【完結】Fate/Zero 正義 (いすとわーる)
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プロローグ
《悠久の果てに……》


 

 ある少年がいた。少年は俗に言う《ヒーローもの》の特撮ドラマが大好きだった。

 

「出てこい、モンスター!」

 

 特に少年が気に入っていたのは、ヒーローが怪物を召喚して自分の味方として使役するドラマだった。今少年はその真似事を自宅でしているのだった。

 

「行け、悪いやつをやっつけろ、僕のモンスター!」

 

 両親は近所迷惑だと思い最初は止めさせようとしたが、ある時近所の老人に『微笑ましいですね』と朗らかな表情で言われて以来、好きにさせていた。今も一階のリビングで何時ものように、妄想の中で召喚モンスターを出して悪の怪獣と戦う少年を置いて、母親は二階で洗濯物を取入れていた。

 

「出でよ、僕のモンス――イタッ、な、何?」

 

 特撮ドラマのビデオを流しながらヒーロごっこをしていた少年が真似事を中断し、呻き声をあげた。二階の母親はロールプレイングの一部だと思ってか、あるいは単純に聞こえなかったのか、何の反応も示さない。

 

「な、何これ?」

 

 少年が痛みを感じたのは右手の甲であった。その手には赤い入れ墨があった。当然少年が彫ったものではない。痛みを感じたと同時に、それは突然現れたのだ。

 

「何かの病気かな? ママに言ったら、病院に連れてかれるかな……それは……注射はいやだ!!」

 

 少年は注射が嫌いだった。『これは何かの病気かもしれない』。そう思った少年は一一月に入って寒くなったことにかこつけて、両親に買ってもらったヒーローものの手袋をはめた。

 

「これでよし! ママ、友達と遊びに公園に行ってくるね!」

 

「晩御飯までには帰ってきなさいよ」

 

「はーい!」

 

 手袋をはめたことで、見た目上はその入れ墨は見えなくなった。外に出ることで母親にすぐさま病院に連れていかれることもなくなった。

 子供らしい場当たり的な対策であった。夕方には家に帰らなければならないし、夕食になれば両親に手袋を脱ぐように言われ、それで入れ墨はばれてしまうのは必然であったが、少年はまだ八歳の年若い少年だった。先の事よりも、眼前の苦しみを逃れようとするのは、それもまた必然であった。

 少年にとって幸いなことに、公園には友達がいて、夕方までは一緒に遊ぶことが出来た。しかし皆、日が暮れれば家に帰っていったので、夕暮れ時の今、公園には少年の姿しかなかった。

 

「これから、どうしようかな……」

 

 家に帰るのは、入れ墨を発見され病院に連れていかれるかもしれないので、少年は嫌だった。しかし、日が沈み暗闇の公園に一人ぼっちで残されるのも嫌だった。世の多くの子供同じように少年は暗闇や幽霊が怖かったからだ。

 

「どうしようかな……」

 

 少年は砂場にいた。棒切れを使って砂場に円を使った模様を書いていた。少年の好きなヒーローがモンスターを呼ぶために使う手段が魔方陣であった。少年は自分の不安な心を誤魔化しながらそれを描いていった。

 

「出でよ、僕のモンスター!!」

 

 普段なら人前、友達の前ではヒーロごっごはしないようにしていた。『子供っぽい』と馬鹿にされたことがあり、恥ずかしい思いをしたからだ。だが、今は公園には少年以外誰もいなかった。周囲の目を気にする必要もなく、手にはヒーローものの手袋をはめており、足元には魔方陣モドキがあった。雰囲気はバッチリ出ていた。

 

「出てこい! 僕のモンスター!! 悪いやつをやっつけるんだ!」

 

 心配な気持ちも忘れて、ロールプレイングに浸る少年。どっぷりと夢中にはまっていると夕暮れは終わり、公園は完全な暗闇に包まれていた。

 と、少年の足元が赤く光始めた。

 

「な、何!?」

 

 妄想は吹き飛び驚いて腰を抜かす少年。直後、地面から煙が吹き出す。視界が遮られる。恐怖のあまり少年は動けない。

 数秒後には煙が晴れた。少年の前に赤い中国の民族衣装のような服を纏った白髪のスポーツ刈りの男が立っていた。

 

「ふむ。君が私のマスターか?」

 

 背筋をピンと立てた姿勢の良いその男は、少年に問いかけた。少年は恐怖のあまり、衝撃のあまり口をパクパクと動かすだけだ。

 

「むっ! まさか……」

 

 男はふと何かに気づいたように眉を潜めた。直後顔が硬直し、恐ろしい冷酷な顔へと変貌する。少年は動けない。男は少年へと手を伸ばしてきた。それは《少年の首を絞めるためだった》。

 

「た、たすけて……」

 

 少年が絞り出したのは小さな擦り声だった。しかし男にははっきりとそれが聞こえていた。手が止まる。

 男は逡巡しているようだった。顔は苦悩して表情をコロコロと変えていた。数分の出来事であったが、少年には無限の時間が流れているかのように感じた。

 

「君……名前はなんと言う」

 

 男が突然口を開いた。

 

「……し、《士郎》。《佐藤》 士郎」

 

 唇を震わせながら何とか言葉を発する少年:《佐藤 士郎》。

 男はそれを聞いて眉をピクリと動かした。しかし表情を変えることはない。それからさらに数分が経った。

 男は手を引っ込めて体の横に戻した。

 

「私は君を救おう」

 

 男は士郎に突然そう言い放った。士郎は言葉の意味が理解できなかった。しかし士郎はそれを男に問い質すことは出来なかった。

 何故なら男はそれを言い終わったと同時に、空気中に塵となって消えていったからだ。

 

「う、うあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 さらにそれから数分して何とか口も体も動くようになった士郎は、叫びながら自分の自宅へと全力疾走していった。

 

「ママぁぁぁぁぁ!」

 

「しーくん、遅いじゃない! 晩御飯までには帰ってきなさいって――ど、どうしたの!?」

 

 リビングから玄関まで出てきた母親に士郎は泣きながら、絶叫しながら抱きついた。

 少年はそのあと母親に今日起きたことを洗いざらい全てありのままに話した。

 当然のことだが、母親もそして話をまた聞きした父親も士郎の浮世離れした発言を信じることはなかった。『不良にイタズラとして入れ墨を彫られてしまったのだろう』というのが両親が出した最終的な見解で、警察にもそのように被害届を提出することになった。

 小学校にも事情を説明し、しかるべき専門家に依頼して入れ墨を消すまで、しばらくは手袋をして学校に登校することも認められた。

 折しも士郎達家族が住むこの《冬木》では、猟奇的殺人事件が多発し、世間が騒がしくなっていた。士郎の事件は平時なら大事件であるが、さほど表沙汰にはならず、プライバシーへの配慮もあってテレビや新聞で大きく報道されることもなかったのであった。

 

 




・あとがき

 初めまして。あるいはお久しぶりです。

 作者のいすとわーると言うものです。

 ハッピーエンドの『Fate/Zero』を目指して、この作品を執筆いたしました。

 最新のお話はツイッターで連載しますので、もし宜しければそちらにも遊びに来てください!
 アドレス→https://twitter.com/Houjou_Yuh

 それでは、また会える日を楽しみに待っております!

 感想等ありましたら、お気軽にどうぞ。

 


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前編:英霊召還
《第一話 ウェイバー・ベルベット》


 

「魔術師としての素養は血統によって決まる。これは覆すことの出来ない事実である」

 

 西暦二〇〇四年九月、学園都市《ロンドン時計塔》。魔術師の教育機関として最高峰を誇るこの場所の講堂で、講師ケイネスは手に持っていた生徒の論文を教壇に叩きつけながら、こう言い放った。

 講堂、正確に言えば三〇〇人ほどが収容可能な大講義室の公聴席に座っていた二〇歳前後の一人の青年が立ち上がった。

 

「ウェイバー・ベルベット君。私の生徒の中にこのような妄想を抱くものがいたとは! 実に嘆かわしい」

 

「でも先生僕はそうは思いません。最近、学会で発表された──」

 

 それからウェイバーは、最新の学説も交えた主張でケイネスに論戦を挑み始めた。

 ウェイバーは優秀な学生であり、将来有望な魔術師の卵であった。魔術師としては祖父の代から数えて三代目であり魔術師の世界では《歴史の浅い半人前の家系》出身ながら、エリート魔術師を数多く輩出する最高峰の養成機関:ロンドン時計塔の入学試験をパスし、単位認定が厳しい、通称《地獄のケイネス講座》の学期末試験も常にAランクの最優秀成績で突破してきた秀才であった。現代魔術学では天才とも言える非の打ち所の無い学生であった。

 しかしウェイバーは未だ魔術師の卵であり、学生であった。これが並みの講師相手ならば、もしかしたらこの場では論破することも可能であったかもしれない。

 だが如何せん相手は今時計塔で最も勢いがある講師と評判の、アーチボルト家九代目当主:ケイネス・エルメロイ・アーチボルトである。時計塔の現代魔術科を束ねる部長、すなわち君主(ロード)である彼には権力もあれば、それに見合うだけの実力もあった。ウェイバーの主張は一つ一つしらみ潰しに丁寧に反論され、完璧に論破されてしまった。

 反論にさらなる反論を返すも、もはや土壷にはまっている。その主張には論文に、あるいは最初の主張にあったようなキレは無い。

 

「し、しかし、しぇん生、ぼぉくは、今の旧つぁ……旧態依然としたまじぅ――」

 

 しどろもどろのその反論をケイネスは右手を宙に伸ばし遮った。その手の甲には赤い入れ墨が入っていた。

 

「君の主張は妄言に等しい……そういえば君の家系は魔術師としてはまだ三代しか続いていなかったね。いいかね、君のベルベット家は未だ赤ん坊にも等しい。親に意見する前に、まずは言葉を覚えるのが先じゃないかな?」

 

 ちょうど言葉に詰まり始めていたウェイバーに対する嫌味を込めた発言であり、同時に『この話はこれでお仕舞い』というケイネスの意思表示でもあった。

 しかし主張を論破され、家柄を馬鹿にされたウェイバーからすればたまったものではない。イギリス人だけあって皮肉や嫌味には慣れている彼であったが、こればかりは赤面ものの事態であった。おまけにウェイバーの耳には数人の生徒の嘲笑まで聞こえてきた。

 

「静かに。それでは講義を始める」

 

 嘲笑は止み、講義が始まった。ケイネスは先程のことなど無かったかのように平然と淡々と授業を進めていく。さながらウェイバーとの論戦など羽虫を潰すがごとき些事であったと言わんばかりであった。

 ウェイバーは隣に座っていた友達の『授業は受けていった方がいい』という助言を無視して、講義室を飛び出したのだった。

 

 

 



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《第二話 ケイネス・エルメロイ・アーチボルト》

 

 ケイネスは現代魔術科の一級講師であり、ロードである。現代魔術科とは時計塔にある一二の学科の中で最も新しく、魔術をより使いやすく、分かりやすく、便利にすることを研究する学科であり、時にはパソコンなどのIT機器も活用する時計塔で最も革新的な学科である。家門を問わないので、歴史の浅い家柄のウェイバーのような人間が入学することが多い学科でもある。

 こう言うと、血筋をとかく重視する時計塔で軽んじられる学科のようだが、実際はそうではない。二〇世紀に入って以降、科学の進歩は凄まじく、魔術は完全に衰退の一途を辿(たど)っていた。

 しかし現代魔術科が創設されて以降、家の歴史の浅くても優秀な魔術師を広く集めることが可能となった。

 二一世紀現在の時計塔や魔術師の互助組織:魔術協会が活況を呈し賑わいを見せているのは、この学科のお陰といっても過言ではない。

 ケイネスは今部長室にいた。ある届け物を待っているのだ。と、待ちに待ったノックが聞こえた。

 

「ロード・エルメロイ様。お届け物です」

 

「どうぞ」

 

「失礼します」

 

 部長室に入ってきた配達員から小包を受けとるケイネス。伝票にサインすると配達員は出て行った。

 

「ふむ。手配した通りの物が手に入った。これで私の《聖杯戦争》での勝利は決まったようなものだな。ふ、ふふふ。ハッハッハッ!!」

 

 小包の中身を見て高笑いするケイネス。と再びドアをノックする音がする。自らのハイテンションな言動を聞かれたかと思いギョッとする。表情が固まる。

 

「ケイネス、入るわよ」

 

「あ、あぁ。ソラウか。どうぞ」

 

 ノックをしたのはケイネスの婚約者:ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリであった。美女ではあったが、どこか冷酷な印象で女帝のような風格を持つ人物である。

 

「恐ろしい爆音がこの部屋からしたのだけど、何かあったの?」

 

「……触媒を、聖杯戦争で《サーヴァント》を呼び出す道具を手配していたのだが、それが今届いたんだよ」

 

「へぇー」

 

 ケイネスはソラウに心底惚れていた。彼は傲慢な男であり、また融通の聞かない人間でもあった。嫌味や皮肉をぶつけてくる相手には、何倍にも何一〇倍にも酷い中傷や嫌味、皮肉を返す、というのがケイネスの流儀だった。

 ソラウはケイネスよろしく性格のキツイ、所謂お高い女性であった。傲慢な彼も彼女の前では、まるで形無しであった。

 でも一方でケイネスが彼女に惚れているのはそれが要因の一つかもしれない。人は自分とどこか似ている異性に心惹かれるというのは、昔からよく言われていることである。

 

「ところでソラウ。今日君にここに来てもらったのは、その聖杯戦争における戦術を説明するためだ」

 

「私がサーヴァントに魔力を供給して、あなたは本来の魔力を存分に発揮して、他のマスター達を決闘で駆逐していく。確かそういう方針だったわよね?」

 

「そうだ。マスターとサーヴァントの変則契約。ここ数年、令呪を宿してからというもの聖杯戦争の仕組みを研究してきたが、ついに編み出した最強の戦法。この契約をもってすれば、我々の勝利は決まったようなものだ」

 

 聖杯戦争、サーヴァント。それは日本の地方都市:冬木市で六〇年に一度行われる儀式に関わる用語だ。

 

「万能の願望器《聖杯》を求めて七人の魔術師が、かつてこの世で名声を得た人物の幽霊、つまり英霊(サーヴァント)を召喚して覇を争う殺し合い……それが聖杯戦争だったわよね。それにしてもケイネス、あなたに叶えたい願いがあったなんて意外だったわ。だってあなたは既に望むもの全てを手にしているじゃない?」

 

 卓越した魔術知識と技術、ロードの称号、魔術決闘での数々の華々しい勝利、降霊科ロードの娘でケイネスが一目惚れしたソラウとの恋愛政略結婚。未だ三〇代半ばにもかかわらず、その実績は酸いも甘いも噛み分けた老年魔術師にも匹敵するものであった。将来は時計塔の院長の席も望めるのではないかと周囲は噂し、ケイネスもその未来をどこか予期しているところがあった。

 『この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠け足るところも 無しと思えば』。ケイネスは今人々が望んでやまない栄光の頂点にいるのである。

 

「だからこそだよ。人々が望む欲望の多くを確かに私は既に手にしているかもしれない……だがそれは私の欲を満たすには未だ至らない。私の実力はこんなものではない。まだまだ私の魔道はこれからなのだ。聖杯戦争はそれを象徴することとなる。私のこれからのさらなる栄えある人生を人々に知らしめる勲章となるのだよ」

 

「そう」

 

「……」

 

 身ぶり手振りを加えて、自分に陶酔しながら語ったケイネスにソラウが返したのは、たったそれだけであった。それも『どうでもいい』と言いたげの素っ気ないものだった。

 ただケイネスはソラウに惚れていた。彼のプライドも彼女の前ではまるで存在しないかのようだった。

 ケイネスは押し黙るのみだった。

 

「話を続けましょう、ケイネス」

 

「……あぁ、そうだな。変則契約については口で説明するのは難しい。この文書に纏めておいたので、これを読んでおいてほしい」

 

「面倒ね……」

 

 そう言いつつも、書類を抵抗なく受けとり、ソラウはそれに目を通し始める。

 というのもソラウは魔術師の名家に生まれ、両家の子女として教養や礼儀を叩き込まれた女性であった。実のところソラウはケイネスのことをさほど嫌っているわけではなかった。だからこそ、冷たい発言はすれど大きく見れば、ケイネスの方針に従った行動を取っている。今日の呼び出しに応じたのも、真剣に書類に目を通しているのも、その証明となろう。

 ではなぜ高慢で怜悧な態度でケイネスを翻弄するかと言えば、それは《貴人としての地位を保ち、商品価値を高める》ためであった。言うなれば、ケイネスを牽制し、可能な限り自分を大切に扱うように仕向けるための処世術であった。

 それを理解しているからこそ、ケイネスもプライドを圧し殺した対応をしているという側面があるのである。

 

「ちょっとケイネス、文書はこれであってるの? 変則契約とはまるで関係のないことが書いてあるのだけれど……《新世紀に問う魔道の道》? ケイネス、何なのこれ?」

 

「?! ん!? あぁ、すまない。それは生徒の論文だ。さっきまで読んでいたんだが、厚さが同じくらいでね。ほら、そうだろう? 間違えたよ。こっちだった。すまないね」

 

「とんだ無駄骨を折ったわ。今度からはこんなことがないよう気を付けてよ、ケイネス」

 

 ケイネスがソラウに間違えて渡したのは、ウェイバーが彼に自主的に提出した論文であった。講堂で論争が交わされるキッカケとなったあの論文である。

 近くのソファに座り書類を読み込むソラウ。それを終えた後、分からない部分についての一通りの質問をする。

 変則契約と聖杯戦争についての詳細を彼女は理解した。

 

「召喚はギリシアのマケドニアでと思っている。そうだな……来週ではどうだろうか? 《令呪》も、目当てのサーヴァントを呼び寄せるための《触媒》も手に入ったことだし、召喚は出来るだけ早いほうがいい。アレキサンダーでもイスカンダルでもなく《アレクサンドロス》大王を最強の《役割(クラス)》である剣士(セイバー)で召喚する。これが最も理想だからね。早い者勝ちを狙おうと思う。どうだろう?」

 

「いいわ。予定を空けておきましょう」

 

 令呪とは、聖痕である。加えて聖杯戦争に参加する資格を証明する証でもある。ケイネスの右手にある赤色の入れ墨。それが令呪だ。

 聖杯戦争とは万能の願望器である聖杯を求めて、選ばれし七人の魔術師と魔術師が召喚する七体のサーヴァントによって行われる闘争である。触媒は魔術師が目当てのサーヴァントを呼び出すために使用する道具である。

 聖杯は無機物でありながら意思を持っている。聖杯戦争に参加する魔術師はマスターと呼ばれるが、マスターは全世界の人間から聖杯自身の意思によって選別される。選ばれた人間の右手には赤い入れ墨:令呪があらわれる。

