【ナオアリ】It's just a shot away(一発で始まる) (テモ氏)
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上:War,It's just a shot away(戦争なんて一発の銃弾から始まる)

 

 

 

 

「ふっ……ざけてんじゃないわよ!」

 

 それは私の目の前で爆発した。

 二つ結びでそばかす面の、背の低い下級生。

 火薬の詰まった彼女を点火させるに至った一発の弾――撃ったのは、私だ。

 最悪の初対面。

 これが、私とあいつの出会いだった。

 

 

 

<1>

 

 

 

『――白組2号車、聴こえる? ナオミ』

 

 ヘッドホンから呼びかけるケイの声で、私は我に返る。危うく睡魔に負けるところだった。エンジンの振動が心地よく眠気を誘うのだ。

 

「……ああ。聴こえてる」

 

 欠伸を噛み殺しながらそう返すと、私はキューポラを開けて上半身を外に出す。秋口の涼しい風が頬を柔らかく撫でていった。

 現在、二軍選抜部隊との退屈極まりない紅白殲滅戦の真っ只中である。私の駆るM4A1は、一足早く高地を奪取して待機していた。

 

『旋回装置の具合が悪いから下がるわね。3号車もついてるけど、一応そっちからもカバーお願い』

「Aye aye。前線の指揮はいいのか?」

『ええ。あとは各小隊長に任せるわ。それとナオミ、居眠りは禁止。オーケー?』

「……Roger that」

 

 どうやら船を漕ぎかけていたことはお見通しだったらしい。さすがの次期キャプテン、とでも言うべきだろうか。

 私は眠気覚ましに伸びをして、それから周囲に目を向ける。演習場の森、街道、そして数両の残骸。いずれも、白旗を上げて停止している相手方のシャーマンだ。側面には組を表す赤い布が垂らされている。

 私が来たときにはすでにこの有様だったので、先行した小隊が撃破したものだろう。こちらの戦力展開が早かったとは言え、さすがに骨がなさすぎる――二軍相手だからか、それともケイの采配のおかげか。

 拍子抜けするほどのどかな光景を眺めながら、私はポケットから出したガムを口に放り込む。

 そもそもこの紅白戦は、次期キャプテンに内定しているケイの実力を測るための演習でもあるのだ。試合運びによっては人事の再考もありうるため、決して油断は出来ない。苦戦すらしてはならないとも言われているくらいだ。

 それは私達一軍の平隊員にとっても同じことで、ここでまずい動きをしたら来年度は二軍に落ちることになってしまう。それは逆に、相手方にとってみれば活躍によっては一軍昇格もあり得る一種のチャンスでもある。

 だから今日も例によって、毎年のごとく血で血を洗う激烈な戦闘が行われるはずだった――のだが。

 

「……ふぁ」

 

 今度はもろに欠伸が出る。

 本当に暇だ。退屈だ。戦車に乗っているのに、誰とも戦っていない。狙うべき相手がいないのだ。勿体無い。折角のベストポジションが無駄になるじゃないか。

 現在私がいる高地は、定番のホットスポットである「パンケーキ・ヒル」だ。

 西側方面の主要ルートである街道を見通せ、搦手である森からの奇襲にも優位に対応できる戦略上の重要地点である。ここを制するかどうかが、こちらの戦線の勝敗を左右すると言っても過言ではない。

 だからこそ、今までの練習試合でもここが戦いの中心となることは非常に多かった。

 何両もの残骸が黒煙を上げる中、それでもなお車長は高地の頂上を目指さざるを得ない。

 そこからついた通称こそが「パンケーキ・ヒル」である。撃破された戦車をパンケーキに見立てた名称らしいが、別に何も上手いことは言っていないと私は思う。そもそも緑色のパンケーキなんて、確実にカビてるじゃないか。それとも抹茶味なのか?

 キューポラに頬杖をついて、私はとりとめない考えを遊ばせる。

 当初の予定では、先行した車両とともにここで防衛戦闘を繰り広げるはずだった。

 だが予想に反して、先行部隊がそのまま突破に成功。高地は前線にもならずに放置された。

 不自然なほどのあっけなさである。

 ケイは何らかの奇策を警戒して慎重に攻めていったが、特にサプライズもなく試合は一方的に進んでいくばかりだった。

 この状況をケイは、東西の戦線が互いに抜け駆けをしようとした結果と見立てていた。足の引っ張り合いの末に取り返しのつかない事になってしまったのではないか、と。私にはよくわからない話だ。

 誰がイニシアチブを取ろうが、勝てるかどうかのほうが重要だろう。撃てる場所に行って、狙って当てる。それだけのことだ。

 そして、そうさせてくれるからこそ私はケイを信用している。

 ――ともかく。

 万が一の奇襲などに備え、生命線である街道を監視できるこの場所に私は配置されていた。

 加えてここは後退してくる味方の援護にも良いポジションである――今となってはほぼありえないことだが。

 もはや大方の敵は街道の奥、市街地に押し込まれているようだった。無線から察するに、それなりの激戦を繰り広げているらしい。少なくともこちらよりは退屈しなさそうだ。

 ……せめてもう少し前線に出たい、と私は思った。2000mもあれば、そこそこの精度で援護射撃もできるだろう。

 しかしそんな命令は出ていないのだから、おとなしくしている他はない。

 ため息の代わりに、私は味の薄くなってきたガムをふくらませることにした。

 

 

 

<2>

 

 

 

 ケイのM4A1が街道の向こうに見えたのは、それから五分もしないうちだった。

 先ほど言っていた通り旋回装置が故障したようで、砲塔は進行方向と関係なく2時を向いたままである。

 先行する無傷のM4は三号車だろう。ちょうど敵の残骸の横を通り過ぎようとしている。

 

「……?」

 

 ここで、私は何か引っかかりを覚えた。

 明確なものではない、おそらく私の目以外では気づくことの出来ない何か。

 それは破壊されたM4から――正確には、その砲塔の辺りから発される微細な違和感である。

 眉根を寄せて目を凝らした瞬間、私は正体に気づいた。

 風で揺れる旗布、その竿が微かに傾いたのだ。

 偽装(死んだフリ)だ。あの車両はまだ生きている。

 

「――Ambush(待ち伏せ)! シャーマンの残骸!」

 

 叫んだ直後、白旗を突き立てたままのM4がぶるりと揺れる。エンジンに火が入った。まずい。

 

『What the――!?』

 

 ほぼ同時に、一発の砲声。三号車の車長の叫びは激突音にかき消された。

 至近距離の一撃が無防備な土手っ腹に命中し、勢い良く白旗が立ち上がる。

 

「――Shit!」

 

 悪態とともにキューポラの中に滑り込む。向かうのは砲手席だ。

 

「11時方向、敵M4!」

「奇襲ですか!?」

「待ち伏せ! 死体が動きやがった!」

 

