魔界戦記ディスガイア~魔界の王子とプリニー教育係~ (あららどろ)
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第0章 プリンスの復活
#1 新入のプリニー


 そこはどんな海よりも深くどんな闇よりも暗い場所にあるという。闇に魅入られた禍々しき者どもが集う暗黒世界。彼の地がどこにあるのか? それは定かではない。しかし、誰しもが心の奥底でその存在を信じ、畏れていた……。

 魔王クリチェフスコイ、死す。長きに渡り魔界を統治してきた偉大なる王の死は、異空の闇を駆け抜け、瞬く間に魔界全土へと広がった。これを機にクリチェフスコイ施政下でくすぶっていた野心旺盛な悪魔たちがつぎつぎと台頭。魔界は群雄割拠の乱世を迎えることになる。

 

 そんな混沌とした魔界に突如人間たちが侵攻を始める。

 

 戦火の中で、人間の背後に天界の影を見た魔王ラハールは大天使ラミントンを問いただす為に天界へ向かう。

 

 だが、その際、天使を傷つけた罪で天使見習いフロンが罰を受け、花へ変化させられてしまう。

 怒り狂ったラハールはラミントンを殺害。だが、それはラハールの心を試す試練だった。ラミントンを殺さなければフロンは戻ってくるはずだったのだ。

 自らの心の弱さを知ったラハールは自分の命と引き換えにフロンを蘇らせ、戦死。

 

 こうして3界を大混乱に陥れた大事件は、大天使ラミントンと魔王ラハールの死を持って閉じられた。

 

 

 そして月日は流れ――指導者を失った天界がようやく落ち着きを取り戻してきた頃、魔界は今日も変わらず騒がしかった。

 

「プリニー! ちょっと聞いてんの、プリニー!?」

「なんスかエトナ様~!」

 少女の声に呼ばれて現れたのはプリニーと呼ばれる最下級悪魔。出来損ないのペンギンのぬいぐるみのような見た目の悪魔で、罪を背負った人間がその罪を償う為の姿である。

 

「あんたら、いつになったら掃除するわけ?」

 革製の露出度の高い服を着た少女が、寝転がってスナック菓子を食べながら、部屋中に散らばったゴミを尻尾で指さした。

 主に叱られたプリニーは頭を下げる。

 

「すいませんッス。けど、新入りプリニーの奴が生意気で俺たちをこき使うんスよ! そのせいでエトナ様の命令を聞く時間がないんス!」

「なにぃ~!? あんたら、あたしの言うことよりもその新入りプリニーの言うことを優先したってわけぇ?」

 

 エトナが槍を構えてプリニーに突きつける。

 

「すいませんッス! すいませんッス!」

「あんたらの主人は誰だ? あぁん?」

「エトナ様ッス!」

「ならあたしの命令を最優先に働けっての!!」

「すいませんッスーーー!!」

 

 大粒の汗をだらだら垂らしたプリニーは早送りのような速度でてきぱきと掃除をこなしていく。その後ろ姿を不満げに見ながら、エトナは舌打ちをする。

 

「にしても生意気な新入りがあたしのところに紛れ込んだみたいね。たまにいるのよね~。前世の人間の記憶が残っていて強気な奴が。一回痛い目見せて誰がご主人様か思い知らせてやらなきゃ」

 

 エトナの脳内に、緑色の目つきの悪いプリニーが浮かんだ。

 あのプリニーもカーチスという人間の記憶が残っていた。だが、プリニーとしての仕事も嫌々ではあったがこなしていた。

 ましてや他のプリニーたちを自らの下僕のようにこき使うなんてことは無かったから、今度のプリニーは中々に面倒くさいやつかもしれない。

 

 さーて、どんなお仕置きをしてやろうか。

 エトナ目が怪しくきらめく。

 そこに近付く1人の少女がいた。

「あれ? エトナさん、どこに行くんですか?」

 話しかけてきたのは、大きな赤いリボンを付けた金髪の少女。

 彼女の名前はフロン。元天使にして、ラハールが自らの命を捨ててまで救った少女だ。

 

「あ、フロンちゃん。よかったら一緒にくる? ちょっと新入りのプリニーを教育しに行くんだけど」

「ま! プリニーさんたちに愛を教えに行くんですね! 私も行きます! むふー!」

 この少女、元天使ということもあってかかなりの愛マニアだ。愛という言葉が大の苦手だったラハールは、よくフロンに苦しめられていたものだ。

 

 ハーッハッハッハッ。

 

 エトナの脳裏に赤いマフラーをなびかせる少年の笑い声が聞こえた気がした。

 

 エトナの胸がずきりと痛む。

 

(まただ……)

 

 ふとした拍子にラハールを思い出す。その度に、理由のわからない激しい胸の痛みがエトナを襲う。エトナはこの痛みが嫌で嫌で仕方が無かった。

 

 この痛みを消そうとすればするほど、ラハールの姿が浮かんできて、苦しいほどに痛みが強くなる。

 

 

『エトナ、あとは頼んだぞ……』

 

 ラハールが自分に向けて言った最後の言葉が忘れられない。

 

 あれほど嫌いだったはずのラハールが死んで、魔王の座につけた。これ以上ないほど望んだ環境だというのに、エトナの胸にはぽっかりと穴が空いたような虚無感だけが残っていた。

 

 自分はあんな風にはなれない。まるでラハールを認めるような言葉が絶えず浮かんできては、魔王の座にいる自分を否定する。

 

 その理由のわからない虚無感がエトナを苛立たせる。この苛立ちをごまかすために、エトナは毎日、プリニーをこき使ってスイーツをむさぼる自堕落な生活を送っていた。

 

 ガヤガヤと騒ぐプリニーたちの声で、エトナはぼうっとしていたことに気が付いた。そうだ。今は生意気な新入りのプリニーとやらを懲らしめてやらねばならないのだ。

 

「ここね……」

 

 そこは厨房だった。

 中を覗くと、プリニーが大量の料理を作ってテーブルに並べている。

 

「まずい! 次だ!」

 

 どうやら、1匹のプリニーが料理を作らせてはその出来に文句を言って新しい料理を作らせているらしい。

 そのプリニーの姿は大量のプリニーに囲まれよくは見えないが、どのみちプリニーの見た目なんて全部似たり寄ったりだ。

 

「あいつね……生意気な新入りプリニーは……こりゃきついお仕置きが必要そうだわ……」

 そう言いながら、エトナがメガホンを取り出す。

『こおらプリニー! なぁにさぼってんだーー!!』

 エトナが叫ぶ。悪魔よりも恐ろしい主人の怒りの声を聴いたプリニーが一斉に隅にわかれて道を開ける。それはまるで海を割るモーゼのようだった。

 

 割れたプリニーの海の先には、こちらに背を向けて椅子に座るプリニーが。そのプリニーはエトナの声に耳を傾けようともせず、目の前の机に置かれた料理をむさぼっている。

 

「へぇ……あんた、死にたいみたいね?」

 エトナが槍を取り出し、牙を光らせる。

「ああ、暴力はいけません!」

 フロンが咄嗟に止めるが、エトナの怒りは頂点に達していた。

 

「邪魔しないでフロンちゃん! こいつらは調子に乗らせたらだめなの! 自分の立場をわきまえさせないとすぐつけあがるんだから!」

「だめです! 確かにあのプリニーさんはちょっとだけ悪い子かもしれませんが、愛を持って接すればきっとわかってくれるはずです!」

 

「ぶほっ!」

 

 フロンの声を聴いたプリニーが、口に含んでいたチャーハンを噴き出した。

 

「……ん?」

 

 そのリアクションに、エトナは少しだけ既視感を覚えた。

 そうだ。

 よくラハールも食事の際にフロンに愛を説かれては、食事を噴き出していた。

 そしてそのたびに……

「やかましいぞ! 俺様の食事の最中に愛などと言うな! 飯がまずくなる!」

 

 そうだ。こういったのだ。

 

 

 

「へ?」

「えっ?」

 

 取っ組み合いをしていた2人の動きが止まる。その視線は、生意気な新入りのプリニーに注がれている。

 

 ぴょこん。

 背丈の関係で、椅子の背もたれから僅かに見えていた頭部に、2本の触覚が生えていた。

 そのプリニーは、椅子をゆっくりとこちらへ向けた。

 

 鋭い赤い瞳。2つの触覚。

 そしてそのプリニーは、赤いマフラーを巻いていた。そのマフラーは、風もないのになびいている。

 

「ハーッハッハッハッハッ!!」

 

 赤いマフラーのプリニーの笑い声が魔王城にこだました。

 魔王城に暗雲が立ち込めていた。



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#2 復活のプリンス

「ハーッハッハッハッ!!」

 

 赤いマフラーのプリニーが短い腕を組んで高笑いする。

 

「「ええええええええっ!?」」

 

 エトナとフロンが目を見開いて叫ぶ。それもそのはず。その姿はかつての魔王城の主の特徴を色濃く残していたからだ。

 

「ラ、ラハールさん!?」

 フロンが口元を抑えてその者の名を言う。

 

「いかにも! 俺様はラハール様だ!!」

 

 そんなはずはない。だってラハールは死んだはずだ。

 そう思うエトナだったが、この触覚と赤マフラーは間違いなくラハールのそれだ。

 そうか。

 エトナの頭の中で何かの歯車がかみ合う。

 

(殿下は悪魔と人間のハーフ。だから、人間の血が半分混ざっている。罪を背負った人間はプリニーになるから、殿下だって罪を償うためにプリニーに転生してもおかしくはないんだ!)

 

「ラ、ラハールさんんん~~~~!」

「う、うおっ!? ええい、くっつくな、気持ちが悪い!」

 

 フロンが涙と鼻水で顔面をべちゃべちゃにしながらラハールに抱き着く。

 

「だって、だって~~~~」

「き、汚い! 俺様のマフラーに鼻水をつけるな!」

 

 マフラーが生き物のように蠢いてフロンを縛り上げ、ラハールからフロンを引きはがす。

 

「殿下……」

 エトナが小声で言うと、ラハールはエトナを見て不敵な笑みを浮かべた。

「……フン。相変わらずのようだな、お前たち」

「あーあー、せっかく邪魔な奴がいなくなってせいせいしたのになー」

 エトナは頭の後ろで腕を組んで言った。

 

「そんなこと言って、笑ってますよ、エトナさん」

「なっ、えっ!?」

 

 フロンに言われて、エトナは両手で口元を抑えた。

 

「かっ、勝手なことを言わないでよ! いくらフロンちゃんでも怒るよ!」

「ふふふ、恥ずかしがらなくなっていいんですよ。愛する人が戻ってきたら、うれしいのは当然なんですから」

「だ、誰が殿下なんか!」

「ええい! 愛愛言うな! 気分が悪くなる! おい、エトナ!」

 

 震える肩を手で押さえながら、ラハールが言う。

 

「暗黒議会に行くぞ」

「え? なんでですか?」

「決まっているだろう。元の姿に転生するのだ」

「えー。無理だと思いますよ。殿下の罪なんて1億ヘルどころか1兆ヘルあっても償いきれませんよ」

「そこは力尽くで可決させればよかろう」

「うわ~、殿下悪魔~」

「当然だ! 俺様は悪魔の中の悪魔! 魔王ラハール様だからな!」

 

 ラハールは腕を組んで高笑いをする。情けないペンギンの姿でそれをやっても、威厳もクソもないが、元々威厳なんてものはなかったと、エトナはスルーする。

 

(あーあー。今の魔王はあたしなんだけどなぁ。帰ってくるなり魔王の座を勝手に奪いやがって……)

 だが、不思議と不満はない。やはり、悪魔たるもの他人に与えられた地位など嬉しくない。奪った地位についてこそ悪魔なのだ。

 そう。他人に与えられた地位だからやる気がなくて書類も全部ほったらかしにしていたのだ。

 

(だからとりあえず、あたしが溜めた書類を殿下が全部処理してくれるまでは殿下に魔王の座を返してあげよっと)

 

 エトナが尻尾を振りながら、ラハールの後ろにつく。

 

「でも、プリニーさんの姿から転生できるのって、普通の悪魔さんだけですよね?」

「……何?」

 フロンがとぼけた顔で言う。

 

「ですからぁ、プリニーさんの姿から転生できる姿って決まっていましたよね?」

「……なに?」

 ラハールが固まった。



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#3 次元のプリズム

 ラハールの転生に、暗黒議会の議員は当然ながら猛反対した。だが、反対した議員たちは今はぴくりとも動かず地面に倒れている。

 

(うわ~……プリニーの姿でも戦闘力は健在なのね)

 これは全てラハール1人でやったことだ。

 力尽くで願いを聞いてもらって当然の魔界では議員たちもそうならないように並みの悪魔では相手にすらならないほどの戦闘力を有している。

 相手はプリニーだと高を括っていた議員たちは賄賂目当てに議案を否決。戦闘を仕掛けてきたラハールに勇敢にも立ち向かった結果、屍の山となり果てた。

 

 暗黒議会から奪い取った転生先一覧を見て、ラハールは苦悶の声を漏らす。

 

「……うーむ、まともな悪魔がないではないか!」

「ほら、殿下、これなんてどうです?」

 

 エトナが指さしたのはサキュバス。男どもを一発で悩殺する露出度の高い衣装を着たボンキュッボンのセクシーな女悪魔だ。

 それを見たラハールの顔が青ざめる。

 

「ふ、ふざけるな!」

「じゃあこれは?」

 次にエトナが指さしたのはネコマタ。これも、大きな胸のセクシーな女性型悪魔だ。

 

「貴様~! 完全に遊んでいるだろう!」

「あ、わかりました?」

 

 ラハールがエトナを怒鳴ると、フロンが目をキラキラさせながら飛んできた。

「ラハールさん、ドラゴンさんなんてどうですか!? 強いしでかいしかっこいいですよぉ~!」

「お前、そんなこと言って俺様がドラゴンに転生したら何をしたいんだ?」

「当然、ラハールさんには怪獣役をしてもらいます! くぅ~、私の作った1/1スケール地球防衛軍戦艦の主砲を怪獣にぶっ放せる時が来るとは……感激です!」

「却下だ」

「え~っ。ラハールさんのケチ……」

「俺様を殺す気か!!」

 ラハールはその短いプリニーの腕でフロンを突き飛ばした。

 

「ええい! 何とかならんのか!」

「なんともなりませんね~。やっぱり、罪を償うしかないんじゃないですか? ささ、そうと決まれば殿下も働きましょ? 昔のよしみで給料倍にしてあげますから」

「お前のとこのプリニーの待遇は休みなし、福利厚生なしの1日22時間労働で給料はサンマではないか!」

「えーっ。これでも昔と比べて労働環境改善してるんですよ」

「どこがだ!! 労働時間が丸一日ギリギリではないか!!」

 ラハールが触覚を立てて怒鳴る。エトナはそれを笑って流す。

 そのやり取りをそばで見ていた1匹のプリニーがぼそりと呟く。

「そう思っているなら殿下も労働環境を改善するようエトナ様に言ってほしいッス……」

「何か言ったか?」

「言ってないッス!!」

「そうか? それよりお前、プリニーについて詳しい悪魔に心当たりはないか?」

「プリニーに詳しい悪魔ッスか? うーん……」

 

 プリニーがうーんと考え込むしぐさをする。

 

「やっぱり、プリニー教育係じゃないッスか?」

「プリニー教育係だとぉ?」

「あれ、殿下。プリニーになったのにあの訓練を受けなかったんスか?」

「……いや、待てよ。もしかして、俺様がプリニーになった時に何やらごちゃごちゃ言っていたゾンビか?」

 ラハールの脳裏に、やる気のないゾンビの顔が思い浮かぶ。

 

「多分その人ッス」

「……まずいな。俺様に昼飯抜きなんてふざけたこと言ったから殺してしまったぞ」

「あーあー。殿下やっちゃった~。もう、一生そのままでいるしかないですね~」

「ふざけるな!」

 エトナが茶化すとラハールは触覚をぴんと立てて怒鳴った。

 

 ラハールは時空の渡し人を呼び寄せるとすぐに準備するように命令した。

 

「俺様はなんとしてでも元の姿に戻ってやる! おい、別次元の魔界でもいい! 俺様を適当なプリニー教育係の元へ連れていけ!」

「適当でいいんですか? 殿下?」

「……む。やっぱり腕のいいプリニー教育係の元へ連れていけ」

 

「また無茶な注文を……あんまり期待しないでくださいね。適当に繋ぎましたから」

 時空の渡し人が言うと、別次元への扉が開く。

 

「ささっ。行きましょ、殿下!」

「おい、エトナ。こいつ今適当に繋いだと……」

「殿下の聞き間違いですよ~。ささっ。入った入った」

 

 エトナがラハールの背中を押して時空の裂け目にラハールを押し込む。

 ラハールの姿が別次元に消えると、エトナは一仕事終わったかのように額の汗を拭くしぐさをした。

 

「ふ~っ。ようやく片付いた。さーて、帰ろ帰ろ……って、えっ?」

 

「ああ~っ、待ってくださいラハールさ~ん!」

 エトナが踵を返すと、眼前に迫っていたフロンがエトナを巻き込んで時空の裂け目に飛び込んだ。

 

「あーあー。行っちゃった」

 

 3人の消えた時空の裂け目を見て、時空の渡し人はつぶやいた。

 



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第1章 魔王と反逆者
#4 魔王、その力


「くそっ、エトナめ……」

 宙に浮かんだ次元の裂け目から落ちたラハールが、上体を起こして下打ちをする。

 空を飛べるラハールだったが、とっさのことで反応が遅れてしまった。

 

 さらに油断していたラハールの上に、エトナとフロンが落ちてくる。

「むおっ!?」

 

「あいた~……何ここ、地獄?」

「へぇ~……地獄ってこんなところなんですねぇ」

 

 ラハールの上に乗ったまま、エトナとフロンが言う。

 

「ええい、重いぞ! お前たち!」

「あ、すみません殿下~」

「ごめんなさい……ラハールさんがあんまりにも座り心地がいいものですから……」

 

 フロンがプリニーとなったラハールの体をつついて言った。

 

 

「くそっ……やはりプリニーの体ではロクなことにならん! とっととプリニー教育係を見つけ出して元に戻る方法を聞き出してやる!!」

 

 エトナとフロンを押しのけて立ち上がったラハールが吼えた。その声を聞きつけて、数名の悪魔がこちらにやってきた。

 

 

「あそこにもいたぞ! 捕まえろ!」

「……ん?」

 

 その悪魔たちは武器を構えていた。その殺気はラハールへと向けられていた。

 

「そのプリニーを渡してもらおうか。大統領の命により、プリニーには処分命令が出ているのだ」

「いやだというなら、この場で死んでもらうだけだがな……そうですよね? エミーゼル様」

 

 悪魔たちに呼ばれ、上司らしき悪魔が奥から歩いてきた。

 エミーゼルと呼ばれたのは髑髏の描かれたフードを被った少年だ。見た目の年齢はラハールと同じか、それよりも幼い印象を受ける。

 

「ふん! 当然だ! 抵抗しなければ楽に処刑してやるぞ、プリニーめ!」

 

 部下にエミーゼルと呼ばれたその少年は、腕を組んで偉そうに言い放った。

 

「うわ~……殿下と同じくらい偉そうなガキですね~……」

「俺様をこんな奴と一緒にするな!」

 

 エトナが笑いながら言うと、ラハールが怒鳴った。

 全く恐れていないどころか相手にもされていないことに腹を立てたエミーゼルがさらに声を荒げて叫ぶ。

 

「おい! お前たち! 今すぐそのプリニーを差し出せ!」

「まあ、いいけど」

「おい!」

 さらっと言うエトナにラハールが怒鳴る。

 

 エトナが冗談半分で言った言葉を間違って解釈したエミーゼルは、気をよくしたのか満足げな顔で頷いた。

 

「当然だ。所詮プリニーと下級悪魔。束になったってこの大統領府直属特殺任務部隊「アバドン」に勝てるわけないんだからな」

 

「下級悪魔……?」

 エトナの目が鋭く光る。

 ラハールにその座を勝手に取られたとはいえ仮にもエトナは魔王を名乗っていた悪魔だ。その実力は軽く見積もっても魔神クラスはある。

 

 そんなエトナのプライドは、下級悪魔と呼ばれることを許さなかった。

 

「……おい、ガキ。もう一遍言ってみな。ただじゃすまさないわ……」

「おーーっ! カッコイイです! だいとーりょーふ「特撮」任務部隊「アバドン」だなんて!」

 エトナの鋭い殺気を押しのけて、何か勘違いした特撮オタクのフロンが前に出る。

「うわっ。相変わらずね、フロンちゃんは……おーいフロンちゃん。特撮じゃなくて特殺。フロンちゃんの好きな方じゃないよ~」

 フロンのノー天気っぷりに毒気を抜かれたエトナが、殺気を飲み込んでフロンをなだめる。

 

「ええい! うるさいぞフロン! 貴様ら、調子に乗るのもほどほどにしておけよ! 俺様がただのプリニーだと思ったら大間違いだ!」

 だが、ラハールの怒りは収まっていない。

 

「……たかがプリニーが、馬鹿にして。馬鹿なお前に恐ろしい事実を教えてやるぞ!」

「恐ろしい事実だと? フン、面白い。言ってみろ」

 ラハールが腕を組んで不敵に笑う。

 

「もう謝ったって許さないからな! 俺様はな、大統領の一人息子なんだぞ! ははははは、どうだ参ったか!」

 

 エミーゼルは勝ち誇ったように笑う。だが、ラハールとエトナ、そしてフロンはぽかんと口を開けている。

 

「はははははっ。恐怖のあまり口もきけないか? 当然だな。自分たちがしたことがどれだけ愚かで恐ろしいことかようやく理解したんだからな!」

 

 まるで勝利が確定したかのような言い草に、エトナが呆れてため息をつく。

 

「親の力にすがるとは……悪魔失格だな」

「なっ、なんだとっ!?」

「悪魔たるもの常に頂点を目指すものだ! たとえ相手が親だろうと、押しのけて頂点の座につくのが悪魔というものだ! 強いものの陰に隠れてその力の恩恵にあやかろうとしている貴様が、この魔王ラハールに勝てるつもりでいるとは滑稽だな!」

 

 馬鹿にされたと察したエミーゼルの顔が赤くなる。

 

「お前、たかがプリニーのクセにそんなことを言って許されると思っているのか! 父上が怖くないのか!? 大統領だぞ!?」

「大統領がどうした! 俺様は宇宙最強の魔王ラハール様だぞ!!」

「くっ……プリニーの癖に魔王だって!? ふざけるのもたいがいにしろよな! そんなに死にたいのか!?」

「そもそもあんたらプリニーを処分するって言ってたじゃん。なら、なにをしようとどうせ消されるんでしょ?」

 見学に飽きてきたエトナが明後日の方角を向いて言う。

 

「ああ言えばこう言う……もう面倒だ! お前たち、こいつらにアバドンの恐ろしさを教えてやれ!」

 

 エミーゼルの言葉を合図に、悪魔たちが武器を構える。

 

「ようやく面白いことになってきたじゃないの」

 エトナが武器を構えて牙を出す。

 エトナが踏み出そうとすると、赤いマフラーが伸びてそれを遮った。

「待て。俺様が1人でやる」

「えーっ……」

「主君を立たせるのも家来の務めだ!」

 

「ちぇ~っ……」

 エトナは仕方なく1歩下がった。

 

「ねえねえフロンちゃん。このままだと殿下大暴れしちゃうけど、止めなくていいの?」

 悔しいので、ラハールに嫌がらせしてやろうとまずは手始めにフロンに声をかける。愛マニアで平和を愛するフロンは争いが起きそうになればそれを止めるために愛を語るはずだと踏んだのだ。

 しかし……

「むむっ! 悪者は一度懲らしめるべきですっ! 私も戦いますよ! とう! ジャスティス・フロン! たあっ!」

「あ~……だめだこりゃ……完全にスイッチ入っちゃってるよ……」

 虚空に向けてパンチを繰り出し、謎のポーズを決めるフロンを見てエトナはあきらめたようにつぶやいた。

 

 

「はあああああああ!」

 悪魔が次々とラハールに斬りかかる。ラハールはその斬撃をマフラーを翼に変化させて空へ飛んでかわす。

 

「ハーッハッハッハッ! 身の程知らずめ! 魔王の恐ろしさをその身で味わうがいい!」

 

 ラハールの拳に魔力が集まる。

 

