酔いどれ幼馴染みお姉さん×ヤンデレ (レア缶)
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酔いどれ幼馴染みお姉さん×ヤンデレ

連載の予定はないです。


看護専門学校を卒業、そのまま学校の系列の病院に就職して、まだ半年も経っていないことに気がつく。

私こと 鍋島 真澄 は、現場の大変さにうちひしがれていた。

学校にいた三年間、座学も実習も必死の思いでクリアしてきた。

卒業してなお、さらにハードな『勉強』が毎日課せられている。

ようやく仕事を終えてアパートに帰るころには、いつも心身ともに疲れきっていた。

 

でも、アパートの二階の一室、私の部屋にあかりが灯っているのを見ると、いつも疲れが和らいだ。

 

彼がいるときは鍵があいているから、そのままドアノブをひねる。

 

「おかえりなさい、真澄さん。

もう少しでごはんできますから、待っててくださいね」

 

彼は 久保田 飛露喜 という。

私より二つ年下で、今は大学二回生。

間柄は、幼馴染み。

 

「ひろくん…、いつもありがとね…」

「急にどうしたんですか、…どういたしまして。

あ、先にお風呂に入ってもいいですよ?」

「んーん、君のごはん食べる…」

 

ベッドに飛び込むのを我慢して、シャワールームで服を部屋着に着替える。

こういうのをさぼって彼に叱られたくない。

リビングに戻ったら、もう彼の手で配膳されていた。

今夜の献立は、塩しゃけと大根の煮物、お味噌汁、あと何か葉っぱのお浸し。

疲れた体に、この夕食の滋味のなんと深いことか。

ぐぐ、とのどが鳴る。

 

「さ、食べましょう。真澄さん」

「うん、ありがとう。いただきます」

 

彼の手料理はいつも通り美味しかった。

食べながら、お話をする。

 

「ひろくん、聞いてよ」

「ん、何ですか?」

「私のお目付け役の看護師さんがね、鍋島ちゃんは覚えがはやくて要領もいいからすごいってほめてくれたの」

「すごいじゃないですか。

真澄さん、昔から仕事早かったですよね」

「んーん、ほんとは私は要領なんてよくないの。

仕事を覚えるのが早かったら、今も君にこんなことさせてないよ…。

全部任せっきりで恥ずかしいよ。

もう1年半だよ、1年半もひろくんに家事を任せきりなんだよ!?

……ごめんね、こんなお姉さんで…」

「…真澄さんは悪くないですよ。

人には向き不向きがありますから。

真澄さんは仕事が早くて、要領もよくて、誰より患者さんのことを考えています。

家事が苦手だとしても、そこは変わりませんから。

だから、自信を持って?

こういう形でしかできないですけど、僕が支えてあげますから」

「…ひろくん……」

 

私は彼のことが好きだ。

私の悪いところを含めて全部知っていて、受けとめてくれる彼のことを、愛している。

でも、私はこの想いを彼には伝えられずにいた。

彼には、私の駄目なところを、それも昔から見せすぎてしまった。

ほぼ間違いなく、彼は私のことを、放っておけないところのある実の姉くらいにしか見ていないだろう。

去年、つまり私が専門学校三回生で彼が大学一回生のときにこの関係が始まったのだけれど、実際彼は私に手を出してこなかった。

つまり勝率はない。

勝率がないのに未だに彼に家事をやってもらっているのは、私が忙しいからというのは理由の半分で、もう半分は惰性でも彼と一緒にいたかったからに他ならない。

我ながら、本当に情けない。

そんな感情と仕事の鬱憤を晴らしてくれるのは―――

 

「ごちそうさま。

今日も飲むんですよね?

おつまみ用意しますから、その間にお風呂に行ってきて下さい」

 

―――お酒だった。

 

 

・・・

 

 

カラスの行水のごとくシャワーを浴びて、髪を乾かしながら、台所にいる彼の様子を見る。

 

(…田酒が半分残っていたから、今日は燗をつけるんだね。

おつまみは…、おおおお!!ホタルイカの沖漬けかな!?どこで、いつのまに買ったの?)

 

彼は、ふんふん~と鼻唄を歌いながら皿にホタルイカを盛りつけていく。

大葉を敷いたりネギとおろししょうがを添えたり、妙に手が込んでいる。

前はそんなに凝っていたわけではなかったけれど、私が誉め続けたらだんだんこうなった。

 

「真澄さん…、シャワーだけとはいえ、もっとしっかり温まってきて下さいよ。

明日に疲れが残っちゃいますよ?」

「いいの!はやくお酒と君のおつまみで一杯やりたいの!

