カヴァス?いやいや俺は (悪事)
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第一話

  ある日、俺という存在は自分が転生しているという事実を認識した。それ以前の記憶は自己を認識した時に消えてしまったのか、これまで自分はどこで生まれどこで育ち、どうしてここにいるのか覚えていない。記憶喪失とでも言えば聞こえはよかろうが、今の自分の身の上でそんな格好のついたことを言ってもどうにもなるまい。

 

 "だって、現在の俺は人間ではない。狼だぜ?"

 

 

  いや、狼って何よ。なんで人じゃないのさ。そして前世の記憶なんざ思い出すのではなかった。かつて人間だったのに、気がついたら獣ですよ。これからどーすんの?それにこのフサフサとした灰色の体躯、小さな肉球に鋭くも幼そうな眼つき。仔狼って、群れの庇護のもとに成長するもんじゃないの?なんでボッチスタート?

 

 

  いかんいかん、愚痴っても仕方ない。狼って下手をすれば、害獣として処分されかねない危険生物。どうにかこーにか、人と上手く共存しなくては。これからの生活、どうなるか明日の我が身の保障さえない。はてさて、一体どーしたものか。

 

 ……しかし、呑気だと思うが、狼という存在から見る世界は人の頃とこんなに違って見えるのか。

 

  全てのものの生命力とでも形容すべきナニカ?が明瞭に見える。狼とは生命の火が直視できるような目を持っているのか。こんなにも世界の見え方が違っていると少し不思議な気分になる。生命力はまるで燃える火のように揺らぎ、草木や水にさえ火が見える。

 

  そうした火があまりにも綺麗に見えたのか、浮かれた俺は狼の体躯を使い自分が佇む森の中を駆けていく。過ぎ行く風景は風のように流れ去り、すれ違う動物たちは恐れを成して逃げていく。森を抜けた先、駆け抜けた森を見下ろせそうな丘で、少し息を整える。

 

  ハァハァとまるで犬のよう………そういや狼ってイヌ科だったよな。そんな時、うっかり足元にいた虫を踏んでしまったようだ。足を退けて潰れた虫を見ると、触覚を少し揺らしたかと思うとそのまま動かなくなってしまった。その虫の生命の火がゆっくりと消えるのが見える。蝋燭のように静かに音なく消えた火は自分の中に入り込んで、体内の中で自分の生命の火と同化するような感じがした。

 

 

 …………おかしくね?いや、虫とか生物を殺してその生命力的なものが体内に入るとか。これってもしかして特典、チートと言われる奴なのか?それにしても灰色の狼というと前世の自分が好きだったゲームのとあるキャラのことが思い浮かぶ。

 

  主にして親友の墓を守るために戦い、そして不死人というプレイヤーに討たれる灰色の大狼。そういや、あの世界では生命力的なものはソウルとか呼称していたっけ。ソウル?灰色の仔狼?待て待て、ってことはもしかして今の自分って。

 

 

  灰色の大狼シフ……なのか?

 

 

  そんな前世を思い出した日から数年が経過した。狼という存在に慣れ、どうにか生活できるようになってきた。そんな余裕が生まれてきた頃になっても今の自分が本当にシフと呼ばれる狼のそれなのかは判断がつかない。何せ、生命力の火を視認できて、奪った命の火を吸収できるという設定、シフに無かったし。自分が何者かは分かっていないまま。でも、この世界がダークソウル的な所だというのはおおよそ確信している。

 

  なんでって?だって、昔一度だけだが空を見上げた時にドラゴン、飛んでんだもん。あの火を吐いて空を飛ぶドラゴン。あんなものを見てしまったら、この世界がダークソウル世界だと思うしか無いだろ。いや、もしかしたら異世界?的な場所で自分は魔物的な存在なのかもしれないが、ダークソウル世界と思っておこう。

 

  しかし、数年が経過し自分は仔狼から中型犬くらいには成長したっぽい。大型とまではまだいかないが、もう少しすればもっと大きくなるだろう。だって数年だぜ、普通の狼、犬ならとっくに老衰してもおかしく無い年月を生きてきた俺にはシフのような大狼になる可能性があるはずだ。そうと決まれば、今日も元気に一狩り行こう。

 

 

 

  狩りをして、ソウル(らしいもの)を吸収すれば自分が強くなったと思えるのだ。これが錯覚でないことを切に願ってやまない。さて、今日はどの辺を行こうかと、ぶらついていると崖の下に付近の村から訪れた(と見える)少女を発見した。まったく、いくら野生の動物が減ったからって女の子一人で森をうろちょろするとか、危険すぎやしないか。

 

  ここはいっちょ、背後から忍び寄って一鳴きして脅かしてみようか。よし、思いついたら即行動。

 

 

  崖を手慣れた、いや脚慣れた動きで駆け下り少女の背後に接近する。しめしめ、どうやらこちらには気づいてないようだな。少女が木の実拾いに夢中になっているところで、飛び出ようとした時に少女の近くの茂みが揺れて、なんか……そうなんか変な人??っぽいものたちが現れた。

 

  こう、なんて言えばいいのかわからんが、例えるならエイリアン?的な見た目に入れ墨らしいものを皮膚に刻んでいる。うん、これはあれかな。亡者的な?不死人の成れの果てみたいな、どう見ても会話が成り立つように見えないし、そもそも今の俺は喋れないし。どうするか、静観するべきか、あの少女を見殺しにして?そんな、気の抜けた考えで状況を観察していると、あのいかにもエイリアンらしき存在はホラー映画さながら少女に気づかれぬように近づき、そっと手斧を振り下ろそうと掲げた。うん、どうにかするか。

 

 

  距離にして2、30メートルほどの距離、強靭な四足を全力で動かし少女の襟首を(くわ)えてヤツラから距離を取る。エイリアンいや亡者的なサムシングのエネミーとの距離が急激に開いたことに認識が追いついていない少女、彼女を離して鼻先で押して逃げるよう促す。ようやっと状況が飲み込めたらしい少女は、泡を食って逃げ出して行く。

 

 ……お礼を期待していた訳ではないけど、迷いなく逃げるってのもどうかと思うのは俺だけか?