「獄炎ナックル!!」

 拳に集まった魔力を炎に変え、拳を突き出してラハールが急降下する。燃え盛る流星となったラハールが悪魔たちへと突っ込む。

 ある者は背を向け、ある者は空へ逃げようとしたが間に合わない。

 1匹の悪魔に直撃したラハールの獄炎ナックルは周りの悪魔数匹を巻き込んで爆発した。

 

「な、なんて威力だ……」

 

 

「ハァーッハッハッハッハッ!」

 

 爆炎の中、赤い目を光らせるプリニーの高笑いが響いた。



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#5 魔王、それは破壊者

 その威力を目の当たりにした悪魔たちの動きが思わず止まる。

 

 

 

 爆炎の中から、真っ赤な目を光らせたプリニーがマフラーを翻して登場した時、数匹の悪魔が情けない悲鳴をあげた。

 

「うっ、うろたえるな、お前たち! う、宇宙最強なんて頭の悪い称号を掲げるプリニー如きに、大統領府直属の特殺部隊が負けるはずないんだ!」

 

 そう言ったエミーゼルの足は震えている。

 

「フン……この程度か? 直属部隊がこの程度とは、大統領の力も底が知れるな」

 ラハールが余裕たっぷりに言い放つ。

 

「まだだ! たかが数人倒しただけで勝ったつもりか!? こっちにはまだ20人以上いるんだ!」

 数で有利に立つアバドンの悪魔たちは、再度ラハールに攻撃を仕掛ける。

 

「フン! 10人いようが100人いようが同じだ!」

 

 先頭の悪魔の一撃をかわしたラハールは、両手を天に掲げた。その手からラハールの魔力が宙へと集められていき、巨大な球体をかたどっていく。

 

 その魔力の量は、先ほどの獄炎ナックルの比ではない。

 

「な、なんだ……この魔力は……」

 

 禍々しい圧倒的なオーラに、アバドンの悪魔たちの動きが完全に止まる。

 

「何をしている! 戦えっ!」

 エミーゼルの叱咤で、ようやく我を取り戻した悪魔たちが武器を構えなおすが、もう遅い。

 

「魔王玉!!」

 

 ラハールの掛け声と共に、凄まじい魔力の波動を放つ巨大な球体は四散し、小さな無数の火球となってエミーゼルたちを取り囲む。

 まるで光虫や妖精に囲まれているような、一種の幻想的な空間が広がる。だが、その先に待ち受けるのは圧倒的な暴力だ。

 

「砕けろッ!!」

 ラハールが手を振り下ろす。

 それを合図に宙に浮かぶ無数の球体が悪魔たちへと襲い掛かった。凄まじい爆炎と爆音が響き、あたり一帯が世界の終末の時のように激しく震える。

 

「ハーッハッハッハッハッ!」

 

 灼熱の業火と阿鼻叫喚の中、1匹のプリニーの高笑いが響く。

 

「ば、化け物……!」

 暴力の渦から何とか逃げ出したエミーゼルは立ち向かおうともせず無様に逃げ出す。

 ラハールはエミーゼルの背を鼻で笑うとマフラーを翻した。

 

「……フン、口ほどにもない」

 

 

 

「これはどういうことだ。フェンリッヒよ」

「おそらく何者かが特殺部隊と一戦交えたのでしょう」

 

 ラハール達がその場を離れた後、やってきたのは2人の男だった。

 

 1人は、漆黒のマントに身を包む赤い瞳の男。

 1人は白銀の髪が特徴的な男。

 

 白銀の髪の男はまるで執事のようにマントの男に頭を下げた。

「いかがいたします。閣下」

「俺の答えは決まっている。プリニーを助け出し、プリニーたちとの約束を守るのだ!」

 

 マントを翻し、両手を天に掲げて、男はそう叫んだ。



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#6 魔王、そしてイワシ

「に、しても……どこにいるんだ、そのプリニー教育係とやらは」

「いやー、完全に迷いましたね~殿下。悪魔の子1匹いやしない」

 

 アバドンを払いのけ、地獄を探索するラハールたちだったがあるけどあるけど悪魔とすれ違うことすらない。歩き続けること数時間。ラハールたちはまだまだ余裕だったが、日ごろから運動もせずアニメや特撮に見入っていたフロンの体力は限界を迎えていた。

 

「ラ、ラハールさーん……待ってくださーい……」

 

「殿下~。フロンちゃんがまた倒れましたよ~」

「放っておけ」

「え~。ほっとくんですか殿下~悪魔~。地獄なんて場所にか弱いフロンちゃん1人残していくなんて……きっとフロンちゃんはこわ~い悪魔のおじさんに捕まってあんなことやこんなことを……」

 

 エトナが茶化すように言うとフロンの顔が青ざめた。

 

「わわわわわ私、まだ歩けますよ!」

 それからじたばたと起き上がった。その様子を見てエトナは笑う。

 

「しかし、俺様も腹が減ってきたぞ」

「も~……殿下まで~。こんなとこのどこで食事ができるって言うんですか」

 そう言ったエトナのお腹がグウ、となる。エトナは慌ててお腹を押さえて恥ずかしさを隠すように笑った。

 

「くそっ……弁当でも持ってくるんだったな……ん?」

 

 ラハールの鼻がぴくりと動く。

 

「飯のにおいだ」

「本当ですか!?」

「マジ!? どこどこどこどこ!?」

 

 エトナとフロンがそれに食いつく。

 

「俺様の鼻に間違いはない!」

「さっすが殿下! 食い意地だけは天下一品ですね!」

「ふっ……そう褒めるな」

 

「よし、行くぞエトナ! 俺様の昼食を奪いに!」

「時間的にはたぶん夕食ですけどね~」

「どっちでもいい!」

 

 駆け出すラハールとそれに続くエトナ。

 

「ああ、待ってください~!」

 

 置いて行かれたフロンはのったらのったらと2人の背を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

「くっそ~……今日はなんて日だ。反逆者共だけじゃなく、よくわからないプリニーにまでボコボコにされて……け、けど、本隊と合流したんだ。もう僕は負けないぞ!」

 

 エミーゼルはラハールから敗走した後、ヴァルバトーゼと鉢合わせた。だが、ラハールによってほぼ壊滅状態に追い込まれていたアバドンは満足に戦うこともできず2連敗。

 負け惜しみを言って逃げ、死に物狂いでようやく本隊と合流できたのだ。

 

 アバドン本隊はおよそ100の血の気の多い悪魔の軍勢。プリニーもプリニー教育係も敵ではない。

 エミーゼルは昼食の弁当を食べながらほくそえんだ。

 

 腹ごしらえが済んだらいよいよ反逆者共の抹殺だ。

 エミーゼルが好物のドラゴンステーキにフォークを突き刺した時、アバドンの偵察部隊の1人が戻ってきた。

 

「エミーゼル様、反逆者共が姿を見せました!」

「来たか……!」

 

 エミーゼルはフォークを置いて、弁当の蓋をしめた。

 これは勝利の祝いに取っておこう。命知らずの反逆者共め、これでおしまいにしてやる。

 

 エミーゼルが立ち上がる。

 遥か彼方より、3人の男がやってくるのが見えた。

 

 1人は黒いマントの黒髪の吸血鬼。

 1人は銀の髪の狼男。

 そしてもう1人は白いロングコートを着た獄長。

 

「逃げずによく来たな!」

 エミーゼルは胸を張って叫んだ。

 

 その言葉を聞いた銀髪の狼男――フェンリッヒが挑戦的に笑う。

 

「フッ。ついさっき我々に瞬殺されて泣き言を言っていたお前が、やけに強気だな」

 

「バッ、バカにするな! いいか、お前たちはもう終わりだ!! みろ、これがアバドンの本隊だ!」

 

 エミーゼルが叫ぶと、隠れていたアバドンの悪魔たちが一斉に立ち上がった。100を超える悪魔の軍勢の前には流石の反逆者共も恐れをなすだろう。

 エミーゼルの読みは外れた。

 ただ1人を除いて。

 

「いや~~~! オレ様、まだ死にたくな~い!! お坊ちゃま! お助けを~~っ!」

 

 悪魔の軍勢の前に恐れをなし、エミーゼルに駆け寄ったのは獄長アクターレ。権力に尻尾を振り続けて今の地位を手に入れたアクターレにしてみれば当然の反応だろう。

 だが、それを予測していたフェンリッヒが手を打つ。

 

「おおっ! アクターレ獄長が単身で敵将・死神エミーゼルの首を打ち取りに向かったぞ!!」

「なにっ!? アクターレ獄長……! そこまでプリニーのことを想って……! もはや何も言うまい。熱きホワイトタイガーよ! 敵将を首を打ち取り、その手に勝利をつかみ取れ、アクターレよ!!」

 

 フェンリッヒが高々に叫ぶ。人を疑うことを知らない吸血鬼――ヴァルバトーゼは衝撃の事実に感激し、アクターレに勝算の言葉を贈る。

 それを見たアバドンたちがアクターレに向けて一斉に武器を向けた。

 

「えっ、いや、ちがっ……」

「この卑怯者めが!!」

「違う、違うの、これはね、いやあああああああああああ!!」

 

 ファイアやウインド等の無数の下級魔法がアクターレに放たれた。アクターレは雨のように降り注ぐ魔法をゴキブリのような動きでかわし、ヴァルバトーゼたちの元へと戻ってきた。

 

 顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにし、地面に手をついておんおんと泣くアクターレの手をとりヴァルバトーゼは言った。

「アクターレよ、成功こそしなかったが俺は貴様のそのプリニーたちへの想いに大きく感動した。共に戦おう、アクターレよ!!」

「お、お前……って、よくもやってくれたなこんちくしょー! お前たちの所為でエミーゼルお坊ちゃまに取り入る最後のチャンスが!!」

 

 フェンリッヒはアクターレを見て満足げに頷く。

 ヴァルバトーゼは立ち上がり、両手を広げた。

 

「覚悟しろ、エミーゼル! アクターレの熱き魂を受け継いだ俺たちが! 今、貴様を倒し、プリニーたちを開放して見せる!!」

 100体を超える悪魔たちへ、ヴァルバトーゼはそう宣言した。



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#7 イワシの日~流星襲来~

「覚悟しろ、エミーゼル! アクターレの熱き魂を受け継いだ俺たちが! 今、貴様を倒し、プリニーたちを開放して見せる!!」

「……プ、プリニー?」

 

 その言葉を聞いたエミーゼルが単語を復唱する。

 

「ま、まさかお前たち、プリニーなんかのために政腐に反逆を?」

 

 悪魔とは自分の為だけに行動し、他人を蹴落とすことを生き甲斐とする存在だ。自分の上司ならまだしも、自分の部下――それも最下級のプリニーなんかを助けようとする悪魔なんているはずがない。

 それがエミーゼルの考えだった。

 

「そうだ!!」

 

 ヴァルバトーゼは言う。

 エミーゼルにはそれがどうしても信じられなかった。

 

「バッカじゃねーの!? プリニーなんて悪人の魂じゃないか……! そんなクズのために命を賭けて戦うなんて……どうかしてる! あり得ない!!」

 

「……かわいそうな奴だな小僧」

 

「なにっ!?」

 

 ヴァルバトーゼが笑う。

 

「言葉で言ってもお前にはわかるまい! だから教えてやる! 誰になんと言われようと己を信じ、突き進む道があるということを!!」

 

 ヴァルバトーゼが両手を天に掲げて叫ぶ。まるで神に自らの行いを見せつけるかのように。

 

 

「俺は約束を決して破らん! 何があってもだ! だから俺は戦う! プリニーの為ではなく……俺が約束を果たすために! そう、これはイワシのための戦いだ!!」

 ヴァルバトーゼは高々と叫んだ。

 

「ば、馬鹿なことを……! お前たち、やってしまえ!!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 エミーゼルの一言でアバドンの悪魔たちが一斉に襲い掛かってくる。

 

「イワシッ!!」

 叫び声と共にヴァルバトーゼが大量のコウモリへと変化する。コウモリの大群は悪魔たちに纏わりつくように飛び、彼らをかく乱する。

 

「お見事です。閣下」

 悪魔の一撃を易々と交わしたフェンリッヒはその悪魔の首に手刀を叩き込んだ。その一連の動きは常人の目では到底とらえられるものではない。悪魔たちにしてみればフェンリッヒが一瞬で背後に移動したかと思ったら仲間がいきなり倒れたように見えた。

 

「う、うわああああ!!」

 半錯乱状態になった悪魔たちがフェンリッヒへ武器を振るう。フェンリッヒは全ての攻撃を疾風の如き動きでかわし彼らの間をすり抜ける。

 

「追いつこうなどと思わぬことだ!」

 フェンリッヒの目が鈍く輝く。銀の風と化したフェンリッヒが悪魔たちの間をすり抜ける。風とすれ違った悪魔は血しぶきを上げて悲鳴すらなく崩れ落ちた。

 

「これがイワシの力だ! お前たちもイワシを食え!!」

 

 コウモリの大群が集まり、巨大な牙となって悪魔たちに噛みつく。牙は周囲の悪魔たちをひとしきり襲うとコウモリに戻り、そのコウモリは一点に集まってやがてヴァルバトーゼとなった。

 

 

「ば、馬鹿な……たかが2人相手に……!」

 

 1瞬だった。戦闘開始からまだ1分も経っていないというのに30体近くの悪魔がやられた。

 

「……お、おい! 何を見ている! 急げ!」

 

 だが、慌てることはない。

 アバドンの本隊はただ攻めるだけの悪魔で構成されているわけではないのだ。

 

「ヒール!」

 

 後方にいたヒーラー部隊の回復魔法が、傷ついた前衛を癒す。ヒールの魔法を受けて復活した悪魔たちが、落とした武器を持って立ちあがる。

 

「なるほど……少しはやるようだな」

「後ろのヒーラーを潰さなければキリがありませんね。閣下……ここはアクターレをおとりにして……ん?」

 

「お坊ちゃま~~!!」

 

 アクターレは混乱に応じてエミーゼルの元へ駆け寄っていた。意地でも権力の傘の下に入っていたいらしい。だが、勘違いは解けていなかった。

 

「う、うわあああああああ!!」

 

 自分を襲いに来たと勘違いしたエミーゼルはアクターレへ向けて武器を振るった。

 その武器はアクターレの股間に直撃し、アクターレは「うっ」という小さなうめき声と共に倒れた。

 

「ア、アクターーーレェェェェェーーーー!!!」

 

 ヴァルバトーゼの叫びが響く。

 アクターレは股間を抑えて動かない。エミーゼルからは辛うじてラマーズ法で呼吸するアクターレの哀れな呼吸音が聞こえていた。

 

 

 

 

 

 

「アクターレ獄長……! 貴様のその勇猛っぷりは後世まで語り継いでやろう!!」

「ご、ごめんなさい、つい……って、なんで仲間を勝手に殺してるんだよ! ええい! ふざけた奴らだ!」

 

 エミーゼルの合図で戦闘が再開し、ヴァルバトーゼたちに多数の魔法や武器、爪と牙が降り注ぐ。

 それを容易くいなし、反撃し、悪魔たちを打ち倒すがすぐに後方のヒーラー部隊によって悪魔たちは復活する。

 

「ふむ。あいつらを倒さないとキリがないな」

「閣下。私が今からこいつらを撹乱します。そのうちに後方部隊を……」

 

 フェンリッヒが指を鳴らして腰をおとす。

 

「……待て。何か来る」

 

 フェンリッヒが手に集めた魔力を放とうとした瞬間、ヴァルバトーゼがそれを止めさせた。

 

 遥か彼方より、何かが飛来してきた。

 

 

 それが近づくにつれて輪郭はハッキリとしてくる。

 

 

「あれは……プリニーか?」

 

 それはプリニーだった。頭に生えた触覚。首に巻いたマフラー。そして鋭く、赤い瞳。他のプリニーにはない特徴こそ備えているが、確かにそれは紛れもなくプリニーだった。

 

 そのプリニーは腕を組んで巨大なタライに乗っていた。その後ろには楽しそうにきょろきょろしている赤いリボンの少女と、赤い髪の露出度の高い服を着た少女。

 

 メテオインパクト(小)。メテオで食事ごと消し炭にしてしまってはいけないと考えたラハールが威力を抑えて放った低燃費メテオインパクトだ。

 別次元の魔界ではプリニーたちを苦しめたプリニーラハールのこの技は、見た目こそ情けないが十分すぎるほどの威力を持っている。

 

「ハァーハッハッハッハッハッ!!」

 

 高笑いと共に、巨大なタライがアバドンたちへと突っ込んだ。

 



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#8 イワシの日~魔王参戦~

「なんだ、なんだなんだなんだっ!?」

 

 着弾したタライが生み出した爆風が悪魔たちを巻き上げ、吹き飛ばす。ちりのように宙を舞う悪魔を見ながら、エミーゼルは顔を青くした。

 

 煙の中で、ゆらりと影が蠢いた。

 

「ごほっ、ごほっ! ちょ、ちょっと殿下! こんな爆発するなら最初に言ってくださいよ! あー、もー、埃だらけじゃない……」

「あいたたた……ラ、ラハールさぁん……起こしてください……」

 

 咳き込み、すすだらけになった2人の悪魔が煙の中から姿を現す。見覚えのあるその顔に、エミーゼルの顔はさらに青くなった。

 

 

「メシはどこだあああああああっ!!」

 

 煙の中から、地獄の底から響くような凄まじい怒声が響いた。その凄まじい殺気にアバドンとヴァルバトーゼたち両方の動きが止まり、一斉にその声の主を見た。

 

「メシをよこせええええええええっ!!!」

 

 それは1匹のプリニーだった。

 そのプリニーがエミーゼルめがけて高速で飛翔してきた。

 

「うっ、うわああああっ!?」

 

 エミーゼルを護ろうと何匹かの悪魔がそのプリニーの前に立ち塞がったが、腕の一振りで吹き飛ばされる。足止めにもならなかった。

 

 プリニーは翼をマフラーに戻すと、腰を抜かしたエミーゼルの前に舞い降りた。

 

「メシィィィッ……」

 

 ギラギラと目を光らせ、くちばしから煙を放つそのプリニーはもはや野獣だ。言葉など通じそうにない。それでもエミーゼルは口で虚勢をはるしかなかった。

 

「な、なななな、なんなんだよ、お前っ! オレ様に何の用だ!」

「メシをよこせぇぇぇぇっ!!」

 

 プリニーが叫び、そのマフラーがエミーゼルに伸びる。

「ひいっ!?」

 

 思わずエミーゼルは両手で顔を覆う。

 が、マフラーはエミーゼルを通り越し、その背後に置いてあったエミーゼルの弁当を掴んだ。

 ラハールはその弁当を掴むと、蓋を投げ捨てて弁当箱ごと口の中に放り込んだ。

 

「ああ……僕のお弁当が……」

 

 もごもごと口を動かし、ぺっと唾にまみれた空の弁当箱を吐き出す。なおも食事を求めるラハールは赤い瞳をギラギラと輝かせながらエミーゼルをにらみつけた。

 

「もっと……よこせ……」

「ひいいいいいっ!?」

 

 ラハールは怒りに任せて魔力を開放させた。放たれた凄まじい魔力の波動にエミーゼルの小さな体が吹き飛ばされる。ラハールの放った魔力は周辺の瓦礫や悪魔を巻き込んだ竜巻となって一体を吹き飛ばした。

 

「閣下ッ!」

 

 飛んできた石礫をフェンリッヒが叩き落す。ヴァルバトーゼは荒れ狂うラハールプリニーを見て頷いた。

 

「フェンリッヒよ。あのプリニーはなんだ?」

「これほどの魔力を持つプリニーなど聞いたことがありません。あれは一体……」

「あいつはプリニーとしての自覚が足りん!!」

 

「……はい?」

 

 予想にしない言葉に、一瞬フェンリッヒが固まる。だが、この程度のことなど今に始まったことではない。フェンリッヒはすぐに姿勢を整えた。

 

「俺が再教育してやろう!!」

 

 ヴァルバトーゼはそう叫ぶと、翼を広げて飛翔した。突如襲来したラハールにより大混乱に陥ったアバドンはもはや烏合の衆。ヴァルバトーゼの接近に気付いて魔法を放つ悪魔もいたが、先ほどのまでの統率力は見る影もない。

 ヴァルバトーゼは容易くそれをかわすと歯牙にもかけずラハールへと突っ込んだ。

 

 

 

 

 一方、エトナとフロンはアバドン兵に襲われていた。

 だが、魔神級の力を持つエトナの前に統率力の崩れた悪魔たちはなすすべなく返り討ちに合う。

 

「食事はあれだけしかないの!?」

 

 エトナに地面に叩きつけられ、首元に槍の刃を当てられた僧侶が降参の意を示しながら答える。

「は、はい……エミーゼル様の昼食以外の食事は持ってきていません……」

「あー腹が立つ!!」

 

 空腹で苛立ちがマックスになったエトナはその僧侶を空高く投げ飛ばすと呪文を唱えた。

 

「パパイヤ・ファイヤー・パパリスク!」

 

 エトナの前に深紅の魔法陣が浮かび上がる。

 

「ちょいなっ!」

 

 エトナが指を鳴らすと魔法陣から無数の火炎が飛び出し、僧侶と周辺の悪魔へ向かって飛んでいく。僧侶が爆炎に包まれると、エトナは背を向けて不機嫌そうに舌打ちをした。

 

「チッ……殿下の鼻もアテになるんだかならないんだか…………ん?」

 

 エトナの視界に飛翔する黒い影が映った。ヴァルバトーゼだ。高速で飛翔するそれはラハールへ向かって一直線に飛んでいく。

 その魔力はこの場にいる悪魔たちとは比べ物にならない。エトナは八重歯をきらりと光らせた。

 

「へぇ、骨のありそうな悪魔もいるじゃん……殿下~!」

 エトナが手を振ってラハールを呼ぶ。

 

「なんだ!?」

 ラハールが、怒りながら振りむく。

「ほら! あれあれ! 面白そうな相手が来ましたよ!」

「何……? うおおおおおっ!?」

 

 ラハールがエトナの指を視線で追うと、ヴァルバトーゼは眼前に迫っていた。咄嗟に魔王剣を呼び出して切り払うが、ヴァルバトーゼはそれを回避しすれ違いざまにラハールへ拳を放つ。ラハールもそれを何とかマフラーで受け流すと、ヴァルバトーゼの腕を踏み台に大きく跳んで5メートルほど離れた位置に着地した。

 

「俺様の一撃をかわすとは……何者だ!」

「俺様……だと!? やはり、貴様はプリニーとしての教育が足りんようだな!!」

 ヴァルバトーゼはマントに身を包んで言う。

 

「なんだと!? おい、お前! 何をわけのわからんことを言っている!」

 

 ラハールの言葉に耳を貸さず、ヴァルバトーゼは続ける。

 

「プリニーの心得その1を言ってみろ!」

「わけのわからんことを……! 俺様は今、空腹で腹が立っているのだ! いい加減にしないとその口を開けないようにしてやるぞ!!」

 

 ラハールの強大な魔力に怯みもせずヴァルバトーゼは叫んだ。

 

「プリニーの心得その1! 語尾には必ず「ッス」をつけること!! それすら忘れたプリニーに俺が直接指導してやろう! 誇り高きプリニー教育係として!!」



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#9 イワシの日~魔王と暴君~

「プリニー教育係だと?」

 思いがけない言葉にラハールの動きが止まる。

「さあ俺に続いて復唱しろ!! 「語尾には必ず「ッス」をつけること」!!!」

「するか!!」

 

 ラハールが怒鳴ると、ヴァルバトーゼは首を振った。

 

「ここまで教育のなっていないプリニーは初めてだ。こんなプリニーを出荷したらプリニー教育係としての俺の立場がない。この俺の名にかけて、お前をどこに出しても恥ずかしくない立派なプリニーにしてやろう!」

「せんでいいわ!!」

 ラハールが触覚を立てて叫ぶ。

 それを見ていたエトナはけらけらと笑った。

 

「殿下~この際プリニーとして教育してもらったらどうです?」

「誰が教育されるものか!!」

「やだなあ、殿下。一人前のプリニーになったあかつきにはちゃんと良待遇で雇いますってば」

 

 ラハールをからかうエトナの背後にアバドンの影が迫る。先ほどの僧侶だ。致命傷を受けていたものの、その傷を自らのヒールで回復したのだ。

 その手に握った短剣を、エトナめがけて振り下ろす。

 

「まるわかりだっての」

 

