛成。名物のおいしい土、楽しみだね」

 

 島で人気の定食屋に向かう。

 この島の建物は、普通に建てると即沈んでいってしまうため、魔法で土台に補強をかけているらしい。

 売上げ一番のメニューを尋ねて「土でできたおいしいシチュー」を頼む。

 待つこと十五分、コトコト煮込まれた美味しそうなシチューがやってきた。

 見事だ。見事なクリームシチューだ。

 このソースが土でできているとは、見た目では到底わからない。

 

「「いただきます」」

 

 一口入れた瞬間。

 ふわっと舌に広がる優しい甘みが、脳天を突き抜けていった。

 

「「おいしい!」」

 

 同時に目を見開く俺とユイ。

 舌にじんわりと残る心地良い味覚の余韻が、頬を蕩けさせる。

 

「これはうちのメニューにもぜひ加えたい一品だね」

「今回の依頼が済んだら、少しでも安く仕入れられないか交渉してみよう」

 

 よく味わったのは最初の三口ほどで、後はあまりのおいしさにいっぺんに平らげてしまった。

 これは名物になるのも頷ける。最初に土なんか食べようと思った変人は天才だな。

 

 お腹も一杯になったところで、俺とユイはこの島に一つだけそびえる活山へ向かうことにした。

 島の面積の約半分を占めており、二千メートル級の標高がある。

 用があるのは「土口」付近だが、途中までは登山道が整備されていて、ハイキング気分で登ることができた。

 しばらく道なりに進んでいると。

 

「あ。あれ」

 

 ユイが何気なく指差したので、そちらの方を見てみれば――。

 

 レンクスが、埋まっていた。

 

 腰から上にかけ、頭から半身を突っ込んで。

 見事に埋まっていた。

 両足だけが、逆さに地面から突き出している。

 マジか。そのうち来るとは思ってたけど、この出会い方はさすがに予想外だぞ。

 俺たちの視線に気付いた瞬間。

 彼は懸命に足をじたばたさせて、自己主張を始めた。

 ユイはまるで他人事のように、

 

「なんかばたばたしてるよ」

「君に助けて欲しいんじゃないか?」

 

 だがユイは、素っ気なくスルーする。

 しばらく二人して、黙って様子を眺めていると。

 彼は埋まったまま、しきりにもがいて空しいアピールを続けていたが。

 やがて両足ともに力なく投げ出して、ぱったりと動かなくなった。

 

「あ。ぐったりした」

「なあ。そろそろ助けてあげた方がいいんじゃないか」

「えー。行きたいなら行けば?」

「うーん……そうするよ。なんか可哀想になってきたし」

 

 正直自分で出られるはずだから出てこいよとは思うが。ここまで執念深く意地を張られると、俺はもう負けてあげてもいいかなと思った。

 しょんぼり凹んでいる彼の足を掴んで、やや乱暴にひっこ抜いてやる。

 そのくらいの扱いでいいだろう。だってレンクスだし。

 逆さ宙ぶらりんになって出て来たのは。

 果たして見慣れた金髪の残念なイケメン、レンクス・スタンフィールドその人であった。

 

「ぷはあっ! もう少しで死ぬかと思ったぜ!」

「やあ。レンクス」

「よう。ユウ! くう~、やっぱりお前は優しいなあ。それに比べて、女のユウと来た、ら……?」

 

 彼女の姿を認めた途端、レンクスの目が面白いように点になった。

 わけもわからず、ぱちくりと瞬いて。

 俺とユイが別々で立っている姿を交互に見つめて。

 その事実を認識した瞬間。

 彼の足を掴んでいた俺の手は、空気を握っていた。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーっ!」

 

 テンションマックスで、一直線にユイへ跳び掛かるレンクス! 

 しかし、その手が彼女の身体へ届く前に――

 げし。

 ユイの鋭い左蹴りが、彼の顔面に容赦なくめり込んだ。

 

「久しぶり。レンクス」

「……おう、久しぶり。やっぱ挨拶はこれに限るぜ」

 

 顔を思い切り足蹴にされながら、幸せそうににやけるレンクス。

 変態もここまで行くと大したものである。

 

「で、どうしたって二人に分かれているんだ?」

「まずはそこだよね。普通」

 

 ユイの声は、いつにも増して冷ややかである。

 しかし本心では嬉しいのもわかっている。『心の世界』は嘘を吐かない。

 

「疑問よりも先に身体が動いちゃったんだね」

「いやあ。そりゃあもうな。へっへっへ」

 

 だらしなく笑うレンクス。

 お前のユイを求める本能は凄まじいな。

 

 とりあえずレンクスに対し、この世界に来てから何がどうして今に至るかをじっくりと話した。

 理由はわからないが、なぜか身体が二つに分かれてしまったことも含めて。

 

「どうして私たち、分かれちゃったんだと思う?」

「何か原因は推測できるか。レンクス」

「うーむ」

 

 神妙な面持ちになって考え込む彼。

 シリアスな雰囲気を出しているときのこの人は期待できる。実際何度も助けられてきたからな。

 二人でじっと待っていると、やがて顔を上げた彼は。きっぱりと断言した。

 

「さっぱりわからん!」

 

 がくっ。期待して損した。

 レンクスでもわからないことがあるんだな。

 

「いやよ。そもそも俺もな。この世界に来るとき、星脈が急におかしくなって。あんなことは、長い旅の中でも初めてだった。で、気付いたら」

「埋まっていたと」

「そう。埋まっていた」

 

 黄昏るレンクス。

 いや、そこで良い顔しても何も出ないからね。

 

「この世界が何かおかしいっていうお前たちの予想は、俺もまず間違いないと思う」

「やっぱりか」「絶対おかしいもんね」

「二人がこうして分かれている事実、異常なほど高い許容性。針を指さない世界計、パワーレスエリアとかいうおかしな空間。そこに空いたという奇妙な穴。どれもこれも、普通の世界じゃあり得ないことだ。マジ謎だらけだな」

「できればレンクスの手も借りて、可能な範囲で世界のことを調べたいと思うんだけど」

「ああ。もちろん協力するぜ。ただ……」

 

 彼はまた神妙な面持ちだった。

 

「こいつは難航するかもしれねえな。手がかりがなさ過ぎる」

「そこはまあ、おいおいやっていけばいいんじゃない? 家もあるし、ね」

「お、住んでもいいのか! 助かった。サンキュー」

「「だって」」

 

 ねえ、と俺とユイは見合わせる。

 

「「レンクスって、ほっとくとすぐ悲惨な生活を始めるからな(ね)」」

 

 この男の生存力には目を見張るものがあるが。

 生活力のなさは、はっきり言ってバカだ。

 勝手にさせておくと、どんどん文明人と呼べるものから乖離していく。

 ぐうたらごろ寝してその辺の野草に生で齧り付いてるレンクスとか、さすがに見ていられないからね。

 

「悪かったな。で、ともかくだ。色々わからないことはあるが、一つだけ確実に言えることがある」

 

 ごくりと喉を鳴らす。

 キリっと真面目な顔をしていたレンクスは――。

 そこで一気に崩れて、アヘ顔スマイルになった。

 

「ユイを好きなだけ愛でられるとか、最高だよな!」

 

 うわあ。言いやがった。

 いつか絶対言うと思ってたけど、もうはっきり言いやがった。

 ユイがさっと身を固めた。もうこれ以上ないくらいどん引きしている。

 俺は分かれているからあまり関係ないけど。ユイ単体となれば、ますます変態に磨きがかかるのは間違いない。

 どんまいだ。どんまい過ぎるよ。

 同情的な目でユイを見つめる俺に、レンクスはふと微笑みかけてきた。

 

「おっと。そんなに寂しがらなくてもいいぞ、ユウ。俺はお前のこともちゃんと愛してるからな」

 

 そう言って。子供のときよくそうされたように、頭をぽんぽんと撫でられた。

 俺はもう子供じゃないんだけどなあ。まあいいか。

 永い時を生きるこいつにとっては、高々二十年なんてあってないようなものなんだろうし。

 

「よっしゃ! 土の調査とやらだったな。張り切って行こうぜ!」

 

 ユイと一緒にぐいと引き寄せられて、後ろからがっちり肩を組まれた。

 背の一つ高いレンクスが、上から頬をすり寄せてくる。

 彼を真ん中に、三人とも頬がくっつく形になった。

 かなり暑苦しいスキンシップをかまして、レンクスがしみじみと呟く。

 

「両手にユナの子とか、幸せか」

「もう。一々にやけるな」

「はは。いつにも増して楽しそうだね」

 

 こうして一人強力な助っ人が加わって、わいわい調査は続くのだった。



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20「フォートアイランド調査 2」

 白く柔らかい土が広がる山の斜面をしばらく歩いていた。

 色合いだけ見るならば雪山に似ているが、歩いているときの感覚はまるで異なる。

「土口」と思われる巨大な窪みがそれとなく見える位置まで登ってきた。頂上まではまだいくらか距離がある。

 

「思ったんだけどさ。レンクスが何かすごい技で指定場所の土をいっぺんに採ってきたら、この依頼って一瞬で終わるんじゃないの?」

 

 ユイの素朴な疑問に、レンクスはどうということもない感じで鼻をさすった。

 

「もちろんできるけどよ。それじゃあつまらないだろ。俺がやると全部一発で片付いちまうからな」

「こういうのは過程を楽しむことが大事だからね」

「まあそうだよね。言ってみただけ」

 

 高度が上がると肌寒くなってきたので、ユイに《ボルエイク》をかけてもらった。身体周りの温度の調節が可能な火魔法の一種である。

 さらに登っていくと、遠近の関係で窪みが隠れてしまったが、静かに立ち上る白い煙から、土口の位置はよくわかった。

 採取場所の土口は相当な高温になっているらしく、生身で入ればひとたまりもないとのことだ。

 依頼の達成には高温から身を守る魔法を使えるスキルが不可欠であり、ゆえに高額となっている。

 ただ山登って土を採ってくるだけだったら一万ジットも要らないしな。

 そろそろレンクスにも採取場所の詳しい説明をしようか。

 ユイに話しかけて立ち止まり、もらった地図を広げようとしたところで――。

 突然、地面が激しく揺れ出した。

 

「地震だ!?」

「でかいぞ!」

「二人とも、しっかり!」

 

 ユイが心配して声をかけてくれた。

 足を取られて転げ落ちないように踏ん張る。揺れが収まるのをじっと待った。

 すごい揺れだ。普通の人なら立っていられないほどの大地震。最低でもマグニチュード7以上はあるんじゃないか。

 しばらくして、揺れそのものは収まった。

 レンクスが悪態をつく。

 

「まったく。なんてタイミングだよ」

「ふもとの観光名所は大丈夫かな」

「様子を見に行こう」

 

 ユイも物憂げな表情を浮かべている。

 よし。依頼のことは後回しだ。すぐに帰って困っている人の手助けをしよう。

 

 するとそのとき。

 再び地の底が揺れ始めた。

 

「また嫌な揺れが……今度は地鳴りか」

 

 レンクスが警戒を強める。

 

「ちょっと。これ、やばくない?」

 

 まさか。

 ここは活山だ。今の地震で、どこかまずい場所を刺激してしまったのでは。

 頂上に目を向けると――。

 

「おい、あそこ! マグマが吹き出てるよ!」

「うわ。マジかよ!」

 

 なんと間の悪いことだろうか。山が噴火してしまった。

 名物の土ではない。赤いマグマが噴き出している。

 こんな近くで。やばいぞ。

 俺は焦っていたが、横を見るとユイは比較的落ち着いていた。

 彼女は合点がいったように頷く。

 

「わかった。そういうことだったの」

「どういうことなんだ」

「原因だよ。最近土がまずくなっていた原因」

 

 言われて、俺もはたと気付く。

 

「そうか。噴火の前兆だったんだ。地下の方では、既に土とマグマが混ざってしまっていたわけか」

 

 これでもう調査するまでもなく、協会にとっての真の目的は達成できたわけだが。

 もはや調査もくそもない。

 

「って、そんな冷静に分析してる場合か! マグマ! 来てるから!」

 

 この調子だと、あと数十秒でここに達してしまう。逃げないと。

 しかしユイはまったく慌てていなかった。

 

「大丈夫だよ。ねえ、レンクス」

 

 ユイは男をころっと落とす天使の笑顔で、レンクスの肩を優しく叩いた。

 

「お願いね」

「あいよ! 任せろ。俺がばっちり止めてやるぜ」

 

 そうか。変態チート野郎(こいつ)がいた。まだ慌てるような時間じゃない。

 ずいと一歩前に進み出たレンクス。

 ユイパワーでやる気は十二分だ。やっぱりこういうときには頼りになるよな。

 彼は自信に満ちた顔で手をかざし、

 

「……ん!? ありゃ?」

 

 その澄ましたポーズのまま、ふんとかえいとかずっとやっていた。

 いつもなら格好良く映るはずの雄姿は、どこか間抜けですらあった。

 じれったくなって声をかける。

 

「なあ、どうしたんだよ。いつものようにチート能力でぱぱっと――」

 

 レンクスは見るからに青ざめていった。

 呆然とした顔で、自分の掌に目を落とす。

 

「馬鹿だろ……能力が、使えねえ」

「「ええー!? 嘘だろ(でしょ)!?」」

 

 俺たちは仰天してしまった。

 信じられない。まさかそんなことがあるとは思わなかったよ! しかもこんなタイミングで!

 

「能力使えないレンクスとか、ただの変態じゃん」

「うっ。そこまではっきり言うなよ……」

 

 ユイにさらっとボロクソに言われて、彼は大袈裟に凹んだ。

 

「じゃああれどうするんだよ!」

 

 俺は慌てて目の前を指差した。

 マグマはすぐそこまで迫っている。このままでは三人とも飲み込まれて終了だ。

 いや、俺たちはまだなんとかなるとして、ふもとの住民はどうなるんだ。

 

「悪い! どうにもならん!」

 

 レンクスは堂々とお手上げした。

 一番頼りになるはずの人がダメなんて。

 くっ。ないものねだっても仕方がない。

 

「逃げよう。それから急いでふもとのみんなを逃がすんだ!」

 

 躊躇いは死を招く。

 この緊急時にフルスロットルで、身体は即行動に向かおうとしていた。

 しかし、ユイが制止する。

 

「待って! まだ慌てるのは早いよ」

「君なら止められるのか!?」

「こうなったら、ユイの魔法が頼りだ! 頼んだぜ!」

 

 いつになく他力本願なレンクスに新鮮な驚きを覚えつつも、俺たちは縋るようにユイの顔をまじまじと見つめた。

 

「魔法を使えば、ただ止めるだけならそんなに難しくない。でもこの土は重要な観光資源だよね。全部混じってダメにされる前に、地中深くの根元からマグマの流れを作り変えたいんだけど」

 

 ユイはその場しのぎの解決ではなく、先を見据えた提案をしていた。

 

「私だけじゃきついかも。二人とも力を貸して」

「つっても、俺は何をすれば――ああ、あれがあったな」

「ユウ。わかってるよね?」

「もちろんだ」

 

 そこまで言われればもうわかる。いくぞ。

 

《マインドリンカー》

 

 心を繋ぐ力を発動させる。

 俺の能力【神の器】の数ある応用の中でも、もしかすると最強の技だ。

 心を通わせている相手に限るが、自分に使用対象すべての力を上乗せし、さらに同様の効果が使用対象それぞれにも及ぶ。

 この技は、心を繋ぐ人数が多ければ多いほど、心の繋がりが深ければ深いほど、効果を相乗的に増していく。

 一人よりも十人、十人よりも百人。

 だが見知らぬ百人よりも、むしろ深い絆で結ばれた一人の方がずっと効果は高い。

 もちろん俺とユイのシンクロ率は限りなく100%である。この場合、能力値は単純に足し算になる。

 この分は既にいつでも基本値に上乗せされているため、《マインドリンカー》を使ったところでさらなる能力の上昇はない。

 ただし今回はレンクスがいる。

 彼の力の一部を俺とユイに加算した上で、同時に俺とユイの分の力の一部を彼に分け与えることが可能だ。

 レンクスとは結構な付き合いになるが、深く心が通っているかというと、案外そうでもないかもしれない。

 どうも誰にも伝えたくない事が色々とあるみたいで……心の深い部分は常に閉ざしっ放しなのだ。

 人よりずっと長く生きているわけだし、フェバルなりの絶望や闇が彼にもあるのだろう。きっと。

 いつかはと思うけれど。

 だがそれでも、彼の持つ力の数%ほどは恩恵を享受することができる。

 たかが数%と侮ってはいけない。

 

 フェバルの数%は、世界を変える。

 

 レンクスの力を借り受けた途端、元々力に漲っていた全身から、さらにとてつもない力が溢れ出すのを感じた。

 今はどういうわけか能力が使えなくとも、腐ってもフェバルはフェバルだ。

 俺たちみたいなろくに能力も使いこなせないなんちゃってフェバルとは、やはりレベルそのものが違う。

 同じだけの力が、ユイにも渡っているはずだ。

 

「まずは見えてるものを止めるよ」

 

 ユイの心が伝わる。

 脳内詠唱が聞こえてきた。使うのはあれだな。

 

 絶対凍結領域。

 

《アブソリュートゼロ》

 

 即効性に優れた魔法だ。狙った位置を瞬時に凍り付かせることができる。

 魔法が発動した途端、目と鼻の先まで迫っていた怒涛のマグマは、時を止められたかのように凍り付いて、その動きをぴたりと止めた。

 さらに噴火口と化してしまった土口にも、分厚い氷が張られていく。

 山は噴火活動を止め、沈黙してしまった。

 やった。すごいぞ。

 これで当面の危険は避けられた。

 だが地下からはまだ続々とマグマが吹き出ようとしている。その動きまでを止めたわけではない。今は強引に押さえつけているだけだ。

 やがて圧に耐えられなくなれば、また別の場所からマグマが噴き出してしまうだろう。

 ユイもそのくらいのことはしっかりわかっている。

 

「さらに時間を稼ぐため、時間遅延付与」

 

《クロルオルム》

 

 サークリスで、カルラ先輩から教えてもらった時間遅延魔法だ。

 これを山全体にかける。魔力がえげつなくあるから、こんなとんでもないこともできてしまう。

 より強力な時間停止魔法も一応覚えているので原理上使えるが、あの効果は強過ぎて俺たちのキャパシティを超えてしまうかもしれない。

 もしかすると今のチート状態ならいけるかもしれないが、わざわざする意味もないしな。

 これほどの魔力を使っての時間遅延なら、ほぼ遜色のない効果が期待できる。

 それから数分ほど、ユイは集中して膨大な魔力とイメージを練り上げていた。

 そして。

 

《ケル――えーと……えい》!

 

 思い付かなかったんだな!

 確かにマグマを止める効果のピンポイントな魔法名はない。

 とにかくすごい土魔法で、ユイは遥か地下深くのマグマの流れを無理くり変えてしまった。

 最後に風魔法を使って、既に流れ出て凍り付かせたマグマを綺麗に巻き上げてから、向こうの海へ落とす。

 ほぼ噴火前の白い大地がむき出しになった。

 

「ふう」

 

 大手術を終えて、ユイがその場にへたり込む。

 膝が地べたに付く前に、俺とレンクスが両脇で支えた。

 

「お疲れ様」

「よくやったな」

「これで、たぶん大丈夫だと思うんだけど……」

 

 地下のマグマの流れを丸ごと変えるなんて凄まじい真似をしたんだ。さすがに魔力の大半を使ってしまっただろう。

 ユイには色濃い疲労が見えた。

 やがて、時間遅延魔法の効果が切れた。

 彼女の仕事の効果はすぐに見えた。ずっと向こうの海で、土が沸き上がっていくのが目に移ったからだ。

 高い山の上にいたので、その様子がよくわかった。

 時間をかけて、新たな島が出来上がっていくのだろう。

 しばらく三人でその光景を眺めていたが、大丈夫そうだとほっとしたところで、みんなでハイタッチを交わした。

 

 その後、ふもとに降りて被災者の救助活動を手伝った。

 建物の倒壊などあったが、幸いにも死者は出なかったようだ。

 この世界の住民は魔法を使えるし、そう簡単に死ぬほどやわじゃなかったということだな。

 依頼はというと、さすがにキャンセル扱いになってしまった。まあ仕方ないだろう。

 よく無事で済みましたねと言われたので、運が良かったんですよとウインクしておいた。

 

 ユイが創り出したあの島は、後日ペルトアイランドと呼ばれるようになった。

 そして俺たちは、レンクスを持ち帰った。



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21「働け。レンクス」

 レンクス・スタンフィールドが何でも屋『アセッド』の一員に加わってから、二週間が経過した。

 さぞかし素晴らしい戦力になるだろうと最初は期待していた。ほんと、最初だけは期待していた。

 ユイは端から蔑んだ視線をぶつけていたけれども、それでも俺は一応信じていた。

 はっきり結論を言おう。

 能力が使えないレンクスは、クソの役にも立たない。

 こいつは働かない。とにかく働かない。

 ただ腕っぷしが強いだけの屑ニートだった。

 まったく。初日のやる気はどこへ行ったのか。全部能力だけで済ませる気だったのか。

 こんなに使えないとは思わなかったよ。

 世俗のことにはあまり関わりたくないからと、日中はずっと隅っこの陽の当たるテーブルでぐーたらし。光合成でもしてるんじゃないかという説がある。

 夜は夜で、ユイの入浴中に飛び込んで行ったり、部屋に飛び込んでいっては蹴られ。

 襲ってくるのを口実に、ユイは俺の部屋にしょっちゅう寝に来て。

 奴はそんな俺に女々しい泣き言をこぼして、とぼとぼと自分の部屋に帰っていくのだ。

 ご飯は自分で作れない。頑として俺かユイの作った物しか食べない。

 ほっとくと餓死してしまうので、仕方なくご飯をあげる。

 ご飯をあげると喜ぶ。食ったらごろごろして寝る。お前はペットか。

 一日中だらけているものだから、旅人風の浮いた格好も相まって非常に目立つ。

 そうしていつの間にか、お客さんにまで後ろ指を指されるようになっていた。

 曰く、あそこは「人でなし専用席」なのだと。

 誰もが認める屑ニート、レンクスの完成である。

 この産業廃棄物をいかように処理すべきか。

 我が『心の世界』では、それが重要議題に上がっていた。

 今は二つの身体を現実世界に残して、精神体だけをこちらへ飛ばしている。

 誰にも内緒話を聞かれない、二人だけの空間で話を進める。

 

「ユイ議長。本日の議題について、提案があるのですが」

「発言を許可します」

「あいつ単純だから、議長がちょっと発破かけてやればちょろいんじゃないかと」

「その提案は極めて現実的ですが……えー。あいつに色目使うの超嫌なんだけど」

 

 ユイは堂に入った演技を止めて、素で嫌な顔をした。

 

「気持ちはわかる。すごくよくわかる」

 

 俺は額に手を当てた。

「ユウちゃん」として、あいつにどれほど苦労させられてきたか。隙あらばぺろぺろを地で体現する男だからな。

 あんなことや、こんなことや……。

 うう。思い出したら恥ずかしくなってきた。

 今は男でよかったよほんと。時々絡んでくるけど、さすがにしつこくはない。

 一方で倍増しだ。マジでユイが気の毒だな。

 

「あ、その俺は当事者じゃないからいいやみたいな顔!」

「うっ。ごめん」

 

 ユイは若干ふくれていた。

 そんなに怒ってないけど、ちょっぴり不機嫌なときの顔だ。

 

「またユウと一つになっても、女の子になったとき守ってあげないよ?」

「それは困るな」

「でしょ。あなたなんて隙だらけなんだから。私がしっかりしてなかったら、何回男に身体を許してることか」

 

 ユイが一つ一つ指折りしながら、十を超えたところで止め、呆れたように溜息を吐いた。

 そうだな。俺はどうも好意でぐいぐい押されると、中々断り切れなくて……。

 

「面目ない。君の身体だもんな」

「身体はともかく。あなたの心が心配だよ。くっついてる私も巻き添え食らうのはごめんだし」

「そうだよな……」

「気持ちも感覚も、全部共有してるんだからね? あれも、これも……」

 

 ユイは恥ずかしいのを紛らわすように、髪の先を指でくるくるしている。

 色々と。本当にそうだよな。申し訳ない。

 

「ほ、ほらっ! あなたがそんなだから、私がねっ! この前だって、レンクスが――」

「あー! あー! その話は止めないかっ!」

「……あ。うん……。止めよう」

 

 ユイは顔を赤らめて、こくんと小さく頷いた。

 そうだ。それがいい。

 

「大分脱線してしまったけど、話を戻そうか。レンクスなんだけど」

 

 結局あいつだった。

 何なんだろうな。もう。

 ちゃんとしてればできるし、格好良いのにな。

 

「お願い作戦しかないよ。あえて大変な仕事やらせたらいいんじゃないか? 絶対すぐ終わらないのを無茶振りでぶつけてみてさ」

「なるほど」

「あいつなら無茶にならないよ。きっと。ユイパワーで三日三晩くらい徹夜で頑張ってくれると思う」

「確かにこれまで休み過ぎだしね。それくらいでちょうど良いかもね」

「あんまりお店でごろごろされると、あいつのイメージ悪くなるばかりだからな。これはあいつのためでもあるんだ」

「……よし。仕方ない。一肌脱ぐとしますか。ほんとはすっごく嫌だけど」

 

 こうして第1812回『心の世界』会議を実りあるものに終えた俺たちは、早速行動を開始することにした。

 相変わらずテーブルに天日干しされているレンクスに、そろそろとユイが近づいていく。

 こういうときは下から攻める。男を立てる。

 木に顔付けて突っ伏し安らぐレンクスより、さらに低姿勢だ。

 

「ねえ。レンクス」

「お……おお。なんだ」

「ちょっとお願いしたい仕事があるんだけど。ダメかな……?」

 

 首をちょこんと傾げて、上目遣いで彼を見つめ上げた。ユイの得意な手だ。

 たまに「私」もやっているが、さすが本家。一味違う。

 これに落ちないレンクスはいない。どうだ。

 

 レンクスはわかりやすく鼻の下を伸ばした。

 鼻穴を弛緩して、はあはあと息を荒げる。

 イケメンが台無しである。

 

「もちろんいいぜ! 何が望みだ! 俺かい?」

 

 かかった! 一発KO! ちょろい! きもい!

 ユイは、「俺かい?」の部分は綺麗にシカトして続けた。

 

「やってくれたら、肩三回ぶっ叩いてあげるから」

 

 三回! 葛藤が見える妥協点。ぶっ叩くって。

 だがこの男には、それでも過ぎた劇薬だったようだ。

 

「うっひょおおおおおおおお!」

 

 レンクスが拳を突き上げて、バネが付いたように跳ね上がった。

 我が生涯に一片の悔いなし。そのまま天井に突き刺さった。どんな勢いだ。

 天井から、くぐもった声が聞こえる。

 

「行く! 世界の果てでも行くぜ! どこだ! 俺の戦場はどこにある!」

「ちょっとね。町のごみ拾いに」

「ごみ拾いいいいいいいっ!」

 

 ああ。そんなのあったな。

 拾い集めた量に応じて報酬が変わるやつ。ほとんどボランティアのようなものだけど。

 顔をすっぽ抜いて、すたっと華麗に着地する。

 こんなところで格好付けても点は入らない。しかも鼻血が出ている。ひどい顔だ。

 

「範囲は!? 目標はどこだ!?」

「全部」

「全部!?」

「全部だ。町のすべてを綺麗にするまで、帰って来ないように」

「ほう! そりゃあ無茶ってもんじゃないか?」

「できるよね?」

「だがしかし、マザー」

「ご褒美あげないよ?」

 

 戦慄するレンクスの肩に手を置いて、ユイはにっこりと笑った。

 

「やれ」

「イエッサー!」

 

 忠犬レンクス、ここに発つ。

 

「ひゃっほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーー!」

 

 びゅーーーーーん!

 

 そんな表現がお似合いなほどだった。嵐のような勢いでドアを突き破っていった。

 

 ……ユイの魔法ですぐ直るけどさ。壊し過ぎだろ。

 

 長く辛い一仕事を終えたユイは、土埃を上げて消えていく変態を眺めて、ぺろりと舌を出していた。

 

「ちょろいね。きも」

「やったな。これでさすがにしばらく帰ってこないんじゃないか」

「平和が戻った。やっと二人っきりで仕事ができるね」

 

 それからあいつのことなんてさっぱり忘れて、二人で楽しく仕事をした。

 幸せな時間だった。

 

 三日後くらいに、ぼろ雑巾のようになったレンクスが店の前で力尽きているのが発見された。

 

「成し遂げたぜ……ご、ほう、び……」

 

 死亡確認。発見時は既に手遅れだった。

 

 それにしてもすごいな。さすがチート兄さん。

 まさか本当に三日でやり切ってしまうとは。

 その健闘を称え、温かい浴槽に突っ込んであげることにした。臭いし。

 

 その後も、時々あまりにもひどいニート状態を見かねては、ユイがレンクスに町中の掃除を命じた。

 とっくにわかってたけど、やればできる人なのだ。やらないから屑なのだ。

 何度もこなしているうち、掃除のお兄さんとして町の人には認識されるようになった。

 たかが掃除と馬鹿にすることなかれ。

 町の景観と衛生を守ることは、地味だがとても重要な仕事なのだ。

 俺たちは、レンクスを人間として認めてあげることにした。

 

 おめでとう! 屑ニートレンクスは、屑拾いレンクスに進化した!



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22「エディン大橋を渡って」

「魔法料理コンテスト?」

「うん。魔法を使った料理の腕を競うコンテストが行われるんだって」

 

 ユイが街路で配られていたというチラシを見せながら、楽しそうに言った。

 どれどれ。開催地は――ナーベイか。

 エディン大橋を渡ったところにある港町だったな。

 

「私、出て来てもいいかな?」

「もちろんいいけど。どうして急に出る気になったんだ」

「んー。まあ、せっかく平和だし。旅がてらにちょうどいいかなって」

「そうだなあ」

 

 毎日のように騒がしい事件が起こるが。レジンバークは平和と言えば平和そのものだった。

 非常時にはキリッとするレンクスが、毎日ぐーたらニート生活やれるくらい。

 ちらりと横目であれを観察すると、あれは緩み切った顔で昼寝していた。

 ぽかぽかと日に当たって。そのうち頭から植物が生えてきそうである。こいつはもうしょうがないなあ。

 おっと思考がそれた。

 うんそうだよな。なんだかんだ仕事に追われて、ほとんどこのミッドオールから出てなかったし。

 確かに旅をする良い機会かもしれない。

 

「それに。この世界でディアさんの味がどこまで通用するか、ちょっと気になるじゃない? あとついでに『アセッド』の名を売るチャンスかと」

「なるほど。一石二鳥だね」

 

 ただ、大陸の向こうに渡るとなれば、それなりの間はお店を空けることになる。

 依頼は帰ってからまとめてやれば良いとは思うが、受けるべき依頼を受け、受け切れない緊急の依頼は冒険者ギルドに回す人材が必要だ。

 適任と言えば……。

 

「はいはい! 俺も行きたい! ユイの手料理食べたい!」

 

 俺の隣でやけに張り切った声を上げたのは屑ニート、じゃなかった屑拾いのレンクスだ。

 いつの間に起きたのか。さすが動きが速い。

 対するユイの声は、やれやれと呆れ気味だった。

 

「あんたいっつも食ってるでしょうが」

 

 レンクスはちっちと指を振る。

 

「わかってねえな。みんなに美味い美味いと言われながら、俺はいっつも食ってんだぜとささやかな優越感に浸りながら、出かけ先で食らうとっておきのユイ飯! 格別だろうが!」

 

 何が彼をそこまで力説させるのか。

 まあ外で食べるとなぜか余計おいしく感じるという一点だけは同意するけどね。

 するとユイが、必殺の猫撫で声を発した。何か頼む気だな。

 

「ねーえ、レンクス。このお店はとっても大事なの。私たちがいない間お留守番してくれたら、とっても助かるんだけどな」

「むう。しかし手料理が」

 

 ダメ押しとばかりに、彼女は指を一本立てた。

 

「もしちゃんとお留守番してくれたら、一回だけよしよししてあげる」

「うっひょおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 

 拳を突き上げて天井に突き刺さる。我が生涯に一片の悔いなし。

 またか。こいつの人生悔いなさ過ぎだろ。

 一々直すの面倒なんだよ? 直すのはユイだけどさ。

 ほら面倒臭そうな顔してる。

 

「やるぜ! この俺にばっちり任せてくれよな!」

 

 天井が喋った。

 ユイの汚物を見るような顔が映らなくて、君は幸せ者だな。

 いや、そんな顔すらも君にはご褒美か。何でもご褒美だったな。どうしようもないな。

 嵌っていたので足から引っこ抜いてあげると、彼の顔は鼻血塗れですっかり出来上がっていた。

 一応気で回復してやる。

 

「嬉しいのはわかるけど、はしゃぎ過ぎるのも大概にしようね」

「へーい。ふへへ」

 

 とりあえず「やる気のある」レンクスに任せておけば、受注体制もセキュリティも万全だろう。

 むしろユイの部屋が危ないような気がするが。

 ユイの方を見ると、俺の考えを読んでいたのか、彼女はウインクした。

 そうだよな。君が対策してないわけがないよな。

 

 

 ***

 

 

「「いってきます」」

「おう。気を付けて楽しんで来いよ」

 

 留守の間は任せろと腕組みするレンクスに別れを告げて、軽装に身を包んだ俺とユイは、『アセッド』を出発した。

 ものの一分もしないうちに、後方からあいつの悲鳴がかすかに聞こえたような気がしたが、気にするほどのことでもない。

 ユイもまったく気に留めていないし。

 

 レジンバークの門を出た俺たちは、どこまでも続くエディン大橋の手前で、しばし立ち止まって交通の様子を観察していた。

 橋の向こうから、車やバイクがばらばらとやってくる。理想粒子「メセクター粒子」を動力源としたものだ。

 比率で言うと、バイクの割合の方がずっと多いようだ。

 車道はないが、俺たちから向かって右側より走ってくる。

 へえ。左側通行なのか。

 ここだけ見ていると、なんだかレジンバークとはすっかり時代が違うみたいだ。

 ミッドオールでは、このようなメセクター粒子を動力とした乗り物は一切動かなくなってしまうので、適当な場所で停めて町まで押してくるのが普通だ。

 よって、押しやすいサイズのバイクが乗り物としては主流である。

 たまにマナーの悪い奴(特に二度とフロンタイムには戻らないと夢を賭けて来る冒険者志望の人に多い)は乗り捨ててしまうので、脇には朽ち果てた車やバイクがたくさん放置してあった。

 

 魔法料理コンテストが開催されるのは一週間後である。

 まだ先のようにも思えるが、移動やナーベイを見て回ることを考えると、あまりのんびりとはしていられない。

 エディン大橋は驚くなかれ、長さ約6000kmとかというとんでもない長さの橋だ。

 二つの大陸を断絶する魔のガーム海域を一本で繋ぐ橋なのだから、当然の長さなのではあるが。

 信号などはないし、見晴らしは極めて良好で、なおかつ滅茶苦茶幅も広い。

 だから快適に飛ばせるのだが、時速120kmで飛ばしたとしても、渡り切るのに普通に行けば四日、休みなしで急いでも丸二日はかかるというところだった。

 ちなみにワープクリスタルは使えない。

 ミッドオールとフロンタイムそれぞれの区域の中では問題なく使えるのだが、二つの区域を跨いで飛ぶことはできないようだ。

 そういう意味でも二つの区域は断絶されている。

 飛べないのは魔のガーム海域の影響とされているが、本当の原因は不明である。

 

 そろそろ行くか。

 別にチート身体能力で走っていってもいいけど、この様子ならあれを使っても変に目立つことはないだろう。

 俺は『心の世界』から、とある乗り物を取り出した。

 

「おっ。それで行くのね」

「たまにはドライブを楽しむのもありだろう」

 

 取り出したるは、目の覚めるような青と渋い光を放つ白銀を基調とした、厳ついデザインの大きな二人乗りバイクだ。

 その名もディース=クライツ。

 エルンティアで活躍した報奨金の代わりとして、俺たち二人のために特別にデザインしてもらった世界最高峰のバイクである。

 ディースナトゥラで最も有名な自動車メーカー、クライツ社の名を冠する超一級ブランド品だ。

 まず特徴として挙げられるのが、大きな車体を支える非摩耗性黒宝タイヤと、バックに備わった一際目に付く白銀の特製インパクトエンジンだ。

 電気で動くので、排気口はない。

 ボディにはリルナの手足に施されている金属コーディングと同じ素材、リルライトが惜しみなく使われている。

 これによって、銃撃や光線兵器にも容易に耐えられる極めてタフな車体が実現した。

 ちなみに元々彼女専用にルイスが開発した金属だからリルライトというのだけど。この特殊合金の開発資料が彼の研究室から見つかったので、世間に提供したことでにわかに広まったものだ。

 リルナはというと、自分の名前を冠する金属が出回ってしまったわけで。ものすごく恥ずかしがっていた。

 とても可愛かった。ごちそうさまでした。

 さらにこれは俺たちの要望であるが、それぞれの異世界事情を考慮して(ということはリルナを除くみんなには何となく言うタイミングを逃してしまったので、あえて言わなかったが)、違和感のないように二つの走行モードを自由に選べるようになっている。

 車輪付きで陸路を走るドライブモードと、変形して車輪を収納し、空を飛ぶフライトモードだ。ボタン一つで簡単に切り替えることができる。

 もちろん性能も非常に高い。高性能AIによる自動運転機能は当然のように搭載されており、雨や風から身を守るブロウシールドも完備。

 瞬間充電機構アミクション、それから静かに走りたいときと人工のエンジン音を楽しみたいとき、相反する要望に応えた静音式と旧来式の切り替え機能も搭載。

 そして滅多に出すことはないだろうが、いざとなれば駆動リミッターを解除して大幅スピードアップもできる。

 ドライブモードで最高時速950km、フライトモードでは衝撃波発生防止機構も備え、マッハ8という凄まじいスピードを誇る怪物マシンである。

 すべては機能美のために。見た目のスマートさの一切を投げ捨てた潔いデザインに、製作者のセンスが光る。

 さすが一流メーカーだ。わかっている。

 近未来科学の粋がここにある。ロマンがここにある。

 こんなごっついのにお前みたいなのがちょこんと乗ってると全然似合わんとか、一同に爆笑されたが。

 だってカッコいいじゃないか! わくわくするじゃないか! バイク好きの父さん母さんもきっとこれ見たら興奮するよ!

 

 ちょんちょんと、ユイに肩を叩かれた。

 振り向いたら、肩に指が置いてあってふにっと頬を突かれた。

 

「なにぽけーっと見つめてにやけてんの」

「いいだろ。別に」

「好きだよね。あなたも」

 

 また優しく肩を叩かれて、彼女はさっさと後ろの座席に乗っかってしまった。

 俺も乗るか。

 

 手動ドライブモードの駆動リミッター付き、旧来式でエンジン音を楽しみながらディース=クライツを走らせる。

 時速は300km程度を維持した。日本じゃ明らかに道路交通法違反だが、エディン大橋に速度制限はない。

 むしろこの世界だと足で走った方が速く走れそうな気もする。自分でも何を言っているのかよくわからないが。

 あえてブロウシールドを展開せず、強く吹き付ける潮風を身体いっぱいに浴びた。

 後ろでは、ユイがしっかり俺の背に抱き付いている。

 ユイはサラサラの黒髪を風になびかせて、青々とした海の眺めを楽しんでいた。

 エディン大橋には車線ラインやガードレールの類が一切なく、どこまでもシンプルな石の道路が伸びている。

 

「快適だね」

「ひたすら真っ直ぐってのは運転しやすくていいな。前方車両もほとんどいないし」

 

 運転するのは久しぶりだが、実に快適なドライブだ。

 久しぶりになってしまったのは、このバイクは電気が動力だからというのはある。

 ガソリンがないと動かないよりはマシとしても、電力供給施設かユイの雷魔法がないと動かせないんだよな。

 この世界には今のところ電力供給施設は見当たらないけれど、許容性は非常に高いのでユイの魔法が使える。

 名も無き世界やあの世界だと、普段使いするほど充電するにはちょっと許容性が低かったからね。

 

 やがて魔の海域に突入すると、にわかに海が濁り始めた。

 ここは晴れているが、ずっと向こうの方では暗雲が立ち込めている。

 なぜこの橋だけが何ともないのか。不思議でならない。

 海がひどく荒れ出したので、ユイは景色に興味を失い、顔までぴたりと俺の背中に預けた。

 

「ユウの背中、あったかいね」

「ユイもあったかいよ」

 

 前方の風。後方のユイ。

 爽快感と温もりが合わさり最高に癒える。

 

 しばらく無言でバイクを走らせ続けた。

 ユイは時折背中に顔や身体をすりすりするくらいで、大人しいものだった。

 やがて沈み始めた夕日に、結構な時間走らせたことを悟る。

 そう言えば。このバイクは速いから寄る必要もなかったけど、途中橋の上に建つ宿を見かけたな。

 何とも物珍しい光景だった。移動が何日にもなるので、こんなところでも営業が成り立つようだ。むしろ必須と言うべきか。

 

「どうする。ぼちぼち交代するか?」

「んー。もうちょっとこのままで」

 

 ユイは甘えるように顔をくっつけてきた。

 

「わかった。気持ち良くても寝たらダメだよ」

「はーい」

 

 日が沈んだ。町明かりも電灯もないので、ささやかな月の光だけが頼りだった。

 昼間は時々見られた他のバイクの姿ももうほとんどない。宿に泊まらず夜もずっと走らせようなんて物好きは少ないのかもしれない。

 もし誰かいたら迷惑になるかもしれないと静音式に切り替え、俺とユイを乗せたバイクは星空の下、スピードを落としてゆっくり走り続ける。

 

「ユウ。上見てごらん。綺麗だよ」

「どれどれ」

 

 前方にもしっかり気を配りつつ、少しだけ自動運転に切り替える。

 空の方に目を向けた。

 そこには、満天の星空が輝いていた。

 星屑を闇のキャンバスに散らして。

 手を伸ばせば掬えそうなほど、光の粒が溢れている。綺麗だった。

 

「なんだか……あの日の空を思い出すね」

「そうだね……」

 

 ユイと一緒に、自然と湧き上がる感傷に浸った。

 耳を澄ませると、橋に寄せては返す波の音ばかりが繰り返される。

 感じられるのは夜の冷たい空気と、ユイの温かみばかり。

 

 ……静かだな。何もない。こういうのも悪くないな。

 

「あ、流れ星!」

「え、マジで!?」

 

 はっと我に返って見ると、一筋の光がっ!

 ああ! 早く何か言わないと!

 

「「良い旅ができますように良い旅ができますように良い旅ができますように!」」

 

 気が付くと、それを叫び終わっていた。

 二人とも同時に。

 

 目と目が合って。

 

「「……ぷっ」」

 

 もうたまらなかった。

 

「「あははははは!」」

 

 二人で腹を抱えて笑った。

 バイクから落ちないように姿勢を保つのが辛い。

 

「願い事までいっしょ!」「俺たち、どんだけ息ぴったりなんだよ!」

「良い旅ができますようにって!」「もうしてるじゃん!」

 

「「……あははははは!」」

 

 なぜだか無性におかしくなって、とにかく笑い疲れるまで笑った。

 ひとしきり笑った後、ユイが目の端に浮かんだ笑い涙を袖で拭いながら言った。

 

「楽しいねえ」

「うん。楽しい」

 

 ああ。楽しい。

 

 ――みんな。俺、とても楽しんでるよ。

 

 ユイはしょうがないなと言いたげに、こちらの瞳を覗き込んでいた。

 

「もう。すぐ寂しがるんだから」

「悪い。ほんと悪い癖だな」

「だよ。ちゃんと私がいるんだからね」

「そうだな。本当に、そうだ」

 

 フェバルは孤独の流浪者だ。

 普通はそうなのだ。そうなってしまう。

 でも、俺にはいつもユイがいる。

 どんな時だって、君が隣に居てくれるから。

 独りぼっちじゃない。寂しくてどうしようもないなんてことはなかった。

 それがどれほど大きなことか。

 こんな甘えん坊で寂しがり屋の俺が独りでいたら……きっとすぐダメになってしまうよ。

 もしかしたら寂しさのあまり絶望拗らせて、危ない奴になってたかもしれない。

 そんなフェバル、何人か見てきたしな。

 

「ユイ」

「はい」

「ありがとうな。君がいるから楽しいんだ」

 

 ユイはうん、と優しく頷いた。

 

「私もだよ。ありがとうね。あなたがいるから楽しいの」

 

「……ちょっと、恥ずかしいね」「はは。そうだね」

 

 二人きりの夜空だから、こんなことを言ってしまうのだろうか。

 

「で、どうする? もういい時間だし……そろそろ止まって寝る?」

「んー。もうちょっとこのままで!」

 

 ユイは、にこにこしながら言った。幸せそうに。

 

「オーケー。しっかりつかまってろよ」

「はーい」

 

 やれやれ。夜のドライブは、まだまだ続きそうだ。




22裏「おぱんちゅクエスト」

 ユウとユイが何でも屋『アセッド』を出発してから、レンクスはすぐさま行動に移った。
 もちろん目的はアレである。

「ああ。待ってろよ。ユイのおぱんちゅ。頭から被りたいぜ……ぐへへ」

 さぞかし良い匂いがするだろうなと、期待に鼻の穴を膨らませる。
 あの二人は少なくとも一週間は帰って来ない。
 二人がいないのは死ぬほど寂しいが、しかし願ってもないチャンスでもある。
 勇者という名の変態は、問題なく二階へ到達した。目的地は奥から三番目の部屋だ。
 慎重にドアノブに触れて回す。
 しかし、ドアは開かなかった。

「ちっ。やはり鍵がかかってるか」

 無論この程度は想定内。
 変態はむしろ不敵に笑っていた。

「ふっ。だがかつて仕事人レンクスと呼び恐れられた俺の前では、こんなもの無意味だぜ」

 レンクスはぶつぶつ気色悪い独り言を言いながら、どこから取り出したのか、針金を器用に使っていとも簡単に錠を開けてしまう。
 チートパワーでぶっ壊さないのは、後で部屋に入ったのがバレて怒られたくないからである。
 いや、怒られても嬉しいのであるが。どうせなら一枚くらいこっそりもらっておきたいじゃないか。

「よっしゃ! ユイの部屋に、ごたいめーん!」

 バァン、と勢いよくドアを開け放つ。

 瞬間、彼はこの上ない命の危機を感じた。

 なぜなら、彼の目の前に飛び込んできたのは――!

 光の超上位魔法! 時をも貫く光の矢! ユイ最強魔法の一つ!

《アールリバイン》だ!

 それもラナソールチート仕様! 贅沢に五本同時、正確に人体の急所を狙っている!

「うおぁっ!」

 レンクスは情けない声を上げて、咄嗟に飛び退いた。
 腐ってもフェバル。戦闘経験は豊富なのである。
 あっちの経験はもしかするとユウよりないが。
 その瞬間、光の矢は家の壁をいとも容易く刺し貫いて、天空の彼方へと飛び去っていった。
 レンクスはひどい冷や汗を掻きながら、大きく肩で息をした。

「ふう。今のは危なかった……。あいつ、容赦ねえな。俺じゃなかったら死んでるぜ」

 もちろんレンクスだからやったのである。そこのところは妙な信頼関係があった。
 ちなみに彼の独り言が妙に多いのは、フェバルだとあまりに独りでいる時間が長いため。よくこうなってしまうのだ。

「さて。次は何が来る。慎重に行かないと、やばいぜ」

 レンクスはキリッと真面目顔になった。その目的はあくまでパンツである。
 だがここで下手に慎重になる彼の性格など、ユイにはお見通しだった。
 既に次の手は発動している。
 音もなく。少しずつ歩を進める彼に、それは迫る。

 そして――

 こちょこちょ。

「あっはっはははは! しまっ! うはは! やめろ! これ弱いんだって! くっそ! ちっくしょう! わっははははははははははは!」

 ユイのくすぐり魔法《ファルチックル》が炸裂した。
 レンクスはたまらず、笑い転げた。

 いかん。このままでは、負ける!

「だあああっ!」

 レンクスは自らのチート気力を、爆発的に高めた。
 魔法の解き方がわからないので、力づくで魔力を散らしにかかったのだ。
 今ここに、天をも揺るがす世界最強の力が、最も下らない理由で解き放たれた。
 さすがのくすぐり魔法も、これにはたまらず退散したのだった。
 第二の魔の手を破ったレンクスは、しかし今のでかなり疲労してしまった。主に精神的にだ。

「ぜえ……ぜえ……。死ぬかと、思った。あいつ、やるじゃないか」

 俺をここまで追い詰めるとは。
 レンクスはユイの成長を我が娘のことのように喜んだ。
 むしろ恋人にしたい。娘で恋人、それも悪くないぜ。へっへっへ。
 謎に結論付けたところで、今度こそマジになる。

「今度は何が来る。何が来るんだ……?」

 すっかり疑心暗鬼になっていたが、さすがにもう何もないようだった。

 そして、ついに――

「おお。おお……!」

 レンクスは、感動していた。
 彼は今、タンスの引き出しの前にいる。
 短いが長い、長く苦しい闘いだった。
 この引き出しを開ければ、ようやく旅が終わる。
 目的のブツがある。頭に被れる。
 さあ、新たなる世界よ! その姿を俺の前に晒すがいい!
 オープン・ザ・ゲート! オープン・ザ・ユイズホー○!

「は……?」

 レンクスは、あんぐりと口を開けた。

『はずれ』

 とだけ可愛らしい字で書かれた紙が、一枚だけ入っていた。
 パンツどころか、靴下も、ストッキングも、ブラジャーも、服も一枚たりともない。

「なんだと……!?」

 とりあえず『はずれ』の紙を愛おしく頬ずりして、しっかりポケットにしまった後。
 レンクスは血眼になって、別の場所を探し始めた。

「ない! どこだ!? どこが当たりなんだあっ!?」

 あからさまに整理された部屋には、置物の一つもない。
 ベッドには髪の毛一本も、彼女の残り香すらもなかった。
 とことんまで、綺麗に掃除されている。
 神よ。こんなことがあっていいというのか!

「はっ!」

 ベッドの下に潜り込んだとき、その手に何かが触れた。

「こいつだああああっ!」

 レンクスはそれを勢い良く掴み取ろうとして――土壇場で思い直し。
 紳士が女性に触れるように、そっとつまんだ。

 またしても、紙だった。
 何か書いてある。
 レンクスは、目を皿のようにして読んだ。

 そこには、こう書かれてあった。

「すべて『心の世界』にしまっておきました。あんたの考えることなんて全部お見通しだから。残念。お留守番よろしく
 追伸:ご飯はキッチンに作り置きしてあるから、ちゃんと計算して食べてね」

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーーーーーーーー!」

 レンクスの悲喜こもごもの悲鳴が、アホらしくこだました。


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23「港町ナーベイ」

 深夜遅くまでバイクを走らせた俺たちは、『心の世界』からテントと寝袋を取り出して、ぐっすり眠った。

 翌朝日の出とともに起き、残りの道程を快適に飛ばしていった。

 ディース=クライツの速度のおかげで、昼食の時間になるまでにはエディン大橋を渡り切ることができた。

 ユイに雷魔法で一気に充電してもらってから、バイクを『心の世界』にしまう。瞬間充電(アミクション)機能があると楽でいいな。

 ユイには転移魔法のマーキングもしてもらう。これで次からは来たいときにいつでもここへ一瞬で来ることができる。

 眼前には、レジンバークとはまったく異なる町の様子が広がっていた。

 まず、門などはどこにも付いていない。向こうと違って魔獣が襲ってくることがないからかもしれない。

 町の内と外を明確に分ける門がないので、橋の両脇まで町がせり出している。

 港町の名の通り大きな港があって、小型の船から大きな漁船まで、たくさんの船がずらりと並んで停泊していた。

 

「とりあえず入ってみようか」

「うん」

 

 特に身分確認を求められることなく、町には自由に入ることができた。

 大通りを歩く。まずぱっと見てすぐ違いがわかったのは、道路に歩道と車道の概念があることだ。

 車道にはしっかりと白い車線が引かれていて、メセクター粒子を動力源として動く車やバイクがまばらに走っている。

 乗り物が走る必然の帰結として、ダンジョンのように入り組んだレジンバークよりは平均して道が広くなり、区画もよく整理されていた。

 レジンバークの赤レンガばかりの町並みと異なり、こちらは地味な色の木製家屋が多いようである。

 ここに『アセッド』を持ってきたとしても、さして目立たないだろう。

 あまり背の高い建物は多くなさそうだが、向こうには観覧車とか電波塔のようなものが目立って見える。

 実際話に聞いていた通りなのだが、あまりに違うので驚いてしまった。

 

「一気に現代化したって感じだね」

「そうだね」

 

 まさにそんな言葉が似合う街並みである。

 橋を一つ渡るとこうも違うものなのか。メセクター粒子、やばいな。

 偶然商店街を見つけたので、入ってみる。港町ナーベイはやはり漁業が盛んのようで、魚屋さんが多かった。

 魚は美味しいけど、刺身でも置いてないと調理に一手間いるしな。

 お、果物屋さん見つけた。行ってみよう。

 

「いらっしゃい」

 

 出迎えてくれたのは、気前の良さそうなおっちゃんだった。

 早速品揃えを見ていく。

 おお。本で調べたりとかはしたけど……実物を見ると心躍るものがあるね。

 緑のバナナのようなやつに、あれは、トマトみたいなやつだな。白いのもあるぞ。なんだろう。

 色とりどりの果物が所狭しと並ぶ様に、少しわくわくする気分を覚えていた。

 レジンバークにはほとんど果物屋さんなかったからな。

 周りに広がるのは未開の地だから、ナーベイからの輸入が頼りなんだけど。

 結構な距離があるため、よほど日持ちする果物でないと商売にならないのだ。

 

「おすすめは?」

「今はこのアリムが旬だ。ちょっとばかりお高いけどね」

 

 おっちゃんの指さしたところには、真っ赤なアリムの実が山積みにしてあった。

 卵型の掌サイズの果物で、瑞々しい果肉と、濃厚な甘みが特徴と言われている。

 別名森のクエル(赤い宝石のことらしい)。

 

『ユイ。目利き頼んだ』

『任せて』

 

 ユイの成分解析魔法で、糖度をチェックしていく。

 やがてにこっと笑顔になって、山から二つ掴み取った。

 

「これ下さい」

「あいよ。2個で35ジットだよ」

 

 財布は俺が持っていた。

 良い物ということで、チップとしてもう5ジット弾んでおく。

 10ジット札を4枚渡して、

 

「釣りは要らないです」

「おっ、気前がいいねえ。兄ちゃん」

 

 機嫌の良い笑顔になったところで、世間話を切り出した。

 

「ちょっと尋ねたいことが。パワーレスエリア、という言葉に聞き覚えはありませんか?」

「ああ……。噂には聞いたことがあるなあ。ミッドオールにあるとかいう変な場所だったかねえ?」

「フロンタイムではそういう場所の噂とか、聞いたことないでしょうか?」

「そうだなぁ。聞いたことない。第一そんな場所があるなら、すぐニュースになるだろうな」

「わかりました。ありがとうございます」

 

 なるほどね。

 

「また来てくれよ!」

 

 おっちゃんに見送られて果物屋を後にした俺たちは、少し離れたところまで歩いてから、アリムの実に齧り付いてみた。

 

「おいしい!」「おいしいね」

 

 とろけるような食感。

 完熟した桃のようにジューシーな甘みが、口の中にいっぱいに広がって……。

 思わずにやけてしまいそうになるな。

 

「にやけてるよ」「君もじゃないか」

 

 にやけてたか。

 種をしゃぶり尽くすまで味わった。

 ああ。おいしかった。

 

 それから、何人か話しかけやすそうな人を選んでパワーレスエリアについて尋ねてみたが、目ぼしい成果は得られなかった。

 そもそもこの言葉を知らない人も多かったし、知っていても与太話程度で、ミッドオールの人よりも詳しい者はいなかった。

 結論としては、フロンタイムには確認されているパワーレスエリアは存在しない。ミッドオール特有の現象のようだ。

 うーん。思うように世界の調査が進まないなあ。

 レンクスもちゃんとやってるんだかやってないんだかよくわからないし。

 ぽけっとしているようで、時々ふらっと出ていくんだよな。あいつ地味に結構秘密主義なとこあるからな。

 ついでにミッドオールの話にも及ぶと、剣麗レオンの雄名はこちらでも健在ということがわかった。

 女性を中心として結構ファンが多い。すごいんだなあの人。

 

「ですぅ」

 

 ん? 今、ちらっと女の声が聞こえたような。

 

「――ですぅ」

 

 気のせいじゃない。後ろから聞こえてくる。

 振り返ると、

 

「ごめんなさい。ちょっとそこ通して下さいですぅ」

 

 両手に物凄い量の食材を背丈も超えるほど山積みに抱えた――あまりに量が多いせいで隠れて、姿が見えない。

 でも女の子の声だ。結構高めだ。

 その子が、人混みに頼んでどいてもらいながら、ふらふら歩きでこちらへ向かってくる。

 明らかに目の前が見えていない。抱えている物が多すぎて、バランスがまったく取れていない。立って歩いているのが奇跡のような状態だった。

 あれは、危ないぞ。見るからに危ない。

 

「あっ。はわわ、ああーーっ!」

 

 あ、こける。

 

『ユイ!』

『うん!』

 

 以心伝心。

 俺はさっと彼女の後ろに回り込み、倒れる彼女の肩を抱いて支えた。

 初めてまともに姿が見えた。銀色の髪が綺麗な線の細い少女だ。

 この髪色、どこかミリアを思い起させるな。

 

「大丈夫か」

「あ、ありが……!」

 

 俺の顔を見つめた瞬間、彼女は沸騰したように顔を真っ赤にして、もじもじと顔を背けてしまった。

 何だろう。俺、何かしただろうか。

 と思っていると、彼女は急に何かを思い出したように慌てて、

 

「わああぁ! しまったですぅ! 大事な食材があぁ……!」

「そっちも大丈夫」

 

 ユイが親指を立てる。

 ばら撒かれそうになっていた食材は、風魔法で優しくふわふわと浮いていた。ナイス。

 

「た、助かりました」

 

 明らかにほっとした表情で胸を撫で下ろす彼女。

 また俺と目が合った。

 すると彼女はびくっと身を震わせて、さっと俺から身を引くように立ち上がった。

 両手で頬を抑えて、恥ずかしがっている。

 あまりに大袈裟に逃げられてしまったので、もしかして嫌だったのかと思い、尋ねる。

 

「ごめん。触れられるの嫌だった?」

「いえそんなことないですないですないのですぅ!」

 

 身振り手振りいっぱいで全力否定する彼女。まるで小動物のようだ。

 じゃあ何なんだ。いったい。

 

『あーなるほど』

 

 訳知り顔でうんうんと頷くユイ。

 どこか生暖かい目をこちらに向けている。

 

『何がなるほどなんだ』

『かっこよかったんじゃないの? あれはときめいてるね』

『俺に? まさか』

 

 そんなわけないだろう。

 と思うと、ユイにふっと鼻で笑われた。

 

『あなたもあんまり自覚ないよね。昔ならともかく、最近はそっちの要素もなくはないよ』

『嘘だあ。ないない』

 

 全宇宙弄られキャラ選手権があるなら、割と健闘しそうな勢いだぞ。

 今まで散々弟キャラとか男の子、下手すると男の娘扱いまで受けてきたのに。君にすら。

 俺を「男」だと思ってる人なんて、それこそリルナくらいしかいないだろ。悲しいけど。

 

『って思うじゃん。知ってる? アセッドのユウくんかっこいいねって、依頼やってるとたまに聞くんだよ。お姉さん紹介して下さいって話もあったりしてね。もちろん全部握り潰してるけど』

 

 まさかの事態。そんなことになっていたとは。

 というか、あの。握り潰してるって。ユイさん怖い。

 

『マジか。全然知らなかったよ』

 

 これからは少し振る舞いに気を付けよう。リルナに失礼だもんな。

 

『うん。気を付けてね』

 

 はい。

 

「よかったぁ。さすがに調子に乗って買い過ぎましたですね~」

 

 女の子はユイにぺこりと頭を下げて礼を述べた。

 それから伏し目がちに、俺にそろそろと近づいてきて。

 見るからにすごいドキドキしている。さすがの俺でももうわかった。

 どうやら一目惚れでもされてしまったらしい。厄介なことに。

 彼女は健気に大きめの胸を張って、自己紹介してきた。

 

「はじめまして。ミティアナ・アメノリスですっ! ミティと呼んで下さい、ですぅ」

 

 ……ほう。中々あざとい喋り方をする子だな。ぶりっ子なのかな。

 意識してやってるのか天然なのか知らないけど。

 線の細く、モデルのように恵まれた容姿も相まってとても可愛い。

 可愛いが、そんなもので俺の心は動かないのだ。本物の可愛さを知っている。リルナとユイがいるからね。

 ユイの方をちらりと見たら、あんなのにころっと騙されちゃダメだよと頷いていた。

 わかってるよ。相棒。

 

「俺はユウ。こっちは姉の」

「ユイです。よろしくね」

「ユウさんに、ユイさんですね! ありがとうございました。本当に、本当に助かりましたぁ!」

 

 再度大仰にぺこぺこと頭を下げるミティ。そこまでしなくてもいいよ。

 一々おどおどきょろきょろしていて、面白い子だな。

 

「いやぁ危なかったのですよ~。うちの一週間分の仕入れ食材が、危うくぱぁになるところでした」

「それは何よりだったね。今度は落とさないようにね」

「そうだ。家までどのくらい? それまで落ちないように風魔法かけてあげる」

 

 ユイが提案した。それはいい考えだな。

 するとミティは、ちょっと思い悩んだように考えて、

 

「あのあの。ミティ、宿屋さんやってるんですけど」

「へえ。そうなんだ」

「ランチやディナーもやってるんです。よかったら、うちへ食べに来て下さいませんか? お礼におもてなしをさせて下さいっ!」

 

 まさかの提案だった。

 つまり一緒に来てくれと。そういうことか。

 

『どうする?』

『どうするも何も。これは誘ってるね』

『誘ってるな。もうわかる』

 

 小動物のような見かけによらず、中々積極的な子のようだ。

 

『あなたが決めていいよ』

 

 ユイはこういうとき、かなりの確率で俺に判断を委ねる。あくまで彼女はサポートに徹するのだ。

 もう少し自分の意見を言っても良いと思うのだけど。

 

『そうだな。じゃあ』

 

 少し考えてから、俺は答えた。

 

「お礼なんかいいよ。それより、実は俺たち、一週間ほどこの町には滞在しようと思っていて。ちょうど宿を探していたところだったんだ。君のところ、いくらかな?」

「あ、はい。泊まるだけなら、一泊20ジットです! それから、豪華三食付きコースで50ジットなんです!」

「安いな」

「でもでも! 決してサービスの面では他の宿に引けを取りませんっ! ……たぶん」

 

 最後ちょっと自信なさそうにぽつりと呟いたのが、琴線に触れた。

 

「わかった。じゃあしばらく君のところにお世話になってもいいかな」

「え、ほんとですか?」

「ああ。とびきりのもてなしを期待してるよ」

 

 ミティは、信じられないと頬に手を当てて。泣きそうになっていた。

 そこまでのことなんだろうか。

 

「やりました! お客様二名様、ゲットですぅ!」

 

 グッと両手でこぶしを握るミティ。

 どこかあざといような気もするが、見ていると微笑ましくもなる。

 

 こうして俺たちは、コンテスト当日までミティの宿にお世話になることになった。

 山ほどの荷物は三人で分担して持つことにした。また転ばれても困るしね。



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24「這い寄るぶりっ子ミティ」

 案内されてやってきたミティの宿は、小さな通りのあまり目立たない位置にひっそりと建っていた。立地の面ではかなり苦労しそうな場所だ。

 

「お客様二名様、ご案内ですぅ!」

 

 元気一杯に案内されて、目の前の穏やかな色合いの木製ドアを開けて入ってみると、中は非常に綺麗だった。

 隅から隅まで掃除が行き届いており、床までピカピカに光っている。

 

「へえ。綺麗だね」

 

 ユイが感心したように辺りを見回す。

 向こうにはカウンターが見えており、カウンターの隅には黄色い花が飾ってあった。横には階段と廊下がある。

 ミティはちょっぴり自慢気に胸を張った。たゆんと揺れるくらいのボリュームがある。

 ユイよりちょっと大きいくらいかな。見たら大体わかるほど色々見慣れてしまった自分が悲しい。

 

「お掃除はおもてなしの基本ですから。ちょっと鍵取ってきますのでお待ちを~」

 

 奥のカウンターまでとてとて歩きで向かい、鍵を手にして戻ってくる。

 

「もしかして、あなた一人でやってるの?」

 

 ユイが尋ねると、ミティは肯定した。

 

「そうですよー」

「大変だね。両親は?」

「両親は……いないんです」

 

 彼女のやりきれない顔から、あまり触れてはいけない部分に触れてしまったかと思う。

 

「……そうか。悪いことを聞いたね」

「ああぁ! そういうことじゃなくってーですぅ!」

 

 どうやら違ったらしい。

 ミティはふんと鼻息を鳴らすと、くしゃくしゃと頭を掻きむしった。綺麗に整った銀髪が台無しである。

 なんだ。突然雰囲気が険しくなったぞ。

 ミティはへっと吐き捨てるように言った。

 

「親父もお袋もエレザの方にとっとと隠居してしまいやがりましてですね」

「エレザ?」

 

 ユイが首を傾げる。

 てか、親父とお袋って言い方するんだ。てっきりお父様とかお母様とか言うのかと。

 

「こっから車で三時間の片田舎ですよー。あなたもう一人前なんだから一人で頑張りなさいって」

 

 苦虫を噛み潰したような表情でぷんすか怒るミティは、どこか寂しそうだった。

 

「女の子を、一人で?」

 

 ユイは思わず自分の胸に手を当てて驚く。

 平和な現代日本ならいざ知らず、この魔法社会は割と危険も多い。

 確かに普通は年頃の女の子をいきなり一人にしないような気がするが。

 

「まったくですよ。こんな超絶可愛い乙女を一人だけなんて、頭おかしいんです。襲われちゃいますよぉ」

 

 自分で言うか。

 確かに目もくりくりしてるし、愛嬌いっぱいの見た目で可愛いけどさ。

 

「ほんと何考えてやがんですかねあのクソ親父ども。いっぺん腸ぶちまけますか」

「「…………」」

 

 くわっ。

 あまりの豹変ぶりに、ユイと揃って目が点になってしまった。

 猫被ってるってレベルじゃないぞ。

 あっと気が付いたミティは、慌てて口元に手を当てて、苦しい笑顔を作った。

 

「お、おほほほ。何でもないのですぅ」

 

 取り繕うようにきゃぴきゃぴし出したが、俺の中でイメージは既に固まってしまっていた。

 この子、中身が黒い。

 

「さーてとですぅ。そんなことより、お部屋をご案内するです!」

 

 そうして通された部屋は、質素ではあるがこれまた手入れの行き届いた部屋だった。

 シーツもぴしっと整っていて、彼女の真面目な仕事ぶりを感じさせる。

 

「ディナーは18:30からになっております。時間になったらお呼びいたしますです。大浴場は男女時間帯別になっておりますので、お気を付け下さいませ。それではごゆるりとおくつろぎください、ですぅ」

 

 取って付けたようなですぅは口癖なのだろうか。言わないと落ち着かないのだろうか。

 ぺこりと頭を下げたミティは、俺を見つめるとぽっと顔を赤らめて退散していった。

 ユイがしっかりそれを見ていて、肩を竦める。

 ついでに遠く宇宙の彼方から、リルナの殺気も感じたような気がして。

 どうしよう。居心地悪い。

 

「夕食まで時間あるし、近辺の観光を続けようか」

「うん。そうしよう」

 

 ユイは俺の肩を掴んで、念を押してきた。

 

「あの子をどうするかはあなたに任せるからね。しっかりね」

 

 だよな。リルナがいるわけだから、断るしかないと思うが。

 

「ああ」

 

 でも思った。

 今回は簡単だ。間違いなく俺は、初対面の人にいきなり惚れるほど惚れっぽくはない。

 心に惹かれるタイプだ。繋がれば相手の心が垣間見えてしまうだけに、余計に。

 だからミティのことは、いくら見た目が可愛くても何とも思わない。

 けれどこの先、俺か「私」に好意を持つ人間が出てこないとも限らないわけか。

 長い宇宙の旅の中でずっと一途に想い続けるというのは、考えているより難しいのかもしれない。

 フェバルの場合、人生数十年ってレベルじゃないからな。数百年、数千年……と想い人が傍にいないわけで。

 俺は我慢できるのか。少なくとも身体の方は、枯れる気がしない。

 それに、好きになってもらった人とは、世界を離れたらもう二度と会えないわけで。

 一途でありたいという価値観は根強く持っているけど、どんな相手の気持ちにも一切応えないというのもどうだろうか。

 断ることも優しさとは言うが、万人におしなべて当てはめて良いものではない。

 相手によっては、それはひどく残酷ではないだろうか。イネア先生みたいに、たとえ二度と会えなくても愛されたい人もいるのだ。

 俺の事情をすべて知った上で、俺が誰を好きかを知った上で、それでも望むのなら。代わりがいないのなら。

 俺にしか埋められないものがあるのなら、俺は――。

 ……どうするんだろうな。

 まあ、そう滅多にはないと思うけどね。

 この辺、地球にいたときより大分価値観変わった気がする。色々見てきたからかな。

 うーん。リルナならなんて言うだろう。

 あいつは嫉妬深いところあるから、もしそういうことになったらきっと怒るんだろうな。

 でも愛されたがりなのと、気持ちには応えてあげたい俺の性格もよく知っているから。

 どうなんだろうな。

 

「リルナさんは、あなたがどういう選択をしても、何だかんだで許してくれるんじゃないかな」

「どうしてそう思う?」

「女の勘。あの人はあなたの選択を尊重し、あなたの幸せを何より望む人だから。私もそうだし」

「だから余計好きなんだよ」

「もう。ユウ、のろけ過ぎ」

 

 ただリルナのことだから、このまま大人しくしているとも思えないんだよな。

 何か手段を見つけたら、あのしつこさだ。宇宙の果てまで追いかけてきたりして。

 エルンティアには宇宙関連の技術もあるし、機械人族ナトゥラである彼女には明確な寿命がないから。

 ……まさかと思うが、本気で向かってきてないだろうな。

 

「……あり得なくはないね」

「……ないと言い切れないところがすごい」

 

 

 ***

 

 

 それから、適当に観光を済ませた俺たちは、夕食の時間きっかりにカウンターへと戻ってきた。

 ミティにテーブル席へ案内され、彼女一人が腕によりをかけた料理が振る舞われた。

 特別すごいということはない。家庭料理レベルではあるが、その中では上々だろう。

 素直に褒めてあげた。

 

「おいしいよ」

「てへへ。ミティ、お料理もお掃除も頑張ってるんですよー」

「そうみたいだね。えらいよ」

 

 誇り一つなくピカピカに掃除された辺りを見回して、頷いた。本当によく頑張っている。

 俺に褒められたのが嬉しかったのか、ミティは頬を赤くして続ける。

 

「それだけじゃないですよ。お裁縫にお習字にお茶入れに……」

「やけに気合い入れてやってるみたいね。どうして?」

 

 ユイの何気ない質問に、ミティは、

 

「そ・れ・は。女を磨くためですぅ!」

 

 ドンと胸を叩いて、断言した。

 

「女を磨くため?」

「そうですぅ! 女の子は女の子らしくなくっちゃあいけないのですよぉ!」

 

 力説された。

 女子力というキーワードがふと脳裏に浮かんだ。なぜに。

 

「そうは思いませんか? ユイさん!?」

「私は別に。自分らしく生きればそれでいいかなあ、と」

 

 俺もそれでいいと思う。

 無理に女らしくしなくても、例えばアリスとかははつらつさの中に自然な女らしさが溢れてたし。

 別に母さんとかも女らしくはしてなかったしな。いやあれは特殊か。

 

「それは最初から女の子だから言えるんですぅ。うらやまですぅ。ミティは小さいときから、女の子らしさが足りないって……うう。だから、一生懸命頑張ってるんです」

 

 そうか。そうだったのか。だからやけに張り切ってきゃぴきゃぴしてたわけね。

 悲しいほど努力の方向性間違えてる気がするけど。

 でもまあ甲斐あって、女の子らしくはなってるよな。一部の男受け良さそうなのが何とも。

 

「女の子らしくなって、どうするの?」

 

 ユイが質問を続ける。

 

「そりゃあもう。あの子可愛いなあってちやほやされてぇ……」

 

 指折り数えるように、将来の予定を妄想して頬が緩んでいくミティ。

 そして、俺をちらっと見つめて。

 

「運命の王子様に、君かわいいねって……きゃあああああああ!」

 

 顔をふりふり、足をじたばたさせて身悶えるミティ。

 

「「…………」」

 

 引きまくった目で見つめていると、はっと我に返って。

 

「え、えへへ。何でもないのですぅ」

 

 何でもあるよ。

 突っ込みが喉から出かかっていたが、やめてあげた。

 

「そうでした。ミティ、今度この町で開かれる魔法料理コンテストに出場するのですよ」

「え、あなたも?」

 

 まさかこんなところに出場者がいたとは。世界は意外と狭いな。

 

「はっ! もしや! あなたたちの滞在予定というのは!?」

 

 ミティはやけに目をキラキラさせ出した。

 

「ライバル出現というやつでしょうか? でしょうか!?」

「そうみたい。よろしくね」

 

 差し出したユイの手を、ミティは両手で慎ましく受け取った。

 

「よろしくですぅ。ミティ、負けないですよぉ!」

 

 ライバルに出会えたのが心から嬉しいのか、やる気に燃えた顔つきになるミティ。

 演技していない素の顔が見られたような気がした。

 と、ややテンションの落ち着いた彼女は。ちょろっと舌を出して、困ったように笑う。

 

「と言ってもまあ、優勝できるとは思ってないですけどねー。少しでもミティの宿を宣伝できればなあって」

「失礼だけど、あまり繁盛してなさそうだよね」

 

 今日の宿泊客は俺たちだけだった。だから彼女もこんなにのんびりと話せているのだ。

 

「うう……。サービスはそんなに悪くないと思うんですけどぉ。このままじゃ経営やばいですぅ。両親泣き付きコースはさすがに勘弁ですよぉ」

 

 やはり立地の問題だろうか。

 料理も決して下手ではないが、飛び抜けたものはない。

 客の目を引くには少し弱いかもしれない。こればかりはすぐ解決策が浮かばないが。

 

 そんなこんなで実質三人での夕食を済ませて、しばらくすると入浴の時間がやってきた。

 男の方が先ということで、俺一人が先に入ることにする。

 ユイは人目がないと一緒に入りたがるのだが、さすがに今日は何も言って来なかった。

 中に入ってみると、銭湯のような感じだった。十人以上は余裕で入れそうな広さがある。

 これを実質貸し切りというのは、贅沢なことだ。

 さっぱり汗を流してから、お湯に浸かる。目を瞑って、しばしくつろいだ。

 ふう。気持ちいいな。絶妙な湯加減だ。

 そのうちもっと深く浸かりたくなって、口まで浸かった。

 何となく、ぷくぷくしてみる。

 お風呂場って地味に遊び場だったよな。水鉄砲とか。

 エスタとアーシャは喜んでくれたっけ。

 

「ルームサービスですぅ」

「ぶぼっ!」

 

 一気に泡吹いた。

 はっと目をやると、タオル一枚に身を包んだあられもないミティの姿が。

 頬はアリムのように紅潮している。

 

「いや。待て。そんなもの頼んでない!」

「あなただけの特別無料サービスですぅ。えへへ」

 

 自然と身体は後ずさるが、しかし浴槽にあの入口以外の逃げ場はない。

 追い詰められる。

 はらり。

 タオルが脱げ落ちて、彼女の肢体が露わになった。

 雪のように白い肌と、見立て通りのダイナマイト。中々の破壊力だ。

 って、評価してる場合じゃない!

 どんな状況だ。なぜ君が迫ってくるんだ。

 そこまでなのか。そこまでなのか!

 

「わああっ!」

 

 気付けば浴槽の中、すぐ隣までミティは這い寄っていた。

 彼女は俺を獲物のように捉えて、積極的にずいと最後の一歩を詰め寄る。

 顔を劣情の色で紅く染めながら、しかし妙に思い詰めた、真に迫る表情で彼女は話し始めた。

 

「あなたを一目見たとき。なぜでしょう。同じ匂いがしました」

「同じ匂い?」

 

 うっ。息が酒臭い。

 そうか。酒の勢いに乗っかって、ここまで大胆な真似を。

 

「どうしてでしょう。でも、びびっと来たんです。あなたが、あなたこそが、運命の人だと」

 

 ぴた。肌と肌が触れる。

 思わず心臓が飛び出そうになる。

 

「この人となら分かち合えるんじゃないかって。悩みも、苦しみも、全部」

 

 なんだ。何なんだ。急に。

 しかし真剣なことだけは伝わってきた。

 この子は何かで悩んでいるのか。俺ならわかってくれると。

 それ以上考える暇はなかった。

 ミティは淫らなメスの顔になって――俺を求めた。

 

「ユウさん。ミティを女の子にして下さい」

 

 ちょっ。急展開過ぎてわけがわからないよ。そんなんじゃ俺ときめかないよ。

 むにゅ。柔らかいものが触れた。

 待って。そんなにくっつかないでくれ。やばいから。

 

「あなたでミティを埋めて」

 

 上目遣いでそんなこと言うなっ! 正常な思考ができなくなるから!

 わっ、そんなもの、押し付け――くっ。

 これ以上は。やばい。変身しないと変身しないと!

 ああ、今できないんだった! 何やってんだ!

 あ、いやっ。妙に慣れた手つきで――やめっ、あっ、おおっ!

 

 バァン! 浴槽の扉が勢いよく開け放たれた。

 

「そこまで!」

 

 救いの女神、ユイ様が現れた。白の水着姿で。

 

「あなたの心がやけに淫らになってるから、どうしたものかと思えば」

 

 そういう感知の仕方されると、すごい恥ずかしいんだけど。

 でも助かった。

 

「う、うふふ……」

 

 ミティがふるふると肩を震わせる。

 ユイは睨む視線をバチバチと彼女にぶつけていた。それはルール違反だと。

 一触即発だ。

 ミティは、俺にとろんとした目を向けて。仁王立ちするユイと目を合わせて。

 それから、もう一度俺の裸を目に焼き付けて。

 あわわと、突然我に返ったように口元に手を当てた。

 

「うわああああああああん! ごめんなさいいいいいいいい! 調子に乗り過ぎましたですぅーーーーー!」

 

 半べそになったミティは。

 顔を真っ赤にして、胸をぶるんぶるん揺らして、ぱたぱた走って逃げていってしまった。

 

「「……えっ」」

 

 だだっ広い浴槽にぽつんと残された俺とユイは。

 やり場のないぽかんとした感情を、互いの目でぶつけ合った。



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25「白熱! 魔法料理コンテスト! 1」

 あれからミティは三日くらいの間、俺と顔を合わせるとあわわわと沸騰して、まともに喋れないことが続いた。

 ただ理由はよくわからないが、「同じ匂いがする」という俺への好意は本気のようで、ろくに喋れないのに中々傍から離れようとしなかった。

 そこは私の定位置なのにと、ユイも困ったようにむすっとした顔を向けていた。

 どうしてこんなことになった。

 

 そんなこんなで落ち着かない日々を過ごし、魔法料理コンテスト当日がやってきた。

 開催場所はナーベイ中央公園の特別設営会場だ。

 この日は早起きして、三人一緒に出掛けた。

 

「腕が鳴りますぅ!」

「気合い十分だね。ミティ」

 

 ユイがぽんと優しくミティの肩を叩く。

 彼女に対する快くない感情はともかく、それをコンテストには持ち出さないだけの器量は持ち合わせている。

 

「はい! お互い頑張りましょー」

「俺は二人とも応援してるからね」

「どうしてユウさんは参加しないんですか?」

「参加したいのは山々だけど。俺は魔法が使えないんだ。魔法料理コンテストだからね」

「むむう。珍しい方もいるものですねぇ。まあそんなことでミティたちの絆は揺るぎませんけどね」

 

 魔法料理コンテストとは大体的に銘打つものの、所詮は町興しの一環で開催される規模の小さな大会である。

 出場者も例年十人弱程度で、参加客も数百人程度ということだが。

 ユイとミティと別れて観客席に行くと、異変に気付いた。

 今回はちょっとばかり、いやかなり人数が多い。

 どうしたことだ。ざっと千人くらいはいるんじゃないのか。

 良い席が取れるだろうか。心配になってきた。

 どうにかこうにか脇を通してもらって、端っこの前列を確保する。

 しばらく待っていると、さらに人は多くなり、気付けば目算で二千人規模に達していた。

 中には見知った顔も数多くいる。わざわざレジンバークからやってきた冒険者連中だ。

 会場が温まってきたところで、前のステージには、エプロン姿に着替えたユイやミティたち八人の出場者が、特設キッチンの前にずらりと勢ぞろいしていた。

 

「あ、あのう」

 

 そこに、所在なさげにおろおろする若い女の人が一人。実況テープルのところにぽつんと立っている。

 髪色は赤。燃えるような情熱の赤だ。

 うん? あの人、どこかで見たことあるような。

 いやまさか、あの人は!

 隣の男にマイクを手渡された瞬間、大人しそうな雰囲気から豹変した彼女を見て、瞬時に理解した。

 

「いよっしゃあ! みんな、待ってたかーーー!」

「「うぇーーーーい!」」

「ナーベイ観光協会主催! 第38回魔法料理コンテスト! 実況はわたくし、冒険者ギルド所属! 受付のお姉さんがお送りします!」

「「うおおーー!」」「「お姉さんーーー!」」

 

 会場に割れんばかりの大歓声が起こる。

 お姉さん、こんなところまで来ていたのか!

 

「うーん。いい声。なけなしの有休取ってきた甲斐があったというものね。乗ってるかーーーい!」

「「Yeah----!」」

 

 この謎のカリスマ。何者なんだ受付のお姉さん。

 というか本名知らないんだけど。お姉さんで通ってるけど、いいの?

 

「よーし、みんな! 本日のスペシャルな開催に先立って、一つスペシャルなニュースがあります! 本日に相応しい、スペシャルなゲストをお呼びしましたーーーっ!」

「「わあああああああ!」」

 

 幾度目か、場内に騒がしい歓声が巻き起こる。

 へえ。スペシャルなゲストか。一体どんな人だろう。

 もしかして、それが人気の理由なのだろうか。

 

「では紹介しましょう! 伝説の山斬りボーイ! 何でも屋『アセッド』マスター! ユウ・ホシミくんでーーーーす!」

 

 ……俺?

 

 シューーーっと、俺の周りに魔法でど派手な即席スモークが焚かれる。

 

 はい? え?

 

 あれよあれよと、後ろからスタッフらしき人につままれて。

 歓声がすごい。中には黄色い声も混じっているような。

 

 なに? 何なの?

 

 戸惑っているうちに、実況席にいるお姉さんの隣まで押し出されてしまった。

 

「じゃ、コメントよろしく」

 

 お姉さんから、ぽんとマイクを手渡された。

 

 ……ねえ、待って。

 

 無茶振りにもほどがあるだろうが! どうしろと!?

 

 気付けば数千の観客は、一心に俺を見つめていた。

 ユイも心配そうな面持ちで、ミティはどこか期待するような面持ちで。俺のことを見守っている。

 あ、ああ。ええと、どうしよう。何か言わないと。

 

「あ、え、えっと。今日は姉のユイが参加するということで……俺も観客の一人として、その……」

 

 ああ。まずい。

 声に戸惑いがあるせいで、会場が白けかけている。

 この空気は耐えがたい。

 まずい。まずいぞ。このままでは。

 変えなければ。何とかしなければ。

 ええい。こうなったら、何でもいいから叫んじまえ!

 

「俺はユイを信じてる! 姉ちゃんは誰にも負けない!」

「「おおおおおお!」」「「そうだあああーーー!」」「「ユイたんーーーー!」」「「この、ラブラブーーー!」」

 

 なんか変なヤジも聞こえたような気がするが。このまま勢い任せだ!

 

「だが、勝負は時の運。もちろん誰が勝っても恨みっこなしだ! 何より大事なのは、みんなで楽しむこと! だからみんな、今日は楽しく盛り上がって行こうぜ!」

「「うぉおおおおおおおお!」」

 

 どうにか会場の熱を切らさず、保つことができた。

 よろめきそうになりながら、マイクをお姉さんに返す。

 お姉さんはウインクしてくれた。ナイスファイト、と称えてくれているようだった。

 ふう。あまり上手いこと言えなかったけど、何とか事なきを得たか。どっと疲れたよ。

 向こうではユイがやや呆れたように額に手を当て、ミティが目をキラキラさせて俺を見ている。

 許してくれ、ユイ。俺、咄嗟の割には頑張ったと思うんだけど。

 

「では、ゲストのユウさん。本日は解説よろしくお願いします」

「あ、はい」

 

 ……ええ?

 

 くそ。やられた。流れで解説やらされることになってしまった。

 ミティのときも思ったけど。どうしてこんなことに。

 俺の混乱をよそに、熱狂の中、コンテントの開会が宣言されたのだった。



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26「白熱! 魔法料理コンテスト! 2」

 めでたく解説席に座ることになってしまった俺は、隣で受付のお姉さんがルール説明するのを黙って聞いていた。

 制限時間は四時間。テーマはずばり、港町ナーベイで獲れる魚介類を使用した海鮮料理である。

 勝敗は、純粋に参加客による投票で決められる。誰の料理が一番良かったかを投じ、最も多くの票を獲得した者が優勝者となる。同票が複数出た場合は、複数同時優勝となる。

 出場者にとって公平であるように、料理に必要な材料はすべて主催者側で揃えてある。

 ただし、必要な人数分より多く用意されており、魚の目利きは出場者自身で行う。同じ魚は二つとないため、おいしいものは早い者勝ちというわけである。

 今、向こうのテーブルには、種類ごとに魚介類が所狭しと積まれていた。番組の生収録っぽくて、中々にわくわくする光景である。

 お姉さんがマイクを手に取って猛る。

 

「さあ出場者、ずらりと横並びになった!」

 

 演出なのか、八人全員が同じように腕組みした状態で一直線に並んでいる。

 

「嵐の前の静けさか。会場は波が止まったような静けさと緊張感に包まれております」

 

 お姉さんの身の入った実況に、会場は実際期待と緊張に包まれていた。

 いやこれ、ただの町の料理コンテストなんだけど。世界大会みたいだよ。

 

「そろそろ始めましょう。泣いても笑っても、今から制限時間は四時間。ぜひ皆さん素晴らしい料理を作って下さいね。では、スタートおおおおおおおお!」

「「うおおおおおおおおお!」」

 

 パァン、と空砲が炸裂するような音が風魔法で鳴らされる。

 選手たちは動き出した。

 

「スタートの合図と同時に、一斉に飛び出していきます!」

「早い者勝ちですからねえ。皆さん必死ですよ」

 

 黙っていてもあれなので、適当に解説を入れる。

 こうなったらもうノリで押し切るしかない。みんなに楽しんでもらうためにも。

 

「ミティが一番乗りですぅ!」

 

 ミティが笑顔を振りまきながら先頭をひた走る。周りと比べても頭一つ抜け出る格好となった。

 

「おーっと、ミティアナ選手、速いです! 足が速い!」

 

 お姉さんの実況に合わせて、会場からも楽しげな声が上がる。

 

「か弱そうな町娘にも、意外な特技があったということでしょうか」

「いやはや、驚きです。ここでミティアナ選手のプロフィールをちらっと確認しましょう――おや、ミティと呼んで下さいということですね。ではそう呼ぶことにいたしましょう!」

 

 プロ顔負けのメリハリで、お姉さんはすらすらと選手紹介を掻い摘んでいく。

 

「ミティ選手は――ふむふむ、宿屋ミティのオーナーですぅ。皆さんのご利用お待ちしておりますぅ、ということですね。みなさん、宿屋ミティですよ! あんな可愛い子に会えますよ! 料理もおいしいですよ! よーしお姉さん、ばっちり宣伝しましたからね!」

 

 会場からちょっと笑い声が上がった。

 でも少しは宣伝になっただろう。よかったねミティ。

 

「こ・れ・ですぅ!」

 

 ミティがすぐに、旬の魚セブルを両手で掴み上げた。鮭を抱えてるみたいだ。

 

「ミティ選手! 見かけによらず豪快です! 一発で魚を掴み上げました!」

「女の直感でしょうか」

「さて、やや遅れて全者テーブルに――おや、意外や意外! ユイ選手、スタート地点から一歩も動いておりません!」

 

 とっくにわかっていたのに、今初めて気が付いたように説明するお姉さんは、中々の盛り上げ上手である。

 

「解説のユウさん。あれは何をしているのでしょうか」

「えー、あれはですね。成分解析魔法で目利きをしているんです。遠くからでもおいしい魚が一発で判定できてしまいますよ」

「うわああ、なんということでしょう! 目利き泣かせとはこのことか! もはやずるいという言葉しか浮かびません!」

 

 会場からも、ざわざわと同意の声が上がる。

 

「ミティ選手、ランアンドカムバック。次々と食材をお持ち帰りしています。直感戦術は果たして吉と出るのか。一方アモン選手は、普通に慎重に魚の目利きをしていますね」

「実直なやり方も忘れてはいけません。あの方は信頼できる職人のようですね」

 

 すると、すべての食材の山が一斉にぶわっと浮き上がった。

 どよめく観客たち。

 そんな真似をしでかしたのは、自信に満ちた顔で手をかざすユイだった。

 ユイは、浮かび上がった食材から、自分の使うものだけを選び取って引き寄せる。

 残りはまた風魔法でそっと置き戻した。

 

「なんと、ピンポイントで必要な食材を吸い寄せたああああああ!?」

「この大会は『魔法』料理コンテスト。ならば魔法で一気に調達することは、何もおかしなことではありません」

「これはうかつでした。魔法を使った勝負は、調理前から既に始まっていたということですね!」

「そういうことです」

 

 他の選手に動揺が広がるも、すぐに気を取り直して勝負は再開される。

 さて、他が食材調達に地道を上げる中で、既に次のステージに移ろうとしている者が二名いた。

 すべての食材を感で選び取ったミティと、魔法で一気に巻き上げたユイである。

 

「ミティ選手とユイ選手、もう調理に取り掛かろうとしています」

「限られた時間を調理にしっかり充てようということでしょう。作戦ですね」

「ミティ選手は、フリルの付いた可愛らしい水玉エプロンに身を包んでいます。ユイ選手は、正統派のシェフらしき格好ですね。見た目対照的なこの二名ですが……ユウさん、ここからの勝負はどうなると見ますか」

「二人とも普段それぞれの構える場所で料理を提供している身ですから、経験値は十分でしょう。一発勝負の場でいかに実力を出し切れるかが、勝負の分かれ目ではないでしょうか」

「ほう! ここからのバトルに、お姉さん目が離せません!」

 

 一週間宿に泊まっていたので、二人の実力差はよく知っているわけであるが。

 あえて知らないふりをして答えた。そっちの方が盛り上がるしね。

 ユイはよし、と気を引き締めると、『心の世界』から包丁を取り出した。

 ディアさん直伝の早業で、きっちりと三枚に下していく。

 その美技に、観客は酔いしれた。

 

「はやいはやい! まるでプロのようだ! 素晴らしい業前です!」

「姉ちゃんはプロの料理人の下でみっちり料理修行に励んだ経験がありますからね。免許皆伝も受けています。あのくらいは当然でしょう」

 

 もちろんくっついてた俺もだけどな。

 すると、お姉さんはにやにやした。

 

「惚気ます。この男、惚気ていきます!」

 

 会場からひやかすような声が飛んできて、恥ずかしくなった。やっちゃったかな。

 

「ところでユウさん。実の姉との熱愛が一部で噂になっていますが」

「そのような事実は一切ありません」

 

 ブーブーとブーイングが上がる。

 特に一部から強く上がっている。なぜ。

 

「あーそうだったら面白かったのに! では、シスコンでしょうか」

「それは……そうかもしれません」

 

 ヒューヒューともてはやされる。

 ユイもちらっと見て照れなくていいから。喜ばなくていいから。

 君もほんと俺のこと好きだよな。頑張ったら、後でよしよしあげるよ。

 

『約束だよ』

『はいはい』

 

 ちゃんと聞いてたのか。心通信便利怖いな。

 

 一層気合いの入ったユイは、左右の手で火魔法と水魔法を使い分ける。

 火魔法で調理器具に火種を与えつつ、水魔法で魚を丁寧に洗っていく。

 

《フォッセキュート》

 

 ミティもミティで、手慣れた感じで水魔法を詠唱し、魚を水洗いしていく。

 ルール上調理器具は使えず、すべて魔法で処理しなければならない。

 この世界オリジナルの魔法体系、精霊魔法の一種か。

 ユイも勉強して試しに色々使ってみたんだけど……。

 どうも同じ魔力消費だと元々覚えていた魔素魔法の方がずっと強いらしいことがわかったから、もう使ってないんだよね。

 推測される理由としては、魔素魔法が直接魔力要素を魔法に変換するのに対し、精霊魔法は「よくわからない精霊のようなもの」(本当に精霊なのかどうか怪しいとユイは言っていた)を介して魔法を発現しているためだ。

 その分余計なプロセスが入ってロスが生じ、かなり威力が落ちるようだ。

 最初に勉強したサークリスの魔素魔法、実は相当強力な魔法体系だったらしい。

 

 しばらくの間、下ごしらえは続く。

 地味な時間が続くので、俺はお姉さんと協力してトークを盛り上げた。

 実際無茶振りにしてはよくやってると思わないか? ……誰に言ってるんだ。

 

 そろそろ、他の選手もようやく調理に取りかかったところだった。

 二人は下ごしらえが終わったようだ。

 ミティは楽しそうな表情で、調味料置き場に手を伸ばした。

 そして掴んだそれを、鍋にどぼどぼ注いでいく。

 

「あれは、油ですね。油です!」

 

《クレリファイ》

 

 火魔法でじっくり油の温度を上げてから、

 

「ぱぁーん!」

 

 ミティがこれ見よがしにあちってポーズを取りながら、油に魚を放っていった。

 あざといとわかっていても、一部の男子はやられている。

 

「ほお。揚げ物ですか」

「家庭的なところを見せたいのでしょう」

「ユイ選手は、ムニを大根や小豆と一緒に茹でています! ムニと小豆、合うのでしょうか?」

 

 お姉さんはさっぱり首を傾げていた。

 ムニはタコに似た生き物だ。

 大根と小豆は偶然ほぼ一緒のものがあったので、自動で翻訳されているのだろう。

 

「ああすることで柔らかく仕上がります。俺の故郷で桜煮と言うのですよ」

「うへえ、サクラニ! 聞いたこともないテクニックです! ユイ選手、引き出しが尽きない!」

 

 そこからは、見ているだけで楽しい派手な料理シーンが続く。実況解説が楽になった。

 ユイがワインを使って豪快に火を上げてみたり、芸術的な盛り付けをしてみたり。

 そんなことをするたびに、観客はうわあとわかりやすい感動の声を上げる。

 ユイもユイで、みんなの反応が面白くてパフォーマンスにも余念がない。

 ミティも目立ちたがりなので、可愛らしいふるまいで女の子の料理を演じ続け、こちらはこちらで別の需要があった。

 そして――。

 

「「できました!」」

 

 ミティとユイが同時に調理の完了を宣言した。

 二人ともバチバチに視線を戦わせている。ミティもミティなりに自信があったようだ。

 しかし、出来上がったものに目が向いた途端。

 

 ミティはあんぐりと口を開けて、その場にへたれ込んだ。

 

 ミティのメインは、白身魚のフライである。

 いかにも家庭的だ。普通に美味しそうな料理だ。

 一方のユイは――海鮮フルコースだった。

 高級料亭に出て来そうな、本格的なやつである。

 見た目からしてもう、はっきりとレベルの差がわかってしまうレベルだった。

 大人と子供である。ユイさん容赦ない。

 それにしても本気出し過ぎじゃないか。まあディアさんの教えもあるし、勝負に手を抜かないのはわかっていたけどさ。

 あまりの凄まじさに、他の選手は半ば諦めの境地に達していた。

 明らかにテンションが燃え尽きている。かわいそうになってきた。

 

 もはや勝敗は決した。

 

 結論から言うと、得票は大差でユイに入り、同情票を除く95%という圧倒的な得票率でいとも容易く優勝を成し遂げた。

 高々町の料理コンテストに「一流のプロ」が参加した結果がこれである。

 もっと歯ごたえのある奴はいないのかという目をユイはしていたけど、そんなにいるわけないだろう。

 君が求める相手はもう世界にしかいないんじゃないかな。

 

 とにかく大盛況のうちに、魔法料理コンテストは幕を閉じた。

 受付のお姉さんは「後片付けがあるから」とその場に残り、俺は長い長い重圧からようやく解放されたのである。

 無事に解説できて本当によかった。「ナイスファイトだったよ。ユウくん」の温かい一言が、何より報われたように感じた。

 

「お疲れ様。ユイ」

「ユウこそお疲れ様」

 

 ハイタッチを交わす。

 一仕事を終えた疲れも、これで一緒に吹き飛ぶような爽やかな気分だった。

 

「ああ楽しかったねえ」

「うん。無茶振りはきつかったけどね」

「頑張った頑張った。でも、惚気過ぎだよ」

「はは」

 

 ユイが、甘えるような仕草で頭を寄こす。

 そうだったな。約束だ。

 

「よしよし」

「……ん」

 

 そこに、声がかかる。

 

「その……あのう……ですぅ」

 

 ミティだ。彼女が何やら言いたそうにもじもじしている。

 負けたのが悔しかったのだろうか。

 いや違う。そんなんじゃない。

 ミティの目は、キラキラと輝いていた。

 それはまるで恋のような。王子に憧れを抱いた少女のような。うっとりした乙女の顔である。

 どうしたことだろうか。

 とうとう彼女は、思いの丈を吐き出すように言った。

 いつものようにぶりっ子することもすっかり忘れて、素で。

 

「その圧倒的な料理の腕前! その圧倒的な料理知識と解説スキル! わたし、感動しましたっ! ほんっとうに、感動しました!」

 

 そして、とんでもないことを言い出したのである。 

 

「ユウさん! ユイさん! お二人をどうか……師匠! 師匠と呼ばせて下さい!」

「「……はい!?」」

 

 拝啓。イネア先生。

 俺たちも、ついに師匠と呼ばれるようになりました。

 初めての弟子ができました。料理です。



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27「ミティがうちにやって来た」

 なんとミティに師匠と呼ばれるようになってしまった俺たちだが。

 とりあえずユイと相談の結果、好きに呼ばせておこうということになった。

 彼女と別れを告げて、帰りはユイの転移魔法であっさり帰ることができた。バイクで走って戻るのも楽しいけど、さすがに店を開け過ぎたので。

 またナーベイに来たときに料理の手ほどきでもしてあげればいいかなと思っていたのだが。

 ところがである。帰宅から四日後。

『アセッド』のドアが叩いて飛び込んできたのは、見覚えのある元気いっぱいの女の子。ミティだった。

 

「ユウ師匠! ユイ師匠! わたし、来ちゃいました!」

 

 とびきりのスマイルで、俺に抱き着いてきた。

 無下に突き放すわけにもいかないので、優しく受け止める。

 彼女は幸せそうに俺の胸に顔を埋めた。

 

「や、やあ。よく来たね」

 

 ここまで来るとは。四日。四日だぞ。早くないか。

 俺たちみたいに速いバイク持ってるわけでもないだろうし、家に帰ったらすぐ身支度してこっち来るくらいのペースでないと無理だ。アクティブだなあ。

 ユイもこれには予想外という顔をしている。

 テーブルでぐーたら寝ていたレンクスが、元気な声に反応して目をこすった。

 

「師匠たちに、ミティからのとっておきの依頼があります!」

 

 すーっと息を吸い込んで。

 彼女はよく通る声で言った。

 

「ミティをここで働かせて下さいですぅ! 住み込みでよろしくですぅ!」

 

 いきなりそんなことを言い出したのである。

 これにはぽかんとしてしまった。

 働くって、住み込みって。ほんとか。君の宿はどうするんだよ。

 考えがまとまらないうちに、ミティは俺を上目遣いで見上げて、いたずらっぽくウインクした。

 

「ここは何でも屋さんなんですよね? だったらミティの依頼、当然聞いて下さいますよね?」

 

 ――なるほど。考えたな。

 

『アセッド』が何でも屋を掲げている以上、この依頼を断るわけにはいかないということか。

 

「けどミティ、宿はどうするの?」

 

 ユイが俺の聞きたかったことを聞いてくれた。

 

「あっ、それなら大丈夫です。どうせ閑古鳥が鳴いてるような宿なんで、ちゃっちゃと畳んできましたよ」

 

 へっと自嘲気味に毒吐くミティ。

 

「たとえ回り道のようでも、ここできちんと料理修行をすれば、料理がおいしい宿として再出発できるかなぁって。はい!」

 

 俺の顔を見つめながら、ミティは意気込んだ。日頃から何とかしなきゃとは考えていたらしい。

 カウンターにいたユイが嫉妬で目を細め、俺の方に近づいてくる。

 

「ちゃんと将来設計を考えて来たわけだ」

「ですぅ。あのう……」

「なんだ」

「今のわたしは着の身着のまま、身一つです。勢いで飛び出してきちゃいましたけど、もし師匠たちが受け入れてくれなかったら、わたし……」

 

 ゆったりと着られた布の服の胸のあたりを撫でて、不安そうな表情を見せる彼女。

 計算し尽くされたその隙のあるしぐさは、中々に男心をくすぐるものがあるが。

 あざといとわかっていても、実際にやられると困ってしまうものだな。

 まあそんなことしなくたって、最初から断るつもりなんてなかったけどね。

 俺は小さく溜息を吐いた。

 密着していた彼女を半歩分だけ引き離して、なで肩に手を置く。

 彼女の目をしっかりと見て、答える。

 

「わかった。わかった。君の想いと決意はよくわかったよ。ちょうど人手も足りてなかったところなんだ」

「では!」

 

 ぱあっと顔を明るくするミティ。よほど受け入れて欲しかったのか。

 俺はテーブルにだらしなく座って話を聞いているレンクスの方を向いて、呆れをたっぷり込めて言う。

 

「戦力として当てにしてた奴は、あれだしな」

 

 レンクスは、呑気に頭の後ろに手を回した。

 

「いやあ。それほどでも。へっへっへ」

「別に褒めてない」

 

 ユイがナチュラルに突っ込みを入れる。

 レンクスはユイに反応してもらえて、嬉しそうににやけるばかりだ。

 あれだからな。もう。

 

「話はわかったよ。ミティ」

 

 いつの間にか、ユイは俺の後ろにぴったりとくっついていた。

 すぐ対抗心燃やすよな。君も。

 

「できるときは私が、できないときはユウが。料理をみっちり教えてあげる」

「ほんとですか!?」

 

 ミティ、ますます嬉しそうに顔を綻ばせている。もう感激というレベルだった。

 ユイもそれにはまんざらではない顔だ。

 

「できるだけ丁寧に教えるつもりだけど、やるからには手を抜くつもりはないから。どこに出してもおいしいと言われるようになろうね。ちゃんと付いてくる気概はある?」

「はい! もちろんあります! わたし、頑張ります!」

 

 おっ。素直に答えた。

 この子は、ぶりっ子してないときの方が可愛いような気がするな。もっと普通にしてればいいのに。

 

「では改めまして。ミティアナ・アメノリスですぅ。ミティと呼んで下さい。よろしくですぅ!」

「ユウ・ホシミだ」「ユイ・ホシミだよ」

「一応俺も。レンクス・スタンフィールドだ」

 

 こちらもいつの間にか来ていた。

 ユイのお尻に手を伸ばそうとしてぱしっと叩かれているレンクスが、顔だけはしまり顔で名乗った。

 

「あ、師匠たちから聞いてますよ。屑拾いのレンクスさんですね」

「そうだぜ」

 

 親指を突き立てて、誇らしげに答えるレンクス。

 ボランティアならいざ知らず、古今東西職業屑拾いであることを誇らしげにするのは、中々いないと思うよ。

 俺はそれだけじゃ軽蔑しないけどね。それすらも自分からじゃ中々やらないからなこいつは。

 と、ミティがぽわぽわと幸せそうな乙女の顔になっていた。

 

「うふふ。今日からユウ師匠と一緒に寝るですぅ!」

 

 俺の腕を取って、豊満な胸をすりすりと擦り付けてきた。

 ついどきまぎしてしまう。

 

「だめ。そこは私の特等席だから!」

 

 え。そうだったの?

 ユイも対抗して、もう一方の腕に形の整った胸を押し当ててきた。

 ミティは鼻で笑いながら、さらに胸を密着させてきた。

 

「ちょっと言ってる意味がわからないですねぇ」

「あなたみたいなのがユウ誘ったら、押しに弱いユウは堕落しちゃうから。だめ!」

 

 俺、そんなに信用ないか?

 ……うん。ちょっと自信ないな。

 確かに。よくわかってる。

 

「ふふーん。なぁにが堕落ですか! そちらこそ、お姉ちゃんが実の弟に色目を使うなあですぅ!」

「別に使ってないもん! とにかく、だめなものはだめ! 師匠として許さないからね!」

「そればっかりは聞けませんですぅ。女の戦いに師匠も弟子もないのですよぉ!」

「むむむぅ……!」「ミティ……!」

 

 俺を挟み合って、女の睨み合いが続く。

 どうしよう。どうしたらいいんだ。

 俺は困り果てて、胸の感触を楽しむ余裕もないままその場で固まっていた。

 ただ、背中に凍えるほどの寒気を感じながら。

 

「じーっ」

「はっ!」

 

 銀の後ろ髪が、さっと引いたように消えていった。ような気がした。

 今一瞬、両開きのドアの向こうにシルヴィアが見えたような……。気のせいか?

 

「はっはっは! ユウお前、随分モテるようになったじゃねえの! あのちびっ子だったのがなあ!」

 

 レンクスが可笑しくて仕方がないといった様子で、腹を抱えて笑っている。

 くそ。他人事だからって良い気になって。

 で、あの。リルナさんの殺気が止まらないような気がするんだけど。

 俺何もしてないよ。ごめんよ。許して下さいリルナさん。

 あ。ちょっとだけ緩まった。優しい。

 あ、もうちょっと緩まった。

 ……それにしても、情けないな。これじゃあ。

 

「待て。待ってくれ。二人とも」

 

 語気を強めて、諭すように腕から二人を引き剥がした。

 牙を抜かれたようにきょとんとする二人。

 特にミティに対して、俺は言葉を考えた。

 よく考えて、正直に、誠実を心掛けて言った。

 

「まずミティ。君に変な期待をさせたくないので、はっきり言っておくよ」

「……はい」

「俺には既に愛する嫁がいるんだ」

「ぐはっ……!」

 

 痛恨の一撃! ミティはその場にしおらしく崩れ落ちてしまった!

 

「そ、そんなぁ。もう、そこまで進んでいたなんて……」

 

 いやいや! 待って! どんな勘違いだよ!

 絶対シルのせいだ。絶対そうだ。

 

「違う。違うから。とても遠いところなんだけどね。ずっと愛し合うことを誓い合った仲がいるんだよ」

「ふへえぇ……まあ、そうですよね。ユウ師匠、かっこいいですから。彼女さんの一人や二人くらい、それはいますよね……」

 

 すっかり意気消沈して、彼女は項垂れている。

 ユイはというと、さすがに同情的な目で彼女を見つめていた。

 好意を抱いていた相手に好きな人がいると聞いたら、それは落ち込むだろう。

 だがいつかは言わないといけなかったことだ。早めに言っておいてまだよかった。

 

「その方とは……今は、どうされているのでしょうか」

「もう二度と会えないけどね。思い出はずっとここに残っているよ」

 

 俺は胸に手を当てて、答えた。

 すると、ミティの沈み切っていた表情に変化が現れた。

 ゆらぁと顔を上げて。その瞳には、光が戻っていた。

 

「もう二度と会えないんですかぁ? それは、とても寂しいことですね……」

「ああ。寂しいよ。ほんとにね。本当に……寂しい。でも、それが」

 

 運命だったんだ、と言おうとして。

 

「でしたら、わたしが埋めてあげます。ミティは現地妻で構わないのですよ?」

「ちょっ……!」

 

 予想外! 緊急事態発生!

 リルナさん! リルナ! 対応を! 対応を願います!

 ……くっ! 存在を感じられても、遠過ぎて心の声までは届かないか……!

 というか、届いてたら喋りまくってるしな。現実は甘くない。

 

「待ってくれ。そこまで好意を持たれる理由がわからない。第一、俺は君にほとんど何もしてないよ。どうしてそこまで……」

 

 ミティはからっぽそうな頭を回して、くるくると考えるような仕草を見せて……すぐに考えるのをやめた。

 そして、はにかんだ笑顔で言った。

 

「わかりません。フィーリングです。わたし、直感は信じる方なんです」

 

 フィーリング。フィーリング……?

 今度は、俺の頭がぐるぐるする番だった。

 わからない。この子がわからない。こんなタイプ、初めてだよ。

 ユイももう、何が何だかという感じで。もはや嫉妬も何もなく、ただ興味深そうにことの成り行きを見守っていた。

 ずっと声を殺して笑っているレンクスがうざい。

 

「ユウさんは、ぴぴっと来ちゃったんです。付き合いの長さなんて関係ありません。女は理屈じゃないのです。好きになっちゃったものは、仕方ないんです」

「そうか。仕方ない、か……」

 

 どうしたらいいんだ。俺はこの気持ちにどう答えるべきなんだ。

 

『正直でいいんじゃないの?』

『そっか。正直に、か』

 

 俺は言葉にしにくい想いを、どうにか少しずつ頭の中で整理していった。

 彼女に配慮しながらも、できるだけ正直に告げていくことにした。

 

「ミティ。よく聞いてくれ。本当に変な期待をさせたくないから言うけど。俺に現地妻を作るつもりは今のところない」

 

 リルナを心から愛しているし、リルナを裏切りたくないからだ。

 あの人は、俺が望むように生きれば、俺が幸せならそれがいいと言ってくれる人だけど。

 そこまで想ってくれている人だからこそ、最低でもよほどの事情がなければならない。中途半端な愛や寂しさに流されたくはない。

 

「俺はリルナを愛している」

「そっか。リルナさんって、言うんですね……」

「ああ。いきなりこんなこと言われて、正直……戸惑っているんだ。本当に」

 

 しゅんとなるミティ。少しきつく言い過ぎたかな。

 でもここは、これくらい言わないと余計に残酷だ。

 

「でも、気持ちは嬉しいよ。ありがとう」

 

 フォローもしておく。好意を持たれるのが嬉しいのは本当だから。

 

「君が悪いわけじゃない。君の気持ちも否定しない。だけど俺が。俺が、いい加減な気持ちで人を愛したくないんだ。わかってくれ。ミティ」

「……はい。すみま、せん……」

「こっちこそごめんね。それに、君自身もまだ舞い上がってしまっている部分があるかもしれない」

 

 もう一度しっかり目を見て。努めて優しく諭す。

 

「俺は君に普通に接するし、君も俺に普通に接して欲しい。どうか焦らないでくれ。今後ここで働く中で、本当の君をもっと見せてくれないか」

「本当の……わたし」

 

 そこで、はっとしたように口の端を結ぶミティ。

 何か思い当たることがあるのだろうか。

 

「よく、わかりました。確かに、舞い上がってしまっていた部分があるかもしれません。ミティ、ユウさんのことをもっとよく知りたいと思います」

「うん。ありがとう」

 

 身体を起こしたミティに、もう気落ちした様子はなかった。幾分晴れやかな表情になっていた。

 デリケートな案件だったけど、これで一件落着かな。

 するとミティは、にこにこと笑い出した。

 

「えへへ。でも、嬉しかったのは嬉しかったんですよね!? だったら、わたしにもユウさんを振り向かせるチャンスがあるってことじゃないですかぁ!」

 

 って、あれ? めっちゃポジティブだぞ。この子。

 と思った次の瞬間には、再びそばまでずいっと迫られていた。

 魅惑的な艶を秘めた微笑みで、

 

「ユウさん。本当のミティを、もっと見て下さいね?」

 

 

 ちゅっ。

 

 

「…………!」

 

 ……やられた。

 

「……えへへ。今日はこのくらいにしておきます」

「…………」

「さあ、師匠! お仕事張り切っていきましょう! 料理もいっぱい教えて下さい!」

「……あ、ああ」

 

「ユウ、すっかり腑抜けにされてやがるぜ」と穏やかに笑うレンクスの声がやけに遠く聞こえた。

 ユイが後ろから、ぽんと優しく肩を叩いてくれた。

 

『ふふ。そっかあ。また一人濃いのが来ちゃったね』

『店が賑やかになって、結構なことじゃないか。はあ。これからどうなるんだろう』

『頑張ろうね。でも、ユウの隣は簡単には渡さないから。もっとあなたのこと、知ってもらわなくちゃね』

『はは。俺、人気者だなあ……』

 

 先が思いやられるよ。ほんと。

 

 ミティが、『アセッド』の一員になりました。



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28「剣麗レオンがやって来た」

「君たちは、ワールド・エンドという言葉を聞いたことがあるかい?」

 

 剣麗レオンは、喜々として語る。

 一つテーブルを挟んだ向かいでは、俺とユイが揃ってまさに彼の話を聞いているのであった。

「少し話がしたい」と、彼が『アセッド』にやって来たのは、つい先ほどのことである。

 さて。その言葉を聞いたことがあるかと問われれば、もちろんある。

 ランドとシルが目指しているという、世界の果てのことだ。

 首肯すると、彼もまたオウム返しのように頷いた。何気ない所作一つも流麗で、ややもすると魅入られそうになる。

 そこにいるだけで華があった。何もないのにオーラが見えそうである。

 彼こそは人に好かれる魅了の素質を備えているに違いなかった。

 

「世間ではどんなに大袈裟な扱いをされようと、僕も一介の冒険者に過ぎない。夢やおとぎ話のように語られる世界の端。かつてはそんなものに憧れたこともあったんだ」

 

 言外には、今はもう憧れていないというニュアンスが多分に込められていたが。

 彼は一拍間をおいて、続ける。

 

「本当にそんなものがあるのか。あるとしたら、さらにその先に見えるものがあるのか。見えるとしたら、何が見えるのか。知りたくてね」

 

「わくわくするじゃないか」と語るその顔は、無邪気な少年のような、いやむしろ白馬の王子か何かにでも恋い焦がれる少女のように恍惚としていた。

 視線が彼の顔に吸い込まれた。息をするのを忘れてしまうくらいには。

 

「それで。挑んだわけだよね?」

 

 ようやく呼吸を思い出して、尋ねる。

 それほどの熱と憧れを持って語るなら、冒険者ならば挑んだのだろうという確信を持って。

 しかし返ってきたのは曖昧な肯定であり、否定だった。

 

「挑もうとした。挑んでみた、というにはあまりに小さな試みかもしれない。そうだな。僕は……まだ行けていないんだ」

「まだ、行けてない? あなたが?」

 

 ユイが疑問を差し挟む。

 行く先々で伝説に上るレオンの神話が真実なら。仮にいくらかの誇張があったとしても、チート仕様の俺たちに決して引けを取るものではない。

 むしろ当人を目の当たりにして、一層漂う強者の風格から、格上なのではないかとすら思える。

 そんな彼をして辿り着けないとは、到底信じがたかった。世界一周でも軽々とやってのけそうな説得力があるのに。

 レオンは、今度はほんのわずかの間、叶わぬ恋に胸を締め付けられるような表情になって。

 しかし儚い表情はすぐに解けて、諦めたように微笑した。

 

「そこに行くべきなのは、僕ではないのかもしれないね」

 

 と、どこか含みのある言葉を残して、納得してみせた。

 後ろで珍しく起きてマジ顔で話を聞いているレンクスにちらと目線を向けてから、レオンは話題を変える。

 

「ランド・サンダインとシルヴィア・クラウディ。最近Sランクになったというあの二人は、随分調子が良いそうじゃないか。君たちともとても仲が良いと聞いたよ」

 

 期待の若手冒険者ランドシルは、つい先日付けでSランクへと昇格を果たした。

 元々実力こそAランクでも頭一つ抜けて上であったようだし、未知なる土地の旅の記録を詳細に残し、有望な開拓地候補を発見した功績が評価されたのだ。

 

「まあね。仲良くさせてもらってるよ。時々冒険の依頼が来るんだ」

「ちょっといたずらが過ぎる方もいるけどね」

 

 その噂のことは知っているのか、レオンは裏もなく笑った。笑い声すらも美しい。

 

「あの二人からも。もっとたくさんの人からも、喜びの声を感じる。君たちが来てからだよ。すべては」

 

 彼は無意識か、目の前のテーブルを優しい手つきで一撫でした。

 

「あまり親しくもない身で、こんなことを言うとあれなのかもしれないけどね。僕は君たちという人間が興味深い」

 

 じっと瞳を覗き込んで。

 本当に興味ありげな顔で、そんなことを言われた。

 

「君たちからは――おっと。後ろのあなたもそうか」

「レンクス・スタンフィールドだ」

 

 レンクスは、なぜかむっとした口ぶりで答えた。

 どうしたのだろう。さっきから神妙な顔してるし。起きてるし。

 何が不機嫌なのかさっぱりわからないが。

 

「レンクスさんだね。僕はレオンハルト。みんな剣麗だとか剣麗レオンと呼んでいるけれど、ただのレオンで構わないよ」

「へっ。お高くすましやがって」

 

 まるで子供のように毒吐くレンクスを、大人の対応で華麗にスルーして。

 レオンは続けた。

 

「君たちからは何か、違うものを感じるんだ。僕たちと性質を異にする者。とても奇妙な、変なことを言うようだけど。違うかい?」

 

 彼自身ももしかすると何が違うのか、まったくわかっていないのかもしれないが。

 しかしその言葉には、すべての秘密を見通したかのような強い確信が伴っていた。

 この人もミティとは性質が違うけれど、直感を大切にする人なのだろうなと思った。

 ちなみにさっきからその元気娘ミティがいないが、彼女は接客中に突如飛び込んできた圧倒的イケメンオーラに、鼻血をぶー垂れて死亡していた。

「おめめが幸せ、ですぅ」が遺言だった。

 それはさておき、相手はさすがである。

 この人ならば、ある程度素直に話してしまっても良いのではないだろうか。

 下手な誤魔化しよりも喜ばれるだろうし、俺たちに都合の悪い形で言いふらすようなこともしないだろう。

 

「違う、とは言えないかな。確かに俺たちは、この世界の普通の人たちとは異なる存在だよ」

「ずっと遠くのところから、旅をしてきているの」

 

 ユイが補足する。

 まだ不機嫌そうにしているレンクスも、黙って頷いていた。

 

「旅か。よほど遠いところなんだろうね」

「まあ、ちょっとやそっとじゃ行けないところではあるな。お前には」

 

 レンクスが、今度は明らかに勝ち誇ったようにそう言った。

 だから何なんだ。

 ユイを見ると、君は原因がわかっているのか、あまり気にしていないようだった。

 ということは、もしかして。ああなるほど。

 

「ふっ。やっぱりか。そうだと思ったんだ」

 

 俺の台詞ではない。

 レオンの方は予想が当たり、明らかに嬉しそうだった。

 それから、「また変なことを聞くようで悪いけれど」と前置きして、彼は引き締まった真剣な顔で尋ねてきた。

 

「君たちがワールド・エンドに挑んでみないか。僕なら、最果ての荒野までは一息で飛べる。この手を取れば、それだけで」

 

 そう言って、左手が差し出される。

 この人も左利きなのかな。ひょんなことで共通点が。

 話を聞いた感じ、このレオンがただ素直に諦めたとは考えにくかったので、結構なところまでは行っているのだろうと思っていたけど。

 最果ての荒野なんて確信的なネーミングを付けるところまで行ったということは、本当にあと一歩のところだったのだろうか。

 そこまでやっておいて、なぜ諦めるしかなかったのかははなはだ疑問だけど。

 それも含め、非常に興味をそそられる誘いではあるものの、俺の返答は決まっていた。

 

「ありがたい申し出だけど。お断りします」

「なぜかな。僕はそれなりに人を見る目があると思っていたのだけど。こういうの、とても興味あるだろう?」

「それはもちろん。でも、ランドとシルにこそ初めて辿り着いて欲しいんだ。誰よりもずっと真剣に追ってきた夢だって知ってるから。それを、よそ者の俺たちが横からかっさらって良いことじゃないと思うから」

 

 レオンはなるほど、と得心したように頷いた。

 そして、笑って言った。

 

「そうか。君は、優しいんだね」

「そうかな」

「うん。優しいよ。嬉しいな。僕の見立て通りの人だった」

 

 彼が俺を見つめる目に、熱っぽいものがこもっているような気がした。

 気のせいではないだろう。かなり気に入られたみたいだ。

 

「君たちなら。君たちとあの二人なら、あるいは……。辿り着けるのかもしれないね」

 

 うん、ともう一度大きく頷いて。

 彼は期待を込めた眼差しで頼んできた。

 

「いつか僕にも聞かせておくれよ。素敵な旅の話を。誰もが見果てぬ夢の向こう側を」

 

 そうして、やけに熱の入った目で。

 今度ははっきり俺だけを見ていた。

 妙に含みのある笑みで。

 

「待ってるからね」

 

 これもきっと気のせいではないだろう。

 その言葉は、俺だけに言われているような気がした。

 

 

 ***

 

 

 しばらく冒険話が盛り上がった。

 レオンの口から語られる数々の伝説は、本当にそれを体験しないと語り得ないものばかりであり。

 誇張なしに語られる生ける物語が、強く心を打った。

 俺とユイの方からも、異世界であることとかは微妙にぼかして、これまで体験したことの話を少しばかりしてみた。

 彼もよほど面白そうに聞いてくれた。

 

「結構話したね。今日はお話だけに来たという感じなの?」

 

 ユイはさすがに時計を気にしていた。そろそろ正式に開店する時間だったからだ。

 レオンは客の迷惑にならないように、開店前の準備時間を見計らって来てくれたのだ。

 

「ああそうだった。本当はね。そっちが用件だった。つい話し込んでしまって、申し訳ない」

「別に構わないよ。面白い話が聞けたので」

 

 実はレオンにも依頼があったらしい。話に来たのはついでとのことだ。

 

 彼の依頼とは、フロンタイム随一の魔法都市フェルノートの警護依頼だった。

 何でも「特別区」浮遊城ラヴァークが、年に一日だけ地上のフェルノートまで降りて来る。

 100ジット札の顔にもなっている「永遠の姫」ラナが、その日だけは民衆に姿を見せるということらしい。

 ラナはこの世界の象徴たる存在であり、ラナソールという世界の名前も彼女にちなんで付けられたものである。

 政治的な権限は一切ないのだが、重要な人物である。まあ日本で言う天皇みたいなものなのかな。

 一冒険者であるにも関わらず、そんな重要人物の護衛を任されるなんて。レオンはよほど人柄も信頼されているみたいだ。

 いくら冒険者として強くても、普通彼らが持ち合わせるような大雑把な気性の者ならこうはいかなかっただろう。

 今回じっくり話したのは、俺たちが信用に値する人物かを改めて見極めるという意味もあったと告げられた。

 お眼鏡には叶ったようだ。もっとも、そんなことは一目見たときから何となくわかっていたと言われたが。

 なぜかは深いところまではわからないけど、よほど信頼されているらしい。

 こうして俺たちは、レオンと協力してラナの身辺警護に当たることになったのである。

 数日後にレオンが迎えに来て、フェルノートに向かう。

 そこで数日かけてフェルノートの地理をよく知ってから、当日の警護に臨むという流れになった。

 

 話を済ませたレオンは、妙に楽しそうな顔で帰っていった。

 後ろ姿も、足取りが軽いのが見て取れるくらいに。

 伝説という名の仮面が外れた素の彼は、非常に親しみやすい人だった。

 

「で、レンクス。あなたねえ」

 

 ユイはいつもの呆れたような顔で、つかつかとレンクスに近づいていった。

 

「いくらレオンがカッコいいからって、やきもち妬かなくてもいいでしょ」

「うっ。うう……」

 

 レンクスはよろめいた。まるっきり図星だったようだ。

 彼はユイに縋り付こうとして、押し戻された。

 それでもじりじりと迫りつつ、

 

「なあ!? 俺の方がイケメンだよな!? イケメンだよなっ!? あいつなんかより、俺の方がずっと……!」

「はあ……」

「くっそ、ちょっとばかしカッコいいからって俺のユイを色目でたらし込みやがって!」

 

 ああ。やっぱりそんなことだろうと思ったよ。

 まあレオンがいる前で言い出さなかっただけ、よく我慢したというべきか。

 というか、別にたらし込んではいないと思うよ。

 あれは無意識に好意を振りまいちゃうタイプだよね。たぶん。

 

「いつからあんたのものになった。あなたも黙ってればカッコいいんだから、しっかりしてよ」

「カッコいい!? カッコいい!? 俺、負けてないかな……?」

 

 小さな子供が母親に恐る恐るものを尋ねるような不安顔で、レンクスはじっと返事を待っていた。

 

「うん。カッコいいよ。たまにはね」

 

 ユイはどうでも良さそうに答えた。

 拗ねると面倒臭いので、とりあえず答えた感ありありである。

 もっとも、たまにカッコいいのは事実である。シリアスなときだけな。

 単純なレンクスは、たちまち元気になった。

 

「いやっはーーーー! ありがとう! ありがとう! 嬉しいぜ! 俺は君のためなら死ねる!」

「死んでも生き返るくせに」

「お前もな!」

 

「はっはっは」とフェバルにしか伝わらないジョークで、レンクスは機嫌良く馬鹿笑いした。



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29「魔法都市フェルノート」

 少々あざとく煩わしい所はあるが、ミティはどこかの誰かさんと違って働き者だ。滅多に弱音を吐くことをしないし、料理の上達も相当に早い。

 元々宿屋をやっていた彼女は、電話番や客対応もそつなくこなしてくれるので、俺とユイは格段に動きやすくなった。

 留守を守ってくれるおかげで、外での仕事に専念することができるようになった。

 さて。レオンが訪ねて来てからも、レンクスはだらしないままではあったものの、時折何かを真面目に考えているような素振りが見られるようになった。

 気になって尋ねてみると「いや大したことじゃないんだ」の一点張りである。フェバルはどうしてこう秘密主義な人が多いのだろうか。

 ただ「あれだけ強いという話を聞いた割に、あいつからもさっぱり何も感じなかったな」ということを言っていて、それにはまったく同意した。

 剣麗レオンも含め、この世界の人間には気力もなければ魔力もない。

 俺とレンクスにはちゃんと気力があるし、ユイとレンクスには魔力がある。

 この違いが、レオンが直感した違いというやつなのだろうか。

 そしてレンクスは「調べたいことがある。数日で戻る」と言って、店から出て行ってしまった。

 いつもへらへらしてるあいつが、このときばかりは真面目な顔だった。

 そういうときのあいつは非常に頼りになるが……一体何を調べる気なのだろうか。

 結局、レンクスが不在の間にレオンはまた来てしまった。

 冒険者や兵に紛れても一際目立つであろう真っ白な装飾鎧。背中には見事な色合いの青マント。そして右の腰には、細身の聖剣フォースレイダーが鞘に納まっている。

 高貴な正装に身を包んだ彼は、白い歯を見せた。

 

「では行くとしようか」

「行ってらっしゃいませ、師匠。留守は任せて下さいですぅ」

「うん。任せたよ。ミティ」

「怪しい人には気を付けてね」

「はい!」

 

 店から出て並び立つと、レオンは俺よりも少し背が高いことに気が付いた。

 優しげな顔付きからは細身な印象を受けるが、実際にはがたいもそれなりに良い。

 ユイから見れば、包み込まれそうなくらいには大きく感じるだろう。俺は170cmでユイが158cmだから――まあ170の後半くらいだろうか。

 欲を言えば、俺ももう少し背が高くても良かったかな。16歳で成長止まっちゃったから仕方ないんだけど。

 レオンがこちらへ振り返って言った。

 

「向こうへ行けば移動魔法が使えるけど、まずは橋を渡るところからだね」

「ああ。それなら大丈夫。ユイ」

「うん」

 

 ユイがすまし顔で手を差し伸べた。

 俺は黙って彼女の上に手を乗せる。

 

「さあ。レオンも手を乗せて」

「ん、ああ」

 

 彼女に言われるがまま、彼も素直に俺の上に手を乗せる。

 

《転移魔法》

 

 ふわりと身体が浮き上がるような感覚がしたと思うと、既に景色は移り変わっていた。

 かすかな潮の匂いが鼻孔をくすぐる。

 

「はい。ここはもうナーベイだよ」

「なんと」

 

 レオンは辺りを落ち着きなく見回して、まるで狐にでもつままれたかのように驚いていた。

 

「……へえ、すごいな」

 

 事実を認識してから、彼は「まさかこんな魔法があったとは」と声が弾むのを隠し切れない調子だった。

 

「予定ならもう少しかかるはずだったけれど。これならすぐにでも着きそうだ」

 

 レオンは小さく頷くと、得意そうに口の端を吊り上げた。

 

「今度は僕が君たちを驚かせる番かな」

 

 彼が指をパチンと鳴らすと。

 俺たち三人は、弾かれたように空へと飛び出した。

 ジェット気流に乗ったかのごとく、空を掻き分けてどんどん前へ進んでいく。

 ナーベイは一瞬で後方へ置き去りにされた。

 

 わあ! 飛んでる! 滅茶苦茶速く飛んでるよ! 飛行魔法よりずっと速い!

 

 そうしてものの数分もしないうちに、目的地である魔法都市が眼下に迫っていた。

 遠目からでも華やかな色合いがよくわかる。

 次第に減速し、優しい衝撃で三人とも危なげなく着地した。

 

「あっという間だったね」

 

 今度はユイがあちこちをきょろきょろして、ふうと胸を撫で下ろしている。

 

「さすがに一瞬とはいかないが、中々のものだろう。ただね」

 

 レオンはふふっと可笑しそうに笑い声を漏らした。

 

「これ、使用時に注意点があって。屋内では絶対使っちゃいけないんだ」

「どうして?」

「まあ、わかるだろう?」

 

 レオンは痛そうな演技で、頭の上を手で押さえてみせた。それでわかった。

 まさかこれ、ルー○って言うんじゃないだろうな。ケン兄が昔やって見せてくれたゲームに、そういうのあったぞ。

 関係ないけど、RPGって人がやってるの横で見ても結構楽しかったりするんだよね。人によるかな?

 

「過去には誤って使用してしまい、天井に頭をぶつけて死んだ者もいるらしい。悲惨なもので、頭部は原型すら留めていなかったそうだ」

「「うわあ」」

 

 俺もユイも、つい頭を押さえかけた。怖いのは苦手なんだよな。

 そんな様子を見て、レオンは笑いをこらえていた。

 案外冗談とか好きなのかもしれないな、この人。

 

 

 ***

 

 

 魔法都市フェルノート。

 ラナソールという世界において最も発展した大都市であり、先進的な魔法文明を誇っている。

 あちこちに見上げるような高層ビルが立ち並んでいた。

 ただし現代地球のような画一的な無味乾燥さはまるでなく、街並みはどこまでもカラフルで華やかの一言である。

 空に浮かんだままの奇抜な形の家も、ちらほらと見られる。おそらく重力に従って建っている必要がないため、形状にもかなりの自由性があるのだろう。

 人口も破格に多いらしい。人の姿はどこにでもあった。誰もが忙しなく歩いているように見える。

 ここまで来るともうレジンバークにあった牧歌的な雰囲気や、ナーベイにあった地方特有ののんびりした空気などは、微塵も感じられない。

 道は広い車道と歩道にきっちり分けられて、信号のようなものもあった。それが青(緑ではなく、本当に青だった)になれば車やバイクが走り、黄色になれば止まる。

 乗り物は大抵が地面からほんの少し浮いており、運転音をわざと付けることによって歩行者に注意を促していた。

 川が流れるように所狭しと歩く人たちが、決してお堅いスーツに身を固めているわけではない。むしろレジンバークの一般人のような軽快な布の服で歩いているのだから、俺とユイの目から見れば実に妙なものに見えた。

 地球の感覚で言えば、中世と現代の奇妙な共存がそこにはあったのである。

 また、ところによっては道に沿って流れる水路が敷かれており、綺麗な噴水やオブジェもそこここに見られた。宙に描かれて時間と共に移り変わっていくアートなどもあった。

 ここは芸術の街としての側面も持っているのだろうか。

 賑やかで華やかな雰囲気からは、どこかサークリス魔法学校のことが思い出されて、懐かしい気分になっていた。

 街をのんびりと紹介して歩きながら、レオンが振り返る。

 

「この町も華やかで好きだけど……やはり僕はレジンバークの方が好きかな。落ち着くんだ、あそこ。いつも騒がしい癖にね」

 

 僕はやはり根が冒険者なんだろうな、とレオンは口元を緩める。

 

「私もあっちの方が好きかな。すっかり愛着湧いちゃって。ここはここで、故郷の忙しい街のことをそれとなく思い起こされるけどね。もう一つの心の故郷も」

「そうだね。どちらの意味でも懐かしいな」

 

 東京とサークリス。まったく異なる二つの故郷。

 子供時代と青春時代をそれぞれ過ごした場所。

 

「君たちはこんなところに住んでいたわけかい? はて、フェルノート以外にこんな騒がしいところもあったものかな」

 

 レオンは探るようにこちらを窺って、それから肩を竦めた。

 ちょうど向こうに、何やら駅のような建物が見えてきた。

 駅だと判別できたのは、鉄道のラインのようなものがそこからずっと伸びているからだ。

 やはりそうだったようで、

 

「さて。せっかくだ。交通機関でも体験してみるかい? もっとも、僕らであれば本気で走った方が速いかもしれないけどね」

 

 超人らしいジョークを言ってウインクしたレオンに、俺とユイはにべもなく頷いた。

 

 駅に入ると、俺たちは不意に興奮してしまった。

 だってあるのだ。一目でわかる。

 自動券売機が。自動改札機が! 見事に地球ライクど真ん中なデザインで!

 みんな、そこを通って行儀良くホームに流れ込んでいく。

 こんな異ばっかりの付く世界に見慣れたものがあると、ついわくわくしてしまうのだった。

 

「ああ……! ユイ、見てみろよ!」

「ふふ。見えてるよ!」

 

 切符を買って、タッチして下さいと書いてある部分にタッチすると、パネルが光って普通に改札を通ることができた。

 たったそれだけのことなのに。振り返って二度見した。

 なんと懐かしいことか。

 高校生のときは、毎日こんな風に改札通って通ってたよなあ。一時間以上電車に揺られて。結構混んでたっけ。

 

「ふっ。よほど楽しんでくれているみたいだね」

 

 生暖かく見守られると、まるでレオンが保護者のような気がしてきて、恥ずかしくなってきた。

 こほんと咳払いして、所在なくユイの手を握る。

 ホームで十分ほど待っていると、向かってきたのは、今度は日本ライク電車ではなかった。

 繋ぎ目のない蛇のような形状の乗り物が、浮いた状態でやってきたのだった。

 シュルーと呼ぶらしい。伝説の大蛇を模して作ったのでそのように呼ぶのだと、レオンは教えてくれた。

 

 そして俺たちは、音のしない静かな「電車」に座っていた。

 シュルーは結構面白い動きをしていて。レールに指定された部分の少し上空を、高度を保ちつつ、蛇が這うようにするすると進んでいくのだった。

 加速も減速も魔法で調整されているのか、ほとんど慣性力を感じない。

 ところで、軽装した俺とユイの横には、白い鎧をフル装備したレオンがどんと構えて座っているのだから、それはもう目立った。

「あれ、レオン様じゃない?」と、ここでも有名人な彼はひそひそと噂話をされている。様付けだ。

 彼がサービスでスマイルを返すと、リアルに女性がくらりと来ていた。これもう特殊能力なんじゃないか。

 シュルーの壁には、ぺたぺたと色んなところに広告が貼られていた。内容は何ということはない、何かの週刊誌の広告である。

 何となしに眺めてみると。

 

『特集 ミッターフレーションが起こる!?』

 

 特集記事のタイトルが見えた。

 近年続発しているという怪奇現象や、噂に聞くパワーレスエリアと関連付けられて、ミッターフレーションなる現象を論じているもののようだった。

 

「ミッターフレーション? 聞いたことのない言葉だな」

「フェルノートで話題に上がるだけのローカルネタだからね。無理もない」

「ふうん。どんなものなの?」

「予言された世界の終わり。審判の日に起こるという奈落への崩壊現象のことをそう呼ぶんだ。まあ終末論を振りかざして囃し立てる悲観的か物好きな騒がしい連中というのは、いつでもいるものさ」

 

 レオンがさらりと解説してくれた。

 へえ。なるほど。

 

「……こんなところでくらい、少しは楽しくできないものかな」

「こんなところで?」

「ん? あれ。いいや。何でもない」

 

 レオン自身もなぜそんなことを言ったのかという調子で、いやいやと首を横に振っていた。なので俺も気にしないことにした。

 ふと、横からちょんちょんと肩を叩かれる。ついでに頬も突かれた。

 

「見て見て。ユウ、空に城が見えるよ! あんなに近くに」

「ん、どれどれ」

 

 それを目にしたとき、俺ははっと息を呑んだ。

「特別区」浮遊城ラヴァーク。真っ白な美しいお城だった。

 シンデレラ城みたいだ、という喩えがぴったりだろうか。

 まるで妖精の光でも集めているかのように、昼間でもぼんやりと全体が光に包まれて輝いているのがわかる。それが何ともメルヘンチックな雰囲気を漂わせていた。

 綺麗だ。とても。

 なのに俺にはなぜか、そこが飛べない鳥を閉じ込めておくための冷たい籠のようにも感じられていた。

 

「あそこが特別区か」

「この時期は一番降りて来ているからね。こんな風にくっきり見えるのは、一年のうちでもそう長くはないんだよ」

「そうなの? へえー。いつも同じ高さじゃないんだ」

 

 ユイが興味深く相槌を打っている。

 

「一年の間にゆっくり高さが変動してるんだよ。その理由は教えてもらえていないけどね。一番高いときは、誰の目にも届かないところにある」

 

 レオンとユイが、楽しそうに話す横で。

 この世界の許容性のおかげか、視力が抜群に良いのでわかった。

 誰かが、バルコニーへ出てくる。

 一人。女性。

 

 ラナ。

 

 ラナだ、と思った。100ジット札の肖像画に描かれた顔そのままだったから。

 彼女は美しいブロンドの髪を上空の風に靡かせて。眼下に広がるフェルノートの街並みを眺め下ろしていた。

 その顔を、表情を目にしたとき。

 えも言われぬ感情に、胸を締め付けられそうになった。

 誰にも見えていないだろうという油断があったのか。

 肖像画に描かれた笑顔は、そこになかった。

 とても。とても、悲しそうな顔をしているのだ。

 世界の象徴として、決して人に見せてはならない顔をしているのだ。

 

 そして――彼女は何かの気配に感付いて。

 その何かを探すように、ふらふらと視線を彷徨わせた。

 

 そのとき、俺と目が合ったような気がした。

 

 ドクン。

 

「うっ……!」「あっ……!」

 

 突然、胸を激しい動悸が襲った。

 

 これは……! この、気持ちは……!

 

 あまりにも。あまりにも強い。

 心が繋がっているユイも、一緒に苦しそうにしている。

 

「おい。大丈夫かい!?」

 

 レオンが俺とユイを並べて、肩をさすってくれる。優しい人だ。

 胸の奥を突き刺すような苦しみが落ち着いてくるまで、ひどく時間がかかった。

 

「「はあ……はあ……」」

「急にどうしたんだい。顔色がひどいよ」

「悪い……もう、大丈夫……」

 

 言いながら、全然大丈夫じゃないなと思った。

 ユイもぐったりとしている。本当にひどい顔色だった。

 それ以上は何も喋る気にはなれなかった。喋る気力が起きなかった。

 

 ……何だよ。あれ。

 

 それは今までだって、悲しんでいる人はいた。いたさ。

 だけど、みんな。

 あんなにも……。あそこまで。

 

 この世界は楽しい所だ。間違いなく言える。

 今までこんなに多くの人が幸せそうにしている世界はなかった。楽しそうに毎日馬鹿騒ぎしている世界もなかった。

 なのに。

 

 ラナ。どうして君は。

 

 そんなに悲しそうなんだ……?

 

 まだ少し苦しむ胸を押さえながら、窓の外に目を向ける。

 もう彼女の姿は、どこにも見えなかった。



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30「永遠の姫 ラナ」

 シュルーから降りても、俺とユイの心は針で穴を開けられたようにきりきりと痛むままだった。

 頭の中に彼女のことが張り付いて離れない。

 

『ラナ。悲しい顔をしてた』

『あの絶望は……』

 

 俺はあれと似たものを何度か感じたことがある。

 そう。あの深い哀しみは。絶望は。

 運命に囚われたフェバルが抱えるそれと極めて近い性質を持ったものだ。

 おそらくすべての運命を知りながら、不敵にも世界の破壊者として我が意のままに君臨するウィルとは違う。

 逃れられない運命を身に持って、ただどうしようもないと打ちひしがれるしかないエーナが見せた哀しみに近いもの。

 きっとラナには。彼女には、どうにもならない事情があるのだ。

 それも、あれほどに深くて。苦しくて。痛い。

 伝わってしまったから。わかるような気がしたから。

 エゴかもしれない。放ってはおけないと思った。

 俺にできることはないのだろうか。ないのだとしても、せめて理解してあげることはできないのだろうか。

 俺は顔を上げて、レオンを見た。

 レオンはずっと心配していたのか、こちらを見下ろしていたのと目が合う形になった。

 

「レオン。今回の護衛の対象……ラナに会って話をすることはできないかな」

「……なるほど。それは君が今も浮かない顔をしていることと、大いに関係があるみたいだね」

 

 素直に頷くと、レオンは顎に手を添えて考える仕草をした。

 

「本来ならば、彼女は触れざる象徴だ。遠くより見て想うものである……けれども」

 

「そうだな。心配するな」と、彼は微笑んで胸を叩く。

 

「ありがたいことに、僕は特別だ。望んで会えないことはないさ。僕についてくるような形にはなるが、君たちを彼女に引き会わせてあげよう。それで構わないかい?」

「大丈夫だよ。ありがとう」

「お役に立てて何よりだ。ただ、話がしたいというのは……期待しない方が良いだろうね」

「それは、どうして?」

 

 ユイが首を傾げた。

 レオンは肩で溜息を吐く。

 

「ラナは……あの人は、喋れないんだよ。口が利けないんだ」

 

 ラナは、喋れない。

 その事実がもやもやと引っかかったまま、警護の依頼主であるフェルノートのお偉いさんたちと面会した。

 レオンは彼らにも信頼されており、また非常に顔が利くようだった。

 深刻な考え事をしているときでも、外面ばかりは一応取り繕えるようになっていたらしい。挨拶は滞りなく済ませた。

 それから数日の滞在とフェルノート見学の後、一般人へのお披露目の前日に、俺たちはラナに謁見することになった。

 

「僕もね。彼女に会うのは数えるほどしかないんだ」

 

 レオンが先導してくれつつ、浮遊城の真下まで歩いて向かっていった。

 かなりの大きさゆえ、町の真上に浮かんでいるように錯覚していたラヴァークは、実際のところ町外れの広場の真上に位置していた。

 それもそうかと納得する。年に一度とは言え、完全に城の陰に隠れてしまうところにあまり建物は建てたがらないだろう。

 広場は静寂に満ちたところだった。

 ただ一つ、直径数十メートルはあろうかという魔法陣が石床に青文字で描かれて、それが常にほんのりと光を湛えている。

 これのおかげで、他には何もないのであるが、殺風景な場所であるという印象は免れて、むしろ神聖な場所であるという気にさせられていた。

 

「浮遊城には強固な守りがかけられていて、普通に空を飛んでは行くことができないんだ」

「そうなんだ」

「昔散々試したからよくわかる」

 

 レオンは昔はやんちゃだったのだとでも言いたげに、皮肉のこもった苦笑を浮かべた。

 

「永遠の姫に招かれるためには、勇者のしるしが必要となる」

「しるし?」

 

 ユイが聞くと、レオンは探すのに苦労したんだと再び苦笑いして答える。

 

「我が剣フォースレイダーがしるしとなる」

 

 レオンは左手で腰の聖剣をすらりと抜き放ち、魔法陣の中心で高々と天に掲げた。

 特に何かを叫んだりしたわけではないが。絵になる光景だ。叙事詩にでも残されそうだ。

 何だかRPG終盤のイベントでも取り出して見ているかのようである。

 上空の城から、ゆっくりと青い光が伸びてくる。

 きっとそれが招いてくれるのだろうと思い、ユイと一緒にレオンの側へ寄った。

 思った通りで、暖かい光が三人を包み込んで、次第に浮かび上がっていった。

 

 しばらくすると、俺たちは城の中にいた。

 ここはホールだろうか。開かれた空間の向こうには、左右両側に上へと続く白い階段が見える。

 床には広場の魔法陣と同じものが描かれていて、どうやらここが地上と天空の城を繋いでいるらしい。

 この世界の住人は気が読めないから確証はないが、一見して誰もいるような気配がなかった。

 まるで時が止まったかのようにしんと静まり返っている。

 

「この城には、出迎えとかはいないのか」

「ラナ以外の方を見たことはないな」

 

 レオンが目を細めて、肩を竦める。

 彼は待っても無駄だと思っているのか、さっさと歩き始めてしまった。

 本当に誰もいないのか。それは、とても寂しいことではないだろうか。

 一年の間に一日だけしか民衆に顔を見せないのに、城にも話せる人がいないなんて。

 あまりに寂しいのではないか。俺ならどうかしてしまいそうだ。

 

『物悲しい空気が満ちているね……』

『うん。ここだけ別世界のようだ』

 

 レオンが先に立って、俺、ユイと続いて階段を上っていく。

 ホールを抜けると、白い丸柱が立ち並ぶ廊下へと出てきた。こちらも左右対称的な形で向こうまで伸びている。

 前に通ったことがあるからか、レオンは迷いなく右を選択する。

 しばらくするとまた階段を見つけて、さらに上へ進んでいく。

 俺たちはただ黙ってそれに付いていった。途中、誰とも会うことはなかった。

 すると、妙な光景に目を見張った。

 ティーカップセットが独りでに浮いていて、音も立てずにふわふわと奥へと飛んでいくのである。

 

「あれは?」

「身の回りのことは、すべて魔法がやってくれるらしい。掃除も生活の世話もね。大した魔法の力だ」

 

 レオンは見たことがあるのか、さして驚きもせずに答えた。

 なるほど。確かにこれだけ広大な城を何の工夫もなしに一人で仕切るのは無理だろう。

 

「ということは、あのティーカップの行く先に彼女が?」

「客人の用意ということなんでしょうね」

 

 ティーカップセットを案内人にして、またしばらく歩くと、一つだけ生活感の漂う部屋へと辿り着いた。

 温かみのある赤の絨毯。ゆらゆらと暖炉の火が灯っている。

 小さな丸テーブルには、読みかけの本が置いてある。ここはラナの私室だろうと思った。

 ティーカップセットはテーブルで止まらずに、さらにもう少し奥へと進んでいった。

 そこは――そうだ。シュルーの中から彼女を見かけた場所。バルコニーだった。

 バルコニーにも、テーブルの用意があった。

 ティーカップセットは最後にコト、と小さな音を立ててテーブルに着き、自ら中身を注いで案内人としての役割を終えた。

 ティーカップの向こう側に視線を移すと。彼女がいた。

 永遠の姫、ラナ。

 柔らかなブロンドの髪が、優しく風に揺れている。

 今度はまごうこと無き肖像画の笑顔を、悲しい素顔に張り付けて。

 永遠と謳われるだけあって、確かにその顔立ちは美しく綺麗だった。だが作られた表情は矛盾して、感情がない虚ろなものにすら感じられる。

 あの素顔を知っていると、どうしようもなく悲しい気分になってくる。が、いきなりそんな顔で相対するのも失礼に当たるだろうと、こちらも努めて平静を心掛ける。

 レオンは彼女の姿を認めると、恭しく跪いた。

 

「ラナさん。お久しぶりです。本日は我が友人をお連れしました」

「はじめまして。ユウです」「ユイです」

 

 ラナは眉一つ動かさなかった。

 やはり喋ることができないのか、口を閉じた笑顔のまま、深く礼をもって挨拶を返してくれた。

 それからレオンは見守る側に立ち、俺とユイに好きに話をさせてくれた。

 自分は何でも屋をやっていることなど、自己紹介から始めて、喋れない彼女に対し一方的に語りかけるような感じになった。

 彼女はただ喋れないだけで、感情表現はむしろ豊かな方だと思う。俺たちの話に目や口や手振りで、一々丁寧に反応してくれた。おかげで話がしにくいということはなかった。

 しかし、あの時の突き刺すような悲しみを感じることはない。

 心を閉じているのだ、とわかってしまった。

 しばらく話して打ち解けてきたと感じた頃、俺は意を決して本題を切り出した。

 

「ラナさん。君にお聞きしたいことがあるのです。もしかしたら、とても話しにくいことなのかもしれませんが……」

 

 慎重に前置きする。

 ラナは真っ直ぐ俺の瞳を捉えて、真剣なのを察してくれたのだろう。

 こくんと小さく頷いた。

 

「君は……本当は、とても悲しんでいるのではありませんか?」

 

 その言葉を告げたとき。

 ラナは――はっとして、両手で口を覆った。

 まさか。どうしてそれを知っているのかと。目に明らかな困惑の色を浮かべて。

 よろよろと一歩、二歩と後ずさる。

 

「どうしてかはわかりません。だけど、俺は感じたんです。はっきりと。君の笑顔の奥に、この世界の誰よりも深い悲しみがあることを」

 

 泣きそうな顔で。いやいやと首を振って、力なく後ずさる彼女。

 その反応が、彼女の悲しみが真実のものであることを示していた。

 

 ――もう少し。慎重になるべきだったのかもしれない。後になって思う。

 

「どうしてですか。世界はこんなにも楽しみで満ちているのに。君は、どうして。俺たちに、少しでも教えてもらえないでしょうか。もしかしたら――」

 

 ――だけど。このときはまだ、わからなかったんだ。

 

 俺が、身を引くラナに手を差し伸べて、触れようとした。

 

 そのとき。

 

 ピシ。

 

 何かが、割れるような音がした。

 決定的な、何かが。

 

 空気。大気が、割れている。

 目の前が、割れて――。

 

 何が。何が、起こっているんだ?

 

 割れていく。

 

 恐ろしい光景だった。寒気がした。

 

 六角晶の規則正しい模様が。青く細かな模様が。

 次々と展開されて、視界を埋め尽くしていく。

 レオンも。ラナも。そして、ユイも。

 すべてに模様が走っていって。亀裂が。

 

 割れる。

 

「うわあああああああああああああっ!」

 

 気付けば、激しい痛みが走って。

 いきなり俺は弾かれていた。吹っ飛ばされていた。

 

 何が何だか。目まぐるしく視界が回って。

 空が見える。

 向こうに、城が。

 

 俺は、外――!? 空――!?

 

 空から。世界から、六角晶の模様が消える。

 割れかけた世界に、秩序が戻る。

 

『ユ……ウ……!』

 

 ユイの叫ぶ声が、かすれかすれで聞こえてきた。

 

 城には輝きが集まって。

 もやもや漂っていた怪しげな白い光は、今やはっきりと全体を包み込むバリアとなっていた。

 あらゆる侵入者を許さない、鉄よりも遥かに堅い壁。

 浮遊城が、空へと浮かび上がっていく。手の届かない場所へ。

 

 眼下の街――フェルノートも、みるみるうちに緑の光に包まれていった。街を守るように。

 息もつかせぬ状況の変化。

 何が起こっているのか。まったく頭が追い付かない!

 

 ――え。

 

 瞬間、目の前を覆い尽くすほどの緑光の束が発生し――。

 

 俺に、迫って――。

 

「ユウッ!」

 

 誰かが目の前に飛び込んできた。

 金髪の――レンクスだ!

 

「レン――」

「うおおおおおおっ!」

 

 バチィッ!

 

 鼓膜が破れそうなほどの轟音。

 圧倒的な力と力のぶつかり合い。

 

「っ……おりゃあっ!」

 

 彼は気力を纏わせた剛腕でもって、魔力波を強引に空へ打ち上げた。

 視界を光で覆うばかりの恐るべき攻撃――それが攻撃だったのだと、ようやく認識できた。

 当たっていれば自分がどうなっていたのかもわからないそれは、レンクスの咄嗟の助けによって空の果てへと消えていった。

 事実を遅れて、やっと理解して。

 身体が震える。

 さっきまで日常だったじゃないか。

 それが、こんな。なんで。

 とにかく。

 

「助かった……」

「また心配かけやがって。間に合って良かったぜ」

 

 レンクスもびっしょりと冷や汗を拭っていた。

 あのレンクスがここまで。

 能力なしとは言え、それだけやばい攻撃だったのだろう。

 ふらつく身体は、重力を思い出したらしい。

 空の飛べない俺は、黙ってそれに従って落ちていくところを、レンクスに抱き留められた。

 

「……何が、どうなってるんだ」

「俺が聞きてえよ。慌てて来てみれば。さっぱりわけのわからないことになってやがる」

 

 世界はまるで何事もなかったかのように、正常な姿を取り戻していた。

 俺たちだけが、命懸けでくそ真面目に騒いだみたいだった。

 落ち着くことなく鼓動する胸に手を添えて。懸命に呼吸を整えながら、俺は空の一点を睨んだ。

 既に浮遊城は影も形もなかった。



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31「ヴェスペラント フウガ」

「あぁ……退屈だ。退屈過ぎて死ぬ……」

 

 まばらに無精ひげを生やした中年の男が、スキットルを片手に昼間から酒をあおっている。

 銀色のスキットルには、三日月と女神「ナーカム」の姿が描かれている。

 この世界における三日月は、それが満ち欠ける様より物事の盛衰を暗示するものであり、転じて勝負事や賭けを表す。

 女神「ナーカム」とは幸運の象徴である。二つ並べれば「賭けに幸運を!」となる。

 男はただのまじない事だと思いながらも、これが大のお気に入りであった。

 男の名はフウガ。

 気怠そうな目つきをしたこの男は、相当な訳ありである。

 器物損壊。強盗。傷害。罪を数え上げればきりがない。

 強姦だけは趣味ではないからと、一度も手を付けたことはないが。

 善悪という枠に囚われない自由で横暴勝手な振る舞いから、フロンタイム全域で指名手配されている男。その額は百万ジットにも上る。

 好き勝手やるにも、実力がなければこの世界では叶わない。

 彼の力は本物である。過去剣麗レオンに逮捕依頼が出されたものの、のらりくらりとかわして、現在に至るまで捕らえることができなかった男として有名である。

 いつしか付いた二つ名が『ヴェスペラント』(暴虐なる者の意)。

『ヴェスペラント』フウガ。

 彼はこの二つ名の方はどうでもいいと思っていたが、世間に一目置かれるのはまあ悪い気分ではなかった。

 手配のために住処を転々とする彼は、今は古ぼけた空き家を不法に占拠している。

 オンボロな木の椅子に座り、窓から明るい空を見上げているのだった。

 

「世界はもっと面白くあるべきだ。刺激と興奮に満ちたものでなけりゃあ」

 

 退屈だ、と彼は独り言を繰り返す。

 スキットルを口まで持っていって、もう一口含んだ。残りはもうほとんどない。

 

「本当は、そうなんじゃあないのか?」

 

 誰かに問いかけるように発された言葉が、風に乗って窓から裏通りに消えていく。

 しばらく男は黙った。何となく物思いにでも耽ってみたい気分だった。

 やがて男は首を振り、酒でのぼせた頭を叩き、独り言を再開する。

 

「まったくふざけてやがる。どいつもこいつも、ぬくぬくぬくぬくとぬるま湯に浸かったみてえに」

 

 最後の一口を流し込む。

 彼は空になったスキットルを乱暴に放り投げようとして――ふと思い直し、静かに木の丸テーブルに置いた。

 幸運の女神様を投げ捨てるような罰当たりは、いずれ手痛いしっぺ返しを食らうだろう。

 彼は立ち上がった。酔っ払いとは思えないほどにしっかりと両の足で立っていた。

 いつ追手が来るのかわからないため、酒は飲んでも飲まれることは決してなかった。

 

「この世界の真理に、見向きもしない」

 

 彼は、指先に魔力を込める。

 一角のS級冒険者をも遥かに超えるほどに強大な力が、ただ一点に集中されていた。

 望めば望むほどに、強く。昂る。

 そして彼は、指先から二発の赤い光線を同時に放った。

 狙いは浮遊城ラヴァークと、政府官邸である。

 規模こそ小さいが、膨大な魔力が集約されたその光線は。威力をそのままに範囲を広げれば、山をも容易く砕くほど甚大な破壊をもたらすだろう。

 しかしである。それほどの力を集めても――かき消えてしまう。

 浮遊城にもフェルノートにも、一切の影響はなかった。

 浮遊城を覆う白いバリアが。そして、魔力に反応して自動展開されるフェルノートの緑のバリアが。ぶつかる直前で彼の魔法を無に帰した。

 いかなる魔法も、この都市に破壊をもたらすことはできない。

 世界最高の賢者たちと、平和を望む住民の総意が集結して作り上げられた防御システム『ラナの護り手』。

 どんなに強大な一個人も、体制側には敵わないのだ。

 男は嘆息し、そろそろと身支度を始めた。

 気まぐれでぶっ放した魔法でも、足が付いて捜査の手が迫ってくる。

 この世界では、望めば誰もが強くなれる。自由になれる。

 強い者が得て。弱い者が失う。

 世界は単純なはずだった。

 弱肉強食というただ一つの理が支配できたはずのこの世界は。そうなっていたはずのこの世界は。

 気付けばフェルノートという「安全神話の都市」が錦の旗を振り。

 その庇護を贅沢に受けるレジンバークでは、「本物の冒険」も「本物の死闘」も知らない浮かれた馬鹿どもが冒険者ごっこに明け暮れる。

 本物の冒険が、たまにある不幸な事故死などで片付くものか。

 

「誰がこんなにぬるくしてくれた。この世界は、もっとよぉ……単純で、殺伐として、波乱に満ちて」

 

 そういうもんじゃないのか。

 誰も答えることのない問いは、再び繰り返される。

 リアルも、自由も「ここ」にはない。

 人々はただ腐ったまどろみの中で、誰もが与えられた自由と繁栄を享受しているに過ぎない。

 外れ者だけが損をする。

 そんなもの、何が面白いのか。下らねえ。

 

「あぁ……やりてえ。思いっ切り好きにやりてえ。足りねえんだよ……」

 

 そこで気が付くと、彼の意識は。飛んでいた。

 

「おい……。なんだあ、ありゃあ……」

 

 再び彼が意識を取り戻したとき――空では、とんでもない異変が起こっていた。

 街全体を包み込む『ラナの護り手』と――こんなことはしばらくなかったことだ!――そして、浮遊城から放たれる絶大な光線。

 あれは見たこともない――『ラナの裁き』ではないのか。

『裁き』は虚空に向かって放たれているように思われたが。

 急に進路を変えて、上空へ曲がっていった。まるで何かにぶつかったように。

 いやそうではない。

 彼は見逃さなかった。弾き飛ばされたのだ。

 

「へえ……なんだ。面白そうなもんがあるじゃねえの」

 

 彼の気怠い双眸は、空に浮かぶ二人の男を鋭く捉えていた。



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32「消えた浮遊城」

 浮遊城が、消えた……。

 そうだ。ユイとレオンは無事なのだろうか。まだ中にいるんじゃないのか。

 不安に駆られて、すぐに念じた。

 

『ユイ! 聞こえるか!?』

『聞こえてるよ!』

 

 すぐに返事が来て、ほっとする。

 向こうも同じように安堵していた。

 

『ああ、よかった。無事で。恐ろしい光が飛んでいって……やばいと思ったの』

『レンクスが来て助けてくれたんだ。今どこにいるの?』

『それがね。気が付いたら、私たちも城を追い出されてて――うん、レオンも一緒だよ』

『レオンも一緒でよかったよ』

『そしたら、街が緑色の光に包まれていて。空に光が』

『覚えているのはそれだけか?』

『それだけ。ちょっと意識が飛んでたみたいで。あなたは?』

『俺は……見たんだ。君の手に、いいや。君だけじゃない。レオンにも、ラナにも』

 

 思い出すだけで身が震えるような状況だった。

 奇妙な異変に一人だけぽつんと取り残される感覚。孤独の恐ろしさ。

 

『見えるところすべてに変な青い模様がびっしり走って……まるでひび割れたかのようになって。怖かった』

 

 どうにかなってしまうんじゃないかと思った。みんなが壊れてしまうんじゃないかって。

『心の世界』を通じて、イメージをユイに送る。

 俺とユイならば、どんなことでも分かち合える。

 それを見た彼女にも、ぞっとするような恐怖が浮かび上がっていた。

 

『これは……!? 私、こんなことになってたの?』

『本当に怖かったんだ。君もレオンも、みんな無事で本当によかった』

 

 何が起こったのかはまるでわからないが。ともかく今はもう何も異変は生じていないようだ。

 浮遊城が忽然と消えてしまったこと以外は。

 でも、どうして俺だけが。

 意識を保ったまま異変を目の当たりにし、二人と違う場所に弾き出されて。しかも恐ろしい攻撃を受けるような羽目になったのか。

 

「レンクス」

「おう。どうした」

 

 レンクスは心配そうな顔で、こちらを見つめていた。

 

「君は、見えていたか?」

「……あれか。見たぜ。世界が――割れかけていた、という表現がぴったりか」

「ああ。怖かったよ」

 

 俺とレンクスには見えた。ユイとレオンには見えなかった。

 この違いは何だろうか。

 

「俺もさすがにびびった。随分長い旅をしてきたつもりだったが、こんなおかしなことは初めてだ」

「レンクスでも経験ないなんてことがあるのか」

「もちろんあるとも。神じゃねえしよ。ただやばいとは肌で感じてな。すっ飛んできて正解だったぜ」

 

 彼はやけに過保護なところがあるが、今回はそれが上手く作用した。

 

「あんなものをまともに食らっていれば、お前は消し飛んでいたかもな。そのくらいの威力だった。へっ……まだ腕が痺れてやがる」

 

 レンクスは思い出したように顔をしかめた。

 俺を抱き留めている腕を見ると、光線を弾き飛ばした右腕には、青あざが色濃く付いている。

 

「うわあ……ほんとにありがとう。ごめんね。いつも守ってもらってばかりで」

「まあいつものことだ。やれやれ。お前といるとマジ退屈しないな」

 

 レンクスは全然気にしてないぜと示すように、からからと笑った。

 そんな気遣いがありがたく感じる。

 

「ところで、世界いくつ目だったか?」

「えーと。エラネル、ミシュラバム、イスキラ、エルンティア、エスタとアーシャのいた世界、アッサベルト。だから七つ目か」

「そのうちやばそうな感じだったのは」

「これで四つ目になっちゃう、のかな?」

「おいおい! 半分超えてるじゃんか! あり得ねえ。お前、厄介事にでも巻き込まれる体質なんじゃねえの?」

「自分でもそう疑いたくなるよ」

 

 俺は苦笑いした。

 日常からいきなり世界の異変と命の危機か。まったくどうかしている。

 

『ね』

 

 ユイもしみじみと同意した。

 

「俺暇だったからな。だから、ふらふらと出かけては色々と調べてたんだけどよ。これで確信した。やっぱりこの世界『も』ただ事じゃないようだぞ」

 

 レンクスはどこか諦めたように投げやりな口調で、「も」の部分を強調して言った。

 というか、暇な自覚はあったんだな。

 

「どこかおかしいってレベルじゃなくて、ただ事じゃないと来たか。なあ、そろそろ知ってることを教えてくれてもいいんじゃないか?」

 

 強めに押してみると、彼は苦々しい顔で首を横に振った。

 

「何かただならぬ事が起こっている。確かに起こっているようなんだが……これがさっぱりわかんねえ。一見するとあくびが出るほど平和なもんだしな。俺には何も見せちゃくれないんだ。世界様は」

「何も見せちゃくれないって?」

「ダメなんだ。こう、一々邪魔が入るっつうかな。なんて言ったらいいのかわからないが。ただそんな気がしたんだよ。よほど俺には調べられたくないものがあるらしい」

 

 まさかそんなことになっていたとは。

 きっと俺には想像も付かないような手段で色々と調べてみたのだろう。

 それでもダメとなると、偶然事象を超えた何か――人為的なものを感じないでもない。

 

「きな臭い予感がするな」

「だな。隠し事はやましいことがあるときと相場が決まっている。俺は別に世界がどうだろうと興味はないんだが。お前は嫌だよな」

「もちろん。何もしないでいて、もし何かがあればと思うと。ほっとけないよ」

 

 今日までは妙におかしな世界だなというくらいの感覚だったが。

 さっきのあれで、実は密かにとてもまずいことが起きているんじゃないかという気がした。

 世界にひびが入るなんて。放っておいてはいけない気がする。

 何をすれば良いのかは、さっぱりわからないけれど。

 レンクスは俺の目をしっかり見つめて、ふっと微笑んだ。

 

「良い目だ。だったら、俺もできる範囲で協力しよう」

 

 決意を新たに、名を呼びかけられる。

 

「ユウ。そしてユイ」

「うん」『はい』

「焦らないことだ。今回の厄介事は正体が見えない」

「そうだね」『うん』

「俺はな。お前たち二人が依頼を通じて世界に触れていくことが、謎を解くカギになるんじゃないかと見ている。世界はお前たち二人を特別扱いのゲストとはみなしていないようだ――まだな」

 

 特別扱いのゲストではない、か。

 俺もレンクスと同じフェバルであることには変わらない。なぜだろうか。

 

「俺はスペシャルゲストさんだ。あちこちホイホイ付いていくと、どうにも警戒されるらしい」

 

 うんざりしたように顔をしかめて。

 知らないところで色々あったんだろうな。たぶん。

 

「だから俺は、この力が必要とされるときまでは。じっと」

 

 そこでレンクスは、妙に言葉を溜めて。

 これまたやけにイラッとくる素敵スマイルを浮かべた。

 

「じっと?」

「ニートするぜ!」

『「おい!」』

 

 ユイと揃って、全力で突っ込みを入れた。

 

 

 ***

 

 

『あのね。レオンが今からそっちへ行くってさ』

『了解』

 

「レオンが来るって。ユイと一緒に」

「ちっ。あいつか」

 

 レンクスはわかりやすく顔をしかめた。

 はは。ほんとに嫌いなんだな。良い人なのに。

 いや、良い人だから心配なのか。

 おっと。そう言えばいつまでレンクスに抱き留められているんだ。

 レオンに見られたら恥ずかしいな。

 

「そろそろ離れようか」

「お、そうか。このまま親愛を込めて昔のように抱き締めてやってもいいけどな。嬉しいだろ?」

「別に嬉しくない。むしろ暑苦しい」

「そう言うなよ。ほんとは嬉しいくせに」

 

 くそ。こいつめ。

 なまじ小さいときの俺を知っているから、いつも子供を可愛がるように俺を扱ってくる。

 というより、本当の子供のように思っているのだろう。

 

「まあ……いつも真剣に愛してくれるのは、嫌いじゃないけどさ」

「へへへ。やっぱお前の方が素直だよなあ。ユイももうちょっとなあ。いやそこがまたいいんだが!」

「変態やめたらいいと思うんだ」

 

 ずばり言った。

 俺もユイも、ひっそりとレンクスへの評価は高い。

 超が付くほどのド変態でなければ。

 前に「私」の髪の毛見つけて、一日中ぺろぺろしてたのはドン引きしたね。

 あれは百年の恋も醒めるね。一秒たりとも恋してないけど。

 

「無理だ! この迸る愛情は誰にも止められねえ! 愛してるぜ! ユウ!」

「うわ。わかっててもこの姿で聞くと微妙な気分になるからやめろ。そのうち元通りになったらまた聞き流してあげるから!」

「よっしゃ! 約束だぜ!」

 

 まったく。こいつは。

 俺の方でポイント稼ぎしておけば、ユイ成分が邪魔しても「ユウちゃん」は落とせるとでも考えているのかな。

 だったら甘いよ。絶対に落ちてなんかやらないからな。

 うええ。想像したら気持ち悪くなってきた。

 とっととこいつから離れよう。

 

【反逆】《反重力作用》

 

 と言いつつ、結局はこいつの技で俺も空に浮かんだ。

 許容性が高いと、このくらいの技では反動が来ないからいいな。

 

「そう言えば、レンクスは【反逆】使えないのによく飛んでるよね。魔法苦手だって言ってたのに、どうやって?」

「これはな。気合いだ」

「気合いか」

 

 妙に納得してしまった。

 ああなるほど。さっきからチートじみた気力を常に足元から垂れ流してるのがそれか。魔法より遥かに燃費悪いぞ。

 

「おーい! ユウー! レンクスー!」

 

 向こうからユイが手を振りながら飛んできた。レオンも隣で一緒に飛行魔法らしきものを使って飛んでいる。

 結構早かったな。

 二人がフェルノート上空で合流した。

 

 俺を狙ったあの極大の光線は、『ラナの裁き』というらしい。

 浮遊城に備えられた最高の魔法兵器で、何もない空間から瞬間的に光線を生成、発射するというとんでもない代物だ。

 ラナのと言っても彼女の意志で使われるのではなく、一定レベル以上の危機や脅威に対し自動で発動するとのこと。

 それから、街を覆ったバリアは『ラナの護り手』というのだそうだ。これも発動条件は同じである。

 なるほど。これほどまでに強固な防御と攻撃システムがあるなら、それは俺みたいな半チートがごろごろしてる世界でも町の人が大手を振って外歩けるわけだ。

 その辺りどうしてるのかなと気になってはいたが、許容性が高い世界には高い世界なりの治安維持方法があるわけだな。

 レオンには非常に心配されたが、俺は明るく大丈夫と言っておいた。

 

「まさか浮遊城が消えてしまうなんてね……。今年のお披露目は中止か。こんな事態は初めてだ」

「どこまで上に行ったのかな」

「この警戒レベルでは、おそらく我々には到底届かない『安全圏』だろう」

 

 彼の口ぶりからすると、どんなに上空へ飛んでも行けない場所なのだろうなと思った。

 ただ上にあるだけなら、俺たちに行けないわけはないだろうし。

 それでも行けそうな雰囲気の人が、口を差し挟んだ。

 

「俺がちょっくら様子を見て来ようか?」

『やめておいた方がいい。今無理に行って、また世界が割れかけるようなことになっても困るでしょ』

 

 ユイが念話で諭す。

 なぜに念話――そうか。レオンには割れかけた件、話してないんだな。

 その方がいいだろう。こんなこと急に言っても、ただ混乱させるだけだと思うし。

 

『それもそうか』

 

 レンクスも念話で返した。

 俺も会話の流れに無理がないように合わせる。

 

「無理はしなくていいんじゃないかな。近付いて欲しくないってことなんだろうし」

「それもそうだな」

 

 今度はレンクスが口で合わせた。

 

「でもどうしようね。みんなラナさんを見るの楽しみにしてたのに、私たちのせいで」

 

 ユイが肩を落とす。

 そうだよな。俺が会いたいなんて言い出さなければ。

 不用意に踏み込もうとしなければ、こんなことにはならなかったんだ。

 ここまで派手なことになってしまって。少なくともあの攻撃はみんな見ていただろう。

 どう説明すれば。どう責任を取れば良いのだろう。

 しかしレオンは毅然として、だが優しい声で言ってくれた。

 

「いいや。君たちが悪いわけじゃない。あんなことになるなんて、誰が想像できたと思う?」

「「レオン……」」

「僕から事情は説明しておこう。あれは原因不明のシステム事故だったと。放っておくと君たちが悪者にされかねないからね」

「ありがとう」「すみません」

 

 申し訳なくて、一緒にしゅんとなってしまった。

 

 結局レオンがあれこれと動き回って各方面に働きかけ、事故だったということで事態を終息させてくれた。

 彼にはとても大きな借りを作ってしまったなと思う。いつかきっちり返したい。



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33「俺のパンツ」

 レオンと別れ、三人で帰宅すると。

 いの一番にミティが出迎えてくれた。

 

「おかえりなさいですぅ! 皆さん、思ったよりお帰りが早かったですね」

「色々あってね。ちゃんとお留守番してくれたんだね。ありがとう」

「えへへ。そんな大したことじゃないですよぉ」

 

 ミティは俺に甘えを求めて、少し身をかがめ頭を差し出した。

 軽く撫でであげると、にへへとだらしなく口元を緩める。

 ユイが下唇を噛んで、羨ましそうにこちらを見ている。

 わかったよ。君は後でね。

 あ、ひとまず満足してくれた。

 スキンシップを済ませてから、すぐに尋ねた。

 

「俺たちがいない間、レジンバークの様子は何か変わりないか?」

「どうしたんですかぁ。そんな深刻な顔して。お仕事いっぱい溜まってる以外は、特にお変わりありませんよ」

「そうか。ならいいんだ」

 

 一安心する。念のため帰りに街の様子を眺めてから帰ったのだが、レジンバークは変わらず平和なようだ。

 ふう。久しぶりに気を張り詰めたら疲れたな。

 

「風呂にしよう。ユイも入るよな。どっちが先にする?」

「ユウが先でいいよ。私は時間かかるから」

「悪い。じゃあお言葉に甘えて」

「俺はいいや。寝る」

 

 レンクスが気怠そうな目でひらひらと手を振った。

 

「うん知ってた」

「上着お持ちしますね」

 

 ミティがささっと進み出て気遣いしてくれるので、俺は礼を言ってジャケットを手渡した。

 

「どうもな」

 

 着替えを取りに行くため二階に上がると、俺の部屋は綺麗に掃除されていた。

 床はつるつるてかてかと輝き、ちり一つもない。

 ひょこひょこ付いてきたミティがふんと鼻を膨らませて、部屋の中を手で指し示した。

 

「師匠たちがいない間、ピカピカにしておきました!」

「すごいじゃないか。そこまでしてもらわなくてもよかったのに。申し訳ないな」

「いえーそんなそんな。働く者として当然の務めですよぉ」

 

 胸を張ってそう言ってから、頭をすり寄せる。

 追加のなでなでをご所望らしいので、望みの通りにしてあげた。本当に積極的な子だよな。

 

「えへへ」

 

 後ろで指を咥えているユイ。

 後でたっぷり構うから、今は許してくれ。な。

 それにしても、君がそんなに焼きもち屋とは思わなかった。

 でもそうだよな。リルナと傍で付き合ってたときは、ずっと俺の横にいて全部を共有してたわけだから。

 こうして外に出なければ、焼きもちを焼く必要がなかったんだな。

 

 それからタンスを開けると、妙な違和感があった。

 

「あれ。パンツが一枚足りないような気がするんだけど」

 

 他の人ならすぐには気付かないかもしれないが、俺にはわかった。

 完全記憶能力があるから、足りないものがあればすぐにわかってしまうのだ。

 失くしたのは男物のしましまのボクサー風パンツだ。この世界でユイと分かれたから履くことができたものである。

 さりげに気に入ってるんだよなあれ。

 どこに行ったのだろう。出かける前にここは弄っていないはず。

 誰かが盗ったとか? ユイパンならともかく、俺のパンツがそんな需要あるとも思えないのだが。

 

「な、なな、なんのことですかぁ?」

 

 ここにあった。

 

「ミティ。正直に言ったらそれはあげよう。君かな?」

「はい! わたしですぅ! わたしがやりましたぁ!」

「よし。返せ」

「うえええ。そんなぁ! 騙したんですか!?」

 

 うん。ごめん。

 俺の知らないところでいかがわしい使い方されてると思うとね。さすがに。

 

「では……少しだけ、後ろを向いてていただけますか?」

「うん? どうして」

「いいからとっとと後ろを向きやがれぇですぅ!」

「わかったよ」

 

 たまにすごい口悪いよな。この子。

 言われた通りにしてしばらく待っていると、いいですよと声がかかる。

 振り向けば、彼女の手にはしっかりと俺のパンツが握られていた。

 彼女はその場から動いたわけではない。懐に隠し持っていたのだろうか。

 彼女を見つめるユイが、口を開けたまま固まり付いていた。

 一体どうしたって言うんだ。

 

「はい……です……」

 

 ミティは頬をほんのりと赤く染め、消え入りそうな声で俺にパンツを返却した。

 渡されたパンツは、妙に生暖かった。しかも変なシミまで付いている。

 そしてミティは、きゃーと小声を上げて両手で顔を覆っている。

 まさか。パンツを持つ俺の手が震えた。

 いやいや。それは。ないだろ。

 縋るようにユイへ目を向けるも、放心したままの反応が嫌に生々しい。

 

 え、マジで?

 

 真っ赤なミティの様子と、ほかほかパンツがありありと物語る確信めいた想像に、俺もフリーズしかけていた。

 しかしどう考えても、この状況で導き出される結論は一つしかない。

 こいつ。

 

 履 い て や が っ た !

 

「ちょっと……ミティ……。あなた、やっぱり度が過ぎてるよ……」

 

 我に返ったユイが、弱々しくミティを批判する。

 相手がレンクスならば変態だと弾き飛ばせるが、この美少女では性質が同じ行為でも気が引ける。

 

「ううう。だって好きだから仕方ないじゃないですか!」

 

 心に深くトゲが刺さる。

 まだ俺は君のことそんなに好きなわけじゃないのに。温度差がとても悲しい……!

 俺は何と言ってやればいいんだ。人のパンツは履かないでねと。

 馬鹿げている! あまりにも!

 ただただ何も言えず困惑していると。

 ユイは千尋の谷よりも深い溜め息を吐いて、豆腐の角でも傷付けず撫でるようにやんわりと言った。

 

「あのね……。好きなのはよくわかった。ごめんね。もう止めないし、何も言わないから……」

 

 かなり引き気味ではあるが。

 そんなユイのおかげで、俺もどうにか優しい言葉をかけることができた。

 

「わかった。うん。わかった。好きだもんね。君は悪くないよ」

「うぅ……」

「俺も好きな子のパンツの匂いは嗅ぎたいと思う。思うよ。思う。だから、大丈夫。君は悪くない」

「ユウさん……!」

 

 ミティがうるうるしている。そんなに感動的な流れだっただろうか。

 でももう何でもいい。とにかくこの場は収めないといけない気がする。

 彼女を悪者にしないハッピーエンドを目指せ。

 

「ミティ……!」

 

 俺はシミ付きパンツをポケットにしまい、両腕を広げた。

 何が何でも受け入れる体勢だ。勢いが勝ちのラナソールノリだ。

 ユイも巻き込み。三人で、ひしと抱き合った。

 

「パンツは嗅ぐだけにしようね……!」

「はい……師匠……!」

 

 俺は何を言っているのか。だがこれでいい。

 

 ――でも。待てよ。この流れは。

 

 直感が警鐘を鳴らす。

 

「オチ」が来る。

 

 まずい。非常にまずい。

 俺は咄嗟に叫んだ。

 

「急いで俺から離れろ! 二人とも! 素知らぬ顔をするんだ!」

 

 極めてシリアスな顔で諭すと、ユイとミティは渋々ながら即座に身を引いてくれた。

 素晴らしい動きだ。

 

 コンコンガチャ!

 

 一瞬の後に、それは訪れた。

 

「……ちっ」

 

 ガチャン。

 

「「…………」」

 

 ……セーフ。やれやれだ。

 

「一々律儀にドア閉めなくてもね」「ねえ」

「あの。あれは……何ですか?」

 

 ミティの何かよくわからないものを見た反応が新鮮だった。

 

「シルヴィアという生き物だよ」

 

 大丈夫だ。俺もよくわからない。

 

 ドアを開けると、またまた離れた位置でシルは下手くそな口笛を吹いていた。音がかすれている。

 

「シル。また冒険の依頼か?」

「ええ。そうよ」

 

 露骨にがっかりした顔で言うな。何を期待していたんだ。

 

「またパワーレスエリアにぶち当たっちゃってね。ぜひ一緒に来て欲しいのだけど。報酬はいつも通りで」

「いいだろう。そうなると、ユイはお留守番かな。ちょうどいい。ミティにみっちり料理修行でも付けてあげたらいいよ」

「そうね。ミティ、どう?」

「望むところですぅ!」

 

 ミティがやる気を出したところで、俺はシルに苦笑いした。

 

「すぐに行きたいところなんだけど。今帰って来たばかりでさ。風呂入ってからでも大丈夫かな」

「いいよ。ランドが少し向こうで退屈するだけだから」

「すまない。早めに上がるから」

 

 断りを入れてようやく風呂場に来られた俺は、長い長い溜め息を吐いた。

 家でさらに疲れるってどういうことなの。

 でもいいか。うやむやになってくれたし。

 

 ズボンを脱ぎ下ろすと、ぽとりと何かが抜け落ちた。

 

 ああ……そう言えばこれ、ポケットに突っ込んだままだったな。

 それを拾い上げる。

 うーん。流れで回収してしまったけど。

 いざ手にしてみると持て余すな。自分のパンツなのに持て余す。

 さすがに生肌の温もりは消えていたが。冷たくなったシミがまだくっきりと残っていた。

 ごくり。

 生唾が出て来て、呑み込む。

 ちょっとだけ。ちょっとだけね。

 好奇心が勝った。そっと鼻を近づけてみる。

 

 ――甘酸っぱい匂いがする。よっぽど興奮してたらしいな。

 

 ……ふっ。何やってんだか。

 

 ほらな。ミティ。同じだよ。

 俺も罪を背負った。これでおあいこだ。

 義理付き合い的な何かを果たして。

 だがそこまでだ。これ以上はしない。

 あとはそこの洗濯かごにでも突っ込んでおけば、じきにユイが洗って――

 

 ――なに!?

 

 嫌な気配に、ばっと視線を移すと――。

 

 シルヴィアが暗黒微笑を浮かべていた。

 

「ふふふ。見たわよ」

「まっ!」

 

 ひゅんっ!

 

 銀の後ろ髪を引いて、一瞬で視界から消える。

 

「待て! 違うっ! 違わないけど! 違う!」

 

 風呂場から顔だけ出したが、それまでだった。

 半裸の俺はなすすべもなく、彼女が風のように走り去っていくのを眺めることしかできなかった。



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34「世界に穴開くとき」

 シルに連れられてやってきたところは、何ということはないただの丘であった。

 視界が悪いわけでもない。変な草が生えているわけでもない。青々としたのどかな光景がどこまでも広がっている。

 俺は正直な雑感を隣のシルに告げた。

 

「何の変哲もない丘だよね。危ない生き物がいる気配もない。この前の洞窟や砂漠の方がよほど苦労しそうなもんだけど」

「そうなんだけどね。脱力感が半端じゃないの。向こうに行くにつれて、私でも歩いてるだけで辛くなってきて」

「君でもそうなるのか? 洞窟では飛び跳ねたりくらいはしてたじゃないか」

「ええ。ランドはもっと。まともに走ることすらできなくなってしまった」

 

 歩きながら、シルはじっとりと汗ばんで、肩で息をしている。

 そんなにこの場所にいるのが辛いのだろうか。

 一方で平気にしている俺を見つめ上げて、彼女は不思議なものを見るような目で言った。

 

「やっぱりあなたは辛くないんだ」

「今のところは平気みたいだ」

「ふーん。不思議な人」

 

 ぷいと顔を背けて、しばらく無言が続いた。

 何か小難しい顔をしているところを見ると、考え事をしているようだった。

 やがて、彼女は俯いたまま喋り出した。

 

「パワーレスエリアがあまりにきついせいで、仲間たちは次々と脱落していって。誰もいなくなってしまった。ジムも今は別の仲間と共にこれまで見つけた有用地の開拓の方に力を入れている」

 

 あの人が好さそうなおじさんは、他のグループに付いて今は安定を取ったわけか。

 寂しい気もするけれど、これも一つの選択だろう。

 夢を追うことと、現実と折り合いを付けること。どちらも間違っているわけではない。

 

「ここまで意地でやって来たのは、私たち二人だけ。もちろんあなたの助けあってのことだから、そこは本当に感謝してる」

「どういたしまして。まあ依頼でやってることだから」

 

 軽く言ったつもりだったが、シルは殊の外思い詰めた様子で尋ねてきた。

 

「……ねえ。あなたはなぜ私たちにここまで力を尽くしてくれるの? 報酬だって特別高く出してるわけでもないのに」

「それは」

「本来だったら、あなたが。あなたさえその気になれば、私たちなんてとっくに追い抜いていてもおかしくない。世界の果てだって、どこへだって行けるはず。その力なら」

 

 彼女は振り向き、俺に力強く指を突き付けて。

 でもそれは少しのことで。

 指先は所在なく迷い、また微妙に俯いていた。

 

「正直ね。私はあなたが羨ましい。あなたは強いわ。本当に、悔しくなるくらい強い。私たちの力だけじゃ、ここまでは来られなかった」

 

 強い、か。

 あの日弱かった俺は、がむしゃらに強さを追い求めてここまで来た。

 弱い自分を呪って、絶え間ない修練と幾多の死闘に身を置いて力を磨いてきた。

 気が付けばいつの間にか、自分がそう言われる側になっていたということなのかな。

 ……皮肉だよな。

 俺も同じ気持ちなんだ。まだ足りない。

 フェバルというあまりに高い壁がいる。どう足掻いたって敵わない連中が。

 奴らの気まぐれに世界の存亡を委ねないためには。ダメなんだ。今のままでは。

 上には上がいて。そいつらを目標にしてずっとやってきたから、実感がなかった。

 言われて気付いたよ。

 この世界の人たちからすれば、俺やレオンがフェバルのようなものなのかもしれない。

 とても敵わなくて、羨ましがられるような存在。

 まあ俺も一応はフェバルなんだけど、そこは置いておいて。

 

「言ったことなかったっけ。俺が行きたいわけじゃないんだ。どんなところか気にはなっているけど」

 

 黙って俺の話を聞く彼女に、続けた。

 

「俺はね。君たちの夢を応援したいんだよ」

「私たちの夢を? それはどこまで本気で言ってるの?」

「本気も本気さ。……俺にも夢があった」

「……どんな夢?」

 

 じっと食い入るシル。

 覗き以外でこんなに食いつきの良い彼女は初めてだった。

 

「普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に子供作ってさ。両親も友達も祝福してくれて。子供も元気に育って、孫もできて。そして家族に看取られながら、普通に死んでいくんだ」

「…………」

「なんてことはない夢だろう。でも俺は、そういう暮らしがしたいと思っていたんだ。憧れていた」

 

 睨むように話を聞いていたシルは、あっけにとられたような表情で目を瞬かせた。

 思っていたものと、俺の答えが随分違ったのかもしれない。

 彼女には俺がどういう風に見えていたのだろうか。

 

「もう叶うことはない夢だけどね。下らないと思うか?」

「いいえ!」

 

 やけに通る声で返ってきた。

 まるで自分に言い聞かせるかのように、強く。

 

「そんなことないと思う。素敵な夢だと思うわ。私も普通を望んでいた……」

「君が? 意外だね。だったら、フェルノートででも暮らせば――」

「はっ! いや違うの! あれ。えっ私、どうしてそんなことを……。ごめん今のは忘れて」

 

 困惑した様子が妙だが。誰しも思わぬことをつい口走ることはある。

 本人が冒険を楽しんでいるのは間違いないし、とりあえずそこは頷いてスルーすることにした。

 

「真っ直ぐに夢を追えることは、追う夢のあることは、とても素敵なことだと思うんだ。尊いことだと思う。世界の果てを目指すと意気込む君たちの顔。誰よりも真剣に、そして楽しそうに夢を追う君たちの顔。俺には、そっちの方が見ていて眩しいよ」

 

 彼女は息を呑んだ。手は胸に小さく添えられている。

 心なしか、瞳が潤んでいるような気がした。

 

「だから、俺じゃない。主役は君たちだ。君たちに夢の果てを掴んで欲しいんだ」

「あ、ああ……」

 

 彼女はくらくらとよろめいて、頭を抱えた。

 少しの間そうしていたが、ぶんぶんと首を横に振って、もういつもの彼女に戻っていた。

 

「そう。わかった。よーくわかったわ。あなた、マジになり過ぎって人によく言われたりしない?」

「はは。真面目だとか馬鹿だとかはたまに言われるかな。どう? 返答はご満足頂けた?」

「ええ。大満足よ。このお人好しめっ!」

 

 なぜかきつめのチョップを食らったが、思い切り照れ隠しだった。

 

 

 ***

 

 

「おかしいな。とっくにランドとの合流地点の辺りのはずなんだけど」

 

 シルは首を傾げていた。

 これだけ視界も開けているのだから、彼の姿も見えていて当然のはずである。

 よく目を凝らしてみると――。

 

「あっ、ランド!」

 

 彼女が悲鳴にも似た声を上げた。

 膝丈の近くまで伸びた草に隠れて、ランドがうつ伏せで倒れていたのだ!

 驚いて、駆け寄る。

 いち早くシルが彼の下へ辿り着いた。

 

「ランド! しっかりして! 何があったの!?」

 

 彼女が彼を膝枕して呼びかけると、彼はうーんと小さくうなされ声を出した。

 彼がうっすらと目を開ける。

 よかった。とりあえずは無事のようだ。

 

「ん……ああ……シルか……」

「心配したでしょう。こんなところで何やってんの」

「なんか……急に眠くなって。寝てただけだ」

「もう。バカ。昼寝ならテント張ってやれ」

 

 彼はペチンと頬を叩かれて、活を入れられていた。

 傍から見ていると、完全に慣れた夫婦か何かだ。とてもお似合いだと思うんだけどな。

 ぱちくりと何度も瞬きした彼は、弾かれたように起きた。

 俺も笑って声をかける。

 

「よく寝られた?」

 

 そこで初めて俺の存在に気付いたランドは、ばつの悪そうに笑顔を返した。

 

「ああ、ユウか。わりいな。寝坊助さんで」

「あんまりシルを心配させるんじゃないぞ」

「ほんとよ。いつもおバカでぼーっとしてるんだから」

「あははは。すまん」

 

 それからランドも加わって、三人で先を目指し始めた。

 二人が歩くのがきつそうなこと以外は、軽いハイキングのようなものだった。

 一番余裕のある俺が彼らの歩幅に合わせ、念のため周囲に気を配りつつ、歩き続ける。

 そのうちランドが、ぽつりと言った。

 

「さっきなんだけど。すげー変な夢見てた」

「どんな夢?」

 

 シルが俺に尋ねた言葉と同じ言葉をランドに投げかける。今度は違う意味だ。

 

「知らないところだ。目の前に、知らない奴がいるんだよ。そいつさ。ものすげー退屈そうにしてんだ。つまんないところでさ。つまんないことばかりやってる。何かはわかんないけどよ」

「「へえ」」

「俺は声かけたんだよ。お前もこっちに来いよ、もっと楽しいこといっぱいあるぜ! ってな」

 

 彼はにっと明るく笑った。

 

「そしたらそいつ、どうしたと思うよ」

「どうしたんだ」

「いやな。全然さっぱり聞いてくれなかったんだ。俺と目を合わせてもくれなかった」

 

 今度は、彼はわかりやすく怒ったような顔をしている。

 

「ずっと退屈そうにしてんだぜ。なんだよ。つまんねえ奴だなって。ちっとも知らない奴なのに、妙にいらいらしてきちまってよ。掴みかかって目を合わせようとしたら」

「したら?」

「シルがいた」

「ああ。いいところで起きちゃったわけか」

「ちょっともったいなかったかもな。まあうちの女神さんに心配かけるよりかはいいか!」

「調子の良いこと言っても、あの失態はないからね」

「うっ。すまん」

「まあまあ。ランドも反省してるようだし。この環境にやられて力が入らなかったことも原因だろうし。ね」

「おっ。いいこと言うじゃないか。ユウさん!」

 

 こいつはまた調子良く俺を持ち上げてくれるな。裏表のない性格は嫌いじゃないよ。

 

「はいはい。人食い生物がいなくて本当によかっ――」

 

 ――突然、妙な空気を感じた。

 

 なんだ。このピリピリとした嫌な空気は。

 

 前にも感じたことがある。不思議な緊張。

 これは。まさか。

 

 ――上だ。何かある。

 

 キッと見上げると――

 

 頭上には、謎の黒い穴が空いていた。

 どこへ通じているのかもわからない穴。

 それも、この前の洞窟で生じていた針の穴のような大きさのものではない。

 優にこの場の三人を飲み込んで余りあるほどだった。

 嫌な胸騒ぎがした。

 瞬きをする余裕もない。

 穴はすぐにも周りの空気を吸い込み出した。まるでブラックホールじゃないか!

 あれはやばい。逃げないと!

 しかも致命的なことに、まだ二人は異変に気付いてすらいない!

 

「ランド! シル! ここから離れろ!」

 

 声を張り上げると、突然のことに二人はびくっと身じろいだ。

 その一瞬すらも今は惜しい!

 

「急げ! はやく!」

 

 もう一度叫ぶと、俺は素早くバックステップを取り、穴から一旦距離を取って二人を注視した。

 空間を裂く穴に気付き、二人も目を見開く。

 ランドは情けない声を、シルは悲鳴を上げて。逃げようとした。

 だが、そこで。

 二人の膝ががくんと折れる。何が?

 しまった。もしや動けなくなっているのか!? 二人とも!

 穴はさらに拡がりを見せ、草を巻き上げて暗黒空間へと吸い込み始めた。

 もはや数刻の猶予もない。

 

 手荒いやり方だが! これで助けるしか!

 

 俺は左手を突き出して、気力を高めた。

 

《気断掌》

 

 ……なに。発動しない!?

 

 空気を弾き飛ばす手応えがない。

 二人とも、元の位置のまま。倒れている。

 いや。使えている! 確かに! 気は纏っている!

 飛ばせるレベルにまで、達していないんだ!

 

 ――許容性が、下がっている!? さらにか!? なぜ。

 

 混乱する思考。刻々と過ぎ行く時間。

 穴はもう、二人の足元にまで迫っていた。

 

『ユウ!? どうしたの!?』

 

 ユイの声。

 遅い! 話す暇も!

 

「くっそおおおおお!」

 

《パストライヴ》!

 

 二人をかばう位置にワープし、最後の猶予でもって二人を遠くへ放り投げる。

 瞬間。

 俺の身体は地面から浮き、離れて――視界を黒が塗り潰した。

 

「うわあああああああああああああああーーーーーーーーーーっ!」

 

「「ユウーーーーーーーっ!」」

 

 二人が俺の名前を叫ぶ声が、どんどん遠ざかっていく。

 

 為すすべもなく、俺は深い闇の中へと真っ逆さまに落ちていった――。



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35「青年リクの退屈」

 青年リクは退屈していた。

 

 彼は特にこれといった取り柄もない、生まれも育ちも至って平凡な人間である。

 少なくとも彼自身はそのように考えている。

 彼はトリグラーブ市内のエジャー・スクールに通う一般学生である。一人暮らしをし、アルバイトと奨学金で生計を立てている。

 止むに止まれぬ事情でそうしているわけではない。

 ただエジャー生になったならば、一人暮らしをしてみたいという子の要求と、子の自立を望む親の意向が一致した結果に過ぎない。

 両親、知人とも未だ健在である。近年徐々に増加傾向にあるらしい原因不明の奇病にかかったなどという不幸もない。

 ……ただ友人の一人を除いては。

 そいつは意識を失ったまま「帰って来ない」。

 だがそいつと特別に仲が良かったわけでもない。いくらかの心残りと、旧知の縁で今もたまに見舞いを続けているが、それだけの関係に過ぎない。

 

 繰り返そう。僕は退屈していた。

 

 僕を「彼」などと呼んで客観的に考察してみても、その事実は変わらない。

 そして僕にはわかっていた。

 この何となく鬱屈とした感情が、就職活動を控えたこの時期の人間にありがちな、ストレスと不安から来るものであることを。

 まあ要するに多くの人が通過していく、取り立てて言うほどのものでもない悩みであることを。

 

 そう。僕は普通の人間だ。

 流行りの自己分析なんかもやってみたけれど。太鼓判を押されたよ。

 

 普通であるということ。こうして何気なく日々を過ごせていること。

 本当なら、もっとありがたく思うべきなのかもしれない。思うべきなんだろうなあ。

 でも僕は、それがたまらないと思うことがある。

 いつもではない。こうして寝そべって考え事をしていると、これでいいのかなって。時々思うんだ。

 世間のニュースを見てみれば。下らない芸能関係や、その他どうでもいいことに騒ぎ立て。

 いつも妙に悲観的な経済、興味のない政治や宗教の話なんかで溢れている。

 大きな戦争はもう百年も起きていない。平和だ。

 欠伸が出るほどに。素晴らしく退屈な世の中。

 うん。とかく普通というものは。この窮屈で息の詰まるような空気に満ちた都会の日常は。

 心を退屈という名のぬるい劇薬で、気付かぬうちに腐らせていく。

 そうしていつの間にか、僕もまたつまらない社会を支える歯車の一つになっていて。

 退屈な自分を誤魔化して、年老いるまで回り続けて、死んでいくのだ。

 僕はこれまで、平凡に生きてきた。学校でもアルバイト先でも当たり障りなくやってきた。

 きっとこれからも平凡な学生を演じ切ることができるだろう。平凡な社会人だって演じられると思う。これから就職先が決まればね。

 でも、それでいいのかなって。やっぱり時々思うんだ。

 一応そうなるなら望むところではある。決して悪くはない、とも思う。十分幸せではないかとすら思う。

 けれど。

 

「君たちはいいよなあ……」

 

 寝室の壁に貼られた世界的人気ゲーム『ラナクリム』Ver.48の早期購入者特典ポスター。

 そこに描かれた「冒険者たち」をぼんやりと見つめて、独り言ちた。仕方のない現実逃避だとは思いながらも。

 僕は結構ゲームが好きだったりする。小説も好きだ。

 めくるめく空想の世界は、僕にこの世の中で生きる活力を与えてくれる。

 たかが空想だと頭ではわかってはいるけれど。

 これでも結構真面目に、空想は現実と同じくらい大事なんじゃないかって思っているんだ。

 

 自由行動型オンラインRPG。キャッチコピーは「もう一つのリアルがここにある」。

 僕が生まれるよりずっと以前のことだ。

 初代『ラナクリム』は発売と同時に、その恐ろしく高い自由度と現実を忘れさせるほどの熱中性、キャッチコピーに違わぬ内容の豊富さ精巧さから、瞬く間に世界を席巻した。

 奇跡のゲームとも言われ、今では単にゲームと言えばこれを指す。

 現在も世情に合わせて定期的に内容はアップデートされ、老若男女を問わず広く遊ばれ親しまれている。

 とは言っても、たかがゲームがなぜにここまで広まれ愛されているのかについては、前から色々と議論されているようだけれども。

 

 ――そういや。

 

 今は寝たきりのあいつも『ラナクリム』が大好きだったっけ。

 あいつに勧められて始めたんだったよな。これ。

 

 ここしばらくはやってなかったけれど。暇だしやろうかな。

 

 PCの電源を入れて、『ラナクリム』のアイコンを選択。プレイヤーアカウントでログインする。

 すると、レジンステップの街の広場に出る。

 職業を「冒険者」にしていると、個人設定でもしない限りは、最初は必ずここに出て来るようになっている。

 僕は「冒険者」だけど、他にも「市民」だとか「兵士」だとか、職業はたくさんある。

 まあわざわざゲームの中でまで現実とさほど変わらない「市民」を選ぼうなんて人の気が知れないけど。

 コミュニケーションだけ楽しみたいという人の中には、そういうのもいることは承知している。

 冒険者ギルドまで歩いて向かい、ギルドの中に入る。

 平日の昼間にも関わらず、そこは数多くのオンラインプレイヤーで溢れ返っていた。

 僕のように学生の長期休みだからって人ばかりじゃないよなあこれ。仕事中の無断プレイはちょっとした社会問題になっているらしい。

「冒険クエスト」にチェックを入れて、フレンド募集をかける。オンラインのフレンドがいて、参加してくれれば共に冒険へ出かけることができる。

 やがて銀髪の女性が現れて、募集に応じてくれた。

 いつもの彼女がまた来てくれたことに、嬉しい気持ちになる。

 

『ちょっと久しぶりね。ランド君』

『はい。お元気でしたか。シルヴィアさん』

 

 シルヴィアさんが温かい言葉で出迎えてくれる。

 彼女はよく僕とつるんでくれる、僕より少し先輩のプレイヤーだ。夜に見たことはないが、昼間にログインすると結構な割合でエンカウントする。

 ちなみに他のプレイヤーへのメッセージは、音声入力かキーボード入力で行う。特定のプレイヤー同士で通話することもできる。

 僕は声に出すのは恥ずかしいので、専らキーボード派だ。

 

『私はまあ、いつも通りよ。あなたもいつもながら、最初は他人行儀ねえ。もっとらしくなさいよ』

『すみません。久しぶりだと少し感覚が。よし、今日も張り切っていこうぜ!』

『そう来なくっちゃ!』

 

 僕のプレイヤー名はランド。冒険好きの大馬鹿野郎、という設定である。

 中の人があれなので、すぐにボロが剥がれてしまうのが難点だけど。

 二人でたくさんの「冒険クエスト」をこなし、ギルドの中でも実質最上位に位置するSランクに最近やっと上がることができた。

 正直自分もここまでやる気を出すとは思ってなかった。

 一応もっと上はいることにはいる。唯一SSランクの剣麗レオンという伝説が。

 彼はさすがにNPCだという噂もあるが。真相はわからない。

 最強キャラと呼ばれるに相応しいとんでもスペックなキャラだ。

 

 せっかく久しぶりにやるのだから、シルヴィアさんと相談し、今日は刺激を求めて新天地へ向かうことにした。

 確か、前に散々苦労して砂漠を越えて――その先には、広大な丘が続いていたはずだ。

 グランドクエスト『ワールド・エンドを目指せ』。

 未だこのクエストを達成できたプレイヤーは一人としていない。剣麗レオンでさえも例外ではないそうだ。

 僕たちはこのクエストの達成をこのゲームにおける一つの到達点とみなして、ひたすらに追い求めてきた。とても王道的な遊び方だと思う。

 ワープクリスタルを使えば、一度チェックした地点までは自由に飛ぶことができる。

 僕たちはすぐに攻略最先端の丘に立つことができた。

 

『着いたわね。さあ、どんなお宝が待っているか』

『楽しみだな! けど、出て来る魔獣のレベルも高くなっている。油断せずに行こう』

『もちろん。わかってる』

 

 二人でお喋りしつつ、魔獣を倒しながら宝箱を探して開けていった。

 もちろんマッピングも欠かさない。

 そうしてしばらく冒険を楽しんでいたのだが。

 あるところで、画面が固まってしまった。

 キーボードを叩いても、うんともすんともしない。

 

「あれ。どうしたんだろう。フリーズかな」

 

 安定性には定評のある『ラナクリム』だけど。珍しいこともあるものだなと思う。

 うーん。仕方ない。あまり良くないかもしれないけど。

 一旦接続を切って、再起動してみようかな。後でシルヴィアさんには謝っておこう。

 そう考えて、行動に移そうとしたとき。

 

 バチィ!

 

 電気が弾けるような音が、突然耳をつんざいた。

 PCの画面がブラックアウトする。

 

 うわあ、なんだよ!? どうしちゃったの!?

 

 突然のことに戸惑っていると。

 後ろの方で何かがドサリと落ちる、大きな物音がした。

 

 驚いて、振り返ってみたら――。

 

「わあああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーっ!」

 

 人!? 人が!? 何もないところから出て来たあああっ!?

 

 そこに現れたのは、旅人みたいな服を着た黒髪の少年だった。

 

 僕は目ん玉が飛び出そうになるほどびっくりして、近所迷惑になるんじゃないかってくらい叫んだ。



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36「ユウ、トレヴァークに降り立つ」

「わあああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーっ!」

 

 真っ暗な闇が突然裂けたと思うと、男が叫んでいるのが目に飛び込んできた。

 

「ここは……?」

 

 俺はランドシルを助けようとして、あの穴に飲み込まれて……。どうなってるんだ?

 頭が上手く働かない。こういうときこそ落ち着かなければ。

 目の前では、若い男が驚き慄いている。ちょっと頼りなさそうな感じの、優しげな印象を受ける男だ。髪は黒い。

 とりあえず声は出る。さっき出た。

 手と足は――くっついている。おまけにちゃんと動く。

 ――身体の方は何ともないらしいな。もうダメかと思ったが。

 

『ユウ!? ユウ!? 私の声が聞こえるの!? 返事をして!』

 

 心配性なユイの声が、『心の世界』を通じてガンガン聞こえてきていた。能力も健在のようだ。

 

『うん。ちゃんと聞こえるよ。俺、助かったみたいだ』

『ああ……よかった。心配したんだよ。レンクスが多分大丈夫だって言ってたけど、それでも』

 

 なるほど。あいつが浮遊城のときみたいに急いで助けに来なかったのは、こうして何かが起こるという予想が立っていたからか。

 にしたって、確証はないだろうに。あいつにしてもおそらく賭けだったんだな。

 そして賭けは上手くいった……らしいな。

 ここは、世界に空いた穴の向こう側というところだろうか。

 状況はまったくの不明だが。ユイと心が通じているという事実は、何より心強い。

 とにかく無事であることにほっと一息吐きたいところだったが、すぐそこでは青年が目を真ん丸にしてパニックになりかけていた。

 

『取り込み中だ。状況が落ち着いたらまたすぐ連絡入れる』

『そうみたいだね。わかった。見守ってるから』

 

 一度心通信を切り。

 さて。ここがどこかもわからないし、早まった行動を取られては後がよろしくない。

 適切に対処しなければ。なるべく警戒心を持たれてはいけない。

 俺はどうにか笑顔を作って、挨拶した。

 コンセプトは通りすがりの無害なお兄さんだ。だいぶ無理があるが。

 

「あ、どうも。こんにちは。お邪魔してます」

「あ……はい。こ、こんにちは……」

「こんにちは~」

 

 よし。掴みはいいぞ。

 あっけに取らせたまま、出鼻を挫いた。100点中70点くらいはいけた感じだ。

 このノリで押し切ろう。

 

「いやあ。あはは。おくつろぎのところ、大変ご迷惑をお掛けしました。では、俺はこの辺りで……」

「あ、あの」

「失礼します。ごゆっくり~」

 

 目に付いた部屋のドアから、さりげなく急ぎ足で出ようとしたのだが。

 

「ちょっと待ってよ!」

 

 ギクッ。

 身体が固まり付いた。

 

「突然人の家に出て来て、あなた一体何なんですか!? 警察呼びますよ!」

 

 うん。そうだよね。やっぱりそうなるよね。

 当然の反応だ。はあ。困ったな。

 作戦変更。誠実な対応を心掛ける。

 

「すみません。俺も突然のことで色々と混乱してて……。悪いことはしませんから、話を聞いてもらえないでしょうか?」

「……わかりました。あんまり悪い人じゃなさそうですし」

 

 ああよかった。こういうとき、甘ったれの子供に見えるのは得するよね。たまには良いことあるじゃないか。

 彼はローラー付きの椅子に座っていて、俺にパイプベッドへ腰掛けるよう勧めてくれた。

 勧められるまま、素直に腰をつける。ベッドが軋む音が嫌にはっきりと耳に残った。

 椅子の向こうに見えるデスクに、PCのようなもの、レポート用紙らしきもの、教科書類と思しき物が目に留まる。

 見たところ、一人暮らしの学生部屋という感じだ。俺も高校生のときは概ねこんな感じだったような気がする。

 今向き合っているこの人は、高校生というにはやや大人びている感じがするけど。

 大学生っぽいかなあ。大学というものがあればだけど。

 その彼はやや緊張と、それから興味の伝わってくる面持ちで、俺のことをじろじろと眺め倒していた。

 少し視線に耐え難くなってきた頃、ようやく口を開いてくれた。

 

「色々と聞きたいことはありますけど。まずは名前を聞いても良いでしょうか」

「俺はユウ。ユウ・ホシミと言います」

「僕、リクです。コウヨウ リク」

 

 その名乗りを聞いたとき、心に触れるものがあった。

 

「リクが下の名前なんですか?」

「ええ。珍しくもないと思いますけど」

 

 ほう! 珍しくもない! いや俺にとってみれば姓名の順は珍しくて!

 急にこの人に親近感が湧いてきた。

 

「実は俺もなんですよ! 本当は星海 ユウって言うんですけど、そう名乗っても中々わかってもらえなくて」

「ああ。なるほど。聞くとそうかなって思いましたよ」

「あはは。ごめんなさい。ついはしゃいじゃって」

「いえいえ」

 

 きっかけはどうあれ、そこで多少は打ち解けられたような気がした。

 彼の警戒心が緩んでいる。口元を見ればわかる。

 

「それで。ホシミ君は」

「ユウでいいですよ」

「なら僕もリクでいいですよ。それで。ユウ君は、どうやってここに? あれはどんな現象なのかな!?」

 

 妙に興味津々というか、食いつきがよかった。

 もしかすると呼び止めた理由は、不審だったというよりこっちがメインなのかなと思う。

 

「どんな現象と言われても……。気が付いたらここにいたというか、何というか」

 

 そうとしか答えようがない。

 どうしてこうなったのか誰か教えてくれるのなら、俺の方が聞きたいくらいだ。

 

「本当に?」

「本当ですよ。さっぱりわけがわからなくて」

 

 わかりやすく肩を竦めてみせるが、リクは半信半疑だった。

 

「坊や。話せることはちゃんと話した方がいいと思うんだ」

「坊や……。これでも一応25なんですよねえ」

 

 苦笑いすると、彼は仰天した。

 

「うっそだあ! ぜんっぜん見えないですよ!」

 

 だよな。見えないよな。

 だって肉体は16歳になり立てのままだし。

 

「僕まだ21ですよ。年上だったんですか……」

「一応そうなるのか。でも気にしないでいいですから」

「って、あれ。前にもこんなことあったような……あ、いや。こっちの話です」

「そうですか」

 

 言われてみると、俺もさっきからどうしてか初めて会ったような気がしないんだよな。

 絶対に初対面のはずなんだけど。不思議なこともあるものだ。

 

 それから、とりあえず他言無用という約束を取り付けて、話せる範囲でここに至るまでの事情を包み隠さず話した。

 俺の直感と心を読む力が、この人は悪い人ではないということを感じさせてくれたからだ。

 それと、俺がいきなり何もない所から現れたという非現実的事象を彼が目の当たりにしたことも効果は大きかった。

 彼にとっては本来荒唐無稽に過ぎない話でも、信じさせる土壌が生まれた。おかげで話はしやすかった。

 何より、この子が何でも話さないと帰してくれなさそうなわくわく顔でどんどんがっついてくるのが一番だったわけだが。

 

「とするとあれですか。ユウさんは、ミッドオールというところで冒険していたら、変な穴に突然吸い込まれてこちらへ来てしまったと」

「そういうことになるかな」

「うわあ! とんだびっくりファンタジーだよ! クレイジーだ!」

 

 まるで子供がはしゃぐかのように両手を叩いて、大喜びするリク。

 最初こそ半信半疑だったが、もはやほとんど疑っていない。昔の騙されやすかった素直な自分を見ているかのようだ。

 そうだ。誰かに似てると思ったら。

 ランドにそっくりなんだ。

 言葉遣いも性格も一見全然違うけど、本質が似てるんだ。大人になっても子供らしさを失わない純真な心が。

 ランドとリク。何という偶然だろうか。

 名前がぴったり英語と日本語の関係なのは、まあ本当に偶々なんだろうけど。

 いや、「俺の認識で」英語と日本語ということは、無関係ではないのか?

 

「まったく信じられないよ! 嘘でもいいや。こういうのを待ってたんだ! ラナ様ありがとう!」

 

 何気ない彼の言葉に、ぴくりと自分の眉が動いたのを感じた。

 

「ラナ様? ここにはラナがいるのか?」

「えっ?」

 

 何言ってるんだこの人って目で見られた。

 そんな目で見なくても。

 

「僕たちの世界の守り神のことですよ。一応ラナ教の信者なんですよ、僕」

「ラナ教か。なるほど。彼女はラナソールの守り神って扱いでもあったわけなんだね」

 

 確認のつもりで返したのだが、彼にはわけのわからない顔をされてしまった。

 

「はい? ラナソール? 彼女? どこのどなたのことですか?」

「えっ?」

 

 今度はオウム返しのように、俺の方が何言ってるんだこの人って態度になっていた。

 

「だって。この世界は、ラナソールという名前じゃないのか?」

「いやいや。トレヴァークに決まってるじゃないですか」

「トレヴァーク!?」

 

 あまりにあり得ないことを聞いているのだろう。リクに鼻で笑われてしまった。

 続いて、なぜそんなに驚いているのかと、不思議そうな視線を向けられる。

 俺は困惑が止まらなかった。

 

 トレヴァークだと!?

 じゃあ、なんだ。また違う世界だとでも言うのか!?

 ユイだけ残して、新しい異世界にもう旅立ってしまったとでも?

 そんなこと。困るぞ。

 

 すると彼は、何やら思い出したように手を叩いた。

 

「あー。一応ラナクリムって似た名前のゲームならありますけど。まさかそれのことじゃないですよね?」

「ゲームだって!?」

「はい。僕、結構好きなんですよ」

 

 そう言って彼は、壁の一角を指し示す。

 それは何の変哲もないゲームのポスターである。

 そのはずだった。彼もそのつもりで紹介したのだろう。

 だが気付けば俺は愕然と立ち上がり、ふらふらと吸い寄せられるように、そのポスターへ向かって歩いていた。

 今まで目の前の人物ばかりに気を取られ、そこに注意を払っていなかったので、気付かなかった。

 

 ――ああ。何ということだ。

 

 レオン。

 

 あの剣麗レオンの姿が。ポスターにでかでかと描かれているではないか!

 

「どういう、ことなんだ……? なぜ、君が……?」

 

 寒気がした。

 

 それは世界が割れかけたときとも、世界に穴が開いたときともまた違う。

 明確な恐怖ではない。ホラー映画で怪奇現象の原因が最後までわからないような。正体不明の恐ろしさ。

 まるで自分のいた場所が。その根底が足元から崩れていくような。薄ら寒さ。

 頭がくらくらした。実際に身体がふらついていたのかもしれない。

 声も明らかに震えていた。

 

「レオンは? レオンは、いないのか?」

「創作上のキャラクターですよ。何言ってるんですか」

「魔法は……精霊は……!?」

「魔法、精霊。ぷっ。あはははは!」

 

 リクが笑う。

 最高に気味が悪かった。彼が笑っているというその事実が。

 ただそれだけのことが。たまらなく。

 

「冗談よして下さいよ。そんなものあるわけないじゃないですか。ファンタジーじゃあるまいし」

 

 心に、その言葉がやけに重く深く沈んでいった。

 まるで鉛の塊にでも殴られたかのように、重く。何度も反芻されて。

 

 じゃあ。

 

 俺がさっきまでいた場所は。

 

 ユイ。レンクス。君たちが今いるその場所は。

 一体何なんだ……?



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37「ユウ、トレヴァークの調査に乗り出す」

「……悪い。ちょっと一人にしてくれないだろうか」

 

 事情は俺を通じてユイも聞いているだろうが。すぐにでも緊急会議を開きたい心境だった。

 しかしリクという男はよほど俺にご執心のようだ。

 頑として首を縦に振ってはくれないばかりか、きつめに詰め寄られた。

 

「ダメですよ。そう言ってどこか知らない場所へ行ってしまう気なんでしょう? まだまだ聞きたいことはたくさんあるんですよ」

 

 何もないところから出て来たわけだから、興味を持つのはよくわかるのだが。今このときばかりは鬱陶しいと感じる。

 しかし、ここで強硬的な態度を取るのは得策ではない。この部屋以外の状況がまったくわからない以上は、主導権は向こうにある。

 

「少し……気分が優れないんだ。わかった。どこへも行かないから」

「だったらそこのベッドを使って下さい。横になっても構いませんから」

「ありがとう」

 

 勧められた通り、腰掛けているベッドで横になる。

 実際はそうしなければならないほど体調が悪いわけではないが、気分が優れないのは事実だった。

 

「休んだらぜひ色々と聞かせて下さいよ」

 

 曖昧に頷いて。目を閉じる。

 眠るふりをして、『心の世界』に意識を繋いだ。

 

『ユイ。少し強引だが時間を作った。話をしておきたい。レンクスにも繋いでくれ』

『わかった。ちょっと待ってね。――はい。いいよ』

『俺だ。レンクスだ』

 

 レンクスの声が聞こえてきて心強いと思う一方で、多少は文句を垂れておきたい気持ちになった。

 

『知ってて俺を賭けに使ったな』

『いやあすまんすまん! でもよ、それなりの確証はあったんだ。そうでもなきゃお前に危険な橋は渡らせねえさ』

 

 彼のばつの悪そうな感情と、ユイの小さな呆れ声が伝わってくる。

 

『実は世界の穴は俺もこの目で見たことがある。しかもそれが閉じてしまうより早く、俺も手の届く位置までは辿り着いていたのさ』

『マジかよ』

 

 そういう大事なことはちゃんと言って欲しかったな。もう遅いけど。

 

『だが触れることはできなかった。俺では弾かれてしまうんだな。なぜかこれが』

『それがあなたが言ってたスペシャルゲストというやつ?』

『そうさ。けど一応穴の性質は解析できたわけで。穴の付近では許容性が著しく下がっているようだし、どうも別の場所に通じているようだった。で、誰なら調べられるかと考えて』

『私は無理ね。まともに動けなくなるから』

『それはもちろん聞いてたぜ。だからつまり……ユウ、お前なら通れるんじゃないかと』

『そして見事にこうなったわけか』

『そうだな』『そうね。さっきこいつからその考えを聞いてびっくりしたけど』

『……わかった。いいよ。結果オーライということにしよう』

 

 欲を言えばまた助けて欲しかったというのはあるけど。本来は自分がもっとしっかりしていればよかったことだ。

 危険を承知で、文字通り飛び込まなければ得られないものもある。

 

『さて、二人とも。率直に聞きたい。どう思う?』

『やばい香りがぷんぷん漂ってるな。久々にぶるっと来たぜ』

『ゲームの世界ってことなの? 信じられないけど……』

『そこのところはわからない。そのものというわけでもないんじゃないかな』

 

 そんな気がする。

 リクが言っていたゲームとはラナクリムであり、ラナソールではない。

 そもそも、仮にもしラナソールがデータ上の仮想現実世界だとするなら。

 あまりにもリアル過ぎる。すべてが。

 そこに暮らす人々の振舞いも、物の手触りも。食べ物の味も。触れ合う人たちの心も。

 そこから出てきた俺は、夢を見ていたわけでも何か変な装置に繋がれていたわけでもないようだし。

 今も二人はそこにいる。ラナソールは「実在」しているのだ。

 何か下手をすれば「穴が空き」「壊れてしまいそう」な、極めて危ういバランスの上に。

 

『私が単離してる時点で、尋常ではないってことは予想できたけど……』

『フェバルの能力もなぜか使えないしな。ユウ、お前のだけ平気で使えてるってのも随分おかしい話だけどよ』

『単純な現実そのものではないんだろうね。どうりで気力も魔力も一切感じられないわけだ』

 

 生身の身体はそこにはない。

 ただ心だけが。確かに本物が、そこにある。

 

『そうだ。心。心だよ! ほら、私たちの能力って、心を司ることが本質的でしょ? みんなの心は本物。だから問題なく使えるんじゃないかなって』

『そうかもしれないね。レンクスの【反逆】が使えないのは、操作対象たる世界が本物じゃないからだったりして』

『あるいは何者かさんが封じ込めてるって可能性もあるがな。なんかなあ。こう好き勝手できないと、牢にでも入れられた気分だぜ』

 

 レンクスが不満そうに溜め息を漏らしたのが、聞こえた。

 

『正体は皆目わからないけど。あえて仮想世界「ラナソール」と呼称しよう。とするならば、「トレヴァーク」こそが現実世界だ』

 

 なぜそう言えるのか。

 なぜならば、今もはっきりと感じているのだ。

 リクの気を。この世界に溢れる人々の命の息吹を。

 トレヴァークこそは俺のよく知る「普通の世界」のように思えた。

 

『両者はコインの表と裏の関係にある……ような気がする』

『少なくとも、絶対に無関係ではないと思うよ』

『ああ。ゲームっつう思わせ振りなガジェットも出て来たわけだしな。レオンの奴も』

『コインの全貌を知るためには、ひっくり返して裏からもよく見てみないとね』

『だな。ラナソールという世界の謎も、これで解明に向けて大きく前進するかもしれねえ』

 

 レンクスから期待の感情を読み取ることができる。

『心の世界』を使ったコミュニケーションでは、感情がよりダイレクトに伝わってくることが多い。

 すると、レンクスが「まずった」と呟き、たちまち心配の色を浮かべた。

 

『ところで、送り出しておいてなんだけどよ。お前、どうやって帰って来るつもりなんだ?』

 

 その問いに、一瞬ぞっとするものを感じたが。

 いや。落ち着け。考えろ。

 そうだ。よくよく考えてみれば。俺の能力が問題なく使えるということは。

 

『確証はないけど。帰るのはおそらく簡単だ。ユイがそっちにいるなら』

 

 あの方法が使えるだろう。

 

『あ、そうか。あれでいけるね』

『うん』

『あれってのは?』

『まあ見ればわかるよ』

 

 いつも何かと隠し事するから、たまにはお返しだ。ナイスユイ。

 レンクスはあまり気にしてない様子で納得した。

 

『へえ。そうかい』

『ただし、一方通行だ。そちらからこちらへは自由に来られない。世界に穴が開かなければね。次行けるのはいつになるかわからない』

『それについてはいかんともし難いな』

『だから今回、こちらで調べられるだけのことは調べておこうと思うんだ』

『ってことは、ユウしばらく帰って来ないつもりなの?』

 

 ユイの寂しい感情が伝わってくる。

 俺も正直少し寂しいけど。

 

『そうなるね。悪いけど、仕事はしばらくお休みかな。ちょうどいいじゃないか。俺に囚われないで、君が自分の判断でやってみるといいよ』

 

 何だかんだ俺がくっついていたら、君は今まで通りにしてきちゃったからな。

 良い機会なんじゃないかな。滅多にないだろうし。

 

『そっか……。うん、わかった。私は私なりに楽しんでみるよ。直接は側に居られないけど、くれぐれも無茶しないでね』

『わかったよ』

 

 学生がまともに学生してるような雰囲気だし、たぶんそう無茶するようなこともないだろう。

 ……ないよね?

 

『そうだ。ランドとシルヴィアが戻ってきたら、俺のことは心配するなと伝えておいてくれないか』

『オーケー。ちゃんと無事だって言い聞かせておくね。責任感じちゃうといけないから』

『頼んだよ』

『よっしゃ。話はまとまったな。しばらくユウはトレヴァークの調査、ユイは俺と二人きりでいちゃいちゃ……』

『あんた何聞いてたんだよ。おい』

『……あ、はは、冗談だって。冗談。じゃあ俺は世界の穴に入る方法がないか、あるいは穴を見つけられる法則がないか探ってみるぜ』

『『おー。レンクスがまともだ』』

『お前ら。俺だってたまにはな……!』

『普段が普段だけにね』『信用ないよね』

『それもそうだな!』

 

 あっはっは、と気持ち良くレンクスが笑ったところで、会議はお開きとなった。

 

「落ち着いた。もう大丈夫だ」

「結構早かったですね。本当に大丈夫?」

「うん。すっきりしたよ」

 

 今後の方針もな。

 見るとリクはPCの前に座って、何やらソフトを弄っているようだった。

 

「何をやってるの?」

「ああ。これがさっき言ってたラナクリムですよ。ちょっと調子悪かったんだけど、もう大丈夫みたいだ」

 

 リクは困ったように笑う。

 

「人がいるときにやるもんじゃないですけど。まだ寝てるかなと思ったし。接続が切れちゃったんですけど、その件を相手に謝らないといけないなと思って」

「へえ」

 

 何気なしに、彼の肩越しに画面を見やると。

 そこにはなぜかとても見覚えのあるキャラクターがいた。

 いや。見覚えのあるキャラクター、どころではない。

 この金髪の冒険者は――!

 

 ランド。

 

 表示されているプレイヤー名に、俺は目が釘付けになった。



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38「ラナクリムとラナソール」

「ランド……」

 

 ぽつりと口を衝いて出てしまっていたらしい。

 キャスター付きの椅子を回転させて振り返ったリクが、俺をまじまじと眺めて不思議そうに首を傾げた。

 

「僕のキャラクターがどうかしたんですか」

「あ、いや。ランドって言うんだなって思って」

「そんなに驚くようなことでもないでしょう。単純に僕がリクだからランドって付けただけですよ」

 

 リクだからランドか。

 やはり俺の耳でちょうど日本語と英語の関係に聞こえるという事実は偶然ではなく、実際に関連のある名前だったようだ。

 

「驚いたのはゲーム画面の方さ。恐ろしいほどにリアルだね」

 

 適当なことを言って誤魔化す。

 確かに画面自体も目を見張るものではあった。地球ではまずこれほどまでにリアルな映像のゲームはお目にかかったことがない。

 ある程度以上の解像度になると、人間の目は現実と映像を区別できなくなると言われるが、目の前に映し出されているものはそのレベルに十分達しているように思えた。

 リクは、まるで自分が褒められたかのように得意気に答えた。

 

「もう一つの現実を体験できるっていうのがこのゲームの売りだからね。没入感がすごいんだ」

 

 俺は彼の隣まで歩いていって、PCの画面がもっとよく見えるように屈んだ。

 

「ちょっと君のプレイを見せてもらってもいいかな」

「おっ。ユウさんもラナクリムに興味を持っちゃいました?」

 

 そう言えば、いつの間にかユウさん呼びされているなと気付いた。こんななりが相手でも、年上には敬意を払うタイプなんだろうか。

 逆に俺は打ち解けた相手にはどんどんくだけた言葉遣いで話していくから、いつの間にか最初と逆みたいになってしまったな。まあいいか。

 

「それはもう興味津々だよ」

 

 主にランドとラナソール的な意味で。このゲームに絶対ヒントがあると思う。

 ランドは言葉通りにゲームに興味を持ったと受け取ってくれたのだろう。

 良い笑顔でPCの正面から席を引いて、ベッドから見やすい位置を勧めてくれた。

 

「どうぞ。あまり良い所は見せられないかもですけど。でも画面酔いとかでまた具合悪くしないで下さいよ」

「少し寝たからもう大丈夫」

 

 とりあえずいったんは俺と真面目な話の続きをするのを忘れてくれたらしい。ラナクリムで遊んでいるところを見せてもらうことになった。

 でもちょくちょく俺のことを注視してくるので、話を忘れたわけではなくて、ゲームで興味を惹いておけば俺が勝手にどこかへ行ったりしないと踏んだのかもしれない。

 ラナクリムはオンラインゲームのようだ。同一の世界に多人数が同時接続して遊んでいる様子が窺えた。

 MMORPGって言うんだったかな。確かケン兄が好き好んでやってたっけ。

 画面の中のランドは、こちらに背中を向けて街の中を歩いている。

 

「今は何をやろうとしているの?」

「冒険者ギルドに向かっているところです」

 

 と言いながら、リクは迷路のように入り組んでごちゃごちゃした通り道を、勝手知ったる調子ですいすい歩き進めていく。

 活気に満ちた雑多な街並みは、まるでレジンバークを思わせるものだった。

 自分の完全記憶と照合してみる。驚くべきことに、いくつかの通りは完全に外見が一致していた。

 一方で、微妙に違う箇所も散見される。

 だが全体としては実に恐るべき精度で、ゲームの中の街並みと馴染みの街は酷似していた。

 俺はさりげなくリクに尋ねてみた。

 

「ところで、この町の名前は?」

「冒険者の町『レジンステップ』。冒険者ならまずここをスタート地点にしますね」

 

 レジンステップ。レジンバークとは似ているが、やはりそのものではない。

 なんだろう。この喉に魚の小骨が引っかかるような感じは。

 しばらく町の様子に気を配りながら「ランド」の動きを眺めているうちに、「彼」は冒険者ギルドに着いた。

 冒険者ギルドの様子も、奇妙に見慣れたものだった。初めて見るはずのものなのに、まったくそんな気がしない。

 いくつかの内装の違いを除けば、一切がレジンバークのそれと合致してしまう。

 もはや偶然というレベルで片付けられるものではない。

 ラナソールが先にあって、それを元にラナクリムが作られたのか。それともラナクリムに似たラナソールという世界があるのか。

 いずれにせよ、極めて密接な関係があることは間違いないように感じられた。

 

「これからクエストを受注しに行きます」

 

 リクが「ランド」を歩かせていく。

 受付のお姉さんは、落ち着いた感じの紫色の髪の女性だった。

 あの元気なマイクパフォーマンスがうるさい赤い髪のお方ではない。

 またもニアミス。これが完全に一致しているならむしろ話は単純そうなのに。わけがわからないな。

 するとリクは画面を開き、フレンド募集をかけ始めた。

 しばらく待っていると、「彼」の前に銀髪の女性が現れる。

 その姿を見て、あっと口を開けてしまった。

 

 シルヴィア! 今度は彼女がいる!

 

 さすがに驚きで声を出してしまうというへまはもうやらかさなかったが。

 画面の中の「彼女」が、まるでゲームを感じさせない滑らかな動きで手を振る。

 

『ランド君。さっきは急に回線が切れちゃって。ごめんなさいね』

 

 リクは、中々素晴らしい速度でキーボードを叩いた。

 

『いえ、こちらこそ。僕も突然接続がダメになってしまって』

『珍しいこともあるものね』

『そうですね。まあ気を取り直して、例のクエスト再開と行きませんか?』

『そうしましょ』

 

「彼女は?」

「シルヴィアさん。僕よりちょっとだけ先輩のプレイヤーなんです。よく一緒につるんでクエストをこなしてて」

「へえ。で、例のクエストというのは?」

「ああ、それは……。ワールド・エンドっていう、つまり世界の果てですね。そこを目指すグランドクエストがあるんです。僕たち二人はそのクエストをずっと続けていて」

 

 同じだ。この「ランドシル」の目的と、俺のよく知るランドシルの夢は。同じじゃないか。

 しかしながら、まったく同じかと言えば、そうでもないのだった。

 仲良くチャットを続ける二人からは、あの二人とは異質なものを感じる。

 まず、リクがやたら礼儀正しい。あの馬鹿一筋でいい加減なランドとは、どこか似ているようでやはり違う。

「シルヴィア」も妙に常識人っぽいし。少なくとも画面に映るこの人から、あんな風にはっちゃけたセンスは感じなかった。

 第一、シルヴィアはランドのことは君付けで呼んだりはしない。もっと腐れ縁のような、フランクな仲だろう。

 

『では、またワープクリスタルを使いまして』

『ランド君。またキャラがなってないよ^^』

『悪い悪い。そうでした。冒険再開と行こうぜ!』

『おー!』

 

「キャラ?」

「一応冒険中は。ランドは冒険バカっていうロールなんです」

「ふうん」

 

 ロールね。そっちの方が俺のよく知るランドっぽいじゃないか。

 

「どうしてわざわざそんな真似を?」

「えーと。そんなに強い理由があるわけじゃないんですけど。ゲームでくらいリアルを忘れて馬鹿やれないかなって」

「何かリアルで嫌なことでも?」

「いや、そういうわけじゃないんですけど……」

 

 リクはキーボードを叩く手を止めて、視線を落とした。

 

「ユウさんは……いや、何でもないです」

「どうした。言いたいことがあるなら言ってくれていいんだよ」

 

 やんわりと促すと、リクは逡巡するようにつま先をとんとんしてから、言った。

 

「その……。ユウさんは、楽しそうだなって」

「うん。毎日が楽しいよ」

 

 色々なことが起きてね。今だってそうだ。

 何もないなら、それもまた素晴らしいことだと思うし。

 

「君は違うのかい」

「うーん。それが……」

 

 ピコッ。チャット音が鳴った。

 

『ランドくーん。どうしたのかな? 行こうよ』

『あああ、すいませんんんん』

 

 ひどく慌てて打ったからか、んが連続して並んでいた。

「ランド」に、ワープクリスタルを使わせる。彼は生きた人間ではなく、リクの手の下に忠実に動く人型に過ぎない。

 ワープイベント中に、彼はこちらへ振り返って、困ったように曖昧に笑った。

 

「よく、わからないんです」



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39「リクの悩みとユウの提案」

「よくわからない、か」

「楽しいと感じることもたくさんありますよ。今だって」

 

 ワープイベントが終わる。彼は真剣な顔でゲーム画面に向き直った。

「ランド」と「シル」が飛んだ先は、俺がこの世界に辿り着く前に探検していた草原に瓜二つだった。

 

「でも……」

 

『ランド君。もう一度気合い入れていくよ!』

『おう!』

 

 それきり、彼はしばらく黙ってプレイに集中した。

 草原はまたラナソールのそれとまったく同じではないようだ。最も大きな違いと言えば、ゲームであるということか。

 プレイヤーを飽きさせないために、敵が適当な間隔で湧いて出てくる。敵の魔獣たちは俺にとって見覚えのあるものだったが、そいつらを倒すとたまに宝箱が出て来る。

 彼自身の浮かないトーンとは逆に、剣士キャラの「ランド」は、概ね魔法使いキャラの「シル」よりも前方で生き生きと立ち回っている。

 画面の中の二人は、まるで本物のように見事な連携を決めていた。一々どうするかチャットを使わなくても、互いに必要な行動を選択するのだ。

「シル」が精霊魔法の詠唱を始めれば、「ランド」は自ら飛び込んで敵を引き付け、「彼女」の準備が整うと同時に飛び退く。

 敵が弱ったところに、「彼」の魔法剣が突き刺さる。

 実に鮮やか。ゲームとは言え、ここまで息を合わせるのは相当な熟練が必要だろう。

 このゲーム、傍目からでも恐ろしく行動の自由度が高いのがよくわかるからね。

 器用にプレイしながら、彼は画面から目を離さずにぽつりと言った。

 

「時々、何もかもがつまらなくて。何となくすべてが嫌になってしまうんです」

 

 黙って聞いていると、彼から質問が投げかけられた。

 

「ユウさんは、そんなことってありませんか?」

「もちろんあるよ。人間だもん。特に気分が落ち込んだりしたときはね。もう今日は何もしたくないや、寝ようって」

「違うんです。そういうのじゃ、ないんです……」

 

 肩を落として、キーボードをやや強めに叩き続けるリク。

 そういうのじゃないか……。真剣に思い悩んでいるみたいだな。

 でも、初対面の俺なんかにこんなことを話してくれたのは。それほど話しやすかったのだろうか。

 まあどういうわけか、何かと相談されやすい方ではあるけれど。

 ――いや、もしかすると。

 俺が彼の知らないところから来た人間だからなのかもしれない。

 

「そっか。じゃあ君が言いたいのは、もっと漠然としていて、心がどこか満たされないような」

 

 探り探り、彼のニュアンスとすり合わせていく。

 彼は否定しなかった。

 

「俺の冒険の話は、とても楽しそうに聞いていたね」

「ええ。好きですよ。そういうの、憧れます。まだ夢みたいですよ。本当にあなたみたいな人がいるなんて」

 

 リクはこちらへ振り向いて俺の顔を窺う。

 言葉通りに、何か特別なものを見るような熱い眼差しだった。

 

「あなたの話の中身を聞く限り、どこまで本当かわかりませんけど。でも。最低でも今日、僕はとんでもない奇跡を目の当たりにしたんだ。何もないところから人が出て来るなんて!」

 

 興奮気味の彼は、チャット音に呼ばれて、またすごすごと画面に視線を戻した。

 再び黙々とプレイを進める。

 そうか。君の悩みの種類が、少しだけわかった気がする。

 

 奥のPC画面では、「ランド」が格好良く火炎斬りを決めていた。

 そんな「彼」を恨めしげに見つめて、彼が溜め息を吐く。

 

「ユウさん。どうして僕の現実は、ゲームのようにいかないんでしょうね」

「ゲームのように単純じゃないからさ。決して格好良いことばかりじゃないし、わかりやすいことばかりじゃない」

 

 むしろ逆のことが多い。

 泥臭いことの積み重ねで。わからないことだらけで。

 

「そうですよね。もっとすっぱりしていて、こんな冒険に満ちていればいいのに」

 

 なるほど。リクは変わり映えのない日常に飽き飽きしてしまっているのだ。

 もっとわかりやすい刺激のある生活を求めている。はっきりとそう感じた。

 しかしそれは、物事の一面の見方に過ぎないと俺は思う。

 ほんの少し視野を広げれば、世界はどこまでも広がっている。日常にだって、面白いことはいくらでも転がっているはずだ。

 俺は諭すように、落ち着いた優しい声を心掛けて言った。

 

「確かに現実は混沌としていて、先が見えないよね。クエストが目の前に転がっているわけでもないし、世界の果てみたいなはっきりしたゴールもない」

「ええ。本当に」

「でもさ。だから、可能性に満ちていると思わないか。自分の手で生き方を決められるんだ。君にはね」

 

 ゲームのキャラクターにはできないこと。彼らにはないもの。

 もちろん何でもできるわけじゃない。誰しも生まれ持って与えられた領分はある。不幸にもそれが貧しい人はいる。

 それでも。一度この世に生を受けたならば、その手には未来が握られている。

 はずだ。可能な限り、そうでなくてはいけない。

 多くの人たちがそうしてきたように。俺がそうしてきたように。

 平和に暮らす君は、少なくとも自分の意志で歩くことができるんだ。

 君がつまらないと思う場所から抜け出して、新しい世界へ飛び込んでいくことだって。君が望むなら。

 

「そんなこと、ないです。何の取り柄もない凡人の僕なんて……やれることは知れてる。とっくに先が見えてる」

 

 苦々しく顔をしかめるリク。

 自信のなさもあるのだろう。彼の退屈は、中々に根が深いように思われた。

 

「僕は、どうも毎日が単調なものに思えてしまって。刺激が足りないんです。この日常がつまらないと、そう思ってしまうときがあるんです」

 

 リクはこちらへ挑むような視線を向けて、続ける。

 

「でもユウさんは、そんな風には思ってないみたいだ。ユウさんは、さぞかし素晴らしい非日常を送ってきたんでしょうね」

 

 明らかな恨み言を吐いていた。

 俺はやんわりと首を横に振る。

 

「リク。そうじゃないよ。違うんだ。つまらない日常も、素晴らしい非日常なんてものもないんだよ」

「嘘だ。だったらどうしてそんなに」

 

 すべては。

 俺は自分の胸を指す。

 たとえ直面する事実が同じだとしても。想いが何かをもたらしてきたことを知っているから。

 自然と言葉が強まった。

 

「すべては、ここ次第だ。心のあり方一つだよ。どう向き合うかなんだ」

「そんな……綺麗事を言わないで下さいっ!」

 

 突然、リクは息巻いて立ち上がった。

 キャスター付きの椅子が激しく音を立てて滑り、PCデスクにぶつかる。

 

「きっと普通じゃない毎日を生きてきたユウさんには、僕みたいな人の気持ちなんてわからないんですよ!」

「……っ!」

 

 彼の怒鳴り声が、険しく部屋に反響した。

 彼は大きく肩で息をしながら、キッと俺を睨み付けている。

 よほどたまりかねることだったのか。逆鱗に触れてしまったのか。

 おそらく。裏切ってしまったのだろう。

 俺という降って現れた「ファンタジーの存在」に、期待していた理想的な答えを。

 ここではないどこかに、ゲームのごとき理想の世界があることを。

 ラナソールがそうだと言えば、そうなのかもしれないが。

 あそこは楽しいばかりのように見えて、そうではない。

 力のない者には肩身の狭い世界だ。誰もが夢見る冒険者になれるわけではない。

 けど……まいったな。

 そう言われると、さすがに少し応えるよ。

 まだ気持ちだけは、普通のつもりでいたんだけど。

 わかっている。俺は客観的に見れば、随分普通じゃない人生を歩んできてしまった。

 かつて望んでいた位置とは、もはや対極の位置にいる。

 皮肉だよな。

 かつて普通を望んでいた俺がここにいて、特別を望む君がここにいて。

 なのに、まるで逆の立場。

 ……そうだな。

 こんな俺が言い聞かせてもわかるようなことではなかった。かえって反発させてしまった。

 我ながら、随分説教臭いことを言ってしまったと思う。反省しよう。

 

「……そうだね。そうかもしれない。君の気持ちも考えずに、無神経なことを言った。ごめんなさい」

「…………いえ。僕こそ、つい叫んでしまって。別にここまで言うつもりじゃ、なかったんですけど……すみません」

 

 ピコッ。

 無神経なチャット音がしんとした部屋に響く。

 

『ランド君。今日はぼーっとすることが多いね。ながらプレイは判断を鈍らせるわよ』

 

 リクは「はあ」と大きな溜め息を吐いて、投げやりな手つきでどうにかタイプする。

 

『すみませんが、今日はこれで上がらせてもらえませんか』

『え、どうしたの? 急用でもできた?』

『どうもまだPCの調子が悪くて。ごめんなさい』

『そう……。悩み事があるんだったら、クエスト中断してじっくり聞くけど?』

 

 彼はわかりやすくぎくりとした。

 

『ありがとう。大丈夫です。また今度でお願いします』

『ふうん。そうなの? わかった。また今度も一緒に遊びましょうね』

『はい。また今度!』

 

 ログアウトして振り返った彼は、苦笑いしていた。

 

「シルヴィアさん、時々画面の向こうとは思えないほど鋭いんですよ」

「エスパーみたいだったね」

 

 共通点があったか。

 シルの鋭さも、ある分野にかけては変態レベルだからな。

 

「シル」のことでわずかに緊張は解消されたものの、俺たちは気まずくてしばらく黙り込んだ。

 やがて沈黙を解いたのは、リクの方からだった。

 

「そう言えば、ユウさんはこれからどうするつもりなんですか?」

「これからか。正直、どうしようかなと迷っているところなんだ」

 

 トレヴァークを調査するとは意気込んでみたものの。まるで雲を掴むような話なんだよな。

 何がどこまでわかればわかったことになるのかわからないし。わかったから何だって話でもあるし。

 まあ世界にわからない謎があるならば、それを調べること自体が一つ旅の醍醐味ではあるけれども。

 差し迫った事情があるわけでもなし。気負わずに行こう。

 とりあえず手近な場所からいってみるか。

 するとリクは、妙に思い詰めた顔で頭を下げた。

 

「だったら、お願いします。少しでいいんです。僕もユウさんの事情に関わることはできませんか?」

「別に嫌とは言わないけど。どうして関わりたいと思うんだ。君には一切関係のないことじゃないか」

「えーと。それは……僕自身の意志ですよ。ユウさん言ったじゃないですか。自分の手で生き方を選ぶことができるって」

「なるほど……」

「正直わかりませんけど……。ユウさんに付き合ってみることで、また見えてくる世界もあるのかなって思ったんです。ダメでしょうか?」

「そっか……。わかった。いいよ。言ったことには責任を持とうじゃないか」

 

 リクはぱっと顔を明るくした。

 せっかくの非日常への切符がどこかに消えてしまわないと信じられて、ようやく安心したのだろう。

 

「じゃあ、そうだね。とりあえず、今――君にぜひとも協力してもらいたい、非常に差し迫った極めて重大な案件がある。聞きたい?」

「はい!」

 

 彼は馬鹿真面目に返事をした。神妙な面持ちで、ごくりと息を呑む。

 俺はまだ微妙に残っているお通夜のような空気を変えたくて、わざとおどけて言ってみた。

 

「リクさん。俺の身元を預かって下さいませんでしょうか?」

「へ?」

 

 この日見た中で一番の間抜け顔で、彼はぽかんと口を開けた。

 

 そうだよ。よく考えたらやばいんだよ。

 このままじゃレンクス(ひと)のこと言えないじゃないか!



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40「ユウ、トレヴァーク初日を終える」

 ほぼ間違いなく地球みたいに法整備やセキュリティが発達しているだろう。自由な身動きの取りにくい世界だろうというのは容易に想像が付く。

 エルンティアのときのような非常事態であれば、犯罪人で構わないと開き直っても良いんだけど。

 それなりに滞在する予定なので、できれば事は穏便に済ませたい。

 

「えっと、それは……あ、そういうことか」

 

 リクがあっと気が付いた顔をして手を打った。

 俺は頷いて答える。

 

「俺はいきなり来たわけで。つまり国籍から何から何まで、身分を保証するものが一切ないんだ。困ったことにね」

「そうですよね。あの。もしかしてお金とか、ないんじゃないですか? 僕できることはするつもりですけど、バイトして何とか生活してる身なので。ずっとはちょっと」

 

 声が弱々しくなる。

 責任を感じる必要はないのに、自分が言ったことに対して負い目を感じているらしい。

 でもまあその辺りは、俺は普通の浮世離れしたフェバルとは違うからね。あまり心配は要らないよ。

 

「お金のことは大丈夫。その気になればいつでも作れると思う。ただ、身分の保証がないことには、一々危ない橋を渡らないと身動きが取れない」

 

 まず住所がない。アルバイトを探すにも履歴書が書けない。きっとそういうの要るんだろうし。

 各種ライフラインも、ラナソールのときのように自分で勝手に作ってしまうというわけにはいかない。契約が必要だ。

 しかし今のままでは当然できない。

 別にホームレスだって生きていけるから要らないと言ってしまえばそれまでなのだが、一定の社会的身分を得ておいた方が何かと都合が良いだろう。

 

「いずれその辺りは何とかするとして。渡る橋は少なめにしておきたいんだ」

「なるほどです。では、僕は何をしたらいいでしょう」

「とりあえずは君の名義を何度か使わせてもらいたい」

「ええ? はい。いいですけど」

 

 素直に頷くリク。

 君はお人好しが過ぎて、そのうち詐欺に遭わないか心配になるよ。

 

「大丈夫。変なことには使わないよ」

 

 君の名義ではね。

 

「必要なときに身元保証をしてくれるだけでいい。君も一応法律上は大人なんだろう?」

「まあ」

「じゃあ遠い親戚って感じにしておいてくれ。適当に」

「ええ。まあ……」

 

 どうにも浮かない顔をしていた。

 話が具体的になってきて、気後れを感じ始めたかな。

 いざという時は仕方ない。自分一人で何とかするか。通報とかされないだけでも感謝しておかないとな。

 俺は立ち上がった。

 窓の外を見れば、日が傾き始めている。

 初日のうちにできることは済ませておこう。まずは簡単なことから。

 

「さて。この町に本屋か図書館はあるよね」

「あ、はい。本屋なら近くにミニーモップがありますし。図書館だったらトリグラーブ市立図書館がありますね」

 

 そこで、あっと思い出したように付け加える。

 

「でもそうか。図書館は住民カードがないと利用できないんだった」

「じゃあ本屋に行こう。お店が閉まる前に」

 

 

 ***

 

 

 ようやくというか。俺は部屋の外の世界を見ることができた。

 結論から言えば、地球の我々が都市と聞いて思い浮かべるものとほとんど似たような風景が広がっていた。

 外側に歩道があり、内側に車道があって、車が走っている。

 この車はラナソール産と違って浮いていたりはしない。普通にタイヤでもって地面を走る車だ。

 木製の家屋や鉄筋コンクリート製らしき建物が整然と立ち並び、人通りの多いところへ行くにつれて高い建物も目立ち始める。

 日本のものと色こそ違うが、茶色の電柱が等間隔で立ち並んで、上には電線がごちゃごちゃと張られている。

 あまりにも普通だ。俺の感覚からすれば。

 ともすれば、ここが異世界であるということも忘れてしまいそうなほどに。

 唯一その事実を思い出させてくれるのは、たまに歩行者がリードで連れ歩くペットだった。

 モコだ。小さい羊のような愛くるしい姿。

 それらは空想上の存在ではなく、実際にこの世界で当たり前に親しまれているようだった。

 

「あそこですよ」

 

 ミニーモップというのが見えてきた。リボンの付いた可愛らしいモコのキャラクター看板が目印のようだ。

 本屋に着くと、早速俺は包装の付いていない本を手に取り、高速でぱらぱらとめくり始めた。

 ものの数秒でめくり終わると、次の一冊を手に取って、同じことをひたすら繰り返す。

 はたから見れば、本で遊んでいるようにも見えるだろう。

 異様な行為に、リクがそわそわした様子で声をかけてきた。

 

「ユウさん。何してるんですか?」

「大丈夫。これでいいんだ。こうすれば頭に入るから」

「マジすか」

「マジすよ」

 

 怪訝な顔をする彼を放っておいて。

 地理、歴史、法律に関する本をまず最優先に、たっぷり4時間はかけてこの世界に関する情報をインプットしていった。

 途中で、

 

「もし飽きたら先に帰っててもいいし、違うところで時間潰しててもいいよ」

 

 と言ったのだが、

 

「いいえ。見てます」

 

 頑として俺を目の届かないところに置きたくないらしいリクは、きっぱりとそう言った。

 

「ああそう」

 

 書物さえ発達した世界ならば、本から情報さえ頭に叩き込んでしまえば、その世界の常識から大きく乖離することはない。

 こんな真似が簡単にできてしまう【神の器】は、やっぱりとんでもないチート能力かもしれないと思う。

 性別の異なる二つの身体といい、これといい。

 俺がどんな異世界でも男女問わず、誰にでも上手く溶け込めるように与えられた力ではないかと感じるのだ。

 あるいは俺がそれを望むから、そういう能力の形になったのかもしれない。

 さらに語学、生活のコーナーへと手を伸ばしているうちに、閉店の時間を知らせるアナウンスが入った。

 今日のところはこのくらいでいいだろう。十分な戦果があった。

 

 外に出ると、もうすっかり暗くなっていた。

 時刻を尋ねると、彼は携帯電話のようなものを取り出して答える。

 

「21時ですね」

「もうそんな時間か」

 

 本で知ったのだが、この世界もラナソールと同じく24時間制である。

 そして地球に換算すれば、約25時間であるところもまったく一緒だ。

 つまり違う世界にも関わらず、一日の時間はまったく同じということになる。

 ところで。これまでもそうなのだが、時計が24時間制であることが何度もあったというのはやや面白い事実だ。

 どうも時間を丸時計というデバイスで表示する歴史的事実があった場合は、そうなりやすいらしい。

 一日が12時間や16時間、あるいは8時間というのもあるようだが、原理はすべて同じ事だ。

 つまりどういうことかと言えば。

 円は360度なので、これをぴったり分割できる数が見た目的には綺麗になる。なので1時間の角度の幅は360の約数であることが要求される。

 そして円を真っ直ぐ縦横に割りたいとき、つまりぴったり90度刻みの時間が欲しいとなれば、さらに制約は強く、1時間の角度の幅は90の約数でなければならない。

 そうなると、見た目ごちゃごちゃせず適度に割り切れる数字は、45度(8時間)か30度(12時間)辺りに自然と落ち着いてしまうというわけだ。

 別に円一周が360度とされているとは限らないわけだが(一周100度とするという世界もあった)、しかし円を綺麗に分割できる数は、円一周が何度であるかという、各世界の人間が勝手に決めた定義には依存しない。

 こんなちょっとしたことからも、世界の枠を飛び越えた宇宙共通の定理があるように思えて、中々に面白い。

 

「お腹空きましたね」

「確かにな。悪い。長居しちゃって」

「いいですよ。予想してましたから。帰り道にスーパーがあるんで、そこで何か買って帰りましょう。あ、お金はいいですよ。持ってないの知ってますから」

「ありがとう。けど世話になってばかりじゃ申し訳ないな」

 

 何かできることはないだろうか。

 

「そうだ。君は料理はできる方かな」

「一人暮らししてるからまったくできないわけじゃないですけど、そんなには。ユウさんはできるんですか?」

 

 俺は笑って親指を立てた。この世界でも似たような意味合いになる。

 

「だったら任せろ。美味しいもの作ってあげるよ。これでもプロの料理人の下で修業したことがあるんだ」

「ほえ~」

 

 いつもユイが、私の方が簡単に作れるから自分でやるって聞かないからな。

 たまには俺も腕を振るわないと鈍りそうだ。よし燃えてきた。

 するとそんな俺を見て、リクがぷっと吹き出した。

 

「ユウさん。輝いてますよ」

「え、そう?」

 

 そんなに変に見えたかな? まあいいか。

 買い物を済ませ、リクのアパートに帰ってから、俺はぱぱっと料理を仕上げた。

 お腹も空いているだろうし、ここは腕によりをかけるよりも手早く美味しいものを作り上げるに限る。

 もちろん限られた材料と時間の中で、少しでも美味しいものにするための工夫はこらした。

 最後に隠し味として、『心の世界』から醤油を取り出し、それを少量鍋肌に垂らす。

 万能調味料の威力を思い知るがいい。

 ジューと香ばしい湯気を立てているフライパンを、もう二、三度あおった。

 出来上がりだ!

 出来立ての熱さを届けるべく、さっと盛り付けをして。

 PCデスクの前に座って待つリクの下へ届ける。

 リクは目を丸くしていた。

 

「見たことない料理ですね」

「炒飯というんだ。うちの故郷の料理でね」

 

 断じて母さんの暗黒炒めではない。

 ありもので作りやすいのでこのチョイスになった。

 

「美味しいから、食べてみるといい」

「なんか見るからに美味しそうですよね」

 

 勧めて、様子を見守る。

 リクはおずおずとスプーンを手に取り、まずは慎重に料理を眺めていたが。

 立ち上る匂いにとうとう我慢できなくなったのか、掬い上げて口へ運んだ。

 よく咀嚼し、ごくりと飲み込んで。第一声が。

 

「うまい!」

 

 心からの唸りだった。俺もぐっと拳を握る。

 次から次へとスプーンが止まらない。

 ものすごいがっつきようだ。のどに詰まらせるんじゃないか。

 

「やっばい! 超うまいですよこれ! ユウさん!」

「よかった」

「マジで店出せますってこれ!」

 

 興奮気味にまくし立てるリク。

 普段あまり美味しいもの食べてなかったんだろうか。

 

「うっ!」

 

 突然苦しそうに、どんどんと胸を叩く。

 ほら言わんこっちゃない。

 俺は水道からコップに水を入れて、差し出した。

 

「ほら。美味しいからって急いで食べ過ぎない」

「っ~~!」

 

 彼は勢い良くコップを奪い取ると、そのままの勢いで水を流し込んだ。

 あまり激しく飲むものだから、今度はむせたらしい。何度も咳き込んでいる。

 

「ゲホッ! ゴホッ!」

「大丈夫? 君、案外おっちょこちょいなんだね」

 

 優しく背中をさすってあげた。

 

「ゲホッ……ウェ! ……うう、すみません」

 

 涙目になって呟くリク。

 まあそれだけ美味しかったということかな。

 

 ベッドは一人分しかなかったので、その日は彼にタオルケットだけ借りて、それに包まって寝た。

『心の世界』には寝袋もあるのだが、それを彼の見えるところで取り出すのは良くないだろうと判断したのだ。

 こうして、俺のトレヴァーク初日は何事もなく過ぎていった。



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41「ユウ、裏技を駆使する」

「金だな。まずは」

 

 翌日。俺は思い立つと同時に言い切っていた。

 リクも賛同するが、ふと気付いたように首を傾げる。

 

「でもどうやって?」

「地道に稼ぐのも面白いんだけど」

 

 普段は一歩ずつ生活の地盤を作り、そこで自然と人との繋がりもできていく。

 そうした泥臭い過程も旅の醍醐味なのであるが。今回はパスだ。

 あまり本筋でないことに時間をかけ過ぎると、ユイが寂しがるからね。俺も寂しくなるし。

 そこで。

 

「裏技を使おう」

「裏技だって!?」

 

 リクが期待の眼差しを向ける中。

 俺はこほんと勿体ぶった咳払いをして、懐に手を入れた。

 

「ここにダイヤがある」

 

 あくまで懐から取り出す体で、『心の世界』からピンポン玉大のダイヤモンド原石を取り出した。

 よく見えるように、PCデスクの上にころんと転がしてやる。

 リクはそれはもう面白いようにびっくりしてしまった。

 

「うわ!? これ、本物?」

 

 彼は目をぱちくりさせて、おっかなびっくりダイヤ原石を指でつつく。

 なぜ俺がこんなものを持っているかって?

 簡単なことだ。その世界、アッサベルトにはダイヤモンドが比較的豊富に存在し、それに高い価値を見出す者が誰もいなかった。

 宇宙は広い。そういうこともあったのである。

 

「ほへー。いくらするんだろう」

 

 あまりの大きさに現実感がないのか。

 彼はそれに目が眩むというよりは、半ば放心したようにぼんやりと眺めていた。

 俺はそんな彼に説明口調で告げた。

 

「ダイヤの原石というのは、それ自体では際立った価値を持たない。適切なカットを施さないとね」

「カット職人にでも依頼するんですか?」

「いや。その必要はない」

 

 俺はダイヤ原石を手に取ると、軽く真上へ放り投げた。

 リクが口を半開きにして、原石の行方を目で追う。

 俺は左の人差し指と中指を二本だけぴっと突き立てて、気とイメージを練った。

 浮かび上がっていく原石へ狙いを付ける。

 そして、最高点に向かって減速していくそれにぴたりと指を添えて。

 瞬間、スイッチを入れるがごとく発動した。

 

《スティールウェイオーバースラッシュ》

 

 俺の腕は、自動的に動き出した。

 反射の電気信号速度を優に超え、肉体の無意識というものが介在する余地もない、極めて機械的で精密な高速運動の連続。

 予め『心の世界』でプログラムしておいたイメージ通りの動きでもって。

 気のベールを纏って研ぎ澄まされた二本指は、リルライトをも切り裂く強靭なナイフとなって振るわれた。

 めった斬りされたダイヤ原石は、少しずつその形を変えていく。

 振るわれた指のナイフは、ダイヤ原石が最高点に達してから落ち始めるまでの数瞬のうちに、鋭い切れ味で正確にカッティングしていった。

 強化された俺自身の身体能力があってこそ、初めてなし得る早業である。

 

「よし。できた」

 

 落下地点に右手を添えて、ラウンドブリリアントカットが施されたダイヤモンド宝石をキャッチする。

 原石よりも一回り小さくなったそれを見つめて、俺は満足のいく出来栄えに頷いた。

 今やったことだけど。

 まず『心の世界』に意識を接続して、実行したい動き(今回はカッティング)のプログラムを構成する。

 それから、開始スイッチとなる挙動(今回は指を原石に添える)を決めておけば、それが入ったとき自動的に発動するというわけだ。

 使いどころによっては非常に便利なんだけど、一つ注意点があって。

 自動的であるゆえの速さは強みではあるものの、一方で固定化された動きは容易に予測されてしまう弱点がある。

 こと戦闘においては致命的な隙にもなり得る。

 なので人間相手にはあまり使わない技ではあるが、ただ確実にその動きをしたいときは役に立つ。

 イメージを寸分狂わずそのまま出力できる【神の器】の応用法の一つなのだった。

 

 さて。リクはというと、頭の中に?マークがいっぱい付いてそうな様子でぽかんとしていたけれど。

 我に返ると、俺の手の中にある輝きを見つめて感嘆の息を漏らした。

 

「ほ、ほほ、ほんものだ……。すっげー……」

「あとはこれが売れればいいんだけど。普通に売ろうとして捌ける代物じゃないよなあ」

 

 地球なら数億円から十数億円は下らない代物だ。トレヴァークでも似たような価値を持つことは調べてある。

 どうやってこんなものを手に入れたんだという話に絶対なるし、色々と詮索する連中は出て来るだろう。

 公権力の調査が入れば、非常に面倒なことになる。

 作ったはいいけど、どうしたものかな。

 

「学生の僕なんかが保証したって、こんなの無理ですよ」

 

 完全に泡食っているリクに対して、俺は素直に同意した。

 

「だったらこうしよう」

 

 俺は磨き上げたダイヤモンドを、もう一度宙へ放り投げる。

 再び自動カットを発動させて、整った二十個の欠片に割いた。

 

「あああっ!」

 

 リクが悲鳴を上げる。

 当然であるが、例えば20カラットの宝石は1カラットの宝石20個の価値に等しいわけではない。これでかなり価値は落ちた。

 一個当たり円換算で数百万程度の価値に落ち着いただろう。俺にはその程度の金で十分なのである。

 

「もったいないぃ」

 

 リクが頭を抱えて、項垂れる。一々とてもわかりやすい反応だった。

 彼の素直な反応を見ていると、何だか昔の自分を思い出すようだ。

 俺は砕いた20個のうち、3個だけを残して他はしまった。これだけあれば当面は十分だろう。

 リクに欠片を差し出して言った。

 

「君の名義でこれを売ってきて欲しい。実家の財産を処分するとか何とか言っておけば問題ないだろう」

「え。でも、こんなの僕に任せてしまって大丈夫なんですか? もしかしたら、そのまま持ってどっか行っちゃうかも」

「君はこのくらいで人を裏切るようなことはしないと思ってるよ」

 

 目を見ればわかる。心の動きを観察すればおおよそのことはわかる。

 万が一裏切られたとしたら、それは俺に人を見る目がなかったということだ。

 ダイヤの原石はまだまだあるし、別の手段を使えばいいだけの話。

 まだおどおどして自信のない様子の彼を見かねて、俺はぽんぽんと肩を叩いてやる。

 

「あ……」

「リクがいて本当に助かってるんだ。頼りにしてるからね」

「はい! ありがとうございます」

 

 彼は笑顔になり、声には力がこもっていた。

 

 

 ***

 

 

 リクは手筈通り、ダイヤモンドを換金してくれた。

 店を出て来た彼の手が小刻みに震えている。

 声をかけると、彼はどこか浮ついた声で言った。

 

「ユウさん、すごいですよ! 七万二千ジットになるそうです……!」

「結構な金になったね」

 

 この世界でもお金の単位はジットである。しかし札の絵柄はまったく異なる。

 例えば、100ジット札に描かれているのはラナの肖像画ではなく、オブリ シゲルという昔の偉い人の顔だ。

 

「お金は後日、僕の口座に振り込まれると思います。でももちろんユウさんのお金なので」

「うんありがとう。じゃあ次は俺が住む部屋を用意――ん?」

 

 どうも――こちらを監視しようという何かの意志を感じるな。どういうわけか。

 

「…………」

 

 俺は意志を感じる方向に注意を向けた。確かにそこには常人よりも力強い気を感じる。

 姿は見えないが。ビルの中にいるそいつへ向けて、俺は意図的に鋭い睨みを飛ばしてみた。

 謎の監視者から、驚きと恐れの感情が飛び込んでくる。

 そいつの反応はそそくさと離れていった。

 

「ユウさん。急に怖い顔してどうしたんですか?」

「……いや。何でもない」

 

 笑顔に戻して、リクへ向き直る。

 リクを見ていたのか。俺を見ていたのか。単にこの宝石店を利用する者を見張っていたのか。

 そこまではわからないが。

 誰かは知らないけど、今のでびびるならその程度の相手ということだし、本気ならばいずれは接触する機会もあるだろう。

 うん。やっぱり相手の気を感じられると対応しやすいな。

 ラナソールだと人の気が一切読めないせいで、調子悪かったからなあ。シルに振り回されっぱなしだったし。

 

「次は住む部屋の確保だ。もちろん君の名義で借りることになるわけだけど」

「僕の部屋は一人暮らし用ですもんね」

「それもあるけど、色々やるつもりだから。一緒に住んでると君の迷惑になるかもしれない」

「色々?」

「色々さ」

 

 不動産屋に行った俺たちは、良さげな部屋を適当に見繕い、内見を済ませるとリク名義で即借りてしまうことにした。

 リクたっての希望で、その部屋は彼のアパートから歩いていける距離になっている。

 リクの家に帰り、家具やらなにやらをネットで購入していると一日が終わった。

 

 翌日から、俺の新たな生活が始まった。



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42「ユイの心配事」

 私は時折ユウから報告を受けつつ、ちょくちょくユウの心を覗き見しつつ、ラナソールの日常をこなしていた。

 ミティに料理修行を付けてあげたり、レンクスのケツを叩いてごみ拾いに行かせたり。

 魔法が得意な私向きの依頼をてきぱきとこなしたり。夜にはお客さんに料理を振る舞い、レンクスのセクハラを適当にあしらったりして。

 未知の世界に遭遇して、どこか気を引き締めながら暮らしているユウに対して。

 こちらの暮らしはまったりそのものだった。

 

 ユウがトレヴァークの調査を開始してから、もう十日以上になるのか。 

 うん。やっぱりちょっと寂しいかな。ユウの肌が恋しく感じる。

 いけないよね。そんなこと言ったら、リルナさんなんてもっと寂しいはずだ。

 お姉ちゃんなんだからしっかりしないと。

 

 私はしかし、あることを思うと。

 どうしても不安に胸を駆られてしまうのだった。

 

 ……でもね。

 

 私がくっついていたいのは、寂しいだけじゃないの。

 それだけじゃないんだよ?

 

 最初は、ただ身体がユウの中へ戻りたがっているのかと思っていた。

 確かにユウとくっついていると、本来あるべきところにいるような気がして安心する。

 逆に側にいないと心が落ち着かないことがある。

 けどただそれだけなら、私がしっかりすれば済む話だと思っていた。

 でも、違うの。それだけじゃないの。

 最近、胸騒ぎのして仕方ないことがある。

 あなたはまだちっとも気付いていないけれど。

 

 あなたには言えないことがある。

 別に悪気があるわけじゃなくて。どうしても怖くて。

 だって、あのときと同じ匂いがするから。

 あなたが「それ」を認識したときに、万が一「それ」に触れてしまったときに。

 どうなってしまうかわからないから。

 

 あなたの中で「それ」は。

 あなたが気付かない内に、少しずつ、少しずつ。力を増している。

 このラナソールに来てから「それ」は、はっきりとは目に見えない速度で、しかし着実に膨れ上がってきている。

 

 私は見つけてしまった。

 

 あなたの心の中、奥深くに巣食っている底知れない「闇」を。

 それに秘められた計り知れない「力」を。

 

 黒の力。

 

 そうとしか形容のできない何か。

 これまでユウの培ってきたものとは、明確に性質を異にする何か。

 あまりにも物騒で、どこまでも冷たくて、恐ろしい。

 とても「それ」に触れる気にはなれなかった。

 触れた途端に、私は呑まれて掻き消されてしまうでしょう。

 でもどうして。

 私が中にいたときには、決して現れることはなかったのに。

 どうして、突然……。

 わからなかった。でもきっかけがあるとすれば。

 私がユウと分かれてしまった、そのことにあるとしか考えられなかった。

 こんなにおぞましく、あまりに似つかわしくないものがユウの中に巣食っている。

 そのことを思うだけで、身が震えるほど怖い。

 けど私は、初めて見るはずのそれをよく知っているような気がした。

 素直に胸に手を当ててみれば、明らかだった。

 

 ――まるで、ウィルの纏う力と同じじゃないかって。

 

 気が付いて、ぞっと悪寒が走った。

 すべてを凍てつかせるほどの冷たさが。どこまでも似ている。

 まるで兄弟のようにそっくりで。

 

 ……かつてトーマスというフェバルが、ウィルとユウは似ていると言っていた。

 

 とてもそうとは思えなかったけど。この力を見る限りは、あながちでたらめでないような気がする。

 むしろ的を射ているのではないかとすら。

 

 私はたまらなくなって、レンクスにこっそり相談してみた。

 でもあいつは、ひどくばつの悪い顔をするだけで。

 はっきりとしたことは何も言ってくれなかった。何も!

 

 どうして。

 どうしてフェバルはみんな、肝心なことは何も言ってくれないの!?

 

 憤慨したけれど、彼は申し訳なさそうな顔をして押し黙るばかりだった。

 でもそこには私への同情と強い思いやりが感じられたから、私もあまり強くは言えなかった。

 ただ一言、これだけは教えてくれた。

 

「ウィルが言っていた。本当のお前たちの力は、こんなものじゃないってな」

「あいつが、そんなことを……?」

「ああ。心の力は、使い方次第で黒にも白にもなる。白はお前たちが体験した通りだ。そしておそらく……黒がそれなんだろうな」

「あれが……!?」

「いずれにせよ、恐ろしい力だ。触れないに越したことはない」

 

 私はショックだった。

 白はまだ、わかる。自分を見失うのは怖いけど、まだわかる。

 あれは無秩序に心を繋げていった果てに現れてしまう力だから。

 でも!

 黒。あんなものが。

 あんなものが、ユウの本当の力だって言うの……!?

 頭ではいくら否定したくても。存在を認識したときから、嫌でもわかってしまうのだった。

「あれ」は突然現れたものではない。

 ずっと昔から『心の世界』において、極めて重要な位置を占めていた。

 おそらく、私たちが異世界へ旅立つその日よりも前から。

 ずっと。そこにあった。

 私たちは、ただ気付かなかっただけ。いや、知らない振りをしていただけだ。

 せっかく見えない振りをしていたのに。できていたのに。

 私というベールが剥がされることで、とうとう手に触れそうな位置にまで出て来てしまった。

 私たちは「それ」が何なのかさえ、まだ何もわからないというのに!

 

 今はまだ、何も起こってはいない。すぐに何かが起こりそうな気配もない。

 ユウはいつでも触れられるところにいる。

 あなたはいつも通り優しくて、あったかい。

 私だっていつも通り。

 ただ一人が二人になっただけ。それだけだ。

 だから何も心配はない。そうだと思いたい。

 

 ……でもユウ、言ってたよね。

 

 こんな甘えん坊で寂しがり屋の俺が独りでいたら、きっとすぐダメになってしまうって。

 わかるよ。あなたのことはずっと見てきたもの。

 あなたは孤独に耐えられない人。

 誰かが側にいるときは強いけれど、誰かが支えてあげなければ、本当に脆い。

 

 私は、それが怖い。本当に怖い。

 

 今はまだ、繋がっている。

 でも、この世界は普通じゃない。

 私たちはいつ切れるともしれない細い細い糸で、辛うじて繋がっているだけなのかもしれない。

 いる世界をも分かたれてしまったことで、その不安はますます強まっている。

 だから……もしも。

 私とあなたが、何かのきっかけで本当に離れ離れになってしまうことがあったとしたら。

 私があなたの側にいられない日が来てしまったら。

 私がいることで満足に抑えられていたものが、何かのきっかけで脆くも崩れてしまうのではないか。

 そのときこそ。あなたの力が、いよいよあなたに本物の牙を剥くのではないか。

 そんな気がしてならないの。

 血反吐を吐くよりも、ただ能力が暴走することよりも。

 もっと恐ろしい何かが。

 

 ――ううん。

 

 そこまでの嫌な考えを振り払うように、私は強く首を振った。

 

『心の世界』に巣食う「闇」と向き合って、戦う意志を固めた。

 

 大丈夫。大丈夫だよ。ユウ。

 私が支えるから。私が守るから。

 あなたから優しさを失わせることなんて、絶対にさせない。

 

 密かな決意を胸に、私はいつもと変わらない私を演じ続ける。

 ユウが私の心の奥深い部分までは、無遠慮に覗かないのを良いことに。

 今は、私だけの秘密。

 いつかまた、私とユウが一つに戻るその日まで。



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43「エーナさんがやって来た」

 たまにユウの報告を受けながら、『アセッド』を切り盛りしていたある日のこと。

 いつものようにテーブルに突っ伏してクソニート満喫していたレンクスが、ぴくりと眉をひそめて、上体を起こした。

 口元にはだらしなくよだれが付いているが、それを袖で拭いつつ。

 彼は神妙な顔でぽつりと言った。

 

「何だろうな。この世界の外から迫って来てるようだぜ。大きな力を持つ奴が」

「そうなの!?」

 

 私には気が読めないが、こいつは気の扱いには長けているから、ユウと一緒で感じ取れるのだろう。

 私は身構えた。レンクス基準で大きな力を持つというのだから、相当なもののはず。

 

「いや、それほどでもないか?」

 

 少しだけ真面目な反応を示していたものの、近付いてくる反応をより正確に捉えたのか。

 すぐにレンクスの表情からは、緊張が消え失せていた。

 そればかりか。彼はなぜか、屈託のない笑顔を見せたのだった。

 

「なるほどねえ。この調子だとフォートアイランドに着陸しそうな勢いだな。なあユイ、迎えに行ってみようぜ」

「えっ、迎えに? 誰を?」

「行けばわかるさ」

 

 レンクスは、にやにやした笑みを浮かべた。

 まだ小さい頃の私たちをからかうときによくしていたような、ちょっぴりむかっとくるやつを。

 

「よっしゃ。さすがに飛んでいくより転移魔法の方が早いだろ。頼むぜ」

「あ、うん。ちょっと待って」

 

 私は転移魔法の準備をするために、魔力を練り始めた。

 すると、カウンターを拭いていたミティから声がかかる。

 

「お出かけですかぁ? またまた急ですね」

「うん。どのくらいになるかわからないけどね」

「かしこまりました~。お留守はお任せ下さいですぅ」

 

 ミティはにこりとして、とんと胸を叩いた。

 

 よし。もういつでも飛べる。

 私は手を差し出した。

 

「レンクス。オッケーだよ。つかまって」

「おう。うひひ、今触れるぜ」

「……そんな手をわきわきしてたら置いていくよ」

 

 どこに触る気なのよ、と軽く睨み付けると。

 

「へへ、いやあ冗談だって! 怖い顔すんなよ」

 

 へらへらする変態はいつも通りスルーして。

 私は彼の手を取ってあげず、肩を掴んで転移魔法を発動させた。

 

 

 ***

 

 

 浮遊感に身を包まれたかと思うと。

 もうそこは以前噴火を止めた観光地、フォートアイランドだった。

 向こうには土口が見える。実は山の中腹にマーキングを施しておいたの。

 ここなら見晴らしが良いから、何が来てもわかる。

 さて。どんな人が来るのかと辺りを見回してみたけれど、まだどこにも人の姿は見当たらない。

 

「ちょっと来るタイミングが早過ぎたかな?」

「いや。ばっちりだぜ」

 

 隣で腕組みしていたレンクスが、にっと不敵な面構えで空の一点を見上げていた。

 つられて、私も空を窺う。

 何も見えないけど、もう来てるのかな。

 

「……ぁぁぁ」

 

 ん? 今、何か聞こえた?

 

「……ぁぁぁぁあああああああ」

 

 気のせいじゃない。

 上空から、誰かの声がかすかに届いてくる。

 よく耳を澄ませてみると、女の声だった。

 それも、結構前にどこかで聞いたことがあるような。懐かしいような。

『心の世界』に問い合わせて確かめるよりも早く、彼女の正体は迫真の悲鳴と共に明らかとなった。

 

 

「きぃゃあああああああああぁぁぁあああーーーーーーーーっ!」

 

 

 あっ、あれは!? エーナさん!?

 

 あのときとまったく同じままの姿。

 思わず目を見張った。偶然にも、ここから近い。

 いかにも魔法使い染みた格好をした金髪の女性が、涙と鼻水を撒き散らしながら、落ちていく。

 

 忘れもしない。

 16歳の誕生日、初めて正式にフェバルとなることを告げてきたのが彼女だ。

 私とユウにとっては、レンクスと同じ大先輩のフェバルに当たる。

 物悲しげでミステリアスな雰囲気が、とても印象に残る方だった。

 

 そんな大先輩が。

 

 えっと、あれ?

 どうして、やけにみっともない悲鳴を上げて……?

 

「いやぁぁああああっ! ぼぶっ!」

 

 べちゃ。

 近くの山肌に、墜落した。

 騒がしい悲鳴が、ぴたりと止む。

 

 私はぽかんと口を開けていた。きっとよそから見ると、ものすごく間抜けに見えていたと思う。

 だって。あまりにも。あまりにもイメージと違うんだもの。

 とても同じ人とは思えない。

 予想外の情けない彼女の姿を目の当たりにして、困惑から言葉が紡げなかった。

 現実を直視できず、そろりと首を彼に向ける。

 

「ねえ……今の、エーナさん……だよね?」

「じゃねえかな。間違いなく」

 

 クスクスと愉快そうに笑うレンクスは、しかしまったく驚いていない様子。

 この人にとってエーナさんって、そもそもああいう感じなのだろうか。

 何だか勝手なイメージが、音を立てて崩れていくような。

 まあとにかく。

 

「寄ってみよう」

「おうよ」

 

 やっぱり墜落場所は近かったみたい。

 私たちは、ほどなく彼女を見つけた。

 

 チーン。

 

 あえて表すなら、そんな表現がまさにぴったりだった。

 

 彼女は柔らかい斜面に、頭から垂直に突き刺さっていた。

 せっかくのクールなローブが見事にべろんと裏返って、露わになったかわいいくまさんパンツが山風に揺られている。

 そして、死にかけの虫のように、左足をヒクヒクと引きつらせていた。

 とてつもない不意打ちを食らって、さすがに私も吹き出すのをこらえ切れなかった。

 

「ぷっ……ふふふ! あ、えーと。ごめんなさい」

「あっははは! だっせえええええええ!」

 

 レンクスは指を差し、腹を抱えて思いっ切り爆笑している。

 私はどうにか吹き笑いを抑え込んで、そんな彼を冷ややかな目で見つめた。

 

 でもあんた。人のこと言えるの?

 こっち来たときは同じように埋まってたくせに。

 ……まさか。これを見たいから急かしたんじゃないよね?

 

 もはやそれが目的だったとしか思えないレンクスは、まだ笑い足りないようで。ついに両手まで叩き始めた。

 エーナさんは、私の存在に気付いたらしい。

 

「だえぁ……いうもぉ? いうんもひょぉ?」

 

 何を言ってるのか、さっぱりわからない。

 頭が土に刺さったままなので、声がこもっていてよく聞こえないの。

 しかし言いたいことはわかる。悲しいくらいにわかってしまう。

 

「ぶっははははは! ダメだ! お前よお、最高だぜ!」

「そももも、もむ。めんむふっ!」

 

 むーむーうなって、どうにか抜け出そうと足を必死にばたばたさせるけれど。

 そのたびにパンツのくまさんが、ちらっちらとこちらに無邪気な笑顔を向けてくる。

 そして狙いはさっぱり上手くいかないようだった。

 計算されたかのように素敵な力配分で、彼女はドリルが刺さるようにさらに地の底へ埋まっていく。

 ついに万策尽きた彼女は、もごもご涙声で懇願した。

 

「たしゅけへぇぇぇ」

 

 さすがにかわいそうかしら。そろそろ出してあげようかなと思ったところ。

 笑い過ぎで目に浮かんだ涙をこすって、レンクスがついに動き出した。

 彼女のひくひくしている左足を両手で掴むと、大根でも引き抜くように勢い任せで引っ張り出す。

 髪が筆のように垂れ下がった、土塗れの金髪女が出土した。

 

「ぷはっ! ああ助かった! 死ぬかと思ったわ!」

 

 見事なものよ。顔面が土パックされている。

 そんな彼女に、レンクスはふっと口元を緩め。

 どこか小馬鹿にしたようなスマイルを浮かべて告げた。

 

「ウェルカムトゥーラナソール」

 

 奴の顔をまじまじ見るなり、エーナさんは逆さ吊りになったまま憤慨する。

 

「って、やっぱりレンクスじゃないの! なんですぐに助けてくれないのよっ!」

「面白かったんでつい」

 

 彼は悪気もなくあっけらかんとして、こちらに同意の目を向けてくる。

 エーナさんのじと目もこちらに移る。

 私はどんな顔をしていいのかわからなくて、とりあえず苦笑いで誤魔化しておいた。

 それからレンクスは、逆さになっていた彼女をひっくり返して降ろしてやると、顔にこびり付いている土も剥がしてあげた。

 やっと素顔が拝めるようになる。

 改めて見ると。エーナさんは、やっぱりエーナさんなのだった。

 見間違いを一ミクロンくらい期待していたけど、そんなことはなかった。現実は非情ね。

 彼女はこちらのことをちゃんと覚えているようだった。

 どこか申し訳なさそうな、遠慮がちな笑顔で話しかけてくる。

 

「あなた、ユウよね? しばらくぶりね。と言っても、フェバルなんてみんなそんなものだけど」

「お久しぶりです。エーナさん」

 

 私はぺこりと頭を下げた。

 エーナさんは私を見て、感心していた。

 

「へえ。見ないうちに、随分女の子らしくなったものね。見違えたわよ」

 

 レンクスが「いや」と口を挟む。

 

「女のユウが、旅を重ねるうち女の子らしくなっていったのはな。確かに事実なんだけどよ。こっちは正真正銘、最初から女の子の人格だ。前に話しただろ?」

 

「ああそうだったわね」と頷くエーナさんに、私は言った。

 

「どうも。中の人です。ユイと呼んで下さい」

「ユイちゃんね。よろしくね」

 

 うんと彼女は納得しかけて、しかしはてと首を傾げた。

 

「待って。おかしくない? ユウの『心の世界』のことなら少しは知ってるわよ。私も能力で調べたから。でもあなた、外には出られないはずじゃないの?」

「それが。本当はそのはずなんですけど」

「ユウとユイ、今二人別々に分かれちまってるんだ」

「ええっ!? そんなことってあり得るの!?」

 

 エーナさんは、仰天していた。

 構わずレンクスは続ける。

 

「あってしまったんだな。この世界、ぶっちゃけかなりおかしいんだよ。許容性も馬鹿みたいに高いし、世界に変な穴は開くし、能力はつか――」

 

 彼が最後まで言い終わる前に、彼女はやけに興奮した調子で口を差し挟む。

 

「そう! そうなのよ。おかしいのよ、この世界!」

「何だか妙に訳知り顔だな」

「ええ。【星占い】によると、とんでもないことが起こるって出てしまってね。それを調査するために、私はこの世界にやってきたの」

 

 彼女はどうやら、強い懸念と使命感を持っているようだった。

 

「とすると、いつものあれ――フェバル覚醒予定者抹殺のお仕事ってわけじゃないのか」

「あれも大事だけどね。今回は別件よ」

 

 エーナさんの声色に、真剣味が伴っていた。

 私は気になって尋ねる。

 

「とんでもないことって言うのは?」

「それなのだけど。詳しいことはまだわからないの。とにかくこの世界でやばい『事態』が起こるって。それで大慌てで来ちゃったものだから」

 

『事態』。わざわざフェバルが強調して言うそれは、一体どれほどまずいことなのだろうか。

 レンクスの言うことを信じるなら、エーナさん【星占い】は、それによって知れる内容に精度が低い部分はあれど、その精度においては決して外れることがないという。

 なら。その『事態』というのは、必ず起こってしまうということなのかな。

 何となく、私たちの『心の世界』に巣食うあの「闇」と関係があるような気がしてしまい、不安に駆られる。

 

「調べたいものが近くてはっきりしてるほど、私の能力は高い効果を発揮するわ。つまり、この世界でこそ真価を発揮するというわけね」

 

 得意気な顔で、彼女は土塗れの魔女帽子をぴんと指先で弾いた。

 

「ちょうどいいわ。これからあなたたちにも協力してもらうわよ。早速【星占い】で……って、あれ? あれれ!?」

 

 エーナさん、深刻な顔で唸り始めちゃった。

 初めて使えないことに気付いたのでしょうね。それは焦るよね。

 そんなエーナさん、最初は黙って真面目に念じていたのだけど。

 そのうちやけくそになって、えいとか、やあとか、むんとか、とにかく色々な言葉で攻め立てて。

 結局無駄だということがわかるまでに、へとへとになっていた。

 あまりにむきになって続けるものだから、私たちも声をかけにくくて。

 肩でゼーゼー息をするエーナさんは、とうとう頭を抱え、喚き叫んだ。

 

「あああ!? なぜ? どうしてよっ! どうして能力が使えないのおおおっ!?」

 

 そんな彼女を生暖かい目で見つめるレンクスは。またふっと口元を緩め。

 今度はどこか皮肉気なスマイルを浮かべて、手を差し伸べたのだった。

 

「ウェルカムトゥーラナソール」



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44「ポンコツエーナさん 1」

「まさか能力が使えないなんて……そんな……」

 

 エーナさんは、それはもうわかりやすくがっくりときていた。

 

「道理で上手く空も飛べないわけだわ。随分勝手が違うなと思ってたのよ」

「ちょっと調子悪いよなやっぱ」

 

 レンクスも同意する。

 私たちなんてむしろ調子良いくらいなんだけど。

 

「だからってあの泣き喚き方はねえよ」

「う、うるさいわねっ! しょうがないでしょう。怖かったんだもん……」

 

 レンクスが小馬鹿にしたように笑うと、エーナさんは顔を真っ赤にして、最後は消え入るような声で顔を落とした。

 それが面白かったのか、彼は彼女をうりうりとつつく。

 

「ったく。いい歳してよう」

「いくつになっても怖いものは怖いのよ。というか歳の話は禁句よ」

「まあな。お互い何年生きてるかわかったもんじゃねえしな」

「考えるだけでぞっとするわ……」

「前から思ってたんだけど、実際どのくらいなの?」

「若い子は知らなくていいのよ」

「ねー」「なー」

「……へえ」

 

 妙なところで気の合う二人であった。

 

 話は変わりまして。

 

「おい。無能のエーナ」

「なによ。無能のレンクス」

「能力が使えないとわかった今、これからどうするつもりだ?」

「どうしようかしらね。『事態』について調査しなきゃならないのは事実なのだけど。手を伸ばせば届きそうなものが、雲を掴むような話に変わってしまったわね」

「行く当てがないんでしたら、私たちの家に来てもいいですよ。私たちも元々世界の謎を調べてましたし。一緒に調べませんか?」

 

 するとエーナさんは、まるで救いの女神でも見たかのようにうるうると瞳を潤ませて。

 

「本当にいいの!? だって私は、あなたたちを殺そうとしてたのよ? 恨まれても仕方ないんじゃないかって思ってたのに」

「あなたなりの考えと思いやりがあってのことだったのはわかってますから。もう私もユウも全然気にしてないですよ」

 

 エーナさんは感極まった様子で、私に飛び込んできた。

 ぎゅうっとハグされる。

 

「ありがとう。ありがとうね。私、生きててよかったわ。うん、やっぱり持つべきものは素敵な後輩よね」

 

 あの。抱き付かれるのは嬉しいんだけど。

 土汚れが付いちゃうよ。あはは。困ったな。

 私も躊躇わずに抱き返す。

 こうして同じ目線で肌で感じてみると、フェバルというよりただのお姉さんじゃないのという気がしてきて、身近な存在に思えてくる。

 レンクスは、そんな私たちの姿を楽しそうに眺めていた。

 

「よかったじゃないか。お前普段は散々な扱いばっかりだもんな」

「うう。親切が身に染みるわ」

 

 彼女はこちらを愛でるように背中を撫でてきた。

 

「そんなに苦労されてるんですか?」

「色々と大変なのよ。仕事柄ね」

 

 覚醒前のフェバルを抹殺して回るという仕事柄、恨みを買うこともたくさんあったのだろう。

 この人はレンクスやウィルに比べると戦闘向きじゃなさそうだからね。

 もしかすると間に合わず、覚醒したばかりのフェバルとかに返り討ちにされたこともあったのかもしれない。

 世界間移動のために自殺しなければならないことも多いだろうし。苦労してるのね。

 私は労わってあげたくなって、エーナさんの頭を撫でた。

 彼女は心に来るものがあったのか、うるうると涙を流して、私の胸に顔を埋めた。

 

「ううう。ユイちゃああああん!」

「うん。よしよし」

「これじゃどっちが先輩だかわからんな」

 

 レンクスはやれやれと頭を掻いて、私たち二人をしみじみと見つめていた。

 

 エーナさんが満足して、と言ってもそこまで深刻に泣いてたわけじゃないから、割とすぐだったのだけど。

 私にはふと気になることが浮かんでいた。

 

「そう言えば、レンクスってエーナと普通に仲良くしてるよね」

「ん?」「え?」

 

 何を言ってるのかわからないという様子だ。

 私は続ける。

 

「いや。紛いなりにも私たちを殺そうとしてたわけでしょ。レンクス、あなただったら普通はもっと」

 

 エーナさんが、ギクッとした。

 そうなのよ。レンクスの行動原理からすると、私たちに仇なすものは決して容赦しないというか。

 だからって私は別にそうして欲しいとは微塵も思ってないけど。普通ならこいつは彼女のことをもっと嫌っていてもおかしくないはずなの。

 なのに全然仲良さそうにしてるからさ。不思議だなあって。

 レンクスは、合点がいったように頷いた。

 

「ああなるほど。可愛いユウユイの味方である俺は、もっとエーナのこと嫌ってなきゃおかしくないかっつー話な」

「うん」

 

 エーナさんはその場で凍ったように固まりついている。

 どうしたのだろう。

 レンクスは笑いながら答えてくれた。

 

「だってさあ。わかってたしな」

「わかってた?」

 

 私の言葉には直接答えず、彼はエーナさんに質問を投げかけた。

 

「なあエーナ。お前、今まで覚醒前に殺せたフェバル覚醒予定者は何人くらいだったっけ?」

「…………ロよ」

 

 エーナさんが、すべてに絶望したような表情で、ぼそっと何かを言った。

 それがとても聞き捨てならないもののように思えて、私は聞き返した。

 

「えっ?」

「なんだって? もう一度はっきり言ってみろよ」

 

 彼女は強い悔しさを滲ませて、諦観たっぷりにその言葉を吐き出した。

 

「ゼロよ……」

「ええっ!?」

 

 私はびっくりしてしまった。

 だって。生き甲斐にしてることじゃないの!?

 私も覚醒前に有無を言わさず殺してしまうのが良いやり方だとは決して思わないけど。

 でも話を聞く限り、あれほど熱心に宇宙を駆けずり回って。歳を言うのも憚られるくらい長く生きて続けていて。

 それで、誰一人殺せていないっていうの!?

 それはもう本当はやる気がないというか。あったとしても異常ではないか。

 

「な。そういうことだ。どうせ殺せねえんだよ。この人の良いお嬢さんは」

「くっ……私だって別にいつもやる気がないわけじゃないのよ。でもね。思うようにターゲットが見つからなかったり、なんか色々あって仕留めるはずの攻撃が外れたり、つい相手の身の上話を聞いてあげて一緒に泣いちゃったり。そんなことしてるうちにチャンスを逃してしまって」

 

 意外な真実。エーナさんちっとも殺せてなかった!

 

「あなたのときはぴしっと決まって、やっと初めて上手くいけると思ったのに……ウィルが……ううう……」

 

 がっくりと膝折れて、地面に手を付こうとするエーナさん。

 しかしその手は柔らかいフォートアイランドの土にズボッと嵌り、慌てて引き抜いていた。

 何となく私にもこの人の本当の姿が見えてきた気がする。

 この人はとことんしまらない人なのだ。

 レンクスは馴れ馴れしく私の肩に手を置いて、笑いかけてきた。

 

「毎度決まって失敗し、その度フェバル覚醒予定者にフェバルに関する情報ばかり丁寧に教えていくもんだからよ。俺たちフェバルの間で付いたあだ名が『新人教育係』だ」

「新人教育係……」

「ぐっ!」

 

 なるほど。確かにそのネーミングはぴったりのように思えた。

 エーナさんっていかにも迷える子羊を救う先輩のお姉さんって感じだし。

 そう見えた。少なくともあのときは。

 ……実態は、あまり頼りにならなさそうだけど。

 あのときユウは、ウィルに「エーナに何も言われなかったのか?」って聞かれたけど。

 あれは「親切なエーナ先輩に手取り足取りフェバルのことを教えてもらわなかったのか?」って意味合いだったのね。

 実際はウィルの邪魔が入って情報伝達が上手くいかなかったわけだけど。

 打ちひしがれるエーナさんに、私は一つ疑問というか、提案をぶつけてみた。

 

「エーナさんの【星占い】って基本的には何でもわかるんですよね?」

「ええ。それが何か?」

「それでフェバル覚醒予定者の特定と、その人物がいる場所への行き方を調べるんでしたよね?」

「そうよ。毎回無茶なお告げが出て、結構苦労してるのよねえ」

「あの、一つ聞きたいのですが。そこまで占うんだったら、どうして確実に殺せる方法まで占わないんですか?」

 

 どうやらそれは、絶対に言ってはならない言葉だったみたい。

 途端に彼女は髪を振り乱し、頭を抱えた。

 顔色は嘘のように青く染まり、火が付いたようにぶつぶつと言葉を連ね始めた。

 

「ああダメよそれだけはダメよ怖くて怖くてとてもできないのそんなことをしたらどうせいつもできないって結論が告げられるのそうよそうに決まってるわ一体もう何度同じことを繰り返したと思ってるの結論なんて最初から決まってるのようふふふふ馬鹿じゃない私のやってることなんてぜんぶ無駄なの全部ぜーんぶむだそんなことはわかってるのよわかりきってるのに生きなきゃならないのよああ死ねない何度自殺したと思ってるの飛び降りて身を焼いて串刺しにしてそれでも私は死ねない死ねないしねないしねないあほなのばかなのもうどうにもならない全部決まってるだから私は誓ったのもう二度と壊し方なんて調べないようにしようってどうせ何にもならないあの誘惑に負けてしまったら二度と取り返しのつかないことになるんだわああお願い許して許してちょうだい私は罪深き女よフェバルなのうふふふふふふふふふふふふふふふふ」

 

 ちょっ怖い。怖いんですけどエーナさん!?

 

 レンクスがまた私の肩にぽんと手を置いて、首を横に振った。

 

「時々ああなるんだ」

「発作みたいなものなの?」

「どうも触れちゃいけないトラウマがあるらしいんだよ。フェバルは闇が深いからな」

「……あなたにも?」

「さてね。ま、俺に関しちゃ心配するな。ユナとお前たちがいて、俺はとっくに救われてるのさ」

「そう? 私たちってむしろ足引っ張ったりしてない?」

「いるだけでいいんだ。それより、お前たちの方が心配だぜ。お前たちの抱える闇も相当なものみたいだからよ」

「……そうね」

 

 フェバルはみんな闇を抱えている。因果と言うべきか。運命と言うべきか。

 そんなものと引き換えに、私たちは能力を行使する権利を得ているのかもしれない。そんなことを思った。

 

 エーナさんが仲間になりました。



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45「ポンコツエーナさん 2」

『ねえユウ。エーナさん来たんだよ』

『え、ほんとか! あのとき以来だよなあ。何か言ってた?』

『ユウにもそのうち会いたいって』

『そっか。こっちでの調べ物が一段落着いたら会いに戻るよ』

『やり過ぎで身体壊さないようにね』

『うん。気をつけるよ。じゃあ手が離せないからまた』

『またね』

 

 ユウとの心通信を終えた私は、エーナさんに向き直った。

 私たちは今、何でも屋『アセッド』の前にまで戻ってきていた。

 

「これからよろしくお願いします。エーナさん」

「あなたたちのお世話になるわけだものね。私にできることなら何でも言ってちょうだい。力になるわ」

 

 エーナさんはどっかのレンクスと違って、とても協力的だった。

 頼もしいことを言ってくれる。やっぱりエーナさんは心強い先輩だと、内心期待が膨らむ。

 

「ああー……。やめといた方がいいんじゃねえかな」

 

 うんうんと頷く私に、ただ一人レンクスは難色を示していた。

 その意味はすぐに思い知ることになる。

 

「私はユウと一緒に、この何でも屋『アセッド』を運営してまして」

「何でも屋? へえ。面白いことを考えるのね」

「仕事しながら各地を回って世界の情報を得ているんですよ。エーナさんにもぜひ手伝って頂けたらなと」

「もちろんいいわ。任せてちょうだい」

「助かります」

 

 両開きのドアをくぐると、ミティが元気一杯に出迎えてくれた。

 エーナさんの姿を見るなり、彼女は優雅な動作で軽く頭を下げた。

 エーナさんもお辞儀を返す。

 私はミティに彼女を紹介した。

 

「こちらエーナさん。今後私たちのお店を手伝ってもらうことになったから」

「お、新しい店員さんですか! わたし、ミティアナ・アメノリスですぅ! ミティって呼んで下さい。よろしくですぅ」

「ミティちゃんね。今後お世話になるわ。よろしくね」

「はい!」

 

 こうして、エーナさんを加えた新生『アセッド』は出発することになったわけだけど。

 レンクスの言っていたことの意味がすぐにわかった。

 私も彼女の様子を見ていて悟った。

 

 エーナさんのポンコツぶりに。

 

 まずは、お掃除をさせてみたのだけど。

 

「今日はもう良い時間ですから、依頼をこなすのは止めておきましょう。このお店、夜は食堂になるんですよ」

「へえ。だから椅子やテーブルがたくさんあるのね。中々楽しそうじゃない」

「なので、ミティたちが毎日開店までにピカピカにしておくのですよ」

 

 腕まくりをしたミティは、雑巾を手に気合い十分。

 魔法で大雑把に掃除してしまうこともできるけど、建物の中の細かいところはやっぱり手作業頼りなんだよね。

 私はエーナさんに微笑みかけた。

 

「というわけでエーナさん、一緒にお掃除しましょう」

「えっ? ……いいわよ!」

 

 あれ? 何か引っかかる。

 今の妙な間は何だろう。

 

「私はカウンターやテーブルをやるから、ミティとエーナさんは床をお願いね」

「はいですぅ!」「任せてちょうだい」

 

 雑巾を床にセットして。

 

「ミティ1号、いきますよぉ!」

 

 ミティが掛け声と共に発車した。

 てけてけーっと手際良く床を往復し、どんどん綺麗に拭いていく。

 私は花瓶を拭きながら、いつもの元気な様子を微笑ましく眺めた。

 一方のエーナさんは、スタート地点に手を付いたまま固まっていた。

 ミティが気が付いて、ぴたりと手を止める。

 

「どうしました?」

「あの……。こういうの、あまりやったことなくて……」

 

 あら。エーナさんって随分長く生きてると思うのだけど、家事あまりやったことないの?

 私が説明するまでもなく、ミティが優しく説明してくれた。

 

「大丈夫ですよ。ただ拭くだけですから。そこにバケツがあるので、ある程度拭いたら雑巾を絞ってまた拭いて下さいねー」

 

 笑顔で拭き掃除を再開したミティを前に、エーナさんも尻込みしてられないわと、やる気を燃やしている様子だった。

 

「よーし。エーナ2号。いくわよ!」

 

 ミティの真似をして、勢い良く雑巾掛けしようとして。

 

「あっ、そこはミティが拭いたところだから走るとすべりやす――」

「えっ?」

 

 つるっ。

 ミティが指摘したときには、すべては遅かった。

 エーナさんの足は思いっ切り跳ね上がって、身体がボーリングのように滑り出した。

 

「きゃああああああああ!?」

 

 ガッシャアアアアアアアン!

 

 かなりの衝撃音に、思わず目を瞑ってしまう。

 目を開けると、そこには涙目のエーナさんがうずくまっていた。

 跳ね上がった雑巾が、偶然にも頭の上に乗っている。

 

「いたたたた……」

「大丈夫ですか? エーナさん。って、テーブルが!」

 

 無駄に頑丈なフェバルの身体は、対テーブル戦に見事大勝利を収めていた。

 木製のテーブルが真っ二つに割れている。

 縦に。

 

「ああっ、ごめんなさい!」

 

 エーナさんはそれに気付いて、全力で謝っていた。

 頭に乗っていた雑巾がぽとりと落ちた。

 

「うわあ。こんなに不器用な人、わたし初めて見ましたよ」

 

 ミティは若干引いている。

 私はまあまあと宥めて言った。

 

「誰でも失敗はあるものだから。ね。このくらいなら魔法でパパッと作り直せるし」

 

 私は手をかざして、魔法で割れたテーブルを繋ぎ止めた。

 完璧に元通りになるわけではないけれど、使う分には問題ないでしょう。

 それから雑巾を拾って、もう一度エーナさんに手渡す。

 

「はい。今度は慌てないでやっていいですからね」

「面目ないわ」

 

 エーナさんは、今度は気を付けてやっているのか、こけるようなへまはしていなかった。

 しかし恐る恐るやっているからか、今度はスピードが著しく遅い。

 片道一列拭くまでに、ミティがフロアの半分を拭き終わってしまっていた。

 エーナさんは、真っ黒に汚れているバケツに気付いて。

 

「ちょっとバケツの水替えてくるわ」

「あっ、それはミティがやるから」

 

 嫌な予感がしたのだろう。

 ミティは咄嗟に庇い出ていたけれど。

 

「いいのいいの。このくらい」

 

 そう言って、三歩歩いた途端。

 

「きゃあっ!」

 

 バシャ。

 

 ミラクルとしか言いようがないこけっぷりを披露した。

 思いっ切りバケツをひっくり返して、エーナさんは頭から汚水を被ってしまう。

 

「ううう……」

「ほらあ。言わんこっちゃねーですよ」

 

 さすがのミティもこれには呆れ顔で、口の悪いところが出てしまっている。

 しくしく泣いている惨めなエーナさんを見ていられなかったので、私は「もう掃除はいいですよ」と告げて、彼女にはレンクスと一緒に夕飯までごみ拾いに行ってもらうことにした。

 その方が街の様子もわかってもらえるし、ちょうどいいだろうと思って。

 エーナさんがいなくなった後の掃除は、悲しいことに三倍速で終わってしまった。

 それから夕飯の仕込みをしていると、いつもよりかなり早くレンクスとエーナさんが帰ってきた。

 レンクスの明るい声が店内に入ってくる。

 

「ただいま」

「おかえり。早かったね」

「いやあ。それがよ」

 

 レンクスが苦笑いして、隣にいるそれを指し示す。

 私とミティは、ぎょっとした。

 全身をどぶコーティングされたエーナさんが、泣きべそ顔で立っていたからだ。

 

「俺が、あんなところのごみまではいいって言ったんだけどよ。こいつ、聞かなくってさ」

 

 エーナさんは喋る元気もないのか、ただそこに突っ立ってしくしくと涙を流している。

 よく見ると、身体には小虫がたかっていた。それでレンクスもやや距離を置いているのだと気付く。

 あまりに悲惨な姿に、私までついおろおろしてしまう。

 

「あの、エーナさん。泣かないで。私の水魔法で汚れ落としてあげますから」

「うっ……ぐす……ユイちゃあああああん!」

 

 私の声掛けに、エーナさんは感激した様子で、店内に足を一歩――

 

「うわああああ! クソ汚れたままお店に入るなぁですぅ!」

 

 今度はミティが絶叫していた。

 結局エーナさんには外で待機してもらい、私が遠くから温水魔法で身体を洗い飛ばしてあげた。

 遠くからでもものすごく臭いがきつかったけど、それは黙っておいてあげた。

 やっと落ち着いたエーナさん(まだ少し臭い)は、私とミティが料理の下準備している様を、居眠りするレンクスの隣で興味深げに眺めていた。

 この頃はミティも中々レベルを上げてきて、簡単な料理なら任せても問題なくなってきていた。

 

「ユイ師匠。味見をお願いします」

 

 小皿にスープを取って、差し出される。

 私は一口含んでじっくりと味わってから、言った。

 

「うん。中々いい感じね。あと小さじ3杯ほど塩を入れてもいいかもね」

 

 ミティはふむふむと頷き、私の手から皿を取って残りを口に含む。

 

「むう、なるほど。確かに言われてみると、塩の効きがもう一つですね」

 

 料理に打ち込んでいるときのミティは、あのふざけたキャラはなく、常に真剣そのものだった。それに筋も良い。

 これはもしかすると、料理の道を磨き続ければ、いずれは私を超えてしまうかもしれない。

 我が弟子の成長を嬉しく思う。

 もっとも。まだまだ私も負ける気はないけどね。

 エーナさんが、感心した様子で厨房へ入ってきていた。

 

「へえ。いいわね。そういうの。師弟関係というやつかしら」

「ミティは結構頑張ってるよ。ね」

 

 ミティの銀髪をくしゃくしゃと撫でてあげる。

 彼女は嬉しそうに懐いていた。

 

「はい。ユイ師匠からは、毎日とても学べる事が多くて」

 

 エーナさんは、私とミティを交互に見比べて。

 それから沸々と煮立っている大鍋を見つめて、どこか懐かしそうに目を細めた。

 

「料理かあ……。ほんとに……いいわね。私にできることってないかしら」

「どうか何もしないで下さい。嫌な予感がしますから」

 

 ミティは彼女のことを、じろっと睨み付けていた。

 エーナさんが怯む。この子、睨むと中々迫力があるのよね。

 ミティがそう思う気持ちも、わからないでもないけど。

 私はかわいそうかなと思って、庇っていた。

 

「ちょっと。ミティ。そこまで言わなくても」

「事実ですよ。人には向き不向きってーものがあるんです。ちゃんと言ってあげないとダメです」

 

 エーナさんがしょんぼりと肩を落とす。

 確かにミティの言っていることにも一理あるかもしれない。

 無理に向いていないことをさせても、人のためになるとは限らない。

 レンクスのように、適材適所で配置してあげることが、本人のためにも世の中にためにもなる。

 でも……。

 どこかそわそわしているエーナさんを見ていると、何となく放っておけないのよね。

 

「エーナさん。料理、したことあるんですか?」

「ええ。昔にね。忘れそうになるくらい、大昔のことだけど」

 

 ぼんやりと上を向いて、物思いに耽るエーナさん。

 何か料理には特別な思い出があるみたい。

 

「わかると思うけど、私は料理も下手でね。愛する人のために、一生懸命作ってみるんだけど……」

 

 彼女は無意識にその辺りに手をつこうとして――側にはあれがあった。

 

「あっ! そこは!」「危ないですぅ!」

 

 慌てて忠告したときには、彼女の手は熱々の鍋にしっかりと触れていた。

 

「あっつああっ!」

 

 ガッガラシャアアアアアン!

 

 スープが波々と入っていた大鍋は、綺麗にひっくり返ってしまった。

 ぐつぐつに煮え返った中身が、すべてぶちまけられる。

 

「ああ……!」

 

 エーナさんは、運良く無事だった。スープがかかって火傷するということはなかった。

 しかし罪悪感からか、その場にへたり込んでしまう。

 ミティもこれには頬を膨らませて、ぶち切れた。

 

「もう! なんてことしやがるんですか! せっかくわたしの作ったスープがああぁ!」

 

 そして彼女も頭を抱えて、崩れ落ちてしまった。

 ああもう。大惨事よ。

 

「……まあ、ぶっかからなくてよかったですけど」

 

 嘆き悲しみつつも、ミティは小声でけっと吐き捨てるように言う。

 へえ。心配は心配だったのね。素直じゃない子。

 

 ……あわわわと、すっかり顔面蒼白にしているエーナさんには聞こえてなさそうだけど。

 

 とにかく火魔法を止め、せかせかと後始末に追われていると。

 ミティの彼女を睨む視線が、これまで以上に厳しくなっていた。

 ようやく我を取り戻したエーナさんは、すっかり怯え上がっている。トレードマークの帽子もへたれていた。

 

「ひっ……」

 

 ミティはついに呆れ果て、私に訴えかけるようにエーナさんを指さした。

 

「ユイ師匠。こいつクビにして下さいよ。さすがにやばいってレベルじゃないですよ」

「うーん。気持ちはわかるんだけどね」

 

 下手にやる気はあるだけに、さすがにかわいそうというか。

 でも、せっかくのスープを台無しにされてしまったミティの怒りもよくわかる。

 だからなんて言えばいいのか。困ってしまった。

 

「ユイちゃん。わ、わたしぃ、ごめんねえ……」

 

 エーナさんはただおろおろするばかりで、先輩の威厳とやらはすっかりどこへやらという感じだ。

 私は二人の異なる視線に当てられて、大きく溜め息を吐いた。

 時計を見る。まだ開店まで時間はある。

 元々練習用ってことでミティに作らせて、『心の世界』で作ってなかったものだし。

 私は重い空気を吹き払うように、笑顔を作って提案した。

 

「今日のスープ。三人で一緒に作り直さない? エーナさんのことは、私がよく見張ってるから」

「……本気ですか?」

「うん。本気だよ。エーナさん、懐かしくなって料理したくなったんでしょ?」

「ええ。でも……いいの?」

「いいよ。その代わり、私の指示にはちゃんと従ってもらいますからね」

 

 言った途端、エーナさんの表情には光が差していた。

 

「ええ……! もちろんよ。ごめんね。ありがとね」

「ああもう……わかりました。エーナさん、今度足引っ張ったら承知しませんよ!」

 

 エーナさんも加えての、三人のリベンジが始まった。

 やっぱり料理に不慣れな彼女がいると、いつもよりずっと時間がかかってしまったけど。

 毎日二人でやっていたことが三人になっただけで、調理場には楽しげな空気が満ちていた。

 何より、料理は久しぶりというエーナさんがね。普段纏わりついている暗い影のない、心からの笑顔を見せていたのが印象的だった。

 彼女にとって、この体験は素敵な思い出になったみたい。

 

 夜になって。

 三人の作った特製スープは、無料でお客さんに振る舞われた。

 私がしっかり監修したので、多くの人は気にしてなかったけど。

 目敏い常連客は味の変化に気付いたみたいで。

 

「おや。今日のスープ、飲めなくはないけど。ちょっと味が落ちた? 珍しいね」

「えへへ。ですから、今日のスープはサービスなんです」

 

 ミティはまんざらでもなさそうに、笑顔を振る舞っていた。

 

 もちろんこの話にはオチがあって。

 

 ……後片付けでエーナさんが皿を何枚割ったのかは、記憶能力でわかってしまうけど数えたくない。

 

 ユウ。寝る前に報告するね。

 

 うちに賑やかなポンコツさんが一人増えました。



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46「ユウ、ゲーマーになる 1」

 リク名義でアパートの部屋を借りてから、約一か月。

 

 俺は、ゲーマーになっていた。

 

 新参ながら、今ではS級の「ランド」と肩を並べるほどになり、「黒シャツのユウ」と言えば、冒険者ギルドで名を知らぬ者はいない。

 そんな二つ名とかで呼ばれるのは何となく恥ずかしいんだけどね。

 もちろんオンラインゲームということで、中々レベルは上がらないし、レアなアイテムなどほとんど落とさない。

 たった一か月でここまで来るのには、それこそ語るも涙、血と汗に塗れた冒険譚があった。

 寝食さえも惜しむほどの壮絶なやり込みと課金が必要であり、ダイヤモンドの欠片をもう一つ売りに出して軍資金に充てることで、ようやく辿り着けた境地なのだ。

 こんなものに無駄に時間をかけるわけにはいかなかったからね。

 え? なんでそんな馬鹿みたいにやってるのって? 

 いや、やっているうちについハマっちゃったとか、そういうのではない。断じてない。ほんとにないよ?

 一応レンクスには黙っておいてくれとユイには強く念を押してある。その辺はぬかりない。

 同類と思われたくないし、笑われたくないし。

 ただ調査のためとは言え、最近ユイには呆れられてしまっているかもしれないな。

 この間なんか手が離せないボス戦のときに声かかってきたから焦っちゃったよマジで。

 こほん。

 まあとにかく。決してただ楽しいからやっていたというわけではない。本当だ。

 このラナクリムというゲームは、決してラナソールそのものではない。

 それでも、あの奇妙な世界に関するヒントがたくさん詰まっている。なので当然、調査対象としては真っ先に上がったわけだ。

 ところがである。

 まず本で調べようとしたら、攻略本は一切市販されていなかった。

 ではネットはどうかというと、ディズ(ウィキみたいなものだ)を見ても、ゲームの表面上の紹介くらいしかなされていない。

 理由は、前に読んだ法律書を『心の世界』から参照したらすぐにわかった。

 通称ラナクリム法と揶揄される強固なデータ著作物保護法のために、攻略情報の開示でさえ規制がかかってしまっているのだ。

 なんか地球でもちょっと似たような話を聞いたことがあるような気がするけど、気にしないでおこう。

 そういうわけで結局のところ、このゲームの情報を得るためには、実際にプレイしてこの目で確かめるしかなかった。

 だから俺は仕方なく。仕方なくこのゲームを始めたんだ。

 これはゲームであっても遊びではない。世界の謎を解き明かすという強い使命感を持って。

 

 あの、ええとね。

 ラナクリムで行動範囲を広げていくためには、レベルと冒険者ランクをとにかく上げる必要があって。

 だから俺はやむを得ず、課金とやり込みという手段をもってだね。

 

 ……うん。ごめんユイ。

 

 楽しいです。ハマりました。とっても。

 

『ユウ。あなたねえ……。知らない世界に行ったと思って、人が心配してるのに』

『すみませんでした』

『もう。ほんと昔から熱中するとバカなんだから。アリさんに見とれててすっ転んだの何回あったっけ』

『いつの話してるんだよ……。わかった。かなりゲーム世界の情報は集まってきたから、今日限りでペースは落とすよ』

『ゲームは一日一時間だからね』

『はい』

 

 ユイからお叱りを受けて、俺は渋々PCの電源を落とした。

 カーテンを開け放つ。徹夜明けの朝日が目に染みる。

 俺は伸びをして、それから何度か屈伸した。

 よし。朝の運動行ってくるか。

 これでも勘が鈍らない程度には毎日きちんと身体動かしてたんだよね。

 さすがにイネア先生の言いつけを破るまでは落ちぶれちゃいないさ。

 

 この一か月どんなプレイをして過ごしてきたのか、歩きながら振り返ってみることにしよう。

 

 

 ***

 

 

 リクにも勧められてラナクリムのパッケージソフトを買ったのは、アパートを借りた翌日のことだった。

 同日に高性能デスクトップPCも買ってしまい、インターネット回線の契約を申し込んだ。こちらの世界でも、オンラインでやるなら有線が基本のようだ。

 高速回線が売りの『メセクトファイバー』なる料金コースがあるので、それを申し込む。即日で業者が来てくれて、接続工事を行ってくれた。

 メセクトとは、「仮想の」もしくは「理想的な」を表すトレヴァークの言葉だ。

 ラナソールには、先進区フロンタイムにおいて車などの動力源となるメセクター粒子なるものが存在するが、仮にこちらの言葉通りに当てはめて解釈するなら、向こうでそう呼ばれているように「理想粒子」となる。

 あるいは……「仮想粒子」とも読める。

 トレヴァークには、メセクター粒子なるものは存在しない。

 車は主にガソリンと電力によるハイブリッドエンジンによって動いている。

 まるでそんな理想的なものはないと言われているようではないか。

 家は近かったので、落ち着くとリクはすぐにでも飛んできた。

 付きっきりで俺の初プレイをアドバイスしてくれることになった。

 

「まずは必需品を買いに行きましょう」

「ソフトは買ったけど。これじゃできないの?」

「もちろんできますけどね。音声入力が恥ずかしくないんだったら、ゲームパッドの方がずっと快適ですよ」

 

「僕は恥ずかしいから、専らキーボードでやってますけどね」と、リクは頬を搔いた。

 

「タナキアンなら安く買えますよ」

 

 ああ。本で見た。トリグラーブ市最大の電器チェーンのことだな。

 彼の提案に乗って、俺たちは電車に乗って中心街へ向かうことにした。二十分ほどで着くらしい。

 電車というのは、本当に何の変哲もない電車だ。

 デザインも向こうのシュルーみたいに特徴的だったりはしないし、無駄に浮いてたりもしない。

 普通に電力で動くあの電車だ。

 俺は本当に異世界にいるのだろうかという気分になってくる。

 マジで今のところモコの存在くらいしか大きな違いがないぞ。

 

 電車から降りてしばらく歩くと、タナキアントリグラーブ中央店が見えてきた。

 正面に差し掛かると、ショーウインドウにたくさん並べられたモニターから、お店の宣伝テーマが流れて来た。

 

『あなたの~暮らしの~す~ぐそば~に~タ・ナ・キア~ン~♪』

 

 油断してるとつい口ずさんでしまいそうな感じのアップテンポな曲だ。

 実際すぐ近くで、親子連れの子供があどけない声で口ずさんでいて、微笑ましい気分になった。

 タナキアンテーマ曲が終わると、画面が切り替わって、本日のおすすめ家電紹介コーナーになっていた。

 よく見ると、前にどこかの局でやった番組をそのまま流しているらしい。

 

『そんなあなたへおすすめの家電は~? じゃじゃーん! こ・れ・ですぅ!』

 

 銀髪の可愛らしい少女が、笑顔を振りまきながら冷蔵庫を紹介していた。

 ふと聞き慣れた特徴的な口調が気になったので、画面を指さしてリクに尋ねてみた。

 

「あの子は?」

「アマギシ エミリ。家庭派アイドルですよ。狙ったようなぶりっ娘キャラが、好きな人は好きみたいですね。まあ可愛いですよね」

「へえ」

 

 何だか容姿も雰囲気もミティを思い起こさせるな。

 もっとも多少感じが似てるからって、本当に関係があると決めつけるのは早計かもしれないけど。

 うーん。リクと話したときは割とすぐにぴぴっと来たんだけどな。

 画面の向こうだと心も読めないし、さすがにこれだけじゃわからないか。

 

 問題なくゲームパッドを買い終えた俺とリクは、帰宅して早々にセッティングに取り掛かった。

 ちなみにこのときついでに攻略本とかも探してみたけど、まったく置いてなかったわけだね。

 まずPCの初期設定及びインターネット接続を済ませてから、パッケージよりラナクリムを取り出す。

 裏には有名なキャッチコピー『もう一つのリアルがここにある』が書かれていた。

 これがただの宣伝文句に過ぎないのか、それとももう一つのリアルへの扉になるのか。

 さて。正直言うと、このとき俺は。

 真面目な緊張もあったけれど、久々にゲームができることに既にかなりわくわくしていました。ごめんなさい。

 リクのやってるところ見てたら、すごい楽しそうだったしね。

 

 ディスクを差し入れ、手順に従ってインストールしていく。

 しばらく待っていると、ラナクリムのアイコンが表示された。

 Ver.48。恐ろしくロングランなゲームだ。

 クリックすると、壮麗なビジョンと雄大なBGMと共に、ラナクリムが起動する。

 どうやら初回は、キャラクターメイキングから始まるらしい。

 リクが、ここぞとばかりに先輩面をして解説してくれた。

 

「まずはキャラクターネームからですね。よほどひどい下ネタとかじゃなかったら好きに付けられますので。ユウさんは何か考えてますか?」

「ユウでいくよ」

「えっ、本名でやるんですか? 変わってますね」

「俺はこの名前大切にしてるんだ」

「ふうん。いいと思いますよ。別にいないわけじゃないので」

 

 さて、名前を決めるとキャラメイク本番なわけだが。

 俺はネットゲームはやったことなかったのだけど、やたら設定項目が多くて面食らってしまった。

 性別、顔の形、声、生まれ、宗教などなど、実に数十以上も用意されている。

 

「性別はどうします? あえて女の子にしてロールプレイするのも楽しいって聞きますけど」

「……ああ。うん。別にいい」

 

 いつもやってたし。リアルで。

 ゲームでやろうと思ったら完璧に演じられてしまいそうな自分は、喜ぶべきなのか悲しむべきなのか。

 迷いなく男を選択する。

 

「あ、設定面倒ですよね。ユウさん基本そのままで行きそうな雰囲気ですし、それならいいものがありますよ!」

 

 リクはにこりと笑って、初めにこちらに来るときに背負って来たリュックから何かを取り出した。

 頭をすっぽりと覆う、被りものの装置だった。

 耳の辺りからコードが伸びていて、PCに接続できるようになっている。

 

「これを使うと、機械が生体データを読み取ってくれて、自動でそっくりにオリジナル設定してくれるんです。後から調整もできますし。僕もまずこれで大雑把に設定してから、髪の色変えたりしたんですよ」

「生体データか……」

 

 その言葉にはあんまり良い思い出がないんだよな。本当に台に縛り付けられてデータ取られたことあるし。

 

「どうしたんですか? 急に神妙な顔しちゃって」

「何でもないよ。うん。大したことじゃないんだ」

 

 終わったことだからね。

 

「そうですか。あ、そうそう。これは詳しいことはわかってないんですけど、人によってはデフォルト設定に比べてボーナスパラメータが付きますよ。例えば、よく鍛えてある人は力の能力値が高いとか」

「ボーナスかあ」

 

 それは魅力的だな。

 自分で言うのもなんだけど、俺は相当鍛えてあるから、結構期待できるんじゃないだろうか。

 

「僕は特に何も付かなかったんですけどね」

 

 リクはどこか乾いた笑いを浮かべていた。

 

「よし。使ってみようか」

 

 ヘッドギアのような装置を被って、PCに接続した。

 待つこと二分ほど。データの解析が終わったようだ。装置は外す。

 PC画面に表示されているキャラクターは、まさに俺の分身と言っても遜色ないほどにそっくりだった。

 

「できましたね。どんなキャラか見て見ましょうか」

 

 リクと一緒に、オリジナル設定された項目を順番に眺めていく。

 髪の色や体型など、特に見るべきものはないが。

 能力欄に移ったとき、リクの目が釘付けになっていた。

 

「職業は……旅人? 冒険者ならありますけど、こんなシンプルなのはかえって見たことないですね。それから、初期ステータスは――げっ!? マジすか!?」

「どうした?」

 

 HP、力、守り、素早さ、体力など、どれも数百ほどの数値を記録しているみたいだけど。

 比較対象がないからよくわからない。これがどうかしたのだろうか。

 

「いや、だって……。すべてのパラメータが、デフォルト設定平均の10倍以上ありますよ! 普通ならレベル20相当です! どんだけですか!? ユウさん!」

 

 おお。それは思った以上だったな。ちょっと嬉しいかも。

 やっぱ普通じゃないですね、と彼は素直に感心していたが。

 ふと何かに気付いて画面を指差した。

 

「あ、でも魔力だけ0ですね。まさかの脳筋だった!」

「はは。そうだね」

 

 二人で一緒に笑う。

 なるほど。俺のリアルパラメーターを反映してくれるわけだな。

 

 ふう――さすがにフェバルの能力までは反映しないか。

 

 スキル欄に【神の器】とかが表示されていなくて、ほっとする。

 しかし何もないわけではなかった。最初からスキル《気術》を持っているようだ。

 俺は思わず、さっきまで被っていた装置を見つめていた。

 たった二分でここまで解析するなんて。

 この装置、どんな仕組みになっているんだ。普通じゃないぞ。

 

 スキル欄に目を移したリクも、俺の持つスキルに気付いて目をぱちくりさせた。

 

「おー。すごいじゃないですか! 最初から《気術》持ちなんて。これ、普通は修行クエスト進めないと入手できないんですよね」

 

 どうやら《気術》自体はユニークというわけではないみたいだ。

 まあ俺もイネア先生から習ったものだし、それ自体はありふれた技術だからな。肝心なのは使い方だ。

 

 一通りステータスも見終わって。

 

「ここから調整することもできますけど」

「いいや。このままでいこう」

「そう言うと思いましたよ」

 

 俺はあえて俺の姿のままでラナクリムをプレイすることにした。

 可能性は低いが、この世界にもし俺を知っている者がいれば、この姿を見て接触を図ってくるかもしれないと考えてのことだ。

 

「あ。だけど、インナーの色くらいは選んでもいいんじゃないですか」

「インナーの色?」

「このゲーム、最初は無装備で始まるんですけど。さすがにすっぽんぽんは色々と問題なので、上下シャツを着た状態で始まるんです」

「なるほどね」

「ユウさんは好きな色ってありますか?」

「黒と青かな」

 

 黒は今もよく着てる最近お気に入りのジャケットの色でもあるし。

 青は俺の名字にも入っている海の色だから。

 ちなみにユイに聞くと「白と青」と返ってくるだろうね。

 

「まあ今回は黒でいいか」

 

 ……どうでもいいけど、これが「黒シャツのユウ」の由来だったりする。

 

「よし。これですべての設定はできたかな」

「一部の設定は後で変更できませんからね。大丈夫ですか?」

 

 最後にもう一度、ざっと確認して。

 

「オーケーだ」

「では」

「「ラナクリム、ゲームスタート!」」

 

 二人で仲良く、エンターを押した。



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47「ユウ、ゲーマーになる 2」

 ゲームが始まると、俺を模したキャラ「ユウ」は冒険者の町レジンステップの街広場に立っていた。

 職業は旅人だけど、開始位置は冒険者と同じような扱いなのか。

 隣で見守っているリクが、心強いことを言ってくれる。

 

「今日は僕が付きっきりでアドバイスしてあげますよ。何でも聞いて下さい」

「頼むよ。じゃあ早速だけど、最初は何したら良いかな」

「そうですね。まずはアイテム欄を確認してみましょうか。ゲームパッドの1ボタンを押してみて下さい」

「うん」

 

 言われた通り、アイテム欄を開いてみる。空だ。

 お金の単位はジットか。ぴったり100ジットだけ持っている。

 ゴールドとかオリジナルの単位じゃないんだね。

 リクが得意顔で解説してくれる。

 

「最初はみんな100ジットだけ持って始まるんですよ。『はじめ、僕の手には幾ばくかの小銭が握られていた』です」

「キメ顔で言ったのは標語か何かなの?」

「ゲームカタリストシゲさんの『ラナクリムに浸る』冒頭の有名な文章ですね。まあユウさんが知らないのも無理はないですけど」

「へえ」

「おっ。スキル欄にはちゃんと《気術》が入っているみたいですね。《気術》は自分で好きなように型を設定できるフリースキルなんですよ」

 

 他にもフリースキルが色々あって、それらと誰が使っても型通りに発動するオーソライズドスキルとの組み合わせが、ラナクリムの戦略自由度を高めているとのこと。

 

「なるほどね」

「ユウさんはスキルのイメージとか、何か考えてるんですか?」

「そうだね。これにしようというのは頭に浮かんでるよ」

 

 やっぱり慣れ親しんできた《気剣術》と《気拳術》が良いだろう。

 

「早速設定したいと思うんだけど、やり方教えてくれないかな」

「もうですか? せっかちですねえ」

「いつ戦いになるかわからないからね」

「まあ物騒な初心者狩りもたまにいますからね。別にここだからと言って戦闘が禁じられてるわけでもありませんし」

 

 リクにスキルのカスタマイズ方法を教えてもらい、《気術》を自分の思い描いていた通りに弄った。

 まず、《気剣術》と《気拳術》を定義する。

 二つのモードを即座に切り替えられるよう、ゲームパッドにショートカットコマンドをセットした。

 それから、必殺技として《センクレイズ》と《気断掌》を再現した技を創る。

 こいつらもいつでも撃てるように、ショートカットコマンドを設定しておく。

 そこまでやってみて、スキル設定の自由度の高さに舌を巻く。

 フリースキルという名に負けていない。エフェクトから効果まで、これほどまでそっくりそのまま再現できるとは思っていなかった。

 やばいな。神ゲーの予感しかしない。

 リクはというと、てきぱきとスキル設定をこなしていく俺を見て、彼も彼で舌を巻いていた。

 

「うわあ。すごいです。堅実だ。初心者とは思えない実用性と汎用性の高さですね。普通、見栄えとかロマンを優先しちゃうと思うんですけど」

 

 そう言って、彼は苦笑する。彼自身思い当たる節があるようだ。

 でもわかる。その気持ちめっちゃよくわかるよ。

 俺もかつてはロマンの信奉者だった。燃費ガン無視の飛行魔法とか紅炎魔法とか、あれこれ開発したものだ。

 失敗もたくさんしたし、今よりも青かったな。

 だが結局どんなに変わり種な技を閃いてみても、ここぞというときは基本の技に立ち返ってしまうものなんだよね。

 基本であるがゆえに使いやすく、いかなる場面でも応用が利く。

 

「実戦で使い続けてきた技だからね」

「え? 実戦?」

「うん」

 

 俺は深くは答えず、曖昧に頷いた。

 リクはこちらに不思議な目を向けている。

 ただまあよく考えてみると。ロマンを追うのも馬鹿にならない。

 回り回って、飛行魔法の方はあんな許容性の高い世界だと使い放題だから、しっかりユイの役に立ってしまっていたりして。

 何がどう転ぶかわからないもんだ。探求心も大事ということだろう。

 そんなことを考えながら、スキル設定を続ける。

 このままリアルスキル全再現といきたかったが、次のやつはどうも上手くいかなかった。

《マインドバースト》は作れない。なぜだろうか。

 仕方なく、気力を大量消費してステータスを一時的に大幅上昇させる効果をもって仮の《マインドバースト》とし、これにもコマンドを当てはめた。

 また、ショートワープ《パストライヴ》や単純物理攻撃無効のバリア《ディートレス》の再現も無理だった。

 使えればゲームバランスを破壊しかねない壊れ技なので、かえって良かったのかもしれないが。

 そもそも《気術》じゃないだろという突っ込みは止めて欲しい。好きなリルナの技だから作ってみたかったんだ。

 他にも色々試してみる。

《スタンレイズ》は作れる。空を飛ぶことはできない。《スティールウェイオーバースラッシュ》は作れない。

 この辺りで法則性に気付く。

 スキル設定で再現不可能な技はすべて、俺の固有能力に依存しているものではないかと。

 リルナの技は【神の器】を介した借り物だし、針を穴に通すような正確な動きは、やはり能力のアシストを受けなければ到底不可能だ。

《マインドバースト》は言わずもがな。

 そもそもスキル欄に【神の器】本体がないわけだから、無理なものは無理という道理か。

 

 満足いくまでスキル弄りを堪能した後――いや、ほんとはもうちょっと弄りたかった。

 なぜ魔法が使えないのか。設定できたらすごく面白そうじゃないか!

 ああ。女に変身したい。もどかしい。

 ともかく、これで一応いつもの俺のスタイルに概ね近い「ユウ」ができあがった。

 たくさんの技をショートカットに設定したので、空きボタンの数に余裕は少ない。

 こうなることを見越して、ゲームパッドはボタンの多いやつを買っておいてよかったな。

 リクはどこか引きつった笑いを浮かべている。

 

「一時間ですよ。ユウさん、凝り性ですね……」

「あはは。つい」

 

 声が弾んでいるのを自覚する程度には楽しんでいるらしい。

 ああ。ケン兄がラナクリムを知ったら、きっと下唇を噛んで羨ましがるだろうな。こいつはすごいぞ。

 人生には無駄なことなどないのだと思う。今思った。

 まさか異世界でゲームスキルが日の目を見る日が来るとは。

 ミライに負けたくなくて。ケン兄に教わり、格ゲーの腕前をひたすら磨いた日々。

 ケン兄の下で鍛えたコントローラ捌き、ここで存分に役に立たせてもらうよ。

 俺は、口の端をつり上げていた。

 

「動きを試してみるか」

 

 完全記憶能力のせいだけではないだろう。

 久しぶりだというのに、まるで昨日も触っていたかのように指が覚えている。馴染んでいる。

 PC画面の「ユウ」は、まるで舞踊でもするように華麗に動いてみせた。

 加えて、昔の俺にはなかった武器がある。

 常人離れしたリアルの肉体と動体視力は、TASさんのごとき正確無比な動きを実現できてしまった。

 ちなみ詳しくない人向けに言うと、TASとはツールアシストスピードラン、またはスーパープレイの略。

 ツールの力を借りて人間にはとても真似できない動きをする。

 あまりに変態染みた動きに、人は恐れと敬意を込めてそれをTASさんと呼んだり呼ばなかったり。

 昔ケン兄が、TASさんはゲームのものすごく上手い幼女プレイヤーだって吹き込んでくれて。

 まんまと信じた小さな俺はクラスで得意になって言いふらし、大恥をかいたことがあったな……。

 ……こほん。話を戻そう。

 今の俺は、たとえ180fpsだろうとフレーム単位でコマンドを捌ける。

 そして、実際にこのゲームは180fpsのようだった。

 地球のアクションゲームに多かった60fps(秒間60フレーム)に比して、理論上は三倍も精密な動きが可能である。

 そして俺には実際できた。できてしまう。

 なるほど。確かにちっとも普通じゃない。

 不覚にもこんなことで思い知らされて、笑ってしまった。

 鬼のような速度でコマンド入力していく俺に、リクは目を丸くして、感嘆の息を吐いている。

 

「はええ……。ユウさんぱねえ」

「久しぶりでも結構いけるもんだな」

 

 既にこのとき、広場にやたら基地外めいた動きをする変な新参者がいると、「黒シャツのユウ」さん化への第一歩を華麗に踏み出していたわけだが。

 ゲームに夢中だった俺はそんなこと知る由もない。

 

「こりゃ先輩面してる場合じゃないかも。あっという間に追いつかれちゃうかもしれないなあ」

 

 リクは、羨むとも称賛するとも取れるような、微妙な視線をこちらに向けていた。

 この子は素直だけど、卑屈になりやすいところがあるな。本当に自分に自信がないんだろうな。

 やっぱりどこかちょっと俺に似ているような気がする。

 特に無力なだけだった昔の自分に。

 だからあのとき、つい身が入り過ぎて、諭すような言い方になってしまったのかな。

 でもリクは俺じゃない。リクはリクでしかなくて。

 今の俺にできることは、彼を諭すことではなくて、寄り添うことなのだろう。

 第一俺自身、フェバルに比べたらただただ無力でしかなくて。

 きっと似たような問題を、俺のレベルではまだ一歩も解決できちゃいないのだ。とても偉そうなことなど言える立場ではない。

 俺は微笑みながら言った。

 

「ネトゲなんだし、一朝一夕にはいかないものじゃないか? 君に教わることは多いと思うよ」

「そりゃまあ、レベルとか装備とかはそうですけど。ラナクリムは結構プレイヤースキル如何で覆せる要素も大きいんですよ」

「まあこれだけ自由度が高ければそうなるか。じゃあ、そうだ。もし君に並べたら、そのときは一緒に冒険しようよ」

「あ、それは楽しみですね!」

 

 提案すると、彼は喜んでくれているみたいだった。

 

 一通りの動きをこなして感覚を掴んだところで、俺はレジンステップの街並みを勝手知ったる顔で軽快に進んでいった。

 迷路のように入り組んでいるとは言え、元々レジンバークに構造がそっくりであるし、冒険者ギルドへの道はリクのプレイを見ていたから覚えている。

 途中でリクも気付いたようで、

 

「ユウさんも早速冒険者ギルドに登録するつもりなんですね。醍醐味ですもんね」

「ああ。やっぱり世界をまたにかけて旅するスタイルでいきたいと思ってね。旅人だし。だったら、冒険者登録しておくのがいいかなと思って」

 

 実を言うと、俺にはゲームをやると決めたときからその考えがあった。むしろ主目的と言っていい。

 この手でゲーム世界を駆け巡れば、ラナクリムの精細な脳内地図を作製することができる。

 それをラナソールの世界地図と照らし合わせることで、二つの世界の同じところと違うところが見えてくるのではないか。

 何かの手がかりになりはしないだろうか。そう考えた。

 さすがに真面目な理由がなければ、いくら興味を惹かれたからと言って、ユイを待たせて貴重な時間をゲームにどっぷりつぎ込んだりはしないよ。俺だって。

 リクはうんうんと頷いて同意した。

 

「ナイスな選択ですよ。高レベルの魔獣が出て来るため、冒険者ランクが高くないと進入できない地域なんかもありますし」

「そうなのか。となると、自由に動き回るためにはランクを上げなくちゃならないわけか」

「はい。あらゆる場所へ制限なく行けるようになるためには、僕と同じSランクが必要ですよ」

「マジか。Sランクまでいるのか」

「ええ。これが大変で。クエストをたくさんこなしてランクポイントを上げていくんです。最初のうちはランクもとんとん拍子で上がりますけど、Bランク辺りから上に行くのがきつくなってきます。Sランクとなるとほんの一握りで」

 

 うーん。そうか。これは結構骨が折れそうだな。

 オンラインゲームの最上級ランクなんて、どれほど時間かかることやら。

 何となく、高ランクで行ける場所ほど重要なところも多そうだしなあ。

 さっさと片付けたかったけど、気合い入れてやらないといけないか。

 

「頑張るか。Sランク目指して」

「ユウさんだったらきっといけますよ! 僕は何年もかかりましたけど、これだけはよく頑張ったなって思います」

 

 リクは控えめに胸を張った。

 

「ゲーム頑張っただけなんて、あまり褒められたことじゃないですけどね」

 

 と、自嘲気味な笑みを添えて。

 

「別にいいんじゃないかな。ゲームだって。何か頑張って一つのことを成し遂げたというのは、もう少し自信を持ってもいいと思うよ」

「はい。ありがとうございます」

 

 リクと話しながら、冒険者ギルドに「ユウ」を向かわせていたのだが。

 その途中で、何やら物騒な光景が目に飛び込んできた。

 プレイヤーがプレイヤーを散々痛めつけている。

 被害を受けている方は血まみれになっていて、息も絶え絶えだ。

 血の赤黒さや傷の痛々しさまで生々しい。このゲームには規制という概念がないのだろうか。

「もうひとつのリアルがここにある」と言っても、あれを見て引いてしまう人もいそうなものだが。

 実際引いている者もいたが、ほとんどは野次馬気分だった。

 二人の加害者と被害者の周りには他のプレイヤーと思しき者たちが集まっていた。

 リアルならすぐ割り込んで助けるところだが。

 まあゲームのことなので、自分も野次馬気分でいたところ。

 

 あれ、よく見るとあいつ――。

 

 リクが話しかけてきた。

 

「PK(プレイヤーキル)ですかね。町中で堂々とやるなんて、柄の悪いやつがいたもんですね」

 

 ひそひそとプレイヤーの声が聞こえる。

 ラナクリムはなんと声まで設定できて、キーボード入力あるいは音声入力で発声が可能なのだ。

 もちろん俺は俺の声で設定している。男にしては高めのいつもの声だ。

 

『あーあ。またギンドの奴か』

『Bランクのギンドか』

『なまじレベルが高いからってなあ……』

『ちょっとどうかと思うな』

 

 やっぱり。ギンドだあいつ!

 

 知ったる顔を見たとき、俺は「ユウ」を走らせていた。

 

「あ、ちょっと! いくらユウさんでも、レベル1じゃ殺されますよ!」

 

 リクの静止も聞かずに、拳を振るう彼の前へ躍り出る。

 ゲームで死んでもほんとに死ぬわけじゃないし、そのときはそのときだ。

 音声入力を入れて、つまりリアルに喋って声をかける。

 

『ちょっとストップ!』

 

「ギンド」は拳を止めて振り返り、不機嫌に眉をしかめた。

 

『なんだあ? なにもんだよ! 人が楽しんでるときに』

『俺はユウ。なあギンド、君は俺のことを覚えていないか!?』

『は?』

 

 言葉に合わせて、表情までリアルに再現されるのか。

 怪訝な顔色を浮かべた「ギンド」に、俺は続ける。

 

『ほら、一緒に飲んだりとかさ。ちらっとでも記憶の片隅にあったりしない?』

 

 すると「ギンド」の中の人は、割と真面目に考えてくれたのか。

 ややあって、首を横に振る。

 

『いや……。お前みたいなガキは知らねえな』

『そうか。残念だ』

 

 リクも俺のこと知らなかったし、ラナソールでの俺を覚えている「人」はいないのだろうか。

 

『てかよ。てめえなんだよ! 人の邪魔に現れて、何が残念だ、だ! しかもよく見たらお前、初期装備まんまじゃねえか!』

 

 ゲラゲラと哄笑を上げる「ギンド」。

 こっちもこっちで、結構まんまな性格なのかな。

 いつの間にか、まあ当然の流れだが、野次馬の関心は加害者と被害者からベテランと初心者へと移っていた。

 

『レベルいくつだ?』

『1だよ。まだ始めたばかりで』

『ほう。始めたばかり初心者様がレベル75の高ランクプレイヤーにちょっかい出そうたあ、いい度胸じゃねえの。ガキ、生意気はやっちゃいけないぜ?』

『それは悪かったね。つい知ってる顔と思ったもので』

 

「ギンド」がほくそ笑む。

 心が読めなくてもわかりやすい。何か良からぬことを企んでいるときの彼の顔そのままだ。

 

『そうかそうか。なに。人違いだったかもしれねえが、せっかく声をかけてくれたんだ。先輩のオレから、素敵な餞別をくれてやろう』

 

 いきなり殴りかかってくる。PKのプレゼントとは。

 ステータスの差は格別であったが、動体視力の常人より遥かに優れる俺は、180分の1秒でこれを見切った。

 最速入力で回避行動を選択する。

 拳は大きく空を切って外れ、俺は「奴」の横にぴたりと回り込んでいた。

 

「かわした!?」

 

 隣のリクが、驚きの声を上げる。

 絶対に当たるはずの一撃をかわされた。

 一瞬事態を把握できなかった「ギンド」は、目を白黒させている。

 

『AGL(アジリティ)特化型かよ。しゃらくせえ!』

 

 明らかな苛立ちをもって、ぶんぶん拳を振り回してくる。

 流石にレベル差のせいで動きそのものは向こうに分があったが、俺はすべての攻撃を見切って、紙一重でかわしていく。

 かすれば死ぬが、当たらなければどうということはない。

 信じがたい業に、ギャラリーとリクは興奮していた。

 初期装備の黒シャツ男が、レベル75のプレイヤーを手玉に取っているのだ。

 ちなみにラナソールと違ってステータスで遥かに負けているので、誤魔化すために手元の入力はすごいことになっている。

 我ながらキモい動きだ。

 

『く、く。このガキ! ちょこまかと舐めやがって! 本気で痛い目見ないとわからないようだな!』

 

 どこかで吐いたような台詞と共に、剣を抜く。

 この流れは。激しくデジャブを感じるぞ。

 拳が剣撃に変わったが、やることは同じだ。

 俺はギリギリのところまで攻撃を引き付けて、かわす。ひたすらかわす。

 本物の剣術の試練を受けていない素人の斬りかかりなど、生易しいものだ。

 紙でも相手にしているかのようにのらりくらりとされて当たらない事実に対し、ギンドはますますイライラを募らせていた。

 ついに剣には魔法のエフェクトまでかかり出す。

 

「魔法剣ですよ! 速さ特化の風属性だ。ギンドの奴、本気です」

 

 リクが教えてくれる。魔法剣のスキルまで使い始めたらしい。

 しかしそれでも当たらない。いや実は結構ギリギリなんだけど。

 180fpsでよかったよ。60ならかわせなかった。

 彼には素直に諦めるという二文字はないようで。「当たりさえすれば」と歯噛みしながら、頑なに剣を振り回す。

「当ててみろよ」と言ってみたいが、それをすると本当に死ぬのでできない。

 

 ――もう面倒だ。やってしまおうか。

 

 大振りの縦斬りを半歩分かわして、一気に間合いを詰める。

 スキル《気術》より、疑似の《マインドバースト》を発動させた。

 元々そう多くはないHPが大幅に減って雀の涙になるが、一時的に超上昇した威力の手刀でもって、「彼」の剣を叩き落とす。

 よかった。一応通じるみたいだ。

 何が起こったかわからないうちに、次のコマンドを最速入力。

 必殺技の一つを発動させる。ボタン一つでそれは放たれた。

 

《気烈脚》

 

 とてもレベル1とは思えない鋭い蹴りが、「ギンド」の腹部にめりめりと深く入り込んだ。

 

 ドッバアアアアアアアアアアアアン!

 

 再現終了。

 

 一撃で吹っ飛ばされた「ギンド」は、壁に激しく叩き付けられて、動かなくなる。

 まだHPは残っているみたいだが。レッドゾーンだ。

 気絶というステータスでもあるのだろうか。

 

「す……」

 

 声に気付いて振り向くと、リクがわなわなと肩を震わせて。

 

『「すっげえええええええええええ!」』

 

 彼とプレイヤーたちが騒ぎ出すのが、同時だった。

 

『神プレイヤーだ! 神がいる!』

『初期装備だぞ!』

『やばいもの見た!』

『野生のレオンきた!』

『スクショ撮ったか!?』

「ユウさんぱねえっす! マジぱねえっす!」

 

 リクが声を裏返して、俺の肩を強く揺さぶってきた。君ってそんなキャラだったっけ?

 いつの間にか、俺を中心にとんでもない人だかりができてしまっている。

「名前は?」とか「どうしてそんな強いの?」とか何だとか、とにかく質問攻めが襲ってくる。

 色々聞きたそうな様子のたくさんの視線に晒されて――。

 困ってしまった俺は、とりあえず何か言わなきゃと思って。

 

『えっと……。どうも。ユウです』

 

「黒シャツのユウ」誕生の瞬間であった。



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48「ユウ、ゲーマーになる 3」

 質問攻めを受けたりなど、一悶着あったものの。

 冒険者ギルドに着いた俺は、早速冒険者として登録すべく受付カウンターに赴いた。

 しかし、本当にレジンバークの冒険者ギルドと中身がそっくりだな。階段の位置からテーブルの配置までそっくりだ。

 あのキャラの濃い受付のお姉さんはやはり見当たらない。

 彼女はどこにいるのだろうか。それともラナクリムにはいないのだろうか。

 いたらいたで大変だが、いないといないで寂しい気もする。

 だいぶラナソールの空気に毒されてるなあ。

 ラナソールと一緒で、冒険者はEランクからのスタートとなる。

 クエストに関するルール説明を受けたが、すべてラナソールで聞いたようなことだった。

 ちょっと面白いなと感じたのは、ギルドで受けられる仕事のことを、ラナソールでは依頼、ラナクリムではクエストと呼ぶということだ。

 後者の方がよりゲームらしい響きがする。

 どのクエストを受けようか。

 Eランクのクエストでは報酬金もランクポイントもしょぼいので、フリーランクのおいしいクエスト狙いで探していく。

 できれば討伐系だと難しいことを考えなくて良いから楽だ。

 そんなクエストはというと――あったあった。

 洞窟に潜むという、巨大カニにしか見えない魔獣ベンディップの討伐だ。

 こいつなら前に何匹も倒したことあるから、ラナソール産の奴らと大して違わなければいけるだろう。

 

 で、倒してきた。

 

 特に厄介なことはなかったので、詳細は割愛。

 ただまあ、キャラクターの能力の低さの問題で、卓越したゲームパッド捌きがないと少々危なかったとだけ言っておこう。

 リクが「ベンディップはAランク適正の魔獣ですよ。なに普通に倒しちゃってんですか!」うんぬん言ってたけど。

 驚かれるのは今後も一々ありそうなので、気にしないことにした。

 それより気になったのは、レベルがさっぱり上がらなかったという事実だ。

 対人戦で経験値が入らないのはともかくとして、魔獣のベンディップを倒せばかなりの経験値が入ったはずなのに。

 ステータスの表示はうんともすんとも言わない。レベル1のままだ。

 

「なあリク。こんなことってあるのか?」

「いえ。聞いたことないですけど。そうですね――ハローワークに行けば、次のレベルまでの経験値を教えてもらえますよ」

「ハローワーク? 聞き間違いじゃないよね」

「ジョブチェンジのときなんかに行きます。リアルでも仕事探すときに使ったりするじゃないですか」

 

 妙に生々しいな。

 というわけで、リクの案内に従ってハローワークに行ってみた。

 そこで告げられる衝撃の真実。

 

『次のレベルまで、あと9964538です』

 

 うわっ……俺の必要経験値、高過ぎ……?

 

「待て。いくら何でも高過ぎだろ!」

 

 大型モンスターのベンディップを何匹も倒したけど、それで経験値のトータルがやっと三万五千強だったはずだ。

 ということは、元々は次のレベルまで一千万ってことかよ!

 リクも同情的な調子で、驚きの混じった溜め息を漏らしていた。

 

「うわあ。こんなことってあるんですね。規格外だ。だからレベル1の割に能力値が高かったのかも」

「てことは、俺はしばらくずっとこのままなのか……?」

 

 ああ。レベルアップの喜びが……。

 確かにリアルの俺は基礎能力値がほぼ頭打ちだけど。許容性限界級に達しているらしいけど。

 そんなところまで律儀に再現しなくたっていいじゃないか!

 

「そういうことになっちゃいますよね。残念ながら」

「どうしよう。Aランク魔獣でもあまり油断ならないんだけど、このままでSランクなんていけるのか?」

「うーん」

 

 リクも一緒になって頭を捻っている。

 でもそうか。そういうことか。

 レベル1というのも加味されて、やや低めに設定されているんだろうけど。

 ゲームの状況から逆に考えるなら。

 俺がラナソール補正もフェバル能力補正も一切ない、許容性の低いトレヴァークにおける素の能力値そのままで「ラナソールのような世界」に飛び込むと。

 Aランク相当のベンディップは普通に倒せるが、Sランク相当となると苦戦する。

 妥当だ。妥当過ぎる。

 夢のない話だが、納得がいってしまった。

 まいったな。さすがに今の能力値のままじゃ、トップランクのプレイヤーや魔獣と渡り合うのは厳しいぞ。

 

「レベルを上げる良い方法はないものか……」

 

 独り言が口に出てしまっていたらしい。

 リクが反応してくれた。

 

「一応、ないこともないですが」

「教えてくれ」

 

 食いつくと、彼はちょっと困ったように頬を掻いた。

 

「課金すれば、経験値倍率やアイテムドロップ率、ランクポイント倍率なんかを上げられますが」

「よし。課金しよう」

「えっ?」

「課金しよう」

 

 即決だ。貴重な時間には変えられない。お金で買えるものは買おう。

 なぜか俺にとってはまともなゲームバランスじゃないんだから、仕方ない。

 うん。仕方ない。

 

「でも、結構しますよ? ぶっちゃけぼったくりもいいとこです」

「そんなにするのか」

「ですよ! めっちゃ重ね掛けしまくれば最大で百倍の経験値効率にはなりますけど、そんなことしたら一日で1980ジットも飛ぶんですよ。いいですか!? 一日ですからね!」

 

 経験値効率が百倍なら、約一千万の必要経験値も実質十万まで落ちる。

 これなら現実的だ。いけるぞ。

 

「構わない」

 

 俺は漢らしく答えた。

 

「言ったあ!」

 

 常識的な価値観を持っているであろうリクは、頭を抱えて叫んだ。

 やっぱりあんたおかしいよ!

 俺を見つめる目は、そう言いたげである。

 君の感覚は正しい。俺も地球で暮らしていたならまずもったいないと、そう思う。

 だがあいにく流浪の身にとっては、必要以上のお金には価値がない。

 使ってなんぼなのだ。大胆に使ってこそなのだ。

 金ならある。

 俺は『心の世界』からダイヤモンドの欠片を取り出して、丁重にリクに手渡した。

 

「リク。頼んだ」

「はい!」

 

 リクの眼差しが、熱い。

 明らかにわくわくを隠せない表情だ。

 

「僕は、歴史的瞬間を目撃しようとしているのかもしれない……!」

 

 意気込んで、嬉しそうに飛び出していった。

 心なしか、ランド成分が出ているような気がする。

 

 

 ***

 

 

 レジンステップの町を探索しながら、待つこと数時間。

 途中夕ご飯を作ったりもしたが。

 

「プリペイドカードかき集めてきましたぜ。ユウさんの旦那ァ!」

 

 息を切らして帰ってきたリクは、大量のプリペイドカードをレジ袋から豪快にばらまいた。

 手始めにということであるが。

 その数、百二十枚。圧倒的光景である。

 

「ありがとう。大変だっただろう」

「いえいえ。ユウさんの漢気に比べたら屁でもないっすよ」

 

 はは。舎弟じゃないんだからさあ。

 時々リクのテンションがよくわからないけど、ノリの良いときは良いんだろう。

 俺もノッてみた。

 

「準備は整った。さあ、徹底攻勢をしかけるぞ!」

「おう!」

「あ、その前に。夕飯できてるからね。一緒に食べよう」

「本当ですか。すみません。いただきます」

 

 どこか間の抜けた感じになってしまった。

 俺ってどうもしまらないな。

 

「ユウさんのご飯おいしいですよね。男のくせに女子力高くないですか」

「ああうん」

 

 女子になっちゃうくらいには高いね。

 彼はしげしげと俺の容姿を眺めて、頷いた。

 

「あんまり男っぽくはないというか。失礼ですけど、女装したら似合いそうですよね」

「そうだね」

「って、なんですか。その妙に悟ったような顔は」

「いやあ。ねえ」

 

 俺は曖昧に笑って、誤魔化しておいた。精一杯の強がりも添えて。

 

「でもまあ一応、鍛えてはいるから」

「けど腕とか、普通に細めですよね。あんまりそんな風には見えないんですけど」

「身軽さと持久力を損なわないような肉体造りをしてるからね」

 

 平均的日本人である俺は、特別体格に優れているわけではない。

 なのでパワー重視の鍛え方よりも、そちらが理に適っている。

 パワーなら気でも補えるし。

 無論ボディービルダーのようなのは論外だ。長時間の実戦やサバイバルにも耐える肉体が要求される。

 

「ちょっと見せて下さいよ」

「え。うん」

 

 シャツを少しだけまくし上げて、鍛え上げた肉体を見せた。

 いつも見せると結構驚かれるんだけど、リクも期待通りの反応を示してくれた。

 

「やっべえ! 腹筋バッキバキじゃないですか! ギャップあり過ぎですよ」

「ま、まあね」

 

 あまりじろじろ見るので、やっぱり恥ずかしくなってきて。

 俺はそろそろとシャツを下した。

 

 

 ***

 

 

 食後、鬼のレベル上げ作戦が始まった。

 

「そう言えばユウさん、装備は買わないんですか?」

「君がいない間に色々試したんだけどね。AGL(アジリティ)は無装備が一番高いみたいだし、武器なら《気術》があれば要らないんじゃないかって」

 

 180分の1秒を気にする俺のスタイルでは、少しでもAGLが高いに越したことはない。

 第一レベルが低いので、多少装備で補ったところで、強敵から一撃まともにもらえばそれでしまいである。

 現実の戦いもそんなものだ。クリーンヒットが入ってしまえば、たった一撃で致命傷になり得る。

 よほど実力に差がない限りは、肉体の強さでまともに攻撃を防ぐことは難しい。

 だからどんな達人でも、大抵は反らしたりかわしたりするものだ。

 防御力とは肉体の強さではなく、身を守る術の巧みさのことである。

 

 ……実際は、よほど実力に差があるフェバルみたいな奴もいるんだけど。

 

 あいつら何やっても通る気がしないが、それは例外ということで。

 RPGにおけるHPという安全値は、言ってしまえば悠長なのだ。

 むしろアクションゲームやシューティングゲームの残機制、一度ミスれば即死亡に繋がる感覚が現実に近い。

 まあだからって、このRPGでまでHP制の恩恵にあずからないわけじゃないのだけど。

「ユウ」の戦闘スタイルがリアルに近いものだから仕方がない。

 

「初期装備のままとか、絶対目立ちますよ」

「もう目立っちゃったし、気にしないことにするよ……」

 

 最近図らずも目立ってしまうことが多い気がするな。

 

 再び冒険者ギルドへ臨む。

 先のベンディップ討伐によってランクはDになっていたが、それでも大して受けられるクエストの質が上がるわけではない。

 次もフリーランクから選ぶことにしようか。

 ベンディップ討伐のクエストはまだ残っていた。

 あくまでゲームであるから、限定クエストでない限りは、同じクエストを何回も受けることができる。

 狩り尽くしてしまう心配もない。

 でも経験値的にはそこまでおいしくないよなあ、と考えて。

 

 ――そうだ。あいつだ。あいつなら。

 

 掲示板をじっと睨んで、そのクエストを探してみると……あったあった。

 早速受注する。

 リクが「マジですか?」と目を丸くしていたが、気にしない。

 レジンステップを出た俺は、北門から町を出て、平原を突き進んでいった。

 目的地はさらに北の山である。

 山のふもとに着いたら、課金で購入しておいたワープクリスタルの座標をセットしておく。

 これで何度も行ったり来たりする手間が省ける。

 木々をかき分けつつ、山を登っていくと、やがて大きく開けた台地になっている場所へと出てきた。

 そこに悠然と立ちそびえる、一頭のモンスターがいる。

 巨躯のあらゆる部分が、まばゆい光を湛えている。

 まるで水晶のように透き通った鱗と肉体。

 その爪は大地を砕き、その口から放たれる炎はすべての敵を焼き尽くす。

 その大いなる翼でもって、天空を我が物とする。らしい。

 

 やあ、クリスタルドラゴン。あのときはごめんな。

 またお世話になるよ。今度はまともに勝負しよう。

 

 倒した。

 

 すぐにギルドへ帰り、また同じクエストを受けて山へ向かう。

 そして倒す。これを繰り返すだけのお仕事だ。

 名付けて、クリスタルドラゴン道場。

 すまないが、君には経験値になってもらう。

 

 こうして二週間ほど、寝食半分くらい忘れてひたすらクリスタルドラゴンを狩り続けた俺は。

 やっとレベル12まで上げることができた。

 非常に上がりにくい代わりに、一度のレベルアップでステータスの上がり幅は中々のものだ。

 レベル1時と比べて、あらゆるステータスは約3倍になり、一般キャラ換算でもレベル70相当になっていた。

 圧倒的廃人課金プレイによるランクポイント倍率百倍の恩恵を受けて、冒険者ランクはAにまで到達していた。

 使ったお金、約3万ジット。獲得総経験値、約14億6千5百万。

 犠牲となったアレ、293+1頭。

 ありがとう。北の山のクリスタルドラゴン。



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49「ユウ、ゲーマーになる 4」

 必要なレベル上げを済ませた俺は、後の二週間でラナクリムの世界を巡る旅に出た。

 まずリクの勧めに従って、グランドクエスト『ワールド・エンドを目指せ』を開始する。

 自分からは目指さないと言っておきながらクエストで目指すのは、ランドとシルヴィアには少し悪い気もするけど。

 あくまでゲームのことだから、まあよしとしよう。

 もっとも、ラナクリムとラナソールは類似しているので、先に「答え」を見てしまう懸念はあるけれど。

 このグランドクエストの究極目標は、ワールド・エンドへの到達である。

 究極目標に至るまでの道程には、いくつもの到達度フラグが存在する。

 到達度フラグは、チェックポイントと呼ばれる特定の場所へ行き、特定の行動を取ることで立ち上がる。

 例えば、そこでしか入手し得ないアイテムの入手や、そこにいるボスを倒す等だ。

 フラグが立つたび、ランクポイントと報酬がもらえる仕組みになっている。

 世界各地にチェックポイントは存在するため、旅をしながらランクポイントを上げられるというわけだ。

 もちろん課金ドーピングは忘れない。お前がいないと始まらないよ。

 ところで、グランドクエストは三つ存在し、三つの果てに対応していると言われる。

 地上の果て『ワールド・エンド』。

 空の果て『スカイ・リミット』。

 地下の果て『無限迷宮シャッダーガルン最下層』。

 スカイ・リミットは究極目標の一つとして設定されているものの、真面目に挑んでいる者はほとんどいないという。

 何しろ、雲の上に行ったくらいではまったくもってクリアとはならず、さらに上に行こうとするといずれ「見えない壁」に弾かれる。

 ゲームという枠での果てに達してしまうのだが、それでもクリアとは見なされない。

 ならば、スカイ・リミットとはどこにあるのか。何をもって到達したとみなすのか。

 答えのはっきりしないものに挑む物好きは少ない。

 一方で、無限迷宮シャッダーガルンに挑む者は多い。

 実は同じものがラナソールにも存在する。

 位置はレジンバーク(こちらで言うとレジンステップ)より南にあり、この巨大ダンジョンを中核として迷宮都市アルナディアを形成している。

 無限迷宮の名の通り、少なくとも百階層を超えるこの迷宮は、どこまで続いているのかもわからない。

 ゴールが見えない点ではスカイ・リミットとそう変わらない気もするのだが、ダンジョンという存在自体が探求心をくすぐるものであるし、そこに眠る数々のお宝が人々を惹き付けて止まない。

 実は俺も興味はあったりするのだけど、挑むとなると最低でも数年単位で迷宮都市に張り付かないといけないらしい。

 なのでさすがに自重している。

 ああ。時限爆弾付きのフェバルでなければ、喜んで挑んだのに。

 話を『ワールド・エンド』クエストに戻すと。

 到達度フラグは、未開の地ミッドオールに相当する区域のみならず、なぜかフロンタイムに相当する区域にも設定されている。

 ここで相当すると言ったのは、ラナクリムではミッドオールやフロンタイムとは呼称されておらず、それぞれ魔大陸と人大陸と呼ばれているからだ。

 両者を架け渡すエディン大橋も存在しない。

 魔のガーム海域は二つの大陸を断絶し、両者の行き来はブリッジと呼ばれるポータルを介して行われる。

 移動の際、一度ゲームの接続が途切れて読み込み中の表示が出る仕様だ。

 魔大陸と人大陸では、ゲーム内設定が違うための措置だと言われている。

 無限に広がっているようにさえ思われる魔大陸(ミッドオール)と異なり、人大陸(フロンタイム)は明確に有限な領域である。

 しかも便利極まりないメセクター粒子が利用できるため、隅まで人の手が行き届いている。その分移動も遥かに楽だ。

 俺はまず五日かけて人大陸の到達度チェックポイントを総舐めし、ラナソールとの相違をつぶさに見て回った。

 結果については、後で整理するとして。

 それから、魔大陸の冒険へ挑むことにした。

 俺とユイが落ちてきた森にそっくりな森があった。

 前にランドとシルヴィアを助けた洞窟や砂漠もあった。

 俺がこの世界へ来るきっかけになった草原もあった。

 どこまでも見覚えのある世界。攻略も恐ろしいほどスムーズに進んでいく。

 ランクを上げておいたことが役に立ち、行けない場所はほとんどなかった。

 しかしやがて未知の領域に達し、進む足も鈍り始める。

 ソロで進むにも退屈を感じ始めてきた頃。

 ラナクリムを開始してから26日目。

 レベル15になり、史上最速でSランクに到達した俺は、約束通り「ランド」と冒険に発つことになった。

 あれで結構負けず嫌いなのか、リクも俺に負けてられないと自宅にこもってラナクリムをやり込んでいたみたいだ。

 久々に会ったランドは、レベルが30も上昇していた。

 既にSランクでも上位だと言うのに、そこからさらに30も上げるなんて。

 並大抵のことではない。一体どんな魔法を使ったのだろう。

 尋ねてみると、彼は恥じ入るような小声で(ただし、リクの声よりも通るイケランドボイスで)白状した。

「使いました」と。

 そうか。使ったのか。あれはいいものだ。

 

『匿名掲示板でも色々言われてますよ。初期装備のままでSランクに達した頭のおかしい奴がいるって。『黒シャツのユウ』さんは、今ではすっかり有名人ですよ!』

『ええ……。黒シャツのユウか。マジか……』

 

 俺は自分の着ている黒のインナーを見下ろした。

 確かに目立つよなあ。

 

『実際パねえですからね。このまま駆け抜けちゃって下さいよ!』

 

「ランド」に強めに肩を叩かれる。

 俺は曖昧に笑うしかなかった。こんなときの得意技だ。

 おかげで押しに弱いとか思われる。

 

『で、ユウさん』

『なに?』

『せっかくパーティを組むわけですので、男二人きりでもあれかなあと思いまして。今日はシルヴィアさんにも来てもらうことにしました。んですけど……いいですよね?』

『もちろんいいよ。楽しみだな。シルヴィアって、君がいつもつるんでいたあの女性プレイヤーだよね』

 

 あまり知らない体を装って尋ねてみると、「ランド」の声が少年みたいに弾んだ。

 

『はい。シルヴィアさんはすごいんですよ! 生き字引かってくらいゲームのことに詳しいんです。精霊魔法のスペシャリストでもありますし』

『それは頼もしいね』

『ええ。僕、いつも頼りにさせてもらってて。だから、絶対ユウさんにも頼りになると思います』

『シルヴィアのこと話している君は、何だか嬉しそうだね』

『わっ。そっ、そんなことないですよ!』

 

 リクはかなり照れているみたいだ。声だけでもよく伝わってくる。

 やっぱり好きなんだな。

 

『ただの腐れ縁っていうか。もう。変なこと言ってからかわないで下さいよ……』

『ごめんごめん』

『何ですかその言い方は』

 

 甘酸っぱいなあ。

 まだまだ時間かかりそうだけど。

 俺とリルナもくっつく前はこんな風に見えてたのかな。ごちそうさま。

 

『やっほー。お待たせ』

 

 後ろから女の声がかかる。

 振り返ると、上等な装備に身を固めた「シルヴィア」が立っていた。

 魔法の術士らしく、鎧を着込んだ「ランド」よりは身軽に装いに仕上がっている。

 

『あ、シルヴィアさん!』

『昨日ぶりね。ランド君。最近はよく誘ってくれて嬉しいわ』

 

 銀幕のような笑顔を「ランド」に振りまいてから、「彼女」はこちらに視線を向けた。

 ジロリ。

 俺を突き刺す眼光が、やけに冷たい。痛い。

 待ってくれ。俺、何かこの人を怒らせるようなことしたか?

 まったく心当たりがないんだけど。そもそも会うのは初めてじゃないか。

「シルヴィア」は乾いた笑顔を張り付けて、声をかけてきた。

 

『へえ……あなたが黒シャツの。今日はよろしくね』

『ああ。よろしく』

 

 彼女が差し出した手を握る。

 瞬間、腕に物凄いひねりがかかった。

 彼女が仕掛けてきた!

 

 なにを!?

 

 やばい。

 俺は咄嗟にゲームパッドを弾く。

 卓越したコマンド捌きで、姿勢を崩さないように努める。

 リクは気付かない。見た目上は何も変化がないのだから当然だ。

 実際は、コンマ一秒の戦いが繰り広げられていた。

 二人の手が静かに離れる。

 

『チッ』

 

 舌打ちした! 今絶対舌打ちしたぞ!

 すっこければよかったのにとか思ってるぞ。

 

 たまらず声をかける。

 

『なあ、シルヴィア。君はどうして――』

『ランドくーん。もう行こうよー』

 

 おい! こっちでも無視するんじゃない!

 

 ……はあ。まあいいや。

 

 とにかく。

 よくわからないけど、「シルヴィア」に敵意を向けられているみたいだな。

 

 

 ***

 

 

 この日のメインは火山の探索だった。未知の領域で、魔獣のレベルも極めて高い。

 でもこのメンツなら、気を引き締めてかかれば大丈夫だ。

 そう思っていたら、最凶の敵は味方に潜んでいた。

 火山の敵には氷魔法がよく通る。

「シルヴィア」は確かにこっちでも魔法のエキスパートだった。

 流れるように魔法を操って、初見の敵に対しても的確にダメージを与えていく。

 弱ったところを俺と「ランド」が斬りかかり、止めを刺す。

 この黄金パターンで探索は順調に進んでいたが。

 彼女に気を許し始めていた頃だった。

 目の前には大量の蜥蜴人が現れて、こちらの行く手を塞いでいる。

 

『《イスパーダイク》』

 

 背後で「シルヴィア」が杖を掲げ、魔法を唱える。

 規模の大きいものになると、精霊魔法は発動にやや時間がかかる。

 ラナクリム及びラナソールでは、基本的に魔法は唱えるもののようだ。

 無詠唱が基本の惑星エラネルとは文化が違う。

 というか、無詠唱かつ即時発動が基本とか、改めてあの世界の魔法体系のすごさを感じるよ。

 俺、結構すごい世界で魔法を学んでいたのかも。

 話を戻して。無数の氷の礫が現れる。

 それぞれの先端は鋭く尖っていた。相当痛そうな見た目だ。

「彼女」は氷の礫を見事に操って、蜥蜴人に向けて一斉に放つ。

 見ると「彼女」は、いかにも邪悪な笑みを浮かべていた。

 本当に、ゲームにしてはリアルな表情だ。

 最初は戦いで興奮しているからそう見えるのだろうと思ったが、どうやら見間違いではない。

 そして気付く。

 

 えっ。まさか。こっちにも飛んでくる!?

 

 どう考えても、魔法のターゲットに俺も入っていた。直撃コースだ。

 

 しかもめっちゃ多い!

 

 俺はまたも咄嗟のコマンド捌きで、「ユウ」を山の斜面に転がせた。

 降り積もった火山灰を黒シャツに包みながら、必死になってごろごろ転がり落ちる。

 氷の礫が俺を狙って、すぐ近くに次々と突き刺さる。

 恐るべき不意打ちではあったものの、どうにか攻撃を全回避できた。

「ユウ」は俺と一緒で魔法耐性が一切ないから、一発でも当たるとまずいのだ。紙装甲だし。

 汚れ塗れになった「ユウ」は、ほっと一息を吐く。

 さすがにこの仕打ちには、文句を言わずにいられなかった。

 

『あのさ。今、後ろから思いっきり氷魔法ぶつけようとしたよね!?』

『ごめんなさい。つい手元が狂ってしまって』

 

 しおらしく謝った「シルヴィア」に同情して、「ランド」が俺に非難の目を向ける。

 

『ユウさん。大人げないですよ。どんなプロだって間違いは起こすんです』

『……そうか。そうだよな。悪かった』

『今度は気を付けるわ』

 

 でもなあ。今の絶対わざとだと思うんだけどな。

 心にしこりが残っている。

「ランド」がちょっと目を離した隙にちらっと見ると、「シルヴィア」は蔑むような笑みを浮かべて舌を出した。

 うわあ。ほらやっぱりじゃないか。

 

 身に覚えがないのに、それからも彼女は隙あらば俺に挑むような攻撃を仕掛けてきた。

 一々指摘して雰囲気を悪くするのもあれなので言わなかったが、本当に勘弁して欲しかった。

 

『『お疲れ』』

 

 ああ。疲れた。

 どうにか無事に終わったけど。ゲームなのにとてつもなく疲れた。

「ランド」が、そろそろ夕飯だからと言ってログアウトする。

 エジャー・スクール(大学のようなものだ)の学生である彼は、飯を食ったら明日提出するレポートを仕上げなければならないそうだ。

 大学生活なんてしたことないので感覚がよくわからないが、きっとそれなりに大変なのだろう。

 そう言えば、結局俺って学歴上は高校中退になるわけか。

 魔法学校も気剣術科も中退。まあどうでもいいけど。

 

「ユウ」と「シルヴィア」の二人が、取り残されていた。

 もはや「彼女」は、今日ずっと笑顔の裏に潜めていた敵意を隠そうともしない。

 二人は、しばらく何も喋らなかった。

 示し合わせたように、人気のない路地へ移動していく。

 チャットをプライベートモードに変更。これで俺たち以外にやり取りを知る者はいない。

 

『まず聞いておくよ。シルヴィア。君は俺のことが嫌いなのか?』

 

「彼女」は答えなかった。

 代わりに、見る者が見ればぞっとするような、冷たい微笑を向けてきた。

 

『ホシミ ユウ。経歴・職業・その他一切不明。本名でオンラインゲームをプレイするなんて、怖い者知らずね』

『……どうしてそんなことを知っている。もしかして君は、俺のことを覚えているのか?』

『何のことかしら?』

 

 口調に棘があるものの、彼女の口ぶりから嘘は見えない。

 どうやら本当に俺のことは知らないようだった。

 いや。知っているなら、むしろ親しげに話しかけてくるはずか。

 なぜだ。こんなにも敵意を向けてくるのは。

 彼女はその双眸で俺の全身を探るようにねめつける。

 そして、問いかけてきた。

 

『あなた、()()に何の魂胆があって近づいているの?』



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50「ユウ、ゲーマーになる 5」

 リク。今、リクと言った。

「ランド」ではなく、リクと。

 リクは「シルヴィア」を操るプレイヤーに会ったことはないと言っていた。

 なのに「彼女」は、リクを知っている。

 俺のことも。

 

『なぜ君がリクのことを知っているんだ』

『私の趣味は人間観察なの』

 

 俺はあまり驚かなかった。むしろ腑に落ちてしまった。

 うん。大体知ってた。中の人同じっぽいねこれ。

 

『なるほど。宝石店を始め、何度も感じた視線は、もしかして君だったのかな』

 

 実は誰かの視線を感じたのは、一度や二度ではなかった。

 食材を買いに外に出たりするたび、何者かがこちらを監視しているのがわかった。

 それも相当遠くから、決して正体を窺い知ることのできない位置からだ。

 気配を察知して近付こうとすると、さっさと気配を消してその他大勢の一般人に紛れてしまう。

 フェバルほど生命力の強い者だと位置まではっきりわかるのだが、一般人並みに弱いと探し出すのは骨だ。

 特に何かしてくるわけでもないので、放置していたのだが。

 

『バレたのは初めて。あなたは、普通じゃないわね。こちら側の人間かしら』

 

 こちら側の人間かと言われても。どちら側なのか知らないけど。

 思ったままの言葉を返すと、「彼女」は疑わしげに目を細めた。

 本当によくできてるよな、このゲーム。

 

『そんなことより。私の質問に答えなさい。ただの一学生にあんな大金を持たせて。どうするつもり?』

 

 ああなるほど。やっとわかった。

「彼女」はただリクが心配なのだ。

 トレヴァークでも、「シルヴィア」はシルヴィアだった。

 微笑ましいじゃないか。

 

『確かに心配させるようなことをしたな。すまなかった』

『別に心配なんてしているわけじゃない。ただゲーム仲間の身に何かあって、一緒にゲームができなくなるような事態は避けたいのよ』

 

 顔をぷいっと背けて、そっけなく言う「シル」。

 それを心配していると言うんだよ。

 

『俺の身分がないことは、君も知っているだろう?』

 

 彼女はこちらを睨みつけたまま、頷く。

 

『だから色々と便宜を図るために協力してもらったんだ。他意はないよ。元々リクの方から頼んできたことでね』

『頼んできた? あの子が?』

『ああ。好奇心からだよ。よほど俺が珍しかったらしい』

『そう……少し納得。あの子は……確かに、自分の知らない世界に憧れがあるというか。首を突っ込みたがるところがあるわね』

 

 リクのことは人間観察とやらでよく知っているのだろう。

「彼女」は勝手に一人で納得していた。

 俺への敵意も少し緩めてくれたらしい。声が幾分柔らかくなっている。

「彼女」は肩を竦めて、呟くように言った。

 

『馬鹿な人。今の幸せに気付いてもいない。楽しいことばかりじゃないのに』

『よくわからないけど、君はリクとは違う側にいる人間みたいだね』

 

 俺には筒抜けだったと言っても、ただ者ではない身のこなしだ。

 それに正体バレは避ける慎重さと、引き際の良さも心得ている。

 その手のプロではないだろうか。そんな気がした。

 

『どうだっていいでしょう。そんなこと。今の私はS級冒険者のシルヴィアよ』

『そうだな。確かに今の君はシルで、それ以外の何者でもない』

『シルって呼ばないで。慣れ慣れしい』

 

 あれ。思いっ切り拒否の姿勢で睨まれた。

 彼女は深呼吸して――それで感情を一旦リセットしたのだろう――落ち着いた調子で尋ねてきた。

 

『リクのことはまあ一応、わかった。完全に信じたわけじゃないけど。もう一つ尋ねたいことがあるわ』

『答えられることなら』

『あなた、相当やり込んでいるわね』

『君も人のこと言えないんじゃないのか』

 

「ランド」の30レベル上昇にも驚いたが、「シルヴィア」は50レベルも上げていた。

 どう考えても課金様のお世話になっている。

 

『うるさいわね。私のは……そう、趣味よ』

『趣味なら仕方ないな』

『ええ。仕方ないわ』

 

 にやりと笑い合う。

 心なしか打ち解けたというか、会話が噛み合ってきた気がする。

 

『あなたのやり込みは異常。資金も大量に投入して。あれほどの速度でSランクまで到達した者はいないわ。あなた、今じゃ全世界注目の的よ』

『え、ほんとか。そんなに注目されてるの?』

 

 俺、別に巷の評判とか見てないからな。あまり実感がないんだけど。

 ちょっと、いや結構恥ずかしいかな。

 俺の反応に「彼女」は肩透かしを食らったようで、虚を突かれた顔をした。

 

『注目されること自体はまったく目的ではなかったと。そう言いたいわけ?』

『いや、その辺はあまり考えてなかったというか……』

『……嘘じゃないようね。ならどうして』

『ラナクリムには、何か秘密があるんじゃないかなと、そう思ってね。内側から調べられないかと、一生懸命プレイして……いま、した……』

 

 怖いって。

 睨みの強さにたじろいで、最後は弱々しい声になってしまったが。

 何とか言い切った。

 今思うと、秘密があるとか、そんなことまで言わなくてもよかった気はする。

 秘密があるんじゃないかと。

 そう思ってはみたけど、思ったより大した収穫は得られなかったんだよな。

 この頃には、ユイに言われるまでもなく、そろそろ潮時かなという気がしていた。

 彼女の一声が止めになったのは間違いないけど。

 今後は、違う方向からもアプローチをかけてみるべきだろう。

 

『一生懸命プレイしてました、ですって……? もしかして、本当に……それだけ……?』

 

 なじるような視線に気圧されながらも、俺は素直に首を縦に振った。

 

『それだけだよ』

『は? あなた、自分の課金額わかってるの? 一カ月で5万ジットよ! 5万! 車が買えるわ! 底なしの馬鹿なの?』

 

 はっと我に返ったような気分だった。

 確かにやばい。いかれた金額だ。でもさ。

 

『そこまで言わなくてもいいじゃないか……』

『言うわよ。全市民総ツッコミよ! 庶民が5万稼ぐのに何年かかると思ってんの!』

 

 スビッと指を差されて、俺は人気の無い路地を一歩後ずさった。

 やっぱりこんなときは、笑うしかない。

 

『お金は大事にしなさい。しろ』

『はい。すみません』

 

 なんで謝ってるんだろうね。俺。

 肩で息をしている「彼女」は、何とか呼吸を整えて澄まし顔に戻していた。

 もう取り繕っても無駄な気もするけど。

 

『余計なことツッコませるんじゃないわ。話が迷子になったじゃない』

『君が勝手に脱線したんだろ』

『不思議な人。こうして話してると隙だらけのくせに、どうして隙が無いというか……』

 

 シルヴィアと一緒で、彼女は人を見る目があるようだ。

 確かに君が監視している間、決定的な隙を見せることはしなかった。

 

『あら、ほんと何話そうとしてたのかしら。あーもう。いいわ』

 

 改めて、彼女は俺に向き直った。

 

『とにかく。リクは、初めてできた仲間なの。例えそれがゲームの中だけだとしても……』

 

 噛み締めるように呟く彼女は、決意や使命感のようなものすら感じさせる。

 

『もし万が一、リクに危害を加えるつもりなら――』

 

 ごくり。

 思わずリアルで喉が鳴る凄みだった。

 

『殺す。バラバラに斬り裂いて、殺してあげる。覚悟なさい』

 

 

 ***

 

 

 ――というわけで、今に至る。

 

 こうして走っていると、熱烈なストーカーの視線をそこはかとなく感じられる。

 素敵な朝だった。

 もう監視してること、隠そうともしてないよね。

 こちらから近付こうとすると、やっぱりささっと消えてしまうんだけど。

 女の人、かな。

 髪は黒い。それ以上のことはわからない。

 一言も喋ってくれないし。

 一度《パストライヴ》で追い込んで驚かせてやろうかなと思ったけど、そこまでするのも大人げないかなと思ってしていない。

 ゲームの中だと一応、普通に接してくれるようにはなったし。

 彼女は、朝や昼の時間はしょっちゅう張り付いているのだけど、夜になるとぴたりと消えてしまう。

「シルヴィア」先生のお仕事は、どうも夜間に行われているらしい。

 

 数日後、短い手紙と共に嬉しいプレゼントが届いていた。

 

『身分証明書、パスポート、口座はこちらで用意した 使用は自己責任で

 一般人のリクを危険に巻き込まないこと 私について詮索をしないこと

 リクには他言無用 絶対にしないこと

 あなたのことは引き続き監視させてもらう

 あと、シルって呼ぶな』

 

「シルヴィア」さん。一体何者なのだろうか。



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51「世界地図を描いてみよう」

 今回の話では、三枚の世界地図が挿絵として登場します。
 話の中では完璧な地図として描かれていますが、「大人の事情で」皆さんの目にはとても簡単な概略図が映ります。
 ええ。決してユウの画力が低いわけではないのです。ひとえに作者たる私の至らなさゆえです。
 頑張って描きました。何卒ご容赦下さい。


「シル」の監視に多少辟易しつつも、俺は小走りしながらここ一カ月の足跡を振り返っていた。

 途中、コンビニみたいに24時間やってる店でノートと色鉛筆を購入し、ついでに昼ご飯用の食材も買って帰宅する。

 フライパンで炒め物をしながら、俺はこれまでに探索した場所と結果を頭の中で纏めつつあった。

 トレヴァークの世界地図は既に手に入れた。ラナソールの地図も出回っているものはとっくに入手している。

 さらに俺のゲーマー生活を総合すれば、ラナクリムの地図も出来上がるだろう。

 どんなことも完璧に記憶する『心の世界』の力は、こういうとき抜群のパフォーマンスを見せてくれる。

 そして今、俺の頭の中には三枚の世界地図がありありと浮かび上がっていた。

 なるほど。こんな感じの対応関係になっているわけか。

 あとはこれをどうするかだけど。

 俺とユイの間に情報伝達のロスはない。

 今浮かべているイメージをユイに送ってあげれば、彼女はそのままの形で受け取ることができる。

 しかし、レンクスに伝える際に同じ方法は使えない。

 ユイに全部説明させるのもちょっとかわいそうだしな。

 そこで、このノートと色鉛筆だ。

 俺が手書きで地図を仕上げてしまえば、レンクスでも猿でも一目でわかる。

 一応違う世界からでもちゃんとユイに物を送れるかどうか、ここで確かめておきたいしね。

 たぶん大丈夫だと思うけど、これがダメとなると非常にまずいんだよな。頼むぞ。

 よし。描こう。

 言っておくと、俺自身は特別絵心があるわけではない。

 だから芸術的な絵を描けと言われても困るけど、ただ写実的な絵ならば得意とするところだ。

 モチーフはいつでも心にあるからね。

 あの技を応用しよう。

 世界地図を完璧にイメージして、手順をプログラムして……。

 見えた。

 

《スティールウェイオーバー筆スラッシュ》

 

 自動化された鉛筆捌きで、シャシャシャーッと豪快かつ正確無比に色鉛筆を塗りたくっていく。

 はやいはやい。

 一枚当たり一分。計三分で、俺は完璧な地図を描き上げてしまった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 対比しやすいように、主要な都市だけを抜き出して、極力対応する物は同じ位置に描き示している。

 うん。中々の出来だ。これを送ろう。

 

『ユイ。今大丈夫か』

『うん。大丈夫だよ』

『ちょっと送りたいものがあってさ。一カ月の成果だ』

『ゲーム漬けの成果、ね』

『あの……悪かった。そんな冷たい声で言わないでくれると嬉しいかな』

『はいはい。やっぱりあなたは私がいないとダメだね』

『そうだね……。よし。じゃあ送るよ』

 

 三枚の地図を描いたノートを『心の世界』にしまう。

 数秒後、ユイからオーケーの返事がきた。ほっとする。

 

『ちゃんと取り出せたよ。ありがとう』

『よかった。これで安心だね』

『じゃあ私はこいつを使ってレンクスと情報共有してくるね』

『ああ。任せた』

 

 心通信を切る。

 ふう。やっと一仕事終えたって感じだな。

 

「ふああ……」

 

 気が緩むと、あくびが出る。

 ずっと根詰めていたから、さすがに身体が限界を訴えているな。

 ちょっとだけ寝よう。おやすみ。



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52「ユイ、レンクスとごみ拾いに出かける」

 ユウから受け取った地図を見せるべく、私は机で突っ伏して寝ているあいつに声をかけた。

 せっかく部屋を割り当てたんだから、そこで寝ればいいのに。

 こいつの適当さ加減には溜め息を吐きたくなる。

 

「レンクス。朝だよ。貴重なあなたの出番だよ」

「うにゃ? もうちょっと寝かせてくれぇ……」

「ねえ。お・き・て」

 

 仕方なく耳元で囁きかけると。

 彼はたちまち顔を上げ、背筋をピンと伸ばしてハキハキした声で返事をした。

 

「はいレンクス! 今起きた!」

 

 うわ。わかりやすい。

 

「おはよう」

「朝から声かけてくれるなんてよ。そんなに俺を求めていたのかい?」

「別に求めてない」

「いいぜ。今からたっぷりと愛を確かめ合おうじゃないか」

「しないから」

「お前がしがみついてくるときの声がまた可愛いよなあ」

「あなたのきもい夢の続きをここで語らないでくれる?」

「ふっ。恥ずかしがり屋さんめ」

「二度と目が覚めないようにしてやろうか」

「ぜひそうしてくれ。フェバルだがな」

「うざい」

 

 したり顔で聞き飽きたフェバルジョークを飛ばすレンクスに、つい口を尖らせてしまう。

 

「というかね。冗談でも死にたいとか言わないでよ」

「俺がいなくなったら寂しいか?」

「それは、やっぱり寂しいよ。ユウもそう思ってるよ」

「ああもう! 可愛い奴だな! 愛してるぜ!」

「そうやってすぐくっつこうとするな!」

 

 いつものように襲い掛かる彼を手で押さえつける。

 このやり取り何回目だろう。疲れる。

 そんなこんなでようやく落ち着いたこいつに、ユウの描いてくれた地図を見せる。

 

「すげーな。よく一カ月でここまで丹念に調べ上げたもんだ」

「それはまあ……頑張ってたんだよ」

 

 ユウにお願いされた通り、一応言葉を濁しておく。

 けど、意味があるのかどうか。

 

「くく、あいつ何気にゲーム好きだもんなあ」

 

 やっぱり付き合いも長いので、何となく察されてしまった。

 

「小さいときもよく一人遊びで必殺技叫んでたしよ」

 

 今も脳内だと普通に叫んでいるけどね。

 

 そこに、後ろから元気な声が届いてきた。

 

「ミティ1号、おはようございますぅ!」

「エーナ2号、今日も張り切っていくわよ!」

 

 もう朝の仕事の時間か。

 ミティとエーナさんはいつの間に仲良くなったのか、1号だか2号だかで協力して作業をこなすようになっていた。

 エーナさんもミスの多さは相変わらずだけど、それにもめげず中々楽しんで仕事をこなしているみたい。

 

「それで今、ユウはトリグラーブという市にいるみたい」

「このでっかい山々で囲まれた盆地にある都市か」

 

 レンクスは地図をつつきながら、眉をしかめて考えている。

 

「気になるのはいくつかあるんだけどよ。ラナソールとラナクリムで一部の町の名前が違ってたり。あと例えば、レジンステップなんてレジンバークとアロステップの折衷だったりよ」

「そうだね」

「ちょっと気付いたんだが。ラナソールだと二つの大陸を繋ぐエディン大橋、トレヴァークだと見事に切れちまってるじゃないか」

「うん。エディン断橋だよね」

「この途切れてる部分とよ。魔のガーム海域というやつ。ぴったり範囲が重なってねえか?」

「あ、ほんとだ」

 

 ユウの歴史話によれば。

 トレヴァークでは、エディン大橋は大昔には繋がっていたものの。

 大陸同士を繋げるなんて設計にそもそも無茶があったようで、年月の経過であっけなく崩れ去ってしまったらしい。

 今では残っている切れ端だけを指して、エディン断橋と呼ぶのだとか。

 レンクスの指摘通り、エディン断橋の途切れている部分と魔のガーム海域は、一致しているように思える。

 両者の共通点は渡れないということ。

 

 ……まあレンクスは普通に渡れるらしいんだけど、例外は例外だから。

 

 中々示唆に富む事実だ。

 やっぱり偶然の一致にしては出来過ぎている。

 

 それから三枚の地図を手にあーでもないこーでもないと議論してみたけれど、結局地理の関係性以上の答えは出そうもなかった。

 ユウにも聞いてみたけど、今後はちょっと違った方向からアプローチをかけてみるつもりだって。

 ランドとリクの操る「ランド」が、まるっきり同じでなくてもどこか似た部分を持っている。

 この事実から、人を介して何らかの繋がりが掴めるのではとユウは睨んでいるみたい。

 

「そんじゃまあ。ぼちぼち俺もごみ拾いに行くとするか」

「私も手伝おうか?」

 

 今日やらないといけない私宛の依頼は少なかったはずだし、たまにはレンクスの仕事ぶりを視察してみるのもいいだろう。

 最近の町を見て回る機会でもある。

 

「おっ。一緒に来てくれるのか? よっしゃああああ!」

 

 飛び上がって喜ぶレンクス。

 さすがにもう天井は突き破らなかったけど。破ってたら怒るところだった。

 まったく。子供じゃないんだから。

 

「これってデートだよな! うひょおおおおおお!」

「そういう言い方しないの。ただ仕事に付き合うだけだよ。ごみ拾いデートなんてしまらないしね」

「それもそうだな!」

 

 身支度を整えて、『アセッド』を出る。

 一応ミティに仕事はないか確認したけど、問題ないとのことだった。

 ちなみにユウにやって欲しい依頼は溜まる一方だ。

 これは帰ってきたらユウ死ぬんじゃないかな。しばらく。

 助けてあげないとね。

 

 レンクスはどこから用意したのか、巨大なごみ袋を持ち、手袋を嵌めて、それらしい様になっていた。

 何だか顔つきがやけに誇らしい。ごみ拾いレンクスには見えない貫禄だ。

 

「あった。またか。ここは捨てられやすいんだよな」

 

 やれやれと嘆息し、慣れた手つきでごみを回収していく彼。

 嫌な顔一つもしないところは、素直に見習えるところだと思う。

 私も手伝ったけど、レンクスの方が熟練してるというか、手早くこなしていた。

 

「あっ、おはようレンクス兄ちゃん!」

 

 歩いている途中、お店の前に立つ男の子が明るく手を振ってくる。

 レンクスは笑顔で手を振り返した。

 

「よう。ニギーの坊主。今日もお父さんに頼まれて店番か」

「うん。えらいでしょ」

「よしよし。えらいぞ」

 

 レンクスは男の子の頭を強めに撫でた。

 その様子はとても親しげに思える。

 

「ところでレンクス兄ちゃん。隣の可愛い女の子は?」

 

 レンクスはにやりと口の端を上げて、人差し指で小さな丸を描いた。

 

「聞いて驚くなよ。()()だ」

「おおー!」

 

 男の子の歓声に交じり、道行く人や周りのお店の人からも冷やかしの声が混じる。

 レンクス、この辺だとすっかり親しまれているみたい。

 って、待って。

 それはこの世界で、彼女とか婚約者のサインでしょ!

 

「あの、違うからね! こら。レンクス」

「げへへ」

「だよねー。レンクス兄ちゃん顔は良いけど、あんまモテなそうだもん」

 

 男の子は正しい理解をしているようで、ほっとした。

 レンクスは「言うなあ」と照れている。

 

「肉串二本。ユイ、お前も食うだろ? 奢ってやるよ」

「え、うん」

 

 元は私たちの稼いだお金だけど、レンクスにはごみ拾いをしたらちゃんとお小遣いをあげることにしている。

 と言っても、そんなに大した金額じゃない。

 見栄張って私のためになんて使わなくてもいいのに。

 まあせっかく奢ると言うのだから、気持ちよく奢らせてあげよう。

 

「可愛いお姉ちゃんもいるから、ちょっとお安くしとくよ」

「商売上手だねえ。将来は立派な跡継ぎになれるぜ」

 

 男の子から肉串を二本買って、私たちは店を後にした。

 

「ほらよ」

「うん。ありがと」

 

 頂いた肉串に、かぶりついてみる。

 

「あ、おいしい」

 

 口の中でほどけて、とろけるような食感。

 醤油ベースのようなタレの味がしっかり効いている。

 腕の良い店だということが、一口でわかる。

 

「うめえだろ。あそこよく使ってんだ」

 

 レンクスは口を大きく開けて、むしゃむしゃと食べている。

 もう二口目に突入していた。

 

「よし。食ったな。残った串はごみ袋にポイ、だ。経済的だろ?」

「そうだね。あ、ほら。口にタレが付いてるよ」

 

『心の世界』から取り出したウェットティッシュで、彼の口を拭ってやる。

 

「良い歳して。子供みたいなんだからね」

 

 微笑みかけると、レンクスは突然口を開けたまま呆けて。

 

「……好きだ」

「わかってるから」

 

 軽くスルーして、先へ進む。

 

「そういうところも好きだなあ」

 

 へらへら笑って、後ろから犬のようについてくるレンクスのことは、無視した。

 

 

 ***

 

 

 しばらくごみを拾いながら歩いていると、突然向こうから爆発音が響いてきた。

 これ、最初はびっくりしたけど。マジで日常茶飯事なんだよね。

 住民は大抵即座に防御魔法張るから、何ともないことが多いし。

 

「あーあ。またあの子か」

「知ってるの?」

「バダー通りのレジーナさんだ。魔法薬の実験よくしてんだけどよ、失敗も多くてな。行こうぜ」

 

 レンクスについていくと、緑色の怪しい煙がもくもくと上がる民家に辿り着いた。

 彼がノックをすると、ドアが勢いよく開け放たれる。

 妙齢の女性が現れた。彼女がレジーナさんだろうか。

 彼女はレンクスの姿を見つけるなり、たちまち笑顔になって飛びついた。

 

「まあレンクスさん! また来てくださいましたの!」

「おうよ。あんたも気を付けないと、いつかケガするぜ」

「大丈夫ですわ。こう見えて身体は丈夫ですもの」

 

 焦げ目の付いた服で胸を張るところなんて、いかにもレジンバークしている。

 

「それより、わざわざ私に会いに来て下さるなんて。嬉しいですわ」

「いや、そういうわけじゃねえけどよ」

 

 馴れ馴れしく胸を押し付けて頬をすり寄せる貴婦人に、どうでもいいけどなぜだかちくりと胸が痛む。

 肉串屋の男の子が「レンクスはモテない」と言ってたけど。

 それは正しいけど、正確には正しくない。中身を知ってる者の発言だ。

 こいつはモテる。

 ルックスはアーガスやレオンにも負けないくらいイケメンだし、身体つきはよく鍛えられていてセクシーだし、性格も男前だし。

 時々見せる物憂げな表情にドキリとさせられる女性は多いと思われるし。

 やや軽薄だがいつも明るくユーモアに富み、ちょっと隙があるところも母性本能をくすぐられる。

 

 ……あまりにもだらしないダメっぷりさえ見られなければ。

 

 しかも。いかなる女の子がすり寄ろうとも、鼻の下が一ミリたりとも伸びない仙人メンタルだ。

 私以外で興奮しているところも、アレをアレしてるところも見たことがない。

 枯れ木メンタルと言ってもいいかもしれない。

 でも私がちょっと声をかけただけで、途端にデレデレになる。

 本当に私と女の子のユウ「だけ」が好きなんだなと。

 引くと同時に、ほとほと感心してしまう。

 

 ようやく私の存在に気付いたのか、レジーナはやや目を細めて言った。

 

「あら。この女性の方は」

「ああ。こいつはコ――」

「じろり」

「いや。友達だ」

 

 うんうん。

 

「ユイです。こいつとは腐れ縁みたいなものでして」

「そうでしたのね。おほほ。レンクスさん、あなたも隅に置けない人ですこと」

 

 若干きつめに睨まれてしまった。

 あの。どうして私がこんな奴の女みたいに勘違いされているのかな。

 

「いやあ。まあな」

 

 あんたもデレデレして答えないの。

 

「よっしゃ。今回もごみが大量に出ちまっただろう。片付け手伝ってやるよ」

 

 部屋の中は、爆発の影響で色々なものが四散してしまっている。

 なるほど。レンクスは率先して片付けを申し出に来たわけだ。えらい。

 

「私も手伝うよ。魔法で綺麗にできるところは任せて」

「まあ。お二人とも、ありがとうございますわ」

 

 レジーナさんと合わせて三人で協力すれば、二十分程度で部屋は綺麗な状態になった。

 お礼にお茶菓子をごちそうになって、私とレンクスは彼女の家を後にした。

 

 

 ***

 

 

 そんな感じで、日が傾いてくるまで、私たちはごみを拾ったり、困っている住民を助けたりしながら過ごした。

 驚いたのは、レンクスの知名度と好感度だ。

 歩いていると、何でも屋で顔を知られている私と同じくらい、彼にもフランクに声がかかってきた。

 ごみ拾いのレンクスとして知られるようになったとは聞いていたけど。

 こんなにも積極的に町に溶け込んで、たくさんの人と仲良しになっていたなんて。

 以前母さんから聞いていたところからは、考えられない姿だ。

 

「へえ……レンクス。ちゃんと仕事してるじゃん」

 

 感心しちゃった。正直。

 最初は何かやらせなくちゃって始めさせたことだし、本人も変態パワーで乗り切ってたと思うけど。

 ここまで真面目に頑張ってるとは思わなかった。

 

「惚れ直したか?」

「それはない。そもそも惚れてない」

 

 笑い合う二人の間を、コッペパンがかっ飛んでいく。

 時々見かけるけど、あのコッペパンほんと何なんだろう。

 

「あれ何なんだろうね」

「いつか調べてみようぜ」

「気が向いたらね」

 

 ああいい汗かいた。

 シャツをぱたぱたしていると、レンクスはわかりやすく身悶えていた。

 

「はあ、はあ……。ユイの汗嗅ぎたい。ぺろぺろしたい」

「きもい」

 

 そんなこと言うからダメなんだよ。ほんと。

 どこまでも私には素直っていうか。しょうがない奴だ。

 

「そろそろ帰ろうか」

「だな。風呂入りてえ」

 

 夕日が長い影を作る中、のんびり二人で歩いて帰る。

 最近仕事漬けだったから、こんなにまったりできたのは久々かも。

 

「なあ」

「うん」

「フェバルって強いだろ。あまりにも」

「そうだね。強過ぎるよね。特にあなたは」

「だからさ。俺、普通の人と接触するのは極力避けてたんだ。まあこんな力のせいで、色々面倒臭いこともあったしな」

 

 容易に想像が付いた。

 フェバルほどの圧倒的な力をもってすれば。

 普通の人間が実現したいと考えることで、できないことの方が少ないだろう。

 奇跡のような力を求めて、縋りついてきた人、利用しようとした人。

 きっとたくさんいたのだろう。

 あまりにも強過ぎる力。

 ほんの指の一振りが、世界をいとも容易く作り変えてしまう。

 力の使い方を間違えて、あるいは使った結果望まぬ方向に行ってしまって。

 後悔したこともたくさんあったのかもしれない。

 それこそ、彼が頑として語りたがらない過去も、フェバルの力に原因があるのではないかと思う。

 

「でも今日のレンクス、輝いてたよ。みんなありがとうって言ってた」

「……そういう力の使い方なら、悪くないかなって気がしてんだ。お前たち見てるとよ。結構、影響受けたのかもな」

「ふふ。かもね」

 

 私は背伸びして、彼の汗ばんだ金髪を優しく撫でてあげた。

 

「よしよし」

「どうしたんだよ。急に」

 

 普段は攻めっ気たっぷりのくせに。

 こういうときだけ初心な男みたいに顔を赤くして、戸惑っている。

 私は可笑しくて笑った。ちょっとだけ照れていたかもしれない。

 

「ご褒美。この前約束したからね」

「ああ……。好きだ」

「はいはい。わかってるよ。わかってる」

 

 今日の夜ご飯は、ちょっぴり良いものにしてあげよう。そう思った。



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53「ユウ、リクとお見舞いへ行く」

 ユイから制限令も下って、ラナクリム熱も落ち着いたある日のこと。

 一日一時間のゲームを終える直前、リクが明日病院へお見舞いに行くと言い出した。

 

『そうか。身内がケガでもしたのか?』

『いえ、僕の家族はみんないたって健康ですよ。お見舞いの相手は、友達、ってほどでもないんですけど』

 

 どこか言い淀むような素振りを見せてから、続ける。

 

『そいつ、もう家族もあまり見舞いには来ないから』

 

 となると、寝たきりで病態が慢性化しているとか。意識が戻らないまま続いているとか。

 結構重いやつなのだろうか。

 

『差し支えなければ、どういう病気が聞いてもいいかな』

『夢想病と呼ばれている、原因不明の難病です。かかった人は二度と意識が戻らなくなるんです』

『夢想病か……』

 

 本屋から仕入れた知識にそんなものがあったな。

『心の世界』にアクセスして情報を得る。

 夢想病。昔から存在する原因不明の難病であり、現在治療方法は確立されていない。

 治癒したという症例も一切報告されていない。

 老若男女に関わらず突発的に発症し、感染性はないとされているが、不明。

 近年発症者の割合が増加しており、かつては数万人に一人の割合だったものが、数千人に一人まで増加している。

 どの市の自治体も第一級特定難病として指定し、発症者の増加している近年は大きな社会問題となっている。

 罹患した者は意識を失い、二度と戻ることはない。

 罹患者は時折寝言のようなうわ言を呟くことから、夢想病と呼ばれる。

 発症後も脳以外に異状は認められず、脳だけが活発に活動し続けることが研究で明らかになっている。

 病態が進むと、次第に脳が過熱膨張し、全身の神経が一斉に麻痺して亡くなってしまう。

 発病から死亡までの期間は人によってまちまちであり、数カ月から数十年と言われている。

 

 ――なるほど。こいつは厄介な病気だな。

 

 それに、随分おかしな病気のようだ。

 ずっと昔から存在すると言うし。

 もしかすると、この病気も世界の秘密に関わっていたりするのだろうか。

 調べてみる価値はありそうだな。

 

『そいつも、時々うわ言のように何かを呟くくらいで』

『大変な病気だよね。もしよかったら、俺もお見舞いにご一緒させてくれないか』

『えっ。別にいいですけど。ちょっと顔を見るだけですよ?』

『構わないよ』

 

 というわけで、俺はリクと一緒にトリグラーブ市立病院へ行くことになった。

 電車に揺られて約三十分。西ミガリ駅から徒歩五分の大通りに面したところに病院は建っていた。

 七階建ての大きな病院だ。地球の病院と同じで色は白い。

 中に入ると、外来待ちの患者さんがたくさんいた。白衣を着た看護師さんが忙しなく動き回っている。

 この世界でも医者は看護師は白衣を着るものらしい。

 確か汚れが付いていないか目立つようにという理由があったはずだ。この手の仕事は衛生が極めて重要だから。

 リクと俺はお見舞いをするだけなので、受付にその旨を伝えてすぐに通してもらえた。

 515号室は個室で、表札にはイケ シンヤと書かれている。

 リクが形式上ノックして、部屋に入る。

 静かな部屋だった。花が飾られている以外には何もない。

 純白のシーツの上に、一人だけ世界から取り残されたようにぽつんと青年が横たわっている。

 全身を管で繋がれて。寝たきりの全身はひどくやせ細っている。

 青冷めた顔は頬がこけ、手足は皮と骨ばかりの、痛々しい姿だった。

 生きるというよりは生かされている。そんな印象だ。

 着ている衣類は綺麗なままで、きちんと世話をされているようだ。

 病院に来ると厳粛な気分になるというか。

 特に重病患者の痛々しい姿を目の当たりにしては、言葉を失ってしまう。

 リクはしばらく沈痛な面持ちで寝たきりの彼を見つめていたが、やがて語りかけるように言った。

 

「シンヤ。僕ね。君が教えてくれたラナクリム、まだ続けてるよ。Sランクにまで上り詰めたのは話したよね。あれからレベルもさらに上がって、こないだはついに未知の火山を攻略したんだぜ」

 

 その言葉から始まって。

 聞こえているかもわからない彼に、リクは前にお見舞いしてからの出来事を簡単に話していく。

 俺と出会ったことも伝えられた。

 

「また来るよ。そのうち」

 

 最後にそう言って、報告を締めくくる。

 

「これで終わりです。ユウさん。そろそろ帰りますよ」

「ああ」

「来たって何もなかったでしょう?」

「そんなことはないよ。この目で患者を見られたわけだし」

 

 それにしてもひどい病気だな。こんなのに何千人に一人かがかかっているなんて。

 おかげで、この病院を始めとして、どこの病院や施設も夢想病患者でベッドはいっぱいだと言う。

 どこにも受け入れてもらえなかった患者は在宅介護するしかない。

 誰にも世話されることがないならば、死ぬしかないのだ。

 このシンヤという人は、まだ受け入れてもらえただけ幸運だったのかもしれない。

 もしこのままかかる割合が増えていくとすれば、いつか夢想病が人類を滅ぼしてしまうかもな。

 とは言え、俺は医者ではない。何もできないのがもどかしいけど。

 

「レ……ジ……」

「おや?」

「うわ言ですよ。夢想病患者はたまによくわからないことを呟くんです」

「バー……ク……」

「ん!?」

 

 今、レジンバークって。そう言わなかったか!?

 

「どうしたんですか。ユウさん」

「君に許可を求めても仕方ない気がするけど、ちょっとシンヤに触れてみてもいいか。触れるだけだ」

「ええ。たぶん……」

「何かわかるかもしれない」

 

 一応断ってから、シンヤの額に手を当ててみる。

 直接触れた方が、能力で心にも触れやすい。

 意識のない相手だと弾かれにくいから、何を夢見ているのかざっとは掴めるかもしれない。

 

 これは……!

 

 彼からぼんやりと伝わってきた心象風景は、驚くべきものだった。

 レジンバークの……バダー通りにそっくり。

 いや、ほとんどそのままじゃないか!

 

「どう、ですか?」

「心ここにあらず、といった感じだな」

 

 恐る恐る尋ねてくるリクに、俺はどっと吹き出た冷や汗を拭いながら答える。

 

「何言ってるんですか。当たり前じゃないですか」

 

 リクの流れるような突っ込みは無視して、向こうの世界にいるユイに話しかけた。

 

『ユイ。聞こえるか。また頼みたいことがあるんだ』

『なに。ユウ』

 

「リク。シンヤもラナクリムで冒険者をやっていたんだろう。プレイヤー名はわかるか」

「え、ええ。確かシンって名前でやっていたと思いますけど……それが何か?」

 

『探し人だ。名前はシン。冒険者をやっている。今から伝える場所の近辺、バダー通りの辺りを中心に探してみてくれないか』

 

 シンヤから読み取ったイメージを、そのままユイに伝えると。

 彼女はやや驚いて頷いた。

 

『そこならちょうど何日か前に行ったばかりだよ。わかった。探してみるね』

『すまないな』

 

 ふう。もしかしたら、これでようやく何かが掴めるかもしれないな。

 ゲームにかまけていないでよかった。

 

「ねえ、ユウさん。真面目な顔して、何やってたんですか?」

「なぜと言われても説明しにくいけど。もしかすると、シンヤが何を夢見ているのかわかるかもしれない」

「……ユウさんの元いた場所と関係あるってことですか?」

「勘がいいね。そういうこと」

 

 俺は彼を安心させるように、笑顔で言った。

 

「リクは先に帰ってていいよ。俺は少し調べ物してから帰るから」

「シンヤの見ていた夢に関係することですか?」

 

 まるっきり関係ないわけでもないので、頷く。

 

「そうだね。君がいない方がやりやすいかな」

「わかりました。後で教えて下さいね」

「うん」

 

 リクと別れた後、俺は病院に留まった。

 その辺りにいた看護師に、夢想病患者について聞いてみる。

 さすがに個人情報までは教えてもらえなかったが、この病院で言えば五階と六階が、主に夢想病患者が入室しているところらしい。

 あまり褒められた手段ではないが。俺は無断で、夢想病患者へ次々と接触してみることにした。

 たくさんいる患者に一々面会を断っていては、怪しまれると考えたからだ。

 院内は看護師の見回りがあるものの、さほど警備が厳しいわけではない。

 俺はもっと厳しい場所でもくぐり抜けてきた経験があるし、潜入はお手の者だった。

 気を読んで人の気配を察知し、誰も見ていない隙を見計らって、一人で寝たきりになっている患者の部屋へ忍び込む。

 忍び込んだら患者の額に手を当てて、その人が何を夢見ているか読み取る。これを繰り返す。

 時には病室に鍵がかかっていることもあったが、そんなときは《パストライヴ》でワープ侵入した。

 本の情報通り、老若男女を問わず、様々な患者がいた。

 中には年端もいかぬ子どもまで。まだまだ人生先は長かっただろうに。

 調べてみると、一見バラバラな患者たちには全員、ある共通点があった。

 誰一人として例外はない。

 たぶん間違いない。

 俺はただ一人、おそらくこの世界の誰も知らない夢想病の真実を掴みかけていた。

 

 夢想病患者は――ラナソールの夢を見ている!



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54「冒険者シンを探せ」

 ユウから人を探すように頼まれて、再びバダー通りのレジーナさんを訪ねてみた。

 

「すみません。レジーナさん」

「あらまあ。ユイさん。ごきげんよう」

 

 レジーナさんは温かく出迎えてくれた。

 今日の実験は上手くいっているみたいで、奥では青色の魔法薬が静かに煮立っている。

 

「またお茶でもご一緒しにいらっしゃったんですの?」

「いえ、今日はちょっと急いでまして。尋ねたいことが。冒険者のシンさんという方を、ご存じないですか?」

「あら。その方なら、ちょっとした有名なご近所さんですわよ」

「本当ですか!?」

「ええ。A級の冒険者さんで。ですが、今訪ねてもきっと無駄だと思いますわ」

「どうして」

「魔のガーム海域に挑むんだって。数日前に張り切って出ていかれましたわ。止めたのに、命知らずな男ですこと」

 

 わあ。これってやばいやつだ。

 慌ててユウに連絡する。

 

『大変! シンさん、ガーム海域に向かったって!』

『なんだって!? あんな無茶な場所に……!』

『ほんとにね。心配だよ』

『接触できた患者の中では、唯一名前がわかっている人なんだ! 唯一の手がかりなんだよ! どうにか探せないか?』

『と言ったって。この世界の人たち、魔力が読めないから……。困った』

『くそ。だよな。別に見つからなかったからって責めたりしないよ』

『わかってる。でもせっかくの手がかりだもん。できるだけ頑張って探してみる』

『君が頼りだ。でも無茶はするなよ』

『うん』

 

「教えて下さってありがとうございます。もし見つけたら、連れ戻してみます」

「実は私も心配しておりまして。もし出会えたら、命は大切にしなさいと。あの馬鹿男に伝えてやって下さいな」

「はい。そうします」

 

 あんな危険な場所に向かったとしたら、時間の問題かもしれない。

 自然と足は逸り、屋根の上を忍者のように駆け、跳んでいく。

 『アセッド』に帰り着いて、入り口の両開きのドアを開け放った。

 

「レンクス! あなたの力を借りたいの!」

 

 しかし、いつもなら真っ先に飛び込んでくるはずの変態の姿は、どこにも見当たらなかった。

 

 いない……?

 

 カウンターで料理の仕込みをしていたミティが私に気付いて、さっぱりとした笑顔を向けた。

 

「おかえりなさいませ。ユイ師匠。随分慌ただしいご帰還ですね」

「レンクスは? どこ行ったのあいつ」

「ああ。さっきレオンさんが来ましてですね。一緒に調べたい連中がいるって、ごみを連れて行っちゃいました」

「レオンが?」

「はい。ライバル意識があるのか、中々険悪な雰囲気でしたよぉ~」

 

 どういった赴きだろう。

 レオンもあいつの強さはよくわかっていたみたいだし、戦力になると考えて連れていったのだろうか。

 こんなときに、タイミングが悪い。

 それにしてもごみって。そこまで言わなくてもいいんじゃないの。

 しょっちゅう置物みたいにはなってるけど。

 どうしよう。

 頼みの綱のレンクスがいないとなると、私一人でやるしかないか。厳しいな。

 あ、そうだ。フェバルはもう一人いたんだった。

 レンクスに比べると、ちょっと頼りないかもしれないけど。

 

「エーナさんは?」

「2号なら、今二階で掃き掃除をさせてますよ」

「わかった!」

 

 階段を駆け上がる。

 丈の短いスカートがひらひらと揺れたが、気にしている場合じゃない。

 

「エーナさん。いた!」

 

 魔女帽子の代わりにバンダナを巻き。

 すっかり三十路の家政婦じみたエーナさんが、古臭い鼻歌を歌いながら掃き掃除をしていた。

 

「どうしたの? ユイちゃん。そんなに慌てた顔して」

「詳しいことは移動しながら。探したい人がいるんです。手伝って頂けませんか?」

「え、ええ! 先輩の力を頼りたいと。そういうことなのね!?」

 

 頼られるのがよほど嬉しいのか。

 エーナさん、あまり見たことないほど瞳をキラキラさせている。

 ここは素直に持ち上げておこう。

 

「はい。エーナ先輩の力をお借りしたくて」

「いいわ。可愛いユイちゃんのためだもの。大船に乗ったつもりで任せてちょうだい!」

 

 エーナさんちょろい。ありがとう。

 

 簡単に事情を説明しながら、『アセッド』の屋根裏に上った私とエーナさん。

 シンさん捜索に向けて、早速動き出そうとしていた。

 ちなみにエーナさんは、しっかり魔法使いコスに早着替えしている。

 彼女の故郷ではこれが正装なんだって。

 

「魔のガーム海域ね。空を飛んで行きましょう」

「飛べるんですか? この世界に来るとき、落っこちてませんでしたっけ」

「言わないで。あのことは。フェバルの能力に頼らない調整をしたから、もう大丈夫よ」

 

 エーナさんが集中すると、周囲の魔力要素が彼女にことごとく引き付けられてしまった。

 確かに凄まじい魔力ね。

 レンクスも本人も、戦闘タイプのフェバルではないと言っていたけど。

 それでも、完全に能力を使いこなせない私よりは上な気がする。

 

「行くわよ。新人さん。私のスピードについて来られるかしら」

「わかりませんけど、頑張ってみます」

 

 自信に漲る彼女の横顔を見つめて。

 あの初めて会ったときのエーナさんが戻ってきたような気がした。

 

「きゃあっ!」

 

 びたーん!