 そしてそのマスターの中から聖杯が自身を与えるに相応しいと思ったものに、奇跡の力を使ってあらゆる願いを叶えることを許すのである。

 聖杯戦争はおおよそ六〇年に一度、日本の地方都市:冬木市で開催される。

 

「そういえばケイネス、最初に渡されたあの論文、一体なんだったの?」

 

「あぁ、あれは私が《期待している》生徒が提出してきた論文だよ。魔術師として血が薄い、未熟な《魔術刻印》や《魔術回路》しか持たない者であっても、合理的で効率的な魔術の運用が出来れば何一〇代も続く名家の人間にも全く劣らない一流の魔術師になれる、とそれには書かれていた。正直思い知らされた……」

 

「信じがたい話ね。魔術の秘奥はたった数代で為せるものではないわ。子へ孫へ、何世代もの人間が魔術を研究・鍛練し、その結果を《魔術刻印》として継承していく。人間の体に臓器のように生まれながら備わっている、魔力を発生させる《魔術回路》を子の代には自分より増やそうと、魔術師として適正のある血統の良い人間と結婚し子供を成そうとする。ちょうど私たちのようにね。だからこそ、代を重ねた魔道の家系が権威を持っている……ケイネス、あなたには悪いけど、その論文で主張されているのは妄想の類いではないの?」

 

「もしそうであったなら、三分の一も読む前に論文はゴミ箱行きになっているさ。当然、授業の冒頭で論文について取り上げ、ましてや論争するなどあり得ない。だがそうはならなかった。何故ならそこに書かれていた新説は、今の旧態依然とした魔術協会に一石を投じうる可能性を持っているからだ。もちろん、今のままでは原石に過ぎないがね」

 

「つまり……ケイネス、あなたが磨いてダイアモンドにすると?」

 

「そういうことだ」

 

「意外と面倒見がいいのね。見直したわ」

 

「(でなければ、君と婚約しようとなんて夢にも思わないだろうさ)……それはどうも」

 

 そんな意地悪なことをつい思ってしまうケイネスなのであった。

 

 



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《第三話 切嗣とアイリスフィール 上》+《Interlude 01 アルトリア・リリィ》

 

《第三話 切嗣とアイリスフィール 上》

 

 

 二〇〇四年一〇月。

 ドイツの雪深い山奥に、白亜の巨大で美麗な西洋式城がある。そこには二〇〇〇年以上も前から続く魔道の大家:アインツベルン家の人々が住んでいる。いや、正確に言えば、人造人間(ホムンクルス)達が住んでいる。

 魔術師は一般論として世俗との関係は総じて薄いものだが、アインツベルンはその中でも別格の存在であった。生活や魔道に必要なものは全て錬金術によって作り出していた。

 事実、九年前に衛宮 切嗣というハグレモノの魔術師傭兵を当主の婿養子に入れるまで約五〇年にも渡り、外界の人間との接触を完全に絶っていたのである。

 

「こんなはずじゃなかった……」

 

 そのアインツベルン城のある一室に衛宮 切嗣がいる。側には妻でホムンクルスのアイリスフィール・フォン・アインツベルンもいる。

 呟いたのは切嗣だった。彼の眼前にある窓の先、切嗣の視界には二人の少女の姿がある。

 雪に覆われた森で《胡桃の冬芽をより多く見つけた方が勝ち》という素朴なゲームに興じる切嗣の愛娘:イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと彼が聖杯戦争に参加するために呼び出した《槍兵(ランサー)》のサーヴァント、白色のドレスにファー付きの薄ピンク色のコートを身に纏ったポニーテールの騎士《姫》:アルトリア・ペンドラゴンの二人である。

 

「今更気にしても仕方ないじゃない。それに私は好きよ、あの子。《アーサー王》は威厳があって冷酷な側面もある王と聞いていたから上手くやっていけるか心配だったけど、彼女とならきっと仲良く、聖杯戦争を戦っていけるわ」

 

「だからこそだよ。戦争というのは、そんな甘いものじゃない。戦争はね……地獄なんだよ、アイリ」

 

 

 

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Interlude 01 アルトリア・リリィ

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 これは今から数日前のことである。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 繰り返すつどに五度。

 ただ、満たされる(とき)を破却する。

 素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。

 降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路(さんさろ)は循環する。

 告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄るべに従い、この意、この(ことわり)に従うならば応えよ。

 誓いを此処(ここ)に。

 我は常世(とこよ)(すべ)ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。

 汝三大の言霊(ことだま)(まと)う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」

 

 アインツベルン城の祈りの間にて、水銀で描いた魔方陣の上で切嗣はサーヴァント召喚の呪文を唱えきった。

 召喚の触媒には聖遺物:《全て遠き理想郷(アヴァロン)》。祭壇に置いてある。

 アヴァロンは聖剣:《約束された勝利の剣(エクスカリバー)》の鞘だ。

 切嗣が呼び出したいのはアーサー王:アルトリア・ペンドラゴン。

 六世紀の始めにブリテン、アイルランド、アイスランド、ノルウェー、フランスにまたがる広大な帝国:ブリテン国を一代にして築き上げ、治めたと《物語:アーサー王伝説》にて語られる名君であった。

 

「あなたが私のマスターですか?」

 

「……だ、誰だお前は!?」

 

 召喚が完了し、祭壇は煙に包まれたが、それが晴れた後現れたのは齢二〇にも満たない、一〇代半ばの少女であった。少女が着ている百合を思わせる白色のドレスには黒色のラインの刺繍が入っている。ほどよい肌の露出から見えるのはきめ細かい白色の肌。

 少女のような美少年などではなく、まごうことなき美少女であった。

 

「私はアルトリア・ペンドラゴン。騎士姫として諸国を巡っています。此度の聖杯戦争ではランサーのクラスで現界しました。どうぞ宜しくお願いします、マスター」

 

「……おちょくっているのか? 君が伝説のアーサー王であるわけがない。アーサーは男性で、三〇代の騎士《王》であるからだ。君は一体何者だ?」

 

「騎士王は私の《未来》の姿です。今は立派な王に、そして騎士になるため修行中の身です。騎士姫の称号は目付けの魔術師:マーリンより命名されました。また、これはサーヴァントとして聖杯より授かった知識によるものですが、国王在位中、私は男として振る舞っていたようです……何分今の私にとっては、騎士王は未来の自分なので実感はありませんが……おそらく現在アーサー王が男として語り継がれているのは、その影響でしょう」

 

「……」

 

 切嗣は手を顎に当てて、黙ってアルトリアを凝視している。威圧しているのではない。アルトリアのランサーとしての戦闘能力をマスターの力で確認しているのだ。

 

「(筋力:D 耐久:C 敏捷:A 魔力:A 幸運:D 宝具:EX 対魔力:C 騎乗:D 直感:A 魔力放出:B 花の旅路:EXか……宝具と保有スキル:《花の旅路》とやらが抜きん出て高いが、他の能力は並みのサーヴァント以下。しかしそれは修行中であるというこの少女の発言に一致している……こんな能力のサーヴァントではまともな戦い方では聖杯戦争を勝ち抜けない……いや、それよりもこの少女が本当にあのアーサー王だというのか? ……こんな年端もいかない子供に大の大人達が、政治家――よりにもよって大帝国を建設し、治めるという過酷な王――という重荷を背をわせたと言うのか!?)」

 

 切嗣は正義の信念を持った悪党であった。

 悪には悪をもって制する。手段など選ばない。それが彼の心情であった。

 そんな切嗣が聖杯にかける祈りは《恒久的世界平和》。この地上からあらゆる争いを根絶すること。

 自分が今後聖杯戦争で劣勢に立たされるということよりも、世の不条理に怒りを覚えてしまうのが、《正義の悪党》衛宮 切嗣である。

 場には重苦しい空気が流れている。その静寂を破ったのは、アインツベルンの現当主:ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンであった。アハト翁と呼ばれている。

 暗殺者(アサシン)魔術師(キャスター)のサーヴァントを召喚したいと希望していた切嗣の意見を無視し、強硬に《自分が考えた最強のサーヴァント》であるアーサー王をセイバーのクラスで召喚するべきであると主張し、押し通した張本人がアハト翁であったからだ。

 彼は焦っていた。

 

「エクスカリバーは? エクスカリバーをそなたは持っているのか!? 輝ける()の剣こそは、過去、現在、未来を通じ戦場に散っていく全ての強者(つわもの)達が、今際(いまわ)のきわに懐く、悲しくも尊きユメ。その意志を誇りと掲げ、その信義を貫けと(ただ)す。そなたがアーサー王だと言うのなら、エクスカリバーを持っているはず! それを早く我らに見せてくれ! さすれば、切嗣もそなたの実力を認めるはずだ!! さあ、早く見せよ、彼の黄金の剣を!」

 

「大お祖父さま、彼女は――」

 

「すみません。私はランサーのサーヴァントです。此度の聖杯戦争ではエクスカリバーを持参しておりません」

 

「な、なんだと!? なんということだ……我等アインツベルンの悲願:《第三魔法の成就》は此度の第四次聖杯戦争でも成せないというのか……」

 

 アインツベルン家は聖杯戦争で勝ち残ったマスターとサーヴァントが手に入れる奇跡を産み出す大聖杯を造った一族である。

 令呪を作った間桐家、儀式の場を提供した遠坂家。

 これら三家族出身のマスターは御三家と呼ばれ、聖杯戦争においていくつかの特権を有している。

 さて、それはともかくアハト翁が聖杯に託す望みは第三魔法の実現であった。第三魔法とは、対象となった人間を不老不死にする魔法である。

 今回で聖杯戦争は四回目だが、ただの一度も聖杯が奇跡を叶えたことはなかった。

 それは、戦争を勝ち抜いたマスターとサーヴァントが現れなかった、あるいは、勝ち残ったとしても聖杯が奇跡を与えるに相応しいと思うマスターとサーヴァントではなかったからであった。

 

「ご老人! しっかりしてください、お気を確かに!!」

 

 アルトリアは、床に座り込み絶望と苦悩に顔を歪め、眼を涙に曇らせるアハト翁に駆けより、彼の肩を持ち上げ長椅子に座らせた。

 アルトリアは未熟ではあったが騎士であった。弱きを助け、強きを挫く。

 たとえ自分を見くびるものが相手であっても、それはもちろん変わらなかった。

 

「(戦略の練り直しが必要だ……)」

 

 切嗣は脇に置いたビジネスバックから書類を取り出す。そこには諜報活動によって手に入れた情報が書かれている。聖杯戦争に参加する他のマスターとサーヴァントの情報である。

 祈りの間は数十分もの間、ただ沈黙が支配していた。聞こえるのは、時折アルトリアが落ち込んだアハト翁を気遣う声と切嗣が書類を捲る音だけだ。

 いたたまれないのは何もすることがないアイリスフィールだった。と、彼女が何か思い出したようで、ハッと目を見開いた。しばらくしてアイリスフィールは思い切って口を動かした。

 

「そういえばアルトリア。アヴァロンのことなんだけど、私、アイリスフィールに預けてもらえないかしら?」

 

「アヴァロンをですか? ……アイリスフィール、ご存知かもしれませんが、あれは宝具です。装備すればあらゆる傷や病、あるいは呪いを無効化・治療し、真名解放を行えばどんな攻撃でも防ぐ鉄壁の防御壁となります。申し訳ないですが、アヴァロンは渡せませんし、それは切嗣やアイリスフィールのためにもならないと思います」

 

「もちろん、理由はあるのよ。アルトリア、私は《小聖杯》なの」

 

 宝具とはサーヴァントが使う強力な武器や防具のことだ。宝具によっては真名解放によって更に強力な効果を発揮できるものもある。

 宝具はそのサーヴァントに由来する逸話が具現化したものであり、例えばアヴァロンはアーサー王が亡くなった場所の名前に由来している。

 長く世の中でアーサー王の伝説が語り継がれたことから、宝具として具現化したアヴァロンは不死性を象徴する回復と防御の効果を持っているのである。

 

「『小聖杯を最後まで確保していたマスターとサーヴァントに、聖杯本体である《大聖杯》は奇跡を叶える権利を与える』。アイリスフィール、あなたは人間ではないと?」

 

「私はホムンクルス。人間によって作られた人造人間。見た目は人間だけれど中身は違うの。聖杯戦争が終盤になるにしたがって私は徐々に人間から小聖杯へと変化する。倒されたサーヴァントの魂を吸収して、それを魔力に変換して大聖杯に送る。そして最後には大聖杯に蓄えた魔力を吸収して、私はその体を願望器である聖杯へと変える。私は人というより本質的には物に近いの。ロボットでいうところの人工知能(AI)。それが私、アイリスフィール」

 

「……」

 

「当然サーヴァントの魂を魔力に変換するのには相当な負荷がかかる。最後にはまともに歩くことすら出来なくなってしまう……だけど、あなたのアヴァロンがあれば違うわ。持ち主の体を無限に回復し続けるその宝具があれば、私は最後まで人間のままでいられる。《生きて》《アイリスフィールのままで》このアインツベルン城に帰ってこれる」

 

「!?」

 

「もちろん私だけが得をするというわけではないのよ。私のこの体の全身には魔術回路が張り巡らせてある。一流の魔術師でさえ到底不可能な量の魔力を生成して、魔術で戦うことができる。いざとなれば、私さえ逃げ切れば聖杯としての機能で、あなたの願いや切嗣の願いを叶えることができるの……だからお願いアルトリア。私にあなたの宝具を貸していただけませんか?」

 

 アイリスフィールは立ち上がりペコリと九〇度腰を曲げた。彼女の最愛の夫、切嗣の故郷:日本で人に頼んだり、謝ったりするときにされる最大限の礼節の表し方だった。

 

「……」

 

 しかしアルトリアからの返答は無かった。アイリスフィールの心は沈んでいく。とはいえ諦めたわけではなかった。彼女は顔をあげた。

 

「!?」

 

 顔をあげたアイリスフィールが見たのは予想外の光景であった。アルトリアもその腰を九〇度折り曲げていたのだ。少ししてアルトリアも顔をあげた。

 

「そういうことならば当然アヴァロンはあなたにお貸し致します、アイリスフィール。それよりも謝らなければならないのは私の方だ。これから背中を預けあって死線を潜り抜けるあなたを信用せず、疑ってかかってしまった。申し訳ありません、騎士としてあるまじき行いでした……お許しを」

 

「そんな……謝る必要なんてないわ。ありがとうアルトリア、一緒に聖杯戦争を勝ち抜きましょう」

 

「はい。宜しくお願いします、アイリスフィール」

 

 手を差し出すアイリスフィールとそれを握るアルトリア。二人の間に信頼関係が生まれた。

 

「ランサー、用事が済んだのなら《霊体化》していてくれ」

 

 アヴァロンの問題が片付き、アイリスフィールが切嗣と自分の経歴や聖杯に託す祈り:《恒久的世界平和》を説明した後、二人が何気ない日常会話を始めたのを確認した切嗣は、アルトリアにそう言い放った。

 

「サーヴァントを現界し続けるのに必要な魔力の大半は大聖杯が賄ってくれているが、僕もそれなりに魔力を使用する。魔術回路を稼働させ続ければ、僕に疲労が溜まっていく。聖杯戦争には万全の状態で挑みたいからね。これからは用事がないときは、魔力消費を抑えられる霊体になっていてくれ」

 

 召喚の魔術は、呼び出す対象が何なのか、で消費する魔力が変わる。サーヴァントは強力で、消費魔力は莫大なものになる。

 消費魔力はサーヴァントがこの世に実体のない霊の状態であるなら大聖杯が過去の聖杯戦争で溜め込んだ魔力で全て補ってくれているが、現界、すなわち霊でない実体の状態でいるときは、応分の負担を魔術師に求めてくる。

 霊体化すればサーヴァントは攻撃することは出来ないが、攻撃を受けることもなくなるし、他のマスターの諜報活動にさらされることもなくなる。霊体化には色々なメリットがある。

 切嗣がアルトリアに霊体化を求めるのは冷たい対応にも見えるが、マスターとして当然の策とも言えた。

 

「……申し訳ありません。実は私は霊体化出来ないのです」

 

「何だって?」

 

 だからこそ切嗣は思わず反射的に訊き返してしまった。

 

「呼び出された過去の私は――私からすれば未来の自分なのですが――《今も》カムランの丘で《生きて》いるようなのです。何分私が経験したことではなく、知識としてあるだけなので実感はないのですが……ともかく未来の私はカムランの丘にて息子:モードレッド率いる反乱軍を鎮圧したものの、瀕死のダメージを負ってしまいました。このままではブリテン国が危機に見舞われると憂いた未来の私は、聖杯と契約を交し、滅びの運命にある帝国を救うためこの聖杯戦争に参上しました。つまり、私は死んでいないので霊にはなれないのです」

 

「何てことだ!」

 

 ここまで落ち着きを払って資料に目を通し、パソコンを弄っていた切嗣がついに動揺のあまり感情を荒げて大声を上げた。

 ちなみにアハト翁は精神を取り乱すあまり体調不良に陥り、メイドのサラとリーゼリットに連れられ、別室で休息を取っている。

 

「ランサーの最大の長所は敏捷性。取るべき作戦はヒット&アウェイ。実体化と霊体化を繰り返すことで、敵を奇襲し、しかし深入りせずに危険を感じれば、すぐに退却することで敵の疲労と消耗を誘う。それがランサーの最大の強みなんだ! それが霊体化出来ないだって? 一体僕達はどうやって聖杯戦争を勝ち抜いていけばいいんだ!?」

 

 ここまで冷静さを保っていた切嗣が狼狽していた。感情を振り乱し、周囲に自分の驚愕を隠すことなく表現していた。

 霊体化出来ないこと。それはサーヴァント、とりわけランサーにとって致命的な弱点と言えたからだ。

 

「……」

 

 アルトリアは呆然としていた。

 そして急に切嗣達に背を向けると祈りの間を飛び出していった。

 アルトリアが何を思ってここを飛び出していったか? 大人である切嗣とアイリスフィールには勿論分かっていた。

 

「ねぇ切嗣、彼女、アルトリアはまだ子供。か弱い少女なのよ。王ではなく、騎士でもなく、大人ですらない。大お祖父様や切嗣、私を含めた皆が失望しているのは彼女も勿論感じ取っていた。子供の心は繊細よ。イリヤを子育てしている私もあなたも、それは十分に理解してる……彼女も辛かったのよ。それでも気丈に、騎士らしく振る舞ってた……私達、大人なのにそんな彼女の心を全く理解して――少なくとも気遣うことが出来ていなかった……ねぇ切嗣、これってとっても恥ずかしいことだとは思わない?」

 

「……」

 

 切嗣はそれからちょっとして祈りの間を後にした。

 アルトリアに謝るためだった。

 契約によって繋がった魔力供給のラインのおかげで、マスターである切嗣にはアルトリアの気配を常に感じ取れる。彼女がどこにいるのかは分かっていた。

 