ね、私ぬる燗がいいな」

「…もう、仕方ないですね…」

 

私を心配して、すこし叱ってくれる彼。

私に料理の腕をほめられて、嬉しそうな彼。

いとおしい。

キッチンに立つ彼の背中に抱きついて、感謝と愛の言葉を囁きたい。

でも、できない。

だから、お酒に逃げる。

 

「はい、田酒のぬる燗です。

おつまみはホタルイカの沖漬けです。」

「うわはぁー!いただきまーす!」

 

彼が徳利からお猪口にお酒を注いでくれる。

くっ、と一口、口のなかでぬるく甘い香りの液体を楽しみ、喉に流す。

そのあと、沖漬けを食べる。

ふたくちサイズだけど噛みきれなかったのでひとくちで。

ホタルイカのとろりとした味わい、歯ごたえが田酒の濃い甘みの名残とよく合う。

 

「あぁーーーー~~~……

死んでもいいかな、今」

「何を言っているんですか。

いずれ肝臓が悲鳴をあげる前にほどほどにしないと、本当に死んじゃいますよ」

「いや、いい。

お酒に殺されるならいいよ、私は」

「僕は嫌です」

「…そう?」

「はい」

 

看護学校の実習のハードさにへこたれたときと、私の二十歳の誕生日が、偶然重なってしまった。

それ以来、私は無類の酒好き、特に日本酒に重きを置く徒となった。

酔いたいわけではなく、ただうまいお酒で嫌なことを忘れたいだけ。

酒に強いわけではないから、家で飲むとたいてい潰れるのだけれど。

 

彼はまだ十九歳なので、お酒を固辞している。

そういうわけで、今は彼はあたたかい緑茶を飲むばかり。

私はといえば、すこし酔いが回ってあたたまってきた。

 

「ねぇ、ひろくん。

すこーしだけ、飲んでみない?」

「…もう、飲みませんって。

だいたい、僕の誕生日覚えてますか?」

「えー、……あっ」

「…忘れてたんですね」

「ち、違うよ!酔っちゃったからすぐには出なかっただけだよ!

来月の3日でしょ?すぐだよね!」

「……いいですけどね。

ですから、もうちょっと我慢すれば堂々と飲めるようになるんです。

それまでは飲みませんよ。

…僕も、真澄さんと飲みたいですから」

「ひろくん……。

……よーし、君の誕生日にはお姉さん奮発していいお酒買っちゃうからね!

あ、そう、誕生日といえば、―――」

 

 

・・・

 

 

朝。

きちんとベッドに寝た状態で起床する。

昨日のことは、彼に仕事の管を巻き始めたあたりから覚えていない。

それでも私がベッドにたどり着いていて、テーブルの上も綺麗になっているのは、彼のおかげと言うほかない。

本当に、頭が上がらない。

でも、彼の姿がないのは、寂しかった。

私の介抱をしたあと、自分のアパートに帰っているらしい。

朝は彼に起こしてほしいな、と思う。

とても言えたことではないけれど。

 

のそのそと起きて、歯を磨いて朝シャンを浴びて、冷蔵庫を開ける。

彼の作ってくれた朝食が入っていた。

これも、いつものこと。

レンジで温めて、小鍋の中のものを温めて、ごはんをよそう。

 

「…いただきます」

 

今朝の献立は、だし巻き玉子、トマトサラダ、おしんこ、すまし汁。

お酒でやられた内臓に、トマトがありがたかった。

 

彼のおかげで、余裕を持って出勤できる。

車に乗り込んで、勤務先に向かって走る。

今日も彼は大学の講義を終えて、夕方ごろに私の部屋を訪れるのだろう。

既に、合鍵を渡してある。

また、食費、その他もろもろの費用とある種のバイト代を含めて、月に五万円渡している。

学生のころは材料費で三万円渡してお釣りを返してもらっていたけれど、就職してからは材料費を抜いて月に二万円くらいで彼を雇っている状態だ。

彼は隙あらばなんらかの形で私にお金を返そうとしてくるけれど。

このままでは正しく金の切れ目が縁の切れ目だ。

どうにかしないといけない。

 