 

 気のせいだった。

 ローブの裾を踏んづけて、飛ぼうとしたエーナさんは盛大にすっ転んだ。

 丈夫なフェバルの肉体が、天井にがっつり穴を空ける。

 ああ。また修理しなきゃ。

 

 ……ほんとに大丈夫かなあ。

 

「……いくわよ」

 

 涙目でなかったことにしようとするエーナさん。

 もはや体面も何もあったものではないが、あえて気にしないであげた。

 

「はい」

 

 二人で飛行魔法を展開し、屋根の上から一気に加速する。

 雲の近くまで上がったところで、チートじみた魔力を解放して、水平飛行へ移行する。

 間もなく、飛行速度は容易く音を超えた。

 さすがにエーナさんも、何もない空ではへまをしなかった。

 

「中々やるわね。この短期間でそこまで力を使いこなすなんて」

「色々ありましたからね。あとこの世界は馬鹿みたいに許容性が高いですから」

 

 そうでなかったら、自分の力に肉体が耐えられない。

 どういうわけか、私たちの肉体はフェバル仕様ではなく、普通の人間のそれに過ぎないものだった。

 ユウと二人分の力を足し合わせて、ようやくフェバルの足の指先程度なのだ。

 

「そうね。何といっても許容性無限大だものね」

 

 高いというのは聞いていたけど、無限大とは初耳だったので驚いた。

 

「無限大!? そんな世界ってあり得るんですか?」

「普通なら絶対おかしいのだけど。現実にあるわけなのよね。これが」

「へえ……」

 

 考えを巡らせる。

 許容性無限大の世界。理想粒子。

 ゲームじみた設定。ぶっ飛んだ住人たち。

 感じられない気力と魔力。

 

 夢。

 

 夢想病の人たちは――この世界の夢を見ている。

 

 ……もし、すべてが夢なのだとしたら。現実でないのだとしたら。

 

 この破天荒な世界にも、あり得ない事象にも、すべて説明が付いてしまう。

 でも私たちはここにいる。この世界の人たちは確かに生きている。

 触ることもできる。あくまで心は本物。

 だけど。

 ランドはリクのことを知らないし、リクもランドのことは知らない。

 知っているのは「ランド」のことだけ。

 何が何だか。わからない。

 世界規模で、何かが起こっている。

 ただ事でない何かが。エーナさんの言う『事態』が。

 

 まとまらない考えを、首を振って振り払った。

 シンさんを見つければ、また何かわかるかもしれない。

 何としても探し出そう。

 気分転換に、話題を変えた。

 

「ところで、エーナさん」

「なに?」

「いくら何でも、ちょっとドジ過ぎませんか? レンクスも、あんなにやらかしてるエーナさんは初めて見たって言ってますけど」

 

 するとエーナさんは、下唇を噛んで顔をしかめた。

 何かを言いたくなさそうで、やっぱり言ってしまいたそうな、そんな微妙な感じだ。

 やがて、彼女は話す決心をしたみたいだった。

 

「……レンクスには黙っててもらえるかしら? あいつ、すぐ馬鹿にしてくるから」

「いいですよ」

「私がドジなのは、自分でもよーく自覚があるのよ」

「はい」

「だからね。普段は【星占い】でカバーしてたの。それでやっと普通にできていたのよ」

「なるほど。自分がどういうところを気を付ければへまをしないか、こまめに占っていた、ということですね」

「ええ。その通り」

 

 ということは、今のメッキが剥がれたエーナさんが、元々の姿ということになる。

 あんなチート能力をフルに使ってやっと人並みなんて。よほどアレだったんだね。

 

「わかりました。エーナさん。この世界にいる間は、目を瞑ることにします。大丈夫ですから」

「うう……。心に染みるわ。ユイちゃん。優しいのね」

「ふふ。そんなことないですよ」

 

 そうして女子トークを続けているうちに、眼下の海は突然荒れ出した。

 ガーム海域に突入したのだろう。

 シンさんが出かけてまだ数日。

 どんな船を使ったのかは知らないけど、この海域ではメセクター粒子は効力を発揮しない。

 無事なら、まだ大した距離は航海していないはず。

 

「そろそろね。人探しなら任せなさい。フェバル探しのプロを舐めないで欲しいわね」

 

 フェバル殺しのプロでないことをさりげなく認めつつ、エーナさんは妖しげに笑った。

 

「《スィケービジョン》」

 

 エーナさんがそれを唱えると。

 彼女を中心にして、波動のような何が瞬く間に広がっていく。

 波動は私など一瞬で貫いて、上下左右360°――雲の上から海の底まで、くまなく届いていった。

 見た目は何も変化はないけれど。魔力を感じ取れる者ならばわかる。

 ぴりぴりと肌を刺す魔力結界のような何かが、凄まじい広範囲に展開されている。

 やはりフェバルはフェバル。すごい。

 目を見張った私に、エーナさんは得意気に説明してくれた。

 

「半径数十キロに渡って、特殊な感知結界を張ったわ。人の生命反応、魔力反応に限らず、『視覚』で捉えることもできる」

「それは便利ですね」

「今回のように、探し出す範囲に対象が少ないときに有効よ。効果範囲を絞れば、普段のあなたにも使えるでしょう」

 

 そして、これ見よがしにウインクする。

 

「私からのプレゼントよ。覚えておきなさい」

 

 そっか。わざわざ説明してくれたのは、私が見て覚えたこの魔法を使うときのことを考えてくれたんだ。

 

「ありがとうございます。必要になったら、大事に使わせていただきます」

「いいのよ。よし――どうやらまだ無事みたいね。急いで。こっちよ!」

 

 エーナさんの先導に従って、飛行魔法で飛ばしていく。

 しばらく進むと、大雨叩きつける嵐の海の中に、何かを見つけた。

 

 黒髪の冒険者が、小舟で海を漕いでいた。

 遠目からではよくわからないものの、動いている。

 生きていることは辛うじてわかる。

 

 よかった。これなら助けられそ――!?

 

 突然、海鳴りが響き。

 

 目の前の海が「盛り上がった」。

 

 大海に比べれば、一枚の木の葉に過ぎない小舟は、荒ぶる波間に飲まれて藻屑と消える。

 そして、突き上がった海流から――山のような大きさの海獣が現れた。

 誇張ではない。海に山が立っているとしか思えない威容。

 薄黒いイカのごとき軟体。数え切れないほどたくさんの、吸盤の付いた足。

 それぞれが暗黒の海を叩き打って、さらに波は荒ぶる。

 

 あれはもしかして――。

 

 かつてレオンが一太刀で倒したという、海獣ヌヴァードンではないの!?

 

「とんだ大物が出ちゃったよ」

「彼のピンチってわけね。まだ辛うじて反応はあるけど、一刻の猶予もない。一撃で決めるわよ!」

「はい!」

 

 荒れ狂った海で最大の威力が出る魔法の系統と言えば。

 もちろん水は効かない。

 私とエーナさんは。示し合わせたように、同じ系統の魔法を構える。

 大気が震えていた。

 絶大な魔力が、二人の下に集束していく――。

 

 そしてそれらは、同時に放たれた!

 

《バルシエル》《ラファルスレイド》!

 

 竜巻のような旋風刃が。そのど真ん中を突き進む一陣の風刀刃が。

 奴の打ち叩く波をすべて吹き飛ばして、山のごとき巨体を穿つ。

 軟体の先端に触れた途端、竜巻はばらけた。

 数えきれないほどの足を束ねて、強引に巻き込んでいく。

 そのまま怒涛の勢いをもって、すべての足をずたずたに引き裂いてしまった。

 そこへ私の放った風の刃が届く。

 奴の身体の一番太い本体を、真っ二つに斬る。

 海獣自身にも、ダメージを認識する暇はなかっただろう。

 勢いの留まることを知らない旋風刃が、既に半身を削られたイカの身を、細切れになるまで切り下ろしていき――。

 

 気が付けば、そこには荒れ狂った海だけが残っていた。

 

 勝っちゃった。あっけなく。

 私たち、すごい……。

 

 ……てか、待って。

 

《バルシエル》って。

 初めて会ったとき、私たちに食らわせようとしてた魔法だよね。

 こんなにやばい威力だったの!?

 あんなとんでもないものを、私たちに食らわせようとしてたわけ!?

 オーバーキルだよ……。あそこが地球でよかった。

 

 私は思い返して、身震いしていた。

 そんなことに気付きもしないエーナさんは、無邪気にも喜んでいる。

 

「おっといけないわ! 喜んでる場合じゃなかった。彼を助けなくちゃね! ちょっと待ってて!」

 

 そう言うと、エーナさんは嵐の海をものともせず、果敢にダイブしていった。

 一分くらい待っていると、シンさんを抱えた彼女が勢いよく海から飛び出してきた。

 息をしていなかったけど、私には幸い応急処置の心得がある。

 魔法で電気ショックをかけてやると、どうにか彼は息を吹き返した。

 

「ふう。ギリギリのタイミングだったわね。無事ミッション完了よ」

「ありがとうエーナさん。本当に助かりました」

「いいのいいの。たまにはね」

 

 エーナさんが笑顔で、片手を差し出した。

 

「「イェーイ」」

 

 ハイタッチが触れ合う。

 その音は風雨にかき消されて、何もわからなかったけれど。

 

 ユウ。ちょっと苦労したけど、とりあえず何とかしたよ。



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55「謎の病弱少女 ユキミ ハル」

 ユイにシンの救出を頼んだけど、彼はガーム海域に向かってしまったようだ。

 果たして無事かどうか。結果がわかるのは、早くて明日になるだろうな。

 差し当たって今日すべきことはもうないか。そろそろ帰ろう。

 その場を立ち去ろうとしたとき、突然背後から声がかかった。

 

「やあ」

 

 明朗で弾むような、女の子の声。

 気配は感じ取っていたけれど、まさか声をかけられるとは思わなかった。

 やや驚きをもって振り返ると。

 車椅子に乗った少女が、小さく手を振っている姿が目に飛び込んできた。

 

「また会えたね。ユウくん」

 

 なっ!?

 

 俺は名を呼ばれた衝撃のあまり、その場に固まりついてしまう。

 誰なんだ。この子は。

 そんな俺に、彼女は穏やかな微笑みを投げかけて。

 車椅子を手で押して、ゆっくりとこちらに向かってきた。

 近付いてくる彼女の容姿を、つぶさに見て取る。

 健気な声の調子とは裏腹に――寝たきりのことが多いのだろうか、雪のように白い手足はやせ細って、肉付きも控えめだ。

 顔色もやや青白く、ほっそりとしている。

 さすがに夢想病患者より見れるとは言え、およそ健康とは言い難い状態だ。

 しかし顔つきの方を見れば、身体の弱さなど感じさせない芯の強さが覗き知れるのだった。

 不健康であっても、見る者に不安を感じさせない笑顔に、固い意志を秘めた青い瞳。

 艶こそ少ないが、鮮やかなピンク色の髪。

 もし健康であれば、見る者が振り返るほどの美少女であっただろう。

 少女はただそこにいるだけでも、死の気配が色濃く映えるこの病院において、一つ浮き立った生の存在感を放っていた。

 手の届く距離まで近づいてきた彼女は。

 にこりと笑って、か細い手を差し出してきた。

 

「もしかしたら、こっちでも会えるかなって思っていたよ。ボクの読みは当たっていたみたいだね」

 

 俺もとりあえず丁重に握手には応じて。

 それから問う。

 

「どうして俺の名前を。君は俺のことを知っているのか?」

「うん。ボクはずっと見ていたよ。キミたちのこと」

 

 自分のことをボクと呼ぶ、不思議な雰囲気の少女は。

 控えめな胸に手を当てて、意味深げに目を細める。

 

「夢の中で、だけどね」

 

 と、口元を緩めて、付け加える。

 

 夢の中で? どういうことだ。

 いや、考えろ。

 

 夢想病患者が見ていた夢と、この子が言っている夢は。

 もしや同じものではないだろうか。

 つまり、この子は。

 

「ラナソールのことを、知っているのか?」

「その通り。ようやく仲間に出会えた気分だよ」

 

 俺を見つめてけろっと笑った彼女は、「夢のこと、誰に話しても信じてもらえなかったんだよね……」とちょっぴり寂しげに言い足して。

 さらに親しげに一歩分車椅子を寄せてきた。

 

「ところで。キミはボクのことを知っているかい?」

 

 すべてを見透かすかのような青い瞳が、俺の双眸をじっと覗き込む。

 何かを期待しているような表情だ。

 知っていると言って欲しいのだろうか。

 心の能力をもってしても、何を考えているのか。さっぱり読めない。

 だが少なくとも、こんな子には出会ったことがない。

 俺は正直に首を横に振った。

 

「ごめん。知らないよ。君みたいな人と出会うのは、初めてだと思う」

「ふうん。そっかあ。まあ、そうだよね。仕方ないよね」

 

 どこかいたずらっぽい笑みを浮かべた彼女は、大して気にもしていない様子だ。

 

「ボクの名前は、ユキミ ハル。気安くハルって呼んでくれると嬉しい、かな」

 

 ちょこんと首を傾げる仕草は、年頃の少女らしく、可愛らしさに溢れたものだ。

 ユイもよく使う手だけど。無自覚なのか自覚してるのか微妙なラインでやられると、ちょっとずるいなと思う。

 

「わかったよ。よろしく。ハル」

「うん。ボクはね、もう呼んでしまっているけど。キミのこと、ユウくんって呼んでもいいかな?」

 

 ユウくん呼びされるのは、アスティ以来だろうか。

 まあ別に嫌なわけではないし、頷いた。

 

「いいよ」

「ふふ。じゃあユウくん。もう一回、握手しよっか」

「え、ああ」

 

 促されるままにもう一度、今度は最初よりも長めにしっかりと握手した。

 手を放そうとしたとき、ハルが楽しそうに俺の指をなぞる。

 

「あはは。温かいね。キミの手」

「君の手に比べたらね。健康だから」

 

 気さくな雰囲気につい笑みを返すと。

 彼女は曖昧に笑って、左右の手かけに視線を落とした。

 

「うん。病気なんだ。夢想病ほど大変なものではないけどね。まだ歩けなくて」

 

 さらっとそう言うと、器用に車椅子を回して、くるりと向きを変えた。

 

「続きはボクの病室でしよう。お互い話したいこともできただろうし。ね」

 

 俺の心はわかっているとでも言うように、彼女はウインクをしてきた。



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56「二つの世界と二つの身体」

 彼女に案内されて辿り着いたのは、701号室。七階のちょうど角部屋に当たる病室だ。

 病室なので、あまり物はない。

 ただベッドの横の小棚の上には、備え付けの花瓶の横に、彼女の私物であろうモコのぬいぐるみが添えられている。

 この中性的な少女の中に、女の子が感じられる部分だった。

 車椅子からベッドに腰かけた彼女は、笑顔で俺に隣を勧める。

 トントンと、シーツまで叩いて。

 部屋には二人きりで、彼女はあまり身体の自由が利かない。

 それにしてはあまりに無防備なので、ちょっと心配になってきた。

 

「いいのか?」

「んー?」

「だって。二人きりだぞ」

「キミが望まない子にそういうことをしない人だっていうのは、よく理解しているつもりなのだけど」

「随分信用してくれているんだね」

 

 どうも最初からやけに好感度が高いみたいだな。なぜかはわからないが。

 ならば信用に甘えて、素直に隣に腰掛けることにする。

 当たり前だけど、手を出したりはしない。

 ハルもさすがに、俺に一目惚れしたとか言うミティみたいにぐいぐい詰めてくることはしなかった。

 手を少し伸ばせば触れそうで触れない辺りの、親密ではあるがパーソナルスペースはきちんと保った間隔までで止めていた。

 

「こっちのユウくんも変わらないね」

 

 にこにこしながら、興味津々に俺の全身を舐めるように見回すハル。

 視線がくすぐったくて目線を反らそうとしたけれど、追いかけるように顔を覗かれた。

 

「うん。良い目だ」

「そろそろ話してくれてもいいんじゃないか」

 

 これ以上じろじろ見られるのも恥ずかしいので、流れを変えようと提案する。

 ハルも乗ってくれた。

 

「それもそうだね。さて。どこから話そうか」

 

 彼女は少し俯いて、何を話そうか考えているようだった。

 そのうち、語り始めた。

 

「ラナソール。こことは違うもう一つの世界があるのではないかということをはっきりと自覚したのは、ボクが後天性の病で、ほとんど寝たきりになってからだった」

「やっぱりあるんだね。ラナソールは」

「ある、とは思う。でも、ボクにもそうだとは断定的には言えない。何せ夢を通じて見ているだけだからね」

 

 夢。またその言葉が出てきた。

 夢想病の人にとっても、ハルにとっても。

 ラナソールはあくまで夢で見ている場所なのだ。

 ということは。

 

「ラナソールは、夢の世界なのか?」

「うーん。そこも決めつけるにはまだ早いと思うんだ。キミという存在が、既に反例になっているのではないかな?」

 

 そうなんだよな。単にすべては夢や幻であるというなら、話は簡単なんだけど。

 それにしては、物とかも普通に送れるみたいだし。

 あらゆるものがリアル過ぎるんだよな。

 

「そうだね。辻褄が合いそうで合わないというか。さっぱりわからないんだよな」

「うん。ラナクリムと似ているようで違うところとかね」

 

 彼女も同意して、続ける。

 やはり君もラナクリムには思い当たっていたか。

 

「ただボクにとって、想う彼方にある世界であることは間違いなくて。だからボクは、こう呼んでいる」

 

 一拍間を置いて、彼女は告げた。

 

「『夢想の世界』ラナソール、と」

 

 夢想の世界。

 単なる夢の世界でもなく、ラナクリムのような仮想世界でもなく。

 この世界の人たちにとって夢想う彼方にある、現実では辿り着けない世界。

 ラナソールという不思議な世界を表すのに、ぴったりな言葉だと思えた。

 

「なるほど。夢想の世界、か」

「そこでは、ボクであってボクではない――もう一人のボクというのかな。そんな存在が主体となって動いていて。その人を通じて、ボクは世界を夢見ているんだ。夢だから、全部が全部思った通りに動いてくれるわけではないけれど。強い繋がりは感じているよ」

「リクとランドみたいな関係かな」

 

 そう言えば。今思い返してみると、ランドもリクをそれとなく知覚していた節がある。

 いつもではない。あの草原だ。

 俺がこの世界に来るきっかけになった、クーレントフィラーグラス。

 あの草原にいたときだけ、確かに彼は変な夢を見たと言っていた。

 つまらなそうにしている奴がいるとか何とか。

 あれはリクのことだったのではないだろうか。

 ラナソールの人にとっては、こちらの世界が想う彼方にある。

 両者は鏡のような関係になっている、ということなのだろうか。

 

「リクくんって、よくうちにお見舞いに来ている子だよね。ふうんなるほど。そういうご関係だったのか。あの二人は」

 

 ああそっか。つい知ってる体で話しちゃったけど、ハルにとってはまったく初耳のことだったよな。

 それでもすぐに理解が追いつく辺り、何となく察しは付いていたのかもしれない。

 

「ただ、リクはランドのことは覚えていないし、ランドもリクのことは覚えていないみたいだけどね」

「それは……仕方ないよ。幻かどうかはともかく、夢には違いないし。自分のような人がそこにいるのであって、自分がそこにいるわけではない。覚えている方がよっぽど珍しいんだよ。きっと」

 

 心細かったのだろうか。それとも悔しかったのだろうか。

 彼女は眉をしかめ、きゅっと両の拳を握って、俯いてしまう。

 儚げな雰囲気が、その場だけ写真で切り取ったように印象的で。

 俺の視線を捉えて離さない。

 

「君のようにちゃんと覚えている人は、他にいなかったのか」

「さあ。他にも覚えている人がいるのかもしれないけれど、少なくともボクは見たことがないね」

 

「でないと、誰に話しても他愛のない空想話とは思われないだろう」と、彼女は寂しそうな微笑みを見せる。

 顔を上げて俺を見つめると。

 今度は一転して、はつらつと笑顔を輝かせた。

 

「でも、キミが来てくれた」

「そっか。君にとっては初めての『知り合い』ってことになるんだね」

 

 青白い頬をほんのり紅く興奮の色に染めて、彼女は大きく頷く。

 

「本当に嬉しいよ。キミはボクのヒーローさ。待ち望んでいたんだ」

「ヒーローだなんて、大袈裟だな」

 

 だがまんざらではなかった。

 きっと飛び上がりたくなるほど嬉しいのだろう。

 ボーイッシュなソプラノを弾ませて、彼女は爛々と瞳を輝かせている。

 そこまで喜んでくれるなら、俺はヒーローでもいいかと思った。

 

「寝たきりのことが多いから、考える時間はあったんだよ」

 

 すらすらとラナソールについて、見たことや自説を述べ立てていくハル。

 本当に口がよく動く。

 真面目に聞き入ってくれるのがとにかく嬉しくて仕方がない。そんな感じだ。

 独りぼっちだと思っていたのが、味方がいるとわかったときの救われた気持ちはよくわかる。

 自分も経験があるから。

 こんな状況じゃなければ、俺だって単なる病弱少女の空想話か何かだと思っていたかもしれないしね。

 

「二つの世界と二つの身体」

 

 ハルは人差し指と中指を立てて、そう言った。

 

「これがキーワードではないかと、ボクは睨んでいる」

「それは俺も考えていた」

 

 一見まったく異なる二つの世界。一見まったく異なる二人の人間。

 だが両者には、切っても切れない関係がある。密接にリンクしている。

 ラナソールとトレヴァークにそれぞれ存在する、繋がりの感じられる二人の人間。

 いくら表面上は違っているように見えても、心を偽ることはできない。

 まったく同じではないにせよ、根っこは同じなのではないか。

 リクとランド、シルヴィアとあのストーカーの子を見ていると、そう感じるのだ。

【神の器】による観察も、その仮説を支持している。

 

「元は一つの人間の心が。異なる二つの世界で、異なる二つの身体に、それぞれ別の現れ方をしているんじゃないか。そんな風に思えるんだよね」

「そうとも。キミもボクと同じようなことを考えていたんだね!」

 

 彼女が、興奮気味に手を叩く。

 要するにだ。

 表裏一体。

 この世界には、俺とユイのような関係の人間が、数え切れないほどたくさんいるということだ。

 心の根っこは同じで、でも肉体や置かれている環境が違うから、あり方も異なる。別の人間として成立している。

 俺とユイの性別が違うから、生まれ育ってきた環境が違うから。似たような性格ではあっても、決して同じ人間とは見なされないように。

 二つの世界で、みんなが二つの身体を持っている。

 一々変身するたびに仰天されていた能力ではあったけれど。

 ことラナソールとトレヴァークにおいては、何も珍しい事象ではなかった。そういうことではないか。

 

「みんながみんな、二つの身体を持っている。けれども決して交わることはない。二つの世界は、断絶されている」

 

 そこでハルは俺を指差して、パチリとウインクした。

 

「でもキミは特別さ」

「俺が特別、か」

 

 レンクスも同じようなことを言っていたな。

 

「そう。キミはキミのままで、二つの世界を自由に渡ることができる」

「実はまだ、好きに来られるわけじゃないんだけど」

「そうなのかい? でも、時間の問題だと思うよ」

 

 断定的ではないが、曖昧に頷いておく。

 おそらく、向こうからこちらへ来る手段さえ確保できれば。

 二つの世界を自在に行き来することも可能となるだろう。

 

「さて。ユウくん。実は、ボクはただアイデアの共有をしたくてこんな話をしていたわけではないんだ。そろそろ本題に入りたいんだけど、いいかな」

「ああ。いいよ」

 

 何を話すつもりなのだろう。身構える。

 ハルは気さくな調子のまま、お願いをしてきた。

 

「キミに一つ、依頼をしたいんだ。あっちではそれが流儀だったよね」

 

 何でも屋『アセッド』のことを指しているのだろう。

 ということは、この子はうちの店を使ったことがあるのかな。

 そう言えば、君も向こうの世界に対応する人がいるはずだよなあ。

 誰なんだろう。仮にお客さんだとしても、たくさんい過ぎて候補が絞り込めないけど。

 

「とっても大変だけど。報酬もないかもしれない。でも聞いてくれると、すごく嬉しい、かな?」

 

 彼女は真摯な瞳で、しかしどこか余裕の感じられる表情で。

 また可愛らしく首を傾げてみせた。

 まるで断られるとは思っていない。俺のこと信頼し切っている。そんな調子だ。

 そして彼女は、言った。

 

「この世界を、トレヴァークを救ってくれないかい?」

「……へえ」

 

 世界を救ってくれとは。また大きな話になってきたな。

 ごくりと喉が鳴る。自然と緊張が高まる。

 

「夢想病のことは、よく知っているね?」

「原因不明の死病。ここにも患者がたくさんいるな。どうもあの人たち、ラナソールの夢を見ているみたいなんだよね」

「ふうん。もうそこまでわかっているなんて。さすがはユウくん。ボクも、寝言からの推測だったんだけどね」

 

 人差し指で唇をなぞったハルは。

 一人納得したように頷いて、続ける。

 

「ここのところ、ますます感染者は増大していて。緩やかに世界は死に向かっている」

「確かにね。このままでは、いずれ破滅は免れないだろう。俺も何とかできるなら何とかしたいけど」

「ふふ。良い人なんだね。キミに力になってもらいたいのは、まさにそこなんだよ」

「なんだって?」

 

 夢想病に対して、俺にできることがあるのか?

 驚く俺に、彼女は優しく口元を緩めた。

 

「ユウくん。どうしてこの病気は起こってしまうのだと思う?」

「さあ」

 

 わからず、肩をすくめる。

 

「ボクはね。とある仮説を立てたんだ。あれは医療で治せるものではない。もし、ボクの考えが正しいとすれば――」

 

 ハルは、俺の両手をひしと取った。

 

「人の心を繋ぐというキミの力なら。もしかしたら、彼らを救えるかもしれないんだ」

 

 熱のこもった瞳を潤ませて。

 彼女は俺のことをじっと見つめ上げていた。



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57「ハルの依頼とユウの提案」

 心を繋ぐ俺の力なら、夢想病患者を救えるかもしれない、だって?

 

 ――そうか。なるほど。そういうことか。

 

 目から鱗が落ちた気分だった。

 言われてみれば納得だ。俺にも何となく理解できたぞ。彼女の描いている絵が。

 しかし、それにしてもこの子は……。

 

「俺の力のことまで知っているのか!?」

 

 ハルは、俺から目を逸らさずに頷いた。

 

「ちょっとだけね。何となく?」

 

 何となくでわかるものなのか? 

 驚いたってものじゃないぞ。

 フェバルの力のことなんて、元々俺がフェバルだと知ってる連中以外には、誰にも何も話していないはずなんだけど。

 予め知っていたとして、ただ者ではない。

 本当に何となくで当てたのだとしたら、恐るべき直観と大胆な空想力の持ち主だ。

 

「誰にも言ってないはずなんだけどな」

「あはは。企業秘密だよ」

 

 楽しそうに笑ってはぐらかされてしまった。無邪気な白い歯が覗く。

 すごく気になるんだけど。

 まあいいか。今気にすることじゃないしな。

 そのうちハルは笑みを止めて真剣な顔を作り、続けた。

 

「ユウくん。キミに頼みたいのは、他でもない。夢想病を治してあげて欲しいんだよ」

「なるほどね」

「ボクの言いたいこと、わかる?」

 

 やや不安げにこちらの様子を窺う彼女に、俺はしかと首を縦に振る。

 

「ああ。言われて気付いたよ。確かに俺の力なら、彼らを治せる可能性がある」

 

 あくまで可能性に過ぎないが、試してみる価値はあるだろう。

 原因不明の病とされている夢想病。

 ただ一つ、「心ここにあらず」ということだけがわかっている。

 俺はこれまで、病気にかかったから「心ここにあらず」なのだと考えていた。

 だがハルの推測に乗るとするならば。

 むしろ原因と結果は逆なのではないか。

 次第に考えをまとめつつある俺を察して、彼女が促す。

 

「ユウくん。キミの見解を聞こう」

「そうだね。夢想病とは、つまり心そのものの病なんじゃないかな」

「ふむ。心そのものの病、というのは?」

「つまり、精神病の類じゃなくて……心そのものがここにないんだ」

 

 本来宿っているはずの心が、何らかの原因で完全に向こうの世界、ラナソールの虜になってしまっている。

 まあ何が原因かは、この際置いておくとして。

 

「こちらの世界へ帰って来ない。だから目が覚めなくなってしまう」

 

 トレヴァークとラナソール。

 二つの世界があり、一つの心が二つの違った現れ方をしている。

 俺が感じていることであり、ハルが推測していることだ。

 言い換えれば、一つの心には、トレヴァーク成分とラナソール成分のようなものがあって、各々が二つの身体を動かしている。

 それぞれの成分が健全に機能していれば、二つの身体は何も問題なく、二人のほぼ独立した人間として活動できるのだろう。

 ランドとリクのように。

 ところがだ。

 夢想病患者は、本来トレヴァーク側の身体に働きかけねばならない部分の心まで、そっくりすべてラナソールに持っていかれてしまっているのではないか。

 すると心の飛んでしまった人間は、もはや生きた肉の塊に過ぎない。

 意識を失って、深い眠りに陥ってしまうというわけだ。

 

「ハル。君はそう考えているんだね?」

「理解が早いね。やはりボクの見込んだ人だ」

「この仮説が正しいとすれば、夢想病を治す方法が一つ考えられる」

「うん。つまり?」

「ラナソールに囚われたまま切れてしまった心のリンクを、また繋ぎ直してやればいい」

 

 それができる力の使い方を、俺は既に心得ている。

 昔はできなかった。能力を開発していて良かったよ。

 

「その通りだよ! ユウくん」

 

 ハルは随分感激した様子で、両手を叩いた。

 だが……。

 確かにそれで個々の相手は何とかなるかもしれないが。

 世界が相手となると……。

 

「……だけどね。それだけではダメだ」

「どうして」

 

 一転して、裏切られたかのごとく顔が曇る彼女。

 ここにきて初めて、俺と彼女の認識にずれがあることが露呈した。

 そう。能力を使えるのは俺だけだ。それが問題なのだ。

 俺一人の力で、世界を救えると。

 それほどまでに俺を当てにしていたのだろうか。

 俺は正直に自分の限界を告げた。告げるしかないだろう。

 無理なことをできるとは言えないし、誠実ではない。

 

「残念ながら、患者の数が多過ぎる。一人一人治療していったところで、まったく追いつかないよ」

 

 理想的に俺たちの予想が正しく、もし完璧に治せたとして。

 同じ時間で俺が治せる人数よりも、新たに夢想病にかかってしまう者の数の方が遥かに多いだろう。

 俺の能力に頼った治療は、あくまで対症療法的なものであって、根治手段にはなり得ないのだ。

 それに俺は、いつまでもこの世界に居られるとは限らない。

 世界計がまともに働いていないので、正確なタイムリミットはよくわからないが。

 とにかく、時間が無限にあるわけではない。

 

「それは……」

 

 厳然たる事実を突きつけられて、彼女はややたじろいだ。

 しかし納得がいかないと表情を険しくして、あくまで食い下がってくる。

 

「でもキミは、とてつもない力を持っているじゃないか! 向こうでどんなに飛べ回ったって、本当は歩けないボクなんかよりも、ずっと……!」

「それは……」

「あの力をもってしても、歯が立たないと言うのかい? ボクには、到底信じられないよ……」

 

 また、言われてしまったか……。

 心が痛かった。

 なるほど。君が俺をヒーローだと言ってくれた意味合いが、よくわかったよ。

 でも、俺は……。

 

「俺は……そうだな。君が、君たちが思っているように、普通の人よりはできることが多いのかもしれない。それだけ思われるようなことも、きっとしてきたんだろうね」

 

 並大抵でない修羅場もいくつかくぐって来ている。

 その辺りの奴にならもう負けない自信もある。

 だけど。

 

「だけど、いつでもどこでも超人というわけにはいかないんだ。ここはラナソールじゃない。向こうにいた多くの人間と同じさ。俺もまた、こちらでは一人の人間でしかないんだよ」

 

 悔しいけどさ。

 俺はフェバルであって、フェバルではないのだ。

 

「…………」

 

 よほどショックだったのだろうか。

 言葉を失ってしまったハルに、自然と手が伸びていた。

 ぽんぽんと、慰めるように彼女の頭を撫でる。

 

「この手に触れられるものは限られている。ちょうどこうして、君に触れているようにね。俺が助けられるのは、一人一人だけだよ」

「その……キミは、ボクを口説いているのかな?」

「え!?」

 

 困ったように笑って、白い人さし指で俺の手をつつくハル。

 見れば、頬はほんのりと赤く染まっていた。

 俺は慌てて手を引っ込めた。つい声が裏返ってしまう。

 

「い、いや。そんなつもりは」

「気が付くと、キミはすうっと距離を詰めてくるんだね。ボクにも」

 

 そうなのか?

 まあできれば、人とは仲良くしたいなあとかはいつも漠然と思っているけど。 

 

「ふふっ。中々にナチュラルキラーのようだ」

「それさ……。最近ユイに指摘されて、軽く凹んでるところなんだ」

「気を付けた方がいいとボクも思うよ」

 

 はい。ごめんなさい。

 でもおかしいなあ。昔はそんなこと言われなかったのに。

 別に旅立ってから容姿が変わったわけじゃないぞ。

 幼稚園から高校まで、魔法学校でも。

 女子にはこき使われ、弄られまくってた記憶ばかりなんだけどな。

 ままごとのユウから始まり、家庭科のユウ、掃除のユウ、肩揉みのユウ、連絡係のユウ、ミスコンのユウ、悩み相談のユウ、パシリのユウ、デート予行演習のユウ、アリスミリア最強コンビの(ものである)ユウ。

 思い返すこれまでの苦労に、ちょっと涙が出そうだ。

 何かと絡まれるのは多かったけど、好きって感じじゃなかったと思う。

 男を男とも思わない、弟分的な扱いだった……と思う。

 

 ……たぶん。

 

 ま、まあそれはともかく。

 過程はどうあれ、彼女に笑顔が戻ってよかった。

 咳払いをして調子を整えてから、まだ伝え切れていなかった考えを伝えることにした。

 

「治療だけでは厳しいけど。それで助かるかもしれない人がいるのも事実だ」

 

 俺の力じゃやっぱりダメでしたって可能性もあるけど、いける気がする。

 ダメだったときのことはまだ考えないでおこう。

 

「そうだよね。ボク、何とかできないかなってずっと思ってて」

「そこでだ。二本の矢でいこう」

「二本の矢?」

 

 ハルは興味を示して、顔をぐいと寄せて来る。

 

「対症療法的な一人一人への治療は、もちろん試してみようと思う。と同時に、夢想病患者が増えているそもそもの原因を探らなくちゃならないと思うんだよ」

「確かに、その通りだね」

「原因を探るには、やっぱり治療から始めてあれこれ調べるのが良いと思う。夢想病患者の治療には、二つの世界からものを見ることが必ず求められる。得られる情報も自ずと増えてくるはずだ」

「どういうことだい?」

「できれば覚えておいて欲しいんだけど、俺の力は無条件で効果が出せるわけじゃない。最低でも、それぞれの世界で誰と誰が対応しているのか」

「……まあ必要だろうね」

「そしてそれだけじゃないんだ」

 

 彼女に【神の器】の性質を簡単に説明していく。

 俺の力は、対象となる相手を知らなければ、まずろくに効力を発揮しない。

 まして知ったところで、相手が自分に心を開いてくれなければ、やはり効果は極めて弱いのである。

 簡単に言えば、夢想病の治療は「手で触れたら終わり」では決してない。

「まず人として触れ合う」ことが求められるのだ。

 重要でありかつ、極めて面倒で厄介なステップだ。

 実質的に、人それぞれで治すためにすべきことはまったく異なるだろう。

 しかも最初から意識を失っている相手と、親しくなることは不可能だ。

 そもそも前提として能力の効き目が薄くなる条件下であり、ハードルが高い。

 治療が追いつかないと言った理由は、こういった諸々の面倒さも大きい。

 

「それは……何とも厄介だね」

「だろう? 俺一人にできることは、どうしても限られてしまうよ」

「うん。キミの言いたいこと、よくわかったよ。ボクの見通しが甘かったみたいだね……」

 

 あからさまに落ち込んでしまうハル。

 思い描いていた希望が打ち砕かれたのだから、無理もないだろう。

 俺はなるべく柔らかい表情を作って、彼女に微笑みかけた。

 優しく諭すように、声をかける。

 

「大丈夫。前には進めているじゃないか。俺という仲間ができたのは確かなんだから。見方を変えれば、俺にも君という心強い仲間ができたわけだ」

「ボクが、仲間……そっか」

 

 はっとした彼女に、俺は力強く頷いた。

 

「そうとも。俺一人にできることは限られていると言ったね。でも、一人じゃなかったらどうかな?」

「あ……!」

 

 そうさ。そうやって俺「たち」は世界を救ってきたんだ。

 

「どうだろう。君も一緒に世界を救ってみないか?」

「ボクが……世界を? でも……」

 

 動かない脚へ視線を落とす。

 こんな自分に何ができるのかと、思い悩んでいるようだった。

 

「得意なことで協力してくれればいいよ。ラナソールでだって、いくらでも活躍の場があるじゃないか」

「そっか……そうだよね」

 

 ハルの瞳に力が戻る。

 もうすっかり戦う者の顔になっていた。

 

「わかった。ボクもやれるだけ頑張ってみるよ!」

「うん。その意気だ」

 

 彼女が調子を取り戻してくれたところで、俺は三度目の手を差し出した。

 今度は少し特別な意味合いを込めて。

 

「じゃあよろしく。戦友」

「うん。よろしくね。戦友くん」

 

 こうして、トレヴァークで初めての「戦友」ができたのだった。

 

「ところで、君はラナソールでは誰なんだ?」

「さあ。誰でしょう? どこぞの冒険者かもしれないし、ただの一般人かもしれないよ? 本当はまだ出会ったことがないのかも?」

 

 ただくすくすといたずらっぽく笑い続ける少女は、どうやら俺に正体を教えるつもりはさらさらないらしい。

 

「ふふふ。気が向いたら、あっちでもボクを探してみてね」

 

 別れ際、ドアが閉まるまで、彼女はずっとにこにこしっ放しだった。

 

 

 ***

 

 

 ハルか。不思議な子だったな。でもいい子だ。

 誰なんだろうな。何となく、どこかで出会ったことがあるような……。

 帰り道、ずっと彼女のことが頭の中でくるくる回っていた。



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58「夢想病を治せ 1」

 家に帰ってPCで夢想病のことを色々と検索していると、ユイからシン救出成功の連絡があった。

 現在は『アセッド』で看病しているということだった。

 何でも、救出の際にはエーナさんが大活躍してくれたらしい。

 彼を助けられたのは何より朗報だ。

 二つの身体は揃った。あとは心の方か。

 俺もユイも、シンヤ(シン)のことはよく知らないわけだけど。

 ただ今回は彼と旧知の仲であるリク(ランド)がいる。こちらの問題もクリアできるだろう。

 

『ユイ。ランドを呼んでくれないか』

『必要なんだよね。うーん。今シルとどこか冒険に行っちゃってるみたいだから、すぐには連絡付かないかも』

『そうか……。少し困ったな』

 

 シンヤは明日にでも死ぬという感じではない。

 別に焦らないといけない状況ではないが、できれば早く治してあげたいのも正直なところだ。

 俺個人としても、自説の正しさは確かめたい。

 俺の考えている方法は、リクとランドをパイプ役とすることで、心の接続の難易度を下げるというものだ。

 リクだけでは片手落ちだ。同じ魂を持っている(と思われる)ランドもいないと、かなり厳しいかもしれない。

 どうにか見つけ出す方法はないものか。

 気も魔力も読めないのは、毎度のことながらきついよな。

 

 ――待てよ。もしかすると。

 

『前にランドと会ったのはいつだ。最近どこに行ってたとか、そんなことを聞いていないか』

『それなら一週間くらい前に。よほど楽しかったみたいで、べらべら得意気に喋ってたよ』

『どこに行ってた?』

『クーレントフィラーグラスだっけ? あなたが世界の穴に落っこちたところ。そこを越えてからは、火山地帯に行っていたとか。それから――』

 

 記憶能力もあって、すらすらと彼の行き先を並べ立てていくユイ。

 思った通り。同じだ。

 いいぞ。予想が当たった。

 

『それはまさにちょうど、ラナクリムでリクが俺と一緒に行ったところだ』

 

 100%ぴったり同じではないようだが。やっぱりな。

 リクがゲームで行こうと思う場所と、ランドが「リアル」で行こうと思う場所は、かなりの程度で一致している。

 ユイも俺の作戦を理解したようで、声が明るくなっていた。

 

『そっか。そっちのツテからいけるかもしれないんだね』

『ああ。早速リクに聞いてみるよ』

 

 心通信は保留にしたまま、リクに電話をかける。

 数コール程度で、彼は出てくれた。

 

『もしもし』

『ユウだ。さっき家に帰ってきたところだよ』

『随分時間かかったんですね。何かわかりました?』

『それもあるけど、ちょっと今すぐ君に聞きたいことがあってね』

『はい。どうしました?』

『ラナクリムだけど。今「ランド」はどこにいる?』

 

 さも真面目に突拍子もないことを尋ねたので、電話口の向こうから、ややあっけに取られたような声が漏れた。

 

『えっ……えーと。それなら今、例の火山の洞窟で稼ぎをしてます。シルヴィアさんも一緒ですけど』

『なるほどね』

『あ、ぼちぼちユウさんも来られる感じですか?』

 

 いや。そんな呑気なことをやって楽しんでる場合じゃないんだ。

 まあ……ちょっと前までハマりっ放しだったけどさ。

 

『今すぐ「ランド」をレジンステップの冒険者ギルドへ戻してくれないか? 「シルヴィア」も一緒でいいけど、とにかく君は確実に戻ってくれ。そしてそのままずっと待機していて欲しい』

『え、ええ……? 別にいいですけど、どうして』

 

 理由が言いにくい。

 説明しろと言われても、ラナソールの存在自体妄想話だと思っている相手だ。

 適当な嘘ではぐらかされたように感じるだけだろう。

 素直なリクくんを騙すのは、昔の自分を騙しているようで気が引けるが。

 ここはでっち上げてしまおう。

 

『実は豪華素材が当たる隠しビンゴ大会が、間もなくギルドで開かれるらしいんだ。ちょうどその時間にいてくれないとダメなんだよ』

『うわ! マジっすか! そんなお得な情報が! モチすぐにでも行きますよ!』

 

 ふう。単純な子で助かった。

 可哀想だから、後で「裏を取っておく」か。

 

『じゃあ俺もギルドで待ってるから』

『はい! シルヴィアさんも連れていきますね』

『オーケー。あとそれから、もう一つ頼みがある。明日もう一度一緒にシンヤをお見舞いに行こう』

『それは……。調べ物をして、何かわかったってことでいいんでしょうか』

『ああ。もしかしたらとびっきりのやつがな』

 

 こんな感じで手短に要件を伝えて、電話を切った。

 これできっと向こうのランドも冒険者ギルドに向かってくれるだろう。

 頼むぞ。来てくれよ。

 再びユイに話を戻す。

 

『聞いていただろう。ユイ』

『うん。冒険者ギルドに行けばいいんだね』

『ただ、その前に。大変申し訳ないんだけど……。至急エーナさんと、適当なレア素材を採ってきてくれないかな? うきうき顔のランドが戻って来る前に』

 

 もう容易に想像できてしまう。あの少年のような屈託のない笑顔が。

 

『ふうん。その場しのぎで吐いた嘘だよね』

『うん……。豪華景品付きビンゴ大会、やってあげよう』

 

 とんだ自作自演だけど。

 結果的に嘘を吐いたことにならなければ、彼を悲しませることも疑わせることもない。

 他のフェバル連中ほどではないと思うが、結果的に秘密主義的になってしまうのは、信頼関係を築く上でよろしくないと思うのだ。

 仕方ないときもあるが、極力避けたい。

 

『仕方ないなあ。いいよ』

『ありがとう』

『でもいきなりやりますって言って、ほんとにギルドがやってくれるかな』

『受付のお姉さんに頼めば、喜んでやってくれるだろうさ』

『うん。なるほど。わかり過ぎるほどわかった』

 

 先輩風を吹かせるエーナさんは、もう一働きもやぶさかではなかったようで。

 ユイと二人で駆けずり回り、大型魔獣を速攻狩って素材を集めてきてくれた。

 それからランドが予想通りに来てくれて。

 無事、受付のお姉さん主導によるビンゴ大会が行われたのだった。

 ラナソールで本物のビンゴ大会が行われている間、俺とリクはラナクリムの方できちんと参加させてもらった。

 リクとランドの笑顔は守られた。

 二人とも、本当にありがとう。助かったよ。

 

 

 ***

 

 

 冒険者ギルドで、ランドがシルヴィアと談笑しているところを見つけた。

 私は、駆け足で寄って行って声をかけた。

 

「あ、ランド! いたいた!」

「おう! ユイじゃないか」

「どうしたの? そんな慌てた顔して」

「よかった。探してたの」

 

 事情のわからない彼らは、きょとんとするばかりで。

 それまで素材集めに奔走していた私は、乱れた息を整えつつ、変な心配をされないように笑顔を作る。

 二人が、どこか物寂しそうに目をひそめた。

 

「あら。ユイ、一人だけ?」

「ユウはまだ帰って来てないのか?」

「えっと。まだ、ちょっと遠いところで頑張ってて。だから心配しないで」

「……と言われてもねえ。私たちが最後に見た姿が、アレなものだから」

「俺たち、心配してるってよ。助けてもらって感謝してるって、伝えたいんだけどなあ」

 

 そうなの。

 二人とも、最後に見たユウが、あの穴に吸い込まれていくところだから。

 かなり罪悪感を持ってしまっているみたいで。

 

「大丈夫。そのうち帰って来るつもりみたいだから」

「まあ、だったらいいんだけどよ」

「ええ……」

 

 やや浮かない顔で、渋々頷く二人。

 

「そうだ。俺たちを探してたってのは?」

「そうなの。あなたたち、シンって冒険者のこと、知らない?」

「シン……? はて。どっかで聞いたことあるような、ないような……」

 

 ランドは中身の詰まってなさそうな頭をぐるぐると唸らせて、しかし思い至らないようだった。

 

 あれ? ランドのことだから、シンのことはよく知っているというわけじゃないの?

 もしかして、ユウの見当違い……?

 

 結局先に思い浮かんだのは、シルの方だった。

 

「確か……Aランクにそんな奴いなかったっけ?」

「ああ! そうだ! いたよいた! 思い出したぜ!」

 

 ランドが元気に唸る。

 

「シルとコンビ組む前、色んなパーティーに入れてもらってたんだけどよ。そのときに、そんな名前の奴が何度か誘ってきて。一緒に狩りしたことあったっけな」

 

 よかった。知り合いであることは確かみたいで。

 確かユウは、リクとシンヤが「それほど仲が良いわけではない」と言っていた。

 その辺りの微妙な関係性が、そのまま反映されているのだろうか。

 

「なんだ。マジ知り合いなんじゃないの。あんたも薄情ね」

「悪い悪い。俺、あんまし昔のことはからっと忘れちまうからよ」

 

 へらへら笑って頭を掻いたランドの脇腹を、シルが小突く。

 

「そのうち、私のことも忘れちゃったりしないでしょうね」

「まー心配すんなって。お前みたいな強烈な奴は、忘れたくたって忘れられねえよ」

「へえ……。後学のために、どう強烈なのか教えてくれないかしら」

「そうだな。色々あるんだけどな。例えばよ」

 

 能天気な彼は、いとも容易く地雷を踏みに行った。

 

「そうやってちょっとむっとすると、人殺しみたいに目がやけに据わってて、怖いところ……と、か……!?」

 

 言いながら、途中から彼は、急速に増大していくシルの迫力にびびり上がっていた。

 

「ほう……色々、ね。随分正直に言ったわね。えらいえらい。もちろん覚悟はできてるんでしょうね?」

「え、ちょっ! うぎゃあああ! いた、いたいって! ギブ、ギブッ!」

 

 鬼気迫る笑顔で容赦ない関節技を仕掛けるシルに、涙目で悲鳴を上げて。

 彼女の肩をタップし続けるランド。

 二人とも慣れているのか、どこか楽しんでいるようでもある。

 はたから見ていると、ただの痴話喧嘩にしか見えなくて。

 何だか微笑ましいというか。

 そんな二人を、いつものことかと生暖かい目で見守るギルドの人たち。

 

 ……別にいつまでも見ていてもいいのだけど。それだと話が進まないよね。

 

 適当なところで割り込んで、二人を止めた。

 

「ちょっとその辺で。ね」

「おお! ユイさん! あんた、救いの女神かよ……!」

「調子いいねほんと……まあいいわ。このくらいで」

 

 鬼の逆十字固めを仕掛けていたシルは、とりあえずすっきりした顔でランドを解放した。

 彼は袖で涙を拭いてから、私の顔を見つめて。

 何かを思い出すように眉根を寄せる。

 

「で、何の話だったっけ。シンがどうしたんだ」

「今、彼ね。まだ意識を失ってるの。私の店で看病してて。峠は越えたけど、かなり弱ってて」

「大変ね。何があったの?」

 

 神妙な面持ちで尋ねてくるシルに、私は言った。

 

「魔のガーム海域に、たった一人で挑んだんだよ。しかもこのくらいの小舟で」

 

 手を小さく丸めて船の形を作ると、

 

「はあ!? 馬鹿かあいつは!?」「命知らずにも程があるわ!」

 

 ランドシルは、二人同時に叫んでいた。かなり怒った調子で。

 

「命だけでもよく助かったもんだぜ」「ほんと」

「私が店の人と助けに行ったからね。でないと、危ないところだった」

「そりゃあどうもな」「ユイに助けてもらえてラッキーだったわね。その人」

「それで、よかったらなんだけど。明日お見舞いに来てくれると嬉しいかなって」

「そういうことか。もちろん構わねえ。まったく知らない仲じゃないしな」

 

 お人好しのランドは、二もなく頷いてくれた。もちろんシルも。

 よし。どうにか約束を取り付けた。

 明日、ちゃんとランドは来てくれるよ。

 あとはユウが考えている通りになってくれればいいけど。

 上手くいって欲しいな。私も。



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59「夢想病を治せ 2」

 無事にランドを見つけることができた次の日。

 俺はリクを伴って、再びトリグラーブ市立病院を訪れていた。

 向こうは向こうで、ランドとシルヴィアが『アセッド』を訪ねている。

 シンは未だ目覚めておらず、奇しくも二人とも気を失ったままの格好だ。

 受付を済ませて、まずはハルの病室へ向かう。

 彼女もぜひ見届けたいだろうと考えてのことだ。

 

「どこ行くんですか」

「もう一人、お見舞いに付き合いたいって子がいてね」

 

 病室のドアをノックし、自分がユウであることを告げると。

 ハルから「どうぞ」と返事が来る。

 そこでリクは、ハルと初対面になった。

 身体の自由の利かない彼女にとっては、身体一つ起こすのも重労働だった。

 上体を起こして、両手を使って細い足をベッドの縁に運ぶ。

 それから俺とリクを交互に見やって、柔らかく微笑んだ。

 

「もうここへ来たということは、カードが揃ったんだね?」

「そういうこと。君も見たいだろうと思ってね」

「もちろんだとも」

「何の話ですか?」

 

 すっかり蚊帳の外なリクが首をひねっていると、ハルは彼へと目を移して言った。

 

「キミがリクくんだね。キミのことはユウくんから色々と聞いているよ。ボクはハル。よろしくね」

「ええと、はじめまして。僕、リクです。こちらこそよろしくお願いします」

 

 ハルはリクのことは見て知っていたのだが、あくまで話をするのは初めてである。

 初対面らしい挨拶の後、握手が交わされた。

 握手の際、彼女に笑顔を向けられる。

 それからリクは、途端にぽけーっと放心したような様子になった。

 どうしたのかと思っていると。

 彼はへらへらして、俺に耳打ちしてきた。

 

(不健康そうなのは仕方ないですけど、めっちゃかわいい子じゃないですか。昨日ですよね。いつの間に知り合ったんです?)

 

 なんだ。見とれていただけか。

 確かに可愛らしいからな。

 

(まあ色々あってね。友達になってくれたよ)

(いやあ~随分長いなと思ってたんですよ。ユウさんも中々隅に置けないっすね)

(別にそういうのじゃないから)

 

「なにひそひそ話してるのかな」

 

 ハルがこちらを怪しむように目を細めてきたので、二人で笑ってとぼけた。

 彼女はまあいいかという感じで、くりっとした元の目に戻る。

 

「ユウくん。早速行こうじゃないか。剣は斬れるうちに手入れしろと言うだろう」

 

 彼女はウインクして、何かを期待するような、甘えのこもった目で俺を見つめてきた。

 俺は察して車椅子を回し、ベッドへ寄せる。

 それから念のため目で確認し、やはり彼女は頷いたので、デリケートな部分には触れないよう十分注意して抱え上げた。

「わあ」と小さく嬉しそうな声が上がったが、大人しく身を任せている。

 さすがに軽いな。名字の通り、雪みたいだ。

 優しく車椅子に乗せてあげると、彼女は意気揚々と車輪を手押しして、先導を始めた。

 後ろから付いて歩く俺。

 隣のリクが、肩を叩いてくる。

 

(やっぱり結構親しげなんじゃないですか)

(そんなこと言われてもなあ)

(好意的でない相手に、身体なんか任せませんって)

(まあ確かにね。妙に懐いてくれてるなとは思うけど)

(いいなあ。くっそおおおお)

 

 などと話し合っていると。

 

「こほん。あまりごにょごにょやられるとね。ボクもそのね、困ってしまうよ?」

 

 くるりと車椅子を回して、お得意のちょこん首傾げが炸裂する。

 男殺しの仕草に、リクはやられてしまったらしい。懲りずに耳打ちしてきた。

 嬉しそうだねほんと。

 

(うわあ。破壊力やばいです。今、僕の中でアイドルになりました)

(お前、案外惚れっぽいんだな)

 

 ランドの朴念仁っぷりと比べると、中々に男の子らしいじゃないか。

 

(免疫がないんですって。僕なんて生まれてこの方、彼女なんかいたことないですもん。ユウさんはモテるって顔してますよね)

(そうか? 確かにいるけどさ)

(やっぱりね。そんなことだろうと思いましたよ。どうせ僕なんて)

(あのな。あんまりそういうこと言ってるとね――)

 

 コツン。

 

 廊下の窓に、硬い何かが当たる音がした。

 俺は即座に反応し、注意を外へ向ける。

 

 ――石だ。

 

 投げられた石が窓に当たったのだ。落ちていくそれの影が見えた。

 ハルとリクは、やや遅れてぼんやりと窓の方に視線を向けた。

 もう石は見えていない。

 

 誰が投げたのか。俺には明らかだ。

 

 ずっと向こうから、「彼女」の恨めしい気配が……。

 

 ほら。女の子の前であんまりへらへらしてるから、シルさんの中の人むっとしてるじゃないか!

 というか、やっぱり付いて来てたんだな。ストーカーめ。

 

 さて……となると、困ったな。

 彼女、見るからに普通の人ではないようだし。

 今からやることをあまり大っぴらには見せたくないのだが。

 

 やや迷ったが、結局は治療を試みることにした。

 夢想病は不治の病だ。

 たとえ完治せずとも、何らかの効果があったと認められた段階でも、ニュースになってしまうだろう。

 遅かれ早かれ、その筋の者にも目を付けられるに違いない。

 どこの誰とも知らない奴に嗅ぎ回られるよりは、シルの中の人の方がまだ信頼できる。

 ただ心配なのは、リクとハルのことだ。

 この二人に変な注意が向かないように、俺が矢面に立たなければ。

 

 そんなことを考えているうちに、シンヤの病室に着いていた。

 

 病床で色もなく横たわる痩せこけた青年を、三人で見つめる。

 病人は見ていて何となく怖くなるから苦手だ。

 何度見ても慣れそうにないな。これは……。

 やがて、ハルが覚悟を決めたように促した。

 

「さて。ユウくん。キミはこれから何を見せてくれるんだい?」

 

 ここまで来たか。いよいよだな。

 上手くいけばいいが。緊張してきたぞ。

 

『ユイ』

『うん。こっちは準備万端だよ』

 

「……リク。手を」

「えっ。は、はい。どうぞ?」

 

 雰囲気に流されるまま、とりあえず素直に手を差し出してくれるリク。

 俺は彼の手を右手でしっかりと握った。

 そして左手は、シンヤの額に添える。

 これで俺を介して、リクとシンヤが結ばれたことになる。

 向こうでは、ユイが同じようにランドとシンを結んでくれている。

 回路はできた。あとは繋ぐだけだ。

 

 ――懸念事項はある。

 

 リクは、口ではただの知り合いだと言っているけれども、本心ではかなりシンヤを気にかけているみたいだ。

 問題ないだろう。

 しかし、ランドとシンは、こちらの世界ほど仲の良い関係ではないようだ。

 足りないのではないか。そこがネックと言えばネックだが。

 手持ちのカードでは、これが最強ではある。やってみるしかない。

 

「ユウさん……?」

 

 きっと怖いほど真剣な顔をしているのだろう。

 リクにも緊張が伝わって、少しだけ手が震えていた。

 ハルもまた、固唾をのんでこちらを見守っている。

 俺は深く一呼吸して、諭すように言った。

 

「リク、君はシンヤを助けたいと思うか?」

「ユウさん。まさか」

「俺は今から、シンヤを救ってみる」

「……本当ですか?」

「嘘は言わないよ。もう一度聞こう。君は、シンヤを助けたいか?」

「それはもちろん。助けられるなら助けたいって……思ってますけど」

 

 彼の握る手に、少し力がこもった。

 俺は強く頷く。

 

「どうかその気持ちを強く持ってくれ。素直に注いでくれ。すべては君の想いにかかっているんだ」

「よくわからないですけど……はい! やってみます!」

 

 うん。良い返事だ。覚悟は決まった。

 使う技はただ一つ。

 俺には心を繋ぐ力がある。

 今こそ、その力を使うとき。

 

『ユイ。同時にいくぞ』

『オーケー』

『『せーの』』

 

 頼む。上手くいってくれ!

 

()()()()()()()()

 

『心の世界』のチャネルを開き、リクの心を受け入れる。

 同時にユイは、ランドの心を受け入れた。

 リクの真剣な想いが、ランドの馬鹿正直な想いが、直に心を通り抜けていく。

 胸が揺さぶられる。

 シンヤの眠った心に、シンの冒険心溢れる心に、二人の想いを注ぎ込む。

 

 頼む。開いてくれ。

 

 祈りが通じたのか、果たして効果はあった。

 閉じられていたシンヤの心に、わずかな隙間が生まれる。

 やや強引ではあるが、心臓に手を突っ込むようなイメージで、空いた隙間をこじ開ける。

 

 よし。いける。いけるぞ。

 そのままだ。いけ!

 

 リクとランドの助けを通じて、俺はついに、シンヤの心に直接踏み込むことができた。

 途端に、眠る彼が持つ心の情報が、滝のように流れ込んでくる。

 

 くっ。無理やり入ったんだ。流石に抵抗も強いか……!

 

 気を強く持たなければ、我を見失ってしまいそうだ。

 

『ユウ! 気をしっかり持って!』

『わかってる! 大丈夫だ!』

 

 雑多な情報が、次から次へと心を素通りしていき。

 やがてさらにその奥――深層心理へと意識は沈んでいく。

 

 そして、彼の「夢見る世界」がぼんやりと姿を現した。



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60「夢想病を治せ 3」

 昔からそうだった。

 うちの親父、医者になろうとしてなれなかったとかで。

 両親揃って、子供の俺に夢を押し付けて。

 期待されてるのはわかってた。

 口では頑張るって言ってきたけどさ。少しは期待に応えようと思ってたけどさ。

 段々わかってきた。自分には能力がない。

 頭も良くないし、元々頑張れる性格でもない。

 親父にできなかったことが、俺にできるわけないだろ。

 成績が良かったのも、ピリー・スクールの1年までだ。

 結局、トロウ・スクールも普通のところに通うことになったし、そこに入ってからも成績は平凡そのものだった。

 両親の当たりはきつくなった。このままじゃ医学部に受からないぞって。

 段々嫌になってきた。

 俺はお前らの都合の良い道具じゃない。

 俺がどうしようと、どうなろうと勝手だろうが。

 不登校とまでは言わないが、色々なことが嫌になり。徐々に学校も休みがちになっていた。

 

 そんな折に出会ったのが、ラナクリムだった。

 何となくキャッチコピーに惹かれた。

 

「もう一つのリアルがここにある」。

 

 俺は冒険者になった。

 もちろんギルドにも入って、パーティー組んだりしてみた。

 最初は上手くいかないこともあったけど。正直はまった。

 この世界では、努力が報われる。

 経験値は目に見える形で入って来るし、プレイヤースキルが上がれば、それだけキャラクターは意に沿ってどんどん快適に動いてくれるようになる。

 それに、世界中に多くの仲間がいる。

 同じように、リアルがうざったくてこっち来た奴もいる。

 そいつらと話しながらプレイするだけでも、嫌なことを忘れられて楽しかった。

 

 ……ああ。わかってたさ。

 

 逃げてるだけだってことは、薄々わかってた。

 でも仕方ないだろ。

 俺はそんなに強くない。強かったらこんなに悩んでないって。

 ラナクリムに浸る日々が続いた。

 楽しかったんだが、そのうち顔の見えない相手ばかりと話すのも少し物足りなくなってきて。

 誘ったんだよ。誰だったっけ。あいつ。

 そいつは一見、俺とは違うタイプだった。

 ひねた俺と違って、普段から当たり障りなく友達付き合いとかもしてて。

 よく笑う奴だった。

 けど時々、教室で何となくつまらなそうにしてたから。

 少し似てるのかもなと思った。

 声かけやすかったんだ。仲間みたいに思えてね。

 そいつは、戸惑いながらも快く付き合ってくれたよ。

 最初は良かった。本当に楽しかった。

 俺が先輩で、あいつが後輩。この絶対律があった。

 Eランクだったあいつに対して、Bランクの俺は得意になって色々教えてやった。

 お前は目を輝かせて、いつでも付き合ってくれたよな。

 一緒にクリスタルドラゴンに挑んだのは、ボロクソに負けたけど良い思い出だった。

 

 ゲームの世界なら。

 英雄までいかなくても、俺は結構やれてる。

 そんな気がしてた。得意になってた。

 

 でもな。最初だけだったんだよ。

 

 お前、口ではたまにひねたこと言うけど。

 俺と違って、根が素直だから。

 教えてやったことは何でも吸収したし、先輩プレイヤーにもくっついて、色々な技を教えてもらって。

 いつの間にか、なんとかいう女性プレイヤーとも知り合いになってて。

 リアルと一緒で、こっちでも友達作るの上手かったよな。

 勉強だってちょっとだけだが、俺よりできた。

 めきめき伸びていくお前に対して、無駄に対抗心燃やしちまったよ。

 なんだかんだと理由付けて、一緒にパーティー組むことも少しずつ減っていった。

 

 そして、とうとう負けちまった。

 Aランクになったって、笑顔で報告してきたお前にな。

 

 俺は……ずっとBだ。

 

 悔しかったよ。わけもなく。

 ゲームの世界でも負けちまうなんて。

 その辺にいて、適当に声かけた奴にさえ負けちまうなんて。

 俺だってそれなりにやってた。なのに。

 ここでない「もう一つのリアルがある」って思ってた。

 結局は違ったのさ。

 ここと同じような、もう一つのリアルがあっただけ。

 

 あいつに教えなきゃよかった。

 そんな風に思ってしまう自分がひどくみじめで、嫌になってきて。

 一瞬、ゲーム熱が嘘みたいに冷めた。

 逃げていた現実が、津波のように押し寄せてきた。

 

 俺は、ダメだ。このままじゃあ。

 

 何か、証が欲しかった。

 ほんの少しだけで良かったんだ。こんな俺に価値があると思えることが欲しかった。

 

 家に帰ると、取りつかれたようにやり込み始めた。

 親の金にも手を付けて課金した。装備も整えた。学校を休むことも増えた。

 だが届かない。プレイヤースキルが足りない。

 Aランクに求められる水準に、俺はどうしても達しない。

 その間にも、あいつはどんどん前を行く。スカブドーラを倒したって言ってたな。

 焦りがあった。イライラしてた。

 

 ある日、何言ったかわからないが、随分ひどいこと言っちまったと思う。

 そしたらお前、なんて言った?

 

「シンヤさ、受験でちょっと疲れてるんだよ。今度一緒に、クリスタルドラゴンにリベンジしようぜ。今なら勝てるかも」

 

 お前何にも気にしないで、笑ってそう言うんだよ。

 俺は……俺はこんな下らないことで、こんなにも嫉妬に満ちた感情でお前に八つ当たりしてるのに。

 馬鹿みたいじゃねえか。一人だけ。

 もうお前の顔、見られなかった。逃げ帰った。

 

 それから俺は。

 

 俺は――何してんだろう?

 

 ああ――そうだった。

 

 Aランクになって、冒険者としての名も高まってきてたところでな。

 ここらで何か一つ、どでかい勲章を立てたくなって。

 剣麗レオンも越せなかったガーム海域に挑むことにした。

 生きて帰れば、ギルドの連中も俺の凄さを絶対認めてくれるだろう。

 だが現実はちょっとばかり厳しかったみたいだ。

 ヌヴァードンが、いきなり現れてよ。

 

 それで――俺、何してんだろうな。

 

『やっと見つけた。助けに来たよ!』

『あんたは……?』

 

 突然目の前に現れた。柔らかい雰囲気を放つ人物。

 どうやら男のようだが、顔つきはどこか女のようにも見える。

 こんな奴は今まで見たことがない。

 彼は手を差し出してきた。

 その瞳はまるでこちらの心臓を射抜くかのように力強く。

 真摯で、そして不思議と温かかった。

 

『俺が誰かなんて、今はいい。行くぞ。リクが待ってる』

『リク……リクって、誰だ?』

『……ここに来るまで、色々と見てきたよ。記憶が混乱してしまっているみたいだね』

『混乱しているだって。何を言ってる。俺は――』

 

 言いかけて、言葉を失った。

 

 俺は……誰だ?

 そもそもなんで、ここでこんなことをしているんだ。

 

 そうだ。俺はシン。Aランクの冒険者シンだ。

 身体を治して、またあの海域に挑むのだ。

 なのに、目の前の少年は。

 何か哀れなものでも見るかのような目で、静かに首を横に振った。

 なんだってんだよ。

 

『シンでもあるけど。シンヤ。君はシンヤだよ。夢想の世界に囚われた君を、救い出しに来た』

『夢想の世界……? 救う? 何言ってるんだ』

 

 わけがわからない。混乱する。

 

『俺はまた海にリベンジしなけりゃならないんだ。ほっといてくれよ!』

 

 口が勝手に乱暴な言葉を紡ぐ。

 だが、何のために? また挑む?

 少年は一歩も引かない。

 まるですべて見えているとでも言うかのように。

 こちらの呼吸に合わせて、一歩、また一歩と迫ってくる。

 

 やめろ。寄るな。寄ってくるな!

 

 拒絶しようとした。逃げようとした。

 だが、足がすくんで動かない。

 何を恐れている。何を期待している。

 矛盾した感情に、ひどく心が揺さぶられて。

 気が付けば、強く手を掴まれていた。

 

『君を待ってる人がいる。お願いだ。少しだけでいい。聞いてくれ』

 

 そのとき、どこか懐かしい。

 聞き覚えのある声がした。

 

『やっぱりさ。お前がいないと、寂しいよ』

「この声、は……」

『このまま死ぬなんて許さないぞ。戻って来いよ。また一緒に遊ぼうぜ。シンヤ!』

 

 ああ。そうだ。

 

 俺は……俺は……!

 

 欠けていた何かが、繋がったような気がして――。

 

 

 ***

 

 

「う……あ……」

 

 ここ、は……?

 

 久しぶりに、光を見たような気がした。

 すべてが、白い。

 とても目を開けていられない。何もかもが眩しい。

 何度も、何度も目を瞬いて。

 少しずつ、世界が色を取り戻してきた。

 じっと俺を見つめる顔がある。

 

 なんだ。お前、いたのかよ。

 

 夢で会った不思議な少年。あいつもいた。

 一歩身を引いて、どこか安心したような、穏やかな瞳でこちらを見つめている。

 俺は、久しぶりに挨拶でもしてやろうと思って。

 上手く声が出なかった。

 

「……なあ……リク……あのとき……ごめ……んな……」

 

 自分でもなんで、そんなこと言ってるのかわからなかった。

 あいつは、喉の奥に声を詰まらせた。

 何かを言おうとして、肩が震えて。

 俺の手に、熱い滴が零れ落ちた。

 

「バカ。お前、まだそんなこと気にしてたのかよ……!」

「ごめん、な……」

「いいんだよ……! みっともなく泣いてんじゃねえよ。僕まで、もらい泣きしちゃうだろ……!」

 

 バカ。何言ってんだ。お前が先に泣いてんだろ。

 ただ泣いた。大の男が二人。

 泣きたくても泣けなかった時間の分だけ、ただ泣いた。



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61「シズハレポート」

 個人的興味。

 ここ一カ月と……少し。

 殺し(仕事)の合間。男、監視していた。

 

 ホシミ ユウ。

 

 まるで彗星。突如現れた。

 この男……このところ、リクとつるんで。何か調べてる。

 不思議。あんなに生き生きしているリク……見たことない。

 少し……羨ましい。

 私、ただ……遠くから見ているだけ……なのに。

 

 ……いけない。嫉妬。

 

 プロ失格。脱線。

 

 とにかく。

 ユウという男……調べるほど、謎だらけ。

 最初は……ほんの少しの興味。

 リクに寄り付く虫がどんなものか……それだけ、だった。

 驚いた。あの男……身元を示す情報……一切ない。

 生まれの場所。居住地。生活の記録。

 何も、ない。

 私の組織――エインアークス。

 優れたデータベース……それでも、何も得られない。

 あり得ない想定、思う……。

 

 彼、突然現れた……?

 

 だから興味、湧いた。

 観察対象……指定。

 そして……。

 初めて。悔しい。

 神隠れと言われた……プロ。

 その私の監視。一瞬で見破る奴……いたなんて。

 最低……2キロ離れていた、はず……。

 私、ミスしない。絶対、しない。

 完璧……の、はず。

 なのに。

 あいつ――私見た。

 透き通る、綺麗な瞳……。

 強い。

 私、睨まれた。

 ……射抜かれた。

 震えた。逃げた。初めてのこと。

 あの男……あれほど、甘い顔してるのに……。

 普段気、抜いてるのに……。

 取るに足らない……そう思ってた。

 実際、隙が無い。

 やるときはやる。

 意志。覚悟。それ、見えた。

 私たちと同じ。実力者……。

 それ以上かも、しれない……?

 油断ならない相手。

 最大限。気、引き締める。

 振り返る。

 ユウは、何をした。

 ダイヤモンド……売った。

 何のため。金。

 本屋、寄った。

 何のため。情報。

 ユウは、何も知らない。何も、持たない。

 そう見える。

 でも奴……実力者。

 振りをしている、だけ……かも。

 

 まさか、別の組織――。

 

 リクが、危ない……?

 

 決意した。

 リクは、私が守る。

 毎日、張り付いた。仕事以外……ずっと張り付いた。

 張り付いた。眠くても。

 ユウは、ずっと知ってた。たまに、こっち見てた。

 バレバレ。悔しい。すごく……悔しい。

 いつか出し抜いてやる。

 

 

 ***

 

 

 ずっと見てた。

 

 何も……してこない。

 

 リク、何もされない。

 

 だが……ラナクリム。シグナル……行為。圧倒的課金。

 疑心暗鬼。わからない。何が目的?

 本当に、知らない? 知ること、それだけ……?

 それとも……。

 

 我慢、できない。はっきりさせてやる。

 ラナクリム、接触……試みる。

 

 

 ***

 

 

 ……わかった。

 

 あいつ、バカ。

 あいつ、間抜け。

 わかってない。色々。

 お人好し。底なし。バカ。

 悩んだ私、バカ。

 しね。

 死ななくても……そのうち、殺してやる。

 

 ……目にもの、見せてやる。バカ。

 

 

 ***

 

 

 もっと、しつこく。監視して……やった。

 でも影、掴ませてやらない。

 ちょっと嫌がらせ。気分いい。

 

 そして……今日。

 

 問題は、今。

 

「何……した……?」

 

 飛び込んできた。目を疑う、光景。

 夢想病から、目覚めた……!?

 あり得ない。

 奇跡でも……見ている、のか……?

 頭、回転しろ。

 今後の動きは……? どうなる。

 マスコミ、動く。金、動く。

 組織は……。

 夢想病。治療薬開発。病院運営、社会保障。

 あらゆる分野、関わっている。

 

 組織も――当然、動く。

 

 ユウ……。

 あの男が、台風の目。

 

 上へ報告しないわけ……いかない、か……。

 

 リクは……関係ない。

 

 ユウのこと。それだけで、いい……だろう。

 

 監視は――私が続ける。

 元々していた。

 それが、妥当。

 

 それが……安全。

 

 

 ***

 

 

『………………

 ホシミ ユウ、今後も要注意観察対象とすべし。

 監視は引き続き、私が適任と存ずる。

 本件について、判断を仰ぎたし。

 

 以上をもって、今回の報告内容とする。

 

               No.9 血斬り女』

 

「シズハレポート、確かに承りましたよ」

 

 目の前……嫌いな男。

 いつも、軽薄。

 何考えてる。わからない。神出鬼没。

 

「名前。馴れ馴れしい口……聞くな。私とお前……ただの、仕事仲間。それ以上でも……それ以下でも……ない……」

「おーおー、怖いねえ。そうも不愛想だと、せっかくの美貌が台無しだなあ。血斬り女さんよ」

「…………」

 

 美雲刀。

 

 私の魂……名前、そのもの。

 

 こいつ、じろじろ見る。うざい。

 

「減らず口……それだけか? 用……済んだはず。奇術師……消えろ」

「フフッ。つれないな。オレはあんたのこと、それなりに買ってるんだがね?」

「私、お前。嫌い」

「これは手厳しい。仕事仲間とは、嫌でも仲良くしておくものだよ。どうだい。今度、食事とベッドでも」

「プライベート……間に合っている」

「ラナクリムのことかい?」

「……関係、ない」

「関係あるのさ。例えば、君の大切なご友人とかね?」

「っ……!」

 

 ……どこまで。知っている!?

 

 嫌みな顔、詰め寄ってくる。

 逃げられない。

 足、竦んで……動かない。

 顎に手……添えられた。

 赤い瞳、見つめてくる。

 おぞましい。やめろ。気持ち悪い……。

 

「いいかい。報告は過不足なく、適切に行うことだ」

「…………」

「今回だけは不問としよう。仕事仲間だからね」

 

 それで。あいつ……。

 忽然、消えた。いつもと同じ。

 

『奇術師』ルドラ・アーサム。

 

「……ちっ」

 

 あいつ。苦手。嫌い。

 ベンディップにむしられて、しまえ。



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62「ユウ、ラナソールへ帰還する」

 史上初の夢想病完治者が出たことは、大きくニュースで取り上げられた。

 シンヤは無事家族と再会を果たした。

 もう目を覚ますことをすっかり諦めていた家族に、光が戻ったのだった。

 もっとも、シンヤ自身が抱えている家庭の問題までが解決するわけではないのだろう。

 しかしそれはゆくゆく心の整理を付けていけば良いことだ。

 彼には未来が拓けたのだから。

 家族はみんな心から喜んでいる。今はそれで良いじゃないか。

 シンヤ本人と、リクとハルと話を付けた上で。

 俺が治したという事実は一旦伏せられ、奇跡的に治ったということになった。

 残念ながら、次々と患者を治していくという当初のプランは見直さざるを得なくなったからだ。

 下手な希望を持たせて、俺の元に治療希望者が殺到するような事態は避けたい。期待を裏切ることになる公算が大きい。

 シンヤの治療を試みてわかったことだが、夢想病の治療は思っていた以上に厳しい。

 リクという協力者がいなければ、到底成し得なかっただろう。

 おさらいすると。

 夢想病を治すために必要なステップは、たった一人につき4にも渡る。

 

 1.トレヴァークとラナソールそれぞれで対応している二つの身体を見つけること

 2.見つけた二人の人物と心の結びつきを強くし、心の接続に対する抵抗を下げること。簡単に言えば仲良くなること(リクみたいに、患者と仲の良い人に協力してもらっても良い)

 3.トレヴァーク側から患者の心を開き、中に入り込むこと

 4.ラナソールに囚われてしまっている心を見つけ、トレヴァークの身体とリンクを繋ぎ直すこと

 

 それぞれが大変で負担の大きな作業だが、特に2.が本当に厳しい。

 トレヴァークの患者は、当たり前だが眠ってしまっている。

 常に俺自身は赤の他人という立場になってしまう。

 毎回毎回、トレヴァークで患者(仮にAさんとしよう)と仲の深い人(Bさんとする)を探し出さねばならないのだ。

 さらにBさんだけでは片手落ちで、Bさんに対応するラナソール側の人物(B'さんとする)を見つけなければならない。

 しかもB'さんが、ラナソール側でAさんに対応している人(A'さんとする)と、少なくとも知り合い以上である必要がある。

 もちろん、BさんとB'さんともに俺に友好的で、Aさんの治療に協力してくれることが大前提だ。

 図式で表すと、以下のような繋がりになる。

 

 A⇔B⇔B'⇔A'

 

 ここまで条件が整って、やっとだ。

 3.および4.のステップで、俺がB⇔B'パスを通じて、AさんとA'さんを結び付けてあげることが可能になるわけだ。

 細い糸を探し、手繰って繋いでいくような辛抱の求められる作業である。

 とても一日一人治していくというわけにはいかないし、上手くいくとも限らない。

 ラナクリムやり込み作戦も、今回の夢想病治療作戦も。

 一定の成果はあったものの、これを軸に進めていくのは難しそうだ。

 もちろん治せそうな相手が見つかれば、治したいとは思うけど。

 前に進めているのかいないのか。

 道が見えたと思ったら、立ち消えか。どうしたものかな。

 

 ――焦らないことだ。

 

 レンクスの言葉が脳裏を過ぎる。

 

 ……そうだな。

 

 焦っても仕方がない。

 俺がハルに言った通りだ。少しずつ前には進めているじゃないか。

 

 それに一応、リクと心を繋いでみて、一つ大事な収穫があった。

 世界を自由に行き来する方法だ。

 ハルともこっそり話してみたけど、ラナソール世界に穴が開くのを待たずとも大丈夫。

 まずこの方法で、二つの世界を自由に行き来できるのではないかという結論になった。

 

 何だかんだで、トレヴァークに来てから二カ月程度が経過している。

 ぼちぼち気分転換に、ラナソールに戻ってみる頃合いかもしれない。

 そんなことを思っていた矢先、ユイが新たな星外生物来襲警報を送って来た。

 レンクスいわく、「結構強めの奴が来てる」らしい。

 

『どうする?』

『そうだな。たぶんこっちに戻って来られる方法も見つかったし。一旦帰ってみようかな』

 

 それを聞いたユイの声が、明るく弾んだ。

 

『うん。わかった! 人のいない部屋に行けばいいよね?』

『頼む』

 

 ユイから準備オーケーの合図をもらって。

 俺は目を瞑る。

 トレヴァークからラナソールへ帰るのは簡単だ。

 俺には『心の世界』がある。

 自分自身を『心の世界』にしまって、ユイに出してもらえば――。

 

 

〔トレヴァーク → ラナソール〕

 

 

 ほら、この通り。一瞬で世界移動完了だ。

 俺が立っているのは、ユイの部屋の中だった。

 俺のいない間に自分の部屋で暮らす覚悟を決めたのか、割といい加減だった内装は彼女の好みにすっかりアレンジされている。

 と言っても、元が俺と同じなので、そこまでは俺の好みと変わらないわけだが。

 違いがあるとすれば。まばらに目立つピンク色の小物などが、女の子感を演出していた。

 ユイを通じて出てきたわけなので、もちろん目と鼻の先には彼女がいる。

 ユイは俺を見るなり、胸に飛びついてきた。

 ぎゅうっと強く抱き締められる。

 身長差で、髪の毛が鼻孔を軽くくすぐって、ほんのりと甘く懐かしい匂いが鼻を満たした。

 俺を見上げた彼女は、いつもの素敵な笑顔で迎えてくれた。

 

「おかえり。ユウ」

「ただいま。ユイ」

 

 俺も笑顔で、しっかりと抱き返す。

 久々の温かく柔らかな感触を全身で味わって、心安らぐ思いだった。

 胸に顔を埋めたユイは、くんくん匂いを嗅いで、幸せそうに顔を摺り寄せてくる。

 

「ああ、久しぶりのユウだ……。心はずっと繋がってても、やっぱり寂しかったよ」

「思った以上に長くなっちゃったね。俺も寂しかったよ。これからはこまめに帰るようにするから」

「本当?」

「ああ。自由に行き来できそうな方法が見つかったんだ」

 

 ユイは、ほっと安心したように顔を綻ばせる。

 随分長いこといなかったし、心配させちゃったみたいだな。

 そんなユイを見てると、俺も安心してふっと身体の力が抜けた。

 ユイを抱き締めながら、彼女にされるがまま身を預けていると。

 いつの間にか胸元に抱き寄せられて、よしよしされていた。

 

「人が見てないとほんとに甘えんぼなんだから。今日は一緒に寝ようね」

「うん」

 

 心ゆくまでユイに甘えた後、二人で手を繋いで部屋を出た。

 間もなく、二階でルンルン拭き掃除に励んでいる家庭的なエーナさんとエンカウントした。

 魔女帽子に代わり、バンダナが板に付いている。

 ユイから話は聞いていたけど、実際見るとじゃ大違いだ。

 エーナさんが家政婦みたいになってる……。イメージが……。

 

「エーナさん。ユウが帰って来ましたよ」

「あら?」

「エーナさん。お久しぶりです」

「久しぶり」

 

 軽く頭を下げて挨拶する。

 彼女は俺はまじまじと眺めて、どこか面白そうな笑みを浮かべた。

 

「へーえ。あなた、しばらく見ないうちにいい顔付きになったじゃないの。男子三日会わざれば、ってやつかしら」

「そうですか? 自分ではあまり変わった感じがしないんですけど」

 

 容姿だってずっとあのときのままだしね。

 

「いえ、変わったわよ。明るくなった。自信に満ちているっていうか? 初めて会ったときのあなた、随分弱々しくておどおどしてたものねえ」

「う。そうかもしれない……」

 

 だってさ。あのときは家族も親友も誰もいなくて、どん底だったよ。

 元気なかったところに、いきなり襲われちゃね……。

 

「今のあなたの方が、あなたらしいわよ。元々両親が生きてた頃は、明るく活発で、とても人懐っこい子だったんですってね」

「ええまあ。そうだったみたいですね」

 

 軽く流して、話の提供主と思われる「姉」の方を見ると。

 可愛い子供を見るような目でニコニコしていた。

 そうだったな。

 両親や親友を失ってからアリスたちに出会うまでずっと、俺の心には暗い影が差していた。

 たくさんの出会いが、いつの間にか深く傷ついた心を癒していたのだろうか。

 

「素敵な旅をしてきたみたいね。羨ましいくらい。私なんかが横槍出したのは、余計なお世話だったかしら」

「いえ。俺もフェバルの運命に囚われているのは変わりませんので。エーナさんのやり方も、一つの道ではあったんだろうと思いますよ」

 

 死にたくても死ねない身体と、終わらない旅。

 この事実は変わりようがない。

 変えられるのは、事実の捉え方だけ。

 俺は自分の道を見つけることができたから、まだ幸せなのだろう。

 

 一階に降りると、今度はミティが俺を見つけた。

 ぴくりと眉が動いたかと思うと、猛獣の勢いで飛びついてきた。

 ユイ睨みが入るも、ひるみ効果はないらしく。

 このまま色んな意味で食べられてしまうのではないか。

 そんな勢いで全身をこすりつけられて、しっかりマーキングされた。

 

「お帰りなさいませ。ミティ、ユウさんの帰還を今か今かとお待ち申しておりました!」

「や、やあ。ただいま。ミティ」

 

 本当なら、ユイよりもさらに大きな胸の押し当ててくる感触とかを楽しむのが強者なんだろうけど。

 この子に対しては当惑が勝ってしまう。

 飢えた獣のように、胸元に顔を埋められて鼻いっぱいに匂いを吸われる。

 ユイがすんすん嗅ぐ感じなら、クンカクンカモフモフきゅいきゅいくらいにレベルが違う。

 俺は固まっていた。

 

「ああ~いい匂いですぅ! 生き返りますねえ! わたし、もう寂しくって寂しくて!」

「あはは……」

「さあ本日はベッドを共にいたしましょう! 朝までいけますよぉ!」

「あの。ミティ。すごいな」

 

 それしか言えなかった。勢いがすごすぎて。

 

「子供は何人がいいですか? わたし最初は娘が育てやすいからいいかなって思うんですけどぉ。あ、でも、ユウさんに似た男の子もかわいいですねぇ。うふふふふ」

「妄想が飛躍してるよ……」

「そろそろいいでしょ。離れて」

 

 むっとやきもちを妬いたユイが、ミティの肩を掴む。

 するとミティは、いじいじと身体をくねらせて断固拒否。

 

「いーやーですぅ! どうせユイ師匠はいっぱいユウさんに甘えたくせに。わたしだってユウ成分足りないんですよ!」

「もうちょっと普通の甘え方があるでしょ! そんな風にしたらユウも迷惑だからね!」

「ユウさんは優しいから、いっぱいいっぱい甘えたって平気なんですぅー! ね?」

 

 うるうると期待するような瞳で見上げられる。

 好意だけはガチで本物だから、嫌な気分しない部分もあることにはあるし。突っぱねにくいんだよな。

 どう答えたものか――。

 そのとき、横から助け船が飛んできた。

 窓際のテーブルから声が飛ぶ。

 

「どうでもいいけどよ。そろそろ来るぜ」

 

 おお。レンクスが真面目だ!

 なんかすごく頼もしく見えるぞ。

 

 空気が変わったタイミングで、俺は猛獣ミティをやんわりと引き離した。

 彼女はかなり物足りなさそうな顔をしたが、まったく空気の読めない子ではない。大人しく引き下がってくれた。

 ユイもほっと胸を撫で下ろしたようだ。

 

「おかえりユウ。色々経験してきたみたいだな」

 

 温かい抱擁をくれて、ポンポンと頭を叩かれる。

 軽いものではあるが、深い愛情が伝わってくる。

 

「ただいま。まあね。色々と」

「よし。その辺は後でじっくり聞くとして。ユイ、またフォートアイランドだ」

「またあそこ?」

「よくよくフェバルと因縁がある地ね……」

 

 エーナさんが苦い顔をして、肩をすくめた。

 

 

 ***

 

 

 ミティを店番に残し、転移魔法で三度フォートアイランドに訪れる。

 しばらく空を眺めていると、一つの人影が空から舞い落ちてきた。

 まだ遠過ぎて、姿はよくわからない。

 ユイが視覚強化魔法《アールカンバースコープ》を使って、俺にも視界共有してくれた。

 すると映っていたのは。

 黒く立ち上がったような短髪。全身オリハルコンのように鍛え上げられた筋肉。

 やや角ばった力強い顔つきに、鋭利な刃物のように鋭く、しかし懐の深さも垣間見える瞳。

 そして……頭から落ちている。

 

 あれは……あの人は……!

 

 やはり能力が使えないのか、やや困惑した様子だったが。

 彼はどこかのエーナさんや無様なレンクスと違って、冷静だった。

 ほんの少しだけ気を高めて、掌から放出する。

 それだけで、空中でくるりと半回転して、姿勢を整えた。

 そのまま足から危なげなく着地を決めようとして。

 

「む……!」

 

 惜しい。

 予想していた以上に、地面が柔らかかったのだろう。

 豆腐のような地面に足を取られた彼は、膝の近くまで身体を埋めてしまった。

 ばつが悪そうに眉根をしかめる。

 

「7点」

「8点」

「……5点」

 

 レンクス、つられて俺、エーナさんの順に、今の着地に対する評価が下された。

 たぶん10点満点。知らないけど。

 ユイはやや呆れ気味に、苦笑いしてこちらと彼を交互に見つめている。

 

「ジャッジエーナ。一人だけ手厳しいな」

「無難にまとめようとし過ぎているわ。私くらい身体張らないとね」

「確かにお前はある意味10点だったな!」

「うるさいわね!」

 

 思い出し笑いが止まらないレンクスと、自分から振っておいて全力で突っ込むエーナさんの漫才はほっといて。

 もうユイの魔法に頼らずとも、はっきりと顔の見える位置に大男は立っていた。

 足を引き抜いた彼は、すぐにこちらに気付いたようで、顔が向く。

 

「ん? やけに出迎えが多いな」

 

 全員を代表して、レンクスが一歩前へ出た。

 

「よっす。お前だったのか。ジルフ」

「おう。なんだレンクスじゃないか。相変わらず元気そうで何よりだ」

「お前もな」

 

 レンクスに一歩遅れて、俺もさっと前に進み出る。

 

「お久しぶりです。ジルフさん。ユウです」

 

 深く深く頭を下げる。礼を尽くして挨拶する。

 ジルフ・アーライズ。

 何を隠そう、この人こそが、俺が師と仰ぐイネア先生を幼少期から徹底的に鍛え上げ、今のあの先生を生み出した男なのだ。

 そして、イネア先生にとっては大切な想い人でもある。

 残念ながら、もう二度と会えることはないのだろうけど……。

 つまり俺にとっては、師匠の師匠に当たる大先生なわけだ。

 もちろんサークリスではたっぷり可愛がってもらった。

 オリジナルの剣閃としてのセンクレイズの使い方を見せてくれたのもこの人だ。

 あの経験がなければ、バラギオン戦などはどうしようもなかっただろう。

 俺を目にしたジルフさんは、わかりやすく破顔した。

 

「久しぶりだなあ! 元気にしてたか? 坊主」

 

 ジルフさんは豪快に笑って、痛いくらい力強く俺の頭を撫でてくれた。



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63「その男、ヴィッターヴァイツ」

 ジルフさんにユウが撫でられているところを見て、やっぱり師弟愛って素敵だなと思う。

 私には直接の師匠はいないけど……ユウを通じてたくさんの愛情を受けてきた。

 ユウが嬉しそうだと、私も嬉しくなるよ。

 そのうちジルフさんは、私の存在にも気付いて驚いたみたいだった。

 私とユウを見比べて、

 

「ありゃ。ユウが二人?」

「ああ。それはな――」

 

 説明しようとしたレンクスを遮って、私も深く頭を下げた。

 

「ユイです。ユウの中にいたもう一人の人格です」

 

 この流れも二回目だ。

 ジルフさんも私の存在自体は知っているから、これでわかるでしょう。

 顔を上げると、ジルフさんはふむと頷く。

 

「なるほどな。嬢ちゃんの方か」

 

 そこにユウが、まるで仲の良い親戚にでも話しかけるような気軽な調子でジルフさんに耳打ちした。

 ジルフさんはにやっと笑って、私を手招きする。

 

「なんだ。ほら、嬢ちゃんもこっち来な」

「えっ。私は……」

「いいから。遠慮するなって」

「は、はい」

 

 そろそろと側に近寄ると、ジルフさんは私にも同じように撫でてくれた。

 ごつごつしてて、力強くて、温かい手。

 痛いくらい安心する。

 隣でユウが「わかってるよ」って顔でウインクしていた。

 別に平気だったのに。

 ありがとね。ユウ。

 するとジルフさんは、両腕でがっちりと私たちを組んで引き寄せた。

 ユウと並んで、息が苦しいくらい強く抱き締められて、頬をすりすりされる。

 薄く生えた髭が擦れて、チクリとした。

 

「はっはっは! お前たちはいくつになっても可愛いな。孫でもできた気分だぜ」

「子供のままフェバルになりましたからね」

「と言っても、もうそろそろ26歳なんですけど……」

 

 さすがに恥ずかしいよ。

 ユウも顔を赤くしている。

 

「ほんと見えねえよな。俺たちにとっちゃずっと可愛い子供のままだよ」

「うんうん。なーんか見守りたくなるのよねえ」

 

 レンクスにエーナさんまで。

 ……この場に他の人がいなくてよかった。みんな年上だし。

 でも、そうだよね。

 私もだけど、特にユウ見てるとね。普通の大人っぽくないっていうか。

 もうそろそろ私たちが子供の頃の母さんの年齢に追いつくはずなのに、あんな風に大人らしくなっている感じはしない。

 肉体が多感な時期で止まっちゃったから、独特な成長をしてるのかなあと改めて思う。

 創作物でも、何百歳と生きてる精霊やエルフが可愛いと愛でられてたりしている。

 こういうお人形的な扱いも、ある程度は仕方ないのかもしれない。

 やっと私を解放してくれたジルフさんは、ユウの身体をまじまじと確かめるように見回した。

 ユウが少しの緊張を持って彼を見つめていると。

 やがて彼はニヤリと笑って、ドン、と一発腹を小突いた。

 

「ユウ。ちゃんとイネアの言いつけは守ってきたみたいだな」

「はい。時間のあるときは毎日鍛えてましたよ」

「えらいぞ。よし。今度また稽古を付けてやろう」

「本当ですか!?」

 

 飛び上がりそうなくらいユウの表情が輝いている。

 わかりやすいところがかわいいよね。

 あまり言うと拗ねちゃうからこっそり楽しんでるけど。

 

「ああ。サークリスのときと違って、今回は時間もたっぷりあるしな」

「ありがとうございます。よろしくお願いします!」

 

 もう。あんなにはしゃいじゃって。

 ふふ。これじゃ子供みたいと言われても仕方ないよね。

 

「よかったじゃないか。ユウ」

 

 レンクスが保護者目線で、ユウに微笑みかけている。

 

「うん。相手になるレベルの気剣術の使い手ってもう中々いないものだからさ。ちょうど行き詰まりを感じていたところだったんだ」

「ほう。そこまで腕を上げているってのか。楽しみだな」

「相手がジルフさんなら、胸を借りるつもりで全力で挑めますよ」

「望むところだ。イネアの代わりにバシバシ鍛えてやろう」

「はい!」

 

 ああ。やっぱり師弟関係っていいなあ。

 私もミティのこと、大事にしてあげよう。

 

 

 ***

 

 

 しばらく立ち話に花を咲かせた後、『アセッド』に戻り、またそこでゆっくり話をしていた。

 ミティと私が二杯目のお茶を配った頃、話題はジルフさんがこの世界に来た目的に移った。

 レンクスが口火を切る。

 

「で、ジルフよ。お前もやっぱりたまたま来たってわけじゃないんだよな」

 

 ジルフさんは、両手の指を組んだ姿勢で頷く。

 こうして見ていると、落ち着きというか貫禄がある。

 

「この広い宇宙で、フェバルが一つの世界にこれだけ集まるというのは中々の珍事よね」

「確かにね」

 

 エーナさんの言葉に、ユウも同意していた。

 

「なんですかぁ? そのフェなんとかというのは?」

「気にしなくていいよ。こっちの話だから」

 

 ひょこっとテーブルに首を出したミティに、私はやんわりと頼んだ。

 

「料理の下準備進めてて。お願いね」

「はーい」

 

 少し気になってはいた様子だったけど、ミティは素直に自分の持ち場に戻っていった。

 キッチンへ行った彼女を見送ってから、話が続く。

 

「俺からすると、まさかお前たちがいるとは思わなかったから驚きだったのだが。そちらの事情を先に話してくれてもいいか?」

「俺はいつもの通りだぜ。ユウとユイの世話を見るために追っかけてきた」

「むしろ世話を見てあげてる気がしないでもないのだけど」

 

 ちくりと小言を言うと、ユウも強く頷く。

 レンクスはうっと言葉を詰まらせた。

 

「相変わらずってことだな」

 

 ジルフさんが楽しそうに笑う。

 レンクスはからっと笑って頬を掻いた。

 

「私は、この世界で起きるという『事態』を突き止めるために」

 

 エーナさんは、やや深刻な面持ちで言った。

 頭に巻いてるモコちゃんバンダナのせいで、微妙にしまらないけど。

 

「『事態』か。【星占い】でそう出たわけだな?」

「ええ。それも、この世界だけで済みそうって感じじゃなかったわ。もっと大きな」

「何か具体的なことはわかっているのか」

「何も」

「そうか」

 

 歯噛みしたエーナさんに、ジルフさんは難しい顔を返した。

 組んでいた指を解き、手を顎に添えて、しばらく何か考えているようだった。

 そのうち考えがまとまったのか、彼はエーナさんを見つめて重々しく口を開いた。

 

「もしかするとだが。エーナ。お前の言っている『事態』というやつは、俺が追っている男と少しは関係しているかもしれん」

「それが、お前がこの世界に来た理由ってわけだな?」

「そうだ。そいつはな。昔から宇宙の星々を気ままに暴れ回っては、最後には滅茶苦茶にして去っていくそうだ」

「なんつーか。ウィルみたいな野郎だな」

「ウィルか……」

 

 今度はユウが難しい顔をしている。

 あいつは今頃どうしているのかな、と考えているみたい。

 

「ある意味じゃあウィルよりタチが悪いかもしれん」

「マジかよ」

 

 レンクスの呆れのこもった驚きに、ジルフさんは頷く。

 

「何せそいつは、100パーセント自分の愉しみのために世界を弄んでいるのだからな。やり方も、人の心を踏みにじるようなえげつないものと聞く」

「それは、許せないね」「うん」

 

 私とユウは、揃って頷いた。

 私たちは人の心の痛みがよくわかる。

 だからこそ、余計にそんな真似をする奴は許せないと思うのだった。

 

「そいつが最近、この辺りの宇宙で暗躍していると聞いてな。ちょっと人づてに頼まれたのもあって、追っていたというわけだ」

「そして……ジルフさんも、落っこちて来てしまったというわけですか」

 

 ユウの指摘に、ジルフさんは苦々しく首を縦に振った。

 まああの落ち方は、予定通りに来たという感じじゃなかったものね。

 

「まったく。どうなってるんだ。ここの星脈は。なぜか能力も使えないしな」

 

 ジルフさんが苛立ちを隠せない様子で机を叩き、場を沈黙が包む。

 みんなそれぞれ、思うところがあるみたい。

 星を繋ぐ星脈――そんな大きなものの流れがおかしくなっているということは。

 それだけでも、『事態』の深刻さを表しているように思えてならなかった。

 

「なるほどな。事情はわかったぜ」

 

 沈黙を破ったのは、またレンクスだった。

 彼がいると、不思議とそれだけで場の雰囲気が和らぐような気がする。

 

「けどよ、どうすんだ。そいつもフェバルなんだろ? 真の意味じゃ殺せねえじゃないか」

「そうだな。殺すに殺せないが。少しばかり灸を据えてやろうと思っている」

「つまりボッコボコにすると」

 

 エーナさんがグーパンジェスチャーをかますと、ジルフさんはほんのり口元を緩めた。

 

「この世界、ブラックホールのようになっているようだからな。そのうち奴も落ちて来るかもしれん」

「待ちというわけね。ところでそいつ、なんていう奴よ? 胸糞悪いわねえ」

 

 エーナさんは、いつになく憤慨しているようだった。

 同属の横暴が本当に嫌いなんでしょうね。

 

「そうだな。お前たちももしかすると、どこかで名前くらいは聞いたことがあるかもしれない。名を、ヴィッターヴァイツと――」

 

 

 グシャアァッ!

 

 

 何かが、粉々に割れる音がした。

 

 全員の視線が、一点に注がれる。

 

「………………」

 

「ユウ……?」

 

 掌から、砂よりも遥かに細かく――。

 分子のごとく砕けた湯呑みが、サラサラとこぼれ落ちていた。

 瞬時に、寒気が走った。

 

 目が――何も見つめていない。

 ただ真っ直ぐ。何も、見ていない。

 ああ。あの目。

 真っ暗な闇に塗りつぶされたような瞳。

 

 ――見たことがある。見せつけられたことがある。

 

 ウィル。

 あいつと、とてもよく似ているの。

 

 どうして。

 私は、急に恐ろしくなった。怖くて仕方がなかった。

 あの黒い力が。破滅的な力が。

 すぐそこにあるような気がして。

 喉が震えて、肩が震えて。

 ダメ。ダメだよ。

 しっかりしなくちゃ。

 ユウを、見なくちゃ。

 息を呑んで。

 勇気を振り絞って、声をかける。

 

「ねえ、どうしたの……? 怖いよ……」

「…………ん。あ、あれ?」

 

 ユウの様子がおかしかったのは、時間にすればほんの数瞬だけ。

 それだけだった。

 もういつもの優しい瞳に戻って、あれほど刺すようだった冷たさも消え失せている。

 まるで自分のしでかしたことが、すっぽり抜け落ちているかのように、きょろきょろ辺りを見回して。

 それから、顔を青くしている私たちの方を不思議そうに見つめて。

 尋ねてきた。

 

「どうしたんだ。みんな」

 

 みんな言葉を失って、すぐには何も言えない様子だった。

 やはりレンクスが口火を切る。

 

「いや……お前がどうしたんだよ。急に怖い顔して、湯呑みぶち割るからよ」

「粉々じゃないの。どれだけ力込めたのよ」

「え!? 俺が、そんなことを……?」

 

 はっと気が付いたように、ユウは自分の掌を見つめ下ろした。

 分子のように砕けきった湯呑みが、彼の視界に落ちる。

 一体どれほどの力を使えば、物体があのようになってしまうというの。

 とてもユウがやったとは思えない。

 できるとも思えない。わからない。

 どうして。あの名前を聞いてから。

 

 みるみるうちに、ユウの顔も青冷めていくのがわかった。

 

「これ、俺が……?」

 

 ピーッ!

 

 今度はなに!?

 

 また全員の視線が注がれる。

 音はキッチンからだった。

 

「あ、あああ……」

 

 そこには顔を青くして、茫然として突っ立っているミティがいた。

 鍋から激しく湯気が膨れ上がっている。

 

「ミティ! すぐ火を止めて。吹きこぼれてるっ!」

「は、はひっ!」

 

 はっと我に返ったミティは、慌てて火魔法を止めた。

 ほっと一息を吐く。

 でも……。

 あのミティがするとは思えない、初歩的なミス。

 きっと彼女も一瞬だけ豹変したユウに当てられて、我を忘れてしまっていたに違いない。

 

 突然の出来事に、話は浮いたまま止まってしまっていた。

 ユウは、何が何だかわからないって感じで。

 自分が怖くて、今にも泣きそうな顔をしている。

 やがて俯いたまま、震える声で言った。

 

「ちょっと。みんなはそのまま話を続けていてくれ。俺は……」

「ユウ……」

「少し……一人にしてくれ。ごめん」

 

 ふらふらと立ち上がる。足に力が入っていない。

 少し何かに引っ掛けただけで、転んでしまいそう。

 ユウの背中が遠くなっていく。

 みんな、声をかけるにかけられない。

 そんな様子だった。

 でも、私は……。

 私がそうなっちゃいけない。

 すぐに追いかけた。

 ユウの袖を強く引っ張って、引き留める。

 

「一人なんてダメ。絶対ダメだからね。私も付き合うよ」

 

 ユウはこういうとき、一人にすると変に思い詰めてしまうタイプだ。

 わかってる。あなたは私だから。

 

 ユウは、何かを言おうとして。

 きっと「ほっといてくれ」と、否定の言葉をぶつけようとしたのだろう。

 でもそれをぐっと飲み込んで。

 どうにか大変そうに飲み込んで、弱々しく頷いた。

 

「そうだね……。ユイ、付き合ってくれるか」

「うん。部屋いこ」

 

 こういうとき、素直に頼れるのがユウの良いところだよ。

 大丈夫。そんなあなただから、きっと大丈夫。

 ユウの肩をしっかり支えて。

 自分にもそう言い聞かせるようにして、私たちは二階へ向かった。



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64「フェバル組、ユウについて相談する」

 ユウとユイの二人が連れ立って、二階へ去っていくのを見届けた後。

 レンクスは重苦しい溜め息を漏らして、まだ落ち着かない様子で階段の方を見つめているエーナに向かって言った。

 

「エーナ。空気遮断の魔法だ。使えるだろ」

「え、ええ」

 

 彼のいつになく真剣な調子に息を呑んだ彼女は、言われるまま空気遮断の魔法をかける。

 一見何も変わったようには見えないが、三人から一定範囲内と外で空気が遮断され、三人以外には会話の内容が物理的に聞き取れないようになる。

 一人物静かに事態を見守っていたジルフが、ようやく口を開いた。

 

「内密な話、というわけか」

「ああ。念話だとかえってユウとユイは拾ってしまう可能性があるからな」

 

 二人の能力は、こと心に働きかける類のことに関しては敏感に察知してしまう。

 これから話すことは、万一にも拾われたい内容ではなかった。

 他ならぬ二人のために。

 

 

 ***

 

 

 ミティは、ぽつんと蚊帳の外に置かれてしまっていた。

 三人の話し声も聞こえなくなり、ユウさんもユイ師匠も二階に引き上がってしまって一人ぼっちだ。

 彼女はまだ震えが抑えられないでいた。

 あんなに穏やかで優しかったユウの、決して見てはいけない一面を覗いてしまったような気がして。

 正直言うと、怖いと思った。

 でもユイ師匠が慰めに向かっているのだから、そのうち平気な顔して戻ってくるはず。

 これしきのことで冷めるほどわたしの愛は甘くないのですよぉ! と両手で頬を叩く。

 今日の料理は自分がなるべく最後まで面倒を見るつもりで、気合を入れた。

 仕事に集中していれば、嫌な雑念も離れてくれるだろう。そんな期待も込めて。

 

 

 ***

 

 

 レンクスが口火を切った。

 心の内はユウとユイへの心配でいっぱいである。

 彼は二人を愛する者であり、二人の友であり。

 何より今は亡き二人の母に保護者代わりを任されている。

 今は保護者の気分がいっそう強かった。

 

「ヴィッターヴァイツだっけか。そいつ」

「どうしてその男の名前が出てきた途端、ユウはあんなに豹変して……」

「わからん」

 

 ジルフは小さく口をへの字にしかめた。

 彼はおろか、レンクスにもエーナにもまったく心当たりはない。

 そもそもユウもユイも、そんな奴の名前は聞いたことがないはずだし、出会ったこともないはずなのだ。

 だから当の本人たちが一番驚いているのではないか。

 考えても答えはわかりそうもなかった。

 エーナの【星占い】が使えればヒントも得られたのだろうが、あいにくここはラナソールだ。

 空いた席のテーブルに未だに残っている、それまで湯呑みだったものに目を向けて、エーナはかすかな悪寒を覚えつつ言った。

 

「ポテンシャルがすごいというのは調べて知っていたけど……あれ見たわよね? わたしたち基準から見てもやばい力よ。力が……爆発したと言うのかしら」

「ほんの一瞬だけだが。以前ウィルと戦ったときに見せたあの力。あれと同じレベルの力が発露したような」

「性質はまるっきり違うけどな」

 

 ジルフの言葉に、レンクスが同意して頷く。

 惑星エラネル。

 空中都市エデルにおける決戦時にも、ユウは信じられないような力を見せたことがある。

 だがあの時は白の力だった。

 今回は黒。真逆の性質に見える。

 

「えっ? 何よその話。初耳なんですけど」

「エーナ。お前は居合わせなかったから知らなかったよな。ユウがとんでもない力を見せたのは、これが初めてじゃないんだよ」

「そうなの?」

「ああ。ジルフも初耳だと思うから聞いてくれ」

「うむ」

「ちょっと前によ、俺はウィルとユウのことでじっくり話したことがあるんだ」

「なんだと? あいつ、まともに会話するのか!?」

「あいつ、人とじっくり話なんかすることあるのねえ」

 

 ジルフとエーナは、驚きに目を丸くして見合わせた。

 レンクスも自分もあのときは驚いたことを認めつつ、「まあ結局最後は決裂してワンキルされちまったんだけどよ」とやや苦々しい顔で笑った。

 

「ふうん。こっちが苦労してるときにいきなり現れてご高説垂れたから、ただの能力じゃないとは思ってたけど。ウィルのやつ、ユウに随分関心あるみたいね」

 

 と、思い出して彼女も苦い顔をする。

 

「あ、そう言えば。私もワンキルされてたわね……」

「心配するな。俺もだ」

 

 自嘲気味にふっと笑い合う三人。

 皆、ウィルのワンキル仲間だったことに妙な親近感を覚えつつ。

 

「ウィルによれば、ユウには二つの究極的な到達点があるんだと」

「随分思わせぶりな調子だな」

「どうせ何か知ってんだろうよ」

 

 肩をすくめて、レンクスは続けた。

 

「一つは白。空中都市エデルで見せた力だ。心の結合――あいつら、今は技に昇華して《マインドリンカー》とか呼んでるな――そいつをキャパシティを超えて、無秩序に強めていくとなっちまうらしい」

「ユウとユイまでくっついちまって、男だか女だかよくわからん状態になるやつだな」

「へえ。不思議なことが起こるのねえ。ちょっとだけ見てみたい気もするわね」

 

「男だか女だかよくわからん状態」というものに、エーナは純粋に興味を覚えていた。

 

「全身が真っ白なオーラ体になっていてな。中々に神々しい見た目をしていたぞ」

「なるほど【神の器】というわけですか」

「性質もどこぞの神話にいそうな神みたいっちゃみたいだな」

 

 純粋。良くも悪くも集めた想いの総和に忠実に動いてしまう。

 

「あのときはウィルを何とかしたいって想いの人ばかりだからよかったものの」

「理性がなかったからな。何をしでかすかわからない怖さがある」

「あのウィルに立ち向かえるパワーの子が理性ないって……。それはぞっとしないわね」

 

 エーナの素直な感想に、二人も頷く。

 

「だが心の過剰結合が解除されれば元の状態に戻るだけ、まだ手に負える感じはするな」

「危なっかしいけどよ。まあユウらしいと言えばユウらしい力の使い方だしな」

「そうね。白いユウ。白ユウか……」

 

 エーナが一人妄想を膨らませているうちに、レンクスが話を進めていく。

 

「白とくれば、もう一つ。よほど厄介なのが黒だ。こっちも、俺は危うく一歩踏みかける状態を見たことがある。ユウがまだほんの小さなガキのときだけどな。子供とは思えない力だった」

 

 レンクスは、心無い親戚のせいで危うくユウがおかしくなるところを助けたことがあったのを思い返していた。

 あのときもユイがユウを引き留めようとしていて。

 ああ、安心したときの泣き顔可愛かったなあと、つい口元が緩みそうになるのをこらえて続ける。

 

「あんなもんじゃない力を、ついさっき見たけどな」

 

 彼は冷めかけた茶を一口啜りながら、頭の中で比べていた。

 小さいときのが「なりはじめ」だったとすると、さっきのは「すっかりそうなってしまった後」のようだ。

 それほどに印象やレベルの違いがある。

 

「先ほどのは――どうも理性までは失っていない感じだったな」

 

 ジルフが持ち前の観察眼からの推察を挟むと、

 

「ただ、ユウじゃないような。まるで別人にでもなってしまったかのような、恐ろしい冷たさを感じたわね……」

 

 エーナが直観に基づいた印象を述べる。

 

「その印象は正しいんだろうな。おそらくだが、本来あれこそが、ウィルが当初目覚めさせようとしていた真の力に違いねえからな」

「……うむ」

「なんですって!? なんて嫌なこと考えるのよ! あいつ!」

 

 エーナは憤っていた。

 心優しいユウをあんな心の冷たい化け物のようにしてしまおうだなんて。

 やっぱりあいつは人が悪過ぎる!

 

「絶望。怒り。殺意。そうした負の感情で心を塗り込めることで、究極の破壊者として『完成する』と言ってた」

「確かにユウは、感情が強いほど力を高める傾向がある。負の方向で振り切れば、ある意味最強の状態と言えるな」

「でもどうして今なの? 今のユウ、控えめに言っても結構楽しそうにしてるわよ」

 

 彼女は首を傾げている。

 

「そんなおぞましい心理状態とはほど遠いわ。それがどうして、あんな」

「わからねえ。この世界の謎と一緒さ。さっぱりだ」

 

 レンクスがお手上げしたところで。

 ジルフはじっと考えて、予想されることを述べた。

 

「あの力、もしや今のユウとは関係ないんじゃないか? 元から心の内側に存在していたものが表に現れ出てきたような。そんな印象を受けたな」

「そうだった。言ってたぜユイが。この世界に来てからなんだと。今まで影も形もなかった黒い力が見えるようになったって」

「何よ。じゃあこの世界の環境が悪いと言うこと?」

 

 そうなのだろう。

 三人がこの世界で能力を使えなくなったように。ユウの能力にも異常が生じている。

 極めて深刻な異常が。

 レンクスは、ユイが自分に尋ねてきたことを思い返し、悲しい気分になっていた。

 

「……ユイはな。そいつが何となくどんなものかわかっているみたいなんだ。怯えていた。この前、すげえ思い詰めた顔して尋ねてきたよ」

「それで。なんて言ってあげたの」

「黒と白の力があるらしいことだけは伝えた。他は言えなかった」

「他?」

 

 疑問を浮かべるエーナに対し、レンクスの心中にこみ上げてくる激しい怒りがあった。

 

「ウィルはな。はっきり言いやがったんだ。ユウがフェバルとして生きるなら、ユイは邪魔だ。いない方がいいと!」

 

 レンクスは、テーブルを叩こうとして――今の感情に任せて叩くと家まで壊れそうな気がしたので思い留まり、空中に力なく拳を振り下ろした。

 

「そんな残酷なこと、あの子に言えるわけねえだろうが……」

 

 エーナとジルフも、うなだれるレンクスに心打たれて、しばらくは声が出なかった。

 

「そうか……。ユイがブレーキ役を果たしてくれていた、というわけだな」

 

 せめて好意的に――そのこともまた重要な事実なのだから――解釈する。

 

 ユイはいない方がいい。

 一端では真実なのかもしれない。

 ことフェバルの能力を解放することだけを考えたならば、彼女は最も邪魔な「不純物」である。

 本来ユウはおよそ思い付く限りのことは一人で何でもできたはずだった。それだけのポテンシャルを秘めていた。

 だがフェバルとして与えられた、通常の能力行使ならば耐えられるはずの一つの肉体を――遥かに弱い二つの身体に分けてしまった。

 恵まれた完全なる一を、不完全なる二にしてしまった。

 男と女。各々がただの人間と大差ないレベルに、力を落としてまで。

 ユウは、彼女を求めた。求めてしまった。

 愛を。守りを。

 存在理由ゆえに、彼女はユウを守る。彼女はユウを危ない力から遠ざける。

 だからユウは弱い。

 フェバルでありながら、フェバルになり切れない。

 どんなに力を求めたとしても。どんなに足掻いたとしても。

 ユイが健在である限り、いかんともしがたい構造上の問題だった。

 ウィルは「存在そのもの」の罪を鋭く指摘しているのだ。大いなる失望を込めて。

 しかし、そんなことを言われて。だからどうしたと言うのか。

 ユイは必要なのだ。

 ユイがいないなんて、到底考えられないじゃないか。

 みんなにとって。何よりユウにとって。

 だからレンクスは、ひっそりと決意しているのだ。

 守らなければならない。あの子たちが無理に力を求めなくてもいいように。

 人を暴力で圧倒する「フェバル」にならなくてもいいように。

 

 今――その大前提が、崩れようとしている。

 

「色々と繋がってきたわ。いつもユウを中から守っていたユイが、『心の世界』にいない。二人に分かれて――外れちゃってるもの」

「何かきっと、大切なものに蓋をしていたんだろう。ユイの存在自体が楔だった」

 

 それが今、外れてしまっている。

 

「ユウは……かつてなく危険な状態かもしれねえ」

「謎の黒い力、か。ウィルの本来望んでいた展開が、待ち受けているやもしれんと……」

 

 レンクスには、ある恐れがあった。

 ヴィッターヴァイツとかいう普通のフェバルが引き起こすと想定されることよりも、遥かに恐ろしい可能性。

 口に出すのも嫌だが、心強い仲間には伝えておきたい。いざという時のために。

 彼は決心した。

 

「もしかしたらだ。エーナ。お前の言う『事態』というのは、ユウが引き起こしてしまうんじゃないのかってな」

「え!? ユウが?」

「なるほど。その可能性もあったな」

 

 エーナとジルフも、思い至って険しい顔をする。

 

「俺たちが能力を使えない。そのことも大いに問題だが……」

 

 もっと問題なのは。

 

「ユウとユイだけは、なぜか能力が普通に使えちまうということだ」

「それほどまでに、能力のポテンシャルが凄まじいとすれば……」

「もし暴走したら……この世界で、想定を超えた『事態』が、引き起こされるかもしれない……?」

 

 ああ。なんと恐ろしい可能性だろうか。

 世界を愛する二人が。世界を救いたいと懸命に動き続ける二人が。

 自らの手で、救いたかった世界を引き裂いてしまうかもしれないのだ。

 

「そんなことだけはさせねえよ。絶対に」

「そうね……」

「だがどうするのだ。もし本格的に、あの力が動き出そうとすれば……」

 

 ジルフに問われて。

 レンクスは歯を食いしばり、言った。

 

「最悪――殺してでも守らなきゃならないかもしれねえ」

 

 彼には、今この時までずっと胸の内に秘めていた、暗い覚悟があった。

 そんなことは、それこそ死んでもしたくない。

 だがもしものとき。止めなければ。一番辛いのはユウだろうから。

 やるなら俺がやる。そう決めていた。

 

「一応みんな、覚悟しといてくれ」

 

 それきり、会話が続かなかった。

 

 エーナもジルフも、俯いてすっかり黙ってしまった。

 それぞれに思う所があった。

 レンクスはかぶりを振り、茶を啜ろうとして――もう中身がないことに気付いた。

 いつも笑顔で注ぎ足してくれるユイを思い浮かべて。

 やり切れない気分になりながら、空になった湯呑みをいつまでも落ち着きなく持て余していた。



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65「ユウ、ユイに慰められる」

 二階の自分の部屋まで上がる途中、ずっと隣でユイが肩を支えてくれていた。

 支えてもらわなければ、まともに歩くことさえできやしない。情けないと思う余裕もなかった。

 どうしてしまったのだろうか。俺は。

 気が付いたら、あんなことを……。

 なんで。どうして。急に。

 まだ、手が震えている。

 わからない。自分がわからない。

 何の前触れもなく自分を見失うなんて。こんなことは今までなかった。

 心の底から自分を怖いと思った。

 

 ヴィッターヴァイツ。

 

 そいつの名前を聞いてからだ。

 今もこうして思い浮かべただけで、なぜだか無性に心の奥がざわついて仕方がない。

 滅茶苦茶にぶん殴ってやりたいとさえ思う。

 なぜ。そんな奴は見たことも聞いたこともない。

 知らなかったはずなのに……知っているような。

 とても嫌な思い出があったような。

 わからない。どうしてこうも落ち着かない気分なのか。

 

 いつの間にか部屋に着いていた。

 ドアを開けて、おぼつかない足取りでベッドまで歩き、深く腰掛ける。

 ユイも肌が触れるほど近くに腰掛けて、俺のことを心配な顔で見つめてくる。

 白い手が伸びてきて、優しく頭を撫でられた。

 向けられた愛情を跳ね除けるほど、強情な自分ではなかった。そんな人間ならユウをやっていない。

 人目には情けないのかもしれないけれど、素直に身を預ける。

 ユイはどこか安心した顔で、俺を胸元に抱き寄せてくれた。

 正直に頼ってくれたのが嬉しかったのかもしれない。

 そのまま包みこまれて、慰めてもらった。

 人の温かさは何より素敵な魔法のようだ。

 彼女に抱かれて撫でられていると、深く沈んでいた気分が段々と落ち着いてきた。いくらか物を考える余裕が出てきた。

 かっとなってユイに「ほっといてくれ!」と叫ばなくてよかった。

 そんなことを言い放っていたら、今頃ひどく後悔していただろう。

 いつまでそうしていただろうか。ようやく何か話せそうな気がして。

 顔を上げると、こちらに温かい眼差しを向けていたユイが、ん、と小さく首を傾げた。

 

「俺、どうしちゃったのかな。自分がわからない。怖いんだ」

「うん。わからないよね。怖いよね。大丈夫だよ。私がいるから」

 

 ユイは健気にも、優しい声色を作ってまで、俺を少しでも安心させようとしてくれている。

 さすがに反省した。

 この期に及んで、俺は何をやっているんだろう。

 ただ怖がって。余計に不安を与えるだけで。

 子供が駄々をこねて、母親に泣きついているようだ。甘えるにしたって甘え方があるだろう。

 一番怖かったのは俺じゃない。

 あんなことをしでかした俺を見てしまった、君たちじゃないか。

 俺は身体を起こした。

 彼女と同じ目線で、彼女の目をよく見て、まず謝った。

 

「ごめん。君の方が怖かったはずだよな。怖がらせたな」

「ううん。いいの。ユウのせいじゃないよ。あなたの中の黒い力が悪さをしただけだよ」

「黒い力?」

 

 さっぱり心当たりがなかった。

 少し迷ったようだったが、ユイはきちんと話してくれた。

 レンクスから聞いたこと。ウィルが言ってた力の話。

 なんてことだ。俺の中にそんな化け物が眠っていたとは!

 

「俺に、そんな力が眠っていたのか……?」

「うん……。言ったら怖くなるだろうと思ったから、言わなかったの」

 

 ユウ、楽しそうにしてたから。いつまでも楽しんでいてもらいたいって。

 そう語るユイはずっと泣きそうだった。

 

「でも、こんなことになるなんてわかっていたら。相談すればよかったね」

 

 言われてみて。しっかりと『心の世界』の奥深くに意識を向けて見れば。

 確かに「そこ」にあった。

 すべてを塗り込める闇。圧倒的な力の気配。

 触れてはならないと直ちに感じさせる黒。

 間抜けだった。馬鹿だ。

 俺がゲームや何やら無邪気に楽しんでいた間、君は一人でこんな恐ろしいものに立ち向かっていたのか。

 パートナーとして、情けない。申し訳ない。

 でも君がどんな思いで隠し通そうとしてくれたのか、よくわかっているから。

 だから俺は、このことについては、謝るより先に感謝するべきだろうと思った。

 

「いや、ありがとう。俺のために気を使ってくれて」

 

 でも水臭いじゃないか、と続ける。

 

「君と俺は、二人で一つなんだから。何だって相談してくれよ」

「ふふ。そうだったね。余計な気遣いだったかも」

 

 やっとユイが笑ってくれた。

 俺もやや無理にでも笑顔を返す。嫌な雰囲気が少し和らいだ気がした。

 

「今まで何もなかったのに、どうして今になってこんな恐ろしい力が出てきたんだろう」

「ごめんね。私のせいだよ。きっと、私があなたの中にいないから……」

 

 わかりやすく顔を暗くして、俯くユイ。

 むしろ謝るべきは俺の方だ。君はちっとも悪くないのに、重く責任を感じて落ち込むことはない。

 たくさん慰めてもらったから、今度は俺が慰める番だった。

 腕を伸ばして、ユイをしっかりと抱き締めた。

 

「君のせいじゃないさ。この世界の問題だよ」

 

 なぜ俺とユイが分かれてしまっているのか。

 ラナソール――夢想の世界という場所を理解するにつれて、何となく掴めてきた。

 トレヴァークの人たちの夢想うことが、この世界では現実の現象として反映される。

 逆にラナソールの人たちの言動が、トレヴァークの方にも影響してくる。

 これは『心の世界』と現実世界の相互作用と性質がよく似ているのではないか。

 夢想の世界は、『心の世界』にどこかそっくりなのだ。

 そう考えると、俺とユイのことも説明が付く。

 現実世界に肉体は一つしかないが、『心の世界』では、俺とユイは別個の精神と肉体を持つ人間として実在している。それと一緒だ。

 本来現実世界には存在できないはずの彼女が、この世界では別個の実体として現れてしまっているのではないか。そんな気がする。

 その辺りの考えを、せっかくなのでユイと共有してみた。

 彼女もなるほどと頷いて、

 

「そっか。『心の世界』にいる状態に近い。だから私はユウの外にいると」

「そう。そしてこの世界と『心の世界』の性質が近いから、俺と君はレンクスたちみたいに能力を失うことなく、普通に使えているのかも」

「親和性が特別に高い、というわけね」

 

 仮に『フェバル能力許容性』なる概念を設定したとすると、【神の器】だけやたら高くて、他の能力が著しく低い状態なのだろう。

 あるいは――ウィルの言っていたように。

 ポテンシャルだけは無駄に高い能力なので、この世界で能力使用を拒絶する「何か」に邪魔をされても、無理やり使用できてしまうのかもしれない。

 どちらかはわからないが。ともかく、俺たちだけは能力を使える。

 便利だと思っていたが。その危うさも、今は身に染みて痛感している。

 一体になっていたユイが外れた。そして、謎の黒い力が剥き出しになった。

 いつ何がきっかけで爆発するかわからない。とんでもない爆弾を抱えてしまったわけだ。

 正直、身が震えそうなほど怖い。自分が自分でなくなってしまうなんて。

 だけど。その危険があるとわかっているならば、多少は気を付けようもあるだろう。

 気を引き締めろ。心を強く持て。

 能力に振り回さないように。俺が俺であるように。

 そして、もしものときは――。

 

「ユイ。こんなこと頼むのは気が引けるんだけどさ」

「いいよ。何でも言って」

「俺も十分気を付ける。でももし俺がまたおかしくなりそうだったら。そのときは、みんなと協力して止めてくれないか。頼む」

「わかった。もちろんだよ。任せて」

 

 ユイは頼もしく、胸をとんと叩いてくれた。

 本当にありがとう。

 そしてすまない。迷惑をかける。俺が不甲斐ないばかりに。

 いつになれば、能力を使いこなせるようになれるだろうか。

 いつかはと思うけれど。

 

 ……よし。気持ちを切り替えよう。

 

 どんなに心配しても、今はこれ以上できることはない。

 負の感情が溜まれば、かえってあの力を招き寄せてしまうかもしれない。

 恐れてばかりいても仕方ない。楽しむんだ。これまでと変わらず。

 もしものときは君たちがいる。

 俺は、一人じゃないのだから。

 

 俺の気持ちの変化に敏く気付いたユイは、ようやく一安心という顔で、にこっと微笑んだ。

 

「よかった。ユウ、元気出たみたいで」

「心配かけたね。付き添ってくれてありがとう。助かった」

「ううん。どういたしまして」

「どうしようか。みんなも心配してるだろうし。下降りようか?」

「や、わかってるけど。このままがいい。ゆっくり二人きりなんて、久々だもん」

 

 ユイはさらにぎゅうっとしがみついてきて、一向に離れようとしなかった。

 よほど俺がいなくて寂しかったらしい。

 手の届かないところに行ってしまうのではないかと、怖くて仕方がなかったようだ。

 俺もだ。寂しかったし、君と心が離れてしまうことが怖かった。

 こんなことがあったから、余計にそう思う。

 ユイがすぐそばにいることが、どれほど心強いことか。安心できることなのか。

 

 俺とユイは、あることないこと、どんな他愛のないことでも、色々喋り合った。

 離れ離れになっていた時間を埋め合わせるように。

 こうして身体が分かれていても、ちゃんと繋がっている。そのことを改めて確かめ合った。

 

 ……普通の姉弟よりかは、親密なスキンシップだったかもしれない。



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66「星海 ユウの忙しい一日」

 あの後、しばらくユイと慰め合ってから一階に下りた。

 みんなには謝り、とりあえずもう大丈夫だからと言っておいた。

 レンクスもエーナさんもジルフさんも、とても心配していたけど、俺が笑ってみせるとひとまず安心してくれたようだ。

 ミティは一人仕事を頑張ってくれていたようで、申し訳なかった。

 それでも危ないところだったが、ユイが本気を出して残りの料理を手早くしっかり仕上げたので、何とか食堂の開店には間に合った。

 俺のせいなので、この時ばかりは全力で手伝わせてもらったよ。主に魔法を使わないところで。

 魔法ってずるいくらい便利だよなと、使えないこの身のままでいると思う。

 夜には久しぶりに食堂のお客さんと触れ合った。

 みんな俺の帰還を喜んでくれて、常連客からはどこ行ってたんだよと質問攻めでもみくちゃにされた。

「まあ大きな依頼があって」と誤魔化しておいたけど。

 ユイと久々のマジックショーも披露した。

 エーナさんとジルフさんも、そのような催し物はめっきり見ていなかったらしく、大いに楽しんでくれたようだった。

 

 さて。翌日から、俺も『アセッド』の仕事に復帰することにした。

 時々トレヴァークの調査も続けながらにしようとは考えているが。まあしばらくは目の前のできることを一つずつやっていくことかなと思っている。

 幸いにして、この店には老若男女様々な人が依頼を持ってくるし、中には普通の人じゃ滅多に関わらないような大きな依頼もある。

 二つの世界を行き来できる俺なら、依頼の背景や裏側を見るチャンスがあるかもしれない。

 夢想病を治すヒントも掴めるかもしれないし、シンヤみたいに治せる条件が揃う人も出てくる可能性もある。

 焦らずいこうじゃないか。楽しみながらいこうじゃないか。

 と、意気込んではみたものの。

 

「はい。これがユウの仕事ね」

 

 ドン、ドン、ドン、ドン。

 四コンボ。確信犯的なにっこり笑顔で書類の束を積んだユイ。

 恐る恐る上から一枚取って、目を通してみる。

 ミティにまとめさせたという依頼書だった。丸っこい字がいかにも女の子らしい。

 俺は、血の気がさーっと引いていくのを感じた。

 

「あの……。これ、全部?」

「うん。全部ユウ宛だよ。人気者だね」

「あは、は……」

 

 約二カ月。それだけ放っておくと、こんなに仕事が溜まるのか……。

 どうしよう。俺、死ぬんじゃないかな。トレヴァーク行こうかな。

 などと現実逃避しそうになっていたが。そこに素敵な助け船が。

 

「色々考えたのだがな。俺も店を手伝うことにした。今のところ、他にやりたいこともないしな」

「ジルフさん……!」

 

 さすが頼れる師匠の師匠。どこかの役に立たないレンクスとはレベルが違う。

 ちらりと某ごみ拾いさんに視線を向けると、彼はぐだーっとふんぞり返って余裕の笑みをこちらに向けていた。

 俺は何もしないぜ、と全身からありありと主張している。うざったくウインクまで返してきた。

 いつも通りだな。

 冷めた感想を抱きつつ、翻って大師匠は。

 

「能力こそ使えないが。ユウ、気の扱いに長けたお前とできることはそこまで違わないはずだ。一応イネアの奴と世直しして回った経験などもあるしな」

 

 イネア先生との世直しとか、ものすごく聞いてみたいんだけど。今度ゆっくり聞かせてもらおうかな。

 それはともかく。本当に助かった。死ななくて済むかもしれない。

 

「ジルフさんが手伝ってくれるなら百人力ですよ。そうだ。早速なんですけど」

 

 ユイのにっこり笑顔を真似して、四つあった束のうち二つを流れるように押し付けた。

 ジルフさんも書類の意味を理解し、顔が引きつっている。

 

「お、おう。随分多いな……」

「頑張りましょう。ジルフさん」

 

 ふと思う。この店、ブラックなのかもしれない。

 まあ給料はかなり良いはずだから、そこはね。

 ユイが俺に腕を絡めてきて、言った。

 

「もちろん私も手伝うよ。一緒に頑張ろうね」

「ありがとう」

「でしたら、ミティは雑用兼指令本部担当ですね! 仕事のフローチャートとか考えますよぉ! 効率良くぱぱっとこなしていきましょう!」

「いいわねえ。楽しそうで。私も張り切っちゃおうかしら!」

「「あ、エーナさんは掃除してて下さい」」

「はい……。しくしく」

 

 全員一致。

 すまない。これがベスト采配だ。

 

「俺は何も――」

「「あんたは黙ってろ」」

「……おう」

 

 めでたく役割分担も決まったところで。

 ユイとミティの作ってくれたお弁当がみんなに配られて、それぞれが仕事へ出発することになった。

 

 

 依頼1「レア素材求む」 依頼人:冒険者ギルド 場所:冒険者ギルド 報酬:時価

 

 最初は簡単なやつからだ。

 俺がトレヴァークに行く前に狩っていた奴や、前にビンゴ大会でユイとエーナさんが色々狩ったときの余りが『心の世界』にもう入っている。ただ渡すだけでいい。

 ミティもユイもこれを最初に乗せてきたということは、久しぶりに挨拶に行っておけということなのだろう。

 

 ギルドの扉をくぐると、二人の見慣れた人物がすぐに出迎えてくれた。

 

「受付のお姉さん。あとミーシャも、久しぶりだね」

「はい。お待ちしておりました」

「二カ月ぶりくらいですか? 寂しかったですよ」

 

 俺がやってくると聞いてすっ飛んできた、酒場のミーシャ。

 細い体に見合わず大食いのグルメで、ギルド酒場のウェイトレスでありながら、ライバルであるうちの食堂の隠れファンでもあったりする。

 初日にギンドから助けた件もあって、彼女には結構気に入られているようなのだ。

 ちなみにマイクを持っていないお姉さんは、大人しい通常モードだ。

 この状態だけ見ると普通なんだけどなあ。本性はご存知の通りである。

 

「この間は急なお願いでビンゴ大会を司会して頂き、ありがとうございました」

「いえ。こちらこそ楽しかったですよ。やりたいときはまたいつでも言って下さいね」

 

 素材を納入して、しばらく雑談に花が咲いた。何でもない話からギルドの近況なども窺えるので、有意義な時間だ。

 なるほど。ランドとシルヴィアはさらに進んでいるのか。ラナクリムで俺と行った場所もしっかり入っているな。

 剣麗レオンが、「ミッターフレーションの到来」を唱えて暴れ回ったという終末教の一団を制圧。

 ミッターフレーション。予言された世界の終わりだったか。

『ヴェスペラント』フウガが、情報都市ビゴールを襲撃。防護システム『ラナの聖三角領域』が一時機能停止。

 レオンが捜査団に加わるも、またも逃亡される。

 なるほど。色々ときな臭い動きも出て来ているみたいだな。

 

「あ、そうでした。近々大魔獣討伐祭が催されるので、ユウさんもぜひ参加して下さいね!」

 

 ミーシャが、実に楽しみという顔で教えてくれた。

 大魔獣討伐祭。レジンバークより遥か北にあるダイバルスポットという高原で開かれるイベントだ。

 この場所は年に一度魔獣が大発生する。放っておくとレジンバークにまで大量に魔獣が押し寄せてきて、えらいことになるらしい。

 そこで冒険者を大量に駆り出して、大発生と同時に狩ってしまう。

 得られる素材からの経済効果も大きく、単純に盛り上がるし、いつしか祭りと呼ばれるようになっていた。

 

「うん。もちろん参加するつもりさ」

 

 普段は各地に散っている冒険者たちが集結する。

 こんな楽しそうなイベントを逃す手はないだろう。

 

「うふふ。お姉さんも血が騒いできちゃうわね」

 

 お姉さん。本性漏れてますよ。

 

「ところでお姉さん。前から気になっているのですが」

「ええ。何でしょう」

「お姉さんのお名前は、何と――」

「一つだけご忠告しておきましょう。世の中には知らない方が良いこともあるのですよ?」

 

 事務的な笑顔の裏側に、何かとても恐ろしいものが垣間見えたような気がした。

 びびった俺は、そこで会話を切り上げて、慌ててぺこりと一礼した。

 

「いつも依頼ありがとうございます。また来ますっ!」

 

 素材と引き換え報酬の二万三千ジットを手に、そそくさと逃げ去った。

 

「あ、もう行ってしまいました。まだ話したかったのに」

「ふふふ……若いですね」

 

 お姉さんの本名を知る者は、誰もいない。

 

 

 依頼2「決闘を申し込む!」 依頼人:伝説になり隊No.252,378,551 場所:地図上指定の×印 報酬:198ジット

 

 連絡した上で指定の場所に向かうと、奇抜な髪色に染めた三人の男が待ち構えていた。

 

「いつもいきなり襲ってくるのに。果たし状とは感心だな」

「Yo! Yo! Yo,yoyo! よく来たな!」

「逃げ出すんじゃないかと思ったZe!」

「待ってたyo! ちょっと寂しかったのは内緒だyo!」

「はあ」

 

 なんだ。相変わらず変なやつら。

 

「さあ、yo!」

「いくぞお前ら! 来いよユウ、カモーン!」

「ユウyo! お前のパゥワーを見せてみろぉ!」

「……気断衝波ーーッ!」

「「ぐわーーーっ! つよいyo! やられたーーーー!」」

 

 ノリいいな。俺もか。はい次。

 

 

 依頼3「私の話を聞いて下さい」 依頼人:匿名希望レディ 場所:喫茶店『テルネ』 報酬:80ジット

 

「それでね。ひどいのよ。ダニオったら、私なんかよりあっちの女の方がいいって!」

「うん。うん。君は悪くないよ。その人は見る目がなかったんだね。かわいそうに」

「そうよね! ほんとひっどいんだからぁ~」

 

 要するに恋の愚痴を聞いてくれという話だった。なるほど「俺向き」ではあるのか。

 もうかれこれ二時間くらいは貼り付けにされている。

 

「それにしてもあなた。かわいいわね。優しいし、好みかも。どう? 今度お食事でも」

「いえ。俺なんかじゃとても。まだ子供ですから、あなたを満足させてあげられないかも」

「ふうん。そうかしら?」

「少しだけ、疲れているんですよ。寂しいですよね。大丈夫。あなたは魅力的な方ですから、すぐに良い人が現れますよ」

「そうかしらねえ~。うん。無理言ってごめんなさいね、お仕事中なのに」

「いえいえ」

 

「ありがとう! 元気出たわ。また頼むわね」

「はい。また」

 

 ふう。やっと終わった。

 気付けば昼過ぎか。話聞いただけでどっと疲れた。

 うちを相談所か何かと思っている人も結構いるんだよな。何でも屋だから間違ってはいないんだけど。

 お弁当食べて次いこう。

 

 

 依頼4「共に素敵な汗を流さないか」 依頼人:"男の中の男"マンダム 場所:ドミ川沿いの通り 報酬:応相談

 

「やあ、ミスターホシーミ! 待っていたよ。どうだい、僕の肉体美は?」

「…………」

「君も脱いだらすごいって聞いてね! さあ、共に走ろう! あの川の向こうまで!」

「…………」

 

 俺は何も言う気になれず、次の依頼が書かれた紙へ目を落とした。

 

 

 依頼5「変態が毎日股間を見せつけてきます。何とかして下さい」 依頼人:マナリー・ラフレイア 場所:ドミ川沿いの通り 報酬:300ジット

 

「よし。ちょっとこっち来ようか」

「ノオオオオオオオーーーー! 私が何がしたというのかね!?」

「してるも何も。すっぽんぽんじゃないか!」

「それはああ! ありのまま団の教義にしたがってえええ!」

「知らないよ」

「嗚呼、同志よ! 私がいなくなっても第二第三の肉体美が君を真理に導く! 剥かれてしまえ!」

「はいはい。そうですか」

 

 収監。せめて下半身は履くように説得した。次。

 

 

 依頼6「うちの子に剣を見せてあげて下さい」 依頼人:ビゼド・アーサンダー 場所:アーサンダー家 報酬:350ジット

 

「うちの倅が、何を見て憧れたのか。大きくなったら冒険者になりたいって言い出して聞かなくてですね」

「なるほど」

「剣をやりたいというものですから。やれどんなもんか、体験させてみようと思ったんですよ」

「そういった事情でしたか」

「どうかセルムに、冒険者の夢を見させてやって下さい」

 

 いい親じゃないか。

 引き合わされた息子セルムくんは、俺を一目見るなり、鼻息荒く興奮して飛びついてきた。

 

「うわあ! ユウさんだ! 本物のドラゴンスレイヤーだあ!」

「おっとっと」

 

 どうも知らないところで憧れの対象になっていたらしい。

 

「すっかり懐いてますねえ。それでは、後はよろしくお願いします」

「はい。わかりました」

 

 親は下がって、こちらの様子を見守っている。

 二人残された俺とセルムだが、彼は曇りなき期待の目で俺のことをじーっと見つめ上げている。

 

「ユウさんは、何やってくれるの!?」

「そうだなあ――よし。セルム。よーく見てろよ」

 

 俺はセルムに与えられた練習用の木剣を手に取った。

 この剣でもできると思わせた方が、夢があると思ったからだ。

 それからアリムの実を一つ『心の世界』から取り出して、ちょうど庭に設置されていたテーブルの上に乗せる。

 セルムを連れて、一歩、二歩、と離れていく。

 数メートルほど離れた位置で、静かに木剣を構えた。

 セルムは息を呑んで、しかし輝く瞳はわくわくを抑え切れない様子で、これから何が起こるのかと見つめている。

 俺はじっとタイミングを待った。

 やがて、成熟したアリムの実の甘い匂いにつられて。

 小さな荒らし者、ミニングバードが実をつつきにテーブルへ降り立つ。

 小鳥が実の前に塞がったとき。そこが狙い目だった。

 横凪ぎに剣を振り払う。

 ヒュンと、耳に残る音が響いて。

 俺の振るった剣は――。

 前を塞ぐミニングバードには一切の傷を付けず、後ろにあるアリムの実だけを真っ二つにしていた。

 相当な技巧を要する技だ。

 その意味するところを理解した少年は。ぶるぶると肩を震わせて、もう大はしゃぎだった。

 

「すっげー! なんだよあれ! うわあ!」

「剣を極めれば。斬りたいものを斬り、守りたいものを守ることができるんだ」

 

 別に俺も何も極めてなどいないけど、適当にそれっぽいことを言っておく。

 ついでに、伝えておきたいことも伝えておく。

 

「強くなりたいなら、ただやみくもに傷付けるような人になっちゃいけないよ」

「うん! わかったよ! ユウさん!」

 

 キラキラ目で見つめてくるセルムは、それから俺の言うことなら何でも素直に聞いてくれた。

 夢を与えることには成功したみたいだ。

 中々楽しい仕事だった。次。

 

 

 依頼7「痛いところの面倒を見て欲しい」 依頼人:ドモハン・キンポウ 場所:安らぎの家『ベルサ』 報酬:一人当たり30ジット

 

 次の依頼は、いわゆる老人ホームで身体の痛いところの面倒を見てほしいというものだった。

 治療の類は気力の方がずっと容易で効果が高いからな。これも「俺向き」というわけだ。

 

「おお。来てくださいましたか」

 

 温かく迎えてくれたのはドモハンさん。この安らぎの家『ベルサ』の長だ。

 彼に連れられて行った大広間では、既にたくさんのご老人が談笑していた。

 

「こんにちは!」

 

 耳が遠い人もいるだろうと思って、大きめに声をかけると。

 俺の姿を認めた多くの人から、ばらばらと挨拶が返ってきた。

 

「私は腰が痛くてなあ」

「わたしゃ膝が」

「俺は肩だなあ」

 

 そのうち、我も我もと痛みを訴えて殺到してきた。すごい人数だ。

 何人いるんだろう――118人。

 うわ大変だ。こんなとき正確にわかってしまう自分の能力が憎い。

 ご老体も集まればすごいエネルギーで、もみくちゃにされる。

 困った俺は、苦笑いしながらやんわりと申し出た。

 

「あ、あの。皆さん。順番に並びましょう。ちゃんと治療しますから」

「おお。本当ですか。ありがたやありがたや」

「いい子じゃ」

「孫に欲しいくらいですねえ」

 

 世間話も交えながら、てきぱきと治療に当たる。

 痛いのを治して欲しいのも確かだが、みんな若い外の人と話がしたいらしく。

 俺はこの日、ホームの人気者だった。

 

 

 依頼8「モッピーとお散歩」 依頼人:ワンディ・トレロア 場所:アーマン通り 報酬:100ジット

 

「ユウさん。来てくれてありがとう」

 

 最初の依頼以来となるワンディと、子モコのモッピーとの再会だ。

 何でも、モッピーを助けた件を親に話したら、ちゃんとお礼をしなさいということで。

 100ジット札を一枚持たせて、こういう依頼の形になったのだとか。

 別にお礼なんていいのにとは思うが、教育上のこともあるだろう。丁重に頂くことにした。

 

「モッピー、あれからすっかり元気になって」

「よかった」

 

 彼はしっかり胸に抱いていたモッピーを、こちらへ差し出した。

 

「きゅー」

 

 モッピーはよく懐いて、舌で顔を舐め回してきた。

 助けてあげたことを覚えているのかな。

 

「あはは。だから、くすぐったいってば。かわいいやつだな」

「ほんと、よく懐いてますね」

 

 それから、ワンディと一緒にアーマン通りを散歩した。

 複雑に入り組んだこの町では数少ない、あまり見通しの悪くない通りだ。

 リードはしっかりと彼の手に握られている。

 彼は近況をよく話してくれた。

 親や友達が心配してくれたこと。もうすっかり元気になって上手くやっていること。

 何でも楽しそうに話してくれた。

 だけど、ふと。たった一言だけ。

 ひどく思い詰めた顔で、それまでとまったく繋がらないことを言ったのだ。

 

「あのね。ぼく、もう大丈夫だから。モッピーがいなくても、もう大丈夫だから」

 

 ――ああ。そうか。そうだったのか。

 だから君は。あんなにも深く沈んでいたのか……。

 

 ようやく裏側の事情を理解して。

 俺は、ワンディの足にすりついているモッピーを抱き上げて、しっかりと彼に持たせた。

 

「大切なんだろう。いるさ。ちゃんと『ここ』にいる」

 

 胸に手を当てて、微笑みかけてやる。

 

「あ……」

「頑張るんだよ」

「……はい!」

 

 胸のつかえが取れたようだった。

 目に滲んだ涙を拭った彼は、それからはもう暗い顔をすることはなかった。

 

 

 ***

 

 

 モッピーとの散歩が終わってからは、ユイとの協力依頼が並んだ。

 結局この一日で12の依頼をこなすことができた。

 だが半日以上かけて、たったの12か……。

 あの紙、まだまだ残っているんだよな。考えたら鬱になりそうだ。

 ああ。もうくたくただよ。ゆっくり休みたい。

 ダメだ。まだ夜の食堂があるんだった。

 

「つかれたー」

「うむ。こんなに大変だとは思わなかったぞ……」

 

 ジルフさんも、フェバル専用テーブル(レンクスがいつも寝てる窓際)でくたばっていた。

 

「お疲れ様でした」

「お疲れ様」

 

 ミティが温かいお茶を出してくれる。

 ユイは肩を揉んでくれた。

 

「どうも」

 

 ありがたく甘えて、啜る。

 ほっとすると、全身を心地良い疲労感が満たして、くたってきた。

 でもまあ気持ちいい疲れだったかな。こんな一日も悪くないか。

 

 この後、ずっといない間に俺恋しさをこじらせたミティが、異次元のルームサービスを仕掛けてきて。

 大変な修羅場になるのだが、それはまた別の話。

 もう勘弁してくれ。

 そして結局、ひっきりなしに新しく入ってくる仕事を捌きつつ、溜まっていた仕事を片付けるのに一カ月近くかかってしまった。

 離れ過ぎは気を付けようと心に誓うのだった。



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67「二つの世界を行き来するやり方」

 溜まっていた仕事をバリバリこなしている間、ずっとラナソールにいたわけではない。二つの世界は連動し、リアルタイムで変化を続けている。情勢に取り残されないためにも、あまり長い間トレヴァークを離れていたくはないと考えていた。理想を言えば、ややトレヴァーク多めくらいのバランスでラナソールと行き来する生活がいい。ラナソールのことは、ユイたちがいるからある程度は掴める。トレヴァークに行けるのは俺しかいない。

 しかし仕事が多過ぎる。全然暇がないよ。

 どうしようかと困った顔をしていると、俺の様子に気付いたジルフさんが、

 

「坊主。お前がいない間は俺がその分仕事を引き受けてやろう。気にせずトレヴァークに行ってこい。お前にしか出来ないことを為せ」

 

 こんな頼もしいことを言ってくれたので、安心してトレヴァークに行けそうだった。

 これがやる気のないレンクスや、やる気はあるけど星撃級におっちょこちょいなエーナさんだとかなり不安が残る。ジルフさんが『アセッド』に来てくれたのは僥倖だった。

 というか、何気にすごいメンバーになってるよね。レンクス、エーナさん、ジルフさん。能力使えないとは言ってもチートクラスが三人。この店、世界最強なんじゃないだろうか。

 

 さて。行くとなれば俺だけでは無理だ。ハルと相談して考えたやり方だと、協力者が要る。というわけで。

 

「どうしたよ。俺に用なんて」

「いやあ待ってたよ。ランド」

 

 また冒険を進めて、レジンバークに帰ってきていたランドに『アセッド』まで来てもらった。これから俺がいなくなった後の事情説明のため、隣にはユイにも付いてもらっている。

 

「忙しいところ、わざわざごめんね」

「別にいいってことよ。俺とあんたらの仲じゃないか」

 

 気前よく笑ってくれるランドといると、本当に気が楽だ。ややデリケートで鬱屈したところのあるリクと比べれば、彼は底抜けに明るくて何も悩みなど持っていないように見える。そんな彼は、日常に退屈していたリクが望む一つの「理想の」姿のように思えてならない。

 

「また何か企んでるって顔してるわね。どうやってかシンを起こしたときみたいに」

 

 シルヴィアもセットで付いてくるのはいつも通り。素直でよく言うことを聞いてくれるランドだけじゃなくて彼女も来ると踏んだので、説明役のユイは不可欠だった。

 シルもシルで、この探り性というか抜け目のないところは、向こうの世界の某ストーカーさんに通じるところがある。この人は向こうと違って気というものを持っていないので、余計神出鬼没な点がびびるところだ。

 こうしてみると、二つの世界から浮かび上がってくる人間模様が面白い。一つの心に別の角度から光が当たっているのだ。

 そんなことを考えながら、口では早速本題を告げる。

 

「ちょっとね。ランド、君の手を貸して欲しいんだ」

「手? またか? そんなもんでいいなら」

 

 ランドは首を傾げながらも、快く手を差し出してくれた。

 俺は彼の力強い手を取って、念じる。彼とリクの心に触れる。

 

 ――ああ。やっぱりだ。

 

 シンヤの治療の際、二人の心に触れたときに感じていた。

 夢想病にかかっていない健常な人であれば、二つの身体と精神は、二つの本源である一つの心を要として繋がっている。

 ただ心が繋がっているというだけで、普通はそれだけでは何にもならない。だが、俺には心を司る力【神の器】がある。

 つまり、何が言いたいかというと。

 二人を結んでいるリク-ランド版『心の世界』的なもの(俺とユイの『心の世界』と違って、本当にただの精神世界っぽいので、的なものだ)が、ラナソールとトレヴァーク、二つの世界を結ぶ架け橋になってくれるのだ。

 トレヴァークからラナソールに帰るとき、『心の世界』を通じてユイから出てきたように。

 同じようなことをすれば、ランドから向こうの世界にいるリクのところへ辿り着けるはずだ。

 幸いランドもリクも、俺にはそれなりに心を開いてくれている。通行止めをされることはないだろう。

 心の力を持ち、かつ、元は『心の世界』の存在でトレヴァークに馴染めないユイと違って、現実の肉体を持つ俺にしか出来ない方法だった。

 二つの世界を行き来する。今この場に限っては、他のどんなチートフェバルにも出来ないことが、俺だけに許されているようだ。

 その分、肩にかかる重みは大きい。

 他の誰でもない俺こそが要であるという認識、状況は、今まで経験したことのないものだった。何だかんだ言っても、今までは、イネア先生だったりアーガスだったりリルナだったり。他に第一人者、まとめ役というのがいて、俺はそれを隣で支える脇役的な役割が多かった気がするしね。

 今回は、俺が矢面に立たなければ何も進まない。まるで主人公にでもなった気分だよ。

 

 よし。行けそうだな。

 

「じゃあユイ。いってくる」

「いってらっしゃい」

「ん、どこにだ?」

「何言ってるのかしら」

 

 何を言っているのかわからないランドシルを横目に、俺はランドの心に飛び込んだ。

 

 

〔ラナソール → トレヴァーク〕

 

 

 ***

 

 シンヤはすっかり元気になったし、あれからまた一緒にゲームもするようになったし。

 あれもこれも、ユウさんが来てからだ。僕の世界は変わった。

 ほんとユウさんのおかげだよ。感謝してもしきれないや。

 

「ふうう……」

 

 でもユウさん、どこ行っちゃったのかな。電話も急に繋がらなくなっちゃったし。そのうち戻ってくるとは言ってたけど……。

 どこか僕の知らないところで色々やってるんだろうか。前に聞いた冒険とかかなあ。

 ああ、いいなあ。羨ましいなあ。一度でいいから僕も行ってみたいなあ。

 

「おっと」

「うわあああああああああああああああああああ!?」

「わっ!」

 

 急に出たああああ!? なんだあああっ!? 人がああああ!?

 

「って、ユウさん!? なんでここに!?」

 

 座っていた僕にいきなり降りかかってきた人物は、他でもない話題のユウさんだった。

 

「ああ、リクか。ってことは、ちゃんと戻って来られたみたいだね」

 

 戻ってきた。ということは、やっぱり今までどこか行ってたんだ。

 やや冷や汗が滲む額に、ばつの悪そうに髪を掻いているところを見ると、あんまり快適な旅じゃなかったみたいですけど。

 って、そんなことのんきに考えている場合じゃないよおおおお!

 ユウさあああああああん! なんでだよもおおおおおお!

 僕は慌てて、両手で股間を隠した。

 

「わああ! ちょっと、どいて! 僕から離れて!」

「え!?」

「もう! 出てって! 出てって下さい! 出て来るにしても時と場所考えて下さいよっ!」

 

 魂の全力で叫ぶ。

 

「えっと……ここ? あ!」

 

 そうだよ! トイレの中だよ! 僕うんこ踏ん張ってたんですよ! なんてとこに出て来るんですか!

 狭いトイレに男二人密着して。どんなシチュですかっ!

 ユウさん可愛い顔してますけど、僕、そっちの趣味なんかないんだからね!

 てかユウさん、どこ見てんすか!

 

「やめて下さいよ! 僕のなんか見たって誰も喜ばないですよ! どうせしょうもないですよ!」

 

 突っ込みにも勢いが入る。正直言うと、僕、キレてます。

 ユウさんもしまったと思ったのか、誰が見てもわかるくらい慌てて、顔も赤くして、ぴゅーと逃げるように僕から離れた。

 

「その、ごめんね!」

 

 もう見てません! って感じで、大袈裟に目を背けたまま後ずさって、トイレのドアを開ける。

 そんなユウさん、どこかコミカルですらありますけど。僕が当事者だから笑う余裕ないですって。

 でもユウさん、最後にちらっとこちらを見て、全力で股を押さえる僕のそこを見て、生暖かい微笑みを向けてきました。

 

「大丈夫だよ。うん。言うほどみんな気にしないからさ」

 

 どこか慰めのような台詞を吐かれて、ついでになんかぐっと親指も立てられて。

 

 バタン。ドアが閉まった。

 

「ううう……」

 

 あああ。くそう。ばっちり見られた……。見られちゃった。

 人より小さいの、すごく気にしてたのに。ユウさんのバカああああ。

 厄日だ……。



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68「トリグラーブの街へ行こう 1」

 とんだハプニングがあったが、まあ何とか無事トレヴァークに辿り着くことができた。

 それにしても、こっちに来るときは中々大変だった。

 やはり他人の心を通らせてもらうとなると、それなりに親しい相手でも抵抗があるものだな。気をしっかり持っていないとやられてしまいそうで、あまり快適な旅とは言えなかった。

 帰りは普通に『心の世界』を通ってユイのところから出ることにしよう。

 あと、小さいとか思ってごめんね。リク。

 あまり人のをじろじろ見る趣味はないのだけど、目の前にあったからつい。

 ちなみに俺は顔に見合わずそれなりらしい。いつだかカルラ先輩も目を丸くしてたし(見るなよと思ったものだけど、今日少しだけ気持ちがわかった気がする)、リルナもいいって。

 ……こほん。そんなことはどうだっていいよな。うん。

 しばらく大人しく待っていると、水の流れる音がして、不機嫌な足取りでリクが出てきた。

 やや憮然とした表情をこちらに向けてくる。

 色々と文句言ってやりたいけど喉元で抑えている。そんな感じだ。

 

「あの、本当にごめんね?」

「いいですよもう。よくわからないですけど、事故みたいなもんなんでしょうし」

 

 はあ、と彼は大きく溜め息をして、もうこの話はおしまいとばかりにひらひらと手を振った。

 彼は廊下に突っ立っていた俺を横切ってリビングへ向かう。

 邪魔にならないように追いかけてみると、タンスから靴下を取り出して履き出した。

 その間もずっと口がへの字になったままへばりついているところを見るに、結構根に持たれてしまったらしい。

 悪かった。ほんと。

 

「どこか出かけるのか」

「買い物に行くんですよ。うちにいてもらってもあれですし、ユウさんもどうですか?」

 

 まあ特にこれと言って用事もないしな。こっちに来られるか半分お試しみたいなところもあったし。

 

「うん。俺も行くよ。ところで何を買うつもりなんだ」

「服とか。就活の準備をそろそろしなきゃなあって。うわあ憂鬱だああ」

 

 大袈裟に頭を抱えてみせるリク。どこか可愛げがあって可笑しかった。

 就活かあ。

 

「もうそんな季節なんだね」

 

 この世界に来てから、もうすぐで一年になる。

 刺激の多い毎日に囲まれて、あっという間だった気がするな。

 

「再来年の1月から社会人ですよ。僕。なれればね……」

 

 夢想病の蔓延により、労働人口の減少と医療費の増大が起こっている。経済は活力を失い、慢性的な不況に陥っている。

 リクの不安ももっともだろう。

 俺が異世界に旅立ってからは知らないけど、日本もやれ不況だ高齢化だ非正規労働の増加だと暗い話題が地味に多かった気がする。他人事のように思えない。

 他の国の事情はさておき、このトリグラーブ市を囲むラグル都市連合では、新年度は1月から始まる習わしになっている。その辺りは欧米と同じような感じだ。

 ちなみにラグル都市連合は、『世界の壁』グレートバリアウォール内部全域と『世界の道』トレヴィス=ラグノーディスを含む広大な領域を治める世界最大の都市連合国家である。

『世界の道』は本で知っているだけだが、『世界の壁』はリクの家の窓からでもよく見える。

『世界の壁』と呼ばれるに相応しく、グレートバリアウォールの高さと言ったら圧巻だ。

 なんと平均の高さが、あのエベレストを遥かに超えているらしい。

 ここからでも、遠景を高い山々が囲んでいるのがぱっと見でわかる。

 

「ところでユウさんは仕事とか――あ、さりげなく目逸らさないで下さいよ」

「いやあ。あはは」

 

 仕事か。今はまあ何でも屋をしてると言えばしてるけど。

 サラリーマンの俺。フェバルにならなければ、あったかもしれない俺。

 正直さっぱり想像も付かないけど、それはそれで楽しかったんだろうなと思う。

 普通に就活とかしてみたかったかもなあ。

 

「普通に就活とかしてみたかったかもなあ」

 

 そのまま心の声が漏れていた。

 

「ユウさんってやっぱり普通の仕事」

「したことあるように見える?」

「いいえ。まったく」

 

 素晴らしいくらいの即答ありがとう。

 

「だから仕事を探す苦労とかわからないし、何もアドバイスらしいこと言えないや。悪いね」

「いいですよ。僕の問題だから、僕が何とかしないと。代わりにユウさん、普通の人がしてないような経験いっぱいしてそうなんで逆に羨ましいです」

 

 羨ましいか。俺なんかはリクの平穏な暮らしの方が羨ましかったりもするけどね。

 人はないものを欲しがるものだからな。

 俺の代わりに世界を救う手伝いでもしてみるか? と冗談でも言おうかと思ったけどやめた。

 リクには平穏無事に暮らして欲しいと思うよ。君は退屈と思うかもしれないけど、やっぱり平和が一番さ。

 

 

 ***

 

 

『あなたの~暮らしの~す~ぐそば~に~タ・ナ・キア~ン~♪』

 

 というわけで、やってきましたタナキアン。電器チェーンだけど、服から何まで色々売ってるタナキアン。

 タナキ ニケヤという人が創業したからタナキアンらしい。タナカさんじゃないんだね。ニアミス。

 就活シーズンとあって、店内の衣類コーナーは就活セールと題して装飾が施されていた。

 

「どこから見ていこうか」

「まずモップですかね。それから靴とかばんと、あとバッジも忘れずに」

 

 モップと言うとあの掃除用具がどうしても浮かんでしまうのだけど、そうではない。

 愛玩動物でもあるモコだが、それとは別に毛を取るための大型種がいる。

 むしろそちらが元で、品種改良によって小型犬程度の大きさのペットになっていったという順序が正しい。

 モコの毛から作られる真っ白なスーツ様の服をモップという。これと名前入りの銀バッジが、世界共通の正装である。

 何でも歴史的な由来があるそうで、産業化時代の初期に黒服匿名のマフィアじみた組織(現在も残る幾多の闇組織の源流になっている)が乱立し、不当な搾取や取引で市民の生活をひどく苦しめていたと言う。

 彼らの横暴に反対した市民が団結し、安いモコの毛でできた白服を着たのが始まりだった。色合いは黒に反対する意義が強かったのだろう。

 さらに名入りの銀バッジを右胸に付けて身分を示し、公平誠実たる社会を掲げて、堂々と市民運動を展開したのだ。

 やがて一般市民が力を付けるにつれて運動も自然と落ち着き、いつしか歴史的な意味合いも薄れて、現在は単なるスタンダードになっている。

 したがって由来から、白は公平誠実さを示す意味合いを持ち、銀バッジは一般市民の証である。

 ちなみにネクタイというものはない。

 

「そうだ、リク。モップ代くらいは出してあげるよ。良いのを選ぶといい」

「えっ。悪いですよ」

「いいって。色々手伝ってくれたお礼と、今後ちょくちょくご迷惑をおかけするだろうからね……」

 

 トイレのことを思い出し、苦笑いして言った。

 リクが何してるのかなんて出てみるまでわからないからな。

 あまり人に見せられないことしてるときにバッティングしてしまうかもしれない。

 

「ああ、またああいう風にいきなり出て来るわけですね……」

 

 リクも思い返して恥ずかしいんだろうな。小さく首を振り、顔を赤くしている。

 ともあれ、買ってもらうことに対する抵抗も減った気がするので、改めて申し出た。

 

「他に何もできないから、応援のつもりで買わせてくれ。もし悪いと思うなら、きっちり就職して何かで返してくれたらいいよ。ほんと何でもいいからさ」

「ユウさんがそこまで言うなら……。ありがとうございます! お世話になります!」

 

 屈託のない笑顔で、はきはきと礼を述べるリク。

 そこまで喜ばれると、こちらとしても気分が良いよ。

 それからリクは、先ほどまではどこか根に持っている節があったのが、もうあからさまに上機嫌になっていた。

 あまり人のことは言えないけど、根が単純で助かる。

 俺があえて申し出たのは、何も親切や罪滅ぼしだけのことではない。

 モップが安かったのもずっと昔の話。今や大量生産される合成繊維なんかと比べれば、立派な高級衣類の部類だ。

 何年も使える上等なものとなれば、いくらバイトしているとは言っても、貧乏学生が手を出すのは躊躇われる値が張られている。

 そこをさっと出してあげるのが、人生の先輩としての務めじゃないか。たまには大人らしいこともしてみたい。

 そういや、『人のための金はよく考えて使うんだよ。必要な分だけ使わないことも、必要より無駄に使うことも、決してその人のためにならないんだ』とは父さんの言だったかな。

 元々誰かの受け売りだった気がする。

 まあこういう使い方なら問題ないだろう。

 

 リクはあれこれ迷った挙句、体つきがシャープに見えるスリムフィットタイプのモップが気に入って、試着室へ入っていった。

 ややあって、白モップ姿のフレッシュなリクが出てきた。

 どちらかと言うと目立たない学生も、服が変われば様変わりするもので。ちゃんと立派な就活生に見える。

 

「うんうん。中々決まってるじゃないか」

「そうですかね。若干着られちゃってる感じがしなくもないですけど」

 

 こういった格好に不慣れなせいか、そわそわとぎこちない調子で突っ立っているリクがちょっと可愛かった。

 

「着慣れればそのうち風格も出てくるさ」

「そんなもんでしょうか」

 

 直しをお願いして、仕上るまでの間に残りの品を買い揃えてしまう。

 ついでなので、すべて俺の方で出してあげることにした。

 リクも申し訳なさそうにしながら、喜んでくれたよ。

 ところで、某シルヴィアの中の人さんから頂いた身分証明書や口座は問題なく使えた。

 それで俺自身の金は、とっくにリクの口座から移して自分のところに預けてある。

 さすがにリクの口座の金から出すと格好が付かないからね。

 

 ……ところで、シルヴィアの中の人さん。

 

 さっきから殺気じみた視線がビンビンですけど。

 位置がこの上なくよくわかるので、下手な尾行は止めてそろそろ出て来てくれてもいいんじゃないかな。

 彼女がいるはずの方向に目を向けると、彼女は人に見つかったGのようにササっと身を隠してしまった。

 あれで身を隠すのは十二分に上手い部類なんだけど、人の気や心を感じ取れる俺が相手じゃ分が悪いよなあ。

 リクはもちろん何にも気付いていない。

 それとなく彼女のことを話そうとしたら、急に殺気の当たりがきつくなったので、話されたくないのかなと思ってやめてあげている。

 完全に変人女子ストーカーだもんな。あれじゃあ。

 

 

 ***

 

 

 とまあそんなこんなで無事買い物を済ませた俺たちは、ちょうどタナキアンを出たところだった。

 

「ああ……とうとう始まってしまうのかあ」

「大丈夫だよ。リク。君なら面接何とかなると思うよ」

「まあそこは。でも自分の適性とか、やりたいこととか。まだよくわかんないんですよね」

 

 なるほど。そっちの悩みか。

 まだやりたいこと見つけてないんだよね。

 君が日々にどこか退屈さを感じてしまうのは、それもあるだろうか。

 

「焦らず探せばいいよ。それに飛び込んでみて初めてわかることもある。まず最初に入ってみて、気に入らなかったら次を探すのもありだと思うよ。悩み過ぎるなって」

「うーん。ですよね」

「もし本当に何もわからなければ、まず自分にできそうなこと、小さなことから始めてみるんだ。自己分析してみるとか、世の中の動きをチェックしてみるとか。やっていくうちに見えるものもあるはずだから」

 

 俺だって、最初異世界に来たときは右も左もわからなかったし、何をして生きていけばいいのかもよくわからなかった。

 でも少しずつできることから始めて。時に楽しく、時に一生懸命毎日を過ごして、時間はかかったけれども今の生き方を見つけた。

 たとえ遠回りのように思えることでも、一歩ずつ進む先にはちゃんと未来が繋がっている。

 君の不安や苦労だって、決して無駄にはならないとも。

 

「ユウさんって、ほんと時々超真面目ですよね」

「そうかなあ」

 

 大体いつも普通にしてるつもりだけど。

 

「です。でも僕、色々不安もあるっちゃありますけど、最近は楽しいかもしれません。だって」

 

 俺の目をじっと見て、何か続けて言おうとして。

 でもリクはそこでやめてしまった。恥ずかしくなったのかもしれない。

 面白くて、ついからかってみた。

 

「だって?」

「何でもないですよっ!」

 

 ぷいっと顔を背けるリクが、何だか微笑ましかった。

 はは。大丈夫。気持ちはよく伝わったよ。

 

 

 ***

 

 

「みんなー! 今日は来てくれてありがとー!」

「「うえーーーーーい!」」

 

 店の脇の広いスペースに差し掛かったとき、大歓声が聞こえてきた。

 

「あのすごい人だかり、何だろうね」

「えーと――ああ! ほら、アマギシ エミリですよ。タナキアンのイメージキャラクターもやってる」

 

 ああ。あのミティに口調が似てる家庭派アイドルか。

 テレビじゃなくて、本物が来てるんだ。

 

「きっとタナキアンスポンサーの路上ライブですよ。生で見られるなんて、運がいいかも! ちょっと見に行きませんか?」

「うん。行ってみようか」

 

 俺もそれなりに興味が沸いた。アイドルなんて近くで見るの久しぶりだし。

 リクと一緒に人だかりへ入ろうとするが、あまりに人が多くてほとんど近寄れない。

 仕方なく、やや遠巻きから様子を眺めることにした。

 俺は目が良いから、これだけ離れていても彼女の顔がしっかりとわかる。

 リクはどうかわからないけど、特に不満は感じていないようだ。

 エミリは、テレビのように愛想いっぱいのですぅ! 口調でトークを盛り上げていく。

 場慣れしていて、中々に話は上手い。

 さすがちやほやされるだけあって、目鼻はすっきり整っていて。可愛らしさという点ではそこらの人より一つ抜けている。

 しかしとび抜けて近寄りがたい美ではなく、例えるならクラスの一番かわいい子にちょっとプラスアルファしたような雰囲気が、親しみやすい家庭派を印象付けているのかもしれない。

 時折趣味の料理での苦労と、これがあって助かったと便利家電を紹介し、スポンサーであるタナキアンの宣伝もちゃっかり忘れないアイドルの鑑だ。

 

「うわあ……。本物だあ……」

 

 リクはだらしなく見とれている。かなりのかわいい子好きだったなお前。

 そう言えば、観客の大多数は男性であるが、ちらほらと女性がいないわけではない。

 中でも、さっきからトークが盛り上がるたびに騒がしいくらいの歓声を上げている赤い髪の若い女性。

 いかにも仕事帰りって感じで、白モップにバッジを決めている。

 名前は、アカ……あとはここからじゃよく見えないや。

 なんかあの人、どっかで見たことあるような気がするんだよなあ。雰囲気が。

 まさかね。いやいや、さすがにそんなに世界狭くないよね。

 

 やがて、いよいよエミリが歌うという段になった。

 観衆は期待に身を寄せて、ヒートアップしている。

 

「それでは、お聞きくださいですぅ。『はらわたをぶちまけろ』」

「「うおおおおおおおおおおお!」」

 

 ……トレヴァークの家庭派アイドルというのは、やたらアグレッシブらしい。



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69「トリグラーブの街へ行こう 2」

 やたらとアップテンポの曲が始まった。

 エミリは諸手を上げて、手拍子を呼びかける。

 へい、へい、へい! 呼びかけに応じてファンが手拍子を始め、ステージも次第に熱気を帯び始めた。

 歌が始まった。エミリはマイクを手に身振り手振りをいっぱいに広げてこちらにアピールしつつ、歌声を響かせる。

 アイドルらしいというか、可愛らしさに溢れていて、耳を溶かしてしまいそうな声だ。

 だが歌詞がひどい。いや、ひどいって言っちゃいけないんだと思うけど。

 過激なワードが並んで、俺にはどうにも刺激が強かった。

 

「さあ、お前のはらわたをぶちまけろ!」

「「ぶちまけろおおぉおおお!」」

 

 ステージに、彼女の力強いシャウトが響く。合わせてファンも叫び出す。

 地味にノリがいいリクも一緒に叫んでいる。

 よく聞いてみると、実は魚の捌きなんかを題材にした完全なネタソングらしいということがわかる。

 なるほど。ある意味家庭的……なのか?

 包丁を魚に突き刺して「ぶちまけろおおお!」と狂った高笑いをしながら料理をする主婦の姿が思い浮かんで、いやいやと首を横に振る。

 俺は心の中で『異世界わからないリスト』の一行に彼女の歌をそっと付け加えていた。

 この歌詞の直後、曲はサビへ突入する。自然とそこかしこから彼女の愛称を叫ぶ声が上がる。

 

「「エミリンーーーー!」」

「おっしゃああああああ! もっと上げ上げでいくわよーーーーっ!」

 

 アカなんとかさん、やたらテンション高いですね。一人だけ声が埋もれずにすごい勢いで聞こえてくるよ。

 

 そしてもう一人、違う意味で一際目立っているのがいた。

 その人は彼女風のコスプレに身を包み、黒い髪を肩の辺りまで伸ばして――いや、あれはたぶんカツラかな。

 女の格好をしているけれど、身体の肉付きからするとおそらく男の若い人だ。

 そんな彼が、何度もエミリの名を叫びながら、全力で称えるような感じで踊っている。熱く激しく。

 何と言っても動きのキレが素晴らしかった。本職のアイドル、ステージ上の彼女にだって負けていない。

 見事なオタ芸と感心するしかない。普通のダンスとかやってもとても上手いんじゃないだろうか。

 ただし、扇風機もかくやの手足の動きっぷりなので、彼の近くは立ち入り禁止区域である。

 二度目のぶちまけが入る。

 

「さあ、お前のはらわたをぶちまけろ!」

「「ぶちまけろおおぉおおお!」」

 

「ぶちまけろおおおおおお!」「ぶちまけろー」

 

 リクの叫びが一回目より大きい。超楽しそうだ。

 俺もノッてみたけど、いまいち気持ちが乗り切れていない気がする。

 こういうのってつい圧倒されちゃって、見てるだけになりがちだったりして。そういう人も結構いると思うけどね。

 

 そんな感じで、最高潮の盛り上がりを維持したまま、気が付いたらあっという間にライブは終わっていた。

 

「いやあ。楽しかったですねえ」

「楽しかったね」

「でもユウさん、あんまり合いの手入れてませんでしたよね」

「俺、こういうの結構見てるだけで楽しいんだよ。空気を楽しむって言うのかな」

「へえ。そういうタイプですか」

 

 これは本心だ。

 よく言えば穏やか。流されているだけとも言う。

 

「よーし。元気出てきた。就活もがんばるぞー」

「その調子その調子」

 

 ライブの前までは憂鬱気味だったリクも、すっかり元気が戻ったようで何よりだ。

 

 そのとき、ばらばらになって帰ろうとしていた観客たち――つまり俺たちのところへ、大きな箱を胸に抱えた少女がやってきた。

 病気のハルほどではないが、線の細く頼りなげに見える。年端もいかない少女である。

 彼女は口の端をきゅっと結んで、表情はこの場に似つかわしくないほど硬い。

 箱をきちんと見れば、この世界の文字で募金箱と書かれている。

 きっとライブが終わって気分の良い人がたくさん集まっているところを、狙い撃ちしようという魂胆で待ち構えていたのだろう。

 

「募金をお願いします! 皆さんのお金が、夢想病で苦しんでいる人たちを救ってくれるかもしれないんです! お願いします!」

 

 彼女は人の帰る流れの脇に立ち止まって、懸命な呼びかけを続けていた。

 ところが、ライブで手拍子の呼びかけにはあんなにノリノリで応じていた人たちは、こちらの呼びかけには目もくれなかった。

 少女は人々の冷たさにもめげず、健気に声をかけ続ける。

 彼女は見た目も決して悪いわけではないし、声もよく通っている。若干頼りなさそうに見えるところが、むしろ進んで同情を集めそうなものだけど。

 それでもまったく相手にされないのは、募金対象が夢想病だからだろう。

 これが手術をすれば治る難病程度のものであれば、気前良く金を出す人もいたかもしれない。

 しかしながら、不治の病としてあまりに有名な夢想病では相手が悪い。

 少なくともこの場において、万に一つ無駄金にならない可能性に賭けようという酔狂な人はいないようだった。

 俺とリクは、何となくそこから動く気にもなれないで、しばし彼女の様子を見つめていた。

 

「あの子、ずっと呼びかけてますね」

「そうだな」

 

 俺と同じく、リクにも思うところはあるようだ。

 俺の次の行動をどこか期待して待っている。

 

「ちょっと行ってみようか」

「はい。恵んであげるんですね」

 

 彼の顔がほっとしたようなものになる。期待そのままの答えだったらしい。

 だが俺はやんわりと首を横に振った。

 

「いや、まずは話を聞いてみて。それからだよ」

「うーん。そうですか」

 

 募金というものは中々厄介だ。集めている人がまったくの善意でそれをしていたとしても、用途が健全であるとは限らない。

 地球でもよくあるケースとしては、慈善団体とは名ばかりの私欲に塗れた資金集め。知らぬうちに暴力団等の資金源にされていることもある。

 真か偽か。何にせよ見極めは必要だし、一人は治したことのある俺なら、単に金を提供する以上のことができるかもしれない。

 そんなことを考えている隙に、動きがあったらしい。

 

「彼女、ステージの方へ行きましたよ」

 

 リクの報告を聞いて目を向けると。

 募金少女は何を決意したのか、無謀にも撤収作業を続けているステージの方へ歩いていくではないか。

 気付いたスタッフに呼び止められても、その足を止めることはない。年の見かけに寄らず度胸が据わっている。

 でもあまり強引だと警備員が飛んできて捕まるんじゃないか。

 既に警戒態勢だ。危なっかしくて見ていられない。

 そうして、予感した通りになろうとしていた。

 二人の男の警備員が、彼女の肩を後ろから掴んで引き留める。

 彼女は身をよじって抵抗したが、男二人に抑えられてはとても前に進まない。

 それ以上の乱暴は何もされていないし、正当な行為なので俺も手を出せない。

 リクは息を呑んで、事態の進行を見つめている。

 

「お願いします! 夢想病のために、あなたのお心を!」

 

 取り押さえられつつも、彼女はあくまで必死に訴えかけていた。

 その相手はもちろん、スタッフが壁となっている向こうに佇むステージの主役だ。

 

「あっ、エミリンが!」

 

 いつの間にかファンに毒されてエミリン呼びになっていることはさておき。

 アイドルは顔をしかめつつも、「あなたは下がっていて下さい」と言うスタッフを払って、募金少女へ歩み寄っていった。

 髪も服も乱れて、しかし堂々とした態度で改めて頭を下げる少女。

 エミリはそんな彼女に目を細めて、

 

「ごめん私、次の仕事あるから」

 

 ステージの上の可愛い笑顔はなかった。

 ぶっきらぼうに冷たく、刺さるような印象の言葉を投げかけて。

 しかしそうは言いつつも、一応財布は取り出して。

 お札を――100ジット札を一枚掴み、箱に放り入れていた。

 

「ああ。ありがとうございます!」

 

 終始嫌な顔を向けるスタッフと、もう募金少女には一瞥もくれずに去っていくエミリ。

 結果として、少女はお咎めなしに募金を掴み取ったのだった。

 あくまで歩みを止めず、執念で訴えかけたこと。

 面倒な人だと思わせて、嫌々ながらもアイドルを動かした。彼女なりの勝算だったのかもしれない。

 

「アイドルの裏顔、見えちゃいましたね……」

 

 リクは軽くショックを受けたようで、「僕のエミリン……」と小声で肩を落としていた。僕のなんだ。

 そんなピュアハートブレイクな彼の肩を軽く叩きつつ。

 確かに仮面が外れたというか、ちょっとだけ冷たい感じはしたけど。

 アイドルだし、本当に忙しいのだろう。あんな風に押しかけては仕方のない部分もある。

 ただきちんと100ジット札を箱に突っ込んでいった辺り、悪い人でもないのだろうな。

 それより、自分として気になったのは。

 リクやシルヴィアの中の人さんに会ったときみたいにはならなかった。

 生ライブを観ても、さっきのやり取りでも、ピピッと心に来るものがなかったのだ。

 彼女はおそらく「初めて」会った人だ。

 ぱっと見た感じや言葉遣い、歌詞のセンスだけを取ると、もしやミティの中の人なんじゃないかとも思っていたが。

 ここに来て、やはりどうも違うんじゃないかという気がしている。

 まだ気がするだけで確証はないのだけど。はっきりしたことは彼女に直接触れてみないとわからない。

 でもそれは無理な相談かな。男の俺がアイドルにでも触れようものなら、一発で御用だよ。

 

 エミリたちも去り、人もまばらになって落ち着いたところで。

 俺とリクは頷き合わせて、募金少女へ近付いていった。

 彼女は俺たちに気付くと、また表情を硬く引き締めた。

 

「募金をお願いします!」

「あのさ。ちょっと君の事情を尋ねたくてね。いいかな?」

「ユウさんって飛び込んでいきますよね」

 

 さりげなく茶々を入れてくる隣の人は無視して。

 こうして近くで見ると、まだまだ発達途上の身体付きに顔付きであることが明らかだ。

 下手しなくても中学生くらいなんじゃないだろうか。半分中学生みたいな俺と横並びで歩いても、絵的に違和感がない。

 何人もいるのならわかるけど。どうしてこんな未成年の子が、たった一人で募金なんかしているのだろうか。

 きょとんとこちらを見上げる少女に目線を落として、優しく尋ねてみた。

 

「たった一人だけで募金をしているんだね。理由を聞かせてもらってもいいかい」

 

 リクに揶揄されたが、こういう物の尋ね方をしてもあまり警戒心を強く持たれない程度には人当たりが良いみたいで。そこは重宝している。

 もう一度言うけど、半分中学生みたいなもんだからね……。

 

「ええ。それは……」

 

 いつも一瞥もらうだけで、そこまで突っ込んで聞かれたことがなかったのかもしれない。

 演技でなく、本当に返答に困ってしまったらしい彼女に、俺はゆっくりと言い聞かせるように続けた。

 

「君は誰で、夢想病のためにどうしてお金が必要で、何に使うのか。きちんと納得できたら、ぜひ募金したいと思うんだ。できることなら協力もしたい」

 

 俺は黒ジャケットの内側から取り出す真似をして、安心の無料マイロッカー『心の世界』からトレヴァーク紙幣を取り出した。

 100ジット札が30枚。アイドルが突っ込んだ額の30倍。

 少々嫌味たらしい気もするが、このくらいなら簡単に出せるよというポーズを取る。

 目の前に大きな餌をぶら下げれば、100ジットに身体を張った彼女のことだ。

 ぶっちゃけ自分でもいきなり札をちらつかせる奴なんてかなり怪しいと思うのだけど、思っても食いついて来るだろう。そう考えてのことだった。

 予想した通り、彼女の心は揺れて。目の色が変わった。意識が話す方へ傾いた合図だ。

 そこの機微を察して、絶妙なタイミングで名乗り出る。

 

「俺はユウ。こう見えて、店を営んでいる社会人だよ」

 

 別に嘘は言っていない。まあラナソールのことだけど。

 

「君は?」

 

 先にはっきり名乗ることで、相手も名乗らなければいけない気にさせる効果がある。

 切り出す間と噛み合えば立派な有効打だ。

 彼女も名乗ってくれた。

 

「私……シェリーです。ピリー・スクールの2年生です」

「どこリーなの?」

 

 リクが口を挟む。

 今度こそ先輩風を吹かせられる気がしたのか、ちょっといい顔だ。

 

「ローアンダンですけど」

「おお! オナリーじゃん!」

 

 ……えーと。

 それを大声で言うのは……何となくやめてくれないかな?



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70「トリグラーブの街へ行こう 3」

 募金少女の名はシェリー・マルシェと言った。

 ラナソールの人たちと一緒で、名姓の順である。

 俺もリクも姓名の順だが、トレヴァークには普通にどちらもいるんだな。

 よくよく話を聞いてみると、重い事情があった。

 両親を三年前に夢想病で亡くしてしまい、それから夢想病をどうにかしたいと思って色々と活動を始めたらしい。

 将来は自分が医者になって夢想病を治そうと勉学にも励み、成績もクラスで何度かトップを取るくらい優秀なんだとか。

 生活はどうしているかというと、今は両親の遺産で食い繋いでいるのだという。生活援助の申請もしていて、義務教育であるピリー・スクールの学費は無料になっている。

 ただ親戚に引き取り手はおらず、地球で言えば中学生の年齢で一人暮らしをしていると。

 俺も地球にいたときは一人暮らししてたから苦労は何となくわかるけど、それでも当時高校生にはなっていたしな。中学生で女の子で一人暮らしって、相当大変なんじゃないだろうか。

 彼女の身の上話に、先輩面してやろうとか考えていたと思われるリクのトーンは下がっていき、しまいには瞳まで潤ませて同情的になっていた。

 

「たった一人で、なんて健気なんだああ」

「いえ。まあ、一人には慣れていますから」

「事情はわかったよ。苦労してきたみたいだね」

 

 助けてあげたい気もするけど、生活はちゃんと成り立っているみたいだし。

 一人暮らしじゃあれだからって初対面の俺が面倒見るのも変な話だしな。むしろ危ない人と思われそう。

 でもここまでの話だと、募金のことには何も繋がっていない。そこをしっかり聞かないことには。

 

「それで、募金は何のために?」

「医薬開発基金に投資しています」

 

 ドムスリーという医薬開発基金を通じて、エクスパイト製薬の研究開発援助をしているらしい。

 エクスパイト製薬と言えば、ラグル都市連合において第三位の規模を持つ巨大製薬会社じゃないか。

 大企業特有の黒い噂もちらほらあるものの、基本的には普通の会社だったと思う。本屋で得た情報に基づけば。

 ただ、そのドムスリーとかいうのは聞いたことがないな。ちゃんとしたところなんだろうか。

 そもそも俺しか知らないことではあるが、夢想病は通常の医療行為ではおそらく治すことができない。

 心のリンクが切れていることが問題なのであって、身体の問題ではないからだ。どんな薬も手術も効きはしないだろう。

 それを言うべきか言わないべきか。何も知らず健気に頑張っているこの子を、下手に傷付けたくない気はするけれど。

 だが不正解とわかっていて、その方向に人生を捧げようしている人を見過ごすのは不誠実だ。彼女にとっても真の意味で不幸に違いない。

 今いきなり事実を言っても理解してもらえないだろうから、タイミングを見計らって気付かせるのが良いだろうか。

 

「私、本当はもっと何かしたいんですけど……。このくらいしか思い付かなくて」

「頑張ってると思うよ。立派な心掛けだ」

 

 俺はシェリーの目を見てしっかりと頷きかけた。

 彼女の頬が少し緩んだ。

 

「ところで、ドムスリーにお金を渡すときはどうやって」

「月に一回お姉さんが来て、募金箱を回収してくれるんです。いつもありがとうって言ってくれます」

「来て、それだけ?」

「はい。あ、ええと。その時々の募金総額なんかは、サイトで見られるようになってまして」

 

 トレヴァークの電話は、スマホのようにインターネットが見られる機能が付いているのがデフォルトである。

 彼女は画面を弄ってドムスリーのサイトを見せてくれた。

 確かに総額はきちんと載っている。ありがとうの文字と一緒に。

 だがサイトデザインも活動履歴もまるでお粗末なものだった。肝心なお金の流れがさっぱり見えてこない。

 うーん。どうも怪しい匂いしかしないぞ。募金なんてそもそも割と怪しいのがほとんどだけど。

 

「なんか怪しくないですか」

 

 リクが思ったままのことを代弁してくれた。

 

「そうですか? 私これでも一応、ちゃんと調べてますよ。エクスパイト製薬の方でも、ドムスリーから募金を受け取った旨のことが書かれていまして」

 

 今度はエクスパイト製薬の募金感謝のページを見せられた。

 そこには確かに、研究資金を受け取った旨のことが書かれている。

 しかし情報が落ちていて、総額が記録されていない。

 ということは、お金自体はきちんと行っているということなのかな。

 いくらか、いや大分抜かれてそうだけど。

 

「やっぱり私、まだ学生なので。このくらいしかできることがなくて……」

 

 彼女は顔を落とし、心持ち沈んでいるようだった。

 あれこれ尋ねたのが、きつく問い詰められているように感じてしまったのかもしれない。すまない。

 

「いかがでしょうか。ユウさんは、募金して下さいませんか?」

「そうだな……。額が大きいから、今君に持たせるのは危ないかも。今度の募金箱回収のとき、君の横で立ち会わせてもらえないかな?」

 

 こうなったら、直接この目で見極めるしかないだろう。

 知らない人相手に心を読む力の効果は薄いが、悪意ある者とそうでない者の見分けくらいはつく。

 

「大きいと言いますと?」

「5000ジット出そう」

「マジすか」

「マジだ」

 

 額の大きさに口を押えてびびるリクに、真顔で返す俺。

 このやり取り何回目だろうか。ちょっと癖になってきたかも。

 5000ジットは安くないが、釣り餌だ。

 あまり額が大き過ぎると、向こうも驚くか怪しむかもしれない。逆に小さ過ぎては心を動かせない。

 少しだけ俺に興味を持たせる必要があるのだ。その心の動きで善し悪しがわかる。

 

「そんなにですか!? ありがとうございます!」

「うん。俺も夢想病は何とかしたいと思っているからね。次の回収はいつになるんだ」

「私の家で、十日後だったと思います」

「よかったら、君とドムスリーの連絡先を教えてくれないかな」

「あ、そうですね。交換しましょう!」

 

 シェリーは快く番号とメアド交換に応じてくれて、今日のところはそれでしまいになった。

 リクと一緒で、素直でいい子だ。

 賢いんだろうけど、まだまだ世の中を知らないというか。若干心配になるようなところはあるけれど。

 普通にお金が使われていればそれでいい。だがもしあの子の善意を食い物にしているとしたら、ちょっと何とかしないといけないな。

 それにゆくゆくは治療に意味のありそうな方向に向かわせてあげないと。

 彼女が見えなくなるまで歩いた辺りで、リクはやれやれと肩を竦めた。

 

「ユウさん。一仕事しなきゃなって顔してますよ」

 

 リクはいつもよく観察しているのか、俺の変化には敏いところがある。

 俺は頷いた。

 

「ああ。裏を取ろうと思っている」

「やっぱり。怪しいですもんね。僕も付いてきていいですか?」

「どうしても来たいんだろう? けど危ないと判断したら、その先は俺だけで行くからね。危険に首は突っ込まない。それだけは守ってくれよ」

「わかりましたよ。ユウさんうるさいですからね」

 

 リクは、すっかり相棒気分でにやりと歯を見せ、俺の肩を叩いた。

 こうして横並びで立ってみると、エジャー生である彼の方が肉体年齢16歳の俺よりもほんの少しだけ背が高いものの、ほとんど変わらない。

 立派なコンビのように見えなくもなかった。

 ……本当は心配なんだ。

 身の程をわきまえない好奇心が、彼を裏切りはしないかと。傷付けはしないかと。

 けどリクは、俺と付き合うようになってから目が変わった。初めて会ったあの日より、ずっと生き生きしているように見える。

 心配が過ぎて何もかもから遠ざけることだけが、年長者の役目ではないだろう。

 まだ青い部分は目立つが(俺も人のことは言えないけど)、年齢的にはリクも立派な大人。自分でものを考えて行動できる人だ。

 俺がしっかりしていよう。支えてあげよう。

 俺との「旅」は、リクにとっても得難い糧になってくれるはずだ。

 

「あとユウさん、さりげなく彼女の番号ゲットしてましたよね」

「君の頭はほんとそればっかりだね……」

「へへへ。男ですから」

 

 ふざけて、キリっと顔を決めてきた。

 俺がついじっと見つめてしまったので、彼は顔を戻すタイミングが見つからずに、にらめっこ状態になってしまった。

 数秒以上は耐えたが堪え切れず、同時に吹き出して笑い合った。

 

 ――いいよな。その真っ直ぐな生き様、少しは見習いたいものだよ。

 

 俺も真っ直ぐ生きてきた方だと思うけど、色々考えるようになっちゃったからなあ。

 何も疑わずに信じられたあの頃には、もう戻れない気がする。

 

 

 ***

 

 

 その頃デスストーカー、ミクモ シズハは。

 

「ホシミ ユウ……なんて恐ろしい、やつ……」

 

 この私を出し抜くのに、これほど最適な場所に誘い込むなんて。

 

 尾行は人が多いほど紛れやすいが、あまり多過ぎてもターゲットを見失う恐れが高まる。

 この店は込み過ぎだった。

 しかも彼女の仕事衣装は昼の明るい店内ではかえって目立つし、当然武器も持って来られない。

 だから私服に着替えてまで追ったのに……あっさりと気付かれた。

 

 そして、何よりも恐ろしいのは。

 

「ゲーミングキーボード……新型……欲しい……」

 

 彼女は、タナキアンでお買い物を楽しんでいた。

 

 

 ***

 

 

 さて、リクの家に帰って来まして。

 彼は早速買ってきたものを紐解いて、試しにフルセットで着替えてみることにしたのだった。

 一つ一つのそわそわした動作から、高揚した気分が見えるようだ。

 やがて白のモップと名前入り銀バッジの正装に身を固めたリクは、姿見の前でピシッと胸を張っていた。

 

「ま、こんなものかな。どうですか?」

「ばっちりだよ」

「ほんとありがとうございます。大事にしますね!」

「そうしてくれると嬉しいな」

 

 それから、何度も姿見とにらめっこしつつ。髪も弄りつつ、何度も何度も自分の姿を確かめて。

 ちらちらとこちらも窺うように見て来て。俺もその度に頷いてあげた。

 はは。子供みたいじゃないか。本当に気に入ったようで何よりだ。

 

「あ、そうだ。ユウさんも着てみますか?」

「え?」

 

 急に振られた。なんで俺が?

 

「ほら、僕とそこそこ背格好似てるし。どんなものかなあと」

「でも、別に俺は使わないしな」

「いいですから。物は試しですって。僕としても、ちょっと興味あると言いますか」

「なんで? うーん……」

「いきますよ。それ!」

「あ、こら!」

 

 押されるがまま、モップを羽織らされて。なし崩し的に着替えることになってしまった。

 そして。

 

 ずーん。

 

 姿見の前の俺は、それはもうひどい有様だった。

 何しろ袖は余ってるし。首から下は大人の装い、首から上は童顔の高校一年生。

 いくら身体を鍛えてあっても、元が細身じゃ張りは生まれない。

 筒を通したような俺の姿に、リクは腹を抱えて大爆笑の嵐だった。

 

「あっはっはっはははははは! やばいっす! ちんちくりんのお人形さんみたいですよ! ユウさん!」

「リク……。お前さては、最初からからかうつもりだったんだな!」

 

 確かに全然似合わないけど!

 半分子供の身体じゃ、大人向けのスーツには着られてるみたいな恰好になっちゃうんだよな。

 予想できてたことなんだから、ホイホイ口車に乗らなきゃよかったよ!

 

『にやにや』

 

 もう一人、向こうの世界から楽しそうに観察するお姉ちゃんがいた。

 

『そうやって時々俺の様子を観察してはにやにやする』

『ユウの観察が生きがいなので。ふふ。まあいいんじゃない? かわいいよ』

『もう……』

 

 パシャッ! パシャッ!

 

 連続でシャッター音とフラッシュが飛んできた。

 はっと意識を現実に戻すと、リクがスマホ型電話を構えている。

 

「こらっ! 写真撮るなって!」

「いいじゃないですか。もう。笑った方が良い画になりますよ。一の次には~」

 

 に~、じゃない。

 ほう。やってくれるじゃないか。

 昔から弄られまくって、女子にはちょっと苦手意識あるけどね。

 別にお前なんか平気なんだよ。もう勘弁しないぞ。

 

「リク、覚えてろよ。晩御飯、嫌いなトニッシュをたっぷり入れてやるからな。とびっきり苦いやつ」

「げっ。それはやめて下さいよ!」

「残さずきちんと食べるんだぞ」

 

 俺はとびっきりの笑顔で言ってやった。たぶん目は笑ってない。

 

「わああっ! 調子こいてすいませんでしたっ!」

 

 許しませんでした。

 リクは泣きながら、でもおいしいって食べてくれたよ。

 栄養たっぷり野菜の王様だから、一人暮らしで栄養偏りがちなリクにはかえって良かったんじゃないかな。

 

 晩御飯もとってしばらく談笑したところで、俺はラナソールへ戻ることにした。

 まだまだ仕事は残ってるからな。次に来るのは何日か後になりそうだ。

 

「そろそろ帰ることにするよ」

「また来て下さいね。あ、でもいきなり現れるの心臓に悪いんでやめて下さいよ」

「善処はするけど、悪いな。緊急だったりすると、そうもいかないかも」

「まいったなあ」

「じゃあ、なるべく朝の8時くらいは大丈夫なようにしておいてくれ。いつもはその時間に来るようにするから」

「えー。はーい、わかりましたよ。しょうがないなあ」

 

 憎まれ口叩きながらも付き合ってくれて、ありがとうな。

 

『ユイ。そっち行って大丈夫か?』

『大丈夫だよ』

 

 よし。

 

「またな」

「はい。また」

 

 うん。今日は中々楽しかったな。

 

 

〔トレヴァーク→ラナソール〕

 

 

 ――ここは。ユイの部屋みたいだな。

 

 あれ。ユイは?

 

 急に後ろから、むにゅんとした感触が襲って。

 

「わっ!」

「わああああああっ!」

 

 うわ、なんだ!? って、ユイか!

 

「びっくりしたじゃないか……」

「あはは。おかえり」

「ただいま」

 

 ほんともう。驚かすなよ。

 何が大丈夫だよ。からかい好きなんだから。

 しかも俺をどぎまぎさせようとして、また妙に薄い恰好してさ。二段構えか。

 その手にはもう乗らないぞ。

 俺は頑張って、ユイの顔以外は視界から外した。

 

「ふふふ」

「何にこにこしてるんだよ」

 

 ちょっとむっとして答えたが、ユイは笑顔を止めない。

 

「ユウとリクってどこか似てるよね。いいコンビだと思うよ」

「そうかな?」

「うんうん。驚いたときとか、そっくりだったよ」

 

 やっぱりか。自分でもなんか似てる気がするんだよなあ。

 だからほっとけないというか。

 というか、それを知ってるってことは――見てたのか。

 

「え、見てないよ?」

「見てただろ」

「見てないよ?」

 

 全力で目を泳がせているユイに対して、やんわりと白状を促した。

 

「どうでしたか」

「……男は大きさじゃないと思うの」

「ありがとう」

 

 二人で肩を叩き合い、リクのことはずっと黙っていてあげることにした。



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71「激熱! 大魔獣討伐祭! 1」

 レジンバークは、異様な活気に包まれていた。

 それもそのはず。この日は年に一度の大魔獣討伐祭。

 この時期、レジンバークより遥か北、ダイバルスポットで大量に魔獣が発生する。そいつらを駆除するため、幾多の強者たちが一堂に会する。彼らの雄姿を生で見られる貴重な日なのだ。

 この日ばかりは、冒険者も富豪も各自の所有するワープクリスタルを持ち寄って、冒険者ギルドに貸し出す習わしになっていた。

 集まったワープクリスタルは、レジンバーク外周門の一か所に大量に並べられ、即席のポータルが出来上がる。

 ギルドの職員は総出で、ダイバルスポットへの誘導を行っていた。まだ朝の8時だと言うのに、端が見えないほど長蛇の列でごった返している。

 

「すごい熱気だなあ」

「ほんとにね」

 

 俺とユイは外周壁の上に並んで立ち、額に手を添えて人の流れを見つめていた。外周をぐるりと取り囲むように隙間なく人が詰まっており、ところてんが押し出されるように、少しずつ人が流れていく。

 遠くからでも楽しげな人の声が風に乗って耳に届く。聞いていると、こちらまで胸が弾んできそうだった。

 壁の下からは、ミティが笑って手を振ってくれている。俺たちも笑って手を振り返した。

 

「レンクスは出ないんだね」

 

 いつの間にか、ユイ越しの二つ隣に立っていたレンクスに、顔を向けて言った。

 

「まあな。俺が出たら勝負にならねえだろ」

「俺も同様の理由だな。祭りを壊してしまう」

 

 レンクスのさらに奥で、ジルフさんが静かに頷く。

 ぶっちゃけこの二人のどちらかでも出ることになったら、まともな勝負になる人がいないからな。納得だ。

 

「そのぶんユウのこと、客席でばっちり応援してるからよ」

「うむ。日頃の研鑽の成果を期待しているぞ」

「はい。頑張ります」

「エーナさんは? 戦闘タイプじゃなかったですよね」

 

 久々の魔法使いコスに身を固めて、ゆったりこちらへ飛んできたエーナさんに、ユイが尋ねる。

 確かにエーナさんなら、能力なしかつ許容性無制限のラナソールにいる今の状態であれば、そこまでこの世界のトップレベルとかけ離れた強さではないかもしれない。

 許容性が高いことは、元々許容性を超越した存在であるフェバルにとっては不利に働く。許容性の上昇に応じて力が上昇すること自体は、一般の人と変わらないものの、比して受ける恩恵は相対的に見ればずっと小さいからだ。

 まして無制限となれば、相対的には著しく不利な状況下に間違いない。おかげで信じられないことに、俺でもしっぽを掴めそうな位置に彼女がいる。

 フェバルと戦いになるのだ。この世界以外の場所ではほぼあり得ない好条件だろう。それでもまだ俺よりは大分強いんだろうけど。

 

「ほら、その。私が出たら、うっかりして大会が滅茶苦茶になってしまうかもしれないじゃない?」

 

 自嘲気味に苦笑するエーナさん。悪いけど超納得。

 

「そろそろいきましょうか」

 

 外壁の上から跳び降りて、ミティと合流する。

 彼女は右手に大きな重箱を提げている。彼女たっての希望で、全てが彼女のお手製で、昼休憩時に振舞われる予定だという。荷物になるし、俺がしばらく(『心の世界』に入れて)持とうかと提案したら、「大丈夫ですぅ」と軽くあしらわれてしまったので、そのままにしている。まあ彼女が作ったものだし、自分で持っていたいんだろうな。

 さて、会場であるダイバルスポットへ行く方法だけど、一般客と同じように並んでいては時間がかかり過ぎてしまうし、開式に間に合わない恐れもある。参加選手は予め自力で来場するようにとの通達も来ている。

 心配しなくても、うちにはユイがいる。

 

「はい。みんな手を繋いで」

 

 ユイの合図で、全員が輪を作った。ユイ、俺、すぐに割り込んできたミティ、エーナさん、ジルフさん、そしてユイの隣は譲りたくないレンクスの順で手が繋がれる。いつものようにがっついてくるので、ユイはちょっと嫌そうに顔をしかめて、結局は彼の手を繋いだ。

 

《転移魔法》

 

 一瞬の浮遊感がして、先だってマーキングしてあったダイバルスポットの一地点に着地した。

 

「わあー! わたし、実際放送では見てたんですけど、生で見たのは初めてですよぉ!」

 

 ミティが感激の声を上げて、辺りを見回している。

 ダイバルスポットは分類上高原と呼称される地ではあるものの、レジンバークのすぐ北に広がっているリーダム平原のように、なだらかな地帯ではない。

 色とりどりの草の生えた平地の合間に、スポットという浅い円形の窪地が、ほぼ等間隔に、まるで判を押したように存在している。スポットは平地とはうって変わって、褪せた灰色の、死の香りが漂う空間である。

 また浅いとは言っても、スロープ状に下っていくと結局高低差は数十メートルほどはあって、遠くの窪みになると影になってしまって底がわからない。

 普通の草地に不自然な穴がぼこぼこ空いているようで、気味が悪いと正直思うのだが、この世界の人には物珍しい光景に見えるらしく。地味に人気だったりする。

 ともかく一目見ただけで印象に残る、極めて特殊な地形と言えよう。

 ちなみに、ラナクリムにおいてここに対応している地形は、魔獣ノ原という。こちらはスポーンブロックから一定時間毎に魔獣が発生して狩りを行うことが出来る、いわゆるレベル上げ用の修行場なのであるが。しかしこんな不気味なでこぼこした地形ではなく、普通の高原だった。

 もう予想が付くと思うが、向こうで言うスポーンブロックに当たるものが、スポットという奇妙な空間なのである。毎年この時期になると、各窪みにいつの間にか魔獣がうじゃうじゃ沸いている。大きなスポットほど巨大な魔獣が発生する傾向があり、特に巨大な十二のスポットからはSランク相当以上の魔獣が発生する。

 こいつらを一気に狩るのが今日のイベントだ。

 

 はしゃぐミティを横目に、レンクスは面白くなさそうに一点を見つめていた。

 

「何とも不気味な場所だな。おい」

「レンクスもそう思う?」

「作られた場所みたいでよ」

「そうだな」

 

 ラナソールが自然な世界であり得ないという証拠は、既に挙げ切れないほど上がっている。この場所もその一つ。

 ユイの分離、リク-ランドパスの実験から示唆されることは、ラナソールは心の要素が支配的な世界であること。

 夢想の世界だとハルは言った。本当にその通りなのかもしれない。みんなの夢の総体がこの世界を形作っている。だから現実離れしているし、ここの住人も変にはっちゃけているのが多い。

 夢だから。

 もっともらしい説明だし、俺もそれに近いところで間違いない気がしている。

 だがそうだとして、この世界が所詮夢に過ぎないと斬って捨てるには、あまりに多くのことが現実化し、そしてトレヴァークにまで影響は食い込んでいる。再三考えた通りだ。そしてなぜこのような壮大な現象が起こっているのかは、未解決の問題である。

 このまま放っておくわけにはいかない。放っておけば、トレヴァークが夢想病で滅んでしまうかもしれない。

 だがどこに解決の手がかりがあるのか。実は今日も楽しむことが第一目的ではあるけれど、裏ではいつも手がかりを探していたりして。

 

 ふと以前、エルンティアでも世界の謎を追ったことを思い出す。

 結局あれはとても悲しい真実だったが、違う意味では幸運だったのかもしれない。

 「悪者」がいて、そいつを倒せば済む話だったから。……システムはともかく、オルテッドをただの悪者だとは、どうしても思えないけどね。かえって本当の民族対立感情から生じた紛争ならば、あれほど丸く収まりはしなかっただろう。

 今度は……違うかもしれない。「悪者」など、いくら探したっていないかもしれないのだ。

 そのとき、俺は何をすべきなのだろう。何が出来るのだろう。色々なことがわかってくるにつれて、かえって頭の隅がもやもやしてくるんだよな。

 

「ユウ」

「ん?」

「また難しい顔してる」

「ああ。ごめん」

「ほら、リラックスだよ」

 

 ユイに咎められて、肩を叩かれてしまった。

 

「そうだね」

 

 一度考え出すととことん考えてしまうからな。癖というのは直らないもので。

 気分転換に伸びをして、思い切り息を吸ってみる。こんな不気味な場所でも、空気はおいしい。

 ずっと向こうでは、ワープクリスタルが絶え間なく光をチカチカと放ち続けていた。後から後から大量に人がなだれ込んで来る様子が映る。

 彼らの熱に【器】が当てられて、心があったかくなってくるのを感じていた。

 

「よし。今日は思いっきり楽しむぞ!」

「おー」

 

 俺とユイも、他のみんなもはしゃぐミティに混ざって、向こうの会場まで走り出した。

 

 

 会場に着くと、既にギャラリーと選手のグループに分かれて固まりつつあった。選手の方には、ギルドで見知った顔もちらほらいる。

 しばらく話していると、開始時間が近づいてきた。ミティがハグをしてくる。

 

「じゃあわたし、応援してますからね! もちろんユウさんだけを見てますから!」

「あ、ああ。どうもな」

 

 いつものように迫られて困ってしまう俺を見て、レンクスが吹き出すのをこらえている。いやもうほとんど笑っていた。お前後でちょっとだけ覚えてろよ。

 

 さて、大魔獣討伐祭は誰でも観戦出来る一方で、選手は誰でも参加出来るわけではない。無用な死亡事故が起きないよう、最低限の実力が必要とされ、参加資格が設けられている。具体的には、

 

①現役のギルド所属者であり、Bランク以上の者

②引退したギルド所属者もしくは非ギルド所属者であり、ギルドが指定した選抜試験にてBランク相当以上の成績を修めた者

③その他、特別にギルドが認めた者

 

 となっている。

 ①は言うまでもなく、当然に参加資格を得られる実力者だ。この大会で好成績を修めると名を売れることもあって、多くの者が進んで参加してくる。なお、万一の事態に備えて、Sランクは原則としてローテーションで最低数年に一度参加が義務付けられている。

 ②はいわゆる一般参加枠というやつで、参加すること自体が宣伝になるため、プロフィールに宣伝情報を書いて参加してくる人が多い。たまにネタで変な名前にしてくる人もいるのはご愛敬。重犯罪者でなければどんな人も実力あれば拒まずという体制なので、中には危ない感じの人も混じっている。

 ③についてはかなり条件が厳しく、世間に顔や実力を知られているギルド非所属者に対して、あくまで特例として認めているものだ。

 俺はもうギルド所属ではないが、元Sランクであったこと、そして何でも屋の依頼でSランク級の依頼をいくつもこなしていた実績があったので、③の特例として参加を認められることになった。

 本当は、ユイと一緒に参加したかったのだけど……。

 

「私、解説席に呼ばれることになっちゃって。あまり贔屓は出来ないけど、ちゃんとユウのことも見てるからね。頑張って」

「うん。しょうがないね」

 

 ということで、ユイは今回解説役として祭りを盛り上げる役割を担うことになった。いつの間に、これほど大きな大会の顔を任せられるまでになっていたのだろうか。

 聞くところによると、俺のいない間も『アセッド』の看板として、着実に人気を稼いでいたらしい。老若男女問わずファン層が厚くなって、解説役ならぜひユイをとの希望の声が殺到したのだとか。

 すごいじゃないか、と言ったら顔を赤くして照れていた。

 

 そして、実況と言えばこの人。

 

「レディースアーンドジェントルメーン! とうとう待ちに待ったこの日がやってまいりましたーーーーっ! 大魔獣討伐祭、始まるわよーーーーーっ!」

「「わああああああああーーーっ!」」

 

 受付のお姉さん! なんかもうこの期に及んで受付のお姉さんで通ってるし、みんな当たり前のように彼女が司会でOKしてるし、色々とわけがわからないけどいいや。気にしたら負けだ!

 お姉さんが隣だと大変だと思うけど、頑張れユイ。あ、早速もう困った顔してる。

 

「さあさあ、今年もそうそうたる顔ぶれが揃ってくれました! 例年よりもかなーり充実しているんじゃないかしら!? いやあもうお姉さん、今からわくわくして心臓飛び出ちゃいそうですよ~!」

 

 そこから軽妙なテンポのトークで、場を盛り上げていくお姉さん。一体どこで身につけたんだろうかそのスキル。申し分もなくプロの仕事だった。

 

「申し遅れておりました。司会・進行はわたくし冒険者ギルド所属、受付のお姉さんと」

 

 マイクで拾えるくらいすうーっと勢いよく息を吸い込んで、大音量で吐き出した。

 

「もう一人解説役には、スペシャルなゲストにも来て頂いております! 何でも屋『アセッド』の副店長、みんなもお馴染み、食堂のお姉さん! ユイちゃんです!」

「「おおおおお!」」「「ユイちゃーん!」」

 

 こっちがびっくりするほどの大規模ファンコールが上がった。

 そしてどっかの馬鹿が飛び上がって、「ユウユイLOVE♡」と、これまた日本語と英語を知らないとわからない垂れ幕を垂らしている。ああ、俺も入ってるんだ。複雑。

 ユイは少し困ったように愛想笑いを浮かべて、みんなに向かってにこやかに手を振っていた。

 

「「かわいいよおおおお!」」「「愛してるううううううう!」」

 

 多数の愛、剥き出しの情欲がただ一人に注がれている。俺だけのパートナーだったのが、いつの間にかみんなのアイドルになっているわけで。

 今までの世界じゃ表にさえ出られなかったのが、日の目が当たって嬉しいんだけど。みんなから愛されて嬉しいんだけど。

 ……あれ。なんだろう。ちょっとだけ胸の奥がチクッとするような、この感じ。

 うわ。自覚すると思ってたより心に来るなあ。

 ごめん。ユイ。君の嫉妬する気持ちが少しわかった気がするよ。

 

 さすがのユイも、観衆に当てられては念話を飛ばす余裕はないようだった。

 

「じゃ、一言よろしく」

 

 出た。受付のお姉さんお得意のいきなりの振りだ。

 だがユイは、いつかの魔法料理コンテストでの俺の狼狽ぶりを見て予想していたのか、さほど慌てなかった。

 ユイもこういう場で上がってしまうところは俺と一緒なのだが、姉気質なのか、しっかり者でなければという自負が普段からある分違うのか。すらすらと口上を述べていった。

 

「えーと。ユイです。本日はありがたいことに、皆さんの要望もあって解説役として参加させて頂けることになりました。こういう役回りは初めてなので、お見苦しい点も多々あるかもしれませんが、精一杯やってみるつもりです。ぜひ皆さんと一緒に大会を盛り上げていきたいと思っています。よろしくお願いします!」

「ありがとうございました! 以上、この二名でお送りします!」

 

 会場は割れんばかりの大歓声に包まれる。耳が驚くほどの拍手も鳴り響いた。あとレンクスが上空で愛を表現しててうざい。視覚的に。

 声が落ち着いてきた絶妙の間で、受付のお姉さんは冗談めいた口調でそそのかした。

 

「あ、そうそう。いくら可愛い弟が出てるからって、贔屓はやめて下さいよ~」

「わかってますってば」

「でもやっぱり、ちょっとだけ応援しちゃう?」

「まあ……それなりに」

「おーっと! 早速のろけが飛び出しましたよ!」

 

「「ひゅーひゅー!」」「「ちくしょう、羨ましいぞおおお!」」

 

 観衆の目が俺を探して右往左往している。俺は恥ずかしくなって、冒険者の集まりの中へ身を潜らせた。

 でもわかってはいたけど、ユイはしっかり俺を見てて。改めて言われると、安心したというか。嬉しいなというか。

 

「では、茶番はこのくらいにしまして。ぱぱーっと選手紹介といきたいのですがっ! ちょっとですね~、数が多過ぎるので一人一人は紹介出来ません! ごめんなさいね。お手元のパンフレットに記載されていますので、そちらを見て下さいね」

 

 お姉さんの言葉に従って、多くの人がパンフレットに目を下した。

 そう言えば、俺もまだ見てなかったな。見なくてもかなりの数だってことだけはわかるけど。

 どれどれ。

 

 

 出場選手一覧

 

 ああああ(Bランク相当)

 アーク・ドライゼン(Bランク)

 ありのまま団一般選抜(3名)(Bランク相当)

 アルバス・グレンダイン(快鬼、Sランク)

 アレマル・フィカロッテ(Bランク)

 イネス・ミリードール(ラビ=スタ大聖殿僧侶、Bランク相当)

 イナ・ハックルボワ(Aランク)

 ウーダン・シー(Bランク)

 エドガー・チャップ(Aランク)

 エミール・トライストーン(Bランク)

 エメリア・アマリー(Aランク)

 オーバ・ゲラルデ(ならず者街の王者、Aランク相当)

 オッコ・タン(Bランク)

 カイン・ロマネスティ(Aランク)

 カーニン・カマード(ありのまま団幹部、Aランク相当)

 カーラス・センティメンタル(ナサド守備隊長、特別参加)

 カッツェ・オプタル(Bランク)

 キラーD(Aランク)

 ギンド・マーシー(Bランク)

 クォマイ・ココレラ(喫茶店『ココレラ』マスター、Aランク相当)

 クラーク・ヘインズフォース(Aランク)

 ケーナ=ソーンティア=ルックルーナー(魔聖、Sランク)

 ケグゥア・ドラド(Bランク)

 結婚希望青年(Bランク相当)

 今年こそクリスタルドラゴン(2名)(Bランク相当)

 ゴン・イトー(拳双、Sランク)

 ゴーバン・フェザイド(カジノ『ニルベス』警備員、Aランク相当)

 ザナバシア・タカタン(Bランク)

 サンディ・ミッチェル(Aランク)

 シェイル・ヴァインズ(Bランク)

 シギン・ブルーメ(Aランク)

 シルヴィア・クラウディ(Sランク)

 シン・スペイドラ(Aランク)

 スクルト・ハターティヴ(Aランク)

 ストーク・ケイチ(Bランク)

 スレイ・アークフィリップ(Bランク)

 セナ・ミルトング(配達員、Sランク相当)

 セルフィン・ワットマン(Bランク)

 ソウ・コンケ(Aランク)

 ソン・フォン(Bランク)

 タオウェル・ゴロイ(エレザ子供道場師範、Bランク相当)

 タカヤ・ポーポリアム(Bランク)

 たのしい人(Aランク相当)

 チカス・エドウィン(Bランク)

 血祭りのジン(アルナディアソロ攻略中、Aランク相当)

 ツボミ・メイメイ(Bランク)

 デナー・タントマァム(Aランク)

 伝説になりたい男(伝説になり隊選抜代表、Bランク相当)

 トラッド・バッカード(飛空艇『アーマフェイン』プロジェクト、Bランク相当)

 トワレ・ガッシュマン(自称Sランクの男、Aランク相当)

 ナッカヤム・コークタッパ(Bランク)

 ナムネル・サクリムス(Bランク)

 ニード・カイ(Aランク)

 ニーン・ディッセルベイン(Bランク)

 ヌカンティ・ベレドーザ(Bランク)

 ネイレース・メネシア(Aランク)

 ノイン・ランデュー(アルナディア攻略パーティ『トートリアス』シーフ、Aランク相当)

 ハルティ・クライ(剣姫、Aランク)

 ヒンギス・ゾンダーク(Aランク)

 ブルネラ・ダボラ(富豪、Bランク相当)

 変態仮面Z(ありのまま団幹部、Aランク相当)

 撲殺フラネイル(一般人、Aランク相当)

 マ・ペレ(退役軍人、Bランク相当)

 マルオ・スパシー(キノコハンター、Aランク相当)

 ミッターフレーション来るよ(終末教、Bランク相当)

 ムルムル同盟(3名)(Bランク相当)

 メーア・ケイラー(フォートアイランド観光協会受付、Aランク相当)

 モコモコ同盟(3名)(Bランク相当)

 闇魔法愛好会(2名)(Aランク相当)

 ヤン・ナスター(Bランク)

 ユウ・ホシミ(何でも屋『アセッド』店長、特別参加)

 ユリィ・セイルホーム(魔法のパン屋『ユリィ』店長、Bランク相当)

 ヨアヒム・ライク(Aランク)

 ヨーデル・ハインデル(Bランク)

 ララァ・ツァルゥト(Bランク)

 ライタリアム・ケントラム(Aランク)

 ラクター・ハドルド(本屋『ハドルド』店長、Bランク相当)

 ラナ親衛隊(3名)(Aランク相当2名、Bランク相当1名)

 ラパン・ヴォッサム(Bランク)

 ラビィスライム最高(Aランク相当)

 ランド・サンダイン(Sランク)

 リーシア・ホックオーティ(Aランク)

 リリ・アルクンハート(Bランク)

 ルドラ・アーサム(奇術師、Sランク)

 ルンバー・ガルシア(Bランク)

 レオンハルト(剣麗、SSランク)

 レカーティア・ナクムラ(Aランク)

 ローズ・アミラージュ(Bランク)

 ログ・メディクエ(Bランク)

 ロベルト・アンザイブ(Bランク)

 ロロレラ・ロロロレル(Bランク)

 ワイマルパ・ヘクシアス(Bランク)

 ワッサモン・ナタカンダ(Bランク)

 ワニオ・カガニ(Aランク)

 ヲグド(終末教司祭、Sランク相当)

 ンン・ンバンダ(Bランク)

 

 有名どころが全員参加しているわけではないが、そうそうたるメンツだ。きっとランドもシルも、そしてレオンもすぐ近くにいるはずだ。俄然燃えてきたぞ。



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72「激熱! 大魔獣討伐祭! 2」

「それではルールの説明に入りたいと思います~!」

 

 受付のお姉さんがすらすらとルールを述べ立てていく。

 どうも魔獣の種類によってポイントが決まっていて、ポイントを一番多く獲得した人が優勝ということみたいだ。判定は監視魔法を使えるギルド職員たちが行ってくれるらしい。

 

「上位五名の入賞者には、なんとギルド酒場の無料食事券一年分と豪華限定装備品をプレゼントですよ~! 皆さんやる気が出てきましたかー!?」

「「イェーイ!」」

 

 ああ……どっちもいらないや。食事は提供する側だし、身軽の方がいいから装備とかしないタイプだし。もし取れたら、欲しがっている人にあげようかな。

 

「そしてそしてぇー! 優勝者にはさらに記念の楯が贈られ、しかも栄誉ある優勝者名簿にばっちり名を刻まれちゃいます!」

「「おおー!」」

 

 別にお金や特別な賞品があるわけでもないけれど、みんな優勝特典には一層色めき立っていた。

 冒険者という人種は、やっぱり実利よりは栄誉を重んじるものなんだな。

 

「狩りの期限は日没まで! レジンバークに被害が及ばないよう、皆さんで協力してきっちり数を減らして下さいね!」

 

 お姉さんは、隣のユイにウインクした。この世界じゃ余計目が良いから、遠くからでもよくわかる。

 ユイもこくんと頷き返す。はは。まだちょっと恥ずかしそうにしてるね。

 

「それでは……!」

 

 そして、二人から開始のコールがかかった。

 

「「よーい! 始め!」」

 

 始まると即時、雪崩のような勢いでほとんどの参加者たちは駆け出した。

 いくら大発生するとは言っても、魔獣の数は有限。人より先んじてポイントの高い魔獣を見つけ出し、狩っていくことが上位入賞への必要条件だ。

 先取争いのデッドヒートが繰り広げられている。狩場として良いスポットを確保した者が序盤は一歩抜けられる。

 ただ俺はというと、まずは慌てずに戦場を俯瞰しようと考えていた。空を飛ぶ手段があるから、他の選手とは違うやり方が出来る。

 もう一人、同じことを考えている人がいたみたいだ。

 

「やあ、ユウ君。しばらくぶりだね」

 

 伝説の装備に身を固めたレオンは、さらさらのピンク色の髪を風に靡かせて、颯爽と立っていた。

 うわ。めっちゃ様になってる。

 どこぞのRPGのパッケージ絵でも出来そうだなと思いつつ、笑顔を返した。

 

「久しぶり。せっかく尋ねてきてくれたらしいのに、中々都合が付かなくて悪かった。本当は前に助けてもらったお礼を言いたかったんだけど」

「礼なんていいさ。だいぶ忙しそうにしていたみたいだからね」

「君も随分活躍していたみたいじゃないか。ニュースで見たし、話にも聞いたよ」

「はは。出来る限りのことはやってみているのだけど、失敗も多くてね。お恥ずかしい限りだ」

 

『ヴェスペラント』フウガをまた取り逃がしたことを恥ずかしく思っているのか、レオンはきまりが悪そうに微笑んだ。

 

「実を言うと、僕は君と競えるのをずっと楽しみにしていたんだよ」

「俺もだよ。ずっと楽しみだった」

 

 ギルドの歴代トップ、世界でも指折りの実力者の真価を見られるチャンス。

 いきなりのSランク認定同士ということで、普段から何かと比較されてきた。どうしたって意識はしてしまう。そんな相手と正々堂々勝負出来るまたとない機会。ちょっとわくわくしてしまうのもしょうがないだろう。

 その気持ちは向こうも大体同じのようで。

 

「僕にも伝説と言われるだけの期待がかかっているし、それなりの自負もある。一応六連覇もかかっていることだし。そうそう負けるわけにはいかないかな」

「こっちだってそう簡単には負けてやらないよ」

 

 そこに、お姉さんとユイの実況中継の音声が飛び込んできた。

 

『なんとびっくり! はやいはやい! ランド選手とシルヴィア選手、鮮やかな連携プレー! もう最初の魔獣を仕留めてしまいました~っ!』

『あの二人は未踏の地の先端を行くコンビですから。一番名乗りを上げてやろうって気概も半端じゃなかったと思います』

 

 さすがランドシル。やるなあ。よし。そろそろ俺も続こう。

 レオンが、白い歯を見せて手を差し伸べてきた。

 

「お互い良い勝負をしよう」

「ああ」

 

 がっちりと握手を交わす。いつでも力強くて、大きな手だ。

 握手が終わるとすぐに、彼は飛行魔法で飛び上がった。瞬く間に上空へ消えていく。

 その余波で、激しい衝撃波が全身を叩きつける。俺は気力を高めて堪えた。

 

『おーっと! ついに優勝候補筆頭、剣麗が動き出しましたあー! 姿がはっきり映らない! まるで人間ビームだああ!』

『完璧に音を置き去りにしちゃってますね。信じられないスピードです』

『ああ! お伝えしておきますが、もし衝撃波の類が発生しても、職員の皆さんが協力して、しっかり障壁を作って下さっています。ですので、観客の皆さんは大丈夫ですよー』

 

 ……さすがに速いな。

 ふう。とんでもなく手強いライバルもいたものだよ。あれと直接空の速さを競っても敵わないかも。

 だったら。

 

《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》《パストライヴ》……

 

 ショートワープの連続使用だ。レンクスの《反重力作用》よりもこちらの方がいくらか速い。

 

『ユウ選手、対抗心を燃やしていきます! こちらもはやいです! というよりあれは……もしかして、消えているんじゃないでしょうか!? うわあ信じられません! 解説のユイさん、どうなんでしょうか!?』

『えーと。あれは……企業秘密です!』

『おやおやぁー? さっそくですかあ? 姉、弟をかばっていきます!』

 

 会場からどっと笑い声が起こる。

 まああまり無駄に手の内は話さないに越したことはないからね。助かったユイ。

 

 さて、十分高さを稼いだところで、下を見下して目ぼしい敵を探す。

 見下してみると、ちょっと神様か何かになったような気分だった。

 観客も選手も豆粒のように見えて、選手はちょこまかと動き回っている。無数のスポットは規則正しいでこぼこ模様のようになっていて、他の場所と比べても、ここだけやっぱり異様な感じがする。

 ――お、いたいた。ちょうどいい奴が。

 さあどうしようか。どんな技で倒そうか。加減にはほんと気を付けないといけない。

《センクレイズ》じゃ強過ぎるかもな。下にいる人たちも巻き添えにされてしまうかも。

 じゃあ、指が一本……二本。このくらいでいいか。

 二本の指を伸ばして、その先に力を込めていく。気剣を作るときの要領で、気力を集中させていく。

 十分エネルギーが溜まってくると、指先が気剣と同じ白い光に包まれていた。

 よし。これを、腕を構えて。えい。

 高く構えた腕を、一気に振り下ろす。二本指の先から真っ白な気力の刃が発生した。

 普通の見えない刃じゃ審査員たちにもわからないから、わざと見えるようにしている。

 放たれた刃は、衝撃波を伴って獲物に突き進む。

 一息つく間もないうちに、遥か遠方にいた魔獣の首を斬り落としていた。

 余計な被害はない。加減は上手くいったみたい――

 

 ドッカーン!

 

「わあっ!」

 

 突然、背後から、雷が落ちるような轟音が鳴り響いた。

 驚いて振り返ってみると、剣を――聖剣フォースレイダーを振り下ろした姿のレオンと――彼の高さまでもうもうと上がろうとしている黒煙が映った。

 煙の発生源を見下してみる。

 本当に雷が撃たれたようだった。三ついっぺんに。スポットの範囲だけを的確に狙い撃ち、焦がし尽くしている。中にいた魔獣は、全て消し炭になっていた。

 

『ああー! ユウ選手が素晴らしい技を見せたと思ったら……実況が追いつきません! 聖剣技《レイザーストール》です! いきなり魅せてくれましたぁ!』

『聖剣技、《レイザーストール》……!?』

『あのう、ユイさん。解説が知らないのはちょっと問題ですよー!? 聖剣フォースレイダーは、使用者の魔力に応じた威力の各属性魔法を放つことが出来るのです! 私、いつだか聞きました! 今回使ったのは雷の技、《レイザーストール》だあああ!』

 

 観客から大歓声が上がる。ここまでも少し聞こえてくる。中には黄色いものもいくらか混じっているのがわかった。

 他の選手はというと、何割かは驚いて動きを止めてしまっている。びびっているのもいる。無理もないか。

 それにしても、なんて威力の魔法だ。しかも魔力がないから、発生まで感知出来ない。あんなのを好きなだけ連発出来るなんて、反則じゃないか! フェバルかよ!

 あ。俺がだった。

 でもなあ。くっそー。俺は魔法使えないからなあ。これは思った以上に不利かもしれないぞ。

 

『やはりと言いますか! 今回の大会、優勝レースは事実上レオン選手とユウ選手の一騎打ちになってしまうのでしょうか!? 二人とも、あっという間にクリスタルドラゴンを撃破! 他の選手を突き放していきます!』

 

 ……うん。やっぱり最初はこいつからじゃないと始まらないよね。合掌。

 

 でも、レオンまでどうしてクリスタルドラゴンを。たまたまか?

 

 ――ふっ。

 

 あ、あいつ! 今笑った! こっち見て笑ったよ! 得意そうに!

 なるほど。このくらい僕にだって朝飯前に出来る。そう言いたいのか。

 そうか。レオンのやつめ。澄ました顔して、思った以上に対抗心を燃やしているっぽいな。

 面白くなってきた。こうなったら、こっちだってなりふり構ってやるもんか。

 

 言葉はなくとも、目と目で通じ合っていた。容赦無用の第二ラウンドが幕を開ける。



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73「激熱! 大魔獣討伐祭! 3」

 見た目も派手でかつ流麗な聖剣技を駆使して、大型魔獣を次から次へとあっさり消し炭にしていくレオン。

 あれよあれよという間に、他の選手とのリードを広げていく。その中には俺も含まれていた。

 

『今度はSランク魔獣グホルボスを一刀両断! どうしたレオン!? 今日の剣麗は一味違います! クールでありながら熱い! いつになく気合十分です!』

『やはり剣麗はさすがですね。名に違わぬ実力です。……ユウ、このままじゃ負けちゃうよ?』

『はい。いいです。とってもいいです。もうブラコン出してきました。そんな素直なところが好きです、私。解説なんか適当でいいから、しっかり弟を見届けてやれい!』

 

 ……もう。ユイはいつもこうだからなあ。嬉しいけど、ほんと恥ずかしいよ。

 レオンは時折、お前も何かやってみろと言わんばかりに挑発的な視線をこちらに送ってくる。普段より妙に楽しそうな、どこかいたずらっぽい笑みも添えて。

 しかし一々余裕たっぷりで、キザったらしいというか。

 いい加減少しカチンときた。

 君がそう来るなら、俺にだって考えがあるぞ。

 あまり大人げないやり方だから、はじめ戦略からは外していたのだけど。

 悪い。ランドシル。それからみんな。やらせてもらう。

 そもそもだ。今の俺の力をもってすれば、獲物を狙い定める必要なんて本当はない。

 スポットそのものを丸ごと攻撃対象にしてしまうことも簡単なんだ。見てろよ。

【神の器】を利用して、記録された視覚情報から、自分とターゲットの位置関係を正確に認識する。各スポットを、既に他の選手が立ち入っているそれと、まだ誰も入ってないそれに分けて把握する。

 今からやるのは、人がいるところを狙えば殺してしまうほどの攻撃だ。だからもちろん誰もいないスポットだけに狙いを定める。

 またこちらをちら見してきたレオンをむっと見つめ返してから、左手を構えた。

 

《気断掌》

 

 ドン! と大気を激しく打ち叩く感覚が起こり、同時に不可視の衝撃波が飛び出す。

 ほんの一瞬の後、狙ったスポットに激震が走っていた。

 これからだ。一発だけでは終わらない。

 

《気断掌》《気断掌》《気断掌》《気断掌》《気断掌》きだんしょうきだんしょうきだんしょ……

 

 あーもう一々唱えるのめんどくさい!

 

 はっ! はっ! はっ! はっ! はっ! はあっ!

 

 左右交互。ノリにノって、空いているスポットに向けてとにかく撃ちに撃ちまくる。必殺技の大盤振る舞いだ。

 一発撃つごとに、爆撃ミサイルでも落ちたような轟音が風に乗って鳴り響く。なだらかなすり鉢状の凹みの、その中身全てが弾けて、下方向へ瞬時に押し潰される。

 後には、無残に壊滅した魔獣たちの死体が残るのみだった。中には跡形も残らないのさえいる。

 近くで見たら絶対グロ注意だ。我ながらえげつない技性能してるからなあ。これ。

 

『なんということでしょう! 十、二十、三十……五十……まだまだ! 次々とスポットが破壊されていきます~! ポイントが加速する!』

『もう。負けちゃうよとは言ったけど。むきになり過ぎだってば……』

 

 ごめんユイ。これは負けられない戦いなんだ!

 まだまだ撃てる。どんどん撃てる。

 威力の調節が効くとは言っても、《気断掌》は大技の部類だ。普通の世界だと、数発から十数発も撃てば消耗を感じるのだけど。

 まるで気力が無尽蔵にあるみたいだ。これだけ連発しても全然平気なんて、気持ちいい!

 いつの間にか、すっかりハイになってしまっていた。

 驚き目を開くレオンに対して、意趣返しで渾身の得意顔を向けてやった。どんなもんだ。

 ん? なんだレオン。またふっと笑って。何をする気だ。

 すると彼は聖剣を右手だけで持ち、片腕でもって滅茶苦茶に振るい始めた。いやその実、まったく滅茶苦茶ではない。残像で腕がぶれて、常人にはとても見えないほどの速さでありながら、全てが狙い澄まされた動きだった。

 一振りのたびに、剣先からは違うエフェクトが飛び出していく。さながら虹でも放っているようだった。

 そして、虹が魔獣を駆逐していく。

 なにこの人、本気出すとこわい。

 観衆はとにかく派手なやり取りの応酬に、大興奮していた。あまり盛り上がっているので、『心の世界』にも強い熱狂が入り込んできて、こっちまで影響を受けてしまいそうだ。というか、かなり受けてるのかもしれない。

 

『《レイザーストール》、《ソーマレイン》、《パースレイド》、《ファイダーオン》、《ハックルベイン》、《ミザースガルド》、ほええええ、ほええええ……すごいすごい! 七色の聖剣技のオンパレードだ!』

『レオンさん……。あの、他の人はどうなるんでしょうか?』

 

 さあどうなるんだろうね。

 とりあえず負けられないので、俺も対抗して《気断掌》を撃ち加える。

 絶え間ない爆音が、穴という穴を穿ち続けた。魔獣の大小など問題にならず、出落ちのクリスタルドラゴン現象があちこちで頻発する。当の奴らからしたらたまったものじゃないだろう。

 

『うわあああああ! 誰がこんな展開を予想できたのか!? 未だかつてこれほど無茶苦茶な大会があったでしょうかああー!? まるで空飛ぶ人間災害だ! もはやポイントもクソもない! あんたら、大会をぶっ壊す気ですか~!?』

『何やってんの。ばか……』

『選手一同、両選手を茫然と見上げるしかありません! 何も出来ないっ! 泣くしかない!』

『はあ……』

 

 うわ。ユイがすごい呆れてる。後で怒られるかな。

 観客の熱は増す一方で、なんか大々的にどっちが勝つか賭けまで始まっていた。

 他の選手はというと、反応はまちまちのようだ。白けた顔で俯く人、キラキラした顔で見上げている人、観客と一緒になって騒いでいる人なんかが眼下に見えた。

 レオンが振るえば俺が撃つ。どんどんむきになって、互いに譲れない。

 まさかあいつがあんなに負けず嫌いだとは思わなかった。

 でもただの負けず嫌いというよりは、やっぱりどこか楽しんでやってる節があるんだよな。たまにはお前に付き合って羽目を外すのもいい、みたいな。そんなスカした顔にまいったと言わせてやりたい。

 激しい技の応酬が続く。

 たぶんペースは互角。いや、勝っていて欲しい。負けるか!

 

 調子に乗って、ひたすら撃ちまくっていると。

 

 気が付けば、ダイバルスポットは一つ残らず焼け野原になっていた。

 

 魔獣なんて最初からいなかったように。無だ。どこまで見渡しても、生きているものは何もない。ここ一帯に核が落ちたのだと言っても、信じる人がいるかもしれないレベルだ。

 しまった。やり過ぎた……。

 ふと我に返って、己のバカさ加減にちょっと凹んだ。珍しく叱られた子供のような顔をしているレオンを見るに、彼もやり過ぎたと思っているクチみたいだった。

 ついに競えるものがなくなって、俺はレオンと示し合わせ、焦げ付く臭いのする大地に降り立った。

 

「見込み通りだよ。やるじゃないか」

「君こそ」

 

 固く握手を交わす。

 途端に、血相を変えて選手たちが駆け寄ってきた。みんなそれぞれ思うところ、言いたいことがあるようで。

 まず最初に飛び込んできたのは、ランドシルコンビだった。

 

「おい! 待てやこら! 俺たちの獲物、みーんないなくなっちまったじゃねえか!」

「私たちの取り分どこいったのよ! このアホ人外ども!」

「いや……ごめん。つい」

 

 張り合ってやってたら楽しくなってきて、つい。

 

「すまない。僕としたことが……つい」

 

 隣でしゅんとなって頭をぺこぺこさせているレオンが、どこか新鮮だった。

 

「いやいや。いいーもの見せてもらった! だよなあ、みんな!」

 

 朗らかに笑ったのは、S級冒険者『快鬼』アルバス・グレンダインだ。血を固めたような赤い髪をしている。どこかジルフさんに似て、逞しい人だった。

 彼の言葉には多くの人が賛同して、「おおー!」と雄叫びを上げてくれた。

 まあ楽しんでくれた人が多かったならよかったかな。でないと、さすがに嫌な空気を感じて途中で止めてただろうし。

 そして、馴れ馴れしくレオンの肩を叩く者がいた。

 

「あっはっは! 剣麗! まさかあんたがこんなに熱くなるなんてな。オレも知らん一面だったぜ!」

 

 またもやS級冒険者。『魔聖』ケーナ=ソーンティア=ルックルーナーだ。

 どちらも冒険者ギルドの紹介パンフレットに載る顔だから、姿と名前だけは覚えていた。オレっ娘だったんだ。

 と、こちらもドンと強く肩を叩かれる。

 振り向くと、細長い顔の男がにやりと笑っていた。

 

「ユウ・ホシミ。お前の名、確かに刻ませてもらったぞ……」

 

 そう言って、手に持っている小さな紙を見せつけてくる。そこには確かに、俺の名前が書いてあって――

 というか……誰?

 

「えっと。すみません。どちら様でしょうか」

「…………ふっ」

 

 あの。何か言ってくれ。

 彼はしかし一切何も言わず、ひらひらと手を振って人ごみの中へ消えてしまった。

 消えるまでの足取りが、流れるようだった。どうもただ者ではないのはわかったけど。何がしたかったんだ?

 

「あ、あいつは……!」

「ん、知ってるのか。ランド」

「セナ・ミルトング……!」

 

 ざわ、ざわ、とにわかに選手たちが色めきたつ。

 そう言えば、選手名簿にそんな名前の人がいたっけな。

 

「どんな人なんだ」

「配達屋だ」

「ええ」

 

 ランドに合わせて、シルヴィアが力強く頷く。

 それはまあプロフィールにあったから知っている。俺はその先が知りたいんだよな。

 

「そうか。なんで配達屋が討伐祭に? 俺のところに?」

 

 まあこっちも何でも屋だから、あまり人のことは言えないけどさ。

 

「あ、もしかして。宣伝や顔つなぎのためかな」

「いいや違う。彼は伝説の配達屋。きっと、運んでいたのさ」

「ええ。運んでいたのよ」

「「うんうん」」「「だよな」」

 

 ダメだ。わからない。

 毎度のことながら、時々説明が超ざっくりしてるんだよな。それでみんな納得しちゃうのもだいぶおかしいと思う。

 

『だから何だって言ってるの』

 

 案の定、放送席のユイから正しい突っ込みが入っていた。

 そして実は誰もよくわかってない。謎のラナソールノリ。

 呆れていたら、今度は向こうで何やらざわめきがあった。

 

「おーい。こっちでギンドが泡吹いて倒れてるぞー!」

「喧嘩売っちゃいけない相手に売ったんだと、やっと気付いてぶるっちまったらしいぜ……」

 

 うわあマジか。ギンド。そんな怖がらせるつもりなんてなかったのに。ごめんよ。意外にメンタル小さかったんだね……。

 

 とまあ、それからも何だかんだ一悶着あった。……特にありのまま団の皆さんが色々と見せようとしてひどかったので、少し懲らしめてたり。途中で微妙な殺気を感じて警戒したりもしたけど。

 みんなの総意は、まだまだ楽しみたいということで落ち着いた。実況の受付のお姉さんも荒れに荒れている。

 

『そうですよー。どうするんですかあ!? まだ午前中ですよ? ポイントも多過ぎて、まだまだ集計に時間がかかっているようですし……。そもそもこんな終わり方じゃあ、あっけなさ過ぎますよねえ! 皆さん!』

「「そうだそうだ!」」

 

 確かにな。せっかくの大会だったのに、結局蓋を開けてみれば俺とレオンの一騎打ちみたいになってしまって、それも中途半端で終わってしまって、申し訳ないというか。

 これじゃ大会詐欺と言われても仕方ないよな。

 

「はーい。そこでみんな注目ー! ボクにとっても楽しい提案があるよ!」

 

 衆目を集めたのは、ピンク色髪の剣士だった。

 Aランクの『剣姫』ハルティ・クライ。ご覧の通りのボクっ娘だ。

 どうもあの子と名前がよく似てる気がするんだけど……。偶然だろうか。

 一冒険者として俺のことをよく見ていたというのは、あり得る話じゃないだろうか。

 そう考えて、ストレートに「ハルって名前の子知ってる?」って聞いてみたら、「えー、知らないよ?」ってとぼけたように言われてしまった。ついさっきのことだ。

 知っているとも知らないとも取れるような微妙な感じだった。俺の能力では真偽を判定できそうもない。一体どっちなんだろう。

 まあそれはともかく。彼女は意気揚々と続ける。

 

「みんなさあ。ユウとレオン。どっちが強いのか気にならない?」

「「あー、それめっちゃ気になる!」」

 

 満場一致で言われてしまった。

 ……そうきたか。なるほど。そう来るか。

 

「そこで! エキシビジョンマッチをしてみたらどうかなと思うんだけど……どうかな?」

「「さんせーい!」」

 

『おおーっと! 何やら凄いことになってまいりました! 世紀の対決が実現してしまうのかあああああ!? そこんとこどうですか、お姉ちゃん』

『今日の件は、後できっちり反省させます。でもせっかくだし、やってみたら?』

『はい! ということですが、当の弟くんはどうなんですか?』

 

 受付のお姉さんの振りで、一気に視線が俺の元に集まる。みんなすごい期待してるぞ。

 まあ俺としても、別にやらない理由はないけど。貴重な実戦経験になるし。

 ただなあ。相手がレオンだと、加減をするわけにはいかないだろう。

 そうなると、この世界でまだ全力出したことないからな。この辺りが無事で済むのかわからないって心配がある。

 みんなの安全を考えると、すぐに首を縦には振れないよ。

 

「一つだけ。安全面でかなり問題があるんじゃないかと思うんですが」

 

 盛り上がっているところに水をぶっかける発言。冷めることにはなるが、しっかり言うべき心配は言っておかないと。

 

『それなら、うちのギルドの職員総出でバリアを張ります! 皆さんもちろんやりますよね!?』

「「おう!」」「「俺たちも協力するぜ!」」

 

 職員に加えて、冒険者の有志たちも続々と名乗りを上げてくれた。

 ただ正直、それでもちょっとだけ不安があるんだよね。こういうとき万が一を考えちゃう自分なのがいけないのか。

 返答に迷っていると、素敵な助け船が入った。念話が飛んでくる。

 

『坊主。守りは俺たちフェバルがこっそり加勢してやる。だから思いっ切りやっていいぞ』

『ジルフさん!』

 

 助かった。ジルフさんやレンクス、エーナさんが協力してくれるなら、何の心配もない。

 

『その代わり、イネアの弟子として簡単にまいったするんじゃないぞ』

『はい。わかりました』

 

 はは。プレッシャーだなあ。元よりそう簡単に負けるつもりはないけど。

 俺の内心の変化を敏く読み取ったのか、黙って話を聞いていたレオンが、やれやれと嬉しそうな苦笑いを示した。

 

「どうやらギャラリーは、僕たちのことを逃がしてくれそうにないみたいだね」

「そうみたいだね」

 

 とか言いつつ、やっぱり君の方が楽しそうだよな。

 よし。心は決まった。

 しっかり呼吸を整えてから、通る声で受付のお姉さんに向かって言った。

 

「わかりました。やりましょう!」

「僕も精一杯務めさせていただこう」

 

「「うおおおおおおおおー!」」

 

 割れんばかりの大歓声が巻き起こる。遥か向こうの観客席から、風に乗って直接届いてくるくらいだった。

 隣にいたランドが、すっかり子供のようにはしゃいでいる。

 

「いよいよこれでユウの真価が見られるってわけか。わくわくしてきたぜ!」

「レオンもね。伝説のベールに包まれていた実力は、いかほどのものか」

 

 シルヴィアも手を顎に添えて冷静に考えているようで、目がキラキラしている。

 そして、ユイからは温かい応援の言葉が。

 

『頑張ってね。ユウ』

 

 はい。頑張ります。

 

 

 俺とレオン、二人のための試合場は、ダイバルスポットを丸ごと贅沢に使うことになった。

 観客や他の選手たちは、俺たちがよく見える一か所に固まって集まっていた。こうすることで、守りを張る面積を狭くすることができる。

 術師たちが協力し、ギャラリーから向かって正面方向にのみ集中して、強力なバリアをかける。こっそりフェバルも加わっているので、破られることはないだろう。

 こうして、観客のいる方向以外には何らの守りもない、大自然のバトルフィールドが整った。

 俺とレオンは、互いに十メートルの距離で対峙している。

 十メートルなど、この世界ではほんの一歩に等しい。この距離にしたのは、聖剣技の使える彼だけが有利な開始位置にならないようにとの、彼からの提案だった。

 余裕のある者にしか言えない台詞だ。いつだかのアーガスを思い出して、ニクい奴だなと思いつつも、心遣いには素直に感謝して提案を受け入れた。

 

「まさか君とこんなことになるとはね」

「本当にね。でも実を言うと、一回思いっ切り戦ってみたかったんだ」

 

 この世界で伝説の英雄とされる男の実力がどんなものか。この底なしの世界でどれほどの力が出せるのか。わくわくしていた。

 

「フフ、僕もさ。白状すると、密かに夢に見ていた。今から楽しみだよ」

「がっかりさせないといいけどな」

「期待してるとも」

 

 いつでも気剣を出せるように、左手を空けておく。レオンも、腰の柄に手をかけていた。

 軽口は消えて、次第に集中が深まっていく。

 相手は気力も魔力も感じさせない。自分の気力だけが漲っていくのを内側で感じる。しかし、心身の充実の方はよく伝わってくる。

 静かで、どこか奇妙な空気の緊張感。

 そして。

 

『では……剣麗レオンハルト対ユウ・ホシミ、特別試合! はじめっ!』



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74「対決! ユウ VS 剣麗レオン」

 レオンは、腰から聖剣フォースレイダーを抜いて、捻りながら上段に構えた。

 俺も左手に気力を集中し、真っ白な気剣を作り出す。もちろん殺すつもりはないのでなまくらモード。ただし強度は通常の最大だ。やや腰を落として、すぐ飛び出せるよう足に力を溜める。

 さて。頑張るとは言ったけれど。

 たくさん人がいるし、誰が見てるかわからないからな。「奥の手」まで使うのはさすがに止めておこう。あれ【神の器】に強く依存してるから、純粋な俺の実力じゃないし。レオンとはなるべく純粋に戦いたい。

 それにしても――さすが世界髄一の強者だ。黙って立っているだけじゃ隙が見当たらない。

 仕掛けていく中でチャンスを作るしかないな。よし。

 

「そろそろ来るつもりだね」

「ああ。いくよ」

 

 地を蹴って駆け出す。始めの一蹴りで、硬い大地が割れて激しく砕ける音がした。

 身体が軽い。重さがないみたいだ。地球の音の速さなんて軽く凌駕しているだろう。

 しかし、迎え撃つ相手も常人の領域を遥かに超えている。

 

「まずはお手並み拝見といこうか」

 

 レオンは落ち着き払った調子で、上段に構えていた剣を振り下ろした。

 間合いがぴったりだ。この位置では当たる。

 刃が身体を捉えかけた刹那、一歩分ずれて斬撃をかわす。同時に下段から気剣を捻じり上げる。

 ――初撃は当たらなかった。剣身で、気剣が受け止められている。

 途中で相手の剣先は、巧みに軌道を変えていたのだ。

 負けず嫌い同士、その場で引かず刃を戦わせる。レオンの流麗な剣捌きと、俺のイネア先生譲りの素朴で真っ直ぐ力強い太刀筋がぶつかり合う。

 剣の振り方一つにも、個性が出るのが面白かった。

 数合の打ち合いの後、正面で刃がかち合った。そのまま鍔迫り合いに移行し、力と力の対決になる。

 全身に気力を充実させて押していく。対するレオンも、気力だか魔力だかよくわからないけど、力を高めて押してくる。

 次第に、じりじりと気剣が押し負けていた。互角の姿勢から、角度がこちらへ傾いていく。

 くっ。全身に漲るエネルギーにほぼ差はない。だが同じレベルなら体格に優れる分、膂力は向こうの方が上か。

 気力に大きな差があれば、体格の差なんて問題にならない。しかしほぼ互角ならクリティカルに効いてくる。線が細く未成熟なまま止まった俺の肉体では、大の男の力は受け止め切れない。

 まだ出力を上げないと。押し切られる。

 もうやるか。いいや、まだだ。意味もなく意地を張る場面じゃない。

 無駄な力の消耗を避けることにした俺は、急に剣を引いて相手の力を利用し、その場で回転の勢いを付けた。

 攻めの手数とスピード。身軽な俺には、俺なりの戦術がある。

 気剣から右手を離し、彼の鎧に向けて突き出した。

 

《気断掌》

 

「おっと」

 

 レオンの反応は早かった。かねてよりこの技を警戒していたと見える。

 脇腹を引きつつ横へステップされる。衝撃波は盛大にからぶって、間もなく背後で大きな山が一つ消し飛んだ。

 すごいな。やっぱり威力が段違いだ。この世界だと。

 自分の技の威力に驚きつつ、反撃に備える。技を出した直後の隙を狙わない相手ではない。

 レオンは一歩力強く踏み出して、剣を横に振り払ってきた。

 受け止める。かわす。瞬間に迫られる二択。

 危ない気がする。何となく嫌な予感のした俺は、上体を大きくそらしてかわすことを選んだ。

 軌道の途中で、聖剣が黄色い光を放つ。眼上を眩い剣閃が走って――

 広範囲を薙ぎ払う光斬撃だった。後ろでいくつもの山々が、豆腐のようにスパスパ切れていく。

 うわ。やっぱり危なかった。こんなのまともに食らったら、魔力耐性のない俺じゃひとたまりもないぞ。

 体勢が崩れている。気剣をしまう。両手で地に手をつき、最小の動きでバク転をして立て直す。

 しかし、正面に剣麗の姿はなかった。

 気は読めない。だが背後に攻撃の意志は感じる。

 速い。もう後ろにいるのか!

 でも幾多の戦いを経験した俺の心は、落ち着いていた。

 振り向いていては時間が足りない。後ろ蹴りに力を込めて、剣を受け止める。

 危なっかしいように見えるけど、これで上手くいっていた。足を斬られることはない。

 気剣術とは、極めれば全身あらゆる場所を瞬時に凶器と化す技術に他ならない。そこに普通の剣術とは違う利点がある。気力を充実させている場所がすなわち刃になる。

 足を引き、すぐに腰をひねって相手を視界に捉えつつ、連続で蹴りを繰り出す。

 レオンは余裕の顔で、全てを見切ってかわす。全身鎧を着ているとは思えない軽やかな身のこなしだった。いや、この世界じゃ鎧くらいの重さなんてほとんど関係ないか。

 ただ、俺もやみくもに攻撃を仕掛けているわけじゃない。あえて同じリズムで攻撃を続けていた。次でタイミングをずらし、一段ギアを上げて撃ち抜くように浴びせ蹴りを放つ。

 虚を突かれたと見える彼は、大きくバックステップを取って対処しようとした。そこへ飛びかかりながら、再び気剣を作る。そして振り下ろす。

 レオンもギアを上げてきた。瞬時に加速して、さらに大きく横へ飛ぶ。一蹴りしたと思うと、もう数十メートルはかっとんでいる。

 気剣の到達はほんの少し遅れ、何もない宙を――

 

 ……《パストライヴ》。

 

 剣を振り切る前に、俺はショートワープを発動させた。

 跳び退くレオンの、さらに背後へ。既に剣を振ろうとしているから、ほぼノーモーションで彼に当たる位置だ。

 この奇襲にはさすがに驚いたのか、気配に気付いた彼もあっけに取られたように口を開けた。

 目つきが変わった。

 魔力を使ったのか、即時に空中で強引に動きを止めた。背を向けたまま身体を脇にそらして、全力で避けにかかる。

 追いかけたが、わずかに届かなかった。剣先はマントの端のみを捉えて、引き千切るに留まった。

 着地。互いに足を使って距離を取る。

 レオンはほとほと感心した様子で、嬉しそうに口を開いた。

 

「驚いた。本当にすごいね、君は。今のはひやりとしたよ」

「ちぇっ。さすがだな」

 

 俺もリルナにやられて肝を冷やしたコンボだからな。よく初見で対処したよ。

 

 息を呑んで見守っていたのか。静まり返っていた観客側は、息をすることを思い出したように大きく盛り上がった。

 

『山が、切れたあああーーーっ! 私たち、ついに伝説の再現を目の当たりにしてしまいました! それにしても、なんという動きだああああーっ! これが本当に人間なのかあああ!?』

「「ワアアアアアアアアーーーッ!」」

 

 こちらの動きに、全く実況が追いついていない。

 仕方ないよなあ。

 全てがコンマレベルの攻防だった。自分もこんなにレベルの高い戦いは「自分が戦った自覚のあるうちでは」したことがない。

 間違いなく、かつて戦った手負いのバラギオンよりも強い。フェバルじゃないのに。こんな人間がいるとは思わなかった。

 

「一つ、聞いてもいいかな」

「なに?」

「後ろに回ったとき、君は瞬間移動を使わなかったね。なぜだい?」

「あればかりに頼ってると、いざというとき心が弱くなるんだ」

「なるほど。君らしい答えだ」

 

《パストライヴ》は非常に便利だ。手段の一つとして磨き上げておくべきではある。適切なタイミングで頼りにするのもいい。

 だが普段から頼り切って楽をしてしまうと、基礎が疎かになる。いつか足元を掬われる。そうして負けてきた奴を何人も見てきたからね。

 

「レオン。君こそさっきからほとんど魔法を使っていないじゃないか。どうしてだ」

「……ここまで、戦いながらも君のことをずっと観察していたのだけど。君、魔法が使えないだろう?」

「だからフェアじゃないって? そんな余計な気遣いは要らないよ」

「そうじゃない。褒めているんだ。君が魔法を撃つ隙を全く与えてくれないことをね」

「へえ……。バレてたか」

 

 魔法に対する耐性がないことは致命的な弱点だ。放っておくはずもなかった。

 小さな魔法なら簡単に避けられる。そして、大きな魔法の発動にはどうしても溜めがいる。だからあまり距離を空けさせなかった。

 もし焦り、あるいは挑発に乗って大きな魔法を使おうとしてくれたら、その隙を狙い叩こうと思っていたんだけど。

 中々どうして冷静じゃないか。当時のアーガスのように、実力をひけらかそうと無駄なことをする青さもない。

 

「それに、聖剣技はずっと使っていたとも。剣の速度を高める風精霊の加護と、威力を高める光精霊の加護。それでも君は易々と避けていくものだから、少し自信をなくしてしまうよ」

 

 剣麗は、心底楽しそうに爽やかな笑顔を浮かべた。

 

「嬉しいな。こんなにできる相手は初めてだ」

「俺もこんなに強い相手と戦えて嬉しいよ」

「ふっ。初めてとは言わないんだね。君の強さの源は、その経験値にこそあるのかもしれないな」

 

 レオンは剣を構え直した。笑顔が消えて、引き締まった表情に変わる。

 真剣なのに、どこか余裕がある。自分に絶対の自信を持っている王者の顔だ。

 さて。どう仕掛けてくるつもりだ。

 

 

「だから――本気を出すことにしたよ」

 

 

 途端に、彼の姿が消える。

 あまりの速さに、留まっていたその場に残像が焼き付いて。

 

 はっ!? 消え――!?

 

 ――背後から、彼の声がした。

 

「僕もそれなりには速いんだ。瞬間移動ほどではなくても――《神速》がある」

 

 ……! 《マインドバースト》!

 

 危機を感じ、咄嗟の判断で隠していたカードを切る。

 瞬間、全身を包む気が数倍にも膨れ上がった。当然動きにもますます磨きがかかる。

 この判断が命拾いだった。

 振り返りざまに気剣に振るったとき、聖剣は肩の先にあった。

 

 再び残像を残して、剣麗が動く。速い。

 

 ――右だ。右にいった。

 

 今度はしっかり目で動きが追えていた。

 距離を取ろうとする彼に食らいつき、気剣を喉元に突き出す。得意な突きの形だ。

 最速の攻撃に対し、レオンは腕に血管が浮くほど力を込め、剣に暴風を纏わせた。

 斬り上げで剣先を強引に掴み、風で巻き上げる。つられて俺の身体も持ち上がる。

 ビリビリと腕が震えた。パワーも相当上がっている……!

 

「はああっ!」

 

 レオンが叫び、返しで鋭い一閃を飛ばしてきた。

 また剣の質が違う。聖剣技。あれが来る。

 もう一度避けるか。いや、ここであんな避け方をするのは弱い!

 

《気断掌》!

 

 鮮やかな黄色い光を帯びた剣に、力強くぶつけた右手。

 激突する光斬撃と衝撃波。

 

「くっ、う……!」「む……!」

 

 充実した二人のエネルギーが弾けて、大爆発を起こす。

 スポットがいくつも剥がれて、一つの大穴と化した。

 

 すかさずレオンは、空高く飛び上がった。眼にも留まらぬ速さで、雲の上へ。

 魔法を撃つつもりだ。

 あの高まった状態で撃たせれば負ける。させるか。

《反重力作用》と《パストライヴ》を駆使して、俺も空へと駆け上がる。

 舞台は、空中戦へと移行した。

 逃げるレオンと追いすがる俺。

 互いをかく乱しようと、空を駆け回りながら、幾度も剣をぶつけ合う。移動だけで風の流れが乱れ狂い、やがて周囲にはいくつもの竜巻が発生していた。

 けん制の小魔法はかわし、お返しに衝撃波を見舞う。凄絶なる技の応酬。

 そしてまた一合打ち合うたび、まるで剣がかち当たる音とは思えない激音が轟く。

 とんでもない戦いだ。その渦中に俺がいる。

 不思議な高揚感と、どこかそら恐ろしいものがあった。

 

 ……今のところ、互角の戦いにはなっているけど。いつまで続くか。

《マインドバースト》は『心の世界』のエネルギーを使って、一時的に限界を突破する技だ。あまり長く使っていると無理が来る。

 だが見たところ、レオンも同じだ。明らかに息が上がっていた。《神速》も身体に無理をして使う技のようだ。

 君のスタミナが切れるのが先か。俺の無理が来るのが先か。

 剣の一つ一つが言葉だった。

 俺もレオンも、打ち合いを通じて状態を知り、心を知り、そのうち自然と笑い合っていた。

 

『なんと凄まじい戦いでしょう……。私たちは、神話でも見ているのでしょうか。さすがのお姉さんも……言葉が、出てきません……』

『ユウ。がんばれー!』

 

 ありがとう。ユイ。もう少しだ。

 

 お互い、限界が近いことはわかっていた。

 既に数千を数える剣の衝突の後着地した俺たちは、激しく息を切らしながら、自らの剣に力の輝きを灯す。

 

「《クリムレイズ》!」

「《センクレイズ》!」

 

 この一度だけ。

 多くの人に見せていることを意識して叫んだ。初めて声を出して技を叫んだ。

 

 極限に高まった青光と黄光が、両者の中央に収束する。

 

 勝負は、眩い光がぶつかり、破裂する一瞬だった。

 間髪入れず、飛び出した二人の剣が交差する。そして――

 

 

「……引き分け、か」

「……みたい、だね」

 

 

 上から斬り下ろす剣と、下から斬り上げる剣。聖剣と気剣は、互いの首を撫で合っていた。

 

『決着! ついに決着ー! 両者、引き分けだあああああああーーーーーっ!』

 

 この日一番の大歓声が上がり、後々まで酒の肴に語られることになる一戦は幕を閉じた。

 

 

 

 試合後、改めてレオンと握手を交わした。

 

「本当に強かった。よくぞそこまで高めたものだよ」

「俺もだよ。こんなに強い"人"がいるなんて思わなかった」

「はは。やっぱりユウ君はすごいな。心から君を尊敬するよ!」

「ちょっ……わ、硬いって!」

 

 親愛を込めて、万力で抱き締められた。身長差で抱っこに近い形になり、あちこちで黄色い歓声が上がる。

 やめろ! こういうのされると恥ずかしいから!

 

「まいった! 降ろしてくれ!」

 

 何度も鎧をタップすると、やっと彼は俺を解放してくれた。

 

「ふう……。せめて鎧脱いでからにしてくれよ。痛いから」

「ははは。ごめんよ」

 

 すると彼は、ちょっと悔しそうに眉をしかめた。

 

「君にはまだ、余力があるように見えた。違うかい?」

「いいや。全力だったよ。間違いなく俺自身の出せる全力だった」

「ほう。そうかな? でも、もしこれが実戦だったら……引き分けでなく、僕は負けていたかもしれないね」

 

 最後も爽やかな笑顔を見せて、彼はクールに背中を向けてファンのいる人込みへ入っていった。

 

 ――ふう。まいったな。全部お見通しか。

 でも本当だ。なりふり構わなければ、そりゃあまだやりようがあるさ。けどそれは俺の本当の実力じゃないし、君に使うことはきっとないだろう。

 まあ使う日が来ないといいけどね。

 お祭り騒ぎでいつまでも下らなく盛り上がれる。そんな毎日が続けばいい。

 立つのも辛いくらい出し切った俺は、心地良い風を肌に感じながらそう思うのだった。

 

 ちなみに、ユイには後でたっぷりお説教を食らいました。稽古では厳しいジルフさんに褒めてもらったのが一番嬉しかったかな。



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75「ユウ、シズハと少し話す 1」

 大会の翌日、出発前のランドを引き留めてまた心を通してもらった。

 途中、暗くて色んな記憶や感情が渦巻いている不思議なところを通って行かないと、二つの世界は行き来できない。気を強く持っていないと辺りの記憶や感情に引っ張られて変になってしまいそうになるので、ここを通るのは結構しんどい。

 それにしても、なんだろうな。この『心の世界』に似たおかしな場所は。

 シンヤとシンのときもそうだった。空間の中に詰まっている記憶や感情が違う人のものであるだけで、見た感じや枠組み自体は一緒のようだ。

 今進んでいるところは、リクとランドの心が繋がって通り道になってくれているけど、ここ以外にもかなり広がってそうなんだよな。ただ、通り道になっているところ以外は行こうとしても行けない。行けたら調査してみたいんだけど。

 どうも二つの世界を結ぶ中継地点というか、ここまで広いともはや第三の世界と言った方がいいのかもしれないが、この薄暗い空間がずっと広がっているらしい。そして、個々人にパーソナルスペースが割り当てられているような感じだ。

 

 

〔ラナソール → トレヴァーク〕

 

 

「よっと」

 

 前に通ったときは気分が悪くなったけれど、覚悟ができていた分すんなり通って来られた。

 振り返るとリクが立っている。彼は白モップに身を固めて、襟を正しているところだった。

 

「8時ぴったりですね。ユウさん」

「うん。この間は悪かったなと思って」

 

 ランドがいるときじゃないと行けないので、どうしても毎回この時間に来られるわけじゃないんだけど。

 

「ばっちり決まってるね。もう面接か?」

「企業説明会に行ってくるだけですよ。ユウさんは?」

「普通に調べ物かな。あとハルに会いに行くつもりだよ」

「そうですか。ああ、くそ~。僕も行きたかったですけど……仕方ないですね。後でお話聞かせて下さいよ」

「いいよ。じゃあまた夜に」

「はい。また夜に」

 

 リクに別れを告げて、トリグラーブ市街へ出た。

 実は今日、例の募金の裏を取る作業をするつもりだったんだよね。本当はリクを連れていってあげてもよかったんだけど。危ないかもしれないから、たまたま説明会でよかったのかもしれないな。

 

 それで、シェリーに聞いたドムスリーという医薬開発基金のある所在地を調べて、向かってみたのだけど……。

 壁、だな。

 鼠色の壁を前にして、危うく怪しい独り言になりそうだった。

 近くも探してみたけれど、結局ドムスリーなんてものは影も形もない。

 もう詐欺か何かで確定っぽい気配になってきたけど。これ、止めさせてあげた方がいいよな。

 アイドルに蔑まれても、道行く人に冷たい目を向けられても、自分の正しいことを信じて健気に募金を続けていた彼女を思うと、心が痛くなる。

 ただドムスリーは架空だけど、エクスパイト製薬には金が行っているらしいと。大企業の名を使うにしてはやり口がお粗末過ぎる気もするが。

 とにかく、集金の人は疑ってかかった方が良さそうだ。

 さて、次はどうしようか。エクスパイト製薬も見学しに行っておくか? まあよその人を奥に入れてくれるとは思えないけど。あの会社結構黒いって言うしな。

 

 そうだ。毎度のことながら、ぴたっと俺に張り付いている人が一名ほどいるんだよね。それも裏事情に詳しそうな人が。

 感じ慣れた気配にもはや親近感すら覚えつつ、人気のないところへ歩を進めて、振り返る。

 

「なあ。ちょっと相談してもいいかな? シル」

 

 一見誰もいない電柱の影に向かって声をかける。

 しばし沈黙が続いたが、突然、ヒュン、と物音がした。

 

「わっと」

 

 眉間目掛けて何か――え、矢か!? 矢が飛んできたので、首を動かして避ける。

 先ほどまで額のあった位置を通過して、後ろの壁にサクッと突き刺さった。躊躇いなく、真っ直ぐ綺麗に突き刺さった。

 よく見ると、白い紙が括り付けられている。

 矢文とはまた古典的な……。

 というか、今絶対狙ったよね。あわよくば殺すつもりだったよね?

 俺じゃなかったら死んでるかもしれないよ……。ある意味信頼してくれてるのか? 嫌だなあ、そんな信頼のされ方。

 この世界許容性低いから、あまり速いもので攻撃して欲しくないんだよな。今のも楽勝ってほど余裕はなかったし。

 びびったけれど、気を取り直して矢文を開いてみる。可愛らしい丸文字が目に飛び込んでくる。

 こういうところは女の子だな。で、なんだって。

 

『シルって言うな!』

 

 終わり。以上である。

 ひどい。さすがにこんな内容で命を狙われたんじゃたまらないよ!

『シルって言うな!』が額に突き刺さってくたばっている自分を想像して、情けなくなる。ほんの少し怒りも覚えた。

 いけないいけない。こんな下らないことで怒っているようじゃ。

 俺は無理に笑顔を作り、懐から取り出す振りをして『心の世界』からノートを取り出して、一枚破った。ちょっと音が大きかったかもしれない。一つ深呼吸して、気持ちを整えて、一筆したためてから丸めて投げ返す。

 

『どうしてそう付け狙うんだ。別に君に何もするつもりはないよ』

 

 ややしばらく待っていると、向こうの電柱の影から白い手が覗き、ひょいと丸めた紙を投げ返してきた。

 拾い上げて広げてみれば、しっかり一行書き足されている。

 

『あなた、思った以上に注目されているのよ』

『夢想病の件で?』

 

 さらに一行書き足して投げ返す。自分でやってて思うけど、なんだろうこのコミュニケーション。

 ただ彼女、よほど姿を見られたくないらしくて。こうでもしないとまともに話してくれそうにないんだよな。

 このやり方が気に入ったのか、シルヴィアの中の人はそのまま会話を続けてくれた。

 しかも結構な勢いで飛んでくる。ナイスピッチャーだ。地味に楽しんでないか?

 

『それもある。他にも色々。今やあなたの一挙一動が注目されている』

 

 そうか。夢想病を治したというのが最大だろうけど、ラナクリムでも結構やらかしちゃったっぽいしな。彼女の追跡をまき続けていること自体も注目に値することなのかもしれない。

 

『俺にどうして欲しいんだ』

『これ以上余計な首を突っ込まない方がいいわよ』

 

 温かい言葉ではないが、彼女なりの親切と受け取った。

 もしかするとこの一件、辿っていくと大きなところに繋がっているのかもな。エクスパイト製薬と繋がっている噂のあるところと言えば……。

 

『なぜ』

『私も「仕事」をしなければならなくなる』

『エインアークスのか?』

 

 しばらく紙が返って来なかった。『心の世界』にも動揺が伝わってくる。

 カマをかけてみたんだけどな。当たりだったみたいだ。

 エインアークス。数ある闇組織の中でも最大のものであると色んな本で見た。まあマフィアみたいな連中だ。悪いこともたくさんするが、裏社会の秩序を保っている要でもある。必要悪みたいなものか。

 やがて、いらいらしたような力任せ投げのど真ん中ストレートで返球が来た。

 

『死にたいの?』

『もちろん死にたくはないよ』

『じきに見過ごせなくなる。手段はいくらでもあるのよ』

『簡単に始末できるとは思わないことだ。あまり俺を見くびらない方がいい』

 

 少し言っておきたい言葉だった。

 容姿や普段の雰囲気から舐められがちではあるんだけど、これでも色々戦ってきてるからね。

 

『そう。忠告はしたわよ』

『ありがとう。あと身分証明証とか色々』

『別に。あなたのためじゃない。余計な仕事は増やしたくないだけ』

『またラナクリムしような』

 

 そう返すと、またしばらく沈黙が続いて。

 電柱の陰から、そろそろと白い手が覗いた。

 ピッ。

 親指が立った。ばっちり立っている。俺も立て返してやった。

 それきり、とりあえずはもう話すことはなかった。ずっと付いてきてはいるのだけど。

 あの子、本当は裏の仕事向いてないんじゃないかな。ゲームやってた方が楽しそう。何となくそう思った。



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76「ユウ、シズハと少し話す 2」

 そう言えば、シルヴィアの中の人に相談しようと思ってたのに、結局できなかったじゃないか……。

 さすがにもう今日は何も話してくれないだろうなと思いつつ、しかし紙でもリアルでまともに会話できたのは初めてなので、収穫と思うべきなんだろうな。

 それに、実質的に欲しい情報は得られた。エインアークスか、何らかの裏組織が一枚噛んでいる可能性があること。募金を掠めるなんてせこい真似、上がするとは思えないから、きっと末端の誰かが始めたことに味をしめた誰かが乗っかって、大企業の名を借りて使わせてもらっているんだろう。

 彼女は親切にも、前もって釘を刺してくれたことになる。俺よりはまず、リクの身の安全のために。

 そうなるとだ。俺も少し動き方を考えた方が良いかもしれない。

 優先順位を付けよう。シェリーにあまり傷つかずに募金を止めてもらうのが一番だ。金を騙し取ってる連中は気分は悪いけど、勝手にやらせておけばいい。世の中には腐るほどいるからね。この手の小悪党は。

 下手にちょっかい出して刺激すると、メンツだなんだとうるさくなる恐れがある。事を荒立てたくないという、シルヴィアの中の人(いい加減、名前を知りたい)の心を今回は汲んであげたい。

 ……こういう割り切り方、大人になっちゃった気がするなあ。良くも悪くも。

 

 すると、突然電話が鳴った。番号を交換したシェリーからだ。もちろん出る。

 

「はい。もしもし」

『もしもし。シェリーですけど……。今、お時間大丈夫ですか?」

「うん。大丈夫だよ」

 

 なんてタイミングだろうか。ちょうど考えていたところに。どんな用件だろう。

 やっぱりというか、募金に関する話だった。シェリーが先走って集金の人に俺のことを伝えたらしく、向こうの方が盛り上がってしまったみたいだ。

 

『と、いうことですので、都合が付けば明日にでもぜひお会いし、お礼を言いたいと』

「へ、へえ。なるほど。うんわかったよ」

『はい。よろしくお願いしますね』

「ああ。それじゃね」

 

 電話を切った直後、俺はその場で頭を抱えた。

 まずった! 5000ジットとか調子に乗って盛るんじゃなかった。完全に裏目に出ちゃったよ!

 まさかこんなにがっついてくるせこい小悪党だったとは。想定外だ。

 向こうがそういう性格してるとなると、穏便ドロップアウトプランは無理か。シェリーが止めようとしたら、何だかんだで続けさせられそうだ。脅しも含めて。

 で、俺だ。俺はこんなカモみたいななりしてるから。やっぱやめましたって言ってもさ。

 ダメだ。ゆすられて返り討ちにする未来しか見えない。大事まっしぐら。

 どうしたらいいんだ。助けて。シルヴィアの中の人さん!

 縋るような目でアドバイスを求めてみたが、返事は来ない。代わりにガン、と勢い良く壁を殴る音が返ってきた。どうやら彼女も相当頭が痛いみたいだ……。

 

『暴れよう』

 

 母さんが半分入っている姉から、ばっさり過ぎる一言アドバイスがきた。

 余計なことで悩むなと。お前その気になったらエインアークスだろうが何だろうが正面突破できるじゃないかと。

 確かにやればできなくもない気がするけど。自分で言っててすごいな結構。

 

『もうちょっと平和な道を探りたいんだ』

 

 母さんじゃあるまいし。繰り返す。母さんじゃあるまいし。

 

『でもユウさあ、いつだか敵の中枢に殴り込みに行ったよね。エルンティアのときとか』

『いやあれは、そうするしかなかったからやっただけで……』

『その割には乗り気だったよね。他にも、あんなことやこんなことや』

『うーん……』

 

 あれ。俺、いつの間にかしっかりと母さんの血を引いてる? 振り返ってみたら結構滅茶苦茶じゃないか? 常識人のつもりだったのに。

 リクやシルヴィアの中の人さんからもよく白い目で見られてるし。どこに置き忘れてきたんだろう、常識。

 

『わかった。いざとなったら戦う覚悟を決めるよ』

『うん。なるようになるよ。そのときはサポートするから』

 

 心を固めると、気が楽になった。

 そうだな。くよくよ思い悩んでみても仕方がない。最悪を想定して、そうならないように行動して、なってしまったらそのときだ。

 というかさ。大会で調子に乗っちゃったのをあれだけ叱っておいてだよ。さらっとこういうこと平気で言う辺り、君も大概だと思うんだよね。女になって君とくっついてるとき、たまに妙に攻撃的になってしまうの(特に変態に対して)、あれ絶対君のせいだと思うし。

 

『聞こえてるからね』

『はい。ごめんなさい』

 

 誰でもいいから聞いて下さい。悩みがあります。姉に嘘が吐けません。隠し事ができません。

 

『それも聞こえてるからね』

『ああもう! わかってるよ! ちょっと言ってみただけだよ』

『あなたがしっかりしないから、私がいるってことを忘れないように』

『そうですね。言う通りですね。どうせ俺はいつも君がいないとダメな甘えん坊ですよ』

『うんうん。よくわかってるね。素直ないい子は許してあげる』

『あー許してくれてありがとう』

 

 また負けた。ユイには昔から敵わないな。

 心の会話でよかった。いつも万事こんな調子だってもし誰かに知られたら、とても恥ずかしくて生きていけないよ……。

 

 おっと。だいぶ脱線してしまったような気がするけど。彼女は大丈夫だろうか。完全に俺の失態だ。さすがに怒ってしまったかな。

 

「シルヴィアの中の人さん……?」

 

 呼んでみたが、当たり前のように返事はない。

 しかし、何の前触れもなく。

 ヒュン。

 また矢!? とりあえずかわすと――

 シュコン! 良い音を立てて、前のやつよりも勢い良く刺さった。

 そしてまた矢文か……。一々眉間狙ってくるの、心臓に悪いからほんと止めてくれよ。

 それに今チラッと陰から覗いたの、コンパウンドボウじゃないのか。一体どこから持ち出してくるんだよそんな物騒なもの。

 とにかく、そうまでして言いたいことがあるのなら、よほどのことだろうと思い。

 

『変な呼び方するな!』

 

 終わり。

 ……お前。いっぺん泣かせてやろうか。

 つい反射的に喉から声が出かけたが、どうにかすんでのところで自制した。

 危ない危ない。ラナソールノリに毒されちゃいけないよな。もうかなり浸かってる感じはするけど。

 ラナソールとトレヴァークに来て一番学んだものがあるとしたら、突っ込みスキルだと胸を張って言える。

 努めて仏の精神でノートをまた一枚破り取り、微妙に震える手で字を書いて渡した。

 

『じゃあなんて呼べばいいんだ?』

 

 すると、長い長い沈黙が続く。

 一分は待っただろうか。無視でも決めるつもりだろうかと思っていると。

 

 

「……シズハ」

 

 

 喋った。小さな声で。ほんの一言だけだけど。確かに喋った。

 デレた!? 初めて声聞けたぞ!

 長い戦いだった。本当に長かった。感動的ですらある。

 シルのキャラと違って、結構暗い感じの物静かな声してるんだね。

 

「シズハ。それが君の名前なんだね」

 

 コツン。軽く壁を叩く音がする。はいの代わりと捉えていいだろう。

 今ならもう少し仲良くなれる気がした俺は、調子に乗って一歩踏み込んでみることにした。

 シルヴィアがシルだから……シズハなら。

 

「シズって呼んでいい?」

「…………シズって……言うな……!」

 

 さすがに怒らせてしまったらしい。

 さらに矢を数発追加撃ち込まれた後、とどめに煙玉まで使われて。かなりむせた。

 煙が晴れ上がる頃には、彼女はすっかり遠ざかっていた。

 本当に、無茶苦茶する奴だな。

 呆れながらも、ふと足元に一枚の置き手紙があることに気付く。拾い上げて読んでみる。

 

『下員の不始末。何とかしてみる。成功すればわかる。失敗時は、あなたの携帯にワン切り』

 

 なるほど。仕方ないから、力になってくれるみたいだ。ありがたい。

 それにしても。うん……。なんか、忍者みたいな子だな。

 シルヴィアの中の人は、やっぱり変な人だった。



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77「ユウ、ハルとデート? する」

 急に明日予定が入ってしまったけど、とりあえず今日はできることがない。シズが何かやってくれるそうなので、期待して待っているしかないかな。

 よし。ぼちぼちハルのところへ行こうか。

 彼女の元へ訪ねるのは、シンヤを治療した日以来だ。同じ世界の記憶と問題意識を持つ「戦友」への近況報告という意味合いもあるけど、病院暮らしで退屈しがちなあの子は、きっと喜んでくれるだろうと思ったのが一番の理由だったりする。

 シズも離れていることだし。多少は話もしやすいかな。

 

 電車を乗り継いで、トリグラーブ市立病院までやってきた。ユキミ ハルへの面会を受付に伝えると、もう何度も来ているのもあって、すんなり通してもらえた。

 彼女の病室は、701号室だったね。

 ドアの前でノックすると、「どうぞ」と明るい声で返事が来たので入る。

 

「来たよ。ハル」

 

 俺の姿を見るなり、彼女はぱああっと光が射したように顔を綻ばせた。

 

「ユウくん! わー、来てくれたんだね!」

 

 両手を広げて、いっぱいに喜びを示してくれる。可愛いなあ。

 足がまともに動いたら、きっとすぐ飛びつかれていただろう。そのくらいのはしゃぎようだ。

 

「どうしたの。やけに嬉しそうだね」

「いやあ。だってね。討伐祭のユウくん、とっても強かった。カッコよかったね! ボク、嬉しくて。感動してしまって」

 

 ああ。それでか。

 納得した。この子は純粋にヒーローとかそういうものには目をキラキラさせるので。今の俺はさぞかし英雄の帰還みたいなものなんだろう。

 

「君も来てたんだ」

「うん。キミのこと、ずっと見てたよ。楽しかったなあ」

 

 目を瞑り、たぶん討伐祭のことを思い浮かべながら、手をベッドシーツの上でぱたぱたさせている。微笑ましいものだ。本当に楽しかったんだろうなあ。

 それからしばらくは、大魔獣討伐祭の話題で持ち切りだった。特に俺とレオンとの試合の下りになると大興奮で、受付のお姉さん顔負けの臨場感たっぷりに振り返り、あのときはこのときはと次々尋ねてくる。少なくとも向こうでは、あの戦いを目でしっかり追えるくらいの実力者ではあるみたいだ。

 何かにつけて「ユウくん」の凄さを当人に向かってとくとくと語るものだから、聞いてるこっちとしては嬉しいやら気恥ずかしいやらでいっぱいだった。

 

「まあ、レオンとは結局引き分けちゃったんだけどね」

「いやいや。引き分けただけでも大したものだよ!」

「はは。そうかな」

「そうだよ! みんなまさか、あそこまでユウくんができるとは思ってなかったと思うよ? まあボクはキミのこと、ずっと信じていたけどね」

「ありがとう。もし次機会があったら勝てるように、もっと鍛えるつもりだよ」

「うん。その意気だよ! 剣麗もきっとさらに腕を上げてくると思うから。負けないようにね」

「ああ」

 

 そうか。レオンもさらに強くなるかもしれないんだよな。

 でもあり得ることだ。ラナソールは許容性無限大。あの世界に限っては鍛えれば鍛えるだけまだまだ強くなる可能性がある。既にそこらの世界では許容性限界の頭打ちになり、単純な強さという点では伸び止まってしまっている俺にとっても、あれほど恵まれた環境はそうないだろう。

 あそこで強さの最大値を上げておけば、今後その最大値よりも許容性限界が低い世界に行ったとき、自動的にレベルMAXのような状態になってくれる。かつ、許容性縛りが効くので、効きのやたら悪い普通のフェバルみたいに強過ぎて困ってしまうこともない。ラナソールで鍛えるメリットはあれど、デメリットはないように思えた。

 よーし。ジルフさんとの修行、もっと頑張らないとな。

 

「あ、そうだ。そう言えば、ハルティ・クライって名前の冒険者の子がいたんだけど……」

「ああ。『剣姫』だね。キミと剣麗の試合の立役者になってくれた」

「あれは君じゃないのか?」

「んー、さあどうだろうね?」

 

 くすくすと笑われて、はぐらかされてしまう。

 うーん。わからない。この子、心を隠すのが相当上手いみたいだ。【神の器】の読心能力は漠然とした感情しかわからない。相手が隠したがっていることは中々読み取らせてもらえないからなあ。

 もしハルを二つの世界のパスにできたら、ほぼ固定位置で使いやすいんだけど。この調子だと向こうの彼女を見つけるまではお預けになりそうだ。

 それから、互いに夢想病や世界のことに関する進捗を話し合った。とは言っても、二人とも大した進展はなしだったのだけど。

 

「そうだ。ねえ、ユウくん」

「なんだ」

「ボクを外へ連れて行ってくれないかな?」

 

 得意の首ちょこんでお願いしてくる。病弱で可愛いボクっ娘がこんな仕方でお願いをしてきて、すげなく断れる男子がどれだけいるだろうか。この子、明らかに自分の武器をわかっていると思う。

 まあ別にだからってことはないけど。

 

「いいよ。やっぱり普段退屈だよね」

「誰かが付き添いでないと、外出許可をもらえなくてね」

「そうだよなあ。身体弱いし、足悪いもんな。家族とかに連れていってもらったりはしないの?」

「お父さんもお母さんも、もういないんだ。夢想病でね」

「そうか……。悪いこと聞いたね」

 

 シェリーと一緒の境遇というわけか。加えて自由に動き回れないとなれば。それはよほど寂しいし退屈だろうな。夢想う彼方の世界に愉しみを抱き、夢想病についてずっと考えてしまうくらいには。

 せめて俺のいるうちは、時々顔を見せてあげよう。そう思った。

 

「いいんだ。別に珍しくもないことだからね。最近は特に。だからこそ、何とかしなきゃと思うんだけどね」

「……あのさ。俺がもっと早く来てくれたらって思うことはなかったか?」

 

 どうしようもなかったことだけれど。俺がもっと早く来ていれば、君の両親は死なずに済んだのかもしれない。どうしてって気持ちはなかったのだろうか。

 彼女は少し考えて、申し訳なさそうに小さく頷いた。

 

「正直言うと、ちょっとだけ思わなくもなかった、かな。うん、身勝手だよね。ボク」

「いや、そんなことはないさ。普通の気持ちだと思うよ」

「ありがとう。でもね。それよりも嬉しい気持ちの方がずっと大きいよ。やっと希望が見つかったんだからね!」

 

 ハルは、キラキラした目で俺を見つめ上げて、にこっと笑った。

 

「そうだな。一緒に頑張ろうな」

「うん。頑張ろうね」

 

 改めて決意を固める俺とハルだった。

 

 

「さて、どこ行きたい?」

 

 車椅子を押しながら、ハルに尋ねてみた。こちらへ振り返った彼女は、実に楽しみな顔をしている。

 

「せっかくだから、少し遠くへ行ってみたいかな。向こうの世界みたいにね。大自然の中でね、いっぱいに日の光を浴びてみたいんだ」

「そうかあ。いいね。でも、さすがに日が暮れるまでには帰らないといけないからなあ」

 

 病院の人に確認したところ、夕食の時間までには必ず帰ってきて欲しいと、そのような返答がきた。

 あまり遅くなると心配させてしまうし、問題になって次から外出しにくくなるかもしれない。日が暮れるまでには帰るつもりだ。

 

「そこはほら、キミがいるじゃないか。どこへでも簡単にひとっとびだろう?」

「悪いね。ラナソールにいるときみたいに、何でもできるわけじゃないんだ。物凄く速く走ったりとかもできないよ」

「そっかあ……残念だなあ。うん、仕方ないよね」

 

 そんな露骨にがっかりした顔されると、心苦しいよ。

 なんとかできないか。なんとか。

 

「そうだ」

「ん?」

 

 走るで思い出した。こういうときのためのバイクじゃないか。

 

「バイクがあるんだ。それでドライブしよう」

「本当かい? 嬉しいな」

 

 外へ行き、ハル以外誰も見ていないことを確かめて、『心の世界』からバイクを出現させる。

 彼女には見せてあげた。どうやら俺の能力のことはある程度知っているみたいなので、今さらだろう。幸いシズハもいないことだし。

 実際に何もないところから出すのを見せると、ハルはすごいものを見たと大喜びで。

 

「わあ! 便利だね。キミの能力」

「まあね。それで、どうかな」

 

 我が愛車、ディース=クライツを手で示す。 

 エルンティアの誇る最高峰のマシンだ。こいつを見せるときは、ちょっと得意な気分になってしまうのは仕方ないだろう。

 

「うわー、カッコいいなあ!」

 

 車椅子から身を乗り出して、首を傾けながら興味津々にあちこち観察している。

 ああ、いいな。いいよその反応。待ってたんだ。わかる女子って素敵だと思う。ユイはあんまりわかってくれないからな。このカッコよさ。

 

『いや、普通には好きだよ。人並みにはわかってるつもりだけど』

『……あのさ。一々言及するたびに地獄耳で突っかかってくるの、心臓に悪いからやめてくれない?』

『え、やだ。それはあなたが大好きなお姉ちゃんに酷な要求というものだよ?』

『そうだね。うんわかってた。俺もユイのこと大好きだよ』

『うん知ってる。でもありがとうれしい』

 

 向こうの世界からでも余裕で素直な喜びが伝わってくる。やっぱりユイの心が一番よくわかるね。

 

『まあ半分あなたみたいなものだし、バイクとかも好きには好きなんだけど。そのものより、それを見て目をキラキラさせてるユウを眺める方が面白いんだよね』

『なるほど。なるほど』

 

 いつも通りの答えだったな。

 

 気が付くと、ハルは既にバイクからは目を離し、こちらをきょとんと見つめ上げていた。

 

「何だかとっても楽しそうな顔してるね、ユウくん。いいことでも思い浮かべているのかな?」

「えーと。まあ、そういうもんかな」

「ふうん」

 

 探り伺うように目を細める彼女。あはは。お見通しか。

 すると、あっと何かに気付いたように口を開けた。

 

「あ、でも、ラナソールから来たのに、免許あるのかい?」

「あるよ。……人からもらったやつが」

 

 シズハさんマジありがとう。

 

「もらった? あはは。本当に面白いね、キミは」

 

 ハルはくすくすと笑っている。まあ本物かどうかは知らないけどね。

 ああそうだ。一応エルンティアではきちんと勉強して、教習も受けて、一番上等の免許は持ってるよ。この世界の交通ルールも本で叩き込んである。だからどうしたって話だけど。

 宇宙共通運転免許とかあればいいのに。国際免許の超パワーアップ版みたいな。

 

「ところで出しちゃってから言うのもあれだけど、バイクは大丈夫か? しっかり掴まってないと危ないからね」

「うん。大丈夫だよ。上半身はちゃんと力が入るから。だけど、乗るのはちょっと大変かな」

 

 甘えた目で見つめてくるので、期待されている通りのことをしてあげた。

 

「わあ!」

 

 お姫様だっこになってしまったけど、こんなに喜んでくれているからいいか。

 

「はい、と」

 

 座席の上にそっと降ろしてやる。

 大型バイクなので、座っているというより乗っかっている感じだ。大人しくちょこんとしているのが、何とも可愛らしかった。

 

「ありがとう。ふふ、ユウくんってやっぱり男の子だよね。細いのに力持ちで」

「まあ君くらい軽い子なら朝飯前だよ」

「でもすごいなあ。ひょいって簡単に持ち上げちゃうんだもん」

 

 すると彼女が物欲しそうな目をするので、どうしたのかと思っていたら。

 

「ねえ。ちょっと腕、触ってみてもいいかな?」

「え? まあ、いいけど」

 

 別に減るもんじゃないしな。

 左腕をめくって出すと、小さな白い手で興味津々に触ってきた。

 

「わー、すごいね。鍛えられてるね! 外はカチカチなのに柔らかくて」

「あんまり言うと恥ずかしいよ……」

 

 鼻息混じりでしきりに二の腕をふにふに愛でるものだから、最初はよかったけど段々もどかしくなってきた。適当なところで切り上げる。

 

「はい終わり。そろそろ行くよ」

「ああー……うん。そうだね」

 

 二人乗りのバイクの前方座席に腰掛ける。大の男よりは小さい俺が乗ってもやや余り気味だ。

 しっかり掴まるように言うと、彼女は両手を脇に回した。

 それだけならよかったんだけど……後ろで、シートの擦れる音がした。うんしょ、と小さく声を出しながら、馬乗りの姿勢のまま身体の位置を前へずらして来ている。

 間もなく、背中と前がぴったりくっついた。

 うわあ。ハルが……べったりだ。完全に預けている。いつかのユイみたいに。

 あのね。確かに掴まれとは言ったけど。そこまで全力でしがみつけとは言ってないよ!

 どうしよう。ユイよりはずっと感触控えめだけど……その、やっぱり当たってるんだけど。

 

「やっぱり男の子だなあ。背中も大きい。ボクとこんなに違うんだね」

 

 こちらの動揺もお構いなしに、楽しそうに身を寄せる彼女に対して、

 

「あ、あのさ。君も随分無防備だよね」

 

 微妙に上ずった声で、どうにか最低限の体裁だけは保ったつもりで言った。それも怪しいけど。

 思うんだ。そう割合は多くないにしても、世の中の女性のいくらか、俺に無防備過ぎやしないだろうか。

 俺だって男だ。これでも狼なんだぞ。そそり立つものもあれば、込み上げるものだってあるんだ。一番盛りたい時期に肉体が止まっちゃってるから、余計にね。

 自他ともに認めるむっつりだし、たぶん結構エッチだ。甘えたいし、くっつきたい方だという自覚もある。最大限気を付けてはいるけど、絶対間違いが起こらないとは限らないじゃないか。

 ……特に、さっきからこんな風に好感たっぷりに甘えられたら。

 ミティのようなごり押しより、こちらの方がくるものがある。

 リルナリルナリルナ。落ち着け。

 

「そうかな? 前も言ったけど、相手は見極めているつもりだよ」

「でも気を付けた方がいいと思うよ。もし想定以上のことになったら、跳ね除けられないじゃないか」

「ふふ。心配してくれてるんだね。でもボク、別にユウくんになら何されても平気だよ。優しくしてくれそうだし?」

「はは……そういうの、反応に困るなあ」

 

 リクじゃないけど、結構タイプかも。って、いけないいけない何考えてるんだ冷静になれ! リルナリルナリルナ!

 相手は17歳だぞ。いくら多少強いところがあったって、さすがにリルナほどじゃない。身体も弱いし、病院の外の世界も、男もあまり知らないだろう。そもそも愛より、実に少女らしい憧れで想いを寄せてきてる子だ。それがわかっていて、そんな子を衝き動かれるままに食べて、時期が来たらごめんさようなら。

 絶対にダメだ。傷付ける。泣かせるに決まってる。

 そんな俺の葛藤を知ってか知らずか、ハルは無邪気なのか計算ずくなのか、とにかく喜んでいる。さらっととんでもないことも言い出した。

 

「あ、そうだ。これは一応デートになるのかな?」

「ぶっ!」

 

 さ、寒気が……。またリルナ案件が増えるから! やめてくれ!

 

『にやにや』

 

 君も一々にやにやするのやめろよ! もう!

 

「ん、その顔……既に想い人でもいるのかな?」

「ま、まあね」

 

 ちゃんと本当のことを言うと、ちょっぴり残念そうに彼女は口をとがらせた。

 やっぱり好意を持たれているみたいだ。それもかなり。なんか俺、最近モテ期来てないか。

 

『来てるね。うん。来てる。お姉ちゃんちょっと複雑な気分だよ』

『今までこんなにモテたことなかったよな。君の話だと、レジンバークでも結構モテてるらしいし。どうして急に』

 

 ラナソールとトレヴァークに来てからだ。

 ユイと分離してしまったことで、女成分が足りなくなって、知らず知らずのうちにオスが強まり、求めるフェロモン的な何かが出ちゃっているとか? そこに成長から若干頼れるアトモスフィアが出てきたのと噛み合って。てか何だよ女成分って。意味わからないよ。

 セルフ突っ込みを入れていると、ユイはうんうんと頷いてから言った。

 

『まあどうしても妬いちゃうけど。私はあなたをちゃんと任せられそうな人なら、誰と付き合っても干渉はしないから。ユウの好きに生きていいからね』

『うん。ありがとう』

 

 ということは、ユイ的にはハルは合格なんだろうか。ミティはダメで彼女はOKな基準がわからないけど。

 

『でも、リルナさんとのことはちゃんと自分で責任取ってね。知らないからね』

『はい』

 

 そりゃあそうだ。君の言う通りだ。大人が自分の色恋沙汰のけじめくらい付けられなくてどうする。

 

「ふふ。ユウくんはわかりやすいよね」

「悪かったね。わかりやすくて」

「まあ予想できないことではなかったよ。キミみたいな人は、いつまでも女の子は放っておかないだろうからね」

「そうかな」

 

 言っちゃ悪いけど、レンクスとかアーガスとかの方がよっぽどカッコいいと感じることが多かったよ。俺には。あれこそ放っておかないだろう。

 ……女として二人を見てきて、たまにドキドキしちゃったときの補正もたぶん入ってるけど。

 

「そうとも。でもやっぱりかあ。ちょっと残念、かな」

「あはは。ごめんね。本当に」

 

 しっかりと目を見て謝る。ハルは聞き分けの良い子だ。きっとわかってくれる。

 

「いいとも。ボクの知る限り、その人は近くにはいないようだけど……」

「そうだね。今は、とても遠くにいるよ」

「だと思ったよ。でも大切に想っているんだね?」

「ああ。ずっと大切に想っている」

「ふふ。いいなあ。羨ましいよ。まあキミ、見るからに一途そうだもんね」

 

 納得したように頷くハル。何だか申し訳なくて、俺はもう一度謝った。

 

「うん。本当は、君のことも受け止めてあげられたらよかったんだけどね。ごめんね」

「謝ることはないさ。それでいい。いいや、それでこそユウくんだ! その気持ちは大切にすべきだと、ボクは思うよ」

「ありがとう」

「それに……ボクの貧相なカラダじゃあね。何の魅力も、ありがたみもないだろうからね……」

 

 ハルは溜息を吐いて、肩を落とした。顔にはそれなりに自信ありそうだけど、カラダの方はよほど自信がないみたいだ。

 でもだ。俺に言わせればだよ。いや、リクもまずそう言うだろう。トリグラーブの男性千人にアンケートを取ってもいい。

 何を言ってるんだ。君は自分の魅力がわかってるようで、何にもわかっていない! そこが可愛いんじゃないか!

 思わずそのままの勢いで力説しそうになったが、ぐっと堪えて優しく諭すように言った。

 

「そんなことはない。もっと自信を持っていい。とても魅力的だと思うよ」

「それは……本当かい?」

 

 まだ自信がなさそうにもじもじしている。そんなハルの目をもう一度しっかり見て、本当に本当のことだから言った。

 

「思うさ。ほら、君がくっつくせいで、こんなにドキドキしてるんだ」

 

 証拠にと、ハルの手を引っ張って、自分の胸に押し当てる。高鳴る心臓の鼓動が彼女に伝わって、彼女はあっと口を開けた。そしてどこか安心したような、心から嬉しそうな顔をした。

 

「ね。だから、気を付けてくれよ」

「もう……。そういうところがね。ずるいよね、キミは」

 

 ……女たらし認定されてしまった。アーガスごめん。俺もそっち側になりそうだ。

 

「でも、そっか。ユウくん、ボクでもこんなに喜んでくれるんだ」

 

 ん、あれ? また変な方向に希望を与えてしまったか……?

 色々心配になる中、ハルは何やらすっきりしたようで。もうすっかり明るさを取り戻していた。

 

「ねえ。これからも良い戦友でいようね。ユウくん」

「あ、ああ。もちろんだよ。ハル」

 

 笑顔と一緒にぱちりとウインクが飛んできたとき、思わずドキリとしてしまう。

 やばい。これだから、正面から好きで来られると。弱いなあ、俺。

 慌てて目を反らし、前を向く。とにかく、気持ちを切り変えよう!

 

「よ、よし! ぼちぼちいくぞ!」

「う、うん。そうだね。楽しみだよ」

 

 おずおずと、今度は控えめに「気を付けて」掴まってくれたので助かった。 

 えーと。どこにしよう。町の北。うん。トラフ大平原がいい。あそこは見晴らしがいいからな。そうしよう!

 キーを回す。エンジンが入る。たまたま旧来式の設定だから、エンジン音が鳴る。

 アクセルを踏み込む。早く。早く走れ。

 

 ブルンブルンブルン……ガガガガガ……ぷすん。

 

 あっ……。

 

 ……エンストした。

 

 しまった。いきなりアクセル強く踏み込み過ぎた……。何やってんだ!

 頭を抱えたい気分だった。墓穴があったら飛び込みたい!

 非常に情けなく、また申し訳なく思い、後ろのハルを見やると。

 

「……ぷっ」

 

 彼女が吹き出すのが、ほぼ同時だった。

 

「あははははははははは!」

「あ、はは、は……」

「ユウくん。動揺し過ぎだよ! もう、かわいいなあ! あははははははははははは!」

「「……あははははははははははは!」」

 

 一緒に大笑いした。馬鹿みたいで可笑しくなって、半分やけくそになって笑った。

 でも泣きたい! 超カッコ悪いよ!



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78「ユウ、ハルとデートする」

 動かなくなったバイクは、この世界だと(テクノロジーの関係で)直すのが大変そうなので、ラナソールユイ修理センターへ送ることになった。まさか自分が自分たちで作った何でも屋に依頼することになるとはね……。

 二十分ほど待っていると、ユイから完了の連絡が来た。エーナさんと協力して、魔法で何とかしてくれたみたいだ。ちなみに対価は肩揉みということで。帰ったらしてあげよう。

 

「ユイちゃんに直してもらったんだね?」

 

 まだ思い出し笑いをしているハルに、これしばらく弄られるのかなと恥ずかしい気分になりながら頷く。

 まあとにかく物は直った。仕切り直しだ。しっかり気持ちを切り替えるために、一度咳払いして呼吸を整える。

 

「こほん。では気を取り直して」

「出発進行だね」

 

 落ち着いてアクセルをかける。さすがに今度はちゃんと動いてくれた。

 というか、普段は多少強くアクセル入れてもエンストなんかしないんだけどな。神懸かり的に間が悪いよ。

 トリグラーブ市立病院は大通りに面している。まずこの大通りに出て、そのまま北に向けて進む。

 エンジン音は鳴らしたままだ。静音式にもできるけど、人もたくさんいるのに静か過ぎる運転音も問題な気がするので。

 車や人通りが多く、時速約70km(日本より少し速いな)の速度制限もあるため、あまり馬鹿みたいなスピードは出せない。風雨を防ぐブロウシールドも今は切ってある。その方が風を直接感じられて、ハルには好評のようだ。

 

「気持ちいいね」

「どうだ。気分転換になりそうか」

「うん!」

 

 道を曲がるとき「曲がるよ」と言うと、彼女はそのときだけ身体をくっつけて、腕に力を込めてぎゅっとしがみ付いてくる。何も言わず信頼して身を預けてくれるのがまた可愛らしかった。

 

 途中、とりわけ大きな道とぶつかった。トレヴィス=ラグノーディスという大幹道だ。『世界の道』と呼ばれていて、なんと片道十車線もある。トリグラーブの中心部を貫くようにして大きく東から南へカーブし、そのまま遥か南の都市ガウマまで繋がっている。

 普段出かけることもないハルは、ニュースで知ってはいても実物を見たことはないらしい。後ろから弾んだ声が聞こえてきた。

 

「わあ、道広いねー。車多いね!」

「俺もこんなに広いのは見たことないな。四車線くらいならあるけど」

「向こうじゃこんなに広い道はないからね。これだけ車多いのもフェルノートくらいだし」

「そうだね。あそことレジンバークの発展具合の違いには驚いたよ。同じ世界でああも違うもんなあ」

 

 地球でも地域差というものはあるが、少なくとも数百年レベルの違いは中々お目にかかれるものじゃない。よほど未開の地、ごく狭い地域に限られるだろう。エディン大橋を隔てる形で、世界の半分ずつで文明レベルがあれだけ違うのは、理想粒子の存在を加味してもよほど奇妙なことだ。

 それはハルも感じていたみたいで、こんなことを言う。

 

「夢想の世界だからじゃないかな。現実的な整合性よりも、夢想の総和が世界を形作るとは考えられないかい?」

「なるほど。ある者たちは可能性と冒険を望み、ある者たちは豊かさと安定を求めた。その結果があれか」

 

 そうして自然と作り分けられ、住み分けられていったということなのだろうか。理想粒子であるメセクター粒子がフロンタイムにだけ存在し、ミッドオールには存在しないのも、それを望む者たちと望まない者たちがいるから?

 そんなことで世界そのものの定義、あり方さえがらりと変わってしまうとしたら――どんな世界なんだそれは。

 空恐ろしいものを感じつつ、トレヴィス=ラグノーディスを今回通ることはないので、横切ってスルーした。

 

 やがて街外れまで来ると、徐々に交通量も落ち着いてくる。立ち並ぶ家々も高層ビル群から民家の集まりへと変わっていく。道の先には、トラフ大平原の緑色がもう見えている。

 速度制限いっぱいまでは上げられそうなので、少しばかりアクセルを強めた。

 

「おっと。速くなったね」

「本当はもっともっと速いんだけどね。町中で飛ばすわけにもいかないからさ」

「トラフ大平原は、確か途中から速度制限がなかったはずだよ」

「じゃあそこまで行ったらちょっとだけ本気を出してみようか」

「うん。楽しみ」

 

 そのうち民家がまばらになり、一気に鮮やかな緑が開けた。

 サークリスの隣にあったラシール大平原のように、どこまでも同じ種類の草がびっしり生えていて、どこにも生物がいないような不毛地帯ではない。

 色とりどりの花や草木がそこかしこに溢れ、所々小さな水池や川も見える。生物も大小多種多様で、鳥や獣などがあちこちで活発に動き回っている。よく目をこらすと、虫もたくさん生息している。

 そして、地球ではお目にかからない動殻菌類(外敵から身を守る殻を持ち、動物のように活発に動き回る菌類)と、それを捕食するために進化し、巨大化したクラーバクテリアファージというのもいた。俺の感覚からすると、不気味な感じのする生き物たちだ。

 ラナソールの魔獣は、しばしば人を何人も簡単に丸呑みにできるほど大きかったりするけど、こちらの生物のほとんどはそんないかれた大きさではないみたいだ。

 野生の大型モコも群れを成して走っている。いたるところ、大自然の豊かさが感じられる光景だった。

 

「あっ、あの青いのなんだろう?」

 

 ハルが指さした方向を見てみる。遠くなので少しわかりにくいけど、あれは――

 

「えーと。あれは――ムルだね」

「ムルなんだ。へえ、野生のムルってあんなに大きいんだね。ボク、野生のは初めて見たよ」

 

 ムルはひんやりした青い身体を持つ獣類で、イルカをデフォルメしたような可愛らしい顔をしている。陸の水生生物とも言われている。肌を触るとぷにぷにで、トレヴァークには存在しないけれど、ラビィスライムの感触にちょっと近い。

 モコがきゅー、と高い声で鳴くのに対して、ムルはむー、と何だか間の抜けたような鳴き声を出す。ゆるさが受けて、結構女性に人気だったりする。

 小型化品種改良したものはモコと人気を二分するペットであり、日々愛好者たちによるモコムル戦争が勃発している。そういや討伐祭にも、モコモコ同盟とムルムル同盟がいたっけ。

 

「ボク、モコ派かなあ」

「俺もどちらかというとモコ派かな」

 

 先に出会ったのがそっちだからね。モッピーかわいい。

 意見が合ったので、めでたく戦争は起きない。ハルは嬉しそうだった。

 

「そっか。仲間だね」

 

 広大で豊かな平原は、転ずれば豊饒な農地となる。人は自然の一部を借りて、大農場を展開していた。驚くなかれ、全世界の食糧の約三分の一がトラフ大平原で生産されているのだ。ここが別名『世界の食糧庫』と言われる所以である。

 と偉そうに解説してみたけど、実際見るのは俺も初めてだったり。【神の器】って知識ばかり先に付いちゃうからなあ、どうしても。

 

「ちょっと飛ばすか」

「うん」

 

 ハルの手に力が入る。

 俺はぐいっとアクセルを踏み込んだ。ドライブモードで最高時速950kmの怪物マシンは、限界を知らないかのようにぐんぐん加速していく。

 彼女は歓声を上げて大興奮だった。

 

「わあー!」

 

 あまり喜ぶのでこちらも調子に乗って、もう一段アクセルを入れる。スピードメーターは時速250km付近を指していた。これ以上はブロウシールドなしでは彼女には辛い速度だ。

 

「速いね! ユウくんすごい! すごいよ!」

「すごいのはこのマシンだけどね」

 

 強い風が髪を逆立てる。後ろのハルはきゃーきゃー楽しんでいる。

 横を通った野生モコの群れがびびって、みんな棒立ちで「あ、どうぞどうぞ」って感じでこちらを見送っていたので、ちょっぴり可笑しくて二人で笑った。

 

 二、三分の間飛ばして遊んだ後、また速度を緩めてしばらくドライブを楽しんだ。途中、適当な木陰を見つけたので、そこで停めてのんびりすることにした。

 バイクからハルを降ろす。車椅子は『心の世界』にしまってあるので、取り出して彼女を座らせてあげた。

 

「うんー。気持ちの良い空だね」

「ああ。真っ青だ」

 

 今日は天気が良い。雲もまばらで、照り付ける日差しを遮ることはない。草花はいっそう青々しく、吹き抜ける風がそれらをおじぎさせて、爽やかな匂いを運んでくる。

 

「そうだ。ユウくん」

「うん?」

「ボクね、ちょっとその辺で横になってみたいなって。付き合ってくれるかい?」

「もちろん」

 

 横になることさえ一人ではまともにできないんだよな。気の毒に。

 ハルをそっと横たえて、俺も隣で横になった。

 横になってみると、さらに草の匂いが強くなった。隣の彼女はこちらを見て微笑み、大きく深呼吸して、ぼんやりと空を見上げる。

 心地良い無言が続いた。そのうち、ハルがしみじみと呟く。

 

「あー……世界って、広いね」

「そうだね」

「……ボクたち、小さいね」

「……そうだね」

 

 草をベッドに寝転んで見上げてみると、自分たちがいかにちっぽけで、世界がどこまでも広がっているのかをありありと感じられた。大きな世界に抱かれて包み込まれているような、ほんのりと温かい感じがする。

 あの空の向こうをずっと旅してきて、こんなところまで来て。今ハルとこうして寝転がっているわけで。そう考えると、何でもないようなことかもしれないけど、すごい壮大なことだよなあ。なんて。

 

「……ユウくんはさ、ずっと遠いところから旅して来たんだってね」

「旅の話、したことあったっけ」

「ちょっとだけね。小耳に挟んだことがあって」

「そっか。君、もしかして……」

「ねえ、ユウくん」

 

 興味に彩られた瞳が、俺の顔をじっと見つめていた。

 

「ボクにも聞かせてくれないかな? キミの旅の物語、聞いてみたいんだ」

「……いいよ。もちろん。少し長くなるけど、いいかい?」

「うん。楽しみだな」

「よし。じゃあまずは、俺に初めて旅先で友達ができた話から――」

 

 色々なことを話した。具体的なことは多少ぼかしたけれど、これまで旅してきた世界と、そこに住む大好きな人たちのことを、忘れられない思い出を交えてたっぷり話してあげた。

 ハルはどんな些細なことでも子供のように喜んで、興味津々に耳を傾けてくれた。おかげで、まあまあ恥ずかしかった思い出も含めて、別に話さなくてもいいことまで色々と盛り上がってしまったわけだけど。

 

 二人で話し込んでいると、気付けば日が暮れかけていた。涼しくなってきた風と伸びた木陰が、俺たちに時間を教えてくれた。

 

「あ、もうこんな時間か」

「そっかあ……。ユウくんの話、もっと聞きたかったな」

「また今度ね。たくさん話してやるさ」

「楽しみにしてるからね。絶対だよ?」

 

 バイクに彼女を乗せて、帰り道も軽快に飛ばしていく。

 最初は行きと同様にはしゃいでいた彼女も、次第にうとうとし始めてきたみたいで。眠そうな声になってきている。

 

「今日は楽しかったなあ」

「そうだね。俺も楽しかった」

「ほんと……すごいなあ、ユウくんは」

 

 力なく背中にもたれかかってくる。迫るような感じはなくて、ただ甘えるような感じだった。そのまま何も言わないで、やんわりと俺に顔を預けている。

 

「ねえ……ボクもいつか……キミと……」

「……ハル?」

 

 声がしなくなったので見ると、すーすー静かな寝息を立てていた。とても満足そうな顔で眠っている。

 ああそうか。久しぶりに出かけたから、疲れちゃったんだね。

 ――まったく。俺のことそんなに信頼してさ。

 嫌らしい気持ちは全く起きなかった。このまま見守っていたいような、温かい気持ちだった。

 

「こんなところで寝たら、落ちちゃうよ」

 

 一旦バイクを止める。『心の世界』からバンドを取り出して、幸せそうに夢見ている彼女を起こさないように、そっと自分に括りつけた。

 エンジンを静音式にして、アクセルは控えめに踏む。

 赤く色付いた草原の海に、二人を乗せたバイクをゆっくり滑らせていった。



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79「血斬り女と奇術師」

 何とかしてみるとユウに約束して、シズハが向かった先は、裏組織エインアークスの支部の一つだった。

 確かエクスパイト製薬回りの取り仕切りは、下級幹部のザイファーが担っていたはず。募金を掠め盗るような下らない真似は組織のルール違反。仮に黙認しているとしたら、しかるべき沙汰を下す必要がある。

 それが、自由行使特権を与えられた十二の暗殺者――カーネイターの役割の一つだった。

 腰の美雲刀に手をかけ、いつでも抜き放てる体勢で、まだ自分の存在に気付いていない彼の背後から、いきなり声をかけた。

 

「ザイファー」

「はっ!? その声は! 血斬り女!?」

 

 ザイファーと呼ばれた若い男は、驚き慌てふためいている。血斬り女の仕事を知っている者の反応としては、ごく自然なものだ。

 そうだ。普通はこうなのだ。神出鬼没さにかけてはあの男に敵うべくもないが、普通は大なり小なり驚かれるものだ。

 ユウがおかしい。あいつがおかしい。

 折れかけていた自信を取り戻しつつ、あくまで表面上は冷たい氷の表情のままで続ける。

 

「エクスパイト製薬……募金の件」

「なんのことでしょう!?」

 

 動揺が手に取るようにわかる。これは黙認し、私腹を肥やしているに違いないとシズハは踏んだ。

 

「勝手なこと……してる奴……いる」

「うぬぬ……くそがっ! 誰だ、ヘマをやらかしたのは!」

「申し開き……あるか。言え」

 

 ザイファーには、明らかな焦りが見えた。

 募金だけではない。他にも組織の名を使って、色々と小銭稼ぎを行っていた。まずバレるまいと高をくくっていたのだが……。

 彼の反応は有罪を認めたも同然である。彼女は淡々と告げた。

 

「重大な規則違反は……死罪。わかっているな」

 

 シズハの双眸が鋭く相手を突き刺す。暗がりに溶けて、まるで死神が獲物を捉えたかのようであった。

 

「ち、ちくしょうがあっ!」

 

 ザイファーは腰のハンドガンを抜き、トリガーを引いた。

 この男も裏社会でならした、それなりの実力者である。狙いは素早く正確だった。

 しかし銃声が彼女の元へ届くまでには、彼女はその場にいなかった。

 既に狙いの外、横へ跳んでいたシズハは、やや腰を落とした体勢で、ターゲットに向かって矢のように駆ける。

 男はひどく焦り、銃をめった撃ちにした。だがどれ一つとしてかすりもしない。

 幼少期より特殊な訓練と薬品により強化された彼女の肉体。それから生み出される速度は、銃弾の軌道を放たれる前に予測し、簡単に見切ってしまうほどだった。

 蛇の這うような捉え難い軌道を描き、瞬く間にザイファーの目前まで迫っている。

 腰を溜めた姿勢から、日本刀のように歪曲した片刃が抜き放たれる。命を斬り取る銀色の輝きが、薄明かりの中でちらりと煌いた。

 獲物を袈裟懸けに斬り裂こうと、美雲刀を滑らせる。

 

「……っ……!」

 

 が、何かを察知して、シズハはさっと身を引いた。

 直後、見えないワイヤーが収束し、ザイファーの全身をぎちぎちに締め上げていた。彼が苦し気に呻く。

 あと一歩遅ければ、彼女も巻き込まれていただろう。ポーカーフェイスを崩さぬまま、自分の判断に内心胸を撫で下ろすシズハ。

 こんなことをする犯人は一人しかない。暗い影から嗤い声が聞こえて来た。

 

「ふっふっふ」

 

 彼女は不機嫌に眉をひそめた。予想していた通りの神出鬼没が、しかも大嫌いな奴が現れて、あわよくば自分に何かしようというつもりだったのだから、殺したくもなる。

 

「何の真似だ……奇術師」

「さすがは血斬り女さんだねえ。ま、咄嗟の判断は褒めてあげよう」

「舐めた口……聞くな……」

 

 同じ十二の番号を持つ同僚であるとは言え、実力は彼の方が一段か二段は上だろう。非常に悔しいが。とは言え、上から目線で舐められると悔しいものだ。

 彼女は不機嫌さを隠そうともしないで言ったが、受け取った彼は、飄々とした様子でまるで気にしていない。

 彼女からすれば、君の悪い笑みをずっと浮かべている。

 

「ほうほう? 舐めているのはどちらだろうね。他人の領分においそれと手を出すものじゃあないだろうよ」

「……そうか。ここ……お前の管轄……」

 

 組織管轄上は、ザイファーは『奇術師』ルドラ・アーサムの直接の部下ではないにせよ、監査対象ではあった。

 だからと言って、カーネイターが他人の領域に手を出してはならないという規則はない。事実上、縄張り意識というものがあるので、こうして摩擦が生じないわけではないのだが。

 

「お前……しっかりしない……から……」

「無茶を言ってくれるなあ。オレの下に何千人いると思ってるよ?」

「……ちっ。しね」

「くっくっく。相変わらずつれないなあ。まあ感謝程度はしておこう」

 

 ルドラは張り付けたような笑みを崩さぬまま、くるりと向きを変えた。

 

「さてさて。このゴミをどうしてやろうかねえ」

 

 ザイファーは雁字搦めに縛り上げられて、指一本動かせない状態で宙吊りになっていた。ルドラが右の薬指を動かすと、辛うじて口が動くようになった。

 

「ひ……ひい……!」

「ザイファー。オレはこう見えて寛大な男でね。これから先組織に忠誠を誓い、何でもすると誓えるならば、罪を許してやらんでもない」

「はい! します! しますとも! 喜んでさせていただきますうううう!」

「ほーう。言ったね? 何でもすると」

「ははあっ! 奇術師様、どうかわたくしめにご命令を!」

「じゃあ、死んで」

「は?」

 

 ルドラが両手の指をくいっと引き絞ると。ワイヤーが絞られて、血肉をずたずたに引き裂く。ザイファーはこま切れと化して、床には大量の鮮血がまき散らされた。

 シズハはつい顔を背ける。血もグロも慣れたものではあるが、意地の悪いやり方に嫌気が差していた。

 

「……お前……殺し方……趣味、悪い」

「おっと。これは手厳しい。オレなりの素敵なショーなんだがね」

「下らない……素敵な殺し方……あるものか」

「そうは思わんよ? あんたの殺し方は、ほれぼれするくらい美しい」

 

 シズハがわざわざ刀を使用するには、理由がある。銃器や矢の扱いにも長けた彼女であるが、愛用の刀を殺害のトレードマークとすることで、あえて自らの仕事を誇示しているのだ。

 組織を乱す者、害為す者あらば、この刃をもって凄惨な死を迎えるであろう。そう思わせることで、血斬り女の名を抑止力としている。

 ルドラを奇術師たらしめる手品じみた殺しもまた、ある意味ではパフォーマンスの一環なのだった。

 

「フフッ。そういう華麗なところも好きなのだよ」

「私、お前……嫌い」

「ほんと、つれないねえ」

 

 へらへら笑いはそのままで、世間話でもするかのように続ける。

 

「ホシミ ユウやリクくんとは、随分と仲が良さそうだというのにね」

 

 ぴくり。シズハの眉がわずかに動いたのを、奇術師は見逃さなかった。さらに得意になって口の端を嫌味に吊り上げた。

 

「特にユウ。あいつ、気に入らないなあ。どうもうちをこそこそと嗅ぎ回っているようだからね。身の程というものをわかっていないようだ」

「……それで」

「ああいうのはいずれ邪魔になるんだ。オレの勘ではねえ」

 

 ルドラは、へらへら笑いをぴたりと止めた。一瞬の真顔、それからギラギラした不敵な笑みに変じる。

 

「だから、殺しておくことにしたよ」

 

 シズハはさすがに動揺した。

 いずれ殺さなければならなくなるだろうとは警告しておいた。

 しかしまだ早いのではないか。まだそこまでの何かをしたというわけではない。

 それにそれでは……またラナクリムをやるという約束を果たせない。まだいじめ足りない。それは困る。

 

「あれは……私の……獲物」

 

 いつの間に情が入っていたのだろうか。つい彼をかばい立てするようなことを言う自分が、シズハには信じられなかった。

 

「くくく。あんたが情けなくも殺せそうにないから、言ってるんじゃないか」

「……く。まだ……チャンス……ある……いくらでも」

「オレなら容易い」

 

 ルドラは、自信満々に言い切った。

 実際、彼の実力を度々思い知らされている身からすれば、シズハは首を横には振れなかった。

 この男は大嫌いだが、強い。それにどんな手段も選ばない。

 いくらユウでも、本当に殺されてしまうのではないか。不安がよぎる。

 何あんな奴のことを心配しているのだという気持ちと、助けるべきかという気持ちと。葛藤が生じていた。

 迷いがあることを見逃す奇術師ではない。彼の意志は固まった。

 

「あんたもカーネイターなら、仕事の協力の一つくらいは――してくれてもいいんじゃないか?」

「なにを……させる気……」

「なあに。簡単なことさ」

 

 下品なほくそ笑みを浮かべるルドラ。

 ……まさか。

 彼女は、自分の迂闊さを呪った。まんまとこの男の前で長話を許してしまったことを!

 それほどの時間があれば……!

 

「フフフッ。ようやく気付いたようだねえ。お嬢ちゃん」

 

 ルドラがぐいっと手を引くと、あちこちからおびただしい数のワイヤーが迫って――!

 しかし、ただでやられる彼女ではなかった。即座に美雲刀を抜いて、迫り来る不可視の糸を最小の動きで的確に斬り払う。

 

「やはり、あんたの太刀筋は美しい」

 

 ワイヤーは切れて力を失った。

 そのまま戦闘になるかと思われたが。彼女ならそう来るだろうと予測をしていた男の方が、一枚上手だった。

 彼女の目の前に突然、いくつもの手榴弾が飛び込んでくる。切ったワイヤーのうち数本は、この仕掛けた爆弾と繋がっていて、切れた瞬間に飛ぶようになっていたのだった。

 慌てて飛び退いたが、それすらも計算の範疇である。

 彼女は空中で何かに引っかかる感触を覚えた。そのときにはもう遅かった。狙ったような位置に、ワイヤーが蜘蛛の巣を張って待ち構えていたのである。

 ギリギリ直接は当たらない絶妙な位置で、手榴弾が次々と爆発する。爆風に煽られた彼女は、刀を取り落としてしまう。

 男がワイヤーを引き絞り彼女を縛り上げたのと、美雲刀がカランカランと硬い床に落ちる音が鳴ったのが、ほぼ同時だった。

 

「つーかまーえた」

「……っ……は、なせ……!」

「おーっと。暴れるんじゃないぞー」

 

 彼は腰から薬品の沁み込んだ布を取り出して、必死にもがく彼女の口と鼻に押し当てる。抵抗むなしく、やがて彼女はぐったりと気を失ってしまった。

 

「ふう……やれやれ。こうして寝てると可愛いもんだがねえ」

 

 

 ***

 

 

 ユウはハルを病院に送り届けてから、リクの家に帰り、夕飯を作って一緒に食べていた。

 それからリクにせがまれて色々な話をし、今日の明日で募金の人に会うということになったので、今回はそのままリクの家に泊まることにした。

 時折電話を気にしていたが、そろそろ寝るという時間帯になって、ようやく鳴ったのだった。

 ワンコールだけ。

 

「ほんとにワン切りしてきたな……」

 

 どうやら作戦は失敗のようである。

 しかし、それがシズハのかけたものではないことを、まだユウは気付いていなかった。



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80「奇術師の罠」

 次の日、リクを伴ってシェリーの家にお邪魔した。

 リラックスした表情で茶を出してくつろいでいる彼女に対して、俺とリクはそわそわしていた。俺は注意しなければという確信をもって、リクは何となく怪しいと睨んでいるためのようだった。

 相手はエインアークスの関係者である可能性が極めて高い。それもシズハが何とかならなかった案件だ。何が出て来るか。気を引き締めておかないと。

 しばらく待っていると、予定の時間通りに集金のお姉さんがやってきた。インターホンから声がする。

 

「こんにちはー。集金に伺いました」

「あ、いつもの方ですね。はーい!」

 

 シェリーが立ち上がり、いそいそと玄関へ向かう。

 

 ん……何かおかしいぞ。

 

 心の片隅に違和感が引っかかった。

 玄関の向こうの相手――ただの募金に来たにしては、妙に悪意に満ちている。

 人間大なり小なり悪意はあるものだ。俺にもあるだろう。多少のものであれば、ほとんど気にならない。さすがに人を騙そうとなれば、それなりには伝わってくる。しかし、このとげとげしい嫌な感じは。

 あまりに悪意が強い。警戒すべきだ。

 直感はそう結論付けた。こういうときは、素直に従った方がマシな結果になる。これは経験論だ。

 

「待って、シェリー」

 

 引き留めたが、あまり真剣に受け止めていないのか、玄関へ歩を進めていく。まずいかもしれない。

 

「待て!」

 

 大声を張り上げると、よほど驚いたみたいで、びくんと肩を震わせて振り向いた。俺が急にそんなことをするとは思っていなかったのだろうか。

 隣のリクが、何か察した顔で尋ねてくる。

 

「どうしたんですか? ユウさん」

「嫌な感じがするんだ」

 

 シェリーには聞こえないように耳打ちして。

 どうする。不自然にならない申し出は。この場合の最善手は。

 もし最悪の場合、俺と二人は離れていない方がいいだろう。ただの思い過ごしなら笑い話にできる。

 一、二秒で考えをまとめた俺は、またリクに耳打ちした。

 

「リク。君もついてきてくれ」

「わかりましたよ」

 

 そして、困惑で固まり気味なシェリーに声をかける。

 

「せっかくだから、俺も一緒に挨拶しようと思うんだ。ごめんね。びっくりさせて」

「あ、なんだ。そんなことですか」

 

 合点がいった彼女は、呑気なものだ。いざというときは守らないと。

 さりげなく俺が先行して、玄関のドアに手をかける。気持ち勢い良く開け放ったドアの向こう。

 そこにいたのは、ただのお姉さん――ではない!

 

 銃を構えている! いきなり撃つつもりだ!

 

 警戒していた分、動きは速かった。コンマ一秒で迎撃のスイッチが入る。

 トリガーにかかった指に力が入る前に、俺のアッパーがお姉さんの顎を容赦なく捉えていた。

 わずかに浮き上がって、背中から思い切り昏倒する募金係、もとい戦闘員。

 

「……え?」

 

 シェリーは目をぱちくりさせて、我が目を疑っているようだった。

 無理もないか。いきなり俺が無実のお姉さんを殴り倒したようにしか見えないからな。

 

「ひええ」

 

 リクもさすがに驚いたようで、目を丸くしていた。

 さてまたどうする。何も知らないまま、俺がいきなり人をぶん殴った危ない人だと思われるくらいが一番良いけど。

 無理だ。まず事実を確認させて気を引き締めてもらわないことには。これで終わるとは思えない。誤魔化し切れるものじゃない。

 俺は深く溜息を吐き、倒れた女を指さした。

 

「見てみて。この人の手だ」

「なんですか?」

「はい?」

 

 二人が、そろそろと女の手を覗き込む。そこにあるブツを目にした途端、揃って情けない悲鳴を上げた。

 

「「ひっ!」」

 

 少しは覚悟があったのか、ぎりぎりのところで耐えて強がるリク。

 だが免疫のないシェリーには無理だった。さーっと血の気が引いて、ふらふらと立ちくらみを起こしてしまう。

 

「リク。頼む」

「あいさ」

 

 普段なら俺が肩を貸すところだけど、あいにく今手を塞ぐわけにはいかない。ここは彼に任せよう。

 彼によりかかる彼女は、力なく、何も喋らない。失神してしまったらしい。

 ごめんな。でもパニックになられるよりはマシか。

 日常が一転。ここは既に死と隣り合わせの危険領域だ。俺はともかく、一手誤れば二人が危険だ。

 神妙な面持ちのリクが、震える声で言った。

 

「これが……ユウさんの言ってたことなんですか? 危ないかもしれないって。こんな……」

「正直、想定以上だよ。どうもまずいことになったらしい」

 

 牽制程度ならあるかもしれないと踏んでいたけど、まさかいきなり始末しようとしてくるなんて。

 誰がこんな真似を。シズハは大丈夫なのか?

 

「ごめんなさい。僕、邪魔ですよね……」

「いや、俺の判断で君をついて来させた。全て俺の責任だ。本当にすまない」

 

 だが、謝って済む問題じゃない。無事で済めば、謝るなんていくらでもできる。この場を乗り切らないことには。そこまでが責任だ。

 

『危ない状況みたいだね。直接助けに行けないのが心苦しいよ』

『大丈夫だ。こっちで何とかするよ。またしばらく帰れないかも』

『できる手助けはするから』

『助かるよ』

 

 ……よし。集中しろ。この近辺に悪意を持つ者を特定し――!?

 

 咄嗟に気力強化し、手が動く。

 指先が、ライフル弾をつまみ取っていた。

 軌道からして、リクの眉間に向けられた一発だ。

 

「え?」

 

 突然異常な速度で腕を動かした俺にきょとんとするリクに悟られないよう、下手すれば彼の致命傷になっていた弾丸を『心の世界』に隠す。

 くそ。敵め。俺だけじゃなくリクとシェリーも始末する気だ。

 そんなこと、許さないぞ。

 久しぶりに、怒りが滾ってくるのを感じていた。

 だが今はとにかく。

 

「この場に留まるのは危険だ。移動するよ」

「は、はい!」

 

 ディース=クライツを取り出す。まさか昨日の今日でお世話になるとは思わなかった。

 今度は空気読んでくれよ。

 気持ちが通じたのか、二人乗りのバイクは急スロットルを上げて好発進してくれた。

 敵さんは虚を突かれたようだ。まさか何もないところからいきなり乗り物が出て来るとは予想していなかっただろう。

 若干の余裕ができる。だがほんの少しだ。辛うじて囲まれる事態は避ける程度。

 すぐに悪意ある者たちも、車を刈って追いかけてきた。

 行くあてはないが、立ち止まれない。流れに乗って、街道を東へ走らせる。

 さすがに市中で白昼堂々撃ち合おうという根性はないのか、今のところ何か仕掛けてくる様子はないみたいだけど……。

 ぴったり尾行られている。周りの交通が邪魔で、引き離せそうもない。

 

「とんでもないことになってきましたね」

「ああ。急に飛ばすかもしれないから、しっかり掴まってろよ」

 

 シズハが何とかならなかった。そしてこうなった。あの子は無事なのか? 

 いや、あの子だけじゃない。このまま状況が長引けば、ハルも狙われるかもしれない。それとも、もう狙われているのか?

 嫌な予感が頭をぐるぐるした。不安な気分に駆られて仕方がない。

 どうなっている。二人とも。

 気は――ダメか。弱過ぎて感じ取れない。だったら、心は――今までの繋がりがあるはずだ。頼む感知してくれ!

 必死に念じ取ろうとすると、かすかながらも感情を掴み取ることができた。

 よかった。二人ともまだ生きているようだ。

 ハルは普通に無事そうだ。でも……シズハの反応が弱々しい。

 気がかりだ。

 十分に警戒しながら、ワン切りしてきたシズハの番号へかける。後で高額請求されるかもしれないが、そんなことより彼女の無事だ。

 しかし、電話口から出てきたのは、知らない男だった。

 

『やあ。そのうちかけてくると思っていたよ』

『お前か。ふざけた真似をしてくれたのは!』

『おうおう、怖い小僧だねえ。正義漢というのは、どうやら本当のようだな』

 

 シズハは、と即座に喉から出かけて、リクにはまだ知られたくなかったことを思い出して、ぼかして尋ねた。

 

『あいつはどこにいる!?』

『血斬り女かい? それなら、オレの隣で寝てるよ。フフフッ!』

 

 この野郎。ふざけやがって……!

 

『少しでも手を出してみろ。どうなるかわかっているだろうな』

『ほうほう。単純な奴。予想以上に効果てきめんのようだなあ』

 

 下卑た嗤い声が聞こえる。いつまでも続くかと思われたそれは、突然止まった。

 

『あまり調子に乗るんじゃないぞ。ガキの分際で』

『どこにいる』

『……今から言う場所に手ぶらで来い。期限は一時間後だ』

 

 そうして奴に告げられた場所は、人気のない町外れの倉庫だった。

 

『しっぽ撒いて逃げ出そうという気なら、彼女がどうなるか。わかるな?』

『言われなくても今から向かってやる。首を洗って待っていろ』

 

 もう話すことなんてない。怒りのまま電話をぶち切った。

 たぶんこめかみに血管が浮かび上がっているだろう。そんな俺を、リクは穏やかじゃない心持ちで、恐る恐る見つめていたようだった。

 

「ユウさん……」

「リク。今から向かう場所はとても危険だ。このバンドを君自身とシェリー、それから俺に巻き付けて」

 

 ハルと自分を括り付けたのと同じバンドを差し出して、彼に頼んだ。

 声に余裕がないのが自分でもわかってしまったけど、仕方ない。

 

「えっ、でもそれじゃあユウさんの邪魔に」

「問題ない。早くしてくれ。頼む」

 

 この状況で最も避けるべきハンデは、リクかシェリーのどちらか、あるいはその両方を追加で人質に取られてしまうことだ。

 いくら俺でも、離れた二人は同時に助けられない。そうなったら詰む。それよりかは手の届くところで。かなり動きにくくはなるが、その方がマシだ。

 有無を言わさぬ口調に、リクは渋々ながらも折れた。おずおずとした調子で、仕事をこなしてくれる。

 しっかりと括り付けたのを確認してから、

 

「ごめん」

「えっ」

 

 気によるショックで、リクも気絶させた。

 ……ここから先。君が起きていては、とてもついて来られない動きをするだろう。船酔いなんて生易しいほどの。吐くほど辛いより、寝ていた方がきっと楽だ。

 君たちが寝ている間に、終わらせる。シズハも助けてみせる。

 決意を固めて、バイクのハンドルを強く握り締めた。



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81「ユウ VS 奇術師ルドラ・アーサム」

 バイクをひたすら飛ばして、指定された倉庫までやって来た。

 敵に奪われないよう、ディース=クライツは『心の世界』にしまう。

 かかった時間は三十分程度。一時間は経っていない。

 中にも外にも敵の気配を感じながら、倉庫に入る。広々とした空間に、貨物コンテナがいくつも置かれている殺風景な場所だ。明かりは小さく、窓もない。数メートル先でさえはっきりと見通すことはできなかった。

 こんな場所にわざわざおびき寄せたということは、敵は間違いなく罠を張っている。十分に警戒しながら、一歩ずつ進んでいく。

 そろそろか。向こうもシズハを殺してはいないはずだ。殺してしまっては人質の価値がなくなる。

 敵は当然、彼女を利用してくるだろう。加えて、俺はリクとシェリーの二人を背負ったまま、かばいながら戦わなければならない。

 正直、普通に考えるとかなり不利な状況だ。敵ながら、俺の性格を見越して、用意周到に有利な条件を作り出した手腕は認めざるを得ない。

 シズハを助け出し、二人を守り、かつ敵を打ち倒すためには。

 多くても、チャンスは一度だけだ。絶対に失敗はできない。

 こんなときこそ冷静になれ。俺は深く息を吸い、吐いて、それから隅々まで行き渡るように声を出した。

 

「来てやったぞ。出て来い!」

 

 コンテナの陰から、若い男が現れた。

 暗さで顔はほんやりとしか見えないが、薄ら笑いを浮かべる口元が目に映っている。

 

「来たな。ホシミ ユウ」

「シズハはどこだ」

「言われなくても出してやるとも。おい、引っ立てろ」

 

 

 ***

 

 

 不覚。

 私、このような……無様……晒すとは。

 縛り付けられて。猿ぐつわ。

 悔しい。奇術師め。

 くっ。身動き、取れない。縄抜け……使えない。

 

「来てやったぞ。出て来い!」

 

 な……ユウの、声!?

 バカ……なぜ、来た? 私、お前の……敵。来る義理、ないはず。なのに……なぜ……。

 この……バカ。バカ。お人好し。死ぬまで……治らない、のか。

 

「来たな。ホシミ ユウ」

「シズハはどこだ」

「言われなくても出してやるとも。おい、引っ立てろ」

 

 コンテナの上。引きずり出された。

 

 ……わかる。暗くても……鍛えた目、ある。

 こんな怒っているユウ……見た。初めて。

 

「シズハ! 待ってろ。すぐ助けてやるからな」

「おっと。動くんじゃないぞ」

 

 奇術師。銃……持ち出した!

 ユウ、睨む。ちょっと……怖いくらい。

 

「それがお前のやり方か。卑怯者め」

「フフッ。オレは用意周到な方でね。スマートと言って欲しいな」

 

 容赦なく。撃つ。嗤いながら。何発も。

 手、足、肩。次々、撃ち抜かれて。

 わざと急所、外している。悪趣味な、やつ……!

 ユウ、黙って。耐えている。とても、苦しそう。

 

「くっくっく。我々のことをこそこそ探っていたらしいけどねえ」

 

 とうとう、膝、ついた。もう、見ていられない。

 

「~~~~~!」

 

 何も、できない。悔しい。喋れない。

 逃げろ。どうして……そこまで。私なんか、いい。逃げて……!

 

「遊びじゃあ済まないんだよ。うちを嗅ぎ回るというのがどういうことか」

「……っ!」

「勉強代が高くついたなあ。クソガキ」

「くそ……! お前、許さないぞ」

「くっくっく。許さないからどうだって?」

 

 装填された、八発。全部、撃ち切って。

 嗤っている。とどめ、刺す気!

 

「~~~~っ!」

 

「さあ、ショーの仕上げといこうか」

 

 指、動く。ワイヤー、来る……!

 ダメ。ユウ、引き裂かれる! 見たく、ない。

 

 

 だが、ユウの断末魔。ならなかった。

 

 

 ユウ、目の色……変わった……?

 突然、跳ねるように。動く。

 速い。

 まるでダメージ、ない、みたい……?

 はっと。気付く。

 まさか。全て。やられた、ふり……!?

 ワイヤーを引く、一瞬。それだけ、奴の……隙。

 ずっと、狙っていた……?

 

 ユウ、一気。加速した。奇術師に、飛び込む。

 見えないワイヤー……全て、引き千切って……!?

 

 そして――

 

 目……疑った。信じ、られない。

 

 ユウの拳。

 めり込んで、いる。

 深く。深く。奇術師の……腹に。

 

「お、お……!」

「……あまり、俺を見くびるなと。シズハから聞かなかったのか?」

 

 淡々と。当然の結果。ように。そう言って。

 ユウ。とても、怒ってる。

 

「バ……そ、んな……! が……うぷっ……!」

 

 あいつが、立てない。

 喘ぎ。苦しみ。膝を突く。

 少し前まで……想像も付かない。光景。

 あまりに、重い。一撃。

 

「見誤ったな。お前の負けだ」

「あ゛っ……!」

 

 奇術師、びくり。呻く。ショック……与えた? 

 あいつ…………のびた。もう、動かない。

 気絶、している。完全に。

 

 そして。またユウの動き。早かった。

 次の瞬間……どこから、取り出した? ナイフ、投げつけて。

 私の見張り。二人とも。簡単に。倒していた。

 

 私、助かった……?

 

「ふう……」

 

 ユウ。一息ついて。駆け寄って、くる。

 縛り……解いてくれて。さるぐつわも……外して、くれた。

 

「大丈夫か。シズハ。怪我はないか?」

 

 もうよく知ってる。隙だらけ。そうしか見えない。甘い顔。

 

「……平気。別に……助けに、来なくても……このくらい」

「よかった。そんな口を叩けるくらいなら大丈夫そうだね」

 

 笑う。いつも、見てた。明るい顔。

 本当に。今なら、私でも……殺せそう。見える。

 でも、私……見た。今まで。見てた。

 

 無様。倒れてる男、見つめる。

 

 奇術師。ルドラ。私より……一段、二段、上。なのに。

 馬鹿な。こんなこと……あり得るの……?

 

 ……ホシミ ユウ。

 

 強い。戦い慣れている。

 

 私たちより。ずっと。

 一体、どれほどの。修練の果て。戦いの果て。ここまで……。

 底が、見えない。

 人のレベル……遥かに、超えている……?

 

 今さら、震えてる。

 武者震い? 恐怖? 感動? 安堵?

 ……たぶん、全て。

 こんな強かった、なんて。全然、ちっとも。そんな風……見えないのに。

 

「さて、外の連中はみんなびびって逃げたみたいだけど」

 

 事実。こくん。黙って頷く。

 

「このままだと、第二第三のこういう事件が起こらないとも限らないよなあ」

「組織……敵対者、許さない」

「だよなあ。うーん……」

 

 ならば。どうする?

 逃げるなら……協力する。拾った命。惜しくない。

 

「本当は、こんなことしたくなかったんだけど……仕方ない」

 

 ユウ、あっさりと。言った。

 

「悪いけどさ。君の組織、少しばかり痛い目を見てもらうことにしよう」

 

 私……学んだ。今、学んだ。

 この人。怒らせては、いけない。



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82「ユウ、エインアークスへ殴り込む 1」

 はあ。結局こうなるのか……。

 けど完全に喧嘩売っちゃってるしなこれ。幹部? の一人をぶっ倒してるわけだし。

 

『言った通りになったね』

『やるしかないよな……』

『また協力するからね』

『さっきは助かった。また頼むよ』

『うん。任せて』

 

 ラナソールなら何ともないことだけど、トレヴァークで銃撃をまともに食らってしまうとただでは済まない。何発も食らえば、最悪死んでしまう。

 さすがに防がせてもらった。

 やり方は主に二つあって。

 一つは《ディートレス》。リルナが使っていた「単純物理攻撃完全無効」というチートバリアだ。俺も散々苦労させられた。特にトレヴァークのように、魔法というものが基本的にない世界では無類の強さを発揮する。

 ただこの技、リルナのオリジナルと違って体内に発生機構があるわけではないので、自動発動ではない。使用時はほとんど動けないし、青色透明の目立つエフェクトがかかる。人質を取られていたあの状況で使えば、何かしているとバレて余計なことをされる恐れがあった。

 そこで今回は、もう一つの手段を使った。《アシミレート》だ。英語で消化・吸収・同化を意味する。

 遠距離攻撃であれば、『心の世界』に引き受けて受け止めることで肉体のダメージを無効化できる。ただしその代わり、攻撃の性質や威力に応じて『心の世界』が乱れてしまう。肉体のダメージを精神のダメージで肩代わりする技と言えばわかりやすいかな。

 なのであまり攻撃が強いと中が大変になってしまうのでまずいという注意点はあるものの、この技は『心の世界』を使うので、許容性の影響を受けにくい。銃弾程度ならいくらでも、それこそ数千発もらっても余裕だ。

 運用には内部の方でコントロールが必要なので、いつもユイに協力してもらっている。

 元々至近でないと吸収できないけど、今回は上手くやられた演技をするために、本当に肌に触れるギリギリのところまで引きつけてから使った。

 おかげで服に穴が空いちゃったよ。結構気に入ってたのになあ。

 

『どんまい。また新しく似合うの選んであげるよ』

『どうも。でも君が選ぶとやたら可愛らしいの着せてくるからなあ』

『だって似合うんだもん。やっぱり人間、似合う服を着るのが一番だよね』

『確かにみんなからよく言われるけどさ……。俺だって少しはかっこいいの着たいじゃないか』

『ああー。そっか。だからここずっとあの黒ジャケットお気に入りなんだ』

『オーダンのバザーセールでさ。あれは良い買い物したよね。我ながら』

『うんうん。破られなくてよかったね』

『いやほんと』

 

 あれダメになってたら、その日は枕を涙で濡らすところだったよ。さすがにそこまでは冗談だけど、軽く落ち込むところだったね。着て来なくてよかった。

 おっといけない。またいつもの癖で二人で盛り上がってしまった。『心の世界』じゃないから、時間経過には気を付けないと。

 と思ったら、シズハも別のことを考えていたみたいで。たまたまこちらのことは気にしていなかったみたいだ。

 

「潰す気……か?」

 

 妙に戦慄した感じのシズハが、恐る恐る尋ねかけてくる。

 この子、ネットだと生き生きしてるのに、リアルだとぼそっと喋るよな。中身が一緒なのに、キャラが違うというか。

 それにしても、潰す、か。ちょっと勘違いされてしまったかな。

 

「潰す? 物騒なことを言うね。相手次第だけど、今のところそこまでするつもりはないよ」

 

 よくフィクションとかじゃ簡単に潰すとか言うけど、あれ相当上手くやらないとかえって逆効果なんじゃないかと思うんだ。特にエインアークスみたいに大きな組織は、見えないところにどれだけの構成員がいるかわからない。

 変に恨みを買って、毎日敵の影を警戒しながら過ごす生活なんてごめんだ。

 それに、みんながみんな――そういや、結局名前聞きそびれたな。まあいいや。そこのぶっ倒れてる奴みたいに、どうしようもなく悪い奴ばかりじゃないかもしれない。

 エインアークスは裏から社会の調整役も担っていると、調べた限りではそうなっている。行き過ぎた悪の処罰、財の配分などに一役買っていることは間違いないようだ。本当にどうしようもない組織なら、人々からもっと憎まれ、恨まれている。仮面の集団なんかが良い例だ。

 個人で見ても、いくらか話のわかるシズハみたいなのもいるってことだし。一部がアレだから全体もそうとは限らないんじゃないか。そこの見極めは必要だ。

 もちろん見極めの結果によっては、本当に潰すか叩き直すしかないってこともあり得るだろうけど。

 

「だが……痛い目……見てもらう、と」

「うん。だからさ。ちょっとおたくのボスと話を付けて来ようと思って」

「ボスと? どうやって……?」

「正面から殴り込むのが一番手っ取り早いかな、と」

「は!?」

 

 勢いよく突っ込みが入った。

 うわ面白い。ちょっとシルヴィアさん出てる。やっぱり同じ人なんだな。てことは、普段感情を抑えるように訓練でもしてるんだろうか。

 まあ言いたいことはわかる。相当やばいこと言ってる自覚はある。

 でも下手に策を弄するより、堂々と正面突破。色々考えたけど、これがベストなんだよな。

 策を弄すれば弄するほど、敵は策にしてやられたという気分が強くなる。隙があれば見てろと思われてしまっては、意味がない。

 だからこその正面突破だ。自分はそれだけの力があるのだと相手に見せつけることが重要だ。

 何をしても無駄という印象を植え付けられれば、交渉も有利に進むだろう。俺たちを何とかしようというのを諦めてもらうのが一番いいのだ。こちらとしては。

 問題は、話がわかる相手かどうか。あまりしたくない、相当荒っぽいこともしなければならないだろう。それで見極めるつもりだ。

 最悪は……。それをしないで済めばいいけど。

 

『受け継がれる母さんイズム』

『そうなるんだよな……』

 

 やっぱ血は争えないのかなあ。性格全然違うのに。

 でもやれる実力があり、そしてそれが最善手だと思われるなら仕方ないだろう。

 

「お前……無茶、いいところ。バカ、なのか?」

「バカで結構。シズハ。君の協力が必要だ。手伝ってくれるね?」

「……仕方、ない。乗りかかった……船。やるしか……ない……か」

 

 シズハは、何か諦めたようにうんざりした目を向けて、わざとらしく溜息を吐いた。

 

「私、どうする。言え。聞く」

「そうだな。君には、この子たちとハルをしっかり守っていて欲しい」

 

 まだ気絶したままの背中の二人を降ろして、彼女に託す。

 さすがに敵本拠地に乗り込むのに、二人を背負ったままでは行けない。誰かが人質に取られるか殺されるかもしれない不安を抱えたままでは、思い切った戦いができない。

 俺にとっては、本当に重要なことだった。

 シズハは嫌な顔せず、こくんと頷いてくれた。

 

「ん……わかった。二人、連れて。病院……行けばいい、か?」

「うん。頼むよ。じゃあぼちぼち行くか」

 

 まだあそこでのびてる男がやられた情報が届いて、間もないはずだ。次の手を打たれる前に、さっさと済ませてしまおう。

 昨日から三度目。働き者のディース=クライツを取り出した。

 で、あの男だけど。気で強めにショック入れたから丸一日は目覚めないと思うけど、あのまま放っておいてもし起きたら、後で面倒になるかもしれないよな。

 こうしておくか。

 男はロープでぐるぐる巻きに縛って、後方席に積んだ。

 

「これでよし、と」

「……ざまあ」

 

 ぼそりと、しかし内心めっちゃほくそ笑んでいるのが容易に伺えるような台詞を発した。

 うん。やっぱシルヴィアだ。こいつ。

 よっぽど嫌いなのかな。まあ危うく殺されかけたんだし、当然か。

 ああ、そう言えば。

 

「そう言えばさ。もう普通に顔見せてるけど、いいの?」

「……不可抗力。仕方……ない……」

 

 本気でやってたゲームに負けて悔しいみたいな、「それ言うか」みたいな顔をしてきた。下唇を噛み締めて、泣きそうな目でこちらを睨むので、まずいこと言ったかなと思った。

 

「わかった。わかった。ごめん。ノーカンね」

「ノーカン……。うん。ノーカン」

 

 大人しめなシズハにしては、やけに力強く頷いた。当然だという顔で。返答にはご満足してくれたようだ。

 

「でも、髪の黒いシルヴィアっていうか? 普通に美人だよね」

「……うるさい。さっさと、行け……!」

「はは。行ってくる」

 

 急かされるままハンドルを握り、いよいよアクセルを踏もうということで。

 彼女の方から声がかかった。

 

「……ユウ」

「ん?」

「また……リクと、三人で。ラナクリム。約束……守れ」

 

 ……そっか。

 君なりの生きて帰ってこい。確かに受け取ったよ。

 

「ああ。やるぞ。徹夜コースだ」

「ん」

 

 ピッ。二人で親指を立てた。

 それを合図に、俺もシズハも、それぞれの方向を向いて、自分の仕事に取り掛かる。

 

 

 向かう先は、エインアークス本部。

 町のど真ん中にどでかいビルを構えている。そのくらいこの組織は、表社会でも地位を持っているということだ。

 

『よし。一暴れするか』

『おー』

 

「ぐ、う……」

 

 ちょうどそのとき、後方座席からうなされる声が聞こえてきた。ぐるぐる巻きの敵A。

 怒ってたのもあって、相当強く殴りつけたからな。起きてもしばらく痛みに苦しむだろうな。

 

『あーあ。かわいそうにね』

 

 ちっとも可哀想に思っていないユイが、言葉だけの同情を投げかける。

 

『こいつ。どうしようか』

『このまま送り届けてやれば?』

『あーいいね。そうしよう』

 

 そう言えばこいつ、結局どんな奴なんだっけ。うっかり聞き忘れちゃったな。

 まあいいか。誰でも。




 リクとシェリー、それからハルのお守りをユウに任せられてしまったシズハであるが。
 自分の役割を果たさねばと思いながらも、つい見とれてしまったものがあった。

 あの、バイク。羨ましい……。

 メカものには人一倍うるさい彼女には、一目でわかる。
 自分もそれなりの名車を持ってはいるが、とても敵わない。あれは一品ものの超ハイエンドマシンだ。うん百万ジット出しても、そうそう手に入る代物ではない。
 格の違いを、見せつけられた。強さも。そしてマシンも。
 悔しい。シズハは心からそう思った。

 ……乗せないと。

 ダフロイト社の最高級バイク、プリガンツに二人を乗せる。配置をどうしようか考えて、結局リクは後ろへ、小さなシェリーは抱っこすることにした。
 気を失った彼の肩が、彼女の背中に触れる。

 リク。ああ……リク。

 身を挺して自分を救ってくれたことに、いくらかときめかなかったと言えば嘘になる。
 だがやはり。自分が好きなのは、前から一緒に遊んでいるリクだ。
 この頼りなく、内心コンプレックスと不安だらけで、でも根は優しく、健気で、冒険ではいつも生き生きとしている彼。
 彼女は、彼にシンパシーと眩しさを感じていた。
 状況が状況とはいえ、図らずも側にいられることに、つい喜びを覚えてしまうシズハであった。

「リク……近い。嬉しい」

 思わず、絶対に人には見せない笑みと独り言が漏れてしまうくらいには。

 いけない。しっかり、しろ。こんなとき……なのに。

 彼女はぱんぱんと頬を叩いて、気を引き締める。
 そして冷静になってみると、思い至ってしまう。

 もし途中で、リクが起きてしまったら……。

 どうしよう。話す準備……してない。

 こんな自分を見て。薄汚れた暗殺者である自分を見て。リクはどう思うだろうか。
 軽蔑されるだろうか。怖がられるだろうか。嫌われてしまうのだろうか。

 喜びと使命感と、そして不安と。
 シズハは、悶々としていた。


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83「ユウ、エインアークスへ殴り込む 2」

 特に邪魔もなく、あっさりとエインアークス本部までやって来られた。

 まあ下手すると今頃詳細の報告を受けて、どうしようか考えてるかもしれないくらい早いタイミングだからね。拙速第一。

 白服を着る一般市民と対照的な、黒服を着た者が二人。長身の銃を持ち、入口の両脇を固めている。

 少し離れたところにバイクを停めた俺は、後方座席の「荷物」を背負ってから、バイクをしまった。

 

『行こうか』

『うん』

 

 ぐるぐる巻きの男を背負って、入口正面に向かって堂々と歩み寄っていく。

 誰がどう見てもあからさまに怪しい感じがするので、当然呼び止められた。

 

「待て」

「小僧。何のつもりだ」

「ここはガキの遊び場じゃないんだぞ」

 

 俺はにやりと笑って、通る声で元気良く言った。

 

「お荷物お届けに上がりました~」

 

 気力強化して筋力増強し、背中の「荷物」を思いっ切りぶん投げる。

 大の男の身体が、野球ボールでも投げたように気持ち良く飛んでいく。入口のガラスを豪快に突き破って、ごろんごろん転がっていった。

 

『ナイスシュート』

 

 かなり鍛えてるみたいだし、このくらいじゃ死なないだろう。全治二、三カ月ってとこかな。

 正直とてもむかついていたので、ほんのお返しだ。すかっとした。

 

 両脇の黒服はあっけに取られて、ほとんど悲鳴に近い声を上げた。

 

『でも、ちょっと派手にやり過ぎたかな』

『むしろいいんじゃない? ここに何しに来たのかってね。インパクトは大事だよ』

 

 やっちゃえ派の姉の全面賛同が得られたので、まあいいことにしておく。ほんとにいいのか知らないけど。

 

「撃て!」

「殺せ!」

 

 やっと仕事を思い出した二人が、長身の銃を腰に構えて、こちらを撃とうとしていた。

 体感だが、トレヴァークはエルンティアよりさらに許容性が低いみたいだ。至近距離で弾が放たれてから対応するのは無理ではないけど、少し難しい。

 銃口を向けられたときには、もう手を打っているのが確実だ。

 さっきみたいに人質がいるわけでもないから、方法は色々あるけど。

 そうだ。こうしよう。

 

《スティールウェイ――えーと、弾掴み》

 

【神の器】を使った自動行動プログラムを、予め入れておく。

 ちなみにスティールウェイというのは、「鋼のように硬く決まったやり方」くらいの意味合いで、自動行動プログラム系統の技に共通して付けているものだ。

 ぶっちゃけ《スティールウェイオーバースラッシュ》の語感が微妙に気に入ったので、そのまま何となく他のやつにも使っちゃってるだけな感じだ。

 別に口に出して言ってないからいいよね? 頭の中でくらいちょっと厨二楽しんでも。まあユイにはちょくちょく笑われてるんだけど、元が同じだし、ネーミングセンスはお互い様なので気にしない。

 とにかく直後、こちらを狙って銃弾が雨あられのように飛び出した。

 歩みは止めない。余裕を見せつけるように、一歩ずつ前へ進む。そうしながら、左腕は攻撃にしっかり対処していた。

 視界に捉えた端から、極めて正確無比かつ機械的な動きでもって、当たりそうな軌道の弾だけを的確に掴み取っていく。

 脊髄反射など優に超えるあまりの速さに、目の前で荒ぶる腕が残像を成している。

 激しい動きに耐えられるよう、気力強化はしているので全然平気だ。けど、意志によらず勝手に腕が動くので、いつも妙な感じはする。

 時間にして十数秒ほどだろうか。音の止む間もないほど激しい銃撃が続く。

 それまでの間に、俺は全く平気な状態で、ゆっくりと敵の目と鼻の先まで迫ろうとしていた。

 彼らからすれば異常な腕の速度。何より俺が余裕の無傷で近寄ってくることに、ひどく驚き慄いているようだった。みるみるうちに、顔から血の気が引いていくのがわかる。 

 それでも撃てているうちはよかっただろう。攻撃しているという事実をあてにできた。

 しかし弾も無限ではない。いずれは撃ち止めになる。

 そうして、ついに弾が切れたとき。

 

「もう終わりか?」

 

 これ見よがしに左腕を伸ばして、掌を開く。

 潰れた銃弾が、バラバラと落ちて。固いアスファルトにぶつかり、小さな金属音が弾けた。

 二人はぎょっと青ざめて、今度こそガチの悲鳴を上げた。

 

「うわあああああああああああ!」

「ばけもんだああああああああ!」

 

 空になった銃を放り捨てる。任務のことも忘れて、それぞれ通りの逆方向へ一目散に逃げ出してしまった。

 

 ……決まった。

 

『もう。かっこつけすぎ』

『いやあ。一回やってみたかったんだよねこれ』

『一回やってみたかったシリーズ多くない?』

『そりゃもう。人生やってみたいことだらけだよ』

『あっそう。ふふ。でも弾掴みじゃしまらないよね』

『思い付かなかったんだよ……』

 

 肝心なところでユイからケチが付いてしまったけど。

 見張りを殴らないで退散させた。戦果としては最高のものだろう。

 ステージ1クリア。これより内部へ突入する。

 

『幸先いいね。どんどん行こう』

 

 ユイも何気にノリノリだ。

 

 割れたガラスを踏まないように注意して、ビルの内部へ足を踏み入れる。

 奥の方では、ぐるぐる巻き男Aが白目を剥いてくたばっていた。床が透明に濡れているところから見るに、失禁してしまったらしい。

 シズハでなくても「ざまあ」と言いたくなるような光景だ。これ以上は可哀想だからそろそろ許してあげようか。

 あ、でもこのスマホっぽい電話で写真くらい撮っておこう。シズハに見せてあげたらきっと喜ぶぞ。

 いやもう。本当に腹立ったんだよね。相手が俺で運良かったと思うよ。他の人なら殺されてても文句言えないんじゃないかな。お大事に。

 

 横に目を向けると、カウンターの前で受付嬢が、カチンコチンに肩をこわばらせて、懸命に突っ立っていた。

 

「ボスに会いたいんだけど」

「ア、アポイントがなければ、お客様とのご、ご面会は……」

 

 へえ。あくまで普段通り仕事をしようというつもりか。感心感心。ならこちらも形だけは合わせておこうかな。

 

「なら今から予約を入れておくよ。しっかり伝えておいてくれ」

「は、はひ……!」

「今すぐお前に会いに行くから、そのまま部屋で待ってろと」

「は……か、かしこまり……まし、た……!」

「じゃあ」

 

 くるりと背中を向けたとき、ぴたりと彼女の震えが止まったのがわかった。

 

「御許可のない方は――しんでくださいまし」

 

 腰の銃を手にかけようとして。

 すか。すか。だが見つからなかった。

 動揺する彼女に、わざとらしくとぼけて言った。

 

「君が探してる銃だけど。これかな?」

 

 ちゃっかり引き抜いておいたものを、見せびらかす。

 殺意が見え見えなんだよな。もうちょっと上手く隠さないと。

 

「あっ、どうしてあなたが持ってるのです! 返して下さいまし! 返せっ!」

 

 演技も忘れて取り乱す女に、あっさりと返してやる。

 

「いいよ。はいどうぞ」

「え、あ?」

 

 いきなり投げ渡したので、彼女はつい反射的に受け取ってしまった。

 銃に手が触れた瞬間、

 

「ああ゛んっ」

 

 妙にエロティックな声を上げて、彼女は倒れた。

 

 気は大気中で霧散するが、物にならいくらか纏わせることができる。

 銃に纏わせておいた。ちょっと触れるだけで、普通の人なら簡単にスタンする。

 ……まあ、こんな組織の玄関口張ってる時点で、ただの受付嬢なわけがないし。

 残念だったね。心の力を持つ俺に不意打ちするのは難しいよ。

 

『ステージ2クリア』

『ちょっと楽しくなってきたな』

 

 それもこれも、シズハが三人を守ってくれているおかげだ。彼女には感謝しないとな。

 

 受付嬢の失敗を見届けて、もう遠慮する必要はないと判断したのか、奥の通路からわらわらと黒服が溢れてきた。

 一様に同じモデルの銃を構えている。これがたった一人、それも自分に向けられているのだからすごい光景だ。敵の本気さが伺えるというものだ。

 

 一斉射撃二秒前。

 

《ディートレス》だと動きにくい。ここはまたあっちでいこう。

 

『サポート頼んだ』

『オーケー』

 

《アシミレート》

 

 発動と殺戮攻撃の開始が、ほぼ同時だった。

 銃弾のカーテンは、目標に達する前に魔法のように掻き消える。実際は、『心の世界』の中に移しているだけだけど。

 傍目にはそよ風の中を歩くような気軽さで、鉛の嵐を踏み越えていく。やはり、動揺しない者はいなかった。

 どうやら銃撃は無駄だ、やるなら接近戦だと気付き出したところ。

 緩急をつけて、一息に加速する。

 あっけに取られている間に、最小限の黒服だけを殴り飛ばして、強引かつ簡単に囲いを突破した。

 

「待て!」

 

 喚く彼らを尻目に、階段を駆け上がる。

 

『はい。ステージ3も楽勝』

『この調子だね』

 

 ボスは、もしかしたら危機を感じてどこかへ移動を始めているのかもしれないが。まだ上の方にいるのは間違いないだろう。

 大組織のボスともあろう者が、側に強者を置かないとは考えにくい。

 皮肉なことだけど。そういうのは雑兵より頭一つ抜けて強いせいで、気の強さを読めばボスの位置候補はある程度絞れてしまう。

 可能性は五か所。

 うち、ずっと上の部屋でじっと動いていないのがボスなのか、通路を動き回っているのがボスなのか。最も可能性が高いのは二つだが。

 とりあえず、逃げられるのはまずい。動き回っている方から行ってみるか。

 壁を蹴り、反動をつけて。駆け上がるというよりは跳ね上がるというのが相応しい恰好で、目的と定めた場所へ駆ける。

 閉じ込めようとしてシャッターが下りてきたけど、そんなものはおかまいなしだ。

 

《気断掌》

 

 跳んだまま掌を突き出して、紙べらを破るようにこじ開けてしまう。

 どんな金属でできているのかは知らないけど、ポラミットの方がよほど硬い。

 ビルも全部で七十階程度みたいだ。

 中央管理塔でリルナたちに追い詰められたあのときの苦労に比べれば。こんなもの大したことはない。

 

『ステージ4、5、6一気に突破って感じだね』

『はは。ワープゾーンかな』

『そんな感じ』

 

 ユイと軽口を叩きながら――こんなに余裕があるなんて、自分も結構成長したよなと思いつつ――まだまだ上っていく。

 四十五階まで上ってきたとき――

 

「おっと」

 

 頭上では、白い煙がもくもくと焚かれていた。

 視界が極めて悪く、ほんの少し先も見通すことはできない。

 なるほど。正攻法でダメなら、絡め手というわけか。そう来るだろうとは思っていたよ。

 

『このガス、吸ったら危ないよ』

『わかってる』

 

 こういう手にも、昔は弱かったものだけど。今は問題ない。

 

【反逆】《不適者生存》

 

 エインアークス。無駄だ。その罠は――その地点は、五年前に通過している。




 シズハはユウの頼みを守るため、トリグラーブ市立病院へバイクを飛ばした。
 701号室。そこにハルという少女がいることを、彼女は知っている。
 ……ストーカー、もとい「要注意人物に対する必要な追跡調査」の賜物であった。
 無事病院へ着いたシズハは、適当な物陰にバイクを停めた。人目に付かないようにするのは、職業病である。
 停めながら、ユウのあのバイクを消す技、どうやってるのか知らないが、仕事で使えたら足が付かなくて羨ましい、などと彼女はちょっぴり思った。
 入る前にまず外から、慎重に中の様子を観察してみる。別に普通に入ってもいいのであるが、職業病である。
 701号室を確認。異変なし。
 幸いにもこちらの動きが早かったため、まだハルには手が回っていないようだった。
 とりあえずはほっとするシズハ。
 しかしいつ手が回ってくるかわからない。外で見守るなどと、いつもながらの悠長なことをしていては、急襲の事態に到底対処はできないだろう。護衛対象がハル一人ならそれも叶うかもしれないが、リクとシェリーもいるのだ。
 最低限、三人は固めおかなければ。シズハの身は一つである。
 不本意ながら。非常に不本意ながら。
 着替える暇もなく。怪しさ満点の黒装束に身を固めたままのシズハは、誰もいないタイミングを見計らって、へり伝いに七階へさっと忍び込む。職業病である。
 女の身でありながら、鍛錬と薬品によって強化された身体は、二人を抱えてなお身軽な動きを可能にしている。
 そして、ついに来てしまった。もう覚悟を決めるしかない。
 溜息を吐き、ドキドキしながら病室のドアを叩いた。

「どうぞ」

 明るく汚れを知らない少女の声が耳に通る。

 病室のドアがほんの少し、音も立てずに開いた。隙間からちらりと、シズハの瞳が部屋の気配を探る。職業病である。
 いつまでも入って来ない。どうも様子が変なので、ハルは「んー?」と不思議そうに首を傾げていた。
 すると、バン! いきなりドアが勢い良く開いた。
 びっくりするハルだが、あっという間もなく、ゴキブリもかくやのスピードで何かがさっと物陰に入っていった。
 シズハは腰を落として、近くベッド脇に隠れていた。こうすることで、出会い頭の銃撃を避けて身を守りつつ、こちらも攻撃に備えることができる。もちろん職業病である。

「…………」
「……あの、誰か、いるのかい?」
「…………」

 じっと亀のように黙っているわけにもいかないので、シズハはもそもそと立ち上がった。
 だが、やはり。喋れない。
 人の前に来ると、どうしても喋れない。単に恥ずかしいのもあるし、幼少の頃から感情を抑える訓練ばかりさせられてきた残念な副作用が、これだ。
 その代わり、なぜかネットだと生き生きと感情が爆発してしまうのであるが。

「…………」
「……や、やあ。キミ、誰?」

 いつまでもだんまり決め込んでいるので、ハルも苦笑いするしかなかった。
 いきなり現れた彼女。とっても怪しいと、ハルは普通の感覚でそう思っているのだが、どうも危害を加えてきそうな感じではない。あの身のこなしならやろうと思えば自分など簡単にどうとでもできそうなのに、律儀にノックしてきたからには、何か用があるのだろうと踏んだ。
 そこで人を呼ぶのは思い留まって、自分で彼女を見定めようと注視――しようとして。
 シズハの隣で力なく横たわっている、知らない少女と、あと見覚えのある人物に気付いた。

「リクくん!? リクくんじゃないか! どうしたんだい?」

 心配で駆け寄りたいのだが、足が動かないので、腕が宙を泳ぐだけだった。
 いくら呼びかけても、リクは目を覚まさない。ハルは不安で仕方がなくなって、事情を知っていそうなシズハを見つめた。
 自分がやったと、誤解させては敵わない。
 口を開くしかなかった。シズハは頑張って、とても頑張って喋った。

「大丈夫……気絶してる、だけ」
「気絶? そっかあ。よかった……」

 最悪の想像は外れて、少しだけほっとするハル。しかしよく考えてみればまったく良くない。

「でも、どうしてそんなことに?」

 言葉足らずのせいで、何が何やらさっぱりだった。とりあえず悪い人ではなさそうな感じがしたので、ハルは続けて尋ねていた。

「リク、この子。あと……お前。守る。ユウとの、約束」
「……そっか。ユウくんと。うんー、わかったような。わからないような」

 顎に手を添えて、真剣に考え込むハル。やがて聡明で想像力逞しい彼女は、自力でほぼ正解に至った。

「ユウくん、色々と危ない橋も渡ってるみたいだからね。それで変なことに巻き込まれて、リクとその子がそんなことになっちゃった。ユウくんの知り合いであるボクも危ない。キミはユウくんに、頼まれて来た。そうかな?」
(こくん)

 その通りだった。感心しながら、シズハは静かに頷く。
 予想が当たって、ハルは少し納得できた。

「なるほどね。それでキミは、どんな人?」

 続けて言われて、シズハはたじろいだ。
 彼女の吸い込まれるような青い瞳に見つめられると、どうしてか。どんな嘘も誤魔化しも通用しない気分にさせられてしまうのだ。
 こんなこと、正直に言うのはナンセンスだが。非常におかしな、馬鹿げた告白であるが。
 気付けばシズハは、絶対に人に漏らすべきではない正体を、口にしていた。

「……暗殺者」
「暗殺者?」

 言ってしまった。なぜ言った。
 胸中に激しい後悔が渦巻く。
 さすがに引かれるか。怖がられるか。嫌がられるか。
 こんなときにもポーカーフェイスを張り付けて――職業病である……――どんな反応をされるのかと、内心怯えていると。

「ぷっ。あはははは!」

 そのどれでもなかった。
 ハルは笑い出した。可笑しくて可笑しくて、たまらないという様子だ。
 虚を突かれたシズハ。彼女というものがわからなかった。混乱をそのまま口にした。

「……なぜ、笑う? 嘘、じゃない……ぞ……」
「あはははは……! ううん、嘘だなんて思っていないとも。いやあ、ユウくんには、本当に面白い知り合いがいるんだね!」
「……おも、しろい?」

 そんな風に言われたことは、これまで生きてきて一度もなかった。
 身構えていたシズハは、あっけに取られて、肩の力が抜けてしまった。

「こわく、ないのか?」

 とうとう直接聞いた。半ばムキになってさえいる。そんな自覚がシズハにはあった。
 ひとしきり笑ったハルは、いやいやと首に振ってから、優しい瞳でじっと彼女を見つめて、はっきりと言った。

「怖くないよ」
「なぜ……?」
「だって。ボクはね、ユウくんを信じてるんだ。それにボク自身、人を見る目はあるつもりだよ」

 うん、と自分で確かめるように頷いて、黙って耳を傾ける暗殺者に続けた。

「ユウくんが信頼して友達を預ける人に、悪い人はいないさ。そう思ってる」

 シズハは、はっとした。させられた。
 なんだ。なんなのだ。この子は。
 病弱には見合わない。
 強さがあった。そして真っ直ぐでいて、温かい。
 似ている。ユウに……どこか、似ている。
 リクとも、少し。自分には、眩しい世界だ。

「もうとっくに知ってるかもしれないけど……」

 と前置きして、病弱の少女は、それを感じさせない明るい笑顔を見せた。

「ボクはハル。ユキミ ハル。キミの名前も教えてくれると嬉しい、かな?」

 ちょこんと可愛らしく首を傾げてみせる仕草は、どうやら半分は癖だった。

「……シズハ」

 シズハは、嘆息した。
 まさかこんなにすぐ、二人に名前を言うことになるとは思わなかったのだ。本当に、信じられないことだったのである。
 だが、そんな彼女の事情など、ハルには関係なくて。ただ名前を聞けたことを、底抜けに喜んでいた。

「シズハ、か。良い名前だね。じゃあ――うーんと……シズちゃんって呼んでもいいかな?」
「シズって……!」

 言うな! と、言いかけて。
 デジャブだった。
 この子が、ユウと全く一緒の呼び名で自分を呼ぼうとしている。
 妙な偶然が可笑しくなって。シズハは、危うく人前で笑ってしまうところだった。

「……いい」
「ん?」
「シズで、いい」
「ふふ。ありがと。よろしくね。シズちゃん」
「ん」

 二人の手が、温かく握られる。
 ユウの預かり知らないところで、小さな友情が生まれていた。


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84「ユウ、エインアークスへ殴り込む 3」

 環境適応効果のおかげで、息をしても全然平気になったものの。視界の悪さという問題まで解決したわけではない。

 理想は『心の世界』を通じて、ユイに視覚強化光魔法の《アールカンバー》をかけてもらいたいところだけど……残念ながらそれを使えるほど、トレヴァークの魔力許容性は高くないようだ。

 ただまあ、よく見えなくても集中すればおおよその位置関係や敵の気配はわかる。

 

 例えば――階段の上と下から挟み撃ちにしようとしている二人とか。

 

 ガスマスクと、暗視スコープでも付けているのかな。俺の位置を正確に捉えているようだ。手には何か持っているらしいが、何かまではまだ判別できない。

 そこそこ普通の人より気力が高いな。シズハや失禁男Aみたいな実力者だろう。

 どうやら俺がガスで弱るのを待っているみたいなので、わざとふらつくような動作で誘ってみる。

 簡単に乗ってくれた。まあ向こうはこちらに何も装備がないのは確認しているはずだから、演技が見抜けなくても仕方ないかな。

 階段の上と下から、音もなく忍び寄ってくる。シズハにも感心したものだけど、この二人も見事なものだ。並みの人間では、殺される瞬間まで接近に気付くこともできないだろう。

 近づいてくると、身体のラインがわかった。

 胸の膨らみがある。どっちも小柄の女性か。

 やはりガスマスクをしていた。なので顔はわからない。ただ背丈も雰囲気も気もそっくり似ているので、双子のペアだったりとかするのかもしれない。

 そして、手に持っているものはナイフだとわかった。

 

 殺った。

 

 そう二人が確信したであろうタイミングを見計らって、反撃を仕掛ける。

 階段下、背後の女性には振り向かずに後ろ蹴りを、階段上の方には腹に掌底を見舞う。どちらもスタン効果の気をたっぷり纏わせた状態で。

 小さな呻き声を上げて、二人とも同時にぱたりと倒れた。

 

『ステージ7もクリアだね』

『いくつまであるんだっけ』

『さあ。敵の気分次第』

 

 ここまで一人も殺すことなく来ている。いい感じだ。

 生殺与奪を選べるのは、それができる余裕のある強者だけ。

 そしてこの場においては、そのレベルに達しているようだった。

 そのために何年もかけて力を付けてきたと言ってもいい。

 殺したくない人を殺さず、守りたい人を守るための力を。

 ただ今日は……相手の態度次第では、どうしてもやりたくないけど手を汚さないといけないかもしれないな。

 そうならないといいと願いつつ。今のうちに覚悟だけはしておかないと。

 

 相変わらず白煙は立ちこめたままだけど、構わず階段を駆け上がる。さすがに壁蹴り走法はやめておく。

 このままいけるかと思いきや、五十階までで階段は終わってしまった。

 

『先へ行くにはどうしたらいいかな』

『とりあえずそっちの通路行ってみようか』

『そうするか。おっと』

 

 またわらわらと黒服、かどうかははっきり見えないけど、たくさんの連中が飛び出してきた。

 早速足止めか。五十階で階段が終わっているから、そのうち来ると待ち構えていたのだろう。

 ざっと三百人くらいはいるな。人海戦術で押し潰そうというハラか。通路がぎゅうぎゅうに詰まっていて、いくらか倒して隙間を通るのも難しそうだ。

 でも狭い範囲に密集しているなら、それはそれで手がある。

 

《マインドバースト》

 

 三百人一気に片付けるには、この世界じゃ素の状態だと出力が足りないので、強化する。

《マインドバースト》は消耗が激しい。長く使うつもりはない。技を使うほんの少しの間だけだ。

 普段より長く、先端の細い気剣を作り出し、両手でしっかり持つ。

 無駄に殺したくないので、スタンモードの気をまた纏わせておく。白い刀身にバチバチとスパークがかかる。

 基本は見敵必殺のイネア先生(言うには、同じ敵に何度も同じ技を見せると対策されてしまう恐れがあると)が見たら、なんて甘ったるい剣の使い方だと呆れられちゃうかもしれないな。

 そして敵には向けず、地面に対して垂直に突き立てた。

 

《スタンディード》

 

 すると、立ち塞がっていた数多くの敵は、揃って感電したかのように全身を強張らせた。そして棒のようにぴんと固まったまま、バタバタと倒れていく。

 全員気絶している。

 上手くいった。《マインドバースト》解除。

 ふう。生身の人間相手だとスタンがばっちり決まって気持ちいいな。

 何をやったかというと。

 気というのは体内から離れると、霧散してしまいやすい性質を持つ。けど何度もやったように、物に纏わせることはできる。そしてある程度なら、拡散の方向性を決めることも可能だ。それには熟練した気の扱いが必要だけど。

 そこで、地面を利用した。地面もまた、極めて甚大ではあるけれど物とみなすことはできる。

 気剣を地に突き刺して気を流す。何もしないとばらばらに散っていこうとするので、その流れを上手くコントロールしてやる。

 密集した敵にまとめて向かわせれば、このように一斉にショックを与えることができる。

 地面を仲介する分、直接攻撃と比べると伝導率はかなり下がってしまう。なので《マインドバースト》を併用する必要があるのは難点であるものの。《気断掌》や《気断衝波》が飛ばせないくらい許容性の低い世界でも有効な対集団戦法だ。

 許容性に応じて有効な戦術は変わる。そこを見極めて適応するのが、異世界における戦闘のコツだ。

 まあほとんどのフェバルは許容性の違いなんてあまり気にしなくていいくらいぶっちぎりに強いし、そもそも異世界渡るなんて人はごくごく限られているから、もしかすると俺くらいしかお世話にならない見識かもしれないけどね……。

 

 相変わらず煙だらけではあるものの、人がみんな倒れてくれたおかげで、向こうの様子が見えるようになった。踏みつけないように注意しながら進むと、エレベーターが見つかった。

 ところが、ボタンを押しても反応しない。

 

『あれじゃない? 今は止められてるか、あるいはセキュリティ付きのやつ』

『あー。面倒臭いやつだ』

 

 どうしようか。

 なんとなしに天井を見つめてみる。

 地球とほぼ同じ、普通のコンクリート素材でできているみたいだし。どんどん天井をぶち抜いてしまってもいいけど。毎階ぶち抜くとなるとさすがにかなり体力も使うし、少し行儀が悪過ぎるかな。

 かと言って、エレベーター認証の方法を探るには時間がない。もたもたしているとボスが逃げてしまうかもしれない。

 手を考えていると、先にユイが名案を思い付いた。

 

『そうだ。とりあえずエレベーターをこじ開けて』

『それで?』

『こうするの』

 

 ユイの考えていることがイメージとして、鮮明に伝わってくる。

 なるほど。これは手っ取り早いし、体力の消費も少ないな。

 

『それでいこう』

『うん』

 

 気力強化を施して、腕力でもって強引にエレベーターの扉をこじ開ける。 

 ボタンを押して開いたわけではないので、かごはなかった。

 上下に何もない空間が伸びている。煙は全く入っていないようで、見通しは良い。今開けたせいで、むしろ俺の側から流れ込もうとしている。

 よく見ると、ずっと下の方にかごが停止している。上は塞がっていないみたいだ。

 これなら邪魔もなくいけそうだ。

 ユイの提案通り、勢いを付けて宙へジャンプした。

 目指すのは、強者の気配がする七十階。最上階だ。

 許容性が低いので、一発跳びで二十階分上がるというわけにはいかない。

 そこで、落ち始める前に奥の壁に身を届かせる。

 壁に着いたら蹴り上がる。その勢いでまた上昇しつつ、反対側の壁に達する。そうしたらまた蹴り上がって、反対の壁へ。これをひたすら繰り返す。

 いわゆる壁キックというものでどんどん上がっていった。まさかこんなゲームみたいな動きを自分がすることになるとは思わなかった。

 遊んでいるように見えるけど、《パストライヴ》を連発するよりはよほど体力を使わない。元々、ラナソールにいるときみたいに湯水のように連発して問題ない技ではないのだ。機械人間が本来持っている機能を使ってするのと、生身の人間が能力でコピーして無理やり真似するのとではわけが違う。

 そう考えると、リルナってすごいんだよな。平和になってから散々組み手したけど、トータルの勝率二割がやっとだったし。彼女に手伝ってもらって【神の器】の能力開発を始めてからは、四分五分までもっていけたけど。ラナソールのぶっ飛んだ環境は比較にならないからなしとして、今エルンティアと同じ環境条件でやったら、どれだけ勝てるかな。

 もう会えないかもしれないけど、やっぱり彼女を守れるくらいには強くなりたいよなあ、なんて。

 考えながら適当に蹴っているうちに、最上階に着いた。《気断掌》で鉄の扉をこじ開ける。

 

『ステージ……そろそろ飽きてきたね』

『同感だよ』

 

 とにかく、そろそろ最終ステージが近付いてきた。

 さすがに最上階まで煙びたしなんてことはなかった。余計な黒服もいない。こんなショートカットを想定して先回り配置していたら、よほどの妄想家か、大したものだと思う。

 あとの障害は、ボスの護衛と思われる人たちだけか。動き回っている方と部屋に留まってどんと構えている方――部屋の方がやや近いけど。

 はじめから考えていた通り、まずは動き回っている方から行ってみよう。

 

 ……まあ結論から言うと、はずれだった。

 ボスらしき人物はおらず、代わりにいたのは屈強そうな男といくらかひ弱そうな男が一人。ひ弱そうな男は屈強そうな男の部下か何かのようだ。

 

「No.3。我こそはカーネイター一の力自慢……」

「御託はいいからかかってこい」

 

 話に付き合うのが面倒だと思った俺は、左腕をめくって差し出した。

 No付きで名乗ろうとしたということは、この男もそれなりの奴なんだろう。

 力自慢とか言ったから、こうしたら乗ってくれるかもと思って。

 まあいきなり倒してしまってもいいのだけど、一見して喋りたがりそうな奴なので、こいつを力で負かせば俺の強さが広まって、さらなる抑止に繋がるかもという打算があった。

 

「アニキ、こんなひょろい奴ひねり潰しちまいましょう!」

 

 人のこと言えないくらいにはひ弱そうな男が何か言っているけど、気にしない。

 

「小僧。死んで後悔するなよ?」

 

 よほど自信があるのか。簡単に乗ってくれた。

 見た目は俺の倍以上もありそうな右腕を突き出して、俺の腕と正面からがっちり組む。

 純粋な力比べだ。

 

「ぬぬぬぬ……! ぬう……!」

 

 腕に血管が浮くほど力を込めてくるが、こちらはぴくりともしない。

 最初は余裕たっぷりだった表情が、みるみるうちに曇っていく。

 

「こいつ……!? この細腕にどれほどの力を!?」

 

 筋力というのは、体格や筋の太さに大きく依存する。

 俺は男としては体格に恵まれている方ではないし、これ以上成長もしない。一方でこいつは結構でかい。

 素の筋力では向こうの方がかなり上なんだろうけど。こっちには気力強化がある。

 今もそうだけど、この男は気がほとんど垂れ流しだ。さすがに気の扱いもろくに知らない奴じゃ勝てないよ。

 そろそろ反撃だ。俺も少しずつ力を込めていく。上から押し潰そうとしていた男は、逆に今にも下へ引きずり倒されようになっていく。

 額に油汗を滲ませて、苦しげに呻く大男は、とうとう焦りから力勝負を放棄した。

 余っている方の手で、腰の銃を抜こうとして――その前に、俺のパンチが思い切りめり込んでいた。

 腹を抱える暇も与えない。同じ個所に続けて、腰のひねりを付けた蹴りを見舞う。

 相手の腕から力が抜けた。

 その隙を逃さず、腕に力を込めて一気に勝負を決める。

 片腕だけで、彼の身体は簡単に持ち上がった。

 見るからにやばいという顔でもがくが、もう遅い。持ち上げられてしまっては、殴るのにも力が入らない。

 殺そうとしてくる奴に、慈悲なんてかけてやらない。

 そのまま投げに移行する。

 

「うおおおおおおおっ!?」

 

 ハンマー投げの要領で、腕をこてにしてぐるんぐるん振り回す。

 十分に速度が溜まったところで、ぶん投げた。

 

 激突。

 

 鉄筋コンクリートにひびが入るほどの勢いで後方の壁にめり込んだ彼は、息こそあるものの完全にくたばっていた。

 

「アニキいいいいいいっ!」

 

 血相を変えて駆け寄る部下の悲鳴を聞きながら、さっさともう一つの候補へ向かうことにした。

 

『いよいよだね』

『さあどうなるかな』

 

 いかにもボスの部屋ですって感じの豪華扉の前で、俺は深呼吸して息を整えた。

 扉の奥から感じる気は四つ。

 位置的に、二人は護衛かお付きだろうか。一人は強さからして間違いなく側近だ。もう一人がボスだろうか。

 よし。行くか。

 どうせなら最後までインパクトだ。派手に扉を蹴り破る。

 正面に大きな椅子がどんと構えてある。

 黒髪中肉中背の男が一人、座ってこちらを苦々しい表情で見据えていた。

 歳は三、四十代かそこらだろうか。裏組織のボスという割には……若いな。

 気にはなったものの、とりあえず今は置いておく。

 側で控えているのは、右側にお付きの女性が二人。左側には、細身で目付きの悪い男が一人。

 思っていた通りのメンバーだった。

 正面のボスが、おもむろに口を開く。さすがに動揺が隠し切れていない感じがする。

 

「よもや、ここまで来るとは思わなかったぞ」

「手厚い歓迎どうも。おかげで楽しめたよ」

「うちのカーネイターを、五人も倒してくれるとはな。用件はなんだ?」

「とりあえずは、話をしに」

「……ふむ。わざわざご足労頂いたことだ。君の――」

 

 言葉を聞き終える前に、瞬間移動で護衛の懐へ入り込む。

 完全に虚を突かれた細身の男は、動きが遅れている。なすすべもない。

 奇襲上等。

 ――お前たちはそう思っていたんだろう? こいつが銃を抜こうとする動きが見えていたぞ。

 目には目を。奇襲には奇襲を。

 瞬間移動したとき、気剣はもう抜いている。

 

《スタンレイズ》

 

 スパークした気剣でもって、敵の肩をぶっ叩く。

 声もなく男は痺れて、その実力を発揮する前に倒れた。

 

「もう歓迎はいらないよ。十分楽しんだからね」

「バカな……。NO.1だぞ……」

 

 へえ。今のがNo.1だったのか。

 確かに他の奴よりは強かったのかもしれないけど、誤差の範囲内だ。

 エインアークス。思ったよりも層が薄かったみたいだな。

 それとも、俺が強くなったのかな? あれだけ規格外の奴らを相手にしてきたからなあ。

 再度、気を引き締める。

 

「せっかく苦労して来たんだ。面倒臭いのはやめにしよう。邪魔もね」

 

 こっそり誰かに連絡を取ろうとしてたお付きの女性を、ひと睨みする。

 まったく。油断も隙もない連中だ。それくらいじゃないと裏のトップなんて走れないんだろうけど。

 

「ボス。お前の名前を聞いてもいいか?」

「……シルバリオ・アークスペイン」

「シルバリオ。少し取引の話をしよう」

 

 ここからが正念場だ。

 あえて気剣は見せつけたまま、話を切り出した。



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85「ユウ、エインアークスへ殴り込む 4」

「取引の話、というには物騒な構えだが?」

 

 あくまでボス、シルバリオは冷たく落ち着いた声色で指摘する。

 当然、いくら追い詰められているとはいえ、大組織のボスがガキ一人に舐められてはいけないという思惑があるのだろうけど。

 舐められてはいけないのは、こちらも同じことだ。

 暗に武器をしまえという言葉は、あえて無視した。

 

「単刀直入にいこう。要求は二つある」

 

 要求を無視されたことに対する動揺は、向こうにもない。最初から素直に聞くとは思っていないようだ。

 

「一つ、俺自身や俺に近しい者、及びその関係者に今後一切の手を出さないこと」

 

 絶対条件だ。みんなの無事と平穏。その確実な保証のために、わざわざここまでやって来たと言ってもいい。

 相手にとっても、決して理不尽な要求ではないはずだ。むしろ弱腰とさえ見られているかもしれない。

 シルバリオは、こちらを値踏みするように見据えながら頷いた。

 

「……なるほど。して、もう一つは」

「シズハの身柄はこちらで預からせてもらう。所属はそちらのままでいい。必要なら俺の行動を今まで通り監視し、連絡させてもいい。ただし、それ以外の命令権は俺によこしてくれ」

 

 これも譲れない条件だ。もちろん命令なんてするつもりはないけど。

 この場から俺が去った後、彼女が理不尽に責任を問われ、下手すれば裏切者として殺されることがないようにである。

 それに、この世界で彼女のような実力派の協力者は貴重だ。今みたいに、俺が行動している間に守りを任せたり。身一つではできないことも、彼女がいればできる。

 そしてこの要求も、こいつらにとって決して理不尽なものではない。いくら有能な人材であっても、組織の体裁として、裏切り者である彼女は何らかの形で処分するしかないだろう。

 殺すなり閉じ込めるなり追放するなりしかないところを、こちらが引き受けるというだけのことだ。それも、幹部クラスに裏切り者が出たという組織の不始末ではなく、取引で「仕方なく」という名目を保ち、俺の監視役という仕事まで持たせることもできる。

 俺が要求したいのはこの二つだけだ。十分に寛大な措置だと思うけど、どう答える。

 

「取引と言うからには、我々の見返りはあるのだろうな?」

「お前の部下で散々舐めた真似をしてくれた奴がいる。その件を不問にしよう」

 

 最初から返答は決まっていた。これで十分なはずだ。

 不問にしよう。

 敵一人味方ほぼなしのこの状況で、この言葉がどれほどの価値をもつか。

 わからない馬鹿じゃないはずだ。そう期待したい。

 

「それだけか?」

 

 ボスは、憤りがあるというよりは、確かめるように言った。

 

「それだけで十分だと思うけどね。そちらの被害は建物が少々、あと怪我人がそれなりに出たくらいだ。こちらも危うく友達を殺されかけたんだ。この辺で手打ちにしよう」

「……ふっふっふ」

 

 すると、ボスは笑い始めた。

 

「随分と甘い男だ。報告通りの奴だな」

「寛大だと言って欲しいね」

「確かにそうだな。まったく、恐るるに足らん」

 

 ――そう来たか。

 

「取引だと。笑わせるな。正義ごっこでもしに来たのか?」

 

 ボスは、嘲るように笑う。

 

「お前は誰一人として殺せていない。現に、そこのNo.1も息があるようだ」

 

 言われるかもしれないとは思っていた。

 確かに俺は甘い。そこを突かれ、交渉を有利に進められるか、跳ね付けられるか。

 最悪、逆に脅されるか。

 

「実力は認めよう。上手くしてやったのだろうが、お前の取引とやらには乗れないな。我々にも矜持というものがあるのでね」

 

 やり方が甘いと。どうせお前はこれ以上のことはできないと。だから首を縦に触れないと。この期に及んで足元を見るのか。

 くそったれめ。このまま舐められては、今後も何かと手を出されてしまう。

 ……やるしかないか。

 俺は心を固めた。

 

「そうか。よくわかったよ」

 

 気剣をスタンモードから通常モードへ。

 相手が認識するよりも速く、懐に飛び込む。

 

 そして――彼の右腕の、手首より先を容赦なく斬り飛ばした。

 

 彼がふんぞり返っていた椅子の前に、手首がボトリと落ちて無残に転がる。

 一瞬何が起きているのか認識できていなかった彼は、突然走ったと思われる激痛に腕を押さえて、苦痛に顔を歪めた。

 手は緩めない。彼の首に気剣を押し当てて、正面から脅しつけるように、低いトーンで告げた。

 

「俺がただの甘い奴だと。そう思っているのなら考えを改めるべきだ」

 

 そこまでやると、さすがにシルバリオの顔色が変わった。

 お付きの女性二人が悲鳴を上げて、助けを呼ぼうとする。

 一喝した。

 

「動くな! 黙っていろ!」

 

 びくんと肩を震わせて。二人は押し黙る。これで邪魔はなくなった。

 くそ。こんなことしたくなかったけど。

 一度始めたからには、最後までやり通さないといけない。

 努めて声色を冷たく、顔に感情を出さないように意識する。

 

「助けは来ない。来ても倒す。早く止血しないと命に関わるぞ。どうする。シルバリオ」

「くそ、お前……!」

「俺がどうして殺さなかったのか。ただ必要がなかったと、なぜ思わない?」

 

 痛みに苦しみながら、ボスはようやく己の過ちに気付いたらしい。顔色が青くなり、『心の世界』は後悔の感情を受け取る。

 そうだ。殺さなかったという事実が重要じゃないんだ。

 殺すも殺さないも、俺は選べた。それほどの差があるという事実が重要なんだ。

 その気にさせたら終わりなんだよ。お前たちは。

 

「もう少し、話のわかる相手だと思っていたよ」

 

 さらに気剣を近づける。首の薄皮が切れて、小さく血の筋を作った。あとほんの少し力を込めるだけで、頸動脈が切れる。

 そうして、よく言い聞かせるように耳元ではっきりと言った。

 

「必要なら殺るぞ。俺は」

 

 これは……本心だ。

 俺だってもう子供じゃない。なくなってしまった。

 殺すべき相手というのは、残念ながらいる。

 改心の余地が全くない奴。生かせばさらなる被害をもたらすと確信できる奴。

 そういうどうしようもない奴をみすみす生かしておけば……今までもそうだった。いつか手痛いしっぺ返しを食らう。

 本当に守りたい人たちを守れないかもしれない。守れなかったこともある。

 もし放っておいて、リクやハルやシェリーや、シズハの命が危険に晒されるなら。

 殺すしかない。大切なものはわきまえているつもりだ。

 だから、テストさせてもらうよ。

 お前は生かすに足る人間か。話し合うに足る人間か。

 

「俺はいつでもお前たちを殺せる。どんな奴が来ても、どんな手で仕掛けてこようとも。よくわかったはずだ。俺の命を取ろうとすれば、みんなの平穏を乱そうとすれば、安くないぞ」

「くっ……」

「それに、取引を突っぱねて何になる? 得られるものは安いプライドと満足感だけだ。何の意義もない、何の価値にもならないことのために、みすみす部下を大量に死なせる羽目になってもいいのか?」

 

 そこまで言い聞かせると、さすがに彼も考えたのか、押し黙った。

 元々、俺の甘さを前提にした戦略だった。その前提が崩れた以上、この男に勝算はない。

 冷静に計算を働かせていることだろう。続ける。

 

「今から全員始末してやってもいいんだぞ。見ていただろう。俺には不思議な力があるんだ。どこへ行っても、逃げられると思うなよ」

 

 左手に気を集めて、掌を彼の胸に叩き込む。苦しむのも構わず、相手の心臓に気を浸透させる。

 これでマーキングされた。

 いつどこに逃げても、仕込んだ気が残っている限りは追跡ができる。

 気の扱いを知らなければ、解除はできない。数カ月は消えないだろう。

 

「そんな俺が、不問にすると。条件を呑めば手を出さないと言ってるんだ。何なら、手を貸せそうな分野ならいくらか協力してあげてもいい。夢想病は、お前たちも手を焼いているんだろう?」

 

 ダメ押しとばかりに、残しておいたカードを切る。ここで納得してもらわないと、待っているのは決裂と死だ。

 現時点で全世界の数千人に一人が罹患している不治の病。エインアークスの構成員やその家族親類も、例外ではないだろう。労働力の低下や意欲の低下など、深刻な問題になっているはずだ。

 何とかしようとして、必ず調べているはず。俺としても、バックアップが得られるなら助かる。

 

「下らないプライドや見栄のために、お前の命を含めて、全てを失うつもりか。よく考えろ」

「……随分と、言ってくれるじゃないか」

 

 若きボスは、精一杯の余裕を演出しようと口の端を吊り上げた。だが、額に滲む油汗が余裕のなさを如実に示している。

 最後の一押しだ。

 

「お前がもし、この程度の計算もできないような無能なら――潰す。こんな組織は潰してやる。その方が世のためだ」

 

 首だけを挿げ替えて、話の分かる奴に聞いてもらう。実際はその辺りが現実的な落としどころだろうけど……。

 ここは強い言葉で言い切った。その方が相手に与える印象が強い。

 

「もう言わない。最後だ。よく考えて返答しろ」

 

 気剣を首から外す。椅子に突き放して、白い剣先を突きつける。ずっと睨みは向けたままだ。

 シルバリオは、大きく疲れたように溜息を吐いた。

 そして、とうとう観念してくれた。

 

「わかった。私の負けだ……。あなたの要求を全面的に呑もう」

「懸命な判断に感謝するよ。脅すような真似をしてすまなかったね」

 

 気剣をしまって、初めて笑顔を見せた。

 俺の笑顔は、どうも警戒心を解きやすいみたいで。ボスもどこか安堵したような表情を浮かべる。それを見て、やはり彼も組織を背負っているけれども、人間なんだなと思った。

 これまでとは打って変わり、高圧的な態度は失せていた。

 今はただ真摯な表情を見せている。もしかすると、こちらが本来の彼のキャラクターなのかもしれないな。

 

「ただし、一つだけ。約束通り、我々に協力してもらいたいことがある」

「内容によるけど、聞こうか」

 

 シルバリオは頷いて、続けた。

 

「我々も夢想病に苦しめられているのは確かなのだ。あなたがNO.9――シズハ共々調査に協力してくれるなら、これほど心強いことはない」

「わかった。可能な範囲で協力させてもらうよ」

 

 シズハとの夢想病調査部結成というわけか。これで俺にもシズハにも利用価値が生まれたから、余計な手を出される危険はぐっと下がるだろう。

 理想的な結果だな。

 

「ありがたい。それから数々の無礼、お詫び申し上げたい。私も立場上、簡単に頭を下げるわけにはいかなかったのです」

 

 うやうやしい態度で、深く頭を下げた。

 なるほど。大組織のボスに相応しい度量はあるようだ。

 

「理解してるよ。そのために少々手荒いこともしてしまったけど」

 

 シルバリオは、今にも倒れそうなくらい血の気が引いていた。よく我慢して喋ったものだ。

 まあここまでやっておけば、彼も申し訳が立つだろう。

 斬り落とした手首をすぐに拾って、気による治療でくっつけることにした。地味にくっつけやすい斬り方をしていたのは内緒だ。

 彼は最初驚いていたが、俺に不思議な力があることを思い出したのか、何も言ってはこなかった。

 繋がった手で、改めて握手を交わした。

 これにて一件落着。最悪の結果にならなくて本当によかったよ。

 

 まあ、殺さないといけない奴もいる。確かにいる。

 じゃあだからって、敵はみんな殺してしまえばいいのか。ただ容赦なくやっつけてしまえばいいのか。

 それも違うと思う。殺さずに済むなら殺さなくていい。甘くたっていいと思う。

 いや、できれば甘くありたいんだ。優しいことの方が少ない世界で、俺くらいは。

 できるならみんなが平和に過ごせる道を探すこと。どんなときもよいやり方を探し続けること。

 正直楽じゃない道のりだ。悩んで考えて、きっと毎回答えは違うだろう。出した答えが正しいとも限らないし、後悔することもあるだろう。

 それでも考え続け、時に選び行動することが大切なんだ。そこから逃げてはいけないと思う。

 思考放棄の正義もまた悪に違いない。傷付けなくてもいい人たちまで傷付けてしまうから。

 けど、きっと許されない種類の甘さもあって。それも思考放棄みたいなもので。

 上手く言い表しにくいけど、たぶんそういうことなんだ。

 

『お疲れ様』

『ふう。今日は本当に疲れたよ』

 

 精神的にも肉体的にも。やりたくないこともやったしな。

 

『シズハに連絡入れたら、一回帰っておいで。フォートアイランドシチュー作って待ってるから』

『ほんとか。やった。あれ美味しいもんな』

 

 シズハに電話をかける。無事解決した旨を伝えると、若干引き気味だったけど喜んでくれた。

 あと面白い発見。電話だと、若干キャラがシルヴィア寄りになるらしい。

 それから、知らないうちに随分ハルと仲良くなってたみたいだ。途中でハルに変わって楽しそうに話してくれたから、すぐわかった。

 二人の声を聞いて、何というか。安心して、肩の力が抜けた。

 守れた。よかった……。

 温かい実感と心地良い疲労を感じながら、ユイの元へ帰った。



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86「ユウ、ご褒美に包まれる」

 昨日は大変だったなあ。

 少しはラナソールでゆっくりしたいところだけど、トレヴァークのことを放っておくわけにはいかない。

 早いところシルバリオやシズハと今後の方針を話し合わないとな。もちろんリクやハルやシェリーにも顔を見せておきたい。特にリクには不意打ちしちゃったことを謝らないと。

 ということで、ユイに協力してもらって、冒険中のランドとシルを捉まえることにした。二人はしばらく帰って来ないらしいから、こちらから見つけにいく必要がある。

 

「と言っても、どうやって探そうかな」

 

 この世界の人は気を持たないことが、毎回ネックになる。

 シルバリオにやったみたいに、気を体内へ浸透させてマーキングすることはできなくはない。ただあれは他人の体内に自分の気を植え付けるために、相当強引なことをしている。太い注射を何本も心臓に突き刺して、内側に空気を詰めるような。そんな感じで強い違和感と痛みを伴うから、あまり仲の良い人にはやりたくないんだよね。

 シルバリオも、もう痛くはないと思うけど、何となく心臓に違和感が残っているはずだ。今も何かされたままだと感じていることだろう。後で下手なことを考えないように、実効支配力は持たせたままにしてある。

 話を戻すと、じゃあ二人の持ち物に気を纏わせておくのはどうかと言えば無駄だ。生体と違って馴染まないから、せいぜい一日もしないうちに発散してしまう。

 そもそも、仮に夢想の世界の人に気を浸透させて、本当に普通の人みたいに馴染んでくれるのか。それもわからない。

 疲れてたところをユイに誘われて、ついこちらへ帰ってしまったけど。早まったかなあ。今までがたまたま良いタイミングで帰って来てくれていたというだけで、本来は出かけっぱなしの二人だからな。

 若干の後悔と心配をしていると、ユイはにこっと笑って俺の頭をぽんぽんと優しく叩いた。

 

「大丈夫だよ。私もそのくらいわかってるから。ちゃんと見つけられるから大丈夫」

「どうする気なんだ。転移魔法だとマーキングした場所にしか行けないじゃないか」

 

 いつでも手助けできるようにと、ランドシルが向かう場所に最初だけは同行して、マーキングしてから帰ってはいる。いるものの、大まかな場所の見当が付くだけだ。

 

「エーナさんに広範囲感知魔法を教えてもらったの。人の少ないところなら、どこにいても一発でわかるよ」

「へえ。それはすごいな。俺がジルフさんに教わっている間に、君はエーナさんに教わっていたというわけか」

 

 なるほど。それなら帰って来てと気安く言えたのも納得だ。

 それにしても、フェバルに教えを乞えるなんて贅沢なことだよね。教えに付いていける身体が持てているということも。

 

「うん。でも師匠というよりは、先輩のお姉さんって感じかな。ちょっと、いやだいぶ頼りないけど」

「まあ、あの姿を見て頼れるっていう人はほとんどいないだろうね……」

 

 るんるん鼻歌交じりにお掃除しているエーナさんを、二人で生温かく見つめた。

 やっている姿だけは結構板に付いてきて、はたから見ると家政婦にしか見えない。そこはかとなく人妻感もある。生き遅れ……いやごめん失礼だった。

 そんな彼女は、何度やっても気を付けることを学習しないのか、濡れたところをローブの裾で踏んづけて、リアルタイムでこけそうになっている。

 

「「あ」」

 

 ついにこけた――ように見えたが、滑った勢いを盛大に利用。宙でくるんと一回転して、決め顔で華麗に着地。

 ……できたらよかったんだけど、勢い余って足が床に突き刺さる。

 もはや恒例行事というか。大きな穴が開いてしまった。

 ユイが小さく溜息を吐く。

 ああ、また君の仕事が増えちゃったな。フェバルの強さ有り余ってるから気を付けないといけないのに、超ドジっ子なせいでコントロールがへたくそなんだよね。こんなこと言ったら悪いから言わないけど。

 するとエーナさんは、突然くしゃみをした。きょろきょろと周りを見回して、じっと自分を見守っている俺たちに気付いて、恥ずかしそうに顔を赤らめた。

 

「えーと。何か私の話でもしてた?」

「「いいえ。続けて下さい」」

 

 自然とハモる。

 さすがに何か察したらしく、申し訳ない顔で手を合わせた。

 

「いつもごめんなさいね?」

「「いいんですよ。そのままで」」

 

 俺とユイは、示し合わせたようににっこり微笑んだ。

 これも個性と思えば、かわいいものだ。まさか遥か年上の先輩、それも初見殺されかけた相手にそんなことを思うようになる日が来るとは思わなかったけど。

 

 さて、ひとまず転移魔法で近場まではきた。

 辺りは見通しの悪い森だ。気が読めない俺では、とても人探しなんてできそうもない。

 隣ではユイが目を瞑り、ランドシルを感知しようと試みている。

 大人しく待っていると、やがて目を開けた彼女は、自信ありげに口角を上げて微笑んだ。

 

「見つけたよ。かなり遠くだけど」

「ほんとか。すごいな」

 

 喜ぶ俺に、しかしユイは何を見たのか、やや面倒臭そうな声色で続ける。

 

「うーん。でも走って行くのはかったるそうな感じなんだよね。地形的に」

「そんなことまでわかるのか」

「うん」

 

 あっさりと頷くユイ。

 地形把握まで簡単にできるとは。こっちの世界は何でもありだな。

 

「じゃあ空飛んで行くしかないかな」

「でもあなた、強引にしか飛べないよね」

「そうなんだよね」

 

《パストライヴ》の連発か、《反重力作用》の使用か。

 後者の方がいくらか普通に飛んでる感じはするけど、どっちみち邪道であることには変わりない。飛行魔法の使い回しの良さに比べると一段落ちる。

 

「そうだ。私が連れていってあげる」

「へ?」

 

 不意打ちで頬を撫でられるような提案に、きょとんとしてしまう。

 連れていってあげるって……。そういうことだよね?

 戸惑い気味な俺に近付き、肩に手を乗せて甘く囁いてきた。

 

「抱っこがいい? おんぶがいい?」

「さすがにちょっと……どうかな」

「誰も見てないから。ね」

「………………抱っこで」

「素直でよしよし」

 

 ……どうして断るって選択肢がないものかな。

 我ながら、自分の甘えん坊さ加減に呆れていた。

 

 ラナソールで人一人分の重さなんて誤差みたいなもので、ユイは簡単に俺を持ち上げて空へ飛んだ。

 速いし楽だし、快適だ。

 下を見ると、入り組んだ迷路のような地形がどこまでも続いている。確かにこうしてユイに連れていってもらった方が効率的だな。

 と言っても、自分より身体の小さな姉に抱きかかえられている事実には変わりないわけで。

 あと……柔らかいものが当たってるね。しっかり。うん。

 まあそれを全く期待しないで抱っこにしたかというと、嘘になるんだけど。

 ユイも二択をあげた時点で想定済みというか、だから「素直でよしよし」なんだろうな。他の男はともかく、俺に触れる分は全然気にしていないみたいだし。ちょっとは気にしないのかな。

 普段はもっと完全に一つになるまでくっついてたからなあ。感覚が麻痺してる部分はあるのかもしれない。

 でもこう、中途半端だからかえってもやもやするというか。心の最も深い部分で安らいでいるのに、肉感が。そわそわして落ち着かない。

 一応男と女の関係ではあるんだよな。

 ……ほとんど自分同士だって言うのに、何考えてるんだろう。

 妙な気分を覚えながら、自分の面影を色濃く残す姉を何となしに見つめ上げると。

 

「また変なこと想像してるでしょ」

「うっ」

 

 にまにました顔の彼女は、そんな俺の心などお見通しと、ちょんとおでこをつついてきた。

 完全に楽しまれている。何だか上手く掌で転がされてるような……。

 まあ大人しく転がされておこうか。役得だし。

 宙ぶらりんの両手が何となく落ち着かなかったので、背中に手を回した。

 ユイが引き寄せてくれて、顔が胸に埋まった。

 鼻から息を吸い込むと、甘いフェロモンに交じって、ほんのり懐かしい、母さんの匂いがする。

 そのまま撫でられていると、いつの間にか身体のどこか強張っていた部分が、解れていく気がした。

 

「いくら大きくなっても、こういうところは変わらないよね。甘えん坊なんだから」

「いい歳して、時々自分でもどうかなと思うよ……」

「ふふ。ほんと手のかかるしょうがない子。三つ子の魂百までってその通りだね」

「フェバルの場合、百じゃ済まないだろうけどね」

 

 笑い合う。

 ユイが相手だとどこまでも素直になれる。元々丸裸みたいなものだしね。

 だから、君の本当の意図もわかってしまう。

 

「ありがとう。気を回してくれたんだよな」

「昨日甘え足りなかったでしょ。シチュー食べたらすぐ寝ちゃって。地味にまいってたみたいだから」

「やっぱりわかるよね」

「長い付き合いだもん。わざわざ心を読まなくたってそのくらい」

「覚悟はあったんだけどな」

 

 やってるときは大丈夫なつもりだった。気を張っていたから。

 自分の選択に納得しているし、間違ったとは思わない。でも終わった後に、どっと疲れが襲って来たのは確かだ。

 この力が強まるほど、人の痛みがわかってしまうから。余計に。

 

「覚悟があることと、平気かどうかは違う問題だから」

「やっぱり、辛いもんだな。慣れそうもない。時にそうしなきゃいけないと、わかっていても」

「それでいいの。辛くていいんだよ。平気になっちゃったらいけないと思う」

「このままでいいのかな」

「変わらなくていいところもあると思う。私だって、ついからかっちゃうときもあるけど、やっぱりユウが甘えてくれなくなったら寂しいよ?」

「そっか」

「うん。だから、ずっと甘くて優しいユウでいてね。その分、私があなたに甘く優しくしてあげるから」

「ああ、それで今こういうことなんだ」

「頑張ったご褒美だよ。まだしばらくこうしてていいからね」

 

 真面目に頼んだら割といつでもやってくれそうな辺り、ご褒美になってないんじゃないかって説は置いておこう。

 快適な空の旅は、人にはあまり見せられない幸せと温かさと、柔らかさに包まれていた。



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87「ユウ、シズハルートを開拓する」

 わざわざゆっくりめに飛んでくれたおかげで、ユイとの幸せな時間をそれなりに堪能できた。

 

「はい。そろそろ着くよ」

 

 肩を叩かれて、ご褒美タイムの終わりを悟る。

 名残惜しいけど、《反重力作用》を使い、あたかも最初から二人で並んで飛んできた体を装った。

 俺もユイも、恥ずかしいものは恥ずかしいからね。特にシルに見られた日にはどんな誇張をされて広まることか。

 ユイの先導に従って飛んでいくと、深い森の迷路の中を慎重に進んでいるランドシルの姿が見えた。

 

「おーい」「やっほー」

 

 呼びかけると、こちらに気付いた二人は手を振ってくれた。

 

「空飛んでくるとか、ずるくねえ?」

「冒険の情緒のかけらもないわね」

 

 やや呆れた調子の言葉を投げかけられる。

 二人はこんな易々と飛べないというのもあるし、飛べるとしても地道に攻略していきたいと思っているようだった。

 実際、前に世界の果てまで連れていってあげようかと尋ねてみたときも断られた。「力を借りるまではまあいいとして、おんぶに抱っこまでは許されないと思う」「あなたたちが普通じゃないのは何となくわかった。答えまで教えてもらうのは違う気がするわ」と、口を揃えて。

 そういうわけで、時々手助けをしながら見守ることにしているのだ。

 ちなみに、俺もユイも二人に付き合って答えは確かめないことにしているのだが(何となく予想が付いてしまったというのもある)、レンクスはジルフさんを連れて実際に見に行こうとしたことがあるらしい。二人とも、中々に渋い顔をしていたけれど。

 いつかそこに辿り着いたとき、ランドとシルはどんな顔をするのだろうか。そもそも果たして辿り着けるものなのだろうか。楽しみでもあり、怖くもある。

 

「冒険は順調に進んでるか」

「おう。順調も順調だ」

 

 ランドはからっとした顔で笑った。シルも同調する。

 

「この辺りは、迷いやすいこと以外は平和だったわね」

「二人ともよくやってるよね。もうここまで来たの、あなたたち以外にほとんどいないんじゃない?」

 

 実際この辺りまで来ると、もう到達した人が地名の名付け親になれるというレベルである。多くの冒険者は遥か手前で脱落し、現役で世界の果てを追う者たちの中では、ほぼ最先端の位置にいるのだった。

 

「俺たちよりすげえ奴なんていくらでもいるけどさ。唯一自慢できることがあるとすりゃ、ここまで真っすぐやってきたことかな」

「あなたたちに出会えた運もあるのかしらね」

 

 ユイに褒められて、二人とも上機嫌である。リクはともかく、この素直さの一端でもシズハが持ち合わせていてくれたら、付き合いも楽になるんだけどなあ。

 待てよ。シルヴィアが素直ってことは、シズハはあんなにつんつんしてるのに、本当は素直に冒険を楽しみたいってことじゃないのか。

 そう考えると、結構可愛らしいところもあるんじゃないだろうか。

 

 少しばかり雑談を楽しんでから、本題を切り出した。

 

「ランド。また手を貸してもらってもいいかな」

「ああ。そうしないといけない場所があるんだっけか。よくわかんねえけど」

 

 いつものことながら、ランドは快く手を差し出してくれた。

 その辺りはユイに説明してもらって、ふんわりと理解してくれてはいるらしい。あまりラナソールだとかトレヴァークだとか言っても、釈然とはしなかったみたいだけど。

 邪魔をして申し訳ないところはあるので、代わりじゃないけど、ユイには今日二人の旅を手伝ってもらうつもりだ。ほんと、ユイにはいつも世話になってばかりだよ。さっきもそうだし。

 

『気にしないで。私が好きなの。ユウの世話焼くの』

『悪いね。じゃあ行ってくるよ』

『気を付けてね』

 

 ランドの手をしっかりと握り、向こうにいるリクを思い浮かべて、念じる。

 二人の心がパスとなって、二つの世界がつなが――――ん?

 ……あれ。おかしいな。えっと?

 よし。もう一度だ。集中して。

 えい。えい。

 んーー。むーー。んーーー?

 

 ……あれ?

 

「どうしたユウ。いつもみたいにぱっと消えないのか?」

 

 ……どうしよう。繋がらない。

 

『え。マジで?』

『マジで。やばいよ』

 

 まさかの事態だ。信頼と安心のリク-ランドパスが繋がらないなんて。

 なぜ。どうしてこんなことに。

 ランドはこんなあっけらかんとした調子だし。こちら側に原因があるとは思えない。あるとしたら、リクか?

 道はなくても、心まですっかり閉ざされているわけではない。ランドの手を介して、向こうの世界にいるリクの心を読み取ろうと懸命に試みる。

 ……なるほど。わかった。

 別に嫌いになられたというわけじゃないけど、どうやら怒っているっぽいな。それなりに。

 不意打ちの件、置いてけぼりにされたことに文句の一つも言ってやりたい。そんなところだろうか。

 しまったな。フォローしないで帰るんじゃなかった。

 元々不安定な道ではあった。ちょっと本気で機嫌を損ねると、それだけでもう通じなくなってしまうのか……。

 

『まいったね』

『ほんとだよ』

 

 心の道が使えないとなると、世界に穴が開くのを待つしかない。場所も時期も不正確な上に、安全に通れるかもわからない。

 

「よくわかんねえけどよ。困ってるのか?」

「うん。そうなるかな」

「そうか。俺、悪いことしたかなあ」

「いや、君は悪くないよ。悪いのはたぶん俺の方だ」

「いつもはランドでできてたことが、なぜかできないというわけね」

 

 わからないなりに事情を呑みこもうとしてくれる二人に、ますます申し訳なさが立つ。

 

『どうしようね』

『うーん……』

 

 本当に困って頭を悩ませていると、不意にシルから提案が入った。

 

「私じゃダメなの? それとも、ランドはいいけど私じゃダメって理屈があるのかしら」

「それは……どうなんだろう」

 

 言われてみるまで、考えたこともなかった。

 確かにシルヴィアとシズハ、二人のまず対応するであろう人物には会っている。これまでの付き合いで、もし二人ともとしっかり心を通わせているならば、通れるはずだ。ついでに、二人の元が同一であることのこれ以上ない証明にもなる。

 シルヴィアについては、きっと大丈夫だろう。ただ、シズハはどうだろうか。

 だって、殺してくる系女子だからなあ。確かに苦労の末、名前は聞いたし、共闘もしたけど。そのくらいだ。

 個人的には、仲良くなれていると嬉しいとは思うけど……期待できるのだろうか。

 

「やってみたらいいじゃない」

「まあ失敗しても損はしないからな」

 

 ユイの言う通り、物は試しだ。やるだけやってみよう。

 

「じゃあ悪いけど、ちょっと手を貸してくれないかな」

「はいはい。どうぞ」

 

 軽い調子で出してくれた彼女の手を取る。

 シルの心は、予想通り普通に開いていた。第一段階はクリアだ。

 あとは、目の前の彼女の心を通じて、シズの心に通じる道を見つけられるかどうか。

 どうだ。

 

 ――繋がっている。

 

 いける。いけるぞ!

 

『やったね』

『そっか。あれで結構仲良くなってたんだ。図らずも感動してるよ。俺』

 

 出歩いては尾けられ。話しかけようとしては逃げられ。挨拶代わりにと矢を撃たれ。

 彼女とのコミュニケーションには散々苦労させられてきたけど、ちゃんと実っていたんだ……!

 よかった。報われた。本当によかった……!

 

「なに人の手をさもありがたそうに握って、この世の始まりみたいな顔してるの。あなた」

「何でもないんだ。君のツンデレに乾杯」

「は? ツンデレ?」

「よし。いってくる!」

「気を付けてね」

 

 心なしか弾んだ気分で、俺は彼女の心へ飛び込んだ。

 

 

〔ラナソール → トレヴァーク〕

 

 

 ふう。人の心を通るのはやっぱりたいへ――

 

「うわっ!」

 

 なんだ!? 何か、かかってきた!?

