信長公記 (ベータアルファΣ)
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天下人の誕生(プロローグ)

興が乗ったので書いた。更新遅め。


天文三年(1534年)5月、尾張国勝幡(しょばた)

 

「信秀様ァッー!!」

 

勝幡城内に誰もが思わず耳を塞ぐ程な平手政秀の鬱陶しい程の大声が響き渡る。その声に気持ちの良い微睡みから叩き起こされた織田信秀は表情から不機嫌さを滲み出しながら平手の叫びに答える。

 

「なんじゃ、騒々しいぞ。平手よ」

 

「御嫡男が、御嫡男が御生れになりましたぞ!!」

 

平手が騒がしいのはいつも通り、信秀が仕事を少しばかりサボって寝て居たがために起こしにきたのだと思った信秀は溜息を吐く。

 

「まったく平手はいつもいつも………。多少休んだって良いではないか……。ん? 御嫡男? まて。平手よ、御嫡男と言ったか?」

 

「ハッ!! 御嫡男が御生れになりましたぞ!! と言いましたな」

 

信秀は平手の顔を見つめ、まさかと思いながらも言葉を咀嚼する。そして、漸く理解に至った信秀は──絶叫した。

 

「そ、それを早く言わんか──ッ!」

 

「言っておりましたよ、この阿呆様が──ッ!!」

 

ドタドタドタと足音を立てて二人は移動する。そして信秀の正室の土田御前のいる部屋の前に着いた二人はガラッと勢い良く襖を開き、部屋に突入した。

 

「嫡男が生まれたらしいな! 早く見せんか!」

 

突然大音を立て、大声を上げて入室してきた男二人組に土田御前は驚きながら諌める。

 

「そう急ぐ必要も無いでしょうに……吉法師が驚いて泣いてしまいます」

 

「おお、すまんすまん。平手も静かにせい!」

 

「いや、最初から静かでしたがな!! 最初から!!」

 

信秀は平手の抗議を無視して土田御前が抱いている吉法師を覗き込む。赤子とは生命の神秘。それだけで尊いものだが、自分の子供ともなると倍可愛いものだ。それに、吉法師は将来信秀亡き後の織田家を継いで繁栄させる嫡男。期待も合わさってまた倍可愛い。

 

「さて、此奴が儂の嫡子か。ううむ、めんこいな、可愛い」

 

平手も吉法師を覗き込み、信秀の言に同意する。

 

「おお、この可愛らしい吉法師様が信秀様の後を継ぐと考えると期待も高まるものですな!! 」

 

「そうだな……平手の言うとうり、期待も高まるものじゃな。この子なら、儂を超えるやもしれん。と、そう思ってしまうのはその期待故か、それとも儂が子煩悩なだけか──」

 

信秀と平手が語っていることと自分が認識していることにズレがあると二人の会話から気づいた土田御前はそのズレを訂正する。

 

「御二方とも。何を言っているのです? 吉法師は女子(おなご)ですよ?」

 

今明かされた衝撃の事実。

 

「は?」

 

「ん?」

 

無論二人は吉法師は男だと思って居たのでそりゃまあびっくり。

 

「なんじゃと──ッ!」

 

「なんですと──ォッ!!」

 

 

 




織田信長が生まれた場所、月日は様々な説があって確定されていませんが、本作では勝幡城とさせて頂きます。

那古野城説もありますが、那古野城を信秀が僅かな人数で奪ったと記述してある「名古屋合戦記」という軍記物語によると、奪取した年代は天文元年(1532年)。しかしこの年代では、那古野城城主の今川氏豊(今川義元の弟)は12歳。そんな年齢で信秀を招いて連歌会を催していたとな考えづらいですし、那古野城近くの天王社と若宮八幡社が兵火によって焼け落ちたあと天文八年(1539年)に再建されたらしいので那古野城襲撃は天文七年(1538年)とする説が有力。
よって信長誕生の天文三年(1534年)より後の出来事なので。


作者は陣形とか全くわからないので戦の時とか間違ってたら教えて欲しいです


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織田家の馬鹿騒ぎ

文字数少ないけどまだプロローグみたいなもんだから……(震え声)

だって主人公の信長まだ一言も喋ってないんだぜ……


「うーむ、まさか吉法師が女子(おなご)だったとはのぅ……。というか、何故平手はそのことを知らなかったんじゃ」

 

「吉法師様が女子だと気づかなかったことに関してはこの平手、節穴か、平手!! と怒鳴られても良い覚悟にございますぞ!! 」

 