 エトナは最小限の動きでそれをかわして僧侶の背後に回り込む。

 

「「後ろからグサッ」するときはちゃんと殺気を消さなきゃだめよ」

 手のひらに魔力を集め、僧侶にぶち込む。吹き飛ばされた僧侶はラハールとヴァルバトーゼの方へ飛んでいく。

 

「あ、殿下ごめん」

「何?」

 

 ラハールがエトナの声に顔を向けると、くるくると宙を舞う悪魔がラハールへ飛んでくる。

 

「フン」

 

 ラハールがそれを打ち落とそうと手に魔力を集めるとほぼ同時に、現れた1つの影がその悪魔を弾き飛ばした。

 

「……貴様、我が主に向けて悪魔を飛ばすとは」

 

 フェンリッヒだった。

 白銀の狼男はエトナへ鋭い視線を向けて言った。

 

「え~。わざとじゃないしぃ~」

 口笛を吹きながら、頭の後ろで腕を組んだエトナに、フェンリッヒの殺意が叩きつけられる。

「……生きて帰れると思うなよ!」

「えっ!?」

 

 フェンリッヒはエトナとの距離を一瞬でつめ、鋭い蹴りを繰り出した。体をエビぞりにして何とかそれをかわしたエトナが、後ろに跳んで距離を取る。

「ちょちょちょ、ちょっと! そんなに怒らなくてもいいじゃん! 大体、あんたらとやり合うつもりは……!」

「問答無用!!」

 

 フェンリッヒの連続攻撃がエトナを襲う。エトナがそれを槍でそれを受け流す。まさか傷一つつけられないとは思っていなかったフェンリッヒが口元を歪ませる。

 

「ほう……ただの悪魔じゃなさそうだな」

「そっちこそあたしに喧嘩売って生きて帰れると思わないことね」

 

 フェンリッヒとエトナの視線がぶつかり合う。一瞬の沈黙の後、激しい音が響いてエトナの槍とフェンリッヒの脚が交差した。

 

「にゃろぉぉぉぉぉっ!!」

「うおおおおおおおっ!!」

 

 至近距離で互いの魔力が炸裂し、衝撃波が2人を吹き飛ばした。

 

「ちぃっ……こいつ、思ったより……!」

 

 空中で体を回転させ、着地したエトナだったがスピードを殺しきれず、そのまま地面を滑っていく。一瞬早く立て直したフェンリッヒがエトナに迫る。

「貰ったッ!!」

「舐めんなッ!!」

 

 地面に膝をついた不利な姿勢のエトナの上を取ったフェンリッヒが、勝利を確信して蹴りを繰り出す。エトナは体をひねりながらその一撃を防ぐ。

 

「何っ!?」

「うらぁ!!」

「舐めるなっ!」

 

 再度お互いの一撃が交差する。互いに耐え切れず弾き飛ばされたが、今度はエトナが先に体勢を整えて追撃に移った。

 

「こいつで決まりよッ!!」

 

 エトナの周りに圧縮された無数の魔力の球体が浮かび上がる。魔力の球体は円状に並び、くるくるとエトナの周りを回転しながら発射の時を待つ。

 

「ホラ、食らいなさいなッ!」

 エトナが腕を振り上げ、フェンリッヒが身構えた時、2人の間に割って入る影があった。

 

 

「いけませーーーん!!!」

 

 フロンだ。

 

「いけませんよみなさん! 話し合えばわかるはずです! 愛! 愛! ああ、なんて素晴らしい響きなんでしょう!! さ、エミーゼルさんも話し合いましょう!」

「は、離せ! こいつ!」

 

 フロンはエミーゼルの襟をつかんでを引きずっていた。

 

「うわ、フロンちゃん、ドサクサに紛れて大将打ち取ってるよ……」

 エトナがあきれ顔で言う。

 それを見たヴァルバトーゼが剣を収める。

 

「……そこのプリニーよ。俺には貴様の再教育より先に果さねばならん約束がある。教育はお預けにしよう」

「俺様はプリニーじゃない!!」

「いや、どう見たってプリニーですってば、殿下」

 

 吠えるラハールを、エトナが笑い飛ばす。

 

「……命拾いしたな」

 戦いを続ける空気ではないと判断したフェンリッヒが、爪をしまって構えをといた。それを聞いたエトナが目を細くしてフェンリッヒをにらみつける。

 

「こっちのセリフよ」

 一瞬のにらみ合いの後、2人は背を向けてお互いの主の隣についた。

 

「殿下~、わがまま言わないで教育してもらえばよかったのに」

「誰がされるか!」

「……ていうか殿下、ここに来た目的覚えてます?」

「当然だ! 俺様の昼食を奪いに来たのだ!」

 自信満々に言うラハールをエトナは信じられないという表情で見た。

「こいつ本当に忘れちゃってるよ……」

 

 

「くっ、くそっ!! こいつらさえ来なければお前たち反逆者共を皆殺しにできたのに……!」

「小僧。プリニーを開放しろ」

 

 ヴァルバトーゼは言った。だが、エミーゼルは首を振った。

 

「できるわけないだろ! ここ数年でプリニーの数が劇的に増加して、雪だるま式に数が増えてるんだ! その所為で魔界は大変なことになってるんだぞ! このまま手を打たなければ数年でこの魔界は崩壊してしまうかもしれないんだぞ! だから、プリニーは処分しないといけないんだ!」

「なるほどー。だからラハールさんも狙われたんですね。よかったよかった」

「よくない!!」

 笑顔で言うフロンに怒鳴るラハール。フェンリッヒが閣下の話を遮るなと視線で警告したが、フロンは気付かない。

 

「……フェンリッヒよ」

「はっ」

 

 ヴァルバトーゼは丘の上の巨大な檻に目をやり、言った。フェンリッヒが礼をし、その檻を破壊する。檻が破壊されると、中から大量のプリニーがわらわらと出てきた。

 

「うわ、これは処分したくなるのもわかるわ……」

 

 それを見て、エトナが苦笑いをした。



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#10 反逆のプリニーズ

「た、助かったッス……」

 檻から解放された大量のプリニーが、口々に安堵の言葉と礼を言う。その数はゆうに100を超えている。

 そんなプリニーたちを見て、ヴァルバトーゼは言った。

「安心するのはまだ早いぞ。政腐は、お前たちの処分を決定した」

「えええええッス!」

 プリニーたちが驚きの声を上げる。

「……で、でも、閣下が助けてくれるんスよね?」

 1匹のプリニーがおどおどと言うと、周りのプリニーが歓声をあげる。

 

「……情けない。自分の力でどうにかしようとは思わんのか」

 それ見たラハールが呆れたように大きなため息をついた。

 

「な、なんスかあんた!」

「俺たちプリニーが政腐相手に戦っても勝ち目がないことなんてわかりきってることッス!」

「そうッス! ちょっとカッコイイマフラーをつけてて、ちょっと触覚が生えてて他と違うからって、プリニーが調子に乗ったらいけないッス!」

 自分たちの身分をわきまえているプリニーが、同じくプリニーの姿をしたラハールに対して口々に叫ぶ。当然だ。プリニーは自他ともに認める魔界最弱の悪魔。

 その戦力差は人間とライオンの比ではない。

 

 だが、勝てない相手だからと尻尾を巻いて逃げるのはラハールの生き方に反することだった。

 

「やかましい!! 俺様をただのプリニーと侮るな!!」

 その声量にプリニーたちの動きが止まる。静寂の中、マフラーをなびかせてラハールが高々に宣言する。

 

「聞いて驚くな! この姿は世を忍ぶ仮の姿……その正体は、かつて人間共を恐怖のズンドコに陥れたこの超超超超最強魔王ラハール様だ!!」

 ハァーッハッハッハッハッ!と、高笑いを放つものの、ラハールの名を知らない彼らの反応はない。

「殿下、ズンドコじゃなくてどん底ですってば」

 エトナが訂正するが、ラハールは気にするなと耳を貸さない。

 

「……魔王だと?」

 プリニーたちがたわごとだと聞き流す中、人を疑うことを知らぬヴァルバトーゼと常にあらゆる可能性を模索しているフェンリッヒがその言葉に反応を示した。

 

(確かに、あの凄まじく、そして禍々しい魔力を見て一瞬脳裏をよぎったが……)

 値踏みするようなフェンリッヒに気が付いたエトナがくすくすと笑いながら得意げに言った。

「あー。そいや言ってなかったね。あたしらは別魔界から来た悪魔。ちょっとあって殿下がこんなんになっちゃったもんで元に戻る手がかりを求めてこの魔界に来たってわけ」

「エトナ……主人をこんなん呼ばわりとはどういうことだ!」

「えーっ……だって~」

「そうです! ラハールさんをこんなん呼ばわりなんてひどいですよエトナさん!」

「フロンちゃんまで……」

「今のラハールさん。とってもぷにぷにしていて気持ちいいですよ~……うへ、うへへへ……」

「お、おい! 触るなフロン! 離れろ、おい!!」

 

「……本当に魔王なのか?」

 小娘にいいようにされるその様はプリニーそのものだ。だが、アバドンを蹴散らしたあの魔力は確かにただのプリニーとは思えない底知れなさがあった。

 

「うむ。疑うわけではないが、死んだ悪魔がプリニーに転生するなど聞いたことがない。プリニー教育係として、そこは断言しよう」

 呟いたヴァルバトーゼにフロンが視線を向ける。

 

「ラハールさんのお母様は人間なんですよ」

「……何? 悪魔と人間のハーフなのか。聞いたことがないな」

 

 ようやくフロンを引きはがしたラハールがヴァルバトーゼに指をさして叫んだ。

「おい! そこのお前!」

「なんだ。プリニー」

「プリニーと言うな!!」

「む、すまん」

 

 謝るヴァルバトーゼに、ラハールは面食らってあんぐりと口をあけた。

 

「こ、こんなに素直に謝る悪魔は初めてだ……お前、本当に悪魔なのか?」

「そこが、我が主の素晴らしいところだ」

 

 フェンリッヒがラハールに鋭い視線を向けて言う。その視線に含まれる敵意に、思わずラハールも応戦しようと魔力を集める。だが、これでは話が進まないと判断したエトナがラハールのマフラーを引っ張って黙らせる。

 

「ぐおっ!?」

「ね~ぇ。プリニー教育係ならプリニーに詳しいんでしょ? あたしは別にどっちでもいいんだけど、殿下がどぉ~しても戻りたいっていうから、なんか知っていたら教えてくれない?」

「罪の分だけ金をためるか善行を積めば転生はできるだろう」

「転生ではない! 俺様は元の姿に戻りたいのだ!」

 

 マフラーを振り回し、エトナを振りほどいたラハールが怒鳴る。

 

「心当たりがないな。すまんが他を当たってくれ」

「なんだと……? ならば俺様はこの魔界に無駄足を運んだということか?」

「わざわざ別魔界から俺を訪ねてきた客人だ。もてなしたいところだが俺にはやることができた」

「やることだと?」

「そう。俺はこれから腐りきった政腐を……魔界大統領の性根を叩きなおさねばならんのだ!!」

 

 ヴァルバトーゼが宣言する。それを聞いたエミーゼルが叫ぶ。

 

「バッカじゃねえの!? お前みたいな奴にそんなことできるわけないだろ!!」

 

 当然の反応だ。プリニー教育係は魔界でも最底辺の職。最下級の悪魔が就くと言われるそんなド底辺がいきなり魔界のトップの首を取ろうなんて言うのだから、夢物語だと笑われても仕方がない。

 

 魔界の階級は強さが全て。立場が上のものほど力が強く、弱いものほど底辺に行く。故に、魔界では下剋上などあり得ないと言っても過言ではない。

 

 

「貴様、我が主を愚弄するか」

 ヴァルバトーゼを貶されたと見たフェンリッヒが、殺気をむき出しにしてエミーゼルを睨む。フェンリッヒの鋭い殺気におされたエミーゼルが、口をつぐんで視線を逸らす。

 

「たとえ夢物語と笑われても、自らの怠惰を棚に上げ、問題の根本を解決しようとせずにプリニーの数を減らしてその場しのぎの策を取る腐りきった政腐にこの魔界を任せてはおけん!!!」

 

 そもそも、プリニーが増えすぎたのも魔界政腐が人間を恐怖をもって戒めるという悪魔の役目を怠った故に起きたことだ。政腐の怠惰が原因で人間が謙虚に生きるということを忘れ、悪人が増えた。だというのに、増えたプリニーを処分してその場しのぎを取ったとしても問題は何ら解決しない。少し考えればわかることなのだ。

 

 

「フン。俺様の魔界では問題なんて一切ない。情けない魔界だ」

「殿下は自分の魔界の問題を見てすらいないから問題を知らないだけですってば」

 

 

 

「だから、俺がそんな政腐の性根を叩きなおしてやらねばならんのだッ!!」

 天へ高々と宣言するヴァルバトーゼを見て、ラハールは笑った。

「……面白い」

 

「俺様も俺様に喧嘩を売った愚かな大統領に会いたくなった。ついでだ。手を貸してやる」

「げっ。マジですか、殿下?」

 帰ろうよ。という視線を送るエトナだがラハールは全く気にしない。

 

「当然だ。俺様が嘘をついたことがあるか?」

「いっぱいあると思いますけど」

「ぐっ……」

 思い当たる節が多すぎるラハールは何も言い返せず、話を逸らそうとヴァルバトーゼを睨んだ。

 

「だ、だがあくまで手を貸すだけだ! お前にその力がないと判断すれば、俺様はお前を見捨てて帰るからな!!」

 

「気持ちは嬉しいがこれは俺の……そしてこの魔界の戦いだ。別魔界の魔王を巻き込むわけにはいかん」

「気にするな。もう巻き込まれた。だが、覚悟しろ。お前が相応しくないと判断すれば、俺様はお前を殺してしまうかもしれんぞ」

「貴様ッ……」

 

 聞き捨てならないとフェンリッヒが爪を出すが、ヴァルバトーゼはそれを遮って笑い放った。

 

 

「面白い。俺を試すというのか?」

「フン。自信がないか?」

「いいだろう。約束しよう! 必ずお前に俺という存在を認めさせてみせる!!」

 

 ヴァルバトーゼの約束という単語を聞いたフェンリッヒが、こめかみを押さえながらため息を漏らした。

 

 

「俺たちも閣下の忠実なしもべとしてついていくッス~!」

 大量のプリニーたちがわらわらと叫ぶ。

 

(予定とは大分違うが……これはこれでいいのか……?)

 フェンリッヒは1人呟いた。



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#11 地獄のプリニーズ

「へぇ~。ここが地獄の最深部ですか」

「質素なところだな」

「なんか微妙にくさいわねえ。ちゃんと掃除してるの?」

 

 ヴァルバトーゼたちについてきて、拠点にやってきたラハールは見慣れない地獄に対し口々に感想を漏らした。

 あまりよろしくない感想に、眉をひそめるフェンリッヒに対し、ヴァルバトーゼは気にも留めていない様子だ。

 

「フェンリッヒよ。政腐の動向はわかったか?」

「今プリニーたちに調べさせています。じきに報告に来るでしょう」

「そうか。ならば今は待つとしよう」

 

 2人のやり取りを見ていたフロンが、ポンと手を叩く。

 

「そう言えば、自己紹介がまだでしたね。私はフロンと言います。元天使で、今は堕天使としてラハールさんの家来をしています」

「元天使の癖に魔王と共にいるのか?」

 堕天使自体も珍しいというのに、その中でも異例なフロンに、ヴァルバトーゼが思わずつぶやく。

 

「まあ、色々ありまして……」

「話せば長くなるしね~。殿下がこんなんなっちゃったのもフロンちゃんが堕ちたのも説明すると大変だし」

「主をこんなん呼ばわりするな!」

 ラハールが怒鳴ると、エトナは舌を出してフロンの後ろに隠れるように逃げる。

 

「こっちの悪魔がエトナさん。こっちのプリニーが、魔王のラハールさんです」

 

 フロンがにこにこしながら2人を手のひらで示す。ふんすと胸を張るプリニーを見て、ヴァルバトーゼが首を振る。

 

「む、いかんな。頭では理解していても俺のプリニー教育係としての誇りがどうしてもこのプリニーに教育を施そうとしてしまう」

 

 そう言うと、ヴァルバトーゼはどこからか取り出したイワシをほおばった。それを見たラハールの腹が、ぐうと唸りを上げる。

 

「……むう。そう言えば腹が減ったな。おい、貴様。客をもてなせ」

 

 視線だけをフェンリッヒに向け、ラハールが言い放つ。それを聞いたフェンリッヒの額にピキリと筋が走る。

 

「誰が客だ。お前らが勝手についてきただけだろう」

「ほう。無理やりおもてなしをさせてもいいんだぞ?」

 ラハールに瞳が、僅かに輝く。それを見たフェンリッヒがギラリと牙を見せる。

 

(この傍若無人な身勝手さ。必ずヴァル様の覇道の妨げとなる……何か手を打たねば……)

 

「ああ~! ダメですよ、ラハールさん!」

 その間にフロンが割って入る。

 

「どけ、フロン! こいつには身をもって俺様の恐ろしさを……!」

「暴力では何も解決しません! 愛を持って話せば、きっとわかってくれるはずです!」

「ごはっ!?」

 

 フロンの言葉に、ラハールが大きくのけぞる。

 フェンリッヒは一瞬、何か強力な魔法でも放ったのかと思ったが魔力は感じられなかった。だというのに、あの魔王はまるで巨大な魔法を喰らったかのように顔を青くしてぜいぜいと荒い呼吸をしている。

 

「……どうしたんだ?」

 様子がおかしいと、ヴァルバトーゼがエトナに聞く。

 

「ん、ああ。殿下ってば、愛だとか友情だとか、とにかく前向きな言葉に弱いのよ。そりゃもう、物理的なダメージを喰らうくらいにはね」

 

(……思わぬところであの魔王の弱点がわかったな)

 

 いざとなればこの弱点をついてラハールを消してしまおうとフェンリッヒがほくそえんだところで、1匹のプリニーがどたばたと埃を巻き上げながらこちらへ走ってきた。

 

「た、大変ッス! 大変ッスー!」

「……どうした?」

「襲撃ッス! 変な女の子が、地獄に全面戦争を仕掛けてきたッスーーー!!」

 



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第2章 プリニー戦記
#12 襲撃女の子


「なんだと!?」

「ハイッス!! 現在、プリニー部隊が襲撃者と交戦中ッス!」

 

 プリニーは目を丸くして、パタパタと両手を動かしている。遥か彼方で、爆発音が聞こえた。

 

「このタイミング……政腐の連中め、思ったよりも手が速いな。いかがいたしますか、閣下」

「全面戦争だと……そんな愚かなことをこの地獄で許すわけにもいくまい! 行くぞ、フェンリッヒよ!」

 

 ヴァルバトーゼがマントを翻す。それを見たフェンリッヒが主の出陣を見送る騎士のように頭を垂れる。

 

 その様子を物陰から除く1人の少女がいた。

 

 少女の名はフーカ。地獄に全面戦争を仕掛けた張本人にして「プリニーの出来損ない」の中学3年生だ。

 

「むぐぐぐ……何よ、あのプリニー……! あれが、皮付きのプリニーの待遇だっていうの?」

 

 ハンカチを力いっぱい噛みながら、恨めし気に睨む彼女の視線の先にいるのは1匹のプリニーだ。1対の触覚のようなものを携えたプリニーは襲撃を受けている真っ最中だというのに働く素振りすら見せない。

 だというのに、周りの悪魔たちはそれを注意しようともしない。

 もしも自分があんなことをしたら、今すぐ働けと叱咤された上に1日分の給料の没収は免れないだろう。いや、それで済めばいいものだ。

 下手をすれば最前線に飛ばされかねない。実質の死刑宣告だ。

 

 皮有りのプリニーの待遇はいいと聞いていたが、まさに聞いていた通りだ。

 不遜な態度で腕を組んでいるそのプリニーを見ていると、腹の奥からムカムカと燃え盛るような怒りのマグマが湧き上がってくる。

 皮無し組の待遇を改善すべしという想いが確固たるものへと変わっていく。

 

 フーカの怒りが頂点に達し、プリニーめがけて飛び出そうとした刹那――1人の少女が振り向いてフーカを睨みつけた。

 

 年はフーカとそう変わらないだろう。目を背けたくなるようなほど露出の多い挑発的な格好と、その服装とミスマッチした貧相な体。揺れる深紅の髪からのぞく紅の瞳が、フーカをしっかり見据えている。

 

 

「殺気っつーより怨気な気もするけど……何、さっきから喧嘩売ってんの?」

 

 杖がわりにしていた槍をフーカへ向け、エトナが八重歯を見せて笑う。

 

「……見たことない顔だな。侵入者か?」

 それに続くようにフェンリッヒが、そしてヴァルバトーゼとラハールがフーカへ向く。

 隠れていても仕方がないと判断したフーカは胸を精一杯張りながら手にした木製のバットをエトナに突きつけた。

 

「フ、フン! よく気付けたわね! 褒めてあげるわ!」

「何その恰好、プリニーのコスプレ?」

 

 エトナがフーカの被った帽子を見て、何とも言えない笑いをこぼす。

 

「ムキーッ! それもこれも、あんたらがプリニー撲滅運動に協力しないからよ、この反政腐組織!!」

「小娘……それはどういうことだ?」

「ふん! プリニーが増えすぎたせいで、プリニーの皮が足りなくなっちゃったのよ! だから、あたしたちみたい皮無し組ができちゃったわけ! 皮無し組の待遇はひどいったらありゃしない! あたしたちプリニー殲滅部隊は皮有りプリニーを殲滅して、高待遇の皮有りプリニーとして優雅な日々を送るのよ!」

 

「プリニーにすら成れないとは哀れな……しかし、そんなことはプリニー教育係である俺も知らんぞ」

 ヴァルバトーゼが首を傾げる。フェンリッヒもそこが引っかかったのか、顎に手をあてて何かを考えている。

 

「と・に・か・く! あんたらもプリニーもまとめてこの風祭フーカ様がぶったおしてあげるから覚悟しなさい!」

「確かに、プリニー候補とプリニーが潰し合えばどちらが勝ってもプリニーが減る……腐りきった政腐らしいあくどいやり方だ」

 

 ラハールが笑いながら前に出る。エトナはそんなラハールの後ろから覆いかぶさるように抱き着いて、その頬をつついた。

 

「それじゃ、プリニー代表としてあの出来損ないのプリニーちゃんと戦ってあげてくださいね~。殿下」

「誰がプリニー代表だ!!」

 

 ラハールが短い両腕を振り回しながら、ラハールの頭に肘をつくエトナを振りほどこうとする。だが、エトナはにやにやとした笑みを浮かべながらラハールの身体に腕をからませていく。

 

「まあまあ、ここは1つ皮無しのガキんちょに皮有りとの格の違いって奴を見せつけてあげてくださいよ~」

「ま、待て、エトナ……何をするつもりだ……?」

 ラハールの背に冷たい汗が走る。慌ててエトナの腕を振りほどこうとするももう遅い。

「そりゃ勿論、プリニーにしかできない、プリニーの十八番ですよ!」

 

 エトナがどりゃああああああ、と雄たけびを上げたかと思うと、ラハールを持ち上げてフーカめがけてぶん投げた。

 

「うごおおおおおおおおっ!?」

「ほわああああっ!?」

 

 慌てて空中でマフラーを広げてブレーキをかける。両腕を顔の前でクロスさせたフーカとあわや接触という直前でマフラーを大きく羽ばたかせて急上昇し、すんでのところで衝突を避ける。

 

 未だどくどくと激しく脈打つ鼓動を感じながら、全身をびっしょりと濡らしたラハールはエトナに叫んだ。

 

「俺様を殺す気かーーーーーーーーーっ!!!」

「チッ……殿下! それより下下! チャンスですって!」

「ん?」

 

 ラハールが視線を下に向けると、マフラーによって起こされた暴風でひっくり返ったフーカがいた。

 フーカはその純白のパンツを天に向ける形で倒れている。

 

 それを見ていたフロンただ1人が「んまっ!」と頬を僅かに赤く染めてラハールを非難した。

 

「よ、よくも、乙女の純潔を……!」

 起き上がったフーカが、怒りに体を震わせながらバットを強く握りなおす。この怒りをラハールにぶつけようとしたものの、宙に浮かぶラハールには届かない。

 

「こらーーーーっ! 卑怯者ーーーーっ! おりてこーーーい!」

「そ、空も飛べないのに勝てるつもりでいたのか……」

 