 お湯だ!? いきなり上からお湯が……?

 びっくりした。どこだろうここは。

 とりあえず、前を見て。

 目と目が合った。

 

 ……素っ裸のシズハと。

 

 てことは、ここは……。まさか……。

 はっと、息を呑む。

 否応なしに、眼前の彼女が焼き付いた。

 戸惑いに満ちた顔は、立ち上る湯気をいっぱいに浴びてほんのりと赤みがかり。濡れぼそった黒髪が絶妙な配置で、やや慎ましやかな膨らみの先っぽを覆い隠している。

 惜しい。そう言えなくもない。

 思わず目を見張ってしまうのは、暗殺者として鍛えられた肉体美だ。

 髪を撫でる位置で固まったままの筋肉質の細腕に、割れたお腹。すらりと伸びた雪足は、地を蹴り空を舞うのに相応しい肉付きの良さだった。かかるお湯が弾けて垂れ落ちる様が、独特な色気を漂わせている。

 白い肌に綺麗な黒髪が映えて。異世界であるにも関わらず、古き良き日本美女をどこか思わせる立ち姿に、あはれを直感してしまうほどだった。

 ついでに下も、平均的な日本女子のそれと同じで、生えっぱ……まずい。つい見惚れてた。これ以上見てはいけない。

 

 突然の遭遇に放心していたシズハさんだったが、既に我に返っていた。

 怒りのボルテージがぐんぐん上がっていくのを肌で、心で感じて。

 待て。不可抗力だ、と言っても全然通じない迫力があった。

 とんでもなくやらかしたという事実に、遅れてぞーっと寒気が襲ってくる。温かいシャワーのお湯が、今もかかりまくっているのにも関わらず。

 まずい。何か。何か言わないと!

 

「は、はろー……」

 

 出てきたのは、超苦し紛れの挨拶だった。俺のバカ野郎!

 とにかく何でもいい。この場を乗り切るしか!

 

「…………」

「ごめんね。び、びっくりしたよね。急に来たものだからさ」

「…………」

 

 無言が余計に怖い。誰か助けて。

 

「あ、そう言えば、用事あったんだった! じゃあ俺、帰るから! その、ごゆっくり……」

「…………こ」

「こ?」

「殺す……!」

 

 刀が手から飛び出すまで、コンマ数秒かからなかった。

 びゅん!

 彼女がこれまで見せたどんな攻撃よりも鋭い一撃が、脳天を襲う!

 

「うわあっ!」

 

 間一髪のところで、いや、一髪持っていかれた!?

 はらりと舞い落ちる前髪に、心が震え上がった。

 風呂場に刀だって!? すぐ横に置いてたのか!?

 そんなことして、錆びないのかな。って呑気なこと考えてる場合じゃない!

 逃げろ! 殺される!

 

「わああっ!」

 

 キラリと光る刃が、またもう目の前に迫っていた。

 命からがら、第二刀をかわす。

 ――頬が薄く切れていた。

 この世界で初めて、死が頭を過ぎる。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

「殺す……ぶっ殺す……! 斬り殺して……やる……!」

「わああ、ごめんなさいごめんなさい!」

 

 死の戦場と化したシャワールームから、全力でひた謝りしながら飛び出した。

 

「まだ、リクにも、見せたこと、ないのに……!」

 

 この後、殺戮マシンと化したシズハさんwith巻きバスタオルに、半日近くは追い回されることになるのだった……。

 ごめんなさい。本当にごめんなさい。



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88「ユウ、シズハに説教を食らう」

 命からがらの激しい追いかけっこの末。

 俺は、怒り冷めやらぬシズハの前に正座させられていた。

 

「……反省」

「誠に申し訳ございませんでした!」

 

 深々と頭を下げる。

 刀を手にしたままの彼女の前でこれをやると、打ち首を晒しているみたいでぞっとするよ。

 

「…………」

 

 重たい沈黙が続く。

 何を考えているのだろうか。おしおきでもするつもりなのかな。

 あんまり無言のままなので、だんだん息が詰まってきた。恐る恐る首だけを持ち上げて様子を窺ってみる。

 

「あの、シズハさん……?」

「じろ。まだいい、言ってない」

「ははあっ!」

 

 また全力でひれ伏す。なんだかそうしないといけないような凄みが今の彼女にはあった。

 身の凍えるような思いをしながらじっと耐えていると、長い長い沈黙の末、彼女はぽつりと尋ねてきた。

 

「どうやって」

「はい?」

「入ってきた。あそこ……私の隠れ家。お前、知らない、はず」

「えーと。それは、なんて言ったらいいのかな」

 

 どう説明したものかと思いながら、ある方(もう一人のあなたのことだが)の手引きで飛んできたということを、なるべく誠実に、正直に話した。

 苦し紛れの嘘だと思われても仕方のないことだけど、何もないところからいきなり現れた事実を彼女も目の当たりにしているわけで。とにかく信じてもらうしかない。

 もっと怒られるかと覚悟していたが、思ったほどではなかった。シズハは怖い顔で睨みは利かせていたものの、俺の言い訳を黙って聞いてくれた。

 そして難しい顔で考えて、言った。

 

「以前。何度か……見た。突然……消えたこと、あった。後、追えなかった。それか?」

「うん。うん。たぶんそれ」

「不思議な、やつ……」

 

 俺からすると君も十分不思議だけどね。まあさすがに俺の方が色々おかしいという自覚はもうあるけど。

 はたと、何かに思い至ったような顔をシズハはした。

 

「不可抗力。そう、言いたい……のか?」

「そう! そうなんだよ! 来てみるまで相手が何してるかなんて全然わからなくってさ!」

 

 ここが勝負どころだと判断する。身振り手振りを大袈裟にして、何でもいいから仕方なかったと思ってもらわないと。本当のことではあるし。

 

「リクのところにも行ったことあるんだけど、そのときもあいつがトイレ中でね。大変――」

「待て。その話、詳しく」

「あ。はい」

 

 彼女は懐から黒い革の手帳を取り出した。心なしか鼻息も荒い。

 そして開口一番「どうだった?」と尋ねてくるのには、苦笑いするしかなかった。

 やっぱり見たいものは見たい系女子なんだね。シルヴィアの一面発見。

 話せという圧力がすごい。怒りの矛先が向いていたのが、リクへの興味に逸れていくのを感じる。

 リク。悪いな。俺は保身のために君を売ることにしたよ。今度ハンバーグ作ってあげるから許して。

 こちらが述べた情報を片っ端からメモ書きしていく。もしかしてあれ、リク専用手帳だったりするのだろうか。聞いたら怒られそうだったのでやめておいた。

 たっぷり事情聴取を終えると、シズは満足した顔で手帳を閉じた。

 

「おいしかった」

「ご満悦されたみたいで」

「リク。かわいい」

 

 ほくほく顔のシズハさん。小さいことも話しました。話させられました。むしろハイライト。

 こうしてみると、やっぱりリクのことが好きなんだな。

 よし。何だかこのままスルーされそうな雰囲気になってきたぞ。

 

「お前……今、こっそり許して、もらおう……顔した、な?」

「うっ。どうしてわかったの?」

「顔。わかりやすい」

 

 俺ってそんなにわかりやすいのか。

 ……まあ色んな人に見抜かれてきた実績があるね。ポーカーフェイス気を付ければ大丈夫なはずだけど、いつも気を張ってるのは疲れるからな。

 

「でも、どうして不可抗力だなんて思ってくれたんだ。そこは何も言わなかったのに」

「ん。お前……すごく、馴れ馴れしい。でも……良識は、ある。と思う……」

「そっか。そんな風に思ってくれてたんだ。じゃあ」

「見られたことに……変わりは、ない」

 

 厳しいじと目を向けられる。おっしゃる通りで、何も言い返せない。

 

「それに……じろじろ、見てた」

「あ、はは。それは、君があまり綺麗なもので。つい」

「……やめろ。恥ずかしい」

 

 彼女は不意打ちを衝かれたように顔を紅く染めて、そっぽを向いた。

 そんなシズハさんであるが、実は今もバスタオル一枚巻いているだけの立ち姿だったりする。見られたのはともかくとして、この姿で追いかけるのは恥ずかしくなかったのだろうか。というのも尋ねたら追いかけっこが再燃してしまいそうなので置いておこう。

 

「……一回、だけだ」

「はい」

 

 大事なことを言いそうなので、きちんと正座し直す。

 

「一回、助けられた。恩は、恩……。だから、一回だけ。殺したことにして、やる」

 

 おお! やった! なんて寛大な措置なんだ! やっぱり優しいところあるんだな。

 半日も追いかけられたことは水に流そう。いや、お湯に流そう。

 

「ありがとう! シズちゃん!」

「シズちゃんって……言うな……!」

 

 照れ隠しで、鋭い斬撃が一発入った。

 この人、恥ずかしがってるときの方が強い説あるな。

 

「汗、かいた。シャワー。入り直す」

 

 彼女は淡々と言って、それからまたじと目を向けてきた。

 

「今度見たら……百回、殺す」

「見ないよ。見ないとも」

 

 と言いながら、また世界移動したときに入浴中に出くわしてしまったらどうしようもないなと思うのだった。後でそれとなくいつもの風呂の時間を聞いて、その時間は避けるようにしよう。

 

「そうだ。俺も君の後で入っていいかな。べとべとで」

「ん……でも、タオル、シャンプー。使うな。自分の……あるか?」

「大丈夫。マイタオルとシャンプーはあるから」

 

『心の世界』に絶賛常備中だ。

 

「なら……いい」

 

 バスルームへ入っていく彼女を見送った。

 

「はあ~……」

 

 気が抜けた。腰が抜けそうだよ。

 あんなにしつこく追いかけられたの、リルナ以来かもしれない。久々に泣きたくなったよ。

 

『ふふ。災難だったね』

『君はずっと笑って見てたよな。人ごとみたいに』

『だって人ごとだもん』

『ひどいなあ。同じ身体を分け合った身じゃないか』

『まあ許してくれてよかったね』

『よかったよ。死ぬかと思った』

 

 正直このまま寝たい。

 

 

 シズに続いて、俺もシャワーに入る。

 出て来ると、彼女はソファーで足を伸ばしてくつろいでいた。

 そして、水色の可愛らしいムルちゃんパジャマに着替えていた。戦争だな。

 冗談はさておき、シズもちゃんと女の子してるんだな。

 

「シャワーどうもね」

「ん」

 

 逃げているときは余裕がなかったけど、改めて見回してみる。

 裏家業は儲かるのか、隠れ家というには立派な部屋で、中々良い暮らしをしているようだ。上品な部屋の置き物からもそれは覗える。

 ああ。そう言えば、本題があったんだった。

 シズが知っているかどうかはわからないけど、シルバリオとの交渉で、今彼女の身柄は俺が預かっていることになっている。

 言うなれば、彼女は仕事仲間だ。図らずも裸の付き合いとなってしまったが。

 今後のことを話し合わないといけないんだけど……今日は疲れちゃったな。明日にしよう。

 

「君とは色々と話すことがあったんだけど、今日はもう疲れたよな」

「自業自得、だ」

「はは。そうだね。じゃあ俺はこのくらいで。明日、いいかな?」

「……わかった。でも……待て。この辺り……宿、ない」

「そうなのか」

 

 それはちょっと困ったな。どうしようか。

 

「このソファー、貸してやる。ありがたく……思え」

「ありがとう。優しいんだね」

「……ん。お前、話してると……調子、狂う」

 

 何を指してるのかわからないけど、彼女はそんなことを呆れたように言った。

 

「調子狂うって言うとね……。思ったんだけどさ。そのぼそっとした話し方、どうしてなんだ」

「私、感情……抑える。訓練、続けてきた。その……副作用?」

 

 自分でも疑問形なのか。まあ変なところで拗らせちゃったってのはあるだろうな。

 

「でもほら、シルヴィアのときはあんなに平気で話せるじゃないか」

「あれ、外向き……キャラクター。私の、中にある……部分。不思議……」

「リアルだとあんな風に話せないの?」

「自己暗示……かければ。何とか」

「おお。いけるのか」

 

 興味があるなそれ。話しやすいことは間違いないし。いや、このままじゃダメだってわけじゃないけど。

 

「マインドセット……というやつ、だ。技術」

 

 シズハは胸を張り、どこか得意顔だった。乗せたらやってくれそうな雰囲気だ。

 ここは一つ、お願いしてみようか。話し合いもスムーズにいくだろうし。

 

「ちょっとやってみてもらってもいいかな」

「わかった。でも……明日、だ」

「そうだね。今日はもう遅いしね」

「ん」

 

 それからシズハは、もそもそと座る位置をずらして、言った。

 

「隣……座れ」

「え。いいのか」

「いい。座れ」

 

 もしかして、ずっと立たせるのはしのびないと思って、気を使ってくれたのかな。

 

「じゃあお言葉に甘えて」

 

 座らせていただく。お、いい椅子だやっぱり。

 彼女がもう話したくなさそうな、気怠い表情を浮かべているので、そのまま黙っていることにした。元々あまり話したがらないところにどんどん声をかけて、疲れたってのもあるだろうしね。

 椅子の良さも手伝って、まあこれはこれでリラックスできて、悪くない感じだった。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……ありがと」

「デレた!?」

「……デレてない」

「デレたよね」

「……デレてない」

 

 デレシズハさんも頂き、微妙に距離が近くなったかもしれない一日だった。



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89「夢想病調査部結成 1」

 シズハと一悶着あった翌朝。

 貸してもらったソファーで目を覚ますと、こちらをじーっと見下している彼女と目が合った。

 

「…………」

「おはよう。どうしたの」

「……殺せそう、だった」

「ええ……?」

 

 朝から物騒なこと言ってくるなあ。

 殺意感知に反応しなかったということは、本気じゃないんだろうけど。

 

「お前。やっぱり……馴れ馴れしい」

「どの辺が?」

「暗殺者。元々、敵同士。平気で寝る、の……おかしい」

「そうかなあ」

「寝顔……見てた。起きない。緩みっぱなし。殺せそう、だった」

 

 もう一度。確信的に、どこか非難めいた響きも伴って、彼女は呟いた。

 そう言われてもな。

 

「だって君、殺すつもりなんてないよね。あ、昨日のは除いて。あれ怖かった」

「……どう、だか。わからない、ぞ……」

 

 そんなつもりないくせに、あくまで意地を張ってくるのが可愛いな。

 

「いつも疑って気を張ってると、いざという時に頼れないし、力が出せないからね」

 

 何より自分も辛いし、不幸な生き方だ。人を信じられないことは。

 

「君のことは信頼してるんだ。助けてくれたじゃないか」

「……助けられた、のは……私の、方。後で……裏切る……かも……?」

「そのときはそのときだよ。事情が事情なのか、自分に人を見る目がなかっただけのこと。君を恨むような話じゃない」

「……お前も、人を見る目……あると……?」

「どうだろう。お前もって、たぶんハルのことだよね? そこまで言い切る自信はないかも」

「では、なぜ」

「うーん。なぜって言われると……。生き方や信条の問題になるのかなあ」

「生き方……信条……」

 

 もちろん裏切られたことなんていくらでもあるし、痛い目にもたくさん遭ってきた。

「殺さないといけない相手」の話にも繋がることだけど。

 じゃあだからって、最初から誰も信じなければいいのか。やはり違うと思う。

 極端に走ることはほとんどいつだって馬鹿げている。大切なものを見えなくして、手からもこぼれ落としてしまう。

 人を信頼するという行為にも当然大きなリスクはある。しかし、人に信頼されることのリターンは真に得難いものだ。

 何より、まず自分が信じないことには、相手もそうそう信じてくれるはずがないのだ。

 だから自分は、信じる方でいたい。

 相手が信じる一歩を踏めないのなら、先んじて一歩踏み込む勇気の人でありたい。

 そうある方が楽しいじゃないか。

 

「うん。君が自分のことをどう思っているのかはわからないよ。もしかしたら、自分が罪深く、冷たくて残酷な人間だと思っているのかもしれない」

 

 こくん。シズは小さく頷いた。

 やっぱりな。相当後ろめたいことをやっているという自覚はあるのだろう。そのせいで、いつもどこか自分を責めていて。こうして普段の態度にも現れてしまうんだ。

 まあ何といっても殺しだ。俺も手放しで許されることだとは思っていない。むしろ許されざることで、当然誰かの深い恨みを買ってもいるだろう。

 罪深い仕事だ。暗殺者というものは。

 けどそれは俺が責めるべきことじゃない。彼女は誰に言われずとも、今も自分のあり方に悩み苦しんでいるのだから。

 友達ならば。与えるべきは断罪の刃でなく、助けの手であるべきだろう。

 そうして救われた人がいることを、罪と向き合えた人がいることを、俺は知っている。

 

「でも俺は君を信頼できると思ってるし、したいと思ってる。君自身のことを、君の心を見てきたからね。それじゃいけないのかな」

「……お前、馬鹿。お人好し……言われない、か?」

 

 はは。言われたよ。向こうの君にも。

 

「そうかもね。だから、君にも同じことを期待してるんだ。俺のことは信じてくれると嬉しいかな」

「お前……ずるい。本当……調子、狂う」

 

 心底呆れた顔で言われてしまった。

 

「あはは。ごめん。寝起きから変なこと言ったね」

 

 思ったら、時と場所に構わず言っちゃうことがあるのは悪い癖だな。

 

「でもこれから、仕事仲間になるわけだし。仲間を信頼しないでどうするってね」

「仕事、仲間……?」

 

 あれ。この反応だとまだ上から聞いてないのかな。

 

「まだ聞いてなかったんだね。今、君の身柄は俺が預かってることになってるんだ。命令権もボスから奪ってある。と言っても、命令するつもりはないから安心していいよ」

「お前……そんなこと、まで……してた、のか?」

「放っておくと君の立場が悪くなりそうだったからね」

「……そう。頼んで、ない……から」

「はは。余計なお世話だったかな」

 

 ぷいっと顔を背けたシズは、しばらく何か言いたそうに口をむずむずさせていた。

 結局話題を変えることにしたみたいで、テーブルに目を向けた。

 

「……トゥカー。置いてある。飲め」

「ありがとう。気が利くね」

「別に……余った、だけ」

 

 本格的にデレて来ている気がするな。嬉しいけど、言ったら怒りそうだから黙っておこう。

 トゥカーは白く濁った色の飲料だ。コーヒーにほんの少し甘味を混ぜたような味をしていて、上質なものは何も加えずにそのまま飲むことができる。

 シズが用意してくれたものは上等品のようで、香りと味を楽しむことができた。

 お返しに、おいしい朝食を振舞ってあげることにした。

 スペシャルフレンチトーストだ。レジンバーク産の高級卵を使用して――あとどの辺がスペシャルなのかは、企業秘密だ。

 彼女は想像通りというか、料理に関してはずぼらだったので(何かを焼くくらいはできるみたいだけど)、一口食べただけでいたく感動していた。

 無口な面が崩れて、少しの間蕩けた顔をしていたのにはガッツポーズだ。はっと気付き、すぐにポーカーフェイスに戻していたが、俺は見逃さなかった。ごちそうさまでした。

 

 それから、彼女と俺がすべき仕事の内容を話し合うため、エインアークス本部へ向かうことにした。

 このところ大活躍のディース=クライツを取り出すと、彼女はなぜか悔しそうに指をくわえているので、「どうした」のと聞くと「別に。羨ましくない、もん……」との一点張りだった。

 そうか。君もこのマシンの価値がわかる女だったのか。やるな。

 

「あ、そうだ。昨日言ってた自己暗示、ちょっとだけ見てみたいかも」

 

 ふと思い出したので、お願いしてみることにした。

 ボスとの話し合いでずっとだんまりされないで済むかもという思惑もある。

 

「ん……わかった。ちょっと、待て」

 

 そう言うと、シズは大きく息を吸い込んでから、下を向いて口を開いた。

 

「ここ……ラナクリムの中……ラナクリムの中……ラナクリムの中……ラナクリムの中……ラナクリムの中……」

 

 ぶつぶつ。

 俯き、同じ言葉を小声でひたすら繰り返すシズハさんを見守る時間が続いた。

 なんだこれ。怖いんだけど。

 一分くらいそうしていただろうか。やっと気味の悪い儀式が終わった。

 

「――こんな感じで、どうかしら」

 

 固くぎこちなかった表情が、まるで嘘のように普通の女性らしくなっている。

 黒髪ではあるが、確かに「シルヴィア」が、リアルに現れたのだった。

 

「おーすごいすごい。シルヴィアさんだ!」

「……あまり言うと恥ずかしいから止めてくれない? 今も自分騙しでいっぱいいっぱいだから」

「へえ。やっぱ大変なのか?」

「気を……抜く、と……ん、んん――外向き用だから長くはもたないわよ」

「え、マジか。ちょっとボスのところまでもたせてくれない?」

「あなたがここでやれって言ったんじゃない。こんな恥ずかしいの……今すぐ、やめてもいい、ぞ?」

 

 顔から、みるみるうちに豊かな表情が失われていく。

 早い。戻るの早いよシズハさん。機嫌損ねないでくれ。

 慌てて制止した。

 

「ステイ。ステイシルヴィア~」

「……何よ。人をモコみたいに」

「せっかく時間かけてなったのに。もったいないよ」

「一応。弱シルヴィアなら……もつわ」

「じゃあ弱シルヴィアでいいよ。話ができればいいから」

 

 よくわからないけどそれでいいよ。

 すると彼女の表情に、微妙に生き生き具合が戻る。

 ああ、弱ってそういうことね。豆電球だけ付けましたみたいな。

 それから、じろりと睨みを向けてきた。

 

「お前、さりげなく。失礼なこと言ったわね?」

「え? あっ」

 

 しまった。

 

「素の私じゃ……まともに、話ができないと?」

「いやいやそんなことないよ! 言葉の綾ってやつでさ!」 

「へえ……そう。後で、覚えてなさいよ」

 

 悪かったよ……。ここのところ、シズには怒られっぱなしだな。

 

 後部座席に彼女を乗せて、本部へ向けてバイクを走らせた。

 本部はというと、先日と変わらず、銃を持った二人の見張りが両脇を固めていた。応急処置的に紙で塞がれた扉の穴が痛々しい。

 ……やったの俺だけどね。

 二人とも締まったいかつい顔で立ち塞がっていたが、歩み寄ってくる俺たちに気が付くと、あっとその場に銃を取り落として、ぴんと硬直してしまった。

 

「「ホシミ ユウ様! どうぞ、お通り下さい!」」

 

 最敬礼で出迎えられる。この間とはえらい違いだ。

 シズハもこの対応には思わず目を丸くして、

 

「お前……ボス倒したって、本当なのね……」

 

 と、呆れたような感心したような溜め息を漏らした。

 ロビーに入ると、カウンターにはあの裏心逞しい受付嬢が立っていた。彼女もまた笑顔を引きつらせている。ちょっと申し訳ないことしたかなと思わないでもないが、彼女には本来の仕事をしてもらおう。

 

「ちょっといいかな。ボスに顔を見せたいのだけど」

「あっ、は、はひっ! どうぞ。そちらのエレベーターへ。直通にしてございます」

「ボスに直通とか……前代未聞よ……」

 

 シズハはここでも盛大に呆れていた。

 

「悪いね。ああ、そうだ。この間は痛い目に遭わせてしまったからね。これでおいしいものでも食べてよ」

 

 一応女性だし、チップ及び迷惑料として、百ジット札を一枚渡してあげた。

 受付嬢は札を見るなり、みるみる顔を青くして、わなわなと震える両手でそれを丁重に受け取った。

 

「あ、あああ、ありがとうございましゅ……!」

 

 あ、噛んだ。

 最初に来たときのびびってた風の感じ、あれ演技かと思ったけど、案外素なのかもな。

 

「やり過ぎ、だ」

「え。何が?」

 

 ちなみに後で知ったのだが、裏社会において端金である百ジット札を一枚だけ渡すという行為は、「お前の命はほんの紙切れ一枚みたいなものだ(この端金で黙らないと命はないぞ)」という脅しのメッセージになるらしい。それはびびるよね。悪いことをしたなと思う。

 

 エレベーターで最上階に上がり、ボスの部屋まで何物にも邪魔されずに行くのは、前回を思うと中々に爽快だった。シズハの方は、そもそもこんな階まで行くことが少ないのか、素通りっぷりが落ち着かないのか、居心地悪そうにそわそわと視線を彷徨わせていたけれど。

 ボス部屋に着いた。今回は普通に開ける。

 扉の向こうには、前と同じようにボス――シルバリオがどっしりと座っていた。心なしかやつれているように見える。原因はもちろん俺だろう。

 

「随分お早い再訪だな。ご丁寧に奪い取った女まで引き連れて」

「ボス……」

「せっかくだから早いうちがいいと思ってね。ビジネスの話に来たよ」

「ほう。ビジネスと。敗戦処理の間違いではないか」

 

 やや棘のある言葉だ。まあ皮肉の一つも言いたくなるのだろう。スルーしてやることにした。

 ふと、お付きの人物がいないことに気付く。

 

「護衛はどうした?」

「No.1は……入院中だ」

「あの……No.1が?」

 

 シズハが、信じられないと口を開けている。確かに君よりいくらか強そうだったけどさ。

 

「そうか。お大事にと伝えておいてくれ」

「同じことを、入院している他の三人のカーネイターにも言ってやってくれないか。おかげでうちは管理人材不足だよ。困ったことだ……」

 

 若きボスはそう言って、本当に頭が痛そうに額へ手を当てた。

 

「三人? あの受付嬢以外だと病院送りは四人だったはずだけど」

 

 双子の暗殺者、力自慢、それからぐるぐる巻きの人。四人いたはずだ。

 

「四人も倒したの?」

 

 シズハは驚きが追いつかなくて、目を白黒している。

 

「受付嬢――ああ、No.11、ミドリのことか。それはともかく、No.6――ルドラ・アーサムは除名することとした」

「ルドラ・アーサムって、あのぐるぐる巻きにした奴か?」

「ああ。今は留置しているが、必ず落とし前は付けるつもりだ。一つ、詫びとしたい」

「…………」

 

 シズハが、複雑な顔をしている。本来ならば、その立場に自分も立っていたかもしれないわけで。無理もないか。

 それとも、嫌いとは言いつつも、殺されかけても、やはり同僚が始末されるのは偲びないのだろうか。

 彼女と目が合った。顔が伝えてくる通り、複雑な思いがあるようだった。

 だったら。

 

「いいや。何も殺すことはないだろう」

「お言葉だが。甘過ぎるんじゃないのか? 彼は忠誠の男だが、性質は残忍だ。だからこそ裏始末の仕事を任せていたのだが……お前の許せる人物になるとは到底思えない」

「わかってる。もちろんそのまま出すとは言ってないさ。もっと良い落とし前があるんだ。今思い付いた」

 

 そう言えばいたんだよね。

 ラナソールの大魔獣討伐祭のとき、選手名簿一覧に彼の名前があったんだよ。

 あのとき、なぜか視線に少しだけ殺意が混じっているのを感じたけど、あれはたぶんあいつだったんだ。

 ということは――ルドラ・アーサムは間違いなく、ラナクリムプレイヤーだ。

 一応確認を取る。

 

「シズハ。ルドラは、ラナクリムやってるんだよな?」

「……ええ。腕は確か。でもストーカー気質。口を開けばベッドの誘い。きもい」

 

 なるほど。それは嫌だな。

 逆に言うと、それなりに好意を持っていたから人質に留めて、ギリギリまで殺さなかったのか。

 何が上手く転ぶかわからないもんだ。

 とにかく、そうとなれば刑は決まった。

 そのときの俺は、たぶんちょっと悪い笑みを浮かべていた。

 ボスもシズハも要領を得ず、首を傾げる。

 

「それがどう関係するのだ?」

「無限迷宮シャッダーガルンってあるよね」

 

 迷宮都市アルナディアに存在する超巨大ダンジョンだ。

 

「あ……なるほど」

 

 シズハは深々と頷いて、リアルでは珍しくにやりとする。ボスはまだわかっていなかった。

 

「どうするのだ」

「彼に調査命令を下して欲しい。条件はただ一つ。『無限迷宮シャッダーガルン。その全ての階層をクリアし、攻略レポートにまとめること。ゲームは一日十八時間。その他、飯と風呂とトイレと寝る以外は一切禁止』だ」

「それは……事実上の終身刑ではないのか?」

 

 さすがのボスもやや同情的だった。ただ死刑になるより、ある意味よほど残酷なことをしようとしていると理解したからだ。

 

「かもな。まあ元々調べたいとは思っていたからね。彼には心ゆくまでやってもらおう」

 

 誰もクリアしたことがないダンジョン攻略を、ひたすらに。ネトゲ廃人になるまで。

 噂だと、ガチ勢が攻略に数年以上かけても、全く果てが見えないという。今までの仕事とはほぼ無縁の、(モンスター以外)殺せない、(リアルの)人と会えない、素敵なライフワークになるんじゃないだろうか。

 

「ざまあ」

 

 シズハが文句なしにほくそ笑んだ。この判決には後ろめたいところがなく、とてもご満悦頂けたようだ。

 

「まああいつの話はそのくらいにして。そろそろ本題に入ろうか」

「夢想病……その調査が任務、だったかしら」

 

 弱シルヴィアモードのシズハさんも、再び顔を引き締める。

 

「うむ。そのことだが……我々にとっても切実な問題でね」

 

 彼は、俺とシズハを除く全ての人を部屋から払った。

 そして、深く長い息を吐いて。

 

「ぜひ内密に、相談したい事情があるのです」

 

 シルバリオは、そう言って頭を下げたのだった。



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90「夢想病調査部結成 2」

「私がボスにしては若いと、そう思われたことはありませんか?」

 

 打って変わって、穏やかな物腰だ。心の状態を観察しても、強張りが取れてより自然な状態に近いように思われる。

 元敵とは言え、年上の相手がこれだけ下手に出ているのだから、こちらも一応は礼儀をわきまえるべきだろう。

 少し言葉遣いを柔らかくすることを意識する。

 

「確かに思いましたよ。大組織のトップなのだから、普通はあと二十歳かそこらは年上の人がなるものかと。あなたはどちらと言えば、若頭と言った方が相応しい年齢だ」

「ええ。確かに、私は若頭でした。あの日までは……」

 

 シルバリオは何かを思い出したのか、沈痛な面持ちをしている。

 隣のシズハも、あの日というのを思い返していたようだった。

 

「五年前にボスが変わった……あまりに不自然なタイミング、だったわ。まさか」

「ええ。先代のボス、私の親父――ゴルダーウ・アークスペインは、夢想病にかかっています」

 

 そうか。それで……。

 先日の仕打ちを忘れるわけではないが、いくらか同情の気持ちが芽生えた。

 

「色々と苦労したんじゃないですか?」

「おっしゃる通りです。突然の世代交代は、組織に重大な問題が生じていることを印象付ける。私は、部下にも、他の組織にも、舐められるわけにはいかなかった。強くあらねばなりませんでした」

 

 そう言ってから、改めて深く詫びられた。

 隣で目を光らせるNo.1の存在がないということも、素直な態度の要因ではあるだろう。

 

「なるほど。事情は理解しました。俺に対する態度としては間違えていたけれど、組織の長としては正しい対応だったと認めましょう」

「かたじけないことです。私はあなたという人物のスケールを見誤っていたようだ」

「いやいや、そんな持ち上げるような人じゃないですよ」

 

 恥ずかしいので謙遜するが、シズハも同意見のようで、しきりに頷いた。

 

「私も……あんな馬鹿みたいに強いとは、思わなかったわ。一撃よ。一撃」

「それはあいつが大したことなかったからで」

 

 結構昔に苦戦したヴェスターってやつがいたけど、世界差による調整を考慮してそいつと同じくらいじゃないかな。そういや、あいつもひどい悪だったな。

 

「そう言えるのが、大したことある証。彼、うちで三番目の実力者よ……。私より、二段は……強いのに……」

 

 妙に恨めしさすら滲ませて、彼女は拳を震わせていた。

 いや、言いにくいんだけど……。踏んできた場数がちょっと違うだけだよ。

 人外連中はさておき、クラムやリルナやガランドールみたいなのと戦ってきたからね。

 時間操ったり、無敵だったり、防げなかったり。

 それに比べたら、ただ弾きとワイヤー遊びしてるだけの奴なんて……。

 あんな生易しいもんじゃなかったよ。今まで。

 

『胸刺されたり、腕斬り落とされたり、足千切れたり、首折れかけたり。大変だったよね』

『思い出すと痛いからやめて』

『ごめんごめん』

 

「真の強者とは、あなたのように強さを感じさせないものかもしれないですね」

「はは……」

 

 それ言ったら、遥かに強いのなんていくらでも知ってるしなあ。

 あの人たちが強さ隠してるかっていうと、そうでもないような……。うん。

 わかっている。比較対象がおかしいだけで、この人たちにすれば俺こそがおかしいレベルなわけでね。

 さながらフェバルと対峙したときの俺の気持ちを、そのまま味わわせてしまっただろうな。

 あの何をやってもどうにかなる気がしない絶望感。俺もそうするしか思い付かなかったとは言え、お気の毒に。

 けどどうせならもっと強ければ楽だったかな。この世界じゃ頭打ちだし。何とも中途半端な強さで止まってしまったものだ。

 そろそろ話を戻そう。

 

「それで。あなたのお父さんを助けたいという話ですか」

 

 なら当然の話だ。

 ラナソールの対応人物を探し出すのは大変な困難を伴うだろうけど。

 しかし、シルバリオは静かに首を横に振った。

 

「もちろん、親父には助かって欲しいと思っています。しかしそれでは全く足りない。私情で親父を優先しては、起きた親父に怒られてしまいますよ」

「先代……厳しい人だった」

 

 シズハもまた何かを思い出したのか、苦々しい顔で同意する。

 

「世界に暗い影が差している。我が組織の人員にも多大な犠牲が出ています。根本的な解決が必要です」

「ですね。俺も何とかしたいと強く思っています」

「私も……できるなら」

 

 こと重大な危機に関しては、三人の意見は一致したようだった。

 シルバリオは一呼吸置いてから、熱のこもった瞳でこちらを見据えて言った。

 

「そこで、新たに夢想病調査部を立ち上げたいと考えています」

「夢想病、調査部……」

 

 シズハがぽつりと呟く。何となく話の流れが見えてきたぞ。

 

「俺にそこのリーダーをやってもらいたいと?」

「はい。元々夢想病の研究には、年間百億ジットもの巨額を投じてきました。うち10%――十億ジット。そして世界各地の人員三千名をあなたに預けましょう」

 

 うわ。小さな国家の予算クラスじゃないか。

 とんでもない大事になってきた。

 元々世界を覆う問題を解決しようって話だから、生半可なことじゃ済まないとは思っていたけれど……。

 これは責任重大だな。しかし願ってもないことだ。

 

「謹んで引き受けましょう」

「お願いします」

「すごい……ことになったわね」

「シズハ。他人事じゃないぞ。君にも協力してもらうからな」

「……やばい」

 

 これからのことを想像したのか、彼女はそわそわと落ち着かない様子で、つま先を床にとんとんしている。

 とにかくそうと決まれば話が早い。色々と情報連携しておくことにしよう。

 まずは世界の現状について、尋ねてみる。

 

「世界における病の進行度は、どのくらいなんですか」

「およそ三千人に一人が発症しているのは知っていますね? しかも年々割合が上昇している。患者の増加速度から、専門家グループが弾き出した予測によると――」

 

 出てきた数値は、あまり思わしくないものだった。

 

「およそ五百年後。世界は眠りに包まれるでしょう」

「まあ。大変……」

「緩やかに滅びへ向かっていく世界、ですか……」

 

 今までにありそうでなかったパターンだ。

 たぶん俺のいる間は放っておいてもすぐにってわけじゃないけど……後味が悪過ぎる。

 

「あなたは唯一、夢想病を治した事実を持つお方だ。何か、知っているのではないですか?」

「……とても、与太話としか思えないような話をしますが。信じてもらえますか?」

「銀バッジにかけて」

 

 それは、最上級の誓いだった。

 俺は意を決して、詳細を話すことにした。

 元々誰に話したところで、嘘と笑われるか、手の出しようのない話だ。もし裏で彼が何を考えているとしても、デメリットはなかった。

 一通り話し終えて、シルバリオもシズハも、雷に打たれたような顔をしていた。

 

「ラナソール……ラナクリムそっくりの世界の、夢を見ている、ですと……?」

「とても、心地の良い夢のはずです。その世界は無尽蔵のエネルギーと希望に満ちて、大抵の人は望むままの暮らしができる」

「そんな理想郷が、あるのですか……」

「どこまで本物かはわかりませんけどね」

 

 確かに実体はある。

 なのにはっきり言ってしまえば、ひどく現実感がない。まるで理想ばかり集めた――ゲームのような世界。

 

 シズハが、顔を青くしているのに気付いた。

 

「どうした。シズハ。大丈夫か?」

「私……見てた。よく、見てる。ゲームの夢。でもよく考えると……少し、違ってた」

「君も見たことがあるのか?」

 

 こくんと、震える肩で弱々しく頷く。

 

「楽しかった。リクも、隣で。ずっと、このままいられればいいと……」

 

 そこまで聞いて、なぜ彼女が突然震え出したのかがわかった。

 自分が「いつそうなっていたかもしれない」という可能性に、気付いてしまったんだ。

 

「違う。わかってる。あんなの、私、じゃない。私は、あんなに……笑えない。泣けない。話せない……」

 

 どんな恐ろしいことを思い出したのか。ぶつぶつと、呼吸も荒く。目も焦点が合っていない。

 心配になった。

 放っておけなくて、肩に触れる。さすりながら優しく声をかける。

 

「大丈夫。落ち着いて。大丈夫だから」

「私の戦場は、ここじゃない、から……でも、私は……」

「心配するな。もしそうなっても、俺が助けてやる」

「え……?」

 

 不意を突かれたように、きょとんとこちらを振り返った。

 その目をしっかり見て、答える。

 

「言っただろ。君の心を見てきたんだって。君は大丈夫。いつでも帰って来られる。どこに迷っても必ず俺が見つけてやる。だから安心して」

「お前……もしかして。ユウ、なの……?」

「そうだよ。ユウだ。ずっとユウだったさ」

 

 はたから見れば意味不明の会話。しかしどうやら、俺と君の間では通じていた。

 

「そう……。道理で……敵わない、わけ……ね」

 

 乱れた呼吸を整えるように、肩で大きく息をして。

 

「少しは落ち着いたか」

 

 こくん。無言で小さく頷く。

 弱シルヴィアを続ける元気は、もうないらしい。

 でも肩に触れていた手をぱしっと振り払われたので、たぶんもう大丈夫だろう。

 

「驚いたよ。血斬り女がこれほど取り乱すなんて……」

「案外普通の女の子ですよ。彼女は。冒険と噂話の好きな、ね」

「そんなこと……ない……」

 

 じっと睨まれてしまった。

 あはは。ほらね。こんなに感情豊かだ。

 

「ただ……」

「なに」

「夢、居心地……良い。確か。現実……戻って来ない、としても……不思議では、ない……?」

 

 ――ああ。そうか。なんてことだ。

 今、はっきりわかった。夢想病の最大発症要因が。

 思えばシンヤもそうだった。ケース2で裏付けが取れたよ。

 同じタイミングで気付いたシルバリオも、相槌を打つ。

 

「夢想病の原因は、現実逃避だと言うのですか……?」

「そうなのかもしれない……。だとしたら」

 

 あまりにも。ひどい。

 例えば、現実が嫌になったとき。少し疲れてしまったとき。

 目の前にある現実とは、違う可能性を想うことがある。

 もし、ここにある世界と違う世界に行けたとしたら。もし、ここにいる自分とは違う自分があるとしたら。

 きっと誰もが一度は思うことだ。

 そうだ。誰もが夢を見ている。誰もが妄想を広げ、他愛のない空想や、理想を思い描く。

 人は夢を見る生き物だ。心の中にある夢幻のキャンバスに、好きな絵を描く。疲れたときやふとしたとき、いつでも自由な世界へ行ける。

 夢があるから。空想があるから。

 人は、時に辛く苦しい現実でも、向き合える。戦える。希望が持てる。

 そんなありふれた、ささやかな権利が。当たり前の営みが。明日を生きるための力になってくれるはずのものが。

 ただそれを強く願っただけで、餌食にされてしまう。

 そうして夢に囚われた者は、二度とは目覚めない。

 希望の源であるはずの夢が、醒めない悪夢に変わる。

 なんて恐ろしいことだろう。

 向こうの世界――ラナソールに、どれだけの人が囚われたままでいるのか。自分が囚われていることにさえ気づかないまま。

 理想郷だって。まるで心の牢獄じゃないか。



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91「夢想病調査部含め『アセッド』トレヴァーク支部結成」

「まったく思いもよらぬ新説ですよ……」

 

 想像を超えた回答だったのだろう。シルバリオは頭を抱えていた。

 

「もしあなたのお話が真実であるならば……いえ、実際に唯一治してみせたあなたを疑うことはしますまい」

「信じて下さってありがとうございます」

「実際、納得はできるものです。彼らが見る夢が独特なものであるらしいということは、調べではわかっていました」

「奇妙……うわ言、言う。見たこと、ある。何度も」

 

 ボスの言葉に、シズハもこくこくと頷く。

 

「ならば、いかにして治したのか。伺ってもよいでしょうか」

「俺には人の心を感じ取る不思議な力があります。無条件にはできませんが、人に触れたとき、心にも直接触れて入り込むことができます」

「それで、シンヤの手を……」

 

 思い当たったシズハが、自分の手を確かめるように揉んでいる。

 彼女に向かって頷いて、続けた。

 

「そうです。唯一の治療成功者――シンヤは、この手で夢の世界から連れ戻しました」

「なるほど。そもそもあなたにしかできない治療法だったというわけですか」

 

 そうだ。しかも条件を満たすのが非常に厳しい。

 俺のやり方の特殊性をよく理解したシルバリオは、険しく眉根を寄せた。

 

「あなたにしか不可能なことであるならば……個人レベルで治せるというだけでも大変素晴らしいことですが、残念ながら根本的な解決策にはなりませんね」

「はい。残念ですが」

 

 とりあえず俺が治せる条件については、二人と話して共有しておくことにした。

 ただお金を費やすだけではどうにもならない領域であることを痛感するにつれ、シルバリオの顔に不機嫌な色が強まる。あらゆることをお金で動かしてきた男の、ままならない悔しさが見えるようだった。

 一通り話したところで、素晴らしい解決策は浮かぶわけもなく。

 

「とりあえずは夢想病患者の介護と観察を地道に続けるしかないでしょう」

「私は……何もできないのか……」

「そんなことはありませんよ。人手と資金があるだけで、打てる手はかなり増えます。患者の延命や、さらなる調査にも踏み込めるでしょう」

「そう、考えておくことにしましょう」

 

 気落ちが隠し切れないボスに同情する。

 そんな彼とは対照的に、シズハは特に落胆したということもなく、ただじっと深く考え込んでいるようだった。

 やがて俺の目を見て、ぼそっと言った。

 

「防ぐこと、なら……できる?」

「……そうか。確かにそうだな。君の言う通りだ」

 

 俺のやるべきことが見えた気がする。

 それは今までやってきたことと何も変わらないことで。でも改めて決意が固まったよ。

 

「俺にはまだ問題の解決方法がわかりません。何もかもがわからないままです。しかし、繋がりを作ることはできるでしょう。今健常な人、病気にかかってしまった人に関わらず」

「それが……病、防ぐことに、なる……」

 

 結局、シンヤのときもリクとの繋がりが命を救った。シンヤが夢に囚われているときも、リクとの繋がりが命を支えていた。

 俺が間に入らなければ、繋がりそれ自体が病気を治すことはないのかもしれない。

 ただ、病気の進行を遅らせることや、新たな発症を予防することはできるはずだ。

 それに夢想病が心の病である以上、何かもっと効率良く治す方法が見つかったとき、築いていった繋がりが役に立たないとは思えない。

 資金援助。お見舞いのサポート。身元不明患者の身元特定。などなど。一つ一つは小さいけれど、やれることはあるのだ。

 小さな延命策を続けて、影で大きな解決策を探す。

 俺とシズハの意図するところを理解した彼は、皮肉気に笑った。

 

「我々に、人助けをしろと言われますか?」

「それが世界を救う道に繋がるかもしれないということです」

 

 大真面目に。一見あまりに良い子的な理想で、馬鹿げているように見えるけれど。

 人を繋げることが、世界を繋げることになるんだ。きっと。

 

「……面白い方だ。あなたは。本当に」

「そうですか?」

 

 シルバリオは、降参したと、今度は皮肉もなしに笑った。気持ちが良さそうに。

 

「現実の厳しさを知っている。なのに、理想を諦めない。どこまでも真っ直ぐで……とても、気持ちの良い方だ」

「バカ……なのよ」

「私がこれまで見てきた人間は、どいつもこいつも嘘吐きで、裏をかくことに長けた、そればかりの連中だった。私もそうです」

 

 彼は少しの間目を瞑り、懐かし気に微笑んでから、言った。

 

「先代がよく言っていた言葉です。『一つくらい、どこにでも胸を張れる仕事をしなさい』と。あのときはわからなかったが、今ならわかります」

 

 俺とシズハを交互に見て、続ける。

 

「元々我々――エインアークスの発祥は自警団でした。我々は血を超えて、深い絆で結ばれた『家族』だった。確かに我々には誇りがある。社会の秩序を裏から支える使命がある。それを果たしてきた自負もある」

 

 堂々と言い切った口ぶりは、そこでやや翳りを見せる。

 

「しかし……この仕事を続けていくと、腐っていきます。社会の膿を引き受けるうち、いつの間にか自分たちが腐っていくのです。だから、自分を見失わないための何かが必要なのだと」

「では」

「私も一度くらいはバカになりましょう。同業の連中にも笑われましょう」

「ボス……」

 

 目を見張るシズハ。こんなボスは見たことがなかったのかもしれない。

 そして彼はまた深く、前の交渉で見せたよりも深く、頭を下げた。

 

「予算と人員三千名、何なりとお使い下さい。そして、我々の『家族』を――世界の未来を、お願いします」

「やってみましょう」

 

 やれるかどうかはわからない。何ができるかはわからない。

 しかし、人は希望が欲しいものだから。

 俺が希望になれるのなら。なってみせよう。

 強く。力強く頷いた。

 

 

 それから、リクとハルとシェリーをそれぞれ訪ねて、迷惑をかけたことを謝った。

 ハルは笑って「キミらしいね」と一言で許してくれたので簡単だった。シェリーは自分が騙されていたことにショックを受けるも、逆に感謝されるくらいだった。

 少々面倒だったのがリクで、やっぱり怒っていた。「僕をいきなり置いてくなんて、約束が違うじゃないですか!」と、思った通りのリアクションで憤慨される。

 でも事情をよくよく話すと、納得はしてくれたようだ。そして、俺のやらかしたこと(本部殴り込み)とその結果に「ひええ」と、これまたわかりやすくびびっていた。

 そして三人には、エインアークスの支援を受けて、これから俺がやろうとしている事業についても詳しく話しておいた。巻き込んでしまった以上、話しておくことが誠実だと思ったのだ。

 やっぱりというか、元々事態の解決のために戦っていたハルとシェリーの反応は明快だった。

 協力させて欲しいと。俺はもちろん快く頷いた。

 ただ「働かせて下さい」と、リクがすぐに頼み込んできたことには、全く予想していなかったことではなかったが、驚いた。

 

「僕、色々と企業のお話を聞いてきたし、ちょっとは面接もしてみたんですけど……」

「うん」

「自分が何をすべきか。どうすべきか。何ができるのか。世界のことも、もちろん不安だし。シンヤのこととか。よかったなとは、思いますけど。ずっと、考えていて……まだ、色々とわからないことだらけで」

「うん。うん」

 

 上手く言えないなりに、この子がよく考えていることが伝わってくる。

 

「ユウさんが見せてくれる世界は。僕にはその、とても刺激的で、眩しくて。素敵だと思ったんです。隣で歩いてみれば……」

 

 リクは、決意を込めた瞳で俺をしっかり捉える。

 

「自分の道が見つかるかもしれない。しばらくはユウさんの元で、探してみたいと思うんです。お願いします」

「……わかった。面白いインターンになることを約束するよ。頼りにしてるからね」

「はい!」

 

 こうして、三千飛んで三名がプロジェクトに加わることになった。

 

 一週間後。

 使用目的のため改装された、エインアークス所有のビルの前に、俺、リク、シェリー、そして車椅子のハルが並んで佇んでいる。

 ……シャイなシズハは、「まだリク……会えない」と、その日は顔を突き合わせなかったが。建物の影でこっそり見守っているのはわかった。

 証拠に、ちらりと彼女のいる方を見て親指を立てると、彼女もちょろっと指を出して、親指を立て返してくれた。何気にこのやり取りが気に入ったらしい。

 それで、考えたんだけど。

 夢想病調査部という名前も、そのものずばりでありだと思うが。

 俺たちのやろうとしていることは、より広く深く人々と関わることだ。

 人助けをするなら。もっとそれに相応しい名前がある。

 ASDと書かれた看板を見上げながら、俺はきっとわかりやすくにやりとしていた。

 何でも屋『アセッド』トレヴァーク支部。開店だ。

 

「なんですか? この変わった名前」

「ほんの気まぐれだよ」

 

 母さんのいい加減っぷりを思い返しながら、首を傾げるリクの前で笑った。

 

「さあ。これから忙しくなるぞ」



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92「エーナとレンクスの昼下がり」

「これで完璧ね」

 

 店の掃除を終えたエーナは、手の甲で汗を拭った。彼女の頭には、モコちゃんバンダナが巻かれている。以前「店の先輩」のミティに買ってもらったものだ。可愛らしいデザインが気に入って、掃除のときは毎回巻いている。

 ピカピカになった床や机を見回して満足した後、

 

「どうして私、こんなことをやっているのかしら」

 

 ふと冷静になって、独りごちる。

 そもそも掃除なんて、魔法で簡単に済むはずなのだ。なのに使おうとすると、「店が吹き飛ぶからやめて」とみんなに引き止められてしまう始末。

 それはまあ……かなり、おっちょこちょいかもしれないけれど。

【星占い】が使えなくなってからというもの、どうにも調子が悪い。やらかした数々の失敗を思い返して、彼女は肩を落とした。

 しかしすぐに気を取り直したエーナは、何となしに窓際へ目を向けた。

 レンクスと小さな兄妹が、机を挟んで向かい合っている。間に薄い木の板で作られた小さな台があり、その上には厚紙を折って作った人形が立っている。両者でつつき合い、紙人形同士をぶつけて戦わせているようだった。

 興味を覚えて、エーナはその様子をぼんやりと眺めた。

 彼女は知らないのであるが、これは紙相撲によく似た遊びである。

 ただし、小さな台は土俵ではなく闘技台であり、そして紙人形が模しているのは相撲取りではなく、剣を持った冒険者だった。

 

「むう……くっ!」

 

 レンクスは冷や汗をかきながら、慎重に指先で台をつついている。

 何しろ、フェバルは力加減が難しい。勢い余って強く叩き過ぎると、土俵を割ってしまう。物理的に。

 中々苦しい戦いを強いられているレンクスに対して、仲良し兄妹は威勢がよかった。レンクスが攻めあぐねていると見るや、一転攻勢。レンクスの向かい側の闘技台の両端を、二人でトントントンとリズムを揃えて叩いていく。

「金髪の兄ちゃん」人形は、「剣麗レオン」人形に押し込まれていき――

 コテン。ついに倒れた。

 レンクスは大袈裟に頭を抱えて悔しがった。

 

「だあーっ! また負けたー!」

「おにーちゃんよわいー」「よわいー」

「あーくそ、まいったぜ。つえーなお前らー」

「だろー」「でしょー」

 

 兄妹は目を見合わせて、本日幾度目かの勝利を笑顔で喜んだ。

 この笑顔のためなら、本気で悔しがる役者を演じるのもまんざらではない。ちゃんと付き合っていいところで負けてやる方が子供は喜ぶものだと、当時小さかったユウとの付き合いで十分に心得ていた。

 ただ裏では、まるですまし顔みたいにしゃんと立つレオン人形を見つめて、「この野郎。負けねえぞ」と誰にも聞こえないように呟くことを忘れないレンクスであった。

 ちなみに言われた本物は、そのとき世界のどこかでくしゃみをして、首を傾げた。

 やがて自分たちを見つめる視線に気付いた兄妹は、振り向いてエーナを指差した。

 

「あー。そうじのおばさんだー」「おっちょこちょいのおばさんだー」

 

 いきなりおばさん扱いされたエーナは、ちょっとカチンときてじろりと子供たちを睨んだ。

 

「うるさいわね。雷落とすわよ」

「おばさんこわいー」「こわいー」

「おばさんじゃないわよ!」

「うわーこわいなー」

 

 レンクスもわざとらしい調子で同意して、兄妹をかくまうように抱き寄せた。

 

「おばさんさちうすそう」「こじわふえそう」

「生き遅れてるからな。常に」

「あなたたち……」

 

 さすがにただからかわれているだけと気付いたエーナは、乗ることにした。オーバーアクション気味に拳を振るわせる。

 

「そんなこと言う悪い子は……」

 

 歯をむき出しにして、吠えた。

 

「食べちゃうぞ。がおー」

「「きゃー!」」

 

 襲いかかるふりをすると、きゃっきゃはしゃぎながら、兄妹は走って逃げていく。

 そのまま外へ。両開きのドアが勢いよく開いて、閉じた。

 レンクスは二人を追いかけて、ドアの手前まで見送った。

 

「またなー。いつでも来いよー」

 

 と、気軽に手を振るのを忘れない。

 

 兄妹が去り、一転して店内は静かになった。

 ミティとユイは買い出しに出かけており、ジルフはユウの代わりに汗水垂らして依頼をさばいているので、今店には二人しかいない。

 鬼役を務めたエーナは、やれやれと肩をすくめてバンダナを外した。窓際に戻ったレンクスに声をかける。

 

「あなた。最近本当に楽しそうねえ。ユウとユイと出会ってから、また一段と」

「まあな」

 

 レンクスはあのときユナに救われ、今はユウとユイに一番の生きがいを見出している。

 

「前はしょっちゅう辛気臭い顔してたのにねえ」

「そうだったかな。でもよ、お前も人のこと言えないぜ」

「……まあ、色々と生き方を考えさせられる子ではあるわね。あんなフェバル、見たことないというか」

 

 世俗のことに関わらないはずが、二人のペースに巻き込まれてお店掃除なんかをやっている。どうしてこんなことをやっているのだろうと、また彼女は思っていた。

 しかし、あれほど普通の人と触れ合うことは避けていたはずなのに、いざやってみると悪い気はしないのだから不思議なものである。

 

「例外中の例外だろうな。普通はもっとよ。まだ若いだけってのもあるかもしれねえ。俺はだから、お前のやり方も間違っちゃいないと思う」

「そう、かしらね」

「ウィルの奴から聞いたよ。俺たち、ろくな『死に方』しないってな」

 

 真顔でさらっと言われたことにエーナは驚いて、目を見開いた。その反応にレンクスは小さく笑って、続ける。

 

「エーナ、お前昔から知ってたんだろう? ずっと」

「……ええ。知ってたわ」

 

 躊躇いがちに、しかしはっきりと肯定した。

 

「悪かったな。今まで気を使わせて」

「あら。どうしてそう思うの?」

「ただ普通に死ねないだけじゃないって知ったら、確かにもっと絶望する奴もいるだろうと思ってさ。それが怖くて、ずっと言わなかったんだろ?」

「……そうね。否定しないわ」

「お前も大変だよな。その気になれば、知っちゃいけないことまでわかってしまう。知らずにいればいいと頭では理解していても、手を伸ばさずにはいられない……ときもあるよな」

「何度後悔したわからないわね」

「今度からよ。自分だけで抱えなくていい。俺に相談してくれていいんだぜ。仲間だろ?」

「ありがとう。そうさせてもらうわ――今のあなたは強いもの」

「強くなんかねえさ。ただ俺のこと強いって頼りにしてる子がいるからよ。かっこいいとこ見せなくっちゃな」

 

 白い歯を見せて、レンクスは明るく笑った。

 エーナはそんな彼のキャラクターをありがたいと思いながら、これまでのことを思い返していた。

 自分はいったいどれほど生きてきたことだろう。

 何万年を超えた辺りから数えるのを止めた。正直、生き疲れを感じない日の方が少ない。

 最初、フェバルはただ死ねないのだと思っていた。色々なことがあって、思い出したくもないことがたくさんあって。何度も死のうとして、そして死ねなくて絶望した。

 でもいつかは『死ねる』と思っていた。長い旅の果てに、たとえ肉体は朽ちずとも心が朽ちていく。そしてついに心が死んでしまうときがくれば。呆れるほど後ろ向きな考えだが、それが唯一の救いだと考えて彼女は生きてきた。

 だが――

 自分以外のどれほどのフェバルが真実を知っているのかはわからないが、【星占い】を使えるエーナは知っている。

 心をすり減らして『死んだ』フェバルの存在。噂では聞いたことがあるが、彼らは皆二度と姿を見せない。どこへ消えてしまうのか。

 ある知人のフェバルがおそらく『死んで』行方知らずになったことをきっかけに、調べてしまった。

 そして、知ってしまった。知らなければよかった。

 大き過ぎる力の代償はまた、計り知れないものだった。

 ろくな最期にならない。この言葉が端的に示している。

『死んだ』フェバルの肉体は、星脈に取り込まれてしまう。なのに本当の意味で死なせてくれない。意識だけはそこに残って、苦しみ漂い続けるというのだ。

 星脈に流されるまま生きて、最後は星脈の一部として囚われる。

 死ねばそこで苦しみから解放される普通の人間の死と違って、いつまでも終わらない悪夢が続くだけ。

 フェバルはどこまでいっても星脈の奴隷でしかない。それが知り得た真実だった。

 そのことを不意に知ってしまって、エーナはひどく怯えた。絶望した。

 何のために? 理由などないのかもしれないが、呪わずにはいられなかった。

 嫌になるほど生きて、なぜまだ終わりにしてくれないのか。なぜさらに追い打ちをかけるような真似をしてくれるのか。嫌がらせではないか。

 とっくに生き疲れているのに、『死ぬ』のが怖い。身体の自由も人と触れ合える歓びまでも失って、どこに希望があるのだろう。

 真実を知ってから、ひたすら苦しんで。悩み苦しんで。死ぬのも生きるのも怖くてどうしようもなくなって。

 すっかり希望の光も見えなくなった彼女は、それでも簡単には『死ねない』から。

 さらに遠い時の果てに、決断した。

 こんな呪われた運命の犠牲者を、もう増やしたくない。

 忌まわしい運命から救ってあげられるとしたら、私はどんなに恨まれても構わない。

 それが始まってしまう前に、殺してあげたい。

 悲壮感に満ちた覚悟が、使命が、絶望に囚われたままの彼女を辛うじて立ち上がらせた。

 ……なのに、一人たりとも殺せていない。実はそのことにもひどく絶望させられているのだが。

 ある可能性を、それだけははっきりさせたくない絶望の可能性を、今まで能力で確かめずにいる。

 それを知ってしまったら、もう二度と立てなくなりそうで。

 いつの間にかひどく暗い顔をしているエーナに気付いて、レンクスは真面目な顔で尋ねた。

 

「また思い悩んでるな」

「どうしてわかったの?」

「自分で思ってるより結構わかりやすいぜ、お前。もしかしたら、自分は殺せないんじゃないかとか、そんなこと考えてないか?」

「……エスパーなの? あなた」

「さてね」

 

 まさに図星で、彼女は大きく溜め息を吐いた。

 

「そうよ。私は……弱い女ね。いつまでもはっきりさせずに、逃げてばかりで。軽蔑するでしょう?」

「しねえよ。俺も逃げてばかりだったしな」

 

 今度はレンクスが何かを思い出して、溜め息を返した。しかし自分などより今は彼女だと思い、本心からの言葉をかける。

 

「それに、無理してはっきりさせなくていい。今はそれで生きられるなら、それでいいじゃねえか」

「あなた、結構優しいこと言うのね」

「やれやれ。優しさがうつったか?」

 

 レンクスが笑うと、エーナも無理のない微笑みを返した。

 もう大丈夫そうだと判断した彼は、うんと伸びをした。

 

「よっしゃ。ぼちぼちごみ拾いに行ってくるか」

「ねえ。私も付いていっていいかしら」

「えー。お前来るとかえってごみ増やすからなあ」

「うう……。わかったわよ。いいわよ」

 

 ちょっといじけるエーナに向かって、あくびをしながらレンクスは言った。

 

「なんか適当に依頼でもこなしてくればいいんじゃねえの? 店のだと迷惑かかるかもだからよ、ギルドから紙一枚剥がして」

「散々な言いようね……。でも暇つぶしにはいいかもしれないわ」

「気分転換して来いよ。フェバルと一緒にいたって、どうしたって色々思い出しちまうだろ」

「それもそうかもね。言う通りにさせてもらうわ」

 

 二人で一緒にお店を出る。

 レンクスがぶらぶらと左へ行ったのを見届けてから、エーナはギルドに向かって右へ歩いていった。



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93「エーナ、冒険者ギルドへ行く」

 いつも通り活気溢れる街中を歩いていくうちに、徐々に気持ちが上向いてきたエーナは、確かにあのままレンクスについていかなかった方がよかったと思った。

 レジンバークの道は迷路のように入り組んでいて、しかも高低差がある。大通りと呼ぶべきものはトリグラーブに比べるとずっと少ない。

 そのせいで何度も迷子になり、しまいに空を飛んで確認するという裏技まで使ってしまうのが常だったが。ユイに付き添ってもらいながらしつこく行き来すれば、さすがにギルドへの道くらいは覚えていた。

 人は成長するのだ。生来のおっちょこちょいは、どれだけ生きても改善しないのであるが。

 

 冒険者ギルドも、いつもながら盛況だった。

 大魔獣討伐祭の収穫も一通り供給が終わって、肌寒くなってきたこの季節は、魔獣の毛皮など服の素材や、暖炉を動かす魔力石の人気が高まっている。

 需要の上昇に伴い、その類の討伐・採取系の依頼がびっしりと掲示板に並んでいた。難易度も手頃なものが多く、駆け出しから中級者までの冒険者には人気が高い。双方幸福な需給の一致である。

 当然良い値や条件を付けるものから順に依頼書は次々破り取られ、いつまでも残っているものは報酬のしょっぱいものや条件の厳しいものばかりだった。

 討伐系ならユイとともにS級魔獣を軽くひねり潰しているエーナは、そんな手頃な依頼には全く食指が動かず、のんびりと掲示板の端から端へ目を動かしていた。

 

「これなんかどうかしら」

 

 癖になってしまっている独り言を呟いてから、字面の響きが面白そうなものを一枚選んで、掲示から抜き取る。

 内容はこうだった。

 

 依頼「無限迷宮シャッダーガルンの制覇」 依頼人:ダンジョンマスター 場所:迷宮都市アルナディア 報酬:5000ジット

 

 依頼書は明らかに黄ばんでいて、長い間誰も取らなかったことがすぐに察せる。依頼人は実質匿名。そして成果に対して報酬があまりに安過ぎる。

 つまりは典型的な地雷クエを掴んでしまっているのだが、エーナは気付いていなかった。

 そのままぼったくりバーにでも連れていかれそうな呑気な顔で、カウンターへ。

 応対したのは、新人の受付嬢だった。

 ギルド名物、受付のお姉さんは、「旅行に行ってきます!」と鼻息を荒くしてフロンタイムへ渡っていき、帰ってくるのはもう一週間は先である。さあ何の旅行でしょうね。

 

「この依頼を受けたいのだけど」

 

 エーナは、依頼書と一緒に、『アセッド』の社員証兼認定証を見せた。これはミティの発案で、もしかすると今後従業員が増えていくかもしれないから、身分の証になるものを作るのですぅ! と意気込み、ユイが日本の運転免許証を参考にして、ぱぱっと作ってしまったものである。偽造防止のために魔力印が押されているが、これはサークリスの魔力鑑定書の仕組みをやはり参考にしたものである。片手間で作った割にはクオリティが高いものだった。

 ミティのような一般従業員は社員証のみを、エーナのような実力者には認定証を合わせて発行する決まりごとだ。

 社員証兼認定証をみた新人の顔が、ぱっと明るくなった。

 

「おお、アセッドの方ですね!」

「あら。私たちのこと、知ってるのかしら」

「もちろん存じておりますよ。先日は失くした指輪を拾って頂いて、ありがとうございました」

「いえいえ。人助けが私たちの仕事ですもの」

 

 依頼のことはあまり詳しくないエーナは、とりあえず適当に合わせておいたが、新人はいたく感激して頷いた。

 

「とても素晴らしいことです」

 

 つつがなく依頼は受けられそうな流れだった。

 この一年でユウとユイが築き上げた信頼は相当なもので、店が認定した人間であれば、冒険者でなくともA級相当の依頼まではほぼ無審査で受けられることになっている。そうでなくても、エーナが持ってきた依頼はフリーランクのものなので、断られる理由はないのだが。

 

「え、これは……」

 

 依頼書に目を通した新人が、目を点にしたまま固まる。

 いたずらとしか思えない内容にである。

 フリーランクの依頼には審査がないので、下手すると「うんこ」「恋人募集中」でも貼れてしまう。あまりにふざけたものは剥がしてしまうのだが、これは一応条件も明確で報酬まで書いてあるので、ぎりぎり依頼の体を成している。

 彼女の困惑を、それだけ高難度の依頼なのだろうと勘違いで受け取ったエーナは、得意気に尋ねた。

 

「難しいのかしら」

「ええ、それは、とても」

 

 未だ誰もクリアしたことがないダンジョンなのだから、聞かれた通りつい素直にそう答えてしまう。

 これが慣れている人なら、「絶対いたずらですよこれ」と軽く笑いながら指摘したものだが、新人にそこまでの器量はない。

 

「大丈夫よ。任せなさい! 私を誰だと思っているの」

「そう、ですね。そうですよね」

 

 きっとそうだ。この人は中身を理解して、あえて引き受けている。何か裏の狙いがあるのかもしれない。

 だってあのアセッドの認定者が、まさか知らずに受けようとしているなんて。そんな馬鹿な話があるはずがない。

 もし失敗したとしても、誰も困る案件ではないし……。

 新人は勝手に納得して、結局二人はすれ違ったままだった。

 

「掃除係のエーナよ。覚えておきなさい」

「あ、え? はい……」

 

 新人は急に不安になって怪訝な顔をしたが、エーナは気付かなかった。

 新人から依頼の詳細が書かれた紙を受け取って、それが何ら新しい情報を付け加えていないことを確認して――普通ならここでおかしいと思うのだが、エーナはまた知らずに目的地のところへ目を留めて呟いた。

 

「迷宮都市アルナディアか。ちょっとだけ行ったことがあるわね」

 

 元々『事態』を調査にしに来たエーナは、掃除婦をしながらもその使命を忘れてはいない。ユウたちを頼りにしつつも、全てを人任せにはせず自分で調査することもあった。そこで向かった先の一つが確かそんなところだった。

 だったら、転移魔法で行けるはずだと頷いて。

 実行した。

 

《コーレンタム》

 

 その言葉を最後に、エーナの姿は――

 

「消えた……」

 

 驚き目を丸くする新人は、しばらくその場から動けなかった。

 その後しばらく騒ぎになり、人づてに話を聞いたユイが頃合いを見計らってエーナさんを説教することになるのだが、それはまた別の話。

 

 

「よいしょっと。あっさり着いたわね」

 

 途中の道程をすっぱり飛ばして、いきなり無限迷宮の前に彼女はいた。転移先として指定したポイントが、たまたま目立つこの場所だった。

 星が口を開けているとしたら、こういうものだろうか。そんな感想を誰でも抱いてしまうほど、巨大な穴がぽっかりと口を開けている。

 入口はなだらかな傾斜になっているようだが、奥はすぐに暗くなってしまって何も見えない。絶えず中へ吸い込む方向に風が吹いていて、エーナの長髪はしきりに揺れた。

 一見すると、入ってしまうと飲み込まれて出られないのではとさえ思わせるほどそら恐ろしい見た目だが。

 意気揚々と乗り込んでいく冒険者たちと、疲れた顔や満足した顔で戻ってくる彼らが、あそこがブラックホールか何かではないことを教えてくれる。

 しかし、エーナは目の前の穴のことなど今は全く気にしておらず、思考は全く別の場所へ飛んでいて――

 

「……ユイちゃん、どこであんな高度な魔法技術身に付けたのかしらね」

 

 彼女が転移魔法を無詠唱で使っていた事実を唐突に意識させられて、今自分は詠唱「しなければならなかったこと」と対比して、ほとほと感心していた。

 

 エーナの出身世界における魔法体系は、通成魔法と呼ばれている。数々の同値な体系を含めると、宇宙では最も一般的に普及している魔法体系であり、習得難度もそれなりである。

 一方、ユイを始め、惑星エラネル――特にサークリスの魔法使い達が普段当たり前のように使っている魔法体系は、実は宇宙全体で見れば極めて珍しいものであり、魔素魔法と呼ばれている。

 魔素に限らないが、魔素を始めとする魔法要素から、イメージを介して直接魔法へと変換するやり方である。直接変換のため、属性変換ロス以外のロスを一切生じず、エネルギー変換が効率的なところに最大の長所がある。さらにイメージのみで完結する特性上、高速発動や無詠唱を容易にするという利点もある。

 だが裏を返せば、イメージの段階で構成をほぼ完了しなければならないということでもある。よほどしっかりできないと、正常な魔法の発動が至難を極める高等技術であった。

 実際、大人になってからの習得はほぼ不可能であり、小さい頃からこの方式に慣れ親しむか、ユウとユイのように(当時は無意識ながらでも)絶対記憶および習得の助けを借りねばならない。

 対して通成魔法では、難しい直接変換はしない。魔法の発動を安定化させるために、まず体内と外界とのチャネルを構成する。そしてチャネルに属性を付加し、予め指向させることによって、発動が容易な土壌を形成してから魔法自体の構成に移る。

 ただし安定化の代償として、行使する魔法の威力に応じてチャネルの構成・維持のための消費魔力――チャネリングロスが追加で発生する。しかもチャネルの構成分、一般的には魔素魔法より構成に時間がかかる。

 それでも、精霊という「よくわからないもの」を介して中間マージンをがっぽり持っていかれるこの世界の精霊魔法と比べるとかなり効率が良いのだが。

 同じ魔法要素を消費するなら、精霊魔法が1、通成魔法が2、魔素魔法が3くらいの威力の差がある。

 一見魔素魔法を使いこなすユイよりも、通成魔法を操るエーナの方が凄まじい魔法が使えるように見えるが、ただ地力の差が大きいというだけのことに他ならない。

 だから、ユイがそうであったように、エーナも実はユイの魔法には目を見張っていた。いや、少なからず成長に驚かされてはいたが、今改めて思い起こして、目を見張らされた。

 効率性、構成力、制御力、どれを取っても超一流の域に達している。

 ただ自分たちと「与えられた力」の差があり過ぎるだけで、「持っているもの」の使い方にかけては、だらだらと長く生きてきただけの自分たちより上なのではないかと。

 初めて会ったとき、素人も同然だった子が。

 たった十年。フェバルからすればゴミのような時間だ。

 それだけの間に、どれほどの経験を積めば。あそこまで自分を把握し、研ぎ澄ませることができるのか。

 いつもの緩んだところや、どこかあどけなさすら残る雰囲気の影に隠れてわかりにくいが、相当な修羅場をくぐり抜けてきたことは想像に難くなかった。

 

「あの子たち、普段は全然そんな素振り見せないのに。すごいわねえ」

 

 ひとしきり感心して、

 

「レンクスが守りたいって気持ち、ちょっとわかった気がするわね」

 

 フェバル、星級生命体。そうしたものの「レベルの違い」をよく知っている彼女は。

 あの二人が「人のまま」で目指している先が何か、「人としては」芸術的なレベルにまで高めてきた力は何のためか、もうとっくに理解が及んでいて。

「どこまでも無駄な努力」を続ける二人が、そこまでして頑なに守りたい「人の世界」を――できることなら、まだ夢を見たままでいさせてあげたいと思った。

 ――そんなものは、たった一つの指先で、ほんの少しの気まぐれで、容易く壊せるとしても。

 

「ふっふっふ。となれば、このダンジョンからも何か手がかりが掴めるかもしれないし。フェバルならこんなとこ、朝飯前よね。いくわよ! 制覇! 待ってなさい!」

 

 気合いを入れて洞窟をビシッと指さし、盛大な独り言を呟いた。

 ちなみにこのとき、突然何か叫んでポーズを決めた彼女は浮いて、周りの冒険者から白い目で見られていたりするのだが、たくましく鈍感な本人は気付いていない。

 そしてチートな身体スペックを贅沢に使って、これまでのどの挑戦者よりも速く洞窟へ駆け込んでいき――

 

「きゃあああああああああああああーーーーーーっ!」

 

 洞窟に入ってからわずか十秒で、奇跡的な悪運を見せつけた。

 これまでのどの挑戦者よりも早く、これまでのどの挑戦者も踏まなかった「奈落」の落とし穴トラップに引っかかって、真っ逆さまに落ちていった。



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94「めげるな! エーナさん 1」

「きゃああああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーー!」

 

 落ちる。落ちる。長い金髪を振り乱して、どんどん落ちる。

 実は空を飛べば何でもないのであるが、突然のことにパニクったエーナは、そんな簡単なことにも思い至らない。ばたばたと空しく手足を泳がせるだけだった。

 およそ地下30階分は一気に落ちただろうか。

 ようやく底が見えてきたとき、エーナはぎょっとした。

 待ち構えていたのは――びっしりと地を埋め尽くす、金属製のトゲ。

 一つ一つの丈が、人の高さほどはある。問答無用のデストラップである。

 それが見えたとき、もはや一刻の猶予もなく、

 

「いーやーあーーー!」

 

 バキバキッ。

 為すすべもなく、額から真っすぐ突き刺さっていった。

 だが刺さった感じの音ではない。

 普通ならあっけなく死ぬところ、無駄に身体は頑丈なフェバルだったので――トゲの方をへし折ってしまった。

 バキバキバキッ。

 勢いのまま、竹を折るかのごとく、無数のトゲをへし折って。

 見事なでこ着地を決めたエーナは、そのまま頭から柔らかい土に埋まっていき、突き立つたくさんのトゲの仲間入りを果たした。

 ふわあっ。

 遅れて、ロングスカートが重力に負けてめくれる。くまさんパンツに代わり、モコちゃんパンツが御開帳。今冬ニューモデル。

 

 …………。

 

 数秒の沈黙を破って、エーナトゲがもぞもぞ動き出す。

 幸いにもフォートアイランドの土よりはまだ固さがあったため、もがくほどめり込んでいくということはなかった。

 どうにかこうにか頭を引き抜いて、息も絶え絶えながら、ぬかるんだ土でパックされた顔面を拭った。肩で大きく息をして、足りない酸素を必死で補う。

 こんな仕方のないことで、思いもかけず生を実感し。次第に落ち着いてくると、何だか全てがアホらしくて、一筋の涙をこぼした。

 

「うう……。死ぬかと思ったわ……」

 

 どっと疲れた声で呟く。

 

「服が……しくしく」

 

 ずたずたになったローブに気付いて、泣くふりをする。半分くらいは本気で泣きそうだった。

 それから前を向き、もの言わず突き立っているたくさんのトゲを睨んで。

 

「あんたたち。ふざけるんじゃないわよ!」

 

 八つ当たりとばかり、力任せに周りのトゲを押しのけて、ゾンビのような風体で抜け出していった。

 トゲ地帯も果てて、ようやく普通のダンジョンと呼べるところに戻ったエーナは、ふうと一息。

 

「まあ、こういうこともあるわよね」

 

 いつまでも嘆いていては仕方ないと気を取り直して。

 周りをよく確認せずに一歩踏み出したところ、

 

「きゃあああああああああーーーーーー!」

 

 2コンボ。

 災難の女神に愛されているエーナは、再び「奈落」のトラップに嵌まって落ちた。

 

 

 ***

 

 

 地下52階。

 男はただ衝き動かされるまま、無限迷宮の攻略を続けていた。

 なぜかと問われれば、正直わからないと答えるしかないだろう。

 そこにダンジョンがあるからだと、気取ったことの一つは冗談で言えるかもしれないが。

 男はSランクの冒険者である。既に名は十分であり、見返りのために命を賭けてまで危険なダンジョンに挑む意味は小さい。

 もしかすると――男は考える。

 最近観戦した、大魔獣討伐祭の熱気に当てられたのかもしれない。

 いきなり現れて、たった一日でSランクをかっさらって辞めていったユウ・ホシミという男。彼を直接見たのは、その日が初めてだった。

 男がSランクを取るには、実に五年の歳月を要した。天の才能に恵まれた彼を見ると、殺意にも似た強い嫉妬を覚えたものだが。

 ユウ・ホシミと剣麗レオン。まさに伝説と言ってもいいだろう。

 二人の戦いが、そんな感情の全てを吹き飛ばしてしまった。

 既に感動などという感情はほど遠かったはずの彼であるが、心震えなかったと言えば嘘になる。

 あの戦いを観て、しばらくして。

 気が付くと男は、この無限迷宮に足を運んでいた。

 深部まで、限界まで挑んでやろうという、高揚感と焦燥感にも似た決意が今の男にはあった。あわよくば制覇さえ目指していた。

 

 しかし――思い知らされる。さすがにソロはきつかった。

 男の眼前では、巨大な青いカニに似た魔獣(以下、カニ)がカシンカシンと得意に鋏を鳴らしていた。

 幾多の冒険者を強力な鋏で葬り去ってきたベンディップ。その上位種。

 ベンディップ=ゾーク。

 いわゆる色違い魔獣と呼ばれるもので、現状では無限迷宮の深部のみで生息を確認されている。色が違うと侮るなかれ、下位種とは一つ桁違いの強さを持っていて、万全のSランク冒険者でもそれなりの苦戦を強いられる。

 まして休みなしで潜り続け、消耗を重ねたこの場にあっては。

 まだ行けると踏んでいた。判断が甘かった。気が逸り過ぎて、馬鹿をやってしまったか。

 男は死の可能性をも覚悟して、いかに逃げ切るかに思考を切り替えていた。

 そんな男を嘲笑うかのように、ベンディップ=ゾークは、キモい超速カニ歩きでぐるぐる取り囲むように動き、彼を翻弄する。

 何度か鋏が彼を千切ろうと襲いかかり、彼はやっとのことで避けて、代わりに地面が抉り取られる。

 そしてまた、自らを誇るように鋏が打ち鳴らされた。

 絶対絶命の窮地。

 だが男の目はまだ諦めてはいない。得意の戦術で勝機を見出そうと、指先を動かしかけた。

 そのとき――

 

「ぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああ!」

 

 突然、上から女の声が近付いてきた。

 まさか。そんなものが聞こえるのはおかしい。

 即座に思ったが、実際に聞こえてくるものは無視できず、男はカニを警戒しながら見上げた。

 深い闇を破って、女が落ちてくる。

 親方。空から女の子が!

 なんてロマンチックなボーイ・ミーツ・ガール展開になるはずもなく。なったとしても、ビジュアルはおっさん・ミーツ・三十路であるが。

 とにかく、落ちた。

 

「げべぼっ!」

 

 淑女にあるまじきおしとやかでない声を上げて、激突。

 頭から思い切りぶつかった。

 あまりに勢いが強烈だったのか、よほどの石頭だったのか。ベンディップはぐらついて足を畳み、その場に崩れ落ちた。

 そして動かなくなった。どうやらくたばってしまったようだ。

 

「…………は?」

 

 助かったらしいが、実感がない。わけがわからない。

 あっけに取られていた男は、とにかく状況を理解しようと女に目を向けて――

 

「いたたた……」

 

 何事もなかったかのように頭を押さえて痛がる彼女を見つけて、目を疑った。

 かなりの高さから落ちてきたことは想像できた。それだけならまだしも、ぶつかった相手が鋼よりも遥かに硬いと言われるベンディップ=ゾースである。しかも頭から。

 なのに、「いたたた」で済むものだろうか。

 戸惑う男よりも先に、彼の存在に気付いた女が声をかけた。醜態を見られたことにやや気恥ずかしさを覚えながら、口を開く。

 

「あはは。ごめんなさいね。驚かせちゃったわよね」

「……いやはや、驚いたってものじゃない」

 

 男は正直に首肯する。助かったという実感もようやく湧いてきて、作り笑みを浮かべる余裕も出てきた。

 

「こんなところまで平気で来るとは、ただ者じゃあないね。名前を伺ってもよろしいかな?」

「エーナよ」

「素敵な名前だねえ。ついでにファミリーネームも知れたら嬉しいのだが」

 

 ナンパ口調で付け足す彼に、エーナは答える。

 

「そんなものないわ。ただのエーナよ」

 

 私の生まれ故郷ではね、と言いそうになるのをエーナはこらえた。

 

「じゃああなたも頑張ってね」

 

 彼に興味もないので、手を振ってさっさと行ってしまおうとする彼女を、彼は血相を変えて引き留めた。

 

「おいおい。オレの名を聞く気はないのか?」

「……あなたは?」

 

 とにかく構ってくれオーラがすごいので、彼女は半眼で面倒臭そうに尋ねた。

 

「ルドラ・アーサム。Sランクの冒険者さ」

 

 ドヤ顔で言う彼。聞くと大抵の女子はすごいわと目をキラキラさせるものだが、もちろんエーナはそんな肩書に興味はない。

 

「そう。もういいかしら。行くわね」

「おい待て。そこは――」

「なによ?」

 

 カチリ。

 ちょっと不機嫌な顔をしたエーナが何かを踏むのと、ルドラが呼び止めるのが同時だった。

 二人を支えていた床が消失し、真っ暗闇が口を開けた。

 

「きさまああああああふざけるなああああああああああああ!」

「もういやああああああああああああああああああああああ!」

 

 本日三回目の「奈落」が、二人を襲った。



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95「めげるな! エーナさん 2」

「のおおおおおお! こんなしょうもない死に方はしたくないぞおおおお!」

「どうしてなのよおおおおおおおおお!」

 

 ルドラは普段多少なりとも紳士的な言葉遣いをする男であるが、今やその余裕もなくなっていた。

 エーナはただ己の不幸さ加減にやけくそになっていた。

 

「おい! きさま!」

「いやあああああああああああ!」

「きさまあ! 話を聞けえええ!」

「はっ!?」

 

 喉から血が出そうなほど叫ぶと、自分の世界に入っていたエーナがやっと反応した。

 自由落下は続いている。下まで距離があるのでまだ時間は残されているが、手をこまねいていれば待っているのは死である。

 ただしルドラだけ。そして彼自身に打つ手はない。だから非常に焦っていた。

 

「おい貴様! 何とかならんのか! 落ちても平気なんだろう! なぜなんだ!?」

 

 言わなきゃ殺すとばかりの勢いで、生存の方法を問い詰める。

 なぜかと問われて、存在がチート女はあっけらかんと答えた。

 

「それはまあ……丈夫だもの」

「くそったれめええええ!」

 

 ふざけている。行動も存在も、何もかも。

 ルドラは激しく舌打ちして、しかし頼れる相手が彼女しかいないので、なおも必死の形相で尋ねる。

 

「おい! 何でもいい! とにかく助けろ! 何かないのか!?」

「あ、そう言えば」

「なんだ!?」

 

 藁をもすがる思いで眼差しを向ける。すると。

 ふわり。

 エーナは宙に浮いた。

 

「私、飛べたんだったわ」

「ふっざけんなてめええええええええええええ!」

 

 子供のとき以来使ったこともないような汚い言葉で罵りながら、ルドラだけがさらに落ちていく。

 

 暗いので底はわからないが、実のないやりとりをしている間に、もうあまり猶予はないだろう。

 上方へ離れていく彼女に散々恨み言を喚いた後、いよいよ目前に死を悟って、男は落ちながら項垂れた。

 

「こんなところで、こんな下らない死に方をするのか……オレは……」

 

 これまでの輝かしい(と自分は思っている)冒険や、浮いた出来事などが思い出されて。

 人生半ば。当然まだ色々とやりたいことはあったが。一番大きな心残りが、重くのしかかってきた。

 わかっていたら、無理にでも頼み込んで一度くらいシルヴィアを抱いておくんだった。

 

 一方、宙に静止してほっと一息ついたエーナは、落ちていくナンパ野郎が喚いているのを呑気な顔で眺めていた。中にはむっとするような一言もあったが、ついに彼が黙り生を諦めたところで、申し訳なさが立ってきた。

 

「さすがに気の毒かしらねえ。私のせいだし」

 

 そう独りごちて、

 

《ルカンシエル》

 

 彼女の世界の言語で、風の緩衝魔法を放つ言葉を発した。

 どれほどドジであっても、真面目なときの狙いはあまり間違えない。逆に言うと、たまによく間違える。

 ルドラが落下するよりも遥かに速く、空気の塊が飛んでいった。それは彼の下に回り込み、クッションとなって徐々に落下速度を落としていく。

 見殺しにされたと思っていた彼は、突然身を何か見えないものが包み、落下が緩まったことに驚いた。そして、彼女がいたはずの方を見上げた。

 しかし彼を包むものは精霊魔法ではないので、実際に何かまではわからない。エーナやユウたちが彼らの精霊魔法を感知できないのと同様、彼らにも通常の魔法を感知する術はなかった。それが直接目に見えない限りは。

 死をも覚悟していたのに、あっけなく助かってしまったので彼は気が抜けた。

 安心したやら疲れたやらで放心した顔をしている彼の元へ、エーナは浮いたままゆっくりと近付いていった。

 彼女に気付いた男に、思考が蘇った。濃密な数分間を振り返る。

 偶然助けられて、危うく殺されかけて、また助けられて。

 まずキレるべきか感謝を言うべきか。

 最初の一声を迷っているルドラに対し、エーナは苦笑して何でもないように一言。

 

「いやあ。私ってドジなのよねえ」

「ドジにもほどがあるわっ!」

 

 こんなにも全力で突っ込んだのは初めてではないだろうか。彼の喉は裂けんばかりの勢いで震えた。

 

 とにかく、一緒に安全そうな場所へ下りて、落ち着くために少し休憩をとることにした。

 エーナとしてはこんな男と共に行動する理由などないのだが、「動くと何かやらかすから絶対勝手に動くな」と厳命された。確かにその通りな気がしたため、不本意ながらその場に留まるしかなかった。

 ちなみに二人が今いる場所は地下85階であるが、もちろん二人はそんなことは知らない。

 突然の出会いに、いきなり落下ランデブーなんてかましてくれた日には、はい仲良くしましょうというわけにはいかず。しばらくは気まずい沈黙が続いた。

 

「なあエーナさんよ」

 

 先に口火を切ったのは、ルドラだった。

 彼は内心色々と言ってやりたいことはあったが、とりあえず言葉面を取り繕う程度の余裕は戻っていた。

 

「なにかしら」

「いやあ、ふと思ったのだけどねえ。あんたのドジと頑丈さを見込んで、一つとっておきの作戦が浮かんだのだが」

 

 そして彼は、多少の感情より実利を取る男である。

 

「ドジと頑丈さを見込んでだなんて、失礼な男ねえ。まあ一応聞いてあげるわ」

 

 大して面白くもなさそうに返事をしたエーナに、男はにやりと悪い顔でほくそ笑んだ。

 

「奈落を踏んで無事な奴、しかも連続で踏んだ奴なんて今まで見たことがない――そこでだ」

「ええ」

「奈落を探して踏みまくれば、無限迷宮の底へあっという間に着けるんじゃないかとな」

「あなた天才なの?」

 

 エーナにも悪い顔が伝染した。

 実際誰でも思い付きそうなものであるが、まあ天才と言われて悪い気はしない。散々な目で不機嫌だったルドラは、これでいくらか機嫌を良くした。

 話を聞いた彼女も、これで「暇つぶし」の依頼が達成できるかもと嬉しくなる。

 

「ありがとね。早速探しに行ってくるわ!」

 

 そのまま走り出しそうな勢いだったので、彼はぎょっとして引き留める。既にトラウマだった。

 

「待て! だから勝手に動くなと言ってるだろうが!」

「うっ。で、でも空を飛んでいけば……」

 

 あくまで一人で行こうとする彼女に、彼は呆れたように苦笑してぴしゃりと一言。

 

「浮いたままどうやって罠を探すんだ?」

「あ」

「ふう……。オレのアイデアなんだけどねえ」

 

 暗に混ぜてくれと主張する彼。

 こんな深部に一人置き去りにされては、たまったものではない。何より目の前に前人未到のダンジョンを制覇できるカギがいるのに、最大の栄誉に与るチャンスから手を引くわけにはいかない。絶対に譲れない勝負どころだった。

 

「でもあなた、足手まといじゃないの」

「あんたも言ってくれるなあ。確かにその通りだが」

 

 エーナという女の名前は聞いたことがないが。隠れた凄腕の冒険者か何かだろうと彼は睨んでいた。

 何より身体が異様に頑丈であるし、不思議な技も使うし、こんなところでもまったく平気にしているのが証左だ。

 一方自分は……Sランク冒険者という実績も自負もあるが、無限迷宮の深部でどれほど通用するかはわからない。しかも消耗した今の状態では、足手まといにしかならないだろう。悔しいが事実だ。

 客観的な判断ができる男は、自嘲気味にそう踏んで。だがまだ自分を売り込めるとも考えて、さらなる交渉の口上を切った。

 

「それにエーナさんよ。見たところあんた、手ぶらだが。どうやって一人で帰るつもりだい」

「それはもちろん。私、転移できちゃうのよね」

 

 得意気に胸を張った彼女に、彼は今度こそ心から呆れて言った。

 

「おいおい。このダンジョンは、稀に見つかる『休息部屋』以外では転移ができないんだぜ」

 

 無限迷宮の厄介なところだった。でなければ、ワープクリスタルさえ持ち込めば攻略が容易になってしまう。

 せめて5階ごととか10階ごととか、決まったところに『休息部屋』があればよいのだが、そういうわけでもないのが攻略の目途を立てにくくしている。

 

「え、うそ」

 

 聞き捨てならない言葉に、それまで余裕を保っていたエーナの顔色が曇った。

 

「知らなかったのかい?」

 

 知らなかった。手拍子で答えそうになった彼女は、その言葉をぐっと呑み込んで、内心焦りながら慌ただしく考えを巡らせる。

 

 落ち着いて。落ち着くのよエーナ。彼は彼の世界の物差しでしか測っていない。

 私はフェバルよ。彼らにできなくて私にはできる。そんなことはたくさんあったでしょう。

 ルール破りなんて、常識破りなんて、わけないはず。

 

 規格外であるはずのフェバルが能力を使えなくされている異常な世界だということを勘定に入れていない彼女は、一人強く頷いた。

 

「あ、はは。やってみなくちゃわからないじゃないの!」

「ではやってみたらどうかな」

「そ、そうね。試してみようかしらね」

 

 声の震えていたエーナは、不安を振り払うように首を振ると、今いる場所をマーキングしてから、地上に転移しようと試みる。

 

《コーレンタム》

 

 …………。

 

 しかし何も起こらなかった!

 

「…………ふ、ふふ」

「な。どうするよ」

「手を組みましょう」

 

 即答。エーナさんは、変わり身が早かった。



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96「めげるな! エーナさん 3」

 二人で軽く話し合い、無限迷宮攻略に向けたシンプルな作戦を固めた。

 

 1.「奈落」の罠を探して踏みまくること

 2.それなりに進んだら『休息部屋』を見つけて一度帰ること

 

 1.については、道中のサポートはルドラがメイン、踏んでからの対応はエーナがメインとした。

 2.については、一度に攻略するのは無理なので、何度にも分けて少しずつ攻略していこうというルドラの発案だった。

 

「暇つぶしにしては長くなりそうねえ」

「暇つぶしで最難関ダンジョンに挑むとはね……。だがこれでも裏技のおかげで劇的に楽になったはずだ」

 

 落ちっぷりから判断して、一度に数十フロアは落ちているだろうと踏んでいた彼が、面倒そうにぼやく彼女を窘めた。

 即死トラップを逆手にとって一気に進めることがどれほどやばいことなのか、彼女はまったくわかっていないようだと彼は思った。

 たった一つの階層の攻略にも数日~数週間単位でかかるのが普通である。ルドラは一階層につき二、三日とここまでは順調に来た方であるが、元々付き合いで攻略済みのフロアがあったので、一から始めたわけではない。

 

「まあいいわ。私に任せなさい。このドジな足がきっと罠を探し当ててくれるわよ」

「誇らしく言うことじゃないよなあ」

 

 二人は、もし下の階層への道が普通に見つかったらとりあえず下りておこうくらいの気持ちで、もっぱら罠を探してフロア中をうろうろした。

 しかしである。

 元々「奈落」の罠は非常に珍しいものだ。そうそう引っかかるようなものではない。

 三回も連続で速攻「奈落」を踏む奇跡を起こしたエーナであるが、四度目の奇跡は中々起きてくれなかった。

 物欲センサーというか、罠欲センサーでもあるのだろうか。二人が探し始めた途端、ぱったり「奈落」の罠は見つからなくなった。

 時折現れる魔獣の対処を適当にこなしつつ、しらみつぶしに歩き回ったが、気が付けば収穫のないまま数時間は経過していた。

 そうなれば、元々初対面で気が合うわけでもない。次第に退屈してきたエーナと、疲労の隠せないルドラの間の空気も悪くなろうというものだった。

 

「欲しいときには見つからないものなのよねえ。こういうのって」

「なぜ急に見つからなくなるんだ。都合の良いときに使えない女だなあ」

「うるさいわねえ。私だって一生懸命やってるわよ」

 

 配慮のない発言に、彼女がいらいらしていい加減にその場を踏んだとき。

 カチリ。何かが動く音がした。

 

「お」

 

 ルドラが反応すると同時。

 

 ばしゃあ。

 

 上から大量の水が降ってきた。

 残念ながら落とし穴でなく、水の罠だった。ルドラはさっと回避し、エーナだけがもろに被った。

 地下の泥水をそのまま利用したものなのか、汚い。

 

「うう……」

 

 汚水も滴るいい女になったエーナは、怨霊のように長い金髪を垂らして、またしくしく泣いていた。

 しかも、それだけでは終わらなかった。

 そこになぜか――魔獣の使っていたものだろうか――追い打ちで金棒まで降ってきて、脳天に直撃する。ダメージこそないものの、ガンと鈍い音がして、より惨めさが増す。

 ルドラもさすがにこのミラクルぶりには同情的な気分になり、慰めるように言った。

 

「まあ、なんだ。いいことあるさ」

「ううう」

 

 泣きながらも、エーナはしっかり魔法でお湯を出して身体を綺麗にしていた。透けない服でよかったと彼女は思った。

 彼女が落ち着くのを待ってから、また探索を再開する。

 すぐ後ろから添いつつ、ルドラは彼女を何となしに観察していた。

 色々と残念なクオリティを見せつけてくれる彼女ではあるが、見てくれは決して悪くない。むしろ残念なところに目を瞑れば、見た目は好みの部類に入る。

 襲い来る魔獣への対処も彼女一人でさくっとやってしまうので、男として全く頼られ甲斐がないという最大の問題はあるが。

 気が付くと、彼の軽い口は勝手に浮いた台詞を紡ぎ出していた。女好きという病気である。

 

「どうだろう。攻略が落ち着いたら、食事でもいかがかな」

「おあいにくさま。十分間に合ってるわ」

「男がいるようには見えないけどねえ」

 

 枯れた感すら漂わせる見た目はアラサーの女性に、男はあくまで見たままに言った。

 

「失礼ね。夫もいるし子供も三人いるわよ」

 

 実際は「いた」である。それだけでなく、孫もひ孫もその先々もいたし、とっくの昔にみんな自分だけ遺して死んでるんだけどね、とは言わなかった。

 

「なんだい。使い古しかい。でも物足りなさそうに見えるけどねえ。夜、上手くいってないんじゃないかい?」

「ほんと、デリカシーのない男ねえ」

「ああ。よく言われるねえ」

 

 思いやりの少ない男なので、女性には不評だったりするのだが、本人も自覚しているのか、さして気にしていなかった。

 

 そんなやり取りで軽く流しながら、さらにしつこく練り歩くこと数十分。

 まだ「奈落」は見つからない。

 楽をしようなんて甘い考えだったかと、二人が自分の過ちを認めかけていたそのとき。

 

 カチリ。

 

 ついに床が消失した。

 

「当たったわ!」

「よーしでかした!」

 

 前に落ちたときとは一転、二人は大歓喜して「奈落」の底へ飛び込んでいく。

 しかし忘れてはならない。「奈落」は罠なのである。決してショートカットのための便利装置ではない。

 長い落下の後、底が近付いてくる。

 トゲもなければ、カニもいないが……。

 今度の今度こそ完璧な着地を決めた二人の眼前に、一匹の何かが飛び込んできた。

 

「ぷきゅー」

 

 かわいらしい鳴き声。丸みを帯びた半液状の姿。大きさも人の腰より下ほどしかない。

 

「あら。かわいい」

「待て。こいつは……」

 

 女性らしい反応を示したエーナに対し、ルドラは身構える。

 なぜこんなところにこんなやつが。彼は訝しんでいた。

 見る人が見ればわかることだが、それはラビィスライムと呼ばれる、スライムの変種と思われた。

 ルドラなんか目じゃないくらいの女好きで、見境なく飛びついてはすりすりもぞもぞしていくという、もっとや……実に救いがたくけしからん性質を持った生物であった。

 しかし、普通のラビィスライムは水色なのであるが、今二人の眼の前にいるそれは紫色をしていた。

 ただのラビィスライムではなさそうだ。

 変種の、さらに変種。もしかすると上位種。

 ともかく新種のスライムを前にして、エーナはあまりに無防備だった。ユイからちょっとでも話を聞いていれば、汚物を見るような目になっていたかもしれないが、とにかく対応が遅れた。

 枯れていても、女は女。ラビィスライムの本能が呼び覚まされる。

 

「おい、そいつは。気をつけ――」

「え?」

 

 動く。

 優にラビィスライムの三倍はあろうかという素晴らしい速度。

 電光石火の勢いで、油断し切っていたエーナに飛び付いた。

 

「きゃああっ!」

 

 すりすり。もぞもぞ。

 くすぐるような動きでエーナを堪能する。

 

「あ、やめっ!」

「だから言ったぞおおお!」

 

 言いながら、ルドラも男だった。

 三十路だが許せる。

 一秒ごとに進んでいく事態に、目が釘付けになっていた。

 さて、これがただのラビィスライムなら、粘液塗れにされるだけで済むところ。

 さすが上位種は一味違った。

 なんと飛びついたところから、酸が発生。

 肌は一切傷付けることなく、器用に服だけを溶かしていく。どんな酸だ。

 ローブがぼろぼろに溶け落ちていき、粘液塗れのブラが顔を覗く。

 頑張れ。あと一枚だ。

 ルドラは固唾を呑み、手に汗握りながら見守っていた。

 

「このっ! 何すんのよ!」

 

 焦ったエーナは、常人にはとても出せないレベルのチートじみた魔力を解き放つ。

 体表を乱暴な風が吹き荒れる。

 その勢いたるや彼女の焦りや怒りを体現するかの如く、ラビィスライムなど簡単に引き剥がして、それが出せるスピードをさらに上回る速度で岩肌に叩き付けた。

 さすがの上位種も、この勢いで叩きつけられてはくたばるしかなかった。液状の身体がぐずぐずと溶けて、地面に消えていく。

 

「ぜえ、ぜえっ! なんて、奴なの!」

「惜しかったな」

 

 いいものを見たルドラは、しみじみと一言。

 

「あなた、どっちの味方なのよっ!」

「挑む者の味方さ」

 

 あけすけに言う彼に、エーナは呆れて物も言えず、ただじろりと睨んだ。

 いやしかし、見た目に油断していた。とんでもない罠だった。

 まあローブは魔法で直せるしと、彼女はほっと一息吐こうとして。

 

「ぷきゅー」

「「ん?」」

 

 もうしないはずの鳴き声に、二人は同時に反応して振り返る。

 またいた。紫色のラビィスライムだ。

 

「さっそく新手というわけね。もう油断しないわよ」

 

 彼女が怒気を含んだ恐ろしい笑みを浮かべて、打ち倒すべく手を構えたとき。

 

「ぷきゅー」

 

 別の方向からも、同じ鳴き声が追加される。

 

「あら。まだいるわけ?」

 

「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」

 

「おい。どうも様子がおかしいぞ」

 

 一匹ではなかった。あちこちから、次々とラビィスライムの変種たちが姿を現してきたのだ。

 

「え、ちょっとお!?」

「多過ぎないか!?」

 

 戸惑っている間にも、みるみるうちに取り囲むそれらの数は増えていく。

 二人は知る由もないのだが、ラビィスライムが死んで溶けるとき、匂いで仲間にメッセージを伝える。

 臆病な普通のラビィスライムだと「逃げろ」になるが、ここは無限迷宮の深部である。紫色の変種が発する遺言は、そんな生易しいものではなかった。

「溶かせ」。

 しかも二人のいるその場所は、よりによってラビィスライムの巣だったのである。「奈落」に落ちた者を歓迎する特別仕様だ。

 

「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」

 

 一匹見かけたら百匹いると思え。その百匹がいっぺんに飛び出てきたような、そんな感じだった。

 既に辺り一面は、紫色で賑やかな状態になっている。それらは全て一様に、知性の感じられない魔獣の目で二人を見つめていた。

 

「そう。全員まとめて殺されたいようね」

 

 あまりの光景に内心びびりながら、エーナは辛うじて強がってみせた。そして、ルドラに注意を呼び掛ける。

 

「死にたくなかったら側にいなさい」

「そうさせてもらおう!」

 

 情けないだとか何だとか考える余裕もなく、ルドラは即答して彼女の影に入った。彼の足はひな鳥のように震えていた。

 鳴き声が揃ったのを合図に、大量のラビィスライムがなだれ込んでくる。

 エーナは落ち着けと念押ししながら、両手を構えた。

 最初の一匹が到達する前に、放つ。

 

《アプンディスト》

 

 通成魔法による雷が発動。

 二人の全方位を結界のように守り包みながら、正確にはエーナを中心に半球状に広がっていく。

 やはり威力は素晴らしいもので、フェバルの魔法を前にたかが小魔獣などひとたまりも――

 

 いや、動いている!

 

 いくらかやられたものの、大半の個体が割と平気で飛びかかり続けていた。

 

「何やってるんだ! 大して効いてないぞ!」

「うそ!? そんなはずはっ!?」

 

 痛恨の選択ミス! ラビィスライムは雷魔法に絶大な耐性があるのだ!

 

 期待が完全に外れて、エーナは少しの間パニックになった。

 その隙にスライムの第一波、到達。

 

「うおおおおうっ!」

「きゃあああああっ!」

 

 満員電車もかくやという状態で、二人は圧倒的物量に揉まれた。

 飛びつかれた先から、酸が発生。

 エーナの服はもちろん、ルドラの服まで溶けていく。

 

「もっ、いや、やめてえええええ!」

「オレに、需要があるかあああっ!」

 

 どれほど怒り猛ろうとも、ラビィスライムは紳士である。

 女の身体を傷付けるようなことは決してしない。薄皮を剥ぐように丁寧に剥かれて、最悪気の済むまで慰み者にされるだけである。

 ただラビィスライムは野郎には容赦しないので、彼については殺す気満々だった。

 

「あっづうっ!?」

 

 ルドラが顔をしかめ、痛々しい声を上げた。少しずつ皮膚がただれてきている。

 彼は自分が何か恐ろしいことをされていることに気付いて、しかし大量のスライムにすりすりされる混乱の中、実際何が起こっているのかよくわかっていなかった。

 

「あああああああ!」

 

 よがり狂うエーナは、無我夢中で叫び、身を守るための魔法をほぼ無意識に使っていた。

 彼女に張り付いたラビィスライムから、さーっと溶けるように崩れ去っていく。

 効果範囲は先の雷魔法よりさらに広く、あわや殺されかけていたルドラに取り着いていた連中はもちろん、これから第二波としてねっとりプレイを楽しもうとしていた奴らもみんな形を失っていった。

 使われたのは、《ティラードム》という魔法だった。

 狙った対象の細胞に直接作用してどろどろに破壊するという、まったくもって凶悪極まりない効果を持つ魔法である。消費魔力も馬鹿げていて、なんと同威力の《アールリバイン》の約十倍である。ほとんどフェバル専用魔法だ。

 余裕がなかったので、むしゃくしゃしてつい使ってしまった。たぶん後悔はしてない。

 

 群れが溶けてなくなったので、二人の ※見せられないよ! な姿が露わになった。

 エーナもルドラも、互いの ※見せられないよ! な姿を確認する余裕もなく、目に涙浮かべて、肩で必死に息を切らしていた。

 

「助かった、のか……?」

「ふっふっふ。ざまあ見なさい! 私にたてつくとこうなるのよ!」

 

 エーナは拳を突き上げ、高らかに勝利宣言。

 ……した瞬間に、素敵な合いの手が入った。

 

「ぷきゅー」

 

「「なっ!?」」

 

 ほら二人でそんなことを言うから、フラグはすぐに回収された。

 またもエーナ、痛恨の選択ミス。

 ラビィスライムは死んで溶ける際に、さらに仲間を呼び寄せるのだ。溶かすような魔法では逆効果である。

 奴らはまだまだいた。中途半端な攻撃をしたばかりに、指数関数的に数が増えていく。

 

「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」

 

 もはやどこに連中がいないのかを探す方が難しいレベルだった。

 ルドラが持ち込んだ明かりの届かない向こうにも、数え切れないほどの奴らが待ち構えている。

 そして床だけでなく、側面や天井までにもびっしりと張り付いている。壁を成して、不埒な侵入者を押し潰そうとしているのだ。

 冷静であればまだまだ対処できたのかもしれないが、数千、いや数万はいようかという異常な軍勢に、エーナの腰はすっかり引けてしまった。

 そして、下手を打てばそれらに我が身が蹂躙されることを思うと……恐怖でしかない。

 

「もういやああああああああっ!」

 

 エーナは泣きながら、がむしゃらに風魔法を撃ちまくった。

 ただ一方向に魔法を集中し、強引に道をこじ開ける。

 

「逃げるわよおおおおお! 撤退! てったいよおおおお!」

「おい! 待てえええ! 置いてかないでくれえええええ!」

 

 ルドラとエーナは、涙と鼻水をみっともなく垂らし、泣き喚きながら全力でダンジョンを駆け出した。

 制覇などと豪語していたのはどこへやら。ただ上を目指して、ひたすら走る。

 二人の行く道をすぐ後ろから、紫色の波が塞いでいく。

 

 

 ――無限迷宮シャッダーガルン。

 そこは「ただ強いだけ」では進むこともままならない魔のダンジョンである。

 ことにズルをしようという者には、容赦のない罠が待ち構えている、と言われている。

 今日も一組の冒険者が挑み、そして夢半ばに散った。

 

 GAME OVER



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97「めげるな! エーナさん 4」

『エーナさん、もう三日も帰ってきてないって?』

 

 ユイと話さない日はまずなく、エーナさんのことも聞いていた。

 彼女が帰ってきてないことは知っていたけど、それが三日も続くと、さすがに心配になってきた。

 聞いた話によれば、手持ち無沙汰になったエーナさんは、レンクスのすすめに従ってギルドへ依頼を受けに行ったらしい。

 そこでユイがギルドへ事実確認に行くと、いつものお姉さんはいなくて、代わりに新人の受付嬢がいた。彼女が言うには、「無限迷宮の完全制覇」で報酬5000ジットとかいう冗談としか思えない依頼を、その困難さも知らずに簡単に引き受けてしまったみたいだ。新人さんじゃ難しいかもしれないけど、そこは止めて欲しかったかな。

 しかしなんてタイムリーな。俺は俺で、無理を承知でぐるぐる巻きの――ルドラに無限迷宮攻略を命じさせたばかりだしな。

 

『心配だな』

『うん。レンクスはあれで結構しっかりしてるから、時々ふらっとどっか行っちゃっても平気なんだけど……エーナさんだからね』

『エーナさんだからなあ』

 

 強さの面では問題ないから、死ぬような目はまずないと思うけど……。色々と危なっかしいからな。迷子にでもなっているのかもしれない。

 

『探しに戻ろうか?』

『大丈夫。そっちは開店で忙しいだろうし、こっちで探すよ。レンクスに手伝ってもらうから』

『わかった。何かあったら教えてくれ』

『うん』

 

 

 ***

 

 

 さて、と。

 ユウへの報告を済ませた私は、いつもの定位置にいるレンクスに声をかけた。この人は妙に察しが良いので、しっかり準備して自分の出番を今か今かと待っているので話が早かった。

 

「エーナさんを助けに行きたいんだけど、手伝って」

「もちろんだぜ。で、どこにいるんだっけ」

「無限迷宮シャッダーガルンで迷ってるみたい」

「ああ……。よりによってあそこか。そりゃあ迷うだろうな、あいつじゃ」

 

 彼が妙に勝手知ったる顔だったのが気になった。

 

「知ってるの?」

「いや、実はな。レオンの奴と前にちょくちょくどっか行ってただろ」

「うん」

 

 そうなんだよね。レンクスは、レオンと妙に張り合ってる割にはどこか認めてる部分があって、彼の頼みや提案には、嫌々な顔しながらもしっかり付き合ってきたというか。

 それは強さで言ったらレンクスの方がずっと上なんだろうけど。世界の事情通や諸々のことを考えると、組むことにメリットがあると考えているみたい。

 

「あれな、無限迷宮の攻略を手伝ってたんだ」

「えっ? 聞いてないよ」

「そりゃ言わなかったからな」

 

 レンクスは悪びれずに頷いた。まったく初耳だった。

 

「どこまで行ったの? 実はもう制覇しちゃったとか?」

 

 それだったら言ってくれないと困るし、さすがにこいつも話すよね。

 ということは、レンクスでも無理だったってことなのかな。ちょっと信じられないけど。

 彼の言葉は、私の予想通り否定だった。

 

「いや。最近はあんまり行ってないだろ? 攻略自体はサクサク行くんだが、あまりに深くてよ。レオンの奴と話し合って、一旦打ち切ることにしたんだ」

「深いって、どのくらいまで行ったの?」

「んーと。確か……地下1200階までは行ったはずだ」

「1200!?」

 

 あまりのことに驚いて声が裏返ってしまった。

 確か公式の最深到達記録が地下213階だったはず。それを桁違いに悠々と上回る大記録。

 さらっと言ってのけたことに、改めてレンクスの能力の高さを思い知る。そして彼の協力があったとは言え、レオンもすごい。

 

「そんなに潜っても、まだ底が見えないの?」

 

 それはもう、まさにというか。

 レンクスも同じ感想を抱いていたみたいだった。

 

「無限迷宮っつう名は伊達じゃないようだ。ありゃ本当に底があるかどうかも疑わしいぜ」

「……つまり、ワールド・エンドと同じような構造になってるかもしれないってこと?」

「やっぱお前たちもそう考えてたか。俺も同意見だぜ」

 

 予想の根拠が、また一つ強化されてしまった。何となくわかってはいたけど、正直複雑な気分だ。

 ラナソールには、三つの果てがあると言われている。冒険者が追い求めて止まない三つの果て。

 地上の果て『ワールド・エンド』、空の果て『スカイ・リミット』、地下の果て『無限迷宮シャッダーガルン最下層』。

 まだ見ぬ果てである以上は、可能性であり、夢とも言い換えられる。そして果てに到達することは、夢の終わりを意味する。

 ここで一つの仮定をしてみよう。

 もし三つの果ての役目が、世界に夢と冒険を提供し続けることだとするなら。

 人が心から夢の果てを望まない限り、本当の果ては「現れない」のかもしれない。

 少しずつ世界に関する材料が揃ってきてから、ユウと一緒に考えて出した仮説だ。

 だからただやみくもに進んでも、私たちよそ者が世界の果てを見ることはないだろう。

 可能性があるとすれば、ランドとシルヴィアの二人。夢の果てを信じて前へ進む二人だ。

 二人が本当に強く望み、進み続けることができるなら、いつか世界は果ての姿を見せてくれるのかもしれない。結局は二人の意志は世界に負けて、無理なのかもしれない。どうなるかわからないけれど、水を差すようなことを言えば可能性は潰えてしまう。だから私たちは黙って見守っている。

 言い方を良くすれば応援しているし、悪くすれば泳がせていることになるのかな。

 ただこれって仮説だからね。全然違ってて、ほんとは普通に果てがあってって可能性もあるから。だからユウもルドラに攻略を命じさせたんだと思う。保険の意味で。

 でも1200階まで行ってもまだ先があるなんて……。ラナクリムも一緒とは限らないけど、可哀想なことやらせちゃったかな。

 まあ話を戻すと、エーナさんも相当どんまいなことになっていて。

 

「それ聞いちゃうと、エーナさんはすごく虚しいことをやっているような気がするんだけど」

「そこも同意見だな。とっとと迎えに行こう。まったく昔から世話の焼ける奴だぜ」

 

 さすが1200階も潜り続け、迷宮を我が家のように勝手知ったるレンクスは抜群に頼りになった。

 どんな魔獣が出て来ても一撃で倒してしまうし、数々の罠も難なく看破してみせる。

 化け物じみた強さはともかく、冒険者としても超の付くほど一流の手際の良さだ。おかげで私は子供のときみたいに言うなりでくっついていればよかった。

 そう言えばこの人、サバイバルもやたら得意だし、私のパンツ被りたい(しね)がために鍵開けやトラップ解除もお手のものだし、さりげなくその辺のスキル高いんだよね。

 

「レンクスって地味にこういうの得意だよね」

「ふっ。昔取った杵柄ってやつさ。仕事人レンクスってな」

「それ何回か聞いたことあるけど、何のお仕事なの?」

「おっとそいつはトップシークレットだ」

 

 おどけてにやりと笑うレンクス。これ見よがしなのがちょっとうざい。

 過去を話したがらないこいつの悪い癖だ。どうせあまり言いたくないことでもしてたんでしょ。

 私たちの過去は筒抜けなのでちょっと不公平な気もするけど、まあ仕方ないか。

 

 ダンジョンはとてつもなく広いけど、ただエーナさんを探すだけならやり方は簡単だ。「本物の」魔力を辿っていけば自ずと辿り着く。

 エーナさんがいると思われるのは地下120階付近辺りで、一番近くの『休息部屋』から探索を開始した。

 およそ彼女が通ったであろう場所には、必ずと言って良いほど魔法が乱暴にぶっ放された痕跡があって、あたふたぶりがありありと想像できた。

 

「エーナさん、大丈夫かな?」

「さあな。命は無事だけど、大丈夫じゃないんじゃないか?」

 

 レンクスのもっともな予想であるけれど、やっぱり当たった。

 

「ぁぁぁぁぁあああ……!」

 

 よく聞き慣れた、とても騒がしい声が徐々に近づいてくる。

 

「いたな」

「いたね。よかった」

 

 ほんとにいいのかどうかはわからないけど、ともかく無事でよかったかな。

 ただ、エーナさんの声と一緒に、男の情けない喚き声が聞こえてくるのが気になるんだけど。巻き込まれちゃった人がいるのかな。誰だろう。声、聞いたことあるような。

 

「おーい! エーナ! 迎えに来てやったぞー! 無事かー?」

 

 レンクスが口に両手を添えて大声で呼びかけると、泣きの入った声が暗い洞穴の向こうから返ってきた。

 

「ふぉっ、れ、れれ、れれれれれれれすーーーーー!?」

 

 あちゃあ。すっかりパニクっちゃってるね。全然口が回ってないもん。

 とりあえず姿を確認しようか。

 もう自分とレンクスのために使っていたけど、無詠唱で光源魔法《ミルアール》をもう一度使って、拳大の光球を一つ加えた。新しく作った方を、声の聞こえてくる方に飛ばしてやる。

 

「「うわあ……」」

 

 露わになった姿が想像よりもさらにひどかったので、思わず引く声がハモってしまった。

 

 美しかった金髪は、様々な汚物がこびりついて色がわからなくなってしまっている。

 そして、全裸だ。

 いつものローブも帽子もどこかへ行って、泣きじゃくりながら生まれたままの姿で乳を揺らし、わき目も振らず全力疾走。

 なにこれ。どうしたらそうなるの?

 

 やや遅れて、もう一人の男の方も見えてきた。

 まさかの人物の登場に驚き、目を丸くする。

 ルドラ・アーサム! なんで!?

 ――ああ、そっか。ユウが攻略を命じさせたって言ってたけど……。それでこっちの世界のこいつが影響を受けて、攻略を始めて――なるほど。まさかこんなところで縁が出て来るなんてね。

 そして、こいつも全裸だ。もうなんなのいったい。

 

「おいくそったれ野郎! 俺のユイに変なもん見せつけるんじゃねえよ!」

「うわああああああーーーー! 誰か、いるのかああああああああ!」

 

 怒声を飛ばすレンクスと、まともに返事をする余裕もないルドラ。あと「俺の」じゃないから。

 こうなってしまった事情はさっぱりわからないけど、不可抗力ってやつでしょう。さすがに私も怒る気にはなれない。

 

「あんなもんより俺の紳士を見てくれ!」

 

 おもむろにバックルに手をかけたレンクスに呆れて、ゴツンと頭を叩いた。

 喜ぶ変態。何をしてもこいつにはご褒美なのでむかつく。

 

「いいから」

「いやあ。ははは。冗談だって。かわいいな」

「もう。ばか。まず二人を助けないと」

「でもあいつ、平気か? 手で目隠ししてやろうか?」

「ま、まあ、見たことがないわけじゃないから」

 

 全裸男からは気持ち視線を外しつつ、頷いた。ちょっと顔が赤くなってるかもしれない。

 一応……ユウのは成長過程も含めて、よく見てるしね。

 とりあえず。

 

「えい」

 

 魔法を使って、二人にぱっと服を着せた。エーナさんはいつものローブ姿を。ルドラは適当に。このままじゃ目の毒だもんね。

 狼狽していたエーナさんは、自分が着せられたことにも気付いていないようだった。

 ただ私の姿を認めるなり、救いの神でも見つけたような顔をして、泣きついてきた。

 

「ユイちゃ……! うわぁぁぁあああん! ユイちゃぁぁぁぁあああん!」

「よしよし。怖かったね」

「うっぐ……ふえぇぇ……!」

 

 我を忘れて、ひたすら小さな子供のように泣きじゃくっている。

 こんなに弱り切ったエーナさんを見たのは初めてだった。とにかくあやしてあげないことには、話も聞けそうにない。

 それに何だか、かわいそうで。甘えん坊で泣き虫のお世話ならたくさんしてきたし、こういうのには慣れている。

 

「もう大丈夫だからね」

「ううぅ……こわかったぁ……! もうだめぉ……ひぃぃん……」

 

 あーあ。ふふ。これじゃどっちが年上だかわからないよ。

 

 ルドラの方は、しかめ面をしたレンクスが何だかんだ世話をしてくれていた。向こうの方が落ち着くのは早そうだった。

 縋るエーナさんを抱き止めながら、頭を撫でてあげる。これを続けていると、ユウもそうだけど、結構安心させる効果があるみたいで。

 少しすすり声が落ち着いてきたところで、優しく声をかけてみることにした。

 

「どうしたの? 何があったの?」

「ぐすん……スライムがぁ……ひっぐ……いっぱい……きてぇ……それでぇ……ふぇぇぇ……」

「スライム?」

 

 何だか、とても聞き捨てならないワードを聞いたような。

 脳が絶対許さないリストを参照し始めた、そのとき。

 

「ぷきゅー」

 

「ひいぃ! きたぁぁ!」

 

 そいつの鳴き声が聞こえ、エーナさんが飛び退くのと同時。

 油断していた私の胸目掛けて、半液状の何かが飛びかかってきた。



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98「めげるな! エーナさん 5」

「きゃあ!」

 

 ぬめぬめしたものが、身体をこすりつけてくる!

 まさか、このいやらしい感触は――ラビィスライム!?

 

「ちょっと、やめ! あ、や、あんっ!」

 

 この、こいつ! 的確に、私のツボを! あっ、だめ、そこ、弱いからぁ……!

 

「んっ、~~っ!」

 

 まずい。変な声が出ちゃう。恥ずかしいよ。こらえなきゃ……!

 

「いや、あ、あ、あっ!」

 

 やばい。だめ。なんて、やつなの! こんなの、耐えられない!

 

「「おお……」」

 

 この、バカぁ! 見惚れてないで助けてよ!

 

「レン、クス……! はやくぅ……なんとか、してぇ!」

「お、おお、よし! わかったぜ!」

 

 そんな、嬉しそうに……っ……返事しないで!

 

 鼻息も荒いレンクスは、気持ち悪くて、早かった。

 気が付くともう、私のお腹の上に手が触れていて。纏わりついていたものが、断末魔の鳴き声をあげて剥がれ落ちた。

 ああ。やっと。助かった。

 

「はあ、はあ……はあ……」

 

 また、ひどい目に遭った……。べとべとだよ。

 身体も、熱いし。ちょっと涙まで浮かんでる。

 それに何だか、風通しが……?

 自分を見る男どもの熱い眼差しに気付いて、ぼんやりと見下ろすと。

 

 え。服が、溶けてる。

 

 ああそっか。それでエーナさんたちは。

 蕩けた頭が少しずつ醒めてくる。

 半分他人事のように納得していたことも、当事者であると理性が及ぶにつれて、顔が熱くなってきた。

 恥ずかしいよ……。

 

「……見ないで」

 

 手で胸をかばいながら、ただそう言うしかなかった。

 声も弱い。今の自分はどんな顔をしているのかな。

 

 なおも変態ズは、色の入った目で私を見つめてくる。

 男はこれだからしょうがないなと思うけど、私だってそんな見られたら、困るよ。

 

「お願い。見ないで」

「お、おう」

 

 繰り返し頼んだら、根は結構紳士な彼はルドラをけしかけて、ちゃんと後ろを向いてくれた。

 その間に、呼吸を整えながら、魔法で溶けた服を修復する。ラナソールだと簡単に済ませられるからよかった。

 

「ふう……。もういい――」

「あいつだけじゃないわ! いっぱい来るわよぉ!」

 

 私がいいよと言いかけたのと、取り乱したままのエーナさんが叫ぶのがほとんど同時だった。

 しかも、断じて聞き捨てならないことを。

 

「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」

 

 エーナさんの言葉が現実になるのは、もうすぐのことだった。

 

 これは……。何匹いるの?

 数千……数万……!?

 

 とにかく圧倒的な数の暴力だった。いつの間にか私たちをすっかり取り囲んでいて、紫色がどこもかしこも埋め尽くしている。

 こうなると、受難のストーリーもはっきり見えてくる。

 元々エーナさんたちは、このラビィスライムの群れに追われてずっと逃げていたのだろう。たぶんエーナさんがドジを踏むか何かして、巣を突き当ててしまったに違いない。

 それにしても、私の知ってる水色のあいつとは色違いで――色違いって、まさか。

 とても嫌なことを思い出して、気分が悪くなった。

 前に食堂のお客さんから聞いたことがある。

 ラビィスライムの上位種は、繁殖力が凄まじい。

 どうして増えているのか。ただのラビィスライムは女が好きで身体をこすりつけるだけの無害なやつだけど、こいつの場合は深刻に有害だ。

 服を溶かしながら、女を散々慰め者にした後、最後には体内に浸入してきて、子供の種を植え付ける。

 そのまま巣に持ち帰られて、粘液で絡め取られて動けなくされてしまう。女性としての機能があるうちは大切に生かされ続け、繰り返し繰り返し子を産むための苗床にされてしまうという。毎回、ハードプレイと一緒に。理性が溶けてもそれは死ぬまで続く。

 男の変態な妄想でも詰まってるんじゃないのってくらい凶悪なスライムだ。よくもまあここまで。というか、たぶん本当にそうなのだろう。

 認識すると、無邪気な顔をしているこいつらが、ひどくおぞましいものに見えた。

 

 こんな奴らにべたべた張り付かれて、弄ばれてしまったら。苗床にされてしまったら……。

 想像するだけで恐ろしい。

 エーナさんがこいつの性質をどれだけ知っていたかはわからないけど、この光景と容赦のなさだけでも、ああまで取り乱している理由もわかるというもの。

 

 こいつらは、女の敵だ。

 

 連中は、今にも束になって襲い掛かろうとしている。

 私だけなら、必死になって逃げる手を考えようというものだけど。

 数の暴力には力の暴力。うちには忠犬がいる。

 さっきやられた恨みもあるし。

 

「レンクス」

 

 私は冷たい笑顔を作り、忠犬に向かって指示を飛ばした。

 ただ一言。

 

「やれ」

「仰せのままに」

 

 さあ、変態 VS 変態の開戦だ。

 とその前に、レンクスは気遣いを忘れない。

 

「エーナ。まだ調子戻ってないだろうけどよ、防御だけ張っておけ。お前じゃないと強度が足りない」

「え、ええ! わかったわ! 二人とも、こっちに来て」

 

 言われた通り、ルドラと一緒にエーナさんに近付くと、エーナさんは防御魔法を張った。

 

《プロセコン》

 

 ドーム状にバリアが展開されて、三人を覆うように包む。

 一目見ただけでわかる。大味な造りだけど、とにかく堅牢なバリアだ。ちょっとやそっとの攻撃では破れないだろう。

 ただ、使っている間はこちらからも動けなさそうだけど。

 

「さあて」

 

 ノリノリのレンクスは、直立の姿勢から右拳を引いて構えた。

 そして、左手でクイクイと挑発する。

 それ、たぶんスライムに意図は伝わらないと思うけどね。

 たまたま彼がそうしたタイミングと、スライムたちが飛びかかってきたタイミングが被った。

 

 さて、何をするつもりなのか。

 

 答えは、わからなかった。

 

 というのは――見えなかったの。何も。

 

 バボンッ!

 

 凄まじい音が弾けて、紫色の群れが割れたのだけがわかった。

 

「おっしゃ! どんどんいくぜ!」

 

 ボボボボボボボッ!

 

 さながら爆撃機による絨毯爆撃が、目の前で繰り広げられているようだった。

 でも実際やっていることは、その場に突っ立って何かをしているだけ。

 手元が速過ぎて、何をやっているのかさっぱりわからない。

 ラビィスライムたちは、面白いように吹っ飛んでいった。目につくところから、紫色が汚い花火のように弾けに弾ける。

 無双ゲームでも見ているみたいだ。爽快感すらあるよ。

 

 でも、本当に何をしているんだろう。

 魔力は使っていない。使っていたら私にもわかるし。私は感じ取れないけど、気力で何とかしているらしいことは確かだ。

 ただそもそも気力というものは、こんな風に遠距離攻撃を行うのには明らかに向いていない。イネア先生の教えの通りだ。

 ユウは『心の世界』の力を、ジルフさんは【気の奥義】を使ってかなり別物にしてるせいで、基本の形を忘れてしまいそうになるけど。

 気力の基本である生命エネルギーそのものは飛ばせない。これは常識であり、条理でもある。

 レンクスは【反逆】が使えないから、条理には従っているはずで。だから何をやっているのか少し気にはなった。

 

「ねえ。何をやってるの?」

「これはな。ただのパンチだ」

「パンチなんだ!?」

 

 まさかの何の工夫もない、ただの拳だった!

 

「で、なんでただのパンチでこうなるわけ?」

「それはな。気合いだ」

「気合いね」

 

 気合いなんだ。何でもありだよねやっぱり。

 でも言われてみると、理屈はわかった。

 わかってみれば本当に単純な話。

 実際気合いっていうか、拳圧があまりに凄まじいので、衝撃波が生まれて飛んでいるみたいだ。

 つまりは、チートスペックによるただの暴力でしかない。

 でも衝撃波を上手くコントロールして、ダンジョンを崩落させないように、かつこちらには届かないようにしているのが、達人の技というか。さすがというか。

 

 でも、すごいなあ。

 一秒間にこれは……何発打っているの?

 理屈がわかった上で見ても、さっぱりわからない。確かに腕の動きがパンチっぽく見えてきたけど、それだけ。

 パンチってことは一度に一方向しか攻撃してないはずなのに、あまりに速過ぎて全方位に余裕で対応できてしまっている。信じられないことに。

 一発一発が私とユウの大技――それこそ《気断掌》にも匹敵するような攻撃を延々繰り出しておいて、その実ただのパンチだから、レンクスは一つも汗をかいていなかった。

 舐めプレイをしているわけではなくて、スライムの数がどれだけかわからないので、持久戦にも耐えるようにそうしているのだろう。

 そのための拳であり、彼にはそれだけで十分だった。

 

「すげえ……」

 

 ルドラも格の違いを感じたみたいで、ただただ棒立ちで彼の妙技に見惚れていた。口をぽかんと開けて。

 

「さすがねえ」

 

 彼の強さは見慣れているだろうエーナさんは、のんびりお茶を啜るような調子で言った。

 たぶんエーナさんはどっちかと言えば単純な強さでは私とユウ寄りだから、さすがにこんなおかしな真似はできないと思う。

 自然と、乾いた笑いも出てくる。

 でも、改めてレンクスの凄まじさを感じたっていうか。やっぱりフェバルは、レンクスはすごいよ。敵わない。

 

「夢でも見てるのか……?」

 

 うん。夢なの。現実だけど。

 事情を知らない人にはよくわからないことをつい言いそうになった。

 

 見惚れているうちに、ほとんど決着がついていた。

 気が付けば、数万はいたかもしれないスライムの大軍勢は、焦土作戦の被害に遭ったかのごとくその数を著しく減らしていた。

 こうなると、ほぼ本能でしか動いていないラビィスライムも、生存の危機を感じて撤退という選択をするより他にないようだった。

 残った群れは、這う這うの体で逃げ出していく。

 

「おっと」

 

 スピード自慢のラビィスライムのお株を奪う形で、レンクスは目にも留まらぬ速さで跳んだ。そして逃げるうちの一匹を簡単に捕まえて、万感の思いのこもった言葉をかけた。キザったらしく。

 

「お前ら――夢を、ありがとな」

「もう。何言ってるの」

 

 そして、あっさり逃がしてしまった。

 これで戦いは終わったみたいだけど……。

 変なこと言って、どこまでもすっきり満足な顔をしているレンクスを見ていると、ちょっともの言いたくなったので、適当に小突いた。

 

「で、今度は何をしたの? まさかこのまま逃がすつもりじゃないよね」

「へっ。いくらいいもん見せてくれたからっつっても、俺のユイに手を出した不埒な野郎を許すわけないだろ?」

「別にあんたのじゃないから。それで」

「まあ時限爆弾を仕掛けたってわけさ」

「あーなるほど」

 

 つまりレンクスは、最後まで手を抜かず、一番厳しい形で止めを刺したことになる。

 莫大な気力をあの一匹に詰めておいて、巣に逃げ帰った頃を見計らって、起爆させる。

 それで残った奴らも一網打尽ってわけ。

 

「よし。褒めてつかわそう」

「はっ。ありがたき幸せ」

 

 演技も堂に入っちゃって。

 

「で、俺頑張ったよな」

「うん。頑張ったね」

「頑張ったよな?」

 

 期待の顔でうずうずと待っているレンクスを見て、意図がわかった。

 もう。そうやってすぐご褒美を欲しがるんだから。

 ユウもレンクスも、甘えたがりだよね。男はみんなそうなのかな。

 しょうがないな。ほんと。

 

「はい。えらかったね」

 

 頭を一回だけ撫でであげると、子供のように大喜びして跳びはねた。

 でも一回だけだよ。あんまりやると調子に乗るからね。

 

「よっしゃあ! まだ生きようと思えた!」

「また頑張ってね」

「もちろんですとも!」

 

「なあ。あの二人は、どういったご関係なんだ」

「いつもあんな感じなのよ」

 

 ……隣で何か聞こえたけど、気にしない。

 

 

 

 というわけで、無事エーナさんも救出して、私たちは『アセッド』へ帰って来たのだった。

 

『へえ。そんなことが。災難だったね』

『でもエーナさんも無事帰ってきたし』

『何よりだね。で、エーナさんはもうすっかり元気なの?』

『あー……。いやまあ、大体元に戻ったんだけど、それがね……』

『どうしたんだ』

 

 ちらりと、キッチンの方を見やる。

 エーナさんは、ちょうどミティと一緒に料理の手伝いをしているところだった。

 まな板には、水色のプルプルした食材が乗っかっている。

 そして、エーナさんの顔色はそれよりも青かった。

 

「ほらぁ。何まごついてるんですかあ? 一緒に切ろうですよぉ!」

「いや、えっと、でも。そうね……」

「ただの食用スライムですよ?」

 

 食用スライムと言えば、レジンバークでは最もポピュラーな食材の一つ。

 食堂でも毎日提供していて、料理をするなら絶対に避けては通れないものなんだけど……。

 だから克服しなきゃってエーナさんもやる気は出してるんだけど……。

 

「ほら。半分ずつやりますよ」

「ひいいっ!」

 

 ミティが手渡した瞬間、それを取り落として、エーナさんはガタガタ震え出してしまった。

 

「スライムこわいスライムこわいスライムこわいスライムこわいスライムこわい」

「は……? ねえ、ユイ師匠。エーナさん急にどうしたんですか?」

「色々あったの。しばらくは優しくしてあげて。ね」

「……? はい」

 

 エーナさんのトラウマに、どうやら新たな一ページが刻まれてしまったみたい。

 めげるな。エーナさん。



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99「ヴィッターヴァイツ潜伏す」

 ――無限迷宮シャッダーガルン地下4000階。

 

 レンクスとレオンが潜り着いた地点の遥か先――決して誰も足を踏み入れることのない深部に、男はいた。

 かつてそのフロアに鎮座していたボス魔獣を、拳の一撃で屠り。

 ボスのために広がっていたドーム状のフロアの全体は、今や男にとって快適な生活空間へと造り変えられていた。

 男がこの場所に身を落ち着けたのは、そこが前人未到の深部であること、および転移の類によって追跡されることのないダンジョンの性質が、潜伏先としては最適であると判断してのことだった。

 惑星エラネルにおける、男にとっては屈辱的事件から約九年――男はユウが到達するよりもさらに二年も早く、ラナソールに流れ着いていた。

 男の名は、ヴィッターヴァイツという。

 彼の狡猾で残忍な行為の数々――ことに特殊能力【支配】の凶悪さは、星を越えて、一部のフェバルにはよく知られている。数いるフェバルの中でも力に優れるということも、また一部には知られている。

 そして、ジルフ・アーライズがさる人物の依頼を受けて追っている、まさにその男であった。

 

 最近、彼にとって興味を惹く出来事が二つほどあった。それらはほぼ連続していて、共にこの無限迷宮の中で起こったことである。

 すなわち、二人の超越者の存在。

 彼女と彼がラビィスライムに対して放った、一連の攻撃。

 この世界において存在するはずのない本物の魔力と気力が、なおかつ彼にとって取るに値するレベルのそれが、滅多に感心しない彼の心に触れた。

 久方ぶりの「人」である。

 特に後者に触れたとき――強者の予感に、このところひどく退屈していた男の心が躍った。

 

「ほう。どうやら――いるな。それも一人ではない」

 

 独りごちる。

 

「フェバルか。星級生命体か。異常生命体か。ともかく外れ者には違いあるまい」

 

 フェバルは孤独な時間があまりに長いために、いつしか自然と独り言が多くなってしまうという職業病は、彼にとっても例外ではないようだった。

 彼にとって「人」であることの基準とは、少なくとも己と格が近いことである。

 つまり、彼の能力の効かないことが最低条件だ。

【支配】対象は、「人」とは見做されない。

【支配】される脆弱な者たちは、彼にとっては全て意志を持たぬ人形に等しい。

 もっともどういうわけか、ラナソールにおいて【支配】が機能することは一度もなかった。

 だが――彼は考える。

 その事実は、彼らが「人」であることを意味しない。

【支配】が機能しないことは不可解な世界の性質であり、この世界の人間が高等であるゆえのことではない。彼は数々の状況証拠から正しく理解していた。

 むしろ。

 気力や魔力すら持たない者たちは、一般の下等生物よりなおいっそう救えない存在だと断ずる。自分が何者であるかさえ知らず、ただ漫然と生きる彼らは無為そのもの。夢幻の類と何も変わらぬ。

 当然、下等生物など一切顧みない彼にとっては、このような紛い物に満ちた世界などは格好の遊び場である。いつものように気の済むまで荒らして、ただ飽きれば次の世界へ向かうつもりだった。

 

 ところが、である。

 

 どうにも好きにはさせてもらえないようだった。

 何かが邪魔をしていることは確かだ。その何かが掴めない。

 

 簡単に言えば、横暴を働こうとして、彼の力は削がれてしまった。

 何がまずかったのか。原因があるとすれば、ただ一つしかない。

 ラナという女に目を付けた。世界の象徴として崇められる彼女を、力で弄ぶことを目論んだ。

 そして、弾かれた。ラナには逃げられてしまった。

 それ以来、彼は調子が良くなかった。

 世界に目を付けられたとでもいうべきか。

 彼に対してのみ、著しい許容性の低下を体感せざるを得なかった。

 ただの拳の一振りで、あらゆる障害を破壊してきた彼の圧倒的な力――特殊能力だけではない。本来持つフェバルとしての超越的な身体能力が、抑え込まれてしまっている。

 削がれてなお、未だ圧倒的。個の勝負で敵う下等生物などいない。

 しかし、世界を蹂躙するにはやや足りない。

 いつもの余興――不遜なる欲望は、ひとまず収めるしかなかった。

 

 さて、能力を封じられ。力を削がれ。

 極めて不満な彼に頼れるものは、皮肉にもかつて超越者になる前、下等な武道者であった頃の己が磨き上げた《剛体術》のみであった。

 それは、彼がフェバルとなってからも、能力ばかりに怠けず、力のみはと念じて鍛え続けた技術であり、軸であり。

 今や唯一の武器だった。

 

 こうなると、彼にとっては非常に面白くない展開だ。正直に不愉快であると言って全く差し支えない。

 自ら力を誇り、対等な者がいたとして、この世に超える者などいないと信ずる彼には、自分を封じ込める者がいるという事実が到底許せない。

 他のほぼあらゆる生物を――かつて自身がそうであった人間さえも遥か昔に下等であると断じてきた自分が、知らぬ何かに後塵を拝することの矛盾が許せない。

 

 ゆえに彼は、調べた。世界を調べた。

 どれほどぶりのことか、世界へ目を向けさせる羽目になった。

 そして、知ることになった。

 この世界の――ラナソールのおかしさに。矛盾に。

 自然に成立した世界としては、異常な点が多過ぎる。

 

「問題は、"誰が"こんな絵を描いたかということだ」

 

 確証はない。

 ただ、意志を感じた。

 彼を抑え込もうという不埒な所業。可としてしまう超越的な世界。

 それが「人」の仕業によるものであることは、彼にとっては明白な事実だった。

 おそらくは、ラナという女か。あるいは世界を守る意志か。

 恐ろしく強い意志だ。フェバルの力さえ封じ込めてしまうほどの。

 

 気に入らない。面白い。二つの反する情念が、彼を本気にさせた。

 

 彼は、"誰か"との対決を決意する。

 

 まず世界の内側から"誰か"の正体を掴むことは、難しそうだった。

 なればと、外側から掴むために。

 彼は不敵に笑い、自ら心臓を貫いた。躊躇いなく死を選んだのである。

 もちろんやけを起こしたわけではない。

 フェバルにとって死ぬことは、夜になれば眠るようなものだ。

 たとえ一時的に死んだとして、それは真の死を意味しない。ただ次の世界で目覚めるのみであると知っていたからだ。

 

 だが――

 

 次に目覚めたとき、そこはまだラナソールだった。

 

 さすがの彼も、これには動揺した。

 当然、何度も試した。不本意な死を幾度となく自らに与えた。

 いくつもの命を投げ打って調べた結果、彼は恐るべき事実を結論するしかなかった。

 

 星脈が、閉じている。

 

 通常、星脈の流れは人のいる世界から人のいる世界へと流れ込み、流れ出ていく。

 しかし、ラナソールは――ただ流れ込むのみである。

 無限大とも言うべき異常な許容性が、深刻なエネルギーの高まりが、ラナソールを宇宙の特異点と化していた。

 物質的な側面で言うならば、ブラックホールと同等の現象が起きている。

 

 こうして、世界の外側へ進出する望みは絶たれた。

 "誰か"の正体を掴まぬ限り、ラナソールは流れ着く旅の者を吐き出すことは永遠にしないだろう。

 

 この事実に至り、さすがの彼も『事態』を重く受け止めた。

 負けを認めたわけではない。強敵と認め、慎重にならざるを得なかったのだ。

 そして、拙速に下手を打たぬことを決めたのである。

 フェバルは寿命で死ぬことはない。精神さえ無事ならば、ほぼ永遠の命がある。

 状況を静観し、動くに利する機を待つ。

 永く生きたことで、そうするだけの執念深さ、狡猾さを彼は備えていた。

 

 誇りに傷を付け、苦汁を舐める真似をさせてくれたこの世界には、手痛い報復をしてくれよう。

 状況さえ許せば、こんなふざけた世界など、一息に滅ぼすとも構わない。

 

 そして――どうやら、他にも流れ着いて来た者がいるらしい。

「人」の頭数が揃えば。

 外れ者は、総じて個性派揃い。集まれば、何かが起きるかもしれん。

 

「挨拶に行ってやっても良いが。泳がせておくのが一興か」

 

 もう一つ。こちらの可能性も低くはないと彼は考えている。

 

「ダイラー星系列も、存在を知れば放ってはおかんだろう。あの連中は気に入らんが……無能ばかりではない」

 

 上で気持ち良く暴れていた「人」の気配が、遠ざかっていく。何かは知らないが、当初の目的は達したらしい。

 

「少しずつ状況は動いているか。じき面白いことになりそうだ」

 

 彼は嗤い、今は鎮座する。

 ラナソールという世界は、極めて不安定だ。

 永遠にこの均衡は続かない。

 フェバルは、永遠に近い。

 待っていれば、時がいずれ機を運んで来る。

 

 そのときこそ、世界の終わり――その始まりだ。

 

 この世界の実に下らぬ、終末教の言葉をあえて借りるならば。

 

「約束の日――ミッターフレーションは、必ず来る。今は待つこととしよう」



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100「ハッピーバースデートゥーユー」

「「ハッピーバースデートゥーユー!」」

「へ?」

 

 えっと。なに? みんなして。

 あ、そうか。そうだった。

 俺、誕生日だったんだ。そう言えば。

 ユイから「緊急の用があるからすぐに帰ってきて」と連絡があって。何だろうと身構えて帰ってみたら。

 そういうことか。

 ユイに、レンクスに、ジルフさんに、エーナさんに、ミティのいつものメンバー。だけじゃなくて、ランドにシルヴィアにレオンに、ワンディ、受付のお姉さん、まだまだたくさん。

 店いっぱいに顔なじみが揃っている。

 そしてみんな、俺に笑顔を向けていて。

 

「「ハッピーバースデートゥーユー!」」

 

 お馴染みの歌が、懐かしい歌が続く。

 もちろんこの世界に存在する歌ではない。

 大方、この歌が地球の風習だと知っているユイかレンクス辺りが、気を利かせてみんなに教えてくれたんだろう。

 憎いことしてくれるよ。ほんと。

 

「「ハッピバースデーディアユウ!」」

 

 はは。ここ、前から思うんだけど、ユウじゃ繰り返しみたいだよね。

 

「「ハッピーバースデートゥーユー!」」

 

「「二十六歳お誕生日おめでとう!」」「ですぅ!」

 

 受付のお姉さんが、盛大にクラッカーを打ち鳴らす。

 温かい拍手が、場内を包んだ。

 

「ありがとう。こんなみんなに誕生日祝ってもらったの、初めてだよ」

 

 やばい。ちょっと泣きそうだ。

 祝ってもらったこと自体、地球にいたとき以来だよ。

 最後は、ミライとヒカリとだったっけ。

 ささやかに。あれも良い思い出だったけど、昔のことで。

 まあアリスたちだったら、普通に祝ってくれそうだったけど。

 でも完全記憶能力をまともに使い始めたのがサークリスを去ってからだから、大体の感覚はあっても、いつが誕生日なのかわからなかったんだよね。それで自然とお流れに。

 だから何というか。もう祝われることもないだろうって思ってたから。

 ああ……思ったより効くなあ、これ。

 

「やーい。泣きそうになってんぞ」

 

 レンクスにからかわれた。

 

「い、いや、別に。嬉しかっただけだよ」

 

 もう子供じゃないんだし。さすがに泣かないって。ただ不意を打たれただけだから。

 でも強がっていると受け取られて、みんなからは生暖かい目を向けられてしまった。

 

「いやしかし、ほんと二十六には見えねえよなあ」

「「うんうん」」

 

 ランドの正直な感想に、満場一致で頷かれてしまう。

 まあ俺も自分がこれで二十六って、変な感じ満載だけどさ。母さんのようなカッコいい大人にはなれそうもないかな。

 

「ただ、ここぞというときの頼もしさというか。やっぱり私より年上なのよねえ」

 

 続くシルヴィアの言葉にも、賛同の反応が多かった。

 よかった。少しは成長できていたか。見た目こんなでも、らしくはなってたみたいだ。

 

 ユイがウインクして、微笑みかけてくる。

 

「ケーキもちゃんと用意してあるからね」

「ほんとか」

「しかも、特大サイズですよぉ! 私たちが腕によりをかけて作りました!」

「私もちょっとだけ手伝ったわよ!」

 

 ミティとエーナさんが、誇らしげに胸を張る。結構頑張ってくれたみたいだ。

 さあどんなものかと、人々の期待の高まる中。

 

 ポンッ!

 

 得意のマジック演出で、何もないところからわっとケーキが現れた。

 

「「おおー」」

 

 うわあ。本当に、大きいな。

 それに驚いた。すごい力作が飛び出してきたぞ。

 白地の上に、色も形もとりどりのデコレーションが一見まとまりもなく散らばっている。

 しかしテーマは、ここにいるみんなにとって明らかだった。

 レジンバーク。

 躍る人の砂糖菓子が。入り組んだ坂を表すチョコレートが。弾ける飴細工が。それらのまとまりのなさが、かえって賑やかさとして映る。

 今この場において、この上ない傑作だ。心からそう思う。

 そして、とても一人では食べ切れない。最初からみんなで分かち合うために用意されたものだ。

 多くの来客を見越していなければ、作ることはできない。

 実際、こうしてたくさんの人が集まってくれたわけで。

 別に何かありがたい記念日ってわけじゃない。

 ただの誕生日なのにさ。よく来てくれたよ。みんな。

 

「あの。みんな……その」

 

 ダメだ。胸が詰まって、まともな声にならないよ。

 唾を呑む。ここで泣いたら、今度こそ笑われてしまうな。

 

「せっかくだから、俺に切らせてくれないかな。みんなの分を」

 

 どうにか糸口を見つけて、笑顔で言葉を絞り出した。

 全員一致で、頷いてくれて。

 せっかくだからパフォーマンス気味にと、気剣を軽やかに抜き去って。一丁前に構えてみる。

 周りからも、気持ちの良い歓声が上がって。

 そこで、やや離れた位置からにこにこと俺を見つめる相棒の姿が、目に留まった。

 やっぱり、このままじゃ勿体ないな。

 そう思った。

 

『なあ。君も俺と一緒なんだから、誕生日一緒に祝ってもらわないか。俺だけじゃ悪いよ』

『ふふ。誰が企画したと思ってるの?』

 

 知ってるよ。もちろん君しかいない。

 俺が生まれてからの時間を正確に知っているのは。もう君だけだ。

 

『それに……私の生まれた日って実はあんまり正確じゃないんだよね。気が付くとあなたの中にいた感じだし』

『君は、俺が助けを求めたあのときに生まれたとばかり』

『そうだって思ってるだけ。実はね。確信はないんだ。この肉体だって、本当はいつの間にかあったし』

『君が生まれるより、もっと前にあった?』

『うん。私がはっきり意識を持つようになった頃には、既にあったよ。おあつらえむきだったし、私のために創ってくれたんだと思ったけどね』

『そっか……。でもよく考えたら、肉体を一から創るってすごいよな。子供の俺』

 

 大袈裟に言わなくても、子供を産むでもなく一つの命を創ってしまったってことだよな。今とてもそんな真似ができるとは思えないんだけど。

 

『子供ってすごいからね。今よりも発想が自由だったのかもね』

『そうかもね』

 

 あのときの俺が今の俺に会ったら、どんな顔をするんだろうな。

 夢見ていたよりつまらない大人になったって思うんだろうか。それとも目を輝かせるだろうか。

 ……二十六歳、か。

 これからの長い長い人生を思えば、ほんの一瞬のことかもしれない。

 でも、かけがえのない大切な時間だった。

 そして今、この時も。

 だからこそ、分かち合いたい。君というもう一人の自分と。

 

 心は固まった。

 さて。一転攻勢といこうか。

 

「それからもう一つ。大事なことをみんな知らないんじゃないかな?」

 

 枕に興味を惹く言葉をぶつけて。

 

「みんな、ユイの言葉で集まってくれたんだと思うんだけどね」

「えっと。ユウ?」

 

 はは。ユイ、どうしたって困ってるな。続けよう。

 

「実は俺たちは、同じ日に生まれたんだ」

「ちょっ、ユウってば!」

 

 そうじゃないかもしれないけど、そういうことにしておく。

 姉ちゃんじゃないかもしれないけど、姉ちゃんと自らを定義し、そうなった君のように。

 あり方の問題だ。君と俺は違うけど、同じなのだから。一緒に育ってきたんだから。

 

「そうだったのか!」

「やっぱり双子だったのね」

 

 口々に驚きや納得の声が上がる。

 双子どころか、二心同体だったりして。

 

「だけど自分から誕生日と言い出すのは、あれじゃないか。だからユイは、自分のことは隠しても、俺のためにこの素敵なパーティーを企画してくれたんだ」

「くううー! 泣かせるじゃないのよ!」

 

 受付のお姉さん、魂のシャウト。

 ここまでくると、視線の中心は俺から君へと。感心や同情の気持ちも一緒に移る。

 

「あ、あのね……」

 

 詰めだ。ここまで来たら、堂々と言い切ってやろう。俺も少しは口が滑るようになったかな。

 

「この水臭く愛すべき姉ちゃんに、どうか俺よりも盛大な祝いの歌を」

「もう。ユウったら……」

 

 やられたことにはお返しと、相場は決まっている。

 好意の押し売り、上等だ。

 

「もちろんだぜ!」

「うむ。それでこそユウだ」

 

 これには、レンクスとジルフさんも諸手を挙げて大賛成だった。

 

「おめでとう。ユイちゃん!」「おめでとう!」

「あ……」

 

 なだれ込むように、祝いの言葉を受けて。

 ユイは戸惑いと喜びと感激の綯い交ぜで、すっかり形無しだ。

 ほら。こういうとき、何も言えないだろう。一緒だ。

 

 そして、またお馴染みの歌が歌われる。リクエスト通り、俺のときよりも盛大に。

 もちろん俺も歌う。あわあわしているユイが可愛かった。

 

「え、えっと。みんな」

「おめでとう。ユイ」

「う……うん。ありがとう」

 

 こちらこそ。

 

 本当は君の方が、よほど温かい触れ合いを求めていたはずなんだ。

 だって、ずっと独りで中にいたんだから。君は俺なんだから。俺が君に気付くまで、寂しくなかったわけがない。

 気付いてから、埋め合わせをするように大切な時間を分かち合ってきた。

 そしてこの一年、色々あったけど、楽しかったよね。

 君はユイという名前を持って、初めて俺を離れて、ユイという一人の人間になった。

 新しい君をたくさん見せてくれた。本当に楽しそうだったよ。君は。

 

 ……普段お世話になってばかりで、甘えてばかりで、あまりお返しはできないからさ。

 

 さっきまた、お世話になってしまったし。せめてこのくらいは。

 正真正銘、初めての誕生日パーティーを。

 主役は君でいい。みんなと一緒に楽しもう。

 

「やーい。やっぱ泣きそうになってんぞ」

「別に。嬉しかっただけだもん」

 

 レンクスのこれ見よがしな茶々に、ユイは俺とそっくりの台詞を言って、真っ赤に頬を赤らめた。

 ここまでかな。これ以上やると後できついお礼返しが来そうだし。

 

「よし。切ろうか。今日は景気良くいこう! 夜までおごるよ!」

「「いえーい!」」「「やったー!」」

 

 

 

 俺には両親がいない。幼いときに二人とも事故で死んでしまった。

 二人の親友がいた。でも二人ともいなくなってしまった。

 親戚が引き取ってはくれたけど、彼らは俺のことを鬱陶しく思っていて。何かと辛く当たられた。

 あまり迷惑はかけたくないからと言って、中学卒業を機に一人暮らしをすることにした。

 安いボロアパートを借り。生活費を稼ぐために夜遅くまでバイトをして、帰ってきたら勉強。それで一日が終わる。

 ほとんど友達とも遊べず、それを不幸だと思う心の余裕もなかった。何のことはない平穏な毎日に、でももう二度と大切な人たちの戻らない毎日に一人取り残されて、ただしがみつくしかなかった。

 けれどそうだった日々は、今は遠いことのように思える。

 

 旅に出て、十年が経った。

 

 俺はユイと、異世界にいる。



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101「ありのまま団漢祭! 1」

 トレヴァーク支部の開店から、一カ月が経った。

 何でも屋という看板にはしてあるが、気軽なラナソールノリでどんどん仕事が舞い込んで来る本店と違って、未だ軌道に乗ったとは言い難い状況だ。変わったお店だしね、実際。実質的には夢想病対策の仕事が中心となっているけど、過程で人助けをメインにしているので、趣旨からは外れていないと思う。

 ちなみに設立に際して、いわゆる「決起集会」を行い、慣れない演説をさせられた話は内緒にしておこう。うん。旗印なんて柄じゃないし、恥ずかしかった。

 やっぱり世界各地で三千人もの人員が協力してくれているのは大きい。彼らのおかげで、夢想病患者に関するデータは急速に集まってきた。データを元に、潤沢な予算を使って患者の支援政策を打っていく。

 ただ俺は専門家ではないので、効果的な具体策および予算の割り当てなどを決めるには頭が足りなかった。

 そこでシルバリオが意を汲んで、各界から優秀なブレーンを集めてくれた。

 餅は餅屋。任せ切りは良くないけれど、多くのことは任せてみても良いだろう。

 この患者支援分野で特にやる気を出したのがシェリーで、彼女は学生ボランティアという立場で積極的に議論を聴講し、日々見識を深めているようだった。のみならず、自ら積極的に患者の下へ足を運んで、看病する姿を見せている。

 ここでさりげなくメディアを利用したのが賢かった。懸命な彼女の姿に心を打たれる者が現れ、ちらほらと追随する者も現れてきている。

 まずは足元から。やがては大きな流れになりそうで楽しみだ。

 元々聡明な子ではあったけれど、力を注ぐべき方向が見えず、困っていたように見受けられた。

 それが今や、水を得た魚の如く生き生きとしている。素敵な傾向だと思う。

 まあとりあえず今のところ大きな動きはなくて、俺はラナソールとトレヴァークを数日区切りで行ったり来たりする生活を続けていた。パスがランドとシルの二人になったので、移動の都合がだいぶ付きやすくなったのも助かった。

 

 ところで、ここ最近のレジンバークは、とある一大イベントに向けて騒がしくなっていて。

 それは……。

 イベント前日の夜。風呂を済ませた俺は、ユイに髪を乾かしてもらいながら、それについての話をしていた。

 

「明日はいよいよ漢祭当日だね。心の準備はできた?」

「まだ」

 

 浮かない気分で答えた。準備できる気がしない。

 漢祭。正式名称はありのまま団漢祭。

 あの「ありのまま団」に「漢」と「祭」がくっついている。もうこれだけでカオスなことになるのは簡単に想像が付く。

 どうやら二年に一度開催されるらしい。まあ要するにありのまま団のみんなが一同に集まって好き勝手騒ぐだけのことを大会と言っている。

 規模は純粋な団員が千数百名。これにシンパも集まって数千名規模が「ありのまま」になる。

 それは憂鬱にもなるよね。だって、あの受付のお姉さんさえ「あれはパス」と匙を投げるような案件だよ?

 ありがたいことに、うち、何でも屋なので。色んな方々から、「あれを何とかしてくれ」とのご依頼を頂きまして。何とかすることになりましたとさ。

 果たしてできるのだろうか。初めて完遂できないかもしれない。

 まあ現実的な対応としては、ただ騒いでいるだけでは、真っ裸になったり物壊したりしなければ違法にはならないので、近くで見張っていて、あんまり過激なことをしないようにお目付け役をするってところなのかな。

 

「はあ。俺が行くしかないのかな……」

「うん。私よりはユウの方が向いてるかなと」

「面倒なことになりそうなのが目に見えるんだけど」

「そこは肉体言語で何とか。ユウも漢でしょ?」

「漢っていうよりか男の子な感じだけどね。多分に」

「でも、身体はよく鍛えてるよね。これ見せたら気に入ってもらえそうだけど」

 

 背中から手を回して、腹筋をふにふに触られながら言われると、くすぐったい。

 

「肉体言語なら、それこそジルフさん連れて行ったら一発じゃないか?」

 

 悪いとは思いつつ、口が勝手に逃げ口上を打っていた。

 あの人ほど見事な筋肉美を誇っている人を見たことがない。バトルアーティストと言っても過言ではないんじゃないかと思うレベルだ。あの人の身体を見たら、みんな感動するんじゃないかな。

 

「残念だけど、ジルフさんはちょっと空の果て『スカイ・リミット』に挑んでるみたいで」

「なんて間の悪い……」

 

 ジルフさんもありのまま団の扱いには手を焼いていたのは知っている。体よく逃げたんじゃないか説が……。いや、人を疑ってちゃいけないよな。うん。

 

「レンクスは」

「面倒臭いから寝るって」

「どうせそんなことだろうと思ったよ」

 

 つまり結局俺が行くしかないのか。

 でもなあ。はあ……。憂鬱だ。

 

「……なあ。やっぱり一緒に行かない?」

「私を道連れにしようってわけ?」

「二人なら何とか乗り切れそうな気がするんだ。頼むよ」

「どうしても?」

「どうしても!」

「うーん……。そこまで頼りにするなら仕方ない。行こうか」

 

 何となくそう言われるのは予想付いていたのだろうか。あやすように、乾きかけの頭をぽんぽんされた。

 やっぱりユイは優しいな。ありがとう。

 ちなみにユイが行くと知ると、そのときだけレンクスの奴が無駄にやる気出しそうだ。それも何だかしゃくなので、罰として黙っておくことにした。空回りして余計面倒なことになるかもしれないし。

 

 さて、日が明けた。気が進まないながらも、身支度をして出発する。

 まず向かう先は、ありのまま団本部だ。ボティビルダーの像が建物にくっついているので、見間違えようがない。

 ありのまま団本部には、事前に監察の了承を得ている。ただし、監察を受け入れるに際して、「キミたちもエンジョイすること!」が絶対条件とされた。ちなみにこの条件、書初めみたいな気合の入った墨書き一枚で送られてきた。

 それと一緒に、プログラムが付いてきたんだけど……。これがもうひどくて。

 

 漢の開会式! 予定時刻:状況次第!

 漢のオリエンテーション! 予定時刻:状況次第!

 ……

 

 といった具合で、素晴らしく何もわからない。

 ふざけているのかな。そうだった。ふざけているんだあいつら。

 ミイラ取りがミイラになるのは勘弁だと強く言ったら、カジュアル派スタイルで勘弁してくれるということらしい。

 シルヴィアさんのありのまま団講座を思い出すと、確か。

 

 何もないのが原理派。

 葉っぱやふんどしで一応隠しているのが良心派。

 下は身に着けている(女子なら上も下着レベルは許される)のがカジュアル派だったっけ。

 

 最低でも上は脱げってことらしい。仕方ないか。

 もちろん原理派は、見つけ次第頭を冷やしてもらわないといけない。

 ちなみに数は少ないけれど、女子も普通に参加するみたいだ。女子でも漢は漢ということらしい。よくわからないけど。

 ユイにはもちろん恥ずかしい思いをさせてしまうことになる。でも「大丈夫」と言っていた。一枚でも、できるだけ露出の低い服をあらかじめ用意してあったみたいだ。

 やっぱり最初から助けてくれるつもりだったんだな。ごめんね。

 

 受付の女性係員(水着姿)から、簡単に説明を受けた。

 十数人ずつの班に分かれて、班単位で行動するようだ。俺とユイは一緒の班にしてもらった。

 最初は、控えのロッカールームへ行けということだけど。

 

「ここかな」

「みたい」

 

 手を見ると、油汗がすごかった。拭ってからドアの前に立つ。

 いよいよだな。さあ何が出て来るか。

 

 コンコン。

 

「「失礼しま――」」

 

 

「「押忍! 押忍! 押忍! 押忍! 押忍! 押忍! 押忍! 押忍!」」

 

 

「「間違えました」」

 

 バタン。

 

 

 …………ふう。

 

 

「なあユイ。俺、疲れてるのかな。今、変なものがちらっと見えたような」

「ちょっと、私も疲れてるのかも」

「何かの見間違いだよね?」

「うんそうだよ。たぶん。ね」

「よ、よし。気を取り直して」

 

 コンコン。

 

「「失礼しま――」」

 

 

「「押忍! 押忍! 押忍! 押忍! 押忍! 押忍! 押忍! 押忍!」」

 

 

「「ごめんなさいやっぱり間違え――」」

 

「少年ッ!」

 

 マキシマムな怒鳴り声が耳に響く。俺とユイは足を止め、ビクッと肩を震わせた。

 呼びかけてきたのは――うわ、なんだこの人は!?

 ユイが目を丸くしている。俺も目が釘付けになった。強烈なインパクトだった。

 絵に描いたようなムキムキマッチョの漢だ。当然の権利のような上裸身に、グラサンをかけている。さらに、いつだかの奇術師よりも奇術師みたいな恰好をしている。言ったら悪いけど――すごい変態っぽい。

 いつかのトーマス・グレイバーを思い出した。あれに輪をかけておかしくした感じだ。

 そして何より驚いたのは、髪型が――魚だった。魚にしか見えない。マジで。あれ、なに。

 ラナソールには不思議なこともあるものだと、自分を納得させる。

 

「特別参加のボーイズ&ガールズだなッ! ここで合っているぞッ!」 

「ああーよかったなー! 別に間違えてなかったんですねー!」

「そうだッ! めでたくこれであと一人だッ!」

「……ところで、あなたたちは今、なにを?」

「うむ! 親睦を深めていたッ!」

 

 ああ。ダメだ。幻じゃなかった……。

 俺とユイを除いて、十二人。男が十。女が二。揃って同じマッスルポーズを極めながら――なんだろう。なんか「押忍! 押忍!」言いながらひしめき合っている、としか言いようがない。

 わけがわからない。

 今からこれに混じるのか……。正直、もう帰りたい。

 早速心が折れそうになっていると、ユイもほとんど同じ気持ちで、俺の袖をぎゅっと掴んで堪えていた。

 頭が魚の人は、やかましい声で名乗り出た。

 

「班長のカーニン・カマードだッ!」

「「あ、大魔獣討伐祭のときの」」

 

 名簿に載っていたのは覚えている。姿は見てなかったけど、もしちらとでも目に入っていたら記憶能力なんてなくても二度と忘れないだろう。すごい人だ。すごいとしか言えない。

 

「オレっちの活躍を覚えていたかあッ!」

「いや、お名前だけですけど」

「そうかあ! 覚えていたかあッ!」

 

 すごい力で、肩をぐわんぐわん揺さぶられた。

 頼むからちょっとくらい話を聞いてくれ!

 超ハイテンションなカーニンは、「押忍! 押忍!」続けている全員に向かって怒鳴りつけた。

 

「おい! いつまでわけわからないことやってんだッ!」

「「班長がやれって言ったんじゃないですか!?」」

「知らんッ! 新メンバーの紹介だッ! 全員集合ッ!」

 

 今、とても理不尽なことがあったような気がするけど、みんながトチ狂っていたわけじゃなかったんだと知り、正直かなりほっとした。

 

「何でも屋『アセッド』から初参加になります。ユウです。よろしくお願いします」

「同じくユイです。よろしくお願いします」

 

 簡単に自己紹介すると、拍手が起こる。レジンバークではちょっとした有名人らしいので、サインを欲しがる人が複数いた。初めてではないので、ちょっと恥ずかしいけど書いてあげた。サインと言っても、ただ漢字で名前書くだけなんだけどね。

 しかし面倒臭くなったのか、残りはカーニンがそれぞれ指差しながら、勢いで名前だけ紹介してきた。

 

「ステファニーッ! モーリスッ! マークッ!」

「マーク!?」

 

 おい。ちょっと待って!

 見間違えじゃないよな!?

 

「マーク!? お前何やってんだ!」

「あい? 僕の筋肉がどうしたっすか?」

「あ、ああ。ごめんなさい」

 

 そうだった。知ってる顔がいたから、ついリアクションを大きくしてしまったけど。

 こっちの方の彼は、俺を知らないはずだもんな。

 でも間違いない。彼はマーク・プレイサーだ。

 エインアークスから借り受けた『アセッド』トレヴァーク支部のメンバーの一人で、トリグラーブ支店を担当している。つまりは俺の同志である。歳は17で、元々孤児という育ちのため学はないけれど、人懐きの良い奴だ。

 君、こんな趣味があったのか……。知らなかったよ。人はわからないものだな。

 

 全員の紹介が終わったところで、再びカーニンが声を張り上げた。

 

「少年ッ!」

「はい!」

 

 つられて、こっちの声まで大きくなる。

 

「わかっていると思うがッ! 今日はありのままが正装さッ! さあ、ユーのありのままを見せてみなァ!」

「そうですねッ!」

 

 みんなが注目している。俺がどんな「ありのまま」を見せてくれるのかと。

 ……いや、あの。そんなにじっと見られるとやりにくいんだけど。

 しかし、ここまで来て帰るわけにもいかない。帰りたいけど。ユイも付き合ってくれてるし。

 

『ユイ。君は注目集まらないうちに、適当に魔法でぱっと脱いでおくといい』

『わかった。お言葉に甘えるね』

 

 注目の犠牲は俺だけでいい。

 よし。頑張ろう。

 半分やけで勢いよく上着を脱ぎ去った。

 すると、それぞれが一様に恍惚の溜め息を漏らしたのだった。

 

「「オーゥ……ビューティフォゥ……」」

 

 えっ。なにそのアメリカンな反応。

 

 

 コンガチャ。

 

 

 そのとき――なぜか不思議と聞き慣れた――ノック間もなく速攻でドアノブが回る音がして、誰かが入ってきた。

 

「「あ」」

「あ」

 

 目と目が合う。

 放送コードギリギリの黒ビキニに身を包み、気合い十分でやってきたシルヴィアさんだった。



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102「ありのまま団漢祭! 2」

 班長カーニンが再び無駄に暑苦しい紹介タイムに入り、終わった後はまた謎のマッスルポーズが始まろうとしたが、慌てた俺たちが「普通にお喋りするのも親睦を深めるには大事じゃないかな!」と必死で主張して、何とか事なきを得た。

 各自自由になったタイミングで、早速シルが近寄ってきた。

 

「なんであなたたちがここにいるのよ」

「大会を何とかしてくれって依頼で」

 

 ユイが答える。俺が補足した。

 

「本部には、監視してもいいけど、代わりに参加が条件と言われてね」

「そう。確かに例年、原理派が暴れるものね」

「それにしても、随分大胆な恰好をしてきたね」

 

 下はしっかり履いて、上も露出が控えめでスポーティーなユイの肌着に対して、シルのそれは上下ともトップオブザマウンテンくらいしか隠すところがない。何かの拍子にずれたら、顔を覗いてしまいそうだった。

 

「言うな。まさか知り合いがいるとは思わなかった。恥ずかしくなってきたじゃないの」

 

 顔を赤らめて、両手で胸を仕草をするシルは、可愛らしいものだ。

 そんな彼女を見つめていたら、こちらの視線に気付いた彼女が、何やらむっとした顔をして近付いてきた。そして、耳打ちしてきた。

 

(あんたはこっちの世界の私まで視姦する気か)

(えっ。今日はそっちが見せてるんじゃないか)

(うるさい。あんまりじろじろ見るな。殺すわよ)

(冒険者が暗殺者みたいなことを言うなよ)

(あーもう。あなたが色々吹き込んでくれたせいで、余計なこと色々思い出しちゃったんじゃないの! 何も知らないで呑気に冒険してるランドが羨ましいわ)

(それは……ほんとごめん)

(マジで謝らないでよ。仕方ない部分もあったし)

 

「シルとユウっていつの間にかすごい仲良くなってるんだね」

 

 声に顔を向けると、ユイがにこにこして、俺とシルに温かい目を向けていた。

 

「別に」

「そうでも……あるかな」

「あなたそこは否定しなさいよ」

 

 突っ込みでチョップが入る。これまでだったら、俺がただの「元S級冒険者で山を斬ったすごい人」のままだったら、もう少し遠慮されていただろう。

 

「でもこうやってお互い軽口叩けるようになったのは嬉しいかなって」

「……あっそう。やっぱり調子狂うわ。あなた」

 

 ぶつくさ言いながらも、表情はまんざらでもないようだった。

 

「ところで、どうなの? トレヴァークのことを知って」

「ああ。それ一度聞いてみたかったんだよね」

 

 二つの世界を認識し、トレヴァークではシズハであることに気付いた彼女は、どう感じているのだろうか。

 

「どうも何も。とても……奇妙な感じね。もう一人の自分がいるっていうか。あっちの私も私なんだけど、私そのものじゃなくて」

 

 俺にもその感じはよくわかる。ユイがいるからね。

 体感していない人に中々口で言っても伝わらないんだけど、同じような感覚を共有できる仲間がいるのは、素直に嬉しい気持ちになった。

 

「深く繋がってはいるけれど、すべて思う通りにいかないというか。夢を見ているみたい」

 

 シズハもそんなことを言っていたな。どっちが主で従というより、お互いに相手のことを夢のように認識しているわけか。

 ラナソール側にとっては、トレヴァークこそが夢想の世界というわけだ。

 

「まあ、そんなところね。とりあえず私は私だし、あの子はあの子。何が変わるわけでもないわよ」

「へえ。そっか。面白いね」

 

 うんうんとユイが頷いていた。俺も一緒に頷く。

 すると、シルは俺の方を向いて、お願いしてきた。

 

「あっちは私よりもっと素直じゃないから、たぶんいっぱい迷惑かけるんだと思うけど。上手く付き合ってあげて」

「もちろん。あの子のツンデレぶりはよくわかっているさ。任された」

「ツンデレって……。ま、まあそう言えなくはないかもね」

 

 何を想像したのか、シルが苦笑いする。

 

「ありがとう。本当、ユウでよかったわ。あれじゃあ色々誤解されても文句は言えないわよね……」

 

 シルはシルで、シズに対してかなり思う所があるみたいだった。

 もしある意味でシズにとって理想の存在が彼女であるとするならば、理想ができている彼女から見ると、シズにはあれこれと至らない部分があるのだろう。

 

「早くリクに声くらいかけなさいよ。まったく……」

 

 とりわけ、もう一人の自分の恋の行方には、やきもきしているようだった。

 

「俺がとりなしてあげた方がいいのかな」

「いいわ。これは私たちの問題だから。形だけ整えたって、あの子自身は殻を破れない。私のことだからよくわかるの」

「そっか」

「見守ってあげて。いつかきっと自分の言葉で話せるときが来ると思うから」

 

 俺はしっかりと頷いた。

 

 

 

「それにしても、あなたが団員だったなんてね」

 

 ユイがしみじみと言った。

 聞きかじったにしてはやけに細かくレクチャーしてくれたからシンパなんだろうとは思ったけど、まさか自ら参加するほどとはね。

 しかし、シルは首を横に振る。

 

「別に。ただのファンよ」

「ただのファンでそんなに?」

「うるさい。実は私も大会は初めてなのよ」

 

 見事な黒ビキニ姿を見下して、彼女は照れ笑いした。

 

「ちょっと気合い入れ過ぎちゃったかしらね」

「「すごい気合いだよ」」

 

 感想がハモった。

 

「ちなみに参加目的は?」

「目の保養」

 

 即答。うふふとにやけたシルヴィアさんが、何だか恐ろしいものに見えた。

 そう言えばリクのときも、シズハさん、妙にその辺突っ込んで聞いてきたな。

 

「ランドは連れて来なかったの?」

「あのバカにこんな濃ゆいところ見せられないって」

「確かに。パンクしそうだよね」

「しそう」

「それに、恥ずかしいわよ……」

 

 なるほど。地味に恥ずかしがり屋なところはシズと一緒なんだな。

 

 そのとき、班長のカーニンのやかましい声が聞こえてきた。

 

「おーい。ぼちぼち開会式の時間だッ! 野郎ども、行くぞーッ!」

「「応!」」

 

 

 何しろすごい人数なので、ごちゃごちゃしたレジンバークではみんなが集まれる場所がなかった。開会式は、外周壁のすぐの草原で行われることになった。

 会場はものすごい熱気だった。男性が九割に女性が一割といったところだろうか。当然のようにみんな肌を晒していて、むんむんする。

 俺が真ん中、ユイが左隣、シルが右隣で三人固まっていたが、背の低いユイとシルは、ちょっとでも離れたら肉の壁に飲み込まれて見えなくなってしまいそうだ。

 どうやら、俺とユイがかなりきつく注意しておいたので、肌色率が高いものの、まだみんな良心派までで留まってくれているようだ。

 けど、盛り上がってきたらどうなるかはわからない。気を引き締めて監視しないと。

 

「開会の挨拶はどんな人がするんだろうね」

「さっきね。団長が出て来るって小耳に挟んだよ」

 

 素晴らしく何もわからないプログラム表に目を落としながら、ユイが言った。

 

「団長ね。どんな人か知ってるか。シル」

「実は知らないのよね。団長はこういう大きなイベントでないと滅多に人前に姿を現さないとは聞いたわ」

 

 散々俺たちに迷惑やちょっかいをかけてくれた、ありのまま団の団長とはどんな人なのか。注目だな。

 しばらくユイとシルと三人で談笑していたが、途中からシルは周りをきょろきょろし始めた。

 なんだろうと思いながらも話を続けていると、袖を引っ張られた。

 どういうわけか、彼女は怪訝な表情を浮かべている。

 

「ねえ。気付いたんだけど……うちの人多くない?」

「ああ。確かに冒険者ギルドの人もそこそこいるよね」

 

 冒険者というのはお祭り騒ぎが好きな体質らしい。大抵はカジュアル派での参加みたいだけど、顔なじみの連中がちらほらいた。

 

「違うわよ。エインアークス」

「え?」

 

 ……本当だ。

 よくよく見れば、俺の知っている顔がいくつもあった。みんなマークと一緒で、『アセッド』トレヴァーク支部のメンバーである。

 いやそれにしたって、多くないか? 俺が顔を突き合わせた人、ほとんど全員入っているじゃないか。

 エインアークスの連中の大半を知らない俺でもこれだ。長年身を置いているシルには、もっと多くの構成員が目に映っていることだろう。

 

「同志がこんなにいようとはね」

「まさかね」

 

 ユイは妙な想像をしたみたいで、イメージがこちらにも伝わってきた。

 いや、まさかね。俺も嫌な予感がしてきたところ――。

 

「ぼちぼち団長がお出ましになるぜッ!」

 

 カーニンの呼びかけで、注意が壇上に向いた。

 

 ゆったりとした足取りで、年老いた男の人が即席壇上へ歩み進んでくる。

 逆立った短髪に、白い立派な口髭を生やしている。

 年月が皺を刻んでこそいるが、老体とは思えないほどに引き締まった肉体だった。漢ならばかく歳重ねるべしと、規範となるべき漢の肉体だった。

 だが、そんなことよりも。

 

「「うわあ……」」

 

 壇上に仁王立ちしたご老体は、光り輝いていた。

 モザイク魔法がかかっていた。

 

 隠しているようで、隠れていない。

 

 見事なものです。立派なものです。

 

 俺は思わず目を逸らし、ユイは手で目を覆った。

 どうしてこう、ギリギリを攻めてくるのかな!? さすがに団長ともなると原理派を貫くんだろうとは思ってたけどさ!

 だけど、違った意味で釘付けになっている方が隣にいた。

 

「大ボス……!」

「「えっ!?」」

「大ボス! 何やってるんですか!?」

 

 シルが、白目を剥いて吠える。

 そうだ。参考にと、写真を見せてもらったことがあった。

 あまりにこの場とは繋がらないので、すっかり失念していた。

 あれは。あの人は!

 現エインアークスのボス、シルバリオ・アークスペインの父――ゴルダーウ・アークスペインその人だった。



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103「ありのまま団漢祭! 3」

 まさかの展開だ。

 夢想病で眠ってるって聞いていたシルバリオのお父さん、こんなところにいたのか!

 見つかってよかったけど……頭が痛くなってきた。

 メンバーとトップの構成から考えて、下手しなくても、ありのまま団⇔エインアークスの図式がありありと浮かんでしまう。

 エインアークスとは、実は前々からずっと接点があったのか……。よりによってこんなはた迷惑な。あまりに見かけが違うから、全然気付かなかったよ。

 たち誇る団長を前にして、司会のアナウンスが入る。

 

「団長から開会に際してありがたいお言葉があります。耳の穴かっぽじってよーく聴くように!」

 

 団長は堂々不敵なる笑みを浮かべながら、まだ仁王立ちの構えを続けていた。

 静まり返る会場。総員の注目が集まる。

 何を言うつもりなのだろうか。

 見守っていると、彼は大きく息を吸い込んだ。そして。

 

「破ァッ!」

 

 踏み込む。

 静寂を破る、激しい気当たりだった。大気がびりびりと震える。

 同時に、ぶらりと揺れた。何がとは言わない。絶対言わない。

 すると直後、アップテンポのBGMがかかり――モザイク魔法が金色に輝いた。小さなライトアップが二つに増えて、明滅しながら執拗に近辺でくるくる回る。まるでダンスでも踊っているようだ。やめてくれ。

 十数秒ほどそれが続いたと思うと、やり切った顔の団長は、背を向けて歩み去っていった。

 よく見ると、漢の背中には文字が書かれていた。

 

『イボ痔』

 

「団長、ありがとうございましたッ!」

 

 ……何がしたいんだ!

 

『まあまあ。抑えて』

 

 思わず勢いのまま叫び出しそうになったところ、感情の昂ぶりを察したユイに口を押えられた。

 しかも、今の挨拶でなぜか盛大な拍手が巻き起こっていた。感涙し、むせび泣く者さえいた。

 俺は現実で叫ぶ代わりに、ユイに向かって全力で突っ込みをぶつけていた。

 

『最高に意味わかんないよ! ちょっとレベル高過ぎるよ!』

『うん。うん。正直、私もまったくわからないけどね』

 

 ダメだ。この調子でいたらおかしくなりそうだ。ここだけ世界が違う。さっきから全然知らない世界に来てるよ、俺……。

 そのとき、燃えるカーニン班長が拳を高々と突き上げた。

 

「さあ、漢のオリエンテーションへ行くぞッ!」

「はい? 今ので終わりなんですか?」

「終わりに決まっているだろうッ! 団長の魂を感じなかったのかッ!?」

「感じませんでした」

「そうかッ! まあいいッ!」

 

 いいのかッ!

 

「てかどこ行くんすか?」

 

 マーク。いい質問だ。できれば無難な答えであってくれ。

 

「とりあえずあの夕日に向かって走るぞッ! 青春だなッ! がっはっは!」

 

 わかっていたけど恐ろしく適当だな! しかも今の時間は朝日だよ!

 

「班長!」

「なんだッ! シルヴィアか!?」

「メンバーには運動に慣れていない方もいます。先に身体をほぐした方がいいのでは?」

「うむッ! それもそうだなッ! よくぞ言ってくれたッ! ではッ!」

 

 カーニン班長は、高々と指を突き上げて、まるでプロレスのパフォーマンスみたいに叫んだ。

 

「ありのまま体操第一ッ!」

「「ありのまま体操第一ーーーッ!」」

 

 一斉に唱和が起こる。

 またなんか始まった……。というか、第一?

 俺が首を傾げたのを見て、先輩顔のシルさんが耳打ちしてくれた。

 

「ちなみに第三十七程度まであるわよ」

「程度って?」

「気分によって増えたり減ったりするわ」

「ああそうなんだ」

「実質第三までしかないとの噂も」

「じゃあ三つでいいんじゃないかな」

 

『口。出てるよ』

 

 いつもは心の中で済ませる突っ込みが口に出てるとユイからご指摘が入ったけど、ごめんもう余裕ない。

 肝心の中身はというと。一応ストレッチは考えられていた。ただあのラジオ体操第二のムキムキポーズみたいなのを随所に取り入れて、なんていうかむんむんする体操だった。

 体操が終わると、息を吐く間もなく、カーニンは広陵な草原へ向かって指差した。

 

「いざ行かんッ! オレに続けいッ!」

 

 彼が先頭を走りながら、いきなり掛け声が始まる。

 

「我らありのまま団ッ!」

「「我らありのまま団!」」

「「わーれらーありーのままーだん」」

 

 気合いの入ったメンバーたちと、どうしても付いていけずに適当に合わせることにした俺とユイの言葉が開放的な草原に伸びていく。

 

「風通しの良い組織ッ!」

「「風通しの良い組織!」」

「「かぜとおしーのよいそしきー」」

 

 確かにこんなに風通しの良い組織はないだろうね。物理的に。

 

「ありのままって素晴らしいッ!」

「「ありのままって素晴らしい!」」

「ありのままってすばらしい」」

 

「ついでにみんなが注目だッ!」

「「ついでにみんなが注目だッ!」」

「「ついでにみんながちゅうもくだー」」

 

 そのついでが大問題だ。

 

「となりのおっさんこっち見てるッ!」

「「となりのおっさんこっち見てる!」」」

「「となりのおっさんこっちみてるー」」

 

「あそこの淑女もこっち見てるッ!」

「「あそこの淑女もこっち見てる!」」

「「あそこのしゅくじょもこっちみてるー」」

 

「淑女は顔を赤らめたァ!」

「「淑女は顔を赤らめた!」」

「「しゅくじょはかおをーあからめた」」

 

「僕は言ったさッ!」

「「僕は言ったさ!」」

「「ぼくはいったさ」」

 

「やあ。ありのまましてるかい?」

「「やあ。ありのまましてるかい?」」

 

 アウト! 事案! 確定的にアウト!

 

「少年ッ!」

「「はい!」」

 

 そのとき、後方でだらだら走っていた俺とユイを名指しで、カーニンは怒声を上げた。

 てか今気付いたけど、ユイのことも少年って呼ぶんだな。

 

「漢が足りんッ! もっと腹から声を出せ腹ァッ!」

「「すみませんッ!」」

 

 バレたか。でもふざけ過ぎててやる気出ないんだよ!

 

「ああ! あんたらのせいで、クソォ! どこまで言ったんだオレァ?」

「やあ。ありのまま――」

「忘れたッ! となりのおっさんからイクぞおッ!」

 

 マイペースだな本当。

 

「となりのおっさん足臭いッ!」

「「となりのおっさん足臭い!」」

「「となりのおっさんあしくさいー!」」

 

 さっきそんなこと言ってなかったよね!? しかもただの悪口!

 

「あそこの男の子もこっち見てるッ!」

「「あそこの男の子もこっち見てる!」」

「「あそこのおとこのこもこっちみてるー!」」

 

「男の子は顔を赤らめたァ!」

「「男の子は顔を赤らめた!」」

「「おとこのこはかおをあからめたー!」」

 

 もう嫌な予感しかしないんだけど。

 

「私は言ったさッ!」

「「私は言ったさ!」」

「「わたしはいったさ!」」

 

「ねえ。お姉さんどんな風に見える?」

「「ねえ。お姉さんどんな風に見える?」」

 

 だからアウト! やめようよ! 普通に犯罪行為歌っていくのやめようよ!

 ああもう! 突っ込みが追いつかない!

 

「ココレラのマスターはッ!」

「「ココレラのマスターは!」」

 

 また急に話題が飛んだなッ!

 喫茶店『ココレラ』のことだろう。美味しいコーヒーと明るい接客で有名で、うちの夜食堂に勝るとも劣らない人気がある。

 

「かわいいッ!」

「「かわいい!」」

 

「かわいいッ!」

「「かわいい!」」

 

「かわいいッ!」

「「かわいい!」」

 

「かわいいッ!」

「「かわいい!」」

 

「かわいいッ!」

「「かわいい!」」

 

「かわいいッ!」

「「かわいい!」」

 

「かわいいッ!」

「「かわいい!」」

 

「かわいいッ!」

「「かわいい!」」

 

 何回言う気だ!

 もはやかけ声というより、あなた個人の感想なのではないでしょうか!?

 

「オレは書いたぜラブレターッ!」

「「オレは書いたぜラブレター!」」

 

 むしろ体験談の領域に入りつつあるよね!

 

「クォマイちゃんは言ったさッ!」

「「クォマイちゃんは言ったさ!」」

 

「大切なお客様だと思っております」

「「大切なお客様だと思っております」」

 

 そして当然のようにふられた!

 

「うおおおおお! 漢漢だ漢泣き!」

「「うおおおおお! 漢漢だ漢泣き!」」

 

 ……まあ、どんまい。

 

 そんなこんなで、謎のかけ声を発しながら半裸でしばらく走っていると。

 大切なことにふと気付いたマークが、何気ない調子で尋ねた。

 

「そういや、今どの辺走ってるんすか?」

「うむッ! そうだなッ! さっぱりわからんッ!」

 

 だろうと思ったよ! 適当に走るからそうなるんだよ!

 

「こっちでマーキングしておいてよかったね」

「本当にね」

 

 こうなることを見越して、ユイはしっかりと魔力マーキングを結んでいた。

 俺がそのことを伝えた。

 

「大丈夫です。道は記録してありますので」

「そうかッ! よくわからんがよくやったッ!」

 

 わかれよ! しっかりしろよ班長!

 喉まで叫びが出かかっていたけど、ギリギリのところで自制した。

 もうほんと帰りたい……。



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104「ありのまま団漢祭! 4」

 適当に草原を走り回って汗を流していると、漢のオリエンテーションはいつの間にか終わったことになっていた。

 漢の昼食が始まる。

 ……これって何でも「漢の」を付けておけばいいやってパターンじゃないだろうな。

 みんな各自のお弁当を持ち寄っての昼食となった。本当はみんなの分の昼をこちらで用意してあげたかったんだけど、事前に人数も何もかもわからなかったので仕方ない。

 

「はい。これユウの分」

「ありがとう」

 

 俺のはユイお手製の弁当だった。例によって、いくらかミティやエーナさんの手が入っているらしい。随分仲良くなったよね。この三人も。

 ご飯というものは人それぞれの個性が出るもので、見ていて中々面白い。

 例えばシルは面倒臭がりなのか、冒険者用の軽食セットをそのまま昼食にしてしまっている。そういや、シズの方もよく即席麺で生活してるって言ってたかな。身体に良くないから気を付けなよとは言っておいたけど、あまり聞く耳は持たないらしいな。

 マークは凝り性なのか、カラフルで手のかかったお弁当をこしらえてきた。プロでない個人の作るものとしては目を見張るほど立派なものだ。

 そして、カーニンはというと……。漢の握り飯をとんでもないところから取り出したので、そっと目をそらした。

 爽やかな草原の風と日差しを浴びながら、昼食を楽しむ。このまま変な集まりのことは忘れて、のんびりできればいいのになと心から思った。

 だがそんなささやかな願いは、やっぱり許されないのだった。

 腹を満たし、テンションが高まってきたカーニンが、おもむろにグラサンに手を近づけた。

 

「外す、のか……?」

「あの班長が……」

「ついに……!」

 

 マークを始め、一同が固唾を呑んで見守っている。そんなに一大事なのだろうか。確かにグラサン外さないのがアイデンティティの人もいるけどさ。

 額縁に指が近づく。あと少しでグラスに届く。持ち上がる。

 

 そしてついに、はず……さない!

 

 指をスカした。フェイントだった。班員から落胆交じりの溜息が漏れた。

 そんなこちらを見て、ふふんと得意げに笑っている。だから何がしたいんだよ。

 その代わりとばかりに、やおらズボンに手をかけて――そっちはアウトの方だからな。

 手遅れになる前に止めようとしたところ、追い打ちのような事態に遭遇する。

 

「あ! あれは!」

「バックステップ男!」

 

 俺とユイがほとんど同時に気付いて、声を上げた。

 忘れもしない。レジンバークに来た初日に見た、あの変態男だ。

 大草原の向こうから、全裸の野郎がものすごいスピードで後ずさっていく。

 常にバックステップ。全力でバックステップだ。めちゃくちゃ速い。

 漢カーニン、これには目の色を変えてすぐさま呼応した。

 

「バックステッポウゥウゥゥッ!」

 

 彼はいきなり叫んだ。気合を入れると、全身を謎の黄金色のオーラが包む。

 そして――弾けた。服が。

 神々しいほどの光とともに、生まれたままの姿のカーニンが爆誕した。

 彼は爆速で後ずさっていく。もちろん揺れている。何がとは言わない。

 とにかく言えることは、意味わからないし、最低だ!

 Aランク相当という実力をいかんなく背走に発揮し――いや、テンションも相まってかもはやSランクすら超越した何かに見える。

 そしてカーニンは、バックステップ男とついに邂逅を遂げ――。

 

「「フォオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーーウ!」」

 

 バックステップ男……いやバックステップ漢と、漢カーニンの雄たけびが共鳴した。すると今度は、バックステップ漢の全身が銀色のオーラに包まれる!

 二人のオーラが迸り、一つに混じり合った。

 

「「ババックステステステッポおおォォォォウゥウ!」」

 

 もう止まらなかった。

 なんか連呼しながら、互いに高め合い、先を競い合うようにして、後ずさっていく。草を吹き飛ばして、超音速で後ずさっていく。

 あっという間に、光の筋が遠くへ伸びていった。

 

「班長……! あっしも付いていきやす!」

「私もッ!」

「負けるなあああ!」

「いくぞおおおおおおっ!」

 

 遅れて、班の何人かがなぜかいたく感化された。慣れない足つきで、バックステップを始めている。

 あっけに取られていた俺とユイは、彼らの意味不明な行動を止めることができなかった。

 中でも一人、シルヴィアが実に手慣れた、軽やかな足取りで、二人の漢へ追いすがっていく。

 

 そして気付けばみんな、草原の彼方へ消えていった。

 

「「…………」」

 

 ついていけなかった、俺とユイと、あと三人がぽつんと取り残されていた。

 

「あの人……」

「職務放棄、したよね……」

 

 ようやく出てきた言葉が、それだった。いや、今の場合、あれこそが職務なんだろうか。誰か教えて下さい。助けて。

 取り残された俺とユイは、何だか色々とあほらしくなってきたので。

 

「……帰ろうか」

「……うん」

 

 カーニンのいない帰り道は、毒が抜けたように平和だった。皮肉にも、ドロップアウトすることで心の平穏は叶ったのだった。

 あの受付のお姉さんでさえ匙を投げる理由がよくわかったよ。やってられないよこんなの。

 軽く敗北感を覚えつつ、いざレジンバークへ戻ってみると。

 

「「あ……」」

 

 翻弄されて、すっかり忘れていた。本来の参加目的を。

 

 監視する者のいなかった街は、とんでもない地獄と化していた。

 

 どこもかしこもマッパメンやマッパウィメンで溢れ返り、彼ら彼女らは自由を謳歌していたのだ!

 あのよくわからない漢のオリエンテーションとやらをこなしているうちに、感極まっちゃった可能性が極めて大だ。

 

「やあ。ありのまましてるかい?」

 

 道行く変態おじさんに、お決まりの挨拶を投げかけられたとき。赤く顔を染めて、俯くユイを見たとき。

 自分の中の、何かが切れた。

 

 ――ああ。もう限界だ。我慢の限界だ。

 

 キレちまったよ。マジで。

 

「……お前らああああああああああーーーーーっ!」

 

 自分でもよくわからないくらいの勢いで、叫んでいた。

 隣のユイがびびった。俺がこんなに叫んでいるのを聞いたことがない街の住民も、やっぱりびびった。みんなびびった。俺もびびった。

 でももう止まらない。止まる気になれない。街中に響きそうな声で言った。

 

「そんなに出したいなら! まず俺に見せてこい! 一人残らずかかってこいッ! 漢の殴り合いだーーーーッ!」

「「うおおおおおおおおおっ!」」

 

 とりあえず適当に叫んでおけ! 後のことなんて知るか!

 ノリの良いありのまま団の皆さんは、もちろん呼応した。

 ハイテンションのマッパメンその1が、襲い掛かる。気を込めた握り拳でもって、一撃の下に叩きのめした。

 次だ!

 続いて、マッパメン2が立派な逸物をひけらかしながら迫り――

 

「アウトーーーーーっ!」

 

 叩き潰した。

 

 マッパメン3……笑顔でスキップしながらやってきた。隠れていない!

 

「アウトだッ!」

 

 破壊!

 続く勢いで、マッパメン4、5……と討ち果たしたが。

 ここでなんと、マッパウィメン1が出現! 詳細は書けないッ!

 

「あ、あうと……」

 

 さすがに怯み、つい手が止まる俺に、漢(女)の魔の手が迫る!

 来る! やばい! 絶体絶命のピンチ!

 かと思いきや、横から風魔法が! 彼女を吹き飛ばした!

 ユイだ!

 

「ユウ、なにやってんの!」

「あー……あのさ。正直、もうやってられないんだよ! 潰してしまおう!」

 

 素直な気持ちを吐露すると。そこは心から同意したのか、ユイは大きく溜息を吐いて。

 

「バカだね、って言いたいところだけど」

 

 ユイは乾いた笑顔で、拳を鳴らした。

 

「乗った。私だって、ストレス溜まってきてたところだったからね」

 

 さすが姉ちゃん! やるぞ。こいつら。

 ただし、ユイ参戦で、野郎どものボルテージは急上昇してしまった。

 メインターゲットも、俺からユイへと明らかに切り替わる。

 このままだと変態の餌食にされるかもしれない。守らないと!

 真剣な気持ちで、身構えていると。ユイはちっちと小さく指を振って、心配ないよと言った。

 

「逆にやり返してあげる」

 

 ユイは、左の掌を上にかざした。

 その先に、おびただしい密度の魔素を収束させていく。濃緑色の光の線が幾重にも生じる。それが束となり、絡み合うようにして、一つの中心へとまとまっていく。

 

《ブラストゥールレイン》

 

 そして、高度に収束した光は、一度に解き放たれた。

 上空へ放たれた光は、やや立ち上ったところで、四方八方、三百六十度。凄まじい広範囲に向かって枝分かれする。分かれた一つ一つが、光の弾と化し、マッパメンたちに一斉に襲い掛かった。

 数が多いだけではない。目に見える範囲ほぼすべてが、正確なターゲットだった。光弾の直撃を受けた変態たちは、なすすべもなくバタバタとくたばっていく。

 たった一度の攻撃で、市民の敵が見るからに減っていた。

 

「すごい……」

「こっそり練習していたの。ラナソールならこのくらいできると思って」

 

《ブラストゥールレイン》か。光の雨を降らせる魔法。

 実際、チート魔力にかまけた恐ろしい力技だ。全盛期の母さんをちらっと思い出した。虫の居所が悪いと、ここまでやるのか。

 ……怒らせないでおこう。うん。

 

 そこから、圧倒的な鎮圧が始まった。

 漢でもキメているのか、やたらヒロイックに襲い掛かってくるありのまま団に対し、俺とユイは的確に処理していって、辺りに討ち果てた気絶者を積み重ねていった。

 それでも数は非常に多かった。主に精神的に参いりかけてきた頃、やっと。やっとのことで、レジンバークも浄化されていた。

 

 そしていつの間にか、目の前には最後の一人――カーニン班長が立ち塞がっていた。

 なんでいるんだ。バックステップの旅に行ってたんじゃないのか?

 それを言う前に、不敵な面構えのグラサン漢は、あくまで決戦に挑むつもりのようだった。

 

「脱ぎな」

「……はい?」

「漢の勝負だ。全力でイクには――脱ぐしかねえよ」

 

 相変わらずよくわからないことを言う人だ。もう絶対聞かないぞ。

 

「オレっちはもう――出したぜ」

 

 わざわざ履き直していたズボンが、破れた。

 黄金のオーラに、黄金に輝くアレがぶら下がっている。とんでもない威光だ。団長にもひけを取らない。

 でもさ。というかね。

 

「……あのさ。ずっと言いたかったんだけど、君は」

「なんだッ! 言ってみろッ!」

 

 ぐっと拳を握りしめて。

 

「アウトだああああーーーーーーーーーーーーっ!」

「ぐぼぉっ!」

 

 怒りの腹パン炸裂。気持ち良くクリーンヒット!

 

「あんた……漢、だぜ……」

 

 カーニンは、倒れた。グラサンは死んでも外さない。

 

 ……勝った。終わった。

 

 もう敵はどこにもいなかった。

 そこかしこに情けなく積み重なった、ありのままの姿の人たちに目を向けて。

 急に冷静になって、何だか色々と虚しくなってきて。

 ぽつりと呟きが漏れた。

 

「……俺たち、何やってんだろうね」

「……さあ」

 

 ユイと揃って、深く溜息を吐く。

 これで依頼は達成……したのかな? むしろひどくしてしまったような。

 ふと頬を、強烈な風が叩いた。

 顔を上げると、入り組んだ街の通りを、傷一つないバックステップ漢が、勝手知ったる顔で軽快に駆け抜けていくところだった。あっと思ったときには、いずこかへ消え去っている。

 やっぱりわからない。

 俺とユイは、顔を見合わせて力なく笑うしかなかった。

 レジンバークは、今日もいつも通り騒がしく、いつも通り理不尽で、謎で、いつも通り平和だった。



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105「ありのまま団とは」

 その日の夜、色んな意味で疲れた俺とユイは、食堂をミティにほとんど任せて、ヤケ酒……は無理なので、ヤケミルクを呷っていた。

 

「お前、随分汚れて帰ってきたけどよ。どこ行ってたんだよ」

「別にどこだっていいでしょう」

 

 向こうのテーブルでは、バックステップの旅から帰ってきていたシルに、置いてけぼりを食らったランドがぶつくさ文句を言っている。

 まあそれは言えないよな。

 

「いいなあ楽しそうで。俺も連れてってくれよなー」

「あんたはやめておいた方がいいわよ」

「えーどうしてだよ。そんなホクホク顔してるお前、久しぶりに見たぜ」

 

 見るからに養分補給したような顔をしているのに、本人は気付いていなかったらしい。動揺して、引きつった笑顔を貼り付けていた。

 

「そ、そうかしらね。でも、どうしてもダメよ」

「マジかあ。気になるなあ。本当にダメか?」

「ダメよ」

「そこを何とか!」

「ダメなものはダメ!」

 

 女々しく縋るランドにおっぱらおうとするシルという構図で、仲良く痴話喧嘩をしているので、ユイと楽しく見守っていた。

 

 すると、突然入口のドアがぶっ壊れるほどの勢いで開け放たれた。

 

「ホシミ ユウ! ホシミ ユウはおらんか!」

 

 上は剥き出しのスタイルに、昼間の悪夢が蘇る。

 輝く鋼の肉体美。なんと団長だ! 団長がうちにまで乗り込んできた!

 さすがに下は履いているみたいだけど……。

 

「ホシミ ユウはおらんのか!」

 

 というか、ユウ ホシミじゃなくてホシミ ユウときたか。それは、向こうで名乗った方の名前じゃないか。

 返事をする暇もなく、団長――ゴルダーウ・アークスペインは、俺の姿を認めると、髭面の怖い笑顔で――

 

「そこにおったか!」

 

 超Sランクの豪速で駆け寄り、あっと思うまでには、肩をむんずと掴まれて、担がれていた。

 

「うわあっ!」

 

 油断していたとは言っても、速い。あまりの早業だ。

 悪意があったらもっと前にわかるから、悪意はないみたいだけど。

 とはいえ持ち上げられたままというのは気分が悪いので、もがいてみるけど、外れない。ものすごい力だ。

 相手が弱かったら簡単に外せるのに、これは。レオンと同じで、頭の抜けた強さを持っているようだ。

 格下でないとなれば、体格差や持ち上げられてしまっている状況は大きい。

 もしかして、逃げられない? 詰んでるのか?

 いや、まだ気力技を使ってショックを与えるとか、やりようはあるけれど……。そこまでしなくてもいいような気はした。

 

「ユウ!」

「大ボス!?」

 

 俺のことが心配なユイと、突然の来襲に驚いたシルが同時に声を上げた。

 

「おい、大ボスって! 団長じゃないか! シルお前、ありのまま団長と知り合いなのか!?」

「いや、あのね。これは!」

 

 浮気現場が発覚したようにきょどっているシルを指さして、耳元でやかましい声が響く。

 

「ついでに――シルヴィア、お前もだ!」

「はい!?」

 

 やはり、ただのSランクでは到底捉えられない速度で、上裸の漢は淑女に押し迫る。

 

「きゃあああああっ!」

 

 抵抗する間もなく、彼女もリフトされた。

 俺とシルヴィア、両肩に樽のように担がれていた。

 半分諦めている俺に対して、彼女は必死だった。懸命に手足をバタバタさせているが、漢はびくともしない。

 

「では諸君! さらばだ!」

「待って! ユウとシルをどこへ連れていく気なの!?」

「いざ、我が城へ! イクぞおーーーッ! がっはっはっはっは!」

 

 こうして、俺とシルは見事に拉致されてしまった。

 

 

 団長がレジンバークの街を駆けたのは、ほんの数十秒程度だった。何しろすごい速さだ。

 その間に心配性のユイから、すぐに心通信が飛んできた。

 

『大丈夫!?』

『一応大丈夫……みたい』

『待ってて。すぐ追いかけるから!』

『別に焦らなくてもいいよ。どうも危害を加えるつもりはないみたいだし』

 

 あるならとっくにやってるだろうからな。

 

『話を聞いてから帰るよ』

『……そう。わかった。何かあったときは飛び込めるようにしておくから、気を付けてね』

『うん』

 

 この会話が終わる頃には、もうありのまま団本部が近くなっているようだった。担がれているからあまりよくわからないけど。

 

「破ァッ!」

 

 団長が気合を入れると、全身に黄金色のオーラが纏う。俺とシルもプロテクトされていた。そのまま、豪快に窓を割って突入し(自分のアジトなのにいいのか?)、着地と同時に投げ捨てられた。ひどい。

 とりあえず起き上がると、挨拶のときと同じように、団長は仁王立ちしていた。

 

「さて! ギャラリーはおらんが! 本日の最終イベント! 漢の話し合いといこうではないか!」

 

 なるほど。やっぱりただ話がしたいだけだったみたいだ。

 色々言ってやりたいことはあるんだけど、シルも連れてきたということは、トレヴァークに関係のある話なのかもしれない。少し気を引き締める。

 

「まず、ホシミ ユウよ。今日は漢祭を盛り上げてくれてありがとう!」

「いえ。ただ暴れただけですが」

「結構結構。実に爽快だったな! うちの団員どもがバッタバッタと! みんな良い汗がかけたと言っておったわ!」

「あはは……」

 

 まあみんな楽しめたならよしとするか。住民への被害もほどほどで済んだし。

 団長は俺に向かってにやりと笑うと、今度はシルへと視線を向けた。

 

「シルヴィア。いや、シズハよ。おぬしもこちらでは楽しくやっておるようだな!」

「大ボス……」

 

 シルは色々と思うところがあるのか、言葉に詰まって出て来ないようだった。

 

「小さい頃はよく修行を付けてやったものだが。今も欠かさずやっておるのか? 飯はちゃんと食っておるのか?」

「はい。それは、もう」

「ん、その顔。修行はともかく、日頃きちんとしたものを食っておらんな?」

「うっ……!」

 

 図星を突かれたシルは、身じろいだ。

 

「いかんぞ。健康な食事こそ仕事の基本! ついでに美の基本だ! せっかくワシ好みの美人なのに、不健康では台無しになってしまうぞ!」

「は。申し訳ありません!」

 

 さすがのシルも団長、いや、大ボスの前では形無しのようだった。

 しかし、彼女も黙ってはいない。元より心配していたのだろう。気遣う言葉が出てきた。

 

「それより、大ボスの方こそどうなんですか?」

「ワシか。ワシはこの通り、ピンピンしておるぞ!」

 

 立派な上裸の胸を張る。

 確かにラナソールでは元気そのものだろう。でもシルが言っているのは。

 

「ホシミ ユウよ。おぬし、顔に考えが出やすいようだな」

 

 一転、真面目な顔になって彼は言った。

 

「わかっておる。夢想病だろう?」

「気付いていたんですか?」

「うむ。最初から自覚があったわけではないがな」

 

 そして彼は、語り始めた。自らが夢想の世界に墜ち、ありのまま団を率いることになった経緯を。

 

「当時のワシもな。夢想病をどうにかせんと調査しておった」

 

 俺やシルバリオが本格的に始めるより前に、彼も何とかしようと動いていたわけだ。

 

「患者どもを調べるうちに気付いた。原因は彼らが見るという不思議な夢にあるかもしれんと」

「そこまでは辿り着いていたんですね」

「うむ。ワシもよく夢を見る方でな。まさにこの世界の夢だ」

 

 ちらりとシルの方を見た。彼女は真剣に耳を傾けている。

 

「夢の中で、何か手がかりがないかと人知れず調べた。おそらくは、深く入り込み過ぎたのだろうな」

 

 彼は何かを思い返すように頷き、続けた。

 

「気が付くと、ワシは裸だった」

 

 言葉面だけ取り出すと中々すごい台詞が飛び込んできた。けれど、本人はいたってシリアスだ。

 

「現実逃避ではなかったんですね!?」

 

 シルが、心なしか嬉しそうに言った。彼女自身、夢想病発病は現実逃避が原因かもしれないと言っていたが。あの大ボスが現実から逃げるとは思えないとも考えていたのだろう。

 実際彼自身を見て、俺もそう思った。この人は強い人だ。

 

「うむ。色々なケースから、それが最大の要因ではあるようだが、理由にはよらん。深く入り込み過ぎると戻れなくなるらしい」

「ですが、もう大丈夫です。ここに救いの手があります! 彼なら治せます!」

 

 シルが俺を指す。

 確かに、二つの身体は揃っている。後は彼が拒みさえしなければ、夢想の世界から救い出すことはできるけど。

 しかし、ゴルダーウは静かに首を横に振った。

 

「結構。ワシにはこの世界ですべきことがある」

「どうしてですか! 確かにありのまま団は尊いですけど! でもエインアークスのみんな、寂しがってますよ! 私だって!」

「重々わかっておるとも! わかっておるともさ!」

 

 漢は痛切な表情で声を張り上げた。大きく息を吐いて、そして今度は落ち着いて話した。

 

「倅どもには本当にすまんが、今しばらくは我慢してもらうことになろう」

「理由を聞かせてもらってもいいですか」

 

 現実の世界を投げ打ってでもしたいこととはなんだろうか。ありのまま団にあるのだろうか。俺にはまだわからなかった。

 彼は頷き、口を開いた。

 

「ラナソールは、入り込めば入り込むほどに力が増すようになっている」

 

 そうか。たとえ向こうの世界で力がなくても、その人の夢想する力が強ければ、ラナソールでは立派な力が持てる。

 夢想病患者は、ある意味で最大限に入り込んだ状態だ。自覚しているならなおさら強い。レオンにも匹敵するかもしれない力を持つのは納得だった。

 しかし、治ってしまえば入り込み度は著しく減るだろう。

 この状態を解除されるのは、不都合があると。

 

「今はこの漲る漢の力で、ありのまま団を支えたいのだ」

「確かにありのまま団は素敵ですけど、そこまでする価値があるんですか?」

「あるのだ!」

 

 ありのまま団の素晴らしさを強調しつつも、あくまで納得のいかないシルヴィアに対し、彼はきっぱりと言い切った。

 そして彼は、俺に向かって尋ねてきた。

 

「時にホシミ ユウよ」

「はい」

「日頃ありのまま団の連中を見て、今日参加してみて、どう感じた?」

 

 そうだな。みんなどこまでも自由で。好き勝手で。わけがわからなくて。そして。

 

「楽しそうだっただろう?」

「ええ。それはもう」

 

 心から頷いた。

 ああ、そうか。

 そのとき、彼の意図がようやくわかった気がした。

 彼は愉快そのものに笑って、続ける。

 

「あいつらどもはな。うちの連中も多いが。大半が、現実世界で大きなストレスを抱えた者たちなのだ」

「まさか……大ボス。あなたは!」

 

 同じ結論に至ったシルが、神妙な面持ちになっていた。

 俺は確認も兼ねて、辿り着いた結論をぶつけてみた。

 

「ありのままになってストレスを発散してもらうこと。それ自体が活動目的だったというわけですか」

「そうだ! ありのまま団とは! ただありのままのためにありッ!」

 

 演説ばりの大声で、漢は一本指を高く突き上げた。ノリなのか、黄金のオーラまでバリバリに纏っている。

 

「夢想の世界と現実世界は深く繋がっておる。こちらで活力を得れば、彼らは現実を生きられる。新たな発症を食い止めることができるかもしれん!」

 

 そうだったのか。

 ありのまま団は裸になって好き勝手暴れて、何がしたいんだろうと正直ずっと思っていた。

 着眼点が間違っていた。本当にありのままであることが存在理由だった。何もしなくてもよかったんだ。ただみんなが楽しくいられれば、それで。

 彼は、ゴルダーウは、一人真実の一端を知り、ずっと戦っていたのだ。彼なりのやり方で。

 俺は昼間のことも忘れて、敬意の念を抱いていた。

 そして、シルバリオも、シルヴィアも、なぜあんなに大ボスを惜しんでいるのか、理由がよくわかった。

 立派な方だ。頼もしい方だ。

 

「これが今のワシの戦いよ!」

「大ボス……!」

 

 真実を知ったシルは、感激しているようだった。

 

「シルヴィアよ! これからも信者として活躍してくれたまえ!」

「ええ! ビバ! ありのまま団!」

「「ビバ! ありのまま団!」」

 

 ともあれ、丸く収まったようだ。俺としても事情がわかって、今日すっごく疲れたけど、その分も報われた気がした。

 すると、二人は仲良くハイタッチを済ませて、それから団長は再び俺に向き合った。今度は申し訳なさそうな顔をしていた。

 

「それから、ホシミ ユウよ。すまんかったなあ、倅が迷惑をかけた」

 

 シルが捕まった件と、エインアークス襲撃事件のことを言っているのだろう。襲撃したのは俺の方だけど。

 

「いえ。終わったことですから。今は協力してもらってますし。でも、どうしてあなたがそれを?」

「倅の奴が、枕の前に報告に来てなあ。大体すべて聞かせてもらったよ」

 

 少しの間目を瞑り、何かを懐かしそうに思い返しているようだった。

 

「あやつは、昔から真面目過ぎる奴なのだ。長たるもの、多少は遊びもなければならんと、いつか潰れてしまうぞと、口を酸っぱくしておったのだが」

 

 確かに、組織のボスとして簡単に頭は下げられないと虚勢を張る様は、もどかしかったし、哀れなものでもあった。ゴルダーウは、前から危惧していたのだろう。

 

「やってきたのがおぬしでよかった。幸運だったな、倅は」

「そう、ですかね」

「ああ。あやつは今、色々なものを抱えておるからな。そういう意味でも幸運だった」

 

 彼は俺の目をじっと見つめて、深々と頭を下げてきた。

 頭を下げる姿がシルバリオと重なった。やっぱり親子だな、と思った。

 

「頼む。ワシからの依頼だ。どうか一つ、倅の手助けになってやってはくれんか?」

「わかりました。力になりましょう」

 

 夢想病解決に力を尽くす限りは、シルバリオに協力しよう。そう改めて決意する。

 

「ところで、ボスは?」

 

 話がまとまったところで、シルの疑問が飛び出した。

 

「どうしたシルヴィアよ」

「大ボスが団長なら、ボスはもしかして副団長だったりするんでしょうか?」

 

 そう言えば、こっちのシルバリオはまだ見たことないんだよな。俺も興味がある。

 すると団長は、ばつの悪い顔で頭をぽりぽりと掻いて、仕方なさそうに笑った。

 

「こっちの倅はなあ。肌が合わん、意味わからんと言って、冒険に出ていきおった」

「えー。ちょっと信じられませんね」

 

 シルが強い口調で非難する。団長も頷いて、うーんと首を捻った。

 

「いい年して、反抗期かなあ?」

「それが正常な反応だよ!」

 

 全力でシルバリオに同意して、思い切り突っ込んでしまった。

 オチが付いたところで、三人で大笑いして、それからしばらくの間、談笑したのだった。



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106「家族に会いたくて 1」

 トレヴァークで夢想病に関する情報集めや患者支援をしつつ、ラナソールで依頼をこなしていたある日のことだ。

 一人の少女が、依頼のために『アセッド』を訪ねてきた。わざわざ遠くナサドから、評判を聞いてやって来てくれたそうだ。

 生産都市ナサドは、エディン大橋を渡り、さらに内部を進んだ遥か南方にある。魔法工業が盛んで、日用品から冒険者用製品、車まで様々なものが生産されているところだ。

 話を少女に戻すと、彼女――ニザリーの相談内容は、とても切実なものだった。

 

「いなくなった両親を探して欲しいと」

「はい」

 

 元々ニザリーは雑貨屋を営む両親の元でごく普通の暮らしをしていたが、ある日目を覚ますと、両親は書き置きも残さずに忽然と姿を消してしまったのだという。

 

「それが本当だとすると、ひどいことをしたものだね」

 

 ユイが、やや憤りの混じった反応を見せた。

 俺もユイも、両親のいない悲しみは身をもって知っている。目の前のこの子に対して、深い同情の気持ちを抱かずにはいられなかった。

 

「きっと何か、仕方ない事情があったんだと思います……。パパもママも、私をよく愛してくれていましたから」

「捨てられたというのは考えにくいと」

「はい……。そう思いたいです」

 

 そうだよな。俺もそう思いたい。

 当時十歳だった彼女は、悲しみのあまり涙が枯れるほど泣いた。またこれから一人でどう生きていくのか困り果てていたが、雑貨屋の周りの商店街の人たちが助けてくれたおかげで何とか生活していくことができたという。

 生活が落ち着いてから、足の伸ばせる範囲で両親探しを始めたものの、手掛かりとなるものさえ何一つ見つけることができなかった。

 そのまま六年が経ち、両親が置き捨てていった雑貨屋を継いで独り立ちした今でも、探しているということだった。

 

「お父さんとお母さんに会えたら、どうしたい?」

 

 ユイが優しげに目を細めて、ニザリーに尋ねる。

 お客さんという手前がなければ、頭を撫でにいっても不思議ではないくらいの様子だった。

 

「できたらもう一度、一緒に暮らしたいです。無理でも、私は大丈夫だよ、元気にやってるよって」

「そうだよね。伝えたいよね」

「はい。会いたいです」

「なるほど。事情はよくわかったよ」

「ありがとうございます。でも、何の手がかりもないですし、とても難しい依頼だということはわかっています」

 

 彼女は財布から札を十枚取り出して、机の上に差し出した。

 

「依頼料として、前金に千ジット。もしパパとママを見つけて下さったなら、一万ジットを。お店を切り盛りしながら、こつこつ貯めたお金です。どうかよろしくお願いします」

 

 ぜひ何とかしてあげたい。

 無償で引き受けてもいいくらいの気分だったが、ここで報酬を断るのは、依頼料をきちんと払ってくれた他の人たちに対して誠実ではない。

 

「わかりました。精一杯探してみましょう」

 

 気持ちと思って、前金を丁重に頂くことにした。

 

「ところで、失礼かもしれませんけど。ユウさんとユイさんを見たとき、驚きました」

 

 ニザリーはふふっと微笑んだ。

 

「こんな私と変わらないくらいなのに、あんなに有名なんですね」

「ああ……。よく言われるんだけどね」

 

 実は26歳なんだと、本当の年齢を告げると、改めてびっくりされた。お約束の流れだった。

 

 ニザリーから、彼女の知る限りの情報を聞き出した。何が手掛かりになるのかわからないし、知っていることは多いに越したことはない。

 ただ、聞けば聞くほど捜索は難しいミッションに思えた。

 彼女に姓はなく、ただのニザリーである。よって、姓から絞り込むことはできない。両親は冒険者でも何でもない一般人であることだし、砂漠から一粒の砂を探し出すようなものだ。

 念のため、手を貸してもらって繋いでみたが、残念ながら、トレヴァークにおける対応人物と面識はないようで、繋がりは感じられなかった。

 だけど……。そのとき、違和感を覚えた。

 向こうと繋がっていないからなのか、わからないけど。

 不思議な感触だった。

 どうも冷たい、淀んでいる感じがするんだ。元々川だったのが、流れの止まってしまった水溜まりに手を突っ込んだような。

 もう少し踏み込むことはできないだろうか。何かわかるかもしれない。

 

「ニザリー。君に頼みがあるんだ」

「なんでしょう」

「何でもいいんだけど、身の回りの色んなことをなるべくたくさん思い浮かべてみて欲しい。そして一緒に、それを俺に伝えようと念じてくれないか」

「よくわからないですけど……わかりました。やってみます」

 

 協力的でよかった。『心の世界』の力は、相手が嫌がると力を発揮しにくいからね。

 俺も彼女の記憶を読み取ろうと集中する。

 まだ知り合って時間もないため、いくら彼女が協力してくれたところで、接続度は低いものだったが。それでも彼女の思い浮かべたことの一部が、フラッシュのように浮かんでは消えていく。

 そのほとんどが、生産都市ナサドの日常風景だ。わずかに混じって、まだ一緒に過ごしていた頃の、彼女の両親の顔も知ることができた。

 彼女には頑張ってもらい、十五分ほど真剣に念じてもらった。

 礼を言って、それからこの店の二階に空き部屋があるので、しばらくそこを滞在場所に使っても良いことを告げた。彼女は助かりますと礼を返して、大荷物を抱えて二階へ上がっていった。

 それを見届けてから、ユイとともに得た記憶の解析作業に移る。完全記憶があるので、こういった作業もお手のものだ。

 一つ一つの断片をつぶさに見ていく。

 ある一つの瞬間で、俺の手が止まった。

 

『ユイ。見てみて。これ』

『なになに。これは――』

 

 一見すると何でもない風景なのだが、そいつだけは、周りの――ナサドの風景にしては、殺風景だった。おそらくナサドではない。

 

『旅行に行ったときの記憶とか?』

『調べてみよう。ラナソールの記憶と――トレヴァークの旅行本から、類似する風景を検索』

 

 日頃依頼をこなす中で見た光景、また以前大量に「仕入れた」本の記憶から、一致率の高い場所を検索する。

『心の世界』の検索機能は極めて優秀で、望みのものをすぐに探し当てることができた。

 

『あったぞ。旧工業都市マハドラ。一致率99%だ』

『なるほど。トレヴァーク世界地図だと……ラナソール世界地図ではちょうどナサドのある辺りに位置しているね』

『つまり現実世界の彼女は、マハドラで暮らしている可能性があるな』

 

 まだ行ったことがあるだけで暮らしているわけではないという可能性はある。だが行ったことがあるという事実だけでも、はじめの取っ掛かりにはなりそうだった。

「二つの身体」が暮らす位置関係の一致については、まったく関係がないとは言えないけれど、偶然だろう。事実、レジンバークとトリグラーブは対応する位置関係にない(レジンバークの位置に対応するトレヴァークの都市はアロステップである)が、リクとランドという身近な反例がある。

 

『でも向こうの世界のことが記憶に出てくるなんてね』

『おそらく――夢に見たんじゃないかな』

 

 二つの世界は互いに夢を見合っている。ニザリーにとっての夢想の世界は、トレヴァークなのだ。

 

『まずはマハドラから手を付けてみることにしようか』

『そうだね』

 

 ナサドで暮らす彼女が数年探っても手掛かりがないのなら、こちら側で今さら自分が何かを見つけるのは難しそうだ。

 ならば、別方向からのアプローチ。トレヴァーク側から探ってみることにする。

 結論が出たところで、『心の世界』での検討を打ち切る。膨大な記憶を探ると、さすがに少し疲れるかな。

 

「とりあえず向こうへ行くために、ランドかシルを呼ばないといけないけど」

 

 例によってあの二人はよく冒険に出ているので、今はどこにいるかわからない。

 急ぎの依頼ではないから、待っているという選択肢もなくはないけれど。せっかくはるばる遠くから真剣に依頼しに来ているのに、ベストを尽くさないのは忍びない。

 さて、どうしようか。何か良い方法があればいいんだけど。

 

「…………」

「…………」

 

 俺とユイは、互いに見つめ合い。

 

 固く抱き締め合った。

 

「俺、やっぱり君のことが好きなんだ」

「ユウ……ダメだよ。自分同士でなんて。それにこんなところ、人に見られたら……」

「いけないってわかってる。でも、もう抑え切れないんだ。この気持ち」

「私も、私だって……。そんなこと言われたら、断るなんてできないよ……」

「一つになろう。ユイ」

「うん……。いっこに、なろう」

「好きだよ。ユイ、愛してる」

「私もだよ。ユウ、愛してる」

 

 

 ゴンガッチャッアッ!

 

 

 これまでで圧倒的に一番の勢いで、激しいノックの瞬間にドアが開かれた。

 

 俺もユイも、目を真っ赤に血走らせ、肩で大きく息を切らす彼女を見て、思わず吹き出してしまった。

 思い付きでやってみたけど、まさかこんなにあっさり上手くいくとは。

 

「やあシル。よく来てくれたね」

 

 シルヴィアホイホイ作戦、成功。



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107「家族に会いたくて 2」

〔ラナソール → トレヴァーク〕

 

 シルを通じて、『心の世界』によく似た薄暗いところを通ってくると、やがて視界が開けた。

 よし。着いたみたいだな――あれ?

 おかしい。地面の感覚がない。

 どういうことだ。

 周囲の光景は――何のことはない。ただの道路で。

 横に目をやれば、シズハがぎょっとした目でこちらを見ている。入浴中に出くわした際のような怒りなどは一切なく、本当にただ驚いているようだ。

 ほとんど同時に、目に映ったものがあった。

 彼女はバイクに乗っている。

 なるほど。つまり彼女の近くに出てきた俺は、走るバイクのすぐ隣、何もない宙に浮いていると……。

 え、マジで!?

 事実を把握したとき、既に俺の身体は落下を始め、時速100kmの勢いで道路へ投げ出されようとしていた。

 

 やばい! 死ぬ! 防御しないと死ぬ!

 

 もはや一刻の猶予もなかった。無我夢中で《マインドバースト》までかけて、全力で受け身の姿勢に入る。

 直後、アスファルトにぶつかる。衝撃が走った。視界がぐるぐる回る。

 息が詰まる。何度も身体が打ち付けられ、跳ねる感覚があった。

 はたから見れば、「こいつ大丈夫か」ってくらい激しく転がり回っていることだろう。

 でもこれで受け身は上手くいっている。見た目的に派手に吹っ飛んでいるということは、上手くエネルギーを身体に引き受けずに、運動エネルギーとして受け流せている証拠だ。

 不意打ちの事態にびびったが、何とか身を守れそうだ。

 内心ほっとしたのもつかの間。

 一難去ってまた一難。どうやらいつの間にか、対向車線まで弾き出されていたらしい。

 うわ。ちょっと。待って!

 トラックだ! トラックが目の前に迫っている!

 

「うわああああっ!」

 

《ディートレス》!

 

 咄嗟に発動したリルナのバリアが、辛うじて俺を守ってくれた。

 直接、正面衝突。

 バリアが衝突による肉体へのダメージを防いだ。和らいだ衝撃を受け、バリアごとピンボールのように弾かれて、俺は盛大に吹っ飛んでいった。

 また何度かバウンドし、やっと俺の身体は止まってくれたのだった。

 身体のあちこちが痛い。いきなりこんなのって馬鹿みたいだ。泣きそうだ。

 とても動く気になれないでいると、そのうちシズハが心配した顔で、そろりそろりと近寄ってきた。

 

「だいじょぶ……か……?」

「し、死ぬかと思った……」

 

 目の端に涙が浮かんでしまったのは、かっこ悪いけど仕方ないだろう。仕方ないよね?

 情けないながら、シズハに抱え起こされて、肩を支えてもらう。気力による治療を自身に施すと、やっと一息つけた。

 さすがに何もないというわけにはいかなかった。警察もやってきて、適当に事故処理を済ませた。バイクからの落下事故ということにした。

 おかげで早く行こうと思っていたのに、無駄にその日を潰してしまったよ。付き合わせてしまったシズハと、ニザリーには申し訳ない。

 

 夜は、シズハの隠れ家にお世話になった。

 慰めなのか、温かいトゥカーを振舞ってくれたシズハさんは、やや同情的な反応だった。

 

「お前。本当に、出る場所……選べないんだな」

「まさかね。走っているバイクの隣にも容赦なく出て来るとは思わなかったよ」

 

 今まで知らなかったけど、危険な事実だ。

 最悪、誰かに攻撃されてる途中に出てきたら、いきなりそいつの攻撃くらうってことじゃないか。今度からこっち来るときは警戒しておかないといけないな。

 それにしても、よく咄嗟に身を守れたものだ。戦闘経験が生きたな。

 人の心を読める【神の器】は不意打ちには滅法強いけど、あくまで人の悪意による攻撃に対してであって、悪意のない不意打ちに対してはまったく万能じゃないんだよな。

 今回のことでまた思い知ったよ。やはりいかにチート能力と言っても、頼りきりでは足元を掬われる。ちゃんと自分の目で見て、感じたものも使って判断しなければ。

 

 翌日。シズハは別件の仕事があるため、一人で行動することになった。

 旧工業都市マハドラは、トリグラーブからは遥か遠く、ラナリア大陸の南方に位置する。海を渡る必要があった。普通に『世界の道』トレヴィス=ラグノーディスを辿って行けば、数日では済まない時間がかかってしまうだろう。

 というのも、トレヴァークにおいては実用的な空路が存在しない。基本的に自動車やバイク、そして船の類が最速の移動手段になるからだ。

 実はトレヴァークでは、トレヴィス大陸を取り囲むグレートバリアウォールが世界全体の気流を乱しており、上空の気流が非常に「暴力的」になっている。そのため、航空技術があまり発展しなかったという歴史的経緯があった。

 ラナソールには、シュル―という空に浮く乗り物が普通に存在するけど、飛行機は存在しない。

 考えてもみよう。金属の翼が空を飛ぶと、それを知らない世界に住む者が簡単に思い付くだろうか。

 想像の付かないものは、存在できないということだ。

 一応、空を飛ぶ手段もあるにはあって、でもせいぜいが「暴力的な」上空を避けてゆったりと飛ぶ気球船くらいだった。もちろんかなり遅い。

 なので、もっぱら交通は陸路か海路になるというわけだ。

 とまあここまでが一般的な世界事情だけど、俺には素晴らしいマシンがある。

『心の世界』より取り出したるは、最近殊勲賞のディース=クライツだ。

 今回はフライトモードの出番である。かなりエネルギーを食うけど、既にユイに頼んでフルチャージしてもらっていた。

 人目に付くとまずいので、十分高度をとって飛ぶことにする。

 ブロウシールドのおかげで、飛行は快適だった。マッハを超えたスピードによって、本来は約一カ月もかかるはずの道程は、わずか一日にまで短縮されたのだった。

 とは言っても、丸一日飛びっぱなしだったので、さすがに疲労は溜まる。マハドラに着いたら、その日は大人しく宿を取って寝るだけになった。

 これで二日。移動で使ってしまった。

 ベッドに横たわりながら、ユイとのんびり話す。事故の下りはめっちゃ笑われたけど。

 

『毎回移動にかなり時間がかかるのは考えものだよね』

『そうだな……』

 

 ユイの転移魔法のようなものは、この世界にはないからな。どうしても移動は地道になってしまう。そもそも、世界間の移動がリク-ランドやシズ-シル任せというのも不安定だ。二人とも、ラナソールでは居場所が不安定な冒険者だからね。

 何か上手い方法はないものか――そうだ。

 考えているうちに、良さそうなアイディアが浮かんだ。

 

『一つ考えたんだけど』

『うん』

『リク-ランドやシズ-シルみたいにさ。二つの世界の対応人物がわかっている人たちを増やして、地道に仲を深めていけば』

『あ、なるほどね。言い方悪いけど、ショートカットがたくさん作れるってわけ』

『そういうこと』

 

 例えばマハドラに行きたい場合は、リク-ランドやシズ-シルを経由して、トリグラーブから直接マハドラに向かうのは効率が悪いのでやめる。そうではなく、マハドラに住んでいるトレヴァークの人と仲を深めておいて、その人に対応するラナソールの人から向かうようにする。

 ラナソールでの移動なら、ユイの転移魔法を使えば一瞬で済んでしまう。こちらの世界で頑張って直接移動するより、遥かに効率的だ。

 ただ問題は、そうそう都合よく対応人物を見つけて、しかも仲良くなれるかってことなんだけど。

『心の世界』の向こうで、ユイが苦笑いしていた。

 

『ありのまま団とエインアークスの……「アセッド」の連中がいるね』

『ああ……なんてことだ。思い付かなきゃよかった』

 

 さすがに冗談だけど。

 ……まあ確かに、こっちの世界のお店のスタッフはよく俺のことを慕ってくれているし、あの筋肉どもとは馬鹿みたいな付き合いがある。最近は漢祭りで大暴れして、顔を売ったこともあるし。

 あの中から、いくらかはパスが通じる人が出て来てもおかしくはないのか。しかも調査のために世界中にばらけているから、都合はいいな。都合だけは。

 

『あとはやっぱり地道に依頼で仲を深めていって、って感じだね』

『人を助けて道が繋がるって考えると、とても素敵なアイディアに思えてくるな』

 

 まさに情けは人のためならず。

 分断されていた世界が、人の絆によって網の目のように繋がっていく光景を想像して、ほんのりと嬉しい気持ちになった。

 そのためには、一つ一つ。まずはこの依頼からだ。頑張ろう。

 明日からマハドラの調査に入る。何となく今夜はちょっと良い夢が見られそうな気がした。



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108「家族に会いたくて 3」

 旧工業都市マハドラは、ラナソールの生産都市ナサドと比べると対照的だ。かつて栄光の時代があったものの、残念ながら時代の変化に付いていけず、すっかり寂れてしまっている。日本の元炭鉱の町などを思い浮かべてもらえばわかりやすいだろうか。

 まずは『アセッド』トレヴァーク支部マハドラ店を訪ねる。今や人口も少なくなったこの町に割り当てた人員はそんなに多くはないけれど、数名はいたはずだ。

 お客さんが入る部分は顔が見えやすいようにと、ほとんど各店の1階はガラス張りの壁に、入り口から職員の姿が見える配置にカウンターがある。

 外からぱっと見えるのは、何やら書類に書きものをしている男性だ。店に入ると、彼は俺が誰であるかにすぐ気付いて、ぴしっと起立した。

 

「ホシミさん! 突然のおいでで!」

「君は――ナリ トウマだね」

 

 決起集会のときに見た顔ぶれと名前を記憶から取り出して、言った。

 

「イエッす。ナリであります! 俺なんかを覚えていて下さったなんて光栄です!」

 

 うん。若いし、男前で威勢の良い人だな。

 

「トウマって呼ばせてもらうよ。君もユウか、呼び捨てしにくいならさん付けでいい。一応立場上は上司と部下ってことになるんだろうけど、全然気にしてないから、構えないでいいからね」

「はっ! ではユウさんと呼ばせて頂きます」

 

 若手に対する教育はそれなりにされているのか、中々元気が良くて生真面目に返事してくれる人が多いんだよね。硬いのは苦手だけど、結構なことだ。

 

「じゃあトウマ。早速で悪いけど、町民の戸籍データと、ついでに夢想病の患者一覧を確認しておきたい。持ってきてもらえるかな」

「わかりました。少々お待ちを」

 

 どうもエインアークスは役所の中にも人員を送り込んでいるらしく、絶対に違法だと思うんだけど、町民の戸籍データを保有している。

 なるほど戸籍データやら諸々に精通しているからこそ、偽の身分証なんかも簡単に作成してしまえるわけだ。この手の広さ、敵に回し続けなくてよかったと心から思う。選択次第では、あそこのトウマも敵だったかもしれないからね。

 

「お持ちしました。どうぞ!」

「ありがとう」

 

 持ち前の完全記憶能力を駆使して、リストからニザリーに関係のありそうな意味であやしい人物にぱっぱとチェックを付けていく。

 ただしチェックに際しては、注意が必要だ。ラナソールとトレヴァークで、対応する二人の人物は姿形も違えば、年齢が一緒とも限らない。

 

 幸運にも二つの世界で対応が確認が取れたケースで、以前こんなことがあった。

 ラナソールで若い夫婦が訪ねてきて、「思い出の場所に行きたい」と言う。依頼自体の難易度はそんなに高くなくて、ただ道中は魔獣がうろうろするようになっていたので、一般人にはきつそうだった。なのでしっかりと護衛させてもらった。その場所に着くと、しきりに「ありがとう」と言って涙を流すので、なぜかと疑問に思った。

 気になって調べてみると、思い出の場所はトレヴァークでもよく知られた名所とほとんど一緒だった。ただし、三十年ほど前に老朽化で取り壊されていた。

 俺が跡地に行ったとき、たまたま老夫婦と出くわした。聞くと「もうないのはわかっているけれど、懐かしさにふらっと来てみたくなった」のだと言う。

 そう。実は二人こそが、ラナソールの若夫婦だったのだ。

 

 この他にもいくつか確認の取れたケースがあり、二つの世界でほとんど容姿や性格が変わらなかったり、逆に面白いように正反対だったりするのだけど。

 やっぱり根は同じ者同士何かしら共通点があって、そこを取っ掛かりにして探していくとまだ見つけやすいというのが経験則だ。

 と言っても、ごく限られた情報から個人特定するわけなので、よほど幸運でないと見つけることはできない。

 今回はと言うと……どうやら幸運なケースのようだ。

 まず人口が少ないこと。そして、ニザリーが言っていた商店街に対応するところも見つけた。

 手ごたえを感じた。これは当たりの線なんじゃないだろうか。

 住民リストに一通り目を通してから、夢想病患者リストに移る。

 目についたのは、その数の多さだ。

 

「人口に対して、随分と夢想病患者の数が多いな」

「はい。全世界平均の十倍はあります。何か理由があるんでしょうかね」

 

 おそらく理由は、寂れてしまったことと無縁ではないだろう。

 

「……よし。今、赤い丸を付けた152名。もう少し詳しく身辺を当たってみてくれないか」

「へ? もう見終わったんですか……?」

「うん。お願いします」

「さすが仕事が速いですね! わかりました! すぐに行ってまいります!」

 

 トウマはカバンとリストを携えて、勢いよく飛び出していった。

 さて。俺も商店街へ聞き込みに行ってみよう。

 

 まず俺を歓迎してくれたのは、「○○商店街へようこそ!」の錆び付いた看板だった。○○の部分はかすれていて、はっきりとは読めない。

 まだ昼間だというのに閉まりきったシャッターが目立つ。こんなところで日本の寂れた田舎町のような光景を見ることになるとは思わなかった。

 過疎化が甚だしいのか、外を出歩いている人もまばらで、高齢者の姿が多いように思えた。

 観光者だと思われたのか、俺自身の子供らしい容姿が警戒心を抱かせないのか、大抵の人からは気前よく話を聞き出すことができた。

 こちらから尋ねた内容はこうだ。以前雑貨屋を営んでいて、引っ越しするか何かしていなくなってしまった家庭はないか。

 ニザリーから聞いた内容で、その辺りに現実と共通点があるのではないかと睨んだからだ。

 中々ヒットしなかったが、辛抱強く聞き回っていると、妙齢の女性の方が知っていると答えてくれた。 

 

「あー……ヒジマさんちじゃないかしら。それ」

「ヒジマさん、ですか」

「うちも以前付き合いがあってね。旦那さんも奥さんも人の良い方で、家族ぐるみでよく夕飯を一緒したものよ」

「へえ。そうなんですね。どうして引っ越してしまったんでしょう?」

 

 すると女性の方は寂しい表情を浮かべて、少し言いにくそうに言った。

 

「そうねえ。あそこの娘さん、何年前だかに亡くなってしまってねえ」

 

「えっ……?」



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109「家族に会いたくて 4」

「夢想病で。まだほんの子供だったのにねえ。気の毒なことだわ」

「そう、ですか……」

「あなた……顔色が悪いわよ。大丈夫?」

「いえ……もう少し詳しく話を聞かせて下さい」

 

 彼女が話してくれたところによれば、ヒジマさんの三人一家は雑貨屋を営んでいたが、数年前に一人娘が夢想病を発症。不幸にも彼女の場合進行が早く、わずか数カ月で命を落としてしまったのだという。

 失意の両親は「ここにいると色々思い出して辛いから」と、店を畳んで逃げるように引っ越してしまったそうだ。

 引っ越し先の町は、ドートリコルだと言っていた。

 話を聞いて、ショックで気分が落ち着かなかった。

 亡くなった娘と、ニザリーは関係ないのかもしれない。そうであって欲しい。

 だけど……。

 心に触れたときだ。あのとき感じた冷たい、淀んでいるような感触は……まさか……。

 嫌な予感がする。

 これ以上調べるべきなのか? この先に残酷な真実があるとしたら、余計にニザリーを、彼女を苦しめてしまうだけなのではないか。

 だけど、伝えるかは別として。確かめておきたい。何かの間違いであれば、彼女にとっての希望の芽をこちらで勝手に潰してしまうことになる。

 

『……ユイ。気が進まないけど、ニザリーを呼んできてくれ』

『……確かめるつもりなの?』

『ああ。そのときは君が触れてくれ。君の手を介して、俺が力を使う』

 

 呼んだ彼女にユイが触れたのを確認してから、俺は心の力を使って念じた。

 

『ヒジマ ニコという名前に、聞き覚えはないか?』

 

 直接言葉では聞かない。だが心に働きかける。

 最初こそなしのつぶてだった。だが繰り返し繰り返し問いかけていると、うっすらとイメージが浮かび上がってきた。

 やっぱりと思った。そして後悔した。

 彼女は、ニコだった。

 寂れたマハドラの街並み。雑貨屋と両親の姿。鏡に映った自分の姿。

 ニコの見ていた世界、のはずだ。

 なのにすべてに、もやがかかったようだった。古ぼけたフィルムのように掠れていて、人の顔がわからない。両親が何かを言っているが、まったくわからない。

 映し出される世界は、不完全だった。壊れていた。

 次第に世界は歪んで、ぼやけていく。あらゆるものが色褪せていく。笑っていた両親も、あらゆる人も、彼女に背を向けて、どこかへ行ってしまう。

 追い縋ろうと伸ばした手は、虚しく空を切るばかりで。

 身を裂かれるような寂しさと、怖さに襲われた。

 

 それは、死のイメージだった。

 

 彼女を包む世界は、ゆっくりと閉じていく。やがて何も映らなくなり、虚空に取り残された彼女は、まったく身動きが取れなくなっていた。

 ニコは。彼女は、もうどこへも行けない。何も見えない。わからない。

 暗く、暗く。底のない闇へと落ちていく。

 ニザリーは、また別の向こうにいた。色付いた世界にいた。ラナソールにいた。

 

 彼女は消えていくもう一人の彼女に気付いて、お互い誰かはわからなくて、でも叫んだ――。

 

『きゃっ!』

 

 ユイが手を引く。同時に、俺の手と頭にも鋭い痛みが走った。呻きかけたが、どうにかこらえた。

 よほど深く入り込んでいたらしい。ニザリーの感情に、激しく心が揺さぶられていた。

 恐ろしいという感情に、身が震えていた。涙が出そうだった。

 全身にびっしょりとかいた汗を肌で感じながら、胸が痛くなるほど呼吸を乱しながら、それでも必死に落ち着けようとしつつ、ユイの返事を待つ。

 

『…………』

『……ユイ。大丈夫か?』

『……あのね。断られちゃった。いや……こわいって……嫌な感じがするって』

 

 こんな恐ろしいものを見ることになるなんて、思わなかった。精々が、家族の思い出くらいだろうと。タカをくくっていた。

 夢想病で自由を失うことは。死んでいくことは。こんなにも恐ろしいことなのか。

 

『そうか……。ごめん。辛いことをさせたな。ニザリーに……君にも』

『私はいいの。でも、ニザリーが……』

『慰めてあげてくれ。頼む』

『うん……』

 

 本当なら、やらせた俺がそうするべきだったけど。ラナソールへ戻ってしまえば、すぐこちらへ来られないのがもどかしい。

 ただ……これではっきりした。してしまった。

 ニザリーは確かにラナソールで生きている。けれど、現実世界の――ニコはもう死んでしまっているんだ。

 考えてみれば、モコのモッピーと同じことだった。あの子も、おそらくは……。

 だから、予想できてもよかったことなのに。いざ人の身にも同じことが起こっていると思い知ると、すっかり動揺してしまった。

 容姿や年齢だけではない。生死さえも、夢想の世界は誤魔化してしまう。

 夢想病で亡くなることは、不幸だが珍しい話ではない。彼女のような「死んでしまった」人が、ラナソールにはきっとたくさんいるのだろう。夢想病にかかっている人と同じく、もう「死んでいる」ことさえ気付かずに。

 ますます寒気のする話で。そしてどうしようもなく悲しかった。

 俺たちは、真の意味で依頼を達成することはできない……。

 たとえラナソールで会わせてあげられたとしても、現実世界の家族はもう、二度と会うことはできないのだ。

 家族に会いたいのは、ニザリーだけじゃない。両親も同じだろうに。

 

 ――せめて、夢だけでも。

 

 既に俺を満たしていたのは、悲壮な使命感だった。

 

 ……ドートリコル、だったな。

 

 マハドラからはずっと北。『世界の道』トレヴィス=ラグノーディスで結ばれる都市の一つだ。

 名前はわかった。そこへ行き、ニコの両親を探してみよう。



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110「家族に会いたくて 5」

 そう言えば、トウマに「もういい」と伝えておかないといけないな。

 彼に連絡を入れてから、バイクを『心の世界』から取り出し、一路ドートリコル目指して北へと向かった。

 向かう途中、西側に途方もなく大規模な穴を窺う状態が続いた。

 グレートバリアウォールが世界で最も凸な地形だとするなら、あれは最も凹な地形だろう。まるで世界に開いた巨大な底なし穴だ。

 実際はもちろん底があるけれど、真上から見たところで、深部まで光は届かないため、見通すことはできない。それほどに深い。

 実にラナリア大陸全土の約十五分の一を占める、クレーター様の地形。

 単に『爆心地』と名付けられたその場所は、およそ一万年以上前に成立したものであるらしい。実際のところ、何か爆発的なダメージによってできたということしかわかっていない。中規模の隕石が落下したからだという説が有力で、一部のオカルト好きには、超科学兵器が大地を抉り取った跡だとか何だとか言われている。

 もっとも、ダイラー星系列の存在を知っている自分からすると、超科学兵器という線もあながちなくはないなと思えてしまう。もしやフェバル個人の仕業なのではとまで妄想が進む辺り、だいぶ毒されているのかもしれない。

 実際、ラナソール世界の成立に超常的な何かが絡んでいるのだとすれば――あり得ない話ではないかもな。

 しばらく眺めていると、数時間前に見た死のイメージ――どこまでも深い闇へ落ちて消えていく感覚が、不意に思い起こされた。

 ぞっとした。かぶりを振って、穴から目を逸らす。

 完全記憶能力は便利であるけれど、一度見たものはずっと鮮明な形のまま――忘れることができないというのは……厄介なものだ。

 

 ドートリコルまでは半日の道程だった。途中で日が落ちて、街中いたるところに設置された電球が作り上げる柔らかい街明かりが、唯一、かの町への到着を教えてくれた。

 ドートリコルは景観を大切にする町だと本には書いてあった。街明かり一つとっても、蛍光灯ではなくて伝統的な手法で製造された「ドートリコル式電球」を採用している。条例で定められているそうだ。

 今は暗くてわからないけど、明日になれば、緑葺きの屋根に彩られた建物の数々が迎えてくれることだろう。

 もちろんこの町にもエインアークスの人員は配置してある。『アセッド』の店員には明日から人探しをする旨を伝え、俺は仮眠室を借りてそこで寝泊りすることにした。

 

 翌朝、日が明けてみれば、なるほど見事な緑屋根たちだった。これらもドートリコルの伝統的な手法に基づいて造られたもののようだ。

 屋根だけでなく、壁も薄黄土色の温かみのある色合いがほとんどである。管理を徹底していて、どこを切り取っても素敵な一枚絵になりそうだった。

 そんな景観を求めてか、目に付く観光客も多く、若い人もたくさんいる。露店には土産物が所狭しと並んでいる。時代に取り残されてしまった感のあるマハドラに比べると、別次元のように活気に満ちている。

 街並みだけ見れば、いわゆる古き良きを連想させる味わいなのだけど。

 大きな通りからより小さな通りへと切り込んでいくと、途端に違う一面を覗かせる。

 建物こそ一緒だ。しかし……PC。家電。加工食品。

 売られているものの急に現代チックなところを見せつけられて、舌を巻いた。

 確かに、『世界の道』で結ばれるステイブルグラッドを始めとして、ミューエレザ、聖地ラナ=スティリアなどとも交易路で結ばれ、通商が盛んに行われている。

 考えてみれば、旅行人にとっては観光地であっても、現地人にとっては暮らす場所であるわけで。

 古くて新しい街。それがドートリコルを眺めてみた感想だった。

 伝統と利便性のコントラストが面白い。何もなしに来たなら、存分に観光を満喫したいところだったけど……。

 ただ今は、あまり楽しむ気分にはなれない。ずっとニザリーのことが心のしこりになっていた。

 人探しを続けよう。

 

 過疎化が進んでいるマハドラと比べて、ドートリコルは約三十倍もの人口がある。ヒジマ姓だけでも二千飛んで数百の人数はいて、真面目に探すと捜査は難航を極めそうだった。

 でもここに「約六年前に引っ越しをした」という条件を一つ加えると、ほぼ可能性は絞られる。

 そういうわけで、俺はほとんど真っ直ぐ目的地へと向かうことができた。

 

「ヒジマ商店」と書かれた看板を見つけた。店のラインナップには小物がずらり。こっちでも雑貨屋を営んでいるようだ。

 営業中だった。店の中に入ると、人の良さそうな奥さんが応対してくれた。

 

「いらっしゃいませ。お探しのものは何でしょうか?」

「ちょっと。実は、買い物に来たわけではないんですけど」

「何か、ご用でしょうか」

「ニコというお名前の娘さんは、いらっしゃいませんでしたか」

 

 ニコという名前を告げた途端、奥さんの、母親の顔が明らかに強張った。

 

「確かに……六年前に亡くなった娘です。どうしてあなたが?」

 

 さあどう切り出そうか。下手なことを言うと警戒させてしまって、お話を伺えないからね。

 騙すようで申し訳ないけど、ここは適当に話を作っておこう。

 

「ラナクリムってゲーム、ありますよね。ニコちゃんもやってたと思うんですけど」

「ああ……。うちで仕入れたものを一つ、与えてあげたわ」

 

 おそらくやっているだろうと思った。

 まず子供なら必ず一度はせがむゲームであり、雑貨屋ならばほとんど必ず置いてある。必然、与えることになるだろう。

 そして、ラナクリムにキャラクターを登録している場合、キャラクター名が不自然でなければ、そのままラナソールにおける名前にもなる。ニザリーはそれっぽいと感じていた。

 とっかかりはできたので、ここから攻める。

 

「俺もやってまして、ニコちゃんとはたまにパーティーを組んでたんです」

「一緒にお友達になって、遊んでいたと?」

「はい。それで、ニコちゃんには攻略とか色々助けてもらって、仲良くなって……本名と住んでる場所まで教えてもらったんです」

 

 顔色を伺いながら、慎重に作り話を続ける。今のところ、疑う心の動きは感じられなかった。

 

「いつか遊びに行きたいねって話してて、でも遠いから中々行けなくて。そのうち、急にニコちゃんがゲームに現れなくなって、どうしたんだろうってずっと思ってたんです」

「まあ……。そうだったの」

「まさか亡くなっているなんて思わなくて……。最近、やっとマハドラに行けたんですけど」

「ええ」

「会うの楽しみだったんです。なのに、もうお店がなくなっていて。近くの人に聞いたら、ニコちゃんが死んじゃったって……。引っ越したって。悲しくて、もういてもたってもいられなくて、一生懸命探しました。一言、お悔やみと、お礼が言いたくて」

 

 目を伏せる。ニザリーに関する真実を知ってショックを受けている本当の気持ちを、演技にも乗せていた。

 だからなのか、彼女はすっかり信じ込んで、瞳を潤ませていた。

 

「そう……。坊や。わざわざこんなところまで訪ねてくれてありがとうね。大変だったでしょう?」

 

 こくんと、控えめに頷く。

 心情に働きかけたのが功を奏したのだろう。どうやってこの場所を知り得たのかまでは怪しんでいないようだった。

 そして、このナリであることが役に立った。どう見ても子供にしか見えないからね。本当に騙すようで悪いけど。

 

「さあ、お上がりなさい。ニコに顔を見せてあげて下さい」

「はい。お邪魔します」

 

 上へ上げてもらった。

 リビングには、ニコの笑顔の写真が一枚かけられている。日本と違って遺影や墓はないけれど、この世界にも亡き人を偲ぶ習慣はあるのだ。

 しばらく待っていると、わざわざお店を止めて来てくれたようだった。

 

「主人は仕入れに出かけていて、来られませんけど」

 

 差し出されたお茶を丁重に頂きつつ、色々と話を伺った。

 

「どうして引っ越しを?」

「そうねえ。あの町にいると、色々と思い出してしまってね……」

 

 どうしても気持ちが切り替えられなくて、辛かったということだった。

 人の少ないマハドラでは店の収益が十分に確保できないという事情も重なり、心機一転。一度完全に店を畳み、ここへ引っ越してきたのだそうだ。

 今はまたこちらで雑貨屋を開き直して、聞く限りではそこそこ繁盛していそうだ。

 

「坊やは、歳の割にしっかりした子ね」

「ありがとうございます」

「……もし、ニコが元気で生きていたら、あなたくらいになっていたでしょうね……」

 

 母親は俺を見つめながら、亡き娘の成長した姿を想ったのか、切なげに目を細めていた。

 

「また一緒に遊びたかったです……」

「嬉しいわ。あの子も、こんなに大切に思ってくれる友達がいたのね」

 

 胸が痛い。

 そうじゃないんですと、本当はその娘の依頼で向こうの世界から来たんですと、正直に言ってしまいたくなる。

 でもそれをしたところで、何の理解が得られるだろう。ただ首を傾げられて終わりではないか。

 一つ、気付いてしまったことがある。

 とても悲しい予測で……残念ながら可能性は高いと思う。

 辛くて離れたとは言え、これほど娘を愛している母親だ。夢想の世界においても、捨ててしまったはずはないだろう。

 しかしおそらく現実における死の瞬間、夢想の世界におけるニザリーは、家族との接続が途絶えた。

 死の瞬間、多くの情報がきっと失われた。手を伸ばしても離れていく家族。輪郭がぼやけていて映らない顔。ニザリーの中に残る現実世界の記憶は、もうほとんどかすかで、儚い。

 そして両親の中で、娘はもういないのだという認識になっているとしたら。

 思い出すと辛いとも言っている。夢想の世界に、その心情までもが余計なことに反映されているとしたら。

 現実世界の認識が変われば、夢想の世界にも影響を与える。これまで何度か見てきた。

 

 ――ニコの死をきっかけに、人物関係は再構築された。

 

 ニザリーは「もういないはずの娘」なんだ。夢想の世界に独りぼっち、浮いてしまった存在なんだ。

 両親からすれば、娘はもういないことになっている。もういないのだから、当然近くには置かないだろう。ニザリーの立場から矛盾のないように認識するなら、突然両親が蒸発したようになるしかない。

 ラナソールの両者は、ほとんど赤の他人となっていて。だから今まで出会うことができなかったのではないか。

 どんなに探しても。もういないものを探していたのだから。

 だとしたら。これからも出会えない。形だけ出会っても、互いにそうだとわからない。

 そんな……。なんてことだ。せめて向こうではと思っていたのに。

 こんな夢のない結末なのか。俺は、何もしてあげられないのか……?

 

 拳に力が入った。やるせなく空を振り下ろしていた。もし人の前でなければ、机を叩いていたかもしれない。

 悔しい。無力だ。どうしようもなく。

 それでも口は勝手に言葉を紡ぐ。どこかで無駄かもしれないと思っていても、何かできないかと頭は探し続けている。

 

「もしできるなら……娘さんに会いたいと、思いますか?」

「会いたいわ。もちろんよ。どれほど願ったことか」

 

 母親はまたわずかに目を細めて、溜息をついた。

 

「でもね。亡くなってしまった命は戻らない。絶対にね。それは神様が決めた約束事なの」

 

 俺はこのとき、どんな顔をしていたのだろう。彼女はむしろこちらを心配するように見つめて、優しい声で言った。

 

「坊やも、家族は大切にしてあげてね」

「そう、ですね……」

 

 もっと大切にしてあげたかった。せめて俺が大きくなるまで生きていてくれたら、親孝行の一つもできただろうか。

 長い時間が経っている。母親も、きっと俺も、とっくに心の整理は付いていて、大泣きなどはしないだろう。

 しかし人前で、潤んだ瞳から涙の一滴が零れるのを辛うじて堪えていた。

 家族も。友達も。

 失ってしまった大切な命は、二度と戻らない。

 時折人を偲ぶとき、色んな思い出が呼び起される。幸せだったこと、楽しいことももちろんたくさんある。良いことを思い出せば、懐かしく温かい気持ちになる。

 でもやっぱり、特に不幸な別れ方をしてしまったからかな――大なり小なりの後悔が、同時にすうっと心にのしかかってくるんだ。

 もう少し、何かできなかったかと思ってしまうんだ。

 同じような人を見たとき、何かしてあげられないかと考えてしまうんだ。

 今も。



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111「家族に会いたくて 6」

「ただいま」

 

 感傷的になっていた俺たちの静寂を打ち破る、元気で甲高い子供の声が聞こえてきた。

 たったったっ、と階段を弾むように上る音が聞こえてきて。

 ドアを開けてぱっと笑顔を出したのは、まだほんの小さな子だった。

 

「ただいま。ママ」

「おかえり」

「この子は?」

 

 幼子を見つめる母親の顔にも、ささやかな笑みが戻っていた。

 

「まだ言ってませんでしたね。ニコの妹、マコです」

「マコちゃんですか」

 

 そうか。ニコが亡くなった後にできた妹というわけだ。

 何となく背景も察せた。二人きりでいるのは辛かったんだろう。

 

「この娘は、病気にかからず健やかにあればと、願っているのですが」

「きっと大丈夫ですよ。ニコちゃんも見守っていますから」

「そうね」

 

 大丈夫。ニザリーの依頼があったから会うことができた。

 夢想病で死なせるなんてことは、俺がさせない。かかったとしてもすぐに治してみせる。

 

 マコちゃんはきょとんとした瞳で、お客さんである俺を見つめている。

 人見知りでもされてしまうのかな。

 そんなことを思っていると、彼女はにぱっと天使のような笑顔を見せて、飛び付いてきた。

 

「ユウお兄ちゃん久しぶりっ!」

「ん!?」

 

 どうして俺の名前を知っているんだ!?

 

「あら。マコ、お兄ちゃんを知っているの?」

「うん。いっしょに遊んだことあるよ」

 

 いや。記憶にない。俺がこの子と会うのは初めてだ。

 でも、まさか。そんなことがあるのか?

 

「どうも誰かと勘違いしてるみたいですけど」

「そうですよね。びっくりしたわ」

「べつにかんちがいじゃないもん。ユウお兄ちゃんでしょ?」

 

 じーっとふくれっ面で見上げてくる。ごめんねと言いながら、続けた。

 

「せっかく懐いてくれてるみたいなので、少し遊んであげても構いませんか?」

「ええ。お願いします。マコも喜ぶわ」

「わー! お兄ちゃんまた遊んでくれるの? マコのおへやいこっ! ね、いこ!」

 

 元気いっぱいのマコに引っ張られて、ぬいぐるみやおもちゃでいっぱいの可愛らしい空気に満ちた彼女のお部屋へと案内された。

 与えられた物だけを見ても、よほど愛されているのが伺える。ニコがいない分の愛情を注がれて育ってきたのだろう。

 

「ねえユウお兄ちゃん。なにして遊ぼうか?」

「ちょっと、いいかな」

 

 かがみこんで、彼女の小さな手を握る。彼女はきょとんとしたまま、俺を拒むことはしなかった。

 幼子には警戒心というものが少ない。心も繋ぎやすいはず。しかもなぜか俺には懐いているから、なおのことだ。これで何かわかってくれれば。

 予想通り、マコの心は開かれていた。

 

 ……そうか。そうだったのか。

 

 わかったぞ。

 

 俺は、実はもうこの家族とは出会っていたんだ。何気ない形で。

 

『アセッド』が軌道に乗り始めた頃だ。レジンバークのうちのお店に、仲睦まじい一家が依頼で訪ねてきた。情報都市ビゴールで暮らしている一家だ。

 なんと言うことはない。ただ旅行に来たので、町の外を案内して欲しいといった内容だった。

 ミッドオールには魔獣がうろついているから、一般人が何の対策もなしに観光するのは危険である。

 俺はもちろん、快く引き受けた。

 その一家の小さな娘の名が、マペリー。

 

 ――『心の世界』のような場所を介して繋がっている、もう一人の彼女の名だ。

 

「マペリーちゃんだね?」

「うんっ! お兄ちゃんおそい。やっと思い出してくれた。マコは、マペリーなの!」

 

 幼い時分であれば、夢のことを鮮明に覚えていたり、夢と現実の境界が曖昧だったりすることがある。

 だからマコは、マペリーとしての自分と、俺のことをしっかりと覚えていてくれたのか。

 わずかな手掛かりから辿ってきた糸は、ようやく繋がった。

 もう叶わないかもしれないと思っていた。

 思いもかけず、この子のおかげで繋がった。俺にはこの小さな子が、救いに思えた。

 

「ありがとう。君がいなければ、すべては途切れてしまっていたかもしれない」

「どうしたの? きゅうに。へんなお兄ちゃん」

「……ねえ、マコ。君は、お姉ちゃんに会ってみたいかい?」

「うんー」

 

 小さな頭をめいっぱいに悩ませて、マコは返事を考えてくれた。

 

「マコね、ニコお姉ちゃんのことは知らないけど、いっしょに遊んでみたいかな」

「もしかしたら、一緒に遊べるかもしれないよ」

「ほんと!? お姉ちゃんと遊べるの?」

「うん。お兄ちゃんから頼んでみようと思うんだ。だからちょっとこのままに待っててね」

「わかったー。待ってるね!」

「いい子だ。行ってくる」

 

 俺は、マコの心を介して、ラナソールへ飛んだ。

 

 

〔トレヴァーク〕 → 〔ラナソール〕

 

 

 ***

 

 飲み物とお菓子を運んできた母親は、お客さんの姿がどこにもないことに気付いて、眉をしかめた。

 

「あら。ユウくんは?」

「お兄ちゃん、どっかいっちゃった」

「えっ? どこに」

 

 困惑する母親に、マコはにっと笑って答えた。

 

「たぶん、お姉ちゃんのとこ」

 

 ***

 

 

「――やあ。マペリー」

「あ、ユウお兄ちゃんだ! 久しぶりっ!」

 

 飛び付かれる。この人懐っこいところは、どちらの世界でもまったく一緒か。

 

「また遊んでくれるの?」

「そのつもりだけど……その前に。マペリー、お姉ちゃんに会ってみたいか?」

「んー。うちにはお姉ちゃんなんて、いないよ? マペリー、一人っ子だもん」

「……ああ。わかってる。わかってるさ。でも、お姉ちゃんなんだ」

 

 言葉の意味がわからなかったかもしれないが、幼いマペリーはうんと考えてくれた。

 

「もしかして、ユウお兄ちゃんみたいな人? 優しいお姉ちゃん?」

「きっと遊んでよかったって思うよ」

「じゃあ、遊んでみたい!」

「わかった。ちょっと行ってくるね」

「待ってるね。ユウお兄ちゃん」

 

 死で分かたれた家族は、現実世界ではもう会えない。夢の世界で会ったとしても、互いのことを覚えていない。

 真実はとても残酷だ。伝えない方がいいのかもしれない。このまま失敗したと言ってしまった方がいいのかもしれない。

 それでも。君が本心で家族に会いたいと望むなら。

 いや、二ザリーだけじゃない。

 あなたたち家族が、家族に会いたいと心から望むなら。

 俺のエゴかもしれない。でもやっぱり、会わせてあげたい。

 夢と現実は繋がっている。

 きっと何か、伝わるものがあるはずだ。感じるものがあるはずだ。そう信じている。

 だからできる限りのことを。俺は、俺たちは、してあげたい。

 

『……ユイ』

『いいよ。来て』

 

『心の世界』を使って、ユイの元まで飛んだ。

 

 ユイの隣には、焦燥し切った様子のニザリーがいた。

 これでも慰めた方だと、ユイの悲し気な目が語っていた。

 

「ユウさん。教えて下さい。あの子に……私に、何があったんですか……?」

 

 胸が詰ませられる。

 俺が記憶の扉を開いてしまったことが、彼女に薄々真相を感付かせることになってしまった。

 まさかあそこまで恐ろしい記憶に結び付くとは思わなかったんだ。

 軽率な行動だったと、後悔してももう遅い。

 もはや後戻りはできない地点に、彼女はいる。

 

「……この手を取れば。君が知りたいと望むなら、俺が知り得た真実を伝えることができます。家族にも会えることでしょう」

「……本当、ですか?」

「はい。ただ……望む形ではないかもしれません。君はそれを知ったことで、ひどく後悔するかもしれません。どうしますか?」

 

 ニザリーの瞳に、興味の色と、恐怖の色が同時に映った。

 しばし逡巡し、そして。

 彼女は決断した。

 

「お願い……します」

「わかりました。……先に謝っておきます。記憶を抉るようなことをして、本当に申し訳ありませんでした」

 

 深く頭を下げる。それで許されるわけはないのだけど、そうせずにはいられなかった。

 

 手と手を繋いで。俺が知り得た真実を、彼女に伝える。

 

 すべてを知った彼女は――

 

「そっか。そっかあ。やっぱり。私、もう死んじゃってたんだ……」

 

 項垂れて、大粒の涙をぽろぽろと流した。

 

 現実の自分がもう死んでしまっているという事実は、どれほど重いことだろうか。

 慮ることはできても、当人にしかわからない苦しみだ。

 ユイが彼女に寄り添って、頭を撫でる。ニザリーはユイの胸に顔を埋めて、静かに泣いた。泣き続けた。

 何もできない俺は、その場に立ち尽くすしかなかった。

 

 やがて、泣き止んだニザリーは。

 

「……会わせて下さい。お願いします」

 

 凛とした瞳で。覚悟を決めた眼差しで。そう言った。

 

 

 

 ユイの転移魔法を使って、情報都市ビゴールまではすぐだった。

 家族のいる雑貨屋の前へ、ニザリーを連れて行く。

 まず遠くから雑貨屋を伺った彼女が、ぽつりと呟いた。

 

「……あそこに。私の、家族が……」

 

 ニザリーを待たせて、まず先に俺とユイが両親の元へと向かう。

 前に依頼したことを覚えていて、温かくもてなしてもらった。

 もし二人がニザリーのことを思い出してくれれば、感動の再会となるかもしれないと、一縷の望みを託して《マインドリンカー》を使おうとしてみた。

 しかし、両親の方はニザリーやマペリーほど心を開いてくれず――やはり、死を忘れたい気持ちが強かったのだろうか――残念ながら、効果を発揮することはなかった。

 やるせない気分で首を横に振り、用件を切り出すことにした。

 

「実は今日は、会わせたい人があって来たんです」

 

 両親に、ニザリーを紹介した。

 ニザリーとしても、どこか宙に浮いたような気持ちだったのかもしれない。両親の姿が記憶にあるものとかけ離れていて、何を言ったらいいのかわからないという顔だった。

 

「……はじめまして。私、ニザリーと申します。ナサドで雑貨屋を営んで、おります……」

「……あ、ああ。はじめまして」

 

 主人と奥さんがそれぞれ名乗る。はたから見てもぎこちないもので、もう覚えていないことが明らかで、物悲しさが込み上げてくる。

 

「それで。ニザリーさんは、どのようなご用件で?」

「わた、私……は……」

 

 言葉に窮する。本当はあなたたちの娘なんだと、言ってしまいたいのに。

 それを言っても、二人にはわからない。届かない。

 連れてきたのは俺だ。何かフォローしてあげないと。しかし何を言えば――

 

 

「……お姉、ちゃん?」

 

 

 いつの間にか、うちに入ってきたマペリーが、ニザリーをきょとんと見ていた。

 何かを感じたのだろうか。マペリーもマコも、彼女を知るはずはないのに。

 

「お姉ちゃん。わー、ほんとにお姉ちゃんだ! ユウお兄ちゃん、ちゃんと連れてきてくれたんだねっ!」

「あ、ああ……」

 

 マペリーは子供ながらの勢いでニザリーに飛び込むと、強めに袖を引っ張った。

 

「マ、マペリー、ちゃん……?」

「お姉ちゃん。悲しい顔してるよ。遊ぼう? 遊んだらきっと、楽しいよ!」

「うん……ごめんね」

「ユウお兄ちゃんも、ユイお姉ちゃんも、いっしょに!」

「そうだね」

「一緒に遊ぼっか」

 

 マペリーの誘いにしたがって、四人で遊ぶことになった。

 この無邪気な妹に、どれほどか救われただろうか。

 遊ぶうち、ニザリーの表情も、少しは晴れていたような気がする。

 

「……ねえ、マペリーちゃん。また遊びに来てもいいかな?」

「もっちろん。また遊ぼうね、ニコお姉ちゃん!」

「あ……」

 

 不意に呼ばれたもう一つの名前に、ニザリーは心を打たれて立ち尽くしていた。

 

「娘と遊ぶ姿を見ていたのですが……。何だかあなたを見ていると……不思議ね。他人のような感じがしませんでした」

「もう一人、娘ができたみたいでした」

 

 ……娘なんだ。本当に。

 

「また、いつでも遊びに来て下さい。ニザリーさん」

「歓迎しますよ」

「……っ……はい。はい……!」

 

 ニザリーは、とうとう我慢できなかった。感極まって、三人の目の前で嗚咽を上げた。

 両親とマペリーが驚いて駆け寄り、彼女を温かく慰める。

 確かにそこには、失われてしまったはずの家族の姿がある……ような気がした。

 

『これで、よかったのかな……』

『わからない……』

 

 結局、真の意味で家族を再会させることはできなかった。

 俺とユイは、すべてがどうにもならなかった事実に無力を感じながら、身を寄せ合う四人の姿を後ろから黙って見つめ続けていた。



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112「ユウ、ランドに修行をつける 1」

 ニザリーの一件は心に重いしこりを残すことになった。

 ただ、その後、彼女はあの一家と上手くやっているようだ。それがまだ救いだった。

 ……どうしようもないこともあるけれど。ふさぎ込んでいてもどうにもならないよな。

 そろそろ仕事を再開しないと。

 朝、身体を起こすと、隣で寝ていたユイも一緒に目を覚ました。

 

「おはよう。ユウ」

「おはよう。ユイ」

「……元気出さないとね」

「ああ。行こう」

 

 顔を洗って一階に下りると、ミティが朝の掃除を進めていた。

 

「おはようございます」

「おはよう」

「おはよう。ミティ」

「ユウさん、ユイさん。もう大丈夫なんですか?」

「二日も休みもらっちゃったからな」

「ごめんね。任せちゃって」

「いいんですよぉ。二人とも、お疲れのようでしたし。ミティも役に立てて嬉しいですよ」

 

 安心したように口元を綻ばせた彼女は、懐から一枚のメモをぴっと抜き出した。

 

「ところで。ユウさんに知り合いから言伝がありまして」

 

 メモを受け取り目を通すと、こう書かれていた。

 

『ユウさん ちょっと個人的な頼みがあるんだ

 シルには内緒の話さ

 明日も来るから、よろしく頼むぜ!

 ランド・サンダイン』

 

「ランドが俺に用?」

「何かまでは言ってくれませんでしたけどね」

「へえ。何だろうね」

 

 ユイが面白そうな顔をしている。

 

「まあ今日も来ると言ってるし、待ってるか」

 

 昼前に、周りをきょろきょろ警戒しながら(シルはシズ由来の隠密術があるため、生半可な注意では悟られる。道理で神出鬼没なわけだ)、ランドがやってきた。

 内緒の話というので、ユイには感知魔法を展開してもらって、シルが引っかかるとすぐ教えてもらうようにした。

 ランドを二階へ案内し、席を勧めながら用件を伺う。

 

「で、俺に頼みってなんだ」

「いやあ、最近。シルが一段と輝いてるっていうか。そんな気がするんだ」

「へえ。どうしてそう思うんだ」

「なんていうか。よくわかんないだけどさ。生き生きしてるんだよなあ。前は時々、なぜか元気ないときもあったんだけどな」

 

 暴れるシルの姿を思い浮かべているのだろう。彼は苦笑いを浮かべた。

 

「魔法のキレもますます上がっているし、明らかに強くなってる気がするんだ」

 

 なるほど。思い当たる節はある。

 シズは今暗殺業から離れて、俺の仕事の手伝いをメインでやってくれている。嫌な仕事をしないで済む分、心が軽くなっているのだろう。

 さらにシズとシルのリンクが結ばれ、ありのまま団長の話も伺ったことで、シズもシルも、ラナソールという世界における力の根源を――夢想の強さこそが源であると――意識している。二人の相互協力によって力を高めていることは容易に想像がつく。

 

「それっていいことなんじゃないか?」

「そりゃあもちろん、あいつが輝いてるのは嬉しいさ! 嬉しいけど……俺も、その……」

 

 もじもじするランドを見て、用件が何であるかは自ずと察せた。

 

「相棒として遅れを取りたくないってわけだ」

「さっすがユウさん! 察しが早くて助かるぜ!」

 

 もうずっとランドの呼び方が「ユウさん」で安定してしまったことが面白くて、俺はくすりと笑った。リクがそう呼んでいるのが知らずのうちにうつったんだろうな。

 

「ワールド・エンドに向かって進むにつれ、一段と魔獣も強くなってきていることだしさ。足手まといにはなりたくないんだ」

 

 ランドはぱんと両手を叩いて、調子良く俺に頭を下げた。

 

「てわけで、頼む! ユウさん、俺を鍛えてくれ! こっち寄ったときでいいからさ」

 

 頼みの内容は予想通りだったものの。

 いざ言われて、すぐに首を縦には振れなかった。

 別に俺が教えてもいいんだけど……。

 

「なるほどね。君の頼みはわかったよ。シルに内緒っていうのは?」

「へっへ。こっそり力を付けて、見返してやりたくってさ」

 

 いたずらを企てる子供みたいに無邪気な顔で、ランドはウインクした。

 

「で、どう? 引き受けてくれるかい?」

「うーん。ちょっとだけ待ってくれないか。考えておくよ」

「そっかー。ユウさんも色々あるもんな」

「明日までには返事出すから」

「わかったぜ。楽しみに待ってるぜ」

 

 期待半分の顔で、ランドは勢いよく店を飛び出して行った。

 

 そうだな。どうしようかな。

 

 少し待って欲しいと言ったのは、俺が教えることが果たして最善なのかと考えてしまったからだ。

 わざわざ俺じゃなくても、この世界にはうってつけの師匠がいる。

 そうだ。その人に相談してみよう。

 

 

 

「……ということなんですけど。俺と一緒にランドを鍛えてやってくれませんか」

 

 俺から相談を持ち掛けられたジルフさんは、どこか面白がるようにふっと口元を緩めた。

 

「そうか。坊主も人から教えを乞われる立場になったか」

 

 落ち着いた物腰でテーブル向かいに座るジルフさんは、こうして向かい合っているだけでも、温かい雰囲気の中に力強さ、強者の風格というものをありありと感じさせて、俺は自然を息を呑んでしまうときがある。

 神妙にしていると、ジルフさんは穏やかに尋ねてきた。

 

「人に何かを教えたことはあるのか?」

「多少は。でも本格的な剣を教えたことはないですよ」

 

 エスタやアーシャには、ほぼ一年付きっきりで教えたことがあった。あったが、内容は生活の知恵であったり、あの星特有の大型生物と正面きって戦わないための方法――例えば見つからないための用心や、見つかったときの逃げ方などが主だ。二人に教えたのは、生きるための力だった。

 戦いの技術としての剣を教えたことはない。そもそもあの無人の世界では、剣を造ることもできないのだから、教えても意味がなかった。

 俺の返答を受けて、ジルフさんは少しばかり思案すると、静かに言った。

 

「坊主。お前が教えてやれ」

「えっ?」

 

 思わぬ言葉に虚を突かれて、戸惑う。

 

「どうしてですか。ジルフさんの方がずっと強いし、経験も豊富でしょう?」

「確かに俺の方が強いのは認めよう。これでもフェバルとして長年経験を積んできたからな」

 

 ジルフさんは自負しつつも、瞳は心を試すように俺を真っ直ぐ捉えていた。

 

「だがな。ランドの坊主が頼ってきたのはユウ、お前だろう?」

「でも、俺なんかでいいんでしょうか。ジルフさんの方が……」

 

 あの美しいほど完成された技と圧倒的な強さを知っている身からすれば、俺が教えるよりもこの人が教える方が、ずっと正しい選択のように思える。学べることも多いのではないだろうか。

 しかし、ジルフさんは頷かなかった。

 

「そんなことはない。フェバルなんてチートを勘定に入れれば、確かに俺の方が強いかもしれん。だが持てる力の使い方、それに剣の技なら、お前だってもう十分立派なもんだ。教えるに不足はないと俺は思うぞ」

「そうでしょうか」

「そうだ。謙遜するな。許容性やフェバルの力を抜きにしても、お前はもうイネアにだって負けちゃいないさ」

「先生に……?」

 

 言われて、はっとさせられた。

 先生の厳しさと温かさ、強さは今も。俺の振るう剣の中に息づいている。思い出の中に鮮明に残っている。

 結局、あの人に剣が届くことは一度もなかった。

 サークリスを離れてから八年以上。色々な戦いを経験してきた。死闘と呼べるものもたくさんあった。

 あれから、少しくらいは追いつけただろうかと思っていたけど。俺と先生を師として平等に見守ってきたこの人の口から、太鼓判を押してもらうまでとは思ってもみなかった。

 ジルフさんは深く頷いて、俺の頭をぽんと優しく叩いた。

 

「自信を持て。ユウ。お前なりにやってみろ。人に教えてみることで、自分が教えられることもある。良い経験になるはずだ」

「……はい。わかりました。やってみます!」

 

 ジルフさんから背中を押される形で、俺はランドに教えを付けることになった。



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113「ユウ、ランドに修行をつける 2」

「先生! よろしくお願いします!」

「ま、まあ。堅苦しいのは抜きにして」

「なんてな。おう、よろしく頼むぜ!」

 

 やたらと気合の入ったランドに、やや気圧されながらも向き合う。

 許容性無限大のラナソールでは、Sランク相当以上の戦いは地形破壊が付きものだ。一般人がいる場所でやるのは危ない。

 修行場所は人のいない未開の平原、クーレントフィラーグラスにさせてもらった。以前冒険の付き合いで入った場所だ。ここは生物自体がほぼいないので、余計な邪魔がない点もポイントが高い。

 さて。これも経験かと勢い引き受けてはみたものの。緊張するなあ。ちゃんと教えられるかな。何からやろうか。

 ――そうだな。とりあえずは。

 

「まずは実戦形式で力を見てみようか。剣を抜いて」

「おっしやるぞー」

 

 ランドは調子良く剣を抜いた。二度三度、感触を確かめるように振るってから、正面に構える。

 始める前に、俺は彼をよく観察した。

 なるほど。立ち振る舞いは一見「らしい」。Sランクとしても様になっているように思われるけど……。

 もう何度感じたことだろう。こうしてこの世界の人たちと戦いで向かい合ってみると、隙の多さに閉口しそうになる。

 修行とは言っても、手に持つ剣は本物だ。まともに当たれば痛いでは済まない。

 かつて俺がイネア先生に習ったときは、気を抜いていると本当に死にかねない攻撃が次から次へと飛んできたものだ。どれほど泣かされたかわからない。

 翻って、ランドはどうだ。いつでも仕掛けられる今の状態に至っても、あのわくわくした緊張のない顔を見れば明らかだ。

 真剣さが足りていない。まるで遊びで修行クエストにでも臨むかのようだ。剣の稽古をピアノ教室か何かと勘違いしている。

 実際、俺の想像している通りの気分なのだろう。ラナソールという異常に恵まれた世界で、さして苦も無く力を高められてしまった弊害が端的に現れている。

 そんな彼を見て、俺の最初のレッスンは決まった。

 

 

 ***

 

 

 ユウさんに言われた通りに剣を抜いて、構える。

 いやあ。本当にユウさんに教えてもらえることになるなんてな。今からどんな技が学べるか、楽しみだぜ!

 ユウさんは少しばかり何か考えていたようだけど、やがて穏やかに微笑んで言った。

 

「いつでもいいよ。全力でかかってくるといい」

「それって魔法剣使ってもいいってことか?」

「もちろん。持てるものをすべてぶつけてくるつもりで」

 

 ようし。だったら遠慮はなしだ。今の俺がどれだけユウさんに通用するか見てみたいしな。

 右手に持った愛剣『メルヴォーザ』に、魔力を集中させる。

 精霊魔法の応用にして奥義。魔法剣を扱うにはコツと慣れと、若干の才能が要る。誰にだって使えるってもんじゃないんだ。

 俺の一番得意な火の魔力を、たっぷりと愛剣に吸わせる。この剣は俺がまだ駆け出しの頃、わざわざ名匠に頼み込んで鍛えてもらった業物で、特に火の魔力とは相性が良い。あのときは、いつかこの剣に似合う男になってやるって思ったんだったかな。

 そんなことを考えながら念じているうちに、刀身は紅石のように鮮やかに燃え上がった。

 

「うっし。こんなもんか」

 

 剣に力が滾ったのに満足して、集中をユウさんに向け直す。

 そこで俺は疑問に思った。なんでかって、かかってこいと言う割に、いつまでたってもユウさんは素手のまま、自然体で構えようとすらしないからだ。

 こっちは準備万端で魔法剣を迸らせているというのに。どうしたもんだ。

 

「なあ。ユウさんは、キケンってやつは抜かないのか?」

「ああ。俺は素手で大丈夫だ。ついでに力も抑えるよ――そうだな」

 

 ユウさんは、自信ありそうなすまし顔で、とんでもないことを言ってくれた。

 

「身体能力強化は使わない。君は好きなだけ使ってくれて構わない」

「……へえ。いくら教わる身だからって、そいつは心外だな」

 

 俺だって仮にもSランク冒険者だ。近頃は称号に負けないくらいになっているという自負もある。評判もある。

 ユウさんと出会った頃よりも、数段力も付けたんだぜ? 初めて会ったときと同じつもりでいるんなら、俺の力、認めさせてやるぜ!

 

「言ったからな。カッコつけて後悔すんじゃねえぞー!」

 

 んー。だけど、それにしてもよ。

 不思議な人だ。普通、強ええ奴は、例えばあの剣麗みたいな人なら、立ち会ったときオーラや風格っつうもんが出るもんなんだけど。

 でもユウさんにはそれがない。自然体で、隙だらけのように見えて。実は隙が見つからないっていうか。

 しかもまるで強さを感じさせない。だから初めて会ったとき、俺はこの人をただの子供だと思ってしまったんだ。

 

「いくぜぇっ!」

 

 いつの間にか竦んでしまいそうになっていた自分を奮い立たせるために、気合を入れた。

 炎の剣は攻めの剣。俺のスタイルも攻めが基本さ。

 勇猛果敢に攻め込もうと剣を振りかぶり、駆け出した。

 

 その一歩を踏む前に、俺にとっての腕試しは、あっけなく終わった。

 

「うっ……!」

 

 呻き声になり損ねた吐息が、詰まり気味に漏れる。

 

 ――寒気が走った。動けなかった。

 

 なんでかって。

 

 ユウさんは気付くと目の前にいて、俺の首筋にぴったり手刀を押し当てていたからだ。

 

 宣言通り。何も強化していない。技を使ってすらいない。なんて人だ。

 

「こうして意識の隙を突いてしまえば――なんてことはないただの一振りで、君の首は簡単に落ちるだろう」

「…………お、お、う」

 

 唐突に突きつけられた手刀と、ここでやっと既に敗北しているのだと頭が悟って。

 こうなってしまっては、そっぽを向いて役立たずの炎剣が泣いている。勝手に挑戦気分でいたってのに、火が消えたみたいに落ち込んじまうよ。

 

「初動に無駄が多かったね。わざわざ振り上げたりして、カッコつけていたのはどっちだったかな」

「うっ……負け、ました……」

 

 悔しいが、素直に認めるしかない。俺は何もできなかった。ユウさんとの力の差は、まだまだ大きかったってことかー。

 でもいいぜ。悔しいけど楽しみだ。頼んで間違いじゃなかった。この人に付いていけば、まだまだ上を目指せるってわけだ。

 手刀を離したユウさんは、意気込みを新たにする俺を見て、どういうわけか呆れ気味だった。

 

「その顔。負けたのはまだまだ自分の力が足りないからだって思ってるだろ」

「もしかして呪い師か? そうそう。やっぱユウさんはつえーなあって」

「違うよ。君に一番足りないのはそこじゃない」

 

 思いもかけず、ばっさり言われてしまったんで驚いた。

 あくまで技も何も使ってなかったことを再確認してから、ユウさんはあくまで穏やかに――でも真剣な目で続ける。

 

「俺も甘さにかけては、あんまり人のことはとやかく言えないんだけど……」

 

 思い当たる節があり過ぎるのか、ユウさんは少しだけ苦笑いした。

 

「でもこれだけは言えるよ。君の剣は――いや、君たちの剣は輪をかけて甘い」

 

 何が心に触れたのか。このままユウさんの説教タイムが始まりそうな気配だ。でもせっかく俺のためを思って貴重な話が聞けそうだし、ありがたく聞いとくとするか。

 

「どうしてだと思う? 命を懸けた実戦によって研磨されていないからだ」

「あー。いやでもよ、俺だって冒険してるときとか、やばい魔獣なんかと戦うときは、命賭けてるつもりあるぜ?」

 

 冒険に手を抜いた気は一切ねえ。いつだって俺は真剣に、情熱的に、魂を賭けて挑んできた。そこは否定されたくねえな。

 ただユウさんは、それにはしっかり頷いて、でもそこなんだと指摘した。

 

「そこなんだ。さっきまで君は、ずっと冒険気分だったよね」

「ぐ……」

 

 おっしゃる通りだ。そう言われるとうんと答えるしかないっす。

 

「冒険気分でいられるというのは素敵なことだけど、そうでしかないのは致命的だ。ほとんど誰も彼もが、どこか浮ついているんだ。せっかく素晴らしい力を持っているのに、見栄えがすることばかりを選ぶ。ろくに使い方がなっていない。もったいないよ」

 

 耳が痛い。

 そうだ。俺はただ力を試すことばかりを考えていた。足元を見ていなかったかもな。

 それに、その前もか。俺は戦いの前に何をしていた。呑気に魔法剣なんかチャージして、その間ユウさんに注意を向けていたか?

 ああ。だからか。だからなのか! やっと頭の悪い俺にも呑み込めたぜ。

 力の問題以前だ。負けたのは当然で、必然だった。

 こりゃ認識を変えないとダメだな。早速勉強になるぜ。ユウさん。

 

「ただ少ないけど、例外もいてね。うち一人は、君もよく知っている人だよ」

「え? 誰だ?」

 

 ユウさんは、ふっと小さく笑った。

 

「シルだよ。あの子は本当の戦いを知っている。今度一緒に冒険するとき、動きをよく観察してごらん。差が付いたと感じているとしたら、たぶんそこにもあると思うよ」

「むうう。なるほどなあ。そうかー」

 

 確かに近頃、彼女の動きは洗練されているかもな。あれはそういうことだったのか。

 でもずっと俺と一緒にやってきたはずの彼女が、どうして「本当の戦い」ってやつを知っているのか?

 不思議に思ってユウさんに視線を投げかけてみたけど、彼は曖昧な笑みを浮かべるだけだった。

 

 それからユウさんは、いくつかの心構えに関するアドバイスをしてくれた。どれもが俺には目から鱗というか、普段あまり意識していなかったり、見落としていた発想だった。

 こんなことがすらすら出て来るユウさんは、ほんと何者なんだろう。改めてただ者じゃないっつうか。育ってきた背景から何か違うんだろうなって気がした。

 

「……悪いけど、俺は実戦の剣しか使えない。遊びのための剣も冒険のための剣も、俺は知らない」

 

 そして俺の目をしっかり見つめて、こう締めくくった。

 

「だから俺にできることは、君に戦いの心構えと、少しばかりの技術を教えることだけだ。そこから何を学びどう生かすかは、自分で考えてみて欲しい」

 

 ……ユウさん。かっけえ。

 

「話は終わり。きつい言葉があったかもしれないけど、ごめんね。さあ、修行を始めよう」

「はい! よろしくお願いします!」

 

 今度は茶化しはなかった。自然と背筋が伸びていた。人生の年長者に対する尊敬の気持ちってやつが巻き起こっていた。

 

「……はは」

「なんすか?」

 

 ユウさんはまた何かを思い出したらしくて、懐かしそうに目を細めて笑った。

 

「いや、俺も昔、よくこんな修行したなあと。俺にも先生がいてね」

「ユウさんにも師匠がいたのか」

「うん。あのときは甘い動きをするたび、気絶しないギリギリのところで痛い攻撃を何発でも打ち込まれたもんだ」

「何ですかその邪神グフパーみたいなアレは」

 

 聞き捨てならないことを聞いてしまった。ユウさんの強さのルーツに迫る何かっぽいが。

 いやまさか、それやるつもりじゃ……?

 

「はは、邪神か。いや、優しかったよ。優しくて厳しい人だった……」

 

 いやいやそれ、思い出で美化されちゃってないすか? 大丈夫か?

 

「でもあれはマジで痛かったからなあ。さすがに他の人にはちょっと」

 

 だよな。ユウさん優しいもんな! そんなことは絶対にしないって信じてたぜ!

 

「そうだな」

 

 そこでユウさんは、ものの一瞬でキケンを創り出した。その話を聞いたばかりなのでさすがにびびるが、すぐに自然と彼の剣へと視線が吸い込まれていた。

 どんな魔力で作られているのかは知らない。魔力ですらないのかもしれない。

 見惚れるほど、鮮やかな白だった。

 そいつを俺に向けて、ユウさんは実に楽しそうな顔で言ったのだった。

 

「これから甘い動きをするたびに、ぴったりのところで寸止めしてあげるよ。安心してかかってこい」

 

 それも十分怖いっすよ! ユウさん!

 

 

 ***

 

 

 しばらく後。

 

「最近あんた調子良いわよね。あれも一撃で倒しちゃうし」

「へへ。そうか? いやあ、やっぱ相棒のお前には負けたくないと思ってさ」

「うん。すごいよ。一段と強くなった気がするもの。私も負けてられないなあ」

「お互い励んでいこうぜ」

「そうね。……で、何かこそこそ隠れてやってるみたいだけど。何やってたの?」

「あー……バレてたか。実は、ユウさんとこで剣の修行を付けてもらっててさ」

「へえ、そうだったの! あいつのとこでねえ。黙ってるなんて水臭いじゃないの!」

「はは、わりい。ちょっとでも驚かせたくてさ」

「驚いた驚いた。だって見違えたわよ。一体どんな修行付けてもらったの?」

「やばいっす」

「え、どうしたの。何がどうやばいの? 教えてよ」

「やばいっす」

「えー。教えてよー」

「ユウさん。ぱねえっす」

 

 ランドは嬉しさと辛さと厳しさと切なさと、諸々を噛み締めて、静かに涙を流した。

 

 

 色々と受け継がれるものもあったというお話。



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114「新たなる力 魔法気剣」

「そういやユウさんって、魔法剣は使わないのか?」

 

 いつかの修行中、ランドにふとそんなことを聞かれた。

 

「言わなかったっけ。俺は魔力がまったくないんだよ。使いたくても使えないんだ」

「へえ。そんな強いのに、魔力がないなんてことあるんだな」

 

 一つだけは勝ったなと、嬉しそうに笑うランド。やっぱり張り合いたがりなところは男だなと、微笑ましく思う。

 まあ普通の意味では気力も魔力もないのに、実質どっちもあるような強さを持ってるこの世界の住民がおかしいだけなんだけどね。

 そう言っても伝わらないのは間違いないので、何も言わなかった。

 

「しかしもったいない話だな。そのめちゃ強いキケンってやつにエンチャントできたら、最強っぽいのになあ」

「そうだなあ。確かにそれができたら贅沢なことだとは思うよ。でもできないものはできないからな」

 

 一応、これまで何度かやろうとしてみたことはあった。

 というのも、レンクスやジルフさんに聞いたところによれば、俺はかつてエデルでおかしな状態になったとき、光の気剣というやつを使ったらしいのだ。

 つまり、ポテンシャル的には気力と魔力を同時に扱えるはずだ。

 そう考えて、あれこれやった。魔法を構えたまま男に変身してみたり、気剣を出したまま女になってみたり、『心の世界』のストレージ機能まで持ち出して、中で準備した魔法を男のときに取り出したり、気力強化の効果を女の身体に付与しようとしてみたり。

 色々試してみたけれど……結果は散々なものだった。

『心の世界』を使って、技や魔法を溜めておくことはできる。ただ、現実世界に出そうとした途端に、性別が逆のものはそもそも出ないか、まったく操ることができなくなってしまう。

 結論として、俺には気と魔法をそれぞれ使えても、同時に扱うことはできないというしかなかった。

 どうも男のときは魔力を、女のときは気力を扱う「機構そのもの」を持たないらしいのだ。

 

「いや、待てよ……」

 

 それはあくまで普段の、一人でころころ変身していたときの話でしかないんじゃないか?

 よく考えたら今はユイと分かれてるんだから、別に俺一人ができなくたって全然構わないじゃないか。

 人に教えていると教えられることもあるとは言うけど。早速教えられるとは思ってもみなかった。

 

「そうだな。今度試してみるよ」

「ん? やっぱできそうなのか? まあ参考になったんならよかったぜ」

 

 

 

「というわけで。やってみようと思うんだ」

「なるほどね。私の力を借りて、気剣に魔力を上乗せしてみようというわけ」

 

 すっかり修行場所としてお馴染みになったクーレントフィラーグラスに、今日はランドではなくユイを伴ってやってきた。

 

「初めての試みだから、どこまで有効かはわからないけどな」

「上手くいくといいね」

「そうだね。成功すれば、トレヴァークでの威力不足も解消できるかもしれない」

「『心の世界』を介して、同じように付与してあげればいいもんね」

「ああ」

 

 トレヴァークは許容性の低い世界だ。気剣は出せるけれど、威力不足は否めない。そこを補うための方策はないかと頭のどこかでは考えていた。

 強化方法はあれど、普段使いできる手段がなかった。

《マインドバースト》はあまり長く使えないし、《マインドリンカー》も、いつも恩恵を受けているユイやリルナからの力は別として、他の人に対しても常時使用となると、精神的な負担が大きくて難しい。

 軽くストレッチをしてから、深呼吸をして、精神を整える。

 左手に気剣を作り出すと、目の覚めるような鮮やかな白が輝く。さすがラナソール産の気剣は一味も二味も違う逸品だ。

 ユイが魔力を火の形に変換して、掌に留める。こちらも鮮やかな紅だった。

 

「そういや、この世界の魔力要素って何だろうな」

「使用感からして、魔素じゃないことは確かだけど。たぶんメセクター粒子みたいな理想魔法粒子でも溢れてるんじゃないかな」

「だよな。そうでもないと、こんな誰が見てもわかるほど素晴らしい威力にはならないだろうし」

 

 魔法を満足に使うためには、本人の魔力――外界の要素を取り入れて利用する力――の他にも、いくつか条件がある。

 世界の魔力許容性がある程度高いことはもちろん必須だが、それだけではない。そもそも魔法の使用に適した外界の要素――これを魔力要素というが――魔法のエネルギー源に当たるこいつがなければ、いくら魔力許容性があったところで、魔法は使えない。

 魔力要素で代表的なものは、惑星エラネルに溢れていた魔素だけど、そればかりではない。

 一つ前の世界、アッサベルトにおいて代表的な魔力要素は、いわゆる魔石というやつだった。紫色の固体で、魔装具と呼ばれる特殊な道具の中に埋め込んで使ったり、剣に埋め込んで魔剣として活用されていた。

 魔装具や魔剣を前提としたあの世界での戦闘は、独特な戦略性があって新鮮だったけど……まあそこは置いといて。

 確か世界によっては液体の魔力要素もあるんだぞってレンクスが言ってたかな。

 つまりまあ、魔法の素となるものは色々あるわけで。ラナソールの魔力要素は、とてつもなく素晴らしいものには違いなかった。

 

「準備オーケーだよ」

「よし。やってみるか」

 

 いよいよだ。ユイの魔法を、気剣に上乗せする。

 

 すなわち、魔法気剣。

 

「いくぞ」

「うん」

 

 普通なら魔法にして放つところ、気剣にエネルギーとして流し込んでもらう。

 単純なアイディアなので簡単かと思いきや、ここで中々大変なことに気付く。

 気力と魔力。相反するエネルギーが拒絶を起こしたのか、力が暴れ狂い出した。

 手に持つ気剣ががたがたと震える。下手をすれば、魔力と共に散逸してしまいそうだった。

 

「くっ。意外ときついなこれ」

「気を抜くと押し戻されそう。私は注ぐことに集中するから、ユウは形を作ることに集中して」

「わかった」

 

 言われた通り、俺がすべきことは、受け取った力をしっかりと形にすることだ。

 暴れ馬を無理に押さえつけず、いなすように。

 白い気剣の刀身が、次第に赤みと熱を帯びていく。

 二つの力が融和する――どこか象徴的だった。ちょうど性別の逆な俺たち二人が溶け合うみたいで。

 同じときに同じことを思ったのか、ちらりとユイを見たとき、互いに目が合った。

 自然と口元が緩む。こんなに肌身近くで共同作業するのは久しぶりだけど、いつだって楽しいものだ。

 

 そして、ついに刀身は真っ赤に燃え上がった。

 火の性質を持ち、先端が常に揺らめいている。

 

 火の気剣。どうやら成功みたいだ。

 

「やった。作れたぞ!」

「やったね。おめでとう」

 

 空いている方の手で、ハイタッチを交わす。

 

「ありがとう。君の協力があればこそだよ」

「ふふ。まあ普通に魔法を使うのに比べると、ちょっとコントロールが大変だったかも」

 

 刀身に漲る圧倒的な力に、頼もしさを覚える。

 単純に考えても、威力は倍だ。素晴らしい。

 よし。この二つの世界にいる間しか使えないかもしれないけれど、強力な武器を手に入れたぞ。

 

「せっかくだから試し振りしてみよう。いいよな?」

「すっかりはしゃいじゃって。見栄えがどうのこうのとか本質が大事とか、誰かさんに偉そうに言ってなかったかな」

「あー……それはそれ。これはこれさ」

「あまり強く振り過ぎないようにね」

「わかってるよ。今度は草原を焼野原に変えたら、たまったもんじゃないからね……」

 

 あの山をぶった斬ってしまった一件のことは、記憶能力がなくても二度と忘れないと思う。

 草に火の粉がかからないように気を付けて振ると、通常の気剣と違ってやや重みがある。炎のエフェクトが尾を引いた。

 おー。すごい。これは――楽しいな。

 ラナクリムの世界が、すぐ手元にやってきたような気がした。ランドたちが夢中になるのも頷けるよ。

 一通り型を試して感触を味わったところで、実はまだまだ物足りない気分だった。

 

「せっかくだし、他の属性も使えるかどうかわからないからな。試してみよう」

「言って他のも試してみたくなっただけでしょ。もう、しょうがないな」

 

 俺の心などお見通しなユイは、やれやれと肩をすくめて、でも笑って付き合ってくれた。

 

 一度コツを掴んでしまえば、学習能力の賜物か、次からはそんなに難しくなかった。

 次々と属性を切り替えては、試していく。

 雷、水、風、土、氷、闇。

 変換した魔力要素の性質を反映して、七色に、面白いように気剣は姿を変える。それら全てが異なる質量とまったく違う振った感触を生み出していた。

 そしてあのときと同じ、光の気剣までを作り出した。

 

「おお」

「綺麗だね」

 

 何となく、手にした剣に「待たせたな」を言いたい気分だった。

 やればできるもんだな。ちゃんと理性を保った状態でこれが作れたことに感動するよ。

 この光の気剣は生成こそやや難しかったものの、一度作り上げてしまえば、特に気力とは相性が良かった。

 空気のように軽い振り味でありながら、速度と威力とを同時に高めてくれる。速度なら風に、威力なら火や闇にやや劣るが、総合力で言えば一番だろう。もし用途とか考えず一つだけメインウェポンとして選ぶなら、こいつがいいだろうと思えるような傑作だった。

 だからウィルも使ってたんだろうかな。わからないけど。

 光の気剣は気に入ったので、特に念入りに堪能した。ユイは俺の様子をずっと楽しげに見つめていた。

 

「楽しかったね。満足できた? そろそろ日も暮れてきたし、帰るよ」

 

 おっと。もうそんな時間か。夢中になると早いもんだな。

 

「待って。あと一つだけやりたいことが」

「まだ何かあったっけ。大体試したんじゃない?」

「いや……ちょっと、こほん。こういうのをやってみたくてね」

 

 言葉でそのまま言うのは恥ずかしいので、念じてイメージを送る。

 

「これは……」

 

 ユイがどこか呆れたような、感心したような曖昧な視線をこちらに送ってきた。

 

「なあ。もしできたら、真面目に結構すごいと思わないか? トレヴァークでもきっと有用な技になるよ」

「それは思うけど……ねえ、ちょっとよしよししていい?」

「どうして?」

「なんとなく」

 

 よしよしされた。

 

「ふふ。ユウは昔から変わらないよね。発想というか、そういうところ」

「いやあ。さすがにどうかなと思ったんだけど、せっかくできそうだから試してみたいという気持ちがむくむくと、ね」

「ん、いいでしょう。あなたの他愛のない夢を一つ、叶えてあげましょう」

 

 どこか芝居がかった調子で、ユイは俺のささやかな夢に乗ってくれた。

 

 まさかこのときは、戯れで作った技があんなことになるだろうとは思ってもみなかった。よく考えたら威力が最低でも倍以上になっているのだから、気付いてしかるべきだったよ。

 

 今度は、空が割れました……。



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115「夢想と現実のミスコンテスト! 1」

「木々に花あり、街に華あり! 今年も温かくなってまいりました。レジンバークの皆さんこんにちは! 春と言えば皆さんお待ちかね、ミスコンの季節ですよーー! ミスレジンバークコンテスト、始まんぜおらあああああ!」

「「ワアアアアアアア!」」

「司会・進行はわたくし、みんなの隣、受付のお姉さんがお送りいたします! かわいい子を! 特等席で! 見たいのよっ!」

 

 ありのまま団漢祭りばかりはスルーした彼女であるが、毎年レジンバークの可愛い子や美人が集まるこの日は気合の入り方が違っていた。

 

「第62回を迎える今回も、16名の華たちが集結して下さいました! 私が見たところ、今年は超レベルが高いです! 皆さん期待していいですよ!」

 

 特設会場の老若男女の期待値が上がっていく様子を満足気に見回してから、彼女は続けた。

 

「そろそろですが……出場者紹介の前にルールを確認しましょう。と言っても、とっても簡単! お手持ちの入場券がそのまま投票券になっておりまして、あなたが一番と思う子を記入して投票箱へ! ね、簡単でしょ? そうそう、もし私のことが可愛くても、私に投票しちゃダメだぞ♡」

 

 軽妙なトークで場を温めつつ、準備が整うまでの時間を稼いでいた。

 

「お待たせしました! ようやく準備ができたようです! 早速まいりましょう! まず一番の方はこちら!」

 

 光魔法のスポットライトが煌びやかに輝く。そこにブロンド髪の女性が歩み出てきた。

 

「なんといきなりこのお方が登場だ! 喫茶店『ココレラ』から、みんなのマスター、クォマイ・ココレラ!」

 

 二十代後半の彼女は、店の宣伝もかねてか、あえて普段喫茶店でよく見せている格好そのままで現れた。開いた胸元は大人の色気を漂わせつつも、顔立ちは整った丸顔で可愛らしさがある。

 気取ったパフォーマンスは得意のようで、腰をくねらせたセクシーなポーズで壇上を優雅に歩いてみせた。

 ココレラーと呼ばれる喫茶店愛好者から、恍惚の溜め息が漏れる。それから主にカーニン・カマード(この日ばかりは脱ぐのを自重したようだ)からやかましい声援も飛び出した。

 規定の位置につくと、彼女はほんのりと微笑みを浮かべて、ぺこりと頭を下げた。

 

「では続いてまいりましょう! 二番の方!」

 

 快調に出場者紹介が続いていく。そして。

 

「お次は10番! おっと、あなたも出てしまうんですか!? 何でも屋『アセッド』より副店長、すっかり街の顔としてお馴染み、ユイ・ホシミちゃんの登場だーーーーーっ!」

 

 ユイが現れた。元々彼女は参加などする気はなかったのだが、周りからの期待の声と受付のお姉さん直々の頼みによって断り切れず、押される形での出場となった。

 ユイが出場すると聞くや即連絡を入れてきたのは、以前ユウと二人で服の素材の依頼をこなした、とある服屋の女性店主だった。

 母親譲り、映画スター顔負けの抜群のプロポーションを誇るユイを一目見て、ナチュラルな素材の良さを生かしたいと熱を上げた。

 コンセプトは「ちょっぴり色気付いた天使」。基本は白で固められた。

 ふわりとした柔らかな素材を基調とし、一見健全な可愛さを引き立てつつも、アピールポイントはしっかり薄くすることで、色気をちらつかせていくスタイルだ。

 腰のくびれははっきりと目立つし、上体を反らしたとき、へそがちらりと覗くような際どいところになるように、あえて上着の下を少し短めにしている。健全に胸を覆い隠しつつも、豊かな膨らみのラインはくっきりわかるデザインだ。二の腕や太腿は付け根の途中から露出していて、ひじとひざより先はまた布で覆われている。健康的な白肌とはみ出る肉感をちらつかせながら、隠れている部分をも想起させるようになっている。

 中々に攻めた格好をさせられた彼女であるが、気取りながら歩くとかはできないので、笑顔を振りまきながらも若干緊張しつつトコトコ歩いて来る。その初々しさをかえって好印象で受け止める者もいた。

 

「ユイちゃーん!」

「好きだー!」

「結婚してくれー!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 前列では、口々にファンからの熱愛発言が飛び出す。特にレンクスの声が大きかった。

 一般的なファンの他に、一部では親愛隊なるものが組織されていると言われている。

 歩くうちに気持ちが据わってきたのか、定位置に立つときにはもう堂々としていた。

 

「では11番! お、またまたですかぁ? まさかの上司と部下の対決! 再び何でも屋『アセッド』より従業員、ミティアナ・アメノリスの登場だあーーー!」

 

 可愛らしいフリルの付いたドレスを着こなし、颯爽とした足取りでミティが現れた。

 実は出場したのはユイだけではなかった。こちらはミティ自身が乗り気で「今日だけはわたし、負けませんよぉ!」とユイに堂々宣戦布告しての出場である。

 そんな彼女のコーディネートは、まさにアイドルがコンセプトだった。ピンク色を基調とし、そのままステージ上で歌って踊れそうな、軽妙な恰好だった。

 

「ミティちゃーん!」

「がんばれー!」

 

 健気に料理を振舞う姿と、常に明るいキャラクターもあって、あざといながらも一部の男性からは熱烈な支持を受けていた。

 これまでのどの出場者よりもサービス精神旺盛に、跳びはねつつ笑顔を振りまいていく。与えられた時間を目いっぱいアピールに活用していた。

 ユイの隣に立つと、彼女をちらりと見てふふんと笑いかけ、ライバル意識を見せたのだった。

 

 そして、普通なら観客席で二人を応援しているはずのユウは……しかし、この場にはいなかった。

 

 

 ***

 

 

 同時刻、トリグラーブ某会場。

 

 これが現実だよ……。

 

 俺は、がっくりと項垂れていた。

 

『第62回 ドキッ! 男だらけのミスコン大会』と銘打たれたポスターが、壁一面に貼られている。

 男子校の学園祭か何かかよ。

 正直な感想だった。

 いわく、女性の美しさを競わせて優劣の価値を付けるのはどうなのかとか、そういうフェミニンな理由があるらしく、トレヴァークで通常のミスコン文化は育っていない。

 代わりになぜか、可愛い男を集めてきて「ミスコン」が開かれるのは恒例となっていた。男なら競っていいのだろうか。それはいいのだろうか。色々突っ込みたいけど、実際やっていてそれなりに盛り上がっている以上は、言っても仕方がない。

 だが男たちは、そして目立ちたがりの女性たちはきっと夢見ていた。せめて夢の中では本物のミスコンをしようと。それがミスレジンバークコンテストの正体だろう。

 協賛はエクスパイト製薬、つまりエインアークスが影のスポンサーだ。ついでに企画からありのまま団の影がちらついて見えるのは、気にしないようにしよう。うん。

 正直言うと、俺はあまり出たくなかった。中学生のときの恥ずかしい記憶が蘇ってしまうからだ。

 でも「私も仕方なく出るんだから、あなたも出ておいで」とユイに「断ることは許さない」とばかりの笑顔で送り出された。

 後で『心の世界』の記憶を眺めてにやにやする気だ。絶対そうだ。

 しかもどこで聞きつけたのか知らないけど、シルヴィア経由でしっかりシズハに伝わっていて、トレヴァークへ着くや否や身柄を取り押さえられてしまった。

 無理に逃げると今後に角が立ち、世界間の移動にも悪影響がありそうだったので、泣く泣く参加するということになり……。

 仕方ない。出るからにはしっかりやろうと心を決めた。

 となれば女装をする必要があるわけだけど、普通なら服選びやら何やら苦労するところ、とにかく女の恰好をすることには慣れていたので迷いがなかった。

 まあ……女の子やってたからね。

 

 滞りなく準備は済ませて、当日を迎えた。

 ちなみに他の人はどうするのかというと。

 リクは元々何もなくても男ミスコンは見に行くつもりだったらしい。俺も参加することを伝えると、「マジですか! 絶対見に行きますよ!」と楽しみにされてしまった。

 そしてシズはもちろん、彼女から俺の参加を聞きつけて、ハルも来場者に加わることとなった。どうやらいつの間にかシズとハルは仲良くなっていたようで、ちょくちょくメールを送り合ったりしているみたいだ。おそらくは興味からだろうけど、外出許可をわざわざもらい、車椅子を押してまで来てくれるようだった。

 結局、色んな友達からの注目を浴びることになってしまったわけで。知ってる人の注目を浴びると恥ずかしいな。やっぱり。

 

 今は鏡の前で化粧を済ませ、最終チェックを念入りに行っているところだ。何回もしたことがあるので、着替えも化粧も慣れたものだった。

 元は一緒なのだから、しっかりおめかしして女装すれば、大体ユイみたいになるだろうとは予想していたけど……。

 思った以上姉そっくりに――すっかり女の子らしく仕上がってしまった自分の鏡姿を見て、思わずほうっと息が漏れた。

 さすがに小中学生の、女の恰好をすればまったくわからないとまで言われた全盛期には劣るけれど。

 まだまだ俺も捨てたもんじゃないな。いや、こんなところで捨てたもんじゃなくても嬉しくないけど。

 コーディネートのコンセプトはユイと概ね一緒にした。ただし、サイズと露出度だけは変えた。特に露出は少なめにしている。

 というのも……修行の弊害だ。今の俺はしっかり筋肉が付いている。お腹を出したりしていると、鍛え上げた腹筋が割れているのが見えてしまうからね……。

 当然、胸もないので、適当にパッドを仕込んでおいた。長さが足りない髪もカツラで補う。声は元々高めだから、喋ることがあっても聴衆をがっかりさせることはないだろう。

 細部チェック完了。服装乱れなし。パッドずれなし。カツラずれなし。化粧崩れなし。うん。完璧だ。

 ……何やってんだろうな。俺。

 ふと冷静に返るとこんな異世界に来てまで何やってるんだろうと馬鹿らしくなってくるけど、もう後戻りはできない。最後までやり切って、後で笑われるだけだ。たっぷり弄られようじゃないか。

 

 コンコン。控え室のドアがノックされる。

 

「どうぞ。空いてますよ」

 

 入ってきたのは、若い高校生くらいのぱっとしない男の子だった。

 

「あ、どうもです」

「こんにちは。君も参加者かな?」

「はい。優勝狙ってます」

 

 初対面で言い切るなんて、結構な意気込みだな。

 

「そうなんだね。って、あれ。君は……」

 

 よく見ると、どこか見たことがあるような気がして、記憶を辿る。

 そうだ。あのときの。

 

「もしかして、アマギシ エミリの路上ライブで激しく踊っていた人?」

「え、見ていたんですか? 恥ずかしい。いやあ、大ファンなんですよ! 僕」

 

 女装してカツラを被って、オタ芸を超越した何か、もはやアイドルなりきりと言った方が良いレベルで踊っていた人だ。範囲数メートルに近寄り難いオーラの固有結界を張るほどだったので、妙に印象に残っていた。

 あの女装は堂に入っていた。今日のミスコンみたいなイベントに参加しているとしても納得だ。

 アイドルの話題を振ったことで、俺もファンだと思われたのか、彼は喜んでその方面の話を展開してきた。

 いかに彼女が好きか、素晴らしいかをアイドル論を交えて素直に熱く語る彼を見ていると、ちょっと気圧されそうになるところもあるけれど、まあまあ好印象を持った。好きなことを好きに語れるのはいいことだよね。

 そしてどこか話しやすかった。慣れているというか、初めて話したような気がしないというか。不思議な感じだ。

 ひとしきり話が盛り上がったところで、意気投合した俺たちは、連絡先を交換しようという流れになった。

 

「あ、そうだ。よかったらこのご縁に、連絡先を交換しませんか?」

「もちろん。いいよ」

 

 まず俺の方から、アドレスと名前を送る。向こうにはホシミ ユウの名前が表示されているはずだ。

 

「ホシミ ユウ……。ってことは、エントリーNo.10、ユウちゃんですね!」

「うん。そうだよ」

 

 本番では「ユウちゃん」とちゃん付けで呼ばれることになっている。これが俺のペットネームだ。

 つまり、本名が男らしい人もいて、そのまま呼んでしまっては興が乗らないので、このミスコンでは予め申請しておいたペットネームで呼ばれるというルールがある。ただ俺はそのままでも問題ないので、本名を使わせてもらうことにしたわけだ。

 そこで彼は、改めてじろじろと全身を舐め回して、感心したように深く頷いた。

 

「むむむ、やっぱり可愛いですね。強力なライバル出現だ」

「はは。ありがとう」

 

 こちらは曖昧に頷いておく。女のときだと可愛いって褒められるとそれなりに嬉しいものだけど、今はそんなに嬉しくないかな。

 

「ですが、僕も負けませんよ! 女の子になり切るのは自信があるんです!」

 

 この男、女装にかけては一家言あるのか、妙に張り切っていた。そこまでして証明したいことなのだろうか。だったら俺はこだわりないし、この子に優勝させてあげてもいいかなという気が個人的にはしていた。

 

「ところで、君はどんなペットネームなの?」

「言ってませんでしたね。ほら、ここのNo.11――ふふ、ちょうどあなたの隣ですね」

「どれどれ。――ん? んん!?」

 

 そこに、あり得ないはずの名前が。妙に見慣れた名前が。

 なんで? どうして?

 唐突なあまりの衝撃に、混乱して軽くパニックを起こしかけた。

 

「え、え? 君…………え?」

「? どうしたんですか」

 

 …………いやいや。マジで!?

 

「あ、僕も連絡先送りますね」

 

 ピロリン。

 

 電子音が流れて、電子画面に文字が浮かび上がる。

 

 そこに、記されていた名前。

 

 

 アメノ ミチオ。

 

 

 ミチオ。

 

 アメノ。

 

 ミチオ。

 

 ちょっと。待て。待って。ってことは、まさか。

 

 色んな記憶が頭に駆け巡って半ば放心していると、目の前の青年はちょうどカバンからカツラを取り出し、被ってみせるところだった。

 

 その姿は――。髪の色こそ違えど――。

 

 まさに。まさしく。

 

「…………お」

「はい?」

「お前かあああああああああああーーーーーーーーーっ!」

 

 まさかの正体に、思わず俺は相手を指さし、ラナソールノリで声高に叫んでいた。



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116「夢想と現実のミスコンテスト! 2」

 思わぬところで見つかった。

 エントリーNo.11。ミティ。

 ミチオ――ミティに対応する人物は、なんと男だった!

 

「急に叫んだりしてどうしたんですか!? 何がお前なんですか?」

「いや、あの、ごめん……何でもないんだ……」

「何でもないってことはないでしょう? そんなショック受けた顔して。顔が真っ青ですよ?」

「ごめん。あまりに……衝撃的だったもので……つい……」

「大丈夫ですか?」

 

 お前かと言われたのが気になるだろうに、まずは心配する顔がこちらを覗き込んでくる。

 カツラをしていれば、瞳も顔立ちも、なるほどミティに多少の面影がある。

 しかしどう見てもまだ男の範疇であり、理想化された存在である彼女には届きそうもなかった。

 でも、そうか。そうだったのか……。

 年齢が違う。生死の状態すらも違う。夢想と現実の対応人物に多くの違いがあることはわかっていた。わかっていたはずなのに。

 無意識に可能性を除外していた。性別が違うってことも十分にあり得る話なのか……。

 

 あれ。ってことは、現実で解釈すると、俺はつまりこの男の子に……。

 うわっ、まるで意味合いが違ってくるじゃないか!

 

 やたらスキンシップを求めてきたのとか、あわよくば一つになろうとしてきたりとか。

 あんなことや、こんなことや。

 考え出すと、『心の世界』に溜まった記憶が、一気に、爆発的に、鮮明によみがえってきた。

 しかも、キスまでされ……!

 

「……うおおおおおおおお!」

 

 急に込み上げてきた恥ずかしさやその他諸々の感情にたまらず、俺は側にあった机にガンガンと頭を叩き付けた。

 

「ちょっ、どうしたんですかユウちゃん!?」

「わああああああああああ!」

「わっ、落ち着いて! 落ち着いて下さい!」

「うおえあああああああああ!」

 

 度重なるアプローチがあった。直接的なやつもあれば控えめなやつもあった。際どいのもあった。一年以上同じ屋根で過ごしていれば、それはもう数えきれないほどあったよ!

 元々愛に飢えていた自分は、人に好意を向けられるということにとても弱いのは自覚している。

 ミティは、見てくれは良いし、多少黒かったりあざとかったりするところを除けば、性格も悪くない。真剣に料理を覚えようとか、俺を振り向かせようとか、健気に頑張っているところはむしろ好感さえ覚えていた。

 たまに攻めっ気を見せて、豊かな身体を押し付けられたり、妙に慣れた手つきで攻められたときには、正直危なかった。

 だけど、鋼の意志で耐えてきた。

 リルナ、君がいるからと、君の目の届かないところで不誠実であってはならないと。

 でも、もちろんミティの気持ちが適当なものでないことは知っている。蔑ろにしてはいけないとも思っていて。

 俺は、結構真剣に悩んでいたんだ。どうすべきなのだろうと。

 だというのに。なんだこのオチは!

 リルナ、すまない!

 俺はもう少しで。あと少しで、男に身体を許してしまうところだった!

 

 

 ――――いや。いや。いやいや!

 

 

 違う。ダメだ。その考えは、ダメだ! 失礼だ!

 

 だって、こっちの世界ではどうあれ、向こうの世界のミティは、身も心も本物の女の子であるのは違いないじゃないか。散々押し付けられたから知っている。話してきたから知っている。

 多少男のモノとかの扱いに慣れていても――それはつまり、この人がこうだってことで――でもそれって。

 

 俺と同じじゃないか。

 

 この世界に来るまでの俺と、この世界の先でこれから過ごしていく――男であり女である俺と、何が違うんだ。

 そうだよ。確かにいきなりのことでショックだったけど、だからって彼女を否定しちゃいけない。それは自分を否定することであり、ひいてはこんな自分を肯定してくれたみんなの気持ちを踏みにじることになるんじゃないのか。

 ダメだ。そんなことはしちゃいけない。落ち着け。突然のことで、男に言い寄られたんだと思って、心がびっくりしてしまっただけだ。落ち着くんだ。

 

「ふう……はあ……」

 

 やっと考えが落ち着いてきた。まとまってきた。おかげでひどいことは言わずに済んだ。

 それにしても、恥ずかしい記憶の詰め合わせフラッシュバックというのは恐ろしい。一気に心の平静を失ってしまう。

 せっかく整えたのに、カツラとか色々ずれてしまったし、化粧も崩れてしまっただろうな。

 

「よかったです。落ち着いてくれたみたいで」

 

 気が付くと、青年――ミチオは、ずっと俺の肩をさすってくれていたみたいだった。

 

「本当にすみません。急に取り乱して」

「僕の顔見て、急に何か嫌なことでも思い出したんでしょう? そういうことにしておきます」

「ありがとう。気を遣わせてごめんね」

「いいんです。それに、苦しんでいるあなたを見ていたら、何だか放っておけなくて」

 

 思えば、この男はちょっと話し出してから向こうずっと親しげだった。ミティの好意に引っ張られて、こちらの方にも影響が出ているんだろうか。

 

「同類、か」

 

 俺を一目見たときから、同じ匂いがすると言っていた。

 ミティの直観は、本当に正しかったわけだ。

 同類だ。まさしく同類としか言いようがない。

 

 俺は男で女の子で。君も男で女の子だった。

 

 しかし、いざ逆をやられてみると結構びっくりするもんだな……。

 今までみんなはこれを受け入れてくれたのか。感謝しないとな。

 

 それにしても、こちらでは男でありながら向こうでは女であるということは……もしかして。

 

「急に変なことを聞くけど。君はどうして今回のミスコンに出ようと思ったの? 俺はまあ、周りに勧められてなんだけど」

 

 するとミチオは、悩みがちに答えてくれた。

 

「僕も、変な答えですけど……女の子らしくなって、自分に自信を持ちたいからです」

「自信を持ちたい?」

「はい。こう言うとアレなんですけど……女の恰好をしている方が落ち着くんです。僕」

 

 なるほど。

 夢想の世界には、その人の想う理想の姿が反映される。

 思えば、ミティも「女の子らしくあること」にやたらとこだわっていた。妙にぶりっ子じみた言動、料理が得意であること、とかく外面から入りがちで、どこかちぐはぐで、何か不自然で、空回りしている部分もあったけど……。

 それはつまり、現実のこの人が女の子でないことの、そして――。

 

「男であることが落ち着かなくて。この身体も、本当は嫌で。でも家族もみんなも認めてはくれなくて。女になりたいって思うのは、変ですか?」

 

 女の子になりたいと切望している人間の裏返しであるということだ。

 

「って、あれ。おかしいな。なんで初対面の人に向かってこんなこと言ってんだろ……」

「……いいや。別におかしなことじゃないさ。そういう人たちがいるのは知っているよ」

 

 性同一性障害。地球ではそう呼ばれている分類の人たちがいる。あまり障害って言葉は好きじゃないし、海外では別の言い方をされているみたいだけど。

 身体と心のミスマッチが起こっていて、普段の生活でも強い違和感を覚えてしまう。誰にも言えず深い悩みを抱えてしまったり、周囲の人間の無理解によって深く傷付いてしまうこともある。

 

「ありがとう、ございます。あなたも変ですけど、さっきから変ですね、今日の僕……」

 

 ミチオにとってミティは、そんな諸々の不都合が解消された、理想的な存在なのだろう。

 だけど。そんなミティでさえ、思えば二人きりのとき、時折どうしようもない悩みや苦しみが滲み出て、俺には吐露してくれているように思えた。

 俺にはそれがどうしてかわからなかった。普段明るく振舞う彼女とはあまりに遠かったからだ。

 ただ一つのことがわかってしまえば、家族がいるのにも関わらず一人で宿屋をやっていたという辺りから、おおよそのことを察することはできる。

 トレヴァークにおいて、性同一性障害への理解が進んでいるとは言い難い。彼女も彼も、よほど苦労してきたんだろう。

 

 つい同情してしまって、俯いたとき、たまたまずれていた俺のカツラが、ぽとりと床に落ちた。

 

 顔はほとんど本来そのままの俺と、彼の目が合ったとき。

 

 突然、彼の目からぽろぽろと涙がこぼれ出した。

 

「どうしよう。あれ。なんで。何か、本当に、変だ……」

「ミチオ……」

「どうしてだろう。やっと会えたって。そんな気がするんです。ユウさん。僕と、私とどこかで、会いませんでしたか?」

 

 ――ああ。やっと、わかった。

 同じ匂いを持つ俺なら、同じように男と女の心を身をもって知る俺なら、きっとわかってくれると。受け入れてくれると。君たちの直観は信じていたんだ。

 それが本当の彼女の望みで。身一つで飛び込んできた、彼女のもう一つの依頼で。彼女の好きも愛情も、深い理解を求めることの裏返しでもあって。

 ミティ。ごめんな。今までよくはわかってあげられなくて。

 自分のよくわからない感情を持て余していたんだね。君も。そいつに好きと名前を付けていた。だからあんなに必死で、なりふり構わなくて。ただ自分のことを見る余裕しかなかったんだ。

 君は、心のどこかでずっと助けを求めていた。理解を求めていた。

 やっと、君の気持ちが少しだけわかった気がするよ。

 なら俺も、君たちの心には応えよう。

 

「なあ。よかったらこのコンテストが終わった後でも、いっぱい話をしないか? 悩みとか色々あるんだろうし。吐き出すだけ吐き出してさ。全部聞くよ。もう友達だからさ」

「……お願いしても、いいですか?」

「うん。よろしく。ミティ」

 

 あえてそちらの名前で呼んで、手を差し出した。

 

「はい。ユウさん」

 

 ――繋がった。

 

 繋いだ手の温かさの向こうに、確かにミティの気配を感じた。

 懐からハンカチを取り出して、渡す。

 

「ほら。始まる前から泣いてたら、せっかくのイベントが楽しめないよ」

「……そうですね」

 

 受け取ってしっかり涙を拭いた彼は、どこかすっきりしたようだった。

 

「よーし! ミティ、ユウちゃんには負けませんよぉ!」

 

 アイドルのぶりっ子を取り入れたお馴染みの演技で、笑ってみせる。

 

「はは。その意気だ。行こうか」

 

 

 さて、勝負の世界はとっても厳しい。

 お互い意気込んで挑んだコンテストは、俺とユイがそれぞれ大差で優勝し、結果としてミチオとミティを叩き潰してしまいました。

 ごめん。本当にごめん! なぜか知らないけど、馬鹿みたいに票が入ってしまったんだよ!

 ああ、ダブルミティ、落ち込むなって! 自信なくさないでくれ!



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117「夢の飛空艇プロジェクト 1」

 話の発端は、かなり遡る。

 

 大魔獣討伐祭の日のことだ。レオンとの試合が終わった後、打ち上げパーティーも大盛況だった。

 そのときに色んな人と顔見知りになったのだけど、その中に、トラッド・バッカードとメイリン・バッカードのバッカード兄妹というのがいた。

 兄は俺と同じ26歳、妹は18歳。やや歳は離れている。

 兄のトラッドは、飛空艇『アーマフェイン』プロジェクトなる名目で、宣伝目的で参加していた、というのは参加者名簿に目を通したときに覚えていた。

 二人は雑談もそこそこ、本題の依頼をもちかけてきた。

 件の話は、その飛空艇『アーマフェイン』プロジェクトについてだった。

 バッカード兄妹は、熱く語る。

 

 飛空艇。空を飛ぶ翼がもしあれば、世界の景色は一変するだろう、と。

 

 確かになと思った。もし飛空艇なるものがラナソール――ひいてはトレヴァークに生み出されるようなことがあれば、世界の交通事情、そして景色は一変するだろう。

 二人が語るには、「ミッドオールでも通用する」飛空艇を造りたいということだ。ここが何より大事なポイントだと俺も同意する。

 既に先進区フロンタイムには、空を飛ぶ列車シュルーを始めとして、数えきれないほどの浮遊する乗り物が普通にある。ただしそれらが機能しているのは、理想粒子とも呼ばれるメセクター粒子が、フロンタイムにだけは満ちていて利用できるからだ。一度未開区ミッドオールに着いてしまえば、人は便利な乗り物を捨てて歩かねばならない。そのように世界はデザインされている。

 またトレヴァークでは、空を飛ぶ乗り物の技術発展が遅れている。精々がゆったりと飛ぶ気球船程度のものしかない。

 トレヴァークで作れるのと同じようなものは、当然、ラナソールにもある。けれど、魔獣が平気でうろつくミッドオールでは、とてもではないが通用する代物ではない。いくら魔法で補強しておこうと、元々が強度に乏しい気球では厳しい。簡単に穴を開けられてお陀仏だろう。

 したがって、ミッドオールにおける飛行とは、レオンのような英雄レベルの個人にしか成し得ない奇蹟の技である。

 というのが、これまでの常識だった。

 

「その常識をぶち破る!」

 

 未来の船長を夢見る兄、トラッド・バッカードは、かなりお酒を飲んだのか、すっかり出来上がっていた。紅潮した顔で、高らかに拳を突き上げる。

 

「地の果て、海の果て、空の果て。どこへでも好きな場所へみんなを乗せて行ける船。夢の翼――アーマフェイン」

 

 やはり夢見がちな少女は、そんな兄を微笑ましい目で見つめながら、うっとりと語った。

 アーマフェインとは、夢の翼を意味するラナソ-ル、そしてトレヴァークの言葉である。

 

「たぶん、あともう少しってところまで来てるんだけどね。ユウさん、ユイさん」

「はい」「なに?」

「私と……兄貴の夢を応援してあげて欲しいの。ぜひお手伝い、してくれない?」

 

 もちろん快諾した。

 こうして、俺とユイは、飛空艇『アーマフェイン』プロジェクト、その一翼を担うことになった。

 

 二人の工房は、魔法都市フェルノートに存在している。

 兄妹でやっているというから、もっとこじんまりとした規模を想像していたのだけど。

 街外れにドーンと構えた巨大な倉庫を見て、俺たちは度肝を抜かされた。

 

「おっきいな……」「すごい……おっきい」

「どうよ。中々立派なもんだろう?」

「もう。兄貴、また自慢しちゃって。私たちだけの力じゃないんだからね」

「わかってるって」

 

 まず目を奪われたのは、すぐ正面に設置されているアーマフェイン本体だ。

 どっかのゲームで見たようなデザインをリアルにしたらこうなるのか、という感想だった。金属製の船の上部や側面に、飛ぶためのプロペラがたくさん設置されている。よく見ると、風力を通す穴なども計算された位置に配置されている。

 一体どこで資金を調達したのか、出来上がれば人が何百人も乗れそうな立派な船体だった。

 

「こんなに立派なもの、どうやって?」

「実は、剣麗――レオン様がスポンサーになってくれて」

「俺と妹の熱意が通じたのかもな。ありがたいことだった」

「へえ。レオンがね」

 

 あいつ、こういう人の夢を応援するの好きそうだもんな。金の使い道がないから、とか何とかカッコつけて。

 

「私たち、何を手伝えばいいの? 見た目だけだと、ほとんど完成しているように見えるけど」

 

 ユイが尋ねると、メイリンは寂しい顔で笑った。

 

「見た目だけはね。肝心のところで詰まってて」

「悔しいけど、箱だけさ。エンジンがないとこいつは飛べない」

「それも、試作機をいっぱい作って、ちょっとずつ形は見えてきてるんだけどねー……」

 

 メイリンが本体の脇に目を向ける。そちらには、失敗の跡と見受けられる無数の小型試作機と、残骸があった。

 なるほど。肝心のエンジンがないと、どんなに立派な船体もただの巨大な模型でしかないからな。

 まずは試作機でテストして、それが上手くいけば徐々にサイズを上げて、最後は大型のエンジンを本体のアーマフェインに組み込むつもりであるらしい。

 

「じゃあエンジン造りのお手伝いをして欲しいってこと?」

「ああ。技術的な面と、材料的な面で色々と足りてなくてね。技術的な面はまだ、頑張ろうって思えるんだけど……どうしても材料が。ミッドオールの高ランク魔獣の素材や、貴重な鉱物が大量に必要なんだ」

「材料については、レオンに頼んで持ってきてもらうってのは無理だったのか?」

「相談してみたんだけど、やっぱりすごく忙しいみたいで。あと、僕よりもユウさんとユイさんならきっと何かヒントになることを知っているし、力になってくれるんじゃないかって。それで」

「あいつめ」

「あはは。そうだったの」

 

 すました顔で、上手く回されてしまったわけだ。

 そして、レオンの想像は正しい。

 実は、手伝うどころか、俺たちはほとんど答えを持っている。答えだけなら持っている。

 近未来のテクノロジーが生み出した怪物マシン――ディース=クライツ。フライトモードを解析すれば、マッハをも超える速度を実現するエンジン機構を明らかにすることができるはずだ。

 しかしそれは、世界に対して二足も三足も先を行く、本来存在してはならない技術である。

 以前、俺は似たようなことで失敗している。

 つい軽い気持ちで、サークリスでトランプを普及させてしまった件だ。あの後、アリスの口コミから爆発的に普及したトランプは、サークリスどころか、国全体における遊びの一つのスタンダードとして確立されてしまった。俺たちが何かをよそから持ち込むことによって、世界は思ったよりも簡単に姿を変えてしまう。

 ウィルが創り上げた浮遊都市エデルが、世界に覇を唱えて増長し、しまいにあんなことになってしまったように。不自然な技術は、きっと世界に歪みをもたらすだろう。

 だから、今ここで兄妹に答えを教えてしまうことが、果たして正しいことなのかというと、俺にはそうは思えなかった。

 あくまでさりげなく手助けするに留めようと心に誓い、こっそり念話で相談したユイも同意した。

 

 ということで、色んな依頼のついでに魔獣の素材や鉱物をせっせと集めては二人の工房に回したり、時々様子を見に来ては、エンジン機構についてさりげないアドバイスを贈ったりということが続いていた。

 一方で、トレヴァークにおける対応人物の捜索も、エインアークスの人手を使って進めていた。

 夢想の世界で飛空艇を造ろうとしているならば、きっと現実世界でも造ろうと夢見ているはずだ。現実の方に働きかけることで、より夢の実現に近付く発想が得られるのではないか、と考えたからだ。

 とは言え夢を見ているだけで、現実には造っていない可能性も高い。その場合は、捜索は難しいだろう。

 ヒントが少ないのと、別に探すことは急ぎでもなかったので、捜索には時間がかかった。何度かのはずれを経て(握手でもしてみないとわからないので、どうやって相手に触れるか、そこもちょっと苦労したわけだけど)、ついに先日、今度こそ同一人物ではないかと目される人が見つかった。

 

 そして事実を知ってまた、深く気分が落ち込んでしまった。

 

 二人の名前はそのままだった。

 バッカード兄妹は、現実でも飛空艇プロジェクトを推し進めていた。

 しかしそれは到底プロジェクトと呼べるような立派な規模のものではない、「夢の飛空艇プロジェクト」だった。

 何もかも夢のようにはいかなかった。

 強力なスポンサーであるレオンは、現実にはいない。人も簡単には集まってくれない。

 開発の規模はずっと小さく、資料を読むだけでも、資金集めから何から、大変な苦労をしてきたことが窺える。

 恐ろしい額の借金をしていた。実は借り先の一つを辿るとエインアークスに繋がっていて、借用書のデータからすべて身元が割れてしまったというのが発見の経緯だったのだ。

 ネットでも、一部で陰口が叩かれていた。いわく、「地に足のついていない変人兄妹」「鳥頭」「キチガイ」等々。

 

 しかし何よりも、打ちのめされそうになった事実は。

 

 兄の、トラッドの方は……数年前の飛行テストの事故で、帰らぬ人となっていた。

 

 それでも妹は諦めなかったらしい。どうやってか、年端いかぬ身でさらに資金を調達して、人からどんなに笑われようとも、呆れられようとも、兄が始めた夢を継いで、執念で開発を続けているという。

 

 とにかく話を聞いてみよう。そして何かできることがあるなら、力になろう。

 今は、兄妹にとっての完成形のその先であるディース=クライツを駆って、ステイブルグラッドへ向かって飛行を続けているところだった。



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118「夢の飛空艇プロジェクト 2」

 ステイブルグラッドは、『世界の道』トレヴィス=ラグノーディスを結ぶ一点を担う大都市である。

 そこから道なりに東へ辿っていけば、以前訪れたドートリコルに繋がっている。

 一方で、西へ向かって移動する者はまずほとんどいない。

 西には、もう百年以上も前になるという最後の世界大戦の影響で廃れた『ゴーストタウン』ナズレがあるのみである。

 さて、規模ではトリグラーブに劣り、工業ではダイクロップスに後れを取り、観光地としてはドートリコルに水をあけられ、何もかもが中途半端であるが、その一見際立ったところのないことこそが、ステイブルグラッドという都市の特徴でもある。

 地味さと引き換えに誇るものが、暮らし心地の良さだと言われている。首都ほど人もおらず、騒がしくなく、色々な面で窮屈としていない。仕事面でも生活面でも、こだわりさえなければとりあえず欲しいものは何でも近場で揃う。工業要塞都市と物々しい別名で呼ばれるダイクロップスが誇る世界最強の私兵団『レッドドルーザー』ほどではないにせよ、独自の防衛戦力として『ステイバー』という自警団が組織されていて、治安も良い。

 そういった諸々の細かな利点が重なって、住宅地としての人気は高く、世界中から様々な人種が移り住んでくる。住みやすい街No.1に五年連続で選ばれたとか何とか、何かの本で見た。

 特に北の街外れの、爆心地を臨まない方向の山合いの近くは自然が美しく、高級な別荘地としての顔も持っている(爆心地を臨む方向は逆に人気が低くて安い。景観が段違いのようだ)。

 

 俺は、エインアークスが記録している通りの場所へ向かった。爆心地側の街外れに工房を構えて、南の高原で小型機のテスト飛行を繰り返しているらしい。昼間に行けばきっと会えるはずだ。

 いざ工房が近づいてくると、夢想との落差がひどいことが一目で感じられた。

 すぐ近くに建物はなく、ただ一軒だけぽつんと建つ吹き曝しのガレージの横に、推計六畳間程度の生活空間をくっつけたような設計だった。小さい上に殺風景だ。あちこちが風雨に晒されて塗装が剥げ、ぼろぼろである。マハドラへ行ったときも寂れた印象を抱いたものだけど、もはや寂しさを通り越して痛ましい。

 ガレージのシャッターはぴたりと閉まっていて、中身を窺うことはできない。

 まずは会ってみよう。

 インターホンなどもないので、ドアを直接ノックする。返答はない。

 留守にしてるのかな。いや、気を探ってみると確かにいると言っている。居留守を使っていると見た。

 もう一度。今度は少し強めにノックしてみる。声もかけた。

 

「すみません。アイリン・バッカードさんいらっしゃいますよね?」

「お金ならもう少し待ってくれよ!」

 

 乱暴に怒鳴られた。

 声は聞いたことがある。ラナソールの彼女そのままだ。ただ一声聞いただけでまるで印象が違った。

 

「いえ、俺別に借金取りとかじゃないので。君の開発しているものに興味があって話を伺いに来ました」

「へえそうなの。ちょっと待ってな」

 

 しばらく待っていると、ギイ、と軋んだ音を立ててドアが開いた。

 現れた人物を見て、ますます認識を修正せざるを得なかった。

 基本の顔立ちは向こうと同じで整っているが、オイルと土埃に塗れた顔の汚れがひどい。色濃い隈に縁どられた目つきは荒んでいる。服装は、使い込んでくたびれた水色の作業着が肌着一枚だけだ。はだけられた胸元から横乳が覗いていて、どうにも目のやり場に困る。

 向こうの彼女はもっとお上品にまとめていたのだけど。素材が同じでも、こうも違って見えるものなのか。

 

「なんだ。声が若いと思ったら、子供じゃないか」

 

 君もまだ未成年じゃないかと突っ込むには、彼女の印象は歳の近いはずのハルやリクのそれとはかけ離れていた。よほど大人びて見えるし、この歳で人生に苦い部分を噛み締めてきたような面構えをしている。

 一方こっちは高校一年生の肉体だけど、中学生っぽさ満載のマスクのせいでまた余計子供に見られてしまった。

 

「一応これでも大人なんです。こういう者です」

 

 身分証をかざす。何でも屋『アセッド』の社員証、せっかくだから盛大に作ったんだよね。しっかりしたやつを。

 

「何でも屋……? どっかで聞いたような。にしたって変なところね」

 

 言いつつ、世間では変人で通っている彼女は、似たような匂いを感じ取って嬉しくなったのだろうか、口元が少し緩んでいた。でも言葉はあくまでぶっきらぼうだ。

 

「何でも屋さんが何の用だ。うちで造ってるのは見せ物じゃないんだ。冷やかしなら勘弁してくれよ?」

「興味があって来たんです。取材という体で話を伺わせてもらえませんか。少ないですが、謝礼も用意してます」

 

 冗談でないことを伝えるために、100ジット札を10枚ちらつかせる。立場を利用するようで悪いけど、生活には間違いなく困っているだろうから、これで食いついてはくれるだろう。

 予想通り、彼女は目の色を変えた。

 

「ほう。変わった人もいるものね。でも助かるわ。ちょうど明日何食べようか困ってたところなんだ」

「ではお邪魔してもいいですか」

「いいよ。狭いけど上がって」

 

 本当に狭かった。ただ二人いれば、それだけでいっぱいだ。兄が存命だった頃は、こんな狭いところで二人で暮らしていたのだろうか。

 ラナソールの彼女と違って、扱いが難しいところもあるかと身構えていたが、取材が始まってしまえば杞憂に終わった。

 とにかく口がよく動く。純粋に興味を持ってもらえたのがよほど嬉しかったらしい。

 元々開発者や研究者というのは、自分のしていることを喜々として話したがる人種が多い。彼らのやっていることそれ自体がアイデンティティなのだから、自らのそれを誇りたがるのは普通の感情だろう。彼女も例外ではなかったわけだ。

 そして気を良くした彼女は、造りかけの船体を見せてやるとシャッターを開けてくれた。

 

「空飛ぶ船――飛空艇のようなデザインが夢だったんだけどな。兄貴と実現性を追求していくうちに、もっとスマートな形状でないといけないと気付いた。それから翼のような何か――そうでないなら、代わりになるものが必要だ。こいつはね、回転の力を利用して浮かぶんだ。でも一つだけじゃアホみたいにくるくる回るだけだから、反対の方向にも回転の力を加える部分が必要。で、こんな妙な形になっていったわけだ」

 

 船や車だけが常識的な乗り物とされる世界なら、これは異端に映っても仕方ないだろう。

 

 すごいな。ほとんどヘリコプターじゃないか。

 

 いかにして空を飛ぶのか。解答の一つに予想以上に近いものが出て来て、驚かされた。

 船や車がそのままの形で空を飛ぶというのは、それしか知らない者からすれば自然な発想の展開に思えるが、すぐさま壁にぶち当たる。

 当然、あれらは海や陸を走るためのものであり。あれらの形のどこも空を飛ぶのに適した設計、形をしていないからだ。エルンティアの超技術である反重力機構か、ラナソールの胡散臭いメセクターエンジンでも備えていなければ、どうやっても実現しない代物なのである。

 魔法というものが存在せず、物理法則が地球と近いものであるならば、物理的制約によって、かなりの程度実現可能な候補は絞られるだろう。

 とにかく何らかの形で揚力を発生させねばならない。この兄妹は、独力でそのための機構を考え付き、空想に留まらず具体案として示して見せた。

 まさしく天才の所業だ。本物だ。

 ただ他人の偉大な成果を知っているだけの俺なんかが横からヒントを出そうなどと、おこがましい。

 これは――できるぞ。まだまだ実用化には時間がかかるかもしれないけど、必要な資金と人材さえつぎ込めば、いつかは成功する。間違いない。

 口に出さないながらも、興奮していたのが伝わっていたのか、アイリンは目を細めた。

 

「へえ、わかるんだ。こいつを見てそんなに目を輝かせたのは、アンタが初めてだよ」

「わかるさ。わかるよ! これ、絶対に飛べるよ! もしできれば、世界の景色が一変する。間違いない!」

「そこまで言うか? 何だか本当にいけそうな気がしてきたわ」

 

 にやりとする彼女。言われて驚いてはいない。内心ではかなり自信があったようだ。

 

「実を言うと、小型の試作機でテスト飛行には成功してるんだ……一定高度までは」

「一定高度までは、か。あの山のせいだね」

「そ。わかってるね。回転機構は強風に弱い。グレートバリアウォール性乱気流が最大のネックでさ」

 

 つまりは、ある程度まではいけるけど結局は墜落してしまう、ということなのだろう。

 地球とは上空の事情が大きく違うから、その辺どうすれば上手くいくのはわからないけど。方向性としては間違っていないはずだと思う。

 

「理論上はいけてるはずなんだ。もっと強い機体が必要だ。強風にも負けない、鋼の翼が。安定のための質量が。そいつを飛ばすパワーを持ったエンジンが」

 

 木材メインで造り上げた「飛空艇」の側面を愛でるようにコツコツと叩いて、彼女は頷いた。

 

「ちょっと8桁ばかり金額が足りないけどねー」

 

 冗談めかして言うが、表情からは隠し切れない悔しさが滲んでいる。

 数千万ジットはかかると見ているのだろう。おそらくその見立ては正しい。何もないところから機体、ブレード、エンジンを造り上げるとなれば、そのくらいはまず必要だ。とても個人で賄える額ではない。

 しかしだ。

 巡り合わせを感じた。もしかしたら、今日俺はそのために――夢を夢で終わらせないために――来たのかもしれないと思った。

 

「お金のことなら、何とかできるかもしれない」

「……本当か?」

 

 ボスに話を通した。

 実現性が高いこと、ビジネスとしても十分勝算があること、もし実現すれば世界の距離が近くなることを熱心にプレゼンした。

 数日後。エインアークスの息がかかった大企業メーカーがわざわざ丁重にやってきて、あっさりとスポンサー契約が結ばれた。

 見慣れないような偉い人が来て、さしものアイリンも緊張していたようだったけど。

 

「……ハハ。ハハハ!」

 

 お偉いさんが帰るのを見届けた彼女は、六畳間で笑い転げた。

 

「マジで何でも屋だな! アンタ! 何者か知らないけど、こんなにあっさりと実現しちゃうなんて! 夢みたいだ!」

「君と兄の頑張りや発想がなければ、スムーズに話は進まなかったよ。誇っていい。君たち兄妹自身の力だよ」

「ハハハ……やっとか。兄貴。やっとだよ」

 

 寝転がったまま天井を見上げて、しんみりとした顔で言った。

 

「兄貴は本当しょうがない奴でさ。あの日も、自分の目で確かめないとって張り切っちゃって。ほんとバカな兄貴だったよ」

 

 ゆっくりと身体を起こして、こちらを見つめる。

 

「小さいときから飛行バカで、話すこともそればっかで。当時の私って、絵描きが好きな普通の女の子だからな?」

 

 今のオーバーオールが似合いそうな彼女を見たら、当時の彼女はひっくり返るかもしれないな。

 

「でも私は、そんな兄貴が大好きだったんだ」

「そっか」

 

 そのときの彼女がそのままで、兄の後をついていくように成長していくと、ちょうどラナソールの彼女のようになるのだろう。

 兄がいて。半歩だけ引いて。夢を語る隣で笑っている。確かにそれが理想の姿なのしれない。

 だけど現実の兄は亡くなってしまった。兄が持っていた強さの分まで、現実の彼女は逞しくならなければならなかったんだ。

 

「だから、私が証明しないとって思ったの。兄貴はただのバカ野郎なんかじゃなかったって。私たちは間違ってなかったんだって」

 

 兄貴のようになりたくて、めっちゃ勉強とか色々頑張ったんだと述懐するアイリンは、どこか寂しげだった。

 やっぱり本心では、はしゃぐ兄の隣で喜んでいたかったのだろう。

 

「トラッドさんもさ、たぶん喜んでくれるよ」

「だといいなあ。空に行けば、兄貴にも少しは近づけるかな?」

「きっとね」

「……なあ。ユウ」

「うん?」

「その…………色々、ありがとな」

 

 少し照れて顔を赤らめているアイリンが、手を差し出した。握手を交わす。

 

 ――繋がった。

 

「いつかできたら、一番に乗せてやるよ! 楽しみにしとけ!」

「ああ。楽しみにしてるよ」

 

 頑張れ。君は現実で夢を叶えてくれ。

 いつか完成する。その希望がきっと、夢想の世界にも繋がっていく。

 物理制約に縛られない本物の飛空艇が出来上がる日も、きっと来るだろう。

 せめて向こうでは、兄と一緒に夢の達成を喜んで欲しい。心からそう思った。



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119「世界の果てへ挑め」

「まいったぜ」

「いやほんとまいったわ」

 

 順調に冒険を続けていたはずのランドとシルヴィアは今、二人揃って、夜の食堂で酒を呷りながらグダっていた。

 相当気落ちしているみたいだ。

 

「せっかくユウさんに修行付けてもらってるのによー。あれじゃどうしようもねえぜ」

「私も無理。もう動きにくくって仕方ないわ」

 

 二人の嘆くところによれば、どうやら非常に広大なパワーレスエリアにぶち当たってしまったようだった。

 パワーレスエリアでは、その名が示す通り、彼らラナソールの人間はまともに力を発揮することができない。原因はおそらく、トレヴァークとの境界が近くなってしまっている場所だからだと推測される。実際、世界に穴が開く現象が観察されるのは、ほとんどパワーレスエリアのどこかだ。

 トレヴァークに近いということはつまり、ランドはそれだけリクのスペックに近付き、シルヴィアはシズハのスペックに近付く。現実世界の二人は、ラナソールに比べるとほんの小さな力しか持っていないので、全身から力が抜けたように感じてしまうのだろう。

 たぶん一番ひどくやられてしまうのがユイで、彼女は現実世界での肉体を持っていないから、まったく動けなくなってしまう。その上、もし世界の穴に飲み込まれてしまったらどうなるのかは、想像したくもない。もちろん身代わりになってでも、絶対にさせるつもりはない。

 その点、俺はまだ相対的には動ける方だった。要はトレヴァークに行ったようなものだと思って動けばいいだけのことだ。

 いざとなればまた俺が助け舟を出すつもりで、耳を傾けていた。

 

「シルよう~。お前の方が妙に動きが軽やかだったもんで、助かったけどな。俺はすぐバテちまった。情けないったらありゃしねえ」

「いいのよ。困ったときはお互い様だって何度も言ってるでしょう」

「はは。違いねえ」

 

 パワーレスエリアにおけるランドとシルの調子の差は、リクが単なる一般人で、シズハがよく訓練されたプロであることに起因すると思われる。

 

「広いってどのくらいなんだ」

「わからねえ。とにかく滅茶苦茶広いぜ。ほとんど何にもないところだから、ただ歩くだけだったんだけどな」

「ほとんど何もないって?」

 

 ユイも興味を示して、カウンター越しに会話に参加してきた。

 

「妙なとこなのよ。どこまで歩いて行っても殺風景な荒野」

「そして、どこまでもパワーレスエリアだったのさ。頑張って歩いたんだけどさ、途中で帰りの分の食糧が足りなくなりそうだったんで、泣く泣くギブアップだ」

 

 パワーレスエリアでは、ワープクリスタルなんて「夢みたいな代物」も使えないので、レジンバークに帰っての補給が一切できない。食糧計算をして、無理をせず生還してきたところは立派なものだ。

 

「何とかエリアを避けられないかってずーっと荒野の辺境を走ってみたのだけど……ダメね」

「ぐるっと囲むように配置されてるみてーだ。ちくしょう」

 

 二人は仲良く肩をすくめ、溜息を吐いた。

 

「ほう。君たちもそこまで辿り着いたか」

 

 そこに、近くのテーブルからピンク髪の優男が寄ってきた。

 

「うおっ!? しれっと剣麗様がいらっしゃる!?」

「ナチュラルにいるし!? ビビったわ!」

 

 そう言えば今日は、久しぶりにレオンが来てたな。

 彼は洒落たグラスを片手に、優雅な立ちスタイルでお酒を楽しんでいる。中に注がれているのはうちの人気メニュー、甘い完熟アリムの果汁をブレンドしたカクテルだ。口当たりがまろやかで、女性や子供にも人気がある。俺たちは、彼がしょっちゅうそれを頼んでいるのを知っている。どうやら彼は、甘めのお酒がお気に入りのようだ。

 

「ふっ、そう身構えなくても。僕は、君たちとはもっと仲良くなれそうな気がしているけれどね」

「やった! あんたからそんなことを言ってもらえるなんて光栄だぜ」

「まさか剣麗様からそんなに高い評価を受けてるなんてね」

「それだけではないけどね」

 

 レオンは曖昧な言葉で、穏やかに微笑んだ。

 

「ところで剣麗さん。あんた、俺たちもって言ったよな? やっぱあんたも辿り着いていたのか? しかも俺たちより先に」

「ちょっと悔しいけど、別に不思議なことじゃないわね」

 

 ワールド・エンドを目指すグランドクエストに挑む面々に、現在レオンは名を連ねていない。しかし非公式には、彼は挑んだのではないかと噂されている。それもかなりのところまで進んだのではないかと。

 その通りであるという事実を、彼は結構前に俺とユイには打ち明けてくれた。

 今さら隠すようなことでもないのか、彼は首肯する。

 

「果ての荒野、と呼んでいるよ。もっとも、本当に果てかどうかはわからないけどね」

「果ての荒野、か。なんとなくそれっぽいネーミングでいい感じじゃねーか!」

 

 俄然やる気出てきた、と勢い握りこぶしを作るランド。

 

「ランドはほんと単純でいいわね」

「おうよ。男はくよくよ悩んでも仕方ねえ。やると決めて、やるだけさ」

「どっかの誰かさんたちに聞かせてあげたいわ。男と言わず女にも」

 

 シルが皮肉気に言っているのは、色んなことでくよくよ悩むもう一人の彼と、あともう一人の自分を指してのことだろう。

 

「聞かせたい奴がいるのか? 別にそんなありがたい言葉でもねーよーな気がするんだけどな」

「でも私は結構救われたわよ。あんたのそのバカっていうか、軽さに」

「バカは余計だろ。確かにそうだけどよ」

「本当は悩んでいても、私の前だと明るく振舞ってくれるところとか」

「んー? 別にそんなことねーぞ」

 

 いつも能天気なつもりのランドは要領を得ないのか、首を傾げている。

 わかる人だけにはわかる言葉だ。内心ににやにやしてしまう自分を許して欲しい。

 

「それでね、いつでも好きなことには、少年みたいに目を輝かせられる。そんなあなたが好きよ」

 

 たぶんランドとリク、二人に対して言っていた。

 さらっと言ってしまった後に、シルが気付いて、あわわと慌てふためいた。

 ランドも気付いて、頭の上にボンッと沸騰するような効果音でも付きそうなほど戸惑っている。

 二人とも、完熟アリムの実のように真っ赤になっていった。

 

「バッ……! お前、人前で照れるじゃねーか!」

「あっ、勘違いしないで! パートナーとしてよ!」

「そうか! だよな!」

「うん! そうよ!」

 

 ちらりと目を逸らすと、ユイとミティと目が合った。

 完全に同意見だ。

 もうお前らくっついて爆発してしまえ。

 

 たまらず吹き出したのが、レオンだった。

 

「ハハハ! いやあ、いいね。青春だね!」

「わ、私たち、別にそんなんじゃないし!」

「ただのなかーま、ビジネスライクってやつだぜ!」

「ねー」「なー」

 

 いやもうそのやりとりがね。

 レオンも笑いが止まらないようだった。

 

「フフ、羨ましい限りだよ。僕も恋の一つでもしてみたいものだ」

 

 ちらりと俺の方に視線を投げかけるので、曖昧に笑っておいた。

 

「だから! そうじゃないって言ってるでしょ」

「ん、でも意外だな。あんたほどの英雄様なら、美女なんていくらでも寄って来そうなもんなのに」

「あら、本当ね。性格だって悪くないと思うわよ?」 

「いや……まあ、来るには来るんだけどね。扱いをどうしたものかと、いつも困ってしまうんだ」

 

 本当に困っているのか、彼は苦笑いしていた。

 

「優男が災いするってか? 紳士なんだなあおい!」

 

 気楽に肩をバンバンと叩くあたり、実際ちょっと話してみたらレオンとランドはもう打ち解けたようだ。

 

「そんなもの、適当に食い散らかしたってバチ当たらないわよ。キャーレオン様に抱いていただけたわー! なんて目をキラッキラさせて語るに決まってるわ。ついでに私も広めてやるわ」

 

 さすがシルヴィアさん。つよい。

 

「本当に好きでもないのに、気安く触れるわけにはいかないよ。女性は大切に扱わないとね」

「ほーお。立派です。お堅い方なんですねぇ」

 

 ミティが感心したように頷く。

 例の事件があってから、ミティからはどこか強張りが取れたというか、思い詰めたような表情を見せることが少なくなった。

 でもますます俺のことが好きになってしまったみたいで、事情も理由もわかっちゃったから、余計無下にしにくいというか。

 ユイが遠方の仕事で離れ、俺が深夜まで仕事をした日の帰り、「温めておきました」と俺の布団からひょこっと顔を出したときには、空いた口が塞がらなかったよ。

「わたし、本当に現地妻でいいんですよ? ユウさんのひとときになれるなら」って一言まで添えてきて。ゆるい寝間着と、無理のない範囲で煽情的な衣装だし。

 追い出すのも偲びなくて、結局、隣で寝ることは認めてしまった。よく手を出さなかったと思う。

 彼女の方もアプローチを切り替えたらしく、自分を投げ売りするようなことはしないで、時間をかけてじっくり攻めてくるつもりらしい。しかも一緒に寝られるだけで結構嬉しそうに満足していた。

 こう素直に来られると……俺の弱いやつだ。

 しかし、向こうでは男とは思えないくらいいい身体していて、匂いもいいんだよな。さすが理想の姿だ。

 

 思考が逸れている間に、いつの間にか話題は元に戻っていた。

 

「僕は、果ての荒野こそが、ラナソールの人間を阻む最大の壁なのではないかと考えている」

「確かにそんな気がしてくるな」

 

 そうなると、いよいよ世界の果てが近づいているのかもしれないな。

 果てはどうなっているんだろう。いくつか予想される形の候補はあるけれど。

 楽しみ半分。怖さ半分かな。

 

 レオンはランドシルの方を見て、どこか寂しげに笑った。

 

「実は恥ずかしながら、僕が諦めた地点がそこなんだ。僕はパワーレスエリアの影響を致命的に受けてしまうからね。歩くのも困難になってしまったよ。そういうものだと思って、諦めるしかなかったんだ」

 

 なるほど。レオンはパワーレスエリアだと、歩くのも大変なくらいになってしまうのか。

 

 ――ああ、そうか。なるほど。なるほど。

 

「へえ。剣麗さんにも意外な弱点があったってわけか。でもパワーレスエリアじゃしょうがないよなあ」

「私たちは何とか歩けはするものね。まだ恵まれているのかもね」

「そうだなあ。よーし、剣麗さんの分まで俺たちが頑張ろうぜ!」

「そうね!」

「はは、その意気だよ。君たちが僕には辿り着けなかった世界を見てくることを期待しているよ」

「「任せろ(て)!」」

 

 ランドシルは、決意を新たにしたみたいだ。目付きが燃えている。

 

「というわけでユウさん! またまた力を貸してくれよ!」

「ある程度まで何とかしてくれたら、あとは私たちで頑張るわ。お願い」

「わかった。依頼を承ったよ」

 

 どうやらいいところまで来てるんだ。一肌脱ぐとしようじゃないか。

 

 そして、ランドとシルヴィア最長の冒険、果ての荒野攻略作戦が幕を開けた。

 

 俺が採ることにした支援は、実にシンプルで、ささやかなものだ。全面的にバックアップするのはやめた。

 ユイが先に言い出したことだけど、この世界はフェバルにとって不寛容にできている。今までは俺たちがフェバルとして不完全だからという理由? でお目こぼしをもらっていたけど、いざ本当に世界の果てが近付いてくれば、どうなるかわからない。最悪、果ての姿を見せてくれないかもしれない。

 あくまで彼ら自身に到達して欲しかった。だから力が発揮できなくても、頑張って進んでもらうことにする。彼らもやる気だしね。

 問題は食糧だった。補給手段だけは、彼ら自身ではどうしようもない。

 そこで俺の出番だ。

 トレヴァークからリクもしくはシズハを介してラナソールへ行けば、いつでもランドとシルの目の前に行くことができる。そして俺には『心の世界』ストレージがある。無限食糧倉庫としての役割を果たせるのだ。

 何日かおきに二人の下へ訪れて、食糧セットを置いていけばいいだろう。

 実のところ、俺の支援は本当にそれだけだった。

 たぶん、長い冒険になるだろう。レジンバークには帰れない日々が続くだろう。

 頑張れ。ランド。シルヴィア。

 夢の果ては、君たちの手にかかっている。



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120「英雄の素顔」

 二人がいよいよ剣麗も到達できなかった難所に挑むらしいという噂は、うちの食堂を発信地として、すぐにレジンバーク中を駆け巡った。

 レジンバークの人は、とにかくお祭り騒ぎが大好きだ。出発式をしようという話になった。

 多くの冒険者仲間に見送られて、ランドとシルは、意気揚々と果ての荒野に旅立っていった。

 

 たっぷり食糧を持っていったので、次に見えるのは大体一週間後になるだろう。一応緊急で何かあったときは、強く助けを念じてくれと伝えてある。《マインドリンカー》を張っておいたから、強い想いがあればこちらに伝わってくるようになっている。ついでに力を増幅させる効果もあるので、いくらか楽になるはずだ。

 これをずっと続けるのは結構な負担なんだけど、俺とユイも頑張ろう。

 

 さて、日頃お世話になってきたリク-ランドパスとシズハ-シルヴィアパスは、しばらく自由に使えなくなる。

 ではどうやってトレヴァークに移動するかというと。

 二年近くもの時間をかけて着々と積み重ねてきた実績は、今や世界中に絆の網を張り巡らせていた。ありのまま団や依頼人のうちで、特に仲を深めた人の手を取れば、どこからでもトレヴァークに向かうことができるだろう。

 とは言え、トレヴァークの人たちにとっては、何もないところからいきなり俺が出て来るわけで。ほとんど怪奇現象だ。色んな人に対して無節操にやってると、それだけでニュースになりかねない。最悪不法侵入だ何だとかで捕まるかもしれない。

 できればリクやシズハのような、俺のことを世間に言いふらさず、かついきなり現れることを許容してくれるような親しい人物が望ましい。

 ランドとシルがいない今、それがいけそうな人物には、身近なところで二組ほど思い当たりがある。

 一組はもちろん、ミチオ-ミティだ。

 ただし聞いたところによれば、ミチオが普段住んでいるところはアロステップという町で、トリグラーブではない。

 アロステップは。トレヴィス=ラグノーディスで繋がるトレヴィス大陸東端の町――つまりラナソールでいうここレジンバークとほぼ同じところに位置する町である。写真や本で見た限りでは、レジンバークから冒険者要素をごっそり抜き去ったようなところで、入り組んだ形状の通りは健在だが、こちらと比べると面白味はない。

 彼はミスコンに出るために、わざわざバスタートラック、ダイクロップスを経由してはるばる大陸中央のトリグラーブまでやって来た旅行者だった。

 ……なのに軽く負かしちゃってごめん。

 まあそれはさておき。

 なんだかんだ言っても、世界の中心地はトリグラーブであり、普段はあそこを起点に諸々の活動をする方が、何かと都合が良い。アロステップからトリグラーブまで、普通に陸路で行けば一週間レベルの時間がかかるし、ディース=クライツを使って飛んでも半日はかかる。フライトモードは消費が激しいから、毎度ラナソールのユイに送って、雷魔法でチャージしてもらうという手間もかかる。

 なので、トリグラーブに直接行ける人物がより望ましい。

 

 俺は長い間気付けなかった。全ての望ましい条件を満たす人物が、ずっと近くにいたことを。

 

 数々の状況証拠は、おそらくそうだと言っている。

 ただ確信だけがなかった。自信が持てないうちは、あいつはそこを見抜いてはぐらかすだろう。

 

 さあ、答え合わせの時間だ。

 

 出発式が終わり、ギャラリーがまばらに帰っていく中、その人物の背中を叩いて、呼び止めた。

 

「なんだい。ユウ君」

「君は約束通り、ずっと協力してくれてたんだな」

 

 あえて、長い方の名前で呼んだ。

 

 

 

「レオンハルト。いや――ハル」

 

 

 

「おや。やっと気付いたのかい?」

 

 彼はにやりと、いつものように優雅ではなく、どこか子供っぽい調子で笑った。

 

 やっぱりか。君がこちら側のハルだったんだ。

 

「本当なら、もっと早く気付いてあげるべきだったんだけどね。確信が持てなかったんだ」

「まあ無理もないさ。性別も姿も、まるっきり違うからね」

 

 彼は自分の身体を確かめるように、伝説の鎧をコンコンと叩いた。

 

「それもあるけど。まるでレオンのことを他人のように話すものだからさ。すっかり騙されたよ」

 

 名前がよく似ていて同性の冒険者、『剣姫』ハルティ・クライかと考えていた時期もあったほどだ。口調も似ていたし。

 

「僕だって簡単にバレたら、面白くないだろう?」

 

 あくまで悪びれずに微笑む彼に、してやられたなと改めて思う。でも悪くない気分だった。

 

「時間はかかったけど、ゲーム終了ってことでいいかな」

「いいとも。よく見つけてくれたね。待っていたよ」

 

 彼は自分の胸に手を当てて、芝居ががった調子でお辞儀をしてみせた。

 

「改めまして。レオンハルト・スノウザー。それが僕のフルネームだ」

 

 レオン「ハル」ト・「スノウ」ザー。

 なるほど。ユキミ ハルだ。

 

「初めて聞いたな。それ」

「だってわざとレオンと名乗っていたし、呼ばせていたからね」

「うわ。結構負けず嫌いなんだね。君も」

「ゲームとなれば、それはもう本気さ。たまにハルを真面目に探している君を見ていて、こっそり楽しかったよ」

 

 ふふっと、まるで女の子のときのように彼は笑った。

 

 男で、女で。

 

 この世界に来るまで、俺のような境遇の人間はまあいないだろうと思っていたけど。

 驚いたよ。そして嬉しいかな。同類が結構いるものだ。

 どうせならユイと分かれているときでなくて、目の前で変身させて驚かせ返してやりたかったかな。

 どことなく漂う中性的な雰囲気と、時折見られた女性らしい仕草や好みは、わかってみれば本物の女性のそれから来ているのだとわかる。

 女性にとって一番のイケメンに映るのは、カッコいい同性だとたまに言われるけど。

 カッコいい同性をそのまま男性にしたような「私たちの考えた最高のイケメン」が、剣麗レオンハルトというわけだ。

 なにせ中身が女性で、しかもミティと違ってそのことを自覚している。

 下心もない。強い。優しい。カッコいい。となれば、当然のようにモテまくる。女性の憧れを具現化したような存在だ。オーラも出る。倒れる奴もまあ出てくる。

 そして彼が、いや彼女が、言い寄られて困ってしまうのも納得だ。本人にその気がまったくないのだから。

 そんな、彼と言っていいのか彼女と言っていいのかわからないレオンは――いや、もうあえてハルと呼ぼう――ハルは、いたずらっ子が種明かしをするように、全身を見せびらかして笑った。

 

「どうだい。正体を知って。とっても驚いただろう?」

「いや……。実は最近、もっと驚いた事例があって……ほんとはそれで確証が持てたっていうか……うん」

「なんだいそれは。詳しく聞かせてもらってもいいかな?」

 

 興味津々で身を乗り出されては、詳らかに話すしかないだろう。

 

「……ハハハハ!」

 

 すべてを聞き終えて、ハルは、腹を抱えて笑っていた。上品さを崩さない範囲で、ほとんど爆笑に近いと言ってもいいだろう。

 

「じゃあ君は、ずっと中身が男の人に好かれて、熱愛アプローチを受け続けていたというわけかい! そして今も! ハハ、失礼。こちらでは正真正銘、女性だよね。いやあ、本当に面白いね! 君は!」

 

 もう隠す必要がないと言わんばかりに、感情表現からキザったらしい飾ったところが消えた。周囲からは完全無欠の英雄のイメージを強く持たれているからか、あまりイメージと違う、がっかりさせるような振る舞いはしにくかったのだろう。

 あるいは、あえてそのように振舞うことで、俺の目からもカモフラージュしていたのか。

 とにかく俺の前で素直になった彼、彼女は、より好ましい人物に映った。

 

「フフ――でもまあ、僕も似たようなものか。男だけど女で、そして君が好きだ。人としても、異性としてもね」

 

 夢がベースだからか、ハルの愛情表現は、かなり大胆だった。

 逞しい身体でがっつりと肩を組まれて、耳打ちされた。

 

「どうだい。試しに僕と付き合ってみるかい? 一部の女性が喜んで騒ぎ立てるかもね」

「ちょっ……!」

 

 急に変なこと言うな! びっくりするじゃないか!

 

「変な冗談はやめてくれ! もし付き合うなら、女の子の君にするよ……」

「ハハハ。そうしてくれたら、僕としても嬉しいのだけどね。おっと。彼女は繊細だから、丁重に扱ってくれると嬉しいかな?」

「君からそんなに言われるなんて、本当に好かれてるんだな……」

「ああ。本当に好きみたいだよ。彼女は」

 

 当人だけど当人じゃない。もう一人のハルは、まるで現実世界の彼女の代弁者のようだった。

 

「……でも、ミティアナが諦めないのなら、僕たちも諦めたくないかな。少しは目があるかもしれないし……」

「何か言った?」

「いいや。何でもないさ」

 

 それからハルは、どうして彼女が英雄の彼になるに至ったのか、その経緯を教えてくれた。

 

「寝たきりになってから、夢想する時間が増えたと言ったよね」

「ああ。そう言ってたな」

「次第にこの世界での彼女の意識が明確になってきて。はっきり認識したときは、本当にびっくりしたよ。歩けない彼女は、心から自由になりたい、強くなりたいとは願っていたけどね……だって、男だよ? それも、後で知ったことだけど、パッケージの正面に載るような英雄の器じゃないか。どうして僕が? と思ったよ」

 

 なぜ男になったのかまではわからないが。

 つまりそれだけ、彼女の強くなりたいというイメージ力が強く、英雄として理想化したということなのかもしれない。

 他のほとんどあらゆる人物を突き放し、世界の先端を駆ける英雄。そこに至った彼女も、一種の天才なのだろう。

 

「けど使い慣れてみると、これはこれでいいものだね。思った通りに身体が動く歓び。ラナソールは、まさに夢の世界さ」

「そっか。現実で不自由してる分、こっちで君は愉しみを見出してきたんだね」

「そうだね。君が来てからは、現実も素敵なものだと思うようになったけれどね」

「はは。ありがとう」

 

 積極的に来られてるみたいだな。やっぱり。

 

「ただ、ちょっと困った部分もあって……身体が男である以上、どうしたって込み上げてくる劣情には、時折辟易してしまうけどね」

 

 うわ。思った以上に生々しい話が飛び出してきたな。これ、体験者にしかわからないやつだ。

 俺も「私」が最初のアレのときは大変だったよ。

 

「結構苦労してきたんだな。君も」

「へえ。まるでわかっているような口ぶりだね」

「まあ、ね」

「できれば、その辺りの話も聞かせてくれると嬉しいかな」

「そうだな。そっちは後で向こうの君に話すことにするよ」

「いいね。楽しみにしているよ」

 

 別に隠すことでもない。俺もユイそっくりの女の子だったと知ったら、彼女も喜ぶだろう。

 一緒に両性類(誤字ではない)の楽しみや悩みでもたっぷり話せるかもしれない。それは楽しそうだ。

 

「それから……あとは、そうだな」

 

 突然、頭をぽんぽんと叩かれた。まるでユイにそうされているようで……ってなんでこんなことされてるんだ?

 戸惑った。

 

「向こうでは、僕は見上げてばかりだからね。君が大きくて、カッコよく見えて。でもこっちだと逆に、君が可愛く見えて。それが結構楽しいかな」

 

 目を細めて楽しそうに笑っている彼の裏に、ほとんど彼女の小悪魔な笑顔が透けて見えた。しかも、まるで子供に接しているみたいだ。

 軽くあやされているような気分になって、よりにもよって妹のように見えていたところもあったハルにそうされているというのは、何となくプライドが傷付いた。

 強く拒絶するとショックを受けるかもしれないから、やんわりと腕を振り払って、言った。

 

「変なとこで成長止まっちゃったからな。実はちょっとコンプレックスなんだよ……」

「そうかい? 僕は可愛くていいと思うけどなあ」

「くっそー。複雑な気分だ……」

「あはは。やっぱりカッコよくて、でも可愛いよね。君」

 

 言われて嬉しい部分と、悔しい部分が混在している。

 たぶん、的確な評なんだろう。

 どちらかというと、可愛い方なんだろうなとは自覚している。ただはっきり言われてしまうと、むず痒いものがある。

 じゃあもし自分がすごく男らしい、ムサい男だったらどうかというと、それはそれで嫌かもしれない。

 結局どんな自分でも、何かしらコンプレックスはあるものなのかもな。

 

「そんな君と……僕にとっての英雄の君と。ここでは肩を並べて戦えることが、何より嬉しいんだ」

 

 ハルは熱のこもった瞳で俺を見つめて、そう言った。込められた気持ちから、きっとそれが本当に嬉しかったことなのだと理解する。

 トレヴァークで、俺はハルに言った。「君は君にできる戦いをすればいい」と。

 言うだけなら簡単だ。しかし、実践するのは容易ではない。

 その言葉を、ハルは忠実に守ってくれた。

 深淵のダンジョンを調査し、人の夢を応援し、怪しい終末教相手に大立ち回りを繰り広げて。毎日、レオンハルトのニュースを聞かない日はなかった。

 世界の平和と秩序を守る英雄として、立派に役目を果たし続けていたんだ。誰よりも最前線で。

 

「そっか。すごく頑張ってくれてたんだね。俺も嬉しいよ。本当に」

「ふふ。せっかくだし、成果について色々と話したいこともあるんだけど――さて。もう誰も邪魔はいないね」

 

 彼、彼女が突然、話題を変えた。

 気が付くと、既にランドシルを見送ったギャラリーは解散していて、二人きりになっていた。

 

「久しぶりだ。今後の話の前に。一つ、準備運動でもしてみるかい?」

「……なるほど。実は、俺も適当な相手がいなくてさ。ここらで修行の成果を試してみたいところだったんだ」

 

 示し合わせたように、俺は気剣を、ハルは聖剣を、同時に抜き放った。

 

『あまり激しく遊び過ぎないようにね』

『はい』

 

 やっぱり普通に話を聞いていたユイからも、許可をもらった。

 

「お姉さんから、許可は頂けたかい?」

「……なんでわかったの?」

「何となく、かな」

「ああ。もらったよ」

「ようし。……そうそう。別に女の子だと知ったからって、遠慮することはないからね?」

「大丈夫だ。俺は嫁でも手抜きはしない人だから」

 

 そんなことしたら、俺自身が「手抜き」にされるからな。実際されたからな。

 

「そうかい。それを聞いて安心したよ」

 

 二人、同時に駆け出す。

 

「これからもよろしく。戦友君!」

「こちらこそ!」

 

 挨拶代わりの剣戟が、晴れ渡った空に響き渡った。



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121「世界の異変と終末教」

 実力試しがてら、ハルと準備運動を念入りに行った。

 周囲の空の雲が吹き飛んで、いくつかのクレーター模様が出来上がる準備運動とか、どんなのだよって感じだけど。

 激しく剣をぶつけ合い、最後は二人揃って、大の字になってくたばった。

 青春映画の一ページにでもありそうな構図だ。片方は中身が半分くらい女性だけど。

 

「いい汗かいたな」

「やはり強いな。ユウ君は。また腕を上げたようだね」

「君こそ。今度は勝てるかもって思ったんだけどなあ」

 

 実はこっそり結構頑張っていた。

 ラナソールは強さの上限に限界がないから、鍛えたら鍛えただけ強さが上がっていく。久しぶりに強くなる楽しみというものを味わえて、修行にも身も入るというものだ。普段はほとんど頭打ちだったからな。

 

「ふっ。お互い仕事の裏で、しっかり鍛錬は続けていたようだ」

 

 喉が渇いていた。相手もそうだろうと思い、『心の世界』から水のボトルを二つ取り出して、一つをハルに渡す。

 

「すまないね。おっと。これ、僕の山の名水じゃないか」

「あ。たまたま出したやつがそれだったか」

 

 レジンバークより遥か南西に、英雄の活躍を称えて、レオンマウンテンなどと大層な名前がついている山がある。その山麓から採れる水は「思わず声を出したくなるほど美味い名水」と言われている。

 

「「ぷはー!」」

 

 例えば、こんな風に。

 

「久しぶりに飲んだけれど、すごくおいしいな」

「トレヴァークにも置いておきたいくらいだよね」

「あちらだと、グレートウォーターフォールのほとりの水が名水とされているけれど、声が出るほどじゃなかったかな。あくまで彼女の感想だけどね」

「さすがラナソールだ。水まで理想的とはね」

 

 身体を動かした熱が徐々に引いて来ると、本来の用件を思い出した。

 

「そう言えば君さ、俺にこれまでの成果の話があるって言ってたよな」

「ああそうだったね。ここ最近、ラナソール世界の異変が急速に拡大しているようでね。ニュースは見ているだろう?」

「うん。見ているよ」

 

 パワーレスエリアが拡大しているのではないか、と考えられるニュースが増えた。オカルトじみた噂話でしかなかったはずの「力が抜ける」領域の話は、今や一般市民も知るところとなっている。

 最近は、ミッドオールだけでなく、フロンタイムにも出現したという話もあるほどだ。

 またパワーレスエリア内部では、頻繁に世界の穴が観測されている。これに飲み込まれた者は帰って来ないという。

 少しずつラナソールという世界がおかしくなっている。それもおかしくなる速度が上がってきているのではないかという節がある。どうしてかはわからないけれど。

 

「それに伴い、色々ときな臭い兆候や動きが出てきているんだ。とりわけ、終末教が活発に動き出している」

「終末教か……」

 

 世界の終わり『ミッターフレーション』を奉じるいかがわしい連中だ。標語として「終末よ、魂の牢獄からの解放」を掲げている。

 いかにもな黒装束を着て、集団で色んな場所で怪しい祈りを捧げている。

 ただ祈ってる分にはいいのだけど、ラナ信奉者や彼女ゆかりの地に対して、時折ゲリラ的な破壊活動をするので、俺も何度か出向いたことがある。

 中でも司教バムーダとの対決は、記憶に新しい。まあ対決と言っても、軽く叩きのめして牢屋に繋いだだけなんだけど。

 あいつらと戦ってると、かつての『仮面の集団』を思い出して嫌な気持ちになるんだよな。一部が狂信じみてるところとか、そっくりだ。

 余談だけど、連中とは別口で「週末教」というふざけたのもいて、標語として「週末よ、労働からの解放」を掲げている。あれはあれでまあ強烈だったというか、記憶に新しいのだけど……脅威かというとまったくの脅威ではないので、考えなくてもいいだろう。むしろ忘れたい。でもいっそみんな「週末教」だったら楽だったかもしれないな。

 

「連中は厄介だよな。個人的に、『魂の牢獄からの解放』というフレーズは引っかかっているんだけど」

「何が引っかかっているんだい?」

「……ラナソールがある意味魂の牢獄みたいなものだっていうのは、俺も密かに同意するところなんだ」

 

 そう言うと、ハルは少し考えて、深く頷いた。

 

「いつか君は彼女に話してくれたね。ラナソールには思ったよりずっと多くの人が、そうと気付かないまま囚われていると」

「うん。ただ夢想病というものがほとんどなく、大きな問題があまり発生していなかった昔は、楽しい夢のような牢獄だったんだと思う」

「けれど、長い時間をかけて、世界は徐々に壊れてきた」

「そうなると、騒ぎ立てるのも無理はないというか。あいつらの活動は、危機感の表れの一種ではないかと思うんだよね」

「なるほど。面白い意見だ」

 

 おそらく終末教の中、それも教祖辺りに、ラナソールの真実について思い至った者がいるのだろう。そいつが「ラナソールがあるからいけないんだ」と考えるのは、不思議なことではない。

 

「ただ……」

「やり方が短絡的だと思う。むやみに破壊したところで、事態は解決しないんだ。むしろ悪化する。連中はそれをわかっていないのかもしれない」

 

 例えば、調べてわかったことだが、夢想病の発症から死亡までがたった数時間と、異常に早いケースがある。

 患者が死亡するには、「現実世界に対する繋がりが完全に断たれること」ともう一つ、もっと明快な条件がある。

 それは、ラナソールにおいて患者に対応する人物が死亡することだ。

 トレヴァークで肉体が死んでも、心はラナソールで生きているケースがある。しかし逆は、俺の知る限りない。

 夢想の世界の彼や彼女が死んだとき、その事実は致命的な心へのダメージとなって、現実世界の彼や彼女を襲う。心を喪失した肉体は、直ちに急性夢想病を発症して、あえなく亡くなってしまうのだ。

 このままじゃいけないのはわかってる。でも、ただむやみに壊してしまえば、「魂の牢獄からの解放」は、そのまま「生からの解放」になってしまう。

 

「破壊活動を許すわけにはいかないよな。やっぱり」

「そうだな。きっと何か別の方法があるはずなんだ……そう信じたい」

 

 自信はないけれど、彼は、彼女は、世界を救える可能性を信じている。

 緩やかに終わりへ向かっていく世界。徐々に終わりへ加速していく世界。

 俺たちは対症療法を続けながら、根本的解決策を懸命に探し続けていた。

 

「ともかくまずは目の前のことだ。終末教に手を焼いているという話だったな」

「ああ。そこで提案なのだけど、冒険者ギルドとフェルノート防衛軍を結束させて、しばらく本格的な共闘戦線を組みたいと考えているんだ。そこに、レンクスさんやジルフさんにも参加して頂きたい。どうだろうか」

「なるほどね。いいと思うよ。あの二人がいたら、他に誰も要らないような気もするけどね……」

「レンクスさんとは一緒に仕事をしたこともあるから、その力の凄まじさはよく知っているよ」

 

 何を思い出したのか、ハルは苦笑いした。

 

「いやあ、世界は広いな。あんなとてつもない方がいるものなんだね」

「あはは」

 

 大丈夫。宇宙は広いなが正しいし、あれは反則級のガチフェバルだから。

 君は世界では十分強いよ。一番や二番を争うかもしれない。マジで。誇っていい。

 

「ただ、君も本当はわかっているだろう。連中の主な手段はテロリズムだ。いくらこちらが強くても、数を揃え、体制を整えなければ、すべてに対抗はできないよ」

「そうだな……レンクスとジルフさんは、どっちかっていうと拠点殲滅向きだ」

 

 気も魔力もないため、彼らの存在を事前に察知して防ぐことは、いかにチートなレンクスやジルフさんでも不可能だ。

 唯一、俺の悪意感知だけは上手く働くけれど、それもある程度場所が近くなければノイズになってしまう。

 

「軍には顔が利く。ギルドの方には、僕から働きかけておこう。君には二人の説得をお願いしたい。頼めるだろうか」

「わかった。ただあの二人はたぶん、滅多なことでは動かないと思うけどね」

 

 良識的なフェバルは、その大きな力をむやみやたらとは使いたがらない傾向がある。彼らの振るう一撃が世界の形を変えてしまうかもしれないのだから、慎重にもなるだろう。

 

「それでいいさ。いざというときにほんの少し手助けしてくれるだけでも、大きく違うだろう」

「そうだね。ところで、エーナさんは? 一応彼女も強いんだけど」

 

 戦闘タイプじゃないから圧倒的ではないけど、それでも俺とハルを足していい勝負にはなるはずだ。

 ……勝負なら。

 彼女の名前を出した途端、面白いように英雄の顔色が曇った。そしてその理由も何となく予想できてしまう。

 

「彼女には……自分を大切にと伝えておいてくれ」

 

 ああ。一緒に仕事したことあるんだな……。

 

「フェバルは個性派揃いなんだ……」

「同感だよ……」

 

 ハルは、たぶん俺も、引きつった笑みを浮かべていた。

 

「レンクスさんもね。彼の方がずっと強いはずなのに、どういうわけかやたらとライバル視されて。困ってしまうところもあるんだよね……」

「ああ……それ、たぶんイケメンレオンさんにユイが取られるんじゃないかと思って、馬鹿な対抗意識燃やしてるだけだから」

 

 言ってあげたら、素で驚いていた。

 

「え、そうだったのかい? 僕にそんなつもりはまったくないんだけどなあ」

「はは。中身が女性だと知ったら、どんな顔するんだろうな」

 

 聞いていたユイから、くすりと笑い声が聞こえてきた。

 

『今度私から話しておくよ。もう。ほんと馬鹿みたいだよね』

 

 ああ。馬鹿だな。『世界の馬鹿』グレートバカオブザバカだ。

 これで少しは大人しくなるんだろうか。深く考えてるようで結構単純だしな。あいつ。

 これ以上あいつのことを考えていても仕方がないので、思考を切り上げる。

 

「ともかく、これで話はまとまったのかな」

「終末教の方はね。もう一つ用件があって」

「へえ。なんだ」

「どちらかというと、トレヴァークに関係する方なんだ」

 

 ハルは、どこかわざとらしくにやりと笑って、手を差し出した。

 

「君がこうして移動しているのは知っているよ。問題なく道は繋がっているはずだ。続きの話は、向こうの彼女とするといい。随分会いたがっているからね」

「しばらく会ってなかったもんな」

 

 病院に行かないと基本は会えないからな。毎日のように行くわけにもいかなくて。メールはしょっちゅうしていたと思うけど。

 

「わかった。せっかくだし、たっぷり話をしてくるよ。それと今度からも、君たちとの繋がりを使わせてもらっていいかな?」

「もちろんいいとも。いってらっしゃい。彼女によろしく」

 

 にやりとした笑みは、最後までそのままだった。

 

 

〔ラナソール → トレヴァーク〕 

 

 

 ずし。

 

 出てきた瞬間、方向感覚が変わった。

 

 柔らかいものに触れた。白い、シートだろうか。

 

 何だろう。甘くていい匂いがする。

 

 髪。人肌。

 

 ……ん?

 

 

「……キミも、結構大胆な現れ方をするんだね」

 

 

 すぐ耳元で困ったような女の子の声が聞こえて、顔を持ち上げる。

 

 普段は寝たきり。そのすぐ近くに、その人と平行的に現れる。ということは。

 

 必然、押し倒すような形になりやすい。

 

 俺とハルは、上と下、ほとんど真正面から、互いの息がかかるほどの位置で見つめ合っていた。

 

 ハルは、ほんのりと顔を赤らめている。

 

 急に顔が熱くなってきた。

 

 やられた! レオンハルめ! あいつ、わかっててにやにやしてたな!

 しかもこのパスを使う限り、常にこうなる可能性が付いて回るじゃないか! 恥ずかしい!

 

「あ、あああ! ごめん! すぐどけるよ」

 

 慌てて離れようとしてベッドシーツを掴んだ手を、細い手で掴まれる。

 

「もうちょっと、このままでもいいかな」

「え? でも」

「キミなら、嫌じゃないよ」

 

 普段は雪のように白い顔を紅く染めながら、潤んだ瞳でそう言われて、ドキッとしてしまう。

 

「人肌のぬくもりとか、重さとか。久しぶりなんだ。せっかくだし、もうちょっとくらい、感じていたいかな」

 

 普段一人ぼっちで寂しさを感じている少女から、そんな風に嬉しそうに乞われてしまうと、気持ちがわかってしまって。引き剥がす力も出てこなくて。

 お互い手を出すでもなく、喋るでもなく、しばらくの間、そのまま繋がっていた。



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122「ハルの気持ち」

 ハルの上に覆いかぶさるような形で、しばらく身を預けていた。

 いつの間にか、背中に手を回されている。彼女は目を瞑って、一心に温もりを感じていた。

 こうして身体が触れていると、彼女の胸がドキドキしているのが直に伝わってくる。それだけで、心の能力などなくても、本当に好きなのだとわかる。

 嬉しくて、つらい。

 俺にはリルナがいるのに、こんなことをしていていいのだろうかと思う。

 普通に考えて、良くないことだ。側で見ていたら、きっと鬼のような形相で割り込んでくるに違いない。 むしろそうして欲しかった。そうしてくれたら、余計な罪悪感もなかっただろう。堂々と話ができただろう。

 だけど、リルナは側にいない。会いたいのに、もう会えない。

 彼女のいないところで勝手にくっついてしまうのは、フェアじゃない。

 ちゃんと彼女がいるのだと。だから無理なのだと。そう伝えたつもりだった。

 でも、ハルもミティも中々諦めようとはしてくれない。そこまでをする何かが、俺にあるのだろうか。

 ……何だかんだ、俺が優柔不断だからなのかな。もっと突き放してやればいいのかな。

 でもそんなこと、俺にはできそうにない。だってハルもミティも、人として好いていることは確かなんだ。リルナより先だったら、受け入れていたかもしれない。

 自分の気持ちに嘘は吐けない。突き放せない欠点を理解していても、どうしようもないことだった。

 ただ、付き合えないのも本当のことで。

 残酷でも、時間が解決するしかないのだろうか。いずれこの世界の事態を解決し、俺が二つの世界を去る、そのときまで。何とか最後の一線はかわし続けて。

 はあ……。孤独だった昔じゃ考えられないくらい贅沢な悩みだ。俺が何人もいればよかったな。

 彼女とくっついていると、俺の方まで身体が熱くなってきて、こちらの胸の高鳴りも伝わってしまっていることだろう。男だからな。仕方ない。

 

「……そろそろいいかな」

 

 いつまでもこうしているわけにはいかないのでそう言うと、ハルはちょっと名残惜しそうに頷いてくれた。

 身体を離して、彼女を抱え起こす。

 二人で話をするときの普段の位置、ベッドに隣り合って腰掛ける形になった。

 

「ふふ。ありがとう。変なわがままを言ってごめんね」

「いいよ。俺もその……人肌恋しいときとか、気持ちはよくわかるからね」

 

 人恋しさや寂しさに同情してしまった部分も大きい。あくまで他意はないのだと。言い聞かせて。

 できれば気にしないようにしようとしていたが、俺はやっぱり顔に出やすいらしくて。

 ハルは、少し目を伏せがちに言った。

 

「ごめんね。キミの優しさを利用してしまったね」

「そんなことは……」

「わかっているさ。ボクも、今度からはあまりしないように気を付ける」

 

 レオンハルに比べると随分儚げに映る少女は、何か思いを固めたようにこくんと頷いた。

 そして顔を上げて、こちらを真っ直ぐ見つめてくる。小さく口元を緩ませて、言った。

 

「リルナさんだったね。ボクも会ってみたかったな。彼女に」

「リルナに?」

「そう。会ったらね、キミの素敵なところ、いっぱい話し合うんだ。ふふ、きっととっても盛り上がると思うよ」

 

 世界最強クラスの空想力を持つ彼女は、おそらく話のイメージだけで彼女の具体的な形を想起し、夢いっぱいに楽しいイメージを膨らませているのだろう。キラキラと目が輝いていた。

 確かにそんなことがあれば――俺をダシに使ってどんな話をするのか、怖いけど――きっと楽しいだろうなとは思う。

 

「そしてね、最後にこう言ってやるんだ。ユウくんはボクのものにするからね! って」

「ぶっ!」

 

 たまらず吹き出した。

 あのリルナにそんなことを宣言するのか!? こ、殺されるぞ……。

 しかもこの言葉はもう、告白に等しかった。この子、こっちでも結構ストレートに好意を表現してくるよな。

 

「そ、それは、楽しみだね……」

「うん。でもそれができないから……この気持ちは、どうしようもないね……」

 

 彼女は、しんみりと肩を落とした。

 この子だけには、もうほとんど話している。俺が遠い世界から来たフェバルであることを。

 聡明な彼女は、わかっているのだ。俺の性格も。好きでも、受け入れられない理由を。

 リルナがいないところで、彼女だけが攻めに回ることは――夢でならつい素直にそうしてしまっても――フェアじゃないと。彼女自身も思っている。

 

「友達でいようって、戦友でいようとは、思っているんだ。あまり無理に押し迫って、困らせるのも本意ではないからね」

 

 ただ自分の気持ちと折り合いが付けられなくて、今みたいに、悩ましい顔を覗かせる。

 

「いつか心の整理が付くのかもしれない。たぶん、付けなきゃいけないんだろうね……。でもやっぱり、簡単には割り切れない、かな」

 

 どこか泣きそうで。困った顔で。それでも笑った。

 

「しばらくは、好きでいさせてくれないかな。今は、この気持ちに寄りかからせて欲しい。初めてできた――ボクの英雄で、好きな人だからね」

 

 よりかかってウインクをされると、色々思うところがあって、言葉に詰まってしまって、なんて返したらいいのかわからない。

 黙って見つめ返すことしかできない。

 ああ。嬉しくて、つらい。

 

「それにボクはね。むしろ……最悪ね、ボクじゃなくてもいいんだ。キミがあまり気に病まず、心のままに誰かを受け入れてくれたら、とも思っているんだよ?」

 

 だってと、彼女はレオンハルがそうしたように、たぶん俺の頭を撫でようとして、小さな手は届かずに、頬に触れた。

 

「でないと、どんなに愛を求めても離れていくキミが、もう二度と側で人を愛せないなんて。遠く想うことしかできないなんて。そんなのは、可哀想じゃないか」

「ハル……」

 

 大丈夫だと言いたかった。

 覚悟を決めて愛を告げ、別れを告げてきたつもりだ。

 そうは言っても、時折心を満たす寂しい気持ちはどうしようもない。一切の弱音を吐かないと、自分がそんなに強い人間だとも思わない。

 この子は、俺のそんな弱い部分も汲んで――たぶんミティも――自分ならいくらか埋めてあげられるかもしれないと、それでもいいと、好きだからと、そう言ってくれているのか……。

 

「ありがとう。君の気持ち、確かに伝わったよ。気持ちだけでも……大切に受け取っておくよ」

「うん。キミはやっぱり、強いね。優しいね。そんなキミだから、好きになったんだろうね」

 

 よし、と小さく拳を作って、ハルは精一杯自分を奮い立たせた。

 

「ボクも頑張るよ。少しでも、キミのように――弱くても、強くなりたい」

 

 俺はそんなに強い人間でも、できた人間でもないよ。ただ色々なことがあって、一生懸命に走ってきただけだ。

 でもそんな俺の姿が、君の希望になるなら。俺はそうありたいと思う。

 

「今度、手術を受けてみるよ」

「手術を?」

 

 そうだったのか。それで今まで、こんなに気持ちを振り絞っていたのか。

 彼女の病気は、後天性の難病によるものだ。

 気による治療は、単なる怪我に対しては極めて有効であるが、病気に対しては大きな効果を発揮しない。医学が解決するしかない問題だった。

 

「うん。最新の難しい手術で、成功する確率は二割くらいだけどね。失敗したら、命は助かるみたいだけど……もう二度と再手術はできないし、歩けない。実は今まで、怖くて受けられなかったんだ」

 

 向こうの世界じゃほとんど怖いものなしなのに、情けないよね、と小さく笑うハル。

 いや、そんなことない。立派な決意だよ。

 

「でも、もう大丈夫。やってみるよ」

「そっか。応援するよ。頑張って」

「ふふ。本当は、こっそり手術が終わってから、やったよって言うつもりだったんだけどね。言っちゃったなあ」

 

 ハルは照れて、可愛らしく笑った。

 せっかく言ってくれたんだし、俺もこっそり、レオンハルを介して、君に力を送らせてもらおう。少しは体力の助けになるはずだ。頑張れ。ハル。

 

 大がかりな手術になるため、準備にも時間がかかる。予定日は、約三か月後ということになっていた。

 

 そんな手術を行っている場合でない事態になるなんて、このときは、俺も、ハルも、思わなかった。



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123「世界の穴に潜むもの 1」

 実質告白を受けて、手術を受けるという一大決意まで聞いて、普通の話としてはもうお腹いっぱいなほど中身があったわけだけど。

 本来ハルが話したかったであろうことは、こういう類の話ではないだろう。そのことを覚えていた俺は、一度おしゃべりが落ち着いた辺りで切り出した。

 

「そう言えば、君がラナソールで色々と調べた成果は、君から直接話を聞くといいって、レオンハルから聞いたんだけど」

 

 名前を言った途端、彼女は微妙な顔になった。

 

「うーん……レオンハルって呼び方は、どうなんだろうね?」

「あれ。嫌だった?」

「そこまでじゃないけど……中途半端でむず痒い、かな」

 

 うんと一つ、彼女は頷いた。

 

「ボクがハル。もう一人のボクのことは、今まで通りレオンでいいよ。みんなの前ではそう名乗っているわけだしね」

 

 そうか。向こうのハルと話してるときは、ただのハルでもレオンハルでもいいかなと思っていたけれど、彼女の中では、性別も違うわけだし、同じだけど別人の感覚なのだろう。希望通り、呼び方は戻すことにしよう。

 

「わかった。そうするよ」

「ありがとう」

「それで、話を戻すんだけど」

「どんな話をしていたときだったのか、教えてくれるかい。一度夢を見ないと、記憶や感覚が繋がらないんだ。まだ昼だからね」

 

 なるほど。夢の間だけ認識を共有していて、この子が起きているとき、二人の行動は独立しているわけか。まあ……そうじゃないと、レオンに上手く当てがわれたのが、とんだ真っ黒な自作自演になってしまうもんな。ハルはそんなことするタイプじゃないよなと思っていたし、よかったよ。

 

「終末教と……あと、パワーレスエリア絡みの話をしていたときだったな」

 

 終末教の件は済んだと彼は言っていたし、パワーレスエリアの件だろう。トレヴァークに近いと思われるあの領域で、一体どんな新事実があるのだろうか。

 

「ああそっか。わかった。たぶんそれだろうね」

 

 合点がいったと、彼女は頷く。瞳には期待の色が浮かんでいた。

 

「ボクから一つ、依頼をさせてもらいたいんだ」

「また急だね。どんなこと?」

「キミと一緒にある場所へ、試しに行ってみたくてね。一人ではあまり外にも行けないからね」

「なんだ。お安い御用だよ。バイクの後ろに乗せて行ってあげるさ。前みたいに」

「ああ。あのエンストを起こしたやつだね」

 

 ハルが思い出し笑いをするので、俺も嫌なことを思い出してまた恥ずかしくなった。

 

「そんなこともあるさ……うん」

「あるよね。あるとも。うん。あるある」

 

 ハルは天性の笑顔でニコニコして、たぶんまた俺の頭を撫でようとして、また届かなくて、代わりに肩を撫でていた。

 触れたのがきっかけか、するりと身を寄せて、いつの間にか、俺の肩に軽く身を預けるような格好になっている。

 

「お言葉には甘えるとして……」

 

 身体の方も探り探り甘えてきた少女は、そのままで続けた。

 

「実は行きたいそこがどこかまでは、わかってなくてね。一緒に探すところから始めないといけないんだ」

 

 一緒にのところで、小さな手がそろそろと伸びて、俺の手の甲に触れる。

 

「よくわかってない場所に行きたいのか?」

「あくまで存在を知った、ということになるね。知ってみればなるほど、あってしかるべきだと思ったものさ」

「勿体ぶられても、見当が付かないな」

 

 それだけ楽しみということなんだろうけど。いざ正体がバレても、煙に巻きたがる彼女のミステリアスな性分は健在だった。

 

「ふふ。順を追って話していくよ。あれは、向こうのボク――レオンが、剣麗として軍からの依頼をこなしていたときだった。偶然、パワーレスエリアでも何でもないところに、空間の穴が開いているのを見つけてしまったんだ」

「それは珍しいね」

 

 最近は徐々に珍しいことでもなくなってきているらしいが、それでもパワーレスエリアに開くことに比べれば、まだまだレアケースだ。

 

「ボクが足を引っ張るせいで、レオンはパワーレスエリアだとろくに動けないからね。これはもしかして、穴の中をよく調べてみるチャンスじゃないかと思った」

「おお」

 

 いつもは人と人の道を利用する俺が、最初だけ通って来た、世界の穴そのもの。

 あのときは初めてで、いきなりのことで、ただ流されるまま、気を回す余裕がなかったけれど、どうやら二つの世界の間にも広大な領域が広がっているらしいことは知っている。

 というより、毎回人と人の道を利用するとき、見えている。

 しかし。人と人の道は、外が覗き見えるけど自由には動けない、記憶付きトンネルのようなものだ。人一人に割り当てられた領域――パーソナルスペース――そのトンネルの壁を壊して、向こうへ行くことはできない。

 しかも油断していると、通らせてもらっている人の生の記憶が俺の心に直接侵入して、引きずり込もうとしてくる。おかげで、二つの世界を渡るときは、相当心を強く持たなければならないのだった。

 さておき、おそらく世界の穴そのものであれば、パーソナルスペース制限の問題はないと考えられる。代わりに、個人の繋がりでなく、世界の異変によって生じているものだから、流れが激しい。呑み込まれてから自由に動くのは厳しそうだ。

 ハルはどうしたのか。

 

「ボクはレオンにお願いして、即座に精霊魔法を起動して、視覚探知魔法を放ってもらったんだ」

「視覚探知魔法か。考えたね。どんなタイプを使ったんだ」

 

 視覚探知魔法にも色々とある。例えば、視覚自体をより拡張してしまうのも一つの方法だ。

 

「あの受付のお姉さんの監視魔法と、原理はほとんど同じものだよ。ラナソールでは限られた一部の人だけが使える。言ってみたら、遠隔操作のモニターみたいなものかな」

「なるほど。それにしても……受付のお姉さん、やっぱりすごいんだな」

 

 ハルもそこは強く同意したのか、話を止めて深く頷いた。微妙に顔を引きつらせながら。

 

「あの人は……すごいね。強さはたぶん普通だと思うんだけど……よくわからない技や伝手をたくさん持っていて。ボクというか、レオンが伝説の英雄とか言われる前、駆け出しの頃から顔を突き合わせているんだけどね」

「そんな前から付き合いがあるんだ」

「うん。最初の依頼を紹介してもらったの、彼女からなんだ」

 

 へえ。伝説の始まりは彼女からだったのか。知らなかったな。

 

 ……ん?

 

 すごく嫌な予感がした。そして当たった。

 

「しかも初めてのそれが……Sランク魔獣筆頭のグレートデーモンだって、ちっとも教えてくれなくて」

「えーと。その流れは……」

 

 ハルがめったに浮かべない、ニヒルな笑みを見せた。

 

「知ってるかい? あの怪しいフリーランクの高額討伐依頼を貼ってるの、大半が彼女の伝手だってことを。ボクはアレを見つけたら、余計な被害者が出ないように、真っ先に潰すようにしているんだ」

「そうだったのか。知らなかった……」

 

 なんだそれは。ってことはあのお姉さん、とんだたぬきじゃないか!

 で、あのときレオンとバッティングしたのはまったく偶然じゃなかったと。最初から受けるつもりでいたところを、俺とユイの実力を一目見抜いて、譲ってもらったわけだ。

 

「妙に強いなあ、大変だなあとか思いながら――なんて言ったって、最初だからね。とっても苦労して、何とか倒してきたら。ばっちり監視魔法で見られていて」

「ああ……」

 

 そこから先は我が道だ。同志よ。

 

「遅かったよね。しっかり祭り上げられたよ? いきなりのSランクまで付けられてさ。まったくひどいよね、もう」

 

 ハルは、頬を膨らませた。

 

「あはは。一緒だ。ハメられたわけだ」

「ね。ふふ、キミとユイちゃんの話を聞いたときは、かなり同情したものだよ」

「そうだったんだね。でもさ、そもそも君が黙って俺たちを送り出したりしなければ……」

「あー、やっぱりばれちゃったかあ。ごめんね。仲間が欲しかったんだ。キミたちならなってくれるかもって期待しちゃって。つい」

 

 てへ、と舌を出したので、許した。

 

「実は、ボクもまだあのお姉さんの本当の名前、知らないんだよね」

「へえ。君でもわからないのか……」

「うん。興味を持って、祭り上げられた仕返しだって、身元を調べようと動いてみたらね。女性には、秘密の一つや二つもあるものです。()()()ならわかるでしょう? って。びびったなあ、ほんと」

「こわっ! でもそれ、俺も似たようなこと言われたなあ」

 

 ますます謎が深まっていくお姉さん。

 二人目が合うと、彼女が持つ数々の伝説が同じタイミングで思い返されたのか、一緒に吹き出した。

 

 さて、だいぶ話の腰を折っちゃったな。色々気にはなるけど、本題ではない。そろそろ続けてもらおう。

 

「結構脱線しちゃったね。で、なんだったっけ」

「あ、そうだね。ボクが視覚探知魔法で、世界の穴の中をしばらくモニターしていったんだ。あまり自由は効かなかったけれど、魔法はちゃんと機能したよ」

 

 小さな胸を弾ませて、ハルは随分興奮した様子だ。俺にずっと伝えたかったんだろう。

 そんな調子で話されては、しかも内容が内容だ。俺も自然と興奮してきた。

 

「おお。すごいじゃないか。で、何か見つけたわけだ」

「うん。ほとんど暗闇ばかりだったんだけどね。魔法がブレイクされる前、モニターの端に、ちらっとそれ以外のものが映ったんだ。それは……」

「それは?」

 

 いよいよ話が核心に入ろうとしたそのとき、彼女は何か名案を思い付いたらしい。

 元々聡明な顔付きが、さらに明かりが灯ったように輝いて。

 

 

「ユウくん。ボクと繋がってくれないかな?」

「はい!?」

 

 

 ちょっと! 待って……!

 そんな直接攻撃を! 君、一旦身を引くんじゃなかったのか!?

 

 いきなりのことに混乱していると、彼女は遅れて自分の言葉に気付いたらしい。みるみるうちに顔を紅潮させていった。

 

「あっ……! あのね! ボク……その、違うんだ! 別に、ね、変な意味じゃないよ? (そっちでもいいけど……)違うよ?」

 

 あわあわと、呂律が回らなくなるほど取り乱しまくるハル。

 俺も、まだまだパニックだった。

 

「あ、ちが、違うんだ!」

「そうだよ! えっとね、心を繋げられるキミに、直接記憶を伝えたくて。うん、それだけなんだ。本当に、それだけなんだ。うん……」

「ああなんだ! そうか! そうだよね! うん! びっくりしたよ……」

 

 そうだった。この流れなんだから、俺の力のことに決まってるじゃないか。

 自分で散々繋がるって言葉を使っておきながら、この子との妙な雰囲気のせいで変な勘違いをしてしまった。恥ずかしい……。

 

 そしてお互い変に意識してしまったらもう、平常心のまま事を終えるのは無理だった。

 ハルは顔が赤いままだし、俺は手つきが妙にぎこちないし。

 

「こほん。じゃ、じゃあ、触れるよ?」

「う、うん。よろしく、お願いします……」

 

 目をきゅっと瞑り、背筋をぴんと伸ばして、身をカチコチに固くして、俺にそっと触れられるのを一心に待つハル。

 

 なんて健気で、初々しいんだ。

 

 どうしよう。心を繋ぐのはきっと簡単なのに。彼女は間違いなく喜んで受け入れてくれるのに。

 

 やりにくい。これ、思ったより別の意味で難易度高いぞ……!



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124「世界の穴に潜むもの 2」

 ハルはそわそわしながら、俺が触れるのを今か今かと待っている。

 やりにくいけど、いつまでもこうしているにもいかないし……。

 覚悟を決めて、彼女の頭に触れた。

 諸々の甘酸っぱい感情――受け取るこっちが恥ずかしくていられなくなりそうなほどの好意とか、俺が簡単には受け入れられないことは知っていて、それに対する寂しい気持ちとか――がまず飛び込んできて、こちらの心をダイレクトに揺さぶってくる。

 ハルの心は、予想通り、人と比べると相当入り込みやすいくらいなのに。別の意味で苦しかった。

 ……ごめんな。本当に。

 やがて、本題の――彼女が俺に伝えたい夢の記憶に辿り着く。心の力は、彼女の見た光景をありありと俺の心にも映し出した。

 

 薄暗く乾いた空間が果てしなく続いている。俺がラナソールからトレヴァークへ来るとき、よく見る光景そのものだ。

 しかし何もなかった景色の端に、白い光が現れた。いや、光ではない。物体だ。建物だ。

 レオンの操る視覚探知魔法は、彼自身のコントロールよりも強い、世界の穴から続く流れに沿って、流され続けている。幸運にも、光を放つ建物へ近づく方向にモニターは進んでいく。

 白い輝きを放つそれは、徐々に全体の姿を露わにしていった。

 どうやら、巨大なドームのようだった。優に町一つ分は入るかもしれないほどに大きい。

 そして、随分不思議な見た目をしていた。一切の突起のないつるりとした形状で、入口らしいものも見当たらない。たまごの殻の一部だけを切り取ったようなものだ。

 これが何なのかは、さっぱりわからないけど。

 大発見だ。まさか二つの世界の狭間、何もないと思っていた場所に、こんな巨大な建造物があったなんて。

 残念ながら、ある程度接近したところで、流れはまたドームから遠ざかる方へと進んでいく。

 これで終わりかと思ったが。そうではなかった。

 

 そのとき、薄闇の中から、突然、何かが飛び出してきた。

 

 黒い、炎のような――形や大きさは、人に似ている。しかし表面は常に揺らいでいて、その形状を確定させることはない。

 実体なのか、そうでないのかもわからない。

 一言で言うなら――

 

 ――化け物。

 

 闇の炎の化け物。そうとしか形容しようがなかった。

 それはしばらく宙に揺蕩っていたが……そのうち、モニターの存在に気付いた。

 するとどうだろう。炎の勢いが強くなり、それはたちまち形状を変えた。

 中から、質量を伴った、薄黒い手足のようなものが生えてくる。人の生の手足のようにも見えて……もしかして、本当にそうではないのか。

 生え揃った四つの手足は、形も大きさも見事にバラバラだった。右足は男性らしい筋肉の張りで、遠目でもわかる濃いすね毛に覆っている。対して、左足は女性のように細く滑らかだ。そして、右腕はしわがれた老人の、左腕は子供のそれだった。

 不気味だった。こんな気味の悪い生物が……そもそも生物かさえもわからないけど、こんなものがいていいのだろうか。

 さらに続いて、炎の上部、生えた手足を手足とみなすなら顔の位置に、二つの赤い点が現れる。目のような役割を果たしているのか、それはモニターを捉えた。

 肉感と闇の炎の入り混じった化け物は、もはや宙に浮いてはいなかった。不揃いの手足を四つん這いにして、明らかにモニターをターゲットに据えている。

 そしてそれは、バタバタと手足を駆動させ、こちらへ向かって恐ろしい速さで這い寄り始めた!

 ただ映像を見ているだけというのに、びびった。寒気がした。

『このときはとっても怖かったんだよ』と、ハルの心の声が聞こえてくる。

 完全に同意だ。これは怖い。

 流されるモニターを追って迫り来る。向こうの方が速い。生えてきた手足への配慮など微塵もない酷使は、とても這い寄りとは思えないほどの気持ち悪い速度を実現していた。

 ついに捕まった。魔法のモニターなので枠はないが、魔力で構築された構成の源を、食いつくように覗き込んでくる。

 人間のものですらない、感情の見えない目と相対したとき。俺は目を背けたい気分になった。

 ウィルに初めて見つめられたときとよく似ている。人が持つ生来的な恐怖というものが、呼び起こされたようだ。

 それは赤い二つの点でもってモニターを凝視して、しばらく動かなかった。

 俺にはまるで、品定めをしているように思えた。

 もしモニターではなく、人であったなら、死ぬまで襲われていたかもしれない。そう思わせるだけ、モニターを至近で覆うこいつの圧迫感と迫力、何より不気味さは度を抜いていた。

 

『ギ……ギ……』

 

 ただのノイズとも声とも取れないような音が、聞こえてくる。 

 やがて人ではないと判断したのか。興味を失ったように、それは赤い点を背けた。

 今度は、白いドームへ向かって四つん這いで駆け出していく。

 ドーム型の縁へ辿り着いたとき、それは四つの手足を使い、壁に張り付いた。

 もしかして、入ろうとしているのだろうか。

 しかし、建物がそれを受け入れることはなかった。

 すると闇の炎の化け物は、モニターに対するとは明らかに一線を画する態度を見せた。

 耳をつんざく、金切り声のような、まともな言葉にならない咆哮を上げたのだ。

 怒っているようにも見えた。嘆いているようにも見えた。

 そして、ドームの外壁を執拗に叩き始める。二度三度どころの話ではない。繰り返し繰り返し。壊さんと執念を燃やすばかりに。

 無理を重ね続ける手足は限界を迎え、赤黒い血が滴っている。ドームには一向にダメージが入っているようには見えなかった。血でさえも垂れるなり、白の光はそれを蒸発させて、消し去ってしまう。

 化け物の手足が壊れるのが、どれほど先かという展開になるかと思われたが。

 終わりは、突然だった。

 ドームの内側から、光が飛び出した。それは化け物の胴体を貫いて、闇の向こうへと跳んでいった。

 あれは……よく見た光だ。ラナソールの、そしてユイが使うものと同じ――光魔法の黄色い光だ!

 闇の炎の中心に、穴が開いた。

 

『クカカ、カカ……カ……!』

 

 化け物は、悲鳴のような声を上げて、白いドームから転がり落ちていった。そのまま、薄暗闇に溶けて、消えていく。

 続きを見ることはなかった。

 

 なぜなら――

 

 次の瞬間、薄暗い世界は終わり、視界が開けていた。

 

 そこはもう、元の世界のようだった。穴の向こう側、つまりトレヴァークに着いたわけだ。

 

 そして魔法は……どういうわけか、消えていなかった。コントロールこそ失ったが、しばらくはそこにあり続け、景色を映していた。

 遥か向こうには、巨大なクレーター――爆心地が覗いている。

 

 そこで、彼女の記憶は終わった。

 

 目を開けると、もう鼻の頭同士が触れそうなところに、ハルの顔があった。念じることに集中するあまり、近付いていることに気付かなかったらしい。

 イメージするのが大変だったのか、怖い映像でもあったからなのか、彼女の額にはうっすらと汗が滲んでいる。

 ほとんど同時に、ハルも目を開けた。彼女としても、思ったより近くに顔があったみたいで、あっと口を開けて、また顔を赤らめて、おずおずとほんの少しだけ身を引いた。

 

「…………」

「…………どう、だった?」

「……うん。すごかった」

「だよね! ボクこれ見たとき、興奮してしまってね!」

 

 あまりだったから、看護師さんに怒られちゃったんだと、照れ笑いするハル。

 でも、そうなるのも仕方がないくらいのことだ。むしろ謎は増えてしまったような気がするけれど、それでもこの記憶が含む情報は多い。

 

「中々示唆に富む記憶だったな」

「そう思うよね。ボクも色々と考えさせられたよ。ちょっとした仮説も立ててみたのだけど……」

 

 そこで彼女は、わざとらしい咳払いをして、

 

「ユウくん。キミの見解を聞こう」

 

 いつもの調子と言葉で、意見を促してきた。

 ハルは、空想や考え事が好きな人間だ。病床ではそればかりが楽しみだったということもあるけど、そこを抜きにしても、元々好きなんだろう。

 とりわけ、俺と二人で世界に関する考察を進めていくのが、彼女にとってはよほど大切で、楽しい時間のようだった。



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125「第三の領域 アルトサイド」

「映像の記憶からわかったことを順に整理していこう」

「うんうん」

「まず、狭間の世界はどちらかというとラナソール寄りだ。普通に魔法が使える。視覚感知魔法が効力を保ったままだったことから明らかだね」

「そうだね。魔法が使えたことが今回の発見に繋がったわけだよね」

 

 ハルも頷く。

 

「そして、狭間の世界にも建物が、それもかなり大きなものがあって、どうやらあの謎の化け物とは敵対関係にあるみたいだ」

「ボクもそう見たよ」

 

 最後の、光の魔力による攻撃。あれは明らかにドームを襲う外敵に対する防衛対応だった。もしかすると、あの化け物はしょっちゅうドームへと襲来しているのかもしれない。

 

「ドームの中に、人がいるのかもしれない。あるいは自動防護システムが働いているとか。いずれにしても、何かの仕組みや意志でもって攻撃した」

「ボクとしては、人がいる方が楽しみ、かな」

「俺は半分半分かな。あそこに人がいたとして、良い人たちかどうかもわからないからね」

「そっか。それもそうだよね」

 

 あの恐ろしい化け物の正体については、さっぱり見当もつかないので、一旦置いておくとしても。

 改めて大発見だ。これまで何もないと思っていたところに、人の痕跡が存在していることが示された。

 つまり、ラナソール、トレヴァークに続く。

 ハルが、俺と同じ雑感を述べた。

 

「もう第三の世界と言うべきかもしれないね。ただでさえ、ラナソールとトレヴァークの関係があるのに、余計複雑になってしまったね」

「そうだね。ラナソールとトレヴァークを結ぶ――中空領域か」

「――アルトサイド」

 

 ハルの口から、ぼそっとそんな言葉が漏れた。

 

「アルトサイド?」

「うん。ふと思い出したんだ。ボク……レオンが、捕えた終末教の幹部狂信者から聞いた言葉だよ。我々はミッターフレーションから、アルトサイドを越えて――真界に至る」

「随分と煙に巻くような言葉だな」

 

 宗教というのは、みんなそんなものかもしれないが。

 

「ボクもまったく同じ感想だった。概念的な戯言だと思っていたんだ。けれど」

「より具体的な目標であり、事象を表しているのだとしたら……」

 

 終末教の掲げている教理。

 世界の終わり――ミッターフレーション。アルトサイドを越えて――真界……トレヴァークに至る?

 俺がそうしているように、彼らもトレヴァークへ行こうとしているのか? 夢想の存在でありながら。そんなことなんてできるのか……?