 命令するまでもなく、砲手は車長の椅子へと位置を変える。狙撃用のフォーメーションだ。

 ここからは私が砲を撃ち、砲手は観測手(スポッター)を務める。私が照準に集中している間、索敵は彼女の仕事である。

 砲塔を向け、ケイのM4を視界に入れる。3号車の亡骸にちょうど隠れるように動いたようだが、敵もまた移動を始めていた。

 

「ケイ!」

『大丈夫、でもカバーお願い! ASAP!』

 

 呼びかけに応えるケイは、珍しく切迫したトーンである。

 私はハンドルを回して仰角を稼ぎつつ、距離を目算する。恐らく1600m。

 敵は街道の脇、土手に降りて前進していた。すでに車体は殆どが隠れ、わずかに砲塔が見えるのみだ。私の射界から隠れつつ回り込もうという魂胆だろう。

 その判断は全くもって正しいと言える――だが。

 

「……もらった」

 

 私には、それだけ視えていれば充分だ。

 敵が狙いをつけるために停車した、ほぼその瞬間。私は砲撃スイッチを踏み抜いた。

 足の裏に響く撃発の感触。

 轟音、振動、かすかな放物線を描いて、徹甲弾がとろりと重力に引っ張られながら飛んでいく。

 刹那の後、敵の車体が揺れた。狙い通り、砲塔側面。手応えアリだ。

 

Bull's eye(命中)! 敵M4、撃破!」

 

 観測手の嬉しそうな声とともに、砲塔天面に旗が上がる。

 撃破判定――今度の白旗は、間違いなく本物だ。

 

『――Thanks、助かったわ。さすがね』

「You bet」

 

 ケイに一言で返すと、私は深く息を吐いた。

 面白いサプライズだったが、おかげで見せ場を作ることができたようだ。

 ケイが私をここに置いていたのはさすがの采配、とでも言えばいいだろうか。

 狙ってやったとは思えないが、もしかしたらそうかも知れないと思わせるところがケイのケイたる所以だろう。

 ややあって、紅白戦を進行している本部から全体無線が入電した。

 

『こちらHQ、チームレッドは残存車両なし、よってチームホワイトの勝利。繰り返す――』

 

 どうやら、向こうも終わったらしい。これにて試合終了である。

 と言っても、1両撃破では誇れるような結果では到底ないのだが。

 まあ、隊長車が撃破されたなどという格好のつかない状況は避けることが出来たのだから良しとしよう。

 

「……借りるよ」

「えっ、あ……うん」

 

 困惑する様子を無視して砲手に背中を預けると、私は深く息を吐いた。

 

 

 

<3>

 

 

 

「何それ、ありえないんだけど!?」

 

 私はキューポラから出るなり、その喚き声を聞いた。

 視線をやれば、見覚えのある下級生がなにやら抗議しているようだった。

 審判役の二年生は半ば気圧されながら、どうにか宥めすかそうと頑張っている。

 

「あ、あり得ないも何も、ルールはルールだから……ふつう白旗を偽装したりなんてしちゃいけないでしょ……公式戦でも確か不正とみなされたはずだし……だからアリサ車の成績は撃破なし、っていうことに――」

「だから! それがおかしいって言ってるの!」

 

 彼女は手足を振り回して、全力で怒りを表現していた。

 星をあしらったヘアゴムで結んだおさげが、彼女の怒声に合わせてぴこぴこと揺れている。

 

「私は不正なんかしてないわよ! 不利な状況を一発逆転するために、作戦を考えて実行するっていう当然の権利を行使したまでじゃない! それが何で――」

「も、もうやめようよアリサちゃん……ここは先輩たちの言うとおりに……」

「っはァ!? 何言ってんのよアンタ、これは砲手のアンタの成績でもあるのよ!? せっかくの撃破判定なのにふいにされちゃっても良いわけ!?」

 

 ――なるほど。私は合点した。彼女は「あの」M4の車長である。

 本来なら関わり合いになるようなことではないだろうが、何故だか目が離せない。小さい割によく動くから、ついつい気になってしまうのだろうか。

 私は砲塔に腰掛けて、事の推移を観察することにした。

 

「あのね……撃破されたからまだ良かったけど、あのまままかり間違ってケイの車両を倒したりしてたら大問題だったんだよ?」

「それよ! そもそも私達を撃ったのは誰よ! あのA1……もう少しで大将首取れたって言うのに……あんな距離から当ててくるなんて、あっちのほうが何かズルしてるんじゃないの!?」

「……ふふ」

 

 思わず笑みがこぼれた。あんなに悔しがってくれるなら、狙撃し甲斐もあるというものだ。

 その、私が漏らしたかすかな笑い声に気づいたのか、アリサは私をきっと睨み上げた。

 

「……?」

 

 一瞬の間を置いて、その表情は訝しむようなものに変わる。

 直後、アリサは何かに気づいたように目をまん丸く見開いた。

 

「あんた、まさかその車両の……!」

 

 しまった、と私は思った。これは間違いなくこちらに矛先が向く。

 下手にごまかしても余計にこじれるだけだろうし、ここは認めてしまったほうがいい。

 そう思った私は、ため息を吐きながら頷いた。

 

「そう、私が車長だよ。で、撃ったのも私」

「……は?」

 

 アリサは釈然としない様子である。

 ――当たり前だ。こんな乗り方をしているのは、おそらくサンダースでも私くらいだろう。プラウダに同じような奴がいるとか聞いたことはあるが、こちらは会ったことがないからなんとも言い難い。

 どう言えばいいのか迷いながらも、私は手短に説明する。

 

「長距離射撃はちょっと得意でね。遠い的を撃つ時は交代してもらってる」

 

 もう下車している砲手を親指で指し示しながら言ってから、気づいた。すこし言い方が悪かったかも知れない。

 だが後の祭りだ。どうやらその危惧は的中してしまったらしい。

 

「ふっ……ざけてんじゃないわよ!」

 

 アリサは爆発した。

 驚くほどの大声で怒鳴ってから、まっしぐらにこちらへ突っ込んでくる。

 そのまま砲塔まで登ってきそうな勢いだったが、アリサは私の予想に反して車両のすぐそばで力強く立ち止まった。

 その場で改めて私を睨みつけると、再びがなり立て始める。

 

「私の相手なんて車長の片手間で充分ってこと!? スカしてんじゃないわよ!」

 

 そばかす面にどこか眠たげな垂れ目も相まって、黙っていれば可愛らしい雰囲気なのだろうが――顔貌に逆らうように眉を吊り上げ、これでもかと言わんばかりに声を張り上げて主張する姿はむしろ、小さなパットンとでも言ったほうがいいかもしれない。

 

「いや、私だって今のやり方は面倒だと思ってたところだし、できれば砲手に専念したいと――」

「そういう話じゃないわよ! なに? アンタなに? 私のことバカにしてるでしょ! ぜったいバカにしてるでしょ!」

 