 

  まぁ、いいや。これまで狩りという己が優位な状況での戦闘は日々の生活により積み重ねてきた。しかし、これは対人という今までに経験したことのない戦い、殺されることも当然な争い。主観によるが見たところ自身と敵らの戦闘力はおそらく拮抗していると思う。野生に身を置いてきたからこそ理解している弱肉強食の論理。さて、生きるためには弱者も強者も、負かしていくしかない。

 

 

  斧が振りかぶられたかと思えば、斧が投擲される。飛びかかると思ったがあの亡者ら(暫定)慎重に立ち回ってくる。けれど、それだけではその程度ではこの命をくれてやる訳にはいくまい。落ち着いて投げられた斧の握り手を口でキャッチ、そのまま斧を投げ返しピッチャーライナー。投げ返された斧が相手の頭蓋に突き刺さる。

 

 

  それを見ていた亡者(仮)たちは、威嚇するように吠えて斧を掴んだまま俺の鼻っ面に飛び込んでくる。上等、飛びかかる彼らの頚椎に爪を突き立て、牙で噛み砕く。斬り裂かれ、噛み砕かれて絶命した者らの骸を生き残った者たちへ叩きつけるように投げ飛ばす。投げられた骸を機械的に武器で両断してこちらの攻撃へ備えるように構えた。というか、仲間の骸をそんなスッパリ斬りますかね。ふつー。

 

 

  そんな甘っちょろい考えをしていた俺を取り囲む形で亡者たち(多分?)は陣を組んだ。だが、先ほど数人分のソウルを吸収した以上、この総身に疲労や倦怠は存在しない。この檻のような囲い、正面から突破してやろうーーーーそんな時だった。奴らの陣形を騎馬に乗った甲冑姿の騎士たちが突き崩していく。やや小柄な体型の少女が指揮をしているようだが……

 

 

  ちょっと待った。あの少女らしい騎士、どっかで見たような気がする。金髪を後ろへ結い上げるように纏め、ドレスのような服の上から青と銀の鎧。そして、あのどこかの社長が好きそうな顔。それを見て察しの悪い俺はようやく気がついた。この世界はダークソウル世界ではなく、型月世界であり俺の目の前にいるのは深淵歩きアルトリウスではなく騎士王アルトリアだということに。

 

 

  ダークソウル世界だと思ったら型月世界とか聞いてねぇんだけど。思わずあの亡者っぽい奴らが騎士たちに倒されていくのを口を開けて黙って見ていることしか出来ない。えーっと、どうしよう。敵が全滅して残ったのは俺だけ、もしかして逃した少女が俺に襲われたとか言ってたら、俺は一貫の終わりだよ?いくらソウルを吸収して強くなってきたとはいえ、人間やめてーらな円卓勢と渡り合えるほど生物やめちゃいない。ここは逃げの一択か、と前足に力を入れた時、騎士王が歩み寄ってくる。えっ?殺処分だけは勘弁してくれません?せめて保健所とかって、この時代にそんなとこねぇか。

 

 

『ーーーーありがとうございます。貴公の勇猛さのおかげで一人の幼き民が救われた。その恩に報いたい、どうでしょう?そちらが良ければ、私と共に来てはくれませんか』

 

 ……んっと、これってスカウト的なヤツ?まさか、野生暮らしから王城での豪華な三食昼寝付き生活の始まりですか!テンションが上がって、ガウガウ吠えてしまったが彼女は気にしていないようで嬉しそうに笑ってこちらを撫でてくる。

 

『それでは参りましょう。えっと…………名前が無いというのも不便ですね、それにあれほどの武勇を見せた貴方に名前が無いというのも可笑しな話です。よろしければ、貴方の名前、私が付けても良いでしょうか?』

 

  おっ、マジすか。それじゃあ、是非とも付けてほしい名前がある。俺の名前は……

 

 

『貴公の名は、カヴァス。……どうでしょう、気に入ってもらえましたか?』

 

 ……いやいや、めっちゃ良い感じの笑顔のところ、すまんが俺の名前は"シフ"でお願いします。

 

 

 ーーーー

 

 

 

 

  それは、とある日の出来事だった。私は先代より王位を簒奪した卑王ヴォーティガーンを討ちブリテンを統治することとなった。しかし、平定したからというだけで、国に平和が訪れることもなく海を渡り侵略を行おうとする蛮族ピクト人、サクソン人に最近では魔猪の王とその七頭の息子たちが暴れている。そうした危機から民を守るため、王としての職務を終わらせた後、私はまだ王になる前の頃のようにブリテンを渡り歩いていた。渡り歩くといっても、昔ほど気楽に動けはせず数名の供を引き連れている。まったく、自分の身は自分で守れるというのにサー・ケイの弁舌にはどうにも勝てない。

 

  肩を落としながらも、久方ぶりに職務に追われることもなく、ブリテンを改めてゆっくり眺める。草原は新緑に、蒼穹は高く晴れ、空気は透き通る。自分が守るべきブリテンを見つめ直し、供の者たちとキャメロットに戻ろうとして通りがかった村で何やら村人の方達が騒然としていた。私たちは村人たち駆け寄り、事のあらましを聞くと森に木の実を取りに行った少女はピクト人に襲われそうになっていたらしい。しかし、その少女は無事で両親が安心させるように背中を撫でていた。

 

 

  ピクト人と出会って無事でいるということに騎士たちは驚嘆を隠せない。一人前となった騎士ですら、容易に倒す事のできない蛮族ピクト人たちから幼い少女が無事に逃げてくる?少女が落ち着き始めてから詳細に話を聞いてみると、森の中にいた大きな犬が彼女を助けてくれたらしい。その犬に押され逃げて来たという少女は疲れたのか、話しを終えると眠りついてしまった。村人たちに蛮族を討伐してくる旨、伝えて供の騎士たちと森に騎馬で駆け込むとそこには信じられない光景があった。

 

 

  おおよそ、子供三人分はありそうな巨躯に灰色の体毛を纏わせた"大狼"が蛮族たちを相手に爪を振るい、牙を剥いて蹴散らしている。その姿は人ならざる身にして、高潔な誇り高さと脅威的な矜持を伺わせた。それに一歩も退くことなく勇猛に戦う姿勢は我々騎士たちの風貌を思わせる。しかし、彼?はピクト人に取り囲まれてしまった。