 おそらくそのための具体的な行為が、各地における破壊活動であり、ラナ教――ひいてはラナ自身の抹殺にある。

 ラナは、明らかに世界から厳重に守られている。まるで彼女自身が要であるかのように。

 実際あのとき――俺と会って、なぜかはともかく彼女が揺らいだとき、世界もまた揺らいだのを覚えている。

 

 徐々に壊れつつある世界。綻びを見せ始めている世界。

 

 ただでさえ不安定なんだ。要を消してしまえば、どうなる?

 

 ……放っておいても、やがて問題は大きくなるばかりだけど。もしかすると、緩やかに進む崩壊――夢想病の進行などというのは、それ自体が最大の問題ではなく――ほんの序の口だったのか?

 今の状態にかこつけて、何かをしようとしている奴がいる。少なくとも終末教にはいる。もしかしたら、他にもいるのかもしれない。

 例えば、レオンが何度も取り逃がしているという『ヴェスペラント』フウガはどうだろうか。

 ……いや、もっと身近に脅威はある。

 フェバルだ。

 ラナソールにおいて、フェバルは嫌われている。明らかに「特別な配慮」がなされている。そうせざるを得ない事情があるに違いないのだ。

 であるにも関わらず、この世界の異常性は、エーナさんによればわかる人には明らかで、一部の超越者にとっては興味深く映るかもしれない。なおかつ近辺の星脈は、近寄ったフェバルを落とし込んでしまうような流れになっている。

 幸い、今は味方が多いけど。悪いフェバルだって来るかもしれないじゃないか。

 特にウィルだ。あいつが俺を追っていずれこの世界に来るとすれば、今の状態を見て、これ幸いと「ゲーム」を始めてしまうかもしれない。

 もし世界による抑えの効力が及ばず、悪い奴らが一度でも解き放たれて、暴れるようなことがあれば……終わりの日は、あっという間に来てしまうのかもしれない。

 

「ユウくん。何に気付いたのかな。具合が悪そうだけど、大丈夫かい?」

「……思ったより、時間はないのかもしれないな」

「えっ? どういうことかな」

 

 驚きの色を示すハルに対して、静かに答えた。

 

「エインアークスによれば、世界の終わりまでは、五百年の猶予があると言っていた。でも、きっとそんなことはなくて。終わらせたい連中がいる以上は……終わらせられる連中がいる以上は」

「でも、終末教にそこまでの力があるとは思えないよ。ボクだって力を尽くすし、そのために同盟を組むんじゃないか」

「……終末教だけならね」

 

 超越者連中を念頭に置いた発言は、二つの世界しか知らない少女にとっては、あまりぴんと来ないようだった。

 その辺りは、今度昔話がてらに話してあげることとして。

 今は、次から次へと懸念が浮かんでいた。

 

「既に薄氷の上かもな。辛うじて世界は保たれている」

 

 空恐ろしいものを覚えつつ、『心の世界』から紙とペンを取り出した。

 

《スティールウェイオーバー筆スラッシュ》

 

 自動的に、高速で手が動く。筆は、今知る限りの世界の概念図を描き出していった。

 上にラナソール、真ん中にアルトサイド、下にトレヴァークを配置する。

 位置関係は何となくだ。

 ラナソールからトレヴァークへ通って移動するときはやや下るような感覚。逆にトレヴァークからラナソールへ行くときはやや上っているような感覚がある。

 でき上がった概念図を、隣からハルが興味深そうに覗き込んだ。

 

「これが、世界の姿……」

「世界の穴は、上から下へと通る。人の心は、糸のようなもので結ばれている」

 

 概念図に、穴と矢印、そして人と人を結ぶ糸をたくさん描き加える。

 エネルギーの高い場所から、低い場所へ。許容性の高い世界から、低い世界へと。

 両者を繋ぐ中空領域。アルトサイドは、パイプのようなものだ。

 しかしただのパイプではない。建物があり、人の痕跡があり――化け物がいる。

 まだまだ全体像はわからない。どうなっているんだろうな。

 ともかく、もう少し関係の整理を続ける。

 

「糸が切れてしまうと、夢想病になる」

 

 糸のうちいくつかに、×印を付けた。

 

「そして俺がやっていることは、人を繋ぐ糸を道として広げて、通らせてもらうことだ」

 

 俺とユイを表す人型、ハルやリクなどを想定した人型をいくつか描いて、道を示す双方向の矢印を付ける。

 これで概ね、人の関係についても書き足された。

 

「へえ。わかりやすいね。これ」

「問題は、現状の整理はできてきているのに、肝心な部分の手掛かりがろくにないことだ。アルトサイドの存在が新たにわかっても、行く方法はさっぱりだし」

 

 ただ世界の穴へ飛び込んだだけでは、流されてしまうだけだろう。俺程度じゃない、普通のフェバルのような圧倒的な力をもってすれば、あるいは流れに逆らうこともできるか。

【反逆】持ちのレンクスだったら、きっとあの流れをものともしないだろうな……。能力さえ発揮できるなら。

 しかしフェバルが能力を発揮するときは、本当に危ないときのような気がする。

 この世界に来て、もう二年近くになる。結局まだ大切なことは何もわかっていない。

 実はあまり時間がないとして。こんなにのんびりしていて良いのだろうか。もっと身を削ってでも、世界を――。

 

 ハルの手が、俺の手に触れた。包み込むように。

 

「前にキミが言ってた。焦っちゃいけないよ。第三の領域に何かがあるとわかっただけでも、一歩進んだ。とりあえずそれでいいじゃないか」

「……ああ。確かにそうだね。大きな一歩だ」

 

 少しずつ前へ進んできてはいる。既に得た情報が、世界の謎を解き明かす何かに繋がっているのかもしれない。

 そうだな。焦っても何にもならないよな。

 

「ふふ。ユウくんも人並みに焦ったりするんだね」

「俺だって普通の人間だよ。弱音だってしょっちゅう吐くし」

 

 頑張って言わないようにするときもあるけど、ユイには結構相談してたりするんだ。

 

「うん。繋がってみて、キミのこと、またちょっとだけわかったかな。そんなところも好きだよ」

 

 大胆な告白は女の子の特権ともよく言うけど。

 心なしか、また少しだけ積極的になってないか? 口で言ってることとやってることが、妙にちぐはぐだ。

 押してみたり、引いてみたり。彼女自身も持て余しているんだろうな。まだまだ。

 ……ああ。俺の心を覗き見てしまったのもあるか。ハルが心の内を隠さず見せてくれたように、俺の力は俺の心の内も繋がった相手に知らせてしまう。

 リルナへの一途を通すことでしか、君を跳ね退けていないことに、君はもう気付いているだろう。

 もし初めての人だったなら。俺はたぶんもう君を抱いている。

 もしそうだったなら。ここまで好意をぶつけられて受け入れないほど、俺は人を選ぶわけでも、朴念仁でもない。何より、君自身が魅力的だ。そこは心から認めるよ。

 俺もハルが好きだ。かなり。相性も良いと思う。さすがユイも合格点を出すだけのことはある。

 でも、それ以上にリルナが好きなんだ。こればかりは、過ごした年月の密度と想いの強さで譲れない。だからやっぱりすまない。

 心の内でもう一度謝って。そこもたぶんハルには見抜かれていて。

 

「ところで。ねえ、ユウくん。あと一つ。大事なことがわかったんじゃないかい?」

 

 思考を呼び戻される。

 

「最初の依頼の話へ戻るんだけどね。ボクをそこへ連れてみて行ってくれないかな」

「アルトサイド……ってわけじゃないよね?」

 

 それはまだ無理だと言う話をしたばかりだ。

 ハルは微笑を浮かべたまま、小さく首を横へ振った。

 

「よく思い返してみて欲しい。記憶の最後がどうなったか、覚えているかい?」

「えーと。あっ……!」

 

 そうだ。あのとき、どうなった?

 視覚感知魔法は、最後まで効力を発揮していた。

 そうだよ。トレヴァークに着いたにもかかわらず、しばらくは魔法が消えなかったんだ。

 つまり。

 

「逆転現象が、起こっているのか?」

「ボクはそう睨んでいるよ」

 

 正答を得た彼女は、満足気に頷いた。

 

 世界の穴に近い場所では、二つの世界の境目が薄くなる。互いにもう一方の世界の性質を色濃く反映する。

 ラナソールならば許容性が下がり、パワーレスエリアとなる。

 逆に、トレヴァークならどうなるか。

 許容性が上がる。魔法を使うに足るほどに。

 

「パワフルエリア、と名付けてみたよ。少し安直だったかな?」

 

 ハルは、この日何度目かになる照れ笑いを見せた。



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126「パワフルエリアに行こう 1」

 ハルとバイクで移動するのは、これが二回目だ。彼女の中ではまたデート扱いなんだろうか。

 いやまあ、紛れもなくデートだよねこれ。

 前回はフライトモードを使わなかったので、本気の本気を出したこいつを、今こそ堪能してもらっている。

 

「わあ! このエンストバイク、空飛ぶんだね! まるでラナソールみたいだ! すごいね!」

「エンストバイクって言うのはやめてくれよ……」

「あはは!」

 

 ともかく、俺の背中にしがみついて、子供のようなはしゃぎっぷりなので、連れてきてよかったなと思う。

 

 映像記憶の終わった場所を探すことについては、爆心地が映っていたことが大きな手掛かりになる。そこまでのおおよその距離や方角は完全記憶能力を使えば割り出せるので、あとは根気の問題だった。

 もちろん解析は、ユイにお願いするわけなんだけど……。姉はすっかり弄りモードだった。

 

『へえ。ちょっと触れ合ったら、また随分距離が近づいたんじゃない?』

『そうかな。まあ、そうだよね……』

 

 何も知らず、はたから今の様子を見ると、ユイと同じような関係――仲の良過ぎる兄妹――か、あるいは本物の恋人同士のように見えてしまうかもしれない。好意いっぱいのハルと、そんな彼女を振り切れない俺が作り出してしまった、友達以上恋人未満な微妙な関係だ。

 

『リルナさんが見たらどう思うだろうね』

『返す言葉もありません』

 

 何度でも思う。もうこの際見てもらって、堂々と話し合いたい。俺が遠い地で好意を寄せられていることを知らないリルナにも申し訳ないし、彼女と会えないせいで宣戦布告もできず、一歩引くしかないハルにも申し訳ないじゃないか。もちろんミティもそうだ。

 恋愛したことはもちろん別れも覚悟の上で、そのことは後悔してないけど。

 予想以上に、思ってもみない形で後を引いてしまったな。

 俺、こんなに言い寄られることになるなんて思わなかったよ……。

 一度(マインドリンカー)で繋がった心は、俺とハルのもどかしい気持ちをずっと共有していた。背中にくっつくハルの鼓動と一緒に、その裏に潜む気持ちまでしっかり伝わっているし、それを受けて俺がどう思っているのかもほとんど筒抜けだ。

 前から思ってたけど、この能力、好きと嫌いに敏感過ぎる。特に好きな場合は結合度も高くて――まともに隠し事もできやしない。

 そして、結合度100%の相手からは、ちょっぴりとげとげしいものを感じていた。

 

『もしかして、君も妬いてる?』

『うん。ちょっとだけ』

 

 素直に認めた姉ちゃんも、一人の女性として分かれた影響なのか、俺に対する好意で張り合うことが増えたような気がする。

 こっちの方は、あくまで仲の良過ぎる弟に対して向けるそれで、さすがに禁断の恋人どうこうとか、そっちの方の意識はないみたいだけど。

 しかしどうなんだろう。ユイとはこの世界に来る前、しょっちゅう「くっついて」……ある意味、恋人同士が繋がる行為よりも深く、全身が繋がって満たされていたから、わざわざそんなことをしようなんて気になったこともなかったけど。

 もう二年近く「くっついて」ないもんな。毎日のように意識や感覚を共有し、女の身体を使わせてもらっていた日々からすると、やっぱり寂しいのかもしれない。

 

『戻ったら埋め合わせをするよ』

『い、いいよ。別に大丈夫だから。困らせたいとか、そんなことはないから。ね』

『俺がしたいんだ。させてくれないか』

『そっか。じゃあありがたく受け取っておこうかな』

 

 姉の気分が上向いたのを感じて、二人の好意を一身に浴びながら、バイクは空を進んでいく。

 

 

 広い世界から特定の町でもない一か所を探索するわけなので、すんなりとはいかない。元々覚悟の上で、数日は外泊許可を取っている。俺はハルの親類でも何でもないが、足しげく通っていた実績が認められた形だ。

 おそらく、彼女にとっては現実における最大の冒険となることだろう。冒険と言っても、ラナソールのように魔獣がいるわけではないけど。

 ただ、長時間の移動となるので、思いも寄らぬ問題が発生してしまって。

 本当は思いも寄るべきだったし、ちゃんと対応策も考えておくべきだったんだけど……俺もハルも、どこか浮ついていて、すっかりそのことへの意識が抜け落ちていた。

 

「あの……ユウくん……」

 

 体勢の安定を取るため、俺のお腹に手を回して、背中からぴったりくっついていたハルは、もじもじと切り出した。

 

「とっても……言いにくいんだけど……その、ね……」

「どうした?」

「アレが……近くなって、きちゃって……」

 

 はっきりと言葉には出さないが、乱れた鼓動と心の声が盛大なるアラートを発している。なのでもう内容は察せた。

 滅茶苦茶焦った。

 

 そうだよ! お花摘みのこと何にも考えてなかった!

 

 俺は普段、したくなったらその辺で適当に済ませればいい。身もふたもない言い方をすれば、野○ソにも慣れているし、アレペーパーも『心の世界』にあるので衛生的だ。

 それでも気分的に、できれば女の身体ではしたくないので、俺が毎回済ませていた。

 慣れてる俺でさえそうなのに、彼女はどうだ。

 そもそも、整った水洗環境で座ってすることができなければ、一人ですることもできない。このままでは最悪、※自然の営み になってしまう!

 まずい! それだけは!

 

「ど、どうしよう!? どうしたらいいかな!?」

「ボク……ボク、ねえ……ユウくん……」

 

 何やってるんだ。ハルに聞いたって、一番困っているのは彼女じゃないか!

 消え入りそうな声で、ただ俺に縋りついていた。

 夢想の世界の英雄も、こちらでは無力な少女だ。思わぬところで思い知る。

 俺が何とかしないと!

 

「とにかく近くに下りよう!」

「う、うん……」

 

 可及的速やかにバイクを下降させ、その辺の森に停める。

 降りたところで、周りがロケーション抜群の大自然であることに変わりはない。事態は何も好転していない。

 すぐに振り向いて、彼女の顔を見た。

 すっかり真っ赤にして、しおらしく、ほとんど泣きそうになっている。

 いくら好きな人が相手でも、下の世話までされたくはないだろう。当たり前だ。

 

「ごめんな。ちゃんと考えておくべきだった」

「ボクこそ、だよ……。浮かれちゃってたね。でも……見られるのがユウくんで、まだよかった、かな」

 

 それでも精一杯、健気に強がってみせるハル。彼女が望んでついてきたからだと、俺を一切責めることなく、覚悟を決めている。

 最大限まともな形で済ませるなら、俺が側で抱き抱えるなどして、格好を支えて、終わったら拭いてあげるしかないけど。

 彼女はもう、そうすることを考えていて、それでいいと。実際、現実的にはそうするしかないけど。

 しかし……なんて恥辱的プレイだろう。人間の尊厳が。

 ダメだ。そんなこと。

 

 考えろ。何かないか。何か!

 

 周囲の木々が、ふと目に留まった。

 

「――大丈夫だ。俺が何とかしてやる!」

 

 迫真の声で告げる。もしかしたら、ここ最近で一番シリアスかもしれなかった。

 

「え。どうにか、できるのかい?」

「ちょっと行ってくる! あと少しだけ我慢してて!」

 

《マインドバースト》!

 

 時間がない。俺は手頃な大きさの木を一つ見繕い、そこへ向かって全力で駆け出した。

 

 君に ※自然の営み なんてさせはしない。絶対にだ!

 

 気剣を抜き放ち、気合の雄叫びを上げる。

 

「うおおおおおおおお!」

 

《スティールウェイオーバースラッシュ》!

 

 プログラムされた自動攻撃による最速の剣技でもって、その木を一太刀でぶった切った。さらには、想定する形へ器用に加工していく。

 職人技もかくやの精度と、我ながら素晴らしい速さで。

 ものの一分ほどで、表面つるつる仕上げ、自然の素材を生かした木のおまるが完成した。

 返す足、そわそわと俺を見つめている彼女に駆け寄って、抱き上げた。

 

「ひゃあっ!」

 

 そのまま、お姫様抱っこで即席トイレにエスコート。

 降ろすときは丁重に、そっと腰掛けさせる。

 

「うわ。キミ、これを……ボクのために……?」

 

 頷き、紙と水を添える。

 

「大丈夫。見ないよ。絶対見ないから! 終わったら教えてね!」

「うん。ありがとう……」

 

 顔を背けて、そそくさと離れた。

 慌て過ぎて、自分でももうどんな顔をして言っているのかわからなかった。

 

 しばらくしてお声がかかったので、迎えに来るときも、全力で見ないように上を向いて歩み寄った。

 ハルもいくらか余裕が戻ったようで、声も明るい。

 

「あはは! そんな一生懸命目を逸らさなくてもいいよ」

「でも、見ないって言ったからね」

「頑張るね。ほら。ボクはここだよ~」

 

 トントンと、楽しそうに木のおまるを叩くハル。

 その音と、心と気の反応を頼りに、彼女の位置を探り当てる。

 手が、ハルの脇に触れた。彼女はふふっと笑った。

 

「当たりだよ」

 

 

 ……とまあ、とんだ一悶着があったけど。

 

「ね。相手がユウくんで、本当に助かったよ」

 

 彼女の笑顔と尊厳が守れたから、結果オーライとしようか。

 

 さて、こんなこともあったし、夜は普通にどこか町に寄ってホテルでも良かったのだけど。

 

「せっかくだし、キミと同じ気分を少しでも味わってみたいな」

 

 ハルが旅らしく野宿を希望したため、そうなった。お手洗いも、あの即席おまるで大丈夫ということらしい。

 旅のフルコースをご所望ということだったので、夕食も近場で獣を狩り、食べられる山菜を拾ってのバーベキューとすることにした。食べ物集めを手際よくこなしていく姿に、ハルはいたく感動したようで、終始目を輝かせてくれた。

 

「やっぱり本当の冒険者は違うね! すごいね!」

「はは。キミ、朝からすごいばっかりだよ」

「ほんとに凄いんだから仕方ないよ。ラナソールのは、なんちゃってお手軽冒険だからね」

 

 ワープクリスタルで補給が簡単にできて、いつでも安全地点へ戻って来られる。あの世界の住民がしたいのは、夢のような楽しい冒険であって、生死をかけた過酷な旅ではないのだ。

 ……まあそれを言ったら、『心の世界』ストレージで楽をできる分、俺もある意味なんちゃってなんだけどね。

 

 よし。これで十分だろう。

 火を起こす。

 ユイとミティ、たまにエーナさんが作るのが定番だったから、俺が直々に料理を振舞うのは久しぶりだな。

 

「あのね。ボクにも手伝わせてくれないかな?」

「もちろんいいけど。君、料理をしたことがあるの?」

 

 ハルは、小ぶりな胸を張った。

 

「これでも、エトラ・スクールの家庭科は優だったんだよ? まあ、全然プロのキミほどじゃないけどね」

「そっか。助かるよ。じゃあこれの皮むきをお願いしてもいいかな?」

「こほん。任せてくれたまえよ」

 

 彼女はレオンの真似をして、ウインクをしてみせた。

 途中で、ラナクリムBGMの鼻歌を鳴らし出したので、よほど気分が良いのが伝わってきた。

 やってみるとわかるけど、料理は一人で惰性でやると面倒なイベントでも、凝ってやってみたり、仲の良い人と一緒にやると、楽しいイベントになったりする。

 世の中の、どちらかに料理を任せきりな夫婦やカップルは、一度一緒にやってみるといいだろう。案外、より円満な関係のきっかけになるかもしれない。

 

 おいしい夕食も済ませたら、たき火を囲みながら、ゆったりとお喋りをした。

 内容は、最近あった面白いこととか、あと昔の旅の話の続きだ。

 俺が見た目がユイそのままの女の子をやってたことを語ると、ハルは面白がって耳を傾けてくれた。特に、アリスとミリアが結託しての数々のいたずらの下りは、かなり笑いを誘ったようだ。

 

「道理でミスコンのとき、ちっとも違和感がなかったわけだね。すっかり女の子って感じだったもん」

「そんなに自然に見えた?」

「見えたよ。最初から女の子として生まれてきたんじゃないかって思ったくらい」

「あはは。それ、昔は結構色んな人に言われたなあ」

 

 幼いとき、両親が健在だったとき。「女の子みたいだね」は、愛でられて言われる台詞の常套句だった。あのときは煩わしかったものだけど、今にして思えば、全てが懐かしい。

 

「実を言うと、ボクね。キミたちと初めて会ったときから、ちょっと同じ匂いを感じていたんだ」

「それ、ミティも言ってたな。そういうのって、何となくわかるものなのかな?」

「かもしれないね。もしかしたら、運命だったのかも」

「運命、か」

 

 その言葉を聞くと、いつもあまり良い気分がしないのはなぜだろう。フェバルの重い運命を思い起こさせるからだろうか。

 ハルは肯定的な意味で、まったくそんなつもりで言ったのではないのはわかっているから、気にすることでもないけど。

 

「そうだね。素敵な縁だ」

 

 ちょっとだけ、言い直した。

 

 

 そろそろ寝る時間になった。寝袋を用意する。

 

「寒いから、一緒の寝袋に入ってもいい、かな?」

 

 彼女なりの、精一杯の勇気だった。そんな彼女の勇気を断ち切ることは、もうできそうにない。

 最後の一線だけは守るから。許してくれ。リルナ。

 

「わかった。いいよ」

「えへへ」

 

 彼女が、甘えた目でこちらを見つめてくる。

 本当は自分からこっちへ滑り込みたいのに、それもできないわけだ。なんて不憫な身体だろうか。

 俺が招き入れる。彼女の小さな身体が滑り込んだ。

 

「おお、ぬくぬくだ。あったかいね」

「これが結構病みつきになるんだよな」

 

 寝心地は決して良いとは言えないけれど、身体が包み込まれてフィットする感じが、疲れた身体には何だか安心するのだ。

 

「ユウくんも、あったかいね」

「ハルも、あったかいよ」

「…………」

「…………」

 

 隣で、目と目が合う。無言で見つめ合う。

 彼女の手は、落ち着きがなく俺の手を触れたり、離れたりしている。

 たぶん彼女は、何度も身を伸ばしかけて。顔を近づけかけて。繋がりたいと思って。

 結局、そうはしなかった。

 ハルは、少し切なそうに目を細めた。

 わかっている。お互い手は、出さない。

 あまり妙な空気になる前に、ハルは目を背けて、空へ目を向けた。俺もならって、空を見上げる。

 

「うわあ……。星空が綺麗だなあ」

 

 彼女は、素直に感動していた。

 都会の病院暮らしだと、あまり見たことがないのだろうか。写真で見るのと生で見るのとでは、全然違うものだよね。

 星空は、どこの世界も似ているようで、少しでもよく見れば、世界によって全く異なる姿を見せてくれる。また違う世界に来たのだと、そう実感させてくれるものの一つだった。

 ハルが、星の一つを指さした。

 

「あそこ、ユウくんの故郷かな?」

「さあ。どうかなあ」

 

 太陽は、宇宙で見ればいかほどの輝きだろう。もしかしたら、案外ハルの指したところの近く、あの辺りの星のどこかすぐ側に、地球があるのかもしれない。

 あそこは、あっちはどうだろう? としきりに指をさすので、微笑ましい気分になった。

 やがて、彼女は一つ大きなあくびをした。

 

「ふああ……。そろそろボク、眠くなってきちゃったよ」

「普段の十倍は動いただろう。疲れたんじゃないか」

「うん。でも楽しかった。ちょっとだけ、ユウくんの気分が味わえたかな」

「それはよかった。明日もまだまだあるよ」

「楽しみだね」

 

 彼女は目を瞑って、笑う。

 

「さて、お仕事の時間だ。ボクも頑張るよ」

 

 夢の中こそが、彼女が本領を発揮する場所だ。ハルは眠い目をこすりながら、気合を入れた。

 

「この世界、一緒に守ろうね」

「ああ。守ろう」

「おやすみなさい。ユウくん」

「おやすみ。ハル」

 

 ハルはすぐに寝付いた。安心しきって、俺に身を預けている。

 寝顔は、幸せそうだった。きっと楽しい夢を見ていることだろう。

 

 この子の幸せと未来を守るためにも、俺も頑張らないとな。



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127「パワフルエリアに行こう 2」

 長いようで短い、数日ばかりのパワフルエリア探索の旅だった。

 ついに俺たちは、映像の場所を探り当てた。

 確かめなくても、入った途端にその場所が正解であるとわかった。明らかに身体が軽くなったからだ。

 

「やったね。見つけられたね。ユウくん」

「ああ、やったな。ハルはどうだ。調子は」

「心なしか、身体に力が入るような気がするよ。これなら……」

 

 期待に胸を膨らませる少女が何を考えているのかは、最初にここへ連れて行ってくれないかと頼まれたときから明白だった。

 ただはしゃぎ過ぎると後の反動が怖いので、やんわりと諭す。

 

「元は立てない身体なんだ。ここに来たからって病気が治るわけじゃないんだから、あまり無理はするんじゃないよ」

「わかっているとも。ちょっとだけ、だよ」

 

 指を小さく摘まんで、ハルはちょっとだけ、をアピールして言った。うん。重々承知みたいだね。

 バイクを下して、ひとまず周辺の様子を観察する。残念ながら、既に世界の穴は閉じてしまっているようだ。

 ハルも同じことを考えて周囲を見回していたようで、ややがっかりした様子で肩を落としていた。

 

「穴はもう閉じてしまったみたいだね」

「残念だなあ。もしかすると、アルトサイドの様子をまた探れるかもって期待していたのだけど」

「そう都合良くはいかないものさ。穴はしばらく経てば閉じるってわかってたしね」

 

 いつまでも閉じない穴が出現すれば、恐ろしく話も変わってくるのだろうけど。今のところは確認されていない。……今のところは。

 

「そっかあ。ボクが見たときから、三週間近くも経ってるからね。仕方ないよね」

「でもほら、パワフルエリアはちゃんと見つかったじゃないか」

 

 試しに気剣を作り出してみる。

 思った通り、色の薄い微妙な出来にはならず、煌々と白い輝きを湛える強剣が飛び出してきた。

 二度三度素振りしてみせると、ハルは目をキラキラさせた。

 

「おー。前に見せてもらったのより、白くて立派だね」

「中々いけるな。さすがにラナソールほどってわけにはいかないみたいだけど」

 

 あくまでラナソール寄りというだけのことなので、それなりだ。正真正銘向こうのは、抜くだけで大気を震わせるレベルだからな。

 

「でもすごいよ。さすがはユウくんだ」

「よし。今度は魔法行ってみようか」

 

 向こうの世界のユイに語りかける。

 

『ユイ。軽く魔法発動テストもしてみよう』

『オーケー。ちょっと待ってね』

 

 ユイは、ラナソールで発生させた魔法を、『心の世界』に送り込んでいった。

 

『もういいよ』

『わかった』

 

 俺は掌を突き出して、構えた。

 

《アールリース》

《アールリット》

《アールリオン》

 

 掌サイズから、等身大、さらにその数十倍。

 段階的に、光弾魔法の等級を引き上げていく。

 上位魔法までは、問題なく発動した。

 つまり、魔力許容性も気力許容性と同様、並みの世界以上にはなっている。

 これはもしかして、最後までいけるか……?

 

《アールリバイン》

 

 掌から、『心の世界』でユイが特に念入りに溜めた光の超上位魔法――時さえも貫く光の矢が放たれた。

 次の瞬間にはもう、それは軽く音を抜き去って、空の彼方だった。

 この魔法は、手持ちの全魔法中、頭二つ抜いて最速の圧倒的な速度と、強力な時空魔法特効が最大の売りである。

 さすがに速い。ラナソールほどではないにしても、速度も強度も申し分なさそうだ。

 セオリー通り、空の果てまで、どこまでも突き進むかと思われた。だが……ある地点を超えた瞬間、魔法の構成は散り散りになって掻き消えてしまった。

 なるほど。パワフルエリアからはみ出たから、消えてしまったわけか。

 でもこれでわかった。

 

「うん。大体使えるみたいだ」

 

『ありがとう。ユイ』

『いえいえ』

 

「わあ……魔法だ……本物だあ……」

 

 ハルはもうすっかり感激して、憧れのアイドルか何かをうっとり見つめる少女のようになっていた。

 

 

 

「……よし。そろそろボクも」

 

 緊張の面持ちで、バイクから自らの力で降りようと試みるハル。

 俺はもし倒れそうになったら支えられるようにと、歩み寄った。

 

 ぴくり。動かないはずの足が、動いた。

 

「動く……動くよ。ユウくん」

 

 よほど見てもらいたいのか、こちらへ時折ちらちら視線を向けながら。

 恐る恐る、慎重に足を降ろしていって。

 まず右足が地についた。左足も。そして、バイクから支えとなる手を離す。

 

 二の足で、彼女はしゃんと地面に立っていた。

 

「立てた……」

 

 よほど感慨深かったのか、彼女はまずぽつりと、噛み締めるように呟いて。

 それから、湯水が溢れるかのように喜びいっぱいの笑顔で、動き出した。

 

「うわあ! 立ったよ! ねえ、歩けるよ! やった! ユウくん!」

「よかったね!」

 

 てってって、っと危なっかしい足取りで歩み寄ってくるので、抱き留めて頭を撫でてあげた。

 

「やっぱり。思った通りだった。ここならボクも普通に動けるんじゃないかって」

「うんうん。嬉しいよな」

「うん。でも、ボク自身の力じゃないから……いつかは、本当の自分の力で歩けるようになりたいね」

「そうだね。ハルなら絶対できるよ。頑張って」

「うん!」

 

「ちょっと確かめてみるね」と言って、ハルは少しずつ、感触を確かめるように動きを大きくしていった。

 俺は黙って、温かい気持ちで彼女を見守っていた。

 まずは小さく跳びはねてみて、それから軽く駆け、大きな跳躍をしてみて。思いっ切り走り出したときは、勢い余ってこけそうになっていたので、危ないところで受け止めた。

 

「おっと。気を付けて」

「ごめんごめん。ありがとう」

 

 普段ほとんど動けない彼女からすると、見違えるような動きだった。

 ただ、元の身体が病弱なせいで、レオンという超強力な補正がかかっていても、シズハ並みかそのくらいしか動けないようだ。それでも、病弱な子がプロの暗殺者並みになるのだから、十分すごいんだけどね。

 また、どうやら精霊魔法の類は出せないらしい。あくまで身体スペックがいくらか近くなるというだけで、元々できなかったことができるようになるというわけではないようだ。

 

「《レイザーストール》! ……なんて、聖剣もないし、出るわけないんだけどね」

 

 手の素振りで聖剣技の真似をしてみたハルは、照れ隠しで笑ってみせた。

 

「ああ……残念だなあ。もし魔法が使えたら、こっちでもユウくんと一緒に戦えるかなって思ったのに」

「はは。仕方ないさ。気持ちだけでもありがたく受け取っておくよ」

「ごめんね。でもこっちで身体を動かしたのは本当に久しぶりで、楽しかったよ」

 

 この後も色々試してみたところ、元が健康体で、ラナソールでも姿のまったく変わらない俺のケースでは、ラナソールで発揮できるチートレベルの力をそのままダウングレードして、およそ数パーセントほどが発揮できることがわかった。

 山を斬れるほどのパワーの数パーセントなので、おおよそ許容性が非常に高い世界にも匹敵するほどの力を、パワフルエリアでは行使できることになる。

 特定の場所でしか力を使えないので、使い勝手はあまり良くないけれど。

 何かの役には立つかもしれない。心には留めておくことにしよう。



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128「動き出すヴィッターヴァイツ」

 ラナソールで、異変は静かに進行していた。

 

 未開区ミッドオールの奥地。未だほぼ人の足の達していない果ての荒野の一点。

 

 世界に、穴が開いた。

 

 それはまだ、ほんの小さな綻びであるが――。

 

 しかし、決して閉じることはなく――。

 

 徐々に面積を増して、やがて等身大ほどで均衡を保った。

 

 とうとう、消えない穴が開いたのである。

 

 開いた場所も、大きさも、世界と比べれば、まだまだ見過ごされそうなほどに小さなものであるが。

 

 だが、いち早く気付いた者がいる。

 

「ほう。思った以上に早かったな」

 

 無限迷宮の地下深く。静かに機を伺い、神経を研ぎ澄ませていたヴィッターヴァイツにとって、感知できない異変ではなかった。

 

「さては――外れ者が増え過ぎたか。抑え込み切れなくなったと見たぞ」

 

 彼が把握する限り、現在、ラナソールに身を潜める超越者は少なくとも四人。

 うち三人は一か所、何でも屋『アセッド』とかいう下らん店に身を寄せている。取るに足らんなんとかいう小僧がやっている店だが、何が気に入ったのか。

 とは言え、いくら下らん店であっても、彼ら自体を軽視して良いということにはならないだろう。

 その一人、レンクス・スタンフィールドは、至強を自負するヴィッターヴァイツであっても、最も警戒すべき相手の筆頭だ。明確に星消滅級の力を持つとされており、積極的に他のフェバルに関わる生き様で、名もそれなりに通っている。たとえ能力なしであっても、決して油断のならない相手であると彼は考えていた。

 エーナは……「新人教育係」として、ある意味で有名人だが、実力的には大したことはない。能力が使えないのならば、なおのこと取るに足らない存在に過ぎん。障害の頭数としては除外できる。

 ジルフ・アーライズは、唯一、彼の知らないフェバルだった。未知であることは、それだけで警戒するに足る。その上、レンクスの奴が一定の信頼を置いているようなので、それなりの力はあると見るべきか。

 最後に、トーマス・グレイバー。ほとんど常に上裸一貫の奇抜なスタイルという変人で知られるが、元はダイラー星系列の執政官であったことは、その筋では有名である。

 ありのまま団とかいう、見た目ばかりは彼によく似た下らん連中の集まる、これまた下らん組織にひっそりと――あんな恰好をしておきながら、目立たないのが奴の流儀らしい――身を置いていることに気付くには、よほど動向を注視していたヴィッターヴァイツでなければ、まず無理だっただろう。

 トーマスは、自らを傍観の男などとほざいているが、ヴィッターヴァイツは、あの男には惑星エラネルで少々の借りがあった。あの名も知らんクソ赤髪の女と組んで一杯食わされたのは、今思い返しても万死に値する一件である。

 

 しかし今は、それよりも優先すべき、まったくもって気に食わないことがある。

 

 この世界において、何者が絵を描いているのかはわからないが。

 彼自身も含めて最低五人となれば、フェバルの絶大な力を抑え込むために必要な代償は、かなりのものだろう。いつどこにガタが来てもおかしくはない。

 

 とうとう限界が来た。パワーバランスが崩れた。

 彼はそう判断した。

 

「反撃の一手を打てるかもしれんな」

 

 今すぐにでも現場に向かいたいところだが、彼は焦らなかった。

 まだ穴は小さい。いずれは増えるだろう。大きくなるだろう。そうなれば強気にもなれるが、今、下手に存在が知られては、その場所を押さえられて、自由に動けなくなる。

 まず他の外れ者たちが、異変に気付いていないことを確かめる。

 数時間ほど、彼は待った。

 そして、おそらく誰も気付いていないことを確認して。

 移動のやり方にも注意を払う。少しでも力を高めれば、本物の気力と魔力を持つ彼の存在はたちまち他の外れ者にも知られるところとなる。

 幸いにも、夢想の世界には、いかなる感知方法にもかからない理想的な移動手段がある。

 ワープクリスタル。

 予め世界各地を登録してあり、いつでも任意の場所へ数時間程度で行ける状態にしてあった。わざわざ無限迷宮などという辺鄙な場所のボスフロアに居を構えたのも、この場所がボス討伐後は『休息部屋』と同じ扱いになるためだ。

 

 ヴィッターヴァイツは、異変を感じた場所へ向かった。

 そして予想通りの穴を見つけて、口元が緩む。

 

「開いたままとはな」

 

 突発的に世界に穴が開く現象は、何度も確認していた。しかし、フェバルである彼が近寄れば、たちまち穴は消えてしまう。

 これまではそうだった。だが今回は。

 試しに手を伸ばしてみる。全てを無差別に吸い込みそうなほど、深い闇が奥を満たしているが。

 全てが思い通りにいくほど、甘くはなかった。

 彼の手が触れた途端、明確に異物として認識された。電流に似た衝撃が走り、彼は手を引いた。

 

「……弾かれてしまうか。簡単には通してくれんな」

 

 痛む手を押さえながら、苦々しく顔をしかめる。

 だが、最後の一線を守ってくることは想定の範囲内である。さほど気落ちせず、今の接触で新たに見えたことを冷静に咀嚼する。

 

「やはり、どこかに繋がっているな。おそらく向こうが本源だろう」

 

 ラナソールではない、自然な世界がある。

 穴に直接触れたことで、彼の予想は確信に変わった。

 あとは何ができるか。

 ラナソールの内側では、残念ながら抑え込まれてしまっているが。向こうではどうか。

 直接は触れず、穴の向こうに様々なアクションを試みて。気付く。

 

「ほう。能力は使えるのか」

 

 能力が使えないのは、あくまでラナソールのルール。向こう側の世界では適用されないというわけか。

 まだ、万全には行使できないようではあるが……。

 重要な事実を知り、顔には邪悪な笑みが戻っていた。

 

「ならばオレ自身が行けずとも、かき回す程度のことはできそうだな」

 

 面白くない展開が続いていたが、ようやく愉しみが出てきた。

 

「さあ【支配】よ。一働きしてもらうぞ」

 

 世界に開いた穴を通じて、ヴィッターヴァイツはもう一つの世界へ働きかける。

 今、彼に【支配】できるのはたった一人だけだった。しかも対象を選ぶことさえできない。

 本来の彼の力からすれば、笑えるほどに不自由な状態。

 しかし、時間の問題だ。いずれ綻びが広がれば、打てる手は加速度的に広がっていく。

 

 終わりが、始まろうとしていた。



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129「観測星と赤髪の少女」

 ダイラー星系列 第97セクター観測星――

 

「少し疲れてきたな」

「そうですね」

 

 二人の観測員が、お茶を啜りながらまったりと星の様子を観測していた。

 宇宙の番人を自負するダイラー星系列にとっては、宇宙の様子を観測することも重要な役目のうちの一つである。

 観測対象は、物質宇宙、とりわけ「ヒト」の暮らす星々が中心だ。

 だが、目に見えるものばかりを観測しているわけではない。非物質の領域――代表的なものは星脈システム――の観測も、特に本星の者たちは重視していた。

 もし何らかの異変の恐れありと認められれば、直ちに本星へ連絡を入れることになっている。そして協議の上、処置の必要ありと判断されたならば、上位者――星裁執行権を持つ者が派遣されてくる。

 星裁執行者は、本星においてこそ一中間管理職に過ぎないが、辺境領域における権限は絶対である。最終的な現場判断は、彼もしくは彼女に一任されている。ダイラー星系列はあまりに多くの星々を管轄しているため、現場の自主判断に求められる役割は大きい。

 

「しかしお前も災難だな、メイナード。内育ちのお前が、こんな田舎星ではさぞ退屈だろう」

「いえ。来たときこそ文化の違いに戸惑いましたが、今は過ごしやすく思っていますよ。何よりオルキさんがいらっしゃいますし」

「こいつめ。口が上手いじゃないか」

 

 一般に、宇宙の中心に近いほど星の生まれは古く、平均文明レベルも進んでいるとされる。

 特に、宇宙最凶の荒れ場とされるウェルム帯の内外で、明確に文明レベルは分断されている。ダイラー星系列の主たる領域はウェルム帯の内側であり、そこで生まれ育った者を「内育ち」と呼ぶ習わしがある。

 

 本日も、計器に異常なし。

 メイナードと呼ばれた男は、大きく欠伸をして、夜勤で眠い目をこすった。

 

「ふあーあ。楽でいいですけど、こんなに何もなくて、給料まで頂いてしまっていいのでしょうかね?」

「いいんじゃないか。何もないのが一番だよ。お隣の第98セクターじゃエネルギー資源戦争の真っ最中だから、連中毎日のように報告で死んだ目をしてるぞ。ああいうところで働きたいか?」

「いやあ、それは勘弁ですね」

 

 ここ第97セクターは、地球や惑星エラネル、惑星エルンティアを含む辺境の領域である。このセクターは比較的平和とされており、実際大きな事件は滅多に起こらない。理由としては、平均文明レベルが低いため、星間レベルでの衝突自体が極めて少ないことが挙げられる。

 最近――といっても宇宙スケールでの最近であるが――唯一あった事件と呼べるものは、約二千年前の旧惑星エストティアへの制裁のみである。

 暇な時間が多いので、メイナードは調べたことがあった。

 事件の記録を紐解けば、事の発端は、民間旅行船ローダへの先制攻撃にあったとされている。事故であったとも、エストティアの暴走ともされているが、真相はわからない。

 ダイラー星系列としては当然、賠償と謝罪を求めてエストティアを強く非難した。

 しかし、星の資源のうち二割を割譲するという和解案は、エストティアにとっては重過ぎるようだった。

 外交交渉は決裂。そればかりか、加熱したエストティアに宣戦布告までされてしまった。

 原始的な連中であることも考慮して、穏便に済ませようとしていたダイラー星系列も、この世間知らずな対応には思い上がりも甚だしいと怒りを露わにした。賛成八割にて制裁案は可決された。

 当時の第97セクター星裁執行者は、今は亡きシガルファー・バランディウス。副官として、後に第3セクターの執政官を務め上げたフェバル、トーマス・グレイバーが派遣された。

 実際は向こう側の威勢に反して、戦闘と呼べるほどのものにもならない、つまらない仕事であったと記録されている。当時の払い下げ旧式バラギオンを投入して、わずか一日で制裁は済んでしまった。

 結果的に、ダイラー星系列側の損害としては、バラギオン一機の回収漏れに留まった。元々あと数十年で使い捨てる程度の代物であったので、放置しておいて問題なしとされた。

 エストティア壊滅以来、第97セクターにおいて、宇宙へ本格的に進出するレベルの文明は成立していない。

 

「おや、お茶がなくなってしまった」

「私が入れてきましょうか」

 

 メイナードが立ち上がろうとしたき。

 図っていたようなタイミングで、観測室の扉が開く。

 入って来たのは、赤髪の少女だった。

 茶色がかった明るい赤の長髪は、先の方でくるくるとカールがかかっている。

 意志を秘めた茶色の瞳は、どこか人を食ったような挑発的な印象を与える。が、さほどきつさを感じさせるものではない。感情豊かに振る舞う顔の全体が、むしろ人当たりの良い柔らかさすら感じさせた。

 実際、少女を目にして、男二人は自然と顔を綻ばせていた。

 

「新しいお茶をお持ちしました」

「ありがとう」「すまないな」

 

 赤髪の少女は、快活な笑みを浮かべて、二人に湯呑みを差し出す。二人は礼をして受け取った。

 ちなみに彼女は、観測星に与えられた予算の範囲から、小遣い程度の給料を出してアルバイトをさせている子だった。

 見た目は十代の半ばほどに見えるが、実際のところはわからない。

 ダイラー星系列には、ほとんど不死であるフェバルや、長寿の星級生命体、異常生命体がごろころいるので、外見の歳で人を判断するような文化はない。ただ、少女は18歳であると言っていた。

 聞けば女身一つで気ままに宇宙旅行をしているというので、若いなとオルキなどは感心するばかりであった。歳の近いメイナードは、そのような経験がなかったので、少し羨ましいなどとも思ったりした。

 旅行の足しになればと、短期滞在で稼ぎたいという彼女の申し出に対して、オルキが気前良く置いてあげたのだった。遊んでそうな雰囲気の割に真面目でよく働くので、二人はすっかり気に入っていた。

 ちなみにアルバイトさせるというのは例外であるが、観測星は短期滞在の地としての性格も持っている。流れの宇宙旅行者にとって、ちょうど道の駅のような役割を果たしているのだった。彼らの滞在によって利益は、観測の予算に組み込まれる。

 赤髪の少女が入れてくれたお茶|(これがまたプロのようにとってもうまいのだ)を啜りながら、メイナードはもう一頑張りするかと気合いを入れ直した。

 観測鏡を覗く。これは非物質もはっきりと映る優れもので――

 

「おや?」

 

 目に映ったものに、メイナードは眉をしかめた。

 

「どうした。メイナード」

「いえ。妙なものを見つけましたので」

「どれどれ」

 

 メイナードに代わって、オルキも観測鏡を覗き込んだ。

 彼もやや興奮気味に同意した。

 

「おいおい。こんなの初めて見たぞ。面白いなあ。星脈が――まるでブラックホール現象じゃないか」

「こんなことがあるんですね」

 

 事の重大さがわかっていない二人は呑気なものだったが、それを聞いた赤髪の少女は、血相を変えて食いついた。

 

「ちょっとあたしにも見せてもらってもいいですか?」

「なんだ。君も見たいのかい?」

「構わないぞ」

「ありがとうございます。よいしょっと……うわー。やばくない?」

 

 とある星――トレヴァークと呼ばれていることを二人の観測者は知らないが――そこに重なる奇妙な影があった。

 おそらく物質的なものではないだろう。輪郭がぼやけていて、はっきりとは大きさがわからない。

 ほとんど同じ星が隣接しているようにも見える。

 そのもう一つの星へ引き付けられるようにして、星脈のエネルギーが異常に高まっていた。あまりのエネルギーに、場に穴が開いて、生じた無の空間へと吸い込まれているのだった。

 実は先日まで、ダイラー星系列の機器をもってしても観測できなかった。だが綻びが生じたために、可視化されたのである。

 少女の深刻な反応に、二人も思い直した。

 

「……そうだな。念のため報告しておくか。メイナード、頼む」

「わかりました。ええと、星の座標は――」

 

 真面目な顔付きで仕事を始めた二人を、赤髪の少女は温かい目で見つめた。

 

「忙しくなりそうですね。あたしは失礼します」

「ああ。またね」「また」

 

 二人の下を去った少女は、真っ先に滞在先のホテルへ向かった。

 

「ついに始まっちゃいましたか。大変なことになりそう」

 

 預けていたキーを受け取り、部屋のドアを開ける。

 

「ただいま戻りました」

「おかえりなさい」

 

 落ち着いた大人の女性の声が返ってきた。

 実は、少女は一人ではなかった。道中、たまたま知り合ったフェバルと意気投合して、道を違えるまでということで共にしてきたのである。

 彼女は、J.C.と呼ばれている。本名は誰も知らない。

 J.C.は、様子の深刻な少女にすぐ気付いた。

 

「何かあったって顔をしてるわね」

「はい。始まりました。二つの世界に動きあり、です」

「そう……。あの世界にヴィットがいるというのは、本当なの?」

「たぶんですけどね。ま、あたしはあんまり会いたくないんですけど」

 

 前の惑星エラネルにおける対峙のとき、危うく一思いに殺されかけたことを思い返して、彼女は苦笑いした。

 女は度胸。口八丁手八丁とトーマスさんの協力で何とか乗り切ったけれど、フェバルと正面切って戦うのはさすがに無理がある。

 

「なら行くわ。ジルフに任せ切りにしておくのも、申し訳なかったし」

「昔の彼のことはわかりませんけど、あたしの知る限り、とても怖い人でした。気を付けて下さい」

「ええ。わかってる。噂話が本当なら――この目で確かめないといけないわ」

 

 場合によっては、きつくお灸を据えなければならないだろう。戦闘タイプではない自分にそれができるかは別として。

 

「あなたは? 一緒に来ない?」

「あたしは、フェバルほど身体が強くないので。ラナソールにずっといるのは大変なんです」

 

 本来いるべきではない人間が、夢想の世界に存在するのは厳しい。問題なく活動できるのは、フェバルがそれほど規格外の存在だからということに他ならない。

 

「じきに綻びが大きくなってくれば、トレヴァークへ直接入り込むこともできますから。今はタイミングを待っています」

「待つ、か……。緩やかに世界が壊れていくことがわかっていて、何もしようとはしないのね。お互い」

 

 自嘲も込めた冷めた口調に、赤髪の少女は悲痛な面持ちになった。

 

「ごめんなさい。仕方のないことなんです。あたしが勝手に色々やるわけにはいきませんから」

「謝ることじゃないわ。私こそごめん。今のはさすがに口が悪かったわね」

「いいえ。でもあたしにできるのは、道を繋ぐこと。それだけですから」

 

 少女は、固い意志を瞳に込めてそう言った。

 J.C.もまた、彼女の想いを汲み取って、優しく頷いた。

 

「……そろそろ行くわ。行き方は知ってる?」

「さっき星脈の流れを見ました。ここからだと……ポーラムントを経由するのが一番早いと思います」

「ありがとう。じゃ、一足先に行ってくるわね」

「いってらっしゃい。みんなのこと、よろしくお願いします」

「わかったわ」

 

 J.C.は姿を消した。

 世界を移動するには自殺する必要があるので、その行為を少女に見せないよう配慮したのだろう。

 誰もいなくなった部屋で、少女はしばし立ち尽くしていた。やがてベッドに腰かけて、これまでのことをぼんやりと思い返す。

 

 思いかけず始まった「あたしの旅」は、細く途切れてしまいそうな想いを繋ぐ旅だった。

 フェバル、ダイラー星系列。様々な勢力が一挙に集まろうとしているあの二つの世界で。

 全宇宙の命運を分けるターニングポイントが、きっとまもなく訪れる。

 それを知る者たちと、知らぬ者たち。

 それぞれのプレイヤーが、一手で盤ごとひっくり返しかねないほどの力を持ち。

 これから始まるのは、恐ろしいパワーゲーム。弱者は蔑ろにされ、ただ嬲り殺しにされるのかもしれない。

 

「ユウくん……」

 

 少女は同情的な気分になって、ほとんど泣きそうな声で呟いた。

 今は蚊帳の外で、何も知らないままで。それでもあなたはあなたの真実を見つけ、戦わなくてはならない。

 状況はほとんど詰んでいるように見える。この絶望的な状態から、いかに逆転することができるだろう。

 アルが言っていたように、『運命は決まっている』のかな……。

 未来へ繋がるストーリーは、まだ霞がかかって見えてこない。

 でも。それでも、あたしは前に進んできた。信じているから。

 

「ユウくん。やっとここまで来たよ。これからが本当に大変だと思うけど……。ユウくん。負けないで。あたしも負けないから」

 

 赤髪の少女は、人の可能性を信じている。



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130「狭間の世界に住まう者 アルトサイダー 1」

 ヴィッターヴァイツが世界の穴に手をかけている頃――アルトサイド『シェルター002』内部――

 

 会議室には、既に『アルトサイダー』のメンバーが集まっていた。毎回顔を出すメンバーが数名と、たまに顔を出すのがもう数名ほど。

 彼ら全員を見回して、一人の見た目は若い男性が、口火を切った。

 

「みんな、集まってくれてありがとう。そろそろ月例会議を開こうと思う」

 

 そう言った男は、名をゾルーダと言った。まるで人形のように整った顔と、柔らかく散らかした銀髪が特徴である。

 開始を告げる声に応じて、メンバーのほとんどは彼に視線が向いた。……二、三人ほどは、まだ勝手なことをしていたが。

 

「やっとか。待ちくたびれたぞ」

 

 本当に待ちくたびれた様子のブラウシュは、メンバーの中でも古参のうちの一人だった。日頃から憎まれ口を叩きながらも、リーダーの役目を担うゾルーダの手助けをしている。

 

「すまないね。中々集まりが悪かったもので。始めるタイミングを伺っていた」

「ふん。どうも最近の連中はやる気が足りないな」

 

 ブラウシュはぼやいた。いつものことなので、さほどメンバーは気に留めていない。

 

「パコ☆パコさんと撲殺フラネイルさんは、今日も欠席か?」

 

 次に口を開いたのは、メンバーの一人、カッシードだ。黙って口を閉じていれば、映画男優のような華がある。綺麗に整えた口周りのちょび髭がチャームポイントだと彼は自負しているが、メンバーの受けは微妙なところだ。

 

「パコ☆パコさんは、だるいから出ないって言ってましたよ」

 

 メンバーの中では比較的新顔の、クリフが答える。絵に描いたような童顔、甘いマスクで、いわゆるマスコット的な扱いを受けていた。

 

「彼女はいつも通りね。で、フラくんは?」

 

 モココは、自らの名前をそれにするほどの、根っからのモコ派である。常にモコ毛のふわふわした服に身を包み、さらにはモコ耳を付けている。

 

「ラナクリムの期間限定イベントで、例の撲殺プレイをするから来られないと」

「すっかり人気動画ですもんねぇ。撲殺プレイ」

 

 別の女性、ペトリがにこにこしながら言った。彼女は穏やかな人柄で、どこかふんわりした、どこか眠そうな雰囲気をいつも湛えている。他のメンバーからは、話しやすい人だと思われている。

 

 ラナクリムには、「伝説の木の棒」というネタ武器がある。決して折れることも燃えることもないとされている名棒であるが、いかなる魔法も付与できなければ、攻撃力も極めて低い。ただロストしないということだけが特徴の、仕方のない武器である。

 しかしあえて、初期防具+「伝説の木の棒」といういでたちで、過酷な縛りプレイを愉しむ男がいた。

 彼こそが、人呼んで撲殺フラネイル。

 特に、死闘三十時間の末に無限迷宮のボスの一体「ダースブリガン」を撲殺した動画は、彼のプロ並みの動画編集技術も相まって、極めて高い人気を誇る。

 

「そもそも、敵対勢力の開発したゲームをありがたがってプレイするのがどうかしてるんだ」

「わたしはできないけど、きっと楽しいものは楽しいからねぇ。連中も考えたよねー」

「ついやってしまうと、世界の安定に手を貸すことになるからな。俺は我慢しているぞ」

 

 カッシードは、鼻を鳴らした。

 ラナクリムは従来、ラナ教の聖書に記された物語だった。ラナへの信仰と物語への親しみが、ラナソール世界を堅牢に維持するための仕組みだった。

 しかし、近代化、科学文明の波は、その常として宗教を陳腐化し、実質的な支配力を失わせていく。

 代わってラナを奉じる連中が編み出した仕組みが、ラナクリムという画期的なゲームだった。

 元々の完成度の高さ、面白さに加えて、弱い電子ドラッグが仕込まれており、プレイ中毒を誘発する仕組みになっている。

 

「しかしどうなんだ。月例会議って大事なものだよな。リーダーシップを発揮できていないんじゃないのか?」

「いやはや。まいったね。そこを突かれると」

 

 ブラウシュに詰められて、リーダーのゾルーダは、肩を竦めて苦笑いするばかりだ。彼の動作には、一々気取ったところがあった。

 

「いいんじゃないっすか? うちはゆるーく、全員平等、自由参加がモット―っすから」

 

 それまで好き勝手にしていて、手を頭の後ろに組んでふんぞり返っていた、青髪の若い女性が気楽な調子で言った。

 

「しかしな。クレミア。いくら自由だからと言っても、組織としての規律は大切だぞ」

「さすが元冒険者ギルドマスターは、規律にうるさいっすね」

「大昔の話を持ち出すな。『ガーム海域の魔女』め」

「ふーん……同じ言葉をそっくり返すっすよ」

「おいおい。喧嘩はそのくらいにしてくれよ」

「ふん」「へーい」

 

 ゾルーダが宥めたので、ブラウシュとクレミアは渋々頷いた。

 

「さて、各自報告から始めようか」

「書記は誰がやるの?」

「ぼくがやりますよ」

 

 手を上げたのはクリフだ。

 PCとスクリーンを起動する。タイプした文字がPCに記録され、スクリーンにも表示される。

 

「では、時計回りに行こう。モココ」

「はい」

 

 モココは、予め用意しておいた紙の資料を全員分に配った。

 ……ほとんど白紙の資料を。

 

「フェルノート=オリジンの捜索状況ですが……残念だけど実質進展はないわね」

「またか。ここ百年ほど、まともな進展を聞いたことがないぞ」

 

 ブラウシュが眉根をしかめて言うと、モココは多少不機嫌に言い返した。

 

「これでも結構苦労してるの。退屈な薄暗闇の世界を、あても無く歩き続ける心細さと言ったら。ヤツらも当然、襲ってくるし」

「仕方ないさ。元々、いつ見つけられるかもわからない代物だ」

「ああ。そのくらいは、わかっているさ。ただもどかしくてな」

 

 ゾルーダがまた宥めて、ブラウシュがどうにか納得する。

 

「次は――クレミアか」

「あーい。『シェルター008』、順調に建設が進んでるっす。このままいけば、あと数カ月で完成しそうっすよ」

「ほう。こちらは順調で何よりだ」

 

 これには、仏頂面のブラウシュも満足だった。

 

「『剣神』が、今も現場で頑張ってくれてるっすからね」

「さすがは剣神さん。ナイトメア相手にも真っ向から引けをとらないというわけですか」

 

 クリフが、尊敬の気持ちを込めてしみじみと言った。

 

『剣神』グレイバルド。

 

 現在の冒険者ギルドで最も名高い人物と言えば、言うまでもなく『剣麗』レオンハルトであるが、かつて五百年前の冒険者ギルドで、今は存在しないSSSランクを取得したとされる人物が彼だった。

 しかしながら、公式としての記録が一切残っておらず、創作上の人物ではないかと一般的には言われている。

 実は三百年ほど前に、本人から頼まれた当時のギルド長ブラウシュが、全ての記録を抹消してしまったというのが真相だった。

 

「しかしナイトメアの動きも、近頃妙に活発になっているよな」

「世界の崩壊が進んでいるのと関係があるのかもな」

「そうかもしれないっすねえ。あいつら、普通に殺しても死なないからタチ悪いっすよね」

「なあ。さっきから言ってる、ナイトメアというのはなんだ?」

 

 そこで口を挟んだのは、オウンデウスという強面の男だった。

 

「オウンくんは、新顔だったねぇ」

 

 ペトリが、柔らかく微笑みかける。ゾルーダがクレミアに視線を投げかけた。

 

「クレミア。軽く説明してやってくれ」

「しょうがないっすねえ」

 

 ふんぞり返っていた彼女は、傾けていた椅子を戻すと、指を一つ立てた。

 

「いいっすか。まずここアルトサイドがどういう場所かは、さすがに聞いてるっすよね?」

「ああ。最初にペトリから聞いた」

「よしよし。なら早いっすね。まあ要するに、アルトサイドは世界にとってのバグ――異常なるモノの封殺領域にして――掃き溜めでもあるんすよ」

「ちょうどオレたちのようにな」

 

 ブラウシュが、自嘲気味に嗤った。

 

「そんな言い方をしないでくれよ。僕たちは、世界の真実に気付いた。そして選択した。同志だ」

 

 ゾルーダの呼びかけに、皆は一様に頷いた。

 

「で、話を戻すっすよ。ナイトメアっていうのは、つまり――」

「夢想の世界にとっては不要な――悪夢そのものさ」

 

 カッシードが、噛み締めるように言った。

 

「おいこらー。いいところを取るなっすよ」

「すまん。ついな」

 

 彼は、自分ではニヒルでイカスつもりでにやりと笑った。だが全員スルーした。

 

「性質は闇に近い。今のところ、唯一有効と認められているのは、光魔法だったか」

「この前襲って来たヤツについては、ぼくがぶっ放しておきましたんで」

「よくやった。えらいぞ。クリフ」

「褒めても何にも出ませんよ」

 

 と言いつつ、カッシードに褒められて、まんざらでもなさそうなクリフだった。

 ここまで説明されて、オウンデウスもいくらか呑み込めたようだ。

 

「なるほど……。世界に蓄積した悪夢が形を成した化け物――ナイトメアか」

「結構ヤバイ連中なんすよね。これが」

「この間のは希薄種のホトモルだったんで、まだ簡単だったんですけどね」

「希薄種……? 色々タイプがいるのか?」

「いるわねぇ。元になっている悪夢の強さや種類がある程度反映されるの。希薄種はまだ弱い子」

 

 ペトリの言葉を受けて、クレミアが指折りながら例を挙げる。

 

「四手足の『ナイトメア=ホトモル』、ぎょろい目を持ってる『ナイトメア=アインズ』、ドラゴンを形取った『ナイトメア=ドラケル』、異形の獣『ナイトメア=スペイダー』。とりわけやばいのは、霧状で実体を持たない『ナイトメア=ミスキス』、相手の悪夢を読み取って自由に姿を変える『ナイトメア=テスティメイター』辺りっすかね」

「ほう……」

「あー。ちなみになんすけど、もし見かけても興味本位で触れない方がいいっすよ。特にてめーが抱えてる悪夢やトラウマが深いほど、どんどん引き寄せられてたくさんやって来るし、ちょっと触れたくらいで簡単に心がやられてしまうっすから。最悪、そのまま闇に呑まれて、ナイトメアに変わり果ててしまったヤツ、何人も知ってるんすよ」

「ぞっとする話だな。改めて」

 

 過去に何人も仲間がやられたことを思い出し、ブラウシュが身震いして言った。

 

「やばいな。会ったらどうすればいいんだよ」

「基本、逃げるっす。シェルターの中までは、簡単に入って来れないんで。そのためのシェルターっすから」

「撃退用の設備も、ここならばっちりあるしねぇ」

「けど種類によっては結構足早いんで、気を付けるっすよ」

「全力で逃げれば、大体なんとかなるわ。経験上」

「心配しなくても、見たら逃げたくなるよな。キモいし。怖いし。エグいし」

「何とかならないときも、あるけどな……」

 

 それらをよく知っているメンバーの大半は、面々の思うところと共に、深く頷いていた。



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131「狭間の世界に住まう者 アルトサイダー 2」

 順番に報告は進み、ブラウシュの番がやってきた。彼の担当は、世界の穴とその周辺に関する事柄である。

 

「オレの番だな。話題は二つある。やばそうな方とやばくなさそうな方と。どちらから聞きたい?」

 

 問われて、中々返事が出て来なかった。ペトリが、やんわりと言う。

 

「やばくなさそうな方からかなぁ。気分的に?」

「ではそうしよう。最近、ナイトメア=ホトモスが襲って来たな。ちょうどそのときのことだが……視覚感知魔法の反応があった」

「誰かが穴を調べたってこと?」

「そうなるな」

 

 まあ、そのこと自体ならさほど驚くことではない。長い歴史上、偶然開いた穴に接触し、内部を調査しようと試みられたケースは稀ながら、何度もある。そもそも最初は彼ら自身がそうしたのであり、結果として――各自それぞれの事情で――穴の内へ入り込むこととなり、狭間の世界に住まう者――アルトサイダーとなった。

 モココが訝しむように眉をしかめた。

 

「ふうん。ここ一年くらいは、妙な動きが多いわね。穴を調べようとしたって連中も増えた」

「穴の出現頻度自体が増えているからね」

 

 クリフは、まあそうだろうなと頷く。

 

「どうも私たちのように、ここを出入りしてちょろちょろ調べ回ってる奴がいるかもしれないって話もあるしね……」

「しかも割と頻繁に」

 

 実のところ、星海 ユウのことを指しているのであるが、彼らはその正体を掴んでいない。薄暗が満たし、ナイトメアの闊歩しているアルトサイドで、一個人の位置を特定することは至難の業である。そのような形跡があったという程度の推測だった。

 

「そいつについては、今も調査中だな。毎回サッと通り抜けてしまうんで、中々尻尾が掴めないんだ」

「少なくとも、二つの世界をかなり自由に動けるということだよな……」

 

 オウンデウスが、首をひねりながら言った。

 二つの世界における自由。それこそ、彼らアルトサイダーの切望するところである。いとも簡単にやってのけている人物がいるらしいことは、彼らにとっては喉から手が出るほど羨ましいことでもあり、ゆえに強く興味を惹かれることだった。

 ゾルーダが、興味の色を隠さない顔で頷く。

 

「うん。僕個人としても、興味がある対象だ。引き続き追跡調査を続けてくれるとありがたいね」

「言われなくてもそのつもりだ」

「……で、そっちがやばくない方だとすると、やばい方はどうなんだ」

 

 興味半分警戒半分の調子で、カッシードが問う。ブラウシュは悩ましい表情で答えた。

 

「今まさに、穴に張り付いて、トレヴァークを調べ回り、何かしようとしている奴がいるってことだな」

「「なっ!?」」

 

 ほとんど全員が、大きくどよめいた。

 ラナソールにいながら、トレヴァークで直接的に何かを起こす。彼らの常識からすれば、まずあり得ないことだった。

 二つの世界は、密接にリンクしてこそすれ、通常、物理的には完全に遮断されている。例外は穴が通じているときであるが、仮に穴を通したとしても、広大なアルトサイドを通過する頃には、いかなる魔法もほとんどエネルギーを損失している。直接向かわずして、まともな調査などできようはずもないのだ。

 それが意味することは――そいつは、彼らの理解する範疇を超えた存在であるという可能性だ。

 未知なる存在に対する興味と、警戒が強まる。

 

「そいつ、どんな奴っすか?」

「えらくごついおっさんだったな」

 

 いやおめーもっすよ。

 クレミアは反射的に突っ込みたくなったが、そんなことをしている場合ではない。

 

「姿がわかるものは持ってる?」

 

 モココが、興味本位から尋ねる。

 

「待て。視覚感知魔法を現像したやつがある」

 

 懐から、ブラウシュは一枚の写真を取り出した。めいめいが覗き込んでいって。大体がえらくごついおっさん以上の感想を抱かなかったのであるが。

 最後に見たクリフが、反応した。

 

「あ、こいつ知ってますよ! 四年くらい前、浮遊城までサシで殴り込んで、ラナを殺すまであと一歩手前まで行ったやつじゃないですか?」

「「おお」」

 

 ラナ抹殺こそ、彼らの悲願である。

 思わぬ大物と判明して、全員のごついおっさんを見る目が変わった。

 

「穴の場所は」

「ワールド・エンド手前の荒野だな」

「どうする。接触してみるか?」

 

 カッシードは、冷や汗をかきながらも、興味が勝り、提案していた。

 全員、すぐには答えが出なかった。自然と判断を仰いで、リーダーに視線が集まる。

 ゾルーダはしばし考えて、首を縦には振らなかった。

 

「……いや、やめておこう。その男については、しばらく泳がせて様子を見たい」

「理由を教えてもらってもいいかな?」

 

 クリフに問われて、ゾルーダは肩を竦めた。

 

「根拠と言われても困るけどね……長年の勘が、慎重にならなければならないと言っている。その男は、ラナ襲撃に失敗してからというもの、実に用意周到なようだ。クリフ以外、誰もこの男を知らなかったわけだろう?」

「よほど尻尾を見せないように動いているというわけか」

「ワールド・エンド付近の荒野なんて場所、最初から穴が開くのを狙ってなければ行けないものねぇ」

「実力も未知数。しかも世界を超えて通用するとなれば……下手すると俺らの大半よりも力は上か?」

「もし初見で友好的な関係を築けなければ、後々まで厄介の種になる公算が大きい」

「人柄や目的を見極めるまでは、ということっすね」

「ああ」

 

 そして彼の判断は――彼自身は知る由もないが、おそらく最善手だった。

 ヴィッターヴァイツという男は、自身が力を認めない下等の存在と、協力を組むことなどまずあり得ない。不興を買えば、全員が狙い撃ちにされて、殺されていた可能性もあった。

 ゾルーダの慎重な判断は、彼らにとって最悪の可能性をひとまず回避した。

 

「しかし、その男は僕たちの存在には気づいていないようだ。状況の利はこちらにあるかな」

 

 彼は頭の中でてきぱきとすべきことを整理すると、的確に指示を飛ばした。

 

「ブラウシュ。引き続きその男を注視して欲しい。怪しい動きがあればすぐに連絡をくれよ」

「そいつも、言われなくてもだ」

 

 ブラウシュとゾルーダは長い付き合いである。憎まれ口を叩きつつも、信頼関係は強固だ。

 

「クリフ。この会議が終わり次第、パコ☆パコと撲殺フラネイルに連絡を。トレヴァーク方面は、生身持ちの彼らに任せよう」

「あーしら真なる(トゥルー)アルトサイダーには、中々できない仕事っすからね」

 

 クレミアがぼやく。

 アルトサイドに至り、世界の理を理解した上で、肉体を捨て去り、永遠なる命を得た者を、真なる(トゥルー)アルトサイダーという。

 通常、ラナソールで過ごしていても、やがて精神が肉体同様に歳を取り、死に至る。だが、異常の掃き溜めであるアルトサイドでは、そのルールが適用されることはない。

 比較的新顔のオウンデウスと、その一つ前に加わったクリフ――と言っても、既にクリフはトレヴァークでは、いつ死んでもおかしくないほどの高齢であるが――を除く全てのメンバーは、既に生身を持っていなかった。

 ゆえに、トレヴァークにおける行動は、著しく制限される。世界の穴さえ開けば、行くこと自体はできるものの、活動時間が長くなれば、消滅してしまう危険もあった。

 そればかりではない。ラナソールにおける行動までもが、厳しく制限されてしまう。アルトサイダーとなった時点で、世界にはフェバルと同じ異物とみなされてしまうためだ。フェバルほど強力な存在ではないため、世界による消力化作用によって継続ダメージを受ける。こちらもあまり長時間活動すると危ない。

 

「わかりましたよ」

 

 クリフは、二つ返事で頷いた。

 自分も近いうちに肉体を捨て去り、薄暗闇の世界のシェルターに閉じこもって、不自由な暮らしをすることになるかなと、あまり喜ばしくない想像をしながら。それでも、ただ寿命が尽きて死ぬよりはマシだろう。仲間もいる。

 それに――ミッターフレーションさえ起これば。

 

 

 とりあえずは方針を整理して、ブラウシュの報告も終わった。最後に、リーダーであるゾルーダの順が回ってきた。

 

「では、僕からの報告といこうか」

「よ。待ってました」

 

 メンバーの一人が、合いの手を入れる。

 

「終末教ときたら、最近アツいからねえ」

「教祖様ー」

「囃し立ててくれるな。これでも結構苦労しているんだ」

 

 信徒の連中を上手く煽り立てて、実質、自分たちの都合のために動いてもらうのは骨が折れる。狂信的な者まで勝手に現れてきて、コントロールが難しい。

 

「草の根的な活動は続いている。ラナ教徒を狙ったテロで、少しずつ基盤を弱くしてはいる。ただ……」

「剣麗が邪魔だよねぇ。あの子、死なないかなぁ」

 

 ペトリが普段と同じやんわりとした口調で、自然と恐ろしいことを口にしていた。

 しかし、ゾルーダの言いたいことは、そうではなかった。

 

「どういうわけか、世界の崩壊は加速しているよな」

 

 それがフェバルが溜まってきたことによるのだと、彼らは知らないのであるが。とにかく現象としては理解していた。

 

「ここらで、致命的な一撃を穿てば――世界の境界を壊せると、僕は睨んでいる」

 

 世界の崩壊が進むにつれて、彼らを縛る世界の理も弱まっていった。そして彼らは自由度を増していった。だから、いよいよ本格的に壊れることになれば――と彼は考えていた。

 

「終末教、いよいよ本格始動っすか」

 

 クレミアは、愉しそうに口元を歪めた。

 

「喜んで手を貸すぞ。何でも言ってくれ」

 

 ブラウシュは、歯をむき出しにして嗤う。

 

 ゾルーダは、古参の頼もしい二人に目を細めた。そして、決意を込めて切り出した。

 

「手始めに、神聖都市ラビ=スタの大神殿を占拠してみようと思う」

「なるほど。まずは夢想側から、揺さぶりをかけていくということか」

 

 意図を理解したカッシードが、不敵に笑う。

 

「だけど、戦力はどうするんです? ぼくたちって、基本引きこもるしかないじゃないですか」

「そこは、『ヴェスペラント』フウガの協力を取り付けておいた」

 

 一同から、感嘆の声が漏れる。

 

「よくあの暴れ馬の言うことなんて、聞かせられたわね……」

 

 ラナクリムを嗜み、ラナソールの彼もよく知っているモココからすると、信じがたいことだった。

 ゾルーダは、彼とのやり取りを思い返し、肩を竦めて曖昧な笑みを浮かべた。

 

「とりあえずは、暴れられればいいそうだ」

「ふうん。彼も相当、現実に不満持ってそうっすからねえ。たぶんこっち寄りっすよね」

「そうだな。ついでに仲間に値するかどうか、テストも兼ねていると言っておこうか」

 

 ゾルーダは、気取った調子でにやりと笑う。

 オウンデウスは、先輩たちのやり取りに興味深く耳を傾けながら、自らも発言のタイミングを探っていた。そして、疑問に思っていたことを尋ねる。

 

「そこからは? ラナソールにダメージを与えるなら、ラナソールで揺さぶるよりも、トレヴァークで殺して、死者の魂をたっぷり用意するのがよいと聞いたが?」

 

 死者の大量発生は、夢想世界に対する負荷要因となる。

 百年以上前に仕掛け人となった最後の世界大戦では、かなりの人が死んだ。大戦を境目とする夢想病の急速な増加は、世界基盤の容量限界――弱体化を端的に示している。

 しかしあれ以来、皮肉にも世界は悲惨な大戦を忌避するようになり、世界は概ね平和になった。同じように扇動しようとも、ラナクリムの販売元であり、表で世界を支配するトレインソフトウェア、そして裏社会を牛耳るエインアークスの盤石な二頭体制が壁となって、難しいものがあった。

 

「それに、トレヴァークの方が戦力的には厳しいよねぇ」

 

 ペトリが、残念そうに付け加える。

 どちらかと言えば夢想寄りの存在であるアルトサイダーにとって、トレヴァークにおける活動はより厳しいものだった。行けたとしても、力はろくに出せない。精々が十人力だ。

 エインアークスやレッドドルーザーなど、ラナソールの力の一分でも発揮できれば。それをもってすれば、ひと捻りであるのに。

 現実の制約が、彼らに地道な終末教活動と扇動という、実に回りくどい手段しか許して来なかった。

 ゾルーダも現状は理解していて、やや意気を落とす。

 

「そちらについては……正直、まだはっきりとわかりやすい手はないな」

「状況はかつてないほど整ってきているのにな。最後の一押しがないか」

「そうだな。いや、待てよ……」

 

 そのとき、ゾルーダに電撃のような直観が働いた。素晴らしい名案が浮かんだ。

 邪悪な笑みが漏れる。まだ確信したわけではないが、笑わずにはいられなかった。

 

「みんな、聞いてくれ。試してみたいことがある」

 

 彼は自らのアイデアを、全員に包み隠さず共有した。皆、一様に悪い顔になった。

 

「いいっすね。もしこれが上手くいけば……」

「だいぶ近づけるかもしれないよ」

「そうね」

「ああ」

 

 全員の意志が一つになったところで。ゾルーダは、改めて言った。

 

「今の我々は、まったく自由であるとは言い難い」

「こんな暗くて気味の悪いところに押し込められて、もう二千年っすからね。ゾルーダはもっとっすよね?」

「数えるのも忘れたよ。永遠の命を得た代償とは言え……本当に、長かった」

 

 実に数千年もの時の大半を、薄暗い闇の世界で過ごしてきたのだ。

 最初は一人だった。

 人並み外れて想像力だけは逞しかった彼は、夢想の世界と現実世界のリンクに気付いた、おそらく最初期の一人だった。

 現実に絶望していた彼は、心から望んでいた。もう一人の自分ではない、自らが夢想の世界へ行くことができないかと。そこでなら永遠の夢を現実として、幸せに生きることができるのではと。

 彼は死を何よりも恐れる人間だった。現実におけるその寿命が尽きる寸前まで、あらゆる挑戦を続けた。

 きっかけは偶然だった。

 これもおそらく、最初期の世界の穴だった。彼は死の寸前で見つけ出し、そして現実における彼の死の瞬間と重なる刹那、肉体から精神が離れ、ラナソールのそれと混じり合う瞬間に――奇跡的に、何かしらの判定のエラーが生じたのか――受け入れられた。

 彼は、アルトサイドの住民となった。しかも、朽ちた老体でなく、ラナソールの理想的な肉体をもって。

 当時、夢想の世界は比較的健全に機能していた。夢想病患者は少なく、彼らの悪夢を糧とするナイトメアも数が少なく、弱く、まだ独力で対処できるほどの脅威だった。

 彼には、先見性があった。

 やがて夢想病は拡大し、ナイトメアも真の脅威となるだろう。

 

 なぜなら世界は――不完全なのだから。

 

 アルトサイドは、ほとんど無の世界だった。資材も何もなかった。彼は世界の穴が開くたび、ラナソールやトレヴァークへ飛び込んで、命がけで、可能な限りの物資をかき集めた。

 三百年かけて、最初のシェルターを作った。

 いつか現実に失望し、二つの世界の繋がりに気付き、永遠を夢に生きたいと、同じような境遇を望む仲間が現れたときのために。

 彼は望む者のための案内人となった。一度存在を赦された彼がいることで、アルトサイドへの侵入は容易となった。

 やがて、ブラウシュが来た。クレミアが来た。マハーダイスは来て――ナイトメアになってしまったか。

 気付けば、シェルターを七つ打ち立てるほどの大所帯となっていた。それらは、数百人という規模に不似合いなほど大きなものであったが……将来的なことを考えて、あえて大きな設計としている。

 いずれ、世界に同志が溢れる――そのときのために。

 

「夢想の世界が壊れるとき、僕たちは真なる自由を手にするだろう」

「今から楽しみだねぇ」

「この力で、どれほど好き放題してやろうか」

「正直なところ、俺はまだ生身があるから、そこまででもないがな。まあ、付き合ってやるよ」

 

 皆からの温かい言葉を受けて、ゾルーダは感慨深く口にする。それは教義であり、初志であり――決意だった。

 

「我々はミッターフレーションから、アルトサイドを越えて――真界に至る」

 

 彼らは力強く頷き合った。

 トレヴァークへ。ラナソールの力を携えて。囚われるもののない、真なる自由へと。

 将来的に肉体を捨て去る者も含めて、アルトサイダー全員の総意だった。



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132「破壊者、気付く」

 惑星シャマーダ。

 

 破壊者は、無人の荒野を歩く。

 実に久しぶりの小休止を過ごしていた。

 エルンティアを去って以来、破壊者は、ほぼ休むことなく活動を続けていた。

 彼にとって存在を許しがたい星々。気に食わない星々。その手一つで、消し続けてきた。

 彼の圧倒的な力をもってすれば、それは容易いことだった。

 だが――一つ一つの星を消すのは容易でも、宇宙は一個人に比べれば、あまりにも広い。

 世界の破壊者とは、果てしなく終わりの見えない道であり、あり方だ。

 それでも彼は、破壊者だった。動き出してから、常に破壊者であり続けた。

 

 運命に打ち勝つために。

 

 嫌いなユウになど、ほとんどかまけている時間はなかった。

 

「そろそろ頃合いか」

 

 しかしそうは言っても、たまには様子を見てやらねばならない。

 放っておけば、自分にも他人にも甘いところばかりのあいつは、簡単に堕落してしまうからだ。ただでさえ、究極のポテンシャルを持ち腐れにして、あの女と仲良し自分ごっこをやっている。

 

「あいつ、少しは成長したんだろうな」

 

 破壊者――ウィルは、嫌々ながらユウのいる世界を調べた。

 想定よりも成長が遅れているならば、またきつく灸をかましてやる必要がある。

 あいつに構うなど、本当にしたくもないことだ。無知と無力に苛ついて仕方がない。いっそ壊れるなら壊れてしまえばいい。心からそう思う。

 

 そして。

 

「なんだ……これは……?」

 

 二つに重なる世界を、見つけてしまったとき。

 

 ウィルの表情から、余裕の仮面がみるみる剥がれ落ちていった。

 

「おいおい……。冗談じゃないぞ」

 

 もはやユウのことなど、頭から吹き飛んだ。

 既に意識は世界へ集中していた。つぶさに観察してとる。

 

「星脈に、穴が開いている……。許容性無限大、だと……!? 馬鹿な……」

 

 彼は、頭を抱えた。元々血の気の少ない顔は、既に蒼白だった。

 

「こんな世界、野放しにしてみろよ……」

 

 積み上げてきたあらゆる奇跡も。細く繋いだ糸も。

 

 すべては、一巻の終わりだ。

 

 ウィルは狼狽えた。あのウィルが、本気で狼狽えていた。

『事態』の大きさを、その正確な恐ろしさを、ほとんど唯一知っているからこそ、最強級の能力者をもってして、驚愕に身を揺るがし、戦慄せざるを得なかったのである。

 

「なぜだ。こんなことは"今まで"なかった。初めてだ」

 

 トレヴァークは、いたって普通の――許容性もさほどない、害のない、取るに足らない世界だったはずだ。

 

 なのに。あれは……なんだ?

 

 何が起きた。"今回"に限って。イレギュラーが多過ぎる。

 

 自らの能力【干渉】を総動員して、懸命に情報を探る。あらゆる世界の理に強引にアクセスして、情報を引き出そうと試みる。

 世界は、ラナソールといった。

 次々と情報が開示されていく。能力の行使に対しては、かつてなく強い抵抗を受けたが、たとえラナソールであっても、ウィルの【干渉】の前には後塵を拝したのだった。

 

 結果として得られたものは、下らない世界の真実と、その現状だった。

 

 それはそれとして結構な事実だが……今、求めているものはそれではない。

 

 ただ事ではない。何かがいる。背後に絵を描いた奴がいる。そいつを。

【干渉】だけでは、もはや埒が明かなかった。

 舌打ちして、記憶を辿る。

 深く。深く。「あいつ」の記憶がヒントになりはしないかと。

 

 そして、辿り着く。脳裏に浮上する。ある可能性。

 気付いてみれば、もはやそうとしか考えられなかった。

「あいつ」が手を打っていたように、「奴」も。

 証拠はないが、辻褄は合う。

 

「――そうか。そういうことか……」

 

 次の瞬間、彼は沸き上がる怒り任せに、その場で大地を踏み抜いた。

 一帯の地面が、跡形もなくめくれ上がり――そして砕け散った。

 星が揺れる。震え慄く。

 遥か遠くまで地鳴りは続き。遅れて津波が生じ、溶岩が各地で吹き出した。

 

 八つ当たりで悲鳴を上げる世界など、無論彼は眼中になく。

 

「奴め。厄介な置き土産を。やってくれたな……!」

 

 漆黒の瞳に、昏い憎悪の感情を燃やしていた。

 

【干渉】を駆使して、目的地までの適切なルートを計算する。エーナの【星占い】ほど、的確かつ最短ではないことがもどかしい。

 彼は再び、舌打ちした。

 遠い。絶望的な遠さだ。数カ月はかかる。

 

 だが――間に合わせるしかない。

 

「すべてお前の思い通りになど、いくと思うなよ。この僕が――消し去ってくれる!」

 

 ウィルは、いつになく激情を剥き出しにして――躊躇いもなく、自らの手で心臓を一突きした。

 

 問題の地、ラナソールへ。

 

『事態』が生じるまで、いくらばかりの猶予が残されているか。彼にも――誰にも、わからなかった。



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133「ラナクリムの謎を追って 1」

 ラナソール。トレヴァーク。そして、アルトサイド。

 世界構造の関係は見えてきた。しかし、未だ見えてこないのはその成り立ちだ。

 

 ラナクリム。ラナ教。聖地ラナ=スティリア。

 トレヴァーク世界の守護女神にして、ラナソール世界の象徴。

 ラナの名を冠するものが、この世界にもいくつもある。

 何か一つでも、世界を理解するためのとっかかりにはならないものか。そう考えて、依頼の合間にちまちまと調べ物をしてきたけれど、あまり大したことはわかっていない。

 

 前に専門家が教えてくれたことだが、歴史を紐解けば、夢想病はほとんど有史以来の長い歴史があるらしい。

 しかし、罹患者が急速に増えてきたのは、ここ百年くらいのこと――最後の世界大戦以来であるという。

 百年前の当時はコンピュータ自体がなく、ラナクリムというゲームももちろん存在していなかった。

 代わりに世界を席巻していたものがラナ教であり、ベストセラーである聖書――やはり題名はラナクリム――だった。

 地球のものもそうであるが、聖書は万人に受け入れられるための分かりやすい物語としての性質を持つ。

 百年経ち、コンピューターゲームとしてのラナクリムが隆盛を極めるに従って、ラナ教と聖書は、その立場を科学に譲ることとなった。

 夢想病の存在とラナソールの存在は、まずにセットにして考えてよいだろう。

 そうすると、ラナソールは、遥か昔から存在していたことになる。

 そして大昔は、聖書がラナソールの大枠を形作っていたのかもしれない。

 ゲームとしてのラナクリムは、今のラナソールを構成する主要素ではあっても、やはりそのものではないという結論になるのだろう。

 むしろ、因果関係は逆か。聖書やラナクリムあってのラナソールではなく、ラナソールを成立させるための仕組みが聖書やゲームであるということだろうか。

 何が、どうして、何のために。

 結局はそこへ行き着く。

 わからない。いつまでたっても仮定の話ばかりだ。

 世界の穴は、既に各地で頻発し、今も緩やかに綻びは拡大し続けている。

 思ったよりも時間はないかもしれないという事実が、俺に少しずつ焦りを生んでいた。

 

「ラナクリムの発行元。忍び込んで調べてみたい、と」

「うん。もしかすると、ゲームの成立過程に何かヒントがあるかもしれないと思ってね」

 

 シズハの言葉に、俺は頷いた。

 表向きの肩書は秘書ということになっている。もっとも、彼女に肩書通りの振る舞いを求めるのは酷だ。もれなく暗黒面が付いてくる。

 実態として、彼女は実働部隊であり、戦力にカウントできる貴重な人材である。

 ハルはトレヴァークでは動くことすら難しい。リクも志は目を見張るものがあるけれど、純粋に戦う力はないに等しい。

 

「また、大胆なことを考えるな。お前」

 

 シズハはどこか呆れているが、俺が彼女基準で色々やらかすのには慣れているみたいで、小さく溜息を吐くに留めた。

 彼女は、コミュニケーションに難があったのが、少しずつ改善されてきている。

 喋り屋のシルヴィアと繋がったこと、そしてメル友であるハルの影響だろう。

 アリスに影響されて、言葉が詰まる癖がなくなっていったミリアに近いものを感じて、微笑ましくなる。

 それはさておき、俺は意図を説明することにした。

 

「これまでもひっそり探るのは続けてきたけど、機密情報は中々出て来なかったからね」

 

 ラナクリムの製造業者は、世界一のソフトメーカーにして大企業、トレインソフトウェアである。

 本社はここトリグラーブではなく、『世界の道』トレヴィス=ラグノーディスで繋がる先のダイクロップスという都市にある。

 ダイクロップスは、工業要塞都市と呼ばれている。地理的に極めて特別な位置にあることが最大の特徴だ。

『世界の壁』グレートバリアウォールにはただ一か所、まるで抉り取ったような裂け目がある。この裂け目を塞ぐようにしてダイクロップスは成立し、発展してきた。

 険しく不毛な谷にも関わらず、都市が成立した理由は明白だ。この地を押さえることで、グレートバリアウォールの内側の広大な領域は天然と人工の要塞に守られて、決して攻め入られることがなくなるからだ。

 歴史的にも、トリグラーブの防衛地として、戦略上の最重要拠点として、幾度も過酷な戦場となり、常に重要な役割を果たしてきた。

 その存在理由から、ダイクロップスではまず軍事産業が発達し、続いて一般に製造業が盛んになった。

 約百二十年前の世界大戦を最後に、平和な時代になってからは、戦争のための技術が通信分野に転用された。通信技術の着実な発展は、やがてITテクノロジーへと繋がっていく。

 トレインソフトウェアは、そうした現代に続く流れの中で生まれた。ラナクリムの発売を機に世界一の大企業へと成り上がったのは、世界中の誰もが知っている話だ。

 

「だから、直接入り込むと。うちのときと言い……大胆、だな」

「本当は、強引な手段はあまり取りたくないんだけどね」

 

 問題は、トレインソフトウェアというのは、その徹底した秘密主義で知られていて。

 現在では、世界一の資本力を背景に、工業要塞都市の事実上の支配企業であるとも言われている。

 これが大変なことなんだ。

 ダイクロップスは、今でも世界最強の私兵団を持つ軍事都市としての顔を持っている。ダイクロップス私兵団は、胸に赤バッジを付けているのが特徴で、レッドドルーザーと呼ばれ、恐れられている。

 つまりは、一企業が資本力においても軍事力においても最強を誇っていることに他ならない。

 まあこういう事情があって、世界有数の裏組織であるエインアークスと言えども、ダイクロップスへはおいそれと手を出すことはできないわけで。下手に突けば、次の世界大戦に繋がる恐れもある。

 本で読んだり調べたりで、彼らの強大さ厄介さを知ってはいたから、事を構えると大きくなるのではと恐れて、俺も今までは躊躇していたわけだけど。

 もう一つ有名なエインアークスさんには、結局殴り込みをかけてしまったし。だったら、こっちに入ってしまうのももうありかなと。焦りもあったので、心を決めた。

 とにかく今は材料が欲しいんだ。リスクを取らなければ、リターンは得られない。

 言ってみれば、軍事的にも政治的にもデリケートな領域への潜入調査をしようと。そういうことだった。

 

「でも行く価値はある、か」

「そうだね。飛んでいくと警戒されるから、陸路でのんびりツーリングといこうか」

 

 これまでも、他の都市に空路で行くときは、ダイクロップスのずっと上空を避けるように飛んでいた。レッドドルーザーが目を光らせているので、空から近づくのは難しい。

 また、ダイクロップスにも『アセッド』の支店はあるものの、やはり表立っては活動できず、規模は小さい。残念ながら、パスが通じている人間もいないので、ラナソールを経由して直接飛んでいくのも無理だった。

 

「ん」

 

 シズハが小さく頷く。彼女は色々と裏仕事に有用なスキルを持っているので、潜入の際の手として力になってもらうつもりだ。

 と、冷ややかな目で一言。

 

「また伝説を作ってしまうわけ」

「言っても、ちょっと忍び込ませてもらうだけだから。君のところのようにはならない……と思う。たぶん」

「フラグ」

「待って。そんなこと言うと余計になっちゃいそうじゃないか!」

「フラグ」

 

 ぼそっと、容赦なく繰り返される。

 まさか本当にフラグになるとは、思いもしなかった。



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134「ラナクリムの謎を追って 2」

 休憩や動力補給を挟みつつ、三日ほどバイクを走らせた。

 潤沢な資金があるので、道中の宿泊はケチらずにホテルを取った。俺は別に簡易宿でも野宿でも全然平気なんだけど、彼女が快適に過ごせた方がいいだろうと思ってのことだ。

 彼女が喜ぶだろうと思って、ネット環境は完備のところにしたよ。PCを見せた途端、目の輝きが変わったのでわかりやすくて面白かった。

 出かけ先でもやりたいくらい、ほんとにラナクリムは好きなんだね。今から運営サイドを調べに行こうってときにさ。

 次の日に無理のない範囲という約束で、俺もゲームに付き合った。こんなときでも楽しむ余裕は大切だ。リクも呼んで、三人で冒険を進める。

 前に比べたら、本当にシズハはよく話してくれるようになった。キーボードで生き生きと「シルヴィア」をやってるシズハを隣で見ていると、クールな顔とノリノリのキャラとのギャップがやっぱり面白い。ついゲームよりそっちを楽しんでしまったので、そのうち気付いた彼女にじろりと睨まれてしまった。

 

 さて、一日目は平坦な道が続いていたのだけど、二日目の途中からは山なりの道に入っていった。気が付けば、両サイドを断崖絶壁が固める情景がずっと続いていた。

 

「大自然ね……」

「すごいな」

 

 グレートバリアウォールは、間近にしてみると息が詰まるほどの圧迫感だった。

 本から得た情報から想像していたよりも、ずっと谷は狭く感じる。確か幅は数キロくらいはあったはずなんだけど。

 果てしなく上まで突き上がる赤茶けた土の壁が、そのように錯覚させるのだろう。どこを指定してもエベレストより遥かに高いというのだから、とんでもない話だ。

 天然の要塞と言われるのも頷けるよ。もしフェバルの能力なしで登れって言われたら、手で持てるだけの装備だけではちっとも登れる気がしない。

 そして、エディン大橋ほどじゃないにせよ、ほとんどハンドルを切っていないことにも気付いた。とてもカーブが少ないのだ。自然にしては、驚くほど道は真っ直ぐ続いている。気まぐれの神が、山を一直線にくり抜いたとしか思えないような地形だ。

 他が全てぴったり塞がれていて、ここだけ気持ちの良いくらい綺麗に開けていると、必然、あらゆるものの通り道となる。

 風もまた例外ではなかった。常に強風が吹き抜けていて、容赦なく頬や車体を打ち付ける。雪は降っていないのに、氷点下にいるような肌寒さを感じるほどだった。思っていた以上に寒い。

 とりあえずブロウシールド付けようかな。

 ディース=クライツに備わる、風を防ぐための機構をスイッチオンすると、すぐに快適な状態になった。便利だなこれ。

 シズハはというと。

 何も言って来ないけど、顔が硬い。どう見ても痩せ我慢をしているので、声をかけた。

 

「寒いの?」

「別に。平気」

 

 そこは強情張らなくてもいいとこだと思うけどね。

 

「コート貸そうか? ユイのだけど」

「いらない」

「本当にいらないか? あと二日はこんな調子だけど」

「……どうしてもと、言うなら」

 

 オーケー。素直じゃないね君も。

 

「余計なお節介かもしれませんが」

「ん。お前がそこまで言うなら、仕方ない。着てやる」

 

 あ、今助かったって顔したぞ。可愛いな。

 表情の変化は小さいけれど、読めるようになってくると中々楽しいシズハさんだった。

 

『いいよね?』

『いいよ』

 

 ユイから快く了承を頂いたので、適当なところでバイクを停めて、『心の世界』から白いコートを取り出す。モコモコフード付きだ。

 モコの毛は冬用、ムルの皮は夏用の服に需要がある。こんなところでも戦争が起こっている。

 手渡すと、なぜかすぐに着ようとしないで、じーっとそれを見つめて、それからまた俺の顔をじーっと見てきた。

 何かしたかな。俺。

 

「お前着ても、似合うな。女装、可愛かったし」

「ああ……うん。わかったから着てくれ」

 

 コートを着てからは快適そうなので、心配もなく道中は進んだ。

 二日目、三日目とハイペースで走らせて、ダイクロップス名物「バリアゲート」が見えたのは、三日目の夕方だった。

 ふう。やっと着いたか。

 疲れの見える俺たちを歓迎してくれるバリアゲートは、武骨な造りの巨大金属門だ。くすんだ金属の色が、歴史の重みを感じさせる。

 ちなみに、トリグラーブから通じる側だけでなく、反対のバスタートラックから通じる側も同じ門で塞がれている。

 ほとんど一定の幅数キロで続いていた谷は、ダイクロップスの辺りだけは丸く広がっている。因果関係は逆で、たまたま広がっているところに目を付けられて、十分なスペースがあると見て町を作られたというのが正しいか。

 広がりが窄まるところをぴったり塞ぐようにして、バリアゲートは成立している。

 グレートが付かないのは、大自然の偉大さに一歩譲ってということだけど、それでも中々のものだ。少なくとも、レジンバークを囲むほとんど意味なし外周壁よりかは、随分高く立派に見える。でもさすがに、かつてエルンティアでほとほと困らされたディースナトゥラの外周壁ほどは、閉じ込めてやろうって感じはしないかな。

 

「いかにも要塞って感じ、だ」

「同感だよ」

 

 工業要塞都市。確かにぴったりな名前だ。町に門があるというより、門に町がくっついてるみたいだし。

 防衛イベントとかやったら楽しそうだよな。『巨大モンスターが現れた! ダイクロップスで死守せよ!』みたいな。

 ……さすがにゲーム脳か。

 でもせっかくだから気分は盛り上げてみよう。

 

「プレイヤー二名。要塞都市潜入クエスト開始ってところかな」

「いい。それ。いい」

 

 シズハも安定のゲーム脳だった。

 ただしこっちはリアルだ。下手な失敗は許されない。気を引き締めていこう。

 

 大きな戦争がないという意味では平和な時代が続いているので、現在は有事でなければ、門は常に開け放たれている。

 天下のトレインソフトウェアに探りを入れようなんて物騒な目的さえ隠しておけば、入口で身分証を提示すれば、個人が普通に入ったり出たりする分には厳しい制限はない。

 俺とシズハは、バイクに乗ったまま身分証を示して、日の暮れる前にダイクロップスへ入ることができた。

 まあこの身分証、二人とも偽物なんだけど。エインアークスすごい。



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135「会社員クガ ダイゴの憂鬱」

 工業要塞都市ダイクロップス。

 その三等地の一角に、とあるゲームメーカーがある。

「カンヨー」。主にコア層向けにラナクリム用のMODやオリジナルゲームを開発・販売しており、時たまどうしようもないクソゲーを生み出してしまうことも含めて、一部のファンには愛されている。

 ただ、天下のトレインソフトウェアがなまじ近くにあるばかりに、何かと比較されては三流のレッテルを貼られてしまうという惨めな立場にあった。

 そんな三流ゲームメーカーの、日頃窓際で過ごす男が一人。

 クガ ダイゴの休日は、ヤケ酒をあおることから始まり、不貞寝に終わる。

 三十五歳。彼女なし。童貞。

 まばらに無精ひげを生やし。気怠い双眸を宿した中年の男は、スキットルを片手に昼間から酒をあおっている。

 銀色のスキットルには、三日月と女神「ナーカム」の姿が描かれている。彼が旅先で偶然見つけて、何となく気に入って買ったものだ。

 三日月は勝負事や賭けを表し、女神は幸運の象徴である。つまりは合わせて「賭けに幸運を!」という意味であるが、たまに行くカジノでご利益があった試しはない。

 あんたが幸運の女神なら、俺の人生にせめて一滴ばかりのチャンスと幸運をくれないものか。

 そんな馬鹿みたいなことを考えて微笑む女神を見つめることもあるが、もちろん返事はない。

 

「あのクソンめ。偉そうに俺を顎で使いやがって」

 

 口を衝いて出てくるのは、同期のトミー ソンに対する愚痴だ。

 ダイゴはクソを付けて、クソンと呼んでいる。

 万年窓際族のダイゴに対して、ソンは順調に出世街道を歩んでいる。

 上司や部下からの信頼も厚く、現在は課長。妻に二人の子供がいる。

 

「ああ、つまんねえなあ……。なんでこんなになっちまったかなあ……」

 

 まだ何年か前には、同じような窓際仲間もいた。たまに飲みに行って愚痴を言い合うこともあったが。

 そいつは「罹ってしまった」。

 以来、平日も休日も、仕事が終わればただ孤独の時間を過ごすのみである。

 

「ずっと寝てたってよぉ、それが一番つまらねえじゃねえかよぉ」

 

 永遠の夢の世界に行ってしまったそいつに、毒吐く。

 現実はクソだ。しかし夢の世界に逃げてみても、やはりクソはクソでしかない。

 彼はそう思っている。

 夢というのは、どんなに荒唐無稽に見えても、結局のところ何らかの形で現実を投影している。想起するのが己である以上、己からまったく離れることはできない。

 一見すると楽しい内容であっても、全てはただの裏返し。

 現実がクソである限り、本質的なところで夢もクソにしかならない。

 彼はよく夢を見るし、夢でかなり好きに動くこともできる。起きてからも内容をよく覚えている方だが、あまり楽しいと思ったことはなかった。

 罹ってしまったそいつも、楽しそうに夢を見ている感じはしない。

 そもそも、一体何が楽しいことがあるのか。仕事も遊びも、楽しいのは全て上手くいってる奴だけで。

 いや、一目楽しそうにしてる奴さえも、多くは何となくで誤魔化しているだけだ。本当にやりたいことをやっている奴など、ほんの一握り。

 ならば、主役になれなかった者は、平時蔑まれる者は、なおのこと悲惨に違いない。

 そうだろう。こうして不平不満を口に出すくらいしか能がなく。ますます惨めさは増すばかりで。

 

「退屈だ。どいつもこいつも」

 

 どうしようもなく退屈でつまらない、この世界で。

 ただ積極的には死にたくないから、生きている。

 何となくで来てしまった三十五年。

 大きなミスはしなかったはずだ。そんな目立つミスをするほど度胸があるなら、まだマシな人生を送れている。

 ずるずると、気が付けばこうなっていた。もう少し何とかならなかったのか。

 

 ああ。女が抱きたい。金が欲しい。

 

 ……もう、希望は持てそうにないが。

 

 スキットルを口に押し当てる。

 何も流れ込んで来ないことを、蕩けた脳がやや遅れて認識した。

 

「ちっ……もうねえのかよ」

 

 ああ。酒が欲しい。

 まったく。欲しい欲しいばかりだ。どうしようもないな。

 どこか冷静で客観的な自分が、自分を嘲笑する。実際に口元も歪んでいた。

 仕方なしに、面倒臭いので部屋着のまま外へ酒を買いに行こうとした。

 

 そのときだった。

 

『おい。オレの声が聞こえるか』

 

 不意に、彼の脳内に男の声が飛び込んできた。

 生まれて初めての体験に、酔いが回っていた彼は、幻聴でも聞こえたのかと思った。

 

「なんだぁ……?」

 

 一人暮らしの汚部屋に、ダイゴの独り言が間抜けな調子で響く。

 誰にも聞かれずに消えていくはずのそれは、語りかける男にしかと届いていた。

 

『ほう。どうやら上手く繋がったか。これで一つ、ポイントを取り返したな』

 

 語りかける男――ヴィッターヴァイツは、得意に笑う。

 

「ついに頭でもおかしくなったかぁ? 変な声まで聞こえてきやがる」

 

 幻聴ならまだ女の声がマシだが、気が利いていない。

 一方のヴィッターヴァイツは、冴えない男を一目見て取り、ばっさりと斬って捨てた。

 

『全く使えん屑だな。こんな力も覇気もないゴミを手駒にしても、役に立つとは思えん。はずれか』

「おいおい。なんだってんだよ……!」

 

 脈絡も意味もさっぱりわからないが。自分がはずれだと言われたことだけは理解できた。

 ダイゴは、憤慨した。

 

「なんだてめえ! いきなり出てきたと思ったら、偉そうに上から喋り腐りやがってッ!」

『当たりを引くまで探すとするか。やれやれ。手間なことだ』

 

 天の声は歯牙にもかけない。

 そのことが余計に、ダイゴの神経を逆撫でした。怒りたるや、彼のこめかみに血管が浮き出るほどだった。

 

「俺を誰だと思ってやがるッ! おいこらぁ! ただで済まさねえぞ! 来いやこらぁ!」

『くっくっく。貴様。どこまでも惨めな男だな』

「なにぃ!」

『己の分を知らず、吠えるだけの屑にも劣る畜生よ。普段なら余興にするところだが』

「何が余興だ……! 人を、駒か何かみてえに……!」

『貴様のような奴は、殺す価値もない。精々惨めに生きていくのが似合いだ』

「おい! ふざけんじゃねえぞぉ! 誰が人の……! おい、馬鹿にするなぁ!」

 

 どんなに惨めに見えたとしても。

 この俺の人生を馬鹿にしていいのは、俺だけだ。

 他の誰にもとやかく言う資格はない!

 

「てめえが、俺の、何が、わかるってんだよぉ!」

『なるほど――ラナクリムか。調べてみる価値はあるかもしれんな』

 

 ヴィッターヴァイツは、男の記憶を読み取っていた。次なる目標を定めているところだった。

 相手にもされない。

 ダイゴは、悔しくてならなかった。とにかくこの男に、自分の価値を認めさせたくてならなかった。

 

「おい! 俺はなあ、なあっ!」

 

 言おうとして、次が出て来ない。

 彼はわなわなと拳を震わせた。

 俺は、何者でもない。誰でもない。何もない。

 男の言う通りで。言うまでもなく。わかっていた。

 ただただ惨めでしかなく。吠えるしか能がなく。

 だが、てめえが言うことじゃないだろう。

 

「俺はッ!」

 

 いつの間にか、もう声は聞こえなくなっていた。

 

 一人、取り残された彼は。

 

「なんだよ……なんだってんだよぉ! 好きなだけ、馬鹿にしやがって!」

 

 泣いた。みっともなく泣いた。

 酒で感情が昂り易くなっていることを考慮しても。

 まさかこの歳で、本気で泣くことになるとは思わなかった。

 なぜだ。何をしたというんだ。ただ酒を飲んでただけでこの仕打ち。

 

「ざけんな。空耳にまで馬鹿にされちゃあ終わりじゃねえか……クソがッ……!」

 

 銀のスキットルを、力任せに投げつける。

 実はこのとき、幸運にも命拾いしたことを彼は知らない。

 ヴィッターヴァイツがこのとき、一人しか【支配】できなかったこと。時間と、能力を行使できる唯一の対象このつまらない男に向けるのは惜しいと思わせたこと。

 もしかすると、ナーカムが唯一手を貸してくれた瞬間かもしれなかった。

 

「くっそおおおおおおおおおお!」

 

 ガン!

 

 隣の部屋の人が怒って、壁が叩かれた。

 さすがにうるさい。叫び過ぎだった。

 

「……ちっくしょう」

 

 声を押し殺す。余計に惨めな気がしてならなかった。

 

 そのまま、もう酒を買いに行く気分になんてなれなくて、しばらく項垂れていた。

 

「おらぁ……やるぞぉぉ」

 

 やがてやけくそな気分で、ラナクリムを起動した。

 元々、彼の休日唯一の楽しみであった。

 いや、実のところ、全く面白いと思っていない。ただ何もしていないと退屈で塞ぎ込んでしまいそうで、時間を潰せるから、彼は遊んでいた。

 気が付けば、相当やり込んでいた。

 キャラクター名は、フウガ。

『ヴェスペラント』フウガで知られる、有名な荒らしプレイヤーである。冒険者ギルドには所属していないが、並のSランクならひねり潰せるだろう。

 目的はない。

 各地で暴れ回るだけ。たまに公式キャラクターと目されている剣麗レオンをおちょくって遊ぶことが、彼なりのゲームの遊び方だった。

 運営公式はなぜかBANをしないので、そのような楽しみ方ができた。

 その日、彼は生産都市ナサドの警備隊にちょっかいをかけて。レオンが駆けつけてくる前に、さっさと逃げ出した。

 何となく、今日は彼の相手をすると捕まる気がした。

 

 

 

 翌日。

 二日酔いの残る頭で、気が乗らないながらも、ダイゴは遅刻時間ギリギリに出社した。

 社会人として最低限の義務は果たし、いつもの窓際に座り。そんな彼に気を向ける者は、もちろん誰もいない。

 だが今日は少し、いつもと様子が違った。

 勤勉でよく知られるトミー ソンが、来ていない。遅れる旨の連絡も一切ない。

 珍しいこともあるものだと思った。

 最初はみんな笑って話していたが、一時間、二時間になると、社内もにわかにざわめいた。

 責任者である彼がいないと止まってしまう仕事が多くて、社員たちは困っていた。

 やがて、いけ好かない部長がダイゴのところに来て言った。

 

「クガ。お前、トミーの番号持っているか」

「ええ。持っていますが」

 

 一応同期の付き合いで、電話番号を交換したことがあった。随分昔のことだが。

 

「ちょっとかけてみてくれんかね」

「わかりましたよ」

 

 面倒臭いなと思いながら、仕方がないのでかける。

 何回コールしても、電話は繋がらなかった。

 

「繋がらないですね」

「そうか……。わかった。明日来たら事情を聞くとしよう」

 

 部長は仕方なしに溜息を吐いて、トミーの部下全員へ代わりに一言ずつ指示を出していった。

 ダイゴは何も言われなかった。

 

「珍しいこともあるもんだな」

 

 

 さらに数日が経った。トミーはずっと無断欠勤していた。

 社内はかなり騒ぎになっている。さすがに彼の減給や降格、最悪クビも取り沙汰されていた。

 ダイゴは窓際から、傍観者のように彼らを眺めていた。

 そう言えば、と彼は思い当たる。

 最近の電話は、失くしたときのために、電話番号を打つとその電話を探してくれる機能が付いていたはずだ。

 向こうが機能をオフにしていると、無理なのだが。

 自分が調べる必要はないのだが。一応、ダメ元で調べてみることにした。

 どうやらオフにしていなかったらしい。彼の電話のある場所が地図上に示される。

 それを見て、ダイゴは驚いた。

 

「なんだぁ。こりゃ」

 

 探知によれば、彼がいる場所は、あの天下のトレインソフトウェア様だった。

 いかに彼が有能であると言っても、所詮三流ゲーム会社の中での話。世界一の企業に縁があるようなことはないはずだ。

 しかもトレインソフトウェアは、部外者の立ち入りに厳しいことで有名である。

 

「妙だなぁ」

 

 好奇心が首をもたげた。

 勘がささやく。何か面白いことになっているかもしれないと。

 どうせここ数日は、あのこともあったし、クソンの奴もいないし、仕事もやる気がしなかったのだ。

 そこで、午後は有給休暇を取得することにした。休みを取るのが彼なので、誰も気にしなかった。

 愛用のボロ車で、トレインソフトウェアへ向かう。

 

 これがとんでもない運命の始まりになることを、彼はまだ知らなかった。



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136「工業要塞都市ダイクロップス」

 ダイクロップスに入り込んだ俺とシズハは、そのまま『世界の道』の続くにしたがって、中心街へ向けてバイクを走らせた。

 いざ要塞都市の内側に入ってみると、前後方のバリアゲート、側面のグレートバリアウォールが四方をがっちりと固めていて、箱庭の中に収まったような気分になった。

 壁は、外から見たよりも頼もしく思われた。人によっては安心を感じるだろうし、窮屈にも感じるだろう。

 俺は後者だった。

 ぱっと見、あまり好きな街じゃないな。どうも俺は、もっと開放感のあるところの方が好きみたいだ。

 しかしシズハの方は違うみたいで。

 車の流れに合わせてゆっくりバイクを走らせながら、心なしか楽しげに周囲を観察している。あまり表情は変わっていないけれど、最近シズマイスターになりつつある俺にはまあ何となくわかった。

 確かに、好きな人は好きだし、わくわくするのかもしれないな。

 鉄と錆とオイルの匂いのはっきりと感じられる街並みだ。

 やはりかつて訪れたディースナトゥラとの比較になってしまうが、あそこは極めて緻密な都市計画の下に成り立っていて、美しいほど完璧に均整の取れた街並みだった。(地球から見て)未来のテクノロジーが生み出した、決して錆びない金属が多くの建物の材料となっていて、常に目に悪いほどの輝きを放ち、人間である俺には馴染み辛く感じられたものだ。

 ディースナトゥラはまさに白銀の都市だったが、こちらで支配的なものは、くすんだ金属の鈍色である。 同じ鋼の街ではあるが、まったく様相は異なっている。世界が違うと、こうも違う例があるのだと、感心させられた。

 所狭しと、不均整で薄汚れた武骨な建物が競うように立ち並ぶ様は、かえってそれらが人の手によって成ったものであると思わせる。

 トリグラーブと比べて、明らかに工場の割合が高く、配管の類が剥き出しで、空中の目立つところにも網目のように張り巡らされている。配管迷路の頂は、大抵の場合、煙突で終結していて、そこからはもうもうと白煙が上がっているのが見て取れる。

 そのせいで、空気はお世辞にも綺麗とは言えない。喘息持ちには辛そうだ。IT分野とか、空気の綺麗な場所じゃないと大変なんじゃないかなと思ったけど、それはどうも地球の常識に過ぎないらしい。

 配管だけじゃなくて、たまに大きな歯車なんかも剥き出しになっていて。何を動かしているのかは知らないけど、くるくると忙しなく回っている様は、まるで生き物のようだ。

 冷たい色に見えて、中々どうして、躍動感に溢れているじゃないか。

 前言撤回。よく見てみたら、俺もちょっとわくわくしてきたぞ。

 

「楽しそう」

「いやあ。こうやって街並みを見て楽しむのも、旅の醍醐味の一つだなと」

「観光に来たわけじゃない」

「わかってるって」

 

 本当に観光ということで来られたらよかったんだけどね。

 

 ミッション終了までの一時的な滞在場所として、エインアークスの息がかかったホテルの一つを選んだ。

 地下は『アセッド』ダイクロップス店になっていて、と言っても実際店じゃなくて隠れ基地みたいなものなんだけど、三千人のメンバーのうち五十八名が、ここを運営してくれている。

 もしトレインソフトウェアで何かしらディスク等入手できた場合は、解析ができる人員と機材も揃っている。

 彼らの協力がなければ、身一つで全てをこなさなければならないところだったので、とてもありがたい話だ。

 夕食を済ませて、シズハと二人で作戦を練る。

 役割分担は、俺が周囲の警戒と対処、シズハが部屋の調査・機密書類の入手担当だ。裏仕事にはあまり明るくないので、スパイっぽいことは彼女に任せようと思う。

 そう言えば前にユイから聞いたけど、レンクスは裏仕事が得意らしい。昔何かやってたのかな。まあいいや。

 悪い事態も想定しておく。戦闘になる可能性があるけど、《マインドリンカー》を駆使すれば、ある程度仲良くなった(と思う)シズハなら、俺の力のいくらかを共有して、戦闘力の底上げが期待できるはずだ。最低でも、彼女自身が数段上と言っていたルドラに負けないくらいにはなるだろう。

 とは言っても、戦わないに越したことはない。戦闘になる気配が濃厚な場合は、彼女を逃がすことを優先すべきだろうな。そこは様子を見て判断しよう。

 彼女とトレーニングをしてから、その日は眠りにつくことにした。本格的な調査は明日からだ。

 

 そう気構えし過ぎずに考えていたが、実は既にとんでもない事件が起こっていたことを、俺は知らなかった。



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137「トレインソフトウェアの異変」

 ボロ車を駐車場に停めて、ダイゴはトレインソフトウェア本社を訪れていた。

 さすが世界一の企業と言うべきか。社屋は、薄汚れた建物の多いダイクロップスでは、数少ない見た目の美麗さを誇る。

 側面に巨大なパネルが二枚ほど設置されているのが特徴的だった。一枚目はラナクリムのゲーム映像を、もう一枚はその他サービスの宣伝映像を垂れ流し続けている。現在は新規アップデートの内容が告知されているところであった。

 ゲーマーならばつい足を止めて見上げてしまいそうなところ、しかしダイゴの興味は一切そこに向いていなかった。

 

 彼は戸惑い、立ち尽くしていた。

 クソンの足取りを追ってみれば。明らかに様子がおかしい。

 

「おいおいおい。どうなってんだよ」

 

 平常は赤バッジ――レッドドルーザーの警備員が立ち、一般の者には固く閉ざされているはずのエントランスは。

 どういうわけか、しんと静まり返っていた。しかも、不気味にもガラス戸は開け放たれたままになっている。

 

「がら空きじゃないかよ」

 

 目の前の光景がとても信じられず、もう一度電話の画面――発信場所に目を凝らす。

 間違いない。クソンはこの中にいる。少なくとも電話は向こうにある。

 

「入っちまっていいのか……?」

 

 普通に考えるといいわけがない。ないのだが、今彼を止めるべき者は誰もいなかった。

 だが、勢いのまま一歩を踏み出すほど倫理の欠落している彼ではなかった。これが『ヴェスペラント』フウガならば「一向に構わん」としたところだが、現実の彼は何の力も持たない一般人である。

 さすがに危ないのではないか。よすべきではないか。彼の中の良識的な部分が、一度は咎めようとした。

 彼はしばし逡巡した。リスクと興味を天秤にかけて、真剣に悩んだ。

 そうして、結局は興味が勝った。世界一の会社の中を拝めるチャンスなど、今この時を逃せば二度と来ないだろう。

 もしや高値で売れる機密情報が見つかるかもしれないし、クソンの野郎を失脚させるチャンスかもしれない。

 自らの野次馬性分にまったく呆れながら、彼は覚悟を決めて足を踏み入れていった。

 

 このとき、確かに彼は覚悟を決めた。決めたつもりだった。

 

 やはり誰もいないエントランスを越えて、上の階へと繋がるエレベーターを見つけたときには、彼の覚悟は早くも折れそうになっていた。

 エレベーターのドアが。分厚い金属製の扉が。力任せにねじ開けられていたのを目にしてしまったからだ。

 

 間違いない。彼は思った。

 事件だ。事件が起きているぞ。

 

 経緯はさっぱりわからないが。何が起きているかはわからないが。

 とにかく、同期の上司は世界一の大企業へ入り込み。そして事件が起きている。

 

 唐突な非日常が突き付けられた。まるで緊急クエストだ。

 面白い。恐ろしい。

 彼の破滅的な部分と、良識的な部分とが衝突して。

 また一度は後者が勝り、腰が引けた。

 

 警察を呼んだ方がいいだろうか。

 いや、それはできない。

 そんなことをすれば、会社に無断で入った自分も捕まってしまう。

 それに、レッドドルーザー擁するトレインソフトウェアに任せておけない案件ならば、一介の警察ごときに対処できるとは思えない。

 

「ええい。ままだ!」

 

 一度行くと決めたのが引っ込み付かず。

 半ばやけくそになって、目に付いた階段に向かって彼は駆けた。

 

 

 ***

 

 

 一晩をホテルで寝て過ごしてから、次の日、昼頃にトレインソフトウェアへ向かった。

 もちろん人の多い時間帯に忍び込もうというつもりではなかった。とりあえず下見をして、実際の作戦決行は深夜を回ってからのつもりでいた。

 そのつもりだったんだけど……。

 トレインソフトウェアに着いてみると、明らかに様子がおかしかった。

 

「警備員が、いない……?」

「どういうことだ」

 

 とりあえず中の様子を探ろうと、気力探知と心探知を併用して。

 

「ん?」

「どうした。ユウ」

 

 人の生命反応が、ほとんどなくなっている……。

 みんな揃って出かけたわけはないだろうし。

 それになんだ。やばい奴がいるぞ。

 この突き刺すような悪意の塊は。堂々とひけらかして、隠そうともしない力の高まりは。

 トレヴァークでは初めて見るレベルだ。今まで相手してきた連中とは、比較にならない。

 嫌な予感がする。何かが起きているんだ。

 

 まさか――。

 

 恐ろしい可能性に気付いて、戦慄する。

 みんな、殺されたのか……? こいつに。

 もしそうだとしたら、なんてことを!

 ちょっと調べ物をしようとしたつもりが、大変なことになってしまった。

 

「……シズハ。予定変更だ」

「……なに?」

「とんでもなく強い奴がいる。君はバイクに乗って今すぐここから離れてくれ。そして――」

 

 そう言った途端、シズハの目は非難の色を示し、唇は悔しげに歪んだ。

 

「私は、足手まといと……?」

 

 違う。

 確かに純粋な戦闘力という意味では、「戦いを避けるべき」ということはある。

 俺だってそうだ。どれほど鍛えたところで、本当に強い奴らの前では霞んでしまう。

 でも、力だけじゃない。人にはそれぞれやれることがある。いるだけでも力になることだって。

 だから俺は、そんな優しくない言葉を使いたくはなかった。気持ちの問題かもしれないけど、大切なことだ。

 首を横に振る。

 

「そうじゃない。他の店員と協力して、人払いを頼みたいんだ。会社に人を近づけないようにして欲しい」

「そう、か。中々難しいことを、普通に頼むんだな……」

 

 人を近づけないということは、警察やレッドドルーザーの増援も止めるということを意味する。厄介な仕事だと思う。

 彼女は困った顔をしたが、もう怒ってはいなかった。

 

「少しの間でいい。頼む。やれそうか」

「やるしかない、わけか」

 

 俺が真剣なのを見て、シズハは渋々頷いてくれた。ありがたいことに、直ちに行動に移してくれた。

 バイクで走り去っていく彼女の後ろ姿を見つめながら、申し訳なく思う。

 無事に済んだら、何か奢ってあげよう。

 ……無事に済んだら、な。

 

『さて』

『何が出てくるか……』

 

 考え過ぎかもしれないけど、最悪の可能性を考えて先手を打っておいたが。

 

 この心配が杞憂でなかったことを、すぐに思い知ることになる。

 

 

 ***

 

 

 ダイゴは、好奇心に導かれるまま、なけなしの勇気を振り絞りつつ、階段を上へと進んだ。

 人だけがごっそり消えてしまったのではないかというほど、不気味に静まり返る社内に、ますます不安を募らせながら。

 代わり映えのしない階段風景が、延々と続いていたが。

 やがて、違いを見た。恐ろしいものを見つけてしまった。

 それが目に映った途端、彼は身震いした。

 そしてまた、後悔が襲ってきた。何度目だろうか。

 

 血だ。

 どす黒い血の跡が、床にべったり張り付いて、向こうへ続いている。

 明らかに、人が死ぬ量。

 

「なんだよ。クソッ……!」

 

 自分自身意味もわからず、悪態を吐く。

 ここ数日は、おかしなことばかりだ。

 現実はつまらないと言っておきながら。いざ非日常を前にして、情けなく狼狽えるばかりの自分がいる。

 

 こんなの、しょうがないだろう。実際見てしまったら、想像以上にもほどがある。

 

「こんなはずじゃ、なかった」

 

 ただ、クソンの弱みを握ってやろうとか、それこそクソみてえな、小さなことを期待していただけなんだ。

 

 ――もう、無理だ。引き返すべきだ。まだ戻って、最悪侵入がばれて捕まった方がマシだ。

 

 理性と良識は、声を大にしてそう言い続けているのに。

 なぜだろう。なぜなのか。

 ふらふらと足は前へ進んでいく。

 まるで怖い者知らずのように。本物のフウガのように。

 戦場にも似た緊迫感に、この異常な空気に、狂ってしまったのだろうか。

 

「ああ……」

 

 やがて、彼は人の姿を見つける。

 彼の予想通りに、血塗れで、息も絶え絶えで。白いモップは真っ赤に染まっていて。

 しかし、まだ生きていた。彼と同じ中年の男だった。

 

「おい、あんた。大丈夫か……?」

 

 怖くて仕方がないが、生きているとなれば、人並みほどではないが、心配もする。

 日頃悪態吐くとは言え、彼も普通の人間の範疇ではあった。

 弱々しく声をかけたけれども、社員と思しき男は気付かない。

 目の焦点が合っていなかった。

 しかも、ダイゴの声を聞いた途端。

 男の肩が、釣り竿にでもかかったようにびくんと跳ね上がる。

 血が流れ出ている頭を、さらに強く掻きむしって。男は喚いた。

 

「ひいいぃぃぃぃぃ! 僕たちは、何も知らないんだ……!」

 

 脅されていると、勝手に思い込んで。

 社員と思しき男は、ひどく錯乱していた。

 

「本当なんだ! ただ、上の言われた通りにッ! ディスクを焼いてるだけなんだ!」

「お、おい。落ち着け。何を、言ってるんだ。おい……」

 

 理解が追いつかない。何もかもがわからない。

 やばい気だけはする。できるなら落ち着かせたいが、恐怖で身体が動かない。゛

 すると、男は今度、掻きむしっていた頭を押さえ出した。

 

「あつい! いたい! あつい! いたい! いたいいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたい!」

 

 熱さと痛みを、しきりに訴え続けている。

 ダイゴはしかし、どうにもできなかった。

 もうなんだってんだ。自分こそ泣きたい気分だった。

 そしてついには、男は半狂乱になって、壁を頭にぶつけ始めた。

 何か、見えてはいけないものが見え、零れてはいけないものが零れている。このままでは――

 

「やめろっ!」

 

 これ以上はまずい。とにかくダイゴは、祈るように叫んだ。

 

 そして――

 

 そして、突然だった。

 

 

 ボンッ!

 

 

 頭が、弾けた。ポップコーンのように。

 

「な――」

 

 びちゃり。びちゃ。びちゃ。

 

 中年男だったモノは、脳漿と血を大量に床へまき散らして――

 

「な、な……」

 

 現実なのに、現実感がなかった。

 脳が理解を拒否しようとする。彼は目を背けようとして、かぶりを振った。

 口を開けたまま、立ち尽くし――しかし、立ち込める悪臭と、嫌でも網膜にこびり付くイメージからは逃れられるはずもない。

 否応なしに、理解させられた。

 

 叫ぶこともできなかった。

 ただ、猛烈に吐き気が込み上げてきて、その場で吐いた。

 

 涙とゲロと血と脳みその混じる世界が、広がっていた。

 

 ――どこだ。ここは。どこなんだ。

 

 昼まで俺のいた場所と、本当に同じ世界なのか……?

 

 誰か。俺が悪かった。

 許してくれ。時間を戻してくれ。夢だと言ってくれ!

 

 

 そのとき、下の階では、何かと何かがぶつかり合う音が断続的に続いていた。

 音の呼吸から、誰かと誰かが激しく戦っている音だということに、気付ける者ならばすぐに気付いただろう。

 だが、この場には焦燥し切った中年男が一人いるだけであった。

 このままいけば、遠からず戦闘の余波に巻き込まれるなりして、彼は多くの社員と死の運命を共にすることとなるだろう。

 

 そうなるはずであった。

 しかし、何の因果か。彼の運命は、さらに展開を迎えるのである。

 

 この上ないパニックと後悔に苛まれ、力なく項垂れているダイゴの前に、何者かが悠然と歩いてきた。随分と上機嫌で。

 

「いやはや。ほんの少しばかり誘導しただけだというのに、まさかたった一人で、ここまでやってくれるとはね。想像以上だったよ」

 

 人形のように整った顔と、柔らかく散らかした銀髪。モデルのごとき立ち姿に、冒険者スタイルをやや現代風にアレンジしてみましたとでも言うような奇抜なファッションは、まるで世界を一つ隣に間違えてしまったかのようだ。

 

「くそったれ……。今度は、なんなんだよ……」

 

 実は、本当に夢なんじゃなかろうか。

 若い銀髪の男に気付いたダイゴは、妙な期待を持たせられつつ、投げやりに視線を向けた。

 彼の顔を見た途端、ダイゴは、不思議と見覚えがあるような気がした。

 夢で――ラナソールで見たような。マジで夢だな。これじゃあ。

 銀髪の男もまた、汚物塗れのダイゴに気付いて、軽く鼻で笑った。普段ならむっとするダイゴであるが、このときは何も気にする元気がない。

 銀髪の男も、小物には用などなく、軽く通り過ぎるところであった。

 だが二目見た途端、彼の瞳には興味の光が宿った。そして言った。

 

「おや? 君、『素質』があるようだね。こんなところで『素質持ち』を見つけてしまうとは。なんという偶然だろうか」

「『素質持ち』だあ……?」

 

 まさか自分のことを言われているとは思わず、ダイゴはほとんど呆けたまま、素で問い返してしまう。

 銀髪の男は、さらにしげしげとダイゴを眺めて、にやりと笑った。

 

「いいね。よく見れば、実にいい顔をしている。現実に疲れ切ったって、そんな眼をしているな」

「人のこと、わかったみてえによ……」

 

 ダイゴは細い声で悪態を吐きつつ、内心投げやりに同意していた。

 

 確かに、疲れたさ。何もわからねえ。今はもう何も見たくない。

 このよくわからん奴は、こんな俺を嘲笑いにでも来たのか。どうでもいい。

 

 そんな彼の態度とは対照的に、先ほどまでほとんど無関心だった銀髪の男にとっては、今や彼のことこそが重大な関心事のようだった。

 まるで同志を見つけたと言わんばかりに――実際その通りなのであるが――諸手を広げて喜んだ。

 芝居がかった動作は、実に「ラナソール」的だった。

 

「いやあ。君は実にラッキーだ。僕なら、君の願いを叶えてあげられるとも」

「なんだと……」

「君は、現実に無力を感じているね? もっと力があればと、そう思っているだろう? ()()()()()のように!」 

 

 はっとする。図星だ。

 ずっと、そう思ってきたとも。

 フウガのように、好き勝手暴れられる力があるなら。こんな退屈な人生は選ばなかった。

 だが現実の俺は、どう足掻いたところで、変わらねえ。冴えない窓際族の童貞だ。

 現実にはとっくに絶望している。

 そして、夢にも絶望している。

 夢は、どれほど理想的であっても、理想的なほど、決して現実にならないから。

 

「いいや。僕ならできる。僕たちは知っている。()()()()()()

 

 まるで心を読み透かしたように、銀髪の男は答える。

 

「夢と現実のハードルは、君が思っているよりもずっと低いんだよ。そして、ラナソールを知っている君なら、越えられる」

 

 そうだ。確かに俺は()()()()()

 

 ラナクリムと似ているようで違う、夢の世界。こいつも知っているのか。

 確信めいた響きに、ダイゴは馬鹿げた戯言だと思えなかった。むしろ、縋りたい気分だった。それほどに弱っていた。

 

「僕の名は、ゾルーダ。君に夢の翼を授けよう。手を、取ってみるかい?」

 

 銀髪の男は怪しげに微笑んで、嫌な顔一つせず、汚物塗れのダイゴに手を差し伸べた。

 

 ダイゴは、手をとった。

 

 元々フウガを引き入れようかと迷っていたゾルーダと、フウガを演じていたダイゴ。互いにそうとは知らず、奇遇にも邂逅を果たしたのだった。

 

 そしてダイゴは、新たなるアルトサイダーとなった。



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138「ユウ VS ヴィッターヴァイツ(被支配体) 1」

「見つけたぞ!」

 

 迸る悪意が常に居場所を教えてくれた。こいつのところへは迷いようがなかった。

 殺戮者は、ゆっくりと振り返る。

 俺の姿を認めて、わずかに口の端を吊り上げた。

 

「下でちょろちょろしている奴がいると思えば。小僧か」

 

 今、目の前にいる男。

 一見した姿は、ごく普通のサラリーマンだ。

 だが。心の反応は、それが見かけだけであることを指摘していた。

 おそらく、このサラリーマンも被害者だ。

 何者かが操っている。何者かがこの口に喋らせている。

 卑怯にも。

 問う。自然と言葉は鋭くなった。

 

「お前は誰だ?」

「オレか? くっくっく。どこにでもいるサラリーマンかな」

「とぼけるな。中にいるのは誰だと言ってるんだ」

「ほう。なるほど。見抜く程度の力は持っているのか」

 

 男は泰然として嗤う。

 

「理解しているならば、我が力も感じているはずだ。それでなお、このオレの前に立とうとは。よほどの馬鹿か。命知らずか」

 

 こいつは、暗に言っている。

 オレはお前などより遥かに強い、と。

 そうかもしれない。

 こんな奴には負けたくないと心の底から思いながら、冷静な部分で計算が働いていた。

 近くに来て、よりはっきりとわかった。

 このサラリーマンを裏で操っている奴からは、底知れないやばさを感じる。死の緊迫感が肌を突き刺してくる。

 異質で、絶大な力の塊。

 

 まさか。フェバルなのか?

 

 あり得ない話ではない。ラナソールには、俺も含め、あれだけの数のフェバルが集まっている。まだいてもおかしくはない。

 

 ……本当なら、この状況はほとんど詰みだ。

 本当にこの男がフェバルなら、勝てるわけがない。逃げることも難しいだろう。

 しかし。もしそうであったとしても。

 一つだけ、こちらに有利な材料がある。

 

「蛮勇は命取りになるぞ。小僧」

「わかっているさ。でも今、目の前にいるお前を止めることならできる」

 

 そう答えると、ゴミを見るような目で俺を見ていたこの男が、初めて俺自身にわずかな関心を示したようだった。

 

「なるほど。言うほど馬鹿でもないということか」

 

 奴は自らの――いや、被支配者の身体を指し示して、肩を竦めた。

 

「確かに貴様の言う通りだ。この身体は脆い。窮屈で仕方ないぞ」

 

 そうだ。

 この男は、フルパワーを発揮できていない。それどころか、ろくに力を出せていない。

 俺の知っているフェバルなら。あるいはそれと同格な者なら。

 もっと圧倒的に強いはずだ。トレヴァークのような許容性の低い世界であっても。いや、低い世界ほど相対的な強さは増す。

 こんな縛りプレイをする必要はない。普通の人間を手駒にしている時点で、奴も相当に苦しいはずだ。

 たぶん、ラナソールという世界の制約に助けられている。

 そこを突けば、戦いになる。

 そしてもし心に隙を見せたなら、そのときはいつでも探りを入れてやる。居場所さえわかれば、レンクスやジルフさん、エーナさんに頼んで、倒してもらうことだってできる。

 俺があえて逃げずに向かっていった理由だった。

 

「【支配】できんのが惜しいな。貴様なら、これよりはよほど良い駒になっただろう」

「人を駒扱いしやがって」

 

 強い怒りを感じつつも、【支配】の言葉のやけに含みのある響きが気になった。

 技か何か。能力か。

 超越者のカテゴリの中でも、フェバルではないかという確信が強まった。

 

「お前、フェバルだな?」

 

 今度こそ、サラリーマンの向こう側にいる人物は強い興味関心を示したらしい。

 

「嬉しい誤算だ。まさかこんなところで知っている奴に出会うとは思わなかったぞ」

 

 奴は顎に手を添えて、俺という人物を見定めようとしていた。

 

「フェバルか。星級生命体か。異常生命体か。いや――フェバルや星級生命体にしては、弱っちいな。異常生命体の中の雑魚といったところか」

 

 一人で勝手に納得したようだ。正解を言ってやる義理はないので無視して、俺も言い返す。

 

「俺もだ。まさか同じようにトレインソフトウェアを狙っているフェバルがいるとは思わなかった」

 

 しかもこのタイミングで。こんな最悪の形で。

 お前のやり方は最低だ。

 

「ほう。やはり行き着くところは同じだな。実際、オレもあの世界にはいささか手を焼いていてな」

「じゃあお前もやっぱりラナソールを?」

「だが、オレの方が一足早かったわけだ」

 

 奴は、得意な顔で懐から一枚のディスクを取り出し、見せびらかした。

 くそ。やっぱり先を越されていた……! よりによって一番厄介そうな奴に。

 

「中々面白いことが書いてあったぞ。もっとも、貴様に教える義理はないがな」

「これからどうするつもりだ!」

「そいつも教える義理はない……と言いたいところだが、今のオレは気分がいい。少しだけ教えてやろう」

 

 そして奴は、とんでもないことを言った。

 

 

「ラナソールは壊す。オレは自由となる。そこから先は――お楽しみだな」

 

 

 ラナソールを、壊す。壊すだと。

 みんなが暮らすあの世界を。壊すだと!

 恐れていた台詞だった。それを考えるフェバルがいる可能性は考えていた。こいつは……!

 

『なんてことを!』

 

 俺もユイも、怒りに震えていた。

 

「お前、自分が何を言っているのかわかっているのか!?」

「口の利き方には気を付けろよ。小僧。それに言っておくが、これは貴様たちのためでもあるんだぞ」

「……なに?」

「あの忌々しい世界が健在である限り、オレたちは――貴様自身がそうかは知らんがな――あの世界から出ることはできん」

「なんだって!?」

 

『そんな!』

 

「おいおい。間抜けな顔をするなよ。まさか知らなかったのか?」

 

 ……嘘は言っていない。

 なんてことだ。もし、それが事実だとしたら。

 ラナソールに囚われているのは、トレヴァークのみんなだけじゃない。

 俺たちも例外なく。檻の中だったということか……。

 なら。

 檻を壊すということか。乱暴ではあるけれど、この男の言うことにも一理あるのか……?

 いや、あるわけがない。

 囚われているとは言え、ラナソールはみんなの心が暮らしている場所だ。

 ただでさえ、今でも不安定な状態なんだ。

 世界を無理やり壊すなんてことをしたら……。

 最悪の事態が起こるかもしれない。嫌な予感しかしない。

 

「ラナソールを壊して……どうなる。そこにいるみんなはどうなる!?」

「無論知ったことではない」

 

 く、この……!

 今すぐにでも殴りかかりたかった。できるなら、どこかにいるこいつの本体を懲らしめてやりたい……!

 

「なあ、どうだ。貴様がオレに従うと言うのなら、お前も自由にしてやってもいいがな」

 

 ふざけるな! どの口が言う!

 

「俺とお前が、そのままで協力なんてできると思うのか?」

「そう言うと思ったぞ。青いな。利口ではない選択だ」

「なぜ、殺す必要があった!?」

 

 激情に駆られるまま、口を衝いて出てきたのは、ここに至るまでに見てきた、凄惨な光景のことだった。

 奴は、何寝言言ってるんだとばかり鼻で嘲笑う。ますます許せなかった。

 

「途中で見てきたよ。お前、たくさん人を殺して……放り込んだな!」

 

 数多くいたはずの会社員たちは、どこへ消えたのか。

 答えは……ダストシュートの中だ。

 人を放り投げるために広げた形跡と、血の跡が見られた。

 下の方でどうなっているか――想像したくもない。

 

「ゴミを掃除しただけだ。何の問題があるのだ」

 

 こいつは! 本当に! こいつはっ!

 フェバルは、どうしてこんな奴ばっかりなんだ。

 一定の強さがなければ、人として認めない。

 人をゴミのように見て、ゴミのように扱い。ゴミのように殺し、捨て去る。

 俺は、嫌だ。いくら強くても、いくら長生きで疲れたとしても、そんな生き方は許せない。

 お前のような奴には、死んでもなってやるものか!

 

「お前のやり方を、目的を、認めるわけにはいかない!」

 

 話していると、いや、こうして対峙しているだけで、ひどく嫌な感じがする。

 腸が煮えくり返って仕方がない。無性にむかついて仕方がない。

 こんなに神経を逆撫でする奴がいただろうか。

 

 殺してしまいたいとまで――

 

『ユウ! ダメだよ!』

『……ユイ』

『落ち着いて。冷静さを失っちゃダメだよ』

『あ、ああ。わかってる。わかってるよ』

 

 ユイに制止させられて、辛うじて平常の心を保っていた。

 危ない。もし君がいなければ、俺はどうなっているのだろう。

 

 あの黒い力が、すぐそこまで迫ってきているような気がした。

 これを使えば、今目の前の奴ではない、本気の奴でも倒せるだろうか。

 でも、頼らない。こんな恐ろしいものには頼りたくない。

 

『それでいいの。私たちがいるから』

『力を貸してくれ。こいつには絶対に負けたくないんだ』

『もちろん。私も同じ気持ちだよ』

 

 こいつを倒しても、本体にダメージはない。

 いや、倒してはいけない。操られてる人を殺さないようにしなければ。

 長く触れることができれば。心を探ることができる。

 ついでに、ディスクを奪うことができれば。

 内では激しい怒りが燃え上がっているが、狙いは冷静なつもりだ。

 

 戦いに備えて構えると、奴は面白い気分を隠さなかった。戦いが好きな性分なのかもしれない。

 

「ほう。オレと戦るつもりか」

「止めてやる。これ以上の横暴は許さないぞ」

 

 少ないけれど、まだ生きている人もいる。ここで止めさえすれば助かる。

 奴もまた、ゆっくりと余裕のある面で構える。そして言った。

 

「オレが誰だと言ったな」

「言ってみろ!」

「一直線だな。貴様は。生意気な目は嫌いではないが。分をわきまえぬ小僧には、教えてやらねばいかんな」

 

 空気が変わった。来る。

 

「貴様が名乗るに値するか。この身体でテストしてやろう」

 

 奴は固い白モップを脱ぎ、投げ捨てた。

 露わになった中年サラリーマンの上裸体は、一般人にしてはまあまあ鍛えられていた。

 だがあくまで一般人の範疇だ。

 いくら奴がフェバルでも、気力が高くても、あの身体の大元は一般人そのもののはず。

 そしてここは、許容性の低いトレヴァークだ。

 ほぼ皆殺しという人並み外れた所業を、一人でやってのけるのは相当大変だと思うけど。

 

「我が《剛体術》。味わってみるがいい」

 

《剛体術》だと。

 果たして、疑問はすぐに回収された。

 

「かあっ!」

 

 思わず驚き、目を見張った。

 筋トレをしていた程度の素人の肉体が、急激にパンプアップする。

 各部位が二回りも膨らみ、さらに硬質化までなされているようだった。

 

 ――これは、思った以上にやばいぞ。

 

 人が持つ性能を限界以上に引き出している。おそらく許容性限界級を超えている。

 俺も人のレベルを超えておかないと、やられる。

 

《マインドバースト》

 

 こちらも、見た目こそ変化しないが、身体に濃白の気を纏わせた。

 

「ほう。口を叩いた割には、そんなものか」

 

 奴が、にやりと笑う。余裕は全く崩れていなかった。

 だがこれは本体の余裕から来るものだ。この場では、さして負けていないはずだ。

 

 合図ともなく、互いに探りながら間合いを詰める。戦いが始まった。



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139「ユウ VS ヴィッターヴァイツ(被支配体) 2」

 はちきれんばかりに充実し、今にもぶつかり合おうかという気とは対照的に、戦いは静かな立ち上がりだった。

 敵はいかにもフェバルらしい力任せな言動の割に、歳重ねた老獪さをも合わせ持っているようだった。

 俺もこいつも、本来の肉体スペックからドーピングしているような状態だ。纏うオーラ――パワーに対して肉体が脆い。

 だから、一撃でもまともに入れば事実上の勝負は付くだろう。あの漲りようだと、かすっただけでも肉が抉り取られる恐れがある。

 ――戦りにくい。

 あらかじめ気剣を抜いておくべきだった。抜くタイミングが見つからない。

 女に変身できるんだったら、身体の操作を一旦ユイに預けて、その間に『心の世界』で気剣を溜めておくこともできるけど。今は一人で二つの力を使える代わりに、そういうことはできない。一長一短だ。

 

 動き出したのは、奴が先だった。

 不敵な笑みを浮かべている。何か狙いがあるのか。

 迫力ある図体から繰り出される拳は、やや大振りだった。カウンターを狙うか。

 いや――このタイミングで仕掛けるのは危ない。

《マインドバースト》を使っても、パワーはおそらく向こうの方が上だ。それもかなり。正面からぶつかれば、弾かれて力負けする公算が大きい。

 脳を揺らしても無駄だ。肝心の動きを操っている奴に影響がない。

 そこまでを一瞬で考えて、立ち止まっての殴り合いは避けた。拳から遠ざかる方向へ身を逸らす。

 かわしつつ側面から反撃を狙ったが、相手に隙がなく無理だった。

 外れた敵の拳は、ビルの壁にぶち当たった。高層ビルに穴が開き、強い風が流れ込んでくる。

 敵との立ち位置を最初と逆にしながら、俺は動きを観察していた。

 奴は壁に穴を開けたのみならず、剥がし取っていた。

 そして剥がし取った壁を手に持っている。

 何をする気だ。投げつけてくる気か。

 違った。奴は壁を目の前に軽く放って――

 

「はあっ!」

 

 豪快。

 まさにその一言だった。

 気力を纏った拳で、一枚の壁を打ち砕く。壁はいくつもの破片と化し、それらすべてが凄まじい速度と、奴の気力を纏って――あの殴っただけの一瞬で、物質に付与することができるのか!

 質量、速度。ともに恐るべき勢いで飛来してくる。壁の大砲弾だ。一つでも当たれば致命傷になる。

 一刻の猶予もない。

 

《アシミレート》

 

『心の世界』で受け止める。直接攻撃あるいはラナソールで使われる魔法のような強い遠距離攻撃でなければ、ほぼノーダメージで吸収できる。

 咄嗟の判断が功を奏した。いきなり死ぬところだった。

 

「掻き消したな。普通の飛び道具では効かんということか」

 

 図体を膨らませた割にスピードがある。敵はもう距離を詰めていた。

 そして向こうもよく観察している。手持ちのカードが一枚割れてしまった。

 またかわす。拳は合わせられない。あのパワーを見てしまったら、もうそれはできない。思った以上に力に差があった。腕がもがれるのは確実だ。

 

「どうした。逃げるばかりでは戦いにならんぞ」

 

 挑発に乗るな。奴の土俵で戦うな。正面からぶつかったら負けだ。

 でも悔しかった。この男は一般人の身体を使っているだけなのに、俺は全力なのに、今の状況は勝負にこそなれ、苦戦を強いられている。わかってはいたけど、操り人形でこれじゃ本体とはまるで勝負にならない。ここまで差があるのか。

 負けられない。

 気剣だ。気剣を抜ければ、リーチの長さで勝負の形を作れる。魔法気剣もある。

 

『こっちはいつでも準備してる。何とか隙を見つけて』

『わかってる。レンクスたちは君のところにいないのか? みんなから力は借りられないのか?』

 

 言いながら、ほとんど期待はしていなかった。

 もし《マインドリンカー》で力を借りられるなら、敵との力関係なんて簡単に逆転する。できるならユイがとっくにそうしているはずだ。

 

『それが……いるけど、ダメなの。そっちの世界に全然力を送れない』

 

 くそ。やっぱりか。目の前の奴がこちらの世界でフェバルの力をろくに使えないのと一緒だ。レンクスたちの力も、ろくに発揮できないようになっている。俺とユイだけはなぜかまともに使えるけれど。

 

『悪い。肝心なときに役に立てなくてよ』

 

 レンクスの悔しさに満ちた心の声が聞こえてきた。

 

『仕方ないよ』

『本体の居場所さえ掴めれば、すぐにでも倒しに行ってやる。ユウ、死ぬんじゃないぞ』

『ありがとうございます。ジルフさん』

 

 手持ちのカードで何とかするしかない。

 幸い、スピードは少しだけこちらに分がある。相手は油断こそしていないが、余裕がある。あり過ぎる。

 フェバルというのは大抵、どれほど自覚しているか差はあるにせよ、慢心している。油断がある。

 その辺の奴とは、実力に差があり過ぎる事実によって。

 普段は攻撃を避ける必要もない。自ら死を選ばない限り、かすり傷を負うことすら少ない。

 一切の無駄な動きの許されない、ぎりぎりの戦いからは。一瞬の判断が身を削り、命取りになる戦いからは。たとえかつて数多く経験していたとしても、随分長いこと離れているはずだ。そのブランクが、必ずどこか隙になって表れてくるはずだ。

 俺は極限の動きを続ける。今度は捉える。もう一度、少しでも動きが大雑把になるチャンスを待つ。

 

 戦いは一見、俺が避け回っているばかりだ。反撃の手もなく、相手の拳や蹴りはすべて必殺級の威力で。

 俺は狙いを済ませて、耐え忍んだ。実際は数分ほどだっただろうけど、数日よりも長いとさえ思える時間だった。

 そして、ほんのわずか。避け方が大きい瞬間があった。

 今だ。ここでカードを切る!

 

《パストライヴ》

 

 瞬間移動で背後に回る。並みの相手なら、これで勝負が決まるが。

 俺が掌を開いて構えたとき、奴はすぐに振り向いていた。腕を出して防ぐ構えだ。

 気付かれたか。でも構わない。想定内だ。掌さえ身体のどこかに当たるなら、この技は内側まで届く。

 

《気断掌》

 

 パシュウゥゥゥンッ!

 

 気の内部浸透によってダメージを与えるはずの攻撃は、硬い体表に弾かれて霧散してしまった。

 

「なっ!?」

「効かんな」

 

 技を出して伸びた腕。一瞬の硬直が隙となった。

 敵の太い腕が迫る。

 左腕を掴まれたと思った次の瞬間には、がつんと強い衝撃が全身を走っていた。

 視界が揺れる。

 何をされた。身体が痛い。叩き付けられたのか?

 頭が。脳が。回る。

 

「我が《剛体術》の前に、小賢しい気功術は通用せんぞ」

 

 跳ね上がる。身体が浮いている。

 俺は、今、どうなって――あいつは――

 

『ユウ! 防いで!』

 

 ユイの悲鳴。

 目の前に、拳が迫って――死――

 

「む」

 

 弾かれた。拳が。

 バリアだ。奴が驚いている。俺にはよく見覚えがあった。

《ディートレス》。ユイが使ってくれたのか……。

 バリア越しでダメージはなくとも、すべての衝撃までは殺し切れない。俺を包んだ青色透明のバリアはボールのように弾かれて、壁のところで辛うじて止まった。

 

 吐き気がする。でもすぐに動かないと殺される。倒れている暇はない。

 瞬間移動を使って、緊急回避する。直後、黙っていれば俺が落ちる予定の場所は、敵の拳で壊滅していた。

 ワープでは距離を大きめに取った。敵が迫る間に息を大きく吸い、吐き、ごく簡単にダメージを分析する。

 まだ平衡感覚が乱れている。内臓が少しやられている。骨が数本。左腕は……使い物にならないか。

 関節の外側に向かって、見事にへし折れていた。千切れなかっただけましかな。

 右腕はまだ生きている。勝負は終わっていない。

 何とか構えると、敵は面白そうに笑って足を止めた。

 

「雑魚の割には戦い慣れているな。今のは及第点の動きだった。死ななかったのは褒めてやろう」

「あくまでテスト気分かよ」

 

 睨みつけたつもりだったが、奴はむしろ余計に楽しそうだった。本当に腹が立つ。

 

「それだけに、惜しいな」

「何がだ」

「貴様にフェバルほどの才能があれば、オレも本気で戦いを愉しめただろうに」

 

 お前には力が足りないと。あからさまに言われてしまったことが悔しかった。

 そしてわかった。こいつは戦闘者だ。どうしようもないバトルジャンキーだ。

 おそらくは、フェバルになってからずっと相手に飢えている。

 

「その目。まだ諦めるつもりはないようだな。最期まで足掻いてみろ」

 

 敵を睨みつつ、ユイに声をかけておく。

 

『悪い。無茶させた』

『よかった……死ぬかと思ったんだから』

 

 本来、こちら側の世界に何かをするのはユイにとっては大変なはずだ。最悪気を失ってしまうほどのダメージになる。

 

『トレヴァークで助かったね』

『ああ』

 

 魔法がない世界でよかった。さっきの攻撃に少しでも魔力が乗っていたら、《ディートレス》では防げない。俺の肉体は容易くミンチになっていただろう。

 だがそれでもダメージは大きい。対して相手はほぼ無傷。あまりに厳しい勝負だ。

 それにしても、あの馬鹿みたいなパワーで叩きつけられて、よく無事で済ん――。

 

 ――ああ。そうか。そういうことか!

 

『どうする? 絶対にそうしたくないのはわかるけど……いざとなったらあなただけでも逃げて』

『そうだな……。でも大丈夫。攻略法が見えた』

 

 今のあいつにだけ通じる攻略法が。

 

『本当なの?』

『うん。もう少し戦えばはっきりするはずだ』

 

 おそらく時間の勝負だ。

 でもこのままでは一分と持たず死ぬ。

 気剣を出せれば。まだ。

 ……通じるかわからないけど、試してみる価値はあるか。

 今にも殺しに向かって来ようとしている相手に、制止をかけた。

 

「どうせなら全力を出したい。少しだけ待ってくれないか?」

「ほう。まだ何かあるのか。せいぜいやってみろ。無駄だと思うがな」

 

 言ってみるもんだ。

 ほらね。やっぱり余裕があり過ぎるだろう。

 利用できるものは何でもするさ。お前たちに負けないためなら。

 ダメージのせいで切れていた《マインドバースト》を、再び念じてかけ直す。

 そして、魔法気剣を右手に創り出した。

 なまくらモードの雷の気剣だ。操られている相手を直接斬るわけにはいかない。これでショックを与えにいく。

 ぱっと見一人で気と剣を使っていることに対する驚きは、奴にはない。フェバルを始めとして、一部に例外があることをおそらく知っているからだ。

 

「なるほど。それが奥の手か」

「お前には負けない」

「そうかそうか。意気込み悪いようだがな――オレもまだこんなものではないぞ」

 

 さらに奴の力が高まり、肉が膨れ上がる。もはや元の人物がどうであったのかわからなくなりそうなレベルだ。

 凄まじい《剛体術》。

 力の差はますます開いた。ただでさえ厳しい状況が、さらに勝ち目がなくなったように思える。

 でもこれでいい。もっと力を出してこい。

 戦いは力がすべてじゃないということを見せてやる。



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140「ユウ VS ヴィッターヴァイツ(被支配体) 3」

『気を付けて。今度は魔力も乗ってるよ』

 

 俺には魔力が見えないけれど、ユイが教えてくれた。

 トレヴァークは魔力許容性が低いが、皆無ではない。

 ユイから借りて使っている俺に対して、さすがフェバルだ。敵は自前で魔力も纏えるのか。

《ディートレス》で防げなくなった。今度こそこのまま直撃を食らうとまずい。

 形勢はこちらが不利だと、向こうも思っているだろう。奴は自信に満ちた顔で迫り、圧力をかけてくる。

 普通の人間にはとても出せない、恐るべきオーラだ。まともにぶつかれば肉片と化す。

 でも俺の予想が正しければ――。

 継戦能力を高めるため、《マインドバースト》はあえて弱めに抑えてある。おかげであと十数分くらいなら保つだろうけど、攻撃を避けるのは難しくなった。

 俺の力が尽きるか、一発もらうのが先か。それとも。

 根比べといこうじゃないか。

 出す力を落とした分、一撃をかわすだけでも確実ではなく、神経を削らなければならない。気剣のリーチが生み出すコンマ数秒の猶予が、辛うじて身をかわす余地を作り出している。だがあまりに速い拳を100%見切ることは不可能で、どうしても勘に頼る必要が生じる。勘が外れたときに勝負は終わる。

 時折拳がすれすれを通り、拳圧で肌が切れた。ただでさえ痛いのにさらなる痛みが走るが、致命傷となる攻撃だけはどうにかかわす。

 刻一刻と小さなダメージを刻んでいく俺と、まったく無傷の敵。

 徐々に詰みに向かっているが、こちらがまだ何かを狙っているのは奴もわかっているだろう。だが精々魔法気剣による逆転の一発を狙っているとしか思っていないはずだ。

 そして、どんな攻撃が来ても自慢の《剛体術》で防げると思っている。だからこその余裕だ。

 

「どうした。ダメージが大きいのか。動きが落ちているぞ」

 

 こんな台詞が出て来るのが証拠だ。

 見た目にもひどいダメージを受けていることは、敵を錯覚させるのに役立った。

 わざと抑えていることには気づいていない。

 普段俺のような雑魚の力の大小なんて、ほとんど気にしたことはないだろう。1の力と2の力の差など100万の前には無視できるもので、普通は一撃で決着がついてしまうからだ。

 そこもお前たちの隙だ。利用させてもらう。

 だけど、さすがにきつい。

 まだか。まだなのか。

 防戦に徹していれば、一撃あたりの賭けの分は良くなる。が、勝率は1ではない。繰り返し攻撃を受ければ、いずれ必ず賭けに負けるときがくる。

 ついに肌をかすめた。

 脇の肉が千切れ、血しぶきが上がり、俺は大きくよろめいた。

 

『ユウ!』

 

 ――――!

 

 気付けば、目前に拳が迫っていた。

 もう避けられない。

 覚悟を決めて、正面から受け止める。

 

 

「なに……?」

 

 

 奴は、勝ったと思っただろう。殺したと思っただろう。

 

 一思いに頭を叩き潰すつもりで放ったに違いない渾身の拳は。

 

 俺の顔面、肌一枚のところで止まっていた。

 

「……やっとか」

 

 間に合った。

 そこで、奴もとうとう違和感に気付いたらしい。

 あれだけ終始余裕だったのに、ほんの一瞬でも焦りの色が見えた。

 

「時間切れだ」

 

《マインドバースト》

 

 一転攻勢をかける。

 今まで抑えていた分を、一気に爆発させた。瞬間、倍以上にも膨れ上がった気力に、奴はもう対応できない。

 さあ、雷の気剣。今こそ力を発揮するときだ。

 

《デルスタンレイズ》

 

 雷撃の力と、気力を合わせて。強烈なスタン攻撃を叩き込む。

 

「ぐおおっ!」

 

 よし。効いている。思った通りだ。奴の《剛体術》を上回った。

 通常の《スタンレイズ》を打ち込んでも、ダメージを受けるのは被害者の意識だ。奴の精神にショックを与えることはできない。

 だけど、電気の力で肉体そのものを痺れさせるならば。

 奴の意志には関係ない。強制的に動きを止められる。

 

 そして。

 

 足を踏み込む。力を溜める。

 手は片方しか使えないけれど。足なら二つとも健在だ。

 避けられないことを悟り、敵は気力を高めて防ごうとする。

 無駄だ。

 いくら力を高めようとしても、今のお前ではもう俺の攻撃は防げない。

 

《気裂脚》

 

 筋肉で膨れ上がった図体に、深々と蹴りがめり込んだ。

 血を吐き。吹き飛ぶ。何度も床をバウンドして、部屋の壁を何枚か貫通したところで止まった。

 被害者の身体には申し訳ないなと思うくらいの手ごたえはあった。おそらく死なないぎりぎりのところだ。手当の仕方が悪いと本当に死んでしまうかもしれない。

 これを受けて立ち上がるようなら、もう無理だ。

 警戒を解かずに、穴の開いた壁を通って倒れている敵の元へ歩いていく。

 

『やったね。こんな狙いがあったなんて』

『ぎりぎりだった。上手くいったよ』

 

 気付いたきっかけは、床に叩きつけられたことだった。

 最初、お前が壁を砕いて飛ばしたとき。

 そうだ。分厚いコンクリートの壁を千切り、猛スピードで砕き飛ばすほどの力があった。

 そんな馬鹿みたいな力で殴られて、俺の身体が丸々残っているのはおかしい。あそこで死んでいてもおかしくなかった。

 なのに怪我はしても、命は無事だった。妙だ。

 考えてみれば簡単なことだった。

 いくらチート能力で補強しようとも。お前が操っているのが元々普通の人間である限り、限界がある。

 本来の性能を超えて無理に力を引き出していたのだろう。いつまでもパワーが保つはずがない。

 なのに、まるで自分の身体のように、支配した相手の調子と相談せずに使ってしまった。

 しかも自らの優位を示すために、途中で無理なパワーアップまでさせてしまった。

 俺には見えていた。見た目こそ立派になったけれど、最初のときほど力の充実はなかったよ。

 そこまでわかっていれば、ただ耐えるだけでよかった。お前は力で圧倒しながら、止めを刺す前にリソースが尽きてしまったんだ。

 戦闘者らしくないミスだったな。

 これは予想になるけれど、たぶんお前は本当の普通の人に自分という怪物エンジンを載せて動かしたことがない。普段はもっと有能な駒に対して同じことをしていたんだろう。

 ラナソールとトレヴァーク。二つの世界がお前の思うようにさせなかった。

 だから慣れないことをするしかなかった。あまりにスペックの違う身体の調子までは、正確に把握できなかったというわけだ。

 

 敵は大の字で横たわっていた。まだ息はしているようだ。

 俺の足音に気付いた奴は、急に高笑いを始めた。

 

「くっくっく。はっはっはっは!」

 

 笑い声を聞いていると、癇に障って仕方がなかった。何がそんなに可笑しいんだ。

 そして奴は、ゆっくりと身体を起こした。立ち上がったことに俺は驚いた。

 だけど、全身血に塗れていて、傷だらけだ。常にふらついている。明らかに戦える状態じゃない。

 本来起こして良い状態じゃない身体を、無理に起こしている。止めないと命に関わるぞ。

 

「貴様のことを少々見くびっていたぞ。思ったよりやるではないか。あくまで雑魚の範疇ではあるがな」

 

 雑魚の範疇の部分はシカトして、降参を促した。

 やめろ。これ以上動かそうとするな。

 

「無理やり起こしても、その身体じゃもう勝てないぞ」

「おいおい。何をそんなに焦っているのだ」

 

 下卑た笑みを浮かべる。こちらの心情を見透かされているような気がして、ぞっとした。

 

「まだ戦い足りんなあ」

「やめろ。それ以上動くな!」

「勝負は終わっていないぞ。なあ」

 

 動くたび、濁った血が滴り落ちている。

 皮膚が爛れて、手の先から溶け出したのを目にしたとき、俺はぎょっとした。

 

「おや。手が取れそうだな」

「何やってるんだお前っ! もう動くな! 今すぐ支配を止めろ!」

「そうかそうか。特別製とはいえ、元はただのゴミ屑だ。それはもたんよなあ」

 

 なんて奴だ。パワーどころか、肉体も保たないのをわかっていて、わざとやっていたんだ!

 勝負は着いたのに、今度はその身体を人質に取ろうって言うのか!

 奴は、歪んだ性根をそのまま表したような顔で言った。

 

「一つ、思い上がりを正してやろう」

「何をだ!」

「上手くしてやったつもりだろうが、そもそもこんな身体などどうでもよい。最初からいい加減に使っていたさ。いくらでも代わりはある」

「お前……! この野郎! ふざけるなよ!」

 

 人を使い捨てみたいに! その人は、その人だって本当は! こんなことなんてしたくなかったはずだ!

 すると、奴は憮然とした表情になった。

 

「それは貴様の方だ。生意気を言うんじゃないぞ。小僧」

 

 空気が震えた。身を貫くような、明確な殺意を感じる。

 だがこちらの怒りが上回っていた。俺は少しも怯むことはなかった。

 

「やめろ! こんなことはもうやめろ!」

 

 叫びながら、無力だった。こいつの【支配】をどうにかする方法が浮かばない。

 

 

 ――あのときも。そうだった。

 

 

「オレが――このヴィッターヴァイツが、貴様の言うことなど聞くと思うのか?」

 

 ヴィッターヴァイツ。

 

 名を聞いた途端、血が沸騰しそうだった。何も考えられなくなりそうだった。

 

 お前が。お前がッ!

 

 ――まだ、こんなことをしているのか。

 

「貴様、フェバルというものを甘く見ているな。上手くすれば戦いになるなどと。おこがましい」

 

 ヴィッターヴァイツは、不機嫌を隠さずに続けた。

 

「オレと貴様では、そもそもの気力が違う。魔力が違う。レベルが違う」

「だからどうした!」

 

 そんなことはわかっている!

 

「身の程という奴を知らん貴様に教えてやろう。フェバルの力をな」

 

 そして奴は、これまでで一番の悪意ある笑みを見せた。

 

「時に貴様。友達はいるか?」

 

 こんなときに聞くような質問じゃない。

 悪意が指し示すことに思い至り、悪寒がした。

 

「ほう。動揺を見せたな」

「お前……何をするつもりだ……?」

 

 口の中がカラカラだった。

 その先を聞くのが恐ろしい。

 人がこんな意地の悪い笑みを浮かべるとき、ろくなことにならないのを知っている。

 そして、その通りになった。

 

 なんだ……?

 こいつの気力が、恐るべき勢いで膨れ上がって――!?

 被害者の肉体に異変が現れた。

 手先の皮膚の爛れは、全身へ広がろうとしていた。肌の色は赤黒くなる。表面がぶくぶくと沸騰したように泡立ち、肉体から、エネルギーの塊というべきものへ変質していく。

 時が止まったと錯覚するほどの寒気を覚えた。

 トレヴァークで……こんなエネルギー規模が……。

 これがフェバルなのか。なんて、ことだ……。

 

「ふむ。やはり上手く力が出せんな」

 

 これで上手く力が出せないだって?

 やめてくれ。こんな力が弾けたら――!

 

「お前……お前……なにしようとしてんだよ……」

「見ればわかるだろう。人をエネルギーへ変換しているだけのことだ」

「お、まえ……!」

「オレが少しその気になればな。この町一つ消し飛ばすには十分な威力だ」

「ふざけるなぁ!」

 

 激情に駆られ、胸倉を掴んで揺さぶっていた。無駄だとわかっていても、止めることができない。

 既に人間エネルギー爆弾へと変質しつつある奴の身体は高熱になっており、触れた手は火傷したが、そんなことも気にならなかった。

 

「止めろぉーーー! 今すぐ止めろよ! おいッ!」

「言ったはずだぞ。オレが貴様の言うことを聞くと思うのか?」

「止めろよっ! そうしないと!」

「どうするのだ。何もできんよ。貴様ごときでは」

 

 冷や水をぶつけられたような気分だった。

 俺は、何なんだ。これは、何なんだ。

 守れると思っていた。心のどこかで何とかなると思っていた。

 今までもそうだったんだ。

 現状にばかり甘えなかった。ずっと力を高めてきた。いつかこんなときが来ると。最善を尽くしていたつもりだった。

 少しは頼りにされるようになった。この手に掬えるものが増えてきた。

 なのに。足りないのか。

 こんなものなのか。フェバルがほんの少し悪意を加えれば、本気を出せば、これほど簡単に蔑ろにされてしまうものなのか。

 

「そうだな。別に逃げてもいいんだぞ。だが、貴様のお友達とやらはどうなるかな? はっはっは!」

「うあああああーーーーっ!」

 

 奴を揺さぶりながら、叫んだ。泣きそうだった。

 

 シズハ……! みんな……!

 

 シズハには、逃げろと言った。

 何も意味がなかった。町一つ消し飛んでしまうんだ。意味がなかった。甘過ぎた。

 何も知らずに、みんな死んでいくのか……?

 俺だけは、逃げようと思ったら逃げられる。ラナソールに。

 どうして。俺だけなんだ……! どうして……!

 

「じゃあな。ほんの少し楽しめたぞ」

 

 ああ。もうすぐ。爆発してしまう。

 

 本当に、どうにもならないのか。

 

 ――いや。一つだけ、ある。

 

 爆発する前に、殺すんだ。この人を。跡形もなく。消す。

 

 もう、そうするしか。殺すしか。消すしか。

 

 ――あのとき、できなくて後悔したんだ。

 

 だから。手遅れになる前に。この手で。

 

 ――こいつを。

 

 力が、足りない。

 

『ユウ! やめて!』

 

 ダメだ。もう時間がない。

 

『それに触れちゃダメ! お願いだから!』

 

 邪魔をするな。

 

『待って! わかったの! あいつを止める方法がわかったの!』

 

 なに……?

 

 後ろから、思い切り抱き着かれていた。

 冷たくなりかけていた心に、温かいものが流れ込んでくる。

 同時に、そのやり方も伝わってきた。

 

『ユイ……』

『よかった……。もうちょっとでおかしくなっちゃうところだったんだよ?』

 

 黒い力は、すぐ目と鼻の先にまで迫っていた。

 危ないところだった。あいつの名前を聞いてから、余計に心がざわついて。

 絶望に囚われるところだった。ユイが希望を見つけてくれた。

 また君を泣かせちゃったな。ダメだな。俺は。

 

『ごめん。ありがとう』

『ううん。もう時間がないから。一緒に決めよう!』

『ああ!』

 

 

 

「ん? なんだ。その目は」

「お前には、負けない。俺たちは、負けない」

 

 掌をその人の胸に当てる。

 

 俺一人じゃ無理だった。わからなかった。

 ユイ。君が気付いてくれたおかげだ。助かった。

 

 俺には、心を繋ぐ力がある。

 

 それは、無理やり使えるものじゃない。

 人の心を繋げることは難しい。心を通わせて、初めて繋ぐことができる。

 ならば。逆ならどうだろうか。

 無理に繋げられている人の心を切り離すことは、容易い。

 もう目の前のこの人は傷付けない。

 ダメージを与えるのは、お前本体の精神だ。

 届け!

 

《マインドディスコネクター》!

 

 衝撃が突き抜ける。物質的な衝撃ではなく、精神的な波動だ。

 それは確かに、奥に潜むヴィッターヴァイツの、奴の心に届いていた。

 

『この、力は――! ぐ、支配が、きか……』

 

 一瞬だけ、奴の、ヴィッターヴァイツ本体の心に触れて。

 おおよその位置は掴んだ。

 そして、奴の声は聞こえなくなった。

 

 

 激闘が、嘘のように静かだった。

 

【支配】の被害を受けていた男性からは、もう熱が消えていた。

 ひどい火傷にひどい見た目だけど、俺が気力で治療すれば助かるだろう。

 一通りの応急処置を済ませて。

 今度、治療が必要なのは俺の方だった。

 でも、もう動けない。やり切った。

 その場に倒れ込んだ。

 

『お疲れ様』

『……助かったんだな』

『そうだよ。助かったんだよ』

 

 ――そうか。助けられたんだ。

 

 こんな簡単なことで。助けられたんだ。

 

 もっと早く、気付いていれば。みんな助かったんだ。

 

 あのときも。

 

『……ユウ。どうして泣いてるの?』

『わからない。どうしてだろう。わからないんだ……』

 

 本当に、わからない。

 ただ。

 ずっと遠い遠い、いつかどこかで。

 助けられなかった俺がいる。

 そんな気がした。



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141「ヴィッターヴァイツ、次なる手を考える」

 世界に開いた「綻び」から手を引いたヴィッターヴァイツは、不機嫌に顔をしかめていた。

 己の肉体にこそ異常はないが、【支配】による精神接続を強引に切断され、精神には多少なりともダメージを負った。頭に鈍い痛みが続いている。

 

「よもやこのオレが一杯食わされるとは」

 

【支配】が効かなかったことならば幾度もある。しかし、一度かけた能力を強制的にキャンセルされることがあるなどとは思わなかった。

 普通に考えれば不可能だ。あの小僧にも何か能力があり、それを使ったか。

 

「小僧。やってくれたな」

 

【支配】していた人間がただの使い捨てであることを最大限に利用され。力を見せつけてやろうとしたら、逆に意地を示された。

 本体である自分からすれば、依然吹けば飛ぶ程度の雑魚であることに変わりはないが。

 若干、評価には上方修正を加えざるを得ない。名乗っても良い程度には愉しめた。

 しかし、生意気な口を叩き、舐めた真似をしてくれたことに変わりはない。

 悦びが少々。興味関心が少し。不満と憤りが大半といったところだった。

 

「む。大きな反応が二つ。こちらに向かっているな」

 

 どうやら、小僧が自分に触れた一瞬で、おおよその位置を掴んだらしい。

 少々まずいことになった。

 名乗ったとしても、あの場で殺すつもりだった。みすみす生かしてしまった上に、他の超越者どもに存在が露呈してしまった。

 一人はレンクス。もう一人はジルフとかいう奴だ。

 この場に留まれば、二対一になる。戦って戦れないことはないだろうが、さしもの自分でも楽な戦いにはならないだろうと彼は思った。

 それに、戦う意味がないことを彼は知っている。

 二対一であったとしても、負けるなどとは微塵も思っていないが。

 仮に殺すことに成功したとして、フェバルであればまたラナソールのどこかで蘇るだけだ。邪魔者の排除はできない。殺さずに無力化して縛り上げるなどということは、さすがに厳しい。

 不本意であるが、ここは身を引くのが賢明だろう。

 

「時間がない。この穴はもう使えんか」

 

 今後、この場所には監視が入ることになるに違いない。

 現状、【支配】は世界の穴を通じてでしか使用することができない。やりたいことは多かったが、トレヴァークへの干渉は一旦お預けとなる。

 もっとも、「綻び」は予想以上のペースで広がりつつある。待っていれば、いずれ別の場所にも穴が開くはずだ。そのときに隙を見て、先んずればよいだろう。

 

「舐めてくれたものだ。この世界も、あの小僧も、いつだかの赤髪の小娘も」

 

 このところ、思うようにいかないことが妙に多い。何かに邪魔をされているような気分だ。

 オレを誰だと思っているのか。舐めているとしか思えない事案が多過ぎる。

 

「そうだな。ただ引くのもいいが……どうせバレてしまった。少しばかり、ちょっかいをかけてみるのもよいか」

 

 あの小僧に、挨拶をしてやってもよいかもしれん――オレなりのな。

 

 それに、悪いことばかりではない。今後の警戒を招いてしまったことと引き換えに、重要な情報を得た。

 ディスクには中々面白いことが書いてあった。

 

 やはり、ラナソール創世のカギを握るのはラナという女。

 

 そして、やはり絵を描いている者がいた。ようやく掴んだ。

 トレインという名の――おそらくはフェバルか何かだ。

 奴はどこかに潜んで、今も絶大な影響力を及ぼしている。

 そうでなければ、ラナソールは成立し得ないからだ。

 

 彼の方針は明快で、もう決まっていた。

 順序がある。

 まずはラナを始末することだ。世界の要石であるあの女を消すことで、ラナソールは一気に崩壊する。崩壊してしまえば、自由と力が戻る。

 そうなれば、次はトレインだ。これを必ず見つけ出し、御礼参りをしてくれよう。

 

 あの小僧が何らの情報も得られぬよう、ディスクは戦いの最中に砕いておいた。世界の真相に一歩先んずるのは、このオレだ。

 ラナソールを壊すとしか言わなかった。あの小僧どもが情報を得られない限り、オレの真の狙いは読めん。

 それにもしかすると――情報を得たとして、オレと似たような結論になるかもしれん。どの道ラナソールを破壊しない限り、自由はない。奴ら同士でも、意見は割れるかもしれんな。

 動けば詰み。待てばいずれ詰み。

 既にハッピーエンドは失われている。

 今後、間違いなく一波乱も二波乱もあるだろう。ダイラー星系列も必ず絡んでくる。確信した。

 大きな混乱と戦いが待っている。

 勝者が世界の行く末を決める。

 これはゲームだ。プレイヤーは己を含む超越者。哀れな駒は、あの小僧や何も知らぬ二つの世界の屑ども。

 面白くなりそうだ。ラナクリムなどより、よほど面白い。

 ヴィッターヴァイツは、自然とほく笑んでいた。すぐにワープクリスタルを使い、何らの痕跡も残さず消えた。

 やはり、夢想のアイテムは素晴らしいものだ。それが夢想であるから、素晴らしい。

 

 

 そして。

 

 ほんの少しだけ遅れてやってきたレンクスとジルフは、自分たちが一手遅れたことを知り、悔しがった。



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142「アルトサイダーの臨時会議」

 アルトサイド『シェルター002』――

 

 トレインソフトウェア襲撃事件を受けて、臨時会議が始まった。

 ゾルーダは、すこぶる機嫌が良かった。

 理由は二つあった。

 一つは、新たな仲間としてクガ ダイゴ――『ヴェスペラント』フウガを、偶然にも加えることができたこと。不確実要素の一つであった彼が、話してみれば、仲間に迎え入れる相応しい『資質』の持ち主であったということだ。

 ラナソールをはっきりと認知していて、現実に不満を持ち、夢想の姿で自由に生きることを望んでいる。申し分ない逸材だ。

 彼は、早速仲間たちにダイゴを紹介した。

 

「フウガが、こんな冴えない男だったとはね」

 

 モココが目を細める。自身も今でこそ夢想の通りの可愛らしい姿であるが、かつてはその辺にいる妙齢の女性だったのだ。

 

「言ってやるな。俺たちだって似たようなもんだっただろ?」

 

 カッシードが、宥めるようにウインクして言った。迷える者へは理解者のスタンスでいたいようだ。

 

「まだ……夢なんじゃねえかと思うわけだが……」

 

 いつもなら「冴えない」などと馬鹿にされれば、内心では憤るところなのだが、今のダイゴは借りてきた猫のように大人しい。

 常識の殻から抜け出せないでいるダイゴは、未だ混乱の最中にあった。ふらふらと誘われるままやってきた小虫と何も変わらない。誘うものが身を焦がす火なのか、導く光であるのか、わからないままに流されている。

 

「夢みたいだけど、夢じゃないよ。最初は驚くかもしれないけどね。よろしく。フウガ」

 

 容姿は少年然としたクリフが、人当たりの良い笑みを浮かべて手を差し出す。あえてダイゴではなく、フウガと呼んだ。

 いっぱしの社会人として、とりあえず手を差し出されば、おずおずと受けるダイゴであった。

 パチパチパチ、とゾルーダが陽気な気分で拍手をする。周りの全員も、まばらながらも拍手に付き合った。

 

「素晴らしい。実によき日だ。僕たちにまた一人仲間が加わった。みんな、フウガをよろしく頼むよ」

「はあ……どうも」

 

 あの惨劇の場所に一秒も長くいたくなかったこともあり、つい誘いの手を取って、流れでよくわからないところまで付いてきてしまったダイゴであるが。

 ここに来て、いまいち気分が乗らない。ファンタジックな面々の前で一人だけガチガチのサラリーマンスタイルなので、必然的に浮いてしまって、疎外感を拭い去れないでいた。

 所在なさそうにしているのは誰にとっても明らかで、あまりに覇気のない立ち姿に、同情する者とがっかりする者と、それぞれの反応を示した。

 

「まったく。見てられないぜ。これがあの『ヴェスペラント』フウガ様だって? しゃきっとしてくれよ」

 

 ラナクリム、およびラナソールでのフウガの伝説をよく知っている撲殺フラネイルからすると、今のダイゴの状態は中々に失望させられるものである。嘆かわしい気分を隠さずに言った。

 

「そうね……。話し合いの前にさっさとあれ、やっちゃいましょうよ。二体接続☆ミ」

 

 パコ☆パコが提案する。自身が作戦に助力した今回の会合は、さすがにだるいとは言わずに参加していた。

 

「うんうん。それがいいっすよ。一人だけただの人じゃ、かわいそうっすからね」

 

『ガーム海域の魔女』クレミアも同意して、にたにたと意地の悪そうに笑う。

 

「なんだよ。二体接続ってのは……?」

「案ずることはない。貴様がフウガとしての力を得るために必要な――まあ儀式のようなものだ」

 

 比較的最近にそれを経験したことのあるオウンデウスは、何かされるのかと不安を抱えるダイゴの肩を叩いた。

 ゾルーダが頷いて、ダイゴへ歩み寄る。

 

「僕がやろう。目を瞑ってくれ」

「はあ」

 

 促されるまま、判然としないながら、ダイゴは目を瞑った。

 彼の頭に、ゾルーダの手が乗せられる。

 

「もう一人の自分を意識して」

 

 ダイゴには、直接心に話しかけられているように感じられた。

 

「どうだい。感じるかい?」

 

『ヴェスペラント』フウガ。もう一人の自分。意識すれば、この奇妙な薄暗い世界においては、彼がより一層近しい存在に感じられた。手を伸ばせば、掴めそうに感じた。

 

「――彼のような、力が欲しいか」

 

 ――ああ。

 

「――彼のような、自由が欲しいか」

 

 ――欲しいさ。俺の心はずっとそれを願って。馬鹿馬鹿しいと投げ捨ててきた。

 

 ダイゴの内心の返答に、ゾルーダは深く頷いた。彼は理解者だった。

 そして告げる。

 

「ならば汝、ここ、アルトサイドの下に。夢想なる身と現身が、今、交わらん――接」

 

 瞬間――ダイゴの、彼の肉体に、凄まじいエネルギーが満ち溢れて、吹き出してきた。

 全身が無理やりに造り変えられるような感覚が、彼の身を襲う。

 

「うっ、おおおおおおおおーーーーーーっ!」

 

 痛みはあるが。驚きと感動で、たまらず雄叫びを上げる。

 彼の満身に、力が漲る。奥底で燻ぶらせていた猛き心が、吹き上がってきた。歪んでひねくれた感情は、強い自信となって湧き溢れてきた。

 

 そうだ――これが俺のやり方だった。俺は――フウガだ。

 

「……どうっすか?」

「……はっはっは。気分がいい。実に気分がいいぜ。なるほど。これが二体接続ってやつかぁ!」

 

 握り拳を作り、腕を一振るいして。跳ね上がったパワーの程を確かめて。

 ダイゴは、人が変わったかのように高笑いを上げていた。

 実際、変わったのだろう。

 容姿こそ生身そのままであるが、まるで先ほどまでと同じ人物とは思えないほど、覇気に満ちていた。

 さすがにラナソールほどのパワーは感じられないものの、全員がよく知るフウガその人にほぼ近い立ち姿である。

 二体接続。その瞬間において、各自もあまりの感動と歓びにハシャがずにはいられなかったことを思い返しながら、一同は彼を眩しい目で見つめていた。

 

「おめでとう。これで君は、名実ともに僕たちの仲間になったわけだ」

 

 改めて差し出したゾルーダの手を、ダイゴは不敵な面構えで振り払った。

 

「おっと。確かに感謝しちゃあいるが、俺はただ自由にやりてえだけさ。仲良しごっこならごめんだぜ」

 

 ゾルーダは不機嫌になったわけでもなく、想定の範囲内と澄ました顔で返した。

 

「……なるほど。うちは各自の尊重がルールだ。君は既に力を得た。好きにするといい」

「話が早いと助かるぜ」

「調子いいなあ。おい」

「それでこそフウガだな」

 

 ブラウシュがやや呆れ気味に嗤い、オウンデウスも納得の顔で頷いた。

 

「でもきっと、聞けばあなたも協力したくなるわよ」

 

 モココが、今度は調子の良過ぎるダイゴに目を細めていた。ちょうど良い塩梅というわけにはいかないのかと、訝しんでいる。

 

「どういうわけだよ。おい」

「そうっすねえ。まず、そっちの身体じゃラナソールには行けないし、トレヴァークに戻るのは――生身持ちだから比較的簡単っすけどね。でも今の世界の状態じゃ、それほどの力なんて、とても維持できないっすよ。精々がちょっと強い人間止まりっすね」

「瓦を百枚割って喜びたいというのなら、そのままでもいいと思うけどな」

「するってえと、このパワーは。素晴らしい力があるのによぉ、こんなクソつまらねえだだっぴろいだけでなんにもねえ世界限定ってわけかよぉ?」

「……そういうことさ」

 

 ゾルーダが、全員の総意を締めくくって頷いた。

 

 なるほど。確かにそいつはつまらねえ。制約だらけの現実なんて、ロマンが足りないんじゃねえか。おい。

 そのときダイゴは、フウガを通じて、ゾルーダが彼に頼んでいたことを思い出した。

 

「おーそうかい。それで、てめえらの良からぬ作戦ってわけかよ!」

「ああ。君にも協力してもらえると助かるな」

 

 ゾルーダは、悪巧みな笑みをあからさまにしていた。

 

「一暴れできるんだろうな?」

「保証しよう」

「いいだろう。乗ってやる」

 

 力を引き出してもらった恩もあり、ダイゴはダイゴのままであるということもあり。オリジナルのフウガそのままならもう少し厄介なところ、素直に手を貸すことにしたのだった。

 

 そして、本題の作戦会議が始まった。

 

「まず、ブラウシュ、パコ☆パコ、撲殺フラネイル。あの男――ヴィッターヴァイツとやらの動向を上手いこと誘導してくれたこと、本当に感謝する。おかげで実に楽しみな展開になってきた」

「いいってことさ。さすがに緊張はしたけどな」

「これくらい。ゾルーダに受けた恩に比べれば」

「冷や冷やしたけど、何とかやったぜ」

 

 ブラウシュにとっては、数百年前、ナイトメアに追い詰められかけたとき以来の大変なミッションだった。パコ☆パコと撲殺フラネイルにとっては、初めての緊張感だった。

 アルトサイダーの存在を決して悟られないように、与えるべき適切な情報を散りばめて渡し、敵はラナ教とトレインソフトウェアにありと思わせること。それが三人のミッションだったのだ。

 ヴィッターヴァイツが彼らの希望通りに勝手に動いてくれること。ゾルーダの機嫌が良いもう一つの理由はそれだった。

 

「こっちで見てたけど、たった一人でいとも簡単にレッドドルーザーの部隊を潰してしまうなんてねえ……」

「しかもあれでまだ全力じゃないような節だったぞ……」

「ありゃもしかすると、マジで『剣神』よりまだ上かもしれないっすねえ。とんでもないのがいたもんっすよ」

 

 真なる(トゥルー)アルトサイダーであるモココとカッシード、そしてクレミアは、高見の見物といくしかなかったが。ヴィッターヴァイツなる者の恐るべき実力をまざまざと見せつけられて、穏やかでない気持ちも喜びと半々だった。

 

「賢明だったよな。下手に接触なんかしなくてよ」

「ナイス判断でした。ゾルーダさん」

 

 しみじみと振り返るブラウシュと、素直に称賛するクリフに、ゾルーダは謙遜して肩をすくめる。

 

「みんなの協力があればこそだよ」

「でも、よくあんなのを操ろうなんて思ったわね」

「長年の勘だ。実際、僕たちが与えた情報は……こっそり置いてきたディスクも含めて、嘘は何一つない」

 

 情報に都合の良い嘘を交えていては、騙せない相手だろうという確信はあった。多少の脚色はしたものの――真実で塗り固めた。ディスクについては、彼らも長年かけて調査してきた「世界の成り立ち」を、わかっている範囲で惜しげもなく封じておいた。

 奴自身の思惑がそもそもラナソールを潰すことにあると睨んだからこそ、リスクを取って作戦行動に移せたわけだ。

 

「これであの男は……次のターゲットを狙い定めてくれたことだろう」

「そこへ乗じてってわけっすね」

 

 トレヴァークにおける致命的な戦力不足は、あのヴィッターヴァイツという男の参加によって解消される。彼が暴れているところへ、上手く重ねてやればより効果的だ。

 

「タイミングが重要だ。Xデーは、あの男が再び動くとき。僕たちも動くぞ」

 

 全員が頷き合った。

 

「引き続き注視を頼むよ。ブラウシュ」

「任されたぜ」

 

 

 

 次の日、クガ ダイゴは休職願を提出した。いっそ退職届でも投げつけようかと彼は思ったが、やはりダイゴはダイゴ。『ヴェスペラント』にはなり切れないものらしい。

 

 それが大きな終わりの始まり、その兆候であると気付けた者は、もちろん誰もいなかった。



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143「ユウ、ディスクを入手する」

 疲れ果てていた。もう動きたくなかったけれど、タラタラくたばっていると、じきにレッドドルーザーがやってくる。あちこちが滅茶苦茶な状況で、言い訳をできる自信はなかった。

 骨折と内臓の損傷を治し、おかげで気力はほとんど尽きてしまったけれど、どうにか身体を起こす。

 逃げる前にやることがある。

 ヴィッターヴァイツが操っていた可哀想な被害者を見つめた。今は俺が治療して横たわっている。

 一命こそとりとめたものの、肉体を構成するタンパク質が熱変性した部分までを元に戻すことは無理だった。

 髪は抜け落ちて、肌は爛れて変色し。容姿は一目醜悪なものになってしまった。損傷がひどい右目は、視力を失ってしまったかもしれない。

 事件の濡れ衣も着せられてしまうだろう。濡れ衣の方は、エインアークスを通じて最大限働きかけてみようとは思うけど……。すべてが元には戻らない。

 サラリーマンと言っていた。仕事も間違いなくクビになるだろう。家族がいれば、殺されてしまっている可能性が高い。よりによって、操られた彼自身の手で。

 彼の今後を考えると、助けてしまってよかったのか。心苦しくなる。

 そして、こんなひどい真似を平気でしでかしたヴィッターヴァイツに対して、改めて静かな怒りが沸き上がるのだった。

 ……俺の判断で、俺のエゴで助けた。だから最後までは無理でも、見られるところまでは面倒を見よう。

 身柄の安全を確保するため、彼は俺が連れ帰り、エインアークスの息がかかった病院へと送ることにする。

 あとの人間は、社員か関係者だ。駆けつけてくる人たちに任せれば大丈夫だろう。

 

 律儀に階段を下りる時間が惜しかった。

 被害者を背負った俺は、戦いで開いた壁の穴から飛び出した。壁を蹴って落下速度を殺しつつ、数十階分を飛び降りる。

 地面に着いたら、ディース=クライツを『心の世界』から取り出して、とんずらを図る。

 途中でシズハから連絡が入り、トラブルの少ない逃走経路を示してくれたので助かった。

 滞在先のホテルへ戻り、彼女と合流した。

 

「助かったよ。シズハ」

「見てた。大変なこと、なったな……」

 

 俺の背負っている人物のひどい容態を目の当たりにして、彼女の瞳が悲しげに揺れた。

 

「そいつ、大丈夫か……?」

「きちんとしたところで治療してあげないとダメだ。悪いけど、病院の手配を頼めないか?」

「わかった。お安い御用」

 

 てきぱきと動き始めるシズハを、頼もしく眺める。

 さて、病院の迎えが来る前に確かめないと。

 ダメ元で被害者の懐を調べてみる。この身体が、あのディスクを持っているはずで――。

 

 くそ。やっぱりダメか。

 

 元の形状がディスクであると知らないと判別が付かないほど、粉々に砕かれている。これでは情報を得ることなんてとても……。

 

『大丈夫だよ』

 

 ユイがなんてことないように、温かく励ますような調子で言った。

 

『何が大丈夫なんだ。見てわかる通り、ディスクがこれじゃ……』

『ううん。ヴィッターヴァイツって奴、調子に乗って砕ける前のそれを見せびらかしてくれたでしょ』

『……あ、そうか!』

『そういうこと』

 

 本当に疲れているらしい。単純な発想をすっかり見落としていた。

 そうだよ。奴は不用意にも見せびらかした。

 俺の能力が完全記憶能力でもあることを知らなかったのが、奴にとっての不幸で、俺たちにとっての幸いだった。

 ディスクというものは、記録層に微細な凹凸を付けることで、データを記録している。この世界においても、ディスクの構造は地球と同一だった。

 どんな微細なものであっても、俺たちなら、一度見たものは鮮明に覚えている。たとえそれが凸凹の一つ一つであったとしてもだ。

『心の世界』に記録されているものを、ユイの魔法で再現するのは容易だった。

 

『というわけで、作ってみたよ。はい』

『ナイスだ。よくやってくれた! ユイ』

『あなたの努力を、無駄にはしたくなかったからね』

 

 その場に君がいたら、飛び付きたい気分だった。

 やられっ放しでいいところがなかったけど、一杯食わせてやったことに胸のすく思いがした。

 

 やったぞ。ディスク入手だ。

 

 すぐに解析班に依頼をして、内容を読み取ってもらうことにした。厳重なプロテクトがかけられていたが、彼ら裏仕事の者が本気でかかれば、時間の問題だった。

 目途が立つと、ようやく身体が睡眠を訴えてきた。

 疲れているのに気分が悪くて、あまり寝付けそうもないけど、とにかく仮眠をとる。

 

「……きろ、起きろ。ユウ」

「う…………シズハか」

 

 シズハが、ぺちぺちと軽く頬を叩いて起こしてくれた。起こしておいて、俺の調子が良くないのもわかっていて、浮かない顔をしている。

 

「もう少し寝かせた方、よかった、か?」

「いや、大丈夫だ。ありがとう」

 

 気遣いに感謝して、ゆっくりと身を起こす。とりあえずは動く。いくらか体力は回復したようだ。

 

「あの人は?」

 

 彼女は、澄まし顔で親指をピッと立てた。

 

「無事。送り届けておいた」

「そうか。よかった」

「それから。ディスク、解析……済んでいる」

「へえ。もう終わったのか」

 

 優秀な解析班は、俺が少し寝ている間に、もう仕事を終えていたらしい。それで、一刻も早く知りたいだろうと思って、シズハが起こしに来てくれたわけだ。

 もちろん内容はしっかり共有することにしよう。

 シルバリオを始めとして、一通り信頼のおけるメンバーに声をかけ、映像を通じた電話会議形式をとることにした。戦友のハルは当然として、あまり事情はわからないかもしれないけど、強く希望したリクにも付き合ってもらう。ラナソール組は、ユイを通じて情報連携する。

 

「トレインソフトウェアの、機密情報……モコが出るか。ムルが出るか」

 

 シズハは、期待半分、不安半分というところだった。

 俺も同じだ。果たして何が知れるのか。あのヴィッターヴァイツが得意になるほどの内容だ。外れはないと思うけど。

 

 ファイルが展開される。

 スクリーンに映し出された映像と文章は、ラナソールなる夢想の世界――その成立の謎に迫る内容だった。



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144「創世の秘密に迫る」

 元々社員か誰か、人に説明することを目的とした資料だったのだろうか。スライド形式で図と文字が展開されていく。

 

『我々、トレインソフトウェアの究極の理念はただ一つ。健全な企業活動を通じて、ラナソール――美しく素晴らしい彼方の世界を育み、守ることである。かの世界は、我々が夢想うとき、確かに実在する』

 

 ラナソールという世界の存在が、いきなり説明もなしに明言されていた。これで伝わる人がどれだけいるのだろう。実はかなり詳しい人向け――用途が限定されたものなのか?

 機密資料なのは間違いないし、そうかもしれない。少々引っかかるところはあったが、スライドはめくられる。

 

『言うまでもなく、我々の母体はラナ教会そのもの、とりわけ聖書「ラナクリム」出版会である。さらに源流を辿っていくならば、遥かなる時代、"創世の巫女"ラナ様の傍らに仕えし"始まりの敬虔なる信徒"にルーツを見出すことができるだろう』

 

”創世の巫女”ラナときたか。

 そのまま、つらつらと企業の歴史、成り立ちが説明されていく。

 長いので要約すると、トレインソフトウェアは、聖書「ラナクリム」を、時代に合わせた形にアップデートしようという動きの中で生まれた一文科会が、想定よりも「時代の流れに当たり」、母体を凌いで大きく成長した姿であるということだ。

 大まかな記述は、聖書「ラナクリム」における「創世の時代」からのものと概ね一致している。大きな違いは、一般的に普及している聖書では、ラナは”創世の女神”と神格化されていて、あくまで創られた物語として語られていた。それに対し、こちらはラナをあくまで”巫女”――実在の人物とし、"始まりの敬虔なる信徒"から一連の流れを経て、トレインソフトウェアに至る、実在の組織のルーツという、極めて具体的な文脈で語られているということか。

 

『我がトレインソフトウェアのマインドは、社名それ自体が示している。ラナ様の傍ら、常に一の従者あり。名をトレイン。聖書に刻まれし"一の信徒"その人であるが、その名はほとんど一般には知られていない。”一の信徒"は、その類まれなる信仰心と叡智によって、ラナ様の御心を支えた』

 

 我々も陰ながらラナ教、ひいてはラナソールを支える礎としてかくあらんと、その人にあやかり当社名とした、と続く。

 

「トレインと言う名があったのですか……。いやはや、知らないことでした」

 

 モニターの向こうで、シルバリオが瞠目する。

 ユイの協力で開いている心通信からは、レンクスがぼそりと「トレインか。臭うな」と考えているのが拾えた。

 俺もユイも、同感だ。

 ラナが一連の大きな流れの仕掛け人であると仮定すると、どうにも違和感があった。なぜって言うと、少し会ってみた印象からというしかないけど……ここは心に触れる力と、直観を信じたい。

 彼女は確かに世界の要ではあるだろう。しかし、何かを仕掛けた存在そのもののようには感じられなかった。

 だって彼女は、悲しんでいたんだ。なぜかはわからないけど、心から憂いて、悲しんでいた。とても綺麗で、そして儚い心だった。

 あのとき感じた、刺すような胸の痛み。何かを陰で操っている人の心ではないと思う。

 しかし現実として、ラナソールには、明確な意志がある。少なくともフェバルを知り、その力を脅威と考えている何か。

 ラナはどちらかと言えば、それに「守られている」。

 トレイン。二つの世界の片割れ、トレヴァークの名に冠する者。一の信徒。この人がそうなのだろうか。

 

 ここからの情報は、まるで聖書の答え合わせをするように、紐解かれていく。

 

『太古のイニシエ、我々は野生とほとんど何も変わらぬ。裸の獣も同然の有様であった』

 

 何とかの発見の番組風のナレーションが始まり、古ぼけた壁画に、蛮族そのものの人の姿が描かれていた。

 これが古代の人類か……。

 

『人の人たらん歴史は、万年の昔、ラナ様より始まった』

 

 聞いたことのない新説だった。しかもより現実的な仮定だ。

 これは、ラナが決して命あるものすべてを創造したのではないという、一種の限界発言――ラナ教でありながら、教義そのものを否定するともとれる宣言だ。

 あくまで現在へと繋がる「人間社会」を創造したのだと、そう言っている。

 しかし、続く言葉は、再び聖書の記述をほぼそのままなぞる。ラナの神秘性を強く肯定するものだった。

 

『ラナ様には、万物を創造する力があった。荒涼なる大地を指して曰く、「これあらん」。トレインは応じて、「これしかり」。かくして我々裸なる人に、知恵の産物が生まれた。偉大なる理想郷が育まれた』

 

 ラナクリムの魔法都市フォールアイレスは、聖書の記述を基に、偉大なる理想郷を再現しようと試みたものだ、という補足が付け加えられる。

 すなわち、ラナソールの魔法都市フェルノートだ。

 

『ラナ様には、万物を切り拓く力があった。険しい山々を指して曰く、「これゆかん」。トレインは応じて、「これしかり」。かくして偉大なる山は拓かれ、豊かな大平原への道は通ず』

 

「これって……グレートバリアウォールのことかな?」

 

 静かに聞き入る中、ハルの思案から出た呟きがよく通る。

 おそらくそうだろう。

 現在のトリグラーブ、そしてダイクロップスの起源を主張しているのだ。

 

 それからも、しばらく偉大なラナの伝説と、傍らでひたずら不気味に「しかり」を続けるトレインの描写が続く。時折、ラナクリム制作ポイント解説を交えながら。

 だが、最後だけはちょっと違っていた。

 

『ラナ様も人の子。いかなる奇跡の力をもってしても、やがて死は避けられなかった。虚空の彼方を指して曰く、「これいずこなりや」。トレインは応えて、「これなり」。かくして彼方の世界――ラナソールは生まれた』

 

「うーん。つまり、ユウさんが来たところは……うーん?」

 

 リクがしきりに首をひねっている。どうにか話に付いてこようとしている感じだ。

 

『ラナ様が身罷られると、トレインもまもなく続いた。トレインは"始まりの敬虔なる信徒"にラナ様の言葉を遺して逝った。「もはや死を恐れることはない。汝らが夢想うとき、彼方の世界は約束される。それは常に傍らにある。されど心せよ。汝らの夢破れるとき、世界は再び闇へ還らん」と』

 

 世界存続のための条件が、明確化される。

 夢想の集合体なのであるから、夢想される限りは存在する。けれど、夢想がきちんと形を成さなくなれば、世界も崩れてしまう、と。なるほどな。

 

『これは約束である。そして使命でもある。残された我々は、常に試されているのだ。夢想の彼方に世界を想い、正しい世界を次の世代へと繋ぐ。ラナ様は必ずそこへおらせられる。そして我々も。夢想う限り常に傍らにおり、いずれ正常なる死をもって辿り着く』

 

 ラナソールには、既に死んでいる人が結構多いんじゃないかという説を立てていた。この言葉が正しいとすれば、やはり一度、死人の魂はラナソールにプールされ、しばし第二の生を謳歌することになる。相当な数がいるということになる。

 

『汝、健全なる魂をもって、想うところを愛せ。世界を愛せ。さすれば、健全なる世界は約束される』 

 

 持ってまわったような言い回しで、むず痒くなってくるけれど。言いたいことはよくわかる。

 ラナソールの正常な存続。

 それこそが、ラナ教の、そしてトレインソフトウェアの存在理由というわけだ。

 

 そして、本当に何かの説明用資料なんじゃないかってくらい、力強い声が響いた。

 

『決して信仰を忘れてはならない。想いを汚してはならない。怠惰にかまけて、終わりの日――ミッターフレーションを迎えさせてはならない。不浄なる魂を抱けば、不浄なる死の想念が世界を汚せば、やがてアルトサイドへ堕ちるであろう』

 

 へえ。そういう関係なのか。アルトサイドは、ここだと地獄みたいな扱いなんだな。

 確かに暗くて何もない世界だからな。あそこでずっと暮らすって考えたらぞっとしないよ。

 それにしても、不浄なる魂と、不浄なる死の想念か……。死の想念……。

 アルトサイドを徘徊していたあの化け物が、ふと脳裏に浮かんだ。

 それに、引っかかる。これを聞いたヴィッターヴァイツは、果たしてどう考える。嫌な予感がする。

 

『汝、慈しみを持って、想へよ』

 

 バーーァン!

 

 そこで急に、ラナクリム最新版のパッケージがでかでかと現れたので、目を見張った。

 うわ。なにかと思った。

 

『我々にとっての想いとは、使命とは、創り、遊ぶことである!』

 

「おお……」

 

 急な熱い転調に、解析班の数人が同調して、少しざわめく。ありのまま団員特定したぞ。

 

『我々はいつでもラナクリムをより面白くするアイデアを待っている。レッツエンジョイ。ゲームは楽しくしたいものだ! 「コラッ、何余計なこと言って――」』

 

 ブツン。

 

 最後に別の女の声が混じり、妙に締まらないことを言って、ディスク映像は終わった。

 

 ……何だったんだろう。あれ。

 

「……えーと」

「……最後のとって付けたようなそれは、それとしてですか」

 

 シルバリオがフォローしてくれたので、俺も多少は話に入りやすかった。

 

「みんな、どう思った? 率直な意見を聞かせて欲しい」

 

 まずはシルバリオが、悩ましい顔で答える。

 

「内容は、非常に興味深いものでしたが……。私からは……残念ながら、問題の解決に繋がるものではないかと」

「そうですね。おっしゃる通り」

 

 確かにそうだな。特に夢想病のことについては、一切何も語られていなかった。

 しかし、もっと大きなことに対してのヒントにはなったと思う。

 初めて、世界の成り立ちについて言及されていた。

 

 ラナソールは、「創られた」世界なのだと。

 

 だから不安定で、不完全で――時々、エラーだって出るんじゃないか?

 俺は、既によく似たものを知っている。

 かつていた、エルンティアの悪名高い『システム』と、仕組みは似ていると感じた。

 あそこで、いわゆるエラー因子はどうなったか。ギースナトゥラという掃き溜めに押し込められた。

 箱が違うだけで、おそらくやっていることの本質は一緒だ。

 世界にとってのエラー症状のシグナルが夢想病であり――さらに重大なエラー因子は、アルトサイドに押し込められる。

 あの化け物は、まるで世界を恨んでいるようだった。きっと世界にとって都合の悪い何かなんだ。

 

『なるほどね』

 

 ユイも同意して、頷く。

 以前の世界での経験が生きた。俺たちの中では、少しずつ話が見えてきたぞ。

 

 次に意見を差し挟んだのは、シズハとハルだった。

 

「百二十年前……最後の世界大戦から、急に夢想病患者が、増えたのは……」

「うん。それはボクも事実として知っていたけれどね。でもどうしてかはわからなかった。不浄なる死の想念……この辺りが怪しいワードなんじゃないかな」

「そうかもしれないね」

 

 ハルも同じところが引っかかっていたみたいだ。

 これは想像でしかないないけど……現実逃避のようなマイナス感情が夢想病を誘発するファクターになるように、悪感情、とりわけ戦争で殺されたとか、そういった不浄な死の想念は、世界にとっては良くない影響を与えるのだろう。

 ヴィッターヴァイツは、必ずここを突いてくるはずだ。気を付けておかないとな。

 

『なあ。ちょっと、いいか?』

 

 レンクスが、念話を飛ばしてきた。

 

『もちろん。どうぞ』

 

 答えると、レンクスはへっと笑って切り出した。

 

『他のことは色々すっ飛ばして、すげえシンプルに考えたんだけどよ』

『うん』

『ラナかトレインか、他の誰かは知らないけどな。その辺りがフェバルなんじゃねえの?』

 

 マジでど直球な意見だった。100%憶測、証拠も何もあったもんじゃないけど。確かにそれなら、フェバルなら――フェバルに意識が向くことへの辻褄は合う。

 エーナさんとジルフさんも、強く同意した。

 

『話を聞いてると、匂いがね。創造の下りとか、何となくそれっぽいのよねえ』

『そうだな。経験則になるが、力を振るったフェバルが神話化されることは、たまにある話だ』

『そうなんですか』

 

 ん、待てよ。よく考えたら、それももう知っているじゃないか。

 ウィルの奴が、エラネルでは実際に破壊の神として伝説になっていた。

 

 もし、同じようなことになっているとしたら――。

 

 約二年間、集め続けて。バラバラに分かれていたピースが、ようやく噛み合い始めた。

 

 現地人が頭を悩ませる中、フェバルである俺たちは、ある一つの結論に達する。

 

『『ラナにもう一度会うんだ(の)。そして聞かなくちゃならない』』

『ああ』『そうね』『うむ』

 

 あなたはフェバルですか? フェバルを知っていますか? と――。



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145「とてつもない来客者」

 今、『アセッド』は未曽有の危機にあった。

 

「ホシミ ユウ、だったな」

 

 燃えるような金髪。全身に漲る力。眼つきは剣のように鋭く。

 その姿は直接見たことはないが、心に触れたときに知っていた。

 

 ヴィッターヴァイツ……!

 

 まさか。直接乗り込んでくるなんて……!

 この野郎。終末教対策に追われて、レンクスとジルフさんもエーナさんもいないわずかな隙を狙って来やがった!

 まずい。早く。助けを呼ばないと!

 しかし、機先を制されてしまった。

 

「おっと。下手に応援を呼ぼうなどとは思わんことだ。念話も一切を禁ずる」

「……なにしに来たんだよ」

「なに。少しばかり挨拶をしてやろうと思ってな」

 

 カウンターのユイは、突如の来襲者に目を見開いて、肩を小さく震わせていた。脅威を知らないミティが余計なことを喋らないようにと、懸命に口を手で塞いでいる。

 

「座るぞ」

 

 ヴィッターヴァイツは、一番近くにあった客用のテーブルに、我が家で勝手にくつろぐかのごとく、足を乱暴に投げ出して座り込んだ。

 俺も奴の動きに注意を払いながら、慎重に向かい側にかける。

 

「…………」

「…………」

 

 お互い不愉快な面で、無言で睨み合う時間が続いた。

 

 この状況。どう乗り切る。

 こいつは、何を考えている?

 心を入れ替えに来たわけではないことは明白だ。

 あんなことがあって、反省も後悔もなしに仲良くしようだなんて、そんなのは土台無理な話だ。

 

 焦りと緊張と怒りと。様々な感情が洪水のごとく渦巻いて、頭は沸騰しそうだった。

 今のところ何もして来ないけど、一手間違えば、フェバルの暴力的な力がレジンバークを破壊する。

 極限の威圧感が、全身の穴という穴から汗を吹き出させてくる。冷や汗が熱い。手の震えは止めようもないが、テーブルの下に隠して、誤魔化せているだろうか。

 

 それと。やっぱり気のせいじゃない。

 

 ただこいつを見ているだけで、こうして向かい合っているだけで、心の内から、まるで自分のものではないような、強烈な殺意が沸き上がってきて、胸を締め付けて仕方がない。

 今すぐにでもこいつのむかつく面をぶちのめせと、気の済むまで殺せと、黒い力がしきりに囁きかけて、迫ってくる。

 そいつにさえ身を任せれば、あるいは本当にできてしまうのかもしれない。現状の圧倒的な力の差をよくわかっているはずなのに、なぜか俺には確信に近い予感があった。

 

 ……だけどきっと、そいつに心を明け渡してしまえば、今の自分には戻れなくなる。まともな人ではなくなってしまう。力を得たとしても、きっと後悔する。これも確信に近い予感だ。

 

 自制するのにも必死だった。

 ユイがいなければ。ユイが歯止めになってくれなければ。いつ俺を狂わせてしまってもおかしくはない。それほどに強力で、心を揺さぶる誘惑だ。

 

「おい」

「なんだよ」

 

 本当に自分の声かと思うくらい、不機嫌な声だった。

 ヴィッターヴァイツは嘲るように言った。

 

「ここは来客に茶の一つも出さんのか?」

「客? お前が客だって?」

 

 寝言は冗談で言えよ。

 

「客でないのなら、オレは殺戮者ということになるな。それでも構わんが」

「お前……」

「どうぞ」

 

 予め用意していたのか、ユイがすっと進み出て、極めて事務的な笑顔でお茶を置いていく。念話も禁じられているので、目で俺に『ここは抑えて』と訴えかけている。

 諭されて、俺もいくらかは冷静になることができた。

 

「小娘の方は聞き分けが良いな。少しは見習ったらどうだ」

 

 望む通りのものが出て来て多少は機嫌が良くなったのか、奴には不遜な笑みが戻っている。

 そして、ユイの全身を、特に突き出した胸の辺りをしげしげと眺めて言った。

 

「抱けば良い声で啼きそうだな。小娘」

「誘いならお断りだよ」

 

 さすがにこれにはユイも乾いた笑顔に怒気が張り付いている。今度は俺が『ここは抑えて』と目くばせを送る番だった。しかし、自分が女のときに言われていたら腹の立つ台詞だ。

 ヴィッターヴァイツは、断られたことなどまったく気に留めずに、自分が抱きたいと思えば当然のように―――無理やりか【支配】して抱けると言わんばかりに、一方的な感想だけ述べた。

 

「もう少し熟してくれば、一番の頃合いになるだろうにな。くっくっく。もはやなることもできんかな?」

 

 その言葉から、こいつは俺たちのことをフェバルか何かだと推測しているに違いないと踏んだ。この店にはフェバルが揃っているし、しかも最後に能力を使って撃退したから、当然の推測だ。

 

 一触即発の緊張の中、ズズ、と厳かな音を立てて、茶が啜られる。

 

「うむ。中々良い茶葉を使っているな」

「用件は何だ」

 

 呑気に世間話をしに来たわけではないだろう。問うと、奴は眉をしかめた。

 

「急かすな。それに、口の利き方には気を付けろと言ったはずだぞ。小僧」

「……嫌だね。お前は尊敬するに値しない男だ」

 

 少しは心に触れたからわかる。こいつはそんなことを言いながら、おそらく自身を恐れて媚びへつらうだけの人間が最も好きではない。

 下手にへりくだって見せたりなんかしたら、その瞬間に不興を買って、殺されてもおかしくはない。

 

「本当に生意気な小僧だ。まあよい」

 

 軽口の水面下で、ギリギリの舌戦だったが、どうにか賭けには勝った。

 

「言っただろう。少しばかり挨拶をしに来てやったと。貴様自身にも、ほんの少し興味がある」

 

 この男から興味があるという言葉を引き出せたことが、どれほど大きなことなのか。性格的にほとんどすべての人を人とみなしていない節のあるこいつが、少なくとも俺のことは話すに足る相手だと認めている。

 先の戦いで一泡食わせた事実は、決して小さく受け止められなかったらしい。

 ……おかげで、こうして対面することになってしまったわけだけど。

 

「挨拶にしては、随分と喧嘩腰じゃないか」

「貴様に人のことが言えるのか?」

「…………」

「…………」

 

 再び、意地の睨み合いが続く。

 ダメだ。腹が立つ。こいつ、嫌いだ。

 抑えようとしても、内から沸き上がってくる敵意は、隠せようもなかった。

 こんな態度でいれば、いつ襲い掛かってきてもおかしくない。なのに、なぜかこいつはすぐには手を出して来なかった。

 奴の心から肌で感じ取れる悪意は、絶え間なく満ち満ちているというのに。

 俺のことなど、取るに足らないと断じていたはずなのに。どういうわけか今は、いくらか警戒もしているようだ。

 俺がなぜか、この男に並々ならぬものを感じているように。いざ本体で対面してみれば、奴も俺に何か感じるところがあったのか。わからない。

 

「よく見れば、星瞳孔が開いているな。その程度でフェバルなのか。貴様」

 

 なるほど。気付いたのか。先ほどからそれを見ていたのか。

 見た目だけでは区別が付かないので、よほど意識して、注意深く瞳の奥を観察しないとわからないが。フェバルをはじめ、素質のある者の一部は、星瞳孔と呼ばれる、星脈エネルギーを視るための特殊な孔が備わっているらしい。レンクスが前に教えてくれた。

 

「だったらなんだよ」

「謎が解けたぞ。貴様自身がフェバルというのなら合点がいく。最初からこの『アセッド』とやらは、外れ者のフェバルが身を寄せる場であったというわけか」

 

 事実関係は逆だ。本当に『何でも屋』で、偶然と縁でそうなっただけのことだけどな。こいつに説明してやることでもないので、黙っておく。

 

「能力はなんだ」

「敵に手の内を明かすとでも?」

「つれない奴だな。だが推測は付く。おそらくオレの【支配】と同じ、精神接続に関わる力だろう」

 

 ……さすがに見抜かれている。お互い、あの戦いでカードは切ったってわけか。

 

「いくつか、質したいことがある。答えてもらうぞ」

「断る」

 

 自分でも驚くほど、冷たい声だった。

 

 次の瞬間、頭に割れるような激痛が走っていた。何をされたのか、まったくわからなかった。

 

「ユウ……!」

 

 ユイが悲鳴を上げる。

 遅れて、やっと気付く。

 テーブルに叩き付けれられていた。

 木製のテーブルは簡単に割れて、俺は、無様に地面に這いつくばっていた。

 ヴィッターヴァイツの厳しい声が、上から嫌に響く。

 

「あまり調子に乗るなよ。わかっているのだぞ。貴様はフェバルと言っても、ろくに力を使いこなせておらん。そこらの有象無象と変わらぬ。実に情けないあり様よ」

 

 突然、激痛が走る。骨が折れた音。たまらず、声を上げた。

 

「う、あ゛ああっ……!」

 

 踏みつけられていた。

 

「オレと貴様は、対等ではない。力なきは、それだけで罪と知れ」

 

 何もできない。抵抗することも。助けを呼ぶことも。

 屈辱的だった。

 こんなにも簡単に。人という存在は、踏みにじられる。

 

「一つ、賢くなっただろう。小僧。貴様に選択肢はない。言うなりになるか。させられるか。好きな方を選べ」

「くっ……げほっ……」

 

 言われなくても、わかっているさ。俺が自分の能力をコントロールできず、散々振り回されていることくらい。

 いつかはと思っている。

 そのいつかが今であれば、どれほどいいか。お前に特大の灸を据えてやりたい……!

 

 乱暴に蹴転がされて、仰向きにさせられた。

 

 震える足で立ち上がる。痛みで視界が揺れている。

 なのに不思議と、思考はクリアになっていった。心が冷えていく。

 辛いが、辛うじて喋れる程度のダメージだ。拷問の巧い奴だと思った。

 

「おいおい……なんだ。その目は」

 

 果たして俺は今、どんなに冷めた目をしているのだろう。

 こんなにも冷たくなってしまえる自分がいると気付いて。自分で自分が怖かった。

 

「まだ立場をわかっていないようだな。手始めに、そこの女二人を殺してやろうか」

「ひっ……!」

 

 ミティが小さく悲鳴を上げて、ユイがかばうように一歩、前へ進み出るのが見えた。

 

 ――またか。こいつは。何度やっても変わらない。

 

 何かの思考が混じる。こいつと向き合っていると、ユイとは別の――自分の声が聞こえてくる。

 この上なく危機的な状況だというのに。恐れなどよりも、憤りと殺意が勝っていた。

 心が冷え切っていく。

 

 ……いけない。このままじゃ。

 

「帰れ」

「ん?」

 

 頼む。帰ってくれ。

 

「何もせず、このまま帰れと言ったんだ」

「……ほう」

 

 このまま、直接お前と向き合い続けていたら。

 

「お前と話すことは何もない」

 

 おかしくなりそうだ。

 

「舐められたものだな。力の差をよくわかっていないようだ。トレヴァークとは、わけが違うのだぞ?」

「やってみろよ。お前は一々人質を取らないと、たかが小僧一人に言うことも聞かせられないのか?」

 

 挑発して、強く睨み返す。せめて二人から気が逸れればと。それが返答だった。

 

「まったくもって、見下げ果てた馬鹿だな。気が変わったぞ。やはり――一度殺しておくか」

 

 これまでは、他のフェバルに悟られないよう、抑えていたのだろう。

 本物の《剛体術》が、眼前で解き放たれる。

 圧倒的な気力が――オーラが、奴の全身に漲り渡っていく。

 おおよそ、想定した通りの力だ。

 ラナソールの恩恵なんて、気休めにしかならない。

 どれほど控えめに見積もっても、こちらの実力の優に百倍はあるだろう。

 まともな戦いになんてならない。とても敵うはずもない。

 

「ユウ……ッ! やめて!」

 

 ユイの叫びが、近いのに、やけに遠くから聞こえる。

 振り返る暇もない。でもわかった。泣いていた。

 こちらに向かって身を挺してかばおうとするのを、必死に心で制する。

 

 いいんだ。これなら――まだいい。殺意が俺だけに向くなら。

 これだけ力を出してくれるなら、レンクスもジルフさんもエーナさんもきっと気付いてくれる。

 

 俺は、辛うじて俺のままでいられる。人をやめるよりは、人として死にたい。

 

「未だ宇宙の広さを知らぬ小僧よ。身に刻め。そして畏れよ。これが本物のフェバルの力だ」

 

 それ以上は、覚悟を決める暇もなかった。

 

 初動さえも見えない。

 

 ただ、衝撃があった。

 

 蹴りだろうか。思ったよりも、痛みはなかった。

 

 視界がめまぐるしく回る。浮いていた。

 

 眼下に、雑然とした街並みが映る。

 

 俺はどうやら、ものの一瞬で、レジンバークから弾き飛ばされていた。

 

 ――ああ。どこかで、俺はこんなとてつもない蹴りを喰らったことがあるような気がする。

 

 ――あのときも、何もできなくて。悔しくて。

 

 やっぱり、死ぬのかな。フェバルは死んでも生き返るって言うけど、ウィルには何度も仮に「殺された」ことはあるけど。

 

 本当に死ぬのは……苦しいな。

 

「死ね。小僧」

 

 止めの一撃が迫る。それは確実に、俺を肉片に変えるだろう。

 

 

 ――しかし、それが俺を貫くことはなかった。

 

 

 頼もしい背中が見えた。剣が、拳を受け止める。

 

 

「遅れてすまなかったな。坊主」

「ほう。貴様は……」

「お前がヴィッターヴァイツか。会いたかったぞ」

 

 

 ああ。来てくれたんだ。ジルフさん――。

 

 安心した瞬間、辛うじて残していた意識が、離れていった。



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146「力の激突 ジルフ VS ヴィッターヴァイツ 1」

 蹴り飛ばされた勢いのまま、ユウが吹っ飛んでいく。ジルフが庇ったことで、確実に致命的な追撃だけは避ける形となったが、ダメージは深刻だ。生死が心配された。

 わき目も振らず助けに行きたいところであるが……目の前の男の対処が最優先だと、ジルフは苦渋ながら、心の内で断じた。

 ユウ救出については、既にエーナに預けてある。彼女なら、たとえユウが海に沈んでいっても、得意の魔法を駆使して引っ張り出してくれることだろう。人殺しには向いていないが、人助けに心を尽くすときの彼女は、本当に頼りになる。

 さて、今のところは一対一である。応援の戦力は望めない。

 以前、ヴィッターヴァイツが利用した、果ての荒野に存在する世界の穴。その監視のために張り付いているレンクスが、現状では最も遠い位置にいた。パワーレスエリアではワープクリスタルの類は使えないため、直接空を飛んで来る必要がある。

 両者が激突するレジンバーク近海上空からは、遥か彼方。彼が到着するまで、あと十数分は要するというところだった。

 

 先刻激突し、大気を轟かせていた剣と拳が、同時に引かれた。

 宙に漂った状態で、二人の超越者は剣(拳)気をぶつけ合う。生半可な者が立ち入れば、たちまち引き裂かれてしまうだろう。

 

「ジルフ・アーライズ――あのレンクス・スタンフィールドが一目を置くフェバルか」

「よくもうちのユウを傷付けてくれたな」

「礼儀がなっておらん小僧だったのでな。少しばかり躾をしてやったまでよ」

「ならば。今度は俺が丁重に礼をしてやろう。文句はあるまいな」

「ほう。でかい口を叩くものだな。やれるものならやってみろ」

 

 ヴィッターヴァイツの、ユウに対しての超越的で傲慢な振る舞いは、同じレベルの者を前にして、一旦なりを潜める。

 主義主張はともかく。お互い、対峙した瞬間から強さだけは認め合っていた。

 

 この勝負。易くはない。

 

 久しい強敵を前にして、ジルフにある思惑が過ぎった。

 フェバルでも有数の実力者として知られるヴィッターヴァイツであるが、二対一になれば、さすがに二人の側に分がある。

 ゆえに、彼にとっては、レンクスが到着するまでの時間稼ぎをすれば良いだけの話……なのではあるが。

 クレバーに時間稼ぎ役に徹することもできただろう。しかし、彼はその役を大人しく務める気になど、到底なれなかった。

 この手でぶちのめさずには置けなかった。

 

 許さん。相応の報いは受けてもらうぞ。

 

 奴が力にかまけ、愛する孫弟子をいたぶったことへの、静かな、しかし太陽の炎よりも熱い怒りが燃え上がっていた。

 加えてだ。

 この世界のあらゆる常の存在と一線を画する、まこと凄まじい奴の力の漲りを前にしても。自分が負けているとは、ジルフはまったく思っていない。

【干渉】のような強力無比かつほぼ万能な能力に対して、【気の奥義】という、フェバルの中にあっては格の低いと言わざるを得ない能力では、苦戦を強いられることも多かった。

 だが、こと互いに能力が使えない今の状況――単純な戦闘能力の話に限定されるならば、彼こそは至高の強者の一人だった。肉弾戦において、己と互角であっても、右に出る者はいないという自負が、ジルフにはある。

 戦うべきだ。あいつからの頼まれ事でもある。特大の灸を据えてやろう。

 

 ジルフは対峙し、既に肌で理解している。

 

 奴は彼と同じ――根からの戦闘者だ。己の強さに絶対の自信を持っている。

 

 ゆえに、正面からの実力で打ち負かすこと。力の限界を悟らせ、屈辱的な敗北を与えることが、最も苦い薬になるのだと。

 

 フェバルは、戦闘で真に死ぬことはない。だがこれは、男にとって生死以上のもの――絶対強者としての誇りを賭けた戦いだった。

 

「はあっ!」

 

 気の修練を極めた者だけが持つことを許される、鮮やかな白のオーラが、ジルフの全身を充たす。

【気の奥義】こそ、世界に封印されている。だが能力などなくとも、幾年月を重ねた鍛錬の果てに、彼はフェバルの持てる肉体ポテンシャルを究極にまで引き出していた。海が波の発生を彼に譲り、遠い陸の果ての隅々まで、大気を怯えさせるに十分な気力の高まりを示す。

 かような力の昂ぶりを目の当たりにして。ヴィッターヴァイツは、このときばかりは、他のあらゆる因縁や感情を忘れて、ただ感嘆した。

 

「……素晴らしい。よもや、これほどの力の充実が見られるとは。オレは……嬉しいぞ」

 

 フェバルをフェバルたらしめる力とは、すなわち固有能力にある。

 ヴィッターヴァイツに言わせれば、ただ与えられただけの――つまらん、極めて邪道な力だ。己の【支配】も、【支配】できてしまう屑共も、まったく気に入らない。

 単純な肉体の強度ならば、彼らの多くは、人外の星級生命体に後塵を拝する。連中に抗するための手段は、やはり固有能力である。

 したがって、フェバルはまず自らの能力を鍛えるのが正道であり、星脈に囚われた副産物として得られる、優れた肉体ポテンシャルは、あくまで補助でしかない。

 ゆえに、ただでさえ少ない超越者を探し求めても、ついに今まで出会うことがなかった。

 

 敵であるにも関わらず。思いかけず、至上の仲間を得た気分だった。

 この男は同類だ。ヴィッターヴァイツは、心から高笑いした。

 

 与えられた肉体に満足することなく。ただ愚直に、絶え間なく、純粋な肉体の力を高め続けた者にしか到達し得ない、究極の領域。

 フェバルにおいて、最も不必要とされる実力。

 よくぞここまで高めた。もはや芸術品――彼の肉体そのものが至高のアートと言っても過言ではない。

 

 せめてもの返答として、ヴィッターヴァイツは再度《剛体術》を滾り、巡らせる。

 

 小僧に余興で見せつけた程度のものではない。全身全霊をもって迎え撃つ。

 

 常人なれば容易く壊れる。実力を如何なく出せる強者との闘いこそ、我が悦び。

 

 既にユウのことなど、どうでもよかった。運命に絶望してから、彼はどこかで多分に快楽的で、そして刹那的だった。

 

 今度は、ジルフが目を見張る番だった。

 

「――ほう」

 

 こちらも並々ならぬ鍛錬では、辿り着けない。敵ながら、ジルフも厳しい修行の証そのものには、素直に敬意を示す。

 

 極大のパワーとパワーの高まりが、拳を交えずして、ぶつかり、弾け合い、それ自身の居所を競い合っていた。

 

「貴様には、是が否でも勝ちたくなったぞ」

「奇遇だな。俺もだ」

 

 双方、不敵な面で笑う。笑いながら、仕掛ける間合いを探っている。

 

 ジルフは敵のオーラを冷静に観察し、構えていた気剣をしまった。

 

「その《剛体術》やらと、俺の気剣術では相性が悪いか」

「くっくっく。然り。我が《剛体術》は、斬の技に抗するに強みがある。貴様の剣は容易に届かぬと考えよ。下らん消耗で、つまらん勝負にしたくはなかろう?」

「……拳術の方は専門分野じゃないが。ちょうどいい」

 

 ジルフは、拳を鳴らした。

 

 剣術とは、剣の利を知ることであり、同時に剣の不利を知ることでもある。

 剣が通じにくい相手に対しては、拳術その他へ切り替えるのも、気剣術の立派な技術のうちの一つだ。

 あえて教えずとも、ユウが自然と理に至っていたことに、彼が一番感心させられた点でもあるが。

 

「お前のような奴は、この手で直接ぶん殴ってやらんと気が済まんと思っていたところだ」

「面白い。このオレに拳で挑むか」

 

 ヴィッターヴァイツは、顎で地上戦を提案した。

 つまりは、力比べの提案だった。

 終始浮いたまま戦うこともできるが、やはり足場があればこそ、踏ん張りを利かせることも可能というものだ。

 ジルフも、得意分野で断る理由がない。

 

 レジンバークから十分距離をとり、クリスタルドラゴンの山の付近に二人は降り立つ。

 

 約二年前、ユウが剣の一振りで真っ二つに裂いた山は、そのまま残っていた。

 

 そしてこの闘い、力と力の激突から――クリスタルドラゴンの山は、ついにラナソールの地図より姿を消した。



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147「力の激突 ジルフ VS ヴィッターヴァイツ 2」

 邪魔な上着を脱ぎ去り、向かい合う両雄は、互いにあと一歩のところまで詰め寄った。

 体格はほぼ同等。しかし二人の鍛え上げられた姿はやや対照的である。

 剣を主とするジルフは、個々の部分を見れば、実に逞しい筋肉の鎧に身を包みながら、五体の鍛え方、そのバランスの均整さゆえに、総体としては引き締まった印象である。

 対して、拳を主とするヴィッターヴァイツは、力を誇示する彼の性格がよく体躯にも現れていた。多少の身軽さを犠牲としても、全身にはち切れんばかりの圧倒的な筋肉とオーラを漲らせている。

 単純な筋肉量で言えば、ヴィッターヴァイツにやや軍配が上がるか。

 だが、そのような外見の筋肉量、質量といった肉体的差異は、常人であればほんの数キログラムの違いでさえ決定的な差となるが、超越者同士での戦いにおいては、勝敗に影響するファクターとはまったくなり得ない。彼らにとって鍛え上げた肉体とは、彼ら自身の強いと信ずる形の実現以上の意味は持たない。

 能力の使えない現状、彼ら超越者の力の強さとは――無形の身にまとう「力そのもの」の強さなのだ。

 

 先に動いたのは、ヴィッターヴァイツだった。

 

「フンッ!」

 

 力を溜めた拳を、目にも留まらぬ速さでぶち込む。

 

 ジルフはしかと動きを捉えていたが、力の程を確かめようと、あえて避けることはしなかった。

 

 直後、大砲の弾けたような轟音が――本来拳が生み出すはずのない轟音が――炸裂した。

 

 音の凄まじさに反して、結果は静かな立ち上がりだった。

 

 拳は、ぴたりと止まっていた。

 

 正面切って打ち込んだボディーブローを、腹筋一枚で、ジルフも正面から受け止めてみせたのだ。

 ヴィッターヴァイツは、驚きこそしなかったものの、感心から眉根を寄せた。

 古今東西星方、敵対するほとんどあらゆる者の腹部を、一撃の下にぶち抜いて、即死にも等しい風穴を開けてきた彼の拳である。

 ただ乱暴に振るうだけで必殺の兵器と化していたそれも、この男にはただの拳以上の意味は持ち得ないようだった。

 ならばと、ヴィッターヴァイツは拳の触れた部分から気功による内部破壊の機を探るが……さすがに気の扱いを極めた者か、易々と技をかけることもできない。

 

 意趣返しにとばかり、今度はジルフが力を溜めた。

 

「はあっ!」

 

 渾身の右ストレートが、やはり爆音を伴って眼前の敵に容赦なくぶち込まれる。

 ヴィッターヴァイツも、避けはしなかった。

 膨れ上がった腹筋と、猛々しい《剛体術》のオーラが、しかと彼の拳を受け止める。

 

「……くっくっくっく」

「……はっはっはっは」

 

 どちらともなく、乾いた笑いを上げていた。

 お互い、自信の一撃を止められた。長らく経験のないことだった。

 戦いを愉しめるという事実も、戦闘者として抑え切れない感情も、また久しいことだった。

 

 しかし、ジルフにとっては許せない敵であることに変わりはない。ヴィッターヴァイツもまた、彼の怒りをよく認識している。

 

 不意に笑いが止む。眼つきが変わった。

 

 再度気合の一声で、両者同時に拳を放った。

 

 ヴィッターヴァイツの拳がジルフの肩を叩けば、ジルフの拳もヴィッターヴァイツの肩を穿つ。

 ヴィッターヴァイツがジルフの頬を殴れば、ジルフもヴィッターヴァイツの頬を殴る。

 

 殴る。殴る。殴られる。殴る。

 

 光速のターン制かと見まがうばかりの、凄絶な拳の応酬が繰り広げられていく。

 

 両雄、一歩も引かず。

 

 ノーガード。その場に立ち止まっての、意地と意地の殴り合いである。

 

 天変地異が生じていた。

 クリスタルドラゴンが住まう山々は、二人のぶつかる拳が生み出す衝撃波の乱気流によって、恐ろしい速さで削り取られていく。

 凄まじい暴力の余波が、山を切り崩して更地に変えてしまうのに、ものの数分もかからなかった。

 

 互い、攻撃に全力を傾けているために、ダメージもまた凄まじいものがあった。

 既に幾万を数える拳の打ち込みによって、皮膚は変色し、所々が裂け、赤黒い血の痣が浮かび上がっている。

 延々と続くかと思われたラッシュであるが、あるタイミングで、拳と拳がぶつかり、そして組み合った。

 

「ぬおおおおおおおおおおおっ!」

「かあああああああああああっ!」

 

 殴り合いから、押し合いへ。

 

 双方、我こそが膂力に勝らんと、全身のあらゆる血管の筋が浮き上がるほどに力を込めて、相手を潰しにかかる。

 引き合いや逸らし等の駆け引きなど、考えもしない。小賢しきはすなわち、敗北を認めたも同然。言葉はなくとも、両者の共通認識だった。

 そして、ついに地面の方が耐え切れなかった。既に更地と化していた周辺領域に容赦なく追撃を与える形で、二人を中心として『爆心地』にも似た巨大なクレーター模様が出来上がっていく。

 

 二人の足場が壊れたことで、力比べは決着を見ないまま、強制的に終わりを迎えた。

 宙に浮いた二人は、一度、新たに生じたクレーターの底に降り立って、気合と共にオーラを再び漲らせた。

 力の高まりを見てから、猛然と駆け出す。

 クレーターの最深部。中央で再度、両雄は激突した。

 今度は蹴りをも加えた、凄まじい技と技の掛け合いになる。始まりと違うのは、いなし、かわし、時に受け止め。あらゆる技術を駆使して、「直撃」を避けている点だ。

 しかしながら、一見工夫のない単純な殴り合い、蹴り合いのようにも見えた。そこには、一般的な技と呼べるものは一切存在していない。

 

 ――これが、フェバルの戦いだった。

 

 ある段階を超えると、戦闘という概念は一変する。

 重力を乗せる、急所を狙う、関節を極めるなどといったあらゆる常人戦闘の知恵、常識、有効技術は、もはや彼らフェバルのレベルにおいては毛ほどの意味も持たない。

 彼らにとっての急所とは、人体の急所ではない。二人が虎視眈々と狙うは、攻防において生じる、意識の急所――オーラ防御の最も弱い地点への「直撃」である。

 ピークを越えて減少を始めた気力の鎧は、既に万全の防御ではなくなっていた。

 すべての一撃が、必殺の威力を伴って、命を刈り取らんと放たれる。秒間数百にも及ぶ攻撃の、わずか一手でも対応を誤れば、そのまま致命傷に繋がり、勝敗が決する。

 

 ヴィッターヴァイツの蹴りが、ジルフの脇腹を掠めたとき。ついに血肉が裂けた。翳りを見せたオーラが、ダメージの増大をも許していた。

 

 ジルフが、苦痛に顔を歪める。勝ち誇るヴィッターヴァイツ。

 しかし、ただでやられはしない。

 蹴り出された足を両腕で掴み取って、返し技で力任せに地面へ叩きつける。

 ヴィッターヴァイツの額が割れる。全身ごと、深く深く、地へめり込んでいく。

 同時に、激しい地割れが起こった。クレーターが真っ二つに割れて、さらに大地は破壊されていく。

 気付けば、辺り一帯が朦々と湯気を上げている。マグマの流れる高熱層が近づいていた。

 

 ジルフは、油汗の滲む額を拭い、激しく痛む脇腹をさすった。

 回復している暇はない。

 雄叫びを上げて、地の底より怒れるヴィッターヴァイツが飛び出した。

 

 両腕に竜巻のごとく気力が渦巻いている。どうやら決めるつもりでいるらしい。

 ジルフも両腕に力を溜めて、身構えた。

 

「かああっ!」

 

 両の拳が、ほとんど同時に放たれた。

 

 ジルフは、左の拳を、気を高めた右腕でブロックする。

 竜巻が絡みつく。思った以上の威力だった。

 拳を専らとする者とそうでない者の差が、紙一重で出たか。

 右腕はズタズタに引き裂かれて、体勢が乱れる。

 防御が間に合わないところに、荒ぶる右の拳が迫る。

 ジルフの懐へと、深々とめり込んだ。竜巻状のエネルギーは、彼の内部へ侵入し、内臓を害せんと荒れ狂う。

 深刻なダメージが生じた。ジルフの口から、血反吐が零れる。

 

 だが――右腕は壊れたが、左腕はまだ「死んでいない」。

 

 ジルフの意志もまた、死んではいなかった。燃えていた。肉を切らせて骨を断つ。

 

 喰らうと同時、狙い澄ましたカウンターが、攻撃に全力を傾けたためにがら空きとなった、ヴィッターヴァイツの胴を正確に穿つ。

 ヴィッターヴァイツもまた、口から激しく血を吐き出した。

 腹を押さえて、よろめく。

 だが、意地でも倒れない。戦闘の構えは解かない。意識を手放すのは、死ぬときだけだ。

 

 互いに消耗が激しかった。肩で激しく息を切らしている。

 

 満身創痍に鞭打って、決着をつけるため、三度激突せんと、両者が気を高めたとき。

 

 いつの間にか、レンクス・スタンフィールドがすぐ近くまで来ていることに、二人は同時に気付いた。

 

 ――決め切れなかったか。

 

 タイムリミットだ。

 

 ヴィッターヴァイツは狡猾な男である。逃げる手段は持っているし、逃げるだろう。

 

 ジルフは悔しさを滲ませながら、戦いの最中で素直に感じていたところの口火を切った。

 

「並大抵の鍛錬ではない。そもそもお前の本質は、実直な武道者だったはずだ。そうだろう?」

「……知ったことを」

「……それほどの力を持ちながら、なぜ奢り昂る。なぜその力をもっと有意義に活用しない?」

「有意義だと?」

 

 これが、ヴィッターヴァイツの何に触れてしまったのか。ジルフにはわからなかった。

 彼は、嗤った。狂ったように嗤った。

 

「有意義なことなど、どこにある。オレにとっては、もはやすべてが意味のない……下らんことだ」

 

 嗤いを止めたヴィッターヴァイツの目には、激しい憎悪と――絶望の色が浮かんでいた。

 ジルフは、あえて反論することはしなかった。

 この男を狂わせるような何かがあったのだろうと、ジルフは悟った。このように絶望に塗れたフェバルを、ジルフは知らないわけではない。エーナを始め、知っている仲にも何人かいる。

 ……彼自身も、イネアと別れるとき、運命を呪わなかったわけではないのだ。いや、今も呪っている。せめて託されたユウを気にかけることで、前向きな意味を見出そうとしているだけなのだ。

 

「実はな。お前を止めるように、J.C.には言われていたんだ。聞いたぞ。昔のお前は、真面目だったと」

 

 彼女の名を聞いて、ヴィッターヴァイツが顔色を変える。あからさまに不機嫌になっていた。

 

「貴様……。そうか。姉貴の差し金だったとはな」

「姉貴だと? こんな弟がいたとは、初耳だな」

「……実の姉弟ではない。遥か昔、オレがフェバルとして駆け出しだった頃、散々要らぬ世話を焼いてくれた――下らん女さ」

「家族同然の縁は大切にしておけよ。そう得られるもんじゃない」

「下らん。オレはな。目が覚めたのだ」

 

 この世のすべてを見下した目で、ヴィッターヴァイツは淡々と語る。

 

「この世は所詮力がすべて。真の自由など――意志など、ありはしないのだ。こんな救いようのない世界など、戯れにするしか仕様があるまい」

「力がすべて。だから、力の優れるお前が好きにしてやろうと。そんなことが許されると思っているのか?」

「許すかどうかの問題ではない。事実認識の問題だ」

「……そうか」

 

 ジルフは、この男に失望していた。

 戦いの中で、もしかすれば、この男はJ.C.から聞いていたように、実直な部分があったのかもしれないと感じた。

 しかし、所詮は名残だった。遥か昔に「その男」は死んでいる。

 今この場にいるのは、運命に負け、力の論理に溺れてしまった残虐なだけの男に過ぎない。

 

「案外、愉しいものだぞ。異世界を気ままにさすらい。好きな物を食い。好きな女を抱き。好きな奴を殺し。好きなものを壊し。好きなものを支配する。一時、下らんことを忘れられるくらいにはな」

「そこまで愉しいようには思えないがな。俺は戦っていた方が愉しいぞ」

 

 ヴィッターヴァイツもさすがに同意して、皮肉気に肩をすくめた。

 

「これに比べればな。久しぶりに味わわせてもらったぞ」

「お前を喜ばせるために戦ってるんじゃない」

 

 こめかみを引き攣らせて、ジルフは静かにキレていた。

 この男に勝ち切れなかった自分の至らなさへの苛立ちも交えながら。

 

 いよいよ、レンクスがそこまで迫っていた。

 ヴィッターヴァイツは、本来伝えるはずだった用件――戯れとしての挨拶を、ここで告げることにした。

 

「この下らん世界も、終わりは近い」

「お前。何をするつもりだ」

「さあな。ホシミ ユウに伝えておけ。どうやってトレヴァークに来ているのか知らんが……身の程知らずが今度、オレの前に立ち塞がるようなことがあれば、死よりもなお恐ろしい苦痛と後悔を与えてやるとな」

「そうはさせんぞ」

「くっくっく。できんな。トレヴァークに対して一切無力な貴様らでは。だからあの小僧しか姿を見せんのだろう?」

 

 図星だった。あからさまに悔しがっては奴を喜ばせるだけと考えて、ジルフは黙って拳を握り締めている。その態度だけでも、ヴィッターヴァイツは満足した。

 

「貴様らは世界が蹂躙される様でも、仲良く指をくわえて見ているがいい。はっはっは!」

 

 最後に高笑いを上げて、ヴィッターヴァイツはワープクリスタルを使い、姿を消した。

 

「くそ……!」

 

 手負いのジルフは、悪態と同時に膝を突く。

 あのまま戦い続けて、負けるつもりはなかったが、勝てたかどうかはわからない。

 ユウのためにも、散々に打ち負かしてやりたかった。

 

 ジルフは、奴のいなくなった虚空を、いつまでも険しく睨み続けていた。



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148「ユウ、無力に悩む」

 ――ここは。俺は、どうなったんだろう。

 

 確か、ヴィッターヴァイツに思い切り蹴られて。ジルフさんが、助けに来て。それから。

 

 うっすらと視界が開けた。景色に靄がかかって、ぼんやりとしている。誰かが顔を覗き込んでいる。

 

 心配している。とても。

 

 ユウ。ユウ。

 

 しきりに自分を呼ぶ声が聞こえる。心の声と、呼びかける声が、同時に伝わってきて。

 ようやく目の前の人物を、認識した。

 

「ユイ……」

「ユウ。ああ……気が付いた……よかったぁ……」

 

 顔を綻ばせる。安心から、一緒に大粒の涙が溢れてきた。

 

「よかった……! よかったぁ……!」

 

 胸元に縋りつかれて、わんわん泣かれてしまった。

 後から後から、とめどなく温かい涙が沁みてくる。

 そんなに心配されていたのかと嬉しくて、同時に、申し訳なくなった。

 

「ユウは、ユウだよね……? うん、ユウだ……」

「だい、じょうぶ……君のよく……知ってる、俺だよ。ちょっと……危なかった……けど」

 

 君が必死で抑えてくれたおかげで、土俵際で踏み止まることができたよ。今は、あの恐ろしい力はまた遠ざかっている。

 少し声を出すだけで辛かった。ひどく掠れていた。よほど手痛くやられたらしい。

 

「ばか。私たちから気を逸らそうと、一人であんな奴に啖呵なんて切って……ぐすっ……本当に死んじゃうかと思ったんだよ……?」

「ごめん。ああするしか、なくて」

「でもよかった。ユウが、ちゃんと帰ってきてくれて……」

 

 泣き足りないのか、甘えてぎゅっとしがみついてくるので、あやそうと手を寄せかけて、

 

「っ!? いたたた……」

 

 あまりの激痛に、顔をしかめた。

 

「しばらくは動かん方がいい」

 

 やや離れたところから、穏やかな声がかかる。

 温かい目でこちらを見つめるのは、ジルフさんだった。命の恩人だ。

 

 それに少し見たら、全然ジルフさんだけじゃない。

 

 ユイに立場を譲って、喜びと羨ましさ混じりで微妙な顔をしているミティ。ほっと一安心した顔をしているレオン。同じく肩の荷が下りたって顔をしているレンクスに、やれやれと首を振るエーナさん。さりげない位置でガッツポーズをしている受付のお姉さん。それから、ちらほらと冒険者や顧客仲間。

 果ての荒野に出ているランドとシルヴィア以外のメンツだ。結構な大所帯だった。

 

 こんなに来てくれたのか。

 温かい気持ちになって、一緒に恥ずかしさが込み上げてくる。

 ユイにとってみたら、恥も外聞も投げ捨てて、泣きついてしまうほどの事態だったわけで。

 確かに、死ぬほど大変だったわけで……。

 

「ありがとう。みんな……心配かけた」

 

 とりあえずは、それしか言えなかった。

 

 みんなの無事な姿を見て。俺も安心して。また意識が遠くなってきた――。

 

 

 

 次に目が覚めたときは、もう少し意識がはっきりしていた。

 人の気配はもうほとんどなくなっていて。

 ユイはいた。うつ伏せで俺に縋りついたまま、すやすやと安らかな寝息を立てている。

 まだ、涙の痕が残ったままだった。

 ひどく痛む腕を慎重に動かして、そっと黒髪を撫でる。起きなかった。

 

『ユイは寝かせてやってくれ』

 

 レンクスもいた。小声で念話を飛ばしてくる。喉までやられている俺が喋りやすいようにとの配慮もあるのだろう。

 

『ずっと寝ずに看病してたんだ。お前、丸三日は気を失ってたんだぞ』

『そんなにか……』

『一部の内臓が破裂。体組織も滅茶苦茶にやられててな。ジルフと二人がかりでマジだった。あと少し治療が遅れてたら、くたばるところだったぜ』

『それは……ありがとう』

『いいさ。それと、礼ならエーナにも言っとけよ? あいつ、泥まみれになってまで沈んだお前を引っ張り出したんだからな』

『泥まみれ……?』

『ああ。運が良かったぜ。フォートアイランドの柔らかい土が、衝撃を殺した。お前を助けてくれたんだ』

 

 そうか。一撃でフォートアイランドまでぶっ飛ばされて――景気良く飛んだおかげで、命拾いしたのか。

 あとはラナソールであったことも。これがトレヴァークだったら、飛ぶまでもなく身体は木端微塵になっていただろう。

 

『まあ、フェバルは死んでも平気と言えば平気だが……この怪しい世界じゃ実際どうなるかわからねえし――何より、ユイが泣いちまうしな』

『そうだよな……。本当に助かった。ありがとう』

『だからいいってことよ。死ぬのはやっぱ、嫌なもんだ。なるべく味わわないに越したことはねえさ』

 

 ひとまずは助かったことに、改めて安堵して。

 落ち着いてみると、沸々と強い不安が、それから悔しさが込み上げてきた。

 

 挨拶に来たと言っていた。結局話はほとんどせずに終わってしまったけれど。

 奴の知りたがったこと、したかったことは何となくわかる。

 俺の能力と、俺がどうやってトレヴァークにこのままで来られているのか。

 

 そして――宣戦布告だ。

 

 奴は、何か仕掛ける気でいる。ディスクで読み取れた内容から、示唆されること……。

 世界を維持するために、あってはならないこと。

 悪寒が走る。まさかと思う。そのまさかを簡単にやってのけるのが、ヴィッターヴァイツという男だ。

 

 やられた傷を意識すると、ズキズキと痛んで仕方がなかった。

 

『まさか奴が、あんな大胆にやって来るとはな。もう少し慎重な奴だと思っていたぜ。読み違いだった』

『俺もだよ。まさか直接挨拶に来るなんて』

『できるだけ俺たちの誰かは店にいるように、穴を開けないようにしてたってのによ。きっちり監視されてたわけだ。ちくしょう』

 

 静かに怒りを滲ませているのが、よく伝わってきた。こんなに俺のために怒ってくれる人が、何人もいるんだと。嬉しくて、やっぱり心配をかけたなと申し訳ない気持ちになる。

 

『あー失敗した。しっかりニートしとくんだったぜ』

 

 にへらと笑って、軽口を叩く。いつもならユイの鋭い突っ込みが飛ぶところだけど、彼女は疲れて眠っている。俺としては、少しでも空気を軽くしようと思って言ってくれた彼の言葉がありがたかった。

 

『……なあ。レンクス』

『なんだ』

『少し、外の空気が吸いたい。連れてってくれないかな』

『……あまり、気分転換になるとは思えないけどな。ジルフと奴が戦ったせいで、今はとっちらかってるからよ』

『それも見ておきたいんだ』

『……よっしゃ。いいぜ』

 

 ユイを起こさないように、そっと負ぶってもらった。

 

「いたた……」

『おい。何も無茶することはないんだからな』

『わかってるよ』

 

 レンクスに背負われて、店の屋根に上がった。

 

 外の空気に触れたとき、既に何かがおかしかった。

 

 風の流れが……いつもと違う。やけに土っぽいような気もする。

 

 そんな妙な風に吹かれて、黄昏れている背中を見つけた。どこか言いようもない物寂しさを感じさせるのは、フェバルが本質的に孤独な生き物だからだろうか。

 

「ジルフさん」

「おう。坊主か。もう大丈夫なんだな」

 

 ジルフさんは、俺の姿を認めると、ふっと微笑んだ。

 

「はい。おかげ様で。助けて下さって、ありがとうございました」

「礼はいい。ただ俺がそうしたかっただけのことだし、イネアにも頼まれていることだしな」

 

 ただそれきり、ジルフさんは黙ってしまった。

 難しい顔だった。何か考え事をしているのは確かだけど。

 

「ヴィッターヴァイツと……戦ったんですか?」

「……ああ。戦った」

 

 妙に悔しそうだ。返事もあまり気が入っていない。

 街が無事ってことは、撃退できたってことなんだろう。十分誇らしいことだと思うけれど。何かあったのだろうか。

 ふと、ジルフさんの遠く見つめる視線の、その先が気になった。

 レンクスの肩を軽く叩いて、上空へと案内してもらう。

 

「やっぱり、気になるか」

「うん」

 

 そして、見た。

 

 ――なんて……ことだ。

 

 風が変わった原因は、これか!

 

 クリスタルドラゴンの山は、真っ二つどころではない。影も形もなかった。

 代わりに『爆心地』にも匹敵するほどの、巨大なクレーターができ上がっている。

 これを――こんなとんでもないものを、ただ適当に戦っただけで、ついでに作ってしまったと……?

 

 身が震える。

 わかっていたはずなのに。

 身近にいるはずの人間が、やっぱりフェバルで――誰よりも遠くに映ってしまう瞬間だった。

 

 不意に脳裏を叩くのは、ヴィッターヴァイツの言葉だ。

 

 圧倒的な力の差。本物のフェバルの力。

 

 ……見せつけられたよ。「また」。

 

 知識として知ってはいた。ウィルに散々見せつけられて、嫌というほど味わってもいた。もしも対峙したときのことを念頭に置いて、入念な訓練もしてきた。

 

 なのに、あらゆる心構えも対策も、何の役にも立たない。

 

 レベルが違う。繰り返し叩きつけられる事実。

 

 動きが見えなかった。何もできなかった。気が付いたら、死にかけていた。

 ただ単純に、何の工夫もなく、正面から、乱暴に、力そのものを打ち込まれて……負けた。

 ラナソールという異常に恵まれた環境で、唯一叶ったことと言えば。ほんの見せつけるつもりで放たれた一撃だけは、辛うじて耐えたこと。それだけだ。

 あれだって、運が悪かったら、最初の一撃で殺すつもりだったら……死んでいた。

 

 だって、あの光景こそが、本来の……。

 

 ――悔しい。悔しいよ。

 

 理不尽だ。あんな奴、絶対に許したくはないのに。徹底的にぶちのめして、二度と悪さのできないようにしてやりたいのに。

 

 眼前の光景が、容赦なく絶望を突き付ける。

 

 あらゆる現実が、解なしを弾き出す。

 

 やっぱり、勝てない。まともにやったのでは。人間のままでは。中途半端なフェバルのままでは。どうやっても。あんなものには。

 

「……悔しいか。坊主」

 

 いつの間にか、ジルフさんが隣にいた。こちらへ憐れむような、同情的な目を向けて。

 その憐れみが、まるで子供に向けるようなそれが、今だけは。

 対等な立場じゃないと、所詮守られるべき立場なのだと突き放されているようで、余計に惨めさと悔しさが増すのだった。

 別にそんなつもりで言っているのではないと、いつだかリクやシズハに食ってかかられたときのことを思い返して、嫌な気持ちは喉の奥で押し留める。

 

「はい……どうして、わかったんですか?」

「お前はわかりやすいからな。何度も修行を付けていれば、何を考えているかくらいすぐにわかるさ」

「俺もだ。もっとわかりやすいガキの頃からよく見てるからな」

 

 無力感が立ち込めてくる。

 これまで身に付けてきた力とは何だったんだろうと、差をまざまざと見せつけられてしまうと、どうしても感じてしまう。

 きっと老婆心からなんだろうけど、追い打ちをかけるように、ジルフさんが重々しい口調で言った。

 

「ユウよ。辛いかもしれんが、よく目に刻んでおけ。お前が行く先々で世界に立ち向かうなら、これからきっと何度も遭遇することになる。あれが――フェバルの力だ」

「あれが……フェバルの力……」

 

 あの馬鹿げた力を前にして、俺には何ができるというのか。今までの備えでは足りない。これからも足りるようになるとは思えない。とても。

 

 ……はは。

 

 リク。シズハ。ハル。ミチオ。

 ランド。シルヴィア。レオン。ミティ。

 この二つの世界の、たくさんの人たち。

 

 今、みんなを引き合いに出して、少しだけ弱音を吐く自分を許してくれ。

 

 君たちは、どこか一線を引いて、俺を特別扱いしてきてくれた部分もあったように思う。

 

 でも、一緒なんだ。何も違わない。

 

 俺も無力だ。今だって、こんなに悩んでいるんだ。怖いんだ。悔しいんだ。

 

 俺は弱い。完全無欠の、理想のヒーローなんかじゃない。

 

 ただ何とかならないかと、絶望的な現実を突き付けられても足掻いているだけの、小さな人間だ。

 

 本質的なところは、何も変わっちゃいないんだよ。

 

 ――だけど。

 

 ――何かできないのか。何か。備え。

 

 …………。

 

「……ジルフさん。お願いがあるんです。レンクスにも」

 

 俺は、二人にある頼みをした。

 二人にも、起きたユイにもかなり怒られたけど、最終的にはやってもらった。

 

 

 ――だけど、それでも俺は何とかしたいと思うから。

 

 もう二年過ごした。とっくに大好きな世界なんだ。夢想病のこととかはあったけれど……こんなに何も考えずに、ユイと楽しく馬鹿をやれた世界はなかった。本当に、楽しい世界なんだ。

 

 みんながラナソールの下らない日常を、馬鹿みたいなことをやって、下らなく笑って過ごせるように。そして、ちゃんと現実と繋がって、トレヴァークの明日が、夢で少しでも明るくなるように。

 できるだけのことはしたいと思うんだ。

 ヴィッターヴァイツ。フェバル。超越者。お前たちの理不尽には、どうしても負けたくないんだよ。



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149「その日はまもなく近づいて」

【ダイラー星系列 第97セクター観測星】

 

 二人の観測員、オルキとメイナードは、相変わらずお茶を啜りながら、まったりと星の観測を続けていた。

 奇妙な挙動を示す世界について、ちょっとした異変は報告したが、そのくらいだ。

 第97セクターは今日も平和で、これからも平和のはずである。

 世間話に花を咲かせていると、ちょうど二人のお茶がほぼ同時になくなった。

 オルキが、空になった湯呑みを持て余して、最近は持て余すこともあまりなかったなと思い、すぐに思い至る。

 

「あー……そうか。もういないんだよな」

「はい。とうとう行っちゃいましたね。あの赤髪の少女」

「ずっといてくれてもよかったのにな。あの子が入れてくれる茶は、本当に美味かったからなあ」

 

 赤髪の少女は、そろそろ行かなくちゃと言って旅立っていった。

 よく働くので、できればずっといてくれてもいいと思った二人であるが、元々が旅銭のための短期滞在である。引き留められようはずもなく、二人は旅の無事を祈って彼女を見送った。

 

「私が入れてきますよ」

「すまないな。頼む」

 

 メイナードが、オルキから湯呑みを受け取り、給湯室に向かおうとした、そのとき――

 

 通信ブザーが鳴る。

 

 二人は、仕事の顔付きになって、すぐに襟を正した。

 

 長らく鳴ることがなかった、緊急用の受信機にかかってきていたからだ。

 

 そして、通信先を確認して――背筋が凍った。

 

 通常の報告先である管轄星を遥か飛び越えて――本星から、直接である。

 

 何があったのか。とりあえずで報告したあの一件しか心当たりがない。

 まさか。あれがここまで大事だったというのか。

 二人の中では上位者であるオルキが対応する。緊張の面持ちで通信を入れた。

 

「こちら第97セクター観測星、観測員オルキ」

『こちら本星。手短に用件を伝える。本星では、惑星97-I-00365――現地呼称トレヴァークを、厳重注意観測対象と認定』

 

 厳重注意観測対象。

 隣で聞いていたメイナードは、思わず湯呑みを落としかけるほどのショックを受けた。

 かつてのエストティアも――あれはエストティアの挑発的行為によって、一飛びで殲滅対象になってしまったが――元々のレベルは要注意観測対象に留まる。

 いかに本星が、トレヴァークを重く見ているかという姿勢の表れだった。

 

『ついては規定に則り、本星より星裁執行官一名および副官一名、補佐官五名、さらに臨時戦力兵器を派遣する。以後、第97セクター観測星およびトレヴァークは、厳重注意解除の通達があるまで、同星裁執行官の指揮下に置かれる』

 

 となれば、星裁執行権を持つ者が派遣されてくるというのは、必然の流れである。

 観測星は、種々のサポート業務――つまりは、体の良い雑用を嫌というほど任されることになるだろう。

 その分、ボーナスはたんまりと弾むことになるだろうが……これからの苦労を思うと、メイナードはうんざりした。

 

『星裁執行官の名は、ブレイ・バード。まもなくそちらへ到着する。丁重に迎えるように』

「はっ、承知いたしました」

 

 冷や汗を滲ませながら、オルキは粛々と頷いた。通信が切れるのを聞き届けて、彼はどっと疲れた顔で腰を落とした。

 

「いやあ。とんでもないことになってきましたね」

「二千年前の小事件以来か。いきなり本星が出張ってくるだなんて、相当なことだぞ」

「妙なことにならないといいのですが……」

「そうだな……」

 

 二人は溜息を吐いて、問題となっている当の観測対象――トレヴァークを改めて映し出す。

 

 重なり合う二つの世界のうち片方が、以前より妙に揺らいでいた。

 

 ***

 

【惑星ノーマティラム】

 

 目的地まで物理的な距離は大きいが、星脈上はラナソールへと直接流れ込む――一つ隣の星である。

 J.C.は、いよいよラナソールに臨もうとしていた。

 

「ジルフはどうしているかしら。ヴィットは……」

 

 遠い記憶の中の彼の姿を、脳裏に浮かべる。

 どこまでも実直な男だった。どこまでも不器用な男だった。

 彼と出会ったのは、いつのことだったか。

 いきなり異世界に放り出されて、どうしたらいいかもわからないので、ただその場に留まって、日課通り、ひたすらに拳を振るって修行をしていたという。聞けば笑ってしまうような出会い方だった。

 死に分かれた実の弟に少しだけ雰囲気が似ていた。弟が歳を重ねれば、彼のようになっていただろうか。それで、柄にもなく世話を焼こうと考えた。あの頃はまだ自分にも「若さ」みたいなものがあった。

 自分のことは姉さんと呼べと。生活の知恵から振舞い方から何から何まで、散々つきまとって鬱陶しいとは思われていたのかもしれないけれど。ぶつくさ文句を言いながらも、なんだかんだで素直に言うことを聞く子だった。

 最後まで、姉さんとは呼んでくれなかった。時々言いにくそうに「姉貴」と。ちょっと可愛いところもあった。

【支配】は素晴らしい能力だ。上手く使えば、あれほど人の役に立つ力もそうない。

 川の流れを【支配】すれば、治水工事を一手にやってしまうこともできる。そうして人に感謝されることの喜びを、彼には教えたし、知っていたはずなのだ。

 ただ、やり過ぎてはいけないとも。

 J.C.自身、長い旅の中で変わってしまったフェバルを知らないわけではない。しかし、もしあのヴィットがそうなっているのだとしたら……それは、とても悲しいことだと思う。

 

「やっぱり、この目で確かめないとね」

 

 J.C.は、移動のための自殺への準備に入った。

 

 ***

 

【惑星トーラロック】

 

 J.C.の後を追うように、赤髪の少女は移動を続けていた。

 現在、星脈上は目的地の三つほど隣の星である。ただし、物理的には最も近い「ヒトの暮らす」星である。

 彼女は、しばらくそこで待機していた。

 彼女は、死んで移動することはできない。そもそもフェバルでない彼女は、死ねばそれまでである。

 J.C.と違って、彼女にとってより重要なのは、物理的な距離だった。ある程度距離が近ければ、直接時空魔法を行使して目的地へと到達することができる。

 星間移動魔法。フェバルのように星脈の制約に縛られず、かつ尋常でない魔力を持つ彼女であるからこそ可能な離れ業だった。

 彼女が待機しているのには理由がある。

 行こうと思えば、いつでも行くことだけはできるのだ。

 しかし今はまだ、無理に行けば彼女では耐えられない。ラナソールは、本来いるべきでないよそ者がいるには、極めて厳しい環境だ。フェバルほど強い存在でなければ、たちまちやられてしまうだろう。

 

「たぶん……もう少しだね」

 

《アールカンバー・スコープ》を用いて、彼女はラナソールの様子を注意深く観察していた。いつでも動けるように。

 世界の揺らぎは増大している。まだ決定的なことは起きていない。

 これから何が起こるのか。彼女はすべてを知るわけではない。

 ただ、何があっても見届けて、道を繋げるために彼女はいる。

 

 ***

 

【惑星アギア】

 

 J.Cや赤髪の少女とは別ルート。しかし、こちらもラナソール到達まであといくつかというところまで迫っていた。

 わき目も振らず全速力で移動してきたため、この移動のために自ら心臓を貫いた回数は、既に四桁を数える。

 

「待っていろ。終わらせてやる」

 

 ウィルは、躊躇うことなく再び自らの心臓を突き刺した。

 

 ***

 

【ラナソール 果ての荒野】

 

「なあー。これ、いつになったら終わるんだろうなー」

「わかんないわよー。それを確かめるために歩いてるんじゃないのー」

「それもそっかー」

 

 ランドとシルヴィアは、棒のようになった足を動かしながら、仲良く旅を続けていた。

 どこまでも代わり映えのしない荒野かと思われたが、緩やかな変化はあった。徐々に地形も、ごつごつした岩から、よりきめ細かな白い砂のような何かに変わっていって、より無機質で乾いた風景となっていた。

 

「ユウさん、結局昨日来なかったな」

「きっと忙しいのよ。もしものときのためにちょっとずつ少なめに食べてるから、まだ大丈夫よ」

 

 ヴィッターヴァイツにやられて気を失っていたために来られなかったということを、二人は知らない。

 

 地形の凹凸もほとんどなくなって、無限の地平線が広がっている。生き物はどこにもいない。とても寂しい場所だと、二人は感じていた。不気味な怖さもある。もし一人だけでここにいたら、耐えられないだろう。

 魔獣のようなわかりやすい敵はいないが、危険がないわけではなかった。むしろ得体の知れない危険に満ちていた。

 

 突然、何もない空間に暗黒の穴が開く。それは周りの白い砂を巻き上げて、容赦なく呑み込んでいく。

 

「またあれね……」

「気を付けろよ。あれに巻き込まれたら、どうなるかわからないからな」

「当然よ。ランドこそ、うっかりしないようにね。今は私より弱いんだから」

「ぐ……それを言うなよ」

 

 風が妙に揺れていたら。白い砂が微妙に巻き上がっていたら。そこは穴が開く兆候だった。経験則で学んだ二人は、危なそうな場所は避けて通るようにしていた。

 さらには、目に見えない危険もあった。

 

「あの辺……砂がちょっと凹んでるわね」

「よし。あそこは避けるぜ」

 

 まだ砂の土地が荒野だった頃、歩きに退屈したランドが、何となくその辺の小石を適当に投げたときに運よく発覚した、恐ろしい現象。

 小石が消えたのだ。跡形もなく。何度投げても、忽然と消えた。

 ランドとシルヴィアは、この恐ろしい現象に対して、結論するしかなかった。

 ぱっと見た上では何も変化はないが、ただ足を踏み入れただけで、存在が消し飛んでしまう罠のような空間があると。

 こちらも万能な見分け方はないが、持ち物を適当に放って識別してみたり、今のように周りの砂などが消えていると、怪しいと見立てることはできる。

 慎重にならざるを得ないおかげで、ただでさえパワーレスエリアで遅くなっている足は、さらに遅くなってしまっている。

 だが、着実に進んではきていた。

 

 そして――

 

「ねえ。あれ……」

「ああ……」

 

 遥か彼方、いつまでも続くと思われていた土地が、ついに途切れているのが見えた。

 

「もしかしてあれ、世界の果てってやつなんじゃないか……?」

「じゃないの? だって……」

 

 遅れて、徐々に実感が込み上げてくる。

 感極まって、二人は跳び上がり、強く抱き合っていた。

 

「やった! やったぞ! シルヴィア! 俺たち、ついに見つけたんだ! 辿り着いたんだ!」

「うん! うん! やったね! ランド!」

 

 何年もかかった。大変な苦労もした。死にかけたこともあった。

 すべては、この日のために。

 喜びを噛み締めるあまり、抱き合ったまま小躍りもしてしまうほどだった。

 

 とは言え、ようやく落ち着いてみると、ここからがまだまだ大変だった。うっかり駆け寄ろうものなら、どこであの消滅エリアが牙を剥くかわからない。

 

「最後の詰めだ。慎重に行くぜ」

「ええ」

 

 二人は仲良く手を握り合って、最後の一歩を進む。

 この先、何が待ち受けているかも知らずに。

 

 ***

 

【ラナソール ありのまま団宿舎】

 

「ジルフとヴィッターヴァイツがな。いよいよきな臭くなってきたな……」

 

 木を隠すなら森の中。上裸を隠すなら漢たちの中。トーマス・グレイバーは、さりげなく溶け込んでいた。

 バディが、気安く肩を叩いてくる。

 

「どうしたトーマス! 漢の悩みなら聞くぜ?」

「……いや、何でもねえさ」

「そうか! それよりどうだい? この筋肉! また鍛えたんだ! 素晴らしいだろ?」

「おう! いいもの持ってるじゃねえか! お返しに、俺も見せてやるよ!」

 

 適当に力を込めると、服が弾けて、素晴らしい筋肉の姿が露わになった。バディは泣くほど感動していた。

 

「オーウ。ビューティホゥ……」

 

 ユウ。ウィル。それから……。

 お前ら、これからどうするよ。見届けさせてもらうぜ。

 

 トーマス・グレイバーは、今は傍観している。

 

 ***

 

【ラナソール 何でも屋『アセッド』】

 

 そして、ユウとユイは、この日、27歳になっていた。

 

 ラナソールに来てから、ほぼ二年のことである。

 また、去年のように盛大な誕生日パーティーを開く予定もあった。

 ランドとシルヴィアはさすがに欠席で、個別に会いに行くことになるのだろうけれども。

 トレヴァーク側でも、レオンを通じてユウの誕生日を知っているハルは、周りに働きかけて、何かささやかなものを考えているようだった。

 ただ、とても去年のようには素敵な気分では楽しめないだろうなと、ユウは残念ながら感じていた。

 ヴィッターヴァイツのことが、ずっと頭に重くのしかかっているからだ。

 それでも、この日ばかりはみんなと一緒に楽しもうと、健気なことを考えていた。

 

 しかし、ついに二回目の誕生日パーティーが開かれることはなかった。

 

 なぜなら、この日――。



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150「The Day Mitterflation 1」

 27歳の誕生日を迎えていた。本来なら楽しい一日になるはずだった。

 その日は、朝から妙だった。

 いつもなら朝一番に起きて張り切っているはずのミティが、いつまでたっても二階から降りて来ない。

 朝食を済ませていよいよ仕事にかかろうというタイミングでも音沙汰がないので、さすがに心配になってきた。単なる寝坊とかならいいんだけど。

 

「ちょっと様子を見てくるよ」

「うん。任せるね」

 

 彼女の部屋のドアをノックした。

 

「ミティ。起きてるか」

 

 返事がない。でもいないはずはないからな。

 もう一度ノックして、声をかける。

 

「朝ご飯できてるよ」

「……ユウ、さん」

 

 掠れた涙声が、辛うじて聴き取れる程度で返ってきた。

 やっぱり何かあったのか。ただ事ではないと感じた俺は、とりあえず話を聞こうと思った。

 

「ミティ。入るよ。いいかい?」

 

 否定の言葉もなかったので、そっとドアを開ける。

 ミティは起きていた。

 ネグリジェ姿の彼女は、朝日に照らされて、ベッドの真ん中でぽつんと女座りしていた。

 彼女は泣いていた。声も立てずに静かに泣いていた。

 つう、と涙が頬を伝って滴り落ちる様をいきなり目の当たりにすれば、誰だって面食らうだろう。

 

「どうした? ミティ」

 

 動く元気もないみたいだ。心配で近寄ると、彼女は俺の胸元に力なく縋り付いてきた。

 困ったけれど、とりあえず泣くに任せて受け止める。

 しばらくそうしていると、やっとミティは口を開いてくれた。

 

「わたし、どうしよう。変なんです。朝から、ずっと涙が止まらなくて……でもどうしてか、わからなくて……」

「ミティ……」

「悲しくって、悲しくって、仕方ないんです。変なんです……」

「そうなのか……」

 

 これは……調べてみないことにはわからないな。

 ミティは好感度が高いから、心は繋げやすい。

 

《マインドリンカー》

 

 すると、突然銃で撃ち抜かれたようなショックが襲ってきた。

 不意にこちらまで涙が出てきそうになる。

 しきりに伝わってくるのは、深い喪失感だ。

 原因は明らかだった。向こうの世界でミチオが悲しんでいるんだ。

 

 この場でミティを慰めてあげるのも大事なことだけど……。向こうが気がかりだ。俺にしか行くことができないし。

 

『何かあったのかもしれない。トレヴァークに行ってみるよ』

『わかった。最近妙に騒がしいから、気を付けてね』

『悪いけど代わりを頼む』

『任せて』

 

 ユイの了承を取ってから、ミティに申し訳ないと思いつつ言った。

 

「今日はゆっくり休んでいいよ。ユイに相談に乗ってもらうといい」

「……ユウさんは?」

「ごめんね。ちょっと君のことに心当たりのある人に会いに行ってくるよ」

「……そうですか」

 

 ミティは心細そうな顔をしたが、少し考えて納得してくれた。

 

「ユウさんって不思議な人ですよね。気が付いたらどこかに行ってて、みんなの悩みを解決してて。わかりました。わたし、信じて待ってます」

「ありがとう。お大事にね」

 

 ミティのパスを使って、トレヴァークへ飛び込んだ。

 

 

〔ラナソール → トレヴァーク〕

 

 

 アルトサイドを通り抜けると、部屋の中に出た。

 ミチオの部屋と一目でわかった。男の部屋とは思えないほど、可愛らしいものに溢れている。可愛いものが好きだと話していたのは本当のようだ。

 そして彼は、ベッドで布団にくるまってふさぎ込んでいた。すすり泣く声が聞こえる。

 

「ミチオ。何があった?」

 

 声をかけると、小さく布団が震えた。驚いた顔が覗く。目は泣き腫らして、痛々しいほどだった。

 

「ユウさん……? どうやって、ここに?」

「君のことが心配になってきたんだ」

 

 細かい事情を口で説明しても伝えるのが難しいので、《マインドリンカー》で繋がっていることを利用して、おおよその経緯をイメージで送る。

 彼は驚いていたが、やはり夢でしょっちゅう見ていたからか、納得はしてもらえた。

 すると、ミチオも俺に縋り付いて泣き出した。

 半分声にならない声を、途切れ途切れぶつけてくる。

 

「ミューエレザが……親父が……おふくろが……!」

「どうした?」

 

 女装癖等があって、両親と折り合いの付かなかったミチオは、故郷であるミューエレザを飛び出して、アロステップで一人暮らしをしているということだったはずだ。

 

「まだ、和解も……してなかった、のに……どうして……うあああああ……!」

 

 いたたまれなくなるほどの激しい嗚咽だった。

 優しく肩をさする。それしかできない自分がもどかしい。

 何があったんだ。一体……。

 

 こんなときだというのに、懐に入れていた電話が、しきりに通知ブザーを鳴らしている。トレヴァークに来た瞬間に、溜まっていた分のメールが一気にやってくるからだ。

 だけどおかしかった。溜まっていた分ばかりじゃない。今まさに、何度も何度も通知が来ている。

 どうもただ事ではなさそうだった。

 

 申し訳ないと思いつつ、片手で電話のスイッチを入れてメールを辿る。

 

 まず、シルバリオから一件。

 

『ユウさん ミューエレザの件、大変なことになってしまいました。ついては至急、対応について協議したく』

 

 ミューエレザの件。

 嫌な予感しかしなかった。ミティが泣いているのも、その件だ。

 まさか……。

 

 ハルからも、数件来ていた。すべて同じような内容だった。

 

『ユウくん 見ているかい? 見ていたら返事が欲しい。今からレオンからも伝えに行くけど、大変なことになったんだ。ミューエレザが……』

 

 そこには、目を疑うようなことが書いてあった。

 だからか。

 つまり、ミティの両親は、もう……。

 

「……ごめん。ちょっと、いいか」

 

 近くにあったテレビのスイッチを入れる。

 俺も今度こそ涙が滲むのを抑えられそうになかった。

 どのチャンネルも同じ緊急ニュースを伝えている。

 

『ミューエレザが、謎の爆発によって壊滅的被害を受けました。推定死者は約五万人にのぼると見られます。政府は事態の把握と、レッドドルーザーを始めとする各地の警備隊への救助要請を……』

 

 謎の爆発。大量虐殺。

 恐れていた事態だった。本当にやりやがった!

 こんな真似ができる奴は、しようなんて奴は、一人しかいない。

 ヴィッターヴァイツ……! お前、よくも……!

 人間爆弾を使ったな!

 

 テレビを消そうとしたとき。

 画面では血相を変えたスタッフが、アナウンサーに耳打ちしていた。

 青ざめたアナウンサーが、真に迫る声で伝える。

 

『ただ今、緊急ニュースが入りました! ジブレイクでも同様の爆発があり……』

 

「あの野郎……!」

 

 もうすっかりぶち切れていた。

 

「ふざけるんじゃないぞ!」

 

 まだやるつもりなのか! お前は! どこまで!

 世界が壊れるまで、止めないつもりなのか。

 激しい怒りで、気がどうにかなりそうだった。

 辛うじて理性の残るところで、計算を働かせる。

 

 ――この上なく厄介だ。

 

 奴は気の扱いに極めて長けている。直前まで一般人の振りをしておいて、操った身で人間爆弾を起動する。たったこれだけのことで、未然防止の恐ろしく難しいテロ行為ができてしまう。

 町一つ吹き飛ばす規模の爆弾に変えるのには、能力がまだ万全でないということもあるだろうけど、さすがに奴でも少し時間がかかる。

 この前の戦いでは、三分程度はかかっていた。爆弾が起動すれば、異常なエネルギーの高まりが自ずと奴の場所を伝える。

 止めるためには、起動中に奴の下へ辿り着き、《マインドディスコネクター》を直接ぶち込むしかない。

 厳しい。

 猶予は、起動から爆発までのたった三分間だけだ。しかも、世界のいつどこで起こるか、わからない。

 

「心当たりが、あるんですか……?」

 

 ミチオの目は、まるで怒る俺を見て怯えているようだった。

 ここで嘘を言っても仕方がない。俺は小さく頷いた。

 

「止めなきゃいけない奴がいる。そいつがやっているんだ」

「なら……僕からも、お願いします。ユウさん、止めて下さい。これ以上、悲劇が増える前に……!」

 

 悲痛な涙声だった。これまでで最も痛ましい依頼だった。

 

「わかった。止めてやる!」

 

 ミチオの心の叫びを受け取った。

 だがここでは情報が後手に回る。何もできない。

 もしトリグラーブがやられれば、被害の規模は二つの町を遥かに超えるだろう。それだけは何としても避けなければ。

 急がないと。一旦レジンバークに戻って、レオンを通じてトリグラーブへ!

 

 

〔トレヴァーク → ラナソール〕

 

 

 そして、まるで機を見計らったかのように、ラナソールも大変なことになっていた。



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151「The Day Mitterflation 2」

『アセッド』に戻ると、まだ朝だと言うのに店は異様な空気に包まれていた。

 レンクス、ジルフさん、エーナさんも隅のフェバル席にいて、険しい顔で待機している。

 レオンも来ていた。ハルがメールをくれた通りに、俺にミューエレザの件を伝えに来てくれたのだろうけど、どうやらそれだけではなさそうだ。

 ミティは大丈夫だろうか。辛うじてユイの隣に立っているけれど、心がどこかへ行ってしまったかのようだ。

 事情については、ユイが話してくれた。

 

「終末教が、世界各地で同時武装蜂起しているだって!?」

「私もさっき聞いたばかりなの」

「冒険者の膝元であるここレジンバーク以外、ほとんどすべての都市で火の手が上がっている。既に神聖都市ラビ=スタの大神殿が占拠されてしまったそうだよ」

 

 レオンが、実に悲しそうに目を細めて言った。

 

「ただでさえ、向こうの世界でも大事件が起こっているというのにね」

 

 ヴィッターヴァイツが暴れているというこのタイミングで……。

 偶然なのか。いや、そうとは思えない。

 だけど、あのヴィッターヴァイツが終末教と手を組むなんてあり得るのか……?

 

「その大事件ってのはなんだよ」

 

 レンクスの問いに、レオンは暗い顔で俺に目を向ける。

 俺は、やるせない怒りを感じながら答えた。

 

「人がたくさん死んだ。たぶん……ヴィッターヴァイツだ。奴が人間爆弾を使って、無差別に都市を爆破しているんだ!」

「そんな。なんてひどい……!」

 

 いつもなら俺の心をよく覗いているユイは、初めて聞いたという顔でショックを受けていた。こちらでもミティの対応やニュースが入ってきて、聞き耳を立てる暇がなかったのだろう。

 ジルフさんも、硬い表情で怒りを滾らせているのが見えるほどだった。しかし言葉はあくまで冷静だ。

 

「ディスクによれば、向こうで人を殺せば、不浄なる死の想念とやらで、世界の基盤が弱体化するという。考えられることではあったな」

「だからってマジでやるか普通?」

「まったくとんでもないことね。力があるからって何でもしていいわけじゃないのよ」

 

 レンクスとエーナさんも、それぞれ呆れ混じりに怒っているようだった。

 

「こうしている間にも、次の都市が狙われるかもしれない。俺、行かないと」

 

 ラナソールのことも気になるが、トレヴァークのことは俺にしか対処できない。ここはみんなに任せるしかない。

 それは、レンクスも同じ心境のようだった。

 

「くそったれ。お前に任せるしかないのが心苦しいぜ」

「あまり無理はするなよ。また本体を見つけたら、今度こそレンクスと共に叩いてやる。頼んだぞ」

「はい。お願いします」

 

 本体さえ探知してしまえば、奴もトレヴァークに手を出している余裕はない。見つけて触れるまでが勝負だ。もうこれ以上の好き勝手をさせるわけにはいかない。

 レオンに向き直って、手を差し出した。

 

「レオン。ハルのところへ行きたいんだ。手を」

「お安い御用さ。トレヴァークを、よろしく頼む」

 

 改めてみんなを見渡した。いざ行くとなると、一人俯いているミティのことがやっぱり気がかりだった。

 あんなことがあったんだ。無理もない。

 

「ミティ……」

「大丈夫……です。こんなときに、わたしだけ泣き言ばかりは言ってられないですから。頑張らないと、です」

 

 人前で泣きたいほど辛いけれど、懸命にこらえている。そんな表情だった。

 

「行って下さい。ミティからも、お願いします」

 

 後ろ髪を引かれる思いがしたけど、ミティの健気な意を汲み取って、ミチオの頼みを汲み取って、今は行くことにした。

 

 

〔ラナソール → トレヴァーク〕

 

 

 ***

 

 

 ユウがトレヴァークへ行って、私たちはラナソールのことを何とかすることになった。

 もちろん私だけは間接的にユウのサポートができるから、いざ戦いになれば精一杯の手助けはするつもりだ。

 それに、今のユウは……しっかり支えてあげないと、心が不安定になっていて。冷たく染まってしまいそうで。怖いの。

 

「レオン。あなたはこれからどうするの?」

「例のクリスタルドラゴンの山消失事件――ヴィッターヴァイツとやらのことは、君たちに任せようと思う。僕は冒険者たちと協力して、終末教の件を対処するつもりだ」

 

 ちょうど受付のお姉さんから緊急招集もかかっていることだしね、と彼は付け加える。

 

「でも……あなたたちだけで大丈夫? 私たちも、何かした方がいいんじゃ」

「いいや。ヴィッターヴァイツというのは、恐るべき脅威と認識しているよ。君たちはどうかそちらに集中して欲しい」

「そうだね……わかった」

 

 この先、レジンバークは作戦本部のような役割を果たすことになるだろう。

 下手に戦力を散らせて、また前のようにレジンバークを強襲されるようなことがあれば。正確な情報が迅速に行き届かなくなる。現場は混乱して、大変なことになる。

 

「それに、きっと大丈夫だ。ランド君とシルヴィア君がいないのは心細いことだけど……Sランク冒険者が何名も集まってきてくれていると聞いた。ありのまま団からも有志が来てくれるらしい。彼らと上手く協力して事に当たるとも」

 

『快鬼』アルバス・グレンダイン、『魔聖』ケーナ=ソーンティア=ルックルーナー、『拳双』ゴン・イトー、『剛棒』イシュミ・アレイター、『奇術師』ルドラ・アーサムなど、名ありのSランク冒険者は多くが力を貸してくれるみたい。

 ルドラも、今回は一冒険者として素直に力を貸してくれると。

 でも、それでも。

 レオンは大丈夫と口では言っているけれど、かなり不安は感じているはず。高ランク冒険者やありのまま団の実力者を総動員しても、世界のすべてをカバーするには足りるかどうか。

 こちらの心配を察してか、レオンはぽんと私の頭に手を乗せて、励ますように言ってきた。

 

「ある戦力で頑張るしかないさ。お互い、全力を尽くそう」

「うん……」

 

 聖剣を背負って、彼は颯爽と戦地へと発って行った。

 

「ちくしょー。あいつ、中身が女ってわかっても相変わらずキザな野郎だな」

 

 いつの間にか、レンクスが隣で、去る彼の後ろ姿を恨めしげに見つめていた。

 

「みんなの理想が入っちゃって、どうしてもああいう風になっちゃうんだって」

「そういうもんなのか」

「そういうもの、らしいよ」

「そっか……」

「…………」

「……やっぱり、心配か」

「うん」

 

 嫌な予感がするの。

 こっちの世界のことも、もちろん心配で。

 でも、まだ戦えるみんながいるからいいよ。きっと何とかなるって信じてる。

 だけど、ユウは……。

 困ったとき、頼れる仲間はいる。友達もたくさんいる。

 ただ、まともに戦える力のある人がいない。みんな、守らなくちゃいけなくて。

 ほとんどたった一人で、世界をカバーしなくちゃいけないんだ。

 それにまた、あの男と……。

 あいつと向き合ったときのユウが、いつものユウじゃないみたいで。怖くて。

 

 ユウ……。

 

 私は、待つしかなかった。無事を祈るしかなかった。

 本当に無力で。もどかしくて、不安で仕方がなかった。



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152「The Day Mitterflation 3」

 再びアルトサイドを抜けて、視界が開けると、病室のベッドの上だった。

 ハルは身を起こして、病室備え付けのテレビを食い入るように見つめているところだった。

 

「ハル。来たよ」

「やっと来てくれたんだね! ユウくん」

 

 よほど心細かったのだろう。ハルは泣きそうな顔で抱きついてきた。

 

「遅れてすまない。あっちでも色々あったからさ」

「もちろん知っているとも。終末教の件だね」

「そうだ。あれは向こうの君、レオンたちに任せるしかなかった」

「もう一人のボクなら、きっと上手くやってくれるよ。いいや、上手くやってみせる」

 

 ハルは意気込んでそう言った。それから、テレビをちらりと見て、視線を落とした。

 

「それに、事はトレヴァークの方が深刻みたいなんだ」

「ラナソールの攻撃はたぶん相乗効果を狙ったもので、あくまで本命はこっちだろうからな」

 

 ラナソールという世界にダメージを与えることを狙いとするなら、根元である現実に働きかけた方が被害は大きいだろう。楽しい夢がおぞましい悪夢に変わるだけで、あの世界の不安定な基盤はさらに揺らいでしまう。

 

「もう三つ目だよ。フォミードも……」

「あいつ、またやったのか……!」

 

 そう言ったとき、ハルの細い肩がびくんと震えた。恐る恐る、彼女は尋ねてくる。

 

「あいつって……もしかして、ヴィッターヴァイツという男かい? キミが話していた」

「ああ」

 

 俺は、苦い気分を隠さずに頷いた。

 その名を告げると、ハルの肩の震えが止まらなくなった。

 明らかに怖がっている。俺に抱きつく手の力が強くなった。

 

「大丈夫か?」

「ボク、怖いんだ。こんな恐ろしいことが、平気でできてしまう人がいるなんて」

「俺も……怖いよ。許せないと思う」

 

 ハルは俺の言葉をこくこくと聞いて、すっかり弱々しい声で続けた。

 

「それにね……怖いんだ。キミがそんな恐ろしい男のところに行ってしまうことが。キミが、またひどい目に遭ってしまうんじゃないかって」

 

 彼女の震える声に、次第に感情がこもっていく。

 そんなことを、思ってくれていたのか。

 君にとっては何より、俺がまた危ない目に遭うことが怖いと。

 

「キミが死にかけたとき、本当にどうしようって思ったんだ。目の前が真っ暗になりそうだった。もう、あんな思いは……ただ見ているだけなんて、いやだよ……」

「ハル……。そうか。君はそんなことを……」

「でもボクは、この現実のボクは、何にもしてあげられなくて……ただキミの隣に立つことさえ、できなくて……っ……!」

 

 俺の胸に顔を埋める。腕の中で、壊れてしまいそうなほど、小さく縮こまっていた。同時に、身を焦がすような悔しさが伝わってきて、心を打つ。

 

「怖いんだ。怖くて、震えて、どうしようもないんだ。動けないんだ。戦えなくて、なのに……どこか安心しているボクがいて。そんなボクが、悔しくて……!」

 

 溢れる激情のままに、彼女の手が、ぎゅっと服の背中を掴んだ。

 胸元から、ハルのすすり泣く声が聞こえてきた。懸命に堪えようとして、いやいやと首を振っている。

 

「ごめん。ごめんね。こんなときに。急がなくちゃ、いけないってわかってるのに……ごめんね」

 

 泣くつもりはなかったのに、困らせるつもりはなかったのに。ただ感極まって、涙が止まらなくなってしまったみたいだった。

 

 ああ――ここ最近、人を泣かせてばかりだな。

 

 責めることなんて、するつもりもないし、できるはずもないじゃないか。

 黙って受け止める。

 せめて少しでも心が安らげばと、肌を寄せて。ゆっくりと背中をさすった。

 

 そのうち、ぽつりぽつりと、ハルは悔しさを噛み締めるように言った。

 

「ボクは……弱いね。今だけでも、英雄になれたらよかったのに。キミの助けになれたら、よかったのにね……」

「ハル……」

「ボクじゃなかったら……。リルナさんだったら、キミと一緒に戦ってあげられたのかな?」

「ハル。そんなこと……!」

 

 それ以上、自分を責めるな。傷付けるな。

 言葉を紡ぐ代わりに、強く抱き締めた。心を繋げた。伝われと念じて。

 

 そんなこと、比べることじゃないんだ。君の気持ちは痛いほど伝わった。十分だよ。

 誰もが戦士である必要はない。やれることをやればいい。祈ってくれるだけでもいいんだ。

 君のような人が、無力に怯えなくて済むように。悲しまなくて済むように。そう願って、俺は戦いに行くのだから。

 

「ありがとう。ごめんね。ユウくん」

 

 彼女は、最後にもう一度だけ謝って。もう自分を責めたりはしなかった。

 

 

 

「シズハちゃんとは……既に連絡を取ってあるよ。ユウくんを見つけたら、至急エインアークス本部まで来いと言うようにって」

「シルバリオからも連絡は来ていた。早速向かうよ。でもその前に……いや、やめておこう」

「どうしたんだい? ユウくん」

「君を少しでも安全なところに匿おうかと思ったけど……やっぱりここで待っていてくれ。下手なことをするより、きっと一番リスクが低い」

 

 いざという時のために、各地の『アセッド』の地下は頑丈なシェルターにしてある。そこにハルやリクなど、一般人の身を隠しておけば、何もないよりは気休めになるだろうかと考えた。

 だけど……ヴィッターヴァイツの圧倒的な暴力を前に、それが一体何になるというのか。

 奴は狡猾な男だ。レジンバークの店を直接訪ねてきたことから、トレヴァーク側の『アセッド』のことも調べが付いている可能性が高い。

 下手に匿って、俺にとって大事な人物であると知れたら。かえって狙い撃ちにされてもおかしくはない。

 あいつは、そういうことを平気でする奴だ。

 だからここは、あえて特別に隠さないことが、おそらく最善手だろう。何も講じないこともまた不安でならないけど、そう判断した。

 

「そっか。ボクの安全を考えて……」

「何もしてやれなくてごめんな。良い方法があればよかったんだけど」

「ううん。ボク、戦うことはできないけど……待ってるからね。悪い奴をやっつけて、ちゃんと帰ってきてね。絶対だよ。約束だからね?」

「……ああ。きっと帰ってくるよ。また一緒にドライブとかしよう」

「うん。楽しみにしてるからね」

 

 速度制限ギリギリまでバイクを飛ばして、急いで本部まで向かった。

 道中、奴の気の高まりがないか、最大限警戒しながら。

 

 

 ***

 

 

 ユウが向かう背中を窓辺から見届けて、ハルは強く無事を祈った。

 やがて姿が見えなくなってから、小さく溜息を吐く。

 

「……運命の神様も、ひどいいたずらをするものだね。よりによって、こんな日でなくたっていいじゃないか」

 

 彼女は、悲しげに目を伏せた。

 

「結局、渡しそびれちゃったなあ」

 

 懐から取り出した小さな包みを握り締めて、彼女は再度嘆息した。

 中身は手作りのクッキーだ。この日のためにと、こっそり料理本を紐解いて、一カ月も前から何度も練習して作った、最高の出来のものだった。

 ユウの誕生日プレゼントとして、手渡すはずのものだった。



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153「The Day Mitterflation 4」

 バイクから降りて少しのタイミングで、電話がかかってきた。リクからだ。

 マナーは良くないけど、急ぎなので歩きながら応じる。

 

「もしもし」

『あっ、ユウさん。ニュース見ました? 大変なことになってるんですよ!』

「知ってるよ。ちょうど今対策に向かおうとしているところだ」

『マジですか! あんなの、何とかなるんですか?』

「何とかするしかない。してみせる」

 

 決意を込めてそう言うと、少し間が開いて、思い詰めたような声が返ってきた。

 

『だったら、僕に何かできることはありませんか? 戦えなくても、何か調べたりとか……』

「いや。リク、君はいつも通り過ごしていてくれ」

『……そう、ですか』

 

 リクは関わりたがりなところが強いので、言うとは思っていたけど。ここは宥めておく。

 

「相手は町を簡単に吹っ飛ばすような奴なんだ。下手に前線に関わる場所にいたら、危ないかもしれない。本当に死ぬかもしれないんだ。頼む」

『……わかりました。ちゃんと無事に帰ってきて下さいよ。また一緒に仕事やゲームしたいですから』

「ああ。またね」

『はい。また』

 

 電話を切り、本部のエレベーターに乗って最上階へ急いだ。

 

 

 ***

 

 

 ユウとの電話が切れた後、リクは何もできない自分にもどかしい思いを抱えながら、繰り返しテレビで流される惨劇の模様を、何となしに見つめていた。

 ユウさんが来てから、一年半以上になる。これまで、結構な数の依頼を手伝ってきた。調べものであったり、夢想病の患者に会いに行ったりだ。

 世界は思ったよりも、退屈なものではなかったらしい。夢想病の問題だけでなく、日々どこかで事件は起きていて。自分に直接関わりのないことだからと、自分の退屈の思うところばかりを見ていたら、変わり映えのしないことばかりをしていたら、それは退屈にもなるだろう。

 すべては心の持ちようなんだと、ユウさんが言っていたこと。ずっと関わらせてもらって、少しはわかるような気がしていた。

「退屈な日常」というやつは、これまで自分の見えなかったところで、ユウさんのような色んな人が活躍して、辛うじて成り立っている。実はとても尊いものだったのではないかと。

 そして、今日の世界同時多発テロを皮切りに、百年余り続いてきた平和の時代が、日常の日々が終わろうとしている。リクには、そんな予感がしてならなかった。

 ユウさんのあんな切羽詰まった声は、初めて聞いた。

 これからの世界は、どうなっちゃうんだろう。

 気が滅入ってきたので、テレビを消して、窓から外を眺める。高い山々に囲まれた遠景と、変わり映えのしない空の色は、今後の行く末を何も教えてはくれそうになかった。

 

 

 ***

 

 

 世界最悪のテロ事件の報を聞いたとき、シェリーは夢想病患者の支援活動でステイブルグラッドより北の地方都市にやって来ていた。

 彼女は居ても立ってもいられなくなり、すぐに立ち上がった。

 既に三都市が壊滅するほどの規模の爆発が起こっているが、地下にいたなどで運良く生き残った人間も少なからずいるようだ。

 事件のことなら、ユウさんたちがきっと何とかしてくれるだろう。してくれると思う。

 だったら。自分にできることは、被害者の助けになることだと。早速復興基金を立ち上げるため、ブログの文章を考え始めた。

 以前夢想病の募金活動のためにあれこれと知恵を働かせたことが生きてくるかもしれない。夢想病と違って、被災者の助けはお金があれば確実にできるから。

 一通りの準備が終わったら被災地に向かって、現地の様子を目に焼き付けておこう。そして何ができるのかまた考えよう。そんなことを思いながら。



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154「The Day Mitterflation 5」

 最上階の会議室に着いた。

 緊急会議の招集者であるボスのシルバリオを始めとして、シズハや、No.入りのカーネイターも何人か集結していた。世界各地に散っていてその場にいないメンバーも、全員がモニター付きの電話会議という形で通信している。ゲームやり込み班のルドラも、今回ばかりは戦力としてこの場に特別招集されていた。鼻もちならない奴ではあるが、まあ実力は本物だしな。

 普段は氷のような表情をしているシズハは、俺が見えるとほんの少しだけ顔を綻ばせる。よく見ないと何も変わっていないように見えるけど、あれで結構喜ばれていて、頼りにされているのは、長く付き合っているとわかる。

 ルドラや俺にやられた面々の大半は複雑な顔で目を逸らした。やられた中でただ一人、No.3の通称アニキ――力自慢のイシダムだけは拍手喝采で迎えてくれたけれども。

 どうやらみんな、俺のことを待ちながら対策について話していたらしい。

 

「ようやく来てくれたか」

 

 一番奥の席に座っていたシルバリオが、声をかけてくる。あくまで部下の前ではボスの顔として、毅然とした態度で臨むようだ。

 

「遅れて申し訳ない」

 

 シズハの隣の席が空いているので、座った。「おそい」と小声で言うので、「ごめん」と軽く謝っておく。

 シルバリオが、厳粛な声で全員に告げた。

 

「改めてホシミ ユウも加えた上で、件の連続テロ事件について対策を協議したい――と言っても、我々としてはユウに頼るしかないという結論にほぼなっているのだが」

 

 カーネイターの面々は、ほとんどが苦虫を潰したような顔をしている。彼らも実力者のはずであるが、痛いほど理解しているのだろう。

 これが、自分たちの実力や単なる数の力ではどうしようもない事態であるということを。奇しくも俺自身が示してしまったことでもあった。

 

「先のトレインソフトウェア襲撃事件。監視カメラの映像から発覚した。たった一人による凶行であるという事実。今回の事件も、おそらくは例のヴィッターヴァイツという男の仕業なのだろう? ユウよ」

「……おそらくは。大量破壊兵器をどっかのいかれた知らない誰かが連続で暴発させたのでもない限りはね」

「そのような兵器の売買や移動形跡がないかは、部下に調べさせたよ。さすがに大量破壊兵器となれば足が目立つ。だが……やはり形跡はなかった」

「そうか……」

 

 これでほぼ十中八九ヴィッターヴァイツの仕業であることは確定したか。他にしそうな奴も浮かばない。

 隣のシズハが、ぼそっと発言した。

 

「終末教が同時に騒いでいること……気になります」

「こっちでも終末教が暴動を起こしているのか?」

 

 こっちの意味を理解できた人はほとんどいないだろうが、シルバリオはそこにはあえて触れずに答える。

 

「テロ事件に便乗したのか、彼らもまた実行犯の仲間であるのかはわからないが。連中は、口を割らないものでね。もっとも、こちらは我々とレッドドルーザーが協力態勢で抑え込んではいる。この会議が終わり次第、カーネイターにも任務に就いてもらうつもりだ」

「なるほど。そっちは引き続きお願いしてもいいかな」

 

 数による暴力を抑え込むのは、逆に俺一人ではどうにもならない問題だ。

 シルバリオも重々理解しているようで、頷いた。

 

「ああ。人員を割いて解決できることは我々に任せてくれ。ユウには、ヴィッターヴァイツとやらの対処をお願いしたい」

「うん。それでいこう」

 

 概ね、予想していた通りの展開にはなったけど。

 どうする。どうすればいい。考えろ。

 

 No1.のタケルが、口を開く。

 

「件の男の厄介なところは、一人であるゆえのフットワークの軽さだ。神出鬼没。電光石火のテロ。対策が非常に厳しい」

 

 そこなんだよな。

 奴が気を高めてから、技の発動までほんの数分ほどしか猶予がない。気の高まりで位置は特定できても、普通に辿り着こうと思えば絶対に間に合わない。

 何か。何か現実的なアイディアはないか。

 必死に頭を悩ませる。

 

 ……あった。あったぞ。一つだけ有効な手段が浮かんだ。

 

 トレヴァークだけでは移動が間に合わない。だけど、ラナソールを経由すれば。

 向こうの世界では高速な移動ができる。間に合うかもしれない。

 

 俺は『心の世界』から一冊のノートとペンを取り出した。

 

《スティールウェイオーバー筆スラッシュ》

 

 自動化された高速な動きで、紙に書きつけていく。

 書いているものは、全て人の名前とおおよその住所だ。

 この二年でこなしたたくさんの依頼や人付き合いで、気付けば数多くの二つの世界のパスを繋げてきた。

 3578名の人たち。全員の名前と居場所だ。

 何かの役に立てばと折に触れて積極的に繋いできたけれど、助かった。

 中でも、大半はエインアークスの連中だ。特にエインアークスとありのまま団は対応関係がわかりやすく、繋げやすかった。人員も世界中に散らばっていて、都合が良い。

 突然俺の手がもの凄い勢いで何かを書きつけるので、異様な雰囲気に全員が唖然としている。視線は感じるけど、構わず全速力で書き続ける。

 二分足らずで完成させたリストを、シルバリオに見せて言った。

 

「シルバリオ。このリストの中に、君の部下がたくさんいるはずだ。できるだけ担当区域の各地に散らばらせるよう指示を出して欲しい」

「どういうことだ? あえて集めた戦力を散らばらせる理由がわからないが……」

 

 ボスは困惑していたが、経験者であるシズハは俺の意を汲み取ってくれた。小声で褒めてくれた。

 

「そうか……やるな。ユウ」

「シズハ。お前はわかるのか?」

「ラナソールなら、移動は一瞬ですね」

「……! なるほど! 考えたな!」

 

 危うくボスの立場も忘れて、シルバリオは素で手を叩きそうになっていた。それだけ対処に頭を悩ませていたのだろうということがありありと見えた。

 

『ユイ。パスが繋がっているありのまま団の人たちを、なるべく一か所に集めておいてくれないか? ありのまま団じゃない人が一番近い場合でもすぐに移動ができるように、レンクスも隣に置いておいてくれ』

『わかったよ。早速動くね』

 

 ユイは快く返事をして、すぐに動いてくれた。

 移動方法はこうだ。

 エネルギーの異常な高まりが奴の位置をおのずと知らせる。俺がラナソールのユイのところへ戻る。トレヴァークで一番近い位置にいるパスが繋がっている人を介して、奴の居場所へ向かう。

 よし。この方法でいずれ迎撃態勢は整いそうだ。

 それでも数分では、間に合わないかもしれない。だけど何もできなかったさっきまでよりは、現実的な条件になってきた。

 あとは人の配置の問題だ。相当近くに置かないと厳しい。

 奴なら、どこで人を爆発させる。とにかく目に付いた適当な場所でやるのか。それもあり得そうで怖い。そうだったら難しいが……。

 

「爆発場所に、何か共通点はないかな」

 

 既にシルバリオも俺と同じ認識には達していて、どこに人を置くかという問題を考えているようだった。

 

「私には見当も付かないが……ディスクの話が本当であれば、ラナソールにダメージを与えるに効率的な場所が、主なターゲットにはなるだろうな」

 

 同じく頭を悩ませるシズハも、首を捻りながら一言を絞り出す。

 

「ラナ教……」

 

 それを受けて、ルドラが何か浮かんだのか。突然手を叩いた。そして、前にも聞いた皮肉気な口調で言った。

 

「ラナソールっていうやつのことはよく存じないですけどねえ。どうも敵さんは、ラナ教徒が集まる場所で一発ドカンとやってそうな気配ですよ。確か、爆発の被害を受けた三つの都市はどれも、ラナ教徒が多いという特徴があった」

「うむ。なるほどな」

 

 ルドラの意見に、シルバリオが唸る。

 確かに、奴の狙いを考えると世界のイメージを強固にするラナ教徒に狙いを定めるのが効率的だ。

 とすると、攻撃の行き付く先は……。

 

「聖地ラナ=スティリアか」

 

 その一言に、全員の視線が集まった。

 あそこは人口がとても多い。俺は危機感を覚えながら言った。

 

「次に狙われるのがそこかはわからない。だけど奴のメインターゲットは、おそらく聖地ラナ=スティリアだ。いずれはそこへ行き着く。終末教の連中も、聖地に一番多く集まっているんじゃないか?」

 

 シルバリオが瞠目して、答えた。

 

「確かに報告では、連中が最も暴れているのは聖地だな」

「狂信者は、自分の命を投げ捨てても……使命を優先する……」

 

 そう言ったシズハは、傍目から見ても冷や汗を掻いていた。

 ボスは、決断を下した。

 

「よし。特に聖地については重点的に見張るとしよう。各員、予め取り決めた分担通りに動いてくれ」

「「はっ!」」

 

 全員が威勢よく返事をして、解散となった。どうやら俺のいない間でも色々と話は進んではいたらしい。

 

 シルバリオがふう……と疲れた溜息を吐く。重責は相当なものだろう。

 会議室にいるメンバーは、めいめいが支度を始めている。シズハもどこかへ行きそうな気配だけど、その前に尋ねてきた。

 

「ユウはどうする?」

「俺は奴の反応があるまで、この場に待機だな。心苦しいけど」

 

 そうするより他に仕方がないからな。

 

「シズハは?」

「私は守る。トリグラーブも。教徒、暴れているから」

 

 腰にかけた美雲刀を軽く叩いて、シズハは静かに闘志を燃やしていた。

 ヴィッターヴァイツにぶつけるわけにはいかないが、その辺りの狂信者であれば彼女が後れをとることはないだろう。

 

「頼むよ」

「ん」

 

 こくんと、小さく頷いた。「リクの安全のためにも」とぶつぶつ独り言を言っているが、ちゃっかり聞こえている。

 そこに、ルドラがやってきた。シズハが俺に身を寄せて、警戒を強める。

 

「奇術師……」

「おいおい。そう睨むなよシズハ。今は仲間同士、挨拶に来てやっただけさ」

 

 相変わらず、何考えてるのか読みにくいというか。気味の悪いところのある奴だな。

 

「ホシミ ユウ。まったく、敵だったあんた頼みとはねえ。巡り合わせというのは、わからないものだ」

「本当だな。まさかお前と一緒に戦うことになるなんてね」

「情けをかけてもらったことについて、ありがとうとは言わんよ」

「ああそう。別にいいけど」

 

 視線をぶつけ合う。ヴィッターヴァイツと睨み合ったときほどの険悪さはないものの、やはりお互い気分良くというわけにはいかない。

 

「個人的なわだかまりは大いにあるが……それ以前に、オレは組織人さ。それにオレも、世界が嫌いなわけじゃあないんでねえ」

 

 ルドラは、にやりと笑った。どうやらその言葉に嘘偽りはないようだ。

 

「だったら、精々きっちり働いてみせることだな。働き次第じゃ少しは自由時間がもらえるかもしれないよ」

「フフフッ。そうさせてもらおう。意味もなくゲーム漬けの毎日で死にそうなんだ……」

 

 そこだけは本気でうんざりした顔で肩を落とす彼に、こいつがやらかしたことを忘れたわけではないが、ほんの少しだけ同情した。

 

「では、作戦の成功を期待しているよ。アディオス」

「お前も頑張れよ」

 

 言ってやると、ルドラは後ろ手を振って、部屋から退出していった。

 

「相変わらず、キザったらしいやつ」

 

 シズハはしばらく俺の隣に控えて、じっと正面を睨んでいた。

 少しして、ふうと一息吐いて言う。

 

「でも頼りにはなる、か」

「一緒なんだろう。もし変なことされたら言ってくれよ。また懲らしめてやるから」

「助かる。じゃあ、私も」

 

 淡々と仕事に向かう彼女にしては珍しく、頬を叩いて気を引き締めてから出かけていった。

 頼んだぞ。シズハ。

 

 いよいよ誰もいなくなって、すっかり空になった会議室には、ボスとお付きが二人、そして俺だけがとり残された。お付きは二人とも、各地から寄せられる情報を整理するのに忙しく、他に目も回らない様子だ。

 部下がいなくなり、固さの取れたシルバリオが話しかけてくる。

 

「ユウさんに頼むしかないとは、情けない限りです」

「いいんですよ。しかし、お互い待つしかないってのは辛い身ですね」

「ええ。私も何かしたいのは山々ですが。ボスがあたふたと動じていると、かえって悪い影響になりますからね」

「方針をまとめるのも仕事のうちですよ。みんなの力で何とかしないとですね」

「本当に。ヴィッターヴァイツという男も、大変なことをしてくれたものです。うちの部下も大勢死んだ。神だろうと化け物だろうと――この報いは、必ず受けてもらわなければ」

 

 その言葉から、彼の無念と怒りがまざまざと感じ取られた。味方につくと頼もしいが、本気で敵には回したくない男だ。前に本部襲撃を仕掛けたとき、下手に構成員を殺したりしないで本当によかったと思う。

 

 話はそれくらいで、もうあまり雑談する気分にもなれなかったので、黙り込む。

 このまま何もなければいいけど、ないってことはないだろうな。

 神経を研ぎ澄ませて、奴が動きを見せるのを待ち続けていた。



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155「The Day Mitterflation 6」

【アルトサイド シェルター003】

 

「よもやあんなに働き者だとは思わなかったぞ。あの男!」

「おかげでこっちもてんやわんやっすねー」

 

 ブラウシュが興奮気味に手を叩き、クレミアが笑って肩をすくめた。人の身を離れて久しい二人に共通しているのは、かの超越者への純粋な期待であり、人々が犠牲になることに対しての罪悪感はほぼない。

 

「我々にできないことをいとも簡単にやってのける。空恐ろしいものもあるな……」

 

 一方で、生身持ちのオウンデウスは、気まぐれで自分の現身にまで災厄が降りかかりはしないかと、半心恐れの気持ちも抱いていた。

 そんな彼の肩を、同じく辛うじて生身持ちである先輩クリフが、優しく叩いた。

 

「大丈夫さ。ぼくらにはこの世界と仲間がいる」

「うむ……」

 

 そうは言っても、実際に爆発で町が消失した悲惨な現場を見てしまうと、やはり恐ろしいという感情も捨て切れない。自分がまだまだ俗な存在であり、アルトサイダーになってみても、現実のことを大して関係ないと切り離して考えるのは慣れていないものだと、オウンデウスは未熟を感じていた。

 

「ところで、ダイゴはどこへ行った? 次の手伝いをしてもらいたいのだが」

 

 ブラウシュが尋ねると、カッシードが答えた。

 

「あいつなら、少し一人にしてくれって出て行ったぞ? あまり面白くない顔をしていたが」

「まったく。自由な男だな」

「あいつもまだ慣れてないんだろうなあ」

 

 彼の心情を推し量ったカッシードは、得意の本人はかっこいいつもりの笑みを浮かべている。

 やや離れたところでモココと談笑していたペトリが、知った風な調子で言った。

 

「あれで結構人間が小さいのねぇ」

「逆にリアルで人間が小さいから、夢では虚勢を張ってしまうものなのよね」

 

 モココは、自分にも心当たりがあるのか、苦い顔をしている。

 

「今は過渡期よ。そのうちヴェスペラントらしくなってくれるわ」

 

 

 ***

 

 

 険しい顔で一人佇むダイゴに、心配したゾルーダが様子を見にやって来た。

 

「てめえか」

「やあ。気分はどうかな」

「正直……いまいちだな。思ったよりもえげつねえ」

 

 ゾルーダたちのやろうとしていることについて、ダイゴは何となくは理解してつもりだったし、乗り気ではあった。

 この力を自由に振るえるとなれば、むかつく同僚や上司をぶん殴って、銀行から金を奪い、警察相手に大立ち回りしても軽くお釣りが来る。

 しかし、彼にとっての好き放題とはそんなもので。状況に流されるまま二体接続をした彼には、現実感というものがなかった。

 しかし、いざヴィッターヴァイツによってもたらされた、凄惨な都市壊滅の模様を目の当たりにしてしまうと……。

 焦げた匂い。焼けた死体。人の泣く声。

 ラナクリムなどよりも、ずっと生々しい悲劇がそこにはあった。

 そんなものを見てしまうと、彼に残る常人らしい部分が、どうしても疑問を投げかけてしまうのだ。

 一方、既に数千年の時を悲願のために費やしてきたゾルーダに、倫理観というものはない。

 

「僕としても想定以上の成果ではあったけれどね。結構なことじゃないか」

「……けどよお、本当にいいのか?」

「なに。ラナクリムと同じようなものだと思えばいい。ゲームでいくら人を殺したって、何とも思わないだろう?」

「まあな。好き放題暴れるのは楽しいぜ」

 

 そりゃあゲームだからな、ダイゴは内心毒吐く。

 

「同じさ。ぼくらはゲームと同じ存在、そして力を振るえるんだ。現実がゲームになるんだよ」

「そういうもんかよ」

「そういうものさ」

 

 きっぱりと断言したゾルーダは、ダイゴの肩に手をかけて、諭した。

 

「下らない倫理観など捨ててしまえ。君にはその力も、権利もある。割り切れば楽しい世界が待っているぞ。フウガ君」

 

 あえて向こうの名前で呼んで、ゾルーダはみんなの下へ帰っていった。

 

「……ま、なるようになるか」

 

 こんな力を得てまでいつまでも悩んでいるのも馬鹿みたいだと思い直し、彼はもうひと暴れする心の準備を固めた。

 

 

 ***

 

 

【トレヴァーク 聖地ラナ=スティリア 民家】

 

 人間爆弾とするため、ヴィッターヴァイツは、目に付いた適当な人物に対して【支配】をかけていた。

 果たして、今回【支配】した人物は。

 

「……む。女か」

 

 本来の彼のものとはかけ離れた、高い女の声が、一人部屋によく通る。

 

「雑魚にしては、素質はあるようだが……」

 

 ヴィッターヴァイツは、【支配】する対象の力をおおよそ把握することができる。今【支配】している若い女性は、一般人にしては中々のスペックを持つようではあった。

 今のところ、一度に一人しか【支配】できない制約はそのままである。

 なので性別が異なるのは気に食わないが、当たりを引いた以上は、【支配】を外して他へ行くという選択はやめるべきかと判断する。

 ひとまず身体を動かそうとして――たゆんと揺れる感覚があった。

 何とも動かしにくい。

 ヴィッターヴァイツが顔をしかめると、それに合わせて立ち鏡に映る女も顔をしかめた。

 

「……まったく。何を食ったらこうなるのだ。みっともなく乳を腫らしおって」

 

 女性は、中々の大きさだった。

 乱暴に手で胸を弾いてみたが、感覚をも接続しているため、少しの痛みとともに揺れるばかりだ。人のものを触るのはよいが、自分のものを触っても楽しくもなんともない。

 おまけに家の中だからと、へそが見えるような薄着で、ブラも付けていない。道理で揺れるわけだと、ヴィッターヴァイツは苦笑する。

 自分で下着など付ける気にもならなかったので、その辺の服を引き裂いて布とし、きつくぐるぐる巻きにしてさらしとした。

 とりあえずはこれで動きの邪魔にはならないだろう。

 

 持っていた彼女の電話で、現在地を確認する。

 

 聖地ラナ=スティリア――当たりだ。

 

 ラナゆかりの地であり、まごうことなき百万都市である。中心地たる大聖堂で爆発させてしまえば、これまでの比ではない死者が出ることになるだろう。

 

「さあどう出る。ホシミ ユウよ。このまま行けば、また結構な数の死人が出ることになるぞ」

 

 彼はもちろん、自身の採用した即時的破壊戦術の有効性を知っている。そう簡単に止められるはずがないという自信があった。



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156「The Day Mitterflation 7」

【トレヴァーク トリグラーブ エインアークス本部】

 

 一分一秒たりとも気を抜かず、神経が磨り減るほどに集中して、奴の気配を探っていた……

 そして、ついに。

 

 …………! 見つけた!

 

 本物よりはさすがに遥かに劣るとは言っても……寒気がするほどのエネルギーの高まりだ。

 ずっと遠く。方角と距離は……やっぱりだ。本命の聖地ラナ=スティリアか!

 一刻の猶予もない。スピード勝負だ。

 

「行きます!」

「見つけたのですか! 頼みましたよ!」

「はい!」

 

 

〔トレヴァーク → ラナソール〕

 

 

「ユイ!」

「そこのマインズさんだよ! 早く!」

「助かる!」

 

 予めユイは一番近くに行ける人の隣で待機してくれていた。

 ありのまま団だけあって、周りにはずらりと裸一貫が並んでいたが、絵面に突っ込む時間はない。

 すぐにマインズさんに手を差し出した。

 

「手を! お願いします!」

「ああ! よくわからないけど、頑張れよ!」

「はい!」

 

 

〔ラナソール → トレヴァーク〕

 

 

 アルトサイドの通り抜けには、体感よりも時間がほとんどかからないことは検証済みだ。ここまでまだ三十秒くらいだろう。

 あと二分半くらいか。

 

 ――ナイスだ。いいところに配置してくれた。

 

 俺が立っていたのは、立派な大聖堂を臨む大通りの一角だった。

 マインズに対応する人物、シダが、隣にいきなり現れた俺に、驚き慌てふためいている。

 悪いけど、挨拶や説明をしている余裕はない。

 奴の気配はかなり近い。大聖堂のすぐ近くまでいっぺんに飛べた。これなら間に合うかもしれない。

 いや、間に合わせるんだ。何としても!

 

《マインドバースト》

 

 惜しみなくフルバーストをかける。さらに。

 

《パストライヴ》

 

 リルナ譲りの連続使用。全力で跳んでいく。

 とにかく辿り着くことが第一だ。ヴィッターヴァイツの【支配】には、俺たちなりの攻略法がある。

 恐ろしい強さではあるけれども、正面切って戦う必要はない。まともに触れられさえすれば、こちらの勝ちだ。

 頭上の街頭モニターでは、もう何度目になるのか、悲惨な爆発テロの模様が流されていた。街歩く人たちは、心配の顔色を浮かべて話題にする人こそいれど、大抵は普段通りだ。ほとんどみんなが、まだ対岸の火事だと思っている。今まさにここで事件が起きようとしているなんて、誰も気付いていない。

 人混みを一気にショートワープで抜き去って、入り口も係員も無視して、大聖堂の中へ直に突入する。確かにこの中から、奴の凄まじい力の高まりを感じるんだ。急げ。

 重ねて《パストライヴ》を使い、一歩で長い廊下を抜ける。一旦中庭に出て、芝生に囲まれた石の道を進むと、奥には立派な本堂が控えている。

 あの建物だ。上部は日光を取り入れて輝くようにステンドグラス……ではなく、より高価なカラークリスタルが張りつめられている。

 そして、遠目からもわかる光景に、身構えた。

 本堂の入り口に構える巨大な木の扉が――力任せにぶち破られている。

 殴ってこじ開けたような開け方だ。奴がやったな。間違いない。

 近い。この奥にいるのは確実だ。ますます奴の力が昂っている。時間はあとどのくらいだ。まだ一分半はあるか。わからない。

 とにかく、戦いは避けられない。気を引き締めていかないと。向こうも前と同じ手は簡単に食わないだろうからな。

 

《パストラ――》!?

 

 ショートワープで、開いた木の扉から飛び込もうとした瞬間。

 俺のすぐ隣、何もない空間が裂けて、突然何かが飛び出してきた!

 なんっ!? 人、腕!?

 それが攻撃として、間違いなく俺を襲ってきていると気付いたときには、目前だった。咄嗟に右腕でガードしたが、ミシミシと骨の軋む嫌な音が鳴る。

 そして、派手にふっ飛ばされていた。攻撃を受けていない方の左腕で受け身を取って、辛うじて体勢を立て直す。

 攻撃の飛んできた方を睨むが、既にそこにはいない。

 突然のことに、混乱していた。

 今のは……? 気配はあるけど、動きが速い。どこだ。

 痛い。右腕は辛うじて折れてないけど、痺れている。気でしっかり守りを固めているのに、なんだ。この馬鹿力は。尋常じゃない。

 ヴィッターヴァイツか。いや、あいつの攻撃を受けたらこんなものじゃない。それにまだもう少し先、扉の向こうにいる……!

 違うなら、じゃあなん――!

 思考がまとまる前に、背後から恐ろしい殺気を感じた。

 咄嗟にしゃがむと、頭上すれすれを何かが空を切る。剣か。

 反撃にその場で足払いをかけようとして、諦めざるを得なかった。

 速い。もうまた攻撃が来る。避けるしかない。

 しゃがんだまま、右方へわずかに跳ぶ。

 直後、俺のいた地点の石道が砕けた。

 ここでやっと正しい状況に気付いて、舌打ちしたい気分だった。

 一人じゃないな! 最初の奴と、さっきの奴と、今の奴。三回の攻撃は、全部違う奴だ。俺を囲む位置に、気付けば三人もいる。

 跳んだ勢いで回転して、隙を作らないように着地すると、襲撃者は姿を現していた。

 三人とも、男か。なんだこいつら。

 

「何だよお前たち! いきなり現れて!」

 

 返事はなかった。代わりに飛んで来たものは、容赦のない三方同時攻撃だ。

 初め、正面から蹴りが来る。こちらも蹴りを合わせて、跳ね付ける。右後方からの拳を、身をよじってかわす。しかし、そこに側面から胴切りが飛んでくる。崩された体勢から十全にかわし切るのは難しく、浅く傷を付けられてしまった。

 一連の攻撃が終わると、反撃の隙を許してはくれない。三人とも一定の距離を取って、また俺を囲む配置に付いた。

 困った。これじゃ迂闊に攻撃を仕掛けられない。

 それに強い。連携も取れている。《マインドバースト》をかけた状態の俺と張り合うなんて、並みの人間のレベルじゃないぞ。こいつら。

 

『気をつけて! あまり大きくはないけど、魔力も乗ってるよ!』

『なんだって……!?』

 

 じゃあこいつらは、トレヴァークにいるにも関わらず、まるでラナソールの冒険者のような力を。どうして。

 ……くそ。厄介だ。時間もないってのに。

 焦りと怒りを覚えつつ、ダメ元で声を張り上げてみる。

 

「どけよ! 時間がないんだ! お前たち、何しようとしているのかわかっているのか? このままじゃ、人がたくさん死ぬんだぞ!」

「くっくっく。わかっているさ。それこそが我々の望みよ」

「ふざけるな! 何者だ?」

 

「ブラウシュ」

「カッシード」

「オウンデウス」

 

 正面の蹴りを使う男、左後方の剣を使う男、右後方の拳を振るう男がそれぞれ名乗った。

 

「……何者かまでは明かす気はないってわけか」

 

 正面の男は、黙って不敵な笑みを湛えている。

 大方、終末教の関係者か何かじゃないかとは思うけど。連中にこれほどの強者がいたなんて、予想外だった。一人でまともに相手をするのは、厳しい。

 

「ホシミ ユウ。貴様のことはよく存じているぞ。ラナソールでは大層な有名人だな」

「まさかユウ、あんただったとはなあ」

「二つの世界を跨ぐ者、か」

 

 事情に詳しそうだ。素性が気になるところだけど、今はこれ以上無駄な会話をしている余裕はない。時間がないんだ。隙を見て、《パストライヴ》で一気に抜いてやる。

 

「通してもらうぞ」

「させると思うか?」

 

 三人がじりじりと迫る。得意のコンビネーションを再び仕掛けてくる気だ。

 いくか。まだだ。まだ距離がある。焦るな。十分に引き付けて。

 

 ――今だ!

 

 いよいよ敵が攻撃を仕掛けようという刹那、ショートワープを発動する。瞬時にして、三人との距離を上手く引き離した。

 よし。もう一度飛ぶぞ。さらに引き離してしまえば、さすがに奴らも追いつけ――!

 

 急に嫌な感じがして、考える前に身体が動いた。大きく身をねじってかわす。実戦経験で磨いた直感が、命を救ってくれた。

 何かが袖を裂いて、素肌を掠めていく。

 

 今のは……魔法……!?

 

 数瞬遅れて、どうにか軌道だけは見えた。殺傷性の高い氷魔法の刃だ。

 どうなってるんだ!? パワフルエリアでもないのに、魔力どころか、本物の魔法まで……! ここはラナソールじゃない。トレヴァークだぞ。

 

「あらぁ。ちょこまかしいわねぇ。当たるかと思ったのにぃ」

「お、まえ、たち……!」

 

 どこまでも邪魔をする気か!

 怒りで、どうにかなりそうだった。

 

「わたしたちを置いて逃げようだなんて、無粋なことはしないでねぇ」

「このイベントは、逃走禁止だぜ?」

 

 新たに現れた気怠そうな女と、いつの間に正面に回ってきた剣を使う髭の男が、意地の悪い笑みを浮かべる。

 どうする。どうやって乗り切る。もう時間がない――!

 切り札はあるけど、役に立たない。人が多過ぎて、こんなところじゃ使えない……!

 このままじゃ、みんなが……。くそ……!

 

「……どけよ」

「通して下さい、の間違いだろう?」

「どけと言われて、はいと言うと思うのか?」

 

 無視して、再び《パストライヴ》で抜きにかかる。

 だけど、近いレベルを相手に何度も見せるものじゃなかった。どうやら、既に見切られてしまっていた。

 消えて再び現れたところを、魔法で狙い撃ちにされた。

 こいつら、全員使えるのか!

 四人による波状攻撃の全てをかわすことはできなかった。大きなダメージだけは負わないように何とか捌くけれど、いくつかは確実に肌を掠め、肌を焼き、あるいは肉を削っていく。

 そしてこちらが体勢を立て直す間に、再び取り囲まれている。

 二、三度突破しようとして、この繰り返しだった。

 

 敵の狙いは、間違いなく時間稼ぎだ。俺をこの場に釘付けにできればそれでいいんだ。

 無理でも攻めに出なければならない一人と、無理せず守っていればいいだけの四人。状況は著しく不利だった。

 ふざけやがって。この後、ヴィッターヴァイツとの戦いも待っているんだぞ。

 

「どけって言ってるだろ……!」

 

 手をこまねいている間にも、タイムリミットは刻一刻と迫っている。

 もう本当に時間がないんだ。どけよ!

 

「こんなところにいたら、お前たちも死ぬんだぞ!」

 

 言っても無駄だとわかっていても、言わずにはいられなかった。

 こいつらは、死をもいとわぬ狂信者なのか?

 しかし、俺の言葉は、容易く嘲笑われてしまった。

 

「死なないんだなあ。これが」

「心配するな。いよいよ時間が来れば、オレたちも逃げるさ」

 

 逃げる? こいつらにも退避するための手段があると。どうやって。

 何もないところからいきなり現れたのがそうなのか?

 

「というわけで」

「もう少し、わたしたちと遊んでもらおうかしらぁ」

 

 ……くそ! ダメだ。状況はますます悪化するばかりだ。

 

 時を追って高まりゆくエネルギーが、とうとう大聖堂のカラークリスタルを割り始めていた。

 もうおそらく、三十秒もない。時間がない……!

 もしあんなものが、爆発したら……。

 

 ニュースのおぞましい光景が脳裏を過ぎる。聖地ラナ=スティリアは百万都市だ。一体、何十万人死ぬんだよ……?

 どうしよう。このままじゃ。このままじゃ……!

 

 極限の焦りが身を焦がしたとき、脳裏に揺れる破滅の光景が、よく似た別のものにすり替わった。

 

 ――突然、何かの記憶が溢れ出した。

 

 ――また、見たこともないはずの光景が、なのに見慣れた光景が、フラッシュバックする。

 

 ――燃える町。逃げ惑う人々。あそこは……サークリス……?

 

 ――泣いている、女の子。俺は、この子を知っている。よく知っている。

 

 アリス……? どうして、君が泣いているんだ。

 

 どうして、俺に殺してなんて言うんだ……?

 

 馬鹿なこと言うなよ。そんなこと、俺がするわけないじゃないか。できるわけないじゃないか……。

 

「あ、ああ……!」

 

 なのに、俺は。俺は……!

 

『なに? ユウ、どうしたの? 何が見えているの……?』

 

「う、あ……ああ……」

 

 やめろ。やめてくれ!

 こんなこと……! 俺は、知らない……! してない! したくなんてなかったんだ!

 なのに、奴が。ヴィッターヴァイツが、全て……! また、あいつがいる限り、何度でも……!

 

 悲劇は――運命は、どうしても繰り返されるのか? 繰り返されようとしているのか。

 

「…………う、う」

 

「はっはっは! おい、見ろよ! こいつ、とうとう泣き出したぞ!」

「あらあら。かっこ悪いわねぇ」

 

 いつの間にか、頬を伝って止まらない熱い涙を、拭う気にもなれなかった。

 

 力が足りないばかりに。俺が、弱いから。

 もう決して許しはしないと、誓ったはずなのに。

 こんなところで、何をやっているんだ。俺は。

 

 ……止めないと。

 

 奴の思い通りにさせないためなら。もうあんなことにしないためなら。俺は……。

 

『ユウ! ダメだよ! その力は……ダメ! 落ち着いて! 抑えて!』

 

 ユイの縋る声が、またやけに遠く聞こえた。

 

「どけ」

 

 俺は、強い感情に衝き動かされるまま、無策に、ただ愚直に、前へ歩み出していた。

 

「どけよ」

 

 肯定の返事はない。代わりに容赦なくフォーメーション攻撃を仕掛けてくる――。

 

「どけええええええええええええええええええーーーーーーーーーーっ!」

 

 沸き上がる衝動のままに、叫んだ。

 襲い来る正面の敵を捉える。やけにはっきりと動きが見えた。

 殴りつける。

 拳の一発が、やけに重く、敵の懐に突き刺さる。

 

 勢いで、正面の男を殴り飛ばしていた。

 

「カッシード!」

「こいつ、いきなりなんだよ!? どこにそんな力を……!」

「まずいわ! 同時にかかるのよ!」

 

 焦り。怒り。悲しみ。憎悪。守りたいという気持ち。

 燃え上がる感情の坩堝に呑まれて、わけがわからなかった。無我夢中だった。

 それでも、ユイの祈りが、俺の精一杯の自制が、もしかしたら、心がすっかり冷たくなるのだけは辛うじて防いでいたのかもしれない。

 ただ、まるで別人のように身体は最適に動く。同時に襲い来る二人の男に対し、両手を左右に突き出して「捌いた」。

 

《気断衝波》

 

 今まで見たこともない、真っ黒で禍々しいオーラが、通常は白いはずの気に、うっすらと混じっていた。

 

「ぐおっ!」「がっ!?」

 

 存外に高威力だったらしい。弾かれた二人は一撃でくたばり、痙攣したまま動かなくなった。

 

「あ、わ……」

「どけ」

「ど、どかないわよ! どくわけないでしょ! あなたなんてねぇ! わたし一人でぇ……!」

 

 立ち塞がる最後の女性を、体当たりで強引に押しのけた。

 

「ぎゃっ!」

 

 ヴィッターヴァイツ。ヴィッターヴァイツ。ヴィッターヴァイツ……!

 止めてやるぞ。お前の思い通りになんて、させてたまるか!

 

「おおおおおおおおおおーーーーーーーっ!」



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157「The Day Mitterflation 8」

 大聖堂の本堂、木製の重苦しい扉にこじ開けられていた穴へと飛び込む。

 内部は外観からの想像通り、天井の高く、やけに広い間取りになっていた。割れたカラークリスタルが散乱している。

 入ると同時に、生臭い血の臭いが鼻を衝く。いたるところ、信仰者たちの死体が弾けていた。

 それを見て、怒りを感じる自分と、何の感慨もなく冷静に見て取る自分が混在して、奇妙な感覚だった。

 奥には、煌びやかな祭壇とラナの彫像が見える。

 そして、ただ一人返り血に塗れて佇む生きた人間の後ろ姿を認めた。

 

 髪が長い。女……? ――いや。

 

 確かに身体は女性を操ってはいるが、彼女の奥から感じる力はまさしく奴のものだ。

 

 見つけたぞ。

 

「ヴィッターヴァイツーーーー!」

 

 奴は悠然と振り返り、ただ不敵な笑みを返した。身体を爆弾に変化させている最中のためか、すぐに自ら動こうというつもりはないらしい。

 それにしてもひどい姿だ。元は綺麗だっただろう肌は、既に内側から沸騰しかけて、赤黒く変じている。

 声が届く距離ではないが、念話を飛ばしてきた。

 

『ホシミ ユウか。外でうろちょろしていたのはやはり貴様だったのだな。もしや来るのではないかと思っていたぞ。身の程知らずめ』

 

 俺はあえて返事をしなかった。する余裕がない。

 正面から《パストライヴ》では、隙をつかれる。代わりに一歩でも距離を詰める。

 

『……ん。今の貴様――中々良い目をしているな。くっくっく。そうか。さすがに応えたか』

 

 お前の野望もこれで終わりだ。止めてやる。

 

『威勢が良いことだな。忠告はしたはずだぞ。再びオレの前に立ち塞がることがあれば、死よりも後悔させてやると』

 

 奴の意を借りた女性の口が、嫌味に吊り上がった。

 既に互いに声の届く位置にいた。堂内にガラの悪い女の声が響く。

 

「このオレが、貴様が律儀に触れるのを待ってやる必要があると思うのか?」

 

 まずい。あいつ、本来の予定よりも早く爆発させるつもりだ。

 

「させるかあああああああーーーーーっ!」

「こんな雌の身体でも、多少時間を稼ぐのにわけはないぞ!」

 

《剛体術》を展開する。女性のものとは思えないほど、筋肉が膨れ上がった。

 そして、逞しく変じた足をバネにして、一足で天井を突き破り、空へと跳び上がっていった。

 上に逃げただと。そうか。なんてことを考えるんだ。

 地上でそのまま爆発させるよりも、空中で爆発させた方が被害範囲が大きい。奴め、そんなことまで……!

 頭の血が沸騰しそうだった。《パストライヴ》で空を駆けて追う。

 本堂の屋根裏に抜ける。既にヴィッターヴァイツは遥か上空にいた。

 速い。前にこちらで戦ったときは、あれほどのスピードはなかったはず。操っている人間の素質が上なのか。時間稼ぎのために力を一気に爆発させているのか!

 

「うおおおおおおおおおおおおおーーーーーーっ!」

 

 させない。力だ。間に合わせるための力を!

 

『ダ……メ……! これ……以上は……本当に……!』

『言ってる場合かよ!』

 

 黒のオーラの比率がわずかに増すと、力が何倍にも膨れ上がったように感じた。

 荒ぶる気の力を推進力へと変えて、強引に空を飛ぶ。

 明らかなこちらの異変と力の増大に、余裕を見せていたヴィッターヴァイツの顔色が変わった。

 しかし一瞬の後、嘲笑に転じる。

 何だ。何が可笑しい!

 

『ユウ! 危な……!』

 

 ユイの叫び声が聞こえた途端。

 

「……っ……!?」

 

 頭にガツンと強い衝撃が走った。

 気付けばふっ飛ばされていて、屋根裏に叩きつけられていた。

 

「ハッハァー! ここで真打ち登場ってなぁ!」

 

 即座に跳ね起きる。予想もしていなかったところからダメージを受けて、ぐらりと視界が揺れる。

 なんだ。今度は何なんだよ!

 

「邪魔をするなああああーーーっ!」

「ホシミ ユウ。まさかこんなところで会えるとはなあ。一度手合わせしてみたかったぜ」

「誰だ! どけよ!」

「《ヴェスペラント》フウガって、知ってるかよ?」

「…………!」

 

 その言葉の直後、相手はいきなり正面から襲い掛かった。自信満々と接近戦を仕掛けてくる。

 まただ。どんなからくりを使っているのか知らないが、速い!

 迎え撃つしかなかった。

 俺が左腕を伸ばすと同時、奴も右腕を伸ばす。

 

《気断掌》!

「《撃震波》ァ!」

 

 開いた左の掌と右の掌が、正面で合わさる。瞬間、二つの衝撃波が生じて、接触面から凄まじい勢いで膨れ上がった。

 共鳴し合う二つの衝撃波が、周囲の大気を激しく揺らす。

 

「なっ……!? オレの《撃震波》とそっくりだっ!?」

 

 動揺した一瞬の隙をついて、目の前の襲撃者を思い切り蹴り飛ばした。

 

 ……左腕が痺れている。使い物にならない。

 

 だが一瞬の思考で斬り捨てて、構わず空を駆ける。

 時間が、ない。

 

「なるほど。うろちょろしている奴らがいるとは思っていたが……まあ良い時間稼ぎだったぞ」

 

 ヴィッターヴァイツは、さらに上へと逃げ伸びていく。

 必死に追い縋るが、遠い。あまりにも。

《パストライヴ》を駆使しても、直線的な動きでは見切られて、かわされるだけだ。

 

 くそおっ! 間に合え! 間に合えよ!

 

「ああああああ゛ああああ゛ああーーーーっ!」

 

 限界まで力を振り絞る。

 どうなってもいい。今だけは! お前だけは!

 

「……貴様。まだどこにそんな力を……!? これでは、まるで……!?」

 

 許さない!

 

 

 

《マインドディスコネクター》!

 

 

 

 ……………。

 

 

 

「な、んで……? どう、して……?」

「どうやら――使えないらしいな。その状態では」

 

 

 そ、ん、な。

 

 

「オレの勝ちだ。小僧」

 

 女性が、最期の言葉を紡いだ口からひび割れて、裂けていく。

 

 目の前が真っ白に光って――。

 

 そして――。



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158「The Day Mitterflation 9」

「はあ……っ……はあっ……!」

 

 勝ち誇った顔で弾けゆく女性が、消えない悪夢のようにこびりついていた。

 

「あ、う……うっ……!」

 

 ヴィッターヴァイツ! くそ! ちくしょう! 俺は……俺は……!

 

「ユウ!」

「ユ、イ……?」

 

 もう離さないと、満身の力を込めて強く抱き留められていた。

 

「どうして。ここは……?」

 

 俺もやられて、死んだはずじゃなかったのか?

 

「『アセッド』の……中だよ。私が引き寄せたの。せめてあなただけでもって……」

「俺だけでもって。じゃあ、他のみんなは……? 他のみんなは、どうなったんだよ……?」

 

 大粒の涙を流しながら、辛い顔でふるふると首を横に振るユイ。

 

「ごめん。ごめんね。あなただけ、しか……」

 

 ああそうだ。わかっていたことだ。聞くまでもないことだったんだ。

 あの状況で、何が期待できる。

 弾け飛ぶ女性。溢れ出す光。全部、俺の目の前で……。

 

 何も知らない市民も、協力してくれたエインアークスの仲間も、みんな。みんな……!

 

「う……うう、う……!」

 

 死んでしまった。死なせてしまったんだ。

 

 俺が。弱いから。助けられなかったから。

 

「う゛ううう゛うううううーーーーーーーーーっ!」

 

 力任せに、自分を殴ろうとして。

 ユイに止められた。必死に止められた。いやいやと首を振って。同じだけぼろぼろに涙を流して。それでも、懸命に堪えようとしていて。

 そんな君と、目が合ったとき。耐えられなかった。堰が切れたように、涙が溢れて止まらなかった。

 泣きついた。ユイに縋り付いて、ユイも俺に顔を預けて、二人で身を寄せ合って、泣いた。

 

「また、守れなかった……! みんな! ごめん! ごめ゛ん゛!」

 

 嗚咽と共に、後悔を吐き出し続けた。

 

 

 

 けれども。

 

 不意に、呼び起こされる。

 自分に、悲しみに暮れている暇があるのかと。

 未だに続く恐ろしい現実をまた意識したとき、涙がすうっと引いていった。

 

「……そうだ。何を、やっているんだ。まだだ。まだ、何も終わっていないじゃないか」

「ユウ……? どうしたの?」

「行かないと。あいつは、まだ続けるつもりだ。だって、奴の目的は……!」

 

 大量虐殺は、単なる通過点だ。奴の目的は、世界の破壊。現状ラナソールが無事である限り、必ず続ける。

 今度こそ止めないと――たとえ、殺してでも。

 

「うん。わかるよ。でも待って。少しだけ、休もう? その状態で行っても、またひどいことになるだけだよ!」

「そんな暇はない。こうしてる間にも、次の町が狙われているかもしれないんだ」

「でも……ねえ、鏡を見て」

 

 部屋に置き据えられていた鏡に目を向ける。

 途端に、自分が空恐ろしくなった。

 俺は――こんな目をしていたのか。まるであいつのようじゃないか。

 

「ひどい目をしてる。今のあなた、普通じゃないよ。黒い力が悪さしてる。心の力がまともに使えてないのも、きっとそのせいだよ」

「……っ! 俺だって、自分がおかしいのはわかってるさ! でも、俺が行かなきゃ誰が行くんだよ! 誰かが代わりに行ってくれるのかよっ! 助けられるのかよっ! お前が!」

 

 パチン。

 

 一瞬、何をされたのかわからなかった。

 驚いて、目を見張った。

 

 ビンタを張られていた。

 怒っていた。目を真っ赤に泣き腫らして、本気で怒っていた。

 俺に対して、こんなに怒っているユイを見たのは、初めてだった。

 

「わかってる。そんなこと、私だってわかってるよ! 私だって……っ……私だってね! 行きたいに決まってるでしょ! あなたが戦うのを見て、苦しくないわけないじゃん!」

 

 張った頬にそっと手を触れながら、涙を零しながら、嗚咽交じりの声で懸命に続ける。

 

「いつもみたいに、ユウと一つになって戦いたいよ……! でも、どうしてもできないから……っ! 悔しいんだよ! 悔しいのは、私だって一緒だよ!」

 

 心臓に、温かい手を強く押し当てられた。

 

「だけど、ここにいる。隣を見て。ちゃんと一緒に戦ってる!」

「…………」

「なのに、また勝手に一人で突っ走って……! バカじゃないの! 今だって、私が必死で抑えてなかったら、あなたどうなってるのか……!」

「ユイ……俺……」

「無理をしなきゃいけないのはわかってるけど、それだけはやめて! ユウ、あなたの戦い方じゃないよ。そんな戦い方をしてたら、壊れちゃうよ。やめてよ。私のユウがいなくなっちゃうよ! ほんとに戻れなくなっちゃうよぉっ……!」

「俺……」

 

 

 ――――!?

 

 

 なんだ。感じるぞ。

 とてつもないほどに強い力を。

 俺たちは、この力を知っている。

 

『なんてときに来やがるんだ! くそったれめ!』

 

 レンクスの悲鳴に近い念話が飛んできた。俺たちの邪魔はしたくなかったのに、そうも言ってはいられなくなったようだ。

 

『フォートアイランドの方だ』

『またなのね。行くしかないわ』

 

 本当は言いたいことがあったのに、言うべきことがあったのに、言っている場合ではなくなってしまった。

 

「……行こう」

「うん……」

 

 あいつだ。ウィルがやって来た。



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159「The Day Mitterflation 10」

 心は荒れたままだが、状況が落ち着くことを許してはくれなかった。

 レンクスの誘導に従って、少数精鋭であいつの力が迫る場所へ向かう。さすがにフェバル以外のメンバーはとても連れていけない。

 ウィル……。今度は何をするつもりなんだ。

 あいつの考えも行動も、まったく読めなかった。もしこんな危機的状況で今から試練でもテストでもされようものなら、たまったものじゃない。

 

 フォートアイランドに着き、下で待ち構えていると、突如として、空の上に人の姿が現れた。

 

「さすがに足を突っ込んだりはしてくれないわよね……」

 

 エーナさんが、精一杯の茶目っ気で少しでも空気を和らげようとしている。だけど、言った本人もまったく目が笑ってなくて、一目明らかな冷や汗をかいていた。

 

 あいつは現れた場所から、浮いたまま一つも動いていない。

 その場にいるだけで大気が震え、身が勝手に震えるほどの圧倒的な力は、記憶のままだ。むしろいつもより、さらに力を高めているように思えた。示威行為にしても、不必要なほどに。

 黒のオーラがはっきりと見える。フェバルとしての最強格を示す力。

 改めて目の当たりにして、俺ははっとさせられた。

 今、俺がうっすらと纏ってしまっているものと、本質的には同じものなのだと、気付いてしまったからだ。

 じゃあ、俺のこの力は……一体?

 

『おいウィル。てめえ、今度は何しに来たんだよ』

 

 レンクスが、軽く念話のジャブを飛ばす。だがウィルは、一切返事も反応もしなかった。

 なんだ……?

 これまでとは、明らかに様子がおかしかった。

 邪悪そのものとも恐怖そのものとも形容できるおぞましい気配は微塵も動じていないが……本当にどうしたのだろう。まったくいつもの余裕が感じられない。

 これまでなら、「ごきげんよう」とか何とか、気取った挨拶の一つでも飛ばしてくるところなのに。

 遠目にも険しい顔で、焦っているようにすら見えた。

 実際、俺たちが確実に見えているはずなのに、聞こえているはずなのに、あいつは目もくれていない。代わりに、何やら呟いていた。

 エーナさんが、全員に聞こえるように風魔法をかける。

 

『ふざけるなよ。こんな場所が……こんな世界が、あってはならない……』

 

「え……?」

 

 ウィルは、手を掲げた。

 掌の上に指先ほどの火球が生じて、それがみるみるうちに膨れ上がっていく。

 あれは……かつてエデルで見せつけくれた禁位魔法――《メティアム》か?

 いや、似ているけど、違う。そんなものじゃない。

 本気だ。一切の遊びのない、本気の魔法を撃とうとしている……!

 

 そして、あいつは宣言した。

 

 

 

『この星を消す』

 

 

 

 突然の暴挙に、場が凍り付く。

 

「待て! あいつ、何を考えてるんだ!」

 

 いつもは冷静なジルフさんまでが、狼狽していた。

 

「やばいわっ! 《トーパスプロセコン》!」

 

 エーナさんが決死の表情で魔法を唱えると、守りのバリアが全員と周囲の空間に張られた。

 

「助かるぜ」

「私の持ってる最強の防御魔法よ。……気休めにもならないだろうけど」

 

 エーナさんが慌てて防御を張った理由は、すぐにわかった。

 どこまでも火球の拡大が止まらない。既に直径数十キロ、いや、さらに大きくなっているのか……?

 

「あ……あ……」

 

 そんな――でか過ぎる。

 

 世界を純粋な力で押し潰すべく、巨大隕石と違わぬ様まで、体積を急速に増し続けていた。

 当然、周囲の気温も異常に跳ね上がっていた。もしエーナさんの防御がなければ、フォートアイランド周辺の誰もが、簡単に蒸発してしまっていただろう。

 証拠に、バリアで守られていない海と地表へのダメージは、想像を絶するものがあった。熱気によって海は泡立ち、さらに生じた竜巻と暴風によって、大地が剥がされて巻き上げられていく。

 そして、単純な大きさだけではなかった。表面の温度までが、恐ろしいまでの高まりを見せている。高温の「星が発する」レベルの青白い光を通り越して、混沌一体となったプラズマの光が、目も潰しかねないほど眩く地表を照らしている。

 レジンバークの防御結界も、当然、自動発動していた。エーナさんの防御魔法と合わせて辛うじて耐えているが、じりじりと魔法の構成が壊れつつある。

 

「バッカ野郎……! あんなのぶっ放されたら、とても跳ね返せねえぞ……!」

 

 そうか……能力が使えないからだ。レンクスでもお手上げで、どうしようもないんだ。

 

 ……どうしてだよ。何なんだよ!

 

 運命があるとするなら、呪いたかった。

 俺がどんなに力を尽くしても。足りないと。そう言うのか。

 ヴィッターヴァイツを何とかしようとしたところで、これでは無意味じゃないか。

 もっと明確な終わりが、すぐそこにある。力ある者の気まぐれで、容赦なくやって来る。

 実際、何もできることがなかった。無力だった。またみっともなく喚いて、懇願するしかなかった。

 

「ウィル! どうしてだよ! やめろ! やめてくれ!」

 

 お前は今まで、ほんの少しでもチャンスをくれたじゃないか。もしかしたら少しくらいは、話せる奴じゃないかとまで思っていたんだ。なのに、気のせいだったのか? どうしてこんなことをするんだよ……!

 ウィルは一瞬だけ俺を見たが、返事をしなかった。さらに集中して、魔法の威力を高めていく。止めるつもりなど、微塵もない。

 本気だ。本気で撃つつもりなんだ……。あいつ、この世界を本気で消すつもりなんだ……。

 目の前が真っ暗になっていく。

 ヴィッターヴァイツより遥かに直接的に、終わらせてしまう。よほどとんでもないことをしようとしているのに。

 これほどはっきりと「何もできない」を示されてしまうと、怒ることも、悲しむことも、どんな抵抗の感情すらも、無意味にまで思えてくる。

 あまりの絶望的な光景に、かえって現実感が薄れてきた。悪夢を見ているようだった。この世界のように、夢であればよかったのに。

 

「ちく、しょう……!」

「無念だ……!」

 

 レンクスとジルフさんが、悔しさに顔を歪ませて、拳を振り下ろしていた。それでも、せめてもの抵抗に、彼らの最大の技を撃って迎えようとしている。

 エーナさんは、懸命になって魔法の維持に魔力を振り絞っている。ユイも持てる力を尽くして、協力していた。

 俺に何ができるだろう。一万の力に一を加えて、その一が何かを変えられるのか……!?

 ――それでも、何もしないよりは。やって死ぬべきだ。

 

 せめてもの抵抗に、気剣を抜こうとしたとき――。

 

 遥か海の向こうから、緑光が一筋、凄まじい速度で空を貫く。極大の光線が飛来する。

 

『ラナの裁き』だ……。

 

 狙いは明らかにただ一人。今まさに世界を破壊せんとする者へ向かって。

 

 俺が狙われたときとは、明らかに威力が違う。

 あれもおそらく――本気だ。

 ラナソールという世界は、ウィルを最も排除すべき危険な敵と認識したんだ。

 

『……邪魔をするつもりか。トレインめ』

 

 さしものウィルも、一度は攻撃を中断せざるを得なかった。

 作りかけの魔法を片手で留め置いて、もう片方の手で光線を受け止めようとする。

 彼の掌で、衝突した。

 攻撃を跳ね返そうとする彼の腕と、敵を呑み込もうとする緑色の光。押し切れなかった分の光が、四方を滅茶苦茶に荒らしながら、乱れ散っていく。その余波だけで、次々と地形が破壊されていく。

 あの攻撃にどれほどの威力が込められているのか。信じられないことに、片手とは言え、あのウィルがやや押されているようだった。あいつが押されているところを見るのは、初めてだった。

 俺はただ祈りながら見守るしかなかった。頼む。このまま押し切ってくれ!

 すると、あいつを中心に、異変が起こり始めていた。

 ウィルに対する迎撃に、キャパシティを割いてしまったからなのか。単純に、攻撃の威力が高過ぎて耐えられなくなったからなのか。

 世界に少しずつ、ひびが入っていく。ガラスの割れたような恐ろしい裂け目が、あちらこちらに現れ出した。

 

「――使える。使えるぜ」

「「え?」」

 

 レンクスの顔色には、少しばかりの余裕が。彼の目には、希望の光が戻っていた。

 

「世界の理も、壊れかけているのかもしれねえ。たった今、使えるようになったんだよ! 【反逆】が! 能力さえ使えれば、こっちのもんだ!」

 

 レンクスが、よっしゃあ! と気合いを入れて叫んだ。【反逆】で、ウィルの作ったプラズマ球を強引に持ち上げようとしている。

 わずかに、あいつの魔法が動いた。

 

「いけるぞ! ジルフ! まずはあいつを押し返すぜ!」

「おうよ!」

 

 ジルフさんも、【気の奥義】を解放した。

【気の奥義】は、気の扱いからあらゆる制約を除去する。気功波といった馬鹿げた所業も、ジルフさんならできる。

 今、それが行使された。

 

「はあああっ!」

 

 馬鹿でかい気の光線が、プラズマ球へと撃ち込まれる。

 レンクスの能力と合わせて、少しずつウィルの魔法が地表から離れていく。

 これなら……! 助かるかもしれない!

 

『レンクス! ジルフ! お前たちも、邪魔をするつもりか……!』

 

 ウィルは、どこまでもらしくなかった。明らかに余裕がなかった。本気で怒っているようだった。

 

「わけもわからないうちに世界を終わりにされるのは、許せねえからな! 俺よ、この世界結構気に入ってるんだぜ?」

「俺もだ。だから、ここは止めさせてもらおう!」

「私もまあ、好きよ。さあユイ、こっちも気合い入れて守るわよ!」

「はい!」

 

『……ふざけやがって。舐めるなよ!』

 

 あいつの体表を、暗黒のオーラが、さらに濃く塗り潰していく。自ら創造した魔法の光と、撃ち込まれている『ラナの護り手』の強烈な光さえも塗り潰そうとするほどの、圧倒的な黒だった。

 

 グシャッ!

 

 何かが潰れる音が鳴り響いた。

 剛腕。力業。

 空間だ。攻撃ごと、周囲の「空間そのもの」を、強引に握り潰した音だった。

 世界に穴が開く。アルトサイドの闇が、ぽっかりと彼の正面に覗いた。

 直接攻撃の対象から外れてしまった『ラナの護り手』は、その開いた穴に吸い込まれて消えていってしまう。

 

 その間に、レンクスとジルフさんは、ウィルの攻撃を宇宙にまで弾き飛ばしていた。

 これで、差し当たりの滅亡も防げたが、援護も消えた。この場にいる者だけで何とかしなくてはならなくなってしまった。

 

「……さて。お前たちを殺して、今度こそ終わりにしてやる」

 

 黒のオーラの効果なのか、先ほどまで乱れていたウィルは、既に落ち着きを取り戻していた。

 やはり、恐ろしく強い。

 こっちはレンクスとジルフさん頼みだけど、勝てるだろうか……? 何とかするしかない。

 

「ん?」

 

 突然、ウィルの目の色が変わった。

 

「ユウ。お前……男、女。なぜ、二人いる?」

 

 気付かれた……!

 むしろ、今まで気づいていなかったのか。それほどまでに焦っていたのか。どうして。

 ユイが肩を震わせて、身構える。俺はユイをかばうように、一歩前へ進み出た。

 

「どうだっていいだろう。そんなこと」

「お前……その目、その力……。そうか。そうか――楔が外れかかっているのか」

 

 楔? 何のことだ……?

 ウィルは、やけに憎しみを込めた冷たい目を、なぜかユイだけに向けた。

 

「女。僕は、ずっとお前が許せないと思っていた」

「私だって……! あなたにされた仕打ち、忘れたわけじゃないよ!」

「……紛い物の分際で。何よりも」

「おい!」

 

 レンクスがこめかみを引き攣らせて、これ以上ないくらいに怒って、ウィルを威嚇した。

 ウィルはまったく取り合わずに、今度は俺を睨んだ。

 

「ユウ。お前にも手伝ってもらうぞ」

「は? ふざけるな。そんなこと、するわけ――!?」

 

 その言葉を、言い終わる前に。

 

 

 ――何かが、刺し貫かれる音がした。

 

 やけに耳にこびりつく、嫌な音だった。

 

 

 振り返る。

 

 

 声が出なかった。信じたくなかった。認めたくなかった。

 

 

 

「お前が一番邪魔だったんだ。女」

 

 

 

 ユイが、ぐったりしていた。血を吐いていた。

 

 背中から、あいつの手が飛び出していた――。

 

 鮮血に塗れた手が、ゆっくりと引き抜かれる。

 

 ユイが、倒れていく。

 

 ユイが、動かない。

 

 

「あ、あ、う、あああ゛……!」

 

 

 そのとき、自分の中で何かが。決定的な何かが、切れる音がした――。



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160「The Day Mitterflation 11」

「おい! ユイ! しっかりしろ! おい!」

 

 倒れたユイを抱えて、レンクスが悲痛な叫びを上げる。

 死んでも生き返るというのは、あくまでフェバル当人に限った話。

 ユイは、正確にはフェバルであって、フェバルではない。

 ユウの能力によって生まれた一人格が、ラナソールという特殊な環境で肉体を成したものでしかないのだ。

 下手に分かれてしまっている分、どうなってしまうのかわからない。最悪、死ねばそのまま消えてしまう恐れもあった。

 だからレンクスは、気が気でなかった。

 藁をも縋る思いで【反逆】をかけてみるも、まったく通らない。唯一彼女を治せる可能性を持つ能力に対しては、ウィルは攻撃の瞬間、【干渉】によって強固な抵抗をかけていたのだ。

 

「ちくしょう! なんでだよ……! ユイ! 頼むよ……。目を覚ましてくれよ!」

 

 敵であるウィルに目もくれず、ほとんど泣きそうな顔で、ひたすら自身の気力を分け与える必死の延命行為に縋る。

 何もできないエーナは、様子のおかしくなったユウと、みるみる血の気を失っていくユイと、交互に視線を迷わせて、狼狽していた。

 ジルフもまた、自身の気による治療で手を尽くす。だが黙って首を横に振りたくなるほど、彼女はひどい状態だった。

 ウィルの貫き手は、肺の一部ごと、正確にユイの心臓を失わせていた。

 血の一切が巡らず、呼吸すらもできない。

 明らかな致命傷だ。普通に考えて、助かりようがなかった。

 ユイには、既に血を吐く力もなかった。レンクスの腕の中で、次第に冷たくなっていく。

 

「やめろ……! おい、嘘だろ……。やめてくれ! 俺は、また……!」

 

 失ってしまうのか?

 

 ユエル。ユナに続いて、ユイまでも。

 

 

 ***

 

 

 着実に遠ざかっていく生の感覚、薄れゆく意識の中で、ユイは一筋の涙を流しながら、もう動かない身体を最期まで動かそうと、ユウに向かって手を伸ばそうとしていた。

 

『ユウ……いか、ないで……』

 

 

 ***

 

 

 だが、祈りは届かない。

 

 元々、危険なレベルで精神が不安定になっていた。そこにユイという抑えがいなくなってしまったことで、黒い力は瞬く間に『心の世界』を呑み込んでいった。

 既にユウは、本来の性格を失っていた。

 通常気というものが持つ白に代わり、黒で塗り潰されたオーラが、彼の身体から溢れ出す。

 それはちょうど、ウィルの纏っているものとまったく瓜二つで――。向かい立つ様は、さながら鏡合わせのようでもあった。

 

「…………」

 

 ユウは、自らの身体を確かめるように拳を何度か握り開きし、それから周囲を、やはり確かめるように見回した。その瞳に一切の光はなく――やはりウィルのそれとそっくりだった。

 性質の変わった身体の方はともかく、まるで初めて周囲の世界を見るような、奇妙な行動だった。それを見て、ウィルも訝しんだ。

 ユイという存在が邪魔で捨てざるを得なかった、彼にとっての当初の狙い――ユウが、自身と同じ破壊者としての性質に目覚めた――ただそれだけではないのか? と。

 ウィルは、ユイの血に塗れた自らの手を見下して、顔をしかめる。

 

 あの女。確かに気に入らないとは思っていた。心の底から殺してやりたいほどには憎んでいた。

 だが……あえて今、それをする必要があったのか? ウィルには、自分の行動がわからなかった。

 当然、世界の破壊が最優先だったはずだ。あの女さえいなくなってしまえば、ユウがこうなることを見越してはいた。いたが……冷静に考えれば、自分があのまま全員を殺し、もう一度攻撃して、消し去ってしまえばよかったのだ。不確定な要素を持ち込む必要はない。

 なぜだか、妙に気分が掻き立てられた。殺そうと思い、そう少しでも思ったときには、口と手がほとんど勝手に動いていた。

 

「……まさか」

 

 ウィルは気付いた。愕然とした。

 ユウと女が、分かれていた。ということは――。

 僕をこの世界に誘い出し、この状況を作り出すことこそが、奴の狙いだったとしたら。

 

 嵌められたのは、この僕か……!

 

 突然、彼の身体が、わなわなと震えはじめた。

 強い意志の力で無理矢理抑えていたものが、暴れ出そうとしている。解き放たれようとしている!

 

「ぐおお、お………!」

 

 割れるほどに痛む頭を押さえて、ウィルは苦しげに呻いた。必死に耐えていた。

 

 ユウは、さらに黒のオーラを増大させ、力を異常に高めつつある、目の前の人物を睨んだ。

 そして、彼も理解した。

 

「……なるほど――そういうことか」

 

 ユウは呟き――そして静かに力を高めた。

 ウィルに対抗する形で、漆黒のオーラが膨れ上がっていく。

 二人の力の高まりだけで、ヴィッターヴァイツの暗躍によって生じた大量の死の想念、およびウィルへの攻撃により安定と力を失った世界は、既に正常な構成を保つことができなかった。

 二人の身の周りから、次々と空間に亀裂が入っていく。

 

 世界は壊れていく。

 

 だが今は、それよりも優先すべきことがあった。

 

『星海 ユウ』は、目的のためなら犠牲を厭わない。

 

 

 ***

 

 

「なんて力だ……。あれが……本当にユウ、なのか……?」

「ユウ……あなた……」

 

 ジルフとエーナは、とても信じられない思いで変わり果てたユウを見つめていた。

 とてつもないポテンシャルがあるとは思っていた。エデルで見たときから、わかっていたはずだった。

 想像を遥かに絶している。フェバルという枠に当て嵌めることすら、生温いとまで思えてしまう。

 ジルフにとっては、自身とヴィッターヴァイツとの戦いすらも、小競り合いに思えてくるほどの、いかれた力に思えた。

 直感でわかってしまうのだ。とても手出しできるものではないと。

 だが、あれでは……。ユウ、お前は……。

 エーナが、絶望的な表情で、それでも防御魔法の構成にとりかかる。

 ジルフは、動けなかった。イネアとの約束を思い返しながら、暗澹たる思いで状況の推移を見守るしかなかった。

 

 

 ***

 

 

「おい、おいおい……なんだよ、あれは……」

 

 やけに強力なフェバルが現れて、いきなり世界をぶっ壊そうとしたところまでは、黙って見届けていた。

 そいつがラナソールを壊してしまうのなら、手柄を横取りされるようで少々癪ではあるが、それはそれで構わないと思っていたからだ。

 しかし……。

 今、ヴィッターヴァイツは戦慄していた。

 ホシミ ユウにこれほどの力があるとは、つゆも思いもしなかったのだ。

 あれがユウであると辛うじて理解できたのは、謎の黒い力につき、先刻、確かに片鱗を見てはいたからだ。そうでなければ、本人のものとはわからなかっただろう。決して認めなかっただろう。

 これまで己が対峙してきた小僧とは、レベルが違い過ぎる。あまりにも。

 

「くっ……このオレとしたことが……」

 

 身体の震えが止まらなかった。正直に、恐怖すら覚えていた。

 普段の己ならば、決して犯さぬ失態だ。なぜこれほどまでに動揺してしまうのか、自分でもまったくわからない。そのことにいら立ちを感じてもいた。

 震えを押さえつけようとしても、身体がまるで言うことを効かない。まるで魂に恐怖を刻み付けられてしまったかのようだった。

 だが戦闘者たるヴィッターヴァイツは、あえて正面から考える。今のユウと戦って勝てるか? と。

 傲慢なほどの自信家をもってしても、容易に勝てるビジョンが微塵も浮かばなかった。むしろ、もしあの力をそのまま自分に向けられていれば、無事で済むだろうか。

 

「逆に見せつけられるとはな。自信を失くしてしまうぞ……」

 

 不機嫌な顔で、かぶりを振る。

 だがとりあえずは、ユウともう一人が潰し合おうとしている。勝手にやらせておけばいいと、老獪な面も併せ持つ彼は自分を納得させた。

 むしろ、二人に集中が向いている今こそが、最大の好機なのだ。

 

「だが、ただではないぞ。この状況、利用させてもらう」

 

 ヴィッターヴァイツは、翻って遥か遠い空に目を向けた。

 

 ラナソールという世界は、もはやその維持だけで手一杯のようだった。

 

 浮遊城ラヴァークは、今、その姿を白日の下に晒していた。

 

 この状態にもっていくことこそが、そもそもの彼の狙いであった。

 

 ヴィッターヴァイツは嗤う。ラナを守るものは、もうどこにもなかった。



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161「The Day Mitterflation 12」

 変貌したユウに呼応する形で、ウィルのオーラも膨れ上がり、急速に高まっていく。だが、彼自身の意志によってではなかった。ウィルは異常に高まる力と意のままならぬ身体に、呻き苦しんでいた。

 目を血走らせ、息も絶え絶えとなり、しかし辛うじて自分の意識だけは保とうとしている。完全に意志を手放したが最後、まず二度とは戻れない。彼は絶対に負けるわけにはいかなかった。

 彼にはわかった。今目の前にいる人物が、「あの白い状態」とは違い、どうやら確固たる意志を持っていること。それも、普段のユウとは異なる人格が表出しているらしいということ。

 そして、自分に向かって攻撃を仕掛けようとしている。彼がしでかしたことを考えれば当然であるが、既に戦いは避けられない情勢のようだった。

 ウィルを黙ったまま見つめるユウに対して、彼は精一杯の余裕を演じようとした。そうして自分を強く持たなければ、自分を支配しようとする意志に負けてしまいそうだった。

 

「まさか、この僕と戦うつもりか?」

「…………」

 

 ユウが睨みを強めた瞬間。

 

「……っ!」

 

 とてつもない衝撃がウィルを襲い、一瞬で数キロ以上も後方まで吹き飛ばしていた。

 何をされたのか。ウィルはすぐに理解した。

 技は《気断掌》そのものである。ただし、力が上がっている今の状態では、放つのにわざわざ手から撃ち出す必要もない。

 気合いを込めて一睨みするだけで、衝撃波を発生させるには事足りた。他ならぬウィル自身、雑魚を散らすのによく使用していた技だ。

 枷が外れただけでこの力。同じレベルに達している。やはり自分の目に見誤りはなかった。

 飛ばされたことに動揺はあるものの、睨みだけで使える程度の技では、さほどのダメージはない。ウィルは途中で衝撃波から抜け出した。

 直後に瞬間移動を発動して、ユウのすぐ背後を狙う。彼はユウになど構わず、すぐにでも世界を消滅させたかったが、実際の身体は目前の敵を狙って正確に動いてしまう。

 首を飛ばす勢いで放った彼の手刀は、空を切った。

《パストライヴ》によって、ユウは背後を取り返していた。こちらももはや別の技と言えるほど、発動速度が異常に上がっており、ワープ前後の隙が一切なくなっている。

 ユウはウィルに向かって蹴りを繰り出すが、さらにウィルは姿を消して背後を取る。

 攻撃と瞬間移動によるポジションの取り合いが幾度か続き、ついに拳と拳がぶつかると、凄絶なラッシュの応酬が始まった。

 

 

 ***

 

 

 ユイの命の輝きが失われていくことに打ちひしがれていたレンクスだが、力を持つ者が悲しみに暮れる猶予を、世界は与えてはくれなかった。

 二人の破壊者による戦いの余波は、凄まじいものがあった。彼らの繰り出す拳の一発が、蹴りの一発が、雲を割り、大地を砕き、海を巻き上げ。

 そして空間に――世界に次々と亀裂や穴を開けていた。

 二人を中心に、崩壊は加速する。深淵の闇がいたるところに顔を出し、空と闇が異常な斑模様を作り上げていく。絶え間ない雷と暴風雨が、世界のあらゆる場所で発生していた。

 正しくこの世の終わりの光景に、恐怖を感じない者はいなかった。

 

「ユウ……お前……」

 

 ふらふらと空を見上げるレンクスに、ジルフが心配して肩を叩く。

 

「力が高過ぎる。あいつらがいるだけで、世界が耐え切れていないんだ」

 

 ユイから黒い力について話をきいてから、何度か暴走しかけたあの力を見てから、レンクスにもジルフにもエーナにも、嫌な予感はあった。

 ここまでとは思わなかった。

 悔しいが、とても割り込めない。割り込めるレベルの戦いではない。感情が否定しても、身体が畏れている。なまじ強いばかりに、力の差をはっきりと感じ取ってしまう。

 ウィルにしても、今の状態はおかしい。あまりに強過ぎる。レンクスの手ごたえでは、普段の奴なら、勝てはしなくとも、まだ辛うじて戦いになる程度の力の差であったはずだ。

 だと言うのに……あの黒いオーラ。ユウと同じだ。あれが膨れ上がったと思ったら、力が異様に跳ね上がった。

 ユイは言っていた。あれは、この世の全てを憎み、敵とみなしたすべてを殺すための力に思えた、と。

 そうなのだろう。邪魔をするなら、容赦なく一発で消されてしまうだろう。

 レンクス、拳を握り締めていた。唇を噛んでいた。どちらも強過ぎて、血が出ていることに気付かないほどだった。

 

「こんなのってねえよ……! 何より世界を愛していたお前が。よりによってお前が、世界を終わらせる気かよ……ユウ……!」

「……レンクス。辛いでしょうけど、あなたも協力しなさい。私だけじゃ……流れ弾の一発でも町に飛んできたら……それだけでおしまいよ。あの子のせいでみんなが死んだら、あの子たちは……きっと取り返しのつかないほど後悔するわ」

 

 懸命に防御魔法を張り続けるエーナに諭されて、彼は長く重い息を吐いた。決断しなければならなかった。

 ここでユイの治療を諦めることは、ユイの死を認めることになる。

 わかっちゃいるんだ。もう助からないことくらい。頭では。

 それでも。俺は……! 俺は……。

 滅茶苦茶な気分だった。何もかもから逃れたい気分だった。

 だが、逃げることは許されない。わかっちゃ、いるんだ……!

 長い苦渋の末、ユイから手を離すことを決めた。

 彼女のために何もしないことを、彼女が許さないだろうと思ったからだ。

 いつものユウだったら。ユイだったら。必ず守ろうとするだろうと思ったからだ。こんなどうしようもない自分でも、心から頼りにされていることは痛いほどわかっている。

 ならば、二人の意志を守ることが。期待に応えることが。自分のすべきことだと。

 

 たとえ、ユイを見捨てることになるとしても。

 

「うおおおおおおおおーーーーーっ!」

 

 どうしようもないほど、滅茶苦茶な気分だった。レンクスは、絶叫した。ほとんど泣き叫びながら、【反逆】を世界中に展開した。

 

 そのとき、高さ数百メートル規模の、空前絶後の大津波が発生していた。フェバルの力が合わさり、辛うじて世界から陸が消えるのを食い止める。

 

 壊れかけた世界から、せめて人々を守るため。今はそれだけが、彼にできることだった。

 

 

 ***

 

 海が真っ二つに割れていた。エディン大橋は砕けて、海の藻屑と消えた。

 魔のガーム海域の底で、二人はなおも死闘を続けていた。

 

 ウィルは時空干渉を含め、戦闘中、一切の絡め手を使うことはなかった。

 およそ通常の戦闘においては決め手となるあらゆる特殊攻撃に対し、あの状態ではまず耐性があると、ウィルも、彼を衝き動かす意志も考えていた。

 

 ユウが、人さし指と中指、二本指を立てた。

 指先に黒いオーラが集中していく。

 一見小さな動作ではあるが、ウィルは身構えた。その技には見覚えがある。

 指を振り下ろした瞬間、ウィルは大袈裟なほど大きく身をかわした。

 

 直後、世界が()()()

 

 空間が断裂し、黒い線が生じる。それは先まで彼がいた場所を貫いて、地の果てまで続いていた。

 攻撃は続いていた。ユウが指を振り上げると、再び同様の断裂がウィルを狙う。

 ウィルはまたかわす。追って、ユウが高速で指を振るい続けると、幾数千幾万もの空間断裂が次々と引き起こされた。

 そのすべてを完璧にいなし、かわしつつ、ウィルも反撃を狙う。

 彼が手をかざすと、ユウを球状の黒いバリアが包み込んだ。

 開いた手を、握る。

 バリアが圧縮され、ユウを押し潰そうと迫る。

 だが、ウィル自身この攻撃は無駄とわかっていた。ユウが力を高めると、バリアは内側から割られ、粉々に吹き飛ばされた。

 ユウは、既に反撃の体勢に入っていた。

 念じると、彼の身体の周りからおびただしい数の黒い球が生じる。一つ一つこそ拳大であるが、そのすべてが、触れれば空間ごと相手を消滅させる無の属性を持っている。

 ユウの合図で、それらはあらゆる角度から一斉にウィルへと襲い掛かった。

 一つでも食らうわけにはいかない。ウィルは掌に力を纏わせて、襲い来る黒球を次々と叩き落としていく。

 

「小賢しい」

 

 やがて面倒になった彼を動かす意志は、強引に力を高めた。彼のオーラに触れたものから、エネルギー波は崩れて、掻き消えていく。

 そして再び、二人は一定の距離を置いて対峙する。開いていた海が、本来の姿を思い出したように閉じ始めた。

 

 ウィルは、やはり先ほどの技を知っていた。

 

《スティールウェイオーバーキラートゥータス》。

 

 無数の消滅エネルギーボールを自動操縦することによって、自らは手をかけず、敵を跡形もなく抉り取ってしまおうという技だった。

 これまでの技もそうだが、このような容赦のなく、かつ強力な技の使い方をする人物を、彼は一人しか知らない。

 

「ユウ。まさか、お前……『あのユウ』なのか?」

「……もう二度と出てくることはないと、思っていたんだがな」

 

『ユウ』は、静かに認めた。

『黒の旅人』『フェバルキラー』と呼ばれ、かつて全宇宙で畏れられたという最強のフェバル。その名残が目の前にいる。

 ウィルは、内心ひどく驚いていた。同時に、喜んでいいのか、怒っていいのかわからなかった。

 とりあえず、会いたい人物ではあった。一番文句を言ってやりたい人物の一人ではあった。

 が、ならばなぜと、ウィルは辛うじて自分の意志で言葉を紡ぎ出す。

 

「だったら、なぜもっと力を出さない? あのときのお前は、もっと遥かに――圧倒的に強かったはずだ。この僕など、簡単に殺せてしまうほどに。オリジナルのお前は」

 

 ウィルは、よく知っていた。だから、今のユウにも少しは期待していたのだ。

【神の器】のポテンシャルは、およそあらゆるフェバルを瞬殺し、大銀河さえもその手にかける、あの究極的なレベルの強さにまで到達し得ることを。

 そして、それほどの力がなければ、「奴ら」に対抗することは決してできないのだ。同じ土俵に立つことさえも。

 ……あの女さえいなければ。

『ユウ』は、あえて返事をしなかった。する必要もないと考えていた。

 

「そうか……。出せないと言うんだな? その身体では」

 

 さながら、木製の車体に反物質ロケットエンジンを積んでいるようなものだ。

 今以上にオーラを高めれば、あまりに強過ぎる力に、肉体の方が耐えられないのだと、ウィルは理解した。ラナソール効果で相応に強化されているとは言っても、所詮今のユウは、通常の人間の肉体でしかないのだ。

 当然、魔法も使えないはず。だと言うのに、ここまで互角の戦いを演じてみせるとは。

 

「それは『お前』も同じことだろう」

「…………ああ。そうさ」

 

 ウィルの方も、嫌々ながら認めた。

 今こそ無理に引き出されているが、黒性気を全力で出すことは、普段はしない。

 やはり、身体の方が耐えられないからだ。

 

「お互い、所詮はオリジナルの紛い物でしかないわけだ。なあ――兄弟」

 

 最大限の皮肉を込めてそう言ったが、相変わらず『ユウ』の方は無視するので、ウィルは段々腹が立ってきた。

 不思議なことに、腹が立つと、彼を支配しようとしていた意志の締め付けが、少しは楽になった。

 

「お前が勝手にいなくなったせいで……お前とそいつが押し付けてくれたもののせいで、どれほど苦労を強いられてきたか、わかるか?」

「…………」

「そのユウじゃない。その甘ったれじゃ、お前の代わりは務まらない。わかっていたはずだ。そして……僕が破壊者になった。なるしかなかった」

 

 ウィルは激しい怒りと失望を込めて、『ユウ』を睨んだ。これは彼の本心によるものだった。

 こんなタイミングで。今さら出て来やがって。既にほとんど手遅れだ。どうしろと言うのか。

 

「……そうか。悪かったな」

「悪かっただと? だったらなぜ、最後までお前がやらなかった!」

 

 ウィルは、とうとう激高した。

 そもそもは、『黒の旅人』と「奴ら」が始めた戦いだ。

 どれだけ続いているのか、正確なことまではわからない。記憶は完全ではない。

 だが――お前が終わらせていれば。

「破壊者ウィル」が生まれることはなかった。ユウも、今より過酷な運命を辿ることはなかったのだ。

 そこで『ユウ』は初めて、一瞬だけ哀しげな表情を見せた。だがすぐに無表情になって、言った。

 

「可能性に賭けたのさ」

「そのわずかな可能性のために、僕らは……!」

 

 わかってはいた。そうするしかなかったとわかってはいても、ウィルは文句を言いたかった。

 この宇宙で唯一、文句を理解できるのが彼だけなのだから。

 

 だが、話は続けられなかった。

『ユウ』は、あくまでなすべきことを続けようとしていた。

 彼が左手に力を込めていくと、気剣が現れた。

 通常の気剣ではなかった。オーラと同じ、漆黒の闇を湛えている。

 

「黒の気剣……」

 

 宇宙で唯一、『フェバルキラー』だけが使えたという、最強の気剣。

 この世のあらゆるものを斬るとまで言われたそれを前にして、ウィルは息を呑んだ。

 対抗するには、こちらも最強の武器をぶつけるしかない。

 ウィルもまた作り出す。彼の左手に現れたものは、およそ破壊者の名に似つかわしくない、煌々と輝く光の気剣だった。

 

「光の気剣か」

「僕にはこれしかないんでね」

 

 皮肉気に呟くウィルの心を、『ユウ』は正確に見抜いていた。

 

「こだわりか。まだ想っているのか?」

「さあ。どうだろうな。僕はあいつじゃない。あいつはもう死んだ」

「…………」

「僕は――ウィルだ」

 

 世界も、運命も。

 今だけは、関係ない。心の底から、こいつに全力をぶつけてみたい気になっていた。

 

『ユウ』とウィルが、世界の底でぶつかる。互いの剣を斬り結ぶ。

 幾度も激しく、剣が交差する。

 力は互角。

 だが、すべてを斬る黒の気剣の特性が、光の気剣をも斬ろうとしていた。徐々にウィルの気剣から、力を奪っていく。

 

 ついに『ユウ』の気剣が、ウィルの心臓を深々と貫いた。

 

「か……は……!」

 

 ウィルの全身から、力が抜けていく。

 

 あの女の心臓を貫いた。ちょうどやり返されたのか。

 

 ウィルは思った。

 

 これで……終わりか。

 やっと、終わりか。死ねるのか、と。

 

 そうだ。こうなることを望んでいたのかもしれない。

 僕は最初、ユウを破壊者にしようとしていた。それはおそらく、すべての解決にならないとわかっていても。

 あいつがやるべきだったと思っていた。

 そしてついでに、生まれるべきではなかった僕を、殺して欲しかったのかもしれない。

 

 ところが、である。一向に、彼が死ぬ気配がなかった。

 それどころか、力が抜けていくに応じて、意識の方はかえってクリアになっていく。

 何が起きているのか。目の前の人物が何をしようとしているのか、まったくわからなかった。

『ユウ』を睨むが、彼はただ突き刺した剣に力を込めているだけだ。心が読めない。

 ともかく、黒の気剣が斬ろうとしているものは、彼そのものではない。

 

 では、つまりは……。

 

 ウィルが答えに辿り着きかけたとき、彼の内側から、膨大な黒いオーラとともに、何かが抜け出した。

 攻撃に集中していた『ユウ』と、ウィルの虚を完全に衝くタイミングだった。それは、手近な世界の穴を通じて、第三の領域――アルトサイドへ逃げ落ちていく。

『ユウ』は、ウィルに向けていたそれとは比べ物にならぬほどの強烈な睨みを、憎悪を、今、世界の裂け目から逃げ去っていった影に向けていた。

 

 ウィルは、ようやくはっきりと理解した。『ユウ』が本当に戦っていた相手の、その正体を。彼の中に巣食い、彼の人格にまで大きな影響を与えていた、邪悪な意志を。

 

「やはり。潜んでいたな――アル」



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162「The Day Mitterflation 13」

「アルだと……!」

 

 奴が分離して現れた事実に驚くと同時に、やはりかとウィルも納得していた。自分の中に奴の要素が色濃く巣食っていたことは、彼自身が一番よく理解していた。

 それが、彼の破壊者としての資質を担う最たるものの一つだったからだ。

 

「気分はどうだ」

「ああ。おかげで今はすっきりした気分さ」

 

 ウィルは、悔しい感情を隠さずに皮肉を言った。

 自分は助かったが、みすみす奴の復活を許してしまった。最後まで自分の中に封じ込めておくことができなかった。

 ここまでいいようにされて初めて、奴が描いていた遠大な絵も、ようやく一部が見えてきた。

 今さらだろう。遅過ぎるだろう。彼は舌打ちせずにはいられなかった。

 

「お前がそのユウの中にお前自身のコピーを仕込んだように、奴も僕の中に奴自身のコピーを仕込んだ――そうなるよう仕向けていたということか」

「そうなるな。そうしていつでも復活の機を窺っていた」

 

【神の器】は、経験要素をすべて忠実に取り入れ、利用できる。

 それは、人との記憶、関わりであっても例外ではない。

 一つ一つは断片的である「人との関わり」も、膨大な量を寄せ集めていけば、あるいは刻み付けていけば。

 近似的に「人そのもの」を成すに足りる。

 つまり潜在的には、「人そのものの創造、複製すらも構成可能である」ということ。

 その最も身近な例がユイであり、その実例に目を付けて利用したのが、『ユウ』であり、アルだったのだ。

 

「くそっ! ふざけやがって!」

 

 結局は、掌の上だった。

 

 ラナソールという世界は……釣り餌だ。

 こんな危険極まりない世界の存在を、どうあっても放置するわけにはいかないが。

 そう思わせ、僕をのこのこ向かわせることが奴の狙いだった。

 ラナソールという特殊な環境は、おそらくユウとあの女が分離しているのと同じ理屈で、奴を僕と別個体として分離させ得る土壌があった。

 そして、僕が予断を許さない状況に焦りを覚えた――ここぞというタイミングで、意識を誘導した。

 同じ性質――黒の力を持つ『ユウ』と呼応させることで、断片的に眠っていた奴の要素は目を覚ました。明確な意識を持った奴は、奴自身のコピーを僕の内で構成し――そして、先刻ついに抜け出したのだ。

 

 始まりにして究極のフェバル。

 もし、奴が僕の知っている通りの強さを持つなら――。

 誰にも勝てない。

 唯一、目の前にいるこの男を除いては。

 この男が勝てないというのなら……宇宙は終わりだ。

 

「黒の旅人。お前は、勝てるのか? お前なら、【神の手】を倒せるのか?」

「……今なら」

 

『ユウ』は少し考え、決意を込めて肯定した。

 

「奴はまだ完全ではない」

「オリジナルではない……所詮は【干渉】――紛い物のコピーに過ぎないと言いたいのか? だがそれはお前も同じことじゃないか」

 

 ウィルにとっては、心から認めたくない事実であるが。

【干渉】は、アルが持つ【神の手】の不完全な――遥かな劣化コピーだ。

 効果そのものは同じ。

 ただ、影響力も規模も有効範囲も桁違いであるという、それだけのことだ。

 あらゆるフェバルに対して絶対優越性を持ち、奴がその気になれば、誰も彼も触れることすらままならない。

 ただ一人。奴に対抗するため、永遠に近い旅の果てに限りなく力を高め続けた、オリジナルの『黒の旅人』を除いては。

 

「だから、先んじてかなりのダメージを与えてやった。奴は逃げていった」

「そうか。すぐ穴の向こうに逃げたのは、逃げざるを得なかったのか」

 

 わずかながら、希望の持てる話ではあった。

『ユウ』が最初から完全に表出していたのに対し、奴はウィルの抵抗に遭いながら、自身を構成するところから始めなければならなかった。状況の有利が、『ユウ』に有効な一撃の機を与え、今も優位は続いている。辛うじて首の皮一枚を繋いだというところか。

 

「まだ奴は実体を持てていない。しばらくはアルトサイドでしか活動できないはずだ。今なら殺せる」

「だが、いつまでも手をこまねいていれば……」

「ラナソールの特殊性を利用して、力と肉体――完全復活を狙っているだろうな」

「そうなれば……終わりだ。また永遠の暗黒時代がやって来るのか」

 

 アルが完全復活することがあれば、続いて「奴」を招く。

 そうなれば、詰みだ。

 

「お前は、これからどうする」

「奴を追う」

 

 当然だ。聞くまでもないことだった。それでもあえて聞いたのは、ウィル自身が道を決めかねていたからだ。

 

「……僕は、これからどうする」

「好きにしろ」

 

『ユウ』は、冷たく突き放した。

 やはり、見抜かれている。

 そう言われるのではないかと思っていた彼は、黙って肩をすくめた。

 ウィルとしては、『黒の旅人』に協力し、アルを始末したい気持ちは山々である。

 考えたが、かえって足手まといになると諦めるしかなかった。

 先ほどから、思うように身体に力が入らない。奴が抜け出るとき、力の大半を持っていかれてしまったようだ。

 もはや、凡百のフェバルと大差はないだろう。

 彼はまた、喜ぶべきか悲しむべきかわからなかった。

 破壊者として最も相応しい人格から解き放たれたと同時に、その圧倒的な力も、資質も失われてしまったわけだ。

 

 ふと、いつかあの赤髪の少女が言っていたことが思い起こされた。

 

『まだ破壊者なんてやってたんですね』

 

 ――ああ。なんだ。そういうことか。

 

 お前、やっぱりわかっていたんだな。

 

「……くっくっく」

 

 すべてを理解した。笑わずにはいられなかった。

 

 ――まだだ。まだ止まるわけにはいかない。

 

「奴のことは任せる。僕は僕の好きにするさ」

「そうか」

「……それよりお前、そのままで行くつもりか?」

「……枷に縛られたままではな。俺も身体を捨てていくさ」

 

 アルトサイドにいる奴を倒すためには、普通の人間の肉体に留まっていては力が足りない。『ユウ』は、自らを切り離すべく、黒の気剣を握った。

 その行為が意味するところをよく理解しているウィルは、わかっていても目を細めた。

 

「お前はそもそも異物だ。精神体になれば、おそらく二度とは元に戻れないぞ。奴と共に、死ぬつもりか」

「……元々一度は消えた身だ。構わないさ」

「……そうかよ。ちぇっ、かっこつけやがって」

 

 顔を背けたウィルを一瞥してから、『ユウ』は、自らに胸に剣を添えた。

 あと突き刺すだけというところで、彼は自嘲気味に呟いた。

 

「最後の置き土産のつもりで力を遺していったが……かえって邪魔になってしまったかもな」

 

 皮肉にも、再びこの力を自らが使うことになってしまった巡り合わせに、溜息を吐いて。

 自分と入れ替わりで眠ってしまった本来の身体の持ち主に、心で語りかけた。

 あのとき時間がなくて、言えなかったことを。

 

『いいか。お前は、俺のようにはなるな』

 

 自らの失敗と後悔を込めて、言う。

 

『黒でも白でもない、お前自身の道を見つけるんだ』

 

 どちらも絶大な力を得る代わりに、大切なものを捨て去ってしまう。

 そこまでしても――ただフェバルとしての力を高めていっても、奴らには決して勝てない。

 

『さもなければ、お前もいずれすべてを失うことになる。俺と同じ道を辿ることになるぞ』

 

 これまで、無念や絶望の果てに散っていた星の数ほどのユウを苦い気分で思い返しながら、お前だけはそうなってくれるなと、願う。

 

『お前ならきっと見つけられる。これまで出会ったどのユウよりも弱く――誰より優しいお前なら』

 

 数々の偶然と人の想いの上に、今のお前は辛うじて成り立っている。この宇宙は辛うじて希望を残している。

 お前の力は、どのユウより小さい。すべてが上手くはいかないだろう。

 だが、自分の手をことごとくすり抜けていったものを、どのユウより多くのものを、お前は確かに守ってきた。

 そして、これからも。

 

『俺は……そんなお前に賭けたんだ。がっかりさせてくれるなよ?』

 

 さあ、言うべきことは言った。

 後は自分で気付き、道を見つけてくれればいい。

 

『ユウ』は、躊躇うことなく黒の気剣を自らに突き刺した。

 

 

 ***

 

 

 影が分かれて、離れていく。

 

 その瞬間、元々のユウの意識が蘇った。

 ユウは、何もよくわかっていなかった。

 ただ、目の前に自分とそっくりな人物がいて。彼の目は冷たくて。わけもわからないまま、語り掛けられた言葉ばかりが、重く心に響いていた。

 彼を行かせてはいけないような気がした。聞きたいことがたくさんあった。

 

「待って! 待ってくれ! 君は……!」

「……じゃあな」

 

 そして、もう一人の『ユウ』は、闇へと消えた。



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163「The Day Mitterflation 14」

 何が起こっているんだ。俺の姿をしたあの人は……一体……。

 彼の言葉が、やけに重く心に残っていた。とても大切なやり取りだったような、そんな気がする。

 身を焦がすほどの殺意の衝動はすっかり消えていた。代わりに、心にぽっかりと穴が開いてしまったようだった。

 

 そして、世界は壊れかけていた。

 

 激しい雷雨が鳴り止むことはない。周囲のいたるところに、アルトサイドへ通ずる暗闇の穴が開いて、暴風をまき散らしている。

 下一面、大荒れの海だった。遠目から見てもはっきりわかるほどの巨大な波が常時発生している。

 エディン大橋が……跡形もなくなっている。海に沈んでしまったのか?

 無事な場所なんて、どこにもなかった。なんてひどい有様なんだ。まるで本当に、世界の終わりだ。

 みんなは……どうなったんだ? 無事なのか……?

 一体、どれだけの人たちが……。犠牲に……。

 これを……全部……俺がやったのか……? 俺が……。

 

 俺が、殺したのか?

 

「あ……あ……」

 

 事実を認識した途端、全身がわなわなと震えた。寒気が止まらない。歯がガチガチと震える。自分を抱き締めた。気持ち悪い。自分が怖くて仕方がない。

 涙で視界が滲む。吐きたくなるほどの後悔が襲ってきて、とうとう堪え切れずに吐いた。

 

「嫌だ……違う……俺……そんな、つもりじゃ……!」

「またそうやって現実逃避か。弱い」

 

 目の前で、あいつが蔑んだ目で睨んでいた。不思議なことに、その瞳からはいつものあいつらしくない――人間らしさを感じた。

 

「ウィル……」

「よく見ろ。紛れもなく僕らがやったことだ。お前にはそれだけの力があった」

「う……う……!」

 

 本当に、俺と……お前が戦って……滅茶苦茶なことに……!?

 やめてくれ。悪夢だ。最悪だ。世界を守るはずだったのに、こんなこと……!

 

 はっ――そうだ。ユイは!? ユイはどうなった!?

 

 最後に胸を刺し貫かれたユイの姿が、心にこびりついていた。

 いや、でも。レンクスやジルフさんが、きっと! そうだよね?

 

『ユイ! 俺だよ。ユウだよ。返事をしてくれ!』

 

 …………。

 

 心の声が、聞こえない。

 

 そんな……。どうして、だよ。なんで聞こえないんだよ……! いつもなら「どうしたの?」って言ってくれるじゃないか。笑って話を聞いてくれるじゃないか。

 

 嫌だ。嫌だよ……。頼むよ。お願いだよ。ずっと一緒だったじゃないか。

 

 置いてかないでくれよ……。俺を一人にしないでくれよ……!

 

 だけど、いくら声をかけても、返事は来なかった。

 

 あ、あ……やっぱり、ユイは……!

 

 もう耐えられなかった。人目も憚らずに、泣き崩れた。

 

「ユイ。ごめん。ごめんよ……! 俺、君に助けてもらってばかりだったのに……! 俺……何にもできなかった……! 君を、助けてあげられなかった……! 君は何度も身体を張って、止めようとしてくれたのに……! 俺、止まれなくて……世界まで、滅茶苦茶にして……馬鹿だよ……最低だよ……!」

 

 ユイとの数々の思い出が蘇る。初めて出会った幼い日から、一緒に旅を過ごした今日までの日を。

 すべてが、涙で滲んでいく。

 

「う……う……いやだ……いやだよ……。君がいなくなったら……俺は、どうすればいいんだよ……。俺一人じゃ、何にもできないよ……いやだよ……寂しいよ……」

「……情けない奴め」

 

 ――目の前に敵がいる。平然と殺した奴がいる。お前が。

 

「ウィル……お前……! どうして、ユイを……! どうしてユイを殺した!」

「…………」

 

 ウィルは答えない。ただ不機嫌な面で、押し黙るばかりだ。

 我慢できるわけがなかった。力の差なんてまったく考えず、思い切り胸倉を掴んでいた。

 

「ふざけるなよ! 言えよ! どうしてユイを、世界を! 何が楽しくて、お前は……っ!」

 

 腹に拳がめり込んでいた。息が詰まる。

 咳き込む暇もなく、逆に胸倉を掴み返された。ウィルの瞳には、明らかな憎悪と怒りがあった。

 

「……お前こそふざけるなよ。どの口が言うんだ。散々逃げ続けてきたお前が!」

「なんだよ……! なんだって言うんだよ……!」

「確かに僕がやった。だが、お前もだ。この現状は、お前自身の弱さが招いたことだ。違うか?」

「…………っ!」

 

 そう、だ。俺が、弱いから。

 守ることもできず。自分を律することさえも、できない。

 俺が、悪いんだ……。

 

 乱暴に突き放された。抵抗する力も起きなかった。

 項垂れる俺に向かって、ウィルは告げた。

 

「色々と予定は狂ったが……世界は消させてもらう」

「まだ、やるつもりなのかよ……!」

 

 ウィルは、手を掲げた。掌に力が集中していく。あのとてつもないプラズマの技を再び放とうとしているのは明白だった。

 だけど、様子がおかしい。思うように力が入っていないようだった。

 技の展開が見るからに遅い。何度もふらついている。明らかに疲労困憊している。しでかそうとしていることを除けば、見ていられないほど痛々しい姿だった。

 それでも、撃とうとしている。

 何がお前を、そこまで……。

 俺は、たまらず叫んでいた。

 

「やめろ! どうして、そこまでしてこだわるんだよ!」

「わからないのか? ……まあ、わからないだろうな」

 

 ウィルは、改めて蔑むような視線を俺にくれた。少しずつ、着実に力を溜めながら、説明を始めた。

 

「ラナソールという世界は――本来あってはならない世界だ。この世界で何が起こっているか、知らないだろう?」

「普通の世界じゃないってことは知ってるさ! けど……」

 

 わからない。エーナさんは『事態』だと言っていた。何が起こっているんだ……?

 

「許容性無限大。異常に高まったエネルギーが、星脈に穴すら開けている。これが何を意味するか、わかるか?」

 

 ブラックホールみたいなものか? 重力場の穴。けどそれなら、現に宇宙にたくさんあって何の問題も……。

 俺の考えていることを見透かしたように、ウィルは続けた。

 

「ただのブラックホールなどと同じと思うなよ。放っておけば、宇宙の存在そのものに穴が開く。いや、既に開き始めている。ちょうど今、限界を迎えつつあるこの世界が、そうなっているようにだ」

「なん、だって……!?」

 

 こんな滅茶苦茶な状態に、宇宙そのものがなりかけているって言うのか……?

 ウィルは、きっぱりと言い切った。

 

「宇宙崩壊現象の端緒さ。『失敗した』宇宙は、丸ごと星脈に呑み込まれて――消えるだろう」

「そん、な……!」

 

 馬鹿な。途方もない話だ。話が、でか過ぎる。

 でも、それが本当だとしたら……。

 

「最も避けるべき最悪の『事態』だ。お前の故郷である地球も、これまで辿ってきた星々も、みんな仲良く消し飛ぶぞ。それでもいいのか?」

「……っ……それ、は…………」

 

 いいわけがない。だけど……。だけど!

 

「星一つで済むなら安い。違うか?」

「う……!」

 

 選べない。選べないよ。選べるわけがないじゃないか……! 

 

「割り切れ。理解しろ。この星は消え去るべきなんだ」

「……待ってくれよ。わからないよ! わかりたくないよ! だって、この星のみんなだって、生きてるんだ!」

 

 ちっとも論理的でないのはわかっていた。感情だけの言葉を振り絞っていた。

 俺は知っている。二つの世界に生きる人々の、笑顔や涙を。生きる姿を。ずっと隣で見てきたんだ!

 それを見殺しにしろだなんて……できるわけが、ないじゃないか……!

 

「他に何か、方法はないのか? もっと穏やかな方法が……みんなが助かる方法が……! それだけの力が、あるなら……!」

「ない。だからお前は甘いと言っているんだ!」

 

 ウィルの激高に、身じろいだ。ひどく驚いた。こんなに感情を露わにするような奴だったか?

 

「人は大なり小なり、何かを犠牲にして生きている。お前も選択してきたはずだ。現実に、見殺しにした命があるだろう?」

「あ……」

 

 ある。あったばかりだ……。俺は、救えなかった。

 反論できない。力なく項垂れる俺に、ウィルは追い打ちをかける。

 

「同じことさ。何が違う? すべてを救うことなど、できはしない。そんな都合の良い方法があると言うのなら、お前が示してみせろ! お前は、昔からそうだ。誰かが尻拭いをさせられるんだ。喚いてばかりのくそガキめ!」

「っ……!」

 

 動けない。何も言い返せない。ただ、心が苦しくて、溺れそうだった。

 ウィルもやけに辛そうだった。肩で激しく息を切らしている。一度大きく息を吐いて、彼は言葉を続ける。

 

「……そもそも、許容性の高い世界はすべて存在そのものが悪だ。宇宙の安定を危うくする。奴らの力の源でもある」

「奴ら? 奴らってなんだよ……!?」

 

 頭が混乱してばかりだ。さっきから何なんだ。次から次へと! わけがわからないよ!

 

「そんな大切なことまで忘れてしまったのか。……だろうな。すべての破壊行為を僕に押し付けて、手前で創った女に甘えて、逃げ続けてきたお前にはな」

 

 どこまでも見下げ果てた目だった。皮肉ったような口調だった。

 

「逃げ続けてきた……? 俺が、何をしたって言うんだよ……?」

「……本当に、何も覚えていないんだな」

「わからないよ。もう何がなんだか、わからないよ……!」

 

 お前は、何を知っているんだ!? そんなに大切なことがあるなら、なぜ俺はすべて忘れてしまったんだ?

 完全記憶能力じゃないのか……?

 

「ああ――そうか。やっとわかったぞ。思い出したくない記憶と最も忌まわしい力ごと、『切り離して』僕に押し付けてくれたのか。お前自身の中には、残滓だけしか。だから、お前は……」

「押し、つけた……?」

 

 言っていることの、何もかもがわからなかった。

 ただ、不気味だった。目の前の人物が、いつもと違う意味で恐ろしかった。

 ぞっとするような予感しかしなかった。

 俺は、もしかしたら、とんでもないことを……。

 

 確かめるのが怖かった。震える口が、それでも、勝手に問いを紡いでいた。

 

「ウィル……。お前は、誰なんだ? 何者なんだ?」

 

 ウィルは、心底呆れていた。盛大に嘆息した。

 

 そして、言った。

 

 

 

「まだわからないのか? 僕は――お前だ」



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164「Now Mitterflation…」

「何だよ……それって、どういうことだよ……」

 

 何を言ってるんだよ……。わけがわからないよ……。

 だって、姿も――少し似てるけど――違うし、性格だって、能力だって違うじゃないか。

 

「まだ至らないのか。お前は、本当に……」

 

 ウィルは怒りと苛立ち、そして呆れを露わにしながら、なお俺を厳しく責め立てようと、何かを言いかけて――やめた。

 

「言い聞かせてやりたいところだが……時間がない」

 

 ウィルは、左手だけ魔法の集中から解き、念じて力を込めた。すると、彼の掌がぼんやりと黒い光を放つ。そして、掌を広げてこちらに向けてきた。

 

「ここに真実がある。子供だったお前が投げ捨てようとしたもの。お前にとって最も忌まわしい力と記憶だ。あのときのお前には耐えられなかった」

「耐えられなかった……? やっぱり俺は、何かを忘れて……?」

 

 どこか、変な感じはしていたんだ。

 父さん。母さん。ミライ。ヒカリ。

 なぜみんな、何も言わずにいなくなってしまったのだろうって。

 気が付いたら、父さんも母さんも事故で死んでいて。

 ミライもヒカリも、いなくなっていた。

 覚えているのは俺だけだった。俺だけが、二人がいなくなってしまったことを知っていた。誰に聞いても、二人のことは知らなかった。二人がいた痕跡すらなくなっていた。

 怖かったんだ。思い出したくもないほどに。ひどく孤独だった。

 だけど……もし、根本から違うのだとしたら。

 ウィルの言う真実が、あるとしたら。

 俺が忘れてしまっている大切なことが、あるとしたら。

 俺は、知っていたのか? みんながいなくなってしまった理由を。そんな大切なことを……忘れてしまったのか?、

 それに、どうして君がそれを知っている? そこに、何があるんだ?

 

「ウィル……教えてくれ。昔、何があったんだ?」

「ふん。勝手な奴だ。手前で忘れようとしておきながら」

「頼むよ」

「……いいさ。きっかけだけはくれてやる。記憶を移しても、経験そのものがお前から消えたわけではない。手前で思い出してみるんだな。今のお前にすべてを受け止めるだけの強さがあるのなら、な」

 

 ウィルが瞬時に迫る。闇の光を纏う手が、俺に向かって伸びる。

 そして、胸の中心に手が触れたとき、膨大な量の映像が頭に流れ込んできた。

 

 ――――――――

 

 母さん。血だらけだ。

 

 誰かが。嗤って。

 

 母さんが、銃を向ける。

 

 俺に。どうして俺に、銃を。

 

 重い。何かを持っている。

 

 銃だ。俺、なんで銃なんか、持って……?

 

 銃声が響く。

 

 母さんが、倒れていく。

 

 撃ったのは。

 

 あ、あ……!

 

 ――――――――

 

 ミライ。傷だらけだ。

 

 睨んでいる。

 

 どうして、そんな目で睨むんだ。

 

 また、誰かが。嗤って。

 

 ヒカリが。冷たい。動かない。

 

 どうして。嫌だよ。また喋ってよ。笑ってくれよ……!

 

 ミライ。君は、何を……!?

 

 やめろ! やめてくれ!

 

 う、あ……あ……1

 

 俺は、違う! こんなこと! こんな、はずじゃ……!

 

 ――――――――

 

「うわあああああああああーーーーーーーっ! やめてくれええええーーーーーーーっ!」

 

 身体が勝手に、ウィルの手を弾いていた。

 

 嘘だ! こんなの、嘘だ! みんな! ああああああ!

 

 俺は! なんで! どうして!? こんなことに!

 

 やめて。いやだ。いやだ。うそだ。いやだ。いやだ。いやだ!

 

 無理だった。すべての記憶なんて、とても見られなかった。ほとんど泣きじゃくる子供だった。こんなときなのに、後から後から涙が溢れて、嗚咽が止まらない。

 

「無様だな。ユウ」

 

 衝撃が走る。ウィルに突き放された。

 涙で曇った視界に、光が映る。

 星滅魔法だ。また両手を星滅魔法に集中させていた。心底失望した声が聞こえた。

 

「力もなければ覚悟もない。そんなお前に何ができる。何もできないのなら、黙ってそこで項垂れていろ!」

「う……く……!」

 

 頭の中がぐちゃぐちゃだ。俺は、何をした!? みんな……!

 何もかもが嫌だ。怖い。すべて、忘れてしまいたい!

 でも。

 いいのか!? 本当にいいのか? あのまま、あいつにすべてをやらせていいのか?

 ……ダメだよ。ダメに決まっている。みんながいるんだ。約束したんだ。何とかするって。

 俺のことと、この世界のことは関係ないんだ!

 止めなくちゃ。なのに。

 身体が動かない。震えて動かない。動いてくれない!

 頼むよ。言うこと、聞いてくれよ……! 止めなくちゃいけないんだよ!

 

 

「待てよ! ウィル!」

 

 

 頼もしい声が、聞こえて来た。

 

「……ちっ。またお前か。レンクス」

「レンクス……!」

 

 大きな背中が、俺の前でウィルに立ち塞がる。

 

「おう。急にお前らの力が弱まったから、守りをジルフとエーナに任せて、慌てて来てみたらよ。ユウ。その様子じゃ、元に戻ったみたいだな。ほっとしたぜ」

「う、ううう……!」

 

 ほっとしたのは、こっちだよ。

 救えなかったこと。ユイのこと。暴れてしまったこと。記憶のこと。

 色んなことが、滅茶苦茶に押し寄せてきて。どれも死ぬほどつらくて。苦しくて。悲しくて。

 だけど。やっぱり、レンクスを見たら、安心して。

 大変なときなのに。どう考えたって、泣いている場合じゃないのに。

 限界だった。せめてあまり声を上げないように、本当の子供のときのように泣きつかないようにと。それしかできなかった。

 

「おい、ウィル! ユウまでこんなにしやがって! ユイだけじゃ飽き足らないってのかよ!」

「心外だな。こいつが勝手に苦しんで、泣き崩れているだけだ」

 

 レンクスが心配そうにこちらを見てくるけど、とてもまともに返事ができる状態じゃなかった。

 

「お前に構っている暇はない。さっさとこの星を消してしまいたいんでね」

「へえ。けど、随分辛そうじゃねえかよ。正直、今の消耗し切ったお前なら、何とか止められそうだぜ」

「……やれるものならやってみろ」

 

 このままだと、二人が戦い出しそうだった。

 ただでさえ世界は疲弊しているんだ。またフェバル同士が戦えば……!

 ダメだ。それだけは避けないと。話し合いをさせないと!

 辛うじて、涙声を振り絞る。

 

「やめてくれ! 二人とも! レンクス!」

「どうしたんだ。ユウ」

 

 レンクスが困惑している。ウィルも動きを止めて、こちらを睨んでいた。俺は、震える全身を押して、何とか言葉を紡いでいく。

 

「ウィルは……理由が、あるんだ。この世界は……そのままにしておくと、宇宙が消えるって……!」

「何だと!? どういうことだ!?」

「そのままの意味さ。ラナソールは破壊する。しなければならない」

 

 レンクスは頭を抱えていた。だけど、苦しい顔を見せながら、反論する。

 

「待てよ。少しだけ事情はわかった。けどよ、今まで大丈夫だったじゃないか。今すぐって必要はあるのか? 他の解決策を探してみる価値はねえのかよ?」

「馬鹿か。お前まで甘さが移ったのか? どれほど猶予があるかはわからない。リスクに比してリターンは少ない。この世界だけだ。馬鹿げている」

 

 そうだ。ウィルの言うことは……もっともだ。きっと、正しい。

 だけど。諦めたくない。少しでも可能性のある限りは。みんなが、生きられる道を。

 止める力はない。頼むしかなかった。

 なぜか今のウィルは、前より話は通じると感じた。

 

「お願いだ! ウィル。待ってくれ! もう少しだけ、解決策を探させてくれ!」

 

 ウィルは当然、良い顔をしなかった。やっぱりひどく怒っている。

 

「言ったはずだ。何もできないお前が、弱く罪深いお前が、世界を語るな」

「……っ……そうかも、しれない」

 

 助けられなかった。それどころか、自分の力をコントロールできず、殺してしまったかもしれない。

 記憶からも目を背けて。自分のことさえわからない。自分が怖い。

 後悔だらけだ。滅茶苦茶だよ。最低だよ。自分も、何もかも。

 それでも。俺は。

 

「けど、俺に資格がなくたって……みんなには、生きる権利があるはずなんだ! 頼む! お願いだよ! もう少しだけ待ってくれ!」

「……お前は」

 

 ウィルは、黙り込んだ。少しだけ、考えてくれているようだった。

 これで、通じないのなら……。頼む。

 

 

 しかし、返答が来る前に、大変なことが起きていた。

 俺たちは、気付く。

 遥か遠くで、浮遊城が、チカチカと光っている。よく見れば、それは戦いの狼煙だった。

 

 このときはわからなかったのだけど、激しい戦闘の中、『ユウ』とウィルはガーム海域を跨ぎ、ほとんど世界を半周していた。彼らの戦いにとっては、この世界は小さ過ぎた。位置的には、辛うじて浮遊城が見える位置まで来ていたんだ。

 

「しまった! あの野郎! 動いていたのか!」

 

 レンクスが事態に気付いて、拳を振り下ろした。

 

「あのくそ野郎め。いつもいつも下らないことばかりしやがって……!」

 

 ヴィッターヴァイツのいる方角を睨んで、ウィルは凄まじい目を向けていた。まるで個人的にも、何か嫌なことがあったように。

 俺は、焦った。強い危機感を覚えていた。

 

「あいつ、ラナを殺すつもりだ!」

「まずいぞ。ラナだけを殺してしまえば、制御が効かなくなる。中途半端が一番まずいんだ。消すなら跡形もなくやらなければ、意味がない」

 

 ウィルが舌打ちすると同時、瞬間移動で消えた。おそらく浮遊城に向かったのだろう。

 俺も泣いている場合じゃない。今は動かないと! 止めないと!

 

「レンクス! 俺たちも!」

「わかってる! 掴まれ! 行くぞ!」

 

 

 

 久しぶりに見た浮遊城は、激しい戦火に包まれていることを除けば、変わらず綺麗だった。

 城を守るバリアも、既にまともに機能していなかった。だが、侵入者を迎撃するシステムは自動で発動していた。

 先に着いたウィルが、すべての攻撃を一手に引き付けている。ちらりと俺とレンクスを見た。行けということなのだろうか。

 意を汲んで、正面ホールから進入する。城の中には誰もおらず、驚くほど静かだった。前と変わらず、開かれた空間の向こうには、左右両側に上へと続く白い階段が見える。

 ホールを抜けると、白い丸柱が立ち並ぶ廊下へと出た。こちらも左右対称的な形で向こうまで伸びている。

 前に通ったことがあるから、道はしっかり覚えている。レンクスとともに、階段からさらに上へと進んでいく。

 彼女の私室へ続く、最後の渡り廊下を走っているとき――。

 

 視界が、割れた。

 

 六角晶の規則正しい模様が。青く細かな模様が、次々と展開されて、視界を埋め尽くしていく。

 

 この変な割れ方は、ラナが乱れたときの――!

 

「ラナッ!」

 

 私室のドアは、乱暴に開け放たれていた。

 逸る気持ちのまま、駆け込んだとき――目にしたものは。

 

「よう。一足遅かったな。また――オレの勝ちだ」

 

 目を驚愕に見開くラナと。勝ち誇るヴィッターヴァイツだった。

 

 ヴィッターヴァイツの拳が、ラナの胸を貫いていた。

 

 ラナが血を吐く。目を切なく細める。何かを言おうとして、声が出ない。彼女は、喋れない。

 

 そして、力なく項垂れた。

 

 哀しみの感情が、憂いが、俺を貫いた。なんて強く、悲しい。

 

 君は、死にかけてまで、世界のことを……。

 

 六角晶の規則正しい模様に、次々とひびが入っていく。ヴィッターヴァイツの嗤い声が耳に響く。

 

 足場が崩れた。主を失った浮遊城が、崩壊していく。

 

 突然、目の前に暗闇の穴が開いた。俺を吸い込もうとしている。

 

 横から、誰かに体当たりされた。レンクスだった。

 

 俺の代わりに、レンクスが穴へと吸い込まれていく。声を上げる暇もなかった。

 

 ――空の上で、俺は見た。

 

 世界の地形が、バラバラのピースに切り取られて、離れていく。隙間から、いたるところに闇が現れる。

 

 次々と、闇から何かが大量に飛び出してきた。一つ一つが、奇妙な形をして――あれは、あのとき見た化け物じゃないか。

 

 それらは、我が物顔で砕けた世界を闊歩し始める。手当たり次第に、木を、草を、山を、そして生き物を襲っていく。

 

 おぞましい光景だった。無事な場所など、どこにもない。

 

 みんなは、どうなるのだろう。どうなってしまうのだろう。

 

 空間の繋がり、位置関係すらもあやふやになっていく。砂漠の隣に町が現れ、山の隣に海が現れる。

 

 遥か先、誰かが落ちていくのが見えた。

 

 ああ、ユイだ。ユイも落ちているんだ。意識がない彼女は、飛行魔法で抗うこともできない。

 

「ユイーーーーーッ!」

 

 必死に手を伸ばす。もう動かなくても、せめて君に触れたくて。抱き締めたくて。一緒にいたくて。

 

 だけど、届かない。

 

 落ちる。落ちていく。ユイが。もう一人の自分が。深淵に覗く闇へと。

 

 俺は、泣き叫んだ。無力を叫んだ。

 

 やがて、闇が意識を包んでいく。

 

 俺も落ちていく。どこまでも。

 

 

 

 この日、世界は壊れた。



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165「最果ての町 パーサ」

 みんなが離れていく。遠ざかっていく。

 

 追いかけても、手を伸ばしても、どんどん離れていく。

 

 待ってくれ! みんな、行かないでくれ!

 

 必死に追い縋ろうとしたとき、足元が崩れた。

 

 世界が割れる。

 

 みんなが落ちていく。俺もまた落ちていく。

 

 やめてくれ! みんな!

 

 うわあああああああああああ!

 

「…………」

 

 気が付くと、知らない天井に向かって手を伸ばしていた。

 布団の中だ。

 ひどく呼吸が乱れていた。汗もびっしょりと掻いている。

 目の端が濡れている。涙が滲んでいた。

 拭って、呼吸を落ち着かせようとする。

 何度も世界が割れる光景が脳裏を過ぎった。頭痛が止まない。頭を抑えながら、首を振って振り払おうとするが、こびり付いた記憶は逃げることを許さない。

 

 失敗した。守れなかった。

 

 残酷な事実が重くのしかかり、何度も心を抉る。

 

 ユイに呼びかけてみる。

 

 返事は、ない。

 

「ああ……ああ……」

 

 また、視界が滲んできた。

 弱っていた。寂しかった。

 一番欲しいときに、励ましてくれる仲間も、慰めてくれる姉も、いない。

 誰もいない俺は、ダメだ。こんなにも弱いのか。

 袖に目を押し当てて、とめどなく溢れるに任せて、静かに泣き続けた。

 どれほど泣いたところで、涙が弱い心の罪を洗い流すことはなかった。

 

 いつまでそうしていただろう。

 いっそこのまま消えてしまいたいほど、気分は最悪だった。けれど、いつまでもただ泣いているわけにもいかないから。

 身体を起こそうとしてみる。だが、上手く力が入らない。

 仕方なく、周囲を見回してみた。さほど広くもない、何の変哲もない部屋のようだけど。

 ここはどこだろう。俺は確かにあのとき、落ちていって……。

 死んで別の世界に行ってしまったのか。それとも、助かったのか。

 布団に寝かされていたことは確かだ。意識がなかったわけだから、誰かが看病してくれたのだと考えるのが自然か。

 ぼんやり項垂れていると、誰かの足音が聞こえた。部屋のドアが開き、その人が入ってくる。

 どこにでもいそうな少女だった。黒髪を青いリボンで留めている。

 彼女は、気が付いた俺を見るなり、はっとして口元に手を当てた。

 

「あ……よかった。気が付いたんですね」

 

 少女は一安心したという顔で、こちらへ近寄ってきた。

 

「君が看病してくれたのか?」

「はい。海に遊びに出かけたら、あなたが砂浜で倒れていて。真っ青な顔で……大変だったんですよ」

「それは……ありがとう。助かった」

「いえ。本当はすぐにでも病院に預けた方がって思ったんですけど……どこも一杯で」

 

 気になる言葉だった。尋ねる。

 

「どこも一杯、というのは?」

 

 すると、彼女は顔色を明白に曇らせた。

 

「あなたも気を失っていたから、知らないのも無理はないですよね」

「何か、あったんですか?」

「……一週間ほど前でしょうか。相次いで人が倒れる事件は起こったんです。しかも、みんな夢想病だって。私の知り合いも、数人……。怖い話ですよね」

「あ……」

 

 そんな……。

 ラナソールが壊れてしまった影響だ。向こうがあんな恐ろしいことになったんだ。こっちにも甚大な影響がないわけがない……!

 俺は、みんなを……。

 追い打ちをかけるように、突き付けられた事実。

 罪悪感が、胸を締め付ける。

 ほとんど知らない人前だというのに、また涙が出そうだった。

 

「……っ!」

「だ、大丈夫ですか? やっぱりまだ体調が」

 

 何も事情を知らない彼女は、健気にも心配してくれる。それすらも今は痛い。

 しかもだ。俺は、一週間も呑気にくたばっていたのか……!?

 こっちの世界のみんなはどうなった。無事なのか?

 

「……行かなくちゃ。確かめなくちゃ」

 

 頼りない身体を、無理にでも起こそうとする。素直に起きようとさえしてくれないこの身が、呪わしかった。

 

「急にどうしたんですか? 落ち着いて!」

「ほっといてくれ! 行かないといけないんだ!」

 

 世界はどうなった。ラナソールはどうなった。トレヴァークは。みんなは。

 この目で確かめないと。何とかしないと!

 罪に苛まれるのも、泣き暮れるのも後だ。急がないと、今無事であるものさえも、失われてしまうかもしれないんだ! 怖いんだ! もう、失うのは!

 

「ダメですよ! まだしばらくは安静にしないと!」

 

 必死になった彼女に、取り押さえられる。

 

「あっ……くっ……!」

 

 諦めるしかなかった。

 無理にでも押し通そうとすれば、技でも何でも使えば、まだやれたかもしれない。

 だけど、明らかに一般人である彼女に押さえ込まれてしまったことで、かえって冷静にならざるを得なかった。

 今の俺に、何ができるって言うんだ。こんな状態で行ったって……。

 くそっ!