 

・・・

 

 

彼の誕生日が近づいてきたので、行きつけの酒屋さんでよさそうなお酒を見繕う。

東西のお酒を備えたこの店の店主は、私のような二十代の女が日本酒に興味を持っていることが嬉しいらしく、とてもよくしてくれる。

 

「すみません、この天狗舞を。

あと、えーと…後輩の二十歳の誕生日で、おいしいお酒をプレゼントしたいんですけれど、なにかおすすめはありますか?」

「毎度。えぇ、そうですねぇ……。

ご予算はどれくらいで?」

「上限なしで」

「ほぉ、そうですか。

でしたら、五日ほどで取り寄せできるおすすめのものがありますが、いかがですかね?」

「五日…、はい、大丈夫です。

……あの、いくらくらいですか?」

 

店主は黙って電卓を叩いた。

私は涙を飲んだ。

 

 

・・・

 

 

「ただいまー」

「おかえりなさい、真澄さん。

もうごはんできてますから、着替えてきてくださいね」

 

彼が私の荷物を受けとり、部屋着を渡してくる。

シャワールームで着替えて、配膳された卓につく。

今夜の献立は何かの豚バラ肉巻き、なすのソテー、大根のなます、お味噌汁。

 

「いただきます」

「いつもありがとう。いただきます」

 

肉巻きの中はいろいろな種類があった。

長ネギ、もやし、あと何かの苗。

 

「おいしいよ!ね、これは何?」

「どうも。それは豆苗ですね。エンドウ豆の若いやつですね」

 

豆苗…、スーパーで見たことがあるような、ないような。

 

「ひろくん、聞いてよ。

同期の看護師がね、同じユニットの医師と付き合ってるらしいの」

「いいことじゃないですか。

珍しくもないんじゃないですか?」

「うーん、医師と看護師のカップルは珍しくないんだけど。

その医師…、奥さんがいるらしいんだよね…」

「えぇー…。

看護師さんのほうは知ってるんですよね?」

「たぶんね。なんだかなぁ…」

 

職場の愚痴を、彼はしっかり聞いてくれる。

私の弱音を、彼は優しく受けとめてくれる。

だから、つい話してしまう。

自分の弱くて駄目なところを、彼の前でさらけ出してしまう。

そんな私を、彼は女性として見ることができるだろうか。

…いや、無理だろう、ずっと前からこうだったのだから、やっぱり姉止まりだ。

 

「ごちそうさま。

今日もおいしかったよ」

「ありがとうございます。

ほめてもおつまみしか出ませんよ。

お風呂行ってきてください」

「はぁーい。……十分すぎるよ」

 

 

一瞬でシャワーを浴び終えて、キッチンの様子を見る。

やはり彼は、ふんふふんと鼻唄を歌いながら調理している。

 

(天狗舞は冷や。

うんうん、山廃の味わい深さが楽しめる飲み方だね。

おつまみは…、冷やっこかな?

…ん?大根おろしをあんなに…、ネギもたくさん。

しらすも乗せるの!?さらに天かす…!

あぁぁ…!仕上げに熱した胡麻油を………!)

 

はやく食べたいので、急いで髪を乾かす。

 

「そんなに急がなくても酒は逃げませんよ」

「急がせてるのは君でしょ!はやく食べたいの!」

「ふふ、嬉しいです」

 

「天狗舞の山廃仕込純米酒と、たぬきやっこです」

「たぬき?あぁ、天かすだからたぬきなの?」

「そういうことです」

「なるほど、いただきます!」

 

ちびり、とお酒をひとくち。

強い味が舌を刺す。

その強さを保って、喉を焼きながら胃に流れ落ちていく。

 

(あ、これすぐ酔うやつだ)

 

たぬきやっこの、上に盛られている薬味はどうしても上手に箸でとれない。

どうにか崩して口に運ぶと、いろいろな味が口に広がる。

薬味の中の大根おろしとポン酢、隠れていたおろししょうが。

遅れてしらすがいい味を出して、それらを胡麻油が包み、やもすれば油っこくなるところを豆腐が土台となってさらに優しく包み込む。

 

「……ねぇ、ここに住まない?

ひろくんの部屋よりここのほうが大学に近いよね?」

 

彼は驚いたような表情を見せた。

 

「もう酔いが回っているんですか?