「……切嗣ですか? 何の御用でしょう?」

 

 雪原が見渡せるバルコニーにアルトリアはいた。切嗣が近づくと彼女は振り向いた。顔には涙や鼻水を拭った跡があり、声は震えていた。

 

「すまなかった、アルトリア。許してほしい……」

 

 今度は切嗣が腰を九〇度折った。事実彼は自分を恥じていた。

 彼は確かに、目的のためには手段を選ばない悪党であった。だが人間であり、当然感情もあった。手段を選ばないのは、それが正義の為であるからだ。

 ここで何をするのが正義なのか? 当然それを切嗣は弁えていた。

 

「や、やめてください。あなたは何も悪くない……全ては私の力不足が原因です。謝るべきは私の方です」

 

 アルトリアはどこまでも礼儀正しく、謙虚であり、また根っからの騎士の卵であった。

 『雨降って地固まる』。古くからあるこの(ことわざ)のように、この時に切嗣とアルトリアは、これからはキチンと膝を付け合わせて、お互いのことを深く理解し合い、共に作戦を練って聖杯戦争を勝ち抜こうと、固く心に誓ったのであった。

 ところでもしかすると、この信頼が生まれたのは、アルトリア固有のスキル、すなわち保有スキル:花の旅路の賜物であったのかもしれない。

 

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Interlude 01 END

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《第四話 切嗣とアイリスフィール 下》+《第五話 アインツベルンの森にて》

 

《第四話 切嗣とアイリスフィール 下》

 

 

 時は現在に戻る。

 切嗣とアイリスフィールはアインツベルン城の一室、彼女の私室で紅茶を飲みながら、決定した今後の方針についての最終確認をしていた。

 

「確認だ、アイリ。召喚前に想定していた『アイリがアルトリアのマスターとして振る舞い、君達に意識を集中している敵のマスター達を不意打ちで僕と舞弥で殲滅(せんめつ)していく』という戦法は止めようと思う。アルトリアの戦闘能力では強力なサーヴァント相手では苦戦するのは目に見えているし、霊体化も出来ない以上撤退も出来ない。確実に勝利出来る戦い以外はさせたくないからね。囮など論外だ」

 

「そうね。切嗣の言う通りだわ」

 

 アイリスフィールはアルトリアのことを気に入っていたし、騎士道を志す心根の真っ直ぐな少女だとは思っていたが、現実も(わきま)えていた。切嗣の方針に文句は無かった。

 

「アルトリアの最大の強みは宝具だ。これを最大限生かすため、序盤は三人で拠点を転々と変えながら敵に居場所を察知されないよう冬木中を逃げ回る。情報収集は舞弥にやってもらう。中盤になれば、集めた情報を元にして消耗したサーヴァントやマスターを宝具で確実に仕留めていく。終盤は四つある聖杯の降臨場所のいずれかに陣取り、聖杯の降臨まで防衛戦に徹する。これで問題ないね?」

 

「ええ。舞弥さんの拠点探しは順調?」

 

「二、三の目星はついたという報告が今朝あった。たぶん倍の数は最終的には見つかるだろう」

 

「それなら安心ね」

 

 舞弥、久宇 舞弥は切嗣の部下である。先行して冬木入りしている。

 

「問題はアルトリアの宝具だ……あまりに《強力すぎる》」

 

「《最果てに輝ける槍(ロンゴミニアド)》。エクスカリバーに並ぶと言われている神造兵装。いえ、実際はそれ以上。真名解放によって合計一三ある拘束を全て解放すれば、現実の物理法則によって成り立つ世界は剥がれ落ち、過去のものとなった幻想法則が現れ、世界は神代に逆戻りしてしまう。つまり《世界は滅亡する》……まさに諸刃の刃ね」

 

「それだけじゃない。ロンゴミニアドは扱いづらい宝具だ。拘束を七つ以上解除すれば《対界》宝具となるが六までは《対人》、《対軍》、《対城》宝具のいずれかになる。だが解放するまでどの種類のどんなランクの宝具なのかは分からないし、一度拘束を解除すれば、もうその拘束を復活させることは出来ない。対界宝具は消費魔力もさることながら、使用すれば大なり小なり、この世界の理を破壊してしまう。最低の七の拘束を外した状態の宝具でさえ世界にどんな悪影響が出るのか、想像すらつかない。たとえこの世界を破壊することはなくても、大聖杯を意図せず破壊して、最悪聖杯戦争そのものを崩壊させてしまうことも十分にあり得る。ロンゴミニアド 、これは現代兵器でいうところの原爆や水爆に匹敵するものだ。不用意には使えない……こんなことは言いたくないけど、本当にやっかいだよ、あの騎士姫様は」

 

 紅茶のカップを置き、椅子から立ち上がる切嗣。向かう先は部屋の窓だ。窓から見えるのは、馬に乗って雪原を駆けている二人の少女の姿であった。

 

 

 

《第五話 アインツベルンの森にて》

 

 アルトリアとイリヤはアインツベルンの森をアルトリアの愛馬:リリィに乗って疾走していた。

 

「すごいね、リリィ。雪の上を裸足で駆けて寒くないの?」

 

「私とリリィは精霊:湖の乙女から加護を受けているので、雪の上や氷の上、水面上でさえ何の苦もなく走り抜けることが出来ます。もちろん、寒さは微塵も感じません。ねぇ、リリィ」

 

 アルトリアがリリィの首を撫でつつ問い掛けると、リリィは嬉しそうに(いなな)いた。

 

「アルトリアとリリィは凄いね。まるでキリツグが観せてくれたエイガのヒーローみたい。優しいし、強いし! 私もアルトリアみたいになれるかな?」

 

「……え、えぇ、もちろんなれますよイリヤ。それを証拠にクルミの冬芽をあなたは私よりも多く見つけられたでしょう?」

 

「えへへ、そうかな。悔しかったらいつでも再戦してあげるよ。チャンピオンはいつでも挑戦を受けるのだ!」

 

 腰に手を当ててエッヘンと胸を張るイリヤ。彼女はアルトリアの前でリリィに股がっていたが、振り向かなかったので、あることに気づかなかった。

 何かというと、アルトリアの瞳から涙が流れていたことにである。

 

「(私の力不足とはいえ、最近は自分の未熟さを思い知ることが多かった……落ち込むことも、バルコニーの時以来切嗣達前では控えていた。本当は辛くて聖杯戦争なんて投げ出したいのに、耐えて頑張ってた……有難うイリヤ、あなたのおかげで元気が出てきました)」

 

 イリヤがキリツグとのクルミ探しの思い出を語り始める中、アルトリアはそんなことを思っていた。

 アルトリア自身、自分が子供だということも分かっていて、大人である切嗣やアイリスフィールの意見は尊重しなければならないことは分かっている。

 しかし彼らの意見や聖杯戦争での方針は騎士道を志すアルトリアには到底受け入れられないものも多かった。当然反論するも、未だ人生経験が浅いためか二人に簡単に言いくるめられてしまう。

 仲は良くなったが、二人から蚊帳の外におかれ、一人前扱いされていないようで、アルトリアの繊細な心は大きく傷ついていたのだ。

 

「よし! スピードを上げますよ、イリヤ。しっかりリリィに掴まってください!!」

 

「うん! 分かった!」

 

 しかし同時に気を取り直すのが上手いのがアルトリアでもあった。

 昔からたっぷりと食事を取れば他人との(いさか)いも、地平の彼方へと忘れ去ることが出来るのが彼女の長所であった。

 今回の出来事もその内、記憶の底に埋没することはアルトリアにも分かっていた。

 

「(後ろばかり向いていては騎士の名が泣きます! 今はこの小さな姫をエスコートして楽しませるのが私の務めです!!)」

 

 そう前向きになって、華麗な馬術でイリヤを楽しませるアルトリアなのであった。



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《第六話 遠坂陣営》

 

 聖杯戦争に最初の脱落者が出た。

 霊器盤でその事実を確認した儀式の監督役:言峰 璃正はすぐさま遠坂 時臣に連絡を取った。

 

「バーサーカーのサーヴァントが現界した直後に消失した……なるほど」

 

 時臣は聞いた情報を反復し、しばらくして再度口を開いた。

 

「恐らく、強力なサーヴァントを手にしたいと思ったマスターが、ステータス補正を受けられるバーサーカーのクラスで英霊を召喚したものの、予想以上に強力な魔力負担に耐えかねて、サーヴァントを自決させたか、あるいはマスターが瞬時に自滅したか……そんなところでしょうか?」

 

『わしもそう()んでいます。聖堂教会に至急調査をするよう手配したので、直に詳細が明らかとなるでしょう』

 

「有難う御座います。私も魔術協会の知己(ちき)に当たってみようと思います……実は神父、私のもとにある情報が舞い込んでいたのです。もしかするとこれは、思いもよらぬ福音かもしれません」

 

『ふむ。というと?』

 

「実はロンドン時計塔講師のロード・エルメロイがギリシャのマケドニアにサーヴァント召喚のため幾度となく出向いているという情報が流れていたのです……ただ必ず婚約者を連れてロンドンを出発していたということもあって、ハネムーンだと思い、それ以降あまり気にかけていなかったのですが……神父のバーサーカーの情報を聞いて、これはもしやと」

 

『ロード・エルメロイは聖堂教会にもその名の轟く若手の実力派魔術師。聖杯戦争に参加しようとしているという噂も確かにあった……彼が脱落したとなれば時臣君、間違いなく我々にとって福音となる。その線の調査は特に重点的にするようにと伝えておこう』

 

「重ねて有難う御座います、神父」

 

『なに。わしは亡き友……時臣君のお祖父さんとの約束を果たしているだけです。もちろん君の人柄も信頼しています……時臣君、必ずや勝利を我々の手に!』

 

「はい神父。必ずや」

 

 ほどなくして通話は終わった。といっても通話は電話ではなく、魔導器を通してだ。

 遠坂 時臣は魔術師だ。日本の冬木の地に根を張っており、まもなく行われる第四次聖杯戦争に《始まりの御三家》の一角として参戦する予定の有力魔術師だ。

 

「ふむ……バーサーカーとアーチャーが現界した以上、準備は整った。私もサーヴァント召喚の準備に取りかかるか」

 

 私室の書斎で手を組み、物思いに耽っていた時臣であったが、決意が固まり、そう呟いた。

 

「英雄王:ギルガメッシュ。紀元前三〇〇〇年に人類初の文明を築き上げたシュメール人が作り上げた叙事詩に登場する伝説の人物。聖杯戦争に召喚される英霊は古ければ古いほど、有名であれば有名であるほどに強力なサーヴァントとして召喚される。ギルガメッシュであれば、申し分ない」

 

 書斎の机の上には、太古の蛇の脱皮の脱け殻が入った重厚な箱が置かれている。英雄王ギルガメッシュに由来する聖遺物だ。

 

「しかしだからこそ召喚するクラスを選ぶ必要があった。バーサーカーでは魔力消費が激しく、並みの魔術師程度の魔術回路しか持たない私では扱いきれない……ロード・エルメロイ。才能への自負が裏目に出たな」

 

 聖杯戦争に召喚されるサーヴァントは七体であり、それぞれのサーヴァントはクラスを与えられている。

 剣士(セイバー)槍兵(ランサー)弓兵(アーチャー)騎兵(ライダー)狂戦士(バーサーカー)魔術師(キャスター)暗殺者(アサシン)がそのクラスである。

 

「バーサーカーは強力なステータス上方補正を受けられる代わりに、マスターの消費魔力が激増し、サーヴァントも理性を奪われるという特殊クラス。使い勝手が悪いので、我々御三家のマスターはもちろんのこと、まともな思慮のある魔術師なら選ぼうとは思わないクラスだが、ロード・エルメロイはあらゆる意味で普通の魔術師ではなかった。それゆえに博打を打ち、失敗した……辻褄はついているな、やはりこの線は十二分に考えられる」

 

 ところで七体のサーヴァントは、全員別のクラスを与えられて召喚されるので、サーヴァントが召喚されればされるほど、残されたマスターが召喚できるクラスの選択肢は狭められていく。

 しかしそれは同時に、後になればなるほどマスターは自分のサーヴァントを任意のクラスで呼び出しやすくなるということも示している。

 

「厄介なクラスなのはバーサーカーとアーチャーだ。バーサーカーはもちろんのこと、アーチャーも必ず単独行動スキルが与えられる、という懸念すべきクラスだった」

 

 スキルとはサーヴァントに付加される特殊能力のことである。単独行動スキルは、サーヴァントがマスターの魔力供給無しで長時間現界出来る能力。

 アーチャーはステータスに恵まれた三大騎士クラスに数えられる強力なクラスでありながら魔力供給を抑えられる単独行動スキルまで持つ最強とも言っていいクラスである。

 しかし一方で、魔力供給がなくても現界出来るというスキルを生かしてサーヴァントがマスターを裏切って殺すなどの可能性もあり、諸刃の剣ともいえるクラスであった。

 『常に余裕を持って、優雅たれ』。貴族然としながらも、懐の大きさを見せるのが時臣の心情である以上、裏切りを警戒しながら戦っていくのは性に合わないと彼は思っていたのだ。

 

「時は来た。召喚の準備を始めよう」

 

 心を決めた時臣はそう呟くと、愛弟子の言峰 綺礼に決意を伝え、その父にして聖杯戦争監督役、そして自身の協力者である言峰 璃正神父へと連絡を入れた。

 

「この戦い、我々の勝利です」

 

 思わずそんなことも口走る時臣なのであった。

 



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《Interlude 02 間桐 雁夜》

 

 間桐 雁夜はサーヴァント召喚のため、冬木の地にある間桐家の邸宅地下にて召喚の準備に取りかかっていた。

 

「ところで雁夜。覚えてきた召喚の呪文にもう二節、詠唱を差し挟んでもらおうかのう」

 

「どういうことだ?」

 

 問いをとうたのが雁夜。提案を投げ掛けたのは彼の父:間桐 臓硯である。

 

「なに、単純なことじゃよ。雁夜、オヌシの魔術師としての格は他のマスター共に比べて(いささ)か以上に劣るでな。それではサーヴァントの基礎能力にも影響しよう。ゆえにお前にはバーサーカーのクラスでサーヴァントを召喚してもらおうかと思ってな」

 

「……」

 

「貴様の命はあと持って一月といったところ。他のマスター共とは違い、聖杯戦争に勝利したあとのことは考えなくても良い。ならば負担はかかるが、ステータス補正のあるバーサーカーのサーヴァントを召喚するのが、オヌシの戦略に沿うものだと、そう思ったまでじゃ……召喚の触媒を用意し、作戦まで練ってやったこの父の親切を無にするでないぞ。クッカカカカカ!!」

 

 高笑いする臓硯。

 

「断る」

 

「なんじゃと!?」

 

 しかし雁夜の返答は臓硯の予想を裏切るものであった。上機嫌から一転、怪訝な表情に変わる。

 

「あんたは俺の苦しむ姿が見たいだけだろ? そんなふざけた作戦、俺は受け入れられない。臓硯、俺が独自に何の下調べもせずに聖杯戦争に参加しようと決めたとでも思っているのか?」

 

「何のことじゃ?」

 

 しらばっくれる臓硯。しかしそれは彼の思惑が見透かされ、動揺したがゆえにであった。

 

「とぼけるなよ、臓硯。あんたはこれまでのバーサーカーのマスターの末路を知っているはずだ。皆、強力なサーヴァントを召喚できるというメリットにつられて召喚したものの、思惑が外れ無惨な末路を迎えた」

 

「ほう」

 

「刻印虫で急場仕立てした俺のような半人前魔術師にバーサーカーのサーヴァントを上手く扱えるはずがない……アンタは俺を騙して絶望にくれる姿を見たかっただけなんだろう、お父さん?」

 

「……流石(さすが)じゃな。かつてワシを謀ってこの間桐の家を首尾よく抜け出しただけのことはある……憎たらしい息子よ、全くもってな。貴様が素直に間桐を継げば、今のように家が零落することもなかった! それをお前という奴は――」

 

「その話は聞き飽きた。召喚の準備に取りかかろう。俺は聖杯戦争に勝ち抜き、聖杯をアンタに渡す。それでアンタは不老不死の夢を叶えればいい。引き換えに桜を解放しろ。これが取引条件だ。忘れるなよ、臓硯」

 

「なんとも冷たい親不孝な息子じゃのう……おうおう、分かっておるわ。貴様ごときに出来るものならやってみるがよい」

 

 ところで臓硯は齢にして六〇〇を超えていた。しかし戸籍上は雁夜の父であり、実際そうであった。

 没落し、魔術の才を失いかけていた自分の子孫の女性と交わり、息子:雁夜を産ませたのであった。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 繰り返すつどに五度。

 ただ、満たされる刻を破却する」

 

 それは何百年の間桐家の歴史で幾度も試みられた挑戦であったが、ようやく雁夜の代で実を結んだ。

 間桐家の全盛期であった時代、すなわちゾォルケン家と呼ばれた時代を思わせる最高レベルの魔術回路を備えた雁夜が生まれたのである。

 

「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。

 降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環する」

 

 臓硯の雁夜への溺愛ぶりは、それは相当なものだった。

 何百年も望み、しかし失敗ばかりだった、魔術家系の復活が遂に成し遂げられたからである。

 

「告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 ところが臓硯が思ったようにことは運ばなかった。

 雁夜が魔術師になることを拒否し、術策を巡らせ臓硯を出し抜いたあげく、間桐家を継がず、一般企業の会社員として生きる道を選択してしまったのである。

 臓硯の雁夜への怒りは、かつて注いだ愛情が転化し、さらに増幅された憎しみによるものであった。

 

「誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。

 汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」

 

 召喚が終わり、魔方陣の上にはサーヴァントが無事召喚されていた。

 

「(あとはステータスか……)」

 

 マスターの力でサーヴァントのクラスや能力を眼力で見極める。

 

「ほぅ。これは……相変わらず運の良い奴じゃな」

 

 呟いたのは臓硯であった。マスターでない臓硯が如何にしてサーヴァントのステータスを見切ったのかは、雁夜には分からなかったが、そんなことよりも驚くべきことが起こっていた。

 

「俺はセイバーのサーヴァントを……引き……当てたのか」

 

 驚き、上手く声を出せない雁夜。

 対して召喚されたサーヴァントはハッキリとした口調で自己紹介を始めた。

 

「初めまして、私はランスロット。生前は円卓の騎士の一人としてアーサー王を支えておりました。此度の聖杯戦争ではセイバーのクラスで現界いたしました。どうぞ宜しく、マスター」

 

 そう言って手を差し出すランスロット。思わぬ幸運に(ほう)けながら、慌てて握手する雁夜。

 