 ややあきれ顔でラハールが降り立つ。その動作はまるで隙だらけだ。当然と言えば当然だろう。フーカの魔力はほぼ人間同然。ラハールにしてみれば眠りながらだって勝てる相手だ。

 

「ほら、降りたぞ」

 そう言ってラハールは、大きなあくびをした。完全に舐めきっているラハールはもうフーカの方を向いてすらいない。

 

「か、皮があるからって馬鹿にして……このぉ、思い知れーーーーっ!!」

 

 フーカが吼えて、ラハールに殴りかかる。想像以上のスピードに、完全に消化試合だと高を括っていたラハールは対応できずバットのフルスイングをまともに喰らった。

 

 地面をごろごろ転がりながら、虚空から魔王剣を取り出して追撃を受け流す。

 

「こいつ、人間か!?」

「これが! プリニーの憎しみの分!」

「うごっ!」

 

 ラハールのみぞおちにフーカの拳が炸裂する。

 

「これがっ! 奪われたあたしの安らぎの分!」

「どはっ!」

 

 大きくのけぞったラハールの顎を、フーカの蹴りが的確にとらえる。

 

「これはあたしの分! これもあたしの分! こいつもあたしの分!」

「ぐはっ! どふっ! ぶはっ!」

 仰向けに倒れたラハールの上に覆いかぶさったフーカが、その顔めがけて何度も拳を振り下ろす。

 

「そしてこいつが、あたしの分だーーーーーーーーーーーっ!!」

「うがあああーーーっ!!」

 

 振りぬかれた拳がラハールを空高く舞い上げる。そのままラハールは頭から地面に落ちた。うつ伏せのまま立ち上がらないラハールを見たフーカが、拳を天に掲げて勝ちを名乗る。

 

 

 

「あらら~……ラハールさん、負けちゃいましたね」

「なっさけな~。殿下、どうか安らかに眠ってください」

「異世界の魔王よ……短い間だったがお前と過ごした日々は忘れん……どうか……安らかに……」

「勝手に殺すな!!」

 ラハールが飛び起き、叫ぶ。

 ちなみに、この瞬間にラハールの「わざと喰らっていた体で誤魔化す」作戦は失敗した。

 

 が、それを見てもフーカは動じない。むしろ、余裕しゃくしゃくという態度だ。

「あれを喰らってよく立ち上がれたわね! 褒めてあげるわ! でも、何度やっても同じよ! あたしの夢の中であたしが負けるはずないんだから!」



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#13 驚愕女の子

「……は? 夢? 何を言ってるんだお前は?」

「とぼけたって無駄よ! あたし、気付いちゃったんだからね! これがあたしの夢の中だって!」

「な、何を言っているんだ……こいつは……」

 

 ラハールが助けを求めるような視線をエトナに向ける。エトナは苦笑いをして首を振る。完全に呆れているという表情だ。

 

「あれですね、きっと。夢の中だからなんでもできると思い込むことで潜在能力の100パーセントを引き出しているとか……それなら、その子の強さも説明できなくは……ないんじゃないですかね、殿下?」

「どんな理屈だ……」

 

 軽く引きながらラハールが言う。当のフーカはそんなこと気にしてないとばかりに胸を張り、バットをぶんぶん振り回している。

 

「せっかくの夢なのにどーして来る日も来る日も掃除洗濯でこき使われなきゃならないのよ! あたしはね、もっとラブリーでキューティクルな夢を見たいの! 白馬の王子様が助けに来てくれるようなそれはもう胸がキュンキュンしちゃうような夢が!」

 

 フーカが拳を握りしめてラハールを睨みつける。

 

「なんでピッチピチの中学三年生のあたしがあんな超ブラック体制で労働しないといけないのよ! 信じられる!? 激務な上に1日12時間労働で日当はイワシなのよ!? あんたみたいな皮付きのプリニーにはわからないでしょうがね!!」

 フーカは自分の正当性の証明だと言わんばかりに大声で叫んだ。だが、残念ながらその感覚は人間のそれ。悪魔の常識と人間の常識はかけ離れているのだ。

 

「好待遇だな」

「トップクラスのホワイトじゃない」

「うむ。そんな好条件でプリニーを雇ってくれるところは少ない。小娘、悪いことは言わん。そこで働け」

 

 ラハール、エトナ、ヴァルバトーゼが口々に言う。フーカは信じられないと首を振る。

 

 

「しょ、正気!? 12時間労働よ!? しかも休憩なしで時給イワシ一切れよ!? これがどれだけ恐ろしいことかわかってる!? 労働基準法を違反してるどころじゃないのよ!!」

 

「おい、エトナ」

「はい」

 

 やる気ない声でラハールが言うと、エトナも同じくやる気のない声で返事をした。

 

「お前のとこのプリニーの労働環境を教えてやれ」

「わっかりました~!」

 

 エトナはラハールに向かって最高の笑顔を浮かべて大げさな敬礼をするとフーカに向き直った。

 

「私のところのプリニーは休みなしの22時間労働! 福利厚生は無しで日当はサンマよ!」

「なっ!?」

「……悪魔の中でもトップクラスにプリニーをこき使っていますね、閣下」

「日当がサンマだと!? イワシではないのか!」

「そこですか……」

 

「ひッ……!? に、22時間……!?」

 驚愕の事実にフーカがたじろぐ。

「あ、もちろん休憩時間は労働時間に含んでないわよ」

「あっ……ああ……そ、そんな……5時間に1回30分の休憩を取ることすら許されないなんて……!?」

 あまりの恐怖にフーカの脚がすくむ。

「あとあと~、日当のサンマはたま~に払い忘れちゃうかも」

 顎に人差し指を当ててかわいいポーズをとるエトナ。

「むしろ払われてる日のが少ないな」

 ラハールも若干引きながら頷く。

「でもでも~、給料の催促なんてしやがったらその場で消し炭にしちゃうぞっ」

 フーカはあまりの恐ろしさに立っていられずその場にへたり込んだ。

「ちなみに、業務内容には敵陣への単身特攻、プリニー爆弾の弾丸も含まれてまーす」

「あわ、あわわわわわわ……」

 恐怖で言葉を出すことすらできなくなったフーカに対し、エトナは拳を天に掲げて勝利の名乗りを上げた。

 

 

「出直してきなさい小娘。自分がどれほど恵まれた環境にいたかを噛みしめることね」

「そ、それじゃあ、プリニーを殲滅したところであたしたちの待遇は何1つ変わらないっていうの……?」

「むしろ悪化するな」

「う、ウソよ! 皮付きのプリニーの待遇は1日1時間労働の別荘付きの超特別待遇って聞いたのに!!」

「むしろよくそれを信じたな」

 呆れた顔で言うフェンリッヒ。

 

「そ、そんな、じゃああたしたちはなんでこんな目にあってるのよ……あたしたちが何をしたっていうの……?」

「何を言う。生前に何かしらの罪を犯したからそれを償う為にお前たちはプリニーになったんだろう」

 ヴァルバトーゼが言うと、フーカは首を振った。

 

「そ、そんな……罪なんて、あたし何も悪いことなんかしてないのに……」

「あー、それって犯罪者がよく言う奴よねー」

 ぷるぷると震えるフーカに、エトナが言う。フーカは目に涙を浮かべて叫ぶ。

 

「ち、違うもん! ほんとにあたし何もしてないもん!! そ、それに生前って……あたしは生きてるわよ!」

「今現在はどうかは知らんが、少なくとも人間界ではお前は死んだことになっているはずだ」

「うそよ、うそ、そんなのウソーっ!!」

 

 うわーーーっと、叫ぶと、フーカは背を向けて駆け出した。

 

「あほらしい。どうします、殿下?」

「当然! 放ってお……」

「追いかけましょう!!」

「うごっ!?」

 

 ラハールを突き飛ばし、フロンがフーカの後を追う。慣れないプリニーの身体でバランスを崩したラハールはうまく体勢を整えることができずにそのまま転倒し、ゴロゴロと転がった。

 

「閣下、いかがいたします?」

「皮が与えられていないとはいえ、プリニーはプリニー。プリニー教育係として見捨てるわけにもいくまい。行くぞ、フェンリッヒよ」

「やれやれ。やはりそうなりますか……全ては我が主の為に」



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#14 恋愛女の子

(あたしは死んでない……! これは夢! あたしの夢なの……!)

 フーカは走っていた。燃え滾るマグマと闇が蠢く地獄の底をただひたすらに走り続けた。

 理由のわからない涙が目から絶え間なく流れ出て、前が見えない。

 

(そう、そうよ……! あたしは死んでない! これは夢なんだから。地獄なんてあるはずが……)

 

「きゃん!?」

 

 フーカは、何か固いものにぶつかってしりもちをついた。

 

「あいたた……何よ、もう!」

 

 涙をぬぐい、自分がぶつかったものを見る。

 石造りの化け物が、牙を剥いてフーカを睨みつけていた。

 

「え……?」

 

 見れば、周りには空を飛ぶ巨大な蛾のような悪魔や、人の顔に見える樹の悪魔、動く死体など、凶悪な面をした悪魔たちが獲物を歓迎するような笑みを浮かべ、フーカを見下ろしていた。

 

「ひっ……」

 

 ガーゴイルが腕を振り上げる。その爪先には、何か赤いものがこびりついていた。その正体を理解したフーカが思わず悲鳴を上げる。

 

「きゃーーーっ!」

 

 その悲鳴を合図に、ガーゴイルがフーカへ爪を振り下ろす。

 

 だが、その爪はフーカに届くことは無かった。燃え盛る炎のようなマフラーがフーカを庇うように覆い、ガーゴイルの爪を受け止めていたのだ。

 

「な、何者だ!?」

 

 ガーゴイルがマフラーの主へ視線を向ける。役目を終えたマフラーがフーカを離れ、縮んでいく。それと同時に、その主が姿を見せた。

 

 プリニーだ。予想を裏切るその姿に、ガーゴイルを含めた悪魔共が笑い声をあげる。

 プリニーは魔界でも最弱にして最下級の悪魔。彼らの反応は当然だった。

 

「俺様を知らんとはモグリの悪魔か? ならば教えてやろう」

 

 そのプリニーは大量の悪魔を恐れる様子も見せず、悠々と近付いてくる。

 

「俺様は史上最強の超究極魔王!! 大魔王ラハール様だ!!」

 

 高々に宣言すると、悪魔たちがより一層笑いを強めた。プリニーは彼らの様子を気にする素振りも見せず、ガーゴイルを睨みつけた。

 

「その娘は俺様の獲物だ。貴様らのような下級悪魔にはやらん」

 

 下級悪魔、という言葉を聞いた悪魔たちの笑いが止まる。プリニーとは最弱にして最下級の悪魔。魔界の最底辺である悪魔に下級悪魔呼ばわりされるのは許しがたいことだった。

 

「プリニー風情が……そんなにこの女が大事か?」

「勘違いするな。その娘はこの俺様の顔に泥を塗ったのだ。俺様が直接手を下さねば気が済まん。それだけだ……」

「そうか……くっくっくっ」

 

 ガーゴイルが嫌らしい笑みを浮かべ、眼前で腰を抜かしているフーカを見下ろす。

 

「えっ……ちょ、ちょっと……!」

「プリニー如きに面子もプライドもあるものかっ!!」

 

 ガーゴイルの爪がフーカへ迫る。刹那、フーカの身体を何かやわらかいものが包み込み、勢いよく引っ張られた。ほぼ同時に、激しい金属音が響いて閃光が散る。

 

「聞こえなかったか? こいつは俺様の獲物だ」

 

 マフラーとその小さな腕を使ってフーカを抱きかかえたラハールが、ガーゴイルの爪を魔王剣で受け止めていた。

 

 ガーゴイルはその剣を力で押し込もうとするが、爪と交差したその剣はびくともしない。否、それどころか少しずつこちらに近付いてきている。

 

 プリニー如きに力負けをしていることを認められないガーゴイルはラハールめがけて口から火炎球を放った。

 

 それをファイアの魔法で撃ち落としたラハールが、魔王剣を振ってガーゴイルの爪をはね上げる。がら空きになったガーゴイルの胴を、返しの刃が切り裂いた。

 

 ラハールとガーゴイルが死闘を繰り広げている中、フーカはラハールのマフラーの中で1人別のことを考えていた。その視線はラハールへ注がれている。

 不思議なことに、その顔はペンギンのぬいぐるみのような情けない姿を見つめるには不適当なほどに情熱がこもっており、頬は見て取れるほどに紅潮していた。

 

――確かに、あたしはピンチの時、白馬の王子様が助けてくれるようなロマンティックで乙女ティックな夢を望んでいた。だけど助けに来てくれたのはぬいぐるみのようなプリニー。

 

 理解した。

 このプリニーは呪いによってプリニーの姿になってしまった王子様なのだ。この王子様の呪いを解き、真の姿となった王子様と愛しあうことがあたしの夢のエンディングなのだ。

 

 フーカの頭の中で、呪いが解け真実の姿に戻ったラハールが描き出される。すらりと伸びた脚。さわやかな笑顔。現実のラハールとはまるでかけ離れたその姿は、どこか中ボスに似ていた。

 

 妄想にふけっていたフーカだったが、激しい衝撃により現実に引き戻された。ラハールがフーカを抱えたまま大きく飛び退ったのだ。

 

 身を襲った衝撃にフーカは乙女とは思えぬような悲鳴を上げた。

 そこへ、追いついてきたヴァルバトーゼらが合流する。

 

「あれ~!? 殿下、その子助けたんですか!?」

「んまっ! ラハールさんもついに愛に目覚めたのですね!」

「んなっ!? か、勘違いするなよ! 俺様は他の悪魔にこいつをとられたくなかっただけで……!」

「いや~ん。殿下ったらダ・イ・タ・ン。何もこんな公衆の面前で愛の告白をしなくても……」

「ラ、ラハールさんって意外と積極的なんですね……知りませんでした」

「ちっがーーーーーーう!!」

 

 フーカを投げ捨てたラハールがエトナとフロンに向かって怒鳴り散らす。そんな3人の様子をやや呆れた様子で見ていたヴァルバトーゼが剣を抜いて言う。

 

「じゃれるのはそこまでにしろ。まずはあの悪魔たちを追い払うぞ」

 

「つーか、なんなんですか、あの悪魔は? 殿下、またなんかやらかしたんですか?」

「知らん。追いついたらそこのアホが囲まれていた」

「で、助けたと」

「成り行きでな。だが、勘違いするなよ。俺様は……」

「あー、はいはいはいはいわかりましたって。「勘違いするなー」なんてツンデレヒロインのテンプレみたいなセリフを連呼されるとマジで勘違いされま――」

 

 エトナのセリフを遮るように耳障りな高笑いが響いた。あたりが暗くなり、スポットライトが悪魔たちの背後の高台を照らす。

 

「ふっふっふっ……お前たちの旅もこれまでだ!!」

 

 高台でスポットライトに照らされていたのはアクターレだ。人差し指を天に向け、突き出した腰に手を当てた特徴的なポーズは見間違えるはずもない。アクターレは白きコートをなびかせながらヴァルバトーゼを指差した。

 

「地獄の囚人どもを解放した! ここの囚人どもは札付きの極悪人共だ! お前たちの勝ち目はゼロパーセント! 今すぐ俺様に降伏をしろ!」

 

「アクターレ……!? 馬鹿な、貴様は死んだはずでは……!」

 

 ヴァルバトーゼは全く的外れな驚き方をしていた。予想だにしない反応に、思わずアクターレは足を滑らせて体勢を崩してしまった。

 

「勝手に殺すな! ……まあいい。地獄の囚人どもにはお前らを倒せば恩赦がもらえると伝えてある。ただでさえ血の気の多い囚人どもは長い獄中生活で爆発寸前……どうだ? 恐ろしいだろ?」

「アクターレ獄長を騙る偽物め! 何が目的だ!」

「誰が偽物だ! こんな絶世の美男子がこの世に2人もいてたまるか!」

「流石閣下。アクターレが実は生きていたなんて夢にも思わないとは」

 

 相変わらず的外れなことを言うヴァルバトーゼに、フェンリッヒを除く全員が若干呆れ気味だ。

 とはいえ、それを口に出すと狼男がうるさいので、誰も口には出さなかった。

 

「ふん! まあいい! 聞き分けのない悪い子は痛めつけるに限る! おい、お前たち! そこのバカ共をけちょんけちょんにしてしまいなさい!」

 

 アクターレが言うと、囚人たちが歓声を上げた。

 

「恩赦だ恩赦!」

「あんな弱そうな奴らを殺すだけで自由だ自由だ!」

「ぶっ殺せ……! 八つ裂きだッ!」

 

「フン。流石極悪人と言うだけのことはある。口だけは達者のようだな」

 

 ラハールがどこからともなく取り出した魔王剣を構える。それを見たゴーストが笑い声を上げる。

 

「けっけっけっ。プリニー1匹殺すだけで恩赦とはちょろいぜ」

「おいおい、お前だけずるしようなんてずるいぜ」

「きききっ。関係ない。皆殺しだ」

 

 ゾンビは歯を慣らし、モスマンは羽を羽ばたかせて猛毒の鱗粉を飛ばして威嚇をする。

 

「かつての戦友と戦うのは心苦しいが、こうなれば仕方がないか!」

 ヴァルバトーゼが剣を構える。それに合わせるようにフェンリッヒが、エトナが、フロンが、フーカがそれぞれの武器を手に戦闘態勢を取る。

 

「大統領に逆らおうなどと愚かな考えを持つから、こんな情けないバッドエンドを迎えることになるんだ! 自分たちの愚かさを公開するがいい!」

 

 アクターレが両腕を広げて言うと、それを合図に悪魔たちが怒声を上げてヴァルバトーゼらに襲い掛かる。

 

「かつての戦友だろうと関係ない! 完膚なきまでに叩きのめし、ボッコボコのギッタギタのけちょんけちょんに叩きのめしてやる!!」

 

 ヴァルバトーゼは剣を構え、悪魔の軍勢へと飛翔した。



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#15 暴走女の子

「一文字スラッシュ!」

 

 ヴァルバトーゼがすれ違いざまに剣を振りぬく。3体並んだゾンビが一斉に血しぶきをあげて倒れた。

 

「う、狼狽えるな! 全員でかかれ!」

 

 リーダー格のゾンビの指示で、悪魔たちが隊列を組む。迎え撃とうとするヴァルバトーゼを押しのけて、ラハールが悪魔たちの前に立った。

 

「おい、大将は譲ってやる。ここは俺様が片付けてやろう」

 

 ラハールは顎でアクターレを指し、ここから離れるように促す。

 

「む、すまん。感謝するぞ、異次元の魔王よ」

「フン。あんな小物、倒したところで面白くもない」

 

 ヴァルバトーゼが去ったのを見てから、ラハールは呟いた。

 

「おいおい、ずいぶんとなめられたもんだな」

「プリニーごときが、俺たちを片付けるだって?」

 

 下種な笑いを浮かべながら、悪魔たちがラハールを笑い飛ばす。ラハールは軽く鼻で笑うと、腕を組んだまま大きく高笑いした。

 

「ハァーッハッハッハッ!! お前たちがどれだけの極悪だろうと、魔王である俺様とは悪の格が違うわ!!」

 

「ほざけぇ!」

 

 モスマンが羽ばたき、風と共に毒の鱗粉がラハールを襲う。ラハールは上空へと飛んでそれを回避すると、魔王剣を取り出して天空へ掲げた。

 禍々しい地獄の業火を反射した剣が、妖しく輝く。その様は、太陽の神の降臨を思わせる。

 

「フン……身の程を知れ……! 飛天……」

 魔王剣に、魔力を集めていく。その膨大な魔力に空間が歪み、ラハールの姿が陽炎のように揺れた。

 

 何かがまずい。そう気付いた悪魔たちがありの子を散らすように散開する。

 

「無双斬!!」

 

 空間を切り裂きながら、ラハールが悪魔たちめがけて急降下する。魔力の弾丸となったラハールは空中で体を捻ると、おぞましいほどの魔力を内包したその剣を振りぬいた。

 触れるだけで消滅するほどの魔力が、斬撃に乗せられて拡散しながら悪魔たちを飲み込む。

 

 

 

 

「見慣れん剣技だな」

 一連の動作を見ていたヴァルバトーゼが、ガーゴイルと剣を交えながら呟く。

 

「我々とは別の次元の悪魔ですから……向こうの魔界特有の剣技なのでしょう」

 モスマンの胴体を手刀で貫いたフェンリッヒが言う。

 

 フェンリッヒは力を無くして倒れ込むモスマンの胴から腕を引き抜くと、迫りくる囚人どもを目にも止まらぬ速さで切り裂いた。

 ヴァルバトーゼはフェンリッヒの作った屍と血のレッドカーペットを悠々と歩き、アクターレとの距離を徐々に詰めていく。

 

 頭を下げてヴァルバトーゼを見送るフェンリッヒの背後で、囚人の放ったウィンドに煽られたフーカがひっくり返った。

 エトナは地面を転がるフーカを飛び越えると、ウィンドを放ったモスマンを手に持った槍でひと突きにした。

 そのまま、槍を振り回してフーカへ襲い掛かかろうとするゾンビへモスマンを投げつける。

 2匹の悪魔が重なったところをファイアの魔法で丸焼きにする。

 

 瀕死になったモスマンとゾンビを、大量のプリニーが囲んでとどめを刺した。

 

「閣下の為に俺たちも戦うッス!」

 1匹のプリニーが小さな剣を掲げて言う。

 この積極性はエトナの部下のプリニーには見られないものだ。プリニーたちは弱った悪魔を取り囲んでボコボコにしては、また別の弱った悪魔を探して取り囲むという悪魔極まりない行為を繰り返し、ヴァルバトーゼ軍に貢献する。

 

 

 

 

「さあ、お前たちを倒せば残すはアクターレのみだ!」

 

 マントの中に身を隠したヴァルバトーゼに、悪魔たちが一斉に襲い掛かる。

 

「イワシの力を教えてやろう……!」

 

 ヴァルバトーゼの瞳が妖しく光り、その体を中心にブラックホールのような闇の球体が広がって悪魔たちを飲み込んだ。

 悪魔たちを飲み込んだ黒い球体からは、絶え間なく悲鳴が聞こえてくる。

 やがて、闇を振り払うようにヴァルバトーゼが姿を現すと、ボロボロになった悪魔たちが彼の足元に転がっていた。

 

「これがイワシの力だ……!」

 

 立つ者が誰もいなくなったことを確認したヴァルバトーゼは、最後の敵対勢力であるアクターレへと視線を戻す。

 が、既にそこにアクターレの姿はなかった。

 

「……逃げ足の速い奴だ」

 フェンリッヒが舌打ちを漏らす。

 

 

「ち、畜生……どうしてだ……俺たちは力を制限されているとはいえ、元・魔神だぞ……!? なぜ、なぜプリニー教育係や、プリニーごときに手も足も出んのだ……」

 

 地面に倒れたガーゴイルが、かすれるような声で言う。

 

「フン。聞いて驚け、俺様こそ全宇宙最強の……」

「このお方をどなたと心得る。プリニー教育係とは世を忍ぶ仮の姿……」

 

 フェンリッヒが自慢げに前に出る。

 名乗りを邪魔されて不機嫌そうな表情を見せたものの、ラハールはそれ以上何も言わずに1歩下がった。

 

「その正体は、かつて人間どもを恐怖のどん底に陥れ、最強の名を欲しいがままにした暴君ヴァルバトーゼ閣下、その人であらせられるぞ!」

 

「ぼ、暴君ヴァルバトーゼだって!?」

「そんな、まさか……生きていたのか!?」

 

 悪魔たちが次々と起き上がり、驚きの声を上げる。ヴァルバトーゼはは少し照れ臭そうに鼻の頭をかいている。

 ヴァルバトーゼの異名やその英雄譚を呟く悪魔たちを見て、ラハールが不機嫌そうに眉をひそめる。

 

「俺様だってそれくらいの1つや2つ……」

「まあまあ殿下、次元が違うからしょうがないですってば。あたしたちの魔界じゃ、殿下も(悪い意味で)有名人ですって」

「そ、そうか?」

「そうそう。だからここは聞きに徹しましょ。いちいちこんなことで目くじらを立ててたら話が進みませんよ」

 

 エトナにそう言われて機嫌をよくしたのか、ラハールは満足そうに頷いた。

 

「へぇ。あんた、そんなに有名な悪魔だったんだ」

 