勘弁してくださいよ」

「…酔ってないし。しらふだし。

ていうか一口しか飲んでないし。」

「まぁ、ここに住めば楽かもしれませんね。

真澄さんのことに集中できるし、僕の部屋よりよっぽど広いし。

大学も、確かにここからのほうが近いです」

「じゃあ!」

「何言ってるんですか。

男女がひとつ屋根の下で暮らしていたら、まわりに誤解されちゃいますよ。

いずれは真澄さんも、お医者さんとかと結婚するんでしょうから…」

「…………そんなの、わかんないよ」

 

ぐぐっ、とお酒を煽る。

今日も慰めておくれ。

 

 

・・・

 

 

今日は仕事がおやすみだから、お部屋でごろごろしていた。

大した趣味もないから、彼にお金を渡してもなお貯まる一方だ。

ふと、彼を大学に迎えにいこうと思った。

私が休みでも家事ができないことに変わりはないので、彼は私のお世話をしに来てくれる。

今日は車で迎えに行って、お買い物を手伝おう。

 

 

夕方、彼の大学の前のコンビニで待ち合わせる。

大学の門から、数人の友達と歩いてくるのが見えた。

女の子もいる。

その光景を見て、疎外感を感じてしまう。

彼は大学生で、私は社会人。

もし彼と恋人になるなら、私よりはあのグループの中の誰かのほうが妥当だろう。

…彼のことを考えたら、やはり自分のことは自分でやって、彼の時間を返してあげるべきなのだろう。

 

「………おーい、おかえりー!」

「はい。すみません、おやすみなのにわざわざ来てもらって…」

「ごめんね、本当に…。

私がまともだったら、休みの日にまでわざわざ家事をしに来てもらわなくてもよかったんだよ…」

「ふふ、それはいいんですよ。

普段忙しいんですから、おやすみの日こそ休んでほしいんです」

「…わざと?」

「え?」

 

彼を車に乗せて、近くのスーパーに向かった。

はじめて乗せたわけではないけれど、少し緊張した。

 

「えっと、あとサラダ油も…」

 

彼は携帯電話を見ながら買い物をすすめていく。

こういう姿を見ると、ただの幼馴染みなのにこんなことまでさせているという罪悪感がすごい。

今度、おいしいレストランにでも連れていってあげよう。

 

「…けっこう買うんだね」

「まあ、二人分ですからね」

「いっつもこれをママチャリで運ぶの?」

「大したことじゃありませんよ」

「…本当に、いつもありがとう」

「…大したことじゃないですって」

 

彼のお財布から出てきた私のお金で会計を済ませて、私の部屋に帰った。

 

「ごはんはすぐにできますけど、お風呂に行ってきてもいいですよ?」

「んー…、じゃあそうしちゃおうかな」

 

今日は私がパスタを所望した。

何パスタが出てくるのだろう。

 

 

シャワールームの扉を開けた瞬間から、いい匂いが漂ってきた。

 

「パスタが茹であがるのと同じ時間でシャワーを浴び終える女性ってどうかと思いますよ」

「い、いいじゃん!今日は休みだったから汚れてないの!

で、それは…」

「はい。久しぶりに作ったんですけど、それなりにできました」

 

今夜の献立は、カルボナーラとレタスサラダ。

お店ではなく自宅でカルボナーラを食べられるとは思わなかった。

 

「いただきます」

「いただきます!」

 

素晴らしい出来だった。

最後に外で食べたのはいつだったか忘れてしまったけれど、そのカルボナーラよりはるかにおいしい。

 

「おいしい!これあと二皿食べられるよ!」

「ふふ、さすがに太りますよ」

 

 

「ごちそうさまでした!おいしかったよ!」

「ありがとうございます。

今日はすぐ飲みます?」

「うん、そうしようかな」

「分かりました、ちょっと待っててくださいね」

 

卓に座ったまま、キッチンの様子を覗き見る。

 

(今日は陸奥八仙で冷酒か。

どうせならお風呂上がりで飲みたかったな。

おつまみは…、おおおっ、お刺身だ!

何魚だろうあれ…。

ん?なんかゴリゴリすりおろしてる?

お刺身に合わせるすりおろすもの…、わさびかしょうが…?)