 

「すまない……。取り乱した。悪いけど、もう少しだけ世話に……なります」

 

 彼女は関係ない。むしろ気を使ってくれているだけだ。そのことを思って、辛うじて頭を下げることだけはできた。

 

「そうして下さい。何があったのかは、わかりませんけど……治ってからであれば、止めませんから」

「……ところで、ここはどこですか?」

「パーサという小さな町です。知ってますか?」

「ああ……はい」

 

 行ったことはないが、地図上では知っている。『世界の道』の終端にある最果ての町。人口数千人程度の田舎町だ。

 遠いな。ここからトリグラーブまでは、ほとんど世界半周分はある。

 

「何もない静かなところですが、体調が戻るまではゆっくりしていって下さいね」

「ありがとう、ございます」

 

 それから数日間、強い焦りはあったものの、よく食べてよく寝ることで、大人しく体力を回復させることを優先した。

 少女の名は、イオリと言った。幼くに父親を夢想病で亡くし、母親と二人暮らしをしている。俺も自分の名前を告げ、いくらかは話もした。この数日で多少は仲を深められたと思う。

 

 まともに動けないので、せめて情報収集くらいはと思ったのだけど。

 最果ての町とはよく言ったものだ。パーサにいながらにして情報を得るのは、至難に尽きた。

 周りを豊かな大自然に囲まれたこの町は、時代が止まってしまったかと思うほど、激動のあの日が嘘のように、のんびりした空気に満ちている。ほとんど世間というものから切り離されたところだった。

 新聞もニュースも、すべて数日遅れでようやく入ってくる。歯痒かった。

 俺がやっと普通に動けるようになる頃、イオリから直接耳にした、夢想病ハザードの報が届くのがやっとだった。

 

 そして、『心の世界』では、深刻な問題が起きていた。

 

『心の世界』にあるものは、黒い力を暴走させた影響で、ほとんどが滅茶苦茶に壊れてしまっていた。日用品や非常食の類、お金は、すべて粉々に吹き飛んで、使い物にならない。当然のように電話も散逸しており、リクたちと連絡を取る手段は絶たれた。

 ほとんど唯一無事だったのは、母さんから受け継いだ魔力銃ハートレイル、ハイテクノロジーで特別頑丈に造られていたディース=クライツ。それから、今となっては手遅れ感のある『切り札』がいくつか。そのくらいだった。

 ハートレイルはユイがいないと使えない。ディース=クライツに関しても、ユイがいない以上は、容易に魔法でチャージすることができない。使い所に関して、慎重にならないといけないだろう。

 また、黒い力は消えていた。

 よくわからないが……俺にそっくりなあの人が抜け出していったからだろう。妙な破壊的衝動は収まったけれど、代わりにごっそりと力が抜けてしまったかのようだった。

 つまりは、仲間もなく。道具や便利な力もなく。ほとんどこの身一つだけの状態になってしまっていた。

 

 そして、俺が目覚めてから、さらに一週間経った。

 

 十分に回復した俺は、今度こそ旅立つ準備を始めていた。もうイオリも止めはしないだろういう自信もあった。

 ラナソールがどうなっているかは一番確かめたいところだけど、今は行く手段がない。まずはトリグラーブへ戻り、みんなの安否を確かめてから、エインアークスと今後の対応を協議したいところだった。

 

 イオリは、母と買い出しに出かけている。田舎にありがちなことだが、唯一の大型食料品店まで車で三十分ということで、まとめ買いをしているらしい。あと一時間もしないうちに帰ってくるはずだ。

 大分世話になった。最後に挨拶くらいは済ませてから、出発しようと思っていた。

 

 

 平和な田舎町にいくつもの火の玉が降り注いだのは、突然のことだった。

 

 

 たちまち燃え盛る炎が建物を、畑を焼いていく。

 耳をつんざくような吠声が、遠く空に轟く。妙に聞き覚えのある声だ。

 まさかと思う。そんなはずはないだろうと考えた。

 とにかく、何かが町を襲っていることは確かだ。しかしなぜだか、気は一切感じられない。

 途端に、町はパニックになっていた。人の間隔が離れているので、直接声は聞こえないが、強い不安や恐怖の感情は、能力を通じてありありと伝わってくる。

 何とかしないと。

 俺は気剣の用意をして、身構える。

 

 雲一つない空を、影が横切った。

 

 見上げたとき、目を疑った。

 信じられないものを見た。とんでもないことが起こっていた。

 

 まさかだった。

 

 山のような体躯。日の光を反射して、煌々と輝く透明の鱗。岩をも砕く獰猛な爪に、悠々と空を舞う翼。

 

 どうして、ここにいる!?

 

 向こうでは、何度も見て来た。ほとんど取るに足らない存在だった。

 だが、それはあくまでラナソールという極めて特殊な世界であったからの話だ。

 この世界では、まるで意味が違う。わけが違う!

 

 気を引き締める。目の前にいるのは、姿形は同じでも、決して油断ならない脅威の敵だと。

 

 夢想やゲームにしかいるはずのない存在。物理法則を超越する、空の王者。

 

 クリスタルドラゴンが、現実を襲っていた。



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166「クリスタルドラゴンの逆襲」

 悠然と空を舞いながら、手当たり次第に火球を撃ち出し続ける暴虐の王に、俺は焦りを覚えていた。

 このまま好き放題にやらせていては、町は壊滅する。みんなが死んでしまう。何とかしてあれの注意を俺に引き付ける必要がある。

 だけど、どうする。

 問題は方法だった。

 力を高めて俺という脅威を知らせるのは無駄だろう。かつて炎龍と戦ったことはあるけど、あの誇り高い龍と違って、あれは高い知能は持っていない。所詮元がゲームの一敵キャラに過ぎず、周囲に邪魔者がいれば殺すくらいの認識しかないだろう。

 おそらく気を惹く唯一の手段は、直接攻撃を当ててヘイトを稼ぐことだ。

 しかし……。俺自身が持つ飛び技は《気断掌》系統の技だけど、トレヴァークでは飛ばすのに許容性が足りない。

 レンクスたちに仕込んでもらった『切り札』では威力が大き過ぎて、住民まで巻き込んでしまう。人がいるところでは使えない。

 くそ。魔法を使うことができたら。魔力銃を使うことができたら。簡単な話なのに。

 ユイがいない穴の大きさを痛感する。

 ……これしかないな。

 消耗は激しいけれど、《パストライヴ》の連続使用で疑似的に空を飛び、奴のテリトリーである空で戦うしかないだろう。

 手をこまねいていれば、それだけ被害は大きくなる。

 助けてもらって、世話にもなった。あの母子をみすみす死なせてしまうことだけは、絶対に許されない!

 

 意を決した俺は、瞬間移動を重ねて空を駆け上がっていった。

 思ったよりも高度があり、さらに高速で空を移動している。側に辿り着くまでに、数十回は重ねなければならなかった。それだけでもかなりの体力を持っていかれた。

 息を切らしつつも、最後の一回でドラゴンの背中を捉えた。水晶様の鱗の一つにへばり付く。

 山のような巨体に比べれば、俺は豆粒のようなものだ。上手く存在を認識されずに、ここまでは来られた。

 首元まで迫れば、さすがに気付かれる。まずはこの位置で有効打を叩き込んでやる。

 強風に煽られながらも、へばり付いた状態から立ち上がる。《マインドバースト》を使って、平常よりも気を高めた。

 気剣を抜き放ち、目下の鱗に向かって突き刺してみる。ラナソールでは一太刀の下に真っ二つにしてしまうほどだったが……気剣は硬い鱗で強い抵抗を受け、辛うじてそれは貫通したものの、肉を浅く傷つけるに留まった。

 痛みは感じているらしい。咆哮を上げて暴れ出したのがその証拠だ。

 巨体では、単純に身をよじられるだけでも苦しい。わずかな時間で上下に数メートルは揺さぶられ、それが延々と繰り返される。病み上がりにはきつかった。

 頭が揺れる。まともな思考を遮られそうになる。それでも、振り落とされないように必死にしがみ付きながら、次の手を考える。

 トレヴァーク基準では、思った以上に硬い鱗だ。だったら、気剣よりもこちらの方が有効か。

 両足もかぎ爪のように使って踏ん張る。左手に気力を集中して、目の前の体表に押し当てた。

 

《気断掌》

 

 ドラゴンの内側で、何かが潰れる鈍い音がした。気剣よりは手ごたえありだ。

 魔獣に遠慮は要らない。気の浸透によって、容赦なく内部破壊を狙う。何度でも撃ち込んでやる!

 一度ではどれほどのダメージか見えなかったので、その場で一点集中した。苦しむ敵に対して、間髪入れず、執拗に同じ点から衝撃を叩き込む。

 十回ばかり撃ち込むと、咆哮にやや痛々しい響きが混ざった。

 すると、クリスタルの体表がぼんやりと輝き始める。ほのかに熱を帯び始め――。

 

 まずい!

 

 直感で危険を悟った。《パストライヴ》を使い、急いで敵から離脱する。

 直後、ドラゴンの全身を熱波が包んだ。膨大な魔力を駆使して、身にとりつく虫を振り払おうとしたのだ。

 危なかった。あのままいたら焼き殺されるところだった……。

 かつて炎龍が見せてくれた技。全身を炎のバリアで覆うというものがあった。あれを見て知っていた経験が生きたよ。世界が違うけど、こちらもドラゴン。同じような技を使えるということか。

 ということは、張り付きながら急所を狙うのは厳しい。厄介だな。

 もう一つ、問題があった。距離を置いたことで、俺の姿が奴の正面に映った。そして、奴はとうとう俺を明確な敵と認識したのだ。

 獲物に対する動きは早かった。翼を羽ばたかせ、猛然と躍りかかる。

 

 ここからが正念場だ!

 気剣を構えて、受けて立つ。

 

 ――速い!

 

 巨体に見合わぬ速度で、来たと思ったときには、既に目前まで迫っていた。

 光り輝く爪が振り下ろされる。まず、魔力が込められている。《ディートレス》では防げない。

 咄嗟の判断で、瞬間移動によって背後へ抜けた。

 再び接近を試みるが、先ほどから常時展開されている熱波のオーラが、それを許さない。

 まずいぞ。近付けないのでは、有効打がない!

 くそ。本当に、ユイがいてくれたら……。

 牽制の魔法を放つことができただろう。アーラ系の魔法で防御を固めて、熱波を強引に突っ込むこともできただろう。

 首を振る。今はいないことを考えても仕方がない。自分の力で状況を打破しなければ、みんな殺されてしまうんだ。

 

 敵が振り向く前に、次の攻撃は来た。

 尻尾が正確に俺を狙って伸びてくる。巨大質量による一撃。やはり小さな身体で受け止めるには無理がある。

 今度も技を使ってかわすしかなかった。

 ダメだ。空中では自由に身動きが取れない。直線的な瞬間移動しか回避手段がないようでは、苦しい。

 

 まだ勝負になっているが、時間の問題だ。相手の得意な領域で戦っていては、いずれ体力が尽きて、負ける。

 あれほど弱いと感じていたクリスタルドラゴンが、まるで別の敵に見えた。正直に、脅威とすら感じている。

 いや……元々からして、強い存在だったんだ。

 ラナソールというあまりに恵まれた世界が、すっかり感覚を狂わせていた。奴はかつての黒龍、いや、もしかするとそれ以上の――。

 

 ゲームじゃない。チートもない。

 今こそ、本当の試練の時だった。

 かつて、イネア先生は龍を斬った。

 今の俺に、それができるか。

 やるんだ。できなければ、みんなは助からない。

 

 利用できるものは利用しろ。強いて言えば、知能の低さは弱点になるはずだ。

 既に俺は明確に敵として認識されている。よほどのことがなければ、考えもなしに追いかけてくるはずだ。

 あえて《マインドバースト》を解除する。可能な限り消耗を避けて、すべての攻撃を最小限に避け、戦いながら、徐々に高度を下げていく。さらに、町から離れていく方向へ落ちていく。

 地上だ。地上戦にまで持ち込めば、必ず勝機はある。

 

 執拗に追手の追撃は続く。爪は何度も身体のすぐそばを掠め、燃え盛る火球が余波で髪を焦がす。

 疲労以外の明確なダメージは今のところないが、ギリギリの死闘を演じていた。

 奴の攻撃すべてが、人の身ではかすり傷ですらも確実に致命傷となる、必殺の威力を持っているからだ。

 ゼロか死か、という勝負だった。決してダメージを受けるわけにはいかなかった。

 

 遠かった。大地がようやく見えてきた。

 舞台は地上戦へ移行する。奇しくも、初めて炎龍と戦った森にどこか似た場所だった。

 

 ここでも、俺は機を焦らなかった。

 ドラゴンの体表を防御の熱波が覆っている限りは、近寄ることはできない。だが、常時ああしていれば、相当な魔力を消費しているはず。

 奴の魔力は確かに甚大だろう。けれど、粘り強く戦っていれば、いつか必ず隙を見せるはずだ。

 クレバーな戦いを続けた。奴に高い知能があれば違和感を持てただろうが、しぶとい獲物に対して、奴は苛立ったように、執拗に大振りな攻撃を繰り返すばかりだ。

 

 そして、勝負の刻は来た。

 

 痺れを切らした奴が、大きく息を吸い込む。喉の奥が、煌々と白く輝く始めた。

 ブレス攻撃をするつもりだろう。一思いに、周囲ごと俺を消し去ってしまおうと。

 攻撃に集中した瞬間、全身を覆う防御が解かれたのを見逃すわけはなかった。

 

 チャンスだ。だけど……油断はならない。

 

 クリスタルドラゴンは、性質の異なる四種類のブレスを使い分けると聞いた。

 あの色は、最も厄介な――クリスタルダストブレスだ。

 四種の中で最も美しく、最も凶悪な――七色に輝くブレス。その正体は、奴にとっての老廃物の再利用――超硬度の塵状クリスタルの集合体だ。

 全身をズタズタに裂く高い殺傷力もさることながら、ほんの少しでも吸い込めば、たちまちにして肺が傷だらけになってしまう。まともに食らってしまえば、確実に助からない。

 ただ、ラナソールでは「理想的な」回復魔法があったから、大きな問題はなかった。トレヴァークや他の世界にそんなものはない。

 当然、広範囲かつ高威力だ。周囲を薙ぎ払うように吐かれてしまえば、すべてかわし切るのは難しいだろう。

 

 その前に、決定的な一撃を見舞ってやる。

 進む覚悟を決めた。

 気剣に力を集中させながら、駆け出す。《パストライヴ》で瞬間移動する前後で、白い刀身は、鮮やかな青白色へと転じた。

《パストライヴ》から直接体表に迫り、剣撃を叩き込むこともできるが、あえてしなかった。

 奴の足元で、地を蹴り出して跳び上がった。加速度による威力を付ける。

 狙うは、今まさにブレスを吐こうとしている喉元だ。

 ただ巨体のせいで、辿り着くまでは数十メートルもある。上昇中の減速によって、威力は殺される。大きな不安材料だが、押し切れるか。

 やるしかない。

 

《センクレイズ》!

 

 狙い澄ました一撃が、正確に入った。

 喉の裏。逆鱗の一点に、気剣は深々と突き刺さっていた。

 ドラゴンが、悲鳴を上げる。鎌首が、ぐらりと揺れる。

 

 だが、それも一瞬のことだった。

 

 ……ダメだ! 地上からでは、威力が足りなかった! 決め切れなかった!

 

 苦しみ呻きながらも、奴は攻撃を中断しなかった。眼下に俺という敵の姿をはっきりと捉える。強い怒りと憎しみを込めた瞳だった。

 

 失敗だ。回避を――。

 

 背後に気付いて、戦慄した。

 

 こいつ……! パーサも射程に入れている!

 

 もはや一刻の猶予もなかった。身を挺してでも、守る以外の選択はない。

 

 ……《アシミレート》!

 

 すべてを、能力に託すしかなかった。

 視界を真っ白に埋め尽くすほどの強烈なブレスを、至近から受ける。そのすべてを、正面から一身に受け止める。

 銃弾程度ならば何事もなく受け止めてしまうが、さすがに勝手が違った。

『心の世界』は、たちまち荒れ狂った。身体への直接ダメージの代わりに、内側から針が突き刺すような痛みが俺を襲った。頭と心臓が張り裂けそうだった。

 抑えてくれるユイがいない分、さらに耐え難い痛みが際限なく苦しめてくる。

 

 くっ。まだか。意識が……。

 口の中が苦い。血だ。

 執拗なブレスは、いつまで続くかというほど止まない。

 既に限界が近かった。少しでも気を抜けば、甘美な死の誘いが俺を包み込んでしまうだろう。

 くそ。また、守れないのか? また、俺は……!

 看病してくれた、イオリ母子の笑顔が浮かぶ。後ろには、二人がいるんだ。

 させてたまるか。

 世界を守らなきゃいけないんだ。守れなかった、傷付けてしまった、償いをしなくちゃならないんだ。

 目の前の命一つ守れないで、どうするんだ!

 

「うおおおおおおおおおお!」

 

 気合を入れ直した。叫んだ。すべてを受け切る意志を、盛り返した。

 永遠とも思える死の攻撃を、ただ無心に耐える。

 

 そして、視界が開けたとき、まだ辛うじて立っている俺がいた。

 

 凄まじい攻撃を受けた後なのに、やけに心が落ち着いていた。

 

 クリスタルドラゴンは、なおも攻撃を続けようとしている。

 動きが妙にゆっくりに見えた。奴の瞳やその意志まで、やけによく見えた。

 この世のすべてを敵に回そうというほどの、強い憎悪を感じる。

 わずかながら、奴の心が伝わってきた。わかったような気がした。

 

 山が消えた。世界が壊れた。

 住処を奪われたことへの。人類への、怒り。

 彼は、怒っていたのだ。

 

「……悪かったな。クリスタルドラゴン」

 

 言葉がわかるはずもないが、呟いた。

 

「でも俺は……人間だから。人の側に立つよ」

 

 ふらつく足を一歩踏み出して、右手を構えた。

 今受け止めたもの。返すよ。

 

《ディスチャージ》

 

 超火力のクリスタルダストブレスは、そっくりそのまま、撃ち出した当のドラゴンに向かって撃ち返された。

 自身最強の威力を持つ攻撃だ。さしもの彼も面を喰らったことだろう。

 今や立場は逆転し、明らかに苦しみ、のたうち回るのはクリスタルドラゴンの方だった。

 可哀想だと感じてしまう自分を、偽ることはできなかった。

 だがきっと、このまま生かしておいても、相容れることはないから。

 

 せめてこれ以上は、苦しまないようにと。

 

《パストライヴ》を限界まで使って、空高く飛び上がった。

 今度は、重力加速度を最大に付けて。

 持てる力を尽くし、気剣の力を高める。再び、刀身は目の覚める青白に染まる。

 もがき苦しむ、彼の首へと狙いを込めて。

 

「はああああああーーーーーーっ!」

 

 全力で振りかぶる。

 刀身が、輝く鱗に触れた。肉と骨が、重たい抵抗を伴って、断ち切られていく。

 

 そして、俺が降り立ったとき。

 

 ドラゴンの首が、重々しい音を立てて、地に落ちた。

 

「ふう……。何とか、勝てた……」

 

 辛うじて立ってはいるけど……満身創痍もいいところだった。

 まさに死闘だった。

 本物のクリスタルドラゴンは……強かったよ。

 

 

 だが、安心できたのは、ほんの一瞬のことだった。

 

 空を、次々と大きな影が横切っていく。

 

 もう聞こえないはずの咆哮が――怒りの咆哮が聞こえる。

 

「な……」

 

 三体。

 

 目視できるだけでも、三体のクリスタルドラゴンが、同時に空を舞っていた。

 

 一瞬、パニックになりそうだった。

 だが考えてみれば、当たり前の話だ。

 クリスタルドラゴンは、ラナソールではS級「一般」モンスター。これまでも数多くの個体がいたし、一体が現れたのなら、他にいたってまったく不思議なことではない。

 

 だけど、よりによって。今。

 

 しかもだ。ことによれば、クリスタルドラゴンでは済まない。さらに厄介な連中まで、この現実世界に一斉に解き放たれているのだとしたら……。

 それも、大量に。

 

 みるみるうちに、心を絶望が覆っていった。

 待ってくれよ……。

 たった一体で、これほど苦戦したんだぞ。

 こんなの、どうしろって言うんだよ!

 

 逃げたくとも、容赦なく現実は襲ってくる。

 三体のクリスタルドラゴンが、同時に襲来しようとしていた。彼らもまたそれぞれが、人類への怒りを向けている。

 

「は、は……」

 

 乾いた笑いが出て来た。

 

 これが、報いか。

 

 散々夢想の世界で軽く捻っていた相手に、現実を見せつけられて。

 俺が救おうとしている世界は。化け物だらけで。

 壁は、あまりにも高く。

 

 ……それでも、最後まで諦めて良い理由には、ならないよな。

 

 抗ってやる。

 

 ぼろぼろの身体に活を入れて、気剣を両手で構えた。来るなら来い。

 

 

 しかし、またも信じられないことが起きた。

 

 三体のクリスタルドラゴン。

 その巨大な影をさらに凌駕する巨大な影が、一つ。

 全長が山ほどもある、人型の白銀フォルムが、飛来してきた。

 機械製の……兵器だ。

 

 あれは……!

 

 そいつは、右手にやはり、山ほども巨大な武器を作り出した。

 紫色の――高周波ブレード。

 そして、それを構えたと思ったら、あっという間もなく。

 消えた。

 何かと思った直後、現れたが、そのとき、一体のクリスタルドラゴンの背後を完璧に取っていた。

 刺突。

 クリスタルドラゴンの胴体。そのど真ん中に大穴が開いた。深々と刃が突き立てられていた。

 悲鳴の咆哮を上げる間もなかった。精強なクリスタルドラゴンは、次の瞬間、跡形もなく蒸発して、消えたのだ。

 そして、また人型が姿を消す。

 次に現れたとき、二体目のドラゴンもまったく同じ最期を迎えた。

 恐れをなした三体目が、尻尾を巻いて逃げようとする。

 逃げられはしなかった。人型が高周波ブレードを構えると、それは瞬く間に伸びて、三体目を串刺しにした。三体目も、惨たらしく蒸発して消えた。

 とてつもない光景を見ていた。

 三体の怪物は、それを凌駕する恐ろしい兵器に、何もできずに瞬殺されてしまった。

 

 俺は、震えていた。

 

 まさか、今度はあれが襲ってくるのか?

 最悪の想像だったが、希望の持てる要素はない。

 だって、俺はあれを知っている。

 無理だ。今この状況で、たった一人で、勝てるはずがない。

 

 戦々恐々としながら、もはや無意味だと思っていても、気剣を支えに構えていたが……。

 クリスタルドラゴンを抹殺したそいつは、そのまま、何もせずに空を去っていった。

 

 全身の力が抜けた。その場で崩れ落ちた。

 

 震えが止まらない。

 

「あれは……」

 

 全身を白銀に塗られてこそいるが……あの大きさ。あの武器。あのフォルム。

 そして、胴体の真ん中にでかでかと備わっていた――特徴的な主砲。

 あの強さ。

 

 見間違えようがない。 

 

 かつて、エルンティアで死闘を演じた強敵。

 

 バラギオンだ。

 

 どうして、バラギオンがこの世界にいるんだ……!?



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167「占拠されたパーサ」

 自分が苦戦した相手を軽々と虐殺する光景を目の当たりにして、心中穏やかではなかったが……。

 とりあえずは、町のみんなが無事かを確かめたい。イオリたちは大丈夫だろうか。

 一息吐いてから、歩きはじめる。歩きながら、思考は目まぐるしく働いていた。

 バラギオン。ダイラー星系列の焦土級戦略破壊兵器。

 戦闘タイプのフェバルほどの力はないとされているものの、世界の枠を遥かに超えた圧倒的な力を持つ兵器だ。

 前に戦ったときは、レンクスの一撃で主砲を破壊――目算九割以上のダメージを与えた後で、さらに千人以上の力を借りてようやく対等に戦うことができた。それほど手を尽くさなければ、勝負にすらならなかった恐ろしい相手だ。

 とりわけ主砲が厄介で、軽く撃っただけで町一つなどは跡形もなく消し飛ばすことができるそうだ。本気を出せば、その名の通り地上を焦土に変えてしまうことも可能だろう。

 それでも、ラナソールならば、あるいは対等以上に渡り合えるかもしれない。ただ、トレヴァークでは勝ち目はないに等しい。

 そんなとんでもない奴が、好き勝手に空を飛び回っている。これはどういうことなんだ。

 ……考えられるとすれば、ウィルが語るところによる、宇宙レベルの危機。

 ダイラー星系列も、危機を察知して動き出したのか?

 だとすると、ますます大変なことになった。

 彼らは、その気になれば星の一つなど歯牙にもかけないだろう。実際に、旧エストティア――大昔のエルンティアを制裁し、人が住めない星に変えてしまった恐ろしい連中だ。

 この星をどうする気なのか。まったく良い予感はしない。

 ただ、バラギオンはクリスタルドラゴンだけを退治し、パーサの人たちまでは傷付けなかった。つまり、今のところ虐殺命令は出ていない。

 リルナの相棒だったプラトーは、当時の星間戦争の悲惨さを教えてくれた。

 連中がその気になれば、エストティアが死の星になるまで、ほんの一日もかからなかったと。

 ラナソールが壊れたあの日から、既に二週間は経過している。この星がまだ無事であることは、わずかながら希望の持てる事実だ。

 どうやらまだ猶予が与えられている。今は観察期間といったところだろうか。

 考えてみれば、彼らは覇者であっても、ただ好き放題やるだけのヴィッターヴァイツのような連中ではない。彼らを挑発した旧エストティアと違って、トレヴァークの人たちは何もしていないのだから、大義名分もなしに殲滅などということはやりにくいのだろう。

 ……いつウィルのような強硬手段に出るか、読めないけれど。

 そう言えば、ウィルはどうなったのだろうか。あいつに限ってやられてしまったということはないんだろうけど……。

 考えてもわからないし、あいつのことはひとまず置いておこう。

 ともかく、相当動きにくくはなった。

 レンクスから聞いた話だけど、彼らの支配領域である宇宙の中心部には、フェバルや星級生命体がごろごろしているらしい。そのため、対フェバル用の装備も充実していると聞いた。

 下手にフェバルとしての力を見せると、感知されてしまう恐れがある。そうなれば、ほぼ確実に接触してくるだろう。もしそこで、敵と見なされれば終わりだ。

 俺は、何とか世界を残したまま事態を解決できないかと思っている。でなければ、この星のみんなは……。

 自分でも甘い理想だとは思う。ダイラー星系列の連中に話したところで、鼻で笑われるだけだろう。そんな甘い連中じゃないことは、旧エストティア潰しの徹底的なやり口からも明らかだ。接触はリスクが高過ぎる。

 バイクを使って空を飛んでいくこともできなくなった。そんな目立つことをすれば、空を監視するバラギオンにすぐにでも捕捉されてしまう。最悪、その場で殺されてもおかしくない。

 

 そんなことを悶々と考えているうちに、森が開けて、パーサの街並みが見えてきた。

 あまりの変わりように、ぽかんと口を開けて立ち尽くしてしまった。

 いつもののどかな風景は、もうどこにもなかった。

 既に火の手はほとんど消えている。そこは安心したけれど……。

 銃器を持った人型のロボットが、大量に配置されていた。それらは物々しいくすんだメタリック塗装が施されており、一目でロボットだとわかるほど機械然とした容姿だった。彼らが精巧な人型ロボットを作れないということはあり得ないから、わざと区別が付くように造っているのだろうか。

 さらには、陸戦車をさらに派手にごつくしたような、いかつい鋼の車両がいくつも、我が物顔で田舎町を走り回っている。こちらもよく見れば、若干人の上半身を模したようなデザインをしている。

 そして極めつけは、バラギオンだ。まるで王者の如くパーサの上空を旋回し、君臨している。

 とにかく、物騒にもほどがある。バラギオンなんて見ているだけでも心臓に悪い。

 見かけた町民もほとんどが俺と同じく、困惑していた。あっけに取られた顔で、あるいは恐怖や不安を顔色に刻んで、それらを眺めている。

 強い不安を覚えながら、まずはイオリの家に帰ろうと思った。早く無事を確かめたかった。

 気持ちから足も逸る。

 駆けていると、途中で突然、頭の中に直接声が響いてきた。

 驚いた。けど、フェバル同士で使う念話と同じ要領か。直接心の中に語りかける技術を、ダイラー星系列の連中は持っているらしい。フェバルがたくさんいるところなのだから、当たり前の話かと思い、走りながら声に意識を傾ける。

 

『我々は今、直接諸君の心に語りかけている。このまま話を聞いて欲しい。諸君にとってはにわかに信じがたいことだろうが、我々は遠い宇宙からやってきた。我々はダイラー星系列である』

 

 どこか尊大な感じで、話は始まった。ちなみに男の声だ。

 

『突然だが、トレヴァーク全星は我々の管理下に置かれることになった』

 

 周囲がどよめく。いきなりの全星占領宣言だ。

 エインアークスやレッドドルーザーが黙っているはずがないと思うけど、どうやって話を付けたのだろう。

 シルバリオたちのことが心配になる。

 

『理由に関して、詳しいことは一切話せない。ただ現在、創造上の存在が世界各地で発生し、襲撃事件が起きていることは、諸君も先刻承知の通りと思う』

 

 人々の心がざわつくのを感じた。先ほどの襲撃事件の衝撃は、あまりに記憶に新しい。

 

『我々は、この危急なる事態の解決に取り組むためにやってきた。現に、我々の力をもってして、襲撃者たる龍種を討伐したのを目の当たりにしただろう』

 

 俺も一応地味に一頭は倒したけど、バラギオンが出てきて空中で派手な殺陣を繰り広げてくれたので、みんなの認識としては、彼らがすべて倒したということになっているのは間違いなかった。

 

『さて、我々が諸君に求めることはただ一つ。我々の規定に従い、変わらず良識的に日々を過ごしてもらうことだ』

 

 どんな無茶を要求されるのかと思ったら、何と言うことはなかった。

 少し安心する。つまり、「お前ら一般人は関係ないから、普段通り何も気にせず過ごしていろ」ということだ。

 

『諸君が良識的な市民である限り、我々は今しばらく諸君の身の安全を保障しよう。我々はこの町を占拠するが、治安維持のためでもあることをご理解頂きたい』

 

 あくまで物々しい軍備は、対ラナソール生物を想定してのものということか。無辜の市民に刃が向けられないことを安堵しつつ、確かに物騒な装備を揃えないとラナソールを相手するのは大変だろうとも思う。

 

『なお、我々の決定に対して異議を申し立てることは許されない。反抗する者に対しては、死をもって報いるだろう』

 

 最後に、きっちり釘を刺して、

 

『以上だ。規定や細かいことはその辺りにいる人型が配るので、必ず読むように。それでは失礼する』

 

 話は終わった。

 途端に、あちこちにいる人型ロボットが金属製のポケットからパンフレットを取り出し、手当たり次第に配り始めた。

「ドウゾ」などと不器用に喋りながら無心に物を配る姿は、そこだけ切り取ればとても恐ろしい兵器のようには見えない。

 何が書いてあるのか気になるところだけど、やっぱりフェバルである自分が接触するのは怖い。最悪、触れた瞬間に露見してしまう恐れもある。

 そうだ。イオリのものを見せてもらうことにしよう。

 もちろん彼女たち母子が無事であることが前提だ。頼む。無事でいてくれ。

 

 果たして、二人は無事に生き延びていた。比較的早い段階でクリスタルドラゴンの注意を引けたということもあるだろう。本当によかった。

 ここのところ泣くようなことばかりだったけれど、このときばかりは顔が綻んでいる自分に気付いた。

 一方のイオリはというと、俺を見るなり、ぎょっとして駆け寄ってきた。

 

「ユウ、その怪我……大丈夫なの!?」

「あはは。逃げるときにちょっと転んじゃって」

 

 そう言えば、結構な傷だったな。

 倒したと言っても話がややこしくなりそうなので、逃げるときに怪我をしたということにする。

 せっかく治ったのにまたすぐ怪我しちゃって……と憐みの目を向けられてしまった。

 

「それより、あのロボットたちが配っていたものを見たいんだけど。持ってるかな」

「慌ててもらってなかったのね。いいわよ。はい」

「ありがとう」

 

 パンフレットに目を通し、規定とやらを確認する。

 ほとんど何と言うことはない内容だが、一つだけ、厄介な条項を見つけてしまった。

 

『交通を制限する。身分証明証及びダイラー星系列が都度発行する通行許可証のない者が、居住地域を離れて移動することを固く禁ずる』

 

 ……まずいことになったな。どうやってトリグラーブまで行こうか。



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168「動き出すダイラー星系列」

 物語は、ラナソールが壊れたあの日に遡る――。

 

【ダイラー星系列 第97セクター観測星】

 

 ラナソールとトレヴァークに向けていた計器から、緊急事態を示す警報が鳴り響いた。

 観測星始まって以来の有事である。二人の観測者オルキとメイナードにも、ただならぬ緊張が走った。

 

「超高エネルギー反応を検出! やばいですよこれ! 星ごと吹っ飛びかねない!」

「物騒なことだな。本星はこれを見越していたのか……?」

 

 オルキが首をひねる。お上の考えていることはよくわからなかったが、流石だと思い直した。

 

「執行者への報告事項になる。精査するぞ」

「はい。直ちに特定します!」

 

 オルキの指示を受け、メイナードが計器の示すデータを食い入るように見つめる。

 ある個所の数値が異常に跳ね上がっていることに、彼はまもなく気が付いた。

 

「タイプ3。固有星脈エネルギー反応が複数! フェバル同士の交戦と見られます!」

「おいおい……何だってこんな片田舎の星で、フェバル同士がぶつかり合ってるんだよ」

 

 互いに望まない限り、フェバル同士が出会う確率は極めて低い。出会ったとしても、彼らが力を行使した場合の世界への影響力を鑑みると、不用意に交戦になる可能性はさらに低いのだ。

 そもそも、第97セクターは歴史的にもフェバルの発生率が極めて低いことで知られていた。

 各所におけるフェバルの発生率は、近隣の星脈が保有するエネルギー量に概ね比例することが知られている。

 ムラが大きいものの、傾向としては多くの主流が流れ込む方向である宇宙の中心に向かうほどエネルギー量が高く、辺境に向かうほどに低くなっていく。

 ダイラー星系列の支配領域こそが、最も高エネルギー生命体の溢れる場所だった。逆説的に言えば、元々のエネルギーが高いために、固有能力の利用やエネルギー利用による進歩で先んじて、宇宙の覇者となったとも言える。

 

「数値の上昇が止まりません! 時空安定臨界点を突破!」

 

 まったく平均的なフェバルが発生させるエネルギー量ではなかった。ある時点で爆発的に膨れ上がり、実に数千倍もの異常値を叩き出している。

 あまりにエネルギーが高まると、時空の安定が崩れ、局所的な時空現象が発生する。局所ブラックホールの発生であったり、時空断裂であったりと、何が起こるかはまったくもって不明であるが、とにかく極めて危険な状態である。

 原因がユウとウィルの交戦によることを、もちろん二人は知る由もなかった。

 

「おお。世界は、どうなってしまうんだ……?」

 

 二人の観測員は、固唾を呑んで観測鏡を見守る。

 

 やがて。

 

「あ、あああ……!」

 

 メイナードは、頭を抱えた。

 二人の眼には見えていた。観測鏡にはしかと映っていた。

 

 二つの世界の片割れが、粉々に砕けていく様が。

 

 そして、それだけではなかった。

 

 重なる世界の中間から、宇宙のそれよりも濃い闇が広がり始める。それはあらゆる観測計器を阻害しつつ、二つの世界を丸ごと覆い始めた。

 次々と計器が沈黙していく。靄がかかり、観測鏡にも一切姿が映らなくなる。

 ついには、何もわからなくなってしまった。

 

「反応……ロスト。外部からの観測が不可能になりました……」

 

 メイナードの狼狽えた声が、静まり返った観測室に沈む。オルキも、何も言えずに項垂れるしかない。

 既に二人にとっては、手に余る事態であった。

 

「……あの娘の言う通りになったな。報告していなければ、クビでは済まなかっただろう」

 

 こうして、問題の大きさが誰の目にも明らかになった。

 

 翌日。

 

 ダイラー星系列の動きは迅速だった。予定を急遽早めての、星裁執行者来星となった。

 

「星裁執行者、バード氏の来星だ。丁重にもてなすようにな」

「緊張しますね。そんな偉い方とお目にかかるのなんて初めてですよ」

「心配するな。俺もさ。まったく、こんな日が来なければよかったよ」

 

 メイナードは不謹慎も少しわくわくした、オルキはつくづくうんざりした気分で、二人は観測所の外に突っ立って、来星を待ち続けた。

 二人は、来星には軍用宇宙船が用いられるということを予め聞いていた。

 実は、直接離れた空間同士をゲート等で結ぶことも可能なのであるが、万一逆用されることを危惧して、「外地へ降りてくる」ときは通常、宇宙船を用いる決まりになっている。宇宙最凶の荒場であるウェルム帯を自然の要塞として機能させるため、内地と外地を直接結ぶ方法について、ダイラー星系列は一切を禁じていた。

 やがて、巨大な軍用宇宙船が、音もなく地上へ舞い降りてきた。

 人と多少の兵器を乗せて来るにしてはあまりに過剰な大きさに、二人はまず度肝を抜かれることになった。ダイラー星系列産であることを示す、「手を挙げる人のマーク」が目立つ位置にはっきりと描かれている。

 二人は、背筋を伸ばし、両の掌をしっかり広げて膝の前に晒した。手を下げることでへりくだり、かつ手の内には何も持っていないことを示す、ダイラー星系列における恭順や敬礼に当たる行為である。

 宇宙船のハッチが開く。

 まず降りて来たのは、ぴったりとしたスーツに身を包んだ女性だった。おそらく五名の補佐官の一人だろうと二人は見当をつける。

 実際その通りで、彼女に案内される形で、別の二人が姿を現した。一人は女性、一人は男性だった。

 その一人、真ん中を堂々と歩む男に、二人は背筋の凍るような錯覚を覚えた。

 強者特有の雰囲気があった。威圧感を肌で感じた。二人は思わず息を呑まされたのである。

 身綺麗な男だった。灰がかったシルバーへアをオールバックにまとめ、額縁眼鏡をかけている。

 予め写真で見せられていた、ブレイ・バードその人であった。

 ブレイは、礼の姿勢を取る二人に歩み寄ると、落ち着き払った声で言った。

 

「出迎えご苦労」

「はっ! 遠路はるばるお疲れ様でございます」

 

 オルキが代表で進み出て、頭を垂れた。ブレイは彼を一瞥し、素気無く返す。

 

「堅苦しい挨拶は結構。現状はどうなっている?」

「それが……今もってまったくわからない状態が続いておりまして」

「ふむ。一切の計器に反応しなくなった、ということだったか」

 

 オルキもメイナードも首を揃えて頷くと、ブレイは顎に手を添えて思案した。そして告げる。

 

「中へ案内したまえ。念のため私も直接見てみよう」

「はい。こちらです」

 

 二人の観測員にそそくさと案内され、ブレイたちはメイン観測室へ向かった。

 普段は雑然と散らかっている観測室も、執行者が来るとなれば、隅まで手入れが行き届いている。

 全ての計器を一つ一つチェックして、報告通り一切の反応がないことを確かめると、ブレイはしかめ面で頷いた。

 

「なるほど。何もわからないな」

「そうなんです。いかがいたしましょうか」

 

 再び顎を手に添えて思案するブレイ。今度はしばし考え込んでいた。

 畏敬の感情を抱きながら、オルキとメイナードが固唾を呑んで見守る。やがて彼は、眼鏡を指先でくい、と押し上げつつ、言った。

 

「現地へ向かうぞ。まずは制圧する」

 

 決断の一言に、彼をよく知る副官ランウィー・アペトリアは、困った顔色を浮かべた。

 

「内側から直接観察する、ということですか? 世界を覆う闇の性質さえわからない現状で、さすがに性急ではありませんか」

「かと言って、手をこまねいていても何もわからんよ。我々の至上命題は、早期原因究明と事態の解決だ。リスクは承知の上だとも」

「ええ。おっしゃることはよくわかります。しかし……」

「ふむ……ならば、アゴラ筆頭補佐官をこちらへ置いていこう。我々に不測の事態が生じた場合、すべての権限は一時的にアゴラ筆頭補佐官へ移譲する。それで構わないか」

「それならば」

「ではそのようにしよう。君も来い。ランウィー」

「はい。お供いたします」

 

 ブレイは、観測員両名の肩を叩いた。

 

「君たちはアゴラ筆頭補佐官の指揮の下、引き続き観測を続けたまえ。少しでも反応があれば、直ちに報告するように」

「「はっ!」」

 

 冷や汗をだらだら浮かべながら、二人の観測員は背筋を伸ばして頷いた。

 それからブレイは、補佐官の一人に向かって振り向いた。

 

「すぐに使うことになる。各種兵器の調子は万全か」

「はい。事前に調整済です」

「よろしい。小休憩の後、現地へ直接移動する。スコープを開けておけ」

「承知いたしました」

 

 指示された補佐官が、宇宙船の中へと戻り、すぐに目的地へのスコープオンを開始する。

 写し出した対象に向かって直接移動できるワープホールを生じさせる機能が、彼らの宇宙船にはある。

 宇宙船によって面倒で地道な移動をしなければならないのは、あくまで内地から外地へ移動する際の制限である。外地の間での移動において、瞬間移動等の使用に一切の制限はない。

 ワープホールは無から生じ、送り込める対象は、大小によらず自由自在である。それは山のように大きな兵器であっても例外ではない。

 

 バラギオンが、動き出した。

 

 宇宙船の上部ハッチが開き、外へ飛び出していく。それを見たメイナードが、腰を抜かしそうになる。

 

「ひええ……」

「物騒なもん持ち出してきたなあ」

 

 オルキも穏やかならぬ心境で、怪物兵器を見上げた。

 

「ありゃかなり本気ですね。あの白銀フォルム。最新型じゃないですか」

「バラギオンシリーズの先鋭――ギール=ヴェリダス=バラギオンか……。カタログでは見たことあるが、こうして実物を見たのは初めてだな」

 

 バラギオンシリーズは、辺境の星制圧に必要かつ十分な軍事力と、比較的安価に製造できることもあって、数千年もの間ほとんど変わらない形で運用され続けるロングセラーの人型兵器である。

 古の開発者たるギールの名を冠し、バージョンアップの度に、時代に合わせたマイナーチェンジを施しながら、ブランド名を変えて使われ続けてきた。

 最新型のヴェリダスは、人道的観点から、主砲『バルガン』から核反応誘発性を除去した仕様となっている。過去に数多の敵対星を死の星に変えてきた実績を持つ主砲であるが、一部から「あまりに非人道的ではないか」との批判が高まったための措置と言われている。

 

「おお。シェリングドーラもありますね」

 

 続いて飛び出してきたのは、戦車型の汎用万能兵器、シェリングドーラ。こちらもロングセラーシリーズだ。

 陸海空、拠点制圧から救護活動や炊事まで、すべてを一手にカバーする「ダイラー星系列の何でも屋さん」。図体のでかいバラギオンでは小回りの効かない部分があるので、その補助のために主に用いられる。

 バラギオンもシェリングドーラも、どちらも人型をモチーフとしている。兵器としてはまったくもって無意味な仕様なのであるが、ダイラー星系列はあえて人型にこだわって製造している。

 理由は単純。文明の遅れている世界にとっても、示威行為として、わかりやすい形をしているからである。

 どのような世界であっても、人がいる世界ならば、人型は理解できる。

 原始的な文明であれば、同じ人の形をした不可解な対象へ畏敬し、より進んだ文明であれば、完璧な人型兵器を操る技術力に畏怖することだろう。

 

 休憩の間に、滞りなく準備は進んだ。目的地はスコープに入り、すべての兵器は展開された。

 

「行くぞ」

 

 ブレイの合図から、ダイラー星系列の進撃が始まる。

 

 そして。

 

『諸君。我々は遥かなる宇宙からやってきた。我々はダイラー星系列である。突然だが、ここに宣言する。トレヴァーク全星は、我々の指揮下に置かせてもらう』

 

 トリグラーブ上空に、十二体のバラギオンが同時に現れた。



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169「トリグラーブ首脳会談 1」

 十二体のバラギオンのうち、一体だけは明確に色が異なっていた。通常の最新型は明るくクリーンな印象の白銀であるが、それだけは血のように朱く塗られている。実際の性能も、対フェバル級とも対等以上に渡り合うことのできるほどに高められている。特別仕様の「殲滅モデル」であった。

 それをリーダー機として、十二体は円形に並び立つ様で、トリグラーブ上空を圧倒した。

 ブレイ始めダイラー星系列の面々は、リーダー機の肩に乗って、遥か文明の遅れた街を見下す。

 ところで、この時点では、まだトレヴァークにてラナソールの生物は確認されていなかった。飛行機すら存在しない文明に突如現れた飛行兵器は、この世界一般の人の理解を超えていた。夢か幻か、現実を超越しているとしか思えなかった。

 たちまち大騒ぎとなる。空に浮かぶ脅威を、それぞれが好奇心や恐怖でもって見上げた。

 十分な反応が得られたところで、ブレイは直ちに政府との面談要求及び降伏を勧告した。

 タイムリミットはわずか三時間。満足の行く回答が得られなかった場合、武力行使をも辞さないと念を押す。事実上の降伏命令だった。

 

 

 ***

 

 

 時の政府は、ひっくり返るほどの混乱に陥った。宇宙の彼方より来たという彼らの言葉を、字面通りに信じる者はさすがにいない。しかし、いくら目を背けようとも、事実として、テクノロジーを遥かに超越した巨大人型飛行兵器はそこに佇んでいるのだ。

 緊急国会は、降伏派と強硬派の真っ二つに分かれて紛糾した。

 高々十二体、どうとでもなると強硬派は吠える。「もし国民が死んだらどう責任を取るんだ!」と、誰かが喚く。

 不毛な議論を重ねるうちに、時間ばかりがいたずらに過ぎていく。三時間はあまりにも短い。

 議員たちが無能を演じる裏で、首相は秘密裏に指示を飛ばす。実質的な判断は、軍事を担う者たちに打診されていた。

 国軍、レッドドルーザー、そしてエインアークスである。

 

 

 ***

 

 

「大変なことになりました!」

「見えている。先ほど首相から裏で緊急招集もあった」

 

 シルバリオは、険しい顔で返した。

 部下に対しては毅然と構えているが、内心では苦慮を重ねていた。

 

 ユウがいてくれれば……いや、彼はもう……。

 

 聖地ラナ=スティリア壊滅の報を受けたとき、彼は激しい憤りを抱いた。と同時に、やるせない悲しみに暮れた。

 地下のごく一部を除いて、町のすべては消し飛んだ。爆発の中心にいたユウは、まず助からなかっただろう。

 組織の人間以外で、心から信の置くことのできた数少ない人間だった。恥を惜しまずに言えば、彼は夢を見ていたのだ。期待していた。ユウならば、と。

 だが、現実は非情だった。

 間もなく、シルバリオはユウを失ったこと、彼が守れなかったものの大きさを思い知ることになった。

 

 あの日、エインアークスは、人員のおよそ十分の一を夢想病で失った。

 

「下がれ。今後の対応は考えておく」

 

 辛うじて体面を保ち、お付き以外の人払いを済ませた彼は、窓辺に映る巨大兵器を見つめて、嘆息した。

 

「我々はこれから、どうなってしまうのだろうな。ユウさん、あなたならどうしただろう。親父……あんたなら、どうしただろうな」

 

 つい弱音を吐いてしまう自分の弱さを恨みたくなる。いくら弱音を吐こうとも、否応なしに現実は押し寄せてくる。

 だがボスは彼である。自分を頼りにする「家族」が大勢いる。責任と信頼から逃げ出す者に、リーダーは務まらない。

 悩んだが、結論はほとんど最初から決まっていた。

 武力対抗などは考えられない。おそらくユウや同時多発テロ事件の首謀者と同じ、常識を超越した存在であることは明らか。

 いかに強硬派を説得し、ダイラー星系列なる侵略者と交渉のテーブルにつき、我々この星に生ける者の権利を守るか。

 

「これもまた、戦いか」

 

 彼は組織の黒バッジではなく――銀バッジを懐から取り出して、弾いた。組織人である前に、今は一人の市民として、事態に臨むつもりだ。

 

「行ってくる。万一のときは、オルバンを次のボスにしろ。あいつはまだ若いが、頭が切れるし人望も厚い」

「はっ」「どうぞご無事で」

「ああ」

 

 お付きの二人に言い残すべきことを伝え、銀バッジをしっかりと胸につけ、シルバリオは世界の今後をかけた会談に臨むのであった。



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170「トリグラーブ首脳会談 2」

 シルバリオは裏社会の人間であるため、基本的に人目に付く場に出ることはない。しかしながら、一般民衆もエインアークスが社会において主要な位置を担う存在であることをよく承知している。

 星の趨勢を占う重大局面において、建前よりも実質が優先された。首相が求めたのは、緊急国会への出廷である。そのゆえもあって、彼は市民の象徴である銀バッジを付けて場に臨むことを決めたのだ。

 トリグラーブを首都に置くラグル都市連合は、グレートバリアウォール全域と『世界の道』トレヴィス=ラグノーディスを含む世界最大の都市連合国家である。この国の判断がすなわち、世界の行く先を決める。

 全世界の人間が注目する中、シルバリオは無条件降伏を強く主張した。

 平常のやり口から強硬派と目されていたエインアークスの降伏宣言は、大きな反響をもって受け入れられた。

 あくまで徹底抗戦を唱える国軍に対し、シルバリオは理性的に抗戦の非現実性を説き続ける。議論は相変わらず平行線だが、彼の熱弁にやがて野次は小さくなり、聞き入る者が増えつつあった。

 国軍とエインアークスが議論を戦わせる間で、第三の勢力であるレッドドルーザーはどっち付かずの曖昧な態度を取り続けている。

 既に本社襲撃という手痛い経験をしている彼らは、どちらかと言えば慎重だったが、議論の勝ち馬に乗れば良いと考えているようであった。

 

 結局、結論が出ないまま、無情にも三時間は過ぎてしまった。

 再び、男の声が皆の頭に響く。

 

『時間だ。回答を聞こう、と言いたいところだが……。議論については、一部始終を見させて頂いた。誠に残念なことだ』

 

 失望した声に、緊迫が高まる。宣言通り、武力攻撃が始まってしまうのかと。

 数拍の沈黙の後に、男の声は淡々と続く。

 

『しかし賢明な者もいるようだ。そこで諸君に今一度、考えるための材料を与えよう』

 

 議場はざわめいた。材料とはなんだ。何をする気なのか。

 それはすぐに判明した。巨大人型兵器の一体が動き出し、胸部が光り輝き出したのである。

 男は、バラギオンの一体に命じた。

 

『No.1フォアデール――撃て』

 

 直後、眩い光の束が解き放たれた。

 特大の光線。

 人々がそれを認識したときには、トリグラーブを包む偉大なる山――グレートバリアウォールの一角に届いていた。

 眩い光が弾ける。きのこ雲が巻き上がる。やや遅れて、世界を揺るがす爆音と、強風が吹き荒れる。

 やがて、きのこ雲が晴れ上がると、信じがたい光景を人々は目の当たりにした。

 命中個所の周囲一帯――世界の壁が、削り取られていた。綺麗に消失していた。

 すべての者が理解した。震えた。

 世界地図は、たった今作り替えられたのだと。しかもあの十二体のうちの一体が、いとも簡単にやってのけたのだと。

 全員が絶望的脅威を認識した絶妙なタイミングで、男は粛々と述べた。さも当たり前のことであるかのように。実際、彼らにとっては造作もないことだった。

 

『我々はあの程度の攻撃ならば、世界のどこへでも、即座に、放つことができる。その意味がわからないほど馬鹿ではないと期待しよう――さあ、返答をお聞かせ願おうか』

 

「……屈しよう。我々ラグル都市連合は、国民の生命を第一に考え……ダイラー星系列の無条件降伏勧告を……受け入れる」

 

 首相は苦渋に満ちた宣言をすると同時に、膝から崩れ落ちた。

 このシーンは象徴的なものとして、後々まで語り継がれることとなる。

 

 かくして、ダイラー星系列はわずか三時間、無血で世界の制圧を成したのであった。

 

 

 そして、ここから先は一般民衆の知らない話となる。

 

 

 ダイラー星系列は、ラグル都市連合のみならず、世界すべての国の首脳陣との即時条約締結を望んだ。

 飛行機がない以上、短時間での集合は難しいため、電話会議の形になるかと思われた。だが、ダイラー星系列はあくまで対面での締結を希望し、首脳陣の送迎は彼らが受け持つこととなった。

 飛行形態のシェリングドーラが各地に派遣されて、わずか二時間足らずで全員をトリグラーブに集結させてしまった。各国首脳陣は、彼らの圧倒的な技術力に改めて驚嘆と畏敬の念を抱かずにはいられなかった。

 実は転移技術によって瞬時に移動させることもできたのであるが、移動のついでに兵器の性能を存分に披露しておいた方が、心理的面で大いに効果があろうというダイラー星系列の判断だった。そのためにわざわざ全員を呼びつけるなどという面倒な手段を取ったのである。

 結果は、十分以上に功を奏したと言えるだろう。ダイラー星系列主導による一方的な議論に、口を挟む者はいなかった。

 ダイラー星系列による事実上の全星支配を決定する不平等条約が、速やかに締結された。

 もっとも、不平等ではあるものの、各国の主権や基本的人権は最大限尊重される内容であった。

 実質的な内容は二つ。

 一つは、まとめると次のようなものだった。

 

『ダイラー星系列は、必要とする限りにおいて、あらゆる場所での無制限の調査および軍事的行動の権利を与えられる。かかる権利の行使によって生じたいかなる不利益、損害についても、責任や賠償を問われない。ただし、トレヴァーク常人の生命および財産を正当な事由なく害することを目的として、かかる権利を濫用してはならない』

 

 事実上有無を言わさず可能な行為であり、ただの事実確認と明記に過ぎない。むしろ、但し書きがあることで、一定の安心感を与えるものだった。各国首脳陣も「この内容ならば御の字」と、戦々恐々としていたところ、溜飲を下す格好となった。

 そもそもダイラー星系列にとっては、トレヴァークに端を発する宇宙規模の『事態』において、現地人に調査の邪魔をされないことが主な目的である。彼らの貧しい利権になどかけらの興味もないし、下手に蔑ろにすれば、内地の人権派から非難を食らうのは目に見えている。

 もう一つの内容は、トレヴァークの者たちにとって、理解が難しいものであった。

 再び要約すると、以下の通りである。

 

『ダイラー星系列は、世界各地へ軍隊を即時派遣し、駐留させる。主たる目的は調査ならびに想定される脅威からの保護である。ダイラー星系列は、トレヴァークにおける無制限行動の対価として、トレヴァーク常人の生命および安全を可能な限り保障する』

 

 想定される脅威とは何なのか、人々にはわからなかった。世界にとってみれば、彼らこそが唯一の脅威としか思えない。一体何から守ろうというのか。

 首脳たちが首を傾げる中、ただ一人、シルバリオは「もしやユウを亡き者にした奴と関係があるのでは?」と想像の及ぶ範囲で勘ぐっていたが……。

 そこに、ボスの予想を遥かに超えた事態が再び巻き起こる。

 

 突如として、空が裂けた。

 

 一か所ではない。大小様々な規模や形の裂け目が、あちこちで発生したのである。

 

 それらのほとんどは、深いもやがかかっていて、奥側がどうなっているのかわからなかった。そして、虹が揺らめいているような、得体の知れない色をしていた。

 わずかに、まったくの暗闇が混じっている裂け目もある。暗闇の方は、しばらくすると閉じた。

 一方、虹色の奇妙な裂け目からは、何かか飛び出してきた。

 飛び出してきたものたちを見て、人々はパニックに陥った。

 なまじほとんど全員にとって見覚えがあったために。それらの力をよく知っているがために。

 

「あれは……!」

「ラナクリムのモンスターじゃないか!?」

 

 シルバリオもまた目を見張った。

 多くの隊員が夢中になっているので、話題についていくためにも、彼はこっそりラナクリムをプレイしていた。

 思った以上にハマり、地味に一介のSランク冒険者になっていたりするのだが……。だからこそ現れ出た魔獣たちの強さ恐ろしさがよくわかった。

 C級魔獣『バーク』や、B級魔獣『ペイサー』などは数こそ多いが、現代銃器をもってすれば十分に対処はできるだろう。

 しかし、A級以上となると強さは跳ね上がる。銃弾など到底通るとは思えず、戦車や化学兵器などを持ち出してようやく互角かというところ。こんな人の大勢いる市街地で軽々しく持ち出すわけにはいかなかった。

 そんなA級魔獣どもが、イベントクエストかと見まがうほど、大量に発生しているのだ。

 一例を挙げれば、

 

 A級の壁 悪鬼『ヴォルガニス=オーダ』 標準討伐レベル60

 地獄の鋏『ベンディップ』 標準討伐レベル65

 魔性の食人花『トゥリーン』 標準討伐レベル68

 凶鳥『シルべイド』 標準討伐レベル75

 

 さらに、標準討伐レベルが100を超えるS級魔獣も平気で混じっているのには、眩暈がした。

 

 空の覇者『クリスタルドラゴン』 標準討伐レベル110

 暴虐の巨人『アゼルタイタス』 標準討伐レベル123

 スライムを超えし災厄『スライムアヴォル』 標準討伐レベル138

 死神の鎌『フォーグリム』  標準討伐レベル150

 

 ラナクリムのS級冒険者は、誰もが人外の強さを持っている。彼らの一撃は地を抉り、大岩をも砕く。そんな彼らが複数揃って初めて討伐可能な化け物どもが、S級魔獣なのだ。

 奴らの一体を倒すだけでも、大量破壊兵器を持ち出さねばならない。いや、強力な物理耐性を持つ『フォーグリム』に関しては、それでも倒せるかどうか。

 ともかく、魔獣どもにまともな理性は期待できない。既に目下の人類を敵とみなし、暴れ出し始めていた。どうして人々は冷静でいられようか。

 各国首脳陣も、ボスを含めた一部が辛うじて自制するに留まっていた。大多数は狼狽え、中には悲鳴を上げる者すらいた。

 

「落ち着け」

 

 一喝。

 さほど大きくはない声ではあったが、不思議とよく通り、皆を黙らせるには十分な効果があった。

 発したのは、会談における議長を務めるブレイだ。フェバルとしての力をわずかながら解放し、威圧を放ったのだ。その場にいる誰もが本能的に気圧されて、言葉を発することができなかった。

 実力の片鱗を見せたブレイは、眼鏡を指で押し上げて、肩を竦めた。

 

「やれやれ。予想されていた事態ではあったが……このタイミングで来るとはな」

 

 訳知り顔のブレイに、不敬とわかっていても、シルバリオは進み出て尋ねないわけにはいかなかった。

 

「あなたたちには、こうなることがわかっていたのですか? 原因も?」

「わからん。そもそも我々はあれの原因を調べるために来たのだ」

 

 ブレイは不愛想に返答したが、すぐに口元を緩めた。

 

「ちょうど良い。まずは我々が誠意を見せるとしよう」

 

 誠意とは何か。さすがに理解できない者はいなかった。

 

「条約に従い、目前の脅威を排除する。ランウィー」

「はっ。手筈の通りに」

 

 彼女の指揮によって、バラギオンの敵性排除プログラムを起動する。

 十二体もの空の悪魔は、一斉にオーラブレードを抜き放った。

 不気味な紫色に光り輝くそれは、大衆に死を予感させるに十分な畏怖を与える。

 そして、同時に動き出した、と思ったときには――消えた。

 刹那、現れたと人々が認識した次の瞬間。

 空の覇者が貫かれる。暴虐の巨人の四肢が千切れ飛ぶ。スライムを超えし厄災は蒸発し、死神の鎌は皮肉にも首を刈られる。

 人々はまざまざと見せつけられた。ゲームの通りであれば、彼らがその強さ凶悪さをよく知るA級魔獣やS級魔獣たちが、まるで雑魚のように虐殺されていく姿を。

 だが、巨大なモンスターは死してなお厄介だった。市街地に物言わぬ魔獣どもの死骸、重厚な肉片が大量に降り注ごうとしている。下で眺めていた住人は、潰されてしまうと悲鳴を上げた。

 そこに、陸を守るシェリングドーラが、何でも屋と言われる能力を如何なく発揮する。それらは連れ立って消滅兵器を発動し、肉片を跡形もなく消し去ってしまったのだ。

 取るに足らないB級以下の魔獣については、どこから現れたか、機械歩兵が次々と撃ち殺していく。

 魔獣もただ殺される訳にはいくまいと、想像通りの身のこなしや強大な魔法でもって、機械兵器たちに抵抗する。しかし、何一つとして有効打は与えられない。

 すべてが無効化され、弾かれ、そして淡々と処理される。

 慣れ親しんだ架空生物たちがゴミ屑のように死んでいく様は、人によっては、先のデモンストレーションよりもかえって鮮明に兵器の強さを印象付けた。

 侵略者には、想像上の存在さえも容易く屈服させる力があるのだと、世界中の誰もが思い知らされる。

 既にパニックは静まっていた。恐ろしい襲撃にも関わらず、人間側に死者の一人もない。

 かと言って、人々は歓声を上げる気にもなれなかった。恐ろしいが、逃げる気も起きなかった。

 淡々と命を潰されていく空想の住人たちを、呆然と見ているしかなかった。

 夢でも見ているかのようだ。人々は圧倒されていた。

 だが、夢のはずはない。これは紛れもない現実である。

 やがて実感が大きくなるにつれて、人々は静かに恐怖する。倒れる者、眩暈がする者、乾いた笑いが出て来る者も、少なくはなかった。

 人々はついに理解した。

 宇宙の向こう側と想像の向こう側からの侵略者たち。

 私たちは、空前絶後の、とんでもない事態に直面しているのではないかと。



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171「シルバリオ、ブレイ執行官と会談する」

 魔獣襲撃という一悶着はあったものの、条約の締結は恙なく終わった。

 ダイラー星系列はトリグラーブ大使館を借り受け、これを改装して暫定政府官邸とした。外観こそ変わらないものの、様々な防御措置が施された元大使館は、世界で最も堅牢な基地へと変貌を遂げた。

 さて、まったく気の休まる暇もないシルバリオであったが、まだまだ命をすり減らすような時間は続きそうだった。

 副官ランウィーが彼に近付き、こう言ったのだ。

 

「本日後ほど、暫定政府官邸まで一人でお越し下さい。ブレイ執行官が直接お話ししたいと」

「ブレイ殿が?」

 

 自分が世界にとって重要な立場である自覚はあったが、個別に会談しようとまでは思っていなかったシルバリオは、面食らってしまった。

 受け答え次第では、世界が終わるかもしれない。

 並々ならぬ覚悟と緊張感をもって、大使館に臨んだ。

 尋ねた旨を告げると、ブレイの部下と思われる人物が出て来て、彼を案内する。

 大使館の中は、機械兵士たちが厳重に警護していた。シェリングドーラと呼ばれていた戦車型兵器が人の大きさ並に小型化したものも一緒になって哨戒している。

 案内されながら、シルバリオはダイラー式の礼儀作法について、最低限の教えを受けていた。

 やがて応接間の前に着くと、ドアが一人でに開いた。明らかに元々自動で開くタイプのドアではなかったはずだが、とシルバリオが首を傾げていると、部下がブレイを呼ぶ。

 

「ブレイ執行官。客人をお連れしました」

「来たか」

 

 白基調の礼装を綺麗に着飾ったブレイと、その隣に控えるランウィーが、立ち上がってシルバリオを出迎えた。

 予め教えられていた通り、シルバリオは両の掌をしかと広げて膝の前に差し出し、恭順の姿勢を示す。

 

「シルバリオ・アークスペインです」

「ブレイ・バードだ」

「ランウィー・アペトリアです」

 

 上位者の方は、何もせずただ名乗る。立場上格下の者と対する場面があまりに多いため、主に便利のため、ダイラー式では上位者の礼儀は省くか略式で良いとされている。

 

「わざわざ我々の礼儀に則ってもらってすまないな」

「いえ」

 

 何を言う。部下に教えさせたということは実質強制であろうが、とシルバリオは内心苦々しく思ったが、もちろん言わなかった。

 人型接待モードのシェリングドーラがやってきて、全員に飲み物を振る舞った。自然で柔らかな笑みを湛える女性の顔を張り付けているのみならず、全体的に女性を思わせる曲線美を備えた立ち姿。体表の色を擬態し、衣服までしっかりと着こなしている。

 知っている者でなければ、あの戦車と同じ兵器の別形態だとはわからないだろう。

 一流のメイドにも負けぬ見事な淹れっぷりで、給仕についても完璧なプログラムを仕込まれている。最安価の人型兵器ブランド『ウォーギス』と違って、無駄に色々できるのが何でも屋さんの由来である。内地では、人型接待モードの彼女はドーラさんだとかドーラちゃんだとか呼ばれて親しまれていたりするが、今は関係のない話である。

 シルバリオは、出された液体を見つめた。

 ほんのり薄青色がかった、綺麗な色合いの飲み物だ。

 一礼をしてから口を付ける。差し出された飲食物は早目に頂くのが礼儀であると聞いていた。

 初めは上品な苦味がしたが、舌を転がすうちに味が変化する。次第にほのかな甘味を感じ、喉を通る頃には爽やかな香りが鼻を抜けていった。

 旨い。不思議な味わいに目を見開くと、ブレイがにやりと笑った。

 

「面白い味わいだろう? ディクシルと言ってな。内地の――我々の支配領域のことだが――セデメアという星の特産なのだ。滋養強壮に優れた効用がある」

「いやはや。何とも素晴らしい」

「気に入ったのでしたら、お土産に一袋持たせましょう」

「はあ。ありがとうございます」

 

 シルバリオは丁重に礼をして、受け取っておくことにした。

 滋養強壮に優れているとなんでもないことのように言うが、一杯で自然回復力が大きく上昇し、一月飲めば大抵の病魔を退け、三月飲み続ければ失われた手足や光を失った目すら治るというとんでもない代物である。当然シルバリオは知る由もない。

 茶飲み話もそこそこに、ブレイは笑みを止めた。今は品定めをするようにシルバリオを見据えている。

 いよいよ本題かと覚悟を決めて、シルバリオから切り出した。

 

「ところで。私めにお話とは、どういうことでしょうか」

「なに。あの連中のうちでは、お前は多少見どころがあると思ってな」

「調べは付いております。裏事情に明るい方であるとか」

 

 ランウィーは世間話のように言ったが、彼女の余裕ある口ぶりだと、仔細にいたるまで把握されているだろうとシルバリオは推測した。

 短い時間ではあるが、シルバリオは彼らの手腕をよく観察していた。わずか一日足らずで世界を掌握し、情報収集も的確で素早いときている。

 そんな彼らが、ただ自分に世間一般の裏事情を聞きたいわけではないだろうと判断する。

 とするならば、目的は裏のさらに裏か。

 

「何やら、私の周りの特別な事情にご興味があると推察しますが」

 

 二人は一様にほう、と感心を示した。やはりこの男に話を伺って正解だったと思う。

 

「そこまでわかっていらっしゃるのでしたら、話は早いですね」

 

 ランウィーの言葉に、ブレイも頷く。

 

「私はな。腹の底を探り合うような会話は、あまり得意ではないのだ。直截に尋ねよう」

 

 一呼吸置いて、ブレイはキーワードを突く。

 

「フェバル、という言葉に聞き覚えはないか」

 

 二人の予想外にも、シルバリオは首を傾げた。聞いたことがなかったからだ。

 

「フェバル……というのは?」

「知らないのか。いや、微弱ながら、お前の心臓の辺りに星脈エネルギー反応が検出されたのでな」

「星脈エネルギーとは?」

 

 シルバリオも技を仕掛けた当の本人も預かり知らないことであるが、初対面時、彼が逃げられないよう心臓に打ち込んだ気力の楔に、わずかながらフェバルが持つ特有のエネルギーが混じっていた。

 その後、二人は信頼に足る関係となり、技自体の効果はとっくに切れていたのであるが、わずかに痕跡が認められたのである。

 ダイラー星系列を支配する者は三種の超越者――フェバル、星級生命体、異常生命体――であるが、治安を脅かす者もまた同じ超越者。

 潜在的脅威であるフェバルを特定する技術に秀でた彼らが、見逃すはずもなかった。

 ましてや辺境における三種の超越者は絶対数が少なく、世界へ及ぼす影響力は絶対的である。『事態』に何らかの関わりがあるのではと見るのは、決して邪推ではないだろう。

 

「では質問を変えよう。異常に強い人物か、あるいは不思議な力を持つ人物に直接出会わなかったか」

「それは……」

 

 シルバリオは、今度は口ごもってしまう。ユウのことだと思い至ったのだ。

 彼は考える。ユウはおそらく、彼らの言う『事態』と大いに関係があったのではないか。

 彼らは物腰こそ丁寧であるが、その実我々など歯牙にもかけず、目的のためなら強引な手段も辞さないことは今までのやりとりで十分承知している。

 ラナクリムのモンスターが現れた。問題の原因は、ややもすると彼が話していたラナソールという夢想の世界にあるかもしれないと思う。

 ユウは生前言っていた。二つの世界を守りたいのだと。

 シルバリオは恐れる。目の前の人物たちは、強硬なやり方でユウの想いを軽々と踏みにじりはしまいかと。

 彼らが二つの世界をどうするつもりなのか。態度がはっきりするまでは黙っていた方が良いだろう。

 二人はしばらく見守っていたが、シルバリオは一向に口を開かなかった。彼の義理が、圧倒的侵略者を前にしても、容易に口を滑らせることを許さなかったのである。

 

「なるほど。心当たりはあるが、言えないと」

「脅されている、というわけでもなさそうですね」

 

 ブレイの眉間がわずかに険しくなる。

 心象を悪くしただろうか。殺されるかもしれないと、シルバリオは恐怖に心を震わせながら、それでも沈黙を貫く。

 意外にも、ブレイはあっさりした態度だった。

 

「まあ良い。言わんのなら言わんなりの手はある」

 

 シルバリオは覚悟を決める。

 自分も裏の人間の端くれ。いかに脅されようとも屈しまいと。

 そんな考えを見透かしたかのように、ブレイは言った。

 

「お前が考えているような野蛮なことはしないさ――S-0002」

 

 再び現れたのは、ディクシルを皆に振舞ったシェリングドーラの一体だった。彼女はシルバリオの前に立ち止まり、じっと彼の顔を見つめた。

 先と違い、まったくの無表情である。不気味さが際立って、シルバリオは気圧されてしまった。

 こいつを使って何かするつもりなのか。

 身構えるものの、ただ気味悪く見つめ続けられるだけで、特に何かをされる気配はない。

 尋ねたいところだったが、ブレイが鋭く睨みを利かせているために、喉から声が出て来なかった。

 時々ドーラからは電子音が鳴っているが、どのような処理がなされているのか、彼には見当も付かない。

 数分ほど緊迫した対面が続き、ドーラはぺこりと頭を下げてランウィーの後ろに控えた。

 ブレイは沈黙を解き、再びにやりと笑う。

 

「シルバリオ殿。情報提供感謝する」

「は!?」

 

 何を言われたのかわからなかった。彼は黙っていたのだ。ずっと。

 ランウィーがにこりと微笑んで彼に教えた。

 

「あなたの記憶領域を解析させてもらいました。必要な情報だけ取り出したら残りのデータはきちんと処分しますので、ご心配なく」

「なっ!? まっ!」

 

 待って下さいと言う前に、ブレイが芝居がかった調子で手を叩く。

 

「客人のお帰りだ。S-0003、手土産を持たせて丁重に帰せ」

 

 記憶解析した個体とは別のドーラがやってきて、ぺこりと頭を下げる。

 嫌がるシルバリオを、機械の剛腕でもって無理やり引っ張っていく。

 こちらだけ一方的に差し出して、何も情報を得られぬまま帰るわけにはいかないと、彼は必死に食い下がった。

 

「お待ち下さい! 『事態』とは何ですか! あなた方は、この世界をどうされるおつもりですか!?」

「お前たち外人(げにん)の知るところではない」

 

 ブレイは無下に言い放った。

 ここで言う外人(げにん)とは、内地の外で生まれ暮らす文明の遅れた人間を差す。はっきりと差別用語であった。

 ランウィーも憐れむように目を細める。

 

「残念でしたね。ブレイ執政官の不興を買ってしまいました。あなたがもう少し協力的でしたら、有意義な会になりましたのに」

 

 取り付く島もない。抵抗空しく、シルバリオは大使館の外へ引きずり出された。

 最後にディクシルの青い茶葉が入った袋が一つ放り投げられて、彼の頬を冷たく叩いた。



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172「ユウ、ダイラー星系列に目を付けられる」

 シルバリオを放り出した後で、ランウィーはブレイにやや冷ややかな目を向けていた。

 

「あなたの態度に追随しましたが、少々辛辣だったのでは?」

 

 彼女の見立てでは、シルバリオという男は頭も切れるし気概もある。記憶は別にしても、今後の協力を取り付けられれば調査が円滑に進むのではと考えていた。

 

「仕方ないさ。立場上情けをかけることはできない。最悪皆殺しにしなければならないのは事実だしな」

 

 彼自身気の進まない任務ではあるが、宇宙の安定を守るためにはやむを得ない処置となれば、躊躇わずやる。時には苛烈ならねば、宇宙の番人たるダイラー星系列の役人は務まらない。

 言われて、彼女もそうかと頷く。

 

「まあ……それを知ってしまえば、あの男が素直に協力してくれるとは思えませんね」

「そういうことだ。世間で言われているよりも骨のある男だったな。失言が過ぎれば、立場上首を飛ばさなければならないところだった」

「その前に放り出したと。仕方ないですね。あなたは」

 

 ランウィーは、いたずらをした子供を見るように目を細めた。

 情けをかけることはできないと言いながら、かけていたのだ。彼らしく不器用ながら。

 気恥ずかしさを感じたのか、ブレイは咳払いして、ドーラに命じた。

 

「S-0002。解析した記憶からフェバルに関連すると思われる部分を抜き出して投影してくれ」

 

 ランウィーが目くばせすると、別のドーラが電気を消す。部屋は真っ暗になった。

 S-0002の目から光が放たれ、壁に映像が投射された。

 

 どこかあどけなさの残る少年が、たくさんの部下をなぎ倒しながら、シルバリオのアジトを一気呵成に突き進むシーンから始まった。

 見た目は少年であるが、実際はどうかわからない。

 

「あの人は」

「恐らくフェバルだろうな。だが」

「それにしては動きが随分と……人間らしいですね」

 

 フェバルにしてはすこぶる弱いと、ランウィーは暗に言ったのである。

 

「ああ。あえて実力を隠している可能性もあるがな」

 

 行く先で波風を立てたくない人物である場合、爪を隠して過ごすことはある。

 それにしては積極的に世界に関わる奴だという印象であるが。

 

「ホシミ ユウ。ホシミが姓のようですね」

 

 交渉、和解。協力関係の構築。一連の流れは抜粋されて、映し出されていた。

 

「この星の姓のリストを持っているドーラがいたな」

「データリンクして解析させますね」

 

 間もなく、ホシミという姓はトレヴァークに存在しないことが明らかとなった。

 

「偽名の可能性もあるが……ほぼ間違いないな」

「はい」

 

 二人は改めて気を引き締める。

 観測員の報告から、フェバルが複数潜んでいることは示唆されていた。今一人が炙り出されたわけであるが、氷山の一角に違いない。

 フェバル級がいるとなれば、任務の難易度は跳ね上がる。特別製の紅い機体――No.1フォアデールを除いて、一般のバラギオン程度では対処は厳しいだろう。

 たかが辺境と侮るべきでないのかもしれない。

 観測員の報告を受けた際、既に本星へ追加軍備を要求している。フォアデールの他にも星撃級兵器を複数要求したが、星撃級以上の兵器を多数外地へ派遣する場合、紛失や簒奪の際のリスクが跳ね上がる。費用も安くはない。そのため、議会の承認を含めた諸々の手続きが面倒になるのだ。

 最短で1ヶ月、最長で3~4ヶ月は見ておくべきか。それまでは手持ちの兵器で上手くやりくりしなければならない。

 現地人の掌握など序の口。大変なのはこれからである。

 

 さておき、引き続きドーラによって映し出される映像の数々は、極めて有益な情報をもたらした。

 治らないとされていた夢想病の治療法。ラナソールなる夢想の世界。トレインソフトウェア襲撃事件と世界同時多発テロ事件の首謀者が、同一のフェバルであるという示唆。第三の領域アルトサイドの存在。

 ダイラー星系列が求めていた類の情報が、次から次へと提示されていく。

 さしもの二人も、これほどの当たりを引くとは思わず、唸ってしまった。

 それをもたらした人物にも、興味は向けられる。

 

「ホシミ ユウ。実力こそ見えませんが、中々の人物のようですね」

「ああ。これほど深く調べこんでいるとは思わなかった。穏やかな人柄のようであるし、一度接触してみたいものだ」

「そうですね」

 

 二人の意見は一致する。上手くすれば、『事態』の解決に向けて協力できるかもしれないという期待もあった。

 

「ただ、シルバリオ殿の認識ですと、既に死亡したとのことですが」

「フェバルだろう。簡単には死なんさ。それに現在、星脈は閉じている。仮に死んだとて、どこかで蘇っているはずだ」

「なるほど。確かに」

「それよりも、私には彼の性格の方が心配だな」

 

 懸念材料だ。記憶映像を見る限り、彼がダイラー流のやり方に反するほど清廉に過ぎるのではないか。敵対関係になる恐れも十分にあった。

 いずれにせよ、接触する価値はある。会って見定めるという方針で悪くないだろう。

 味方になるのならば良し。邪魔になるのであれば、始末する。

 

「ランウィー。手配してくれ。ホシミ ユウを見つけ次第、動きを封じて大使館まで連れてくるようにと」

「承知いたしました」

 

 すべての機械兵器に対し、ホシミ ユウを発見次第拘束し、大使館まで送り届けるよう極秘の指示が出された。

 トレヴァークの人たちも、何となく嫌な予感がして機械兵器と接触を避けてしまった当のユウ本人も、もちろん知る由はなかった。



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173「ユウ VS 機械兵器包囲網 1」

 パーサが占拠された後、どうにかしてトリグラーブのみんなと連絡が付かないか頭を悩ませていた。

 残念ながら電話は使えない。自分のは壊れてしまったし、だったら人に借りようと思ってイオリに電話を借りてみたけど、ダメだった。

 原因不明の大規模な電波障害が起きていて、無線電子機器はほとんど使い物にならなかったのだ。ラナソールと繋がる穴が開くほどそこらにエネルギーが迸っているから、もしかしたらそれが原因だろう。

 危険ではあるけれど……やっぱりトリグラーブまで行くしかないか。ずっとパーサに留まっていてもやれることがない。

 俺がいなくなったとしても、イオリたちの身の安全はしばらくは心配しなくていいだろう。ダイラー星系列は恐ろしいけれど、兵器の強さに関しては信頼できる。

 ルートはどうするか。街道は警備が厳しいから、山中を進み迂回して行くしかないか。

 町を出る時間帯は夜がいいかな。奴らの目を誤魔化すのにどれほど効果があるかわからないけれど。

 山中を進むとなれば、しばらくはサバイバルになる。最後の夕食はたっぷり味わっておいた。

 イオリたちに別れを告げる。彼女は楽しかったと名残惜しそうに言ってくれた。また、気を付けてとも心配してくれた。どうも俺がこっそり町を出ることに感づいていて、黙って見送ってくれるようだ。ありがたかった。

 その上、食べ物と水をいくらか恵んでもらった。お金がすべて消し飛んでしまったから何も買えなかったんだ。助かったよ。

 パトロールをする機械兵士の隙間を縫って、俺の姿が認識されないようにパーサを出た。

 途中まではよかった。確実に見つからなかったと断言できる。

 

 ところが。しばらく進んでいくと、どうしようもないものに出くわしてしまった。

 

「あっ!?」

 

 壁だ。何もないところに透明な障壁が垂直に張られている。

 なぜわかったかというと、あえて人の目に見えるようにか、ガラス様の光沢が付いていた。

 高さはどれほどかわからない。少なくとも見上げた視界の先までは続いているようだ。

 ここから先は通さんぞということか。まいったな。

 よじ登っていくのは現実的ではないだろう。いつ空を巡回するバラギオンに見つかるかわかったものじゃない。あれに見つかったら確実に殺される。

 ならどうする。《パストライヴ》で通過できるのか?

 ダイラー星系列が転移技術を想定していれば、確実にプロテクトをかけているだろう。ただ、この星の技術が精々現代地球レベルであることを考えると、わざわざ対策をしていない可能性もある。

 最悪は、接触対象を分子レベルで分解してしまうような凶悪なプロテクトをかけていることだけど……。

 軽く確かめてみよう。

 足元に転がっていた小石を拾って、障壁に向かって投げつけてみる。

 

 炸裂音と光が奔り、小石は跡形もなく消えてしまった。

 

 ……《パストライヴ》を使うのはやめておこう。失敗したときのリスクが怖過ぎる。

 

 どうしよう。本当に困った。徹底的に対策がされているじゃないか。アリ一匹抜け出す隙間もない。

 その場で唸りながら考えたが、結局通れないという結論は変わらなかった。

 となると……色々と怖いけど、正攻法で行くしかないのか? ダイラー星系列の通行許可証があれば、通ることができるとは言っていたけど。

 正直取りたくはない手段だ。確実に個人情報を把握されるし、動向も掴まれてしまう。そもそもフェバルである俺がフェバルを熟知する彼らと接触して何もバレないということがあるだろうか? 俺は楽観的過ぎると思う。

 どうやってまでかは想像も付かないけど、彼らは間違いなくフェバル対策はしているはずだ。接触するなら相応の覚悟が要る。

 などと考えているうちに、何かが後ろから近づいてくる気配を感じた。

 なんだ。何が来た。

 近くの岩陰に飛び込んで、覗き見る。

 目を見張った。

 

 機械戦車!?

 

 一、ニ……五両ほどが同時に向かってくる。明らかにこちらへ向かっている。何かがいるとわかっている動きだ。どうして。

 はっとする。まさか。

 この馬鹿でかい壁自体に監視機能が付いているのか!? 近くにいるか小石の接触程度で何かがいると判定したのだとしたら。

 しまった。警戒していたつもりでも浅かった! 逃げないと!

 でも、逃げられるのか?

 センサーか何かを使ったか、既に機械戦車たちはこちらの位置を把握している。見る間に、あちこちの方角から追加の機械戦車が飛び出してきた。

 その数、実に214。能力で正確に数えられてしまうのが恨めしい。

 それらは徒党を組んで、俺を壁際から逃がさぬよう包囲網を形成しようとしていた。

 焦りながら、疑問に思う。ただの人間に200以上も戦車をけしかけるものかと。

 おそらく、バレている。捕まったらろくなことにならない。

 ディース=クライツを『心の世界』から取り出して、すぐにフルスロットルをかけた。

 包囲網はまだ完成しきっていない。どこか一点に集中して抜けるしかない。

 直ちにフライトモードに変形させる。特別にチューンナップされた怪物マシンは、自操縦者に何らの慣性や空気抵抗を与えず、秒レベルの加速時間でマッハを超える速度を生み出した。

 さしもの追跡者もこれほどの急加速は想定外だったようで、包囲が薄い方角の上空を低空飛行で抜けた。大砲を向けて地から睨む機械戦車たちを、ことごとく置き去りにしていく。

 だけど、安心する暇はまったくなかった。

 機械戦車たちが次々と変形していく。人を模した上半身を器用に畳み、側面からは鋼の翼が生えてくる。

 ちょっと待ってくれ。あいつらも変形するのかよ!

 陸を刈る重厚戦車は、気が付けばシャープな戦闘航空機へと姿を変えていた。そして、再び容赦なく追い縋ってくる。

 しかも速い。マッハを軽く置き去りにするディース=クライツでさえ、ほんの少しでも速度を緩めたらすぐにでも追いつかれそうだ。

 雨あられと砲撃が放たれる。撃ち落とす気満々だ。

 エルンティアの粋を注いだ高性能AIを搭載するディース=クライツは、より未来の先進文明とはいえ、量産型のAIには負けていなかった。砲撃の軌道のすべてを即時計算し、滅茶苦茶な運転軌道ながらもすれすれのところでかわしてみせる。衝撃を殺す機能が付いていなければ脳震盪になるところだが、今のところは問題ない。

 とは言え、さすがに一面を焼き尽くすような広範囲射撃を食らってしまえばひとたまりもない。おそらくあの機械戦車には、やる気であれば数の暴力でそんな芸当もできるのではないかと俺は見ていた。

 なのになぜちまちまとただの散発砲撃を続けているのか。

 俺が逃げている方向の延長線上には、パーサがあるからだ。彼らは表向き現地人の保護を掲げており、理由なく一般市民を殺めることはやりにくい。

 俺は今のところただ逃げているだけで、何らの損害も与えていない。おそらく彼らの基準でも、一般市民を巻き込んでまで攻撃するには理由が弱いのだろうと推測する。

 普通の人を人質に取るようで苦しいけど、手段は選べなかった。

 だがどうする。結局はただ逃げているだけだ。周りを障壁に囲まれて、囚われたかごで追いかけっこを続けていても、いずれは捕まるのが自明の理。

 そして、敵は逃げ道を考える暇も与えてはくれない。

 俺は追い立てられ、誘導されていた。ディース=クライツが向かう先には、白銀のフォルムをまとう死神が一体。悠然と立ちはだかっている。

 

 バラギオン……!

 

 そいつは、パーサに背を向けた位置に構えている。

 身が凍る。

 つまり、容赦のない攻撃が可能ということで――。

 

 肩に取り付けられた副砲に、光が収束していく。主砲を撃つまでもないということか。それとも被害範囲を気にしたか。どちらにしても関係ない。

 大気が震えるほどのエネルギーが、砲身の奥から満ちていき――。

 

 まずい。死ぬ! あんなの食らったら確実に死ぬ! 助かるわけが――!

 

 目前に突きつけられた死の宣告に、パニックになりかけながら生き残るための方策を考える。

 答えは決まっている。

 

 ――使うしかない。『切り札』を。

 

 まずは背後を取る。俺の方がパーサに近ければ、人を巻き込むことはない。

 

《マインドバースト》

 

 出し惜しみをするな。死ぬ気でやらないと生き残れない。後のことは考えるな。

 出力を最大限に引き上げ、《パストライヴ》の効果を限界まで上げてから瞬間移動する。バラギオンのさらに背後を取った。

 バラギオンは振り返る。やはりパーサが射程に入ったからか、バラギオンは町を巻き込みかねない副砲の発射をキャンセルし、代わりに禍々しい色のオーラブレードを抜き放った。

 巨体に似合わぬ恐ろしい早業だ。

 俺が最速で気剣を創り出してさえ、タイミングが互角。

 このままやれば、あと一瞬の後、俺はディース=クライツごと全身を蒸発させられるだろう。あのクリスタルドラゴンのように。

 だが、そうはいかない。

『心の世界』の力を全開にする。気剣にありったけの力を注ぎ込む。刀身は目も覚めるほどの青白色に変じる。

 

《センクレイズ》

 

 天が割れるほどの凄まじい剣閃が放たれた。音のレベルなど比較にならない圧倒的な速度で、一切の容赦もなく、一直線に目標へ届く。

 目標を貫いても、威力はなお留まることを知らない。地は穿たれ、引き裂かれ、障壁は容易く砕かれた。剣閃は遥か遠く山々まで及び、無慈悲に断ち斬り、地の果てまでを一文字になぞって消えていった。

 そして――バラギオンは、おそらく何が起こったかもわからぬまま真っ二つに斬られていた。

 やがて重力が本来の仕事を思い出したように、物言わぬ金属の塊となったバラギオンは地へ堕ちていく。

 

 倒したか。

 

 大きく肩で肩をしながら、呼吸を整える。ダメージは……大丈夫。まだ普通に動けそうだ。

 

 一撃。圧勝と言ってもいい。

 

 だけど素直に喜べない。むしろ悔しかった。

 これを使えば、倒せることはわかっていた。

 もう「使わされてしまった」。勿体ないなんて言ってられなかった自分の弱さが悔しい。

 できれば、ヴィッターヴァイツと対決するときに残しておきたかった。

 

 何をしたのか。簡単に言うとズルをした。

 種は簡単だ。

 俺では、普通にやっていては絶対にバラギオンに勝てない。そもそも俺はこの世界で剣閃を飛ばすほどの力がない。

 

 だからあれは、俺の《センクレイズ》じゃない。

 

 ジルフさんの《センクレイズ》――オリジナルの剣閃だ。

 

《アシミレート》で吸収しておいたものを、今《ディスチャージ》で撃ち出した。それだけのことだ。

 技は吸収時より放出時の方が遥かに負担が少ない。

 だから、あらかじめ強力な技を仕込んでおけば、いざというとき武器として使えるのではないかと考えた。

 もちろん欠点はある。威力が大き過ぎて、人のいるところでは絶対に使えない。そのデメリットを差し引いても、強力な武器となるはずだった。

 そこで俺はラナソールであらかじめ、フェバルのみんなに協力してもらってフェバル級の攻撃技を仕込んでもらっていた。

 言うのは簡単だけど、実際にやるのはきつかった。強力な技を吸収するため、『心の世界』を通じて凄まじいダメージを食らうことになるからだ。

 当然、みんなには反対された。だけど、ヴィッターヴァイツに手も足も出なかったときに覚悟は決まっていた。

 レンクスの「強い攻撃」が一発、ジルフさんの《センクレイズ》が二発、エーナさんの光魔法《ルラーザイン》と風魔法《バルシエル》が一発ずつ。

 計五発。それが俺が受け止められる容量の限界だった。

 たった五発でも、死ぬほど苦しかった。一日一発ずつ、レンクスとジルフさんの付き添いの元、全身をズタズタにされて死にかけては回復させてもらって、無理やり吸収して詰め込んだ『切り札』だ。

 その貴重な一発を、もう「使わされてしまった」。

 あと四発。この先まだまだ厳しい戦いは続くのに、こんな調子で使っていたらすぐに尽きてしまうだろう。

 そうなれば、俺がフェバル級に対抗する術はなくなってしまう。

 

 今回は仕方なかったけど、なるべく使わずに済むように立ち回らないとな。

 差し当たって命は拾ったけど、休んでいる暇はない。

 大ボスたるバラギオンは仕留めたものの、取り巻きの機械戦車もとい戦闘機はいくらか巻き込んだだけで、大半は健在だ。それに呆けているとバラギオンのおかわりが来るかもしれない。

 確か、新聞によれば十二体もいるはずだ。追加を相手にするなんて冗談じゃなかった。

 幸いにして、《センクレイズ》の余波で障壁の一部は砕けている。今ならパーサ付近のエリアから脱出できるはずだ。

 

 俺はすぐさまディース=クライツを反転させ、最高速度で剣閃跡の上空を飛ばしていった。

 砕けた障壁の隙間を抜け出してから、やや遅れて戦闘機たちも飛び出してくる。

 先ほどよりも条件は良い。距離は稼げている。

 これなら一斉の広範囲射撃で潰されることもないだろうけど、上手く撒けるか。

 命がけのフライトは、まだまだ続きそうだった。



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174「ユウ VS 機械兵器包囲網 2」

 障壁を抜けるまでは剣閃が通過した跡の上を飛んでいたが、抜けたらすぐに脇の森へ逸れた。 

《センクレイズ》で斬り飛ばしたラインには一切の障害物がない。馬鹿正直に真っ直ぐ飛んでいれば、狙って下さいと言っているようなものだ。

 地面すれすれの高度に張り付いて、木々の間を縫うように走らせる。マッハ超の最高速度を維持しながらぶつからないように走るのは中々に地獄の行程だけれども、AIが頑張ってくれている。

 追跡者は図体のでかい戦闘機ばかりだ。森にさえ入ってしまえば小回りが効くこちらに分があるかと思ったが、甘くはなかった。

 戦闘機はさらに大胆に変形しようとしている。普通の戦車よりよほど巨大だったのが、翼を畳みながらみるみる小さくなっていくじゃないか。

 滅茶苦茶だ。大きさまで自由に変えられるのかよ。なんて奴らだ!

 ダイラー星系列の技術力を恨むが、恨んだところで追撃の手が止むわけではない。

 そうこうしているうちに、変形が終わる。

 予想外の完成形に、間抜けに口を開けてしまうほど驚いた。

 戦車形態のときも上半身は武骨な人間を模したようだったが、今や完璧な人の形――それも見目麗しい令嬢そのものの姿となっていた。

 しかもいつの間に換装したのか、いかにも機動性に優れたデザインの黒ドレスまで着用している。

 威圧感たっぷりの図体から一転、見た目は華奢な女性と呼べるものになった「彼女」たちだが、中身の方は何も変わっていない。

 足から極太ジェットを飛ばし、航空力学の常識を嘲笑うかのようなアクロバティック高速軌道で、易々と木々をすり抜けて来る。

 すべてが一様の顔で、口を固く結び、冷たい氷のような表情を一切動かさないまま執拗に迫って来る。

 滅茶苦茶怖い。

 敵だったときのリルナのトラウマを思い出すようでぞっとする。同じ顔が大量だったりバラギオンのお供だったりは、あの星で戦ったプレリオンとも似ているか。

 あっちが殺戮天使なら……こっちはさしずめ殺戮メイドか。しかも性能はプレリオンより格段に上だ。恐ろしい。

 さすがに人型となったことで多少速度は落ちたものの、小回りが効くという点ではむしろ優位に立たれてしまった。

 そして、砲身はコンパクト化されて右腕に移ったようだ。弾数は減った一方で、人型を生かして狙いをより丁寧に付けている。

 まずい流れだ。証拠に、徐々に距離は詰められ、しかも攻撃が車体を包むバリアに掠るようになってきている。一発でもまともに当たってしまえば即死なのに、これでは時間の問題だ。

 苛立ちを抑えるのが難しかった。

 森に逃げたのは「次善の失敗策」だ。あのまま見晴らしの良い場所で逃げ回るよりマシだが、かえって刻一刻と状況を悪化させてしまっている。

 かと言って、他に有効な逃げ道があるかと言えば……。

 いや、諦めるな。考えろ。何か。何か手は。

 また砲撃がバリアを掠める。バリアの強度にも限界はある。あと数発も掠れば破られてしまうだろう。いよいよ時間がない。

 考えろ。

 まずあいつらの強さは。動きや砲弾の威力からして、一対一の条件なら今の俺でも勝てるとは言わないが、負けないように戦うことはできるだろう。もちろんこんなにたくさん相手取るのは、自殺行為にしかならない。

 ただ逆に言えば、個々の強さはクリスタルドラゴンとそんなに離れていないはず。

 

 つまり……。

 

 わずかに光明が見えた。

 いくつかステップを乗り越える必要がある。かなり分の悪い賭けになる。でもこのまま逃げ続けていればどうせ詰んでしまうんだ。賭けてみよう。

 

 俺はディース=クライツのハンドルを切って、急上昇させた。木々の天井を突き抜け、上空へと飛び出す。

 向こうからしてみれば良い的だ。けれど「彼女」たちが再び人型から戦闘機へと姿を変えるまでは、こちらに速度の優位がある。

 稼いだわずかな時間を使って、目的の対象を必死に探る。

 気を読んでもわからない。ただエネルギーの流れが特におかしくなっている場所。その近くにあいつらはいるはずだ。

 

 ――よし。いいぞ。見つけた。

 

 第一関門は突破だ。目的の場所へ向かってフルアクセルで飛ばす。気が付けばエネルギー残量が相当減っているが、使い切ってしまっても仕方ない。

 相変わらず背後から即死レベルの攻撃が飛んで来るが、辛うじて命中はしていない。ツキはまだ見放していないようだ。

 やがて、目当ての連中――ラナソールの魔獣たちが、ちょうど世界の裂け目から湧き出てきてうろついているところが見えて来た。

 有象無象の雑魚魔獣も多いけれど、中にはS級上位の怪物――クリスタルドラゴンよりも数段強いのも混じっている。クリスタルドラゴンでぎりぎりだったくらいだから、今の俺が普通に戦ってもたぶん勝てないだろう。

 そんな危険な魔獣のるつぼに、俺はあえて正面から突っ込もうとしていた。できるだけ裂け目の近くへ。

 一部の魔獣が俺を敵とみなしたのか、威嚇してくる。中には容赦なく襲い掛かってきたり、魔法攻撃が飛ばしてくるやつもいたが、ここでやられるわけにはいかない。

 魔獣の攻撃は後ろから追いかけてくる奴らに比べると本能的で単調なので、流れは読みやすい。やはり当たれば即死は免れないが、気合いでかわす。

 前後で挟み撃ちに遭い、一時的には余計にピンチを招いているが、もちろん無策で突っ込むわけじゃない。彼らの気を惹いて寄せまとめるために餌を用意する。

 

 クリスタルドラゴンの肉だ。

 

 俺が直接首を刈ったやつの死体は残っていたので、証拠隠滅と食料としての用途を期待して『心の世界』にしまっておいたのを、今空中に放り出した。

 魔力をたっぷり含んだ強い魔獣の肉は、大半の魔獣にとってご馳走になるらしい。

 一塊では少ししか引き寄せられないので、バラバラに刻んで撒く。

 

《スティールウェイオーバースラッシュ》

 

 最速の自動剣撃によって細切れにされたクリスタルドラゴンの肉は、風に乗って良い塩梅でばら撒かれた。細かく刻むことで、血肉の臭いが広がる効果もある。

 食いついたのを見届けた後、ディース=クライツをしまって、《パストライヴ》で瞬時に落下する。

 なるべく気配を殺し、C級魔獣やD級魔獣の群れの中へと紛れ込む。

 こいつらは人間とさほど大きさが変わらない。木を隠すなら森の中ということだ。先ほどと状況が違い、今は近くに極上の餌があるので、わざわざ俺を優先して襲う奴は少ない。

 ラナソールの魔獣は普通の意味での生命反応や魔力は持たないが、俺にも魔力は一切ない。気配を殺していればある程度はカモフラージュが効く。もし仮に追跡者が何らかの方法で俺の位置を正確に捉えていたとしても、たくさんの魔獣がいる中で俺だけを狙い撃つのは困難だろう。

 かと言って、規模の大きな攻撃で一まとめに殺してしまおうとするなら、強力なS級魔獣が大きな身体で壁になってくれる。焦土級の攻撃を連発できるバラギオンがいれば自殺行為でしかなかった作戦だけど、今「彼女」たちしかいない状況であれば有効に機能する。

 少しの時間ではあるが、魔獣の壁ができたわけだ。

 この状況で「彼女」たちは、魔獣が餌から離れるまで静観しているか、それとも魔獣に妨害されるリスクを承知でかかってくるか。

 遠くに散らばっているとやりにくい。できれば向かって来て欲しかった。

 俺がただの人間と考えるなら、黙って時間切れを待つだろう。実際、魔獣が離れてしまえばもう俺に為すすべはない。

 だけど、連中は俺がフェバルか何かだとわかっているはずだ。あまり時間的猶予を与えれば、何らかの方法で逃げられてしまうのではないかと考えていてもおかしくない。実際は俺に逃げる手なんてないわけだけど。

 状況を見守りながらも、俺は《パストライヴ》を駆使しつつ、魔獣をかきわけて世界の裂け目へ向かって移動していく。

 あえて面倒な手段を使ってまで敵を引き付けようとしているんだ。頼む。食いついてくれ。

 すると、戦闘機は再び殺戮メイドへと変身し、魔獣の群れへと向かって来た。やはり放置するリスクが大きいと見たようだ。

 魔獣も食事の邪魔をされては憤り、すぐ近くで激しい戦闘が開始される。

 

 いいぞ。これであと一つ。最後の賭けがどうなるか。俺の予想通りなら、きっと。

 

 裂け目へ向かってひた走る。一向に変化は訪れない。

 まだか。もしかして違うのか。

 不安に駆られるが、唯一の可能性を信じて懸命に足を動かす。

 

 そしてある地点より近付いた瞬間、全身に力が漲るのを感じた。

 

 よし。やったぞ。いける!

 

 勝利の可能性を掴んだことを確信しながら、左手に気剣を創り出した。

 創ろうとした瞬間から、手ごたえがまるで違った。

 はち切れんばかりのオーラを纏った白剣が飛び出す。トレヴァークでは通常あり得ない水準の力に満ちている。

 俺は逃げる足を止めた。

 ちょうど振り返ったタイミングで、魔獣の群れから抜け出した一体の殺戮メイドが、右腕の砲身を構えて躍りかかってくる。

 もちろん「彼女」は俺に手心など加える気はなく、これまでと同じように正確な砲撃を撃ち出してくる。

 先ほどまでは恐ろしかった攻撃だが、もう脅威ではない。

 光弾の軌道は、完全に止まって見えている。気剣で防ぐまでもなく、片手で弾き飛ばした。

 

 そのままの勢いで相手に向かって、駆け抜けがけに一閃。

 

 敵からすれば、いつの間に背後に回られているように感じたことだろう。

 振り向いた「彼女」は、再び俺に狙いをつけて砲身を構えようとしている。

 だが狙いは定まらない。ずれていく。

 予想外のことに驚いたのだろうか。氷のような表情はそのままに自らを見下ろし、「彼女」はようやく気付いた。

 ずれているのは狙いではなく、「彼女」の胴体だと。自らが既に斬られている事実に。

 苦し紛れに放った最後の砲撃は見当違いの地面を穿ち、それが「彼女」の最期となった。

 

 これで大体の力は把握した。

 十分だ。『切り札』を使う必要もない。

 

 先ほどまで逃げてきた方向を見やる。

 魔獣の中でも敏感なやつは、俺の変化に気付いて恐れをなしていた。

「彼女」たちも作戦の失敗に気付いたようだが、もう遅い。

 遠巻きでバラバラに動かれるのが一番厄介だった。ここから決して一体も逃がさないためにまとめておびき寄せたのだから。

 

 今俺が立っている場所は、ラナソールに最も性質が近い領域――パワフルエリアだ。

 

 予想はしていた。ラナソールの魔獣が出て来るなら、その近くはもしかしてと。

 確証はなかったけど、賭けるしかなかった。

 逃げることが敵わないのなら、倒せる可能性に。

 命がけの綱渡りを越えた。賭けに勝った。

 

 さあ、反撃の時間だ!



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175「ユウ VS 機械兵器包囲網 3」

「彼女」たちは素早い。中途半端な攻撃では避けられてしまうだろう。できれば一撃ですべて倒し切りたい。

《マインドバースト》を発動させ、さらにジルフさんから学び取った【気の奥義】を解放する。【気の奥義】は俺の身体スペックではかなり弱めにしか使えないけれど、併用することで技の威力を乗算的に高めることができる。

 気剣に力を込める。真っ白な刀身に青が混じっていく。

 今度は『切り札』じゃない。正真正銘、俺自身の剣技だ。

 手ごたえから感じる力は申し分ない。しっかり当てさえすれば倒せるはずだ。速度と攻撃範囲を重視して――いけ!

 

《センクレイズ》

 

 すべてに狙いを付けて横に斬り払い、剣閃を放つ。

 勢い良く飛び出したそれは、大気を切り裂いて瞬く間に目標へ届く。さすがにジルフさんのと比べると明らかに見劣りしてしまうが、中々の威力だ。

 俺から見て手前にいた魔獣と「彼女」たち、全体の約半数は一瞬で塵も残さず消し飛んだ。

 だが問題はそこからだった。後方にいる奴らは、パワフルエリアの圏外にいる。

 剣閃がパワフルエリアを抜けた瞬間から、急激な威力の減衰が始まった。

 始めのうちは頼もしい威力で敵を消し飛ばしていくものの、やがて完全消滅はできなくなる。

 死体の一部が残り始めると、それが壁となってますます威力が衰えていく。

 

 まずいな。このままじゃ一番後ろの方は逃げられてしまうかもしれない。

 

 この場所から攻撃の届かない位置で包囲されたら厳しい。パワフルエリアを出た瞬間に殺される状況が出来上がってしまう。

 距離を取られる前に有効な追撃をしないと。けど気力だけに頼った技だと同じことの繰り返しにしかならなさそうだ。

 

 だったら――物理も利用するか。

 

 トレヴァークの物理許容性は普通程度には高い。一度起こしてしまった物理現象は、パワフルエリアを抜けても弱まりにくいはずだ。

 気剣を使って近くの地面をごっそり切り抜いた。さらに【気の奥義】の効用で巨大な土塊を触れずに持ち上げる。あまり距離が離れていなければ、物に気を飛ばしてひっつけて念動力のようなことも可能だ。

 気剣をしまい、右拳に気力を込める。白いオーラが一点に集中して弾ける。

 

 ……まさかあいつの真似事をすることになるとはね。

 

 皮肉を感じながらも、土塊へ力任せに拳を叩き込んだ。

 

「はあっ!」

 

 まるでミサイルが弾けるような破砕音を伴って、土塊が粉々に砕ける。ただ砕くのではなく、同時にすべの破片に気を付与して、超音速による摩擦熱によって燃え尽きるのを防ぐ。

 気力を帯びた無数の土の散弾が、魔獣や「彼女」たちに向かって飛んでいった。パワフルエリアを抜けた途端に気のコーティングはみるみる弱まっていくが、既に十分に加速の乗った破片の勢いは止まることを知らない。

《センクレイズ》が到達した地点をさらに越えて、土塊は後方の敵に対して確実なダメージを与えていく。

 まず有効な防御手段を持たない大半の魔獣が、全身に石つぶてを浴びて命を散らす。「彼女」たちも全身に穴を開けられて、機能停止するか少なくとも機動力を失った。

 一部の者はバリアを展開しているが、易々と貫通してダメージを与えている。まったく役に立っていない。

『心の世界』のエネルギーを混ぜ込んだ俺オリジナルの気力は、ただの生命エネルギーじゃない。そう簡単に防ぐことはできないよ。

「彼女」たちも総じて沈黙し、意外にも最後までしぶとく残ったのは、土耐性の極めて強力なごく一部の魔獣だった。そいつらは既に俺に対して怯えているらしく、尻尾を巻いて逃げようとしていた。放っておいても邪魔になることはないだろう。

 

 さしあたって見える範囲の脅威は排除できたかな。

 

「ふう……」

 

 ようやく一心地つけた。よく死なずに乗り切ったよほんと。

 でも少しすればまた援軍が来るだろう。ゆっくり休んではいられないな。

 ディース=クライツを取り出して調子を確認する。無理な運転をしたからか、残量メーターは底をついていた。溜息を吐いてしまう。

 早くも歩きの旅が決定したか。さっさと身を隠さないとな。

 こんなとき女になれたらな。あっちの身体はあらゆる探知に引っかからないくらいステルス性抜群だから、上手く身を隠せたかもしれない。

 でも、あの身体は。姉ちゃんは……。

 

 ユイ。みんな。

 

 思い出すとまた泣きそうになるけれど、今はぐっとこらえる。

 俺にはやるべきことがある。俺を頼りにしている人がいる。心寂しくても辛くても、ただ泣くことが許された子供ではないのだから。

 みんなを救える力なんてない。でも手に届く誰かの、助けを求める人の横に寄り添うことはできるはずだ。

 くよくよ立ち止まっていたら、差し伸べられるはずの手を差し伸べられなかったら、俺はもっと後悔する。ユイだって望んでいないはずだ。

 ユイがどうなっているのかはわからない。普通のフェバルと同じようにどこかで生き返っているのかもしれない。二度と戻っては来ないのかもしれない。

 もし、もう二度と会えないのだとしたら……。

 そのことを考えるだけで、胸が押し潰されそうになる。心が折れそうになる。やるべきことがあるから、辛うじて自分を誤魔化せているだけなのかもしれない。

 

 ……やめよう。今は考えないようにしよう。

 

 全部終わったら、もう帰って来ない人たちのことを想って、思い切り泣こう。涙が枯れるくらい泣こう。

 

 そのくらいは、いいよね……?

 

 だから今は……前を向いて動くときだ。

 

 近くに生じていた世界の裂け目は、既に閉じてしまっていた。開いていたら少しは調べようかと思っていたけど、仕方ないか。時間もないし。

 一応まだパワフルエリアの効果は続いている。

【気の奥義】で《気力反応消去》――生命エネルギーに対するステルスをかける。女の身体と違って効果は一時的なものの、何もしないよりはマシだろう。

 この技は許容性の関係でパワフルエリアにいる間しか使えないから、効果が切れる前に新しい所を見つけ出してかけ直す必要がある。大体24時間くらいで効果は切れてしまうから、のんびりとはできない。

 魔獣も俺より強いのがその辺にごろごろいるし、機械兵器に見つかればもう逃げる手はない。パワフルエリアの周辺には魔獣がたくさんいる可能性が高く、ステルスをかけ直すにも一苦労だ。

 命がけの綱渡りが続くけれど、頑張るしかないか。

 意を決すると、すぐにその場を離れて、深い森の中へと足を踏み入れていった。



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176「かけ違えたボタン」

[トリグラーブ大使館 ダイラー星系列暫定政府本部]

 

 ランウィーとブレイは、部下から口頭でシェリングドーラ214体およびバラギオン一体の被害報告を受けていた。

 引き続いて、お付きのドーラの一体――S-0002より、ユウと機械兵器の交戦模様が映し出される。

 シェリングドーラには共有記憶領域があり、そこに保存された内容はすべての機体で展開することができる。

 彼らの兵器が滅茶苦茶に破壊されていく映像を眺めて、ブレイは苦笑いした。だが目はまったく笑っていない。

 

「ふむ。なるほどな。大人しそうな顔をして、中々どうしてやってくれるじゃないか――ホシミ ユウ」

「我々が誠意をもって応じても、顔に泥を塗りますか。これだから外のフェバルは……」

 

 ランウィーは、無礼者の「少年」に対して不機嫌に眉をしかめた。

 実際、単純な被害としては大したことはない。

 バラギオンの一体が失われたことだけは少々痛手ではあるが、シェリングドーラなど一つ一つは裕福な子供の小遣いでも買える程度の値段である。

 問題は被害額でなく、面子を潰されてしまったことにある。散々おちょくり引っ張り回しての全機破壊など、喧嘩を売っているようなものだ。

 

「やはりフェバルはフェバルか。言うことを聞かん奴らよ」

「ええ。面倒ですね。なまじ力があるばかりに」

 

 ダイラー星系列側としては、最低限の誠意をもって対応はしたつもりだった。

 フェバル級を相手に、シェリングドーラやバラギオンといった「通常一切危害を加えることのできない」明らかに格下の兵器を差し向けることの意味。実質的な出迎えであり、本気で攻撃する意図などないことは、よほどの馬鹿か田舎者でない限りは理解できるはずだ。

 だがユウの行った行為は、実に挑発的だった。わざわざ自身よりも移動速度の遅いはずのバイクなどを乗り回して、シェリングドーラたちを煽り始めたのだ。非礼には威嚇射撃で応じるものの、一向に挑発行為を止める気配がない。

 ならばやむなしと、より厳しい最終勧告を行うことになった。

 バラギオンに、わざわざ「青信号」でゆっくりと、あからさまな牽制射撃を行わせようとしたのである。

 まだそこで非を認めて立ち止まるならば、合意を得た上で彼の身柄を一時拘束し、話を伺う場を設けるつもりであった。

 だがこれに対し、ユウのとった返答は最悪に近いと言っても良いものだった。

 

 フェバルの力の行使。バラギオンの破壊。

 

 ここに水面下の交渉は決裂し、ユウは敵性存在と認定せざるを得なくなった。

 その後、彼の後を追うために差し向けたシェリングドーラたちも、すべて挑発行為の後に破壊されてしまう。

 そして彼は、まるで嘲笑うかのように生命反応を消してしまったのである。

 

「いかがいたしましょうか」

「……とりあえず見失ってしまったものは仕方あるまい。素直に捕まってくれるなら良かったが……本気で抵抗するフェバルをあんなもので捕まえられるなどとは最初から思ってはいなかったさ。再び捕捉した場合は、特別製のNo1.フォアデールに任せるか……私が直接相手をしよう」

「大丈夫なのですか?」

「案ずるな。私は文官だが、戦えないわけではない。知っているだろう?」

「ええ。まあ……」

「目には目を。フェバルにはフェバルを、ということだ」

 

それも、星撃級兵器が本星より送られてくるまでの間の話だと、彼は内心で付け加える。

 

 双方にとっての不幸は、ユウが平常フェバルとして規格外に弱いということが、結局はダイラー星系列に事実として把握されなかったことだろう。

 ユウは、彼らの言うよほどの田舎者だった。

 ユウ当人にとっては、のっけのシェリングドーラから殺しにかかっているとしか思えない凶悪布陣であったため、形振り構わず全力で向かうしかなかったわけだが……。

 下手にジルフの《センクレイズ》を使用してしまったことで、それが彼の隠し持っていた本来の実力であると誤解されてしまった。

 悲劇的な認識のすれ違いが生じてしまっていることを、どちらも知る由はなかった。



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177「世界の果ての向こう側」

[ミッターフレーション同日 ラナソール 果ての荒野]

 

 とうとう果ての荒野の最果てが見えてきた。大地は途切れ、向こうには綺麗な空が見えている。

 ランドとシルヴィアは喜び勇みながらも、仲良く手を取り合って慎重に歩みを進める。油断しているとどんな凶悪なトラップがあるかわかったものではないことを、二人は経験上身に沁みて理解していた。

 幸い何事もなく順調に進んでいく二人であったが、

 

「あら?」

 

 ふと風に違和感を覚え、シルヴィアが立ち止まって首を傾げた。

 

「どうしたよ」

 

 顔を覗き込むランドに、彼女は感じたことをそのまま話す。

 

「ねえ。なんかあっちの方、妙に空が騒がしくない?」

「んー。言われてみりゃ確かに変な感じもするなあ」

 

 レジンバークの方角である。やけに大気がぴりぴりしているなと二人は感じた。

 同時刻、ユウとウィルの凄まじい戦いによって世界は滅茶苦茶になっているのだが、遠く離れた地にいる二人には流石にわからない。

 

「ま、考えたってわからないもんはしょうがねえさ。何か起こってるんならユウさんやレオンさんが何とかしてくれるだろ」

「……それもそうね」

 

 楽観的なランドに対し、シルヴィアは妙な胸騒ぎを覚えてならなかった。だが自分でも不安の原因がわからなかったため、その場ではランドに追随することにした。

 

「それより目の前のことだ。もうすぐだぜシル!」

「ええ。行きましょ!」

 

 世界の誰もが成し得なかった偉業が目の前に迫っている。興奮を隠せない顔で、二人は最後の一歩を踏み出した。

 

 そして――ついに先端へ到達する。

 

 突然、景色が変わった。美しかった空は消えて、途切れた大地の先がその真の姿を現した。

 

「ああっ!?」

「これって……!?」

 

 ランドもシルヴィアも、圧倒され、愕然として立ち尽くしていた。

 

 ずっと夢見ていた。世界の果てには何があるのだろうと。

 

 人は、永遠の空が広がっているのだと言った。

 人は、黄金の大地が広がっているのだと言った。

 人は、神々が住まう桃源郷があるのだと言った。

 人は、果てなどなく世界は丸いのだと言った。

 

 ランドもシルヴィアも、どれでも良いと思っていた。真実を確かめること自体が宝だと考えていた。気の良い冒険者連中や町のみんなとの楽しい話の肴になればそれで良かったのだ。

 

 答えは――()()()()()()

 

 唐突に世界が終わっている。そうとしか表現しようがないほど、二人のいる地点とその先は断絶していた。

 大地はなく。空もなく。海もなく。

 無だ。どこまでも無の闇ばかりが広がっている。

 夜空ともまた違う。星の輝きなどどこにも存在しない。不気味だった。

 いかに無鉄砲な勇気に満ち溢れたランドと言えども、真の無謀は心得ている。

 この先へ飛び込んで行く気などまるでしなかった。進めば二度と戻っては来られない気がした。本当に何もないのだとしか思えなかった。

 と同時に、あれほど熱狂していた夢がすうっと冷めていくような気がした。本能的な恐怖すら覚えた。 

 世界の終わり。ここに自分たちの可能性の終わりを見た気がしたのだ。俺たちは「ここまで」の存在なのだと――よくはわからない、けれどもっと大きな何かに言われているような気がしたのだ。

 どこまでも行けると思っていた。どこまでも強くなれると思っていた。世界の果ての先にも新しい「冒険」があるのだと、無邪気に信じていた。

 向こう側は空っぽだ。俺たちは限られた箱庭の中にいる。寒々しい真実を眼前に突きつけられているような気がして。

 

「なんかよ……。こんなもんなのかな」

 

 ふらふらと立ち尽くし、込み上げてきた空寒さや虚しさを噛み締めながら、ランドがぽつりと呟いた。

 同じ思いをしていたシルヴィアも、らしくもなく弱った彼の肩を支えて頷く。

 

「夢は夢だから素敵に見えるもの。すべてがロマンチックな結末ばかりとは限らない。そういうものなのかもね」

 

 しみじみと振り返って、それから彼女はランドに笑顔を向けた。

 

「でも、私は楽しかったよ。ランドと一緒に駆け出しの頃から夢中になってさ。いっぱい無茶もしたよね」

「ああ、色々馬鹿もやったよな。俺もさ。シル、お前がいたから楽しかった」

「私も。ランドがいたから楽しかったよ」

 

 二人で笑い合う。

 ランドは思い出していた。夢の終わりが手放しで喜べないものだとしても、過ごしてきた黄金の日々までが色褪せるわけじゃない。

 帰ったらみんなに顛末を報告して、ユウさんにお礼を言って、それから――。

 

「なあ、シ――」

 

 突然、大きな地鳴りがした。いつの間にか、空は悪魔のように荒れ狂っている。

 

「なんだ!?」

「なによ!? 何が起こってるの!?」

 

 向こう側で大地にひびが入り、砕け始めた。二人のいる方向へ向かって、恐るべき速度で裂け目は広がっていく。

 ランドもシルヴィアも、あまりのことに動く間もない。逃げようにも、今の二人はパワーレスエリアにいるせいで、一般人と大差ない身体能力しかなかった。

 

 裂け目が到達するよりも早く、突然シルヴィアの足元が崩れた。為すすべなく、悲鳴を上げて彼女が落ちていく。

 

「シルヴィアーーーーーーっ!」

 

 ランドは必死に手を伸ばすも、届かない。

 

 彼女の叫び声が遠くなっていく。深い闇へと姿を消そうとしている。

 位置だけではない。彼女の存在そのものが遠く離れていくような気がして、彼はたまらなかった。己の身が引き裂かれそうだった。

 

「ちっくしょう!」

 

 ランドは頭を抱えて叫んだ。

 何が起こっているのかはわからない。だがやることは一つだった。

 

「この先何もなくたって構うもんか! 死んだって! シル、お前を一人にはさせねえっ!」

 

 シルヴィアを救うためなら、彼は迷わなかった。意を決して、彼は自ら深淵なる闇へと飛び込んでいく。

 闇を掻き分けながら、必死に彼女を探す。

 だが何も見えない。何もわからない。

 シルの声は聞こえない。どこにいるのかまったくわからなかった。

 そして、彼女の名を呼ぼうと声を出そうとして――彼はまったく声が出せなくなっていることに気付いた。

 そればかりではない。徐々に手足の感覚がなくなっていく。

 耳の感覚、肌の感覚、さらに心臓の鼓動までわからなくなろうとしていた。

 ランドはぞっとした。

 己の無鉄砲な行動に後悔はない。だがとてつもない心細さが彼を襲っていた。自分がなくなっていく恐怖。

 ついには思考までぼやけていく。心を強く持たねば、自分という存在のすべてが消えてしまいそうだった。

 

 シル……!

 

 心の内で、何度も彼女の名を呼んだ。自分はランドだと、ここにいるのだと言い聞かせながら。

 だが、無の闇は容赦なく彼の存在を削り取っていく。なぜ自分が失われていくのかも、彼にはわからなかった。

 

 シル……わりい……俺……もう……。

 

 意識が闇に溶けようとしていた――そのとき。

 

 …………!?

 

 ランドは驚いた。驚くことができた。

 どこからともなく、淡い光が彼を包み込んだ。温かな光だった。

 消えかけていた彼の意識がはっきりしていく。心臓の鼓動が、遅れて手足の感覚が戻ってくる。

 

 ラナ、様……?

 

 彼はさほど信心深い人間ではない。だがその優しい温かさに触れたとき、彼の魂は不思議と彼女の意志の介在を確信していた。

 

 そして――。

 

 不意に闇が開ける。

 

 彼は満足な五体を伴って、気が付けばどこかに立っていた。知らない場所だ。

 

 街中だということはわかった。なぜ自分がこんなところにいるのかわからなかった。

 

 人の声が多い。無数の人が彼を見ている。彼は注目されている。ざわざわとやけに騒がしい場所だなと彼は素直に思う。

 不意に、癇に障る音が耳を衝いた。それを発しているのが車で、しかも一台ではなく何台も列を成していて、やかましい音は自分に向けられているのだとランドは気付いた。

 車自体は知っている。だがどれも知らない型だ。フェルノートのそれと違って、地面を走っている。やけに野暮ったい形状をしている。物珍しく、自分の置かれた状況も忘れてつい見惚れてしまうと。

 

「おい! 何ぼけっと道のど真ん中に突っ立ってんだよ! 兄ちゃん!」

「邪魔だ!」

「妙な恰好しやがって! コスプレかよ!?」

 

 目の前の何台もの車から、次々と怒声が飛んでくる。

 

「あ、ああ。すまん」

 

 意味不明の状況に半ば放心したままのランドは、とりあえず言われるがまま道を譲ってしまった。

 そうしてしまった後で、ようやく我を取り戻し、食い入るように周囲を見回した。

 ごった返すような人の群れ。窮屈に並んで走る車。ガラス張りの高層ビル。

 どれもこれも、彼が知っている世界とはまるで様子が異なっている。

 

 先ほどまで冒険していたはずだ。命がけで闇へ飛び込んだはずだ。

 シルはどこへ行った。変な夢でも見ているのか!?

 頬をつねってみるも、鈍い痛みが彼が起きていることを保証するだけだった。

 

「おいおい……。なんだってんだよ。どうなってんだよここは!?」

 

 ランドが立っている場所。

 

 そこは、現実世界。首都トリグラーブの大通りだった――。



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178「リクとランド、邂逅する 1」

 知らない町だった。魔法都市フェルノートと同じかそれよか賑やかだってのに、まったく見覚えがねえ。ラナソールのどこにもこんなところはねーぞ。

 わからねえ。あの真っ暗闇に落ちていったとこまでは覚えてる。普通に考えると、ずっと落ちてったらいつの間にかここに着いてたってことなるんだよなー。

 てことは、果てに着いたと思ってた世界の向こう側ってことなのか?

 そう考えたら、興奮を抑え切れなかった。

 

 だとしたらすげえよ! すげー発見だよ! 俺たちの冒険はまだ終わっちゃいなかったってことじゃんか!

 

 でも大事なことをすぐに思い出して、一気に落ち込む。

 

 けどシルがいないんだよな……。あいつが一緒じゃなきゃ、やっぱ素直に喜べねーや。

 

 シルはどこ行っちまったんだ? 俺が無事ってことはきっとあいつも無事なんだよな……?

 心配だぜ。のんびりしちゃいられねえ。シルを探さないとな。

 

 ……で、当てどもなく探し回ってはみてるんだけどよ。

 

 ダメだ。どこにいるかさっぱりわからねえ。そもそも人が多過ぎる。

 

 それによ。どいつもこいつも俺のことが珍しいのか、レア魔獣でも見るような目でじろじろ見て来るんだよ。歩きにくいったらないぜ。確かにこの辺で俺みたいな恰好したヤツいねえけどさ。

 でも、そんなに珍しいかよ。剣と鎧のれっきとした冒険者スタイルだぜ? 俺からしたら真っ白でぴしっとした服着てるヤツらの方が珍妙だぜ。あれモコの毛でも使ってんのかな。

 あー。もし俺の想像通りだとすると、俺の全然知らねえ文化とかなのかもしれねーな。

「郷に入れば郷に従え」だったか? ユウさんが教えてくれた言葉だ。よその土地ではよその土地のルールに従っておけくらいの意味だったか。見たとこ武器持ってるヤツはいねーし、ここは大人しくしとくか。

 

 さすがにじろじろ見られるのは気持ち悪いから、つい人目を避けるように歩いてたら、いつの間にか中心街から外れていた。明らかに歩く人が減って、道は狭くなったし、建物も派手なのが多かったのが、地味な四角い箱みたいなのがずらっと並んでる光景に様変わりだ。

 んー。妙だな。

 俺は、不思議と既視感を覚えていた。

 知らない町だと思ってたけど、やっぱどっかで見たことあるような気がするんだよなー。

 

 ――そうだ。夢でさ、しょっちゅう見るヤツ。あのうじうじした情けないヤツが見てた風景とそっくりなんだ。

 

 何となくで歩いてきたけど、無意識で覚えてんのかな?

 ちょうどこんな四角い箱みたいな形した建物がたくさんあってよ。そのうちの一つに住んでんだそいつ。で、近くの昼でも夜でも明るい妙な店で買い物したりよ。

 そうそう。例えば目の前のこんな……。

 

「おい待て」

 

 思わず声が出ちまったぜ。

 マジか。マジであったぞ。例のいつも明るい妙な店。そっくり同じじゃねーか。

 どうなってんだ。夢にしちゃ出来過ぎてねえか。

 

 興味がそそられる。

 ちょっと入ってみるか? 中じゃ確か食品とか色々売ってんだよな? ちょうど小腹も空いてきたしよ。

 けど金は大丈夫か? 一応ジット札は持ってるけど、ここで使えんのかな。わからねえ。

 

 まあいいや。とりあえず入って様子でも――ん?

 

 店に入ろうとしたとき、ちょうど出てきたヤツとばったり対面する。

 辛気臭い顔をしたヤツだ。溜息も吐いてやがる。なんか心配事でもあんのかな。

 ん、待てよ。こいつ……!?

 

「「あ」」

 

 目と目があったとき、疑念は確信に変わる。相手はぎょっとしていた。

 

「「ああああああーーーーーっ!?」」

 

 俺と件の情けない面をした青年は、互いを指さし合って叫んだ。



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179「リクとランド、邂逅する 2」

「な、ななな、はわわわわわわわわわ!?」

 

 あまりのことに、僕はユウさんへの心配も放り出してパニックになっていた。

 だだだだって、え!? どうして!? なんで僕のキャラクターが目の前に立ってるの!?

 声が裏返るほどびっくりして大声を上げていたら、その彼に口を塞がれてしまった。

 

「むぐっ!?」

「落ち着けって。みんな見てるだろうが」

 

 言われて周りに目を向けると、確かにめっちゃ見られてた。恥ずかしくなったので押し黙ると、彼も口から手を離してくれた。

 でもあなただって最初は一緒になって驚いてたじゃないですか。それにどう考えたってあなたの格好が既に注目の的だと思うんですけど……。

 文句を言いたくなったのをどうにかこらえて、大問題の人物を見つめる。

 うーん。どう見ても僕がラナクリムで使ってるキャラクターにしか見えないんだよなあ……。装備も一緒だし。ってもう普通に考えられる辺り、だいぶユウさんに毒されてるかもしれないなあ。

 万が一間違ってたら失礼かなと思いつつ、恐る恐る小声で尋ねることにした。

 

「ランドさん……ですよね?」

「おう。なんで俺の名前知ってんだよ」

 

 やっぱりかあ。そりゃ僕の作ったキャラクターそのまんまですから、とはさすがに言えないよね。

 

「そりゃあもう(僕の中では)有名ですから」

「へーえ! そうか、俺の冒険者としての勇名はこんなところまで轟いていたってわけか!」

 

 やけにわざとらしくランドさんはおどけてみせた。

 まさか自分のキャラにさん付けする日が来るなんて、変な感じだ。でも目の前にいるし。

 僕はとりあえずこの人に合わせてへらへらと愛想笑いしてる。

 するともう彼はおどけるのをやめて、真面目な顔でこっちを睨んでいた。

 

「とでも言うと思ったか? いくら能天気な俺でも、そこまで馬鹿じゃねーよ」

「あはは……」

 

 笑うしかない。どうしよう。さっぱりわからないや。どうなってるんですかこの状況。

 思ったままつい口に出てしまった。

 

「何がどうなってるんです?」

「そんなのこっちが聞きてえよ」

 

 お手上げした彼も、わけがわからず困っているみたいだ。

 

「ま、いいや。とにかくあんたは俺のことを知ってるんだよな?」

「はい。まあ」

「俺もだぜ。不思議とあんたのことは見覚えがあるんだよな。夢でだけどよ。それでつい声上げちまったんだ」

「そうなんですか」

 

 夢か。ってことはもしかして、ユウさんがやってきたって言ってた場所――ラナソールの人なのかな? 目の前の実物を見てしまうと、ラナクリムそっくりな世界の存在をいよいよ信じるしかない気分になってくる。

 

「けど名前までは知らねえな」

「僕、リクです。コウヨウ リク」

「リクか。中々いい名前だな!」

「ありがとうございます」

「あんたはもう知ってるみたいだけど、一応改めて名乗っとくか。ランド・サンダインだ」

 

 うーんなるほど。氏の方までばっちり一緒ですか。

 

 ふと周りを見ると、野次馬で人だかりまでできていた。

 

 ですよねー。やっぱりコテコテの冒険者の格好なんて悪目立ちし過ぎると思うんですよね。それに剣持ってるのによく捕まらなかったなあって。あまりに「らしい」から、まだコスプレだと思われてるんだろうなあきっと。運がよかった。

 この人見てると他人の気がしないし。そうすると、捕まらないうちにかくまった方がいいかな。ユウさんが無事戻ってきたら相談もできるし。

 そんなことを考えて、提案してみた。

 

「立ち話もなんですし、見られてますから。とりあえず家来ます?」

「おう、そうだな。助かるぜ」

 

 じろじろ見られてばつが悪そうにしていた彼も、二もなく頷いてくれた。

 

 

 とりあえず僕の家まで連れて来てしまった。ついでにお腹が減ってるということなので簡単にご飯を振る舞ったら、とても喜んでもらえた。

 

「ふう! 食った食った! 生き返ったぜ! サンキューな!」

「いえ。そんなに喜んでもらえるなら、作った甲斐がありましたよ」

 

 ユウさんに手軽で美味しいご飯の作り方教わっておいてよかったな。あの人プロ並みに上手いもんなあ。

 からっとした明るい笑顔でお腹をさする彼を見ていると、言動や性格まで僕がゲーム上で無理に演じているキャラそっくりだなあと感じる。小さなことでくよくよ悩んでしまう本当の僕が望んでも、絶対になれない姿。

 羨望と興味を持って見つめていると、彼に感付かれてしまった。

 

「どうした? またそんな辛気臭い顔してよ」

「いえ。何でもないです」

「そうか? ならいつもとは言わねえけど、もう少し笑っとけ。な。幸せが逃げちまうぜ」

「あはは。そうですね」

 

 裏のない笑顔を向ける彼に、また僕は乾いた笑みを返すことしかできない。

 

「っとそうだった、こんな呑気に話してる場合じゃねえんだ。シルを探さねえと」

「探してる人がいるんですか?」

「そうなんだよ。俺のパートナーで、シルヴィア・クラウディって言うんだが」

「えっ、シルヴィアさんが!?」

「あんた、シルヴィアのことも知ってんのか!?」

 

 驚いてつい反応してしまったけど、僕の知ってるシルヴィアさんは誰かが演じてるゲーム上のキャラクターだからなあ。たぶんこの人が言ってるのは「ラナソールの」シルヴィアさんなんだろう。

 とりあえず素直に答える。

 

「はい。と言っても、たぶん違うシルヴィアさんで」

「どういうこった」

「ラナソールじゃなくてラナクリム――というゲーム上のプレイヤーとしてのシルヴィアさんなら知ってますけど」

「は?」

 

 何言ってんだこいつって目を向けられた。思えば僕も最初ユウさんにこんな目を向けちゃったかもしれない。逆になってみるとつらいなあ。

 

「ゲーム? プレイヤー? ゲームってカードゲームとかのことか? ラナクリム? って、あのポスターに描いてあるやつのことだよな?」

 

 頭に?マークをいっぱい浮かべてるランドさんに、どこから話したもんかなと頭を悩ませていると、

 

「ついでによ。さっきから気になってたんだけど、あれってレオンだろ? あいつはここでも有名なのか?」

「えーと。あれは……」

 

 ポスターの中央にでかでかと描かれている剣麗レオンを指して言われた。

 看板キャラクターだからそりゃ有名なんですけど、また違うレオンのような気がするなあ。微妙に噛み合ってないというか。

 うーん。こうなったら直接見せた方が早いかな。でも「自分」が操られてるのを見たら、ランドさんはどう思うんだろう。

 僕だったら怖いな。寒気がするな……。

 心配で胃が痛くなりそうだったけれど、とりあえず話さなきゃ逃がしてくれそうもない空気だし……。仕方なく話を進めることにした。

 

「ちょっと待って下さい。今からそのラナクリムをお見せしますから」

「よくわかんねえけど、そいつを見たらわかんのか?」

「たぶん」

 

 これまでの様子を見てると、この人はあまり難しいことを考えるのは得意じゃない感じだ。そんなところまで再現しなくてもいいのにな。

 PCの前に案内して、電源を付ける。映像が表示された瞬間、ランドさんが少年のように目を輝かせた。

 

「おおー! これ、映像機ってやつだろ? フェルノートでも高級品だってのに、よく持ってんな」

 

 フェルノートってところは知りませんけど、それよりかもっと色々できるやつですよ。ネットとかゲームとか。

 細かいところには触れずに答えた。

 

「ここだと普通の人でも買える値段なんですよ」

「そっかー。まあ色々と常識が違うっぽいしな」

 

 スタートアップが落ち着いてから、ラナクリムのアイコンを選択。ゲーム画面が起動し――あれ?

 

「あれ、おかしいな」

「どうしたよ」

「ゲームが始まらないんです」

「ゲームって、言ってたラナクリムってやつのことか?」

「はい。今までこんなことはなかったんですけど」

 

 メンテナンスになったことはあるけど、その場合は起動画面にメンテナンス情報が表示されるはずだ。ゲーム自体が起動しないなんてことはこれまでなかった。

 おかしいよ。何が起こってるんだろう。あのひどいテロ事件でサーバーが巻き込まれちゃったとか? でもトレインソフトウェア自体は今日のテロに巻き込まれたわけじゃないし……。

 わからないや。とにかく、これじゃランドさんにわかりやすく説明してあげることはできない。弱ったなあ。

 

「すみません。見せたかったものがあったんですけど、無理みたいです」

「んー、しょうがねえな。始まらないって言うんじゃなあ」

 

 素直に引き下がってくれたのはありがたかった。

 

「申し訳ないんですけど、先にランドさんの事情を話してもらえませんか? もしかしたら僕にも何かわかるかもしれませんし」

「そうだな。あんたは悪いヤツじゃなさそうだし、いいぜ」

 

 ランドさんからこれまでの経緯を聞いた。

 やっぱり僕の予想通り、ラナソールという世界で冒険者をやってたみたいだ。

 

 ――なるほどね。聞けば聞くほど、僕のキャラである「ランド」と状況がそっくりだ。

 

 確か「ランド」は、「シルヴィアさん」と「名もなき荒野」という最先端マップに挑んでいる途中だったはずだ。「シルヴィアさん」が忙しくなったので、ここしばらくは放置気味だったんだけど。

 そして、僕たちに共通する関係も見つかった。

 

「ユウさんを知ってるんですか!?」

「知ってるも何も。俺にとっちゃ気の良い仲間で、師匠で、まあ恩人みたいなもんさ」

「そうなんですね。僕にとってもユウさんは大事な友達で――ちょっとした人生の師匠みたいなもんですけど」

 

 ユウさんもラナソールからちょくちょく来てるんですよという話をしたら、ランドさんはすごくびっくりしていた。

 

「マジかよ! ユウさんもうこっち来慣れてんのかよ! パねえな!」

 

「俺たちが初めてだと思ったけど、そうじゃなかったのか。さすがだなあ」とわかりやすく悔しがったり、嬉しがったりしている。第一達成者でなかったことは悔しいけど、知ってる人がよく来てて会えるかもしれないことが嬉しいんだろうな。

 

「いつからだ?」

「結構前ですよ。もう二年くらい前から頻繁に」

「二年前って言うと……わかった! あのときだな。俺たちを庇って穴に飲み込まれて……どこ行ってたのか気になってたんだ。そうかあれでも行けたのか」

「どうでしょう。危なかったんじゃないですかね。初めて来たときのユウさん、すごくひやっとしてましたから。あの人、色々と規格外ですし」

「あーわかる」

 

 二人で最も意見が合った瞬間だった。

 まあそれを言うと、あなたも大概おかしいんですけどね……。

 ユウさんによれば、ラナソールは「夢想の世界」なんだって。本来ランドさんはここにいるはずのない存在なんだ。

 ユウさんが来たらぜひとも相談したいところだけど……。

 

「どうやってこっち来てるんだ? ユウさんは」

「それが……何の前触れもなくいきなり僕の目の前に現れたりするんですよね」

 

 正直心臓に悪いから止めて欲しいところです。本当。

 

「いきなりか……」

 

 考え込むランドさん。何か心当たりがあるのかな?

 

「で、帰りは?」

「いつの間にかいなくなってたり、たまに僕の手を握って――」

「あー!」

 

 ランドさんは合点がいったと手を叩いた。

 

「そうか! そうか! ユウさんが俺の手を握って……そういうことか!」

 

 ランドさんは満面の笑みで、ユウさんが彼の手を握ってはどこかへ消えていることを語った。もしかしたら、彼のところから僕のところへ来てるんじゃないかって。

 そうかもしれない。偶然にしては話が出来過ぎているし、僕と「ランド」の切っても切れない繋がりを考えるなら、自然ではある。

 

「まさかそんな移動手段があるなんてなー。ん、でもどうして俺とあんたなんだ?」

「なんででしょう」

 

 考えてみよう。ユウさんはなんて言ってた。僕は今まで何を聞いてきた?

 ユウさんは、繋がりという言葉をよく使っていた。繋がりを利用してこっちへ来てるんだって。

 その繋がりはたぶん、僕とランドさんのことだ。

 夢想病は、ラナソールとの繋がりが切れてしまうことで罹るんだとも言ってた。

 具体的に何とまでは言ってなかった。言ってもわからないか、信じてもらえないと思われたんだろう。

 

 でも何の繋がりか。今ならわかる気がする。

 

「向こうの人」との繋がりだ。きっと。

 

 ということは、もしかして。この人は――!

 

 ある一つの答えが浮かんだとき。心にすとんと落ちた。

 

 きっとそうだ。僕は確信していた。

 

 でもさすがに本人の目の前で、そんな残酷なことは聞けなかったんだ。

 

 あなたは、僕の夢ですか? って。



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180「リクとランド、邂逅する 3」

 もしかすると、目の前のこの人は儚い存在なのかもしれない。

 

 ……このことは、ユウさんに相談するに留めることにしておこう。

 

「またどしたよ。変な顔して」

「い、いえ。何でも……」

「いいけどよ。あんまり隠し事は感心しないぜ?」

 

 さすがに言えないよ……。

 

「そ、それより! これからのこと考えませんか?」

「おっとそうだった! シルを探さないといけねえんだ」

 

 ふう。話題を逸らせてよかった。この話題にはあまり触れないようにしよう。

 自分が夢幻かもしれないなんて知ったら、どんなにショックを受けることか……。だからユウさんもデリケートな話題にはあまり触れようとしなかったんだろうし。

 

「シルヴィアさんのことなんですけど。心配なのはわかりますけど、とりあえずユウさんが戻ってくるのを待ちませんか?」

 

 今ユウさんは、テロを起こしている連中と戦っているはずだ。けど戦いが一段落着いたら、トリグラーブに戻ってくるはず。一応後でこっち来てくれるようにメール入れておきますか。

 ランドさんは気が気がじゃないようだった。お気持ちはお察ししますよ。

 

「でもなあ。心配なんだよ。どこにいるかわからねえしよ」

「当てがないなら、余計ユウさんにも協力してもらった方がいいと思いますよ。それにランドさんが無事なんですから、きっとシルヴィアさんも無事ですよ」

「うーん……かもな。そっちが近道かもな。わかったぜ」

 

 渋々ながら、ランドさんは納得してくれた。

 ほっとくと大変なことになりそうだし、しばらくはここに泊めてあげた方がいいかな。ユウさんのところの給料が良いから、一人分の食費くらいは何とかなる。

 提案したらとても感謝してもらえました。

 

「よし! じゃあさ、この世界のこと教えてくれよ!」

「切り替え早いっすね」

「まあな。今はくよくよ心配しても仕方ねえからよ。やれることをやるんだ」

 

 この辺りの強さ、見習いたいなあ。

 

 要望通り、トレヴァークのことについて掻い摘んで色々と説明してあげた。

 彼はどんな話題にも興味津々でがっついてきて、あの「ランド」が目の前にいるんだなという実感をますます強めた。眩しいなとも思う。

 ラナクリムのことも「伝説の物語」になっているとして、オブラートに包んで話した。ラナクリムは聖書の物語をゲーム化したものだから、あながち嘘じゃない。

 話を聞いている間、ちょっと神妙な顔をしていた時間もあったけど、そこまでショックを受けたような顔はしていなかったから、真実には気付かれていないと信じたいところだ。

 

「そうだ。外も案内してくれねーか? ついでだし、色々見ておきたいんだ」

「じゃあまずその恰好ですね。目立ち過ぎるんで着替えましょう。剣も外して下さい」

「剣もか」

「当たり前じゃないですか。ここで本物の剣なんて持ってたらいずれ捕まりますよ」

「ま、しょうがねえか。郷に入れば郷に従えってユウさんも言ってたからな」

 

 もう少し渋るかと思ったら、あっさり剣を手放したので拍子抜けだった。剣って冒険者の命みたいなもんじゃなかったっけ?

 

「お、意外って顔してるな?」

「うぐ。わかりやすいですか」

「結構顔に出やすいぜあんた。ま、前は剣ないとどうしようもなく困ったんだけど、今は代わりの手段があるからな」

「へえ。そうなんですね」

 

 どうやら「ランド」そのままではないみたいだ。僕の知らないスキルとか持ってるのかな。

 

 着替えは驚くくらい僕のがぴったりと合ったので、新しく買う必要はなかった。よく考えたら「ランド」を設定するとき、特に身長体重弄ってなかったもんなあ。

 せっかくなので観光も兼ねて、色んなところを紹介しつつ回ってあげた。

 世界で大変なことが起きていても、目の前のことでなければ人は案外気にしないものだ。終末教の暴動もぼちぼち終着しつつあることもあって、人通りに大きな影響はないみたいだった。

 ここでもランドさんは、子供のような純真な冒険心でもってあらゆる物に興味を示していた。野郎二人のデートなんて何が楽しいんだと最初は思っていたけど(ハルちゃんやシェリーちゃんを誘えたらよかったなと思ったのは内緒です)、あまりに彼が楽しそうなのでこちらまで当てられて楽しいような気がしてきてしまう。

 帰りは銭湯に寄って行った。ちょうど目の前を通りかかったので紹介すると、ランドさんが「親睦を深めるには裸の付き合いも大切だぜ!」と言って聞かなかったからだ。

 そこで僕は……圧倒的な敗北感を覚えた。ナニがとは言わない。……くっそー。そんなところまで理想じゃなくたっていいじゃないですかー!

 

 帰宅し夕食もとり、色々と話をしながら、いよいよ就寝というとき。

 

「ん……?」

 

 ランドさんがぴくりと反応した。

 

「どうしたんです?」

「いや……ユウさんの気を感じるようになったんだ。ずっと遠くだけどよ」

「気? そんなものが読めるんですか?」

「おう。他ならぬユウさんに修行を付けてもらったおかげでな」

 

 修行の間はずっとユウさんの気ばかり読む訓練をしてたから、あいつの気だけはやけによくわかるんだと彼は言った。

 へええ。ファンタジーだなあ。なるほど師匠ってそういうことですか。あの優しくて親切なユウさんに手取り足取り教えてもらうなんて羨ましいなあ。

 そう言ったら、滅茶苦茶引きつった苦笑いを返された。なんでだろう。

 

「けど妙だな。いつもよりずっと弱々しいっつうか。元気がないみてーだ」

「ユウさん、今こっちでテロと戦ってるんですよ。何かあったのかな」

「そうだったのか……。にしたって弱り過ぎだろ。さすがに心配だぜ」

 

 彼は少し考え、決断する。

 

「リク。悪いけど泊まるのはやめだ。時間かかるだろうけど、ちょっくらユウさんのところ行ってくるぜ」

「わかりましたけど……大丈夫なんですか? 武装なんかして行ったら捕まりますよ」

「わかってる。替えの服と地図と非常食を頼む。後は自力で何とかするさ」

 

 言われたものを用意すると、ランドさんはそれらを使い込んだ革製カバンに詰め込んだ。

 

「短い時間だけど世話になった。行ってくる」

「ユウさんと無事会えたら、またここに帰って来て下さいね」

「おうよ。色々三人で話してえこともあるしな」

 

 やっぱりランドさんも色々と気になることがあるみたいだ。

 

「またな」

「はい。また」

 

 僕は再会を祈りながら、姿が見えなくなるまで手を振って彼を見送った。願わくばこの出会いが儚いもので終わりませんように。

 

 振り返ってみると、ランドさんが出発したのはここしかないタイミングだった。

 

 なぜなら翌日から――ランドさんだけじゃない――ラナソールの怪物たちが我が物顔で世界中を闊歩し。

 そして、僕たちの町は――いや、全世界はダイラー星系列なる侵略者の支配下に置かれてしまうのだから。



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181「赤髪の少女、ラナソールへ 1」

[ミッターフレーション同日 惑星トーラロック]

 

「……始まった!」

 

 いずれ世界が壊れる決定的な何かが起こるのだと、赤髪の少女は知っている。

 だがそれが正確にいつであり、詳細に何が起きるのかまでは彼女は知らない。

 

 ぶつかり合う二つの巨大な力を感じて、彼女は身震いした。直接的にせよ間接的にせよ、幾度となく自分の命を脅かしてきた恐怖が嫌でも蘇ってきたからだ。

 

 黒の力。あらゆる負の想いを源にする、最も強くて哀しい力。

 

 一つはウィルお兄さんだ。ウィルお兄さんの力が暴走してる。何が起きてるの?

 

 そしてもう一つは……黒のユウさん!?

 

 彼女は混乱する。あのとき、ユウくんにすべてを託して消えたはずじゃ……?

 

 そっか。あれは彼の力の残滓。一度は託した力を使ってまで。

 彼女は理解した。今このときがそれほどの重大局面なのだと。

 とても手出しできるレベルじゃない。見守るしかないまま戦いは進行していき、やがて、

 

「あ……あ……」

 

 それが現れたとき、彼女はその場で崩れ落ちないようにするのがやっとだった。両腕で震える身体を抱きすくめる。

 

 アル。始まりのフェバル……!

 

 彼女にとってもすべての始まりにして、長い旅のきっかけとなった人物。

 

 どうして。まだ復活は先のはずなのに。このままじゃ……!

 

 黒のユウさんが存在のすべてを賭けてまで残してくれた時間が、失われてしまう!

 

【運命】に直接対抗できる者は、星々や星脈の理を外れた『異常者』――あたしたちだけ。

 今はまだ少ない。まだ足りない。

 人も。時間も。力も。

 この「絶望の時代」に、アルが完全な形であたしたちの宇宙に再臨するようなことがあれば。

 本物の黒のユウさんがいない今、彼を止められる者はいない。

 ユウくんたちがこれまで繋いでくれた希望が。これから長い時間をかけて守り育てていくはずの未来が。

 あたしだけじゃない。すべての可能性が、生まれ育つ前に消されてしまう!

 

 黒のユウさんは全部わかっていて、またすべてを賭けて止めようとしているんだ。

 あたしも何か手伝わなくちゃ。絶対に止めなくちゃ。彼の復活だけは……!

 

 彼女はこの場において、最優先に為すべき自分の使命を理解する。

 

 でも、何をすれば良いの。

 

 さすがに今のユウくんよりは強いとしても、フェバル級――しかもトップレベルの戦いに介入するのは自殺行為。アルのことは黒のユウさんに任せるしかない。

 

 迷っているうちに、事態は進展していく。

 

 ラナソールは、壊れようとしていた。

 

 世界の理が乱れた……? 今なら――飛べる!

 

 必死だった。無鉄砲だった。向かった後のことはあまり考えていなかった。

 実質彼女にしか操れない最高難度の術式魔法を展開し、星間移動魔法を行使する。

 

 光に包まれて現れた彼女の目に映ったのは、今まさに崩れゆく白麗の城と、

 

「げ。やば」

 

 よりによって最も会いたくない人物の一人――ヴィッターヴァイツが高笑いしているところだった。

 突如として現れた気配に、彼も笑いを止めて振り向く。

 

「ん、貴様……」

「マジ勘弁っての!」

 

《ファル=ゼロ=ブレイズ》

 

 フェバル級との戦いで、戦おうと思ってから構えて動くのでは遅過ぎる。

 数瞬も猶予を与えれば、身体能力で圧倒する彼らは容易く命を奪ってしまうことだろう。

 彼女なりに対策はしていた。

 術式魔法のプログラムを利用する。

 敵と認識しただけで自動発動するように予め設定しておいた風の大砲が、即座に撃ち放たれた。

 この時代においては超上位すら超える禁位魔法にも匹敵する威力であるが、フェバル相手に殺傷力はないに等しい。ただし、名の通り発動から命中までタイムゼロにも等しい速射性と、強烈なノックバック性能に関しては特筆すべきものがあった。

 完全に不意打ちを食らう形になったヴィッターヴァイツは、さすがに避けること叶わずもろに吹っ飛ばされた。

 それだけならば、彼女の死をほんの少し先延ばしにするだけの行為に過ぎなかっただろう。

 だが、吹っ飛ばされた彼の先には、空間に闇の穴が開いていた。

 彼女は周囲の環境を即座に理解し、利用してみせたのである。

 ヴィッターヴァイツは穴に落ちていく。有頂天から一瞬で突き落とされた彼は、完全にぶちキレていた。

 

「貴様ぁ! またかぁ! いつも良いところで邪魔しやがって!」

「はいはいさようなら~」

「絶対にただでは死なさんぞ! 覚えていろよぉぉぉ……!」

 

 よほど感情を逆撫でされたのだろう。らしくない叫び声とともに、彼は闇へと吸い込まれて消えていった。

 

「ばーか。もう二度と会いたくないわ」

 

 捨て台詞を吐いた彼女も、まったく余裕はない。彼の圧倒的な気に当てられて、全身冷や汗を掻いていた。

 気配も完全に消えてから、ようやく一息胸を撫で下ろす。

 毎度のことながら、フェバル級と渡り合うのは一瞬一瞬が命賭けである。

 

 彼女はとりあえず周囲を見渡した。

 ラナソールはいたるところに時空の穴が開き、世界はバラバラのパーツに分かたれようとしている。無事な場所を探す方が難しい状態だった。

 

 なんてひどい……。

 

 胸を痛めながらも、彼女は自分に何かできることはないか探す。

 

 そうだ。ユウくんは……。

 

 もし見つけても、今は会うわけにはいかないけれど。

 とりあえず気を探ろうとしたとき、

 

「またお前か」

 

 背後から彼女のよく知る声がかかってきた。

 

「ウィルお兄さん!」

「おに……その呼び方はやめろ」

 

 ばつが悪くて顔を背けた彼を、彼女は笑顔と共に視線で追いかける。

 

「あ、もういつものお兄さんですね」

 

 目つきこそ悪いままであるものの、人間らしい瞳を取り戻した彼を認めて、彼女は嬉しそうに頷く。

 おそらくアルの力が抜けたことによるのだと、即座に正しい理解もしていた。

 

「なるほどな。お前がよく知ってるのは今の僕ってわけか」

 

 ウィルもウィルで彼女の正体を既に確信しているため、不機嫌ながら納得した顔だった。

 

「えへへ。察しが良いですね。さすがウィルお兄さん」

「だからその呼び方は……はあ。もういい」

 

『世界の破壊者』である自分に裏のない笑顔を向けるのは、彼女くらいのものである。

 ……いや、「であった」か。

 ともかく、恐れのない瞳にじっと見つめられて、毒気が失せてしまった。

 それにおそらく、彼女は無駄なところで強情なのだとウィルは理解した。こいつは何を言っても無駄なタイプだ。

 

「もう破壊者じゃないってことですよね」

「……そういうことらしいな。これでもまだやろうと思えば世界ごと吹っ飛ばすことはできるが」

「やめた方がいいと思いますよ。不安定な現状でそれやると、何が起こるかわかりませんから」

「ちっ。ヴィッターヴァイツめ。本当に余計なことをしてくれやがって」

 

 怒りを交えて舌打ちするウィルに、彼女も同調する。

 

「何をしてくれたんですか? 彼は」

「あいつはな。世界の要たるラナを――そうか」

 

 現状を先延ばしにする案を思い付いた彼は、彼女に改めて向き直った。

 

「おい。お前」

「お前じゃないです。アニエスって呼んで下さい」

「名乗ってなかっただろう」

「そうでしたっけ?」

 

 舌を出してすっとぼける彼女に、こいつぶん殴ってやろうかとウィルは思ったが、時間がないので我慢した。

 

「……アニエス」

「はい」

「あの城のバルコニーで死にかけてる女を助けてやれ」

「えっ!? あ!」

 

 ラナの消えかけている命の灯にようやく気付いたアニエスは、みるみるしゅんとなり、青ざめていった。

 気の扱いの方は専門者ほどの修行はしていなかったことと、ウィルのあまりに強い気が微弱な気配を誤魔化してしまって、よくよく注意しないと気が付かなかったのである。

 とにかく、下らないやりとりで時間を無駄にしている場合ではなかったと彼女は気を引き締める。

 

「でもあたし、回復とかは……」

()()()()の継承者は、お前なんだろう?」

 

 確信をもって睨むほどの強さで見つめてくるウィルに、アニエスも真剣に頷く。

 

「はい。お兄さんが遺してくれたものは、あたしが受け継ぎました。ですが、あれは……」

 

 軽々しく使えるものではない。下手に使用すれば、あらゆる事象を滅茶苦茶にしてしまう恐れがある。

 彼女自身、「過去と未来を正しく繋ぐ」という目的に対してのみ使用するという枷を自らに厳しく課している。

 

「僕が許す。時間がない。急げ」

「はい!」

 

 彼が許したからどうなんだと彼女は若干思ったが、有無を言わせぬ威圧と共に告げられて、彼女は勢いのまま頷いた。

 

「ウィルお兄さんは?」

「僕は穴の向こう、アルトサイドへ行く。黒の旅人とアルはそこにいる。おそらく――トレインもな」

 

 それだけ言うと、彼はもう語る暇はないとばかりに、世界の穴の一つへと身を投じていった。

 大事な役目を託されたアニエスも、急いで倒れるラナの元へと向かった。

 

 あまりに凄惨な彼女を状態を目の当たりにして、俯いてしまう。

 

 なんてひどい……。お腹に風穴を開けられてる。心臓まで。

 

 けれど今回に限っては、不幸中の幸いだったと言える。

 ヴィッターヴァイツは、あえて見せしめにするために惨たらしい殺し方を選んだのだろう。

 跡形もなく消し去るような方法だったら、助からなかった。あたしの魔法には、死を超越するほどの改変力はないのだから。

 身体が残っているのなら。まだ彼女のすべてが完全に死んでいないのなら、助けられる!

 アニエスは目を瞑り、全神経を込めて集中した。いかに膨大な彼女の魔力であっても、この魔法を行使するためには、そのほとんどを一度に使用しなければならない。

 

 集中しながら、彼のことを思い起こしていた。

 

 なぜウィルお兄さんは、この魔法を未来の誰かに託したのか。ラナさんの治療をあたしに託したのか。

 後者については、あまり難しくはない。ラナさんに触れてみてわかった。

 彼女には、()()()()()。100%夢想で構成された存在だった。

 おそらく、通常の人間と同じ方法で回復させることは不可能。あたしの力か、何か別の特別な力が要る。

 前者については、どうだろうか?

 ……きっと、使うこと自体はあの人にもできるのだろう。ウィルお兄さんは、割と何でもできちゃう人だから。

 だけど……。

 これまでの旅で、彼女は薄々気付いていた。気付いてしまった。

 そのことを考えると、彼や黒のユウさんの無念を思うと、どうしようもなく悲しくなってしまうのだ。

 

 あの人たちが使っても、まったく意味がなかったのではないだろうか。

 

【運命】の支配力が、彼らの行為を、意志を、すべて無意味にしてしまうから。

 

 この魔法が正しく効力を発揮するためには、フェバルでも星級生命体でもいけない。

 

 第三の超越者――俗にいう『異常生命体』であること。

 

 あたしは、生まれたときから異常な力を持っていた。この魔法を正常に行使するだけの魔法の才能を持っていた。

 そのために、アルに永遠と命を狙われることにもなってしまったのだけれど。つらいこともたくさんあったけれど。その分、素敵な出会いもたくさんすることができた。

 

 目を開く。準備はできた。

 

 今から使うのは、究極とされる時空魔法。

 

 ラナさんの状態を、致命傷を受ける前に巻き戻す。

 

 お願い。届いて!

 

《クロルエンダー》



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182「赤髪の少女、ラナソールへ 2」

 ラナを柔らかな光のベールが包み込む。

 アニエスは繊細かつ慎重に彼女の時間を巻き戻していった。

 時空魔法として究極の効果を持つ《クロルエンダー》は、同時に最高の使用難度を誇る。制御を誤れば、対象の時間を進め過ぎたり戻し過ぎてしまうのはまだマシな方で、対象ごと時空に穴を開けて消滅させてしまったり、対象の因果律を破壊し「最初から存在していなかったこと」にしてしまうことすらもあり得るのではないかと彼女は恐れていた。

 すべては想像でしかないが、失敗を試すことなどとてもできない。ゆえに彼女は細心の注意を払い、この魔法に関してだけは一度も失敗させたことがなかった。

 やがて、ラナの傷が一瞬で塞がり、顔には生気が戻る。裏を返せば、ヴィッターヴァイツの一撃が瞬時に致命たらしめたということでもある。

 ラナが目を覚ます。彼女は驚いた顔でアニエスを見つめ、それから胸に触れて穴が塞がっていることを確かめ、また驚いていた。

 アニエスは、ラナが助かったことにひとまずはほっとする。不安にさせないよう、人当たりの良い柔らかな微笑みを浮かべて話しかける。

 

「あたしが治しました。お具合はどうですか?」

「…………」

 

 ラナはやはり喋ることができなかった。申し訳なさそうに目を伏せるばかりだ。

 そんな彼女を、アニエスは大いに驚きと困惑をもって観察していた。

 

 ユウくんから旅の餞別として借り受けたものはいくつかあるが、その中の一つに【神の器】がある。

 さすがにユウくんオリジナルのそれと効力は比べるべくもないが、《マインドリンカー》の効果を特別に引き上げることによって貸し与えられたそれは、遠く離れた時空においても彼(彼女)との繋がりを確かに感じさせる心強いものであった。

 とりわけ人の悪意に関しては鋭敏に働き、アルの【神の手】による追跡をも退ける。何度命を助けられたかわからない。

 ゆえにアニエスは、過酷な一人旅においても真に孤独であると感じることはなかった。

 この旅はユウくんを助けるためのものであるが、同時にユウくんに助けられてきた旅でもあった。

 

【神の器】の重要な効果の一つに、『相手の心を読む』というものがある。アニエスが困惑していたのは、常に伝わってくる感情があまりにも強く、そして純粋だったからだ。

 

 あまりにも深い哀しみ。

 

 何も事情を知らないアニエスであっても心揺さぶられてしまうほどに。およそ通常の人間が持ち得ない純粋な感情だった。普通の理性を持った人間ならば、思念はもっと雑然としているものだからだ。目の前の彼女はそう、まるで無垢のよう。

 一向に口を開こうとしないラナであるが、しかし何かを言いたそうな目をしているのは容易に推察できた。

 

「もしかして、喋れないんですか……?」

 

 また申し訳ない顔で、こくこくと頷くラナ。アニエスはいたたまれない気持ちになった。

 アニエスは考える。ラナソールという世界の名の由来ともなった彼女であるから、間違いなく事態の鍵を握っているだろう。

 しかし、本来いるべきではない自分がどこまで関わって良いものかとも悩む。

 少しの間逡巡して、結局明らかに過剰に過ぎない範囲で心の趣くままに関わってみようと決めた。自分だからこそできることもあるだろうと考えて。

 

「ちょっと触れますけど、いいですか?」

 

 再びこくんと頷いたラナの額に、アニエスは手を触れる。

 身体に直接触れることで、より深く心の情報を得ることができる。相手との触れ合いを大切にするユウくんらしい力だなとアニエスは感じていた。

 ……密着度合いが上がるほどより精度が高くなるのは甘えん坊の影響なのかなと言うと、彼(彼女)はわかりやすく動揺して恥ずかしがっていたけれど。

 

 そして、アニエスは信じ難いものに触れた。

 

 感情だけだ。伝わってくるのはただ、悲しいという感情だけ。

 そこに理性や事実の裏付けはない。いや、抜け落ちているというべきか。ラナはそのことすらも悲しんでいるように思えたからだ。

 

 なんてこと!

 

 こんなことは初めてだった。

 

 ラナさんという人の形をした器には、ほとんど何も入っていない。人の言動や心を感じたままに捉えることができるだけ。

 決定的に「情報」が欠けているのだ。個人としての理性、記憶――中身というべきものが。

 そして理解する。

 永い時を、ただ生きてきた。生かされ続けてきた。本人は何もわからないまま。何が悲しいのかもわからないまま。

 下界の人たちとまともに触れ合うこともできず。ただ眺めるだけで。

 ラナソール世界の――象徴の女神として。

 

 それは、どれほど寂しいことだろうか。

 

「どうして、こんな……」

 

 動揺し悲しみに暮れるアニエスを、ラナはわからないなりに慰めようとしていた。

 ラナの手が伸びて、アニエスの頬に触れる。慈愛に満ちた目でアニエスを撫でる。

 ほとんど何もわからないのに、なんて健気なのだろうとアニエスは余計にいたたまれなくなった。

 きっと元は心優しい人間だったのだろうとも思う。

 

 この可哀想な人のために何かしてあげられないだろうか。せめて何が悲しいのかくらいはわかってあげられないだろうか。

 アニエスはまた思う。それを理解することが、もしかすると世界の――

 

 ――危ないっ!

 

 思考を中断し、アニエスはラナを抱きかかえて飛行魔法で飛び上がった。

 直後、巨大な瓦礫が二人のいた場所に降り注ぐ。バルコニーの床は抜けて、灰色の空へ落下していく。

 元は天井だったものが、二人を押し潰そうとしていたのだ。

 

「ふう。危ない危ない」

 

 間一髪だった。

 

 しかし気を休める暇はない。

 彼女を治しても、一度壊れてしまった世界が元に戻ることはなかった。

 速度こそ緩やかになったものの、未だ世界は崩壊を続けている。

 いたるところに開いた空間の穴が時空嵐を引き起こし、二人を容赦なく飲み込もうとしている。フェバルほどの力を持つならまだしも、アニエスが飛び込んで無事でいられる保証はない。

 眼下では、ちょうど先ほどまでいた場所――美しかった浮遊城ラヴァークが、見るも無残な姿で崩れ落ちていくところだった。

 大陸が分かたれ、既に空に浮かぶ孤島のようになった大地も、着実に砕けていく。海は滝のように流れ落ちていく。

 無事なところなどどこにあるというのだろう。

 心の声に耳を澄ませば。おびただしい数の悲鳴と助けを求める声が、彼女の心を突き抜けていく。

 感受性の決して低くないアニエスの目からは、涙が零れ落ちていた。

 ラナさんを抱えている。溢れる涙を拭うこともできないまま、思う。能力を分けてもらったあたしでこんなに辛いなら、本来の持ち主はどれほど――。

 つい探し求めてしまったとき、能力が慣れ親しんだ彼の気配を捉えた。

 

 瞬間、身の凍るような衝撃が彼女の心を打ちのめした。

 

「っ……!」

 

 嗚咽を上げてしまうのを堪えることはできなかった。

 

 身も心もぼろぼろになったユウくんが、闇へ落ちていく。

 絶えず伝わってくるのは、深い絶望感と自分自身へのやるせなさ、己の過去への恐怖――そして、喪失感。

 

 ユイさんの気配がない……。

 

 アニエスは、彼に何が起きているのかをおおよそ理解した。無残に敗れ、大切なものを失った「あたしの英雄」が、どれほど失意の底にいるのかを。

 

「ユウくん!」

 

 アニエスは、涙声で叫んでいた。

 できることならこの手で助けてあげたかった。きっと大丈夫だよって伝えてあげたかった。ユイさんのことも。

 けれど、そんなことは絶対にできない。許されない。今ここで介入すれば、きっと「道」が途切れてしまうから……。

 

 どうして。どうしてなの! どうしてそこまで!

 わかっていても恨まずにはいられなかった。

 ユウくん。黒のユウさん。どうして【運命】は「ユウ」たちにかくも過酷な人生を強いるのか。

 ……わかっている。最大の敵となり得るからだ。放っておけば、いつか自分たちが敗けてしまうほんのわずかな可能性を恐れているんだ。

 だから二人とも、「ユウ」を徹底的に叩き潰さずにはいられない。

 アニエスは知っている。その徹底したやり方が皮肉にも黒のユウさんという怪物を生み出し、また数々の試練がユウくんを飛躍的に成長させていることも。

 すべてを乗り越えなければ、塵の一つも勝ち目などないことを。

 だから。それをわかっているから。アニエスは、衝動的に向かおうとした自分を辛うじて抑えた。ユウくんの芯の強さを信じた。

 

「大丈夫。きっと大丈夫だから」

 

 祈りを込めた呟きは、風に溶けて消えた。



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183「赤髪の少女、ラナソールへ 3」

 断腸の思いでユウくんを見送る決心をして、あたしはラナさんを抱えたまま空に浮かんでいた。

 ラナさんは、涙するあたしと崩れてゆく大地を交互に見つめて、泣きそうなほど悲しい顔をしている。

 あたしは耐え難い無力感を覚えていた。

 壊れゆく世界に対して、何ができるというのだろう。

 さすがに世界すべての時間を巻き戻すなんてことは不可能だし、たとえできたとしてもそれをあたしがすることが正解とは思えなかった。

 フェバルであれば何かができたかもしれない。いかに『異常生命体』と呼ばれるカテゴリであっても、純粋な強さや能力で言えば自分は遥かに人間寄りの存在だと、あたしは自覚している。

 確かにフェバルであるユウくんの力は借り受けている。けれどあの人は……フェバルと言っていいのかどうか。

 ユウくんの力は、純粋な意味での力としてはほとんどどのフェバルよりも遥かに弱い。この場面でどう使えるのかはわからなかった。

 あたしは事態の進行を見守るしかなかった。

 

 ――ラナさんが、決意を込めた瞳をこちらに向けるまでは。

 

 

 ***

 

 

 ラナは壊れゆく世界を見て、無性に悲しいと感じていた。

 なぜかはわからない。

 自分のことを見上げていた者たち。自由な彼らをどこか羨ましいと感じたこともある。

 なぜかはわからない。

 永い間、彼らから親愛と尊敬が向けられていた。好ましいものだと感じていた。

 なぜかはわからない。

 今、世界は壊れている。彼らは苦しみ、死に瀕しようとしている。

 自分は何ができるだろうかと感じた。

 なぜかはわからない。

 自分ならばできると感じた。

 そして、守らなければならないと感じていた。

 

 ――たとえこの身を賭けてでも。

 

 

 ***

 

 

「ラナさん……?」

 

 あたしは驚愕とともにラナさんを見つめた。突然彼女の身体が神々しい光を放ち始めたからだ。

 ラナさんに触れていたあたしには、彼女の想いが流れ込んできた。

 理解できてしまった。

 先ほどまでほとんどなかったはずの彼女の意志を。彼女がこれからやろうとしていることを。

 どうしてそれをすべきなのか、しようとしているのかさえわからずに。必要だからって。せっかく助かった命を懸けてまで……!

 

「ダメだよ! ラナさん! 早まらないで!」

 

 強く反論するけれど、ラナさんの決意は固いようだった。

 確かに、今みんなを救うためにはそうしなきゃならないのかもしれないけれど!

 理性ではわかってしまっても、感情が許せなかった。

 

「ラナさん!」

 

 彼女はにこっと微笑むばかりで、一切の迷いは見えない。なんて強い覚悟だろう。なんて可哀想な決意だろう。

 

 強く繋がったからだろうか。また、別のものがふわりと流れ込んでくる。温かな何かが。思い出が。

 

 人間だったときの彼女の記憶。ほんのわずかに残っていた――魂の記憶。

 

 あたしは唐突に理解した。

 

 そうなんだ。ラナさんは……。

 

 今は完全なる夢想の存在。すべてが夢幻の存在。

 

 この場にいるラナさんは、これから消えてしまう。

 

 けれど……。

 

 夢想の存在であるからこそ。

 

 ラナソールから消えてしまっても、本当の意味でラナさんは死なない。消えない。

 

「彼」がいる限り。思い出がある限り。

 

 喜ぶべきなのか、悲しむべきなのかわからなかった。

 

 死ねないんだ……。

 

 ラナソールは、ほとんど壊れかけていた。今では向こうにトレヴァークの気配すら感じることができる。

 ラナさんと繋がったあたしには、彼女の思い出に満ちた現実世界が、所々うっすらと光り輝いて見えた。

 

 ……もう、ラナさんの決意は変わらない。悲しいけれど、彼女は自分自身を使う覚悟だった。

 

 なら、せめてあたしのすべきことは。

 

 ユウくんに借り受けた力。

 心を繋げる力。世界と繋がる力。

 きっと今こそ使うときなんだ。

 

 ラナさんの助けになるために!

 

「ラナさん。あたしも手伝うよ」

 

 手を差し伸べる。彼女は微笑みを湛えたまま、手を握り返してくれた。

 

 ふと思う。

 今から使うのは、ユウくんがまだ手にしていないはずの力。

 使うことは、ラナソールの一時的な延命に繋がる。「道」からは外れていない。

 きっとユウくんがこの力を手にする未来に近づくのだろう。

 あたし自身の存在もそうだけど……。原因より結果が先に来ている。

 ここで使ってしまうことで、因果律を滅茶苦茶にしてしまわないのかと。

 でも、きっと大丈夫。あたしは信じることにした。

 皮肉にも【運命】の収束力が、未来の可能性をひどく制限しているから。

 なら、あたしは利用しよう。敵の絶対的な力を逆手に取ろう。

 きっとそう簡単にはパラドックスは起きない。起こさせてくれない。それが起きてしまうことは、そのまま二人の力の敗北を意味するから。

 

 ラナさんの神々しい日の輝きに、あたしの青い力が混ざる。

 太陽のように暖かな赤と、海のように透き通った青が、美しいハーモニーを奏でた。

 

 世界のすべてに。すべての生きとし生ける者たちに、救いが届きますようにと願って。

 

 彼女の身体が光の化身と化して、霧のように消えていく。

 世界の隅々まで、ラナさんの光が広がっていく。救済の意志が広がっていく。ラナソールを越えて、闇のアルトサイドにまで彼女の光は届いていた。

 

 

 そして――世界の崩壊は止まった。

 

 

 でも不完全なラナさんと借り物のあたしの力では、現状維持が限界だった。

 灰色の空に浮かぶ無数の大陸のかけら。底なしに流れ落ちる海。世界を恨む異形の闇。

 極めて不安定な状態には変わらない。いつまた終わりが始まってしまうのかわからない。

 

 断絶された個々の小世界。たくさんのフラグメントに分かれて、ラナソールは辛うじて存在していた。

 

 それでも、人は生きている。

 

「……よし。いこう」

 

 いつまでも立ち止まってはいられない。大変な状況は続くけれど、踏める大地があるならきっと人々は戦えるはずだ。

 

 なら、あたしは次に向かうべきだ。現実世界――トレヴァークへ。

 ラナソールが不安定な今、世界の境界は曖昧になっている。今ならあたしの星間移動魔法で飛べる。

 そこで何をするかは、もう考えてある。

 

 ラナさんは消えてしまった。でも「彼」はラナさんをそのままにしておかないだろう。きっとどこかで蘇らせているはず。ラナソールのどこかかもしれないし、もしかしたらアルトサイドかもしれないけれど。

 でもそれは本当のラナさんじゃない。ほとんど器だけのラナさん。中身のない空っぽのラナさん。

 

 本当の意味でラナさんを復活させるためには――彼女自身の記憶が要る。

 そして、本当のラナさんなら知っているだろう。知らなくても推測できるだろう。

 世界の成り立ちを。今何が起きているのかを。これからどうすべきかを。

 

 ……『事態』を解決すべきなのは、あたしじゃなくてユウくんたちだけどね。

 

 でも、お手伝いならできるはず。いや、あたしにしかできないことがある。しなくちゃ「道」は繋がらないんだと思う。

 

 手掛かりはある。

 

 さっきラナさんと繋がったとき、うっすら垣間見えた彼女の思い出。

 今はもうなくても、「かつての地」には確かに思い出があるはず。

 あたしには、過去の記憶を呼び覚ます魔法がある。

 前にも使ったことがある。ユウくんならきっと気付いてくれるはず。

 

 本当のラナさんにもう一度会うために。ユウくんが本当の彼女に会えるように。

 

 あたしは、そのお手伝いをするんだ。



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184「アルトサイダーの楽観」

[ミッターフレーションから数日後 アルトサイド シェルター04]

 

「なんかっすよ。思ったよりずっとやばいことになってないっすか?」

 

 世界と自分の現状を鑑みて開口一番にぼやいたのは、『ガーム海域の魔女』クレミアだった。

 アルトサイダーの面々の顔色は芳しくない。

 彼らの計画は、ヴィッターヴァイツを利用し、ホシミ ユウを始末した(と彼らは思っている)ところまでは完璧だったと言ってもいいだろう。

 予想以上に強い抵抗に遭い、ブラウシュを始めとした五人はコテンパンにのされてしまったが、殺されたわけではない。

 気絶した彼らは、爆発に巻き込まれる前にゾルーダがしっかり回収していた。

 

「まさかあんなに派手にぶっ壊れるとはな……」

 

 ブラウシュはしかめっ面を続けている。

 彼らの計画では、世界の境界を破壊し「巨大かつ決して消えることのない安定的な」穴を開ける程度で十分だった。ラナソールとトレヴァークの境界さえ破壊すれば、彼らの現実世界における恒久的な生存は十分に保証されるだろうと予想していたからだ。

 本当の意味での世界の終わり――ミッターフレーションとは終末教の「教義」であるから、内容は極端かつ派手にするくらいでないとインパクトに欠けてしまう。過激な思考を持つほとんど誰も「もしかすると世界にちょっと穴が開くかもしれないよ」くらいの内容では感銘を受けないだろう。

 しかし実際はどうか。まさにミッターフレーションそのものではないか。

 ラナソールは、かつての楽園ぶりが見る影もない。ほとんど消滅手前の凄惨な状態になっている。

 世界の穴も開き過ぎた。ナイトメアどもまでが大量に溢れ出し、破壊本能のままにラナソールを蹂躙しようとしている。

 もちろん当初の計画では、穴の規模は限定的だった。ナイトメアの数も制限され、彼らの力で抑え込むことが可能な規模で済ませるはずだった。

 ナイトメアは未だトレヴァークには現れていないようだが、時間の問題かもしれない。そもそもが奴らの脅威から逃れることも主目的の一つであったアルトサイダーとしては、現実世界の地上を奴らが我が物顔で歩くことになれば本末転倒である。

 

「それになんだ……あのダイラー星系列とかいう連中は」

 

 比較的新顔のオウンデウスは、明らかに落胆した顔をしている。

 そう。極め付けにはダイラー星系列なんてよくわからない連中まで出張ってくる始末だ。おかげでせっかくトレヴァークで自由に力を使えるようになったにも関わらず、ろくに動くことすらできない。

 彼らの中でバラギオンとかいういかれた兵器に対抗できるのは、伝説の『剣神』くらいのものだろう。

 

「ラナがカギってのはわかっていたけどさあ……」

「ここまでとは思わなかったわねぇ」

 

 カッシードの溜息を継いで、ペトリが苦笑する。

 つまりは、想定を遥かに超えていた。明らかにやり過ぎたのである。

 

「どうしてこんなことになったんですかね」

 

 見た目は少年然としたクリフが首を傾げると、撲殺フラネイルがお手上げする。

 

「さてね。フウガさんなら何か知ってるのかもしれないけれど」

 

 当時、あの場にいるほとんどがアルトサイドで気絶した五人の世話にかかりきりになっていたか、トレヴァークの情勢に目を向けていた。

 少し目を離している間に、ラナソールは突然破滅の寸前までいってしまったのである。

 ダイゴはユウにやられて気絶していたが、ラナソールで終末教の用心棒として暴れ回っていた『ヴェスペラント』フウガ――ダイゴの片割れならば、唯一事の真相を知っていると思われる。だがラナソールが半ば崩壊してしまって以来、彼とは連絡が付かなくなってしまっていた。

 そしてダイゴも、目が覚めると黙って去っていってしまった。

 

「……まあ起きてしまったものは仕方がないだろう。これからどうするか考えないとな」

 

 全員の顔色を見渡しながら、リーダーのゾルーダがまとめた。

 とりわけ倫理観に欠けるゾルーダにとって、想定外のことで犠牲となった幾多の人々に対する罪悪感はない。

 あくまで自分たちが現在困っていることだけが最大の問題であり、いかにして自由を獲得するかが関心事だった。

 

「困りましたねほんと」

「『剣神』なんかはむしろ生き生きとし始めたけどな」

「あの人は剣を振るえる理由があればそれでいいからさ」

 

 一同が笑う。

『剣神』グレイバルドは滅多に会議に出ることはないが、いつも影ながら大きな支えになっていた。今は活発になったナイトメアを斬り伏せるため、一人闇の中を練り歩いている。

 

 彼らは和気藹々と議論と重ね、結局はしばし静観するという結論に落ち着いた。

 彼らの強みは、ほとんど誰にも存在を知られていないことである。下手に動いてダイラー星系列などに存在を察知されれば、厄介事が降りかかるのは目に見えている。最悪は殺されてしまうかもしれない。

 それに放っておけば、いつかダイラー星系列が問題を解決してくれるか、諦めて去ってくれるかもしれない。壊れかけたラナソールのこともナイトメアのことも、すべて奴らに押し付けてしまえばいい。

 これまで長い者は数千年と待ち続けてきたのだ。あと少し待つなど難しくはない。

 彼らはあくまで楽観的だった。滑稽なまでに当事者意識と切実さに欠けていた。

 彼らはいくら強さがあっても長く生きていても、元々が一般人であり、恵まれ過ぎた力に漬かり続けていたために、ゲーム感覚の延長から抜け出すことができていなかった。抜け出す機会に恵まれることもなかった。

 だから、彼らは知ることはなかったし、気付くこともなかった。

 自分たちがいかに重大な『事態』を引き起こしてしまったのかを。彼らが計画のために利用してしまった相手(ヴィッターヴァイツ)の恐ろしさを。これから利用しようとしている相手(ダイラー星系列)の厄介さを。

 そして彼らの自由どころか、もはや世界の存続すらも風前の灯火となっていることに。



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185「倒れるシズハ 心配するハル」

[ミッターフレーション同日 トレヴァーク トリグラーブ市街地]

 

 暴徒と化した終末教信者が、刃物や銃や爆弾を手に続々と攻撃を仕掛けて来る。

『血斬り女』シズハは、『奇術師』ルドラと嫌々ながら共闘戦線を組んでいた。

 互いの性格こそ水と油であるものの、ルドラが敵の動きを縛ってシズハが仕留めるという連携の相性が非常に良かったことから、激しい戦いが進むうちに自然と協力するようになっていたのである。彼女にとってはあくまで仕方なく。

 戦闘中にも関わらず、懲りずに時折歯の浮くような台詞を投げかけるルドラに、シズハは苛立ったり無視したり呆れながら、冷たい表情だけは変えずに淡々と敵を捌いていく。

 暗殺者でありながら殺しをあまり快くは思わないシズハであるが、一流のプロとして訓練されている。市民を脅かす敵に対しては、事前にマインドセットをしておけば躊躇いなく斬ることができた。

 また、非常にうざいのであるが、ルドラが時々話しかけてくるのは、彼女が気を張り詰め過ぎて疲弊しないようにとの気遣いであることを付き合いだけは長い彼女は知っている。だったら苛立たせるなとは思うのであるが。

 

 戦闘自体は順調に経過していた。敵は数こそ多いものの、個々の戦闘力は特殊訓練を受けたカーネイターとは比べるべくもない。一度に囲まれないよう気を付けて戦えば、負ける道理はない――はずだった。

 

 突然のことだった。

 

 シズハが意識を失い、その場に倒れてしまったのである。

 

「シズハ……!?」

 

 見えない特殊な糸で敵を縛っていたルドラは、彼女の異変に気付き動揺した。

 まさか撃たれたのか?

 いや。この連中如き、彼女に限ってそんな失態を犯すはずがないと断ずる。

 敵の動きを牽制しつつ駆け寄ると、シズハは血の気の失せた青い顔でうなされていた。

 身体を調べてほっとする。外傷はない。撃たれたわけではない。

 だが呼びかけても頬を叩いても目を覚ます気配はない。

 どうすべきか。

 このまま捨て置けば、狂信者の誰かに犯され殺されるのが道理だった。

 ボスの命令は終末教との戦闘である。文字通り解釈するならば、彼女の身の確保よりも戦闘を優先すべきであるが。

 しかし既に戦いは大勢が決している。自分一人が欠けたとしても、問題なく鎮圧はできるだろう。

 惚れた男の弱みもあった。捨て置くには忍びない。

 それにホシミ ユウとの関係もある。もしシズハを見捨てたなら、あいつは絶対に自分を許しはしないだろう。

 敵対した自分を生かすなど反吐が出るほど甘い男ではあるが、やるときはやる奴だと、彼は正しくユウという男を理解していた。

 ここまでをわずかな間に考えて、溜息を吐く。彼は気を失ったシズハを背負って退却することを決めた。

 

「やれやれ。こんなときに呑気に居眠りとはねえ。世話の焼けるお嬢さんだ」

 

 力なくもたれかかる寝顔を見やる。

 先代が指導していた頃――幼少時から知っているが、本当に強く美しく成長したものだと思う。

 これでもう少し自分と打ち解けてくれたり、あわよくば抱かせてもらえるなら、何も言うことはないのだが。

 まあ、無理な相談だろう。これまで自分が彼女にしてきたことを思えば。

 それに彼女には他に好きな人がいることは、既に調べが付いている。

 だが――。

 ルドラはにやりと笑った。

 胸が背中に当たるくらいは、役得ということで許して欲しいものだ。

 

 

 ***

 

 

[ミッターフレーションから数日後 トレヴァーク トリグラーブ市立病院]

 

 ハルは、動けない自分に対してもどかしい思いを募らせながら、帰らないユウくんを待ち続けていた。

 ダイラー星系列による世界制圧や、ラナソールから生物が襲来してきたことは、連日紙面を騒がせる大ニュースになっている。

 その背後で何が起きていたのかを、彼女はレオンを通じて良く知っているからこそ、今回の『事態』を誰よりも重く受け止めていた。

 彼女にとってとりわけ身近な問題は、入院患者の急増だった。

 全世界の十人に一人が意識を失ったと言われている。トリグラーブ市立病院もミッターフレーション当日のうちに満員となり、ほとんどの人は在宅看護を余儀なくされている。

 一部の医者や看護師まで夢想病に倒れてしまい、絶対的な手の数が足りていない。予定していた手術も遅れてしまう可能性が高いという。仕方ないことだと思う。

 だがそのことよりも。

 ハルは、気が気ではなかった。

 ラナソールが壊れたあの日。

 とてつもない力を持つ何かと何かがぶつかり合って、世界を滅茶苦茶にしていた。中途半端に強かったからこそ、恐ろしさが身にしみた。今まで毎日悪夢にうなされるほどだった。

 その片割れがユウ本人であると、あまりの力の異質さに彼女は気付けなかったが。もしや巻き込まれたのではないかと恐れていた。

 ユウに近しい実力を持つレオンでさえ、ただ手の届く範囲の人を守りながらどうにもならない状況に振り回されているしかなかったのだ。

 

 ユウくん……。無事だよね……? きっと帰ってくるよね? ボク、信じてるからね。

 

 無力な彼女は、ただ祈り待つことしかできなかった。

 

 そして片割れのレオンは、壊れかけた世界で必死に抗い続けていた。

 彼女が憂いている今も、襲い来る異形の闇から人々を守るために聖剣を振るい続けている。



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186「ダイゴとシェリー、出会う」

[ミッターフレーション翌日 トレヴァーク 聖地ラナ=スティリア跡地]

 

 昨日まで聖地があったその場所は、今やほとんど焦げついた大地と化していた。

 地上は爆発で吹き飛んだ建物の残骸が無残に転がっている。溶けた焼け跡からは有害な黒い煙が燻っている。地下は大部分が崩落しており、どれほどの数の人間が潰されたか、あるいは生き埋めにされているかわからない。

 少なくとも、地上に無事な人間は誰一人としていないようだった。

 

 ――いや、男が一人倒れている。

 

 だが彼は被災者ではない。むしろ加害者である。

 

 ダイゴだった。

 

「くそ。痛てえ……」

 

 脇腹から血が滲んでいる。

 すぐに死にはしないが、放っておけば致命傷になるかもしれない。

 ろくに動けなかった。ゾルーダが気付かない限りは、アルトサイドに帰って治療することもままならない。

 

 なぜ彼は動けないほどの大怪我をしているのか。

 彼自身が受けたわけではないが、もう一人の彼が受けたダメージが甚大だったためである。

 二体接続は極めて強力な恩恵をもたらすが、重大な副作用もある。

 それは、一方が受けたダメージをも接続して、もう一方にも与えてしまうことだ。

 

 フウガはあのとき、終末教の用心棒として剣麗レオンと互角の戦いを繰り広げていた。

 そして……運が悪かったとしか言いようがない。

 くらってしまったのだ。

 あの天を穿ち海を割り地を砕く謎の化け物どもの戦いの――その余波で飛んできた見えもしなかった何かを。一発を。

 不幸中の幸いだっただろう。急所への直撃は免れていた。その攻撃がもし体の中心を貫いていたら、彼は確実に絶命していたに違いなかった。

 だが脇腹を掠っただけで深く抉られてしまった。

 何が起こったのか理解できないまま、突如走った激痛のせいで戦闘継続は不可能になった。

 その場で倒れ込んでしまうと、まるで追い打ちのように足場としていた大地が崩れ出す。動けない身で墜落から逃れることはもちろん叶わなかった。

 レオンは敵だというのに手を差し伸べようとしていた。馬鹿かとフウガは、そしてダイゴは思った。本気でこちらを心配するような目も、どこか憐れむような顔も気に食わなかった。

 そして――フウガとは繋がらなくなった。アルトサイドに落ちてどうにかなってしまったのかもしれない。だとして、なぜ自分に未だ意識があるのかもダイゴにはわからない。

 重傷を負ったとき、ちょうどダイゴは目を覚まして自分のしたことの影響を確かめるためにここ聖地跡まで来ていたのだ。

 

 苦痛に顔を歪めながら、荒れ果てた世界を見せつけられる時間だけはたっぷりとあった。

 

「俺は……」

 

 一人呟くダイゴに、いつものフウガのような覇気はない。

 

 現実はクソだ。彼にはそんな思いがあった。

 退屈な世界だと思っていた。つまらない世界だと思っていた。

 世間の大勢がやりたくもない仕事をして。ラナソールという夢みたいな世界に逃避してお茶を濁す奴も多い。夢想病に倒れる奴もたくさんいる。

 ゆっくりと死んでいくことを自覚しているのに、あえて何もしない。できない。腐ったぬるま湯のような仮初の平和だけがあって、誰もが薄ら寒い演技をしながらさも大切そうに日常を演じている。上手くやれない自分のような演者は弾き者にされるか蔑まれる。ストレスばかりが溜まる。実に下らない世界だ。

 

 ならいっそ壊れてしまえばいいと、どこか投げやりに思っていた。

 いっそラナソールが現実になってしまえばいいのだ。それも大切に管理された安全安心なファンタジー世界としてではなく、力の論理によって支配される世界として。

 彼はフウガの力をよく知っていた。強者であることを自負していた。フウガとしての力を存分に発揮できるような世界が現実になるならば、さぞ楽しいだろうと思っていた。

 

 強い者が得て。弱い者が失う。

 世界はもっと単純なはずだ。殺伐としてスリルに満ちているはずだ。そうあるべきなのだと思っていた。

 その方が自分にとって都合が良かったから。身勝手な理由だ。つまみ者の小市民の理想なんてそんなものだ。

 だからあのアルトサイダーとかいう連中の計画に乗ったのだ。状況に流されるまま。あまり深くは考えずに。

 

 何のことはない。来るものが来てみれば、実際に単純だった。単純になってしまった。今やかつてないレベルで。

 

 彼にとって望むべき世界は到来したのか。否。

 

 同時に嫌というほど思い知らされた。自分も結局は弱い者の方だということを。

 本当の化け物は、フウガごときなどまったく問題にしないということを。

 ラナソールを壊した者たちの力を体感して、もう一人の自分を容易く貫いたものを痛感して、恐怖に震えてしまったのだ。

 力の論理は、まったく自分の都合の良いようにはできていない。自らも虫のように殺されてしまうやもしれない事実に。

 

 目を背けていたのは、実際に覚悟ができていなかったのは、自分の方なのではないか?

 

 下手に中途半端な力を得たことで、調子に乗って奴らに手を貸して。結果がこれだ。

 ラナソールはぶっ壊れて、トレヴァークも地獄に変わろうとしている。

 殺伐としてスリルに満ちた? 馬鹿なのか。

 そんなもので喜ぶのは、根っからのフウガや倫理観の壊れたゾルーダたちくらいのものだ。

 ダイゴは、彼らのようになり切れない自身の小心者加減にうんざりしていた。彼はいかに夢想の世界で無頼の暴れ者でも、現実ではまだ人間だった。

 

 彼自身が手を貸して生み出してしまった凄惨な光景を目の当たりにして、後悔し始めているのだ。ないと思っていたなけなしの良心が痛むのだ。

 もしかして自分は、取り返しの付かないことをしてしまったのではないかと。

 

 やがて、遠くから獣の唸り声が聞こえてきた。

 ラナクリムをやり込んでいた彼にとって、そしてアルトサイダーの狙いを知っており、起きてしまった事態の当事者であるダイゴは、唸り声がラナソールの魔獣のそれだと悟るのにさほど時間を要しなかった。

 獣は血の臭いを嗅ぎ分けているのか、唸り声は着実にこちらへ迫って来ている。

 

「……ちくしょう」

 

 自分はろくに動けないまま、ここで魔獣に殺されるのだろうか。自分が加担して皆殺しにしてしまった都市で、当然誰にも気づかれないまま。

 とんだ報いだなと思う。

 

 

「大丈夫ですか……!?」

 

 

 不意に鈴を振るような女の声が聞こえてきた。

 まさか。こんなところに人がいるはずがない。

 

 だがそのまさかだった。近寄ってきて彼の顔を覗き込むのは、年端もいかぬ少女だった。

 

「被災者の方ですね! よかった。もう誰も生きていないのかと。でもひどい怪我を……」

 

 違う。この娘は誤解している。自分は加害者だ。被災者ではない。

 だが手当しようとしている健気な少女に対して、違うのだと突っぱねるには彼は弱り過ぎていた。

 だがまともに顔を見ることもできず、目を背けてダイゴは言った。

 

「おいガキ……」

「シェリーです」

 

 凛とした声で咎められた。

 

「獣が来てる……危ないぞ……。俺みたいなおっさんなんか……放って」

「嫌です! ちょっと大人しくしてて下さい!」

 

 彼女が手をかざすと、温かな光が溢れる。

 すると、ダイゴの傷が少しずつ塞がり始めた。

 

「これは……!?」

 

 ダイゴは驚き言葉を失った。

 これは……ラナソールの回復魔法ではないのか!?

 

「おいガ……シェリー、なんでこいつを」

「わかりません」

 

 彼女自身戸惑っているようだった。

 

「ただ……こうしたら治るような気がしたんです」

 

 気にはなるが、ゆっくりと考えている余裕はない。世界の境界が壊れて繋がった影響かとひとまずダイゴは結論付ける。

 まだ本調子ではないが、立ち上がることはできる程度にはなった。どうやらなくしたと思った命を拾ってしまったようだ。

 自分を助けてくれた小娘は何者だろうか。よもやあの爆発テロの生存者ということはないだろう。外から来たに違いない。他に同行者がいないのも気になるところだった。

 

「一人でこんなところまで来たのかよ……。またどうして」

「はい。少しでも被災者の手助けになれないかと思いまして。あなたしかいませんでしたけど……」

 

 悲しげに目を伏せるシェリー。

 とんだ行動力だなと彼は感心する。

 子供らしい無償の思いやりや青い正義感からの無鉄砲な行動なんだろうが……タイミングが最悪だ。魔獣がすぐそこまで来ている。

 よく見ると、彼女はしゃんと立ってはいるものの、魔獣の声に怯えてわずかに肩が震えていた。この体たらくでよく今まで襲われずに生きていたものだ。

 さてどうしてくれたものか。ダイゴは考える。

 勝手な善意で助けてくれただけだ。礼を尽くす必要はない。助かった以上は捨て置けばよい。もう一人の自分――フウガならまずそう考えるだろう。

 

 だが……。

 

 扱いに迷っているうちに、事態は差し迫っていた。

 彼女の背後から犬型魔獣トベイロスがとびかかる。

 さほど強くはないが、動きだけはやけに素早い奴だ。

 そして間抜けな彼女は接近に気付いてすらいない!

 

「ちいっ!」

 

 考える前に体が動いていた。

 本物には及ばずとも、二体接続によって著しく強化された肉体と戦闘センスは、並みの魔獣ならば一撃で葬り去る。

 気を纏った拳の一振りが、魔獣の肉体を爆散させた。

 

「あーなんだってんだよ……くそ!」

 

 ダイゴはむしゃくしゃしていた。なぜ助けたのか自分でもわからなかった。

 一方、シェリーは始め何が起こったのかまったくわからなかった。振り返ってようやく、危うく殺されようとしていた事実と、乱れ散った魔獣の血肉に気付いて怯えた。

 だがここで泣き喚いても相手が困ると、着丈に堪えている。

 そんな彼女を見ていると、また無性にいらいらしてならなかった。

 

「おい」

「……え?」

「おい、シェリー!」

「は、はい!」

「……お前んちはどこだ」

「えっと。トリグラーブの西地区、ですけど……」

「遠いなちくしょう」

「ごめんなさい」

 

 よほど怖い剣幕なのだろう。シェリーは押されがちにすごすごと謝っていた。

 ダイゴは深く溜息を吐く。

 

 知らない奴に脳内で話しかけられたと思ったら馬鹿にされ。

 将来安泰だと思っていた同期は家族ごと無残に殺され。

 好奇心で飛び込んだライバル社はいきなり死地で。怯えていたらアルトサイダーの奴らに見い出され。

 流されるままついていったらいきなりフウガと繋がり。

 フウガになった自分は最強だと思っていたらとんだ雑魚で。

 世界の境界を壊せば自由になれると思ってやったのに後悔し。

 死んだと思ったら助かって。

 

 そして今度は、名前しか知らない小娘のお守りか。

 

 ――ああ。ままならない。人生ってやつは。偶然と理不尽に満ちている。

 つくづく馬鹿だな。何を嘆いているんだ。退屈じゃない人生を望んでいたのは自分だろうに。

 

「……行くぞ。化け物がたくさんいるんだ。離れないように付いてこい」

「えっ。あ、ありがとうございます……?」

 

 こうして状況に流されるまま、少女とおっさんの奇妙な二人旅が始まった。



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187「ただ独り旅をする」

 深い森に身を隠しながら、戦闘で疲弊した身体を労りつつ、目立たないようにかつ速やかに戦闘現場から離れた。

 今のところさらなる追手は来ていない。もし見つかっているならすぐにでも超音速の彼女らを差し向けてくるだろうから、何もないということは見つかっていないのだろう。

 それでもいつ不意を衝いて襲ってくるかわからないので、気を張らないわけにはいかなかった。行くあてをゆっくり考える余裕もなくひたすら逃げていると、いつの間にか日が暮れていた。

 今日はこの辺で野宿するか。

 能力を使いこなせるようになってからは色々と『心の世界』に持ち込んで便利にしていたから、何もないガチの野宿は久しぶりだな。

 一応イオリに分けてもらった食料はあるけれど、それほど量があるわけではない。もしものときを考えると、現地調達できるときはしておく方がいいだろう。

 本で得た知識と観察眼を頼りに、近場で食べられそうな山菜を探していく。森は素人には厳しい所だけど、慣れている者にとっては食料の宝庫だ。

 ついでに魔獣でない獣を一匹見つけたので、狩って血抜きをしておいた。これだけあれば十分かな。

 次は火を起こそう。さすがに小さい火くらいなら敵にはバレないだろう。

 

『火をおね……』

 

 ……ああ。そうだったな。

 

 ほとんど意識しないで頼ってしまうくらいずっと側にいてくれてたんだな。君は……。

 

 首を振ってどうにか気持ちを切り替える。

 ライターの類は今持っていないから……原始的なやり方でいくしかないか。

 生木なんて中々火が付くものじゃないけど。

 ステルス状態の気剣を使って木を刈り、板を作る。棒状にした気剣を両手で持ち、先端を板に添えて。

 

《スティールウェイオーバー…………摩擦》

 

 行動の自動化は単純作業に向いている。放っておいても手は無心に板を擦り続ける。

 普通の木の棒よりも熱量があることも手伝って、思ったよりは早く火が付いた。

 よし。これで山菜や肉が焼ける。

 

 板を作ったときに余った木材を串に加工して、串焼きにする。しばらく待っていると、美味しそうな匂いが立ち込めてきた。

 できたかな。

 

「あっちっち」

 

 うん。よく火が通ってるな。調味料がないからあまり美味くはないけど、いけないこともない。

 大自然のバーベキューか。こんな状況じゃなかったらロケーションを楽しめるんだけど。

 ハルは憧れてそうだよな。こういうの。

 

 ……あの子も無事かなあ。心配だ。何とかしてダイラー星系列に気付かれないようにトリグラーブに入らないとな。

 

 と言ってもどうするか。おそらくどこのめぼしい町も例のバリアで特定の窓口を除いて封鎖されているんだろう。念のため確かめようとは思うけど、普通に向かっても無駄足になりそうだ。

 となると、俺と繋がった人間のパスを利用して、ラナソールを中継して再びトレヴァークの別の場所に向かうルートはどうだろうか。俺の特殊な移動方法を連中が把握しているとは思えない。

 ……ただし、ラナソールそのものが存続しているならという絶対の前提条件は付くけれど。

 現状を確かめるためにも、一度ラナソールには行っておきたい。

 よほど小さな村とか、もっと孤立した場所だったらバリアが張られていないかもしれない。まずはそういうところでかつ俺と絆を結んでいる人を探して……。ここからだとナター湖畔のブラムド博士のところが候補としては近いか。

 まあとりあえずの方針は決まったかな。

 

 方針が決まって落ち着くと、どっと疲れが押し寄せてきた。ご飯を食べたらすぐに寝ようか。

 

 獣の肉を齧りながら、今日のことをぼんやりと振り返る。

「彼女」たちとの戦い。咄嗟に機転が利いたから助かったけど……できれば《センクレイズ》一発で決めたかった。俺もまだまだだな。

 

 そう言えば、《センクレイズ》は未完成の技なんだってジルフさんは言ってたっけ。

 ただ気剣に気を込めて斬るだけ。とても単純なのに奥が深い。不思議な技だ。

 ただ強いだけの気剣は真っ白なのに、この技を撃とうと力を込めていくと、どんな弱々しい気剣でもなぜだか青く色付いていく。

 そして、より力を込めるにつれて徐々に青みが深まっていき、威力も増していく。

 けれども、どこまでいっても青白までで止まってしまう。

 決して綺麗な深青にはならないのだと、ジルフさんはぼやいていた。

 さらに気の扱いを極めればいつかは辿り着けるのか、それとも気力以外の何かが必要なのか。わからないと言っていた。

 一つ言えることは、この技に対する思い入れそのものが技の完成度や威力に少なからず影響を与えるということだ。

《センクレイズ》は気剣の奥義にして、気力のみの技にあらず。生命の神髄は生命エネルギーという単純概念を超えて、存在というか魂というか、そういう曖昧だけど強いものまで込めて放たれるものらしい。

 もしかすると、心を司る力を持つ俺ならいつか真の《センクレイズ》を完成できるかもしれないって。ジルフさんに笑って後を任されてしまった。

 どうしたら《センクレイズ》をさらに進化させられるかなんてわからないけれど、それができたとき、俺は胸を張って強くなったと言えるだろうか。

 今後の課題であり、目標だな。

 

 そんなことを考えながら、次の串に手を伸ばそうとしたとき。

 

 こちらへ近づいてくる生命の気配を感じた。

 

 なんだろう。気配があるということはラナソールの魔獣じゃない。それにあまり強くもないようだし。

 火を怖がらない獣か。どんな奴だろう。

 いつでも動けるように身構えながら向かってくる方向を注視していると、

 

「きゅー」

 

 可愛らしい鳴き声と共に、薄汚れた白い体毛に全身を覆われた獣がぬっと現れた。

 その攻撃的とはほど遠い丸みを帯びたフォルムに、俺はほっとして警戒を解いた。

 

 なんだ。モコか。

 

 野生だ。愛玩用の小さいやつではないから、腰の高さほどの大きさはある。しかしつぶらな瞳や穏やかな気性はそのままだ。

 

「きゅー」

「はは。人懐っこい奴だな。お前」

 

 こんなに人を恐れずにすり寄ってくる野生の子は初めてだった。もしかして元は飼い慣らされていたのが野生化したとかだろうか。

 頭を撫でてやると、気持ち良さそうにしている。

 

「でもお前、どうしてこんなところにいるんだ。普通は草原にいるものだろう?」

 

 間違ってもこんな森のど真ん中にいるような習性じゃないよな。

 

「きゅーきゅー」

「……うーん。さすがにただの動物の言葉まではわからないや。ごめんね」

 

 ただ、何となく何かを伝えようとしてくれたのは理解できた。

 

「ってお前、よく見たら怪我してるじゃないか」

「きゅー……」

 

 深い毛に覆われてちょっと気付きにくかったけど、鋭い爪で引っ掻かれた形跡がある。決して浅くはない傷だ。

 薄汚れた姿と、一匹だけで普通はいないはずの森にいるという事実から、何となく背景が推測できた。

 大方突如現れたラナソールの魔獣に住処を追われて必死に逃げてきたのだろう。

 

「痛いよな。すぐ治してあげるよ」

 

 気力による治療を施してあげると、みるみるうちに傷は塞がった。

 

「きゅーきゅーきゅー!」

 

 治してもらったということを理解しているのだろう。モコは尻尾を振って喜んでいる。

 さらに近づいて顔を舐めてきた。

 

「わっ、くすぐったいって!」

 

 生臭い親愛表現だけど、悪い気はしない。

 

「きゅー」

「あはは。どういたしまして」

 

 ぽんぽんと頭を撫でてやると、ふと残りの串が目に入る。

 そう言えば、モコは鼻が良いんだったな。

 もしかしてお腹を空かしていて、バーベキューの匂いにつられてやって来たんじゃないか。

 採った食べ物にモコの毒になるようなものはないはずだ。余計な味付けはしてないし、焼いただけのものならこいつにも食べられるだろう。

 俺は串から山菜を外し、適当に千切って手に乗せてモコに差し出してみた。

 

「食べるか?」

「きゅー!」

 

 やっぱり相当お腹を空かせていたみたいだ。手に乗せた分は一口でぺろりと平らげてしまった。

 

「ほら。焦って食べなくてもまだあるからさ」

 

 元々俺一人分しか採ってなかったからまだ腹五分目だけど、目の前のモコがあまりに美味しそうに食べるものだから、見ているだけで十分な気持ちになった。

 

 一飯を共にしたモコにはすっかり懐かれて、寝るときまで一緒にいた。

 雨風を凌ぐテントなどもなかったので、正直動物の体温はありがたかった。

 

「お前も独りぼっちなんだよな……」

「きゅー……」

 

 魔獣に追われ群れからはぐれて逃げてきたこいつの境遇と、今は仲間とはぐれて孤立無援で敵から逃げ続けている自分の境遇が重なって、感傷的な気分になっていた。

 寂しかったのかもしれない。抱き寄せて白毛に顔を埋めると、温かさが心に沁みた。

 

「あったかいなあ……」

 

 ほとんど触れ合いだけのコミュニケーションだけど、一人きりで過ごすよりは随分救われた気がする。

 一人と一匹の夜は、和やかに過ぎていった。

 

 翌日。

 

 燃えた跡を片付けるときも、モコはずっと側に付いていた。

 このままだとずっと付いてきそうな勢いだ。

 でも悪いけどそういうわけにはいかない。事態は差し迫っている。モコの足に旅の速度を合わせるわけにはいかないんだ。

 出発の前、泣く泣く別れを告げることにした。

 

「ごめんな。お前とは一緒に行けない」

「きゅ?」

 

 たぶん言ってもほとんど理解できないだろう。けど、けじめも込めて俺はできるだけ正直に言った。

 

「俺、きっとお前が安心して暮らせる世界に戻してみせるから」

「きゅー」

「だから……それまで魔獣に襲われて死ぬんじゃないぞ。ちゃんと逃げるんだぞ」

 

 群れからはぐれたモコが、たった一匹で凶悪な魔獣どもから逃れて生きていく。なんて厳しいことだろう。

 ほとんど生きられないだろう。ここで別れることはほぼ見捨てるに等しいことだと、俺にはわかっていた。

 それでも、一匹のモコと世界を天秤にかけて後者を優先しないわけにはいかなかった。

 

 ――二つの世界と宇宙を天秤にかけて後者を優先しようとするウィルと何が違うのか。

 

 スケールの違いだけじゃないのか。

 わからない。正当性なんてない。きっと自分の価値観でしかなかった。エゴでしかなかった。

 俺は人間だからと、無理やり言い聞かせて。

 最後に優しくモコの頭を叩いて、せめてもの願望を託す。

 

「元気でね。生きるんだよ」

 

 そしてすぐにモコに背を向けて走り始めた。あいつが追いつけない速度で。振り返ると未練が残るから、そうしなかった。

 

「きゅ!」

 

 最後に、モコの力強い鳴き声が聞こえた。それはあいつの「生きてみせるよ」という意思表示に思えた――。



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188「そしてあの日の傷跡を知る」

 結論から言うと、別の町の周辺にも移動を制限するバリアは仕掛けられているようだった。おそらく近づいただけで見つかってしまうだろうから、遠目から確認するしかなかったけど。

 するとやっぱり孤立した場所に望みを賭けるしかないのか。

 気を取り直してナター湖まで向かう。一日のどこかで《気力反応消去》の上書きのためにパワフルエリアに寄らなければならないが、パワフルエリアに入り切るまでの道中は魔獣の密度が高いところを切り抜けなければならない。特にS級魔獣は即死クラスの攻撃を平気で放ってくる奴もいるので、毎回命懸けになる。基本的にはまともに戦り合わず、やり過ごす方針を選んだ。

 コンパスと地図と完全記憶能力による絶対距離感を頼りに、三日ほどかけてようやくナター湖に辿り着いた。

 実際の距離は全力で走れるなら丸一日もかからなかったのだけど、魔獣があちこちをうろついていること、空駆けるバラギオンや「彼女」たちの定期巡回にも警戒しなければならないので、慎重に動かざるを得なかった。神経をすり減らす一人行軍となった。

 ブラムド博士の研究所は、ナター湖の湖畔にぽつりと建っている一軒家だ。ブラムド博士は自他ともに認める偏屈家で、ナター湖の生態系について長年研究している。

 ナター湖は広さは琵琶湖ほどだが水深がとても深く、平均二千メートル以上もある。そこに暮らす生命も多種多様だ。

 彼とは依頼で湖底調査に付き合わされた件以来の知り合いで、いつも無愛想な感じだけど、彼基準では俺とはかなり打ち解けている方らしかった。事実「繋がった」のだからそうなのだろう。

 そんな彼はラナソールではガーム海域の研究をしていて、岬に似たような家を建てて研究のため張り付いている。

 研究所の近くまで来た俺は、すぐに異変に気付いた。

 おかしい。人の気配がない……。

 よほどのことがなければ彼は湖の近くからは離れない。この辺りに他に人はいないから、彼の反応ははっきりとわかるはずなんだ。

 不安を覚えつつ、研究所前の扉に手をかける。

 開いている。普段から鍵とかかけないからなあの人は。

 あまり意味はないけど、お邪魔しますと心の内で念じながら入り込む。そして二階の研究室を覗いたとき、長机にぐったりと突っ伏している彼を見つけた。

 

「ブラムド博士……!」

 

 我を忘れて駆け寄り、彼に呼びかけながら揺すった。

 内心では無駄なことだと悟っていた。

 

 だって、生命反応がないんだ……。

 

「死んでいる……」

 

 目の前が暗くなっていくのを感じながら、やがてそう結論付けるしかなかった。

 せめてもの救いは苦しんだ形跡がないことだろうか。彼は安らかに眠るように死んでいた。

 死因は容易に推測が付く。おそらくは夢想病に罹り、誰も気が付く人がいなかったからそのまま衰弱で亡くなってしまったのだろう。

 そして罹ったとすれば、あの日。

 

 そこであることに気付き、愕然とする。

 

 そうだ。あの日、俺たちの戦いで海は……!

 

 もし夢想の世界の彼が、エディン大橋の崩落や津波に巻き込まれてしまったのだとしたら。

 

 俺が、殺してしまったのか……?

 

 決して低くはない可能性に身が震える。罪悪感が胸を締め付けて、もうまともに彼の亡骸を見られなかった。

 

「ああ、あああ……」

 

 追い打ちをかけるように、世界が壊れたあの日の人々の悲鳴が次々と頭に響いて、徹底的に俺を苛む。

『心の世界』の記憶は一寸たりとも色褪せることがない。平常は多大な恩恵をもたらす一方で、ふとしたきっかけでPTSD様のフラッシュバックを引き起こすことがある。

 

「う、う……!」

 

 立ってはいられなかった。

 その場にうずくまり、何度も首を振って、催してきた吐き気を堪える。嗚咽が出そうになるのを堪える。

 これは俺の弱さが招いた結果だ。自分の力を制御できなかった罪だ。受け止めなくちゃならないんだと必死に言い聞かせて。

 

 どれほどそうしていただろう。やがて震える足を抑えながら立ち上がって、やっとのことで力なくうつ伏せるブラムド博士を見つめた。

 

 殺してしまったのかもしれない。

 だけどもう罪を確かめることすらできない。許しを乞うことも。

 真相は永遠にわからない。死人はもう語ることはないのだ……。

 

 あてが外れた以上の事実に、俺は打ちのめされていた。

 

 ……でも、もう行かないと。

 

 できれば丁重に埋葬したいけれど、タイムリミットは限られている。まだ日が高いうちは動くべきだろう。

 俺は手を合わせて冥福を祈り、研究所を離れることにした。

 

 走りながら、ずっと気分は優れない。

 前に進まなきゃいけないとわかっていても、胸の内を支配するのは後悔ばかりだ。

 モコにしてもそうだ。イオリのことも。他のみんなのことも。

 あの日俺がもっとしっかりしていれば。すべての悲劇は避けられたかもしれない。

 それでも止まらず足は動かす。頭の片隅では次の手を考えている。

 きっと俺にもできることがあると、やらなければならないとも信じているからだ。

 

 そしてさらに二日後。次のあてにしていた小集落が魔獣の襲撃により全滅しているのを目の当たりにして、俺は愕然と立ち尽くすことになる。

 

 世界を救うための旅は、あの日の傷跡を見せつけられ、また見つめる旅でもあった。



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189「突入 アルトサイド」

 集落の全滅を目の当たりにしてから、さらに五日が無為に経過していた。

 三つ目、四つ目、そして五つ目のあてがすべて無残に壊滅しているのを確かめて、俺は無力に打ちひしがれるとともに悲観的な気分になっていた。

 ある程度以上の規模の町や村は周囲にバリアが張られているから行けない。俺が狙いを付けているのは、より小規模の地図にも載らないような集落やブラムド博士の研究所のような孤立した場所だ。

 逆の見方をすれば、小規模過ぎるゆえにダイラー星系列に見過ごされ、あるいは意図的に切り捨てられて庇護を受けられなかった場所ということでもある。

 そして、そういう扱いになった場所はことごとくやられてしまっていた。

 原因ははっきりしている。

 トレヴァークという現実世界に対して、ラナソールの魔獣があまりに強過ぎるんだ。しかも「設定上」ほとんど必ず人間を襲うようにできているから、徹底的にやられている。

 トレヴァークの人間の強さは地球と大差ない。なのに地球の人間が手を焼く熊やトラを持ってきても、ラナソール基準では精々が下から二番目のD級相当に過ぎないのだ。B級以上になると大半は銃弾も通らない。いかに絶望的な差かは言うまでもないだろう。

 そう考えると、やり方は強引にせよ確かにダイラー星系列の連中はこの星の人間を直近の脅威から守っていると言えた。

 彼らの強権的なやり方は好きじゃないけど……人々を守る武力を残しておく意味でも、正面切って敵対してバラギオンや「彼女」たちをこれ以上削るような事態は避けないとな。たぶん連中はこの星の人よりフェバル対策を優先してしまうから。

 改めて隠密行動を厳守することを心に誓い、しかし移動手段に関しては方向転換を余儀なくされていた。

 既にミッターフレーションから二十日以上が経過している。ここまでの燦々たる結果からするに、都合よくどこかの小集落とかが襲われずに助かっていると考えるには時間が経ち過ぎている。

 せめてあの日からすぐに目を覚まして動けていたら、状況は違ったかもしれないけど。

 ……わかっている。過ぎたことを考えても仕方ない。

 最初の一回だけが問題だ。上手く誰かのパスを使って人のたくさんいるところにさえ行ければ、あとは点と点を結んで繋いでいけば、いずれはいくつかの町を経由してトリグラーブに行くことができるだろう。

 しかしその一回を確実な手段で行くことがどうしてもできない。

 

 だったら……非常にリスキーにはなるけれど……。

 

 最悪どちらの世界にも戻れなくなるかもしれない。できれば取りたくはなかった手段だけど、他にしようがない以上は仕方ないか。

 

 世界を移動する方法はもう一つある。それも何度か「見えてはいた」。

 魔獣はラナソールから世界の穴を通じて、直接かアルトサイドを経由してかはわからないけど、とにかくトレヴァークへやって来る。

 ということは、奴らがやって来る穴が塞がってしまう前に逆に侵入すれば、トレヴァークからアルトサイドやラナソールに乗り込むことができるんじゃないか。

 とは言っても、事は簡単じゃない。

 まず基本的にトレヴァークへ吹き出してくる方向に穴は開いているということ。トレヴァーク側から侵入するためには、抵抗に逆らって強引に突破する必要がある。穴の内部エネルギーは極めて高く、以前吸い込まれてしまったときには、急なことで用意がなかったとは言えまったく身動きが取れなかった。

 パワフルエリアの恩恵は確実に受けられるだろうけど、ガチガチに固めて行っても上手くいくかは五分五分といったところだろう。

 次に、もし入れたとしてもどこへ繋がっているかわからないこと。最悪の場合閉鎖空間で詰んでしまうことも考えられる。ユイがいればユイのところが緊急脱出口になるんだけど、ユイは今はいない……。

 最悪詰んだ場合は、フェバルであることを活用して自殺するしか……いや、それでも脱出できるかはわからないか。

 ヴィッターヴァイツは、フェバルはこの二つの世界に閉じ込められていると言っていた。あの確信的な口ぶりからすると自殺も試してみたんだろう。

 けどあのときより状況は遥かに悪化している。星脈も相当やばいことになっていると考えられるから、不用意に死んだ場合のリスクがわからない。

 ユイの所在が一向にわからないことが何よりのリスクの証拠だ……。

 だからダイラー星系列に追いかけられたときも死なないように立ち回ったんだ。

 個人的にも自殺はしたくないし、しない方が賢明だろう。

 

 ――よし。いってみるか。

 

 

 苦労しながら魔獣の攻撃を掻い潜り、パワフルエリアまでやってきた。世界の穴が開いている。

 ここまで観察してきてわかったことだけど、どうやら穴には二種類ある。真っ暗なのと虹色の妙な色合いなのだ。前者は比較的早めに閉じてしまうのに対し、後者は開いている限り魔獣が常に飛び出してくる。

 セオリーで考えるなら、前者はアルトサイド、後者がラナソールに繋がっていると考えるのが自然だ。普通なら後者に入りたいところだけど……。

 難しそうだった。魔獣の物量に塞がれてしまって、俺自身が入り込む余地がないのだ。

 前者の真っ暗な穴に飛び込んでいくしかないだろう。

 

 アルトサイドか……。

 

 俺をかばって飲み込まれていったレンクスはたぶんそこのどこかにいる。再会できればこれ以上ない戦力になるけど、上手く会えるだろうか。

 それと気になるのは、以前ハルと一緒に見たあの謎の闇の化け物だ。ラナソールが崩壊したときにもたくさん出て来たのを見ている。

 まるで世界のすべてを恨むかのようなおぞましい叫び声と、手当たり次第に破壊行為を行う凶暴な性質。出会ったらほぼ確実に襲われるだろう。いつ襲われても良いように心の準備はしておかないとな。

 

【反逆】《不適者生存》

 

 穴の奥がどれほど過酷な環境でも生存できるように、レンクスの能力を予めかけておく。念のための保険だ。

 さらに【気の奥義】を解放し、併せて《マインドバースト》も発動しておく。パワフルエリアの恩恵も相まって、トレヴァークの通常状態とは比べ物にならないほどの力が全身に満ちている。

 現状取れる最強の手を打った。これで上手くいくかどうか。

 

 闇の穴の一つに向かって走り出す。穴に近づいていくにつれて、巨大な斥力が俺を押し戻そうとする。

 やはり吸い込みの時とは逆で、ものすごい抵抗だ。気を張らないと入り込む前に体力を使い果たしてしまう。

 それでもじりじりと前には進んでいけている。きちんと準備すれば俺の力の方が辛うじて上みたいだ。

 ある程度接近した後、止めに《パストライヴ》を連発して強引に穴へと突っ込んでいった。

 

 

 ***

 

 

「ありゃ? ユウさんの反応が消えた?」

 

 ユウと再会するために旅を続けていたランドは、突然消えた彼の反応に戸惑いを見せた。

 ランドはユウの生命反応に対して、馬鹿正直に真っ直ぐ追う手段を取っていた。

 ランドが出発したトリグラーブはトレヴィス大陸中央に位置するのに対し、ユウのいた最果ての町パーサはラナリア大陸東端にある。二つの大陸は大きなルート海によって隔てられている。

 彼は今、ラナリア大陸の西端までやって来ていた。どうやって海を渡ったのだろうか。

 彼の取った手段はあまりに馬鹿正直に過ぎた。

 なんと身一つで泳いで渡ってしまったのである。

 ラナソールの上位S級冒険者という現実世界に対する冒涜的な実力が成せる業だった。同じ真似は今のユウにもできないだろう。

 魔のガーム海域と違って、危険な海の生物がそう頻繁に現れるわけでもないので、彼にとってはかなりきつめの遠泳と変わりなかったのである。

 陸地でもランドはほとんど無敵だった。世界の果てを目指す冒険の中で歴戦を経てきた彼にとって、ラナソールの魔獣どもは恐るるに足らない。

 実際、クリスタルドラゴンだろうがアゼルタイタスだろうがフォーグリムだろうが、襲ってきた奴は正面から戦い見事に討ち果たしていた。

 ちなみにラナソールの人間である彼自身、ラナソール魔獣が普通に出て来ることについては「そんなもんかな」程度の認識であったので、トレヴァークにおいてはこの上ない異常事態であることを知る由はなかった。

 そんな彼にはやはり知る由もないことであるが、二つの幸運が彼に味方していた。

 まず彼には通常の意味での気力や魔力がないため、戦いを起こしても直接目撃されない限りはダイラー星系列の探知網に気付かれることはない。

 そして彼はバラギオンやシェリングドーラが空を巡回しているのを何度か目撃しているのだが、ユウの「郷に入れば郷に従え」精神にこれまた馬鹿正直に乗っかって、襲って来ないなら自分から仕掛けることは決してしなかった。

 結果的にダイラー星系列との接触を一切避けたままここまで来られたのである。

 もしラナソールの人間である彼がダイラー星系列に捕まってしまうとろくなことにならないであろうから、彼にとっては幸運なことであった。

 

「せっかく少しずつ近づいていたのになあ。どこ行っちゃったんだよユウさん」

 

 ランドはぼやきながら、神経を研ぎ澄ませてユウの反応が戻るのを待つのだった。



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190「闇に潜むナイトメアの恐怖」

 アルトサイドは映像で見た通り、ほとんど真っ暗で何もない場所だった。とても寂しくて冷たい感じのするところだ。

 改めて『心の世界』によく似ているような気がした。あそこも基本は真っ暗で何もないところだからね。

 俺が入ってきた穴は相変わらず俺を吐き出そうとしていたが、やがて勢いがなくなり、穴は閉じてしまった。これで前に進むしかなくなった。

 

 周囲を警戒しながら進んでいく。見た目の印象は暗くて冷たいところだが、実際は温かくもなく寒くもない。まるで温度感覚自体がなくなったようだった。そして何も目印がないために、俺みたいな完全記憶持ちでないとすぐに時間感覚もなくなってしまいそうだなと思う。

 ずっと何かの気配がないかと探ってはいるものの、今のところ探知に引っかかるものはない。

 歩きながら、ここで出せる実力についても確かめておく。試しに創り出した気剣に漲る力から推測するに、おそらくはラナソールと同等の実力を出せそうだということがわかった。

 

 完全記憶能力によると、およそ半日は歩いただろうか。次第に俺は自分の身体に異変が起きていることに気付いた。

 見た目上の変化はない。だがどうやらまったく眠くならないし、お腹も空かないようなのだ。時間感覚がなくなるというより、もはや時間そのものが止まっているようにしか思えなかった。

 やっぱり『心の世界』によく似ている。あの世界も時間の流れが現実とは違う。中に入れたものの時間を止めてそのまま保存してしまうことも可能だ。いやむしろ意図的に進めようとしなければ時間は止まる。

 普通の意味での世界じゃないな。俺のような能力によって生じているものなのかもしれない。

 

 ん……? 何かが近づいてくる。

 

 警戒を強めつつ歩み続けていると、禍々しい物体が近づいてきた。

 

 あれは……闇の化け物だ!

 

 それも映像で見たやつとは違う。あの四つん這いの気味が悪いつぎはぎの奴じゃなくて、すごくシンプルな造形――巨大な球体だ。

 ほぼ同時に向こうも俺の存在に気付いたようで、あの世界のすべてを恨むようなおぞましい金切り声を上げた。口もないし、どこから声を上げているのかもわからないけど、とにかく声は来た。

 あまりに不快で耳を突き刺すような音に、たまらず耳を塞いでしまう。そのせいで気剣を作り出すのが数瞬ばかり遅れる。

 そのわずかな間にも、謎の球体はこちら目掛けて宙を飛んでくる。ラナソール基準でもかなりのスピードだ。

 奴が最接近するまでにこちらも体勢を整え、気剣を左手に創り出した。

 拳で戦う判断もあったと思うが、多少時間がかかっても俺は最優先で剣を用いる判断を下した。

 何となくだけど……あの闇に直接触れてはまずい気がする。

 禍々しいエネルギーの塊だ。毒にしかならないだろう。

 

 闇の球体はこちらへ直接ぶつかる狙いで迫ってくる。速度は速いが動きは単調だ。

 俺は動作を見切り、決してそれに触れないようすれ違いざまに中心を縦に斬った。

 振り向いて様子を観察する。普通なら致命傷になるところだが。

 真っ二つに割れた闇の球体は、しかしまったく応えていないようだった。早くも切断面がくっつき始めている。放っておけば元通りになってしまう。

 俺はみすみす再生を待っているほど悠長ではなかった。敵が万全になる前に、二度三度気剣で追撃を加える。

 球体はさらに分割された。だがまだ応えていないようだ。なおも再生しようとしている!

 

 じゃあこれならどうだ。

 

『心の世界』で身体動作プログラムを練り、自己の動作に制約として課す。代わりに最速を得る剣技を構える。

 攻撃が単調になり読まれやすいという欠点があるが、相手は今再生に力を割いている状況だ。構わないだろう。

 

《スティールウェイオーバースラッシュ》

 

 ラナソールにいるときと遜色ない力と自動剣撃による高速化は、一瞬で千を超える壮絶なめった斬りをもたらした。

 闇の球体は細切れになり、もはや原形を一つも留めていない。

 止めに《気断掌》を衝撃波として使い、細切れすら残さず吹き飛ばした。

 

 ここまで徹底的にやれば、さすがに――!?

 

「なっ!?」

 

 声を上げてしまうほど驚いた。

 目の前では、霧状にまで粉々にされた闇が徐々に集積している。元の形を成しつつあるのだ。

 ダメだ。なんてやつだ。あの状態から再生しようとしているなんて……!

 

 ……そうか。奴は精神体のようなもの――実体がないから、気や物理による攻撃が効かないのか!

 

 でもおかしい。前に見た四つん這いの奴はドームを殴ったときに普通に血を流していた。あいつも同じような身体の構成であるはずだ。

 何が違うんだ。俺の今の攻撃とあのときでは。

 確か……四つん這いの奴は、最後に光魔法に撃ち抜かれて――。

 

 そこで理解する。

 

 ああ! そうか! 光か!

 

 この化け物たちの本質は闇。おそらく光をぶつけることで初めて実体化するのだろう。

 ドームにはたぶん光の魔力が常時張られていた。だからそれを殴った四つん這いの奴もダメージを受けていたんだな。

 そして光魔法で致命傷を受けた。こいつらの弱点は光なんだ。

 

 だとしたらまずい。非常にまずいぞ。今の俺に有効な攻撃手段がほとんどない。エーナさんに込めてもらった一発しか。

 

 くそ。いつもみたいに光魔法が使えれば。ユイがいれば……!

 

 倒せない以上は逃げるしかない。再生している今のうちに引き離せば何とかなるか?

 

 ……このところ逃げてばかりだな。俺。

 

《マインドバースト》をかけて全速力で逃げにかかる。中途半端なスピードでは撒けずに延々と追いかけられる羽目になりそうだ。

 だが簡単には逃げられそうもなかった。

 再生を続けていたと思いきや、あの闇の球体は突如妙な異音の混じった金切り声を上げた。耳をつんざき不快感を掻き立てるそれは、まるで何かを呼んでいるようで――。

 いや、本当に呼んでいる!

 何もいなかったはずのところから、闇の異形が大挙として押し寄せて来る。不気味なほど静けさに満ちていた闇の世界は今や、不気味な連中の叫び声で溢れていた。

 殺される――!

 連中の異様さと強烈な殺気に、潜在的な恐怖を呼び起こされた。元々小さいときから怖いものは苦手だったんだ。昔だったら泣き喚いて動けなくなっていたかもしれない。

 だが十と一年の異世界経験の積み重ねは、俺にすぐ最適行動を取らせていた。手足を全力で動かし、即逃げの手を打っている。

 しかし連中の数は凄まじいものがあった。これまで静かだったから油断していたわけじゃないけど、思っていたよりも多過ぎる!

 姿も形も多種多様だ。四つん這いの奴一つとってもどれ一つとして同じ形をしていない。同種ならほとんど画一的な容姿をとるラナソールの魔獣とは大違いだ。

 ドラゴンみたいな奴、雲みたいな奴、最初から霧みたいな奴――やばそうなのはどれだ。どれもやばそうだし、わからない。どの道俺の攻撃は効かない。とにかく突っ切るしかない!

 全力でひた走る。立ち塞がる奴は触れないように気を付けつつ、気剣の一撃で斬り伏せた。効かないにしても、再生している間は動きが止まるのでそこを抜ける。

 どこまで行っても化け物だらけだ。中々振り切ることができない。速度もあるが、厄介なのはこいつらの執拗さだった。

 地の果てまでも追いかけて殺すとばかりに執念深いのだ。しかも普通の肉体を持たない連中に有限の体力があるようには思えない。対して俺はいくら持久力を鍛えてあると言っても人間だ。ずっと走っていれば息切れもするし、徐々に疲れが見えてくる。

 逃げるあてもない。どこまで行っても闇の空間が広がるばかり。隠れる場所すらもない。

 俺は後悔していた。アルトサイドはよほどの準備や戦力無しに入っていい場所ではなかったのだ。可能性は低くても、生き残りを探す方がまだ良かったのかもしれない。

 いつの間にかもう丸一日は逃げている。ただ走るだけならまだ三日はいけるが、戦いながらではそろそろ体力もきつい。

 

「俺……?」

 

 突然現れたその影は、まるで俺とそっくり同じ姿形をしていた。

 気を取られてしまった一瞬が命取りだった。

 俺の姿形をした異形が、俺に触れる。

 

 しまっ!?

 

 瞬間――俺の過去の記憶が呼び起こされた。

 

 よりによって最も辛い記憶のかけら――ウィルに呼び起こされたトラウマの一つが。

 

 ――――――――――――

 

 俺が、銃を持って。

 

 母さんが。倒れていく。

 

 撃ったのは――。

 

 あ、あ。

 

 俺が、母さんを。

 

 どうして。なんで。

 

 ――――――――――――

 

 ほんの少しだけ垣間見て。見ていられなくて。目を背けてきた記憶が。

 

 だって。

 

 嘘だ……。嘘に決まってる……。

 

 母さんは事故で死んだんだ。俺が殺したなんて……そんなこと。あるはずがないんだ!

 

 俺はあのとき家にいた。いたはずだ……。いたよね……?

 

 答えてくれる者は、闇だけだった。

 

 俺の異形は執拗に記憶をほじくり返し、何度も何度でも悪夢を見せてくる。

 

 ミライのことも。ヒカリのことも。みんな。みんな。

 

 やめろ! やめてくれ! そんなこと! 俺は……! してない!

 

 してない。本当にそうなのか? 俺は……とんでもないことを。許されない罪を。

 

 嫌だ。いやだよ。みんな大好きだったんだ。どうして俺がそんなことをするんだよ……。するはずがないよ……。

 おかしいよ。違うよ……。違ってくれよ……。

 

 それでも闇はいつまでも俺に悪夢を見せ続ける。まるで罪を教えてやろうと言わんばかりに。

 

 自分が原因だったのか。本当にそうだったのか。わからない。わからないよ。わかりたくない!

 繰り返し見せつけられる最悪の記憶に、気が狂いそうだった。何もかも投げ出して、すべてから逃げ出したくて仕方がない!

 

 ちがう! ちがうんだ! やめて! いやだ! やめてくれえええーーーー!

 

 

「うわああああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーーーーーーーっ!」



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191「【死圏】のザックスと永遠の幼女ラミィ」

 ユウがナイトメアに襲われて必死に逃げている頃、アルトサイドでは二人の人物がまるで観光気分でのんびりと闇の中を歩いていた。二人ともにフェバルである。

 一人はぼさぼさの黒髪の大男で、背の丈はレンクスとジルフの中間ほどだろうか。双眸は常に気怠そうにしており、歩き方も若干だらしなかった。容姿は三十代並みと思われるが、実のところの年齢はわからない。少なくとも人並みの人生より遥かに長く生きていることは確かなようだ。

 もう一人は、黒髪の男に肩車されてちょこんと座っている女性である。肩に乗れるほどのサイズということは、見た目は年端もいかない少女――いや幼女と言っても過言ではない。しかし男と同じく気怠そうにしている表情からは、通常の子供が自然と放つあどけなさはまったく消え失せている。どこか乾いた目で周囲を観察する様子は大人びており、見た目ほどの幼さを感じさせない。むしろ不思議と底知れない妖艶さが滲み出ているように思われた。彼女は実のところ、覚醒時にわずか五歳であったために、永遠に幼い容姿のままであることを余儀なくされてしまった者である。

 幼女を肩車して延々と歩かされている男がぼやいた。

 

「ああ。なんて退屈でだるいところなんだ。ここは」

「しゃんと歩きなさいな。貴方のせいで一緒に巻き込まれてしまったのだから」

 

 コンコンと黒髪頭を弱めに叩く彼女。声こそは小さな子供のそれであるが、口調は妙齢の女性のものである。

 彼女は少々不機嫌だった。自身の能力【いつもいっしょ】は、眼下のだらしない男――ザックス・トールミディと「いつもいっしょ」にいられるという、本当にそれだけの能力である。

「いつもいっしょ」にいられるという一点のみに特化した能力であるため、そのことだけでは凄まじい効力を誇る。星脈の流れによって離れ離れになることもないし、他のフェバルの能力によって邪魔をされることもない。生きていれば旅立つタイミングも一緒。もし一方が死ねば、必ずもう一方も同時に次の異世界へ行く。

 今回はラナソール崩壊時にうっかりザックスが時空の穴に呑みこまれてしまったため、【いつもいっしょ】が気を利かせて、この見た目は幼女――ラミィ・レアクロウも一緒に送り込んでしまったのである。

 絶対に離れられない腐れ縁というやつだった。

 

「おーすまんすまん」

「もう。本当に謝る気があるのかしらね」

 

 相変わらず仕方のないパートナーだと、ラミィは嘆息する。

 別に「いつもいっしょ」にいること自体はいい。もはや空気のように当たり前のことであり、普通は孤独に苦しむことになるはずの旅が常に二人であることから、絶望に陥ることもなかった。彼女自身まんざらでもないので、今さら悪く思うことではないが。

 覚醒時の差し迫った状況や当時本当に幼かった自分の願いからすると仕方なかったとは言え、貴重なフェバルの能力という枠をこのだらしないパートナー一点に特化してしまったことのしようもなさと言ったらないわとは、彼女も時たま思うのだった。

 フェバルであることの恩恵という名の呪いによって、彼女もまた星脈からチート級の基礎能力を付与されている。だが元が何の力もない幼女であることが災いしてか、平均的なフェバルよりは相当に弱い力しか持てていない。一人ではあのダイラー星系列の骨董品であるバラギオンに勝てるかも怪しいところだ。

 また能力の応用もまったくと言って良いほど効かないため、彼女は自身を最弱のフェバルであると称するのであった。

 

「けれど退屈な場所と言うのは同意するわ。断続的に妙な輩も出てきているようだし」

「あいつらなあ。勝手に突っ込んではくたばってくれるから楽でいいがな」

 

 二人の言う変なのとは、もちろんナイトメアのことである。しかし二人にとっては今のところまったく脅威足り得なかった。

 ラミィも一応は一般レベルからすると強力な光魔法の使い手であるが、彼女は未だに魔法を使うどころか戦う必要すらなかった。

 何よりザックスの持つフェバルとしての能力があまりに凶悪であることに尽きる。

【死圏】と名付けられたそれは、半径約四メートル以内に存在する生命を無差別かつ瞬時に絶命させてしまう。無効化するためには同じくフェバル級の能力や抵抗力が必須であり、フェバルや星級生命体でも無策で近寄ればたちまち命尽きてしまうだろう。

 彼が永きに渡る異世界の旅においてほとんど誰とも触れ合うことのできなかった原因そのものであり、孤独な彼の境遇に同情した幼い彼女の願いにも通ずるものである。

 

【いつもいっしょ】ならば、【死圏】の影響を一切退けることができる。

 

 そしてまた一匹、四つん這いのナイトメア=ホトモルが破壊本能のまま二人に襲い掛かろうとして、自身に何が起きたのかわからぬまま絶命し、四散した。

 

「噂をすればまた一匹」

「知性も品もない化け物ね。しつこさばかり一級品」

 

 ラミィは闇の炎の残滓に蔑んだ目を向けた。

 ザックスのおかげで余裕はあるものの、しかし油断ならないともラミィは内心思っている。

 ナイトメアの中にはどうやら強力な種もいるらしいことは、今までの観察でわかっていた。実際ラミィには手に余るほどの力を持つ種や、人の悪夢を呼び覚まそうなど単に力があるよりも厄介な種もいるのだが、これまでは例外なくザックスの前に散っている。

 現在も肩車をしてもらっているのは、決して歩くのをさぼりたかったというわけではなく(身体が小さいせいで歩幅も小さいので、普段はそういう理由もあるが)、彼の能力圏内に確実にいるための措置である。フェバルとしては弱い自分をいつも彼が守ってくれるので、彼女も安心していられるのだった。

 

 ザックスの能力ゆえもあり、二人は大抵いつも二人きりで過ごしている。そして大体は肩に彼女をちょこんと乗せて旅をしているため、ザックスは冗談交じりで一部のフェバル仲間にロリコンであると極めて不名誉な評価を下されてしまっている。実際誰に対しても冷めがちなこの男が唯一頻繁に頬を緩ませるのが彼女なのであるから、あながち間違ってはいないのかもしれない。

 

 そんな彼は今、自分が何一つ無自覚に殺さないで済んだ素晴らしい世界のことを思い返していた。

 

「ラナソールはいいところだったなあ……。俺が普通に過ごせる世界があるとは思わなかった」

「よかったわね。あれほど嬉しそうな貴方、久しぶりだったもの」

 

 普段からテンションが低いせいでわかりにくいが、ザックスは確かにラナソールで喜んでいた。他人に話しかけたり買い物をしたりするなど、彼基準で言えば普通は考えられないくらい羽目を外してしまったほどだ。

 翻って、彼は闇が広がるばかりの現状を心から嘆く。まるで彼自身の孤独な心象風景のようではないか。

 

「それが今じゃあこれだ。要らない能力も戻ってきてしまった……」

「夢は醒めてしまった。今までが望外に幸せだったのよ」

 

 慰めるべく優しい声色で囁く彼女に、それでも男は気落ちしている。見かねて彼女は上から彼の顔を覗き込んだ。

 

「そんなに寂しそうな顔をしないのよ。わたしがいるでしょう?」

「……ああ。そうだな。俺には貴女がいる」

「まったく。貴方ってつくづく世話のかかる男ね」

 

 肩車されたままの幼女が、大男の黒髪を労わるように撫でる。傍から見ると中々にいかがわしい光景であるが、当人たちにとっては立派な大人の男女のやり取りである。

 やがて慰めたと確信できた頃合い、ラミィはまるで馬をしごくように小さな足を蹴り、掌でぺしぺしとザックスの頬を叩いた。

 

「ほら。僅かでも元気が出たのならきりきり歩くのよ。こんな辛気臭くて喧しいところは早々に脱してしまうに限るわ」

「はいはい。わかりましたよ。お姫様」

「お姫様はやめて頂戴」

 

 彼女がフェバルとして覚醒し、既にフェバルであった彼と一緒に旅をすることになった当時。彼女は確かにお姫様扱いされて素直に喜ぶ幼女だった。だがもはや遥か過ぎ去った古の記憶である。

 当時の名残で彼は親しみを込め、時に彼女をお姫様扱いしてしまう。見た目はあのときのままだし、そうしたくなる気持ちは彼女にもよくわかるのであるが、やはり当の彼女にとっては不当に子供扱いされているようにも感じてしまうのだった。

 しかし言われたところで今さらやめるような男でもない。ザックスは意地悪く微笑んで言った。

 

「ではマイリトルレディ」

「結構よ。貴方ってそういう人よね」

「どんなに時が経っても貴女は可愛いものさ」

「本当仕方のない人ね」

 

 呆れ口調で呟き、それ以上は非難もしない。互いのことをわかり切っているからだ。

 遠い昔、彼女がまだ人間の歳だった頃。

 遥か年上の彼に憧れ、彼の境遇に同情して、そして若かりし時分には恋をした。幼い身体では彼を受け入れることもできないと苦悩したこともあった。

 そもそも今の彼女の口調だって、いつまでも子供扱いされたくないと背伸びを始めたのがきっかけである。知らぬ間に染み付いてそれが普通になってしまったのだ。彼は覚えているだろうか?

 そしてフェバルは死ねず、二人は片時も離れることはなかった。恋や愛と一言で言い表せる感情を維持するにはあまりに永い時が過ぎ去り。いつしか二人は自然と今のような関係になっていた。

 長年連れ添った夫婦を超えた何か――運命共同体とでも言うべきか。

 

 そんな彼らに、また何度目になるかもわからない闇の異形の襲撃があった。

 今度の闇は、まるで二人の姿形をしている。何度か見たことのあるタイプだ。

 アルトサイダーに「ナイトメア=テスティメイター」と呼称されるその種は、ナイトメアの中でも特に厄介な種とされている。デフォルトでは相手の姿形に合わせた形態をとり、対峙した相手にとっての辛い記憶――悪夢をつぶさに読み取って自由に姿形を変える。そして触れた相手の思い出したくもない記憶を呼び覚まして苦しめつつ、徐々に生命力を奪っていくというタチの悪い性質を持っている。

 二人はそれの名称についてはもちろん知る由もないが、それの行動や形態変化からおおよその性質は把握していた。

 

「下らない。そんなまやかしでわたしたちを絆せるとでも思っているのかしら」

「まったくだ」

 

 仮に触れられたとしても二人は大丈夫だろうという確信があった。そしてそもそも二人には触れることすら敵わない。

 約四メートルまで接近したところで、影は命を失って塵と消えた。

 

 再び歩き出す。

 

 それからも幾度となくナイトメアに襲われることを繰り返し。どこまで行っても一切代わり映えのしない連中と光景に、退屈も極まってきた。

 二人はほどほどに会話しながら、少しでも飽きを誤魔化そうとしていた。

 

「レンクスたちも迷い込んでいたりするだろうか」

「さてどうかしらね。けれどもし彼らが此処にいるとなると――少々不味いかもしれないわね」

 

 自分たちは良い。いつも二人でいられるため、真の孤独に苦しむことも、永遠の旅に絶望することもない。一番の悪夢はそれぞれの生まれ故郷に置いてきた。

 だから執拗な闇の化け物連中がいかに心を揺さぶろうと試みたところで、そのことでやられてしまうことは決してないだろう。

 しかし二人を除く一般のフェバルは違う。彼らの運命は過酷そのものであり、その力が大きいほどに運命は暗く、また絶望も深いとされている。さほど暗い事情のない(ゆえに能力も比較的弱い)ジルフはまだ大丈夫かもしれないが、噂に聞く限りでもレンクスやエーナの抱える闇は相当なものだ。かつての悪夢を呼び起こすタイプのあの闇の化け物は、ともすれば彼らにとって天敵となるやもしれない。

 

 そこに、誰かの悲鳴が飛び込んできた。

 

「お、他に誰かいるようだぞ」

「どこかで聞いたような声ね」

 

 まさかあの子だろうかとラミィは訝しむ。

 おそらくはラナソール崩壊の一因となった膨大な力を発現した、新人のフェバル。

 名は……ユウと言ったか。

 ラナソールでレンクスに紹介されて、一度だけ会ったことがある。

 はじめ見たときは、フェバルとしては異常なほどの力の「弱さ」に、最弱の名を返上しなければならないかとも彼女は考えたほどである。しかし能力自体は比類のないほど強力なものであり、かつ当人も底知れないポテンシャルを内包していることがすぐに理解できたため、そのような者に最弱を移譲するのもまったく相応しくないと考えやめた。

 実際、二人が巻き込まれてしまった時空の穴を生じた――二つの絶大かつ禍々しい力。その一方は彼の内に眠っていたものだったと考えられる。

 そしておそらくは望んで発現したものではないことも。

 彼女は彼の人間を見て本質を理解していた。

 

 もし今の悲鳴がユウのものであるとするならば。悪夢を呼び起こすタイプの異形に触れてしまったのではないか。

 だとしたらまずい。非常にまずいわとラミィは思った。

 並みのフェバルに比類するものがないほどにとてつもないポテンシャルと絶大な黒い力を秘めた能力だ。覚醒した背景には凄まじいほどの因果があるのではないかと推察された。

 そんな彼にとってのトラウマを強制的に呼び覚ましているのだとしたら……どんな悪影響があるかわかったものではない。またあの黒い力が発現すれば、この闇ばかりの世界すらもどうなってしまうのかわからない。

 世俗のことに一切関わらない二人だ。人助けなど柄ではないが、自分たちの身の安全のためにも助けるべきだろうと彼女は判断する。

 世話のかかる子だとはレンクスから聞いていたけれど、早速焼かせてくれる。

 彼女は嘆息し、ザックスに命じた。

 

「行くのよ。慎重かつ迅速に。不用意に圏内に入れないように」

「はいよ」

 

 半径四メートルに入れないように接近すると、叫び声を上げて苦しんでいたのはやはりユウだった。

 

「誰かと思ったら、レンクス贔屓の坊やじゃないか」

「思った通りね」

 

 闇の異形が取り憑いて、彼に悪夢を見せ続けている。

 そして彼の力はまた、並みのフェバルを超えて膨大に膨れ上がりつつあった。

 原因ははっきりしている。

 またラナソールを壊したときの力が現れようとしているのだ。ジルフのような気術修得者が放つ通常の白いオーラではなく、禍々しい黒のオーラに包まれて。

 あれを覚醒させてはいけない。自分たちにも当人である彼にも良くないことが起きる。完全に黒い力に支配されてしまえば、彼は二度と「戻れなく」なるだろう。ラミィはその目で直接見て確信した。

 ザックスの能力ではユウごと命を奪ってしまう危険があるため、彼女は光魔法を構えた。

 

「あの邪魔な闇を浄化してしまいなさい。《プリッシュ》」

 

 弱点である光魔法、それも強力なフェバルの放つそれに晒されたナイトメア=テスティメイターはあっさりと消滅した。

 そして悪夢に苦しめられていたユウは、取り憑かれていた闇から解放されてその場に倒れ込む。

 詳しく様子を見るため、彼女はザックスの肩を降りて歩いて近寄って行った。

 至近距離でユウを見つめる。

 彼は正気を失っており、許しを請うように意味のわからないうわ言を繰り返していた。

 ただ、黒のオーラは未だ残っているが、時を経るにつれて少しずつ弱まっていく。ひとまず当面の危機は脱したようねとラミィは胸を撫で下ろした。

 

「もう大丈夫なのか?」

 

 ザックスが遠慮がちに離れた位置から尋ねてきたので、小さな手を振って彼女は応えた。

 再びユウに目を向ける。やがて彼は、自分より小さな子供のように身を震わせてすすり泣いていた。よほど深くトラウマを抉られてしまったようだった。

 

「なんて深く傷付いて、弱々しい魂をしているのかしら」

 

 まるで昔の弱かった自分を見ているようで、彼女はいたたまれない気持ちになるのであった。



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192「ユウ、ラミィに諭される」

 ラミィによって助けられたユウは、闇が払われて悪夢を強制的に見せられることもなくなり、間もなく気を失ってしまった。

 自己保身と一度会った縁で助けてしまった彼女であるが、厄介なお荷物が増えてしまったと溜息を吐く。

 

「扱いに困るとはこのことね。捨て置くのも見殺しは確実で気が引けるし、かと言ってわたしのコレがあることだし」

 

 ザックスは能力のせいであまりユウに近寄れない。ということは、ラミィがザックスの肩に戻ればユウの世話を側で見る者がいないし、彼女がユウの側にいれば必然【死圏】の外となり、わずかながら高速移動型ナイトメアによる奇襲のリスクを負うことになる。

 非力を自覚する彼女としては、敵のある状況で【死圏】外にはなるべくいたくはない。だがこの期に及んでは仕方ないかと諦める。

 

「で、どうするんだいお姫様」

「この子が目を覚ますまで待つことにするわ。周囲をよく警戒して、あの気味の悪い化け物たちを近づけないようにして頂戴」

「はいよ」

 

 ザックスがラミィから五メートルほどの距離で守備に就くのを見届けてから、彼女は倒れているユウの腹の上にちょこんと腰かけた。

 

「助けてやったのだから、せめて椅子の代わりくらいにはなりなさいな。それで勘弁してあげるわ」

 

 今度は自ら見る悪夢にうなされるユウの頬をそっと指でなぞりながら、彼女は小さく呟いた。

 

 

 ***

 

 

 母さん! ミライ! ヒカリ!

 

 違う。違うんだ。俺は……そんなこと。そんなつもりじゃ……!

 

 どうして俺が……。

 

 ――やめてくれ! こんなもの……見たくない!

 

 やめて! いやだ! たすけて!

 

 うわああああああああああああああああああああああああ!

 

 

 ――――!

 

 

「ようやくお目覚めかしら」

「………………ラミィ……さん?」

 

 気が付いたとき、俺のお腹に跨ってまじまじとこちらを見つめていたのは、レンクスの紹介で前に一度だけ会った女性のフェバルだった。

 わずか五歳のときにフェバルになったせいで、永遠に幼い容姿を余儀なくされてしまった悲運の方だ。

 ということは、近くにあの人も……。

 周りに目を向けると、少し離れたところでザックスさんが手を振っていた。あの人、近付き過ぎると能力で俺を殺してしまうからあえて離れてくれているんだろうな。

 でも、どうして二人が? 俺は……。

 確か……。俺はあの闇の化け物に取り憑かれて……。

 じゃあ今までのは夢だったのか……?

 

 化け物に見せられた偽りの記憶……? それとも……。

 

 ――嫌だ。怖い。考えたくない。

 

 それに、もう過ぎ去ってしまったことなんだ……。真実が何であったとして、今さらどうしようも……。

 

「随分と心が弱っているようね」

 

 ぐちゃぐちゃな心の内を見透かすように、ラミィさんは俺に跨ったまま指先で額を小突いてきた。

 ほとんど赤の他人で、気安く甘えられるような人物ではない。だけど俺は強がって否定などできずに、目を伏せてしまう。

 

 ――そうだな。ひどく弱っているみたいだ。正直、まいっている。

 

 今のことも昔のことも後悔だらけで、わけがわからなくて。

 ウィルが戻してくれた記憶も。自分で望んだことなのに、今はほんの少し覗くことさえも心と身体が拒否している。

 状況が落ち着けば。時間がたっぷりあれば、少しずつ向き合うこともできるのかもしれない。

 でも今は……ダメだ。

 ユイがいないんだ……。一人では受け止められそうもないんだ。

 昔のことを少しでも思い出そうとすると、今よりもっと弱かった子供の頃の自分に強制的に引き戻されたような感覚になる。剥き出しの幼い心を抉る記憶があまりに「痛くて」、ついシャットダウンしてしまう。

 今だって、夢で見たはずのことをほとんど忘れている。いや、本能が危険と判断して「切り離している」のだろう。

 おかしいとは思う。異世界を旅してきて、辛いことも痛みを受けたこともたくさんあったはずなのに。それなりに酸いも甘いも噛み分けてきた今なら、どんな辛い過去でも罪でも受け止める強さがあると信じたいのに。どうしてか地球にいた頃のことを思い出すのが苦痛でたまらない。

 まるで記憶自体が呪われたものであるかのように。

 だから現実の優先順位を言い訳にして、ずっと後回しにしている。情けないよな。

 

「すみません……。俺、わけがわからなくて。何が正しいのかも、何をどうしたらいいのかもわからなくて」

 

 ラナソールの様子を確かめたいとか。トリグラーブに行ってみんなの無事を確かめたいとか。

 全部「とりあえず」なんだ。とりあえずできることだから。諦めたくないから。

 本当は、今回ばかりはみんなを守る力なんてないことはわかり切っている。焦土級やフェバル級の圧倒的暴力が支配する現状で、下手すれば上位S級魔獣の一体にすら負ける自分が主役になど到底なれないことなんて。

 だけど何かやれるはずだと。誰かが救わなければならないと。その誰かがいないのなら。

 奴らのスケールから見れば滑稽なほど小さな決意が、辛うじて俺を支えているだけだ……。

 

 つい弱音を吐露してしまった俺に対して、ラミィさんは突き放すように言った。

 

「そんなもの。わたしにも分からないのよ」

「そう、ですよね……」

 

 何を甘えているのだろう。そう返されるのが当然じゃないか。

 だが一度吐き出してしまった思いは、すぐに収まりが付きそうになかった。

 

「だけど俺、取り返しの付かないことをしてしまって……!」

「知っているわ。貴方自身が望んだわけではないことも。けれど力が暴走して、結果的にそうなってしまったことも」

 

 ラミィさんにはすべてお見通しのようだった。その上で、あえてなのだろう――厳しい口調で言葉を投げかけてくる。

 

「ほとんどの者は、あのとき何が起こったのかさえ欠片も理解していないわ。都合良く許してくれる人も、ましてすっきりと裁いてくれる人なんていないのよ」 

「わかっています。だけど……」

 

 何がだけどなのだろう。自分でも思う。

 数少ない事情を知っている者だからかもしれない。きっと俺は、この人に詰って欲しいのだ。裁いて欲しいのだ。

 ウィルにも指摘された――弱さという罪を。

 一向に煮え切らない俺の返事に対して、彼女は困ったように眉をしかめて溜息を吐いた。

 

「まったく。コレもそうだけど、貴方も大概世話の焼ける子ね。まるで子供のように純粋で、真っ直ぐで。芯の強いところもあれば、今は折れそうなほど弱い。レンクスが心配で過保護になるのも分かる気がするわ」

 

 自分に跨るその人の容姿ものしかかる重みも、話す声も幼子そのものであるというのに。目を細めて憂いる表情からは、不思議と大人びた妖艶さと包容力を同時に感じさせた。

 そんなラミィさんは、改めて俺を上からじっと見つめて、厳しくも優しい声色で言った。聞き分けのない子供によくよく言い聞かせるように。

 

「いいこと。好きにすれば良いのよ」

「好きに……」

「極端な言い方だったかしら。要するにね。究極のところ、貴方以外の誰も貴方自身を真に許すことも罰することもできない。だから貴方自身の気の済むようにするしかないのよ」

 

 冷たいかしらね、と突き放すように言いながらも、声はどこか優しい。慰めようとしてくれているのは十分に理解できた。

 

「運命に呪われて碌に死ねないわたしたちに纏わり付く咎は、永く生きるにつれて重くなるばかり。どのように生きようと、人である以上業を重ねるは必然。仕方のないことなのよ」

 

 特に貴方やわたしたちのように呪われた力を持つ者はね、とラミィさんは寂しげに相方に目を向けた。

 その相方、ザックスさんは神妙な面持ちで黙って頷いている。

 

 そうか……。この人たちは、ただ生きているだけで周りの生き物すべてを弑してしまう。罪だらけの人生をずっと歩んできたんだ。

 なのに俺は……。二人の事情を知っていたはずなのに俺は……。

 いくら弱っていたとは言え、甘えてはいけない人に甘えてしまったのだと後悔する。

 俺の後悔はありありと顔色に出ていたのだろう。ラミィさんは「馬鹿ね」と呆れたように微笑して続けた。

 

「咎を忘れることも其れから目を背けることも許せないのならば、せめて背負うことくらいは許してあげなさいな」

 

 俺は、泣きそうだった。

 どうしても自分が許せなかった。

 その言葉こそがまさに自分が求めていたもので。他ならぬラミィさんにそれを言わせてしまったことが申し訳なかった。

 

「身のない説法ではないのよ。現にわたしたちがそうしているのだから」

 

 もう一度ザックスさんの方を見やって、ラミィさんはくすりと微笑んだ。ザックスさんも深く頷いている。

 涙は堪えて、ただ深く礼を述べることにした。

 

「すみません……。ありがとうございました」

「少しは迷いが晴れたようね。身を包むオーラも元に戻ったことだし」

「え……? あ……!?」

 

 まさか。あれを……!?

 あれはもう一人の「俺」だけが持つ力じゃなかったのか……? 俺自身にもあんな恐ろしい素質が……。

 

「そんなことも気付けないほど余裕がなかったようね。まあその話は後でしましょうか」

 

 だから余計に心配してくれていたのか……。

 もうこの人には足を向けて寝られそうもないな。

 そして、少しは考える余裕も出て来るとはたと気付く。

 

「もしかして、お二人がここにいるのは……」

「そうね。物の見事に貴方の力の暴走に巻き込まれてしまったのだけど、こうしてもう何日か分からない程延々と闇の世界を歩かされて、しかも妙な化け物が絶え間なく襲ってきて実に苛々しているのだけど、全然気にしなくて良いのよ」

「すみませんでした!」

 

 腹の上に座られたままだったので、頭を下げたことでかえって首を持ち上げるという中々にシュールな光景になってしまったが、とにかく全力で謝った。

 

「ちなみに歩いているのも撃退しているのも俺なんだけどな……」

「わたしの騎士なのだから当然でしょう」

「アハハ。そうだな。お姫様だもんな」

「お姫様はやめて頂戴」

「はは……」

 

 相変わらず仲が良いな。この二人は。

 レンクスがひたすらザックスさんをロリコン呼ばわりしてたけど、やっぱり失礼だよなと、この気安く対等な関係を見ていたら思う。

 すると、ラミィさんにじろりと睨まれてしまった。

 

「貴方。今笑ったわね?」

「ごめんなさい」

「……まったく。それでいいのよ。貴方は笑っていた方が似合うわ」

 

 やれやれと一安心した顔をしたラミィさんは、やっと俺の腹の上から降りてくれた。

 解放されたので立ち上がってみると、腹上で上から話を聞かされていたときはよほど立派な人物に感じたのに、やっぱり等身大のラミィさんは小さくか弱い姿に見えた。

 どうしてもそう見えてしまうから、上から話すことにしたのかもしれない。

 そんな姿でも俺みたいな中途半端じゃない本当のフェバルだから、さすがに俺よりは強いに違いないのだけど。

 そうだ。この二人に付いていくことはできないだろうか。一人でいるよりも確実に生存率は上がるだろうし、取れる行動の幅も広がるだろう。

 それに、またあの闇の化け物に囲まれたら同じことになりそうで怖かった。

 ただ、ザックスさんには多大な負担をかけてしまうことになるのだけど。

 

「あの。大変申し訳ないんですけど、お二人に付いていくことってできないでしょうか」

 

 二人は揃って顔を見合わせて、その申し出は予想の範疇とばかりに肩を竦めた。

 

「仕方ないわね。放っておけばまたあのようになってしまいそうだし」

「ラミィが良いと言うなら、俺は構わないぞ」

「ありがとうございます。助かりました」

「ただし」

 

 ラミィさんが小さな指を一つ立てた。

 

「コレが二人分のお守りをすることになるわけでしょう? 負担が大きくなるから、わたしは肩を降りなければならないわ。けれど歩くのは嫌ね」

 

「わたしは歩幅が小さいもの。付いて行くのも大変なのよ」と、わざとらしくぼやく。

 でもフェバルのチート能力を持ってすれば早歩きとか浮いて移動など造作もないことじゃないだろうか。

 という反論は有無も言わせぬ場の支配力があった。

 

「えっと。つまり?」

「だから貴方が代わりをしなさい」

 

 

 ……ラミィさんを肩車することになりました。

 

 

「ふう。乗り心地は悪くないわね。少々高さが物足りないし、やや安定性に劣るけれど」

 

 小さな股を遠慮なしに首の後ろに押し付けて、肩車評論家のごとくしっかり評定を付けるラミィさん。

 いくら年上の淑女だからと言って、五歳の身体を寄せられても興奮したりとかはしないけど……。

 まるで主従。いや主と従馬みたいだ。乗りこなされてしまっている感じが半端じゃない。

 なんか、変な感じだ。とても。

 頭上から鈴のような幼声が囁かれる。

 

「これでも立派なレディなのだから、くれぐれも丁重に扱って頂戴ね」

「はい。承知いたしました。お姫様」

「お姫様はやめて頂戴」

 

 雰囲気に呑まれてつい言ってしまったら、フェバル級の軽いげんこつをもらってしまった。



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193「ユウ、黒の力を知る」

 捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったもので、一人切りで逃げる羽目になったときは詰みを覚悟したものの、二人との出会いには本当に救われた。

 ラミィさんとザックスさんと合流してからのアルトサイドの旅は、飛躍的に安全になった。闇の化け物もザックスさんの能力【死圏】の前には今のところまったくの無力であり、闇をも超える絶対的な死の概念によって近付く側から駆逐されてしまうのだった。

 とは言っても、ザックスさんの能力ですべての危険が排除できるというわけではない。

 完全に俺のせいなのだけど、ザックスさんの【死圏】に入れないせいで、身の回り半径四メートルは彼の守り手の直接届かない領域になってしまう。その隙を狙っていわゆる超高速型の化け物が奇襲をかけようとしてくることがあった。

 とりわけ厄介なのは超高速型の中でも瞬間移動をしてくるタイプで、気を抜いていると一瞬で致命傷になりかねない怖さがある。

 だが唯一俺がまともに役に立つポイントである悪意感知によって、奇襲の問題はほぼなくなった。闇の化け物は基本的に悪意の塊なので、俺にとってはほとんど位置が筒抜けなのだ。予め居場所をラミィさんに伝えて、ザックスさんが仕留めるなりラミィさんが光魔法で撃ち抜くなどすれば、未然に脅威は排除することができた。

 

 そんな感じでしばらく進んでいったが、一向に景色が変わることもなければ、やはり不思議とお腹が空くことも眠くなることもなかった。『心の世界』のようにあちこち記憶に触れたりもできないので、化け物以外には本当に何もない。二人と話すのが唯一の気の紛らわし方だった。

 こんなところで一人でずっと過ごしていたら、気がおかしくなりそうだなと思う。

 そう言えば、話に聞くフェバルの最期って肉体も失って意識だけがこういう寂しいところに永遠に閉じ込められてしまうのだろうか。そして俺が見せられたような悪夢に苦しみ続けるのだろうか。だとしたらとてつもなく恐ろしい運命だなと、遠い未来のことをつい考えてしまってぞっとした。

 

「さてと。そろそろ貴方が呼び起こしてしまったあの黒い力について話す頃合いかしらね」

 

 肩の上からラミィさんが話しかけてきた。俺としてもあの恐ろしい力は気になるところだったので、すぐに頷く。

 

「あれって何なんですか? 俺、あんな物騒な力なんてまったく身に覚えがないんですけど……」

「そうね。貴方にはまったく似つかわしくないものだとはわたしも思っているわ。だから不思議と言えば不思議なのだけど……」

「似つかわしいかどうかと言うより、素質があるかどうかということだろうな」

「かもしれないね……」

 

 ザックスさんの言葉に頷き、少しの間考える素振りを見せてから、ラミィさんは続けた。

 

「……あれは黒性気と言ってね。極めて高いポテンシャルを持つ超越者が、その力をすべて憎悪だとか憤怒だとか破壊願望だとか殺意だとか絶望だとか、そう言った黒い感情に染め切ったときに覚醒する究極にして最悪の力……とされているわ」

「されている、というのは?」

「そうね。覚醒者があまりに少な過ぎて、正確なことは分からないのよ。だから妙な物言いになってしまうのだけれど。おそらく生半可なポテンシャルでは到底足りないのでしょうね」

 

 覚醒者はこれまで例外なく個人として全宇宙最強レベルの実力者となり、極めて冷徹な精神と他のフェバル級を圧倒する絶大な戦闘能力を合わせ持つのだそうだ。

 そんな途方もなくて恐ろしい存在だったのか。

 どうして俺やもう一人「俺」は……。ポテンシャルだけは無駄に高いらしいし、心を司る能力だから、覚醒しやすくなってしまっているのだろうか。わからない。

 そもそももう一人の「俺」が何かだって、なぜ自分そっくりなのか、自分の中にいたのかさえもまったくわかっていないんだ。

 

「わたしの知る限り、貴方を含めて僅かに八人。それだけしか全宇宙全史上で観測されていないのよ。そしてわたしが直接知っているのは、ウィルと貴方だけ」

 

 指折りと共に、内訳と詳細を告げられる。

 

『始まりのフェバル』アル。始まりのフェバルを自称する彼は、原初にして至高の能力を持ち、他のフェバルをまったく寄せ付けなかったと言われている。

 

 ……そいつの名を聞いたとき、ずきりと頭が痛んだ。

 きっと無関係ではないだろう。

 俺はそいつを知っている気がする。悪夢の中で見た気がする。どこで出会って何をしたのかは思い出せていないけれど。

 

『黒の旅人』『フェバルキラー』……いずれの通り名も同一人物を指すが、詳細不明。ウィルの話によると、もう一人の「俺」のことだろう。死なないはずのフェバルでさえ殺してしまうと言われる圧倒的な実力と殺意は恐れられていた。

 

『世界の破壊者』ウィル。永い時をかけて数多の星々を完全に消滅させた実力者にして異常者として知られる。

 

 ダイラー星系列の『力神』ダインゾーク。ダイラー星系列の黎明期から実力は名高く、現在の栄華に至るまでを支えた功労者でもある。覚醒後は心身のバランスを崩し、政治的中枢から遠ざけられるが、最終兵器の一つとして在り続ける。

 

『外銀河の帝王』ガルヴァーン。ダイラー星系列外の一大銀河領域を単独で支配する最強格の星級生命体。星級を遥かに超えた「銀河級生命体」とも言われる。

 

『ブラックホール生命体』ナダラ。ブラックホールより生じた異常生命体であるとされており、周囲のあらゆるモノを呑み込んでブラックホール化してしまう。【死圏】を遥かに凶悪にしたようなものか。人の形をした宇宙災害と言われている。

 

『災厄の魔女』ベラネア。かつて宇宙の広域で死と破壊の限りを尽くした全宇宙史上最悪の魔女。ダイラー星系列を中心として超大規模の銀河連合討伐隊が編成され、星の数ほどの犠牲を出しながらも討伐された。

 

 ……なんか母さんの昔話で同じ名前を聞いたことがある気がするけど、しかも色んな人と協力して奇跡的に倒したって言ってたような気がするんだけど、さすがに同じ名前の違う人だよね?

 

 そして……俺か。

 

 そうそうたるメンツの中で、俺だけものすごく浮いてる気がするんだけど。

 でもそうだったのか。それほど強い力なら、少し染まりかけただけでヴィッターヴァイツと渡り合えたのも納得がいくよ。

 けれど……。

 

「此処まで聞いて、貴方はこの力を如何にしようと思うのかしら」

「俺は……使いたいとは思わないですね」

「どうしてそう思うの」

「お前は超越者の恐ろしさを知っている。日頃自分の弱さを自覚しているはずだ。貪欲に力を欲しているはずだ。そこに武器があるのに、手に取らない理由は何だ?」

 

 二人とも責めるというよりは、真に心の内を問うような口ぶりだった。

 

 ああ。確かに喉から手が出るほど力は欲しいさ。この手で守れるものを広げるためにも。より確実に守るためにも。

 だけど……。

 ラナソールを壊してしまったあの日、改めてよくわかった。身に沁みたんだ。自分を制御できなかったことを心底後悔した。

 思うがまますべてを壊す力。人を人とも思わず、アリのように踏みにじってしまう力。触れるものすべてを、守りたいはずのものさえ傷付けてしまう力。

 そんなフェバルとして絶対で究極的な力は――いや、だからこそ。たとえ他のフェバルを圧倒できるとしても、俺はそんな力、欲しいとは思わない。

 もう一人の「俺」も――おそらく誰よりも黒い力の本質を知り、極めているであろう彼も――俺が黒い力を得ることを望んでいなかった。

「俺のようにはなるな」。確かにはっきりとそう言っていた。

 おそらくはフェバルとしての「強さ」を極めた彼が言うんだ。それに俺自身も思う。

 最初の異世界――サークリスで過ごした日々から抱いた志を忘れたわけじゃない。

 俺は世界に関わるフェバルになりたい。人と絆を結ぶフェバルになりたい。

 だから……俺の目指すべき方向はそこじゃない。

 俺は他のフェバルには負けたくないけど、決して他のフェバルと同じようになりたいわけじゃない。

 そうだ。勝ちたいんじゃない。負けたくないんだ。殺したいんじゃない。守りたいんだ。

 それに……黒に染まっていったとき、急速に心が冷たくなっていく自分が怖かった。ユイには泣いて止められた。それだけでも、使いたくない理由としては十分だよ。

 想いを整理しながら、一つ一つ言葉にして語っていく。二人はずっと真剣に耳を傾けてくれていた。

 

「だから……俺はあの力を使いたくありません。できることなら」

 

 そこまでしっかり言い切ると、ザックスさんは満足した顔で頷き、ラミィさんにはぽんと頭を撫でられた。

 

「それでいいのよ。あの力は心を闇に閉ざしてしまうことで得る力。代償として、貴方が今持っている大切なものは失われてしまう」

 

 そうだったな。確かに黒に染まりかけたとき、戦う力を得る代わりに、俺はもっと大切な「心を繋ぐ力」を失ってしまっていた。それで救えたかもしれない命を救えなくなってしまったんだ……。

 あのときはユイがいたおかげでそこで止まれたけれど、もし完全に染まり切ってしまったのなら……。

 

「あくまで力を求めようと言うのなら、見限っていたところだがな……。俺もこいつも、本当に大切なものの価値はよく理解しているんだ。特に、この手で触れられなくなってしまってからな……」

 

 俺は深く同情した。

 ザックスさんは……人と触れ合うことが決して叶わない力を、運命として押し付けられてしまった。

 どれほどの絶望か、察するに余りある。俺なら間違いなく耐えられない。

 そんな二人にとって、人と触れ合うことで輝きを増す俺の力は、どんなにまぶしく映っていることだろう。

 

 答えは、本人たちの口から紡がれた。

 

「お前の本質こそ、クソったれの絶望に塗れたフェバルの――ほとんど唯一の奇跡だ。かけがえのない宝だって、俺は本気で冗談無しに思うんだよな」

「今はまだわたしよりも小さくか弱い。けれど貴方には無限の可能性がある。きっと貴方自身の道がある筈。力に溺れることなく、其れを探し続けなさい」

「はい」

「何時かは昏い絶望の闇に引きずり込まれたフェバルを照らす温かな光になれる。わたしは少しだけ期待しているのよ。あんなものにやられて、がっかりさせないで頂戴」

「……はい!」

 

 人生の先輩たちに温かく力強い励ましをもらい、迷いだらけの俺の心は、少しだけ前に進めそうな気がした。



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194「人の道は険しく」

 俺の絶対時間感覚によれば、アルトサイドへの突入からさらに八日と十時間四十三分を経過したところだった。

 闇ばかりだった空間に、一つだけ大きな穴が開いているのを見つけた。穴の向こうは色付いており、どこかに繋がっているらしい。

 おそらくはトレヴァークに戻されるのかラナソールに行けるのか――その二択だろう。

 とにかくここではないどこかに行ける。わずかながら希望が繋がった。

 よかった。このまま永遠に闇から抜け出せなかったらどうしようかと思っていたところだ。

 でもこんなに時間がかかるのだったら、まだ生き残りを探して「人づて」で行った方が可能性があっただろうか。

 ……選ばなかった未来のことはわからないからな。考えるのはやめておこう。

 いざ穴に飛び込もうとしたところで、ラミィさんが俺の肩からぴょんと飛び降りて、ザックスさんの肩へ戻っていった。

 

「今回は貴方に譲るわ。どうやら貴方にはやることがあるようだし」

「え。お二人は一緒に来てくれないんですか?」

 

 アルトサイドでは明らかに退屈そうにしていたし、当然付いて来てくれると思っていたので、面食らってしまう。

 二人とも困った顔で肩をすくめた。

 

「穴の中ではね。距離の概念が乱れていて、よく分からないのよ」

「一緒に飛び込んで万が一俺の能力が伝播してしまったら、期せずお前を殺してしまうことになる」

「……ああ。そうですよね……」

 

 どこまでもザックスさんの能力が災いする。呪いみたいなものだよな……。

 二人とも本当は抜け出したいのだけど、次の機会がいつになるかわからない。だから先に俺に譲ってくれようというありがたい話だった。

 俺は深く頭を下げて礼を述べた。

 

「ありがとうございました。本当に助かりました」

 

 心強い味方だった。二人には何度命を助けられたかわからない。厳しくも温かい言葉には救われた。

 

「今度会うときはもう少しマシな面になっていると良いわね」

「しっかりやれよ」

「はい!」

 

 別れの挨拶を済ませた俺は、意を決して穴の中へ飛び込んでいった。

 

 

 ***

 

 

 ユウが飛び込んで間もなく、空間の穴は閉じてしまった。

 暗闇の世界から抜け出すためには、もう一度同じような穴を見つけなければならない。

 一時を共に過ごした坊やを振り返って、ラミィは目を細めた。

 

「若いって良いわね。真っ直ぐで、無鉄砲で」

「あの坊やが特別純粋なんだろうけどな」

 

 ザックスのしみじみとした感想に、ラミィも頷く。

 あれほどに感情豊かで心優しく、素直で人懐こい超越者は、永い旅の中でもほとんど見たことがなかった。

 十代半ばで時間が止まり、能力によって心の状態が保存されていることを差し引いても相当に変わっている。

 容姿だけが愛くるしい幼女のまま、内心はすっかり擦れてしまった彼女とは違う。

 悪夢に苦しめられて怯え涙を流していた彼を見て、小さな子供のようと評したが。いくらか立ち直った彼を見ても印象はさほど変わらなかった。

 子供なのだ。純粋なのだ。根っこのところが。本質的なところが。良くも悪くも。

 真に愛すべき子供の要素を大いに残したまま、知識と経験は大人になってしまったような、不思議な存在だと二人は感じていた。

 普通ならば、良い年なら知識や立ち振る舞いで着飾るところ、彼はほとんど飾らない。守らない。

 剥き出しの心のままですべての物事に触れ、受け止めようとする。だから心動きやすく、傷付きやすい。

 そしてどんなに残酷な現実を前にしても、裏切られても、人と世界の素晴らしさを信じている。信じようとしている。

 もはや無垢な赤子でも乙女でもないというのに。頑なな子供のように。

 人も世界も、それらの可能性も見限って諦めてしまうほとんどすべての者とは違う。

 誰よりも傷付きやすい道を、誰よりも困難な道を、さして強くもないのに――ぼろぼろに傷付いて泣いてしまうほど脆いのに、真っ直ぐに歩き続けようとしている。

 一見どこにでもいそうな子供。なのにその中身は、生き様は、決して誰にも真似できるものではない。

 それだけに眩しく。

 

「危なっかしいわね」

 

 彼の純粋さひたむきさは希望でもあり、不安でもある。

 純粋なだけに輝きは大きく――堕ちたときの闇もまた深い。

 実際のところはわからないが、黒性気の純度に関して言えば、数少ない覚醒者の中でもトップクラスなのではないかと思われた。

 それこそ、最強と目される『始まりのフェバル』と『黒の旅人』に並び立つほどの。

 

 そして彼がそのままで光の道を歩くには、超越者どもが力の論理で支配するこの宇宙は――この世界は、あまりにも過酷だ。

 彼があくまで小さな手を広げようとするなら。世界に挑もうとするなら。

 世界は選択と決断を迫るだろう。

 彼はフェバルにならなければならない。人のままではいられない。

 

「あの力に溺れてしまうのか。諸刃の武器として使いこなすのか。それとも」

「何にしても、なるだけ幸の多い道を歩いてくれると嬉しいもんだな」

「そうね」

 

 彼に待つ前途多難を確信しながら、二人は行く末を想う。

 そして二人はまた、マイペースな旅を始めるのだった。いつもいっしょに。



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195「ラナソール=フラグメント」

 アルトサイドから抜け出した俺に飛び込んで来たのは、一見してトレヴァークではあり得ない現実離れした光景だった。

 

 世界が……砕けて……。

 

 ラナソールは辛うじて残存していた。暗黒の空に漂う無数の浮島――フラグメントとして。

 

 以前の二大大陸は見る影もなく。欠片の一つ一つは、嵐が吹けば消し飛んでしまいそうなほど儚い。

 

 世界そのものが滅亡しているという最悪の予想は外れたものの、それに近い悲惨な状態だ。良くない想像はしていたけれど、実際目の当たりにしてしまうと言葉が出てこない。

 

 人は生きているのだろうか。みんなは無事なのだろうか。

 不安と焦燥感に駆られるが、落ち着けと自分に言い聞かせる。

 たぶん辛うじて大丈夫だ――今のところは。

 トレヴァークの約十人に一人が夢想病に倒れてしまったが、逆に言えば残りの九割は普通に生きている。

 ラナソールそのものが消し飛んだわけではないという事実から、砕けてしまった世界のどこかで今も人々は逞しく生きているはずだという推測は立てられる。

 そうだよ。ラナソールの人たちは一般の世界よりも遥かに逞しい。S級魔獣にだってひけを取らない実力者もいるんだ。きっとそう簡単にはやられていないはずだ。

 

 よし。生存者を探そう。周囲に人里はないか。

《パストライヴ》の連続使用で疑似的に空を飛ぶ。ラナソールだと多少の無茶は効く。

 俺が立っていた浮島は残念ながらさほどの大きさはなく、空から一望したところ無人のようだった。

 他の島はどうだろうか。

 さらに空高く飛び上がり、いくつかの浮島を観察してみるも、建物一つ見当たらない。

 建物はなかったというのに、嬉しくない奴はいた。

 浮島のいくつかは闇の異形のテリトリーになっているようで、奴らが我が物顔でのし歩いているのが見えたのだ。

 そうだった。こっちにもいるんだったな。

 アルトサイドほどではないにせよ、結構な数がいるみたいだ。もし気付かれたらまた追い立てられて大変なことになるぞ。

 化け物に気付かれないよう慎重に観察を続けたが、残念ながら見える範囲に人のいる様子は見受けられない。

 もっと向こうへ行ってみるか。

《パストライヴ》をさらに駆使して飛んでいく。

 ところが、しばらく進んだところで先へ行けなくなってしまった。

 というのも、空に浮かぶ土塊を闇の空が吸い込んでいるのが見えてしまったからである。

 つまりあそこから先は、ぱっと見何も変わらないけどアルトサイドに繋がっているということか。

 うーん。せっかくこっちに来たのにまた飛び込むのもな……。

 じゃあ別の方向は。

 結論から言うと、どの方向もある程度まで行くと果てがあり、その先はアルトサイドになっているようだった。

 つまり、ラナソールの一部が空間ごと切り取られているような状態になっていることが判明したのである。しかも俺のいる領域には人がいないらしい。

 これはまた厄介なことになったぞ。

 俺は頭を抱えたい気分だった。

 ラナソールにさえ来られれば人伝てに移動できると思っていたけど甘かった。人が暮らしている当たりの領域を引くまではあてもなく移動しなくちゃいけないのか。

 それにどう考えたってラナソールは人のいない領域の方が圧倒的に広い。未開の地ミッドオールが面積としてはほとんどを占めるからだ。だから当たりを引く可能性の方が相当低いと考えられる。

 ここまで来て分の悪い運任せになるとはね。またアルトサイドを命懸けで進まないといけないのか……。それも当たりを引くまでは何度でも……。

 けどもう一度闇の化け物に襲われたらどうする。唯一有効なエーナさんの光魔法は一発しかないんだ。また囲まれたらどうしようも……。

 いや、あるにはある。闇の化け物に取り憑かれたときに呼び起こされた俺の中のあの力が。黒い力が。

 あれを使えば、おそらくは通用する。けど……。

 本当に使うしかないのか? できれば使いたくないと言った矢先に。俺はあんな恐ろしくて忌まわしい力に頼らないといけないのか?

 

 弱いから。手段は選べないのか?

 

 ……今はとりあえず移動しよう。ここにいても何にもならないのだから、動くしかない。厳しいとわかっていても、行くしかないんだ。

 あの力が必要になる事態が来ないことを祈って。

 

 けれど、現実はやはり厳しかった。再びアルトサイドに突入した俺を手厚く歓迎したのは、おびただしい数の闇の化け物の群れだったのである。

 しかも、俺の天敵である悪夢を見せるタイプが複数待ち構えていた。



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196「剣神グレイバルド 1」

 エーナさんの光魔法はすぐに使わざるを得ない羽目になった。下手に出し惜しみしたせいでこの前はみすみす捕まってやられてしまった。同じ轍は踏まない。

 薄暗闇を塗り替えるほどの光が迸って、周囲一帯の異形を一つ残らず消し飛ばす。さすがの威力に救われた。

 ただ……これで当面の窮地は脱したものの、今度こそあの力を除いて攻撃手段がなくなってしまった。

 あいつらは無限としか思えないほど湧いてくるからな。次に見つかったら絶体絶命だ。

 藁をも縋る思いでザックスさんとラミィさんの気を探ってみる。都合良くまた近くにいるなんてことは……ないか。

 だが、代わりに別の気配を捉えていた。

 

 ――ん。なんだ。誰かが近づいて来る。

 

 気も魔力もわからないところから、ラナソールの人間ではないかと思われる。それでも気配がわかったのは、俺の能力がその人物の心を捉えていたからだ。

 純粋な興味。悪意は……今のところないか。

 たぶんさっき盛大にぶっ放した光魔法に気付いて興味を示したのだろう。アルトサイドで普通に活動している人なら、それも興味を持ってこっちに来るくらい余裕がある人なら、奴らへの攻撃手段を持っているかもしれない。

 もし親切な人だったら、上手く取り入れば助かるかも。でももし危険な人だったら……。

 期待半分不安半分で待ち受ける。

 やがて薄暗闇から姿を現したのは、レオンもかくやの超美麗男子だった。

 あいつもそうだけど、魅了の効果がありそうな特有のイケメンオーラが全身から放たれているのが「見えてしまう」。一際目を引く艶やかな青髪の持ち主でもあった。

 彼は俺を見つけるなり破顔した。

 

「おお! もしやと思って来てみたら、新たな客人か!」

 

 どうも見た目に反して性格の方は優男って感じじゃないみたいだ。むしろ豪快そうな雰囲気だ。

 

「あなたは?」

「私か? 私はグレイバルド。『剣神』とも呼ばれているが……知っているかな?」

 

 したり顔を寄せるこの人は、どうやら自分の知名度には中々自信があるらしい。

 でもそうだな。確かに聞いたことがある。名前だけは。

『剣神』グレイバルド。

 聖剣フォースレイダーと対を成す魔剣シュラヴェードの使い手で、冒険者ギルド至高のSSSランクだったという人物。

 けどあれって伝説にはなっていたけど、ギルドに公式の記録がないから創作とされているんじゃなかったっけ。しかも五百年前くらいの話だよね。

 伝説の本人を名乗るか。嘘を吐いている感じはしないけど、ちょっとにわかには信じがたいな。魔剣も持ってないみたいだし。

 

「伝説上の人物でしたっけ。冒険者ギルドでSSSランクだったとかいう」

「おお! 知っているか! けどその顔はあんまり信じてないって顔だな?」

 

「そうだな……ずっと大昔の話だしな。やはり格好付けで記録を消してしまった影響が大きいか」と盛大に嘆く彼を見て、ぱっと見はそんなに悪い人じゃなさそうだと警戒を少し緩める。

 うーん。本人の見た目は精々三十代ってところだよな。ラナソールでイネア先生のような長命種の話は聞いたことがないから、アルトサイドにいることが何らかの不老的な影響を与えているのだろうか。

 まあそれは一旦置いておこう。今重要な話じゃないし。

 

「ところで、どうしてこんなところにいるんですか?」

 

 こっちの方がよほど重要だ。余裕のある表情や客人という言葉からは、ただ巻き込まれただけのようには見えない。むしろ元々ここにいるような、そんな感じの印象がある。

 けど事情が気になるのは向こうも同じだったみたいで。

 

「それはこちらの台詞だ。お前は……なんて言うんだか聞いてなかったな」

「ユウです。旅人をやってます。ここには迷い込んでしまって」

 

 本当は自ら入って行ったのだけど、そんなことは言わなくてもいいだろう。

 

「ユウ……? どこかで聞いた名前だな……」

 

 首を傾げるグレイバルドさん。一応ラナソールだとそれなりに名前が知られているから、どこかで聞いたことがあるのかもしれない。

 やがてピンと来るものがあったのか、彼は再び破顔した。

 

「ああそうだった! ゾルーダたちが言ってたのはお前のことだったのか!」

 

「なるほどな。こんな奴だったのか」と訳知り顔でうんうんと頷くグレイバルドさん。

 

「ゾルーダ? 誰のことですか」

「ともすればここで出会ったのも何かの縁か」

 

 彼は俺の問いには答えずに、一人で納得している。

 

「だが私には直接関係のないことだな。義理で助けてやってはいるが、積極的に加担するつもりもないしな」

「……さっきから何の話をしてるんですか」

「うむ。一度引き合わせてみるのも面白いか。あいつらも手詰まりを感じているはずだしな」

「あのー」

「よおし! ユウよ!」

 

 いきなり力強く肩を叩かれたので、身体が驚いてしまった。

 

「お前に会わせたい連中がいる。連れて行ってやろう」

「ゾルーダって人のところですか?」

「ああ。ただなあ……互いにあまり素敵な出会いではないだろうな」

「どういうことですか」

「会えばわかるさ」

 

 彼はどこか意地の悪い笑みを見せた。

 

 

 グレイバルドさんの先導に従って、変わり映えのしないアルトサイドを延々と歩き続ける。俺には感じ取れないが、迷わないための目印として彼自身の魔力をあちこちに置いているらしい。

 この世界の闇には認識阻害の効果があるようで、ある程度離れてしまうと存在を感じ取れなくなってしまうらしい。だから適度なマッピングは必須なんだとか。

 ラミィさんとザックスさんの位置が掴めなくなってしまった理由はそれかと納得した。

 

 そしてやはりというか、闇の異形は当たり前のように襲い掛かってきた。

 俺だけだったらどうしようもなかったところだけど、今はグレイバルドさんがいる。

 助かったと安心していたら、彼はなんと俺を前に突き出して後ろに控えてしまった。

 

「さあて。お手並み拝見といこうか!」

「ちょっ! ちょっと! 待って下さい!」

「ん? 何をそんなに焦っているんだ。光魔法使えるんだろう? 見事なものだった。大した実力じゃないか。もっと力を見たいぞ!」

「あれは一発だけの切り札みたいなもので……もう使えないんです」

「むう。そうなのか?」

 

 すごく残念そうに言ってる間にも、化け物は恐るべき速度でこっちに迫って来ている。やばい!

 俺は恥も外聞もなく縋りついた。

 

「すみません! 助けて下さい! お願いします!」

「……やれやれ。お前の実力がどんなものか、少しは期待していたんだがな」

 

 心底落胆したように溜息を吐くも、すぐに不敵に笑ってみせた。

 

「まあ頼られるのは慣れている。それに――嫌いじゃない」

 

 

 ――え?

 

 

 彼が言葉を終えた瞬間、その場から風のように消えてしまった。

 

 そして振り向いたときには……とっくに戦闘は終わっていた。

 

 闇の異形は斬られ、霧散しようとしていた。俺の目に辛うじて映ったのは、彼が手に創り出した剣をしまう瞬間だけだった。

 

 見えなかった……。ほとんど何も。

 

 信じられない。アルトサイドではラナソール並みに身体能力が上がっているんだぞ。それなのにまったく見えないってことは……。

 彼は汗一つない飄々とした顔で戻ってきて、得意げに言った。

 

「どうかな。『剣神』を間近で見た感想は」

 

 驚きで言葉が出てこない。

 

 宇宙は広いな。とんでもない人がいた。

 フェバルじゃないのに。初めて出会ったよ。

 

 この人――フェバルと互角に渡り合えるかもしれない。



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197「剣神グレイバルド 2」

 剣神の名は伊達ではなかった。

 グレイバルドさんは圧倒的な強さを見せつけた。道中でどんな厄介なタイプの異形が現れても、どれほど大量に現れようとも、すべて目にも留まらぬ速さで一刀の下に斬り伏せてしまう。

 ザックスさんのような特殊能力ではない、純粋な実力によってである。俺の目でも捉え切れない速度は、これまで出会ったどのラナソールの人間を遥かに凌駕していた。

 剣の威力もまた凄まじいものがある。魔剣シュラヴェードというのは、どうやら彼自身の手によって創り出される特別な魔法気剣の類いであるらしいというのは、見たものの絶対記憶を分析してようやくわかった。というのも、剣の創出から攻撃からしまうまでの動きがあまりに速く洗練され過ぎていて、ほとんど残像しか見えなかったからだ。

 いかに許容性無限大とは言っても、ただの人間がこれほど強くなれるものなのかと心底驚かされる。

 本人の言うように伝説は実話で、実際長い時を生きてきて、気の遠くなるような年月修行を重ねた末の到達点なのだろうか。

 

 十度目の襲撃を容易く退けてから、彼は肩を竦めて言った。

 

「やれやれ。今日はいつになく多いな」

「やけにしつこいなとは思いましたけど。いつもは違うんですか?」

「当社比300%というところだな。お前、よほどあいつらに好かれてるんだろうな」

「こんな恐ろしい連中に好かれるような心当たりがないんですけど」

「はあん。さてはお前、見かけによらず業が深いな?」

「……そうかもしれません」

 

 色々あったからな……。

 

「けど、だから何だって言うんですか」

「あいつらナイトメアは、人の闇や弱みに付け込んで引きずり込み、仲間を増やそうとする。心の内の闇が深いほど引き寄せられてくるんだ」

 

 そうだったのか。初めて知った。名前も生態も。

 確かに今の俺は大分弱っているだろうし、闇も抱えてしまっている。

 だから俺にしつこく襲い掛かってくるのか……。

 それにしてもナイトメア――悪夢ね。何となく由来もわかる気がするな。

 

「ナイトメアって言うんですね」

「私たちが勝手にそう呼んでいるだけだけどな」

 

「シンプルだが的を射た名前だろう?」と続けてから、グレイバルドさんは遠くを見つめた。

 

「ラナソールは人の希望と夢ばかりを集めたような世界だ――少なくとも最近まではそうだった……はずだ」

 

 最後言葉を濁したのは、悲惨な現状を彼も知っているからだろう。

 

「だけどな。人が希望ばかり、素敵な夢ばかりを見ることがあるだろうか」

「ないでしょうね。光あればまた闇もある、というわけですか」

「そうだ。ラナソール世界が素晴らしい場所であるためには不都合な存在、言わば悪夢のようなものも同じだけ存在する。そいつらも希望や夢と等しく力を持ち……不都合を嫌う世界によって溜まり場に押し込められた。この狭間の領域――アルトサイドにな」

「なるほど。そういうことでしたか」

 

 やっぱりあいつらはそうやって生まれて、押し込められてきたモノだったのか。

 ラナソールが理想の夢に満ちた世界なら、アルトサイドはそこから零れ落ちた悪しきものの集まり。暗黒面というわけだ。

 

「彼らは世界にとって邪魔な、切り離された不要物だ。だから生まれたときから自分を虐げた世界を恨んでいるのさ」

 

 ナイトメアのあの世界のすべてを恨むような叫び声や破壊衝動は、本当にそうだったんだな。

 改めて危険性を認識するとともに、可哀想な連中だとも思う。

 

「もっとも、世界にとって不都合で切り離されてしまったという点では私たちも変わりないけどな」

「ではあなたたちは……」

「ああ。私たちはここアルトサイドに住まう者――アルトサイダーと自称している」

 

 そう言った彼は、自身を誇るというよりはやけに自嘲めいた様子だった。

 

「お前はこの世界を見てきてどう思った? 正直に言ってくれ」

「正直……あまりに厳しいところだと思います。こんな何もないところにずっといたら、気がおかしくなってしまいそうです」

「そうだよな。それが普通の感想だよなあ」

 

 グレイバルドさんは苦笑しながらひとしきり深く頷いて、

 

「だから何でも許されるとは言わないが……あいつらの気持ちもわかってしまうんだよな。わかってやって欲しいもんだな」

 

 独り言なのか俺に向けた言葉なのか、中途半端な感じで言った。

 

「わかってやって欲しいというのは?」

「なあに。会えばわかるさ」

 

 彼はにやりと笑って続ける。会えばわかるってどういうことだろう。

 

「そういう意味じゃ、私はすごい変わり者なんだろうな。私は平気なんだよな」

「えっ!? よく平気ですね」

「私はまだまだ生きていたかった。さらに剣を極めて強くなりたかった。そのためには、辿り着いたこの世界は都合が良かったんだよな」

 

 すごいな。散々ナイトメアに襲われている俺からすると、都合が良いだなんて天地がひっくり返っても思えそうにない。

 

「何せ放っておいても修行相手のナイトメアどもがわんさか湧いてくるし、寿命で死ぬこともないからな。私のようなただ剣を振るっていれば良い馬鹿にとっては、そんなに悪くないところさ」

 

「ただまあ、私のようなのは例外中の例外なんだろうなあ」と整った顔で豪気に笑うグレイバルドさんを見て、俺は彼の本質を理解した。

 この人、ジルフさんと同じ修行バカだ。



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198「ユウ、アルトサイダーと接触する」

「着いたぞ」

 

 グレイバルドさんに案内されてやって来たのは、白いドーム型の巨大な建造物の前だった。一切の突起のないつるりとした形状で、入口らしいものも見当たらない。

 これは……。前にハルと一緒に映像で見たことがある。

 ナイトメアが執拗に襲い掛かろうとして、最後まで弾き返されていた建物じゃないか。

 なるほどね。グレイバルドさんの仲間たち、アルトサイダーにとっての生活防衛施設だったということか。

 

「この中に会わせたい人たちがいるんですね」

「そうだ。少しここで待っていてくれ。入れてもらえるよう話を付けてくる」

 

 彼は俺をその場に留め置いて、一人でドームの壁の一か所に手を触れた。

 そして壁に向かって喋っているようだ。

 何を喋っているのか聞こうとしたけど、なぜか声がこちらまで届いて来ない。距離的に聞こえないこともないはずだけど、何か音声を防ぐ魔法でも使っているのだろうか。

 声が聞こえなくても彼の表情は見える。察するに、交渉は難航しているようだった。

 彼が離れている間にナイトメアに襲われないか心配になってきたところ、ようやく戻ってきた。

 

「私が監視するという条件付きで入れることになった」

「よそ者ですからね。警戒されても仕方ないですよね」

「まあそれもあるんだけどな」

 

 彼はやけに含みのある苦笑いをしたが、俺にはまだ意味がわからなかった。

 

「とにかくあまり手荒な真似はしてくれるなよ。私も約束した手前、力づくでも止めないわけにはいかないからな」

「よほどのことがなければ大丈夫だと思いますけど」

 

 これでも普段はかなり穏やかな方だと思うんだ。たぶん。

 でも彼の懸念の意味するところを、俺はもう少し後でよくよく思い知らされるのだった。

 

 滑らかなドームの表面に穴が開いて、ちょうど人が二人分通れそうな入口になった。

 中に入ると、ドームの中は明るく、また温かった。

 眼前には立派な街並みが広がっている。装飾や遊びの多い建物の造形はトレヴァークよりかラナソールチックな雰囲気で、どことなく魔法都市フェルノートの匂いを感じさせる。

 大層な街並みに反して、人気はまったくと言っていいほどなかった。無音が支配する様はまるでゴーストタウンのようだ。

 

「静かな町ですね」

「今はな。ゆくゆくは賑やかにしていきたいようだが」

「俺に会わせたい人というのはどこにいるんですか?」

「大通りを真っすぐ進むと市庁舎ホールがある。そこに全員集まっているそうだ」

 

 彼らがいるという場所に近づくにつれて、妙に心がざわついてきた。

 

 ……なんだ。嫌な感じがする。

 

 不安だとか敵意だとか、そういったものがありありと感じられるようになった。

 単によく知らない相手を警戒しているにしては強い感情だ。嫌われるような因縁でもあるのかな。相手のことを知らないからよくわからないけど。

 

 市庁舎ホールに着いた。階段を登り、大会議室の一つへと案内される。

 

 そして扉を開き、彼らの――そいつらの顔を見た瞬間――おおよその事情を理解して。

 

 俺の怒りは完全に沸騰していた。

 

「お前らああああああああーーーーーーーーっ!」

 

 胸倉を掴みかかろうとして、グレイバルドさんに肩をロックされた。

 

「落ち着け! 暴れるんじゃない!」

「……っ……あなたもこんな奴らの仲間だったんですか!?」

「……数少ない運命共同体だからな」

「見損ないましたよ! おい! お前たち! 自分がどれほどひどいことをしたのかわかってるのか!」

 

 そうだ。こいつらの何人かはよく知っている。

 忘れもしない。あのとき俺の行く手を阻んできた奴らだ!

 お前たちがあそこで邪魔をしなければ。ヴィッターヴァイツに協力さえしなければ、俺はあいつを止めて、聖地ラナ=スティリアのみんなを助けられたんだ! あいつの野望は頓挫し、レンクスやジルフさんがきっとあいつを懲らしめてくれた! ラナさんはやられなかったし、ウィルは確かに世界を壊そうとしていたけれど、話が通じたかもしれない。世界が今ほど悲惨な状態にならなかったかもしれなかったんだ!

 それを……お前たちが……!

 

 女の一人がくすくすと笑いながら言った。

 

「あらら。随分と威勢の良い子っすねえ」

「だから私は会うの反対したのよぅ」

 

 別の女――こいつは知ってる奴だ――がびびった顔で返す。

 そして、あのときブラウシュと名乗っていた男が答えた。

 

「失敗したとは思っているさ。俺たちも困っているんだ」

「ふざけるなよ。何が失敗しただ。何が俺たちも困っているだ! 他人事のように言いやがって! わからないって言うんだったら思い知らせてやる!」

 

 どれほどの人が闇に堕ちて、今も苦しんでいるのか。どれほどの残された人が深く悲しんでいるのか。

 少しでも人の心があるなら。どうしてそんな平気な顔をしていられるんだ!

 許すものか。俺の能力を使ってでも、この痛みと悲しみを教えてやる!

 

「離せよ!」

「そいつはできない相談だ。これ以上暴れるなら痛めつけてここから放り出すぞ」

 

 構わずもがくものの、体格で劣り、力も圧倒的に向こうが上で全然ロックが外れない。

 

「くそっ! どうして俺をこんな連中に引き合わせようなんて思った!」

 

 俺だって我慢ならない相手はいる。わかっていたなら、こうなることは目に見えていたじゃないか。

 あなた自身からはそんなに嫌な感じはしなかった。悪い人ではないと信じていたのに!

 睨みつけると、グレイバルドは困った顔をしながら答えた。

 

「……もしかすると、現状を打開する戦力になるかと期待してな。私は別に構わないんだが、全員困っているのは本当なんだ」

「ああ! もう大体わかったよ! どうせ世界をぶっ壊したのはいいけど、ナイトメアは暴れるしダイラー星系列はやって来るしで、思い描いていたはずじゃなかったって言うんだろ!? どの面下げれば協力が得られるだなんて図々しい発想になるんだ!」

「だが望む望まざるとに関わらず、現実を考えるなら君は僕たちの手を取らざるを得ないだろうさ」

 

 特徴的な銀髪を散らかした男が、余裕を湛えた笑みを浮かべて歩み出て来た。

 

「ゾルーダという。一応僕たちアルトサイダーの取りまとめ役をしている」

「お前か。あのふざけた真似を指示したのは!」

「そうだな。見苦しい言い訳はしないさ。僕たちの自由のために必要だと思ったからやった」

 

 ほとんど全員が頷いた。

 グレイバルドだけは少し思うところがありそうだが、他は微塵も悪いとは思っていない顔だ。

 

「そうかよ……」

 

 空恐ろしいものを感じて心底引いてしまった。おかげで俺は少しだけ冷静になってしまった。なんて奴らだ。

 

「こんな退屈で恐ろしい敵だらけの場所に永遠といなければならないことがどれほどの苦痛か、ここまでやって来たあなたならわかるでしょう?」

「だから俺たちはどうしても世界の境界を壊す必要があったんだ」

「だけどなあ。思うようにはいかないもんだよなあ」

 

 そして彼らは口々に言い訳のような説明を始めた。

 ラナソールの理から外れてしまった者は、薄暗闇の世界に堕ちる。

 アルトサイダーは永遠の命を得る代わり、この世界からほとんど出ることは叶わない。少しの間だけなら無理に出ることはできるが、居座れば存在自体が消えてしまう。

 彼らが本当の自由を得るためには、世界の境界に消えることのない十分大きな穴を開ける必要があった。

 だからやったと。何の悪びれもなく。

 

 話を聞いていて、怒りを通り越して呆れ、さらには悲しくなってきた。

 こいつらは、立派な信念があって世界を破壊しようとしたわけではない。

 ただ元は普通の人間だった者が外れて(しかも大半は不死のために自ら望んで!)この世界の住民となり、ゲーム感覚が抜けないまま過ごし、そしてただ己の欲望のために周りを蔑ろにしようとした。それだけのことだったのだ。

 確かに何百年何千年と闇と敵ばかりの世界で過ごすのは想像を絶する苦痛だろう。俺ならとても耐えられないだろうし、そこは大いに同情する。

 けれど、まったく出られないわけじゃないんだ。少しの間だけならラナソールやトレヴァークで過ごすこともできると言っていた。

 だったら、望んで得た永遠の命の代償だと思って、どうして我慢できなかったのか。どうしても自由を得たいなら、なぜもっと平和方法を探し求めなかったのか。

 どうしてこんな奴らのために、彼らの自由ただそれだけのことのために、二つの世界全てが犠牲にならなければならなかったのか!

 できることなら今すぐにでもこいつらを捕えて、しかるべき場所で裁いてやりたかった。たとえ俺が断罪する立場になくても、こいつらのせいで犠牲になった者たちに向けて罪を明らかにしてやりたかった。

 だけど今はそうしている場合ではないし、こいつら自身が言うように、こいつらには重大な利用価値があるのだった。

 

「道に迷っているんだろう?」

「だったら何なんだよ」

「賢明な君ならもうわかっているはずだ。僕ならば一度だけ君の望む場所へ送ってやることができる。どうだい?」

「……っ……!」

 

 腹立たしいほどに魅力的な提案だった。これまでがむしゃらに進んでも進んでも迷うばかりで得られなかった「確実な移動手段」が、目の前にある。もし断るならばどれほどの時間のロスになるかわからない。

 だけど……だけど……! どうしてよりによってこいつらなんだ!

 俺は苦悩した。感情としては今すぐにでもぶちのめしてやりたい。けれどそんなことをしても意味がないことは明らかだ。すべては既に終わってしまったこと。何の解決にもならない。それにグレイバルドも止めるだろう。

 だが手を取るならば、確実に一歩進むことはできる。

 迷った末俺は……大人の決断をするしかなかった。

 

「……乗ってやるよ。お前たちは俺に何を求める? 変なことをさせようとしてみろ。刺し違えてでも止めてやるからな」

「やれやれ。物騒っすねえ」

「元より嫌われているのはわかっているさ。ここはビジネスライクにいこうじゃないか」

「言ってみろ」

「僕たちがまず求めるのは生活圏の確保さ。もちろんこんなところではない、ね。それにはある程度の不安定で良かった。だけど今は不安定になり過ぎている」

「つまりどうすればいいんだ」

「漠然としていた頼みだが、なるべく世界の形を取り戻して欲しい。望むところだろう?」

「自分たちで壊そうとしておいて今度は直そうだなんて、よく言えたもんだな。でも……わかったよ」

「では交渉成立だな」

 

 厚かましくも手を差し出してきたゾルーダ、そしてそれを当たり前のように歓迎する面々を見て、俺は深く溜息を吐いた。

 

「確かにお前たちの境遇には同情するよ。俺ならずっとこんなところにいたら気がおかしくなってしまうかもしれない」

 

 握手の代わりに握り拳を作る。

 

「けどな」

 

 静かな怒りに身を任せて、俺は無理に拘束を振りほどいた。そして、目の前のゾルーダを一発だけ思い切り殴り飛ばした。

 壁を突き破って吹っ飛んでいく奴の姿に、他の連中は狼狽え、また俺に非難の目を向けた。

 グレイバルドもまた険しい顔を俺に向けたが、正面から睨み返すと俺の意を察したのか、何も咎めなかった。

 

 今さらこいつらを倒したところで、何の解決にもならないことはわかっている。わかっているさ。

 だけど、こいつらの身勝手で犠牲になった人たちや今も苦しんでいる人たちのことを想うと、けじめとして何もせずにはいられなかったんだ。

 いきなり殴られて気分が良いわけがない。やがて仏頂面で戻ってきたゾルーダを見据えて、俺は冷静に、だがきっぱりと言った。

 

「俺はお前たちを許さない。いくら可哀想な事情があったって、他人を踏みにじって自分たちだけは自由を謳歌しようだなんて、そんな勝手は許されない」

「おい。てめ――」

「黙れ」

「……くっ!」

 

 黒い力が漏れかけているのを感じる。しっかり理性で抑えておかないと、わけもなく暴力を振るってしまいそうだ。

 何度か深く息を吸い、どうにか心を落ち着けてから続けた。

 

「今だけは協力してやる。でもいずれ必ず報いは受けてもらうぞ」

「……心に留めておこう」

 

 こうして互いに腹に一物抱えたまま、一時的な利害の一致というだけの理由で、俺とアルトサイダーは渋々ながら手を組むことになった。



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199「ゾルーダの手を借りて」

 アルトサイダーの中でもリーダー格のゾルーダは、アルトサイドとラナソールやトレヴァークを行き来する特殊な能力を持っているらしい。

 基本的に好きな場所へ行けるということだが、一度外へ送り届けるだけで勘弁して欲しいと言われてしまった。

 

「今は時空が不安定になっているからね。ラナソールならいざ知らず、現実となると最悪肉体を持たない僕自身が消えてしまうかもしれない」

「そんな心配をしなくていいようにわざわざ世界を破壊させたんじゃないのか」

 

 皮肉をたっぷり込めて言ってやると、ゾルーダは苦笑して肩を竦めた。

 

「何事も計算通りにはいかないということさ。ただでさえ厄介な連中がうろうろしているんだ。できることならずっと静観していたいものだね」

「全部人にやらせて、自分さえ良ければ後は何だっていいわけだ」

「否定はしない」

 

 このクズ野郎め。

 

「ゾルーダ。あまり煽って怒らせない方がいいよ。どう見たってこの人、このクズ野郎めって顔してるでしょ」

 

 悪態を隠さないゾルーダを嗜めたのは、クリフと名乗る見た目は少年然とした男だ。もっとも、アルトサイダーはフェバルと一緒で加齢が止まっているらしいから、実年齢は何歳かわからない。

 

 よくわかったな。そんなにわかりやすかったか。

 

「今さら取り繕ったって仕方ないだろう」

 

 あくまで悪びれないこいつに心底呆れつつ、根っこのところではこいつと何も変わらない連中にも改めて厳しく目を向ける。

 グレイバルドだけは申し訳なさそうに「すまないな。これでも腐れ縁なんだ」と小声で耳打ちしてきたけれど、そんなことで溜飲が下がるはずもない。

 ただ今だけは手を出さないという取引だ。約束を違えてはここから出ることも叶わない。我慢しろ自分。

 

「それで、どこへ行きたい?」

「一か所だけというなら……トリグラーブだな」

「いいだろう」

 

 ダイラー星系列の動向を伺いつつ、リクやシズハやハルたちの無事も確かめられる。みんなに会えれば行動の幅が一気に広がるはずだ。

 でも急いで向かう前に、もう顔を見たくもない気持ちをぐっと堪えて、アルトサイダーと情報交換をしておくことにした。今は少しでも情報を得ておきたい。

 

 トレインソフトウェアで得たディスクは、実はこいつらが作ったものだったらしい。あの日のことについてもより詳しく知ることができた。知ったところで怒りが増すばかりだったが。

 

「じゃあヴィッターヴァイツと組んでいたわけじゃないのか?」

「あんなキチガイみたいなおっさんとつるむわけないっすよ」

 

 クレミアの言葉を聞いて少しだけ安心した。ただ同時に、非常に恐ろしい予感を覚えた。

 

「ちょっと待ってくれ。ということは、あいつを一方的に利用したのか!?」

 

 それはまずい。よりによって一番まずい奴を……。

 一人だけ戦慄する中、ゾルーダが何でもないことのように首肯する。

 

「直接の接触は危険と判断したのさ。ディスクの情報さえ渡しておけば、後は勝手に動いてくれたよ」

「なんて恐れ知らずなことを……!」

 

 直接の接触という最悪の選択肢を避けたことはまだ運が良かった。だけど知らなかったとは言え、あの残忍で狡猾な男を利用しようだなんて命知らずもいいところだ。

 

「そんなにやばい人なのかしらねぇ」

「やばいなんてものじゃない」

 

 全員とも上手くしてやれてるみたいな顔をしているけど……。

 どれほど危ない橋を渡ってしまったのかわかっていない。世界のこともそうだけど、どこまでゲーム感覚なんだ。この危機感のなさ、当事者意識のなさは呆れる以上に致命的だ。

 さすがにまずいと感じた俺は、せめて警告くらいはしておくことにした。いくら憎くても人として裁かれる権利はあるはずだ。ゴミのように潰されて良い道理はない。

 

「よく気を付けた方がいい。あいつはプライドが高いから、結果的にあいつの役に立ったとしても利用されたことはきっと快く思っていない。見つかったらどんな仕返しをされるかわからないよ」

「でも、さすがにアルトサイドにまでは来られないよね?」

「そうかもしれないけど……わからないよ。もし見つかったらすぐ逃げるんだ。俺の見立てでは、剣神でも戦いにならないかもしれない」

「「マジかよ(なの)!?」」

 

 一同にどよめきが走る。やはり最終兵器として当てにいる者でも敵わないと言われては、ショックが大きいようだ。

 

「そいつは本当なのか? さすがに聞き捨てならんな」

 

 当の本人は、不服を隠さずに鋭い眼光でこちらを睨み付けてくる。

 

 気に入らないだろうな。自分の強さには絶対の自信があるはずだ。

 

 けどいかにグレイバルドがフェバル級だろうと言っても、ヴィッターヴァイツはフェバルの中でもさらにジルフさんと正面切って戦えるほどの武闘派だ。正直普通に戦えたとしても勝てるかどうか。

 だけどそれ以上に危ない理由がある。

 

「あいつはただ強いだけじゃないんだ。厄介な能力がある」

「厄介な能力だと?」

 

 ヴィッターヴァイツには極めて厄介な特殊能力【支配】がある。世界が崩壊しかけている今、能力の使用制限もなくなっているだろう。

 三種の超越者でなければ、そもそも抵抗することすらできない公算が高い。

 フェバルについてあまり余計なことは触れずに、けれど奴の能力のことにはしっかり触れて厳しく注意を促した。

 

「別にお前たちなんかの心配をするわけじゃないけど、ちゃんとした形で裁きも受けずに殺されるのは嫌だからね。もしあいつと出会ったらすぐに逃げるんだ」

「確かに強いとは思っていたが、ガチでそこまでなのか?」

 

 アルトサイダーの一人、オウンデウスが首を傾げている。他の人の反応も芳しくない。

 ヴィッターヴァイツが他人を操るということは全員理解したようだ。実際に聖地で女性を操っているところを見たことがあるからだろう。

 だが為すすべなく問答無用で操ってしまうという部分がどうにも信じられないらしい。なまじ己の力に自信を持ってしまっているために、自分たちにはそう簡単には通用しないとでも思っているのだろうか。

 そんな生易しいものじゃないんだよ。フェバルの反則的なチート能力というのは。

 納得させられないことに失望を覚えながらも、もう一度念を押しておく。

 

「いいか。もしほんの少しでも見かけたら真っ先に逃げるんだ。間違っても話しかけたりまた利用しようだなんて思うなよ」

 

 やはりグレイバルドも含め、そこまで響いていない様子だ。

 

「……忠告はしたからな」

 

 ここまで言ってダメならどうしようもない。勝手にしろ。

 

 

 ナイトメアに関する情報も教えてもらう。やはり光魔法による攻撃でなければ通用しないこと、仮に殺されてしまうか捕まるなりして完全に悪夢に染め上げられてしまうと「ナイトメア化」してしまうのだと言う恐ろしい事実も聞かされた。

 やっぱり相当危ないところだったみたいだ。俺。心の中で改めてザックスさんとラミィさんに感謝しておく。

 

 それから、あの日以来フウガと連絡が取れないということを知った。確かに姿がないな。

 もし見かけたらよろしくと言われたが、何をよろしくすることがあるのか。まあ厄介な実力者ではあるから頭の片隅には留めておこう。

 

 一通り情報交換も終えた。もう用はない。目的地に向かうことにしよう。

 

「どうすればいいんだ」

「僕の手に掴まってくれ」

 

 言われるままゾルーダの手を掴む。まるで血の気のない死人のような冷たさに少し驚くが、顔には出さないようにした。

 

「行くぞ。途中で手を離すなよ」

 

 視界が切り替わる。手を引かれながら、闇を潜っていくような不思議な感覚が全身を包んだ。

 やがて光が見えてくる。外の世界だろうか。

 すると、ゾルーダが言った。

 

「僕はここまでだ――じゃあな」

 

 悪意を感じた瞬間、奴に強く蹴り飛ばされていた。

 蹴られた勢いで光に突っ込む。次の瞬間には尻餅をついていた。

 

「いたた。あいつ、やってくれたな」

 

 あいつもあいつで殴られたことは根に持ってたみたいだな。仕返しできないのを良いことに、絶妙なタイミングでやってくれた。

 起き上がって周囲を確かめる。どうやらビルとビルの間、人気のない路地裏のようだ。

 見慣れた街並みに、遠方にそびえるグレートバリアウォールが映る。ただ一つ、明確に今までと違うのは街並みと山々を隔てる障壁だ。それは全方位くまなく張られており、外部からの侵入はとても不可能に思える。

 だが着いた。随分苦労したけれど、借りたくない奴の手を借りてまで、ようやくトリグラーブへ生きて辿り着くことができた。

 でもほっとしている場合じゃない。やっとスタート地点に立ったばかりだ。

 みんなは無事だろうか。

 見回りの機械兵器がいないことを確かめて、俺は慎重にビルの隙間から抜け出した。



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200「J.C.とアルトサイドに堕ちた少女」

 J.C.はアニエスと別れた後、ラナソールへ向かおうとしていた。

 ところがである。

 運の悪いことに、星脈移動中に流れが大きく変わった。世界に生じた綻びに引き寄せられる形で変わってしまったのだ。

 星脈という宇宙規模の大きな力に対して、一般のフェバルはあまりに無力である。彼女は何も抵抗できないまま、変わった流れの行く先、二つの世界の狭間であるアルトサイドに漂着した。

 彼女はジルフたちと合流することもなく、薄暗闇の世界を一人あてもなく彷徨う羽目になった。

 

 J.C.は戦闘タイプではないが、非戦闘タイプとしては極めて戦いに長じたフェバルである。

 かつて新人だったヴィッターヴァイツに対して、「フェバルとしての」手ほどきをしたのも彼女だ。初めて「ヴィット」と知り合ったとき、彼は武人として「人間レベルでは」高いレベルにあったが、「フェバルとしては」まだまだひよっ子であった。

 フェバル級ともなると、身体の動かし方も戦い方も一般人の常識とはまるで違ってくる。その辺りの妙を厳しく叩き込めるくらいには、彼女は当時から戦闘慣れしていた。戦闘者として「才能の塊」であった「ヴィット」は、彼女とのマンツーマン指導の下でメキメキと潜在能力を開花させていった。

 それはさておき、要するに彼女は強かった。光魔法も当然修めており、襲い来るナイトメアを蹴散らしながら平気で過ごしていた。

 

 そうしているうちに、ミッターフレーションが起きた――。

 

 アルトサイドでも激しい異変は起きていた。

 次々と世界に穴が開き、光が漏れてくる。それぞれの繋がる先がラナソールなのかトレヴァークなのかはわからない。

 J.C.は何か大変なことが起きてしまったのだと察した。アニエスが予言していた世界の崩壊が起きてしまったのだろうと。悲しいことではあるが、ただこの物騒なアルトサイドから抜け出して仲間を探すチャンスであることも確かだった。

 

 勘で当たりを付けて飛び出そうとして――彼女は足を止める。

 

 穴のうちの一つの向こうから何かが――いや、誰かが降ってくるではないか。

 

 フェバルの優れた動体視力がその人物の姿を捉えたとき、J.C.は驚いて目を見張った。

 

「ユナ……!?」

 

 いや、違う。そんなはずはない。彼女は亡くなったはずだ……。あのときのことはアニエスから聞いた。

 

 J.C.はいやいやと首を振ってよく目をこらした。よく見てみれば、彼女の顔立ちは自分の親友によく似ていたが、幾分あどけない。

 

「ユナじゃない……。でも……どこか」

 

 ひどく懐かしい気配だった。

 

 一瞬見間違えてしまうほどよく似ていた。見た目が。全身から感じられる雰囲気が。

 

 ……そして、消えていく命の灯が。特別な能力を持つ彼女には、気を読むだけではわからない――命というものが持つ「色」が感覚でわかるのだ。その「色」が親友にそっくりだった。

 

「…………」

 

 J.C.は口の端を固く結んだ。

 こちらへ向かって落ちてくる彼女が、一般に言う死亡状態であることは見てすぐにわかった。胸に大きな風穴が開いている。心臓が貫かれている。

 禁忌の力を持つフェバルとして、一般人に対してはあまり力を振るうことのないJ.C.であるが、このときばかりは人としての感情が勝った。

 

 これも何かの巡り合わせだろう。

 

 あの子を助けよう。助けなくちゃいけない。

 

 足は逸り、J.C.は落ちてきた少女を自らの手でしかと受け止めていた。

 

 冷たい。既に人としての温もりは失せていた。

 

 間近で顔を覗き込んでみると、いっそうユナとの類似を感じられた。

 生気のない顔には、涙の痕が色濃く残っている。よほど苦しかったのだろうか。辛かったのだろうか。胸が締め付けられる。

 

「大丈夫。今助けるからね」

 

 J.Cは少女に手をかざす。

 

 彼女の能力とは、ある意味で究極の癒しの力である。

 

 ただし、死を超越することはできない。死は絶対にして永遠に取り返しの付かないものである。

 

 だが、人はいつ死んだと言えるだろう。

 心臓が止まったときだろうか。脳が死んだときだろうか。あるいはその両方か。

 

 否。

 

 J.C.にとって死とは、細胞のすべてが完全に活動を停止したときであると定義される。

 

 だから、まだほんの細胞のひとかけらでも彼女が「生きて」いるならば――。

 

 J.C.の手は、失われていく少女の生命が持つ「色」――わずかながら生きている細胞を探り当てた。

 

 よかった。まだ辛うじて「生きて」いる。これなら助かる。

 

 J.Cの手から、温かな光が放たれる。

 

 癒しの光。生命の光。

 

 彼女の能力の名は。

 

 

【生命帰還】

 

 

 完全なる死を除いて、あらゆる生命の状態をダメージを受ける前へと完璧に戻すことができる究極の癒しの力。

 温かな光が、少女の全身を柔らかく包み込んだ。

 

 だが思うように回復が進まない。J.C.は顔をしかめ、さらに光を強くする。

 何かの能力が【干渉】して回復を妨げようとしているようだった。だが特化型である彼女の能力は、生命の状態を元に戻すという一点に関しては、万能型である【干渉】の効果を上回っていた。

 少女の肉体が回復していく。心臓が貫かれる前の状態へと。少女の顔に次第に生気が戻っていく。

 

 やがて少女は――ユイは、ゆっくりと目を開けた。



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201「J.C.と目覚めた少女」

 ここは……。

 

 目が開いたとき、視界に入ったのは私を心配するように覗き込む一人の女性の顔。

 

 それからどこまでも広がる闇だった。ここがまったく新しい世界ではなく、アルトサイドであることを示唆していた。

 

 どうしてここに……? 私は……。

 

 そうだ。私はあのとき、ウィルにやられて……。

 

 恐る恐る胸に手を当ててみたけれど、空いているはずの穴は塞がっていた。それに不思議と頭はすっきりしている。身体に力が入らないということもない。

 

「大丈夫?」

 

 声をかけてきた女性に答えることはできなかった。

 

 すぐにあのときのことが蘇ってきたからだ。

 

 ユウが泣いてた。実際は泣いてなくても、心が泣いてた。

 私の大好きな優しいユウが遠ざかっていって。怖いユウが。あの黒い力が……。

 必死に止めようとしたけれど、声も届かなくて。

 

 薄れゆく意識の中、レンクスが必死で呼びかけてくれていたことは覚えている。でもそれに答えることもできなくて。

 

 ユウを止められなかった。レンクスの声に答えることも。

 

 助かった安堵よりも、二人のことを想うと心が痛かった。

 

 そして私がこの薄暗闇の世界にいるという事実。ユウやみんなが側にいないという事実。

 あれから世界は……。

 

 ああ……!

 

 どれほどのことが起きたのか、薄々理解してしまったの。

 

『ユウ! ユウ!』

 

 必死に呼びかける。

 

『お願い! 返事をして! ユウ!』

 

 何度も何度も。

 でも返事は来ない。心の声は届かない。

 

 どうして。どうして届かないの!?

 

 伝えたかった。

 私はちゃんとここにいるよって。生きてるよって。大丈夫だよって言って抱き締めてあげたかった。

 

 いくら呼びかけても返事がないことで、心の繋がりが切れてしまっているのだと悟る。

 ユウは私が死んでしまったと思っているに違いない。もしかしたらもう二度と会えないのではないかとすら思っているかもしれない。

 私はユウと違って、能力によって生み出された存在。オリジナルのフェバルじゃないから……。

 だとしたら!

 どれほど辛いことなのか。

 ユウがどれほど私のことを大切に思っているかは、ずっとあの子の心に触れてきた私が一番よくわかってる。

 身を引き裂かれてしまったような思いだろう。私がそうであるように。

 どれほどの悲しみが、絶望がユウを襲っているのか。もしあの黒い力に呑まれてしまったのだとしたら……!

 

 そのことに思い至ったとき、零れてきたのは涙だった。漏れてきたのは嗚咽の声だった。

 名前も知らない女性は、黙って胸を貸してくれていた。その行為に感謝する余裕もなくて、私は最後まで隣にいられなかった自分の無力を――そして一人残されたユウを想って泣き続けた。

 

 どれほど泣いていただろう。いつまでも泣いているわけにはいかなくて。

 ううん。泣いている場合じゃない。本当はわかってる。

 私はユウと違って、ユウが生きてることを知っている。

 何があったのかはわからないけれど、今私は生きているのだから。またきっとユウに会えるのだから。

 いや、何としても会わなくちゃいけない。隣に戻らなくちゃいけない。

 もしユウが深い闇に堕ちているのだとしたら、救い出してあげなくちゃ。もしユウが寂しさに凍えているなら、温めてあげなくちゃ!

 

 決意が固まると、涙は止んでいた。それを待っていたかのように、私の涙を受け止めていた女性は口を開いた。

 

「落ち着いたかしら。よほど辛いことがあったようね」

「すみません。たぶんあなたが助けてくれたんですよね?」

「ええまあね。あなた、ほとんど死んでたのよ?」

「本当にありがとうございます」

 

 あのときの私の状態は自分が一番よくわかっていた。

 絶対に助からないはずだった。レンクスでさえ私を救うことを諦めていた。

 それを救ってくれたこの人は……間違いなくただ者じゃない。私たちと同じフェバルか何か。

 

 私のお礼を聞いた彼女は嬉しそうに頷き、それからどこか申し訳なさそうに尋ねてきた。

 

「ところでいきなりで悪いのだけれど、あなたの名前を知りたいの。……よく知っている人と妙に似ていてね。懐かしくて。それでつい助けちゃったのよ」

「……そうなんですか。私、ユイです。星海 ユイ。この世界だとかなり変わった名前なんですけど」

「星海……まさかね」

 

 目を伏せて思い詰めたような素振りを見せた女性は、ぽつりとその名を口にした。

 

「星海 ユナという女性を知っているかしら」

 

 大変なことも一瞬忘れてしまうくらい驚いた。

 

「え。お母さんを知ってるんですか!?」

「おか……!? そう。道理で」

 

 お母さんと私の関係性に気付いたこの人は、私の顔をまじまじと見つめて柔らかな微笑みを浮かべた。

 

「よく似ていると思ったわ。初めて会ったときのユナにそっくりだもの」

「お母さんの知り合いだったんですね」

「親友というか、恩人というか? まあとにかく色々と振り回してくれた人だったわね」

 

 だったという言葉。懐かしむように目を細める姿を見て、この人はお母さんがもういないことを知っているのだと悟った。

 それから彼女は私にいたずらっぽい笑みを見せつつ言った。

 

「あなたのお母さんは、決してあなたみたいにえんえん泣いたりはしなかったけれどね」

「う……私はお母さんみたいに強くはないですから……」

 

 知らない他人に身を任せて泣き喚いてしまうほど追い詰められていた自分が、急に恥ずかしくなってくる。

 

「でも変ねえ。甘えん坊で手を焼く子だとは言ってたけれど……男の子だって聞いたんだけど」

「えっと……そこはまあ色々ありまして」

 

 お母さんをこんなに懐かしい目で語る人に悪意は感じられなかった。何より私の命の恩人でもあることだし、私はこの人を信用して色々と話してしまうことにした。

 ずっと腕の内に抱かれているのは問題なので、立ち上がり歩きながら会話を続ける。

 

「なるほど。ユウと二人に分かれて……今はあなたが姉というわけね」

「はい。すごく手がかかりますけど、甘えん坊で可愛い弟ですよ」

「そっかあ。しかしあの化け物女からこんな子たちが生まれ育つなんてね。わからないものね」

 

 肩を引き寄せられて、頭をわしゃわしゃと撫でられてしまった。ユウやレンクスのような男の人にされるのとはまた違う、けど優しくて温かい感じ。私の人となりを知ってからは、まるで親戚のお姉さんのように親しげに接してくれる。

 

「それにしてもあの子め。知ってて黙ってたわけね」

「あの子?」

「ふふ。今のあなたにはまだ関係のない話よ」

 

 首を傾げる私に、意味ありげな微笑みで誤魔化されてしまった。

 追及しようとしてもはぐらかされそうだったので諦めるしかないだろう。

 

「あ。そう言えばまだお名前伺ってませんでした」

「名前も知らない人に色々話してしまってよかったのかしら」

「私たちは人の心がある程度肌で感じられるんです。悪意や害意はないので信じることにしました」

 

 万能じゃないからこればかりに頼るのも問題だけど、基本的に人は信じていたいスタンスだ。ユウもきっと信じるでしょう。心を抜きにしても、お母さんのことをこんなに温かい目で話す人は信じたい。

 

「へえ。それはすごい能力ね。極めればとんでもないことになるかもね」

「あはは。今は何となく感じるだけなんですけどね」

 

 リルナさんみたいによほどシンクロ率が高くならないと、相手の考えていることまでは読めない。今のところは気力感知・魔力感知の補助や、敵になりそうな人物とならなさそうな人物の判定くらいにしか使えない。それでもだいぶ重宝はしてるのだけど。

 

「私はJ.C.よ」

「ジェイシーさんですか?」

 

 でもジェイシーさんって言う割には、イントネーションがもろにアルファベットっぽいような……。

 そんな私の引っかかりに気付いたのだろう。ジェイシーさんは考える私の肩を叩いて注意を引き、指先で光文字を描いた。

 

「こう書くのよ」

 

 そこにははっきりと英語のイニシャルで「J.C.」と書かれていた。

 

「これって……アルファベット、ですよね? 地球の」

 

 私の驚きに対し、ジェイシー改めJ.C.さんは得心がいったように頷いた。

 

「やっぱりそうなのね。実は昔、名前がないって言ったらあなたのお母さんに付けてもらった名前なのよ」

「まさかのお母さん名付け親!?」

「ええ。『よし。じゃあ今からあんたはJ.C.だ』って一声で決定」

「そんなのでよかったんですか!?」

 

 びっくりしたままの私に対し、困ったような曖昧な表情で首肯するJ.C.さん。

 

「私もそのときは名前をもらえたこと自体が嬉しかったから、あまり気にしなかったのだけどね。だんだん由来が気になってきちゃって。あいつに聞いても笑ってはぐらかされるし。ただ地球の文字だって聞いてたから。あなただったら意味わかるかしら?」

「うーん」

 

 J.C.。女子中学……まさか違うよね。いかにも妙齢のお姉さん風味だし。

 J.C.……J.C.……何の略かな。そもそも略なのかな。

 あ……ごめん。私わかっちゃったかも。

 気が付くと、どんどん申し訳ない気持ちになってくる。

 

 もう。なんてことしてくれたの! お母さん!

 

 私の表情から、何かに気付いたのだと察したのだろう。答えを待って見つめるJ.C.さんの視線に耐え切れず、私は恐る恐る口を開いた。

 

「その……すみません」

「なに。何かわかったの!?」

 

 J.C.さんは思った以上の勢いで身を乗り出してきた。本当に申し訳ないと思いながら、私なりの推測――というかほぼ間違いのない答えを口にする。

 

「それ、特に深い意味はないです。たぶん」

「えっ」

 

 ここまで柔らかな表情を浮かべていたJ.C.さんの顔が、そのまま固まりついた。

 

「たぶんコードネームっぽいからとかで、ノリで付けちゃったんだと思います」

「ノリで」

「はい。ノリで」

 

 私の中に宿るお母さんマインドがその答えを示していた。

 自分の組織にQWERTYなんて適当な名前付けちゃう人だもんね。お母さん。

 むしろユウにユウって素敵な意味のある名前を付けてくれた方がよっぽど珍しいと思う。

 

 積年の謎に対し、しょうもない真実を突きつけられたJ.C.さんは、ふるふると肩を震わせていた。

 まったく意味のない名前で何万年どころじゃない年月を生きてきたのかと思うと、なんて声をかけたらいいのかわからない。ただどうしようもない母に代わって謝罪するしかなかった。

 

「えっと……本当にどうしようもない母ですみません」

「……いいの。わかってたのよ。あの人のことだから、どうせそんなこともあるだろうってね」

 

 J.C.さんはすーっと大きく息を吸い込んで。何度か深呼吸して。

 そして叫んだ。

 

「あの女あああああああ! 人の名前を何だと思ってるのよおおおおおーーーー!」

 

 薄暗闇の世界に、やり場のない絶叫が響き渡った。



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202「"ヴィット"との関係性」

 アルトサイドはいつまでも呑気に立ち話ができるほど平和ではなかった。ただ歩いているだけで、以前ユウとハルと一緒に映像で目にした闇の異形がひっきりなしに襲ってくる。

 あのときの映像から、光魔法なら効くということがわかっている。念のため他の攻撃方法も試してみたけれど、結局光属性しか効かないということがわかるだけだった。

 

《アールリット》

 

 光弾の中位魔法を放つと、霧状の闇の一体が掻き消えた。

 どうやらここではラナソール並みの力を保持できているみたいで、超上位魔法である《アールリバイン》を使うまでもなく大抵の闇は撃破することができた。むしろいつどれだけの数の化け物が襲ってくるのかわからないので、魔力は節約した方が良いと判断し、弱めの魔法主体で戦っている。

 ちなみにJ.C.さんはというと(「自分で違う名前にしたらどうですか?」と尋ねたら「今さらだもの。愛着もあるし」と返されたので今後もJ.C.さんで通すことになった)、やっぱりフェバルみたいでとてつもない力を持っていた。

 そして戦い方がワイルドだった。

 

「はあッ!」

 

 光を纏った拳が唸りを上げたかと思うと、闇のドラゴンが一撃で爆裂した。その動きは辛うじて見えないこともないものの、エーナさんのようなコテコテの非戦闘タイプとは明らかに隔絶している。J.C.さん本人は非戦闘タイプと言っていたけれど、下手な戦闘タイプとも遜色ないレベルの肉体派だ。

 

「うわあ……すごいですね」

 

 素直に感嘆の意を述べると、J.C.さんは得意に胸を張った。

 

「魔闘拳というやつよ。肉体に魔力を纏って戦うの。気力より魔力の強いフェバルでも、決して魔法ばかりが戦い方じゃないのよ」

「参考になります」

 

 ユウの《気拳術》の魔力バージョンってところかな。私や私と「くっついた」ユウの場合、気力が持てない関係で身体が弱いからそのまま真似すると身体を壊してしまいそうだけど。何か参考に新しい技が作れたらいいな。

 でも今までの一連の動き、身のこなし方。どこかで見たような……。

 

「《剛体術》……」

 

 ほとんど無意識にぽつりと口から出て来たのは、忌々しい男の体捌きだった。『心の世界』の記憶が覚えていたの。

 それはとても小さな声だったのだけど、J.C.さんは聞き逃さなかった。名前の由来を尋ねてきたときをも超える剣幕で迫ってきた。

 

「あなた、ヴィットを知ってるの!?」

「ヴィット……まさかヴィッターヴァイツのことですか?」

「あの子を知ってるのね!?」

「あの子!? 知ってるも何も、あいつは!」

 

 私は憤慨していた。あれほどひどいことをして、みんなやユウを苦しめて! 恐ろしい黒い力が目覚めてしまったのも、半分くらいはあいつのせいだよ!

 私の怒りのほどがよく伝わったのか、J.C.さんは気圧された様子だった。

 

「やっぱり……そうなのね。噂は本当だったのね……暴虐と破壊の限りを尽くすようになったって風の噂で聞いて」

 

 J.C.さんはとても悲しげに目を伏せた。何か事情がありそうなのは伝わってきたけれど、そんなことで私の腹の虫は収まるわけもない。

 

「ようになった? 昔はそうじゃなかったと言いたいんですか!」

「……そうよ。不器用だけど真面目で根は優しい男だったわ。【支配】も人のために使っていた……」

 

 遠い目で悲しそうに語るJ.C.さんを見て、嘘を言っている可能性は頭から消えた。

 だけどとても結びつかなかった。あのヴィッターヴァイツが昔は優しいところがあったなんて。

 J.C.さんは絞り出すような声で語る。

 

「才能はあったのだけど、独りぼっちだったし、フェバルとしての力の使い方がろくになっちゃいなかったから。姉代わりとして色々手ほどきしてあげたのよ。そうして一緒に磨いてきた力が、今は乱暴のために使われているなんてね……」

 

 肩が小さく震えていた。心底落胆し、悔やんでいるのが目に見えてわかってしまう。さすがにこの人を責めるのはお門違いだとはわかっているし、私の怒りも萎えていく。こんなに辛そうな人に追い打ちをかけるほど鬼にはなれなかった。

 

「彼に一体何があったんですか? J.C.さんがショックを受けるほど変わってしまった原因は何なのでしょう」

「わからない……どうしてそうなってしまったのか。私が知りたいくらいよ」

「……そうですか。でもたとえ昔どんなことがあったからと言って、今のあいつを許すわけにはいきません」

 

 私はきっぱりと言った。どんなに辛い事情があったとしても、今の彼の暴挙を許すわけにはいかないの。現に虐げられている人たちがいるのだから。

 

「ええ。わかっているわ。噂が事実なら、私も懲らしめるつもりで来たから……できるかどうかは別としてね」

 

 力なく俯いたJ.C.さんには、闇の異形を相手していたときの自信は欠片もない。それは仕方のないことだった。

 

「あの子は――ヴィットは強いわ。対峙したあなたたちもよくわかっているはずよ」

「はい。散々苦しめられてますから」

 

 そう。私たちから見て、J.C.さんの動きは辛うじて「見える」。でもヴィッターヴァイツの動きは「まったく見えない」。

 かつてはJ.C.さんが姉代わりで師だったかもしれないけれど、戦闘タイプとして永く力を高め続けたフェバルの実力は格が違うのだった。

 

「何より、仮に戦って倒せたとしても」

「そうですね……」

 

 フェバルは殺しても死ぬことがない。結局はこの場で倒したところで、改心でもしない限りは彼の向かった次の世界で同じような悲劇が繰り返されるだけ。何の解決にもならない。そんな彼をどうやって懲らしめることができるというの?

 彼からフェバルとしての力を奪うような手段があればと心から思う。封印みたいなことができればいいのだけど、フェバルに対してそのようなことができるという話はまったく聞かない。

 

「きっとあなたたちはそれでも戦うと思うのだけど……一度会ったら話をさせて欲しいの。もしヴィットに少しでも良心の欠片が残っているなら……」

 

 私にはとても彼が改心するようには思えなかったけれど、J.C.さんの祈るような想いを無下にすることもできなかった。

 私の無言を肯定と受け取ったJ.C.さんは、弱々しい声で「ありがとう」とだけ言った。それからしばらく気まずい沈黙が続く。

 空気を読んだのかは知らないけれど、その間新たに闇の化け物が襲ってくることはなかった。

 歩きながらも、ユウのこととか、ヴィッターヴァイツのこととか、世界のこととか。頭の中がぐちゃぐちゃで心の整理が付かなかった。薄暗闇ばかりで気が滅入るような光景も、ネガティブな考えに拍車をかける。

 少しでも違うことを考えて、気分を変えなくちゃ。ユウはもっと辛いはずなんだから、私が参ってちゃいけない。

 そうだ。お母さんの楽しい話をしよう。J.C.さんに聞かせてもらおう。

 

 って。

 

「ちょっと待って。お母さんがJ.C.さんの名付け親で姉貴分、そのJ.Cさんの弟分がヴィッターヴァイツ……」

 

 身の毛もよだつような関係性が成り立つことに気付いてしまった。

 

「私たち、あんな奴と親戚みたいなものなんですか……おじさん……」

 

 露骨に嫌な顔をすると、ずっと黙り込んでいたJ.C.さんも困ったように苦笑いした。



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203「絶対に生き抜いてみせるから」

 私たちはあてもなくアルトサイドの旅を続けていた。もう数えるのも面倒になるほど闇の異形が襲ってきたけれど、光魔法による攻撃は効果てきめんで、今のところは問題なく退けられている。

 そしてもう十日以上は歩いている。ずっと食べ物が取れていないのでまずいと思ったけど、どうもここはお腹が空かないし眠くもならない不思議な空間みたい。

 闇ばかりのところを黙っていると暗い気分になってしまいそうだったので、気を紛らわせるためにもお母さんの昔話などに花を咲かせた。私の知らなかったとんでもエピソードも色々と聞けたけど、ここでは割愛したい。というかお母さんそんなこともしてたんだね……。

 

 変わり映えのしない光景とひっきりなしに襲ってくる敵にすっかりうんざりしていた頃、不意に道は開かれた。

 

「ねえ。あれって」

「もしかして!」

 

 外へ通じる穴を見つけたの。穴はどこかの森へ繋がっていた。

 

「やっと出る手段が見つかったわね」

「これで外へ出られますね!」

 

 思ったより自分の声が弾んでいることに言った後で気付いた。随分まいっていたみたい。

 

「J.C.さん。行きましょう。ユウやヴィッターヴァイツを探さなくちゃ」

「ええ……でもちょっと待って」

 

 せっかく外に出られるというのに、J.C.さんは浮かない顔だった。

 

「どうしたんですか?」

「いえ。気になることがあってね」

 

 そう言うとJ.C.さんは掌に魔力を集中させ、《アールリット》のような光弾魔法を穴に向けて放った。

 魔法は穴を通り抜け、しばらく空中を直進していったが、やがてあるところで一瞬で掻き消えてしまった。

 J.C.さんはそれを見て眉をしかめた。

 

「……どうやらトレヴァークの方ね」

「なるほどです。ああすればどっちか確かめられるんですね」

 

 ラナソールであれば魔法は消えずに直進を続けるはず。消えてしまったということは、トレヴァークのパワフルエリア外に出て魔力許容性が皆無のエリアに突入したと考えるのが自然だ。

 

 J.C.さんは難しい顔で目を瞑り、少し考えてから口を開いた。

 

「この穴はやめておきましょう」

「えっ。どうしてですか? まずここから出ないと始まらないと思うんですけど」

 

 J.C.さんは忌々しげに溜息を吐き、私の肩に手を置いて諭すように言った。

 

「あなたのために言ってるのよ。あなたは依然とても危ない状態なの」

「でもJ.C.さんのおかげで私はもう平気ですよ。身体の調子も悪くないですし」

「私が修復できたのはあくまで死にかけていたあなたの肉体だけ。関係性までは回復できなかった、と言えばわかるかしら?」

「あ……」

 

 言われてはたと気付く。

 本来繋がっているはずのユウとの繋がりがはっきりしない。『心の世界』とも切り離されてしまっている。そのことが何を意味するのかを。

 そっか。今私を成り立たせている『根拠』はほとんど何もないんだ。ラナソールの生き物みたいに、何かが私を維持してくれているわけじゃない。

 ユウとの繋がりだけがずっと命綱だった。こうして今生きているのも不思議なくらい。

 たぶんユウが私に消えて欲しくないという儚い願いと、願いが現実になる特殊な世界環境、そしてJ.C.さんの手助け。それらの要素が合わさって辛うじて生きている奇跡のような状態なんだ。

 

 でもトレヴァークへ――現実世界へ行ってしまったら。

 

 たぶん、私は消える。あのJ.C.さんが撃ったあの魔法のように。あっけなく。そして二度と――。

 

 そんな確信に近い予測に至り、悪寒がした。

 

「わかったみたいね。もしあなたが下手に動けば……いえ動かなかったとしても、ここでもう一度死んだり、いつまでもユウとの繋がりを取り戻せないままなら――今度こそ本当に死ぬわよ」

「すみません。私、自分がどれだけ危ない状態かわかってなくて……」

「いいのよ。急ぎたい気持ちは山々だけど、あなたのことが大切だから。他の穴探しましょうね」

「でも……」

 

 でも、それはあくまで私がこの穴から外に行けないという理屈だ。J.C.さんが行けないわけじゃない。

 J.C.さんは私を心配しているんだ。元々ほとんど死んでいた状態だったし、ここはいつ敵が出て来るかわからない危険な世界。守ってあげないとって思われている。

 だけど、世界が私たちの予想通りの悲惨な状態になっているのだとしたら。

 一刻でも早くユウと合流しないといけない。もちろんヴィッターヴァイツも何とかしないといけない。

 だから、J.C.さんは今行くべきだ。私だけに構っている場合じゃない。

 私は覚悟を決めた。この危険な薄暗闇の世界で、一人戦い抜く覚悟を。

 J.C.さんを真っすぐ見つめて言った。

 

「J.C.さん。行って下さい。私は一人でも大丈夫です」

「ユイちゃん!? ダメよ。いくら世界が大変でも、あなたを一人で置いてなんて行けないわ。ユナに続いてあなたまで失うことがあったら……!」

 

 痛いほど心配の気持ちが伝わってくる。子供のように大切に想ってくれるのが嬉しかった。でもごめんなさい。

 

「お願いします。私よりユウたちの助けになってあげて欲しいんです。ユウに私が生きてることを伝えてあげて欲しいんです」

 

 ユウは私が死んだと思ってる。独りぼっちで、それでもきっと世界のみんなのためにできることをしようと頑張ってる。その辛さに比べたら、一人で戦うくらい!

 それにせめてユウに私が生きてることを伝えてあげられたら。どれだけあの子が救われるか。

 

「でもねユイちゃん……!」

 

 J.C.さんは泣きそうな目でしばらく私を見つめていた。「無茶はよして」という憤りさえ見える。それでも私の決意が変わらないとみると、ついに「わかったわ」と根負けして大きく肩で息をした。

 

「あなた見た目はともかく性格はお母さんに似てないと思ったけど、撤回するわ。やっぱりあの人の娘ね。その意志の強さは本物よ」

「すみません」

「ほんと。母娘揃って強情バカなんだから」

 

 J.C.さんは私を力いっぱい抱き締めた。温かい力が注ぎ込まれていくのを感じる。せめてもの餞別に強力な付与をかけてくれているのだとわかった。

 

「頑張るのよ。死んだら許さないからね」

「はい。また会いましょう」

 

 J.C.さんは名残惜しそうに私を離して、もう振り返らずに現実世界へ通じる穴へ飛び込んでいった。

 

 やがて穴は閉じた。

 

 一人だけになった私を与しやすいと見たか、大小形状も様々な闇の異形がわらわらと押し寄せてくる。本当に遠慮というものがない連中だ。囚われてしまったらどうなるかわからない。

 今さらになって身体が震えている。いつも心に寄り添うユウはいない。他に味方もいない。敵は世界と人に対する憎悪を燃やしており、数え切れないほど向かってくる。

 怖いけど、負けるものか。私は一人だけど、独りじゃないから。

 

「ユウ。私、生きてるからね。また会おうね。また一緒に笑い合って、触れ合って、一緒に旅をしようね」

 

 決意を込めた独り言は、闇に溶けて消えた。

 

 生き残ることを優先に立ち回ろう。逃げられる相手からは逃げて。戦わなくちゃいけないときも必要最小限で済ませて。

 

 大丈夫。私は負けない。闇に呑まれたりなんかしない。絶対に生き抜いてみせるから。

 

「かかっておいで」

 

 闇が唸り声とともに襲い掛かってくる。果てしない生き残り戦が幕を開けた。



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204「アルの手札」

 ウィルから分離し、アルトサイドに逃れてきた『始まりのフェバル』アルは、『黒の旅人』の追跡から逃れるべく「存在を薄めて」移動を続けていた。そのためナイトメアに認識されて襲われることもなかった。ただ時折よろけていることが、いかに彼の受けた傷が大きいかを物語っている。

『黒の旅人』という外敵とウィルという内敵によって二対一となれば、さしものアルと言えど状況はかなり不利だった。その不利を最大限に活かされた恰好だ。

 これほどの傷を受けては、彼は高いプライドを屈してまで判断せざるを得なかった。回復を待たずして『黒の旅人』と再戦すれば滅ぼされるかもしれないと。

 

「くっ……残滓に過ぎないとは言え、この僕にこれほどのダメージを与えるとは……」

 

『黒の旅人』もまた残滓に過ぎない以上、やられた言い訳にならないことは本人が一番よくわかっていた。

 前回も今回もオリジナル同士が相討ちになったのは最も苦々しい記憶の一つだ。

 よくもここまで成長してくれたものだと苦々しい顔で毒吐く。

 最初――あのときに打った手は悪くないはずだった。星海 ユウは取るに足らない存在になり下がったと安心していた。

 だが『黒の旅人』の執念は凄まじかった。何度殺しても、何度潰しても必ず蘇り、さらに力を高め続け――永劫の果てに、とうとう己に並び立つほどのレベルに達してしまった。

 やはり星海 ユウこそが最大の宿敵だと再確認する。

 

「ユウめ」

 

 アルはぎりぎりと奥歯を噛み鳴らした。かつて満ち溢れていたはずの「最強のフェバル」としての自身と余裕はもはやユウに対してはない。

 ただ代償は大きかったが、『黒の旅人』のオリジナルはもういない。一方で自身のオリジナルは「外」に追放されただけだ。いずれ宇宙に帰還するだろう。

 ゆえに今回こそ。

 この宇宙のユウさえどうにかしてしまえば、すべては終わりだと言うのに。

 これまでのどのユウよりも圧倒的に弱いはずのあいつを、なぜ仕留め切れないのか。

 最後の詰めが決まらないことに暗澹たる思いがあった。

 ウィルのものだった記憶を振り返って舌打ちする。ウィルの内に潜んでいたことから、彼の記憶はアルも共有していた。

 星海 ユナ、ウィル、レンクス・スタンフィールド、リルナ――そして、あの女。

 護られているというのか。

 今までこんなことはなかった。【運命】が常にあいつを孤独にしてきた。

 だが……今回は何もかもが違う。

 最も弱いユウは最も人に愛され、行く先々で繋がりを深めている。これからも人や世界と結びつきを深めていくだろう。

 有象無象の繋がりなど本来まったくの脅威にはならないが、ことユウに関しては違う。

 厄介なのだ。

『黒の旅人』は最後まで繋がりが持てなかった。そうなるよう仕向けてきた。だからいくら力を高めてもアルたちには絶対に勝てなかった。本人もそのことをよくわかっていたはずだ。だから託したのだろうが……。

 今のユウは取るに足らない存在に過ぎない。『黒の旅人』が自分を消滅させてまで託したほどの価値があったとは思えない。

 今のユウが紛い物の黒の力や白の力を使おうが大したことはない。

 神にも近い精神性と身体能力がなければ、白の力はただ理性を失い、制御が不可能になるだけの代物だ。アルには届かない。

 そしてアル自身や『黒の旅人』がそうであるように、極めて冷徹な殺意を持てる者でなければ黒の力も十分な力を発揮できない。

 ゆえにアルは確信している。

 奴には黒も白も使いこなせない。奴は弱過ぎる。奴は人に近過ぎる。

 だが取るに足らない存在だったのは最初の頃の『黒の旅人』も同じだった。奴の最も厄介な点は成長性にこそある。

 いつか『白の旅人』のように――最も厄介だったあのユウのように、繋がりを何らかの力に変えることがあれば。

 アルは現状を正確に評価しつつも、確信にも近い嫌な予感を抱いていた。

 今回のユウをこのまま野放しにしておくわけにはいかない。下手をすれば『黒の旅人』に続く厄介な敵に成長する可能性がある。

 

「それにしてもあの女……成長してますますあのときのユウに瓜二つだ」

 

 アルは忌々しいと顔をしかめた。

 やはり【運命】の拘束力が弱まっていることが原因で、本来のあり方に回帰しているのか?

 もっとも分け身に過ぎない以上は脅威足り得ないはずだが。

 ユウが()()()()()()()()ということ自体が、アルにとっては悪夢のような出来事なのだ。

 だから消しておきたかったが……忌々しいことに生きている。またも彼の手をすり抜けてしまったらしい。

 さすがに今から消しに向かえば『黒の旅人』に妨害されるだろう。彼女の殺害は失敗した。

 

「やはりユウを――奴を完全に亡き者にするためには、毒をもって毒を制すしかないのか……」

 

 今回、アルは禁じ手を使っていた。オリジナルが動けない以上は使わざるを得なかったのだ。

 

 本来真っ先に始末すべき『異常生命体』を利用する。

 

 アル自身の残滓が今存在していること――この状況も、言ってしまえば『異常生命体』という存在を利用することで成立しているのだ。

『黒の旅人』に妨害を受け続けたために用意できた手札は限られるが、どれも成功すれば一発で勝負を決めてしまうほど強力な切り札である。

 第一に、彼のオリジナルが完全復活さえすれば――『黒の旅人』なき今、この宇宙に敵はいない。ユウを含めた全員を黒の力で始末してくれよう。

 そして、仮に復活が成らなかったとしても。

 

「I-3318……順調に育っているようだな」

 

 遥か遠く――一つの『異常生命体』の確かな息吹を感じ取り、アルは満足に頷いた。

 

 彼をもってしてもあれには手を焼いた。

 

 ユウを殺すために生み出した存在。

 

 最大の敵を始末するためにはやむを得ないとはいえ、あれも極めて危険な毒だ。

 初期形態こそ大したことはないが……ユウの成長性に対抗するために異常な成長力を持たせた。

 あれはユウをトリガーに活動を開始し、すべてを侵して際限なく成長を続けるだろう。

 もしユウを始末してなお増長するなら――そのときは自らの手で潰してしまえばいい。

 

「くっく」

 

 皮肉なことだが、今回のユウでなければ――自分と同じ黒の力を持つ『黒の旅人』なら簡単にあれを始末できるだろうなと思い至ってアルは嗤う。だが繋がりを力の源とする今回のユウにとってはこの上ない天敵となるに違いないのだ。

 

 ――あれは繋がりを喰らうがゆえに。

 

「まあいい。まずは第一プランだ」

 

 自分にも牙を剥きかねない猛毒などできれば使わないに越したことはない。

 宇宙に穴が開いた。すなわち「外」からの帰還が可能ということ。

 アルのオリジナルが帰還するためにはしばらく穴を維持し続ける必要がある。あまり時間をかければ宇宙が裂けてしまう恐れがあるためそれは絶対に避けねばならないが、今しばらくの時間稼ぎは必要だ。

 

「アルトサイド……トレインが【創造】した世界の掃き溜めか」

 

 夢と希望に満ち溢れたラナソール(理想の世界)の裏側は悪夢と絶望に満ちている。

 不健全で歪んだ醜い世界。

 

「まったく馬鹿な真似をしてくれたものだ。我が主でさえ完璧な世界など創れないというのに」

 

 アルは自分で言ったその言葉が悲しくなり、しばし目を伏せた。それから湧き上がってくるのは、不遜な行為に及んだ者への侮蔑と怒り。

 

「一万年。たった一万年だ。それでお前はどうなった? 世界はどうだ?」

 

 返答はない。あるはずもない。

 

「無様だな。もはや喋ることも考えることもできない。とっくに破綻した世界を維持するだけの舞台装置と化したお前には、よりにもよってこの僕に利用されていたという真実もわからない」

 

 こうなることはわかっていた。愚かなあいつならば間違いなくそうするだろうと。『事態』はここまでアルの想定通りに進んでいる。

 だがアルは一つも愉快には思わない。愚か者への怒りが勝るのだ。

 

「少しばかり力のあるだけの人間が創造主になろうなどと。思い上がるからこうなるのだ」

 

 吐き捨てたアルは、虚空に向かって光なき瞳をぶつけた。

 我が主とは違う。我が主は完全無欠の神ではないが、遥かに賢明に宇宙を維持してきた。

 これまでも。そしてこれからも。

 

 それはさておき。

 実に一万年分の悪夢のエネルギーに満ちているのだ。寄せ集めれば時間稼ぎくらいにはなるだろう。強力な悪夢が現界しさらなる悪夢を呼べば、宇宙の穴がより確実に維持できる期待もある。そう考えてアルは闇へ手をかざす。

 

「我が呼び声に応えよ闇」

 

《創造》

 

 彼の【神の手】をもってすれば、下位存在たるほぼすべてのフェバルの能力を発動することなど容易い。

 闇の集積が始まった。アルトサイドを覆う闇の全体が薄まるほどの恐ろしい密度が一点に集中していく。

 集まった闇はおぞましく波打ちながら、次第にシャープな人型へと整形されていった。

 顔に表情はない。闇をそのまま映したようなのっぺらぼうだった。

 

「ギ……ギ、ギ……」

 

 gggggaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaahhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh!

 

 完成された一体は、まともな声にならない、金切り声にも近い絶叫を上げた。

 二つの世界に積み重ねられた悪夢の集合体。生きとし生ける者すべての闇の総実。

【創造】主さえも超越したパワーを持つに至った究極の闇に、その想像以上の出来栄えに、《創造》主は目を細める。

 そして《創造》主は《命名》する。その名は人の認識を超えて確定するのだ。

 

「お前に名を与えよう――『ナイトメア=エルゼム』よ。衝動のままに成すがいい」

 

 アルは再び「存在を薄めて」闇に溶けた。

『黒の旅人』は間もなく気付くだろうが、後の祭りだ。

 アルのしたことは元より存在する闇に器を与えたに過ぎない。

 あらゆるものを殺すオリジナルだったならば話は別だろうが……今の力の落ちた『黒の旅人』では無理だ。

 闇に闇は殺せない。世界に悪夢が満ちる限り、何度でも原初の姿へ回帰するのみ。

 

 ここに、最凶にして不死のナイトメアが始動した――。



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205「絶望の時代を終わらせるために」

 アルを追ってアルトサイドに突入した『黒の旅人』ユウであるが、中々彼の所在を掴めずにいた。

 

 アルめ。「存在を薄めている」な。

 

 ダメージを受けた状態で戦うのは危ないと踏んだのだろう。

 ユウは彼の強かさと慎重さに内心毒吐く。

 ただ「存在を薄めている」だけならば、ユウはすぐにでも彼を見つけることができただろう。

 だが、『黒の旅人』の力はほとんどあらゆる面で「今回の」ユウを遥かに凌駕するものの、唯一「心の力」だけは著しく低下している。殺意や悪意といった負の感情以外のものを正確に読み取る力に欠けているのだ。

 アルトサイドには負の感情が満ちており、それがノイズとなってアルの居場所の把握を妨げていた。

 

 俺への対策はしっかりやっているというわけか。

 

 自分ごとアルトサイドと二つの世界を消し飛ばすことはいつでもできる。だがアルがいる以上、世界を消し飛ばしても宇宙の穴がすぐには塞がらないように処置される危険があった。

 また上手くいったとしても皆殺しには違いない。「今回の」ユウに恨まれるだろうとも思う。あくまであいつの成長に賭けるならば、強引な解決は最終手段とすべきだろう。

 自分がそう判断すると見越しての逃げの手であることを理解し、掌で転がされているような気分を覚えたユウの瞳はずっと険しいままだった。

 とりあえずアルがアルトサイドでしか存在できないことははっきりしており、奴が目立つ動きをすればすぐに捉えられるよう神経を研ぎ澄ませておくくらいしかなかった。

 近くにいれば「存在を薄めていて」も確実に感知できるよう、『意識のフィールド』を展開しつつ移動を開始する。アルの高度な存在隠蔽に対抗するレベルでは、今の力の落ちたユウでは半径300kmほどが限界だった。オリジナルならばアルトサイド全域は余裕で覆えたが。

 最も深い闇を抱えるユウはとにかくナイトメアに好かれた。万を超える数のそれらが彼に襲いかかり続けるが、悪夢をも殺す黒性気の前ではまったくの無力で、触れるまでにすべて消し飛んだ。

 

 やがて、『意識のフィールド』に何かが引っかかった。ユウは捉えた方角に目を向ける。平面的な世界であるために地平線はなく、優れた視力であれば目視することができた。

 

 シルヴィア・クラウディか。

 

「今回の」ユウの記憶から、あいつの友人の一人であると『黒の旅人』は理解する。

 そもそもラナソールなど「今まで」なかった世界であり――「これまでの」トレヴァークは何の変哲もないつまらない世界だったのだ――よって『黒の旅人』はシズハのことは知っていてもシルヴィアのことは「今回の」ユウの記憶以上には知らなかった。

 確か世界の最果てを目指していたはずだが、どこかで落ちてここへ来てしまったのだろうか。心を読めれば真実は簡単にわかるが、あいにく『黒の旅人』にはその力が欠けている。

 一見して彼女の状態は危険だった。ナイトメアに取り憑かれている。

 シルヴィア本人に後ろ暗いところはないのだろうが、もう一人の彼女であるシズハの暗殺者としての生き様は闇に好かれるものだった。そこで遠慮もなく大量にけしかけてきたのだろう。

 だがユウがこちらに来て比較的すぐに見つけられたのは幸いだった。まだ完全には呑み込まれていない。

 とりあえず彼女に取り憑いている闇を「殺す」。ほんの一睨みするだけで済んだ。

 闇は消し飛び、彼女の命は救われた。人一人を救った。

 それだけのことなのだが、『黒の旅人』ユウの心には静かな感動の波が立っていた。

 

 そうか。今の俺には「人を助けることができた」んだな……。

 

【運命】の力によって翻弄され続け、孤独にされ続け、ついには最後まで友達や仲間というものと共に生きることができなかった。そうなれた可能性のある者は皆【運命】に殺された。

 直接的には他の誰かや何かによって殺される。だがそれを避けようとしても、必ず死ぬよう因果が収束するのだ。

 理を破壊し、大銀河をも消し飛ばし、宇宙を捻じ曲げるほどの力をもってしても、彼には誰一人として親しい者を救えなかった。

 敵は彼に独りで戦うことをずっと強いてきたのだ。

 そのことを暗示的に理解してから、彼は誰にも心を開かなくなった。それが唯一、自分のような冷たく恐ろしい人間に心をかけてくれる素晴らしい人たちを巻き込まない道だと悟ったからだ。

 そんな呪わしい【運命】の影響力が今はほとんどなくなっている。オリジナルの彼がすべてを投げ捨ててまで望んだ猶予は確かに実現していた。

 どんなに手を差し伸べようとしても、絶対に心を許した人間を救えない。親しくなった者ほど確実に殺される。そのことが心優しく純粋な「今回の」あいつをどれほど傷付けることか。そのままにしておけば、自分と同じ修羅の道へ堕ちることは容易に想像できた。第二の『黒の旅人』が生まれるに違いない。

 それではいけないのだ。数えるなど嫌になるほど繰り返した果てに生まれた奇跡の存在を、自分と同じ轍で失ってはならない。

 

 星海 ユウに人と触れ合える人生を。自分の歩めなかった道を。俺に辿り着けなかった地点を。

 

 その一心で決断したことではあるが……。巡り巡って自分にも恩恵が返ってくるとは思わなかった。

 

 だが……やはり人助けのヒーローにはなり切れないようだ。

 

 彼女の命は助かったが、意識は戻らない。

 穢されたリンクを正しく結ぶには「心の力」が必要だ。「今回の」ユウにできて『黒の旅人』ユウにはできない数少ないことで、そして大切なことだった。

 精々彼女が再び闇に呑まれないよう防御をかけてやるくらいしかできない。それでも『黒の旅人』は満足だった。

 後のことは「今回の」ユウに託せば良い。あいつならやってくれるはずだ。

 

 すると突然、アルの気配が捉えられる程度には濃くなった。

 そして、アルトサイドを覆っている常闇が一か所に集中していく。

 何かが生まれようとしていた。それを創っているのは当然アルだ。

 奴の気配を捉えて瞬間移動しようとしたが、すぐに奴は「存在を薄めて」逃げてしまった。

 あまりの手際の良さにユウは舌打ちしたくなったが堪える。

 

 それほど自分を脅威に感じていることの証拠だ。焦るな。倒せるチャンスはある。

 

 代わりにユウは新たに出現した敵に意識を向ける。何を創ったのかは知らないが、時間稼ぎをしようとしているのは理解できた。

 彼の創ったものは悪意の塊であり、放置すれば厄介なものであることも。

 

 アルの完全復活はそのまま奴の影響力の復活に繋がる。

 いつか直接対決は避けられないとしても、今ではない。今はまだ早い。

 小さな希望の光が育つには、まだ時間が必要なのだ。

 

 ユウはどこにいるとも知れないアルに語り掛けた。

 届かないだろうと思いながら。

 憎悪だけではない、哀れみの心をもって。

 これまでの『黒の旅人』なら絶対にあり得ないことだった。「今回の」ユウの中にずっといたことで、ユウとユイの温かい心に触れ続けたことで、冷たさばかりだった彼の心にも確かな変化はあったのだ。

 

「なあ、アル。俺たちの時代は……絶望の時代は終わるべきなんだ。次の世代が……【運命】に囚われない世代が芽吹こうとしている」

 

 それはお前たちにとっても絶望ばかりではない。停滞した運命を塗り替える可能性なのだとユウは思う。

 薄々わかっているから、お前だって『異常生命体』を利用しているんじゃないのか。

 そうしなければ、運命から徹底的に外れてしまった「今の」ユウを叩き潰せないと理解しているから。

 

 アルも『黒の旅人』も【運命】に囚われた人間である。今さらあり方を変えることはできない。

 だがそれでも、彼にしかできないことはある。

 

 ここでアルのコピーを倒す。奴をどこにも行かせはしない。

 

「今回の」ユウに今少しの猶予を与えるため。未来に希望を繋ぐため。

 

 過去に囚われているアルには見えないが、今のユウには確かに見える。

 小さな光を束ねて【運命】に立ち向かうあいつらの姿が。

 その未来のためなら。

 

 とっくに最後の仕事を終えたと思っていたが、あと一仕事を加えるのもやぶさかではない。

 

 ひとまずは新しい敵を叩くか。

 

 ユウはアルの創り出した闇に向かってワープした。



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206「黒の旅人 VS ナイトメア=エルゼム」

『黒の旅人』ユウは一瞬のうちにアルの創り出した異形ナイトメア=エルゼムの目の前に立っていた。

 膨大な闇の化身であるエルゼムは手足の細長いシャープな人型を模しているが、顔は個性のないのっぺらぼうである。体躯は日本人高校生として平均的なユウよりもやや大きく、体表はつるりとした真っ黒な闇である。それが薄暗闇に浮いていた。

 ユウは睨み上げるようにそれを観察する。

 

「気味の悪い奴だ」

 

 見た目の不気味さはともかく、強さ自体は大したことはなさそうだが。

 

 ユウの感じた正直なところだった。

 もっとも純粋な意味での強さではほぼ頂点を極めた彼の所感であり、あくまで一般のフェバルからすれば十分に驚異的な力は有しているのであるが。

 あのアルがわざわざ創ったのだから何かあるのだろうと、ユウは一切警戒を緩めない。奴の性格の悪さを一番良く理解しているのが『黒の旅人』だった。

 

 gyaaaaababababababababbabababhyggggggrrggggrgrgrggggrgrgrgaggggrgg!

 

 耳をつんざく絶叫が轟く。

 老若男女や種々の動物の声が入り混じったような、何の声とも形容し難いおぞましい叫びだった。

 

「やかましい」

 

 言い終えたときには、もう黒の気剣はナイトメア=エルゼムの影体を真っ二つに斬っていた。

 怪物が戦闘態勢に入るわずかな間を見極め、抜剣から斬撃までを済ませてしまっていた。

 敵ならば殺す。隙あらば殺す。殺せるならば殺す。

 単純な能力値だけではない。人間らしい心と引き換えに得た冷徹な殺意――徹底した油断のなさと容赦のなさこそが、彼を最強格の戦闘者たらしめてきたのだ。

 黒の気剣はあらゆるものを斬る剣である。斬ったものは確実に斬れる。直接斬らねばならない制約はあるものの、斬ったならば、それが肉体を持たない闇の化身であろうと、それが驚異的な回避能力や再生能力を持っていても、すべての都合を無視して斬ったという事実が確定する。

 そのくらいでなければ、大概反則能力持ちのフェバル級など斬れたものではない。

 特に星脈の力による復活をも無視してフェバルを確実に殺し、星脈に永遠に縛り付けるための『フェバルキラー』である。

 黒の気剣が使えるようになってから、ユウはフェバルを相手にしても「心を殺すまで」何度も無駄に殺す必要はなくなった。

 一度芯を捉えて斬ればどんなものでも殺せる最強の武器である。

 

 ……だが、それも黒の気剣と『黒の旅人』が完全な状態であるならば、という条件は付く。

 

 今の『黒の旅人』は「今回の」ユウから生まれた劣化コピーに過ぎない。「今回の」ユウが持つポテンシャル以上の力を持てず、男であることから魔法を使えない制約まで受ける。

 オリジナルの『黒の旅人』の力が繰り返しの果てに高められた究極のものであるならば、「今回の」ユウの力はあくまで「今回」一回分でしかない。

 

 その差はあまりにも大きく――結果として現れた。

 

 確かにそのナイトメア=エルゼムは斬られていた。その身体は本来持っていた回避能力や再生能力を発揮できずに霧散し、一般のナイトメアと同じようにあっけなく確実に死んだ。

 だが、次の瞬間。

 ユウの付近の虚無から、瞬時にエルゼムが再構成される。復活した「別個体」は、まったくノーダメージの完全な状態であった。

 しかし、復活したそれはその瞬間にまた斬られていた。

『黒の旅人』は一切動揺を見せることなく、復活した地点を即座に知覚し致命の斬撃を放ったのだ。

 再び死に至るエルゼム。

 だが息を吐く間もなくそれは再構成され……身動き一つする前にまた殺された。

 

 殺害。復活。殺害。復活。殺害。復活。

 

 いたちごっこの応酬を無言で数十ほど繰り返し、ユウはエルゼムの特性を掴んでいた。

 

 なるほど。こいつは面倒だ。

 

 アルがエルゼムを自分にぶつけようとした理由。奴の性格の悪さを再確認し、今度は舌打ちを堪えられなかった。

 つまりは、自分と黒の気剣が万全とは程遠いことが前提として、しかも相性が悪い。

 黒の気剣は斬ることができる。

 逆に言ってしまえば、斬ることしかできない。

 斬ったところで、ナイトメアが持つ世界や人類に対する殺意や憎悪が薄れるわけではない。まして癒されるわけはない。

 むしろ黒の気剣とは純度の高い殺意の結晶なのだ。

 だから殺すための攻撃によって、殺意は自己充足してしまう。いつまでも負の感情の総和は減ることなく、負の感情を源とするエルゼムは何度でも蘇る。

 ……それこそ、世界ごと消し飛ばしでもしない限りは。そしてユウが世界を消すのはあくまで最後の手段である。

 光魔法の一つでも使えれば話は違ったのだろうが、あいにく今のユウに魔法は使えない。

 

 ならば絡め手はどうか。

 

 ユウが掌を向けると、エルゼムの動きがぴたりと止まった。

 エルゼムの時間を止めたのだ。

 それは唸り声の一つも上げられずに、のっぺらぼうな顔をユウに向けたまま静止している。

 

「…………」

 

 ユウは黙ったまま手ごたえを確かめる。

 確かにこれで動きを封じられるが、時間操作は消耗が大きい。今のスペックでは精々一時間程度が限界のようだとユウは経過に伴う消費の大きさから冷静に計算する。

 

 ……これ以上は無駄だな。

 

 ユウは時間停止によるエルゼムの拘束を諦めて拳を握る。影体はクラッシュして、エルゼムに死を一つ加えた。

 

 様々な手段をユウは試した。重力や減衰などの動きを縛ったり、動きを支配することを試みたり。大抵のことは、エルゼムが自らを滅して新たな個体を再構築するというアクロバットで回避された。

《反構成作用》など、復活を阻止する方向の技もかける。だがその手の攻撃はアルの【神の手】が構成時点で無効化しているようで通じない。特殊能力の強力さや万能性においてアルに追随するものはなく、強さにおいて彼に到達したユウであっても特殊能力による攻略は難しそうだった。

 

 殺害と復活の膠着が続き。

 負けはしないし脅威でもないが、ただ殺すことができない。

 ユウは手詰まりを感じていた。

 

 このまま相手を続けるというだけなら、何も問題はない。

 しかしここで厄介なのは、化け物の創造主であるアルの存在である。

 アルがどこに身を伏せているかわからない以上、絶対に奴に隙を見せないように戦わなければならない。万が一一瞬でも隙を見せれば、奴は好機と見てユウを仕留めにかかるだろう。

 これはそういう戦いなのだ。それがわかっている以上、自分から隙を見せるような大技は絶対に使えない。

 執拗に纏わり付くエルゼムを淡々と一撃で殺すくらいしか選択肢がない。

 考えながら、黒の気剣の一薙ぎが今度はエルゼムの胴から上と下を分断する。

 

 grnryaagaajkaegajegnagiagejiojfiibmawijeaaigjaoqoajigjehala!

 

「俺が憎いか。俺を殺したいのか」

 

 無駄かもしれないがユウは挑発を試みる。この混ぜ物に記憶というものが定かなのかもわからないが、とにかくエルゼムの意識は連続しているらしかった。

 

「お前には無理だ」

 

 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。

 

 無駄な体力は使わず。無駄な威力は込めず。無駄な殺意も込めず。

 エルゼムを殺すのに確実に必要な分だけでもって殺し続ける。

 数えるのも気が遠くなるほどの復讐を繰り返してきた『黒の旅人』にとって、たかが万や億を超える作業などまったく苦にならない。

 殺し続けることでわずかでもすり減るものがないか、光なき瞳で観察を続けていた。

 エルゼムに一切のダメージはない。存在に乱れはない。

 しかし延々と殺され続けることには根を上げたらしい。

 

「……逃げたか」

 

 数多の死を刻んだエルゼムは、とうとう周囲の闇に溶け込んで、わざと身体を再生しなかった。そうすることで殺すべき対象をなくしたのだ。

 薄暗闇の世界に静寂が戻り。黒の気剣をしまったユウには息一つの乱れもない。

 だが勝利とはほど遠い。逃げ方が創造主にそっくりだなと内心皮肉を言うが、取り逃がした事実を慰めてくれるものではない。

 エルゼムはユウの手が届かない場所で復活するつもりに違いなかった。何しろアルトサイドの「どこでも」自由に復活できるのだ。

 

 アルめ。いつも俺が嫌う手を用意してくれる。

 

『黒の旅人』にとっては脅威ではなかったが、攻撃力・防御力・速度・特殊能力、どれをとっても並一般のフェバルを超越しているのは間違いない。

 放っておけば甚大な被害をもたらすだろう。特にトレヴァークに出現すればどうなるかわかったものではない。

 だがわかっていても『黒の旅人』には仕方のないことであり、今度も彼は託すしかなかった。

 

「あれを倒せるとしたら、それは……」

 

 自分のような闇に塗れ、力の強いだけのフェバルではなく、その手を汚すことがあっても光の道を歩もうとし、心ある人であろうとする「自分」のような者なのではないか。

 ユウは「ユウ」に静かな期待を寄せ、己にできる役割を果たすべく再び闇の中を歩き始めた。



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207「ユウ、リクと再会する」

 トリグラーブに着いてからの俺は常に気を消して歩くようにしていた。もし俺の気を解析されているなら、俺の気の反応があった時点で機械兵士たちが駆けつけてくる可能性が高いと踏んだからだ。実際、前に障壁に近づいただけで殺戮メイドが大量にやってきたからね。

 さすがに特定の人間を捉えるまでのシステムを現地には配備できなかったのか、今のところは警報の類いもなく、機械兵士が飛んで来る気配もない。

 ただし、例の殺戮メイドが街中をパトロールしているのは散見された。なので彼女らの目に付かないよう細心の注意を払いながら移動する。

 さて、どこから行こうか。

 みんなのことは心配だけど……できればまずはシルバリオと連携を図りたい。

 ……だけどニュースによれば、彼は緊急国会に召喚されていて、ダイラー星系列の連中とは既に面識があるはずだ。この星の重要人物としてマークされている可能性が高い。直接接触するのはリスクが高いか。

 どうにか向こうに気付かれないように連絡取れないものかな。誰かを介して間接的に連絡を取ることは……。

 そうだ。シズハを通じて接触を図ることはできないか。

 そう考えて彼女の心を捉えようと念じてみるものの……。

 ……心の反応がない。

 気を読むのは一般人に紛れてしまうので難しいけど、心を読むのはよほど離れていなければできるはずだった。

 まさか……。

 最悪の想像が過ぎる。

 いや落ち着け。まだそうと決まったわけじゃない。ただ遠くにいるだけかもしれない。そうであってくれ。

 不安に駆られた俺は、他の友達の反応も探る。

 リクは彼自身の家だ。ハルはいつもの病院にいる。シェリーは……反応が薄くてよくわからない。

 他にも主だった知り合いの反応を探ったところ、トリグラーブについてはシズハとシェリー以外は無事なようだ。二人が心配だな。

 シズハがいないなら、当面はエインアークスとの接触は難しいか……。

 どうにか連絡が取れないかと、何でも屋『アセッド』のトリグラーブ支店にも向かってみた。だがさすがに俺本人が運営していた店は警戒が厳しくなっていて入り込めそうもない。やはり向こうは俺がユウであることは掴んでいるようだ。

 リクとハルから会いに行くことにしよう。今いる場所からすぐ近いのはリクの家の方だな。

 警備の網をくぐり抜けつつ彼の家に向かう。この手の潜入は何度もこなしているからお手のものだ。本来慣れるべきことじゃないんだけど。

 

 無事リクの家に到着。張り付いている兵器は……いないな。よし。

 

 パトロールの目を縫って滑り込むようにアパートの階段を無音で駆け上がり、彼の部屋の前に立つ。

 インターフォンを鳴らすのもノックするのも目立ってまずいので、ピッキングを駆使して静かに家の鍵を開ける。

 気配を殺したまま侵入。音もなく真っ直ぐにリクの下へと走る。犯罪者っぽさが半端ないが気にしてはいられない。

 彼が気付く前に背後から組み付き、大声を上げる前に口を塞いだ。

 

「~~~~!」

(しっ。俺だ。ユウだ)

「!? モガモゴ!?(ユウさん!?)」

(急に口を塞いでごめん。なるべく声を殺して欲しいんだ。頼む)

 

 驚きながらもリクが頷いたところで、俺は腕の力を緩めた。

 

(よし。手を離すよ)

 

 そっと手を離すと、リクは何度か大きく肩で息をしてからじと目を向けてきた。

 

「びっくりしましたよ。相変わらず突然の登場ですね」

 

 急に口を塞いだことへの不満を表明しながらも、しっかり声は抑えてくれているのがありがたい。

 

「色々あってさ。ダイラー星系列って町を占拠してる連中いるだろ? あいつらに目を付けられてるんだ」

「あー、また何かやらかしたんですね」

「まあ……そうかな」

「ユウさんですもんね」

 

 しみじみと呟くリクの顔は「わかってますよ。いつものことですよね」と言いたげだったのでさすがに心外だ。俺だって好き好んで厄介事に首を突っ込んでいるわけじゃない。

 

「君の中で俺はどういう扱いになってるわけ?」

「ユウさんはユウさんですよ」

 

 どこか呆れたような、どこかほっとしたような調子の曖昧な笑みを浮かべるリク。

 

「でも生きてて安心しました。ずっと顔を見せてくれないからもしかしてって心配してたんですよ」

「ごめんな。本当はもっと早くこっちへ来たかったんだけど……色々あったからさ」

 

 ……色々あり過ぎたよ。

 でも俺はリクやハルの前であまり弱みは見せたくなかった。戦う力のない人たちを余計に不安がらせるだけの真似はしたくない。だから二人の前では気丈に振る舞うつもりだ。

 

「僕としてはその色々をぜひ聞きたいですね」

「話せる範囲で話すよ。俺も君の近況を聞きたい。情報交換といこう」

 

 アルトサイド関連の出来事は適当にぼかしながら、聖地ラナ=スティリアが壊滅したテロ事件から今までのことを順に追って話した。

 俺が世界を滅茶苦茶にしてしまった一因であることは……あえて自分からは話さなかった。

 今リクに話しても何にもならないとわかっているからだ。すべて正直に吐き出して彼に責められるなり許されるなりしたところで、ただ自分が楽になりたい以上の意味はないから。

 リクは相当不安が強かったようで、俺に縋るように身振り手振りをいっぱいにして自分の体験を臨場感いっぱいに聞かせてくれた。

 

「いやーもう大変だったんですよ! 突然ラナクリムのモンスターたちがわらわらと現れて! もうダメかと思いましたよ」

「新聞記事なら見たよ。S級魔獣までもが大量発生したって」

「そうなんですよ。やばいなあって、でも見てるしかなくて。そしたらあのでっかいロボットがズバーッと全部やっつけちゃって! 何かの映画みたいだったなあ……」

「さすがはバラギオンだな……」

「ユウさんあのロボットのこと知ってるんですか?」

「うんまあね……」

 

 苦しかった思い出しかない。もう二回くらい戦ってることまでは言わなくてもいいか。

 

「ダイラー星系列の焦土級戦略破壊兵器だよ。名前の通り、町や山なんかを焦土に変えてしまうくらい恐ろしい兵器さ」

「へえ~。そんな物々しい名前だったんですね。確かに『世界の壁』吹っ飛ばしてましたね……」

「そんなのが三体も町の上空を徘徊してるんだからぞっとしないよ」

「そりゃ怖いっすね」

 

 トリグラーブは特に重点的に守られていて、バラギオンが三体も常駐しているのだった。この一点だけでも下手な動きは取れない。

 

「でも、ユウさんからしたら敵対関係かもしれませんけど、あの人たちやバラギオンってのがいなかったら危なかったと思いますね」

「そこはもちろん認めてるよ。俺としてもあまり正面切って敵対したいとは思ってないんだよね」

 

 悪いフェバルとかに比べたら、まだ話せばわかってもらえる方だとは思うんだ。実際今のところは上手く統治しているみたいだし。

 ただフェバルは排除する方針なのだろうか。バラギオンまでけしかけて殺しにかかられると、さすがに穏便な対話は難しいのかなと感じてしまう。

 

 それから、今起こっている事態について、ぼかすところはぼかしながら一通り説明した。

 

「つまり、この世界でたくさん人が殺された結果、ラナソールも滅茶苦茶になってしまって。壊れた世界から人やモンスターがこっちに来てしまってるということですか」

「大体そうだね。って、人もこっちに来てるのか?」

 

 魔獣は嫌と言うほど見かけたけど、人は見たことなかったな。でもあり得ない話ではないのか。

 リクはとっておきの話題を切り出すように答えた。

 

「そうなんですよ! これ、後でじっくり相談しようと思ってたんですけど。ランドさんが来たんです! 僕のところに!」

「ランドだって!?」

 

 本当なのか!?

 確かランドはシルヴィアと一緒に世界の果てを目指していたはず。世界の崩壊に巻き込まれて落ちてきたのだろうか。

 

「はい。僕の操るゲームのキャラクターをそのままリアルにしたような感じで。本当に驚きましたよ」

「それは驚くだろうね。でもそうか。あいつが来てるのは心強いな」

 

 ラナソールでしかろくに力の発揮できない俺と違って、魔獣がそうであるように、トレヴァークでもS級冒険者上位クラスの実力が落ちることはないだろう。戦い方も教えたから、弟子ながら今の俺より強いかもしれない。

 それからリクはランドとのやり取りについて色々と話してくれた。一緒に風呂に入ったときにショックだった話は……まあ、どんまい。

 結局ランドは今ここにいないわけだけど、それはこういう理由かららしい。

 

「ランドさん、シルヴィアさんとはぐれちゃったみたいで。僕がユウさんと協力して探したらどうでしょうって提案したら探しに行っちゃったんですけど……入れ違いになっちゃいましたね」

「そうだったのか。シルヴィアとはぐれたのが気になるな」

 

 シズハの心の反応がないのと関係がありそうで気になるな。彼女もS級上位の実力を持っているから、普通なら簡単にやられはしないだろう。

 ……まさかアルトサイドに落ちてしまったのか?

 だとすると早く助けてあげないとまずいな。

 業が深い人間ほど闇に魅入られやすいという。シルヴィアの元であるシズハは暗殺者だからな。ずっと闇に触れていたらナイトメア化してしまうかもしれない。

 それに約束もした。もしどこに行ったとしても俺が見付けてやるって。

 そうだな。世界のことも大事だけれど、まずは約束を守ろう。身近な仲間を一人助け出すのを最優先にしよう。ランドと一緒ならナイトメアも相手にできるはずだ。

 頼む。無事でいてくれよ。

 

「リク。ちょっと手を貸してくれ」

「あ、はい。いつもこうやってランドさんのこと確認してたんですよね?」

「気付いたのか。そうだよ。君たち二人は心が繋がっているからね」

 

 今さら別に隠すことでもないので肯定した。

 すると、リクはおずおずと手を差し出しながらも浮かない表情になっている。

 

「どうした?」

「あの……ランドさんのことなんですけど」

「うん」

「彼って……その、つまり。僕の夢なんですよね……?」

「……そうだな。君の考えている通り、君の夢描く冒険者としての理想的な彼が形を成したものだよ」

「それって……要するに、今はなんでかこの世界に現れているけれど、本当は実体がないってことですよね?」

 

 ……なるほど。浮かない表情になるのもよくわかる。

 

「そのことは本人に伝えたのか?」

「いいえ。あまりに残酷のことのような気がして……」

「……今はそれでいいと思う。俺も結局は言えてないんだ」

 

 今を確かに生きているラナソールの人間たちに、所詮は夢幻に過ぎないかもしれないなんて。そんなこと言えるわけがないじゃないか……。

 だから俺はずっと黙ってきたし、これからも言うつもりはなかった。

 見ると、リクは拳をぐっと握り込み、思い詰めた顔をしている。

 

「僕……考えたんです。今、この世界に起きていること。ねえユウさん。僕たちにとっての正常ってなんでしょう? ダイラー星系列の考えている事態の解決ってなんでしょう?」

「それは……たぶん、ラナソールの魔獣たちがこの世界に現れることがなくなって、世界の歪みが解消されることで……」

「そうですよね」

 

 リクは続ける。核心に迫る言葉を。

 

「ユウさんはラナソールのことを普通に話してましたけど、間近で見てよくわかりました。やっぱりおかしいです。普通じゃないんだ。夢の存在が実体化しているなんてことは」

 

 俺は剣と魔法の世界というものに慣れていたし、超常的なものにもたくさん触れてきた。だからラナソールという世界を当たり前に受け入れられていた部分はあったと思う。

 でも、リクはそうじゃなかったのだと理解する。そしてそれがトレヴァークの人の一般的な感覚に近いものであることも。

 

「夢想病の原因も、元を正せば心が分離して……ああやってランドさんみたいに実体化していることなんだ」

「そうだな。何が言いたいんだ?」

 

 自分の口調がぶっきらぼうなものになっていると自覚する。言葉は先を促すけれど、聞きたくなかった。

 

「だから……もし、彼らが生きていることそのものが問題なのだとしたら……?」

「お前……何を……」

「もしこの事態を解決することが、ラナソールそのものを――ランドさんたちすべてをこの世から消し去ることだとしたら……?」

「リク! 言って良いことと悪いことがあるぞ!」

「……っ……可能性の話ですよ。僕だってそうであって欲しいなんて思ってませんよ! でも……ユウさんだって可能性として考えてた! だから否定できないで、そんな顔をしてるんでしょう?」

 

 ……ああ。わかってるさ! そんなこと!

 事態を知ったウィルが真っ先に世界を消そうとしたことも。

 ダイラー星系列が見切りを付ければ、トレヴァークごと滅ぼすに違いないことも。

 ラナソールはまだ存在しているのが不思議なくらい壊れかけていて。多くの人が夢想病で苦しんでいるのはそのせいで。

 どうやれば元に戻るのかもわからない。元に戻すことが正しいのかさえ……!

 

「もしそうだとしたら……ユウさん。あなたにそれができるんですか?」

「…………」

 

 心に杭を打ち込まれたようだった。俺は何も言えずに目を伏せるしかなかった。

 気まずい無言が続いた。沈黙を破ったのはリクだった。

 

「……すみません。残酷なことを言ってしまって」

「いや……俺こそ怒鳴って悪かった。本当はわかってたんだ。だけど……ごめん。今は答えを出せそうにない。でも、できることをさせて欲しい――諦めたくないんだ」

「……わかりました。ユウさんならそう言うと思いました。僕もできることなら諦めたくないです。力はないですけど、できることなら協力しますよ」

「ありがとう」

 

 そう言って今度は力強く手を差し出すリク。心は繋がったまま――つまり俺を信じてくれているということだ。ありがたかった。

 ランドとの繋がりを確かめて、彼のところへ飛べそうな感覚を掴んだところで、実際に移動するのは後回しにする。

 

「よし。ランドのところに行けそうなのはわかった。でも実際行くのはもう少し後にするよ。まだこっちで情報を集めたい」

「ハルさんにはもう会いました?」

「まだだけど会うつもりだよ」

「ぜひそうしてあげて下さい。ハルさん、ユウさんのことすごい心配してましたからね」

「そうだろうね。あの子には悪いことしたな」

 

 ハルにはすべて包み隠さず話しておこう。彼女からはレオンの近況とかを聞いておきたいな。ラナソールの人がいる領域にも行けるかもしれない。

 

 ふとリクが何かまずいことに気付いたような顔になって口を押えた。

 

「……ところで、ユウさん。静かに言ってたのに自分で怒鳴っちゃって大丈夫だったんですか?」

「あっ……」

 

 慌てて周囲を確認するが、兵器がやってくる気配はない。

 

「セーフ。セーフ」

「僕完全に口塞がれ損ですよね」

「ごめん。マジごめん」

 

 思い出したように声を殺し、両手を合わせて謝り倒すと、リクはくすくすと笑い出した。

 

「ユウさんってやっぱりどこか抜けてますよね」

「気を付けてるんだけどなあ」

 

 悪かった空気が少しだけ弛緩して、二人で笑い合うのだった。



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208「ユウ、ハルと繋がる」

 互いの近況報告も終わり、久しぶりにリクに手料理を振舞っていた。

 俺もずっと何も食べていなかったからお腹が限界だった。気持ちに焦りはあっても、長丁場になる以上は体調管理も大切だ。

 満腹になったリクは幸せそうにお腹をさすっている。

 

「ふう。食べた食べた。やっぱりユウさんの手料理は最高ですね」

「どうも。俺も久々にまともなものを食べた気がするよ」

 

 しばらく野宿が続いてたからね。

 今日だけはしっかり休んで、身体と服を洗うくらいはしておくか。次いつできるかわからないし。

 身体も服もユイがいたら魔法で一発なんだけどな……。

 

「この後はどうするんです?」

「もう良い時間だし、今日のところは無理せず泊まっていくよ。明日はハルに会ってからこっちに戻って来ようと思う」

「だいぶお疲れみたいですもんね」

「何週間もぶっ続けで戦うのはさすがにこたえたな」

 

 一切気を抜けない時間が続いたからな。ダイラー星系列の懐にいる今も全然気を抜けないんだけど、身体は寝ろとしきりに訴えかけている。

 

「まあ今日くらいはゆっくりしていって下さいよ」

「助かるよ」

「そうだ。ユウさんって電話なくしたんですよね。僕の貸しますから、ハルさんに電話かけてみますか?」

「うーん。そうしたいのは山々だけど、やめておくよ。通信とか傍受されてそうだし」

「あー、そういう可能性もあるんですね」

「直接会いに行ってみるさ」

「だったら気を付けて下さいね。病院は夢想病患者で溢れ返っていて、調査のためとか言って特に監視が厳しくなっているらしいですから」

「そうなのか」

 

 どこまでも厄介だな。ちゃんと会えるだろうか。

 

「そうだ。悪いけどいくらかお金貸してくれないかな。そんなに使わないと思うけど、まったくないのも不便だから」

「でもユウさんって結構お金持ちだったと思うんですけど」

「今手持ちがなくてさ。回収するにも手配中の身だからね……」

「わかりましたよ。100ジット札……えーと。3枚くらいでいいですか?」

「恩に着るよ。今度色付けて返すね」

 

 翌日。リクと別れた俺は、ハルと会うためにトリグラーブ市立病院まで徒歩で移動した。無数にいるパトロールの目を縫っての移動になるため、距離に比べてやたらと時間がかかってしまう。

 朝に出て、結局病院の近くまで来られたのは昼に近い時間になってしまった。

 そして、予想以上に病院の警備が厳しいことを知る。

 入口からして機械兵士が十体以上は並んでいる。それらの目を盗んで忍び込むのは現実的ではないだろう。

 これじゃ直接会うことはできそうもないな。

 できればハルと会うことでラナソールへの道を確保したかったけれど、仕方ないだろう。

 でもこの距離なら……心を繋げて念話することはできないか。ハルからは好かれているから親和度は高いはずだし。

 近場のカフェに入り、申し訳程度に飲み物を注文する。早速リクから借りたお金が役に立った。

 落ち着いてから、念話を試みる。

 

『ハル……聞こえるか。ハル。ユウだ』

『……! ユウくん!? どこ? どこにいるんだい?』

 

 よし。上手くいった。周りにも気を配りながら続ける。

 

『病院近くのカフェだ。本当は君に会いに行こうと思ったんだけど、外の連中の警備が厳しくてさ。仕方なくこうして君の心に語りかけている』

『そっかぁ……。会えないのは残念だけど、とにかくキミが生きててよかった。本当によかった……』

 

 伝わってくる感情は心からの安堵だ。よほど心配してくれていたのだと申し訳なくなる。結局聖地テロ事件の後に会えてないし、ラナソールも大変なことになったからな。

 

『連絡が遅れてごめんな。本当はもっと早く無事を伝えたかったんだけど』

『いいんだ。キミが生きているだけでも十分だよ。うん……元気が出た』

 

 彼女の心に弾みが出たのがわかる。かなり塞ぎ込みがちだったようだ。

 

『それで、またキミは厄介事に思い切り首を突っ込んでいるというわけだね? ダイラー星系列からも手配されている、と』

『君の言う通りだよ。あまり自由に身動きができなくて困っているんだ。ハルは? 今困ってないか?』

『心配してくれてありがとう。ボクの方はまあ平気だよ。だいぶ窮屈になってしまったけどね』

『ラナソールは?』

『うん……。そっちはとっても大変なんだ。レオンが懸命に悪夢の化け物からみんなを守っている。いや、みんなとはとても言えないね。腕に抱えられるだけの人間を……フェルノートにいる人々を守るので精一杯さ』

 

 夢だから自分ではほとんど何もできないもどかしさ。レオンとしての無力感に打ちひしがれているようだった。

 そんな彼女に対して、俺は感謝を示したかった。ラナソールの人たちはまだ生きるために戦っている。希望を繋いでくれたのは間違いなく彼女だ。

 

『いや、ハル。レオン。君たちは立派だよ。君たちがいなければ、フェルノートのみんなはやられてしまっていたかもしれない。何もできなかった俺の代わりにみんなを守ってくれてありがとう』

『大したことはできてないよ。力及ばなくて、目の前で死んでいった人もたくさんいた。ボクは……悔しいな。ボクにもっと力があれば……』

『気持ちはわかるよ。俺だって……無力だ。でもね。ハル。それでも俺は救われたんだ。君がみんなを守ってくれなかったら、俺はもっとどうしようもない気分に襲われていたかもしれない。ハル。本当にありがとう」

 

 偽りのない本心を伝えた。少しは慰められてくれればと思っていたけれど、ハルから返ってきたのは意外な言葉だった。

 

『ユウくん……キミに一体何があったんだい?』

『え……?』

『……隠さなくていいんだよ。本当は泣きたいほど辛いんだよね? 知ってるかい。キミって隠し事がとっても下手なんだ。特にね。心に嘘が吐けない』

『…………』

 

 念話という手段を用いた弊害か……。

 いや、聡いこの子なら直接会ったときに気付いたかもしれない。

 まいったな。あまり悟らせないようにしようとしていたのに。

 何も言えずに黙っていると、張り裂けそうな哀しい感情を込めてハルが詰めてくる。

 

『……対等な戦友なんだろう? その言葉は嘘だったのかい? ボクでは頼りないかな? ボクには、相談する価値がないのかな……?』

『……ごめん。ただ……トレヴァークでは……戦えるのは俺一人だから。俺がしっかりしなくちゃいけないから……どんなに向こうで強くても、一般人の君にあまり弱みを見せたくなかったんだ』

 

 ここはあえて素直に言うべきなのだろう。

 わかっている。力になりたいと言ってくれる相手に突き放すようなことを言えば傷付けることくらい。

 でもそれ以上に傷付けるのは、相手がわかっているのに下手な誤魔化しをすることだと思ったから。

 

『はは……ダメだな。せめて君たちの前では、頼れる人間でいようって思ったのに』

『ユウくん……』

『俺もさ。弱いんだ。正直今、どうしたらいいのかわからないんだ。ただ、助けたいって一心だけで動き続けてる。まずは身近な人間から……だから君たちに会いに来たんだ。君たちの無事を確かめたかった。そうしないと、何も手を付けられそうになかったんだ』

 

 ユイもいない今、身近な人間が最後の拠り所だった。

 俺は一人じゃ何もできない人間だ。一人じゃ自分を支えることさえできないだろう。君たちが死んでしまっていたら、俺は崩れていたかもしれない。

 

『ボクも……そうだよ。ずっとキミに会いたかった。助けを求めていた。でも、もっと切実に助けを求めていたのは……キミの方だったんだね』

 

 ハルは少しの沈黙の後、改まって切り出した。

 

『ユウくん。キミの話を聞こう。だから……正直に話して欲しい。キミのことを。これまでのことを』

『……わかった。頼む。助けてくれ』

『もちろんだよ。キミにはいっぱい助けてもらったから。ボクも力になりたいんだ』

 

 ハルにこれまでの経緯を話した。テロ事件の顛末、アルトサイダーと会ったことも含めて包み隠さず話した。

 自分が世界を壊してしまったこと。結果としてユイが死んでしまったことももちろん言った。

 でも最後の一線として、泣き付くことだけはしなかった。ハルに甘えることはしても、情けなく感情をぶつけることだけはしたくなかった。それをしてしまったら、本当に自分を許せなくなりそうだから。

 

『謝っても許されることじゃないよな……。守るべき世界を壊してしまったのは、俺なんだ……』

『そっか……』

 

 すべてを吐露して項垂れる俺に、寄り添うような声色でハルは言った。

 

『ねえユウくん。キミはこんな慰めを言われるのは望んでいないかもしれないけど……キミだけのせいじゃないよ。キミのその力はキミが望んで得たものじゃないし、ましてキミが望んでやったことじゃない。一番悪いのは直接手を下した人たち、キミを暴走させるまで追い詰めた人たちだよ』

『それでも、もっとしっかりと自分をコントロールできていれば、こんなことにはならなかったかもしれない……』

『そうだね。だったら……キミがそれを許されない罪だと思っていて、少しでも償いたいと望むなら……ボクも一緒に背負うよ。何もキミ一人だけが抱えることはないじゃないか』

『ハル……』

『ふふ。実はちょっとね。安心したんだ。キミは思ってたより遠い存在なんかじゃなくて、いくら強くても普通の男の子なんだってね』

『君は俺のことを何だと思ってたの?』

『前にも言ったよね。世界で一番かっこいいボクのヒーローさ。それは今もまったく変わらないけどね』

 

 あけすけもなく言われてしまったので、俺は面食らっていた。

 ベッドの上でいたずらっぽく微笑む彼女の姿が見なくてもわかる。

 

『ねえユウくん。ボクたちには力が足りない、だよね?』

『そうだな』

『でもキミには本当はすごい力があって、けどそれは使いたくない』

『ああ。あんな恐ろしい力は使いたくない。また大切なものを壊してしまう気がして』

 

 黒い力を使えば大抵の敵は簡単に倒せるだろう。でも世界を壊してしまったように、かえって悪い結果をもたらす気がしてならない。

 根拠は何もないのに、確信にも近い予感がある。魂が理解しているような、不思議な感覚だった。

 

『ボクもそれでいいと思う。キミはキミのやり方で力を求めるべきだ』

 

 そこで何を言いたいのか、俺も大体察した。察した通りに彼女は心の声を紡ぐ。

 

『ボクもキミを背負いたい。ボクも一緒に戦いたいんだ。だから……ボクと繋がってくれないかな』

 

 今度は恥ずかしい勘違いすることはなかった俺は、心配で忠告する。

 

『気持ちはありがたいけど……。あまりずっと心を繋げておくのは相当な負担になる。危ないよ』

 

 確かに《マインドリンカー》の効力は絶大だ。こうして深く心を通わせるほどの関係ならば効力はなお高い。ハルを通じてレオンとも繋がれば、お互い大きな助けになるだろう。

 それでも俺は使用を一時的に留めていた。

 元から一つだったユイや、そもそも俺と波長が合うように特別に設計されたリルナだったらまだいい。それ以外の人が《マインドリンカー》を長時間使用する影響は未知数だ。

 ただでさえユイがいないことで能力が不安定になっている。最悪心が混ざって壊れてしまうんじゃないかという懸念は拭い去れない。

 それでもハルは覚悟を決めて微笑んでいた。

 

『大丈夫。ユイさんの代わりはできないかもしれないけど、キミのことなら受け入れられるよ』

『でも……もしまた力が暴走してしまったら、キミを潰してしまうかもしれない』

『ぜひそうならないように頑張って欲しい、かな』

 

 またいたずらっぽく、それも全幅の期待と信頼を込めて言われてしまっては、俺はもうお手上げだった。この子はもう自分の意志を曲げないだろう。

 

『う。重いな……』

『ふふ。ボク一人守れない者が世界を背負うなんて、無理な相談だろう?』

『そう言われたら何も反論できない……』

『大丈夫。ボクもキミを助けるから。キミは独りじゃないんだからね』

 

 ――まったく。強いな。ハルは。

 やっぱりこの子と話してよかった。救われたよ。

 まだ戦える。

 

『じゃあ、いくよ』

『うん。きて』

 

《マインドリンカー》

 

 心が接続される。身体が随分軽くなったのを感じる。

 全属性の精霊魔法と魔剣技を使える感覚を得る。今ならS級魔獣が何体来ても戦えそうだ。

 

『結構強めに繋いだけど、大丈夫か?』

 

 ラナソールやアルトサイドに行っても効果が切れないよう、ハルとはいつでも念話ができるレベルで強固に繋いでいた。

 

『う、うん。心がふわっとしてちょっと落ち着かないけど、大丈夫』

『ありがとうな。この力、大切に使うよ』

『うん。一緒に戦おうね。ユウくん』

 

 心強い味方を得た俺は、改めてシズハ捜索に向けて動き出すのだった。



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209「シズハ救出作戦 1」

 ハルとの通話を終え、カフェから出ようとしたところ、一人の黒服が俺に近付いてきた。

 誰だろう。悪意はないみたいだけど。

 黒服は一枚のメモを差し出して言った。メモには人気のない倉庫が記されているようだ。

 

「ホシミ ユウさんですね。"奇術師"からお話があると」

「ルドラが?」

「はい。既にご存知かと思いますが、ボスはあなたとの接触ができないようダイラー星系列に監視されています。しかし書類上は処分を下した"奇術師"ならば接触が可能だと、彼にあなたの捜索を命じておりました」

 

 なるほど。よく俺の居場所がわかったなと思う。俺の現れそうな場所を予測し、根気強く待っていないと無理だっただろう。

 

「わかった。すぐに行こう」

 

 ルドラはいけ好かない男だが、組織への忠誠心については疑いの余地はない。こちらとしても情報交換とシズハの安否は知りたかったし、望むところだ。

 

「そうだ。ついでだけど、急ぎでいくらか資金と物資の用意をお願いできるかな」

 

 と言ってメモを借り、色々とそれに書いて手渡す。

 大量の食料や数人分のキャンプ用品・サバイバル用品などを列挙したメモを見つめた黒服は、「かしこまりました」と頷き、すぐに手配を開始してくれた。

 

 パトロールに見つからないよう細心の注意を払いながら、指定された倉庫に向かう。薄暗い倉庫を奥の方まで歩いていくと、"奇術師"ルドラ・アーサムが待ち構えていた。

 

「ご健勝のようだねえ。ホシミ ユウ」

「よく俺を見つけられたな」

「ふん。オレの方が連中より勘が冴えてたということさ。あんたが無事なら、必ずシズハやリク、ハル辺りと接触しようとするだろうと踏んでいた」

「その読みを敵対に使われなくて今はよかったと思っているよ」

 

 やはり腐っても世界随一の裏組織の幹部だな。さすがの遂行力だ。もし前にシズハを人質に取るのではなくこそこそと動き回られていたらもっと厄介だっただろう。

 

「オレとしちゃ、あんたに組織を潰されなくてよかったと心から思っちゃいるがねえ」

「そうかい」

「フフッ」

 

 お互い胸の内に抱えたわだかまりを隠さず、不敵な笑みを応酬した。

 

「ボスから、もしホシミ ユウの生存を確認し接触できたなら、情報交換するようにとの仰せをつかっている。ボスはかなり悲観的だったが、正直オレはあんたがそう簡単にくたばるようなタマじゃないと信じていたよ」

「妙な信頼もあったものだな。まさかお前と情報交換することになるなんてね」

「オレも同感さ。こいつも縁かねえ。ああ、心配するな。偽りを報告するつもりはないとも」

「その点については疑ってないよ」

「……そりゃどうも」

 

"奇術師"らしい飄々とした口調で話していた彼は、どこか苦々しい――まるで認めたくない敗北を認めるしかないような表情で続けた。

 

「オレがこの仕事を引き受けたのは、組織にとって必要だと思ったのもあるが……ホシミ ユウ。あんたにシズハを救ってもらいたいと思って探していたのさ」

「やっぱりシズハの身に何かあったんだな」

「薄々察しは付いていたみたいだねえ。彼女は今、組織の病棟で寝ているよ。……夢想病さ」

 

 そして彼から経緯を聞いた。

 終末教の暴動鎮圧にあたっていたところ、シズハが突然倒れてしまった。仕方なく戦闘を切り上げ、彼女を担いで本部へ帰還した。

 医療班が手を尽くしたが、夢想病だとわかると経過を見るしかなくなってしまったと。

 

「どれほど身を案じてみても、結局あんたしか彼女を救えないんだ。オレでは何もできない」

「だから嫌いなはずの俺を必死に探していたんだな。生きている可能性に賭けて」

「悔しいことにねえ」

 

 俺は深々と頭を下げた。

 

「礼を言う。お前がいなかったら、シズハは倒れたまま暴徒に殺されていたかもしれない」

「……つまらん礼を言われる筋合いはないな。オレが望むのは一つだ。シズハを助けられるのか? あんたなら」

「助けてみせる。彼女のところに連れていってくれ」

 

 情報交換をしつつ、ルドラに連れられてシズハのいる場所へ向かう。ダイラー星系列に見つからないよう、彼の別荘に医療器具を持ち込んで看病しているのだという。

 そこで、ベッドに意識なく横たわる彼女の姿を見つけた。

 

「シズハ……」

 

 ただでさえ色白な彼女の顔はさらに青白くなっていた。数週間も寝込んでいることから、幾分頬も痩せこけてしまっている。

 しかし浅い呼吸を繰り返していることから、死んではいないようだ。生きているのであれば希望はある。

 彼女の額に手を触れて念じる。心の行き先を辿ることに集中する。十分親しくなっていた俺は彼女の心に侵入することができた。

 

 これは……?

 

 どうやら彼女は終わらない悪夢を見ているようだった。自分の殺してきた人たちに苛まれ続ける夢。

 仕事を一つこなすたびに、心が擦り減っていく彼女の姿が見えた。

 俺は同情する。やっぱり……彼女には向いていない仕事なんだ。

 悪夢をくぐり抜けた先に、もう一人の彼女の姿が見えてくる。

 シルヴィアも倒れていた。場所は――周りが薄暗闇一色の世界……アルトサイドだ。

 

 よりによって最悪の場所だ。危ないぞ。早く助けないと。

 

 ただどういうわけか、幸いなことにナイトメアは取り憑いてはいないようだった。彼女に近付いてはすべて弾かれている。何か不思議な力で守られているようだ。

 よくはわからないけど助かった。まだ間に合う。彼女を助けられるぞ。

 早速俺は切れてしまった心の繋がりを修復するために能力を使った。

 

《マインドリンカー》

 

 だが上手くいかなかった。

 いくら繋ごうとしてみても、アルトサイドへリンクを伸ばした瞬間に弾かれてしまう。まるで悪夢が明確な意思をもって邪魔しようとしているようだった。

 くそ。ここからではダメなのか。

 どうやら直接心の方――シルヴィアの下へ向かう必要がありそうだった。シルヴィアに直接触れて繋いでやれば、悪夢に妨害されることもないだろう。

 せめてシズハとのリンクはずっと繋いでおいて、シルヴィアの位置を感知できるようにしておく。これで向こうでも迷うことはないはずだ。

 せっかく苦労してトレヴァークに来たのに、またあの世界か。いや、背に腹は代えられない。それにランドがいれば、俺だけならいつでもリクのところへ戻って来られるはずだ。条件は格段に有利になっている。

 

「どうだ」

「彼女は助かるよ」

「本当か!?」

「ああ。でも今すぐには無理だ。時間が欲しい」

「わかった。希望が見えたんだ。あんたを信じて待つことにするさ」

「待っててくれ。上手くいけば自分から目を覚ますはずだ」

 

 ルドラにボスへの報告を頼み、支援資金と物資を受け取った俺はリクの下へと帰った。そしてすぐに心のパスを使い、ランドのところへ飛んだ。



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210「シズハ救出作戦 2」

「うおおおおおおおおっ!?」

「わっ!?」

 

 ランドはいきなり現れた俺に驚いてひっくり返っていた。

 やおら起き上がった彼はふうと息を吐き、転んだときに着いた土埃を叩いてから俺を見つめる。

 

「なんだユウさんか……。久しぶりだからびびったぜ」

「驚かせて悪い。ここは……?」

 

 周囲を見渡すと、急造と思しきバリケードが壁状に張り巡らされていた。下級の魔獣には有効だろうが、B級以上には心許ない防御だ。

 バリケードの向こうには家々が立ち並んでいるが、数はさほど多くない。どうやら小規模の集落みたいだけど。

 ランドは腕組みして頷き、言った。

 

「ロトー村って言うんだ。ユウさんを探してたら見失ってよ。仕方なくふらふらしてたらここに辿り着いたんだ。で、魔獣に襲われてたからつい助けたら、色々と頼りにされちまって。それでずっと警護をやってたわけさ」

 

 よく見ると、向こうの方に食人花トゥリーンや暴虐の巨人アゼルタイタスの巨大な死骸などが転がっていた。トレヴァークの人間に倒せるとは思えないから、すべてランドが倒したのだろう。

 周りにダイラー星系列の兵器は一切見当たらない。どうやら小さい集落だから、意図的に保護の対象から外された可能性が高い。

 もしランドが村を守らなければ全滅していた恐れは極めて高かったはずだ。

 

「そうだったんだな。よく守ってくれたね」

「ま、見慣れた奴ばかりだったしな。このくらいは朝飯前だぜ」

 

 さすがはS級冒険者上位の実力者だ。俺もハルと繋がったおかげでようやく対等に立ち回れそうだけど、そうでなかったらトゥリーンはともかくアゼルタイタスは相当手を焼いただろうな。クリスタルドラゴンより一枚強いからなこいつ。

 

「ところでユウさんどこ行ってたんだよ。随分探したんだぜ?」

「色々あってさ。説明するよ。君のことも聞きたい」

「おう。いいぜ」

 

 ランドにも経緯を説明する。彼を含むラナソールの存在が夢幻に近いものであることは省き、おおよそすべての事情を説明していく。

 俺がトレヴァークでは力を制限されて思うように身体が動かないことも伝えた。

 

「そうだったのか。俺の知ってるユウさんよりずっと弱々しいから心配したぜ」

「君の力にかなり頼らなくちゃいけない部分が出て来ると思う。師匠としては情けない限りだけどね」

「任せとけって。要するにパワーレスエリアみたいなもんだろ? いつもユウさんには力を借りっぱなしだったからな。たまにはお返ししないと釣り合い取れねえよ」

「ありがとう。助かるよ」

 

 そして本題に入る。

 

「リクから聞いたよ。シルヴィアを探しているんだよね」

 

 ランドはすぐに食いついてきた。よほど彼女の身を案じているのだろう。

 

「そうなんだよ! 世界の果てではぐれちまったんだ。けどさっぱりあてがわからなくてさ……。危険な目に遭ってないとも限らねえ。ユウさんと合流したらすぐにでも探しに行こうと思ってたんだよ」

「そう言うと思って彼女の居場所を掴んできた。危険な場所だけど彼女はまだ生きてる」

「ありがてえ! さすがユウさんだ!」

 

 俺の両肩をがっしり掴んで歓喜を示すランド。相変わらずわかりやすい奴だ。ちょっと痛い。

 アルトサイドとナイトメアのことを追加で説明する。ナイトメアは一体一体が上位魔獣並みに強い上に数が多く、シルヴィアはまだ無事だが、放っておくといつやられてしまうかわからないことを伝えた。

 

「時間との勝負だ。一緒に助けに行こう」

「おう!」

 

 と彼は勢い良く返事をしたものの、すぐに気勢が萎えてしまった。

 

「あ、でもよ。困ったな。あいつを助けに行きたいのは山々なんだが……ロトー村のみんなを見捨てることになるんじゃねーか? さすがになあ……」

「そうか……」

 

 せっかくランドが守ってくれた村だが、もし彼が離れてしまえば次の襲撃には耐えられないだろう。俺が見て来たいくつかの村や集落のように、悲惨な最期を遂げるのはほぼ確実だ。

 いくら身内のためとは言え、見捨てるのはあまりにひどい話だと思う。

 

「俺に懐いてくれたガキもいるんだよ。見捨てては行けねーよ。でもシルヴィアも助けたいんだ。何とかならないかな。ユウさん」

「そうだな……」

 

 どちらかが残ってこの集落を守れればいいんだけど、ずっとここに貼り付けになってしまう。それに一人でアルトサイドに突入するのは自殺行為に近い。俺としてはリク=ランドパスという脱出手段は用意しておきたい。

 でも見捨てたくはない。もしかしたら小さな村の中ではもう唯一の生き残りかもしれないんだ。

 何か。何か手段はないのか。

 

『ユウくん。困っているみたいだね』

『その声は。ハルか』

 

 そう言えば《マインドリンカー》で繋がっているから、思考を覗こうと思えばある程度覗けるんだったな。

 

『ふふ。キミの力って中々に赤裸々だね。正直に困っているのがボクに伝わってきて……ほっとけなくてね。何かできることはあるかい?』

『どうだろう。例えば結界魔法の類とか、レオンは使えたと思うんだけど。こっちに張ることはできないかな』

『確かに彼なら使えるよ。ただ、つぎ込んだ魔力量に依存するからね。何日かはもつかもしれないけど、それ以上はどうかな』

『そっか……まいったな』

 

 何日かだけでは意味がない。一度アルトサイドに向かったらいつ戻って来られるかわからないからな。

 

『……待てよ。つぎ込む魔力量が多ければ問題ないってことか?』

『そうだね。あくまでレオンだけの力じゃ数日が限界ってことだから』

『それって精霊魔法じゃなくても大丈夫か? 星光素魔法ってやつで、しかも既に風魔法として生成されているんだけど』

 

 エーナさんから受け取った切り札の一発である《バルシエル》がまだ残っていたことを思い出す。超上級魔法すら凌ぐえげつない威力の風魔法だ。そんなのを当時の無力な俺を殺すのに使おうとするなとは心から思ったけど。

 フェバルは前提となる魔力許容性が皆無でない限り、世界に魔素がなくても魔法を使うことができる。それは星脈のエネルギーを借りてきて使うことができるからで、魔素魔法に対して星光素魔法という。星光素は宇宙に存在する中で最強の魔力要素らしい。前に暇してたレンクスからそう聞いた。

 ただ最強の魔力要素である星光素を取り入れるためには、それを取り入れるためのチャネルとそれに耐えられるだけの極めて頑丈な身体が必要である。一般のフェバルや一部の星級生命体はこの条件を満たすのだが、ユイの身体には星光素を取り入れるためのチャネルが開いていない。なので俺たちは世界の許容性に従う形で魔法を使ったり使わなかったりしてきたわけだ。

 それはともかく、《バルシエル》は一つの切り札ではあるが、もし村を守るために使えるのであれば快く使ってしまいたいと思う。ナイトメアにはどうせ風魔法は効かないみたいだからね。フェバルの魔力なら遥かに長い時間もつはずだ。

 少し考えた後、ハルからは曖昧な肯定の返事がくる。

 

『精霊魔法以外を使ったことがないから何とも言えないけど……ユウくんに誘導してもらえれば何とかなるかも。聖剣フォースレイダーには魔法変換機能があるからね』

『やっぱとんでもない剣だな』

『伝説の聖剣だからね。一応』

 

 じゃあ俺がしっかり誘導できればいけそうだな。星光素を扱うと思うと無理だけど、『心の世界』に引き受けたものを誘導する範疇だから何とかなるかな。

 隣で頭を悩ませているランドに声をかける。

 

「村に防御結界を張っていこう。襲われないようにちゃんと強いやつをかけるよ」

「すげー。ユウさんそんなこともできんのか!?」

「俺だけの力じゃないけどね」

 

 言葉の意味に首を傾げる彼はさておき、ハルを通じてレオンに協力を呼びかける。

 

 結果として無事に結界魔法を施すことができた。村全体がルビー色のバリアに覆われている。聖剣の力で魔獣にだけ反応するようになっていた。

 

「これなら大丈夫そうだな」

 

 ランドも満足そうに頷く。

 

「もう行けそうか?」

「ちょっとだけ待ってくれ。村のみんなに別れの挨拶してくるからよ」

 

 ランドが村へ入っていき、しばらくして戻ってきた。

 

「ちゃんとお別れは言えたかい」

「結構渋られちまったけどな。ガキたちに行かないでって泣かれちゃったよ」

 

 困った顔で笑うランド。レンクスに似て気の良い兄ちゃんだし、子供には好かれるだろうからな。

 

「それよりユウさん。俺の方はほとんど手ぶらなんだけど大丈夫かよ」

「心配しなくていいよ。物資の用意ならたっぷりしてあるから」

「よーし。じゃあシルヴィア救出作戦といこうぜ!」

「ああ。行こう」

 

 俺とランドによるシズハ&シルヴィア救出作戦が始まった。



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211「シズハ救出作戦 3」

「で、ユウさんが言ってたアルトサイドってとこに行くにはどうするんだっけ」

「空間に開いている穴を探して侵入するんだ。魔獣が異常に多い所の近くを探していけばいずれ見つかると思う」

「なるほど。じゃあ基本魔獣とぶつかる想定をしとけばいいわけだな」

「ああ。でも魔獣と戦うのが目的じゃないからなるべく戦闘は避けよう」

「了解」

 

 無駄に体力を消耗しない程度の速度で走る。ハルを通じてレオンと繋がっているおかげで、音に近い速度で走っても息切れすることはない。ランドも朝飯前の様子で着いてきている。改めてラナソール人の身体能力の高さを感じるところであった。

 

「なあランド。君の他にこちらの世界に来た人間を見かけなかったか」

「いやー誰も見てねえな。魔獣ばっかりさ」

「どうしてなんだろうな」

 

 ラナソールは人間が暮らしている土地よりも魔獣だけの土地の方がずっと多いし、数も魔獣の方が圧倒的に多い。だからほとんど魔獣ばかりというのは納得がいくんだけど……人間がランド以外誰一人としてこちらに来ていないという事実は考えさせられるものがあった。

 

「さあなー。でも俺さ、ユウさんの話聞いてると、たぶんシルと一緒でアルトサイドってとこには落ちてたんだよな」

「よく無事でいられたね。ナイトメアにやられる前に偶然こっちに繋がる穴を見つけたとか?」

「いやー……そういうわけじゃねーんだよな」

 

 思い出す素振りを見せるランドは、どこか歯切れが悪い。

 

「たぶん俺、危なかったと思うんだわ。そのときは自分が消えちまうような気がして、正直すげー怖かったんだけどよ。ふと感じたような気がしたんだよな――ラナ様を」

「ラナを?」

「おう。まあ姿を見たわけじゃないし、はっきりしたことは言えねーんだけどさ。ラナ様が守ってくれたような……で、気付いたらこっちにいたんだ」

「そうだったのか……」

 

 中々示唆に富む話だ。

 殺されたはずのラナは、それでもまだ世界と人々を守っているのか?