 はたから見ればケンカを売られているようにも見えるだろうが(というか、ほとんどその通りなのだが)、不思議と私は嫌な気持ちがしなかった。なんでかは分からないけど、普段なら面倒な類のやり取りがこの時だけは心地よくすら感じた。実際、よく反応するから面白かったのかもしれない。

 もっとも彼女にとってみれば、そんなふうに思われるのは不愉快極まりないのだろうけど。

 

「アンタなんか、一対一で当たれば――」

「ヘイ! 何やってるの?」

 

 割り込んできた快活な声は、ケイのものだ。騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう。

 今にも襲いかかってきそうだったおさげの小動物は、その姿に気づいて飛び上がった。

 ついさっきまでアリサに噛みつかれていた審判役が横に立ち、事態を説明しているようだ。

 

「……なるほど」

 

 ケイは腕を組んで、仰々しげに頷いた。事態を把握したらしく、こちらへ歩いてくる。

 

「あ、やば……」

 

 自分がまずいことをしたという自覚はあるようで、アリサは露骨に焦っていた。

 ケイはその目の前で立ち止まり、腰に手を当ててゆっくりと名前を呼んだ。

 

「アリサ」

「は、はい……」

 

 さっきまでの威勢はどこへ消えたのか、アリサは縮み上がって返答する。

 

「確かにあの偽装はアウトよ。フェアじゃないわ。そもそも偽の白旗を上げるなんて行為、ルールブックで禁止されてるはずよ?」

「はい……」

 

 先行した部隊の小隊長いわく、彼女たちが通った時にはすでにアリサのM4は白旗を上げていたのだという。

 それを自損か何かかと早合点して報告を怠ってしまったために、あの事態が起こってしまったのだ。

 小隊長は自分たちの落ち度だと言って悄然としていたが、まさか死んだふりをしているなんて誰も思いもしないだろう。そもそもルール違反なのだし。

 ケイはしかし、それ以上アリサを責めようとはしなかった。

 放っておいたらそのまま消えてしまいそうなアリサの肩を優しく叩くと、打って変わっていつもの笑顔を浮かべる。

 

「でも、諦めずに一発逆転を狙ったそのハートは素晴らしいわ。だからイーブン。これからはちゃんとルールに従って、その中であなたの才能を活かしなさい。いい?」

「! ……はい!」

 

 感極まったような間の後、アリサは元気よく頷いた。

 これで一件落着、というわけだろう。そう思って立ち上がろうとした私を、ケイが呼び止める。

 

「で、ナオミ」

「え、私?」

 

 まさかこの流れで私に振られるとは思ってなかったので、間抜けな声が出てしまった。今ので丸く収まったんじゃないのか?

 

「ナイスショットだったわ。あの距離で小さな、それも動く目標に対して正確な射撃……さすがね。多分、あなたがいなかったらあそこで私は撃破されてたわ」

 

 真意の見えない展開に、私は曖昧な表情をケイに向けた。ただ褒めるために呼び止めたというわけではあるまい。

 予想通り、ケイは言葉を続けた。

 

「それで考えたんだけど……やっぱり次期副キャプテンはあなたにしか任せられないわね!」

「またその話か……だから私はまだ決めて――」

「あはは、そうだった。ソーリー、ナオミ」

 

 なるほど、こういう流れにしたかったのか。面倒くさい単語に顔をしかめた私を、ケイは笑ってごまかした。

 もっとも、なあなあで先延ばしにしているのは私のほうである。断りたいのは山々なのだが、なんとなくきっぱり言えないまま数週間経ってしまっていた。

 今度こそこれで話は終わりのはず――と思ったが、ケイは去ろうとせず、代わりに人差し指を立ててみせる。

 

「――で、本題。このままだと二人の間に遺恨が残っちゃうでしょ? だからここは一つ……勝負でもしてみたらどう?」

「しょっ……」

「勝負、ですか……?」

「イェース。勝負よ」

 

 絶句した私の代わりに、アリサが続いた。

 大仰に頷いてみせたケイに、アリサは恐る恐る問う。

 

「しょ、勝負って、お互いの腕を紐でつないでナイフで決闘とかそういう……」

「ノーノー、戦車の恨みは戦車で晴らす。それがスポーツマンシップじゃない?」

「え、それってつまり……」

 

 不敵な笑みを浮かべて、ケイはもう一度首肯した。

 

「ワンオンワン、一対一の戦車戦よ!」

 

 高らかにケイが宣言すると、いつの間にか集まっていたギャラリーが湧き上がる。

 どうやら事態は思った以上に面倒な方向に進んでいるらしい。一刻も早く止めないと、とてもマズいことになりそうだ。

 

「ケイ、ちょっと――」

「やります!」

 

 私の声をかき消して答えたのはアリサである。ケイは即座に親指を立てて賞賛した。

 

「いい返事ね! でも、そうね……何も賭けない勝負っていうのも面白くないわね……」

「そっ……それじゃあ!」

 

 悩む素振りのケイを見て、勢い良くアリサが声を上げる。

 ギャラリーが静まり返り、全員が不遜な一年生に注目した。

 促すようにケイが頷くと、アリサは決然と言い放つ。

 

「私が勝ったら、ナオミ……先輩の代わりに、一軍に入れてもらいます」

 

 一瞬の沈黙の後、アリサの言ったことを理解したギャラリーがざわめきだした。

 私の代わりに、一軍に入る? いくらなんでも、そこまで大胆不敵だとは思わなかった。

 

「ちょ、ちょっと待て、私はまだ――」

 

 慌てる私をよそに、ケイがアリサに問う。

 

「つまりそれは、副キャプテンに抜擢されるってことだけど……それでもいいの?」

「……っ!」

 

 さすがのアリサも、この条件にはたじろいだようだ。

 いや、その前に私はまだ副キャプテンの話を受けるとは言っていないのだけど。

 しかしアリサは踏みとどまり、ケイを目を見て答えた。

 

「……やり、ます。その時は……副キャプテンの任、お受けします」

 

 周囲が再びざわめいた。賞賛半分、当惑や嘲笑が半分と言ったところだろうか。

 正直、私もこれには舌を巻いた。大した肝っ玉だ。

 ……少なくとも、どうするか迷ってる今の私よりは。

 

「オーケー、それじゃあナオミは? 勝ったらアリサにしてほしい事とかないの?」

「えっ……?」

 

 突然向けられた質問に、私は困惑した。して欲しいこと?