 フーカもヴァルバトーゼの知名度に驚いたのかつぶやいた。それにいち早く反応したのはフェンリッヒだった。

 

「そうだ。ヴァル様がどれだけ偉大か、その愚かな頭でも理解できただろう。わかったら態度を改めろ小娘!」

「んべーだ! なんであんたなんかに命令されなきゃならないのよ! 大体、偉大さならデンちゃんも負けてないよね! ね~、デンちゃん?」

 

 フェンリッヒに舌を出して挑発すると、くるりと踵を返してラハールに飛びついた。そのまま、満面の笑みを浮かべて目つきの悪いプリニーに頬ずりをする。

 

「な、なんだこいつは……? ええい、うっとおしい!」

「ちょ、ちょ、話の流れが読めないんだけど……え、何? デンちゃん? 誰が?」

 

 目を丸くしたエトナがフーカの肩を叩く。フーカはラハールを抱きしめたまま離さない。

 

「そう。デンカだからデンちゃん」

「あ、あ~。そう、そういうことか……あのね、殿下ってのは、簡単に言えば王子って意味で……」

「デンちゃんやっぱり王子様なの!?」

「あー。ダメだコイツ。フロンちゃんとは別のベクトルで話が通じない人だ」

「一緒にしないでください。失礼ですよエトナさん」

「…………フロンちゃん、最近ナチュラルにひどいこと言うようになったよね」



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#16 突撃女の子

「え~っ。じゃあ、デンちゃんじゃないの?」

 フーカはラハールの腹部に顔をうずめながら、僅かに視線だけをラハールの顔に向けて言った。ラハールはフーカの頭を掴んで引っぺがそうとするが、信じられない力でラハールに抱き着くフーカは中々離れない。

 

「俺様はラハールだ! いい加減に離れろうっとおしい!」

「じゃあ、ラハっち!」

「ラ、ラハっち?」

「そう! ラハールだから、ラハっち」

「なんだかとても舐められている気がするぞ……」

「いや、実際舐められてますって」

 

 エトナが呆れた顔で言う。

 

「ラハっちって、プリニーが本来の姿じゃないんでしょう? 本来の姿に戻れば、その昔のヴァルっちよりも強いよね?」

 

 ラハールが答えるより早く、フェンリッヒがフーカの肩を掴んだ。

 

「おい待て。今、さらっと言ったが、我が主をとてつもなく馴れ馴れしく呼ばなかったか?」

 

 青筋を浮かべたフェンリッヒは確かな殺意を込めていた。その鋭い殺意には普段ぼけっとしているフロンすら冷や汗をかいたが、そんな殺意に微塵も気が付かないフーカは気に留める様子もない。

 

「そう。悪魔の友達ってのも悪くないかなって。いい経験じゃん? 夢だけど。だから、とりあえずあだ名で呼ぼうかなって」

「な……ふざけたことを……いいか小娘!!」

「あー、わかった。あんたも仲間になりたいんでしょう? しょうがないわね。じゃあ、フェンリッヒだから……フェンリっちね」

 

 これだとばかりにフーカが指を立てる。数秒の時間の凍結のあと、フェンリッヒが大声で叫んだ。

 

「フェ、フェンリっちぃぃぃぃぃぃっ!?」

 

 頭を抱えて崩れ落ちるフェンリッヒを見て、ヴァルバトーゼは軽く笑いながらマントを翻した。

 

「フッ……お前がやり込められる姿を久しぶりに見たな」

「か、閣下……いいのですか、人間の小娘にここまで好き勝手やらせておいて……」

 

 よほどプライドが傷ついたのか、フェンリッヒは地面に座り込んだまま立ち上がらない。後一撃喰らえば、倒れてしまいそうなほどに弱っていた。

 

「いいではないか。そこまで怒るようなことでもない」

 

「で、ラハっちの本当の姿って強いんでしょ!?」

「ん、まあ、当然だ。俺様は魔王なのだからな!」

 

 気をよくしたのか、高笑いをするラハール。それを見ていたフェンリッヒがおぼつかない足取りで立ち上がり反論する。

 

「ふ、ふざけるな小娘! お前は暴君時代のヴァル様を知らんからそんなことが言えるのだ。それはもう、そこの魔王プリニーなんか比べ物にならんほどで……」

「あんただってラハっちの本来の姿知らないくせに大きな口をたたいてるじゃない。ラハっちだって、元の姿に戻れば今よりもっともっとすごいよね~」

 

 聞く耳持たずといった反応のフーカに、フェンリッヒは再度膝をつく。おだてあげられたラハールはさらに大きな高笑いをした。

 

「当然だ! クールさとキュートさを併せ持つ本来の俺様は、見た目だけでなく戦闘力すら今の姿とは比べ物にならん!」

「さっすがあたしの王子様! ラハっちの右に出る悪魔なしね!」

「ハァーッハッハッハッハッ!! 人間のくせになかなか見る目のあるやつだ! 特別に俺様の家来にしてやろう!!」

 

 終わらぬ高笑いを続けるプリニーを見て、エトナは大きなため息をついた。隣にいたフロンも、あきれ顔だ。

 

「殿下落城しちゃったよ」

「ラハールさん、おだてに弱いから……」

 

 ああなってしまえばもはや何を言ったところで仕方がないだろう。2人はラハールを完全に放置すると決め込み、倒れている囚人たちへと視線を移した。

 

「ところで、どうして私たちに襲い掛かってきたんですか? 恩赦がどうとか言っていましたけど」

 

 モスマンは一瞬躊躇うように顔を伏せたが、この状況で隠しごとをしては命にかかわると感じたのだろう。舌打ちを1つ飛ばすとぼそぼそとつぶやくように話し始めた。

 

「獄長が、お前らを倒せば政腐から恩赦が出て自由になれるって言ったのさ……」

 

「ふーん。で、あんたら何をやらかしたわけ?」

 エトナが槍を構えて聞く。その瞳は、適当なことを言えば殺す、と言っていた。

 

「俺たちは何もやってない!」

「そうだ! 俺たちはただ人間共を恐怖のどん底に突き落としただけだ!」

「それなのに政腐の奴らが……」

 

 呼応するように、あちこちで声が上がる。

 エトナは囚人どものさっきまでの見事な狸寝入りに感心しつつも、顔には出さない。

 

「それって悪いことじゃないんですか?」

 

 はてなマークを浮かべるフロン。そこに、フーカとの言い争いを終えたフェンリッヒが戻ってきた。

 

「悪魔の仕事は人間を恐怖で戒めることだ。そうすることで、人間は謙虚さを覚え、世界の秩序が保たれるというわけだ」

「へぇ~。そうなんですか」

 

 両手を合わせ、感心するように頷くフロン。それを見ていたヴァルバトーゼが首を傾げる。

 

「……お前、元天使のくせにそんなことも知らないのか?」

「えへへ。私、見習いでしたから……」

 

 人差し指をからませながら、恥ずかしそうにフロンは笑った。

 

 

「それにしたって、一体政腐は何もご……おい、俺様のくちばしで遊ぶな!」

 

 マフラーに加えてフーカを首からぶら下げたラハールが、フーカの体重に引っ張られて前傾姿勢になりながらのっちらのっちらと歩いてくる。

 話に混ざろうとする意志はあるのだが、ことあるごとにフーカが邪魔をして会話に入れないようだ。

 

「政腐の考えていることはわからん。が、調べてみる必要はありそうだな。フェンリッヒよ」

 地面に押し倒されたラハールを一瞥してから、ヴァルバトーゼがフェンリッヒに目配せをする。

 フェンリッヒは軽く頭を下げると、口元に僅かな笑みを浮かべて頷いた。

「そう言うと思って、既に手は打ってあります」

 

「流石だな、フェンリッヒよ。仕事が早い」

 

 ヴァルバトーゼも、口元に笑みを浮かべて頷く。フェンリッヒと笑みをかわした後、ヴァルバトーゼは地面に倒れる囚人たちへ向けて言い放つ。

 

「お前たち、俺の元につくつもりはないか?」

 

「な、なに?」

 

 それを聞いた悪魔たちがぴくりと体を震わせる。

 囚人たちの反応を見て脈ありと判断したのだろう。フェンリッヒはここぞとばかりに前に躍り出た。

 

「……どうせ戻っても無実の罪での牢獄生活だろう? 我が主、暴君ヴァルバトーゼ様の政拳奪取の為に働けば、現行政腐への復讐もその過程で果たせるはずだ」

 

「えっ、政拳奪取するの!?」

 

 初耳だとばかりにフーカが飛び上がる。フーカの力が弱まった今がチャンスだとばかり、ラハールがフーカを押しのけて距離を取る。

 

「そう、我が主は政拳奪取の為に立ち上がったのだ」

「そ、そうなのか!? 初めて知った……」

 

「いや、本人も知らないのかよ!」

「俺の一存で決めたのだから閣下は知らなくて当然だ。最終目標である政腐の性根を叩き直すことへの最短距離がこれだと俺が判断し、俺の独断で決定したことだ。俺と閣下は一心同体。すなわち、俺が決めたことは閣下の意思でもある」

 

 エトナが小さく突っ込みを入れたが、フェンリッヒはさも当然のように言い返す。

 それを聞いたエトナは、ああこいつヤバい奴だな、と、フェンリッヒから距離を置くことを決意した。

 

「なるほど。政拳奪取か……気が利くではないか、フェンリッヒよ」

 

 だが、付き人が付き人なら主も主らしい。ヴァルバトーゼはフェンリッヒの身勝手極まりない言い分に疑問を抱く素振りすら見せないどころか、笑ってすらいる。

 

「すべては我が主の為に……」

 

「え? こいつら、馬鹿なの?」

 ヴァルバトーゼに礼をするフェンリッヒを見て、流石のフーカも理解を超えたらしい。目を丸にして、フロンに聞いた。

 それに対して、フロンは困ったような顔をして首をひねる。

「さあ……」

 

 魔界は今日も殺伐としていた。



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第3章 新党結成~最終兵器登場~
#17 地獄の一日


 ヴァルバトーゼが政拳奪取を掲げて数日。

 反逆者の噂は魔界全土に広がり、魔界には小さな混乱が訪れていた。

 

 地獄にいた囚人のおよそ9割がヴァルバトーゼの配下に加わり、大きな戦力の増加となった。

 彼らは今では政拳奪取の野望に向けて暗躍している。

 大きく勢力を増したヴァルバトーゼらを無視できなくなった政腐が何か仕掛けてくるかと構えていたが、未だに政腐の動きは無かった。

 

 そんな緊張がほぐれかけたある日の地獄――

 

「ねえ、アンタんとこのプリニーを雇いたいんだけど」

 

 地獄の底――ヴァルバトーゼらの拠点であるそこは血と悲鳴と業火に溢れた場所だ。

 悪魔たちがほとんど通らないような地獄の辺境で、エトナとヴァルバトーゼが話していた。

 

「ほう。プリニー教育係の俺から直接買い付けるというのか……面白い」

 

 長い間プリニー教育係をしてきたヴァルバトーゼであったが、こうして直接プリニーを買いたいと言われるのは初めてだった。

 自分のプリニー教育係としての腕を認められたに等しいのだから、気分はいい。

 

「俺の腕に目をつけてくれたのは嬉しいが……悪いが今は在庫が無い」

「えーっ。なんでよ。処分するほど余ってるんでしょう?」

 エトナが地獄で働く大量のプリニーを指さして言う。

 確かに、魔界には処分するほどプリニーが余っている。地獄にもまだ教育中のプリニーは山ほどいる。

 しかし、プリニー教育係としてその要望に応えるわけにはいかない。

 

「すまんな。教育が終了していない中途半端なプリニーを消費者に渡すことはできんのだ」

「あー、この際いいわよ、そんなの」

 

 悪魔の中にこだわりを持つ者なんてそうはいない。なんせ元々責任感の乏しい奴らなのだ。だから、品質のばらつきなんてしょっちゅうだ。エトナもそれをわかったうえでヴァルバトーゼに交渉しているが、この悪魔らしからぬ吸血鬼には「こだわり」があるらしい。

 

「この俺のプリニー教育者としてのプライドがそれを許さんのだッ!」

「ええー、いいじゃん。気にしないって」

「そうはいかん。俺のところから不良プリニーを出すわけにはいかんのだ。すまんが他を当たってくれ」

「えーっ。ケチ……」

 

 交渉が決裂してうなだれるエトナ。

 

 こっちに来てから家事雑用はヴァルバトーゼ配下のプリニーがやってくれるから、自分の部下になるプリニーの仕事なんてプリニー爆弾くらいなのだから、この際不良品でも何でも構わないのだが。

 

 何としてもヴァルバトーゼからプリニーを雇ってやろうとするエトナを、岩陰から見つめる影があった。

 

 

「むむむっ。怪しいですよラハールさん! エトナさんがヴァルバトーゼさんと秘密のミッカイをしています!」

「ええい、引っ張るなフロン! なんだというのだ、こんなところまで連れてきて……」

 

 影の正体はフロンだった。彼女はラハールのマフラーを掴んだまま、岩陰に身を潜めてエトナの様子を伺っている。

 

 彼女の視線はエトナに全力で注がれており、マフラーに首を絞められてもがいているラハールのことなど気にも留めていない。

 

「うーん……ここからではちょっと遠くて声が聞こえませんねえ。仕方がありません! ここは危険ですが、もう少し近付くことにしましょう。天使探偵フロンは必ず謎を解き明かすのです。行きますよ、助手ラハールさん!」

「誰が助手だ! ええい、くだらん! 俺様は帰る!」

 

 フロンの腕を振りほどいたラハールだったが、すぐにフロンに抱きかかえられる。

 

「なっ……ええい! 離さんか!」

 

「気になりませんかラハールさん。この次元を跨ぐ2つの愛の行方が……」

「き、貴様……ゼロ距離で愛を叫ぶとはずいぶんと俺様に死んでほしいみたいだな……!」

 

 気分が悪そうに口元を押さえるラハール。それを見たフロンが、慌てて手を放す。

 ラハールは頭から地面に落ちて、そのまま地面にへばりつくように倒れた。

 

「大体、あのエトナだぞ? 大方、くだらんことを話しているに……」

 

 膝に手をついて起き上がろうとしたラハールを、1つの影が飛びついて押し倒した。

 うつ伏せになったラハールは、何事かともがく。

 

 

「探したよ、ラハっち~!」

「げっ!? フーカ!?」

 

 先日の一件からやけにラハールに懐いたフーカは、過剰ともいえるスキンシップを取ろうと連日ラハールに迫っている。

 いい加減にうっとおしくなり、フーカから身を隠していたラハールだったが、彼女の乙女レーダーにかかれば愛するプリニーを見つけ出すことは容易かったようだ。

 

「くっ……このっ! 離れろ!」

「いやだ!」

ラハールがマフラーと腕を使ってフーカを引きはがそうと試みるが、フーカはラハールにしがみついて離れない。それどころか、無理に引きはがそうとすればフーカの腕がラハールの首に食い込んで気道をふさぐ有様だ。

 

「主の言うことが聞けんのか!!」

「それでも嫌だーっ!」

 

 フーカと格闘しているラハールを見て、フロンがニコニコと笑う。

 

「懐かれてますねえラハールさん。やっぱり、その愛くるしい見た目が好感度をアップしてるんじゃないですか?」

「そんなわけが……ないよな? おい、フーカ。いい加減に離れんか!」

 

 ラハールの首から右腕に移動したフーカが、ラハールを掴む力を一層強くする。

 

「あたしはラハっちの右腕なの! つまり、この位置はあたしの位置! これがほんとの右手が恋人……キャッ! 言っちゃった!」

「ぶはっ!?」

 

 知っている単語を適当に繋ぎ合わせただけのフーカの発言は、不幸なことに爆弾発言となりその場に炸裂した。

 そしてこれまた不運なことに、その場には冗談に疎いフロンしかいなかったのだ。

 明らかに殺意のこもった笑顔を浮かべたフロンがラハールに迫る。

 

「ラララララハールさん、ど、どどどどういうことですか……?」

「フ、フロン……? 何故100tと書かれたハンマーを笑顔で掲げているのだ?」

「フ、フーカさんは中学三年生ですよ……? 立派な犯罪なんですよ?」

 

 ラハールが1歩下がると、フロンが前に出る。

 

「ちょ、ちょっと待て、言いたいことは山ほどあるがとりあえずそいつを……」

「天誅!」

 

 凄まじい速度で振り下ろされたハンマーが、確かな殺意を持ってラハールを襲う。直前でフーカを突き飛ばし、ハンマーを回避したラハールが空へ逃げようとマフラーを広げる。

 

「天誅!」

 

 だが、フロンは普段の彼女からは想像もできないスピードでラハールに追いつき、そのハンマーでラハールを地面に叩き落す。

 

「どぅわはっ!? 待て! 待てフロン!」

 ラハールが体勢を立て直すより早く、ラハールへハンマーが襲い掛かる。

「天誅! 天誅! かにみそっ!」

 

 3連続の攻撃をかわしたラハールだったが、最後の1撃が地面に当たった時、明らかに質量武器としてはありえない大きな爆発が起こった。

 地面をえぐり取るその威力に、ラハールの頬が引きつる。

 

「おい、待て! お前今、魔力込めただろう!?」

「天誅アロー!」

 

 ラハールの言葉に耳もかさず、フロンの突き出したハンマーに魔法陣が浮き上がる。

 天界式の魔術印で描かれたその魔法陣が回転し、集められた魔力が1つの矢となりラハールに襲い掛かる。

 

「おい、それどうみてもフォーリンアロー……! うおおおおおあああああっ!?」

 

 爆風に煽られたラハールが大きく吹き飛ぶ。

 

「何、何々何なの!?」

 

 突然の爆音に驚いたエトナがそちらに目を移す。

 そこには、大慌てでフロンから逃げるラハールと、笑顔で魔法をぶっ放すフロンの姿があった。

 

「ちょっと何やってんですか殿下~。恥ずかしいからこんなところで鬼ごっこしないでくださいよ。ガキじゃあるまいし……」

「これが鬼ごっこに見えるのか!? それよりフロンを何とかしろ! 暴走した!」

「えーっ。いつものことじゃないですかぁ」

 

 背後から放たれる無数のウィンドを、まるで背中に目が付いているかのように器用にかわすラハール。フロンの魔法は時間の経過とともに徐々に数と正確性を増していく。

 

「ラハールさん! 待ってください! あなたの罪を浄化します! 天誅!」

 

 目を光らせたフロンが100tハンマーを振り回しながら呪文を唱える。

 ラハールは咄嗟に地面を蹴って射線から逃れる。ラハールの腕をかすめた巨大な風の塊は遥か彼方の岩山にぶち当たると、粉々に消し飛ばした。

 

 それを見たラハールが大きな汗を流した。

 

「おい!! 今のウィンド、どう少なく見積もってもギガ級ではないか!!」

 

 明らかに冗談の域を越えた殺意のこもった魔法に、いよいよラハールがまずいと身構える。

 

「次は外しませんよ……」

 

 フロンは尚も目を光らせながら、ラハールに狙いを定める。

 

「待て待て待て待て!!」

「殿下……骨は拾います……」

 

 目をつぶり、両手を合わせるエトナと、死んでたまるかと魔力を集め始めるラハール。フロンが強力な魔法を放とうとしたその瞬間――

 

「あいたっ!?」

 

 フロンの頭部に炸裂した手刀が、ギガウィンドの詠唱を中断させた。

 

「やめろアホ天使。閣下の政拳奪取の拠点を消し飛ばすつもりか」

 

 フェンリッヒだ。何やら新聞のようなものを手にしたフェンリッヒは、あきれた顔でフロンを睨む。

 

「あいたたた……何するんですか、フェンリッヒさん」

「考えてみろ。そこの小娘はアホなのだ。意味も分からずにどこかで聞いた単語を適当に繋ぎ合わせて言っていたに決まっているだろう」

「はっ! 言われてみれば!」

 

 気付かなかった、と、口と目を見開くフロン。その反応を見たフーカが、納得のいかない表情でフロンとフェンリッヒを睨む。

 

「何それ、失礼じゃない?」

 

「ま、それはそれとして……閣下。新党の結成は順調です。地獄に囚われていた囚人も無事仲間に引き入れることができました」

「うむ。ご苦労だった。フェンリッヒよ」

「すべては我が主の為。それより閣下、これを」

 

 フェンリッヒはヴァルバトーゼに新聞を差し出した。



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#18 地獄の集会

 フェンリッヒから受け取った新聞には、デカデカと大きな見出しでこう書かれていた。

『地獄の反逆者、鎮圧』

 事実と真逆なその内容に、ヴァルバトーゼら一行は怒りを募らせていた。

 

「俺たちはこうしてピンピンしているぞ」

 政腐が揉み消したことは疑いようがない。問題を解決するのではなく、蓋をするようなやり方しかできない政腐には、頭痛すら覚える。

 ほんの数百年前までは――悪魔らしく暴を主軸と置いた政治でこそあったが――それなりにしっかりとした政治をしていたというのに、いつの間にここまで腐り切ってしまったのか。

 世のことを知ろうとしなさ過ぎた自分にも非があると、ヴァルバトーゼは1人胸を痛ませた。

 

 ヴァルバトーゼが真面目に魔界のことを考えている一方で、何のためにもならないことを考え、怒鳴り散らしている者もいた。

 

「俺様の活躍を全て揉み消すとは許せん! 政腐め、今この場でラハール様が消し炭にしてくれるわ!!」

 

 先日の一件で、ヴァルバトーゼの知名度に嫉妬したラハールは、自分も何とかこの世界で名をあげようと必死だ。

 だが、残念ながらその願いは叶わなかったようだ。

 そんなラハールと争うように、フェンリッヒが前に出る。

 

「"ヴァル様の活躍"を揉み消すとは政腐め……これではヴァル様に触発されて我が党に加わる悪魔も現れまい」

「何……? 俺様がいなかったら1瞬でゲームオーバーになっていた癖に、何を言うか!」

「馬鹿を言え! お前の助けなどなくとも閣下と俺だけで十分だっただろう!」

 

 主のこととなるとどこかおかしくなるフェンリッヒが、大人げなさを全開にしてラハールと言い合いを繰り広げる。

 が、その無意味な争いを止めようとするものはいない。フロンですら、感心を示さず、新聞を掴んではえーだのほえーだの唸っている。

 

 ふと、エトナが小さく書かれた記事を見つけた。

 

「あ、見てくださいよ殿下。『大統領の息子、死神エミーゼル様死去』だって」

「ええーーっ! エミーゼルさん、死んだんですか!?」

 

 疑うことを知らないという意味ではヴァルバトーゼと互角以上の勝負をする堕天使フロンが、素っ頓狂な声をあげた。

 フェンリッヒとの口争いを中断したラハールが、エトナの持つ新聞を覗き込み、指さされた記事に目を通す。

 なるほど。確かにエミーゼルは反逆者鎮圧の際、勇敢に戦って命を落としたことになっている。突っ込むことすら躊躇してしまうような内容の記事に、ラハールはただ息を漏らした。

 

「フン。あいつも失敗続きでついに親にも見放されたか」

 

 権力を失ったエミーゼルがこの魔界で生きていけるとも思えない。今頃はどこぞの悪魔に殺されて本当に命を落としているかもしれない。

 

「うーん。昔の誰かさんを見ているみたいで、ちょっと親近感湧いてたんだけどな~」

 

 エトナの視線が自分に注がれていることに気が付いたラハールが、軽くこめかみをひくひくさせる。

「それは俺様のことか?」

「あ、わかりました? やっぱり自覚あったんですか?」

「どこが似てるというのだ!!」

 

 ラハールが吼え、エトナが軽い悲鳴を上げる。だが、それ以上責める気も無いようで、ラハールはすぐに地面にどっかりと座り込んだ。

 

 

「いや、そんな記事よりも重要な問題がある……ここを見てくれ」

 ヴァルバトーゼが妙に真面目な声色で新聞の記事を指さした。

「何よ、そんな深刻そうな顔をして……」

「この記事の2行目だ……」

 エトナがヴァルバトーゼの指先を目で追う。

 

「何よ。別におかしいこと書いてないじゃない」

 エトナが言うと、ヴァルバトーゼはとんでもないとばかりに天を切り裂く勢いで吠えた。

「よく見ろ!! ここだけ「プリニー」じゃなく「プソニー」になっているではないか!! 何故ここだけ違う!!!」

 