驚愕の事実に動揺する二人が、まあ可愛いので良いかと自己完結しているとそこにただ一人冷静な土田御前がふと思った疑問を提示した。

 

「それはそれとして御二方。そうは思いたくないのですがもしや……嫡男嫡男騒がしく叫びながらこの間に走ってこられましたよね? 」

 

「そうだな……むぅ……ということは他の家臣達に……しまったッ!」

 

土田御前の疑問からあることに思い当たってしまった信秀は顔を青くさせながら一人まだよくわかっていない平手に命をだす。

 

「平手!少しばかり外の様子を伺って来てくれるか!」

 

「ハッ!! この平手にお任せあれ!!」

 

何故信秀が青くなっているのか、よくわかっていないながらも平手はその命令を喜んで受けて外の様子を伺いに行った。

 

 

 

〜数分後〜

 

 

「信秀様ァッ──!! 大変でございます、信秀様ァッ──!!」

 

またもや平手政秀の騒がしい大声が響き渡る。ただ単に声も大きいのに興奮しているが故に何倍も煩い。

 

「煩いぞ、平手。吉法師が起きたらどうするんじゃ!」

 

「申し訳ありませぬ!! それと、大変でございますぞ!!」

 

大変でございますぞ!と何回も壊れたからくり人形のように繰り返す平手に少しばかり苛立ちながら信秀は先を促す。

 

「何回も言わんでいいわ! で、どうじゃった?」

 

「簡単に言うと、城内は信秀様に御嫡男がお生まれになった! と大騒ぎになっております。林秀貞殿、青山与三右衛門殿や内藤勝介殿を初めとして」

 

その事実を聞いた時、信秀はああ、終わった……と思うと同時に電流が頭に走るのを自覚した。そう、もう取り消せないレベルで広まってしまい、お祭り騒ぎになったのならば一層の事大器を感じるこの女子に家を継がせてしまえばいいのだと。

 

「あー……うむ。いっそ、吉法師を嫡男にするぞ、儂は! この子から儂が親馬鹿なせいかもしれんが才能を感じるしの!」

 

信秀は女子の吉法師を嫡男にすると言うが、この戦乱の世ではまず女性の地位は低い。鎌倉時代辺りまでは女性も相続権などがあったらしいが、領地の分割相続で武士たちが苦しくなったりした結果、女性の相続権などが削られていったのだ。一部では女性の相続権も戦国時代には存在していたらしいが、それはどちらかといえば少数派。故に女子を嫡男などとすれば大反対の嵐が巻き起こる可能性が高い。故に信秀の言葉に土田御前は疑問を呈する。

 

「この子を嫡男に? 一体どうするつもりなのです? この子は女子。当主にはなれませぬ。納得しない輩もいるでしょう」

 

「ふ、その点は安心じゃ! 男だと誤魔化せばよいのじゃ! 儂も見た目が女子っぽいとよく言われるし、恐らく吉法師も儂に似るから問題はないはずじゃ」

 

信秀の得意げな表情での説明に土田御前も一応納得したのか、それ以上疑問を呈することは無かった。少しばかり微妙な表情をしていたが。小煩い土田御前が納得したことに気を良くしたのか、信秀のテンションは急上昇。

 

「うむうむ。我ながら良い案じゃ! ははは!!」

 

「流石は信秀様!! いよッ!! 日本一!! 脳筋!!」

 

大人二人が酒でも飲んでいるかのように阿呆な会話をしている脇で、土田御前は頭が痛くなり、こめかみを抑えていた。こいつらほんとうにそれでいいのか、と。

 

 

 




感想、評価、お気に入り登録感謝です

織田信秀は男の娘。
だってよく考えてみてください。
織田信勝、織田信長の父親で、戦国ナンバーワンクラスの美人お市の方の父親ですよ?
ね? これがムキムキマッチョマンな姿とか想像できないじゃないですか(言い訳)

なお織田家はお祭り大好きな感じ。だって当主の信長が催し大好きだし仕方ないね


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幼少の吉法師

こっそり更新。文字数は相変わらず少ないですが。

すまない……更新が遅い上に文字数が少なくてすまない……
忙しくてですね(言い訳)
というか、セイレム早すぎませんか??
忙しいのに追い打ちをかけてくる運営め!(セイレム楽しみだけども)


生まれて間も無い吉法師は、武家の慣わしに従って実母の土田御前ではなく、乳母が育てることになった。だが、吉法師は何が気に入らなかったのか乳母の乳首を噛み切ったのだ。すると勿論、乳母は別の人間になる。しかし、その次の乳母も乳首を噛み切られ、その次も、次の次の乳母も……というように何人もの乳母の乳首は吉法師に噛み切られてしまった。