 

彼がものを持って卓に戻ってきたので、居住まいを正す。

 

「お待たせしました。

陸奥八仙の青ラベルと、アジ刺しのみどり酢和えです」

「み、みどり酢…。

これなに?あっ、まさかわさびじゃないよね!?」

「…ふふ、食べてみてのお楽しみです」

 

刺身にわさびは合うとはいえ、目の前のアジは緑のみぞれと和えられていた。

これがわさびならさすがに罰ゲームだ。

先に陸奥八仙をちびりと飲む。

やはりおいしい。

私は実はいろいろな種類の陸奥八仙を飲んでいるけれど、これはいい。

さて、この和え物は…。

彼はニヤニヤしながら私を見ている。

 

(ええい、ままよ!)

 

一口。

きゅうりのみぞれだった。

アジ刺にきゅうりのさわやかな香りがよく合う。

ポン酢だろうか、酸味と陸奥八仙の相性もばっちりだ。

 

「きゅうりならきゅうりっていいなさいよ!」

「すみません、面白かったもので」

「もう…。

あ、そういえば、今日は大学でひろくんの友達が見えたんだけど…」

「あぁ、はい」

「友達いたんだね」

「…どういう意味ですか?」

「あ、いや違くて、バイトもせずにいっつも私の面倒見てくれるから、大学でうまくやっていけてるのかなって思ってて」

「…ずっとここで家事をしているわけではないですからね。

ちゃんと大学にも行っていますから、そりゃ友達もできますよ」

「そうだよね、…そうだよね、うん…」

 

昔から彼を知っている私としては、彼には彼の世界があるということを信じたくなかった。

私が知る限りの世界の中で生きていてほしかった。

私と彼は幼馴染み、それ以上ではない。

成長するにつれて、私が知っている彼は彼の全てではなく、だんだんと小さくなり、今ではほんの一部になってしまった。

好きで好きで仕方がない。

それでも、弟離れという名目で、彼から卒業しなければいけない。

 

「んん、ふぁぁっ…」

「ん、眠いの?」

「…少しだけ。

真澄さんが寝たら、すぐうちに帰りますよ、ふぅーっ…」

 

彼が、ぐぐっと伸びをする。

そのとき、見えてしまった。

彼のわき腹に、赤い痕があった。

たまに職場に、恥ずかしげもなく首筋に同じ痕をつけてくるひとがいる。

それと同じものに見えた。

混乱してしまう。

 

「……あっ、あは、ちょっと今日は、体調がよくない、かも」

「…え?」

「だから、お酒はもういいや。

アジは、明日食べるよ。

もう寝ることにするから、ひろくんはもう帰りなよ」

「…いえ、体調が悪いならもう少しいますよ。

どこが悪いんですか?」

「一人で大丈夫だよ。

急に酔っちゃって、なんか頭いたいだけだから」

「でも…」

「一人で大丈夫だってば!

…大丈夫だから、ね?

また明日………お願いね………」

「…分かりました。お大事に。

なにかあったらすぐに連絡下さい」

 

彼はテーブルの上を片付けて、出ていった。

 

あの痕がキスマークだとは断定できない。

でも、もしそうなら、彼には恋人がいることになる。

恋人がいるなら、この関係は良いものとは言えない。

やめないといけない。

それも、私の方から言い出すべきだ。

………嫌だ。

幸せだった。

帰ると、おかえりといってくれる人がいる。

その人が作るおいしい手料理を食べて、おいしいお酒を飲んで眠る。

私は彼との間柄は幼馴染みだと自分に言い聞かせながら、本当は彼のことを夫のように慕っていた。

だってこの関係は誰が見ても幼馴染みではなくて、働く妻を支える主夫ではないか。

勘違いしてしまうのは仕方ないではないか。

まして、彼は私がずっとずっと昔から好きだった相手なのだから。

ずるい。

彼はずるい。

私を、彼なしではいられないようにして、そのくせして自分は恋人をつくるなんて、ずるい。

私も、彼に抱きついて、キスして、キスマークをつけたかった。

…彼の誕生日に、この関係を終わらせよう。

彼に恋人がいようといまいと、私の願いは叶わないのだから。

 

 

・・・

 

 

「おかえりなさい」

「ただいま、誕生日おめでとう。

ケーキ買ってきたよ」

「あ、ありがとうございます!やった。

今日は自分の誕生日にかこつけて、ちょっと豪華にしましたから楽しみにしててくださいね」

「ほんと?はやく食べたいな」

 

彼に作ってもらう最後のごはん。

これを食べたら、彼に言おう。

もう私に構わないでいいよ、自分の時間を大事にして。

 

今夜の献立は、ビーフステーキ、サーモンサラダ、オニオンスープ。

ステーキの横にはフライドポテトとブロッコリー、にんじんのグラッセが添えてあるあたり、彼らしいと思った。

 

「いただきます」

「いただきます。…いつも、本当にありがとう」

 

文句なしの味だった。

おいしい。

おいしい。

一生食べていたいくらいおいしい。

でも、おそらくは今後一生食べることはない味。

 

「……ひろくん」

「はい?」

「君は、なんでこんなにお料理が上手なの?