「(筋力:B 耐久:A 敏捷:B 魔力:C 幸運:B+ 宝具:A+++ 対魔力:B 騎乗:B 湖の騎士:A 無窮の武練:A+ 騎士は徒手にて死せず:A++。凄い高ステータスだ! そしてなにより最強のセイバークラスを引き当てた!!)やれる、やれるぞ!」

 

 思わず歓喜の声をあげる雁夜なのであった。

 

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Interlude 02 END

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《第七話 敗北、そして……》

 

 

「こ、ここは……」

 

「あぁ、気づいたか、ソラウ。良かった……」

 

 ギリシャのVIP専門病院のスウィートクラスの病室でソラウは目を覚ました。

 

「ここは病室……ケイネス、何があったの?」

 

「うむ……召喚に失敗してね。おかげでこのザマだ」

 

 そういうとケイネスは右手をあげ――いや、かつて右手だったものを上げてソラウに見せた。

 彼の右腕は手首の先から無くなっていた。

 

「!? 何が……起こったの?」

 

「召喚に失敗したのさ。触媒は紛れもなくアレクサンドロス大王にまつわる聖遺物だったが、セイバーではなくバーサーカーとして召喚されてしまった。君は過剰な魔力供給に耐えきれず気絶し、令呪による命令で契約を解除する暇がないと思った私は、令呪を右手ごと切除し、強制的に契約を断ち切った。そういうことだよ……すまないね、ソラウ。こんなことになる予定じゃなかったんだが……こういう話は好きではないが、見えない力が働いていたのかもしれない……九月から幾度となくマケドニアを訪れるれるものの、その度に急な用事が入って英霊召喚を諦め、時計塔に出戻りしていたのは……聖杯戦争に参加するな、ということだったのかな」

 

 二人の間に重苦しい空気が流れる。

 

「夢を見たよ」

 

「?」

 

 しばらくしてケイネスが語り始めた。

 

「アレクサンドロス大王の夢だよ。特殊な契約を結んだから破棄された後でもマスター特有のサーヴァントの夢を見れたのか、あるいは私が見たのはただの夢なのかもしれないが、ともかく不思議な夢だった」

 

「……どういう夢?」

 

「ふむ。アレクサンドロス大王とその部下達の夢さ。ただアレクサンドロスは私達が知るような威厳ある高貴な容姿ではなかった……忌憚(きたん)なくいえば、山賊の親玉みたいな低俗な輩のように私には思えた。あの夢が正しいのなら、栄光に満ち溢れたというよりも、泥臭い毎日を大王は送っていたようだ」

 

「それで?」

 

「そうだな、それよりも本題だな。アレクサンドロス大王は部下からの信頼を徐々に失っていったようだった。最果ての海(オケアノス)、今でいうベーリング海峡を見たいと言って遠征を繰り返していた。しかし上手くいかなかった。結局アレクサンドロスも諦めてペルシャの地に落ち着いた。しかし夢破れたのが原因で酒に溺れ、最後には理不尽に横暴を働くようになって見かねた部下に毒を盛られて殺された……あれが事実なら到底大王と呼ぶに相応しい人物とは言えなかったが、存外歴史とはそういうものかとも思ってね。時が経つにつれていつの間にか哲学にも造形が深く、ペルシャとギリシャという異世界を繋いでヘレニズム文化を築き上げた理想的で偉大な王となった……それを思ったら、私が得ようとしていた魔術師としての栄誉なんてものが馬鹿らしく思えてきてね。いくら名声を得ようとも私が思った通りに後世に伝わらないのであれば、必死に命までかけて得るようなものでないんじゃないかと、そう思ったんだよ……私は名誉以上に自分にとって大切なものを見つけた」

 

「それは?」

 

「君だよ、ソラウ」

 

 格好をつけて、キメ顔で言葉を放ったケイネス。

 しばし呆然とするソラウ。しかし――

 

「あはははははっっ。何言ってるのケイネス、そんなつまらない冗談。全く似合わないわよ」

 

 冷たい反応がソラウから返って来ただけだった。

 

「それより疲れたから、今日は一人にしてくれる。つまらない話も聞かされて、私はもうヘトヘトよ」

 

「……あぁ、そうだね」

 

 流石に顔をひきつらせるケイネス。

 だが彼はそれ以上何も言わずに病室を去っていこうとする。

 

「ありがとね、ケイネス……右手、ごめんなさいね。こんな私のために……」

 

「!?」

 

 そんな声がケイネスの背に向けて放たれ、驚いてソラウの寝るベッドを振り返る。

 彼の目に映ったのは、ベッドで寝入る婚約者の姿だけであった。

 

「愛してるよ、ソラウ」

 

 しかし彼には分かっていた。アレクサンドロス大王の夢と同じで先程の言葉も、決して幻ではないのだと。

 彼はそんな心からの言葉を残して病室を後にしたのだった。




・あとがき

 これにて前編が幕を閉じ、中編に移ります。

 お楽しみ頂けていますでしょうか?

 中編で、いよいよ聖杯戦争開幕となります。
 これからも『Fate/Zero 正義』をよろしくお願い出来たらと思います。

 感想などありましたらお気軽にどうぞ。

 それでは!


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中編:聖杯戦争
《第八話 我慢比べ(チキンレース)


 

 聖杯戦争はアサシンの遠坂邸への強襲で幕開けした。

 結果は遠坂 時臣の召喚したライダーによってアサシンが撃退され、宝具で瞬殺されるという無惨な結果に終わった。

 アサシンのマスターであった言峰 綺礼は戦いを諦めて、聖堂教会に保護されることとなった。

 だが動きがあったのはそれまでだった。それ以降にキャスター陣営を除く他のマスターやサーヴァントが目立った動きを見せる兆しは一週間を経た現在まで全くと言ってない。

 

「時は来た! これよりキャスターの討伐に向かう。綺礼、手筈(てはず)は首尾よく整えられたかな?」

 

『はい。万事順調です、我が師よ』

 

 遠坂邸から冬木教会への通信が行われている。会話に参加しているのは三人の男性だ。一人はライダーのマスター:遠坂 時臣、もう一人は監督役:言峰 璃正、最後の一人は璃正の息子でアサシンのマスター:言峰 綺礼である。

 

『アサシンの偵察により、キャスターのマスターは定期的に根城の柳洞寺から繰り出し、新都にて子供を大量に誘拐している、ということが明らかになっています。《アサシン三〇体》程に柳洞寺を出たマスターの雨竜 龍之介を急襲させ、可能なら殺害します』

 

『しかし綺礼。キャスターのサーヴァントが何の対策も取っていないとは思えない。何らかの防御的措置を取っていると考える方が妥当だ。マスターの殺害に成功してもキャスターは消滅しないと考えておくべきだろう?』

 

『抜かりはありません、父上。仮に柳洞寺で戦闘になった場合には動員可能なすべてのアサシンをライダーの援護に回らせ、参道に血路を開きます。師にはライダーと共に柳洞寺の境内へと《輝舟(ヴィマーナ)》でかけ登っていただいたのちに、キャスターの魔術工房を《王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)》でもって一息に破壊、そしてキャスターも始末して頂くという算段。これで宜しいですね?』

 

「《百の(かお)のハサン》の特性を生かした見事な作戦だ、綺礼。キャスターは事前の諜報により、タコのような怪物を大量に使役しているという情報があった。ライダーのギルガメッシュは知っての通りあの性格。自らが実力があると認めた相手以外とは矛を交える気はないようだ。となると怪物は私が処理しなくてはいけなくなるが、宝石魔術は行使できる回数に限りがあるし、ギルガメッシュの戦闘用に魔力消費を押さえておく必要がある。無駄な戦闘は避けたい。そこで君のサーヴァントの出番となるわけだ、綺礼。一体は《芝居》の犠牲になって貰ったが、残りの七九体もの数のサーヴァントでタコの怪物の相手をしてもらえれば、数だけが強みの相手など敵ではない……この戦い、やはり我々の勝利だ!」

 

 舞い上がる時臣。

 

『……油断は禁物ですぞ、時臣君』

 

 だが状況は決して油断の出来るものではなかった。

 

『僭越ながら、この老骨から忠告を。前回の第三次聖杯戦争を経験したこのワシから見て、今回のマスター連中は皆強敵(ぞろ)い。彼らは定石を(わきま)えるのはもちろんのこと、周到に作戦を練り、綿密な下準備を整えて戦場に出向いて来た、とみるのが妥当でしょう』

 

『師よ、私からも一言。アサシンは表向き我々に忠誠を誓っておりますが、彼らには彼らの願望《統合された完璧な人格》の獲得があります。操り人形ではありません。また言うまでもなく、アサシン:ハサン・サッバーハは、宝具《妄想幻像(ザバーニーヤ)》によって、現在七九体に分裂して現界しています。多重人格者であった生前の彼が《百の貌のハサン》と呼ばれたことに由来して生まれた宝具と見て間違いないでしょう。それゆえにハサンにとって、七九体それぞれ全てが自分自身そのものであるのです。例の芝居によって犠牲にしたのは、決してたった一体だけという認識ではありません……一言で言って、彼らは全く成果の出ていない現状に不満を抱いています』

 

「今回のキャスター討伐が失敗すれば、アサシンは我々を見限る可能性もある。そういうことかな、綺礼?」

 

『はい。全てのアサシンはマスターとサーヴァントの捜索のため、冬木中で行動させていました。当然私が命令を下した上でですが、彼らにはそれなりに自由な裁量を与えていました……私の代わりとなるマスター候補を見つけ出した可能性も否定は出来ません』

 

「《常に余裕を持って優雅たれ》。我が遠坂家の家訓だ。だがしかし、今回ばかりはそれを忘れる必要があるかもしれない。芝居にも、キャスター討伐に令呪の報酬をというエサをちらつかせてのマスターの誘い出しも、何一つといって上手くいかなかった……認めよう、私の策は完全な空振りに終わったと」

 

『真の愚か者は自らの過ちを認めない者。正しい現状認識が出来ている時臣君には、まだ勝機はあります……しかしあえて厳しいことを言わせていただく……これが最後のチャンスです。必ずやキャスターを仕留め、冬木の管理者(セカンドオーナー)としての役目を果たしてもらいたい……このままキャスターが野放しになるというのでは、監督役として聖杯戦争の中断、最悪終了を宣言せざるを得なくなります。言うまでもなく神秘の秘匿は、聖堂教会にとっても魔術協会にとっても第一優先事項。キャスターを野放しにし、万が一にでも聖杯を勝ち取るなどということがあれば、冬木どころか日本中・世界中に災厄が招かれるのは必定。それは何としても回避しなくてはなりません。宜しいですな、時臣君? これが最後のチャンスです』

 

 時臣は思わず生唾を飲み込んだ。

 聖杯戦争は時臣の人生における最大のハイライトであったのだ。保守的な彼にとって遠坂家の悲願である《聖杯による根源への到達》は一族の念願であると同時に、彼の望みそのものであった。

 聖杯戦争は六〇年に一度。まもなく四〇に差し掛かろうという年齢の時臣には、幸運が味方して次の儀式に立ち会うことは出来ても、戦うことなど不可能だ。

 

「分かっています。万が一の場合には一族の悲願は次世代の凛と桜に託しましょう」

 

『……すまない、時臣君。亡き友との義理を思い、聖堂教会ともギリギリのところで掛け合っていたのが、もう圧力に()えきれそうもないのだ……本当にすまない……』

 

 場に重苦しい空気が流れた。そしてそれは通信を終えるまで取り払われることはなかった。

 時臣は魔導器による通信を終えると、遠坂家地下にある工房で物思いに耽るのだった。

 



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《第九話 邂逅(かいこう)

 

 七体のサーヴァント全ての現界が確認された。それと同時に時臣は一つの計略を打った。

 表向きは敵対していると見せかけているが、真実は内通しているかつての弟子:言峰 綺礼のサーヴァントに自身の邸宅(ていたく)を襲撃させたのである。綺礼のアサシン《のうちの一体》は時臣のライダーに倒された。

 狙いは綺礼のアサシンが消滅したのだと他のマスターに誤認させて、今後の諜報活動を円滑に進めるためだった。

 

「(しかし上手くいかなかった……)」

 

 時臣は今、間桐家の邸宅内を当主:間桐 臓硯に案内されながら歩いていた。

 

「(続くキャスター討伐にマスター達を動員することも上手くいかなかった)」

 

 アサシンの諜報活動はある一つの情報を手に入れたこと以外に活躍の日の目を見なかった。

 

「それにしても世間は、連続殺人鬼の話題で持ち切りです。ワシは孫の慎二が通っている小学校のPTA会長を勤めているのですが、最近はその業務に忙殺される日々でしてな」

 

 その一つの情報と言うのは冬木や日本中を騒がしている猟奇的殺人鬼がキャスターのサーヴァントを召喚し、子供や女性を誘拐して、残虐無道な手法で手にかけているという情報だった。

 しかしそれは時臣が真に求めていた情報ではなかった。

 

「お役に立つかどうかはわかりませんが……例の殺人鬼がキャスターのマスターとの情報が私の耳に入っています。真偽の程は分かりませんが。しかし監督役より各マスターにキャスター討伐の令が今下っています。もし情報が真実であったなら、近い内に問題は解決するでしょう」

 

 だから時臣はさっと口からそんなことを溢した。

 時臣が求めていたのは、一流魔術師のマスターとそれが呼んだサーヴァントの情報であった。

 三流どころか魔術師でもない亜流のマスターとそのサーヴァントなどその気になれば討伐できるのは当然であって、そんな情報に一文の価値もないと時臣は見ていたからだ。

 

「ほぉ! それはそれは……なるほど、そういう裏があったわけですか。どうりで冬木の警察組織がいつまでも犯人確保に至らなかったわけです」

 

 臓硯は心から驚いている風な様子で、顔には合点が言ったという納得の表情と不安の色が出ていた。

 

「しかしとなると、事態は深刻ですな……通常の手段ではどうにも……お恥ずかしいことですが、お話ししたように我が間桐の家の人間に霊魂は《再びは》現れませなんだ。本来なら冬木の地に住まう魔術師としてキャスター討伐に参画せねばならぬというに、面目ない」

 

 臓硯は無念そうな、申し訳無さそうな声色でそう言った。霊魂とは令呪のことだ。

 

「(どうしてこうも策が思う通りに進まないんだ……)」

 

 しかし時臣の心は、そんなしおらしい臓硯の様子よりも、現在の聖杯戦争の状況に向いていた。

 

「(キャスター討伐の報奨に追加令呪を与える、というのは穴熊を決め込んでいるマスター共でも目が眩むかとも思った。だが三日経った今でも誰も討伐に動こうとしない! 何故こうも思惑通りに事が運ばない!!)」

 

 聖杯戦争は完全にチキンレースの様相を呈していた。

 マスターとサーヴァント秘匿はこのサバイバルゲームの鉄則。

 しかし一方で、聖杯は戦いで功績をあげた者の望みしか叶えないというルールもある。

 そんなわけで痺れを切らしたマスターが所在の明らかな御三家の邸宅に決闘を仕掛けるなどする訳だが、今もってそんなことは起こらず。

 加えて魔界より大量のタコ型モンスターを召喚し、冬木中にそれを解き放って人々を虐殺するに及ぶキャスターの出現。

 魔術の秘匿が聖杯戦争続行の前提条件である。

 となれば聖杯を望む以上、キャスター討伐はすべてのマスターとサーヴァントにとって共通利益である。

 討伐に参加した者には追加令呪を付与することも監督役より宣言されていた。

 

「(欲に駆られたマスターとサーヴァントの情報を収集するチャンスだと思っていたのに、とんだ誤算だ! どうしてこうも策が裏目に出る!!)」

 

「さぁさぁ着きましたぞ、遠坂の若当主殿。ここが桜の魔術修練場じゃ」

 

「……ほぅ、ここが」

 

 思索に耽っていた時臣であったが、臓硯の呼び掛けにより現実に引き戻される。

 陰気な場所であった。

 間桐の家の地下に設置されたこの魔術工房は薄暗さを通り越して洞窟のように真っ暗で淡く緑色に光る壁面が唯一の照明である。

 壁に沿って配置された階段を降りれば床に達するが、そこには無数の巨大な蟲が徘徊している。

 淫蟲と呼ばれる虫の魔物だ。魔力を吸い尽くす能力を持ったおぞましい存在。

 その数百という群れが床を徘徊しているわけだが、部屋の中央には一人の少女の姿があった。

 

「ほれっ、桜! 実父殿がお前の修行の成果を見に足を運んでくれたぞ。挨拶をせい」

 

 階段の踊り場まで来ると臓硯が持っていた杖で地面を小突きながら、そう声をあげた。

 少女、間桐 桜は顔を動かし声がした方向へと視線を向ける。

 (うつ)ろな眼差し。死んだ魚の目とでも言おうか。心を感じさせない冷たい視線がそこに向かう。

 しかし次の瞬間、桜の目に感情の火が灯った。

 父、時臣の姿を確認したからだ。

 

「ぁ……た……た、助けて! お父さん!!」

 

 どこにそんな体力と気力が残っていたのか。桜自身思いもしないことだった。

 しかし何を思うよりも先に、体は動いていた。

 大声をあげ、立ち上がると周囲の淫蟲を踏み潰し階段へと向かう。フラフラではあったが、よろけ階段に倒れ込みながらも何とか踊り場に辿り着き、時臣の足に桜はしがみついた。

 安堵(あんど)の表情を浮かべる桜。

 

「(お父さん……助けに来てくれた。また皆のいる家に帰れる)」

 

 遠坂家から間桐家に養子に出された桜。

 すると一変、生活は激変した。

 穏やかな日常は消え去り、悪夢の日々が始まった。

 

「(もう一生戻れないんじゃないかと思ってた……)」

 

 間桐 雁夜という人間がいた。桜を救うと約束した男。

 彼女も養子に出される前には姉や母と共に彼と公園やテーマパークで穏やかな、何気ない、しかしかけがえのない温かい日常を共に過ごしていた。

 最初は助けてくれるのかもしれない、とも思った。

 しかし時が経つにつれ理解した。

 『彼は私を助けに来たのではない……自分と同じく臓硯(おじいさま)生贄(いけにえ)として捧げられたのだ』と。

 ハッキリとした理由は分からなかった。だが桜の実母:葵に頼まれたのかもしれない、と桜は推測していた。雁夜と葵は普通の幼馴染の関係ではないと、子供ながらに察していたからだ。

 

「(よかった……本当によかった……)」

 

 だから桜は安堵した。

 絶望を味わい、希望を抱き、そしてそれに裏切られた末に、遂に救われた。

 目の前がパッと明るくなった。

 真っ暗闇にも関わらず、部屋が光に満ち溢れているように思えた。

 顔をあげる桜。

 そこには冷たい、冷酷な表情を浮かべた時臣の姿があった。

 

「臓硯殿、娘は間桐の魔術に適正はありそうですか?」

 