 できればこの決闘じみた戦いをナシにして欲しいところだが、この空気ではそうもいかないだろう。

 だからと言って、ほとんど知り合いでもない一年生にして欲しいことなどあるはずもない。

 私はしばし考えてから、結局は首を横に振った。

 

「いや、特には……」

「ないの? ……あ!」

 

 ケイは何かを思いついたらしく、ぽんと手を叩く。おそらくろくでもないことだろう、と私は予想した。

 

「じゃあ、キスでも賭けて見るっていうのはどう?」

「えっ」

「は?」

 

 予想以上にろくでもなかった。私とアリサの反応はほとんど同時である。

 しかし、ケイは意に介さずに続ける。

 

「ナオミは副キャプテンのポストを賭けているのに、アリサが何も賭けないんじゃフェアじゃないでしょ? だからキスくらいがちょうどいいんじゃないかって思ったんだけど……どう?」

 

 私は再び絶句した。副キャプテンのポストはアリサのキス一回分の価値なのか……。

 

「え、ええと……わ、私は……」

「オゥ、ソーリー。アリサにはまだ早い提案だったかしら?」

 

 わざと小馬鹿にするような言い方で、ケイは肩をすくめてみせる。

 わかりやすい挑発だったが、アリサはまんまとそれに乗っかった。

 

「な……っ! そ、そんなことないです! キスだろうがなんだろうがいくらだってしてやりますよ! ……っていうか! 私が勝てばいいだけの話じゃないですか! そっ、そうよアリサ……勝てばいいのよ、勝てば!」

「グッド。じゃあ決まりね! ナオミは副キャプテンのポストを、アリサはキスを賭ける!」

 

 ケイが高らかにそう宣言すると、ギャラリーはひときわ沸き立った。

 本格的に、これはまずい状況だ。

 何やら一人ぶつぶつ言っているアリサは放っておいて、私は車両を降りてケイの説得を試みた。

 

「なあ、ケイ。私の意見も――」

「あら。ナオミにキスできる権利、なんて喉から手が出るくらい欲しいって子たちもいるみたいだけど?」

 

 ケイはいたずらっぽく笑いながら、ギャラリーの一部を指差した。

 悔しがっている……のだろうか。地団駄を踏んだり、ハンカチを噛んでいる一年生の姿が見える。

 二年生になってからあの手の――いわゆるファン、のような子たちをちらほら見るようになってきた。

 だからなんだという話だが、悪い気はしないというのも確かだ。

 ――いや待て。そもそもこの戦い、勝っても負けても私に得はないのでは……?

 しかしそれを問うより早く、ケイはまとめに入ってしまった。

 

「それじゃ二人とも、明日の放課後にクルーを連れてここまでくること。ギャラリーも大勢くるだろうから、すっぽかしたりはしないように!」

 

 見ればすでに人だかりは予想以上の大きさである。明日のメインイベントが決まってしまったようだ。

 こうなったからには、もう腹をくくるほかない。見世物にされるのは気分のいいものとは言えないが、心のどこかでこの状況を楽しんでいるのも確かだ。

 そんな内心を見透かしてか、アリサは私をじっと見据えて、不敵に笑った。

 

「逃げんじゃないわよ、ナオミ“先輩”」

「もちろん……いや、そっちこそ」

 

 相手の揶揄に対して、私も挑発するようにわざわざ言い直す。

 ――こんな生意気な後輩がいたなんて、面白いじゃないか。

 戦いの予感に思わずこぼれた笑みは、きっと狩人のそれだっただろう。

 

 

 

 



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下:Sister,It's just a kiss away(ただキスだけで充分だ)

 

 

<I>

 

 まさか、副キャプテンの座を賭けた戦いになるなんて。

 事態は、私の予想よりも遥かに大事になっていた。

 ほんとなら、あのいけ好かないスカした先輩に吠え面かかして終わりのはずだったのに。

 だけど、考えてみればこれはチャンスだ。

 勝てば一軍、それだけじゃなくて、副キャプテン。パッとしない二軍の車長から、一気に出世である。

 もしそうなったら、きっとパパも喜んでくれるはずだ……たぶん、ママも。そしてタカシも。

 男だってきっと、有能な女の方が素敵に見えると思うし。

 そして最終的には次期キャプテン? ていうか、副キャプテンの時点でほぼその道は確定してると言っても過言ではないんじゃないか?

 口元がニヤけるのを止められない。私の未来は、基本的に明るいようだ。

 ただ一点、相手が「あの」ナオミ先輩であることを除けば。

 私でも名前ぐらい聞いたことある。だけど、近くで目の当たりにするのは初めてだった。

 まして、撃たれたことなんてあるわけない。

 確かに、あの距離で砲塔しか見えてない私の車両に当ててくる腕前は相当なものだ。

 「サンダースきってのシャープシューター」だの「まるでホワイトフェザーだ」だの、名声をほしいままにしているのもまあ頷ける。

 しかし、「砲手としての腕がいいあまり飛び級したらしい」などというのは流石に馬鹿げているだろう。

 ――ていうか、そもそもホワイトフェザーはベトナム戦争じゃない。適当なこと言ってんじゃないわよ。

 二軍の仲間たちからは、試合が決まった直後から「勝てるわけがない」とか、「負けてもあのナオミ先輩にキスできるんだから、メリットしかないじゃん! 羨ましい!」だとか、好き勝手なことを言われた。

 ま、あいつらならそうかもしれない。だけど私は違う。

 私には知恵がある。作戦がある。勝つためにはなんでもするという決意がある。いくら相手が上手い砲手だからって、ほいほい勝てると思ったら大間違いだ。

 どんな相手かわかってる以上、対応策を練ることはいくらだってできる。そして、大まかな作戦はすでに私の頭のなかにある。

 そりゃあ、100%の自信があんのかって聞かれたら……あるわけでは、ない。むしろ確実性でいったら低い方だ。

 でも、やるしかない。

 始めから、実力でここまで来たんだ。なら、行けるところまで行ってやる。

 

 

<1>

 

 翌日の演習場には、まるで練習試合でもある日のように生徒たちが詰めかけていた。

 どうやら私とアリサの決闘は一大イベントと化しているらしい。

 まあ、そりゃあそうだ。次期副キャプテンの座を賭けた一対一の戦いともなれば、多分私だって興味が出る。

 所定の場所に向かうと、すでにアリサの車両が停まっていた。昨日の車両は整備に回したのか、M4A1を選んだようだ。これでスペックの差はなくなった。

 お互いのM4を向かい合わせで止めて、試合前の挨拶を行う。

 審判役のケイを挟み、クルーと一緒に並んで一礼。

 ほぼいつも通りの作法を行い、自車両に戻る直前。アリサがこちらへ駆けてきた。

 アリサは決然とした表情のまま、呟くように告げる。

 

「……負けないから」

 

 それだけ伝えたかったのか、アリサは返答も待たずに自分の車両へと駆け戻っていった。

 

「……こっちだって、そのつもりさ」

 

 誰に言うともなく呟くと、私も踵を返した。

 居心地の悪い車長席についてから、改めてマップを確認する。

 フィールドは昨日と同じ演習場だが、指定されたエリアは「パンケーキ・ヒル」付近の森林地帯である。

 エリアにヒルは含まれていないが、森の中心部から少し南方に小さな丘があった。

 こちらはそれほど高くない上に、木々もそこだけ生えていないので上に陣取れば目立ってしまう。優勢を取るには高さが足りず、視界を取るにも森が近すぎるという中途半端な地形である。だが、森の中で使える起伏らしい起伏はここしかない。上手く使えばあるいは鍵となりうる場所だ。