「「どうでもいいわ!!」」

 そんな記事呼ばわりされたエミーゼルに若干の同情すら覚えたラハールとエトナが、見事にハモったツッコミを入れた。

 

 

「情報の正確無比さがウリの情報局がこんな情けないミスをしていいはずがない! やはり、今の政腐には任せておけん……今ここに宣言する! ただいまを以て政拳奪取の為の活動を開始する!」

 

 こんなくだらないことで政拳奪取の決意をしたのか、と呆れ顔の面々であったが、ヴァルバトーゼがどこかずれているのは薄々理解していたのでツッコミは無い。

 フェンリッヒに至っては、ヴァルバトーゼがやる気を見せてくれたので嬉しそうですらある。

 

 ヴァルバトーゼはマントを翻し、地獄に蠢くプリニーたちへと命令を下した。

 

「情報局の制圧へ向かう! プリニー共よ、戦闘用意!」

「「「アイアイサーッス!」」」

 

 妙に統率の取れたプリニーたちが、元気いっぱいに翼を広げて敬礼をする。やや遅れて、ヴァルバトーゼ配下に加わった地獄の囚人共が、争いの匂いを嗅ぎつけて集まってくる。

 

「俺たちも出るぞ!」

「いいだろう。まずは俺たちが先陣を切る。情報局のセキュリティは侮れん。合図を待て。そうしたら後は存分に暴れてくれ」

 

 ヴァルバトーゼの言葉に、地獄が震えるほどの大歓声があがった。

 

 

 

 ヴァルバトーゼ一行は、まず、情報局のある下層区へと向かった。

 

 魔界――下層区。

 魔界では力が全て。魔界では、住む場所ですら力で決める。結果的に、条件のいい場所には強力な悪魔が集まり、悪い環境の地域には力の弱い悪魔が集まる。

 最下級悪魔の集うこの下層区は、砂塵の吹き荒れる最悪の環境だった。

 

「さ、最悪……」

 粉塵を吸い込まないように口元に手を当てて、フーカが不満げに愚痴を漏らす。

 

 一方で、ヴァルバトーゼやフェンリッヒはどこか嬉しそうだった。

「久しぶりだな……魔界の空気は」

 

 砂嵐にマントをなびかせ、ヴァルバトーゼは笑う。

 

「ええ……この空気だけは、あの頃と……閣下と初めて出会った時と何も変わっていませんね」

 想い出に浸るように、フェンリッヒは口元をほんの僅かに緩ませた。

 

「あー、もう! お肌に悪そうな場所ね。とっとと終わらせて帰りましょ」

 髪に積もった砂を落としながら、エトナが言う。

「そうですね……私も、これはちょっと……」

 

 白い服が、黄ばんだような色合いに変わってしまったフロンが、表情を曇らせて言った。

 

「で、どこだ、その情報局とやらは?」

 

 障害物がほとんどない砂漠を見渡しても、それらしき建物は見つからない。今か今かと戦いを望むラハールの声色は、苛立ちが含まれている。

 

「もう少し先にある。だが気をつけろ。場所こそ下層区とは言えそのセキュリティは魔界でも最高クラス、上層以上の脅威ともいえる。」

「それは楽しめそうだ」

 

 不敵な笑みを浮かべたラハールが、満足げに頷く。今すぐにでも暴れたいラハールは、正しい方向もわからないというのにずかずかと先へ進んでいく。

 

 ヴァルバトーゼらがそれを修正しながら進むこと1時間。周囲にゴツゴツとした岩山が見えるようになり、それらに囲まれた巨大な建造物が姿を現した。

 

「さて、慎重に行くぞ。静かにな」

 フェンリッヒが岩陰に身を隠し、全員に目で合図を送る。

「あああーっ!!」

 1人ずつ、アイコンタクトで返事をしていく中、フーカが大声をあげた。

「貴様、この馬鹿小娘!! 口を閉じるという簡単なことすらできんのか!」

 フェンリッヒがフーカにつかみかかる。フーカはそんなフェンリッヒをかわすと、わたわたしながら情報局を指さす。

 

「だ、だってラハっちが!」

「何ッ!?」

 

 フェンリッヒが情報局へ顔を向ける。フーカの示す先には、情報局へ向かって高速で飛翔する光の球体がいた。

 その正体は、魔力で自らの身体を覆ったラハールだ。

 

 ラハールの身を覆っているそれは、防御用の呪文ではなくただ魔力を解放して身を覆っているに過ぎない。

 普通の悪魔ならば精々砂嵐や吹雪から身を護るのが精一杯の筈だが、ラハールのそれは生半可な攻撃魔法ならば完全に防いでしまうほどの防御力を有している。

 偏に、圧倒的な魔力が成せる技である。

 

 が、攻撃が始まっていない状態で使っても魔力の無駄遣いでしかない。むしろ、敵に見つかりやすくなるド派手な光なのだ。

 

 勿論、ラハールとてそれはわかってやっている。

 襲撃を知らせる狼煙がわりをしてやっているのだ。

 

「ハァーッハッハッハッハッ!! いいか、愚か者共!! この魔王ラハール様の恐ろしさを魔界全土へ知らせるといい!」

 

 その目的は当然、自身の力をこの魔界全土に知らしめるためだ。

 その為にはより目立たなくてはならない。

 

 さらに出力を上げ、派手な光を放ち始めたラハールを見て苛立ちが限界を突破したフェンリッヒが頭をかきむしった。

 

「あんのクソ馬鹿野郎ォ~ッ!!」

「あ~あ~殿下ったらしょうがないんだから~」

 

 頭の後ろで手を組んで言ったエトナに、フェンリッヒが詰め寄る。

 

「貴様も保護者ならきちんと見張っておけっ!」

「え~っ。だって保護者じゃないしぃ~」

 

 フェンリッヒの怒りゲージがみるみる溜まり、爆発しようというその直前、ヴァルバトーゼがフェンリッヒの肩を叩いた。

 

「おい。呼んでるぞ」

「なっ……はい?」

 

 見ると、ラハールは魔力の放出をやめ、マフラーを大きく広げてこちらを呼んでいた。

 全滅させたにしてはあまりに早すぎる。

 

「何かあったようだな。行くぞ」

 

 ヴァルバトーゼが翼を広げ、ラハールへ向かって飛ぶ。それに続いてエトナが飛ぶ。

 

「ああ~、置いてかないでよ~!」

 その場でぴょんぴょん跳ねていたフーカを、フロンが抱えて飛んでいく。

 

 何とも言えない怒りに襲われたフェンリッヒは、先ほど自分が身を隠していた岩を蹴り砕くと、足元の不安定を感じさせない速度で砂漠を駆け、情報局へと向かった。



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#19 地獄の兵器

「もう終わったのか?」

「そんなわけあるか。別の侵入者がいたらしい」

 

 情報局の敷地では、あちこちで煙が上がっていた。警備兵と思しき悪魔たちが倒れている。手に持った装備はそれなりにしっかりしたものだ。

 

 状況から見るに、つい先ほどここで戦闘があったことは間違いない。だが、その争いを起こした本人はいないらしい。

 

 そこら中に空いた巨大な穴は、その戦闘のすさまじさを物語っている。警備兵たちと争いを繰り広げた侵入者は、かなりの強力な悪魔のようだ。

 強敵との闘いの予感に、ラハールが低く笑う。

 

「一体何の目的だ? まさか閣下以外に世直しを考える悪魔がいるとも思えん……」

 

「悪魔なんだし、暇つぶしにこれくらいのことはするでしょ」

 

 悪魔とは例外こそあれ、そのほとんどが破壊と争いを好む。大した理由もなく情報局を襲うことがあってもおかしくはない。だが、そうならないように情報局は凶悪なセキュリティで守られている。

 破壊の具合からして、侵入者は1人だけのようだが、上層区の悪魔ですら突破不可能と言われた難攻不落の要塞のセキュリティを、単体で突破するほどの悪魔がただ破壊を求めて情報局を襲うとは思えないのだ。

 

 第一、そこまで破壊を好む悪魔がいれば、少なからず他の場所でも暴れているはずだ。

 それがフェンリッヒの耳に届いていないということは、その悪魔に何か目的があったか、あるいは――つい最近、動き出したかのどちらかだ。

 

 

「うわわわーーっ! な、なんでお前らが!?」

 

 フェンリッヒの思考は、叫び声で中断させられた。

 集まる視線に、声を出した悪魔は大慌てで瓦礫に身を隠したが、時すでに遅し。ラハールがマフラーで瓦礫をどかすと、小柄な緑色のそれがぶるぶると震えていた。

 エミーゼルだ。

 

「まさか、お前がやったとも思えんが……」

 

 フェンリッヒは訝しげに見る。確かに、エミーゼルには情報局を襲う理由がある。

 しかしながら、単体の戦闘力はお世辞にも高いとは言えないこの悪魔がここまでできるとは思えない。この死神にできることと言ったら、自分の権力を傘にしての脅しくらいだ。 

 

「奇遇だな小僧。死んだと聞いていたが」

 

 ヴァルバトーゼがエミーゼルに近寄る。エミーゼルはしりもちをついたが、すぐに立ち上がり、自分を強く見せようと胸を張る。

 

「フン! なんだよ、お前らも情報局に文句があるのか!?」

「と、するとなんだ。やはりお前もあの情報操作に文句をつけに来たというわけか」

 

 フェンリッヒがいやらしい笑みを浮かべる。

 目的が一緒ならば利用できると踏んだのだ。

 

 このエミーゼル自身には大した力は無い。だが、死亡扱いになったとは言え大統領の息子という肩書は使える。この情報局のセキュリティも、エミーゼルなら解除できるだろう。

 

 フェンリッヒの悪い笑みにエミーゼルは気付かない。

 

「当然だ! ボクが死んだなんて誤報を流しやがって! それを教えに来てやったのに、なんだよこのありさまは!」

「それが、俺たちにもわからんのだ。誰がこんなことを……」

「待て」

 

 ヴァルバトーゼを遮るように、ラハールが前に出た。その視線は、情報局の2階へ注がれている。

 一行が、固唾を呑んでラハールの視線を辿る。視線の先にあるのはただの小窓。だが、厚い壁を1つ挟んだ先に、何かがいるのはわかる。

 

「げっ。へ、変なプリニー……! なんだよ、何かあるのか!?」

「……お出ましか」

 

 ラハールが笑ったのが先か、爆発が先か。爆炎と共にその壁をぶち破り、そいつは姿を現した。

 

 砕け散った壁がラハールたちに降り注ぐ。ヴァルバトーゼやフェンリッヒはいともたやすくそれをかわす。

 エトナとフロンはラハールを盾にするようにその背後に隠れ、ラハールはそれを咎めもせず悠々とマフラーを広げて瓦礫を受け止めた。

 

 うずくまっていたエミーゼルが、自分もラハールのマフラーに護られていることに気が付いて、顔を上げる。

 

「お、お前、なんでボクを……」

 

 ラハールは答えなかった。その視線は、こちらを見下ろす1匹の悪魔に注がれている。

 

「まだ生き残りがいたデスか……」

 

 爆炎の中から、巨大な瞳がこちらを覗いていた。

 無数の触手がうねり、ぬらぬらと光るその体からは、禍々しいオーラを放っている。

 

 触れそうなほどに高密度でおぞましい魔力に、エミーゼルは思わず悲鳴を上げる。

 

「面白い……その実力、俺様が試してやる!」

 ラハールが魔力を解放し、威圧する。

 それに答えるように、その悪魔はゆっくりとこちらを振り向いた。

「デスコを試そうなんて身の程知らずデス……」

 

 触手生物かと思ったその悪魔の本体は、少女のような見た目だった。デスコと名乗った小柄な少女は額にある第三の目を光らせ、ラハールを睨みつける。

 

「自らの愚かさを悔いて死ぬがいいデス!」

 

 見た目こそ少女だが、肌を痺れさせるような魔力の持ち主であることは確かだ。

 なるほど、少しは歯ごたえがありそうだとラハールは笑う。

 競うように、ラハールが魔力を増大させ、殺気と共にデスコにぶつける。デスコもさらに魔力を増幅させ、宙へと浮かび上がった。

 

「ククク……我こそは全世界を獄炎の海に沈めたもう混沌の根源、最悪最強の帝王、最終兵器DESCO……!」

 

 高濃度の魔力が空を切り裂き、雷を引き起こし、暴風を巻き起こす。

 巻き上げられた砂で視界がふさがれるが、デスコの魔力は見えずとも手に取るようにわかる。

 

 皆が暴風に飛ばされないように身を屈める中、ラハールただ1人が何事も無いように腕を組み、不敵な笑みを浮かべている。

 

「ていうかあたしなんかあの子に見覚えがあるような……」

 飛ばされないようにフロンに捕まったフーカが言う。

 だが、フロンは風圧に耐えるので精いっぱいでフーカの言葉は耳に届いていなかった。

 

 

「ふはははははっ! さあ、かかってこい勇者よ!」

 それを聞いたラハールが眉をひそめた。

「……勇者だと?」

「ふっふっふっ……デスコはラスボス、つまり、デスコの前に立ちはだかるのは勇者なのデス!」

「ラスボス……? 笑わせるな!! 俺様はまおうぉぉぉっ!?」

 デスコの背負った触手のうち、肩の部分の2本が前方へ伸びてラハールへと向けてビームを放った。

 顔を伏せていたのが災いし、気付くのが遅れたラハールは、直撃こそ免れたものの、その触角からはプスプスと黒煙が上がっている。

 

 デスコのビームは地面を焼きながら突き進み、やがて遥か彼方の岩山を消し飛ばして消滅した。

 跡形もなくなったどでかい岩山を見て、エミーゼルが目を見開く。

 

「ひ、人が話をしている最中に……!」

「あーーっ!! 思い出した! あの子、あたしを襲った奴だ!」

 ラハールの言葉を遮るように、フーカが叫ぶ。

 

「襲った? あんた、あいつに殺されてここに堕ちてきたの?」

「あたしは死んでないって!」

 エトナが言うと、フーカは首を振って否定した。ここまで来てもなお、これが夢だと信じているらしい。

 

 そんな声に引かれてフーカに視線を向けたデスコが、何かに気が付いたように目を見開いた。

 

「あの人は……!? よ、よし、デスコのいいとこ見せなくちゃ……!」

 

 デスコは自信を励ますように、小さなガッツポーズをすると、その瞳に魔力を集中させた。

 

「ぜーいん……皆殺しなのデス!」

 

 デスコの瞳が鈍く輝く。

 

「む、いかん!」

 

 その光が高エネルギー体だと気が付いたヴァルバトーゼが、エミーゼルを突き飛ばす。

 ほぼ同時に、デスコの瞳からビームが放たれ、視線に沿うように横なぎにあたりを焼いていく。

 

 あのまま立っていたら、今頃自分は真っ二つだったと、エミーゼルが胸をなでおろす。

 

「た、助かった……!」

「小僧は下がっていろ……! おい! デスコとやら!」

 

 ヴァルバトーゼの声はデスコには届いていない。返事の代わりに返ってきたのは光線だ。ヴァルバトーゼは大きく右に飛んでそれをかわす。

 細い光は、地面に直線の焼け跡を残しながら、彼方へと消えていった。

 そこへ、ラハールが魔王剣を構えて斬りかかる。デスコも、触手でそれを迎え撃った。

 

「ハァーッハッハッハッ!!」

 

 激しい衝撃が、辺りを襲った。



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#20 地獄の葛藤

 ラハールの剣と、デスコの触手がぶつかり合い、激しい衝撃波が辺りを襲う。

 殴りつけるような衝撃に、フーカが弾き飛ばされる。慌ててフロンがそれを受け止めるが、当の本人も衝撃波に耐え切れず、絡み合うように砂の上を転がった。

 

「ほう……! なるほど、俺様の剣を受け止めるとは大したものだ。だが、こいつを受け止められるか!?」

 ラハールの返しの刃を、デスコが迎え撃つ。轟音と共に衝撃波がはじけ、直後にデスコの触手が鮮血をまき散らした。

 

「あ、あれ……!? 痛いデス!」

 

 ざっくりと深い傷を負った触手が、怯えるように縮んでいく。

 警備兵たちの猛攻でも傷一つつかなかった触手は、ラハールの斬撃にひれ伏したのだ。

 

 デスコが恐怖を感じた時点で、ラハールの勝利はほぼ確定している。ここから先は消化試合。余裕で相手を打ちのめせばよいだけだが、ラハールの表情は暗い。

 

 それはデスコの傷の浅さにあった。

 

 あの一撃、ラハールの感覚ではデスコの触手を切り落とし、その余波で本体にもダメージを与えられたはずだ。だが、実際は触手を大きく傷つけるだけにとどまり、その機能すら奪えていない。

 

「チッ……!」

 

 プリニーとなっているため魔力が落ちたのか、それとも剣を使うのに適していない身体で無理やり魔王剣を振るったためにその剣技が著しく低下しているのか、どちらかはわからない。ただ、確実に言えるのは自分が今、大きく弱体化しているということだけだ。

 

 思うようにいかない自分への怒りに、ラハールは拳を震わせる。

 

「うぐぐっ……ゆ、許さないデス!」

 

 デスコの背負っていた触手生物が、デスコを離れてラハールへと襲い掛かる。

 それぞれの触手が伸び、先端の牙を噛み鳴らしながら、それぞれが蛇のようにしなってラハールを食いちぎろうと迫る。

 

「フン!」

 軽く笑ってマフラーを翻すと、宙を泳ぐようにして、ラハールはそれをかわした。

 ギガファイアを詠唱しながら、無数の触手の中にある細い隙間を縫うように飛んでかわす。

 触手生物の懐に飛び込んだラハールは手の平に作り上げたギガファイアを、押し付けるように叩き込んだ。

 

 空を焼き尽くすような豪炎が広がり、炎に包まれた触手生物が落下する。その炎の中から、ラハールが身を燃やしながら火炎弾となってデスコへ突撃する。

 

「あわわわわ……!」

 

 背中の触手切り離した今、デスコがそれを迎撃する方法は無いに等しい。魔法の詠唱に入る間もなく、凶弾と化したラハールがデスコへと突っ込んだ。

 

「ぷぎゃっ!?」

 

 ラハールの凄まじい蹴りが炸裂し、デスコは地面へと叩きつけられた。

 前と後ろからの衝撃がほぼ同時にデスコを襲い、視界を白く染める。

 

 

 デスコの姿が土煙に隠れて消える。勝負はあった。しばらくは立ち上がることもできないだろう。

 だが、ラハールの猛攻は止まらない。手のひらに作り出したドッジボールほどの大きさの魔王玉を掴み、投げつけた。

 両腕を使い、何度も何度も。

 ラハールの姿も相まって、その一連の動作はプリニー連射を連想させる。だが、放たれる球体の威力はプリニー連射の比ではない。

 

 巻き上げられた砂が入道雲のように積み重なっていく。

 

「あーあー……殿下、完全に我を忘れちゃってるよ」

「おい! 何とかできないのか!? このままじゃ、情報局が砂の中に埋もれちゃうぞ!」

「そんなこと言っても~……って、アレ!?」

 

 エミーゼルの言葉を聞き流していたエトナだったが、拳を空に突き上げるラハールの動作を見て顔色が変わった。

 

「ま……まさか……」

 エトナの不安は的中した。ラハールの腕から放たれた光の輪が天へと向かう。天に落ちた光は、水面の波紋のように広がって巨大な魔法陣を展開した。

 

「何をするつもりだ……?」

 

 情報局全体を飲み込みそうな巨大な魔法陣を見て、フェンリッヒは冷や汗を流した。

 

 複数の魔法陣が幾重にも重なったその陣は、その術の強力さを物語っている。

 魔法陣がくるくると回転し、まるで厳重にロックされた金庫が開くように、内側の魔法陣から解除されていく。

 1つ目の魔法陣の封印が解けると、おぞましいまでの魔力が流れ出してチリチリと肌を刺した。

 

「これは……まずいな」

 ヴァルバトーゼがラハールを見上げる。

 肌に触れる魔力の感覚からするに、この技の威力は情報局を消し飛ばすどころかここら一帯を滅ぼしかねない。もちろん、ここにいるヴァルバトーゼらもただではすまないだろう。

 

 

 ラハールは苛立っていた。

 強敵との闘いが――今の自分の弱さと不自由さを自分自身に知らしめる。どれほど敵を痛めつけても苛立ちは晴れない。そればかりか、逆に募っていく。

 自分は強い、自分はこんなに弱いはずがない。弱い自分を否定するように拳に力を込める。

 

 ――弱い。

 

 脳裏に反復したその言葉に、ラハールの手が止まる。

 

 

「殿下……?」

 

 ラハールの様子がおかしいことにいち早く気が付いたエトナが目を細める。ラハールは思いつめたような表情をしたまま固まって動かない。

 

 

 圧倒的な暴力こそが魔王の全てではない。それを知ったのはいつだったか。

 

 自らの心の弱さが招いた最悪の結果。

 彼らの期待に応えられなかった自分の不甲斐無さ。

 自分への怒りが、本来ラハールならば考えないであろう贖罪という選択肢を選んだ。

 自らの罪を償う為に――否、自分の命よりも大切な誰かの命の為に、魔王のプライドを捨て、天に願いまでしたのだ。

 

 そう――すべては弱い自分が招いた結果。ならばこれは自分が背負うべき咎。真の強さを知るために。真の魔王になるために。

 

「……やめだ」

 

 掲げた手の平を、引っこ抜くように降ろす。本来発動の中断はできないはずのそれを、魔力で無理やりメテオを魔法陣の中に押し込んで強制中断する。

 

「殿下……一体……」

 

 様子のおかしい主を見て、エトナはぽつりと心配そうな声を漏らした。



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#21 地獄の魔王

 デスコを抱えたラハールが砂煙の中から姿を現すと、エトナは両手で頬を押さえて叫んだ。

「で、殿下! 一体全体どうしちゃったんです!?」

「やめた。フロン、こいつを治療してやってくれ」

 

 それを聞いたエトナとフロンが固まる。

 

「やばい! 雷が! 槍が! メテオが降る!!」

「ああ……大天使様……ついにラハールさんが愛に目覚めました!!」

 

 満面の笑みと地獄を見るような表情という真逆の反応をする2人。ラハールは居心地が悪そうにデスコをフロンに押し付けると、逃げるように距離を取った。

 

「何が目的だ? あの悪魔に恩を売ろうというのか?」

 フェンリッヒのその問いは、純粋な好奇心からだった。

 まず第一に、悪魔が自分に敵対した悪魔のことを気遣うことなど、あり得ないと言ってもいい。

 もしも、それがあるとしたら相手を生かすことで自分に何らかの利益がある時だけだ。そう言った理由で相手を見逃すことは、フェンリッヒもよくする。

 

 だが、短い付き合いではあるがラハールがそう言ったことをするタイプではないことはわかっている。もっと単純で、シンプルで、自分勝手で傲慢なわかりやすい悪魔。それでいて、おだてに弱い扱いやすい悪魔というのがフェンリッヒのラハールに対する評価だ。

 だが、今回のこの行動はその悪魔像から大きく離れている。

 

 フーカを助けた時も、変なプライドからの行動だと思っていたが、もしかするとそれは後から考えついた言い訳なのかもしれない。

 

 見定めるようなフェンリッヒの視線に、ラハールは自分自身を鼻で笑い飛ばして答えた。

 

「……別に」

 

 ラハールは答えなかった。それが逆に、フェンリッヒの不安を煽る。

 このプリニーはヴァルバトーゼの覇道の前に立つただのお邪魔虫ではない。本当に、閣下の最大の障害となり得るのかもしれないのだと。

 

 

「あたたた……デスコ、負けちゃったデスか……?」

 フロンの回復魔法で意識を取り戻したデスコが、頭をぷるぷると振って積もった砂を振り落とした。

 どうやらあれだけの猛攻を受けたにも関わらず生きていたらしい。それを見たラハールがフンと笑った。

「俺様が殺すつもりであれだけやってまだ生きてるのだ。誇っていいぞ」

 

 一瞬きょとんとしたデスコだったが、自分が褒められたことを理解すると照れくさそうに頬を染めて頭をかいた。

「えへへ……褒められちゃったデス。ところで、プリニーさんは何者なのデスか? ラスボスより強いプリニーなんて信じられないデス!」

「ふっふっふっ……聞いて驚け。俺様は魔王ラハール様だ!」

「ええーーっ! ま、魔王さんなのデスか!?」

 

 憧れを含んだその眼差しに、気分を良くしたラハールは誇らしげに胸を張り、高笑いをする。

 