 それを聴いて臓硯はニンマリと満面の笑みを浮かべた。

 

「えぇえぇ勿論。この子のような優秀な後継ぎを得て、これで間桐の家も安泰。若当主殿には感謝しても仕切れませんと、セガレともしょっちゅう話をしておるのです」

 

「それは良かった」

 

 時臣はようやく安堵の表情を浮かべた。

 

「桜、これからも臓硯お爺様の言うことをよく聞いて、魔術の修練に励みなさい」

 

「お、お父さん……」

 

 絶望はひとしおであった。

 桜の全身から力が抜けて、踊り場に倒れこんだ。

 それを救い上げるのは彼女の父:時臣ではない。

 

「鶴野、桜をもとの場所に戻しておけ」

 

「あぁ」

 

 臓硯の息子にして桜の養父:間桐 鶴野であった。

 

「では、そろそろ。桜の修行の邪魔はしたくないので」

 

 時臣はそう告げると、階段を上り地下室を後にした。

 桜の目は再び死んだような虚ろなものに戻っていた。

 



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《第一〇話 人ならざるもの、その名は魔術師》

 

 時臣が間桐の家を訪れたのには二つの理由があった。

 一つは桜の魔術の修練の様子見だが、これはついでに過ぎなかった。

 本当に大事な理由は、間桐家のマスター:間桐 雁夜の偵察であった。

 

「それにしても雁夜のボンクラ! あの出来損ないが!! ……恥ずかしいことですが若当主殿、当家のマスター:雁夜めはサーヴァント召喚に失敗しおったのです。魔力不足で、サーヴァントを維持できませなんだ……お恥ずかしい……キチンと魔術の修練を積んでいればこうはならなかったものの、あのウツケ、長らく当家を出奔(しゅっぽん)しておったもので……ここ一年修行させてみたものの、どうやら基礎的な魔術師のレベルにまで達しなかったようなのです」

 

「……」

 

 時臣の心はざわついた。

 

「サーヴァント召喚に失敗したあげく、再び全てを投げ出し、またこの冬木から出ていってしまいました……手前味噌ながらアヤツには魔術の才能があるとワシは見込んでおるのですが……親の心子知らずとでもいいましょうかな……心を改め、今度こそ、この間桐の家を継いでくれるものと期待しておったのですが……」

 

 しおらしい臓硯。その背中は哀愁(あいしゅう)を漂わせている。

 時臣は我慢ならなかった。

 

「……間桐 雁夜は魔道の恥だ……人以下の犬だ……」

 

 つい呟いてしまった。臓硯の肩がピクリと動いた。

 ウツケ者とはいえ、息子を侮辱され怒ったのだろうと時臣は感づいた。

 しかしそれには気づいたが、時臣は謝罪する気にはなれなかった。

 

「(桜が魔道の道に進むことが出来たことから言えば、むしろ感謝すべき存在とはいえ、しかし私にはあの男が許せない。血の責任から逃げた臆病者!)」

 

「おや、慎二。どうしたのじゃ、客人の前で? ……ふむふむ、申し訳ない若当主殿。かの殺人鬼による新たな犠牲者が出てしまったようで、それがワシがPTA会長している小学校の生徒のようなのです。今、理事長より急ぎの電話が入ったようで……玄関までは、ワシの孫、この慎二めに案内させましょう。無礼をお許しいただきたい」

 

「(魔道の秘奥は一子にしか相伝出来ない……しかし二子の凛も桜もどちらも類稀(たぐいまれ)なる魔道の才を秘めていた。親として、この悲劇を嘆かずにいられようか?! そこに降ってわいた養子の申し出……まさにこれは天啓に等しかった!!)」

 

 しかし時臣は思索に耽っているようで臓硯の言葉は右耳から左耳に通り抜けた。一人で玄関まで歩いていく。

 後ろに続く人の気配にも注意を払えていないようであった。

 

「(娘の一人を凡俗に落とさねばならぬところであったが……雁夜のその無責任さによって救われた。それは事実だ。だが、私はそうであっても、あの男が許せない! 血の責任から逃げた臆病さ! 軟弱さ! 機会があれば、私自ら懲ば――)?!」

 

 と、そこで時臣の思索は途切れた。

 ボトリ、と床から気味の悪い音が響いたからだ。何だろうかと視線を向ける。

 

「な、何だこれは……」

 

 そこにあったのは人の両腕であった。赤ワイン色のスーツとワイシャツを被った。

 どこかで見たことのある。

 時臣はそれを触ろうと腕を動かそうとした。

 

「な、なんだとっ?!」

 

 だが動かなかった。いや、腕その物がなかった。

 不思議と痛みは感じなかった。激痛のあまり、脳が麻痺していたのだ。

 動揺し、辺りを見回す時臣。

 後ろを振り向いたとき、顔にベチャリ、と何かが張り付いた。

 

「ぐ、うぐぅぅぅ! ぐわぁぁぁぁぁっ!!!!!! うぁぁぁぁぁっ!!!!!」

 

 それは桜を取り囲んでいた蟲、淫蟲であった。

 数秒後には声は消えていた。

 時臣の顔面も消えていた。

 

「時臣……醜い男だったが……流石に憐れみを感じるよ」

 

 通路の影から人が現れた。

 雁夜だ。

 彼の視線の先には床に倒れこんだ時臣の亡骸と、それに群がる淫蟲の群れがあった。

 淫蟲は死骸を食い漁っていた。

 かの蟲は寄生するか、あるいは死骸を喰らうことによって自らの生存を確保する生物なのだ。

 数分後にはかつて時臣だった肉塊は消え去っていた。

 淫蟲達は一塊にまとまっていく。人のシルエットに近づいていく。

 そして最後には完全に人の形をとった。

 

「ふぅ~……カッカカカカッ! 遠坂の家系に油断はつきものじゃが、その中でも特級じゃったな! このコワッパめは!!」

 

 淫蟲達は合体し、間桐 臓硯となった。

 

「親族とはいえ聖杯戦争のカタキ同士。魔術師は人間ではない! 何だかんだと言っても甘い若造じゃったな、アヤツは!! カッカッカッカ!!」

 

 臓硯は気味の悪い独特な笑い声を高らかにあげていた。

 

「あっはっはっは! 最高だよ、爺さん!! あー、僕も早く魔術師になりてぇーーーー!! 人殺してぇぇぇーーー!!!」

 

 臓硯の孫:間桐 慎二も異常なハイテンションでその場で躍り狂っている。

 

「忌まわしい奴等だ」

 

 遠目にそれを見つめるのは間桐 雁夜。

 心底憎たらしいと言わんばかりの鋭い視線だ。

 事実、まだ幼い子供というのを差し引いても慎二は悪魔のようだし、臓硯に至っては鬼畜といって相違ない。

 時臣は雁夜にとって仇敵であり、事実心の底から憎いと思ってはいたが、臓硯と慎二を見ていると、そんな時臣に対してですら憐憫(れんびん)と同情の念が湧いてきていた。

 

『マスター、魔術師とはそういうものさ。私の生きた(はる)か古来よりそれは変わらない……強大な力と引き換えに、人であることを諦めた者、それが魔術師なのだ……』

 

「セイバー……あぁ、そうだったな……だから俺はこの家を捨てたんだ」

 

 雁夜は姿の見えない何かと会話していた。

 何かと問われれば、それは霊体化したセイバーのサーヴァント:湖の騎士ランスロットであった。

 

「良くやったセイバー。これで俺達の聖杯戦争は勝利が確定した。お前はお前の、そして俺は俺の、それぞれの願望を遂げることになる」

 

 時臣の腕を一瞬にして切り落とすという常人離れした芸当を見せたランスロットに雁夜は健闘の称賛をかけた。

 そう、霊体化したランスロットが時臣の背後に回り込み、一瞬のうちに実体化し、息もつかぬ内に両腕を切り落としたのだ。

 令呪の使用を封じるためであった。

 

『……』

 

 作戦には成功したが、浮かない様子のランスロット。

 今後の成り行きが不安であったからだ。

 果たしてそう上手く行くだろうか?、心の内でランスロットは思ったが口には出さなかった。

 

『(ギネヴィア……私は今度こそ……)』

 

 決意を胸のうちで反復する。

 今は思索に耽る時ではない。

 戦いに求められるのは品格ではなく、今この時に意識を向ける集中力なのだ。

 



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《第一一話 父と子、そして……》

 

「父上ッ!!」

 

「あぁ、分かっている。時臣君が()られたのだな……」

 

 冬木教会にて言峰父子は漂い始めた不穏な空気を敏感に感じ取っていた。

 二人は今霊器盤の前にいた。

 

「たった今、ライダーの消失を霊器盤で確認した。その様子だと綺礼、お前も何かでそれを悟ったと見える」

 

「……はい。ライダーの暇潰し相手をワイン室でしていたのですが、突然姿を消したもので。気紛れでどこかに出掛けたのかとも思いましたが、もしやと思い……」

 

「そうか……ではやはり、時臣君は(あや)められたのだな、他のマスターの手によって……」

 

 悔しそうに顔を歪める璃正。綺礼もどこか所在なさげであった。

 

「あれほど油断しないようにと忠告していたのに、時臣君……惜しい人物を亡くした……だが、今はそれを悲しんでいる場合ではない。綺礼、分かるな?」

 

「はい、父上」

 

 璃正の問いかけに綺礼は即答した。

 

「直ちに聖杯戦争の中止を参加者に宣言。聖堂教会と魔術協会にも応援を頼みましょう。此度(こたび)のマスター達が大人しく戦争中止宣言に従うとも思えませんから……少なくともキャスターとそのマスターなどは」

 

「うむ。では関係機関への連絡はワシがつけるとしよう。綺礼、お前はアサシンを連れ――」

 

 とそこで璃正は言葉を切った。

 そしてジロリと厳しい視線を綺礼に向けた。

 

「何のつもりだ、綺礼」

 

 璃正は片手に逆手で黒鍵を握り、それでもって背後から迫ってきたアサシンの心臓を見事に一突きしていた。

 視界に頼らず、わずかな足音や気配のみで暗殺者を察知し撃退する人間離れの離れ業。

 聖堂教会の裏組織:代行者にのみ可能な奥義である。

 

「いえ私は何も……アサシン、何のつもりだ?」

 

(とぼ)けるな綺礼。ワシとて感じておったぞ、お前の異常をな……しかし、いかな立派な聖職者にも過去の汚点というものはある。小児愛、汚職、愛人。だからこそ、ワシはお前もいつかそれを克服し、真に清い聖者になってくれるものと――」

 

 黒鍵を振るい次々と襲いかかるアサシンをいなしながら、そう落ち着いた口調で息子を(いさ)める璃正だったが、戦闘に集中するため最初の一瞥(いちべつ)以来、直接にその顔を見ながらというわけではなかった。

 そして次に息子の姿を視界におさめた瞬間に違和感を感じ、言葉を切った。

 彼の視線の先には、璃正同様アサシンに襲われ反撃する綺礼の姿があった。

 

「綺礼、もしや……」

 

「はい父上……裏切られました、サーヴァントに」

 

 綺礼の手の甲には既に令呪はない。

 所持していた二つのそれで、アサシンの自死を命じたのだ。

 しかし一切の効果はなかった。

 パスが途切れていたからだ。

 

「「「「「ここで終わりだ、代行者ども……ふふふふふふふふっ」」」」」

 

 不気味な笑い声をあげるアサシン:百の猊のハサン。

 父子を取り囲むのは、何十ものサーヴァント達であった。

 

「……心踊るな、綺礼」

 

「はい、父上」

 

 しかし危機の中にあるにも関わらず、不思議と二人は落ち着きを払っているようだった。

 格闘術:八極拳を駆使し、徐々に、だが確実にアサシン達を見事な連携で葬っていく。

 彼らは代行者。戦闘の達人。

 かたやアサシンは諜報の達人で戦闘は専門外。おまけに八〇体に分裂して召喚されたため、その一個体ごとの戦闘能力はそれぞれ八〇分の一となっている。

 並みの魔術師や聖職者であれば、そんな貧弱なアサシンの能力でも(ほうむ)ることは容易かったであろうが、如何(いかん)せん相手は歴戦の闘士:代行者。教会の裏家業の従事者である。

 押されているのは奇襲をかけたはずのアサシンのほうであった。

 

「「く、くそぉぉぉッ!!!」」

 

 最後の二体を父子は同時に討ち取った。

 

「ふぅ、久しぶりに良い運動となったな。綺礼、疑って悪かった。では、これより所定の手順に従って聖杯戦争の停止を宣――」

 

 と、再び璃正の会話が途切れた。

 だが今度は自らの意思で言葉を切った訳ではなかった。

 

「ち、父上ぇぇぇッ!!!」

 

「ふん……」

 

 突然空間に現れた男に銃口をこめかみにあてがわれ、そして時置かずして射殺されたからであった。

 脳を撃ち抜く痛恨の一撃。

 璃正は即死した。

 

「お、お前は……衛宮 切嗣!?」

 

 綺礼にはその男の顔に覚えがあった。

 父の死による悲しみや怒り、悔しさはどこかへと吹き飛んだ。

 綺礼はこの男:切嗣に邂逅(かいこう)するために聖杯戦争に馳せ参じたからだ。口は頭よりも先に動いていた。

 

「答えろ、衛宮 切嗣! お前は飽くなき闘争の果てに如何(いか)なる解を得たのだ?!」

 

 距離を取り問い掛ける。

 

「タイムアルター・クィンティブルアクセル!!」

 

「な、何だって? それはど――」

 

 言葉は途切れた。

 必死に切嗣の言葉を聞き取ろうとした綺礼は戦闘に対する集中力がまるでかけていた。

 

「う、ぐぁぁぁぁぁ……」

 

 一瞬の内に間合いを詰めた切嗣に愛銃の銃床での一撃をお見舞いされる綺礼。頭蓋を直撃される。

 固有時制御・五倍速(タイムアルター・クィンティブルアクセル)。文字通り通常の五倍の速度で行動出来るこの魔術を使用しながらの打撃攻撃には、流石の代行者も抗しきれなかった。

 綺礼は頭蓋を叩き割られ脳を損傷。即死した。

 

「聖杯さ」

 

 最後に切嗣は短く呟いたのであった。

 



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《Interlude 03 第八の契約》+《第一二話 策謀》

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Interlude 03 第八の契約

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「――告げる。我が命運は汝の剣に。聖杯のよるべに従うならば答えよ」

 

「「「了解しました、間桐 臓硯様。今この時より我ら影の英霊、あなたに従いましょう」」」

 

 間桐邸。ここに新たなマスターが生まれた。

 マスターとサーヴァントとの変則契約。間桐 臓硯をマスターとして、百の貌のハサンをアサシンのサーヴァントとする契約である。

 通常サーヴァントは同時に二人のマスターと契約することは出来ず、出来たとしても前マスターにそれを感づかれてしまうのが関の山であろうが、この契約は例外であった。

 

「これでワシとお前達の間にパスが繋がった。言峰 綺礼だけでなく魔力はこのワシも供給することとなる。しかし令呪の束縛を使えるのはこのワシのみとなった……時が来ればこちらから連絡しよう」

 

「「「了解しました、新たなるマスターよ」」」

 

 アサシンは霊体化し姿を隠した。

 

「カッカッカッカ! 此度の聖杯戦争は見送ろうかと思っていたが、まさかこんな展開になるとはの。雁夜、期待しておるぞ。この戦い、ワシら間桐家の勝利で終わらせてみせようぞ!」

 

 間桐邸地下室で臓硯は薄気味悪い笑い声をあげるのであった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Interlude 03 END

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

《第一二話 策謀》

 

 

「言峰父子の殺害に成功した。これより令呪の回収を行う。何かあれば連絡しろ」

 

『了解しました』

 

 冬木教会。切嗣はミッション成功を部下の舞弥に衛星電話で伝えると、次のミッションに取り掛かった。

 それは言峰 璃正の腕に何十と連なる令呪の回収であった。

 

「(令呪は強力だ。サーヴァントを縛るという本来の目的以上に、その莫大な魔力によって魔法に近い奇跡を成し遂げることが出来る)」

 

 冬木教会に突如として現れた切嗣。

 その種は令呪の使用にあった。

 

「(令呪を使用すればサーヴァントだけでなく、マスターも自らの(おもむ)きたい場所へと瞬間移動することが出来る。このような便利な物を回収しない手はない!)」

 

 聖杯戦争は今回で四回目であるが、いままでに一度たりとも願望の成就に至ったものはいなかった。

 前回の儀式も未達成に終わり、その際に余った令呪を監督役が回収し、自らの腕に保存してきた。

 

「(監督役は聖堂教会から派遣された組織の人間。となれば不慮の事故に備え、後任者に令呪を移し替える手段が、この教会のどこかに隠されている可能性が高い。これを確保すれば今後の戦いは極めて優位に……いや、僕らの勝利は確定するに等しい!)」

 

 固有時制御・五倍速。

 体内時間を加速し、超速での行動が可能になる衛宮家の魔術の集大成。

 本来であれば、使用後に反動によって体に相当の負担のかかる大技である。

 

「(アヴァロン……召喚したときにはどうなるものかと思ったが、僕とあの可愛い騎士姫様の相性は思った以上にいいのかもしれないな……)」

 

 胸に手を当てる切嗣は思う。

 彼の体には今、アルトリアの宝具:全て遠き理想郷(アヴァロン)が埋め込まれている。

 持ち主に不老不死と無限治癒能力をもたらす最強の宝具。

 

「(だが、これを僕が持ち続ければ、アイリに未来はなくなる。早く令呪を移しかえる手段を探さないとな)」

 

 アルトリアを召喚してからというもの、切嗣はアイリスフィールからアヴァロンを借り受け、固有時制御の修行に取り組んでいた。

 ロンゴミニアドは聖杯戦争を破滅させかねない危険な宝具。となればアルトリアそのものは戦力としては余程重要な局面以外では扱い得ない。

 となれば通常は、マスターである切嗣自らが戦いに赴く他ない、そういうことであった。

 しかし当然、アヴァロンがなければ、遠からずアイリスフィールは吸収した英霊達の魂の圧力によって人でなくなり、単なる聖杯という物になってしまう。

 修行や戦闘は最小限に留め、すぐにアイリスフィールにアヴァロンを戻す必要があった。

 一時間ほどして目当てのものは見つかった。

 切嗣の腕には無数の令呪が刻まれることとなった。

 

「では戻るか」

 

 節約する必要はもう無かった。

 切嗣は奇跡の力を使って、アイリスフィール、舞弥、ランサーアルトリアの潜むアジトへと瞬間移動した。

 

「……な、何だと?!」

 

 アジトは荒らされ、廃虚と化していた。

 冬木の下水道網のとある地下貯水槽にアジトはあったが、そこには舞弥の死体が転がり、満身創痍の様相で地面に座り込むアルトリアの姿があった。

 

「何があった、ランサー」

 

「キリツグ……すみません、アイリスフィールを奪われました」

 

 アルトリアは事態を説明しだした。

 

「キリツグとの通信を終えて直後、私たちはアサシンとセイバーの襲撃を受けました。襲撃と同時に衛星電話を破壊されて、貴方に連絡を取ることは出来なくなってしまいました。私はセイバーの相手をするだけで精一杯で、マイヤは殺され、アイリスフィールは連れ去られてしまいました。不甲斐ない……申し訳ないです……返す言葉もありません……」

 

 アルトリアはひどく落ち込みんでいた。

 全身傷だらけではあったが、致命傷は一切受けていないようであった。

 手には第三段階まで解放した、血みどろのランクB《対人》宝具:ロンゴミニアドが握られている。

 

「(アルトリアが思いの外、健闘したのか? ……いや、あえてだな)」

 

 切嗣は既に感情を切り離し、冷静な戦力分析へと移っていた。

 

「(アルトリアが致命傷を受ければ、パスで繋がっている僕にもその危機が伝わる。となれば瞬間移動でアジトへと戻ってきて、アイリスフィール奪取を防ごうとしただろう……僕はまんま他人の手のひらの上で踊らされていたというわけか!?)」

 

 思わず片膝をつくと、悔しさで地面を殴りつけた。

 

「(自分だけが諜報していると(たか)(くく)って、他者が自分達を探っていることを考慮し忘れるなんて、僕は一体どれだけ暗殺者としてタルンでいたというんだ……いや、今更後悔しても仕方がない)」

 

 切嗣はゴキブリ型の偵察ロボを使ってほぼ全てのマスターの動向を探っていた。

 それゆえに絶妙のタイミングで冬木教会に奇襲を仕掛けられたのだ。

 間桐 臓硯がアサシンと秘密のサーヴァント契約を交わしていることも当然掴んでいた。

 自分が知らないことは何もないと、過信してしまっていた。

 だがそれは誤りで、臓硯や雁夜達間桐家は切嗣の上を行き、情報が知られていることを知った上で、あえて泳がせ、切嗣から小聖杯(アイリスフィール)をまんまと盗みとったというわけであった。

 

「(これでもう守りに徹するという訳にはいかなくなった……だが、ここからが本番だ!)ランサー、これからは攻めに転じる」

 

「は、はい!」

 

 アルトリアは従順にそれに応じた。

 戦いはまだ終わっていない。

 切嗣には信頼できる騎士姫という心強い味方が残っているからだ。




・あとがき

 これにて中編は終了し、後編に突入します。

 最後まで、よろしくお願いいただけたらと思います。

 感想などありましたら、お気軽にどうぞ。

 それでは!