 スタート場所は私が森の北、アリサは南であるから、ここを利用しようと考えていたならアリサのほうが先に到着するだろう。

 あるいは私がここに現れるのを付近で待ち伏せするか。どっちにしろ、正面から戦闘を挑んでくるようなことは考えづらい。何らかの策を弄するはずである。

 そうこう考えているうちに時計の針が開始時刻、1600を指そうとしていた。

 背中を伝わるエンジン音が、私の心臓とシンクロする。なぜだか、昨日の試合よりずっと楽しめそうな予感がした。

 

『それじゃ2チームとも、用意はいい? 試合、開始!』

「前進(Move out)!」

 

 試合開始の号令を合図に、私の車両も前進を開始する。

 相手はどう出るか。いや――どう出ようとも、私はそれを撃ち抜くだけだ。

 

 

<2>

 

 森の中を進みながら、私は自分が柄にもなく逸っていることに気づいた。

 副隊長の座を賭けたから? いや、違うだろう。

 それじゃあ、アリサのキスが欲しいから? そんなはずがあるか。

 ……なら、なぜこんなに浮ついているのか。一つだけ、思い当たる節がある。

 これはどうやら、期待だ。

 練習試合で見せたような奇策を、アリサが私に向かって使ってくることへの。

 そして何より、それを撃ち抜けるのかどうかへの。

 

「……ふ」

 

 自嘲にも似た笑いに鼻を鳴らす。

 結局は、ただのトリガーハッピーということか。

 やはり自分は車長の器ではない。まして、副キャプテンなど。

 人の上に立つよりも、一つのことに集中しているほうがずっといい。

 やる気があるという点では、アリサを抜擢したほうがむしろ上手くいくんじゃないか?

 もちろん、だからといって負けてやる気はさらさらないが。

 ノイズじみた思考を追い払うと、ちょうど例の丘が見えて来る頃だった。

 頂上に向けて双眼鏡を覗くと、あっけないほどすぐにその姿を発見できた。ハルダウンで停車しているようで、オリーブドラブの砲塔が見えてしまっている。

 

「……前方、距離1800。敵確認。停車しろ」

 

 車両を停止させると、私は砲手席に着いた。

 向こうは未だ索敵中なのだろうか、動く気配はなさそうだ。

 本来の有効射程からすれば殆どギリギリの距離だが、問題ない。私なら当てられる。

 息を吐き、スコープの先に意識を集中させる。

 これでは昨日の試合と殆ど同じ結末である。少しばかり拍子抜けしながら、私は狙いを定めてボタンを踏んだ。

 砲撃音とともに、徹甲弾は美しい軌道を描いて命中――瞬間、標的が消滅した。

 いや、「割れた」のだ。

 

「――デコイ、か」

 

 囮、恐らくダミーバルーンである。

 古典的すぎる罠を見抜けなかった悔しさに、私は小さく舌打ちした。

 しかし口の端が持ち上がるのは、きっと私がこれを求めていたからだろう。

 再び逸ろうとする心を抑えて、私は砲手席から前進を指示した。

 

 

<II>

 

「あはは! まんまと引っかかったわね!」

 

 ペリスコープを覗きながら、私は手を叩いて快哉を上げた。

 丘の東側――つまり私の車両の地点からでも、敵の砲撃がダミーバルーンを破壊するのが確認できた。

 敵はまだ視認できないけど、砲声からも弾道からも大体の距離はバッチリわかる。見事に作戦通りだ。

 名付けて、「フォーティテュード・ヒルトップ」。

 昨日遅くまで考えた、私の自信作である。そのせいで午前中の授業はほとんど寝てたけど。しかしおかげで今はいつにも増して頭も冴えてるので、ある意味で塞翁が馬ってやつかもしれない。

 作戦の内容は次の通りだ。

 まず開始早々、M4そっくりなダミーバルーンを丘の上、ギリギリ砲塔が見えるくらいの位置に配置しておく。ナオミの方角からはちょうど索敵でもしているかのように見えるはずだ。

 ここでナオミより早く丘に接近できるかが鬼門だったのだが、スタート地点に恵まれたのは僥倖だった。

 倉庫で発見したそのバルーンは本家本元のフォーティテュード作戦で使われていたようなやつで、なかなかに良く出来ている――とは言え、航空写真で撮られることを想定した欺瞞用だから、近づかれれば簡単に看破されてしまうだろう。

 しかし狙撃に自信のあるナオミなら、恐らく遠距離で仕留めようと狙ってくるはずだ。

 ここがキモである。

 そして私の思惑通りアイツは遠距離射撃を披露した。それによって、自分の位置を知らせることになってしまったというわけだ。完璧。砲塔だけチラつかせることで、全体を見せるよりも発覚するリスクを抑えたのもポイント高いと思う。

 ……とは言え、やはり舌を巻くほどの距離なのは確かだ。

 こっちの砲手ではとてもじゃないが敵いそうもない。やはり搦手で向かったのは正解だろう。

 私は作戦を第二段階に進めるため、乗員たちに指示を出す。

 

「前進! こっちの位置を気づかれる前に接近、ある程度まで行ったら待ち伏せして倒すわよ!」

 

 おかげで大体の方角はわかったので、苦手であろう近接戦闘を強いるのだ。

 森に紛れるようにカモフラージュもしてあるから、交戦可能な距離までは気づかれないはずだ。

 万が一バレたとしても、スモーク弾で目眩ましをしてそのまま一気に接近。相手の取り柄を封じて討ち取ればいい。

 うん。やっぱり自分でもほれぼれするくらい完璧な作戦だ。

 私は抑えられないにやけを他のクルーに見られないようにしながら、勝ちへの確信が強まっていくのを感じていた。

 見てなさいよ、勝利も副キャプテンの座も、全部私が頂いてやるんだから。

 

 

<3>

 

「ナオミ、どうする? 場所、バレちゃったんじゃない?」

 

 車長席に座る砲手が、不安げな声で私に問う。

 振り返れってみれば、表情からも狼狽が伝わってきた。

 確かに、これで私たちは後手に回ったことになる。こんな初歩的な罠に引っかかるなんて、つくづく私らしくない。

 

「そうかも知れない。でも、たぶん向こうも正確な位置までは把握していないはずだ」

「そ、それなら……とりあえず、移動した方がいいよね?」

「そうだな……でもあいつのことだし、何かしら悪巧みしてるはずだ」

 

 私は味のなくなったガムを噛みながら、次の一手を決定した。

 

「だから、こっちもちょっとばかし頭を使ってやるのさ」

 