昔からこうだっけ?」

「いえ、まぁ、もともと最低限はできましたけどね。

本格的に練習したのは、真澄さんに作ってあげるようになってからです」

「…そっか。

たった1年半でこんなに上手になるんだね。

すごいよ、ひろくん」

 

私のために磨いた腕。

その腕を、私以外の誰かのために振るうのだろう。

嫌だ。

一生、私のためだけに料理してほしい。

他の人に食べさせないでほしい。

私のために上手くなったのだから、全部私のだ。

そう言いたい。

当然、言えない。

 

いつもより言葉少なく、夕飯を終えた。

 

「ごちそうさま。すっごくおいしかったよ」

「ありがとうございます。

それで、飲むのは冷蔵庫に入ってるやつでいいんですよね?」

「…うん。私からひろ君へのプレゼントだよ。

おつまみもお願い、ね」

「真澄さんらしいです。

ありがとうございます」

 

彼には、お酒の力を借りて伝えようと思う。

そんなことに使うにはもったいないお酒だけど。

 

 

 

「お待たせしました。

路上有花と、ヒラメの昆布締めです」

 

美しいボトルと、敷かれた大葉の上に花のように盛られたヒラメが供された。

 

「じゃあ、僕も飲ませてもらいますね」

「うん。味わって飲んでね?」

 

彼のグラスに少量のお酒を注ぐ。

彼も私に注いでくれる。

 

「じゃあ、あらためて。

誕生日おめでとう、ひろくん」

「…ありがとうございます。

二十歳になりました」

 

酒を煽る。

きらびやかなお酒だった。

 

「おいしいですね。

その、お酒の感想を言う語彙力はないんですけど…、おいしいです」

「…ふふ、そうだね、おいしい」

ヒラメの昆布締めもいい塩梅で、このお酒にたまらなく合う。

ただ、飲み進めても、つらい気持ちはずっとつかえていた。

どれだけいいお酒でも、全てを忘れさせてくれるわけではないようだ。

きっとこのお酒は、楽しい時に華やかに飲んで欲しかったに違いない。

 

「…ねぇ、ひろくん」

「はい」

「………もう、さよならしよっか」

 

唐突に、私の口から言葉がこぼれた。

 

「………」

「…こんなのさ、ひろくんのためにならないよ。

君は私じゃなくて、自分とか、同じ大学の娘とかのために時間を使うべきだよ。

…私は君のこと、世話を焼いてくれる幼馴染みだとか、都合のいい家政婦だとか、そんなふうに思ってるわけじゃないよ。

もっと大事に思ってるの。

大事に思ってるからこそ、君には幸せになってほしい。

彼女さんを大事にしてあげてね。

私のことは心配しなくていいから。

さよならしようって言っても、もう一生会わないわけじゃないからね。

だから…、だから大丈夫、君は、君の………」

 

涙が溢れてきて、そこから先は言葉にならなかった。

 

「…うぁぁ……、ぐずっ、すんっ…

わたし、泣き上戸なのかなぁ……

ごめんなさい、ひうっ、本当に大丈夫なの……」

「…真澄さん」

「……うん…」

 

「本当に、酔ってるときの記憶がないんですね…」

 

「………え?」

「…真澄さんは、これをみて僕に彼女がいるって勘違いしたんですよね?」

 

彼はするするとシャツの裾を持ち上げた。

案の定、赤い痕が残っている。

 

「…そうだけど、なんで知ってるの…」

「真澄さんが今日このタイミングで僕に別れを切り出すのも知っていました。

全部、酔ったときに、あなたから聞きましたから」

「………………え?」

「ねぇ、真澄さん」

「ひゃっ!?」

 

彼の手が私の肩にかかる。

腰にも、もう片方の手が添えられる。

お酒のせいか、据わった目が少し怖い。

 

