「僕を助けて」
たったそれだけが聞こえた。
またか、と思う。はぁと溜息を吐く。つかれた。いつもの事とは言え、やはり面倒臭いものは面倒臭い。
朝。夢から目覚める直前、誰かの声がした。
私の知らない人のとても綺麗な声だ。多分、男の子なんだろうと思う。
場所は何となく分かる。そこに助けを求めている人がいる。もう、どうしようもないくらいに手遅れな状態で。
夢というのは人間の集合意識だという説がある。例えば、親しい間柄の人間が同じ夢を見ることがある。それはつまり、睡眠状態という意識のない間に二人が『何か』を共有していたということだ。
脳が処理中に捨て去った情報の残滓ではない、『何か』を。
明晰夢という言葉がある。夢だと認識して見る夢だ。
そして明晰夢という言葉がある以上、普通の夢は夢だとは認識できないということになる。それどころか、自分が何者なのかさえ分からないような状態が多い。
だからこそ、私は夢から目を覚ます直前にそういう声が聞こえる。夢の中で自己を認識できる一瞬の間だけだ。
今は夏休み。時間は有り余っている。だから、別に行動したって構わない。それに私はそういう声が聞こえた時、必ず答えるようにしている。
「……やぁ、こんにちは」
落ち着いた少年だった。幸薄そうで、――なるほど、私なんかに助けを呼ぶ訳だ。
「こんにちは。君はどうして私を呼んだの?」
「助けて欲しいから、かな。普通はそうだと思うけど」
「多くの場合、助けて欲しいだなんて認識していないから驚きかな」
私に聞こえる声というのは無意識の声だ。彼等は普通、心の内に秘めた悲鳴を私に伝えて来るはずなのだ。
「へぇ、まぁいいや。じゃあ、今日はお喋りをしてほしいな」
「いいよ。何を話そう?」
「なんでもいいや。でも、くだらない話がいいかな」
「エレベーターは下に行った? 上に行った?」
「下らない話じゃなくて。どうしようもない、何の意味もない、無駄で無益で、将来何の約にも立たない話がいい」
「じゃあ、幽霊の話をしようかな」
「幽霊? 僕は信じないよ、そんなの」
「信じなくてもいいわ。とある幽霊がいたという設定の、創作話という体で話を進めていいかな」
「なら、まぁ、いいかな」
「ある幽霊がいたの。彼はね、自分が幽霊だとは気付いていなかった。ずっと、自分が見える人達と楽しく話していたの。とある日、不意に現れた不親切な少女は、彼に幽霊であることを伝えてしまった。するとなんてことでしょう、彼はたちまち消えてしまったの。なんでだと思う?」
「そうだね、幽霊だと気付いたから、じゃないの?」
「正解」
「何の捻りもなくてびっくり」
「幽霊ってね、死んでるのに死んでないと思っているから、思い込んでいるから幽霊でいられるの。この世にいるのが当然だと思い込んでいるから、この世にいる。だけど、幽霊だって気付いたらこの世にいることがおかしいと気づく。だから消えてしまう。理屈は、分かった?」
「うん。それに、貴方が何を言いたいのかもね」
「そう。手間が省けて嬉しいわ」
「本当に、貴方は不親切だね」
「そう? 少しは学習したつもりなんだけど」
「かもしれないね。相当にタチの悪い方向に」
「でも、最期の話し相手としては適任でしょう? もうこの世に留まるのに懲りたでしょう?」
「どうかな、嫌がらせでもしてやろうかと尚更留まりたくなったかもしれない」
「だったら今度は本当に祓ってあげるよ。私の本職はそっちだからね」
「遠慮しておくよ。さようなら」
「さようなら」
たったそれだけが聞こえた。
またか、と思う。はぁと溜息を吐く。憑かれた。いつもの事とはいえ、やはり面倒臭いものは面倒臭い。
とりあえず、私に取り憑いた彼が成仏されただけ、マシだと思おう。
まぁ、そんな訳ですよ。
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