「ハァーッハッハッハッハッ!! そう! 俺様は魔王ラハール! 悪魔の中の悪魔にして、ラスボスの中のラスボス!」

「まさしく「THE・ラスボス」! キング・オブ・ラスボスじゃないデスか!」

「そう! しかもただのラスボスではない! 俺様は勇者を返り討ちにし、従えたこともあるとてつもないラスボスなのだ!」

「そ、そんな! この世で唯一ラスボスに勝てる存在であるはずの勇者を返り討ちにするなんて!?」

 

 ラハールが自らの功績を騙る中、エトナが思い出したように腕を叩いた。

 

「あー……ゴードンのことか。一瞬なんのことだか全然わかんなかったわ」

「というか、そこまで行くとラスボスというよりむしろ主人公だな」

 

 そう言って、ヴァルバトーゼもデスコに近付く。

 

「デスコとやら。俺も1つアドバイスだ」

「むむっ……なんデスか? まだデスコに何か悪いところがあるデスか?」

 

「ラスボスの基本は専守防衛だ。威風堂々とした態度で相手の主張、そして、攻撃を受け止め、その上で自らの圧倒的な力を見せてこそラスボスというもの」

「そ、そうなんデスか!? デスコ、ちっとも知らなかったデス!」

「第一、話の途中で一撃必殺技を放つ奴があるか!! そこで死んだらまたイベントを見直さなければいかんのか!? 誰がやるかそんなクソゲー!!」

 

 アドバイスが、主観的な感想に切り替わったことにもデスコは気が付かない。

 呆れた顔でヴァルバトーゼを見ているのはフェンリッヒとデスコを除く全員だ。

 

「そう!! ラスボスとはゲームの最後の敵にしてゲームの評価を決めるまさにバランス調整が物を言う……」

「し、質問デス!」

「どうした!! 言えッ!」

「パパがくれた教科書には、ラスボスは1人残らず皆殺しって書いてあったデス!」

 

「違うな」

 

 ラハールが首を振る。

 

「ラスボスの作法は「傲慢、腕組み、高笑い」だ!! 皆殺しなど大間違いだ!」

「殿下、それも間違ってると思いますよ」

 

「ううっ……教科書と魔王さん、どっちが正しいのか、全然わかんないデス……」

 

 デスコが頭を抱えて呻った。

 

「ラスボスの中のラスボスである俺様が言うことと、ラスボスでもない者が書いた教科書……どちらの言うことが正しいかは明白!」

「うっ……す、すごい説得力デス! で、でも、だったらデスコが今まで学んだことは無意味だったんデスか……?」

「そうなるな」

 

 ラハールが満足げに頷く。

 ふと、デスコを見ると、その瞳には大粒の涙が浮かんでいた。

 

「お、おい、何をそんなに涙ぐんで……」

「ひぐっ……そ、そんな……じゃ、じゃあデスコは……ま、また無能だって……捨てられるんデスか……?」

 

 涙をのみ込もうとデスコは何度も必死に頬を上げるが、ついに決壊し滝のような涙が流れだした。

 

「うええええーーーん! 嫌デス! 捨てないでくださいぃぃーーー!」

 

「あーあー、殿下泣かしちゃったー」

「だめですよラハールさん。謝ってください」

「え!? いや、俺様のせいか!?」

 

 逃げようとするラハールの行く手をふさぐように、エトナとフロンが立ちはだかる。納得がいかないラハールだったが、こうなってしまえばもう逃げ道は無いと薄々察していた。

 

「謝ってください」

「うむ、しかしだな、俺様は……」

「謝・っ・て・く・だ・さ・い」

 

 詰め寄るようなフロンに押し負けたラハールが、ばつが悪そうに頭をかきながら、大泣きするデスコへ近寄る。

 

「く、くそ。なんで俺様が……あー、おい。なんだ。すまんかった。話くらいは聞いてやるから言え」

 

「うぐっ……ひぐっ……」

 

 デスコが涙をぬぐいながら、頷く。

 

「なんだ、お前、捨てられたのか?」

「ひぐっ……そうデス……デスコ、人間界から捨てられたんデス……も、もう必要ないって……きっとデスコがラスボスにふさわしくないから……だ、だから必死に勉強して……で、でも……無意味って……」

「人間界だと……? お前、人間に創られたのか?」

「は、はい。そうデス。デスコのパパは人間の科学者なのデス」

 

「ふ、ふざけるなあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 何が逆鱗に触れたのか。大声をあげたのはヴァルバトーゼだ。

 

「悪魔を……しかも最高ランクのラスボスを創り出そうとはなんたる傲慢!! 人間はイワシの研究だけしていればいいのだ!!」

「それもそれで偏見だと思いますが……」

 

 フェンリッヒの言葉に、ヴァルバトーゼは耳を貸さない。

 

「政腐も政腐だ! そんな愚行を働く人間を放置しておくとは信じられん! やはり、俺が政腐も、人間もまとめて再教育してやらねばならんようだ!」

 

 そう叫ぶと、ヴァルバトーゼはデスコの開けた穴へと飛び込み、そのまま情報局の内部へと突っ込んでいった。やや呆れた顔をしたフェンリッヒも、すぐにヴァルバトーゼの後を追う。

 

 ラハールはふと、デスコへと視線を落とした。デスコはいまだにあふれ出る涙を必死に両手を使って拭っている。 

 

「……おい、デスコとやら。お前もついてこい」

「え……?」

 

「え~っ。殿下、正気ですか?」

「俺様が決めたことだ。文句は言わせん。来い、デスコ。俺様が鍛え上げてやる」

「ほ、本当デスか!? おねがいしますデス!」

 ぱあ、と、笑顔を浮かべ、デスコがラハールへとお辞儀をした。



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#22 地獄の死神

「ああ、待ってくださいお姉さま~。デスコはラスボスだから、高速移動は苦手なのデス……」

 

 一行が情報局の中を進む中、やや遅れたデスコが泣きそうな顔で言う。やれやれと首を振ったフーカが、デスコの方へと駆け寄って手を差し伸べる。

 

「よくわかんない理屈ね。高速移動ってほどじゃないでしょ。ほら、おいで」

 

「いつの間にそんなに仲良くなったんですか?」

 その様子を見ていたフロンが、足を止めて振り返った。

 

「よくわかんないけど、この子あたしに従順なのよ。お姉さま、お姉さまって。それに、ラハっちの家来ならあたしの家来ってことになるし!」

「ふふふっ。本当の姉妹みたいですよ。おふたりとも」

「ほ、本当デスか!? デスコ、嬉しいデス!」

 

 その言葉を聞いたデスコは、にぱっと笑みを浮かべた。

 

 一方、先頭では案内役として連れてこられたエミーゼルが、首を傾げていた。

 

「おかしい……いくら最終兵器だからって、普通情報局のセキュリティをああも簡単に突破できるのか……?」

「どうしてそう思う?」

「ここのセキュリティは完璧なはずなんだ。力だけじゃ突破できないように魔力のプロテクトがいくつもかかっていて……それこそ、あのプリニー魔王ですら、正面から暴力だけでの突破は困難なはずなのに……」

 

 それを聞いたラハールが、眉間にしわを寄せた。それを見たエトナが慌ててラハールにちょっかいをかけてエミーゼルらの話からラハールの注意をそらした。

 あのままでは、自分の力を見くびるなとこの場で大暴れしていただろう。

 馬鹿な主を持つと家来は苦労するものだ。と、エトナは一人小さなため息をついた。

 

「フム。気になることは気になるが……セキュリティーが脆くなっているなら俺たちにとっては好都合だ。とにかく進むぞ」

 ヴァルバトーゼは、そういってマントを翻すと、正面の扉を蹴破った。ここまで警備らしい悪魔もいなければ、セキュリティシステムらしきものも見当たらなかった。

 

 ここらでそろそろ何かが来るだろうというヴァルバトーゼの感は、見事的中した。扉の向こうには、無数の銃口が並び、それら全てがヴァルバトーゼに向けられていた。

 

「ほう。待ち伏せか。いかにも悪魔らしい」

 

「ここまでだな。侵入者め」

 

 先頭の悪魔が銃のトリガーにかけた指に力を込める。だが、弾は発射されなかった。いや、できなかったのだ。あとほんの0.1ミリもトリガーを押し込めば弾は発射されるだろう。だが、同時に自分の首が切り離されるということをヴァルバトーゼの殺気が物語っていた。

 

 政腐に忠誠を誓ったとはいえ、所詮悪魔。上の為に命を捨てられるほどの忠誠心は持ち合わせていなかった。

 

 沈黙を破ったのは、エミーゼルだった。エミーゼルは、ヴァルバトーゼを押しのけるように前に出て、大きく手を振った。

「おい、このオレ様を見ろ! 死神エミーゼル様だぞ! ほら、この通り生きてるぞ!」

 

 

「それよりも誤字だ! 貴様らの記事に誤字があったぞ! だから、こうしてクレームを入れに来たというのだ!」

 

 エミーゼルの言葉を遮るように前に出たヴァルバトーゼ。それをさらに押しのけて、エミーゼルが前に出る。

 

「おい、お前たち、ただちに死神エミーゼル死去の記事を訂正するんだ! さもなくば父上に報告を……」

 

「エミーゼル様は死んだ!」

 駆け寄ろうとしたエミーゼルに、銃口が向けられる。

「え!?」

「エミーゼル様を騙る侵入者め。排除する。総員、戦闘配備につけ!」

 

 

 悪魔たちが陣形を展開していく。その攻撃目標には、当然のようにエミーゼルも含まれていた。

 

「エミーゼルさん、お父さんに見捨てられちゃったんですね……うう~、かわいそうです~」

「いや、違う! オレ様は捨てられてなんかない! もう一度よく見ろ! オレ様は偽物なんかじゃ……!」

 

 エミーゼルが前に出る。刹那、銃声が響いた。

 

「えっ――」

 

 流石は死神といったところか。エミーゼルは、自分に迫る弾丸をしっかりと目で捉えていた。だが、かわせるかどうかは別の話。

 死を覚悟したエミーゼルの前に、真紅のマフラーが飛び出してその弾丸を受け止めた。

 

 マフラーの主は、不遜な笑みを浮かべながらエミーゼルを睨んでいた。

 

「まだ気付かんのか、愚か者め。お前が本物だということくらい、奴らもとっくに気付いているはずだ」

「そーそー。あんた、大好きなパパに捨てられたのよ」

 

「ち、違う! 父上がボクを捨てるはずがないだろう!?」

 

 だが、そう叫んだエミーゼルの声はどこか弱々しかった。

 心のどこかでわかっていたのだ。彼らのあの行動が、どういう意味なのか。

 

 父親が自分の生存を知らぬはずがないということを。

 

 だが、それを認めてしまうと、自分の存在が消えてしまいそうで、エミーゼルは自分の父親を信じるしかなかった。



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#23 地獄の怒り

「やけにあっさり片付いたな」

 ラハールは、マフラーについた埃を払って言った。

 

 待ち伏せしていた悪魔の数は軽く30を超えていたが、手ごたえを感じる間もなく全滅してしまった。

 これではとても最高峰のセキュリティーを謳えるとは思えない。

 

「下っ端とはいえ弱すぎる。情報局に割く人員が足りんのか?」

 ヴァルバトーゼの言葉に、エミーゼルが顔を上げる。

「そ、そうだ! あいつらは下っ端だから真実を知らされていないんだ! 局長に……局長に会えさえすれば!」

 

「でもさ、情報局って政腐の施設なんでしょ? だったら死神くんが死んだってことは嘘って知ってると思うんだけど」

 エミーゼルの希望を打ち砕くように、フーカが言った。

 

「ほう。流石は俺様の家来だ。それくらいは気付いたか」

「えへへ……」

「流石デス、お姉さま!」

 

 頬を僅かにピンクに染め、嬉しそうに身体をくねくねさせているフーカに対し、エミーゼルの顔は真っ青だった。

 それでも、エミーゼルは認めなかった。

 

「ふ、ふざけるな! 父上がボクを捨てるはずがないだろう!?」

 

 エミーゼルは今にも泣きだしそうだった。普通ならここで気の利いた言葉の1つでも投げてやるところだが、冷徹な悪魔どもがそんなことをするはずもなく、逆に傷を岩塩でえぐるような言葉をぶつけていく。

 

「でも、アンタ失敗続きじゃん」

「普通の悪魔なら息子だろうと使えない奴は捨てるからな」

「弱いから捨てられたデスか? デスコも似たようなものデスから……同情するデス」

「……あたしも捨てられたようなものだから、気持ちはわからないでもないわ。でもま、捨てられるくらいの方が子供は逞しく育つのよ」

「さらっと言ったが、小娘。お前も捨てられたのか?」

「あれは捨てられたも同然よ。ホント、最低の父親よ」

 

 四方からの言葉攻めに、何とか涙を流さず耐えたエミーゼルが、反撃に出る。

「お、お前らと一緒にするな! これは何かの間違いだ! 真実がはっきりとしたら、お前らなんか父上に言って処刑にしてもらうんだからな!」

「フン。なんでもかんでも父親だよりか。お前のような面汚しは捨てられて当然だ。ゴミめ」

 

 ラハールが呆れた声で呟いた。

 

「なっ……だ、大統領の一人息子に向かってゴミだと……ふ、ふん! お前なんかにはわからないだろうよ! お前なんかと違って、ボクは父上に愛されているんだ!!」

 

 その言葉を聞いたラハールの表情が僅かに曇った。

 

「どうせお前の両親は役立たずだったら自分の息子も平気で捨てるようなクズだったんだろう!? フン! 親に愛されたことなさそうだもんな。お前。お前なんかと違って……」

「黙りなクソガキ。それ以上言ったら殺すよ」

 

 そう言ったのはエトナだった。

 いつもの様子からは信じられないほどの真剣な声色で、確かな殺気を込めて、エトナはエミーゼルにナイフの刃を当てていた。

 その鋭い殺気にあてられ、エミーゼルは息をすることもできない。

 

「ひっ……ひぃっ……!?」

 

 怒りを抑えることができなかったのだろう。エトナはゆっくりと刃をエミーゼルの肩に沈めた。

 

「いぎっ……ぎゃあああああっ!?」

 

 血が飛び散り、エミーゼルが悲鳴を上げる。

 

「ちょ、ちょっと! やりすぎよ!?」

 それを見たフーカとフロンが、エトナを止めに入る。だが、エトナは2人を振り払うと、倒れたエミーゼルにさらに蹴りを入れた。

 

「エトナさん! やりすぎです! 大丈夫ですか、エミーゼルさん! すぐに治療を……!」

 

 フロンがエトナを突き飛ばす勢いでエトナを引きはがし、ようやくエミーゼルはエトナの猛攻から解放された。

 

「やりすぎ!? やり足りないくらいよ! 何も知らないクセに、このクソガキ!! 本当に殺してやろうかと思ったわ!! クリチェフスコイ様が……! 王妃様が!! 殿下が!!! 一体、どんな気持ちで!!!」

 

 そこまで言って、エトナは、はっとなって首を振る。

 

「……なーんて。冗談よ。ま、これに懲りたら口を慎むことね」

 

 頭の後ろで手を組んで、平気な顔をしていたエトナだったが、内心エトナは動揺していた。自分でもどうしてあそこまで怒りを感じたのかわからなかった。自分が自分じゃなくなったみたいだった。

 

 

 そして、フェンリッヒは不安な表情を浮かべていた。

「冗談には見えなかったぞ」

「別に。殿下の父親――前魔王様は私がこの世で一番尊敬する人だから、それを悪く言われてついカッとなっただけよ。アンタだって、ヴァルバトーゼのことを悪く言われたら怒るでしょう?」

「……本当に前の魔王のことを悪く言われて怒ったのか? 俺はそうは思えなかったが」

「そう思うならそう思えば?」

 

 やはり本当のことを教えてはくれない。だが、フェンリッヒはどうしてもエトナの怒りの理由を知りたかった。

 納得のいく理由を知りたかった。

 

 もし、彼女の怒りがフェンリッヒの想像通りだとしたら、それはラハールが上に立つ素質のある存在という裏付けになってしまう。

 

 それは、ヴァルバトーゼの覇道の大きな障害になる。ヴァルバトーゼに惹かれるのではなく、ラハールに惹かれる悪魔がでる可能性が出てくる。

 ヴァルバトーゼがトップとなることに、不満を抱く者が出てくる恐れがある。

 あのプリニーこそ真の王に相応しいという声が1つでも出てくるのは、フェンリッヒには我慢ならないことだった。

 

 だからフェンリッヒは焦っていた。

 

「おい、堕天使。説明しろ」

「……すみません、私の口からは言えません。でも、ラハールさんのお父さんとお母さんは、彼に深い愛情を注いでいました。それこそ、命を捧げる程に。そしてラハールさんも……だから、私も、エトナさんの気持ち、わからなくはないんです。それでもちょっとやりすぎとは思いますけど……許してあげてください」

 

 その答えは、フェンリッヒの想像していた中で最悪の可能性だった。



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#24 地獄の決意

「く、くそっ……何て危ない奴だ……」

 

 フロンにヒールで治してもらったものの、エミーゼルの肩は今だに鈍い痛みが続いていた。

 前を行くエトナは、悪びた様子もない。最も、それが悪魔らしい態度なのだが。

 

 だが考えてみれば、こういった経験は初めてかもしれない。

 大統領という息子という立場故か。過ちでも自分を少しでも傷つけた悪魔は跪き、許しを請い、命乞いをした。そしてそんな奴らを、大統領の息子という権力のもとでいたぶり、処刑してきた。

 

 そんなエミーゼルを恐れ、周りの悪魔どもはみんな自分に跪いていた。だから、自分はそういう立場にいるのだと思い込んでいたのかもしれない。

 

 だけど、考えてみれば、自分の取り巻きはエミーゼルの暴の前に膝をついたのではなく、父の力を恐れただけなのだ。あのプリニーの言う通り、自分は暴力が支配する魔界において、真の意味で一度も暴力に晒されたことがなかったのかもしれない。

 

 これまでの人生の中で、1度でも自分の力だけで相手を跪かせたことがあっただろうか。無いと断言できる。自分の力だと思っていたのは、父親の力と、父がくれた取り巻きたちだ。

 

「ヒールをかけてもらったんだろう。ぐずぐずするな」

 

 ラハールが、遅れているエミーゼルに向かって苛立った声で言った。

 

「わかったよ……」

 

 このプリニーの親は魔王だったらしい。そういう点ではエミーゼルと似ている。

 ラハールは自分勝手で、無駄に偉そうで、面倒くさい奴だ。でももしかしたら、客観的に見たら自分もそうなのかもしれない。

 違うのは、あの魔王がその態度に見合った――この暴力が支配する魔界で、そのわがままを貫き通せるだけの力を持っているということだ。

 

「エミーゼルさん、大丈夫デスか? まだ痛むんデスか?」

 

 デスコに言われて、自分の目に涙が浮かんでいることに気が付いたエミーゼルは、慌てて袖で涙をぬぐった。

 

「ち、違う! これは眼に砂が入っただけだ!」

「そうデスか! 確かに、ここはちょっと砂っぽいデス……デスコも、服の中砂まみれデス」

「お前のそれ……服なのか?」

「はい! 頑張れば脱げるデス!」

「頑張るって……それ本当に服なのか……?」

 

「む。とまれ」

 

 先頭を歩いていたヴァルバトーゼの合図で、全員が歩を止める。

 

 前方には、メガネをかけた鋭い目の女性型悪魔がいた。

 

「ここまで侵入を許すとは……セキュリティの見直しが必要ですね」

 

 メガネのブリッジを指で押し上げて、悪魔は言った。感情を感じさせない、冷徹な声色だった。

 

「お前がここの局長か」

「いかにも。どのようなご用件でしょうか?」

「情報局は俺たちが制圧した。只今を以て、情報局は俺たちの支配下となる」

「愚かな……」

 

 局長は口角をほんの少しだけあげて、小さくため息をついた。そして、愚か者を憐れむような瞳でヴァルバトーゼらを見る。降伏するつもりはなさそうだ。

 

「従うならよし。従わぬなら、力づくで服従させるまでだ!」

 

 ヴァルバトーゼが強い声色で言う。

 もはやいつ戦いが始まってもおかしくない。そんな緊張した場で、エミーゼルが一歩前に出た。

 

「おや? あなたは……」

 

 局長はエミーゼルを見て、僅かに呟いた。その言葉を聞いて、エミーゼルの胸の奥に冷たいものが走った。

 これ以上聞くのが怖かった。信じていたものから見捨てられたという事実を認めたくなかった。

 だが、その恐怖を乗り越えてでもはっきりさせておきたかった。

 

「局長。オレ様の顔に見覚えはないか」

 

 局長は何も言わなかった。ただ、意味ありげにメガネに触れただけだった。

 

「何も言わないのか……」

 

 エミーゼルは嘲笑するように言った。頬を水がつたったが、もはやぬぐうことも隠すこともしなかった。

 

「ボクが死んだというのは誤報なのか? それとも……」

「エミーゼル様が死んだという情報を流したのは政腐の命令によるものです」

 

 局長は淡々と言った。その顔からは相変わらず感情が読み取れない。

 

「ふ、ふふふ……そうさ。わかりきっていたさ……でも、それでもボクは信じたくなかったんだ……」

 

 全てを失った。今この瞬間――自分が生きている意味を見失った。

 

 エミーゼルはその場に崩れ落ち、愚かな自分への嘲笑を込めて笑った。

 

「死んだ人間がウロチョロしていては情報局として示しがつきません。情報を真実にするために、エミーゼル様……覚悟はよろしいですか?」

 

 局長が懐から銃を取り出し、銃口をエミーゼルへ向ける。それを合図に、どこからともなく無数の忍者が姿を現した。

 

 

「どうした。小僧。父親に見捨てられた程度で諦めるのか?」

 

 エミーゼルを庇うように、ヴァルバトーゼが前に出た。

 

「だって……だってボクは……父上にとって役立たずだったんだ……」

 

「お前の存在は大統領の息子という立場がなければ成立しないような脆きものなのか?」

「でも……」

「なら死ぬか? 父に見捨てられただけで、お前も自分を見限るか?」

「嫌だよ……! そんなの、嫌だよ……でも……」

 

 ボクは1人じゃ何もできないんだ。

 

 エミーゼルは声にならない声でそう言った。

 涙が止まらなかった。

 

 ただ悲しかった。

 

 もう何も考えたくない。

 

 

「死にたくないのならば戦え!!」

 

 泣き続けるエミーゼルの胸ぐらを掴んで無理やり立ち上がらせ、ヴァルバトーゼが叫んだ。その顔は真剣そのものだった。

 ヴァルバトーゼの叱咤の意味がわからず、エミーゼルは頭の中が真っ白になった。

 

 普通、悪魔は他の悪魔を叱ることもなければ励ますこともない。悪魔にとって大切なものは自分だけであり、他者は利用するためだけの道具にすぎないからだ。

 父親でもなければ、父に命じられた教師でもないというのに、自分を叱るこの男がわからなかった。

 

「そして自分を見限った父親を見返してやれ!! 自分を見限ったことを後悔させてやれ!!」

 

 でも、この男の言うことを聞いていると、胸の奥から何か熱いものが湧き上がってくる。

 この感覚が何かはわからないけれども、この熱いものにすがればもう1度立ち上がれる気がした。

 

 

「おい、エミーゼル。俺様は最強の魔王になる」

 ヴァルバトーゼと並ぶように、ラハールがエミーゼルの前に立った。

 

「聞いたところによると、俺様の親父はいい魔王だったらしい。だがな、俺様はそれよりももっともっと、何万倍もいい魔王になってやる」

 

 ラハールは虚空から魔王剣を取り出して構えた。

 それを背後から見ていたエトナが、嬉しそうにほほ笑んだことは、その場にいる誰も気づかなかった。

 

 

「お前はどうしたい。父親の影にずっと隠れていたいのか?」

「違う!!」

 

 エミーゼルは叫んだ。

 

「ボクは……ボクはちっぽけな悪魔だ。自分ひとりじゃ何もできないダメな死神さ。お前たちに何度も負けて、ようやく気付いたよ……」

 

「でも、だからこそ、ボクはボクの力で周りを認めさせたい」

 

 エミーゼルは、その目に浮かんだ涙をぬぐった。

 

「局長。ボクが死んだって誤報は取り消さなくていい」

「ほう……?」

 