「あなたに分かりますか、僕の気持ちが。

あなたのことが昔から好きで、でも何でも一人でこなしてしまうあなたに告白なんてできませんでした。

僕が大学生になって、ようやくあなたを支えることができる分野が見つかったんです。

真澄さんには都合のいいやつだと思われてもいい。

ただ、あなたを家事で支えたかった。

それでも、真澄さんの酒癖はひどすぎます。

酔うといつも抱きついてきて、キスされます。

ひたすら好き好きって言われます。

しかも、次の日には全部忘れている。

僕が何を言っても意味がないじゃないですか」

 

衝撃的な発表に、私は目眩がしていた。

彼は私のことを好いてくれていたこと。

これだけでも大きすぎるのに、私は酔って彼にあまりにひどいことをしていたようだった。

 

「あ、あの…ごめんなさい」

「……好きです。真澄さん。

僕と付き合って下さい」

「ちょっ、そんな、急に……っ!

待って、私も、私もひろくんのことが好きだよ!大好き!

ほんとは君なしじゃもう生きていけないの!

あっ、家事とかそういう意味じゃなくてね!」

「…ふふ、ありがとうございます。

知ってますよ、全部あなたから聞きましたから」

 

彼が私を抱き締める。

嗅ぎなれた匂いがして、安心する。

私も、おずおずと腕をまわす。

 

「…いいのかな。

君は、私なんかでいいのかな…」

「真澄さんじゃなきゃいやです。

そんな弱気になって、酔ってるときとは真逆ですね」

「ねぇ酔ってるときの私ひどすぎない!?」

「まぁ、ひどいです。

でも…、本質は素面のときと変わってないなって思いますよ。

…あの、真澄さん。

キスしても、いいですか?」

「えっ!?

…う、うん、いいよっていうか、私も、したい」

 

彼が私の唇を食んだ。

同時に、お酒の匂いが感じられる。

柔らかさとか、歯の硬さとかを感じる度に、ぞくぞくしてしまう。

 

「んちゅっ…、これはファーストキスじゃない…んだよね?」

「そうですね、間違いなくはじめてではないです」

 

くそう…。

 

「…ね、真澄さん。

明日は休みですよね?」

「…うん、希望休をとったよ」

「今日は……そのつもりで来たんですけど。

………いいですか?」

 

彼の手が私の首筋を撫でる。

 

「…その、そっちは、酔ってるときにしてないんだよね…?」

「さすがにしませんよ…」

「…いいよ、しよう。

酔ってるときの私ばっかりずるい。

私だって、君にだきつきたい、キスしたいって思ってたのに、全部とられた。

でもえっちはまだだったんだね…、勝った」

「勝ち負けというか、どっちも自分じゃないですか」

「ふふ…、いっぱいしよ?

君も明日は大学休んじゃえ」

 

彼の首筋に舌を這わす。

 

「っ、そうなるかもしれませんね…」

 

 

・・・

 

 

「おはようございます。体は大丈夫ですか?」

 

私が体を起こすと、彼が声をかけてくれた。

あぁ、朝なのに彼がいる。

少しずつ意識がはっきりしてきて、昨日のことも思い出す。

すごかった。

ここのアパート、そんなに壁は厚くないから…、大丈夫だろうか…。

 

「おはよう、ひろくん。

微妙に違和感あるけど、大丈夫だよ」

 

裸のままだったので、タオルケットを肩にかけて、キッチンに立つ彼の背中に抱きつく。

 

「…ちょっと、真澄さん」

「いいじゃない。朝からしても」

「もうゴムがないからダメです。

それと朝じゃなくて正午です」

 

思わず時計を見て、ああそういえば朝までしてたのかと納得する。

 

「…ねぇ、ひろくん。

好き。

大好きなの。

今こうして、抱きつけるような関係になれて、本当によかった。

好きだよ。

たくさん迷惑かけちゃうと思うけど、これからもよろしくね」

 

抱きしめる力を強める。

 

「…はい、こちらこそよろしくお願いします。

その、僕も…好きですよ。

ようやくあなたに好きといえて、よかった」

 

 

・・・

 

 

『ちゅっ、んぅっ、は、んむっ、はぁっ、ひろくん』

『………』

 

彼女にキスされる。

首を固定されて、脚で胴をからめとられて、身動きがとれない。

 