 

  このままピクト人に奪わせるには惜しい命、私は騎士たちと共にピクト人を撃退して"灰色の狼"へ警戒させないように近づく。野生の動物であることを考慮し、慎重に穏やかに接近する。この"狼"はよほど賢いのか私が近づいても逃げる素振りも見せず、恐れのない澄み切った瞳でこちらを見返してくる。その純粋な眼が心の奥に響いた。近頃、王となってから諸侯たちとの腹の探り合いをしていた私には、彼の打算も裏もない瞳が眩しかったのかもしれない。

 

 

「ーーーーありがとうございます。貴公の勇猛さのおかげで一人の幼き民が救われた。その恩に報いたい、どうでしょう?そちらが良ければ、私と共に来てはくれませんか」

 

  野生に住まう者に対し、共に来て欲しいという言葉は些か軽率だったと思う。けれど、言わずにはいられなかった。

 

 

  彼は私の言葉を了承するかのように吠え、彼の方から距離を詰めてきた。少し手を伸ばせば手触りの良さそうな体毛に触れられそうで、驚かせないように割れ物を触るように毛並みに沿って撫でてみる。撫でられている彼は目を細め、私はその手触りの良さに顔が綻ばす。満足いくまで撫でさせてもらい、キャメロットに帰還しようとした時、彼の名前をどうするかと思い至る。

 

 

「それでは参りましょう。えっと…………名前が無いというのも不便ですね、それにあれほどの武勇見せた貴方に名前が無いというのも可笑しな話です。よろしければ、貴方の名前、私が付けても良いでしょうか?」

 

  しかし、名前か。彼に相応しい名前、不思議と思い悩むことはなかった。直感的に彼にとって相応しい名前が頭に浮かんだのだ。これならば、気に入ってもらえると確信した。戦場にて培われてきた直感が、よもや此処で活かされるとは。直感のままに決めた名前を、微笑みながら私は口に出す。

 

 

「貴公の名は、カヴァス。……どうでしょう、気に入ってもらえましたか?」

 

 

  彼、いえカヴァスは喜ぶかのように鋭く吠え、私たちはキャメロットへの帰途に着いた。この先、数々の厳しい戦いと暖かな日常を経て、彼は私の親友となる。そう、思えばカヴァスと今日ここに出会ったということが私には運命(Fate)であったのだ。

 

 

 



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第二話

  おいっす。俺です、シフです。カヴァスではありません。

 

  この間、キャメロット在住のアルトリア・ペンドラゴンさんに着いて行って、俺もキャメロット市民、というかキャメロットのワンコになりました。……ちょっとタンマ、俺ってば狼ですよ。それなのに城の中庭にポンと居させるだけとかどーなのよ。

 

 

  いや、別段人を襲うなんて真似はしないからいいけど、せめて屋根付きのスペースとか無かったの?まさかの放置プレイに俺もびっくりだぜ。びっくりと言えば、キャメロットに着いて最近急激に体が大きくなりました。それと個人的な朗報、今の俺の外見なんですが完璧にシフです。

 けど呼ばれる時はカヴァスです。色々と苦言を呈したいがとりあえず今は置いておこう。この俺の急成長、あの割と城内ではクールでいるアルトリアちゃんもびっくりしてたけど、案外あっさりと受け入れてしまった。

 

  まぁ、彼女の持つ聖剣も大概ファンタジーだしな。それからというもの、大きくなって以降は自分の食い扶持は自分で取ってくるようにし始めた。最近ではキャメロット飛び出して鹿やら猪やら捕まえるのにハマってる。食堂のおばちゃんたちが意外にも俺の狩りで手に入る肉類を歓迎している。ただ、この間お礼とばかり肉を料理して出してもらったが、生だった時よりもマズイってどういうこと?

 

 

  料理してくれたことは嬉しい。うん、感謝を素直にしたい。けど、味見せずに出すのはいかがなもんかと。ウェルダンとかって言うレベルじゃないぜ。泣く泣く自分で食べる分は狩った直後にローでいただき、他はキャメロットの食堂に回す。

 

  何故、俺が狩りを始めたのかと言うと。これには、とある兄妹が関係してくる。此処で言及した兄妹というのは何を隠そう、みんなご存知のアルトリアちゃんと彼女の義兄、ケイ兄貴のことだ。

 俺を連れて帰ってきたアルトリアちゃんと元のところに返してきなさい的なスタンスのケイ兄貴、兄貴は大きくなった俺の面倒が見切れるかと怒っていたが二人の口論はなんやかんやで妥協点を見出した。

 

  その妥協点というのが、餌は自分で見つけることというシンプルなものだった。えっ?俺の意見?喋れねぇイヌ科の狼さんに何を期待しとるか。まぁ、キャメロットは住み心地が良かったので餌は自分で見つけ食料の確保にも協力するようになった。その甲斐もあってか、割とケイ兄貴は俺が居ることを認めてくれたようだ。というか、あの人がヤバい。超偉い。書類作業やら食料の分配、巡回する騎士たちのルート設定やら雑務を一人でこなしている。この若干、過労気味なケイ兄貴は偶に俺のモフりに来る時があるので、その時は為されるがままでいることが多い。

 

  ともかく、ケイ兄貴、過労はダメですからね。

 

 

  しかし、こうしてキャメロットを内部から見てると、思ってたよりもヒデェな。諸侯たちがアルトリアちゃんの粗を探しまくり、彼女の決定に野次を飛ばす。下っ端っぽい騎士たちは堅物レベルの生真面目さなんだが、円卓の一部や王様お付きの魔術師ことマーリンが本当にヒドイ。こうして中庭で一時間ほど転がっていたが、その間に四、五人くらいは城にいる女の子にナンパしてたぞ。

 

 

  もっとも、ノリが軽く相手にされないことも多いようで。しかしナンパを休むことなく続けようとするのに関しちゃ、あの魔術師キャメロット一だな。

 

  あっ、ケイ兄貴がマーリンの尻を蹴っ飛ばした。仲が悪いな〜あの二人。様子からして付き合いは長いんだろうが、どうにもケイ兄貴はマーリンとの仲が悪いらしい。まぁ、あんなのが身内の近くにいるのはいい気分でもないよね。まっ、こっちは気楽に自由やってるが。