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後編:願望の成就
《第一三話 雁夜とアイリスフィール》


 

 間桐家の地下室。

 今そこにいるのはアイリスフィールである。

 既にバーサーカー、ライダー、数十のアサシン、そして直近ではキャスターが切嗣の瞬間移動による奇襲によって、魔弾《起源弾》を体内に撃ち込まれ、結果自滅で倒されたことによって、小聖杯たるアイリスフィールは人間としての機能をほぼ喪失し、自力で動くことは叶わなくなっていた。

 

「私、もうすぐ死ぬのね……」

 

 呟くアイリスフィール。

 ここ数日、彼女は切嗣やアルトリアが助けに来ないかと待ち続けていたが、遂に彼らは現れなかった。

 令呪による瞬間移動を考えなかったわけはないので、おそらく間桐 臓硯が特殊な魔術結界を発動させ、それを防いだのだろうと、アイリスフィールは予測していた。

 令呪のシステムを開発したのは間桐家なのだ。

 熟知していれば、いくらでも対策をたてることが出来よう。

 

「(でも、大丈夫……今回のアインツベルンの策はその上を行ってる……)」

 

 アイリスフィールは不敵な笑みを浮かべた。

 

「(それはつまり、この私。生きる聖杯。私の肉体が滅びれば、その精神が聖杯に乗り移り、願いの成就を制御する。私は大聖杯を覆う殻となる)」

 

 つまりはアインツベルン陣営にとって、戦いでの敗けは、そもそも敗北を意味しないということであった。

 儀式の場所を提供した遠坂、令呪システムを考案した間桐、聖杯システムを構築したアインツベルン。そこに招かれた四人のマスターを加えて聖杯戦争は《表向きそれなりに平等な》バトルロワイヤルとして開催される。

 だがそれはあくまで表向きの話。

 土地だけを提供している遠坂を除けば、間桐は令呪を、アインツベルンは聖杯をそれぞれ自らの管轄においており、大なり小なり、いざという時にはそれらを悪用する手段を隠し持っている。

 もちろんそれが過ぎれば、万能の願望器を手に入れたい、という共通益でもって儀式を開催している三家に亀裂を生むことになり、最悪聖杯戦争は今後一切開かない、ということにもなりかねない。

 よって騙し合いの駆け引きが繰り広げられるわけだが、アインツベルンは今回一歩リスクを犯して踏み出したという訳であった。

 

「(! 誰かが近づいて来る?!)」

 

 人造人間(ホムンクルス)としての能力で持って、体力の温存のため知覚を遮断し、仮眠状態に入っていたアイリスフィールであったが、身近に人の気配を察知し、知覚を再度復活させる。

 目を開け、音のした方向へと視線を向けると一人の男が立っていた。

 半身が壊死し、異形の姿となった男であった。

 

「俺の名は間桐 雁夜。あんたは?」

 

 雁夜はアイリスフィールにそう問うた。

 

「……アイリスフィール。アイリスフィール・フォン・アインツベルンよ。何かご用かしら?」

 

「あんたの望みは何だ?」

 

 不躾(ぶしつけ)な様子で雁夜は問いかけた。

 しばし逡巡するアイリスフィール。

 

「答える義理はないわ」

 

 そう冷たく返した。

 相手の思惑が分からない以上軽率な行動は取れなかったし、何よりこの男の外見が不気味であったからだった。

 アイリスフィールにも人の心がある。醜いものには、無意識のうちに警戒感を抱いてしまう。

 

「……そうか」

 

 会話はそれで終わった。

 雁夜はしばらくして地下室を去って行った。

 



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《第一四話 葵と雁夜 上》+《Interlude 04 ありし日》

 

《第一四話 葵と雁夜 上》

 

 

 雁夜は自室で仮眠を取っていた。

 これは何もダラケているというわけではなくて、体力を温存するためであった。

 ちなみに臓硯はというと、敵の襲撃に備えて、間桐邸に数多の魔力炉を設置し、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類いを放ち、また一部を異界化させていた。

 平たく言えば、邸宅を完全に魔術要塞へと変貌させる作業に専念していた。

 雁夜はそんな臓硯よりあるミッションを与えられてアイリスフィールの元へと向かったわけだが、とある事情で思い止まり、自室で仮眠を取っていたというわけであった。

 

「……んぅ、電話か……」

 

 と、携帯の着信音が部屋に響いた。

 半身を起こすと電話に出る。

 

『……雁夜君?』

 

「あ、葵さん?!」

 

 思わず声が裏返った。

 聖杯戦争に参加してからというもの、色々な諸事情あって連絡は取っていなかったので、予想外だったというのが理由だった。

 

「どうしたの?」

 

『……雁夜君。時臣が死んだわ……』

 

「……」

 

 間桐家での戦闘から既に数日が経過していた。

 どうやって時臣の死を葵が知ったのかは雁夜には分からなかったが、葵と時臣は夫婦だ。定期連絡などしていて、それが無くなったなどかも知れない、と雁夜は推測した。

 

『雁夜君が……殺したの?』

 

「!?」

 

 全身がヒヤリとした。

 どう答えればいいのか?

 

「……」

 

 雁夜は何も答えず、沈黙を保った。

 もし体力がなく精神的に追い詰められていれば、言い訳をしていたような気がした。

 『時臣が全ての元凶なんだ!』とか『あいつさえいなければ皆幸せになれたんだ!!』とか。

 だが冷静に考えれば、雁夜にとっては時臣は憎い男ではあったが、葵にとっては愛すべき夫なのだ。

 何の言い訳もするべきではないし、当然嘘をつくなどもっての他だった。覚悟はしていた。

 だが、雁夜は葵を愛していたし、大好きであった。自分から嫌われるようなことも言いたくなかった。

 

『……雁夜君、話しておかなくてはいけないことがあるの』

 

「あぁ、何かな?」

 

 だから話題を変えてもらうまで、雁夜は一切言葉を発しなかった。

 

『凛と桜は、あなたの実の娘なの』

 

「えっ?!」

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Interlude 04 ありし日

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「どういうこと、雁夜君?」

 

「俺は魔術師にはならない。間桐の家を出て普通のごく平凡な人間として生きていくって決めたんだ! 葵さん、俺と一緒に生きていこう」

 

 冬木市内のとある公園。夜。

 若き日の、二〇代前半の雁夜と葵の姿がそこにあった。

 逡巡した様子の葵。

 目を(つぶ)りしばし思い悩んでいるようであったが、一分後には目を開け口を開いた。

 

「それは……無理よ。雁夜君、考え直して。あなたには魔術師としての才能がある。どうしてその道を投げ捨てる必要があるの? 臓硯お父さまも、鶴野お兄ちゃんも、みんな貴方に期待しているのよ? あなたなら、間桐の家を変えてくれるって! 聖杯をもたらしてくれるって。あなたは彼らを裏切れるの?」

 

 葵は雁夜の生まれながらの許嫁(いいなずけ)であった。

 だが、雁夜は葵を運命の女性だと確信していたし、また葵もそう確信していた。これは決められた道ではあるが、自分達の望んだ道でもあると。

 

「俺は……俺は人殺しなんてしたくもない……魔術を手に入れるために人の道から外れたくなんてない……平凡でいい、穏やかな愛情(あふ)れる人間としての人生を送りたいんだ。時計搭から退学するし、もうこの冬木に二度と戻ることはない。葵さん、一緒に来てほしい、絶対後悔はさせないから!!」

 

 自信に()ち溢れた雁夜の力強い声。

 だが葵の瞳は絶望の色を映していた。二人の間に沈黙が流れる。

 

「私は……私は禅城の家を裏切れない。パパとママと家族の縁を切るなんて出来ない……さようなら雁夜君。幸せになってね……」

 

「あ、葵さん!」

 

 座っていたベンチを立ち上がると葵は走って公園から出ていった。

 

「葵さん、どうして……」

 

 雁夜は彼女を追うことが出来なかった。

 それからほどなくして、雁夜は一人冬木の町を出奔。

 次に彼が葵に会ったときには、彼女は二児の双子の母親となっていたのであった。

 出産は零時を(また)ぎ、凛と桜の二人は一学年離れた双子の姉妹となったのである。

 

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Interlude 04 END

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《第一五話 葵と雁夜 下》

 

 葵の発言は予想外で、一瞬雁夜の頭は真っ白になったけれど、すぐに正気を取り戻した。

 よく考えれば、そうであった。

 出奔直前のデート中に彼女は何度か気持ちが悪くなったと洗面所に立ち寄るようになっていたし、確かに時臣から告白されたと打ち明けられた時も、雁夜にそれに嫉妬して欲しいと、間桐の家に留まってほしいと、そう言っていたように、今思い返せば思える。

 桜が間桐の魔術に適正があったのも、凛や桜が類い稀なる魔術の才能を持っていたのも、魔術師としての稀代(きだい)の素質を備えた雁夜と魔術師の母体として優秀であった葵の娘達であったなら、頷ける。

 何より、命をかけて守りたいと桜や凛を見て、常々雁夜は思っていた。

 最愛の人の子供だからと思っていたが、違った。

 自分の子供であるから、血の繋がった実の子であるから、そう思えたのだ。

 

『あなたは私を愛してくれた……でも好きになってはくれなかった。自分の物にしたいとは思ってくれなかった……でも、あの子達は違うでしょう? お願い、雁夜君。二人のためにも、何としても聖杯戦争を勝ち抜いて、生き残って……お願い、お願いよ……』

 

 電話の先で葵が(すす)り泣く声が聞こえた。

 

「(俺は……最低の男だ……)」

 

 雁夜は愕然(がくぜん)としていた。

 時臣の言う通りだ。血の責任から……いや、愛するものを、守らなければならなかったものを全て放り出して、それが正しい道なんだと、自分に言い聞かせていた。

 だが――

 

「(時臣……俺が間違っていたよ……)」

 

 そう、雁夜は間違っていたのだ。

 確かに魔術師は人の道を外れた外道だ。

 しかし、愛するものを、生きる意味をなくし、ただ平穏なだけの生活にやすんじていた自分はもっとクズの、最低なゲス野郎なのではないか?

 葵の、桜の、凛の、その後の人生を考えず、ただひたすらに彼女達の命さえ守れればそれでいいのだと、そう考えていた自分は何よりも浅ましく、自分勝手な人間ではなかったのか、と……

 

「分かった、葵さん。俺生き残って見せるよ。そして桜ちゃんを、凛ちゃんを、そして葵さんを責任を持って見守ってみせる。戦いが終われば、間桐家に俺は戻る……随分遅くなってしまったけど、あの日の続きを始めるよ」

 

『うぅぅうぅぅ……お願いよ、雁夜君。約束よ……』

 

「あぁ。絶対に生き残って見せるよ」

 

 雁夜はそれからしばらく葵をなだめ、そして終わると電話を切り、再び地下室へと向かった。

 

「アイリスフィール。俺と取引をしないか? 俺は愛する人を、そして娘達二人を救うために、聖杯戦争に参戦したんだ」

 

 そう、アイリスフィールに切り出したのであった。

 



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《第一六話 間桐邸決戦》

 

「時は来た、いくぞランサー」

 

「はい、キリツグ! アイリスフィールの救出に!!」

 

 アルトリアは英霊とはいえ、やはりまだ幼さを残した少女であった。深刻な状況であるにも関わらず、どこか英雄憚(えいゆうたん)に憧れる少年のような輝きを彼女はまとっている。

 

「ではいくぞ」

 

 しかしそれを諌める気にはなれなかった。

 切嗣は最近、彼女に当てられて、かつての、幼き日の正義の味方に憧れていたかつてをよく思い返すようになっていた。

 

「はいっ!」

 

「(不思議な少女だ……)」

 

 令呪の宿りし右手の甲を空に掲げる。

 心の内に願いを唱えると、アルトリアと切嗣は瞬時のうちに間桐家正門前へと瞬間移動していた。

 

「解放だ」

 

「はい!」

 

 宝具を構え、解放する。

 第四、第五、第六、第七解放。

 対界宝具:ロンゴミニアドが現れる。ランク:EX。

 

「やれ、ランサー!」

 

「はい!!」

 

 力を解放する。

 間桐邸の結界、魔力炉、全てを一撃のもとに破壊する。

 残ったのは地下空間のみだ。

 だが犠牲者は0。

 時間を見計らい、間桐雁夜・臓硯父子以外の人間が邸宅を出払ったのを確認して、二人は襲撃をかけたからだ。

 令呪の力で持って結界を張り、同じく令呪の魔法のごとき力で持って周囲の人払いも済ませている。

 

「(いいじゃないか、人の心を持ってたって。どのみち僕は、生粋の魔術師でもなく、暗殺稼業(かぎょう)からも足を洗った、ただの傭兵なのだから……)」

 

 切嗣は昔を思い出していた。

 かつていたアリマゴ島での幼少期の思い出。女傭兵ナタリアと共に戦場を駆け抜けた日々の思い出。

 いつからだろう? いかなる犠牲を払ってでも、任務を優先すべきだ、などと考え始めたのは?

 いつからだろう? たとえ大切な人を失うことになっても、正義を遂行すべきだ、などと考え始めたのは?

 いつからだろう? 悪を征するためには、自らも悪に染まらなければならない、などと考え始めたのは?

 

「キリツグ、油断は禁物ですよ」

 

「あぁ、分かってる」

 

 思えば、暗殺業から足を洗って、もう七年も時が経った。

 感慨に耽りながら、しかし決して油断はせずに自動小銃を乱射し、間桐の使い魔の巨大な蟲達を始末しながら切嗣は思う。

 

「(いつの間にか暗殺業に携わる自分が本当の自分のように思えてた……だが、よく考えてみれば違ったな……暗殺者だった僕こそが、本当の僕ではなかったんだ)」

 

 時と共に心がすり減り、世の中の邪悪な、醜い側面しか見なくなっていた気がする。

 妻や娘と(たわむ)れながら、しかしどこかでいつも思っていた。これは欺瞞(ぎまん)だと、現実はそう甘くないと。

 だが、欺瞞に充ち、現実を厳しいものだと見なしていたのは、自分の思い過ごしだったようにも思える。

 

「(確かにナタリアを正義のためと殺してからの人生は真っ暗だった、思えば父さんを殺してしまったことが全ての過ちの始まりだったのかもしれない……正義のためだからだとかなんとか……僕は一体今まで何をしてきたのだろう? なぜ自分から暗い、闇に落ちた場所へと進み続けていったのだろう?)」

 

 気づけば最下層だった。

 扉を開ける。階段を降りていくと立ち塞がるのは、アサシン十数体にセイバー、それにそのマスター:臓硯と雁夜であった。

 

「ランサーはアサシンを殺れ。僕はセイバーを殺る」

 

「……正気ですか?」

 

 驚いた様子のアルトリア。

 

「あぁ、本気さ。ロンゴミニアドは必要以上に多用するな」

 

 そう口にすると切嗣は魔術を発動した。

 

固有時制御・十倍速(タイムアルター・ディカプル)!」

 

 限界を超えて、肉体が破壊と再生を繰り返している。

 アイリスフィールからアヴァロンを譲り受けていなければ、間違いなく即死だが、宝具の力を借りて人智を超えた力を切嗣は発揮していた。

 セイバー:ランスロットのアロンダイト剣を華麗に受け流しながら、自動小銃や切嗣の愛銃コンテンダーから弾丸を次々と雨あられと打ち放っていく。

 アルトリアの攻撃をかわし、切嗣へと襲いかかるアサシン達。

 切嗣は壁面を足で蹴り、上下左右に自在に空間を駆け巡る。追撃を華麗にいなしながら、次々と敵を始末していく。

 切嗣は時折標的をサーヴァントからマスターである臓硯や雁夜へと移し、銃撃をお見舞いする。

 アサシンやランスロットは翻弄されている。

 切嗣へと巨大な羽蟲の一団が襲いかかってくる。臓硯と雁夜の操る羽蟲の連合軍。

 切嗣は無意識の内に腰のベルトにぶら下げた手榴弾を掴み取ると、栓を抜き、群れに投げつけた。大爆発。息もつかせぬ内に、蟲の一団は全滅した。

 思考は現在を離れ、遠く彼方へと旅立っていく。

 一〇代の子供であった時代へと。

 

「あぁ、そうか。そうだったんだな……」

 