『ん、えへへ…、好きだよ、ひろくん。好き』

『…僕もですよ、真澄さん…』

『ほんと?私のこと女としてすき?』

『はい』

『じゃあ…恋人同士、だね』

 

嬉しそうに僕の胸に頬を擦り寄せる。

 

『…そうですね』

 

僕は何度、彼女の恋人になっただろう。

昨日と同じように僕の恋人になれたことを喜ぶ彼女を撫でる。

毎日、何も変わらない。

僕は毎日、好きな人に押し倒されて愛を囁かれて、恋人になって、日付が変わればまたただの幼馴染みになる。

つらかった。

でも、彼女の家事を放り出すことはできなかった。

おそらく彼女は独りでは生きていけないし、僕は夜の彼女も好きになってしまったから。

きっと彼女の本心は酔ったときに出ているのだろう。

嘘をつかない夜の彼女。

一途に僕を求める夜の彼女。

そんな彼女にも、僕は恋をしてしまった。

たった一夜でも、夜の彼女の恋人になれることが、つらかったけれどそれ以上に嬉しかった。

 

『…そうだ、君に聞かなきゃいけないことがあった』

『…なんですか?』

『なんで、キスマークがあるの?』

『…それは真澄さんがつけたんですよ』

『嘘。私つけた覚えないよ』

 

彼女はぽろぽろと涙を流した。

なんて言えば分かってもらえるか分からない。

 

『私は君のことがこんなに好きなのに、なんで他の人に体を許すの?

私じゃだめかな?

そんなにプロポーションは悪くないと思うよ?

お願いだから、私のことだけ見てよ。

好きだよ。

好き。

好き…、好き、好きっ、好きっ!

君は私のこと好きじゃないの!?

好きじゃないのにこんなに面倒みてくれるの!?

そうじゃないよね、私のこと好きなんだよね!?

好きって言ってよ!

嘘じゃなくて好きって言って!言って!はやく!』

『……好きですよ。

僕は、昔からあなたのことが好きでした』

『…ほんと!?嘘じゃないよね!?』

『はい、嘘じゃないです』

『じゃあ、上書きしてもいい…?』

 

僕のわき腹に唇を当てて、強く吸う。

僅かに痛みが走って、僕は興奮してしまう。

彼女は僕の腰にしがみついて、必死に痕をつけてくれる。

唇を離してもまだ足りないのか、腰骨に歯をたてはじめた。

がり、ごり、と歯の感触が伝わってくる。

昼の彼女はこんなことしてくれない。

僕の背中を物欲しそうに見つめるだけだ。

彼女は満足したようで、顔をあげてまた僕にキスしてきた。

 

『…んへへ。

ひろくんがどこに行っても、誰のものになっても、また私が上書きしてあげるからね。

一生、私のためだけにお料理を作ってね。

私だけに体を触られてね。

誰かにいっぱいお金もらったとしても、そっちに行っちゃいやだよ?』

『どこにも行きませんよ。

ずっとあなたのそばにいます』

『んんー…、すき…。

ひろくんの誕生日は、すっごいお酒でお祝いしてあげる。

よかった、君に恋人がいないならおいしく飲める』

『ふふ、どういう意味ですか?』

『んーん。君に恋人がいるなら、私なんかに構ってちゃだめだよ!って言おうと思っただけだよ』

『………………そう、ですか。

だいたい、彼女がいるなら誕生日は真澄さんとじゃなくて彼女と過ごしますよ』

『あ、そうかぁ…』

 

それきり、彼女は寝息をたて始めた。

彼女が寝てしまうことは、その日の彼女との別れを意味する。

今夜の彼女とは、もう会えない。

それがいつもさみしくてつらかった。

しかし、今夜の彼女はそれ以上にインパクトのある言葉を別れ際に残した。

どうやら彼女は、僕の誕生日に別れを告げるらしい。

 

『安心して下さい』

 

彼女に囁く。

んー、と返事を返される。

 

『僕は一生、あなたのそばにいます。

一生、あなたのためだけに料理をします。

昨日の自分に嫉妬して噛みついてくるようなあなたが、いとしくて仕方がないんです。

…昼のあなたに、告白するときが来たんですね。

大丈夫、僕はどんなあなたも愛していますよ。

昼も夜も、僕はただあなたのそばにいたい。

ただそれだけですから』

 

彼女はまた、んー、と返事を返したきり、寝息しか立てなくなった。



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