 

 

  マーリンを蹴っ飛ばして、鬱憤が晴れたのかケイ兄貴が苛立った目付きで城内へ戻っていく。ああ、またケイ兄貴は残業か。お疲れ様です。ケイ兄貴が離れていくと、こちらに気づいたのか俺の方にやってくる。こいつ、ニッコリ笑っているだけで胡散臭い。この男、ハッピーエンドに固執し過ぎな悪癖が見て取れる。しかも、そういったオチをつけるためなら善かれと思ってなんでもしようとする辺り、タチが悪い。

 

『やぁやぁ、カヴァスくん。今日も良い毛並みをしているね。触っても良いかな?』

 

  ヤダ、つーか却下じゃ。プイと顔を背けるジェスチャーで拒否するが、こいつ『ありがとう』とか言って問答無用で撫でくりまわしやがる。つーか、何の用だよ本当に。

 

『さて、君の手触りの良い毛並みを堪能させてもらったところで一つ良いかな?』

 

 

  意思疎通できない狼を相手に疑問を投げんな。それにこいつ、こっち見ねぇで自分の世界に入ったまま喋ってやがる。そういう演技がかった仕草は魔術師の習性なのか。

 

『いや、アルトリアが君を連れて帰ってきた時は本当に驚いたよ。久しぶりに彼女が晴れ晴れとした顔をしていて良い気晴らしになったと最初は思っていたけど。まさか君ほどの存在を引き連れてくるとは』

 

 

  んっ?何のことさ。

 

 

『実は君という存在が僕の(千里眼)で認識出来ていない。目で直接見ることは出来る。存在していることも、直接確かめられる。だが、君という存在が世界に現れるのは、まだずっと先のはず。空は赤く紅く染まり、天よりこの星とは異なる星から訪れる究極の一。大地と水、星は死に絶え鋼に染まった大地に降り立つであろう存在が、何故今このブリテンに?…………世界から存在と意思を吸収する狼血、もしや君は……』

 

  すまん、難しすぎる。難解な設定がバンバン飛び出して理解出来ん。俺は文句を言うように一鳴きしてマーリンの話を中断させた。

 

 

  マーリンに言いたいことはただ一つ。

 

  三行で頼む。

 

 

『……なるほど、それが君の願いなんだね。この滅びゆくブリテン、最後の神代を己の両眼で見届けようと。分かった、誇り高き狼の王よ。君があくまでその身をブリテンを照らす薪とすると言うのならば、その焚べられた覚悟と誇り、君の記憶、願いの全てを僕が語り継ごう。ありがとう。灰色の大狼、薪の王……カヴァスよ』

 

  あっ、俺の名前シフでよろしく……って、おい?なんか勝手にトンデモ解釈しおったぞ。この優男。おいおい言うだけ言って行きやがった!?あいつ、変な解説やらかしてブン投げたままとか悪質過ぎる!?

 

 

  なんか、電波気味なマーリンとの触れ合い(スーパー迷惑)を終えて、日は沈んだ夜間の事。俺は城の中庭で横になり空に輝く星を見上げる。星空を見て、在り来たりに綺麗だな〜思う程度には俺も情緒を持ち合わせている。ただ、夜間の中庭は昼間とは打って変わって耳が痛いくらいの静寂が寂しさを感じさせた。

 

 

  のんびりと空を見続けていると城の中から、ようやっと仕事を片付けたと思われるケイ兄貴がやってくる。平気そうに振舞っているが、あの苛立ちに満ちた目を見て三徹目かと予想を立てる。彼は疲れた足取りでこちらに歩いてきて、寝ている俺の前に立つと丸まっている俺の懐部分の狼毛に大の字で寝そべった。

 

  正直、このシフボディ。毛並みが良いため寝心地良いです。でも、兄貴。自分の寝室で寝た方が休めると思うよ。よりにもよって野外の中庭で寝るのはオススメしないよ。

 

 

 

『ったく……やれやれだぜ……』

 

 

  すんません、ケイの兄貴。残業でお疲れのところであることに加え、失礼なことも重々承知なんですが、やっぱり兄貴……スタ◯ド的なもん出せませんか?

 

  初対面から思っていたが兄貴の声は何処かのダイスケさん的な感じがする。それに兄貴、時たまジョ◯ョ立ち的なポージング取ったりするし。あと、泳ぐのがおっかないくらい早かったり、手から洗濯物乾かす熱線出したり下手をすると俺よりも人間をやめてる感じがしてならない。

 

 

『……おい、ワン公……まず礼だけは言っとく。てめぇが鹿やら肉やらを調達するから、あのバカ(アルトリア)の食費がそこそこ浮く。アルトリアがいきなり、狗っころを連れてきた時は驚いたがまぁそれなりに役に立つ事は出来るらしい。…………だが、てめぇ一体何もんだ?』

 

 

  ポケ……じゃなかったデジ……でもない。俺はシフというもんです。

 

 

『この神秘が枯れゆくブリテンに、二、三日程度でバカでかくなる獣がいてたまるか。それにあのろくでなしのマーリンでさえ、お前と言う存在を重く受け止めてる。あの阿呆が動く時は大抵、裏がある。それも一番重要な裏を隠しやがる。めでたしめでたしの大団円で纏めておけば、それまで失い犠牲にしたモノと帳尻が合うとでも思ってる阿呆が、てめぇを気にしてる。それがどういうことか、わからないほど頭空っぽでいるわけじゃねぇぞ』

 

  そんなこ〜と言われても〜。俺、毎日フィーリングで生きてる思考空っぽ狼だって。難しい話題を投げられてもどうしていいやら。よし、困った時の空を見上げる動作。どうだ、俺の渾身の疑問符のジェスチャーは。ケイ兄貴に伝われ、この思い(戸惑い)

 

 

 

『………………………なるほどな、まったく、あのバカは珍妙な奴ばかりに懐かれやがって。そんな理由だけで、てめぇは生まれ育った場所からキャメロットまでわざわざ来たと?』

 

  あれっ?若干、通じてそうな感じなのか?