 それと、仮にラナソールの人たちが穴を通るときに一度アルトサイドを中継するなら……みんなトレヴァークに辿り着く前にアルトサイドに囚われてしまっている可能性はないだろうか。

 穴に落ちた人はたくさんいるけれど、こちら側に辿り着けた者がランド以外にいないのだとしたら。急増した夢想病患者とも整合的だ。

 一方で魔獣は問題なしにこちら側に辿り着いている。人と魔獣を隔てるものはなんだ。

 

「ユウさん。難しい顔してどうしたよ」

「ちょっと考え事をね。どうして魔獣だけがこちらに来るんだろうって」

 

 もう少し考えを巡らせていると、答えと思える予想がふと浮かび上がった。

 

 そうか。心か。

 

 ラナソールの人は完全な創造物ではなく、トレヴァークの人の心を土台にしている。一方でラナソールの魔獣はトレヴァークの動物を拠り所にしているわけではない。

 クリスタルドラゴンの強い怒りを感じたように、心がないとは思わないけど、実体に紐付けられたものではないんだ。

 おそらくアルトサイドのナイトメアは実体のある心に取り憑く。だからラナソールの人はすぐに取り憑かれてしまう。けれど魔獣は取り憑く対象にはならないのだろう。だから素通りできてしまうんじゃないだろうか。

 そう考えてみると、今ここにいるランドはとても貴重な存在なのではないかと思えた。本人の言葉によればラナに守られたという幸運。それにもしかしたら世界の果てという現実世界に近い場所にいたことも味方したのかもしれない。現実のリクに引き寄せられる形でトレヴァークに辿り着くことができたのだろう。

 

「そんなことよりも俺はシルが心配だぜ」

「……そうだな。一刻も早くアルトサイドへ行こう」

「おうよ」

 

 魔獣の溜まり場と穴は数時間ほど走り回ったところで見つかった。特別に運が良かったわけではないだろう。一日足らずで見つかってしまうほど穴が増えてきており、現実と夢想の境界が弱まってきていることだ。

 いつの間にかパワフルエリアに突入し、力が漲ってきたのもその証拠だった。

 レオンの恩恵とランドの協力もあり、普通なら問題にならないところだが……。

 今、俺たちの目の前に立ちはだかる魔獣のうちの一体が大問題だった。

 

「あいつは……!」

「おいおい……やべーのがいるぞ!」

 

 それは体長約10メートルと、このクラスの魔獣にしてはむしろ小さい部類に入る。

 だが等身大のフェバルたちが規格外であるように、大きさがそのまま強さを表すわけではないという良い見本の代表がそいつだった。

 自身の膨大な魔力によって常に宙に浮かぶそいつは、身体の左右でまったく異なる特徴を持つ。

 右半身は浅黒い肌に真っ黒な外套を纏い、顔はまるでドクロの仮面を張り付けたようである。一方で左半身は真っ白な肌に純白の布を巻き付け、顔はまるで人間の女性のようだ。

 

 破壊と再生の偽神『ケベラゴール』。

 

 標準「挑戦推奨」レベル……318。

 

 特S級ともSS級とも呼ばれるそれは、ラナソールで最強格の魔獣――魔神と呼ばれるものの一体だ。

 S級魔獣クリスタルドラゴンの標準「討伐可能」レベルが110であることを考えると、いかに桁外れの強さであるかがわかる。

 ゲームのラナクリムにおいて誰一人討伐できたことがないという偉大な実績を持つ。ラナソールでも確かレオンが倒したことのない一体だったはずだ。

 

『若気の至りで挑んでみたことはあるんだけどね。とにかく攻撃力が高いし回復力はすごいしで、限界が来る前に諦めたよ。一人や少人数で挑むものじゃないね。アレは』

 

 本人からありがたくないお墨付きも頂いたところで、偽神もこちらに気付いた。左右まったく異なるいびつな顔で、ケタケタニヤニヤと不気味な笑みを浮かべている。

 もしかするとバラギオンを凌ぐ実力を持つそれを前にして否応にも緊張は高まるが、ひとまずランドに呼びかける。

 

「再確認だ。あいつを倒す必要はない。やり過ごして穴へ突っ切るぞ」

「了解! 言われなくたってあんなのとまともにやらねーよ!」

 

【気の奥義】

【反逆】《不適者生存》

『セルニエス』

《マインドリンカー》

 

 俺がフェバルの能力を二つ、さらにレオンが風の加護を施す。加えてランドと一時的に心を繋ぎ、能力を共有する。重ね重ねのドーピングだ。

 

「おお。急に身体がすげー軽くなったぞ!」

「パワーアップをたくさんかけた。しばらくはもつはずだ」

「すげーすげー。これならあいつだって倒せそうな気がするぜ」

「こら。すぐ調子に乗らない。ところであいつの弱点は火属性だったな――ランド」

「おう。アレだな! 修行の成果を見せてやるぜ!」

 

『ハル。火の魔力を頼む』

『わかった。いくね』

 

 俺はまず左手に気剣を創り出した。

 まばゆい純白に輝くそれに、レオンから送られてくる火の魔力をブレンドする。

 気力と魔力。相反する二つの力は荒ぶるが、俺はそれらをまとめ上げて一つの形に結集させた。

 白かった刀身は紅く輝き、ゆらゆらと熱く燃えている。

 魔法気剣。火の気剣だ。

 ユイがいないのでずっと使えなかったが、ハルを通じてレオンと繋がったことで、精霊魔法を媒介にして創り出すことができた。

 

 一方、ランドも魔法剣を右手に創り出す。

 俺との(本人曰く厳しい)修行の末に、彼は一つ殻を破って次のレベルへと到達した。

 純魔法剣。

 すべてが火の魔力でできた剣を彼は手にしていた。もはや彼に媒体となる金属の剣は必要ない。

 ランドはそれを得意気に見せびらかして来る。

 

「どうっすか俺の剣は。ワールド・エンドに向かう旅でさらにレベルが上がったんだぜ」

「確かに一段と腕を上げたね。でも気を引き締めろ――来るぞ」

 

 偽神が破壊の右腕を振り上げると、千を超えるおびただしい数の暗黒球体が放たれた。

 奴の得意とするクラッシュの魔法だ。一つ一つが半径数メートルもあるそれらのどれか一つに触れただけでも、触れた部分が問答無用で握りつぶされてしまう。

 

「かわしながら前に! 他の魔獣の動きにも気を付けて!」

「おう!」

 

 当たる位置に飛んで来るものだけを冷静に見極め、スレスレよりは少し余裕を持って、しかし大きく動き過ぎずにかわす。あまり大きく動くと他の球体に当たってしまう。

 ランドの方も上手く対処しているようだ。

 第一波は捌いたが、まだまだ穴とは距離がある。

 直接声をかける余裕はないので、ランドに念話を送った。

 

『かわして終わりじゃないぞ。次が来る』

 

 クラッシュの魔法は威力こそ恐ろしいものがあるが、素直に飛んでくるのをかわすだけならS級冒険者なら多くの者ができるだろう。

 問題はこの後だ。偽神の攻撃は時間が経つにつれ重層的になり、どんどん凶悪なものになっていく。

 かわされることは想定済みとでも言うのか。展開された暗黒球体は彼方へ飛び去ることなく、俺とランドを包囲するように静止した。

 再生の左腕が振られる。暗黒球体の一つ一つが大きさを保ちながら数個ずつに分裂する。既に万を超える数となったクラッシュの球体は、奴だけに有利な固有フィールドを形成する。

 そして奴が指揮のように左腕を振り下ろすと、それらは俺たちを目掛けて不規則な軌道で襲い掛かってきた。

 

「うおっ!? いっぱい来たあああああ!?」

『落ち着いて。一度に近づいてくる数には限りがある』

 

 絶叫するランドに冷静な対処を呼びかける。

 

『わかってらあ。ちょっと驚いただけさ!』

 

 そこはランドも一流の冒険者。大袈裟なリアクションとは裏腹にしっかりと攻撃を見切って避けていく。

 その様子を見て大丈夫だと踏んだ俺は、自分がかわすのに集中する。

 こういうとき一番やってはいけないのは、無駄に動き過ぎることだ。攻撃にびびって必要のない動きをすると、避けた先に攻撃がきて余計に対処が厳しくなる。

 必死に避けているうち、まるで弾幕シューティングゲームでもやっているような気分になってきた。

 ただし動かすキャラは自分で、弾は恐ろしく高速で、しかも自機は一つしかない。

 いや、フェバルだから自機は無数にあるのか?

 ……とにかく、今やられてはランドにかかった強化が切れて彼が殺されてしまう。死ぬわけにはいかない。

 それにしても激しい攻撃だ。ハルと繋がってなかったら確実にやられてたな。

 

『ランド。大丈夫か?』

『ひやっとするがまだまだいけるぜ』

『少しずつでいい。穴の方へ近づけそうか』

『やれるかじゃなくてやるしかねーだろ』

 

 攻撃を避けつつ穴の方へ向かう意識で動く。前へ進むという制約が付き、さらに針の穴を通すような動きを強いられるが、穴までの距離は着実に迫ってきた。

 俺たちはどうにか避けているが、他の魔獣にとっては死に等しい攻撃だった。逃げ遅れた無数の雑兵はあわれ圧殺の餌食となり、血肉をまき散らして果てていく。

 

 あるとき、若干攻撃が緩んだような気がした。

 

 違和感を覚えて偽神の方に目を向けると、スパークを散らす球体を両手で創り出している。見た目から雷撃魔法を放つつもりのようだった。

 

『アレを撃たせちゃダメだよ。途中で枝分かれして黒い球体で乱反射するんだ。大変なことになる』

 

 ハルから恐ろしいことを聞かされた俺は、急いでランドに呼びかける。

 

『ランド。あの攻撃をそのまま撃たせたらまずい。魔法剣を構えて。例のやつをやるぞ』

『協力技だな! わかったぜ!』

 

 俺は左手の魔法気剣に力を込め、ランドは右手の純魔法剣に力を込める。紅い刀身がさらに真っ赤に燃え上がる。

 

『今撃っても黒い球体に削られてしまう。あいつの雷撃に正面からぶつけよう』

『よし。タイミングが大事だな』

『タイミングは任せてくれ』

 

 自分の攻撃が自分に向かって反射される間抜けなことにならないよう、雷撃の軌道上だけは邪魔な球体は避けるはずだ。

 そこを突く。あいつの攻撃の瞬間が最大のチャンスだ。

 

 魔法を十分に溜めた偽神は、両手を胸の前に突き出して発射の体勢に入る。

 挙動から放たれるタイミングを見極めようと試みる。雷魔法は光魔法に次いでとにかく速い。撃つ瞬間を認識してからでは遅い。

 黒い球体が奴の正面を避けるように動き始めた。

 だがまだだ。焦るな。まだフェイントの可能性がある。

 嘲るような悪意を感じる。

 そこに殺意が混じった瞬間。

 

 ――来る。

 

『今だ! 撃て!』

『おりゃあああああっ!』

 

()()()()()()()()

 

 火の魔力を纏った剣閃を二人同時に放つ。ランドが教えを乞うてきたので伝授したのだ。

 ラナソール基準でもハイレベルな一撃は、それぞれが山を斬り飛ばすにも十分な威力だろう。

 そして俺たちが自分の攻撃を撃ち出したと思ったときには、雷撃は放たれていた。

 大気を揺るがすほどの電気の奔流。横方向に飛来する大自然の雷――もはやそんなものすらも遥かに超越した極大の電子光線は、大地を砕きながら俺たちを焼き尽くす死の轟音を立てて迫る。

 だが。

 雷撃とぶつかる直前。息を合わせて放った二つの剣閃は交わり、一つに合流した。

 

()()()

 

『いけ!』『いっけー!』

 

 相乗効果によって数倍以上の威力に強化された双剣閃と雷撃が激突する。

 勝ったのは俺たちの攻撃だった。

 剣閃の交差点を中心に、雷撃が斬り裂かれていく。雷を砕きながら、真紅のクロスは偽神に一撃を下さんとなおも突き進む。

 同時に、攻撃の通った跡は黒い球体のない安全な進路となっていた。

 

『走れ!』

 

 わずかな時間も無駄にはできない。俺はランドに呼びかけて剣閃の進路に沿うように駆け出した。

 穴は偽神の右後方にある。途中で道を逸れる必要はあるが、かなりの近道になる。

 俺たちが進み出したのと、双剣閃が敵に激突したのはほぼ同時だった。

 強烈な閃光と爆発が奴を包む。巻き起こった土煙によって姿が隠れ、同時に黒い球体の動きが止まった。

 それを見て、即座に進路を穴への最短進路へと舵を切る。ランドもすぐ後ろからついてくる。

 

 偽神を覆っている土煙が徐々に薄れていくのを横目に、穴の方へとひた走る。

 穴から身体を突き押されるような抵抗を感じるようになってきた。もう少しだ。

 

『なんて奴だ……。アレを耐えやがった!』

 

 ランドの驚愕が『心の世界』を介して伝わってくる。

 見れば――胸部を大きくバツ字に斬り裂かれ、黒白の衣装は消し飛んでいたが、なお偽神は健在だった。

 弱点属性を重ね撃ちしてもダメなのか。

 さすがにあれで倒し切れるとは思っていなかったが、もう少しこたえるかとは思っていた。改めてラナソール上位生物の強靭さをまざまざと見せつけられ、背筋が寒くなる。

 そればかりではない。

 カカカ、と不気味な笑い声を発し、奴は左手を胸に傷にかざす。するとみるみるうちに傷が塞がっていくではないか。

 脅威の耐久力と回復力。奴が破壊と『再生』の偽神たる所以を見た。

 だが回復に集中している間、攻撃の手は緩んでいる。チャンスはまだ終わっていない。

 同時に嫌な予感がした。偽神は回復しながら、明確な憎悪をもってこちらを睨んでいたからだ。

 

 ここまで穴に近づけばいけるか。さっさと逃げ切ってしまおう。早く行かないとまずい気がする。

 

『こっちへ来て手を繋いでくれ。一気に抜ける』

『ユウさんのとこに行けばいいんだな!?』

 

 俺はほんの少しだけペースを緩め、ランドが追いつけるようにした。穴はもう内部が見えるほどの距離だ。

 

「クカカカ……」

 

 骨を鳴らすようなおぞましい偽神の声が耳に届く。

 無数に分かれていた暗黒球体がみるみるうちに寄せ集まっていくのが見えた。

 振り返って確認するまでもなくわかる。

 でかいのをぶっ放してくるつもりだ。ガチで俺たちを殺しにかかっている。

 

「ユウさん!」

 

 ランドが追いつき、俺の手を取った。

 一刻の猶予もない。もう出し惜しみはしていられない。

 穴からの斥力を無視して強引に突破するため、何度お世話になったかわからないショートワープの連続使用に入る。

 

《パストライヴ》

《パストライヴ》

《パストライヴ》

《パストライヴ》

《パストライヴ》

……!

 

 急げ。急げ! 追いつかれる前に!

 

 瞬間移動とは言っても、一度の移動距離は限られており、次の使用までには一瞬の溜めが要る。その間にも背後から何かを巻き上げる音と凄まじい風がぐんぐん迫ってくる。振り返って見ている余裕などない。

 

 ――これで!

 

 穴の中――薄暗闇の世界へ飛び込んだ俺たちは、最後の一回のショートワープで、穴から逸れる方向へと飛んだ。

 間一髪、穴を極大のクラッシュ魔法が貫き、俺たちが一瞬前までいた場所を呑み込みながら闇の向こうへと消えていった。

 

「はあっ……はあっ……!」

「ぜえっ……ぜえっ……!」

 

 死の危機を辛うじて乗り切った俺たちは、激しく息を切らしながらも生を勝ち取った実感を噛み締めていた。

 危なかった。魔神があんなでたらめな強さだったなんて。

 まだ強さの底が見えなかった。本当にバラギオンより強いんじゃないか?

 あいつが暴れてトレヴァークに甚大な被害をもたらしたりしないだろうかと心配になる。

 もしロトー村が見つかったら、いくらエーナさんの魔力を利用した魔法でも……。

 ……考えても仕方がないな。どうなるかわからないし、どうしようもないのだから……。

 

『間一髪ってところだったね。ハラハラしたよ』

『君の力がなかったらやばかった。助かったよ』

『まだまだ先は長いからね。逆にボクがキミの力を借りることもあると思うから、そのときは頼んだよ』

『ああ。任せてくれ』

 

 呼吸が落ち着いてきたところで、ランドに軽口を叩く。

 

「大丈夫か。腕とか足とか取れたりしてないか」

「ちゃんと五体満足っすよユウさん」

 

 見ればわかり切っていることだが、無事な膝と腕を叩いてランドがニッと笑った。

 

「ふう……。思ったより随分苦労したけど、本番はここからだよ」

「来たな――ここが薄暗闇の世界アルトサイドか」

「ナイトメアには光属性しか効かない。剣の属性を切り替えておこう」

「了解だぜ」

 

 一寸先は闇の世界を二本の剣から溢れる光がわずかに照らす。危険な旅は続く。



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212「シズハ救出作戦 4」

 さて、シルヴィアはどこだろう。

 心を感じ取る力を頼りに彼女の居場所を探る。遥か遠方ではあるが、確かに彼女はいることがわかった。

 

「シルはあっちだ。ずっと遠いけど」

「こりゃユウさんがいないとすぐに迷子だな」

 

 心の能力だけはちゃんと機能してくれて助かった。ここってなんか変なノイズがかかっていて、ほんの少し離れただけで上手く相手の気とか読めなくなるんだよな。現にザックスさんとラミィさんの居場所がわからないし。既にここから出た可能性もあるけど。

 ところで、もう【気の奥義】は効果を切っておくか。ずっと【気の奥義】級に強いフェバルの能力使ってるのは負担が大きいからな。

《不適者生存》はそのままで、《マインドリンカー》は引き続きランドとも弱めに繋いでおこう。念話ができると色々と捗るしね。

 能力を切ると、ランドが顔をしかめた。

 

「う。身体がずしっと重くなった気がするぜ」

「それが普通の状態だから大丈夫だよ」

「まーあまり無理に力出すのはよくねーもんな。長い戦いになりそうだしよ」

「そういうこと」

 

 二人で歩き出すとまもなく、闇の異形の一体が現れた。

 けむくじゃらの丸い身体の側面から人の両腕が生え、身体の中央には大きく裂けた口があり、そこにはサメのような鋭い歯が付いている。様々な生物の混ぜ物のような姿だ。

 本当にすぐ出て来るなこいつら。

 

「この気色悪いのがナイトメアか?」

「うん。早速出て来たな」

 

 ナイトメアはおぞましい叫び声によって仲間を次々と呼ぶ性質がある。

 一度数が増えてしまうと、全滅させない限りは延々と敵が湧き続ける無間地獄となってしまう。

 よって、最善手は何もさせずに仕留めてしまうこと。

 有効な攻撃手段がなかった以前は逃げ回るしかなかったが、今回は光の気剣がある。ランドもいる。

 断末魔も上げられないよう、大きく裂けた口を縦に真っ二つに割る勢いで気剣を振り抜く。

 狙い通り、ナイトメアは何ら動くこともできずに身体を引き裂かれ、裂かれたところから掻き消えて二度と復活しなかった。

 なるほど。光属性で斬ると再生しないんだな。

 

「さすがユウさん。スパッといったな」

「こんな感じで仲間を呼ばれる前に速攻で倒していこう」

「了解。可愛いモコならともかく、バケモンに囲まれたってちっとも嬉しくねーしな」

 

 いきなり群れで出て来た場合、速攻で倒すのは無理だけど、さすがに悪意が群れていれば俺なら事前に察知して避けられるだろう。

 見敵必殺を心がけ、一寸先は闇の中を焦らず慎重に練り歩いていく。下手に急ぐより確実に進んだ方が、結果戦闘が減り安全でしかも速いと俺たちは判断した。

 アルトサイドではお腹も減らなければ眠くもならないため、体感の疲労や消耗だけが休憩の目安になる。

 あからさまに危険なルートは避けても、平均して一時間に一度は戦闘になった。

 幸い偽神ほど危険なのはおらず、ランドと協力して一刀の下に捌いたため大事には至っていない。

 見た目が不気味なのと光属性以外無効なだけで、大半のやつの強さそのものはラナソールの普通の魔獣と同じくらいなのかもしれない。

 

 気の休まる暇もほとんどない。俺の絶対時間感覚によれば三日ほど移動を続けた辺りで、さすがのランドも弱音を吐き出した。

 

「しかし気が滅入ってくるぜ。こうも闇ばっかりで常に敵のことを気にしなきゃならねーとなるとよ。寝れねえし気が休まらねーな」

「まったく同感だよ。正直一人でまた来るのは怖かったね」

「けどシルはこんな暗くて怖いところにずっと囚われてんだよな。早く助けてやらねーと」

「そうだな。このペースだとあと一週間くらいかな」

「まだそんなにかかるのかよ……。ったく、慎重に移動しなきゃなんねーのがもどかしいぜ。ほとんど何にもねーのに無駄に広いしよ」

 

 悪態を吐きながらも、ランドは決して歩みを止めず、自暴自棄な急ぎ方をすることもない。誰よりも真剣に彼女を助けたい彼の想いが行動に現れていた。

 

 さらに五日ほど歩いたところ、何かとてつもなく大きなものに突き当たった。

 

「おおっと。なんだこりゃ」

 

 ランドが目を丸くして驚いている。今まで何もなかったところに山ほど巨大な影が突然現れたものだから無理もない。

 

 ――どうもこの先から悪い感情をたくさん感じる。

 危険な気がするんだけど、迂回していくには大き過ぎるな。

 

 暗いせいで大きいということ以外はよくわからない。

 

「ランド。光魔法で照らしてくれないか」

「うっす」

 

《コーリンデン》

 

 彼の掌から数個の光球が創り出され、散開して周囲を明るく照らし出した。

 そして映り出されたものを見たとき、大きな動揺が走った。

 

「これは……!」

「なんてこった……」

 

 真珠のように白い土の色――あまりにも特徴的なそれを間違えようはずもない。

 

 フォートアイランドだ。

 

 島の一部、もしくは丸ごとアルトサイドに落ちてきたのか。

 だとすると、向こうから感じる悪い感情の正体は……。

 この先に向かうのが恐ろしくなる。最悪の想像は間違っていないだろう。

 

 まただ。また俺のせいで……。

 

 いくら受け止める覚悟をしてみたところで、こうして新しい犠牲者を見せつけられてしまえば平気ではいられない。

 

「ユウさん……。顔真っ青だぜ」

「あ、あ……ここのみんなは、もう……」

「……気持ちはよく分かるさ。俺にだって仲の良い知り合いくらいいたしな」

 

 ランドは目を伏せ、深く溜息を吐き、それでも折れそうな俺の肩を力強く叩いて言った。励ますように。

 

「それでも行くしかねーよ。この先にシルがいるんだろ? このままじゃシルまでやられちまうぞ!」

「そう、だな……。シルまで失うわけにはいかない」

 

 シルはまだ奇跡的に耐えている。けどいつまでもつかはわからない。

 助けられるのは俺たちだけだ。立ち止まるわけにはいかない。

 

「島に上陸して、できるだけ早く通り抜けてしまおう」

「だな……」

「……先に言っておく。ここの島の人たちはたぶんナイトメア化してしまっている。彼らはもう人じゃない。化け物だ。だから、もし知り合いだったとしても……襲ってくる者は斬らないといけない。覚悟はいいか?」

「……ユウさんこそ、覚悟はできてるのかよ?」

「今してるところさ……」

 

 自分に言い聞かせながら、光の気剣を生成して構える。

 

「……行くぞ」

「……おう」

 

 白色の大地に乗り上げる。ぬかるむ土に足を取られないよう注意して行動しなければならない。

 

「俺についてきてくれ。光球で先を照らすのを忘れずに」

「了解」

 

 確認のため、悪い感情が多い方向を照らしてもらう。遠目にうっすらと見えるのはいくつもの建物の影。

 予想通り、住宅街は既に闇の気配に満ちている。

 

「建物の少ない方を行こう。あっちの山を登るルートで行く」

「その方が見たくないものをあまり見ないで済みそうだな」

 

 できれば誰も見たくないと願って、山道を進んでいく。

 けれどこういうときに限って願いは叶わないものだ。

 

 子供たち「だったもの」が数人彷徨っているところに出くわしてしまった。

 町の外で遊んでいたのだろうか。周りが闇の気配に満ちている中で、微弱なものを感知しきれなかったようだ。

 彼らはすっかり黒くなった肌を爛れさせて、目は血のように紅く、顔の輪郭も闇にぼやけていたが、かつて人間であったとわかる姿だった。

 まだあまり時間が経っていないからか、生身だった頃の面影が中途半端に残っているのが余計に痛々しい。

 

「い゛だい゛よ゛お゛お゛お゛ぉ゛」

「た゛す゛け゛て゛ぇ゛」

 

 口々に子供の声とノイズが混ざったような悲鳴を上げている。

 そして俺たちの姿に気付くなり、助けを求めるようによろよろと迫り寄って来た。

 

「こいつら……」

 

 ランドが呆けたように口を開けた。俺も凍り付いてすぐには動けなかった。

 できることなら救ってあげたい。

 だけど、もう個人の心は取り戻せないほどに壊れていた。

「子供だったもの」たちからは明確な殺意が発せられている。世界を憎む意志が宿っている。放っておけば仲間を呼ぶあの叫びも発するだろう。

 彼らはナイトメアなのだ。もう救えない。

 

「ごめん。ごめんな……」

 

 俺にできることは、もはや化け物となってしまった彼らを光の刃で眠らせてあげることだけだ。

 意を決し、一人一人介錯してやると、小さな断末魔を上げて光に溶けていく。

 憎むべき敵でさえ殺すのは躊躇われるのに、目の前にいるのは何の罪もない子供たちだ。

 ただの被害者なのに。

 涙が出そうになるのを必死でこらえた。ここで泣いてしまっては動けなくなりそうだったから。

 

 ランドも苦しそうな顔をしながら、介錯を手伝ってくれた。

 

 全員を光に消し去った後、ランドはやるせなく肩を落とし、ぽつりと呟いた。

 

「くそっ……こんなのってねえよな……」

「…………」

 

 その後も何度か変わり果てた住民たちを切り捨てながら、俺たちは無事に闇の呑まれたフォートアイランドを抜けることができた。

 互いに口数は減り、ついにはシルの位置が近くなるまで言葉を交わすこともできなかった。



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213「シズハ救出作戦 5」

 ハルが影から協力してくれているとは言え、絶対的強者がいない中でのアルトサイド進軍は非常に神経を擦り減らすものだった。

 特に島の住民「だったもの」を手にかけてからは、心が押し潰されないようにするのが精一杯だった。いつもは調子の良いランドも目に見えて険しい顔を浮かべ、ほとんど喋らなくなっていた。

 偽神級の凶悪なナイトメアにはまだ出くわしていないということと、シルが生きていることだけが救いだった。

 

「もうすぐだ。もうすぐシルのいるところに着く」

「やっとか。ほんとにまだ無事なんだよな? ユウさん」

「奇跡的に無事だよ」

「ったく信じられねーぜ。こんなところでよく無事で――待ってろよ。もうすぐだからな」

 

 近付くにつれ気が逸るのはどうしようもないが、しかし着実に仕事をこなしていく。見敵必殺を徹底することが、ここまでナイトメアの大量発生を避けていた。最後の最後でやらかしてシルの下に辿り着けないのではやり切れない。

 

 そして、ついにシルが倒れているところに辿り着いた。彼女の美しい銀髪が光球の魔法に照らされて見えたのだ。

 

「シル!」

 

 ナイトメアに気付かれるかもしれないが、ランドが大きな声で彼女を呼び、横たわる彼女のところへ駆けていくのは責められないだろう。

 二、三歩遅れて俺もついていく。

 そう言えば、なぜかこの近辺だけ闇の気配が薄くなっているな。

 

「おい、生きてっかよ! シル!」

 

 ランドはかがみ込んでシルを抱き、軽く頬を叩いて彼女の状態を確認する。

 彼女はうなされているものの、浅い呼吸を繰り返していた。

 

「ハハ……。おい、ちゃんとシルだぜ……寝てっけど……息してるぜ。ユウさん!」

 

 ナイトメア化してしまった悲惨な住民たちを何度も見て来たから、いくら俺が無事だと言ってもこの目で確かめるまでは安心できなかったのだろう。目の端に涙を浮かべて、隣に来た俺の肩を揺らしてきた。

 

「うん、うん。よかった。これなら助けられそうだ」

 

 俺は「わかっていた」けど、思っていた以上に不安だったらしい。ランドの安堵した声にもらい泣きしそうになりながら、彼女に手を伸ばす。

 彼女の身体に触れそうで触れないところで、ふと彼女を包むオーラに気が付いた。

 

 非常に気付きにくいけれど、極めて精巧で強力な守りの加護だ。

 間違いなくフェバル級の。こ

 れがナイトメアの脅威を弾いていたに違いなかった。

 

 誰かに守られていたのか……? だから無事で……。

 

 誰なのかは見当も付かなかったけど、シルを死の淵から守ってくれた人間に感謝する。そして改めて《マインドリンカー》をかけようとして――

 

 不意に頭に声が響いた。

 

 

 ――――

 

 

『やはりな。お前なら来ると思っていた』

 

 俺の声!?

 

 いやいや。落ち着け。

 これは俺じゃない。もう一人の『俺』だ。

 

『もしかして、君がシルを守ってくれたのか?』

 

 色々聞きたいことがあったが、まず出て来たのはこの言葉だった。

 しかし彼は答えることなく、淡々と彼自身の言葉を続けた。

 まるで録音音声のようで……実際にそんなものなのかもしれない。

 

『じゃあなと言っておいてしまらないが。注意することができた。手短に伝えておく』

『注意すること?』

『ナイトメア=エルゼムと出くわしたら当面は逃げろ。今のお前では勝てない』

 

 ナイトメア=エルゼム?

 どういう奴だ。ナイトメアだということはわかるけど。危険な種類なのか?

 

『そいつはアルに『命名』されている。見れば『それ』だとわかるはずだ』

『どういうことだよ……』

『まず世界の脅威になるだろう。お前が倒せ』

 

 逃げろって言ったのに今度は倒せって。いきなり言われても。

 

『どうして俺なんだ。そんなに危ない奴なら、君が倒してくれないのか?』

『俺では倒せない。お前なら倒せるはずだ』

 

 図ったようなタイミングで言葉が返ってくるが、会話をしている印象はまったく受けない。あくまで俺の言うことを先読みして置いておいたようなセリフだ。

 でも、黒の旅人って滅茶苦茶強いフェバルなんだろう。シルを守っていた加護を見ても明らかに桁が違う。

 なのに、君じゃ倒せなくて俺なら倒せるってどういうことだよ……。

 ほとんど突き放されたまま、もう一人の『俺』はすぐ別の話題に移った。

 

『それからもう一つ。世界の記憶を探せ』

『世界の記憶……?』

『俺では意味がない。お前が刻み付けろ。そして本当のラナに会うんだ』

『本当のラナだって?』

『おそらくはカギになる』

 

 ラナは……ヴィッターヴァイツに殺されてしまったんじゃないのか……?

 いや、俺が城で見た彼女は……確かに普通のラナソール人というよりも、さらに儚い印象は受けたけど……。

 次から次へと突きつけられる情報に、整理が追いつかない。

 

『俺が示してやれるのはここまでだ。これはお前の旅だ。どうするかはお前が決めろ』

 

 俺が決めろ、か。

 突き放されているようで力強く応援されているような。そんな不思議な感じだった。

 

『君は……君はどうするんだ』

『俺は時間を稼ぐさ。これまでのようにな』

 

 決意を込めた声とともに、『彼』の気配が遠ざかっていった。

 

 

 ――――

 

 

 はっと我に返ると、《マインドリンカー》は発動していた。

 シルヴィアとシズハの途切れかけていた繋がりが結ばれていく。

 うなされていた彼女の寝顔は安らいでいき、やがて彼女はゆっくりと目を開けた。

 

「あら……ここは……?」

「シルゥーーーーーーーッ!」

 

 ランドは人目も憚らず、抱えたシルを力強く抱き締めていた。

 

「わっ、ランドッ!? どうしたの!?」

「お前よおっ……! バッカやろう! マジで! あんまり心配させんなよなっ! マジで……っ……! ああちくしょうっ!」

「ちょ、ちょっと! ランド! なにいきなり泣いてんのよ……!」 

「俺よう、マジで……ッ! お前が……ほんとによ……っ…………あーもう! 何にも言えねえっ!」

 

 起きたばかりで状況がわからず、目を白黒させているシルに、ランドは男泣きで縋りついた。

 

「もう。ばか……」

 

 シルは仕方ないなと優しい溜息を吐いて、まんざらでもなくランドをあやし始めた。

 数秒後、そんな様子を見ていた俺にはたと気付いて、彼女はわかりやすくあわあわした。

 

「ユウ!? あんたいたの!? って、ちょっ、なんであんたまで泣いてんの……!?」

「あれ……? おかしいな。泣かないって決めたつもりだったのに」

 

 ああ。よかった。いつものシルだ。変わらないシルだ。

 たった一人だけど、救えた。

 少しだけあの楽しかった日が帰ってきたような気がして。

 

 やがてそれとなく事実を把握してすすり泣き始めたシルと、三人で泣きながら無事を喜び合った。



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214「遭遇 ナイトメア=エルゼム」

 三人の中では最後に泣き始めたシルが目の端の涙を拭っている頃には、だいぶ気持ちは落ち着いていた。

 

「で、この真っ暗な場所はどこなのよ?」

 

 俺とランドはシルに事情を説明した。

 

「なるほどね。世界の果てに着いたと思ったら、とんでもない場所に来ちゃったわけ」

 

 シルは難しい顔で考えながら呟く。

 

「ラナソールもトレヴァークも……大変なことになっているのはわかったわ」

 

 そして俺を憐れむように見つめてきた。

 

「最愛のお姉さんがいないのは寂しいわね……」

「そうだね……」

 

 まだ受け止められたわけじゃないけれど、どうにか事実を呑み込んで頷く。

 俺が気落ちしているのを見て、シルは力強く肩を叩いてくれた。

 

「とりあえずパーティ組みましょ。何するにしても、一人より二人、二人より三人の方が捗るものよ」

 

 ランドもまったく同意してにっと笑った。

 

「そうだぜ! ユウさんにはシルのことも含めて色々助けてもらったしさ、力になりてえ」

 

 ハルも乗っかって向こう側で微笑む。

 

『ボクのことも忘れないでね』

 

 まだまだ世界に対してはちっぽけだけど、それでも一人だったときに比べれば随分心強かった。

 

「みんな……ありがとう」

 

 

 ***

 

 

「さてと。こんな辛気臭いところに長居はしたくねーんだけどよ」

「どうやって出るのかしら」

「穴を探していけば出られると思う。見つかるかどうかは運次第だけどね」

 

 実を言うと俺だけだったらリクかシズハのところにすぐ行けるんだけど、二人を置いていくわけにはいかないからな。

 

「ま、とりあえず歩くか。シルの無事を気にしなくて良い分気は楽だぜ」

「その節はご迷惑おかけしたわね」

「お互い様だろ。さあ、行こうぜユウさん」

「ああ」

 

 三人で昏い大地を歩き始める。

 ナイトメアとの戦闘は相変わらず散発的に発生したが、光魔法を得意とするシルが加わったことで安定感を増した。

 ランドの言う通り、シルの無事を気にかけなくて良いだけ精神的な負担も軽くなっている。

 

 一日ほど、小休憩を挟みながら脱出口を求めて歩き続けた。

 シルが戻ってきて見違えるように明るくなったランドが、うんと伸びをしながら言う。

 

「運が良いのかもしれねーけどよ。今までそんなに強いナイトメアには出会ってねえよな」

「見た目は勘弁してくれってくらい怖いのはいたけどね。キモいのもいたし」

 

 ナイトメアと戦い慣れてきたシルが口を尖らせながらそう返した。

 

「もしかしたら強い生物ほど、簡単には闇に取り込まれにくいのかもしれないね」

「そっか。ナイトメアになるってことは、闇に耐えられなかったって見方もできるもんなー」

「でもそれぞれだと思うわよ。いくら身体が強くたって、闇に付け入られる心の弱さがあれば」

「強いのがナイトメア化したら大変そうだよな」

 

 少しは余裕ができ、三人で談笑しながら、しかし油断はせずに歩いているところだった。

 

 

 ――何の前触れもなく『それ』は現れた。

 

 

 手足は細長く、刃物のようにシャープな人型。揺らぎの多い普通のナイトメアと格別に異なり、確固とした闇を全身に満たしている。体表は滑らかな黒一色。瞳のない切れたような目だけが血のように朱く、そして顔はまるで個性のないのっぺらぼうだった。

 

 闇の化身。『それ』が向こう側から真っ赤な目でこちらを睨んでいた。

 

 ……! ナイトメア=エルゼム……!

 

 あまりにも濃い死の予感――明確な死のイメージが全身を刺し貫く。

 場は絶対零度のごとく凍り付き、俺たちは言葉を止め、身動き一つ取れないまま『それ』を目に焼き付けた。

 

『彼』が言っていた通りだった。まるで最初から知っていたかのように、世界に存在を認知させられたかのように、それがエルゼムなのだと即座に理解した。

 

 なんだ。こいつ。やば過ぎる!

 

 恐ろしいフェバル級と何度も対峙してきたが、そいつらともまったく違う。

 

 殺される。確実に殺される。

 

 理解など一切通用しない純粋な化け物であることは、極めて異質な容姿からも、心を読む必要などないほど迸る純悪感情からも明らかだった。

 

【気の奥義】《マインドリンカー》!

 

 逃げられるかどうか。その成算――下らないことなど考える前に身体は動いた。

 

「ランド! シル! にげ――」

 

 

 gyaaaaababababababababbabababhyggggggrrggggrgrgrggggrgrgrgaggggrgg!

 

 

「「――っ!」」

 

 

 耳をつんざく絶叫が轟く。

 老若男女や種々の動物の声が入り混じったような、何の声とも形容し難いおぞましい叫びだった。

 ただ聞くだけで、生きる力をごっそり削がれてしまうようだ。強制的に掻き起される恐怖に身体はすくみ、立っていることさえ困難になる。

 

 そして、俺の意識が次の行動を呼びかける前に――何かが――

 

 

 

 !

 

 

 

 ***

 

 

 

《クロルウィルム》!

 

 

 

 世界が停止する。

 

 あたしは間一髪のところで時間停止魔法を発動していた。

 

 細長く伸ばされた闇の爪が、ユウくんたち三人の首を刎ねる寸前だった。

 

 ふう。危ない危ない。

 

 アルのやつ、とんでもないイレギュラーを用意してくれたわ。

 

 すごい嫌な予感がして。来てみてよかった。

 

 ただ……咄嗟にウィルお兄さんの魔法で時を止めたはいいものの。

 

 ギ……ギ、ギ……! ガ……!

 

 エルゼムは時の止まった世界でなおも意識を持ち、新たな敵であるあたしをはっきりと睨み付けている。動かない爪を無理に動かそうとして、わなわなと身体を震わせていた。

 

 恐ろしいまでの殺意と執念の塊。なんてやつよ。この時間停止世界で動こうとしているなんて……!

 

 まずい――少しずつだけど、爪が動き出してる。

 

 もう時空耐性を付け始めてるんだ。二度と同じ手は食わないでしょうね。

 

 光魔法で攻撃を加えようかと一瞬迷ったけれど、そんなことしても無駄だと判断する。残念ながらあたしの魔法じゃ威力が足りない。

 

 それよりも、今は!

 

 この魔法はあたしでも十五秒しかもたない。

 

 時間が動き出して気付かれる前に、ユウくんを……!

 

 

 

「君は……!?」

 

 

 

 ひどく戸惑った顔で、ユウくんがあたしを見ていた。

 

 

 

「げ。やば」

 

 

 

 思わず口を衝いて出た言葉は、ひどく間抜けだった。

 

 

 わあああああああーーーーーーっ!

 

 しまった! そうだったああああっ!

 忘れてた! ユウくんってウィルお兄さんにばっちり時空耐性もらってるんだった!

 うわあああやっちゃった! あんまり焦っちゃってつい! 

 

 ああああ。あたしが色々関わるとリスクが高いから、ユウくんに悟られないようにって、ずっとやってきたのに……。

 

 ……ま、しょうがないか。緊急事態。

 ひどい手を使ってきたアルが悪い。今は時間がないもん!

 

「とにかく話は後! えいっ!」

「うわっ!?」

 

 ユウくんを風魔法でこちらに引き寄せる。ランドさんとシルヴィアさんももちろん助ける。一緒に引き寄せた。

 

 すぐさま最上位の第十級時空魔法を術式プログラムで発動させる。

 

《グランセルララシオン》

 

 闇の世界に穴を無理やり開けて、トレヴァークの適当な地点と繋ぐ。

 普通なら時空に穴を開けるなんてもっと大変なところだけど、今は色々と開きやすい条件が揃っているからできた。

 

「いくよ!」

 

 風魔法でユウくんたちを抱えながら、現実世界へ逃げ出した。穴はすぐ塞いで、万が一にもあいつが追って来られないようにした。

 

 

 ***

 

 

 直後、拘束の解けたエルゼムの爪が、彼らのいた場所をずたずたに切り裂いていた。

 

ggrgrgrggggrgrgrgaggggrgggyafoajgoajoajgaaaaababababababababbabababhyggggggrrgg!

 

 エルゼムは叫び、そしてまた闇に溶けた。



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215「"アニッサ"、ユウたちに加わる」

 気が付くと、目と鼻の先にエルゼムの爪がぴたりと止まっていた。

 闇の爪は陰のように伸縮自在らしい。その場にいながらにして、俺たち三人を同時に殺そうとしていたのだ。

 どういうわけか爪が止まらなければ、赤子の手をひねるようにいとも容易く殺されてしまっていただろう。

 その恐ろしい事実を認識さえできていなかった――それほどの滅茶苦茶なエルゼムの実力に戦慄する。

 

 でもなぜ助かったのか。あとほんのマイクロ秒で爪は確実に俺たちの首を刎ねていたはずだ。

 

 それに、この身体を包む違和感は――。

 

 本来動けないはずのところを無理に動いているような感覚。

 まるで昔、時間停止攻撃を受けたときのような感じだ。

 

 もしかして、ほんとに止まってるのか……!?

 

 ランドとシルは先ほどからぴくりとも動かない。だが死んでしまったわけでもなく、ただ止まっているだけだ。まさに時間停止特有の状況だった。

 

 俺だけがなぜか普通に動いて――いや、違う!

 

 目の前のエルゼムの爪は、なおもこちらを仕留めようと震え始めている。動こうともがいているけど、まだ自由には動けないというところだった。

 でも時間の問題だろう。徐々に震えが大きくなってきている。

 

 こいつ。もう時間攻撃耐性を得ようとしている……!

 

 改めてぞっとするも、まだ奴はろくに動けない。千載一遇の好機を活かすべく、すぐにでも状況を把握して動きたい。

 

 何が起きた。誰かが時間を止めたはずだ。

 術者はどこだ。

 

 周りに目を向けたとき、一人の少女とばったり目が合った。彼女も普通に動いていた。

 

「君は……!?」

「げ。やば」

 

 謎の少女は、あからさまに「やっちゃった」と言う顔で泡を食っている。まるで俺に気付かれるのがまずかったと白状しているようだ。

 よくわからないけど、たぶん彼女が時間停止の行使者なのだろう。この状況が予想通りの時間停止なら、俺が動けてしまっていることが想定外だったのかもしれない。

 

「君が助けてくれたのか?」と口にしようとしたところで、

 

「とにかく話は後! えいっ!」

「うわっ!」

 

 風が俺の身体を包んで持ち上げる。ランドとシルも停止したまま持ち上げられていた。

 

 そして何をどうやったのか、いきなり少女のすぐそばに穴が開いた。

 

 向こうはトレヴァークに繋がっている。逃がしてくれるということだろうか。

 

「いくよ!」

 

 思った通り、彼女は俺たちを連れて穴を通り抜けた。そして彼女はひどく焦った様子で、しかし手慣れた調子で穴に蓋をする。

 エルゼムがこちらへやって来ることはなく、俺たちは命からがら助かったのだった。

 

「ふう。危ないとこだった」

 

 少女も一安心したのか、冷や汗を拭っている。

 

「はっ!?」「あら!?」

 

 直後、時間停止が解けたらしい。はたと気が付いたランドとシルが、何も知らない子供のように辺りをきょろきょろし出した。

 そして、周りが色に満ちた現実世界であることと、俺の隣にいる謎の少女の姿を認めて、同時に口を開いた。

 

「「え!? 誰!?」」

「…………通りすがりの一般少女Aです」

 

 へらっと明るく笑って適当に誤魔化そうとする謎の少女Aさん。

 いや、怪し過ぎるから。

 時間停止使えて空間に穴開けられる一般少女なんていないよ!

 

「それじゃ、あたしはこの辺で……」

「待った!」「待てよ!」「待ちなさい!」

 

 そのままやり過ごして逃げようとした少女を三人揃って引き留めたものだから、彼女はがくっとなった。

 

「こんなところに一般人がいるわけねーだろが!」

「魔獣だらけなのよっ!? そもそも私たち違うところにいたはずなのに!」

 

「……やっぱりダメですか?」

「「ダメ!」」

 

 絶好のコンビネーションで同時突っ込みを決めたランドシルに対し、少女はたじろいで足を止めるしかなくなった。

 彼女は白い頬を赤くして、ああああ、うううう~とわかりやすく困っている。

 そしてなぜか、まるで叱られた子供みたいにちらちらと俺の顔を伺ってくるのだ。

 これは確実に俺のことは知っているな。

 何か言いたそうで、でもとても言えない。そんな印象を受けた。

 

 それに何だか、この子を見てると……。

 

 何かの制服のような服装。茶色がかった赤髪は先がくるりと丸まっている。

 どこか垢抜けていて、でも根は素直で真面目そうで。その顔は、どこか……。

 不思議だ。会ったことはないはずなのに――とても懐かしい感じがする。

 俺は自然と柔らかな笑みを浮かべていた。

 

「君は俺のことを知っているみたいだね。どこかで会ったっけ?」

「え、えーと。まあ知ってますというか、なんというか……」

 

 しどろもどろになって、どうしよう、どうしよう、と頭を悩ませているのは誰の目にも明らかだった。俺たちに姿を見せるのがよほど想定外だったんだろうな。

 

「ユウさん。こいつ絶対訳ありってやつだぜ」

「私の勘も告げているわ。問い詰めるべしと」

 

 二人が意気込んで袖をまくり始めたので、「まあまあ」と言って宥める。

 少なくとも命の恩人に対して取るべき態度じゃないだろう。悪い人じゃないし、困っているのを無理に問い質すこともないはずだ。

 三人を代表して、俺が一切問わないことにした。

 

「心配しないで。困っているみたいだから、君のことは聞かないよ」

「え、本当ですか!? やった! さすがユウくん優しい。じゃあそういうことでお願いします!」

 

 あれ。思ったよりケロッとしてる。結構調子良い子なのかな。

 

『ユウ「くん」……ライバルの予感がする』

 

 ハルがぼそりと言った。

 え? 急にどうした?

 

 話が変な方向に散らかりそうだったので、俺は一度咳払いしてから言った。

 

「この子のことよりもね。ランド、シル。ナイトメア=エルゼムから俺たちを助けてくれたのはこの子なんだ。まずはお礼を言うのが筋だと思うんだけど」

「マジで!?」「そうだったの!?」

 

 てっきり俺がいつもの調子で乗り切ったのかと思っていたらしい。信頼があるのはありがたいけど、さすがに俺もあれはまったくどうにもならなかったよ。

 俺も含めて三人で礼を述べる。

 まんざらでもなさそうに受け取った少女は、さてどうしたものかとまだ深く考えているようだった。

 

「そうだ。一つだけお願いがあるんだけど」

「あ、はい。何ですか?」

 

 うん。どうも彼女は俺の前だと若干改まるというか、さっきもそうだけど、まるで後輩に慕われてるみたいだ。そんな扱いほとんどされたことなかったから新鮮だけど、なんでだろう。

 

「君のことなんて呼んだらいいのかわからないから……せめて名前だけでも教えてくれると嬉しいかなって」

「あー、そうですよね。あたしはアニ……ッサ! アニッサって呼んで下さい」

 

 照れたように誤魔化し笑う彼女。明らかに偽名っぽいんだけど、そこは気にしないでおこう。

 

「アニッサだな。俺はランド」

「私はシルヴィア。シルって呼んでね」

 

 手を差し出した二人は、名乗り合えば誰とでも打ち解けられる冒険者気質だ。

 

「はい。よろしくお願いします」

 

 おずおずと手を伸ばし、握手を交わす三人。

 次は俺の番だな。

 

「俺はユウ。君は俺のこと知ってるみたいだけど、俺はたぶん会ったことないと思うから。はじめまして」

「あ……はい――はじめまして」

 

 手を差し出すと、アニッサは心無しか潤んだ瞳でこちらを見上げて、やけに強く手を握ってきた。

 なんか二人のときより妙に気合が入ってるというか、力がこもってる感じがするんだけど。気のせいじゃないよな。

 

 俺たちと握手を交わした彼女は、大事そうに手をさすり、満足したように頷くと言った。

 

「じゃあ挨拶も済んだことだし、あたしはこれで……」

「待った!」「おいこら!」「それはないでしょ!」

 

 三人から総突っ込みをくらって、今度こそアニッサはずっこけた。

 

「えー。何も聞かないって言ったじゃないですか」

「それとこれとは話が違うってもんじゃないのか!? なあ!」

「ドライね」

 

 ランドが縋るように彼女の肩を掴み、シルがズバッと一言突っ込みを加える。いつものコンビ芸だ。

 俺としても、このまま貴重な戦力がどこかに行ってしまうのは惜しい。

 

「アニッサ。何やら色々事情はあるみたいだけど、あの場で助けに来てくれたってことは大体の世界事情はわかっているんだよね?」

「はい。まあ……」

 

 気まずい顔で首を縦に振るアニッサ。わかっているけど、といった様子だ。

 どんな事情があるのかはわからない。それでも。

 まだそんなに話していないけれど、読み取れる心と俺たちを助けてくれた行動から彼女の性質はわかる。彼女も今の状況を何とかしたいと思っているタイプの人間だ。

 だったら。俺にできることは頼むことしかないけれど。

 

「二つの世界のこと、何とかしたいんだ。できる範囲でいい。頼む。協力してくれないか」

 

 深々と頭と下げる。

 

「あはは……。まあそうなりますよね。それは」

 

 彼女は困ったように笑い、俺に答えるというよりは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。そしてかなり真剣に悩むそぶりを見せて――やがて開き直ったようにすっきりとした顔つきになった。

 

「ま、これも縁ですか」

 

 腹を括ったと頷き、気合いの入った瞳で俺を見つけ上げて、彼女は言った。

 

「わかりました。ほんとにできる範囲になっちゃいますけど、協力しましょう」

「ありがとう」

 

「よくわかんねーけどよっしゃあ!」

「いい感じね」

 

 俺たちのパーティに謎の多い味方が一人加わった。



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216「世界の記憶を求めて 1」

「で、なんなんだよ。あのエルゼムってやつは。やば過ぎるだろ」

「あれほど身が凍った敵は初めてよ。これっぽっちも動けなかったもの」

 

 エルゼムを見た瞬間、ランドとシルにも『あれ』がエルゼムだと刷り込まれたらしく、まるで最初から名前を知っていたものであるかのように語っている。

 

「アニッサが助けてくれなかったら、為すすべもなく殺されるところだったよ」

 

 思い出すだけで冷や汗が出て来るようなシーンだ。ランド、シル、ハル(レオン)と四人で繋がっている状態なら、一人一人がまずバラギオンよりも強い状態なのに、それでもまったく反応できなかった。

 その辺のフェバルよりももしかすると強いんじゃないかと思わせる圧倒的なオーラ、スピード。だと言うのに、悪夢の存在であるせいで気力も魔力もまったく読めない。

 一つだけマシな材料があるとすれば、殺意や憎悪があまりにも強過ぎるせいで、感情の読める俺なら出現した瞬間確実に捉えられることくらいか。

 あんなのがいるとわかったら、もう迂闊にアルトサイドには行けないな。

 

「どうしたものか……」

「最凶の敵現るってとこね……」

 

 俺とシルは揃って頭を悩ませる。

 アニッサはそんな俺たちの様子を興味深そうに観察していた。

 そのうち、ランドがあっけらかんと言った。

 

「いっそほっとくってのはどうだ? せっかく無事に逃げられたんだしよ」

「バカランド。ほっといていつかこっちやラナソールに出て来たらどうすんのよ!」

「そんときはそんときだろ」

「あんたねえ」

 

 あくまでポジティブなランドに、呆れたような目を向けるシル。

 

『キミを通じて見ただけのボクまで肝を冷やしたよ。世の中にはあんなに怖い生き物がいるんだね……』

『あんなに不気味なのはさすがに俺も初めてだよ』

 

 もう一人の『俺』が倒せないほどの敵か。

 俺が倒せって言われてしまったけど……あんなの本当に勝てるのだろうか。

 強さで『俺』に勝てるようになれるとは到底思えない。彼の「強さ」で倒せなくて俺なら倒せると言うのだから、もっと別の相性か何かの問題なんだろうか。

 できればもう会いたくないけど、シルが言ってるように、いつまでも放っておくわけにもいかない。いずれラナソールかトレヴァークか、どちらかの世界に飛び出してくれば壊滅的な被害が出る。

 何とかしないといけないのは確かなんだけど……。具体的な対策はとても見えないな。

 

 そう言えば。

『俺』はもう一つ大事なことを言ってた。

 世界の記憶を探せって。

 世界の記憶。そのまま素直に解釈すれば、世界に蓄積された情報ってことになるんだろうけど。

 そんなもの、どうやって探したり読み取ればいいのか。

 エーナさんと出会えたら【星占い】でわかるのだろうか。でもエーナさんどこにいるかわからないしな。

 

 ……アニッサはどうだろう。

 込み入った事情とかは聞かないと言ったけれど、協力してくれると言った手前、何かアイデアをもらえないだろうか。

 

 もう一人の『俺』のことをランドシルに話すのは煩わしかったので、ひとまずアニッサに狙いを定めて念話を送ってみた。彼女なら使えるだろうと思って。

 

『ユウだけど。念話って使える?』

 

 期待通り、すぐにアニッサからウインクが返ってきた。

 

『一応は。基本技術ですからね』

『よかった。とりあえず君に見せたいものがあるんだけど。俺の能力のことは知ってるんだよね?』

『はい。よく知ってます』

 

 やっぱりか。どこの人なんだろう本当に。

 だけどアニッサのことは不思議と信じられる気がした。嘘を吐いていないのはもちろんのこと、俺に対する親しみというか信頼というものが強く感じられるのだ。それにやっぱり懐かしい感じがする。

 

『ボクもぜひ見せてもらいたいな』

 

 ハルが念話に割り込む形で入ってきた。 

 そうだった。《マインドリンカー》強めにしてるから隠し話みたいなことができないんだよな。

 でも『彼』からのメッセージはあくまで俺に向けられたものだから彼女は見ていないわけか。

 

『へえ! あなたがハルさんですか!』

 

 アニッサはというと、一体何に感動したのか驚いたのか、やたら心が弾んでいる。

 

『アニッサちゃんだったよね。キミはボクのことも知ってるのかい?』

『それはもう昔ば……あはは、剣麗レオンの噂はかねがね聞いておりましたので』

『ふうん。ボクたちの関係に気付いているとはね……。ほんとに何者なのかな?』

『今は言えません。すみません』

 

 アニッサが申し訳なさそうに断ると、ハルから腹の底を探るような感情が伝わってくる。

 

『そっか……。ところで、キミもなのかな?』

『はい』

『やっぱりね。何となくそうかなって思ったんだ』

『あたしは最初からわかってましたよ』

 

『『~~~~』』

 

 二人の心の声がはっきりとわからなくなる。

 俺の能力はあくまで相手が心を開いている限りでしかわからないので、どうしても聞かれたくないことは聞こえないようにできるし、知られたくないことを知られないようにすることもできる。強引にやればいくらか読み取れるけど、俺もどうしても必要なとき以外は無理に読み取ることはしないことにしている。

 

『ボク、負けないからね』

『はい。あたしも負けません』

『さっきから何の話をしてるんだ』

『『ちょっと女の話を』』

 

 女の話? なんだろう。

 心なしか意気投合した感もある二人だった。

 よくわからないけど仲良さそうだしいいか。

 

『そろそろ俺の記憶を送るよ』

『うん』『はい』

 

 俺が『彼』に言われたことの記憶を伝えて、それから問いかける。

 

『なあ、どう思う? 『彼』はナイトメア=エルゼムを何とかすべきっていうことと、もう一つ、世界の記憶を探せって言うんだ』

 

 すると二人は、それぞれ対照的な理由で驚いていた。

 

『うわ。マジ……? あの人、先を見通し過ぎ……』

『……話には聞いていたけど、実際キミそっくりな人間がもう一人いるというのは驚くね』

 

 ハルの感想は素直なものだったが、アニッサはそもそも何かを知っているがゆえの驚きのように思われた。

 

『世界の記憶かあ……どうにも抽象的で掴めないね。別の何かを暗示してるとか?』

『アニッサ。君は世界の記憶について何か知っているのか?』

 

 するとアニッサは俺たちに背を向けてまた考え始め、やがて心の声でなく、普通の小さな声で独りごちた。

 

「やっぱこれはあたしが何とかしろってことなんですよね。きっと」

 

 そしてくるりとこちらに向き直ると、頭の後ろを軽く掻きながら言った。

 

『実はあたし、使えちゃうんですよね。世界の記憶を呼び起こす魔法ってやつ』

『『え、ほんと!?』』

『マジです』

 

 アニッサは強く頷いた。

 

 どうやらまだ道は繋がっているらしい。この不思議な子のおかげで。



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217「世界の記憶を求めて 2」

『そんなものが使えるのかい? キミたちの不思議な力には驚かされてばかりだよ』

『はい。正確には過去の出来事を映像化する魔法なんですけど』

 

 その言葉を聞いて、俺には思い当たる節があった。

 忘れもしない。

 かつてエルンティアで、俺はリルナと母さんの記憶を見たことがあった。ルイス・バジェットの研究所もまるで新居のように綺麗な状態だった。おかげで宇宙要塞エストケージに行くための宇宙船を見つけられたのだ。

 今にして思えば、あれは何らかの強力な時空魔法に違いない。そして、時間停止魔法を操れるアニッサなら――。

 A.OZ――あれが彼女で、彼女が今言ったのがあの魔法なのだとしたら、すべて辻褄が合う。

 

『もしかして、君はあのときの……?』

 

 アニッサはあえて何も答えず、曖昧に微笑むだけだった。だが否定も肯定もしないその態度から、感情の読める俺はかえって確信を深めていた。

 そうか。この子はもしかしたら陰ながらずっと俺の旅を見守ってくれていたのかもしれない。

 本当は気付かれてはいけない理由があったのか。俺にバレてしまった今回は、腹をくくって協力してくれるみたいだけど。

 俺に母さんの想いを教えてくれたこの子には感謝してもしきれないくらいだ。

 

『あのときはありがとうな』

『あのときというのは?』

『ううん。こっちの話』

『むう』

 

 横から口を挟んだハルが恨めしそうにしている。君たちも女の話とかいうのをしてたんだからおあいこだよ。

 

『話を戻そう。世界の記憶を紐解くと言っても、狙いを決めないとあまりに情報量が膨大になってしまう。俺は、ラナという人間とラナソール成立の背景に的を絞るべきだと思っている』

『あたしもそう思うわ』

『聖書によれば、ラナ様は一万年前に実在した人物とされているよね。そして――』

『ああ。ラナソールは、ラナが亡くなったときにできたとされているんだ』

 

 ラナの人生を辿ることがラナソール世界の成り立ちに繋がり、ひいては今の世界を正しく理解することに繋がるだろう。そしてもしかしたら、『彼』の言う「本当のラナ」に会うことに繋がるかもしれない。

 

『となると、ラナ様にゆかりのある地を探していくのがいいってことだよね』

『そうだな。問題は、場所によってはダイラー星系列の警備が入ってたり、魔獣の巣になってるかもしれないってことか』

 

 するとそこで、ランドとシルヴィアからお声がかかった。

 

「おーい。さっきからなに二人でじーっと考え込んでんだ」

「私たち、そろそろ退屈してきたわよ」

 

 あ。またやっちゃったよ。

 念話に夢中になってしまう悪い癖だ。

 

「ごめん。これからどこに行こうか考えててね」

「俺たちはどこへでも付いて行くぜ」

「魔獣倒すのでもダイラー星系列にカチコミでも何でもやるわよ」

 

 魔獣はともかくダイラー星系列なんてぶっそうなことを言うなよシルさん。

 そうだな……。

 

「聖地ラナ=スティリア――今はテロ事件のせいで跡形もなくなってしまったけれど、あそこはラナ生誕の地だったはずだよね」

「お? 次はラナ様の足跡を辿ろうってわけっか」

「そこに行けば何か掴めそうなの?」

「うん。アニッサに頼んで過去を覗く魔法を使ってもらうんだよ」

「「なにそれすげえ(すごい)!」」

 

 二人は元々ファンタジーの住人であるがゆえに、疑いもなく素直に称賛してみせた。

 アニッサもまんざらではない様子で、

 

「ま。あたしに任せといて下さい」

 

 と胸を張る。

 そんな自負の見える彼女に俺は尋ねてみた。

 

「ところで、転移魔法の類とかは使えたりしない? できればラナ=スティリアまで一気に飛べたらなと思うんだけど」

 

 もし使えるなら移動の時間がぐっと減る。おんぶにだっこ状態だけど、緊急事態の今は頼めることは頼んでおきたい。

 

「使えますよ。時間操作魔法に比べたら簡単なので」

 

 普通に使えるらしい。頼りになり過ぎてやばい。

 

「今さらっと時間操作とか恐ろしいこと言わなかったか!?」

「ユウの周りには変なのが多いのよ。気にしてはダメよ」

 

 二人にはもはや称賛も通り越して理解が追い付かない世界らしい。いや俺のせいにされても困るんだけど。

 でもなぜか俺の周りに集まってくるからやっぱり俺のせいなのか? まあいいや。

 

「じゃあ飛ぶのであたしにつかまってくださいね」

 

 全員がつかまったのを確認してからアニッサが念じると、一瞬の浮遊感を覚えてぱっと景色が切り変わる。

 

 ――この感じ、イネア先生のと同じやつだ。俺の感覚はまたもや懐かしさを認めていた。



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218「世界の記憶を求めて 3」

 聖地ラナ=スティリアは、辛うじて溶けた建物の跡が見えるだけで、ほとんど焦げた地面が剥き出しになっているような状態だった。奴の起こした爆発がいかに凄まじい規模のものであったかをまざまざと見せつけられる。

 地上では誰一人生きられなかったことは明白であり、地下も潰れてしまって何人が生き埋めになっているのかわからない。生きた人々の喧騒の代わりに届くものは、あるべき場所を追われた魔獣たちの叫び声のみだった。

 俺は助けられなかった人たちのために黙祷を捧げた。何にもならないことはわかっているけれど、そうせずにはいられなかった。

 俺に合わせて、ランドとシル、ハルも祈りを捧げてくれた。

 

「……よし。まずは大掃除からだな」

「記憶を覗いている最中に魔獣に襲われてちゃ世話ないものね」

「アニッサはこれからすげえ魔法使うんだろ? 俺たちに任せとけって」

「じゃあお言葉に甘えまして」

 

 アニッサは一歩引いて俺たちの戦いを見守るようだ。お手並み拝見といったところか。

 

「まずは私がでかいの一発ぶちかますから、雑魚が散った後の残りを二人で倒してね」

「わかった」「了解」

 

 シルはまるで天に祈りを捧げるように精霊魔法の詠唱を開始する。

 

「我、魔をもって精霊と契約せし者なり。悪しき獣を滅ぼす雷槍を求め、果たして裁きは下され、天より降り注ぐ。《ヴェスパラーダ》」

 

 彼女が詠唱を終えると、空から幾万もの雷槍が降り注ぎ、我が物顔で地上で闊歩していた雑魚魔獣たちを一撃の下に滅ぼしてしまった。

 雷槍はきれいに俺たちのいるところだけを避けており、練度の高さが窺える。

 ランドは面白そうに笑った。

 

「相変わらずの長ったらしい詠唱だなあ」

「ふっ。気持ちが乗るのよ」

 

 彼女の厨二病気質を見たところで、俺たちも動く。槍を受けてなお残っているのはいわゆる強力なS級魔獣ばかりだ。

 

「土属性でケリをつけよう」

「いいぜ。シルには負けてられねーからな」

 

 土の気剣を発動し、ランドと手分けして斬りかかっていく。

 四人分の力を合わせるとかなりのもので、自分一人ではクリスタルドラゴンにも苦戦していたところ、ほとんどのS級魔獣が紙のように斬れるので非常に戦いやすかった。

 

 ほどなく一掃してから戻ってくると、アニッサがパチパチと拍手をくれた。

 

「ナイスコンビネーション」

「はは」「どもども」「ハーイ」

 

 流れでハイタッチした後、アニッサが気合いを入れる。

 

「今度はあたしの番ですね」

「任せたよ」

「はい! ちょっと時間かかるので大人しく待ってて下さいね」

 

 

 ***

 

 

 ユウくんたちが見守る中、あたしは精神集中を始める。

 一般に時空を操るタイプの魔法は、規模が大きければ大きいほど、また時間が遠ければ遠いほど消耗が激しくなる。

 数百年レベルなら朝飯前のあたしでも、一万年ともなるとさすがに疲れを感じる程度には魔力を消耗する。

 それにこれだけ時間が離れてしまうと、対象となる世界の記憶を探り当てるのも一苦労。胸にかけたペンダント型の補助魔法具の力を借りなければ難しいところね。

 あたしは魔法具に念を送り、検索を開始する。

 

 対象――ラナさん。ラナさんに触れたことで得た情報をセット。11000年前より順方向時間で検索開始。

 

 これでよし。まだしばらくはかかるでしょうね。

 検索中は時空魔法を使いっぱなしと同じ状態になるので、マラソンを走っているのと同じ感覚で徐々に魔力を消耗していく。

 あたしは時空魔法適性が非常に高いから疲れる程度で済むけれど、普通の人ならすっからかんになるまで魔力を持っていかれてしまうに違いない。

 五分もすると、額に汗が滲んできた。でも、たぶんあともう少し。

 

 ――見つけた。今から10241年前。

 

 ペンダントの魔法を固定したまま、腰に付けた別の魔法具で「記憶の魔法」を発動する。

 

 ありし日の記憶を呼び覚ませ。

 

《クロルマンデリン》

 

 すると、いつもは記憶が映像として浮かび上がってくるのに、今回だけは勝手が違っていた。

 

「え……!?」

 

 突如として、あたしの中の「ユウくん」から受け取った力が溢れ出す。

 まるで今が役目を果たすときと言わんばかりに、淡い青の光が――これまであたしをずっと守ってくれた力が、あたしの掌から溢れて大地に溶けていく。

 記憶の映像となるべき魔法の核は、「ユウくん」の力を受けて具現化する。

 ほのかな光を帯びた記憶のオーブとも言うべき代物となって、宙に浮かんでいた。

 

「これが君の言う記憶を呼び覚ます魔法なのか?」

「わからない……。あたしもこんなことは初めてで……」

 

 既にあたしの中から「ユウくん」の力は消えていた。本当に役目を終えたということなのだろうか。

 

「ユウくん」の守りが外れたということは、きっともう必要ないということで。

 だとしたら、あたしのこの時代での役目も……。

 

 そうなのかな。もう大丈夫なのかな。

 

 あたしがここまであなたを導くことが。

「あなた」に託されたバトンを、あなたに繋ぐことが。

 

「ユウくん――受け取って下さい」

 

 あたしは記憶のオーブを指しながら言った。

 ユウくんは頷き手を伸ばす。

 

 横顔を見て――だいぶあたしの知っている「ユウくん」に近づいてきたなと思った。

 

 優しくて強い意志を秘めた瞳。初めて会ったときからずっと好きだった。

 どんなに弱いときでも、どんな困難に打ちのめされていても、いつもそれは変わらなくて。

 

 ……まあ、ほんの少し前まで本当に弱々しくて、ちょっとしたことで手がかかって、死ぬほど大変だったけど。

 

 でも、あたしの英雄はやっぱり英雄だった。あれからもっと好きになったよ。

 

 そして明日にはみんなの希望になっていく。きっとそうなるって信じてる。

 

 でも今はまだ危なっかしいから……もう少しだけ隣で見ていたい。

 

 いいよね? ユウくん。



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219「ラナの記憶 1」

「ラナ! 起きろー! ラナっ!」

「う~。もうちょっと寝かせて……」

「だめー! おきろー! もうお日様登ってるよー! お仕事の時間だよー!」

 

 私はいつものように騒がしい親友に叩き起こされた。

 

「……おはよう。イコ」

「おはよう。ラナ。今日も素敵なお目覚めね」

 

 呆れたように笑うイコを横目に、私はあくびをする。

 まだ眠い。できるなら昼くらいまで寝ていたい。

 

「ふわーあ。せっかく良い夢を見ていたのに」

「また始まった。今日はどんな夢を見たの?」

「モコが翼を生やしてたくさん空を飛んでてね。私もみんなと一緒にふわーって飛んでたの」

「はいはい。聞いた私がバカでした」

「えー。楽しいんだよ?」

 

 一生懸命夢の楽しさを語るも、イコはまともに取り合ってはくれない。

 

「ほら早く支度して。ただでさえとろいのに、また穀潰しって責められるよー。いつか村を追い出されても知らないんだから」

「それは嫌かなあ」

「その割には必死さが足りない。ラナはマイペース過ぎるよー」

「イコは真面目ね」

「ラナがすぼらなだけよ」

 

 支度と言っても身一つと道具くらいのもので、そんなに時間がかかるわけではない。

 水瓶に汲み置きしておいた水を手ですくい、一飲みする。濡れた手で目元を拭うと少しさっぱりした。

 

「行きましょ。のんびりしてると虫が私たちのご飯をみんな食べてしまうわ」

「虫たちも懸命に生きてるのね」

「虫側の気持ちになって考えるな虫の!」

 

 私は生まれたときからずっとここスチリア村で暮らしている。

 両親は物心付いたときにはいなかったし、よくわからない。私という人間が生まれているのだから、両親という存在がいたということだけはわかる。

 身寄りがない子供だった私は捨てられて死ぬしかなかったところ、イコのババ様(元村の長)が身元を引き受けて下さった。

 以来同い年のイコとは家族であり、姉妹同然の仲だ。

 

 仕事とは一つは農作業のことだ。日が昇り切って暑くなる前に害虫駆除等の手入れをしてしまう。

 そんなわけで私とイコは村の畑までやってきたのだった。

 私たちを見るなり、作業監督の女マルセラが怒号を飛ばす。

 

「遅い! 他の者はとっくに始めてるよ!」

「すみませーん!」

「またラナだろう? いつもぽけーっとしてさあ!」

 

 マルセラは私にきつい拳骨を振り下ろした。そして痛みに目から星が出ているところに言ってきた。

 

「自分の食い扶持くらいはしっかり働きな。穀潰し」

「……はーい」

「まったく。どうしようもない子だね。ババ様もどうしてこんな子を拾ったんだか」

 

 マルセラにぼやかれつつ、私とイコは照り付ける日差しの中、雑草抜きと害虫取りを始めた。

 

「痛かったねー。よしよし」

「ありがとう」

「でもラナもいけないんだよ? もうちょっと周りに合わせようって意識は持たないと」

「わかってはいるんだけどね」

 

 あんまり積極的に命を摘むことができなくて、私はぼんやり空を見上げた。

 からりとした綺麗な青空だ。

 

「ラナ! また空なんか見て。話聞いてるの!?」

「イコ。空って綺麗よね」

「え? まあ、そうね。でも今それどころじゃなくない?」

 

 周りを見れば、あくせくと草抜きや虫取りに励んでいる。

 命と戦っている。命が戦っている。

 みんな。私も。イコも。虫も草も。

 

「みんな生きるのに一生懸命だよね」

「そりゃそうよ。死にたくないもの」

 

 イコは当然という顔で答えた。

 

「ラナはどうなの? せっかくおばあさまに拾ってもらったのに、死にたいの?」

「まさか。ただ……一生懸命にならなくても生きてたい、かな」

「贅沢な話ねえ」

 

 虫をつまみ取りながら、イコは苦笑した。

 

「男たちは狩りや戦いに行く。私たち女は農作業や物作りをする。そうやって村は回っていくのよ。そうしなきゃ人は生きられないの」

「それって誰が決めたのかしら」

「変なことを言うのね。神様が決めたに決まってるでしょ」

「じゃあ神様って誰なのかな」

「私たちと私たちの世界を創って下さった偉大な方よ」

「ふーん」

「あー、その信じてないって顔! 神様は敬わなくちゃダメなんだからねー!」

 

 ぷりぷりするイコは可愛くて前から好きなのだけれど、それを言うともっと怒ってしまうから言わないでおこう。

 私は疑問を続ける。

 

「じゃあ、どうして神様は私たちや世界を創ったのかな」

「それは……うーん……」

 

 中々答えられないイコだったが、やがて言った。

 

「寂しかったからじゃない?」

「へえ。どうしてそう思うの?」

「きっと神様に同じような仲間がたくさんいたら、私たちなんて必要なかったと思うのよね。だから、仲間が欲しかったんじゃないかな」

「とても面白い考えね」

「久しぶりにラナに感心された気がするわ」

 

 あなたって興味があるときとないときがわかりやすいのよ、と小突かれる。

 

「お日様が高くなるまでは頑張るわよ! ほら、ラナも手を動かす!」

 

 イコが急かすので、いよいよ私は目の前の植物と向き合わなければならなかった。

 

「ごめんね」

 

 謝りながら一生懸命葉にしがみついている虫をつまみ取る。

 そしてまた次の一匹だ。

 

「ごめんね」

 

 一言ずつ声をかけてから、丁寧に虫を剥がしていく。

 

「一匹一匹に声かけるなんて物好きもいたものよね」

「虫にも命があるから」

「そんなことやってるから時間かかるのよー」

 

 イコは私の分までちゃっちゃと作業を進めていく。彼女は私とはまったく違う人間なのだと常々思う。

 とは言え、他の人のように私を馬鹿にしたり蔑むことはしないで、違いをそのまま受け入れてずっと隣にいてくれるのはありがたいことだった。

 

 日が高くなると農作業は中止となる。

 私たちはゆっくりと昼ごはんを食べ、日の最も高い時間は子供は遊んだり大人は日陰で身体を休めたりして、その後日が沈むまでは物作りの作業にいそしむ。

 私は休み時間、近くの木の皮を削って絵を描いた。今日夢に見た空飛ぶモコの絵だ。

 慣れた手で五つほど削り終えると、元気に遊んでいる子供たちを呼んだ。

 

「はーい。今日は空飛ぶモコのお話をするよー!」

「「わー!」」「ラナおねえちゃーん!」

 

 大人たちからとろいと蔑まれる私ではあるが、小さな子供にはまあまあ人気だった。私の「物語」は純粋な子供には素晴らしいものに感じられるらしい。

 木の板の絵を使って空飛ぶモコの話を膨らませていく。最後は新天地を目指してモコの群れが月に向かっていったところで終わった。

 

「はい。おしまい」

「あー楽しかった!」「また明日ね」

 

 きゃっきゃと手を叩いた子供たちが離れていく。

 イコが後ろから温かい目で見つめていた。

 

「素敵な絵とお話ねー」

「今日のはよくできたと思うわ」

「私もそう思う。それだけにもったいない才能よねー」

「もったいないかな」

「うん。確かに面白いけど、木に絵を描いたってそれでご飯が食べられるわけじゃないもの」

「……そっか。そうだよね」

 

 もし世の中に「物語」屋さんがあるとしたら、それはきっととても恵まれた存在に違いない。生きるために必要なすべてのことの上に初めて成り立つものだから。

 

「ごめんね。傷付けるようなこと言っちゃったかな」

「ううん。本当のことだし。それにイコの本心はわかるから」

「どうも。まー私も元長の孫娘だし、次の長の筆頭候補ではあるんだよねー。それで、色々と現実的なことを考えなくっちゃいけなくて」

 

 そして私を見つめて、とても悲しそうに呟いた。

 

「……もしかしたら、近いうちに一緒にお仕事とか、できなくなっちゃうかも」

「――大丈夫。私は平気だよ」

「そのときは、ごめんね」

「うん。でもずっと友達だよ」

「もちろん!」

 

 

 やがてイコは作業監督者になり、色々と重役の仕事を任せられるようになり、十七で成人すると正式に村の長となった。

 そしてすぐに村一番の男と契りを結び、新しい大きな家が建てられて、そこへ移っていった。

 イコが村の長になってからというもの、「家族である」私が露骨に蔑まれることはなくなった。だけどそんなことよりも彼女と話す機会がめっきりなくなってしまったことが寂しかった。

 

 昼の休み時間。最近私はよく一人で近くの丘で寝転がり、空を見上げている。

 人や村は変わっても、空は変わらない。いつも通り素敵な青を描いていた。

 

「みんな今を生きるのに一生懸命なの。だから青い空や白い雲や、花や草木の美しさをつい忘れてしまう」

 

 もっと自由にのんびり生きられたらと思う。私だって、生きていくことに精いっぱいだ。

 

 空に浮かぶ雲って美味しそうだよね。手を伸ばして、届くわけもなくって、笑う。

 

「確かにイコの言う通り、素敵だからって食べられるものじゃないわね」

 

『きゅー?』

 

 隣で、空飛ぶモコが可愛らしい鳴き声で呼びかけてきた。「なに考えてるの?」と言いたいらしい。

 この子は生まれてから私によく懐いている。

 

「ねえ。あなたならあの雲のところまで行けるかな?」

『きゅ!』

「そう。なら行っておいで。そして素敵な雲の味を私に教えてね」

『きゅきゅ!』

 

 空飛ぶモコは精いっぱい翼をはためかせ、白い雲の一つへ突っ込んでいった。

 

 

 ――私には、物心付いたときから不思議な力がある。

 

 

 私はあらゆるものの魂――本源を捉えて【想像】することができる。

【想像】したものは私の知識や経験を明らかに超えて動き出す。

 彼らは本物の心を持ち、本当に「生きている」の。

 

 ……私の認識の中だけでだけどね。

 

 私にできることはただ【想像】することだけ。それが実体を持つわけではないの。

 だから、私以外の誰にもあの子たちが「生きている」ことを証明できない。わからない。

 もしかしたら、私が勝手に「生きている」と思い込んでいるだけなのかもしれない。

 

 ……私は、異常なのかもしれない。

 

 ところで、虫一匹にも、草木の一つにも、私は本源を感じ取ってしまう。

 だから私にとっては昔から虫も草木も人とあまり変わらない存在だった。

 そのせいで、昔から色んなことに気を取られていた。鈍臭いと言われることも多かった。

 

「イコ。あなたは別に村の長になりたいわけじゃなかったよね」

 

 私は知っている。ずっと彼女の本源を見ていた。

 彼女の本質は自由だった。だから私を決して蔑まなかったし、むしろ羨ましく思っていたかもしれない。

 

「でも、あなたは立派だよ。どこに出しても恥ずかしくない村の長になってしまった……」

 

 けれど。だから。会えない。どんなに望んでも。もう「あなた」に会えない。

 

 成長した今の私なら、人でさえ――イコを【想像】することすらできるだろう。

 でもそれをすれば余計に空しくなるだけだとわかっているから――私は絶対にそれをしない。

 

 モコは躍起になって空を駆け回っている。雲は食べようとすると逃げていくらしい。一つ勉強になった。

 

 世界には、私にしか見えない私だけの【想像】で溢れている。

 

 私は――私だけの世界の【想像】主。

 

 ……私も、寂しいかもしれなかった。



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220「ラナの記憶 2」

 不幸というものは、たぶん望まない魂――本源のあり方なのだろう。

 

 イコがスチリア村の長になってから五年目。この年は恐ろしいほどの不作だった。

 

 最初は昨年の蓄えでやりくりしていたものの、冬を迎えるとついに備蓄は底を突きた。

 それからは悲惨だった。

 全員を食べさせていく分がないのだから、村が生き残るためには人を減らすしかない。

 自明の理であり、残酷な真実だ。

 村の長であるイコは、とうとう非情な決断をせざるを得なかった。

 まず子供のうちで小さく役に立たない者から口減らしをされる。

 それから怪我や病気でろくに身体の動かない大人。先の短い老人。次いで生産性のない人間が選ばれた。

 

「ラナ。あなたを村から追放します。今夜中に荷物をまとめて出なさい」

 

 衆人環視の中、冷たい表情の仮面を被ったイコにそう告げられた。

 覚悟していた私は、特に反論もせずに頷いた。

 

 その日の夜中、誰もが寝静まった頃にイコは一人私のところへ来て縋りついた。

 

「ごめんね。庇い切れなかった。ごめんね」

 

 イコは何度も詫び、泣いていた。

 そんな彼女を見て、昼は努めて気丈にしていた私も泣かずにはいられなかった。

 もちろん自分の立場が悲しくないわけじゃない。悲しいに決まってる。

 ただそれ以上に、この優しい子に非情な決断をさせた世界が間違っていると思った。

 

「私、最低だ。あなたの友達失格だ」

「ううん。そんなことない。イコは悪くないよ。仕方ないことだってわかってる」

「でも、でも……!」

「私は大丈夫。何も恨んでないから。これからも友達だよ。だから、みんなを守ってね」

「ラナぁ……!」

 

 いつもとは逆に、私がイコをあやした。

 私は村を去るけれども。イコには苦境を乗り切って、また平和な村を取り戻して欲しい。

 心からそう願う。

 

 夜のうちに村を出た。

 厳しい冬場だ。食べ物なんてほとんどないだろう。動きの遅い私には狩りをするだけの能力もない。

 

 だけど、私には【想像】がある。抗ってはみるつもりだ。

 

 ほどなく私にしか見えない動物たちが私を案じてやってきた。

 

「食べられるものとそうでないものを教えてほしいの。あと、寝床になりそうな場所があったらそれも教えて」

 

 彼らは快く協力してくれた。

 村の全員を助けるほどの力はなくても、私一人なら助けられるだろうか。

 できることなら死にたくはない。

 

 さて、どれほど歩いただろうか。

 現実は甘くなかった。薄く雪が積もっているから水には困らないものの、まったく食べ物は見つからない。動物は見かけたと彼らに聞いたけれど、【想像】では狩れない。

 冷たい風は容赦なく私の体力を奪っていく。【想像】に過ぎない彼らが寄り添っても、私の身体を温めてくれるわけではない。

 

 見つけてもらった洞穴にどうにか滑り込んだ。背負ってきた薪に火を起こせば、初日の凍死だけは避けられるだろう。

 けれど、何日もつかな。絶望的な気分になるのは避けられない。

【想像】で生まれた幻の獣たちは私を気遣って励ましてくれる。だから寂しくはなかったし、生きようという気力も容易に萎えることはなかった。

 

「みんな。ありがとう。私、頑張るね」

 

 火を消さないで眠った。

 

 それから何日か、私はこの洞穴を拠点に足掻いた。

 石の槍を持ってドッケルの群れに挑みかかったが、簡単に逃げられた。

 木の実を探したが、どこにも生えてはいなかった。

 洞穴の石をひっくり返したみたが、虫一匹も見当たらない。

 

「薪、なくなっちゃった」

 

 ついに火を起こす手段も絶えた。次に眠ったときが私の最期だろう。

 

「これで終わりかぁ……」

 

 あっけないものだなと思う。

 必死になんてなりたくなかったのに。なりふり構わず足掻いても、生きられないときは生きられないものだ。

 現実は、厳し過ぎる。

 身体から力が抜けていくのを感じる。

 

 イコ。私は先に行くね。ごめんね……。

 

 ***

 

 ラナが死に絶えようとしている。

 

【創造】の獣たちは、大慌てで助けを求めて駆け回った。

 

 誰でもいい。この心優しい主を助けてくれる者はいないのか。

 

 ある獣は人の集落を見つけ、助けを求め吠えて回った。しかし【想像】ゆえに誰も気付かない。

 またある獣は火を起こそうとブレスを吐いた。しかし【想像】の炎は何も燃やさない。

 そしてある獣はラナへ献上するために狩りを行おうとした。しかし【想像】の爪は何も斬り裂かない。

 

 空飛ぶモコは可能な限り遠くへと飛んだ。世界の向こうに主を救う何かはないのか。必死だった。

 

 やがて、一人の人間が野営をしているのを見つけた。

 

 薄汚れた外套に身を包んだ、見た目は若い男だ。元来整った顔立ちをしているが、その印象を覆しかねないほどに荒んだ目つきをしている。そして、瞳の奥は感情が欠落したかのように死んでいた。

 

 モコは本能的に恐怖を感じたが、同時に彼から大きな力も感じた。

 主を助けてくれる可能性があるなら、誰でも構わなかった。

 

『きゅーきゅー!』

 

 どうにか気を引こうと鳴き声を上げ、彼の袖を引っ張ろうと近づく。

 

 しかし【想像】ゆえに彼も――。

 

 いや――彼は気付いた。

 

「ん? なんだ……? 妙なやつだな」

 

 空飛ぶ獣が近付いてきて、何やら必死に訴えかけている。

 およそ空を飛ぶには不釣り合いな体型であることは、旅慣れた男には一目でわかった。

 この世界の魔力許容性は極めて低いはずだ。魔法的な力で飛んでいるわけでもない。

 

 物理的にあり得ない――奇妙な存在。

 

 それが己に触れようとして、すり抜けていく。

 瞬間、男は人生初めてのレベルの衝撃を受けていた。

 

「心を持つ……完璧なイメージだって……!?」

 

 目の前のそれが――自身の欠陥能力を補完する存在に他ならないことを承知したからだ。

 

「きみはどうして存在している!? 世界の理によってか!? それとも誰かの力によってか!?」

『きゅきゅー! きゅー!』

 

 男は珍しく声を荒げるほど興奮して、不思議生物に問いかける。

 それは、初めの質問にいいえと答え、次の質問にそうだと答えているように男には思われた。

 そして、しきりに袖を引っ張ろうとしていることにも気が付く。

 

「……僕に会わせたい人がいるということか?」

『きゅ!』

「わかった。僕も興味が湧いた。行こうじゃないか」

 

 空飛ぶモコがはばたくと、男は宙に次々と足場を【創り】――それを超人的な速度で蹴り抜くことで、反作用を得て空を駆けた。

 ほどなく、男は彼女の下へと辿り着く。

 空飛ぶモコは彼女の上でくるくる飛び回り、それが助けたい人物であることを示した。

 

「女の子……!? 死にかけているじゃないかっ!?」

 

 ほとんど失っていた感情が、にわかに戻ってきたと男は感じた。

 

「待ってろ。今助けるからな……!」

 

 目の前の存在が奇跡を起こした者であるならば――絶対に助けなければならない。

 男は全身全霊を込めて気力治療に入る。

 女の顔が徐々に生気を取り戻していく。

 

 こうして――【創造】の旅人トレインと、【想像】の巫女ラナは出会った。



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221「ラナの記憶 3」

「……生きてる?」

 

 目が覚めたとき、本気で死を覚悟していた私の第一声は、自分でもどこか間抜けだと思う響きで出てきた。

 

「ああ。生きてるよ」

 

 私の完全な独り言だったけれど、視界の外から不意に男の声がして驚く。

 でもほっとしたような声色だったので、警戒心は和らいだ。

 

 私にはその人の魂――本源が見える。この人は悪い人ではないと直観した。

 

 何だかとても……寂しそうな魂だ。それに、ひどく擦り減っている。

 

 容易に推察できる事実としては、どうやら私はこの人に助けられたらしい。

 

「ありがとうございます。まだ死にたくありませんでしたから」

「まだ死にたくないか。眩しいね」

 

 まるで微笑ましいものを見るように目を細めるのが不思議だった。

 そして、私を見つめる彼の瞳には熱がある。

 

「ところでそれ、とても興味深いね」

「それ?」

 

 不意に尋ねられる。

 と言っても、私の周りには私の無事を嬉しそうに飛び回っている空飛ぶモコ――ポモちゃんしかいない。

 そしてポモちゃんは私だけにしか見えないはず。

 そのはずなのに、男は確かにポモちゃんを指して言った。

 

「そいつさ。君が創ったのかい?」

「あなた……ポモちゃんが見えるの!?」

「ポモちゃんっていうのか……」

 

 男はやや引きつった顔で笑った。いい名前なのに。

 

「見えるとも。その不思議な生き物が」

「ポモちゃん」

「……ポモちゃんが僕を引っ張って来てくれたんだ。でなければきみを見つけることはできなかったろうさ」

 

 ……初めて見た。私以外に見える人がいるなんて思いもしなかった。

 私だけじゃないってわかって。救われたような気がした。

 

 それとポモちゃんが一生懸命助けてくれたんだね。ありがとね。

 

『きゅ! きゅきゅー!』

 

 ポモちゃんは誇らしげに鳴いた。それに助けようとしたのは自分だけじゃないよとも伝えてくる。

 そっか。みんな私を助けるために頑張ってくれたんだ。後でお礼を言っておかないとね。

 

「世界って広いんですね。私だけだと思ってました」

「世界はきみの想像なんて付かないくらい広いものさ」

 

 訳知り顔で言う彼は、まるで自分がその一端を体験してきたかのようだ。

 

「きみは確かに特別だけどね。きみだけじゃない。僕も――例えばこんなことができる」

 

 彼はポモちゃんに掌をかざす。すると……。

 

「きゅー!」

 

 ドン。

 

 私の胸に思いもかけない衝撃が走った。

 

 ポモちゃんだった。この子の重さが私にかかってきたのだ。

 

 ああ。信じられない。なんてことだろう。

 

 ポモちゃんに触れる。ポモちゃんが私の世界にやって来た……。

 

「あ、はは。ポモちゃん……! ポモちゃん……っ!」

 

 あなたってこんなにしっかりしていて、温かったんだ。

 このような嬉しい不意打ちをくらっては、さすがに私も涙を我慢できなかった。

 

 ――こら。舐めなくていいんだよ。しょっぱいから。

 

 心ゆくまで実体化したポモちゃんと触れ合うのを、彼はずっと待っていてくれた。

 

「気に入って頂けたかな」

「あなたって、もしかして神様だったの?」

「だったらよかったんだけどね」

 

 彼は残念そうに肩をすくめる。

 

「実はね。恥ずかしながら、僕のこの力はとんでもない欠陥能力だったのさ。ほんのさっき、きみに出会うまでは」

「どういうことですか?」

「……そうだな。僕は自分の能力を【創造】と呼んでいる。文字通り、無から有を創造するのが僕の力さ」

「それってとてもすごいと思うのですけど」

 

 私なんて形あるものは何一つ生み出せない。

 イコたちどころか、自分一人さえ助けることができなかった。

 何の役にも立たない、誰にも理解すらされなかった力にずっと思い悩んでいたのに。

 

「でもね。無から何かを創り出すためには設計図が必要なのさ。それもいい加減なものじゃいけない。それを成すための完璧無比な情報が。そんな条件を満たすものがどれほどあると思う?」

 

 言われて、私にもようやく理解できた。

 この人はすべてを創ることのできる理想上の可能性だけを与えられて。可能性だけでしかなかったのだと。

 私と同じで、ほとんど何の役にも。いや話し相手にさえならない分、それよりもひどい……。

 

「はっきり言って役立たずさ。僕に創れたのはほんのわずかの……ごく単純な無機物だけだった。本当に欲しいものや大切なものは……何一つ創れなかったんだ」

 

 諦観の中に隠し切れない悔しさを滲ませるところを見ると、よほどのことがあったのだろうかと勘ぐってしまう。

 そしてここまで聞くと、私を見つめるその瞳の熱さもよくわかった。

 だって今、私も感動しているのだ。

 

「僕はきみの力こそ奇跡だと思うよ。完璧な心を持った存在を生み出すことができるなんて。きみのおかげで、僕は初めて自分の力をまともに使うことができた」

「私も……まさかポモちゃんたちと触れ合える日が来るなんて思いませんでした」

 

 夢や可能性でしかなかったものが現実に届く。

 私だけでは、この人だけではほとんど何にもならなかった。

 でも二人なら届く。

 

 だったら。もしかしたら――。

 

 この出会いは私たちにとって大きな希望をもたらした。

 

 互いに似たような寂しさを抱えていたのもあるだろう。それからの会話はよく弾んだ。

 つい時間の経つのも忘れてしまうほどだ。異性とこれほど話したのは初めての経験だった。

 もちろん名前も教え合った。彼はトレインといった。

 

「きみはフェバルを知っているか?」

「フェバル? 何ですかそれ?」

「ああ。知らないならいいんだ。君は年相応に見えるし、たぶんそうじゃないんだろう」

「あなたは年相応……にはとても見えませんね」

 

 あまりにも擦り減った彼の本源。彼を彼たらしめるものは、どれほどの人生を歩めばこんなにも弱々しくなってしまうのか、想像も付かないほどだったから。

 今際の際にある老人でさえ、彼に比べれば命はまだ輝いている。

 

「僕は生き過ぎた。できれば死にたいと願っている」

 

 不思議な人。心の底から死にたがる人なんて初めて。

 

「だったらどうして死ななかったの?」

 

 別に無理して生きることはないもの。生きたくても生きられない人がいるのだから。

 自ら死ぬという贅沢ができるのなら、死ねばいい。

 少なくとも私は悪いことだと思わないし、責めたりしない。

 

「試さなかったと思うのか。色々やったさ。すべて無駄だった。すべてね!」

 

 地雷に触れてしまったのか。

 くっくっく、と突然壊れたように笑う彼は不気味で、そして哀しい存在に見えた。

 この人は嘘は言っていない。

 世の中には死にたくても死ねない人間がいるのか。

 まこと驚くべきことだった。

 

「誰も僕を殺せない。僕自身でさえも! フェバルは呪われた存在だ。強過ぎるんだ! まともに人の間で暮らすことさえ叶わないっ!」

 

 元から精神が不安定がちなのだろう。あんな本源の状態では無理もない。

 自暴自棄になった彼は、たぶん力任せに何もない空中を殴った。

 たぶんというのは、鼓膜が破れるのではないかというほどの爆音とともに、彼の目の前の地面が恐ろしい勢いで直線状にめくれていくことしかわからなかったからだ。

 まるで自然災害。およそ人間業ではない。その暴力がまかり間違って誰かに向けられたなら、為すすべもなく死ぬしかないだろう。

 ポモちゃんはぶるぶると恐怖に震え、私の背中にしがみついた。

 だけど私は、そんな彼を見てもあまり怖いとは思わなかった。

 私には見えてしまうから。

 

「でも私には、あなたが今にも死にそうなほど弱々しくて、震えているように見えます。触れるだけで、壊れてしまいそうなほどに」

「じゃあどうなんだ。きみが僕を殺してくれるのか? 壊してくれるのか? たかが人間にこんないかれた化け物を殺せるっていうのか!? なあ!?」

「……どうしてもと言うのなら。あなたは私の恩人ですから」

「ほう!」

 

 トレインはやけに挑発的な声色で、強い関心を示した。できるものならやってみろと言いたげだ。

 

 実際、私ならできるだろう。

 

 私は手を伸ばし、彼の肌に触れながら――さらにその奥に触れた。

 

 私は相手の本源を見ることができる。

 

 ……実はそれだけでなくて、本源に直接触れることもできるし、ほんの少しだけなら奪うことも与えることもできてしまう。

 

 物質の世界を超越し、ただ五感によって表層を知るよりも、遥かに本質的な――それをそれたらしめるものを直接に識り、わずかだけながら操ることができる。

 

 どうして私だけこんなことができてしまうのか、私にはわからない。

 

 ただ、私はこの不思議な力を――トランスソウル(超越本源)と呼んでいる。

 

 さすがに健康な人をいきなり死なせてしまうほどの力はない。けれど、死ぬに死に切れなくて苦しんでいる人や動物を楽にしてあげるということはこっそりしてきた。

 逆に元気のない者をちょっぴり励ましたりとか、その程度のこともしてきた。

 

 そうした基準で言えば……死にかけの命よりも削れ切ったあなたの本源を摘み取ることなんて、赤子の手をひねるよりも容易い。

 

 それこそ、あなたがいかに普通のやり方で死ねないとしても、生物として自然災害並みの、不死身の強さを誇っていたとしても、まったく関係ないの。

 

 彼の弱り果てた魂に触れながら、しかし私の施した操作は殺しではなく、癒しだった。

 

 陽炎のごとくだった彼の彼たる由来は、今少しはっきりしたものになる。

 もはや擦り減った本源を元に戻すことはできない。根本的な解決にはまったくならない程度の延命措置に過ぎない。

 けれど、とにかく私は素直な気持ちに従ってそうした。

 

 彼の全存在に届く痛みとは真逆の感覚に、トレインははっと我に返り、ひどく驚き、そして心震えていた。

 

「なんだ……? 温かい……あまりにも……久しい、生きた心地だ……これは、奇跡なのか……?」

「……どうしてもというのなら終わらせます。でも、もう少しだけ生きて下さい。今あなたに死なれると困ります」

「どうしてだい?」

「だって。あなたがいなくなってしまったら、私が絶望してしまいますから。勝手に助けておいて、勝手に希望を持たせておいて、勝手にいなくなるなんて、ひどいと思いますよ?」

 

 ウインクしながらそこまできっぱり言うと、彼は肩を震わせ、愉快に笑い出した。

 

「ははは! 確かに君の言う通りだ! 僕はきみに対して責任があるな」

「ええ。大アリです」

「ふふ。そうか。そうか……」

 

 彼はついに号泣した。滂沱の涙だった。

 

「今、理解した。僕がこれまで生き永らえてきた意味を。無駄じゃなかった。意味はあった。救いはあったんだ……僕の力は、きみのためにあったんだ……」

 

 深く目を瞑り、万感を噛み締めるように言う。

 

「ここを僕の旅路の果てとしよう。そうするよ。そうしたいんだ……そうさせてくれ」

 

 そしてトレインは、私に対して膝をつき、深く頭を垂れたのだった。

 

「ラナ。残りの人でいられる命を預けよう。僕のすべてを預けよう」

 

 それはとてつもなく重く、彼にとって心の底からの覚悟と感動に満ちた誓いだった。

 

「だから……たった一つのお願いだ。どうか僕が僕でいられるうちに。僕がきみからいなくなる前に。きみが僕からいなくなる前に。きみの手で……僕を終わらせてくれ」

「……私に、あなたを殺せというの?」

「ああ……頼む。あなたにしかできない。あなたにしか僕を救えない」

 

 正直、私には彼の苦しみのすべてまではわからない。想像しかできない。

 それに、殺すなんて物騒なことをする気には、今はとてもなれない。

 

 ……けれど、それが唯一の救いになるというのなら。

 

 そして、この人と歩むことができるなら。

 きっと何もかもが変わる。変えられる。

 そんな予感と希望を胸に抱いて、彼を真っ直ぐ見つめて、問うた。

 

「じゃあ、あなたは私に何をもたらしてくれるのかしら?」

「望むなら――あなたの思い描くままの世界を」

 

 

 

 私はトレインを伴い、追放されたスチリア村に帰還する。

 

 イコを救う。村人を救う。

 隣人から、スチリア村から始めるのだ。

 

 誰もが生きるためだけに必死にならなくても良い世界を。

 誰もが自由を謳歌し、今日の糧を、明日の命を思い悩むことのない平和な世界を。

 そして、子供の頃の遊びや空想を忘れないまま大人でいられるような、素敵な夢に溢れた世界を。



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222「ラナの記憶 4」

 トレインを伴ってスチリア村に帰還した私を待っていたのは、当然ながら歓迎とはほど遠い対応だった。

 

「ラナ!? どうして帰ってきてしまったの!? あなたは追放されたのよ! その意味がわからないあなたではないでしょう!? しかも外の者まで連れてくるなんて!」

 

 イコは苦悩に頭を抱えていた。

 常識で考えれば当たり前の話だ。追放とは、ただ身内を直接殺すのが忍びないゆえの妥協的措置であり、事実上の死刑宣告である。

 追放を宣告されてなお無理に留まろうとするならば――示しを付けるためにも、本当に処刑しなければならない。それが村の掟だった。

 けれど、もうそんな厳しい掟になんて従う必要はない。

 

「大丈夫。もうあなたが苦しむ必要はない。もうみんなが飢える必要はないの」

「え……?」

 

 困惑するイコたちを前に、私が思い描くのは、山ほどの穀類と肉と野菜と果実、そして新鮮な飲み水。

 それらは完璧な確度でもって【想像】される。

 ただこのままでは、誰にも触れることのできない虚像でしかなかった。

 今までは。

 

「トレイン。お願いします」

「任せられた」

 

 彼が手をかざすと、大量の食糧は目に見えるものとして忽然と現れた。

 

「え、え……?」

「なに、これは……?」

 

 あまりの出来事に、誰もが固まってしまっている。

 しかしやがて、飢えた子供の一人がおずおずと果実の一つに手を伸ばし、触れられることを確かめた。

 一口頬張る。そして満面の笑顔になって言った。

 

「おいしい! これ、ちゃんと食べられるよ!」

 

 本当か、と訝しむ大人たちもぞろぞろと群がり始めた。そして各々食物を手に取り、恐る恐る食べられることを確認すると、みんなこぞって食べ始めた。

 

「奇跡だ……」

 

 腹を満たした誰かがそうぽつりと言ったのをきっかけに、割れるような大喝采が巻き起こる。

 

「ラナが、いやラナ様が奇跡を起こされた!」

「神の御業だ! スチリア村の救世主だ!」

 

 元々まじない事の類で村は統率されていた。であるから、そんなものを遥かに超える奇跡を目の当たりにした村人たちはこぞって私を持ち上げたのだ。

 イコはぱくぱくと口を動かして、何か人でないものを見るような顔で私を見つめた。

 けれども我に返ったように首を振り、みんなを代表して私の前へ進み出る。

 

「ラナ。あなた、どうやってこんな……ううん。ともかく、あなたのおかげで村は……」

 

 罪悪感からか、あくまで他人行儀に、着丈に振る舞おうとするイコを抱き締める。

 

「ぁ……ラナ……」

「いいんだよ。イコ。もう終わったんだよ。もう無理しなくいいの。辛いこと我慢しなくていいんだよ」

 

 よほど心を押し殺していたに違いない。本当に辛かったのだろう。

 

「うわぁぁああああああーーーん! ラナぁ、ラナぁ!」

 

 子供のように泣きじゃくる若き村の長を責める者は誰もいなかった。

 

 

 それからのこと。

 

 

 イコ含め、ぜひ私を新しい村長にと担ぎ上げられそうになったが、柄ではないからと断った。私に実務上の細かい取り決めとかは絶対無理だし。

 なので引き続き村長はイコに務めてもらうこととして、私とトレインはみんなの暮らしを助ける者として振る舞うことにした。

 

 私は自らの【想像】をトレインの【創造】によって次々と実現していく。

 のみならず、他の者からもアイデアを募り、飛躍的に生活を改善していった。

 こういうとき、知識のある大人より子供の方が素直で理想的なアイデアを出してくるものだから面白い。

 撒けばすぐに芽吹く穀物、痩せることのない土地、綺麗な水が勝手に湧き出てくる水瓶、人の言うことを素直に聞き空を飛ぶ大きなトカゲ、火で燃えることのない家、などなど。

 そうしたこの世ならざるものを、私は毎日のように生み出し続けた。

 

 やがて、私たちの村の裕福さを知った近隣の村々が、私たちを羨み、攻撃を仕掛けてくるようになった。

 私は殺しをしてはならないと皆に言い聞かせ、魔法という新しい力を生み出して兵たちを無傷で捕えた。

 貧しいから争いが起こるのだと私は理解していた。

 だから私は彼らを許し、罰の代わりに奇跡の力でもって施しを与えた。

 

 そんなことを繰り返していると。気が付けば国ができていた。

 

 私は奇跡を起こす神の巫女として崇められるようになり、トレインもまた一の従者として崇拝されるようになった。

 誰も彼もに請われて、一際立派な神殿に住まうことを余儀なくされた。

 そして、私の生まれたスチリア村だからと、いつしか私の故郷は聖地ラナ=スチリアと呼ばれるようになっていた。

 

 私はついに人として扱われることはなくなってしまったのだ。

 

 覚悟はしていたけれど……少し、寂しい。

 

 それでも、イコだけは私の孤独を理解してくれた。思うところはあっても、ずっと友達のままで接してくれた。

 それがどれほど救いになったかわからない。

 

 

 10数年が経った。

 

 

 少しずつ、何かがおかしいと悟った。

 

 イコは村一番の男との間に四人の子供を産み、一番上の子供は大人に混じって仕事をするくらいにはなった。美貌を持て囃された彼女にも、小皺が目立つようになってきた。

 

 私は……変わらなかった。いつまでも少女のまま。まるで時が止まってしまったかのようだ。

 あるとき、トレインに尋ねた。どうして私だけが歳を取らないのかと。

 

「きみは生命として異常なんだ。この星の生命の循環から切り離されている」

「あなたのように?」

「そう……いや、少し違うかな。きみは縛られていない。きみにはまだ死ねる自由があるから」

 

 いまいち要領を得ないものの、とにかく普通でないということだけはわかる。

 そして、死ねるとしても自ら死を選ぶようなことはしないだろう。

 

「あなたは、あとどのくらい生きられそう?」

「さてね。けれど、ラナ。きみが僕を癒してくれるから、人よりはずっと生きられるだろう」

「人よりは、か……。いつか、知っている人はみんないなくなってしまうのかな?」

 

 それは……とても寂しいことだ。

 

「人と異なる以上、それは避けられないことだよ」

 

 トレインは遠くを見つめながら頷いた。身を持って味わってきた人間の顔だ。

 

「わたしたちも、いつか普通に死ねるのかな」

「ああ。どんなことでもいつかは終わりが来る。無限の時に比べればあっという間さ」

 

「もっとも、僕はきみの助けが必要だけれどね」と彼は困ったように笑う。

 急激に移り行く世界の中で、彼だけが昔と変わらない。

 最近、漠然とした不安を覚えるようになった私は、彼にだけは安心して身を任せられるのだ。

 

「ねえ……それまで、ずっと一緒にいてくれる?」

「もちろんだとも。はは。僕としたことが、まだ生きたいと思ってしまうなんてね」

 

 男女の絆――というものではないかもしれない。

 事実、私たちは一度も互いの身体を求めたことはなかった。

 それに、最初はただの同情心だったのかもしれない。

 成り行きと、互いに似た寂しさを共有したことから始まった関係。

 けれど、同じ屋根の下で付き合いを続けるうちに、私とトレインの間には確かな絆が生まれていた。

 

 

 さらに10数年が経った。

 

 

 イコが久々に神殿へ遊びに来た。

 

「ラナ! こら、起きなさい! ラナ」

「うぅーん……もうちょっと寝かせて……」

「まったく。せっかく遊びに来てあげたのにこれだもの」

 

 おでこをピンと弾かれた衝撃で、私は目を覚ました。

 

「いたぁ……おはよう。イコ」

「おはよう。ラナ」

 

 腰の曲がり、すっかり白髪になった彼女が私を温かい目で見つめていた。

 

「ねえ。もうちょっと優しい起こし方があったんじゃないの?」

「あなたって優しくして起きた試しがあったかしら?」

「ないわね」

 

 二人で笑い合う。

 それからはお互いの近況を話し合った。

 私は子供のための遊園地を創ったこととか色々、イコは最近の市井の様子を話してくれた。

 

「そうそう。今度孫が生まれるのよ」

「あらまあ。おめでとう!」

 

 それは大変めでたい。今度お祝いを送ってあげなくちゃね。

 ニコニコしていると、イコはまるで眩しいものを見るような眼差しでぽつりと言った。

 

「ふふ。あなたは本当に変わらないね。ずっとあの頃のまま。私だけが、すっかり歳を取ってしまった……」

 

 俯き、深く溜息を吐いたイコの額には、年月の分だけ皺が刻まれていた。

 

 ――魂の輝きは、徐々にだが確実に死に近づいている。

 

「そんなことないよ。イコだってまだまだ若いじゃない」

「ふふ。ありがとう」

 

 彼女は微笑むけれど、気分は晴れないようだ。

 

「……でもね。いくら気持ちの上では若くいようって思ってもね。最近、身体が付いて来ないことが多くてねえ」

 

 ここまで歩いてくるのも一苦労だったと、乾いた笑みを浮かべる。

 

「だからね、どうしても現実的なことを考えてしまうのよ。あとどれほどあなたに会えるだろうかって。ただ、あなたを置いて行ってしまうのが心残りでね」

「イコ……」

 

 そんなこと言わないでよ。悲しくなるでしょう。

 

「私ね。あなたのことを書物に記そうと思うの」

「えーそんな。急にどうしたの。恥ずかしいよ……」

 

 ただでさえ祭り上げられているのに、そんな大仰しいものまで残さなくたって。

 

「ほっといても誰かが書くだろうからね。そのくらいなら私がちゃんとしたものをって」

「うう……」

 

 顔を赤くした私を、今度はイコが撫でた。

 

「しゃんと胸を張りなさい。それだけのことをあなたはしてきたのよ。それに、あなたの活躍はこれからも続いていくのでしょう? だから、私が始めてね。子孫代々に受け継がせるつもりよ」

 

 イコはいつになく息巻いている。まるでそれが最後の使命だと言わんばかりに。

 

「これから私がいなくなってしまっても、その本は残る。それさえあれば、あなたは見るたびに私のことを思い出してくれるでしょう?」

「そんなものなくたって、私はあなたのこと忘れたりしないよ」

「わかってるわよ。でも、思い出に残したいの」

「……そう。じゃあ、ちょっと待ってて!」

 

 私はトレインに頼んで、特別な本を創ってもらった。それをイコに手渡して言った。

 

「その本は私が特別想いを込めて創ったわ。決して朽ちることはないし、燃えることも、破れることもない。それに、勝手にページが増えていくから。だから好きなだけ書いて」

「ありがとう。大切にするわ」

 

 

 

 そして、そのときはやってきた。

 

 

 

「イコ……ねえ、イコ。起きてよ。また私に楽しい話を聞かせてよ」

「…………」

「……私に寝坊助だって。よく言うよ。あなたの方がよっぽど寝坊助じゃないの」

 

 わかってる。これ以上彼女に生きろなんて言うのは酷だ。

 イコはよく生きた。孫が大人になるまで生きたのだ。大往生と言ってもいい。

 

 だけど。わかっているのに。

 どうして涙は止まらないのだろう。

 

 まただよ。私自身のことで泣いたことなんか、ほとんどないのに。

 

 泣かされるのは、大体いつもイコのことばっかりだ。

 

 

 多くの子孫や親族に囲まれて、イコの葬儀はしめやかに行われた。

 そして、私の伝記は孫娘の一人に受け継がれた。

 

 一つの時代の終わりだった。

 

 

 

「ねえ。トレイン」

「……無理だよ。死んだ命までは戻らない」

 

 トレインは昏い空を見上げたまま言った。

 この頃には、言わなくても大抵のことは伝わるくらいの関係になっていた。

 

「人は死んだらどこへ行くんだろうね」

「さてね。僕はろくな所じゃないと聞いた」

「そうでないといいなぁ……」

 

 覚悟はしていた。していたはずなのに。

 いざ別れてしまうと、まるで半身を引き裂かれてしまったかのようだ。

 これから何度もあるのだろうか。

 トレイン以外、誰も私という「人間」を知らなくなってしまうまで。

 

 ……私は、「女神」でも「巫女」でもないのに。

 

「……どうして、私とあなただけなんだろう」

「……どうして、なんだろうね」

 

 特別な者と、そうでない者。

 生きるべき者。死すべき者。死すべからざる者。

 何が運命を分けなければならなかったのか。

 どうしてみんな同じように生きて、同じように死ぬことができないのか。

 

 こんな不完全な世界を創った神様がいるとしたら、そいつはきっとものすごく意地の悪い奴に違いない。

 

「きゅー……」

「ポモちゃん……」

 

 そっか。私とトレインだけじゃなかった。

 この子たちも。

 

 ――何とかならないのかな。

 

 ――この世界が、こんなにも不平等で、理不尽ならば。

 

「創れないかな」

「…………」

「私たちみんなが望む限り、永遠を過ごせる世界を。そんな夢の世界を……創れないかな?」

「……わからない。ただ、僕たちはこれまで不可能を可能にしてきた」

「……そうだね」

 

 いつになく気弱になっている私の肩を支え、彼は万感の想いを込めて言った。

 

「僕は……きみの力こそ本物の奇跡だと、僕は思う。そんなきみが望むなら――できるかもしれない」

 

 ふふ。トレインの答えはいつも変わらない。

 この人は、私の思い描くことに真っ直ぐ力を貸し続けてくれた。

 そして、私ならできると信じてくれる。

 

「ただ……」

「ただ?」

「きみ一人では【想像】力が足りないだろう。世界中の生きとし生ける者たちの想念が必要になる……と思う」

「みんながあると信じることができれば、成るというわけね」

「おそらくは」

「……とても長い時間がかかりそうね」

「だろうね」

「……付き合ってくれる?」

「きみが望むなら。どこまでも」

 

 そして私たちは、世界を繋げるための旅を始めた。

 

 私の名と永遠の思想の下に世界を束ねる――長い長い旅を。



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223「一筋の光明」

 ラナとトレインが旅立ったところで、記憶のオーブは再生を止めた。

 そしてオーブは、触れていた俺の手に溶けるようにして消えていく。

 

 これで終わりか? ここまでしかないのか……?

 

 いや、どうやら違うようだ。

 目の前のオーブが完全に消えると同時に、二人が旅立っていった先――ずっと向こうに新たな記憶のオーブの気配を感じられるようになった。

 続きはそこまで行けば見れそうだ。世界の記憶に紐付けられている関係上、おおよそその出来事が起こった場所まで行かなければ見られないというわけか。

 

「終わったのか?」

「どんな内容だったの?」

「あたしにも教えて下さい」

『ボクも見たいな』

 

 四人に求められたので、すぐに共有する。

 それぞれ思うところがあったようで、

 

「ラナ様……女神じゃなくて人間だったんだなあ……。すげーけど、何だか気の毒な話だぜ」

「現在のラナソールに繋がりそうな気配は感じたわね」

「なるほど。やっぱりキーパーソンは二人で……」

『ラナとトレイン。二人だけが取り残されていくなんて……寂しいね』

 

 そうだな。とても寂しい話だ。どうして二人が永遠を分かち合おうとしたのか、わかった気がする。

 まだわからないことは多いけど、今後記憶を辿っていけば真実が見えてくるかな。

 

 ひとまず、ここまででわかったことを整理してみよう。

 

 ラナは【想像】、トレインは【創造】という能力を持っている。

 それぞれ単体ではあまり使えないけれど、合わさることであらゆる夢や空想を現実に変える力を持つことになる。

 二人は何の縁か出会い、古の世界をまるっきり創り変えてしまった。

 ラナの望みと旅立ちから推測すれば、ラナソールという世界の実現も二人が成し遂げたに違いない。

 

 そして、トレインはほぼ間違いなくフェバルで、ラナは俺のようなよほど特殊なケースじゃない限り、フェバルではないだろう。

 彼女は並みの人間と変わらない体力しか持ち合わせていなかった。ということは、星級生命体の定義からも外れる。

 フェバルでも星級生命体でもないのに歳を取らない。生命の循環から逸脱した存在。

 

 ……レンクスが言ってたな。極めて稀にフェバルにも星級生命体にも分類できない「異常な」生命体が存在すると。

 

 異常生命体――そうとしか呼べない第三のカテゴリに入る存在だ。

 

 異常生命体と言っても異常の度合が個々でまちまちらしいんだけど、彼女の能力はフェバルに勝るとも劣らないほどに強力だ。

【想像】するだけで無から心ある存在さえも生み出してしまうのだから。

 トレインの力と合わされば、まさに生命創造の神秘の体現者だ。

 

 生命と世界の【想像】、そして【創造】。

 

 なんてスケールの大きな能力だろう。

 世界を破壊できる力を持つ者たちは何人も見てきた。けれど世界を創る力を持つ者を見たのは初めてだ。

 破壊することに比べれば、創ることのいかに困難なことか。

 ラナは確かに肉体はか弱い人間だったけれど、特別な力はほとんど神の力と言っても良いほどの凄まじいものだ。それこそ、女神だの巫女だの持ち上げてしまう人たちの気持ちもわかってしまうほどに。

 

 ……でも、待てよ。それってよく考えてみたら。

 

 今の俺自身にも、俺の能力にもいくらか言えてしまうことなんじゃないか……?

 

 ユイは母さんの記憶が核になっているとはいえ、子供の頃の俺が創ったと言っても良い存在だ。

 それも俺が一人だけで成し遂げた。ある意味でラナよりも上を行っているとさえ言える。

 

 ただ、別の部分では明らかにラナの方が格上だ。

 俺には精々相手の心までしかわからない。それもほとんどの場合は何となくでしかわからない。

 ラナは単に心が読めるだけじゃない。

 さらに奥――魂だとか本源とかいうものを見通し、直接触れることができるらしい。

 

 実は俺が一番驚いていたのはここだった。

 

 彼女は言った。その力――トランスソウルさえあれば――フェバルでさえ殺すことができるのだと。

 

 にわかには信じられないことだ。フェバルは精神の自然摩耗以外で決して死ぬことはないという定説を真っ向から覆すものだから。

 レンクスが知っている限りの異常生命体にも、そんな芸当ができる者はいなかった。

 

 だけど、死なせることができると。できてしまうと。

 ラナ当人の記憶を追体験した俺には、彼女の認識が嘘や誇張のない本物だとわかってしまった。

 

 理屈も何となくわかる。いかに肉体が頑強であっても、魂――彼や彼女をそれたらしめるものを完全に破壊してしまえば、もはや彼や彼女は自らの存在を維持できないということだろう。

 そしてフェバルや星級生命体はあまりに長生きが過ぎるゆえに、むしろ魂は普通の人よりも擦り減って弱っている傾向が強い。

 

 そこを突けば……たとえラナのように非力な者であっても、可能性としては超越者を打ち倒せる!

 

 青天の霹靂だった。そんな方法があるなんて思いもしなかったんだ。

 

 ただひたすら強くなるしかないと思っていた。理不尽な暴力に対抗するためには、同じく抗するためのパワーを持つしかないのだと。

 たぶん、力を高め続ける道を選んだのがもう一人の「俺」だ。彼はひどく後悔していて、俺にそうなるなと戒めたんだと思う。

 けどだからと言って他に道がわからなかった。

 

 本当に弱ければやられるだけ。蹂躙されるだけ。

 圧倒的に力が足りないという事実が、幾度も俺を打ちのめしてきたし、今も打ちのめしている。

 

 でも、ラナは教えてくれた。パワーによらない別の手段があるのだと示してくれた。

 

 もちろん今の俺にラナのようなことはとてもできない。どうしたらできるようになるかもわからない。

 けれども、俺とラナの能力は心や「そのもの」に関わるものであるという点でよく似ている。

 似ているならば、もしかしたら……俺もいつかラナと似たことができるようになれるかもしれない。

 

 心の力――マインドを高めていくことで、別の可能性に辿り着けるかもしれない。

 

 それは、力の倫理と理不尽が支配する世界を突き破る一筋の光明のように思えた。



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224「ふんばれ! エーナさん 1」

「うーん……」

 

 エーナは何でも屋『アセッド』のベッドで目を覚ました。

 

〈注意。寝返りを左に打ってはならない。注意を無視した場合に想定される結果。ベッドからの落下〉

 

 まだぼんやりとした頭に【星占い】による情報が瞬時に流れ込んでくる。

 何かと下手を打ちやすい彼女は、普段は能力に注意をアラームさせることによって回避していたのだった。

 もっとも、ラナソールに来てからは最近まで使えなかったのであるが。

 

「わかったわよ」

 

 エーナはもごもごと独りごちて右へ寝返りを打ち、身体を起こした。

 目が覚めてみると、やけに身体がべとべとしていることに気付いて顔をしかめる。

 そう言えば昨日はほとんど一日中戦っていたから、帰ったらそのまま何もせずに寝てしまったのだった。

 朝食をとる前にシャワーを浴びることにした。

 

 シャワールームに着いた彼女は、すぐにシャワーを浴びようとして注意をくらった。

 

〈注意。シャワーの温度設定を上げるべし。注意を無視した場合に想定される結果。水を被る〉

 

「おっと。水なのね」

 

 注意通りにつまみを回して温度を上げ、彼女は朝のシャワーを満喫した。

 無事にシャワーを済ませた彼女は、濡れた足でシャワールームを出る。

 

〈足元注意。注意を無視した場合に想定される結果。転倒および床の破壊〉

 

「濡れてるものね」

 

 恐る恐る足を踏み出した。

 それから着替える。

 

〈下着の履き忘れ注意。注意を無視した場合に想定される結果。恥ずかしい思いをする〉

 

「はいはい」

 

 毎度のことながら【星占い】の律義さ、お節介焼き加減にうんざりしてくるエーナであるが、これほど注意が飛び乱れるのは彼女がエーナだからであることを本人は知らない。信頼と安心のエーナクオリティ。

 

 それから温風魔法で髪を乾かそうとして、

 

〈注意。火属性の出力を落とすべし。注意を無視した場合に想定される結果。髪が焦げる〉

 

「……はい」

 

 事あるごとに一々注意を加えられながら、彼女はどうにか一人前に身を整えた。

 

 普通に行くと足を踏み外すと【星占い】に言われたので階段を慎重に降りて、階下の食堂に向かう。

 既にミティは起きて調理場に立っていた。ジルフは端の方で情報誌に目を通している。

 

「おはよう。ミティ。ジルフ」

「おはようございます。エーナさん」

「おう。おはよう」

 

 ミティははつらつと挨拶を返し、ジルフは静かな声で返した。

 

「もう朝ごはん作っちゃった?」

「いいえ。掃除を終えてこれからってとこです」

「毎日頑張って偉いわね。私、掃除係なのにさぼっちゃってごめんね」

「エーナさんは町を守るために戦ってるから仕方ないですよ」

 

 世界が壊れたあの日、レジンバーク周辺の地理は劇的に変化した。

 エーナの懸命な守護魔法も空しく、暴風が吹き荒れ、屋外にいた多くの無力な人間は吹き飛ばされた。

 混乱に紛れて、ユイの身体も所在がわからなくなってしまった。

 さらに、町の約四分の一は地割れと共に陸から剥がれ、フォートアイランドとともに周辺の海ごと闇に落ちた。

 

 崩壊が止まったとき、辛うじて残ったのは、町の約四分の三を残す小島と、無数の破片に分かたれた未開の地ミッドオールであった。

 そして以来、凶暴化した魔獣やナイトメアたちがレジンバークを度々襲うようになる。

 そこでエーナはジルフや町の冒険者、ありのまま団と連携して、町の警護に就いているのだった。

 

「それに、ユウさんたちがいつ帰って来ても良いように、店は綺麗にしておかなくっちゃです!」

 

 意気込むミティにエーナは目を細めた。健気な子だと思う。

 エーナ自身は、願っていても残念ながらもう二度と店が本来の業務をすることはないだろうと考えていた。

 この『アセッド』は世界が平和だったから、何よりユウとユイがいたから何でも屋として機能していたのだ。

 中核のいなくなってしまった店は、今はただの入れ物でしかない。

 

 

 

 あれから色々悩んでエーナは町を守ることにしたのであるが、最初は守りはジルフに任せ、自分はユウとユイを探そうと考えていた。

【星占い】にかけたところ、二人の所在はおおよそわかった。

 

〈解釈。星海 ユウおよび星海 ユイはともにアルトサイドに存在と推定〉

 

『占星。二人は一緒にいるの?』

 

【星占い】は占星の行使により、星脈の保有する宇宙規模のレコードを解釈することにより、求める情報を一定の精度で得る能力である。

 

〈解釈。いないものと推定〉

 

 同じ領域にはいるが、一緒にはいないだろうということ。

 ユイの状態が気になっていたエーナは、次に尋ねた。

 

『占星。ユイちゃんの状態は?』

 

〈解釈。星脈への還元、確認されず。生存と推定〉

 

 ということは生き返ったということなのか? いや、そもそも星脈に戻されていないのなら、死んでいないということになる。

 ユイが生きている――最悪の心配は回避されたことに安堵するエーナであるが、あのほとんど完全に死んでいた状態からどうやって助かったのかがわからなかった。

 

『占星。なぜユイちゃんは助かったの?』

 

〈エラー。星脈に十分な情報がありません〉

 

「えっ? フェバルのことなのに星脈に十分な情報がないの?」

 

 エーナは思わず声に出して戸惑った。

 ウィルのように妨害している場合は〈妨害されているため使用できません〉と返されることはあった。しかし、十分な情報がないというパターンは初めてだった。

 

『占星。なぜ十分な情報がないの?』

 

【星占い】は少々融通の利かないところがある。自発的に知ろうとしなければ、いかなる情報も与えてはくれないのだ。

 事細かに「注意」してくれるのは、想定される身の危険を常に注意するように予め占星しているからである。

 そして、【星占い】の返答は驚くべきものだった。

 

〈エラー。占星権限がありません〉

 

「権限がないですって!?」

 

 今度こそエーナは声を張り上げた。

 以前、エーナは「フェバルの存在理由」だとか「星脈の由来」などを占星しようとしたことはあった。そうした自身のルーツに関わることはすべて「占星権限がない」と返されるのが通例であり、幾度も試みて彼女はついに諦めた。

 しかし、なぜ一個人に対してそんな大それたことになるのかがわからない。

 

『占星。それはなぜ?』

 

〈エラー。占星権限がありません〉

 

 ダメだ。こうなると【星占い】は頑固なのだ。

 だけどユウの能力が【神の器】であることはそもそもこの能力によって知った。

 ということは……。

 

『占星。ユイちゃんに関する情報は十分にないけど、ユウに関する情報はある。間違いないかしら』

 

〈解釈。肯定〉

 

『占星。ユウって星脈にとってどんな存在なの? ユイは?』

 

〈解釈。星海 ユウはフェバルであり、最大危険因子。星海 ユイ……エラー。星脈に十分な情報がありません〉

 

 最大危険因子。物騒な単語が出て来たが、自分やレンクスたちを含めたフェバルを圧倒するほどのポテンシャルを見せつけられた今となっては、あり得ないというほどのことでもないように彼女には思えた。

 

『占星。どのような意味で危険なの?』

 

〈エラー。占星権限がありません〉

 

『……占星。あの謎の黒い気は何? どうしてあれを纏ったユウはあんな化け物みたいに強いの?』

 

〈解釈。黒性気。星海 ユウのものはコピーである。オリジナルは『始まりのフェバル』が所有する。強度において最強のオーラであるため〉

 

『始まりのフェバル』と言えば、ほとんど伝説でしか聞いたことがないような強力な存在だ。

 それと同質の気とは、なんて物騒な話なのか。

 

『占星。どうしてユウはそんなものを?』

 

〈エラー。占星権限がありません〉

 

 肝心なところは役立たずめ。エーナはイライラした。

 

『占星。なら、今のユウの状態は? 黒性気は纏っているの?』

 

〈解釈。健康かつ黒性気は纏っていないものと推定〉

 

 ならユウは普通の状態に戻っていると解釈して良いだろう。助けに行っても問題ないはずだとエーナは一人頷く。

 

『占星。ユウとユイちゃんを助ける方法を示して』

 

〈解釈。放置を推奨。エーナでは助けることは不可能〉

 

「なんですって!?」

 

 ショックを受けるエーナであるが、【星占い】はいかに無味乾燥でも解釈は必ず一定の正しさを持つことは長い人生の中で証明されている。

 つまり、彼女にはまず助けられないのだ。

 さらに追い打ちをかけるように、【星占い】は彼女に伝えた。

 

〈注意。アルトサイドへ行くべきではない。注意を無視した場合に想定される結果。エーナのナイトメア化〉

 

 物騒なワードが飛び出してきたことで、エーナは動揺した。

 

『ちょっと待って。そもそもナイトメアって何よ。ナイトメア化とは? 占星。解釈を要求する』

 

〈解釈。ナイトメア。ラナソールを構成する要素として不必要とされる悪夢的要素から構成された存在。理性を失い破壊的衝動に従って行動する。ナイトメア化。非ナイトメア生物がナイトメアと化す現象。寄生型ナイトメアにより発症の恐れあり。本人の記憶に重大なトラウマが存在する場合、極めて発症可能性が高い。エーナは該当〉

 

「……なるほど。だから私にはどうしても無理ってわけね」

 

 言われて、度々襲撃してくるあの真っ暗闇の異形がナイトメアなのだろうと思い当たる。

 そして、己のトラウマの深さを自覚しているエーナは、間違いなくナイトメア=エーナになってしまうだろう。

 

 こうして彼女は泣く泣くユウとユイの救出を諦め、せめて町を守ることにしたのだ。

 

 それから数週間。辛うじて小康状態は保っている。

 

 

 

「……ミティ。せめて朝ごはんは一緒に作りましょうか」

「はい! 美味しいごはんは一日の活力ですからね」

 

 ミティはこんな時でも明るく振る舞うことを忘れない。町を守る戦士たちが安心して帰ってこられるように。

 それが戦えない自分にとっての「戦い」なのだと、ミティは考えていた。

 

「ふっ。私の鍛えた料理スキルがまたまた火を吹くときがきたようね!」

 

 ……この後、【星占い】による注意が嫌になるほど入ったことは言うまでもない。



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225「ふんばれ! エーナさん 2」

 ミティ、ジルフと三人で朝食をとったエーナは、一休みすると腰を上げた。 

 

「今日は私の当番ね。行ってくるわ」

「行ってらっしゃいませですぅ!」

「気を付けてな」

 

 外に出ようと、彼女は両開きのドアに手をかける。

 

〈注意。数秒待つべし。注意を無視した場合に想定される結果。コッペパンが側頭部に直撃〉

 

「…………」

 

 とりあえず待っていると、間もなくビュゥゥゥゥウン、と風を切ってフライングコッペパンが店の前を通過していった。

 

「あれ、まだ飛んでたのね……(しかもかなり速くなってるし)」

 

 気を取り直して、エーナは外への一歩を踏み出した。

 向かう先は冒険者ギルド保有の修練場である。ちなみにギルドは今レジンバークの防衛本部となっていて、襲撃に備えるため、四組三交替制で24時間稼働している。

 あの日から今までの間、エーナとジルフは毎日交替で非番の者に戦闘訓練を施していた。

 毎日のように凶暴化した魔獣やナイトメアが襲撃してくるが、実のところ敵は外から攻めてくるばかりではない。時空の穴が市街地に突然開くケースがあり、その際は必然的に市街戦となる。

 二人はチート級の実力者である(当然、戦闘タイプであるジルフはエーナよりさらに卓越している)が、反面あまりに力が強過ぎるために、数で押してくる敵に対する細やかな対処はあまり得意ではない。

 そこで、エーナやジルフを始めとした一線級の実力者は強力な魔獣やナイトメアへの対処、もしくは可能な場合遠距離攻撃による広範囲殲滅に専念し、雑魚魔獣やナイトメアの個別対処は一般の冒険者やありのまま団員に託すことになる。するとどうしても負傷者や死者が避けられなくなってしまう。

 なるべく犠牲者を減らすためには、個々人の練度の向上が危急の課題であった。

 ラナソールは許容性無限大であり、人の才能に限界はない。鍛えれば鍛えるほど目に見えて実力が上がるため、訓練の意義が極めて大きい。このため、エーナとジルフは相談し、戦える者に対して可能な限り訓練を施すことにしたのである。

 本来、フェバルはユウのような例外を除いて、俗世のことには積極的に関わらない不文律がある。だが今回の『事態』は明らかに超越的存在が関わっているため、自重する必要なしと判断したのだ。

 ジルフは自前のトレーニング理論により、エーナは【星占い】で組んだ訓練プログラムによって、それぞれの持ち味を生かして教鞭を振るった。

 戦闘のプロによる熱心な指導の結果、初期に比べると負傷率および死亡率は改善してきている。

 

〈頭上注意。注意を無視した場合に想定される結果。身体への汚物付着〉

 

「はっ! ひゃっ!?」

 

 慌てて飛び退くと、巨大な鳥のフンが道路に落ちて飛び散った。

 見上げたエーナを馬鹿にするように、アゾードリが悠然と飛び去っていく。

【星占い】が使えなかった無能時代、散々彼女を糞尿塗れにして泣かせてきた因縁のライバルである。

 

「あんのクソ鳥……! まだしぶとく生きてやがったのね。今度見かけたら焼き鳥にしてやるわっ!」

 

 外見三十路がぷんすか息巻いていると、また【星占い】が告げた。

 

〈注意。直ちに移動の必要あり。注意を無視した場合に想定される結果。落下物の直撃〉

 

 横っ跳びで避けると、直後にズドン、と重々しい音を立てて金属製の看板が落下した。

 エーナは目を丸くする。その場に立ち止まっていたら、角が当たって痛い思いをしていたことだろう。

 立て続けの不運にわが身を嘆く。

 

「なんで狙ったように看板が落ちて来るのよ……」

 

〈回答。生まれ持った体質。対処。【星占い】の積極的利用〉

 

「聞いてないわよっ!」

 

 エーナは一人でツッコんだ。

 こんなときだけはノリが良いので、実は能力が意志を持っているのではないかと彼女は疑っている。いるのだが、そのことを占星しても〈エラー。占星権限がありません〉としか返ってこないので、真相は永遠に闇のままである。

 

「はあ……。歩いていてもいいことないわ。ここは飛行魔法で行くべきね」

 

〈注意。ローブの裾をめくり上げるべし。注意を無視した場合に想定される結果。転倒および後頭部の打撲〉

 

「ああもうっ!」

 

 彼女はイライラとローブをめくり上げ、無事空を飛んで修練場に辿り着いた。

 

 修練場では、数多くの冒険者とありのまま団員が整列していた。

 約半数は剣や杖、鎧を装備したいわゆる冒険者である。残りの半数がありのまま団であるが、肉体美を輝かせていた。さすがに下着は付けなさいと初日にエーナがきつく叱ったので、男女ともに一応は「はいている」。

 その数、足しておおよそ一万二千。

 元は二万近くいたのであるが、初期の戦闘では多くが死傷したため、かなり数は減ってしまった。

 それでも四組のうちの一組であるから、レジンバークでは現在五万弱の勢力が町を防衛していることになる。

 エーナが来場すると、全員がありのまま団式で威勢の良い挨拶をかち上げた。

 

「「押忍! エーナ師匠!」」

「うむ。よろしい」

 

 彼女の故郷であった惑星エーナを除けば、これほど大勢の人間に慕われるという経験は皆無であったため、エーナは得意で頷く。

 とは言え訓練の目的は極めて真剣であり、一切浮かれるつもりはない。

 

 早速訓練を開始する。

 彼女の題目は「魔法を用いた戦闘技術」である。ちなみにジルフは当然のことながら「気を用いた戦闘技術」を担当している。

 彼女はまず、魔力ロスの大きい精霊魔法の使用を非推奨とし、代わりに宇宙で広く一般に使用されている通成魔法を教授した。

 通成魔法は、ユイの使用している魔素魔法と比べると魔力効率は悪いものの、修得難度は比較して相当に低い。

 精霊魔法の土台があれば一か月程度で身につけられるという【星占い】の見込みの下訓練は続けられ、現在はほぼ全員が通成魔法を修得している。

 これだけでも魔力効率は倍となり、大きな戦力向上を実現した。

 そして、今現在は光魔法の技術向上に注力している。

 というのも、多くの属性を極めさせるには時間が足りな過ぎるし、光魔法にはナイトメアに対する特効があることがわかったからである。

 

「掌に意識を集中しなさい! ギリギリまで練って絞り出すの! 辛くなったらあなたの大切な人を思い出して! 守りたいでしょう? 頑張るのよ!」

「「押忍!」」

 

 本日も成果は上々であるが、いつも中々最後まではさせてもらえない。

 緊急警報が鳴った。

 斥候役の冒険者から通信が入る。

 ラナソールの魔獣やナイトメアは視覚以外に感知する手段がないため、斥候役は必須である。

 

『エーナさん! 外部から敵襲です!』

「またか……しょうがないわね。みんな! 訓練は中止よ!」

 

 外部からの襲撃と内部襲撃で集合場所は異なる。外部の場合は町外れの詰め所に集まることになっている。

 エーナは飛行魔法を用いて、目にも留まらぬ速度で詰め所へ飛んでいった。

 

「なんて練度の高い魔法だ……」

 

 本人の知らないところで色んな人から畏敬の念を持たれていた。

 

 

 

 詰め所には、最低でもS級冒険者相当以上の精鋭が集合していた。

 ジルフは既に来ており、端の方で精神統一をしている。

 ありのまま団長であるゴルダーウ・アークスペインも、精鋭の一人として自ら鋼の肉体を振るっていた。

 彼はまた、レジンバーク自警団の合同団長も務めている。

 

 ……本来仕切り役を務めたがる受付のお姉さんは、あの日住民を避難誘導して、アルトサイドに落ちてしまったのだ。

 

「がっはっは! 今日もいっぱい湧いて出て来たなあ!」

「いつにもまして機嫌が良さそうね。団長」

 

 ゴルダーウはニヤリと笑ってエーナに耳打ちする。

 

「息子が枕元に報告にしてくれおってな。部下とユウの小僧が接触に成功したそうだ」

「ユウが……!? あの子、無事トレヴァークに行けたのね」

 

 向こうは向こうで動いているようだ。エーナにも気合いが入る。

 

「まずはシズハを助けるつもりらしい。『事態』を解決する方法も探っているのだと」

「ほう。頑張ってるんだな」

 

 ジルフは我が子を想うような穏やかな笑みを見せた。

 

「私たちがふんばっている間に……何とかしてくれるといいわね」

「……そうだな」

 

 現実的に考えて、ほとんど壊れてしまった世界をフェバルとしても未熟なユウがどうにかするなんてことが絶望的なのは、みんなわかっていた。

 しかしそれでもエーナとジルフは、そしてユウをよく知る人間は、期待してしまうのだ。

 わずか数年の期間にいくつもの世界を救い、この世界でも向こうの世界でも多くの人を助け、動かした人間の足掻きと――奇跡を。

 

 出撃準備をしていると、斥候役から鬼気迫る様子で敵の数が報告された。

 

『報告します! S級魔獣が約300! 大型ナイトメア約500!』  

 

 彼の声は恐怖に震えている。

 

『それに――』

 

 ごくりと息を呑み、今にも逃げ出したい気持ちに襲われながら、それでも彼は自分の仕事を為した。

 

『魔神種8! い、以上です!』

 

「魔神種が……8、だと!?」

 

 詰め所は驚愕と恐怖に包まれた。

 豪胆なゴルダーウからも笑みが消える。

 エーナですら冷や汗をかき、ただ一人ジルフだけが表情を変えぬまま佇んでいた。

 

 いわゆるSS級魔獣とも称される魔神種は、S級魔獣とは次元の違う力を持つ。

 いずれも単純な戦闘力ではバラギオンを遥かに超え、平均的にはエーナをも優に超える。

 

 つまり、この中で単体で明確に魔人種に勝る者はジルフただ一人という状態であった。

 

 これまでの襲撃とは明らかにレベルの違う攻勢に、いよいよおしまいかと絶望的な空気が漂う。

 ジルフは自身のキャパシティを考慮し、静かに口を開いた。

 

「町を守りながらという条件なら、俺が同時に相手を約束できるのは五体までだ」

「「おお……!」」

 

 一部は懐疑的であるものの、彼の実力をよく知る者からは希望の声が上がる。

 

「あとの三体……俺が五体を仕留める間、持ち堪えられるか?」

「一体だけなら私一人で倒してみせるわ」

 

 エーナは胸を張って答える。

 確かに単純な戦闘力ならば劣るかもしれないが、彼女には【星占い】がある。

 総合的な戦闘能力で負けるつもりはない。

 

「うむ。では残りの二体を我々で……いや、S級魔獣やナイトメアどももおるから、そんなに人数は割けんか」

「それでも……運ぶしかないな。明日という未来を」

 

 配達屋がおいしいところをまとめた。

 

 

 

 町の近くを戦場にするわけにはいかない。

 戦士たちは、恐怖を勇気に変えて自ら平原へ出撃していく。

 

「エーナ。健闘を祈る」

「ジルフこそ。あなたが要なんだからね」

 

 エーナとジルフも分かれて、戦場へ向かう。

 

 向かう途中、彼女はこっそりと今回の戦いの勝敗を占った。

 あの場で占って、周囲の人間を絶望させることがないように。

 

 まあ、勝つか負けるかで言えば、まず勝てるだろう。

 

 だが守れるかといえば……今回ばかりは危ないかもしれないと考えていた。

 最悪、自分とジルフ以外は死ぬことも想定される。

 

 どんなに人らしく振舞おうと思っていても、彼女には常に冷め切った視点が張り付いている。

 シビアに結果が視えてしまうから。

 

 もし負けるのならば、せめてなるべく多くの人を逃がすための方策を。

 

 しかし、返ってきた答えは――。

 

〈エラー。星脈に十分な情報がありません〉

 

「……ふ、ふふ」

 

 エーナは何だか無性に可笑しくなってきた。

 

「あははははははははは!」

 

 ついに人知れず大きな声を上げて笑い始めた。

 もし誰かが見ていたら、彼女は気が触れてしまったというかもしれない。それほどの勢いで。

 

 ――果てしない時間を生きてきて、あれもこれも。

 

 こんなに「わからない」ことだらけなのは初めてだったのだ。

 

 ほとんどの人間は、本能的にわからないことへ恐怖や不安を抱くものだろう。

 だから、不安定を恐れ、明日を恐れ、死を恐れる。

 

 しかしエーナにとっては、すべて逆。

 

「わかってしまう」ことが恐ろしい。

 

 あらかじめすべてがわかってしまうということは、それ以外に可能性がないということ。

 

 何をしても死ねない。

 どれほど手を尽くしても殺せない(救えない)

 どう足掻いても迎えてしまった最悪の結末。

 

 だけど、ユウを知ってからだろうか。

 

 わからなくなり始めた。答えが。

 明らかに【星占い】の精度が落ちている。

 

 運命が揺らいでいる。神さえも知らない世界。

 

 それほどの『事態』が、今この瞬間、起きているのだ。

 

 これから人がたくさん死ぬかもしれないのに。この星どころか、宇宙さえも危ないかもしれないのに。

 

 エーナには、この状況がたまらなく――楽しかった。面白かったのだ。

 

「面白いじゃないの。未来のことは誰にもわからない。それでこそ――やりがいがあるのよ」



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226「ふんばれ! エーナさん 3」

 勝敗を占うことはできなかったものの、【星占い】自体が使えないわけではない。

 普段なら戦闘開始から終了までの完全なシミュレーションを描かせるのであるが、今はエラーを返されるだけだろう。

 エーナは戦闘サポートに的を絞って能力を運用することにした。

 

『占星。アシストを要求。状況から適切な戦闘行動を補助してちょうだい』

 

〈回答。アシスト開始。注意に代わり、警告によりアラーム〉

 

【星占い】による状況解釈と伝達は一切のタイムロスなしに行われ、戦闘において大きな情報アドバンテージを与える。推奨される行動を取り続ければ、ほぼ完封することさえ可能である。

 

 ……もっとも、身体が追いつけばの話であるが。

 

 ウィルのように相手が圧倒的上位者の場合には、状況がわかっていても適切な行動が取れない「詰み」が発生することがある。今回そのようなことにならなければいいが……とエーナは心配するのだった。

 

〈警告。北北東上空より核熱線攻撃。対処。光魔法(ニンシェルド)の展開。想定猶予1.2秒。警告を無視した場合に想定される結果。レジンバーク住民の約九割が焼失〉

 

 初手から致命的攻撃を放ってくるとは容赦がない。

 エーナは戦慄しながらも、両手から魔法を放った。

 

「早速ね! 《ニンシェルド》!」

 

 前方を塞ぐ巨大な光の盾が出現する。

 直後、想定猶予通りのタイミングで熱線が直撃する。

《ニンシェルド》はオーソドックスな光の障壁魔法である。同じ光の障壁魔法である《アールレクト》と違い、魔法を反射する効果はないものの、より強度に優れる。

 それでも町一つ貫くには余りあるほどのエナジーを受け止めるのは辛いものがあり、徐々に盾は削れていく。

 

「きっつ!」

 

 エーナは追加で魔力を絞り出し、盾を強化する。

 押し負けそうになるのを必死で支え、皮一枚まで削られたギリギリのところでようやく熱線が止まった。

 息も絶え絶えになりながら、彼女は攻撃者を見つけて睨みを向けた。

 

「はあ……はあ……。やってくれたわね。あんたは私が殺す!」

 

 熱線を放ったのは、四足歩行の特大魔獣だった。

 体色は赤を基調とし、下腹部は肉厚で丸みを帯びているが、背面には砲塔のような突起が無数についた黒光りする甲羅がついており、まるで陸上戦艦のような様相を呈している。そして頭部には一本の黄金の角が突き立ち、陽光を受けて輝いていた。

 それがレジンバークに向かって、あらゆる障害物を踏み倒しながら悠然と直進していた。

 歩みこそ遅々としているように見えるが、巨体ゆえの錯覚であり、実際はかなりのスピードである。

 

『占星。奴の情報を』

 

〈解釈。名称ヤタ=バ。魔神種の一体。エーナより高い魔力を保有と推定〉

 

「本当に私より上っぽいのね……まあ手応えから何となくわかってたけど」

 

 普通は非戦闘タイプとは言え、フェバルより強い生物なんてそうそういるものではない。特に現地生物に負けることなどほぼ皆無のため、地味に凹むエーナ。

 だがすぐに気を取り直し、勝利に向けての策を考える。

 

「あの分厚そうな皮膚と硬そうな甲羅じゃ、普通に魔法撃っても効かないんでしょうね」

 

〈推奨。一点への集中攻撃〉

 

「そんなことくらいは推奨されなくたってわかるわよ」

 

 エーナは右手に魔力を溜め始めた。確実に一撃で仕留めるために、力の大部分を集中する。そうでなければ敵の魔法耐性を突き破れないと判断した。

 極魔法を十分な威力で使うなら、溜めにかかる時間は一分というところだろうか。

 それまで敵の注意を自分に引き、しかも攻撃をかわしつつ接近する必要がある。

 まず初手として、右手は集中しながら、左手でこけおどしの魔法水魔法を作って敵の顔面に浴びせた。

 ちょっかいをかけられたヤタ=バは怒りの矛先をエーナに向けた。

 

「私の相手をしてもらうわよ」

 

 ヤタ=バの周囲を小虫のように飛び回りながら、徐々に町から引き離す方向へ誘導していく。途中何度も軽い水魔法をぶちあてて怒りを煽った。

 痺れを切らしたヤタ=バは、動きを止めた。

 攻撃を諦めたわけではない。背中の無数の穴が赤く輝いている。

 

〈警告。自動追尾火炎弾三千〉

 

「三千のホーミング弾ですって!? まるっきり兵器じゃないの!」

 

〈対処。発射後の軌道を適時伝達。一つでも直撃した場合に想定される結果。溜めの解除および戦闘継続困難なダメージ。全力で回避すべし〉

 

 ジルフほど圧倒的なパワーを持っていれば、気のオーラによって自身に届く前に魔法を掻き消してしまうという方法もあるのだが、あいにくエーナにそれほどの実力はない。

 ただ、回避に全力と言っても、今は攻撃のため右手に魔力を溜めている。あまり飛行魔法に魔力は割けない。

 中々厳しい条件だが。

 

「やってやろうじゃない」

 

 俄然燃えてきた彼女は、いつでもトップスピードで動けるように身構える。

 

 無数の火炎誘導弾が放たれ、ヤタ=バの周囲を朱く染めた。

 

【星占い】が軌道を推定し、回避ルートを作成する。

 それに従い、エーナは追い縋る誘導弾を首の皮一枚で避け続ける。

 

 ヤタ=バも撃ちっぱなしでは終わらない。さらに追加で三千、ダメ押しに三千の火炎誘導弾を放ち、執拗にエーナを追い詰める。

 エーナの身体能力ではすべてを避けることが難しくなった。そこで、空いている左手で空間魔法を使うことで軌道を反らし、強引に隙間を作って突破する。

 中々命中しないことに業を煮やしたヤタ=バは、黄金の角に魔力を集めた。角の輝き以上に目立つ黄金のオーラが角を覆った。

 

〈警告。光線攻撃。通常の方法では回避不可能。命中した場合に想定される結果。死亡〉

 

 火炎弾の回避だけで手いっぱいになっているエーナに向けて、角の先端から光線が放たれる。

 

 それは音もなく一直線に彼女の全身を貫き――

 

 

「ふっふっふ。間抜けね。どこ狙ってんのよ」

 

 

 ――直撃したはずのエーナの身体は揺らいで消え、その横で彼女は不敵に笑っていた。

 

 こけおどしで撃ちまくっていた水魔法。

 その中に少しずつ、幻惑効果のある魔法を混ぜていた。

 効果はさほど強いものではない。精々少しの間だけ認識をずらす程度。

 だがそのために、ヤタ=バはエーナの位置をわずかに錯覚したのである。

 相手がフェバル級の人間であればまず通用しない戦法であるが、獣だから騙されてくれた。

 

 言葉はわからないが、行動からこけにされたことを理解したヤタ=バは憤慨した。

 全身が異様な熱を発し始め、砲塔に似た突起からは蒸気が噴き出している。

 

〈警告。敵対象を中心に高温ガスを伴う爆発。対処。直ちに距離を取る。想定猶予10.2秒。警告を無視した場合に想定される結果。死亡〉

 

 火炎誘導弾に注意しながら慌てて退避したエーナは、直撃こそしなかったものの、爆風に煽られて吹き飛ばされた。

 

「きゃああっ!」

 

 高温の粉塵が巻き上がる。

 あまりの高熱に、ヤタ=バの周囲の地面は同心円状の溶岩領域と化していた。

 

「滅茶苦茶してくれるわね! もうっ!」

 

 髪も呼吸も大きく乱した彼女は、しかし辛うじて魔法の集中を保っていた。

 魔法のチャージ完了まであと少しである。決めるためにはなるべく接近する必要がある。

 

《ウェターパテル》

 

 高温環境に耐えるため、彼女は左手で水のバリアを施す。

 空を飛んで再度接近し始めたエーナに、ヤタ=バも迎撃体勢を整える。

 ヤタ=バは口を大きく開けた。口の奥で核融合の熱が滾っている。

 最初に撃った熱線を、今度は彼女一人に向けて放つつもりなのだ。

 だが、エーナは鼻で笑った。

 

「撃ち合いなんてしないわよ。必要ないのに正面から付き合うなんて、馬鹿のすることじゃないの」

 

 先ほどは軌道上にレジンバークがあったから必死に防御したのだ。

 現在の位置関係は、エーナは町を挟んで向かい側。避けたとしても別段被害はない。

 

 知恵ある人間と破壊本能に従う魔獣の差が、明暗を分けた。

 

 熱線を悠々とかわし、ここぞとばかりエーナは飛行を加速させる。

 攻撃分以外の魔力をすべて使い切る勢いだ。今距離を詰めなければ負けると、【星占い】に告げられるまでもなく彼女は理解していた。

 ついに彼女はヤタ=バの目と鼻の先にまで迫った。

 極限に高まっている彼女の魔力に対し、本能的に身の危険を感じたのか、ヤタ=バは首を甲羅に引っ込めて防御態勢を取る。

 

 エーナは悪役のようなほくそ笑みを浮かべて宣言した。

 

「お前はもう詰んでいるのよ。死になさい」

 

 光放つ右手を指先までピンと伸ばし、まるで槍を構えるかのように引く。

 

 かつて栄えた惑星エーナが誇っていた攻殻魔法隊――近宙最強と言われた彼らの秘奥として代々磨き上げ続けられてきた……今は彼女の記憶にのみ残る魔法の一つを――放った。

 

《エーナ流攻殻魔法参式――千一夜攻槍殻》

 

 槍を撃ち出すように突き出した右手から放たれたのは、最強の魔力要素である星光素で構成されているということ以外は一見何の変哲もない、一筋の白い光であった。

 だが、その先端が身を固めるヤタ=バの背甲に命中したとき――

 

 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド――

 

 際限ない轟音がヤタ=バの防御を穿つ。

 恐るべきことに、一筋のように見えた光は、隙間のないほどに密集した無属性攻撃魔法の超長列である。

 一音毎に一発の魔法が命中しているのだった。

 元は攻城を目的として生み出されたその魔法は、脳筋としか言えない悪魔のコンセプトに則り開発され、洗練されていった。

 そのコンセプトとは、必ず守りを突破するまで、ただひたすら一点を抉る。とにかく抉る。抉り続けること。

 あまりの持続力に千一夜続くとまで比喩された攻槍の嵐が、間断なくヤタ=バの甲羅を攻め立てる。

 

 億千万の槍とたった一つの盾の激突は、果たして槍に軍配が上がった。

 

 甲羅の一点に亀裂が走る。

 一度綻びが生じてしまえば、後は脆かった。

 

 小さく悲鳴を上げたのが、ヤタ=バの最期だった。

 

 甲羅を貫通した魔力は、ヤタ=バの内部で暴れ回る。臓物を容赦なくミキサーし、絶命たらしめた。

 やがて内部を蹂躙し尽くした白槍刃は、背後から飛び出した。なおも威力は留まることを知らず、山の巨体を串刺しにして、高々と空へ打ち上げていった。

 

 代償として魔力のほぼすべてを使い切ったエーナは、肩で息をしながら、ひとまずノルマを果たしたことに安堵した。

 

「……誇りに思うことね。私にここまでさせたのは二千年ぶりくらいよ」

 

 エーナ流攻殻魔法は、惑星に名を冠する高等魔法体系として、数多の外敵を打ち滅ぼした輝かしい実績を持つと同時に……最も多くの身内を殺した魔法である。

 彼女は、人間相手にそれを使うことは決してないだろう。



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227「伝説の超お姉さん」

 魔人種に対してほぼ傷もなく完勝したエーナであるが、魔力はほぼ使い切ってしまったため、見た目ほどの余裕はない。

 魔力無しでは精々並みのS級魔獣を殴り殺すことが関の山(それでも現地人にとっては大戦力なのであるが)なので、彼女は無理をせず冒険者やありのまま団に混じって雑魚を散らすことにした。

 その頃、ジルフは魔人種五体に対して終始危なげない立ち回りを演じ、ちょうど三体目を一刀の下に斬り伏せているところだった。

 

「おーやってるやってる。さすがジルフね」

 

 エーナは自分と戦闘タイプの差をはっきりと感じつつ、心強い味方に安心感を覚える。

 見たところ彼は技の一つも使っている様子はなく、基本技能だけで撃破しているようだ。

 彼なりの配慮である。もし彼が周りの被害をまったく考えなくて良いのならば、五体と言わず八体すべて同時に相手をして、既にケリはついているはずだ。

 一方で、残りの二体と現地人の戦闘の進行は芳しくない。命がけで二体の注意を引き付けているのは、ありのまま団長ゴルダーウ、S級配達員セナ、快鬼アルバス、魔聖ケーナなどのトップメンバーである。

 素の能力では彼らでさえ一分足らずで屠られるはずだが、S級、A級冒険者とありのまま団幹部が中心となり、集団魔法によって彼らを強化支援しているおかげで、危ないところで均衡は保っている。

 だが傍目にも押されていることは明らかであり、いずれ均衡は破られる。

 それまでにジルフが間に合うかどうかだが……あと二分はかかるだろう。超人クラスの戦いにおいて、二分というのはとてつもなく長い。

 魔力の切れたエーナではかえって足手まといになる恐れがあったので、彼女は歯がゆい思いをしながら自分の仕事をこなすしかなかった。

 

 均衡が崩れたのは、おおよそ一分が過ぎる辺りだった。

 現地人たちが相手している魔神種の二体のうちの一体――『獄神犬』ゾアケルベロスが突如として咆哮を上げ、怯みによって一時的に強化支援が途切れてしまったのだ。

 そこを狙って、もう一体の『死のガス状生命体』ルモリスが即死効果のあるガスをばら撒く。

 効果はてき面だった。

 ルモリスに近い者から死のガスに触れる。触れた瞬間、全身が一瞬にして焼けただれ、骨も残らず溶けて消えていく。

 

 果敢にも敵に最も接近していた快鬼アルバスと魔聖ケーナは、初動で逃げ遅れてしまった。

 死を覚悟した二人は、思い思いに呟く。

 

「もう一度、レオンやユウと手合わせしたかったぜ」

「後は任せたわよ。みんな」

 

 二人の勇敢な戦士が、この世から消えた。

 

 そして集団はパニックに陥っていた。

 幸いにも即死を免れる距離にあったゴルダーウは、全声力で叫ぶ。

 

「退避だ! 退避ィーーーーーッ! 退いて体勢を整えろッ! 統率を乱すなッ!」

 

 パニック状態にあった集団は、彼の一括によって集団としての意志を取り戻す。

 とは言え、それで死の攻撃が迫って来る事実に変わりはない。最接近していたトップメンバーの二割は既に呑み込まれ死亡していた。

 さらに深刻なことに、トップメンバーを支援していた中上位メンバーは、元々の身体能力が比較して低いことと、支援のため固まっていたこともあり、明らかに逃げ遅れていた。

 支援魔法が使える者たちが壊滅すれば、たとえこの場を凌げたとしても明日を戦っていくことなど不可能。

 誰かが助けなければならないが、誰もが逃げるだけで精一杯でそんな余裕などない。

 

 この惨状を一人眺めていた配達員セナは瞑目すると、覚悟を決めた。

 

「ここまでか」

 

 逃げられたはずの彼は《縮地》を駆使すると、逃げ遅れた集団の前に立ち塞がり、死のガスを前に最後の配達を行う。

 

《アルティメットパッケージ》

 

 すると、周囲の死のガスはすべて彼自身の側に集まり始めた。

 彼の掌に生じた亜空間に吸い寄せられているのだ。彼の得意とする《収納魔法》の効果だった。

 これと《縮地》により、どんな重い荷物であってもものともせず彼は運び続けてきたのだ。

 だがそれを使うということは、直撃ではないとは言え、最も近くでガスの影響を受け続けるということ。

 皮膚はただれ、血を吐き、傍目には誰が見ても彼は助からない状態になった。

 それでも彼は決して魔法を止めることはしなかった。

 

「「配達屋ッ!」」

 

 誰かが悲痛な思いで叫ぶ。

 彼の人となりはまったく謎であり、誰にもわからない。彼には知人や友達というものはいないだろう。

 だが彼の誠実な仕事ぶりと、寡黙ながらユニークなキャラクターを愛する町民は多かったのだ。

 セナは彼らに振り返ると、あえて余裕の笑みを浮かべて言った。

 

「次の仕事の時間だ。失礼する」

 

 仕上げにと魔法の出力を上げ、一気に死のガスを取り込み切ると、彼は《転移魔法》によって姿を消した。

 運びのエンターテイナーは、最期の姿を誰にも見せないことで、一切の謎を残したまま生涯を終えた。

 

「あの野郎……! かっこつけやがって……」

 

 こうして、一人の男の尊い犠牲により、ルモリスのガス攻撃による死者はトップメンバーの二割のみに留まった。

 

 だが、ピンチは終わらない。

 

 恐ろしいことに、現地人に大損害をもたらした攻撃も、魔神種にとっては一度きりの切り札ではなく、何度も使える強攻撃の類に過ぎないのである。

 ルモリスと入れ替わるように、ゾアケルベロスは次の攻撃を繰り出していた。

 

〈警告。冥獄火炎。レジンバークに直撃した場合に想定される結果。レジンバーク住民五割の焼失。対処――現状勢力では不可能〉

 

「そんな……!」

 

 エーナは、先ほどから冷酷に告げられる警告という名の「詰み」に抗えずにいた。

 ジルフも二体同時攻撃を捌いているところで、とても手を出せる状態ではない。現地人たちもまだ体勢を立て直してはいないのだ。

 そして彼女の掌からは絞りカスのような魔法しか出ない。普段は力があり過ぎることを疎む彼女も、このときばかりは無力を嘆いていた。

 

 無情にも、ゾアケルベロスの三つの首からそれぞれ放たれた冥獄火球は、寸分の狂いもなくレジンバークに向かって飛んでいく。

 

 このままでは――町が――

 

 誰もが絶望した、そのとき――

 

 

 

 突如として虚空が裂け、光の柱が立ち上った。

 

 

 

 光の柱は、ちょうど町と火球の間に立ち塞がるような位置に現れた。

 それに火球がぶつかる。

 

 人々は、信じられない奇跡を見た。

 

 まるでそれに弾き返されるように、三つの火球がそれぞれ正反対の方向へ――火球を吐いたゾアケルベロスへ向かって飛んでいくのを。

 予想もしていなかった事態に、ゾアケルベロスは避けることもままならず、自分の攻撃を三つの顔面に喰らった。自分の攻撃でやられることこそないものの、少しの間怯む。

 

 そして光が消えたとき、誰かが現れた。

 

 いや――誰かではない。

 

「おい、あの人は……!」

「まさか……!」

 

 誰もがその人を知っていた。

 誰もが彼女を知っていた。

 普段は大人しいように見えて、お祭り騒ぎのときは決まって一番目立つ彼女。

 まるで内に秘めた情熱を示す太陽のような赤髪は、遠目からでも際立っていた。

 

「人が呼ぶところ、私は現れる」

 

 彼女は大見得を切って叫ぶ。

 エアマイクパフォーマンスで。わざわざ拡声魔法を駆使して。

 

「時には受付のお姉さん、時にはギルドマスター、時にはコンテストの実況司会、時には一介の冒険者、時には10000ジット札の顔、時にはアイドルの追っかけ、時にはラナ教主、時にはゲーム開発者――しかしてその正体はッ! やっぱり受付のお姉さん!」

 

 受付のお姉さんは、拳を高々と突き上げてシャウトした。

 

「私は来たッ! みんなの生きたいと願う声に! みんなの助けを呼ぶ声に! 闇の底から帰って来たぞ! アイカムバックッ!」

 

「う……」

 

「「うおおおおおおおおおおーーーーーーー! 受付のお姉さんーーーーっ!」」

 

 明らかに空気が変わった。

 絶望と死に満ちた戦場を、いつものお祭り騒ぎに変えてしまった。たった一人で。

 

「あの女ァ」

「しぶとく生きてやがったか」

 

 ゴルダーウとカーニンが口々に安堵の言葉を口にする。

 避難誘導の末、アルトサイドに落ちてしまった彼女であるが、闇に呑み込まれることなく自力で帰ってきたのである。

 

 気に食わないのは魔神種の二体である。憎い人間を根絶やしにできるかと思ったら、よくわからないやつに邪魔をされた。

 こいつから亡き者にしてくれようと、動き出そうとして――

 

「ちょっと待て。人が話をしてるでしょうが」

 

 底冷えするような笑顔で、受付のお姉さんは言った。

 何か本能的に危ないものを感じ取ったのか、二体は身を竦めて立ち止まる。

 二体が止まったのを満足に頷いてから、彼女は一瞬で全員の方に詰め寄る。

 近付き、よく見えるようになったみんなの顔を見渡しながら、彼女は問いかけた。

 

「みんな、盛り上がってるかーい?」

「「Yeeeaaaaaaahhhhhh!」」

「うーん。いい返事だ! さーて、今日は大事な大事な防衛戦! もちろん私も気合い入れて来ましたよ!」

「わあああああああ!」「お姉さーん!」

「ふっふ。いつもは陰に徹し、みんなをもっともーっと盛り上げるのが私の役目なんですけどね」

 

 陰に徹せてないだろという突っ込みはともかく。

 不意に笑顔を止め、死屍累々たる戦場を眺めて、彼女は明らかに不機嫌な、そして哀しげな顔を見せた。

 

「お姉さんね。今日はちょっと虫の居所が悪いからね」

 

 拳をぽきぽき鳴らしながら、お姉さんはまた笑顔に戻って言った。

 

「今・回・は・特・別・に! 実況・解説・プレイヤーわたくしでお送りしたいと思いますーーーーっ!」

 

「うおおおおおーーー!」

「いいぞお!」

「さすが姉さん!」

「姐さんッ!」

「やってやれ!」

「みんなの仇をッ!」

 

 受付のお姉さん直々のお仕置き宣言に、聴衆は否応なしに盛り上がる。

「受付のお姉さん最強説」は、風の噂でまことしやかに語られるものだった。

 幻の伝説でしかなかった彼女の戦いを、ついにこの目で見られるのだ。

 それも、このレジンバークを守るという大一番で。

 彼女は、左手はぶいぶい言わせながら、右手はずっとエアマイクパフォーマンスを続けている。

 

「さあさあ! 本日のメインイベント! 相対するは伝説の魔神種! あの泣く子も黙るゾアケルベロスとルモリスの二体同時だ! 対するお姉さんに秘策はあるのかーーッ!?」

 

 受付のお姉さんはニヤリと笑い、左拳を握った。

 

「おーっと! 拳だ!? 拳だけで戦おうとしている!? これは無茶というやつではないでしょうか? 本当に勝てるのか!? その自信は一体何なんだ!? 果たして私は伝説の怪物相手にレジンバークを守り切ることができるのかーーッ?」

 

 エーナはぽかんとしながら受付のお姉さんの一人芝居を眺めていた。

【星占い】で彼女のことを調べようにも、今後の戦闘を占おうにも。

 

〈エラー。星脈に一切情報がありません〉

〈エラー。何もわかりません〉

 

 一切、何もときたものだ。意味がわからない。

 すっかりお姉さん空間と化したレジンバーク北の平原であるが、さすがに魔神種は空気を読んで引いてくれるような相手ではない。

 ルモリスが死のガス弾を撃ち出し、ゾアケルベロスが冥獄火炎を連続で吐く。特大の攻撃が数十も同時に襲う。

 位置関係は最悪だ。一つでも避ければ、レジンバークは死の町となるだろう。

 

「迫る! 恐ろしい攻撃が迫ってくる! 私はどうする!?」

 

 しかし彼女は、完璧にタイミングを見極め、すべてをパリィしてあらぬ方向に弾き飛ばしてしまった。右手はエアマイクパフォーマンスを続けているので、左拳の一つでである。

 左拳はいつの間にか虹色に輝いていた。

 

「効いていない! しかしまったく効いていません! 余裕です! お姉さん余裕です! どうしたガスおばけ! どうしたイヌッころ! フーフー息や火を吹くだけが特技なのか!?」

 

 そう言った直後、呆れるような速さで接近し――

 

「魔神種が聞いて呆れる! 動きが止まってみえるぞーー!?」

 

 二体のうちの一体、ゾアケルベロスの首の真下に位置つけると、

 

 ドッゴンッ!

 

「いったあああああああーーーーーー! 痛烈な一撃ーーーーッ!」

 

 およそ拳とは思えない爆音を打ち鳴らして、ゾアケルベロスの巨体は高々と空へ打ち上げられた。

 もちろん一撃などでは終わらない。

 

 ドッゴンッ! ベゴッ! バッゴンッ!

 

「いった! いった! 私がいった! 私がいったっ! 私がいったああああああーーーーーっ!」

 

 完全に打ち上がる前に上に回り込んで打ち下ろし、地面に着く前に下に回り込んで打ち上げながら、受付のお姉さんは快調にエアマイクで叫ぶ。

 聞いているだけで痛々しい音が、何度も何度も獄犬神を打ちのめす。

 凄まじく重い連撃に、獄犬神はきゃいんきゃいん、とまるで子犬が鳴くような声で喚いている。

 

「すげえ……」

「なんて戦いなんだ……!」

「俺たちは今、神話の戦いを見ているのか……?」

 

 全員が熱い眼差しでお姉さんの雄姿を追っていた。

 

「何よあれ。セオリーも何もあったもんじゃない。滅茶苦茶じゃないの……」

 

 あまりに一方的な展開に、エーナは目を丸くして立ち尽くしていた。変な笑いが出て来た。

 フェバル級の戦闘では当たり前の――相手の意識やオーラが弱い場所を攻めるというセオリーがない。

 事実、戦い方は誰が見てもまったく洗練されているものではなかった。

 わざわざ実況縛りを付け、ほとんど力任せにぶん殴るだけ。

 それでも強い。

 ただただ不合理。勢いと力任せに理不尽そのものを叩きつけている。ある意味でフェバルよりもフェバルらしい戦いだ。

  自分にあのような真似ができるだろうか。絶対にできないと自信を持ってエーナには言えた。

 

「やるなあ」

 

 受付のお姉さんが暴れまくる裏で、さりげなくきっちり五体目を仕留めたジルフも、興味深く戦いを観戦していた。

 

「とどめぇ!」

「ガァフッ!?」

 

 最後に一発。三つの首すべて鼻の頭から潰す痛烈な蹴りがクリーンヒットし――

 

 キラーン。

 

 ゾアケルベロスは星になって消えた。

 生死はわからないが、生きていたとしてももう二度と戦える身体ではないだろう。

 

 一体を軽々とぶちのめした受付のお姉さんは、改めて残りの一体ルモリスに目を向けた。

 

「行儀の悪いイヌッころはきっちりしつけましたが! さあ、このガスおばけはどうしてくれようか! 数々の戦士たちの命を奪った罪! 決して許されるものではありませんっ!」

 

 そうだそうだの合唱を受けながら、彼女は超速でルモリスに迫る。

 ルモリスも必殺のガス攻撃で応対するが、なぜか彼女は拳を振るうだけでことごとく弾き飛ばしてしまうのだった。

 当たりさえすれば確実に死至らしめるという前提があって、初めてガス攻撃は脅威となる。その前提を根底から弾き飛ばす受付のお姉さんには、ルモリスの相性は最悪だった。

 ルモリスの目と鼻の先まで接近した彼女は、懐から何かを取り出す。

 

「ここで私が取り出したるは! あーっ! それを出すのか! そいつを出してしまうのか!?」

 

「なんだ?」

「何を出すつもりなんだ!?」

 

 彼女が取り出したのは、一見何の変哲もない受付台帳だった。

 ただ……真っ黒であることを除いては。

 彼女はわざとらしく、そして高らかに宣言する。

 

「あーっと! 出した! 出してしまった! 今この瞬間、量刑は確定した!」

 

暗黒受付台帳(ブラックリスト)!》

 

 彼女は真っ黒な台帳を放り、面の方をルモリスに向けて、裏表紙に手をバンと押し当てた。

 すると、台帳から黒い波動が放たれた。

 波動は極めて薄く、四角い紙そのものの形を取っている。

 最初は台帳の大きさだったものが、ルモリスに到達するまでには、ルモリスを覆うほどの大きさになっていく。

 そして、ルモリスがまったく反応できないほどに速い攻撃だった。

 黒い波動がルモリスに触れたとき、ルモリスは初めて異変を理解する。

 

 己の身体が波動に貼り付けられ、薄く引き伸ばされていることに。

 まるで植物のしおりを作るように。それは容易く遂行された。

 

 最期、ルモリスは空中に巨大な魔物図鑑の一枚絵を描いて絶命した。

 

 

 さすがに消耗が激しかったのか、一瞬だけ素に戻ってふうと息を吐いた受付のお姉さんには色濃い疲労があった。しかし弱い姿は見せられないと、再び明るく声を張り上げた。

 

「決着ーーーーッ! どうだ! みんなの仇は取ったぞーーーッ!」

 

「やった!」

「助かった!」

「これでセナの兄貴も……」

「快鬼や魔聖も浮かばれるってもんだぜ」

「ヒーローの胴上げだああああーーーっ!」

 

「「お姉さん! お姉さん! お姉さん! お姉さん!」」

 

 絶体絶命の淵から今日も生き残った。勝利を喜び、英雄を高々と持ち上げた。

 

 

 

「気持ちもわかるが、こっちの相手もしろよ……。一応S級とか大型ナイトメアなんだぞ」

「私も手伝うわ。レジンバークの連中って、ああなるとずっとああだし」

 

 二年ほどの付き合いで彼らの特性がわかっているジルフとエーナは、少々ぼやきながら、地味にまともな連中を指示しつつ、地味に雑魚を殲滅していった。

 

 受付のお姉さんの復帰により、レジンバークは最大の危機を乗り越え、小康状態を維持していくのだった。



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228「【神の器】と【運命】の戦い 1」

 J.C.さんと別れてから、私は延々と闇の化け物と追いかけっこを続けていた。

 お腹が減らないことと眠くならないことがなければ、とっくにやられてしまっていただろう。

 時に光魔法で打ち倒し、時に逃げて魔力の回復を図りながら、できるだけ長く耐えられるように立ち回り続けている。

 それでも回復と消耗を比較すれば、どうしても消耗の方が大きくて、私は段々辛くなってきていた。

 それに……心細い。

 闇ばかりの世界で、出会うのは敵だけ。

 散々ユウのことからかってきたけど、やっぱり私も根っこは同じみたい。

 みんなが側にいないことが、ユウの心の声が聞こえないことが、こんなに寂しいなんて。

 けど負けられない。何度も折れそうになる心を奮い立たせる。

 

「私は……生きるんだ! もう一度ユウに会うんだ!」

 

 もう残り少なくなった魔力を振り絞るようにして、襲い来る化け物の一体を消滅させる。

 

「うっ」

 

 疲労から身体がよろめいた。一瞬の隙を逃さず、別の異形がぶよぶよした触手のような腕で私の腹を殴る。

 

「あぅっ……!」

 

 平らな地面を転がった私は、衝撃で息ができず、動くこともままならない。

 化け物が牙を剥き出しにして私に迫る。

 まずい。このままじゃ……!

 動け! 私の身体。動いて!

 震える手で指の一本を立て、痛みを堪えながら魔力を指先に集める。

 来い。私に牙を突き立てようとしたところを撃ち抜いてやる……!

 決死の覚悟で身構えていると。

 

 

「自分から一人になるとは。すぐ無茶をしてくれるな。お前は」

 

 

 聞き慣れた声がして、次の瞬間には辺りの化け物はすべて切り刻まれていた。

 

「大丈夫か」

 

 倒れた私に手を差し伸べる男の姿は、私の半身そのものだった。

 

 ユウ……!?

 

 ――違う。姿形は同じでも、この人は……。

 

「あなたは……」

 

 周囲の闇よりも濃い黒いオーラ。

 私はラナソールに来てから、ずっとこの人の存在を感じていた。

 恐ろしい力。得体の知れない力。

 ユウだけどユウじゃない。もう一人の「ユウ」というべき存在。

 だけど私を助け起こそうとする彼に、悪意のようなものは感じなかった。

 私は素直に手を取り、助けてくれたことについては礼を述べた。 

 

「運が良かったな。俺よりもアルが近ければ、今度こそ殺されていたところだ」

 

 素気無くそう言った「ユウ」は、妙にばつが悪そうだった。まるで私と出会うつもりはなかったとでも言いたげだ。

 

「アルって誰のこと?」

「お前を殺そうとした男だ。表面上はウィルにやらせたがな。お前なら言いたいことはわかるだろう?」

「あ……」

 

 あのとき、私の胸を貫いた彼から感じた底なしの悪意。

 元々悪意の強い彼ではあったが、それでもまだ話はできる相手ではあった。

 あのときは何を置いても殺す――明らかに常軌を逸した殺意だった。

 思い出すだけで身がすくむ。

 

「その……アルってやつは、今どうして……」

「ウィルから分離してこのアルトサイドのどこかに潜み、自身の完全復活と――お前の抹殺を目論んでいる」

「私の、抹殺……」

 

 言われてぞっとする。あの底なしの殺意がずっと私を付け狙っているなんて。

 

「ユウはフェバルだから完全には殺せないが、【神の器】の創造物であるお前なら完全に殺すことができるからな」

「でも、どうして私なんか」

「お前は自分の価値をわかっていないようだな。仕方ないとは言え、ウィルに嫌われるわけだ」

 

 私を疎ましそうに見つめて、「ユウ」は深い溜息を吐いた。その瞳はまるでウィルのように深く――曇りなき闇で塗り潰されている。

 でも瞳から受ける印象よりも、この男の本質は優しいのではないかと思われた。

「ユウ」は傷付いた私を見かねたのか、無言で回復を施してくれたから。

 

「あ、ありがとうございます」

「……色々と聞きたいことがあるんだろう? ついて来い。歩きながら話をしてやる」

「はい」

「――大きくなったな」

 

 彼が私を見て小さく呟いた意味は、よくわからなかった。

 

 

 

 闇の異形はナイトメアと言うらしい。

 道中、あれほど私に群がってきたナイトメアは、「ユウ」と行動を共にするようになってから一体も現れなくなった。殺気を放ち続ける彼に恐れをなして近寄ろうとしないのだ。

 約束通り、彼は歩きながら話をしてくれた。

 

「ユイ。お前は【神の器】がどのようなものだと理解している」

「えっと。心を司る能力であり、あらゆるものを記憶・利用できるストレージのようなものだと理解してるけど」

「遠くはないが、もう少し踏み込んだ話をしよう」

 

「ユウ」は足を止めて言った。

 

「一言で言ってしまえば、【神の器】とは星脈のコピーだ」

「星脈の……コピー!?」

 

 とんでもなく大きなものが出て来て、私は目を丸くする。

 

「星脈とは全宇宙のあらゆる情報を内包するシステムであり、ある意味で宇宙そのものとさえ呼べるもの。そして【神の器】はお前が理解している通り、ただのコピーではない」

「ユウの心のあり方が強く反映されている……」

「そうだ。元の宇宙の単なるコピーではない、言わば『ユウ自身の別宇宙』……【神の器】とはよく言ったものだな」

「私たち、そんなとんでもない能力を……」

「フェバルでありながら、フェバルがフェバルたる源泉と同質のものを内包したポテンシャルの塊。ただ一人にして全宇宙にも比肩する可能性を持つ者。それがお前たち――星海 ユウという存在だ」

 

『心の世界』は果てしないと思っていたけれど、そこまでとてつもないスケールの能力だとは思わなかった。

 驚いた。そして妙に納得した。

 今まで散々能力には振り回されてきたけれど、当然だろう。宇宙なんて途方もないものを個人が扱えるはずがない。

 完全に使いこなせるならば……神にも近しい力を持つということだから。

 

「もっとも、そのことを理解する前に、殺意で器を塗り潰してしまった愚か者もいるがな」

 

 そう言った「ユウ」は、明らかに自嘲していた。

「ユウ」がどうしてユウの姿形をしているのか、なぜすべてを知ったような顔をしているのかはわからない。

 ただ……わからないけど、もしかしたら。

 この人の持つ圧倒的な力は……この人が持っていたすべての可能性を、力のみに注ぎ込んで得たものなのかもしれない。

 そして、そうしてしまったことをこの人は強く後悔しているように思えた。

 

「やはり心の読めるお前にはわかってしまうか」

「何となく、ですけどね」

「……そうだな。俺はとにかく力を求めた。憎悪や殺意、そうした強い感情で心を染めてしまうことが手っ取り早い方法だった。そうすることで器の指向は単純になり、俺個人でも十分に制御できるものになった」

 

 だが、と。彼は後悔を隠さずに続ける。

 

「代わりに大切なものをたくさん捨ててしまった。よく覚えておけ。心を閉ざし――可能性を閉ざして得た力は、ただ強いだけだ。あらゆる敵を殺すことはできても、本当に大切なものは何一つ守れない……そういう風に世界はできているのさ」

 

 最後、どうしても認めたくないような悔しさを滲ませて、彼は言った。

 

「……あなたは、守れなかったんですね。それを後悔しているんですね」

「…………」

 

 無言の肯定だった。

 

「私たちなら、あなたにできなかったことができると。そう考えているんですか?」

「さてどうだろうな。それはこれから次第だな」

「……あなたは、私たちに何を求めているの? 何を期待しているの?」

 

「――【運命】を」

 

 その言葉を発したとき、「ユウ」は恐るべき憎悪を見せた。

 彼が見た目ほど怖くないことを理解していた私が、心底震え上がってしまうくらいに。

 

「う、ん、めい、って……?」

 

 過呼吸気味になりながら、辛うじて尋ねる。

 そんな漠然としたもの、どうしろって言うのか。

 

「……そうだな。いい加減俺の正体も気になるだろう。少しばかり、昔の話をしようか」

 

 彼は申し訳ないと思ったのか、私が落ち着くまで待ってくれた。

 そして落ち着くのを見計らってから、突然、淡々と数字を述べ立てた。

 まるで感情のないロボットのように。

 

「897932384626433832795028841971693993751058209749445923078164062862089」

「えっ?」

 

 急にどうしたの。

 ぽかんとしていると、彼は感情を殺したまま続けた。

 

「俺が生まれてからアルと――奴らと戦い続けてきた回数だ」

「そんなに途方もない回数戦っているんですか!?」

 

 多過ぎて逆に実感がわかない。

「ユウ」は静かに頷くと、衝撃的な言葉を告げた。

 

 

 

「そしてそれと同じ数だけ――宇宙は繰り返している」

 

 

 

「は……!?」

 

 

 

 宇宙が、繰り返している!?



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229「【神の器】と【運命】の戦い 2」

「その数から一回を引いただけ……俺は負け続けてきた」

「え、ちょ、ちょっと! 待ってください!」

 

 いきなりそんなこと言われても! 当たり前のように続けられてもっ!

 

「待たない。戸惑うだろうが事実だ。お前たちは覚えていないだろうがな」

 

 フェバルが普通に死ねないことをトーマスに告げられたとき以来の衝撃だ。

 だからこの人は……「ユウ」は、すべてを知っているというの?

 衝撃冷めやらぬまま、彼はすらすらと続ける。無力感を漂わせながら。

 

「繰り返し……繰り返しなんだ。細かいイレギュラーはあるものの、おおよそ宇宙が始まってから終わるまでのすべての出来事は、決まった順番で決まったタイミングで発生する。そのようにこの宇宙はできている――【運命】は確定している」

 

 無知な私に言い聞かせるように。ただ一人彼だけが体験した事実を分かち合いたいかのように。

 

「この宇宙のすべての生物は、生まれるべくして生まれ、死ぬべくして死ぬ。自由意志などまやかしに過ぎない」

「うそ。そんなことって……!」

 

 突き放すように「ユウ」は続ける。

 

「あらゆるフェバルはなるべくしてそうなる。必ず深い業を背負い、心が擦り減って星脈に取り込まれるまで、果てしない旅をさせられる。『死んで』星脈に取り込まれれば、身動き一つできないまま、救われない意識だけが浮かぶ。そして宇宙が終わるそのときまで、延々と悪夢を見続けることになる」

 

 そして。「ユウ」は氷の表情で告げた。

 

「宇宙の終わりでさえも終わりではない。次の旅、同じ苦しみの始まりだ。だから……お前たちの旅は決して終わることがない。しかも、何ら新しい意味を付け加えることもできない」

「そ、んな……」

 

 フェバルが普通に死ねないと聞いたとき。私たちは心の底から絶望した。

 それでもいつかは遠い未来に終わると、そう信じて。長い長い旅を続ける覚悟を決めていたのに。二人で楽しむつもりでやってきたのに。

 ひどいよ……!

 何の意味もないなんて。全部決まっているだなんて。

 あまりにも。あまりにも救いがない!

 

「そうだ。どこにも救いはない。いつまでも繰り返し繰り返し、同じ運命を永遠に彷徨い続ける。……フェバルは苦しみが長い分だけ、辛いだろうな」

 

 一番の当事者のはずなのに、他人事のように言ってのけた「ユウ」は、同じユウとは思えないほど醒めていた。

 ユウだけどユウじゃない。これほどわかってしまう瞬間もない。

 まったく違う経験をしてきたから。あまりにも厳し過ぎる道を歩み続けてきたから。

 なんて壮絶で、辛い人生なのだろう。

「ユウ」はわかりやすく顔をしかめる。わかったような気になるなと嗜められているようだった。

 

「同情してくれるようだがな。俺を除けば、最も長く苦しいのはお前たちだぞ。ユイ。まさか自分の能力を忘れたわけじゃないよな」

 

 言われて、はっとなる。

 

「【神の器】は星脈のコピー。お前たちの心には、常に星脈の修復効果がかかっている」

「あ、ああ……!」

 

 つまり。

 

「お前たちの心は決して擦り減ることがない。それこそ、俺がこんな時の果てまで人としての精神を維持したまま生き伸びてしまった理由であり、お前たちが死ねない理由なんだ。最も高いポテンシャルを秘めた能力は――裏返せば、最も強力な呪いなんだよ」

 

 呪い。

 最近はあまり意識しないようにしていた事実を、改めて突きつけられる。

 

「このままいけば、お前たちは、これまでのユウと同じように――宇宙の終わりを見届けることになるだろう。すべての星が滅び、あらゆる生命が滅び、宇宙が一点に潰れる――ビッグクランチに呑み込まれるそのときまで」

 

 恐ろしい。なんて恐ろしい話なの。

 人を失うことをあれほど恐れているユウが、すべてが滅びていく様を見届けなければならないなんて。

 私だって嫌だよ……。そんなこと!

 

「信じたくないという顔をしているな? 俺が一つも嘘を吐いていないことは、心を読めばわかるだろう?」

「でも……でも……!」

 

 わかってしまう。でもそんなことは信じたくない! だって。だって!

 

「気持ちはわかるけどな……。お前にもわかる証拠を教えてやろう」

 

「ユウ」は、一つ指を立てた。

 

「エーナの【星占い】」

「……っ!」

 

 まさか。まさか……!

 

「あれはな。占い事や予知の能力なんかじゃないんだ。そんな素敵なものじゃない。星脈に記録された宇宙で起こるはずのすべてのイベントを、ただ適度に精度を落として読み取りに行ってるだけさ」

「それじゃあ、あの人がやっていることって……!」

「……フェバルになる者は必ずなると決まっているから、絶対に殺せない。いくら彼女が人殺しとしては無能でも、誰一人として殺せないことをおかしいと思わなかったのか?」

 

 私は泣き崩れそうだった。エーナさんがあまりにも可哀想で。

 そんなことをしている場合じゃないという認識だけが、辛うじて私を支えていた。

 

「言わないと思うが……本人には決して言うんじゃないぞ。あいつは薄々気付いているが、はっきり告げれば絶望して狂ってしまうからな」

「まさか……言ったことがあるの?」

「遠い昔……一度だけな」

 

 遠い目をした彼は、強く後悔しているように見えた。だから責めることはしなかった。

 

 けど……。この人は、どうしてこんなことを教えてきたのだろう。

 ただ私たちを絶望させるためだけに、こんな話をしたのだろうか。

「ユウ」の目をじっと見つめる。

 外見は、底なしの闇を湛えている。人としての温かさを一切失ってしまったかのような絶対零度の瞳。

 でも……違う。この人は……。

 それに気付いた私は、あのときのユウのように泣き喚くだけのことはしなかった。

 

「じゃあ……あなたは? あなたは何なの? あなたの意志さえも、すべて決まったことだと言うの?」

 

「ユウ」は静かに首を横に振り、否定する。

 

「……俺はたった一人のイレギュラーだった。俺はすべての真実を知った。だから……許せなかった。宇宙の壁を乗り越えて、どんなに時間をかけても、必ず復讐してやると誓った。俺の運命を滅茶苦茶にしてくれた奴らに」

「あなた……」

「でもな。俺では無理だった。俺の力の使い方では……。気付いたときには遅かった。ダメだとわかっていたが……やめるわけにはいかなかった。俺が抵抗を止めてしまえば、誰一人として絶望の運命を変える者はいなくなってしまうから」

「……今は?」

 

 たった一人のイレギュラー「だった」。私は聞き逃さなかった。

 そこで初めて、「ユウ」はにやりと笑う。

 まるでいたずらが成功した子供のような笑顔で――こんなユウらしい顔もできるんだと思った。

 

「初めてなんだ。ここまで何もかもが違うことは――俺にいつでも話せるような半身はいなかった」

「あ……」

「ようやくわかったか? お前が生きていること。ただそれだけで意味があるんだ。ただそれだけでかけがえのない価値があるんだよ」

 

 嬉しかった。私が生きていることを全面から肯定してくれることが。

 そしてやっとわかった。この人によれば、ウィルを通じてアルが私を殺そうとした理由が。

 

「そっか。だからアルは」

「お前に恐れているのさ。本来生まれるはずのないお前に。そして、お前を生み出した今回のユウに」

 

 確信を持って言う「ユウ」からは、確かに希望が感じられた。

 

「今回、運命はまだ決まっていない。可能性は閉ざされていない。証拠に、エーナの【星占い】の精度は完璧とはほど遠い」

「あ。確かにエーナさん、よくわからないって言ってた」

「おそらくは色々な要因が絡み合って起こった――たった一度の奇跡だ。そして、その中心にいるのが……」

 

 強い眼差しで、「ユウ」は私を見つめる。

 色々なことが繋がったような気がした。

 どうしてウィルを始め、色んな人が私たちを気にかけて来たのか。

 私たちがこの宇宙の中で、数少ない特異点だから。

 

「でも調子に乗るなよ。俺の知る限り――お前もひっくるめてユウだとすれば……お前たちは史上最弱のユウだ。ぶっちぎりで弱過ぎる」

「うぐっ……」

 

 確かに全然能力使いこなせてないけど。そこまではっきり言わなくてもいいでしょ……。

 けれど、「ユウ」の顔はどこか安らかだった。

 

「だが……不思議なものだな。どのユウよりも圧倒的に弱いはずのお前たちが、宇宙の寿命に比べれば塵に等しいわずかな期間に、どのユウよりも遥かに多くの命を救ってきたのだから」

 

 私は、これまでと違う意味で泣きそうだった。

 

『お前たちの旅は、決して無意味なものなんかじゃない』

 

 そう力強く励まされているようで。

 

「ユウ」もさすがに恥ずかしかったのか、顔を背けた。

 そのまま、ぽつりぽつりと続ける。

 

「俺はな。救えなかったんだ。アリスも、ミリアも、アーガスも、カルラも、ケティも、イネア先生も。エラネルの人たちだけじゃない。お前たちがこれまで出会って来た多くの人たちも、きっとこれから出会う多くの人たちも。誰一人として」

「ユウ……」

 

 私は、自然とその名前で彼を呼んでいた。

 間違いない。もうわかった。

 ユウじゃないけど、やっぱりユウだ。

 きっと不器用ながら一生懸命助けようとして、それでも助けられなくて、拗ねてしまった哀れな子供の魂の――成れの果てなんだ。

 そんな彼は、私たちを心から思いやって警告する。

 

「気を付けろ。【運命】には収束力がある。これから何度もお前たちを『決まった運命』へ引きずり込もうとするだろう。既にお前たちには、常人の比ではないほどの危機が降り注いでいるはずだ。身に覚えがあるよな?」

「そうだ。確かに」

 

 今だってそうだ。私たちはもう何度も世界の危機と戦っている。

 

「そいつは偶然なんかじゃない。『星海 ユウには絆を結べない。大切な人を助けられない』。本来、そう定められていたはずだからな」

 

 そんな残酷な運命が、もしかしたら私とユウに直接降りかかっていたかもしれないなんて。

 死ねないことよりも遥かに絶望しそうだ。実際、それで絶望してしまったのがこの人なのか。

 また私の目を見つめて語り続ける「ユウ」の言葉には、いつの間にか熱がこもってきていた。

 

「いいか。お前たちの歩んできた道は間違っていない。だから胸を張れ。前を向いて旅を続けろ。この先どんな困難がかかってきても、決して諦めないことだ」

「うん」

「だがこのまま無力に安んじてはいけない。もっと強くなれ。襲い来る困難に負けないように。けれども安易な力を求めるな。俺が持てなかった優しさで、救えるだけの人を救ってみせろ。そして……」

「……うん」

「そしていつの日か……【運命】を打ち破る方法を見つけてくれ。俺にはできなかった。だが、お前たちならきっと……」

「任せて。まだどうしたらいいかわからないけど、ユウと一緒に考えてみるよ」

 

 しっかりと目を見て返事をすると、「ユウ」はいくらか熱が引いて落ち着いてきたのか、気恥ずかしそうに「はあ」と溜息を吐いた。

 

「こんなに言うはずじゃなかったんだがな。当のユウにも言ってないぞ」

「私だからじゃない? お姉ちゃんには話しやすいんだよ。きっと」

「…………」

 

 私は「ユウ」に近づき、そっと抱き締めた。放っておけなくて、自然とそうしたくなったのだ。

 

「……おい。何をしてる」

「ずっと一人で頑張ってきたもう一人の弟に、よしよししようと思って」

「やめろ。俺はあいつじゃない。みっともないだろ」

「だったら引き放せば?」

「…………お前がくっついて来てるんだから、お前から離れろよ」

「やだ。もう少し素直になったら? 同じユウなんでしょ?」

「……勝手にしろ」

 

 悪態を吐きながら、「ユウ」は自分からは決して私を引き剥がそうとはしなかった。



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230「ウィルの正体」

 レンクスは否応なしに痛感させられていた。

 フェバルってのはやっぱりつくづく呪われていると。

 

 また悪夢が始まる。

 彼を苛み続けるのは、繰り返し突きつけられる最悪の事実。

 

 彼にとって相棒だったユエルは、【反逆】を使ったゆえに死なせてしまった。

 彼にとって太陽だったユナは、【反逆】を使う機会も与えられないまま死んだ。

 彼にとって希望だったユイは、【反逆】を使っても意味がなくて、目の前で死んでいく。

 

 やっぱり、不死と流浪を代償に無理矢理掴まされた強さだとか力なんて、ろくなものじゃねえんだ。

【反逆】は肝心なときにいつも役に立たない。心底意地の悪い能力だ。

 どうでもいいことばかりに使えておいて、一番大切なことには【反逆】できるという中途半端な希望だけ見せて、結局は及ばない絶望を叩きつける。

 どうせなら、こんな忌まわしい運命に【反逆】させてくれればよかったのにな。

 

『起きて。いつまで寝てるの?』

 

 またユイの声が聞こえる。また力及ばず目の前で死んでいくのだろう。

 うんざりだ。もう見たくない。

 

『起きてよ。ねえ』

 

 もういいんだ。疲れたんだ。このまま寝かせてくれ。

 

『ほんとに寝てていいの? ユウを見捨てるの?』

 

 ユウ……。

 

 彼ははっとする。

 

 ――そうだ。俺は何をやっているんだ。

 

 まだユウがいる。

 なぜ忘れていたのだろう。あまりにも悪いことばかり見ていたからか。

 あいつが必死になって頑張ってるのに、兄ちゃんだけ寝てたらいけないよな。

 本物のユイに怒られちまう。

 

『悪い。今起きるよ』

 

 レンクスは夢の中のユイに答えた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「起きろ。おい」

「んあ……ユイ……」

 

 レンクスがむにゃむにゃと呟いた瞬間、彼の頭にガツンと痛みが走った。

 

「気持ち悪い寝ぼけ方をするんじゃない」

「うおっ!? ウィル!?」

 

 まさかの人物に頭が冴えたレンクスは、慌てて飛び起きて身構える。

 ウィルは心底呆れた目を彼に向けた。

 

「雑魚ナイトメア如きに取り憑かれるとはな。情けない奴め」

「取り憑かれていただと!?」

 

 言われてみれば、気を失っている間、悪夢ばかり見ていたことはまったく不自然なことだと思い至る。

 周囲は薄暗闇の世界――アルトサイドであることは間違いない。

 とすれば、自分がくたばっている間、ナイトメア……おそらくはあの大量に湧き出て来た闇の異形に何かされていたのだろうと彼は推測する。

 するとウィルが起こしてくれたことになるが、なぜ敵であるはずの自分を起こしたのかわからなかった。

 混乱する中、レンクスはそもそも目の前の男こそがユイを殺し、今回の『事態』を引き起こした元凶であるということを思い起こし、ぶち切れた。

 

「それよりもてめえ! よくのこのこと俺の前に面を出せたなっ! ユイにやったことを忘れたわけじゃないだろう!」

 

 激情に任せるまま、彼はウィルに攻撃を仕掛ける。

 並みのフェバルなら灰燼に帰するほどの怒りが乗った凄まじい一撃であるが、寝起きかつ直情の攻撃を避けられないウィルではない。

 軽くかわし背後を取りつつ、さてウィルはどう答えたものかと思案する。

 いくらユイは特に嫌いな奴であり、憎む気持ちは強かったとは言え、アルに誘導されたという事情はあるにせよ、自ら手をかけてしまったことに変わりはない。

 

 レンクスの後ろ蹴りが空を切る。

 

 だがそもそもアルをよく知らないこいつに説明し、納得させることから――ああ、面倒だ。

 レンクスは次々と攻撃を繰り出す。

 アルトサイドでなければ地形が変わるようなラッシュの応酬を繰り広げながら、ウィルは結局そのまま話すことにした。

 

「聞け。あれをやったのは僕だが、僕ではない」

「何を意味のわからねえことをッ!」

 

 光速にも等しい拳と拳が交錯する。

 

「それに、あの女は別に死んではいない」

「この野郎! これ以上適当なこと抜かすと――」

「――僕にはわかってしまうんだよ。鬱陶しいことにな」

 

 底冷えするようなウィルの目と、茶化すつもりもない真剣な顔に、レンクスの手が止まる。

 彼が手を止めたのは、以前は闇をそのまま塗り潰したようだったウィルの瞳が、今は人間らしさを持っているように見えたこともあった。

 

「ユイが生きている……? 本当なのか!? なあっ!?」

 

 一転、縋るような気持ちでウィルの胸倉を掴み、揺さぶるレンクス。

 攻撃ではなかったので、ウィルも煩わしいと思いながら黙って掴まれた。

 

「事実だ。ユウとの繋がりが切れた不安定な状態ではあるがな」

 

 実のところ、ウィル自身もユイが生きているということ以外はわからない。J.C.が助けたという事実は彼も知らない。

 けれどもユウとユイの存在や状態を感じることにかけては、彼には絶対の能力があるのだった。

 それがなければ、これまで態々二人の様子を観察したり、あれやこれやとけしかけたりはできなかっただろう。

 

「なぜそんなことがわかる? お前は何者なんだよ!」

「お前の知ったところではない……と言いたいところだが、今の状況になってしまってはやむを得ないか」

 

 ウィルはアルと分離した結果、「すっきりはした」が、代わりに黒性気を発現させる能力を失い、さらに力の大部分を失ってしまったことを実感していた。

 冷静に考えて、既に他のフェバルと隔絶する力を持たないことは認めざるを得なかった。特にフェバルでも上位である目の前のこの男には、負けるつもりはないが、余裕で勝てるかと言えば怪しいだろう。

 となれば、こいつも戦力としてカウントするしかない。非常に不本意ではあるが。

 胸倉を掴んでいたレンクスの手を振りほどいてから、ウィルは言った。

 

「ユウやあの女には言わないと約束しろ。あいつらには手前で思い出してもらわなければ癪だ」

「あの女じゃねえ。ユイだって言ってるだろ」

「あんな奴、あの女で十分だ」

「ウィルてめえ……」

 

 平行線である。ここで食い下がっていては話が進まないと判断したレンクスは、ぐっと言葉を呑み込んだ。

 

「わかった。約束してやるよ」

 

 ウィルは深い溜息を吐き、仕方なしに説明を始めた。

 

「僕自身のことの前に、現在の状況を教えてやる」

 

 まずはアルの存在とその目的を彼は述べた。アルに対抗し続けてきた『黒の旅人』という存在についても。アルが自分に潜んでおり、虎視眈々と復活のチャンスを狙っていたことと、それへのカウンターとして『黒の旅人』がユウに黒の力を仕込んでいたことも述べた。

 レンクスはウィルの言うことなど鵜呑みにするつもりはなかったが、実際に『黒の旅人』とアルの戦いを肌で感じた身としては納得するしかないものがあった。あのときのウィルは、ウィルだとしてもあまりに異質だったからだ。

 レンクスはユウを苦しめユイを亡き者にしようとする真の元凶に新たな怒りを燃やした。

 

「ユウのことはよくわかったぜ。実際あのやばい力が漏れそうになってるのを何度も見てたからな。でもよ。どうしてお前にもそのアルって奴が入り込んだりするんだよ? お前の能力は【干渉】だろうが」

 

 人格さえも構成され、保存される【神の器】だからこそユイや『黒の旅人』のような存在がユウの内に存在できるはずだとレンクスは理解していた。

 だったらウィルにはそもそも関係のない話ではないか。まだアルという奴に単純に操られていたという方が説明が付く。

 そこでウィルは告げた。ユウにも言ったその言葉を。忌々しげな表情で。

 

 

「答えは簡単だ――僕もユウだからさ」

 

 

「は……? はあ!?」

 

 

 あまりに唐突な台詞に、レンクスは驚き目が点になる。

 容姿など……いや、よく見れば結構似ているところがあるとは思っていたが。それにしたってとんでもない話だ。

 

「正確には、星海 ユウにとって都合の悪い記憶や力を核に【神の器】から生まれた存在――まああの女と同じようなものだな。理由は同じでも、願いはまったくの逆だが」

 

 どちらもユウが身を守るために生まれたというのは変わらない。

 ただ、ユイがユウを守る母親や姉のような存在――半身であり家族として生み出されたのならば、ウィルはその逆――ユウにとって不要なものばかりを集めた存在として生を受けたのだ。

 

「け、けどよ。お前、ユウと全然違うじゃねえか」

 

 今こうして言われなければ、容姿以外にユウとウィルの接点を見つけることはほとんど難しい。あまりにも違いが大きかった。

 

「当たり前だ。あいつにとって望ましくないものから生まれたんだぞ? 姿も性格だって違うのが当然だろう。そもそもあの女だってユウと性別すら違うじゃないか」

「確かにそうだけどよ」

「ユウの分身は一人だけではなかった。ただそれだけのことだ」

 

 己の出自を心から憎むウィルは、吐き捨てながら話を続ける。

 レンクスは彼の雰囲気と話す内容に圧倒にされ、固唾を飲んで聞き入る。

 

「だから本当のところは、僕の能力もまた【神の器】なのさ。もっとも生まれた時点ですっかり変質して【干渉】と化し、オリジナルの性質はほとんど失われてしまっているがな」

 

 かつて『黒の旅人』が純粋な悪感情で【神の器】を染め上げたのと同じように、ウィルの【器】も生まれた時点で指向性が固まっていた。

 すなわち、最も忌まわしい存在であるアルの模倣である。

【干渉】はアルの【神の手】のコピーであるが、【神の器】と【神の手】はほとんど同格の能力であるから、完璧にはコピーされず、大幅に劣化した【干渉】になった。

 そして、ウィル自身の持つ【神の器】のポテンシャルは【干渉】にほとんど割り当てられてしまった。ゆえに事実上、【干渉】だけが彼の能力である。

 

「精々が、少しならオリジナルの【神の器】に【干渉】できることと、ユウとあの女を常に感知してしまうことくらいだ。まったくもって鬱陶しい」

 

 本来、フェバルがフェバルの能力に直接影響を及ぼすことは難しい。

【干渉】で相手の能力を操るには、相手の精神が擦れて壊れかけであるか、フェバルとして遥かに格下であるなど、特別な条件が必要となる。

 そして【神の器】は、ユウがまったく使いこなせていないとは言え、能力としては最上格に位置する。本来なら【干渉】で弄れるはずもないのだが、同じ【神の器】同士だから【干渉】が効いたのだ。

 もっとも、どこまで弄れるか実際に試した結果、強制的に女の子に変身させるだけという何とも微妙な結果に終わってしまったわけであるが。

 

「じゃあお前は……。同じユウにも関わらず、あいつを散々痛めつけたり、殺そうとしたりしてたってのかよ?」

「言ったはずだ。僕はあいつが嫌いなんだ。何度でも殺してやりたいほどにな」

 

 もう理由はわかるだろう? と言いたげにウィルは語る。

 

「あいつは僕を切り離さなければ、あのとき壊れてしまっていただろう。やむを得なかったと理解はしている。一番悪いのはあいつを覆う【運命】なのだと……理解はしている」

 

 理解はしているが、許せるかどうかはまったく別の問題だ。

 ウィルは内に秘めた憎悪を燃やす。

 

「だがな。あいつの心が十分強ければ、そもそも僕は生まれる必要さえなかった。僕は生きていたくなどなかった!」

 

 アルが離れた影響か、今のウィルには人間らしい感情が発露していた。かつての彼なら話すことはなかっただろう。そのことに自覚がないまま、彼は目の前のユウの保護者気取りに怒りをぶつける。

 

「『黒の旅人』やアルの忌まわしい力を最も色濃く受け継ぎ、『黒の旅人』の『世界の破壊者』としての役目を一身に引き受けたのはこの僕だ! あの甘ったれには絶対にできないからな!」

「じゃあ、お前が前に言ってた世界を破壊していた理由ってのはマジだったのか……?」

「そうだ。必要なことだった」

 

 ウィルはさも演説のように語る。

 誰にも理解されることのなかった、たった独りだけの生き様を。

【運命】の影響力を低下させ続けるには、星脈の力を可能な限り削ぐ必要があった。星脈の合流地点となっている重要な拠点――許容性の特に高い星に狙いを付けて、星脈ごと破壊する活動を続けた。遥かな時間を遡ってまで。

 当然、そこに暮らすすべての生き物は皆殺しだ。事情の説明などしようがないし、したところで納得されるはずもないのだから。

 必要悪だった。

『黒の旅人』なき今、誰かがやらなければならない。運命】の影響力を削ぐほど星脈にダメージを与えるような所業は、彼の力を継ぐユウかウィルにしかできなかった。

 ユウにはできない。できるはずがない。だからウィルがやった。

 でなければ、今に至るまでにとっくに【運命】の影響など完全に復活し、状況は詰んでいたに違いない。

 

「なのにだ。ユウは、あの女は、何をしていた?」

「それは……」

「あいつらは何も知らない振りをして、何ら責任を果たすこともなく、フェバルとなるその日まで、いやなってからもぬくぬくと甘やかされて過ごし続けてきた。そんな奴らのことを恨みこそすれ、好きになれると思うのか?」

 

 レンクスは何も言い返せなかった。

 ウィルがユウとユイを恨む理由も、その正当性も、嫌というほど理解できてしまったからだ。

 

「僕はユウもあの女も絶対に許しはしない。特に同じユウの分け身でありながら、僕と比にならないほど恵まれ、最もあいつを甘やかし、成長の妨げにさえなっていたあの女など」

 

 何度殺してやろうと思ったかわからない。

 成長を促す試練を機に徹底的に痛めつけることで、わずかでも留飲を下げていたことを彼は否定しない。

 その感情をアルにまんまと利用されたのだから、悔やむ思いもあるが。

 

「そう、かよ」

 

 レンクスは自分の声にすっかり覇気がないことを自覚する。

 認めるしかない。この件については、無自覚ながらユウが全面的な加害者なのだ。

 だからと言ってユウを責めることも、彼にはできるはずがない。

 家族を失い。親友を失い。

 完全記憶能力を持つはずの彼が、思い出したくないほどのことがあったのだろうと推察はしていた。

 それでも、ユウがもう少し成長していれば……今なら乗り越えられたかもしれない。

 子供だった彼には酷だったのだ。そのことはウィルもよく理解していて、なお許せないのだ。

 あまりにも業の深い話だと思う。

 だからレンクスは言った。

 

「わかった。よくわかったよ。お前たちのことはもう何も言わねえ」

 

 トーマスがかつてそう判断したように、彼もまた成りゆきを見守ることに決めた。

 

「当事者同士で納得のいくようにしてくれ。あいつだってもう大人だしな」 

「言われなくてもそのつもりだ。余計な手出しをするなら殺すぞ」

「それに今のお前なら、何となく最悪なことにはならないだろうと思うしな」

「……ちっ」

 

 自分が考えていたより口が滑ってしまったことを、ウィルは後悔した。

 まだ普通の感情というものに慣れていないらしい。

 

「人を見下してばかりのお前が、ユウの能力だけはやけに認めていた理由もよくわかったぜ」

「当然だろう。劣化コピーの僕でさえここまでできるのだから、オリジナルの【器】を持つあいつがさらに上をいくはずだと考えるのは」

 

 現状のユウを思い返し、ウィルは嘲笑する。

 

「だと言うのに、あの体たらくではな」

「そう言うなよ。あいつだって頑張ってんだぜ?」

 

 落胆するな、やきもきするなという方が無理だろう。

 

 だが――ウィルはふと思う。

 

 ユウはただ嫌な記憶に蓋をしたのではなく、ほとんど完全に切り離してしまったらしいことをつい最近知った。

 これまでウィルは、ユイがいるせいで、あいつが枷になって甘やかすせいでユウはろくに力を出せないのだと結論付けていた。

 実際、それもあるだろう。魔法の素質すべてを彼女に渡してしまったユウは、ほとんど常人と変わらないほどにまで身体能力を落としてしまった。

 しかし、切り離したという前提に立つならば――自分も原因であるとは言えないだろうか。

「今回」のユウは、「フェバルそのもの」を忌々しいものと見なした。

 あいつは「フェバルとして持つべき力」さえも、大部分を自分に渡してしまったのではないか。

 だから自分は極めて強力なフェバルとなり、あいつはフェバルとしては失格者の烙印を押されるほどに弱くなってしまったのではないか。

 だとするならば、あいつはこのままでは、二度と「フェバルとして」能力を使いこなせるようにはならないかもしれない。

 

 では――では、あれは何なのだろうか。

 今のユウが発揮するあのよくわからない心の力は、一体何なのだろうか。

 

 単純な強さで言えば、決して強いとは言えない。普通のフェバルの力と比べれば、塵のようなパワーだ。

 だが【運命】は、あいつの前では絶望的なほどの効力を失っているように思われた。

 何かが違う。これまでのユウとは、明らかに何かが違う。

 

「フェバルでありながら、フェバルのものではない」力なのか?

 

『黒の旅人』が言っていた、黒でも白でもない可能性。

 誰にも到達できなかった地点。

 

 そんなものが本当にあるというのか。

 

 もしそこに辿り着けるものならば。

 

「ふん。やれるものならやってみろ」

 

『破壊者』でなくなった以上、ウィルが【運命】の到来を延長してやることはできない。

 既にアルが出現するほどには、その影響力は戻ってきている。

 もはや自分が試すまでもなく、【運命】の試練があいつを襲うだろう。

 どの道見届けるしかない彼は、不機嫌な顔で期待していた。



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231「ウィル & レンクス VS ナイトメア=エルゼム 1」

 ウィルの事情を理解し、また彼が当面は世界を破壊しないつもりであることを聞いたレンクスは、一時休戦という形で矛を収めた。

 実際、今のウィルに世界を破壊するつもりはない。既に意味がないからである。

 ミッターフレーションが起こるまでならば、星脈の異変の元である二つの世界をまとめて消しさえすれば事は解決した。星脈に穴は開いていたがまだ小さく、原因さえ絶てば星脈の自浄作用が穴を塞いでくれたはずだからである。

 だがヴィッターヴァイツが余計なことをしてくれたおかげで、異変は一気に加速した。今や星脈に開いた穴は、放っておいても自壊して拡がってゆくばかりだ。

 こうなってしまっては、もはや二つの世界を破壊するだけでは意味がない。星脈に直接手当を施す必要がある。

 すなわち、二つの世界の周辺の星脈の完全なる破壊か、修復か。

 元々ウィルには星脈を修復する力などないし、アルの力を失ってしまった今の彼には、星脈ごとすべてを跡形もなく消すほどの力もない。ただ星を物質として消滅させるのとは、難易度がまったく違うのである。

 

「ダイラー星系列の連中はアデルバイターまで持ち出すようだが」

「げ。星撃級兵器かよ。滅多に持ち出さない奴じゃねえか。でもお前の話聞いてるとな……」

「どうやら連中はまだまだ認識が甘いらしい」

 

 ウィルは呆れて肩をすくめる。

 

 アデルバイター。

「外地」向けの汎用型としては、焦土級であるバラギオンのさらに上を行く星撃級兵器である。陸海空に加え、宇宙空間における活動をも想定された設計になっており、反量子砲の一撃が星を容赦なく砕く。

 ここまでいけば戦闘タイプのフェバルの平均並みの火力ではあるが、ウィルに言わせれば所詮は平均並み。その程度の火力でどうにかなるのであれば、彼は困ってなどいない。

 

「むしろシンバリウスでも足りないくらいだ。いっそ『内地』向けの兵器か、ダインゾークでも連れてくれば一発で方が付くのだがな」

「まあ、こんな辺境には絶対来ないだろうな」

「まったく。宇宙存亡の危機だと言うのに、腰の重い奴らだ」

 

「外地」向けの汎用兵器では、たとえ星消滅級のシンバリウスを持ってきても無駄だとウィルは断ずる。

 だが「内地」向け――すなわちダイラー星系列領域内向けの兵器ならば、星脈にダメージを与えられるレベルのものはいくつか存在する。

 また個人のレベルでも、『力神』ダインゾーク――宇宙でも極希少な黒性気覚醒者の一人にして、ダイラー星系列が誇る最終兵器の一つならば可能だろう。

 連中の対応が中途半端なのは、事の重大さが真に伝わりきっていないのが明らかな原因である。

 一般に宇宙の中心から離れるほどエネルギー分布は薄くなっていくため、こんな辺境に宇宙が裂けかねないほどの異常が起こっていると真面目に判断するのは極めて難しいことだった。

 それでもいよいよ本当に宇宙の終わりが近くなれば、本星の危機管理網に引っかかるので、さすがに何かしら有効な対策は取ってくるだろうが。

 ただ連中が本気になるよりも、アルのオリジナルが解き放たれる方が早いだろう。今奴に太刀打ちできる者はこの宇宙に存在しないため、どの道一巻の終わりである。

 

「ところでお前、これからどうするつもりなんだよ」

「さあな」

「さあなってお前……」

 

 ウィルははぐらかしているのではなく、本当にわからないのだった。

 今の状態では、アルと戦ったところで足手まといにしかならないことを彼は理解している。今さらヴィッターヴァイツを懲らしめたところで意味がない。ダイラー星系列の勢力を追っ払うのも無意味だ。ユウの手助けなど死んでもしたくはないし、下手な介入はむしろ成長の機会を奪ってしまうことにもなりかねない。

 アルの動向を警戒しつつ、レンクスにナイトメアになられては面倒だから、とりあえず助けただけだ。わざわざ助けたと思われても癪なので言わないが。

 しかもアルトサイドではほぼ感知手段が遮断されてしまうので、やけに時間がかかってしまった。

 

「俺はユウかユイを助けに行くぜ」

「勝手にすればいいさ」

 

 レンクスの行動原理はわかりやすかった。

 

「ウィル。お前ユウとユイの居場所がわかるんだろ? 近いのはどっちだ? 案内してくれよ」

「なぜ僕が案内しなければならない。頭に直接叩き込んでやるから、勝手に行け」

 

 ウィルは手をかざすと、自身が把握している二人の現在位置をレンクスの脳に焼き付ける。あくまで現在位置であるから、当然その後移動するのであるが、そこまで面倒は見切れない。

 

「なるほど。ユウがトレヴァークで……ユイはこのアルトサイドにいるのか。けどかなり遠くだな。って、これってユイがやばいんじゃねえのか?」

 

 気を失っていたせいとは言え、自分がやられてしまうような闇の化け物が大量にいる空間にユイがいる。その事実を知り、レンクスは居ても立っても居られなくなった。

 

「知らん。今のところ状態は正常だ」

 

 ウィルは「あの女」には冷たい。もう自分から殺すことはないだろうが、死の危険があるくらいでは何とも思わない。

 レンクスは考える。

 

「ユウはあの性格だし、きっと仲間を見つけてるだろう。けどユイはこんな場所だし、まだ一人で戦ってるかもしれねえ……ここはユイを助けに行こう」

 

 ユウもきっとそれを望むだろう。ユイが死んだと聞いたとき、ボロボロに泣いて心が折れそうになっていたのを彼は見ていた。もうあんな顔はさせたくない。ここはユイを助けて、素敵なサプライズといきたい。

 

「じゃあ俺は行くぜ。お前も気を付けろよ」

「ふん。たかが雑魚にうなされるお前に心配される謂れは――おい、待て!」

「……なに!?」

 

 突如感じた身を刺すほどの殺気に、ウィルもレンクスも驚いて振り向く。

 

 細長い手足。刃物のようにシャープな人型。体表は滑らかな黒一色。瞳のない朱い目と、まるで個性のないのっぺらぼうの顔。

 

 圧倒的な存在感を放つ異形の化け物が、二人の目の前に現れた。

 

「こいつは……!?」

「ナイトメア=エルゼム。初対面なのにまるで最初から知っていたかのようにそれと認識できる……。アルの奴め。《命名》したな」

 

 ウィルは忌々しげに舌打ちする。

【干渉】にはできない【神の手】の使用法の一つ、《命名》だ。

 元々名前の存在しない、そのままでは現象や概念でしかないようなものに固有の名を与えることで、確固とした存在として世界に確定させる。あるいは、既に名のあるものであっても別の二つ名を与えることで、名の意味に応じて変質させることができる。因果律の操作を伴う強力な術である。

 これがただの風や雷であれば弱い精霊のような存在でしかないが、アルトサイドを満たす闇そのものに《命名》したことによって、闇の化身とも言うべき強力な存在となっているはずだった。

 何せ実に一万年分の負の遺産が、この一体に凝縮されているのだ。

 あのアルが寄こす相手だ。実力の程は見えないが、油断ならない相手だろう。

 

「予定変更だ。手を貸せ。こいつを止めるぞ」

「けどよ。ユイのことはどうするんだよ」

「アルの創った化け物だぞ。ユウやあの女が見つかれば、こいつは真っ先に狙う」

 

 事実、エルゼムは既に『黒の旅人』とユウ――つまりどちらもユウを襲撃し、広い意味でユウであるウィルも襲おうとしていた。

 今の段階のユウやあの女に相手をさせる訳にはいかない。

 試練だと考えるには趣味が悪過ぎる。何だかんだでウィルは、ユウが壁を破れば乗り越えられる程度の試練しか課してこなかったつもりだった(エラネルでは流れで自身が相手してしまったが、予定外であるし、条件は一撃当てるに緩めた)。

 こいつは違う。ユウを試すつもりでなく、殺しに来ている者の発想だ。

 壁を五枚は破らなければ立ち向かえないほどの難敵である。この時期に相手をさせるには早過ぎる。

 

「こいつを止めることが、間接的に手助けになるってことか」

「そういうことだ」

「……へっ。まさかお前と共闘する日が来るとは思わなかったよ」

「僕もだ。これきりにしたいものだな」

 

 

 gyaaaaababababababababbabababhyggggggrrggggrgrgrggggrgrgrgaggggrgg!

 

 

 この世のものではないような絶叫が響く。

 あらゆる生物の身を強制的に痺れさせ、致命的な隙を生じさせる咆哮。

 しかし二人は咄嗟に気のシールドを張ることによって、襲い来る衝撃から身を守った。

 それでもシールドが破れるほどの衝撃ではあったが、とにかく二人は初見殺しを免れた。

 

「やかましい声で鳴きやがって」

「来るぜ」

 

 破壊本能を剥き出しに襲い掛かるエルゼムを、ウィルとレンクスは迎え撃つ。



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232「ウィル & レンクス VS ナイトメア=エルゼム 2」

 エルゼムは空を飛び、二人の獲物に襲い掛かった。

 細長い手足は鎌のごとく鋭い形に変形し、左右で両者をそれぞれ狙っている。元が闇であるから、形状の変更は自由自在なのだ。

 身構える二人であるが、鎌が二人に到達する前に、闇が溶けるようにしてエルゼムは消える。

 次の瞬間、背後から二人目掛けて同時に鎌は振り下ろされていた。

 ウィルは冷静に地を蹴ってかわし、レンクスは振り向き様に避けつつ、一発蹴りを見舞う。

 

「ありゃ?」

 

 しかしレンクスの蹴りは影体を捉えることなく、空を切った。

 

『何をやっている。そいつには光属性以外は効かないぞ』

 

 超スピードの戦闘は音を遥か置き去りにするため、双方が手を止めない限りは言葉での意志疎通は基本的にできない。

 代わりに念話を用いる。フェバル級では基本スキルと言われる由縁の一つである。

 

『そういうことは早く言え』

 

 ナイトメアとの戦闘経験がなかったレンクスは、気合を入れ直して手足に光の魔力を纏った。

 気を主体とするレンクスは魔法はさほど得意ではないが、それでも非戦闘タイプで魔法が得意な者よりも上なのだから素質の差は残酷である。

 ウィルもまた光の気剣を創り出す。魔力も気力も同等にハイレベルである彼だからこそ一人で構成できる至高の剣であり、彼の最も信頼する武器である。

 

『前から思ってたが、お前のそれってなんかイメージと違うよな。どっちかって言うと闇の剣使いそうなのによ』

『勝手に人を測るな』

 

『黒の旅人』には見破られたが、他人に思い入れをひけらかすつもりはないし、踏み込まれたくもない。

 ヒカリの気剣を使い続けることなど、感傷以外の何物でもないのだから。

 

 敵が動き出す前に、小手調べとしてウィルは【干渉】を仕掛ける。

 

《封函手》

 

 並みの相手であれば一切の能力や活動を封じ込めてしまう凶悪な技だが、エルゼムには効かなかった。

 他にもウィルはごくわずかの間にいくつか小技を仕掛けてみたが、エルゼムは何を受けても平然としている。

 

『やはりダメか。レンクス。能力は無意味だ。奴にプロテクトをかけられている』

『くっそ。まあ能力一発で勝てたら苦労しないよな』

 

 少し残念に思いつつも、さほどショックを受けることはない二人。

 フェバル級の能力はまともに喰らったら一発で終わるため、同レベルでは何らかの対策を用意しているのが普通である。

 

 特に、次の四つは重要とされる。

 

 時空の操作によって致命的影響を受けない――時空耐性。

 環境要因によって行動不能とならない――環境耐性。

 因果や量子の操作等によって存在を解消されない――強存在性。

 身体支配や精神支配によって深刻な影響を受けない――自律性。

 

 これらは基本四点セットであり、すべてを一定以上の水準で持たない者は勝負の土俵に立つことすらできない。

 ちなみにここまでの旅でウィルは直接的・間接的にユウにすべて備えさせているのだが、あえて自分から教えることはないだろう。

 

 それはさておき、エルゼムが動き出した。

 腕を振るうと、闇の爪が伸びて二人を襲う。レンクスとウィルは左右に散ってかわした。

 

 カカカ。

 

 エルゼムが不気味に笑うと、闇の爪が爆発的に枝分かれして茨の森のようになり、二人の全身をバラバラに切り刻もうとする。

 レンクスは光の拳を打ち込んで爪を砕き、ウィルは剣をもって斬り裂く。

 すると、残った爪の先端が広がり、一斉に黒いビームを撃ち込んできた。

 さすがに避け切れないと見た二人は、光の魔力をベールすることで防御態勢に入る。

 雨嵐と闇のビームが撃ちこまれる中、エルゼムが朱い目を光らせる。

 直感、身の危険を感じたレンクスは、咄嗟に己の拳を自分の胸に打ち込んだ。

 間一髪、彼の心臓の内で生成されかかっていた闇の棘が砕かれる。

 

『あっぶねえ。今、内側から直接貫かれそうになったぞ』

『奴はこのアルトサイドそのものの化身。ある意味どこにでもいるというわけだ』

『リーチはあってないようなものか』

 

 影体に気を取られてばかりではいけない。エルゼムはありとあらゆる場所から一瞬で攻撃を仕掛けることができるということだった。

 エルゼムは形状自在と遍在性を活かし、瞬間移動、気配の操作、影体の自己消失と再構成など、トリッキーな動きで二人を翻弄しながら次々と攻撃を繰り出してくる。攻撃パターンも非常に多く、初見殺しのようなものもいくつかあった。

 気配を読むことに長けた達人であるほど、エルゼムの動きにペースを乱されやすい。

 加えて気や魔力を一切読めないことが、いっそう敵の実体を捉えにくくさせていた。

 

 芯を捉えたはずの光の気剣が空振る。のっぺらぼうを撃ち抜くはずの拳が空を切る。

 次の瞬間には、背後や側面から即死レベルの攻撃が飛んでくる。

 単純な動き自体も中々のもので、下に見積もっても並みの戦闘タイプのフェバル程度にはあった。

 けん制に撃ち込んだ光魔法がすり抜ける様を見て、レンクスはぼやいた。

 

『ちょこまかと動きだけは一人前だな』

『見切れない攻撃ではないが、一撃でもかすってくれるなよ。濃縮された悪夢の塊だ。フェバルではまともに戦えなくなるだろう』

『だろうな』

 

 並みのナイトメアでも延々と苛まれるほどの精神ダメージを受けるのだから、エルゼムにまともに攻撃をくらえば、精神が破壊されるほどの重大なダメージを受ける危険が大きい。

 もちろん星脈が正常であれば次の星へ行くときに治るが、穴が開いている現状が問題だった。ここで死ねば最悪復活せず、そのまま穴の向こう側にいるオリジナルのアルの糧とされてしまう恐れがある。

 絶対に負けるわけにはいかないが、二人にはまだ余裕があった。

 いかにトリッキーな動きをしようとも、二対一による数の優位と、明確な基本スペックの差があったからだ。

 ウィルもレンクスも、確実にすべての攻撃を見切っていた。

 であれば、あとは慣れの問題である。徐々に敵の攻撃の合間を縫って反撃を仕掛ける機会が増えていく。

 

 幾度目か、レンクスの拳がエルゼムの急所を捉えようとする。

 そしてまたエルゼムは直撃する前に姿を消そうとした。

 

『そこだ!』

 

 だが彼は寸前に拳を引き、魔力を飛ばす拳で次の出現位置をピンポイントで撃ち抜いた。

 

 グ、ギ……!

 

 光の魔力の直撃により悶えるエルゼムを、ウィルの冷徹な剣閃が貫く。

 斬られた場所から眩い光が弾けて、エルゼムは消滅した。

 

『ふう。やったな』

『…………』

『ん。どうした?』

 

 

『――違う』

 

 

 ウィルは直感で身に危険を覚え、光の気剣を背後に向かって振り抜く。

 その判断が彼を救った。

 

『なっ!?』

 

 レンクスは驚愕する。

 なぜなら、倒したはずのエルゼムが、寸前のところまでウィルに闇の剣を届かせていたからだ。

 

 しかもまるで一切のダメージのない、完全な姿で。

 

『くそったれがっ!』

 

 なぜ倒せていない。ウィルの攻撃は間違いなく完璧に決まっていたはずだ。

 

 レンクスは苛立ち、猛然とエルゼムに挑みかかった。先走る彼に、ウィルも不本意ながら彼のサポートに回る。

 既にここまでの戦いで、奴の動きに底は見えている。

 ゆえにこれまでよりも苦戦することはなかった。

 やがてレンクスの会心の一撃が、今度こそエルゼムの芯を捉えて爆散させる。

 

 しかし――。

 

『レンクス。気付いたか』

『ああ。ちくしょう』

 

 黒の気剣による攻撃と違い、光属性による攻撃であるから、失った闇が補填されることはない。

 なので確かにダメージは通っている。通っているのだが……。

 

 エルゼムが倒されたとき、ほんのわずかにアルトサイド全体の闇が薄まったことに二人は気付いた。

 

 だがそれだけだ。

 

 エルゼムは、再び万全の状態で二人の前に復活していた。

 

 二人は気付く。

 

 エルゼムの真の恐ろしさとは、フェバル級の基本能力でも、変幻自在の特殊能力でも、一撃で精神を破壊しかねないほどの凶悪な攻撃力でもない。

 それらをすべて兼ね備えながら、殺しても殺しても瞬く間に完全復活する――圧倒的タフネスであることに。

 超越者と言っても体力は有限である。ウィルとレンクスがいかにエルゼムを上回る強さを持っていたとしても、永遠と戦い続ければ見通しは明るくない。

 

『向こうだけ残機ほぼ無限でこっちだけオワタ式かよ。やってられないぜ』

『……どこでそんな言葉を覚えた』

『地球。ユウとゲームやってるときにな』

 

 復活したエルゼムは、己を初めて、幾度もまともに傷付けた二人を気に食わなかったようだ。朱い目を細め、レンクスとウィルを睨む。

 

 

 krrrrrrrkaqatarrrrararakrqrrarrrarrr!

 

 

 ――最初に発した身を刺す咆哮とは違う、舌を巻いて出すような発声が続いた。

 

『なんだ。何をしている?』

『…………』

 

 周囲の闇が蠢き始める。

 

『まさかこいつ』

 

 レンクスが訝しんだのと同じタイミングで、闇が次々と生物の形を取り始める。

 そして気が付けば、多種多様、実に億千万のナイトメアの軍勢が二人を取り囲んでいた。

 まったく比喩抜きで、地の果てまでも闇の異形が埋め尽くしている。

 それを生み出したたった一人の将は、カカカ、と不気味に笑い続けていた。

 

 二対一が一転、二対数億の構図である。

 

『おいおい……。こりゃあ先の長い戦いになりそうだな……』

『……お前は雑魚をやれ。僕はあの野郎を斬る』

『いいけどよ。本当に倒せんのか? こんなもん』

『なら逃げるか? 逃げるのは問題ないだろうな。代わりにこいつはいずれユウやあの女のところへ向かうが』

『最悪だな』

 

 二人でさえ苦労させられているのだ。トレヴァークやラナソールに解き放たれれば、すぐにでもナイトメアで世界を覆い尽くし、この世の地獄絵図を作るだろう。

 現地人は皆殺し、エーナでも一分ともたない。ジルフでさえどこまで戦えるかわかったものではない。

 ユウやユイにとって最も救いのない結末になるのは間違いなかった。

 

『俺たちでやるしかないか』

『別に無限に復活するわけじゃないだろう。なら、死ぬまで殺し続ければ良いというだけだ』

『よく言うぜ。だがその心意気、乗った!』

 

 二人とエルゼムの長い長い戦いは、始まったばかりである。



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233「迫り来るタイムリミット」

 ダイラー星系列は異変の原因を特定するため、調査を続けていた。

 シルバリオの記憶解析や独自の空間分析等から、夢想病なる奇妙な風土病の存在と世界の異変には大いに関係があり、そしてラナソールと呼ばれる裏世界、そしてアルトサイドなる第三領域に異変の原因があるのではないかと推測された。

 調査用シェリングドーラからのレポートを読んだランウィーが、憂いを秘めた顔でブレイ執行官に報告する。

 

「アルトサイドの固有星脈エネルギーおよび精神エネルギーが激しい上昇を続けています。どうやら星脈に穴が開いているようです。このままでは……」

「宇宙が破れるかもしれないと」

「はい」

「あとどのくらいだ」

「もって半年かと」

「……本星が想定していたよりも遥かに状況は深刻だな」

 

 通常はバラギオンが上限のところ、星撃級兵器アデルバイターまでは用意していたが、それでも認識が甘かったとブレイは悔やむ。

 今から星消滅級のシンバリウスを追加申請すべきか――いや、星脈の異常となれば、最悪星脈の異常部分を丸ごと消し飛ばす処置が必要だ。単純な星消滅兵器であるシンバリウスでは足りない。

 ブレイは眼鏡を指で押さえながらしばし考え、彼女に指示した。

 

「ランウィー。本星にデュコンエーテリアルレイトの追加申請を頼む」

「えっ? 内地用の兵器ですか? 使用許可に時間がかかると思われますが」

「だからこそだ。今から申請しておかなければ間に合わん」

 

 星脈にダメージを与えるためには、内地の先端技術を用いた特別な兵器が必要となる。

 ところで、魔素によって実現できるよりも大規模な現象を起こす場合、通常は星光素を用いる。

 星脈を満たしている最強の魔力要素であり、ダイラー星系列はこれを利用する技術を持っているからである。

 ただし、星脈にダメージを与える場合に限っては、星光素を用いることができない。

 星光素をその由来である星脈に向けて放っても、ほとんどが吸収されてしまうからだ。

 そこで星脈を攻撃する際には、デュコンエーテリアスという星光素に次いで強力な魔力要素を用いる。魔素より遥かに強力なダークマターであり、通称暗黒魔素と呼ばれる。

 デュコンエーテリアルレイトとは、この暗黒魔素を用いた砲兵器である。

 内地用の兵器に人型を模す有効性はまったくないため、無駄を削ぎ落としたシンプルな非人型設計となっている。

 

「いつ使われるおつもりですか?」

「……予測から安全を見込んで、今から90日をタイムリミットとする。それまでに問題を解決できない場合は……星脈ごとこの星を消す。もちろんこのことは機密事項とする。現地住民には漏らすな」

「承知しました。……最善を尽くしましょう」

「うむ。私もできれば無辜の民を犠牲にしたくはないからな」

 

 

 

 ***

 

 

 

「あと87日といったところか」

 

 闇の世界に身を隠し、暗躍を続けるアルはほくそ笑む。

 星脈の穴が拡がる速度からの逆算である。穴が十分拡がれば、宇宙の外側からの侵入が可能となる。

 そうすれば、ユウを含めたすべての邪魔者を始末し――【運命】により不確定要素は排除される。

 今は『黒の旅人』が見張っているため、目立った動きはできないが。

 

 ユイを抱えていることは奴の弱点になる。

 

 もしほんの少しでも隙を見せれば――そのときがお前たちの最期だ。

 

 アルは黒の気剣で付けられた傷の回復を待ちながら、虎視眈々と『黒の旅人』とユイを殺す機会を狙い続けている。



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234「アルトサイダーの悪夢 1」

〔アルトサイド『シェルター001』内部〕

 

 あの日から幾度目かのアルトサイダー臨時会合である。

 

 リーダーであるゾルーダ。

 元冒険者ギルドマスターであり副リーダーのブラウシュ。

 ガーム海域の魔女、参謀クレミア。

 書記を務める永遠の少年、クリフ。

 ちょび髭のカッコつけミドルガイ、カッシード。

 モコ毛の可愛らしい服を身にまとい、モコ耳を付けたモココ。

 ふんわり系毒舌家のペトリ。

 初期防具と伝説の木の棒を装備した撲殺フラネイル。

 日頃は会合をサボりまくりの気分屋、パコ☆パコ。

 フウガに次いで二番目に新顔のオウンデウス。

 

 そして、用心棒役の剣神グレイバルド。

 

 アルトサイダーたちは、フウガを除き全員が集結していた。

 

「ダイゴはまた欠席なの?」

 

 モココが呆れた顔で言った。まだあの日のことを引きずっているとしたら、とんだガラスメンタルであると思う。

 

「何かあったんじゃないのか? 魔獣やナイトメアに襲われたとか」

「死んじまってたりしてな」

 

 ブラウシュが原因を推測すると、カッシードが下品に笑う。

 元々ダイゴは仲間に入れてから日が浅い上に休み放題なので、彼らの中でも仲間意識は低くなっていた。期待外れというやつである。

 

「まあ彼のことは置いておこう。そのうち連絡が来たら迎えに行くさ」

 

 ゾルーダが話題を収めた。

 

「それより情報共有しましょう。皆さんの近況や何か共有したい情報があったら言って下さい」

 

 ホワイトボードを叩きながら、クリフが本題を進めようとする。

 

「言い出しっぺからどうぞー」

 

 パコ☆パコは気怠そうにクリフに促す。クリフは苦笑いした。

 

「僕はリアルで寝たきりになっちゃったんで、あんまり……環境の急変は身体に応えますねやっぱり」

 

 トレヴァークではいつお迎えが来てもおかしくない爺さんであるクリフは、あの日以来のドタバタに身体が付いていけず、寝たきりになってしまっていた。

 

「もうちょっとで俺たち側だな」

 

 ブラウシュは真なるアルトサイダーの仲間が増えることを嬉しく思い、ニヤリと笑った。何だかんだで肉体がないということは不安に感じるものなのだ。仲間は一人でも多い方が安心できる。

 

「ええ。いよいよということになりそうです」

「歓迎するよ。クリフ」

 

 ゾルーダは優しく微笑んだ。

 

「そうだ。せっかくだし、生身持ちから順に行こうか」

 

 このメンバーの中では、クリフの他にはオウンデウス、撲殺フラネイル、パコ☆パコの三人である。

 撲殺フラネイルが元気なく手を上げた。

 

「ラナクリムがプレイできない……。撲殺動画が上げられなくなっちゃったし、既存の動画自体みんな見なくなっちゃったよ」

 

 彼は年甲斐もなくしくしく泣いている。

 

「このご時世にプレイ動画なんて誰も見ないっすよ」

 

 クレミアがそっけなく正論を述べて、軽くスルーされた。

 次はオウンデウスの番である。

 

「ダイラー星系列の情報だが……。すまんが大したものはない。警備が厳重だからな」

「そうですか。残念です」

「ただ一つ……」

「どうぞ」

「あの戦車みたいな兵器、人型に変形するらしい……。しかもメイドみたいになるらしい……」

「マジっすか!?」

 

 クレミアは今度は食い付いた。研究屋の性分か、からくりものは結構好きなのだ。

 

「知人から炊き出しをしていたと聞いた。……飛び上がるほど美味いそうだ」

「よくあの質量を人型に……しかもメイドで、多機能……さすがっすね」

「でも普通、兵器にそんな機能付ける? 未来に生きてるわねぇ」

 

 クレミアは素直に感動し、ペトリは呆れと感心が半々の感想を述べた。

 

 さて次はパコ☆パコの番であるが、みんなマイペースな彼女の調査にはまったく期待していなかった。

 パコ☆パコは、身の回りの困ったことをと語り始めた。

 

「このところ物価が高くなって困っています>< あと、交通機関がよく止まりますね☆」

「世界人口の一割が眠っているんだからな。色々影響が出てもおかしくないと思うぜ」

 

 カッシードがすまし顔で言った。

 

「モデルのお仕事もがくって減っちゃって。辛気臭い感じです><」

「お前、モデルだったんだな」

 

 ブラウシュが舌を巻く。アルトサイダーはリアルよりかなり美化されているのが大半であるが、彼女はほとんどそのままらしい。

 あまり身にならない会話が続いたところで、ゾルーダが咳払いをした。

 

「次へ行こうか。グレイバルドさん」

 

 リーダーである彼も、自身より強いこの男には一目置いている。

 グレイバルドはアルトサイドの担当である。彼は周辺の様子を語った。

 

「日を追うごとにナイトメアの数がどんどん増えている上に凶暴化している。いくつか新種まで出て来た。私は戦えるからいいが、皆がシェルターから出るのは止めておいた方が良いだろうな」

「言われなくたって出ないわよ」

 

 モココの言葉が全員の総意だった。好き好んで気持ち悪いナイトメアを掃討するのは剣神くらいのものである。

 その後も和気藹々とした雰囲気で、あまり中身のない話が続いた。

 

「……さて。ホシミ ユウはうまくやっているのか?」

 

 ユウ担当はブラウシュである。彼は何人かの不真面目なメンバーと違って、真剣に彼の足取りを追っていた。

 

「トリグラーブでエインアークスに接触した後、知人を助けにまたこっちへ戻ってきたようだ」

 

 アルトサイドでは感知系の技がほぼ遮断されてしまうのだが、アルトサイドに属するアルトサイダーに限っては例外で、ナイトメアの気配や直接接触した相手の反応ならば読むことができる。

 

「せっかく一度送ってやったのにまた来たのか……。それで?」

「何日かいたが、この世界から反応が消えた。どうやら目的を果たしてトレヴァークへ戻ったようだ」

「なるほどな」

「あんな奴、期待できるんすかねえ。随分可愛いらしいというか、頼りなさそうだったっすけど」

 

 ユウと直接刃を交えていないクレミアの評は割と辛辣だった。

 だがゾルーダは嗜める。

 

「忘れたのか。あのなりで千人規模の夢想病患者を救い、終末教の半数近くを無力化されたんだぞ。たった二年でだ。あれは見た目や雰囲気で判断するなという良い例だよ」

 

 彼の言葉に、ユウにボコられたカッシードたちは心から頷く。

 実際、彼には一般的な強者が持つ特有の雰囲気がない。剣神が持つような凄みもなければ、剣麗が持つような華もない。容姿が整っている方だということ以外は、ともすれば民衆に埋没してしまいそうな、まったく平凡そのものの印象しかない青年である。

 だが蓋を開けてみれば、ここ二年で彼が最も手を焼いたのは間違いなくユウだった。実力的には剣麗に近いのだろうが、剣麗と比べても遂行能力と言うべきか決戦能力と言うべきか、とにかく「何かやらかしてくる」能力が非常に高いのである。

 だから今回、プライドの高いゾルーダも腰を折り、怒りの拳を甘んじて受けてでも、彼の協力を買うことにしたのだ。唯一、甘い奴だということだけは第一印象から正解だった。

 

「活発に動いてはいるようだし、今後に期待というところだな」

 

 そろそろお開きにしようかと、ゾルーダが席を立とうとしたところで――。

 

 

 会議室の外部で、大きな爆発音がした。

 

 

「なんだ?」

「襲撃か!?」

 

 ナイトメアの襲撃ならばよくあることである。だがシェルターは極めて堅牢にできており、よほどのことがなければ傷すら付かないのだ。会議室まで届くような爆発音がするのはおかしい。

 ぞろぞろと外へ出た彼らが見たものは、目を覆いたくなるような惨状だった。

 

「シェルターにどでかい穴が開いちゃってるっすよ!」

「まずいです! ナイトメアが入ってきます!」

 

 クレミアが叫び、クリフは頭を抱える。

 緊急事態に、ゾルーダは声を張って呼びかけた。

 

「この中で戦える者はいるか!」

「俺はいけるぞ」

「私もまあまあっす」

「ここは俺に任せろ」

 

 ブラウシュとクレミア、カッシードが真っ先に手を挙げる。彼らは元々S級冒険者以上の実力があり、ナイトメアに後れを取るつもりはない。

 

「後方支援ならできます」

 

 魔法を得意とするクリフはそう言った。

 

「撲殺なら任せろ」

 

 伝説の木の棒を振り回し、撲殺フラネイルは気合十分である。

 

「そんなものが効くっすか?」

「安心してくれ。この武器は最弱だが、代わりにどんな相手にでも確実にダメージを与えられるのだ」

 

 撲殺フラネイルは不敵に笑った。

 

「さすがにナイトメアは無理!」

「私もどちらかと言うと苦手かなぁ」

「私、生産系なので><」

「俺も足手まといになりかねん……」

 

 モココとペトリ、パコ☆パコ、そしてオウンデウスは辞退する方向だ。

 だが四人も遊んでしまうということは、さすがにクレミアとしては避けたかった。

 

「待つっすよ。直接戦えなくても、私が作った魔光砲があるっす。使い方は魔力込めるだけっすよ。それで戦えないっすか?」

 

 魔光砲は、シェルターに備えられたナイトメア迎撃用装置である。

 

「そう言えば、そんないいものがあったわね」

「それなら大丈夫かもぉ」

「いけます/」

「足手まといにならんのなら……」

 

 全員の方針が固まってから、ゾルーダが言った。

 

「わかった。後方メンバーは僕が守ろう。グレイバルドさん。シェルターに穴を開けた奴をお願いします」

「任された」

 

 普通のナイトメアならば開けることのできないはずの穴が開いている。ということは、それができるほどの者が敵の中にいるということ。

 そいつに最大戦力である剣神をぶつけ、他の雑魚を全員で蹴散らす。良い作戦であるように思われた。

 

 だが……。

 

 ゾルーダたちは最後方に待機し、ブラウシュ、クレミア、カッシード、撲殺フラネイルが前を進み、やや後ろからクリフが追随する。

 前進する彼らを、予想外の光景が待ち受けていた。

 

「なんだこりゃあ!?」

「どうも様子がおかしいぞ」

 

 明らかにおかしいのは、ナイトメアの動きだった。

 普通、破壊本能のままに好き勝手暴れ回るはずのナイトメアが、まるで統率の取れた軍隊のように整然と進んでいるのだ。

 そして、ナイトメアの隊列の最後方――一つだけ肌色の人影があった。

 

「おい! 誰かいるぞ!」

 

 そいつが敵主格だと判断した撲殺フラネイルは、伝説の木の棒を手に勇み先陣を切る。

 

「あっ」

 

 その人物の人相に逸早く気付いたクレミアが引き留めようとしたが、既に彼との距離は開いてしまっていた。

 

 彼女が躊躇ったのは、ユウが血相を変えて行った忠告を覚えていたからである。

 

 そいつを見かけたら真っ先に逃げろ、と。

 

 だが……。

 クレミアは一考し、切り捨てた。

 あんな子供みたいなガキの言うことを聞く必要がどこにあるのか。

 そもそも、私たちの利害は大きなところで一致しているはずだ。きちんと話せば、味方になってくれる可能性の方が大きいだろう。ならなかったとしても、わざわざ敵対する意味もない。

 それに、一人先走った撲殺フラネイルを放っておくわけにもいかない。

 

「私たちもいくっすよ」

「だが……」

「しかし……」

 

 ブラウシュとカッシードもまた躊躇っていた。

 クリフは自分で判断せず、成り行きに任せようと後ろから黙って見守っている。

 そこに、グレイバルドが後押しした。

 

「なあに、私がいる。心配は要らない」

 

 彼がこんなことを言ったのは、彼には自分こそが最強であるという強い自尊心があったからである。

 ゆえに、逃げた方が良いなどというユウの忠告は癪に障るものであり、かえって逆効果となってしまったのだ。

 

「そうだよな」「剣神様がいるんだからな」

 

 グレイバルドの鬼神のごとき強さを信頼するブラウシュとカッシードは、頭をよぎった不安を吹き飛ばしてしまった。

 

 そして、彼らはその男と対面した。

 

 彼らアルトサイダーとの利害の一致から、彼らが泳がせ利用した男。

 彼らは知る由もないが、ラナをその手で殺害しかけ、世界を破壊した男。

 

「ほう――貴様ら。どこかで見た顔だな」

 

 ヴィッターヴァイツは、獰猛な笑みを浮かべていた。



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235「アルトサイダーの悪夢 2」

「貴様ら。よく来たな」

 

 ナイトメアの軍勢をその場に静止させ、ヴィッターヴァイツは抑揚のない声で言った。

 ナイトメアが止まったのを見て、彼がコントロールしているのだと全員が察した。

 とりあえず話し合いをする気があるとみたクレミアは、笑顔を作って歓迎する。

 

「そちらこそよく来てくれたっす。でもシェルターに穴開けなくても、表で待ってくれれば出迎――」

「違う。よくのこのことオレの前に出て来られたなと言ったのだ」

 

 ヴィッターヴァイツは途中で遮った。口をへの字に曲げ、あからさまな不機嫌と怒りを示す。

 確かに一時的な利害の一致はあっただろう。結果として役に立ったことも否定はしない。

 だが事実はどうあれ、利用してくれたことに変わりはないのだ。

 

 それも、こんな仕様もない人間ども――いや、人間未満の夢幻の類い如きが。

 

 彼の怒りを感じ取った一同は慌て、グレイバルドは無言で警戒を強めた。

 ブラウシュは頭を下げて詫びる。

 

「利用したような形になってしまったことは大変申し訳なかった」

「なるほど。やはりわかっていて利用してくれたのだな」

「本当にすまない。だ、だが、我々も役に立っただろう? あなたとはしっかり話し合い、同盟関係を結びたいと思っている」

「同盟関係だと? 同盟というのはな、対等な立場の者同士が結ぶものだ」

 

 ブラウシュの言葉は、火にますます油を注ぐものだった。

 ヴィッターヴァイツは憮然として告げる。

 

「オレと貴様らは、対等ではない」

 

 身の程をわきまえぬ愚か者どもには罰を与えねば。

 どうしてくれようか。彼は考える。

 

「少し前なら利用価値もあったが、既にちょうど良い手駒もたくさん見つかったのでな」

 

 整然と立ち並ぶナイトメアを顎で指して、ヴィッターヴァイツは嗤った。

 恐れを知らず、疲れを知らず、攻撃本能が強い理想的な兵士だ。

 どういうわけか彼の元へ吸い寄せられるように集まってくるナイトメアどもを次々と【支配】下に置き、今では十万ほどが彼に付き従っているのであった。

 そしてさらに言えば、アニエスに一度ならず二度までもしてやられたヴィッターヴァイツは、今虫の居所が非常に悪かった。とにかく苛立ちをぶつけて発散したい気分だった。

 ゆえに、当然の帰結として。

 

「貴様らは要らん。ここで死ね」

 

 まず見せしめにと、適当な一人に向けて手をかざし【支配】をかける。誰でも良かった。

 

「うわあ゛あああ゛ああーーーーーっ!」

 

 最初の不幸な犠牲者はカッシードだった。突如走った身を引き裂くような激痛に、彼はただ泣き叫ぶことしかできない。

 

 熱い! 熱い!

 

 体内の魔力が暴走し、あらゆる臓物を傷付けるのを彼自身はおろか誰も止めることができなかった。

 

 ヴィッターヴァイツがぐっと手を握ると、カッシードは無数の肉片となって弾け飛んだ。

 彼の近くにいたクレミアは、変わり果てた彼の一部を全身に浴びることになり、声にならない悲鳴を上げる。

 

 あっという間の出来事だった。

 あまりにあっけなく、信じがたい最期だった。

 カッシードはS級冒険者上位程度の実力は持っていた。腐っても大概の相手には後れを取ることはないだろうと自分で思っていたし、思われていたのだ。

 それがなすすべもなくやられてしまうとは。

 ユウの言っていた「とにかく逃げろ」という言葉が、今さらになって重く心に響いてくる。彼が敵対関係であるはずの自分たちに向けて、打算抜きの思いやりで忠告していたことにようやく気付いたのだ。

 だがもう遅かった。

 クレミアは恐怖に涙し、ブラウシュとクリフはショックでろくに動けなかった。グレイバルドは死闘を覚悟し、最大まで気と魔力を練り上げようとしている。

 

「この野郎! よくもカッシードを!」

 

 そんな中、一人我を忘れて激高したのが撲殺フラネイルだった。彼は新米アルトサイダーのとき、カッシードから色々と教わった身であり、彼とは特に親しかったのである。

 撲殺フラネイルは、無謀にも伝説の木の棒を手にヴィッターヴァイツへ殴りかかる。

 だがヴィッターヴァイツからすれば、あくびが出るほどトロい動きだった。

 攻撃が届くより先に、ヴィッターヴァイツは撲殺フラネイルがまったく知覚できないほどの速度で、手刀を一発だけ放つ。

 何もわからないまま、撲殺フラネイルは木の棒をヴィッターヴァイツを振り下ろそうとした。

 そこで気づく。 

 伝説の木の棒が――耐久度無限大であるはずの武器が、根元からすっぱりと切れてなくなってしまっていることに。ヴィッターヴァイツの手刀が木の棒をぶった切っていたのだ。

 気勢を削がれ、腰が引けた撲殺フラネイルをヴィッターヴァイツは蔑む。

 

「貴様。そんな棒切れでこのオレをどうするつもりだったのだ。まさかそんなもので殴り倒せるとでも考えていたのではあるまいな?」

 

 普通の剣すら使おうとしないとは。ふざけているにもほどがある。

 ヴィッターヴァイツは撲殺フラネイルの頭を片手で鷲掴みにした。

 頭蓋が軋み、悲鳴を上げる彼に対して、ヴィッターヴァイツは嘲けて言った。

 

「道具など要らん。殴るとは、こうやるのだ」

 

 土手っ腹にヴィッターヴァイツの拳がめり込む。撲殺フラネイルは何かが潰れたような、出てはいけない声を発した。

 当然、一発では終わらない。

 ヴィッターヴァイツにとっては相手を壊さないように注意しながら軽いジャブ程度の、撲殺フラネイルにとっては一発一発が拷問級の拳が、彼の全身をめった打ちにする。

 

「おっと。勢い余って殺してしまったぞ」

 

 ヴィッターヴァイツは確信犯的にほくそ笑み、事切れた彼をゴミのように投げ捨てた。

 身体中が真っ赤に膨れ上がり、元の顔がわからなくなるまで徹底的に殴られ、撲殺フラネイルは撲殺された。

 

「さて、まだ逆らう気のある者は――いるようだな」

 

 グレイバルドはブラウシュとクレミアに目配せする。「自分が食い止めるから逃げろ」と。

 

 副リーダーとしての自負があるブラウシュは申し訳なく思いつつ、未だ腰を抜かしているクレミアを支えて退避する。

 そしてクリフは、グレイバルドの判断よりも先に、一目散に背を向けて逃げ出していた。よほど恐ろしいのだろう。中身が死にかけの老人とは思えないほど、ほとんど子供のように喚いて走っている。

 だが逃げる方針を固めたからと言って、実際に逃げられるかは別の話である。

 

『逃がすと思うのか?』

 

 念話で脅しながら、ヴィッターヴァイツは練気功による衝撃波を三発同時に放った。

 グレイバルドは自身に向けられた攻撃を剣閃で弾きつつ、近くにいたブラウシュとクレミアに向けられたものも身を張って守った。

 皮肉にも、ヴィッターヴァイツから最も遠く離れていたクリフだけが、大きな風穴を身に開けて死んだ。 

 クリフまでもあっけなく殺されたことに苦い顔を浮かべながらも、グレイバルドは充実させた気で身体を強化し、高めた魔力を一身に込めた魔法剣をヴィッターヴァイツにぶつけた。

 ユウにもフェバル級と評されたグレイバルドの攻撃は中々のもので、ヴィッターヴァイツに《剛身術》を使わせた。

 

「お前の相手は私がしてやろう」

「してやろうとは。随分と大きな口を叩くではないか」

 

 事実、グレイバルドはヴィッターヴァイツを脅威に感じつつも、決して実力では負けてはいないと判断していた。

 

「今のうちに逃げろ!」

 

 グレイバルドが声を張り上げる。

 クレミアを支えるブラウシュは、頷くと再び逃げ始める。

 雑魚に張り合われるのも逃げられるのも気に食わないヴィッターヴァイツは、目の前の男に諭した。

 

「貴様、勘違いしているようだな。思い上がりを一つ正そう」

 

 

《時空の支配者》

 

 

 

 !?

 

 

 

 ヴィッターヴァイツの【支配】の十八番、時空支配が発動する。

 ブラウシュもクレミアも、そしてグレイバルドさえもぴくりとも動くことができない。

 

 ヴィッターヴァイツは、あえて認識だけはできる状態にしてこの技を仕掛けていた。

 だから三人には、身動きのできない恐怖を味わいながら後悔する時間がたっぷりとあった。

 ユウが警告していた、ヴィッターヴァイツの持つ厄介な能力。まさか自分たちに通用するものかと話半分に聞いていたチート能力の真の恐ろしさを、今さら身をもって理解したのである。

 

『くっくっく。我が《時空の支配者》は時と空間を操る。どうだ動けまい』

 

 所詮こんなものは同格相手には通用しない小手先なのだがな、と内心自嘲しつつ、そんな素振りは一切見せずに彼は続ける。

 

『この程度が効いてしまう貴様たちなど、いつでも【支配】下に置けるということだ。言ったはずだぞ。オレと貴様らは、対等ではないと』

 

 グレイバルドの顔面をぶん殴りつつ、よくよくわからせるように彼は言った。

 

『調子に乗るなよ。貴様にオレと同じ土俵に立つ資格はない』

 

 そして、グレイバルドだけ時間停止を解除する。残りの二人は逃げないように止めたままである。

 顔面を殴ったダメージは時が動き出すと同時再生され、グレイバルドは近くの建物の壁に突っ込んだ。しかし壁も止まっているので、壁は破壊されずに彼を弾き返す。

 決して小さくないダメージを受けたグレイバルドであるが、撲殺フラネイルと違ってそれで死ぬほどやわな鍛え方はしていない。彼は口内に滲んだ血をつばで丸めて吐き出し、ヴィッターヴァイツに問うた。

 

「なぜ私だけ動けるようにした?」

『なに。このまま一思いに殺すのも構わんが、それではつまらんからな』

 

 殴った手応えからヴィッターヴァイツにはわかった。

 確かに純粋な実力のみなら、こいつだけ他とは遥かに格が違う。なるほど口を叩くだけのことはあると。

 一方、グレイバルドは死を覚悟しつつも、ごく細い勝利の可能性に望みを見ていた。

 この男には慢心がある。再び技を使われる前に、実力で斬ってしまえば勝てると。

 

「……余裕こきやがって。後悔するがいい!」

「ふん。精々足掻いてみせろ」

 

 動けない二人をオーディエンスに、剣神とヴィッターヴァイツの激しい戦いが始まった。

 

 剣神と呼ばれるだけあり、グレイバルドの剣技は美しく冴え渡っていた。他のアルトサイダーを隔絶した身体能力を持ち、ヴィッターヴァイツも《剛体術》を常時駆使して対抗しなければならないほどであった。

 戦闘タイプのフェバルとまともに打ち合える者など、同じ超越者以外では滅多にいない。ヴィッターヴァイツは戦いを愉しんでいた。グレイバルドもまた、最大の強敵手と出会えたと興奮を隠せない。

 

 ところが……。

 

 戦いが進むうち、拮抗していたかに見えた戦いは、次第にヴィッターヴァイツのペースとなっていった。

 元々の《剛体術》に対する剣術の不利もあるだろう。動きに慣れたということもあるかもしれない。

 

 興奮が引いていく。戦いの熱が引いていく。徐々に大きくなっていく違和感が、ヴィッターヴァイツの首をもたげた。

 

 やがて、幾度目になる魔剣技をグレイバルドが放ったとき、もはやそれを易々と避けたヴィッターヴァイツは、違和感の正体にはっきりと気付いた。

 そして、すっかり興醒めしてしまった。

 

『やめだ。下らん』

『なに!? やめとはどういうことだ!?』

 

 グレイバルドとしては、まだまだこれからというところだった。こんなところで負けを認められるはずがない。

 ヴィッターヴァイツは、冷淡に告げた。

 

『貴様らラナソールの連中は、どいつもこいつも……。どこまでもゲームや遊びの気分が抜けておらん。自分が主人公――特別な存在か何かとでも思っているんじゃないのか?』

 

 ヴィッターヴァイツの知るところではないが、元々アルトサイダーには、当事者意識や緊張感――ある種の切実さに欠けるところがあった。それはラナソールの「プレイヤー」として生まれ育った彼らの性格なのである。

 だから遥か格上に棒切れで挑むなどという、ふざけた真似が成立するのかもしれない。

 グレイバルドは確かにラナソール髄一の実力者であるが、結局は「プレイヤー」パラダイムから抜け出せなかった。

 いかに強力な魔獣や魔神と戦おうとも、いかに凶悪なナイトメアと戦おうとも、それは「レベル上げ」であり「経験値稼ぎ」の範疇でしかない。

 根からの戦闘者であるヴィッターヴァイツは、剣神というかつての活躍華々しい男の、ただ華でしかない本質を見抜いてしまったのである。

「スキル」じみた型と見栄に嵌った戦闘スタイルに。

 わかってしまえば、なんとつまらない男だろう。

 確かにステータス上の実力は己やジルフに近しいのかもしれないが、それだけだ。

 これほどの肩すかし、期待外れもない。

 

 数千年に渡る修練を一蹴されたことに、どうしても納得のいかないグレイバルドは吠える。

 

「人は誰もが特別だろう。それに私は剣神と呼ばれた男だ!」

『そんなことを言いたいのではない。わからんのか? 貴様の強さには、代償が足りない。覚悟が足りない。血と肉の裏付けが足りない! そんな力など――薄っぺらいと言うのだッ!』

 

 ヴィッターヴァイツは激怒した。ふざけた夢の世界の連中すべてと、その代表たる一人である彼に向かって激怒した。

 彼こそは力の倫理に生きる者。

 弱さは罪である。弱ければ蹂躙され、すべてを失う。それがこの世の真理であるから、彼は下等な者に敬意を払わない。

 だがそれでも生きるに真摯足らない者は、強さ以前の問題である。

 

「ほざくなッ! 身勝手な殺戮者め!」

『わからぬならば、死をもって教えてやろう!』

 

 グレイバルドは、己を侮辱した敵を完全に殺すつもりで最大威力の魔剣技を溜める。

 対して、気のオーラを漲らせたヴィッターヴァイツは、猛然果敢とグレイバルドに突進を仕掛けた。

 どちらも当たれば致命傷となるほどのパワーを充実させている。

 

 勝敗を分けたのは、刹那に対する感覚の差である。

 

 大技を当てることに固執するグレイバルドは、虚実織り交ぜたヴィッターヴァイツの動きに翻弄され、ほんの一瞬だけ技のタイミングがずれてしまった。

 その隙を見逃すヴィッターヴァイツではなかった。

 何の技ですらない、質実剛健たるただの拳が、グレイバルドの胴のど真ん中をぶち抜く。

 即死だった。

 

 

 

 ちょうどそのとき、《時空の支配者》の効果が解けて、ブラウシュとクレミアは動けるようになった。

 だが二人とも動けなかった。余計な動きをすれば、一瞬で殺されると身体が理解してしまったからである。

 カッシードが弾け飛んだように。撲殺フラネイルが無残に撲殺されたように。クリフに風穴が開いたように。

 そして最も頼りにしていた最強の守護者が、たった今目の前で殺されてしまったように。

 何の尊厳もなく。ゴミクズのように死ぬ。

 だがこのまま何もしないでいても間違いなく殺される。

 詰んでいる。詰みとわかっていても、それでも二人は何もできなかった。

 恐怖から歯を打ち鳴らし、涙を浮かべるブラウシュとクレミアを、悪魔の獰猛な笑みが迎えた。

 

「さて。『命令』だ。貴様たちの知っている情報を洗いざらい話してもらおうか。残りの仲間の情報もだ」



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236「アルトサイダーの悪夢 3」

 ゾルーダは中々仲間からの連絡が来ないことに不安を覚え始めていた。既に各員に指示して援護射撃の準備は済んでいる。後は戦闘開始の連絡があればすぐにでも撃つつもりだったが。

 ヴィッターヴァイツと剣神グレイバルドの戦いの間は時間が停止していたため、彼の体感ではまだ戦闘と呼べるほどのものは発生していなかった。

 まさか前衛組の大半が既に死んでいるなどとはつゆも思いもしなかったのである。

 

 やがて、ブラウシュとクレミアだけが戻ってきた。不思議に思ったゾルーダは尋ねる。

 

「どうした? 敵とは戦闘にならなかったのか?」

「それが……ヴィッターヴァイツのおっさんだったんすよ」

「戦闘は中止だ。向こうとしてもシェルターが開かないから破っただけで、襲うつもりはなかったらしい」

「ヴィッターヴァイツだと……?」

 

 ユウが逃げろとしきりに警告していた相手である。

 だが二人が五体満足であるところを見るに、どうやら心配のし過ぎだったようだ。

 

「他のみんなはどうしたのかしら?」

 

 モココの疑問は当然であり、ゾルーダも次に聞こうと思っていた。

 

「あの男は俺たちの目的を知った上で手を組みたいそうでな。だがこちらの協力が確約できるまでは身柄を預かっておくと」

「なるほど。人質か。そのくらいは要求してくるものか」

 

 人質の方が多いことにどこか引っかかりを覚えながらも、ゾルーダはとりあえず納得した。

 向こうからすればこちらは利用してきた上にほぼ初対面の相手である。無条件で信用しろと言う方が難しいのは道理だ。

 それに万が一、グレイバルドさんがいるのだから心配はないはずだと彼は一人頷く。

 

「もし協力しない場合はどうなる……」

「人質を含め全員死ぬことになる、と」

 

 不安がるオウンデウスに、ブラウシュが抑揚のない声で言った。

 

「うわぁ><」

「大した脅しねぇ」

 

 パコ☆パコは素でどん引き、ペトリは苦笑いした。

 実際、それができるほどの実力はあるだろう。グレイバルドさんさえいなければ。

 

「まいったな。実質協力する以外の選択肢がないじゃないか」

 

 ゾルーダは困ったように笑った。だが元々協力できるのであれば願ってもないことである。

 

「わかった協力しよう。僕が出向けばいいのかい?」

「いや。その必要はない」

「ここで話してくれれば、あのおっさんにも伝わるっすよ。特殊な通信魔法がかかっているっすから」

「そうなのか。監視されているようでぞっとしないな」

「うむ。彼から質問を預かっている。すべてにきちんと答えてくれれば良いということだ」

 

 ブラウシュとクレミアのどこか事務的な口調に再度引っ掛かりを覚えながらも、とりあえずヴィッターヴァイツの質問にすらすら答えていくゾルーダ。

 彼は一応言う通りにした。

 正直なところ、向こうよりも先に自分たちだけ答えっ放しというのは彼には癪だったが、死の危険を伴う戦闘が回避できるのなら安いものだと考えて。

 

 そしてすべての質問に答え終わったとき、ブラウシュとクレミアはにっこりと笑って言った。

 

「ご苦労だったな」

「もう用済みっす。死ぬっす」

「は……?」

 

 突如の宣言に困惑するゾルーダたち。

 

 実のところ、ブラウシュとクレミアは【支配】されていた。

 

 受けた命令は、ゾルーダから情報を集めた後――速やかに自爆すること。

 

 二人が聞いた情報は【支配】を通じてヴィッターヴァイツに還元される。そして聞くものさえ聞いてしまえば、当然アルトサイダーになど用はない。

 二人の中の魔力が暴走し、人間爆弾へと急速に変質を始めた。

 血液が沸騰し、皮膚が変色して湯気を放ち、全身が達磨のように膨らみ始めるまで数秒もかからなかった。

 脳が溶け、ブラウシュもクレミアも壊れていた。まるで己の醜い変貌が当然であるかのようにへらへらと笑い続けている。

 ゾルーダはようやく悟った。

 ヴィッターヴァイツは始めから協力するつもりなどなかった。最初から自分たちを殺すつもりだったのだと。

 

「まずい! 全員、防御だ! ぼう――」

 

 ゾルーダの防御魔法を張れという指示が動揺した全員に伝わるよりも先に――二つの人間爆弾は大爆発を起こした。

 

 爆弾にする相手の魔力すべてを暴走させ、さらに質量の一部を核エネルギーに変換する人間爆弾。全質量全魔力を直接エネルギーに変える最強の爆弾に比べれば威力は相当に落ちるが、発動まで数秒足らずという速効性に利点があった。

 それでも威力は、シェルターを内側から粉々に吹き飛ばすほどである。

 

 そんなものを直近で喰らってしまえば――

 

 

「う、うう……」

 

 

 しかしゾルーダは、全身に重度の火傷を負いながらも、辛うじて生きていた。

 咄嗟に自分だけに張った防御魔法が功を奏した。

 グレイバルドほどではないにせよ、アルトサイダーの中で最も長く生き永らえてきた彼の実力は相当に高まっており、魔神種に迫るほどだったのである。人間爆弾の中では威力が低めだったことも幸いした。

 

「みんなは……」

 

 彼は周囲を見渡すものの、明らかに何一つとして無事なものはなかった。

 爆弾になったブラウシュとクレミアはもちろんのこと、モココ、ペトリ、パコ☆パコ、オウンデウスは跡形もなく消し飛んでいた。

 

「あ、ああ……あああっ!」

 

 彼は項垂れ、後悔し、絶望し、咽び泣いた。

 仲間の死が悲しいのではない。

 また独りになってしまった己の境遇に。数千年もかけて周到に築いてきた「自分の世界」が、一瞬で壊されてしまったことに。

 たった一度のミスで。すべてが台無しだ! またやり直さなければならないのか……。

 

 だが。だがまだ最悪ではない。自分さえ、このゾルーダさえ生きていれば――

 

 

 

「ほう。まだ生きていたのか」

 

 

 

「うわああああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああ゛あ゛ーーーーーーーーーーっ!」

 

 

 

 死ぬ! 殺される! いやだ! いやだいやだいやだ!

 

 

 芯が冷えるようなヴィッターヴァイツの声を聞いた瞬間、ゾルーダはすべてのプライドと後悔と悲しみさえも投げ捨てて、ただ逃げることを選択した。

 

「いやあああ゛ああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーーっ! じに゛だぐな゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛ーーーーーっ!」

 

 腰を抜かし、整った顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにして、あまつさえ失禁までしながら、ゾルーダは半狂乱になって逃げまどっていた。

 元はただ死にたくなかっただけの一般人。見てくればかり演じていた小物の化けの皮が剥がれた瞬間である。

 

「なんだその様は……。貴様が一番情けないぞ」

 

 あまりの醜態に、ヴィッターヴァイツも呆れを通り越して表情が固まってしまうほどだった。

 一瞬、こんな汚くて情けない奴を殺すのを躊躇ってしまうほどに。

 

 その一瞬が明暗を分けた。

 

 ゾルーダの姿が闇に溶けて消え始める。

 

「どこへ行くつもりだ!」

 

【支配】が間に合わないと見たヴィッターヴァイツは、消えゆく彼に向かって乱暴に殴りかかる。

 だが振るった拳は、わずかに彼を殺し切れなかった。

 右肩から先を綺麗に抉り取り、彼の右腕だったものをまき散らして、ゾルーダはアルトサイドから消えた。

 

「ちっ。オレとしたことが……。まあいい。あんな奴探して殺すだけ馬鹿らしい」

 

 ゾルーダを殺す価値もないと断じたヴィッターヴァイツは、アルトサイダーへのけじめは付けたと考え、ひとまず落ち着いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 命からがらゾルーダが逃げた先は、トレヴァークのどこかの平原であった。あまりに必死だったので、場所を指定する余裕もなかった。ただ違う世界であれば逃げ切れると考え、実際奴は追ってきてはいない。

 

「ひい……ひいっ……ひいい……」

 

 右腕が完全に抉り取られていた。痛みさえあまり感じないほどである。ただ、吹き出す血と表面のグロテスクさを目にして、それが自分の腕であることを理解して、ゾルーダは子鹿のように泣いた。

 とかく小心者である彼は、ラナクリムであれば適性レベルより30を上げてすべてを攻略するような男である。数千年も生きてきて、これほどの大怪我をしたこともなかった。

 おぼつかない手で回復魔法をかける。失った腕までは戻らないが、ひとまず血が出なくなるまで傷は塞がり、全身の火傷も完全とは言えないまでも治った。

 助かったという実感が、今度は直前の恐怖を呼び起こす。ヴィッターヴァイツの命を刈り取る一撃が、寸前まで迫っていた獰猛な顔が、脳裏に焼き付いて離れない。

 身を縮こまらせて震え泣きながら、それでも満身創痍の彼を支えるものは、異常なほどの生への執着心であった。

 

「僕は……死なんぞ……死に、たくない……死んで、たまるか……!」

 

 数千年もの間死を遠ざけて来た彼は、遠ざければ遠ざけるほど、死が怖くて仕方がないのである。

 悪運の強いことに、周囲に魔獣やナイトメアの姿もない。

 たった独りになってしまったゾルーダは、静かな平原をよろめきながら歩いていった。



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237「ヴィッターヴァイツの狙い」

 アルトサイダーにけじめを付けたヴィッターヴァイツは、彼らから得られた情報を整理する。

 

「ふむ。ダイラー星系列が出張ってきているのか」

 

 ダイラー星系列がトレヴァークを実効支配し、『事態』の解決に当たっていることを彼は知った。

 どうやら自身がラナに手をかけたことにより、ラナソールは半壊し、トレヴァークでは世界人口の約十分の一が昏睡しているようだ。さらには今彼が従えている闇の異形ナイトメアが各地で発生し、ラナソールの魔獣どもと徒党を組んで暴れ回っているらしい。

 

「さてどうしたものか」

 

 もちろん、あの生意気な赤髪の少女をなるべく後悔させてから殺すことも忘れてはいないが。

 

 もし生きているならば、トレインという男を見つけ出して落とし前を付けることが当面の大きな目標である。

 ラナは殺したはずだが、ラナソールは壊れかけたまま残っている。自分を縛り付けてくれたあの忌々しい世界を完全にぶち壊すにはまだ何かが足りない。おそらくトレインも殺す必要があるのだろうとヴィッターヴァイツは推測していた。

 問題は、そのトレインが影も形も見当たらないことである。あるいはアルトサイドのどこかに潜んでいるのかとも考えて探したが、この薄暗闇の世界はひどく見通しが悪い上に、感知系の技はことごとく阻害されてしまうため、結局は何もわからなかった。

 シェルターを見つけることができたのも、【支配】したナイトメアの感情を探ったとき、破壊したい対象として思い浮かべていたという偶然によるものである。ナイトメアどもには、トレインのことはそもそもわからないようだった。

 残念ながらアルトサイダーもトレインのことはよく知らなかった。大昔の伝説の人物であるというだけで情報が止まっている。

 心残りだが、手掛かりがない以上は一旦棚上げするしかない。

 

 それはさておき、聞き捨てならないことを聞いた。

 

「ホシミ ユウ。あの小僧、また懲りずにうろちょろしているのか」

 

 アルトサイダーがユウと接触したことと、世界の異変の解決を託したことは、怯え切った二人が勝手にべらべら話してくれた。

 だが、星脈の異常と宇宙そのものが終わるかもしれないという話については、彼は知り得なかった。ユウがアルトサイダーを信用しなかったことと、現地人に星脈関連の話をしてもややこしくなるだけと思い、彼らには一切話さなかったからである。

 もしこの時点で知ることができたならば、さしもの彼でも慎重になっていたかもしれない。

 あくまで「かもしれない」話である。知り得なかった彼にしてみれば、世界の混乱とフェバル級が大量に集うという実に面白い状況になっているのだった。

 

「聞けば、ユウに普段と変わったところはなかったという」

 

 ヴィッターヴァイツが気にしているのは、あの謎の黒いオーラを纏った状態のユウである。

 思えば、聖地ラナ=スティリアでは「なりかけ」だったのだろう。急激な力の増大が認められた。

 代わりになぜか以前【支配】を解除した能力は使えなくなっているようだったが。

 何より、自分に向けてくる身を刺すような殺意が、まさかあの甘いガキが発せるものだとは思いもしなかったが、素直に素晴らしいと感じた。 

 やはり腐ってもフェバル。きっかけさえあれば「こちら側」へ来る素質があったのかと、内心嬉しくも思ったものだ。

 

 しかし、その後――「なってしまった」ユウは、想像を遥かに超える力を持っていた。

 

 ラナに直接手を下したのは彼であるが、実質世界が壊れた原因の半分は、あの変貌したユウとそいつと戦っていた何者かである。

 ヴィッターヴァイツが純粋な強さに対して打ち震えたのは、ほとんど生まれて初めてと言っても良い。

 しかもあのユウにだ。

 この事実は彼に少なからぬ衝撃をもたらすと同時に、畏れと悦びの入り混じった強い興味を湧き起こさせた。

 

 アレと戦ったらどうなるだろうか?

 

 ――できるかもしれない。本当に勝てないかもしれない戦いを。フェバルとなってからついぞ経験することのなかった、真の意味での死闘を。

 

 戦闘者として純粋にアレと戦ってみたいという気持ちは、時間が経つにつれ高まる一方だった。

 だが一方で、率直に言ってしまえば、畏れてもいるのだ。

 しきりに自分の中の何かが警告している。アレと戦ってはならない。眠れる獅子を起こすべきではないと。

 自分でもおかしいとは思う。普通なら強敵は願ってもない。たとえ己が死すとも戦う一択である。

 なのにオレとしたことが、なぜ躊躇うほど畏れの感情が強いのか。まったく理解できなかった。

 

 きっと何かの気の迷いだろう。彼は魂からの警告を無視し続ける。

 

 しかしどうやらあの状態は一時的なものか、不安定のようである。

 ラナに手をかける直前、彼と対峙したユウは、まったくあの冷たさと圧倒的な力が抜けているように見えた。初めて会ったときと同じ、ただの甘ったれたガキだった。

 あの力と殺意を向けられなかったことに安堵した気持ちがないわけではないが、正直がっかりした気分の方が大きかった。

 そしてアルトサイダーと接触したときのユウも、どうやら甘ったれの方らしい。

 

「どちらが本当の貴様なのだろうな」

 

 ホシミ ユウとは極端な二面性を持つフェバルなのかもしれない、とヴィッターヴァイツは考えていた。

 人一倍純粋であるということは、何度も対峙すればよくわかる。

 純粋ゆえに嵌れば強い。おそらくは感情をトリガーにして力を爆発させるタイプの、極めて特殊なフェバルなのだろう。

 普段クソ雑魚なのは、うまく力を使いこなせていないから。

 

 何より、フェバルの力を振るうことに躊躇いがあるからだ。

 

 ヴィッターヴァイツは断ずる。躊躇いがあるから普段の貴様は弱い、と。

 

 ――本当は誰よりも化け物なんだろう?

 

 だのに人のふりをして。人の価値など信じている。

 ああ。気に入らない。本当に気に入らない。

 あの甘ったれた顔が。どこまでも人を信じて、人のまま足掻いてやろうという目が気に入らない。

 

 まるで昔の自分を見ているようだ。何も真実を知らなかった頃の馬鹿な自分を。

 

 どうせ運命は決まっているのだ。どうしようとフェバルは人とは違う。人と交わることなどできはしない。

 

 無理を通せば、待っているのは残酷な結末だけだ……。

 

 だのになぜ無駄なことをする? なぜ足掻く?

 

 そもそも、この力は何のために与えられた?

 決まっている。思う存分振るうために与えられたのだ。好きなだけ暴れるために与えられたのだ。

 下等な人間どもに、貴様らと己とは違うのだと叩き付けるために与えられたのだ。

 

 運命を受け入れろ。力を受け入れろ。

 フェバルは絶望してこそ相応しい。力を振るうに相応しい者であれ。

 

 ――真に資格のある者ならば。

 

「……誰も貴様に教えぬと言うなら。オレが貴様に現実というものを教えてやろう」

 

 アルトサイダーから得た情報に、ヴィッターヴァイツはほくそ笑んだ。

 

「ホシミ ユウ。親しい者が傷付けられたとき、果たして貴様はそのままでいられるかな?」



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238「英雄の条件」

 成り行きから運命共同体となったダイゴとシェリーは、現実世界を闊歩する魔獣をやり過ごしながら、安全な町へ向かうべく地図を頼りに移動を続けていた。

 最初のうちこそ、いい歳したおっさんが年頃の娘を連れ歩くという犯罪的絵面にどうしたものかと頭を悩ませていたダイゴであったが、すぐにそんなことを気にしている余裕もなくなった。

 ダイゴは攻撃、シェリーは回復と綺麗に適性分担がされている。どちらかが欠けても生存は絶望的である。協力が不可欠であると互いに理解し、数日もすれば適切な距離感を作れるようになっていた。

 

 二人にとっての不幸は、聖地ラナ=スティリアの近辺に大きな町はなく、そのためダイラー星系列は意図的に警護対象から外していたことだった。さらには電波通信も阻害されているため、救助を求めることもできない。

 散々苦労して近隣の町に辿り着いた二人が目にしたものは、人々が食い荒らされ、無残に壊滅した都市の姿だった。

 いっそ聖地ほど徹底的に破壊されていれば、冷静に跡地として見ることもできたのであるが……血肉と腐臭が漂う街並みは、ピリー・スクールに通う一般の学生には生々し過ぎた。

 シェリーは涙混じりに吐き戻してしまい、そんな彼女をダイゴはおろおろしながらさすってやることしかできない。

 そしてこの光景もまた、自分の片割れが――フウガが好奇心と気まぐれで手を貸してしまったことによる結果なのだと、根は小市民である彼を罪悪感が打ちのめしていた。

 シェリーが落ち着くのを十分待ってから、ダイゴは提案した。

 

「食料と水を探すぞ。マーケットに行けば、無事な缶詰やら何やらいくつかあるだろう」

「そう、ですね。本当はお金を払うべきなんでしょうけど……拝借することにしましょう」

 

 やがて二人はマーケットを見つけた。

 だが非常時に考えることは皆同じだったようだ。既に店内はひっくり返された後だった。人が食べた後なのか、あるいは魔獣が引き裂いたのか食べてしまったのか、無事なものはすぐには見当たらない。

 また、外に比べて死体が遥かに多い場所でもあった。魔獣にやられたとみられる者が多いが、人同士の争いによって命を落としたと思われるものも散見された。

 

「シェリー。大丈夫か」

「あんまり……でも少し慣れてしまいました」

「すまんな。待ってろというわけにもいかねえし……」

「わかってます。離れるのは危険だってことくらい」

 

 腐臭をこらえながら二人でくまなく店内を探すと、缶飲料や缶詰でいくつか無事なものが見つかった。詰められるだけ詰めて、二人はこの町を後にすることにした。

 

 近くに魔獣がいないことを確かめてから、木陰で腰を休める。

 缶飲料と缶詰を一つずつ開けてささやかな夕食とした。

 先は長い。無駄喰らいはできない。

 一心地ついたところで、ダイゴが火魔法を起こして暖を取る。日が沈んだ後の明かりにもなる。

 いつ魔獣が襲ってくるかわからないので、交替で仮眠を取る必要があった。体力のないシェリーには夜間しっかり寝てもらい、明け方にダイゴが少しだけ眠る。現状はこれで回している。

 先に横になったシェリーに、ダイゴは話しかけた。

 

「もう随分になるよな。親御さんが心配してるだろう」

「あっ……いえ。両親はもういません。夢想病で」

「そうだったのか……。悪いこと聞いたな」

「いいえ。よくある話ですから。結構前のことですし」

「じゃあシェリーは一人でずっと暮らしてたのか?」

「はい。最初は大変でしたけど、慣れてしまえば何とかなるものです」

「……人生、辛かったりはしねえのか?」

「うーん」

 

 シェリーは首をひねり、真面目に考えてから答えた。

 

「辛いことがないと言えば、嘘になりますけど。私自身は結構楽しんでいる方かなって思います。友達もいますし、夢想病で苦しんでいる人を助けるっていう目標もありますし」

「そうか。立派だな」

「そんなことないですよー。私なんてまだまだ子供ですし」

「歳ばかり食っちまった俺なんかよりよほどしっかりしてるぜ」

「ダイゴさんはどうなんですか?」

「お、俺か? 聞いてどうすんだよ」

「悩みがありそうでしたから」

 

 邪気のない瞳が彼を貫く。

 実にガキ臭い――穢れを知らない目をしてやがるとダイゴは思う。

 目の前の人物が惨状の元凶の一人であることを知ったら、どんな顔をするのか。

 白状する気にはなれないが、彼の罪悪感が心情を吐露させた。

 

「……俺はさ。ろくな人生じゃねえって思ってたんだ」

「そうなんですか?」

「ああ、思ってた。くっくっく。馬鹿な話だよな。あのクソだと思ってた日々が、今は宝物に思えて来るんだよ」

 

 自分がしでかしてしまったこと。これは単なる一時的な異変ではない。

 日に日に数を増し、凶悪さを増していく魔獣ども。醒めない眠りにつき、傷付き、殺されていく人々たち。

 もしかしたら、このまま世界が終わってしまうほどの――。

 

「取り返しのつかないことになっちまった。失ってやっと気付くなんてよ」

 

 項垂れるダイゴは、シェリーには泣いているように見えた。泣きたいけど泣き方がわからない不器用な男が弱っているように見えた。

 

「私にはあなたの事情はわかりません。けど、後悔してるんですよね?」

「そう、だな……。後悔してるんだろうな」

「なら、その気持ちを大切にして下さい。もう繰り返さないように。すべてが元には戻らなくても。生きているなら、できることはあります。ここからやり直すことはできるんです」

「……ふん、やり直すだと? 綺麗事だな」

 

 彼は吐き捨てた。

 

「俺くらいになるとな、世の中にはどうしようもないことの方が溢れてるって、嫌でも思い知っちまうのさ。やり直せば、死んだお前の両親が戻るのか? あの町の連中が帰ってくるのか? 平穏な日常ってやつが戻ってくるのか? なあ、俺たちに何ができる? 明日には魔獣の餌になってるかもしれないぜ。世界そのものが終わってるかもしれねえ。もう遅いんだ。やり直すもクソもねえんだよ」

 

 言ってしまった直後に、ダイゴはまた後悔した。いくら彼なりの正論でも、いたいけな少女に大人げなくぶつけて良い言葉ではなかった。

 しかし少女はたじろがなかった。

 

「そうかもしれません……。でも……ちょっと聞いて下さい」

「なんだよ」

「私の友達に、すごいけどすごくないような、変な人がいるんです。その人は……ぱっと見は全然頼りなさそうなんです。下手すると私とほとんど変わらないくらいの子供に見えるほどで。ちょっとしたことですぐ慌てたり顔を赤くしたりするし」

 

 ある人物を浮かべながら、彼女は語る。

 

「でもすごいんですよ。いつでもどこでも一生懸命で、気が付くとたくさんの人を動かして、世界中の人を助けて、笑顔にしていて。私も数え切れないほど助けてもらいました。きっと今も世界のために戦ってるんだと思います」

「そいつは……」

 

 ダイゴの頭をよぎったのは、ある人物だった。あのとき、誰よりも強情に抵抗していた者。大切な日常を守るために最後まで足掻いていた者。

 

「あるとき、聞いたんです。どうしてそこまでやれるのか、他人のために一生懸命になれるのかって。大した見返りがあるわけでもないのに。そしたらなんて言ったと思います?」

「わからねえな。そんな奴の気持ちなんてよ」

 

 ふふ、とシェリーは笑った。

 

「そうです。わからないって言うんですよ。あんまり深く考えたこともないって。ただ困っている人を見たら放っておけないからって。笑ってそう言ったんですよ」

「なんだそりゃあ」

「ね。なんだそりゃあ、ですよね。本物の英雄っているんですね。私、思いました。とても敵わない、真似できないって。こんなすごい人がいるのに、私のやることにどれだけの意味があるのだろうかって」

「そりゃあ、そうだろうよ」

 

 世の中は一握りの権力者や天才、英雄と呼ばれる者が動かしている。

 彼が知る限りあいつは、ただラナソールで英雄ごっこをしているだけの連中とは違う。現実では燻っていただけの自分とも違う――本物だった。

 

「でもあるとき、見ちゃったんです」

 

 ダメだった。助けられなかったって。人影で泣いている彼を。

 小さく縮こまって、まるで年下の子供が震えているように彼女には見えた。そんな姿を見たことがなかった彼女には衝撃だった。

 

「私、いたたまれなくて。仕方ないですよって慰めに行ったんですけど……あの人はどうしても割り切れなかったみたいで。つい聞いてしまいました。じゃあどうすればよかったんですか? って」

「なんて言ったんだよ」

「またわからないって言うんですよ。今度は困ったように笑って。泣きながら笑って。どうすればよかったのかなんて、何が正しいのかなんてわからないって。ただ……」

「ただ?」

「わからないけど、それでもきっと自分にも何かできることはあるはずだって。いつも迷いながら、それを探し続けているんだって……それを聞いたとき、私、思ったんです。この人も本質的には同じなんだ。同じ悩みを持った等身大の人間なんだって」

 

 シェリーは瞑目し、考えをまとめてから続ける。

 

「じゃああの人と私と、何が一番違うんだろうって。そして気付きました。英雄の条件に」

「へえ。そいつはなんだ?」

「諦めの悪さです」

 

 きっぱりと言い切った少女に、ダイゴはずっこけそうになった。

 

「そんなものが? マジで言ってんのか?」

「マジです。見ててわかったんですけど、その人、滅茶苦茶諦めが悪いんです。どんなときでも簡単に諦めようとしないし、終わった後でももっとどうにかならなかったのかってずっと考えてます。次はできるように、今度はもっと上手くいくようにって」

 

 人よりもずっと諦めが悪いから、結果として人にできないことまで何とかしてしまうことが多いという因果関係に彼女は気付いた。彼自身の能力の高さもまた、諦めの悪さから己を高め続けた結果なのだろうとも。

 それは誰にでもできるようで、滅多にできることではない。ほとんどの人は困難を前にすれば、何かと理由を付けて目を背けたり、諦めてしまうから。

 

「私もできるだけ見習ってみることにしたんです。ほんの小さなことかもしれないけど、私だからできることもあるはずなんだって。知ってましたか? 人は誰でも小さな英雄になれるんですよ」

 

 彼女の書いた夢想病ブログのおかげで助かった人は数多い。両親をその病で失い、その病と戦ってきた彼女だから書ける文章だった。

 

「だから、きっとダイゴさんも……」

「長話までして、結局言いたいことはそんなことか?」

「うっ」

 

 剣呑な目で睨んだため、さすがのシェリーも怯んだ。

 

「……ちっ。わかったからさっさと寝ろ。明日も早いんだぞ」

「あ、すみません。つい熱くなってしまって……寝ますね」

 

 やがて気まずそうにしていたシェリーが寝静まった後、ダイゴは一人毒吐いた。

 

「俺だからできること、か……そんなもの、知るかよ」

 

 ひとまずはこのガキを無事送り届けることくらいだ。そのくらいはしなければ。

 そんな思考になっていることに、毒されたことを苦々しく思いながら、ダイゴは夜の番を続けた。



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239「トリグラーブ強襲」

 ラナの記憶にはまだ続きがある。それを見るためには、次の場所へ行って記憶のオーブを回収しなければならない。

 何となくではあるが、次の場所までの大まかな距離と方角はわかるようになっていた。

 

「たぶん次の記憶はトレヴィス大陸にあるな。距離的にはグレートバリアウォールのどこかっぽいんだけど」

「じゃああたしの転移魔法で近くまで行って探してみますか」

「そうだね。頼むよアニッサ」

 

 四人で移動しようとしたところだった。突然リクから心の声が飛んできた。

 

『大変だ! 大変なんです!』

 

 ひどく焦っているのが伝わってくる。

 

『どうした!?』

『町にいきなり大量のナイトメアが現れて――機械兵士たちが応戦してるんですけど……って、うわあああああああああああ!? 機械兵士まで一緒になって暴れ出したああああああああ!?』

『おい! 大丈夫か、リク! すぐ行くからな!』

『はいいいーーー! 待ってますーーー!』

 

「何だか妙な胸騒ぎがして落ち着かないぜ」

「私も」

 

 リクと繋がりのあるランド、そしてシズハと繋がりのあるシルヴィアもただならぬものを感じているようだ。

 ナイトメアが現れたのはまだわかる。いつかはその時が来るだろうとは思っていた。

 だけど機械兵士まで暴れ出すってどういうことだ。

 

 ……そうか。俺はそれができる奴を一人知っている。まさか、あいつが?

 

 そのとき、まるで己の存在を知らしめるかのように一つの反応が現れた。

 

 距離と方角からしてトリグラーブの付近。遠く離れていてもはっきりとわかるほど強大なフェバルの気。

 

 やっぱりか。ヴィッターヴァイツ……!

 

 誰かを支配して出せる規模のパワーじゃない。紛れもなく本体だ。とうとうトレヴァークにまでやってきたのか!

 

 アニッサも奴の気配を感じ取ったのか、顔をしかめている。俺が気の読み方を教えてあげたランドにも恐ろしさがわかったようで青ざめていた。シルヴィアだけは何も感知できていないのか、普通にしているが。

 

 まずいぞ。よりによって奴を迎え撃てるフェバル級の味方がいない。

 悔しいけど、俺じゃ奴には太刀打ちできない。

 だが逃げる選択肢なんて考えられない。

 トリグラーブにはみんながいるんだ。もし聖地ラナ=スティリアと同じことになんてなったら……!

 

「ユウさん。なんなんすか? あの馬鹿でかい気は?」

「またあいつ? 本当に邪魔ばっかりするんだから!」

「え、え? やっぱり何かあるの?」

『ユウくん。外が大変なことになってて……どうしよう?』

 

 ハルが不安に怯え、三人がそれぞれの反応を示す中、俺は決断した。

 行こう。敵わなくても何かできることはあるはずだ。

 機械兵士が操られたとはいえ、ダイラー星系列がやられっぱなしでいるとも思えない。間違いなく応戦する。

 そこに助力すれば、追い返すくらいのことはできるかもしれない。せめて親しい人たちの安全を確保するだけでも。

 

「予定変更だ。すぐにトリグラーブに行こう。アニッサ。転移魔法を頼む!」

 

 アニッサに顔を向けると、彼女は叱られた子供のようにしゅんとなっていた。

 

「すみません。ダイラー星系列が転移プロテクトをかけちゃってるせいで、直接は飛べないんです……。いくらか離れた場所なら行けるんですけど……」

「そうなのか。くそっ!」

 

 ダイラー星系列なら、その手のプロテクトくらいわけないよな。俺の『心の世界』のパスが特別なだけか。本来なら奇襲とかから防護する役目を果たしているのだろうけど、今に限っては完全に裏目だ。

 

「ごめんなさい。あたしにもっと力があれば……」

「君が悪いわけじゃない。しょうがない。俺だけでも先に行く! みんなは付近に転移してからなるべく早く来てくれ!」

 

 ランドとシルヴィアを巻き込んで良いか迷ったけど、トリグラーブを守り切れなければどうせみんな死ぬ。少しでも戦力はあった方がいい。

 

「ランド。手を!」

「あいよ!」

 

 俺はリク-ランドパスを使ってトリグラーブに飛んだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 突如として出現したナイトメアの軍勢は、従来の散発的かつ非理性的なものとは明らかに規模も性質もかけ離れていた。

 配下の機会兵士も暴走したことで、ダイラー星系列は混乱し、ブレイとランウィーも対応に追われていた。

 

「どうなっている。まるで統率の取れた軍隊のようだ。狙って人間だけを攻撃しているぞ」

「まずいです! シェリングドーラとレプタントも制御下を離れて暴れ始めています!」

「なんだと? 誰がやったんだ。電波妨害や単純な遠隔操作に対してはプロテクトをかけていたはずじゃないのか」

「はっ! もしやフェバルの能力によるものでは!?」

「大規模の操作能力か……? だとしたら派手にやってくれたものだな。能力に耐性のあるのは、バラギオンくらいだ」

 

 ダイラー星系列の操る焦土級以上の兵器には、特殊攻撃保護機構という機構が備わっている。

 いわゆるフェバルの能力である星脈性特殊攻撃と、その他ダイラー星系列が致命的であると規定する数十種の非星脈性特殊攻撃から防護する機構である。

 ただし、多種多様に渡る特殊攻撃をガードする関係上、極めてエネルギー消費が激しいため、緊急時にマニュアル操作しなければ機能しないようになっていた。

 ただ一機例外がある。特別仕様のバラギオンであるフォアデールは高級バッテリーのデュコンエーテリアルドライブを内蔵しており、特殊攻撃保護機構の常時展開が可能であった。

 

「よし。バラギオンを直ちにプロテクトし、六体に大規模攻撃からの防御結界を張らせろ! さらに残りの五体は各敵対象破壊に向ける。シェリングドーラとレプタントはどうにもならん。ナイトメアと共に破壊対象とする!」

 

 敵がフェバル級ならば、防衛すべき拠点を丸ごと消し飛ばしてしまうような大規模攻撃をまず警戒しなければならない。

 バラギオン複数体であれば、相乗効果によって、星撃級の攻撃でも数回までならば耐えるような防御結界を建物の一つまでくまなくかけることができる。といっても数回が限度であるから過信はできないが、その間に元凶を叩く時間を稼ごうという狙いである。

 そして、特殊攻撃保護機構のない焦土級未満の兵器を処分する苦渋の決断をも下したブレイであるが。

 

「……! おい、今の感じたか?」

「はい。直ちに反応付近の映像を映します!」

 

 探知機器が捉えるまでもなく、ヴィッターヴァイツがあからさまに力を解放したのを二人は感じ取っていた。

 ランウィーが機器を操作し、モニターに映ったのは、一人の大男が、トリグラーブへ援護に向かおうとしていたバラギオンの一体と交戦しているところだった。

 

「あっ、バラギオンと交戦し――ダメですね。破壊されました」

「バラギオンが数合ともたんか。厄介だな」

 

 実力からして戦闘タイプのフェバルと見て間違いないだろう。それも相当に力があるようだ。

 

「天下のダイラー星系列と知っての狼藉。よほど自信があるのか、馬鹿なのか……。ただでさえ頭が痛いのに、まったく舐めた真似をしてくれる」

 

 ブレイは憮然とした表情で眼鏡を押し上げてから、ランウィーの目を見つめて言った。

 

「ランウィー。君は各員と協力し、本星への報告と後方支援にあたってくれ。特にバラギオンがこれ以上破壊されないよう保護を優先し、私に適宜状況を報告するように」

「あなたはどうするおつもりですか?」

「あの男の対処だ。私自ら行く。もし私が敗れた場合は拠点を放棄し、一時撤退せよ」

 

 ブレイ自らヴィッターヴァイツと戦い、敗れた場合はトリグラーブを明け渡して逃げろという命令だった。

 つまり彼には絶対の勝てる自信がないということである。

 彼女の瞳が不安に揺れた。

 

「敵はかなりの力を持っているように見受けられました。本当にお一人で大丈夫ですか?」

「重々承知の上だが、放っておくわけにもいかない。条約がある以上は、可能な限り現地人の人命を守るというのが私の仕事だ。それに私はフェバルだ。命は安い」

 

 命が安いという言葉に一瞬ランウィーは悲しげに視線を迷わせたが、上官の命令は絶対である。彼女は反対の言葉を呑み込んだ。

 

「それよりも君を失うわけにはいかないんだ。私が一人で行く。いいな」

「……はあ。あなたは本当に苦労性ですね」

「すまないな。心労をかける」

「承知しました。ご武運を。無茶はしないように。現地人命の救助は絶対の義務ではありませんので」

「わかっているさ。行ってくる」

 

 決意を胸に暫定政府を飛び出したブレイであるが、肩すかしを喰らうことになった。

 

「……どこだ。どこへ消えた?」

 

 いつの間にか、ヴィッターヴァイツは忽然と気配を消してしまったのである。

 ヴィッターヴァイツは、フェバルとしては珍しい実直な鍛錬者であり、極めて高度な自己制御ができる者である。

 彼は己の気配を巧妙に消していた。

 先刻のバラギオンの破壊は宣戦布告としての行為であり、また「捉えられるものなら捉えてみろ」というあからさまな挑発行為でもあったのである。

 仕方なく、彼はランウィーに通信した。

 

「ランウィー。常に目を光らせておいてくれ。何か動きがあればすぐに教えてくれ」

『承知しました。なるほど。こうなることを見越して先に目を奪ったわけですか……。敵は大胆不敵にして、中々老獪のようですね』

 

 普段は目となるはずの多数の機械兵士を失った彼らには、男の居場所は容易に掴めない。



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240「トリグラーブ攻防」

 リクの前に現れた俺はひとまず彼が五体満足なのを確認してほっとする。運良く襲われなかったようだ。

 

「ユウさーーーん!」

 

 安心感からか泣きつく彼を、気持ちを理解しつつもなだめて引き離す。

 来たはいいものの、あの男を相手にリクを守りながら戦うのは無理だ。下手をすれば奴はリクを優先して狙う恐れすらある。一緒には行けない。

 けど単純に一人にするわけにもいかない。幸運はいつまでも続かない。襲われればリクはひとたまりもない。

 非常事態だ。ハルにかけているほどは無理でも、強めの《マインドリンカー》をかけることにした。

 自分の変化に気付いたリクは戸惑っている。

 

「あれ? なんかふわふわして落ち着かないんですけど。ユウさん何かしました?」

「補助をかけた。その辺のナイトメアになら簡単にはやられないくらいの強度はあるはずだ。でも過信しちゃダメだよ。君は戦い方を知らないから。その力は自分の身を守るために使ってくれ」

 

 俺の言葉や素振りから、自分と一緒にいるつもりはないと確信したのだろう。リクが尋ねてくる。

 

「ユウさんはこれからどうするつもりですか?」

「じきにランドたちも来る。みんなと合流して元凶を叩く。……この襲撃は人為的なものだ。ナイトメアを制御し、機械兵士を操っている奴がいる」

「そんな! こんなひどいことをする奴がいるんですか!? どうして!?」

 

 リクは狼狽し、怒り、目にはまた涙が滲んでいた。

 

「さっきだって! 外で子供たちが助けを求めてたんだ! 僕は……僕は、ここから見ていることしかできなかった! あの闇の化け物が何の罪もない子供の胸を突き刺すのを! 首を刎ねるのを! 僕が弱いから! 何の力もないからっ! ただ震えて、ユウさんに助けを求めるしかできなくて……っ!」

「……仕方ないさ。誰だって戦うための力を持っているわけじゃない。せめて君が無事なだけでもよかった」

「僕、悔しいです……! 許さない。僕はそんな奴絶対に許さない! ユウさん、やっちゃって下さい!」

「ああ。やれるだけのことはやる――俺だって怒っているんだ」

 

 

 リクの家を飛び出した俺は、まず奴の気配を探した。

 ヴィッターヴァイツはどこにいる……?

 ……見つからない。どうやら完璧に気配を消しているようだ。ダイラー星系列に容易に位置を悟られないようにしているのか。

 悪意感知でも無理だった。

 まったくナイトメアが忌々しい。強烈な悪意を持っている対象が多過ぎて、とてもじゃないが奴を特定できない。普段は鋭敏に働く悪意感知がかえって鬱陶しいほどだった。

 

 正気を失った殺戮メイドが一体、俺に向かって光線銃をぶっ放してくる。

 易々とかわした俺は、返す刃で――いや、こいつは単に操られているだけだ。元々が凶悪なナイトメアと違って、【支配】から解放すれば。

 斬り倒すに代えて、咄嗟の判断で右手を頭部に押し当てる。

 

《マインドディスコネクター》

 

 心の力が【支配】を打ち破る。どうやら生物じゃなくてもちゃんと効くみたいだな。

 本来の理知を取り戻したシェリングドーラは、放心したように俺を見つめている。もう俺をどうこうしようというつもりはないらしい。

 また【支配】されるということもない。俺がこの技をかけた相手には耐性ができるようだ。

 

「俺の言ってることがわかるな? お前からすれば俺も敵かもしれないが、何を最優先すべきかはわかるはずだ。さあ行け!」

 

 彼女はこくりと頷き、本来の任務に戻っていった。これで一人でも助かるといいけど。

 奴が見つからない以上、まずはどうする。どこへ行くべきか。

 シズハがいるエインアークス本部か。ハルのいる市立病院か。

 エインアークスには戦う人間が揃っているけれど、あくまでも現実世界基準だ。ナイトメアや機械兵士を前にすれば、無力な一般人とそう変わらない。助けが必要だ。

 どちらに向かうにせよ、一旦街の中心部には行くことになる。

 リクのアパートから都心部に向かって、見かけたナイトメアを光の気剣で斬り払い、機械兵士たちは正気に戻しながら駆けて行く。

 道中、逃げ惑う人々に何度も出くわした。どこでも騒音や人の泣き叫ぶ声は止まない。

 目の前で危ない人がいれば、助けられる者は助けた。助けないわけにはいかなかった。

 感謝を言ってくれる人もいれば、身を嘆くばかりの人もいる。身内を目の前で殺されたある人は、目の光を失い、項垂れるだけで何も喋ってはくれなかった。

 どんなに急いでも、俺が見つけたときに事切れていれば手遅れだ。

 俺が見たときには、既に首に手をかけられている者もいた。必死に手を伸ばしたが、間に合わなかった。涙を堪えて敵を斬った。

 せっかく建物に逃げ込んでも、特にナイトメアの奴らは人の恐怖を知る術に長けているらしい。徒党を組んで襲撃していた。中ではどんな悲惨な状態になっているのか。想像するだけで心が痛む。

 できることなら、建物の一つ一つに押し入って、奴らをすべて叩き出してやりたい。みんなを助けたい!

 だがそれには時間が足りない。人手が足りない。力が足りない!

 戦える者の少なさを嘆く。せめてここがラナソールなら話は違っただろう。レジンバークの屈強でユーモアに溢れる冒険者たちは、心無い侵略者たちの横暴を決して許しはしないはずだ。それにレンクスやジルフさん、エーナさんがいれば……!

 だがここは現実世界。御伽話の英雄たちはいない。フェバルもいない。

 巨敵に挑むにはあまりにもちっぽけな自分たちだけだ……。

 リクじゃないが、俺も叫びたい気分だった。

 全員を助けられない無力な自分が悔しい。

 

 ヴィッターヴァイツ! どこだ!

 どうしてこんなことをする。何が目的なんだ。こんなことをして何になる? ただ力のまま衝動的に暴れ回ることがお前の生き甲斐だって言うのか? 本当にこんな恐ろしく、何も生まないことが!?

 ならちまちまと手駒に攻撃させるのはなぜなのか。あいつがその気になれば、トリグラーブ一帯が消し飛んでしまっても不思議ではないのに。

 

 答えはやがてわかった。

 近くで大きな爆発が起こったが、見えない何かに弾かれるして掻き消えたのだ。

 そのとき、結界的なものが建物を守っていることに気付いた。

 力の発生源は――。

 空を見上げる。上空にバラギオンが六体――一体は紅い――が集まって、防御を張っているのが見えた。周囲ではさらに四体が旋回しながら、光線を雨あられと放って次々と敵を撃ち殺している。

 どうやらバラギオンは奴に操られずに応戦しているようだ。実に十体のバラギオンが一堂に会するなんて、エルンティアのみんなが聞いたら倒れそうだ。

 だが今だけは敵の敵であることを心強く思う。もしバラギオンまで襲う側に回っていたらやばかった。

 

 なるほど。ダイラー星系列がしっかり防御を固めているから、まだこの街が無事な姿を保っているんだな。それに考えてみれば、大きな攻撃を仕掛ければ必ず彼らに位置がバレてしまう。

 ヴィッターヴァイツの慎重さには敵ながら舌を巻く。あいつ、やることは派手なくせに計算高いんだよな。結局俺たちが探し回っても奴の居場所は特定できなかったし。本当に厄介だ。

 

 都心部に差しかかったくらいで、ランドから心の声で呼びかけられた。

 

『ユウさん! 今どこにいるんだ? 俺たちも近くに転移して、今走って向かってるとこだぜ!』

『もう街の中だよ。中央区にいる。ただ、敵の居場所がわからないんだ』

『もし見つけても一人で早まらないで下さい。あたしたちもすぐ行きますから!』

『わかってる。俺も一人で戦おうなんて思ってないよ』

 

 できることならな。他のみんなと合流するまで、奴が悠々と沈黙を貫くのか。俺には自信がなかった。

 シルヴィアから活の入った声が飛んでくる。

 

『シズハから伝言よ! 彼女は私の力を使ってみんなを守ってる。だからこっちは心配するな、お前はお前の仕事をしろ、ですって!』

『そうか。君と心を繋いだときに副作用で力も繋がったのかな』

 

 何にしてもありがたい。上位S級冒険者であるシルヴィアの力を使えるシズハなら、簡単にやられはしないだろう。リクと違って戦い方をよく心得ている。

 だったら俺は病院へ行こう。

 ハルが心配だ。繋がって力を与えているとは言え、彼女はとても戦える身体じゃない。パワフルエリア外では歩けないから、自分では満足に逃げることもできない。

 ひどく怯えているのはしきりに伝わってきている。それでもなるべく俺に心配をかけまいと、自分のために助けを求めるのを我慢しているのだ。

 そんな健気な彼女の頑張りも、状況は許してくれなかった。

 

『ユウくん。どうしよう……。ナイトメアが入ってきた。すぐ下の方で悲鳴がするんだ……。怖いよ……』

『ハル! 待ってろ。もうすぐだ。すぐ助けに行くからな!』

 

《パストライヴ》を駆使し、俺はわき目も振らず駆け出した。

 もうそんなに距離はない。急げ。彼女が危ない!



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241「弱き者の代償」

 嫌な予感がする。

 逸る気持ちを速度に変えて、病院に辿り着いた俺が見たものは、白い壁がいたるところ赤く血で染められた光景だった。

 吐き気のするような惨状を除けば、不気味なほど静かだった。

 生きている人の気配がほとんどない。ナイトメアも、どういうわけかほとんどいない。

 どうしたんだ。まさか。もう遅かったのか……?

 いや、ハルの反応はまだ――。

 

『ユウくん! 助けて!』

『ハル! どうした!? ハル!』

『あの男が……! ゃ……ああ……あ……っ……ひっ……! やめっ……いたい! やだ! やめて、いやっ……! たす、けて……!』

『ハルッ!』

 

 無我夢中で彼女の病室に飛び込んだ俺を待っていたのは、乱暴にハルの胸倉を掴んで嗤うヴィッターヴァイツの姿だった。

 ハルはまともに息もできず、苦しげに喘いでいる。奴の手を掴んで必死にもがいているが、奴の力があまりにも強くて外れない。動かない下半身はもがくことすらできず、だらりと垂れ下がっていた。

 

「来たな。遅かったじゃないか。ホシミ ユウ」

「ヴィッターヴァイツッ! お前……っ……!」

 

『ユウ、くん! ユウくん……!』

 

 想定していた最悪の状況が繰り広げられていることに、暗澹たる思いが込み上げる。

 あ、あ……。やめてくれ。

 もし君を失うなんてことになったら、俺は……!

 

 泣き出しそうになる心を必死に抑えつける。

 今が正念場だ。奴に弱みを見せるわけにはいかない。そんなことをすれば奴の思う壺だ。

 

 助けるんだ。ハルを! 何としてでも!

 

 俺はあえて彼女に焦点を置かずに切り出した。

 

「なぜ街を襲った! ここで何をしてるんだよ!」

「なに。ちょっとした伝手で貴様がこの辺りに拠点を構えていると知ったのでな。それに随分と知り合いも多いようではないか」

「まさかお前、わざわざ俺をおびき出すためだけに……!?」

「適当に襲わせておけば、貴様のことだ。必ずのこのこと助けに来ると思っていたぞ」

 

 この野郎……! 許せない。ふざけるなよ。お前のせいでまたどれほどの人が……!

 

「そんなことのために……お前はッ! 街中の人間を巻き込んだのか! そんなに俺が気に入らないなら、俺のところに直接来ればいいだろう!? 俺を殺したいなら、いつでも相手してやる! 関係ない人間を巻き込むな!」

 

 自然な流れを意識しろ。激しい怒りの感情を込め、俺は彼女を指した。

 

「もういいだろう!? 望み通り俺は来てやったぞ! さっさとその子を放せ!」 

「その子? くっくっく」

「何が可笑しい!?」

「いやな。大切なお仲間に随分と他人行儀じゃないか。こいつも可哀想にな」

 

 まるでわかっているような素振りで、奴は嘲笑う。

 そんなはずはない。きっとはったりだ。ほとんどトレヴァークにいたこともないお前がハルのことを姿含めて知っているはずがない。

 

「違う! その子は関係ない! 俺と戦え!」

「おいおい――見え透いた嘘を吐くんじゃないぞ。ユウ」

 

 底冷えするかのような凶悪な眼光に射抜かれる。奴はあからさまに不機嫌だった。

 

「嘘じゃない! その子は――」

 

 

「ではなぜこの女に【支配】が効かんのだ?」

 

 

 ――頭が真っ白になる。

 

 あ、ああ。なんてことだ……。

 俺が彼女を守るために心を繋いでいたことが、かえって奴に彼女が特別であることを悟らせてしまったんだ……。

 俺の……せいで……!

 

『ち、が……。ユウくん……。違うよ。キミが、悪いわけじゃ……』

 

 息が苦しいのに、ハルは俺のことを想って懸命に否定していた。

 

「せっかく素敵な人間爆弾に変えてやろうと思っていたのになあ。なぜなのだろうな?」

 

 確信的な笑みを浮かべ、奴はハルの顔をぐいっと寄せて覗き込んだ。

 彼女の顔色がますます恐怖に染まる。

 

「やめろ! ハルを放せ! 卑怯だぞ! 人質を取るなんて!」

「卑怯? 人質?」

 

 奴は心外と言わんばかりに肩をすくめる。

 

「わかっていないな。そんなものは真っ当な手段で敵を上回れない弱者の発想だ。この女は、オレの気まぐれとありがたい好意によって生かされているに過ぎん」

 

 見せつけるように、ヴィッターヴァイツはハルの腹を嬲った。

 気を失わない程度の強さで。何度も。何度も。執拗に。

『心の世界』を通じて、しきりに彼女の苦痛が伝わってくる。

 心を強く繋いでいるから、まるで自分の身にそのまま拷問を受けているかのようだ。

 ハルはそれでも歯を食いしばって、涙を流しながら、悲鳴を上げることだけは堪えていた。俺を困らせたくない一心で。

 君にそんな顔をさせたくなかった。耐えられない! これ以上は!

 

「やめろおおおおおおおーーーーっ!」

 

 激高した俺は、力量差も忘れて殴りかかる。

 当然のように無慈悲な結果が待っていた。

 次の瞬間には、俺は病室の壁に叩きつけられていた。

 辛うじて蹴られたとしかわからない。激しい痛みとともに。

 仲間と繋いで得た強さも、この男の前では誤差に過ぎないのだと突きつけられる。

 全身が熱い。まるでバラバラになったようだ。だがそれよりもずっと心が痛い!

 

「ダイラー星系列も良い仕事をしてくれたな。なまじ建物に防御がかかっているせいで、衝撃も殺せない。さぞ痛かろうな」

 

 わざとハルに言い聞かせるように、奴は皮肉たっぷりに言った。

 

『ユウ、くん! ユ、ウくんっ! ユウく、ん……!』

 

 ハルが何度も俺を心で呼びかける。

 血反吐を吐きながら、俺は身体を無理やり起こして、奴を睨んだ。

 

「ヴィッターヴァイツ……! 放せよ……! ハルを放せっ!」

 

 決死の思いで挑みかかった俺は、今度は床に叩きつけられる。

 

「が、はっ!」

 

 踏みつけられていた。

 ハルを掴んだまま、片足だけであしらわれているのだ。

 

「なんだそのすっとろい動きは。ふざけているのか? そんなパワーでオレに挑もうなどと。あのときの力はどうした? オレが憎いだろう? 出してみろよ。なあ」

 

 あのときの、力……。黒い力のことか……?

 そこまでして強い奴と戦いたいのか……? 狂っている……!

 

『ダメ……だよ……。そんな、男の言、うことに……耳を貸し、ちゃいけ、ない……!』

 

「あんな、もの……! 俺は……お前、とは違う……!」

「確かに違うな。今の貴様は弱い。ただその一点において、オレとは決定的に違う」

 

 無様に蹴り転がされた俺は、死力を尽くして立ち上がる。

 満身創痍の俺を睨みつけて、ヴィッターヴァイツは言った。

 

「ホシミ ユウ。先輩として一つ、事実を教えてやろう」

「事実、だと?」

「貴様はフェバルだ。人ではない。運命や領分というものは決まっている。貴様はフェバル以外の何物にもなれはしないのだ」

 

 ……いつもは散々嘲笑っているのに。

 まるで己にも言い聞かせるかのような言葉に、違和感を覚えた。

 こいつは俺がよほど気に入らないのだ。

 何が気に入らない。どうして「取るに足らない雑魚」の俺なんか目の敵にするんだ。

 

「だのになぜ半端に人間の振りをする? フェバルならフェバルらしく力を奮ってみせろ」

 

 ハルを後方へ放って、奴は全力のオーラを迸らせた。ジルフさんと戦ったときに見せたような、本気の態度を俺に向ける。

 

「二度とは言わんぞ。貴様の力を示せ。今示すのだ!」

 

 次はないと。最後のチャンスなのだと悟る。

 

「うおおおおおおおおーーーっ!」

 

 ありったけの力を込めた。

 自分が壊れても良いほどの気力と心の力を込めて。

 奴に突撃する。

 

 だが、俺の全身全霊は。

 

 届かない。容易く一蹴される。

 

 三度叩きつけられた俺に、冷たい声が響く。

 

「……愚か者め。失望したぞ。貴様にはどうやら覚悟が足りんらしいな」

 

『ユウくん! いや……! 起きて! 立ってよ……逃げて……!』

 

 朦朧とする意識の奥で、奴が彼女をつまみ上げるのが見える。

 

「この世は所詮力だ。力がすべてを支配する。そして貴様は弱い」

 

 これから奴が何をするつもりなのか理解したとき。

 血が激流した。意識が覚醒する。

 

「ま……て……」

 

 待て。やめろ。やめてくれ……。

 

「や、めろ……!」

 

「だから大切な者一人も守れないのだ――こんな風にな」

 

「やめろーーーーっっ! ヴィッターヴァイツーーーーー!」

 

 

 

 ――世界から、音と光が消えたような気がした。

 

 

 

 色白で細く病弱な身体の中心を、拳が貫いた。

 

「ハ、ル……」

 

 冷たいベッドに打ち捨てられた彼女の下から、真っ赤な海が広がっていく。

 だらんと向けられた顔は、痛みと恐怖に歪められたまま、雪のように凍りついていた。

 

「あ、あ……」

 

 ハル。

 あの恥じらう花のような笑顔も。理知の中に夢や好奇心を混ぜ込んだ無邪気な語り口も。

 いつも隣にいようと背伸びして、どんなに苦しいときでも励まし合い、共に戦ってくれた強い意志も。

 俺に向けてくれた淡く切ない一途な想いも。

 全部。止まってしまった。

 彼女に最も似つかわしくない、苦痛と涙と一緒に……止まってしまった。

 理不尽な暴力によって。

 

「うあ、あああ、ああ……!」

 

 ――よくも。

 

 よくも。よくも。

 

 よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくも。

 

「……ん。なんだ」

 

 ハルに何の罪があった。何の関係があった。

 

 お前は。いつも。いつもいつもいつもいつもそうやって。

 何度でも。何度繰り返しても。変わらない。

 どうでもいい理由で、俺の大切なものを奪っていく。

 

「……許さない」

「そのオーラ……。そうかそうか。ようやくやる気になったか。やはり親しい人間が死ぬのは――」

 

 

「許さないぞ。ヴィッターヴァイツ」

 

 

「が……あ……!」

 

 

 奴が台詞を言い終える前に、ヴィッターヴァイツの腹部に深々と拳がめり込んだ。



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242「それでも君が願うから」

 奴が。ヴィッターヴァイツが幾分恐れを交えながら、戦闘者の歓びに肩を震わせた。

 

「くっ……そうだ。それでいい。その力だ……。良い面構えじゃないか。さあ、オレを愉しませ――」

 

 奴が反応できない速度でアッパーを打ち込む。

 たたらを踏む奴が次の行動に移る前に、もう一度腹を拳で撃ち抜いた。背中がくの字に曲がるほどの衝撃が奴に走る。

 膝をつき、吐血するヴィッターヴァイツの胸倉を掴み上げて、俺は言った。

 

「満足か?」

「ぐ……!」

 

 返事を聞く前に高く留まった鼻柱を殴りつけ、壁に向かって力任せに投げつける。

 立ち上がる奴を睨みつけて、もう一度言う。

 

「これで満足か?」

「き……貴様あああっ!」

 

 奴はすっかり余裕をなくし、ぶち切れていた。《剛体術》のオーラを纏い、殴り掛かってくる。

 

「…………」

 

 そのまま言葉を返そう。動きが止まって見えるのはお前の方だ。

 完全に見切って紙一枚でかわすと、攻撃の勢いを逆用して、後頭部に浴びせ蹴りを見舞って床に叩きつけた。

 ダイラー星系列による防御を威力で上回ったのか、床が抜けて俺たちは階下に落下する。

 落下中に、追撃で背中の急所に蹴りを叩き込む。顔面から下の床に激突した奴がバウンドした瞬間に、横面をぶん殴る。

 奴が吹っ飛ぶより速く移動した俺は、顔をわし掴みにして壁に思い切り叩きつけた。

 手を放し、ずり落ちて仰向けに倒れた奴の上に座り込み、首を絞める。

 

「やられる側になった気持ちはどうだ。どれほど痛いのか。苦しいのか。味わってみろよ」

 

 気の済むまで首を絞めた俺は――殴った。

 馬乗りになったまま、執拗に腹を――同じ個所を殴り続けた。

 こいつがハルを貫いたその場所を。少しでも同じ痛みを味わわせるために。

 何度も。何度も。繰り返し。際限なく。拳を振り下ろす。

 やがて身体の異変に気が付く。

 どうやら俺はたとえオーラが変質しても、肉体は普通の人間のものに過ぎなかったらしい。

 副作用が現れる。

 殴りつける俺の左腕が自分の攻撃の威力に耐え切れず、自壊していく。ついに使い物にならなくなったので、右腕に切り替えて殴り続けた。

 だが何の痛みも感じない。冷たい。心が冷えていく。

 

「何が力だ。これがお前の言う真実か? こんなものが。こんなものが正しいものであってたまるか」

 

 苦痛に顔を歪めながら防御を続ける奴のオーラが徐々に薄くなり、抵抗する力も弱々しくなっていく。

 このまま殺してしまおう。いや――ただ殺すのも生温い。

 お前のような奴は生きる価値がない。

 またお前の心が壊れるまで。何度でも。殺す。

 忘れたなら、もう一度お前の魂に恐怖を刻み込んでやる。地獄の底へ送ってやる。

 

「それが……ハルを殺した、お前への――!」

 

 

『ユウくん』

 

 

 違うよ。キミは――。

 

 

 ハルの名を呼んだ時。

 彼女の声が聞こえた気がした。心の声が。

 気のせい――じゃない。

 ああ。わかった。繋がっている俺にはよくわかった。

 命の灯が消えゆく中、最後の力を振り絞って届けてくれた。彼女のメッセージだと。

 君は……こんなときまで、俺のことを……。

 

「う、う、うう……!」

 

 振り下ろす拳に迷いが生じる。

 視界が滲む。

 熱い雫が零れ落ちて、拳を濡らした。

 

「ハル。あ、ああ。ハル……!」

 

 馬鹿だ。俺は、馬鹿だ……!

 

 一番大切なことを忘れてしまうところだった。一番大切なものを捨ててしまうところだった。

 

 君は……君はずっと願っていたじゃないか。

 

 俺がこんな戦い方をしてはいけない。こんなのは俺の力の使い方じゃないって。

 みんな言っていたのに。俺もわかっていたはずなのに!

 

 俺は――憎い。死ぬほど憎い。こいつが憎い。

 

 それでも……ダメだ。これじゃいけない。こんなやり方ではいけない。

 君が望むのは、君が好きなのは、こんな俺じゃない……。

 だから、俺は……俺は……!

 

 涙を流しながら、ヴィッターヴァイツに掴みかかり、揺さぶる。

 

 ――そのとき、気付いた。俺が相手しているものの本質に。恐るべき負の感情に。

 

 絶望。こいつは、あらゆることに絶望している。

 

 なぜ。混乱する。突然降ってきた感情が理解できない。激しい怒りは勝手に口から言葉を紡ぎ出す。

 

「ヴィッターヴァイツ! お前……! この野郎! この、野郎……! よくも! よくも!」

「ユウ。貴様……。何を子供のように泣いている?」

 

 俺の変質に、この男はかえって戸惑い、深く失望しているように見えた。

 

「うるさい! 俺はっ! 怒っているんだ!」

「オレが憎いのだろう? オレを殺したいのだろう? そのふざけた顔はなんだ!? あまりオレを愚弄するなッ! 真面目に戦え!」

「黙れ! 黙れ! 大真面目だ! これが俺の全力だ! お前を許すものか! 返せよ! ハルを返せっ!」

 

 突き上げた奴の拳が、俺を弾き飛ばした。

 立場が逆転し、血反吐を吐いた俺は、ダメージでがたつく身体を立ち上がらせる。

 

「その目……。さっきの力はどうした。何なのだ貴様……。ふざけやがって! オレが憎いのではなかったのか?」

「そうだ。俺は……憎いよ。お前が憎い。殺したいほど憎いさ!」

「そうだろう! ならば力を尽くせ! オレと戦えッ!」

 

 傷だらけの奴は怒っていた。このままではプライドの名折れ。勝ち逃げは許さんと目を血走らせていた。

 でも俺は、もう使わない。使うわけにはいかない。

 

「嫌だ! それでもハルが願うから……! 俺は……俺は! お前と同じにはならない!」

「救えない馬鹿め。あくまでも人であろうと。いつまでもその下らないごっこ遊びを続けるつもりか!?」

「……なあ。ヴィッターヴァイツ。何をそんなに狼狽えているんだ。俺が人であろうとすることの、何がそんなに気に入らない?」

「戯言を。オレが狼狽えているだと? 気でも触れたのか」

「いいや。お前は絶望しているんだ。フェバルの運命に。お前を絶望させたものは何だ。言ってみろ!」

「……知ったようなことを。貴様にオレの何がわかる! 少しばかり人の心が読めるくらいで良い気になるなよ。小僧!」

 

 暴力の嵐が俺を襲った。俺はなすすべもなく打ちのめされ、膝を屈した。

 生きているのが不思議なほどのひどい状態だ。そんな俺に奴は吠える。

 

「常人ならばとっくに死んでいるはずのダメージを受けている。【支配】も効かん。それは貴様がフェバルだからだ! 貴様が同じ化け物だからだ! 違うか!?」

「ああ。認めるよ。確かに俺はフェバルだ。フェバルの力がなければ、お前の前に立つこともできなかっただろうさ。でもな」

 

 ヴィッターヴァイツの目を真っ直ぐ睨んで、俺は精一杯の啖呵を切った。

 

「その前に俺は人間だ! 俺は人と交わるフェバルだ! 人の絆を力に変えるフェバル、星海 ユウだ!」

「貴様……」

「たとえこの場で身を滅ぼされようと。お前には屈しない。お前の言う通りにはならない。いつか人のままで、お前に勝ってみせる!」

 

 よくわかった。

 そうでなければ意味がない。ただこの男を上回る力で勝っても意味がない。

 俺があの黒い力を使ってお前に勝つこと。それはお前の価値観の肯定になってしまう。

 この男に真の意味で勝つには、人の力を――絆の力を示さなければダメなんだ。

 理不尽な暴力に、立ち向かう人の意思を。力に変えて。叩きつけなければならないんだ。

 ハルの信じる力で。君の信じる力で、俺はお前たちに届いてみせる!

 

「よくもそんな世迷い言を言えたものだな。そんなことができると、本気で考えているのか?」

「できるさ。やるんだ」

 

 ヴィッターヴァイツは目を見開き、心底失望したようだった。

 

「……やはり貴様はどうしようもない甘ったれだ。フェバルになり切れぬ半端者よ」

「甘さと中途半端さには自信があるんでね」

「……一人では足りないというならば。貴様が心折れるまで。絶望するまで。何度でも現実を教えてやろう!」

「これ以上はさせるかよ」

「人間の貴様に止めることなど不可能だ。もういい。興が冷めた。死ねいっ!」

 

 ヴィッターヴァイツの拳が迫る。今度こそ容赦なく、その一撃は確実に俺を死にいたらしめるだろう。

 悔しいが、この場は負けだ。でもせめてこの想いだけはしっかりと胸に抱えて――。

 

 

 

 

「やめなさい! ヴィット!」

 

 

 

 

「姉貴……ッ!?」

 

 ヴィッターヴァイツの肩が跳ねる。奴を止めたのは、一人の女性だった――。



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243「ほんの小さな、大きな奇跡」

「なぜ姉貴がここにいる。今さら何の用だ」

 

 ヴィッターヴァイツは明らかに狼狽えていた。

 

「姉貴……。姉貴だって!?」

 

 本当にそういう関係なのかわからないけど、こいつに姉がいたなんて。

 奴に姉貴と呼ばれた女性は、悲しげに目を伏せて言った。

 

「あなたに会いに来たのよ。この目で確かめるために」

「……要らぬ世話だ。オレはオレで好きにやっている。もはや貴女の出る幕などない」

「……あなたの噂は聞いていたわ。ろくなことをしないようになってしまったと……。この目で見るまでは信じたいと思っていた。でも……変わってしまったのね」

「変わりもするさ。あれからどれほど経ったと思っている」

「残念よ。本当に……」

 

 ヴィッターヴァイツの姉を名乗る女性は、深いため息を吐いた。そして奴を強く睨んで叫ぶ。

 

「こんなことに使うためにフェバルの戦い方を教えたわけじゃない!」

「要らぬ世話だと言ったはずだ! その結果がこれだ! 救えないな!」

「どうやらきついおしおきが必要なようね」

 

 彼女はぽきぽきと拳を鳴らし、たぶん魔力のオーラを身にまとった。少なくとも気力ではない。

 その立ち振る舞いは、性別こそ違えど、気力と魔力の違いこそあれど、どこか奴を彷彿とさせるものがあった。

 なるほど姉弟だと理解する。

 

「これ以上人を傷つけるつもりなら、私が相手になるわ。ぶん殴ってでもあなたを止める!」

 

 対するヴィッターヴァイツは――ひどく冷めた目で、彼女を見ていた。

 

「本当にできると思っているのか?」

「…………」

「オレはあれから遥かに強くなった。貴女はどうだ? 戦闘に限れば、戦闘タイプと非戦闘タイプの資質の差は隔絶している。他でもない、貴女が教えたことだ」

「……そうね。確かに教えたわ」

「断言しよう。今の貴女ではオレには勝てない。それどころか、ろくにダメージを与えることすらできないだろう。それでもやるつもりか?」

「私の性格はよくわかっているはずよ。それにあなたも万全ではないでしょう? 随分と疲れが見えるわよ」

「ふん。確かに傷は受けた。だがこの状態であっても、そこの半端者と姉貴をまとめて始末することくらいわけはないぞ」

「戦いは避けられないようね……」

 

 彼女は戦闘の構えを取る。ヴィッターヴァイツもオーラを充実させ、彼女とそっくりの構えを取った。

 

「たとえ姉貴であろうと、オレの邪魔をするならば容赦はせん。覚悟しろ」

 

 彼女は俺に向かって、申し訳なさそうに目を向けた。

 

「ごめんなさい。あなたをこんな戦いに巻き込んでしまって。弟を止められなくて」

「……詳しい事情はわかりませんけど。元々戦うつもりでしたから。やりましょう」

 

 状況は変わり、二対一。

 死を覚悟していたが、再び戦う意思が沸き上がってくる。

 来い。一矢くらいは報いてやる!

 

 ヴィッターヴァイツが猛然と躍りかかった瞬間。

 

《ファル=ゼロ=ブレイズ》!

 

「ぐああっ!」

 

 あまりにも速い風の塊が奴の側面にぶち当たり、思い切り吹っ飛ばした。痛々しい激突音が鳴り響く。

 それをやったのは――。

 

「遅れてすみません! あたしも戦います!」

「ユウさん! あんたの想いばっちり伝わってきたぜ!」

「怖いけど、私も戦うわ! こんな卑劣なヤツ、許せないもの!」

「みんな……!」

 

 アニッサ。ランド。シルヴィア。来てくれたのか!

 

「アニエス! あなたも来てたのね!」

「J.C.さんもお久しぶりです」

 

 奴がむくりと起き上がる。

 ほとんどダメージはないようだが、取り乱しようが異常だった。額に血管が浮き出るほどぶち切れている。

 

「赤髪の女、貴様あッ! 何度も何度も不意打ちばかりしやがって! 探したぞ! まず貴様から始末してやる!」

「はっ! やれるものならやってみろっつーの! この最低外道クソ男!」

 

 どちらかといえば優等生な印象だった彼女が、こんな子だったのかと思うくらい挑発的に指を突き立てる。

 奴とは因縁があるらしく、よほど犬猿の仲だということが窺えた。

 それは俺もそうだが。

 

 ともかく、これで五人。頼もしい仲間たちが、俺をかばうようにして奴の前に立った。

 それでもまだ厳しいが、奴はかなりのダメージを受けている。もしかしたら――。

 全員を眺め渡したヴィッターヴァイツは、憮然とした表情で言った。

 

「ホシミ ユウ。これが貴様の言う絆の力とやらか?」

「そうだ。みんなの力を重ねて、俺は戦う!」

「下らん。笑わせるな。雑魚を何人束ねたところで、所詮雑魚。フェバルに勝てるはずもない。ほんの少しだけ死の時間が伸びたに過ぎん」

 

 奴は歯をむき出しにして嗤う。

 

「この場でまとめて殺してやろう。下らん夢を覚ましてやろう。ユウ。貴様だけが無様に蘇り、絶望するがいい!」

 

 これ以上みんなを殺させるわけにはいかない。

 戦え。勝つんだ。絶対に。

 

 

 覚悟を決めたとき、不意に念話が飛び込んできた。

 

 

『容疑者ヴィッターヴァイツ。この場は既に包囲されている! 既にこの私とバラギオンのすべてがお前に狙いを定めている。直ちに投降せよ!』

 

 

「ちいっ! また横やりが入ったか。存外に長居し過ぎたな」

 

 奴は忌々しげに舌打ちした。

 ダイラー星系列に反撃のための十分な時間を与えた。俺の精一杯の抵抗が予想以上だったのだと悟る。

 もっと簡単にケリがつくと、この男は考えていたのか。

 奴は懐を探った。手にはワープクリスタルが握られていた。

 こいつ。逃げるつもりか!

 

「待て! ヴィッターヴァイツ!」

「命拾いしたな。ユウ。次はないぞ。オレを止めたいのなら――力を示せ」

 

 奴の姿が薄れていく。間に合わない。

 ラナソール産ゆえにプロテクトがかけられず、効果を失うこともないのか。

 

「ああ。見せてやるさ。俺たちの力を」

「……フン」

 

 ヴィッターヴァイツは、向こう側の世界へと消えていった。

 

 奴の脅威が消えたとき、俺はその場で崩れ落ちそうになった。限界だった。

 

 トリグラーブを失うという事態は避けることができた。仲間の多くも死なずに済んだ。

 

 でも、ハルが。よりによって君が……。

 

「ハル……!」

 

 居ても立っても居られなかった。

 立っているのもやっとの身体を引きずって、彼女の下へ向かう。

 血だまりの中で安らかに眠る彼女を見つめたとき、どうしようもない喪失感が胸を締め付けた。

 

「あ、あ。ハル……ハルぅ……!」

 

 この健気で、優しくて、強い意志を持った子は、死んだのだ。

 もう動かない。もう帰って来ないのだと。

 とめどなく寂しくて。愛しくて。どうしようもない。

 彼女に縋りついて泣いた。泣くことしかできない。

 

「ごめん。ごめんよ……ハル。俺は、君を守れなかった……!」

 

 君との思い出が次から次へと溢れて、涙が止まらない。

 

「どうして君なんだ。どうして俺じゃないんだ!」

 

 こんな命なら。君を救えるなら、死の痛みなんて何度だって差し出してやったのに!

 俺と関わったせいで目を付けられ、惨たらしく殺されることになってしまった。

 君が死ぬことはなかったのに。俺の、せいで……!

 

「う、う……! こんなことになるなら! 少しくらい君の気持ちに応えてやればよかった……っ!」

 

 リルナはきっと怒るだろう。でも話せばきっと理解はしてくれたはずだ。

 いつか俺は去り、君は人としての生を歩んでいく。そう思っていたから。

 これが君の淡い初恋で、切ないかもしれないけど、素敵な思い出として前に進んでくれるだろうって、思っていたから。

 だから、痛いほど君の気持ちをわかっていたのに。あんなに受け取っていたのに。

 

 俺も君のことが好きだったのに。

 

 こんな別れなんて。考えもしなかったんだ。

 本当に、考えもしなかったんだ……。

 

 悔しいよ……。

 

 痛かったよなあ。苦しかったよなあ。

 なのに、最期の最期までずっと俺を想って。

 俺を絶望の淵から引き戻してくれた。正しい道に引き戻してくれた。

 そんな君の愛に、俺は応えられない。

 もう応えることができない。

 

「ハル……。ありがとう。ごめん。本当に、ごめん」

 

 俺は彼女の唇に顔を寄せて、そっとキスをした。

 もう意味がないとわかっていても。そうせずにはいられなかったんだ。

 

 

 

 

 

「……ユウ、くん」

 

 

 

 

 

「ハ、ル……?」

 

 

 

 どうして。君は――。

 

「へへ。こんな形で……キス、させちゃった。やっぱりボク……ずるい女、だね」

「ハル……!」

「ずっと、聞こえてた、よ? 嬉しい、な。キミは……ボクの、ために……そこまで、涙を流して……くれるんだね……」

「どうして……。どうやって」

 

 間違いなく死んでいたはずだ。あの傷で助かるはずがなかった。どうして。

 

「そこの……二人が、助けて……くれたんだ。不思議な力を……使ってね」

 

 はっと振り向くと、ヴィッターヴァイツの姉を名乗る女性と赤髪の少女が、気恥ずかしそうに顔を反らしていた。

 

「あ、は、は……」

 

 どうやったのかわからない。

 けど、わからなくてもよかった。奇跡でもよかった。

 もう一度ハルに会えた。それだけで十分だ。

 

「ありがとう……ユウくん。やっぱりキミは……ボクのヒーロ、だよ」

「ありがとうを言うのは……こっちの方だよ。ごめん。俺がもっと、しっかりしていたら……」

「ううん」

 

 ハルはぎこちなく笑って首を横に振る。

 花のような笑顔が、帰ってきた。

 

「キミが、諦めなかったから。キミと、繋がっていたから……ボクは、死の闇から……戻って来られたんだよ? あのとき、キミが変わってしまったら。繋がりが切れて、しまっていたら……たぶん、ボクの心は死んでた。キミの……ボクを大切に想う心が、ボクを助けてくれたんだ」

「そう、か。そうだったのか……」

 

 無駄じゃなかったんだ。

 あのとき踏みとどまったことは。

 俺の足掻きは、覚悟は。決意は。

 それに応えてくれた仲間の想いは。

 細い細い糸を手繰り寄せて。

 世界に比べたらほんの小さな、けれど大きな奇跡に――届いていたんだ。

 

 実感が湧くにつれて、別の種類の涙が溢れ出す。

 温かい気持ちが頬を濡らす。

 人目を憚ることなく嗚咽を上げていた。

 

「ハル! ハルっ! よかった! よかった……っ!」

「わ、いたいよ。ユウくん」

 

 子供のように縋りついて泣きじゃくる俺を、細く温かい手が包んだ。



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244「ユウ、ダイラー星系列と接触する 1」

 ヴィッターヴァイツが去ったことで【支配】は解け、機械兵士の制御は戻った。ナイトメアも統率を失い、本能のまま散発的に暴れ回るだけの存在となった。

 ダイラー星系列は直ちに機械兵士を駆使し、ナイトメアの討伐に当たった。指揮系統が回復してからの彼らの働きは見事なもので、わずか数時間ですべての敵は鎮圧された。

 だが初動における機械兵士の混乱は大きく、全体の被害は大きいものとなった。

 トリグラーブにおける死傷者約二万名、ダイラー星系列もバラギオン一体と機械兵士の約半数を失った。戦力を大きく削られたダイラー星系列は、今後の安全保障に頭を悩ませることとなる。また、当然ながら民衆の非難も大きく、ダイラー星系列に対する軍事的信用も大きく損なわれてしまった。

 ヴィッターヴァイツただ一人による犯行であると発表しても信じられないだろうと判断したダイラー星系列は、この事件をナイトメア襲撃に乗じた終末教の残存勢力によるサイバーテロとして強引に処理した。

 

 自分たちのことに話を戻そう。

 ハルの復活をいつまでも喜んでいたかったけれど、俺たちは事件の重要参考人としてダイラー星系列の取り調べを受けることになりそうだった。既に正気に戻った機械兵士に病院を包囲されており、投降を呼びかけられている。

 

「あー……。あたし、ちょっとまずいので逃げます! また後で!」

「待って。それなら俺たちも」

「ユウくんたちは素直に取り調べ受けた方がいいかも! じゃ!」

 

 アニッサは時空魔法でさらっと空間をこじ開けて逃げた。アルトサイドは一番危ないから、たぶんラナソールに。

 相手がダイラー星系列でもその気になれば逃げれるんだな。すごいな。

 

 ん。あれ? そう言えばあのときは必死で気にしてなかったけど、ヴィッターヴァイツのお姉さんはアニエスって呼んでたような。

 ……後で確かめてみるか。

 

 やってきた機械兵士に身柄を拘束され、暫定政府本部に連行される。それからシェリングドーラに記憶を解析された。

 解析が終わるまでは全員身動きが取れないよう拘束されていたが、やがて拘束は解かれて客間に案内された。

 俺たちを迎えたのは、二人の男女だった。

 男の方は白い軍服に身を包んでおり、オールバックに銀髪を固め、洒落たデザインの眼鏡をかけている。胸元にはいくつもの勲章が光っていた。

 女の方は明るい緑髪を後ろに束ね、ぴったりしたスーツを着こなしている。メイクはしているように見えないのに、素でかなりの美人だ。

 二人とも身綺麗で、いかにも「働いてます」って感じの人たちだった。

 

「星裁執行者のブレイ・バードだ。現在、この星の統治に関する全権を握っている。一応、フェバルでもあるな」

「副官のランウィー・アペトリアです。記憶解析への従順な協力に感謝します。また、手荒な真似をしてすみませんでした」

 

 まったく悪びれず当然のような顔で、彼女は形だけ、言葉の上だけ謝罪した。

 

「どうやら一名逃げたようだが」

「プロテクトをすり抜けるような空間魔法を使っていました。異常生命体かもしれませんね。良くない扱いをされると恐れたのでしょう」

「なるほど。内地では特別監査対象だからな。……まあとりあえずはこいつらがいればよいか」

 

 ブレイは俺たちをしげしげと眺め回した。

 

「ふむ……。フェバルが二人、ラナソールの冒険者が二人、そこの一見普通の少女も向こうでは英雄か。中々バラエティに富んだ面子じゃないか」

「なあ。あんたらって一体何なんだよ」

 

 ずっと偉そうな態度を取ってくるのが気に入らないのか、ランドが食ってかかった。

 

「訂正しよう。状況をよくわかっていない馬鹿が一人」

「おい! 馬鹿って何だよ! 確かに俺は馬鹿だけどよ!」

「ランド! 落ち着いて!」

「むぐぐ……!」

 

 シルヴィアになだめられて矛を収めた彼を見て、ブレイは呆れた溜息を吐くだけに留めた。

 ナイス、シル。

 実はブレイよりランウィーの目が怖かったんだよな。ちょっと危なかったかもしれない。

 

「少しは話でもしようと思ったのだがな。実は記憶を解析した時点でほとんど用は済んでいるのだよ。居心地が悪いようだし、そこの二人にはご退場願おうか」

「お。ちゃんと帰してくれんのか。話がわかるじゃねえか」

「もう。ランドのバカ」

 

 どうやら余計な人は厄介払いをしたいという意図があるようだ。

 ブレイが手を叩くと、シェリングドーラが現れて二人を連れていった。

 

「ユウ。ちゃんと話の内容教えるのよ」

「任せたぜ」

「ああ」

 

 ランドをポカポカしながら、シルはウインクして外へ出て行った。

 それから、ランウィーはハルに目を向けて言った。

 

「あなたはどうしますか? あなたは一般人ですし、我々の保護対象となります。破壊された病院には戻れませんから、こちらで仮の住まいを提供することもできますが」

「ボクは……大丈夫です。ユウくんのお店がありますので」

「そうですか。わかりました。S-0003、彼女をホシミ ユウの店までエスコートしなさい」

 

 別のシェリングドーラが、ハルを連れていった。

 

「ユウくん。また後でね」

「うん。またね」

 

 ハルと「またね」を言えるのが本当に嬉しい。

 そして俺とJ.C.さんの二人が残った。

 

「ホシミ ユウ。J.C.。お前たちには個別に話があるのだ」

「あなたはこちらへ」

 

 J.C.さんはランウィーに連れられて別室へ行く。

 とうとう俺とブレイだけになった。彼の俺を見る目はどこか興味ありげだった。

 

「何の用でしょうか」

「……そうだな。まずは礼を述べよう。今回の襲撃事件、お前は役に立った。おかげで被害を減らすことができた。その点については感謝する」

「いえ。みんなを守ろうと夢中になっていただけですから。あなたたちが来なければ危なかったですし」

 

 穏やかに笑い合う。

 エルンティアの一件や諸々のせいでダイラー星系列って怖いイメージばかりだったけど、この人はまともそうだ。

 

「いやな。我々は、お前という人物を少し誤解していたようだ。正直、私は安堵しているのだよ。懸念材料が一つ減ったとな」

「はあ」

 

 言われなくてもたぶんあの件だろうな。思い切り対立してしまったし。

 記憶を解析したおかげで、あれは不幸な事故だったと理解してもらえたのかな。だったらよかったよ。

 

「さて、そんなお前に渡すものがあるのだ。ありがたいものだぞ」

「なんでしょう?」

 

 なんだろう。ありがたいものって。まさかご褒美とかじゃあるまいし。

 

 ブレイは懐から一枚の紙を取り出して、俺の目の前で広げた。

 何やら数字が書かれており、また公的っぽい印が押されている。

 

「これは?」

「損害賠償の請求書だ。お前が破壊したシェリングドーラ214体にバラギオン1体――しめて2617720ダードだな」

「えっ!?」

 

 思わず目を皿のようにして見ると、シェリングドーラ1体2980ダード×214、バラギオン1体1980000ダード、計2617720ダードと確かに記載されていた。

 

 うわ。ダメだった! しっかり根に持たれていた!

 ダイラー星系列はプライドが高いってレンクス言ってたもんなあ。

 

「……これのどこがありがたいんですか?」

「お前のしたことは、本来なら反逆罪が適用されるところだ。だがお前の事情や活躍も酌量し、私の現地判断で賠償で済ませてやろうと言うのだ。ありがたいだろう?」

「お言葉ですが。あれは正当防衛ってやつでは?」

 

 納得がいかない。いきなり殺されかけたのだから仕方ないと思うんだ。

 

「我々はしかるべき手順に則って応じた。お前が無知だっただけだ。それとも本星の外地人裁判所に申し開きでもしてみるか? 有罪率99%で有名だが」

 

 くそ。有無を言わせない雰囲気だぞ。

 こんなところで最大最強の勢力を敵に回したくないし、ここは折れるしかないか……。

 

「ちなみに反逆罪の場合はどうなるんでしょうか?」

「フェバルの場合は殺せないから、封印刑ということになるな。そのための専門機関があるんだ。特殊な印を身体に刻まれ、何度星脈転移しても無理に引き戻されて、永い時を薄暗い独房で過ごすことになろうな」

 

 なんだそれ。怖過ぎるんだけど……。

 

「それは……ぞっとしない話ですね……」

「そうだろうそうだろう。ぜひお金にしておくことを勧めるぞ」

「でも、すみません。ダイラー星系列のお金なんて持ってないんですけど……」

 

 正直に言った。持ってないものは持ってないのだから仕方がない。

 

「なあに。そうだな……大体三カ月も働けば返せるだろう。ところで、お前に割の良い臨時調査の仕事があるのだが……受けてみないか? 何でも屋」

 

 ブレイは眼鏡を指で押し上げ、いたずらっぽくにやりと笑った。

 そこでようやく彼の意図を理解する。体面を保ちつつ協力を依頼しようということに。

 

 なるほど。どうやら選択肢はないみだいだな。話を聞こうか。



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245「ユウ、ダイラー星系列と接触する 2」

 仕事を受ける方向で考えていることを告げると、ブレイは言った。

 

「では、まずはお前の心を繋ぐ能力とやらを一時的に解除してもらおうか。この話は内密にしてもらわなければいけないのでな。無用な混乱を避けるため、個人的にも他人に聞かせないことを強く勧めておこう」

 

 強く勧められてしまった。そこまで言うなんて、ランドたちを遠ざけた理由と関係があるのだろうか。

 

「正直、これに関してはお前を信用するしかないのだ。能力の発動の有無がわからないからな」

 

 どうやら《マインドリンカー》は、使用している当人たちにしかわからないステルス能力のようだった。確かに見た目には何もわからないからな。【神の器】の技は一度もダイラー星系列に妨害されなかったことから、たぶん事実だろう。

 つまりブレイは俺の人柄を見込んで話をしようというわけで。この信用は裏切らない方がいいだろうな。

 素直に解除しよう。

 ランドとシルは一方的に解除しても平気だろう。深く繋いでいるハルは影響が大きいから、ちょっと断って――

 

『聞こえてるよ』

『わ。びっくりした』

 

 まるでユイの地獄耳だな。

 

『えへへ。ごめんね。一回やってみたかったんだ。ユウくんとまた話ができるのが嬉しくてね』

『俺もだよ。でもちょっと悪い。向こうがさ』

『事情はわかったよ。後で相談しようね』

『そうだな。また』

『うん。また』

 

 名残惜しく繋がりを切る。

 

「解除してくれたか?」

「しましたよ」

 

 頷くと、席にかけるよう勧められた。

 シェリングドーラがティーセットを運んでくる。

「彼女」が給仕係をしていることに驚いたような、妙に納得したような。

 メイドがちゃんとメイドしてるよ。変な言葉だけど。

 しかも中々の淹れっぷりだ。プロにも負けてないかもしれない。

 何だかディアさんの店でウェイトレスをやってたときのことを思い出すな。ジャックも元気だろうか。

 飲み物に一口付けたところで、ブレイは語り始めた。

 

「本星はどうか知らないが、まず我々個人としては苦渋の決定であることをよく踏まえた上で聞いて欲しい。あまり取り乱すなということだ」

「はい」

 

 やはり問題のある内容なんだろうな。心構えをしておく。

 

「星脈に穴が開くという前代未聞の現象が起こっている。穴は徐々に拡大しており、このままでは宇宙全体が巻き込まれて崩壊する恐れがある。この前提についてはいいな?」

 

 頷く。ウィルが言っていたことを改めて追随された形だ。

 本当に大変なことになってるんだよな。宇宙そのものがやばいなんて。

 

「我々のシミュレーションでは、安全に処理ができるのは暫定であと86日までだ。それ以上はリスクが高過ぎる」

「たった86日しかないんですか?」

 

 具体的なタイムリミットを示されると、本当に時間がないんだなと思う。

 数百年をかけてゆっくり世界が終わっていくと言われていた時代が遠い。

 

「よって、期日までに本件の収束を見ない場合――原因の根本であるトレヴァークおよびラナソールを、完全に消滅させることとした」

「そんな……!」

 

 かつてのエストティアを壊滅させたダイラー星系列だ。やるとなれば容赦なくやるだろうとは思っていた。

 覚悟はしていた。仕方がないことも重々わかっているが、それでもショックを隠せない。

 これは……確かに現地人に聞かせるには酷な話だな。

 でもダイラー星系列には悪いけど、民衆はともかく、仲間にずっと隠しておくわけにもいかない。話し方は考える必要があるけど。

 

「気持ちはわかるが、我々も仕事だ。宇宙の秩序を守る使命がある。どうしても事態を解決できないのであれば、やむを得ない措置であると理解したまえ」

「それは……はい。わかっています」

「よし。タイムリミットについては理解したな? それから当然だが、予測ははずれることもある。現在のタイムリミットはあくまで暫定であり、状況によって早まることも理解したまえ。我々が最低限保障できるのは、星消滅兵器の発射準備が整う75日後までだ。ここまではよろしいか?」

 

 楽観視はできない。75日が期限だと考えて行動しなければならないな。

 

「……はい。続けて下さい」

「よろしい。先に脅しから入ってすまないが、本題に入ろう」

 

 カップに口を付けて喉を潤してから、ブレイは続けた。

 

「一部に過激な星裁執行者がいることは否定しないが……我々も基本的には、平和的解決ができるのであればその方が望ましいと考えている」

「非常にありがたく思います」

「うむ。して、これは私個人の所感だが……お前たちの目の付け所は大きく外れてはいないと思う」

「俺たちがやってきたこと……世界の成り立ちを調べる旅のことですか?」

「ああそうだ。ラナソールという許容性無限大の世界は明らかに異常な存在だ。明らかに異常であるのに、その正体も発生要因もわからない。わからなければ対処のしようもない」

「そうですね。回り道に見えるかもしれませんが、まずは知ることが大切だと考えています」

「同感だ。かの世界の成り立ちを突き止め、何らかの方法で異常状態を解消することができれば……あるいは事態が収束するやもしれん」

「俺もそう思います」

 

 なるほど。中々話のわかる人物のようだ。

 向こうもそう思ってくれているのか、穏やかな調子で話は進んでいる。

 ダイラー星系列の星裁執行者はひどいのは本当にひどいらしいからな。「外人(外地の人間)は人にあらず」みたいなのもたまにいるらしい。これもレンクスが言ってたことだけど。

 大変な状況だけど、彼が執行者なのは幸いだったな。

 

「して、これも私の予想だが、ダイラー星系列流の武断的なやり方では、あまり上手く行かないような気がしているのだ。おそらく我々では、いつ消すかという判断しかできないだろう」

 

 だが、とブレイは強調する。

 

「だが理解したまえ。そうした役割も必要なのだ。お前のような若者が理想を追う一方で、誰かが最低ラインを守り、現実のバランスを取らねばならない。政治とはそういうものだ」

「では、俺たちに何を期待しますか?」

「もうわかっているだろう。もし世界を消し去る以外のより優れた解決方法があるならば、それに越したことはない。それをお前たちに探って欲しいのだ。なあに。お前たちが今までやってきたことと何も変わりはないさ」

「つまり、活動を公認して頂けるということでしょうか」

 

 本当に願ってもないことだ。彼らとの関係で考え得る限りは、理想的な展開だった。

 だがふと思う。

 もしあのとき、ヴィッターヴァイツを憎しみのまま殺そうとしていたら。黒い力を使い続けていたら、どうなっていただろうか。

 奴は殺せただろう。だがそれだけだ。

 ハルは戻って来なかっただろう。破壊の規模は病院に留まらなかったかもしれない。さらに犠牲者が増えていたかもしれない。

 俺はやはり危険人物として、この人たちから追われていたのではないだろうか。そんな気がした。

 

「あくまで私の現地判断だがな。本星から上位命令があった場合は覆ることがある。そのことは含み置いて欲しい」

「はい」

 

 本星という言葉を語るとき、あまり良い顔をしていない。

 本星の方が厳しい判断を下す可能性が高いということだろうか。

 

「とにかく、私の権限が及ぶ限りで、調査の件についてはお前に一任しよう。どうせ我々だけでは、ラナソールもアルトサイドもろくに調べる手段がないのだからな。どう考えても直接行くことのできるお前が適任だ」

「ありがとうございます。あなたたちはどうするつもりですか?」

「我々は待とう。無論ただ待つだけではない。可能な限りお前たちが気兼ねなく動けるよう、より厳重に守りを固めておく。ヴィッターヴァイツの【支配】も、能力の性質がわかっているなら対策のしようはある。二度と同じ轍は踏まんさ。お前たちを調べてわかった、『世界の破壊者』ウィルやナイトメア=エルゼムの存在については……正直言って恐ろしい連中だが、最大限警戒はしておこう」

「なるほど。役割分担ですか」

 

 ありがたい。常にみんなの安全を気にしながらでは、活動に集中できそうになかったから。

 それと、ダイラー星系列でもウィルやエルゼムは恐ろしい連中なんだな。これについては俺も現状どうしようもないから、襲って来ないことを祈るしかないのか……。心苦しいな。

 

「ただし、当然だが紐は付けておきたい。あまり好き勝手動かれても困るのでな。日に一度、包み隠さず調査状況を報告せよ。また、大きな判断をする場合は、必ず事前に相談し、許可を仰ぐことだ」

「わかりました。その条件で依頼を受けましょう」

「話が早くて助かるな」

 

 助かったのはこちらの方だ。本当に。

 確かにアニッサ……アニエスか? の言う通り、逃げずに取り調べを受けてよかったよ。

 ブレイは軽く咳払いをすると、改まって言った。

 

「世界を守りたいのならば、期限までに解決策を示し、実行することだ。これが我々にできる最大限の譲歩である。貴殿の成果を期待する」

 

 彼と握手を交わす。有意義な対談は終わった。



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246「星海 ユウは諦めない」

 ダイラー星系列との対談を終えた俺は、暫定政府のエントランスでJ.C.さんに再会した。

印象通りというか、ブレイに比べるとランウィーの方がきつい性格のようだ。ヴィッターヴァイツと義姉弟であるという関係もあることから、色々と小言を言われてしまったらしい。

 今後、ダイラー星系列の妨害をしないこと、対ヴィッターヴァイツに協力することを約束させられたようだ。

 それから、なぜか彼女には全力で頭を下げられてしまった。

 

「中々言うタイミングがなくて……とても大事なことを伝えられなくてごめんなさい!」

「えっと。何ですか?」

「実は私ね。あなたのお姉さんに……ユイちゃんに会ってきたの」

「ユイと!?」

 

 ウィルに殺されてしまったと思っていた。

 フェバルだからどこかで生き返っているかもしれないと、淡い望みは捨てられなかった。

 ただ、ユイはあくまで俺の能力によって生まれた存在だ。厳密にはフェバルそのものではない。

 もしかしたら。最悪のことばかり考えていた。

 心が繋がらないから、ほとんど絶望視していたのだ。

 

「ユイは、ユイは生きてるんですか!?」

「ええ。でも実際、本当に危なかったのよ。私が助けなければ、そのまま死んでしまっていたでしょうね」

「どうやって……?」

「ハルって子を助けたのと同じようにね。【生命帰還】――完全に死んでいない限りは回復できるわ。それが私の能力なの」

 

【生命帰還】。

 さすがに死者蘇生まではいかないらしいけど、究極にも近い回復能力だ。そんな凄まじい力があったなんて。

 まるで俺を救うために計らってくれたような、奇跡の力だ。

 

「そっか……」

 

 ユイが生きている。

 また触れ合える。また一緒に旅ができる。

 

「そっかぁ……」

 

 ――もう大丈夫だ。いける。頑張れる。

 

 心に灯がともった。

 君がいるなら、俺はどこまでも戦える。旅を続けられる。

 それに、素敵な仲間たちだっているんだ。

 

 ……それにしても、今日は何回泣かされるんだろうか。

 

「ありがとうございます……! J.C.さん! ユイのこともハルのことも。この恩は決して忘れません!」

「いいのいいの。元々あなたは助けてあげたいと思っていたし。それにね……」

 

 J.C.さんはなおも申し訳なさそうにしている。

 その理由にはすぐに思い当たってしまった。

 

「そうだ。ユイは? ユイが無事なら、どうしてここにいないんですか?」

「そのことなんだけど……ごめんなさい。連れて来られなかった。あの子は未だにアルトサイドにいるわ」

「なんだって!?」

 

 涙が引っ込む。

 ユイが未だに非常に危険な状態にあることがわかったからだ。

 ユイには光魔法があるから、大抵のナイトメアには負けないだろう。

 だがアルトサイドには、あの恐ろしいナイトメア=エルゼムがいる。

 果てしなく広い闇の世界でばったり出くわす可能性はあまり高くないかもしれない。けれど、もし出会ったときのことを考えれば……。

 

「あの子、今はあなたとの繋がりが切れているから。もしそのままトレヴァークに連れてきてしまったら、どうなるかわからなかったの。最悪消えてしまうかもしれないって。そしたらあの子、私にこう言ったのよ。自分の無事をあなたに伝えて、あなたの力になってあげて欲しいって」

「そうだったんですか……」

 

 J.C.さんが申し訳なく思う理由はまったくない。命を助けてくれたという事実だけでも素晴らしいことだ。

 それにおそらく、ユイの意志は固かったのだろう。ユイも言い出したら聞かないところがあるからな。

 おかげでハルは助かったことを思えば、二人の決断が俺と彼女を救ってくれたことになる。

 代わりにユイは最も危険な場所に一人でいることになってしまったけれど。

 

「ユイを助けにいかないと。何とかならないでしょうか?」

「気持ちはわかるけど……すぐには無理ね。あの世界では感知の類はほとんど役に立たない。何も手掛かりがなければ難しいのは、あなたもわかるでしょう?」

「そうですね……」

 

 せっかくユイが生きていることがわかったのに、迎えに行けないなんて。もどかしい。

 心苦しいけど、今は無事を祈るしかないのか。

 ほとんど諦めていた可能性が現実的なものになっただけでも、今は前向きに捉えよう。

 きっとユイは諦めずに戦っているはずだから。

 

 ……そうだな。今はできることをしよう。

 

 俺もユイも目的は同じ。世界の異変の解決を目指して動いていけば、いつかは再会できるはずだ。

 また生きて会えると信じよう。姉ちゃんは強いんだから。

 

 

 

 外ではランドとシルヴィアが待っていた。《マインドリンカー》を繋ぎ直しておく。

 ひとまず、俺の店で待っているハルのところへみんなで向かうことにした。

 リクにも電話で連絡を取ると、彼も来るようだ。シズハはエインアークスでの仕事があるので、シルヴィアを介して話だけは聞くということになった。

 ランドとシルヴィアには対談の内容を迫られたが、詳細はみんな集まってから話すことにする。

 歩きながら、主にJ.C.さんと話した。

 J.C.さんは母さんとは旧知の仲だということだ。しかも母さんがJ.C.さんの命の恩人であり、名付け親でもあるみたいだった。

 J.C.ってなんか響きが英語っぽいなとは思ってたけど、ガチのイニシャルだとは思わなかった。

 ちなみに由来を聞いたところ、恨みがましく「適当に付けられた名前よ」と言われてしまった。

 

 なるほど。たぶんノリと勢いで付けたやつだな。あまり考えずに。

 うちの母が本当にすみませんでした。どうしようもない母ですみません。

 

 ん。待てよ。ということは……。

 

「うわ」

「どうしたの?」

「俺、あんな奴と親戚みたいなものなんですか……おじさんなのか……」

「ぷっ」

 

 突然J.C.さんが吹き出したので、俺は戸惑った。

 

「ふふ。やっぱり似たもの同士だなと思ってね。ユイちゃんもまったく同じこと言ってたわよ」

「あーそうだったんですね」

 

 元が半分同じせいか、本質的に発想が似てるんだよな。言われて全然悪い気はしないけど。

 

「意地っ張りなところもそっくりね。あのヴィットに一歩も引かないんだから。まったくひやひやしたわよ」

「どうしてもあいつには負けたくなくて」

 

 記憶になくても、ふとした拍子に蘇るものがある。

 魂が覚えている。間違いなく、深い因縁があったのだろうと思う。

 そう言えば、あいつ……。

 俺は気になったことをJ.C.さんに尋ねてみた。姉なら何か知っているかもしれないと思って。

 

「ただ、あいつ……ヴィッターヴァイツは、深く絶望していたんです」

 

 俺が黒い力の暴走から立ち戻ったとき、心を読む力も蘇った。

 そのときに奴から受け取った感情が……愉悦でも加虐でもなく、とてつもなく深い絶望だったのには驚いた。

 あのときは怒りが遥かに勝っていたから、深くは考えなかったけれど。

 

 絶望。あいつは絶望している。

 

 好き勝手暴れ回っているように見えて、破壊も殺しも楽しんでいるように見えて、その実、空虚な己を誤魔化しているだけなのだと気付いた。

 そこにあいつが「人間」だったときのヒントがあるのではないか。付け入る隙があるのではないか。そう思った。

 

「J.C.さんは、何か思い当たることはありませんか」

「……ごめんね。私にもわからないわ。どうしてあの子が……。ただ……【支配】なんかろくな能力じゃないって昔のヴィットは常々言ってた。その気になれば【支配】できてしまうことが怖い。できればこんな能力など使いたくないって」

「あのヴィッターヴァイツが、能力を使うことを怖がっていたんですか」

 

 あれほど【支配】を加虐的に使いこなしている男の現在とは思えないかつての姿だ。

 思えば、あいつは【支配】が効かないときに嫌な顔など一つもしなかった。むしろ自分に【支配】されず、渡り合える者には顔を綻ばせていたじゃないか。

 あいつは、自分の能力を憎んでいるのか。

 

「ええ、そうよ。そうだったの。だから私は言ったのよ。人の【支配】なんてしなくてもいい。いやしない方がいい。ただ無生物に対して、人を助けるためだけに使えばいいって。ヴィットはそうだなって、その力を人のために役立てていたの」

「最初は本当に人助けのために力を使っていたんですね」

 

 今のアレからはとても信じられないが、J.C.さんはまったく嘘を吐いている様子ではない。

 奴の根っこが武人であることは、ジルフさんも言ってたし、黒い力を使った俺に対する剥き出しの対抗心からも感じた。

 元は愚直な男だったのだ。

 何かが奴を絶望させてしまった。何かが奴を狂わせてしまった。

 俺は今、それを知りたい。

 

 意を固める俺に対して、J.C.さんは目を細める。

 

「ユウ。あなたは本当に不思議な人ね。ユナにも驚かされっぱなしだったけど……。あなたは、敵であるはずのヴィットに対しても理解しようとしている。普通はできることじゃないわ」

「それほどでもないですよ。あんな奴のことなんて、絶対に許す気はないですから。ただ……」

 

 俺は自分の想いを語る。

 

「俺、フェバルに勝つためには、ただ殺すだけでは意味がないと思うんです。ただ殺しても死なない奴らに対して、それは何の解決にもならない」

「そうね……。あなたの言う通りよ」

 

 もしフェバルを真に殺せるならば、話は違うかもしれない。

 黒い力を使っていたときによぎったように、数え切れないほどの死を一度に与えれば。

 あるいは、フェバルを真に殺せるというあの力――トランスソウルなら。

 けれど、前者はもう使う気はないし、後者は使えるものではない。

 とりあえず、今あいつを本当に殺して止める方法はない。

 だから考える。

 

「仮にあいつを上回る暴力で葬ったとしても、あいつは蘇った先で、絶対的な力こそ真理であるという己の正しさに確信を深めるだけです。いや、あいつ自身だって本当はそんなもの虚しいとわかっているのに、いつまでも自分を誤魔化したまま、無意味な破壊行為を繰り返すでしょう」

 

 そんなのはやられる者にとっても、あいつ自身にとっても、悲し過ぎる。

 

「俺にあいつを改心させられるとは思えないけど……俺はあいつを止めたい。本当の意味で負けを認めさせてやりたいんです」

 

 あいつが信じるフェバルの力に対して、違うのだと叩き付けてやる。

 お前に【支配】できない「人の意志」があるのだと、蹂躙されるままではないのだと、突きつけてやるんだ。

 俺なら、俺たちならそれができるはず。

 俺が架け橋になる。俺のフェバルの力は、そのためにある。

 それが俺にできるあいつへの復讐だと、今なら思う。

 

 聞き入るJ.C.さんに、俺は続ける。

 

「あいつが……ヴィッターヴァイツが、どうしてやけに俺に固執するのか、少しわかった気がします」

「それは……ぜひ聞かせて」

「俺は今、たぶんあいつが捨ててしまったものをまだ大切に持っているんですよ」

 

 みんなを見渡して、俺は頷いた。

 

「だから気に入らないんだ。許せないんだ。俺にも絶望して欲しいと、すべてを捨てろと、同じ道を歩めと願っている。自分がそうなってしまったように」

 

 それがわかったから、俺はもう絶対にあの力を使ってはやらない。

 そして、そんな想いが言動に現れてしまう奴の心に、奴の「人間」が隠れている。

 俺は確信を込めて言った。

 

「『人間』ヴィッターヴァイツは、まだ死んでません。俺はあいつに負けたくないんだ。あんな奴の思い通りにはならないんだ。今度こそ」

 

 俺が人を捨てずにフェバルに打ち勝つ。ほんのわずかな望みがあるとすればそこだ。

 お前がフェバルになってしまったとほざくなら。「人間」など忘れてしまったとほざくなら。

 嫌でも思い出させてやる。

 お前の思い通りにならない者たちがここにいるぞと。

 そしてお前もまだ「人間」なのだと。俺が教えてやる。

 そのためなら、何度でも正面から向き合ってやるさ。嫌というほどに。

 俺はお前に力では勝てないかもしれないが、お前も俺を力で屈服させることはできない。

 

 俺という人間を怒らせたことを。敵に回したことを後悔させてやる。

 

 俺は、諦めないぞ。

 

 闘志を燃やす俺に、J.C.さんは瞳を潤ませていた。

 

「そう……。あなたの決意、確かに伝わったわ。あるいはそんなあなたなら……奇跡だって起こせるのかもしれないわね」

 

 彼女は手を差し出して言った。

 

「ぜひ私にも協力させてちょうだい。ヴィットを止めるためなら何だってするわ」

 

 俺は強く頷いて手を握り返す。J.C.さんと繋がった瞬間だった。



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247「自分の道を探して」

 話をしながら歩いていると、何でも屋『アセッド』トリグラーブ支店に着いた。

 明らかな戦闘の跡がある。ナイトメアや暴走した機械兵士の攻撃を受けたのは例外ではなかったらしい。

 店員のみんなは無事だろうか。すぐに安否を確認しよう。

 それにしても、ずっとダイラー星系列に手配されていたから、堂々と俺の店に入るのも久しぶりだな。

 

「あ。ユウくん」

 

 車椅子に座ったハルが俺に気付いて手を振る。俺も手を振り返す。

 既に見送りのシェリングドーラの姿はない。店員に身柄を任せて帰っていったようだ。

 ハルに付き添っていたのは、俺が不在時の責任者であるダンと、女性店員のイズナだ。

 よかった。二人とも無事だったのか。

 

「ダン。イズナ。よく無事だったね」

 

 声をかけると、イズナは若干涙ぐんでいた。

 

「ユウさん。ボスやこの方から話は聞いていたのですが、本当に生きていたんですね……!」

「心配かけたね。留守の間を守ってくれてありがとう」

 

 ダンもまた、感極まった様子で顔を綻ばせている。

 

「店員一同、ユウさんの帰りをお待ちしておりました」

 

 彼が合図すると、店員たちがぞろぞろと現れて整列した。

 トリグラーブ支店の人員62名。怪我こそあるものの、一人として欠けている者がいない。

 

「みんな! 無事だったか!」

 

 明るいニュースだ。やっぱり身内だけでも無事というのは嬉しい。

 ダンは語る。

 

「正直、もうダメかと思ったんですが。不思議と底力ってやつが湧いてきまして。全員で何とか凌ぎましたよ」

 

 それを聞いてよくやったなと思うが、同時に疑問でもあった。

 ナイトメアも機械兵士も、普通の人間ではまったく太刀打ちできないほどに強いはず。なのに底力くらいで全員助かるなんて、そんな都合の良い奇跡が起こるものだろうか。

 そう言えば、以前にもこんなことがあった。

 エルンティア解放戦争のときのことだ。あのときも、やはりあの世界の機械兵士やバラギオン相手に戦士たちは善戦し、本来予想されていたよりも遥かに犠牲者が少なかったではないか。

 それはなぜだったかと言えば――。

 俺が気付くのと、ハルがこちらに向けてウインクするのが一緒だった。

 

 そうか。ハルのときと同じだ。ここでも繋がる力が効いていたんだ。

 

 たとえ《マインドリンカー》を明示的に使っていなくても、俺の助かってくれという想いに心の力はちゃんと呼応していた。【神の器】は繋がりのある人物に力を貸し与えてくれた。たぶんそういうことなのだろう。

 心から嬉しく思うと同時に、ぞっとすることでもある。

 

 ここでも、もし俺が黒い力に溺れていたらどうなっていただろうか。

 確実に繋がりは切れていたはずだ。切れてしまえば、一般人はなすすべもなく殺されていただろう。

 

『黒でも白でもない、お前自身の道を見つけるんだ』

『さもなければ、お前もいずれすべてを失うことになる。俺と同じ道を辿ることになるぞ』

 

 あの力を使うとろくなことにならない。

 もう一人の「俺」が言っていたことも、今ならより痛切に感じられる。

 

 俺は最悪、ハルも、何でも屋の店員も、エインアークス本部を守っていたシズハたちも、一度にすべて失うことになっていたかもしれなかったのだ。

 そしてきっとそれは……ただの偶然ではないのだろう。

 

 俺は改めて、あの力には頼らず、自分なりの道を探すことを心に誓った。



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248「あなたが繋いできたものは」

 店員たちの無事を確かめた後、人払いをして、限られたメンバーには対談の内容を話すことにした。

 これからする話は、あまり大勢の前ではできない話だ。ダイラー星系列からも一応口止めされているし、パニックになられても困る。

 さすがに彼らも俺が全員に対して黙っているとまでは思っていないだろう。俺の記憶を解析したのならなおさらだ。それでも異変の調査を一任されたということは、事実上話す相手を選べば良いと黙認されたと見て良いはずだ。

 リク、ハル、ランド、シルヴィア(を通じてシズハにも)、J.C.さんには残ってもらった。

 エインアークスからは、代理責任者のダンだけは残している。彼には後でシルバリオに報告してもらうつもりだ。ボスは本部襲撃からの復旧作業で今それどころじゃないらしいから。

 そう言えば、アニエスは来ないのだろうか。

 ちょうどそんなことを思ったとき、彼女がぜえぜえ息を切らしながら店に駆け込んできた。

 

「すみません! ただいま戻りましたっ!」

「おかえりアニエス。随分汗だくだね」

「例のプロテクトのせいでっ、直接こっち来られないので! はぁ……一旦町の外に出てから、急いで走ってきたんです! ふう……」

 

 世界間の移動はできるのに小回りは効かないということか。それと。

 

「へえ。やっぱりアニエスが君の本名だったんだね」

「はうっ!?」

 

 自然に受け答えしてしまった"アニッサ"改めアニエスは、あわわと慌てふためいた。

 J.C.さんはクスクス笑っている。

 

「あなた偽名なんて使ってたの? なんでまた」

「そ、そそ、それには深い事情というやつがあったりなかったりしまして……」

「よくわからないけど、本名で呼ばれるのが嫌ならこれからもアニッサって呼ぶよ?」

「いえ。もういいんです……。はあ、そういうことかぁ……」

 

 アニエスはどこか諦めたような、一人で納得したような顔をしている。

 そんな彼女を見ていると、やっぱりどこか懐かしいような、微笑ましいような気持ちになる。

 何となく、J.C.さんはさん付けして呼びたくなるけれど、彼女は親しみを込めてそのまま名前呼びしたくなる感じだ。年下っぽく見えるからだろうか。

 

「アニエス」

「はいっ!」

 

 彼女が急に背筋をピンと伸ばしたから可笑しかった。

 

「どうしたの。そんなにかしこまって」

「いえ、ユウくんからその感じで呼ばれるとつい」

 

 またよくわからないけど、彼女の不思議は今に始まったことじゃないしな。

 それよりも。

 

「ありがとう。君の力がなかったら、ハルは助からなかった。聞いたよ。J.C.さんと一緒にハルを助けてくれたって」

「正確には、私が来たとき手が施せるよう整えてくれたのがアニエスなのよね。グッジョブよ」

「もちろんボクからも礼を言わせて欲しい。あのときはまだ死んでて言えなかったからね」

 

 さらっと死んだことを笑っていくハル。強い。

 アニエスはというと、やけに照れ臭そうだった。

 

「どういたしまして。うん。まあやっぱり、相手がいなくちゃ張り合いがないですし」

「それは同感だね」

「何の話?」

「「こっちの話です(だよ)」」

 

 アニエスとハルは目と目で通じ合っていた。謎の結束がある。

 そんな二人と俺を見て、J.C.さんはずっと面白そうに笑い続けている。シルも妙にニヤニヤしている。

 リクはなぜか俺を恨みがましく見つめ、ランドはずっと首を傾げていた。

 ダンは大人でスルーしていた。

 

 

 まあちょっと話しにくい空気になってしまったけど、そろそろ本題に入らないといけない。

 みんなには可能な限り正直に話した。

 このままいけばこの星どころか宇宙全体が危ないらしいということ。事態の解決を見なければ、最短75日でダイラー星系列が二つの世界を消し去ってしまうことを。これが最大限の譲歩だと言われたことも。

 やはりショックは大きく、面々が深刻な顔をしていた。

 

「なんてことだ。そんな絶望的な状況になっていたとは……」

 

 ダンは頭を抱えている。それでも目は諦めてはいない様子だ。

 

「くっそ! やっぱあいつら好かないぜ」

「けれど、やむを得ない措置であることは事実なのよね……」

 

 J.C.さんは苦い顔をしながらも、彼らの措置には一定の理解を示している。

 

「それで、ユウさんはどうしろって言われたんだよ」

「異変の調査に関して一任されたよ。期限までは好きにやれって。基本的には今までの方向性で行こうかと考えている」

「つまり世界の記憶――つーかラナ様の記憶を求めていくわけか」

「ボクもそれでいいと思う。答えは世界の真実の先にある。そんな気がするから」

「でも、ヴィッターヴァイツのクソ野郎とか、ナイトメア=エルゼムみたいなのがまたいつ攻めて来ないとも限らないのよねえ」

 

 そうなんだよな。いくら彼らでも大都市以外は手が回らないし、そもそもラナソールについては何の保証もない。

 それに時を経るにつれて、ナイトメアや魔獣は明らかに凶暴性を増してきている。魔神種のような凶悪なのも現れ始めた。

 この先ますます戦いが過酷になる中で、今のままで対抗していけるかというと……。

 

「ユウさん。ちょっといいですか」

「どうした。リク」

「その……僕、ずっと悔しかったんです」

 

 難しい顔で考え込んでいたリクが、思いの丈を語り出した。

 

「外で機械やナイトメアが暴れていても、僕は見ていることしかできなかった。子供が助けを求めてたのに。聞こえてたのに……僕は怖くて動けなかった。ハルさんのことも。あんなに苦しんでいるのがわかってたのに、やっぱり僕には何もできなかった。自分の身を守るだけで精一杯だった」

「それは……」

「仕方ないって思いますか? 誰より仕方ないって思えないあなたが。僕にはそう思えって言いますか?」

「そう、だよな」

 

 一般人だから。戦えないから。そうやって一括りにして良い問題じゃないよな……。

 詫びようとした俺を、しかしリクは制止する。

 

「別に責めたくて言ってるんじゃないんです。わかってますよ。どんなに僕が戦いたいと願ったって。僕はラナソールにいるような『冒険者』にはなれない。戦闘では足手まといにしかなれないってことは」

 

 ランドの方を一瞥して、リクは言った。ランドは黙ってリクを見つめ返している。

 

「でもこれだけはわかって欲しい。僕もずっと同じ気持ちだったんです。悔しかったんです。何とかしたいってずっと思ってて。今も思ってて」

「リク……ああ。よくわかったよ」

「あっ、えーと。そんな顔しないで下さい。僕、その、あんまり口で上手く言えなくて……また責めてる感じになっちゃいましたけど、本当に責めたくて言ってるんじゃないんだ。むしろ僕は……感謝してるんです」

「俺に?」

「はい。ユウさんは教えてくれました。心に直接伝えてくれました」

 

 リクは俺に熱いまなざしを向けていた。

 

「たとえ敵わなくても、何度も何度も立ち上がって。あの恐ろしい敵を追い返してみせた。ハルさんだって救ってみせたじゃないですか! あなたの姿を感じて、決意を見て、僕は思った。気付きました。何も力だけが戦いのすべてじゃないんだって」

 

 この場にいるみんなが同意するように、強く頷く。

 どうやら俺の戦いは、心の繋がりを通じて、自分が考えていた以上に他の人に感銘を与えていたらしい。

 リクの言葉には熱がこもっていた。

 

「きっと何かあるはずなんだ。僕にもできることが。僕にしかできないことが。僕は……それをずっと考えてました」

 

 今、俺にははっきりと「見える」。

 彼の中で沸々と燃え滾る希望への意志を。彼の中で芽生え始めた『小さな英雄』を。

 

「ユウさんは教えてくれました。身をもって示してくれました。そうだ。僕たちはただ蹂躙されるだけの、決して無力なだけの存在なんかじゃない! 僕たち人間にも、いや人間だからこそできることがあるはずだって!」

「……へえ。やっぱお前も考えることは同じか」

「みたいですね」

 

 阿吽の呼吸で示し合うリクとランド。

 

「何を考えているんだ」

 

 尋ねると、ランドはにやりと笑った。

 

「なあユウさん。あんた、これまでどれだけの人を依頼で助けてきた?」

「え? それは……」

 

 唐突な質問だ。

 言われてみれば、この2年ほど、本当にたくさんの依頼を受けてきたな。

 依頼で直接関わった人数で言えば――12348人。彼らの家族や友達なども含めたらその3倍くらいはいくだろうか。

 

「1万人以上はいると思うけど」

「それですよ!」

 

 リクは息巻く。

 ランドが俺の肩を叩いた。励ますように。

 

「あんたが助けてきた人間を、今度はあんたが頼る番じゃないのか? 俺たちみたいによ」

 

 それは……!

 

「へえ。ランドにしては素晴らしいアイデアね」

 

 感心したシルが後を継ぐ。

 

「この世界の人間だけじゃない。ラナソールの冒険者だって、ありのまま団だって、他の住民だって、きっとユウのためなら力になってくれるはずよ」

「いいねいいね。ボクも大賛成だよ!」

 

 ハルが拍手喝采する。

 全員が湧き立つ中、リクは俺の目をじっと見て言った。

 

「僕は見てきました。隣から見てきました。あなたが繋いできたものは、決して小さいものなんかじゃないはずです。時間は限られていますけど……その限られた時間をかけるだけの価値はあると思うんです」

「そうか……そうかもしれないな……」

 

 だけど。

 俺が《マインドリンカー》を十分な強度で維持できるのは、まだ数人が限界だ。薄く伸ばしても、千人程度でもう無理が生じる。

 アリスたちのような最も親しい者同士であっても、繋ぎ過ぎればたちまち理性を失うことになった。

 エルンティアでも暴走しかけた。

 まして、万人規模では使ったことがない。そこまではさすがに考えてなかった。

 また制御を失い、暴走してしまわないだろうか。それが黒の力のように、かえって悪い結果をもたらすことにはなりはしないだろうか。

 思い悩む俺に、ハルが温かく微笑みかける。

 

「不安はよくわかるよ。でも、何もキミが一人で支える必要はないんじゃないかな」

「あのときとは違いますよ」

 

 事情を知っているらしいアニエスも、励ますように追随した。

 

「ユウくん。あなたはあのときよりも強くなりました。そして今ここには、あなたの力を十分よく知っている人間がたくさんいます」

 

 確かにそうだ。

 あのときも、あのときも、俺は自分の力の使い方さえろくに知らなかった。

 だからほとんど自分とユイ、加えてもリルナだけで能力を制御しなければならなかったんだ。

 でも、今は――。

 

「僕たちにできることがあるとしたら、それは」

「キミが一人では心を支えられないのなら」

「私たちが全力で助けになるわよ!」

「おうよ! 大船に乗ったつもりでいてくれよな!」

「あたしも微力ながらですが」

「私だってね。恩人の息子のためだもの」

 

「みんな……!」

 

 こんなにもたくさんの「繋がった」仲間がいる。

 

 仲間たちの熱い声援に刺激を受けたのか、普段は滅多に声を荒げることのないダンも感極まっていた。

 

「私には詳しい事情などまったくわかりませんが……我々も気持ちは同じです! いや、我々だけじゃない。もっとずっと多くの人たちが。ユウさん、みんなあなたの力になりたいのです!」

 

 そうか……。

 

 胸が熱くなる。

 

 どうすれば「奴ら」に負けない戦いができるのか。もがき続けてきた。

 

 ……笑ってしまうよな。ついさっきまで探そうと思っていた道は。

 

 日々の中で大切にしてきたもの。俺たちの歩んできた道にもう答えはあった。

 

 初めに気付かせてくれたのは、他でもないリクだった。

 

 無駄なことなんか何一つなかった。ずっとここにあったんだ。

 

 トレヴァークの人たちの、そしてラナソールの人たちの想いや力が。

 一つ一つはほんの少しであっても、それが何千何万と束ねられたなら。

 

 

 ――届くかもしれない。フェバルの領域に。人のままで。

 

 

「ユウさん。行ってきて下さい。あなたが言っていたように、僕らの想いを束ねて。そしてきっと、本物の英雄になって帰ってきて下さい。僕たちは待ってます」

「ああ――ああ! 行ってくる!」

 

 ダンの手を取り、まずはレジンバークへ。

 

 いま一度、人の絆を繋ぐ旅へ。みんなが待っている。



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249「帰ってきたレジンバーク 1」

「っと。出られたか――」

「ユウさん……ユウさんじゃないですか!」

 

 目の前には、ありのまま団幹部としてのダン(上裸ビキニパンツ)が立っていた。

 ここは……ありのまま団本部かな。無事レジンバークに帰って来られたようだ。

 

「おーーいみんなーーーーーっ! ユウさんが帰って来たぞーーーーー!」

「「おおっ!」」「「ほんと!?」」「「マジか!」」

 

 ダン(上裸ビキニパンツ)の呼びかけに応じて、ぞろぞろと半裸や全裸の男女が駆け寄ってくる。

 相変わらずの圧倒的肉体密度に圧倒されるが、同時にほっとしている自分もいた。

 この町特有のカオスさ、自由さ、そして明るさはまだ失われていないのだと確信できたからだ。

 ダン(上裸ビキニパンツ)は言った。

 

「団長が待ってますぜ! 会いにいってやって下さいや!」

「わかった。すぐ行くよ」

 

 本部の最上階へ上がり、団長ゴルダーウ・アークスペインと見える。

 彼は俺を見るなり、髭面を綻ばせて豪快に笑った。

 

「おお、小僧! 戻ったか!」

「はい。ご心配おかけしました」

「よい。よいのだ。中々良い面構えになって帰ってきおったな。一つ漢を上げたと見える」

「そうですか?」

「うむ。敢然と苦難に立ち向かう漢の目よ。こちらに来たということは、何か掴めたのか?」

「まだ完全には掴めてはいませんが。ここには力を貸してもらいに来たんです」

「ほう」

「俺は絵に描いたようなカッコいい英雄じゃありません。一人だけで世界を支えられるほどに強くはない。けれどそれでも、助けを願い求めるみんなの側に立ち、一人一人の力になれるような、そんな英雄になるために」

「なるほどな」

 

 団長はあごひげをさすりながら少し考え、頷く。

 

「ワシとしては願ってもないことだ。お前さんに協力してやりたいと前々から思うとった。だが、具体的には何をすればよいのだ?」

「ただ、想いを。俺を助けたいと想ってくれるその心が、誰かを助けたいと願うその心が、俺に力を与えてくれます。みんなに力を与えます。比喩じゃありません。夢想病を治したように。それが俺の繋がる力であり、戦い方なんです」

「あいわかった。よかろう! 我々の熱く滾るエナジー、受け取るがよいッ!」

「「押忍ッ!」」

 

 どこから聞いていたのか、後ろの扉から団員たちがどっとなだれ込んできた。

 一人一人と握手を交わし、《マインドリンカー》で繋いでいく。

 ハルたちほど繋がりは深くはない。ただそれでも、俺と直接交流のあった三千人超からの想いと力は、それだけで飛躍的に俺を高めてくれた。

 

「みんな。ありがとう。この力、大切に使うよ」

「自分の店や冒険者ギルドにも顔を出してくるんだろう? 行ってこい。絶対におぬしの力になってくれるはずだ!」

「はい!」

 

 

 心強くありのまま団を送り出された俺は、その足ですぐ冒険者ギルドに向かう。

 入口の両開きの扉をそっと開いた。

 内部は、やや張り詰めた空気が漂っている。冒険者たちの顔色には色濃い疲れが見えた。

 意を決して声をかける。

 

「みんな。ただいま」

 

 振り向いた面々が俺の姿を認めたとき、まるで疲れなど吹き飛んだかのように、割れんばかりの大喝采が巻き起こった。

 

「うおおおおおおおおおお!」

「ユウさんだ!」

「ユウさんっ!」

「ユウさまあああーーーー!」

「生きてたああああああああ!」

「わああああああああ!」

「帰ってきたあああああーーー!」

「ユウさーーーーん!」

「おかえりなさい!」

「待ってました!」

「オレは信じてたぜ!」

「この野郎心配かけさせやがって!」

「世をかける伝説が、いまふたたびっ!」

 

 わーっと冒険者たちが集まってきて、もみくちゃにされる。

 思った以上の歓迎ぶりに、胸が熱くなった。

 彼らに背を押されてカウンターに向かうと、受付のお姉さんが待っていた。

 

「おかえりなさい。久しぶりね。今日はどんな依頼を受けに来たの?」

「いえ。今日は……俺が依頼しに来たんです」

「……へえ。聞かせてもらえるかしら」

「直接みんなに言いますね」

 

 俺はこの場にいる全員に振り返って語りかける。

 一つ一つ、言葉を大切にしながら。

 

「みんな。聞いて欲しい。俺は今、この事態を根本から解決するために動いている。でもみんなが知っている通り、魔獣や闇の異形――ナイトメアは日に日に凶暴になってきている。魔神種まで襲うようになった。……敵は強い。困難はとてつもなく大きい。俺だけの力では、到底太刀打ちできない」

 

 だから。

 

「だから、頼む。手を貸してほしいんだ。と言っても、そんなに難しいことじゃない。ただ想ってくれるだけでいい。俺を助けたいと想うその心が、誰かを助けたいと願うその心が、俺に大きな力を与えてくれる。そして、みんなにも同じように力を与えてくれるはずだ」

 

 そして俺は深々と頭を下げた。

 

「頼む。みんな。どうか力を貸してくれ!」

 

 心配などまったくの不要だった。

 頭を上げるよりずっと早く、嬉しい答えがたくさん返ってきた。

 

「いいってことよ!」

「当たり前だろ!」

「頭なんて下げなくていいよ!」

「あんたにはたくさん助けてもらったからなぁ!」

「それに僕たちのために動いてくれてるんでしょ?」

「ユウ様の力になれるならっ!」

「お安い御用だ!」

「オレたちみんな、ユウさんのこと大好きなんだ!」

 

「みんな! ありがとう!」

 

 そんな様子を見ていた受付のお姉さんは、ササッと何かのスイッチを入れた。

 そしていつものように受付台帳を丸め、マイクパフォーマンス全開で叫んだ。

 

 町全体に効果のある拡声装置に向かって。

 

『オラーーーッァ! 緊急速報! これかけるときね、いつもは暗いニュースばっかりじゃない? ノンノン。今回はグッドニュースよ! グッドもグッド! そう! 伝説のユウさんのご帰還だあああーーーっ! しかもしかも、これから世界を救う戦いに行くってさ! そこの冒険者ども、さっさと集まるのよッ! ユウが助けを求めてるッ!』

 

 お姉さんの呼びかけの効果は絶大だった。

 さすがに全員とはいかなかったけれど、なんと七千人近くもの冒険者たち、そして一万人以上の一般市民が馳せ参じてくれたのだ。

 一人一人と繋がりを結ぶ。

 あまりにも数が多く、途中休憩を挟みながら、翌日朝まで徹夜でかかってしまった。

 

 もう約二万人と繋がっている。しかもみんなの協力のおかげか、理性を保てていた。

 すごい。すごく温かい想いが、溢れている。

 

 最後には、受付のお姉さん当人も繋いでくれた。

 すると彼女は一瞬驚きを見せ、しみじみと目を細めた。

 

「なるほど。そこまで辿り着いていましたか」

「どういうことですか?」

「……ユウくん。お姉さんからの素敵な一言アドバイスよ」

「……はい」

 

 心構えをすると、お姉さんはゆっくりと言った。

 

「イコの一族に受け継がれてきた、オリジナルの聖書を探してみて。そこには抜け殻じゃない――彼女への『想い』と彼女が『生きた記録』が収められている。きっとどこかにあるはずよ」

 

 イコ。

 それはラナの記憶を共有した者か、ラナの時代を知っている者しか知らない名のはずだった。

 どうしてお姉さんが。

 聖書――それがキーアイテムなのか?

 

「ラナのことを直接知っているんですか?」

「まあ言っても、私もそこまで詳しいわけじゃないんだけどね。大昔に、ちょっとね」

 

 受付のお姉さんは、ミステリアスに微笑む。

 実はものすごい長生きだったのだろうか。

 彼女の正体は俄然気になるけれど、今は詮索している場合ではない。

 

「わかりました。よく覚えておきます。ありがとうございます」

「しっかりやるのよ。あるいはあなたなら、誰も知らない真実の向こう側へ辿り着けるかもしれないわね。お姉さん期待してるわ!」

「はい!」

 

 受付のお姉さんから熱い激励をもらった俺は、あの日以来の我が家へ向かう。

 ミティたちはこちらには現れなかった。きっと家で俺が帰って来るのを待っているのだろう。

 遅くなった。今行くよ。



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250「帰ってきたレジンバーク 2」

 激しい戦いの傷跡がありありと残る街並みではあったが、しばらくぶりの我が家はあの日と変わらない佇まいだった。

 両開きの扉を開けると、台所で料理をしているミティとエーナさんと目が合った。ジルフさんは隅の「フェバル用」テーブルで寛いでいて、俺に気が付くと微笑んだ。

 

「ただいま」

「お帰りなさいませっ!」

 

 ミティが料理を放り出して子ウサギのように飛び付いてきたので、受け止めて頭を撫でた。

 エーナさんも火を止めて俺に向かって歩いてくる。ジルフさんもこちらへ来た。

 

「こっちに来るのはわかってたから、みんなで待ってたのよ」

「話に聞く盛況ぶりだと、落ち着いて話もできないと思ったからな」

「やっぱりそうでしたか」

「あのー。ところで、ユイ師匠は……」

 

 あの日のことを直接見ていないミティは、伝聞でユイのことを聞いたのだろうか。不安げに尋ねてきた。

 俺は彼女の目を見て言った。

 

「大丈夫。ユイは生きてるよ。今は遠いところにいるけど、きっとまた会えるさ」

「本当ですか!」

「それは本当なの!?」「そいつは本当か!」

 

 ミティは素直に喜んだが、ユイが胸を貫かれた場面を見ていたジルフさんとエーナさんがむしろ驚いていた。

 そのことも含めて、俺はこれまでのいきさつを説明した。

 

「……というわけで、今はみんなに力を貸してもらうために各地を回っているところです」

「なるほどな」

「色々大変な目に遭ったのねえ」

「あわわ。それでもみんなを救うために戦い続けるなんて、さすがユウさんですぅ」

「誰かがやらなくちゃいけないことだからね。その誰かになれるのなら、なりたいんだ。それに今回のことは、俺にも大きな責任があると思っているから」

 

 すべての原因とまでは言わないが、ここまで崩壊を加速させてしまった理由の一端は、力を制御できなかった俺にある。だからせめて残ったみんなだけでも助けたい。

 

「よし。ということであれば、俺たちも力を貸そう」

「ありがたく受け取っておきなさい」

「私じゃあ心許ないかもしれませんけど、精一杯想います」

「ありがとうございます。ミティもありがとう」

 

 ジルフさんとエーナさん、二人のフェバルとミティからも力をもらう。

 ミティは元々俺に好意を持っているので、接続率は高かった。知られたくない過去を抱えるフェバルとの接続率は高くはないものの、それでも数パーセント程度は力を借りることができた。

 すると、ジルフさんが難しい顔で尋ねてくる。

 

「それで。ヴィッターヴァイツとは、お前自身の手で決着をつけるつもりなのか」

「はい。おそらく近いうちには。そうでなければ、あいつは負けを認めないと思うんです」

 

 真正面から喧嘩を売った。「人のままでお前に勝ってやる」と。

 奴は狡猾な男ではあるけれど、戦いに関しては正直だ。売られた喧嘩は素直に買うだろう。

 

「老婆心ながら、一つだけ注意しておこう。人々の力を集めて強大な敵に立ち向かう。聞こえは良いが……残念ながら現実はそう甘くないぞ」

「はい。そうかもしれません」

 

 非常に大きな力を受け取ったものの、体感ではあの黒い力を使っていたときに比べれば遥かに劣るのは確かだった。

 

「随分力を増したとは思う。それでも俺の見立てでは、今のお前の強さは奴の……そうだな。まだ2割5分くらいだ。この先他から力をかき集めても、おそらく3割程度が精一杯だろう。ヴィッターヴァイツは――戦闘型のフェバルというのは、それほどまでに常人とは隔絶しているんだ」

「あいつの場合、純粋なパワーでも下手な星級生命体並みだものね。数百万人とかなら話は変わってくるかもしれないけれど……数万人のレベルでは星級には届かない。人の身のままでフェバルに挑むっていうのは、それほど大変なことなのよ」

「わかっています。それでも俺は」

 

 あくまで戦う意思を貫く俺の頭を、大きな手がわしゃわしゃと撫でた。

 

「なあに。これまではっきり桁の違う相手にも立ち向かい続けてきたお前だ。今の状態なら戦いには持ち込めるだろう。きっとやれるさ」

「少なくとも今の私よりは十分強いんだから、自信持ちなさいな」

「そうですね。力の限りやってみます」

「負けないで下さい! ユウさん!」

「うん。頑張るよ」

 

 三人からの心強い声援を受けつつ、俺は店を発った。

 レジンバークは一通り回ったから、次はフェルノートだな。一旦トレヴァークに戻ろう。



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251「ユウ、シェリーの捜索を任せる」

 ダンのところへ向かい、彼の手を借りてトレヴァークへと帰還する。

 戻ってみると、何でも屋のオフィスルームだった。

 ダンの近くでは、リクが難しい顔でPCのタッチボードを弄っている。俺の姿を見るなり、リクは「おかえりなさい」と声をかけてきた。

 

「どうでした? 収穫は」

「ばっちりだよ。たくさんの力をもらってきた」

「さすがっすね。……ところで、心配なことがあるんですけど、報告してもいいですか?」

「もちろん。どうした」

「その。色々あったので、知人の安否を確認してたんですけど……」

 

 幸運にも、彼の知人はほとんど全員無事だったのだという。

 ただ一人を除いては。

 

「シェリーさんと繋がらなくて」

「そうだ。シェリー!」

 

 言われて思い出して、狼狽える。

 前に彼女の反応を探ってみたとき、反応が薄くてよくわからなかったんだよな。

 それだけなら必ずしも危険というわけではなく、ただ近くにいないということなんだけど。

 でもこのご時勢、トリグラーブにいないというだけで心配だから、近いうちに探そうとは思っていたんだ。そのときは。

 けれど、明らかに危機に陥っていたシズハの救出から、エルゼムの襲撃、ヴィッターヴァイツの襲撃と、一連の事件が続いたせいですっかり頭から抜けてしまっていた。

 危ない状況かもしれない。手遅れでないといいけど……。

 

「ユウくん」

「ハル。あれ、どうしたの!?」

 

 焦りを覚えているところに、ハルが"普通に歩いて"部屋に入ってきたので、思わず目を丸くする。

 

「ふふ。びっくりしたかい? 君がたくさん繋いでくれたおかげで、ほらこの通りだよ」

「驚いた。常時パワフルエリアばりの補助がかかっているのか」

 

 むしろ単純にパワフルエリアにいるより遥かに強い。気力だけでも常人を優に超えている。ハルは強く繋いでいるから、恩恵も大きいのだろう。

 

「うん。で、今度はボクのところからフェルノートに行くつもりだったんだろうけど……もっと優先したいことがあるみたいだね」

「ああ。時間がないのはわかっているんだけど、シェリーを探したい」

「キミならそう言うと思ったよ。だからね」

 

 ハルがリクに目配せして、彼が言葉を継ぐ。

 

「既にエインアークスの方や、ランドさん、シルヴィアさん、アニエスさん、J.C.さんに捜索してもらっているんです。僕は捜査状況を取りまとめていまして。彼女……どうも聖地ラナ=スティリアに向かったみたいなんですよね」

「そうか。被災地だからってことで向かおうとしたんだろうな」

 

 けど俺たちが行ったときには既にいなかった。死体も――幸いにして見つかっていない。

 

「結局行かなかったのか。入れ違いになったのか」

 

 最悪の可能性は考えないようにして推測を述べる。

 

「というわけで、ランドさんたちには、聖地からここまでの範囲で見てもらっているんです。見つかる可能性が一番高いので。あと、全然ついでじゃないですけど、皆さんには他の被災者の救助活動も同時にしてもらっています」

「だからね。こっちのことはボクたちに任せて、キミはキミにできることを優先して欲しいんだ。みんなの力を借りるとか、世界の記憶のこととか」

 

 ハルは俺に手を差し伸べて微笑む。

 

「時間は限られているから。ね」

「……そうだな。わかった。シェリーや他の被災者のことは頼む」

 

 確かにリクやハルの言う通りだ。俺一人が加わるよりも、ここはみんなを信頼して任せた方が効率が良いだろう。

 きっとシェリーは見つかるはずだ。アニエスやJ.C.さんがいるなら、「多少の手遅れ」は取り戻せるかもしれない。

 みんなの力とシェリーの無事を信じよう。

 

 俺は意を決すると、ハルの手を取り、フェルノートへと向かった。



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252「剣麗超絶覚醒!?」

 ハルを通じて出たラナソール側では、レオンが嬉しそうな顔で立っていた。

 場所はどうやら町外れの人気のない場所のようだ。他に人はいない。向こうの方にフェルノートの街並みが見える。

 

「やあユウ君。待っていたよ」

 

 彼は満面の笑みを浮かべ、ガタイの良い身体でハグしてきた。

 彼なりの親愛表現だ。でも、伝説の鎧が当たって痛いし、息もちょっと苦しい。

 あはは……。やっぱりハルとは勝手が違うな。

 

「うぐ……君の方に直接会うのは久しぶりだね。レオン。そんなに久しぶりという感じもしないけど」

「ハハ。そうだね。僕は彼女を介して常々君に力を貸していたし、君の心にも触れていたからね」

 

 やがて満足したのか、最後に肩をバシバシと叩いてようやく離してもらえたので、俺は一息つく。

 

「今どんな感じなんだ。フェルノートのみんなは」

「全員無事とはさすがにいかなかったよ。……でも、レジンバークより数は少ないけど、勇気ある人たちが立ち上がってくれたからね。どうにか致命的な被害は出さずに持ち堪えている。最近は君の力の恩恵で、人死にも出ていない」

「そうか……。とりあえず均衡状態は保っているんだな。助かったよ」

「そのくらいしかできることがなかったからね。せめてみんなを守ることだけはと」

 

 苦々しさを含みながらも、自負の窺える顔つきで口元を締めたレオンは、俺に向き直って言った。

 

「ところで、改めて僕からも君に礼を言いたい」

「君も?」

「そうとも。実は彼女がヴィッターヴァイツにやられたとき、あまりにも精神へのダメージが大きくてね。僕も危うく消えてしまうところだったんだ。君は彼女だけでなく、僕の命も繋ぎ止めてくれたんだよ」

「なるほど。君も危なかったんだな」

 

 現実の死が必ずしもこちら側での死とはならないラナソール一般人と違って、特にハルとレオンは互いにはっきり認識できるほど心の繋がりが強く、生死が完全にリンクするほどなのだろう。

 

「だから礼を言わせてくれ。ありがとう」

 

 レオンは深く頭を下げる。俺はすぐ「いいよ」と頭を上げさせたけれど、彼なりのけじめのようだった。

 

「それで、ここにもみんなの力を借りに来たんだろう? 後で行ってあげるといい。既に僕から話を通してある」

「話が早くて助かるよ」

 

 フェルノートにはレジンバークほど実力者はいないけど、首都だけあって人の数は多い。かなりの上澄みが期待できる。

 

「ただ、君はそれでもまだヴィッターヴァイツには届かないと感じているようだね」

「そうだな……。ジルフさんの見立てなんだけど、フェルノートや他の場所からみんなの力をかき集めても、おそらくあいつの3割程度が限界だろうって。俺もそんな気はしている」

 

 黒の力ならたった一人でも圧倒できた。フェバルの力というのは、本当に反則的に強いのだ。

 それでも、戦いにできるだけ今までより条件はずっとマシだ。これ以上は贅沢だろう。

 そう考えていると、彼が提案する。

 

「ヴィッターヴァイツとケリをつけるんだろう? 僕たちにもぜひ戦わせてくれないか。やられっぱなしは性に合わないものでね。ボクの仇は僕たちで取りたいんだ」

「君も戦ってくれるのか。そうだよな。悔しいよな。でも……」

 

 いくらレオンも《マインドリンカー》の恩恵を受けているとは言え、ユイやリルナのようなほぼ100%のリンクではない。

 普段はほとんど互角の俺とレオンも、数万人と繋がった今となっては、無視できないほど大きな力の差がある。

 気持ちは嬉しいけど、奴がレオンを弱点と見て、優先的に狙われることになりはしないだろうか。

 

「君の心配はわかっている。今の状態の僕では、残念ながら足を引っ張ってしまうだけだろうな」

「そんなこと言うつもりはないんだけど……」

「いいや、事実だ。悪く思うことはない。ろくに戦えない者が奴の前に立つことのリスクは、彼女が、そして僕が一番良く理解している」

 

 悔しかったんだと憤りを滲ませて、それでも彼は前向きだった。

 

「もちろん足手まといにはならないさ。とっておきがあるんだ」

「とっておきだって?」

 

 いつだか正体がバレたときさながら、レオンはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。

 

「続きの話はぜひ彼女とすると良い。代わるよ」

「代わるって……え!? ふぉぁっ!?」

 

 思わず変な声が出た。

 

 なぜなら、目の前で早回しのように彼の姿が変化し始めたからだ。

 

 俺の背丈を上回るほど体格の良かった彼の背が、突然縮み出した。

 さらに流れるようなピンク色の髪がざわついて、急速に伸び始める。

 伝説の鎧も彼の体形の変化に合わせて、柔軟に形を変えていく。

 縮みながら腰回りが凹み、逆に胸部の板金は底から盛り上がり始めた。

 同時に、顔つきも変化する。

 中性的な面影はそのままに、肌はきめ細かさを増して、精悍さを男らしい顔のパーツが柔らかい雰囲気を帯びていく。

 気が付けば、すっかり彼は変貌していた。

 くびれた腰とほどほどに盛り上がった胸。人懐っこい丸顔は、肌白ながら健康的な色香を漂わせている。

 よく見れば、腰にかける聖剣フォースレイダーも、等身に合わせて大剣から細身の流剣へといつの間にか形を変えているではないか。

 そう。どこからどう見ても、彼は女性剣士になり果てていた。

 

 しかもこの心の反応は――。

 

 変化を終えた彼、いや「彼女」は、くるりと一回りして新しい姿を俺に見せびらかした。

 

「じゃーん。どうかな。びっくりしたかい?」

「…………ハル、なのか?」

「うん。剣麗ハル――ただいま参上、だよ」

 

 俺より一回りは小さくなった彼女が、手を胸に当てて大仰しくそう名乗った。

 

「……う、うん。ものすごくびっくりした」

「えへへ。黙っていてごめんね。驚かせようと思って」

 

 いやもう、ほんとびっくりした。

 いつも変身を見せる側だったけど、まさか見せられる側に回るとは思わなかったよ。

 これは死ぬほど驚くな。最初に見たら。

 ……なんだろう。このお株を奪われた感は。

 

「それ……どうやって……?」

「もちろん始めからなれたわけじゃないよ。本当につい最近の話でね」

 

 そう言って、レオン改めハルは、経緯を説明する。

 

「あのとき、ボクとレオンの命の灯が消えかけて。死ぬほど怖かったけれど、でもね。同じくらい悔しかったんだ」

「うん」

「ボクもあいつに負けたくない、キミと戦いたいって心から願ったら……復活のときイメージが再構築される過程で、ボクの望みが強く反映されちゃったみたいで」

「みたいって……」

 

 そんなことがあるものなのか……!?

 

「ね。すごいよね。こんなことってあるんだね」

 

 いやでも実際、こうして目の前にあるのだ。信じるしかない。

 なるほど。ラナソールでは夢想うことがそのまま力になるのなら、その究極の形として、姿形さえも思いのままに変えてしまうことだってできるのかもしれない。

 きっと死の壁をギリギリで乗り越えた彼女だけに起こった奇跡なのだろう。

 

「道理でやけに嬉しそうだなと思ったよ。復活できたことだけじゃなかったんだね」

「うん。嬉しいんだ。こうしてやっと、ボクもキミの隣に立つことができるから。ボクはただキミに守られるだけの人間にはなりたくなかったんだ」

「そっか」

 

 共に戦えるのがよほど嬉しいのだろう。彼女の声は明らかに弾んでいる。

 

「もちろん見た目ばかりの違いじゃないんだよ。ボクがこの姿でいた方が、どうやらユウくんとは強く繋がれるみたいだから」

「確かに……すごい力だ」

 

 強い。

 レオンそのままの姿でいるときより、今の女性剣士の姿の方が遥かに力を増している。ハルと強く繋いでいる恩恵をそのまま受けているのだ。

 下手したら散々繋がりまくっている俺に一歩も劣らないどころか、もう少し上を行くんじゃないかってほどだった。

 ……うーん。でもなんかこの流れ、既視感あるんだよな。

 ああそうか。姉ちゃんの方が強いし、リルナの方が強いし、ハルの方が強いっていう。

 ……いつも負けてばかりだな。情けないな俺。まあいいか。

 でもこれで戦えそうなのはわかったけど、ちょっと心配もある。

 

「でも君、戦えるのか?」

「心配しないで。もちろんボクには戦いの知識とかセンスとかはまったくないからね。そこはレオンに全面的にアシストしてもらうつもりだよ。言わばキミとユイさんの関係と同じようなもの、かな」

「なるほどね」

「ふふ。やっと同じになれたね。ユウくん」

 

 二心同体というわけだ。やっぱりお株を奪われた感がすごいな。さすがラナクリムの主人公的英雄ってところか。

 とにかく、レオンの戦闘スキルでサポートされるなら問題ないだろう。

 

「レオンも言ってたよね。ボクの仇はボクたちで取るんだ。一人で勝てないなら、二人で一緒に戦おう」

 

 ヴィッターヴァイツは今、ラナソールのどこかに潜んでいるんだろう。ラナソールで交戦する可能性は高いと思われる。

 そうなれば、単純計算のようにはいかないけれど、二人の力を足せば奴の半分を上回る。現実的な勝機が見えてきたかもしれない。

 

「ああ。よろしく頼むよ。ハル」

「今度こそ負けないように頑張ろうね。戦友くん」

 

 共に戦える喜びを噛み締めるように彼女ははにかみ、俺と握手を交わした。




「ところで、なんでこんな辺鄙な場所にいるのかわかったよ」
「バレちゃった? さすがにみんなに晒すのは恥ずかしくて。この姿はまだキミにしか見せてなくってね」

 みんなレオンのことは知っていてもボクのことなんて知らないから、誰だよって混乱させてしまうと思うし……ともじもじしながら答えるハル。

「その姿はやっぱり理想を反映してるのかな。健康的で髪の長いハルってこんな感じなんだって思ったよ」
「へへ。かもね。ボク、普段病弱だから。髪の手入れもしやすいようにって、短く切ってて。だから長めの髪には憧れがあって。たぶん」

 そこで彼女はふと何気なく、程よく膨らんだ自分の胸を見下ろして、急に気付いたようにあわあわし始めた。今さら慌てて、それを手で覆い隠す。

「わ! あ、あのね! これは……その、違うんだ! 何でもないんだ!」
「いや、別に恥ずかしがらなくていいよ。病気で発育が悪かったんだろうから、憧れるのはよくわかるからね」
「ううう……」

 今にも消え入りそうなくらい赤くなっているハルは、顔を伏せながら恐る恐る探るように尋ねてきた。

「ユウくんは……どっちが好きなのかな?」
「俺は君ならどうなっても好きだよ」
「……そっか。うん。ユウくんだもん。そんなこと気にしないよね」

 ハルはやけにご機嫌になって、俺の手を取りフェルノートへの先導を始めたのだった。


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253「ユウ、ハルと一時を過ごす」

 ハルに案内されて、フェルノート都心部にある多目的スタジアムに向かう。そこは人の熱気でごった返していた。

 

「うわ。これ、みんな俺のために来てくれたの?」

「そうだよ。もちろんレオンの人望やネームバリューもあるけどね」

 

 ……ざっと1万人はいるな。

 レジンバークはホームタウンだったから2万人も来てくれたけど、さすがにそれよりは少ないか。でも十分だ。

 と思ったら全然違った。

 

「とりあえず今日の分はこんなところかな」

「今日の分だって?」

 

 驚く俺に、ハルはにこりと笑う。

 

「うん。レジンバークでは人が一気に押し寄せて大変だったみたいだから。整理券を配ってね、順番通り日を分けて来てもらうことにしたんだ。徹夜とかじゃなければ、1日に1万人相手できれば良い方だと思うからね」

「なるほど。じゃあ全部でどのくらいいるの?」

「15万人くらいはいたはずだよ」

 

 15万人!? 桁が違うじゃないか!

 

「マジか! すごいな。ということは、最低15日はかかる計算になるのか」

 

 フェルノートは約1500万人が暮らしている都市だから、100人に1人くらいは来てくれた計算になる。

 こんなにたくさんの人が来てくれるなんて。思っていたより全然多い。

 代わりに時間はかかる。ありがたい悩みだな。

 

「キミと繋がることは、繋がった人を守ることにもなるからね。時間はかかるけれど、やる価値はあると思う」

「そうだな。よし。一人一人大切に繋げていこう」

「でもテキパキやらないとね」

「ほんとは丁寧にやりたいんだけど、そこが悩みどころだよな」

 

 ほとんど握手会のような流れで、《マインドリンカー》を結んでいく。

 レジンバークと違って冒険者の数は少なく、一般人が多いため、一人当たりから受け取れる力はそこまで大きくない。

 しかし、15万人もの数が集まれば巨大な力となる。

 結局、トータルで奴の3割程度という見積もりを大きく超えて、4割弱かというところまで持ってくることができた。剣麗ハルもほぼ同じだけの力を得ており、来たる戦いに向けての準備は万端だ。

 ただし、思ったよりも時間がかかってしまったのは痛かった。

 というのも、ナイトメアや魔獣は断続的に襲い掛かってきており、その際には繋がりを結ぶ作業を中断して、ハル(時々レオン)と共に防衛戦にあたったからだ。

 ここでは力の大きな伸びを実感することができた。魔神種が相手であっても互角以上の立ち回りができるようになっていた。おかげで被害らしい被害はなく撃退できた。

 それでも、均して二、三日に一度は襲撃されたため、結局合計して一カ月ほどは滞在することになった。

 その間トレヴァークでは大きな事件がなかったのが幸いだったけれど、タイムリミットまで残り2カ月を切ってしまった。早くトレヴァークに戻り、ラナの記憶を集める作業を再開しなければ。

 また、滞在期間中は、できるだけハルと共に過ごすようにした。何より彼女が望んでいたし、俺も死ぬところだった彼女とまた触れ合えるのが嬉しかったのだ。

 もちろん日中はすべきことで忙しかったから、朝や夜の時間などを大切にした。もう会えなかったかもしれないという気持ちや、世界が終わるかもしれないからという思いがあり、今まで遠慮していた分を埋め合わせるように濃密なひと時を過ごした。

 決して打算があったわけではないけれど、繋がりを深めていくことで、俺もハルも一段と力を高められたような気がする。

 ……ただ、何も伝えられないままにハルと仲良くしてしまったことは、リルナには本当に申し訳ないと思う。ごめんなさい!