 気づけば切嗣は床に倒れ込んでいた。

 首筋にはアロンダイトの剣先が突きつけられている。

 十倍速とはいえ、全能力値がAランク相当のランスロット相手では流石に分が悪かったようだ。

 

「……なぜ笑っている?」

 

 問いかけるのはランスロット。

 切嗣はどこか達観した様子で返事を返した、

 

「解を得たからだよ」

 

 と。

 

「そうか」

 

 ランスロットは呟くと、大剣アロンダイトを振り上げた。

 一息に降り下ろす。

 空間に衝撃音が響き渡る。

 

「私もだ……これでようやく楽になれる。罪の意識から解き放たれる。有難う御座いました、我が王よ……ギネヴィア、ようやく私たちの罪は断罪を、贖罪を受けた。ギネヴィア、今君の元へ……」

 

 剣は地面に落ちた。ランスロットも地面に崩れ落ちた。

 その胸には大穴が空いている。

 

「キリツグ、大丈夫ですか?!」

 

「あぁ……」

 

 相変わらず呆けた様子の切嗣。

 ランスロットは消滅し、魔粒子となってそれはアイリスフィールに吸収されていった。

 

「クソッ! ここまでじゃなっ!!」

 

 臓硯はそう悪態をつくと、人の姿から無数の淫蟲へと姿を変えて、地下室の壁の隙間から何処(どこ)へなりとも消えていった。

 

「あなたは逃げないのか?」

 

 一人残った雁夜は達観した様子で両手を挙げた。

 

「降伏するよ」

 

「了解した。キリツグ、縄はありませんか?」

 

 問いかけるアルトリア。

 対する切嗣は隠し持っていた手錠を投げつけた。

 本来は拷問用に常備していたものだが、当然捕虜の拘束のためにも使うことは出来る。

 雁夜に手際よく手錠をつけ捕縛するアルトリア。

 切嗣は立ち上がると、ゆっくりアイリスフィールへと近づいていった。そしてアヴァロンを体内から取り出し、それを彼女へと移植した。

 宝具アヴァロン。

 その再生能力は絶大であった。

 アサシンとセイバーの魂を吸収し、昏睡状態に陥っていたアイリスフィールは目を覚ました。

 

「切嗣? 本当に切嗣なの? あぁ、夢みたい。また会えるなんて」

 

「待たせたね、アイリ」

 

 嬉しそうなアイリ、そして安らかな顔で微笑む切嗣。

 

「あなた、随分柔らかい印象に戻られましたね。ようやく、いつものキリツグに戻ってくれた。聖杯戦争が始まってからは、まるで別人みたいだった。良かった……」

 

 女性の勘というのは、やはり鋭いようだった。

 

「……アイリ、話があるんだ」

 

「なぁに?」

 

「大聖杯を破壊しよう」

 

 ゴクリ、と文字通り息を呑む音がした。

 

「どうして?」

 

 問いかけるアイリスフィール。

 切嗣は迷いのない目で、続けた。

 

「平和は自分達の手で掴み取るべきだからさ。誰かに与えられるものじゃない。悩み葛藤し、あるいは理想を目指し時には妥協し、自らの手でつかみ取るべき物だからさ……もし今仮に僕が聖杯に恒久的平和を望んだとしよう……そうだったとして、僕には想像できないんだ、それがどういう世界なのか……いや、正確に言えば想像は出来た。それは、僕とアイリ、イリヤの三人のみがこの世界に存在することだ。他の人間が消えれば、争うことなく平和な世界を作れると思った。だが、それは間違っている。アイリ、君もそう思うだろう? そして何より、こんな万能の願望器などというふざけたものがあるから、多くの魔術師達が欲にかられ、醜い殺し合いをすることになった……聖杯戦争という儀式そのものが間違っていたんだ。巻き込まれて亡くなった冬木市民は言わずもがなだ。アイリ、大聖杯は破壊しよう」

 

「……」

 

 アイリスフィールは葛藤しているようだった。

 彼女にも感情があり、意思がある。

 アイリスフィールはアインツベルンによって聖杯を使って第三魔法を成就するために産み出された人造人間ホムンクルスであったからだ。

 切嗣の提案は大なり小なりの自己否定に繋がっている。

 完全な否定にならないのは、アイリスフィールには与えられたアインツベルンの願望以外に、自分自身が獲得した固有の願望があったからだ。

 

「イリヤは……城に残ったあの子はどうするの?」

 

 アイリスフィールは問いかけた。

 切嗣は右腕を掲げた。

 

「これで救いだす。城までワープして、もし追ってくる奴がいれば僕が責任を持って打ち倒す! それからは、僕は君とイリヤのため、そして《出来る範囲内で》世界平和のために力を尽くそうと思う!! アイリ、共に行こう」

 

 切嗣は左手をアイリスフィールへと差し出した。

 時が過ぎていく。

 一分、二分。

 アイリスフィールは逡巡しているのだ。

 彼女は物ではない。人なのだ。ホムンクルスであっても、感情も魂もある。

 

「ええ、分かったわ、切嗣。あなたの信じる道を進みます、私も」

 

「有難う、アイリスフィール……」

 

 二人は抱き合った。

 それを見つめるのは雁夜とアルトリア。

 所在なさげであった雁夜はつい、こんなことをアルトリアに問いかけた。

 

「君もそれには異存はないのかい? 何か願いがあって、君も聖杯戦争に馳せ参じたんだろう?」

 

 問いかけに対し、しかしアルトリアはポカンとした様子で。

 

「……それが、特に願いは思い付かないのです。未来の私は色々な葛藤を抱えていたようなのですが、どうにもピンとこなくて。特に異存はありません」

 

 何の迷いもなくアルトリアはそう返した。

 彼女はどこまでも真っ直ぐな少女なのであった。

 



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《第一七話 円蔵山》

 

 大聖杯は円蔵山内部の鍾乳洞に設置されている。

 切嗣とアイリスフィール、アルトリアそしてイリヤスフィールの四人はそこにまるでピクニックに行くかのようにお気楽に道中を歩んでいた。

 どういう経緯を経てこうなったかと言うと。

 

「そんな訳で、セイバーのマスターはアヴァロンを使って体内の害虫を処理し、健全な肉体を取り戻したの。その代わり彼は、アサシンのマスターから依頼されていた私の精神を縛る令呪による魔術をかけず、それを偽装するだけに止めてくれたの。彼、カリヤはこれから愛する人を守ることを第一に考えて生きていくそうよ。全て、ランサーのお手柄。本当に凄いお嬢さんよね。そう思うでしょ、イリヤ?」

 

「うん、お母さま! 私も将来はランサーみたいな、人を助けるヒーローになりたいな~」

 

 そうウットリした様子でイリヤ。

 しかし、しばらくしてハッ、とした表情になって慌てて言葉を続けた。

 

「あ、もちろんキリツグが一番カッコいいよ。私のこと迎えに来てくれるって、お母さまを無事に私のもとに戻してくれるって信じてたけど、やっぱり、ホントに全部叶えてくれたもん。キリツグがやっぱり一番カッコいいよ」

 

「ふふふ。きっとそれを聞いたらお父さまも喜ぶわ」

 

 という和気あいあいとした雰囲気のまま円蔵山内部をドンドンと進んでいく四人。

 何の障害もない。

 このまま何も起こらないのではないかと、一同は思い始めていたのだが、そういう訳にはいかなかった。

 

「! ランサー、気づいたか」

 

「……はい。この先にサーヴァントの気配がします。恐らく、アーチャーでしょう」

 

 一同に沈黙が流れる。

 

「アイリ……仮にこれ以上サーヴァントを取り込んだら、どうなる?」

 

「……耐えられない可能性はあるわ……」

 

「そうか……」

 

 逡巡した後、切嗣は結論を下した。

 

「イリヤ、手を出してくれ」

 

「切嗣!?」

 

 動揺するアイリスフィール。

 

「アイリ、言いたいことはわかる。だけど、理想を実現するには時には苦しい決断を下さなければならないこともある」

 

 差し出されたイリヤの右手に切嗣は令呪を一つ譲渡した。

 

「僕が身代わりとなってアーチャーを足止めする。その隙にアイリ達は大聖杯を破壊してくれ……大丈夫、僕は生き残って見せるよ」

 

「キリツグ……」

 

「大丈夫だよ、お母さま! キリツグはとっても強いんだよ。悪い奴をやっつけて、私たちのもとに帰ってきてくれるわ」

 

「そうですよ、アイリスフィール! キリツグは正義の味方です。悪を滅ぼして、必ずあなた達の元へと舞い戻って来てくれるはずです! 彼はあなた達を悲しませるようなことはしません!」

 

「……えぇ、そうね……あなた、お気をつけて」

 

「あぁ。行ってくるよ」

 

 まるで子供向けのヒーローアニメのようであった。

 切嗣はアルトリアとイリヤスフィールのマスター・サーヴァント契約を眺めながら思う。

 

「見ていてくれているかい、シャーレイ? 僕は正義の味方になったよ……」

 

 呟く切嗣。

 

「シャーレイって誰?」

 

 問いかけたのはアイリスフィール。

 

「友達さ」

 

 切嗣は面倒なことは伝えなかった。

 時には正義の味方であっても、嘘をつかなくてはいけないときがあるからであった。

 



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《最終話 切嗣と士郎》

 

「来たか、衛宮 切嗣」

 

「僕を知っているのか?」

 

 鍾乳洞の少し開けた場所で待っていたのは、中華服をまとった長身の男であった。

 

「あぁ、私はお前の息子だからな」

 

「何?」

 

 思いもよらなかった発言に思わずキョトンとする切嗣。

 

「僕に君のような大きな子供はいない。昔から見た目より年上に見られることも多かったが、僕はまだ三〇代半ばだ。それともお前は未来からタイムスリップしてきた英霊だとでも言いたいのか?」

 

「その通りだ」

 

「ふざけるな」

 

 気が緩み始めていたのは事実だが、切嗣は元より冗談が好きなタイプではなかった。

 

「私の……いや、俺の名前は衛宮 士郎。お前の養子だ。第四次聖杯戦争に敗北したお前は、ここ冬木で起こった大災害から俺の命を救い、養子にしたのだ」

 

「何の話だ?」

 

「理解する必要はない。俺もそれは求めない……俺が求めるのは復讐のみ! 《無限の剣製(アンリミテッド・ブレイド・ワークス)》!!」

 

「!?」

 

 次元が歪む。

 切嗣は異空間へと飛ばされた。

 燃えさかる炎と、無数の剣が大地に突き立つ一面の荒野。空には回転する巨大な歯車が回っている。

 

「固有結界か……」

 

「油断は禁物だぞ!」

 

 息つく暇もなく、アーチャー:衛宮 士郎は攻撃を仕掛けてきた。

 

固有時制御・二倍速(タイムアルター・ダブルアクセル)!」

 

 アヴァロンのない今、切嗣に出来る固有時制御はそれが限界であった。

 対サーヴァント戦においては心細いことこの上ない。

 しかし負けるわけにはいかなかった。

 短刀二刀で武装しているアーチャー。今までの人生で蓄積した戦闘経験から導きだした先読みに基づいて、振るわれるより前に剣筋を見切り、見事に余裕をもって避けて見せた。

 そこで違和感を感じる切嗣。

 マスター権限は失ってしまっているので確信はなかったが、直観出来た。こいつは――

 

「お前、ハグレサーヴァントだな?」

 

「……厳密に言えばそれだけではない……魔術師に召喚されなかったのさ、俺は。だから俺の能力値は普通の人間とほとんど変わらない。もちろん、宝具や固有結界を駆使することは出来るがな」

 

 切嗣の予測はおおよそ当たった。

 

「……なぜ、自らの手の内を(さら)す?」

 

「言ったろう。お前が俺の父親だからさ。家族の間に秘密は必要ないだろう?」

 

「またその話か……」

 

 剣撃を避けながら切嗣。

 反撃のためにコンテンダーを構えた。

 発射しようとして思い止まる。

 念のために言えば情にほだされたわけでない。

 

「(英霊とはいえ人間と大差ないコイツにこれを放てば、息の根を止めてしまうことになる。そうなれば、アイリスフィールは英霊の魂の負荷に耐えられず人間ではなくなってしまうかもしれない……クソッ!)」

 

 致し方ない。

 そう判断すると、切嗣は愛銃を懐にしまい、地面に突き立てられた剣の一本を手に取った。士郎の剣撃をいなしつつ、時間稼ぎを開始する。

 

「で、お前の言う未来での僕はどんな男だったんだ?」

 

「ふんっ、信じないのではなかったのか? ……まあいいか……老人のような男だったよ。アンタはね、爺さん」

 

「……」

 

「機会があれば、魔術師としての生き様と正義について俺に語った。馬鹿な俺はそれを信じて、道を突き進んだ……その先に何が待っていたと思う?」

 

「絶望か?」

 

「その通りだ! このクソジジイッ!!」

 

 切嗣には段々と、この男:士郎の言うことが本当のように思えてきた。

 

「世界のためと思い初恋の女性を死地へと赴かせた! 最愛の女性を世界のためと思い自らの手で殺めた! 軽蔑されたよ、憧れの女性から!! 何を考えているのか、訳が分からないって!! 全部お前のせいだ!! セイバーを失ったのも、桜を失ったのも、凛を失ったのも、全部全部お前が悪いんだよ、爺さん!」

 

 剣が吹き飛ばされた。地面に尻が激突した。

 ただし地に伏したのは――

 

「すまなかったな、士郎」

 

 アーチャー:衛宮 士郎であった。

 

「……いいんだ、爺さん。俺、本当は分かってたんだ。こんな復讐意味ないってさ」

 

 覚醒した魔術回路を持たない少年:佐藤 士郎……かつての自分と契約した英霊:衛宮 士郎は、ほとんど魔力供給を得ることが出来なかった。

 アーチャーとしてのスキル:単独行動と霊体化、そして魔力の溢れだす大聖杯近くにずっと居座り続けたことで、何とか現界を保っていたが、既に士郎の魔力は枯渇(こかつ)寸前であったのだ。

 円蔵山にいた理由はそれだけではない。いざとなれば彼は大聖杯を自らの手で破壊するつもりだった。

 とはいえ彼も人間だった。ギリギリまで、鍾乳洞で待つことに決めた。

 かつて自分が辿り着いた終着駅に、養父もまた辿り着くのではないかと、どこかで予期していたから。

 そして運命が許すのであれば、自らの養父に復讐したかった。いや――

 

「人喰いはしなかったんだな」

 

 固有結界が崩壊した。再び鍾乳洞に二人の姿が現れた。

 

「……正義の味方が、無実の無垢(むく)の人々を殺すわけにはいかないだろ……爺さん、あんたの教えだよ。魔術は自分のためじゃなく、他人(ひと)のために使えってさ……殺せよ、爺さん。最後にアンタにまた会えて良かったよ。純粋だった、あの頃を思い出せた」

 

「……」

 

「殺せよ、爺さん。アンタに葬られるなら、それで本望だ……誰にも理解されなかったが、俺は俺の信じた道を進んだ……爺さん、アンタのお陰でさ……復讐なんて、筋違いだ」

 

「……」

 

「殺ってくれ」

 

 目を瞑り、覚悟を決めた様子の士郎。

 切嗣は剣を手にした右手を振り上げた。

 

「告げる! 汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に! 聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら――」

 

「爺さん?! な、何のつも――」

 

「僕の息子になれ! ならばこの命運、汝が双剣に預けよう……!」

 

 唖然とする士郎。

 だが渇いた笑い声をあげると、何もかもを受け入れた幸せそうな表情になり、返事を返した。

 

「衛宮 士郎の名に懸け誓いを受ける……! アンタを俺の父として認めよう。爺さん」

 

 それから数十分ほどであったが、二人は大聖杯がアルトリアによって破壊されるまで、想い出話に花を咲かせた。

 

「やっぱり、親子だな。人生が似かよりすぎだ」

 

「ははは。だからそう言ったろう……爺さん、アンタはもう間違うなよ」

 

 最後にそう言い残して士郎はその姿を消した。

 大聖杯が破壊されたのだろう。

 切嗣は悟った。

 

「ああ。絶対に」

 

 こうして、第四次聖杯戦争は幕を閉じたのであった。




・あとがき

これにて『Fate/Zero 正義』の本編が終了し、後日談のエピローグに入ることになります。

お楽しみ頂けましたでしょうか?

さて、エピローグは《エピローグ》と《おまけエピローグ》の二話で構成されています。

実質は前編と後編なので、是非最後までお楽しみ頂けたらと思います。

感想などありましたら、お気軽にどうぞ。

それでは!