 

  それなら、アルトリアちゃんに俺の名前シフに改名するようにーーーー

 

 

『だったら、好きにしな。全く、獣の方が下手な諸侯共より忠誠心が高いじゃねぇか。そういや、お前が来てからあいつも少しは昔みたいに笑うようになってきたな。もう一度、礼を言っとくぜ。……"カヴァス"』

 

 

  いやだから、カヴァスじゃなくてシフって……やっぱり、通じてなかったぁぁ!!!

 

 

 

 

 

  ブリテンは今、繁栄の時を謳歌している。この事実を僕は感慨を覚えることはせず、思った通りだと考えている。ブリテンを荒廃させた卑王の撃破などというのは、僕たちの王アルトリアには造作もない。ウーサーと共に理想の王として教導し見守ってきた彼女は、ブリテンを守護する赤き竜へ成長した。もちろん、これが彼女一人の成果だとまでは言うつもりはない。アルトリアの他に円卓の皆が尽力してくれたおかげもあるが、それでも彼女がいなければ成立さえしなかった光景がブリテンに満ちている。

 

 

  そう、この幸福と笑顔こそが僕が何より求めたもの。この尊い輝きこそ、一人の少女にあまりにも重い責務を背負わせてでも手を伸ばした景色である。それでも、この刹那はそれこそ瞬きの間に過ぎ行くと、悟った目で見ている自分がいる。そう、ブリテンは悲しいくらいに手遅れだ。神代が終わり神秘が消える時代の到来。それは当然の摂理、寿命とさえ言っても良い。

 

  終わりに近づくブリテンの中、僕はただ人々の営みと我が王の歩みの果てを眺め続ける。王と騎士たちをからかったり、女の子と遊んだり、そんな何時も通りの日常の中に新たなピースが嵌め込まれた。アルトリアが執務を片付け、ブリテンの巡回から帰ってきた時、彼女の側に一匹の狼がいた。彼女はその狼にカヴァスという名を与え共に過ごしたいと言った。

 

  ケイが久しぶりに言い負けた事でアルトリアのカヴァスに対する思い入れはよく分かった。しかし、僕はカヴァスという存在をこのキャメロット、いやブリテンでさえ"見た事"が無かったことに警戒を覚えた。千里を見渡す眼を持つ魔術師をして見通せない存在。もしや、かの卑王や猪の王のようなブリテンに仇なす怪異かとも考えた。

 

  カヴァスという存在を観察し続け、彼は万物の存在と記憶を吸収し成長する生命だと判明した。ブリテンに来て、巨狼というまでに成長したのはこの事実に依るものだろう。だが、しばらく観察をして見ても彼の目的が曖昧なままだ。あれほどの存在が、何故このブリテンに現れたのか?万物の存在と記憶を集め、己が肉体を強化し続ける。この星の生命でも似たようなことは出来るかもしれない、けれど彼のように生物、植物、無機物などと種別を分けず無作為に存在、いや魂を吸収し続ければ器が()つ筈がない。

 

 

  吸血鬼だろうと神だろうと不可能なことを息をするように行う彼が、何故ブリテンへと現れたのか。それは明らかにしなければならない事で、ある日の昼下がり。いつも通りに過ごしていると、キャメロットの中庭に留まる彼を見つけた。

 

 

  あの大狼の真意を知る絶好の機と彼へ近づくことにした。無論、無警戒に近づくのではなく襲われた時のための備えもした上で。手を伸ばせば触れることもできそうな距離まで来る。

 

「やぁやぁ、カヴァスくん。今日も良い毛並みをしているね。触っても良いかな?」

 

  冗談半分に話しかけてみると、意外なことに"好きにしろ"というように首を出してくれた。そのことを少し意外と捉えつつ、彼の体に直接触れる。直接、触れた事で彼の体に宿る膨大とも言える力の一端を理解する。少し、触れる時間が長すぎたかと手を離し、にこやかに微笑んでみる。

 

「さて、君の手触りの良い毛並みを堪能させてもらったところで一つ良いかな?」

 

 

  直接、触れられた事は偶然であったが多くの収穫があった。その情報を以って、本題を告げよう。

 

 

「いや、アルトリアが君を連れて帰ってきた時は本当に驚いたよ。久しぶりに彼女が晴れ晴れとした顔をしていて良い気晴らしになったと最初は思っていたけど。まさか君ほどの存在を引き連れてくるとは」

 

 

  時の彼方、神代もそして、人の世界も全てが終焉する大地に降り立つはずの存在。別の天体より訪れる究極の一。万物を吸収し、無尽蔵に自己を強化し続ける万象の捕食者(プレデター)。何故、そんな存在がこのブリテンへ流れ着いたのか。

 

「実は君という存在が僕の目(千里眼)で認識出来ていない。目で直接見ることは出来る。存在していることも、直接確かめられる。だが、君という存在が世界に現れるのは、まだずっと先のはず。空は赤く紅く染まり、天よりこの星とは異なる星から訪れる究極の一。大地と水、星は死に絶え鋼に染まった大地に降り立つであろう存在が、何故今このブリテンに?…………世界から存在と意思を吸収する狼血、もしや君は……」

 

 

  この大狼は、もしや彼女の行き着く果てを傍観しようというのか?己の思考に没頭している中、思索する僕を掣肘するように彼は短く、だが力強さを感じさせる一吠えを鳴らした。それはまるで"アルトリアの運命を、その願いを守ろう"という言葉にも取れた。気の所為だったのかもしれない、けれど確かに彼……いやカヴァスは彼女の守ろうとするブリテンを見守る眼をしていた。

 

  彼の吸収した魂の、存在の力を滅び行くブリテンを支える残り火へしようというのか。そう、カヴァスも彼女に希望を望んだ者。例え、人であらざるとも彼もまた自分と同様に希望と幸福を慈しむ同胞だったのだ。

 

「……なるほど、それが君の願いなんだね。この滅びゆくブリテン、最後の神代を己の両眼で見届けようと。分かった、誇り高き狼の王よ。君があくまでその身をブリテンを照らす薪とすると言うのならば、その焚べられた覚悟と誇り、君の記憶、願いの全てを僕が語り継ごう。ありがとう。灰色の大狼、薪の王……カヴァスよ」

 

 ーーーー彼女とカヴァスを出会わせた運命に祝福を。

 

 

  僕はそんな言葉を胸にしまい、晴れやかな心持ちで城内へ戻っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