 私は当初、アリサが丘に布陣すると踏んでいた。なので西に迂回するルートを取ろうと考えていたのだが、こうなってくると話は変わってくる。

 相手から正攻法で攻めてくることはないだろう。得意な距離で奇襲をかけてくるはずだ。

 デコイを撃たせたのは、私が初期地点からどう動いているのかを把握するため――そうなると、進行方向に先回りして待ち伏せをする辺りがあいつの作戦だろう。であれば、このまま進むのは危険だ。

 上手いカモフラージュなら、私の目でも誤魔化される可能性がある。

 そうでなくても、昨日の試合から数えればすでに二度も騙されているのだ。甘く見るのはやめておいたほうがいいだろう。

 そうなると、こちらから森をうろつくのは下策になる。

 ベストなのは相手からこちらに向かってくる状況を作ること。私なら当てられる距離でも、向こうにとっては難しいはずだ。

 だからといってそこら辺で待ち伏せしていても埒が明かない。千日手はむしろ相手の思う壺だろう。

 で、あれば。

 

「前進。目標はあの丘」

「え!?」

 

 前後の発言に繋がりが見えなかったのか、クルーたちは一瞬あっけにとられたような顔で私を見る。

 

「どうした?」

「……本気?」

「隠れた相手をあぶり出すには囮が必要だろ?」

「でも、忍び寄られて撃たれちゃうんじゃ……」

「向こうが撃てるような距離まで近づいてくるなら、いくらカモフラージュしてたって気づくさ」

 

 カモフラージュされた止まったままの車両なら、もしかしたら気づかずに射程まで入ってしまうかもしれないが、動いているなら話は別だ。

 さらにこちらは止まったまま、周囲の景色に注意していればよい。何かが近づいてくるのを見つけるのは、警戒しながら進むよりも容易いことと言える。

 たとえ私達が気づかない距離から撃ったとしても、向こうの砲手ではそうそう当てられないだろう。

 

「あと、ここからは砲手に集中したい。車長、任せてもいいか?」

「えっ……!? い、いいけど、私でいいの?」

「他に誰がいる?」

 

 慌てる砲手に、私は笑ってみせた。

 彼女とは1年の頃から同じ車両の仲だ。

 当時は装填手だった彼女を、私が車長になる時に砲手へ推薦したのだ。

 

「……わかった。任せて!」

「ああ。頼む」

 

 戦友の力強い返答とともに、車両は目標地点へと近づいていく。

 確証のない作戦ではあるが、一か八かにかけてみるのも面白そうだ。

 

 

<III>

 

「……嘘でしょ。バカじゃないの」

 

 私は思わず

 ナオミの車両は丘の上に登り、無防備に身体を晒している。

 ハルダウンすらせず、ただ頂上で停車しているだけだ。これでは待ち伏せもクソもありはしない。

 一瞬私と同じようにデコイを使ったのかとすら思ったほどだが、そんな素振りは一切なかったし、なにより排気煙が見えている。あれは本物だ。

 

「アリサ!」

 

 呼びかけを受けて我に返った私は、慌てて命令を出す。

 

「あ、ええ、そうね! 何にせよ向こうから身体を晒してくれたんだから、これはチャンスよ! 砲手、用意は良い? もう少し接近してから、私の合図で止まって砲撃するのよ!」

「え、でも……」

 

 砲手が口ごもり、装填手もどこか不安げに私を見た。たぶん、相手が何か罠でも仕掛けていると思っているんだろう。それは私も同じだが、だからといってこの好機を逃すわけにはいかない。

 しかもこちらは相手の背中側にいるのだ。当たれば確実に装甲を貫徹、撃破できる。

 

「怖気づいてんじゃないわよ! いいから言うとおりにしなさい!」

「コ、了解(Copy that)!」

 

 私の叱咤に、二人は慌てて前に向き直る。

 最初に想定していたスモークを利用しての接近戦をするには、今の位置からだと少しばかり距離がありすぎた。

 機動戦に持ち込んだとしても、この距離では行進間射撃なんかまず当たらないだろう。

 こちらが再装填している間に、装填済みの相手は回頭して狙いをつけてくるはずだ。あるいは稜線の向こうに逃げ出すか。

 どちらにしても、不意打ちの一撃を外してしまえば後は通常の砲撃戦だ。そうなると、あの距離ならアイツは確実に当ててくるに違いない。

 停車したとしてもこの距離だと命中率30%くらいだろうし、何にしても私たちはもう少し近づく必要があった。

 相手が何を狙っているのかは知らないが、ひょっとして「撃たせてからでも勝てる」とか西部のガンマン的な感じで舐められているのだろうか。

 だとしたら、その油断が命取りだ。忍び寄って後ろからぐさりと刺してやる。

 斜め後ろ、相手からすれば5時の方向から、私の車両は抜き足するようにゆっくりと接近していった。

 戦車の中にいるというのに、息すら潜めてしまう。視認可能な距離、つまりここはアイツの射程内。

 緊張のあまり指先が震えているのに気づく。こんな戦い、初めてだ。

 距離にしてほぼ800m――さすがに偽装していたとしてもこれ以上近づくのは危ない。たとえ見た目でバレなかったとしても、エンジン音などで発見されるリスクが高くなる。命中率は――たぶん、7割か8割。

 せめてもう50mは近づきたいと思ったが、どうやらそうはいかないらしい。

 敵車両が回頭を開始したのだ。

 ――見つかった。

 

「停車! 撃って!」

 

 車両の停止、そして砲の安定を待つ刹那の後、轟音が車内を揺らす。

 砲弾はまっすぐ相手の――

 

「え」

 

 直後、私は思わず間抜けな声を出してしまった。

 着弾したのは目標よりだいぶ手前、丘の斜面である。

 外しただけならまだいい。直後に炸裂したのは白煙――つまり、スモーク弾を撃ったのだ。

 奇襲のために装填させたのを忘れていた。完全に私のミスだ。

 さっき砲手と装填手が何か言いたげに私の顔を見たのは、たぶんこれのせいだろう。

 そういうことはちゃんと口に出して言いなさいよ!

 

「ああもう、何やってんのよ! 早くAP(徹甲弾)装填して! 次は当てなさい! いいえ、次「で」当てなさい!」

「了解!」

「砲手、狙える!?」

「大丈夫、今度は当てられる!」

 

 スモーク弾は相手に直接当てるようなものではないから、斜面に着弾したのは外したわけではないはずだ。

 ……ないわよね?