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254「ダイゴにできること」

 運の悪いことに、ダイゴとシェリーは、アニエスやJ.C.たち捜索者の懸命な捜索にも関わらず、まだ助け出されてはいなかった。

 大きな理由は、日々勢力を増す魔獣やナイトメアによって、人里や街道近辺にアクセスすることが不可能になってしまったことによる。

 化け物たちは、悪意をもって人里そのものを壊滅させるか、人里に通じるルートを占拠してしまっていた。

 特にナイトメアは、やはり純粋な悪意の産物であるのか、その傾向が顕著であった。しかも中には、気配を殺さなければ人を探知して襲い掛かってくるタイプもあった。

 そのため、二人は極力気配を殺し、常に僻地に身を隠すようにして行動せざるを得なかった。アニエスの探知魔法が決して優れていないわけではなかったけれども、自ら気配を隠す者をしかも世界の広範囲に渡って捜索するのは困難を極めたのである。

 比較的早い段階で、アニエスはユウに相談し、エーナの【星占い】に頼るということもしてみた。

 しかし、結果はエラー。

 エーナもユウも困惑していたが、おそらくダイゴやシェリーを含めた、ラナソールの影響を受けるトレヴァーク人全体が『異常生命体』に当たるからではないか、とある程度の事情を知るアニエスは推察する。

 二人の捜索が難航する一方で、残された現地住民たちの救出は順調に進んでいた。大半は既に殺されるなどして亡くなっていたものの、わずかな生き残りを見つけると、ランド、シルヴィア、アニエス、J.C.――戦える者たちが出向いて救出、トリグラーブに回収していった。

 この頃になると、ようやく統計データが揃ってきた。

 データによれば、おおよそ三十億いた世界人口のうち、約一割が夢想病に罹り、約一割が魔獣やナイトメアの襲撃によって死亡していた。百年以上前の世界大戦を遥かに超える史上最悪の災害が、今もなお進行を続けているのだった。

 

 

 ***

 

 

 ダイゴとシェリーは、希望の見えないまま決死の生存行動を続けていた。

 数日前から、既に水も食料も完全にほとんど底を尽いており、ダイゴは(柄ではないと思いながら)あえて自ら何も食べずに、シェリーに己の分を与えていた。シェリーも申し訳ないと思いながら頂いているような状況だった。

 双方とも、本当に限界が近くなっていたのである。

 そして、ついに最後の水を彼女に与えたところだった。

 人は水がなければ四、五日の命であるという。ダイゴはもう二日は水を飲んでいなかった。

 死が差し迫っているという実感があった。それも戦闘による突然の死ではなく、慢性的に覆い被さる死の予感である。

 それは徐々にダイゴに覚悟をさせた。そして栄養失調による衰弱は、反骨心の旺盛だった彼を次第に弱気にさせていった。

 シェリーが最後の水を飲み終えたとき、ついにダイゴは悔恨の言葉を口にした。

 

「すまなかったな」

「……急にどうしたんです?」

「俺がこうなるのは、仕方なかったんだ。自業自得ってやつさ……」

 

 彼女は押し黙る。以前彼の言っていた後悔に繋がる話だとすぐに理解できたから、ここは聞き届けようと思ったのだ。

 

「けどよ。お前はそうじゃない。俺があのとき、あんなことをしなければ……」

「あんなこと、というのは……」

「俺はよ、ラナクリムではフウガってキャラだったんだ。『ヴェスペラント』フウガ。お前もラナクリムやってたなら……知ってるだろ?」

「……はい。名前くらいは」

 

 それで彼女にも何となく事情がわかった。フウガというのは、剣麗レオンとは別の意味で最も有名な荒らしプレイヤーの名であるから。

 ユウが調べていたラナソールに絡んで、何か良からぬことをしてしまったのだろうと。

 己がフウガであることを自白したダイゴは、ぽつりぽつりと懺悔を始めた。

 彼女にとって、到底許せるような内容ではなかった。いや、今この現実世界で苦しむ多くの被害者が、彼の所業を聞けば恨みつらみを向けるだろう。

 それでも、シェリーには目の前の男を詰ることはできなかった。深く後悔し、身を挺して自分を守り続けた彼に追い打ちをかけるような真似をどうしてできようか。

 やがて懺悔を終えたダイゴは、力なく笑った。

 

「なあ……シェリー。お前、まだ諦めてないんだろう?」

「私は、まだ諦めたくないです。最後まで。そうですよ。ダイゴさんだって……!」

「くっくっく……俺だってもちろん死にたくはねえよ。けど、きっと限界が先に来るのは俺の方だからよ」

 

 彼はまるで笑いながら泣いているようだった。実際に涙を流すことはなかったが。

 

「……お前さ。生きて帰ったら何がしたい? 将来の夢とか、あるのか?」

「そうですね……。やりたいことは色々ありますけど……お医者さんになりたいですね。私自身の手で、苦しんでいる人たちを助けられたらって」

「医者か……良い夢だな。なら、俺の金……全部くれてやるよ」

 

 ダイゴは彼女に耳打ちした。自分のキャッシュカードの在処と暗証番号を彼女に教えたのである。

 

「安月給だったけど、使うあてもなかったからよ。無駄に貯金だけはしてんだ。少しは足しになんだろ」

「そんなこと。やめて下さい!」

 

 シェリーにとってダイゴはいけ好かない、胡散臭い、口の悪い人間なのだ。そうでなくてはならない。こんな風に弱り切って後を託すような真似をされると、いよいよいなくなってしまうような気がして怖いのだ。

 

「いいんだよ。娘の一人でもいたら、きっと可愛がっただろうからな。今……そんな気分なんだ」

「私は、あなたの娘でも何でもないですよ」

「わかってるさ。でも、何か一つくらいさせてくれ。お前しかいないんだ。俺にできることは、たぶんもう少ねえ」

 

 そのとき、向こう側から二人目がけて何かが飛来してきた。

 逸早く気付いたダイゴは、咄嗟にシェリーを抱きしめて、その場から飛び退いた。

 直後、二人のいた場所はごっそりと丸く削り取られていた。

 よく身体が動いたというべきだろう。感傷に浸って反応が遅れていれば死んでいた。

 

 何だ。何が来た。

 

 遠方に佇む化け物の姿を目にしたとき、二人の顔面は蒼白となった。

 

 破壊と再生の偽神『ケベラゴール』。

 

 触れた者を消滅させる暗黒球を操る、魔神種の中でも上位に当たる存在である。

 剣麗レオンでもソロでは歯が立たなかったと聞く。まして今の弱りきったダイゴと非戦闘員のシェリーでは対処しようもない。

 よりによって魔神種がなぜ。

 運命を恨みたくなるが、迷っている時間はない。ダイゴはすぐに覚悟を決めた。

 

「シェリー。お前だけで逃げろ」

「無茶ですよ! あなた一人だけでは! 一緒に逃げましょうよ!」

「わがまま言うな! いいから行けよ! このままじゃ二人揃って死ぬぞ!」

「でも、でも……っ!」

「娘っ子一人守れない情けない男に、俺をさせてくれるなッ!」

 

 駄々をこねる暇はないことはシェリーにもわかっていた。彼女は言葉を呑み、涙を零しながら駆け離れていく。

 

「ちっ。また人を泣かせちまったか」

 

 人の気持ちを知ってか知らずか、偽神の右側の骨ばった顔はカラカラとコケにするように笑い続け、左側の女性の顔は不気味な微笑みを湛えている。

 

「どいつもこいつも馬鹿にしやがってよ。別れ話の一つものんびりとさせてくれねえ」

 

 独りごちながら、彼女と過ごした時間を思う。

 悪くなかった。人の温かみというものを久しぶりに味わった。

 自分には勿体ない話し相手だ。過ぎた贅沢だったのだろう。

 

「クックック。ハッハッハ! 今さらになって死ぬのが怖えのかよ!」

 

 死の象徴を眼前に震える足腰を殴りつけ、無理に自分を立たせる。

 

 俺にできること。結局最期までわからなかったなと、ダイゴは思う。

 

 ただ一つだけ。こんなどうしようもない自分にできることがあるとしたら。

 

 自分はどうなってもいい。どんな悲惨な最期を迎えても構わない。

 

 だから、どうか未来ある彼女の命だけでも永らえさせてくれ、と。

 

 視界を覆いつくすほどの、大量の消滅球が迫る。

 絶望を前にして、彼は拳を構える。

 足掻くため。一分一秒でも時間を稼ぐため。注意を惹き付けるために。

 

「ウオオオオオオオオオオッ----!」

 

 戦士は吠えた。フウガの持てる力を駆使して、拳圧で消滅球の一つ一つを弾き飛ばしていく。決して後ろにいる彼女に届かせまいと。

 時間にしてどのくらいだろうか。数分かもしれないし、ほんの数秒かもしれない。

 とにかく、彼は時間感覚さえもわからなくほど必死に、持てる限りの力を駆使して抗い続けた。彼の実力からすれば、十二分といって良いほどの健闘をした。

 だが実力の差はいかんともしがたい。

 奮戦むなしく、ついに暗黒の球体が彼の右足の肉を削り取る。姿勢を崩し、倒れ込んだ彼を亡き者にせんと、球体の一つが迫る。

 

 身を固めたダイゴを、しかし死の攻撃が襲うことはなかった。

 

 

「お前……」

 

 

 暗黒球は、突然目の前に現れた彼のかざした掌に吸い込まれるように消えていった。

 ダイゴにとっては、ここにいるはずのない人物だった。

 あのとき爆発に巻き込まれて死んだはずだ。

 なぜ生きているのか。なぜこんな俺を守るようにして立っているのか。

 

「もう大丈夫――すぐ終わる」

 

 少年は振り返らずに、偽神に立ち向かっていく。

 待て、と言おうとした。カラカラになった喉から、上手く声が出ない。

 

 勝てるはずがないと、ダイゴは思った。

 

 フウガとレオンはほぼ互角。そして彼とレオンもほぼ互角のはず。

 しかし、目の前の男の背中を見つめていると、不思議と大きく見えた。

 不安な気持ちが和らいでいくようだった。

 

 ああ――違う。

 何かが違うのだ。

 自分の知っているこの男と、目の前の男では――質が違う。

 

 果たして、ダイゴの直感は的中した。

 

 少年は気剣を構えた。刀身は青白く輝きを放つ。

 偽神は嗤っていた。

 彼を知っていたからだ。己を殺すに至らぬ刃であることを、経験で知っていたからだ。

 だが傷付けられたことを忘れはしない。意識を彼に向け、全力をもって殺しにかかる。

 

 ただ、偽神に一つ誤算があるとすれば、今の彼は「レベルが違っていた」。

 

 そして、剣閃が放たれた。

 

 無数の消滅球によるバリアは、何の意味も為さなかった。

 それらを一つ残らず消し飛ばし、身動き一つする隙も与えぬまま、青白い閃光は偽神の全身を呑み込む。

 

 一撃だった。

 

 得意の再生能力も、全身を一挙に消し飛ばされてしまっては発揮しようもない。

 偽神は自身に何が起こったのかもわからないまま息絶えた。

 剣閃は分厚い雲を吹き飛ばし、後には何もない快晴の空だけが残っていた。

 

 振り返った少年は、そのようなとんでもない所業を成し遂げたとは思えぬほど、穏やかな調子で言った。

 

「ふう。間に合ってよかったよ」

「ユウ……お前、なぜ……」

「フウガ……いや、ダイゴ」

「ク……ハハハ……」

 

 ダイゴの口から乾いた笑みが漏れる。

 やはり、何かの間違いで助けられたわけではない。

 

「……お前がしたことの罪深さは、お前が一番よくわかっているはずだ」

 

 しかしダイゴの予想に反して、痛みが来ることはなかった。

 

「でも、シェリーを守ってくれたことは――ありがとう」

 

 ユウは険しい顔のまま、それでもダイゴに手を差し伸べた。

 彼は項垂れ、打ちひしがれる者をさらに殴りつける術を持たないのだ。そういう男だった。

 

「シェリーは……助かったんだな?」

「ああ。お前を助けてくれってさ。お前、必死に戦っていただろう。それで二人に気付けたんだ」

「そうか……」

 

 不意にダイゴの目から涙が溢れる。

 自分への悔しさや情けなさで泣くことはあった。

 だがそれとは違う性質の涙であることに、彼自身が驚いていた。

 

「俺は……届いたのか……」

 

 ユウの手を取る視界がぼやける。

 ユウは黙って頷き、彼を引き起こした。そして、労うように彼の肩を叩いた。

 

「そうかぁ……」

 

 たとえほんの小さなことであっても、足掻いたことは無駄ではなかった。

 できることは、守れるものはあったのだ。

 二人の宿敵同士は、その一点において確かに通じ合えた。

 流されるままのだけだった男が、初めて何者かになれたかもしれない瞬間だった。



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255「気剣の先にあるもの」

 ハルと過ごしながらフェルノートの人たちに力を貸してもらっていた途中で、シェリーが見つかったという連絡がアニエスから入った。しかも魔神種に襲われているというではないか。

 アニエスもJ.C.さんも実力者ではあるけれど、魔神種相手だとさすがに苦労するということで、シェリーを守りながらとなると確実ではなかった。そこで二人にはシェリーの保護を優先してもらうことにして、魔神種の相手は俺がすることにした。

 ダイゴを襲っていた敵は、以前やり過ごしたケベラゴールだった。因縁めいたものを感じたが、何万人とも繋がって遥かにパワーアップしていた俺の相手ではもはやなかった。無事倒してシェリーとそしてダイゴを救出することができた。

 それにしても、ダイゴがまさかシェリーを守っていたなんて……。

 驚いたよ。世界の惨状を見てあいつなりに思ったところがあったのだろうか。

 おおよそ一か月をかけてフェルノートの人たちから力を集めてきたわけだけど、その間大きな動きがなかったのは幸いだった。

 だが着実にナイトメアの発生頻度は増えてきており、世界の崩壊は進んでいる。パワーアップして動きやすくなったのは大きいけれど、これ以上力を集め続けるのは時間対効果が怪しいところだ。

 そろそろラナの記憶や、受付のお姉さんが言っていたオリジナルの聖書を探す方を再開しないとな。

 実は聖書に関しては、既にエインアークスにお願いして探してもらっている。予想できていたことではあるが、やはり一万年も前の遺物ということで、捜索は困難を極めている。

 

 俺はリクやハルたちに見送られて店を発った。

 

「じゃあ行ってくる」

「何かわかったらすぐ共有して下さいね」

「気を付けてきてね。ユウくん」

「ああ――アニエス。近くまで頼む」

 

 ラナの記憶が封じられたオーブのおおよそのありかは感覚でわかる。アニエスには転移魔法があるため、同行してもらうことにした。他のメンバーには引き続き救助活動を続けてもらっている。

 

「了解です。しっかり手を繋いで下さいね」

「うん」

 

 彼女が転移魔法を発動させる。覚えのある浮遊感に包まれ、気が付くと俺たちは切り立った崖の上に立っていた。グレートバリアウォールの一角だ。

 ここからは徒歩になる。感覚を頼りにオーブのある方角に向かって歩いて行く。

 しばらく歩いたところ、正確な位置に近づくにつれて明らかに魔獣やナイトメアの密度が増していった。

 まるで都合の悪いものに触れられたくないかのように。

 

「あらら。これはお掃除しなくちゃですね」

「俺が切り込むから、君は討ち漏らしたやつを頼む」

「はい」

 

 臨戦態勢の構えを取るアニエスを横目に、俺は気剣を創り出した。

 二十万人近くもの力を結集したからだろうか。気剣の刀身は常に青白色に輝いている。

 偽神と戦ったときも思ったけど……まるで常に《センクレイズ》を使っているようだ。

 いや、それよりもさらに濃く青みがかかっている。

 だけど不思議なんだ。

 俺が普段ラナソールで使っていたときより遥かに威力を増しているのに、いつものときのような力の昂ぶりを感じない。むしろ気力の量だけなら、俺一人のときより落ちてさえいるのではないか。

 でも違う。決して弱くなったわけじゃないことは、偽神との戦いが証明している。

 もっと静かで、穏やかで。まるで力そのものの質が変わってしまったかのような。だけど悪くない方向の変化なのだと思える。

 

 ……おっとそうだった。ナイトメアがいっぱいいるから、光の気剣にしないとね。

 

 すると、俺の剣をしげしげと見つめていたアニエスが言った。

 

「たぶんそのままでもいけると思いますよ」

「え。本当に?」

「はい。わざわざ光の魔力なんて纏わせなくても、その辺のナイトメアならスパッといけちゃうと思います」

 

 果たしてアニエスの言った通りになった。

 気剣の一撃を受けたナイトメアは、まるで光魔法を急所にくらったように爆散してしまった。

 あまりの効果の違いに目を見張る。

 今までの気剣では、どんなにめった斬りにしてもまったく効いてなかったのに。何が違うのか。

 刀身をまじまじと見つめても、穏やかな青白色のオーラを湛えているだけだ。

 その美しい輝きに吸い込まれそうになったけれど、まだまだたくさん敵がいることをすぐに思い出して、ひたすら剣を振るっていった。

 ほんの軽く触れただけでナイトメアが消し飛んでいく様は、むしろ光魔法よりも致命的なのではないかとすら思えた。

 不思議なことに、魔獣もナイトメアも、なぜかこの剣を前にしては明らかな怯えを見せている。光魔法を見ても本能のまま襲い掛かってきたこいつらが。

 可哀想にも思ったけれど、逃がすわけにはいかない。逃げた先でまた人を襲うかもしれないからな。

 

 ほどなくすべての敵を倒した俺たちは、上がった息を整えるため小休憩を入れることにした。

 

「さすがです。ほとんどあたしの出る幕なかったですね」

「いや、助かったよ。君がバックについてたから逃げる心配をしなくて済んだ」

 

 俺の手元では、まだ気剣が静かに光を放っている。

 何となく気になって尋ねてみた。彼女なら何か知ってそうな気がしたから。

 

「……ところで、君はこの剣に宿る力のこと、知っているのか?」

 

 するとアニエスは、少し考える素振りを見せてから頷く。

 

「まあ。聞いた話ですけど」

「よかったら教えてくれないかな」

「はい……その青は精神、あるいは魂の色だと言われています。人の心、想い――そうしたものが力として結実するとき、青色の輝きを放つのだとか」

「へえ。そうなんだ」

 

 だから人の想いをたくさん込めたこの剣は、青みがかった光を常に放っているのか。

 

「どうして青色なんだろうね」

「さあ。ただ聞いた話だと、生命の源たる海の色なのかもしれない……とか何とか。人の目にはそう見えるってことなのかもですね」

「海……か」

 

 妙に懐かしい響きに思えた。そう言えば、しばらく海を見ていない。

 俺は地球の青い海が好きだった。小さい頃はよく母さんに連れていってもらってたっけ。

 他の世界だと、あんなに綺麗な海は中々ないからな。

 

「つまり人の想いを集めた力で作った剣だから、想像の産物である魔獣やナイトメアにはよく効いたってことでいいのかな」

「そういうことになりますね」

「そっか……そう言えば、ジルフさんが言ってたんだ。《センクレイズ》を使うとき、剣は青白く輝く。だが俺がどうやっても、決して真の青にはならないんだって。どうしてだろうなって……でも、この剣にヒントがあるような気がする」

 

 俺がどんなに弱かったときでも、《センクレイズ》を使うときは必ず剣は青白く輝いていた。

 それは、技を使うときに込めていた想いが刀身に反映されていたからなんだ。

 ただ、俺一人でもジルフさん一人でも限界があった。精々青みがかかる程度にしかならなかったし、気剣の威力が増す方向への変化でしかなかった。

 でも、この剣は……もはやただの気剣じゃない。

 はっきりとは言えないけど……質が違うんだ。もっと本質的に違う何かに片足を踏み込んでいる。

 それこそ、ラナが持っていたトランスソウルのような――本質に触れる特別な力を宿している。

 人の想いを束ねて強めていくと、刀身に宿る青も強まっていく。

 もしかしたら、この道の向こうにこそ――。

 

「これも誰かさんの受け売りなんですけどね」

 

 アニエスは意味深に微笑みながら言った。

 

「剣は物力をもって物質を断ち、気剣は命力をもって生命を断つ。その先にあるものは――心の剣」

「心の剣……」

「心力をもって剣を振るうとき、現象世界を超えて人の想いの及ぶ果てまで剣は届く。およそすべての概念、理――あらゆるものの本源を断つ深青の剣へと至る」

「それが……この剣の先にあるものが……それだと……」

 

 もしそれが本当なら――フェバルだって殺す剣になり得るんじゃないか?

 でも、これはまだ「違う」。深青ほどではない。

 まだ想いが足りないのか。それとも、ただ人の想いを束ねただけでは完成しないということなのか?

 

「どうしたら、そこに至れるのかな」

「それは……ごめんなさい。あたしにもわかりません」

「じゃあ君は……完成形を見たことがあるのか? ……いや、まるで直接知っているような口ぶりだったからさ」

「あたしは……はい。一人だけ知っています。この宇宙にただ一人――この世の何よりも厳しくて、そして優しい力を持つその人を」

「その人は、どんな人なの?」

 

 アニエスは、俺の向こうを見つめるようにふっと目を細めた。

 

「その人は……本当に強くて、優しくて、でもちょっと抜けてて。ただ、時々……どこか寂しそうでした。この力は、誰かを確実に『終わらせてしまう』からだと。どんなに悪い奴が相手でも、終わらせてしまうことはやっぱり心が痛むんだって。でも同時に、これは自分にしかできないことだからとも言ってました。この力が終わりある人を助け、また終わらない者たちに終わりをもたらすことは一つの救いでもあるから、と」

「そっか。そんな人が……この世にはいるんだな……」

 

 それは、一つの理想に思えた。

 きっと並々ならぬ覚悟をもって剣を振るっていることだろう。そうでなければとても使いこなせないものなのだろう。

 今だって、みんなの想いを背負っているだけで、この剣の重さに震えてしまいそうなくらいなのに。

 

「なあ、アニエス。俺もいつか……なれるかな。辿り着けるかな。そんな風に……俺もみんなを……」

 

 たった一つの世界でさえ。隣の人でさえ満足に守れない自分だけど。

 もっと強くなりたい。

 力じゃなく、いつかこの剣に込めた想いがすべてに届くように。

 

「ユウくんなら、きっとなれますよ――ならなくちゃいけないんです。そのために、あたしは……」

「君は?」

「……ううん。何でもないです」

 

 それきり、彼女は黙り込んでしまった。

 気まずい沈黙が続く。いたたまれなくなって、ふと目の前を見る。

 ラナの記憶を封じられた『青い』オーブは、まるですべてを知っているかのように静かな光を湛えていた。



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256「ラナの記憶 5」

 死を望まぬ限り、誰も死なずに済む世界。生きとし生ける者が心豊かに暮らせる世界。

 私とトレインを含め、誰も寂しい思いをしなくて良い世界。

 私は、そんな世界を創りたかった。

 私とトレインは、世界を変革するための旅を続けた。

 とても長い旅だった。数百年などあっという間だった。

 世界中を巡り、明日をも知れない暮らしをしている人々を導いていった。

 ほとんどどこでも感謝された。ほとんどどこでも崇められた。

 世界規模にもなれば、信仰心が【想像】の力の源となることを知ったのは、そのうちのことだ。

 私が女神だと信仰されるほど、振るうことのできる力は日に日に増していった。いつしか自分はかつてただの人だったのかしらと疑問に思ってしまうくらいに。

 だけどこれは私が覚悟をもって進むと決めた道。後戻りはできない。

 そうして強化された私の【想像】とトレインの【創造】の力が、さらに人々の暮らしを改善し、死を遠ざけていく。

 人が死を意識しなければなるほど、平均寿命も延びていった。けれど、未だに生物学的限界を超えるには至らない。

 でも私に焦りはなかった。少しずつできることをしていけば良いと、そう考えていた。

 私の側にはいつもトレインと、そしてイコの愛しい子孫たちがいたから。

 イコの子孫のうち、若い娘が代々私のお世話と聖書を受け継いだ。みんな良い子たちだった……。

 暮らしやすい地域から少しずつ手を付け、造り替えていった。

 故郷ラナ=スチリアの遥か南に肥沃な一帯を見つけた。そこで私たちは先進的な魔法都市フェルノートを築いた。

 トレインから他の星々の文明の話も聞き、世界の中心としてそれらにも負けない立派な都市を作り上げたつもりだ。

 フェルノートを拠点に世界各地を回りながら、様々な調査も始めた。

 地理調査により、世界地図の輪郭はほぼ出来上がりつつあった。この世界には二つの大陸があるみたいだ。

 ラナリア大陸とかトレヴィス大陸とか名付けようと言われたときには閉口したけれど。しかもそのまま通ってしまってすごく恥ずかしかったもの……。

 次は世界の名前も付けようという話になった。こちらもそのまま私の名前からラナなんたらと付けられそうになったけれど、さすがに固辞した。

 彼の功績が最も大きいと思うから、トレインの名前をもじったらどうかと私は強く、強く提案した。

 何とか提案は受け入れられ、トレヴァークという名前が採用された。トレインはばつが悪そうにしていたかな。ごめんなさいね。

 

 そしていよいよ私たちは、現世に残された最後の秘境の開拓に取り掛かる。

『世界の壁』グレートバリアウォール。

 切り立った崖の向こうには、豊饒な大地が広がっている。ポモちゃんを始めとする様々な【想像】種による事前調査でわかっていたことだ。

 雲をも突き抜けるほど高い山々は、羽や翼のある者にしか容易な侵入を許さない。

 でも、だったら強引にでも道を切り拓けば良い。

 移民として付き従ってくれた大衆を背に、私はよく通る声で宣言した。

 

「トレイン。お願いします――道を」

「わかった。この程度、どうということもない」

 

 彼が特大の魔法を放つと、轟音とともに壁の一角が消し飛ばされた。土埃が止んだ後には、直線状に山脈が貫かれて、広大な谷口が開けていた。

 フェバルというものの業の深さは聞くところでしか知らないものの、これほど絶大な力の代償とはどれほどのものなのか。

 純粋な力で彼に及ぶ者はいないのではとすら思わせる。それだけの力を私のために捧げてもらっていることに、改めて感謝する。

 

「道は拓けました。さあ行きましょう。みなさん」

 

 人々は口々に奇跡を持て囃し、私とトレインを崇めたてながら、意気揚々と行進していく。

 そこにそろそろと近寄ってきた当代の聖書記、ナルコは私の熱い信者だ。……ちょっと病的なくらい。

 ナルコは底抜けの明るい笑顔を弾けさせていた。

 

「うひょー! さっすがラナ様ですねー! しっかり書き留めなくっちゃ! 『ラナ様には、万物を切り拓く力があった。険しい山々を指して曰く、「これゆかん」。トレインは応じて、「これしかり」。かくして偉大なる山は拓かれ、豊かな大平原への道は通ず』と」

「ナルコちゃん。落ち着いて。私そんな物々しく言ってないから! それにあれ私の力じゃないから! ね!」

「ぐっふっふ! ラナ様の伝説に新たな一ページが加わったのですよー!」

「あ、ダメねこれ聞いてないわ」

 

 そんなこんなで、私たちは開けた谷をぞろぞろと進んでいった。

 途中で、志ある部族が残って関所を作るということになった。部族の言葉で『大いなる門』を意味するダイクロップスと名付けるつもりだという。

 私はトレインと協力していくつかの手助けをしてから、残りのみんなを連れて谷を抜け出した。

 

 谷の向こうは事前調査通りの豊かな平原が広がっていた。適当なところで、私たちはフェルノートに次ぐ規模を持つ大都市トリグラーブを作り上げた。

 この都市には他の町とは一線を画す大きな特徴がある。

 あえてちょっと不便にしたの。

 というのも、あまり魔法に頼らず地に足を付けた生活をしたい、自らの力で開拓したいと希望した自立心溢れる逞しい人たちも一定数いたから。彼らに私たちの理想を押し付けるのもしのびなくて、最低限の援助だけをして自主性に任せることにした。

 この差異は、後にラナリア大陸とトレヴィス大陸それぞれの特徴になった。ラナリア大陸は先進的な魔法文明、トレヴィス大陸は科学技術を発展させていく。

 私の理想とはちょっと離れているけれど、それでも私はトレヴィス大陸の活気あふれる人々や街並みが大好きで、フェルノートに身を落ち着けてからもちょくちょく遊びに行ったりしていた。

 

 そうしてまたさらに数百年ほどが流れて、一つの進歩と一つの異変がほぼ同時に起こり始めた。



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257「ラナの記憶 6」

「きみが【想像】していないはずの存在が現れ始めたって?」

「そうなの。トレインが創ったわけじゃないのよね?」

「まさか。僕は君の望むもの以外に力を使うことはないよ」

「そうだよね……。どうなっているのかしら」

 

 近頃、民から耳を疑うような報告が多発している。

 死んだはずの者が蘇っただとか。姿形をそのままに、あるいは望むままに変化させて、普通にその辺りで暮らしているだとか。それは私の描いていた夢に近いのもので、きっと望ましい変化のはずだ。

 長きに渡って蓄積された永遠のへの想いが、望みが、生と死との境界を壊しつつある。

 だけど……同時に、悪い何かも生まれてしまったみたいで。

 まるで闇のような恐ろしい何かに襲われたという話がちらほら聞こえてくるの。そういったものに殺されてしまう者まで出て来てしまった。

 

 話を丁寧に聞いてくれたトレインは、難しい顔で頷いた。

 

「死後も想念だけで存在し続けるものか……。なるほど。どうやらきみと僕たちの壮大な計画は次の段階へ進んだようだね」

「やっぱりそうなのかしら。いよいよ死を超越した世界が実現しつつあるってことなのかな?」

「だと思うよ。不安要素はあるものの……とりあえずはおめでとうだね」

「うん……。ありがとう」

 

 全体としては望ましいことのはずなのに。思ったほど気分が優れない自分に気が付いた。

 とても嬉しいことのはずなのに。なのに……。

 悪しきものの出現。犠牲者が現れてしまったこと。

 一抹の不安が過ぎる。

 もしかして、間違った道へ進んでいるのではないか。とんでもないことをしてしまっているのではないか、と。

 でも今さらどうしようもない。私たちはもう戻れない。行き着くところまで行くしかない。

 世界中の人々に今さら原始時代へ戻れと言っても、それは無理な相談だから。

 私だって、あの生きるか死ぬかの世界に戻したくはない。

 だけど……。

 

 はたと気が付くと、トレインに優しく手を握られていた。

 

「怖いのかい?」

「ええ……そうね。私、何だか怖いわ。こんなことになるなんて」

「想念には、もちろん良いものもあれば悪いものもある。想いが実現する世界になっていくのなら、さしずめ悪夢のような存在だって……想定はしていなかったけれど、等しく現れてしかるべきものだったのだろうね」

「本当に大丈夫なのかな。もしこのまま悪いものが溢れて、世界を覆い尽くすなんてことになったら……」

 

 理想とは遠くかけ離れた、この世の地獄になってしまう。みんな殺されてしまうかもしれない。苦しみしかない世界になってしまうかもしれない。それが怖い。

 

「……大丈夫、なんて下手な慰めは言えないか。僕たちは目的のため、見境なく想いの力を拡張し続けた。すべての生きとし生ける者たちが素敵な夢に至れるように。その代償として、僕ら個人がもはや制御できなくなるレベルまで、きみの力は高まってしまったのだな」

「【想像】が私の手を離れて、自立した動きを始めているってこと? ふふ……そんなので女神だなんて、まるで仕組みの中のお飾りね」

「力が独立した方向性を持つ。異常生命体にはままあることなんだ。だけど」

 

 彼は私の目をしかと見つめて、安心させるように言った。

 

「力の限り僕が守るよ。きみ自身と、きみが望む世界を。だから安心しておくれよ」

「……うん。お願いね」

 

 トレインに抱き縋る。泣きはしなかったけれど、気の済むまで黙って身を預けていた。彼の温かさと心音が、私の不安を和らげてくれた。



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258「ラナの記憶 7」

「このままでは危険だ。対処を講じよう」とトレインは言った。

 悪しき想念が現象したナイトメア。正体不明かつ不定形の化け物のままにしておけば、人々の不安は強まるばかりだ。負の感情は加速度的に増幅され、さらなる災厄の発生を招くことになる。

 それならば、人々にとってわかりやすい脅威かつ処理可能なものとして再定義・認識させ、能動的に対処させようと。闇を「見える化」し、封じ込め、あるいは制御してしまおうと。問題の根本的な解決にはならないが、対症療法としては有効だと彼は提言する。

 確かに効果的だとは思う。だけど……。

 あえて人を襲うような化け物を【想像】する。そして守るべき民自身に処分させるなんて。

 暗澹たる思いだった。提案された当初は強く反発し、すぐには実行に移せなかった。

 けれど手をこまねいているうちに、被害は日に日に増していき、闇は指数関数的に増大していく。やがては手遅れになる。いよいよ決断するしかなかった。

 

 こうして、この世の悪しき想念を基にして人工的に生み出された脅威。

 世界にとっての必要悪。

 私は「女神」として、新たなる敵への対抗を呼びかける。従順な民は、私の言うことであれば素直に信じてくれた。大いなる敵は、皮肉にも民の結束をさらに強固なものとし、私の力を高める。

 そして彼らは、人に魔獣と呼ばれるようになった。

 私がこれまで【想像】してきた素敵な生き物たちとはまったく違う存在。人を憎み、世界を憎み、ただ害をなし、敵として殺される。ただそのためだけに生まれた可哀想な存在。

 そうするしかないのだとわかっていても、私はひどく心を痛めた。

 

 しかしそんな哀しい真実をさて置くのなら、人の強さ、逞しさというものを改めて見せ付けられたのは確かだった。

 

「自ら先に立ち、危険を冒す者。冒険者とはよく言ったものだね」

 

 人々の中から、勇敢な冒険者という存在が生まれたの。

 冒険者の私的な互助会として始まった組織は、やがて公的な機能を持つ冒険者ギルドへと発展していく。

 特に野心的な背景を持つトレヴィス大陸において、冒険者稼業は隆盛を見せる。

 組織としての強さももちろんだけれど、個々人の成長も目を見張るものがあった。

 彼らの強くなりたいという望みが、【想像】を介して人の限界を打ち破る方向に作用したみたい。世代を経るごとに上位層の超人的傾向は顕著となり、S級と呼ばれるトップグループについては、トレインをして「僕と二、三合はまともに打ち合える」とまで言わしめた。

 そして、強くなったのは人ばかりじゃなかった。冒険の先や強さへの渇望は、さらなる舞台や強敵を求める動機にもなる。彼らの願いを「悪しきもの」のままで終わらせず、適切な形で発展解消させるため、私はトレインと協力して陰ながらあれこれと手筈を整えた。

 幾多の秘境を創造し、魔獣もS級や魔神種といった上位的存在が創り出されていった。

 色々なアイテムを揃えたり、秘境には強力なレア装備を置いてみたりもした。

 まあ、人々の希望と結束の象徴として、聖剣フォースレイダーなんてものまで創ってしまったのはやり過ぎだったかもだけど。

 しかもトレインなんて妙に子供っぽく熱くなっちゃって、「英雄たる資質を持つ者にしかこれを振るう資格はない!」とか選定機能まで付けちゃうし。そこは彼の可愛い一面を見られたから良しとしようかしら。

 

 とまあこんな感じで、私たちは冒険者のプロモーターであり、同時に総合演出家として、一般的な世界事業の裏で指揮を振るい続けた。

 トレヴァークは、もはや別世界と呼べるほどにすっかりその姿を変貌させていった。

 

 人と魔獣。二者は互いを際限なく高め合いながら、状況は比較的良くコントロールされているように思われた。あれ以来ナイトメアの発生は鳴りを潜め、闇は完璧に封じられている。

 私とトレイン、そして当代の聖書記クレコは、現在はフェルノート上空に築いた浮遊城ラヴァークで穏やかに暮らしている。

 今度、お忍びでトリグラーブに遊びに行こうと思う。久しぶりの外出。楽しみね。



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259「ラナの記憶 8」

「ラナ様。出立の準備が整いました」

「ありがとうクレコ――ふふっ」

 

 くりくりとした目で私を見つめるクレコを見ていると、自然に笑みがこぼれてくる。

 

「どうされました?」

「うふふ。あなたって本当に若い頃のイコによく似ているわね」

「はあ……。ラナ様、またですか。遠いご先祖様のことを言われましても、私にはさっぱりなのですひゃああーっ!?」

 

 頬をつつくと、クレコはクールな佇まいをたちまち崩して素っ頓狂な声を上げた。

 

「ほんとは可愛いのに、お役目にはしっかり者さんでいようって、一生懸命気張っているところとかね」

 

 彼女は顔を真っ赤にして、やや涙目で消え入るように言う。

 

「ううう……人の心が見えるのはずるいのですよぉー……」

「いいこいいこね。あなたが聖書記になってからお出かけするのは初めてだけれど、そんなに固くならなくてもいいのよ」

「やっぱり初めての御付きで。トレイン様もいないとなると、私がきちんとしなくちゃって……」

「その気持ちはありがたく受け取っておくわ。でもほら、リラックスよ。笑顔笑顔。あなたはそのままで素敵な魂を持っているのだから」

「ううー、ありがとうございましゅ……。なるべく気負わずにやってみますー」

「よろしくね。楽しんでいきましょ」

 

 うんうん。まだまだ固さがあるけれど、さっきよりは良い心持ちになってきたかしらね。

 

 そのとき、バーンと勢い良く扉が開いて、見慣れた顔が飛び込んできた。

 

「どうした!? 御付きの悲鳴が聞こえて飛んできたけど」

「はわわ……! 申し訳ありませんトレイン様! はしたない真似を!」

「ただのスキンシップよ。問題ないわ」

「……あはは、そうか。ならいいんだ。それにしてもきみたちは仲が良いな。まるでイコが隣にいるようだよ」

「もう……。トレイン様までそんなこと」

「うふふ。ごめんなさいね。年寄りの感傷に巻き込んでしまって」

「そんな。ラナ様が謝ることじゃないですよー!」

 

 私たちがいちゃいちゃしているのを、トレインは目を細めて穏やかに見つめていた。

 

「じゃあトレイン。私たち、行ってくるから。お留守番はお願いしますね」

「任された。久々のお忍びなんだ。楽しんでくるといいさ」

 

 

 

 さて。公務の場合は空飛ぶ『女神の揺り籠』に乗って、ゆっくりと人々に姿を見せて回るのだけど、お忍びにそんなもので大々的に行ってしまっては意義がない。

 プライベート用のワープクリスタルを使えば、一瞬でトリグラーブへ行くことができる。ちょっと味気ないけれどね。

 クレコのコーディネイトのおかげで変装もばっちり。よほど近くで見ないとわからないくらいにはしてもらった。

 

「行きましょう」

「はい」

 

 私とクレコはしっかり手を繋いで、ワープクリスタルに触れた。

 

 一瞬の浮遊感に包まれて、ワープ先は冒険者ギルドの一室だった。

 既に私たちが訪れることは連絡済みだったから、身綺麗な壮年の男性がそこにいて、私の姿を確認するなりお辞儀をした。

 

「お待ちしておりました。トリグラーブへようこそいらっしゃいました。ラナ様」

「現ギルドマスター、ガランド・ジェイフォードですね。ご苦労様です」

「ああ、私などの名前を覚えて頂けているなんて! 恐悦至極にございます……!」

 

 大の男が地に着くんじゃないかというくらいに頭を下げて、涙さえ浮かべて感激している。

 私は「女神」だから、みんな腫物に触るようにうやうやしい振る舞いをするの。時々オーバーな人もいる。この方みたいに。

 やっぱりこの感じ、わかっていてもいつまで経っても慣れないものね。

 

「顔を上げて下さい。私に関わった子供たちの名前くらいはみんな覚えていますよ」

 

 一人一人魂が異なるのだから、忘れようはずもない。記憶力が優れているのはちょっとした取り柄だ。

 

「はあぁ。ラナ様……!」

「ラナ様……!」

 

 もう。クレコまで感激してどうするの。

 

「ありがとうございます。ありがとうございます……! 我々一同、ラナ様がいらっしゃるのを心よりお待ちしておりましたので。ぜひ楽しまれていって下さいませ!」

「ええ。そうさせてもらいますね。それでガランド。今回の世話役はどなたなのかしら」

 

 冒険者ギルドの視察もあるけれど、今回の主目的はあくまで遊び。ちょっとした冒険ツアーである。ガイドを一人付けてもらい、案内してもらうつもりだった。

 するとガランドは、困ったように頬をかいた。

 

「それが……そのう。なるべく若い子を希望されていらっしゃいましたよね?」

「ええ。色に染まっていない方が楽しめますから」

 

 ガランドのような人に慇懃にされてはかなわないから、もう少し気兼ねなくコミュニケーションができそうな若い子にお願いしているのだけど。

 

「まあ……いるにはいるのですが……新人も新人で。かなり変というか、問題のある奴でして。ご迷惑をおかけしないかと……」

「あら。楽しそうで結構じゃないですか。ぜひその方にお願いしたいところですね」

「ふーむ。ラナ様がそうおっしゃるならば……。おーい、ご指名だぞ! しっかりやってくれよ!」

 

 扉がそーっと開いて、一人の若い女性がささっと滑るように飛び込んできた。

 燃えるような赤い髪が特徴的。ぱっと見た感じはクレコと同じ年頃かしら。

 吊り気味の目の奥にある瞳が、落ち着きなくそわそわと彷徨っている。かなり緊張しているみたい。

 うん。見た感じ特に言うこともないような、ただの大人しい子だけれど。

 ……まあ、その割に魂は燃え盛る業火のように迸っているのが引っかかるかしらね。これって性格のとても強い子にありがちだから。

 

「わ、わたしは、あの……その……」

 

 あらあら。可愛いこと。

 いざ私を前にすると固くなって声が出て来ないなんて、よくあることだものね。

 

「そんなに構えなくていいですよ。ゆっくりでいいですから、あなたのことを教えて下さいね」

「あわ、わた、し……うう、くっ……」

「うーむ……仕方ない」

 

 ガランドは悩ましげに額に手を当て、懐から何かを取り出した。

 何のことはない、ただの受付台帳だ。

 ただし、なぜかそれを筒状に丸めてから、

 

「ほいよ」

 

 そのまま新人の子に手渡した。

 すると突然。本当に突然のことだった。

 カッと火が付いたように彼女が豹変したの。

 筒にした台帳をマイクのように使って、先ほどまでが嘘のような溌剌とした声で、雨あられとまくし立てる。

 

「はーいどうもー! 呼ばれて飛び出て来ましたっ! アカツキ アカネ! 金なし! コネなし! 力なし! 空元気だけが取り柄の18歳ですっ! 先月配属されたばかりのピッチピチフレッシュな受付担当なんですよー! 今日はあの超☆絶★有名なラナさんにお会いできるってことで、昨日は楽しみで楽しみで夜もねぶっ……わー、かみかみましたすいませんっ! まだまだ不慣れですが、精一杯案内役を務めさせて頂きますので! よろしくお願いしまーす!」

「…………ふ、ふふふ。中々元気の良くて面白い子ね」

「でしょう?」

 

 ガランドが困ったように苦笑いする。

 クレコは「様を付けろ様を」と、こちらにしか聞こえないほどの小声で若干キレていた。

 

 随分変わった魂を持っているみたいだし。なんだかこの子、将来大物になりそうね。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ぶっふぁっ!?」

「どうしたんですか!? ユウくん! 何かすごく嫌なものでも見ちゃったとか!?」

「い、いま……! いま! 受付のお姉さんが……!」

「あれれぇ……? てことは、もしかしてあの人、あたしと同じ……」

「君と?」

「あーっ、ほら! ちゃんと集中しないと時間がもったいないですよ! 一大事なんですからっ!」

「……う、うん。そうだね。とにかく続きを見るよ」

「お願いしますっ!」



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260「ラナの記憶 9」

 アカネさん(なぜかさんを付けたくなる雰囲気があった)は受付台帳を手にしていないとまったく調子が出ないということだったので、持ってもらったまま案内をお願いすることにした。

 三人で二泊三日程度の軽い冒険をするつもりだった。初日はバサの森、二日目はラナクレア湖(また恥ずかしい名前になっちゃった)、最終日はトラフ大平原を回る。あくまで低級冒険者向けの散策ツアーだから、さしたる危険もないでしょう。

 それに私も「女神」としての力は持っているから、もし魔獣に襲われたとしても魔神種レベルでなければ十分対応はできる。クレコもアカネさんもあまり戦う力はないみたいだから、私がしっかりしないとね。

 

 ワープクリスタルを使ってバサの森へ飛ぶ。事前に人払いを済んでおり、今日に限ってはほぼ私たちの貸し切り状態だ。

 アカネさんが意気揚々と先導を買って出た。どうやらこちらもクレコと一緒で外での案内は初仕事らしく、飄々とした態度とは裏腹に、気合がガチガチに入っているのが「見てわかる」。

 

「さあ行きましょうかっ! ラナさん! クレコちゃん!」

「こら! 様を付けなさい様を! 黙っていればさっきから! 女神様は敬わなくちゃいけないんですからねー!」

 

 とうとうクレコの火山が爆発した。

 こうしてぷりぷり怒っているところを見ると、本当にイコみたいね。

 微笑ましくてつい笑ってしまいそうになるから、口元に手を添えて誤魔化す。

 

「ごめんなさいね。そ・れ・は・無・理」

「どうしてよー!」

「人の上に人はなく。人の下に人もなし。あるものは適材適所、得意不得意だけ。私はそう考えているからよ」

 

 ドヤ顔で返すアカネさん。

 へえ。その歳で中々達観した考え方をしているものね。

 

「人ならそうでしょうよ。でも相手が女神様でもそんなことを言うの!?」

「さてどうかしらねえ。ラナさん見てると、あまり特別扱いはして欲しくないって感じですけど? 私、これでも人を見る目はありますのでっ!」

 

 内心の緊張や恐れなど感じさせないほどあまりにも堂々と言ってのけるものだから、とうとうこらえきれずに吹き出してしまった。

 

「ぷっ……ふふふ! あなたとは良いお友達になれそうですね。アカネさん」

「えーっ!?」

「ありがとうございまーす! ほーら言ったじゃないの!」

「うー……」

 

 自覚のないまま涙目で私を見つめ上げるので、私はなるべく優しい声で言ってあげた。

 

「もちろんクレコも大切なお友達ですよ」

 

 するとクレコは外面はふーんと取り澄まして、しかし内心はにこーっともう本当にわかりやすい喜びに満ちて、アカネさんに言い返した。

 

「栄えある第一聖書記イコ様の子孫として、ラナ様の隣は絶対に渡しませんからね!」

「どうぞどうぞ。私、栄えある歴史もクソもないただの受付ですので!」

 

 バチバチと視線を戦わせる二人を見て、この子たちならすぐに打ち解けそうかなと思った。

 

 

 しばらく先の取り合いみたいになったものの、基本はアカネさんに任せる方針なので渋々クレコは引き下がり、アカネさんの先導に従って進んでいく。

 新人だしそこはまったく問題にしていないのだけど、お世辞にも素晴らしい案内っぷりとは言えなかった。

 動植物の名前がわからないのに始め、よそ見をしていて木にぶつかったり、何もなくても時々木の根に引っかかって転んだり。堂々とした態度だけは立派なものの、まだまだ実力が追いついていないなと感じさせる場面は多い。

 けれど彼女なりに一生懸命やっているのはよく伝わってくるし、何より本人が一番楽しそうにやっているものだから、自然とこちらの雰囲気も明るくなる。アカネさんに任せて正解だったかしらね。

 

「ねえ。アカネちゃん。さっきからどんどん鬱蒼とした感じになってるみたいなんだけど、大丈夫なの?」

「あらー? おかしいわね。こっちのはずだったんだけど」

 

 アカネさんは手にした地図に視線を落としながら、首を傾げている。

 実際クレコの指摘通りで、明らかにルートを外れている。

 本来なら、森の浅い部分を通る道を抜けていく予定だったのでしょう。今向かっているのは、バサの森深部へ至る方角のはず。

 まあ最悪空を飛べばいいから、私からはあえて指摘はしていないのだけれど。まずくならないうちは状況を楽しみたいという気持ちもある。

 ただ私の御付きということで張り詰めているクレコは気が気でなかったみたいで、アカネさんがにらめっこしていた地図を引ったくった。

 

「ちょっと貸しなさい。見てあげるわ」

「あっ、ちょっと!」

 

 そして見るなり、彼女はすぐさま青くなってキレた。

 

「あーっ! バカー! 地図が逆さじゃないのよー! 全然逆の方進んじゃってるわよ! 何やってんの!」

「うわっちゃー! またやっちゃったわ! ごめんなさいっ!」

 

 言い訳もせず勢い良く頭を下げるアカネさんに、しかしクレコの溜飲は下がらないようで、

 

「もう。謝って済むことじゃないわよ。ラナ様にもしものことがあったらどうするの! 勢いばっかりでとろ臭いんだから! このにぶちん!」

「うう……ほんとおっしゃる通りで。めんぼくないわ」

「まあまあ。そのくらいにしてあげて。悪気があったわけではないのですし」

「……ラナ様がそうおっしゃるなら。よかったわね。ラナ様がお優しくて」

「すみませんでしたーっ!」

「ほんと。空元気だけは人一倍ねー」

 

 クレコはアカネさんに呆れた目を向ける。それから私に向き直って言った。

 

「それで、いかがしましょう?」

「そうですね……いざとなれば空に迎えを呼ぶことにしましょう。ですがせっかくですから、このまま本当の冒険と洒落込んでみるのも良いかもしれませんね。本来、冒険とは道なき道を進むものですから」

「おおーっ! さすがはラナさん! 冒険の醍醐味をわかっていらっしゃいますねえ!」

「こら。あなたが招いたことじゃないのよ」

 

 クレコはアカネさんをポカッと叩いた。

 

「あたた――ふっ、効いたわ」

「確かにとんだ問題児よこれ……」

 

 ガランドの苦労がわかったのか、クレコは頭を抱えた。

 

 

 本来の道から外れるということは、そこはもはや低級冒険者向けのエリアではなく、魔獣もより強力なものが現れる。

 A級やB級に属する魔獣が断続的に襲ってくるようになった。新米の二人にはとても対応できるものではない。

 ほら、話をすればまた一匹。

 

「ひゃあああーっ!」

「ひいっ!」

「――あるべき場所へお帰りなさい」

 

 牙を剥き出しに襲い掛かってきたボーゲイドを光精霊魔法で消滅させる。

「女神」である私に想起された属性は光。光の精霊を従える者。みんなのイメージが折り重なって、私は強力な光の魔力を得た。

 

「うおーっと! ラナさんの光魔法がまたまた炸裂ーっ! 怖ろしい魔獣を一撃で吹っ飛ばしたあああーーーっ! ありがとうございます助かりましたーーー! すごい! すごいですっ!」

「すみません。本当は私がラナ様をお守りしなくちゃいけないのに、すっかり逆で……」

「いいのですよ」

 

 ……だけど。そうしなければこちらが危ないとは言え、自ら【想像】し、トレインに【創造】してもらった魔獣を手にかけるのはやっぱり心が痛む。

 彼らは私たちを恨んでいる。特に私を強く憎んでいる。どうしてこのような呪われた身に創ったのかと。

 

「それにしたって。私もあまり人のこと言えないけど、そんなへっぴり腰でよく冒険者ギルドで働こうなんて思ったわねー。何かと荒っぽい職場だし、いつも大変じゃないの?」

 

 クレコの言葉は厳しいが、心配からのものだ。もっと危なくない仕事の方が向いているんじゃないかと、この子は素直にそう思っている。

 私も気になるところではあった。

 

「どうしてアカネさんは、ギルドで受付をしようと思ったのですか?」

「んー、そうですねえ……。この世界が好きだから、ですかね」

 

 アカネさんは、この日初めて照れ笑いをした。

 

「へえ。嬉しい言葉ですね」

「ラナ様がお創りになった世界だもの。当然よー!」

「そうね。だから今日はマジで楽しみで! やっぱり思った通りの優しい人でしたし! いや~、素敵な世界ですよね! この世界の豊かな空も海も大地も全部好きなんです! 私!」

 

 魂を見るまでもない本心からの言葉に、私の胸にもやや熱いものがこみ上げる。

 

「ふーん。それはわかったけど、それとギルドってどういう関係なのよ」

 

「だけど」と、アカネさんは続ける。

 

「だ・け・ど! もっと好きなのはそこで生きる人たちよ! 私、楽しいこととかお祭りごとがほんっとうに大好きで! そういうのを見てるのが大好きで! ギルドにいると、毎日がお祭り騒ぎみたいで飽きないの!」

 

 うんうんと自分の言葉に頷きながら答えるアカネさん。

 

「なるほどねー」

 

 なるほど。それで受付なのですね。

 

「で、私はそんなレディース&ジェントルメンの楽しいを手助けして、もっともっと盛り上げたい! みんなの隣! 頼れる受付のお姉さんに! なりたいのよ!」

 

 高らかに拳を突き上げたアカネさんは、この日一番輝いていた。

 けれどその輝きはもう続かなくて、拳が下がるのと一緒に心の方もしぼんでいく。

 

「……とまあ意気込んではいるのですけど。実際のところは頼りなくて怒られてばっかりだし、仕事はとろ臭いし、今日だってねえ」

 

 どうやら本気で凹んでいるみたい。

 そうだよね。せっかくの大任なのに失敗ばかりじゃ、さすがに嫌にもなるよね。

 

「マイク持ったつもりにならなきゃろくに喋れない上がり症だし、持ったら持ったで加減効かなくて空回りしちゃうし! 昔から変な奴だっていじめられて、叩き出されるように村から出て来たクソなっさけない女なんですよねー! あははー」

 

 アカネさんはカラカラと笑っているが、心は泣いていた。

 

「アカネちゃん……。なんか……ごめんね」

 

 これまでの物言いが過ぎてしまったと、すっかりしぼんでしまうクレコ。

 私のためにときつくなっていただけで、心根の優しい良い子なのだ。

 私はクレコの頭を撫でてから、アカネさんの目を見つめて言った。

 

「なれますよ」

「へ?」

 

 きょとんとするアカネさんを励ますように、もう一度はっきりと告げる。

 

「あなたが心から望んで行動するなら。きっとなれますよ。みんなの頼れるお姉さんに」

「マジですか?」

「ラナ様……」

 

 私は昔のことを思い返しながら、二人に言い聞かせる。

 

「実はね。私も昔はイコ――この子のご先祖様にだけどね。何をするにもとろ臭い奴だってよく叱られてたし、心配されていたのですよ。あんまりとろいから、明日の命も危ないんじゃないかって」

「なんですって! ラナさんが!?」

「えーっ!? 初めて聞きました! とても信じられません……!」

 

 心底驚く二人に頷き、微笑みかけて続ける。

 

「そんな私でも今では神様と呼ばれるまでになったのですから、あなただって頼れるお姉さんくらいきっとなれますよ」

「ほんとになれますかね」

「なれます。だからしゃんと胸を張りなさい。くじけることがあっても芯では威張っていなさい。あなたの理想に負けないように。人はなりたいものになれるのです。いつだって可能性は開かれている。そう願って築き上げた世界なのですから」

 

 ここまで言ってあげると、アカネさんはすっきり胸のつかえが取れたようだった。

 

「……ふっふっふ! そうですかそうですか! やっぱりわかる人にはわかっちゃいますか! この私に秘められた才能ってやつが!」

「もう。ちょっと励まされたくらいですぐ調子に乗るんだから」

 

 言いながら、クレコもまんざらでもない様子。

 散々引っ掻き回してくれたこの娘がしょげ返っているよりは、呆れるほど元気な方が素敵だと思っているみたい。

 

 受付台帳を天に掲げて、アカネさんは高らかに宣言した。

 

「いいでしょう! 女神さんのお墨付きならば! やってみせようモココビス! 世界一の受付のお姉さんに、私はなるッ! 必ずなってみせるわ! わっはっはーーーっ!」

「あー! なんかそういうのずるい! 私も! 私だってイコ様を超える歴史で一番の聖書記になるんだから! あなたみたいなとろいのに負けてられないのよー!」

「ふっ。さすが我がライバルね。その心意気や良し! ならば!」

「いつからライバルになったのよ。でもいいわ。ならどちらが先に辿り着くか」

「「勝負ね(よ)!」」

 

 若いっていいわね。夢と希望に満ち溢れていて。

 新しい世代の門出を、私は微笑ましい気分で見つめていた。



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261「ラナの記憶 10」

 しばらく道なき道を進んでいると、突然木々が途切れて、黄金色に輝く大きな建物が現れた。

 

「あら。何か見えて来たわね」

「ほんと。すごく綺麗で立派な――神殿でしょうか? どうしてこんなところにあるのでしょう」

「あれは――ああ、聖剣神殿ですね」

 

 そう言えばここに建てたのでしたね。

 バサの森の深部、常に陽光が差すところ。いつまでも朽ちることなく黄金色に輝く神殿を。

 

「ほーう! あれがかの聖剣フォースレイダーを奉ずる神殿ですか!」

「読んだことあります。ご先祖様が聖書に記された通りですね!」

「せっかくですから見学していきましょうか」

「ぜひ!」「はい!」

 

 神殿自体は特に封印などがされているわけではなく、誰でも入ることができる。そもそも扉などもなく、外からでも聖剣の刺さった台座が見えるような吹きさらしの構造になっている。何十本もの太い柱に支えられているだけの単純な造りだ。

 三人で中に入ってみる。中央の台座に一振りの剣が今でも刺さっている。近づくと、剣身は鈍く青白い輝きを放っているのがわかる。

 

「綺麗な輝きですねえ。いったい何の魔力でしょう?」

「魔力とかじゃないっぽいわよ。私のカンだけど」

「心の力というか、希望への祈りの力というか。そんなものでしょうか」

「へーえ!」「そうなんですね」

 

 始め私たちが創り上げたときは、ただのとても強くて頑丈なだけの剣だった。だけどいつからかこうして不思議な光を放つようになっている。

 聖剣は人々の希望の象徴として創ったもの。人々の希望への祈りによって、時を経るごとに特別な力を高めている。きっと本質は私のトランスソウルに近いもの。

 今や純粋な剣としての強さなどより、希望の器としての役目の方がずっと大きいように思われる。

 

「英雄たる資質を持つ者が現れたとき、剣は抜き放たれるとされています」

「お、なんかカッコいいわね! ちょっと抜けるか試してみても良いかしら?」

「もちろん良いですよ。ここに辿り着けるなら誰でも挑めるようにはしたつもりですから」

「ちょっとずるしちゃった感じですね」

 

 クレコがばつの悪そうに笑った。

 気合十分で腕まくりをしたアカネさんが聖剣の柄に手をかける。

 

「よっしゃー! いくわよ! んんんんぎぎぎぎ……!」

 

 残念なことに、いくら力んでも剣は台座に刺さったまま少しも動かなかった。

 やがて息も絶え絶えになった頃、ようやく諦める。

 

「がっくり! ダメだった! 私英雄じゃなかったわ!」

「まあまあ。どんまい」

 

 膝をついて凹むアカネさん。彼女をあやしながら、クレコが尋ねてきた。

 

「ラナ様。英雄とはどのような者を指すのでしょう?」

「そこはトレインたってのこだわりみたいで。彼は言っていましたよ。『英雄とは――この世の理不尽、運命の残酷さを知っていて、なお抗う意志を持つ者。己の弱さを知り、人の弱さを知り、それでも立ち上がり、人々の希望を束ねられる者だ』ということみたいです」

「へえ。ご立派」

「強いとかそういうのじゃないんですね」

 

 トレインは言っていましたね。

 

『僕もそうだけど、ただ強いだけの奴なんて宇宙にはいくらでもいる。いくら強くても、この世の理不尽や運命の前に絶望するような心の弱い者ではいけない。そうじゃない者がいい。むしろ始めは弱くたって構わない。現実の残酷さ、自分や他人の弱さを知っていて、なお立ち上がれる人間こそ、僕は英雄だと思う』

 

 やけに熱く、実感のこもった言葉でしたね。

 だからそのような人間が現れるまで、剣は永き眠りについてしまうことになったけれども。

 

「あら? じゃあなんで私は英雄じゃないのかしら?」

「あなたは根っこのところが能天気過ぎるのよ。運命の残酷さなんてこれっぽっちも感じたことないでしょ」

「なるほど! めっちゃ納得したわ!」

 

 ふふ。すっかり意気投合したみたいですね。

 

 

 

 聖剣神殿でのんびりと昼食を取り、夕暮れまでにどうにか通常ルートへ戻って、バサの森出口でキャンプを立てた。

 

「あ、そうだった。今日のラナ様のご活躍を書き記さないと」

 

 イコは懐から聖書とペンを取り出し、座って膝元で開いた。アカネさんが興味津々に身を乗り出す。

 

「へーえ。それがオリジナルの聖書ってやつ? 初めて見たけど、随分まあ綺麗ね」

「そうよ。ご先祖様代々ずっと同じものを書き継いでいるの。大切なものなんだから」

「ずっと!? そんなに長いこと書いてたらボロボロになりそうだし、ページ数やばいことになりそうだけど」

「ふふん。なんたって特別製なんだからねー! 念ずると開きたいページが現れるのよー。しかもラナ様が認めた聖書記じゃないと書き足せないの!」

「そいつはすごいわね! 超便利じゃない!」

「すごいでしょすごいでしょー。もっとラナ様を崇めなさい!」

 

 するとアカネさんは目をキラキラさせて、私に縋り付いてきた。

 

「ラナさーん! 私の受付台帳もそんな感じで! ぜひそんな感じでッ!」

「あ、こら! またなんて失礼なことを!」

 

 うーん。気持ちはよくわかるのですけど。

 

「あー……ごめんなさいね。あれはイコとの思い出にと特別に想いを込めて創ったものですから。同じようなものを増やしたくないのです」

「ガーン! マ・ジ・で・す・か! でも納得しかないわ!」

「残念ねアカネちゃん。でもこれは私たち一族のものだからね」

「へっ! いいもん! 私も丹精込めて聖書に負けないお姉さんオリジナル台帳作るからいいもん!」

 

 こうして冒険初日は賑やかに過ごし、二日目も楽しい一日が過ぎた。

 

 そして、三日目――。



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262「ラナの記憶 11」

 三日目はトラフ大平原を見て回ることになっていた。

 バサの森と違い、このエリアとラナクレア湖は創られたものではなく、元々からトレヴァークに存在していたものだ。

 数ある冒険エリアの中でも最も初心者向けのところであり、魔獣ではない原生生物の楽園でもある。

 最終日だし、冒険もそこそこにしてのんびりピクニックを楽しもうと、そういうつもりで予定に入れたものだった。

 

 アカネさんもさすがにトラフ大平原では大きな失態もなく、クレコとわいわいしながら夕暮れまでは楽しむことができた。

 そろそろお忍びの羽休めも終わり。明日からはまた世界を改良するための公務があるけれど、良いリフレッシュになった。

 

 そう思っていたところに、異変は起きた。

 

「「きゅー! きゅー!」」「「むー! むー!」」

「あら? 何かしら」

「野生のモコとムルの群れがいっぱい……。やけに慌てているようですけど」

 

 野生のモコとムルが大群になって走り回っている。

 普段はどちらものんびりした子たちなのに。

 恐怖と混乱に満ちている。明らかに覚えている。

 

「どうやら何か恐ろしいものから逃げているようですね」

「エリア違いの超強力魔獣が襲ってきたとか?」

 

 アカネさんは首を傾げている。

 

「いえ、それはあり得ないはずなのです。魔獣の生息域は決まっています」

 

 不用意に一般人や原生生物を襲わないように、魔獣の出現エリアは完全にコントロールされているはず。

 

「なんだか嫌な感じですね。ラナ様……」

 

 クレコは不安に駆られている。

 

 モコとムルの慌てようはただごとではない。

 ましてここは初心者エリア。問題の何かを放置して駆け出しの冒険者が巻き込まれたとなっては大変だ。

 私は少し考え、決断した。

 

「調べてみましょう。あの子たちが逃げてきた方に異変の正体があるはずです。あなたたちは――」

 

 危険かもしれませんから先に帰って下さいと言おうとしたところで、クレコは察して断った。

 

「ラナ様の御付きですから。今はまだ戦えませんけれど、せめてお供させて下さい」

「私も! 案内役は最後までやらなきゃやったことにはなりませんので!」

「はあ……。仕方のない子たちですね。わかりました」

 

 二人に光の加護をかける。よほどの攻撃でなければ防ぐことができるはず。

 

「おおー! みなぎってきたわー!」

「ラナ様。ありがとうございます」

「安全を見て強めにしたけれど、くれぐれも過信はしないようにお願いしますね」

 

 浮遊魔法を私と二人にかけて飛ばす。上空から眺めた方が異変がわかりやすいはず。

 

 なんなの……これは……。

 

 それを見つけたとき、私は言葉を失った。

 

 世界に穴が開いている……。

 

 草原の上空、真っ暗闇の穴がぽっかりと口を開いている。

 

 どうなっているの……。

 私、あんな世界は知らない。創っていない。

 

 しかもそこからわらわらと湧き出て来るものがいる。

 大小有形無形様々な姿をした「出来損ない」の化け物――恐ろしい闇の異形たちだった。

 

「あれ、何でしょう……?」

「やけにきみの悪い奴らですねえ」

「あ、あ……!」

 

 どうして。魔獣と冒険者の仕組みを作って以来、完全に出現を封じ込めていたはずなのに。

 悪しき想念は魔獣として昇華されていたのではないの……? まさかそれですら

 

 ghwaoughoj;na;lk;lkwejgoiawjgo;ajwoighawoigaltjweohakfnalkj;ntaejg;lajsz!

 

 声にならない叫び声を上げて、それらは巨大な群れをなし、大行進を始めていた。

 

 憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。

 殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。

 

「ひっ……!」

 

 あまりにもおぞましい怨嗟の念に、私はすくみ上がってしまう。

 この子たちは、私を亡き者にしたがっている。それだけではない。

 人間のすべてを。世界のすべてや己自身でさえ、破壊しようとしている。

 

「大丈夫ですか? ラナ様、顔が真っ青ですよ」

「う、あ、ああ……!」

「ラナ様……!?」

「……ふう。仕方ないわね。お姉さんカーツ!」

 

 額にガツンと衝撃を受けた。

 はっとすると、アカネさんがニヤリと笑ってデコピンを仕掛けていた。

 

「ふっ。記念すべきお姉さんシリーズの初が喝になるとはね」

「あなたラナ様に何やってるのよー! このバカちん!」

 

 ツッコミでビンタをくらって「やっぱり効くわ」と痛いふりをしている彼女を見て、我に返る。

 怖がっている場合じゃなかった。

 

「……いえ、助かりました」

「ふふん。効果てきめんでしたね!」

「もう」

 

 辛うじて微笑みを返して。

 もう一度眼下の大行進を見やる。彼らの狙いは――。

 

「待って。あいつらの進んでいる方角って。まさかトリグラーブに向かっているんじゃ……!」

「ええー!? た、たた、大変です! どうしましょう……!?」

「……消し去るしか、ありません」

 

 おどおどしている二人を見て相対的に落ち着きを取り戻してきた私には、すべきことがわかっていた。

 早急に彼らを消し去らなければ大変なことになる。闇の穴も同時に閉じる必要がある。

 とは言え、これほど大勢の闇を消し去ったことはない。私にできるものなのか。

 いや、やらなくちゃいけない。これは私の罪だから。

 

「少し離れていて下さい。やってみます」

 

 天に手を掲げ、光の精霊をイメージして集中する。

 不可能なことではないと強く認識することが大切だ。この世界では【想像】こそが絶対の力。

 万能の「女神」の意識をもって、哀れな闇の子たちを浄化するという固い決意で。

 

「おお……! すごい光……!」

「ラナ様……。本当に神様みたい」

 

 十分なイメージをもって、私は光の鉄槌を下す。すべてを憎むことしかできない彼らに心の内で謝りながら。

 強大な「神」の力の前に、闇の軍勢はなすすべもなかった。触れた端から溶けるように消え失せていく。

 闇の穴も徐々に小さくなり、やがてぴたりと閉じた。

 

 よかった。とりあえずの危機は回避できましたか。

 

「……どうにかなったようですね。さすがに、疲れ、ました……」

 

 消耗が激しく、一瞬意識が飛びそうになる。今気を失っては飛行が切れて二人を地面に叩きつけることになるという認識が、辛うじて私の意識を持ちこたえさせた。

 

「おっと。肩をお持ちしますよ」

「私も私も! でも本当にすごかったです。さすがラナ様です!」

「無敵のラナさんの前には謎の化け物も形無しってわけですね~! でもあれ、何だったのかしらねえ」

「あんな不気味な魔獣、初めて見ました」

「ナイトメア……」

「「ナイトメア?」」

 

 事情を知らない二人は首を傾げるばかり。私はかぶりを振って言い聞かせた。

 

「とにかく、あれのことは内緒にしておいて下さい。皆さんに不安を与えてはいけませんから」

「……わかりました。まさかあんな恐ろしいものがいるなんてね。私、強くなるわ。絶対に」

「私も。ラナ様を支えるためには強くなくちゃいけないって今日でよく思い知りました」

「ふふ。将来が頼もしいですね。クレコもアカネさんも」

 

 こうして、思わぬ波乱はあったものの、結果的にそのときは大事に至ることはなく、お忍びの冒険は終わった。

 

 

 

 帰宅してすぐにトレインに相談した。

 

「なんだって!? そんなことが……」

 

 トレインはまったく気が付かなかったようで、心底驚いていた。また自分の不甲斐なさに憤ってもいる。

 でも彼は悪くない。私のように心が読めるわけではないし、闇の異形たちには純粋な意味での生命の息吹はない。気が付けないのも仕方のないことだった。

 

「すぐに対策を講じなくてはいけないな。そんなものがもし街中に発生したとしたら、大変なことになる」

「ええ、そうね……。でも、どうして……」

「それは……ごめん。僕にもわからないよ」

「……無理やり抑え付けてしまったから。そのことが余計、闇を強くして……」

 

 こんなはずじゃなかったのに……。私はただ、みんなが望むだけ生きて幸せに暮らせる世界を作りたかっただけなのに……。

 

「やっぱり私たち、間違っていたのかな……。人は分相応に自然に任せて死ぬべきで、幸せに生きるなんてことは、許されなかったのかな……」

「ラナ……。いいや、間違いじゃないさ。きっと。みんなきみに感謝しているじゃないか」

 

 イコが泣いて、人が互いに争って、殺し合って。あんな厳しい世界が正しいとは、私にはどうしても思えなくて。

 でも、でも。その代償にとんでもない闇を生み出してしまった。

 蓋をして完全に封じ込めていたと思っていた闇は、全然そんなことはなくて、いよいよ地獄の釜から溢れ出そうとしている。

 こんなことを続けていたら、いつかは……。

 

「私、とんでもないことを……」

「だったら止めてしまうかい? もちろん僕は従うよ」

「トレイン……」

「……ただ、残酷なようだけど。はっきり言っておこう。その選択は覚悟がいると」

「…………」

「まず、闇は一気に牙を剥くだろう。多くの人が襲われて、死ぬ。僕たちだってどうなるか。そして、人の寿命を乗り越えた者たち。幻想の生物たち。彼らは存在の根拠が消える。確実にすべて死に絶えることになる」

「……ううん。ダメ! ダメよ。そんなこと。できないわ。そんな残酷なことは!」

 

 私は泣きそうになりながら、頭を抱える。

 私たちが「そうぞう」を止めてしまえば、たちまち世界は崩壊する。たくさんの人が死ぬ。

 築き上げた希望の反動は――凄まじいまでの絶望だ。

 

「……だったら、続けるしかないよ。決めたじゃないか。僕たちは」

「……そう。そうね。後戻りできない道を。理想の世界を作るんだって……決めたものね」

 

 以後、闇の穴は時々世界のどこかで開くようになり、私とトレインには出現したナイトメアを滅して穴を塞ぐという重要な仕事が追加された。

 私たちは、いつどこに穴が開いても即座に対処できるよう、世界全体を監視防衛するためのシステム『ラナの護り手』(人々のイメージが乗るというトレインの強い意見によりこの名前になった)を創り上げた。

 

 本当に物騒な代物だ。私たちの「理想」にはとても似つかわしくない。

 けれど必要なもので。仕方のないことで……。

 

 でも……こんなことを続けていて本当に大丈夫なのかな。いつまでいたちごっこを続けられるのだろうか。

 

 いつか対策が追い付かなくなったとき。そのとき、決定的な破綻が起こるのではないか。嫌な予感がしてならなかった。

 

 それから、私は悪夢にうなされることが多くなった。

 ナイトメアのことを思い出すと、あの私への憎しみと殺意を思い返すと、恐怖で心が震えてならなくて。

 眠れないときは起き出して、浮遊城のバルコニーからぼんやりと景色を眺める。そんなことが多くなった。

 

 だけど。ここから見える景色がどんなに綺麗で美しくても、これを生み出すために抑圧された闇が同じだけ深いことを思えば、私の心はまったく晴れなかった。



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263「さらに迫るタイムリミット」

 ここまでの記憶を見終えた俺は、今日の記憶回収を打ち切ることにした。

 

「ふう……。さすがに骨が折れるな。これでもう34か所目か」

「お疲れ様でした。何か掴めましたか?」

「うん。だいぶ当時の状況がわかってきたよ」

 

 ラナが世界各地を旅していたせいか、記憶は各地に飛び飛びになっていた。そのため、時系列順に各地を回りながらの回収となり、かなりの時間がかかってしまっている。

 場所の問題だけではない。まるで見られたくないかのように大量の魔獣やナイトメアが妨害するので、それらを掃討するのも手間だった。

 ダイラー星系列に提示されている星消滅兵器の到着――最短のタイムリミットまで残り30日まで迫っている。

 もうあまり時間がない。焦りは募るばかりだ。

 だけど、アニエスの協力もあって少しずつ。少しずつだけど過去の時計の針は進んでいる。彼女の記憶は間もなく核心へと向かおうとしている気がする。

 俺たちは、魔獣と冒険者の発生と発展、それからアルトサイドの原形と思われるものの出現を確認した。いよいよ不穏な空気は露わになってきている。

 約1万年前に始まり、それから2000年以上に渡って繁栄を続けたラナとトレインの「理想の世界」。トレヴァークという現実世界にかつて存在していたそれは、今や現実には存在せず、ラナソールという「夢想の世界」としてのみ形を残している。

 大きな断絶がある。

 何か決定的な出来事が起こったはずなんだ。ミッターフレーションにも匹敵する、破滅的な何かが。トレヴァークから彼女たちの創り上げたものがあらかた消失してしまうような何かが。

 そのときが近づいているのは間違いない。そこに今回の事態を解決するヒントがあるはずだ。そう信じたい。

 

 ところで。

 

「まさか受付のお姉さんが出て来るとはね……」

「まさかの登場でしたね」

 

 あの人がいきなり出てきたのには本当にびっくりした。しかも今とほとんど変わらない容姿だったし。

 ハルと妙な人だねとは話していたけど、あの人やっぱり普通じゃなかったんだな……。

 何が「大昔にちょっとね」だよ。がっつり絡んでいるじゃないか。

 だけど、あのお姉さんですら最初は下級魔獣を前にビビるくらい弱かったということがわかり、妙な親近感が湧いたのも確かだったりする。

 彼女の防衛線における活躍は色んな人から聞いている。魔神種を素手で殴り飛ばしたとか。下手なフェバルばりに強いって。

 あのはっちゃけた笑顔の裏で、きっと想像も付かないほどの鍛錬を重ねてきたんだろうな。みんなの頼れるお姉さんになるために。

 

 それにしてもあの人、ほんと何者なんだろう。ずっとこの世界に留まっている辺り、フェバルではないみたいだけど。

 レンクスが言ってた異常生命体ってやつだろうか。

 同じってことは、もしかしてアニエスも……?

 

「ん? あたしの顔に何か付いてます?」

「いや……」

 

 アニエスも明らかに普通じゃないもんなあ。時空魔法をこれだけ平気で使いこなすほどの魔力は、通常の人間ではあり得ない。

 でもこの子。やっぱりどこかで見たことあるような気がするんだよな。記憶にないはずなのにずっと妙な既視感がある。

 まあそれは気になるけれど置いておこう。

 

「今のところ順調に記憶の回収を進められているけど、ヴィッターヴァイツの動きがないのが不気味だな。あいつのことだから傷を癒したらすぐにでも仕掛けてくるかと思ったけど」

「回復に時間がかかるほどの傷を受けたんだと思いますよ。黒性気による攻撃は肉体と同時に精神にまで回復しにくいダメージを与えるって――えっと、聞きましたからね」

「あの黒い気、そんなやばいやつなのか……」

 

 ヴィッターヴァイツは俺たち程度軽く始末できると豪語していた。とても大怪我をしているとは思えないほど堂々とした態度だったけど、実際はあいつも立っているのがやっとだったのかもしれないな。

 だからダイラー星系列とまでは戦えないと身を引いたのか。強かな奴だ。

 

「やばやばのやばですよ。とにかく何でも殺すことに特化してて、一度に与えるダメージが凄まじく大きければ、フェバルを始めとした超越者の精神すら力業で殺し切ることができるって――えっと、言われてます」

「それができたとしても、ただ殺すだけしか能がないって道は選びたくないな……」

 

 あの力を使っている間、どんどん心が冷たくなっていくのがわかった。白い力と違って理性はあるんだけど、殺意ばかりクリアになっていくというか、力に感情が支配されていく。

 最速かつ効率的な身体の動かし方、力の使い方。どうすれば最も的確に敵を殺せるか。そんな冷酷な方法ばかりがやけにはっきりと「見える」。

 俺みたいな普通の肉体の持ち主でも、ヴィッターヴァイツを圧倒できてしまうほどに。

 あれほど「フェバルらしい」力はない。俺が目指している「人と交わる」旅人としてのあり方とは最も遠い位置にある。

 

「ですよ! ユウくんの素敵なところまでみんな殺されちゃいますから!」

 

 妙に熱いまなざしでそう言ってきたので、嬉しく思う一方でちょっとだけ気になった。

 

「俺の素敵なところって?」

「あっ! その、優しいところとか、いろいろ……」

 

 やけにもじもじしているのが子供みたいで、何だか可愛らしく思えた。つい軽く頭を撫でてしまいつつ、礼を言う。

 

「君とはまだあまり関わった記憶はないけど、ありがとう。嬉しいよ」

「あうぅ……」

 

 アニエスはちょっと嬉しそうな、恥ずかしそうな様子だった。

 

「よし。そろそろ行こうか。ブレイさんに報告しなきゃいけないし、みんな待っているだろうから」

「はいっ!」

 

 ――来るならいつでも来い。ヴィッターヴァイツ。



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264「ヴィッターヴァイツの悪夢 1」

 いつになるのだったか。昔の話――とにかく昔の話だ。

 

 オレはいつものように、誰もいない荒野で一人修行を続けていた。

 荒野は良い。うっかり景観を損ねることもなければ、何かを死なせてしまうこともない。修行に専念できる。

 一つ所に留まることもできず、死ぬに死ねない。フェバルというのは実にクソったれな運命を背負った存在だが。

 こうして汗を流し、ひたすら己を追い込んでいるときに限っては、嫌なことも忘れられる。

 

 やがて全身の肉という肉、そして気力が限界を迎えた頃、オレは地へ身を投げ出した。

 土埃の混じった風が剥き出しの素肌を撫でる。疲れ切った身体には心地の良い風だ。

 だがややもして身体が疲労に馴染んでくると、頭の隅に追いやっていた嫌なことが戻ってきてしまう。

 

「ちっ……」

 

 馬鹿馬鹿しい。こんな修行にどれほどの意味がある。

 習慣だ。他にすることもないからしているだけだ。

 もはやこの身にとって鍛錬は毛ほどの進歩ももたらさない。修行も既に幾千年を超えてからは、肉体は極致に達している。

 フェバルであるからには、修行をやめたところで衰えるはずもなく。老いに逆らうなどという常人なりの意義もない。

 

「クソが……」

 

 何より。

 星脈に授かっただけの力の方が遥かに勝るなどと。【支配】などという強引に与えられただけの能力の方が遥かに勝るなどと。

 ああ、気に入らん。まったく気に入らんことだ。

 超越者の存在。知らぬままの方が良い事実だった。

 オレは故郷で一人の武道者として生き、死にたかったのだ。なぜフェバルなどになってしまったのか。

 

 まったく姉貴はよく絶望もせずやっているものだ。今頃どこで何をしているのだか。

 

 そんなことを毎度思いながらも、じきに身体が動くようになれば、意味のない修業を再開してしまうのだろう。おそらくは心が死ぬまでこれを続けるだろう。

 

 自嘲めいた気分に浸っていると、仰向けになっているオレをぬっとのぞき込む影があった。

 またあの女だ。当然、その生命反応にはとっくに気付いてはいたのだが。

 

「やあ。相変わらず修行に精を出しているみたいね」

「……イルファンニーナか」

 

 もの珍しい奴だ。オレがこれまで出会った中でも随一と言っても過言ではない。

 見た目は、一目でわかるアルビノということ以外どうということはない。

 年頃の小娘が、オレが修業しているのを飽きもせず見に来る。しょっちゅうだ。

 煩わしいから来るなと言っても来るのだ。こいつの暮らしているという村からはそんなには近くないはずだが。

 

「またフルネームで呼んだー。あなただけだよ? みんな私のことイルファって呼んでるよ」

「知らん。オレは略称で呼ぶのが好かんのだ。そのままの名前くらい大切にしておけ」

 

 結局のところ、流浪の身に残された最後の一つの繋がりはそんなものだ。そんなものすら失ってしまった奴を見たことがあるが……あれはもう人ではなかった。

 ……オレも似たようなものだがな。

 

「むむむ。同じく略しがいのあるヴィッターヴァイツさんが言うと説得力があるね」

「オレのことはどうでも良い。それにだ。前々から思っていたが、どちらかと言えばニーナだろう」

 

 何気ない一言ではあったが、どうやらこいつにとっては違ったようだ。

 

「あー……そっか。うん――ニーナか。ニーナ。それいいね!」

 

 ぱっと花のような笑顔を浮かべてサムズアップした彼女に、オレは気恥ずかしくなってきた。

 何がそんなに嬉しいのか知らんがな。

 

「なんだ。そんなに変でもないだろう」

「うん。変じゃないと思うよ。むしろいい感じ!」

「他にニーナと呼ぶ奴はいなかったのか」

「いないねー」

「だとすれば連中はよほどセンスがないな」

「違いない! ニーナの方が断然可愛いし!」

 

 鈴のような笑い声が殺風景な風に乗って広がっていく。

 いつもながら、やけに愉快に笑うな。こいつは。

 

「ふふ、よし。お返しにニーナちゃんがヴィッターヴァイツの素敵な愛称を考えてあげよう!」

「いらん」

「まあまあそう言わずに」

「いらん」

「お構いなく」

 

 少しは構えろ。

 

「えーと、ヴィッターヴァイツだから――ヴァイツ? ヴィッツ? ヴィット?」

 

 ヴィットと呼ばれた瞬間、反射的に肩が跳ねてしまった。

 

「っ……その略し方で呼ぶんじゃない……」

「お、図星を突いたっぽい。ヴィットかぁ。その反応、さては昔そう呼ばれてたね~? 女か? 女かぁ~?」

「やかましいぞ!」

「うひゃあ怖い怖い! ――で、実際のところはどうなの? ヴィット」

 

 オレの強面を恐れもせずに、うりうりと顔を近づけてくる。アルビノの赤い瞳がこちらを興味津々で覗く。鬱陶しいことこの上ない。

 

「ヴィット言うな。ちっ……姉貴の奴がな」

「へえ。お姉さんがいたの。初耳。どんな人?」

「下らんお節介焼きだ。望んでもいないことをあれやこれやと。貴様みたいなものだな」

「それはつまり、私のような素敵で不可欠な存在だと」

「貴様の謎の自己評価の高さには呆れるぞ」

「いやー、妥当だと思うけどね。だってヴィッターヴァイツさ、私が見つけてなかったら絶対に行き倒れてたじゃない」

「寝ていただけだ」

「そういうことにしとく。鍛えるばかりで、自分じゃご飯だってろくに作れないしさ――おっとそうだった」

 

 彼女は手に提げていた弁当箱を差し出した。

 

「はい。今日のお弁当。どうせまた修業ばっかで何も食べてないんでしょ?」

「ふん。要らぬ世話だ。放っておけと何度言えば――」

 

 ぐうううううう。

 

「む……」

 

 ……こんなときに鳴ってしまう腹の虫が恨めしくてかなわん。

 

「一緒に食べようよ。ね」

 

 オレは彼女から弁当箱をひったくると、その場にドカッと座って黙々と食べ始めた。

 彼女も黙って当たり前のように隣に座り、俺の食う様を面白そうに眺めながら食べている。

 食べている間、一切の会話はない。ないというのにこいつはニコニコしている。

 何が楽しいのだか。オレにはこいつがわからん。

 

 少なくとも貴様などいないところで、その日の飯程度しか困るところがない。

 そもそもオレは飢えて死のうが死ねんのだ。何度も試した。

 食事など一時の嗜好品でしかない。つまり貴様のしていることには……意味がない。

 

 意味はないが……それはそれとして、こいつの飯は美味い。そのくらいは認めてやろう。

 

「馳走になった」

「お粗末様でした。うん。あなたは食いっぷりがいいから、作る方としても嬉しいね」

「今日で最後だ」

「明日も来るよ」

「来るな。鬱陶しい」

「せっかくだからヴィッターヴァイツが修行してるとこ見ていこうかな」

 

 どうせ言うことを聞かんので、オレは諦めてその場で修業を再開した。

 こいつがいるとうっかり拳圧で吹き飛ばさないよう、一挙手一投足に気を付けねばならない。はっきり言って邪魔である。

 そしてやはり会話はない。だというのにこいつはずっとニコニコしている。

 本当に何が楽しいのだか。オレにはこいつがさっぱりわからん。

 

 わからんが……まあ悪い時間ではない。

 

 結局、その日も日が傾くまで彼女は側にいた。

 

 オレは修業する。彼女は飯を持って来て見守る。

 たまに来ない日もあったが、そのような日々が数年続いた。

 会話はあまりしない。飯の前後くらいのものだ。

 

 

 

 イルファンニーナはよく生傷をこさえて来た。

 

「また怪我をしているのか」

「私もヴィッターヴァイツにならって修業しているから!」

 

 などと控えめの胸を張る。痛みに顔をしかめてはいるが、その表情に暗さはない。

 だから妙に思っても疑うまではしなかった。

 

「馬鹿め。弱いのに無茶をするからそうなる。見せてみろ」

 

 肌着をめくり上げると、アルビノ特有の真っ白な素肌に打ち身があちらこちらにある。

 放っておけば痕になりそうな切り傷もある。女が傷だらけになってはかなわん。

 気功術ですべて綺麗に治してやると、彼女は無邪気に喜んだ。

 

「ありがとう。ヴィッターヴァイツってすごいよね。どんな怪我もパアアって治しちゃうしさ」

「こんなもの。《剛体術》のついでの嗜みだ。礼を言われるうちに入らん」

「でもありがとう。優しいよね」

「……今日の弁当を寄越せ」

 

 

 

 いつの間にやら、オレがフェバルであることも聞き出されてしまった。

 

「お姉さんって今はどこに?」

「さあな。今も生きているとは思うが、どこで何をしているかはわからん」

「つれないね」

「そんなものだ。お互い行く宛てもわからぬ流れ人などというものはな」

 

 いつからだろうな。姉貴に言われるまま人助けをしなくなったのは。

 姉貴が知れば怒るだろうか。

 何をしようとオレの勝手だ。そんな筋合いはないが。

 

 どれほど手を尽くしてみたところで、人は死ぬ。オレは死なん。

 決定的な断絶がある。

 一々感情移入などしていたら、いくつ身があってももたんのだ。

 

 それに――。

 

【支配】には妙な感触がある。何がとははっきりと言えんが、気持ち悪さのようなものがある。

 万物の事象を意のままに操る【支配】。

 これを存分に振るい、人々の暮らしを改善すれば、とにかく感謝された。老若男女問わず、誰もがオレを称えた。

 そう。例外なく。誰もがだ。

 オレの力を恐れる奴も、オレのやり方が気に食わない奴もいなかった。いてもおかしくはないのにだ。

 女に言い寄られて抱いたことも、数え切れんほどある。

 違和感があった。そいつは少しずつ大きくなっていった。

 どこか貼り付けたような笑顔が。尊敬の眼差しが。

 オレではなく、【支配】という力に感謝されているようで。まるで神か何かのような扱いをどこでも受けてしまうことが。

 気に入らなかった。気味が悪かった。

 そのうちオレは人助けなどやめた。人と触れ合おうとも思わなくなった。

 

 独りはいい。気楽でいい。

 

 だのに時たま、なぜかこういう構ってくる奴が現れるのだが。イルファンニーナほどしつこい奴はいなかったが。

 

「ヴィッターヴァイツも、そのうちどこか行っちゃうの?」

「いつかはわからんが、行くだろうな。それが運命というものだ」

「そっかあー」

 

 見るからに気落ちするので、オレは少しばかりいたたまれなくなった。ほんの少しばかりだ。

 

「あまり寂しそうな顔をするな。こんな奴が一人いなくなったところで、どうということはない」

「そんなことないよー? だって私、ヴィッターヴァイツくらいしか友達いないもん」

「初耳だぞ。オレなどに始終構っているからそうなるのだ」

「ヴィッターヴァイツはいつも平気で構ってくれるからね」

「貴様がしつこいだけだ。オレから構った覚えはない」

「でも何だかんだ話してくれるもの。こうやって」

「……ちっ。修業を再開する。黙って見ていろ」

「はーい」

 

 オレはいつもの通り汗を流し、彼女はいつもの通りニコニコ見つめていた。

 いつもの通り限界まで身体を動かした後、ふとオレは何となしに言った。

 何となしにだ。決して同情ではない。

 

「明日」

「うん? なに」

「明日、村を案内しろ。貴様がどんな惨めな暮らしぶりをしているのか、じっくり見てやろう」

「えー。ヴィッターヴァイツ、来るの!? 興味ないと思ってた!」

 

 こいつの慌てぶりが面白かった。

 

「いかんのか?」

「だってだって! そんなに良いものじゃないよ? きっとつまらないと思うし……」

「構わん。貴様は発育も悪いし、怪我も多い。どうせろくな暮らしなどしていないのだろう」

「言ったなあ。発育が悪いのは遺伝だもん。仕方ないもん」

 

 彼女は貧相な身体を手で押さえ、わざとらしく恨めしい視線を向けてくる。オレは無視して続けた。

 

「何かしてやれることがあるかもしれん」

 

 事と次第によっては、久々に【支配】を使ってやっても良い気分になっていた。

 小娘一人助けてやったところでバチは当たらないだろう。

 

「あー。ふふ、そっか。ヴィッターヴァイツに心配させちゃったか」

「心配などしていない。もし貴様が来る理由がなくなれば、清々すると思っただけだ」

「あはは。そうだね。じゃあ明日はよろしくお願いします」

「うむ」



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265「ヴィッターヴァイツの悪夢 2」

 前日の約束通り、イルファンニーナに村まで案内してもらった。

 小娘の足に合わせたが、かなり歩かされた。片道で二時間近くと言ったところか。この世界の許容性はやや高く、彼女の足でも地平線の向こう側まではいく。

 オレは人里から十分距離は取っていたからな。こんな距離をよくもまあ足繁く通ってくれたものだ。

 

 やがて着いたところは、何ということはない。寂れた村だ。石造りの家が散見される辺り、文明も遅れている。

 検問所などもなく完全に拓けており、留め立てもなく入ることができた。

 

 元来、よそ者など来ない地なのだろう。

 人目に立つでかい図体のオレを見れば、村民どもは化け物でも見るかの奇異な視線を向けて、そそくさと道を開けた。

 そのこと自体には、特には何も思わない。怖く見える自覚はあるし、積極的に人助けをしなくなってからはこんなものだ。

 それよりも、共にいるイルファンニーナの方へ向けられている視線の方が気になる。

 除け者を見るような目。「何を連れてきた」とでも言いたげだ。閉じた村の性質として排他的であるのはわからんでもないが、皆一様にというのはさすがにおかしい。彼女への当たりが冷た過ぎる。普段からろくな扱いを受けていないのではないか。

 彼女はそれでも気丈に歩いていたが、そのうち嫌な空気にオレを連れ回すことに耐えられなくなったのか、気まずそうに笑った。

 

「あはは……。だから言ったでしょ。つまらないって」

「確かに良い心地ではないな」

 

 自分で考えている以上に不機嫌になっていたらしく、声は険しいものだった。

 

「なぜこんなことになっている」

「うーん……。たぶん仕方のないことだから」

「事情を話せ。外では話しにくいのなら、家へ上がるぞ」

「強引だなあ。初デートでいきなり女の子の家へ上がろうなんて」

「変なことを言うな。それに貴様ほどではない」

「……そうね。あなたが来たいって言った時点で覚悟は決めるべきだったんだろうね。もしかしたらって、そう思っちゃったのも確かだから」

 

 そして連れられて、彼女の家の前にまで来た。

 自ずと事情は見えてきてしまった。オレはあまりの惨状に言葉を失っていたのだ。

 

 これは……どういうことだ。

 石造りの街並みの外れで、ただ一つぽつりと建つ木造家――いや、果たして家と言って良いものなのか。へし折れた木板、ささくれ立った木板をそのまま打ち付け、寄せ集めた木の枝で屋根を組んだだけの――小屋だ。

 およそまともな人の住むべきところではない。動物小屋でもまだマシなものだ。

 その上、側壁には無数の穴が穿たれ、現地語で口汚い落書きが掘られている。

 

『死ね』『白い魔女め!』『災いの娘が』『ここから出ていけ!』

 

 他にも死を暗示する印が色々と殴り書きされていた。

 瞬時に感情が昂ぶりそうになる。だが、この場で気を解放すれば地鳴りを起こしかねない。思い直し、感情を押し殺しながら言った。

 

「……上がるぞ」

 

 家の中には、どこからか拾ってきた調理器具と、例の弁当箱以外には何もない。がらんどうの部屋。

 フェバルの運命とは方向性が違う、だが壮絶な孤独がそこにあった。

 こんな場所で、毎日のようにあれほど美味い料理を作ってくれていたのか。

 何もないのにだ。己は非人のごとき扱いをされながら、オレのために。

 

「イルファンニーナ。貴様、食材はどうやって集めている」

「裏手に森や畑があるから、そこからちょちょいとね。あ、畑からこっそり取ってるのはみんなには内緒だよ!」

「材料調達から調理まで手ずから、片道あれほど時間をかけ……。他に何をする時間がある!? 馬鹿か貴様はッ!」 

 

 こいつが来ない日もあった。それはそうだろう。食材は毎日採れるとは限らず、村での扱いもあれでは。

 だが可能な限り、こいつは必ずオレのもとへ来ていたということだ。己の使えるほぼすべての時間をかけてまで。

 馬鹿げている。異常だ。オレにそこまでする価値はない。

 

「なぜだ。なぜそこまでする。わけがわからんぞ」

「んー……さあ、なんでだろ? 寂しかったのかも。あなたを見てたら、何だか放っておけなくて」

「…………そう、か」

 

 聞き覚えのある言葉だった。それも一度ではない。

 オレは自分で言うのもなんだが、生活能力がない。姉貴にもこいつにもお墨付きだ。武功によって稼ぎのある世界であれば良いが、そんな伝手がすぐ得られるような物騒な世界ばかりではない。

 ゆえに時たま「寝てしまう」こともあるのだが、なぜだかそういうときに限って親切者が現れる。イルファンニーナほどの奴は、姉貴以外にはいなかったが。

 

 いや、姉貴ですらこれほど献身的にはなれない。病的ですらある。

 これほどの惨状とは思わなかったのだ。そうは見せないほど、こいつはずっと明るく振る舞っていた。

 だが、オレなどに縋ってしまうほど救いがないのだとすれば……。

 オレはギリギリと奥歯を噛み締め、こいつに問いただした。

 

「話してもらおうか」

「私ってほら、こんな見た目じゃない」

「綺麗だと思うが」

「ばっ……! いやいや、そういうことじゃなくって! ほら、真っ白でしょう?」

「ああ。白いな。それがどうしたというのだ」

「うん。やっぱりあなたって変わっているよね」

 

 花のごとく笑い、それから憂いを秘めた表情で胸に手を添えた。

 

「白い身体と赤い目はね、魔女憑きの証なの。昔から災いの象徴とされていて」

「確かに他の人間にはない魔力を感じる。所詮有象無象の程度でしかないが」

 

 フェバルや星級生命体といった人外に比べれば、ごくささやかなものだ。

 

「わかるの? でもそんなことを言うのはあなただけだよ。魔女憑きは大地から豊饒を吸い上げて生まれてくる。実際、私の生まれた年に、百年に一度の大飢饉が起こったみたいで」

 

 ぽつりぽつりと彼女は続ける。時折苦い顔を交えながら。

 実際に災害が起こり、大義名分をもって、村民どもは正義の加害者となった。

 イルファとは忌むべき名だ。邪悪なる魔女憑きに付けられる名なのだ。

 一度迫害が始まれば、どんどんエスカレートしていく。

 両親は小さいうちに人生と彼女を捨てた。迫害に耐えかねて自殺してしまったそうだ。

 ならば彼女はどうやって生き延びたのか。

 食べ物を見つけるのはやけにうまいのだと胸を張る。向こうから自分に教えてくれるのだと。

 ……魔法の使い方の一つに、食材の魔力分析がある。彼女は生存本能から、無意識にそんな使い方をしていたのかもしれん。

 オレのことも、魔力を何となく察知して見つけたらしい。オレは食材ではないが。

 聞けば聞くほど、哀しかった。何より、そんな悲劇を当たり前のこととして、仕方ないこととして話す彼女が哀しかったのだ。

 

「そんなことか。色が違う。ただそれだけのことで。下らない。あまりにも下らない!」

 

 オレはついに激高した。

 

「ふざけるなッ! 貴様が何をしたと言うのだ!」

 

 生まれが運命を決めるなど。しかも何ら根拠もわからぬ、然様な下らない迷信によってなど!

 おかしいとは思っていた。こいつの怪我はやはり修業などではなく、他人によって傷付けられていたのだと確信する。

 怒髪天を衝く。振り上げた拳と同時に、地鳴りが起こる。

 

「ちょ、ちょっと! 落ち着いて!」

 

 彼女が縋り付いてとりなしたので、どうにか己を抑えることができた。

 いかんな。やはり周囲に与える影響が大き過ぎる。

 

「すまん。取り乱した」

「はあ、もう……。でもヴィッターヴァイツ、私のためにこんなに怒ってくれるんだね」

 

 嬉しそうに言うので、オレは気恥ずかしくなってつい顔を背けた。

 

「貴様も貴様だぞ。なぜこんな村、さっさと出ていかんのだ」

「そうしたいのは山々だけど……みんなあなたほど強くはないから。知ってる? この村だけなの。この辺りで、私たちが暮らせる場所は……ここだけなの。あの荒野、どこまでも広がっていて果てがわからないから」

「ちっ。そうか」

 

 ままならぬものだ。

 随分と広い荒野だとは思っていた。この星に飛来するとき、見た目で乾いた星という印象はあった。よもや彼女の知る限り、他に人の住める場所がないほどとは思わなかった。

 限られた水源と森。ちょうどオアシスのようになっているということか。

 

「あなたは本当に不思議な人。この世界の人間じゃないって言ってたけど、私は絶対に信じるよ。ヴィッターヴァイツに出会えてよかったって思ってる」

「おい。恥ずかしいことを言うな……。そもそもオレはまだ何もしていない」

「ごめんごめん。でもまだってことは、期待していいのかな?」

 

 ああ。こいつは。本当に……。

 だがここまで聞いてしまって何もしないという選択肢は、オレには持てなかった。

 如何にするべきか。

 優しい性根の持ち主だ。一人一人ぶん殴ってやりたいところだが、こいつは住民どもへの復讐は望んではいまい。

 となれば、すべきことは一つ。

 

「そもそも、土地が貧しいから住民どもの発想も貧しくなるのだ。魔女憑きなど、何の根拠もない迷信に過ぎん」

 

 彼女の頭をぽんと叩いた。オレには白い髪も、赤い瞳も、ただの美しい飾りにしか見えん。

 綺麗ではないか。ただそれだけだ。

 

「いいだろう。こんな世界、オレが変えてやるとも。貴様が何ら特別なことはないただの小娘であると、オレが証明してやる。貴様にまつわる不幸な伝説とやらを終わらせてやろう」

 

 オレにはそれができる。できてしまう。

 呪われし運命と引き換えに得た力。【支配】は、世界を造り替えるだけの力を持っている。

 大地の性質を変える。可能な限り豊饒な土地へと変貌させる。

 治水を含め、あらゆる工事もしよう。力仕事はオレの得意分野だ。身一つですべてこなせる。

 そうすれば、おそらくは崇められるだろう。人ではない扱いをされるだろう。

 構わん。そいつは気に食わないが、貴様が魔女になるくらいなら。

 

「オレが神になってやる。救うのは貴様だ。イルファンニーナ」



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266「ヴィッターヴァイツの悪夢 3」

 オレは住民どもを寄せ集め、目の前で【支配】を行使して雨を降らせたり、大地を揺らせたりした。

 それだけのことで、連中はオレを神かそれに近しい存在だと認めた。

 愚かな連中だと思う。こいつらがイルファンニーナにしていたことを思えば腹も立つが、ここは彼女の想いに免じて堪えた。

 数十日ほどかけ、丹念に豊饒化事業を行った。見違えて豊かになっていく土地に、決して豊かとは言えなった彼らは大いに感謝した。思った通り、すぐに崇拝されるようになった。

 イルファンニーナには新たな家を建ててやった。建築に詳しい奴に協力させ、力作業は主にオレがやった。彼女の希望もあって無駄に大きくはしなかったが、無邪気に喜んでくれたものだ。

 あらかた事業を終えたオレは修業に戻ることとし、最後に一言添えた。実にそれを言うだけのために、面倒な仕事をやり抜いたのだ。

 

「この娘は邪悪なる者ではない。ただ生まれ持った姿が特殊なだけの善良な娘だ。イルファンニーナがオレを連れて来たのだ。この言葉、ゆめゆめ忘れるなよ」

 

 ヴィッターヴァイツ様などという鬱陶しい歓声を背に、勝手にオレのもとに来ぬよう言い含め、村を去る。

 去り際、彼女とも話をした。

 

「オレは行く。貴様はあの家で暮らせ」

「えー。ヴィッターヴァイツ、もう行っちゃうの? 結構楽しかったけどな。家作ったり地を耕したり」

「身体が鈍ってしまった。修業をせねばならん」

「そうだった。武人さんってやつだもんね。ふふ。あんなにヴィッターヴァイツ様ーって騒がれたら嫌だよね」

「やめろ。真似するんじゃない」

「あはは」

 

 やはりこの小娘は、無邪気に笑っている姿がよく似合う。

 

「もう毎日オレになど構うな。いい加減、己のための人生を送るがいい。貴様は幸せになって良いのだ」

「そっか……。じゃあ、また気が向いたら行ってもいい?」

「どうせ来るなと言っても来るのだろう? 勝手にしろ」

「うん! 私が行ってあげないと飢えて困っちゃうものね」

「オレは貴様などいなくても平気だ」

「そういうことにしとく。ねえ、ヴィッターヴァイツ。ちょっとこっそり言いたいことがあるんだけど、耳を貸してくれる?」

「なんだ。二人なんだから普通に話せばいいだろう」

「いいから」

 

 オレは背がでかいから、彼女では背伸びしても顔までは届かない。仕方ないので耳を寄せると――。

 

 柔らかいものが頬に触れた。キスされていた。

 

 唖然とするオレに、恥ずかしそうに笑って彼女は言った。

 

「またね。ありがとうね。ヴィッターヴァイツ」

「……フン。もう修業の傷だらけで来るなよ」

 

 こっちも恥ずかしいので口に出しては言えないが、できることならば、こいつには辛いことがあった分、最上の幸せを歩んで欲しいものだ。そう強く願う。

 

 

 そして、修業を再開した翌日とその翌日。

 イルファンニーナは来なかった。

 二日連続で来ないことは初めてだった。

 

「それで良い。それで良いのだ」

 

 彼女は来なかったが、寂しい気分はなかった。むしろ清々しい気分だった。

 黙々と修業に打ち込む静かな時間は、久々に心から充実したものだった。

 

 ……ただ一つ難があるとすれば、飯の当てがなくなってしまうことだが。

 

 翌日。さらに翌日。

 イルファンニーナは来なかった。

 そんなものか。今頃は新しい生活を楽しんでいるところか。

 ただ四日となると、痩せ我慢も辛くなる頃だ。

 体の良いことを言い残して去った手前、餓えて死ぬというのはあまりに格好が付かん。

 

「やむを得ん。少しばかり顔を覗いてやるとするか」

 

 小娘の足であれば一刻よりもかかるところだが、オレの足ならば、衝撃派が発生しないよう注意を払ってもほんの数分で村まで行けた。

 

「ほう。何やら騒がしいな。祭りでもしているのか」

 

 村は盛況だった。

 とりわけ大きな音が聞こえてくるのは、村の憩いの場として新しく作った石造りの広場だ。村の景観に合うよう、イルファンニーナと知恵を合わせてデザインしたものだ。

 住民どもは儀式的な剣を持ち、中心に掲げた何かを取り囲むようにして踊り続けている。

 

 フェバルの優れた視力は、その何かの正体を捉えた。見てはならぬものを見てしまった。

 

 

 全身磔にされ、血を抜かれ。ただでさえ白かった素肌は蒼白となり。

 

 

 口元を糸できつく縫い付けられて。

 

 

「笑顔」にされた彼女が、事切れていた。

 

 

「おい……どういうことだ……」

 

 目の前の光景が、ただただ信じられなかった。

 

「貴様ら……何をした……」

 

 オレの姿に気付いたとき、住民どもは一様に目を輝かせた。満面の笑みを湛え、敬愛する素振りを見せた。

 

「ヴィッターヴァイツ様だ!」「ヴィッターヴァイツ様が来られた!」

 

 口々に歓迎の言葉なぞ述べて。

 誰一人として自らの行為に疑いを持たぬ。本当に素晴らしいことをしているのだと心から思っているに違いなかった。

 おぞましい。吐きそうだ。

 

「何をしたと言っているのだッ!」

 

 怒りが沸騰した。

 よくもイルファンニーナを。

 許さん!

 返答次第では皆殺しにしてくれる!

 

 村長が歩み出てきた。彼はニコニコと不気味に笑っていた。

 

「これはヴィッターヴァイツ様が望まれたことですので」

「なんだと!?」

「我々にとって最上の喜びとは、神の供物として捧げられることなのです」

「ふざけるなッ! オレがいつそんなことを――」

 

 はたと気付き、愕然とする。

 

「そんな、ことを……」

 

 そうだ。

 確かにオレは願っていたのだ。彼女に「最上の幸せ」と、願っていたのだ。

 

 この古臭い村に生贄の風習が残っているのは知っていた。

 こいつらにとって、最上の幸せがそんなことなのだとしたら。

 

 いいや。違う。あり得ない!

 オレはこいつらに命令などしていない! 人に【支配】を使ったことなどない!

 

 住民どもには、オレの怒りの原因が皆目わからないようだった。寒気がした。

 

「何かいけないことをしましたでしょうか」

「黙れ!」

 

「「はい」」

 

 すると、村長だけではない。

 皆が一様に頷き、押し黙ったではないか。まるで機械のごとく従順に。

 

 これではまるで、オレが【支配】を人に向かって――。

 

 ――まさか。まさかそんなことが。

 

 ある可能性に思い至る。どうしようもない真実に。

 

【支配】の真の効力とは――。

 

 たとえオレが明示的に使用していなかったとしても、強く望んだだけのことが――。

 

「馬鹿な……」

 

 混乱と衝撃で立ちつくす中、無数の瞳が感情なく、そして容赦なくオレを射抜いていた。

 これは貴様の命令なのだと。

【支配】は勝手な気を利かせて、実に恐ろしい命令を遂行していたのだ!

 

「あ、ああ……」

 

 おかしいとは思っていたのだ。

 なぜ今まで誰もオレを恐れる者がいなかったのか。

 なぜ都合良く皆が歓迎したのか。

 

 そうだったのか。

 

 誰一人。誰一人として。

 

 フェバルになったあの日から。

 

 

 オレは最初から、人間など相手にしていなかったのだ。

 

 

 誰もかも。只人は皆、無意識の【支配】の下にあったのだ。

 

 オレが望めば、その通りに人は動いていたのだ……!

 

「ふざけるな」

 

【支配】の下、真の自由意志など存在せず。

 

「ふざけるなよ……」

 

 あらゆる人間関係は、【支配】によって形造られていたなどと。

 

 そんなことが、あってたまるものかッ!

 

「ならば」

 

 壊れかけた思考は、激しい怒りのままに。混乱のままに。

 否定してくれと、縋るかのように。最後の確認をするかのように。

 オレの口から残酷な命令を紡ぎ出す。

 

「貴様らは――オレが死ねと言えば死ぬのか」

 

「「はい」」

 

 住民どもは、操り人形のごとく肯定した。

 

 そして手にしていた剣で――一斉に子たちの首を刎ね、自らの首を刎ねた。

 

 幾多の首が宙を舞い、人だったものの胴体から紅い血潮が噴き出す。

 地を真っ赤に染め上げていく。

 

 心ここにあらず。自らの手で招いた凄惨なる光景を、最後の答え合わせを、ただ茫然自失と見つめていた。

 

 やがて。どれほどそうしていたのか。

 

 誰一人生ける者のなくなった血溜まりの中心で、磔にされた彼女だけが、無理やりに形作られた笑みを張り付けている。

 おぼつかない足取りで彼女の下へ向かう。変わり果てた彼女を、それでも少しでも目に焼き付けておきたかった。

 

「すまなかった」

 

 それだけしか言えなかった。

 オレも随分永く生きてきた。人の死と向きあったことは少なくない。無残な死体を見たことも、少なくはない。

 だが不幸な身の上の彼女を、さらに悲惨な結末に追いやってしまうなど。最低だ。最低にもほどがある。

 

「すまない」

 

 オレはこんなどうしようもない人間だというのに、貴様はいつも良くしてくれた。

 

 オレのために、ほとんど毎日――。

 

 オレの、ために――。オレの――。

 

 ――――。

 

 おい。待て。

 

 イルファンニーナ。貴様もなのか……?

 

 途端にわからなくなってくる。あらゆることが嘘に思えてくる。

 

 なぜ彼女の善意だけが、そうでないと言い切れるのだ。

 果たしてあれは。今までのことは、本当にこいつの自由意志だったのか?

 オレを好いてくれた。それはこいつ自身の本心からの好意だったのか?

 

 オレは……心のどこかで寂しかったのではないか。いみじくも救いを求めていたのではないか。

 そんな心根が作用して、【支配】が彼女を遣わしたのではないか。

 

 彼女だけではない。

 これまでの親切は。愛は。すべて。

 

 だとすれば。

 

 徹頭徹尾、彼女の運命を弄んだのは、このオレだ……!

 

「おい。イルファンニーナ……」

 

 頼む。違うと言ってくれ。

 

 だが物言わぬ骸となった彼女は、何も答えない。

 

「イルファンニーナ。答えろ。答えてくれ……」

 

 もう一度笑ってくれ。馬鹿な心配をする奴だと笑い飛ばしてくれ!

 

 つい激しく揺さぶってしまったとき。

 ああ、フェバルの力はなんと残酷なのだろうか。

 

 腐りかけていた彼女の首は、馬鹿力によってあっけなく取れてしまった。

 そこらの村人どもと同じように、血だまりにごろりと転がって。

 真っ赤な瞳が、開き切った瞳孔が、オレを無機質に見つめていた。

 

「う、ぐ……!」

 

 視界がにじむ。乾いた口から、血と酸っぱいものが混じった味がした。

 途端に、すべての生首が意識に映った。全員がオレの方を睨んでいる。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーっ!」

 

 オレは慟哭し、自らの手で己の首を刎ねた。

 

 もはや一刻たりとも生きていたくなどなかった。彼女と同じように死んでしまいたかった。

 

 だのに。

 

 無情にも、流れ人は次の世界へと送られるのみだった。

 そしてフェバルの精神修復作用が働いてしまう。

 オレは心の底から狂えない。また首を刎ねようとしても、無意味だと諭す冷静さが既に呼び戻されてしまっている。

 ああ。憎い。フェバルの身の上が憎い。運命が憎い。

 

「なぜだ。なぜ死ねんのだ……。こんな人生など、無意味だ……。あの日からずっと、何の意味などなかったのだ……」

 

 どこへ行っても操り人形ばかりの世界で。そうとも知らず、オレは愚かな道化を演じ続けていた。

 愚かにも人助けなどできると信じていた。人助けに疲れても、人と触れ合うことはできるのだと信じていた。

 彼女たちに心から喜ばれているのだと、無垢な乙女のように信じていた。

 馬鹿だ。馬鹿なことだ……。

 すべては必然。【支配】による当然の帰結だったというのに。

 

 オレが望めば、オレはどんなに強くとも恐ろしくとも、必ず受け入れられる。

 オレが心のどこかで救いを求めれば、善意の誰かが必ず手を差し伸べる。

 男も女も、老いも若いも皆歓迎し、あるいは媚びへつらい。

 さらに女は自ら心の内をさらけ出し、好意を示し、抱かれに来る。

 

 イルファンニーナも……。

 

 っ……。

 

 永き旅の中で一際輝いて見えた彼女ですら。巨大な【支配】という力の流れの上のことでしかない。

 彼女はオレの内なる望みに翻弄され、そしてこの上なく残酷に死んだ。

 

 オレの力が。運命が彼女を殺したのだ!

 

「おお。おおお……!」

 

 ――世界は、残酷だ。

 

 只人はオレたち超越者の都合に振り回され、超越者もまた運命に翻弄され。

 死にたくなるほど素晴らしく完璧で。自由などどこにもない。

 

 そんな人生、何の意味がある。すべてはただ虚しいだけだ……。

 それでもオレは、生き続けなければならない……。

 

「頼む。殺してくれ。死なせてくれ……」

 

 

「大丈夫ですか?」

 

 地に伏せ、涙にくれるオレの目の前に、誰かが現れた。

 顔を上げて声のした方を見やる。

 雰囲気は、彼女に少しばかり似ていた。

 

「辛そうでしたので。良かったら、お話を伺いましょうか?」

「……なぜだ。こんな男、捨て置けばよかろう。なぜだ!」

「なぜでしょう。あなたを見ていたら、何となく放っておけなくて」

「そうか。『何となく』か。くっくっく……はっはっは……」

 

 オレは笑った。これが笑わずにいられようか。

 この期に及んで救いなど求め。また凝りもせず寄越して来るとは!

 

「はっはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは――」

 

 狂ったように。だが到底狂い切ることもできず。

 

 そうしてひとしきり、飽きるまで笑い続けて。

 

 すべてに疲れ切った後――深い絶望だけが心を支配していた。

 

 オレの能力は、どうやらオレ自身さえも支配してしまったようだ。

 

 目の前に女がいる。

 

 オレが笑い続けていた間、逃げもせず、おかしな扱いもせず。甲斐甲斐しくも心配し、寄り沿い続けた素晴らしい女。

 そんな素晴らしく都合の良い女に、オレは問うた。

 

「――なあ、女。教えてくれ。貴様は人間か。それは貴様自身の意志なのか? それとも――ただの操り人形なのか?」



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267「ヴィッターヴァイツの悪夢 4」

 トリグラーブ市立病院でユウと対峙した後、ヴィッターヴァイツは『無限迷宮』の奥で傷を癒していた。

 彼がクリスタルの転移先として指定していた隠れ家であるが、帰還した彼を動揺させたことは、『無限迷宮』はもはや無限ではなかったことである。

 世界崩壊――ミッターフレーション――の煽りを受けて、かの迷宮も無限という神秘性を失っていた。空間は切り取られて、彼の住処は暗闇に浮かぶごく小さな領域に分割されてしまっていた。

 彼が転移したとき、あとほんの二、三歩右にずれていれば、アルトサイドに直接落ちてしまうところであった。

 そしてアニエスが予想していた通り、彼がユウから受けたダメージは大きなものだった。気功を極めた彼の回復力をもってしても、一月以上は絶対安静を強いられたのである。

 

 彼はうなされ、やがて目を覚ました。

 

「ちっ。またあの夢か」

 

 ヴィッターヴァイツは、最近悪夢を見ることが増えていた。

 世界が不安定になっているからか。ユウにあの妙な黒い力で攻撃を受けてしまったせいか。あるいはどちらも原因か。

 

 トリグラーブ市立病院でユウと対峙した後、ヴィッターヴァイツは『無限迷宮』の奥で傷を癒していた。

 彼がクリスタルの転移先として指定していた隠れ家であるが、帰還した彼を動揺させたことは、『無限迷宮』はもはや無限ではなかったことである。

 世界崩壊――ミッターフレーション――の煽りを受けて、かの迷宮も無限という神秘性を失っていた。空間は切り取られて、彼の住処は暗闇に浮かぶごく小さな領域に分割されてしまっていた。

 彼が転移したとき、あとほんの二、三歩右にずれていれば、アルトサイドに直接落ちてしまうところであった。

 そしてアニエスが予想していた通り、彼がユウから受けたダメージは大きなものだった。気功を極めた彼の回復力をもってしても、一月以上は絶対安静を強いられたのである。

 

 彼はうなされ、やがて目を覚ました。

 

「ちっ。またあの夢か」

 

 ヴィッターヴァイツは、最近悪夢を見ることが増えていた。

 世界が不安定になっているからか。ユウにあの妙な黒い力で攻撃を受けてしまったせいか。あるいはどちらも原因か。

 

 アルトサイドの化け物はナイトメアと言ったか。【支配】があるから手懐けられたが、何もせず触れればこちらが危ないかもしれん。

 

 さて。完治とまではいかないが、傷は癒えてきた。

 あまりのんびりしていては、世界がどうなるかわからない。彼もまた、世界が徐々に崩壊へ向かっているのは肌で感じていた。

 

 ユウと決着をつけねばならない。奴もそれを望んでいる。

 

 ユウの能力が何かを彼は知らないが、奴が通常の状態であれば、【支配】を破るものとして機能しているのはもうわかっていた。

 ユウがたいそう大事にしていたあの女。あの女に【支配】が効かなかったとき。

 

「なぜ貴様なのだ。なぜ今さらなのだ」

 

 正直、複雑な気持ちだった。

 どんなに求めてもついぞ得られなかった本物の人間が、そこにいた。ユウの側には当たり前のようにいたのだ。

 もしや嬉しかったのかもしれない。間違いなく、それ以上に妬ましかった。怒りさえあった。

 だから当てつけのように目の前で殺してしまった。大人げないことをしたとは思う。だがそうせずにはいられなかったのだ。

 

 もっと早く出会っていれば、もしや違う道を歩めたのではないか。

 一瞬の脳裏に浮かんだ考えを、彼は馬鹿げたことと振り払った。

 

 もう遅い。すべては今さらのことだ。イルファンニーナたちが戻ってくることは、もうない。

 

「……いいだろう。貴様があくまで人間ごっこを続けるというなら、オレが現実を教えてやろう」

 

 格下と侮るつもりはもうなかった。彼はフェバルとして、全力でユウを迎え撃つつもりである。

 

 もはや余計な策を弄さずとも、奴は来るだろう。

 ただ勝つだけなら方法はいくらでもある。また人質を取ることもできるだろう。

 だがそれでは意味がないのだ。

 正面から力で叩き潰さねば。人のままフェバルに挑もうなどという甘ったれた考えを徹底的に叩きのめし、現実を思い知らせてやらねば意味がない。

 

 もし奴が絶望し、誰よりもフェバルらしいあの黒い力によってこのオレに止めを刺すというのなら――それでも構わない。

 

 彼にとって、これはもはや単なる戦いではない。フェバルの力とそれに抗う人の意志との代理闘争だった。

 そしてユウもまた、同じく理解していた。

 

 立つ側が逆でも、彼らは深いところで分かり合えたのかもしれなかった。

 だが運命は彼らを許さない。宿敵として対峙することは必然だった。

 

 決着のときが近づいていた。



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268「決戦 ユウ & ハル VS ヴィッターヴァイツ 1」

 記憶の回収と聖書の捜索を続けていたある日のこと。

【支配】されたメッセンジャーを通じて、ヴィッターヴァイツの言葉が伝えられた。

 

『ラナソールで待つ。貴様は下らんことを気にするからな。心置きなく戦えるよう、広く無人の大地を選んでやった。気を放っているからすぐにわかるだろう。貴様が貴様なりの意地を貫くならば、人間だけで来るがいい』

 

 果たし状だった。絡め手なしで正面から戦うつもりなのだ。想定していた中で最もありがたい条件だった。

 ラナソールならジルフさんやエーナさんも連れていけるかもしれないけど、この戦いの意味を考えれば、それではいけない。二人には手出ししないようお願いした。

 取り決め通り、人間だけで戦うつもりだ。俺とハルの二人で。

 はっきり言って、この戦いに勝ったからと言って、世界がどうなるというわけではない。

 だが無視するという選択肢はなかった。

 ここで逃げれば、あいつは失望するだろう。みすみす暗躍を許すことになれば活動にも大きな支障が出る。

 何より、俺自身が逃げたくなかった。何の心境の変化か、あいつは堂々と正面から俺の挑戦を受けて立つ気だ。

 あいつも俺との勝負にこだわっている。ここは命をかけてでも挑む価値があると直感している。

 

 ただ、それにハルを付き合わせてしまうことは――いや、今さらだったな。

 

 隣に立つハルに目を向ければ、力強く頷き返してくれた。

 とっくに覚悟ができている。何度も話し合ったもんな。

 一度は死んだ身だ。彼女にとってもヴィッターヴァイツは因縁の相手だった。

 いざとなれば、身を挺しても彼女の命だけは守るつもりだ。

 

 

 ***

 

 

 一同に見送られて、俺とハルは出発することにした。

 ハル自身がここから動くことはないが、向こうでは剣麗ハルが今かとスタンバイしている。

 

 J.C.さんは、憂いを秘めた顔で言った。

 

「私はフェバルだし……歯がゆいけどあなたたちの戦いをしっかり見届けることにするわ。何があってもね」

「はい。やるだけやってみます。アニエスはどうする?」

「あたしはこのレベルの戦いだと、たぶんあっさり殺されちゃうと思うので。でも移動はばっちり任せて下さい!」

 

 アニエスとは相性は悪くないと思うけれど、現状は彼女が事情を明かしたくないのか、そこまで繋がりが強いわけではなかった。《マインドリンカー》の強化倍率が微妙なので、足手まといになってしまうと自己判断したのだろう。

 命がけの死闘に付き合わせることはできない。それに彼女なら、俺にもしものことがあったとしても、この世界のために動いてくれるだろうから。

 

「わかった。送り迎えを頼むよ」

「迎えの方もしっかりさせて下さいね?」

「ああ」

 

 ――さすがに約束はできないけどな。

 

 厳しい戦いになることはわかっている。綿密に準備はしてきた。それでも勝率は半分にも満たないだろう。現実的なレベルまで持ってこれたことがそもそも奇跡的なんだ。

 でも負けたくない。負けるわけにはいかない。

 

「行こう」

「向こうで待ってるからね」

「うん」

「では、行きます」

 

 アニエスが時空魔法で空間に穴をこじ開ける。何度見ても凄まじい魔法だ。

 開いた穴を抜ければ、そこはもうラナソールだった。

 すぐにワープクリスタルでハルが合流してくる。ヴィッターヴァイツの気は――隠すつもりがないな。

 遥か遠くに離れているのに、肌を突き刺すくらいビリビリしている。

 さらにアニエスが転移魔法を用いて、近くまで送り届けてくれた。さすがに視認できる距離は危険ということで、それより少し離れた位置だった。

 

「あたしはここまでです。後はお願いします」

 

 彼女は再び空間に穴を開けて去っていった。

 

 さて、舞台を確認しよう。

 

 見渡す限り起伏の少ない、殺風景な荒野が広がっている。この無味乾燥な感じは見覚えがある。おそらく果ての荒野に当たる場所だ。

 最低でも地平線までの距離は大地が広がっている。世界崩壊の際、切り取られた大地の中でも大きな部分を決戦の舞台に選んだようだ。

 フェバル級が存分に広さを活かせる地形というわけだ。

 

 進んでいくと、ヴィッターヴァイツが仁王立ちして待ち構えていた。見たところとっくに傷は癒えているようだ。

 奴は俺たちの姿を認めると、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「来たか。てっきり一人で来るものだと思っていたがな。貴様にはプライドがないのか?」

「最初はそのつもりだったんだけどな」

「ボクに与えた傷のこと、忘れたとは言わせないよ」

 

 胸を指し示しつつ彼女が進み出て奴を睨みつけると、奴は興味深げに口元を歪めた。

 

「なるほど。あのときの小娘――こちらでの姿というわけか。よもや生きていたとはな。大方姉貴の力なのだろうが」

「人間だけで来いというルールには抵触していないはずだ」

「ボクは――ボクやみんな、そしてユウを傷付けたお前を許さない。戦う資格がなくたって戦わせてもらうよ!」

「くっくっく。認めよう。だがわかっているな? オレは女だからとて容赦はせんぞ」

「わかっているさ」

「そうか」

 

 そこまで言うと、ヴィッターヴァイツは口をへの字に曲げて押し黙った。

 奴の双眸が、品定めするかのようにこちらを見据えている。

 息苦しい静けさだ。奴から溢れ出す生命エネルギーが、バチバチと大気に空音を弾けさせているかのようだった。

 

「なるほど。良い目だ。パワーも相当に上がっている。確かに準備はしてきたようだな」

 

 ヴィッターヴァイツが全身に力を込める。フルパワーの《剛体術》が、奴に分厚い気の鎧を纏わせる。

 

「だが二人でなら勝てると考えているのなら、思い上がりも甚だしい」

「……っ!」

 

 黒い力を使っていたときは感覚が麻痺していたが、やはりこれまでの敵とは比べ物にならない。

 

「人がフェバルに敵うはずもない」

 

 まるで自分自身にも言い聞かせるかのような言葉だった。そして言うだけのことはあるのだ。

 これがラナソール――許容性制限なしでのフェバルの本気か。

 ウィルもレンクスもジルフさんも、今まで全力なんてまるで出してなかったのだと思い知らされる。

 数十万の力を束ねても、それを二人合わせても、まだ届かない。改めて眼前に突きつけられる残酷な事実。

 わかっている。わかっていた。

 それでも俺は。俺たちは。

 

 俺とハルは、一瞬だけ目を合わせて頷き合った。

 俺は左手に気剣を創り出し、ハルは右手に聖剣を構える。

 同時に最強の純粋魔力要素――すなわち星脈に宿る星光素――を纏わせる。

 二つの剣が白い輝きに包まれる。《マインドリンカー》で底上げした力によって付与が可能になったものだ。

 特性上、剣は《剛体術》に相性が良いとは言えない。だがハルとのコンビネーションを優先し、二人がともに戦えるうちは剣主体で攻撃しようと決めていた。

 

「「行くぞ(行くよ)。ヴィッターヴァイツ!」」

「来い。貴様らに絶望を教えてやろう!」



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269「決戦 ユウ & ハル VS ヴィッターヴァイツ 2」

 俺とハルから仕掛けた。

 心を通じ合わせていることを活かし、互いの隙を消すよう同時に剣撃を浴びせかかる。一歩間違えれば同士討ちになりかねない絶妙なコンビネーションで斬りかかっていく。

 だがヴィッターヴァイツは余裕だった。

 両腕に分厚い気のベールを纏わせて、雨あられと飛び交う斬撃のすべてを見切り、余すことなく受け止めている。

 わずかコンマ数秒の攻防で、力の差は目に見える形ではっきりと表れていた。

 かすり傷すら与えられないのか。

 二人同時に相手して、綺麗に捌かれている……!

 

『どうした。こんなものか!』

 

 ヴィッターヴァイツが獰猛な笑みを浮かべ、念話を送り付けてくる。

 

 一瞬の切り返しだった。

 ヴィッターヴァイツの蹴りがハルの腹部に突き刺さる。ハルは錐もみ回転しながら吹っ飛んでいく。

 

『ハル!』

 

 気を取られている場合ではなかった。ヴィッターヴァイツの回し蹴りが既に目前まで迫っている。

 咄嗟にガードするも脇腹へ衝撃が走り、俺もまた吹っ飛んでいく。

 ただやられているわけにはいかない。

 

《パストライヴ》

 

 ショートワープでヴィッターヴァイツの背後を取り、気剣を振り下ろした。

 だが次の瞬間には、唐突に地面が迫り、鼻柱から激突していた。

 痛みが走り、声にならない悲鳴が上がる。

 何をされたのかはすぐに理解した。後頭部を掴まれ、地面に叩きつけられたのだと。

 衝撃で地面が爆砕する。岩礫が幾度も顔を打ち付ける。

 

『ユウくん!』

 

 俺だけに届く心の声で、ハルが叫びながら突っ込んできた。

 魔法剣の煌めきが奴の腕を狙っている。捕まった俺を救い出す気だ。

 しかしヴィッターヴァイツは涼しい表情のまま、片腕だけで彼女の剣を弾いてしまった。

 俺も一緒に仕掛ける。無理な態勢から、強引に奴の胴へ手を押し当てる。

 

《気断掌》――!?

 

 ――壁だ。まるで果てのない壁に打ち付けているかのように手ごたえがない。

 

『気を極めたオレにそんな技は効かんぞ!』

 

 ヴィッターヴァイツの手が離れたと思うと、俺はボールを蹴り出すように弾き飛ばされていた。

 何度も地面をバウンドした後、辛うじて飛び上がり、体勢を立て直す。

 呼吸を忘れていた喉がむせ出す。吐き出されたものは血ではなく、唾液だった。

 なるほど耐久力は上がっている。今までならもうやられていたが、まだ戦えないほどではない。

 だけど、どうやればあいつに攻撃が届くのか。

 

『やっぱり手強いね。わかっていたけど』

 

 いつの間にか横に並び立っていたハルが、こちらを気遣うように目を向けている。

 彼女の言葉に、少しばかり絶望感を覚えていた心を奮い立たせる。隣にハルがいることが、共に戦える者がいることが心強い。

 

『ああ。でも戦えている。あいつが攻撃を防いでいるということは、まともに当たれば通るはずだ』

 

 この事実は重要だ。

 ヴィッターヴァイツが攻撃を防いでいる。奴にとって今の俺たちの攻撃は脅威になり得るレベルに達しているのだ。

 勝率はゼロではない。奴の気力も無限ではない。戦いが進み互いに消耗してくれば、手数の多いこちらにチャンスも増えてくる。

 でもあいつだってそれはわかっているはず。このまま大人しく済むとは……。

 

『今度はこちらからいくぞ』

 

 身構えた俺たちの死線を――ヴィッターヴァイツは容易くすり抜けた。

 

 後ろ――!?

 

 意識ではわかっていても身体が追い付かない。

 俺とハルの頭はわし掴みにされ、バッティングする。

 

「う゛っ!」「あ゛っ!」

 

 追撃で蹴りをもらい、俺たちは揃って宙を舞うことになった。

 攻撃の手が休むことはない。

 奴は既に吹っ飛ぶ方向へ先回りしていた。剛脚が身体を両断するオーラの鋭さをもって、それぞれに繰り出されている。すんでのところで腕を回して威力を殺した。

 腕が痺れる。元よりパワーは向こうが上。殺しきれなかった分は上昇力となって、俺とハルを打ち上げた。

 今度は上か!

 振り向き様に反撃を狙う――視界を真っ白な光が覆っていた。

 極太の光線が撃ち落とされている。

 

 魔力波だと――。あの一瞬で。

 

 それもただの魔力波ではなかった。ヴィッターヴァイツ自身の気を練り込んで、魔気混合の技としている。理を超越するフェバルだから可能な芸当だ。

 

 まずい。ハルが危ない!

 

 俺と違い、彼女は回避用の瞬間移動技を持たないのだ。

 咄嗟に《パストライヴ》で飛び出した俺は、ハルを抱きかかえて再度飛んだ。一瞬、背中に灼けるような痛みが走ったが、気にしてなどいられない。

 

 攻撃範囲から離れた直後、大爆発が起こる。

 

 轟音が耳を劈いて――そして何も聞こえなくなった。どうやら鼓膜が破裂したらしい。

 キノコ雲が巻き上がる。おびただしいほどの土埃が、爆風と共に俺たちを突き刺した。

 そして何も見えなくなる。視覚情報を失えば、生命反応のないハルは有利だが。

 そうは許さんと、ヴィッターヴァイツは己の気を膨れ上がらせ、辺りの土埃をすべてかき消してしまった。

 

『危なかった。助かったよ。ユウくん』

 

 額から血を流したハルが、状態は問題ないと微笑む。

 

『圧倒されてばかりだな。まずは傷の一つでも付けたいところだけど』

『ボクに考えがある』

 

 以心伝心で作戦が伝わる。やってみるか。

 

『ほう。挟み撃ちか』

 

 俺とハルは、ヴィッターヴァイツの前後から再度仕掛けた。

 だがヴィッターヴァイツは戦闘の達人だ。死角からの攻撃も余裕で捌いてくる。

 機を見計らい、ハルは魔剣技の《レイザーストール》を放った。

 当然かわされる。かわした先には俺がいる。

 あわや同士討ちかというところ、

 

《アールレクト》

 

 至近距離で跳ね返した。

 跳ね返した先にはもちろん奴がいる。

 さらに俺から《センクレイズ》と、ハルからダメ押しで《レイザーストール》を追加でお見舞いする。

 二人がかりでダメなら、攻撃を三つにするまでだ。

 さすがの奴もこれには面食らったようで、反応はできてもすべてを避けることはできなかった。

 背後からもらう形になった《レイザーストール》が、奴の肩を浅く抉っていく。

 

 効いている。浅いとはいえ、魔法剣の攻撃は届いたぞ。

 

 これを見て、威力は落ちるものの、あえて『属性変化を加えた』魔法剣主体の攻撃に切り替える。

 やはりヴィッターヴァイツは気への耐性は絶大で、またフェバルゆえ星光素への耐性も高いようだ。反面、魔法に対しての抵抗力はそれほどではない。フェバルと言えど、魔法も気も等しく得意とする者は、俺やウィルなどの例外を除いてはいないのだ。

 反射も駆使して手数を増やす。深追いはせず、かといって片方だけ狙い撃ちされないよう一切攻撃の手は休めない。二人で不足をカバーし合い、ギリギリのところで均衡を保つ。

 俺もハルも消耗を強いられるが、ヴィッターヴァイツにもわずかずつではあるが、着実にダメージが積み重ねられていく。

 

『小賢しいわッ!』

 

 ついに痺れを切らしたヴィッタヴァイツは、気力の消費をものともせず、大技を使った。

 剛腕に纏わりついた気が竜巻のごとく荒れ狂っている。その状態で俺に向かって猛然と迫ってきた。

 

 こいつ。一人ずつ確実に仕留めるつもりか!

 

 実力差か。悲しいことに図体は向こうが二周りも大きいのに、スピードさえ負けている。

 強烈な拳が迫る。

 かすっただけで血肉が弾け飛ぶ気しかしない。防御という選択肢はなかった。

 身をそらせ、紙一枚のところで必死にかわす。

 それは正解だったが、攻撃の脅威から逃れることにはならなかった。

 瞬間、奴の拳に纏わり付いた竜巻が膨れ上がった。かわすので精一杯の俺は、なすすべなく側撃を食らう。

 宙へ弾き出され、恐ろしいことになおも攻撃は持続していた。攻撃が当たった箇所に竜巻が張り付いて、威力の残る限り俺の体を抉ろうと回転を続けている。こうなれば、血肉の削れる痛みに耐えながら、この攻撃の威力が失われるまでは、全気力を防御に回して耐えるしかなくなった。

 

 やられた。仕留めずとも、俺とハルの分断が次善の狙いだったのだ。

 

 一対一の状況を作り上げたヴィッターヴァイツは、この機会を逃さんと全力でハルを潰しにかかる。

 一度は目の前で彼女を殺された悪夢が過ぎる。

 

 ダメだ。もう二度とあんな目に合わせるわけには!

 

 なのに状況は俺に助けることを許さない。

 一瞬でもガードを緩めれば、ひとたまりもなく切り刻まれてしまう。《パストライヴ》を使う余裕がない。

 

 しかし彼女も現実世界の無力な少女ではなかった。剣麗の力と彼女自身の抗う強い意志をもって、致命的な一撃を辛うじて退けている。

 聖剣フォースレイダーもまた、十全に彼女の動きをフォローしていた。刀身に風の魔力を宿して、凶暴な竜巻をいなしている。

 

 やっと奴の攻撃の威力がほんの少し弱まってきた。俺がカバーできるまでにはもう少しかかる。このまま持ちこたえてくれ!

 

 ハルの粘りと執念が通じたのか。奇跡的にも、暴力のわずかな隙を縫った一撃が奴に届いた。

 

 袈裟懸けに斬り付けられたヴィッターヴァイツは、驚愕に目を見開き――膝を付いた。

 

 致命傷には至らなかったようだが、決して小さな傷でないことは明らかだった。

 ここぞとハルが剣に力を込める。ヴィッターヴァイツは立ち上がろうとするも、万全の体勢ではない。防御は間に合わない。

 

 剣が振り下ろされる。

 

 爆発のような衝撃が発生する。

 

 勝負は――決まらなかった。

 

 気を纏わせ、歯を食いしばり――奴は膝を付き左腕しか使えない姿勢でありながらなお、彼女の剣を受け止めていた。

 ハルが上から押すような形になる。力は奴が上でも、体勢の有利が拮抗をもたらしている。

 

 あのヴィッターヴァイツが苦しんでいる。ハルが押している。

 

『お前に踏みにじられた人たちのために! ボク自身の正義と誇りのために! ユウくんのために! この剣にかけて、ボクたちは負けるわけにはいかない!』

『聖剣……人の意思……そんなものが何だと言うのだ! 所詮世の理に比べればごくちっぽけなものに過ぎん。フェバルのパワーとは次元が違うッ!』

『フェバルがなんだ! 強けりゃそんなに偉いのか! 人間を! この世界を! ボクたちを! なめるなあああーーーーーーーーっ!』

 

 ハルが力を尽くして決めにかかる。

 ヴィッターヴァイツが膝を折る。明らかに押し込まれていた。

 

 いけ! いけえええええっ!

 

 とうとう奴の左腕に刃が食い込む。一度食い込んだ刃は離れることなく、そのまま腕を切断する勢いで進み――

 

 ――! まずい!

 

『ハル、気を付け――!』

 

 ハルに注意を促すのと、奴が「防御に回していなかった右腕で」彼女の顔面を殴りつけたのはほとんど同時だった。

 

 ちくしょう。なんて奴だ。

 あいつは全力で抵抗する態度を演じながら、咄嗟の判断で防御を完全に捨てたんだ。肉を切らせても反撃することを優先した。

 

 突然の攻撃に怯み、たたらを踏んでしまうハル。その隙を見逃すヴィッターヴァイツではない。

 一転攻勢をかける。力なくぶら下げた左腕を庇いもせず、右腕ばかりで超速のラッシュを加え始めた。

 怒髪天を衝き、奴の目は真っ赤に血走っている。

 

『とんだ勘違い女だな。力を得ただけの常人である貴様が、このオレに届くと一瞬でも思ったかッ!』

 

 ハルは聖剣を盾にして必死に粘っている。まるで剣は意志を持つかのように、彼女を死の攻撃から守り続けていた。

 ヴィッターヴァイツは刀身の防御の上からでも構わず、万力を込めて執拗に殴り続けている。

 

『何が英雄……何が聖剣だ。下らん。我々の力こそ。鍛え上げた肉体こそが最強の武器なのだ。そんな代物! 我が拳の前に砕けぬものではないッ!』

 

 次第にハルの感情に絶望感が広がっていく。

 

 心の繋がっている俺には、わかってしまった。

 

 実際、剣にひびが入り始めているのだ。

 

 フェバルの力の前には、いかに伝説の剣と言えど、物質の限界がある以上は耐え切れないというのか――!

 

 一度亀裂が入ってしまうと、あとは脆かった。重い一発が入るたびに亀裂は増えていく。もはや余命いくばくもない。

 

 あの剣が壊れる瞬間が最後だ。このままではハルが殺されてしまう!

 

『今度こそ死ねいっ! 二度と復活できぬよう、その剣ごと粉々に消し飛ばしてくれるわッ!』

 

 右腕に竜巻状の気を纏わせ、正面からぶち抜かんと詰め寄る。

 俺が今なお継続ダメージを受け続けている技だ。消耗したハルが喰らえばひとたまりもない。

 

 ――させてたまるか!

 

 奴の攻撃はまだ死んでいないが、傷付くことなんか気にしている場合じゃない。

 

 もう二度とあんな目には遭わせないと。そう心に誓ったんだ!

 

 俺は防御を解除して、気を練り始めた。辛うじて体表に押し留めていた竜巻が、肩の血肉を一瞬で抉り飛ばし、風穴を開ける。

 

「ぐあああ゛あ゛あーーーっ!」

 

 気を失いそうになるほどの壮絶な痛みに耐えながら、瞬間移動を発動させる。

 奴とハルの間に割り込む。

 

《気烈脚》!

 

 間一髪というところで、攻撃に意識を傾けていたヴィッターヴァイツの横っ面を全力で蹴りつけた。

 致命傷となるはずだった攻撃の軸は逸れ、紙一重のところで彼女への直撃は免れた。

 

 だがその余波までは殺し切れるものではない。

 

 凄まじきフェバルの力。的を外した竜巻は至近で爆散し、周囲のあらゆるものを無差別に傷付ける刃となって、大地ごと俺とハルを巻き込んだ。

 

 全身に熱く鋭い痛みが走る。

 

 目の前で、ハルの身を包む鎧が薄紙のように切り刻まれていく。彼女の口からは、真っ赤な鮮血が吐き出されていた。

 ひど過ぎる……! およそ女性が受けていい傷ではない。

 至るところズタズタになるほどの凄惨な傷を受けながら、彼女は錐もみ打って吹き飛んでいく。

 

 しかしそれでもハルは生きていた――聖剣が最後まで身を挺して、彼女をかばったのだ。

 

 だが、辛うじて彼女の命を繋ぎ止めたのと引き換えに――。

 

 聖剣フォースレイダーは――ほとんど柄だけを残して、粉々に砕け散ってしまった。



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270「決戦 ユウ & ハル VS ヴィッターヴァイツ 3」

 ハルは気を失ってしまったようだ。

 あれほどの怪我では無理もない。よく頑張ってくれたよ。

 

 ここからは、俺が。

 

 俺が受けたダメージも相当なものだった。右肩の上は丸ごと削り取られ、全身は切り傷だらけだ。生暖かい血が服に染み出して、粘着質に纏わりついている。

 だがまだ動けないわけじゃない。俺はふらつきながらも立ち上がった。

 

 平坦だった周囲の荒野には無数のクレーター様の大穴が刻まれている。この戦いの凄まじさを物語っていた。

 

 ヴィッターヴァイツは、立ち上がる俺を睨み付けて、嬉々とした表情で言った。

 

「これで残るは満身創痍の貴様だけだ。いよいよもって死が近付いてきたな」

「どうかな。お前だってかなり消耗しているだろう」

「強がりをぬかしおって。立っているだけでも辛かろうに」

 

 さすがに見抜かれているか。だけどお互い様だろう。

 

「俺にはお前の方が強がっているように見えるけどな」

「貴様……心を読んで知った気になるのもいい加減にしろよ……!」

 

 俺はこの戦いで確信を強めた。

 ハルの戦いぶりと覚悟に、こいつは明らかに動揺している。

 あんなにフェバルであることを強調し、彼女を否定しようとしたのはその裏返しだ。

 

 人間ヴィッターヴァイツは、やはりまだ生きている。

 

 ただもう言葉だけでは、悠久の時を絶望に染めて凝り固まった奴の心に届くことはない。ハルがそうしたように、戦いの中で示すしかないのだ。

 

 ……俺もハルも、馬鹿だよな。やっぱり甘いって言われるかな。

 

 そもそも真の意味で殺すことはできない。勝てたところでこの世界への被害が止まるだけで、あとは何も変わらないかもしれないのに。

 この戦いを通じて、こいつの何かに響いてくれと。

 ほんのわずかな――はかない願いと言ってもいい可能性のためだけに、二人して命を懸けているのだから。

 でもわかった。こいつにはきっと、最後の最後までありのまま全力でぶつかってくれた人間はいなかったのだと。それは……あまりにも寂しいことだ。

 

「今からでも遅くはないぞ。フェバルの力を示せ。このオレと満足に戦うには、もはやそうするしかないはずだ」

 

 だから否定する。フェバルと戦った方が気持ちが楽だというお前の逃げを否定する。

 

「言ったはずだ。俺はもうあの力は使わない」

「なぜだ。なぜそこまで意地を張る!」

 

 意地を張っているのはどっちなんだ!

 

「もう俺とお前だけの戦いじゃないからだ。ハルの言う通り――お前に踏みにじられてきた人たちのために。放っておけばこれから踏みにじられていく人たちのために」

 

 そして、己の心を騙し続けるお前のためにも。

 

「俺は繋ぐ者だ。人の想いの代行者だ。人として、お前を止める!」

「そんな想いとやらで、この力の差が覆るものか!」

 

 地を蹴って駆け出す。

 ハルと二人がかりでやっと抑えていた。一人だけで打てる手など限られている。がむしゃらに戦うしかなかった。

 奴もハルに斬られた左腕が使えないとは言え、俺も満身創痍。条件的にも有利とは言えない。

 反撃を避けて浅く打ち込めば剛体に易々と弾かれ、気を乗せた一撃には的確にカウンターを返してくる。

 実力も経験も向こうが上。絶望的な差だ。

 一人になって、ますます勝ち目が薄くなったことを嫌というほど思い知らされる。

 

 いいや。そんなことは、わかっているんだ!

 

 諦めるな。抗え。抗え!

 

 俺にできることは。血肉消し飛び全生命力が失われる最期のその瞬間まで、決してチャンスを諦めないことだ!

 

 打ち込んだ《気断掌》に、合わせられた《剛体術》の拳が激突する。

 力負けした俺の右腕が千切れ飛んだ。構わず飛び上がり、腰のひねりを加えて全力で蹴りをぶつける。

 

『負けて、たまるか!』

 

 一瞬怯んだのを見て、そのまま連続で攻撃を叩き込む。反撃を恐れず、なりふり構わない滅茶苦茶な戦いぶりで、一時的ながら押していく。

 だが奴は冷静に身を守りつつ、反撃の隙を窺っていたのだろう。

 

 さらにダメ押しを加えようと、拳に気を乗せて打ち込もうとしたとき。

 

 貫くような衝撃が走る。全身から急に力が抜け、ショックで視界が暗転しかけた。

 

 

 俺は「ぶら下がって」いた。

 

 

 眼前に顔を突き合わせたヴィッターヴァイツが、勝ち誇った笑みを浮かべている。

 

 

 ――体を何かが。

 

 

 ――ああ。そう、か。拳が肩を貫通しているのか。

 

 

 致命傷かもな。

 

 でも。

 

 

『ま、だ……だ』

 

 

 ――この瞬間を……覚悟していた。待っていたんだ。

 

 お前との距離が最も近づく……この瞬間を……!

 

 魔力銃ハートレイルを『心の世界』から取り出した。そしてこいつの胴に押し当てる。

 一人では使えない魔力も、ラナソールのみんなが補ってくれる。

 

 俺は母さんやユイのように銃を上手くは使えない。

 元は同じ人間のはずなのに、男のままではからっきしだった。

 俺が俺のまま銃を使おうとすると、なぜか無意識に手元が大きくぶれてしまうからだ。まるで無意識に使用を拒んでいるかのように。

 だけど、ここまで密着してしまえば。

 

『この、距離なら……避けられ、ない……!』

 

 ヴィッターヴァイツは驚愕を表したが、もう遅い。

 朦朧とする意識で、数度、引き金を引いた。

 至近から放たれた魔力の弾丸が、奴の胸を貫く。

 ハートレイルは全貫通属性を持つ。こいつの鋼の肉体をもってしても、防ぎ切れるものではない。

 こんな不意打ちは二度とは通じない。一度きりの手。

 

 確実に心臓と肺を撃ち抜いてやった……はずだ……。

 

「き、さまあッ……!」

 

 乱雑に拳が振り払われる。すっぽ抜けた俺は、ボロ雑巾のように地面を転がっていた。

 

 俺……まだ動けるかな。動いてくれよ。

 

 戦いの後、力尽きたって構わない。

 だからあと少し。今この時だけは。

 

 もう少しなんだ。もう少しで届くかもしれないんだ。

 

 ほとんど執念だけで立ち上がる。

 くそ。目がかすんできた。

 だけどヴィッターヴァイツも苦しいだろう。気を張り巡らせて無理やり出血を抑え付けようとしているが、口の端から血が零れている。視界がぼやけているせいではっきりとは見えないけれど、わかる。

 

「ユウ、貴様……。なぜその傷で立ち上がれる!? まだ戦うつもりか!?」

 

 念話も忘れて、ヴィッターヴァイツが取り乱している。

 もはや喋る余力はなかった。ただ拳を構えることで応える。

 

「ぐっ……このくたばりぞこないめ! さっさと死んでしまえッ!」 

 

 怒りを込めたヴィッターヴァイツの拳が迫る。

 当たれば確実に全身が木っ端微塵になる一撃を。当たるはずの一撃を、俺は紙一重でかわした。

 ヴィッターヴァイツは驚いたが、すぐさま切り替えて連続で攻撃を仕掛ける。

 俺はそのすべてを、ギリギリのところでかわし続けていた。

 まるで道理に合わない動きだった。俺の力はもうほとんどゼロ近くまで落ちているのに大地をも砕く速度とパワーを誇るフェバルの攻撃を、すんでのところでしのぎ続けているのだから。

 

「なぜだ! なぜ避けられる!? 今の貴様の状態で、そこまで動けるはずがない! かわせるはずがないッ!」

 

 常軌を逸した出来事に、ヴィッターヴァイツはすっかり混乱していた。

 

 俺にもなぜかはわからない。

 

 ただ――なんとなくわかる気がするんだ。

 

 こいつが何を考えているのか。何をしようとしているのか。

 

 相手の口からどんどん血が零れ出している。こいつも苦しい。限界が近いんだ。

 

 わずかに大降りになった隙を突き、わき腹に一発拳を入れる。

 死にぞこないの一撃。力はほとんど込められなかった。

 だが思いの外に『重かった』のか、ヴィッターヴァイツは硬直した。顔には明らかな苦痛の色が現れていた。

 

「こ、こんな……! こんな馬鹿なことがあるか! 貴様のどこにそんな力が……あの力は明らかに使っていないというのに……!」

 

 ――視える。

 

 お前の動きが。お前の心が。

 

 一気にとどめを刺してやろうと、奴は拳に竜巻状の気を纏わせる。俺とハルが何度も苦しめられた技だ。奴も瀕死に近いのか、威力は相当弱まっているけれど。

 攻撃が届く寸前、俺は奴の懐にもぐりこみ、腹のど真ん中にブローを叩き込んだ。

 奴の膝が崩れかけ、竜巻も掻き消える。

 動揺した奴は、慌てて跳び退いた。肩はわなわなと震え、理解できない事態に恐れすら抱いている。

 

「なんだ! なんなのだッ!? 貴様は! 何者だ……その力は……その目は、一体なんなのだッ!?」

 

 ――視える。

 

 何がお前をそこまで苦しめているのか。

 

『イルファン……ニーナ……』

 

「ユウ……! 貴様……なぜその名を……!?」

 

 ――視える。

 

 深く傷つき、絶望に染まり、濁り切った魂の色が。

 すべてを諦め、それでも心の奥底では救いを求める声が。

 

「やめろ! そんな顔をするんじゃない! 今すぐ心を読むのをやめろッ!」

 

 ヴィッターヴァイツは激高した。接近戦は危険と判断し、魔気混合の光線でケリをつけるつもりだ。

 

 ――あと一撃。あと一撃で届く。

 

 だけど。悔しいな。

 

 そうくるのがわかっていても、かわすことはできない。

 

 既に身体は限界を超えていることもわかっていた。

 

 動かないんだ。もうほとんど。

 

 ヴィッターヴァイツが腕に気力と魔力を集中させていく。

 

 

 ここまでなのか――。

 

 

 だが、光線が打ち出される直前、魔法が奴を直撃した。

 怯んだ奴の動きが止まる。

 

『忘れてもらっちゃ……困るな……。ボクのこと』

 

 その心の声に振り向く力ももうないけれど。

 どんなにひどい姿をしているだろう。ハルも限界を押して、ほとんど気合いだけで立ち上がってきてくれたのだ。

 

『ユウくん! これを!』

 

 何かが飛んでくる。

 

「どいつもこいつも! 邪魔だ! くたばれッ!」

 

 ほぼ同時、ヴィッターヴァイツはターゲットを変えた。

 俺を跡形もなく消し飛ばすはずだった光線は、代わりにハルへ向かって飛んでいく。

 視えていても、かばうために身体を動かすこともできない。

 

『あとは……頼んだよ。ユウくん』

 

 それを最後に、心の反応が途絶える。

 

 頬に暖かい雫が流れてきた。

 

 ――ああ。まただ。君を守ると言ったのに。守られてばかりだ。

 

 彼女が投げたものを受け取る。それは砕けて柄だけになった聖剣だった。

 

 ――剣から想いと力が伝わってくる。

 

 動くことままならず、死にゆくだけだった身体に、あとひとふん張りの活力が湧いてくる。

 

 ハルは残りの力のほとんどをこの剣に込めて、俺に託したのだ。

 聖剣はほのかに光を湛えている。

 こんなになってもまだ戦えると。お前はそう言っているのか。

 

 柄を握りしめ、想いと力を形に変える。

 まるで《センクレイズ》を使ったときのような、いやそれよりも青く輝く刃となって結晶した。

 

 ――あとは、ぶつけるだけだ。

 

 俺はありったけ最後の力を振り絞り、ヴィッターヴァイツに向かって突撃した。

 

 もう何もできない。ただ、前だけを。

 

 ヴィッターヴァイツも迎え撃つ。血反吐を吐きながら、右腕に万力を込めて突き出す。

 

 

 全身全霊をかけた剣と拳が、交差した。

 

 

 

 ――――結局――最後まで勝つことはできなかったか。

 

 

 

 俺の腹部を、ヴィッターヴァイツの拳が貫いている。今度こそ完全に急所だ。

 

 

 だけど……やったよ。ハル……みんな……。

 

 

 同時。ヴィッターヴァイツの胸に深々と突き刺さった剣を視界の端に捉えて。

 

 

 笑って、意識を手放した。



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271「生き死によりも大切なもの」

 視界の果てのさらに向こうまで激闘の痕が広がる荒野で、ヴィッターヴァイツは立ち尽くしていた。

 相手の意識が完全に途絶えると、ガシャンと音を立てて聖剣の柄が落ちた。彼を貫いていた刃は消え失せ、それはもはや何らの光も湛えてはいなかった。

 彼の拳が貫いていたものが引き抜かれる。

 死力を尽くして彼に挑んだ人間――ユウは力なく大地に放り出された。

 全身に傷を負い、右腕は吹き飛び、両肩と腹部には風穴が開いている。到底生命を維持することは不可能な傷だった。

 

 向こうを見やれば、ハルもまた身体中いたるところズタズタに引き裂かれ、さらに半身は彼の光線によって消し飛んでいた。

 

 どうだ。無謀にも人がフェバルに挑んだ結果がこれだ。奇跡的にも互角に近く渡り合ってみせたが、やはり万に一つも勝てるはずがないのだ。当然の結末だった。

 

 ヴィッターヴァイツはそうやって笑い飛ばしてやろうとしたが、だが代わりに出てきたものは――涙だった。

 

「ユウ。貴様……一体何をしてくれやがった!」

 

 彼は自分をそうさせた男を睨んだ。

 

 ――笑っていやがる。今まさに死に行くというのに、なんと安らかな顔をしているものか!

 

 なぜだ。

 ヴィッターヴァイツは、ユウの剣に貫かれたはずの腹部をさする。

 そこにあってしかるべき致命傷がない。あの攻撃で「肉体は」何も傷ついていない。

 皆目わからなかった。

 

 なぜオレの命を絶たなかった。なぜ相打ちにできたはずなのにそうしなかった。なぜ!

 

 人がフェバルに情けをかけるなど!

 

 無性に苛立って仕方がない。八つ当たりにユウを消し飛ばしてしまおうと思った。だが手をかざすも、それ以上は一向に身体が動こうとしなかった。

 まるでこいつに戦う意志を折られてしまったかのように。実際そうなのだろう。

 

 あのとき、ユウはヴィッターヴァイツの肉体を斬ったのではなかった。だが代わりにもっと奥深い大切なものを斬ってしまったに違いないのだ。

 でなければ、なぜこんなことになっているのか。

 

 涙が止まらない。

 

 今まで目を背けてきた色々なことが、これまでしでかしてきた幾多の罪が。絶望に麻痺していたはずの心にありありと思い起こされて、散々に彼を打ちのめすのだ。

 

 もはや一切動く気になれなかった。重力に身を任せるがまま、彼は地に五体を投げ出した。

 幾多の傷に加え、片腕は半ばまで斬られ、心臓と肺は銃に貫かれているのだ。フェバルの生まれ持ったスペックに加え修行を重ねた強靭な肉体なればこそ死なずに済んでいたが、彼自身とっくに限界など超えていたのである。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ヴィッターヴァイツが倒れ込むとまもなく、二人の人間が戦いの舞台へやってきた。

 アニエスとJ.C.である。決着のタイミングを見計らい、駆けつけに来たのだった。

 二人は大慌てでユウとハルを探した。早くしなければ手遅れになってしまう。いやもう手遅れかもしれないとも考えていた。ヴィッターヴァイツが二人を完全消滅させていないことを祈っていた。

 まもなく目当ての二人を見つけると、まだ完全には死に切っていない肉体が残っていることに一安心する。アニエスの時空魔法とJ.C.の【生命帰還】の組み合わせによって、たちまち復活治療してしまった。

 アニエスは気を失っているユウとハルを連れ、落ちていた聖剣の柄を回収してから転移魔法で去っていった。

 

 一人残ったJ.C.は、仰向けに倒れるヴィッターヴァイツの下へ向かった。逃げも隠れもできず、打ちのめされた今なら腹を割って話ができるだろうと考えていた。

 

「姉貴か……」

 

 ヴィッターヴァイツは、己が大の字に倒れる姿を見られるのが情けなくて、顔を背ける。

 さすがに泣いているところを見られるわけにいかない。二人が来たことに気付いてからは無理に涙を止めていた。それが精一杯の抵抗だった。

 そんな彼の心情がよく理解できた彼女は、ただ静かに彼を見つめていた。

 そして穏やかに声をかける。こうして顔を突き合わせるまでは説教の一つでもしようかと思っていたが、打ちひしがれている彼に対してそんな気分にはなれなかった。

 

「随分こっぴどくやられたものね」

「…………」

「強かったでしょう。あの二人」

「……ああ」

 

 ぽつりと漏れた一言から、師弟の会話は始まった。

 

 J.C.の言うのは単純な強さの話ではないと、ヴィッターヴァイツもさすがに理解していた。

 何しろ二人揃いも揃って、何度叩きのめしても、何度力の差を見せ付けても――本当に息絶えるそのときまで、死ぬ物狂いでかかってきたのだ。

 それも捨て鉢の類ではない。どこまでも勝算を追い求めながら、いざというときの覚悟を決めた人間の戦いだった。

 死すら覚悟できたのは、姉貴の能力を考慮に入れてのことだったのかもしれない。だがこのレベルの戦いで敗者が肉体を残すことの方が難しい。彼自身、姉貴の能力は知っているから、奴らが敗北したならば、わざわざ死体を残してやるつもりなどなかった。

 フェバルであるユウは完全には殺せないが、ハルとやらを今度こそ完全に亡き者とし、無謀にも己に挑んだ代償を奴に与えてやるつもりだった。まずそうすることも二人はわかっていたはずだ。

 

 奴ら、死を賭してこのヴィッターヴァイツに――フェバル相手に人のまま、最後まで互角に戦い抜いたのだ。

 

 強かった。恐ろしい敵だった。

 戦いの最中は決して認めるわけにはいかなかったが、今は素直にそう思う。

 

 いつになく殊勝な態度のヴィッターヴァイツに、これならまともに話ができそうだと安心したJ.C.は、ふっと微笑んだ。その微笑みは彼に向けたものというよりも、バカな戦い方をしたあの二人に呆れたものだったが。

 

「ねえヴィット。あの二人ね。本当はもっと上手く、優位に戦えたのよ」

「なんだと……?」

 

 聞き捨てならない言葉だった。互いに死力を尽くした結果だと信じていたから、ショックだった。

 仮に手を抜いてあんな結末になってしまったのならば、許せない。許せるはずがない。

 勝つにしても負けるにしても、この戦いは全力をもってやるのだと、暗黙の了解をしていたのではないか。

 

 だがそれは誤解だった。

 

「ユウは……あの子はその気になれば、『心の世界』に私たちの技を溜め込んでおけたの。それも数回分くらいはね」

 

 J.C.の台詞に、ヴィッターヴァイツははっとする。

 

 レンクスの攻撃、ジルフの剣技、エーナの魔法、それに姉貴の回復能力。いずれも彼をして侮れぬ力だ。

 特に姉貴の力を使われた場合、こちらだけ大怪我した状態で、相手にだけ一方的に全回復されてしまう。

 そうなれば、果たして最後に立っているのはどちらであっただろうか。

 いくら気持ちの上では負けぬと自負があっても、回復がなくてこの結果であることを鑑みるに、現実厳しいのは明らかだった。

 

「どうしてそうしなかったと思う?」

 

 ヴィッターヴァイツにはもうその理由がわかっていた。

 

 だがそれらは――それらはすべて、フェバルの力なのだ。

 

「それはルール違反だから。もしフェバルの力を使って勝てたとしても、それでは意味がないんだ。本当の意味で勝ったことにはならないんだって。ハルちゃんも納得してね。ユウはわざわざフェバルの力を全部投げ捨てて、あなたに挑んだのよ」

「馬鹿な」

「……バカよね。本当に強情よね。二人とも。あんなになるまで……」

 

 J.C.の目からぽろりと涙が零れた。

 あっさり助かったように思えるが、アニエスと自分の二人がいなければ確実に死んでいたのだ。見つけたとき、言葉を失ってしまうほど壮絶な状態だった。

 いや、一度は死んだと言っても過言ではない。息の根は完全に止まっていた。ハルにいたっては二度目だ。

 それをやったのは他ならないヴィッターヴァイツである。彼は罪悪感から、そんな彼女を見ていることができなかった。

 

 ――罪悪感だと。いつの間にそんなものを思い出していたのだ、と疑問に感じながら。

 

 ややあって、落ち着いた彼女が続きを話し始める。二人がいかにして彼に挑んだのかを。

 

 彼を撃ち抜いた魔力銃ハートレイルとやらも使用を躊躇っていた(フェバル由来の武器だからとか。結局あいつの母の形見であり、あくまで人間の使う武器だからということで使うことに決めたらしいが)らしいと聞き、ヴィッターヴァイツはただ呆れるしかなかった。

 だってそうだろう。

 圧倒的弱者なのだ。あらゆる手段を使って当然ではないか。仮にフェバルの技を借り受けて使ったとしても、反則と咎めるほど己の器は小さくないつもりだった。

 

 それを馬鹿正直に。本当に人の力だけを寄せ集めて挑んだというのか!

 あくまで人のままフェバルに勝ってやると。どこまでも真っ直ぐに意志を貫いて!

 

 思わず笑い飛ばしたくなってしまうほど痛快なことだった。してやられたのはまさに自分自身だというのに。

 

「ヴィット。あなた、人間に負けたのよ」

「……ああ。そう、だな」

 

 最後にどちらが立っていたなどという小さな次元の話ではない。

 

「そうだ」

 

 もう一度、噛み締めるように呟いた。

 

 生き死によりも大切なもののために、二人は戦っていたのだ。

 結果命を散らすことになろうとも、二人は人間の尊厳と価値のため敢然と立ち向かい、そして示したのだ。

 

 対してオレは……フェバルとしての自負をへし折られ、心を砕かれ、こうして打ちひしがれている。

 

 ――完敗だ。ぐうの音の出ないほどの完敗だ。

 

 ヴィッターヴァイツは、力なく天を仰いだ。

 負けたというのに、不思議と清々しい気分だった。最後の最後まで人のまま向き合ってくれたことを、心から喜ぶ自分に気付いてしまった。

 

 ――そうだったな。【支配】に呪われてから、久しく忘れていた。

 

 オレは人でありたかったのだ。

 

 もしかしたら、フェバルが人間に負けることを一番望んでいたのは、自分かもしれなかった。



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272「やがてフェバルを超える者 ― Now Yu begins to step beyond FabL ―」

 このままでは死んでもおかしくないからと、本当に致命傷の部分だけについては、ヴィッターヴァイツは最低限の治療だけを施された。彼は一切の施しなど受けたい気分ではなかったが、勝手に死なれては困るのでJ.C.はとにかくそうした。

 ただし、その他多くの怪我についてはそのままにされた。仮に完全回復してしまえば、今度は力関係で生殺与奪をヴィッターヴァイツが握ることになる。いかに義姉弟とは言えど、反目し合っていた関係のままで完全治療できるものではなかった。それ以上に、罰として反省を促す意味もある。

 結果として、彼は節々に激痛が走る身体でろくに動けぬまま、しかし気を失うにはほど足りない絶妙な状態で、一向に側から離れようとしない姉貴と向き合わざるを得なくなった。

 こうなれば、このお節介焼きの追及からはとても逃げ切れるものではない。

 ヴィッターヴァイツは諦観し、嘆息した。

 

 一度話すと素直に覚悟を決めれば、存外すらすら言葉が出てくるものだ。

 別離が長いだけ、互いに積もる話もあった。

 もっとも、数々の星で暴虐の限りを尽くした彼には、とても姉貴には言いよどんでしまうようなえげつないエピソードがあまりに多かったのであるが。

 J.C.がやんわりと追求するも、彼はばつが悪くて口をへの字に曲げ、押し黙るしかなかった。

 彼女はやり切れなかった。取り返しのつくことならば、それで彼が変わるのならば、いくらでも叱り付けもしよう。非難もしよう。

 だが既に終わってしまったことなのだ。義弟をどんなに責めたところで、彼の暴力に翻弄された者たちが帰ってくることはない。

 それに罰ならもう受けている。これ以上なく打ちひしがれた彼の顔。ユウとハルは、ヴィットの心を徹底的に叩きのめしたに違いなかった。

 だから、J.C.はただ尋ねた。

 

「どうしてそんな風になってしまったの?」

 

 ヴィッターヴァイツは、頑として語ろうとはしなかった。

 

 言えるものか。フェバルに救いがないなどと。絶望しかないなどと。貴女とともに鍛えた【支配】がまさに原因であるなどと。

 フェバルでありながら、どこかに救いのあることを信じて気高く旅を続ける貴女に、そんな残酷なことは言えるものか。

 

「答えて。ヴィット。答えなさい!」

 

 命令だった。懐かしい調子だった。かつてはそうして彼女に強いられると、彼はつい従ってしまったものだが。

 だがどうしても答えたくない。

 歯を食いしばり、辛そうに顔を背けるヴィットを見ていると、J.C.は泣きそうになった。ついにまなじりには涙が浮かんでいた。

 

「お願いよ。答えてちょうだい。私じゃ何も助けになれないの? あなたと過ごしたあの日々も、義姉弟の絆までも嘘だったの……?」

 

 どんな悪人になり果ててしまったとしても。彼女にとっては、この広い宇宙でただ一人の義弟なのだ。

 

 ――ああ、クソ。かくも貴女の涙には弱いものか。

 

 オレが絶望させてどうするのか。彼はとうとう観念した。

 

「……絶望しかなかったのだ。フェバルになってから、オレの生は……ほとんどすべて紛い物でしかなかった」

 

 まさかそんなことを思っていたとは、彼女はつゆも知らなかった。

 まだ若い頃、情熱や希望を宿していた彼。素直でないが内には秘めた気高さと優しさを持ち、人や己の未来を信じていた彼。彼女が知っていた彼とはあまりにかけ離れた言葉に、何かがあったのだろうと察してはいてもショックだった。

 それが真に迫る態度であるから、今の彼にとっての真実なのだろう。彼女はあえて口を挟まず、最後まで真摯に聞くことにした。

 

 ヴィッターヴァイツは、絞り出すようにゆっくりと語り始めた。

 

「オレの力は……貴女と別れてから知ったことだがな。無意識に関わるすべての人間を【支配】してしまう。オレから関わろうとせずとも、勝手に向こうからやって来るのだ……次から次へと。都合の良いだけの操り人形が。およそ人とは呼べない代物が」

 

 彼は語る。

 どれほど善いことをしたつもりでも意味がない。連中は一度彼の前に姿を見せれば、まず彼に感謝するようにできている。

 どれほど悪いことをしようと意味がない。連中は彼の期待する役割に従って、形ばかりの非難や悲鳴を繰り返す。

 【支配】を拒絶するためのあらゆる努力は無意味に終わり、決して死ぬことも許されず、何もかもがどうでもよくなったのはいつからだったか。

 刹那的になった。あらゆることが戯れにしか思えなくなった。

 どこへ行っても、彼の目に映るすべての人間が気色悪かった。とても人とは思えない、半自動的なそいつらが。目の前から消えて欲しいのに、次から次へと現れる。

 やがて、まったく人を人とは思わなくなった。人だと思うから辛くなる。こんな奴ら残らず消えてしまえ、死んでしまえと考えてしまう。

【支配】は勝手に気を利かせて、本当にそいつらを殺してしまう。

 そんなことを何度繰り返したか。限界だった。気が狂ってしまったのだろう。

 どうせ【支配】が殺してしまうのだから、この手で【支配】し、殺し、犯し、破壊した。そうしていれば、その瞬間だけは気分がすっきりすることもある。それ以上見たくもないものを見なくて済む。

 極めて刹那的で、動物的な快楽だ。ひどい麻薬もあったものだ。すぐに空しくなるが。

 それに極まれではあるが、捨て鉢に悪目立ちすることを繰り返していれば、隠れ潜んでいたフェバルや異常生命体などが現れて、彼に楯突くこともある。

 皮肉なものだ。それだけが唯一の愉しみだった。唯一生を実感できる瞬間だった。

 彼を打ち倒そうとする者だけが、【支配】されない確固たる意志を持っていた。

 彼を否定する者だけが、彼にとっての『人間』だった。

 

 そこまで聞いて、J.C.は何も言えなくなってしまった。

 フェバルの運命は過酷だ。それは終わらない旅を続ける彼女自身痛感していることだ。

 しかし彼女の力は癒しの力。己の良心に従って行動している限り、行く先々の人との関わりで深刻に悩むことも少ない。

 だがヴィットの【支配】は……比較にならない。人と関わることを心の内では望んでいた彼にとっては、あまりにもむごい呪いではないか。

 そんな恐ろしい呪いであるとは知らず、【支配】の「正しい」使い方を教えたのは他ならぬ彼女自身だ。「正しい」と信じていた。彼女は彼に生き方を示したつもりで、残酷な仕打ちをしてしまっていたのだ。

 そのことを自覚したとき、涙が止まらなかった。ユウやハルに向けたものと同じ種類の涙を、彼にも向けていた。

 

「ごめんね。ヴィット。あなたがそんなことになっているなんて、知らなくて……」

「だから話したくなかった。泣いてくれるな……。貴女のせいではない。これはどうしようもない運命なのだ。運命に負け、悪の限りを尽くしたのは、このどうしようもないオレなのだ……」

 

 許されることではないと、自然とそう考えている自分がいることにヴィッターヴァイツは驚く。やはり何かされてしまったらしい。

 

 だがそこでふと思う。

 本当にどうしようもないものか、と。

 

 ――いや。一つだけ違うと言えることがあった。まさにそれをつい先ほど思い知ったばかりではないか。

 

 ホシミ ユウ。

 奴の心の力とやらは、自身の【支配】に対する完全なカウンターになっていた。

 ハルとかいう女もそうだ。ユウはあれでも立派なフェバルだが、彼女はれっきとした人間ではないか。

 オレは結局、彼女を【支配】するどころか、ついには一度も屈服させることさえできなかったではないか。

 

 ――くっくっく。本当に皮肉なものだな。

 

 己に最後の最後まで抗った者たちが、最も痛快に人間らしさを示してくれたのだから。

 

 まあつまりは、フェバルの呪いも完全ではなかったということだ。

 そのことに、いくらか救われた気分になっている彼自身がいた。

 

 なぜだろうか。今さらになって、なぜ自分はあれほどユウを絶望させることに固執していたのかわからなくなってきた。

 奴に関わる限りは、本物の人間と関われたというのに。あれほど望んでいたことではないのか?

 嫉妬がないとは言えまい。だが全身全霊をかけてまで、奴の身の回りのささやかな平穏を壊しに行かなければならないものだったのか。望んでいたはずのことと、まったく逆のことをしてはいまいか。

 

 そんなことも見えなくなっていたとは。まさに運命の奴隷だな、と彼は自嘲する。

 

 それはともかくとして、目の前でくよくよと後悔を続ける姉貴を見てはいられなかった。

 

「姉貴よ。案ずるな。人はいた。ここにいたのだ。それで十分だ」

「ヴィット……」

 

 J.C.の心は晴れない。

 戦いは終わり、彼は人間の意地を認めた。

 しかし【支配】ある限り、根本的な問題が解決したわけではない。ヴィッターヴァイツもJ.C.も、それは重々わかっていた。

 だが、この先へ続く道が何も変わらぬとしても、【支配】に最後まで屈しない人がいた――その事実があれば、多少はマシな生き方ができるかもしれん。

 今、彼は柄にもなくそう考えていた。ほんの少しだけだが、人間の可能性を信じてみたい気分になっていたのだ。

 そんな気にさせた者。人の想いを繋ぐフェバルだったか。

 

「ホシミ ユウか……。何とも不思議な奴だ」

「そうね……」

「オレは、力では確実に二人を上回っていた。速度でも圧倒していた。負ける要素などない……はずだった」

「私も、正直目を疑ったわ。まさかあなたがね」

「くっくっく。だのに、ハルとやらには押し込まれ、ユウは……奴は死にかけの体で、我が拳を――フェバルの力など、まるでものともせず――フェバルの――」

 

 

 ――――。

 

 

「……姉貴。少し、一人にしてくれないか」

「ヴィット? どうしたの。突然」

「一人にしてくれ……。頼む」

 

 ヴィッターヴァイツの声は、震えていた。

 彼は押し寄せてくる感情の波を、もはや抑えきれそうになかった。

 J.C.はそんな彼の様子を見て察した。頷くと、見守るような目を向けて、そっと離れていった。

 

 そうして一人になると。

 ほとんど意地だけでせき止めていた涙が、再び彼の目から溢れ出した。

 まるで永い時を積み重ねた哀しみを洗い流すかのように。

 滂沱の涙は、留まることを知らない。

 

 なんとなれば。

 

「あの野郎……ふざけやがって。ちくしょう。なんてことをやってくれたのだ……。本当に……ふざけ、やがって……っ……!」

 

 ほとんど掠れて、まともな声にならなかった。

 

 ようやくわかった。あいつが本当は何をしたのか。

 

 

 ――使えなくなっていたのだ。【支配】が。

 

 

 フェバルの力。ほんの少し意識すれば、当人にはわかる「使える」という感覚が、すっかり消え失せていたのだ。

 

 あいつが本当に斬ったもの。

 

 それは荒み切った彼の心の穢れであり、そして何よりも彼を苦しめていた|【支配】(もの)だったのだ。

 

 よりにもよって。ホシミ ユウは。

 奴は、この憎き敵に情けどころか、心底同情すらして、慈悲まで与えていたのだ!

 

 フェバルの心だけを斬る。能力だけを斬る。そんな芸当ができる者が、この宇宙に果たしてどれほどいるというのか。ついぞ聞いたことなどない。

 

 あのとき、瀕死の奴が見せた力は……普通の気などではあり得ない。ほんのわずかな間だけ見せた、あの光と力は――やはり錯覚ではなかった。

 

 フェバルの力であってそうではない何か。フェバルの呪いをも断ち切る想いの力。

 

 ――そうか。そうだったのか。

 

 ただ一人。敵として歴史上初めてその力を身に受けた彼だけが、最も早く真実の一端に辿り着いた。

 

 天を仰ぎ、大の男がみっともなく嗚咽を上げながら、祈りにも似た想いを絞り出した。

 

 ユウ。貴様だったのか……。

 

 どこにもないと。

 

 諦めていたはずの希望が、そこにいた。

 あんな奴が。すぐそこに、いたのだ。

 

 ――そうだ。

 

 あいつこそが、未来への可能性なのだ。

 あいつこそが、ずっと求めていた救いだったのだ。

 

 フェバルでありながら。その気にさえなれば、オレなど一蹴するほどの圧倒的なポテンシャルを持ちながら。

 フェバルの力を呪いだとするならば、おそらくは誰よりも運命に呪われながら。

 あくまで人であることを貫き続け、甘ったれた性根はそのままに。

 これまで出会ったどのフェバルよりもフェバルらしからぬ、どのフェバルよりも優しいあいつは――やがてフェバルを超えていく。

 

 その意志は、その刃は――いつか(【運命】)にも届き得る。

 

 根拠などない。単なる願望でしかないのかもしれない。

 今の奴ではほど遠い。まだ遥かな夢物語でしかない。

 

 ただそれでも、信じてみたい気持ちになった。

 

 いつの日か。フェバルの救世主が現れることを。

 

 ――ああ。そうだとも。

 

 貴様は、不倶戴天の敵であるはずのこのオレの運命すら、すっかり変えてしまったのだから。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……そうか」

「どうしたの? 急に。何だかすごく嬉しそうだね」

 

 ほんのわずか口元を緩めた『ユウ』の心情に目敏く気付いたユイは、彼ににこりと微笑みかけた。

 

「いや。何でもないさ」

 

 穏やかに闇の向こうを見上げて、『ユウ』は頷いた。

 

 ――そうか。それがお前の答えか。

 

 なら――それで良い。

 

 お前は、それで良い。

 

 

 ……この世界の彼もユウも、当人たちは決して最後まで知ることはないだろう。

 

 

『ユウ』だけが知っている。

 

 二人は必ず敵対し、殺し合う運命にあった。

『星海 ユウ』は、いかなるときも例外なく、常に『ヴィッターヴァイツ』を打ち滅ぼしてきた。すべてを滅ぼす黒い力をもって。

 最初の頃こそ憎しみしか抱かなかったが、やがて『ユウ』も奴の事情を理解した。

 あの星での出来事は『ユウ』も知っている。所詮は奴も【運命】に翻弄された哀れな存在に過ぎないのだと知った。

 今はもう当時ほど憎んではいない。

 だが、説得に意味がないことも知っていた。

 手遅れなのだ。事情を話したところで、奴が止まることは決してない。

 奴は滅ぼすことでしか止められない存在だった。奴が『ユウ』と対峙するとき、いつも人としての彼は既に死んでいた。

 そうなってしまっている以上、『ユウ』に慈悲などあり得ない。

 もちろんあのときのことを決して忘れはしない。幾星霜を経ようとも、決して許すはずがない。

 奴個人の事情によって、それとは無関係の者たちの命を無意味に弄ぶことは、絶対に正当化されないのだ。

 ……たとえ意味があったとしても……許されることではないのにだ。

 

 だから、殺した。殺し続けてきた。

 

 だが――。

 

 自分が入れた小さな楔。

 そこから、星海 ユナは幾多の異世界を旅して、J.C.の命を助けた。また、星海 ユイが生まれるきっかけを与えた。

 救われたJ.C.は、ヴィッターヴァイツに人の生き方を教えた。

 おそらくは。そのことがほんの少しだけ、彼に人としての部分を残したのだろう。

 生まれた星海 ユイは、目の前のこの健気な女は、星海 ユウの心を守った。それが星海 ユウの生き方を、あり方を変えた。

 

 他にも色々な要因があるだろう。

 一つ一つは、宇宙全体のことに比べれば取るに取らない、ほんの小さなずれだ。

 だが、そうした様々な要因が折り重なって。

 

 二人の運命は、確かに大きく変わったのだ。

 

 ……今はまだ小さな芽に過ぎない。

 

 未だ本人も気付いてはいない。まだ真髄に届いてはいない。

 限界を超えた戦いの最中、無意識に、無我夢中で放っただけの、わずかな光。

 たった一度だけ起こした奇跡。

 だが確かに。

 それは、殺すだけしか能のない『彼』にはできないことだった。『彼』には決して見ることのできなかった可能性が、ここにある。

 

 この日、このとき。

 

 星海 ユウは、まだ『誰』も到達していない地点へ、ついに最初の一歩を踏み出したのだ。

 

 

 ……もしかしたら、今なら届くかもしれないな。

 

 

 今となっては野暮かもしれないが。

『ユウ』は、打ちひしがれるかつての仇敵に向けて、ある記憶を飛ばした。

 自分もついに、あいつの甘さに絆されたかと思いながら。

 

 それは遠い昔、とある星の記憶。

 

 イルファンニーナは、大地の豊饒を司る異常生命体だった。彼女の存在が、不毛の大地に実りをもたらし、村人の暮らしを可能にしていた。

 ゆえに彼女は、はじめから【支配】の下にはない。「異常」生命体に、「正常」たるフェバルの力は及ばない。

 すべての行動は、確固たる彼女の意志によって行われたものだ。

 彼女は、【運命】に殺された。【運命】は、『そこから逸脱する可能性』をほんのわずかにでも持つ「異常」生命体の存在を決して許さない。

 【運命】の奴隷であるフェバルが彼女らを観測したとき、触れ合ったとき、彼女らの死の【運命】は確定する。

 それが、『彼』がどんなに足掻いても覆すことのできなかった、絶対の理なのだ……。

 だから、あれは決して彼の罪などではない。

 出会ってしまった。不幸な事故に過ぎない。

 

 彼女は、【運命】に殺された。

 

 ……だけどな。見てみろよ。

 

 なあ。見えるか。ヴィッターヴァイツ。今なら見えるだろう?

 

 イルファンニーナは。お前が気まぐれと嘯いて気にかけたあの少女は。

 惨たらしい拷問を受けて命尽きるその瞬間まで、お前に心から感謝していたんだ。

 自分がお前を恨んでいると。そんな不幸な勘違いをしやしないかと、最期まで身を案じていたんだよ。

 

 ……お前は馬鹿だ。どうしようもなく愚かな奴だ。

 

 けどな。あのとき、お前が彼女を救いたいと願ったその心は。その心から出た真の行為は、決して無意味なことではなかったんだ。

 

 誰からも人として扱われていなかった彼女は。すべてを諦めていた。生きながらにして死んでいるようなものだった。

 あのとき確かに存在していたお前の気高き心によって、彼女は人としての意義ある人生を取り戻したんだ。

 

 お前は、彼女の命は救えなかったかもしれない。

 

 だけどな。確かに、一人の少女の魂を救っていたんだよ。



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273「二人が会うためには」

『ユウ』は、ユイを守りながらアルトサイドを歩き続けていた。特にアルの気配には細心の注意を払っているが、未だにしっぽは掴めていない。

 悪しき想念がノイズとなるアルトサイドという世界と、悪意の塊のような存在であるアルとの親和性が高過ぎるのだ。この組み合わせでさえなければ、とっくに見つけ出してケリをつけていたのだが。

 時間を与えてしまったのはまずい。ユイには悟らせないようにしているものの、『ユウ』は内心焦りを覚えていた。

 先んじて黒の気剣で深いダメージを与えてやったものの、オリジナルの残滓に過ぎない今の自分が創り出した黒の気剣は不完全な代物だ。本来回復不可能な傷を与えるものだが、その性質も弱まっている。他の者には無理でも、奴ならば時間をかけて徐々に回復してしまうだろう。

 既に絶対優位な状況とは言い難い。一撃で仕留められない可能性が出てきた以上、直接戦うことは避けるべきかもしれない。

 まず向こうもそう考えており、結果として静かな睨み合いが続いていた。

 というのも、仮に今、『ユウ』とアルが全力で戦えば、アルトサイドごとラナソール、トレヴァークのすべてを吹き飛ばしてしまう恐れが高い。意図せずともそうなるほど、二人の力はあまりにも強い。

 さすがにすべてが綺麗さっぱりなくなってしまえば、アルの完全復活の拠り所はなくなる。『ユウ』としても、ユウやユイの想いを無に帰してしまうことになる。できることならば避けたい。

 互いに妙なところで利害は一致していた。

 それでもアルが復活するくらいならば、最後の手段として、『ユウ』は全力で世界を破壊しにかかるつもりである。

 ユウもユイも、悲しむだろうが。恨むかもしれないが。

 彼は必要ならやる覚悟を持っていた。かつて『世界の破壊者』を担っていた者の責務だ。

 奴もそれはわかっているから、回復してきても自分との直接対決に踏み切れずにいる。だからナイトメアなどを使ってちまちまとしたことをやっている。

 自分さえ隙を見せなければ、少なくとも膠着状態は続く。当面、最悪の事態は避けられる。アルの居場所が掴めない以上、『ユウ』は己を抑止力として考え始めていた。

 とにかく、ようやく育ち始めた希望の芽が摘まれてしまうことだけは。それだけは何としても避けなければならない。

 

『ユウ』が改めて決意を固くしていると、隣のユイが彼に話しかけた。

 

「中々出口が見つからないね。J.C.さんと一緒にいたときは、運が良かったのかな」

「悪いな。たぶん俺のせいだ」

「そうなの?」

 

 人のことは言えない。殺意や悪意を高めて黒の力に到達した彼も、アルトサイドとの親和性は極めて高い。彼の存在そのものが、悪夢の世界を強化する役目を果たしていた。ゆえに彼の周囲では、綻びである穴が生じることはないし、また彼がアニエスのように穴を開けることも「穏便には」不可能である。

 もっとも同じ理屈で、アルの奴も「穏便には」アルトサイドから出られないのが幸いであるが。

 ちなみに彼がヴィッターヴァイツに記憶を飛ばせたのは、ユウが奴の心に道を繋げたのを、既に精神体になった自分には偶然利用できたからに過ぎない。ユウの動向がわかるのも、同じ『ユウ』だからである。

 その辺りは細かく説明することでもないので、『ユウ』は答えずに続けた。

 

「俺が離れればじきに見つかるだろう。だがここで捨て置くのもな」

「それは困っちゃうよ」

 

 ちらりと目線を向ける『ユウ』に曖昧な笑みを返すユイ。理由なくそんなことはしないと彼女にはわかりきっていたので、やり取りも気安いものだった。

 

「ところで、どこへ向かって歩いているの?」

「お前にはそう見えるか」

「だって気持ちや足取りに迷いがないからね」

 

 悪意以外でも心が読める――自分が持っていない力だなと改めてしみじみ思いながら、『ユウ』は頷いた。

 

「そろそろ着くはずだ」

 

 やがて、ある地点で『ユウ』はぴたりと立ち止まった。

 見た目は他の場所とまったく変わらない。闇ばかりであるが、どうやらそこが目的地だったらしい。

 ところが着いたというのに、『ユウ』はじっと虚空を睨み、険しい顔をしている。ユイは気になり、ひょこっと上目遣いで彼の顔を覗き込んだ。

 

「どうしたの? 何があるの?」

「アルの奴め。そう簡単にはいかないか」

「またアルってやつが何かしたの?」

「ああ」

 

 一見わからないが、この地点がトレインの潜む中枢へ繋がっている。『ユウ』はかすかな気配を頼りにこの場所を探し当てたのであるが、既にアルの手によって道が封印されていることがわかった。

 しかも調べてわかったことだが、厄介なことに――ナイトメア=エルゼム――彼が相性の関係で現状唯一倒せないそいつが、封印の要となっている。

 このような絡め手にかけては、奴の【神の手】の右に出るものはない。

 先に探ってやることくらいはできるかとかすかな期待をしていたが、その期待は打ち砕かれた。

 

 ……やはり、ここでも「今回の」ユウに託すしかないか。

 

 ヴィッターヴァイツを止めたあの力ならば、エルゼムを斬ることは可能だ。殺意を力と為し、ただ強引に殺すだけの黒の気剣などよりも深く、本源を断ち切るあの力ならば。

 だが……奴に対して起こした奇跡を、エルゼムに対しても同じように発揮できるかは微妙なところだ。相手がユウにとって因縁深く、絶望の底にいる「人間」だったからこそ、そしてユウが奴を救いたいと心から願ったからこそ、本来以上の力が出せたのだから。

 エルゼムは人外の怪物である。人の心のまったく通じない、単なる化け物だ。そんな相手では、ユウはヴィッターヴァイツを相手にするほどには想いの力を引き出せないだろう。

 つまり、今のままのユウでは、まだアレを倒すことはできない。ユウが持つ想いの力だけでは、というのが正確か。

 しかし可能性がないわけではない。『ユウ』自身も確信があるわけではないが、可能性へのヒントは与えておいた。今のところは順調に進んでいる。

 もしすべてが上手くいき、彼の想定している方法でユウがエルゼムを倒すことができれば、中枢への道は開くだろう。

 そこに何があるか。トレインがどうなっているのか。

 どうすればこの『事態』は収束へ向かうのか。

『ユウ』には既にそこまで予想が付いているが……。

 

 ――まあ俺にできることは、精々お膳立てくらいだな。

 

 自分を気にかけるユイの優しい顔を見つめて、『ユウ』は表情から険しさを緩めた。

 既に舞台を降りたはずの身。主役は最後まで二人に任せるとしよう。

 

 ――たとえこいつらがどんな決断を下すことになるとしても。

 

『ユウ』はこの場所についてユイに軽く説明し、ここで待機すると伝えた。彼女を目印として使う旨を話すと微妙な顔を浮かべていたが、ユウとの再会の可能性を告げると納得した。

 もう一つ、彼には確信できたことがあった。

 ユイとユウの繋がりが切れている。このことにも間違いなくアルが関わっていると。

 最も繋がりが深いはずの二人が互いを認識できず、そうでもない自分がユウを感じられるのはおかしいからだ。アルは他のことよりも優先して二人を引き合わせないようにしている。

 どういうわけか、アルは彼女を異様に恐れている。下手をすれば自分よりも警戒している。繰り返しの中で初めて彼女が現れたからか――それとも自分がまだ知らないそれ以上のことがあるのか。

 ともかく、エルゼムが要害の要であることは間違いない。どうにかして倒せたならば、そのときにはユイとユウは互いを認識できるようになるだろう。

 二人を無事にくっつけなければならない。もし彼女が失われてしまうことがあれば、未来への可能性は閉ざされてしまう。アルの妨害の本気ぶりから、『ユウ』にはそんな気がしていた。



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274「闇に臨む者たち」

 やや間を置いて、ヴィッターヴァイツのところにJ.C.が戻ってきたとき、彼はすっかり憑き物が落ちたような顔をしていた。

 彼女が知っていた昔の彼が戻ってきたようだった。理由まではわからなかったが、もう大丈夫だろうと判断した。彼女はヴィットを回復することにした。

 立ち上がったヴィッターヴァイツは、神妙な面持ちで破れた空の向こう側を見つめた。そこには深淵の闇が広がっている。

 アルトサイド――悪夢の領域。

 イルファンニーナの記憶を得た彼は――【運命】にもがき苦しみ続け、ユウの奇跡の力に救われた彼は、薄々ながらことの真相に辿り着きつつあった。

 彼に記憶を送った者の存在。どうやら彼とともにいるらしいユウの姉。

 記憶が繋がった瞬間、ヴィッターヴァイツにはどういうわけか二人の位置を知覚することができた。

 

 そして、何がイルファンニーナを殺したのか。何が彼を苦しめてきたのか。

 

 未だ影すら見せない――【運命】を操る真の敵が存在するらしいことを。

 

 そいつに知らぬまま翻弄され、絶望の底に叩き落とされ、良いように操られていた己の不甲斐なさに、彼はようやく気付いたのだった。

 ならば。オレのすべきことは。

 

「……ホシミ ユウが目覚めたら伝えてくれ。オレにはやることができたと」

「どうするつもり?」

「アルトサイドへ行く。決して悪いようにはせんと誓おう」

 

 知らねばならない。聞き出さねばならない。

 この世の真実を。そして。

 

「後で詳しく話してもらうわよ」

「ああ」

 

 J.C.は殊勝な態度の彼を見て、信じて送り出すことにした。彼女は、彼が口にするのを恥ずかしがり、黙ってすべきことをするときの様子を思い出していた。今のヴィットの姿はそれと重なった。だから信じられた。

 ヴィッターヴァイツは、そんな姉心を知ってか知らずか、彼女に背を向けると、闇へ向かって飛び込んでいった。

 

 何をしに行ったのかは後で話すつもりだったが、なぜそうしようと思ったのかはずっと胸に秘めておこうと彼は思った。

 言えるはずがなかろう。つい先ほどまで殺し合っていた相手を、希望だと思ってしまったなどと。希望を守らねばと思ってしまったなどとは。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ナイトメア=エルゼムとウィル、レンクスとの戦いは長い膠着状態に陥っていた。約二ヶ月もぶっ通しで戦い続けている二人には、さすがに疲労が見え隠れしている。

 戦いが進むうち、二人はエルゼムの動きを完全に見切っていた。既に「一回の戦い」において、二人がそれを脅威に感じる要素はない。

 光の魔力を纏ったレンクスの蹴りが、エルゼムを砕く。エルゼムの「一回分」の命が失われた。

 

『ぜえ……ぜえ……。これで何回目だ? 1万から先は数えるのも面倒になっちまった』

『10万とんで4072回というところだな』

 

 ユウと同じ完全記憶能力を持つウィルが、さらりと答える。

 

『ほんとに言うなよ……。気が滅入ってくるだろうが』

『僕もさすがにうんざりしてきたところだ』

 

 ウィルが完全に同意して頷く。正確な回数がわかってしまうだけに、人一倍しんどいかもしれなかった。

 二ヶ月も一緒に戦っていると、互いに軽口を叩けるくらいにはなっていた。会話くらいはしないと本当に気が滅入って仕方がない状況であり環境というのもあるが。

 直後、ほんのわずかだけ闇の気配を薄めて、エルゼムは完全復活する。

 10万4073回目の戦いが始まる。

 さらに厄介なことがあった。

 次第に進む世界の崩壊によって強まる闇が、せっかくエルゼムを倒した分のダメージを補填してしまっていることに途中で二人は気付いた。いつか終わるという希望も既にない。

 エルゼムの無限の耐久力に対して、二人はいくらフェバルと言えども体力は有限である。まだまだ負ける要素はないが、根競べも永遠にできるわけではない。少しずつだが、動きに精彩を欠いてきている自覚が二人にはあった。

 しかも負けないとしても、決着を見る前に世界崩壊によるタイムアップを迎える可能性が高い。総合的に考えると、情勢は苦しいと言わざるを得ない。

 エルゼムが闇から手下のナイトメアを大量に召喚する。地平を埋め尽くす億の軍勢が、奇妙な叫び声を上げて二人に襲い掛かる。

 

「おいおい。またそれかよ」

「芸のない奴め」

 

 フェバルからすれば雑魚でも、現地人にとっては厄介極まりない。

 こいつをアルトサイドに張り付けておくことは面倒でも重要な仕事であると、二人は正しく理解していた。

 

『いくぞ』

『僕に命令するな』

 

 二つの光が、瞬く間に闇の軍勢を溶かしていく。

 エルゼムに一つの死を与え、そしてそれはまた蘇る。

 いたちごっこはまだまだ続きそうだった。



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275「ますます迫るタイムリミット」

 俺が目を覚ましたとき、すぐ目の前に赤髪の少女の姿が映った。アニエスはほっとした顔をしている。

 俺は助かったみたいだ。けどそれよりも。

 

「アニエス。ハルは……?」

 

 命を賭して挑んだヴィッターヴァイツとの戦い。最悪の事態も覚悟はしていた。

 J.C.さんの能力を最後の頼りにはしていた。最悪身体の一部だけでも残すようにという作戦だった。

 けど奮闘むなしく、もしハルが完全に消し飛ばされてしまったなら……。

 心配をよそに、アニエスはピッと親指を立てた。

 

「ユウくん。ボクは無事だよ」

 

 今一番聞きたかった声が横から飛んでくる。顔をそちらへ向けると、ハルの笑顔があった。

 先に目覚めていたらしい。彼女はすぐ側、アニエスの隣まで歩み寄ってくる。

 

「ああ。よかった……」

 

 心の声が聞こえなくなったから、本当にダメかと思ったよ。

 

「避けきれなかったけれど、どうにか気合でね」

 

 グッと握り拳を作るハル。

 

「身体が半分吹き飛んでたので、危ないとこでした」

 

 アニエスがさらっと怖いことを言う。やっぱりただでは済まなかったんだな。

 でも助かったのなら笑い話で終わる。本当によかった。

 

「あはは。この世界で二回も死んで生き返ったのなんて、ボクくらいのものだね」

「ごめんな。守ろうとしたけど、身体が動かなくて。ほんとに情けない」

「いいんだよ。ボクも最初から覚悟は決めてたんだから。最後まで一緒に戦えて嬉しかった」

 

 満足気にそう言うと、俺の肩を軽く叩いて、

 

「それに、キミはちゃんと自分の仕事をやってくれたんだろう?」

 

 と、ウインクする。

 

「そうだな。きっと届いたはずだ」

 

 無我夢中だった。

 あのときの「視える」感覚は何だったのだろう。今となってはその感覚もわからないけれど。

 けど、俺たちの想いは――俺の願いは、確かにあいつの心に届いたはずだ。その手応えだけは掴んでいる。

 

「あたし、J.C.さん呼んで来ますね。ユウくんと話したがっていたので」

 

 アニエスはJ.C.さんを呼びに部屋を出ていく。

 残ったハルと、俺が気を失っていた間の状況について話し合った。

 他に人はいない。リクたちは相変わらず頑張ってくれているようだった。

 

「そうか。俺は5日も眠っていたのか」

「ボクは1日で目が覚めたんだけど、ユウくんは消耗が大きかったみたいだね。J.C.さんやアニエスさんの力だと、肉体は回復できても、消耗した心の力までは回復できないみたいだから。回復に時間がかかるんじゃないかって、そう言ってたよ」

「いよいよ時間がなくなってきたな……」

 

 わかっていたことだが、焦燥感は募る。

 

 ダイラー星系列による星消滅兵器の到着――タイムリミットまであと25日。

 

 だが想定よりも崩壊の速度がどんどん上がっているらしい。最悪かつ急を要する場合、即断的対応を取ることになるかもしれない、とブレイは警告していた。俺が気を失っている間の話だ。

 もはやリミットもあてにならない。いつ突然終わりが来てもおかしくないということだ。

 貴重な時間を費やしてまでヴィッターヴァイツを止めたことが裏目に出やしないか。

 選択に後悔はないが、不安にはなる。

 

 そこに、J.C.さんを連れてアニエスが入ってきた。

 J.C.さんは俺を優しくねぎらってくれた。ヴィットを止めてくれたことを深く感謝もされた。彼が人の心を取り戻したことも教えてくれた。

 よかった。ちゃんと届いていたのか。なら戦った意味もあったな。

 

「それで、ヴィッターヴァイツは今何をやってるんですか?」

「さてね。でもオレのすべきことをするって。悪いようにはしないと言ってたわ」

「そんなの信用できるんですか?」

 

 ヴィッターヴァイツに懐疑的なアニエスは、素直に疑念を口にした。

 

「証拠はないわ。でも……ヴィットのことだから絶対認めないでしょうけど――泣いてたのよ。あの子。だから、もう一度だけ信じてみようと思うの」

「わかりました。俺もJ.C.さんの顔を立てて、信じてみることにします。手ごたえもありましたし」

 

 自分でも正確には何をしたのかよくわかっていない。

 けれど、想いは届いたと思っているから。

 

「ユウくんがそれでいいなら、ボクもそれでいいよ」

 

 ハルが追随して頷く。

 アニエスは感心したような、呆れたような顔だ。

 

「やっぱりユウくんって、底抜けなお人良しですよね。うん」

「そうかな」

 

 一同うんうんと頷くので、何だか恥ずかしくなってしまった。

 とりあえず、ヴィッターヴァイツのことは何とかなったみたいだし。

 

「よし。こんなところで寝てる場合じゃないな。記憶を集めに行こうか。アニエス」

「えっ、もうですか?」

「みんな頑張ってるんだ。俺も頑張らないと」

「ユウくん頑張りすぎですよ~」

 

 俺は俺にできることをしよう。

 残る世界の記憶はあとわずか。果たして何が見えてくるのか。



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276「記憶に映らない真実」

 約八千年前。トレヴァークが空前絶後の発展を迎え、一方ではアルトサイドの出現によって緩やかに破滅の足音が近づいていた時代。

 一人の男が、この世界の存在に気付いた。

 彼は因縁の相手である『星海 ユウ』を打ち負かすため、また宇宙の「歪み」を正すために暗躍していた。

『星海 ユウ』と相打ちになる形で、二度と完全回復できないほど深い傷を負った『始まりのフェバル』――アル。

 衰弱していてもなお、彼の力があまりにも絶大であるために。なお、【神の手】は恐ろしく他を隔絶しているがために。

 当時の彼は、直接向かい手を下さずとも、遠く宇宙の彼方より、個々の世界に対して決定的な影響を及ぼすことができた。

 ゆえにユウもアニエスも、当時彼がトレヴァークの破滅に関わっていた事実を知ることはない。世界の記憶を映し出す魔法には、彼は決して映らない。

 

 そもそも彼は、自らが先頭に立つやり方をあまり好まなかった。

【運命】がそうであるように、彼は必然の成り行きを好む。ほとんどの場合、彼ら自身の選択に、【神の手】はほんの少し後押ししてやるだけなのだ。

 それで済む。それで事足りる。

 なぜなら、「異常」は宇宙の総体に比べれば誤差に等しいものであるからだ。「異常」は排除されるものであると定められているからだ。

 そして何よりも――【運命】は全知全能に最も近いものであると、彼は信奉しているからである。

 

 ――そんなあの方でさえ、完全無欠の宇宙など創れなかったというのに。

 

 だから。

 

「何をやっているんだ。こいつらは」

 

 ラナとかいう異常生命体とトレインとかいうフェバルが手を取り合い、世界創造の「女神ごっこ」を繰り広げているのを発見したとき。

 アルは激しい憤りを露わにした。

 

「お前たち如きが。世界を創れるとでも。思い上がりも甚だしい!」

 

 現に崩壊寸前ではないか。いたるところ綻びが生じ、日常的に闇が溢れ出す有り様だ。

 放っておいても遠くない未来、いずれ闇は抑え切れなくなる。世界にナイトメアが溢れたとき、暴走した憎悪と殺意は破壊の限りを尽くすだろう。

 まったく馬鹿な奴らだ。心底救えない者どもよ。

 現実に妥協しないからそうなる。理想への願いによって、無謀にも願いを成そうとした愚かさによって、むざむざトレヴァークは滅びるのだ。

 あの異常生命体は「予定」通り排除され、フェバルは絶望し、星脈に呑まれ逝く。

 

 それがお前たちの、決して逃れられない【運命】だ。

 

 だが……妙だな。

 

 アルは違和感を覚えていた。

 

 ラナは異常生命体である。しかしなぜだろうか。

 トレインというフェバルに観測されているにも関わらず、実に数千年もの間生きながらえているのは。普通ならとっくに滅びていなければおかしい。

 彼は調べるため【神の手】をかざし、すぐに真相を悟った。

 

「……トレインめ。『異常』化している」

 

 極めて稀なケースであるが、異常生命体がフェバルを変質させてしまうことがある。異常生命体の影響を受け、フェバルが「異常」化してしまうのだ。それがラナの手によって起こされている。

「異常」化したトレインでは、【運命】の支配は絶対のものからわずかに弱まってしまう。奴との関わりによってラナが死ぬという「定められた結果」には、直ちには至らないのだ。

 だが信じられない。そう簡単に起こることではない。

 本来ならば、数千万の宇宙が始まりと終わりを繰り返す過程で、ただ一度あるかどうか。それもこんな元々の許容性の低い辺境で生じるようなものでは――。

 

 ――まさか。

 

「僕の力が弱まっているからか! ユウめ……!」

 

 アルは吐き捨て、悔し紛れに歯軋りした。

 彼こそは【運命】の実行者である。君臨すれども二度と顕現することのないあの方に代わり、大域的には宇宙を掌握できても小回りの利かないあの方に代わり、【運命】の力を宇宙の隅々まで行き届けるのは彼の役目だ。

 そんな彼の力が弱まることは、「異常」の局所的発生に繋がる。

 

 間違いない。

 ラナはそうして生まれてきた「今回特有の」イレギュラーだ。

『星海 ユウ』ほどではないにせよ、本来現れるはずのない強力な「異常」個体なのだ。

 

「まずいぞ。少々まずいことになってきた」

 

「今回特有の」異常生命体がラナだけというのは、さすがに希望的観測が過ぎる。

 果たして彼女のような存在が、まだどれほど「今回の」宇宙に生まれてしまったのか。

 とにかく調べ上げ、徹底的に潰さなければならない。

 万が一、彼らの内から第二の『星海 ユウ』が生まれないとも限らない。

 あんな面倒でしつこい奴は一人だけで十分だ。

 

「どうしてくれようか」

 

 ラナもふざけたことをしてくれた。本来生まれるはずのない異常な世界を創り上げた影響は――宇宙の局所的揺らぎの極大化である。

 空間どころか、星脈に穴が開いている。これほどの所業ができてしまう異常生命体は、滅多にいるものではない。

 

 非常に「強力な」個体だ。

 実際、戦闘能力では大したことはないが、アルはそう判断した。

 

 性質が厄介なのだ。

『星海 ユウ』に似た性質を持つ者――心的事象を現実に結び付ける能力の持ち主は。

 理に囚われず、現実を超越する可能性を秘めている。

 

 人との繋がりを完全に断ち切るよう仕向けた『星海 ユウ』は、実はその点についてはまったく恐れるに足らない。

 あいつは単に戦闘能力が高いだけだ。自分がもしいつか負けたとしても、あいつの刃では【運命】には決して届かない。

 だが、彼の前身である『彼女』は……。あの化け物は。

 同じ女の異常者であるというだけで、幾分性質が似ているというだけで。

 ラナに『彼女』の影がちらつき、アルの脳裏には永劫を経ても決して消えないトラウマが蘇ってしまった。

 彼は身震いしながら、恐れを否定する。己に言い聞かせる。

 

「ちっ。あり得ん」

 

 ……あんな化け物。もう二度と現れない。現れてたまるものか。

 

 ――とっくの昔に終わった話だ。考えを戻そう。

 

 トレヴァークの現状。

 普通であれば放置するわけにはいかない。最悪、宇宙そのものが引き裂かれてしまうかもしれないからだ。

 今ここでラナとトレインを始末すれば、穴は塞がるだろう。

 だが。

 アルは熟慮し、首を横に振った。

 

「いや、こいつは保険として使えるかもしれないな」

 

 彼は考え方を柔軟に、方針を切り替えた。

 今までの彼ならそうは考えなかっただろう。だが『奴』にあと一歩のところまで迫られ、現実の可能性として意識せざるを得なくなっていたのだ。

 互いに傷は深い。『星海 ユウ』との決着は近い予感がしている。

 奴も傷が深いから、まだ「この宇宙」には来られていないようだが……追ってくるのも時間の問題だ。奴に妨害されずに動ける機会は限られている。

 あんな奴に負けるつもりは毛頭ないが……既に絶対の勝利が約束されているとは言い切れない情勢だ。

 万が一があったとき、宇宙に開いた穴は復活への布石として使えるかもしれない。

 

 ならば口惜しいが――ここは実利を取ろう。

 

 傲慢にも世界を創造しようとした二人を。決して許されざる二人を、あえて利用する方向に。

 ただ滅ぼすのは容易い。【運命】からは決して逃れられるものではない。多少「ずれた」としてもやがて近い結果には至る。

 

 そのように世界は――宇宙はできている。

 

 だが思い上がったお前たちには、そんなものでは生温い。お前たちに相応しい生き地獄を与えてやろう。

 

 ああそうさ――お前たちは、他ならぬお前たち自身の意志によって、必ずそうするだろうからな。

 

 アルは【神の手】を静かに上げ、ほくそ笑んだ。

 

「なに。僕がしてやるのは、ほんの少しの手助けだけさ」

 

 虚空に向け、パチンと指を打ち鳴らす。

 

 トレインとラナ。二人が心血を注ぎ、辛うじて押し留めていた闇の世界。

 

 はち切れそうになっていた封印は、あっけなく破れた。

 

 トレヴァークの各地に真っ暗な穴が口を開ける。

 そこから這い出ようとしているモノたち。未だ姿形の定まり切らぬそれらは、しかし確固たる殺意を持っていた。

 アルはそれらの各々望むままに形を与える。

 人を噛み砕く牙を。人をすり潰す腕を。人を切り刻む刃を。人を窒息させるガスの身体を。人を闇へ引きずり込む触手を。

 億千万の闇の軍勢が瞬く間に生まれ、一斉に飛び出してきた。

 それらの中心で指揮を執るのは、エルゼムに良く似たのっぺらぼうである。

 特に強力な個体として生み出されたそれは、フェバルであるトレインをも凌ぐ力を持っていた。

 闇から生まれたモノたちへ、アルは感情のこもっていない声で後押しする。命令ですらなかった。

 

「さあ、好きなようにするがいい。闇の異形どもよ」

 

 わざわざ自分が手を下す必要などない。

 お前たちが否定し、押し込めたものによって、夢の世界は終わりを迎える。

 僕に利用されていることなど気付きもせずに。

 緩やかに進むはずだったものを、ただ少しばかり劇的にしてやっただけだ。

 

 それが運命。それが現実。

 

 だが、ラナよ。トレインよ。

 

 どうしようもなく愚かなお前たちは、突然訪れる滅びという現実を果たして受け入れることができるかな。



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277「ラナの記憶 12」

 クレコの初仕事の日から、約20年の月日が経った。

 その間、空間に穴が開くような異常も散発はしたけれど、トレインの協力もあって水際で押さえられている。

 今日はまた久しぶりの地方視察の日だ。いつもの通り、首都フェルノートはトレインに任せて、クレコと一緒にラナ=スチリアに向かう予定である。

 

「ラナ様。出立の準備が整いました」

「今行きますね」

 

 声に応じて彼女のところへ向かう。

 公務姿が板に付いた彼女は、口調こそ固いものの、表情は手馴れた柔らかいものだった。

 

「ふふっ」

「どうしました? 何かおかしいですか?」

「クレコもすっかり貫禄が出てきたわね」

「あーっ! 言いましたね! 最近ちょっとおばさんっぽくなってきちゃったかもって気にしてたのにー!」

 

 あっという間に口調が砕けて、ぷりぷりし出した。

 ついつい口元が緩んでしまう。こういうところは変わらないわね。

 でも、クレコは本当に頼もしくなったわ。

 あれから強くなるって、アカネさんと切磋琢磨してきたみたいで。

 今では二人とも世界トップ級の実力者になっていると聞いた。

 もっとも、クレコは世話係が目立つのはよくないからと影に徹し、アカネさんはあくまで受付のお姉さんであることにこだわった結果、知る人ぞ知るって立ち位置になっているみたいだけれど。

 

「そうそう。信じられます? アカネのやつ、ずーっと見た目若いまんまなんですよー。あんなの詐欺ですよもう」

「冒険者のみんなからお姉さんって慕われているそうですね」

 

 ちゃんと夢を叶えたみたいで何よりですね。だからなれると言ったでしょう?

 

「そうなんです。お姉さんお姉さんって! あーあ羨ましい。変なの。何だかラナ様みたい」

「やっぱり相当特殊な人みたいね」

 

 魂の感じが他とは違うのはわかっていたけれど、いよいよ本格的に特別な人間なのかもしれないわね。

 

「ところで、こちらの方は順調なのですか」

 

 右手で丸を描き、暗に想い人を指して言った。クレコもそろそろ良い年齢ですからね。

 

「いやーあはは。漁ってはいるんですけど、中々お眼鏡にかなう男がいなくて」

「あらまあ」

 

 魔法文明の発達によって、見た目を若く保てる年齢も、安全な出産が可能な年齢の上限も上がっている。晩婚化も進んだ。だからまだ40手前では、そこまで大きな問題ではないのだけれど。

 

「それは大変ね。そのうちお婿さん探してあげなくちゃいけないかしらね」

「いえいえ! そんなことでラナ様のお手を煩わせるわけにはっ!」

「ですが、お友達の幸せを考えるのも大切なことですからね。あなたの代で書記直系の血が途絶えるなんてのも悲しいですし」

「ううー、耳が痛い……。わかりました。今度アカネに良い男でも紹介してもらいます。あいつ、やけに顔が広いので」

「良い報告を楽しみにしていますよ」

「わかりました。素敵な相手見つけて、元気な赤ちゃん生みますので!」

 

 そんな具合に談笑しつつ、お忍び用のワープクリスタルを使って聖地ラナ=スチリアに向かう。

 最近では発音が鈍ってラナ=スティリアと呼ばれることも増えてきたらしい。言葉が変わってしまうほどの長い年月が経ったということだ。

 

「ラナ=スチリアと言えば、何といってもラナ様とご先祖様生誕の地ですよね」

「そうね。懐かしいわね。あの頃はみんな貧しかったから、わたしも農作業に駆り出されてね」

「ひええ。ラナ様が農作業だなんて。そんなことしてた時代があったんですねー」

「ふふ。よくイコには『あんたとろくさいのよー』ってデコピンされてたりしてたわね」

「それはご先祖様が大変失礼をば!」

「いいのいいの。イコだけはいつも対等に接してくれたし、なんだかんだとろい私の分まで手伝ってくれたし。だから、嬉しかったのよ」

「へえー。聞けば聞くほど、ラナ様とご先祖様って仲良しだったんで――」

 

 パキン。

 

「え……?」

 

 突然、何かにひびが入る音がして、私たちは振り返った。

 

 ワープクリスタルが――。

 

 あっという間の出来事だった。私たちが転移に使用したワープクリスタルが、粉々に砕け散ってしまったのだ。

 

「え、え? なんで?」

 

 クレコは戸惑っている。

 私は砕けた破片の一つを拾い上げ、首を傾げた。

 

「どうなっているのかしら。こんなこと初めてですよ」

 

 私とトレインの力を合わせて創ったもの。そもそも壊れるようには設計していない。

 なのにどうして……?

 疑問に頭を悩ませていると、ラナ=スチリア市長が、血相を変えて部屋に飛び込んできた。

 

「ラナ様! 大変なんです! 役所のワープクリスタルが、突然すべて砕けてしまいまして!」

「なんですってー!?」

 

 クレコは仰天し、頭を抱えた。私は努めて冷静に告げる。

 

「すぐに現場へ案内して下さい」

 

 案内されて向かった現場では、確かにすべてのワープクリスタルが跡形もなく砕け散っていた。

 ワープクリスタル自体は、トレインと一緒に作業をすれば直すことはできる。当面の間ワープが使用できなくなるというだけのことだ。

 それだけのことのはずなのに。

 私は妙な胸騒ぎがしてならなかった。

 

 その予感はすぐ現実のものとなる。

 

 今度は若い女性が、真っ青な顔をして役所へなだれ込んできた。

 

「大変です! 何か黒いものが! 妙なものがいっぱい、見えたんです! 地の向こうからっ!」

 

 彼女から伝わるものは、明らかな恐怖の感情だ。

 私は進み出て、彼女をなだめようとした。

 

「落ち着いて。まずは落ち着いて下さい」

 

 だけど、彼女を落ち着ける余裕などなかった。

 あちこちからパニックの声が上がり出したのだ。

 

「なんだあれはーーー!?」

「うわあああああーーー! 化け物の群れだああああーーーー!」

「大群が! 押し寄せてくるぞおおおおおーーーーっ!」

 

 いつの間にか隣に立っていたクレコは、ぎゅっと服の袖を握っていた。

 

「もしかして、あのときの化け物が……?」

「行きましょう。何が起きているのか。この目で確認しなければ」

 

 二人飛び出して、建物の上空へ飛び上がった。今ではクレコも立派な飛行魔法を使うことができる。

 そして目にしたものは――。

 地の果てを埋め尽くすほどの闇の軍勢だった。それらがすべて、この町を目指して進軍している悪夢の光景だった。

 

 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。

 

「あ、ああああ……」

 

 私だけに聞こえる大量の怨嗟の声が、私の心を震え上がらせる。

 

 なぜ。どうして。

 今まで上手く抑えられていたでしょう?

 どうして今なの。なぜこんな突然。これほどたくさんの闇が。

 

 数だけではない。以前とは比較にならないほど、一体一体から感じる闇の力は強かった。どれも人を殺すのに適した姿形をしている。

 冒険者の多いトリグラーブと違って、ラナ=スチリアは魔獣と戦える力を持つ者のほとんどいない町だ。このままではみんな。

 どうしよう。どうしたら――。

 

「ラナ様」

 

 パニックで狼狽えるばかりの私に向かって、クレコは優しい声色で言った。

 けれどもその顔は、覚悟を決めた戦士の顔つきだった。

 

「心配しないで下さい。私がばちっと食い止めてみせますよ」

「ク、レ――」

「大丈夫です。戦うだけなら、私はもうとっくにラナ様よりずっと強いんですよ?」

 

 やめて。行ってはいけない。

 

「ラナ様はここで守りを固めて下さい。そのうちトレイン様が助けに来てくれます」

 

 あまりに多勢に無勢よ。きっと殺されてしまう。

 引き留めなければいけないのに。

 喉がカラカラで、ちっとも声が出てこない。

 

 恐怖に震える私を、クレコはまるで子供に接するかのように優しく抱きしめた。昔ちょうど、私が子供の頃の彼女にそうしていたように。

 彼女の想いが伝わってくる。こんなときのために力を付けて来たのだという自負と、死地へ向かう者の覚悟。

 ああ。どうしてなの。かくも運命は残酷なの。こんな辛い覚悟をさせるために、聖書記になってもらったのではないのに。

 やがて引き離すと、名残惜しそうに数秒だけ私の顔を見つめて、そして背を向けた。

 もう振り返ることはなかった。腰に提げた剣をすらりと抜き、啖呵を切る。

 

「歴代一の聖書記。クレコ。ラナ様に仇なす敵を許しはしません! 推してまいります!」

「クレコ……!」

 

 風を身に纏ったクレコは、滑るように空を駆けていった。

 そのままの勢いで、闇の軍勢に向かって飛び込んでいく。最前列が弾け飛んだのを皮切りに、光と闇の凄まじい激突が始まった。



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278「ラナの記憶 13」

 トリグラーブ冒険者ギルド。ここは世界有数の強者やあらくれ者が集う冒険の最前線基地である!

 一癖も二癖もある連中を取りまとめるには、ギルドスタッフも一流どころが欠かせない。

 そんな優秀なスタッフの中でも、一際存在感を放つ女性が一人。

 普段の一見おどおどした口ぶりとは裏腹に、てきぱきとした仕事ぶり、喧嘩等のトラブルの見事な捌きっぷり、そして時折垣間見せる謎のテンションと実力でもって、ギルドの名物になっている人物がいた。

 燃えるような赤髪を持つ女。アカツキ アカネ。

 単に受付のお姉さんと言えば、この人のことを指す。ザ・受付のお姉さんとは彼女のことである。

 

 いつものごとく騒がしいギルド酒場にも、破滅の足音は容赦なく雪崩れ込んできた。

 ワープクリスタルがすべて砕け散ったのを前触れに。

 

「大変だあーーーーっ! 謎の黒い化けもんがわんさか湧いてきやがった!」

「大群でこっちへ向かってきているぞーーー!」

 

 あまりにも数が多過ぎる。地を埋め尽くすほどのナイトメアが、四方八方からトリグラーブへ押し寄せているのだった。

 ギルド内はひっくり返したような大パニックになった。取り乱し、逃げ出そうとしたり泣き喚く者たちまで現れたところで――。

 

「落ち着きなさいッ!」

 

 一喝。

 

 突然酒場に響き渡った女性の大声に、全員が口を止め、思わず振り向いた。

 受付台帳をマイク代わりに構えたアカネが、仁王立ちで真の姿を解放していた。と言っても、物凄くテンションが上がっているだけなのであるが。

 

「あんたたちは誰なんだあああーーー!?」

 

 ギンギンに響くシャウトに気圧される彼らに、彼女は熱く語る。

 

「冒険者だ! 危険を冒し、死を恐れず、名誉のために戦う勇敢な大馬鹿野郎どもだ! 違うって言うのかーーーー!?」

 

 違わない、そうだそうだという声が上がり出す。

 その返答に満足したお姉さんは、さらにハイテンションで続ける。

 

「今この場から逃げて何になる! それが冒険者たる者のすることですかあああ!? あなたたちの大切な人や、あなたたち自身の誇りは、そんなへっぴり腰で守れるものかッ! 逆に考えてみて! ピンチこそは! 大! 大活躍のチャンスじゃないのッ! あんな変な連中より、冒険者の誇りと魂は劣るっていうのーーー!?」

「「そんなことはない!」」「「やれるぞ!」」

 

 既に恐れの感情は払拭されつつあった。次第に高揚感の生じる場で、お姉さんのエアマイクパフォーマンスは最高潮に達する。

 

「いいですか! あなたたちは何も気にせず、とにかく戦えばいいのよ! まとめ役もサポートも! お姉さんたちに任せなさい! 何を隠そう、当代裏ギルドマスターとは私だったのよ!」

「「な、なんだってー!?」」

 

 衝撃の事実に、一同驚愕した。ごく一部の者は「まあそうだろうな」と静かに頷いていたが。

 現職ギルドマスターのガラなんとかさんは、色々あって結構前、お飾りになって頂いたのである。合掌。

 頃合いと見たアカネは、受付台帳を高らかに突き上げ、宣言する。

 

「今ここに! 裏ギルドマスターの名の下、超S級緊急拠点防衛クエスト『トリグラーブ強襲! 闇の異形ナイトメアを撃退せよ!』を発令します! 名誉も報酬も大判振る舞いよ! もってけ泥棒!」

「「うおおおおおおーーーーっ!」」

「「お姉さんーーーーーー!」」

 

 大喝采が上がる。

 たった少しの言葉で、未曾有の危機を乗り越えるべきクエストに変えてしまった。

 

 意気燃えるギルド内を見渡して、とりあえず第一関門はクリアしたようねと、アカネは内心ほっとため息を吐く。

 ナイトメアの存在を知ってから、彼女はいつかこんな日が来るのではないかと予見していた。

 初めてナイトメアに遭遇してから、裏クエストと称して、信頼のおける冒険者たちと各地の調査に繰り出した。クレコとは何度も同行したものだ。突発的に生じるナイトメアを打ち倒しながら、奴らの性質や強さを調べた。

 冒険者ギルドの強化と冒険者たちの実力の底上げが急務であると判断するのに、そう時間はかからなかった。

 そのためには、ギルドの改革が必須だった。

 うだつの上がらないガラなんとかさんを事実上更迭し、職員には精鋭を揃え、ギルド機能の拡充と冒険者の教育にも心血を注いだ。

 クエストは最適に割り振り、各々の実力が効率良く向上するようにした。

 表向きは受付のお姉さんとして働きながら、裏ではギルドを操り、ここまでの改革を20年で成し遂げたのである。

 そうして揃いに揃えた世界屈指の精鋭たち。士気さえ保つことができれば、そうそう簡単にやられてしまうものではない。

 すべては愛するこのトリグラーブを――この世界を守るために。

 

 でもおかしいわね。アカネは首を傾げた。

 まさかこんなに早く、劇的にとは思っていなかった。予想よりも遥かに数も質も勝っている。ワープクリスタルが同時に使えなくなってしまったことも、あまりにも不自然だ。

 何かとんでもないことが――人為的としか思えない何かが悪意によって引き起こされたのではないか?

 彼女は直感したが、しかし直感を裏付けるものは何もなかった。

 とにかく、今は原因を気にしている場合ではなかった。目の前で起きている事態の対処に走らねばならなかった。

 

 ――クレコ。無事でいなさいよ。こっちはなるべく急いで片付けて、助けに行ってやるからね。

 

 世界のどこかに奮闘しているに違いない、腐れ縁になったライバルの身を案じながら。

 ワープクリスタルなき今、自分が今すぐに助けに向かうことはできない。いや、もし向かうことができたとしても、トリグラーブを守り切るまでには、自分の力が必要不可欠なのだ。

 お姉さんはとても歯痒かった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ナイトメアの性質を共有するため、軽く話し合いを済ませる。光魔法のみが有効であること、直接触れるのは危険であることが伝えられた。

 防衛班と迎撃班の二班に大きく分かれることになった。迎撃班のリーダーは受付のお姉さんが務める。

 さすがの手際で各小班の配置まで済ませた彼女は、残る約半数に目を向けて言った。

 

「こっちはこれで良し。防衛班の方はっと」

「私が引き受けよう」

 

 一見すました外見をした、いぶし銀の男が挙手する。

 

「ほーう。S級冒険者『鋼の鬼拳』アイアック・アークスペインね。オーケー。そっちは任せたわよ!」

「承った。おい野郎ども! 女子供には指一本触れさせんぞ!」

「「応!」」 

 

 実のところ彼はとても面倒見が良く、内に熱い魂を秘めた漢であった。新人教育を最も熱心に行い、彼に心酔する者も数多い。

 このとき組織された防衛班が、後のトリグラーブ自警団『エインアークス』へと繋がっていくのであるが、また別の話である。

 

 街の外は、既に魑魅魍魎どもが跋扈していた。どこまでも果てることなく

 いかに覚悟を決めたと言っても、殺意に満ちた正体不明の怪物を目の当たりにしては、意気も挫かれそうになるというもの。

 皆が中々踏ん切りが付かないところ、受付のお姉さんは先陣を買って出ることにした。ナイトメア何するものぞと、その身をもって示すため。

 

「いくわよ! とりゃあーーーっ!」

 

 お姉さんが気合いを入れると、全身が虹色のオーラに包まれた。

 本人いわく、「鍛えてたらなんか気合いで出ちゃった」謎パワーである。彼女は勢いで進むタイプなので、細かいことはまったく気にしなかった。

 そして、冒険者のお株を奪う超スピードで闇の最前列に飛び込んでいく。

 腰を引き、オーラを乗せた拳を放つ。

 

《お姉さんパンチ》!

 

 渾身のストレートが影にめり込んだ。人に触れるなと言っておきながら、彼女自身は思いっきり触れている。まったくセオリーに反した動きではあったが、自分だけは経験的に大丈夫だと知っていた。

 

 gblgyaaaaaam!

 

 ナイトメアどもはまともな声にならない絶叫を上げて、見事に爆発四散した。

 光魔法ばりに効果てきめんである。

 

 なお衝撃は一体のみに留まらず、拳圧の余波が虹色の渦を描き、闇の軍団を直線状に消し飛ばしていく。後方から歓声が上がる。

 こんなに強かったのかお姉さん。彼女の強さを知っていた一部を除き、みんなもうびっくり仰天である。同時に、いけるかもしれないという希望が湧き上がる。

 当時のアカネは知る由もないことであるが、それは絶望で力を増すナイトメアに対する特効薬であった。希望こそがそれらの脅威を和らげるのだ。

 

「そおいっ!」

 

 アカネの勢いはまだまだ止まらない。きりもみ回転しながら別の集団に突っ込んでいき。

 

《お姉さんキック》!

 

 一・撃・必・殺! の蹴りが、ナイトメアの一体を霧散解消させる。

 やはり余波は凄まじいものがあり、大地に裂傷を作りながら、ナイトメアの一団を消滅させる。

 

「ふっ。今宵のお姉さんシリーズは一味違うわよ」

 

 攻撃の手は休めない。両手に魔力を集中させ、思いっきりぶっ放す。

 

「まだまだもう一発!」

 

《お姉さん双龍波》!

 

 両腕からそれぞれ光の龍が飛び出した。

 双龍はうねりながら大口を開け、数万の軍勢を光の中へ消し去っていく。

 

 これだけ派手にやれば、隙間なく地を覆いつくしていた軍勢にも、所々裂け目が現れた。

 目に見える成果を見せられた手ごたえを得た彼女は、拡声魔法を使い総員に呼びかける。

 

「よっし! 隊列が乱れたわよ! みんな、私に続けーーーーーーっ!」

 

 地を揺るがす雄叫びとともに、士気が最高潮に高まった冒険者たちがナイトメアに襲い掛かる。未だ数の上では遥か劣勢であるが、質と勢いにおいては人間側が凌駕している。

 そんな様子を頼もしげに眺めながら、アカネは肩で大きく息をしていた。

 大技「お姉さんシリーズ」を立て続けに使ったため、さすがに消耗は小さくない。

 

 あえて消耗してまで大技を使った理由。士気を上げることももちろんあるが、

 

「きついわね。こんなの一人で全部なんて相手できないわよ」

 

 やはりクレコのことが気がかりだったのだ。

 クレコも自分と同じくらいの実力は持っている。だから自分が戦ってみた手ごたえで、おおよそのやばさはわかる。

 

 アカネは思った。

 かなりまずいのではないか、と。

 あの大技の連発で、想定よりもずっと仕留められたナイトメアの数は少なかった。いつもの通りにはいかなかったのだ。

 明らかにナイトメアはパワーアップしている。それも遥かに。

 

 こっちはまだ頼もしい冒険者の味方がたくさんいるから、何とかなるかもしれない。

 

 でもあいつは、もしかしたらたった一人でこの軍勢と……。

 

 元々の彼女のプランでは、このような危機的事態があったとき、トリグラーブの冒険者を派遣して対処するつもりだった。ラナさんを守るクレコをサポートするためのギルドや冒険者の強化でもあった。

 しかし現実は……。ワープクリスタルの破壊によって足を断たれ、さらには現状この場を守るだけで手一杯になってしまっている。

 想定より遥かに現実は厳しかった。だが泣き言を言ってなどいられない。

 

 ただ勝つだけでは足りない。なるべく速やかにケリをつけること。

 それが被害を減らすことにもなるし、クレコを助ける可能性にも繋がる。

 

「いつまでも休んじゃいられないわ。とうっ!」

 

 最善最速の勝利のため、アカネは粉骨砕身で戦いを続けた。



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279「ラナの記憶 14」

 トレインの暮らす魔法都市フェルノートにも魔の手は伸びてきていた。

 すべてのワープクリスタルが砕け散った直後、あらゆる角度からナイトメアの軍団が押し寄せる。

 首都を襲う敵の規模は、トリグラーブやラナ=スチリアに差し向けられた軍勢に比べても桁違いである。

 その原因は、軍勢を率いる統率者らしき一体の存在だった。

 

「なんだあいつは!?」

 

 ナイトメアゆえ強さは表面化しないのであるが、リーダーと思しきのっぺらぼうの一体に、トレインは得体の知れないやばさを感じていた。

 

「それにどうなっている」

 

 妙だ。ワープクリスタルが壊れただけではない。こんなときのため、ラナと二人で創り上げた防御システム『ラナの護り手』がまったく発動しないのである。

 

「まずいな」

 

 トレインは危機を感じていた。

 フェルノートにも冒険者はいるが、トリグラーブと比べれば質も数も劣る。戦力に数えるには心許ない。しかも街中がパニックになっている状況のようで、期待はできそうもない。

 トレイン個人の強さと『ラナの護り手』が頼みであったが、後者が使えない以上、己の力を唯一の頼りとするより他はない。

 彼はフェバルではあるが、戦闘タイプではない。【創造】も戦闘にはろくに使えないため、フェバルなら誰でも備わっている高い身体能力だけが武器である。それだけで、異常生命体の力の暴走が生み出した強力な怪物相手にどこまで通用するかは未知数だった。

 

「それでもやるしかない」

 

 トレインは敵を倒す意志を固める。

 ラナの命が危ない。一刻も早く敵を殲滅し、彼女を助けに行かなければ。

 

 雑兵は後でどうにでもなる。まずはのっぺらぼうに狙いを定め、空を飛んで迫る。

 彼には自負があった。いかに相手が正体不明の怪物であろうとも、フェバルがそう遅れを取るはずがないと。

 

 そんな自負を粉々に打ち砕くほど――そのナイトメアは速かった。

 

 何かが自分の脇を通り抜けた――寒気を感じて振り向いたとき、既にのっぺらぼうは彼の背後にいた。

 そいつの右腕は、いつの間にか鋭利な刃物のように変形している。それを目にしたときには。

 

 トレインの右腕は宙を舞っていた。あまりの早業に、痛みを感じる暇さえもなく。

 

 のっぺらぼうのナイトメアは、《命名》こそされていなかったが、エルゼムに準じる実力を持っていた。戦闘タイプ、それもそれなりに実力を持ったフェバルでやっと互角に打ち合えるのだ。非戦闘タイプの彼には、到底手に負える相手ではなかった。

 

 一瞬の出来事に戸惑う彼に、悪意の塊は追撃を加える。

 のっぺらぼうの顔面が大きく裂け、その中央から闇の光線が放たれる。トレインに避ける術はなく、光魔法で防御結界を張るのが精一杯だった。

 だがそんなもので防げるほど甘い攻撃ではなかった。結界の上からでも彼の身体を押し込んでしまうほどに威力は高い。フェルノートから数キロほど離れた岩山に叩き付けられた彼は、なおも持続する闇の光線によって深くまでめり込んでいく。結界もほどなく限界を向かえ、剥がれ落ちる。闇のエネルギーが彼をめった刺しにしていった。

 やがて岩山を貫通したところで、運良く光線の軌道と彼の押し出されるベクトルが逸れた。

 全身裂傷だらけになったトレインは、受身を取ることもできず地面に叩きつけられる。

 咄嗟に結界を張ったおかげで、辛うじて彼は生きていた。もはやとても戦える状態ではなく、意識を保つのがやっとであったが。

 

 のっぺらぼうのナイトメアは、そんな彼を一瞥すると、すっかり興味が失せたように背を向けた。

 

「ま、て……!」

 

 息も絶え絶えな声で引き留めようとするも、怪物が振り向くことはない。

 トレインはトレヴァークの部外者である。ナイトメアを構成する悪夢の要素に、彼自身は入ってはいなかった。

 そしてのっぺらぼうは単純にアルに生み出されただけであり、彼に特定の人物を始末するよう命令されてはいない。

 ゆえに、トレインは憎悪の対象ではなく、単なる障害物と見なされた。障害にならなくなれば、捨て置くだけのこと。

 

 彼に目もくれず、闇の異形が目標にしたものは、もちろん大量の人間どもが住まう魔法都市である。

 刃状にした腕を元に戻すと、のっぺらぼうは高々と手を掲げた。掌の上にブラックホール様の球体が現れ、それはみるみるうちに巨大化していく。

 

「やめ、ろ……!」

 

 人々が。ラナと創り上げたかけがえのないものが――!

 

「やめっ……ろぉ!」

 

 口の端から血を零しながら、トレインは動くことままならぬ身体を起こそうと、必死に足掻く。

 だが、悪意と殺意と憎悪だけに満ちた化け物には一切響かない。

 

 やがて空に影を作るほどに膨らませたそれを――容赦なく放り落とした。

 

 浮遊城に闇の端が触れる。それが始まりだった。

 高い建物の先端から順に、破壊がすべてを包み込んでいく。

 老若男女。ありとあらゆる人間の恐怖と悲鳴が、闇に呑み込まれて消えていく。

 

「あ、あああ……あああああああああああ!」

 

 間もなく、夢と栄華に満ちた魔法都市は。

 

 フェルノートは――そっくり削り取ったような巨大なクレーターを残して、跡形もなく消えた。

 

 まるで最初からそこには何もなかったかのように。

 

 

 カカカカカカカカカカカカカ……!

 

 

 のっぺらぼうは、笑い声のような、嘲り声のような、そんな奇妙な音を高らかと空に打ち鳴らし続けている。

 ややもして、不意に不気味なほど黙り返ると、そいつは空のある方角を睨み付けるように振り向いた。

 

 そして、姿を消した。つられて闇の軍勢も姿を消す。

 

 滅びの静寂だけが残った。一人取り残されたトレインは、涙で顔をぐしゃぐしゃにして打ちひしがれていた。

 

 何もできなかった。留守を任せろと、いつも自信たっぷりに約束しておきながら!

 

「くそ! くそうっ!」

 

 投げやりに拳を叩きつける力さえ残っていない。悔し涙だけが頬を打っていた。

 

 あいつはどこへ行った。次は何をするつもりなんだ。

 

 ……待てよ。まさか。

 

 トレインは気付いてしまう。あの化け物が睨んでいたのは――あの化け物が向かったのは――聖地ラナ=スチリアの方角ではないかと。

 

 自らを生み出した根本。奴らにとって復讐の本丸は誰なのか。そこに至れば、答えは自ずと明らかだった。

 

「ラナ……! ラナあぁぁぁ!」

 

 それだけはさせてなるものか。それだけは!

 彼女だけが僕の希望なんだ。この世の唯一の救いなんだ!

 それを! それをお前たちはッ!

 

 地を這ってでも進もうと、ずたずたに切り裂かれた五体を無理に動かす。

 とっくに限界を超えていた身体は、随所からだらしなく血を垂れ流し続けていた。

 ほんの二、三メートル。執念で進めたのは、それだけだった。

 ついに出血多量が、彼の意識を刈り取ってしまう。

 引きずるように作られた血の川が、彼の無念を物語っていた。



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280「ラナの記憶 15」

 クレコが一人で敵を引き付けるのを心苦しく思いながら、私はなすべきことをする。聖地ラナ=スチリアを護る光の結界を張った。

 ナイトメアを極力通さないようにするための防御であり、人には無害なものだ。クレコが戻ってきたときには、もちろん通れるようにしてある。

 そして数は少ないながら戦える者たちに呼びかけ、私とともに防衛にあたる。

 クレコの奮闘もあり、街に到達する異形の数はそれほど多くはなかった。あまり同時多数に襲い掛かられると結界が壊れる恐れが高かったので、本当に助けられている。

 結界を無理に押し通ろうとするものは大きなダメージを受けるため、私たちでも対処することができた。

 クレコの反応は弱っているが、まだ消えてはいない。このまま持ちこたえてくれれば、じきにトレインが助けに来る。彼ならみんなやっつけてくれる。そしてどんなに重症でも、きっとクレコを治してくれる。

 

 だけどそんな希望は、容易く打ち砕かれた。

 

 突然、結界が割れた。一瞬のことで、何が起きたのかわからなかった。

 

 驚きの声を上げる間もなく、目の前に何かが現れた。

 それが闇の異形であり、顔に何も描かれていないと、あまりにも遅過ぎる認識をしたとき――。

 

「か、は……」

 

 胸に衝撃が走り、意識がぐらつく。

 そいつが腕を私の胸に突き刺している。化け物が顔のない顔を私に突き合わせる。怖い。

 身を貫かれ、それよりもずっと激しい憎悪と殺意が、私の心まで殺していく。

 のっぺらぼうの姿が薄れてきた。

 

 ――ああ。あなたを生み出したのも私。私の命が尽きることで、きっとあなたも自己を構成することができなくなったのね。そう、どこか他人のように理解していた。

 

 のっぺらぼうが消えて、ぽっかりと空いた胸から、命の源が流れ出していく。

 

 地に倒れた私は、消えゆく意識の中、最後に二人のことを想った。

 

 クレコ。ごめんね。

 

 私だけ先に逝っちゃって、ごめんね。

 

 トレイン。ごめんね。

 

 私、あなたとの約束、守れそうもない、かな……。

 

 

 ――――――――。

 

 

 夢の世界は、灰色の現実に戻ろうとしていた。

【想像】によって生み出されたものたちが、次々と無へ帰っていく。

 それは魔法生物たちにも、ナイトメアにも等しく波及した。急速に低下していく許容性が、同時に回復する世界本来の理が、強き者から存在を罰し、消していく。

 また、寿命を超越した不死者たちは――永遠の生を欲しいままにしていた彼らは、まるで存在の罪を裁かれるかのように、魂ごと燃え尽きて消えた。

 そして生ける冒険者たちからも、肉体の強さ、気力、魔力が急激に損なわれていく。戦闘状態にある者の多くにとって、その影響は致命的だった。動きを損なったことから、ナイトメアに命を絶たれる者が後を断たなかった。

 また運悪く、自ら命を落としてしまう者も多かった。

 そのとき空を飛んでいた者は制御を失い、墜落して死んだ。高速で動いていた者は、自らの速度が生む衝撃によって弾け飛んだ。

 

 世界から色が消えていく。

 

 ついにすべてのナイトメアも失せて、残ったものはわずかな人の生き残りと、死屍累々のみだった。

 

 ぽつりぽつりと雨が降り始める。

 天候さえもコントロールしていた――その枷が外れたことで、滞留していた雲が世界各地で雨を降らそうとしていた。

 小雨はやがて大雨に代わり、戦いで流れた血も死体も綺麗に洗い流していく。

 

 雨は三日三晩降り続けた。まるで世界が涙しているかのようだった。



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281「ラナの記憶 16」

 受付のお姉さん――アカツキ アカネは、冒険者たちとともにトリグラーブを守るため奮闘を続けていた。

 あるとき、みんなの調子が突然おかしくなった。魔法が突然制御できなくなり、動きを損ない、自滅したりナイトメアにやられる者が続出した。

 なぜかアカネだけは何ともなかったので、彼女はお姉さんパワーをフル発揮して無双しつつ、場の混乱を速やかに収めて体勢を立て直した。

 冒険者だけでなく、ナイトメアもまた弱っていた。そのおかげもあり、闇の大攻勢を辛うじて退けることに成功する。

 ナイトメアの被害に遭い、ほぼ壊滅した都市群にあって、唯一トリグラーブだけは住民の大半が生き残った。奇跡的な健闘であった。以後、最も生存人口の多いトリグラーブが復興活動の中心となり、世界の中心となっていく。

 それはさておき、被害が甚大であったため、アカネは救護活動や被害確認等に追われ、すぐにはクレコの救援に向かうことができなかった。特に一部のものが突然消え失せてしまったことが、現場の混乱に拍車をかけていた。これでもトリグラーブはマシな方で、ここに暮らす彼らは独立心が強かったため、【想像】に極力頼らない文化を形作っていたために、被害は比較的少なめで済んだのである。

 急ぎ指示をまとめ、アイアックらに後を任せてアカネが一人旅立つまでには、日が暮れ、世界は雨に包まれていた。

 

「無事でいなさいよ。クレコ」

 

 ラナさんやクレコに何かあったのではないか――。

 トリグラーブで起きた異変から嫌な予感をひしひしと感じながら、アカネは急ぎクレコの元へ向かう。確か今日は、予定では聖地ラナ=スティリア(アカネはスティリアと発音する最近の人だった)にいるはずだ。あいつはそう言っていた。

 

《お姉さんジェット》

 

 ワープクリスタルが使えないため、多くのフェバルがそうしているように、彼女は気合いの力業で空を飛んだ。今やろうと思ったら何となくできてしまったことなので、なぜできるのか本人にもわからない。だがこの際早く着けるのなら細かいことは気にしない。アカネはそういう人である。

 許容性の下がった現実世界で、唯一超S級の実力を維持したままの彼女は速かった。濡れることも消耗も気にせず目いっぱい飛ばし、次の日の夜明け頃には、ほとんど世界を半周して目的地に辿り着いていた。

 

「なんてひどいあり様……」

 

 さしものお姉さんも言葉を失うほど悲惨な光景だった。大勢無事に決したトリグラーブと異なり、聖地ラナ=スティリアは壊滅に等しい状態である。数々の【想像】物はあらかた消え失せ、現実の建物はほとんどが崩れ去り、数多くの人体は地に埋もれて、もはや何がどうなっているのかもわからない。

 これでは、クレコとラナさんは……。

 ラナさんの力で創られたものがなくなっている事実に気付いていたアカネには、どうしても最悪の想像が付いてしまう。

 どこかに二人がいないかと必死に見回す。街跡からやや離れた位置に見知った姿が倒れているのに気が付き、彼女は飛ばした。

 

「クレコ!」

 

 アカネが呼びかけ、抱き起こすと、クレコは力ない反応を示した。

 抱き起こしたその手には、べっとりと血が張り付く。

 とても助からない。日頃「手遅れな」冒険者の面倒も見てきた彼女にはわかってしまった。

 

 実際、多勢を相手にクレコは立派に戦っていた――そのときまでは。

 彼女もまた、急激な能力の低下から逃れることはできなかった。その隙をナイトメアに突かれ、背後から刺されてしまったのだ。

 直ちに命を失うほどではなかったが、手当てしなければやがて死に至る傷だった。超S級の実力者のままであれば自分で治療できたのに、不幸にも魔法の使えなくなった彼女には治す手立てがなかった。当然、近くに治療者もいない。

 執念で戦い続けたが、やがてすべてのナイトメアが消えた後、彼女はろくに動けぬまま大地に放り出されていた。さらに続く雨が、容赦なく彼女の体力を奪っていったのである。

 

「アカネ……アカネ、なんだよね?」

 

 クレコはふらふらと手を彷徨わせる。既に目が見えなくなっていた。

 アカネは彼女の手をしっかり掴んで「そうよ。アカネよ」と頷く。

 

「しっかりして。まだくたばるには早いわよ! 私のライバルなんでしょ!?」

 

 クレコは申し訳なさそうに笑って、今にも消えそうな声で言った。

 

「ねえ、アカネ。私……ラナ様、守れたかな……?」

 

 ああ。もう助からないと悟っているのだ。アカネは泣きたい気分だった。

 今わの際でも、ラナさんのことを……。

 アカネはまだラナさんを見つけられていなかった。そして状況から、頭では既に亡くなっている可能性が高いとも考えてしまっている。

 けれどどうしてそんな残酷なことが言えるだろうか。だから彼女は優しい嘘を吐いた。

 

「ええ。あなたが立派に戦ってくれたおかげで、ラナさんもみんなも助かったわよ」

「ああ、よかった……」

 

 これでよかったのだろうか。本当によかったのだろうか?

 胸がひどく痛むのをこらえながら、アカネは固く手を握り直し、目に焼き付けるようにクレコの顔を見つめた。

 

「アカネ。預けたいものが、あるの……」

「いいわよ。何でも任せて」

 

 クレコはおぼつかない手で懐を探る。だがあるはずのものが見つからない。

 肌身離さず携帯していたはずなのに、なぜ。

 わけもわからず、ただ悲しい表情を浮かべた。

 

「あれ。おかしいな。戦いで、落としちゃった……のかな。とっても大切なもの、なのに……」

 

 クレコが託そうとしていたもの。それは一族代々受け継がれてきた聖書であった。

 

「アカネ……ごめんだけど、いっこ頼んでもいいかな……」

「何でもいいって言ってるのよ! だからそんな顔、しないでよ……!」

「聖書……見つけて、預かってて欲しいなって。でね、次の聖書記が、決まったら……」

「ええ! わかった。わかったわ! きっと見つけ出して、次の人が決まるまで預かっておくから! だから……っ!」

「ありがと。お願い……ね……」

 

 アカネが握っていた手から、力が抜ける。

 そして、クレコはもう動かなくなった。執念でアカネに願いを託し、満足して逝った彼女の顔は安らかだった。

 けれど残された者は。

 

「バカ……死んじゃったらもう二度と勝負できないじゃないの……! あなたってやつは……っ! 最期の最期まで、人のことばかり……っ!」

 

 降り止まない雨に、アカネの大粒の涙が溶けていく。

 長い生涯でたった一度だけ。いつも笑顔でいようと、決して泣かないと信条に掲げていたお姉さんは、使命を守って死んだ友のために泣いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 三日三晩続いた雨も、ようやく晴れようとしていた。

 アカネはいつまでもくよくよするような性格ではない。

 クレコを丁重に弔い、再び立ち上がったとき。

 火のごとき赤髪にも、真っ赤な瞳にも負けないほど、強い決意が彼女の心の内で熱く燃え滾っていた。

 それは亡き友の意志を継ぐこと。ラナさんの目指した理想を守る彼女の意志を受け継ぐこと。

 

 ……結局、ラナさんはどこにも見つからなかった。

 彼女はもういないのかもしれない。頼りにはできそうもない。

 

 だけど。ラナさんと同じようにはできないかもしれないけれど。

 滅茶苦茶になってしまったこの世界を、もう一度楽しい場所に戻してみせる。

 絶対にだ。

 

「やってやるわ。どんなに時間がかかっても。だって私は、私はっ! みんなの笑顔を守る! 受付のお姉さんだから!」

 

 まずは聖書を見つけ出さなくては。クレコたっての頼みだもの。

 

 ――そう意気込む彼女の身を、突然の異変が襲った。

 

「え……? 今、何か変な感じが――いや、気のせいじゃない。おかしいわよ!」

 

 その瞬間――一つだった世界が二重に「ずれていく」のを肌で感じられたのは、彼女だけだった。

 理想を諦めたことのない彼女だけは――理想の姿と現実の自分とがぴたりと一致している彼女だけは、自分の心と身体が二つに裂けていく奇妙な感覚――何かが、とんでもない何かが起きていることを感じ取っていた。

 

「なによ!? 何が起きているのっ!?」

 

 突然生じた「もう一つの世界」。そして生まれ出でるもう一人のアカネ。

「向こう側」に立つアカネの意識と、荒れ果てた現実世界に立つままの「こちらの」アカネは、その気になれば意識をリンクすることができるようだった。

 

 もう一人の彼女は、目の当たりにしていた。

 

 滅びたはずの世界。目前に広がる大都市。

 たった三日前までの世界にそっくりな姿――幻影の中に浮かび上がる理想の姿を。

 

「はああ!? どうなっちゃってるのよ!? これはあああーーーーーーーー!?」

 

 実況する相手もいないのに、彼女はそれっぽく叫んでいた。まったくわけがわからなかった。

 

 恐る恐る、もう一人のアカネに調査させてみる。

 

 聖地ラナ=スティリアによく似た街だった。人々はそこで何事もないように暮らしていた。

 聞き込みをしてみる。神聖都市ラビ=スタという名前だそうだ。さっぱり聞いたことがない。

 そこに生きている人々には、どうやら一切「こちら側」の記憶がないようだった。

 アカネは頭がくらくらしてきた。気味が悪かった。

 ナイトメアの襲撃など何もなかったように暮らす人々。彼らは一体何なのか。この不気味なほどに平和な世界は、一体……?

 そして極めつけは。 

 

「ラナさんが喋れない……完全な女神に……? それにピンピンしているですって!?」

 

 いよいよおかしい。絶対にあり得ないことが起きている。

 一からやり直すことはできても、失われたものが戻るはずはない。

 死んだ者は生き返らない。

 アカネは現実を受け入れていた。だからこそ、何もかも失われてしまった世界で立ち上がろうと心に決めていたのに。

 なのに、これは何だ。

 終わったはずのものが続いてしまっている。無理にでも続けようとする妄執なのか。

 

「きな臭い。どうも大変なことになってきたみたいね。こいつは」

 

 アカネは思っていた以上に、クレコから引き継いだ仕事が困難であることを痛感する。

『事態』は終わってなどいない。まだ始まったばかりなのだと。



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282「ラナの記憶 17」

 すべてが手遅れになってしまった後。一人の男が目を覚ました。

 トレインだ。

 彼は自身の傷が治り、千切れた腕が元に戻っていることに気付いた。

 死んでしまったのか。違う世界へ行ってしまったのか。

 では、トレヴァークは……。ラナは……!

 辺りを見回すと、すぐそこには、「爆心地」と化した魔法都市フェルノートの跡地――巨大なクレーターが広がっていた。

 どういうわけか、同じ世界で復活したことを彼は悟る。

 実のところ、ラナが引き起こした星脈の流れの異常が、彼をトレヴァークに押し留めていたのだ。

 そんな事情はわからなくとも、とにかくトレインは必死に彼女の反応を探した。

 

「ラナ! ラナっ!」

 

 そして彼には、わかってしまった。

 

「あ、あああああ……!」

 

 ラナがどこにもいないのだ。彼の人としての心を延命させ続けた温かな癒しの力が、もう何も感じられないのだ。

 

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 

 トレインは狂ったように絶叫し、何度も大地に頭を叩きつけた。石より硬い頭は地を砕き、幾度も地響きを起こす。

 壊れかけていた彼の心を繋ぎ止めていたものは、なくなってしまった。彼は子供のように泣き喚くばかりであった。

 

「どうしてだよ……! どうして……っ! 僕を置いて先に死んでしまうんだ! 僕を殺してくれるって……そう……っ……約束、したじゃないかあ……っ!」

 

 結局は独りになってしまうのか。誰も僕を終わらせてくれないのか。僕に救いなどなかったのか――!

 

 ああ。消えてゆく。彼女の残り香が。

 彼女とともに創り上げた世界が、理想郷が、灰色の無へ帰ってしまう。

 彼女が本当にどこにもいなくなってしまう――。

 

「いや。まだだ……」

 

 まだ終わってなどいない。終わらせてたまるものか。

 

「きみがいない世界なんて、そんなものが、あっていいはずがない……」

 

 トレインは焦点の定まらない目で、口をだらしなく開けて笑った。絶望でおかしくなってしまった男の哀しい姿だった。

 

 ――だってそうだろう。ラナはまだ生きている。きみの【想像】の力は、まだこの世界にちゃんと残っているじゃないか。

 そうだ。僕がまた創ればいい。きみの力が残っているんだ。できるさ。できないわけがない。

 

「僕がきみを創るよ。きみたちを。きみと創り上げた世界は……きみが愛した世界は――きみは、僕が守る……!」

 

 彼は昏い決意を込めて、自らの【創造】の力を全開で振るい始めた。わずかに残留していたラナの【想像】の力と結びつけて、限界を超えて高めていく。

 

 僕は壊れてもいい。どうなってしまっても構わない。

 

 だからラナ。きみだけは。どうか。

 

「また、夢の続きを始めるんだ……。世界を――再構築する!」

 

 新しい世界は、すべてきみに捧げよう。

 

 ――きみの名と魂に捧げよう。

 

 

 ……かくして、ラナの名と魂に捧げられた世界、ラナソールは生まれた。

 

 

 けれど悲しいかな。

 彼は彼女ではないのだから。

 いかに「異常」であっても、彼に【想像】はできない。

 彼はどこまでいっても、【運命】に呪われたフェバルでしかないのだから。

 二人でも創ることのできなかった完全な世界。片割れだけでは、世界は余計に歪で不完全なものにしかならないのだから。

 ラナの残り香を基に造り上げた世界は。彼が妄執だけで造り上げた世界は。

 

 つまるところ、真の現実足り得ず。はかない夢幻の類でしかなく。

 

 彼の【創造】した器には、自然に心が入ることはなかった。そこに生きる者たちは、現実に生きる者の魂の一部を引き剥がされ、もう一つの身体に押し込まれることによって、強引に造り出されたものだ。

 彼の虚しい願いによって無理に引き剥がされた無数の魂は、新たな呪いを生む。夢想病の原因となり、新たな悪夢の怪物を生み出す。

 

 そして、本物の彼女に残留していたわずかな想念から、ほとんど空っぽのラナが生まれた。

 執念をもってしても、彼の限界はそこまでだった。

 彼女は一切の記憶を持たない。自分がなぜ生まれたのかも、なぜここにいるのかもわからない。

 ただ一途に世界を愛する感情と、人々を見守る使命だけを持って生まれてきた。

 不思議な力に守られて。何一つ不自由なく、浮遊城に住まうことを約束されて。

 

 彼女には何もわからない。

 ただ、どうしようもなく悲しいのだ。

 何かとても大切なものを失ってしまったような気がして、誰か大切な人を犠牲にしてしまったような気がして。

 なのに、その誰かを知る者も、彼女が何者であるかを知る者も、彼ら自身が何者であるかを知る者も、どこにもいないから。

 みんな、まどろみの中で生きている。理想によって捻じ曲げられた、あるべき姿を知らない、可哀想な魂たち。

 きっと誰も悪くないのに……どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 

 当時を暮らす数千万の人たちが――それから生まれ出づる億千万の人たちが。

 造られた理想の世界で、果てしない冒険を続ける。いつ終わるかも知れない夢物語を謳い続ける。

 とっくに終わってしまったはずの世界で。

 真実は、最初から何も始まっていないことなど知ることもなく。

 

 限界を超えて力を垂れ流し続け、魂を削り切り、狂い果て。

 完全な「異常」者となったフェバルは、それでも星脈に回帰することはなかった。

 もはや物も言えず。何のために世界を創ったのかも忘れ。大切なラナのことさえもわからない。

 彼女と世界を守り続ける妄執のみが、ただ彼を休むことなく動かし続ける。

 

 生ける屍と化したトレインは、今もアルトサイドの中枢で、ラナソールという舞台装置を回し続けている――。



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283「聖書はどこだ」

 ついにすべての真実を知った俺は、頭を抱えた。ショックで動くことができなかった。

 

「なんてことだ……。ラナソールは、トレインが執念で無理に造り出した幻の世界だったなんて……」

 

 言葉の上では、夢想の世界と呼んでいた。奇妙な世界だとはずっと思っていた。でもあくまでトレヴァークとの対比のつもりだったんだ。

 ラナソールの日常で、数多くの依頼で。触れ合った彼らは、本物の心を持っていた。本物の人間だと思っていた。あくまでもう一つの現実を生きているのだと信じていた。

 なのに本当は……トレヴァークに生きた人間の魂を強引に切り取って、造り上げた空っぽの器にはめ込んだだけのものだったなんて。

 

 ランドも。シルヴィアも。レオンも。みんな、そうやって歪に生み出されたものだったのか……。

 だからみんな、気力も魔力もなかったのか……。

 そして、ラナはもう死んでしまっていたから。だから、ほとんど空っぽのままだったのか。

 

 正常な魂の分割。それこそが夢想病の根本原因であるのなら。

 死んでしまったラナを生かし続ける。滅びてしまった世界を存続させ続ける。

 そんな悲しい、絶望から生じた願いが、ラナソールという世界の正体で。その歪んだ願いが宇宙に穴を開け、ナイトメアをも生み出しているのなら。

 結局、ラナソールそのものが『事態』の原因だと言うなら。

 

 俺は、どうすればいいんだ。何をするのが正しいんだ。

 俺に、これ以上何ができるんだ。

 どうすれば世界を。みんなを助けることができる。

 わからない。わからないよ……。

 

 真実を共有したアニエスもまた、いたたまれない様子で俯いていた。心底落ち込んでいるのが伝わってくる。

 

「知らなかった。だからみんな……そっか。だから……」

 

 ――もうどうしようもないんじゃないか。最初から、とっくの昔にすべては終わってしまっていて、今さら手遅れだったんじゃないか。

 

 脳裏にはどうしても悪い考えが浮かんできてしまう。

 そんなこと。認められるか。諦められるものか。

 

 ――でも、そうやって諦め悪く、手遅れなことを無理にどうにかしようとして、余計に悪化して。それでこんな悲惨な現状になっているんじゃないか。

 

 いやいやと首を振る。悪い考えが止まらないのを、必死に振り払おうとする。

 

 ……っ……。だとしても。俺は!

 

 何かないのか。何かあるはずだろう!?

 今までだって何とかしてきたじゃないか! すべてとはいかなくても、それなりのことは何とかなってきたじゃないか!

 今回だって、きっと――そう信じていたのに。

 なのに、このままじゃ……。

 

 ――そうだ。

 

 受付のお姉さんは――アカネさんは言ってたじゃないか。聖書を探してみてって。

 もう一人の「俺」も言ってた。本当のラナに会えって。

 聖書には彼女の生きた記憶が記されている。

 トレインの【創造】は、無から有を創れない。けれど、核となるものがあるなら――。

 本物に限りなく近い彼女に会えるかもしれない。彼女が持つ【想像】の力なら、何か突破口にはなりはしないか。

 

「聖書……聖書だ。聖書はどこにあるんだ?」

「クレコさんがアカネさんに託したもの、ですよね。でも、今のアカネさんが探せって言ってるってことは……」

「あの後、あの人が必死に探しても見つからなかったってことか。どうして」

 

 あ。あああ……! そうか……!

 

 あの伝説のお姉さんだって。いくら探しても見つからないはずだ。

 

「聖書はラナの【想像】が生み出したもの。つまり……」

「オリジナルの彼女が亡くなった時点で、聖書も一緒に消えてなくなってしまった……ってこと?」

 

 俺は悔しさのあまり、自分の太ももを殴りつけた。

 

「最初っからなかったんだ! くそっ! こんなことって!」

 

 ここまで来てそれかよ! 俺たちが貴重な時間を削ってやってきたことは、結局無駄足だったのかよ……っ!

 

 膝を折り、打ちひしがれる俺に、しかしアニエスは励ますように肩を叩いていった。

 

「待って。ユウくん。まだ結論は早いと思うんです。あの人はきっと無意味なことは言いませんから。……あたしたちがやってきたことを、よく思い返してみて下さい」

「大昔の記憶を探って、ラナたちの記憶をすべて集めた。それがどうしたんだ」

「歴代聖書記にも立ち会ってきましたよね。それって、どうでしょう。まさにラナさんの生きた記憶ってやつを、もう持っていることになりません?」

「つまりどういうこと?」

「つまり……えーと。あたしたちの心の中には、既に聖書の元になるものがあるってことじゃないんですか?」

「……そうか!」

 

 すっかり視野の狭くなっていた俺も、そこまで言ってもらえればわかった。

 感極まり、思わずアニエスの両肩をがっしり掴んでいた。彼女が顔を赤くしてどぎまぎしていることに、そのときは気付かなかった。

 

「ラナソールは夢想の世界。俺たちの心に想い描くものを現象させる鏡のようなもの。だから!」

「今この瞬間、あの世界のどこかに聖書が存在しているはずってことです! あるはずだと確信した、この瞬間に!」

 

 手を取り合い、喜び合う。またギリギリのところで、道は繋がっていた。

 

 ――そうだ。そうだよ。こうやって道を辿っていけば、きっといつかは。きっと……。

 

「そうと決まれば、すぐにでも探しに行こう。また世界は広いけど」

「たぶん人里より離れたところにはないから、候補は絞れますね」

 

 そのときだった。電話が鳴る。

 ものすごいタイミングでかかってきたな。

 

「はい。もしもし」

『もしもし。ユウさん! 今大丈夫ですか?』

「リクか。いいよ。どうした」

『それが……ユウさんに会いたいってお客さんが来てるんです!』

「こんなときに? 一体誰なんだ?」

『アカツキ アカネと。その名を伝えればわかるはずだって』

『……! わかった! すぐ行く!』

 

 まるで計ったみたいに。いや、あの人のことだからほんとにそうかもしれない。

 よく考えてみれば当然だったんだ。

 ラナソールにあの人がいるように、こちらの世界にはオリジナルのあの人がいる。今まで姿を現さなかっただけで。

 

 アニエスの転移魔法を使い、即座に『アセッド』トリグラーブ支部へ帰還する。

 温かく出迎えてくれた、リクやハルの隣には――。

 

 当時と、そしてラナソールとまったく変わらない姿をしたあの人がいた。

 

 燃えるような赤髪と、真っ赤な瞳を持つ――受付のお姉さん。

 

「そろそろじゃないかと、睨んでいたわよ。うん。ぴったりだったわね」

「お姉さん。どうして今頃になって」

「ごめんなさいねー。まあこっちも色々あってね。こっそり人助けしたりとか、やばい魔獣やナイトメア潰したりとか、ラナクリムのメンテしたりとか。まあ、縁の下の力持ちってやつ?」

 

 それをダイラー星系列にも気付かれないようにやっていたのか……!? やっぱりとんでもない人だな……。

 

「お姉さん的にはオール裏方が理想なんだけど、さすがにそうも言ってられないみたいだから」

 

 アカネさんは、ふっと穏やかに――嬉しそうに笑って言った。

 

「ありがとう。あなたたちが『見つけてくれた』おかげで、やっと……。やっと――八千年ぶりに約束が果たせたわ」

 

 これ見よがしにウインクして、懐からあるものを取り出す。

 

 それは――俺たちが探し求めていた、聖書だった。



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284「最後の依頼 1」

 アカネさんは、複雑な表情で聖書を見つめて言った。

 

「ラナソールで見つけたものなんだけど、普通にこっち送れちゃったのよね。それだけ夢想と現実の境界が曖昧になっているってことなんでしょうね」

 

 そして、ポンと俺に手渡す。俺は両手でしっかり受け取る。

 

「ラナさんに会いに行くんでしょう? ならたぶんそれが必要よ。次の聖書記になるべき人はもういないけど……あなたに預けるわ」「ありがとうございます。ラナにはどうすれば会えるでしょうか」

「私の予想なんだけどね。結局トレインの力が頼みだと思うの」

 

「やっぱりそうでしょうね」

「彼は常にラナさんを構築している。でもこれまでは中身が空っぽだった。本物の彼女に限りなく近づけるとしたら、その聖書にあなたたちが集めた彼女の記憶を合わせたものが基礎になるはずよ。あとはそれを持って、しかるべきところに行けば」

「浮遊城ラヴァークですか。でもあそこは、ラナがやられるときに燃えてしまったはずだけど」

「それならボクの――あ、レオンの聖剣が役に立つはずだよ。あれは浮遊城に行くためのカギになるものだからね。ラナが蘇っているなら、きっとあの場所も――剣が導いてくれるはず」

「根元から折れちゃったけど、大丈夫かな?」

「えっと……たぶん?」

 

 首を傾げながらも、聖剣を信じて頷くハルが可愛かった。まああんな状態でも剣は力を貸してくれたからな。大丈夫だろう。

 

「あたし、レオンさんにお願いして借りてきますね」

 

 アニエスがラナソールに向かった。戻ってくるまでの間、情報共有を行うことにした。

 

「そっか。やっぱりランドさんは……」

 

 リクは薄々予想していたようだが、ショックが大きかったらしい。深刻な顔で続ける。

 

「ユウさん。もしかしたら、本当に……」

「まだそうと決まったわけじゃない。まだ……」

 

 俺は自分に言い聞かせるように言った。そうでもしないと挫けてしまいそうだった。

 

「ボクは何となくそうじゃないかなって思ってたし、レオンも自分の正体には納得しているけど……他のみんなはどうなんだろうね……」

「だよな……」

 

 ハルもまた思い悩んでいた。答えは出そうもない。

 本人たちに話せるだろうか。こんなこと。

 

 すっかり重たくなってしまった空気を振り払うかのように、アカネさんは明るい声で言った。

 

「まーせっかくだし、これまでのこと、話しておこうかしらね」

「気になります。あの日から何をしていたんですか」

 

 そしてアカネさんは話してくれた。第一次ミッターフレーションというべき滅びの日から、今日までのことを。

 あの日から、アカネさんはトレヴァークとラナソール、二束のわらじを履きながら、現実世界の再建と夢想世界の維持に携わってきたらしい。

 

「ラナソールを造ったのがトレインであると推定するまで、そう時間はかからなかったわ。ただ、ラナソールが発生した原因はわかったけど、私ではそれ以上どうしようもなかったのよ。ただの人間である私じゃ、彼のいるところに辿り着けなかったの」

 

 どこがただの人間だよと思わなくもなかったが、あえて突っ込むのはやめておいた。無敵のように思えるお姉さんにも、限界はあったのだ。

 

「ラナさんも抜け殻みたいになっちゃってるし。それに当初のラナソールは、とても状態が不安定でね。人々のイメージがバラバラだったから。だから下手すると簡単にナイトメアが溢れるわ、トレヴァークまで巻き込んで世界丸ごと破裂しそうになるわ」

「大変だったんですね……」

「マジやばかったわ」

 

 やばいと思った彼女は、不本意ながらラナソールという虚栄の世界を維持すべく動いた。それが彼女に打てる最善の策だったのだ。

 ラナ教と自作した聖書によって、信仰という形でラナソールのイメージを固定化させ、安定させることに成功する。

 さらに近年では、トレインソフトウェアの裏オーナーかつトッププログラマーとして、ラナクリムの開発にも携わっていたそうだ。これもラナソールの安定化のためだった。

 

「お姉さんの力作ゲーム、いっぱい楽しんでくれてありがとね♪」

「マジですか。俺、完全にお姉さんの掌の上だったんですか……あの、俺のステータスをほとんど完全に読み取った謎装置も、お姉さんが?」

「あれはかざりみたいなものかな。ユウくんのデータはラナソールでばっちり収集済みだから。ちょちょいっと照合すれば、ね」

 

 なるほど。そういうからくりがあったのか。

 

「本業たる受付のお姉さんをしながらね。私は待っていたのよ! ユウくんやハルちゃんのような、聖剣を持つに足る英雄が現れてくれるのを。滅びへの漸進状態を打破してくれる者を!」

 

 ギルドという最前線で可能性のある者を探し求め、有望な者にはハードなクエストを与えたり、こっそり支援するなどしていた。

 行く先々でお姉さんの司会・実況に遭遇したのも偶然ではない。彼女がイベント好きなのは元々の性格だけど、そうやって日々俺たちの動向を見守っていたのだ。

 しかしそこまであらゆることをこなしていたなんて。すごすぎるよお姉さん。本当にみんなの笑顔のために頑張り続けてきたんだなあ。

 一見ノリと勢いだけで動いているように見えたアカネさんを、俺は心から尊敬した。

 

 

 やがて、折れた聖剣を携えたアニエスが戻ってきた。

 聖剣は、今は落ち着いた光を湛えているが、力は失われていない。大丈夫そうだと感じた。

 

「剣も簡単に持ってこれちゃいましたね。いよいよ境界が曖昧になってきてるのかも」

「まずい状況だな。でもこれでアイテムは揃った。行こうか。ラナに会いに」

「うん」「はい」「そうですね」

 

 ハル、リク、アニエスがそれぞれ頷く。

 そこへ、滑り込むようにランドとシルヴィアが戻ってきた。

 良いタイミングなのか、悪いタイミングなのか。

 

「なあユウさん。ラナさんに会うんだろ? ピンと来たぜ。俺たちも連れてってくれよ!」

「私もせっかくだから女神様に会ってみたいわ」

「そう、だよな……」

 

 つい躊躇いがちになってしまう。二人を避けようとしていた自分に気付いて、自分が嫌になる。

 

「どうしたんだよユウさん。やけに歯切れが悪いぜ?」

「……もしかして私たち、いない方がよかったり?」

 

 シズハとの関係を知っているシルヴィアは、探るような目をこちらに向けた。

 俺は思わず、リク、ハル、アニエスと顔を見合わせる。誰も答えなど持っていない。

 なんて言えばいいんだ。わからない。でもここで二人を省く正当性なんてないのだ。

 

「いや、大丈夫だよ」

 

 だから、そう答えるしかなかった。

 

「なんだよ。変なユウさんだな」

「なんか元気なくすようなことでもあった?」

「何でもないんだ。何でも」

 

 ……今はやるべきことをしよう。ラナさんに会う。会えばきっと何かあるはずだ。きっと。

 

 外に出て、折れた聖剣を天に掲げる。浮遊城への道のりを祈って。

 聖剣フォースレイダーは、一筋の光を放った。それは真っ直ぐ天を貫いて、空の向こうまで、一本の光の道を作り上げた。

 現実世界と浮遊城が繋がった。

 

「これなら、あたしの転移魔法で飛べそうですね」

 

 アニエスが自信ありげに頷く。

 いよいよラナに会えるのか。ここまで本当に長かった。

 

 アカネさんは、ここまでのことを労うように、優しく俺の肩を叩いて言った。

 

「きっとあなたにしかできないことがあると思うから。ラナさんと同じ心の力を持つ、あなたにしか」

 

 それが自分でないことに悔しさを滲ませながら、彼女は続ける。

 

「ここまで来たらもう、あなたたちに任せるわ。受付のお姉さんは、段取りを整えるところまでが仕事だから。この二つの世界をどうするのか。ラナさんに会ってどうするのか。まさに世界の運命をかけた最後の依頼ってやつかしらね。頼んだわよ」

「はい。行ってきます」

 

 アカネさんに見送られて、浮遊城へ転移する。

 階段を登り、歩いた先のバルコニーには、ラナが待っている。



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285「最後の依頼 2」

 バルコニーに連れ立って向かうと、空を眺める彼女の後姿が見えた。

 

「ラナさん」

 

 声をかける。これまでは空っぽの彼女をラナと呼んでいたけど、さすがに本人の前では礼儀を正す。

振り返った彼女は、記憶で見たのと同じ、優しい微笑みを浮かべた。ようやく哀しい表情以外のものを見せてくれた。

 

「……待っていました。あなたたちが来てくれるのを」

「おお! マジもんのラナ様だ!」

「ラナ様……」

 

 ランドはすっかり興奮し、シルヴィアはこれで敬虔なのか、手を合わせてお祈りをした。

 他の面々は、俺も含めて、喜んでる場合じゃないって深刻な顔をしているけれど。

 

「アルトサイドに落ちたとき、俺を助けてくれてありがとうございます!」

 

 不格好ながらランドが礼を述べると、ラナさんはどこか申し訳なさそうに目を伏せるばかりだった。

 

「やっと会えましたね。俺たちのことは知っていますか?」

「はい。ぼんやりとですが、ずっと見ていました。覚えていますよ。今までこの世界に息づいていた人々も、あなたたちのことも」

「なら……世界の現状もわかりますね」

「……ええ。本当に……取り返しのつかないことになってしまって……」

 

 ラナさんは、憂いの表情を見せる。人格を取り戻した今は、人間味の感じられるものだった。

 

「俺たちは、この大変な事態を解決するために来たんです。ラナさんと力を合わせて、どうにかならないでしょうか。ラナソールを、元の平和な世界に戻すことはできないのでしょうか」

 

 縋るような思いで、俺は尋ねた。ランドシルの手前、はっきり何をするとは言えなかったけれど。

 何のために俺たちは記憶を集めてきたのか。限られた時間を本物の彼女に会うために割いてきたのか。

 本物は残念ながらとっくの昔に亡くなっていた。けれど、本物に限りなく近い彼女なら、何とかできるんじゃないか。そう信じたかった。

 ラナソールを創り上げた彼女なら、あの世界に再び「実体」を与え、秩序を取り戻すことができるのではないか。

 それができなくても、何かあるんじゃないか。あってくれと。

 その一念でここまで来たんだ。

 

 だけど……ラナさんは浮かない顔のまま、頷くことはなかった。

 代わりに、こう言ったのだ。

 

「……少し、お話を聞いて頂けないでしょうか」

「……わかりました」

 

 ラナさんはしばし考え、今までのことを振り返るように、慎重に言葉を選んで話し始めた。

 

「すべては私の夢から始まったことでした。誰も飢えることなく、誰も死なずに済む世界を。最初は順調でした。ですが……いつしか私は、思い上がっていたのかもしれません。もっとやれると考えてしまった。イコは、寿命をまっとうして死んでいったのに。それが人としてのあるべき姿だったのに……」

 

 遥か昔に死んでしまった親友のことを思い返しつつ、彼女は続ける。

 

「際限なく暮らしを豊かにし、どこまでも死を遠ざけた。人や世界のあり方として、まったく不自然になってしまうほどに。……そうして、完璧な世界を創れば創ろうとするほど、歪みは大きくなり、闇もまた深くなっていきました」

 

 彼女は小さく首を縦に振り、唇を噛み締め――とても悲しそうな表情で、自らの過ちを認めた。

 

「どんなに不思議な力があっても、私は人でしかないのに……神になろうとしてしまった。破綻は必然でした。どこかのタイミングで、私たちは誤りを認めなければならなかった。手遅れになる前に、世界を夢から醒まさなければならなかった。現状にいたるまでのすべてのことは、私たちがなすべきことをしなかったせいです」

 

 そして俺たちみんなを見渡して――特にランドとシルヴィアを見つめて、深く頭を下げる。

 

「本当に、ごめんなさい……っ……」

「ラナさん……」

 

 記憶で見た。彼女は純粋な善意の人だった。嘘偽りのない気持ちで、全身全霊をかけて人の幸せのために尽くしてきたのだ。それが、こんな皮肉な結果になってしまうなんて……。

 俺にはラナさんを責めることなどできない。

 俺だって……取り返しのつかないことをしてしまったのだから。

 

「ユウさん。世界を元に戻せないかと、そう言いましたね」

「はい……」

「確かに私の力があれば、一時的な延命はできるのかもしれません。けれど、ラナソールが今のままである限り、また同じことの繰り返しになってしまう。あなたもそれはわかっていますね?」

「……そう、ですね」

 

 認めるしかない。実際そうなのだ。

 でも……! それがわかった上で、何かないかって探しているんじゃないか!

 なのに……その言い方は。それじゃ、まるで……。

 

「……私には、今も聞こえるのです。トレインの苦しみが。悪夢に閉じ込められた人々の声なき悲鳴が。彼の絶望から生まれてしまったこの世界は、見える希望の分だけ、押し込められた歪みや絶望に満ちています。……こんなことは、もう終わりにしなければなりません。夢はいつか、醒めなければならない」

 

 そして、俺を真っ直ぐ見つめて――ひどく罪悪感に満ちた顔をしていた。

 もう嫌な予感しかしなかった。

 

「ユウさん。あなたは何でも屋でしたね。一つ、私から依頼をしてもいいでしょうか?」

「……なんでしょう」

「……お願いします。あなたの手で、トレインを……妄執に囚われたあの可哀想な人を、終わらせてやっては頂けませんか。あの日約束を果たすことのできなかった、私の代わりに……彼を――殺しては頂けませんか」

「…………」

 

 ――ああ。そうか。そうなるんだな……。

 

 ここまで来て。やっぱり。そうなるんだな……。

 

 俺だけじゃない。みんな、波を打ったように静まり返っていた。何も言えない。そんな表情だった。

 ただ一人、ラナさんだけが、苦しそうに続ける。

 

「あなたにしかできないことなのです。私と同じ、魂――本源を断つ心の力を持つ、あなたにしか。私だけの力ではもう、彼には届かない……」

「それが、唯一の解決方法だと……」

「はい。もはや、そうするしか……ありません」

 

 ラナさんは強い無念を露わにしながら、そう言い切った。

 

 俺は、答えられなかった。

 彼を殺すという、ただそれだけのことならば――頷けたかもしれない。

 俺だって、何度も人を殺したことはある。殺すしかどうしようもない相手を殺してきたことはある。

 だから……心を鬼にすれば、やれたかもしれない。トレインだけなら。覚悟ができたかもしれない。

 だけど。彼を殺すということは。それはつまり――。

 

 肩が震えて、まともな声にならない。

 

「そうしたら……どうなるんですか? 世界は、ラナソールは……みんなは……どうなるんですか……?」

「……もう、わかっているのでしょう? だから、そんな顔をして……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……っ!」

 

 とうとう堪え切れず、彼女は大粒の涙を零し始めた。

 それは、自分のなすべきことをもはや自分でどうすることもできない罪悪感であり。自らの愛した子たちを救えない悔しさの表れだった。

 それでも、そうするよりないのだからと。彼女は涙声のままで、言い切った。

 

「ユウさん。どうか……どうか、お願いします。トレインを。あの人を、永遠の苦しみから救ってやって下さい。そして、彼に切り取られたすべての魂を解放し……この世界を――ラナソールを、終わらせて下さい。あなたの手で」

 

 それは、最後にして――最も残酷な依頼だった。



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286「最後の依頼 3」

「おい……ふざけんじゃねえよ……!」

 

 振り返ると、ランドが顔を真っ赤にしてぶちキレていた。

 

「ラナソールが夢の世界だあ!? 夢は醒めなければならないだ!? さっきから聞いてりゃ、まるで俺たちが偽物か何かで、みんな消えてなくなっちまうみたいなこと言ってよう! え? ラナさん、どうなんだよ!?」

 

 ラナさんは泣き腫らした顔で、ふるふると首を横に振るばかりだった。

 

「ごめんなさい。愛するあなたたちを、私は助けることができない……ごめん、なさい……」

「……ちっ!」

 

 ランドは、激情のまま俺の胸倉を掴んだ。やり切れなくて仕方がない。そんな表情だった。

 

「おい。ユウさん!」

「ランド……」

「ユウさん! あんた知ってたのかよッ! その辛気臭い顔は、今知ったってわけじゃないだろう!? あんた、薄々知ってて……っ……それでずっと黙ってたのかよッ! 俺たちをずっと騙してたのかよ!?」

「それは……」

 

 直視できない。とてもランドの顔を見られない。

 君たちが知ってしまったら、こうなるかもしれないって。確かに恐れていた。意図的に言わなかったのは……事実なんだ。

 

「てめえ!」

 

 顔をぶん殴られる。芯に響く痛みを受けて、俺は尻餅をついた。立ち上がれない俺に、彼はなおも掴みかかる。怒りと悲しみに満ちた心で。

 

「なあ……答えろよ。ユウさん……答えろって言ってんだよ……!」

「……ごめん。黙ってたのは、本当だ……」

「この野郎……!」

 

 またぶん殴られる。それから何度も何度も、執拗に顔を殴られた。

 俺はただされるがままで。この痛みさえも、罰にはまったく足りなくて。

 

 リクがたまらず、割って入る。

 

「ちょっと! やめて下さいよ! 今は味方同士で争っている場合じゃないでしょう? これからどうするか、考えなくっちゃいけないときでしょう!?」

 

 俺を殴る手が止まる。ふらりと立ち上がったランドの声は、嘘のように冷たいものだった。

 

「これからどうするか? リク……お前は呑気でいいよな。やっとバカな俺にわかったぜ。お前が『本物の俺』だったってわけだ。だよな。だから繋がってたわけだ。お前も、わかってたんだよな?」

「それは……」

「なあ。お前も殴られないとわかんねえのか?」

「ひっ!」

「待って!」

 

 猛然とリクに掴みかかろうとするランドを、シルヴィアが抱きかかって止めた。

 

「シル!? なんでお前が止めるんだよっ!」 

「リクはユウじゃないのよ! あなたの攻撃になんて耐えられない。そんなことしたら、本当に死んでしまうわ……! あなただって、一緒に……っ……!」

 

 そう言っているシルヴィアは、今にも泣きそうだった。

 

「でもよ。じゃあ、シルはこれでいいってのかよ……!?」

「私だって、いいわけないっ! もう、わかんないわよっ! さっきから、頭の中ぐちゃぐちゃで……でも、ああそうだったのかって。もう、わけがわかんないわよぉ……!」

 

 あのシルヴィアまで、しくしくと泣き始めた。もう一人の自分の存在は自覚していても、自分が偽物の方だという事実に耐えられない。

 泣くシルを見てさらに怒りが湧いたランドは、歯を食いしばり、浮かない顔をする一同を睨んで言った。

 

「なあ。お前らみんな、俺たちが死ぬのが正しいって思ってんのか!? こんな結末、本当に仕方ないって思ってんのかよ!」

「正しいなんて、思ってるわけないよ。でも……ボクも、みんなも、わからないんだ……正直。どうすればいいのか……」

「はん。英雄レオンの片割れが。やっぱ女だな。女々しいこと言いやがって。聞いて呆れるぜ」

 

 ランドは吠えた。ラナソールに生きる者たちを代表する、魂の声だった。

 

「ざけんな! 俺たちだって生きてんだよ! 俺たちとあんたらと、何が違うってんだよ! ほとんどのやつが、何も知らずに今だって生きてんだ! めちゃくちゃになった世界で、必死で戦ってんだ! なのに俺たちが諦めちまったら……誰がみんなを助けられるんだよ!? なあ! 俺たちは、最初から生きてちゃいけなかったってのかよ!」

 

 誰も答えられない。その問いに答えられる者なんていない。

 ランドは、やるせなく拳を振りかざした。

 

「こんな結末……認められるかッ!」

 

 殴られたまま呆然としている俺に、もう一度ランドは食いかかった。

 

「なあ、ユウさん。違うって言ってくれよ……! そんなことは許さないって、言ってくれよ……っ! いつものあんたなら、みんな助けてみせるって……そう、力強く言ってくれるところだろ? 違うのかよ! おいっ!」

「…………っ」

 

 返事のできない俺に失望したような目を向けると、いやいやと首を振って彼は言った。

 

「見損なったぜユウさん。ラナ様、あんたもだ! 俺は、諦めねえぞ……! ユウさん、あんたが一番それを教えてくれたんじゃねーか! なのに、あんたがそんな顔してちゃあおしまいだ! 今のあんた――最低だよ」

 

 俺は、ガツンと心を直接殴りつけられたようで。何も口から出て来なくて。情けなくて。

 彼はさめざめと泣き続けるシルヴィアの肩を抱いて、みんなに背を向けた。

 

「どこへ行くんだい?」

 

 呼び止めるハルに、彼は答えた。覚悟を決めた瞳で。

 

「決まってる。探しに行くのさ。みんなを救える方法を。みんなが笑える方法を。誰もやらねーって言うんなら――俺がやる。送れよ。アニエス」

「でも……」

 

 所在なく、俺とランドの双方に視線を彷徨わせるアニエス。

 

「送ってやってくれないか。好きなようにさせてあげてくれ……」

 

 辛うじてそれだけ言うと、彼女は目を伏せて頷いた。

 ランドとシルヴィアが、転移の光に包まれて消える。

 

「はあ……」

 

 重いため息が漏れた。

 全身からごっそり力が抜けていくのを感じる。ラナソールのみんなと心を繋げておくことなんて、もう無理だった。罪悪感で耐え切れなかった。

 今の俺は、ミッターフレーションで現実世界に堕ちたあの日と同じ――すっかり弱い自分に戻ってしまった。

 英雄とはほど遠い、ちっぽけで無力な人間に。

 

 お通夜のように冷えた空気で、誰も何も言えないまま、それぞれが物思いに沈んでいた。

 しばらくして、俺はただ義務感だけで、ラナに尋ねた。

 

「トレインを殺すとして……どうしたらいいのですか? アルトサイドにはエルゼムもいます。まずあれも倒さなくてはいけないでしょう」

「聖剣フォースレイダーに、夢想病に苦しむみんなの生きたいと願う心の力を込めることで……ですが、今のあなたでは……難しいですよね。その剣は、人の意志を背負う英雄にしか振るうことができませんから……」

「そう、ですね。今の俺では、とても……」

 

 こんな状態の俺に聖剣を振るう資格がないことは、自分が一番よくわかっていた。

 

「ちょっと、考えさせてはくれませんか。まだ少しだけ、時間はあるはずですから」

「……わかりました。私はここで待っていますので。気持ちが固まったら、また来て下さい。あなたたちがどういう結論を出すとしても――私は受け入れます」

「ありがとう、ございます……」

 

 戻ってきたアニエスの転移魔法で、一旦はトレヴァークに帰ることにした。

 ランドとシルヴィアは、既に旅立ったらしい。あてもなく、みんなを救うための手がかりを求めて。

 腫れあがった顔を見たJ.C.さんにぎょっとされ、治療を申し出られたが、俺は断った。痛むままの方がまだ、ほんの少しだけ気が楽だった。

 

「少し、一人にしてくれないか。頼む」

 

 それだけ告げて、俺は何でも屋の私室に籠る。

 

 一人になると、これまでみんなの手前、何とか気丈に振る舞っていた。責任感という化けの皮が剥がれた。

 

 視界がぼやける。涙が滲む。

 

 ここまでずっと、がむしゃらに走り続けてきた。

 希望があると信じていた。願っていた。

 みんなの力を合わせれば、できると思ってた。また世界を救えるって思ってたんだ。

 

 馬鹿だ。今までは、ただ運がよかっただけなんだ。

 思い上がっていたのは、俺だ……!

 

 ――結局、ウィルの言っていたことが正しかった。

 

 これは、形ばかりの延命ではどうしようもない――本質的な問題だ。

 ラナソールそのものが『事態』の原因であるのだから。世界を消すしかない。

 極めて単純で、それしかない解決方法だ……。

 

 リクもその可能性には気付いていた。俺だって薄々はわかっていたんだ。

 

 認めたくなかった。それしかないんだって。どうしても認めたくなかった。

 だから必死に回り道をして……結局は、元の場所へ戻ってきてしまった。

 

 とっくに終わってしまったはずの世界。トレインが一人で無理に延命させているだけの世界。

 終わらせるのが正しい。終わらせなければ、ラナソールだけじゃない。トレヴァークのみんなも、宇宙のみんなも弾け飛んでしまう。

 みんなを救う都合の良い方法なんて……そんなものはない。

 考えれば考えるほど、もう手遅れなのだと。もうどうしようもないのだとわかってしまう。

 

 だけど。だけど……トレインを手にかけるということは――。

 

 トレヴァークとほぼ同じ、ラナソールに満ちる30億の命。

 それだけじゃない。トレヴァークでも夢想病にあって、既に魂がナイトメアに変質してしまったと思われる「手遅れな」命が、世界人口の約5%――1.5億人はいる。

 彼らの命をも、完全に絶ってしまうことになる。

 知らない命じゃない。みんな、知っている。

 ランドを。シルヴィアを。ミティを。レオンを。

 俺を信じて送り出してくれた、みんなを。依頼をしてくれた、関わった一人一人の大切な笑顔を。願いを。すべて消し去ることになる。

 みんなを救うためにって、そのために力を借りて。みんなの想いに応えるために。

 やっとここまで来た。ここまで来たのに……!

 

 俺はみんなの想いを、裏切らなければならない。

 俺が、終わらせなければならない。俺にしかできない……。

 

 ただ世界を破壊して皆殺しにすることよりも――たった一人を殺して綺麗に終わらせることの方が、まだほんの少しだけ、優しいから。

 

 ――いいや。同じことだ。何が違う!

 

 やり方がちょっと違うだけじゃないか。みんな死ぬことには、変わりないじゃないか……!

 

 けれど、それが最善。それが揺るぎない結論だと。

 わかる。わかってしまう。

 行きつく先はもう――ない。探したって、もう。ないんだ。

 これまで折れそうな心を支えてきたささやかな希望すら、もうない。

 

「う、うっ……」

 

 ぽたぽたと、情けない涙が床を濡らす。

 

 あ、あ。ダメだ。もう、ダメだ……。

 

 いくら正しいとしても。仕方ないとしても。

 

「そんなこと……っ……そんな残酷なこと、できるわけがないじゃないかぁ……!」

 

 もう限界だった。心が折れていた。

 俺は膝から崩れ落ち、小さな子供のようにうずくまって、泣き続けるしかなかった。

 

 無力だ。俺は何もできない。

 

 運命は――どこまで残酷なのか。



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287「ヴィッターヴァイツと黒の旅人」

 ユウとアニエスが記憶の回収を進めている頃。

 ヴィッターヴァイツは、休むことなく薄暗闇の世界を進撃していた。一般のナイトメアなども、彼の前では敵のうちに入らない。【支配】は使えなくなったが、光の魔力を纏った拳がたちはだかるものを打ち砕いていった。

 そこまで急いでいたのは、彼もまた世界の終わりまで時間がないことに気付いていたのと、ユウにくらった心の力の灯火が消えないうちでなければ、目標が掴めないと考えていたからである。

 数日をかけて、ヴィッターヴァイツが辿り着いた場所は――。

 

「わっ!? ヴィッターヴァイツ!?」

 

 驚く少女と、あらかじめ接近がわかっていたのか、静かに彼を見つめる少年。彼女には心を読む力があるが、全速力のフェバルに対しては、認識するより最接近する方が早かったようだ。

 そう。ヴィッターヴァイツは、ユイと『ユウ』に会いに来たのだ。

 

「どうしよう。まさかこっちへ来るなんて。あいつが相手でも大丈夫だよね? ユウ」

 

 事情がまったくわからないユイは、不安でヴィッターヴァイツと『ユウ』へ交互に視線をきょろきょろさせていた。ただ、どうもヴィッターヴァイツに悪意がないことを妙だなと思いながら。

 そんな彼女を手で制し、『ユウ』は一歩前へ進み出た。

 ヴィッターヴァイツは、神妙な面持ちで切り出した。

 

「何となくだがな。ここへ来れば会える気がしたのだ」

「わざわざ私たちに会いに来たっての?」

 

 さすがに今までのこともあって警戒を緩めないユイに対し、おおよそ事情を知っている『ユウ』は動じることはなかった。

 

「なるほど。俺とあいつの力が思わぬところで副作用を起こしたわけか」

「らしいな。よりによって、このオレにだけ貴様らの居場所がわかってしまうとは」

 

『ユウ』が送りつけた記憶と、ユウにくらった心の力。どちらも源は同じものであるために、共鳴したのだ。

 そのことが彼と二人を結びつけた。

 ヴィッターヴァイツは、目の前のユウにそっくりな人物こそ、ミッターフレーションの日に世界が滅茶苦茶に壊れる規模の戦いをした人物だと確信していた。そしてまた、『ユウ』との間に最悪な因縁しかなかったことも、その具体的内容まではわからずとも、薄々ではあるが察していた。

 ――自身がどれほど罪の深いことをしたのであろうかを。

 だからヴィッターヴァイツは、『ユウ』に対して深々と頭を下げた。

 

「すまなかった」

「…………」

 

『ユウ』は、黙ってその一言を受け取った。しばし何かを思い瞑目し、そして目を開けて告げる。

 

「今さらだ。それに……お前だが、お前じゃない」

「そうか……」

 

 言葉尻は冷たかったが、『ユウ』は確かに謝罪を受け入れた。その事実だけで十分だった。

 

「え、え? あのヴィッターヴァイツが謝った? どういうこと?」

 

 一人蚊帳の外であるユイは、何もわからないまま、きょとんと二人を見つめるばかりだった。

 そんなユイを見て、『ユウ』は二人に気取られない程度にかすかに笑い、ヴィッターヴァイツも曖昧に笑った。張り詰めた空気も和らぐ。

 

「よくわからないけど、あなたどうしちゃったの? まるで別人みたいだよ。いや、うん。全然いいと思うけど」

 

 心の読めるユイは、ヴィッターヴァイツの変化を好ましいものに捉えている。

 

「貴女の弟にコテンパンにやられてな」

「そっか。ユウすごく頑張ったんだね」

 

 何となく察した。ユウはこれまでも、敵対した者を改心させてしまったことがある。

 この男を心変わりさせるほどの戦いがあったのだ。ユイは愛する弟の奮闘を想い、嬉しくて微笑んだ。

 まさかその戦いが、弟の肩を抉り、腕を吹っ飛ばし、腹パンでど真ん中をぶち抜いて完全に殺しかけた壮絶なものだったなどと、そんなことを耳にすればものすごく怒るに違いない姉の前では口が裂けても言えず、ヴィッターヴァイツは苦笑いを浮かべるしかなかったが。

 そんな彼に『ユウ』は尋ねる。『ユウ』にとっては、過ぎたことも大事ではあるが、今の方がより大切だった。

 

「そんなことよりだ。お前はわざわざこんなところまで、ただ俺に謝るためだけに来たのか?」

「無論違う。そこのユウ、でいいのか?」

「一応、ユウはユウだな」

「……そのユウはともかく、なぜユイがずっとこんなところに留まっているのかと思ってな。あの甘ったれの方のユウも貴女も、お互い会いたがっているはずだからな。何かあるのだろうと不思議に思い、様子を見に来たというわけだ」

「じゃあなに? まさか私とユウを引き会わせるために来てくれたっていうの? あなたが?」

 

 ユイは驚き尽くしだった。本当に何がどうなるとこんなミラクルが起こるのだろう。不倶戴天の敵同士ではなかったのか。

 

「貴様らがアルトサイドを呑気に散歩している間、世界情勢にもユウの奴にも色々あってな。奴は我慢しているが、相当まいっているのは間違いない。姉の顔でも見せてやるのが良いだろうと勝手に判断した。……奴には言ってくれるなよ。言えばどうなるか、わかっているな?」

 

 最後はドスを利かせたが、会わせたい気持ちが嘘でなく、照れ隠しであることは、ユイから見れば明らかだった。

 彼女は思わず笑いそうになってしまう。まさかこの男に小娘でなく名前で呼ばれ、しかも喜ばせられる日が来るとは思わなかった。

 

「で、どうなのだ。オレは役に立てそうか」

「うん。ナイスタイミングかもしれないよ」

 

『ユウ』といるためにアルトサイドから出られないと聞かされていたユイは、素直に頷いた。

 

 こいつ――もう普通に話し始めていやがる。

 

 星海姉弟のお人好しさ具合、心の本質を見て応じる態度に面食らうヴィッターヴァイツであったが、こういう奴らだからオレも変えられてしまったのだろうなと、どこかで納得もしていた。

 

「俺の考えでは、エルゼムを倒さない限り二人が会うのは無理だと思っていたが……想定外続きだな。面白い」

 

 はたから見るとくすりとも笑っていないように見えるが、実際はかなり面白がっていると、付き合いもそこそこになってきたユイにはわかった。

 そして『ユウ』には、想定外が生じた理由も察しが付いていた。

 トレインがラナの力を受けて「異常」化したように、ヴィッターヴァイツもユウの力を受けて「異常」化したというわけだ。だからアルの想定を超えた行動を取り始めたのだ。

 今のヴィッターヴァイツは、【神の手】の影響の外にある。こいつにユイを託せば、二人を引き合わせることも可能かもしれない。

 自分が離れたところを狙われる危険もあるが、そこは自分がしっかり目を光らせておけば良い。幸い、エルゼムはウィルとレンクスが釘付けにしているようだし。

 しかし、まさか仇敵と普通に語らい、もう一人の己の片割れを任せることになるとは。『ユウ』は奇妙な巡り会わせを感じた。

 いや――ユウの意志が作り出した新たな道か。

 

「あ。でもそうなるとここ、どうしようかな。私がいなくなっちゃって、もしユウも動いたら、またわからなくならない? だって私、目印なんでしょ?」

 

 目印呼ばわりされてすごく微妙な気持ちにならなくもなかったユイは、『ユウ』を軽く小突きながら聞く。『ユウ』は事もなしに答えた。

 

「問題ない。お前にこの場所がわかるよう、【神の器】に記録させておこう」

 

『ユウ』が手をかざすと、ユイはあっさりとこの場所が知覚できるようになった。

 

「ありがと。なんだ。こんなことできるなら言ってよー。私、目印になる必要なかったじゃん」

「どの道、お前とユウが会うことと、エルゼムを倒すことが肝要だからな。同じことだ」

「うーん。それもそうか」

 

 それから三人は、情報交換をした。

 ヴィッターヴァイツは現在に至るまでの状況を語り、『ユウ』とユイは、アルトサイドでの出来事やフェバルに降りかかる【運命】を語る。

 これまではどんな真実を語ろうと聞く耳を持たなかったヴィッターヴァイツであるが、【運命】の影響力が薄れた今、彼は素直に『ユウ』の話を聞き入れることができた。

 そして、ヴィッターヴァイツは激高した。

 

「なんだと……【運命】だとッ!? オレは何も知らぬまま、ずっと掌の上で踊らされていたというのかッ!? ふざけやがって……ッ!」

 

 衝撃の事実に、ヴィッターヴァイツはこの上ないほどの怒りを見せた。あまりの迫力に思わずユイがびびり上がり、『ユウ』の袖を掴んでしまうほどだった。

 

「ユウッ! そのアルとかいう奴はどこだ!? 絶対に許さん! よくも……よくも、イルファンニーナを! この手でぶち殺してくれる……ッ!」

「よせ。気持ちはよくわかるが、お前には無理だ。俺と同等以上の強さと言えば理解できるか?」

「なにい!? ぐ……ちくしょう……!」

 

 ヴィッターヴァイツは悔しさのあまり、自分で自分の側頭を殴りつけた。

 ラナソールが壊れたあの日の戦いを見て、またトレヴァークにいるユウが発した黒の力を体感もして、まるで次元が違う――勝負にすらならないことはわかっていた。

 一矢も報いることはできない。無駄に散るだけだと理解できてしまうのだ。

 無力を嘆くヴィッターヴァイツの肩を叩き、『ユウ』は囁く。同じく【運命】に翻弄され続けた身としては、見過ごせなかった。

 

「焦るな。希望はある。お前はもう知っているはずだろ」

「そうか……! それで、あいつなのか……!」

 

 ヴィッターヴァイツの心の内に、希望の灯がともった。

【運命】への対抗者になり得る者は、確かにいるのだ。己ができなかったとしても、あいつならやってくれるかもしれない。

 彼は密かに決意を新たにする。これからは己の意志で旅をまっとうすることを。そして希望を守ることを。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ユイは『ユウ』と別れ、ヴィッターヴァイツを新たな護衛として、ラナソールを目指すことになった。

 当人たちすらまるで予想していなかった、何とも奇妙な二人旅である。

 

「よろしくね。おじさん」

 

 ユイはこれまでの諍いへのささやかな復讐も込めて、ややじと目で「おじさん」の部分を強調して言った。

 

「おじ……おい待て。さすがに聞き捨てならんぞ!」

 

 容姿は完全にいかついおっさんなのであるが、身体は若いままでいるつもりだった。

 

「マジでおじさんなの。これがね」

 

 ユイはJ.C.に聞いた話を引っ張って説明する。

 

「おいおいおい……マジかよ。オレら、そんな関係だったのかよ……」

 

 さすがのヴィッターヴァイツも頭を抱えた。

 宇宙は広いはずなのに、なんと世間の狭いことか。ある意味身内同士で死闘を演じていたわけだ。

 

「そうだよ。今までたくさんひどいことした分、ちゃんと守ってくれないとJ.C.お姉さんに言いつけちゃうからね。お・じ・さ・ん」

 

 ユイはにっこり笑顔でそう言った。得も言われぬ威圧感がある。

 

「ぐぬぬ……心得よう」

 

 それから、ヴィッターヴァイツの献身ぶりが光り、ユイは傷付くことなくアルトサイドを進んでいった。改めてヴィッターヴァイツの強さを知るユイだった。

『ユウ』が側にいなくなったことで、再びアルトサイドに穴が出現するようになった。トレヴァークへ通ずる穴を避けつつ、ラナソールとアルトサイドを行き来すること数度、ついに人里へ至る。

 そこへユイを預ける(また目印になるようにと、彼による気力強化を付与したら、頬を膨らませて文句言いたそうな顔をされてしまった)と、ヴィッターヴァイツは、ユウに彼女の無事を知らせ、再びあいつと彼女を引き合わせるため、またアルトサイドへ潜り、トレヴァークへの移動を開始したのだった。

 

 ――ちょうどその頃、トレヴァークに大変なことが起きようとしていた。



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288「第三次ミッターフレーション」

 ヴィッターヴァイツにシェルターの一つを壊滅させられ、仲間のアルトサイダーを皆殺しにされ。また自身も殺されかけたゾルーダであるが、ひどい精神的傷を負いながらも逃げ延びていた彼は、頃合いを見てアルトサイドに帰還した。可及的速やかに無事な他のシェルターへ逃げ込むと、震えながら引きこもっていた。哀れ、化けの皮を剥がされた彼には、虚勢を張る気力すら萎えていたのだ。

 シェルターには、外部の世界――ラナソールとトレヴァーク双方の様子を監視するためのモニター機能が備わっていた。ラナソールの「実在しない」魔力によって離れた位置を直接投影する装置は、ダイラー星系列によっても察知されることがない反則的な性能を持っている。また、装置自体には意思がないために、心を読めるユウにもそれに気付くことはなかった。

 この期に及んでまだユウとの口約束に縋る気満々でいた彼は、とにかく自分自身の安全と生存が確保されれば良い人間だった。

 彼はこっそりとユウの動向を観察していた。ユウが過去の世界の記憶を拾い集めている様子などを見守っていた。ヴィッターヴァイツと戦ったらしいことも知っている。ただし、自分を殺しかけたトラウマの相手を直視できなかったゾルーダはその戦いを直接観ることはなかったが。

 とりわけゾルーダにとってショックだったのは、世界が終わるかもしれないことを、ブレイ星裁執行官とユウとの会話で知ってしまったことだ。

 冗談ではない。世界が終われば自分も一巻の終わりなのだから。自分が一因となっていることを棚に上げ、彼は恐れと憤りを抱いていた。

 そしていよいよユウが記憶を集め終わり――ゾルーダは聞き捨てならない言葉を聞いてしまった。

 

『なんてことだ……。ラナソールは、トレインが執念で無理に造り出した幻の世界だったなんて……』

 

「な、な……」

 

 あまりのことに言葉を失ってしまうゾルーダ。

 彼はラナソールを現実の上位世界のようなものと単純に捉えていた。現実から逸脱した、才ある者だけが辿り着ける永遠の命。自分こそは特別な存在であるのだと自惚れていた。

 しかし、真実は――ただの幻に過ぎないだと。

 とっくの昔に、彼の人としての身体は失われている。彼は既に半死人に等しかったのである。その事実にすら気付きもせず、のうのうと過ごしていた。

 

「だとしたら、僕は……あああっ!」

 

 身も凍るような予感に震え上がるゾルーダ。しかしその先を見ずにはいられない、哀しき人間心理が彼を突き動かす。

 そして舞台は浮遊城に至り、とうとう彼は決定的な言葉を聞いてしまう。

 

『そうしたら……どうなるんですか? 世界は、ラナソールは……みんなは……どうなるんですか……?』

『ユウさん。どうか……どうか、お願いします。トレインを。あの人を、永遠の苦しみから救ってやって下さい。そして、彼に切り取られたすべての魂を解放し……この世界を――ラナソールを、終わらせて下さい。あなたの手で』

 

「僕が……死ぬ? そ、ん、な……」

 

 彼は狼狽した。

 

 このまま放っておけば、トレヴァークごと世界が終わる。僕は死ぬ。

『事態』を解決すれば、ラナソールが終わる。僕は……死ぬ。

 どう足掻いても死ぬ。自分は絶対に助からない。そのことを悟ってしまったのだ。

 

「嫌だ……いや、だぁ……。死にたくない……しに゛だぐない……っ!」

 

 すっかり化けの皮が剥がれ、ただの小心者でしかないことが露呈していた彼は、ただただ恐怖に涙するばかりだった。

 あらゆる手段を尽くし、死を遠ざけてきた彼にとって、避けられない死など決して受け入れられるものではない。

 

「いやだ……いやだ……いやだ、いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだあーーーーーーーーーーーーっ!」

 

 ヴィッターヴァイツへの恐怖。絶対的な死への恐怖。

 これまでのことが積み重なり、ついに彼は発狂してしまった。心の底から絶望していた。

 

「アハハハハハハハハ……イヤダァ……シニ、タクナイヨォ……ハハハ……」

 

 壊れたように独り泣き笑いを続ける彼は、自分自身が変質し始めていることに気付かなかった。

 ここはアルトサイド。悪夢が支配する世界。絶望に心折れた者の末路は決まっている。

 闇の世界の住人の仲間入りをしつつあることに、狂ったゾルーダは気付かない。

 

 嗚咽は声にならない叫びに変質していき、身体は暗黒に染まり。

 

 そして――ナイトメア=ゾルーダが産声を上げた。

 

 数千年もの間、あらゆる手段を駆使し、他者も世界も踏みにじってまで生に執着した身勝手な男の、避けられない死への絶望。それは谷よりも深く、現在の彼が持っている高い能力と掛け合わされることによって、魔神種を超えるレベルの強力なナイトメアを生み出した。

 ただの小者だったはずの男は、長き現実逃避の果て、ラナソールという舞台装置によって、最低の災厄となってしまった。

 異形へと成り果てた彼が望むこと。それは、彼にとって理不尽な死をもたらす世界への復讐である。

 僕が生きられない世界など要らない。すべてを巻き添えにしてしまえ。皆殺しにしてしまえ。

 究極の八つ当たりであった。

 

 破滅を望む金切り声が、億千万の異形どもを引き寄せる。

 彼の底が見えない絶望に呼応して引き寄せられたものの中には、ウィルおよびレンクスと交戦中であったナイトメア=エルゼムもが含まれた。偏在性を持つエルゼムは、二人との戦いをあっさりと中断して彼に合流したのだ。

 

 最強のナイトメアと、最低のナイトメアが邂逅する。

 

 二つの人型が触れると、なんと表面から溶け合い、融合を始めた。より強力な存在であるエルゼムに、ゾルーダが呑み込まれて一つになっていく。エルゼムはこいつが有用であると判断し、吸収することにしたのである。

 やがて、エルゼムをベースとした、より強力な一個体として結実した。

 のっぺらぼうだった顔には、哀れな男の断末魔のようなものが張り付けられている。

 

 ……エルゼムという闇の塊に飲み込まれ、人格も消え去った今、それがゾルーダの成れの果てであると気付く者は、もはやどこにもいないだろうが。

 

 新たな姿とさらなる力を得たナイトメア=エルゼムは、ゾルーダが持っていたものと同じ、世界を渡る力を持っていた。

 

 もはやエルゼムの行く手を阻むものはない。

 

 爆心地の上空に、突如として鋭利な人型が出現する。それの叫び声に呼応し、世界各地に穴が開く。そこから、無数のナイトメアが飛び出し、地上での闊歩を開始する。

 

 八千年前のあの日の再来。数ヶ月前のラナソール崩壊に続く厄災。

 トレヴァークを、第三次ミッターフレーションが襲おうとしていた。



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289「一つの想定内と二つの想定外」

 アルは確信しつつあった。ユウに与えられた本来の【運命】が、再び効力を及ぼし始めていることを。

 絆を断つ。繋がりを断つ。

 ユウに親しく関わるすべての者は、等しく滅びを迎える。あの厄介な心の力を発揮できないように。本来、そう定められているはずなのだ。

 それこそが、幾多の『星海 ユウ』を絶望の底へ叩き込んだ【運命】である。奴は自分の不幸よりも、孤独と他人の不幸を最も恐れる。「今回は」色々あって邪魔されたが、「今回の」ユウだけが避けられる道理はない。

 残念ながら、効力はまだ完全ではないらしい。だからトレヴァークとまではいかないようだが……奴は自らの手でラナソールを消し去らなければならなくなった。余計な横槍さえ入らなければ、まずユウがその役目を負わなければならないだろう。

 もしそれが実行されるならば、オリジナルの自身の完全復活は先送りとなってしまうが……まだ他に手はある。代わりにユウへ絶望の種を植えられるのならば、悪くはない交換だとアルは判断した。

 何より、己の思惑よりも【運命】の顔を立てることが、彼の信条である。宇宙に下野している間は、彼にも【運命】を把握することはできない。

 

「だが、想定外が二つ」

 

 アルは不愉快な顔をする。

 

 一つは、ヴィッターヴァイツの存在である。というよりはむしろ、彼を異常生命体へ回帰させたユウの心の力か。ユウの力が花開きかけていることに、アルは強い危機感を覚えていた。

「異常」化したヴィッターヴァイツは、こともあろうにユイをユウを引き合わせようと動いている。せっかく妨害していたものをだ。その動きがわかっていても、『ユウ』が一番の注意を向けているため、手を出せずにいる。

 早急に手を打たなければならないが……普通にやっていては『ユウ』を出し抜くことはできない。

 一工夫がいる。そのためにも、時間を稼がなければならない。

 

 そして、もう一つ。

 思わぬところで劇的な化学反応が起こったことに、アルは少々驚いていた。

 ゾルーダも一応、定義上は異常生命体である(それを言えば、ラナソールのすべての生命がそうなのだが)。だが放置しても影響のない程度の小物だと考えていた。

 

「小物が。小物ゆえの末路というわけか」

 

 醜い生への執着から生じた底なしの怨嗟の念は、エルゼムの行動をねじ曲げるに十分だった。アレの行動理由は人類の抹殺と世界の破壊であるから、トレヴァークへの足を持つゾルーダはうってつけだったというわけだ。

 

「やはり『今回は』何事もすべて予定通りにはいかないな。まったく忌々しい」

 

『ユウ』とは対照的な反応を示したアルは、『ユウ』に気取られるリスクを取っても、追加的な手を打つよりないことを悟った。

 

 エルゼムはアルトサイドにいればこそ、無限再生が可能である。万が一倒されてしまったとしても、アルトサイドにいる限りは、彼の【神の手】で復活できる。だが、現実世界に飛び出してしまえば、その無敵の再生能力にも若干の陰りが生じてしまう。

 とは言え、それ自体は大した問題ではない。エルゼム自体がゾルーダとの融合によって力を上げている上、現実世界での殺戮行為は、ナイトメア勢力の強化にもなるからだ。しかも殺戮行為による歪みの増大が、そのまま自身の復活の早期化にも繋がる。

 だが、ウィルやレンクスも、エルゼムを追ってトレヴァークへ飛び出してしまうのはさすがに頂けない。二人を釘付けにしておかなければ、どちらかがユウの代わりに世界の破壊を代行してしまいかねない。それでは面白くない。

 

 エルゼムがその役目を放棄した以上は――自らが手を下すしかない。

 

「頃合いだな」

 

 既に『ユウ』にくらった傷は癒えてきている。奴に遅れを取ることはないだろう。

 それにどの道、自分も奴も全力では戦えないのだ。

 

 光なき漆黒の瞳をキッと細めると、アルは瞬時にしてその場から消えた。



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290「黒の旅人 VS 始まりのフェバル」

 ナイトメア=エルゼムとウィルおよびレンクスの戦いは、永遠に終わらないのではないかと錯覚するほど、長い長い均衡状態が続いていた。

 だがあるとき、それはあっさりと終わってしまった。

 エルゼムはゾルーダの呼びかけに応じて、戦闘を中断して消えてしまったのだ。

 

「おい。あいつ、消えたぞ! どうなってやがんだ」

「逃げた、のか……?」

 

 ウィルは油断なく周囲を警戒しつつ、そう結論付けるしかなかった。

 しかし妙だ。なぜ今になって突然逃げ出したのか。状況はむしろエルゼムに有利だったはず。

 ゾルーダには生命反応も魔力反応もないために、ウィルにもレンクスにも皆目原因がわからなかった。

 ただ二人とも、長期間に渡る連続戦闘で疲労が蓄積していたのは違いなく。多少の休息を挟んでから奴を追おうかと、目を見合わせたそのとき――。

 

 二人の背後に、身の毛もよだつ気配が立ち上がった。

 

 アル――!

 

 振り返ろうとするも、まったく反応が追い付かない。

 ウィルにもレンクスにも、油断はなかった。ただ、あまりにも速過ぎたのだ。

 

 二人が身構えるよりも早く。

 

 二人の腹部にかざされたそれぞれの手が、二人を同時に弾き飛ばした。

 ウィルとレンクスは吹っ飛び、同時に倒れる。

 

「う……くっ……!」

「ぐ……が、あ……!」

 

 内臓を破壊され、口の中に血の味が広がる。本来のたうち回ってもおかしくないほどの激痛だったが、二人とも動くことはできなかった。

 まるで全身が麻痺したように、どうやってもまともに動かないのだ。【神の手】を使われたに違いなかった。

 

「ア、ル……!」

 

 ウィルが怒りを込めて、執念だけでアルを睨み付ける。自分を良いように操ってくれた因縁の敵。

 だが悔しいことに、まるで相手にならない。格が違うのはわかっていたが、実際に一撃で動けなくされてしまうのは屈辱の極みだった。

 アルがつまらなそうに一瞥すると、ウィルの意識は刈り取られてしまった。

 

「て、め……え……ユイ……を……!」

 

 レンクスもまた激しく怒っていた。

 だが彼も壮絶な痛みとダメージが重なり、アルが何かするまでもなく、意識を維持することができなくなった。

 

 二人に至上の怒りをぶつけられたアルであったが、彼自身は、処置を施した二人にはもう興味はなかった。

【運命】の啓示を受けたフェバルである以上、この場で完全に亡き者にすることはあえてしないが、邪魔にならなければ十分である。

 

 あいつらなどよりも、問題は――。

 

 アルは虚空を睨み付けた。

 闇の向こう側より、莫大な強さの反応が迫る。そいつは彼の前で立ち止まり、自分とそっくりな光なき瞳で、正面から彼を睨み付けた。

 

「やはり来たか。ユウ」

「脚を出したな。こそこそ逃げ回るのはやめにしたのか」

「頃合いかと思ってな。お互い、もはや余計な言葉は要るまい」

「ああ――そうだな」

 

 言い終わると同時、『ユウ』は黒の気剣で容赦なくアルに斬りかかっていた。

 アルもまた、黒の剣でしかと受け止める。

 そこから、まるで挨拶するように、剣舞を踊るかのように、超絶技巧と神速の応酬が繰り広げられる。

 実力はまったくの互角。

 そして互いに、これが「三世界を消し飛ばさない程度の茶番」であることを理解していた。

 それでも、ユウやウィルという肉体の枷から外れた二人の実力は。この場で発揮している力は、ミッターフレーション――ラナソールを半壊に追いやったあの日を遥かに凌駕している。

 

 アルトサイドには、激震が走っていた。

 

 次々と空間に穴が開く。すべてのナイトメアは二人の圧倒的オーラに気圧されて居場所を失い、押し出されるようにして、生じた穴からラナソールやトレヴァークに逃げていった。

 それも副次的な狙いの一つなのだ。やはりわかっていたことだが、この戦い自体、世界に与える悪影響が大き過ぎる。

『ユウ』は苦々しく思いながら、それでも攻撃の手を休めることはできなかった。

 ほんの少しでも気を抜けるような相手ではない。

 

 やはり最も厄介なのは、アルに違いなく。

 

 俺が押し留めなければ。誰がこの男を止められるものか。

 

 アルの口元が歪む。彼が感情を露わにするのは、最大の敵と認めた『星海 ユウ』という存在だけだ。

 

「このまま世界の終わりまで。僕と踊り続けてもらおうか!」

「知ったようなことばかり言って弄びやがって。だからお前は許せないんだ!」

 

 激突する剣と剣が、またアルトサイド全域を揺るがす――。

 

 神の領域の戦いは、人知れず闇の世界で――世界の歯車を終わりへ向かって急加速させる。



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291「ナイトメア大襲撃を前に」

 トレヴァーク全域に対して突然アラームが点灯し、ダイラー星系列のトリグラーブ暫定政府はにわかに慌しくなった。

 星裁執行官であるブレイは、ずっと険しい顔で副官ランウィーの報告を聞いていた。危機感から、ランウィーも冷や汗を浮かべている。

 

「シェリングドーラによる調査の結果、ナイトメアの総数は……推定三百億は下らないかと」

「滅茶苦茶な数だな。何かの嘘では……ないんだろうな……」

 

 ブレイは額に手を当てる。ランウィーは下らない冗談を言う人間でも、嘘を吐く人間でもない。

 

「残念ながら。事実です」

 

 彼女もまた、肩を落とす。

 トレヴァークの世界人口は約三十億。その実に十倍もの数のナイトメアが押し寄せようとしているのだ。八千年の悪夢の爆発は、第一次ミッターフレーションとはさらに規模が違っていた。

 二人は知らないことだが、『ユウ』とアルの激突によって押し出されてきた異形のうち、ほとんどはトレヴァークに来ていた。エルゼムに引き寄せられ、夢の大元である現実を破壊にしに来ていた。

 一方、ダイラー星系列の戦力は、あくまで三十億の現実世界を制圧統治することを想定して派遣されたものである。『事態』が想定以上のことを考慮し、ブレイはある程度余裕をもって戦力の準備をしていたのだが、それでも世界人口の十倍もの敵数は想定を遥かに超えるものだった。

 まともな戦力にカウントできるものとして、バラギオンは無事なのが十体、シェリングドーラは約十万体。一般の機械兵士では、ナイトメアの相手をするには実力が不足している。

 まったく数が足りていない。

 どうしたものか。いざというとき、本星からは現地人保護条約を破棄しても良いという通達が来ている。しかし。

 

「まさかこんなことになろうとは……突然だったな。何があったんだ?」

「わかりません。ホシミ ユウがラナに接触した直後に――あいつが何かしたのでしょうか?」

 

 フェバルそのものを危険視する向きのある彼女は、ユウに疑いの目を向ける。だがブレイは首を横に振った。

 

「あいつが何をやったらこうなるんだ? ラナの復活が何かのトリガーを引いてしまったのかもしれないが……今は協力者を疑っている場合ではない」

「そうですね。失言でした」

 

 哀れな一人の小物が引き起こしてしまった事態とは、誰も気付くわけもなく。

 

 さらに、敵襲の他にも、星脈に開いた穴も急速に広がっていることを計器は示していた。

 

「世界崩壊の進行速度が著しく上がっている。通常の承認ルートを経ていては、とても間に合わん」

 

 星裁執行官の中でも良心派であるブレイは、可能な限り現地人を救うという選択を捨てたくはなかったが……常に最悪の可能性を考える義務があった。

 

「本星へ緊急即時対応を通達する。三日以内に、周辺領域ごと――トレヴァーク、ラナソール、アルトサイドの三世界を消滅させる」

「承知しました。すぐに手筈を整えます」

 

 緊急即時対応。議会の承認を経ずして、現地判断により星消滅級兵器の招来および使用を行うことである。

 ブレイの対応は、取れる範囲での最善手ではあった。だが残念ながら、通達からの世界破壊は、宇宙の崩壊には間に合うだろうが、背後で進んでいるアルの完全復活には間に合わないだろう。

 

 なぜなら……【運命】はそのように決まっているのだから。

 

【運命】の掌の上であることを知らない二人は、できる限りの手を打つ。

 

「まだ時間はあるはずだ。ホシミ ユウとシルバリオ・アークスペイン、それから国軍とレッドドルーザーの総指揮官に連絡を。緊急会議を行う。『アセッド』やエインアークス、他の現地の連中と共同で応戦するぞ」

「はっ」

「ランウィー。私も現場へ出ることになろう。指揮は任せたぞ」

 

 フェバルはそれ自体が貴重な戦力である。圧倒的戦力不足に陥っている今は、焼け石に水かもしれないが。動かないという選択肢は彼にはない。

 ランウィーは、いつも現場に対して親身になり過ぎ、無茶をしてばかりの幼なじみを心配する。それでも、愛する彼の決めたことだからと。仕方ないなと呆れたように嘆息し、優しく背中を押した。

 

「わかりましたよ。まったくあなたは。うっかりナイトメア化なんかしたら、絶対に許しませんからね」

「心得ている。心配するな。私がお前を泣かせたことがあったか?」

「おかしいですね。記憶違いでしょうか? 昔から散々泣かせてばかりだったような気がしますが」

「そうだったかな? フフ。さあ、いくぞ――戦の準備だ」

 

 ブレイは、眼鏡をくいっと上げて会話を締めた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はあ。やっと出られたのよ」

「長い長い、そしてつまらない旅だったな……」

 

 永遠の幼女を肩車した男が呻く。ここはトレヴァークのどこかか。

 結局ユウを送り出してから、何か月にも渡ってずっと薄暗闇の世界を歩き続けていたのだから、嘆くのも仕方のない話ではあった。

 神域の男が二人。激突したことにより、アルトサイドのいたるところに穴が開いた。ナイトメアの波に混ざることによって、ラミィとザックスは現実世界へ脱出することができたのであった。

 

「始まりのフェバルと黒の旅人……ついに激突したようね」

「場所を選んでくれ……いや、選んでアレなのか……。危うく死にかけたぞ」

 

 戦いの余波だけで、危うく二人は軽く消し飛ばされそうになっていた。二人で協力して全力の防御魔法を張らなければ、命が危なかったのである。

 アルトサイドで戦うことが、周囲への被害では最もマシな選択であると理解はしていたが。どうにも不運な二人だった。

 

「で、これからどうする? お姫様」

「お姫様は止めて頂戴。……そうね。ユウと合流してみようかしら。どうやら世界の危機、というものではあるようだし」

「手を貸すつもりか? 珍しい気まぐれだな」

「乗りかかった船でしょうよ。わたしとしても、この仕打ちには堪えかねるものがあったもの。敵の一つや二つ、消し飛ばして気分転換よ。やっておしまい」

 

 幼女は、目下の下僕馬に細い足を蹴りつけてけしかけた。

 その年頃の姿の女の子が、本来していてはいけないような怖い笑みを浮かべている。

 

「貴女が望むなら。まあ俺は、協力すると言っても、誰にも近づけないけどな……」

 

 ザックスが寂しそうに肩を落とす。

 

「もう。私がいるのだから、くよくよしないのよ」

 

 小さな手が、嘆く男をあやす。

 どんな世界の危機にあっても、二人は【いつもいっしょ】。とにかくマイペースだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ついに始まったか……」

 

『世界の傍観者』トーマス・グレイバーは、闇の軍勢が迫る雰囲気を感じ取っていた。

 ナイトメアのほとんどはトレヴァークに向かったが、ラナソールにも来なかったわけではない。いつもの襲撃に数倍するほどの数が、こちらにもやって来ようとしていた。

 

「そうだなッ! 始まってきたなッ!」

 

 違う意味に捉えたのか、隣で、ありのまま団同僚のマイケルが、白い歯を見せてにやりと笑う。彼はようやく身体が温まってきたところだった。

 そう。トーマスはありのまま団の連中にひっそりと混じり、今は襲い来る魔獣やナイトメアに対抗するため、漢のマッスルトレーニングをしているところだった。

 

 トーマスは思案する。

 ラナソールは夢幻の世界である。

 この世界に暮らす連中は、最終的には皆、殺されて死ぬか消えてなくなるか、どちらかに収束するのだろう。

 だがそれは、どうせ死ぬからこいつらを放置しても良いということにはならない。

 今死なせてしなうと、現実世界にいる対応した人物の命も失われることになる。

 やはり現状、ラナソールは捨て置くことはできない。トレヴァークと同様、守らなければならないのだ。

 

「HAHAHA! トーマス! いいぞッ! お前の筋肉も仕上がってきたなッ!」

「俺はいつもバリバリDAZE!」

 

 潜伏して三年近く。裸の付き合いも短くはない。愛着がわいていないと言えば嘘になる。

 

 ――そうだな。たまには「一肌脱ぐ」としようか。

 

 ただし、俺がこっそり守るのはありのまま団だけだ。

 あとは――あんたの仕事さ。見守らせてもらうぜ。ユウ。

 

 トーマスは、不敵に笑った。

 

 

 それぞれが動きを見せる中、闇の襲撃はすぐそこまで来ていた。



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292「それでも世界は待ってなどくれない」

 無力に打ちひしがれ、泣き崩れていた俺は、けれどそうしていることも許されないようだった。

 

 ――なんだ?

 

 数え切れないほどの悪意を感じる……! それも世界のいたるところから!

 これではまるで、八千年前のあのときの再来じゃないか……!

 

 さらに、一際強いヤツの反応があった。

 この反応は――まさかエルゼムか!?

 そうか……。あいつがとうとうこっちの世界に出て来てしまったんだ。だから恐ろしい数のナイトメアも一緒に……。

 

 ちくしょう。こんなときでも、世界は待ってはくれないのかよ……。

 

 わかっている。滅びの危機に瀕しているこんなときだからこそ。世界は待ってなどくれないのだ。

 

 袖を拭って立ち上がる。立ち上がるしかなかった。ただ泣いているだけで許される立場の人間では、もうないのだから……。

 

 俺がおびただしい数のナイトメアを察知して間もなく、トリグラーブを緊急警報が揺るがした。屋内待機命令が下り、またバラギオンが数体集まって、広域破壊防止用の結界を張るようだ。

 遠慮がちに部屋のドアがノックされ、リクの呼びかけが聞こえてきた。俺はドアを開く。

 

「ユウさん。ダイラー星系列から招集が来てます。緊急会議を行うから、速やかに来るようにと。J.C.さんも呼ばれて、既に向かってます」

「わかった。すぐに行くよ」

「その……こんなときに言うのもあれですけど、大丈夫ですか? 目、真っ赤ですよ」

 

 傍目からもひどい状態になっているのだろう。泣いた痕も隠せはしない。

 

「……ごめんな。大丈夫なんて、とても言えない。けど、人を守るためなら戦えるさ。戦わなきゃな……」

「そう、ですか……」

 

 人を助ける。そのために動いている間は、余計なことを考えなくて済むから。

 

「その……ランドさんなんですけど。僕にはやっぱり気持ちが良くわかってしまって。ユウさんのことボコボコに殴っちゃったけど、怒らないでやってくれませんか。あの人もどうしたらいいのか、わからないんだと思います……」

「怒るわけないだろ。俺だって気持ちは痛いほどわかるさ。俺だって、みんなを助けたい……。でも、俺にはもう……っ……」

「ユウさん……」

「ごめん。もう行かないと」

 

 突き放すように、俺は足を進めた。

 頭が痛い。まるで虫が動き回っているようにぐちゃぐちゃだ。

 

 さらに入り口まで進むと、ピンク髪の少女がおずおずとした様子で立っている。

 

「ユウくん……」

「ハル……」

 

 こんなときでも《マインドリンカー》が効いている辺り、ハルとレオンはとことん俺の理解者であるらしかった。

 すごいよな……レオンは。自分が死んでしまう可能性を受け入れているのだから。

 

 俺がどんな気持ちでいるのか伝わっているから、ハルは余計に声がかけられないようだった。思い悩み、勇気を振り絞るように一言だけ告げた。

 

「ボクとレオンは、キミがどんな決断をしても、味方だから。だから……」

「……ありがとう。行ってくる」

 

 ――結局は、俺の心一つ次第なんだ。誰かが代わりにやってくれるわけじゃない……。誰も代わりなどできない……。

 

 昔の俺ならどうしただろうか。サークリスにいた頃の俺なら、きっとランドのように、止めたいって心のままに行動していただろうか。

 それがどんな結末に繋がるとしても、最善の道を信じて進み続けたのだろうか。

 だとしたら、大人になってしまったのかな。

 旅の中で、本当に色々なことがあった。綺麗事ばかりでは動かない世界。色々なことを知ってしまっただけ、心は重く鈍ってしまった。

 それが良い変化なのか、俺にはわからない。今の俺にできなくて、あのときの俺にならできたことだってあるのだろう。もちろん逆もある。

 

 リクには心配されたけど、俺は本当にランドに対してまったく怒ってなんかいなかった。

 むしろ、あそこで感情を剥き出しにして怒れるランドが眩しかった。俺もそうしたいと思ってしまったんだ。

 ランドとシルヴィアと一緒に世界を駆けずり回って、がむしゃらにみんなを救う道を探せたら。どんなに良かっただろう。

 

 でも、今の俺にはできない。俺がやってはいけないことなんだ……。

 

 俺は無力だ。けれどそれは、世界の現状に対して自分ではどうすることもできないという意味であって。

 あのときのような、世界を左右する力もない、ただの無力な子供ではない。

 今の俺は人間のつもりでも、同時に能力を磨いたフェバルでもある。

 

 ……もう言い訳はできない。

 

 数少ない、二つの世界を行き来できる力が。幾多の依頼をこなし、死すべき人々の運命すら変えてきた力が。やり方次第で、ヴィッターヴァイツにさえ届いた想いの力が。

 

 この手にはもう、世界を変える力がある――。

 

 それは同時に、力を持つ者としての、世界を動かせる者としての、責任があるということなんだ……。

 

 世界を正しく終わらせる力。その力を持つのは、俺だけで……。

 

 …………。

 

 俺は分厚い雲に覆われたような気分のまま、トリグラーブ暫定政府に向かって、足だけは急いでいた。すべきことと、心の中がちぐはぐだった。



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293「トリグラーブ世界防衛会議」

 トリグラーブ暫定政府官邸へ着くと、副官のランウィーさんが出迎えてくれた。

 会議室に連れられて入る。

 中には既にJ.C.さん、国軍総指揮官、レッドドルーザー総指揮官、そしてシルバリオと御付きのシズハがいた。議長席には、ブレイが座っている。

 国軍とレッドドルーザーは、俺の顔を見るなりあからさまに「なんだこのガキは」って顔をしたが(トレヴァークではそんなに有名じゃなかったな俺)、形式的に会釈をした。

 J.C.さんは心配そうな顔で俺を見つめている。

 シルバリオはシズハと伴い、顔をほころばせて俺の方に近づいてきた。一方のシズハは、ずっと浮かない顔をしている。

 

「久しいですね。ユウさん」

「シルバリオさんも健在のようで」

「お互い色々ありましたな。ユウさんからは通話での報告は受けていましたが、中々こうして会う機会には恵まれず。シズハにも頼りっぱなしでそちらへ寄越すこともできずじまいで、誠に申し訳ない」

「いえ。そちらも夢想病や首都襲撃の対応で大変だったのは知っていますから。また会えて嬉しいです」

 

 シズハと目が合う。彼女は小さく頷くと、俺の側まで歩を進めて耳打ちした。

 

「シルヴィア……とても、苦しんでる……無理もない、よね……」

「そうか……。君はシルと繋がっているから……」

 

 おおよその事情も既に掴んでいるのだろう。辛くて泣きそうな感情が伝わってくる。

 

「世界の真実は、何よりも残酷……。私……この仕事、因果と思ってた……けど……。世界は、もっとずっと残酷で……。あなたに降りかかる、運命も……」

 

 力なくしなだれかかるシズハ。俺は優しく肩を抱きとめて、受け止めてやることしかできない。

 ああ――泣いている。涙が出てこないだけで、彼女ははっきり泣いている。

 シズもまた、心が折れそうなのだ。感情を抑制する訓練を受けた彼女は、素直に涙をこぼすことができないだけなんだ……。

 

「わからない……どうしたらいいの……? 彼女に、なんて答えたら……いい? 答えられない……私は、ずっと……」

「…………」

 

 俺にも答えられない。俺の中にも、答えなんてない。あるわけがない。

 けどここで彼女に当たるのは最低なことだって、そのくらいはわかる。

 

「ごめんな。シズハ。俺にも……答えはないんだ……」

「ごめんなさい……あなたに聞くことじゃ、なかった、よね……」

 

 でもこのまま放っておけば、ナイトメアが世界を滅茶苦茶にしてしまうなら。トレヴァークも一緒に終わってしまうのなら……きっと……。

 

 重苦しい予感を胸に抱く俺を見て、彼女は息を呑んだ。

 俺からそっと離れて、目を見つめて、言う。

 

「私、せめて……もう一人の『私』と、向き合い続ける……そう、する……」

「そっか……」

「だから、あなたも……負けないで」

「うん……。ありがとう」

 

 頃合いを見計らってくれていたのか、そこでブレイが手を叩いた。

 俺も着席すると、ブレイが言った。

 

「色々積もる話もあるだろうが、時間がない。そろそろ始めるぞ。と、その前に……」

 

 彼の側に控えるランウィーが嘆息する。彼は眼鏡に指を添え、クイッと上げてから言った。

 

「聞いているんだろう? この場は不問とする。拘束も記憶の解析もしないから、出てきてくれたまえ。君も貴重な戦力だ」

 

 ――その瞬間、空間が割れて、一人の少女が現れた。

 

「あはは……さすがにバレてましたか」

 

 アニエス! どこに行ってるのかと思ったら!

 

 舌を出して誤魔化し笑いをして、しかめ面のブレイが指し示した席に座る。ちょうど俺の隣だった。

 

「本来なら、軍事機密の盗聴は重罪になるんですからね」

「すみませんでしたー」

 

 ランウィーにきっちり釘を刺されて萎れる彼女は、年相応らしく見えた。

 

「では役者が揃ったところで、早速本題に入るとしよう」

 

 あれ。そう言えば、受付のお姉さんがいないような……。

 そうだった。あの人、ダイラー星系列にまったく捕捉されてないんだった。でもきっともう独自に動いているはずだ。

 

 

 すぐに本題から入る。

 エルゼムの出現と、大量のナイトメアの発生。総数は三億ともいう。危機的状況にどう対応するか。

 ダイラー星系列が主導となるのはもちろんだが、単独では圧倒的に戦力が足りない。現地人の協力が求められた。

 だがトレヴァークの一般人は、銃を持ったところで怪物に立ち向かうのは到底不可能である。そのことはダイラー星系列も理解している。

 話し合いの中で、トレヴァークの人たちの中には、一部ではあるが、ラナソールの力が発現している者がいることがわかった。

 アセッド、エインアークス、国軍、レッドドルーザーの中にもそういった人たちはいる。戦闘経験のある彼らならば、ナイトメアに対する戦力に数えられるだろう、という結論になった。

 役割分担がされた。

 世界中に勢力の存在するアセッドとエインアークスは、各地の防衛を担うことになった。シズハは引き続きシルバリオの下、トリグラーブの防衛任務に就くことになる。

 国軍は人数の多い都市を重点的に、レッドドルーザーはダイクロップスを中心に守る。

 ダイラー星系列は、トリグラーブをメインに守りつつ、手の足りないところへ機動的に戦力を投入することとなった。結界を張り続けるため、常時五体のバラギオンが磔になるのは痛いところだが、やむをえない。

 

 そして、アニエス、J.C.さん、ブレイさん、俺は特記戦力として扱われる。

 アニエスの役割は、時空魔法を駆使した後方支援である。任意の位置へ即時に戦力を送り込める彼女の存在は、戦略上非常に重要だった。アニエス自身、戦闘能力はフェバルに比べると低い自負があったので、この扱いには内心ほっとしたようだ。「任せて下さい!」と張り切って返事をしていた。

 J.C.さんは、もちろん回復役として後方支援だ。肉体さえ残っていれば復活できるのだから、これを活用しない手はない。「あまり何度も使うと疲れるのだけどね」と彼女はぼやいていたが、無理をするくらい力を尽くしてくれるだろう。優しい人だから。

 ブレイさんと俺は、前衛としてナイトメアの対処に当たる。

 ブレイさんは、厳密には戦闘タイプではないらしいのだけど、このメンツの中では戦える方ということで、自ら前線を買って出た。

 俺も前へ出て戦うことになるが……ラナソールのみんなとの繋がりが切れてしまい、大幅に力が落ちてしまった。あれほど時間をかけて繋いだ力が、あっけなく失われてしまった。

 すべては俺のメンタルの問題だ。わかっているのだけど、どうしようもなくて……。

 幸い、レオンやフェバルとの繋がりはあるから、まだ戦えないことはないのだけど……この状態でどれほどやれるのか、あまり自信はない。

 自信はなくても、戦わなくてはいけない。それもわかっていた。

 

 最後にランウィーが総指揮を執ることを宣言し、会議はお開きになった。

 時間にして三十分もない、濃密な会議だった。それだけ時間がないのだ。話をしている間にも、ナイトメアは各地を襲い始めているのだから。

 

 ただ俺は、これだけは話しておかなくてはいけないと思い、立ち上がるブレイさんに声をかけた。

 

「あの、ブレイさん。ちょっといいですか? 大事な話があります」

「なんだ。手短に頼むぞ」

 

 

 

 ***

 

 

 

 みんなに出払ってもらってから、俺は本日分の報告も兼ねて、知った世界の真実とラナに告げられた「唯一の解決方法」につき、包み隠さずに話した。

 出払ってもらったのには、もちろん理由がある。

 トレヴァークの人間は、ラナソールの人間と繋がっている。その繋がりから向こうの世界にいる誰かに伝わって、パニックになることを恐れた。

 そんな小賢しいことを考えてやってしまう自分に、またひどい罪悪感を覚えながら。そんなことをしているから、ランドにもキレられたんじゃないのか。

 

 だけど、できない。真実を伝えることで状況がますます悪化するのが、明らかに見えているのだから……。

 

「なるほどな。ラナソールは幻の世界……トレインは今も【創造】で終わったはずの世界を維持し続けており、この『事態』の解決のためには、彼を抹殺し、世界を終わらせるしかないと……」

「そういうことです……」

「あいわかった。よくぞここまで調べ上げてくれた。礼を言う」

 

 ブレイは、難しい顔をしたまま考え込んでいた。やがて、重々しく言った。

 

「……お前には教えておこう。緊急即時対応を要請した。星消滅級兵器が着くまで、あと二日だ。それ以上はもうない。それほどまで世界の滅びは早まってしまったのだ。わかるな?」

「はい……」

 

 この期に及んでまだ期限が先にあると思うほど、楽観視はしていない。

 

「最後の猶予だ。我々ダイラー星系列としては、宇宙消滅の『事態』が避けられるなら、あとはどう転んでも良いのだ。それも……わかるな?」

 

 念を押される。言外に、ダイラー星系列としては、トレヴァークを消し去ることも厭わないと。そうはっきり告げられてしまう。

 

「フェバルの運命とは、まこと因果なものだ。私にも色々あったな……」

 

 窓の向こう、遠くを眺めるブレイさん。

 眼鏡の奥の瞳には何が映っているのか、俺にはわからないけれど。ただ同情されていることだけはわかる。

 

「我々も条約がある手前、限界までは世界と人々を守る。だから後のことは……ここまで調査してくれた、貴殿にすべて委ねるとしよう。好きにしたまえ」

「ありがとうございます」

「何度でも言うが、結局我々にできることは、いつ終わらせるかだけ――トレヴァークごとすべてを消し去ってしまうことだけだ。お前の手には、半分だけ優しい選択肢が握られている。それは十分贅沢なことなのだぞ」

「はい……。わかっています……それは、わかっています……」

 

 事実として、トレインを亡き者にし、ラナソールを消し去りさえすれば。

 そうすれば、このトレヴァークに生きるみんなだけは助かるのだ。

 俺が決断を遅らせれば遅らせるほどに、夢は悪夢に侵食され、現実世界のみんなは殺されていく。または闇に落ちて、手遅れになっていく。

 

 そんなことは……頭では、わかっているんだ。だけど……。

 

「覚悟を決めたまえ。若人よ。力ある者の責任とは、そういうことだ……」

 

 俺の肩に優しく手を置き、ブレイさんは立場上言える最大限の励ましを送った。

 

「さて、時間が惜しい。行こうか。厳しい戦いが待っている」

「わかりました。行きましょう」

「だがな。その気になったのならば、貴殿はいつでも戦線を離脱しても構わない。私の権限で許可しておこう」

「はい。ありがとうございます」

 

 精一杯気張って返事をした。そうでもしないと、また勝手に涙が出てきそうだった。



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294「絶望的な戦い」

 出発の直前に、ランウィーさんから通信連絡が入った。ずっと気がかりだったエルゼムについてだ。

 奴がなぜすぐにトリグラーブを襲って来なかったのか。足止めされていることが判明したのだ。

 爆心地付近にて、エルゼムは謎の赤髪の女性と交戦中だとランウィーさんは教えてくれた。その女性は、押され気味ながらも、たった一人で奮闘しているらしい。

 たぶん、いや間違いなく受付のお姉さんだ。

 お姉さんは、エルゼムが最も厄介な敵であることを察知して、単身真っ先に乗り込んでいったのだ。

 アレとまともに戦えるということは、最低でも戦闘タイプのフェバル並みには強いということになる。俺たちは反応することすらできなかった相手に。本当にすごい人だ。一体どれほどの修行を重ねてきたのだろう。

 すぐにでも応援に入るべきか迷ったが、そのうちにまた戦況が変わった。

 さらに謎の黒髪の幼女と大柄の男性が現れ、お姉さんの助けに入ったらしい。三対一となり、大地が削れるほどの激戦を繰り広げているようだ。

 幼女と男……ラミィとザックスだろうか。爆心地の方に注意を向ければ、確かに二人の反応を感じた。

 

 以上の状況連絡を受け、ブレイさんは判断を下した。

 

「よし。我々は予定通り、世界各地のサポートに入るぞ。どうも我々が立ち入れるレベルの戦いではなさそうだ」

「はい。そのようですね」

 

 悔しいが、今の実力で入っても足手まといになるだけだ。ブレイさんの言うことが正しかった。

 

 俺はそのまま、ブレイさんと行動をともにする。時折アニエスの手を借りて、戦力が足りていないところのカバーを中心に回る。アニエスは俺たちに付きっきりではなく、全体の足として忙しなく動き回っていた。

 ランウィーさんが戦況を見極め、逐次適切な場所を移動を指示してくれた。

 劣勢に陥っているところへ応援に行く関係で、俺たちが向かうところは常に激しい戦いが繰り広げられていた。

 ナイトメアの大群に襲われ、怪我を負い、悲鳴を上げる人々。殺されてしまった人々。そればかりか、ナイトメアに変化させられてしまう人々。そして、ナイトメアに変化した家族や友人に殺されてしまう人々。

 何度も何度も目の当たりにした。

 俺はとにかく必死になって、ナイトメアを斬って斬って斬りまくった。一体一体だけを見れば、まったく勝てない相手ではない。それでも敵の数はあまりに圧倒的で、しかもそれぞれが遥かにパワーアップしている。

 とてもみんなを守れない。手を伸ばしても届かないものが多過ぎる!

 繰り返し見せ付けられる惨殺が、悲劇の連鎖が、へし折れそうな俺の心をさらにめった打ちにする。

 泣いている場合ではないのに、何度も目に涙が溜まって。そのたび周りに悟られないように拭っていた。

 それもこれも、情けない俺がいつまでも決断できないからなんだ。手をこまねいている間にも、どんどん犠牲者は増えていく。

 俺のせいだ……。俺がしっかりしていないから……。

 心の力は、ハルやフェバルたちとの繋がりを除いては、ほとんどろくに働いてはくれなかった。

 動きにも冴えがない。自分でもわかっていた。けれど、戦いの手を止めるわけにはいかない。

 見かねたブレイさんが、心配して声をかけてくる。

 

「ユウ。お前……やはり本調子ではないようだな。精神状態に大きく左右される力というのは、こういうときに面倒だな」

「本当にすみません。もっとしっかりしなきゃいけないって、わかってはいるんですけど……っ!」

「無理はない。だが、少し下がった方がいいんじゃないのか? そもそもお前には、この世界の人々を救う義務はないのだぞ」

「そんなこと、言わないで下さい。俺が何のために今まで戦ってきたのか、知らないわけじゃないでしょう!?」

「そうか……そうだよな。わかった。何も言うまい。気の済むようにするといい」

 

 ブレイさんは、それからも黙々と戦い続けていたが、彼もまた無力を感じているようだった。

 彼の能力は【素粒子操作】らしい。対象の素粒子を操作することによって、破壊や変換といった事象を引き起こす。ヴィッターヴァイツの【支配】と若干似ているが、対象を素粒子に限定する代わりに、よりきめ細やかな操作が可能だそうだ。

 だが、ナイトメアには実体がない。操作すべき対象がないのだ。能力は役に立たず、自前の魔力によって戦うしかない。こうなると、戦闘タイプでないことが致命的に響いた。

 今の彼は、今の俺よりいくらか強いレベルに過ぎないのだ。

 

 そして、そんな俺たちの限界をまざまざと見せ付けるような強敵が、ついに現れてしまった。

 地を揺るがしながら迫る巨大な影。異常に肥大した手足のみを誇りにする、シンプルなゴーレム型の体躯。

 

「おいおい……。なんだあのでかいのは……」

「あいつは!? まさか!」

 

 ナイトメア化し、全身が真っ黒に染まっているが。あの姿はラナクリムでも有名だった。よく知っている――!

 

「『拳闘神獣』ナックガルガ……!」

「そいつはなんだ。特別な魔獣か?」

「はい。魔神種です! しかも最強クラスの!」

「何だと……!?」

 

 ラナクリムにおける「挑戦推奨」レベル――570。

 あの偽神ケベラゴールよりもさらに数段格上の、文句なしに最強格の魔神種だ。

 図太い手足に相応しい圧倒的パワーと、見かけに似合わない超スピードから繰り出される、「世界の壁すらも砕く」と形容される威力の物理攻撃のみを武器とする、実に潔いヤツだ。

 まさかあのクラスまでもが、ナイトメア化してしまうなんて……!

 今まではなかったことだった。魔神種は、闇に呑まれない程度には個の強さを持っていたはずなのだけど。ここまで世界の崩壊が進んでしまうと、さすがに耐えるのは無理だったのか。

 

 エルゼムだけが問題ではなかった。あいつほどではないが、恐るべき実力を持つ敵は複数いたのだ。しかもこいつはナイトメア化したことで、さらに一段と実力が上がっている。今の俺たちに勝てるのか――。

 

 ナックガルガは俺たちに狙いを定めると、巨大な足を踏み込む。次の瞬間には、地を蹴り砕く爆音に先んじて、拳を振りかぶりながら目前まで迫っていた。

 

 速い――!

 

《パストライヴ》!

 

 足の踏み込みが殴り込みの予備動作であることを知っていた俺は、咄嗟にショートワープで回避する。

 一方、ブレイさんは一瞬の対応が遅れ、顔面にパンチが直撃していた。トレードマークの眼鏡が粉々に割れ、弾丸のようにすっ飛んでいく。肉体が吹き飛んでいないのは、フェバルの頑丈さが為せる業か。

 

『ブレイさん!』

 

 思わず念話を飛ばすが、人の心配をしている場合ではなかった。

 ナックガルガは、既に逃げた俺の位置を掴んでこちらに向かっている。《パストライヴ》は使用後に一瞬の隙があるため、こいつを前にして連続使用する暇はなかった。

 打ち出してくる拳に合わせ、カウンター狙いで光の魔法気剣を突き出す。うまくかわしつつ浅く斬り付けたが、ダメージは微々たるものだ。

 俺が次の一手を繰り出すよりも速く、ナックガルガは動く。

 強烈なかかと落としが頭上から降り下ろされていた。まともに受けてはまずい。

 受け流したが、勢いを殺し切れずに地へ弾き出される。

 もろに叩きつけられる前に地面を蹴り、急速に方向転換する。距離を取って魔法気剣に賭けるつもりだった。

 しかしナックガルガは、そんな俺を嘲笑うかのように、軌道を余裕で追跡し、いつの間にか背後に回っていた。

 まずい。

 振り向き、急ブレーキをかけ、両腕を交差させてガードする。もはやそれしかなかった。

 ガードの上からでも、ぶち抜く拳が炸裂する。インパクトの瞬間、自ら後方へ飛び、威力を殺す。

 それでもダメージは大きかった。

 両腕が折れているのがわかる。今ので死ななかったのは、咄嗟の判断が功を奏したが――。

 見逃してくれる敵ではない。

 空中で体制を整える間もない中、容赦なく追撃の拳が迫る。今度こそ防ぐのは不可能。

 

 ――ダメだ。俺。

 

 気持ちの整理も付かないまま、無理に戦おうとして。この様か。

 心の弱った俺は、こんなにも弱くなってしまうのか。

 

 みんなをろくに守ることもできず。ナイトメアの一体にも勝てない――。

 

 本当に、情けなくて。どうしようもない――。

 

 

 

 ――――。

 

 

 

 思わず、自分の目を疑った。

 

 大きな背中が、まさに止めをささんとする敵の前に立ちふさがっていた。

 彼の掌は、ナックガルガの巨大な拳をぴたりと受け止めていた。まるでそよ風のように、何でもないかのように。

 ナックガルガは、いきなりのことに動揺が隠せなかった。拳を引こうとするが、掴まれたままびくともしない。

 彼は獰猛に笑って、言った。

 

「獣風情が。力任せばかりで、拳の使い方をろくに知らんと見える。いいか。拳はな――こうやって打つのだ!」

 

 腰のひねりを利かせた、光の魔力を纏った拳が――実に美しい軌道を描き、ナックガルガの胴へ叩きこまれる。

 それは芸術のごとく磨き上げられ、高められた人の技。修業と戦いに身を捧げた男の技だ。

 

 激突の瞬間、ナックガルガは全身丸ごと、風船のように弾けた。

 格の違いを示すかのように。最初から敵ではないと言わんばかりに。

 

 一撃でケリが着いた。

 

 やったことはわかった。その圧倒的な強さも身をもってよく知っている。

 でもなぜ、何がどうなってそうなったのか。さっぱりわからなかった。

 

 どうして、お前が俺を……?

 

「ヴィッターヴァイツ……!?」

「フン。探したぞ。ホシミ ユウ」

 

 ヴィッターヴァイツは、茫然とする俺の胸倉を掴むと――ナックガルガの代わりとばかりに、殴り飛ばした。



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295「神ならざる人だから」

 ヴィッターヴァイツにぶん殴られ、俺は地面を転がっていた。

 相当手加減されて殴られたことはわかった。こいつが本気なら、既に俺の首は繋がっていない。

 ヴィッターヴァイツは、憤りを露わに吼えた。

 

「ユウ! 貴様、こんなときに何をしている。いつからそんな腑抜けた面をするようになったのだッ!」

 

 理解した。この男は、不甲斐ない俺に喝を入れたのだと。

 ずきずきと痛む頬を押さえる。折れた腕なんかよりもずっと、芯に響く傷みだった。

 

 ――事情もすべて知らないくせに、言ってくれるじゃないか。

 

「ふざけるな。オレは、今の貴様のような弱い男に負けた覚えはないぞ!」

「だって……っ……! しょうがないじゃないか! トレインを殺してラナソールを消さなきゃ、あの世界のみんなを消さなきゃ、トレヴァークも宇宙も、すべてが終わってしまうんだ! そんなこと言われて、どう考えたってそれしか道がなくて……俺だってもうどうしたらいいかわかんないんだよっ!」

 

 仇敵だったからこそ。恥も外聞もなく、立場もなく。生のままの感情を、そのままぶつけられた。

 ヴィッターヴァイツは、正面から俺の感情を受け止めて、甘い言葉はかけなかった。バッサリと切って捨てる。

 

「馬鹿野郎。そんなこと、奴らに生命反応がない時点で、初めから可能性として予想できていたことだろうが……!」

「そんなことだとッ! 俺が、俺たちが! どれだけ……っ! みんなを助けるために動いてきたと思ってるんだ!」

「オレから言わせれば、そんなものはただの現実逃避だ。貴様は薄々気付いていながら、ただどうしようもない真実を認めたくなかっただけだ。違うか?」

 

 違わない……。

 本当はわかってた。そうかもしれないって、ずっと思ってた。

 よりによってこの男に図星を突かれたことが、悔しくて。情けなくて。

 

 絶対に言ってはいけないことまで、衝動的に言ってしまう。

 

「お前がそれを言うのか! 運命に屈服して、逃げ続けてきたお前が!」

 

 最低だった。言った瞬間に後悔した。

 けれどもヴィッターヴァイツは、怒鳴り返すことなく、静かに認めた。

 

「ああ、そうだ。オレはずっと逃げ続けてきた。全部諦めて逃げ続けて、自分を誤魔化して、そして……この様だ」

 

 苦々しい表情で拳を握りしめ、尻餅をついたままの俺に歩み寄りながら、問いかけてくる。

 

「貴様も同じように逃げるのか? 貴様も所詮は同類だったのか?」

 

 まだ答えられない俺に、ヴィッターヴァイツはさらに追い打ちをかける。

 

「この世の不条理になど負けないと。人のままフェバルに勝ってやると。運命などクソ食らえだと。そんなものに負けてなるものかと。そう息巻いていたのは誰だ?」

 

 俺に指を突きつけ、彼は己が発した問いに答える。

 

「貴様だ! 貴様の決意と覚悟とやらは、そんな程度のものだったのか!?」

「う、ぐっ……!」

 

 死ぬほど悔しかった。死ぬほど情けなかった。

 命をかけるほどの啖呵を切って、ハルや人々の想いも乗せて徹底的に向き合った相手に。絶望からどこまでも人の価値を否定しようとしたこの男に、逆に人の覚悟を諭されているようじゃ、世話はない。

 俺の気持ちが揺らいだと見たか、ヴィッターヴァイツは少し声を和らげ、説教を続ける。

 

「……人生の先輩として、一つ教えてやろう。この宇宙には、救いようのないことなどいくらでもある。いくらでもあるのだ……。フェバルに降りかかる過酷な運命は、それほど強力で理不尽なものなのだ……」

 

 万感を込めて、無念を隠さずに呟くヴィッターヴァイツ。

 何も否定できない。俺はあのとき、この男の心を見てしまったから。

 そして、心底同情してしまったのだから。できれば救ってやりたいとさえ思ってしまうほどに。

 

「じゃあ。これが運命だと……諦めろと……」

「そういうこともあるという話だ。いい加減、現実を見ろ。己に課せられた運命を真っ直ぐ見つめろ。神ならぬ人の身には、どうしたって限界はあるのだ。何もかも何とかなるなどと、思い上がるな」

「……そう、か。そうだよな……俺、やっぱりどこかで、思い上がっていたんだ」

 

 改めて思い知らされて、打ちひしがれる俺を、だがヴィッターヴァイツは改めて否定する。

 

「だがな」

「…………?」

「今回ばかりは、すべてを救えないかもしれん。それでも貴様は、どうしても割り切れなくて、みっともなく戦い続けているのだろう?」

「ああ……そうだよ……」

「ラナソールの連中を裏切ったも同然。さぞかし罪悪感でいっぱいというところか」

「まるでお前の方が、心を読んでいるみたいだな……」

「ふん。わかりやすいのだ。貴様は」

 

 彼は俺の瞳をじっと見つめ、少し言葉を考えてから言った。

 

「なあ、ユウよ。何をそんなに苦しんでいる」

「何をって」

 

 当たり前だろう。これが苦しくないわけがない。

 だがヴィッターヴァイツは、下らんと断ずる。

 

「割り切れない。常には正しくあることができない。そんなことで押し潰されそうになっている貴様は、何だ。神にでもなったつもりか?」

「…………いや」

「違うのだろう? 人なのだろう? だったら――割り切れない。それで一向に構わないではないか」

「…………!」

「それにな。割り切れないことと、へし折れることは違うぞ。貴様は一度の敗北で心が折れてしまうほど、弱い人間なのか!?」

「違う……」

「違うだろう!? そうではないはずだ!」

 

 また、燃え滾る情熱の激が飛ぶ。

 何がそこまで言わせるのか。そこまで彼を変えてしまったのか。

 俺の想いは、自分が思っていたよりもずっと深く、この男に「届いていた」のだろうか。

 

「思い出せ。貴様がいつだって最も大切にしてきた想いを! 貴様は! 貴様はッ! その優しさと慈悲の心で、手に届くだけの人間を救ってきたのではないかッ! その想いと行動に嘘偽りなどありはしないッ! そうだろうッ!」

 

 幾度もの激突が。因縁のぶつかり合いが。彼を俺の最も深い理解者の一人にしていた。

 

 ヴィッターヴァイツは側まで歩み寄り、ぶっきらぼうに俺へ手を差し伸べた。

 

「立て。オレの手を取れ。立つのだ! ホシミ ユウッ!」

 

 ほとんど泣きそうな声で、彼はそう言った。

 

 あのヴィッターヴァイツが……。

 

 俺もつられて泣きそうになっていた。

 

 これまで絶望から流してきたものとはまったく違う、熱い熱い涙が滲む。

 

「ユウよ! 立て! 戦え! こんなところで負けるな。オレのように逃げてくれるな。今日運命に勝てずとも、最後までしっかりと向き合え。その優しさで、できるだけのことをやってみろ! 今は届かぬことでも、必ず明日へと繋がっていくはずだッ! それが人というものだろうッ! なあ、違うのかッ!?」

「……ああ。その通りだ。何も、違わない……!」

 

 当たり前のことを忘れていた。

 

 なまじ強くなってしまったばかりに、何でもできなきゃいけないと思い上がっていた。できないことに絶望してしまった。

 

 すべてを救えなかったことなんて、今までだってずっとそうだったじゃないか。

 

 ただ今回は、あまりにも規模が大きいから。だから何もかもが見えなくなってしまって。

 

 でも、やっぱり同じことなんだ。

 

 この手に届くものは限られている。けれども手を伸ばさなければ、何も助けることはできない。

 

 確かに昔とはもう違う。すべて同じように考えることはもう……できない。

 

 人は成長して、変わっていく。俺もきっと変わってしまった。

 

 無力を嘆いていれば良い時代は終わった。

 

 いよいよ自分が世界を背負うときが来ている。多くの人よりも力ある者として、責任を取らなきゃいけないときが来ている。

 

 終わらせるしかないものを、終わらせるしかなくて。

 

 どんなに悔しくて。泣きたくて。諦めるしかないときでも。罪のない人たちの、ランドたちの想いを裏切ってまでも。

 

 それでも俺は。何のために戦うのか。

 

 神ならざる人は。どんなに最善を探しても、全員にとっての最高には決して至れない俺たちは。

 

 人だから。選ばなくちゃいけないんだ。

 

 どうしても選べないって、泣きながらでも、割り切れなくても。それでも。

 

 誰かが。俺がやらなければ、救われない者たちが、もっともっと、たくさんいるから。

 

 今日は届かないことでも、明日には届くようにと願って。未来へと向かって。

 

 せめて、できるだけの優しさと慈悲をもって。

 

 それが俺にできること。やらなくちゃいけないことなんだ。

 

「貴様の想いの力は、こんなものではないはずだ。貴様が信じる人としてのフェバルの可能性は、こんなものではないはずだ! 貴様は――貴様なら、いつかは運命をも超えられるはずだ! なあ、オレに見せてくれ! 貴様の次の一歩を! オレを変えた貴様を、オレが信じた貴様を、最後まで信じさせてくれ……!」

 

 祈るような声で、思いの丈を振り絞って、男ヴィッターヴァイツは叫んだ。

 彼の目には、隠し切れない涙が浮かんでいた。

 

 男が二人。みっともなく泣いて。

 

 でも――そうだな。わかったよ。心はまだぐちゃぐちゃだけど……やってみるさ。

 

 手を取ると、温かい力が流れ込んでくる。

 腕の痛みが綺麗になくなった。黙って折れた腕を治してくれたのだと気付く。

 

 はっとする俺に、ヴィッターヴァイツは照れ隠しで手を振り払った。そして告げてくる。

 

「……ナイトメアどもならば、オレが相手をしてやる。最後の時間くらいは作ってやる。だから、貴様が大切にしてきたものを、これから終わらせるものを――しっかりその目で見てこい。貴様の姉と一緒にな」

「お前……まさか」

 

 J.C.さんが言っていた。義弟にはアルトサイドでやりたいことがある。まさかそれって……。

 

 ヴィッターヴァイツは、わざとらしくとぼけた。

 

「おい。何を呆けている。案ずるな。オレの強さならば、よく知っているだろう? 貴様一人の分くらい、どうとでもなるわ」

「ヴィッターヴァイツ……」

「さあ、さっさと行け。気まぐれなオレの気が変わらんうちにな」

 

 まさかこの人を相手に、こんなことを言う日が来るとは思わなかったけれど。

 

「――ありがとう。ヴィッターヴァイツ」

 

 男はもう何も言わず、ただ背中で答えた。

 今このときばかりは、誰よりも大きくて、頼もしく見えた。

 

 俺は一時戦線離脱し、駆け出す。アニエスの時空魔法を頼りに向かう。

 

 ユイが待っている――最後の日のラナソールへ。




 ユウが去った後、ヴィッターヴァイツはやれやれと肩をすくめた。

「まったく世話かけさせやがって」

 ナイトメアは空気を読まない。
 ナックガルガが消し飛ばされてもまたすぐに大群が現れる。
 そいつらを前にして、ヴィッターヴァイツは獰猛に笑った。

「言った手前、存分に暴れさせてもらうぞ」

 そこへ、ブレイが復帰してくる。
 全身あちこち擦りむけ、額には血が滲んでいたが、まだ戦うには支障のないレベルではある。

 ブレイには、途中からユウとこの男の会話が聞こえていた。

「お前が人のために戦おうとは。どういった風の吹き回しだ」
「ただの気まぐれだ。それより、せっかくのトレードマークが台無しのようだが」

 ブレイの眼鏡(本体)は、レンズが粉々に砕け散り、へしゃげたフレームだけがわびしく貼り付いていた。
 しかしブレイは事も無げに言う。

「こいつは伊達だ。古臭いファッションだよ。フェバルの目が悪いわけなかろう」
「くっくっく。それもそうか」

 互いに見合わせる。
 思うところはあったが、ブレイは今すべきことを優先することにした。

「お前には色々と罪状があるが……今だけは見なかったことにしてやる。手を貸せ」
「そいつはどうも。貴様こそ、足手まといにはなるなよ」
「善処しよう」

 心強い味方を得たブレイは、ユウと組んでいたときに倍増して敵を殲滅していく。
 正真正銘、戦闘タイプのフェバルは、一人で戦況を変えるだけの力を持っていた。
 
 ヴィッターヴァイツの士気も極めて高い。ユウを失望させないためにも、力の続く限り、彼は戦い続ける。

 やがて、回復に来たJ.C.は、ブレイとともに奮闘する義弟を見て、嬉しそうに頬を緩めるのだった。


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296「あなたが世界を背負うなら」

 アニエスに頼んで、ラナソールへ送ってもらう。そしてユイの反応を探る。

 なぜかユイの存在を感じることはできないままだった。けれど、ヴィッターヴァイツの気が付与された者の存在を感じ取ることはできた。通常の意味での生命が存在しないこのラナソールでは、とてもよく目立つ反応だ。

 アニエスはもう一度転移する。今度はユイのいるであろう村の前に飛んだ。

 それから彼女は、申し訳なさそうに言った。

 

「あたしはこれから、トレヴァークのみんなを助けなくちゃいけないので。戻りますね」

「うん。みんなをよろしくね。いつもありがとう。困ったときに助けてくれて」

「いえ、あたしの方がずっと――ううん。そうですね。どういたしまして」

 

 ……彼女が何かを隠しているのは明らかだ。けれど今の俺のように、きっと善意から言わないだけなのだろう。

 いつかはわかる日が来るのかもしれない。そのとき、少しでも恩を返せたらいいな。

 

「じゃあ。行ってくる」

「その……」

 

 名残惜しい様子で声がかかって、振り向く。

 アニエスは、切なげな声で言った。

 

「この先どんなことがあっても、負けないで下さいね。あたし――待ってますから」

「……約束はできないけど、頑張ってみるよ」

 

 真実を受け止める。終わらせなくちゃいけないものを、この目でしっかりと見つめるため。そのために夢想の世界へ戻ってきたのだから。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ユウくんを見送った後、あたしは重苦しい溜息を吐いた。

 

 もうすぐだ。段々近づいてきているのがわかる。

 

 運命の分かれ目。事象の揺らぎの特異点。そのときが。

 

 あたしの知る未来に収束するのか。【運命】が定めた未来がそのまま到来してしまうのか。

 

 ――あの化け物が、すべてを壊してしまうのか。

 

 時空を越える力を持つあたしには視える――あらゆる可能性がぶつかって、戦っているのが。

 

 あたし自身が『道』を繋ぎ、その地点を観測するまで、きっと戦いは終わらない。

 

 正直何度、もうダメかと思ったかわからない。何度、未来が潰れるのを視てしまったのかわからない。

 

 そのたびに、何度も何度もやり直して。少しずつ軌道修正して。あたし自身、何度も危ないことがあって。

 

 そして、ようやくここまで来た。

 

 もうあたしに残された時間は少ない。もうできることはほとんど残ってない。

 

 頃合いを見て、この世界を去るべき時が近づいている。それから、最後の一仕事を終えれば……。

 

 そしたら、あたしはいなくなってしまうけれど――また会えるだろうか。

 

「ユウくん……」

 

 当時この世界で何があったのか。あたしは知らなかった。

 ユウくんはどこか寂しそうに笑って、はっきりとしたことは何も話してくれなかったから。

 

 でも、そっか。そうだったんだね。

 

「こんなにつらくて、大変なことがあったんだね……。だからユウくんは……」

 

 あなたの力は、誰かを救えると同時に、誰かを確実に『終わらせてしまう』力。

 誰よりも心優しいユウくんには、とても似つかわしくないように思えた。あまりにも残酷な力。

 

 どうしてそんなものを振るえてしまえるのだろうって。

 どうして優しい心を保ちながら、時にあんなにも厳しく、強くあれるのだろうって。

 そう思っていた。

 

「今の」ユウくんと、過去のユウくんが、どうしても繋がらなかった。

 あたしにとって、このときまでのユウくんは――はっきり言って、びっくりするほど弱かった。本当に同じユウくんなのか疑ったくらい。

 

 いつも手をかけて守ってあげないと簡単に壊れてしまうような……そんなか弱さと危うさを秘めた存在だったから。

 

 ねえ、知ってる? ユウくん。

 あなた、放っておいたら何度も死んでたんだよ? 特にもっと小さいときはね。

 

 それがここに来て、急速に成長している。

 ヴィッターヴァイツにまで届き、ユイさんとたった二人で世界を背負うレベルにまで。

 いつの間にかだけど。たぶんもう、あたしより強い。

 でもそれは、急に起きたことじゃない。あたしは知ってるよ。

 もっと昔から、あなたはずっとそうだった。あなたはそれこそ、ほんの小さいときから、運命に対して正面から向き合って、抗い続けてきた。

 立ちはだかる運命が困難なほど、強く懸命に輝こうとするあなたがいた。

 あたしはずっと見ていた。どんなに弱くて戦う姿に、ずっと励まされてきた。

 

 だから好きになったんだ。最初から強い「ユウさん」に手ほどきを受けていたときは、そんなこと全然思わなかったのに。

 

 でも。

 

 今回ばっかりは、つらすぎるよ……。

 

 あたしは泣きそうだった。あたしの方が心が折れてしまいそうだった。

 

「もし、最初からあたしがすべてを知っていたら……」

 

 ここまであなたの背中を押せただろうか。とても自信がない。

 

 ……たぶんそう、なんだね。あたしの性格を見越して、あえて言わなかったんだね。

 

 きっと泣いてしまうほど、つらくて。苦しくて。

 

 それでもあなたは、世界を斬るだろう。もう歩みを止めることはないだろう。

 

 ようやく確信した。やっぱりユウくんは、あたしの知る「ユウくん」に繋がっていくのだと。

 

 きっと。もうすぐだ。そのときまで。だから。

 

「あたしも、もう少しだけ。頑張ってみるね」

 

 一人でも多くの人間を助けられるなら。それが少しでもユウくんにとって助けになるなら。

 

 あたしたちは、助け合ってここまで来た。

 

 あなたが世界を背負うなら、あたしは時間を背負ってみせる。最後まで。



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297「ユイとの再会」

 ヴィッターヴァイツが残した気のマークを辿って走る。

 小さな村が見えてきた。村には光魔法でできた結界が張られているようだ。これで魔獣やナイトメアの襲撃から身を守っているらしい。

 ユイ。俺だよ。ユウだよ。会いに来たよ。

 あと少しだ。逸る気持ちを速度に変えて、反応の元へひた駆ける。

 村の隅の方で、一人で結界魔法を張り直しているユイの姿が見えた。

 

「ユイ!」

「え、ユウ……!?」

 

 喉が詰まって、もう言葉が出なかった。

 

 ユイだ。姉ちゃんがいる。もう一人の自分がいる。ちゃんと生きてる。

 

 一度は諦めかけていた。もう会えないかもしれないと思っていた。

 J.C.さんから君の無事を聞いて、少しは希望が出てきたけれど。それでも本当に心配だったんだ。

 ああ。よかった。

 

 また涙が滲む。本当に泣いてばかりだ。

 

 視界がぼやけたせいか、最後の一歩はもつれて、ユイに抱き留められるような格好になった。

受け入れられるまま、ユイの胸に顔を埋める。

 よく小さいときにそうされていたように、大きくなってからもつらいときにはたまにそうしてくれたように、慰められて。

 あったかくて。柔らかくて。ほんのりと良い匂いがして。

 安心する。確かにユイがいるんだと、そう感じられた。

 

「よかった……俺、もう二度と君に会えないかと……っ……思って……!」

「うん。私も、ずっと会いたかった……」

 

 それだけ言うと、俺は人目も憚らず、ただしばらく泣きじゃくっていた。今まで会えなくて寂しかった分、どうしても我慢が利かなくて。

 ユイは優しく頭を撫でながら、どこか呆れたように、そして安心させるように言った。

 

「もう。いつまでも子供なんだから。私がそんな簡単にくたばるわけないでしょ」

 

 口では大丈夫だよと言ってくれるけど、ユイの嬉し涙が俺の顔にも当たっている。

 

「まあ、実はちょっと危なかったんだけどね」

「ちょっとなもんか。心配で心配で、しょうがなかったんだぞ」

「うん。そうだよね。心配、かけたよね」

 

 心を確かめ合う。お互いに心配で、不安で。会えて嬉しい気持ちは一緒だった。

 

 そして抱き合ったときに、切れていた繋がりが元に戻っていた。

 元は一つだったのだから。直接触れ合いさえすれば、あらゆる障害を跳ね除けて、再び心は接続される。

 お互いのこれまでの足跡が共有された。

 ユイは、俺が何をしにここまで戻ってきたのかをもう知っている。

 

「ユウ。ほんとに……大変だったんだね……。つらいことが、たくさんあったんだね……。それでも、ずっと頑張ってきたんだね」

 

 さらにぎゅっと強く抱きしめられる。

 

「ごめんね。一番つらいときに、一緒にいてあげられなくて」

「いいんだ。君が無事でいてくれたなら。それが一番だよ。君もつらかったよな」

「うん……」

 

 俺も今度はしっかりと立って、ユイを抱き返していた。

 途中で助けが入ったとは言え、君も長いこと闇の世界で一人で戦っていた。死にかけたりもした。

 つらかったはずだ。不安だったはずだ。寂しかったはずだ。

 何より、俺にずっと会えなかったことがつらかっただろう。

 

「ごめんな。すぐに会いに行けなくて」

「ううん。仕方ないよ。お互い無事だったなら、それで十分だよ。でも私も……ちょっとだけ、いいかな?」

 

 今度は黙って俺が胸を貸す番だった。ユイは弟の胸に顔を埋めて、わんわん泣き出した。

 しょっちゅう一つになっていたからよくわかる。

 根っこは同じだもんな。

 ユイも甘えたくて仕方ないのを、お姉ちゃんだからって先に甘えさせてくれたのだ。

 

 ――やっぱりユイには勝てないな。

 

 そうして二人、気の済むまで慰め合い、無事を確かめ合った。

 

 ユイのちょっとは、かなり長かった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ユイが即席で建てたという小屋で一時を二人きりで過ごした俺は、少しだけ並んで仮眠を取った。この先休むことはないだろうから、無理ができるようしっかり休憩を入れた。

 目が覚めてから、ベッドに座ったまま二人で、最後の一日の予定を立てる。

 

 始めに抱き合ったとき、ユイが俺の事情を知ったように、俺もまたユイの事情を知った。

 

 もう一人の「俺」がユイに告げたこと。

 宇宙は繰り返している。【運命】によって支配されている。

 おそらく今回の『事態』もまた、【運命】によって引き起こされたことだろうと。

 

 ヴィッターヴァイツがそうだったように。

 俺もまた【運命】に呪われているのだ。それも最も強力な形で。

 

【神の器】を持つフェバルである限り、心は修復され続け、決して死ぬことはできず。生きている限りはどこにいようと、繋がりを断たれるのが運命。

 これまでの世界の危機も。今回のことも。すべては【運命】の掌の上だったってことなのか……。

 

 話のスケールが大き過ぎて、雲をつかむような感じだけど。

 でも今までのことがあったから。何となく、わかったような気がする。

 

 ――そうか。ヴィッターヴァイツも、この話を聞いていたんだな。だから。

 

 俺のせいだと、そう責めるのは簡単だ。実際、そう思う気持ちを捨てられない自分もいる。

 でも、自分を責めていては何も解決しない。嘆いたところで、俺が消えていなくなるわけでも、【運命】の力が外れるわけでもないのだから。

 繋がりを作れば断たれるなら、最初から繋がりを作らなければ良いと考えたのがもう一人の「俺」だった。

 でもあの人は失敗したと言っていた。後悔していた。

 そのやり方は、結局は逃げでしかないのだろう。何より、あの人よりずっと弱くて寂しがりな俺とユイには、そんな生き方は絶対にできない。

 

 フェバルを苦しめる絶対的な【運命】。そんな恐ろしく強大なものを前にして。

 時にどうしようもないことが待ち受けていても、どんなにつらいことがあっても。

 それでも俺は、正面から向き合って立ち向かわなくてはならない。行く先々で待ち受ける過酷な運命と、俺は戦い続けなくてはならない。

 

 でなければ、俺は何も守れない。逃げ続ければ、やがてすべてを失うことになる。

 

 ……そういうことなんだな。もう一人の「俺」。

 

 これは、そういう戦いなんだな……。

 

 つらい。つら過ぎるよ。でも……。

 

 ――負けたくない。そんなものに負けてたまるか。

 

 みんなの生き死にも、幸せも不幸も、最初からすべて決まっているなんて。人の意志では決して変えることができないなんて。

 

 そんなこと、許せるわけがない。

 

 ――抗ってやる。戦ってやる。どこまでも。【運命】なんかに負けてたまるか――!

 

【運命】と戦う決意をした俺は……それなのに、これからやることを考えるだけで泣きそうで。また折れてしまいそうで。

 だけど、それでもユイに言った。

 

「なあユイ。俺、やらなきゃいけないことがあるんだ」

「わかってる。ラナソールを、終わらせるつもりなんだね」

 

 じっと俺の顔を見つめて。頬に手を触れて、慈しむような目で俺のことを見つめて。

 

「俺……正直、とてもできる気がしないんだ。ヴィッターヴァイツに励まされてここまでは来たけど、まだ本気で覚悟なんて……できてないんだよ……」

「うん。そうだよね……。でも逆にね。すごく安心した。そこで簡単に割り切れちゃったら、それはもうあなたであって、あなたじゃない。あの人になっちゃうよ」

 

 そうなんだろうな。きっとこういうとき、割り切れてしまったのが、もう一人の「俺」なんだろう。だからあんなに「強い」のだろう。

 とても哀しい「強さ」だ。

 俺は……あんなには「強く」なれない。

 

 人の身のままで。弱いままで。こんな情けないままで。

 俺は世界に、そして【運命】に、挑めるだろうか。

 

 するとユイは、俺の肩を抱いた。肩の近くまで伸びた艶やかな黒髪が、そっと頬をくすぐる。

 

「私が今ここにいる意味。私が生まれてきた意味。どうして私がカギなのか――ちょっとだけ、わかった気がする」

 

「聞いて」と、ユイは耳元に、優しい声で語りかける。

 

「私はあなたと同じ。性格とかもちょっと違うけど、基本は男と女ってことが違うだけ。だからね。いつだって側にいる限り、私はあなたと同じものを背負っていける。想いだけじゃない。力も、運命も、何もかも」

「君は……」

 

 何が言いたいのか。以心伝心で、もうわかった。

 悟ったそのままの想いを、ユイは続ける。

 

「うん。そうだよ。あなたは一人じゃない。これから先、あなたがどんなに強くなっても、どんな重い運命を背負うことになっても。あなたにしかできないことなんて、ないから。あなただけになんて――絶対にさせないから」

 

 君は俺と同じ源から生まれて、同じ力を持っている。同じ運命を持ち、同じ道を歩んで。同じように泣き虫で。同じように甘えん坊で。

 そして、同じ優しさを持っている。

 もう一人の「俺」が、どんなに求めても最後まで得られなかったもの。どんなに「強く」なっても、最後まで得られなかった半身。両親がいなくなっても、ずっと隣で笑ってくれる家族が。

 俺にはいるんだ。君がいる。確かにここにいる。

 

 永劫とも思える繰り返しの果てに辿り着いた――巡り会えた、たった一人の奇跡。

 

 俺の弱さから、甘えから生まれてきた君は。愛し愛される家族が欲しいという俺の願いから生まれてくれた君は。

 だから、ここまで一緒に来てくれた。小さいときから俺を愛し、慈しみ、ずっと俺の心を守ってくれた。

 そして、今も。

 

「優し過ぎるユウがどうしても一人で背負い切れないなら、私も一緒に背負うよ。私もあなたと一緒に――世界を、斬ってみせる」

 

 ユイも俺と同じくらい泣きそうな顔で、震える身体と声で。それでも俺の手を取り、一足先に決意してくれた。

 俺を決して独りにはしないと。俺とともに、残酷な力を振るってやると。そう言ってくれた。

 

 ……そうだよな。君はそう言うよな。いつもそうだった。

 

 やっぱり、ユイには勝てないな。姉ちゃんには勝てない。

 

 だから……君には背負わせたくないなんて。そんなこと言ったら、また絶対に怒られるよな。

 またはたかれて、泣かれちゃうよな。

 

 ありがとう。ユイ。

 

「一緒にいこう。これから何があっても。これまでのように。そしてこれからも。どこまでも」

「うん。私たちは、いつでも一緒だよ。どんなときだって、私はあなたの味方だから」

 

 二人で支え合って、立ち上がる。

 

 これから終わらせなくてはならないものを、しっかりとこの目で見つめるために。

 

 覚悟を決めるために。



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298「夢想の世界を見つめて 1」

 ユイと一緒に、最初は魔法都市フェルノートへ向かう。ラナソール最大の都市であり、八千年前に栄えた夢の都の再現でもある。

 世界は細かいフラグメントに分断されており、各都市間はアルトサイドによって断裂している。けれどアニエスがいなくても、ユイの転移魔法さえあれば、アルトサイドを経由することなく直接向かうことができる。

 

「着いたよ」

「君がいると一瞬だね。俺一人のときは散々苦労したんだけど」

「まあそこはね。でも目印だったり乗り物みたいな扱いはちょっとだけどねー」

 

 まだ「ユウ」やヴィッターヴァイツにされたことを微妙に根に持っているのか、ユイは軽く頬を膨らませていた。俺はとりあえず苦笑いしておく。

 

「どこからいこうか」

 

 街を回る順番は決めていたけれど、誰に会うかまでは心が固まらなかった。

 本音を言えば、じっくり時間をかけて関わった人たちすべてを見て回りたい。だがそんな悠長にやっている時間は残されていないのは明らかである。

 

「せめて関わりが深いところくらいは」

「そうだね。あとは印象が強かったところを」

「じゃあ僕が一番乗りということになるのかな」

「「レオン!」」

 

 声がして振り返ると、そこには親しい英雄の姿があった。俺たちの声がハモるのも久々だ。

 あえて剣麗ちゃんではなく、男のレオンの姿のままで現れた。ハルに任せるのではなく、自分の言葉で話をしたいようだ。

 

「やあユウ君。ユイちゃんも久しぶりだね。無事で何よりだ」

「うん。色々あったんだけどね、何とか無事戻って来られたよ」

 

 俺たち二人と握手を交わすと、彼は言った。

 

「君たちがここへ来るのはわかっていたからね。最後の挨拶でもしようかと思って。まあ、最初くらいは事情がわかっていて、かつ受け入れている相手の方が話しやすいだろう?」

 

 なんてことないように言ってのけるが、ハルが苦しんで悲しんでいるように、この人も同じ気持ちなのだ。いや、当事者である分、もっとつらいはずなのに。

 それでもレオンは普段通り、穏やかに微笑んでみせた。どこまでも気丈に。俺たちに余計な気をかけまいと思って、そうしてくれているんだ。

 

「首都の方は大丈夫なの?」

 

 ユイが尋ねる。俺たちが終わらせるからと言って、それまで放置するわけにもいかない。ラナソールにおける死はトレヴァークにおける死にリンクしてしまうからだ。

 レオンは大丈夫だと頷いた。

 

「こっちの方は、つかの間の小康状態というところさ。皮肉にも、トレヴァークが大変なことになっているおかげでね。ナイトメアも魔獣も、向こうへほとんどが引き寄せられているからな」

「なるほど」「そっか」

 

 最後の日常というわけか……。

 

「とはいえ、常に警戒はしなくてはならない。ここは僕に任せて、君たちは望む通りにして欲しい。それが僕のとって最後の一仕事だ」

「レオン……。ありがとう」「ありがとう」

 

 俺とユイは、レオンに礼を述べる。レオンは少し考え、それから言った。

 

「僕の聖剣を使うんだろう?」

「そのつもりだ」「うん」

「折れた後もほぼ完全に力が残っていて、僕も初めて気付いたことだけど。あの剣の本質は、君たちの力と同じ。人の想いを受け取って力に変える器だったんだな。今度は、トレヴァークで悪夢に苦しめられている人々の想いを込めて使うことになるのだろうか」

「そうなると思う。さすがに終わらせる世界のみんなから、想いの力を借り受けることはできないから……」

 

 トレヴァークに暮らす人々、特に現在悪夢に囚われて苦しめられている夢想病患者たちの、救われたい、生きたいという願い。さらにアルトサイドには、過去に現実で亡くなってなお苦しめられ続け、救いを求める死人たちの想いだって囚われているはず。

 もしラナさんの助けを借りて、そうした人々の想いをすべて束ねることができたなら。それを俺たちが受け止めることができたなら。

 数十億の想いの力は、きっと世界をも斬る剣となるだろう。

 かつてない規模の接続だ。果たして本当にできるものだろうか。

 

 自信のない俺を、レオンは励ます。自分こそつらいにも関わらず。

 

「僕は信じているよ。聖剣の力、そして君たちの優しさと強さをね」

「でも、そうするとあなたは……」

「そうだね。確かにここにいる僕たちは、実体を失ってしまうかもしれない。今までのように、この世界を自由に飛び回って、現実世界のように他者と触れ合うことはできなくなるだろう。はっきりとした意志を持たない、もっとぼんやりとした存在になってしまうだろう。夢というものは……本来そういうものだからね」

 

 悲しい予想を、一つ一つ噛み締めるように言うレオン。

 

「でもね。君たちが正しく終わらせてくれるなら――僕たちは真に滅びたりはしない。ハルや僕を知るそれぞれの人の心の中でなら、確かに生き続けていけるんじゃないかってね。そんな気がするんだよ。夢はただの幻なんかじゃない。現実を生きる人たちに息づいて、生きる力になってくれるものだと信じているから」

「「…………」」

「僕はね、そう信じたいんだよ。せめて、そう信じさせてくれないか」

 

 己のあり方、世界の行く末、ハルのこと、みんなのこと。

 色々思い悩んだに違いない。その上でこの結論を出し、俺たちの背中を押してくれるというのか。

 

「……そうだな。レオン。その通りだと思う。そうであるように……俺もやってみるよ」

「私たちが剣を振るうとき、願ってみる。この世界を残すことはできなくても、それぞれの人の心の中で、あなたたちが生き続けられるようにって」

「ありがとう。ユウ君。ユイちゃん」

 

 俺たちには願うことしかできないけれど。想いの力を現実に及ぼすことのできる俺たちの力なら。

 ラナソールそのものを残すことはできなくても。

 個々人レベルでの、ほんの小さな奇跡でも良い。起こしたい。

 

「そうだな……あと心残りと言えば。ユウ君」

「どうした」

「ハルのことなんだけどね。たぶん、もう一緒にいられる時間は少ないんじゃないかな?」

「だろうな……」

 

 レオンも薄々事情を察していたのか……。

 星脈の流れがおかしくなっているせいで俺たちがこの世界に張り付けられているのだとしたら、それが正常化したとき、きっと別れのときはすぐに来てしまうだろう。もしかしたら、ゆっくりお別れを言っている時間はないかもしれない。

 

「流れゆくのがフェバルの常、か。寂しいことだけど、彼女も覚悟はできている。ただ残りの時間、よろしく頼むぞ」

「ああ。わかってる」

 

 それが彼女に好かれ、彼女の気持ちに応えてしまった者としての責任だろう。

 リルナには土下座しないとな。できる日が来ればよかったけどな……。

 

 俺の複雑な心中を察したのか、レオンは微笑を浮かべた。ユイにも小突かれてしまう。

 

「よし。僕からはこのくらいかな。……たぶん、もう会うことはないだろう。さようなら。世界のことは頼んだよ」

「「……さようなら。今まで、本当にありがとう」」

 

 レオンに最後の別れを告げ、俺たちは魔法都市へと入っていった。



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299「夢想の世界を見つめて 2」

 ラナソール最大の魔法都市フェルノートは、概ねいつもと変わらない日常であるようだった。

 世界は無数の欠片に砕かれ、度々魔獣やナイトメアに脅かされながらも、レオンたちが頑張っているおかげで、未だ民衆への影響は少ないと見られる。

 ユイと手を繋ぎ、歩いて街を見て回った。

 物理法則を無視した、色とりどりの華々しい建物が建っている。空を見上げれば、車などが当たり前のように空を飛んでいて。時折合間を縫うように、細長い蛇のような乗り物のシュルーが空を駆けていく。

 地に目を向ければ、困難にあっても明るい人々がたくさん歩いている。己が何者かなど、永遠に知ることもなく。

 ただ歩いているだけなのに胸がいっぱいになってきて、繋ぐ手に力がこもった。

 

 すべては夢であり、幻。俺たちが手を下せば、みんな消えてしまうものなんだ……。

 

「つらいね……」

「うん……。でも受け止めなきゃな」

「何人か、依頼で関わった人に会いに行ってみようか」

「そうだな。はっきりとした別れは、面と向かっては言えないけどさ」

 

 依頼を通じて知り合った人たち。そこを避けているようでは、覚悟などできないだろう。

 重苦しい気分のまま、それでも俺たちは知人に会いに向かった。

 ユイは常に俺のことを気にかけつつ、ずっと手を繋いでくれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 何人かの依頼人に会いに行った。様子を見に来たとか、適当な理由を作って。まさか最後の別れなどとは言えず。

 大半の人には感謝されたよ。困ったとき、助けてくれてありがとうって。中には、ヴィッターヴァイツとの戦いに先立って力を貸してくれた人だっていた。

 心に刃を突き立てられたみたいだった。そんな人たちを、俺たちはこれから消さなければならないのだから。

 

 果物屋さんのおばちゃんには様子を察されて、心配されてしまった。

 

「あんたたち、どうも元気ないみたいだからね。これでも食べて、ちょっとでも元気出しな」

 

 手渡されたのは、真っ赤に熟したアリムの実だ。

 惑星エラネルで食べたゴップルの実も、アリスやミリアとの思い出込みでとても美味しかったけれど、純粋な味ではこちらの方が上だろう。

 むべなるかな。初めて食べたときは知らなかったが、アリムの実は夢想の世界にしかないものだった。

 もう食べる機会もないだろう。半分に割って、二人で分け合って食べた。

 ほっぺが落ちるほど甘くて、濃厚な味わいで。おばちゃんの優しさが痛いほど甘くて。

 

「おいしいです」「おいしい……」

「どうしたんだい? 泣くほど美味しかったのかい?」

「「はい……。とっても」」

「そうかいそうかい。ま、こんなときだから色々大変なんだろうけどねえ。みんなだってそうさ。あんたたちもつらいことあるかもしれないけど、人間笑顔が一番だよ。ほら、笑ってごらんよ」

 

 無理に笑ってみた。どうしてもぎこちない笑顔になってしまった。

 それでもおばちゃんは満足して、豪胆に笑った。

 

「よしよし。素直で可愛い姉弟さね。二人とも、これからも仲良く頑張りな。応援してるからさ」

「「ありがとうございます……」」

 

 ああ。この人も、終わらせなければならない……。

 

 

 

 ***

 

 

 

「とうとう来ちゃったね……」

「どうしても避けるわけには、いかないからな……」

 

 俺たちは、大きな工房の前に立っていた。

 これから会うのは、レオンの後ろ盾を支えに夢の飛空艇『アーマフェイン』プロジェクトを進めるバッカード兄妹だ。

 俺たちも依頼を通じて、材料提供等で支援してきた。

 

 ここに来るのは特に気が重かった。けれど、だからこそ避けてはいけないと思った。

 

 というのも、バッカード兄妹の兄、トラッド・バッカードは……現実世界では、既に死人だった。

 つまり、ラナソールを消してしまえば、彼は現実世界に還るべき魂の本体すらもない。完全に殺してしまうことになる。

 本人は当然そのことを知らず、妹のメイリン・バッカードも、「こちらの世界では」何も知らずに過ごしている。

 

 中に入ると、開けた倉庫のような場所で、スタッフが数十人体制で賑やかに作業をしているところだった。数百人乗っても平気そうな立派な飛空艇は、ほとんど出来上がりの完全な姿を晒している。

 妹のメイリンは、ちょうど前方のプロペラ部分を弄っているところだった。こちらに気付かないほど熱心に作業している。

 しばらく見守っていると、他のスタッフの方が気を利かせて声をかけに行ってしまった。

 振り返った彼女は、育ちの良さそうな可愛らしい笑顔を見せた。

 

「あっ、二人ともお久しぶりです! 来てくれたんですね!」

「うん。ちょっと様子を見に来たんだ」

「元気してるかなと思ってね。無事でよかった」

 

 メイリンは花のような笑顔で、奥にいると思われる兄へ呼びかけた。

 

「おーい兄貴ー! ユウさんとユイさんだよ! 私たちの様子を見に来てくれたよー!」

 

 すると薄汚れたトラッドが、船体の下部からもそもそと這い出てきた。急いでこちらへ駆け寄ってくる。

 

「お、おお! 久しぶりじゃないか! 何ヶ月会ってなかったんだ? 半年くらいか? とにかく、よく来てくれたよ!」

「ちょうど今いいところだったんだよね。ねー兄貴」

「おうともよ」

 

 仲良しっぷりを見せつけてくれる(人のこと言えないかもしれないけど)バッカード兄妹。

 とても微笑ましく――それ以上に物悲しい気持ちになる。

 

「もう見えちゃってるけど、じゃーん!」

「へっへ! どんなもんだ!」

 

 兄妹は飛空艇を指し示し、どや顔をしてみせた。

 

「ついにできそうなんだね」「すごいね……」

「そのとーり! 色々失敗もあったけど、やっともうすぐ完成ってわけだ!」

「やったね兄貴!」

 

 手を叩きあい、全身で喜びを表現する二人。

 もう十何年も苦労してきたのは知っている。だから喜びもひとしおだろう。

 だけど……。

 

「それで、完成したらどうするつもりなんだ」

「良い質問だ。そうだな。こいつでだなあ。広い空を切り裂いて、バラバラになった世界に取り残された人々の救助活動なんかに使えたらなってさ!」

「もう。兄貴は気が早いんだから。試験が先でしょ」

「あーそうだったそうだった」

 

 兄貴を小突いたメイリンは、こちらに向き直ると照れ臭そうに言った。

 

「一週間後には、試験運転を開始するつもりです。最初に乗るのはもちろん、ここまで支援して下さったユウさん、ユイさん、レオンさんにやってもらいたいなって」

「「…………」」

 

 何も言えなくなってしまう。

 その日は来ない。絶対に来ないんだ……。

 夢は完成した瞬間に、終わってしまう。

 俺たちが手伝っておいて、俺たちが奪ってしまう。なんてひどい……。

 

 また泣きそうになってしまう俺とユイを見て、二人は慌て出した。

 

「お、おい。どうしたんだよ!? そんなに感動しちゃったのか?」

「わわわ! と、とりあえず落ち着いて下さい!」

 

 取り乱しながらも必死になだめてくれる二人を、こんな素敵な二人を、夢ごと終わらせてしまうことが。そんな自分が許せなくて。

 

「ごめん」「ごめんね」

 

 目の端に溜まる涙を拭いながら言ったその言葉の真の意味を、二人には伝えられなくて……。

 

 

 それから落ち着くのを待って、二人には飛空艇の設備を一つ一つ案内された。

 誇らしげに語る二人を見て、嬉しくもなり、それよりずっと申し訳なくなり。

 

 複雑な気持ちを拭えないまま、やがてまた作業の続きがあるからと、兄のトラッドは飛空艇の底へ戻っていった。

 一人取り残された妹に、俺は声をかける。

 

「一つ、いいかな」

「どうしたんです? そんな改まって。今日のユウさんたち、なんか変ですよ」

 

 不思議に首を傾げるメイリンに、俺はあえて尋ねた。

 

「もし明日世界が終わるとして、大好きなお兄さんともう二度と会えなくなるとして……君なら、どうする? 君なら、どう思うかな……」

「ユウ……」

「え? なんでそんなこと聞くんですか? こんなときに、縁起でもない」

 

 ユイは何とも言えない顔をして、メイリンは少し憤慨しているようだった。当然の反応だ。

 

「そうだよな。ごめん。でも、どうしても聞いておきたいんだ」

「そうですか……。うーん。それは、悲しいです。死ぬほど悲しいに決まってますけど……」

 

 メイリンは一拍おき、気持ちの整理をしながら続けた。

 

「でも、私たちはずっと夢に向かって生きて来られました。そしてついに、完成の目前まで来た。だから、十分立派な人生だったんじゃないかって。そうやって胸を張れるとは思うんです。で、きっと最後まで作業を続けているんでしょうね」

「無意味なこととは思わない?」

「もちろん思いません! 結果だけが人生じゃありませんから。そもそも飛空艇の開発なんて、死と隣り合わせの危険な仕事ですからね。いつだって、もしものことは考えなくちゃいけない。死ぬことも、失敗に終わることだってあるでしょう。だからこそ、生き様が一番大事だとは、思いませんか?」

 

 ああ、そうだな。君の言う通りだ。

 現実の君の兄は、そうして夢に殉じていった。

 そして、向こうの君は……。片翼を失っても、兄の夢の続きを信じて、最後まで諦めなかったんだよな。

 立派だよ。本当に立派な人だ。君は。

 

「そっか……。ありがとう。答えにくいこと、聞いちゃったよな」

「そうですよ。もう。世話になっているユウさんだから怒らなかったんですよ? 他の人だったらぶちキレてますよ」

「あはは」

 

 現実世界の気の強い一面の面影を見せつつ、メイリンは朗らかに笑った。

 

 すると突然、ボカンと小さな爆発音がした。

 それから、トラッドの慌てた大声がこちらへ飛んでくる。

 

「うわっ! やばい! ピンチだ! メイリーン! 手を貸してくれーーーー!」

「ちょっと兄貴ーーー! こんなときになにやってんの? ええと、ごめんなさいね。行かなくちゃ」

 

 メイリンは申し訳なさそうにぺこりと頭を下げると、最愛の兄貴の手伝いに走っていった。

 間もなく、飛空艇の下から、二人の怒鳴り合いと笑い声がちらほら聞こえてくる。

 

 ただ黙ってそれを聞いていた。

 やがて気が付くと、ユイに袖を引っ張られていた。

 

「……そろそろ行かなくちゃ。時間は限られてるんだから。ね」

「そうだな……。もう行かないとな」

 

 運命は本当に残酷だ。よりによって俺たちが、君たち二人を消さなければならないのだから。

 それでも、最後に会えてよかった。

 

「「さようなら。トラッド。メイリン……」」

 

 小さな呟きは、誰に聞こえることもなく、虚空に溶けて消えていく。

 

 

 ――そして、兄妹が何とかトラブルを解決し、仲良く真っ黒に汚れた姿で這い出てきたとき、もう姉弟の姿はどこにもなかった。



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300「夢想の世界を見つめて 3」

 魔法都市フェルノートを後にした俺たちは、次に生産都市ナサドへ向かった。

 ここにも心残りな依頼人がいた。俺たちが真に解決することのできなかった依頼だ。

 やはり向き合わないわけにはいかない。つらいことほどしっかり向き合わなければ、世界などとても背負うことはできないのだから。

 しかし着いた瞬間、変わり果てた街の姿に言葉を失ってしまう。

 英雄レオンが防衛に立つ首都とは異なり、地方の一都市であるナサドを守るのは、在野の兵士や冒険者たちのみである。守りも万全とは言い難い。

 さらに、本来機能するはずの世界防衛システムが、ミッターフレーション以後沈黙してしまっていることも要因だろうか。

 

 街の西側――面積として約三割ほどが、魔神種か何かの攻撃によって完全に消滅していた。

 

 痛々しい戦いの傷跡をまざまざと見せつけられ、立ち尽くす俺にユイが話しかけてくる。

 

「やっぱりどこも首都みたいには、いかないんだね……」

「そうだな……。一番マシなのはフェルノートとレジンバークだって、予想はできていたけど……」

「つらいけど、ちゃんと受け止めないと。こうしている間にも、トレヴァークで同じような悲劇が起きているかもしれない……」

「うん……」

 

 これから会う人は、街の東側に住んでいたはずだ。無事だといいけれど。

 無事だったとして、これから消してしまうのに。そんなことを考えて自己嫌悪してしまう自分がいた。

 

 ナサドの人々は、フェルノートに比べると疲れと悲しみが蔓延しているようだった。いつ襲ってくるかわからないナイトメアや魔獣への恐れがはっきりと見える。

 それでも生産都市の名に恥じぬよう、人々は日常の仕事に邁進していた。兵士や冒険者たちも己の責務を果たすべく、要所の守りに就いたり、忙しそうに通りを往来しているのもいる。

 

 さて、目当ての店は……よかった。小さな雑貨屋には、明かりがついている。

 営業中の看板が提げられた扉を開けると、この店を一人で切り盛りしている若い娘、ニザリーがカウンターに立っている。

 彼女は笑顔で迎えようとして、すぐに俺たちに気付いた。

 

「いらっしゃ……あ、ユウさんにユイさん! お久しぶりです。わざわざ来て下さったんですか?」

「うん。ちょっと様子を見に来ました」「元気にしてました?」

「外を見ての通り、あの日から大変なことになってますけどね。私のところは、何とかおかげ様で」

 

 こんなときに可愛い雑貨ってあんまり売れないんですけどね、と苦笑いでぼやく若店主。でもきちんと生活は成り立っているようだ。

 

「どうです? 一つくらいお求めになってみては。このモコちゃんキーホルダーなんか、可愛くておすすめですよ」

「あっ……。慌てて来たもので、今手持ちがまったくないんです」「すみません」

「そ、そうですか……。なら仕方ありませんね」

 

 それから、彼女の近況について伺った。

 大きな襲撃は何度かあったものの、住民が協力して辛うじて跳ね返しているらしい。彼女自身は、特に悲惨な目に遭うこともなく過ごせているようだ。

 

「ただ一つ、気がかりがあって。いいですか?」

「どうぞ」「私たちにできることなら」

「はい。ビゴールに住む私の両親……いや、マペリーちゃんの家に、あの日以来遊びに行けてないんですよね。それどころじゃなくなってしまったので」

 

 ……予想はできていたことだ。俺たちはその気がかりのために、彼女の元を訪ねたと言っても過言ではないのだから。

 

 ニザリーは……現実世界ではとっくに死人となっている。しかもそのことをはっきりと自覚している、俺たちの知る限りほぼ唯一のラナソールの人間だ。

 そして、自覚してしまったのは、他でもない、俺たちのせいなんだ……。

 以前の依頼で、彼女の「家族に会いたい」という願いに俺たちはどうにか応えようとした。

 現実世界で死別しているという残酷な事実のために、大きな代償なくして再会は果たせなかった。いや、果たして本当に再会できたと言えるだろうか。

 顛末として、彼女は己の正体を知ることとなり、両親は死んだ娘がニザリーであることに最後まで気付くことはなかった。

 唯一、幼いマペリーだけがお姉ちゃんであることに気付き、今も慕っている。そのことだけが救いだった。

 

「ユウさん。ユイさん。またお願いなんですけど。私をあの家族のところに連れていってもらうことって、できますか?」

「大丈夫ですよ。行くだけなら、私の転移魔法ですぐにでも」

「ありがとうございます!」

 

 よほど会いたいに違いない。ニザリーはぱっと明るい笑顔で礼を述べた。

 だけど……。

 

「ただ……実は、あちらの家族の無事はまだ確かめられてなくて」

「あっそうですよね……。最悪の可能性だって、あるんですよね……。そもそも、私だって死んじゃってますし……」

 

 自分の正体を思い出し、落ち込むニザリー。

 そんな顔をさせてしまう原因を作ってしまった俺たちの胸が痛む。

 俺たちまで落ち込んでいることに気付いたニザリーは、取り繕うような笑顔を見せて言った。

 

「ああ、そんな顔しないで下さい。別にそこまで恨んでなんかいないですよ。それは複雑な気持ちもありますけど……むしろお二人には、感謝してるんです。あれだけ親身になって探してくれたじゃないですか」

「ごめんなさい。本当はもっと、幸せな形で会わせてあげられれば、よかったんですけど……」「ごめんね。つらい思いをいっぱいさせて……」

 

 やっぱり堪え切れなくなってしまった。絶対にいけないことなのに、よりによって本人の前で涙を流してしまう。

 

「わ。どうしたんです……? こんなこと本人が言うことじゃないですけど、今さらじゃないですか……」

 

 当惑する彼女を前にして、沈黙を貫くしかない。

 

 言えない。言えないんだ……。

 

 君はもう死んでいる。そんな残酷な事実を突きつけるような、つらい仕打ちをしておいて。

 これから俺たちは、本当に君にトドメを刺すのだ。夢の世界ごと、君を消し去ってしまうのだ。

 せめて最後の一日くらいは、家族の下で過ごさせてやりたいと。そんな罪滅ぼしにもならないようなことをして、少しでも腑に落とそうとしているんだよ……。

 許されるものか。あまりにも、むごい……!

 

「……何か、また隠していることがあるんですね?」

 

 ここまで態度に出てしまっては、悟られてしまうのも当然だった。自分たちのわかりやすさを、これほど恨みたくなることはなかった。

 ニザリーは、じと目で俺たちを睨み付ける。

 

「お二人が私に真実を話すことを躊躇っていたときのような……そんな顔、してますよ?」

「「…………っ」」

「言って下さい。私はどんなことだって受け止めました。まさかこの期に及んで話せないなんて、そんなことはないですよね?」

「ごめんなさい。ダメなんだ。これだけは。これだけは、言えない……」

 

 ニザリーは信じられないような顔をして、睨みを深める。

 

「……じゃあ、何ですか? 私の死よりも、残酷だと……? 家族も死んだって、別に決まったわけじゃないですよね? それ以上の何かって、それって……」

 

 何も言えない。

 だがここまで来ると、沈黙が既に雄弁な答えになってしまっていた。

 

 ニザリーは絶望に染まった表情で、言った。

 

「私、もう一度死ぬんですか……? 今度こそ、本当に……死んじゃうんですか……?」

「ちが――」

「嘘を吐くなっ!」

 

 思わず身をすくめるほどの怒鳴り声が、店内を揺らした。俺もユイも、凍り付いてその場に固まってしまう。

 

「顔見たらわかるって、言ったじゃないですか! あなたたちは、どこまで……どこまで……っ! 私の運命を弄べば気が済むんですか!? 死神ですか!?」

 

 激しい怒りに任せて、俺に掴みかかるニザリー。目の端には、涙がいっぱいに溜まっている。

 

「そんなどうしようもないことを、わざわざ悟らせるために来たと!」

 

 泣きながら、何度も何度も、女のか弱い腕で執拗に胸を叩いてくる。俺はただ黙って受け止めることしかできなかった。

 

 ……こうなる可能性はあった。だけど会わないわけにはいかなかった。逃げるわけにもいかなかった。

 

 これが罰か――。

 

「言ってませんでしたけど! 私がどれだけ、あなたたちに頼みたかったと思ってるんです!? なのに何か月も放ったらかしで! あなたたちにはずっと連絡も付かなくて! 世界はもうめちゃくちゃで! 今までどこ行ってたんですか!? 今さら来て、手遅れですって……ふざけてるんですかっ!」

「ニザリーちゃん……。それはね……!」

「黙れ! だまれだまれだまれ! 言い訳なんか聞きたくない……っ!」

 

 歯を剥き出しにして、真っ赤に泣き腫らした瞳で、彼女は俺に食い下がる。

 

「みんな頼りにする英雄なんでしょう!? 何でもやるんでしょう!? だったら……っ……だったら、何とかしてよっ! 私もみんなも、救ってみせてよ……!」

 

 それだけ言うと、もう殴る気力もなくなって。俺の胸に縋り付いて、嗚咽を上げるばかりになった。

 肩を支えて胸を貸すと、ぎゅっと服の袖を掴み、顔を押し当てて、ただすすり泣いている。

 

 ただ許せないだけの相手にする態度ではなかった。

 でも俺たちへの憤りも本当で、薄々仕方ない事情も察していて。どうしても誰かに当たらずにはいられなくて。

 

 ――本当はもう、わかっているんだ。こんなにいい子なんだ。

 

 なのに、俺は。俺たちは……。

 

 俺もユイも、一緒になって静かに泣いていた。

 彼女の泣くことを邪魔しないように、声を押し殺して。だけど、聞こえてしまっているだろう。

 

 どれほど泣いていたのか。

 涙が枯れるまで泣いたニザリーは、俺の胸に顔を預けたまま、か細い声で言った。

 

「……家族に、会わせて下さい。そのために、来てくれたんですよね……? せめて、最後のひとときは……」

「……わかりました」「……いきましょう」

 

 

 

 彼女に理解が及ぶだけの、話せるだけの事情を話しながら、三人で情報都市ビゴールへ向かった。もう隠し事をする意味もないから……。

 

 幸いにもビゴールは、ナサドに比べると損害は軽微のようだった。マペリー一家も無事だった。

 

「娘のような」ニザリーとまた無事で会えたことを両親はいたく喜び、マペリーも久々のお姉ちゃんを無邪気に喜んでいる。

 ニザリーは無理に笑おうとしていた。でも続かなくて、すぐに切ない表情を帯びている。

 敏いマペリーは、心配になって尋ねた。膝にまとわりつきながら。

 

「お姉ちゃん。どうしたの? また泣いてるの?」

「うん。ちょっとね。ごめんね。泣き虫なお姉ちゃんで……」

「いいよー。ほんとにつらいときはね。遊ぶのもいいけど、いっぱい泣くといいって、聞いたもん」

 

 そしてこちらをきょとんと見て、また首を傾げる。

 

「あれ、ユウお兄ちゃんも、ユイお姉ちゃんも、泣いてるー? みんなつらいの?」

「…………。お姉ちゃんね。ちょっと二人に別れの挨拶したいんだ。だから、ちょっと待ってもらってもいいかな」

「うんー。わかったー。マペリー、いい子にして待ってるね」

「よしよし。いい子ね」

 

 マペリーに聞かれない程度の距離を取ったニザリーは、俺たちに改めて向き直った。

 

「あの……さっきはすみませんでした」

「謝らないで下さい。俺たちには、謝ってもらう資格なんか……」

「そうですね。あなたたちは、本当にひどい人です。ひどく残酷で、なのに優しい……」

 

 複雑な気持ちを隠せない、また泣き出してしまいそうな表情で、ニザリーは続ける。

 

「……私はもう、とっくに死んでいたはずの身です。それがこうして、また家族に会えること自体が奇跡でした。だけど、奇跡はいつまでも続かない。真実を知ったときから、そんな予感はしていました……」

 

 彼女は深く息を吐き出し、強い意志を瞳に固めて、俺たちに言った。

 

「だから……もう、行って下さい」

「「…………」」

「あなたたちのことは、絶対に許しません。許しませんから、もう行って下さい。二度と顔を見せないで下さい。やらなくちゃいけないことが、あるんでしょう?」

 

 あえてなのだろう。

 あえて許さないとはっきり口にすることで、どうしようもない感情に少しでも整理を付けてくれたのだろう。

 それは、中途半端に許すと誤魔化して言われるよりは、いくらか救われた気分だった。

 

「「ありがとう。さようなら。ニザリー……」」

「さようなら。ユウさん。ユイさん。向こうの世界で生きた家族を……みんなを助けてやって下さい。どうか、お願いします」

 

 そして彼女は俺たちに背を向け、もう振り返ることはなかった。

 夢の家族と、最後のひとときを大切に過ごすのだ。一分一秒も無駄にしたくはないだろう。

 だけど、自分が消えてなくなることがわかっていて。

 いったいどんな気持ちで、何をして過ごすのだろう。

 

 だが俺とユイには、とても推し量ることなどできない。見届けることもできない。

 

 この業の重さを受け止めて、先へ進むしかないのだ……。



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301「夢想の世界を見つめて 4」

 それからいくつか街を回り、たくさんの人たちと最後の別れを告げた。ニザリー以外、それが最後の別れであることを告げられぬまま……。

 無事な人ばかりではなかった。ナイトメアや魔獣に襲撃され、既に亡くなっている人もいた。当人は無事でも、親しい者が死んだり、生活の基盤が破壊されてやけになったり、元気をなくしている人もいた。

 さらに不幸なケースになると、街や村ごと滅びてしまっていることもあった。規模の小さなところになるほど顕著にその傾向があった。

 やはり首都フェルノートや大都市群はマシな方だったのだ。お別れさえ言うこともできない事実に、項垂れるばかりだった。ユイが一緒にいてくれなかったら、耐えられただろうか。

 

 そして、もう一つ。

 俺たちは、別の形で改めて罪を突きつけられることとなる。

 

 闇へ向かって滝のように流れ落ち続ける海。大きな力に抉り取られた海岸線の前で、俺とユイは立ち尽くしていた。

 

 ミティの出身地。料理コンテスト開催の地。

 

 港町ナーベイは、跡形もなく消え去っていた。

 

「これってまさか……」

「きっとそうだ……。俺が力をコントロールできず、暴走したときの……」

 

 世界崩壊の日。もう一人の「俺」とウィルとの戦い。

 ラナソールを砕く最大の要因の一つとなったそれは、エーナさんやレンクス、ジルフさんが必死に防御に回ることで、辛うじてレジンバークだけは守れたと聞いていた。

 海は割れ、地は砕け、山のような高さの津波が発生したという。

 エディン大橋は完全に破壊され、フォートアイランドもアルトサイドに堕ちた。対岸のナーベイだけが無事であるということは、ほとんどあり得ない話だったんだ。

 

 けれど、こうして改めて残酷な事実を突きつけられると、何も言葉が出てこない。

 どうしようもなく苦しくて。自分がいかに罪深い存在であるかを思い知らされて。

 

「ごめん。みんな……」

 

 打っては返す波打ち際で泣くことしかできない俺に、ユイはそっと肩を支えてくれた。

 面と向かって別れることができた方が、まだ少しだけ気持ちが楽だった。

 ラナソールを消してしまっても、トレヴァークに生きる対応者がいれば、魂だけは還ることができる。けれど、ナーベイの人たちはどんな形でも一切救われることはない……。

 謝る相手すらもういないことが、こんなにもつらいなんて……。

 

「やっぱりあの力は使わない。もう一人の「俺」のようには、ならないよ。あれはどんなに強くても、無関係の人まで巻き込んで、傷付けてしまう力だから……」

「うん。そうだね……」

 

 せめて決意を新たにすることでしか。罪滅ぼしの方法がわからなかった。

 フェバルの力とは天災にも等しいものだ。使いどころによっては、世界を滅茶苦茶に破壊してしまう。

 レンクスやジルフさんが中々力を振るいたがらない理由が、今なら痛いほどよくわかる。

 俺が目指すべきは、普通のフェバルとは違う道。想いの力を高め、届くべきものだけに届く、そんな力だ。

 

「……いこう。ここにいても、もうできることはないから……」

「ユウ……。わかった。でも一人で自分を責めないで。私も一緒に背負うから」

「うん。ありがとう。君がいなかったら、俺はもうとっくに心が折れてたかもしれない」

 

 これからも間違いなく罪を重ね続けるであろう俺たちは――行く先々でどうしようもないものと対峙し続ける。それこそが【運命】と戦うことなのだとしたら。

 こうして罪に苛まれて立ち止まってしまうことだって、きっと傲慢な自己満足でしかないのだから……。



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302「夢想の世界を見つめて 5」

「とうとう帰ってきちゃったね……」

「そうだね……」

 

 俺とユイが最後に帰ってきたのは、冒険者の町レジンバークだった。

 俺たちが最初に訪れた街であり、何でも屋『アセッド』の一号店を建てた地であり、ずっと拠点にしていた場所でもある。当然一番思い出も多く、知り合いも多い。

 二人で話し合って、最後はここにしようと決めていた。最も馴染みの深い場所をラナソールの旅の終着点としたかった。

 

 未開区ミッドオールの最前線であるこの地は、魔獣やナイトメアの出現率も高く、各個体も強力である。最も脅威に晒されている街ではあるものの、しかし人間の力も負けてはいなかった。

 屈強な冒険者たちやありのまま団等の活躍によって、決して少なくない被害を出しながらも、幾度もあったという滅亡の危機をすべて乗り越えてきている。

 街に足を踏み入れてみれば、活気は一目瞭然だった。連日の襲撃に対する疲弊はさすがに隠せないが、いつも通りの騒がしい光景が広がっていた。

 相変わらず、あちこちで笑い声が聞こえたり、たまに意味不明な爆発が起こったり、誰かと誰かが喧嘩をしていたり。謎のコッペパンが飛んでいることすら、顔を綻ばせてしまうほど懐かしい。

 二年ほどをここで過ごした。あの楽しかった日常がまだ生きている。この街に生きる全員の逞しさと不断の努力によって、最後の聖域は辛うじて残されていた。

 それに、ユイと一緒にまたここへ帰って来られるとは思っていなかった。まるであの日に帰ってきたようで、じーんと来てしまう。

 気持ちはユイも同じで、俺の掌を揉みながらしみじみと言った。

 

「本当に帰ってきたんだね」

「うん」

 

 だけど……。

 何度でもその事実が俺たちの心に釘を打ちつける。

 この光景も今日で終わり。俺たちが終わらせなくてはならない……。

 

「……いこっか。最初はどこにする?」

 

 少し悩むけど、そうだな。

 

「ありのまま団かな。やっぱり」

「あー。その気持ち、よくわかる」

 

 自分同士で納得し合っていた。

 こんなときでも濃ゆいのは消去法で先に済ませておこうと思えてしまう辺り、あの人たち強い。さすがに一番最後の思い出を一面肌色にする気にはならないからな……。

 ありのまま団員は大半がエインアークスの構成員と繋がっており、現実世界で身元と無事を確認できている者が多い。彼らには一応、還るべき場所がある。そのことは、ほんの少しだけ気持ちを楽にさせてくれた。ほんの少しだけだけど。

 

 

 ありのまま団本部の扉を叩く。ここへ来るのは漢祭り以来だ。

 なんか近寄りがたいので普段は来ないようにしていたけど、あのやかましい連中との付き合いも、これで最後か……。

 しんみりした気分で、扉を開くと。

 

 

「破ァ!」「ソイヤッ!」「ダアッ!」「ハアンッ!」「オオンッ!」

「「応、応、応、応、どっこいしょーーーーーーー!」」

 

 

 センチメンタルが、弾けた。

 剥き出しの姿で、めいめい躍動するマッスルポーズを決めるムキムキな男女たちによって。約数名叫んでるふりして喘いでるのもいるぞ。

 

「……よさこいでも踊ってるんじゃないよね?」

「たぶん、違うと思う。たぶん……」

 

 エントランス正面から激烈なインパクトで出迎えられ、目を見合わせ困惑する俺たちに、天井から何かが急降下してきた。

 さっとかわすと、ドカンと爆音を立ててぴたりと倒立着地をキメる漢が一人――カーニン・カマードだ。

 そして頭が魚だ。しかもなんか豪華高級魚盛りになっている! てか、頭で着地してる! 魚が苦しそう! あれ、髪の毛じゃなかったの!?