  やれやれ……最近は憂鬱な気分と愚痴が止めどなく零したくなる。あの卑王を斃した事でブリテンは一時平和を謳歌している最中。だが、俺としてはこんな平和クソ喰らえだ。未だ、ブリテンは危機を乗り越えきれていない。消え逝く神秘、侵略者たる蛮族、諸侯の不穏な動き、詰んでいる。ブリテンの大地が枯渇するリミット、足を引っ張り合う自陣、侵略を目論む外敵、無理難題のオンパレード。

 

 

  正直、こんな国のどこに期待すれば盛り立てられるとでも思ったのか。親父(ゴミ)詐欺師(クズ)に唆され、理想の騎士王へと祭り上げられた義妹。彼女は自分をどう思っている。ブリテンを守れてよかった?ふざけろ、その中にお前がいないで何の意味がある。

 

 

  あの出来のいい義妹(バカ)は理想に取り憑かれてしまった。そのためなら、何もかもを捨てられるほどに。あいつが夢の中でまでマーリンに王としての指導を受けていると知った時、既に手遅れなのだと悟った。もし、あいつが聖剣(呪い)を手にする前に止められていたら、こんな妄想は価値も意味もない。それでも、思い描いてしまう自分自身がどうしようもなく腹が立つ。

 

  結局、今の俺には執務で足掻く程度しか出来ない。あいつの、アルトリアが少しでも年頃のガキらしくしてやれるように机に向かうだけ。円卓の騎士共も執務に励んでいるが、自分でやった方が手っ取り早い。そんなぶっ倒れそうな政務の日々、我が義妹殿はまた厄介ごとを持ち込んできた。

 

  何でも、蛮族相手に一歩も引かず立ち向かった獣だそうだが……王としての執務と蛮族撃退に追われるお前に世話できるものか。懇切丁寧に理屈を叩き込んでやったものを、どうしても諦めさせられなかった。あの頑固頭を説得する事もやりようがあったが、少しでも気を抜ける相手がいるならと妥協点を出してしまった。

 

 

  それを間違いだと思ったのは数日してからの事だ。デカい……説明不要なくらいに。あ?成長期だ?待て、それで済ませていいわけねぇだろうが。今のキャメロットでこんな巨大化する獣がいるわけがない。近場の何か知っていそうなマーリンを問いただしてもろくに(こたえ)やしない。

 

 

  それどころか、本日も漁色に勤しんでいて……ムカついた余り背後から蹴りつけた。それでも懲りない辺り、これはこのアホの(さが)なのかと感心したものだ。

 

 

  今日も今日とて日は落ちる。沈む日を見るたび、これが最後になるのでは……という奇妙な感触が背筋に疾る。ブリテンは斜陽に差し掛かった、もう滅びは逃れ得ない。いや、世界の全てはいずれ滅びるものと理解はしている。ただ、その滅びる瞬間を背負うのが義妹である事に憤りを持つ。

 

 

  執務をあらかた始末し、城の中庭に向かう。アルトリアとの妥協の結果、あの大狼は中庭を住処とするとした。中庭に着くと案の定、あの大狼は中庭に佇んでいた。その場にいるというだけに関わらず、ひしひしと伝わる存在感。あの灰の大狼、やはり只者ではない。

 

「ったく……やれやれだぜ……」

 

 

  どうして、荒事お断りの俺が執務以外の事に頭を悩ませなければならんのか。こいつの危険度は未知数、下手を打てばお陀仏かもしれないが、それでも正体を探らねば。

 

 

「……おい、ワン公……まず礼だけは言っとく。てめぇが鹿やら肉やらを調達するから、あのバカ(アルトリア)の食費がそこそこ浮く。アルトリアがいきなり、狗っころを連れてきた時は驚いたがまぁそれなりに役に立つ事は出来るらしい。…………だが、てめぇ一体何もんだ?」

 

 

  狗っころなどという俺の挑発に動じる事なく、奴は灰色の尾を静かに揺らす。

 

 

「この神秘が枯れゆくブリテンに、二、三日程度でバカでかくなる獣がいてたまるか。それにあのろくでなしのマーリンでさえ、お前と言う存在を重く受け止めてる。あの阿呆が動く時は大抵、裏がある。それも一番重要な裏を隠しやがる。めでたしめでたしの大団円で纏めておけば、それまで失い犠牲にしたモノと帳尻が合うとでも思ってる阿呆が、てめぇを気にしてる。それがどういうことか、わからないほど頭空っぽでいるわけじゃねぇぞ」

 

 

  此処で、こいつのとる行動如何によっては剣を抜くのも覚悟する。しかし、こいつは俺の尋問へ応じる事もなく、首を上げ空を見上げるのだった。透き通る野心、陰謀、邪欲の無い獣の瞳は、欲と願い(エゴ)で生きる人間にとっては思わされるところがある。

 

  その姿が、どうにも自分と……今の己に似通ったモノを思わせた。そうか、こいつもあの無茶ばかりするあいつが放置できなかったのか。そんなあいつのためにわざわざ、キャメロットに着いてくるとは。忠義とは命令に従うことではなく慕われて相手に報いるという事を今更に気づいたのだ。忠誠なんざ、意識もしてねぇ動物がしかして誰よりも忠義に厚いという運命の皮肉に苦笑する。

 

 

「………………………なるほどな、まったく、あのバカは珍妙な奴ばかりに懐かれやがって。そんな理由だけで、てめぇは生まれ育った場所からキャメロットまでわざわざ来たと?」

 

  変わらず、こいつは日の沈んだ夜天を臨んでいる。それが、そんな姿がある記憶を思い起こさせた。クソ親父殿が酔った勢いか、唐突に動物の話をしてきた事を。

 

 

 "子供が産まれたら子犬を飼うがいい、子犬は子供より早く成長し子供を守ってくれるだろう。そして子供が成長すると良き友となる。多感な年頃に犬は年老いて死ぬだろう。犬は子供だった大人に教えるのだ。死の悲しみを"

 

  もし、アルトリアがウーサーやマーリン、俺たちと出会うより先に、こいつ(カヴァス)に出会っていたら。きっと、何か変わっていたかもしれない。そんな気がした。けれど、今からでも遅くないのかもしれない。こいつが来てアルトリアは以前より笑うようになった。