 ともあれ、間違いなく相手は私達を狙おうとしている。逃げようともせずに回頭し始めているところを見ると、やっぱり撃たせてからでも間に合うって思ってたんだろう。

 確かに、これがただ外しただけだったら向こうのほうが早かったかもしれない。

 しかし今は急速に広がる煙幕がある。流石にナオミでも狙いをつけるのは困難に違いない。怪我の功名というやつだ。

 すでに白煙は完全に相手を包み込み、その視界を完全に奪っていた。

 私は万全を期すため、追加の命令を下す。相手の狙いを外すために、少しだけ射撃地点を移動させるのだ。

 

「照準外さずに11時方向に転進、10メートルくらいのところで停車、そこから第二射! 徹甲弾、間違えないでよ!」

「了解!」

 

 煙の向こう、同じ位置を狙ったまま、私のシャーマンは僅かに射点を変更した。

 

「そっ、装填完了! AP!」

 

 装填手の言葉とほぼ同時に車両が停止する。砲手はすでに狙いを終えた。

 ――もらった!

 息を吸い込み、私は叫んだ。

 

「――撃て(Fire)!」

 

 

<4>

 

 視界は、すでに白煙に包まれていた。近くの斜面に着弾したスモーク弾によるものだ。

 狙い通り奴らは出てきてくれた。思った以上に完璧なカモフラージュは、森を進んでいたなら迂闊に接近してしまっていただろう。

 結果として私は賭けに勝ったらしい。敵をおびき寄せて、中距離以上の砲戦に持ち込むという狙いは達成された。

 しかし、ここにきての煙幕だ。誤射だろうか、あるいはここまでが作戦の内なのだろうか。

 前進してスモークの外に出るという選択肢は存在しない。相手は既にこちらをほぼポイントしているのだから、のろのろと煙から躍り出たところで撃たれておしまいだ。

 かと言って、後退するという道も選ぶ気はなかった。

 ――やることは一つだけだ。私は砲手なのだから。

 車両の回頭と砲塔回転を利用して、敵の方角に砲口を向け終わる。

 デコイを撃った直後に装填されたままの徹甲弾は、発射の瞬間をいまかと待っていた。

 

「ナオミ、後は任せるから」

 

 車長の声。私はかすかに頷いた。ここからは、私とあいつの戦いだ。

 相手の性格から言っても、装填完了まで同じところで停車しているとは思えない。射撃後に移動し、スモークの利点を最大限に利用するはずである。

 視界を奪われた今、相手がどこにどう動くのかなど本来なら分かるわけもない。しかし、半ば直感にも近い何かが私の照準を導いていた。

 昼間の星のように、よく目を凝らさなければ見えないほどの――見ても気の所為かと思ってしまうほどの、かすかな感覚。

 息を止め、そのままほうき星の尻尾を掴もうとする。もう少しだ。

 まるで神経が砲と接続されたような一瞬、光は収束していく。

 ――視えた。

 私は迷いなくボタンを踏み込む。

 轟音。

 軌跡に渦を作りながら、徹甲弾が白煙に飛び込んでいった。

 

「……ふ、ぅ」

 

 砲撃の余韻とともに、私はスコープから目を離して深く息を吐いた。

 命中音が聴こえたわけでも、ましてフラッグを確認したわけでもない。

 それでも確信していた――私は、あいつを撃ち抜いた。

 果たして、数秒を置いて車長が叫ぶ。

 

「――アリサ車、撃破確認!」

 

 その声に私は小さく頷き、かくして試合は終了した。

 

 

<IV>

 

 私がキューポラから顔を出すと、ちょうど森の中を風が吹き抜けた。

 煙が晴れて、丘の上に鎮座する相手の車両がはっきりと見える。

 頭のすぐ横でフラッグがはためくのに気づいて、模擬戦の偽旗作戦を思い出した。思えば、あれがこの戦いの発端だ。

 今度は紛れもない本物である。私は、アイツに敗北した。

 私が砲撃を命令した瞬間、徹甲弾が車体正面を貫いたのだ。

 もう一度丘の上のシャーマンを見ると、ナオミは砲手席のハッチに腰掛けていた。車長席ではない。やっぱり、アイツが撃ったんだ。

 ――ナオミ、いけ好かない二年生。

 どんな表情でこっちを見ているんだろう。

 勝ち誇ったような笑顔だろうか、それとも退屈そうなスカし顔だろうか。

 気になった私は双眼鏡を覗いて、思わず息を飲み込んだ。

 アイツは、驚くほど静かな表情をしていた。

 視線はこっちに向けてるはずなのに、もっと遠くを見ているような。

 不思議と気になって、じっと見てしまう。

 しかし、向こうもすぐに私が見ていることに気づいたらしい。

 唐突に、双眼鏡越しに目が合った。

 ……いや、この距離だし相手は肉眼だし、いくら何でも意識して目が合うはずなんてない。それは頭では理解している。

 だけどこれは、おそらく気のせいじゃない。

 はっきり私の顔を見て、アイツはかすかに笑った。

 私の内心の動揺を見透かすような不敵な笑みを浮かべながら、指鉄砲を作って真っすぐ私に伸ばす。

 その口元が、「ばん」と動いた。

 

「!」

 

 私はどきりとして双眼鏡から目を離した。

 ――どこまでもむかつくやつだ。

 

 

<V>

 

 ジープの後部座席で揺られているうちに、負けたという実感がようやくこみ上げてきた。

 喉の奥が詰まって、目の裏が熱くなる。私は唇を噛んで、決壊しないように必死に耐えた。

 救いだったのは、集合地点までそこそこ距離があったことだ。おかげで演習場の入り口に戻ってくる頃には、なんとか人前に立てるくらいには持ち直していた。

 全部やった。思いつくことは何もかも試した。それで負けたんだから、しょうがない。

 悔しいけど、それでも納得はできた。

 これで二軍の通信手に逆戻りだとしてもかまわないと思えるくらいには、好き勝手できたのだ。

 ――ま。もしそうなったとしても、また実力でのし上がるだけだけど。

 ほかにも反省点は色々あるけど、なにより確かことが一つある。

 それは、私は一軍には入れないっていうことだ。

 先にナオミたちは到着していたらしい。彼らをねぎらっていたケイ先輩は、私たちに気づくと大きく手を振った。

 

「ナイスファイト! いい戦いだったわ」

 

 最初と同じように、ケイ先輩を挟んで二列に並ぶ。

 ナオミはこちらには目を向けず、講評に入るケイ先輩を見ているようだった。

 

「特に車長の二人――ナオミとアリサ。お互いのいいところを活かしつつの読み合い、最高にクールだったわ。自分たちの得意なことだけじゃなくて、相手の長所を理解しながらそこをいかに掻い潜るか。作戦の基本だけど、一番重要なところよ」

 

 本来なら喜ぶべきところなのかもしれないが、今の私には何の反応もできなかった。

 だってどれだけ褒めてもらったって、結果は明確なんだから。

 とにかく、早く一人になりたかった。

 

 

<5>

 

 

「で、アリサ」

「! ……はい」

 

 名前を呼ばれて、アリサはびくりと肩を震わせた。

 ケイのことをよっぽど尊敬しているのか怖がっているのか、あるいはその両方か。

 心臓の音がこちらにまで聴こえてきそうなアリサとは裏腹に、ケイは軽い口調で続ける。

 