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エピローグ
《結婚》


 

「ほぅ、懐かしい客人が来たな」

 

「久しぶりだな、ケイちゃん」

 

「よせ、私が何歳だと思ってる」

 

 第四次聖杯戦争終結より数か月ほどして、ロード・エルメロイの部長室に客人が来た。

 

「ところで雁夜、本気なのか? いまさら魔術刻印をその体に戻すと言うのは?」

 

「あぁ、本気さ。俺は魔術師になる」

 

 応接室で茶を飲みながら談笑していた二人であったが、ケイネスは折りを見てそんな話を切り出した。

 ちなみにケイネスの手は、魔術人形の技術によって治療され、見た目は五体満足の人間と変わらないまでに回復していた。

 

「確かに君の魔術師として血統は申し分ないものだ。数一〇代続く魔道の名家だからね、間桐家は……だが、魔術理論の方はどうだ? あるいは魔術師同士の駆け引きスキルは? 君にそれがあるのかな?」

 

「分かってるさ、ケイちゃん。お前に預けてる魔術刻印を今腕に移植したところで、俺は血ぐらいしか取り柄のない甘ちゃん魔術師にしかなれないってことぐらい。だけど決めたんだ、俺は」

 

 雁夜はケイネスに間桐家の魔術刻印を預けていた。

 というのも、父の臓硯は息子の雁夜を溺愛し、一〇代半ばのそうそうに刻印を雁夜の腕に移植していたからであった。

 その後雁夜はロンドン時計搭へと留学することになり、時臣と反目しあったり、ケイネスと友情を温めたり、あるいは親の目が離れたのを良いことに魔術の鍛練を怠り、テストでは落第ギリギリ勉強ぐらいしかしなかったりと、魔術師への反発を前面に出した自堕落な生活を送っていた。それでも臓硯は『そのうち、雁夜が素質を開眼してくれるはず』などと信じてくれていた。

 なるほど確かに、臓硯は雁夜を溺愛していたし、だからこそ裏切られたときの憎しみもヒトシオであったわけである。

 

「なあ雁夜、理由を聞かせてくれないか?」

 

 移植も終わり、日本への帰国の便に乗るためのヒースロー空港にて、ケイネスは最後にそう問いかけた。

 ケイネスは長らく間桐家の魔術刻印を保管していた。それは雁夜が頼んだからであった。

 臓硯は一筋縄ではいかない手練れの老獪な魔術師だ。単に魔術師を辞めるなどと雁夜が宣言したところで、決してそれを許すはずもない。最悪、ホルマリン浸けにして令呪システムを利用してでも、雁夜を自分の意のままに操ろうとしただろう。

 だがケイネスに魔術刻印を預け、雁夜の身に何かあればそれを廃棄する、と脅すことで、流石の臓硯も引き下がることとなった。それを失えば、永久に間桐家は魔術師の名門として復活することが出来なくなり、当然聖杯戦争で勝利など夢にも思えなくなるからだ。

 もちろん、それゆえに臓硯の雁夜への憎しみはもはや語るもがな、となってしまった訳であったが。

 

「愛だよ」

 

 理由を問うと、雁夜はそう返した。

 

「愛するものを守るために、魔術師の力を得ようと思ったんだ。ケイちゃんなら、分かってくれるだろう?」

 

「フンッ」

 

 ケイネスは鼻を鳴らした。

 雁夜はそれに微笑し、

 

「じゃあな」

 

 とスーツケース引いて搭乗口へと向かっていく。

 

「おい! かーくんッ!!」

 

 大声が雁夜の耳に飛び込んできた。

 振り返る。見るまでもないが、ケイネスが彼に叫んでいた。

 

「後でパソコンにレポートを送ってやろう! 私の愛弟子が書いた渾身の一作でね。『新世紀に問う魔道の道』って奴なんだが、これが中々秀逸でね!! 君ならうまく活用できるだろう! 頑張れよ!!」

 

「ありがとう、ケイちゃん! やっぱり持つべきものは親友だ!!」

 

 最後に手を振り、グッと親指を立てる雁夜。

 未来はどうなるかなんて、まだまだ分からない。

 しかし、雁夜には軸があった。

 

「(俺は愛する葵さん()、そして凛ちゃんと桜ちゃん(娘たち)のために頑張ると決めたんだ!! 俺はもう逃げない!!)」

 

 雁夜の兄の鶴野は臓硯が蒸発して、一家共々まもなく海外に高飛びした。彼も雁夜と同じく魔術を心底嫌っていたからだ。

 必然的に間桐家は残った雁夜が継ぐこととなり、そして魔術師の家門を再建するという条件付きで、禅城の家の許可を得て、葵と再婚することが決まった。

 

「(凛ちゃんは遠坂家の魔術師を継ぐと決めているようだ。それなら、それでいい。俺は父親としてあの子を応援するだけだ! だが、桜ちゃんは違う。魔術師を心底嫌っている……なら、俺が桜ちゃんを、最愛の娘を守らなくちゃいけないんだ!)」

 

 凛も桜も魔術師としてとてつもない素養を秘めた子供達であった。

 皮肉なことだが、それは雁夜のせいであった。

 彼は魔術師として稀代の才能を持った人物であったから。

 

「(時臣……俺はやっぱりお前が許せない……だけど、お前はお前なりに父親としての責務を果たそうとしていたんだよな……)」

 

 とはいえ、やはり桜をあのような悲惨な境遇に追いやった時臣は許せないし、事実虐待をしていたようなものだと、雁夜は確信していた。凛が時臣に憧れているのを見ると、歯痒(はがゆ)い思いがする。

 

「(だけど……それが人生だよな……理想だけじゃ世の中うまく回らない……でも現実のためにと悪いことばかりしていたら、それだってダメだ。俺は、上手くやれるのか? いや、絶対に成功して見せるさ! 現実をわきまえた上でなお、高い理想を目指してやる!! 魔術師として家族を守りながら、平穏な日常だって獲得して見せるさ!!)」

 

 固い決心を決める雁夜。

 

「ただいま」

 

「「「「おかえりなさい!」」」」

 

 自宅に着き、ドアを開けると待っていたのは妻と娘達、そして《父親》であった。

 

「ただいま、皆」

 

 臓硯はあの一件以来、認知症に羅患(らかん)し、単なる純粋な老人となっていた。大聖杯が失われ、生きる目的を見失い、すっかり衰えてしまったからであった。

 蒸発の後、再び雁夜一家の前に現れた臓硯は、良くも悪くも以前とは違うまるきりの別人となっていたのである。

 

「ところで、桜や。晩御飯はまだかの?」

 

「お爺さま……さきほど、食べたばかりです」

 

 なら、彼も助けなくてはなるまい。

 それでこそ、真の意味での過去の過ちへの償いとなるのだから……

 雁夜は、真の意味で男になったのであった。

 

 

 

 とある戦場。そこにとある父子がいる。

 片方はスーツ姿の父親。もう片方はドレス姿の娘だ。

 

「準備はいいか、イリヤ」

 

「うん。もちろんだよ、キリツグ!」

 

 彼らは殺し合いに来たのではない。

 救いに来たのだ。

 無垢な人々を助けに。

 戦いに巻き込まれ、翻弄されただけの無力な人々を救うために……

 少女がステッキを振るう。魔術ではない、魔法の力でもって人々を救う。

 男は時空魔術を行使する。殺すためでなく、逃げ遅れた人々を救い出すために。

 

「(見ていてくれているかい、シャーレイ?)」

 

 救いだし、抱き抱えた村娘を抱き抱えながら、切嗣は思う。

 最愛の女性を思い浮かべながら。

 

「(僕は、正義の味方になれたよ)」

 

 目には見えないが、

 

『おめでとう』

 

 と言ってシャーレイが頬にキスをしてくれたような、そんな気がした。

 

 

 

 悠久の果て。

 いったいどれ程の年月(としつき)が経過したのだろう……

 切嗣はどこかの花畑に立っていた。

 (かぐわ)しい香りが一面に広がっていて、そこにいるだけで幸せな気持ちになれる、そんな場所だった。

 歩を進めていく。

 と、視界が暗闇に閉ざされた。

 

「だーれだ?!」

 

 懐かしい声がする。

 考えるまでもない。

 

「シャーレイだろ。まったく……」

 

「えへへ、君ってカラカイ甲斐があるからさ。ツイね。ゴメンゴメン」

 

 大して悪いとも思っていなさそうな様子で、シャーレイは舌をペロリと出しながら、謝った。

 

「じゃ、行こっか」

 

「そうだね」

 

 気づけば、切嗣は少年の姿になっていた。

 二人は歩を進めていく。

 姿はいつの間にか変わって、シャーレイは白いドレス姿の花嫁衣装に、切嗣は新郎用のタキシード姿になっていた。

 二人は花畑をどこまでも進んでいき、そして消えた。

 かつて望み、しかし叶わなかった、そんな夢の世界へと旅立っていたのであった。

 

 

 おしまい 




・あとがき

このエピローグを持って『Fate/Zero 正義』は完結です。
残すはおまけエピローグということになります。

お楽しみ頂けましたでしょうか?

物語は完結しましたが、おまけエピローグはエピローグ後編という雰囲気もありますので、是非最後までお楽しみ頂けたらと思います。

感想などありましたら、お気軽にどうぞ。

それでは!


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おまけエピローグ
《家族》


 

 カムランの丘。

 アーサー王:アルトリア・ペンドラゴンの姿はそこにあった。

 手にはロンゴミニアドの槍。

 息子:モードレッドとの激戦の最中に彼女あった。

 

「一体、どういうことだ?」

 

 思わず呟くアルトリア。

 彼女は呆然としていた。

 《自らの手で殺めたはずの息子》は未だ眼前にあり、代償で負ったはずの《自らの致命傷》もなく、騎士王アルトリアは満身創痍とはいえ未だ健在であった。

 

「(私はブリテン国を破滅の運命から救うため、死後に《守護者》となる契約を世界と交わし、聖杯を求める悠久の旅路に道を求めたはず……しかしこれは)」

 

 記憶は朦朧としている。

 

「(何があったか、よく思い出せない……だが、私はどこかで聖杯を求める戦いに身を投じていたような気がする。そして……懐かしい……そうか、かつて私にもあったのだったな、姫と呼ばれ、民衆に慕われた少女であった青春時代が……)」

 

 モードレッドの振るう《燦然と輝く王剣(クラレント)》を槍でいなしながら、アルトリアは思う。

 マーリンと共に旅をしを、《ヴァイキング》を始めとした蛮族を撃退し、困窮した国民を救っていたありし日々を。

 

「(あの時は気楽な毎日であった……人の上に立ってからはそうはいかなくなったが、目の前にいる人々を救うことさえ考えれば良かった。成果は目に見えるから分かりやすかったし、人々からは感謝をされるばかりであった……)」

 

 アルトリアの意識は徐々に明瞭となっていった。

 

「(あぁ、そうか。私は、かつて乙女であった一〇代の騎士姫として聖杯を求める闘争に身を置き、そして正義を為すために、自らの手で聖杯を破壊したのだったな、この《ロンゴミニアド》で……そうか、これは世界の法則をねじまけたことによる副作用か……)」

 

 最終的に一三ある拘束のほぼ全て、世界を滅亡させない限界ギリギリのラインである一二の拘束まで解除し、大聖杯を跡形もなく消滅させたアルトリア。

 あまりに強大な力は嫌がおうにも世界に干渉せざるを得ない。

 今、アルトリアがカムランの丘で息子と死闘を繰り広げているのもそういう訳なのだろう。

 《(よわい)を重ねた》騎士王アルトリアの容姿は可愛いというより美しく、体躯(たいく)もスレンダーというよりグラマーであった。

 

「……モードレッド、お前の望みは何だ?」

 

「口にするまでもないッ! ブリテンの王位を手にすることです、父上!!」

 

「そうか……」

 

 アルトリアは地面を一蹴りし、距離を取ると腰の高さで槍を構えた。

 

「ここで戦いを決せられるおつもりですか、父上? いいでしょう、受けて立ちます」

 

 モードレッドはクラレントを大上段に構えた。

 静寂が流れる。

 空気を察したのだろう。気づけば周囲の雑兵や将校は各々の戦いを中断し、決闘の様子をじっと見守っていた。

 モードレッドが地面を蹴り、アルトリアに向かって突撃する。

 待ち構えるアルトリア。

 情勢が動いた。

 

「ち、父上……なぜ……」

 

「お前がナンバーワンだ、モードレッド。我が愛しき息子よ……」

 

 地面に落ちたロンゴミニアド、左肩口から右腰まで真一文字に切り裂かれたアルトリア。

 多量に溢れだす血液は彼女から最後の活力を奪った。地面にバタリと仰向けに倒れ込んだ。

 アルトリアは動かなかった。大上段から降り下ろされたモードレッドの剣は無抵抗の彼女を切り刻んだのであった。

 アルトリアはモードレッドからの怨念の一撃を真正面から受け止めたのである。

 

「これでいい……」

 

 アルトリアは最後にそう呟き、息を引き取った。

 茫然と立ち尽くすモードレッド。

 決闘の地周辺にも静寂が流れ続ける。

 しかし、時は流れ、歴史は動く。

 誰かが叫んだ。

 

「新ブリテン王:モードレッド王、万歳ッ!!」

 

 ピクリとモードレッドが肩を震わせた。

 停止していた思考が再び動き出す。

 新王は剣を振り上げた。

 

「ブリテン王:アルトリア・ペンドラゴンはオレの手によって葬られた! 王位は一人息子である、このモードレッド・ペンドラゴンが引き継ぐ!! 己が王国臣民足らんと欲する者は、今この場でオレに忠誠を誓えッ!!」

 

 その声は戦場中に響き渡った。

 続くのはガチャリガチャリと、武器を棄て戦いを放棄するアルトリア軍の将兵の姿。みな、戦意を喪失していた。

 中世の騎士の世界において、血筋ほどに権威を持つものはない。

 アルトリア軍は錦の御旗を失った。カムラン丘決戦の勝敗は決せられた。

 ペンドラゴン王家の血筋を引き継ぐのは今やモードレッドただ一人。それが答えであった。

 一つの時代が終わる。そして、新たな時代が始まる。

 ここカムランの丘にてブリテンの新たな歴史が始まるのである。

 

 

 

「僕はやっぱり納得出来ない!」

 

「どうされたんです、先輩? 急に大声を出すから……よしよし、ごめんなさいね、ケリィちゃん。パパが急に大きな声なんか出すから……」

 

 二〇代後半の女性:佐藤 桜は夫の佐藤 士郎をジロリと睨んだ。

 

「……ご、ごめん。ごめんなさい……」

 

 士郎の妻は普段は温厚で優しいが、怒ると恐いタイプの女性であった。曰く母譲りとのこと。

 背筋には汗が流れて、ヒヤリとした感覚になる士郎。

 一時間かけてようやく赤ん坊の息子を寝かしつけたにも関わらず、その間に愛読書『ブリテン帝国衰亡史《序章》アーサー王伝説』を読み耽っていた士郎が、余計な横槍を入れ、努力を台無しにされたことに、桜は怒っていたのであった。

 これほどの怒りを買ったのは、かつて士郎が初めて桜の実家:間桐家にお呼ばれした際に、彼女の姉を見てデレデレと惚けていたのを『浮気は許しませんからね』と言って桜が満面の笑みを浮かべながら、静かに語りかけてきた時以来のことであった。

 流石に空気を察する士郎。

 全力の顔芸で息子の佐藤 《切嗣》を笑わせて、何とか泣き止ませると、玩具を使って、優しく語りかけて、ようやく再び眠らせることに成功するのであった。

 

「で、どうしたんですか、先輩。また、いつものアーサー王悲劇(たん)ですか? 先輩が同じお話を何度読んでもそんな風に深く陶酔出来ること、私は本当に感心しています」

 

 やはり余程怒っているようで、桜の語調は大変厳しいものであった。

 笑顔が顔面に張り付いていた。

 士郎も返す言葉がない。

 

「……でも、私、何となくアーサー王の気持ちが分かる気がします」

 

 しかしそれでは、さしもの桜も居心地が悪かったのか、アーサー王伝説の話題へと移っていった。

 

「そうなの?」

 

 (わら)をも掴む気持ちで士郎は合いの手を入れた。

 桜は機嫌が取り直してきたようで、表情は日常の柔らかなものに戻り、ほどなく続きを喋り始めた。

 

「きっと息子が可愛かったんだと、私は思います。やっぱり《自分が腹を痛めて産んだ子》です。戦いに赴いたものの、戦意を喪失し、自ら死を選んだ……たとえそれでブリテン国が悪しき方向に向かってしまうと頭では分かっていても、心はそれに抗えなかった……愛より大切なものなんて、この世に存在しませんから。ねぇ、先輩?」

 

「……う、うん。そうだね。桜の言う通りだよ」

 

 桜の機嫌が良くなった。

 彼女は士郎にキスすると、そのまま二人は寝床へと向かった。

 ちなみにこれは、今が深夜であって疲労感から布団に向かったわけであって、それ以上の意味はない。

 桜はほどなく夢の世界へと旅立った。

 

「(モードレッドはアーサー王の子供ではなくて、本当は甥か姪、あげくクローンであるっていう解釈もあるし、モードレッドは自分を息子と認めるようアーサーに迫ったけど、拒否されたってエピソードもあるんだけどな……まぁ、あの場でこれを言うのが正しかったとは全く思わないけど……)」

 

 士郎は心にどこかモヤモヤを抱えながら、思索に耽っていた。

 ちなみに彼は、アーサー王は人の上に立つ自分に疲れ果てて、誰でも良いから自分の代わりにブリテン王になって欲しかったから、自ら死を選んだのだと考えていた。

 

「(……でもまあ、桜の言うことも分からなくはないか……)」

 

 自らの可愛い妻の寝顔を見ながら、士郎は考え直す。

 アーサー王とて人間だ。情にほだされることもあるだろう。

 もちろん真実は神のみぞ……すなわち《小説『ブリテン帝国衰亡史』》の作者のみ知るところであるが……

 それに作者と言っても、『ブリテン帝国衰亡史』――特に序章の『アーサー王伝説』――は民間伝承を纏めたものにすぎないから、特定の作者などいないわけだが……

 実際、時代設定が滅茶苦茶で六世紀にはいるはずもないヴァイキングが出てきたり、既に崩壊しているはずのローマ帝国にアーサー王は遠征を繰り返したりする。

 荒唐無稽の一言だ。

 しかしいずれにせよ、小説であれ、なんであれ人々の心を現実以上に震わす至宝のフィクションはこの世に確かに存在するのである。

 

「(改めて考えると、よく桜は僕の奥さんになってくれたよ……)」

 

 士郎と桜の出逢いは、お手伝いさんとして士郎が桜の実家の間桐家でバイトを始めたのがキッカケであった。

 士郎がゲーミング用の高性能パソコンを自分でオリジナルに作ろうとして、その部品代を捻出するためにバイトを始めたのがキッカケだった。

 

「(子供のときは正義の味方に憧れてたけど、バイトを始めた時は、自分第一って感じだったな~。料理も全然上手く作れなかったし、掃除も下手くそで、目も当てられたもんじゃなかった……)」

 

 今思えば、高校生のバイトでなぜお手伝いに応募したのかも分からないし、なぜゲーミングパソコンにそこまで熱を入れていたのかも、よく思い出せなかった。

 しかし何でか間桐家で働くことになり、大して役にも立てなかったが、桜や彼女の父親、今では士郎の義父の雁夜にも気に入られて、バイトとは関係なく、間桐家に入り浸るようになり、そのまま何でか士郎と桜は付き合うことになり、そして気づけば結婚していた。

 不思議と言えば不思議だし、偶然と言えば偶然だし、運命と言えば運命と言えた。

 でもまあ人生なんてそういうものかもしれない。

 実際、息子の名前は夢に出てきた自分の養父と名乗る男性から拝借したものであった。姓名判断師に訊いてみれば、中々縁起の良い名前とのこと。

 古くさい奇妙な名前だと家族親族は不満げであったけれど、今のところ佐藤 切嗣は健康にスクスクと育っている。

 先日など早くもパパ、ママと呼んでくれるようになったし、将来はかなりの天才学者になってくれるのでは、と士郎は期待していた。

 典型的な親バカかもしれないが……

 

「(そういえば、他にも変な夢見たな……凛義姉(ねえ)さんだったり……あろうことか、アーサー王と僕が恋人になって……まさかあんなことを……桜に知られたらただじゃすまないだろうけど……またあの夢の続き、見れたりす――)」

 

「浮気は絶対許しませんからね!!」

 

「?!」

 

 ムニャムニャと笑みを浮かべながら寝言を発したのは桜だ。

 ビクツク士郎。

 そうだね、不倫は駄目だね。

 心に誓う士郎。

 その日彼がどんな夢を見たのかは……秘密にしておくことにしようか……




・あとがき

『Fate/Zero 正義』の連載はこれで終わりです。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

お気に入り、感想、高評価などして頂いた皆様、本当にありがとうございました。励みになりました!

それでは!
またお会いできる日を楽しみに待っております。


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