 

 

  こいつは俺が何を言ってもキャメロットにいるだろう。そして、アルトリアを支えようとする。それを悪くないと思っている自分がいるんだ。

 

  反対しようにも、もはや反対する気が起こりゃしねぇ。

 

「だったら、好きにしな。全く、獣の方が下手な諸侯共より忠誠心が高いじゃねぇか。そういや、お前が来てからあいつも少しは昔みたいに笑うようになってきたな。もう一度、礼を言っとくぜ。……"カヴァス"」

 

 

  礼を言わせてもらうぜ、カヴァス。お前があいつ(アルトリア)と出会ってくれた全てにな。

 

 

 ーーーーまったく、やれやれだぜ。

 

 

 



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第三話

 キャメロットという国は、非常に多くの問題を抱えている。いくら、平和な時勢でも多くの問題が溢れる状況で重要なのは冷静に事を運べる後始末係ではないか。しかして、そういった陰の傑物はただのカリスマよりもずっと少ないのが世の常である。

 

 

 さて、キャメロットに引っ越しして数ヶ月が経った。キャメロットでは、アルトリアちゃんを乗せて狩りに行ったり、夜のキャメロットを爆走したり、城に帰ってアルトリアちゃんともどもケイの兄貴にド突かれたりしたくらいで別に大したことなく日々は流れる。

 

 そんなある日、城下にイノシシが出たという情報が出た。いや、農家の人にとってはイノシシの害は凄いらしいが、それを騎士に頼みに来るとは。そういうのは猟師にでも依頼して追っ払ってもらうべきではないか。なんせ、キャメロットの騎士は戦闘力がおかしい。トップの騎士王からしてビーム出す剣やら光線出す剣を所持しているんだ。オーバーキルにもほどがあるだろう。

 

 まぁ、キャメロットがこんな小さな話題で一喜一憂しているというのはブリテンが平和だということの裏返しなんだろう。さて、俺も平和を謳歌するとしよう。

 

 

 俺は安定の中庭でぼんやりとうたた寝をしながら、丸くなって寝転がろうとしていた。目を閉じようとすると、ガチャガチャと音が聞こえて来る。そこに完全武装したアルトリアちゃんがやって来てイノシシ狩りに協力してくれと駆け込んで来た。うん、今の俺氏の外見について触れておこう。普通の狼を遥かに上回る巨躯、鋼のような牙、犬歯、頑丈な骨肉。正直なところ、俺だってオーバーキル気味ではなかろうか。

 

 下手するとイノシシ、木っ端微塵だぜ。食べられなくなっちゃうよ?

 

 

 しかし、この身は所詮が獣であって意思疎通はどうも上手くいかない。仕方ないと体を起こしてアルトリアちゃんを背に乗せ、キャメロット城から出発するのだった。

 

 

 

 

 

 

 ……オイオイオイ。死ぬわ、これ。

 

 

 イノシシという事は聞いていた。害獣というのも聞いていた。狩りをするというのも聞いていた。しかし、ここまで大きいとは聞いていないよぉ!なるほど、こんな馬鹿でかいイノシシが暴れていれば騎士たちが狩りに引っ張り出されるわけだ。

 

 背中のアルトリアちゃんも剣やら鞘といったトンデモ武装を換装して戦闘準備バッチリだが、俺に関しては特にないぜ?ちょっと待った、なんか無いか鎧とかせめて剣とか。ほら、シフならアルトリウスの剣が……ここ型月世界だった。そりゃないか。まぁ、こちとら牙、毛皮に至る全てを武器とする獣である。

 

 

 

 要するにだ、来いよイノシシ。てめぇブッ殺してヤラァァァッ!!

 

 

 

 イノシシ狩りは無事に終わった。えっ、描写がない?だって、ほぼ戦っていたのアルトリアちゃんで俺は時々、噛んだり引っ掻いたりという程度。正直なところ、描写しようがございません。悪しからず。そうして、ブリテンに戻ってみるとやけに視線を感じることが増えた。視線の先を探ると、めっちゃ怖い騎士の兄さんがいた。そう、アグラヴェインと呼ばれる彼はジッと遠くから俺を見ていた。

 

 アグラヴェイン君、円卓でも若い方なのに苦労性のせいか、あんなにも老けた顔つきになってしまって。感涙を禁じ得ない、というか働きすぎでは?

 

 

 いつ休んでるんだ。というくらいアグラヴェイン君は働いている。おい、どうしたキャメロット。文官の労働基準は何処へ行ったというのだ。そうした働きづめの中、アグラヴェイン君は唐突に俺の前に現れた。

 

 

「カヴァス……貴方が王の猟犬か……」

 

 いや、カヴァスじゃなくてシフな。あと犬じゃなくて狼な。アグラヴェイン君、いやアッ君。無表情に俺の毛並みを撫でてくる姿は、もはやホラー地味ている。せめて、もう少し表情変えてくれるとありがたいのだが。いや、文句は言うまい。アッ君よ、働きづめで大丈夫か。なんか悩みとかあるなら、言ってくれても。

 

 

「……貴方と王が共に猪の王を狩る勇姿、見せてもらった。野心なくただ主人のために大地を駆る、感嘆に値する忠義だ。ああ、願わくば私も……」

 

 おっ、そんなに褒めてくれる?いいぞいいぞ、俺も気分がいい。悩みと言わず何でも言ってくれ。このシフ、今ならどんな言葉でも受け止めてみせよう。

 

 

「王に身を任せて頂ける程の信頼を築きたいものだ……」

 

 

 前言撤回、おい待て、アッ君。いや身を任せるって背中に乗せて走り回るってことかい?それは、動物の俺がやれば和やかというか健全だが、君がやるのは難しいんじゃないかなぁ!?いや、乗る難易度の問題ではなく、倫理的な問題が立ち塞がるのではないか?

 

 

 だって、想像もしてみろ。無表情なアッ君に跨り野原を走り回るアルトリアちゃん。左右上下全方位、どっから見ても通・報・案・件!