 局長は、興味深いものを見るようにメガネを押し上げた。エミーゼルは、そんな局長をにらみつけ、精一杯叫んだ。その目には迷いも、怯えもない。

 

「訂正なんて必要ない! ボクはボクだけの力で、父上に認めさせてやる! 嫌でも魔界全土にボクの生存が広まるくらいの――父上を超えるくらいすごい死神になってやる!!」

 

 エミーゼルが大鎌を抜き放つ。その刃が残した軌跡が、蒼い炎となって燃え上がった。その炎は、彼の決意を示すように強さを増していく。

 

「ごめんなさい。父上……ボクは今からあなたを裏切ります」



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#25 地獄の決断

「ふむ……抵抗するのですか。苦しみを増すだけの愚かな選択だというのに……」

「ボクはもう決めたんだ。父上を超える。お前なんかに躓いていられるか!」

 

 エミーゼルが大鎌を構える。

 それを見たヴァルバトーゼが大きく笑った。

 

「小僧! その覚悟に偽りはないな! 約束できるのか!?」

 

「……約束か。お前はその為だけに政腐に逆らったんだったな」

「そうだとも。約束を果たせぬ者は激痛と共にその重みを知ることになる。故に、約束は命を賭けてでも果たさなくてはならん。お前にその覚悟はあるか?」

 

 胸の痛み――約束の重み。

 これまでさっぱりわからなかったヴァルバトーゼの主張が、ほんの少しだけわかった気がした。

 

 そしてエミーゼルは、その重みを背負ってでもやり遂げてやるという覚悟を決めていた。

 

「ああ! 約束してやるさ!! ボクは自分だけの力で一人前の悪魔になってやる!!」

 

「よくぞ言った!! これで貴様は正式に俺たちの仲間だ。政拳奪取のため、共に戦おうではないか!」

 

 ヴァルバトーゼがマントを翻し、高らかに叫ぶ。

 

「行くぞ! 小僧!」

「ああ!」

 

 ヴァルバトーゼとエミーゼルが、同時に駆け出す。

 

 

「愚かな。あなたたちはこの場で処刑されるというのに」

 

 局長が腕で合図を送ると、それまで待機していた忍者たちが一斉に手裏剣を投げた。

 ヴァルバトーゼは、それらを剣で叩き落しながら、雄叫びを上げて突き進む。

 

「ええええい! メガウィンド!!」

 

 エミーゼルは、やけくそ気味に鎌をふるって、自分が使える中で最強の魔法を放った。

 放たれた風の塊は迫る手裏剣を弾き飛ばしながら進み、忍者のうち1体を捉えて吹き飛ばした。

 

「あ、当たった……」

 

「フッ。やるじゃないか。少しはいい面構えになったか」

 

 ラハールがエミーゼルの肩を叩いた。

 エミーゼルが顔を上げると、ラハールは既にマフラーを広げて敵陣へと飛翔していた。

 

「プリニーの分際で命知らずめ!」

「覚悟するでござる!」

 

 武器を構えた忍者たちがラハールを迎え撃つが、彼らは一瞬でラハールに切り伏せられる。足止めにもならなかった。勝利の雄叫びとばかりに、ラハールの高笑いがあたりに響きわたる。

 

 局長の護衛はラハールとヴァルバトーゼの猛撃により、次々に数を減らしていく。

 

 彼らが切り開いた道を、エミーゼルが突き進んだ進む。

 

「お。おい!」

 

 局長が合図をすると、エミーゼルの進む道をふさぐように2体の忍者が立ちはだかった。局長の顔には、先ほどまではなかった焦りがある。

 

 いける。

 その想いが、エミーゼルを前へと押し出す。

 

「どけぇ!」

 

 エミーゼルが大鎌を振るう。忍者たちはそれを最小限の動きでかわす。隙だらけになったエミーゼルに、忍者の放った手裏剣が迫る。

 

 しまった――。

 エミーゼルが迫る痛みに備えて歯を食いしばった時、ラハールが静かに言い放った。

 

「やれ」

 

「「あいあいさー!」」

 

 ラハールの言葉に従うように、2つの影がエミーゼルの前に飛び出し、手裏剣を打ち落とす。

 フロンとエトナだ。

 

「ギガファイア!」

「ギガウィンド!」

 

 2人の放った風の魔法と炎の魔法が、2体の忍者を弾き飛ばした。

 

「ほーらクソガキ、あたしが道を作ってやるから行ってきな!」

 

 エトナはそう言って笑うと、腕を天に突き出して指を鳴らした。

 

「ぶっとばしな、プリニー共!」

 

 エトナの合図と共に、天から無数のプリニーが降り注ぎ当たりを焼き払う。

 

「秘儀・プリニー落とし!」

 エトナはかわいらしいポーズを決めて、大きく叫んだ。

 投げたら爆発するというプリニーの特性を最大限利用した鬼畜極まりない技だ。

 

「ううむ……改めて見てみると恐ろしい技だな」

 降り注ぐプリニーたちを見て、ラハールが複雑な表情で呟いた。

 

 

 

「く、くそう、なんだ、これは!」

 プリニー爆弾の爆煙が視界を悪くする。局長は手あたり次第に銃を乱射するが、その弾は虚空へ消えるだけだった。

 その音と光は、エミーゼルに爆炎の中でも局長の位置を知らせていた。

 

「焦ったな、局長!」

「なっ!?」

 

 爆炎をかき分けて、エミーゼルが局長へと切りかかった。

 その刃は局長の肌を傷つけるには至らなかったが、局長の体勢を大きく崩すことはできた。

 

「くっ……」

 

 局長はエミーゼルへと銃口を向ける。だが、エミーゼルの詠唱の方がはやかった。

 

「終わりだ! メガファイア!」

「きゃあああああああっ!」

 

 至近距離でメガファイアが炸裂し、爆炎が局長とエミーゼルを飲み込んだ。

 

 煙が晴れると、立っていたのはエミーゼルだった。

 

 局長は地面に膝をつき、荒い呼吸でエミーゼルを見上げている。もはや戦う力は残っていないようだ。

 

「そんな……あり得ない! 私が……政腐が負けるなんて……!」

 

「だがこれが現実だ」

 

 フェンリッヒが口元をゆがませ、勝ち誇った。

 

「私は負けていない! この魔界では、私の発信する情報こそが全てであり真実! すなわち、私が負けていないと言えばそれは負けていないことになるのです!」

 

 狂ったように叫ぶ局長に、エミーゼルが肩を落とした。

 

「めちゃくちゃだな、コイツ……」

「あー、もう殿下と同じくらい聞き分けの無い悪魔ですねー。面倒なんで、ちゃっちゃとやっちゃいますか?」

「ひっ……!?」

 

 喉元に槍を突き付けられた局長は、怯えた声で小さく叫んだ。

 

「待て。情報局を効率よく使う為にはこいつには生きていてもらわねばならん」

 フェンリッヒが言うと、エトナは面倒くさそうにその槍をひっこめた。

 

「ならどうするんだ?」

 ラハールが言うと、ヴァルバトーゼがマントを翻して叫んだ。

 

「決まっている。こいつの情報こそ真実だというのなら、こいつが負けを認めるまで、何度でも叩きのめしてやる!!」

「えっ……?」

 その言葉の意味を理解できなかったのか――いや、理解したくなかったのか。

 局長はひきつった笑みを浮かべた。

 

「さあ、覚悟はいいか?」

 

 ヴァルバトーゼが目を光らせて言う。その言葉に嘘偽りはなさそうだ。

 

「お、初めて悪魔っぽい発言を聞いたかも」

「流石元・暴君ヴァルバトーゼね」

「フン! 何が暴君だ! なら、俺様が一撃で葬ってどれほど俺様が偉大かを……」

「はいはい張り合わないの。大体、話聞いてたんですか? 殺しちゃダメなんですよ」

 

「暴君ヴァルバトーゼ……!? 噂は本当だったんですか……!? 伝説の暴君が、今更何の目的で……」

「フッ……言うまでもない。ホラ、ここだここ。ここのプリニーがプソニーになっている」

「あら本当……」

「わたくしが代弁いたしましょう、閣下はおさがりになってください」

 

 ヴァルバトーゼを押しのけて、フェンリッヒが前に出た。

 このままヴァルバトーゼに任せていては情報局を制圧した意味がなくなってしまう。

 

「閣下がおっしゃりたいことはこうだ。「俺たちは政拳奪取の為に立ち上がった地獄の反逆者だ。世界を再教育するため、堕落した政腐と大統領を打倒し、世界を地獄に変えてやる」以上だ」

 

「い、急いでこの事実を……大統領にお伝えせねば……!」

 

 局長が逃げ出そうとしたその瞬間、透き通った声が、あたりに響き渡った。

 

「お待ちなさい!」

 

 声の主に、この場にいた全員が視線を向ける。

 そこにいたのは、プリニーだった。

 やや大きいサイズのプリニーは、懐から電卓を取り出すと、何やら計算を始めた。

 

「情報局の職務怠慢により発生したお金、情報捏造・偽造・歪曲によって発生した天界への損害、その他諸々……しめて1,192,296ヘル。この場で全額回収させていただきますわ……ッス」

 

 そう言ってプリニーは、局長に請求書を叩きつけた。



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#26 地獄の天使

「さあ、徴収です……ッス!」

 

 プリニーが局長に詰め寄る。何が何だかわからない局長がラハールたちに助けを求めるような視線を送るが、ラハールたちも状況に理解が追い付いていない。

 

 ただ1人、ヴァルバトーゼだけが勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。

 

「たった一つの真実が見えたぞ!」

 

 そう言って、ヴァルバトーゼがその謎のプリニーを指さした。

 

「お前、その取ってつけたような語尾の「ッス」。本物のプリニーではないな。プリニー教育係の俺の目はごまかせんぞ! 正体を現すがいい!」

 

 衝撃の事実に、一同は激しい衝撃を――受けなかった。

 

「いや、それ以前の問題でしょ。どう見たって着ぐるみだし」

「それ以前にここに「ッス」すらつけないプリニーがいるんだけど……」

「俺様はプリニーじゃない!」

「いやプリニーでしょ」

 

 

「フフフフッ……私の変装を見抜くとは。恐れ入りました」

 

 そう言って、謎のプリニーはその着ぐるみを脱ぎ捨てた。

 

 中から出てきたのは、白い衣装に身を包んだ桃色の髪をしたグラマラスな女性だった。その女性の背中にあるのは白い翼。それは、天使の証だった。

 

「コイツ……まさか魔界を騒がせている業欲の天使!?」

 

 そう叫んだのはエミーゼルだった。

 

 業欲の天使。最近、魔界で噂になっている盗賊――というより強盗だ。悪魔たちから徴収という名目で金品を奪っている。

 

 それを聞いた天使は、軽く肩をすくめた。

 

「失礼ですわね。それは、悪魔が勝手に名付けた名前です。わたくしのことはそうですわね……「ブルカノ」と、でも呼んでもらいましょうか」

 

 天使の女性――ブルカノが微笑みながら言うと、耳をつんざくような叫びが上がった。

 

「ええええええええええええええええええええええええええ!!?」

 

 フロンだ。

 

「ブ、ブルカノ!? えええええええええええええええ!!」

 

 壊れたように叫び続けるフロンに、これはたまらんとフーカが無理やり口を押えて黙らせる。

 

「もご、もごごご!!」

「あー、もう! どったの!?」

「ぷはっ……だだだだだってエトナさん! ブルカノって……!」

「そういえば聞いたことがあるな」

 

 誰だったか、と、ラハールが腕を組んで首をひねった。

 

「知ってるのか?」

「いや、聞いた気はするんだが……うーん……?」

 

 必死に頭をひねるが、どうやらラハールの記憶からはブルカノの記憶がすっぽりと抜け落ちているらしい。それでも何とか頭をひねらせて、ようやく思い出したとラハールは手を叩いた。

 

「わかったぞ! 魔界に攻めてきた人間どものボスだろう!」

「違いますよラハールさん! 天使長ブルカノ様です!」

「何? 違うのか。天使長……ああ、いたな。そんなヒゲの天使」

「まさか転生したんじゃ……ああんずるいですぅ! 私なんてまだ堕天使なのにぃ!」

 

 フロンがどこからか取り出したハンカチをガジガジとかじり恨めしそうにブルカノを睨む。

 一方のブルカノは、口を開けたままフロンを見つめて動かない。

 

「……あれ? どうしたんですか、ブルカノさん? 私の顔になんかついてますか?」

 

 フロンに言われて、はっとなったブルカノは口元を抑えてほほほと笑った。

 

「いえ。知り合いにとてもよく似ていたものですから。えっと、失礼ですが、天使ではなくて……?」

「はい。私、堕天使なんです。ちょっと前まで天使見習いだったんですけど」

「天使見習い……なら、わたくしの勘違いですわね。失礼しました」

「いえいえ。ご丁寧にすみません」

 

 大きくお辞儀した後、フロンは振り返って自信満々に言った。

 

「やっぱり、ブルカノ様じゃないですね」

「ま、それが普通よね。第一ここ、別次元だし」

 

 

「ねえ、それより、さっきからヴァルっちとフェンリっちが動かないんだけど」

 

 フーカが指さすと、2人は眼を見開いたまま固まっていた。

 

「どうしたんデスか? おなか痛いデスか?」

 

 デスコが触手を伸ばしてフェンリッヒの頭を撫でたが、フェンリッヒはピクリとも動かない。

 

 しばらくして、ヴァルバトーゼがやっとのことで言葉を絞り出した。

 

「ば、馬鹿な……何故だ。何故お前が……ここにいる……アルティナ!」



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第4章 ブルカノ
#27 会議する悪魔たち


 結局あの後、強欲の天使に逃げられた一行は仕方なく地獄へ帰還。今後の方針を決めるための作戦会議を開いていた。

 とはいえ、作戦会議とは名ばかりで、話す内容は99%が雑談だった。

 

「ブルカノさんにあってからというもの、ヴァルバトーゼさん、なんだか考え事が多くなりましたね」

「あいつが考え事? ナイナイあり得ない。あいつが考えることと言ったら精々イワシのことよ」

 

 フロンは強欲の天使に出会ったから何やら様子がおかしいヴァルバトーゼとフェンリッヒのことが気になって仕方がないらしい。

 エトナも否定こそしたものの、ヴァルバトーゼの様子がおかしいのは確かだ。

 

「業欲の天使を取り逃がしたことでも考えてるんじゃないのか? ほら、情報局のお金もまんまと盗まれちゃったわけだし」

 エミーゼルが言うと、デスコとフーカが呆れたもんだと大きなため息をついた。

「わかってないわねー。あんたら」

「わかってないデス」

「あれはラヴよLOVE。名前を知っていたんだから間違いないわ」

「ラブ~? ないない、だってあの暴君ヴァルバトーゼだぜ?」

 

 信じられない、とエミーゼルは首をふった。

 

「おこちゃまね~。もう間違いなくラヴよ。それも、かなり複雑なね」

「名前を知っていたらラブなのか?」

「LOVEなのデス」

「そ、そう言われるとそんな気が……」

「死んだはずではってセリフから察するに、あれは生き別れたラヴね。天使と悪魔となって再開した2人……物語は禁断の愛ヘ……」

「禁断の愛……ああ、なんて素晴らしい響きなんでしょう!」

「デスコもラスボス的にもうドキドキデス! ドストライクデス! 会心の一撃デス!」

 

 妄想を膨らませていく3人を、エトナとエミーゼルは諦めた目で見ていた。こいつらの妄想が始めれば止められるものは誰もいない。自分たちにできるのはその妄想に取り込まれぬよう距離を置くことだけだ。

 

 エトナが席をはずそうとした時、フェンリッヒが鬼のような形相で飛んできてフーカの首根っこを捕まえた。

 

 

「勝手なことを言うなクソ女子共。閣下が恋だと……? 舌を切り落としてスライムの餌にするぞ」

「ちょ、アンタが言うと冗談に聞こえないんだけど……」

「当然だ。冗談じゃないんだからな」

 

 そう言って、フェンリッヒは爪をギラリと光らせた。それを見たデスコが、慌てて口を押えて首をぶるぶる振る。

 

「舌を切られたらごはんが食べ辛くなるデス……デスコ、そんなの嫌デス……」

 

 

「そこまでにしておけ」

 フェンリッヒの背後から、ラハールが大きなあくびと共に登場した。

 それを見たフーカ、デスコ、フロンは、フェンリッヒから逃げるようにラハールの背後へ移動した。

 

「魔王……! 何のつもりだ」

「俺様の家来だ。俺様に許可なく手を出すことは許さん」

 

 その言葉を聞いたフェンリッヒは、敵意を隠そうともせず表情を曇らせた。

 フェンリッヒとしては、ヴァルバトーゼ以外の悪魔が慕われるのが我慢ならないのだ。王の器はヴァルバトーゼだけでいい。その強すぎる思いが、敵意にのってラハールにぶつけられる。

 

 ラハールは、殺気とも呼べるそれを一笑して跳ねのけると、戦意も見せずにどかりと椅子に腰を下ろした。

 

「それよりエトナ。次はどこに行くか決まったのか? いい加減にそろそろぐーたら生活も飽きてきたぞ」

「それもそうなんだけど、ヴァルバトーゼがどうもエンジンかかってないみたいで……」

「おい……貴様もそんなふざけたことを抜かすのか?」

「いや、事実じゃん」

「閣下にそんな浮ついた話があると思うなよ、スイーツ脳め」

「別にそんな意味で……」

「おお! エトナさんがスイーツ大好きって、どうしてわかったんですか!? すごいです、フェンリッヒさん!」

 

 ピリピリした場の空気を吹き飛ばすギガウィンドのようなフロンの発言に、思わずエミーゼルが噴き出す。

 フェンリッヒもこれに毒気を抜かれたようで、大きく肩を落としてため息をついた。

 

 そこに、ある意味で話の中心人物であったヴァルバトーゼがひょっこりと顔を出した。

 

「む。もう集まっていたか」

「はい。閣下。次の目標が決まりました」

「む、そうか……」

「閣下。我々の政拳奪取の邪魔にならない以上、現状あの天使は無視しましょう。もうガン無視で」

「いや、しかし……」

「言うほど邪魔になってなかった?」

「黙れ小娘!!!」

「ひぃっ!」

 

 不用意なフーカの一言を、恐ろしい剣幕で咎めるフェンリッヒ。フーカは恐怖のあまりひっくり返ってしまった。それを見たデスコが、よしよしとフーカの頭を撫でる。

 

「天使の方は完璧に放置でいいです。もう目もくれず」

「お前が言うならそうなのだろう……で、次の目標は?」

「……おい!」

 

 フェンリッヒが指を鳴らすと、どこからともなくプリニーたちが現れて全員に資料を渡していく。位置や敵の戦力、地図や理由などが事細かに記されていたが、まともに呼んでいるのはヴァルバトーゼとフェンリッヒだけだ。

 後のメンバーは読むつもりがないか、理解できないかのどちらかだ。

 

「お手元の資料をご覧になって頂きたいッスが、次は中ボスクラスの悪魔が居住する中層区をおすすめするッス!」

「ほう、何故だ?」

「あの地区を制圧できれば、中級以下の悪魔を中心とした無党派層はほぼ閣下に従うことになるッス。そうすれば、魔界の半数近い悪魔の支持を得たも同然ッス」

「なるほど……中ボスクラスか。手ごたえはありそうだな」

 

 ヴァルバトーゼがちらりとラハールに視線をやる。

 が、意外なことに一番食いつきそうなラハールは複雑そうな顔をしていた。

 

「中ボスか……」

「どうした?」

「いや……少し知り合いを思い出しただけだ。気にするな」

 

 そう言って、ラハールは上を見上げた。

 

 地獄から、空は見えなかった。



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#28 中層区の悪魔たち

 中層区にやってきたラハールたちは、その有様に言葉を失っていた。最も、目をキラキラさせている者もいたが。

 

 何しろ危険な悪魔が集まる地域と聞いてやってきたら、そこはどこからどうみてもただの遊園地なのだ。キラキラ光るジェットコースターに、愉快な音を鳴らすメリーゴーランド。

 魔界らしからぬ華やかさと賑やかさだ。殺気にあふれた殺伐とした空間を予想していたのだから、言葉を失うのも無理はない。

 

「ここが中層区だと……」

 ラハールは明らかにやる気がそがれた声で言った。その顔はこんなところにいる悪魔が中ボスクラスの実力を持っているはずがないと言っている。

 

「まるで遊園地ね。フロンちゃ……あれ? フロンちゃん?」

「うわーーっ! すごいですよエトナさん! アレ! アレ、乗りましょう!」

 

 一方で、ノリノリのフロンはアトラクションに向かって一目散にかけていく。

 それを見たエミーゼルが鼻で笑う。

 

「バーカ。あれは遊園地に見えるけど立派なトレーニング施設なんだぜ。油断してるとえらい目に……」

「わーい! きゃーっ! たのしーーーっ! きゃーっ!!」

「へー。トレーニング施設ねー」

「……あれ?」

「大方、政腐の腐敗に伴い修練地区であるはずの中層区もただの娯楽施設と化したのだろう」

「みたいだな。なんだここの悪魔どもは。準備運動にもならん」

 

 ラハールはいつの間にかボコボコにした悪魔を蹴り飛ばして、つまらなそうにあくびをした。

 

「これではやる気もでん。俺様はそこの店で飯を食ってるから、帰るときにでも呼んでくれ」

 

 また大きなあくびをすると、ラハールは移動式の販売車の並ぶ休憩所へと歩いて行った。

 

「店までフツーにあるし……完全に娯楽施設になってるわね」

 

 ラハールは最高級ゾンビ肉ホットドッグやドラゴンチーズのピザなどなど、目についたものをかたっぱしから買うと、椅子にどっかりと腰かけてもそもそと口に運んでいく。

 その様子を見ていた他の悪魔は「美味そう」などとつぶやいて販売車の方へ歩いていく。

 普段のラハールであれば「悪魔なら奪うくらいして見せろ」と言ってやるところだが、あまりの腑抜けっぷりにそんなことを言う気力すら湧いてこない。

 

 中層区の悪魔たちの悪魔らしからぬ態度に、フェンリッヒも苦言を漏らす。

 

「……やはり、魔界を支える畏れエネルギーに何らかの問題があるとしか考えられんな。閣下、一刻も早く政拳奪取を果たさねば、この魔界は滅びます」

「うむ……」

「ヴァルっちさん、やっぱり元気ないデスね……」

 

 やや力の入っていないヴァルバトーゼの返事に、デスコが心配そうに呟いた。

 

「あー、もう面倒くさい! こうなったら、話させればいいのよ! 話せば楽になるだろうし!」

「で、本音は?」

「当然、あたしが聞きたいから!」

「流石お姉さま! その自分勝手さ、ラスボス学の参考になるデス!」

 

 言うが早く、フーカはずかずかとヴァルバトーゼに歩み寄っていく。

 

「何かようか? 小娘」

「で、ヴァルっち! あの天使のことを教えてよ!」

 その言葉を口にした瞬間、フェンリッヒが物凄い形相でフーカを睨みつけた。だが、フーカの負けじとフェンリッヒを睨み返す。両者の視線がぶつかり合う中、ヴァルバトーゼは小さくため息を漏らした。

「…………俺は何も知らん。そもそも、天使に知り合いはいないからな」

 

「ええっ! 私、ヴァルバトーゼさんと知り合いじゃなかったんですか!?」

「フロンちゃんは堕天使でしょ?」

「あ、そうでした」

 

 フロンのボケはそれ以上突っ込まれず、エミーゼルがそろそろと、フェンリッヒに怯えながらヴァルバトーゼによっていく。

 

「けど……名前を言っていたじゃないか」

「ちょっとした知り合いに似ていたのでな。間違えただけだ」

「ちょっとしたって雰囲気じゃなかったけど……その知り合いは今どうしてるの?」

「殺された。愚かでくだらん人間共の戦争に巻き込まれてな……」

 

 そう言ったヴァルバトーゼの表情は、ひどく悲しそうなものだった。まずいものに触れてしまった。フーカが口元を押さえておろおろする。

 

「で、でも、清らかな心を持つ人間は天使になることもあるって言いますし……」

「万が一……万が一あいつが天使になっていたとしてもだ。あいつは盗みなどしない。絶対にだ」

 

 そう言って、ヴァルバトーゼは空を見上げた。

 

「なんせあいつときたら、暴君時代の俺すら手を焼くほどの超清らかな心の持ち主だったからな……」



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