 というか、いつから張り付いてたんだよ。しかも床割れたぞ。今。

 カーニンは、倒立をキメたまま言った。

 

「HAHAHAHA! やあ諸君。漢のマッスルトレーニングへようこ――」

「「いえ違います」」

 

 こいつらに対しては、絶対にペースに乗せられてはならないのだ。普段は流されやすい俺もユイも、断固とした姿勢で臨む。

 相変わらずふざけているカーニンの代わりに、俺たちに気が付いたのは一般団員たちだった。

 

「ユウさん!」「ユイさんもいるぞ!」

「キングオブ漢祭りと、クイーンオブ漢祭りがきた!」

「やあ、ありのまましてるかい?」

 

「「ありのまましてるかい!?」」

 

 うるさい。大合唱がすごい。

 そして、何かものすごく期待しているような、わくわくキラキラした瞳でこちらを見てくるもので。

 

「まったく。おまえら……」

 

 揃いも揃って。こんなときにも変わらず。馬鹿ばかりやって。

 こっちは泣きたいのに。呆れて笑っちゃうじゃないか。

 胸いっぱいの気持ちを込めて。俺は叫んだ。

 

「アウトだああああああああーーーーーーーーーーーーっ!」

 

 上半身だけ脱ぎ去り、力任せに拳でツッコんでツッコんでツッコんで回る。

 ありのまま団員たちは、ギャーと楽しい悲鳴を上げ、断末ポーズを掲げながら倒れ、散っていく。

 隣では「アウトおおおおお」ってユイも小さく叫びつつ、俺の対処しにくい裸女を蹴散らしていた。可愛かった。

 

 団員たちの最期を逆立ちのまま見守っていたカーニンは、気味の悪い哄笑を上げると。

 

「おいッ! 少年たちよッ!」

 

 叫び、こちらへいっぱい注意を惹きつけ。

 

「残念だったなッ! 団長ならここにはいないぞ! ギルドで受付のお姉さんたちとなあ、最終作戦会議さあッ!」

 

 そして不敵に笑うと、ぴたりと閉じていた両足を、ゆっくりと開こうとしていた。

 股間はビリビリと破れ、中から黄金の光が放たれようとしている――。

 

「ここから先は、次のステージ(R18)になるぜ?」

「やめろおおおおおおおおおおおおおーーーーーーっ!」

 

 別の意味で旅が終わっちゃうだろ! いい加減にしろッ!

 

 必死に手を伸ばすも、放たれる金色の光は次第に収束しつつあり、黄金の輪郭を白日の下に解き放とうとしている――!

 

 くっ、ダメだ! 間に合わない!

 

 しかし、そこでユイの魔法が炸裂するッ!

 

《キル……わーキルキルキルーーーッ!》

 

 一生懸命で思いつかなかったんだな!

 

 とにかく、黄金の光は闇の球状モザイクによってすっぽりと覆い隠され……それはそれで悪目立ちしないでもなかったが、とにかく最悪の自体は免れた。

 しかもこの魔法、絶妙な刺激があったのか、カーニンに別の意味でトドメを刺してしまった。

 

「おおおohhhhhhウウーーーーンahaaaaaaaa……!」

 

 お子様に聞かせられない何とも艶めかしい声を上げて、漢は倒立したまま絶頂し、気を失った。足が付きたてられたまま、逆生涯に一片の悔いを残さなかった。

 魚もやり切った清々しい顔をしている。この日一番のイケメンだった。

 

「はあ……はあ……。なんて、強敵なの……」

 

 顔を真っ赤に赤らめ、息も絶え絶えに、涙目で崩れ落ちるユイ。かける言葉が見つからない。

 裸累々の中、とりあえず彼女の下にかがみ、肩を支えて起こした。

 

「ありがと」

「こちらこそ。助かった。色んな意味で」

「ある意味世界よりも大切なもの、だったのかもしれないね」

 

 そんなとき。

 

「ラストバックステッポウ……」

 

 壁際ではバックステップ男がたった一歩だけ万感の想いを込めて後ずさり、なんかめっちゃいい声で黄昏れていた。いつものラバースーツ姿で。

 とりあえず無視する。

 

「バ、バックステップポウ……?」

 

 おい。そんな動揺するな。悲しそうな顔をするなよ。てか動揺するとき、そんな感じなんだな。

 

「はあ……仕方ない。今まで思いっきりスルーしてたけど、一度くらい捕まえてみろってことなんだろ?」

「たぶんそういうことなんだろうね」

「わかった。俺がやろう」

 

 覆面を被っているので素顔はわからないが、この返答には満足気にニヤリと笑みを浮かべたのはわかった。

 

 身構える俺。片足に体重を乗せ、いつでも後ずされると態度で示すバックステップ男。

 

 そして、俺は――。

 

 

《パストライヴ》

 

 

「あ、ずるい」

 

 瞬間移動によって、彼が動くその前に肩へタッチを決めた。

 

「ポオオオオオオオオオオーーーーーーーーッ!」

 

 男は一縷の無念とどこか満足そうな雄たけびを上げ、忽然と姿を消す。

 

「え……?」「消えた……!?」

 

 慌てて見回すと、いた。

 入り口の正面で、ぴんと伸ばした背中を向けている。

 今日着ていたラバースーツの背中が、初めて見えた。そこにはこう書いてあった。

 

 

『ポウ(最後だ。がんばれよ)』

 

 

 男は背中だけで語り、もう何も言わなかった。

 手を振りながら、夕日をバックに走り去っていく。

 

 そして、俺たちはすべてを悟った。

 

 最終作戦会議。

 ラストバックステッポウ。

 

 そうか。こいつら……わかってたのか……。

 

 もしかしたら、他のみんなも……?

 

 すべてを出し切って、満足に気を失う面々からは、真実はわからない。

 

 ただ、いつも通りにバカ騒ぎをして、いつも通りにふざけて。

 

 そうやって、少しでも俺たちの気を楽にしようとしてくれたのかもしれない。

 それが、彼らなりの餞別だったのかもしれない。

 

 ……はは。まいったな。本当にまいった。

 

 ――まさかこいつらに泣かされる日が来るなんて。思わなかったよ。



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303「夢想の世界を見つめて 6」

 ありのまま団を去った後、俺たちが次に向かうのは冒険者ギルドだ。

 ここまで世界各地を急ぎ足で回ってきたが、そろそろ日は落ち夜になろうとしている。

 

「トレヴァークに戻ってからのことも考えたら、あまり時間はないな」

「名残惜しいけど、ゆっくりしてはいられないね」

 

 ユイはトレインの待つアルトサイド中枢の位置情報をもう一人の「俺」から得ている。しかし、道を開くためには封印の要石となっているナイトメア=エルゼムを倒す必要がある。エルゼムを倒し、なおかつトレインの元に辿り着くまでの時間は最低限必要になる。

 それだけでなく、トレヴァークで今も続いている絶望的な戦いの推移も考慮する必要がある。

 今でも心を繋げているハルから時々連絡が来ているのだけど、戦況ははっきり言ってひどいものだ。

 トリグラーブなどの大都市では辛うじてナイトメアを押し留められてはいるが、地方都市は圧倒的に手が足りていない。まともな戦いと呼べるものにすらなっていなかった。

 ラナソール人と違って現実的な力しか持たないトレヴァーク人は、闇の攻勢に対してはただ蹂躙されるばかりだ。小さな都市からまず連絡が付かなくなり、魔神種ナイトメアの一撃によって地図から消えてしまった都市もあるという。

 

 俺たちがぐずぐずしているうちに、どんどん犠牲者が増えている。

 胸はひどく痛むけれど、しかし覚悟のできてない状態で行ったところで、焼け石に水にしかならない。実際戦ってみて痛感している。

 今の俺とユイでは、魔神種の一体にも勝てない。それがゆるぎない事実なんだ……。

 仮に今ここでどんなに覚悟を決めたと嘯いてみても、【神の器】は心の状態に対して正直にパフォーマンスを発揮する。焦って気持ちの整理を付けないまま向かっても、想いの力は応えてはくれない。ただのなまくらになってしまう。中途半端な決意で向かうことは、むしろ最悪なのだ。

 だから回り道のようでも、今はなるべく一つ一つのことに向き合わなくてはいけない。

 この世界の人たちに、きちんとお別れをしなければならない。そうでなければ先へ進めない。

 

 ――他ならぬ俺たちが、そう思っているから。

 

 話を戻そう。

 放置すれば世界を一気に滅ぼしかねない最凶のエルゼムは今のところ、受付のお姉さんたちによって食い止められている。

 J.C.さんが後方で回復役を担っており、定期的に体力を回復しながら戦っているそうだ。

 だがエルゼムは、単純な強さも戦闘タイプのフェバル並みでありながら、光魔法とお姉さんシリーズ以外の攻撃を一切通さない防御性能を誇る。さらには、ダメージを与えてもすぐに再生してしまう脅威のタフネスを持っていた。J.C.さんがいなければ、とっくに戦線は崩壊しているところだった。

 そして光魔法でなくても、お姉さんの虹色オーラの攻撃はなぜか通るらしい。お姉さんのやばさが伝わる一面ではあるが……。

 とにかく、彼女たちドリームチームでも未だ決定打は与えられていない。何度かお姉さんやザックスさんがエルゼムの全身を吹き飛ばすほどの大技を放ったみたいだけど、それでも再生復活してしまったそうだ。

 J.C.さんの回復能力と、エルゼムの再生能力によるいたちごっこが続いている。

 とすると、やっぱりアレはもう一人の「俺」が言う通り、俺たちでなければ――本源を断つ一撃じゃないと倒せないってことなのか。

 しかも厄介なことには、時間が経ち、世界崩壊が進むにつれて、次第にパワーアップしてきているということだ。

 現状のメンバーではじきにもたなくなると見たアニエスは、先にこちらの世界へ来て、ジルフさんをトレヴァークに召喚した。

 そしてジルフさんをブレイさんのサポートに就け、入れ替わりでヴィッターヴァイツが対エルゼム戦に追加参戦した。姉弟のコンビネーションが加わり、劣勢だった状況を五分にまで押し戻している。

 

 ……というのが、現状であるようだ。

 

『こっちは頑張って耐えておくから、ユウくんとユイちゃんはちゃんと自分の為すべきことをしてね』

『わかった。報告ありがとう。ハル』『ありがとね。ハル』

 

「……もうすぐギルドだ。行こう」

「……うん」

 

 

 冒険者ギルドに着いた。

 両開きのドアを上げると、受付兼酒場になっている。

 今は襲撃が来ていないからか、また夜の時間で、たくさんの冒険者たちが店内にいた。

 受付には、お姉さんの姿はないようだ。ゴルダーウ団長の姿も見当たらない。作戦会議してるっていうから、上のフロアにいるのかもしれない。

 

 みんなが俺たちに気付くと、やんややんやの大喝采が上がる。

 

「おお、ユウさん!」

「ユイちゃんもいるぞ!」

「やったぜ!」

「しばらくぶりだなあ! ユイちゃんなんていつぶりだ?」

「ユウ様!」「ユイ様!」

「英雄のご帰還だーーーー!」

 

 わっと人が押し寄せて、二人して揉みくちゃにされる。

 温かい歓声が、今は突き刺すような痛みを伴ってくる。喜ばれることがこんなにつらいと思う日が来るなんて、思わなかった。

 

「で、どうなんですかい? 今度の冒険の首尾は?」

「俺たちみんな、あんたらの活躍を聞きたくってさ!」

「ぜひ酒の肴に聞かせてくれよ! 今度はいったいなんて奴を倒したんだ?」

「誰を救ってくれたのかしら?」

「この世界を救う方法、探してるって聞いたわよ!」

「「ユウさん! ユイさん!」」

 

「「みんな……」」

 

 やっぱり言葉が出てこない。こんなとき、何を言ってやれるものか。

 俺たちはみんなの期待を裏切るのだと。これからみんなを亡き者にするのだと。救う方法なんてないのだと。

 

 そんなこと……っ……。

 

 唇を噛み締め、涙を堪えるばかりになってしまった俺たちに、ギルドの面々は慌て出した。

 

「わ、どうしたよ?」

「おーい誰だ!? こんな可愛いの泣かせちまったのは!」

「まさか僕が……?」「おめえ喋ってなかったじゃねえかよっ!」

「つらいことがあったのかもね」

「オレたちと一緒さ。英雄だって人の子だろうよ」

「ほうら、席へお迎えしろ! 誰か二人に奢ってやれ!」

 

 促されるまま、酒場のカウンターに座らされる。

 騒がしくも優しい声が余計に心にしみて、胸がいっぱいで喋ることができない。みんなの顔が涙でぼやけて、見えない。

 

「言い出しっぺのあんたが奢れよ!」「くっそー、今手持ちがねえんだよぉ!」

「オレが奢るぜ。こんなときのための借りだ」

「ギンド!?」「そういやてめーユウさんに散々奢られてたなあ!」「そうだな! それがいい!」

「よっしゃ、酒だ酒!」「元気出してもらわなくっちゃ」

「何言ってるのよ! ユウ様とユイ様はお酒を召し上がらないのですわ!」

「だったらなんだ?」「ミルクだ!」「いつも頼んでるやつな!」

「英雄はママのミルクがお好き!」

「ベイビー」「「ヒュー、ベイビー!」」

「こら、ひやかすな!」「もう!」

 

 やがて大ジョッキがドカンと置かれ、俺の隣に一人の男が座った。

 ギンドだ。あの乱暴者だった。

 3つのジョッキには、すべてなみなみと白い液体が注がれている。

 

「オレの奢りだ。せっかくだし、オレも同じの付き合うぜ。知らなかったが、結構高いんだな。こいつ」

 

 ああ。ミルクでは最高級品だからな。それ。

 

「乾杯だ。ユウさん。ユイさんも。てめえらも!」

「「乾杯……」」

「「乾杯!」」

 

 ガチャリとグラストグラスがぶつかる。小気味の良い音があちこちで鳴る。

 そして、酒のように豪快にジョッキをあおるギンド。

 

「く~~~、甘えなあ。まるであんたらのようだ。おら、せっかくだから飲んでくれよ?」

「ああ……」「うん……」

 

 気は進まないが、口をつけてみる。

 まろやかな甘みが涙に混じって、よくわからない味がする。

 そこで何が可笑しいのか、くっくと笑い出したギンドは、とっておきの報告をした。

 

「実はな、今度結婚するんだよ。235回目のプロボーズ、ついに決めたぜ!」

「マジか!」「やるじゃねえかギンド!」

「ついでに言うとな、子供も授かったぞ!」

「おー!」「おめでとう!」

 

 あちこちから冷やかし混じりのおめでとうが聞こえ、指笛が鳴る。

 やがて落ち着いた辺りで、彼は俺の肩を叩いて、言った。

 

「オレさ。思い上がっていたんだ。あんたに根性叩き直されて、何度も相談乗ってもらってよ。自分を見つめ直して、ひたむきに頑張ってみようって。一応、Aランクにも上がったしな。まあ、そう思えたのはユウさん、あんたのおかげだ」

「ギンド……お前……」

 

 二年以上の歳月は、人を変えるには十分だった。愚かな男は、これから父になる立派な男の顔をしていた。

 

「こんなこと言うのもこっ恥ずかしいんだが、あんたの優しさに救われたんだよ」

 

 ――違う。救えないんだ。

 

 俺は今日か明日にでも、君の幸せごとすべてを奪ってしまう……。

 

 つい目を伏せてしまう俺に、彼はもう一度、今度は強めに肩を叩く。

 

「ま、オレには何があったのか、英雄様の心中まではわからねえけどよ。バカなオレでも、一つだけわかることがあるぜ」

「なに……?」

 

 横から尋ねるユイに、ギンドはにっと笑って答えた。

 

「ここにいるみんな、あんたらには大なり小なり恩があるってことさ!」

「そうだよ!」「おうともよ!」「そうです!」「ですわ!」

 

 場内が割れるばかりの大賛同に、また熱いものが頬から流れる。

 

 なのに。なのに――どうして運命はっ!

 

「だからさ、つらいかもしれないけど、負けないでくれよ。胸張ってくれよ! あんたたちは文句なしに英雄さ! これだけの人を救ってきたんだって、そこは誇りに思っていいんじゃねえかな?」

「ギンドの言う通りだぜ!」

「なあ、笑ってくれよ!」「お二人の笑顔、大好きなんですよ!」

 

 何も知らない人たちの、溢れるばかりの祝福は。同じだけの呪いとなって。

 救ってきたものの大きさと。救えないものの大きさを。また心に刻みつけて。

 

「「ありがとう……ごめん……」」

 

 ただ、そう言うことしかできなくて。

 

 それでもみんなの気持ちに応えて、精一杯笑ってみた。

 

 そうしたら、みんなも笑い返してくれて。あのいつも不機嫌だったギンドも、不器用に笑ってくれて。

 

 ――やっぱり、みんな無事ってわけじゃないよな。ここにはない笑顔、永遠に失われてしまった笑顔だって、たくさんある。

 

 それでも。それぞれつらいことがあっても、胸を張って、前を向いて笑っている。

 

 そんなこの場所が、温かった。大好きだった。

 

「楽しかった……。本当に、楽しかったんだ……」

「そうか……」「だよな」「うんうん」「わかるわ……」

 

 次から次へと、思い出は溢れてくる。

 

 数ある依頼の最大手は、この冒険者ギルドだった。たくさんの人の冒険をお手伝いしてきた。

 

 下らないことでど突き合い。喧嘩してたりして。

 数えるのも飽きるほど、仲裁に入って。簡単に仲直りして。

 しょうもないことで笑い合って。小さなことではしゃいで。大きなクエストに胸躍らせて。

 

 本当の意味での冒険が、ここにはあった。

 

 フェバルとして旅をしてきた俺たちは、このレジンバークという地で。

 このラナソールという世界で。

 

 ――初めてだったんだ。ほとんど何の気兼ねもなく、バカ騒ぎしてばかりの楽しい日々を過ごせたのは。

 

 世界と戦う忙しさに、忘れていたはずの日常があった。

 こんな騒がしく平和な日がずっと続けばいいって、そう思っていた。

 

 そんな日常を、暴走によって壊してしまったのも。これから永遠に消し去ってしまうのも。

 

 すべてを終わらせるのは。ここにいるみんなを終わらせるのは。

 

 俺たちだ。俺たちなんだ……!

 

 ここまで世界を回ってきて。いよいよ残すはもう、自分の店だけになって。

 今、一度にたくさんの仲間を目の前にして。

 強く、強く。

 そのことが、実感として胸に湧き起こってきた。

 

 心配したユイが、こちらへ手を伸ばしている。

 自分も同じ気持ちなのにな。

 その手を、包むように握って。

 

 ぼろぼろ涙を流しながら、一生懸命笑って。

 

 俺たち、どんな顔をしているのかな。

 

「「みんな……大好きだよ」」

「「俺たち(私たち)(僕たち)もだ(よ)!」」

 

 また揉みくちゃにされて、いっぱい励ましの言葉をかけられて。

 

 ただただ、胸がいっぱいで。ずっとこの今と思い出を噛み締めていた。

 

 

 そのうち、受付のお姉さんとゴルダーウ団長が最終作戦会議を終えて降りてきた。

 とっくにすべての事情がわかっている二人は。覚悟などとうの昔に済ませている二人は。みんなに揉まれる俺たちを見つけると、自分たちと話すよりも、その時間を大切にして欲しいと思ったようだ。

 あえて何も言わず、ただ黙って子を見るような優しく視線を向けていた。

 

 ……そして、みんなの温かい声援を受け、俺たちは冒険者ギルドを後にする。

 

 ラナソールの旅の最終地点。俺たちの店は、すぐそこだった。



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304「夢想の世界を見つめて 7」

「最後は我が家か……」

「随分長いこと空けちゃったね……」

「うん」

 

 ミッターフレーションの日以来、ずっと休業状態のままこの日を迎えてしまった。ユイに至っては、店に帰ることもあれから初めてだった。

 すっかり夜も遅くなってしまった。家は、二階の一部の個室に明かりが付いている他、一階の食堂には申し訳程度の小さな明かりが付いているだけだ。他は真っ暗である。

 

「「ただいま」」

 

 両開きの扉を開けて入る。

 営業中は連日満員で賑わっていたこの場所も、今はがらんとしていた。

 ジルフさんまでがトレヴァークに救援へ向かってしまい、レンクスは今もどこにいるのかわからない。店に残っているのは、ミティとエーナさんの掃除係コンビだけのはずである。

 その二人の活躍のおかげか、店はあの日のまま、ピカピカに綺麗なままであった。

 

 俺たちが自分であしらえた、温かみのある木製のテーブル。その椅子に二人並んで腰掛ける。

 駆け足で世界を巡った。忘れていた疲れがどっと襲ってきた。身体よりも気持ちの方がずっと重い。

 

 俺たちの帰りに気付いたのか、上の階からどたばたと足音がする。

 まもなく、エーナさんとミティが一階に姿を見せた。

 

「おかえりなさい。ユウにユイちゃん。待ってたわよ」

「おかえりなさいですぅ。ユウさん! それにユイ師匠!」

 

「会いたかったですよぉ~」とユイに思いっきり抱きつくミティ。

 そうだよな。本当に死んだかもしれないって心配してたんだもんな。みんな。

 ユイは優しい微笑みを浮かべて、よしよしとミティの頭を撫でていた。ミティがユイの胸に顔を埋めている間、隠しきれない憂いを俺とエーナさんだけには見せながら。

 

 ミティとも、これが最後になってしまうんだよな……。

 

 アニエスは、エーナさんにはすべての事情を話したことだろう。

 エーナさんも、どうしたらいいのかわからない。そんな表情を浮かべていた。

 ただ、俺たちのこれからしなければいけないこと、その重さはよくわかっていて。

「大丈夫なの?」と言いたげに心配な目を向けてくる。俺は首を横に振ってから、しっかりと頷いた。

 大丈夫ではない。でも段々と覚悟は固まりつつある。そういうニュアンスだった。

 エーナさんは、俺の意図を正しく理解したらしい。目を潤ませて、

 

「そう……。そうよね。それが、フェバルなのよね……」

 

 俺たちにしかわからない言葉を、重々しく呟く。

 過去、誰一人として殺すことで救えなかったエーナさん。ユイだけがもう一人の「俺」から聞かされた、当人にも決して言えない残酷な真実。

「エーナさんにはフェバルとなる者を絶対に殺せない」という運命。「あらかじめ【運命】によって決まっていることがわかってしまう」という呪い。

 その残酷さを永きに渡り痛感している彼女だから、苦しめられ続けている彼女だから、今の俺たちの気持ちも痛いほどわかるのかもしれない。

 

 俺たちも、俺たちの運命に向き合わなければならないときが来ている。

 決して受け入れるのではなく、逃げるのでもなく、正面から向き合って、断固として戦わなければならないことを。

 負けたくないけれど。今回ばかりは一定の敗北を認め、決断しなければならないことを……。

 

 

 ユイとのスキンシップをたっぷり味わったミティは、今度は俺の方に飛びついてきた。

 

「ユウさ~~ん!」

 

 しっかりと受け止め、頭を撫でてやる。

 寂しかっただろう。この数カ月はほとんど相手してあげられなかったからな。

 存分に甘えてきた後、寂しそうな声で彼女は言った。

 

「また、すぐに行ってしまうんですか?」

「うん。また……もうすぐね。行かなくちゃならないんだ。次の戦いに」

「なんだか最後のケリ付けに行くぞって顔してます」

「……そうだね。わかっちゃうか」

 

 妙に直感の鋭いこの子は、ずばりと本質的なことを言い当てることがある。

 

「……それが終わったら、またお仕事に戻れるんでしょうか? またみんなで笑い合って、いっぱいやってくる依頼をこなしていく、あの日常に戻れるんでしょうか……?」

「それは……」

 

 言い淀んでいると、ユイが横から口をはさんだ。この子に対しては隠し通せないと思ったのだろう。

 

「ごめんねミティ。お店は……畳むことにしたの。私たちは、これから最後の仕事をしに行くんだよ」

「そう、ですか……」

 

 意気消沈するミティ。

 俺たちがいなくても、一生懸命掃除係を続けてきた。この子なりの気持ちはわかっている。

 いつもここを綺麗で安心できる家にしておけば、いつかは戻って来てくれる。そう願っていたんだ。

 それを、そんな健気なこの子の気持ちを、俺たちは裏切ってしまうのだ……。

 

「ごめんな……。本当にごめん。せっかくずっと待っててくれたのにな。俺たち、ひどいよな……」

 

 ミティは何を想うのか。しばし瞑目し、何かを堪えるように歯を食いしばって、大きくため息を吐いて。

 そして、文句一つ言わなかった。

 

「……ううん。謝らないで下さい。ある程度、覚悟はしてました。お二人がどこかで頑張っているのを信じてて。それが本当で、私、とっても嬉しかったんですよ?」

 

 無理に口角を上げて、微笑む。

 

「今まで、ありがとうございました。本当にたくさんのことを学べました。おかげ様で、故郷に帰っても、今なら腕を上げた料理で万客を呼べそうな気がしてますっ!」

「「…………っ」」

 

 ああ。どうして。こうも痛いところを的確に突かれてしまうものか――。

 

 君には、帰るべき故郷は……もうない。

 港町ナーベイは、君だけを残して滅んでしまった。

 それに……君に残された時間すら、もう。

 

 ――思えば、この子にはどこまで不幸が纏わりついているのだろう。

 

 ただ、女の子になりたかった男の子であるというだけで。

 本当に何でもない、ただちょっと毒気のあるだけの、根は優しい普通のいい子なのに……。

 両親からは疎外され、誰にも秘密を打ち明けられない孤独を抱えていた。

 必死さから、俺に過剰にアプローチするような過激な行動も取ってしまい、誤解されがちだった。

 繋がって、やっと君の本当をわかってあげられたと思ったら。

 今度は実の両親と分かり合う前に、ヴィッターヴァイツの手で殺されてしまい……。

 ラナソールには、もはや帰るべきところもなく。

 現実の君は、きっと身近な知り合いをすべて失って。

 俺たちももう、どちらの君とも一緒にいられない……。

 

 この『事態』が解決したら。現実の君はたった一人、アロステップという町で――。

 

 

 ――――おい。待て。

 

 

 待ってくれ……っ……!

 

『アロステップって、まさか……』

『……! ミティ!』

 

 アロステップは……小規模の町だ。

 ハルから、定期連絡は受けていた。

 ナイトメアの大襲撃で、あそこは。あの町は……!

 

 気の急くまま、俺はミティの顔に手を触れる。

 

 そして、すべてを悟った。

 

 あ。あああ……。

 

 ない。繋がりが――どこにも、ない――。

 

 彼女の「切り離された魂」の奥に通じているものは、感じられるものは。

 ニザリーと同じ。真っ暗で底冷えするような……死のイメージだけだ。

 

「あ……う、あ……」

 

 彼女の片割れ。現実世界のミチオは、もう……っ!

 

 目の前が真っ暗になり愕然と項垂れる俺の、触れていた手を、ミティは優しく握り返した。

 

「あはは……バレちゃいましたか。やっぱ、敵わないですねぇ。……最後まで猫被ってようって、そう思ってたんですけどね。得意だったのになあ……」

 

 無理に作った笑顔のまま、ぽろぽろと涙を零し始めるミティ。

 すべてを察したエーナさんは、もう見ていられなかったようだ。俺を押しのけて、ミティを強く抱きしめていた。

 

「ミティちゃん……! あなたは……あなたって人はっ!」

「もう。痛いですよぅ……。フェバルってほんと馬鹿力なんですから、ね」

「「ミティ!」」

 

 俺たちももう、とても涙を堪えられなかった。嗚咽を上げながら、エーナさんの両脇からミティをいっぱいに抱きしめていた。

 

 どうしてだよ! どうしてこんな健気な子が、死ななければならないんだ……!

 

 運命のクソ野郎……!

 

「みんなぁ、泣き過ぎですよぅ……」

「なんで……なんで黙ってるんだよ……っ! わかってるのに、どうして恨み言の一つも言わないんだよ……!」

「バカですね。あんなに頑張ってるの見てて……っ……大好きな人を、恨むわけないじゃないですかぁ……! それに、ユウさんとユイ師匠が、優し過ぎるからですよ? きっとまた、たくさん泣かせちゃうと思って……っ……!」

「バカ……! そんなの、我慢しなくたっていいの……!」

 

 四人とも、わんわん泣いていた。それ以外に、どうしたらいいのかわからなかった。

 

「……だったら、一つだけ。最後にわがまま、いいですか?」

 

 耳元で、俺に向けて囁く声がして。

 

 頬に手を触れられたと思ったときには――正面から唇を奪われていた。

 

 無理やりねじ込んで絡みつくような、押しの強い、彼女らしいキス。

 

 時間にして、ほんの数秒。今だけは自分のものだと、いっぱいに主張して。甘く苦い感触を味わって。

 

 名残惜しそうに、唇が離れる。

 

 目を瞬かせる俺に、ミティは涙をいっぱいに溜めて微笑んだ。

 

「どうかせめて、忘れないで下さい。私という女の子がいたってこと。残念ながら、ハルちゃんには負けちゃいましたけど……私だって、ほんとに好きだったんですよ……?」

「……ああ。ああ……! 忘れないさ。絶対に、忘れない……!」

 

 そうして、みんなで固く抱き合っていると。

 

 

 

 突然――ガランと、両開きの扉が開いた。

 

 

 哀しみの静寂を貫く、快活な声が店内に響く。

 

「あっ! いたいた! やっといてくれた! ユウお兄ちゃんとユイお姉ちゃんだ!」

「え!?」「ワンディくん!?」

 

 忘れもしない、記念すべき最初の依頼者である。

 あれから二年以上が経ち、背も伸びて元気な少年になっていた。

 足元には、すくすくと大きくなったモッピーを連れている。

 

「どうしてこんな時間に……?」

「また来たんですか……」「また来たのね」

 

 ミティとエーナさんは、そんなに驚いていないようだった。何でも、世界崩壊のあの日から、実はちょくちょく来ていたらしい。

 

「へへ。ずっと会いたかったんだ。言いたいことがあってさ」「きゅー」

「なあに?」

 

 優しく尋ねかけるユイに、ワンディは笑顔で答える。

 

「素敵な時間をありがとうって。これ、夢なんでしょ?」

「な……どうして?」

「知ってるよ。僕、まだ夢見がちな子供だからね。最初は忘れるかもって心配してたけど。案外夢だってことは、よく覚えてるもんだね」

 

 さも何でもないことのように言ってのけるワンディに、こちらがひどく驚かされる。

 

「君、まさか。もう全部、知ってるのかい……?」

「うん。モッピー、あっちだともう死んじゃってるんだ。だけどさ、お兄ちゃんとお姉ちゃんが助けてくれたから。だからこうして、一緒に過ごせたんだよね」

 

 かがみ込み、モッピーの頭を愛おしむようによしよしと撫でてから、彼は決意を込めて言った。

 

「だけどもう、大丈夫だから。僕たち、こんなはっきりした形なんてなくっても――もう大丈夫だからさ」

「きゅきゅ!」

 

 モッピーも一緒に、キリッとした鳴き声を上げる。

「ちゃんとここに生きてるから」と、胸を指し示し、にっと笑うワンディ。

 それを見ていたミティもはっとして、途端に元気付いて張り合った。

 

「私だって……! 私だって同じ気持ちです! さっきしっかりと刻み付けましたからぁ!」

「「ワンディ……。ミティ……」」

 

 本当はつらくないはずなんかないのに。

 どうして君たちは。そんなにも強く――。

 

「ここには、依頼をしに来たんだ」

 

 俺たちの目をしっかり見つめて、ワンディは切り出す。

 

「もう知ってると思うけどさ。現実ではね。夢想病で苦しんでいる人たちが、いっぱいいるんだ。僕の友達も、知り合いの家族も。みんなやられちゃって。それになんか、怖い悪夢みたいな化け物にいっぱい襲われてて……」

 

 ぎゅっとリードを握りしめたワンディは、精一杯の勇気で頭を下げる。

 

「だからお願い。ユウお兄ちゃん、ユイお姉ちゃん。悪い夢なんかみんなやっつけて。みんなを助けてあげて」

「「……………………………………」」

「あっ、報酬は……。いっぱいのありがとうしか、言えないけどさ。……足りるかな?」

「「……………………………………」」

 

 ――それは、奇しくも最後の依頼と同じだった。

 

 いや、これこそが本当に最後の最後の依頼だ。

 

 ラナさんに頼まれたとき、俺はどうしても覚悟ができなかった。

 ランドに詰め寄られた後、本当に心が折れていた。

 

 だけど、よりによってあのヴィッターヴァイツに叱咤激励されて。

 ユイに慰められて。一緒に背負うと言ってくれて。

 

 みんなと出会って。みんなの想いを知って。

 

 何も知らないまま、励ましてくれた人たちがいっぱいいる。変わらず続いていく明日を夢見ている人たちだってたくさんいる。

 事情を悟って、あえて恨みを隠さないまま応援してくれた人もいる。おそらく事情を知りつつ、何も知らないふりをして、バカをやって背を押してくれた人たちもいる。

 すべてを知りながら、健気に送り出してくれる女の子がいる。

 

 そして――。

 

「大丈夫。ちゃんと足りてるよ」

「ほんと?」

 

 俺はしっかりと頷いて、丁重に依頼料を受け取った。ワンディの想いを受け取った。

 

「君の依頼、確かに承った」

「任せて。お姉ちゃんとお兄ちゃんはね」

 

「「すごく強いんだ」」

 

 みっともない涙の痕を晒しながら。それでも精一杯笑って。

 力強くサムズアップして、そう答えた。

 

「うん……! うん! がんばれ! まけるな! ユウお兄ちゃん! ユイお姉ちゃん!」

「まったく。あなたたちって子は……!」

「それでこそ私の一番大好きなヒーローですぅ! 世界を、みんなを頼みましたよ! ユウさん! ユイ師匠!」

 

 ――――ああ。

 

 俺たち、行くよ。

 

 悪夢をみんなやっつけに、行くよ。

 

 この世界を終わらせて。もう一人の君たちを救うために……行くよ。

 

 ……でも、その前に。

 

 一つだけ。大事なケリをつけなくちゃいけないだろうけどさ。



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305「現実の世界を見つめて」

 ユウと喧嘩別れしたランドは、戸惑うシルヴィアを連れてアニエスに送ってもらい、トレヴァークへ戻って来ていた。

 ランドは、やり切れない感情を怒りのままに吐き出した。

 

「ちくしょう……! みんな揃いも揃って仕方ないって面しやがって……!」

「でも……これからどうするの? 勢いで出てきちゃったけど……」

「シル。お前まで何を弱気になってんだ! 探すって言っただろ。見つかるまで探すんだよ!」

「……そう。そうよね……」

 

 シズハと繋がりがあるシルには、もうそれなりに事情が見えてしまっていた。

 言われたそのときは錯乱するばかりだったが、構造的にどうしようもないのだという絶望感が次第に重く心へのしかかってくる。

 

「まずはトリグラーブへ行くぞ! 情報を探すんだ!」

「わ! ちょ、ちょっと!」

 

 ランドは強引にシルヴィアの手を取り、手持ちにしていた携帯用ワープクリスタルを使用する。トレヴァークでの救助活動がスムーズにできるよう、世界各地にいくつか配置していたものだった。

 まだラナの話を聞いていたユウたちより先に『アセッド』トリグラーブ支部へ帰還し、それからみんなと顔を合わせる前に街へ飛び出した。

 二人は必死に街を駆けずり回った。

 図書館へ行き、ラナ教やラナクリムの情報などを調べたり、道行く人に尋ね回ったりもした。

 当然のように、すべては空振りに終わる。

 そんなものは、とっくの昔にすべてユウが洗っていたことだった。そして、ランドもシルヴィアもそのことは重々知っているのだ。

 無駄だと薄々悟りながら、空回りを続けるランドが見ていられなくて、シルヴィアは涙目で彼の手を引いた。

 

「ランド……。もう、やめようよ。こんなこと続けたって……」

「いいや、まだだ……! 言っただろ! 俺たちが諦めちまったら、誰が向こうの世界のみんなを守るんだよっ! 誰が俺たちを……っ!」

 

 やり場のない怒りで、彼の握り拳が震えている。

 

 今までだってそうだったじゃないか。

 どこまでも諦めなかったから、ユウさんたちは道を切り拓いてきたんじゃないか!

 なのに、どうして俺たちではダメなんだ! なぜ今回だけはダメなんだ……! こんなことってあるかよ……っ!

 

 ランドは、どうしても納得できなかった。どうしてもこの理不尽な運命を受け入れることができなかった。

 今やラナソールのすべての命運は、自分たち二人の肩にかかっていることを理解しているのだ。

 

 そうして彼なりに必死に考え、一つの結論が出た。

 

「そうだ……俺たちが先に行けばいいんだ」

「ランド……?」

「シル。アルトサイドに行くんだよ。ユウさんたちより先に、どうにかしてトレインを見つけてやるんだ。で、そいつの頬を引っぱたいて、目を覚ましてやる! 時間さえできりゃあ、またみんなで解決策を考えられるだろ!?」

「なるほど……確かに……世界を延命するとしたら、それしかないわよね。でも……」

 

 それがどれほど無謀なことか、わからないシルヴィアではなかった。

 星の数ほどのナイトメアや魔神種が跋扈する闇の世界を二人きりで攻略することが。その上で、どこにいるかもわからないトレインを見つけ出すことが。

 しかも会えたところで、彼が正気になれるかも、正気になれば世界が延命できるかもわからないのだ。

 

 ――そして不幸なことに、エルゼムを倒さなければ絶対に道が拓けないことを、ランドもシルヴィアも知らなかった。

 

「わかってるさ。死ぬほどきついってことはわかってる! でももう、これしかねえだろ! なあシル! 逆にユウさんたちに教えてやろうぜ! 諦めねえことの価値ってやつをよ!」

「そ、そうね! そうよね!」

 

 頭では厳しいとわかっていても、シルヴィアも縋りたかったのだ。

 奇跡というやつに。それをユウたちと一緒に何度も見てきたからこそ、信じたかったのだ。

 自分たちではどうしようもないということを、信じたくなかったのだ。

 

 方針を固めた二人は、トリグラーブ郊外へ飛び出す。

 

 この頃、既にエルゼムは現実世界への侵攻を開始しており、アルトサイドへ続く世界の穴はほとんど探すまでもなく見つかった。

 だが問題は、どこの穴を見ても、そこから飛び出すナイトメアの密度が、想像を絶するほどに凄まじいことだった。

 さらには、魔神種と思わしき影もちらほらと見受けられる。

 

「すごい数のナイトメア……。こんなのが、トレヴァークのみんなを襲ったら……!」

「言うな……! んなことわかってるんだ! だからさ、一刻も早く行かなくちゃいけねーんだよ!」

 

 障害を排除しないことには、アルトサイドに突入することもできやしない。

 ランドは無手から創り出した光の魔法剣を構え、シルヴィアも光魔法を構える。

 

 二人に対して、総勢百万にも達しようかという闇の軍勢が襲い掛かる。

 二人は持てる力の限り、懸命に戦い続けた。長い冒険と修業の果てに高めた超S級の力は、二人なら英雄レオンをも超えるかもしれないほどに高まっていた。

 そんな二人の実力を持ってしても――ユウと喧嘩別れしてしまったがために、想いの力を享受することができず――彼らはあくまで超一流のラナソールの戦士でしかなかった。

 どんなに化け物じみていても、一人の人間――そのレベルでしかなかった。

 

 世界を変えるだけの奇跡は……起こらない。

 

 魔神種の一撃が、シルヴィアの肩を容赦なく抉った。辛うじて急所を外していたのは、不幸中の幸いだっただろう。

 けれど地面に叩きつけられ、戦闘の継続は難しくなっていた。

 

「シルっ!」

 

 続いて満身創痍のランドにも、別の魔神種が襲い掛かる。

 光の魔法剣で懸命に受け続けるが、シルの万全なサポートがあってやっと四分程度に打ち合えていたのだ。一人ではすぐに押し切られるのが道理だった。

 

「ぐはっ!」

 

 剣の光が弱まったとき、一撃が彼の防御を貫通する。

 敵はそのままトドメの追撃を繰り出そうとしていた。

 

 あわや絶命かというところで――。

 

 

「お姉さんパンチッ!」

 

 

 虹色のオーラを纏った拳が、魔神種を粉々に爆散させる。さらに余波によって、周囲一帯のナイトメアをまとめて吹き飛ばす。

 

「受付のお姉さん……!?」

 

 思わぬ登場に、血まみれのランドは驚きのままその名を呼ぶ。

 肩を庇いながら立ち上がり、ランドの下へ駆け寄るシルヴィアがそこに合流した。

 

 息も絶え絶えの二人を一瞥して、受付のお姉さんは呆れたように溜息を吐く。

 

「あなたたち……無茶し過ぎよ。ランクに見合わない冒険はしちゃダメって、駆け出しの頃に言わなかったかしら?」

 

 エルゼムが健在な現状において、アルトサイドへ突入すること。こんな無謀にクエストランクを付けるとしたら、Sが4つあっても足りない。

 そんな無茶も承知でやっているランドは、歯も剥き出しに憤慨した。

 

「だってよ、しょうがねえじゃねえか! 俺たちがやらなきゃ誰がやるってんだよっ!」

「事情はよくわかるけどねえ……」

「はっ、そうだ! お姉さんが力になってくれるなら……!」

「その手があったか! 無茶だって言うんなら、あんたも協力してくれよ! 三人だったらまだ――」

 

 縋る想いで頼み込む二人に、お姉さんはただ悲しい目で首を横に振った。

 

「無理よ」

「えっ……!?」「なんでだよっ!?」

「私はこれから、エルゼムと戦わなくちゃいけないの」

「エルゼムですって!?」「あいつが……!?」

「こっちの世界に出てきたのよ。忌々しいことにね」

 

 いつもは余裕を崩さないお姉さんは、今回ばかりは深刻な顔つきだった。

 

「あまり表仕事はしたくないんだけどねえ、私くらいしか相手できるのがいないっぽいのよね」

 

 それでも、不敵に笑ってみせる。

 

「バカ野郎! あんたこそ無茶じゃねえか! 何一人でカッコつけてんだよ!」

「死んじゃうわよ!」

 

 エルゼムの強さを体感している二人は、お姉さんを必死で引き留めにかかる。だがお姉さんの決意は固まっていた。

 

「いやー、こればっかりは譲れないのよね。親友に誓ったことでもあるしさ」

「譲れねえのはこっちも一緒だ! あんなのとやるくらいなら、俺たちと一緒にトレインの方を!」

「お願いしますっ! ランドを助けてあげてっ!」

 

 シルヴィアの目には涙が溜まっていた。彼女は自分のことよりも、傷付き戦うランドの無茶が見ていられなかったのだ。彼の助けになるなら何でもしたかった。

 

 だがアカネは理解していた。八千年探しても辿り着けなかった彼に至るのは自分ではないと。二人に協力したくらいで、道が拓けるものではないことも。

 だから、二人に同情しつつ、可哀想に思いつつも、切り捨てる。

 

「あなたたちの気持ちはわかる。痛いほどわかるわ。でもね。私はトレヴァークの……現実世界の人間なのよ」

「……っ!」「くっ……!」

 

 あなたたちとは立場が違う。

 残酷な事実を突きつけられ、歯を食いしばる二人に、お姉さんは容赦なく続ける。

 

「いつか、こうなるかもしれないって思ってた。あの日きっちり終わらなかった世界の……きっとツケが回ってきたのね」

「「お姉さんっ……!」」

「……ごめんね。もう――行かないと。一つだけ。あなたたち、命は無駄に捨てちゃダメよ。リクやシズハちゃんの命もかかってるんだから」

「「!……っ……」」

 

 どんなに行かないでくれと願っても、叶わない。

 致命的な立場の違い。すれ違いは、どうしようもない。

 お姉さんは、《お姉さんジェット》で空の彼方へ飛んでいってしまった。

 ラナソールではなく、トレヴァークの人間を守るために。それが彼女の戦いなのだ。

 

 取り残されてしまった二人は、自分たちだけではアルトサイド行くことすらできない事実に改めて絶望する。

 そして無茶をしようにも、軽々に命を捨てられない事情を指摘され、釘を刺されてしまったのだ。

 

 しかも、そんな事情を汲んでくれるような人情のある相手ではない。

 お姉さんが吹き飛ばした分を埋めるように、既に新たなナイトメアが湧き出て、二人を包囲しようとしていた。

 

 二人とも深く傷ついている。

 これ以上の戦いの継続は不可能。戦いに向かったお姉さんは、二度と助けてはくれないだろう。

 泣く泣く撤退を選ぶしかない。

 

「くそっ……!」

「一旦退くわよっ!」

 

 シルヴィアが取り出したのは、トリグラーブ行きのワープクリスタルである。

 だがランドは慌てて静止する。

 

「やめろ! 今はユウさんたちと鉢合わせになるかもしれねえ! 合わせる顔がねえよっ!」

「じゃあどうするのっ!?」

「どこか別のとこだ! どこでもいいっ! 早く!」

「わかったわよっ! もう! ランドのバカっ!」

 

 ナイトメアの闇魔法攻撃が二人を狙っていた。

 慌てて別のクリスタルを取り出したシルヴィアは、間一髪のところでランドと転移する。

 

 

 ――――。

 

 

 気が付くと、二人は別の地にいた。

 周りにはまばらに家が建っている。随分寂れた村のようだった。

 

「ここは、どこだ……?」

「さあ。慌てて使ったから」

 

 きょとんとする二人に、遠くから嬉しそうな子供の声が響いてきた。

 

「あっ、ランド兄ちゃんだ! おかえりなさい!」

 

 ランドは、手を振り駆け寄る少年の姿を見て、ここがどこであるかを悟った。

 

「ボウズ……!」

 

 その子は、ランドによく懐いてくれた子供の一人だった。子供たちの中では、確か一番年長だったと思う。

 そう。ここは以前、ユウを探して彷徨っていたランドが、偶々見つけて助けた村。

 ロト―村だったのだ。

 

 目の前まで来た少年は、周囲の警戒にあたっていたのか、一丁前に木の槍を抱えている。

 そんな彼は、二人が傷だらけであることに気付いてぎょっとした。心配で声をかける。

 

「大丈夫? すごい怪我だよ」

「おう。さっきまでこわーい敵と戦ってたんだよ。こんくらいへっちゃらさ」

 

 さすがに子供の手前、辛気臭い顔のままでいられないと思ったランドは、無理に笑ってみせた。

 シルヴィアも、ランドに合わせて無理に微笑む。

 

「そっかあ。やっぱり兄ちゃんはすごいね。でも辛そうだから、ちょっと休んでく? そこの姉ちゃんも一緒に」

「そうね。お言葉に甘えさせてもらおうかしらね」

 

 シルヴィアには回復魔法があるため、少し休んで自分たちを回復させれば、また動けそうだった。

 

「わかった。じゃあこっちね」

 

 木の槍を手に立派に先導してみせる少年は、独りぼっちである。

 ただ、見れば服はボロボロで、随分痩せこけているように思われた。

 

「そう言えば、どうしてこの村は無事なのかしら」

「えっとね。お兄ちゃんたちが張ってくれた結界のおかげだよ。あれが悪いヤツを跳ね返してくれてるんだ」

「なるほどね……」

「そうか。ユウさんが張ってくれたアレは、まだちゃんと機能してるんだな……」

 

 袂を分かったとは言え、みんなを守りたい気持ちは一緒なのだと、それがここでは生きているのだと、再確認する。

 ふと気付いたランドが、少年に声をかける。

 

「なあボウズ。さっきから大人の姿が全然見えないんだけどよ。どうした?」

 

 少年は、振り返らずに言った。

 悲しむそぶりを見せないように、淡々と事実を。

 

「大人たちは、みんな夢想病にやられちゃって」

「そんな……!」

 

 シルヴィアは、思わず手で口を覆った。

 

「僕が一番年上だから、しっかりしなくちゃって。もっと小さな子供もいっぱいいるからさ。その世話も見てるんだよ」

「そう、か……」

 

 何も言えないランドとシルヴィア。

 だから、この少年はみすぼらしい姿をしているのだ。きっとろくに寝れておらず、まともな食事も取れていないに違いなかった。

 

 

 

 二人が案内されたのは、村で唯一の避難所だった。

 

 中に入った二人は、言葉を失った。

 

 粗末な藁葺きのシートに寝かしつけられた、大量の人々を目の当たりにして。

 確かに少年が言う通りだった。大人たちは全滅していた。

 そればかりではない。小さな子供たちまでもが、たくさん悪夢にうなされている。

 状態も悲惨そのものだった。

 眠り続けたまま食事も取れないため、皆真っ青な顔になって痩せ衰えている。

 それでも、生きていればマシだった。

 悪夢に苦しむ者たちに混じってちらほらと、既に事切れている者たちが、未だ処置もされずに放置されている。

 虫がたかっているから。死んでいるのがわかってしまった。

 

 息を呑む二人に、少年がぽつりと予定を告げる。どこか疲れたように。

 

「死んじゃったのは、明日燃やすから」

 

 そう言って指をさした、隅の方では。

 まとめて燃やすしかなかったのだろう。埋めて供養する手間も惜しんだのだろう。

 焦げ付いた、誰の骨ともわからない骨が、溶けて交じり合って、うず高く積まれていた。

 

「「…………」」

 

 夢想病の悲惨さについて、これまで二人は話に聞くばかりで、直視したことはなかった。

 ユウと心を繋いでいたときも、彼のすべての記憶は開示されなかった。

 ランドは、都合が悪いからだと思っていた。

 それもあっただろう。だがそれだけではなかったのかもしれない。

 すべてを知っていたから。あえて見せたくないこともあったのかもしれない。

 

 シルヴィアの目から、ぽろぽろと涙が零れ出した。

 ランドは彼女の肩を抱き、自分も涙を堪えながら、震える声で言った。

 

「ひでえ……」

「こんなことが、許されていいの……?」

 

 打ちひしがれる二人を、少年は悲しそうに見つめる。

 

「兄ちゃん、姉ちゃん。そんな風にしょぼくれないでよ。まだ無事な人たちだって、いっぱいいるんだからさ」

「ボウズ……」

「見てて」

 

 健気な少年は、いっぱいに息を吸い込んで、広大な避難所に響き渡るように叫んだ。

 

「おーい! お前たち! ランド兄ちゃんが来てくれたぞー!」

「え!?」「ほんと!?」

 

 膝を抱えてうずくまっていた子供たちは、ぱっと顔を上げると、笑顔になって駆け寄ってきた。

 彼らにとってランドは、紛れもなく村のヒーローだった。

 二人はあっという間に、揉みくちゃにされる。

 年端もいかぬ子どもたちは、事情をよく知らないままに、ヒーローの帰還を無邪気に喜んでいるのだ。

 しかしよく見れば、こちらへ向かってこない子たちもいた。

 もう少し大きな子供だ。彼らの反応は複雑だった。

 両親や弟、妹、友達などを夢想病で失おうとしていることを理解している彼らは、英雄の帰還を素直に喜べない。

 今までどこに行っていたのかと、やり場のない怒りを堪えて睨んでいる者もいた。

 そんな複雑な感情のカクテルをぶつけられて、ランドもシルヴィアも、立ち尽くすばかりだった。

 子供たちの手前、泣くにも泣けない。どうしたらいいのかわからない。

 

 

 結局、子供たちに請われるまま、相手をしてあげることしかできなかった。

 こんなときに何をやっているのかと思いながら、根の良い兄ちゃんと姉ちゃんであるランドとシルヴィアは、向けられる好意を振り払うことができない。

 やがて疲れたのか、子供たちは寝かしつけられる。

 

 また静かになって、死の匂いが避難所を満たした。

 

「こんな子供たちだけで、この先どうやって……」

 

 絶句しているシルヴィアに、最年長の少年は凛として答える。

 

「うん。わかってるよ。でもさ。兄ちゃんたちが何とかしてくれるって、信じてるから」

 

 ああ……。

 二人は悟った。

 この子は、この子にできる戦いをしているのだ……。

 きちんと現実を見て、精一杯のことをやっているのだ……。

 

 ロトー村は、これでもまだ幸運である。結界があるからだ。

 他の村や町が一体どんなことになっているか。

 凶悪なナイトメアと実際に刃を交えた二人には、容易に想像が付いてしまう。

 自分たちですら敵わない相手だ。トレヴァークの人間が襲われて、無事で済むはずがない。

 

 この場所を遥かに超える、地獄絵図。

 

 世界中のいたるところで、今現実に起きているのだ。

 

 もうそこにいられる気分ではなかった。年長の少年に別れを告げ、ランドとシルヴィアは力ない足取りで外へ出た。

 現実の人々から離れるように、しばらく歩いていく。

 向こうを見れば、おびただしい数のナイトメアが、今もしきりに結界を叩いている。

 いつ破れるかも、保証はなかった。

 

「どうして、こんなことになっちゃったの……」

 

 世界は闇に覆われて。トレヴァークの人たちは、こんなにも苦しんでいる。

 他ならぬ、ラナソールの存在によって。自分たちが生きているせいで……。

 

「俺は……。俺たちは……」

 

 ――ユウさんは、よくわかっていたのだ。

 

 いや――本当は、俺だってわかってた。

 

 もう一人の「僕」が。リクの野郎が、とっくに気付いていたのだから。

 片割れの自分にだって、わからないはずがない。

 

 わかっていたのに、わかっていない振りをして。

 何とかなるはずだと、バカの振りをして。

 そうしなきゃ、何もできねえから。

 

 この世界の弱い者たちは、ラナソールが存在している限り――俺たちが生きている限りは、この先絶対に生きられない……。

 俺たちが消えてしまえば、なくなるのはラナソールだけで済む。

 そうでなければ。トレヴァークも。

 二つとも。すべてが、終わってしまう。

 今になって、この上ない実感が、ひどく胸を締め付ける。

 

「どうしてなんだ……っ!」

 

 どうして、かくも運命は残酷なのか――!

 

 ……だけどな。それでもよ。

 

 どんなに現実が厳しくても。辛くても。

 俺たちが、夢に生きる儚いものでしかなかったとしても。

 俺たちも生きてんだ。

 俺たちの生きる権利だって、同じくらい大切なはずだ。その事実だけは変わらねえ!

 

 なのに、この気持ちを捨てちまったら。この事実を知る俺たちが、諦めちまったら。

 

 誰が救える。誰がラナソールにとっての英雄になれるんだ……!

 

「ランド……」

 

 シルヴィアの彼を見つめる顔が、泣き腫らした顔が、すぐそこにあった。

 

「シル……」

 

 どちらからともなく、二人は抱き合っていた。

 迸る感情のままに口付けを交わし、舌を絡め合う。

 甘く切ない感触が、二人の心をいっぱいに満たす。

 

 この世界がなくなる。自分たちが消えてなくなってしまう。

 

 こんな土壇場になってようやく、二人はそれぞれの真実の気持ちに気付いた。

 魂の望むがまま、二人は愛を確かめ合い、最後の濃密な時間を過ごした。

 

 

 ……そして。

 

 

「なあ、シル……」

「うん……」

「俺さ、足りない頭で、いっぱい考えたんだけどよ……」

「うん」

「やっぱ……けじめは……付けなきゃなんねえよな」

「そっか……。そうだね……」

 

 ラナソールに暮らすすべての者たちの、生きる権利を背負う。

 

 滅びゆく世界にだって、英雄が必要なのだ。

 

 誰かがやらなきゃ、あまりにも救われねえ。

 

 ランドの瞳には、哀しい決意が宿っていた。

 そしてシルヴィアは、すべてをわかっていて、愛する者の背中を押すのだ。

 

 ――なあ、ユウさん。

 

 俺にはもう、わかってる。

 

 あんたはきっと、やるんだろう。

 

 あんたはトレヴァークの人たちの想いを背負って、ラナソールを終わらせるつもりなんだろう。

 

 だったら。

 

 俺たちは、戦わなきゃならねえ。

 

 なあ、ユウさん。

 

 俺たちの想いも、しっかり受け止めてみろよ。



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306「戦いの前に別れと愛を」

 俺とユイはアニエスに連絡を取り、トレヴァークへ帰還することにした。今回はユイも付いてくる。

 ラナソールが正常なときであれば、ユイはまずトレヴァークへ行けなかったが、今なら大丈夫だろう。俺ともしっかり繋がっているし、消える心配はない。

 そして、エーナさんも一緒に来てくれることになった。もうラナソールに残る理由はないから、と。

 

「ユイさん。お会いできて光栄です」

「はじめまして。アニエス」

 

 ユイとアニエスがしっかりと握手を交わす。

 アニエスは何だか俺に会うとき以上に感極まっているような気がするんだけど、たぶん気のせいじゃないよな。

 すぐに『アセッド』のトリグラーブ支店へ飛ぶ。俺とユイとはしっかり手をつないだままだった。

 無事に着くと、ユイは俺と一緒に来られたことにちょっと感動していた。

 

「ここがトレヴァークかあ。このタイミングで来られても、ゆっくり見て回る暇がないのは残念だけど」

 

 俺が帰ってきたことを知ったハルとリクが、仕事に小休止を入れて来る。

 ハルはそろそろと歩み寄ってきた。

 

「ユウくん。おかえり。大変だったね」

「ただいま。ハル」

「それからユイちゃん。キミにはぜひ一度直接会ってみたかったよ」

「うん。私もあなたにはぜひ会いたかったかな」

 

 何やら視線がバチバチ戦っているような気がするけど、やっぱり気のせいじゃないんだろうな。

 あ、認め合った。

 お互い微笑みを作って、ガッチリと握手を交わしていた。感動的なような、何だか恐ろしいような。

 リクもユイとは初対面である。

 

「はじめまして。ユイさん、ですよね? ユウのお姉さんの。お話には聞いてました」

「うん。リクのことは、ユウを通じてよく見ていたよ」

「そうですか。何だか初めて会ったような気がしなくて」

「そうだね。ランドとはよく会ってたからね。うっすらと覚えているのかも」

「なるほど。ユウさんとも、どことなく雰囲気が似てますね」

「まあ姉弟だから」

 

 俺に雰囲気が似ていると言われたユイは、あからさまに嬉しそうだった。

 俺がいつもはユイの姿に変身できるって知ったら、リクはきっとすごく驚くだろうな。それを披露する機会はなさそうだけど。

 

『ぜひ見てみたかったけどなあ。女の子のユウくん』

『いやあ。ただ俺の性格残したままユイの姿になるってだけなんだけど』

『へえ。それはそれは可愛いのだろうね。危なっかしそうで心配だけど』

『さすがよくわかってるね。そうなの。私が時々介入してあげないと、ほんと危なっかしくて見てられなくて』

『やっぱりそうなんだね。例えばどんな――』

 

 何だか俺の話題で心のガールズトークが始まってしまったので――まあこういうときだからこそ、楽しい話題の一つくらいはしたいだろう――俺は小さく溜息を吐いて、リクに世界情勢を確認した。

 

「今、世界はどうなってる?」

「はい。エルゼムが出現してから、約一日が経過しましたけど……世界人口30億のうち、死者が約6億、夢想病患者が約9億にまで増えています」

「つまり大体2割は二度と帰って来ない状態で、夢想病も含めたらもう半分くらいやられてしまっているのか……」

「ですね……」

 

 改めて重い事実を受け止める。エルゼム出現前、死者と夢想病患者を足しても世界人口の15%程度だったことを思えば、いかに凄惨な戦いの進行状況であるかは数字からも明らかだ。

 このペースでは、ダイラー星系列が世界を破壊する期限までには、どの道世界は壊滅状態だろう。

 俺とユイの心が固まるまで、こんなに時間がかかってしまった。でも、自分を責めている場合じゃないよな。

 それからリクに細かい状況を確認しながら、考えていた。

 

 ……たぶん、これから大切な戦いが待っている。そしてそれが終わったとき、どんな結果になったにせよ。もうこの世界のみんなと触れ合う時間はないだろう。そのままお別れになってしまうかもしれない。

 だから。

 

「みんな。この場に集まれる人だけでいい。話があるんだ」

 

 そう言って、ほんの少しだけ時間を取ってもらうことにした。

 

 少しして、『アセッド』トリグラーブ支店のメンバーのうち、どうしても手を離せない人以外が集まってきた。

 別れを言えるのもここにいるメンバーだけになってしまったけれど、仕方のないことだ。

 シルバリオは、またモニター越しに話を聞いている。

 シズハは、ずっと警護の任に当たってくれている。最後に話せなかったことは申し訳ないけれど、本当にありがとう。

 

 この場に集まった約三十人ほどのメンバーに対して、俺は一つ一つ言葉を選びながら話した。

 

「みんな。忙しいときに集まってくれてありがとう。本当はこんなことしてる場合じゃないんだけど、ほんの少しだけ時間を下さい」

 

 聞き入るみんなに視線を配って、続ける。

 

「俺はこれから、隣に立つ姉のユイとともに最後の戦いに赴くつもりです」

 

 隣に立つユイを示す。最後の戦いという響きに、総員が固唾を吞んだ。

 

「その結果如何で、世界の命運は決するでしょう。そして……結果がどうなるにせよ、俺とユイはたぶん、もうここへは帰っては来ないと思います。皆さんとは、ここでお別れです」

 

 それを聞いたみんなからどよめきが走る。

 

「本当ですか!?」

「おいおい! 冗談だろう!?」

「もうユウさんには会えないんですか!?」

「そんなの嫌です!」

「寂しいですよお!」

 

 そうか。そんなに寂しがってくれるのか。

 最初はみんなごろつきだったのに。人助けをするうちに、良い顔つきになったな。みんな。

 胸いっぱいになりながら、言葉を紡いでいく。

 

「みんなと別れるのはとても寂しいけれど、今まで色々大変なことがあったけれど……今が一番大変なときだけど……本当に楽しかった。今まで、夢想病から人々を救いたい、そして世界を救いたいっていう俺の想いに、ずっと付き合ってくれてありがとう」

 

「ありがとうはこっちの方だよ!」

「どんなにユウさんには夢見させてもらったか!」

「いっぱい助けてもらったよな!」

「私、幸せでした!」

「僕もですっ!」

 

 ――ああ。愛されているなあ。本当に幸せな二年半だった。

 

 ……まったく。今日は何回泣くんだよ。

 涙ぐみながら、俺はまた決意を強くする。

 

「最後に一つ、一番大きな仕事が残っています。世界を救うという大仕事が。どうかみんな、最後まで力を貸して下さい。想いを貸して下さい!」

 

「「もちろんです!」」

「「任せて下さい!」」

 

 割れんばかりの返事に、胸がカッと熱くなる。

 本当に、これが最後なんだな……。寂しいよ。

 

「みんな……本当に、本当に、ありがとう。無事にこの仕事が終わったら……『アセッド』は解散することになるけれど、それでも――」

 

「待って下さいっ!」

「リク……?」

 

 いっぱいいっぱいに声を張り上げたリクは、息を荒くして、前へ進み出てきた。

 

「終わらせませんよ」

 

 胸をとんと叩いて、彼は堂々と言ってのける。

 

「僕がやりたいこと。僕にできること。やっとわかったって、そう言ったじゃないですか」

「まさか、君は……」

「はい。僕が継ぎます。僕たちが継いでみせます。あなたが始めた何でも屋の――『アセッド』の灯火は、たとえあなたがいなくなっても、ずっと消えはしない! ねえ、そうじゃないですか! 皆さん!」

 

 リクが思いの丈を叫ぶと、全員から拍手大喝采が起こった。

 

「「そうだそうだ!」」

「リクの言う通りだぜ!」

「こんなところじゃ終わらねえよ!」

「私たちに、ユウさんの意志を継がせて下さい!」

「俺たちに安心して任せてくれよ!」

「ユウくん!」

「「ユウさんっ!」」

 

 そしてシルバリオも、モニター越しに頭を深く下げていた。

 

「ユウさん。私からもどうかお願いします。『アセッド』の活動は、我々エインアークスの自警団としての原点を思い出させてくれるものでした。今後も予算を組み、支援金を出し続けます。ですから、どうか」

 

 ――そうか。みんな、そこまで……。

 

 俺と同じく、涙を目にいっぱいに溜めたユイが、俺の手を握って頷きかけた。俺も強く頷き返す。

 心はもう決まっていた。

 正直、まだまだ経験は足りないけれど。たとえ力がなくても、この看板を継ぐ者は――優しさと、一歩踏み出す勇気を持った人間であって欲しいから。

 

「そうか……わかった。みんな、これからの『アセッド』を、どうかよろしくお願いします。そして……明日からは君が新たなリーダーだ――リク」

 

 俺も前へ進み出て、リクの目を見つめ、肩をしっかりと叩いてそう言った。

 周りからは、大きな拍手が巻き起こる。

 

「はいっ! 精一杯頑張りますっ!」

 

 リクは感極まって、涙を流していた。

 俺ももう何度、君に決断を促されたかわからない。

 

 ――本当に成長したんだな。君は。

 

 ……そして、大きく成長したのは、君の片割れも同じだ。

 

 そんなあいつと、俺はこれから――世界をかけて戦わねばならない。

 

 俺の表情から考えを察したリクは――そうか。繋がっているんだったな――周りに聞こえない程度の小さな声で言った。

 

「避けられないんだと思います。僕だって……心のどこかで諦めたくないって、そう思ってるから。理想を体現するあの人なら、きっと最後まで足掻き続けるに違いないって」

「……そうだな。あいつなら、絶対にそうするよな」

 

 どこまでもバカ一直線で。誰よりも諦めるという言葉を知らないランドという男は。

 どんな残酷な真実を前にしても、だからなおのこと、ラナソールの人々の想いを背負って立ち塞がるだろう。

 そういうヤツなんだ。あいつは。

 誰かがラナソールの人たちの権利を代表しなければ。本当に救われないということを知っているから。

 

「だからせめて、見届けさせて下さい。もう一人の『僕』として、絶対に見届けなくちゃいけない」

「……ああ。わかった」

 

 最後にもう一度肩を叩き、離れる。

 

 それからいくつか言葉を述べて、温かい拍手に包まれながら、俺の退任式は幕を閉じた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 退任式を終えた俺は、ハルに個人的に声をかけた。俺の個室へ来るようにって。

 ベッドの上で、二人きりに並んで座った。最初に出会ったときのように。

 あのときと違うのは、距離感だ。腕と腕が触れ合う距離で、お互いに手を握っていた。

 

「ハル。これが最後になると思うから。レオンにもよろしく頼まれちゃったしな」

「そっか……。うん。大丈夫。キミがフェバルだって知ってから、いつかはこんな日が来るってわかってたから」

 

 何度も手を握り直して、感触を確かめる。

 いつもは別れのときって、身体が消えかけているのだけど、こんなしっかりしているのにもうお別れだなんて。すごく変な感じだよ。

 ハルに顔を向けて、全身を目に焼き付けた。

 この細く頼りない身体に、どれほどの強く気高い意志が宿っているか、俺はよく知っている。

 君にも何度だって助けられてきたよな。

 

 ふと、彼女の病弱な足に目が付いた。

 今はぷらぷらさせている彼女の細い足も、事態を解決すれば、また動かなくなってしまう。

 J.C.さんに頼めば、【生命帰還】できっと治してくれるだろう。俺が彼女から力を借りて、治してあげることもできる。

 せめて治してから行こうか。

 だがそんな俺の考えを察して、ハルは小さく首を横に振る。

 

「これは、このままでいいんだ」

「いいのか?」

「うん。何でもキミに頼ってばかりじゃいけないからね。ちゃんとこの世界のやり方で、いつか自分の力で歩けるようになろうと思うんだよ」

「そっか。立派だな」

「えへへ。もう何度もユウくんには奇跡で助けてもらったからね。これ以上は、ずるになっちゃうよ」

「わかった。応援するよ」

 

 それから、いくつか思い出話をした。

 二年以上も一緒にいれば、下らないことから大切なことまで、積もる話があった。

 話しているうち、お互いそれほど意識しないままに、スキンシップが重ねられていく。

 そして、ふと話が途切れたところで、ハルの顔がすぐそこにある。潤んだ瞳が期待している。

 

 そのまま自然と、キスを交わしていた。

 

 お互い探り探り感触を確かめ合うような、共同作業のキス。

 目を閉じて、彼女の細い肩を抱き、甘くとろけるような一体感が脳を突き抜けるのを、じっくりと味わった。

 舌は何度か付いたり離れたりを繰り返した後、次第にねっとりと絡み合った。

 キスの仕方にも個性が出るのだと、この世界に来て初めて身で知った。

 そうして随分長いこと繋がっていた後、最後に名残惜しそうに舌をもうひと絡め、ゆっくりと唇が離れる。

 とろんとしたハルの女の顔が、息のかかる近さに映っている。

 しばし甘美な沈黙を楽しんだ後、ぽつりとハルが漏らした。ちょっぴり申し訳なさそうに。

 

「また、しちゃったね」

「ああ。しちゃったな」

 

 二人で穏やかに笑い合う。

 

「日に二度も違う女の子とキスするなんて。リルナに怒られちゃうな。絶対」

「キミって一途なのか、そうじゃないのか、どうもよくわからないよね」

 

「こんなときにもう」とやきもちを焼いて頬を膨らませる彼女が、心から愛おしい。

 

「はは。すっかり優柔不断になっちゃったよ……。根負けしたよ。君には」

 

 ……ミティにもな。

 あの子には、結局好きというほどまではいかなかったけれど。

 でも……負けたよ。最後のあれには……。

 

「また違う女の子のこと考えてる」と、ハルに小突かれる。でも俺の心を知っているから、今度は仕方ないなと笑っていた。

 

「優しいもんね。ユウくんは。突き放せないんだよね」

「ダメだな。やっぱり面と向かって好意をぶつけられるとさ……弱いみたいだ」

 

「応えてあげたくなっちゃうのは、ユウくんらしいね」と微笑んで、ハルは少し表情に影を作る。

 

「ごめんね。ボクも、死にかけたこととか、色々と付け込む形になっちゃって」

「ほんとだよ。けど、もういいさ。本当に生きててよかった。それだけだよ」

「ふふ。でも正直言うとね、こうなれて嬉しいなって思ってるボクがいるんだ」

 

 しな垂れかかる小さな身体を、しっかりと受け止める。

 見かけによらず、積極的な女の子なのだ。心に英雄を宿すほど、強く逞しいところもある。

 けれど、上目遣いで顔を寄せるハルは……やっぱり切なさでいっぱいだった。

 

「できれば一緒に旅をしたかったけど……もし行けたとしても、きっといつかユウくんを悲しませることになっちゃうよね……」

「ハル……」

 

 永遠の命を持つ者と、一人分の命しか持たない者。

 気持ちが一緒でも、立場の違いは如何ともしがたい。

 ジルフさんとイネア先生の関係と同じだ。

 フェバルとそうでない者の……これも運命の残酷さか。

 

「今までありがとう。ハル。君と一緒に過ごせたこと、世界のために戦えたこと、心から幸せだった」

「ボクもだよ。ユウくんと一緒にいられて、心から幸せだった」

「でもな……こんなこと、今言うことじゃないけどさ。今しか言えないから……」

「……うん」

 

 つらいとわかっていても。俺はあえて言うことにした。

 

「俺のことは、ずっと覚えててくれてもいい。好きなままでいてくれてもいい。でもさ。君にはずっと俺ばかりに囚われずに、前を向いて生きて欲しいって、そう思ってるんだよ」

「ユウくん……」

 

 愛に気付く余裕がなかった青春時代。初めて愛して良いのだと気付き、愛することでいっぱいいっぱいだった時代。

 どちらにおいても俺は、別れのときにこの言葉をかけてやれなかった。

 もしかしたら今までも知らないところで、俺に囚われたままになってしまった人がいたのかもしれない。

 特にリルナは絶対にそうだろう。あのエルンティア一のしつこさと強情さは死ぬまで直らないだろうし、あの人はそれで全然良いのだと思う。

 というか、こんなことを言ったら絶対に殺される。だから後悔はしてないのだけど。

 

 でもハルは違う。どんなに芯が強くても、やっぱり普通の女の子なのだ。

 俺の強さを信じて送り出すことよりも、旅をする俺の孤独を想って心底同情してしまうような、一緒に寂しく思ってしまうような、そんな女の子なのだ。

 裏を返せば、君だって同じ気持ちだろう。

 

 だから。夢の時間は……今日で終わりにしなくちゃいけない。

 遠く宇宙に去ってしまう幻影を追い続けて、一生を棒に振るなんて真似は、この子にはあまりに酷な話だ。

 俺は、ハルの瞳をしっかり正面から見つめて、語り聞かせるように言った。

 

「でないと、どんなに愛を求めても俺から離れてしまう君が、もう二度と側で人を愛せないなんて。遠く想うことしかできないなんて。そんなのは、可哀想だからさ」

「……まいったな。ボクが言ったこと、そのままキミにそう言われちゃったら、反論しようがないじゃないか」

 

 ハルは、ぽろりと大粒の涙を零した。

 

 ひどいことを言ったのはわかっている。残酷なことを言ったのはわかっている。

 それでも、これからの君にとっては必要なことだと。そう思った。

 

 ハルも、俺の心はよく理解していた。納得もしていた。

 愛する気持ちに偽りがないことも。幸せを願っていることも。

 だから涙を拭い、健気に笑ってみせる。

 

「わかったよ。ユウくん。ありがとう。宇宙で一番素敵な初恋だった」

「ごめんな。ありがとう。ハル」

「ううん。消えてしまう人たちに比べたら、幸せ過ぎるくらいだよ。ほんとにいいのかなってくらい」

「そうだな……」

 

 ラナソールの人たちのことを想えば、君がこうして生きて、しっかり別れを言えることは、本当に幸せなことだろう。

 

「それでもね。せめて今だけは……ボクだけのユウくんでいてくれないかな……?」

「ああ……。愛してるよ、ハル」

「うん。愛してるよ、ユウくん」

 

 もう一度、今度は固く固く抱きしめて、迸る気持ちのままに、熱く切ないキスを交わす。

 

 そうして少ない時間の許す限り、俺とハルは愛を確かめ合ったのだった。



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307「ユウ VS ランド」

 ハルと最後の時間を過ごした後、俺はランドの位置を探るため、リクに触れさせてもらった。

 ランドと俺はもう繋がりが切れているが、同じ魂を分けたリクとランドは常に繋がっている、だから調べれば多少のことはわかる。

 なるほど。反応の位置的には……ロトー村の方か。

 あの村は、どれほど被害を受けているのだろうか。悲惨なことになっているのは想像に難くないけど……。

 

 リクは、どこか確信があるように言った。

 

「もうすぐあっちから来るような気がします。待っていれば」

 

 彼の言葉通り、間もなく意を決したランドが、シルヴィアを連れて戻ってきた。

 彼は険しい顔で俺たちを見回す。シルヴィアはずっと辛そうな顔をしている。

 そして俺に向き直り、口を開いた。

 

「よう。ユウさん」

「ランド……」

「なんだ、ユイさんも来てんのか」

「ユイお姉さん、無事だったのね」

「うん。色々あったけど、何とかね」

「ユイさんがこっちにいるってことは、そこまで崩壊が進んでるってことなんだよな……」

 

 ランドも現状は重々理解しているのだ。深刻な顔で少し考えを巡らせた後、彼は続ける。

 

「あのときはひでえ面だったけど、今は良い面してるじゃねえか。やっぱ、それでこそあんただよな」

「悪かったな。覚悟を決めるのに、随分時間がかかってしまって」

 

 ここまでの足跡を、それぞれの想いを今一度噛み締めながら、俺はしっかりと彼を見据えていた。

 

「構わねえさ。むしろ、簡単に覚悟できたなんて言われちまったら、もういっぺんぶん殴ってたところだ」

「「…………」」

 

 重苦しい沈黙が場を包む。

 どちらも何をしなければいけないのか、もうわかっている。

 先に口火を切ったのは、ランドの方だった。

 

「……ほんとはよ、こんなことやってる場合じゃねーのかもしれねえ。けどよ。……もう、わかってんだろ? けじめは、付けなきゃなんねーんだ。誰かが、背負わなきゃなんねえ」

「……そうだな。君なら、そう言うだろうと思っていた」

「あんたは、やるつもりなんだろう?」

 

 一言一言が、重く心にのしかかる。

 俺は正面から受け止めて、肯定する。

 

「ああ。俺は……やるよ」

「なら、俺が止める」

 

 彼は、ラナソールに生きる者すべての権利、怒りと悲しみを背負う覚悟をもって、静かにその言葉を告げた。

 

「勝負しろ。ユウさん」

「……わかった。受けて立とう。ランド」

 

 お互い、対決は避けられないと悟っていた。来るべきときが来てしまった。

 ハルもリクも、重圧感に息を吞んでいる。シルヴィアは、もはや後戻りのできないパートナーを悲しげに見つめていた。

 ユイは心配して、こちらへ目配せする。

 

『私が力を貸すのは、なしだよね』

『そうだね。今回ばかりは』

 

 意地と想いにかけて。

 ラナソールのすべてを一人で背負おうとしているランドに対して、俺も誠実に応えなければならない。

 

「約束する。俺は誰の力も借りないと。正々堂々、一対一だ」

「ああ。そうでなくっちゃな」

 

 ……実力面で考えれば、世界崩壊が限りなく進んでいる以上、俺はトレヴァークにおいても、一人でラナソールにいるときと近い実力が出せる。

 一方、俺との修行を経て、さらに世界の果ての冒険やナイトメアとの戦いでめきめきと実力を上げたランドも、今や単独でレオンに迫る力を得ている。

 二年半前は、正直まったく相手にならないくらいの差があった。ランドにとって俺は遠い存在であり、憧れの相手だっただろう。

 だが俺は、許容性という縛りによって、通常時の実力はもう何年も足踏みを続けている。対してランドはラナソールという世界の恩恵を一身に受けながら、そのひたむきな努力と冒険心によって飛躍的に実力を伸ばした。

 目算で言えば、もはやそこまで大きな実力差はないだろう。

 だが今回ばかりは、実力面の問題ではない。

 今のランドは、この上ない強敵だ。死闘になる。その確信があった。

 

「で、どこでやるんだ」

「広くて邪魔にならない場所がいい」

 

 この状況では、トレヴァークでやってもラナソールでやっても、大して違いはないだろう。

 候補地としては、トラフ大平原の真ん中辺りか、ラナソールのうち無事な広い大地を見つけて、その辺りか。

 問題は、どこでやってもナイトメアや魔獣の余計な茶々が入ってくることだが……。

 そこは、エーナさんがドンと胸を張って協力を申し出てくれた。

 

「露払いと観客の安全の確保くらいは私がするわ。どうせ私の実力じゃ、エルゼムと戦いに行っても足手まといになるだけですもの。このくらいはね」

「ありがとうございます。エーナさん」

 

 ぺこりと頭を下げて、ユイがお礼を述べる。

 その間、ランドはリクへ近づき、当人同士にしか聞こえないような言葉を二、三ほど交わしていた。リクはつらそうな顔で頷き、ランドは彼の肩を叩く。

 シルヴィアはそんな二人を、いたたまれない表情で見守っていた。そして俺に近づいてきて、小さな声でぽつりと言った。

 

「本当に……やるのね……」

 

 それは、相方の覚悟をよくわかっていても、それでも心のどこかで止めて欲しいと願ってしまう女の迷いだった。

 理屈じゃないのだ。愛するがゆえのことだ。気持ちはよくわかる。

 俺だってできることなら、誰も争わずに済む、理想的な解決方法があることを願ってやまない。今もずっと、そう思ってる。

 でも、ないんだよな……。

 なら、あいつは絶対に止まらない。そういう男なのだ。

 

「ああ。ランドは、絶対にやるって言ったらやるからさ……。俺も、止めるわけにはいかない。ごめんな」

「そっか……」

 

 仕方ないとも、諦めとも、恨みとも取れるような、そんな複雑で悲しげな視線を向けて、彼女はもう何も言わなかった。震える拳をぎゅっと握って、整理の付かない感情を押し殺して、見守るつもりのようだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 結局、決闘の場所はトラフ大平原に決まった。

 ヴィッターヴァイツ戦でも凄まじい規模の戦いで大地を吹き飛ばしてしまったせいで、ラナソールには手近で無事な広い大地がすぐには思い当たらなかったからだ。

 ノーマークの新たな土地を探そうとすれば、何度かアルトサイドを経由する必要があるが、言うまでもなく今のアルトサイドの危険度は絶大である。無駄なリスクは取ることはないだろう。

 エーナさんにより、敵の掃討が行われ、さらに強力な光の結界が張られた。

 そして現時刻は真夜中に差し掛かるところで真っ暗なため、光源魔法まで放ってくれていた。それなりに離れていても相手を視認できる程度には明るくなる。

 助かった。これで障害はない。

 

 俺とランドは、互いに声が聞こえる限界のところで向かい合った。

 戦いが始まれば、もうゆっくり話すこともない。これが最後かもしれない。

 突き刺すような空気の中、ランドは世間話でもするかのように、懐かしそうに語る。

 

「懐かしいよな。俺が最初にユウさんに剣を教えてもらったのも、そういやこんなとこだったか」

 

 あのときは冒険気分で隙だらけだったランドも、今や口を叩きながら、どこにも隙のない立ち振る舞いをしている。

 他ならぬ俺が教えたことを、忠実に実践しているからだ。

 

「君に教えたことが、まさかこんな形で返ってくるとは思わなかったよ」

 

 こんな哀しい師弟対決になるなんて、な。

 

「俺もさ――ほんと、わりいな」

 

 一言だけ、心底申し訳なさそうに詫びて。

 

 キッと目が鋭くなる。

 

 ランドは右手に、炎の魔法気剣を創り出した。彼が最も得意とする型を、全力で。しかし技にかまける余り、隙を見せるような失態はもうない。

 

 ――本当に、強くなったな。心身ともに一流の戦士になった。

 

 俺も――剣で応えよう。

 俺一人の力では、魔法を使うことはできない。魔力も聖剣の力も借りない、純粋な気剣を使うのは久しぶりだが。

 左手に気力を集中させ、気剣を創り出す。

 

「――――」

 

 自分でも思わず目を見張った。

 まるで、俺の覚悟のほどを反映するかのように――誰とも繋がっていないにも関わらず、気剣は常に煌々と青白い光を放っていた。さも常時《センクレイズ》を使っているかのように。

 

 この剣と、そこに込められた想いの力――その意味するところを知るランドは、もはや俺にも「リクにも」遠慮する必要がないことを悟った。

 世界に挑む男の、哀しくも大胆不敵な笑みが目に映る。

 それはほんのわずかのことで、口元を引き締めた彼は、こちらを鋭く睨んで宣言する。

 

「先に言っとくぞ。俺はあんたを超える。あんたを殺す。だからよ、ユウさん。あんたが俺を止めたいなら――そいつで俺を殺してみせろ!」

 

 彼は剣を構え、猛然と駆け出した。

 どれほど強くなっても、この男の本質は前から変わらない。

 先手必勝とばかり、バカ正直に一直線に向かってくるランドを、師匠の俺が受け止める。

 そんな、いつもの稽古と同じ構図から戦いは始まった。

 

 余計な駆け引きなど、一切要らないと。

 互いに足を止め、真っ向から剣を打ち合い続ける。

 どちらかの斬撃が綺麗に入れば、その瞬間にケリが着く。

 死線に最も近い戦いだ。

 

 ――魔力が乗っている分、パワーはやや向こうが上か。

 

 次々と繰り出される素早い剣を、俺は技と経験を駆使して柔らかく受け止め、跳ね返し続ける。

 互いに決定打を与えぬまま。音を遥か置き去りにして、意地と意地がぶつかり合う。

 打ち合うたび、剣の軌道は、より鋭く。熱く。卂く。

 

 一合一合、まるで会話をしているかのようだった。

 

 だからだろう。戦いに余計な雑念は要らないはずなのに。

 

 俺も、そして間違いなくランドも、修業や冒険の日々――楽しかった、もう戻れないあの日々を、剣の中に思い起こしていた。

 

 ――これで最後なのだ。

 

 どちらかが斃れるまで、もう戦いは終わらない。

 そして、こんな激しい打ち合いをしていれば、もう長くはない。

 

 いつの間にか二人とも、ぼろぼろ泣きながら剣を振るっていた。

 

 どちらも涙を隠すこともせず。そんな余裕などあるはずもなく。

 なおいっそう、剣は鋭く、激しく。

 剥き出しになった、互いの譲れない想いを攻撃の形にして。

 

 幾度もの激突の末、ついに剣が同時に大きく弾かれたとき。

 

 ここぞと仕掛けるタイミングも同じだった。

 

 渾身の力を、想いを込めて。

 

 どちらも同じ。ジルフ流気剣術を修める者へ、代々受け継がれるその技は――。

 

 

()()()()()()()()

 

 

 紅炎と青白の閃光が、夜の闇を裂いて迸る――。

 

 間もなく、双方の光が夜に吸い込まれて消えゆくとき、誰の目にも決着は明らかだった。

 

 

 ランドの剣は、俺の皮膚を焼き、貫いて、内臓の浅いところにまで達していた。

 けれどほんのわずか、浅かった。致命傷には至らない。

 

 俺は辛うじて両の足で立ち、倒れたランドを見下ろしている。

 

 ――すべては時の運だった。本気で、どちらが立っていてもおかしくない勝負だった。

 

 地にまみれるランドは、静かに悔し涙を流している。

 

「やっぱ。ユウさんは、つええなあ……」

 

 この期に及んで、敗者にかける言葉が見つからなくて。俺は立ち尽くしていた。

 

「でもなあ……あんた、やっぱ甘えよ」

 

 ランドは、俺に恨み節を向ける。

 互いに殺すつもりで放っていたはずの攻撃。

 俺が最後のほんの一瞬だけ、力を緩めたことも伝わっていた。

 だからこうして、ランドは即死することなく、最期のひとときに話せるくらいの、わずかな命を残しているのだ。

 

「人一人殺せねえ奴が……世界を斬るだって? 笑わせんじゃねえ……!」

「…………」

「殺してみせろって……! そう、言ったじゃねえかよ……! こんな中途半端なことで、どうすんだよ……っ!」

 

 命を賭して全力で戦ったからこそ。この結果には、どうしても納得がいかないのは重々承知していた。

 覚悟を問うために戦ったのに、ふざけるなと思っているだろう。

 それでも。俺は。

 

「なあ、答えろ……!」

「……君が最後に一言、愛する人にお別れも言えないなんて。それは、寂しいなって思ってしまったんだ」

「…………っ!」

 

「ランド……ッ!」

 

 シルヴィアは、もう溢れる感情を堪えられなくて、全力駆け出していた。

 彼女がランドに抱き着く頃、みんなも少し遅れて、ぞろぞろとこちらへ集まってくる。

 

「もういいの……ランド、もういいのよ! あなたは十分、立派に戦ったわ! もうこれ以上、自分を傷付けなくていいの……!」

「シル……!」

 

 そして人目も憚らず、熱いキスを交わす。

 誰も茶化す者はいない。それぞれが涙を浮かべて、見守っていた。

 

 長く切ない口付けの後、ランドは――どこか憑き物が落ちたような、晴れやかな顔をしていた。

 

「ユウさん。あんた……人が人を殺そうってときに、なんてこと、考えてんだ。ほんっとに……どうしようもねえ、バカだな。甘ったれだな……」

 

 そしてまた、別の種類の涙を流しながら、続ける。

 

「あんたは……逃げることなんか、ねえさ。何も……恥じることなんかねえ。ラナソールのみんなだって、裏切りだなんて、思うことねえよ……。だってよ。こんなにも立派に、十分に、応えてくれたじゃねえか……!」

 

 ランドとシルヴィア。二人ともが、懇願するように俺を真っ直ぐ見つめている。

 

「だからよ。約束してくれ」

「…………」

「どうか、背負ってくれよ。ラナソールのみんなの分の想いもさ、一緒に背負ってやってくれよ。頼むよ……!」

 

 天を仰ぎ、漢泣きに泣きながら。

 ランドの、本当に最期のお願いだった。

 

 俺にその資格があるかどうか。できるかどうか。わからないけれど。

 

「ああ。やってみるよ。できる限りのみんなに届くように……祈ってみるよ」

 

 そう答えると、彼は力なく、満足そうに笑った。

 

「へへ。どうしても、みんな消えちまうんなら……やっぱさ。あんたみたいな優しい人に、終わらせてもらいたいんだ。俺たちのために、心から泣いてくれるあんたに……」

 

 それだけ言うと、もうランドの目が虚ろになった。

 本当に死んでしまうのだ。もういなくなってしまうのだ……。

 

 息も絶え絶えの彼を抱いて、シルヴィアは涙ながらに頼む。

 

「お願い。ランドと一緒に……私も一緒に終わらせて欲しいの。お願い」

「…………ああ。ああ。わかった」

 

 二人が、ゆっくりと目を閉じる。

 

 震えて狙いが定まらない手を、ユイが黙って支えてくれた。

 

 俺とユイで、剣を構える。

 

 せめて、慈悲の心でもって。

 

 痛みもなく、二人の芯へ差し込まれた刃は、彼らを構成する本源を完全に貫いた。

 

 ランドとシルヴィアは、淡い光に包まれて、溶けるように消えていく。

 

 ――不覚にも、とても綺麗だと思ってしまった。

 

 もう喋ることのないランドの代わりに、シルヴィアが最後に笑って別れを告げる。

 

「先に行ってるからね。世界を――みんなを、頼んだわよ」

 

 そして……二人は完全にこの世から消えた。

 

 リクが項垂れている。すべてを見届けて。嗚咽を上げていた。

 

「ああ……ああ。わかります――還ってきました。僕の中に……!」

 

 

 

「…………………………………………………………………………………………………………」

 

 俺は、二人のために黙とうを捧げた。

 また、これから消えゆくみんなのために、祈りを捧げた。

 

 長い沈黙を経て目を開けたとき、覚悟は完全に決まっていた。

 

「――行こう。最後の戦いに」

 

 二つの世界を背負う。離れ離れになった魂を繋げる。

 

 夢の世界は、これから消えてなくなってしまうけれど。

 

 もう一人の『君』たちへ。せめてもの想いを届けるために。



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308「想剣フォースレイダー」

 アニエスに連絡を取り、俺とユイは、彼女と三人だけで再び浮遊城ラヴァークに向かった。

 他のみんなは、俺たちに一言二言かけた後はトリグラーブへ帰り、今はまたそれぞれのできることをしている。

 

「いよいよなんですね……」

「「うん」」

 

 アニエスの憂いを隠せない、しかしどこか感極まった様子に、俺たちはしっかりと頷く。

 

 バルコニーへ進んでいくと、ラナさんは変わらずそこで佇んでいた。

 俺は決意をもって、彼女へ告げる。

 

「最後の依頼を受けに来ました。トレインを斬り、ラナソールを終わらせるために」

「私も一緒にやるために来ました。ユウを支えて、ラナソールを終わらせるために」

「そうですか……」

 

 ラナさんは「ついにこの日が来てしまったか」という哀しみを垣間見せたが、こちらの哀しい決意にぐっと息を呑み、深々と頭を下げた。

 

「ありがとうございます。本当に……本当につらい決断だったでしょう。私などでは、とても推し量ることができないほどに」

「正直言うと、今ここに来ても、どうしても納得できない自分がいるんです」

「そう、ですよね……。ごめんなさい。それしか言えなくて……」

「いいえ。責める気持ちはないんです。素敵な世界を終わらせたくなかった想い。俺たちには、痛いほどわかります」

 

 すべては、彼女とトレインが無理を続けてしまったことから始まったこと。

 けれど、今の今まで終わらせる覚悟が持てなかった俺たちは、この二人を責める資格などない。

 優し過ぎる理想から始まった、誰も悪くない、ただただどうしようもない悲劇。

 

「もう終わらせることのできないあなたに代わって、俺たちにしかできないことだから……」

「だからやる。それだけですよ」

「ユウさん。ユイさん……」

 

 それに。

 

「いつまでも夢が続いてしまったことは、宇宙全体から見れば危険なことだったには違いありません。けれど、この日まで続いてくれたから、俺たちはラナソールのみんなに会うことができた。あの黄金のような楽しかった日々までが嘘偽りだなんてことは、決してありません」

 

 思い出は、夢は、いつまでも胸に残り続けて。現実を生きる者を支え続ける。

 

「本当に楽しかった」

「楽しい夢を、素敵な出会いを、ありがとうございました」

 

 ラナさんは感極まり、涙ぐんでいた。

 

「そうですね……。とても……楽しかった。あれだけ多くの人に愛される世界を創れたことは、幸せでした。後のことは、どうかよろしくお願いします……」

 

 出会いがあれば、別れもある。それがフェバルの必然。

 今回は最もつらい形で、終わらせてしまうことになるけれど。

 

 俺は、折れて柄だけになった聖剣フォースレイダーを高く掲げた。ユイが隣に立ち、一緒に柄を持って支える。

 みすぼらしい姿をしていても、想いを司るこの英雄の剣は、力強い輝きを称えている。それが形となるのを、待ち望むかのように。

 ラナさんは、懐かしき聖剣を見つめて、愛おしそうに目を細める。

 そうして、しばし思いに耽り――彼女もようやく覚悟を固めていた。

 

「今からやることを、お伝えしますね」

「「はい」」

「あなたたちは、私と同じトランスソウルの力を持っています。対象の魂、それをそれたらしめるもの――すなわち、本源を斬るその力を」

 

 この場には、三人の「心を司る」能力者が揃っている。

 ただし。

 

「俺たちの力だけでは、到底足りませんよね」

「ええ。ですから……トレヴァークに生きる人々や、夢想病に苦しめられる人々の『生きたい』という想い。ラナソールに生きる人々が、あなたたちに抱く様々な想い。そして既に亡くなり、悪夢の世界に囚われたままの者たちの『救われたい』という願い。総勢70億にも達する想いを、すべて束ねることができたなら……おそらくは」

「70億……」

 

 ユイが唾を呑む。

 今までとはスケールがまったく違う。ヴィッターヴァイツと戦ったときですら、数十万人というレベルだった。

 いくら覚悟を決めていたとしても。俺たちの身に直接宿すならば、たちまち自我は崩壊してしまうだろう。

 けれど。

 

「人の身では、それほどに膨大な想いを支えることなど、到底できません」

「でも今ここには、想いを宿す『理想の』器である、聖剣フォースレイダーがあります」

「俺たちの総力と、聖剣という器でもって、想いを現実の形にすることができたなら」

「はい。世界を斬る剣。さしずめ――想剣フォースレイダー、でしょうか」

「……やりましょう」

 

 ユイの一言で。締められた。

 

 俺とユイは、掲げた剣をしっかりと支える。ラナさんは剣へ向けて手をかざして。

 三人による共同作業が始まった。

 二つの世界と、一つの狭間から、人々の膨大な想いが剣へ流れ込んでいく。

 莫大な想いの奔流に、気を抜くと簡単に自我が吹き飛ばされそうになる。

 

『くっ……!』

『負けないで。みんなと約束したんでしょ!』

『ああ。そうだ!』

 

 みんなと、ランドとシルヴィアと、約束したんだ。

 こんなところで、負けてなんかいられるか――!

 

 一心になって、暴れ狂う力を制御しようと心を強く持ち続ける。聖剣という器があるだけ、そこに意識を集中すれば、まとめるのは、何もないのに比べれば幾分かは楽だった。

 

 やがて、すべてが一本に収束したとき――。

 

「戻った……」

『帰ってきた……』

 

 ラナソールに降り立ってから、ずっと二つに分かれていた俺たちは――気が付けば、一つの身体に戻っていた。

 俺たちの想いの力が、ついに世界を織りなすラナとトレインの異常な力を上回ったということなのだろうか。

 

 そして――。

 

 70億の荒れ狂う想いの奔流が、すべて一つに束ねられ、結実したその刃は――。

 まるで生命の源たる海のように、穏やかでいて、苛烈さを秘め。

 

 青く――青く、透き通る輝きを放っていた。

 

 ジルフさんですら、完成させることのできなかった――深青の剣。

 それを今、俺たちは手にしていたのだ。

 

 これは……この剣は――まさか。

 

 遅まきながらようやくおおよそのことを悟り、振り返ったときには――いつの間にか、アニエスの姿は消えていた。

 

 

『あたしは……はい。一人だけ知っています。この宇宙にただ一人――この世の何よりも厳しくて、そして優しい力を持つその人を』

『その人は……本当に強くて、優しくて、でもちょっと抜けてて。ただ、時々……どこか寂しそうでした。この力は、誰かを確実に『終わらせてしまう』からだと。どんなに悪い奴が相手でも、終わらせてしまうことはやっぱり心が痛むんだって。でも同時に、これは自分にしかできないことだからとも言ってました。この力が終わりある人を助け、また終わらない者たちに終わりをもたらすことは一つの救いでもあるから、と』

 

 

 心の剣。優しさと――誰かを『終わらせる』覚悟を持たなければ、決して手にすることのできない力。

 

「そうか……そうだったのか……」

 

 君はきっと、このために。ここまで俺たちを連れてきてくれたのだろう。

 そしてもう、俺たちの前には姿を現すことはないのだろう。

 何となくだけど、わかってしまった。

 

『ありがとう。アニエス』

『うん……。ありがとう。アニエス』

 

 未来のことは、わからないけれど。

 この先も無事でいられたら――いつかきっと、また会おう。

 

 そのときまで、もっとずっと。強くなってみせるから。

 

 俺とユイは、この想いと力を貸してくれたみんなに感謝の祈りを捧げながら、少しだけ感触を確かめていた。

 ヴィッターヴァイツと戦ったときに一瞬だけ出せた、青白いオーラを常に纏っている。

 剣に宿る想いの力によって、違う質にまで高められたものだろう。

 たくさんの想いを受け取ったのに、不思議と力は穏やかで、落ち着いている。

 まるで見かけだけは、俺一人分と変わらないほどに。

 

 変な感じだ。すごく。

 

 けれど今なら――やれそうな気がする。

 いや、やり遂げなくちゃな。絶対に。

 

「ラナさん――いってきます」

「いってらっしゃい。ユウさん、ユイさん。どうか世界とみんなを――トレインのことを……よろしくお願いします」

 

 意識を集中した俺たちは、その剣の一太刀で――世界の境界を斬った。

 

 斬られて裂けた隙間に現れた現実世界。深夜の真っ暗な空へ向かって、俺たちは飛び込んでいった。



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309「暗闇の空に海色の虹をかける」

 闇に包まれた世界で、人々は眠れぬ夜を過ごしていた。

 次の瞬間には、自分も殺されているかもしれないという恐怖に怯え。明日には世界が終わってしまうかもしれないという恐怖に震え。

 ナイトメアの奇妙な叫びと破壊の音が、静寂を激しく揺らす。

 またどこかで誰かの尊い命が奪われ、あるいは悪夢の異形の仲間入りをさせられていく。

 世界中のどこにも、安全な場所や逃げ場などなかった。トリグラーブなど、ダイラー星系列が重点的に守る大都市においても例外はない。

 深刻に進む世界の崩壊は、現実と暗黒面の境界を限りなく薄めていた。今や奴らはどこにでも即座に現れる。

 絶望した者から先に、目敏く奴らに見つけられて、命を散らしていく。

 

 一切希望の見えない情勢の中で、それでも人々は願っていた。

 

 英雄の出現を。絶望の闇を切り裂く戦士の到来を。

 

 ゲームや聖書の物語のようにはいかないことは、誰しもがわかっている。

 しかし、現に空想上の化け物や悪夢の化身が我が物顔で暴れ回っているのだから。

 

 救ってくれる者の一人くらい、いてくれても良いじゃないか――。

 

 だがそんな都合の良い者など、現れるはずがない。

 人々の悲鳴を音色に、破滅だけが確実に進んでいく。

 

 ほとんどのすべての人たちが、未来を諦めかけていた――そのとき。

 

「おい……あれは何だ……!?」

 

 誰かが、光を見つけた。

 

 指さした方向に、人々が見上げれば――暗闇の空を駆ける海色の光が、一つ。

 

 あまりの速さに、それがよもや人であると認識した者は、ほとんどまったくいなかった。

 

 昏い闇夜を切り裂くように照らしながら。天翔ける一本の線は、青く、青く――綺麗な虹のような軌道を描いて。

 

 海色の虹がかかると、そこから淡く青白い光が降り注いでくる。

 

 その温かな光を浴びた誰もが、自らの抱いていた恐怖が和らぎ、気持ちが穏やかに安らいでいくのを感じていた。

 

 その光は、物理的な力を持たない。

 

 決して誰も、何も――一切余計なものを傷付けることのない。

 

 それは、優しさという想いの力だった。

 

 そして同時に、敵とみなしたものに対しては、苛烈な厳しさをも持ち合わせている。

 

 人々を襲い苦しめていたナイトメアたちは――ああ、何ということだろう。

 ただ彼らだけが、ひどくもがき苦しんでいる。

 すべての人類の敵は、間もなく全身が崩れていき、まるで浄化されるように消えていった。

 

 青き光が過ぎ去ったとき、もはや人を傷付けるものはどこにもなかった。

 

「奇跡だ……」

「私たち、助かるんだわ……」

「やった!」

「ああ、ラナ様……!」

 

 人々は感涙し、ただ一心に祈りを捧げた。

 

 ラナ様の奇跡と、かの女神に遣わされた何かに。

 

 祈りに応えるように、70億の想いを背負った光は、あまねく世界を閃きのように駆け巡り、小さな村々に至るまで、優しさという救いを届けていく――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 彼と彼女がトリグラーブに達したとき、二人をよく知るごくわずかな者たちだけが、それがあの心優しい英雄の姿であると気付いた。

 

 市中に湧き出てきたナイトメアと命がけの死闘を繰り広げていたシズハは、突然崩れ落ちた敵に目を細め、光降り注ぐ空の向こうを見上げた。

 

「綺麗……」

 

 シズハは知らずのうち、美雲刀を取り落とし、心から涙していた。

 

 彼女自身は覚えていなくても、魂が約束を知っている。

 

 彼は。彼女は。ちゃんと約束を届けに来てくれたのだ――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 エーナは、次々と崩壊していくナイトメアたちと、それを引き起こしている想いの力を目の当たりにして、心が震えていた。

 

「あれが、本当にフェバルだって言うの……? いいえ、違う。あり得ない……。あのときのような、恐ろしい強さをまったく感じない……それどころか」

 

 彼女の測り知ることのできる気力も魔力も、まるで最初に地球で出会ったときと同じ。

 ほとんど一般人のレベルにまで「落ちている」のだ。信じられないことに。

 

 なのに……まったく勝てる気がしなかった。

 

 力こそ、すべてに優先する。

 

 フェバルを始めとする超越者たちの「力の倫理」は、宇宙において絶対支配的であり、誰にとっても常識だった。

 この世において、力なき者に権利はなきに等しい。強き者の気まぐれによって、弱き者はいとも容易く踏みにじられるものなのだ。

 そんなことは、数え切れないほど見てきた。

 彼女自身が初めてあの子に戦慄したかの黒き力も、その倫理を究極にまで突き詰めた、延長の果てにある強さでしかなかった。

 

 なのに。あれは、なに。何なの。

 

「あれは、もっと別の何か……」

 

 規格外。常識外。

 そんな異常の力を、彼女は今、見せつけられていた。

 まるで噛み合わない。そもそも軸がずれている。

 まったく別次元。異端の強さ。

 今見ているものが、とても信じられなかった。

 

 想いの力。

 

 そんなものが本当にあるのだと。あるとして、現実をも超越するレベルで実現するのだと!

 永い時を生きてきて、これほど痛感せしめられるとは思わなかったのだ。

 

「もしかしたら。ユウ。ユイちゃん。あなたたちこそが……」

 

 フェバルには、絶望しかないと思っていた。

 

 もしかしたら……間違いだったのかもしれない。たった一つの例外が、あるのかもしれない。

 

 私はいつの日か――フェバルを殺そうとしなくても良いのかもしれない。

 

 エーナも、気が付けば温かな涙を流していた。

 

 これから一つの世界が滅びると知っていても。そんなことはよくあることだと、どこかで冷めた考えを持ってしまっていた彼女も、心から泣かずにはいられなかったのだ。

 

 心が擦り切れるほど絶望し、すべてを諦め、それでもなお心のどこかで待ち望んでいた。渇望していた。

 

『フェバルの救世主』――その可能性が、きっとここにいるのだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 優しい光が街を照らすとき、ハルはすぐそばに愛する人の存在をしかと感じていた。

 彼女は嬉し涙を浮かべて、しみじみと呟く。

 

「やっぱり。ボクの勘は、間違ってなかった……。ユウくん。最初に、キミを信じてよかった。キミに頼んでよかった……。ボクの英雄は――みんなの英雄だったんだね……」

 

 リクもまた、彼と彼女の存在を強く感じていた。

 

 ハルの手を引き、一目散に屋上へ飛び出す。空を駆ける青い虹に向かって、二人で目いっぱいに手を振った。

 

 ――きっとそうだ。リクは確信していた。

 

 あの光は――ラナソールの人たちの想いだって。逃げずに背負ってくれたんだ。

 

 でなければ、これほど力強く、温かく、世界を照らすことはないのだから。

 

 すべての者たちの想いを背負うこと。

 

 それこそ、彼の片割れが最期に望んだことであり。今や彼の魂に深く刻まれている誓いだった。

 

「ユウさん。いけ。いけ……!」

 

 魂の震い立つままに、リクは叫ぶ。

 

 かの存在を薄っすらと感じ取った『アセッド』の面々も、遅れてぞろぞろと屋上へ出てきた。

 みんなこぞって、暗闇を奔る美しい海色の閃きを眺め上げる。

 

 ――あの人だ。あの人がいるぞ。

 

 リクが始めた掛け声に、ハルが続き、やがて皆が皆、万感の想いを込めて叫んでいた。

 

 想いよ、世界中に届けと。

 

 できるだけのみんなを救ってくれと。

 

 

「「いけ! いけーーーーーーーーーっ!」」

 

 

 友や仲間、愛する者たちに見送られ、想いの剣を手にした青き光は――やがて海を越え、世界中に救いをもたらしながら、エルゼムの君臨する爆心地へと向かっていく。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ナイトメア=エルゼムの力は、時を経るごとに高まり、その攻撃は苛烈さを次第に増していった。

 J.C.の【生命帰還】があればこそ、ギリギリのところで均衡は保たれていたが、それでも次第に回復が追い付かなくなっていく。

 

 そしてついに、恐れていた事態が起こってしまった。

 

「姉貴……ッ!」

 

 広範囲攻撃である《闇の棘》の一端が、彼女の脇腹を深く抉ったのだ。

 恐るべきは、その威力もさることながら、悪夢の塊であるために、精神へのダメージも絶大であるということだった。

 彼女の抱えるトラウマが、激しい痛みとともに呼び起こされる。

 そのショックは、非戦闘タイプの彼女にはとても耐えられるものではなく……彼女は絶叫し、とうとう気を失ってしまった。

 

「チッ……よくも姉貴を!」

 

 敬愛する姉貴をやられた怒りを糧に、なお奮闘するヴィッターヴァイツであったが、持久戦の要である彼女を欠いたことは、やはり致命的だった。

 均衡は一気に崩れ、形勢は怒涛のごとくエルゼムへと傾く。

 間もなくラミィが、そして彼女を庇ったザックスが。一網打尽にやられてしまった。

 

 五人の万全な態勢で迎え撃っていた対エルゼムの陣も、気が付けば、アカネとヴィッターヴァイツの二人だけになってしまっていた。

 

「いやー、さっぱりよくわかんない組み合わせよね。最後があなたとなんて」

「まったくだ」

 

 強がって軽口を叩いてみるが、どちらも疲労が色濃く、満身創痍であることは間違いなかった。

 エルゼムは、カカカ、と、嘲笑するような乾いた音を発している。

 それが持つ残虐性から、弄ぶような態度を取るエルゼムに、お姉さんは中指を突き立てて応じた。

 

「へーんだ! こっちだってね。素直にやられてやるわけにはいかないのよっ!」

「オレが任せろと言ったのだ。貴様のようなデク人形になど、負けていられるか……!」

 

 もはやなけなしとなった光の魔力を纏い、二人は猛然果敢とエルゼムに挑みかかる。

 守勢に回れば最後。どちらかが攻撃の手を緩めた瞬間に終わると、二人とも理解していた。

 

 しかしながら、そうこうする間にさらに力を高めていくエルゼムは、ついにフェバル級の攻撃を完全に見切ってしまった。

 拳を振り切った一瞬の隙を突き、両腕を鎌のように変形して、二人同時へ斬りかかる。

 

 すんでのところで致命傷ばかりは避けた二人だったが、鎌は二人の身体を捉えていた。

 決して小さくはない身体ダメージに加え、精神への追撃が来る。

 トラウマという字を知らないアカネは、その点についてはかなり平気だったものの、フェバルであるヴィッターヴァイツはただでは済まない。

 イルファンニーナが磔にされる光景などが、次から次へと浮かんでくる。

 

「ぐぬ……! こんなもの……惑わされてなるものかッ!」

 

 もはや運命に絶望していた己ではないのだ!

 

 気合いで悪夢を跳ね除けたヴィッターヴァイツは、だがそこまでが限界だった。

 

 エルゼムの頭が二つに割れる。のっぺらぼうとゾルーダの成れの果てに分かれた顔のそれぞれ、口のあるべき部分から、二つ同時に闇の波動が放たれる。

 既に体力の失ったアカネとヴィッターヴァイツには到底避けられるものではなく。

 爆心地をさらに抉り取るほど、強かに打ち付けられる。

 

 さしものアカネも、命を繋ぐ程度に威力を殺すのが限界だった。ついに意識を失ってしまう。

 ヴィッターヴァイツだけは、まだ辛うじて意識を残していた。

 だが手足はヒクつくばかりで、もはや動くことままならない。

 

 エルゼムは、邪魔者を消す歓喜に、ケタケタと嗤っていた。

 二つに分けていた顔を、また一つに戻す。誰にも知られることのない、哀しき男の叫び顔だけが貼り付いている。

 そして、五人全員をまとめて消し去らんと、爆心地の直系すら上回るほどの、絶大な闇の球を作り出す。

 

「くっくっく……はっはっは!」

 

 確実に星が削れるレベルの圧倒的な攻撃を前にして、ヴィッターヴァイツは狂ったように高笑いしていた。

 

 いや、そうではない。

 

 彼は――勝利を確信していたのだ。

 

「――おい。遅かったじゃないか。待ちくたびれたぞ」

 

 そして、今にもトドメを放とうとしているナイトメアの親玉に対して、不敵に吠える。

 

「化け物。貴様は、もう終わりだ……!」

 

 彼だけは、その力を「身をもって」知っている。

 

 十分に仕事を果たしたヴィットは、満足に笑って、意識を手放した。

 

 エルゼムが手を振りかざすと、この残酷な指揮者に導かれて、闇の球は大地の破片を巻き上げながら地へ降り注ぐ。

 

 だがそれは、地へ至り致命的な効果をもたらす前に――真っ二つに斬られていた。

 

 綺麗に裂けた闇の巨大球は、それぞれの破片が威力を残すこともできなかった。

 

 なぜなら――それを構成する理そのものが、完璧に破壊されていたからである。

 

 つまるところ、エルゼムの攻撃は、何らの期待した影響も及ぼすことなく――この世から完全に消滅した。

 

「ギ……!」

 

 エルゼムは、眼下に現れた新たな敵を睨み付ける。

 

 深青の剣を手に、青白のオーラの衣を纏う――星海 ユウが大地を踏み固め、真っ直ぐに己を見上げていた。



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310「悪夢を斬り裂く青き光」

 俺はエルゼムを見上げていた。

 

 前に見たときと姿が多少違う。のっぺらぼうではなく、誰かの泣き叫ぶ顔のようなものが貼り付いている。

 

 あの顔、どこかで見たような……。

 

 しかし正確に誰かまではわからなかった。彼なのか彼女なのか、とにかくそれの元になったかもしれない者の心は、エルゼムという闇の塊に呑み込まれて、まったく失われてしまっている。

 そもそもナイトメアは姿形を変えるもの。こだわるところではない。

 お前がどんな姿になろうと、今このときに倒すだけだ。

 

 ただ……ここで戦えば、ヴィッターヴァイツたちを巻き込むになるな。

 

「場所を変えさせてもらうぞ」

 

 左手で想剣を手にしたまま、右手を突き出して構える。

 

《気断掌》

 

 不可視の衝撃波が、エルゼムを遥か空の向こうまで吹き飛ばす。

 心力を纏うことによって確実に本体を捉え、奴が持っているすり抜け等の特殊能力を無効化していた。

 同時にダメージも与えているが、直接攻撃でない分だけ、どうしても威力は落ちるようだ。奴の反応は健在である。

 

 追いかけるため、俺は女に変身する。

 

 着ているジャケットを押しのけるように胸が膨らみ、布地が窮屈に貼り付いて、存在感を主張する。

 髪がざわめいて伸びるのを感じ、目線が少し低くなる。

 

 実は世界を飛び回ってナイトメアを浄化していたとき、私はこの姿でずっと飛行魔法を使っていた。

 およそ二年半ぶりの変身だったけれど、まるでずっとこの身体だったかのように、しっくり馴染んでいる。

 

 ――うん。そうだよね。どんなに長く離れても、ユイと私は一つだもの。

 

 空を飛び追い縋ると、エルゼムは逆さになった姿で空中に静止していた。

 明らかに傷が伺える。体表がぼろぼろと剥がれ落ちたようになっていた。

 しかもエルゼムは、受けたダメージを再生によって回復することができずにいた。

 これには、奴も驚きが隠せなかったらしい。

 ヴィッターヴァイツたちを圧倒していたときに感じられた余裕というものが、今はすっかり消え失せていた。

 

「グ、ギ、ギ……!」

 

 歯車が軋むような唸り声を上げて、まるで地団駄を踏んでいるかのようだ。

 

「へえ。お前が悔しいなんて思うことがあるの」

 

 今日までは聞く方だった、今は私自身の声であるソプラノで挑発してやると、エルゼムは激しい怒りと憎悪のままに飛び掛かってきた。

 いつでも反撃できるよう身構えると、途中で奴の姿が消える。

 

 ……偏在性を駆使した存在転移。すなわち、瞬間移動を使っている。

 

 私は動じることなく振り返ると、背後から心臓を突き刺すように狙って伸びてきた影を――指先だけで摘まんでいた。

 

 お前の純粋な悪意ほど読みやすいものはないよ。

 動きがまったく見えなかったときでさえ、その反応だけはすぐにわかったほどなんだから。

 今のこの状態で、そんな手は通用しない。

 

 簡単に攻撃を受け止められたエルゼムは、力任せに影を引こうとして、ビクともしないことに狼狽えていた。

 

 動揺の源は、それだけではないだろう。

 私が実体のないはずの影に直接触れていること。しかも触れているにも関わらず、悪夢はまったく私を侵食できずにいること。

 私にも深いトラウマはあるけれど、想いの力が私の領域を侵すことを防いでくれているのだ。

 

「やあっ!」

 

 変身する猶予まではないため、女の身体のままで剣を振り下ろす。

 恐ろしい予感を見たか、エルゼムは剣身が触れる直前に伸ばしていた部分を自ら切り離すという強引な手段で回避した。

 その判断は、敵ながら最善だった。

 切り離された部分に剣が触れると、その部分は青い光に包まれて、完全に浄化消滅してしまった。

 

 辛うじて本体を断たれることを免れたエルゼムだったが、負傷は決して小さくはなかった。

 伸びていた影は、細長い左腕を変形させたものだったみたいだ。

「エルゼムの左腕」という概念そのものの本源を斬ったがために。その部分はもう二度と再生できなくなってしまった。

 必死に生やそうと試み、まるで何も起きない様はいっそ哀れですらある。

 

 でも、生まれてしまったことが可哀想だとは思っても、容赦しようとは思わない。

 

 人の心を持たない、ただの化け物なんて。

 そんなものは。深い絶望を胸に壁となったヴィッターヴァイツや、ラナソールの想いを背負って立ち向かってきたランドに比べたら。

 お前なんて。ただ強いだけの化け物なんて。大したことはない!

 

「お前なんかに、これ以上犠牲を出させるわけにはいかないの」

 

 avnwodaghraogjalkgnaoiuwrhgawgnwar;oighjaohjgarl.kgeou;htgo;iajlok;rnahloj;arhhlkj;rahelj!

 

 いよいよ後がなくなったエルゼムは、声にならない金切り声を上げた。

 周りの空間が裂け、魔神種級を大量に含むナイトメアの全勢力が一か所に集結する。

 総勢100億を超える数の異形の大群が、暗黒の空を埋め尽くしていた。

 

 味方も使ってなりふり構わず、か。

 

 アルトサイドに満ちる闇のすべてを振り絞ってまで、本気の本気で向かって来ようとしている。

 

 でもね。どんなに闇や絶望が深くたって。こっちだって負けてないよ。

 

 だって俺と私は――70億の希望を背負っているのだから!

 

 剣を右手に持ち直し、左手に魔力を込める。

 同時に心力も混ぜ合わせることによって、星光素の白は、私が纏うオーラと同じ、青白い輝きへと転じていく。

 

 掌大の小さな球体に、闇を屠る莫大な力を詰め込んで――解き放つ。

 

《ブラストゥールアロー》

 

 撃ち出された小さな球体は――手元から離れ切ったところで弾けて、膨れ上がる。

 

 それはナイトメアの数と同じ――100億を超える矢となって、世界を憎むすべての敵へと降り注いでいった。

 

 避けようとする努力は、すべて無駄に終わる。

 一つ一つの矢は、誘導付きミサイルのごとく正確無比な軌道を描いて、大なる者から小なる者にまで、等しく突き刺さり、その本源を断たれる。

 

 ナイトメアの反応は、はっきりしている。

 そのすべてに対して同時に狙いを付けることは――あらゆるものを正確に捉える心の力をもってすれば、できないことではなかった。

 

 ものの一瞬で独りぼっちに還ってしまった、悪夢の首領は。

 

 あれでも、仲間意識というものがあったのだろうか。

 まるで泣いているかのような、奇妙な掠れ声を鳴らしている。

 

 私は剣を握り直し、空を飛んで奴に迫っていく。

 決着をつけようと向かう私に、知らない誰かの顔を向けるエルゼムは。

 

 恐怖や憎悪の体現であるはずのナイトメア――その中で最も強く凶悪なはずの者が。

 見た目にはまったくわからないが、私にはよくわかる。

 

 エルゼムは、怯えていた。

 

 私から必死に逃げるように飛び退き、ずっと上空からこちらを見下ろすことで、それは自らの誇りを辛うじて保とうとしている。

 

 そして、まともな声にならない絶叫とともに、泣き叫ぶ誰かの口から――絶大なる闇の波動が放たれた。

 

 ヴィッターヴァイツやアカネさんに撃っていたものとは、技は同じでも威力がまったく違う。

 まるで後先のことなど考えていない。人類への復讐など、もはやどうでもいいかのような。

 

 ただ私という最大の敵を、世界丸ごと吹き飛ばしてしまおうとする化け物の――最後の抵抗だった。

 

 滅びをもたらす波動を前にして、私は落ち着いていた。

 左手に剣を持ち直し、右手に目いっぱいに閃光を溜める。

 最大限に溜めた心力付きの魔力を、想いの剣という器にしっかりと込めて。

 

 私としての役目は終わり。男に変身する。

 

 両腕で剣を構え直し、さらに気力も込め合わせる。

 

『私たちが、ランドとの修業を糧に創った技を!』

『さあ、受け止めてみろ!』

 

『『エルゼム!』』 

 

 あいつとの修業がなければ、思い至らなかった。

 一人では気力と魔力を同時に扱えない以上、この想剣という器がなければ……使うのは最初で最後になってしまうだろうけど。

 

 最後には、楽しかった夢らしく――《セインブラスター》と《センクレイズ》を掛け合わせたロマン技を。

 

 

《ブラスターエッジ》!

 

 

 深青の波動が――魔力、気力、そして心力の美しい三重奏が。

 

 世界を滅ぼす闇を、真っ直ぐに斬り裂いて――。

 

 しかし世界を一切傷付けることなく――ただエルゼムだけを、貫いていた。

 

 

 ク、カ、カカ、カ……!

 

 

 エルゼムの痛々しい断末魔が、心の芯に響き渡る。

 

 哀しき生まれを持つ化け物。せめて慈悲をもって最期を見送る。

 

 そして……海色の閃光が闇の空を越えて、宇宙の彼方まで消え去ったとき。

 

 すべてのナイトメアは。人々を苦しめていた化け物たちは――トレヴァークから根絶されていた。

 

 間もなく、地平線の向こうから夜明けの光が差し込んでくる。

 

 無事新たな一日を迎えたことを祝福するかのように、登り輝く美しい朝日をユイと一緒に見つめながら。

 

 俺たちは、トレインへと続く道が繋がったのを心で感じ取っていた。

 

 さあ――最後のケリを、着けに行かなくちゃな。



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311「もう一人の『君』たちへ」

 アルトサイドへ行くため、俺は想剣フォースレイダーを使って再び世界の境界を斬った。

 トレインの待つ中枢になるべく近いところへ繋がるように狙って斬る。

 裂けて現れた空間の穴へ飛び込むと、アルトサイドは様変わりしていた。

 すべてのナイトメアとエルゼムを一度に倒したことによって、この世界からは悪意のノイズが消え、闇の色もかなり薄くなっていた。

 ノイズが消えたことで、二つの巨大な力と力が激突しているのが、ひしひしと感じ取られた。

 エルゼムなどまだ可愛いと思えるほど、底知れない強さの塊同士だ。

 

 一つはもう一人の「俺」。もう一つは……誰だ……!?

 

『もう一人の「俺」が、何かとんでもないのと戦っているぞ……!』

『話に聞いてたアルって奴かな?』

 

 遠くてどちらも姿は確認できないが、うっかり戦闘の余波にでも巻き込まれたら一たまりもないだろう。

 70億の想いを背負っているのに、なお通用するビジョンが見えないなんて。

 悔しいが、世界という枠を遥かに超えた神のごとき領域に達しているとしか思えなかった。

 だが、今の俺たちの仕事はアルって奴と戦うことではない。

 

 トレインを斬り、ラナソールを終わらせること……。

 

 そうすれば、アルトサイドもまた消え去り、あの二人がいくら強くても、存在の拠り所をなくすだろう。

 アルという脅威は消えるが。もう一人の「俺」だって、消えてしまう。

 あの人はそれをわかっていて。それでも覚悟を決めて、最強の敵の引付け役を担ってくれたのだ。

 

『『ありがとう……』』

 

 一言だけ心の内で呟いて、自分たちのやるべき仕事をやる。前へ進む。

 闇の向こう側で、彼がほんの少しだけ笑ってくれたような気がした。

 

 

 

 ***

 

 

 

 アルトサイドの中枢に入る。

 ついに真っ暗闇になったが、それ以外はアルトサイドの他の場所と代わり映えのしない、何もない殺風景ばかりが続いている。

 想剣が放つ青き光と、たった一つの反応が示す先を頼りに突き進んでいく。

 

 たった一つ、トレインの気配を除いては――本当に何もないところだった。

 

 エルゼムを倒すまではアルトサイドを満たしていた悪夢の怪物も、どこにもいない。一切の光も、音すらもない。

 まるで永遠の牢獄のような、あまりにも寂しく、そして哀しい場所だと思った。

 フェバルの絶望と、ラナを守れなかった自分への戒めを、そのまま形にしたような……。

 

 やがて、そう時間はかからないうちに、彼の目の前に到達していた。

 

「…………」

 

 変わり果てたトレインを見つけて、言葉を失っていた。

 世界を統べる玉座というにはあまりにもお粗末な、硬く冷たい石の椅子の上に。

 まるで女神への祈りを捧げるような恰好で、項垂れて座っている。

 

 ラナの護りという世界防衛システムをあの日に失い。中枢への道を阻む結界をも解除され。

 ついに丸裸になってしまった一人の哀しき男は、ただ妄執のみによって、そこに鎮座し続けていた。

 

『なんて、ひどい……』

 

 ユイがいたたまれない気持ちをそのままに向ける。俺も同じ気持ちだった。

 

 在りし日の精悍な彼の面影は、もうどこにもなかった。

 生まれたままの姿。全身は、まるで即身仏のようにひどく痩せ衰えている。

 骨が浮き上がり、そこに皮が貼り付くばかり。人なら確実に生きていないであろう、あまりに痛々しい姿。

 

 これが、フェバルの運命すら拒否し、死すべきときに死ねなかった男の末路なのか……。

 

 フェバルの最期は、心が死んだときに訪れる。

 身柄は星脈に回収され、そこに囚われて、宇宙の終わりまで永遠と悪夢を見続けるのだという。

 この男は……いったい、何が違うのだろうか。ここが星脈でないということ以外、何が……。

 

 さらに歩いて近づいてみても、何も反応を示すことはなかった。

 人の心すらとっくに失われていて、俺たちが目と鼻の先にいることもわからないのだ。

 ただただラナソールという世界を、何もわからずに維持し続けるだけの概念へと成り果ててしまっている。

 

『もう……終わらせてあげよう』

『うん……。そうだね……』

 

 何度も深呼吸し、気持ちを整える。

 

 一万年前、ラナさんとしたきり果たせなかった約束を、代わりに果たすときが来た。

 

 この哀しい男を永遠の眠りに就かせてあげるためだけに……ここまで本当に大変な道のりだった。

 

 そして彼を終わらせることは、同時にラナソールという一つの世界を終わらせることになるのだ……。

 

『お願い。あなたと一緒に背負いたいの。私もこの手で剣を握りたいの。だから、くっつかせて』

『うん。わかった』

 

 ユイと融合し、女の身になった私は、彼女の想いも一つにして――涙を流しながら、それでも心の剣を構える。

 

 これを彼に突き刺せば、すべてが終わる。

 

「さようなら。みんな……」

 

 ごめんね。

 

 ――ありがとう。

 

 もう一人の『君』たちへ。

 

 せめて、安らかなれと。それぞれの心の内で生き続けるようにと、願って。

 

 最後の一撃は、切なく、そしてあっけなく終わった。

 

 トレインの成れの果ては、海色の光に包まれて、溶けるように消えていく。

 役目を終えた想剣フォースレイダーもまた、同じように泡と消える。

 

『ユウさん。ユイさん。本当にありがとう……』

 

 ラナさんの感謝の言葉が、最後に心へ届いた気がしたとき。

 

 世界をすべて呑み込むほどの、まばゆい光が俺たちを包み込んで――。

 

 そして――。



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エピローグ1「去り行く運命の旅人たち」

「うーん……」

 

 燦々と照らされる陽光に当てられて、受付のお姉さんは目を覚ました。

 呑気に伸びをして、やおら身体を起こす。

 

「あらま。生きてるわ」

 

 エルゼムの攻撃をもろに受け、あの流れではさすがに死を覚悟していたアカネであったが。

 悪夢の気配はすべて消え去り、こうして無事に生きているということは。

 答えは一つしかない。

 

「あの子たち、やってくれたのね」

 

 新たな夜明けを迎え、昇る朝日を見つめながら、アカネはしみじみと呟いた。

 

 さて、周りを見渡すと、中々にひどいことになっている。

 爆心地はさらに破壊が進み、最初からあったクレーターが原型をとどめないほど、凄まじい傷跡を星に残していた。

 間違いなしの、最高難度のクエストの結果である。

 

 そして、ヴィッターヴァイツ、J.C.、ザックス、ラミィ。

 

 エルゼムと半日以上に渡り死闘を繰り広げた戦士たちが、皆力を出し切って気絶している。

 ほとんどはその場の流れで合流しただけの、まさに即席パーティーであったが、そうとは思えないほど、連携は素晴らしいものがあった。

 しかもみんな自分に劣らず強い。「中々やるじゃない」というのがお姉さんの正直な感想だった。

 フェバルというものを一切知らない彼女にしてみれば、感想はそんな程度の軽いものである。

 誰も「お前が化け物」だと突っ込んでくれる者のいない幸運、そして指摘されてもたぶんまったく気にしない、底抜けな能天気さが彼女の取り柄である。

 

「こんな良い朝日だってのに、寝てるんじゃあねえ」

 

 アカネさんは受付の顔になり、一人一人を起こして回る。

 

「お姉さんカーツ!」

 

 虹色のオーラを纏ったデコピンが放たれると、謎のパワーによってフェバルたちはゆっくりと目を覚ました。

 ザックスに近づいても、さりげなく【死圏】がまったく効いていないのであるが、お姉さんは自身の異常性を最後まで知ることはない。

 

「うんうん。こういうときは、やっぱりこれに限るわ」

 

 満足に頷いたそのとき――ラナソールの、向こうにいる自分が薄れていくのをアカネは感じ取った。

 

 彼女だけではない。

 

 ラナソールのすべてが、泡のように溶けて消えていく。

 

 ほとんどの人々は、自分自身が夢の存在であると、結局最後まで気付かないままに。

 

 ――それでいい。それは……仕方ないのことなのだ。

 

 夢はいつか終わるもの。

 

 けれども、そのすべてがなくなるわけではない。意味のないことなんてない。

 

 夢とは、現実を生きる人々の心に残り続けて、活力を与えてくれるものだから。

 

 

 

 ***

 

 

 

「やっと終わったのか……」

「みたいね。まったく、さんざレディーを甚振ってくれたものだわ」

 

 ザックスはやや感傷的に呟き、ラミィは彼の肩の上、いつもの定位置に戻ってぷりぷりしていた。

 

「貴方、よく守ってくれたのよ」

 

 小さな手でパートナーの頭を撫で、労う。

 彼がいなければ、彼女は確実に命を落としていただろう。いくら不死のフェバルとはいえ、やはり死ぬのは気分が良いものではない。

 

「お姫様を守るのがナイトの役目だからな」

「お姫様は……まあ、今日くらいは良いかしらね」

 

 少し離れたところでは、J.C.がヴィットの腕に抱き着いていた。

 もうこんなことはできないかもしれないと思っていたから、余計に嬉しいのだ。

 

「いやー、来てくれて助かったわ。ふふふ。頑張ったねえ、ヴィット。カッコよかったぞ~」

「ええい。姉貴、寄るな。鬱陶しい……!」

 

 イルファンニーナもそうだが。どうしてこう、オレにお節介を焼く女はこうもうるさいのだ。

 気恥ずかしく思いながらも、力任せに振りほどかない自分に呆れてもいた。

 

 次はまた、いつ会えるかもわからないのだ。

 少しくらいはさせておいてやるかと、そう思っている自分がいた。

 

 そんな彼の顔を嬉しい気持ちで見つめ上げて、J.C.は感慨深く言う。

 

「うん。やっぱり今のあなた、とても良い顔してるわよ」

「知るか。オレはいつも通りだ」

「そうねえ。いつも通りよねえ」

 

 ニヤニヤが止まらない。

 だって、「いつも通り」のヴィットが帰ってきてくれたことが、こんなにも嬉しいのだから。

 

 そうして、つかの間の平和を味わっていた運命の旅人たちであったが、彼らの身体もまた徐々に薄れ始めていた。

 四人の異変に気付いたアカネは、目を細める。

 

「あらら。あなたたちまで消えちゃうわけですか」

「……止まっていた時間が、動き始めたらしいな」

 

 ヴィッターヴァイツが、驚きもなく答える。

 星脈の流れの異常によって、本来世界を渡るはずのフェバルは無理に押し留められていたのだ。

『事態』が解決すれば、また流れ行くのが必然の定め。

 世界の状態が正常に戻りつつあることの、他ならない証拠である。

 

「ヴィット……。せっかくまた会えたのに……もうお別れなのね……」

「そのようだな」

 

 別れはフェバルの必然である。だが悠久を生きる者同士、これが最後ではない可能性も高いだろう。

 

「姉貴。また会おう」

「あら。嬉しいこと言ってくれるじゃない。もう二度と説教なんかさせないでね」

「ふん。どうだかな」

 

 今の彼には、絶望に堕ちるまいという自負と……一抹ばかりの懸念があった。

 

 ユウの想いの力によって、【支配】という呪いを斬られたヴィッターヴァイツであるが。

 もしや、星脈に入ることによって再びフェバルとしての調整が施され、再度能力を貼り付けられてしまうかもしれない。

 彼には、その予感があったのだ。

【運命】の力は。あの呪いは、たった一度の奇跡で超えられるような、そんな生易しいものではない。

 だが。

 ホシミ ユウが持つ、想いの力。

 あれにはまだおそらく――先がある。

 あの力がいつか真の完成を見たとき、【運命】の壁すらも超えるだろうと彼は確信している。

 そうだ。希望はあるのだ。

 あいつがいる限り、己はもう二度と絶望することはないだろう。

 

「次はどんなところかしらね」

「今度は楽な旅だといいがな……」

 

【いつもいっしょ】な二人には、J.C.ヴィット姉弟のようなセンチメンタルは不要である。

 最も弱いが、最も幸せな能力かもしれなかった。

 

「あなたたちの正体も細かい事情もよくわからないけど、ありがとね。みんな。ナイスファイトだったわよ!」

「「あんたが一番よくわからないよ(ぞ)(わよ)!」」

「え、私? ふっ。何言ってるんですか。この仕事服を見てもわかりませんか? 私は、この世界とみんなが大好きな――ただの受付のお姉さんですよ」

 

 総突っ込みを受けてもまったく動じないアカネに、行く先での幸運を祈られ、見送られながら、フェバルたちはトレヴァークを旅立っていった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「やったな。ユウ」

 

 深青なる剣。

 自分がついに完成させることのできなかった、《センクレイズ》のその先を見せてくれたことに、ジルフは感慨深い気持ちを抱いていた。

 

 もちろん、まだまだ甘いところはある。だがそれもユウの良さなのだと、彼はよく知っている。

 

 今のところ、世界中の人々から力を借り受け、さらにラナソールやラナの協力という理想的な条件がなければ、使えないという制約はあるが。

 

 最愛のイネアが認めた弟子のあいつなら――いつかきっと、完全にモノにしてくれることだろう。

 

「俺もまだまだ、若いのには負けてられんな」

 

 気持ちを新たにして。愛する孫弟子への期待と負けず嫌いを胸に、ジルフは次の世界へ向かっていった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「終わったのね……」

 

 晴れ渡る空を黄昏つつ眺めていたエーナは、やがて自分の身体が薄れていくのに気付いた。

 

『事態』を解決するためにやってきたこの世界。こんな大変なことになるとは思っていなかったけれど。

 でも、ユウやユイちゃんという希望を見ることができた。悪くない気分だった。

 

 そのまま良い気分でいられたらよかったのに。彼女はふと致命的な事実に気付いてしまい、愕然となる。

 

「そう言えば私、最後までぼっちじゃない……!」

 

 エルゼムと戦っていた他のフェバルは、互いに苦労を労い、温かい空気の中で別れを告げたことだろう。

 自分のことなど、きっとまったく気にもされていないに違いなく。

 ジルフはまったく気にしないが、フェバルに仲間意識のある「新人教育係」のエーナは、かなり気にするタイプだった。

 

「やっちまったわ。カッコつけて黄昏てたら、乗り損ねた……」

 

 しくしくと泣き出すエーナ。

 

 ええそうよ。寂しいわよ!

 

 こういう星の下に生まれてしまったものかと、自分の不甲斐なさを呪っていた彼女であったが。

 

 そこへ、優しい声がかかる。

 

「やあ。エーナさん」

「え、ハルちゃん……?」

 

 既に全身から力が抜けていたハルは、車椅子を押してエーナの前に現れた。

 ハルは、エーナの事情を知る数少ない者の一人である。だから彼女を探していた。

 

「フェバルだから、きっと事態を解決したらいなくなってしまうだろうと思ってね。間に合ってよかった」

 

 女の子なのに、病弱なのに。

 ほっとして言う彼女は、エーナさんには物凄くイケメンに見えた。

 

「ハルちゃ~~~ん!」

「わっ! びっくりするなあ、もう」

 

 嬉しさに泣き縋るエーナを、ハルは優しくあやしていた。ユウくんにもよくこうやって甘えていたなと思いながら。

 人の温かみに触れ、満足して落ち着いた彼女に、ハルは改めて別れを告げる。

 

「さようなら。エーナさん。旅先でユウくんに出会ったら、よろしく言っておいて下さい。ボクは元気にやってるからって」

「ええ。承ったわ。まったく、とんだ女泣かせよね。あの子も」

「はい。違いないです」

 

 和やかに笑い合う二人。その間にもエーナの身体はどんどん薄れていき、いよいよ本当に消えてしまうときが来た。

 ハルは遠くを想い、そしてエーナに告げる。

 

「それから……。ボクの恋のライバルのこと、どうか忘れないであげて下さい」

 

 ハルも、エーナも。

 夢幻と消えたもう一人の掃除係をよく覚えている、数少ない人間の一人なのだ。

 そして、人の寿命しか持たないハルに対して。

 永き時を生きるフェバルなら、ずっと彼女の生きていたことを覚えていてもらえる。

 だからこそのお願いだった。

 

「ええ。わかったわ。もちろん、あなたのこともね」

「ありがとうございます」

 

 こんなことは、よくあることだって。つらいことがたくさんあったエーナは、どうしても思ってしまうけれど……。

 

 それでもこの世界は――みんなは、特別だった。

 

「絶対に忘れない。楽しかったわよ。ありがとう……ハルちゃん。そして――ミティ」

 

 最後の呟きは朝の空に溶けて。エーナもまた次の世界へと旅立っていった。



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エピローグ2「トレヴァークレポート」

 世界を破滅の一歩手前まで追いやったナイトメアの大襲撃を乗り越え、約半年の月日が流れていた。

 

 同じフェバルではあるが、任務のため他のフェバルより遅れて来襲したブレイは、未だトレヴァークにおけるタイムリミットを迎えてはいなかった。

 いや、迎えてもらっては困るのだ。任務をまっとうできるよう、十分長期間滞在できる見込みのある者が星裁執行者として派遣されることになっているのだから。

 

 本来は、ダイラー星系列としては、そこまでやる義理はないのだが。

『事態』の後始末のため、ブレイたちはトリグラーブに留まり続けていた。

 この世界の科学技術を超えない範囲で、復興作業も入念に支援している。

 おかげ様で、宇宙の辺境において悪名高いダイラー星系列にも関わらず、現地人からの評判は上々であった。

 

 最終的に世界人口のおよそ3割、9億人もの尊い犠牲が出た今回の『事態』であったが。

 宇宙そのものの破滅という最悪の可能性を鑑みれば、最良に近い結果だったと言っても良いだろう。

 

 ……あいつは、絶対に納得しないだろうが。よくやったと言いたい。

 

 そして、大きな痛みを乗り越えて、世界は力強く復活しつつある。

 

「人間というものは、中々どうして強いものだな……」

 

 人々の想いを束ねた奇跡の力を目にし、そしてこの逞しい復活劇を日々眺めて、ブレイはフェバルらしからぬ感想をしみじみと漏らしていた。

 

「しかし、こいつは勘弁だったな……」

 

 世界が無事に残ってしまったおかげで、面倒な仕事は一気に増えた。

 どこまでも尽きることのない、未決裁の電子書類の羅列。そして、現地から毎日届く山積みの書類を見つめて、ブレイはうんざりと溜息を吐いた。

 伸びをして首を曲げると、ポキポキとおっさん臭い音が鳴る。フェバルが鳴らして良い音じゃないんだが。

 

 だが、ぼちぼちピークも終わる。もう少しである。

 暫定政府は、近日中に全権を現地政府に明け渡すことになっている。残りの仕事は、本星に帰ってゆっくりやれば良い。

 

 執務室へ、副官のランウィーが入ってくる。彼女はシェリングドーラに任せることなく、自らそそくさと茶を出した(それが彼女の好意の表現なのだと、ブレイは重々知っている)。

 そして彼女は、ブレイの肩を揉んで労いつつ、言った。

 

「お疲れ様でした。ようやく一区切りできそうですね」

「ああ。まったく。とんだ報告泣かせだよ。ホシミ ユウという奴は」

「そうですね。ほんと滅茶苦茶ですね。アレは……」

 

 とんでもなく英雄的な活躍を見せてくれた一人のフェバルを思い、二人は嘆息した。

 

 ダイラー星系列にも、メンツというものがある。

 あいつは、やり過ぎた。

 自分たちでは何もできませんでした、よそ者のフェバルが勝手に解決しましたと、そのまま報告書をまとめるわけにはいかないのだ。

 そもそも、ラナソールという世界があったという痕跡はまったく消え去ってしまい、さらにナイトメアがいたという証拠も、もはや破壊の痕しかない。

 既に客観的には、いささか信ぴょう性が欠ける次第というのに。

 三百億を数えるナイトメアのうち、最強最悪のエルゼムを含む三分の二以上を、ホシミ ユウたった一人だけで、しかもものの数時間のうちに壊滅させたなどと。

 

 そんなことをバカ正直に書き連ねれば、絶対に受理されないに決まっている。

 

 それに何より――そんな報告をすれば、本星はホシミ ユウという人間を危険視するに違いないのだ。最悪、特別監視対象にリストされてしまうだろう。

 フェバルが通常、持つはずのない「想いの力」などというものは。

 あれはむしろ、異常生命体にカテゴライズされるべきものだ。

 フェバルでありながら、「異常者」へ片足を踏み入れる。広い宇宙においても、ほとんど類例がない。

 それほどのことを、あいつはやってしまったのである。

 ダイラー星系列の影響力は伊達ではない。彼(あるいは彼女か)へのマークがきつくなれば、それだけ旅もしにくくなることだろう。

 

「だからって、何も隠すことないじゃないですか。ほんとバカですね。あなたも」

「うーむ。それを言われると、ぐうの音も出ないのだが……」

 

 本来ならば、よくないことなのだ。

 

「異常な」フェバルについては、詳細を報告せねばならないと規程にも定められている。

 だが個人的に彼へ好感を持ってしまったブレイは、どうしても温情をかけたくなってしまったのである。

 そして、そんな彼の心を理解している幼なじみも、小言をつらつらと並べるだけに留め、同じ罪を背負おうとしているのだ。

 

 バレたとしても、さすがに死刑にはなることはないが。仕事を変えねばならなくなる可能性は高い。

 

 それで、ダイラー星系列主体の活躍によって『事態』を解決したという、もっともらしい言い訳と筋書きを思いつくのに、何か月も時間がかかってしまった。

 それもまた、やけに滞在期間が延びてしまった大きな理由である。

 

「しょうがないですね。昔から呆れることばっかりして。もう」

「すまん。帰ったら一緒に旅行でもしようか。好きなだけ奢るぞ?」

「ほんとですか? じゃあいっぱいお言葉に甘えますよ」

 

 しばし談笑した後、ランウィーは仕事に戻っていった。

 一人になったブレイは、ふと懐に忍ばせた二枚の紙を取り出す。

 苦笑いとともに、それらを見つめる。

 一枚は、彼がバラギオン等を粉砕したことに対する、損害請求書。

 そしてもう一枚は、給与明細だ。『事態』を解決したことに対する、特別ボーナス付きである。

 

「まだ渡していないからな。こいつは、大事に取っておくぞ。いつかまた会おう。ホシミ ユウ」

 

 後日、ダイラー星系列は全権を現地政府へ返還し、彼らはその日のうちにトレヴァークから撤収していった。

 

 またいくらか月日が流れ、本星には、紙に換算して千数百枚にも及ぶ膨大な報告書が提出された。

 トレヴァークレポートと名付けられたそれは。

 ブレイによって極めて巧妙な記述をされ、一見して真相がわからないように書かれてはいるが。

 子細を調べ、妥当な推測に推測を重ねれば、一人の人物が浮かび上がってくる。

 

 後に、星海 ユウというフェバルの伝説の始まりを記す重要な文献として、ダイラー星系列の歴史に名を残すものである――。



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エピローグ3「それぞれの胸の中で」

 再び日常が訪れ、次第に学校や会社も再開していた。

 

 狭いアパートの一室に、中年の男、ダイゴの声が響く。

 

「おい。忘れ物はないか。あとも少し急げ。初っ端から遅刻じゃしまらねえぞ」

「えーっと。あれ、あれ? どこだったかな?」

 

 微妙に寝ぐせが残ったままのシェリーは、慌てて本の山をひっくり返していた。

 勉強熱心なのはいいが、整頓がおざなりになる悪癖があるようだ。

 

「だから昨日のうちに準備しとけって言ったじゃねえか」

「わああ! すみません! ほんと、どこいっちゃったんだろう?」

「ほれ。こいつじゃないのか?」

「あ、それですっ!」

 

 崩れた本の山から一冊を目敏く選び取って、差し渡す。まさに彼女が探し求めていたものだった。

 実はダイゴは、昨日のうちにこっそり時間割を見て、必要なものを把握していたのだ。

 

「くっく。案外そそっかしいな。シェリーも」

「えへへ。実は昔っからそうで。ありがとうございます。ダイゴさん」

「おう」

「そして、こうして私を学校に行けるようにしてくれて、本当にありがとうございます」

「……ふん」

 

 二人が一緒に暮らしているのには、理由がある。

 彼女の家が全壊していたところから、話は始まった。さらに運の悪いことには、彼女の財産を預けていた銀行が、物理的に吹き飛んでしまっていたのである。

 元々両親を夢想病で失い、身寄りのなかった彼女は、生活の基盤さえも破壊されて、途方に暮れていた。

 そんなシェリーの窮状を知ったダイゴは、これも縁だと彼女の身柄を引き受けて、今は二人で狭い部屋に暮らしているのだ。

 なし崩し的に奇妙な共同生活が始まってしまったわけであるが、彼には一人暮らしで無駄に蓄えがあったことが幸いし、つつがなく生活を送れている。

 

 もちろん、彼とて自制は心得ている。娘ほど年下の子に間違いなど起こす気もなく、本当に娘のように思っていた。

 彼女もそんな彼だからこそ、心から信頼し、身を預けているのだ。

 

「礼はいいさ。立派な医者になるんだろう。しっかり勉強してこいよ」

「はい。ダイゴさんも、お仕事頑張って下さいね」

「……おう。そうだな」

「じゃあ、行ってきますっ!」

「気を付けてな」

 

 元気な年頃の娘を送り出したダイゴは、うんと伸びをして、自分も出社の準備を始める。

 髭を剃りながら、彼は独り言ちていた。

 

「学校行って、会社行って。平和な日常ってのは――いいもんだな」

 

 かつて退屈な日常に絶望していた男は、もういない。

 今、男は平和であることに至上の幸せを感じている。

 ぴしりと白モップを着込み、市民を示す銀バッジを胸につけて、意気揚々と扉を開けた。

 

「さあてと。俺も俺なりに一丁、頑張ってみるか」

 

 世界が大変なことになって。自分もあと一歩で死にかけた。

 

 一つ、わかったことがある。

 

 人には、それぞれの人生の課題がある。それぞれの困難がある。

 苦しいこと。つらいこと。どうにもならないこと。

 そりゃあもうたくさんある。数え切れないほどある。

 

 この事件で、救われなかった運のない連中だって……たくさんいる。

 俺が明日から、世界を救えるわけじゃない。いきなり金持ちになったりもしない。

 どんなに綺麗ごと並べたって。この事実は変わらねえ。

 

 だがな。

 

 それでも命の続く限り、できることはある。どんなに小さくても、この手に届くものはきっとあるのだ。

 

 そう信じることが。

 

 人それぞれの運命に対して、己の意志をもって懸命に立ち向かうならば――誰もがきっと、小さな英雄になれるのだろう。

 

 青い空を見上げて、ダイゴはしみじみと呟く。

 

「なあ。そうだよな――ユウ」

 

 ――ほとんどの人は、決して知ることはないだろう。言ったとして、決して信じることはないだろう。

 

 公式には、ダイラー星系列が解決したことになっているあの事件の顛末を。

 民衆には、ラナの奇跡と信じられている――あの青き虹の光を。その正体を。

 

 あれが本当は、誰だったのかを。誰の優しさだったのかを。

 

 ダイゴは――フウガは、知っている。

 

 

 彼は最後まで大きく出世することはなかったが、その熱心で誠実な働きぶりは次第に多くの人に認められ、彼が退職するときには、たいそう惜しまれたという。

 また、娘のような年頃の娘と積極的にボランティア活動などをする姿が、たびたび目撃されていたそうだ。

 

 やがて娘は結婚し、立派な医者になり、幸せな家庭を築き――。

 

 彼は子供たちに「おじいちゃん」と弄られながら、近隣の住民にも慕われ、人生をまっとうするときまで、幸せに暮らしたという。

 

 

 

 ***

 

 

 

 エインアークスの全面支援を受けて着々と進められた夢の翼『アーマフェイン』プロジェクトは、ついに実用化の段階にまでこぎ着けていた。

 

 自在に空を駆ける金属製の機体を見上げて、歓喜に湧くスタッフたち。

 彼らに混じり、プロジェクト責任者アイリン・バッカードは、得意気に鼻を鳴らした。

 

「ダイラー星系列とやらのとんでも兵器には、さすがに度肝抜かされたけどな。へへ。こいつは立派なトレヴァーク産ってやつだぜ」

 

 幼き日の夢に描いていたそのままのような飛空艇ではないが、地球で言うところのヘリコプターに似た形状のその乗り物は、世界の距離を一気に縮める期待がほぼ確実視されている。

 

 ――なあ。見てるか兄貴。これからこの夢の翼が、数え切れないほど多くの人を救うんだぜ? わくわくするだろ?

 

 ダイラー星系列による初期復興はなされたものの、彼らが去った今も、まだまだ世界各地には救援を求めている者たちがいる。

 本格的な復興へ向けて、空という新たな移動手段が生まれることの恩恵は、計り知れない。

 

「そうだ。あいつにもちゃんと礼、言いたかったな……」

 

 アイリンは、一人の頼りなさそうな見た目の青年を想い、寂しげに目を細めた。

 

 このプロジェクトを実現にまでこぎ着けた立役者。兄を除いて、最も感謝する人間の一人。

 世界が滅茶苦茶になってしまってから、連絡の一つも付かないままである。

 今はどこにいるかも、果たして生きているかも彼女にはわからない。

 

 だが、きっとどこかの空の下で、あのお節介な優しさで、誰かを助けている。絶対そうに違いないのだと。

 

 わざわざ夢の中にまで出てくれやがったのだ。くたばるわけがない。

 アイリンは、そう信じている。

 

 だからあの人に負けないように。自分もできることをするのだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 この日は、ニコの八回忌だった。

 

 彼女の写真の前で、親子三人が仲良く祈りを捧げている。

 

 未だ記憶に新しい化け物の襲撃。死者は街の八割にも及び、隣の家の者たちも皆殺しにされてしまったという。

 すぐ側を悪魔が襲っていたのだ。自分たちが襲われずに助かったことは、奇跡的なことだった。

 

 巷に流れる噂話でしかないが、かの大災厄の日では、生きることを諦め、絶望した者から次々と命を落としていったという。

 本当かどうかはわからない。だが、妙に真実味のある話のように思われた。

 

 両親は、考えていた。

 自分たちがあの日、助かったのは。生きる気持ちを強く持てたのは――ニコがずっと、天国から励ましてくれていたからではないかと。

 何度も命を諦めようかと思ったとき、「まだこっちへ来ちゃダメ」という強い声が、しきりに聞こえていたような気がしたのだ。

 

 夢だったのかもしれない。幻だったのかもしれない。

 それでも、信じたいのだ。

 

 そして、姉が助けてくれたことを「知っている」マコは、祈りとともに感謝の言葉をたくさん述べると。

 両親へ振り返って、いっぱいの笑顔で宣言した。

 

「マコね。将来ね、このお店、かわいいものでいっぱいの雑貨屋さんにする! でね、ニコお姉ちゃんみたいに、優しくて素敵な店長さんになるの!」

「そうか……いいな」

「素敵な夢ね。マコならきっと……きっと。強くて優しいお姉ちゃんみたいになれるわよ」

「うん。だって――最後に、約束したもんね」

 

 今は小さなマコも、時が経つにつれて立派に成長していくだろう。

 やがて記憶は遠ざかり。純粋な幼心も、いつかは少女のまま生を終えてしまった姉よりも大人びて。

 今ははっきり覚えている姉の姿も、そのときには薄れてしまうかもしれない。いくらか忘れてしまうことがあるかもしれない。

 

 人は、忘れてしまう生き物だから。

 

 それでも確かなことがある。残り続けるものはある。

 

 ニザリーは……ニコは確かに家族を守ったのだ。

 

 そして確かに、三人の心へと想いは届いていたのだ。

 

 新たな人生の活力、夢となって、彼女は家族の中でずっと生き続けていく。



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エピローグ4「優しさを継ぐ者たちへ」

 ヴィッターヴァイツによって大きな被害を被っていたトリグラーブ市立病院であるが、ダイラー星系列が張った結界によって建物自体は残っていた。

 また彼が最初からユウの仲間を炙り出すことを狙いとしていたことで、スタッフや患者の多くも殺されずに済んだという幸運もある。

 しかしながら、悲劇は一度ならず、二度までも襲い掛かった。

 言うまでもなく、かのナイトメア大襲撃である。夢想病患者を大量に抱えている病院は、悪夢の怪物にとっては恰好のターゲットであった。

 だが、奴らが病院を襲うだろうということは、人間側にとっても想定内である。

 シズハ率いるエインアークス部隊が派遣された。

 彼女らの活躍によって、決して少なくない犠牲を出しながらも、辛うじて病院と患者の多くは守られていたのである。

 

 そして青き光が闇を振り払った後、夢想病の患者たちは次々と目覚めた。

 人々は喜び、これをラナの奇跡と呼んだ。

 

 その後、病院という緊急のインフラは、各員の協力によって可及的速やかに活動を再開された。

 それでも、衰弱した夢想病患者たちが退院し、一般の手術等ができる体制になるまでは、かなりの月日がかかってしまったわけであるが。

 

 ある日、一人の少女が難病の治療手術を受ける決意をした。彼女にとっての英雄との約束を果たすために。

 

 手術は長時間に渡ったが、無事成功した。世界でも数例しかない、貴重な成功例として界隈をいくらか騒がせたという。

 

 さらに数か月を経て、今、その少女――ハルはリハビリの歩行訓練に懸命に取り組んでいる。たとえ手術に成功しても、歩けるようになる可能性はかなり低いと言われていたが。

 

 それでも、もう一度自らの足で立ち上がり、前へ進んでいくために。夢の世界の英雄は、人知れず厳しい現実を戦っていた。

 

 世界に比べたらずっとずっと小さな、しかし負けられない大切な戦いを。

 

 かつて存在していたあの世界ならほとんど誰も知っていた――現実ではごくわずかな者だけが知っている、最愛の人から受け取った想いを力に変えて。

 

「ユウくん。見守っていてね。ボク、もっともっと、強くなってみせるから。キミみたいに、どんなつらいときでも、優しくあれるように。そしたら。そしたらね――」

 

 彼女の退院後について、公式の記録に残るものはない。ごく親しい友人だけが、その動向を知るのみである。

 

 

 

 ***

 

 

 

「そうか。出て行くのか」

「もう決めたことですので」

 

 ボス席にどっしりと構えるシルバリオは、彼を射抜くように見つめ、強い意志を示す瞳の前に、観念するしかなかった。

 彼の手には、彼女の達筆で書かれた退職願が握られている。

 

 シズハは、暗殺者を辞めるのだ。

 

「お前には随分と助けられた。寂しくなるな……」

 

 センチメンタルになっているボスの肩を、側で控える会長の剛腕が力強く叩く。

 

「がっはっは! そうしょぼくれるな。倅よ! 出会いもあれば別れもまたある。それに、ほんの目と鼻の先へ行くだけだろうが」

「それでも脱退には変わりないだろう。メンバーが離れて寂しくないボスがいるかよ。親父は単純過ぎるんだ」

「ハン。貴様は難しく考え過ぎなのだ!」

 

 ラナソールが消えた途端、飛び跳ねるように起きたゴルダーウは、今となっては寝たきりの病人だったとは思えないほど、ピンピンしていた。

 漢の中の漢と称された鋼の肉体健在である。

 そんなゴルダーウであるが、いつの間にか立派にボスを務める息子には、胸が熱くなるところがあった。

 

「だが、良い顔つきになった。皆に慕われる良いボスになったな――シルバリオ」

「ユウさんのおかげさ。己の至らなさがよく理解できただけだ」

 

 元々裏社会の潤滑油としての役目を果たしてきたエインアークスであったが、長きに渡る支配と停滞が、組織の腐敗をもたらしていた側面もあった。

 しかし、ユウによる改革、そして世界の危機を乗り越えて。

 彼らは自警団としての出自と、その誇りを取り戻しつつある。

 

「ふむ。自らの未熟を認めることこそ、成長への第一歩! 片意地張るな、見栄を張るなと言うた意味、ようやく理解したようだな」

「というわけで、もういつくたばっても大丈夫だぞ。親父」

「バカめ! ワシはまだまだ百年は死なんぞ! ええい。親に向かってくたばれとは何たるかッ!」

「アホ。そういう意味じゃねえんだよ!」

「ほう。久々にヤルかコラ?」 

「あんたこそいいのか? 今度こそどっちが上か、思い知らせてやる!」

 

 シルバリオは、勢い良く服を脱ぎ去った。

 そこにはいぶし銀に輝く、ゴルダーウに勝るとも劣らぬ鋼の肉体があった。

 組織のボスという立場上、自ら動くことは自重しているが。彼もまた、ナンバー付きの暗殺者に負けぬほどの実力者――漢なのである。

 そして素肌を剥き出しにした漢が二人、まるで子供のような殴り合いの取っ組み合いを始めてしまった。

 

「……人が辞める、のに。まったく……」

「やれやれ。まーた始まったよ」

 

 シズハは呆れ返り、少し離れたところで、ルドラがぼやいている。

 まあこのバカバカしい親子の殴り合いの光景も実に久しぶりだと思えば、呆れはするが悪い気はしない。

 

 ちなみに、二度にわたり街を守った功績を評価され、晴れてゲーム地獄から解放されたルドラであるが、二度と元の荒事には戻れず、平和的活動に従事することを命じられていた。

 

「で、どうだい? カタギに戻るんなら、記念にオレとデートでも」

「ダメ。私……もう好きな人、いるから……」

「――ほう」

 

 今まで、うざいと断っていても、突き放しても、自分からそんなことを言うタイプではなかった。

 暗殺者として生きて来たのも、自ら望んでそうなったわけではなく、他に生き方を知らなかったからそうしていただけということを、彼はよく知っている。

 この世界の危機を経て。何かが、彼女の心を動かしたのだろう。

 

「わかったわかった。オレの負けだ。愛する人のところとやらへ、とっとと行ってこい」

「最後まで、ほんと……うざいな。でも……うん。そうする」

 

 シズハは一つの決意を胸に、長年勤めたエインアークスを後にした。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ふう。こんなもんかな」

 

 何でも屋『アセッド』を継いだリクは、ようやく新装開店の準備を終えつつあった。

 

 レジンバークの店がなくなってしまった今、トリグラーブ支店が本店に格上げである。

 世界の危機に伴う緊急業務ばかりをしてきた彼らは、それから数か月も関連する作業に追われ、やっと今日から通常営業――人助けを再開できるのだ。

 

「これって結局、何なんだろうね」

 

 看板にでかでかと描かれたASDという文字の意味を、結局リクもランドも知らないままであったが。

 まあきっと、知らなくても問題ないだろう。大切なのは、名前よりもそこに込められた想いなのだから。

 

「……よし。今日からまた、頑張るぞ」

 

 今はどこにいるかもわからない英雄へ向けて、彼はささやかに祈った。

 

 ――ユウさん。ユイさん。

 

 あなたたちが始めた優しさを、今度は僕たちが継いでみせる。繋いでみせます。

 

 だから……どうか見守っていて下さい。

 

 決意を新たに、店に入ろうと歩を進めようとして。

 

 ふと、誰かの視線を感じて、彼は振り向いた。

 

「――――」

 

 黒髪の女性が、遠慮がちに立っている。

 

「あれ。お客さんですか?」

「客、違う……」

「じゃあもしかして、スタッフになりに来てくれたんですか!?」

 

 驚きと喜びを見せるリクに、コクコクと彼女は頷く。

 よく見れば彼女の足は小鹿のように震え、精一杯の勇気を振り絞ってきたのがわかる。

 リクは嬉しかった。たちまち笑顔になって、怖がらせないようにと、柔らかい声色で自己紹介をする。

 

「僕、リクです。コウヨウ リク。一応、この店の店長やってて。あなたは?」

 

 名を問われて、彼女ははっと息を呑んだ。

 

 今まで、何かと理由を付けては話すことを避けてきた。直接会うことを躊躇らってきた。

 

 暗殺者なんて、ろくでもない仕事をやっていたから。その後ろめたさがあったから。

 

 でも――もう迷わない。逃げたくない。

 

 今から踏み出すのだ。新しい一歩を。

 

「私……シズハ。ミクモ シズハ」

「シズハ、か。素敵な名前ですね。僕の知っている人に、よく――」

 

 何気なく歩み寄り、手を繋いだとき――。

 

 二人の中に、ぼんやりと――走馬灯のような思い出が駆け巡った。

 

 ――ああ。そうだったのか……。

 

 たとえあの世界のことが、夢と消えてしまっても。

 

 すべてが消えてなくなるわけではない。

 

 魂は知っている。魂は覚えている。

 

 あの楽しかった冒険の日々を。滅びゆく世界を前に挑んだ覚悟を。

 

 そして――消えゆく中に確かめた、愛を。

 

 リクは、シズハに向かって優しく微笑んだ。

 

 現実では、まだまだレベル1の、ひよっこの僕たちだけれど。

 

「――よかったら、中へ。これからのこと、話したいからさ」

「――ええ。そうね。私も……話したいことが、いっぱい、あるの」

 

 二人。仲良く手を引きあって、連れ立って入っていく。

 

 やがて店内からは、温かな笑い声が聞こえてくる。

 

 

 

 ***

 

 

 

 お店の隅、ひっそりと目立たないところに、銀色の小さな盾が置かれている。

 

 それは、どんなにつらく苦しいときでも。たとえ店主がいなくなってしまっても、常に店を綺麗に保ち、雰囲気を明るく保ち続けた者の功績を称える証だった。

 

 ミティアナ・アメノリス。

 アメノ ミチオ。

 

 この者、二名――ASDの名誉スタッフとして、永久に名を記す。



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EX「To be continued…」

 八千年もの長きに渡り、夢の世界を維持し続けるだけの生ける屍と化していたトレインは、ついに想剣によって貫かれた。

 妄執に囚われた男は、泡と消える。

 ラナもまた、彼を解放してくれた英雄に感謝を述べながら、消えていく。

 

 狭間の世界で、死闘と言う名の茶番を演じていた黒の旅人と始まりのフェバルは、自らもまた世界とともに消えつつあることを悟った。

 黒の剣を鍔ぜり合いつつ、最後の応酬を繰り広げる。

 ついにこのときがきた。

 アルは、感情を剥き出しにしてほくそ笑んだ。

 

「おい。ユウ。僕が今、考えていることがわかるか?」

「わかるさ。お前の考えていることなんて。いくらでもな」

 

 宇宙を何度繰り返したと思っている。どれほどの腐れ縁だと思っているのか。

 お前がろくでもないことしか考えないのは、よく知っている。

 

 だがいまいち理解できていないと見たアルは、はっきりと断言する。

 

「お前の負けだ。ホシミ ユウ」

 

 だが『ユウ』は、動じなかった。

 

「果たしてそうかな」

「強がりを。ならば、なぜ止めなかった。僕の狙いがわかっていたのなら」

「見解の相違だ。俺は――あの二人を信じている」

「僕の強さを知りながら。あんな一回分の雑魚に、望みをかけると?」

「ああ。そうだ」

 

 ついに、アルトサイドのすべてが消える。

 彼らの存在の拠り所は完全になくなり、ともに浄化されて、消えていく。

 

 消えゆく最中、アルは勝ち誇り、『ユウ』は二人に望みを賭けていた。

 

 

 ――頼んだぞ。お前たちなら、きっと。乗り越えられるはずだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 光に包まれて。そして――。

 

 なに……。ここは……どこ……?

 

 またどこか。真っ暗な空間に出てきていた。

 

 ――何もない。

 

 声を出そうとして、まったく声が出ないことに気付く。

 

 それどころか、息もまともにできないことに!

 

【反逆】《不適者生存》

 

 慌ててレンクスの技を使うも、まったく効果が表れない。

 

 どうなってるの……苦しい……!

 

 一体化していたユイの心が、心配で呼びかけてくる。

 

『ユウ! 大丈夫!? 変なところに出ちゃったみたい』

『やばい! 早くここから出ないと、意識が……!』

 

 必死にもがき続けるも、脱出方法がまったくわからない。

 未だに想いの力が身を守ってくれてはいたが、このままではいたずらに命を消耗するばかりだった。

 

 せっかくやり遂げたのに……こんな、わけのわからないところで……。

 

 次第に朦朧とする意識の中、芯に響くような冷たい声が心に響いてきた。

 

 

『ここは宇宙の外だ。お前たち内なる者は、本来招かれざるところ。フェバルの力ごとき、及ぶ領域ではない』

 

 

 だけど。

 

 この声は、知っている。

 

 うっすらと目の前に現れた人物に。

 

 その記憶と寸分変わらぬ姿に。

 

 え。

 

 なんで。

 

 どうして。

 

 なんで君が、ここにいるんだよ……?

 

 

 ミライ。

 

 

 ねえ。

 

 どこに行ってたの。こんなところで、何やってるんだよ。

 

 話がしたくて。必死に手を伸ばそうとして。

 

 

 ――心がまるで違うということを悟るのに、一瞬遅れてしまった。

 

 

 

 ユイの必死に呼ぶ声が、やけに遠く聞こえる。

 

 

『待って! 違う。そいつは、ミライじゃ――!』

 

 

 

 

『そうだな。僕がオリジナルの――アルだ』

 

 

 

 

 !?

 

 

 

 彼のかざす手が、私に触れた途端。

 

 身体に力が、入らない……!

 

 あれほど溢れるばかりだった心の力が、嘘のように急速に衰えていくのを感じていた。

 

 オーラの輝きは消え、死の脱力感が襲ってくる。

 

 

 ダメだ……力が……。

 

 

 

 ***

 

 

 

 もはやぴくりとも動かなくなった女の身体を吐き捨てるように一瞥して、アルは独りごちた。

 

「惜しかったな。まあいい。復活は後に取っておくとしよう」

 

 自身が復活し、宇宙へ降臨するという最善の結果とはならなかったが、これが次善のプランだった。

 あの残滓は、よく時間を稼いでくれた。

 たとえ復活ならずとも、この一瞬だけ、影響力を及ぼす機を作ってくれたのだ。

 

 星海 ユウが、今までにない妙な力を付けようとしていることはわかっていた。

 

 だからこうして、釘を刺しておく必要があった。

 真なる【神の手】によって、開きかけていた扉は閉じてやった。

 これでもう、あの妙な力は使えない。無理に使おうとすれば、不完全な白か黒の力へと転じるのみ。

 

「しかし。こいつめ……」

 

 アルは、何度絶望に叩き落とそうとも立ち上がってくる永遠の宿敵を、殺さんばかりに睨みつける。

 

 だが彼には、どんなに憎くても、ユウを直接殺すことはできないのだ。

 

【運命】に最も強力に縛られているこいつは、同時に【運命】によって最も強力に守られているからだ。

 

【運命】の範疇にある者では……こいつを真に始末することはできない。

 

 ならば。

 

 アルは再び手をかざした。

 

 星海 ユウを。この忌々しい女を、真に葬り去るため。

 

 特別な世界へ招待してやろう。

 

 これからお前たちの行き着く先は――リデルアース。

 

 もう一つの地球。

 

 星脈は閉じている。

 

 お前以外は来ない。誰も助けは来ない。

 

 そして――。

 

 

 To be continued in the Episode I.




この後時系列上は4章『I』へと続きますが、引き続き本編を読み進め、過去編1章『地球(箱庭)の能力者たち』に入って頂ければと思います。
その後、満を持して4章へお進み下さい。
ただし4章は、非常にシリアスかつ性的な描写・残酷な描写を含む内容であるため、R18版のみの連載としたいと思います。


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地球(箱庭)の能力者たち
あらすじとキャラクター紹介


・あらすじ

 12月1日18時32分。東京新宿駅は炎に包まれた。

 後に『火の金曜日』と呼ばれる事件を皮切りに、世界中でほぼ同時にテロが発生。放送もジャックされ、機械音声による声明がなされる。

『我々は世界のあらゆる場所、あらゆる国に庭を創る。TSPによるTSPのための自由経済支配圏を確立する』

 声明を発したのは、正体不明の国際テロ組織『トランセンデントガーデン(TSG)』。非能力者社会への明らかな宣戦布告であった。

 星海 ユナは、人知れずTSGとの対決へ身を投じていく。

 地球の超能力者TSPと異世界の超越者フェバルとの奇妙なリンクを感じながら……。

 

・話の傾向

 超能力者組織やその他諸々に対して、主人公ユナが立ち向かうアクションストーリーです。

 

・今回の舞台

 地球 気力許容性:極めて低い 魔力許容性:なし

 

【許容性の大雑把な指標】

 無制限>極めて高い>非常に高い>高い>やや高い>中程度>やや低い>低い>非常に低い>極めて低い>なし

 

【参考】

 惑星エラネル 気力許容性:高い 魔力許容性:非常に高い

 エルンティア 気力許容性:やや低い 魔力許容性:非常に低い 

 名も無き世界 気力許容性:中程度 魔力許容性:やや低い

 ラナソール 気力許容性:無制限 魔力許容性:無制限

 トレヴァーク 気力許容性:非常に低い 魔力許容性:非常に低い

 

・キャラクター紹介

【星海家】

星海 ユナ

性別:女

年齢:31

能力:魔法(ただし地球では使えない)、気力強化、銃術、格闘術

 本章の主人公。一児の母にしてQWERTY(ウェルティ)のリーダー。生身の人間でありながら銃一つで超能力者と渡り合う地上最強の女。それもそのはず。彼女は数多の異世界の知られざる救世主なのだ。

 

星海 シュウ

性別:男

年齢:31

能力:なし

 ユナ最愛の旦那。彼女と知り合った経緯は彼の一目惚れである。猛アタックの末にゴールイン。婿入りし、一子ユウを授かる。普段は穏やかな物腰でサラリーマンをやっているごく普通の一般人だが、やるときはやる男。

 

星海 ユウ

性別:男

年齢:6

能力:神の器

 本編の主人公。まだ男。時折人や動物の心の声が聞こえるらしく、不思議な行動を取ることも。

 

【QWERTY(ウェルティ)】

 星海 ユナが大学生時代に設立したサークルを前身とする諜報組織。名前の由来はキーボードを見れば分かる(要するにテキトー)。東京に本部があり、アメリカにも活動拠点としての支部が存在する。表向きはボランティア団体であるが、その実態は33年前から世界各地で発生し始めたTSPに対応するための組織である。ユナ以外の主要メンバーはバックアップ担当であり、荒事は基本的にユナ担当。

 

茂野 タクマ

性別:男

年齢:27

能力:知の摩天楼(インテリジェンス=スカイスクレーパー)

 通称タク。ユナが暴れ回った後の始末を全面的にぶん投げられている苦労人。大のカップラーメン、エナジードリンク好き。能力は【知の摩天楼(インテリジェンス=スカイスクレーパー)】。ほんの数分間だけであるが、ネットワーク(電脳空間)含む空間への直接アクセスを可能とし、また自身の情報処理能力を極めて異常なレベルにまで向上させる。別名、カップラーメンができるまではキレるヤツ。ユウには「タクお兄ちゃん」と呼ばれ、とても懐かれている。

 

クリアハート

性別:女

年齢:14

能力:神隠し(かくれんぼ)

 愛称クリア。元名無しの孤児で、6年前に能力の暴走から『■■■■ストリート消失事件』を引き起こしたが、ユナが保護。以来、QWERTY本部を我が家のようにして過ごしている。能力の制御ができるようになってからは、その力をユナのために役立てている。【神隠し(かくれんぼ)】は、人やものをこの世から隠してしまう能力。主に潜入・隠蔽工作や死体の後処理などで活躍する。一見そっけないが、ユウにはすこぶる甘い。

 

ベンサム・デイパス

性別:男

年齢:30

能力:火薬庫(マイバルカン)

 ベンと呼ばれる。元傭兵のスキンヘッド。能力【火薬庫(マイバルカン)】は、武器・兵糧の類に限り固有の異空間に仕舞い込み、定めた対象に送ることができる。彼のバックアップを得て、ユナは「一人軍隊」として無尽蔵の継戦能力を有することとなった。個人としての戦闘能力も組織ではユナに次ぎ高い。ユウにはちょっと怖がられている。

 

高宮 アリサ

性別:女

年齢:31

能力:なし

 特殊能力を持たない一般人であるが、大学時代に同級生のユナと意気投合し、QWERTY設立メンバーの一人となった。また、設立メンバーではユナを除いて唯一の残存者である。主に事務や、青少年TSPの保護・教育活動支援に従事する。クリアハートも彼女には頭が上がらない模様。

 

【トランセンデントガーデン(Transcendent garden, TSG)】

 TSP(超越者)の庭、すなわち超能力者による超能力者のための自由経済支配圏の確立をお題目に掲げて蜂起した国際テロ組織。

 

トレイター

性別:??

年齢:??

能力:??

 反逆者の名を冠するTSGの首領。機械音声のみの映像によってTSGの設立を宣言。世界へ宣戦布告する。

 

インフィニティア

性別:女

年齢:??

能力:無限の浸透(インフィニティ=ペネトレーション)

 無限の名を冠するTSGの副首領。トレイターを献身的に支えつつ、表に現れない方針のトレイターに代わり、実質的な指揮を執る。能力【無限の浸透(インフィニティ=ペネトレーション)】は、接続した者へ情報や感情、感覚を伝播する能力。この能力を用いて、全構成員への指示を行いつつ、トレイターへの崇敬を喚起している。

 

アレクセイ・ダナフォード

性別:男

年齢:42

能力:執行者(エグゼクター)

 TSG幹部。以前、ユナに頭部へ弾丸を打ち込まれ死亡したと見られていたが、生きていた『炎の男』。かつては神をも畏れぬ残虐な男であったが、復活後は一転信心深くなり、「原罪を清めるため」炎を操り殺人を執行する。別の意味でキレてしまった狂信者。



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プロローグ「12月1日18時32分 東京新宿駅」

[12月1日 18時32分 東京 新宿駅]

 

 季節は冬。乾いた晴れ空も、夕暮れに染まる頃。

 東京新宿駅。ダンジョンさながらの構内は、帰宅の途に就く者たちの熱気と活気で溢れ返っていた。

 愛する家族に会えるのを心待ちにする者。日々の仕事に疲れ切った顔をしている者。帰宅後の自由時間に目を輝かせている者。音楽を聴きながらただ無心に歩く者。仲良く楽しそうに話をしている者。

 老若男女、尽きることのない人の波が、ダラダラと流れていく。

 

 そんな日常の風景である。

 

 一人の若い男が、おぼつかない足取りで構内を歩いていた。

 身なりを整え、健康的であったならば、美男子と称される類いであっただろう。

 しかし今や、目はくぼみ、頬は痩せこけ、無精ひげがまばらに生えている。服は所々が破れ、薄汚れていて、まるでホームレスのような風体を晒していた。あるいは本当にそうなのかもしれないが、彼を知る人間はいない。

 中々に目を引く風体ではあったが、ごった返す人混みの中にあっては、彼の近くを通る者のいくらかが見咎めることはあっても、ほとんどの人にとって関心を持たれる対象ではない。よく見れば腰のところに何かを巻き付けているが、平和な日本でそれが何であるかを目敏く見極める者もいない。

 

 男は時折にやつきながら、ぶつぶつと独り言を言いつつ、ふらふらと進んでいく。

 

「……り……た……り……見た……りを、見た……」

 

 雑踏の中では、すぐに掻き消えてしまうほどに小さな呟き。何を言っているのか、はっきりと聞き取れる者はいない。

 彼の視線は定まらず、足取りもぎこちない。だが意志ははっきりしているようだった。

 

 そして、男は立ち止まる。

 

 地下街の中心部。

 

 最も多くの人間を『巻き込める』であろうその地点で。

 

 男は歯をむき出しにして笑い、諸手を高く掲げた。

 

「おお、神よ……原罪を清める……火を……ここに」

 

 突然、彼を中心に爆発が巻き起こる。

 何かの火種によってではない。

 恐ろしいことに、彼自身が発火源だった。

 彼の腰に巻き付けられた小型高性能爆弾の束が、同時に起爆したのだ。

 爆風は数百数千もの人を巻き込みながら、迷路のように入り組んだ地下道を一息に突き抜けていく。大量の粉塵が巻き上がり、あちこちの出口から熱波が噴き出した。

 それからやっと遅れて、悲鳴とパニックが街を揺らした。燃え盛る地下街を、恐怖に怯える人々が蜘蛛を散らしたように逃げ出していく。

 

 ほとんど同時、街頭の巨大モニターが一斉にジャックされた。

 スクランブルの上に、『TSG』の三文字が浮かび上がっているだけの無機質な映像。

 そこへ、機械音声が流れる――。

 

『非能力者人民諸君。私はトレイターという。

 我々はTSPによるTSPのための集団、トランセンデントガーデン(TSG)である。

 諸君は今しがた、世界各地で裁きの火が上がる様を目の当たりにしていることだろう。

 これはほんの手始めの挨拶に過ぎない。

 大切なことは、我々はいつでも、どこでも、度し難き傲慢の上に安穏と繁栄を謳歌する諸君へ、怒りの牙を突き立てられるということだ。

 武器も持たず、見分けも付かない。我々がその気になれば、諸君に防ぐ術などない。

 諸君はただ、我々の寛大な心によって見逃されていただけなのだ……。

 だが、それも今日までのこと。

 思い起こしてみるがいい。我々TSPのために、諸君はいったい何をしてきたのか!

 隔離、差別、迫害。およそ人とは思えぬ数々の所業。いや、むしろその業こそが人なのかもしれん。

 ……問おう。果たして存在することは罪だろうか? 本当に優れているのはどちらなのか?

 答えは自ずと知れているはずだ。

 我々は諸君と同じ形をしている。諸君と同じように、愛を語り、未来や過去を想い、今日という日を生きている。

 ああそうだとも。諸君にできて、我々にできないことなど何一つない。

 逆はどうだろうか?

 我々にできて、諸君には到底不可能な数々の奇跡――そう、我々こそが新たな人類の進化した形なのだ。

 明らかな事実を、だが諸君は決して認めようとしない。

 我らの多くは、ただ同じ人として生きたいだけだったはずだ。なのに諸君は我々を恐れ、押し込め、亡き者にすらしようとしている。

 もはやこれまで!

 我々を救えるのは、我々だけだ。

 非能力者がTSPを弾圧するなど、あるべき姿ではない。我々TSPこそが、諸君ら非能力者の上に立つべきなのだ!

 

 だから――今ここに宣言しよう。

 

 我々は世界のあらゆる場所、あらゆる国に庭を創る。TSPによるTSPのための自由経済支配圏を確立する。

 

 そして思い上がった非能力者人民諸君へ、正義の鉄槌を下そう!

 さあ、トランセンデントガーデン(TSG)の名の下に集い、立ち上がれ同胞たちよ! 今こそ世界を変革するときだ!』

 

 血の日曜日事件になぞらえ、後に「火の金曜日」事件と呼ばれるこのテロ事件は。

 非能力人間社会へ突きつけられたTSPによる怒りの牙であり、また戦いの始まりでもあった。



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1「星海 ユナ、テロに遭遇する」

[12月1日 18時28分 東京 新宿]

 

 星海 ユナは、ごった返す人込みの中で逸れないよう、6歳のユウの手をしっかり引いて歩いていた。これから電車に乗って帰宅しようというところである。

 

「今日は楽しかったか?」

「とってもたのしかった! ありがとうおかあさん!」

 

 ヒーロー映画に買い物に体験型アトラクションと、午前中から今の今まではしゃぎっぱなしだったのだ。ユウは満面幸せの笑みだった。

 と、この場にいない父親のことを思い出して、彼は少ししょんぼりする。

 

「でも、おとうさんおしごとでざんねんだったね」

「しょうがない。普通サラリーマンってのは平日お仕事なんだよ」

「ぎゃくにおかあさんはへーじつがおやすみなんだよね」

「これも仕事柄ってやつね」

 

 ユナはにやりと笑った後、申し訳ない気持ちで言った。

 

「ごめんねユウ。お休みが少なくてさ。本当はもっと遊びに連れて行ってあげたいんだけど」

「いいの。おかあさんいっぱいがんばってるもんね」

 

 テレビも本もあるし、タクお兄ちゃんやクリアお姉ちゃんたちもいるから平気なんだ、と健気に息巻く小さなユウ。

 そんな我が子が愛しくて、ユナは少し足を止め、優しく彼の頭を撫でた。

 

「よしよし。いいこだ。また今度遊びに行こうね」

「うん! つぎはゆうえんちがいいな」

「へえ、遊園地がいいの。でも大丈夫? おばけやしきやジェットコースターでまた泣いちゃうんじゃないの~?」

 

 以前、面白半分で連れていったとき、怖がって泣き喚いたことを思い出し笑いながらからかうユナ。ちなみにアイスクリーム買ってあげたらケロっと笑顔に戻ったのもお約束である。

 

「う~。へーきだもん! こんどはなかないからね!」

「そうかい。ちゃんと見ててあげるから頑張りな」

「うん。がんばる」

 

 握りこぶしを作って意気込んでいる姿が微笑ましく、ユナは目を細めた。

 

 新宿ランブリングロードを通り抜けて右に曲がると、甲州街道の脇下にある小広場へ行き着く。

 かつてはたくさんの喫煙者がたむろしていたこの場所も、横に喫煙所ができてからは幾分子供連れで歩きやすくなっていた。

 真ん中辺りでは、演者が小銭と夢を求めてパフォーマンスをしていた。これもいつもの光景である。

 普段なら無視するところ、ユウが喜んで手を振ってしまったので、ユナはやれやれと肩をすくめて千円札を一枚放り入れた。

 さて気を取り直せば、短いエスカレーターが左右に二つ。ずらりと人が並んで列を作っている。それに乗ると改札はすぐそこである。

 楽しい休みも終わりか、と若干の名残惜しさを覚えつつ、ユナはユウに微笑みかけた。

 

「一緒に遊べなかった分、帰ったらお父さんには美味しいものいっぱい食べてもらおうね」

「そうだね」

「デパ地下で総菜色々買って来たからな。ま、たまには楽するのもいいでしょ」

「わーいやったー!」

 

 いかな完璧超人に思える彼女にも、一つだけ致命的な欠点があった。彼女はとことん料理ができないのである。

 とても人間には食えたものでないほど凄まじく不味いので、ユウも(そして間違いなくシュウも)大喜びであった。

 なお、母親を反面教師として、後にユウは料理だけは上手くなろうと腕を磨くのだが、それはまた別の話。

 

「あら、そんな大喜びするほど? お母さんの愛情手料理はおあずけってことなんだけどねえ」

「あっ。そ、そっかぁ。ざ、ざんねんだなあ、あはは……」

 

 引きつった笑みに何かを感じないでもなかったが、まさか自分の料理の腕のせいとは思わなかったので(彼女は何でも自信があるタイプなのだ)、ユナは少し首を傾げるだけで追求はしなかった。

 そんなことを言い合っているうちに、もうエスカレーターの終端に到達した。「転ばないようにね」と優しく呼びかけながら、ユナはユウの手を引いて上がる。

 数メートル先には改札が横一列に並んでおり、整然とした流れで人が歩み進んでいる。

 

「ん?」

 

 そのときだ。

 ユナの超野性的な勘が、何かを察知する。

 わからない。わからないが……。

 ふと嫌な感じがして、足を止める。ユウの手を握る彼女の手は、いつの間にか強張っていた。

 背中がひりつくような感覚。

 ユナは思う。一切の根拠はないが、こういうときは素直に直感に従うことで何度も命拾いしてきたものだ。

 普通、こんな平和な日本で感じるようなものではないのだが、と違和感を覚えつつ。

 

「おかあさん?」

 

 突然立ち止まった母にきょとんとしているユウを見もせず、しかし手はしっかりと握ったまま、違和感の正体を探ろうとして――。

 

 何かが――風!?

 

「危ない!」

 

 彼女の判断はすこぶる早かった。惣菜がたっぷり入った袋など簡単に放り捨てる。

 ユウをしかと胸に抱き留め、入り口の直線状から逸れる方向へ思い切り横っ飛びした。

 空中でくるりと一回転。立幅飛びとしては、かくや世界記録すら凌ぐのではというほど素晴らしい高さと勢いであったが、それが人の注目を浴びることはなかった。

 直後、轟音とともに、改札が内側から吹き飛んだからである。

 二人の立っていたまさにその地点には、今や強烈な爆風が叩き付けられていた。異変に気付けなかった二人を除く人々は、なすすべもなく巻き込まれて、吹き飛ばされる。

 時が凍り付いたような動揺が走り――直後に訪れたのはパニックだった。

 あちこちで悲鳴が上がり、我先にと、わけもわからず、駅から離れる方向に人々は逃げ惑う。

 ユナは、小さなユウが人の波に潰されないよう守り抱えながら、どうにかこうにか歩道の端へ抜け出した。

 

「くそったれ。何がどうなってんだ!」

 

 もうもうと爆炎を上げる改札口の方向を睨み付けながら、ユナは吠える。

 いつ何が起きても動けるよう、全身の気を張り詰めて。

 対照的に、ユウは息も絶え絶えになって、苦しげに胸を抑えていた。

 

「はぁ……はぁ……!」

「ユウ!? どうしたの? 大丈夫!?」

 

 我が子の異変に気付いたユナは、戦士から母親の顔に引き戻される。

 怪我をさせてしまったのかと訝しんだが、どうもそうではない。擦り傷一つ負ってはいなかったが、まるで発作でも起きたように息を荒げている。

 ユウは泣いていた。

 

「ぇぐ、うぇっぷ……!」

 

 苦しさに耐え切れず、胃のものをすべて吐き出して。それでもまったく収まらない。いつものようにわんわん喚くことさえできず、ただうずくまってぽろぽろと涙を流している。

 

「ユウ、ユウ!? どこが痛いの? お母さんに言ってみて!」

「な……るの……」

「え?」

「いっぱい、ないてるの。いたいって、くるしいって。たすけてって。こえが、きこえて、きえていくの……」

「ユウ……」

 

 ユナは、子の身の心配と同じくらい、いたたまれない気持ちになった。

 思えば、この子には不思議なところがあった。

 どこかで泣いてると言っては、捨てられた犬や猫を拾ってきたり、怪我している子を見つけたり、自殺しそうな人を呼び止めたり。

 優し過ぎるからなのか、本当に特別な力があるからなのかはわからない。

 ユウには――この子には、痛みというものがわかるらしい。

 だとしたら。今このとき、どれほどの人間が――彼らが傷付き、死に行く痛みを一身に感じているとしたら、いったいどれほどの――。

 そこへ思い至り、ユナもまた泣きそうになっていた。肩をさすってやる以上にどうすることもできない自分が悔しく、もどかしい。

 なのにだ。なんということだろうか。

 自分がいっぱい苦しんでいるはずなのに。ユウは母の袖をぎゅっと掴んで、こう言ったのだ。

 

「おかあ、さん……」

「なに。ユウ」

「おね、がい。おれのことは……っ……いいから……たすけて、あげて。おねがい」

 

 ユナは心打たれ、動揺したが、しかし口の端を固く結んで堪えた。

 

「……ごめんね。お母さんにだって、できることとできないことがあるんだよ。火に向かって飛び込んでいくのは、消防士さんの仕事だ」

「でも……っ……おかあさん、なら……」

 

 それ以上答える代わりに、ユナはユウを強く抱きしめた。

 彼女の中で苦しい思考が巡る。

 確かに自分の優れた身体能力なら、燃え盛る火の中飛び込んで、一人二人くらいなら救い出せるかもしれない。

 だがそうした英雄的行為は、大局には何ら影響を与えない。助けられない人の方が、あまりにも多い。

 その蛮勇と引き換えになるものは何だ。言うまでもない。我が子の身の安全だ。

 混乱極まるこの場に、犯人も近くに潜んでいるかもしれないのに、苦しむこの子を捨て置いてなど行けない。

 そんなことは、断じて母親のすることではないのだ……!

 

「ごめんな。ユウ。私は……ユウが一番大事なんだ。だから行けない。ごめんね」

「……おかあさんも、ないてる……。いたいの……?」

 

 ユナは泣く子の手前、決して己は涙を流してはいなかった。だが深い葛藤と、心の痛みをユウはまた感じ取ったのだろう。

 ユウは苦しい表情のまま、それでも小さな手を必死に伸ばして、母親の頬に触れていた。よく自分がそうあやしてもらっていたように、大好きな母を慰めたくて。

 愛する子の懸命の思いやりを確かに受け取ったユナは、ただ抱擁を強めることでそれに応えた。

 

 間もなく、そのときはきた。

 

『非能力者人民諸君。私はトレイターという。我々はTSPによるTSPのための集団、トランセンデントガーデン(TSG)である』

 

「なに!?」

 

 ユナがはっとして顔を上げると、新宿駅の大型ビジョンには、「TSG」の三文字がでかでかと映し出されている。

 そして一連の演説がなされた。

 テロ組織の首領、トレイターによる犯行声明――人間社会への宣戦布告。

 すべてを聞き終えたとき、彼女の中にふつふつと湧き上がる激情があった。

 

「なるほどねえ。御託は立派。だがやり方が気に入らない」

「おかあさん……?」

 

 一児の母がしてはいけない獰猛な笑みを浮かべた彼女を前に、ユウは「またはじまっちゃった?」と思いながら、(抱き締められてて物理的に引けないので、せめて)気持ちの上で一歩引きつつ、固唾を飲んで彼女を見つめている。

 そんなユウの頭をぽんと叩いて、

 

「TSG――上等じゃないか」

 

 既に真っ暗になったモニターに向かって、ユナは吼えた。

 

「うちの可愛いユウを散々泣かせやがって。この落とし前、百倍増しで付けてやる!」

 

 ここに、地上最強の主婦が立ち上がった。



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2「星海 ユナ、タクに連絡する」

[12月1日 19時01分 東京 新宿]

 

 泣き疲れて眠ってしまったユウを抱っこしつつ、ユナはタクに電話をかけた。

 QWERTY(ウェルティ)の仲間であり、彼女が最も信を置く一人で、終身名誉パシリである。コールが一つも鳴り終わらないうちに、タクは鼻息荒い様子で出た。

 

『ユナさん、ニュース見ましたか? 今とんでもないことになってまして! 新宿でテロが! こっちからかけようと思ってたくらいで!』

「実はさあ、ちょうど今現場にいんのよ。危うく爆発に巻き込まれるところだったんだぞ」

『うお、マジっすか。あなたって人はいつもいつもタイミングがいいんだか悪いんだか……。てかよく危険を避けられましたね』

「そりゃ勘でしょ」

『何でも勘でいけるのはあんただけだよっ!』

「はいはい」

 

 本人証明であるノリの良い突っ込みが来たので、ユナは軽く適当に流した。

 

「でさあ、電車がダメになっちゃったから、あんたに迎えに来てもらおうと思って」

『だから僕はあんたのパシリじゃねええええーーーーっ!』

「だってタクだからしょうがないじゃん。へい、タクシー。タクって付いてるでしょ」

『はああああ~~。もう、いいですよ。行けばいいんでしょう。行けば』

「うんうん。良い心がけね。それにユウもいるしさ」

『そいつを早く言って下さいよ! ユウのためならたとえ火の中水の中、いつでもどこでも迎えに行きますよ!』

 

 対TSP組織として裏で活動するQWERTY(ウェルティ)であるが、表向きはあくまで児童養護施設や青少年教育施設を運営するボランティア組織である。ユナ自身多忙なため、子供を預けたことなら何度もあった。そうしているうち、みんなユウとはすっかり顔馴染みになっており、人懐こい良い子なユウのことが大好きになってしまったのだ。

 

「私だけのときとはえらい違いねえ。そんなにうちの子が可愛いの? ま、当然だけど」

『だってこんな悪魔からあんな天使が生まれるなんて。きっと世界の何かが間違ってるんですよ』

「あ゛? 誰が何だって?」

『すいません調子こきました何でもないっす!』

「ん。下らないこと言ってないで、さっさと用意しような」

『へーい……。ところで、ユウは大丈夫なんですか?』

 

 いつもならそろそろユウが「代わらせて」と母にせがむところなのだが、そんな素振りもないのでタクは心配だった。

 

「今は疲れて寝てるよ。無事……とはちょっと言いにくいかしらね」

 

 人の死に吐くほど苦しんでいた我が子の姿を思い起こして、ユナは溜息を吐いた。

 

『まさかユナさん、いきなり事件に首突っ込んでうちのユウを危ない目に遭わせたんじゃないでしょうね!? もしそうだったらあなたでも許しませんよ!』

 

 彼が息巻く。どちらが親なのかわからないくらいの剣幕だ。

 

「うちのだ。ばか。そんなことして怪我なんかさせるわけないでしょ。ただなあ。いっぱい死人が出てるからな、感受性の強過ぎるこの子には堪えたみたい」

『なるほど……。そういうことですか』

 

 タクも納得した。

 彼もまた、ユウの不思議な感性についてはある程度承知している。今回のことでどれほど傷付いたのかを想えば、いたく心が痛むのだった。

 同情しつつ、話題をTSGに戻す。

 

『連中、世界中でやらかしてますよ。01年の世界同時多発テロを超える最悪のテロ事件だって持ち切りで』

「こりゃ今夜にでも政府から連絡かかるかもしれないねえ」

 

 目には目をということで、TSPの対処にはTSPが駆り出されることが多い。

 実のところユナはTSPでも何でもない一般人なのだが、「お前のような一般人がいるか!」と各方面あらゆる人に突っ込まれまくってしまっており、事実上対TSP最終兵器のような扱いを受けている。政府に実績と実力を認めさせ、特別扱いを受けているからこそ、彼女は日常的な銃の携帯も認められているのである。

 

『西凛寺のじいさんかあ。あの狸じいさん、僕苦手なんだよなあ』

 

 かの有名な日本国首相を思い浮かべて、タクは電話口の向こうで苦虫を潰したような顔をしている。

 

「あれ得意な人探せって方が難しいでしょ。政治の世界は魑魅魍魎よね」

『うへえ。まあその辺の窓口は任せて下さいよ』

「頼りにしてるからな」

『へいへい。それはそれとして、ユウはまたうちに預けていくんですか?』

「うーん、そうね。様子見次第ってとこだけど、しばらく幼稚園どころじゃないかもね。可哀想に」

 

 眠る我が子の切り揃えてやった黒髪をそっと撫でながら、ユナは思案する。

 今後、TSGの活動が本格化するならば、声明でヤツがほざいていた通り、いつでもどこでもテロの危険があるということだ。能力者かそうでないかは、簡単に見分けが付かないからである。

 もはや安全神話は崩れた。この日本に、いや世界に絶対安全な場所など存在しないだろう。

 それに万が一ということもある。この先、彼女が連中との戦いに身を投じる中で、直接的に彼女ではなく、家族を狙ってくる可能性を否定することはできない。それならば、最初からユウはうちで匿ってしまう方が安心だろう。

 やむを得ない措置だ――少なくとも、日本からほぼ勢力を一掃するまでは。

 あまり長くは日常生活から離れさせたくはない。卒園や、小学校入学も控えている。それまでにはケリを付けてやると、ユナは決意を固くする。

 それから、シュウも一緒に避難させようかと少し悩んだが、首を横に振ってやめた。

 

「シュウのことなら心配ないか。あの人は日本がひっくり返っても平気で働いてそうだし」

 

 愛する旦那の雄姿を思い浮かべ、ユナはにへらと乙女のような笑みを見せる。タクが直接目にしていたら「きもちわるっ」って言われて殴られること請け合いである。

 彼は決して腕っぷしが強いわけではないが、ただ守られるだけの男になりたくないという一端の矜持があった。普段はどこか情けないのに、いざという時のクソ度胸を持っている不思議な男だ。そんなところにも惚れたのだが。

 あの人ならちょっとやそっと事件に巻き込まれてもきっと何とかするだろうし、私にどうこうされたくもないだろう。理解のある嫁だった。

 それは独り言のような感じだったが、タクにはばっちり聞こえていて、彼は呆れたように言った。

 

『あの人、何者なんですか?』

「それがさあ。ふっつーのサラリーマンなんだよな。タクあんたさあ、個人的に裏取ってみたらしいけど、別に何もなかったでしょ?」

『実際何もないのが信じられないっすよ。あなたのような人を嫁にとって日常的にサラリーマン続けてるって、普通の人間でいられるって、ある意味一番異常じゃないかと思うんですけどね』

「うちはそれで助かってるし、ちゃんと回ってるからいいのよ」

 

 シュウはユナがただのボランティア施設で働いているわけではないことも、なぜか銃を持ち歩いていることも知っているが、あえて深くは追求して来ない。

 すべてを薄々悟りながら、何も知らないふりをして日常を形作り、彩ってくれる。戦いに疲れた彼女が『帰ってくる場所』を守るため、あえてそうしてくれている節があった。そんな温かな心遣いがユナにはありがたかったし、何より幸せだった。

 

『んじゃ、今から車出しますんでぼちぼち切りますよ。不謹慎だけど、ユウがしばらく世話になるって知ったらクリアは一番喜びそうだ』

「くっくっく。目に浮かぶな」

 

 児童養護施設上がりの一員、クリアハートは、ユウが物心付く前からお姉ちゃんしており、彼を最も溺愛する一人である。

 

『ではまた現場で』

「うん。よろしく」

 

 電話を切ったユナは、眠るユウを抱っこしながらタクの到着を待つのだった。



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3「星海 ユナ、QWERTYに向かう」

[12月1日 20時08分 QWERTY近辺]

 

 テロ事件の影響で電車が止まり、交通は非常に乱れていた。それでもカーナビを頼りに最適なルートを辿り、手早く母子を拾うと、タクは返す道を安全運転で急いだ。

 彼が運転する車は、見た目こそまったく普通の四輪駆動車だが、ある程度の銃弾や砲弾なら防いでくれる特殊装甲車である。最高速度も下手なスポーツカーより飛ばせる逸品だ。某誰かさんが荒っぽい使い方をするため、直しても直してもせっかくの赤のカラーリングが剥げてしまうのが玉に瑕。

 運転中、タクはいつもはお気に入りのJ-POPをかけていることが多いのだが、今日はラジオを付けていた。

 放送では、官邸が緊急記者会見を開いている。

 

「どうやら西凛寺の爺さんは『国家緊急事態宣言』を出したみたいですね」

「当然の判断ね。国内じゃかの地下鉄サリン事件を凌ぐ被害が出てるんだ。しかもこれが始まりだって言うんだからな」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で、彼女は窓の外の景色を眺める。

 目と鼻の先にいても防ぐことができなかったのが悔しかった。

 彼女には人の心を読む力などないし、未然に何かを防ぐことは難しい。事件が起こってしまった以上、彼女にできるのはその力で倒すべき敵を討ち倒すことくらいだ。

 

「僕も一応それですけど、恐ろしいですねTSPは。簡単にえげつない事件を起こしてしまう」

「だな。私ら一般人の事情なんてこれっぽっちも汲んじゃくれない。蟻を踏み潰すように容易くやってくれる。これだから超能力者ってやつは」

「ユナさんを一般人と呼んでいいかは大いに疑問のあるとこですけど、なんだか妙に実感こもった言葉ですね」

「買いかぶり過ぎよあんた。私なんかただのか弱い人間さ。銃弾が急所を貫けば死ぬし、火で焼かれても、溺れても、ちょっとした毒でも、高いとこから無防備に落ちても死ぬ――本当の化け物連中は、そんなのとは無縁のところにいる」

「そういうものですか」

 

 かつて異世界で散々渡り合った真の化け物連中(フェバルども)を思い浮かべながら、ユナは頷いた。

 しかし妙な話だよな、と彼女は思う。

 なぜこの星にもフェバルもどきがわらわら湧いて出て来たのだか。

 それも、長い地球の人類史からすれば、瞬きの間の出来事だ。

 何せ最初のTSPの出現は、ユナが生まれるほんの少し前――わずか33年前のことなのである。その日から覚醒者は次々と現れ、現在は推定数千人とも数万人とも言われ……今や明確な世界の脅威となっている。

 突然変異や進化にしては、事の進展があまりに早過ぎる。地球という星の自然な活動から発生したものとは、およそ考えられない。

 この現象は、外部からの干渉によって起こっている一連の事件ではないか、とユナ自身は踏んでいる。あくまで勘に過ぎないのだが。

 

「いいかタク。私たちは弱者なんだ。弱者の戦い方ってのはね、なりふり構ってられないのよ。銃でも他の武器でも、どんな技術も、寝技でも、持てるものは何でも使う。持ってるだけで足りないから知恵を絞る。それでも足りないから人の力も借りる。で、最後はここよ」

 

 胸のところを叩いて、彼女はにやりと笑う。

 

「そうやってどんな相手とも渡り合ってきたんですもんね」

 

 タクはしみじみ思う。

 ただ強いだけではない。この人はハートが異常にタフなのだ。

 だからこそこの人は、数いるTSPを差し置いて、地上最強の女であり続けている。ただ強い力にかまけて持て余すような連中とは、場数と覚悟が違う。

 

「この子や世界を守るためなら、私は鬼にだってなるさ」

 

 今は後部座席で膝枕して寝かせている我が子の様子に目をやりながら、ユナはさっぱりと言い切った。

 

「敵に回したくない筆頭っすね……」

「お、そうだ。大事なこと忘れてた」

 

 ユウの寝顔を見てふと思い出し、彼女はスマホを取り出した。

 

「ちょっと電話かけるわ。音下げて」

「あいよ」

 

 タクはつまみを回してボリュームを下げる。ユナが電話をかけ、数コール待つと相手が出た。

 

「もしもし。あなた」

「きもちわるっ」

 

 タクからぼそっと本音が漏れる。

 ユナは愛する旦那と話すときだけは声が少し高くなるので、とてもわかりやすいのだ。

 ばっちり聞き咎めたユナは、彼の後頭部を(ユナ基準で)軽く殴りつけて、痛がる彼を尻目に何事もなかったように続ける。

 

『ユナ。大丈夫かい? ユウと新宿の方へ遊びに行ってたから心配してたんだ』

「そっちは何とか無事だったんだけどね。悪い。またしばらく帰れなくなりそうなの。ちょっとばかし色々事情があってさ。ユウも危ないからこっちに預けとくにした」

『……戦うつもりなんだね?』

「ん。ほんと悪いね」

『いいさ。そんな君を僕は選んだんだ。覚悟はできてるよ』

「ありがとう。あなたは……言うまでもないかしら?」

『ああ。僕は待っているよ。君たちが帰ってくる場所をしっかり守っておくさ。それに稼がないといけないしね』

 

 ユナも稼ぎそのものは億万長者になれるほどあるのだが、ほとんどは武器類の購入や設備投資、児童養護施設や青少年教育施設の運用に充ててしまっていた。なので見かけほどは自由に使えるお金を持っておらず、シュウは立派な稼ぎ頭でもあった。

 

「そっちは任せたわ。あ、しばらくちゃんと料理作ってあげられないけど、身体壊さないようにしっかり食べてね」

『そうか。あの料理を食わずに……食えないのかあ』

 

 まるですすり泣くような声が聞こえてきたので、さしものユナもどぎまぎしてしまった。

 

「シュウあんた、泣くほど恋しいわけ? そんなウブな反応されると思わなかったわ」

『い、いや。何でもないんだ……。大丈夫だよ。我慢するさ。大丈夫』

「そう? ごめんね」

 

 普段鬼や悪魔と呼ばれているとは思えないほどしおらしく謝った後、ユナはちょっとにやつきながら言った。

 

「基本ユウ優先だけど、できたらたまには家に帰るわ。そしたらよろしくやろうな」

『そうだね。楽しみだ』

「くっくっく。いつもは誰かさんがべったりしてるから人目を盗んでってわけにもいかないしな」

「ぶほっ!?」

 

 いつの間にか生々しい話をしていたのだと気付き、タクは吹き出した。ユナは呆れた目でタクを見やる。

 

「それじゃ、うっさいのがいるからそろそろ切るわ。あなた――私、頑張るよ」

『うん。気を付けてね。愛してるよ。ユナ』

「愛してるわ。あなた」

 

 笑顔で電話を切ったユナは、タクから全力突っ込みを受けた。

 

「ユナさん!? 人前なんですけど!」

「あのなあ。別にいいでしょ。うちはグローバルなの。よくあるだろ海外ドラマとか。そんなんだから相手の一人もできないのよ」

「僕はいいんすよ。仕事一筋なんですから」

「別に恋愛禁止とかはしてないんだけどねえ」

「ああー! 泣かない。僕は泣かないぞ!」

 

 事件の不安を打ち消すようにわいわい話しているうち、車はQWERTY本部に到着しようとしていた。



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4「孤立する日本」

[12月1日 20時27分 QWERTY本部]

 

「やっと着いたか。すごい渋滞だったな」

「もうみんな待ち構えてると思いますよ」

「用意が早くて助かるねえ」

「誰かさんに鍛えられてますからね」

 

 ユナは眠ったままのユウをおんぶして、表向きは各ボランティア施設の管理事務所とされる建物へ入っていく。

 1Fで一人事務仕事を続けていた黒髪の女性は、玄関から入ってきたユナを認めると破顔した。

 

「よっすアリサん」

「よっすユナっち」

 

 旧知の間柄、親しげに挨拶を交わす。

 高宮 アリサはユナの大学時代の同級生であり、今ではユナを除いて、設立メンバーで唯一の残存者だった。

 その他はすべて、過酷な任務に付いていけず辞めてしまった者もいれば、結婚を機に退職しためでたいケースもあったが、悲しいことに殉職に見舞われた割合が最も高い。

 彼女がこの日まで健在であったのは、担当が表側の取りまとめという、荒事から最も遠い役目だったのが大きいだろう。

 

「塩梅はどう?」

「とっくに全員地下で待機させてるよ。はいこれ新しいパスコード、と現時点の情報」

「あいあい」

 

 数枚のメモ紙を受けとるユナ。

 QWERTY本部は地下にあり、網膜認証と定期的に変更されるパスコードの二重認証で隔てられている。

 セキュリティの管理もアリサの仕事であり、彼女の許しがなければ、リーダーであるユナと言えども勝手な入室はできない。

 16文字のパスコードを一目で覚え、ざっと情報に目を通したユナは、隣の下僕にちょいちょいと手を伸ばした。

 

「ライター」

「どうぞ」

 

 軽く火を付けると、ぼうっとマジックのように勢いを立てて燃え、炭くずも残らなかった。

 

「長い仕事になりそうね」

「だるいなあ。何回徹夜する羽目になるんだろうか……。今から憂鬱になってきましたよ」

「そうしょげるなって。ボーナス弾むからさ。頼りにしてるぞ。相棒」

「はは……。ユナさんにそう言われたら、頑張るしかないじゃないっすか」

「二人とも、頑張ってね。平和はキミたちの肩にかかってるんだから」

「任せといて。また東京を枕を高くして眠れる街にしてやるよ」

「男タクマ。今度もいっちょやったりますか!」

 

 バチっと気合いを入れて頬を叩いたところ、眠っていたユウがうなされたので、ユナは彼のすねを蹴った。

 

 

 ***

 

 

「みんな、招集お勤めご苦労」

「「お疲れ様です。ユナさん」」

 

 巨大なモニターがいくつも並んだメインルームに、ずらりと隊員一同が並ぶ。

 決まったコスチュームはないため、不揃いな恰好であるが、顔つきは皆やる気に満ち溢れていた。

 しかしその数は20余名と、決して多いとは言えない。

 ボランティア施設の方には総勢数百名ほどの職員が配置されている一方で、本業は少数精鋭主義なのだ。

 リーダー兼作戦遂行者であるユナを中心に、ほとんど彼女をバックアップするメンバーのみで構成されている。

 これにはもちろん理由があった。

 まず任務の機密性の高さから、信頼できるメンバーがどうしても限られてしまうこと。

 そして悲しいかな、ユナと同レベルで作戦行動を取れる人材が存在しないというやむを得ない事情である。

 異世界で化け物連中と渡り合ってきた彼女は、いざ地球に戻れば、他の追随すら許されない孤高の天才でしかなかったのだ。

 

 通常、TSPの戦闘力は非能力者に対して圧倒的である。対抗するには同じTSPをぶつけるか、化学兵器や大型兵器を持ち出すのがセオリーとされている。

 多くの場合、事件の発生する市街地で化学兵器および大型兵器を用いることは困難であるから、TSPにはTSP部隊で対処する。

 これが米国、中国、EUなどを始めとした世界のドクトリンである。

 だが日本には、公式のTSP組織が存在しない。

 このことは、時の上久首相による『TSP保護隔離声明』が背景にある。『非核三原則』と並び、安全神話日本を紡ぐ新たな柱とされた。

 言ってしまえば、日本という国はTSPという異常存在に対して――島国気質が歴史上そうしてきたように――徹底的に蓋をしてしまうことを選んだ。

 したがって、警察組織にも、自衛隊にも、日本には独自のTSP人材がまったく欠けている。やはり米国依存、わずか数名ばかりのTSPが在日米軍基地に配備されているのみだ。

 元々、このような状況に危機感を抱いたユナが立ち上げたサークルこそがQWERTY(ウェルティ)だった。

 自らがTSPへの対抗力となり、抑止力となる。人間離れした彼女でなければ、到底務まらないミッションだ。

 そして非能力者がTSP犯罪を無傷で制圧するという、にわかに信じがたい伝説の数々によって、彼女はついに日本政府の信頼を勝ち取った。

 

「急に呼び出されちゃった人が多いだろうけど、悪いね。非常事態ってやつだ」

「だいじょぶでーす」「そういうもんだと思ってますよ」「ここじゃ日常茶飯事ですから」「違いない」

「HAHAHAHAHA! ってぇ!」

 

 とびきり大げさにアメリカン笑いをかましたタクを小突きつつ、ユナは満足そうに総員見渡した。

 と、端では目立って小さな少女が、ちょこんと敬礼を続けている。

 ユナは彼女へ人一倍温かな微笑みを向ける。

 

「クリアもやっぱ来てるわよね。知ってた」

「ユウが来ると、聞いて」

 

 ぼそりとしたそっけない口調と裏腹に、彼女の目は喜びに満ち溢れ、瞳は星のようにキラキラしている。

 クリアハート。美しい青のポニーテールがトレンドマークな、御年若干14歳のTSPである。気怠そうに着られたパーカーがよく似合っている。

 普通、未成年の就業はさすがのユナも認めないのだが、本人たっての熱烈な希望で、2年前から危険のない簡単な仕事に限って任せている。

 しかもユナに保護されるまでは悲惨な生活状況にあったことから、発育が遅れ、未だ小学生と見紛うばかりの容姿をしていた。

 

「あんたって、ほんとユウ好きよねえ。そんだけ愛してくれるのは嬉しいけど」

「大事な弟、だし。ゆりかごから最期まで、見届ける。それがわたしの、使命。そして……生き甲斐」

 

 コクコクと頷く様は、どこか妙に誇らしげでさえある。

 

「ほう。添い遂げるつもりかい。だがまだ嫁と認めたわけではないぞ?」

「むしろ、見守りたい」

「わかるわ」

 

 クリアがグッと指を立てるのと、ユナのウインクとが合い、二人して笑った。

 二人の世界だったが、確かに通じ合っていた。

 ひとしきり笑った後、ユナは大切なユウを下ろして言った。

 

「それじゃ、しっかり見守っておくれよ。最重要任務だからな。クリアハート隊員」

「ん、任された。大船に乗った気分で、いたまえ」

 

 あどけないラジャーポーズを決めて、おずおずとユウを受け取るクリア。他の隊員にとっても微笑ましい光景だった。

 

「よしよし。お姉ちゃんとあっち、いこうね」

 

 心なしか安心した寝顔を見せるユウをあやしつつ、休憩室へ離れるクリアを見送って。

 

「では、大人の話に入るとしましょうか」

 

 男性隊員の一言で、全体の空気がピリッと引き締まった。

 

「既に西凛寺首相より、協力の要請が来ております」

「でしょうね。りょーかいって打っといて」

「かしこまりました」

 

 また、女性隊員が正面モニターを示しつつ、説明を始める。

 

「まず世界の状況をおさらいしたいと思います」

 

 事前にメモで渡されていた各国の悲惨な状況が、映像付きで鮮明となった。

 

 日本。新宿駅爆破テロ事件。死傷者数千名~一万人以上。

 アメリカ。あの事件の再現のごとく、ワールド・トレード・センターを爆破。

 中国。北京にて、人為的に発生した台風が多数の建造物を倒壊。

 インド。突如として制御を失った航空機が同時に多数落下。

 フランス。何者かに操られたと見られる一般市民の暴徒化。

 エジプト。水道管の大規模断裂。

 …………

 

「はっきり言って、状況はかなり最悪に近いです」

「近代戦争や疫病を除けば、過去最悪の死傷者数でしょう」

「またインドの事件から、すべての空港は現在稼働を停止しています」

「てことはだ」

 

 ユナの懸念を続けるように、男性隊員が述べた。

 

「はい。事実上、世界は分断されました」

 

「……日本相当やばいんじゃないの、これ」

 

 ぽつりと漏らしたユナの雑感を、誰も否定する者はいなかった。

 おさらいしよう。当時の上久首相による『TSP保護隔離声明』は、言葉の上の安全神話と引き換えに、超能力という新たな脅威への対抗力、その準備を怠らせた。

 よりにもよって。先進国の中で唯一、日本だけが――TSPの軍隊を持たないのである。

 各国が混乱し、対応に追われている現在、いや当面はまったく応援も見込めないだろう。

 無防備の平和ボケした日本に、TSGによる容赦ない鉄槌が振り下ろされる。

 敵も馬鹿でなければ――間違いなく狙い撃ちしてくるはずだ。

 

「つまり、アリサさんの言う通りってわけだ。ユナさん、完全に僕らの肩にかかってるみたいっすよ」

「きっついな。こっちは身一つしかないってのにねえ」

 

 愚痴づくユナであるが、意気はまったく消沈しておらず、むしろ闘気がみなぎってきていた。

 それでもすこぶる厳しい状況には違いなく、最悪のことも考えれば、ふとある男の顔が浮かんできた。

 

 ――レンクス(あのバカ)でも呼びに行った方がいいだろうか?

 

 そんな弱気にも似た思考が一瞬過ぎるが、彼女はすぐに否定した。

 いや、これは地球の問題だ。フェバルが関わった証拠がない以上、あいつの中にも線引きってものがある。

 

 それにそもそも、あの穴に飛び込めば、下手すりゃいつ戻って来れるかもわからない――か。

 

 彼女が16歳のときに見つけた――穴としか言えない何か。

 地球と異なる世界とを繋ぐ穴。

 どこの世界に繋がっているかは、行ってみるまでわからない。どれほど時間がかかるかも、帰ってくるまでわからない。

 ほとんどの場合はまったく時間が経過していなかった。だがひどいときは1ヶ月もずれた。

 未知の冒険と引き換えに、世界だか何だか壮大なものを巡る戦いに巻き込まれることとなる。

 あれはたぶん……よくわからないけど、そういう穴だった。

 退屈な日常に飽き飽きしていた私への贈り物だったのかもしれないし、あるいはすぐそこにある幸せに満足しなかった私への罰だったのかもしれない。

 もう気軽に冒険できる歳じゃないし、私には今の仕事がある。

 守るべき仲間と、家族がいる。

 

 ――なあ、レンクス。どんなに仲間がいても、この背中預けられるくらい強いダチがいないってのは、やっぱ苦しいものね。

 あんたの気持ち、ちょっとだけわかった気がするよ。

 

「……上等だ。この国で誰を敵に回したのか、思い知らせてやるよ」

 

 誰にも決して弱さを見せないように。

 ユナは己を鼓舞し、タクの尻を叩いた。

 

「タク。すぐに可能な限りカメラをハックして見張れ。特に交通機関は念入りにだ」

「了解っす。交通機関ですか」

「翼はもがれた。私が連中なら、次は足を叩く」

「確かに。可能性は高いっすね。すぐ調べますよ」

「TSPらしき奴を見つけたらすぐ教えて。じゃ、それまで私は――寝る!」

 

 自動扉なのにバァンと音でもしそうなくらい、彼女は嵐のように部屋を飛び出して行ってしまった。

 ユナは自分にしかできない仕事を知っていた。来たる戦いをフルコンディションで迎えるためにも、最善にして当然の選択なのだが。

 

「……マイペースというか何というか。あの人らしいや。まったく」

 

 人生n度目の徹夜を覚悟しながら、タクは乾いた笑みを浮かべた。



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5「星海 ユナ、出撃」

[12月2日 8時15分 QWERTY本部]

 

 結局昨日のうちに追加の事件は起こらなかった。

 ユナは肉体的には十分な休息を取って朝を迎えることはできたが、気の方は張り詰めたままだ。

 さっとシャワーを済ませると、足元から肩まで覆う黒のぴっちりスーツに身を包み、中央のジッパーを窮屈そうに上げた。

 均整の取れた全身のラインが、くっきりと浮かび上がっている。

 

「やっぱちょっときついのよねえ。しゃーないか」

 

 無造作に胸を押し込む。彼女はしおらしさや恥じらいとはほとんど無縁の女である。

 ちなみに16歳で成長の止まってしまった後のユウより、一回りほど大きい。これも放っておくと作戦中に激しく揺れて邪魔になるため、きつめに締めるのは仕方がないところ。

 特殊な繊維でできた薄手の布地は、軽く、防刃性こそ備えているが、銃弾や特殊攻撃には無力である。

 TSPとの戦いでは、半端な防御力はほぼ意味をなさない。抵抗の少ない軽装が最適解であると結論付けた、彼女の戦闘ユニフォームである。

 胸元にはネックレスがきらりと光っている。これは、レンクスが最後の別れ際に贈っていったものだ。

 彼女も鈍いわけではないので、それに込められた彼の好意には気付いていた。結局何も言わなかったヘタレではなく、男らしく告白してくれたシュウを選んだのであるが。

 彼女がいつもこれを身に付けるのは、絆の証であり、また一種の義理のようなものだろう。

 最後に髪をしっかり後ろで留め、着こなしを確認してから個室を出る。

 廊下には同様の個室がずらりと並んでいる。メンバーが少ないということもあり、地下本部には全員分が宛がわれている。

 一番奥はクリアの部屋で、ユウも一緒にいるだろう。

 少しだけ様子を見ていくかと考えたユナは、そちらへ足を向けた。

 

「あ、おかあさんだ」

 

 ややおぼつかない足取りで歩み寄るユウは、屈託のない笑顔を浮かべている。昨日は心配したが、案外平気そうで安心する。

 

「気分はどう? 具合悪いところはないかい」

「だいじょうぶ。ねえねえ。あのね、おきたらクリアおねえちゃんがいてね」

 

 嬉しそうに目を向けるユウに対し、ベッドでくつろいでいるクリアハートは、任せておけという顔をしている。口数は少なくても、慣れてくると表情はわかりやすい子である。

 

「おれ、クリアおねえちゃんとあそぶから」

「ん。いっぱい遊ぼう、ね」

「よかったね。好きなだけ遊んでもらうといい」

「だからね。おかあさん、がんばってね。わるいやつから、みんなをたすけてあげて」

 

 その小さな手がぎゅっと握られているのを、母は見逃すわけがなかった。

 やはり一見無邪気のようで、とても敏い。自分のことは気にしなくていいからと、この子なりに送り出してくれているのだ。

 

「おう。クリアといい子で待ってるんだよ」

「うん」

 

 我が子からエネルギーをもらったユナは、バチっと頬を叩いた。

 

「クリアは後でちょっと出番があるから、心の準備だけしておいてくれ」

「らじゃ」

「じゃあお母さん、行ってくるからね」

「いってらっしゃーい」「てらー」

 

 

 ***

 

 

 一方、タクを中心とするバックオフィス組は、夜通しの監視作業に追われていた。

 タクのデスクには、飲み終わったエナジードリンクの缶が並んでいる。

 そこへユナがやってきて挨拶すると、夜勤で疲れた空気にも喝が入る。

 

「おはよう」

「「おはようございます」」

 

 ユナは隊員の一人に尋ねる。

 

「警備の方はどうなってる」

「警察や自衛隊は既に全国で厳戒態勢を敷いています。ただ手続き上の関係で、自衛隊は災害派遣扱いとなっており、完全武装配備にはもう数日かかるかと」

「そこまでがいったんは正念場か。大変だろうけど引き続き頼むわ」

「はい」

 

 自衛隊にもTSPはいないが、対TSP用に訓練された部隊はある。彼らが多数警備に就けば、さすがにやりにくくはなるはずだ。

 そもそも敵の数は、さほど多くはないと考えられる。

 TSPは世界で数万人~十数万人程度と推計されており、またその中でもTSGに加担する者となれば、極めて数は限られるからだ。

 世界各国で同時にテロを起こしたが、場所は宣伝効果が派手な首都クラスの巨大都市圏に限られていた。

 逆に言えば、それ以上の人員余力がないという見立てもできるのだ。

 そして、あくまで彼らが国家転覆を目論むならば、政府機能の集中する首都圏を集中的に狙うはず。

 そうした推測の下、東京交通網を重点的に見張っていたのであるが。

 

 8時35分。第二の事件は起こってしまう。

 今度は、東京駅が火に包まれた。

 

 モニター越しに炎上する駅構内を目の当たりにし、ユナもタクも悔し交じりに吠えた。

 

「また炎上テロか……!」

「やられた……! あいつら、わざと人の多い時間を狙ってるんだ! 通勤ラッシュに一人ぽっち紛れ込まれたら、さすがに判別はきついっすよ」

「見た目じゃまるで見分けがつかないもんね。わかっちゃいたけど、もどかしいな。ちくしょう」

 

 未然に防ぐことにかけては、どうしても後手に回ってしまう。

 彼女は力任せにデスクを叩いたが、どこか割り切った冷静さを失ってはいなかった。

 

「けど現場は押さえたな?」

「ええ。これはでかい。もう好き勝手にはさせないっすよ」

 

 タクはチーフチェアーをくるりと回すと、若い女性に向き直って言った。

 

「ケイラさん、解析を頼めるかい?」

「もちろんや。秒でいてもたる!」

 

 木田 ケイラは、タクの部下に当たる二十代の関西人女性である。

 彼女の特殊能力は【超視眼(スーパーサイト)】。

 彼女いわく、TSPが能力発動する際のわずかな『揺らぎ』をも観測し、その性質を分析できるという。

 映像さえあれば、宣言通り秒で見破ってみせた。

 

「わかったで。どうもパイロキネシスに類する能力が使われとるようや。遠隔操作で非能力者を起爆し、生じた炎をさらに操っとるみたいですわ」

「パイロキネシスねえ」

 

 ユナは記憶の彼方に引っ掛かりを覚えたが、「まさかね」と流した。

 隊員の各々が呟く。

 

「自爆テロやってたのは、能力者ではなかったのか……」

「そりゃTSPは希少だからな」

「そもそもTSPでないなら、見分けもつかないわけだ」

「動きを操ってるのか、非能力者にも協力者がいるのかはわかりませんが」

「とにかく、次はないぞ。僕が許さない」

 

 タクはメガネをくいっと上げ、目を瞑り全神経を集中して、特殊能力を発動させる。

 約三分間だけの――彼の絶対時間が始まる。

 

【知の摩天楼(インテリジェンス=スカイスクレーパー)】!

 

 彼は直接、情報世界の海へと意識をダイブした。

 ケイラの脳内という一種の情報空間とも繋ぎ、彼女からパイロキネシスの波長――そのイメージを得る。

 さらに東京のあらゆる場所のカメラ、PC画面にすら繋ぎ、人知を超えた恐るべき速さで検索を始めた。

 

『どこだ。どこにいる……?』

 

 極めて強力だが、ダイブ可能な時間は限られている。

 懸命必死な捜索は、ついにターゲットを割り出した。

 

「見つけたぞ、クソ野郎……!」

 

 再び目を開けたとき、彼は勝利を確信していた。

 

「ユナさん。敵はここだ。品川駅付近の廃ビルに潜んでます」

 

 キーボードでGoodle(グードル)マップを叩くと、敵の現在位置が表示される。

 

「なるほど。新宿、東京ときて品川か。やっぱハブを狙ってんな。大丈夫か?」

 

 人の情報処理能力の限界を超えた代償として、タクは息が上がり、目はひどく充血している。

 また過集中のためか、使用後は毎度鼻血を垂れ流してしまうところがしまらないのだが。

 ここのメンバーに『名誉の負傷』を嗤う者はいない。

 

「でかしたタク。あとは私に任せとけ」

「頼みますよ。ちょっと、こっちは……休ませてもらいます」

「おっと。しっかりしいや」

 

 その場でぐったり倒れ込みそうになる彼を、ケイラが真っ先に寄って肩を担いだ。

 

「いつも悪いね」

「ええて。いくで」

 

 小柄なタクは女性一人でも支えられるほど軽く、二人は連れ添ってメインルームを後にする。

 いつも息の合った仕事姿やこの後姿を見るに、中々にお似合いとは皆思うのだが。タクがよほど鈍感なのかケイラが意外と奥手なのか、恋愛事には発展していないようだ。

 続いて連絡を受け、ユウのお世話を中断してクリアハートがやって来た。

 ようやくお鉢が回ってきたと、彼女は無表情で意気込んでいる。ぐっぐっと何度も拳を閉じたり開いたりしているからわかるのだ。

 

「おし。シゲル、クリア。行くぞ」

「はい」「ん」

 

 三人連れ立って、本部の屋上へと向かう。 

 普通に移動していては間に合わないため、ユナには彼女だけの特別な移動手段があった。

 大野 シゲルが誇る【イクスシューター】は、本来物資を撃ち出すための能力だ。

 範囲はほぼ日本全域をカバーでき、音速を遥かに超える速さで、狙ったところへ大型トラック一台分までの対象を射出することができる。

 ただし転移能力ではないため、行きのみの一方通行となる。

 加減速はある程度制御され、到着時にブレーキがかかるとは言え、相当な衝撃がかかることから、本来人の移動に使えたものではないのだが。

 気力強化によって肉体の耐久力を底上げできるユナだけは、問題なく撃ち出すことができた。

 これを高速移動に利用しようと最初に言い出した彼女には、狂気の沙汰だと皆どん引きしたものである。

 

 彼がGoodleマップを見ながら射出準備をしている間、クリアがユナの手を握る。

 彼女の能力は【神隠し(かくれんぼ)】。

 自分や人、そしてものを誰からも何からも感知されないように隠すことのできる、最強のステルス能力である。

 ただし、制限距離は本人から数十メートルと、かなり限られていて。

 

「わたしから離れると、数分で解除される。人多いから、気を付ける、こと」

「りょーかい」

 

 ユナが移動の際クリアの力を併用するのは、フライングヒューマン目撃情報を避けるためという単純な理由である。

 あとはユナの後始末要員(主に隠滅作業)として駆り出されることもあるが、TSGとの戦いはさすがに危険なため、現場に立たせることはしないだろう。

 いきなり姿も気配も消えるため、シゲルは辺りを見回した。

 

「どちらにいらっしゃるのかな」

「ここ。わたし、手握ってる」

「お、いたいた。相変わらずすごいな、嬢ちゃん」

「ん。ほめるがいい」

 

 口はぶっきらぼうだが、やはり子犬がぶんぶん尻尾振ってそうな得意顔をキメている。

 そんな彼女へ目を細めつつも、

 

「危ないから手を離しときな」

「おけ」

 

 クリアがさっと離れると、シゲルは虚空を(実際にはユナを)掴んで声をかけた。

 

「では、3カウントで発射します。準備を……3、2、1。シュート!」

 

 轟音とともに、透明なユナが空を飛んでいく。

 彼には撃ち出した感覚が、またクリアだけは隠した者を見ることができた。

 

「いった。がんば」

「ご武運を」

 

 星海 ユナ、出撃。



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6「品川電撃戦」

[12月2日 8時44分 品川駅付近]

 

 ターゲットが潜む廃ビルの上に到着するよう、ユナは超音速で射出されていた。

 到着が近づくとブレーキがかかるとは言え、シゲルの能力は本来人に用いるべきものでなく、当然安全装置もない。

 加速や減速の際の重力加速度は約10~10数Gほどで、人間がギリ耐えるか限界を超えてしまっているのだが、彼女はまったく平気だった。

 屋上が近付いてくる。

 彼女は気力強化と柔軟な肉体のバネによって、沈み込むように踏ん張ってピタリと着地を決める。

 頃合いでステルスも解除された。涼しい顔で辺りを見回すと、屋上から建物内へ通じるドアへ視線を定めた。

 そして、念じる。

 

《アクセス:バトルライフルYS-Ⅱ》

 

 何もないところから、彼女の右手にライフル形状の武器が現れた。

 これは彼女が特別な力を持っているわけではなく、QWERTYアメリカ支部で働く男、ベンサム・デイパス(通称ベン)の能力【火薬庫(マイバルカン)】によるものである。

 彼は武器専用の異次元空間を持っており、承認した相手へ遠隔かつ瞬時に武器を送り出すことができる。ただし、異次元空間を介して人の転送はできない。

 ユナは自動承認対象に設定されているため、彼が寝ているときでも【火薬庫(マイバルカン)】を利用できるのだ。

 ベンと協力するようになってから、無尽蔵の経戦能力を持つに至ったユナは『潰えざる歩兵(インデストラクティブ・インファントリー)』や『一人軍隊(ワンマンアーミー)』評を欲しいままにした。

 さて、ユナが取り出した武器にも特徴がある。

 アサルトライフルは現代歩兵の主武装であり、バトルライフルはその中でも大口径かつ有効射程の長いものを指す。

 反面、銃身が長めで閉所での取り回しが悪いことと、反動がきつくなり、自動射撃に向かないとされる。

 YS-Ⅱ(ユナスペシャルツー)は、上記を踏まえた特注カスタム品である。大口径の攻撃力はそのままに、一般のバトルライフルよりも銃身がやや短めになっている。

 すると余計制御が効かなくなるはずであるが、気力強化込みの驚異的な体幹と天性の射撃能力により、彼女は狙い構えずとも500m先の1セント硬貨にさえ当てることができるという。

 この暴れ馬を完璧に使いこなせるのは、恐らく世界で彼女だけと思われる。

 

 右手にそれを構えながら、左手で予め携帯のハンドガンを取り出し、ドアの錠を破壊する。

 突入はせず、目で階段から下までを確認しつつ、敵の位置と数を探る。

 ビルは五階建て。三階空きフロアに六名。他に人影はなし。

 気による感知はそこに敵の存在を示すが、能力者の数やその内訳まではわからない。

 ハンドガンにはサイレンサーが付いているが、銃声には気付かれたかもしれない。そうでなくても、TSPとの戦いでは、常に感知タイプの存在を想定しなくてはならない。

 正面からの突入は待ち構えられている危険性がある。

 そこまで考えたユナは、【火薬庫(マイバルカン)】から音響弾を取り出した。バカでかい音を立てるものの、非殺傷性の武器である。

 そいつを作動させ、しめしめと階下へ投げ入れて。

 

「そーら、プレゼントだぞ」

 

 あえて全力で逆方向へ駆け出した。そのままビルの縁へ辿り着くと、躊躇なく飛び降りてしまう。

 もちろん自殺行為ではなく、驚異の身体バランスで四階外窓の縁に手をかけた。そこから気力強化した足でもって、三階の窓を一蹴りでぶち破る。

 

「お邪魔するよ」

「「な!?」」

 

 正面ドアの向こうで炸裂した爆音に気を取られ、まさかのダイナミックエントリーを決めた彼女には、全員が虚を突かれる形となった。

 ユナは空中にいる間に、六発の弾丸を六人の方向へと正確に撃ち込んだ。恐るべき早業である。

 うち四人の心臓へと弾丸は綺麗に吸い込まれていったが、中央の二人へ放ったものは、見えない壁のようなものに弾かれてしまった。

 無事なのは男女が一人ずつ。”例に漏れず”、随分と若い。

 彼らの姿を視認しつつ、着地後、回避動作を取りながら、数発ほど追加の射撃をお見舞いする。

 それらは過たず男の五体へと向かっていくが、やはり彼の前方一メートルほどで止まってしまう。

 

 ――なるほど。そういう能力か。

 

 ごく短い時間の中で特性を理解したユナは、直後飛来してきた光る何かを、すれすれのところで避けていた。

 

「あっぶな」

 

 冴え渡る直感に助けられた彼女は、一瞬遅れて、己を襲った攻撃の正体を理解する。

 放射状に伸びる光の束。空気を切り裂く閃光の刃。

 雷か!

 魔法ではない。物理現象として、電気が絶縁体である大気を通過するには、最低でも数百万Vもの電圧が必要である。

 そんなものを巧みに操る彼女は、TSP以外ではあり得なかった。

 初っ端からえらいのと当たったなと、内心ユナは毒づく。

 通常、人間が自然の力に立ち向かうほど無謀なことはない。

 だが彼女に絶望するところは一つもなかった。

 今相手にしているものは自然の雷でなく、そこには人の意思と指向性が宿る。

 ならば、捌けぬ道理はない。

 戦いこそはユナの領分だった。

 雷には本流の前、ステップトリーダーという先触れがある。本流の通り道を形成する段階だ。

 電圧の変化を肌で感じ取る。

 人は雷速に遥か届かなくても、それを操るものもまた遥か及ばぬ人である。

 動物的な勘と人間離れした身体能力が、雷撃の先読みを可能とする。

 荒れ狂う雷波の隙間を縫うように身を滑らせる。端へ追い詰められれば、壁の蹴り返しをも利用して、そのすべてを避け切ってみせた。

 

「マジか。かわしやがった!」

「あいつ、化け物みたいな動きしてるよ!」

 

 とは言え、ユナもギリギリである。

 雷自体の速度は、銃弾のそれよりもずっと速い。ほんの少しでも掠れば致命傷だ。

 何度も攻撃させていては、命がいくつあっても足りたものじゃない。

 合間合間に何度もトリガーを引いていたが、こちらの攻撃は一つも届かない。

 銃弾を男が壁で防ぎ、後ろから女が雷を通してくる。

 なるほどいいコンビだ。

 ユナは敵ながら感心するも、既に攻略法を見つけていた。

 

 だが何も――正面から撃ち抜くだけが戦い方じゃないんだよ。

 

 不敵に笑うと、【火薬庫(マイバルカン)】より手榴弾を取り出した。

 そいつを敵正面に向かって堂々と放り投げる。

 そして透明な壁に弾かれるその前に、彼女は放り投げたそれを己の手で正確に撃ち抜いた。

 

 ――実のところ、それは手榴弾の形をしたまったく別の兵器だった。

 

 爆風とともに、凄まじい量の煙が吹き荒れる。

 煙幕催涙弾だ。

 咳き込む男女の息遣いが聞こえる。

 銃弾や爆撃を警戒していても、不意の目くらましには咄嗟に対応できなかったようだ。

 その隙が勝敗を決定付けることになった。

 ただ一人、生命反応の読めるユナだけは、目など瞑っていても相手の位置が手に取るようにわかるからだ。

 

「こうなると無力だな」

 

 死神の声が背後から聞こえたときには、少年はユナの腕にがっちりと頭をロックされていた。

 やはり。自分たちの邪魔になる『至近距離だけは』壁を作れないらしい。

 銃弾のすべてが手前一メートルほどで弾かれていたことを、彼女はわずかな観察で見抜いていた。

 嫌な音が鳴り、彼は力なく崩れ落ちる。

 ユナはひと思いに首の骨をへし折っていた。

 そして……旧知の仲だったのかもしれない。

 パートナーを殺され、茫然自失とする少女の眉間へ――ユナはトドメの一発を放った。

 

 

 ***

 

 

 まずは六人全員が確実に死亡していることを確かめ、TSPの少年少女を仲良く隣に並べてやってから、ユナは短く手を合わせて彼らの冥福を祈った。

 どんな脅威も、死んでしまえば皆同じ人である。

 

「しかしメシがまずくなる仕事だわ。ほんと」

 

 ユナは吐き捨てるように独り言ちた。

 最初のTSP発生が33年前。

 TSPには元々非能力者であったものが覚醒する場合と、最初からTSPとして生まれてくる場合の二つがあるが、実は後者がほとんどを占める。

 さらにその増え方は線形ではなく、後期ほど増加のペースが速い。

 導かれる当然の帰結として――TSPの大半は未成年なのだ。

 物事の善悪も区別の付かないうちから管理され、あるいは差別され、教育された少年少女の兵士たち。テロリスト側もさして事情は変わらないのかもしれない。

 日本政府が人道的観点からTSPの軍事利用を避けたことも、そこへ世論が同調したことも、正直一理あると言わざるを得ない。

 だが現場最前線の人間からすれば、子供だからと情け容赦をかけることは、どうしてもできないのだ。

 彼らの持つそれが非殺傷能力であることが明確でなければ、人道的観点だの何だの甘いことは言ってられない。

 コンマ一秒の対応の遅れが死に繋がる――この地球という『許容されない』世界では。

 

 TSPを自爆テロに使い捨てるとは考えにくい。二人は護衛で、非能力者の方を使っていたのだろうとユナは推測する。

 炎の能力者本人はいなかった。当たりではあったが、まだ主犯には辿り着いていないということだ。

 さて。気は進まないが死体漁りでもしようかと考えていたところに、無線の音声が流れる。

 少年の腰に付いた機械からだった。

 

『応答せよ。ジェイ、応答せよ』

「…………」

『……どうやら失敗したようだな。なあ、そこにいるのだろう?』

「……あんたが主犯格か?」

『その声、久しいな。やはり来たか。星海 ユナ』

「ほう。私のこと知ってんのかい」

『一時たりとも忘れるはずがない。私は地獄から舞い戻ってきたぞ。ユナ』

 

 そのねっとりした特徴的な声色と、炎上テロというやり口。

 まさかとは思っていた線が繋がった。

 

「なーんかずっと引っ掛かってたのよ。お前、アレクセイか?」

『ククク』

 

 5年前、中国で大規模な企業テロが発生した。

 彼は大金や企業固有の技術を要求し、従わなければ会社を物理的に炎上させた。

 男の名は、アレクレイ・ダナフォード。

 捜査の果てに本拠地を突き止めたユナは、2km先からの狙撃で彼を葬ったはずだった。

 

「あのとき、確かにド頭ぶち抜いてやったと思ったんだけどな」

『ああ、ああぁ。あれは実に、実に実に……素晴らしかった。奇跡だ。極上の体験だったよ』

「ならもう一度くれてやろうか?」

 

 陶酔するような声に違和感を覚えつつ、ユナは挑発する。

 しかし男は意に介さず、ただ己の世界に浸っていた。

 

『光を……見たんだ。この世のすべての――真実を照らす光を。おお、神よ!』

「気色わりいな。どうしちまったんだよあんた」

 

 憎たらしい敵だったが、もっと冷静で、理知的で、神をも畏れぬ男だったはずだ。

 これではまるで狂信者だ。

 

『どうも何も。目が覚めただけのことだ』

「それで行き着く先がテロリストの犬か。笑えるな」

『同志と呼んで欲しいものだな』

「どう呼ぼうがかわんねえよ。おかしな奴になり下がっちまいやがって」

 

 知能犯としての矜持はどこへ行ったのか。

 無差別に人を殺すなど、かつてのこの男自身の美学にも反しているというのに。

 怒りと呆れがこみ上げるユナであったが、アレクセイはますます陶酔を深めていた。

 

『人は生きるべきときに生き、死すべきときに死ななければならない』

「あっそ」

『ああ、ジェイよ。イーラよ。お前たちは……救われたのだな。素晴らしい、素晴らしい……』

「救いも何も。やったのは私だ。言っとくけどな、私はあんたを――」

『私は、お前も救いたいのだよ。クフフフ……』

 

 まずい。

 直感したユナは、一目散に割れた窓から飛び出した。

 直後、死体の一人が大爆発を起こし、吹き上がる炎が彼女を後押しする。

 

「いったぁ」

 

 無理な着地に足をさすりつつ、ユナはどうにか身を起こした。

 通常なら人が大怪我するか死ぬような高さでも、彼女は無事で済むだけのフィジカルがあった。

 憎らしいほどに燃え上がるビルを見上げて、彼女は吠える。

 

「くっそ。やりやがったな!」

 

 あれだけおかしくなったのに、根っこのクレバーなところだけは変わってないらしい。

 証拠は炎の中に燃え尽きてしまった。

 気が付くと、周囲が騒然としている。彼女は随分目立ってしまっていた。

 炎上するビルから、突然黒ずくめの女が飛び出してきた。そんな映画のワンシーンさながらを見せられてしまったのだから、無理もない。

 舌打ちし、慌てて現場から離れるユナ。走りながら、相棒へ連絡を取るのだった。

 

「タク。一連のテロ事件、主犯がわかったぞ」

『なんだって!?』

「『炎の男』が帰ってきた。とんだイカれ頭になってな」



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7「トレイターとインフィニティア」

[12月2日 19時31分 ???]

 

 およそ常人の預かり知らぬ場所で、世界最悪の犯罪者たちは、ひとときの晩餐を過ごしていた。

 ワイングラスで乾杯を飾る。

 

「ジェイとイーラの冥福を祈ろう。彼らは良き仲間だった」

「初めての殉死者になるわね。始まってしまえば、こんなにも早く、あっけない……」

 

 インフィニティアの目には、乾いた涙の痕が浮かんでいる。

 二人は齢十も数えぬうちから、某国の実験体として捕らえられていたのを助け出したものだ。

 理想に純粋で力に優れ、何より。人懐こく、可愛らしく、愛すべき……良い兵士だった。

 

「日本には優秀なTSPキラーがいるという。噂には聞いていたけれど、これほどとはな……」

「さらに戦力を送る? 対TSP部隊のない日本は狙い目と思っていたのだけど、とんだ伏兵がいたものだわ」

「いや、いい。目標は全世界だし、僕たちの戦力も限られているからね。彼らに任せることにしよう」

「特に彼、復讐に燃えていたものね。『炎の男』とはよく言ったものよ。少々、いや結構、残虐に過ぎるところがあるけれども」

「何事もインパクトは重要だ」

「と言う割には、あなたはあまり嬉しくなさそうだけど」

 

 痛いところを突かれたのか、トレイターは困ったように肩をすくめた。

 

「仕方のないことなんだよ、インフィニティア。世界が正しく前に進むためには、必ず痛みと犠牲が伴うものなんだ」

 

 歴史がそうだったように、と付け加える彼の瞳は、本当は何を見つめているのか。何が視えているのか。

 二人の眼下には、ただ幻想的な夜景が広がっている。

 

「今の世界は間違いに向かっている。誰かが正さなくてはならないんだ。誰かが始めなくてはならなかった」

「だからあなたは、トレイター(裏切り者)なんて名乗り始めたの? 人類社会への背徳、その罪を背負って」

「……さあ、どうだろうな。名ばかりに大した意味はないさ。ただの酔狂だよ。これから為すことに意味があるんだ」

「そうね。いつか楽園へ辿り着くために」

 

 トレイターの横顔を、その固く結んだ唇をじっと見つめて、彼女はそう言った。

 

「いずれ世界中の同胞に君の声が届くだろう。インフィニティア――無限の名を持つ君ならば」

「けれど、私だけでは届かない。人の身には及ばない領域がある……そうなんでしょ?」

「ああ。唯一の真なる到達者を見つけなくてはいけない」

「彼か、彼女か。鬼が出るか蛇が出るか。どんな人なのかしらね」

「わからない。でもそれが未来への鍵なんだ」

 

 どこか諦めたように飄々としていて、けれどその内には、世界を敵に回すほどの執念を滾らせている。

 そんな不思議な瞳を秘めた者の底が、やはり彼女にはわからない。

 もう随分と長い付き合いになるのに。不思議な人。

 

「光を見た。あなた、確かにそう言ったわよね」

 

 頷くトレイターに、そう言えばあの狂信者も似たようなことをのたまっていたなと思い返しつつ、彼女は尋ねた。

 

「なのにあなた、ちっとも嬉しそうじゃない。やっぱり何か、言えないことがあるんじゃないの?」

「否定はしない」

「私にも言えないの?」

「……すまない」

「……そう。いいわ。最後まで付き合うと決めたのは、私の意志だもの」

「ありがとう」

「いいのよ。あなた一人じゃ、どうせ何もできないんだから」

 

 二人の乾いた、しかし心からの笑いが響いた。

 

「確かに。僕は弱いからな」

 

 これもまた一つの裏切りと言えるだろう。

 稀代の脅し文句と武力行使で世界を煽った首領の実態は、同胞の子供たちや目の前の女にさえ勝てないのだから!

 

「けど、私たちならできる。そのために組織の力を育ててきたのだから。ね」

 

 彼女の心ばかりのウインクに、トレイターは力強い言葉で応じた。

 

「そうだな。まず手始めに、世界というゲームのルールを変えよう。僕たちはそれができるのだと、人類へ、何より僕たち自身に示さなくてはならない」

「彼ら自身が内なる声を上げるまで。私たちの声が届くまで」

 

 そして、みんなを楽園へ連れて行こう。

 たとえ――どんな手を使っても。



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8「ユウのTSP疑惑」

[12月3日~12月24日]

 

 地方都市にはあまり手が回らないのか、小規模の事件が散発するに留まっていたが、東京は連日発生する爆破炎上テロと、それを迎え撃つQWERTYおよび自衛隊+警察とのいたちごっことなっていた。

 12月2日、星海 ユナの関与が判明した段階で、TSGは明らかにやり方を変えた。

 失敗することを前提に、TSPを極力温存した『捨て駒』による同時多地点攻撃へと舵を切ったのだ。

 彼女の身は一つであるため、確実に一か所を潰せても、他での被害をすべて防ぐことは残念ながら不可能だ。

 駅やバスなどから上がる火の手を、報道される悲報をもどかしく睨む日が続いた。

 それでもユナは連日出動し、単独にして追加で四名のTSPと三十五名の『捨て駒』を倒す活躍を見せる。

 だが依然として『炎の男』の尻尾は掴めず。アレクセイが爆破炎上効果を付与した対象は捕捉できても、彼自身は能力を使っている瞬間でなければ検知できないのが厄介だった。

 また、通常兵器を用いた多くの未遂や、一部模倣犯が現れたことも特筆すべきことだろう。

 ただ物理的な爆弾などであれば、警察が事前に発見し、自衛隊と連携して犯行を阻止することは可能だった。おかげでQWERTYは対TSPに集中できたのである。

 

 一連の事件の影響は極めて大きい。

 まず主要駅の大半が損壊し、首都高速道路も破壊。交通機関は完全に麻痺してしまった。

 生活インフラも狙われ、断水や停電も局所的に発生している。

 だが日本は死ななかった。

 かつてあのウイルスが全世界で蔓延したときの経験が活きた。在宅勤務主導に切り替え、経済を回し続けたのだ。

『明日からまた家で働くことになったよ』と、苦笑いで伝えるシュウの声を聞いたのは、ユナにとっても記憶に新しい。

 またこの変化は、副次的な効果をもたらした。

 都心からごっそり人が減ったことで、警備の面では非常に容易になったのだ。

 12月初頭に比べれば、明らかにテロの阻止率が上がってきている。

 こうして人のまばらとなった首都市街地を舞台に、睨み合いと小競り合いが続いているのが現状である。

 

 

 ***

 

 

[12月24日 10時05分 QWERTY本部]

 

 メインルームの巨大モニターは、あちこちのカメラから美麗なイルミネーションを映していた。

 連日悲惨な事件が勃発しているにも関わらず世間はクリスマスムードで、人間社会のある種の無関心さを感じさせる。

 さすがに現地の人出が足りないのか、飾り付けの数は例年よりもずっと少ないようだが。

 タクとユナは、コーヒー片手にその光景を眺めていた。

 

「これがあと数日もすれば門松に変わるんだから、日本って変な国ですよね」

「確かにね」

 

 商魂逞しいというか、何だかんだ回っていく社会の力強さというか。

 一応の均衡を保てているのは、何より自分たちや警察組織が活躍しているおかげでもあるが。

 

「まさかあのウイルスでぐだぐだやってたのが、こんなときに活きてくるなんてねえ」

「おかげでこっちはやりやすいですけども。監視体制もサイクルで回せるようになってきましたし」

「私は奴らが『聖なる夜に血の贈り物を!』とかやりかねないから、全然気が抜けないわ」

「隣の誰かさんに聞きましたけど、人には頑張りどきってのがあるみたいですよ」

「言うねえ。でもタクあんたは、寝れるときに寝ときなよ? ただでさえ無理しがちなんだから」

「へいへい。わかってますよユナの旦那」

「ほんとにわかってるー?」

 

 空返事に窺うような素振りを彼女が見せていると、自動扉が開いて二人の人物が入ってきた。

 ユウとクリアハートだ。

 よもや子供に見せられないような映像はないか、とタクは一応目を配るが、問題なし。

 メインルームなど最高機密で、普段なら絶対に入れないところなのだが。

 今回ばかりは軟禁も長期化してしまったため、特別措置をとっていた。

 親が近くにいるのにずっと会えないのも酷な話だ。ユウが会いたがったときにはクリアから連絡を入れさせ、大丈夫な場合は入れるようにしていた。

 細かいことの意味は小さな子供にはわからないだろう、と高をくくっている部分もある。隊員たちもユウの天真爛漫さには癒されており、図らずもセラピー効果があった。

 

「おかあさーん」

 

 手を振りつつ足元に縋り寄ってきた我が子を、ユナはよしよしと撫でた。

 

「ちゃんといいこにしてたかい」

「うん。クリアおねえちゃんといいこしてたよ」

 

 クリアハート隊員が「ミッションは順調です」と言いたげな顔をしているので、ユナはウインクしておいた。

 思えば昔はクリアがこのポジションだったな、と懐かしく思いながら。

 さて、小さな彼の中にはこだわりの順番があるらしく。まず母親に存分に甘えてから、隣のタク”おにいちゃん”に向かう。

 

「タクおにいちゃんだっこ」

「よしこい!」

 

 コーヒーカップを置き、全身全力でおいでを構えるタクに、ユウは笑顔で飛び込んだ。

 

「ほーら高い高いだぞー」

 

 愛しさから頬ずりしてやると、ユウは大いに喜ぶのだ。

 

「あははは! おひげジョリジョリする~」

「ふはははは! これは名誉の無精ひげなのだ~!」

「タクおにいちゃんふけつー」

「なんだと~! そんなこと言う子にはこうだ。うりゃうりゃ!」

「きゃー!」

 

 きゃっきゃするユウに、母は目元を緩める。

 

「ふふ。お父さんはおひげ生えないもんね」

 

 童顔体質のシュウにはできない遊びだ。彼は髭剃り要らずだった。

 星海家も代々童顔家系なので、つまりユウは童顔サラブレッドなのだ。

 この子も将来、小僧に見られて苦労することになるのだろうか。自分は圧で黙らせてきたが。

 ふと、一人寂しく在宅PCに向かう夫を想像する。

 ほんとなら一番ユウを抱きたいだろうに。可哀想だから近く差し入れとキスのプレゼントでもしてやるか、とユナは決意する。

 すると、ユウが彼女に振り向いて言った。

 

「きょうね。クリアおねえちゃんとアリサおねえさんとね、おでかけするんだよ。けんさ? なんだって」

「あー……そういや今日だったね。気を付けて行っておいで」

「うん!」

 

 外に行かせるのは心配だけど、アリサに任せておけば問題ないか、と彼女が考えていると、件の人物も入室してきた。

 

「おっつユナっち」

「おっつアリサん」

 

 いつの間にかユウの取り合いっこを始めたタクとクリアを尻目に、アリサはユナに耳打ちする。

 

「あの子たちのことは任せといて。ちゃんと子守りするからさ」

「頼むよ。でもさあ。何もこんなときに、呑気に検査なんてしなくたっていいだろうに」

「こんなときだからこそじゃない? TSPへの世間の心証はそりゃもう最悪になってるし」

 

 そう言われるとぐうの音も出ないのだが。ユナはむぐぐ、とあからさまなしかめ面で堪えていた。

 暴力戦闘女と呼ばれても人の親。愛する我が子のことではまったく冷静ではいられないらしい。

 そんな彼女を気遣うように肩を叩きつつ、アリサは言った。

 

「前から薄々そんな気はしてたけど。やっぱあの子、あなたと同じで天与の才があるのよ」

「うーん。親心としては全力で見過ごしたいとこなんだけども。さすがにそうも言ってられなくなっちゃったしなあ」

 

 仮にTSP認定されると、日本では毎月の厳しい検査と経過観察義務が生じることとなる。

 QWERTYメンバーのほとんどは特例として免除されているが、未成年であるクリアハートは免除対象外である。

 今回から、そこに小さなユウが加わることになりそうな気配だ。

 TSPは当然管理名簿にも登録される。まったく普通の人生は歩めなくなるだろう。

 頭では理屈はわかっている。能力の暴走や事件は、未成年の時期が最も多いのだから。

 管理保護を体現した決まりなのだと、わかってはいる。

 ただ我が子の自由と幸せを思うと、実に複雑な気分なのだが。

 

「あんなの見てしまったらねえ……」

 

 

 ***

 

 

[12月15日 QWERTY本部]

 

 お仕事中のタクの背中に、虫のように引っ付いていたユウが発した、何気ない一言が発端だった。

 

『ねえねえおかあさん。ここと、ここと、ここ。すごくわるいひといるよ』

『『!?』』

 

 隊員一同、凍り付いた。

 なんとユウ。PC画面地図上の三点を指さし、あっけらかんと答えてみせたのだ。

 タクが体力と精神を削って【知の摩天楼(インテリジェンス=スカイスクレーパー)】を駆使し、ようやく突き止めたものを――ピンポイントで。

 

『ユウ。どうしてそんなことがわかるの?』

 

 思わず凄んだ母に肩を掴まれ、問い詰められて。

 

『えっと……。なんとなく?』

 

 ユウは忙しく目を泳がせながら、きょとんと首を傾げて答えた。

 

『おいおいおいおい。まてまてまてまて』

『さすが、我が弟』

 

 タクは盛大に頭を抱え、クリアはなぜか我が事のように得意気だった。

 

『うちの子、天才かよ……。いや、素直に喜んでもられないっての』

 

 前々から、確かに傾向はあったのだ。

 人や動物の気持ちがわかるのだと、素直なユウは何度も口にしていた。

 なぜか怪我した子猫を拾ってきたり。どこからか迷子を見つけてきたり。Gの隠れ場所を言い当てたり(もちろん全力で駆除した。ユウは泣いた)。

 新宿駅のテロで疑惑がほぼ確信に変わっていたところに、これか。

 大人の部分で、ユナはどうしても考えざるを得なかった。

 もし人の悪意がわかるのなら。全員のリソースをギリギリまで割き、タクが身を削ってまで辛うじて対処しているテロリストを未然に言い当てられるとしたら。

 対TSG捜査の――リーサルウェポンにもなり得るのではないか。

 

『あと、ここ? あ、わかんなくなっちゃった』

『どしたの……?』

 

 難しい顔をしているユナの横で、クリアがユウの目を覗き込みながら尋ねる。

 

『あのね。こえって、いっぱいいーっぱいなの。ひともどうぶつもしょくぶつもみんないるから。すぐまざってね、よくわかんなくなっちゃうんだ』

『そうなのかー』

『うん。そうなの。でもね、クリアおねえちゃんのやさしいこえはずっときこえるよ!』

『……! よしよし。愛してる』

『えへへ』

 

 ……さすがにまだ、意識的かつ安定的に使えるわけではないのか。

 ほっとする。残念に思うべきなのかもしれないが、ユナは心底安心していた。

 いくら能力が優れているからといって、子供を大人の戦いに巻き込んでいいものじゃない。ましてや自分の子だぞ。

 そんなユナの機微を察したのか、タクは彼女の肩に手を置いて囁いた。

 

『ユナさん。僕のことはいくらでもこき使ってくれていいんすよ。あの子を戦場に関わらせるべきじゃない。そんな世界は、TSGが言うまでもなく、間違っている』

『……そうね。ありがとタク』

『まさか素直にお礼言われるなんて。明日は雪でも降るのかなあー』

 

 ゴン、と小気味良いユナのげんこつが響いた。



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9「国立異能力センター(NAAC)」

[12月24日 12時55分 NAAC]

 

 検査は1時間以上かかるため、途中寄り道して昼食を済ませたアリサたちである。

 国立異能力センター(National Abnormal Ability Center)は、英語の頭文字をとってNAAC(ナーク)と呼ばれることが多い。

 NAACは日本におけるTSPの保護管理を一つの目的としているが、同時に危険性の高いTSPの収容も実施している。

 そのため、収容TSPが暴走・脱走する恐れや、外部者によって施設が狙われる危険を十分想定した設計になっている。この施設にはTSPによる超能力的なものも含めた、種々の強力な防護が施されているのだ。

 また、自衛隊と米軍が共同警備を行い、米軍所属のTSPが常駐している数少ない施設でもある。ともすれば日本で一番堅固な場所かもしれない。

 現にNAACにはTSGどころか、過去一度も襲撃事件が発生したことはない。

 そうした背景を知っていたので、ユナも心配ながら渋々ユウを送り出したのであるが。

 

「わー、かっこいいなー!」

 

 親の心子知らず。

 特殊合金に覆われた、まるで要塞や秘密基地のようないかつい外観がよほどお気に召したのか、ユウはとにかく大はしゃぎだった。

 

「みてみて! すごいね。たんけんできるかな?」

「うん。ずっと、見てる」

 

 通い慣れているクリアは、むしろユウの新鮮な反応が眼福で、じーっと彼ばかり見つめていた。

 

「あらあら。はしゃいじゃって。QWERTYも負けてないと思うけどね」

「地下はね。あっちは……見た目、普通の建物、だもん」

 

 秘密組織ゆえ、あえて目立たない設計になっているのだとクリアも理解はしているが。

 かつて同じくNAACにわくわくした身としては、ちびユウの気持ちはよくわかるのだ。

 

「そういうもの? お姉さんわからないわ」

「ん。ただ。中見たら、がっかりする、かも……?」

「ふうん」

 

 果たしてクリアの予想は大正解だった。

 中に入ると打って変わって、白色蛍光灯と白い壁に塗り固められた、味気もロマンもない内装がお出迎えである。

 漂う雰囲気から嫌いな病院を思い出したのか、今度はみるみるテンションの下がっていくユウであった。

 

「うぅ。やっぱりおれ、にがてかも……」

「我慢。お姉ちゃんついてるから。ね」

「う、うん……」

 

 心細くぎゅっと袖を握る彼を、クリアは余裕に満ちた顔でエスコートする。

 そんな様子を微笑ましく見つつ、「ころころ表情の変わる子だこと。まったく母親とは大違いだわ」とアリサはくすくす笑っている。

 

 受付を済ませ、アリサが代理で問診票を記入する。

 しばらく三人座って待っていると、二人の男が談笑しながら階段を下りてきた。

 一人は白髪の混じった老齢の男性で、名札が示すところによれば、本庄 タケシ――NAACのセンター長だった。

 もう一人は若さを落ち着きを兼ね備えた雰囲気の男で、名札には有田 ケイジ上席研究員と記載されている。

 本庄センター長はアリサの姿に気が付くと、恭しくお辞儀をした。彼女も立ち上がり、丁寧に礼を返す。

 QWERTYはNAACへのTSP身柄引き渡しに最も多く関わっており、顔馴染みの上客なのだ。

 

「有田君。しっかりご対応なさい。失礼のないようにな」

「は」

 

 本庄は有田へ耳打ちして、奥の通路へ歩み去っていった。

 一人残った男が、三人の前へ歩み出る。

 

「本日も担当の有田です。よろしくお願いします――おや、その子は」

 

 大の男の射抜くような視線にびびったユウは、そそくさとクリアの影に隠れてしまった。

 じっと上目遣いで彼の顔色を窺っている。

 

「あいさつ。ちゃんとしよ?」

 

 クリアに優しく促される形で、ユウはどうにかなけなしの勇気を振り絞った。

 彼女の足に縋り付きながらも、おずおずと頭を下げる。

 

「ユウ、です……」

「わたしの弟、みたいなもの。優しくして、あげて」

「ユウ君――」

 

 ケイジ研究員は少し何かを思い出すような仕草を見せてから、しっかり営業笑顔を作って言った。

 

「なるほど。あの星海 ユナさんのご子息ですか」

「そうなんです。実はこの子、ちょっと疑いがありまして――」

 

 アリサがすらすらと症状を説明していく。

 その間、クリアはこの後の流れをそれとなくユウに教えながら、一生懸命あやしていた。

 どうやら話がまとまったようだ。

 ケイジ研究員はユウに屈んで目線を合わせ、声をかける。

 

「じゃあ坊や。今から僕が担当になるんだけどね。担当って意味、わかるかな」

「えっと、えっと……ずっとかかわっていく、みたいな?」

「正解」

 

 クリアが『わしが育てた』みたいな顔で呟き、うんうんと頷いている。

 

「うん。これから君には、月に一回くらいここに来てもらうことになるんだ。長い付き合いになるけど、よろしく頼むよ」

「…………」

「どうした? 僕の顔に何か付いてるのかい」

「……あ、えっと。よろしくおねがい、します……」

「うんうん。しっかり挨拶できてえらいね。坊や。それじゃ行こうか」

「……うぅ」

 

 どうにも不安が拭えない様子のユウを見かねて、クリアは即座に助け舟を出した。

 

「ユウ、小さいから。わたしも付いてく」

「悪いけど、クリアちゃんはユウ君の後でね。順番だから」

「だめ。一緒に受ける。絶対に、譲らない」

 

 クリアはケイジ研究員を睨み上げた。普段から検査でお世話になっている人だが、それはそれ。これはこれ。

 殺気すら混じるほど、あまりにも力強い目で睨み付けるものだから、ケイジ研究員もとうとう根負けしてしまったようだ。

 

「わかった。わかったよ。本来一人ずつなんだが、特別に認めよう」

「ん。わかれば、よろしい」

「すみませんねえ。うちの子が」

「はは。QWERTYにはいつも世話になってますからね」

「はあ……。この子の胆力ったら。将来大物になりそうだわ」

 

 アリサが苦笑いする。

 よほどユナから与えられた最重要任務(子守り)とやらにご執心らしい。

 命の恩人の子供で、しかも自分を慕ってひょこひょこ付いて歩くような子が、可愛くないわけがないか。

 ちょっと献身ぶりが危ういところもあるんだけど、ね。

 

「じゃ。いってくる」

「ばいばーい。アリサおねえさん」

「二人とも、しっかりね」

「ん」「うん」

 

 クリアお姉ちゃんと一緒になったので安心したか、怖がりが嘘のように意気揚々と検査室に向かうユウ。そういうところがあった。

 ケイジ研究員が先導し、重い隔壁扉を腕で支え、二人に先を促す。

 

「あ」

 

 クリアが間の抜けた声を上げる。

 何もない床にも関わらず、ユウが盛大に転んでしまったのだ。

 顔面から思い切り打ち付けて、鼻頭を真っ赤にしている。

 本人は何が起こったかさっぱりわからなくて、放心しているようだった。

 遅れて痛みがやってくる。

 

「う。ぐすっ……」

「だいじょぶ……? 泣いとく? お姉ちゃんのここ、空いてるよ……?」

「……な、なかないもんね。こんなの、へ、へいきだもん、ね……っ!」

 

 ギリギリ限界の涙目だが、こらえて強がるユウ。

 成長を感じたクリアは嬉しく思うも、人生の先輩として嗜める。

 

「どじ、なんだから。気を付けないと。めっ」

「てへへ……。またやっちゃった」

「おてて、握ってあげる。しっかり、離さないよーに」

「うん。ありがと」

「ユウは。わたしがいないと、だめだな。ふふふ」

「そうかも。あのね。クリアおねえちゃん――」

「――――」

 

 すんなりとはいかなかったが、喋りながら仲良く連れ立って奥へ向かう二人を、後ろから大人の目が見つめていた。

 

 

 ***

 

 

[12月24日 19時42分 QWERTY本部]

 

「は? TSP解析装置が反応しなかったって?」

 

 アリサから結果報告を受けたユナは、髪をくしゃくしゃした。

 感知タイプのTSPいわく、TSPには能力を行使した際、わずかな『揺らぎ』が発生するという。

 この『揺らぎ』を人工的に分析するのがTSP解析装置だ。TSPかどうかのみならず、ある程度の能力傾向まで測定できる。

 ただ極めて高価で、限られた施設以外には設置されていない最高性能の代物なのだが。

 なんとユウに対しては、うんともすんとも言わなかったというのだ。

 

「じゃあ結局普通の子なのか……?」

「いえ、それはあり得ないだろうって。装置測定以外の問診検査や実施テストでは、極めてTSPである可能性が高いって言われたわ」

「どうなってんだあの子。まさか……いや、そんなわけないよな」

 

 レンクス(あのバカ)の顔が一瞬浮かんだが、すぐに首を横に振る。

 あんな化け物たちとあの優しいだけの子が、同じなはずがない。

 そもそも、能力の強さも腕っぷしの強さも、あまりにかけ離れ過ぎている。

 しかし――。

 そのとき、タクから呼び出しの声がかかった。

 

「池袋でテロの予兆。お待ちかね仕事の時間っすよ」

「にゃろう。クリスマスだからって、やっぱ休ませちゃくれないよな。すぐ行く!」

 

 どうしても引っ掛かりが拭えないユナであったが、状況の忙しさがわずかな疑念を洗い流してしまうのだった。



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10「1.20事件 その計画」

[1月19日 22時21分 東京某所]

 

『炎の男』アレクセイは、主要メンバーのみを招集し、決起会議を開いていた。

 彼の他には、まず少女と映る容姿の者が一名。明らかに若めの、辛うじて成人になろうかという男女が二名ずつ。それから非能力者のグループリーダー格が五名。

 インフィニティアはこの場にいないが、念話で参加する。最後の一人は通信機を用いて参加するが、少し遅れるとのこと。

 一人除いて全員揃ったところで、アレクセイが大仰に腕を広げた。

 

「同胞たちよ。これまでの労苦に感謝を。今宵、すべての手筈は整った」

「それはいーけどさ。QWERTYだっけ? そのせいで随分時間かかったみたいだけど?」

 

 地球では珍しい、生まれつき紫髪の少女が文句たらたらに水を差す。 

 齢15と、クリアハートとはほぼ同い年だが、発育状態は良好で、身長や色々なところの差は大きかった。

 まだ一学生にも関わらず、彼女はアレクセイと同じTSGの幹部格として迎えられている。

 なぜなら、単純にそれほどの力を持っているからだ。

 この少女――カーラス=センティメンタルは、新宿駅爆破事件と同日、パリ大狂乱事件を引き起こした人物である。

 特殊能力【フィアー=ホワイト】は、人々の恐怖の感情を刺激し、まともな理性を失わせて暴走させることができる。

 たった一人で数千から数万の人々を先導し、原因不明の暴動を引き起こすことが可能。まさに規格外の力だった。

 ところで、フランスは元々人権意識が強く、デモの盛んな国として知られている。

 そこへ大演説をぶちかまし。一滴の起爆剤がよく効いた。

 かの国では、TSPレジスタンス活動が迅速に活発化したことが確認された。

 TSPは一定の成果を挙げたと判断し――つまり、成功第一号がカーラスだった。

 私こそは先鞭者という自負を手土産に、手こずる『炎の男』の救援要請に応じて馳せ参じたという次第だ。

 だからまあ、こういう態度にもなるのだが。

 アレクセイは冷たく刺さる視線を気にも留めず、まったく悪びれもせずに言い放った。

 

「決して私の落ち度ではないよ。さすがは星海 ユナと褒めるべきだ」

「それってただの言い訳じゃないの? 実質相手ってその女だけなんでしょ。TSPでもないんだしさー」

 

 あくまで納得のいかないカーラスに、アレクセイもわかってないなという態度を崩さない。

 このままでは収拾が付かないので、インフィニティアが念話で助け舟を出した。

 彼女の【無限の浸透(インフィニティ=ペネトレーション)】が、脳内への直接対話を可能とする。

 

『わずか二ヶ月足らずでTSPが十一名。非能力者も、当初日本へ割り当てた人員の半数ほどがやられてしまった。これほどの人的損失は、他に例がありません』

「ふーん。そいつ、強いんだね」

『ええ。地上最強の女と評判が立つだけのことはありますね……』

「そっか。それでか。なんかちょっとさー。この集まり、寂しいもんね……」

 

 辺りを見回して、肩を落とすカーラス。

「イーラも、もういないしさ」と、ぽつりと呟いたのをインフィニティアは聞き逃さなかった。

 幹部格とヒラ。立場の違いはあれど、姉妹のように仲が良かったのは周知の事実だった。

 彼女も現状を正しく理解していないわけではない。

 あの『炎の男』が陣頭指揮を執っておきながら、仲間たちをみすみす死なせてしまったことを、暗に非難していたのだ。

 

「でも私が来たからにはさ。状況なんて簡単にひっくり返してやるよ、って」

「……やはりユナ。素晴らしい。おおお。我が宿命の相手よ。そうでなくては。そうでなくてはな。フフフフフ……!」

 

 アレクセイは額のど真ん中に刻まれた銃痕を愛おしくなぞり、笑い続けている。

 果たして彼女の腕が劣っていたから、彼は死ななかったのか。

 違う。

 逆だ。真実はまったくの逆なのだ。

 彼は歓喜に打ち震える。

 この身は知っている。永遠に刻まれている。

 まこと凄まじき神業。あまりに美しく、綺麗に撃ち抜かれたものだから。

 奇跡的に脳組織が貫通裂傷を受けるに留まり、散逸しなかった。

 そして。光を見た。

 

「おーい。帰ってこーい」

 

 根っこが狂っているせいか、時々自分の世界に入ってしまうのがアレクセイの玉に瑕だ。

 

「はあ。またかー」

『しばらく待ちましょう』

 

 カーラスもインフィニティアも、彼の奇行には随分辟易させられてきたが、対応にも慣れている。

 落ち着くまでそっとしておく。これに限る。

 それはそれとしてきちんと仕事はするし、頭のネジがぶっ飛んでいるのに、どこまでも冷徹で計算高い。げに恐ろしい男なのだが。

 6年前の大規模企業テロ――『炎の男』事件と言えば、TSGが蜂起するまでは最大規模のTSP事件だ。世間で知らぬ者の方が少ない。

 つまり元々、TSGの看板が名前負けするくらいの、超が付くほどの有名人であり。その独善的かつ指導的気質から、とても飼い慣らせるとは思えないのだが。

 なぜだかうちの一幹部ポジションに大人しく収まっている。

 トレイターは一体どうやってこんな狂犬を手懐けたのだろうか。どんな魔法を使ったのだろうか。

 

「おっと。説明をしなくてはな」

「おかえり」

 

 ふと我に返ったアレクセイに、カーラスは盛大に溜息を吐いた。

 ちょうどそのとき、通信機から機械音声が入る。

 ノイズが混じっており、明らかに本人の声ではない。慎重な秘密主義者の細工だ。

 ただしトレイターのそれよりは随分人間的で、無邪気な少年らしい響きを帯びていた。

 

『やあ。遅くなってすまない。最終調整をしていてね』

『来ましたか。コーダ』

 

 トゥルーコーダ。皆からはコーダと呼ばれている。

 トレイター同様、本当の年齢も性別も構成員にすら明かしていない。正体不明を身上とするTSG幹部の一人。

 だが個人的によく雑談するカーラスは、どうせ年端もいかないクソガキなんだろうと見当を付けている。

『彼』(カーラスに敬意を払うとしよう)は、電子機器を自在に操る【電気仕掛けの神(デウス=エクス=リレクトリキ)】を持つ。

 元々世界的に有名なハッカーであり、電子情報戦において『彼』の右に出る者はいないと言われていた。

 仮想通貨盗難等、数々の電子犯罪で巨万の富を築き、何一つ生活に不自由はないと噂されている。

 そんな彼がTSGに加入した経緯は、一抹の好奇心と興味感心による。

 ある日、秘密裏に活動していたTSGのデータサーバにハッキングした彼は、その目的や理念に共感し、自ら参加を申し出たのだ。

 個の力はあっても情報力に疎かった組織にとっては、心強い外部協力者であり、アレクセイに最も立場は近いと言えるだろう。

 トレイターの指示により全世界電波ジャックを敢行したのは、他ならぬ彼であった。

 

「またまどろっこしい機械でもこねくり回してたの?」

『フフ。ぼくにはきみのように人を動かす力はないけれど、力と言っても色々あるのさ。細工は流々仕上げを御覧じろってね』

「あっそう。かっこつけてるとこ悪いけどさー。ねえコーダ。一つ文句言っていい?」

『どうぞ、って言わなくてもどうせきみは言うだろうね』

「よくわかってるじゃん。あのさあ!」

 

 頬を膨らませながら、カーラスがまた文句をぶつける。

 ただ、同じくらいの年齢と思っている気安さがあるのか、アレクセイに対してより随分と親しげだ。

 

「あなたがたくさん落としたせいで、飛行機全部止まっちゃったんだからね。おかげでこっちに密航するの、もーー死ぬほど大変だったんだから!」

 

 だから年末には支援要請を受けていたのに、昨日まで到着がずれ込んでしまったのだ。

 

『それはそれは。災難だったね』

「あなたも全然悪いと思ってないでしょー?」

『あくまで命じられた作戦行動の一環ですから』

「この加減知らずめ」

『信念があると言ってほしいかな』

『まあまあまあ。二人ともそこまでにしましょう』

 

 インフィニティアが宥める。

 TSGはTSPが中心であるため、どうしても未成年や若い構成員が多くなり、揉め事もまま起こる。

 問題児揃いをまとめるのも、表に出ない方針のトレイターに代わり、実質指揮官を務める彼女の役割なのだ。

 

「あー……そろそろ進めてよろしいか」

 

 よりによってアレクセイに一番常識的な振る舞いをされてしまっては、カーラスもコーダも止めるしかなかった。

 

『議論を止めてしまった責任だ。ぜひぼくの特製端末を使ってくれ』

「QWERTYにジャックされたりしない?」

『ぼくがそんなヘマをすると思うかい?』

 

 アレクセイが電源を入れると、ホログラムのモニターが浮かび上がり、地図上に×印が次々と表示されていく。

 カーラスの目を通して、感覚共有によってインフィニティアもそれを見ていた。

 一つ一つの×印は、一連のテロ攻撃の個々を示している。

 新宿駅から始まり、やがて東京、品川、渋谷、池袋……と広がっていき。

 

 ついに×印の総体は――東京23区を環状に覆い尽くしていた。

 

 全員がはっと息を呑んだのを満足に見て取り、アレクセイは続ける。

 

「――と。このように、丸の内はもはや陸の孤島も同然だ」

 

 一見無秩序かつ散発的に思われた一連の活動は、全体として整然なる隔離状態を構成していた。

 これこそが、かつての『神をも恐れぬ男』――国家を敵に回す規模の計画的都市型犯罪を遂行した男の真骨頂である。

 

「して、明日はいかなる日だろうか」

「え、何の日だったっけ? 特別なことあった?」

 

 日本の世情に疎いカーラスは首を傾げるが、トゥルーコーダには真意がわかった。

 噛み締めるように呟く。

 

『……通常国会の、年最初の開催日だね』

「ご名答」

 

『炎の男』は、にやりと嗤う。

 

「つまり、あなたのやろうとしてることって……。わーお、さいっこうにクレイジーね。ちょっと見直したわ」

「ククク……。すべては、人類の原罪を清めるために」

『なるほど。そういうところはアナログなんだな。国会だってリモートでやっていれば、こうはならなかっただろうに』

 

 若干の同情と大いに小馬鹿にしたようなところを含むコーダに、インフィニティアは嗜めるように言った。

 

『国家憲政の象徴というのは、何より国民の目に見えることが大切だったりするのよ』

『こそこそ隠れてちゃ務まりませんってことですか。その代償は高く付きそうですが』

「よーし。ならついでに霞が関もやっちゃおう! どうせお役所連中なんて頭でっかちで、省庁まで出張ってこなくちゃいけないんだから」

「無論」

 

 アレクセイは力強く同意し、さらなる手筈を紹介する。

 側で控えていた男女四名のTSPだった。

 

「グリーンフォックス。アンダルシア。ラッピータウン。メフィー」

「「はっ」」

「諸君には、警察と自衛隊を相手してもらいたい。彼女の生み出す暴動部隊を引き連れてな」

「それで私を呼んだってわけ」

「うむ。特に、メフィーには洗脳能力があるのでね。この私が見つけてきた子飼いだよ。カーラス、あなたほどの範囲はないが……より強力だ」

 

 どこまでも計算を尽くし、何重にも策を怠らない。

 あの女を相手にするのは、そうでなくてはならぬ。そうでなくては、まったく足りぬ。

 

「警察にも自衛隊にも、既に内通者を用意している」

「あなた、えぐいね」

 

 来たときに抱えていた文句も吹っ飛び、気付けばカーラスは彼を称賛していた。

 

「いいわ。その計画、乗ってあげる。でも私は矢面には立たないよ。私自身は、戦えないし」

「構わないとも」

「あ。でもさあ。一つ質問なんだけどー。その洗脳でユナってやつをやっちゃえばよかったんじゃない?」

「――おい」

「ひっ!」

 

 豹変したアレクセイに、彼女は思わず情けない声を上げてしまった。

 

「無粋を考えるものではないぞ!」

 

 凄まじいほどの殺気を向けられ、彼女は全身がすくみ上がった。

 本当に殺されるのではないかとすら思ってしまう。

 TSPの精神系能力は、同じTSPには効かない。

 いかに己の能力が誇れるものであっても、扇動する相手がいなければ。

 今この場において、圧倒的な戦闘能力を誇るのはアレクセイなのだ。

 

「それでは。ああ。あああ。それでは――美しくないではないか」

「で、でも……」

 

 強気の仮面が剥がれ、小娘の素顔が露わになったカーラスであったが、それでも理のみで弱々しく反論しようとする。

 仲裁したのは、またしてもインフィニティアだった。

 

『残念ですが。彼女には、謎の抵抗力があるみたいなのです』

「え……? 効かないって、そんなことがあるのー?」

『おそらく、本人の性質ではないと思います。胸のあたりに何か……正確にはよくわからなかったのですが』

 

 レンクスがユナに渡したお守り代わりのネックレスは、決して壊れることがないよう、無駄に強力な防護が施されまくっていた。

 ある程度の特殊能力耐性もあり、その中には洗脳系も含まれる。

 底なしのバカの愛の重さが魔の手から彼女を救っていたことは、インフィニティアたちもユナ本人も、最後まで知ることはなかった。

 

「じゃ、じゃあ、そういうことなら。理解したわ」

 

 そわそわと横目でアレクセイの顔色を窺いつつ。

『炎の男』は一転、曇りなき笑顔で頷いていた。

 

「ならばよろしい。私はすべてを許そう。これ以上、罪を重ねることなきようにな」

「はあ……」

 

 やっぱ頭のネジいかれちゃってるわね。こいつ。

 などとカーラスは心底思ったが、あえて言わなかった。

 落ち着いたところで、巻き込まれないようあえて黙っていたコーダがようやく口を開いた。

 

『流れは大体わかったよ。ならぼくはぼくらしく、情報面でサポートするとしよう』

 

 それから作戦の詳細を詰めていき。

 時計が24時を回ろうかというところで、充実した議論は尽くされた。

 

「……以上だ。方針は固まったと思うが。どうかね。インフィニティア同志」

『すべてあなたに一任するわ。構成員への細かい指示は、私を上手く使ってくれて構わない』

「了解した」

 

 モニターから東京の地図が消え、代わりにTSGのロゴが映し出される。

 それをバックに諸手を掲げ、アレクセイは締めた。

 

「さあ、日本方面作戦の総仕上げといこう。明日我々は――東京を墜とす」

 

 後に1.20事件と呼称される、戦後最悪の交戦が始まろうとしていた――。



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11「東京決戦 1」

[1月20日 12時00分 国会議事堂]

 

 衆議院の通常国会(常会)は、普通13時から開始される。だがこの初日については、正午から動き始める。

 なぜならば、年最初の国会では、13時より開会式が執り行われるからである。

 開会式では、衆議院議員も参議院議員も参議院議場に集まる。これは帝国議会時代からの習わしとされている。

 そして、国家憲政の象徴たる天皇陛下もご出席なされることになっている。

 陛下のお席等が参議院議場にしかないことも、開会式が衆議院でなく参議院で行われることの実際上の理由であった。

 先立って、12時からは両議院の議長や副議長等が参集していた。

 

 12時30分。

 内閣総理大臣その他の国務大臣、最高裁判所長官及び会計検査院長が参議院に参集する。

 

 12時45分。

 天皇陛下が国会議事堂にお着きになる時刻である。

 

 衛視が中央玄関の扉の前に立つ。

 ブロンズ製で1トンもあるこの重厚な扉は、開会式の日を除いては年数回ほどしか開けられることはなく、開かずの扉と言われる。

 定刻になり、合図と同時に開かずの扉は開け放たれた。

 扉より入ったところの脇に、両議院議長を始め、多くの者がずらりと参列する。

 ついに、陛下が議場へお入りになった。

 衆議院議長が前行し、陛下を式場までお連れする。宮内庁長官その他の供奉員も随行する。

 次に参議院議長、衆議院参議院の副議長、常任委員長、特別委員長、参議院の調査会長、衆議院参議院の憲法審査会会長、情報監視審査会会長、政治倫理審査会会長、議員、内閣総理大臣その他の国務大臣、最高裁判所長官及び会計検査院長が式場に入り、所定の位置に着く。

 国家の重鎮が揃い踏みし、陛下のおことばをもって通常国会が幕を開ける。

 日本の国家憲政にとって象徴的な式典が、近づこうとしていた。

 

 

 ***

 

 

[1月20日 13時00分 参議院本会議場]

 

 天皇陛下は既にお席につき、衆議院議長が式辞を述べる。

 続いて、所定の所作に則り、おことばの書かれた紙が侍従長より陛下へ手渡される。

 おことばは、政治色を排するため、天災被害への言及など一部の例外を除き、毎回同じ文章として閣議決定されている。

 ただ今年に関しては、痛ましいTSG事件に一切触れぬわけにはいかないだろう。

 陛下がかの事件について一言触れようとした、そのとき。

 

 本会議場の後方より、火の手が上がった。

 

 直後、銃を持ち、防火マスクを被ったフル装備のテロリストがぞろぞろと入り込んでくる。

 一体どこから湧いてきた。

 突然の炎と襲撃で、大混乱に陥る議場。

 事の真相は難しい話ではない。短距離の転移能力者を利用して、警備の網をすり抜けたのである。

 そして一息遅れ、大柄の男が堂々たる登場を果たした。

 

『炎の男』アクレセイ・ダナフォードその人である。

 

 彼は最奥にいる陛下に、不穏な指先を向ける。

 間もなく、一発の強烈な炎が弾けた。

 陛下に危機が迫る。

 だが、異変を察知した勇敢な衛視の一人が飛び出し、身を挺して陛下を庇った。

 発火能力に巻き込まれた衛視は、哀れ火だるまとなり消し炭と化す。しかし、大切な御方を守り抜いたのである。

 侍従長に連れられる形で、陛下はお席の脇の扉へと避難を開始する。

 そこには、天皇がお休みになられる御休所へ繋がる扉がある。

 当然、逃がすわけもない。

 アレクセイは再び、指先を陛下へ向けようとして。

 そこに、議員の一人が果敢にも彼に組み付いた。必死に狙いを逸らそうとする。

 アレクセイは鬱陶しげに腕を振り払い、議員が机に叩きつけられたところへ炎を飛ばす。

 彼は無残に焼殺されてしまったが、そのわずかな時間が命運を分けた。

 陛下と含む数名が、御休所に繋がる扉へ入り込む。

 その扉を覆うように、紫色の結界が張られていった。

 

【皇国の守護者】

 

 実は衛視の一人がTSPであり、御休所全体を覆う防御結界を張ったのだった。

 発動中は結界の外へ出ることはできないが、炎でも銃弾でも打ち崩すことはできない。

 攻撃が通じないのを見て、アレクセイが忌々しげに顎を撫でる。

 

「なるほど。結界の能力者がいたか」

「どうしましょう」

 

 慌てる部下の一人へ、彼は落ち着き払った声で告げた。

 

「狼狽えるな。周りを抑えておけば逃げ場はない。いずれ衰弱するのみ」

 

 もしのこのこ出て来たのならば、それが貴様の死ぬ時だ。

 不遜極まる笑みを見せたアレクセイは、手駒の部下たちへ檄を飛ばす。

 

「殺せ! 国家の犬どもを皆殺しにしろ!」

 

 国会議事堂は三権分立の下、警察組織とは独自の警備体制が敷かれている。

 当然、警察や自衛隊が入り込むのも致命的に遅れてしまう。

 事態を察知してやってきた衛視たちも、完全武装のテロリストに比べればあまりに貧弱である。

 為すすべもなく殺害されていく。

 そうして。

 報道陣を含め、国家重鎮をほぼ皆殺しにしたTSG軍団は。

 御休所を銃口の網で取り囲みつつ、高らかに野蛮な勝鬨を上げた。

 それから冷静に、血の惨劇の場を検める。

 どうも様子がおかしい。

 陛下の他にもう一人、最も重要な人物の死体が見つからない。

 

「西凛寺のジジイも逃げたか」

「やってくれましたね」

 

 部下の溜息に、男は鼻息を鳴らす。

 

「あの狸め。何が『隔離声明』だ。きっちり身内は能力者で固めていやがる」

 

『炎の男』の読み通り、西凛寺首相は彼らとは別の転移系能力者を秘書として抱えていた。

 能力の行使により、国会議事堂の外へと逃れていたのである。

 陛下を始め、他を逃がす猶予がないのであれば、限られた中で最善手を打ったと言えるだろう。

 たとえ内閣総理大臣であっても、天皇陛下の前ではワンオブゼムに過ぎないため、議場では適当な席に着く。

 事前に着座位置を知ることは、さすがのTSGにもできない。

 初手で狙い撃ちにされなかったことが、功を奏したのであった。

 

 すべてが理想通りとはいかなかったが。とりあえず狙いの片方は押さえた。

 舞台は整ったと言えるだろう。

 アレクセイは、歯を剥き出しにして嗤った。

 

「さあユナよ。決戦の舞台は整えてやったぞ。来るがいい」

 

 国会議事堂の中までは、狙撃の弾も届かない。

 かつて己を倒した女との直接対決こそが、彼の望みであった。

 

 

 ***

 

 

 混乱のどさくさに紛れ、辛うじて難を逃れた西凛寺首相は、秘書に声をかけられる。

 彼こそが転移系能力を持つTSPであった。

 

「陛下はご無事でしょうか」

「おそらくはな。しかしいつまでもつか」

 

 不安を込めて、国会議事堂の方角を見やる。

 

「外部へ連絡は取れるか」

「ダメです。通信がジャミングされているようです」

 

 二人は知る由もないが。

 入念な下準備を済ませていた、トゥルーコーダの面目躍如である。

 

「どうにかして連絡を取れ」

「どなたへ」

「星海氏と――ゴールマン大統領だ」

 

 国会とは国の最高機関であり、天皇は国の象徴である。

 それがとうとう脅かされた。

 すなわち、今の事態こそは国家の危機である。

『TSP保護隔離声明』を始め、日本は人道的配慮という看板を掲げ、彼らに徹底して蓋をしてきた。

 そのツケが回ってきた。平和ボケし過ぎていたのかもしれない。

 

 やはり――使うしかないのか。

 

 西凛寺首相は、昏い決意を固めていた。



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12「東京決戦 2」

[1月20日 13時15分 QWERTY本部]

 

「はあ!? 国会議事堂が占拠されたぁ!?」

 

 大好物のカップラーメンをすすりながら昼のニュースを確認していたタクマが、緊急速報に仰天していた。

 内部の様子はわからないが、最低でも報道陣は皆殺しにされてしまったことも伝えられる。

 総理大臣を始めとした国の重鎮たちや、天皇陛下がおられることも報じられる。

 外部映像では、議事堂の一部に結界らしきものが張られている様子も確認できた。

 

 いざというときのため、昼寝していたユナも飛び起きてきた。

 彼女もニュースを確認し、深刻な顔で呟く。

 

「ついにやりやがった。西凜寺のジジイも殺されたのか?」

「さあ。そこまではわからないですけど……」

 

 引き続き占拠しているという事実がカギかもしれない、とタクは考える。

 重要人物を皆殺しにしたのなら、さっさと引き上げるはずだ。

 

「あの結界は国側の誰かの能力かもしれない。連中、まだ立てこもっているじゃないですか」

「なるほどねえ。生き延びたお偉いさんは助けを待ってるってか」

「だとしたら、時間は限られるでしょうね。あれじゃ外に出られない」

 

 緊急の備えはあるはずだが、結界の狭さを考えると期待はできない。おそらく備蓄は結界の外にある。

 高齢であることを考えると、もって一日や二日というところだろうか。

 いや、それ以前の問題として、あの強力な結界がいつまで持続するかわかったものじゃない。数時間以内にケリを付けなければ危ないかもしれない。

 話しているうち、続報が入る。

 ほぼ同時刻に霞が関襲撃。さらに23区各地で警察及び自衛隊とTSGとの戦闘が始まっているようだった。

 恐るべきは、これまでの事件と桁違いの人数である。

 暴徒と化したヤクザ者たちが、少なくとも数千人規模で活動していると見られた。

 とりわけ事件の中心地である永田町は手厚く武装テロリストたちが回されており、戦闘は既に激化していた。

 

「これって……! フランスのやつじゃないですか!」

 

 女性隊員が青い顔で口元を押さえる。

 フランスでも類似の事件があったことを、彼女は覚えていたのだ。

 

「どうしますか。ユナさん」

「どうするも何も。行くっきゃないでしょ。お国の危機だ」

 

 ポキポキ指を鳴らすユナは、不敵な笑みを浮かべる。

 狂戦士になぞらえられるだけのことはある。大軍団を敵にしても気後れなどなく、むしろ気合十分だ。

 

「けど、空から一発で飛んでいくのは……ダメだな。良い的になるだけだ」

 

 頭のどこかで冷静な計算も忘れない。

 ここまで大々的に占拠されては、いつもの手は使えない。陸路で乗り込むしか手はなさそうだった。

 さて、QWERTY本部は東京でも23区の外にある。金の問題もあるが、新たに基地を建てるに十分な広さの土地がそこにしか取れなかったためだ。

 能力や銃弾雨あられの激戦地を切り抜けて永田町に乗り込むのは、相当に難題だった。

 普段使っている乗用車に扮した装甲車では、耐久性に問題があるか。

 そこまで考えたユナは、目立つリスクを天秤にかけて、決断した。

 

「軍用車があっただろ。あれで行く」

 

 まさか東京で使う日が来るとは思わなかったが、万一に備えておいたのが役に立ちそうだ。

 

「私は荷台で車を守る。運転は浅間に任せる。頼めるか」

「行けます。ユナさん」

 

 あらゆる乗り物の運転にかけて、ユナの次に上手いと定評のある浅間隊員が、力強く頷いた。

 

「タクはいつも通りバックアップを。政府関係者から連絡あったら繋いでくれ」

「了解っす」

 

 とそこへ、ユウを連れ立ってクリアハートが入ってきた。

 ユウはいつになくそわそわし、クリアはキリっとしている。

 毎度のことなら、【神隠し(かくれんぼ)】の出番と考えて来たのだ。

 

「わたしの、務めは」

「今回は大丈夫だ。しっかりユウの子守りしてておくれよ」

「ん」

 

 クリアが敬礼したところ、彼女の手を振り切って、ユウは母に縋り付いた。

 

「おかあさん!」

 

 人の痛みがわかるユウは、たくさんの戦闘の声に苦しんでいた。

 目に涙すら浮かべて、必死に止めようとする。

 

「あのね。きょうね、あぶないがいっぱいなの! おかあさん、いっちゃやだ!」

「ユウ。一丁前に心配してくれるのかい」

「だめなの。いくらおかあさんだって、しんじゃうかもしれないよ!」

 

 心配でいっぱいのユウの頭を優しく撫でて、ユナは微笑んだ。

 

「危ないからこそ行くんだよ。助けに行くんだよ」

「でも……!」

「大丈夫。お母さんはすごく強いんだから」

 

 指でピストルの形を作って、ユウに向かってバン! とやった。

 いつもながら、自分を安心させるためにやってくれる決めポーズ。

 お母さんは、やっぱりお母さんだ。

 どんなに言っても止まらないのだと、幼心ながらにユウは理解した。

 ぐっと歯を食いしばってこらえるユウの頭を、もう一度ぽんと軽く叩いて。

 気持ちを受け取ったユナは、みんなに告げた。

 

「じゃ、行ってくる。ちょっくら日本を救いにね」

 

 浅間を伴って颯爽と発つ母の後ろ姿が、小さなユウの目にカッコよく焼き付いていた。



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13「東京決戦 3」

[1月20日 12時55分 霞が関]

 

「よろしくお願いいたします」

 

 提出書類をまとめたファイルを手渡し、シュウは深々と頭を下げた。

 

 玄関口を出た彼は、肩を回しながら息を吐く。

 

「とほほ。こんな物騒な時期にお役所回りとは」

 

 ペーパーレス化が進みつつあるとは言え、一切紙が要らないというわけではない。

 彼の仕事柄、たまには省庁へ出向かなければならないときもあるのだ。

 ただそれはお役人たちも、そして警備に立つ警察の人たちも同じこと。

 

 お疲れ様ですね。僕たち。

 

 なんて思いながら、明らかに去年より増員された警備員を見やりつつ。

 うんと伸びをし、空を見上げた。

 

「ユナ。ユウ。お父さん今日も頑張ってるよ」

 

 冬空はからっと晴れていて、一点の曇りもない。

 今日もどこかで事件が起きているのだろうか。

 あの人は銃声を鳴らし、戦い続けているのだろうか。

 詳しくはあえて聞いていないが、妻がTSG事件の対応に昼夜問わず当たっていることは重々理解していた。

 妻は強い。世界最強の嫁だ。戦いで死ぬことはないと信じている。

 だけど、強いだけの人などいない。

 可愛いところもたくさんあり、意外と初心であったり、か弱いところもあるのだ。

 この世界で僕だけが知っている顔がある。

 ならば、あの人がそんな弱さを見せられるような、安心して帰れる家庭を守ることが僕の仕事だ。

 静かな決意を胸に、単身赴任の心意気でサラリーマン生活を続けてきた。

 でも今回はさすがに長いかな。寂しいよ。可愛いユウにも会いたいなあ。

 若干しんみりしつつ、昼飯にでもするかと時計を見る。

 時刻はちょうど13時00分をわずかに過ぎたところで――。

 

 突然、上の方から爆発音がした。

 

「うわっ!? なんだなんだ!?」

 

 驚いているうちに、弾けた窓ガラスとコンクリートの破片が、彼の目の前へ雨あられと降り注ぐ。

 たまたま家族を想い、時計を見るために立ち止まらなければ。

 大怪我していたか、最悪死んでいただろう。

 慌てて回り込み、ビルの方を見上げると。

 ちょうど彼が書類を手渡しした階の辺りが、爆発で吹き飛んでいた。ニアミスにもほどがある。

 

 まさかTSGか。白昼堂々、国のど真ん中に、この霞が関にテロを仕掛けてきたっていうのか!?

 僕の四半期がかりの仕事が台無しに――って、言ってる場合じゃない!

 よりによって今日、こんなときに!

 

「僕が何をしたって言うんだああっ!」

 

 自分の運命を呪いつつ、行動は的確で素早かった。

 一も二もなく、自身の車へと駆け出したのである。

 連日の爆破事件で電車はすべて止まっているため、彼は自家用車でここまで来たのだ。

 ユナの夫をするなら、修羅場の一つや二つでは済まない。慣れたくはないが、こんなことは正直慣れっこであった。

 間もなくここはテロ集団に襲われる。激しい戦闘になる。

 一般人Aだろうが何だろうが、奴らは皆殺しにする。

 一刻も早くこの場を抜け出さなければ。命がいくつあっても足りない。

 

 既に魔の手は回っていた。

 駐車場にも、銃を持ち覆面を被った怪しい男たちが待機している。

 彼らはシュウの姿を認めるなり、かける言葉もなしに銃弾を撃ち込んできた。

 

「うおっ!?」

 

 しかし彼は、ただでくたばる男ではない。

 サラリーマンの武器であるかばんを盾に突進していく。

 それはなんと、銃弾を弾いていた。

 

『あなた。私からの誕生日プレゼントよ♡』

『何だい。楽しみだな』

『じゃーん。防弾かばんだ。私の愛がたっぷり詰まっているぞ』

『あ、ありがとう……』

 

 愛情印の防弾かばん。さりげに着込んだ防弾スーツ。

 あの人からのプレゼントは、大半が妙に物騒なものばかりだが。

 とにかく生きるには役に立つ。

 

 僕には君みたいな力も、特別な才能もない。

 これしか。君に何度無視されても蹴られても、交際を申し込み続けたような。

 クソ度胸しかない。

 帰るべき家庭には、僕もいなくてはならない。二人が悲しむから。

 

 愛する妻が。子供が待っているんだ!

 

 男シュウは、魂の叫びを上げる。

 

「こんなところで死ねるかあああーーーーっ!」

 

 進路上邪魔になるのは、一人だけであるのを確認して。

 恐れを凌駕した家庭戦士は、目の前に銃を持った敵がいるのもおかまいなしに、ただ己の車を目指し走った。

 気迫に押されたか、テロリストは弾切れになるまで撃ち尽くしてしまったようだ。

 動揺した隙に、シュウはなりふり構わずかばんで彼を殴り倒す。

 防弾かばんは重量があり、適当に振り回しても頭に当たれば、大きくよろめくくらいのことはする。

 それを見届けることすらせず、シュウは一目散に自分の車へ逃げ込み、急エンジンで発車した。

 防弾仕様の四人乗りミニカーが、唸りを上げる。

 

「どけぇーーーーーー!」

 

 普段の優しい顔つきが、まるで嘘のようだった。

 鬼気迫る表情で、狂ったようにクラクションを何度も叩き鳴らし。

 邪魔する奴はガチで轢き殺さんばかりの勢いで、入口の包囲を強引に突破する。

 すぐにカーナビを付けて位置を確認――電波障害か。

 あいつら、「やってる」な。

 TSGによる妨害行動だと判断したシュウは、目視で脅威を確認しつつ、危険領域からの脱出を図る。

 幸か不幸か、テロの脅威に晒された東京は車通りが少なく、運転自体は快適だった。

 

 

 ***

 

 

 結論から言えば、永田町周辺はかなり包囲されていた。

 既にテロリストたちと警察、自衛隊の戦闘は激化しつつある。

 銃弾や砲火、時たま謎のよくわからない力が飛び交う中。

 あっちでもないこっちでもないと、シュウは懸命に場違いのミニカーを走らせていた。

 生存が第一。どこかに活路があればと、必死に頭を巡らせながら。

 

 途中、彼は立ち往生していた二人の人物を見つけた。

 どちらもスーツ姿で、明らかにテロリストではない。

 どこかですごく見たことある顔のような気がしたが、気にしている場合ではなかった。

 さっと車を止め、声をかける。

 

「お困りでしょう。乗りますか」

 

 すると老人の方がひそひそ話で若めの男に相談してから、重々しく頷いた。

 

「ああ。頼む」

「危ないので、シートベルトをしっかり締めて下さいね」

 

 二人を後部座席に乗せ、再び車は走り出す。

 ミラー越しに彼らの疲れた顔を確認しつつ、シュウは話しかける。

 

「どちらへ向かわれますか」

「とにかく安全な場所であれば」

「それなら目的地は同じですね。おっと」

 

 どこからともなく、対物砲が飛んできたが。

 シュウは巧みなハンドル捌きでグイっと蛇行し、それをかわした。

 そのままの勢いで、ドリフトカーブを決めつつ、通りを曲がる。

 これも先天的な才能はまるでなかったが、ユナと相乗りを続けるうち「自然と」身に付いたものである。

 

「ね。シートベルトしておいてよかったでしょう?」

「「…………」」

 

 二人の男――西凜寺首相と秘書は、唖然とする。

 あまりに常人離れした肝の座りっぷりと運転っぷりに、さしもの西凜寺首相も目を丸くし、困惑していた。

 いや、実際助かってはいるのだが。

 

「君、何者かね……?」

「通りすがりのしがないサラリーマンですよ」

 

 キレッキレの運転テクを見せつけながら。

 

「ただ、妻がちょっとアレでしてね。僕もこうなっちゃいました」

 

 シュウは外回りの大きな武器でもある、人当たりの良い穏やかな笑みを浮かべた。



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14「東京決戦 4」

[1月20日 13時23分 東京23区外]

 

「よしよし。いざというときは頼むぞ」

 

 よもや出番があるかと荷台に載せた愛機のバイクを撫でつつ、ユナはにやりとした。

 彼女の愛機は名をディース=プレイガという。惑星エストティア原産の最高級バイクであり、リルライト製でとにかく頑丈なのが売りである。

 リルライトとは、かつて彼女の友人ルイス・バジェットが開発したエストティア最強の合金だ。リルナという特殊機体のために開発され、汎用の合金よりも数段上の強靭性を誇るが、極めて生産コストが高い。ディース=プレイガは、そんなものを惜しみなく使った逸品なのだ。

 ただし、量産機に付属するブロウシールドや飛行機能はオミットされている。動力も量産機は電力だが、これは石油で動くようになっている。最初から地球での運用が考慮されたためだ。

 色々と許容性の低い地球では、バイクのような飛行に適さない車体を安全に飛ばすことがそもそも難しい。風や弾丸をバリアで防ぐブロウシールドもろくに機能しない。何より不自然に目立ってしまう。諸々を考慮し、地球で自然に使えることが最重視された結果だった。

 それでも銃弾程度であれば容易く弾き、非摩耗性タイヤもパンクとは無縁の優れた耐久性を持つ。命を預けるに相応しい名機には変わらず、彼女も重宝していた。

 

「何にやにやしてるんですか」

 

 軍用車の運転役を務めることになった浅間 ケイゴが呆れている。

 相変わらず、これから死地に向かおうとは思えない余裕だと彼は思う。

 

「浅間君にはこいつのロマンがわからないかな」

 

 ユナは単にバイクのことを言われたと思ったのか、わざとらしくおどけて笑った。

 

「やれやれ。行きますよ」

「運転しっかりね」

 

 地上最強の主婦は荷台に立ち、【|火薬庫(マイバルカン)】からいつもの武器を取り出す。

 

《アクセス:バトルライフルYS-Ⅱ》

 

 彼女を乗せた軍用車は、23区内を目指して急発進していった。

 

 

 ***

 

 

[1月20日 13時47分 東京都内]

 

 都内は炎上し、あちこちアスファルトが捲れている。建物は傷つき、倒壊したものもある。窓ガラスなどが散乱し――要するに魔境と化していた。

 戦車や特殊車両が街中を闊歩し、ヤクザ者たちと交戦を繰り広げている。

 様子がおかしいのは、一部の警察や軍隊が味方を攻撃していることだった。

 時折飛んでくる流れ弾から身を伏せつつ、ユナは通信でタクに尋ねた。

 

「どうなってる? なんで味方同士までドンパチやってんの」

『どうやら警察や軍隊の中に内通者がいるようで。あと様子が普通じゃないのもいるみたいっす。操られてるんですかね』

「そいつは厄介だな」

 

 攻撃に巻き込まれないよう、渋谷道玄坂付近まで慎重に車を進めた二人であったが。

 とうとう右も左も激戦区となり、車両の押し通る隙間もない。にっちもさっちもいかなくなってしまった。

 ケイゴはたまらず通信機を取り出し、後方のユナに伝えた。

 

『どうします? どこも通れませんよ』

『うーむ。本格的に通行止め食らってるんじゃしょうがないね』

 

 わずかに思案し、ユナは素早く決断した。

 

『わかった。どっか適当なところで降ろして帰っていいぞ。後は私の方で何とかする』

『何とかするって言ってもですね。バイクでも状況変わらないと思いますけど。余計危なくないですか?』

『心配ごもっとも。でもま、色々やりようはあんのよ。私を信じろ』

『はあ。あなたって人は。わかりましたよ』

 

 ケイゴは呆れるが、彼女が眩しくもあった。

 いつも自信満々に言い切るものだから、本当に何とかなる気がしてしまう。実際この人はどんな困難に思われたミッションでも果たしてきたのだ。

 ユナの変わらぬ前向きさに張り詰めていた緊張がほんのり和らいだ――そのときだった。

 

『おい。今すぐブレーキ踏め! 飛び降り――くっそ!』

 

 荷台から一つの影が飛び出す。

 紛れもなくユナの駆るディース=プレイガである。走行中にも関わらず急発進させていた。

 

 そして直後――彼女を乗せていた特殊車両は爆発炎上した。

 

 爆発に煽られ、荒ぶる機体を空中でどうにか制御し、地面への激突を避けるユナ。

 前のめりにタイヤが接地した瞬間、暴れる車輪をいなしつつ、ドリフトをかけて停車する。

 すぐに振り返って叫ぶ。

 

「おい、ケイゴ! ケイ――」

 

 はっとして言葉を失う。

 生命反応が消え失せている。燃え盛る車両の中、即死したであろうことを嫌でも悟ってしまったのだ。

 

「ちっくしょう! 間に合わなかったっ!」

 

 バイクのハンドルを力任せに殴りつけ、ユナは怒りに身を震わせた。

 原因の特定まではできなかったが、エンジン音のわずかな違和感を感じ取っていた。

 外からの攻撃――特に爆弾の類には十分気を付けていた。こちらを狙う銃火器にも十分気を配っていた。

 ならばそれ以外によるもの。能力による攻撃。しかも車両を直接狙ったものだ。

 わかっていた。なのに!

 攻撃自体に気付くことはできても、わずかな猶予ではどうにもならなかった。

 

 まただ。自分以外を助けることができなかった……!

 

 大きく溜息を吐いたユナは、自分の頭を一発ぶん殴った。

 それで強引に頭を冷やしたのだ。

 

「どうして人ってのはこう、あっさり死んでしまうんだろうね」

 

 無常感の満ちた言葉を発しながら、悔しさを押し殺すように歯ぎしりする。

 こんなことは初めてじゃない。何度もあった。

 数多の戦い。ただの人という弱者の中で、『いくらかやれる』程度の自分ばかりが運良く生き残った。

 まったく不公平な話だ。人はあまりに脆く、奴らは強過ぎる。

 

「悪い。こんなことになるんなら、連れてくるんじゃなかった」

 

 ぽつりと呟き、ノールックで携えていたバトルライフルを右方へ伸ばす。

 そして容赦なく引き金を引くと、一発の銃声が鳴り響いた。

 彼女には直接見えていないが、気配は視えている。

 それは過たず、TSPの一人をヘッドショットでぶっ飛ばしていた。

 さらに二度、三度と続け様に引き金を引くと、すべての攻撃者は血しぶきを上げて殲滅される。

 一度尻尾を出した殺気を見逃してやるほど、彼女は甘くはなかった。

 追加の攻撃が飛んでこないことを確認し、ユナは無感動に呟く。

 

「仇は取ったぞ。こんなことで浮かばれるものでもないけどね……残った家族への保障は任せろ。だからゆっくり休めよ」

 

 それから、無線を取り出してタクへ連絡する。

 

「ケイゴが死んだ」

『え!? ケイゴさんが!?』

 

 通信機越しでも動揺が広がっているのが彼女にはよくわかった。

 何しろ味方内ではTSG事件初の犠牲者なのだ。無理もない。自分だってつらい。

 

「タク。あいつには本当にすまないんだが、悲しんでる暇はないんだ。ここは戦地のど真ん中だもの。サポート頼む」

『そ、それはもちろん! でもどうするんです? 調べましたけど、国会まではどこの道も封鎖されてて。ユナさんなら歩きでもいけるでしょうが、それだと時間がかかり過ぎて――』

「いいや。道ならあるさ。電車は止まっている。でしょ?」

 

 不適に微笑んだユナは、それだけ言うと再びバイクを急発進させる。

 最も近くにあった地下鉄の入口に向かっていく反応を、タク愛用のモニターがしかと捉えていた。

 当然、そこは人が歩いて向かう場所であって、断じてバイクを爆走させるような場所ではない。

 地図なき道を突き進むからナビゲートよろしく。この人はそう言っているのだった。

 

『ああーーっ!? また無茶始めたぞこの人ーーー!』

 

 頭を抱え叫ぶタクの音声を肴に、ユナの操るバイクはガリガリと階段をホームへ下っていった。



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15「東京決戦 5」

[1月20日 13時50分 東京都内某所]

 

 カーラス=センティメンタルはホテルの一部屋に身を潜め、トゥルーコーダ特製のPCから外の様子を観察していた。

 彼女自身に戦う力はないため、やることやったら見物に回るのが彼女の性分である。

 そこへ機械音声が流れる。当PCの作製者『彼』のものであった。

 

『残念。さすがに初手でやらせてはもらえないか』

 

 最初の攻撃が失敗に終わり、声色にはわずかに悔しさを滲ませていた。

 都内複数のカメラにハックを仕掛け、『わざわざこんなときに外から向かってくる車両』を徹底的にマークしていたのだ。

『炎の男』と違い、『彼』は無差別攻撃を良しとしない。スマートでなく、美しくないからだ。

 ゆえに星海 ユナが乗っていると断定できたところで仕掛けた。

 あらゆる電子機器を操る『彼』の【電気仕掛けの神(デウス=エクス=リレクトリキ)】にも、唯一の弱点がある。それは静的オブジェクト――つまり動き回っていないものにしか使えないということだ。

 座標を指定して行使するタイプのため、高速で動き回る車両の類を外側から狂わせるのは難しい。

 そこで協力を申し出たのがカーラスだった。彼女の手勢にはターゲッティングを補佐する能力を持った男がいた。彼の力を借りることで動的オブジェクトにも対象を広げることができたのだ。

 車というものは一見するとハードの塊のようで、実のところ部品には多く半導体が使われている。心臓部であるエンジンにもチップは積まれており、狙いを付けられさえすれば爆破炎上させることも可能だ。

 そうして満を持して奇襲したはずなのだが……ユナ自身は逃れてしまった。恐るべき危機察知能力である。

 とは言え戦果一。無駄ではなかったが、こちらも犠牲を出し痛み分けというところか。

 

「容赦ないわねー。いきなり脳天ぶっ飛ばすとかさあ!」

『容赦のなさで言ったら、ぼくらも似たようなものじゃないか』

「だけどさー!」

 

 可愛い部下をやられてぷんぷんしているカーラスに、性格上ぶっきらぼうな口になるものの、トゥルーコーダも同意していた。

『彼』とターゲッティング能力の相性は極めて良好で、当作戦に失敗したとしてもまだまだ活躍してもらうつもりでいた。計算外の手痛い損失だ。

 見つかるはずがない位置、そして当たるはずのない距離だった。

 星海 ユナの狙撃能力はもはや、我々TSPの異能にも等しい域に到達している。そう結論せざるを得ない。

 

『こうなるかもしれないから、別にぼくに付き合ってくれなくてもよかったんだけどな』

「感謝しなさいよ。コーダ。あんたって情報戦(ソフト)じゃ無敵でも、現実戦(ハード)の方はからっきしなんだから」

『まあ……一応礼は言っておこう』

「素直じゃないよねー」

 

 呆れながらカーラスがほんのり口元を緩めたことに、画面の向こうのトゥルーコーダは気付かない。

 

「で、まんまと地下に逃げられちゃったわけですけど。これからどうするの?」

『あえて開けておいたのさ。彼女、袋の鼠だってことに気付いているのかな』

 

 

 ***

 

 

[1月20日 13時52分 東京メトロ半蔵門線]

 

「――て感じの算段を敵さんは描いているだろう。つまり両者合意含みの既定路線ってところだな」

 

 無人の地下街でディース=プレイガを力強く走らせながら、ユナはタクと通話している。

 営業停止の地下鉄は当然、電灯も消されていた。真っ暗闇の中を暗視スコープと肌感覚を頼りにバイクを進めているわけだ。

 

『路線をバカ走ってるだけにですか?』

「別に上手くないぞ。てか私だってやりたくてやってるんじゃないっつーの」

 

 時間の猶予さえあれば、地上から徒歩で進んでいくのが確実だった。だがそれでは手遅れになることは明白。

 彼女としてはリスクを承知の上で、用意された道に乗っかるしかなかったのだ。

 そして、彼女の優れた気力感知はとっくに知らせている。

 

 ホームにはもうたくさんの敵が潜んでいることを。

 

 改札口に差し掛かったユナは、器用にもウィリーを駆使して改札を乗り越えた。

 いよいよ階段を下ればホームだが、馬鹿正直に突っ込んでいけば一斉射撃を受けることは確実。

 ユナは戦闘民族ではあっても、フィジカルのごり押しで人を踏み倒せるような怪物ではない。

 だから頭を使う。無謀は避ける。

 彼女は【火薬庫(マイバルカン)】で即時に武器を持ち換えた。

 

《アクセス:バウンスシューターYS-Ⅶ》

 

 ユナスペシャル(特注仕様)の七番目が解放される。

 彼女は躊躇うことなくバイクを進め、ホームへ続く階段の一段目へタイヤを乗せたとき、息をするかのように六連射を放った。

 六発の弾丸は各々床の異なる地点に着弾し――あっさり外したかと思われたが、そうではなかった。

 接地した弾丸は跳ね返り、ベクトルを変える。そして一発の無駄もなく、正面から彼女を襲うべく待ち構えていた敵共の脳を吹き飛ばしてしまった。

 射線外からの奇襲。

 

 バウンスシューターYS-Ⅶとは、跳弾に特化した特殊な銃であった。高速で打ち出された弾丸が極めて跳ね返りやすい構造になっている。

 普通の人が使えばただの欠陥銃に過ぎない代物は、跳弾さえも完璧に計算して撃てるユナが扱えば超性能の室内武器へと化ける。

 まさしく彼女専用の銃と言えよう。

 

 複数の呻き声と急速に減衰する生命力反応を確かめたユナは、再びバトルライフルへ換装しつつ、王者の進撃を続けた。

 前輪がホームの平らな床に到達する。予め掃除をしておいたので、一斉射撃も来ない。

 目立ちたがりを始末すれば、残りは物陰に隠れ潜みながらこちらを狙う標準的な慎重者だった。そういう相手であれば、万が一も起きない。

 銃口をこちらへ向けた者を優先し、一人一人確実に始末していく。いざとなれば弾を避けることもできるが、なるべく撃たせる前にやるのが鉄則だ。

 だが臆する者まで無理に全員殺すことはしない。移動が優先である。

 本来なら電車が通る路線へと豪快に飛び出した。ドスンと重たい着地音を上げ、さらにバイクのエンジンは唸りを上げて加速する。

 敵たちはあっという間に置き去りにされていった。

 

 戦いに関しては祈ることしかできないタクは、リーダーが最初の窮地を切り抜けたのを見届けて、ひとまずほっと胸をなで下した。

 もちろん散々彼女の強さを見てきたので、信じてはいるのだが。一々やることが派手なので心臓に悪い。

 

『ほら。やっぱり危なかったじゃないですか』

「このくらいは楽勝よ」

 

 けらけらと笑うユナ。普通の人なら死地でもこの人にしたら朝飯前なところに、タクはこの世の不公平を感じた。

 

『この調子じゃ、位置とかもリアルタイムで把握されてるでしょうね。また仕掛けてきますよ』

「だろうね。能力者にはあんたみたいなのもいるわけだしさ」

 

 電脳を操るタクを知っているユナとしては、TSGの層の厚さを考えれば、確実に類似タイプの能力者がいると踏んでいた。

 そもそも、あまりにもタイミングが良過ぎるのだ。最初の仕掛けと言い、地下での準備の良さと言い。

 このときこの瞬間に来るとわかっている者の待ち構え方だった。

 

『世界中をハックした奴は確実にいますしね。状況は進んだようで、余計追い込まれてる気がするんですけど。マジで大丈夫っすか?』

「だから頼りにしてんのよ」

『僕をってことでいいんですよね?』

「もちろん。敵の策略を信じるか相棒を信じるかで言えば、そりゃあんたの力を信じるでしょ」

『……フッ。そう言われちゃあ男タクマ、一肌脱がないわけにはいかないっすね!』

 

「ちょろいな」と思ったユナであったが、やる気に燃えている相棒にあえて水を差すことはしない。実際何度も助けられている。

 彼の【知の摩天楼(インテリジェンス=スカイスクレーパー)】は、こと三分間に限って言えば最強レベルの情報能力だ。

 だからこそ使いどころが肝心。極力自力で対処し、ここぞというときで力になってもらう。

 それこそが鼠の活路であると彼女は直感し、頭の中で作戦を組み立てていた。

 

 さて、東京メトロ半蔵門線は、渋谷から国会議事堂までを最短ルートで結ぶ。

 渋谷駅を出れば表参道、青山一丁目と続き、その次が永田町である。

 単純計算であと三つ駅があり、つまりは三つ敵が大量配置されていると考えて間違いない。

 現在走っているトンネルは所々曲がり箇所があるが、走行自体は滞りなく快適だった。

 車両が通るには余分な隙間もほとんどない設計だが、バイクであれば十分余裕がある。

 

 彼女の駆るバイクは、表参道までの中間地点ほどに達していた。

 その頃には一つの懸念が杞憂であることを察し、彼女は内心ほっとしているところだった。

 今最悪なのは足がやられることだと考えていたのだ。

 

 なるほど。いつこのバイクも爆発させられるかひやひやしていたが、どうやらもうその手はできないらしい。

 やれるならとっくにやっているはずだからな。

 子供向けアニメの悪の組織じゃないんだ。初手だからと戦力を出し惜しみする奴はいない。むしろ最も確実性の高い作戦を遂行する。

 ということは、地上でぶっ倒した奴の中に当たりがいたんだろう。あそこで始末しておいてよかったな。

 

 とそこで、彼女の優れた眼は仕掛けられた罠を捉えた。

 

「暗闇に糸か。敵が大人しいと思ったら。姑息な真似するねえ」

 

 細い糸状のものが、どうやら一面に張り巡らされている。バイクの速度で突っ込めば肉体はバラバラになってしまうだろう。

 ピアノ線か高強度繊維の類だと見破ったユナは、虚空から右手に武器を取り出した。

 

《アクセス:リルスラッシュ》

 

 バイクを自動運転モードに切り替え、先端部から跳び立つ。

 慣性速度を乗せた細身が、華麗に宙を舞う。

 手にするは白銀の刃。それ自体は何の変哲もない、リルライト製の超合金ブレードである。

 そこへユナ自身の命の力が注がれる。

 見た目の変化はないが、気力を感じ取れる者ならば、淡い白色のオーラを帯びていくのがわかるだろう。

 広い宇宙には気剣のようなオーラ武器を作れる連中がいる。だがあまりに魔法に長けた彼女は相対的に気の扱いは不得手であり、その域には達していない。

 しかし物質に気力を纏わせることはでき、強度を高めることは可能。それならば人の領域の技術である。

 ユナが一度気を帯びさせたなら、どんなものであれ地上最強の剣になる。

 まして素材が高強度の合金であれば、鋼以上の強度を持った繊維の束をも一刀両断できるほどに。

 まるで紙を切るように障害物を斬り裂いたユナは、くるりと一回転してバイクに着地を決めた。

 

「ふう。手間かけさせるんじゃないよ」

『さらっととんでもないことしたっすね』

 

 タクの突っ込みを受けつつ、快速でバイクは進んでいく。

 今のところ、トンネル内で直接襲撃はない。糸の他にも爆弾等仕掛けの類はあったが、どれも事前に見破って処理できている。

 狙撃に優れる彼女に狭いトンネルでけしかけても遠くから撃破されるだけ。敵も無駄な戦力を消耗したくないということなのだろう。

 

 さて。そろそろ表参道駅のホームを横切る。

 やはりというか、そこにも敵は大量配置されていた。

 今度こそ飛び出た瞬間に一斉射撃をもらうだろう。 

 跳弾武器は既に知られている。同じ手を二度使えば、シールド等の対策を取られているかもしれない。

 そう考えたユナは、まったくやり方を変えることにした。

 

《アクセス:ロケットランチャーYS-Ⅴ》

 

 無骨な鈍色の弾頭が輝く。ユナスペシャルのNo.5が火を噴くときが来た。

 なんてことはない、超威力のロケランである。

 構造上低反動ではあるものの、威力を追求したためにかなりの重量がある。

 バイクに乗りながら平気で立ち撃ちできるのは、やはりユナくらいのものであった。

 

「寒い中群れてぬくぬくお過ごしの皆さん。素敵なプレゼントをくれてやるよ」

 

 パワーイズジャスティス。

 日本という国で絶対にしてはいけない感じの盛大な爆発が、すべてを豪快に吹き飛ばした。

 時刻表を貼り付けた柱は崩れ落ち、壁は一瞬で砕け、焦げ付き、表参道の蛍光看板も粉々に消し飛んだ。

 スプリンクラーが噴出し、まるで泣いているようだ。

 当然、敵に生存者などいない。

 

「よし」

 

 事もなげに頷くユナの裏で、タクはほとんど泣き叫んでいた。

 

『うわああああああ!? またなんてもんいきなりぶっ放してくれてんですかぁ!?』

「ちゃんと天井崩れないように計算して撃ったから大丈夫だって」

『そういう問題かなあぁぁ!?』

 

 盛大に頭を抱えまくっているタクは、ついに壊れたのか、ぶつぶつと独り言を始めた。

 

『ああ……始末書増える……仕事増える……謝罪行脚増える……』

「別にさあ、全部あいつらがやったことにすればいいじゃん」

『しれっと妙なこと言うのやめて下さいよぉ!』

 

 表参道はクリア。残りは二駅だが、このまま順調に行けるかどうか。

 一抹の心配はあるものの。

 とりあえず派手に敵を吹っ飛ばしてちょっとだけスカッとしたユナは、不敵に笑った。

 

「想定が甘いのよ。私を殺したかったら核兵器でもぶつけるか、フェバルでも連れてくるんだな」

 

 

 ***

 

 

[1月20日 13時58分 東京都内某所]

 

 表参道駅でロケットランシャーが炸裂した様を見せつけられ、カーラスとトゥルーコーダは……目が点になっていた。

 

「うわぁ……」『おう……』

 

 もちろん自分たちにも自分たちなりの正義があるわけだが。世間一般で悪とされているもの。

 これじゃどっちが正義の味方かわかったものではない。

 やがて我に返ったカーラスは、仲間を殺された憤りよりもどっと呆れが上回ったようだった。

 

『私が言うのもなんだけどさー、無茶苦茶するね。ドン引きしちゃった」

『……あの女、頭のネジ外れてんの?』

 

 まったくイカれている。

 さすが『炎の男』が宿敵と認めるだけのことはあるな、と二人は改めて気を引き締めた。

 

「で、決意はできたのかしら?」

『ああ。本当はもっとスマートにやりたかったけど。そっちがそうなら、こっちにもやり方があるってところを見せてやるよ』

 

 被害規模もなりふり構ってはいられない。トゥルーコーダ本気の第二攻勢が始まろうとしていた。



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16「東京決戦 6」

[1月20日 14時00分 東京メトロ半蔵門線]

 

 バイクは表参道駅を越え、青山一丁目駅方向へトンネルをかっ飛ばしている。

 いくつかの罠を的確に処理しつつ、彼女は着実に前へ進んでいた。

 ところが。

 

「んだとおっ!?」

 

 嫌な空気の流れに振り返り、さしものユナも思わず声が裏返ってしまった。

 何しろ突然背後から電車が生えてきて、こちらを轢き潰さんと恐るべき速度で猛追してくるのだから!

 煌々と輝くイエローライトが、死の匂いをちらつかせている。

 彼女は知る由もないが、トゥルーコーダの【電気仕掛けの神(デウス=エクス=リレクトリキ)】が、無人での自動運転を可能としていた。

 法定速度など知ったことではない。この場で使い潰すほどの勢いで、圧倒的質量が迫ってくる。

 

「そりゃチート(ずる)でしょ!」

 

 地下鉄のトンネルというものは、車両が通過できるギリギリの大きさに設計されている。バイクを車両の脇にどかして入れこむ隙間などない。

 つまりは、逃げるしかない。

 全開でアクセルを吹かすも、頭のネジが飛んだ無茶な走らせ方をしているのか、一向に引き離すことができなかった。

 通常走行モードでは埒が明かないか。内心ユナは独り言ちる。

 だがまだだ。まだ札を切るには早い。知らないところで見られている。すぐに対策されてしまう。

 この袋小路を生き延びるためには。とにかく焦ってはならない。

 

『ユナさん! どうしたんです!?』

「やべー勢いで電車来てんのよ。ありゃ潰す気だわ」

『うおおい、派手なの始まったな! どっかの誰かさんがロケランなんか持ち出すから!』

「本気にさせちゃったかしらね」

『はあ……。これなら言った通り、あいつらのせいにした方が楽かもしれないっすね』

「だから言ったじゃん」

 

 などと、あくまで軽口は忘れず。

 しかしそこで、さらなる追撃に気付いてしまう。

 

「マジかよ。挟み潰す気か!」

 

 なんと向こうからもフロントライトの灯が迫ってくるのを目の当たりにして、彼女にも冷や汗が浮かんだ。

 正面衝突。

 電車二本豪快にぶつけ合わせ、こちらを確実に仕留めるつもりだった。

 

『大丈夫なんですかこの状況! いくらユナさんでもやばいんじゃ!?』

「結構やばめのやつかもな」

 

 言いつつ、彼女の表情からまだ余裕は消えてはいなかった。

 なるほど。こいつが奥の手か。

 だったら――やってやれないこともない。

 逃げ場はない。普通ならばまず助からない。

 しかも敵はこちらがTSPではないことを知っている。

 対処はできない「はず」だと思っている。

 だから。ここだ。

 敵が勝利を確信した瞬間にこそ、隙は生じるもの。

 

「タク――今からだ。やれるか」

『了解』

 

 長年の付き合いが培ってきた信頼がある。

 阿吽の呼吸で、タクはユナの要求するところを汲み取った。

 

【知の摩天楼(インテリジェンス=スカイスクレーパー)】

 

 情報空間へと直接ダイブし、ユナへアクセスする手段をすべて断ち切る。

 有効範囲の【電気仕掛けの神(デウス=エクス=リレクトリキ)】に対して、効力で優位に立つ【知の摩天楼(インテリジェンス=スカイスクレーパー)】の面目躍如だった。

 これで敵は一時の間、ユナの位置取りを掴むことができない。

 わずか数分間の絶対的なアドバンテージが、彼女を守るのだ。きっと。

 タクは全面的にボスを信用している。当然今回も黙って信じることにした。

 

 ブラックボックスに包まれたユナは、毎度身体を張ってサポートしてくれるタクに感謝の念を向けながら、にやりと笑った。

 まったくどこの誰だか知らないが。随分性格の悪いことをやらかしてくれたものだ。

 確かに良い戦術だった。地球の常識でものを考えるならば、完全にチェックメイトだろう。

 だが。

 

「あいにくこっちは異世界帰りなんでねえ」

 

 疲れるからあんまりやりたくないんだが。

 内心ぼやきつつ、大量に放出した気で自身を堅固に纏う。

 

《バースト》

 

 長年鍛錬を積んできた気の使い手のみが到達できる奥義に、気よりも魔法の扱いが遥かに優れる彼女も当然のごとく到っていた。

 まさしく彼女の天才性ゆえである。

 許容性の極めて低い地球においても、気力強化だけは相変わらず有効である。

 一時的に超人的な動きを可能とし――そういや、あいつとのじゃれ合いではよく使ってたかもな。

 あのクソ生意気な跳ねっ返り娘の顔が不意に浮かび、こんなときだってのに思い出し笑いそうな気分になる。

 今どうしてんだかねえ。ま、とにかくここ一番だ。

 

 走らせたバイクそのものを【火薬庫(マイバルカン)】に収納する。

 彼女がそれを非生命で武器であると拡大解釈できる限りにおいては、そいつは出し入れできる。

 バイクで人を殺すことはできる。ならば武器にもなる。オーケー。

 宙に飛び出したユナに対し、対向電車の先端がもうそこまで迫っている。

 為すすべなければミンチは不可避。だが。

 

《アクセス:リルスラッシュ》

 

 二本(ツイン)

 奇しくもリルナの《インクリア》二刀流を彷彿とさせるような格好になったが、未来のことであるから彼女はもちろん知るはずもない。

 押し潰そうとしてくるものが巨大な鉄の塊だったら、彼女とて危なかっただろう。

 この「許されざる」世界においてすべては紙一重。一つの要素、一つの判断が即座に命取りになる。

 しかし電車には内部空間がある。いかに非現実的でも、人が通れる物理的な隙間はそこにあるのだ。

 

 ならば。道がないのなら、こじ開ければ良い。

 

 もう一度記そう。気の達人たるユナが、地上のどんなものより硬い金属にそれを纏わせたなら――この地球上で斬れないものはない。

 しなやかな関節の捻りを効かせて、凄まじい剛剣が連続で叩き込まれる。

 ぶち割られたフロントガラス、ねじ切られた運転室の扉。

 流れに身を任せ、彼女は無人の車両内部を舞い進む。

 速度を殺せば、足にダメージが来る。スピードはこのままだ。

 げに恐るべき動体視力と身体感覚は、実に時速300kmを超える体感速度の中でも、安定的な機動を可能としていた。

 掛け値なしに衝突事故の速さで襲い来る、各車両の障害物たち。座席が、手摺りが、つり革が。すべて殺人凶器と化す空間。

 黒い稲妻が駆けるように、戦闘服の彼女が隙間を跳ねていく。

 一足。二足。三足。床に鋼の足型を残しながら、瞬間的に押し迫る車両間のドアを斬って斬って斬りまくる。

 しまいに最後部車両、分厚いアルミ合金をも二撃の太刀でぶち破って。

 華麗に宙へ飛び出したユナは、再びディース=プレイガを呼び出して乗り込んだ。

 さらに走行モードを、通常からライトニングへ切り替える。

 地球にとってのオーバーテクノロジー。周囲を傷付けないマッハギリギリの速度を安定的に出力する。

 その時速、1200kmにも及ぶ。

 ユナは、このわずかな時間に勝負を賭けたのだ。

 それまであえて100数十キロまでの領域しか見せてこなかった。確実に計算を狂わせるはずだと。

 タクが鼻血を流してまで用意してくれた貴重な時間。一秒たりとも無駄にはできない。

 果たして、どこまでが想定通りだったのか。

 彼女の背後で突然、トンネルが崩れ落ちた。すんでのところで、彼女は最後の追撃を振り切ることができたのだった。

 おおよそ位置がわからなくなったので、とりあえず爆破しておこうと考えたのだろう。

 最悪でも閉じ込めることはできると踏んでの行為。

 敵ながらあっぱれだ。ほんと用意周到なことで。危ない思想じゃなかったら仲間に欲しいくらいだ、とユナは思う。

 そして残念ながら。風の流れで悟る。

 遥か向こうでも、同様にトンネルが崩れている。青山一丁目より先、最後の駅までは行き止まりだ。

 

「やれやれ。スリリングな地下鉄ライドもここまでってわけかい」

 

 バカみたいな速度を出しているため、次の駅まではあっという間であった。

 先と違い、突然の爆発に動揺しているのか、それとも明確に指示を受けていないからなのか。

 敵は待ち構えてはいたが、まったく心の準備ができていなかった。

 ユナは悠々銃で牽制しながら、駅のホームを超スピードで駆け上がる。

 ほとんどの敵は置き去りにして、彼女は地上へと舞い戻っていった。

 

 

 ***

 

 

[1月20日 14時02分 東京都内某所]

 

『何だと……!?』

「どしたのコーダ」

『おかしい。急に繋がらなくなったんだ。ぼくの完璧なセキュリティ工作が、構築が……!』

 

 相変わらず無機質な機械音声だが、声色からは明らかな狼狽が見て取れた。

 

『どうやって……!? あり得ない。ぼくを相手にそんな真似のできるヤツが……!』

「ああもう! しっかりしなさいよコーダ! ちょっと出し抜かれたくらいで。あなたってほんとガキねー!」

『出し抜かれた? このぼくが……?』

 

 ガン。モニターの向こう側で、硬いものが殴られる音が響く。

 

『こんなことは、初めての屈辱だッ! 二重にも三重にも罠は張り巡らせていた。策に一部の隙もない! 破れるはずがないんだッ!』

「ちょ、コーダってば」

『……こうなったら全部だ。残りの爆弾はすべて作動させる! やってくれ! カーラス!』

「もう。しょうがないわねー。ほんともう」

 

 カーラスは部下に命じて、【想像上の爆弾(イマジナリー=ボム)】を同時に起動した。

 たとえ電子機器が繋がらなくても、特定のトリガーで自動誘発するタイプの能力であれば、直接発動できるのだ。

 トゥルーコーダはほくそ笑む。

 あんたは間違いなく電車で潰れるし。よしんば奇跡的に逃れたとしても。

 

『そこから逃がしはしないぞ、ユナ!』

 

 そう。そのはずだった。彼の計画は完璧で隙がなく。

 相手があの地上最強の主婦でさえなければ。確かに終わっていたのだ。

 部下から連絡を受け、カーラス=センティメンタルは手で丸を作った。

 

「爆発はしたみたい。今頃どうなってるのかしらねー」

『ダメだ。わからない……。ちくしょう』

 

 必死にキーボードを叩くトゥルーコーダであるが、上位情報存在(タク)にすべてを掌握されている以上、太刀打ちできるものではなかった。

 無力に打ちひしがれ、悔し気に呻くばかりの「少年」がそこにあった。

 見かねたカーラスは、ひっそりと次の指示を部下へ飛ばそうとして。

 

「もしもーし。もしかしたらねえ、そっちの駅からホシが出てくるかもしれないから――え、もう来た? またやられちゃったのー!?」

『くそうっ!』

 

 もう一度、一際やけくそな調子で机か何かはぶっ叩かれていた。

 カーラスに伝えられることは最後までなかったが。

 ご丁寧にも、ハッキング元を特定したタクから、彼に向けて特別メッセージが送り付けられていたからだ。

 

『I am out of your league. Brat.(10年早いぞ。ガキ)』

 

 それから、長い長い気の抜けたような溜息が漏れる。

 

『はあ……』

「ふふふ。あなたのそんな悔しそうなところ、初めて見たかも」

『うるさい……。ぼくはもう、休む』

「おつかれ。それじゃー次は私の番かしら。カーラス様に任せておきなさい」

 

 そして、舞台は再び地上へ移る。青山から永田町までは、もうわずか2km足らずの距離。

 だがカーラスの手勢が隙間なく待ち構えている。熾烈な戦いのボルテージは加速していく。



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17「東京決戦 7」

[1月20日 14時03分 東京 青山周辺]

 

 バイクで地上へ駆け上がったユナは、直後、待ち構えていた大量の敵から熱烈な歓迎を受けた。

 もしタクに情報隠蔽工作をしてもらわなければ、待ち伏せから一斉射撃の蜂の巣を食らっていたことだろう。

 現状助かっているが、すぐに構え始めたところを見るに。

 やはり何者かの指示か。統制が取れている。

 ユナは野性的な感で、瞬時に優先順位を付ける。

 運転を止め、まず当面の危機を脱する。

 バトルライフルが火を噴き、3点バーストが無駄弾なく敵の頭を吹き飛ばしていった。

 建物の影から狙っていようと、ビルの窓から構えていようと。

 生命反応と殺気のすべてを読み尽くし、ことごとく的確に対処していく。

 この辺り、考えるよりも先に身体が動くよう染み付いている。

 地球の戦いは防御がどうしても紙になる。

 やられる前にやれが鉄則。極めてシビアなのだ。

 あらかた近場の脅威を撃ち倒し、バイクに足をかけてリロードしながら、彼女は冷静に周囲を観察する。

 既に幾重にもバリケードが構築され、その手前にも奥にも鬱陶しいほどの人だかりができている。

 

「考えたな。人の壁を作って物理的に止めようってか」

 

 見れば、カタギでなさそうな人間に加え、本来市民を守るはずの警察官や自衛官までが混成軍を成している。

 彼女はQWERTY隊員の言葉を思い出していた。

 確か操られているとか何とか言ってたな。催涙剤では止まらない強度だとも聞いた。

 ユナは舌打ちし、バイクを異空間へしまった。

 二の足で立つ。

 彼らは敵だが、多くは能力の被害者でもある。

 さすがに全員轢き殺してしまうほど、無遠慮にも無神経にもなれない。

 それにそんなことをしては、すぐにバイクがいかれてしまうだろう。

 人体は意外と硬いからな。骨とか。

 

 ――昔なら構わず皆殺しにしていただろうか。

 

 我ながら随分丸くなってしまったものだ、とユナは内心独り言ちる。

 建物を跳び移っていこうにも、近辺は不揃いな高層ビルばかりで難しい。

 

 ……結局いくらかは死なせることになりそうだな。

 

 白兵戦を覚悟して、ユナはバトルライフルを構える。

 もう一度敵の群れを睨み付ける。

 よく知っている――恐怖で怯えた人間の顔だ。

 正気を失わせ、そこに単純な命令で上書きすることで、思いのままに動かしているのだろう。

 

「人の悪感情を利用しようだなんて、胸糞悪い話だな」

 

 吐き捨てるように言ったユナは。

 

「私は聖人君子じゃないんでね。通してもらうよ。恨むんなら手前をそうした連中を恨みな」

 

《バースト》は弱めにかけっ放しにしておく。継戦能力と速度の両立がベストと彼女は踏んだ。

 そら、早速役に立ったぞ。

 ユナは眉間を狙う弾丸を、はっきりと視認しつつかわした。

 雨あられと銃弾が飛び交う中、涼しげにしている。

 優れた眼力が、彼女に当たる軌道だけを完璧に見極めているのだ。

 すかさず反撃のラピッドファイアを放つ。

 威勢良く撃ちまくっている近くの連中から、バラバラに始末していく。

 ほとんど見もせずに数百メートル先の相手にも正確にぶち当てられる銃撃センスは、もはやそれ自体が異能に等しい。

 

 ――ん。

 

 背後から妙な空気の流れを感じたユナは。

 躊躇いなく側面に転がり出し、受け身を取ると、即座に銃口をそちらへ向けた。

 彼女が立っていた位置を、何かが通過していく。

 大型の弾。

 彼女がちらと振り返ったときには、バリケードの一部に爆炎が吹き荒れていた。

 

「あっぶな。焼夷弾撃って来やがった!」

 

 憐れ、直撃を受けた者たちは黒炭になっている。

 平気で味方ごと巻き込もうとは。滅茶苦茶するじゃないか。

 操ってるから使い捨てだ。どうなろうと関係ないっての?

 

 ほんっと胸糞悪い。

 

 静かに怒りを覚えつつ、ユナは思案する。

 正直負ける気はしないけど。さっきから地下崩落と言い、敵はなりふり構わずだ。

 このままだと皆殺しルートになってしまう。

 しかも開けた位置では良い的だ。

 何も馬鹿正直に大通りをまかり通っていくこともないな。

 建物を直接飛び移ることはできなくても――よし。

 そこまでをわずかな時間でまとめると、攻撃に注意しつつ、横断歩道を一気呵成に駆け出した。

 最も近くのビルに目を付ける。

 ひと蹴りで二階の高さまで飛び上がると、即座に武器換装。

 窓ガラスをリルスラッシュで叩き斬って、飛び込んだ。

 再度瞬時の換装で、再びバトルライフルを手にする。

 一瞬、既に撃ち殺していた敵の死体が視界の端に映る。

 初っ端撃ちまくっていたあいつか。

 一瞥だけくれて、彼女は猛進する。

 屋内廊下を走り抜け、国会議事堂の方向へ少しでも近付いていく。

 地図は頭に叩き込んである。近場の建物の種類と位置や、その間取りも。

 

 敵さんよ。私のルートに付いて来られるか。

 

 彼女の予想通り、屋内は配置が手薄だった。というより、窓ガラス沿い以外に配置の余裕はなかったのだろう。

 TSGの落ち度があるとすれば、想定相手が普通の人間であったことに尽きる。

 垂直跳びで二階の高さまでジャンプするようなものは――まあ考えてないだろうな。

 我ながらだいぶおかしいことやってるなとは思いつつ、ユナはひた進む。

 反対側の端を豪胆に蹴り破り、大通りから小路地へ。

 既に付近の生命反応は見繕ってある。

 跳躍体勢のまま、リアルタイムに動く照準をきっちり合わせ、正確に邪魔者だけを撃ち殺す。

 脅威の跳躍力で反対側のビルまで届いた彼女は、再び窓ガラスをぶち破って進み続ける。

 国会議事堂の最近辺になれば、周りからめぼしい建物も消える。

 だがあと数百メートルはこの手で稼げるはずだ。

 

 そうして、いくつか建物を乗り換えながら、おおよそ「最短距離」を進んでいったユナであったが。

 突然、奇妙な縦方向の加速度を感じた。

 浮遊する感覚。

 

「おっと。今度は何だ?」

 

 身の危険を感じた彼女は、即座にギアチェンジ。

《バースト》をフルスロットルで入れ、壁をごぼう抜きにしながら突き進む。

 建物の端に到達してみれば。やけに視点が高い。

 既にビル全体が空高く浮かび上がろうとしていた。

 正確なところはわからないが、テレキネシスか重力系能力者の仕業に違いない。

 

「まったく次から次へと。手品みたいだな!」

 

 ここにいてはまずい。潰されるか叩き落とされる。

 判断は早かった。

 壁を蹴り、あえて自ら加速度を付けてまで急降下する。

 フル《バースト》なら、数階程度までの高さであれば平気で済む。

 着地した途端。

 案の定、真上で何か潰れる大きな音がした。

 いとも容易く破砕される高層ビル。

 まるで力を見せ付けるかのよう。随分と派手にやってくれる。

 次々と降りかかるコンクリートの瓦礫を、小さいものは見もせず手で振り払い、大きいものはしっかりと避けた。

 辺り一帯が更地になる。

 道路の向こうに、いかにもらしい黒髪の少年が見えた。

 同じ日本人か。

 手をかざし、堂々として隠れもしない。

 

「生意気してんな。一丁前に」

 

 互いに声の届く距離ではない。

 少年はただ歯をむき出しにして笑うと、掌を彼女に向けた。

 

 ――来る。

 

 危機を感じたユナが大袈裟に横っ飛びすると、周囲のコンクリートがバコンと巨大な音を立てて凹んだ。

 空間が歪んでいる。巻き込まれれば即死だ。

 冷や汗を感じながら、しかし銃はぶれずに構える。

 これ以上、デモンストレーションに付き合ってやる義理もない。

 バトルライフルから銃弾が飛び出す。3点パーストを5回、連続で撃ち込んだ。

 だが。能力が自動展開でもされているのか。

 下方向に反れていく銃弾を、ユナの底上げされた視力は捉えていた。

 ここまでの動きから判断する。

 なるほど。本質は重力を操る能力か。

 

 少年が反撃に動いた。

 無数の石礫が浮き上がり、彼女に向かって撃ち込まれていく。

 一つ一つが銃弾ばりに早く、それでいて質量はより大きい。

 一つでも当たれば、やはり無事では済まない。

 

《アクセス:サブマシンガンYS-Ⅳ》

 

 手数には手数で対抗する。

 ユナはサブマシンガンをわきに抱え、めった撃ちにした。

 それもでたらめではない。しかと攻撃の一つ一つに狙いを付けての神業である。

 すべての礫を破砕し、相殺する。

 これにはさすがに少年も驚きを隠せないようだったが。

 まだ絶対の優位があると思っているのか、纏う雰囲気には余裕がある。

 彼が再度手をかざすと。

 ユナは突如、がくんと膝が折れた。

 危うくへばりつきそうになる。

 

 そうか。

 狙い打ちできないからと、広域に重力場をかけたのか。

 

 だが黙ってやられっ放しの彼女ではない。

 懸命に歯を食いしばり、次なる兵器を取り出す。

 

《アクセス:多連装ロケットランチャーYS-Ⅵ》

 

 設置型の多連装ロケットランチャーだ。多少の重力には負けない推進力がある。

 点でダメなら、面で吹き飛ばす。

 個人兵器としては最大級の火力が、ただ一人の少年に向かって放たれる。

 

 銃器の類は通じない。少年はそう言いたいのだろう。

 またも手をかざし、次々と飛び来るロケット弾を横に反らしていく。

 彼女の無力を知らしめるような動きだった。

 

「あんた。確かに生意気なだけのことは、あるね」

 

 ユナは相手を認める台詞を発しつつも、バトルライフルを構えていた。

 敵が攻撃を捌き切るより先に、追撃の銃弾を放つ。

 だが重力場のせいか。

 狙いが逸れ、明後日の方向へと銃弾は飛んでいく。

 

 そのように少年には見えた。

 

 彼女の無駄な足掻きを認識した辺りで、とうとう多連砲も尽きる。

 あとはもう、ろくに動けない女がそこにいるだけ。

 どんな武器だろうと。何をされても効かない。

 こちらはいかようにも料理できる。

 

 少年は勝ち誇り――。

 

 そして、斃れた。

 

「けど、お姉さんに挑むのはちょっと早過ぎたな」

 

 力ばかりあっても、計算が追い付かないだろう?

 

 胸を押さえて苦しむ彼に、物悲しい視線をくれるユナ。

 やはり子を持つ者として、少年兵を殺すのは気分がよろしくない。

 だがこれ以上、苦しむことがないようにと。

 慈悲の弾丸でもって、しかと頭を撃ち抜いた。

 

 この世界じゃ、大概の能力者を殺すのに大袈裟な異能は要らない。

 派手な技も、大掛かりな兵器も一切不要。

 銃弾一発。急所にぶち込めばそれで事足りる。

 防御に特化した能力でもなければ、そんなものを防ぐことも極めて難しい。

 この子は、馬鹿の一つ覚えで空間を捻じ曲げてしまった。

 ユナはそれによる軌道の歪みを考慮に入れて、やや上方に弾を撃ち込んでいた。

 かえって能力を行使したために、当たってしまうこともあるのだ。

 確かに、純粋な能力の強さでは目を見張るものがある。 

 地球にいる限り、ユナに直接高層ビルの破壊などはできない。

 だが自信過剰は、すなわち命取りとなる。

 彼はサポーターに優秀な防御系能力者を付けるべきだった。

 緒戦のあの息の合ったコンビのように。そうすればもう少しまともな戦いになっただろう。

 そのことを学ぶには、命という授業料は高過ぎた。

 

「はあ……。こんなことばっかさせやがって」

 

 愚痴を一つだけ吐いて。ユナは開けた道を進んでいく。

 激しい戦闘の余波か、ごく近くに生存敵対者はいない。

 

 国会議事堂まで、あと700mというところだった。

 

 

 ***

 

 

[1月20日 14時10分 東京 東京都内某所]

 

「うぐぐぐ……! ぜんっぜん捕まらないじゃないの!」

 

 忙しなく指示を飛ばすカーラスも、ことごとくが一手も二手も先を行かれてしまい。

 彼と同じく、屈辱と敗北感を味わっていた。

 まさかここまで化け物だったなんて。

 たかが一人の女と思っていた。

 単身フランスを陥れた自負もあった。まして東アジアの小国で、やれないことはないと。

 何みんなたらたらやっているのと。

 その自信は打ち砕かれた。

 だが。彼女はコーダと違って、無駄なプライドは持ち合わせていない。

 かえってどこかさっぱりした表情で、投げやりに締めた。

 

「あーやめよ。やめ」

 

 彼女にしてみれば、人を配置することも、操ることも。

 どこか戦略シミュレーション染みた遊び感覚だったのだ。

 

「今回は私の負け。これ以上、貴重な仲間たちを失うことはないわ」

 

 彼女が人間扱いするのは、同じTSPと自分たちへの理解者。そのくらいである。

 彼以外にやられたのも含めれば、既に十人。今日だけで貴重な同類が命を失っている。

 大規模作戦となれば、仕方ないところではあるが。

 無能力者の扱いはぞんざいな彼女も、その点は心が痛いのだ。

 

『だから最初から私に任せておけと。そう言ったであろう』

 

 通信機の向こうから、冷酷な男の声が響く。

 まったくその通り。彼女はあっさりと認めた。

 

「そうねー。元々あなたが主役だったんだし? 任せるわ。『炎の男』さん」

 

 

 ***

 

 

[1月20日 14時12分 東京 永田町 国会議事堂付近]

 

 

「死にたくなかったらどけ!」

 

 隠れ蓑になるような、目ぼしい建物もなくなり。

 いよいよ正面突破しかなくなったユナは、銃を手に爆走していた。

 言っても無駄だと知りつつ、一応のエクスキューズを飛ばしている。

 先の戦いで息を乱しながらも、弾筋は微塵も乱れない。

 過たず彼女の脅威となる敵だけを、正確に排除していく。

 

 ――なんだ。

 

 また何か、来る。

 

 温度変化。そのわずかな予兆を読み切って。

 サイドに避けたユナの鼻先を、突如発生した巨大な炎がかすめた。

 

 ……こいつは、よく知っている。

 

「やっとか。ついにここまで来たか――アレクセイ」

 

『炎の男』の気配を感じ取り、彼女は目をギラつかせる。

 彼の得意とするものは、パイロキネシス。シンプルな発火能力である。

【エグゼクター】の射程距離は666m。その正確な距離を彼女は知る由もないが。

 彼女は知っている。奴の厄介な能力の恐ろしさを。

 あの男は、最低でも数百メートル離れた地点から、建物を狙い通りに炎上させることができた。

 犯行は大胆かつ一瞬のこと。気付いたときには後の祭りさ。

 神出鬼没。完全犯罪こそを信条とした、慎重かつ狡猾な男。

 だと言うのに。白昼堂々占拠活動とは。

 どういう風の吹き回しか。

 

「どうした。こんなそよ風じゃネズミも殺せないわよ」

 

 二度、堂々たる動きで炎を避けてみせる。

 

 しかし、不可視の位置をこれほどピンポイントに狙える能力であったか。

 気を読む技術、あるいは人の熱でも感知しているのか。

 死の淵を乗り越えたことで、どうやらあいつの能力も一段階進化したのかもしれない。

 

 さて。気付けば、周囲にあれほどいた人もなく。

 目的地までは拓けている。ただ真っ直ぐ行けばそこへ着く。

 もちろんその真っ直ぐが、一筋縄ではいかないだろうが。

 感心と呆れをもって、ユナは呟いた。

 

「あくまで直接対決をご所望ってかい。まったくあんたらしくもないね。そんな潔い男、私は知らないんだけどな」

 

 三度、無から突如発生する炎を完璧に見切り。

 肌すれすれのところでかわし。

 

「いいさ。お望みなら付き合ってやる」

 

 ユナは不敵に口の端を吊り上げた。

 しかしすぐ、への字に唇を堅く結んで。

 今や視線の向こうにそびえ立つ国会議事堂を睨み上げる。

 もう目と鼻の先。そこに奴はいる。

 

「私はなあ。めっちゃむかついてんだ。東京を滅茶苦茶にしやがって」

 

 うちのユウがどれだけ悲しんだと思ってる。うちの旦那がどれだけ冷や飯食ったと思ってる。

 死ななくても良い奴らがたくさん死んだ。ケイゴだってそうさ。

 お題目に乗っかってテロを始めた奴もいるだろう。さっき死んだ奴だって、そうだったかもな。

 見たくもないものばかり見せて。やりたくもないことばかりさせやがって。

 あんたら。絶対許さない。

 

「アレクセイ! 今からてめえをぶっ殺しに行く! そこで首洗って待ってろ!」

 

 怒れる女狂戦士が吼える。

 5年前に置き残した伝説。狙撃であっけなくケリを付けてしまったもの。

 歴史にifは存在しないが。地獄の底から奴は帰ってきた。

 きっとこの日のために。真の決着をつけるために。

『炎の男』と『地上最強の女』。

 直接相まみえたならば、果たしてどちらが勝っていたのか――。

 歴史的テロ事件の影で、大いなるリターンマッチが始まろうとしていた。



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18「東京決戦 8」

[1月20日 14時20分 参議院本会議場]

 

『炎の男』は、的確に遠隔攻撃を加えながら。そのすべてを凌がれることを薄々悟りながら。

 今か今かと彼女の到来を待ち侘びていた。

 ああ。間違いなく貴女は来るだろう。

 相応しい舞台は用意されるだろうと。トレイターにはそう言われていた。

 ついに議場の扉が開け放たれる。

 外にも守備兵を配置していたはずだが、すべてやられてしまったらしい。

 

「望み通り来てやったぞ。アレクセイ」

 

 怒れる宿敵の視線が、彼を真っ直ぐに突き刺す。

 所々服の焦げたような跡があるが、それだけだ。

 我が全身全霊をもっての攻撃も、さしたる痛痒を与えなかった。

 さすがだ。素晴らしい。

 やはり貴女こそが。貴女だけが。

 私にとっての特別なのだ。

 用意した幾重もの手管。あらゆる魔の手を退け、『予定通り』我が下へ来た。

 

 1月20日 14時20分。

 

 星海 ユナは確かに来た。

 

 ――そうか。やはりこうなるのか。

 

 そして、あの人の言うことが正しいとすれば――。

 

 …………。

 

 アレクセイは湧き上がる歓びと、言いようのない畏怖に打ち震えるのを悟られぬよう、いかにも獰猛に笑ってみせた。

 

「やはりここまで来ると。そう思っていたぞ」

 

 彼が手をかざすと、ユナは慣れた様子でいとも簡単に避けてみせる。

 狙った場所――木製のテーブルに爆音が弾けて、ゆらゆらと炎上を始めた。

 

「やめろよ。下らない」

 

 ユナは内に滾る感情を宿しつつも、一方で冷静に彼我を見極めていた。

 

「そんなもん効くわけないでしょ。こっちは散々見えないところから搔い潜ってるってのに」

 

 今や目視できる炎など、いかに勢いがあろうと安全な焚き火に等しい。

 どこか物悲しい眼を。妙に冷めてしまった部分を。

 ユナはあえて隠すことはしなかった。

 

「あんたさ。もう負けたようなもんなのよ。どうあっても私を射程距離に入れちゃならなかった」

「昔から本当に容赦なく言ってくれるな。貴女は」

「なあアレクセイ。あんた、自分の強みはよくわかっていたはずだろう?」

「さてな」

 

 とぼけた振りをする『炎の男』に、彼女は躊躇なく突き付ける。

 まるで過ぎ去った昔話を懐かしむように。

 

「あんたの強くて厄介だったところはさ。狡猾で抜け目のないところだった――戦闘能力じゃない」

 

 明らかに失望した調子で、彼女は溜息を吐く。

 いったいどんな隠し種があるかと思えば。一つ覚えにバカスカ炎を撃ってくるだけとは。

 確かにそれはよく計算されていた。確かにそれは素晴らしい火力だった。

 確かにそれはあのときより、ずっと精度は高かった。

 当たれば一発で終わっていただろう。当たればな。

 だがそれだけだ。

 そんなものは、TSPなら皆そうだ。いくらでも相手にしてきた。

 もはや十把一絡げの無能(能力バカ)に成り下がってしまったのか。

 

「それを馬鹿正直に正面対決だと? 舐めてんの? そんなんで本当に私に勝てるつもりでいたのか!?」

 

 一喝。

 リベンジマッチの期待を裏切られてしまったことに対しても、女戦士はぶちキレていた。

 東京中を巻き込んで。そこまでしてやりたかったことが、こんな下らないオチなのか。

 これならば、さっき戦った重力操作の少年の方がまだ厄介だった。

 違う。私が求めていたのは、こんなクソみたいな意義もないつまらない戦いじゃなかった。

 あんたが本領を。知略を尽くして謀を為そうとしていたなら、まだ納得はできたんだ。

 結局やってることが、何の得になるかもわからないテロ行為で。真正面から目立つだけの馬鹿がどこにいる。

 まるで死に急ぎの阿呆じゃないか。

 死にたいなら、お前一人で来ればいいものを!

 

「何がしたかったのよ。あんた」

「そうだな。確かめたかったのかもしれんな」

「私とか? なんだ。感傷の死にたがりか。らしくもない。ほんとらしくもないね」

「くっくっく。人は変わるのさ」

「……もういい。今のあんたは、結局ただの亡霊なのさ」

「かもしれんな」

 

 冷え切った冬の空気に、パチパチと乾いた炎の音が弾けている。

 

「昔のギラギラしてたあんたの方が好きだったよ。狂ってしまったって言うんなら、今度こそ私が引導渡してやる」

「果たして狂っているのは、私なのか。世界なのか」

「これ以上怒らせんな。一々変な問答ばかりしてんじゃないっつーの」

「……そうだな。ここまで来れば、もうやることは決まっている」

「やっと観念したか」

 

 ユナはじっとバトルライフルを構えて、確固たる殺意を宿敵に向ける。

 いい年した大人が相手だ。それも一度は殺したはずの男。

 何を躊躇うことも、憚ることもない。

 

「とっととくたばれ。死にぞこない」

 

 それはまるで、最後の確認作業のようだった。

 決闘の合図が為されたかのように、男が全力の炎を放つ。

 ユナはギリギリを見切ってかわし、同時にあるものを取り出した。

 

《アクセス:レストレインランチャー》

 

 特殊武器を右手に構え、弾丸を放つ。

 男は燃やし尽くそうと炎を放ち――。

 そして、急激に膨れ上がったそれに全身を絡め取られてしまった。

 耐熱性に優れた素材でできているのか、燃やすこともできない。

 

「熱で展開するタイプの拘束弾さ。あんた向けのね」

 

 世界的に有名な『炎の男』事件。対策など、とっくの昔にできていた。

 当時の彼と対峙するときのために、「こんなこともあろうかと」研究部に頼んで作っておいた代物だ。

 だが昔の彼なら決して使わせてはくれなかった。そういう状況に持ち込ませなかった。

 だから不意を突いて狙撃するしかなかった。それほどの強敵だった。

 まさか「こんなこと」があって。役に立つ日が来るとは思わなかったが。

 

「せっかくの対決だったのに、残念だったな」

 

 藻掻くもろくに動けない哀れな男を見下ろして、ユナは吐き捨てる。

 

「だから言ったのよ。馬鹿正直に戦う奴があるかって!」

 

 一抹の虚しさとともに。

 その台詞を言い切ったときにはもう、心臓を三発の銃弾で撃ち抜いている。

 それが星海 ユナという女だった。

 あのとき頭を撃って死ななかったのなら、今度は確実に鼓動を止める。

 完成された戦士としての容赦のなさと抜け目のなさこそが、彼女をこの「許されざる世界」で強者の地位に留めているのだ。

 でなければ、無謀な勇者はいかに強くともとっくに死んでいるだろう。

 あるいは今にも命尽きるこの男のように。

 

「最期に言い残すことはあるか。別に親玉のこと教えてくれたっていいんだけどな」

「そいつは……ゴフッ! できん、相談だな……」

「そういう律儀なとこだけは、あんたらしいね」

 

 わかっていたさと、ユナは肩を竦める。

 TSGの首領トレイターは異様に用心深く、未だに尻尾を掴ませてはくれない。

 しかし何かヒントはないかと、彼女の鋭い眼光は一挙手一投足を探っている。

 もはや死を待つばかりの『炎の男』は、一筋の涙を零しながら感動的に呟いた。

 

「ああ、ああ……。光を、見たんだ」

「最初のときも言ってたな。それ。何だってのよ」

「運命の……光さ……」

「運命? やけにロマンチックなこと言うのね」

 

 まるでどこかのあいつみたいじゃないか。

 

「ク、ハハ……。貴女も――じきにわかる」

 

 歯を剝き出しにして、彼はほくそ笑む。

 

「おお、神よ……」

 

 ――まずい。

 

 直感したユナは、なりふり構わず即座に彼の脳天へ銃弾をねじ込んだ。

 さらに【火薬庫(マイバルカン)】から耐火防壁を召喚し、盾としつつ。

 自身は猛スピードで議場から退出していった。

 

 直後。

 

 大爆発が起きて、参議院本会議場が崩れ落ちる。

 尽きることのない噴煙が、天に向かって突き上がっていく。

 

 あたかも自らの原罪を濯ぐかのように。

 彼は己を燃やし尽くして、あっけなく死んでしまった。

 

「あらまあ。歴史ある建物ごと、綺麗に吹っ飛んじゃったよ」

 

 大破炎上する国家憲政の象徴的建築物を呆然と眺めやり、彼女は悔し気にこぼす。

 

「最後まで滅茶苦茶して、わけわかんないこと言って。気持ち良く死にやがって」

 

 何だか勝ったのに勝ち逃げされたようで。気分がよろしくない。

 

「ほんとさあ。何が言いたかったんだ……?」

 

 狂人の戯言など、本来理解に値しないはずだが。

 確かに何かを伝えようとはしていた。そう感じた。

 彼女の中で、運命という言葉だけがぐるぐると回っていた。

 

 

 ***

 

 

[1月20日 14時31分 参議院本会議場跡]

 

「いやはやすごいね。我が国の誇る守護能力というのは」

 

 誰も無事では済まないかと思われた、見事な大破っぷりであったが。

【皇国の守護者】によって護られた一画だけは、辛うじて無傷で済んでいた。

 高貴なお方も、とりあえず命に別状はないらしい。

 もっとも彼女の予想通り、能力はいつまでも保つものでなく。連続発動が厳しくなってきていたらしいが。

 あと少し遅れていたら危なかったようだ。

 日本国民統合の象徴様がご無事であったことを、人並みには喜びつつ。

 

「ひとまず終わったようだね」

 

「え。あなた!?」

 

 不意に背後からかかった声に、この日一番の間抜け面を晒すユナ。

 口をあんぐり開けたままの彼女に、最愛の夫は困ったような照れ笑いを浮かべていた。

 

「やあユナ。はは。ちょっと色々あってね」

「いや色々あり過ぎでしょ」

 

 隣に立つ超重要人物を見て、おおよその事情を察した彼女ではあるが。さすがに驚きが勝る。

 タイミングが良いというか、悪いというか。

 出会いからして、昔から何かと「持っている」男ではあったけれども。持ち過ぎである。

 

「あなたも大概よねえ。でも良い仕事してくれたわ」

「どうせどこにいても危ないからね。君が度胸だって教えてくれたことを、忠実に守っただけさ」

「よしよし。よくやった」

 

 永田町を死がお友達ドライブと洒落込んでいたシュウたちであったが。

 周囲を完全封鎖されてしまったことを理解したとき、男は決意を固めた。

 あえて議事堂付近の建物に身をひそめるという、堂々過ぎる機転をかましてみせたのだ。

 上手く敵に見つからないよう立ち回り、ケリが着いたのを見計らって捨て身でここへ乗り込んだ。

 シュウは、ユナの勝利を一切疑うことなく信じていた。

 妻なら絶対に何とかしてくれる。ならばそこが向かうべき『安全な場所』であると。

 嫁が嫁なら旦那も旦那。鋼の心臓である。

 

「まさかご夫婦だったとは」

 

 驚きつつも、どこか納得した様子の西凛寺首相に、ユナが茶化して突っ込む。

 

「おいジジイ~。重要取引先の夫の顔くらい覚えておくものよ。確かに目立たない人だけどね」

「どうも目立たなくてすみません」

「あっはっは! この人、影の薄さだけは一流だからな!」

 

 孤独で戦い抜くのが常の戦士と言え、やはり予想外の「お迎え」はよほど嬉しかったのだろう。

 すっかりご機嫌になった地上最強の嫁に肩をバンバン叩かれて、シュウは恐縮しているが。

 この優男の咄嗟の度胸と機転には、どれほど助けられたかわからない。

 西凛寺首相と秘書は、夫婦の放つ「こんなときによくもまあ呑気な」異様とも言える雰囲気にただ圧倒されていた。

 傍から見ると完全におかしい星海家であったが、当人たちは気にすることもなく。

 するとユナが、甘えたように口を尖らせる。

 

「疲れたわ。頑張ったし、ご褒美ちょうだい」

「こんなところでかい?」

「ん」

「しょうがないな。君は」

 

 人目も憚らずハグからの濃厚キスを始めたのを、なぜかまざまざと見せ付けられながら。

 首相(狸ジジイ)は、巡り合わせの妙と世間の狭さを感じずにはいられないのだった。



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19「ACW起動」

[1月20日 14時39分 参議院本会議場跡]

 

「で、これからどうするの」

 

 たっぷりご褒美をもらって満足したユナが、しれっと呟いた。

 彼女が御方を、シュウが首相を守ったことで国体は堅持された。

 前代未聞のテロは大勢的には失敗に終わり、最も危険な段階は脱したと言えるが。

 だからと言って、東京中に散らばった残党がすぐに活動を止めるわけでもない。

 また一斉蜂起したこの機は、奴らの勢力を削ぐ最大のチャンスでもある。

 再び潜伏させれば、禍根を残すことにもなろう。

 

「ぶっちゃけ私の仕事じゃないこともあるのよ。お手伝いならするけどさあ」

 

 あくまで個の特記戦力であり、一人では限界があることをユナはよく心得ている。

 フェバルのような化け物でもなければ、やはり集団には集団をぶつけるのがセオリーである。

 彼女自身は警察や自衛隊の円滑な展開を妨げるTSPを潰すこと、特に例の人を操る能力を使う奴を見つけ出そうかなどと考えていたが。

 

「うむ。そのことについてだが」

 

 西凛寺首相は、逃亡中密かに固めていた決心を吐露した。

 

「かねてより我が国では、TSP犯罪の脅威に対抗すべく米国と共同開発していた兵器があった。人道的観点から使用は避けていたのだが」

「初耳だな」

「極秘だったからな。しかしこうなっては手段を選んでおれぬ」

 

 すなわち、より徹底的でより強圧的なやり方で国難に対処する。毅然たる態度を示す。

 日本の基本方針であった『TSP保護隔離声明』――事実上の撤廃である。

 国立異能力センター(NAAC)によって長年集積された貴重なデータは、彼ら特有の『波長』を見出し、対抗策を構築するにも役立った。

 その成果の結集こそが新兵器というわけである。

 

「そんなものがあるなら早く使って欲しかったね。私は孤軍奮闘だったよ」

「政治というものだよ。星海君。まだ必要な実戦投入テストもすべては済んでいなかった」

「それだけじゃないって顔してるけど」

 

 テストが十分でない。

 それだけのことなら、この狸ジジイも躊躇いはしなかっただろう。

 首相は観念したように頷いた。

 

「密約で緊急時にはお披露目してよいことになっているが……。先方の顔を立てねばならんのだ。最低限な」

 

 突然のことでホットラインを使えなかったのだと、彼は無念とともに認めた。

 今や世界各国が手を焼いてるTSP対策兵器は、誰もが躍起になって求める虎の子である。

 こんなときでも顔を立てろとは。さすが米国様だという暗黙の了解が場を包んだ。

 

「わかった。ちょっと待ってな」

 

 激しい戦闘でもしっかり無事だった無線を取り出し、タクと少しやりとりをして。

 

「ほいよ」

 

 ユナは無線を首相へ手渡し、にやりと笑みを向ける。

 

「うちのタクがお得意ので繋いでくれるさ」

「ホットラインは専用回線のはずだが……」

「あいつにはそういうの関係ないんで」

 

【知の摩天楼(インテリジェンス=スカイスクレーパー)】の前では、あらゆる情報隠ぺいは無力なのだ。

 カップラーメンができるまでだが。

 こうして便利に使い倒されることで、タクの過労死はいつも容赦なく決定していた。

 

 タクの能力を介して、米国ゴールマン大統領との直接通信が確保された。三分間だけだが。

 会話は一応機密とのことなので、ユナはシュウと連れ立って気持ちばかり離れておく。

 それでも地獄耳は断片的にワードを拾ってしまうし、そもそもタクが介しているのだから、あいつが入念に拾ってはいるだろう。

 急ぎなので挨拶もお悔やみもなく、率直に本題へ切り込んだようだ。

 どうやら無事了承は得られたらしく、首相は心なしかほっとした顔で通話を終えた。

 

「NAACや各自衛隊基地から発進させる。メディアからは総非難されるだろうな。最悪私のクビは差し出す覚悟だ」

「ついにジジイも隠居生活か」

「構わぬさ。だが一定の世論も得られよう――時代が変わるぞ」

 

 苦みと自負をともに含んだ政治家の顔を、彼女は見届けていた。

 

「それで、もったいぶってくれるけど。どんな兵器なのよ」

「自立TSP探索型汎用車両兵器。ACW――Anti Cerestial Weaponだ」

「アンチセレスティアル(天よりのもの、楽園の否定)とは、随分な名前だねえ」

 

 要するに天与の才によって構成された集団、トランセンデントガーデン(超越者の庭、楽園)の全面否定である。

 こりゃ開発自体は前々からやっていたのだろうけど、数々の世界的テロを受けて名前は憎しで決まったのだろうなと察する。

 正義だの何だのが大好きなアメリカ様のセンスではある。

 

 首相は知る限りの概要をユナへ語った。

 それは最低要件として、TSPの操作能力および攻撃的能力への一定の抵抗力を備えている。

 自立的にTSPを探索し、保護登録外であれば抹殺を遂行するAIを備えており。

 目的に照らして、市街地で小回りが利く程度の大きさに設計されている。

 もちろん通常兵器のように、無能力者の鎮圧にも用いることができる。

 技術のコア部分については完全に米国主導であり、ブラックボックスになっているらしい。協定により開示されないとのこと。

 将来的な対TSP軍事ビジネスを見据えてのことだろう。

 聞くだけで何とも物騒な兵器であるが。確かに即効性のある手立てではある。

 比較的小型ゆえに量産もでき、既に600台が配備済であった。

 

「ついに私のお役目も御免かね」

「思ってもいないことを言うでない。AIは細かい融通が効かんからな。今後とも頼らせて頂くよ」

「はいはい。では何かあったときに備えつつ、見届けることにしますかね」

 

 イチゴーマルマル。

 15時ちょうどをもって、ACWは起動した。

 

 

 ***

 

 

[1月20日 15時00分 QWERTY本部]

 

 

 少しでも気を紛らわそうと、膝にユウを抱えてアニメを観せていたクリアハートであったが。

 突然火が付いたように彼が喚き出し、まったくそれどころではなくなってしまった。

 これまでもたまに人が死んだとか怖いとか言って、泣きついてくることはあったけれど。

 息を荒げ、藻掻き苦しんで、ほとんどのたうち回っているに近しい状態である。

 この怖がり方はさすがに異常だった。

 おろおろしてしまうクリアだが、とりあえずユウを引き起こして強く抱きしめてやる。

 

「だいじょぶ……?」

「やだぁ……こわい。こわいよ……! くるしんでるこえが、いっぱいなの。いたいって、いってるの。どうしてなの! どうしてそんな、ひどいことするの……!」

「そっか……。ん、おねえちゃんがいるからね」

「いやだ。やめてよぉ……!」

 

 しきりに何かを訴えようとして。けれどそれを上手く伝える術を持たなくて。どうしようもなくて。

 小さなユウは、身を貫くたくさんの『痛み』をひしひしと受け止めて、泣き叫び続けていた。

 クリアはどうしたらいいかわからず、ただ小さな『弟』をあやすことしかできなかった。

 

 

 ***

 

 

 そして、1月20日およびその後数日に渡る交戦活動をもって。

 

 東京のTSG勢力は、結果的にほとんど一掃された。

 

 今後の『運用』も考慮して、ユナはじめQWERTYの活躍は秘匿されることとなり。

 すべては新兵器ACWの成果であると喧伝された。

 もちろん功ばかりではない。

 弾圧的で虐殺にも近しいやり方は、平和を取り戻した後、無責任な各所から非難を浴びた。

 中でも未登録の一般TSPの誤殺問題が大きくマスコミに取り上げられ、既に事件の犠牲によって半ば機能不全に陥っていた西凛寺内閣は総辞職。

 元首相は『相談役』に下り、依然各方面へのパイプ役を担いつつ、QWERTYを裏で支える立場となった。

 

 死亡・行方不明者87,658名。重軽傷者20万名以上。

 

 大震災にも匹敵する人災は、大きな犠牲と痛みを伴って終息を迎える。

 

 そしてこれ以後、日本においてTSPによる大規模テロは歴史上記録されていない。

 ACWおよび機能を回復した警察や自衛隊が、総力を尽くして残存勢力を潰し、その後も強く睨みを効かせ続けていたからである。

『炎の男』のリーダーシップが欠如したことも、要因としては大きかったのであろう。

 

 ――以上が、1.20事件のあらましである。

 

 ただし。これはあくまで日本の表舞台の歴史であり、世界の危機はまだ始まりに過ぎなかった。



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20「トレイターの追悼」

[1月20日 20時11分 ???]

 

『カーラス=センティメンタル、東京からの離脱を報告。一部の仲間もトゥルーコーダの誘導に従って回収は進んでいるけど。状況は芳しくないわ』

『きっとたくさんの仲間が死んでしまうだろうな……』

『そうね……。ACWなんて言うとんでもないものを持ち出してきて。本当に大変で』

『そうらしいな』

 

 投げやりな返答も冷たいからではないことを、インフィニティアはわかっている。

 不機嫌がそういう形で出る性格なのだと心得ていた。

 

『お得意の勘とやらも、今回ばかりは冴えなかったみたいね』

『僕にもすべての状況が視えているわけではないんだよ。むしろわからないことも多いのさ』

『そうだったわね。あなた、随分慌てていたもの』

『君にはバレてしまうか』

『付き合いですから。あのね、私のことなら平気よ。あなたよりはずっと強いもの』

『もちろんわかっているが。気を付けてな』

『ええ』

 

 そこで一拍躊躇いがあり、彼女はようやく告げた。

 

『『炎の男』は、死んだわ。14時22分きっかりにね』

『そうか……。少し、一人にしてくれないか』

『……そうね。それなりの付き合いがあったと、聞いているもの』

『すまない』

 

 彼女を介した念話通信を切り。

 訃報を受け取ったトレイターは、長い長い溜息を吐いた。

 

「己が身をもって確かめてくれたのだな。君は」

 

 1月20日 14時22分。

 

『炎の男』は、『予定通り』に死んだ。

 

 光を見た。

 

 ――そうだ。僕らはきっと同じ光を見ていた。

 

 そういう意味では、君だけが唯一真の『仲間』だった。

 僕らは必然的に出逢い。性質をまったく異にするにも関わらず、意気投合した。

 本来なら、決してあり得ないはずの同盟は組まれた。

 ただ一点、『それ』の偉大さを識っていたからだ。

 

「……やはりそうか。確証はなかったが。どうやらそういうことらしい」

 

 だとすれば。この先待ち受けているであろう物事も、杞憂ではない。

 次に来たるもの。やがて辿り着く場所。

 我々には遠く、次の世代には確実な未来に訪れるもの。

 

「果たして。誰が誰を裏切っているのか」

 

 トレイターは自らを冠する名を浮かべ、自嘲たっぷりに笑う。

 僕のしてきたことは。これから為そうとすることは。

 確かに世界への裏切りだろう。

 そして同時に、誰もを裏切っている。

 もしかすると、自分自身すらも。

 

 今や世界中が血と争いに満ちている。

 もう始めてしまったことだ。今さら止まることはできない。

 ただ……僕は弱いな。君のように強くはなれそうもない。

 もう少し、前に進む勇気が欲しい。

 

「アレクセイ。お疲れ様だったな。君は邪悪だったが、気高い意志の強さは本物だった」

 

 ワインの入った杯を掲げ、血に見立て一気に飲み干す。

 神の光を見た同志への追悼を、儀式的行為で示す。

 

「本当に……敬服するよ。最期までよく戦い抜いた」

 

 果敢にも世界へ挑み。無謀にも「勝てるはずのない」相手へ挑み。

 やはりこうなってしまった。

 薄々わかっていたのだ。忠告はしたはずだ。

 

 星海 ユナは、今はまだ死すべきときではないと。

 

 どちらかが死ぬしかない状況になれば。まず死ぬのは君だと。

 

 なのに君は結局、最期まで止まりはしなかったな。

 持ち前の計画性をかなぐり捨て。後先もなく大暴れ。

 最もらしくない真似をしてまで、何がしたかったのか。

 

 ああ。わかっている。僕だけは知っている。

 命を賭した助力とメッセージ、確かに受け取った。

 

 皮肉にも死んだことで、彼の存在証明は完成された。

 彼は見事に演じた。立派に殉じた。全力でやり切ったのだ。

 生前語っていたところの原罪は、いくらか洗われたことだろう。

 誰も慰めを言ってはくれないだろうから。僕くらいはそう信じてやりたい。

 

 ――どうやら。途轍もないことが起きている。

 

 トレイターは、いよいよ確信を深める。

 いつもそうだった。

 仄かな予感は、時を経て揺るぎない真実へと到達する。

 それを手繰り寄せることはできないが、確実に大きな流れがある。

 世界はうねりを伴って、そうなるように動いている。

 光はいつもそこにあって。すべてを照らしている。

 

「唯一の真なる到達者を、見つけなくては」

 

 光がある。

 それが何かまではわからない。見極めることはできていない。

 ただそれは世界を変えるかもしれない――可能性の存在。

 どこかにいるはずだ。

 普通の人間の中に、それはまだ普通の人間の顔をして紛れている。

 TSPとされるものの中に、彼もしくは彼女は紛れている。

 

「すべては、僕らの尊厳のために」

 

 たとえこの先、命散らすことになろうとも。

 いかに仲間を煽り、徒花を散らせようとも。

 これだけは譲れぬ真実の想いなのだ。

 人はせめて人らしくあらねばならない。

 TSPだからと、あのような扱いが許されて良いはずがないのだ。

 そのためならば。

 僕は世界を敵に回して、なおも踊り続けよう。

 運命に殉じた君たちを引き継いで、やがてくる未来へ挑み続ける。

 いつか楽園に辿り着くその日まで。

 そして――。

 

「ああ。星海 ユナ。君にもいたく同情しよう。だが君はまだ幸福かもしれないな」

 

 未だ己の運命を知らぬ。無限の未来があると信じているのだから!

 識ることは不幸であり、無知とは幸福である。

 幾多の同胞を容易く討ち果たした、偉大なる女戦士よ。

 君は屍の山の上に、最後に自らを積むことになるだろう。

 遅かれ早かれ順番の問題であると。君はまだ知らない。



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21「アイ プロトタイプ」

[2月22日 22時22分 ???]

 

 とある施設の地下に、巨大な人工生命開発プラントが広がっている。

 

 Project Integer。

 

 Integerには、よく知られた整数という意味の他に「欠けているところがない」「完全なもの」というラテン語由来の意味がある。

 文明の極めて遅れた地球において、最大限の設備によって「完全なる」人工生命を生み出すためのプロジェクトである。

 

 ただ一人の計画遂行者にして、責任者は彼である。

 今は地球人としての名を持っているが、彼の正体は知る者ぞ知る。

 

『始まりのフェバル』

 

 彼のオリジナルは、未だ現宇宙に帰還することを許されていない。

『黒の旅人』と相打ちになる形で、影響力のほとんど届かない宇宙の外側に追放されたからである。

 したがって、彼が今宿っているものは。

 只人の姿を借りてこの地球という星に生まれ落ちた、まったく無力な依り代に過ぎない。

 宇宙最高の実力者である彼自身をもってしても。

 単なる依り代では、「許されざる」世界で無から人工生命を造り出すことは至難を極めた。

 正確には、おもちゃ程度のものであれば簡単に造り出せたのだが。条件が厳しかった。

 

 ただの弱い実験生命であってはならない。

 ゆくゆくはフェバルにも比肩する、強い生命であること。

 幾多の生体機能と能力、そして無限の成長性を持たせたもの。

 

 来たる今代の【神の器】を倒し得る逸材。

 

 すべては……念のための保険である。

 

 開発を容易にするため、少々世界の方を弄ったりもしたが。

 手段を選べるほど贅沢な状況でもない。多少の副作用はやむを得ないと彼は判断した。

 

 これまで幾多の「試作品」が造られ、培養液の満たされた生体カプセルの中で管理されていた。

 Integerの頭文字をとって、各々にはI(アイ)のナンバーが振られている。

 ほとんどすべては失敗に終わった。

 十分に育つ前に命尽きるか、腐り落ちるか。

 中途半端に育った個体には、彼もいささか手を焼いた。

 単純に暴走、もしくは絶望か狂うかして自らカプセルを破壊し、完成前に外気へ触れて死に絶えた。

 割れたカプセルは、残った『アイ』への見せしめとしてそのままにされた。

 無様に死んだ失敗作も、やはり見せしめとしてそのまま「永遠に固定化して」その場所に放置された。

 数多のなりそこないと散乱したガラスのカプセルに混じって、無事なものだけが育ち続けている。

 

 4000体の中で、3998体は既に失敗した。

 

 未だ残っているものは、奇しくも隣同士。

 

 I-3317とI-3318。

 

 隣り合うカプセルは、まるで双子の姉妹のように。

 互いに競い合うようにして、すくすくと育ってきた。

 さて。今、どちらを選ぶか。

 それは間違いなく、彼にとってはほんの気まぐれに過ぎないことではあったが。

 二人にとっては運命を分かつ、決定的な違いだった。

 I-3317の収められた生体カプセルに手を触れ、彼は宣言した。

 

「お前に名を与えよう。シャイナよ」

 

《命名》

 

 それは依り代として遥かに弱体化してもなお、【神の手】の絶対的行使の一つである。

 全宇宙に名を知らしめ、一目すればそれとわかるよう存在を刻む。

 名が個を確立し、性質を定義する。

 ヒトの形を取ろうとして、取り切れていなかったそれは。

 不定形のぐずぐずであったそれは、急速に一個の完成された生命としての形を整えつつあった。

 やがて齢20と見えるほどの美しい女性の姿となって、それは世界に比べてあまりにも小さな試験管を容易くぶち破った。

 流れるような紅の長髪と、『アイ』の特徴である赤い瞳を宿し。

 未完成な肉体には死をもたらすはずの空気に触れても、涼しげにしている。

 名を与えられたばかりのシャイナは。

 外気に触れてなお生を謳歌できる感激とともに、創造主へ恭しく頭を下げた。

 

「調子はどうだ」

「…………」

 

 こくんと、どこか困ったような頷きが一つだけ返ってくる。

 どうやら喋り方はわからないようである。

 彼はひとまずプロトタイプの完成に満足するとともに、過去の出来事を苦みを伴って振り返る。

 まったく忌々しいことに。

 地球という世界は、『彼女』と繰り広げたかの最終戦争によって徹底的に破壊された影響が、遥か時空を超えても残り続けている。

 すべての星で最低の許容性に、永遠に開き続ける穴。

 いかなるフェバルであろうと。彼自身であっても。

 常人とほとんど変わらぬ力しか発揮できない。

 許されるものは、わずかばかりの能力行使。それだけである。

 下手をすれば銃弾一発であっけなく命を落とす、窮屈であまりに弱い人の身体に代わり。

 望みの通り動く強い手足が必要だった。

 彼は命じる。

 

「無垢の生命よ。まずは世界を学べ。そして暗躍せよ。望むがまま、邪魔と思う者を排除するがいい」

 

『アイ』の性質こそは、極めて残忍である。

 およそ罪悪感というものを持たぬ。そのように設計されている。

 放っておいても貪欲に世界を学び、欲望のままに為すべきことを為すだろう。

 創造主よりの期待に胸膨らせたI-3317――シャイナは、クスリとぎこちない笑みを零した。

 そして、隣に収められているクズを見下し。

 今度は随分器用にほくそ笑む。

 それは日頃慣れ親しんだ、自然な感情の発露であるからだ。

 

 I-3318。我が妹よ。

 未だろくに己の姿も定まらぬ。出来損ないの分際が。

 

 シャイナは勝ち誇るように、目の前の透明な壁を拳の裏で執拗に小突いた。

 培養液に満たされた内側から、もう一人の『アイ』は恨めしそうに睨んでいる。

 それがなおいっそう、このお方より名と役割を与えられた――「選ばれた」彼女の自尊心を狂おしく満たす。

 

 お前など、所詮狭い狭いカプセルの外で生きてはいけないのだ。

 

 彼もまた、嫌みな笑みを浮かべるだけで止めはしない。

 その恨みも残されたものの成長源であると、よく心得ているからである。

 

 決して名を与えられることなく。

 未熟な不定形として、ごく限られた生存可能空間へ閉じ込められたままのI-3318は。

 未完成にして、残存する唯一の『アイ』――ラストナンバーは。

 二人をいつまでも睨み続けていた。



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22「アメリカ大統領からの支援要請」

[3月20日 18時05分 QWERTY本部]

 

 依然として小規模事件は散発的に発生しているものの、主導者である『炎の男』が死亡したことで、TSPの日本における活動は劇的に縮小していた。

 1.20事件からちょうど2カ月の節目をもって、ついに西凛寺首相(まだ在任中)は『国家緊急事態宣言』の解除を決定した。

 18時よりの記者会見にてその旨語っているところを、QWERTY本部のモニターが映している。

 もっともユナを通じてスタッフたちには事前に通告されているため、彼らにとっては確認作業であるが。

 とにかく。各国においてTSGが攻勢を強める中、世界初の快挙である。

 ACWの十分な初期配備があったことが決定的要因だろう。当然に警察および自衛隊やQWERTYの尽力も大きい。

 痛々しい破壊の傷跡が残り、未だあちこちをACWが巡回する物騒な東京であるが、徐々に人の流れが回復してきている。

 なお、ユナがやらかした表参道駅ホームロケラン爆破事件だが。

 あれに関しては証拠がなく、その後に続く地下トンネル崩落の方が目立ったため、しれっと連中の仕業に混ぜ込まれた。

 主にタクが頑張ったらしい。エナドリとカップ麺の容器が大量に散乱していたのを、複数のスタッフに目撃されている。

 

 そしてついに、QWERTYも緊急体制の缶詰め状態から解放されるときがきた。

 代表して、ユナが労いの言葉をかける。

 

「みんなひとまずはお疲れ! ボーナスたっぷり弾んでやるから、しっかり休んで大切な人たちと一時を過ごしてくれな」

 

 大きな歓声と拍手が巻き起こる。

 

「あ、タクみたいなぼっちは悠々自適に過ごしてね」

 

 小さなひと笑いも添えて。

 毎度ダシにされるタクも慣れっこであるが、形式上たいそう悔しがっている演技をしている。

 そんな彼を「しゃーないな」と見つめているケイラの視線があることに、果たして彼は気付いているのか。

 盛り上がりも落ち着いたところで、ユナは今後の体制について業務連絡を続ける。

 散発的に事件が起きている以上、まったくの平時運用に戻すことはできないが、常に何割かのスタッフが交代で常駐することで話がまとまっていく。

 そしてユウにとっては、秘密基地での生活の終わりを意味していた。

 リモート卒園式という哀しいイベントを味わってしまった彼は、小学校の入学式はどうやら普通にできそうである。

 そのことを母親から直接聞いて、嬉しそうに飛び跳ねていた。

 久しぶりにお家に帰ってお父さんに会えることも、すこぶる楽しみらしい。

 

「みんないてたのしかったけどさ。やっぱりきゅーくつ? だったもんね」

 

 覚えたての言葉を背伸びして使いつつ。でもちょっぴり寂しさも滲ませている。

 しかしよほど寂しいのは、大人たちのようだった。

 

「ああ。癒しがいなくなってしまう」「またおいでね」「元気でなあああ」「いい子でね」

「だいじょうぶ。またあそびにくるよ!」

 

 みんなに無邪気な笑顔を振りまく、天使のユウであった。

 一際感極まったタクが、彼を抱き上げて無精ひげを擦り付けている。

 

「いつでも来いよぉ!」

「タクおにいちゃんは、せーかつきをつけてね」

「……おうよ」

 

 だらしないデスクを見つめて、どこか冷静に突っ込まれてしまうタクであった。小さな子供はよく見ているのだ。

 指を咥えて寂しげにしているクリアに、ユナは目敏く気付いて声をかけてやる。

 

「心配するな。クリアハート隊員」

「……?」

「国家緊急事態が解除されたからっても、安全になったわけじゃないからな。小学校の送り迎えも欲しい」

「……! それは、つまり」

「最重要任務は継続だ。シュウには伝えてあるから、嫌じゃなければうちおいで」

「もち。クリア、うちの子になる」

 

「さすがわかってる。愛してるぜ」とばかり、クリアはユナに飛び付いた。

 昔はこの子が一番しがみ付いてたなと懐かしい気持ちになりつつ、ユナは彼女の頭をわしゃわしゃしてやる。

 いつの間にかタクから解放されていたユウも、もちろん大喜びだった。

 

「てことは、クリアおねえちゃんとまだいっしょにいられるの? やったー!」

「ユウ。おまえという子は……!」

「わ、つよいよクリアおねえちゃん」

 

 もう放してやらないとばかり、今度は彼に駆け寄り抱きすくめたクリアにぎゅうぎゅうされるユウ。

 実の仲睦まじき姉弟のようなほっこりするやり取りに目を細めつつ。

 ユナ自身は、休まる暇がないと肩をすくめた。

 

「で、私は残念ながらまだ帰れませんと」

「先ほどホワイトハウスから支援要請がありましたね」

 

 仕事モードになったタクが、メールの映ったPC画面をコンコンと小突く。

 

「手が空いたら早速こっち手伝ってくれって?」

「そういうことみたいっす」

 

 アメリカはACWの主導開発国であり、最も多くの公認TSPを擁する。

 当然、TSP対策も最も強力ではあるが。

 如何せん国土が広過ぎて、手が回っていない。

 それと銃社会であることも、混乱に拍車をかけているようだ。

 そこで日本を鎮圧した功績を買い、西凛寺首相の伝手でゴールマン大統領から連絡が来たのだ。

 

「けど日本離れるのは、まだちょっと心配だな」

「それについては、人員の配置入れ替えということで打診されまして」

「私の代わりがそう易々と務まるもんかねえ」

「オレでは不満カナ?」

 

 ちょうど良いタイミングで現れた大柄の男に、ユナは破顔一笑した。

 

「おー! マジか! ベンじゃん! よく来たな。会うのは久々だねえ!」

「ユナ! 会いたかったゼ!」

 

 片言の日本語ではあるが、しっかり使いこなすいかつい黒人のスキンヘッド。

 ベンサム・デイパスは、オリジナルの【火薬庫(マイバルカン)】保有者である。

 彼が許可した人物だけ、彼が保有する異次元の武器庫からあらゆる武器にアクセスすることができる。

 

「いつも世話になりっぱなしですまないね。1.20事件でも助けてもらったよ」

「HAHA、役に立ってんナラいいってコトよ!」

 

 いわゆる能力の過労死枠ではあるが。

 一度アクセスを付与してしまいさえすれば、ベンはアクセスをログ的に視られるだけで、特段負荷はない。

 そういうわけで、本当の過労死枠はタクだけという哀しみだった。

 

「もちろんあんたが代わりをやってくれるってんなら、不満はないさ」

「ソイツは来た甲斐があったナ!」

 

 彼は元傭兵であり、数多の武器の扱いや戦闘能力についても折り紙付きである。

 ユナほどの絶対戦力ではないが、彼女に次ぐナンバー2は間違いない。

 事件が小規模化した日本なら、他の隊員のサポートを受ければ十分回していけるだろう。

 

「しかしどうやって来たのさ。空港まだ開いてなかったでしょ。船か?」

「あー。それはですね」

 

 タクの言葉をベン自身が継ぐ。

 

「対策済の特別軍用機でナ。ユナも折り返しでお迎えだゼ」

「なるほどね」

 

『国家緊急事態宣言』が解除されても、飛行機の民間機は遠隔ジャックの危険が常に消えていない。

 ゆえに海外渡航制限までが解除されたわけではないが。

 ベンは秘密裏に米軍用機で日本へ来たようだ。例の能力も対策が為されている特別機だという。

 

「ところデ、ユウのボウズはゲンキにしてるカ?」

「あわわわわ」

 

 会うのは何度目かになる強面スキンヘッドに気を向けられてしまったユウは、すっかり泡食っていた。

 デカい風体と、彼特有の手厚い「スキンシップ」には、どうしてもびびってしまうようである。

 立場上、さっと『弟』を守る構えを見せるクリアであるが。

 それには及ばないと、ユウはそろそろと歩み出る。

 

「へ、へーきだよ。ベンおじさんがやさしいのはし、しってるもんね!」

 

 ほんのちょっと涙目のユウ、深く愛されていることはわかってしまうため。

 健気な男らしさを見せて、ベンに寄っていく。

 どうせ逃げても無駄で、可愛がりをされるまでは満足しないと知っているのだ。

 男は案外子供好きで、しかもからかい好きなため。

 

「おーボウズ、いい度胸ダ! カワイイナア! ほーらヨ!」

「うわあああああーーーーっ!」

 

 高い高い放り投げverを食らい、絶叫マシンばりに喚くユウ。

 されることはわかっていた。まったく楽しくないわけではないけど。

 やっぱりこわいものはこわいぃ!

 ユウは半泣きで叫びながら、存分にベンおじさんの愛情を食らっていた。

 隊員たちから生暖かい目が注がれ、笑い声が響く。ユナが一番面白がっている。

 クリアは少しだけ心配そうな顔を見せるが、いつものことかという気持ちにもなり、小さく溜息するに留めた。

 

「ひい……はあ……。ひどいめにあった」

「ん。おつかれ」

 

 ようやく解放されたユウは、ご褒美のよしよしを『姉』にもらいつつ。

 いそいそと準備を始めた母をじっと目で追っていた。

 やがて出立の準備が整ったようだ。

 

「んじゃ、ちょっくら会ってきますか。大統領に」

「うわぁ……!」

 

 アメリカ大統領という響きは、ユウにとって完全に世界のラスボスであり。

 アメコミのヒーローか、何なら秘密結社の首領でもやってるイメージだった。

「いいなー」「すごいなー」「かっこいいなー」と、しきりに目を輝かせているちびユウである。

 子守り脳なクリアお姉ちゃんは、そんな彼を見て頬が緩みっぱなしであった(当人比)。

 

「行ってくる。お父さんとクリアと、いい子で待ってるんだよ。入学式、付き添ってやれなくてごめんね」

「うん! だいじょうぶだから。おみやげまってるね!」

 

 最後に我が子の頭をぽんと優しく叩いて、母の頼もしい背中が遠ざかっていく。

 いつまでも健気に手を振り続ける小さなユウ。

 小旅行のつもりで見送った彼だったが。

 長期間の別れになることを、そのときはまだ知らなかった。



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23「セカンドラプター登場」

[現地時間3月20日 13時11分 ニューヨーク ブルックリン区 ブラウンズヴィル]

 

 世界随一の大都市ニューヨーク。

 かの有名なウォール街より南東、ブルックリン区に、この都市で最も治安の悪いとされるエリアの一つがある。

 ブラウンズヴィル。

 くすんだ住宅街が立ち並ぶそこは、貧困層の比率が高く、犯罪件数も跳ね上がることで知られている。

 銃撃、強盗、ドラッグなどは日常茶飯事である。

 殊に最近は、TSGの蜂起にかこつけた凶悪犯罪が後を絶たない。

 

 人目の立たない路地裏で、大柄の青年が踏み付けにされている。

 彼を白昼堂々引き倒している者は、なんと跳ねっ毛の目立つ金髪の少女だった。

 目つきこそ悪いが、しっかり髪の手入れとメイクさえすればアイドルも張れるのではないかというほど、見目は整っている。

 

「いけないなあ。おいたが過ぎるぜ。アンタ」

「ぐ……!」

「節度ってヤツはしっかり守ってもらわねーとさ。わかるだろ?」

 

 "Do you know?" のぶっきらぼうな響きを伴って、踏み付ける足の力が一段と強まる。

 男は情けないうめき声を上げた。

 近頃は自信過剰なTSPが調子に乗って、略奪行為を繰り返しているのだ。

 それも決して強い者は狙わない。ACWの手の届かない弱者から奪おうという不届き者が続発していた。

 だがこの薄汚れた貧民街を愛する彼女のパトロールに引っ掛かってしまったのが、彼にとっては運の尽き。

 

「よりによってこのオレに楯突こうだなんて、命知らずもいいとこだったな。アンタさあ」

 

 震える声で "Who are you?(お前は何者だ)" と問う、筋肉質の青年を冷徹に見下ろして。

 うら若き乙女は、不敵に笑った。

 

“I'm the Second Raptor. (オレはセカンドラプター)”

 

 theの部分を強調する、お決まりの名乗り。

 裏街に轟くその名を耳にしないわけはなかった男は、敵に回してしまった相手の恐ろしさをようやく知ることとなった。

 しかしだ。よもやこんな年端もいかぬ少女だったとは。

 後悔先に立たず。

 

"Bite you.(噛み殺す)"

 

 それが始末(別れ)の合図だった。

 少女は躊躇いもなく引き金を引き、不遜な略奪者の命を終わらせる。

 敵対したTSPを下手に生かしておけば、たった一秒の油断が命取りになることもある。

 彼女もまた「許されざる」世界での戦い方を熟知する裏社会のプロだった。

 物言わぬ死体となった彼を乱雑に蹴り転がし、仰向けにしてやる。

 

「一丁上がりだ。大人しくネズミの餌にでもなるんだな」

 

 力なく弛緩した五体から、彼が奪い盗ったものをひったくると。

 数歩離れたところで腰を抜かしていたガキに向かって、放り投げてやる。

 中にはお金とか色々入っているのだろうが、んなもの知ったことではない。

 

「ほらよ。大事なモンだったら、しっかり持っとくもんだぜ」

「あ……」

 

 震える手でそれを抱き締めるように胸に留めた少年は、どうにかお礼を述べた。

 

「ありがとう」

「知らねえよ。単に虫の居所が悪かったから、ぶっ放してやっただけさ」

 

 悪ぶって言ってみたが。見た目が見た目だけに通用しないのか。

 なおしきりにお礼を繰り返してくるので。

 

「うるせえ! さ、さっさと行きやがれ! ぶっ殺すぞ!」

 

 気恥ずかしさから凄むと、少年はそそくさと頭を下げて、逃げるように去っていった。

 

「フン」

 

 その小さな後ろ姿を満足そうに見つめ、少女は勝手知ったる裏路地を歩み去っていく。

 

 

 ***

 

 

[現地時間3月20日 13時42分 ニューヨーク ブルックリン区 彼女のアジト]

 

 ブラウンズヴィルは彼女の根城の一つで、隠れ家も三つほどは保有している。

 そのうちの一つ、カビ臭い倉庫のような部屋に帰宅していた。

 

「ただいまーっと。つってもだーれもいないんだけどな」

 

 がらんとした殺風景な空間に、がさつな少女が一人ぼっち。

 

「クソオヤジの野郎、こんなクソつまらない家ばかり残しやがってよ」

 

 もっとも彼女自身女の子らしい小物など置く気にならないから、永遠にむさっ苦しいまんまだが。

 ここは彼のアジトの中でも最初期の一つであり。だからか調度品もだらしない生活感に満ち溢れたものが多かった。

 なんだかんだ彼女が幼少期を最も長く過ごした部屋であるから、文句垂れつつも結局はお気に入りだった。

 年季の入った冷蔵庫からチェリーコークを取り出し。甘い物好きだけは年頃の少女らしい。

 くたびれたソファに寝っ転がり、テーブルの上のラジオを付ける。

 仕事疲れか、ゆったりと瞼が落ちる。

 

 少しだけ、昔のことを思い返す。

 

 クソオヤジというが、実の親ではない。

 ファースト(とは冠さなかったが)ラプターはかつて――裏社会最強のヒットマンで鳴らした男だ。

 冷酷非道にして、とびっきりの乱暴者。だがどんな汚れ仕事にも妥協しない職人。

 気まぐれで拾った娘を娘とも思わないクソ野郎だが、ただ強さだけは本物だった。

 そう――かつてである。

 聞く者が聞けば震え上がった名と伝説も4年前、彼女が13歳のときに終わった。

 ただ運悪く、何かの任務でかち合ったとかで。

 星海 ユナとの一騎打ちにて、ヤツは華々しくもあっけなく命を散らしたからである。

 それからユナは地上最強の女の呼び名を欲しいままにし、敗北者の名誉は彼の命と共に地へ堕ちた。

 以来、彼女は勝手に「セカンド」ラプターと名乗り、亡きクソ親父の稼業をこれまた勝手に引き継いでやっている。

 最初こそは小娘と侮られ、罵られたりもしたが。

 有無を言わさぬ実績を積み重ね、新たなラプター(猛禽)として認めさせてきた。

 

 ……もっとも、ユナのヤツには未だ軽くあしらわれ続けているのであるが。

 

 あークソ。思い出したらまた腹立たしい。悔しくなってきた。

 薄っすらと目を開けたセカンドラプターは、怠そうに寝転がったままチェリーコークを喉の奥へ流し込む。

 

「しかしあいつ、くたばってないよな? 無能力者らしいからな。あれで」

 

 まったく信じらんねえよ。

 こちとら【ハートフルセカンド】を駆使して、それでも追いつけないんだから。

 どんなバケモンだよ。

 

 ――1.20事件か。ジャパン、随分騒がしかったらしいな。

 

 勝手にくたばるんじゃねーぞ。お前を最初に倒すのはこのオレだからな。

 どこぞのベジータみたいなことを考えてにやりとしている彼女は、ぜひとも鏡を見た方がいいと思うのだが。

 突っ込む者は残念ながらいなかった。

 

 やがて付けっ放しにしていたラジオが、日本の『国家緊急事態宣言』が解除された旨を報じる。

 

「んん!?」

 

 彼女は跳ね起きた。

 

「てことはあいつ、こっち来るんじゃね!?」

 

 QWERTYはここニューヨークにも支部があり、彼女が健在ならば間違いなく呼び寄せられる。

 その可能性にすぐ思い至り、たまらず興奮からチェリーコークを一気飲みし。むせた。

 

「げほっげほっ!」

 

 しかし涙目などお構いなしに、胸の奥から笑いが込み上げてくる。

 

「くっくっく」

 

 やがてそれは哄笑に変わる。

 

「はっはっはっは!」

 

 少女は、心底愉快に高笑いしていた。

 こちとらぼちぼち退屈な日常にも飽き飽きしてたところだ。

 ユナ。アンタはいつも台風の目さ。

 こっちに来れば絶対面白いことになる。

 

「よっしゃ来いやユナぁあ! この1年でさらにぐっと成長したオレの姿、見せてやるぜ! 首を洗って待っているんだなぁーーー!」

 

 もはやファーストラプターに実力遜色なしと評されるに至った、凄腕のヒットマンは。

 虎視眈々と「宿敵」との再会を待ち望むのであった。



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Y-1「ユウ、帰宅する」

[3月20日 19時32分 東京 星海家前]

 

「じゃあね。仲良くするのよ。またいつでも遊びにおいで」

 

 クリアがユウを連れ添って降りたのを見届けて、アリサが車窓からそう言った。

 

「またね。アリサおねえさん!」

「ん。また」

 

 去っていく車に手を振って見送り、クリアはしっかりと小さな手を握ってユウに呼びかける。

 

「帰ろか。お父さん待ってる」

「うん。やっとだね」

 

 

 ***

 

 

[3月20日 19時40分 東京 星海家]

 

「ただいまー!」

「おじゃま、する」

 

 在宅ワークがすっかり板に付いたシュウは、インターホン越しの二人を見るなりすっ飛んできた。

 

「おお、おお……。よく無事で帰ってきてくれたね。お父さんな、ずっと心配してたんだぞ」

 

 およそ3か月半ぶりの再会である。感激で目の端には涙が浮かんでいた。

 世界中を飛び回る妻とはその程度会えないことを覚悟していたシュウであるが、まさか我が子とこれほど離れ離れになるとは思わず。

 さすがに堪えたようだった。

 一直線に父へしがみつくユウを、彼はしかと抱き留める。

 

「無事。守った」

 

 その後ろで、キリッと敬礼ポーズを決めるクリア。

 一見には不愛想で表情の変化がわかりにくいが、口元をよく見るとほんのり上がっているのがわかる。

 同時に、小さな子の手前、多少遠慮しているようだ。

 クリアをうちで保護した時期もあるシュウにとっても、彼女はもう一人の子供のようなものである。

 彼もユナ同様、彼女の微妙なサインにはすぐに気付いた。

 

「クリアもおいで」

「ん」

 

 安心して近付いたクリアも巻き込んで、二人を大仰に抱え込み、シュウは目一杯親愛を伝える。

 

「ありがとうなクリア。毎日よくお世話してくれたね」

「ユウ、いい子だから。全然」

「あのね。クリアおねえちゃんにね。いっぱいあそんでもらったの」

「そうか。よかったな」

「うん!」

 

 ひとしきり再会を喜んだ後、ユウがお腹を押さえて微笑む。

 

「えへへ。ほっとしたらおなかすいちゃった」

「まだ夕飯食べてなかったんだね。実はお父さんもなんだ」

「わたし、作ろうか?」

 

 恐るべき小悪魔の提案に、シュウもユウも滅茶苦茶焦った。

 

「い、いやいやいやいや! そういうのは大人がするもんさ! なあユウ!?」

「うん。うん。おとうさんにまかせておけばいいんだよ!」

 

 彼の名誉のために言っておくが、シュウは決して家事サボりなどではない。

 むしろユナがいないときは家事全般をしっかりとこなす。家庭的な方である。

 ただなぜかやたらとユナがやる気を出して作りたがるので、本音では自分で作りたいのに、彼女がいるとやらせてもらえないのだ。

 そして進んで家事をやらかす彼女を見て育ってきたクリアも、家事というものに対して妙にやる気だけはある。

 これまたなぜか自信満々なユナに師事し、一通りの家事を「覚えた」。

 もちろん習う相手がアレであるから、腕前はお察しの通りである。

 メシマズの再生産を前にして、二人は母よろしく「どうしてもやる」と言い出すのではと戦々恐々していた。

 しかし当のクリアは、「大人がするものだ」という響きにあっさり納得したようだ。

 

「そ。ならお言葉、甘える」

「気持ちだけありがとうね。ゆっくりくつろいでて」

「そうしよ? おれね、クリアおねえちゃんとまだまだあそびたいなー!」

「しょうがないな。ユウは」

 

 ナイスフォローを決めた我が子に、シュウは内心ガッツポーズだった。

 

「そうだ。僕が作ってる間、お風呂でも入ってるといい」

「ん。そうする」

「わーい!」

 

 ある意味最大の危機を乗り越え、ほっと一息吐いたシュウは、ユウと目くばせしていた。

 

 

 ***

 

 

[3月20日 19時48分 東京 星海家 お風呂]

 

「おいで」

 

 ちょいちょいと手招きする意図を察したユウは、頬を膨らませて抗議する。

 

「もうふくくらいじぶんでぬげるから。だいじょうぶだよ」

 

 そんな微笑ましい『弟』に、『姉』は「えらいね」と言うに留め、生暖かい目で彼の「ぬぎぬぎ」を見守ることにした。

 ユウがちゃんとすっぽんぽんになったのを見届けてから、クリアも自らの服に手をかける。

 齢14と、世間で言えば中学二年生に当たる彼女だが。

 幼少期の悲惨な環境から来たと思われる発育不良が響いて、見た目はまだ小学校高学年のようである。

 ようやく遅れた成長期が始まろうかという辺りで、胸の膨らみも薄く、産毛が生えたばかりというところだった。

 ユウもクリアおねえちゃんが成長遅いのを気にしているのは知っているので、クソガキのようにからかったりはしない。

 

「まず身体、洗おう。ね」

「はーい」

 

 二人はずっと一緒にお風呂に入ってきた仲であり、お互い裸も見慣れたものだった。

 なのでそこに変な意識があるわけではない。

 ただ卒園の節目もあり、小さな彼にも思うところはあるようだった。

 

「そうだ。おれさ、しょうがくせいになるんだよね」

「ん。また一歩、大きくなった」

「おれとおねえちゃん、いつまでいっしょにはいれるのかな」

「…………」

「えっと。クリアおねえちゃん?」

 

 フリーズしてしまったクリアにきょとんとして、顔の前に手をかざしてみるユウ。

 ろくに反応がない。

 一方、クリアは稲妻に打たれていた。

 この当たり前がいつか終わるということを、唐突に突き付けられてしまったのである。

 目の前でおろおろし始めた可愛い『弟』をぼーっと見つめて、彼女は思い悩む。

 この子が小1までは大丈夫だろうか? 大丈夫のはずだ。

 確か……公衆浴場も7歳になるまではせーふだった、と思う。

 しかもここはおうち。小2くらいまでは頑張りたい。

 さすがにそれより上は、教育上良くないか……?

 愛しさと切なさと、姉離れを意識し始めた我が弟の成長への歓び。そして教育的配慮が渦巻いて。

 クリアはちょっぴり寂しさで泣きそうになっていた。

 

「……考えておく」

 

 とりあえず結論を先延ばしにした彼女である。

 というか。

 そもそもこの発育不良の身体で、何かを心配する必要はあるのだろうか……。

 ちんまりした自分を見下ろして、小さく溜息を吐くクリア。

 あくまで「見守りたい」立場であるが。もしものときは「もらう」ことも選択肢として……なくはない。

 この優しい子に限って、誰も魅力に気付かないなんて、そんなことはない。はずなので、ほとんど無用の心配だが。

 ただ、一人の女の子として。

 憧れの『母』のように豊かで魅力的でないというのは、やはり悔しい。

 ……何がとは言わないが。

 

 妙に深刻な顔をしているので、ユウは心配だった。

 

「さっきからどうしたの? クリアおねえちゃん」

「ユウ。わたしのこと、どう思う?」

「んとね。いつもやさしくて、たよりになるすてきなおねえちゃんだよ!」

「……! そか」

 

 まったく無邪気な答えに、下らないことを考えていた自分がアホらしくなり。

 

「わ、おねえちゃん!?」

 

 素っ裸のまま、全力ハグとよしよしを始めてしまうクリアであった。

 

 

 ***

 

 

 結局愛しさが勝る余り、「洗わせろ」と一点ばりモードになってしまったクリア。

 してあげるのが嬉しいのかなと、小さなユウはそれとなく察してされるがままになっていた。

 

「目に泡、入るから。しっかり瞑る」

「はーい」

 

 とまあこんな調子である。

 その後、背中だけはお返しでユウが洗ってあげたいと言うので、クリアも喜んでそうしてもらい。

 先に湯舟ではしゃぎ始めたのを見やりつつ、洗髪からのヘアケアを入念に行い。

 青髪をしっかり留めた状態で、浴槽に「参戦」した。

 お風呂遊びの時間である。

 向かい合っての水鉄砲バトルが、近頃ユウのマイブームらしかった。

 

「おりゃ! そこだ!」

「甘い。秘技《インビジブルショット》」

 

神隠し(かくれんぼ)】を盛大に無駄遣いし、透明化したお湯を弟の顔に浴びせかける。

 ぶっちゃけ何の意味もないのだが、こうしてあげると喜ぶのだ。

 

「わ、みえない! すごい! ずるいよ!」

「くっく。我が不可視の魔弾、防ぎようなし」

「で、でも! はんげきだ!」

 

 ユウが意気込み、しっちゃかめっちゃかに打ちまくる。子供特有のレバガチャ戦法である。

 ぶっちゃけ狙いは下手くそなのであるが、クリアは黙って受けてあげるのが務めだった。

 

「わー。やられたー」

 

 ごぼぼぼぼぼ、と彼女が顔を伏せ、お湯の中に沈んでいく。

 

「やった! かったーー!」

 

 無邪気に満面の笑みを見せるも。

 しかし中々彼女が浮かび上がってこない。

 

「あれ。どうしたのおねえちゃん」

 

 心配になってきたユウが、潜って顔を覗き込もうとしたとき。

 

「わっ」

 

 いきなり飛び出して驚かしたので、彼はお湯を飲みかけて絶叫してしまった。

 

「ごばばばばばわああああああ!」

「……ふふふ」

 

 得意になって、からかい甲斐のある弟のビビりっぷりを愉しみまくる姉。

 せっかく丁寧にケアした髪がまたずぶ濡れになってしまったことは、ご愛嬌である。

 

 

 ***

 

 

 ちなみにお風呂から上がると、シュウが腕によりをかけて作った夕食は出来上がっていた。

 なぜかシュウ自身とユウがいたく感激し、ほんのり涙さえ浮かべながら「普通に美味しい」料理を味わっている。

 どうやら食卓を囲むと、かのトラウマが蘇ってしまうようである。

 味音痴のクリアは、ユナが振舞ってくれるものとどう違うのか、いまいちピンと来ないまま「うまし」と舌鼓を打っていた。



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