「一軍で戦ってみない? ただしラフファイトは程々に、ね。スピリットはいいけど、ダーティすぎるのはダメよ」

「……え、え? いち……一軍、って、え?」

 

 ケイの言葉に驚いたのはアリサだけではない。

 周囲のギャラリーもざわめくことすら忘れて耳を疑っている。

 聞き間違いではないかとすら思えるほど、あまりにフランクな提案だった。

 ケイは飲み込めないままでいるアリサの肩を叩き、再び同じ申し出をする。

 

「だから、あなたも一軍に入らない? って聞いてるの。私達と一緒に来年の大会で戦いましょう、って!」

 

 ようやく何を言われているのかわかったのか、アリサの表情は徐々に生気を取り戻していった。

 

「……は、い……はっ、はい! わっ、私、頑張ります!」

 

 何度も力強く頷きながら、握りしめた拳をぶんぶんと振ってアリサは返答する。やる気は充分のようだ。 私はその様子を見て、一つの可能性を思い浮かべた。

 ケイはもしかしたら、最初からこうするつもりだったのではないか――というものだ。

 要は面白いやつを見つけたから、口実を見つけて一軍に引き入れたかった、とか。

 しかしアリサと同じサイドで戦うのは楽しみだ。大会でも何かしらやらかしてくれるだろう。

 見れば、ギャラリーもこの結果に歓声を上げて喜んでいる。蚊帳の外感が若干あるが、結末としては上手く収まったと言えるだろう。

 何にせよなんとなく大団円の雰囲気になったので、私は今のうちに立ち去ろうと踵を返した。

 これ以上ここにいると、おそらく別のイベントが始まってしまう。

 

 

<VI>

 

「あっ! ナオミ! ウェーイト!!」

 

 ナオミを呼ぶケイ先輩の声で、私は我に返った。

 嬉しいのとさっきまで悔しかったのの残りで、鼻の奥がツンとしている。

 見れば、アイツは帰ろうとしているじゃないか。勝ち逃げする気だろうか?

 ――逃がすもんか!

 気づけば私は、大股で踏み出していた。

 アイツの背中に追いついて、声を投げつける。

 

「待ちなさいよ」

 

 

<6>

 

「待ちなさいよ」

 

 ケイの呼びかけは無視しようと思っていたが、そのかすかに震える声音には足を止めてしまう。

 振り向くと予想通りアリサが立っていて、私のことをほとんど睨みつけていた。

 

「賭け、私の負けでしょ」

 

 ……やっぱりはぐらかすのは無理か。

 周りを見れば、ギャラリーは静まり返って私達に視線を注いでいる。

 固唾を呑んで見守る、というのはこういうことを言うのだろうか。

 ていうかこんな衆人環視の中でキスされるっていうのは、流石に恥ずかしいんだけど。

 そもそも自分がするならともかく、人にされるのはあんまり慣れていない。

 さっさと終わらせて貰おうと思って、私は頬を差し出すように僅かに斜めを向いた。

 

「……じゃ、ほら」

 

 身長差も考慮して、少しだけかがんでやる。

 そのまま待っていたら、アリサは私の顎を掴んでくいと正面を向けた。

 唐突なことになすがままになっていると、相手の顔が近づいてくる。いや待て。

 気づいたときには既に遅かった。

 ――唇を、奪われた。

 

「……ワオ」

 

 口元を押さえながら、ケイが感嘆の声を漏らす。

 私は、きっと鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしているだろう。突然のことすぎてただアリサの顔を眺めることしかできない。

 一方のアリサは顔を真っ赤にしつつ、耐えられないといった感じで目をそらしてしまった。

 これではむしろ、あっちのほうが口づけされた方に見える。

 

「ああ、神様……」

「きゃああ! 大丈夫!?」

 

 事態を見ていた私のファン……らしき後輩がふらふらと倒れるのを合図に、周囲が一斉に騒ぎ始めた。

 もしかして、今ここで一番冷静なのは私なんじゃないだろうか。

 決して少なくない歓声を含んで騒然とする野次馬を背に、アリサは自分のクルーたちのもとに向かって駆けだした。

 しかし途中で急に立ち止まって、再びこちらを振り向く。

 

「……次は、負けないから!」

 

 言い放ち、涙をいっぱいに貯めた瞳で、それでも強がるように――あるいは威嚇でもするように、アリサは笑って見せた。

 そして、今度は振り返らずに走り去る。

 私はその姿を目で追いながら、無意識のうちに自分の唇に触れていた。

 ……まさか、口にされるとは思わなかった。

 

「まさか文字通りナオミの唇を奪うなんて、やるわねアリサ」

 

 いつの間に横にいたのだろうか、ケイは感心したように呟く。

 

「ああ、驚いた」

 

 答えてから、私は思い出した。この賭けの賞品はもう一つあったはずだ。

 かねてから後回しにしていた、「あのこと」についてである。

 私は最後の逡巡の後、ついに決断した。

 

「ケイ」

「ん、なに?」

「……副キャプテンの話、受けるよ」

「……っ! Great! そう言ってくれると思ってたわ、ナオミ! ちょうどレストアが終わったファイアフライが――」

「ただし」

 

 嬉しそうにまくし立てるケイを遮るように、私は一つだけ条件を出した。

 

「あの子――アリサも一緒に副キャプテンにしてくれるなら……だけど」

「へーぇ? それはどういう風の吹き回しかしら」

「別に。ただ、一人でやるには面倒な仕事だからさ。やる気のある奴がいた方がいいだろ?」

 

 聞きながら、ケイはにやにやと笑っている。

 何か変な勘違いでもしているのだろうか。

 

「ふふ、確かにそれもいいかもね。あの子は1年だから、学年のバランス的にもちょうどいいし。まあ……私はてっきりカウンタースナイプされちゃったのかと思ったけど」

「賭けのキスなんて、恋のきっかけには無粋だよ」

 

 私の言葉に、ケイは胸を反らしながら「ちっ、ちっ」と人差し指を振った。

 

「Love,It's just a kiss away、よ」

「ストーンズ? それを言うならそもそもWar,It's just a shot awayだろ。私が撃ったんだから」

「あはは、それもそうね!」

 

 いつものように屈託なく笑うケイに、私は付け加えて伝える。

 

「あと、車長兼砲手はもうやめるから」

「え? Why? 今回だって上手く行ったじゃない」

「丘に登ってからはあの子(砲手)がずっと車長だったよ。それに何より、狙って撃つのが私の仕事――だろ?」

 

 言いながら、私は指鉄砲を作って撃つ真似をして見せた。

ケイは一瞬考えたようだが、私の言い分に納得したのだろう。観念したように頷いた。

 

「……オーケー。それでいいわ。その代わり、もっとコキ使うから覚悟しといて」

「アハハ、お手柔らかに」

 

 ケイのウインクに、私は軽く笑って応えた。

 



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