それ故に、信秀も土田御前も困り果ててていると、ある男の正室が乳母に立候補し抜擢された。池田恒利の正室、養徳院である。信秀らが養徳院もどうせ無理だろうと諦めていると驚くべきことに、養徳院が乳母になり乳を与えると、吉法師は乳首を噛み切らなかったのだ。これには誰もが首を傾げたが理由はいくら考えても誰も分からず、一層不思議であった。

 

なお、その二年後の天文5年(1536年)、吉法師からある物を奪う弟の織田信勝(勘十郎)と、若い時から吉法師に付き従い支えとなる義兄弟の池田恒興が生まれることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「吉法師様」

「……なんじゃ、平手」

「寂しいのですな」

 

平手の言葉に吉法師は沈黙を保つ。が、吉法師はまだ齢10にも満たぬ幼子。ふとしたことで家族の事を想像した吉法師は、涙は我慢することができず静かに涙を流していた。それを見て平手政秀は吉法師を抱きかかえて、自分の膝の上に乗せ頭を撫でる。

 

「勉学は、暫し休みましょうか」

「平手、わしは、わしは。泣いてはおらぬ。織田の家の次の大将たる者わしが……そのようなことをするわけないではないか……」

「良いのです。人とは家族の温もりが恋しいもの。そういうものなのですぞ」

 

吉法師は、織田家の次期当主として育てられた。天文11年(1542年)には、信秀から那古野城は与えられ、平手政秀、林秀貞、青山与三右衛門、内藤勝介ら四人の重臣が教育係として吉法師に帝王学や剣術、学問などを教えたのだ。家を背負って立たなければならない嫡男は帝王学などを幼少期から教え込まれなければならないのだから。

 

しかし、吉法師が那古野城で重臣に預けられた理由は少しばかり違う意味もあった。織田信秀が"東海道一の弓取り"今川義元や"美濃の(まむし)"斎藤道三らと激しく争って居た最中だったため、面倒を見る暇が無かったという事だ。例を挙げるならば、天文11年の松平広忠を支援する今川義元の軍勢と三河国の小豆坂に置いて争う第一次小豆坂の戦いである。

 

このように織田信秀は周りの強敵との戦いで精一杯。それに加えて母親の土田御前は後から生まれた勘十郎が可愛くて仕方のないのか、吉法師に対し構うことは無くなった。

 

それ故に、幼い吉法師は孤独だった。

実の親からの愛情を知らなかったのだ。

 

 




養徳院(1515〜1608)
*信長の乳母にして、池田恒興の母。
*織田信長とは良好な関係を築いていたとか。

池田恒利(?〜1538)
*池田家が重用される元を作った。と言っても、養徳院が乳母になったおかげであるが。

池田恒興(1536〜1584)
*桶狭間の戦いの前から信長に付き従った重臣。
*信長の乳兄弟である。
*小牧・長久手の戦いで戦死。

織田信勝【織田信行、勘十郎、織田信成】(1536〜1557)
*織田信長の弟。
*織田信行と一般的には呼ばれる。
*信長の家老の林秀貞、信勝の家老の柴田勝家らに奉られ信長に反旗を翻すが稲生原の戦いで敗北し、許されるも秘密裏に再び謀反。柴田勝家の密告により謀反が発覚し、信長の仮病により見舞いに誘い出され暗殺された。

「東海道一の弓取り」今川義元(1519〜1560)
*軍事的才能、政治的才能に満ち溢れた戦国大名。
*一般的に無能な公家被れだと見なされているが、そのような事は一切なくとても優れた人物であった。ちなみに、歌の腕前も大したものでは無かったとか。
*駿河、遠江、三河、尾張と今川家の全盛期を作り上げるが桶狭間の戦いで討ち死した。

「美濃の蝮」斉藤道三(1494〜1556)
*戦国期の下剋上と言えば、北条早雲と並びこの男の名が上がる程有名。
*美濃の戦国大名で、土岐氏を追放し美濃を乗っ取った。その経緯故に家臣たちに嫌われており、子供の斎藤義龍と対立すると家臣たちはほぼ義龍に付き従い、道三に付き従う者は少数だった。それ故に信長の救援が間に合わず、敗死する。


史実解説でした。

今回の話は史実からの改変は特にありませんね。
乳母の話はあくまで伝説で事実かはわかりませんが。


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