 

 

 アッ君、本当どうした!?働きづめで頭をやられたのか。大人しい子ほどハジける時は不味いって、そう言うことだったのか?そんなこんな考えているうちにアッ君はどっか行っちゃうし。ちょっと待った待った。これは危険なのではないだろうか。

 

 かといって意思疎通の出来ない俺に出来ることは少ない。出来るとすれば、彼を見守っていざという時に止めるくらいである。

 

 そういうわけで、翌日から俺はアッ君の執務室へ頻繁に顔を出すようになったんだとさ。

 

 

 

 

 

 

 サー・アグラヴェインことアッ君の部屋には多くの人物が出入りをする。多くは書類を持った騎士から、円卓の騎士まで……兄であるガウェインが特に多いのを見ると兄弟とは片方が、ちゃらんぽらんだともう片方が優秀になるという説を実証している様に見てしまう。

 

 

 ある日、そんなアッ君の部屋から出た時の事だ。エラい美人でボインな姉ちゃんを発見した。頭に三角帽を被り、黒のローブを纏う如何にもな風情。魔女というのが正しかろう。その魔女さんはなんたる事かアルトリアちゃんそっくりだったのだ。今の彼女を更に大人びさせて胸をデカくすればいいだろうか。

 

 

 つーか、本当デケェな。胸。

 

 このアルトリアちゃんに似ている魔女っ娘さん。聞くところによると名をモルガンというらしい。モルガンといえば、アーサー王の伝説でいう悪役ポジ、だがアルトリアちゃん顔のせいか、どうにも気が抜け心を許してしまう。それに幸薄いオーラがするような気がして放置して置けないのだ。

 

 アルトリアちゃんに似ているということもあってか、何度か飛びついたりジャレてみたり、肉球で背中をポンとやってみた。いや、だってこういうフレンドリーな距離感こそ人対人では築けないもの。そう、例え言葉は通じなくともこの眼とモフモフがあればなんとかなるような気がする。そんな、仲良くなろうという意思を込めボディタッチを続けた結果、俺が近づくたびにモルガン姉ちゃんが一瞬で何処かに消えてしまう距離感が構成されることと相成(あいな)った。

 

 

 あれぇ?

 

 

 

 

 

 

 キャメロットに新たな変化が訪れた。騎士王が連れてこられた猛犬、カヴァス。日を追うごとに眼を見張るような巨躯へと成長を遂げる摩訶不思議な動物であった。キャメロットの騎士一同は、王の連れてこられた猟犬ということもあり、平気な調子で頭を撫でる者すら現れた。あの魔術師とサー・ケイが何も言わぬ以上、危険は無いのだろうと、その存在を別段に意識することなく私は日々の責務に没頭していたはずだ。

 

 私ことアグラヴェインは、この円卓において裏切りを望まれて席に座すことになった男だ。忠義を翻すことを前提に円卓に座した私は、信頼に背を向ける自分を含めた……裏切り、不義、叛意持つ全ての人間を嫌悪する様になっていた。いわゆる人間不信とでも言うべきか。

 

 

 ……そんな卑屈な思いは我が王に出会うことで木っ端微塵に砕かれた。

 

 

 我が母、モルガンの策謀により私はキャメロットが円卓の一席を担うことに。だが、高潔にして民を慈しむ王に背を向けるような事をする気概もなく、何時の間にか、このブリテンの繁栄のため力を尽くすことしか興味が無くなっていた。

 

 その王が連れてきたカヴァスは時にキャメロットの中庭で見かける程度で、遠目からながら尋常ならざる気配を感じてはいたが、特別興味を惹かれる様なことは初めのうちは皆無だったのだから。

 

 カヴァスという存在について、私は深く捉えようとはしなかった。だが、そんな姿勢も"あの日"を境にして、変えられたのだ。

 

 雲の立ち込める薄暗い日、王はカヴァスの巨躯へと騎乗し、一騎でキャメロットから出立なされた。かねてより、ブリテン全土を荒らし続け多くの領民の生活を脅かした猪王、トゥルッフ・トゥルウィスが現れたという報せを受けた。王の実力を疑うわけでは無い。されど、王を一騎のみ先立たせるなど言語道断。私含め、ケイ、ガウェイン、ベディヴィエールたちと以下三百の騎士を連れ、王の後を追いかけた。

 

 

 マーリンを連行をしようと試みたが、無念にも失敗に終わる。しかし、その際に花の魔法使いは、不可思議な事を告げていた。

 

『カヴァスと共に駆けていったのだろう?ならば、大丈夫さ。彼の背に身を預けているのならば、王に危機は訪れまいよ』

 

 

 その言葉には考えにくい事だが、信頼……らしいものの片鱗が見え隠れしていた気がする。あの偏屈な秘密主義者にそこまで言わせるカヴァスという存在。彼の言葉は確証と言うに値するもの、だが私はあくまで自分の目でそれを確かめたいという思いが強くあった。

 

 

 王を追い、遅ればせながら私たちは王たちの元へ追いついた。かの猪王と騎士王、そして灰の巨狼カヴァスの戦場を見て騎士たちは一人を除いて絶句させられた。トゥルッフ・トゥルウィスを相手に一歩も引かぬ攻防を行う王の姿も感嘆するに相応しい。けれど、我々が最も瞠目したのは、王を背にその爪牙と顎門を持って猪王を嵐のごとく引き裂くカヴァスの武勇である。

 

 その爪牙と顎門は、キャメロットの中庭に番犬のように佇んでいたイメージを塗り替えて余るほどだ。灰の巨狼、この名には一切の誇張もなく、騎士王を背に乗せ戦場を駆ける光景は、人が想像し得るおとぎ話を容易く越える。鋭く、体内にまで反響するような狼の咆哮が、戦場に轟く度にトゥルッフ・トゥルウィスが斬獲されていく。斬り裂かれた肉、骨片は蒸発するがごとく刹那に消え去る。山のごとき威容を持っていた猪王も、体に風穴を開けられ、刻一刻と削られていく。

 

 大気は撹拌され、その場に留まることすら困難になり始めた。背の騎士王が聖剣を振るい、騎狼たるカヴァスが敵の防御の隙を喰らう。その姿、正しく異体同心。トゥルッフ・トゥルウィスは激怒の咆哮を放つが、カヴァスのそれを上回る負けるものかと言わんばかりの勇壮な遠吠えに掻き消されて、たじろぐように身を屈める。それが決着の一因、勝負の分かれ目となった。

 

 

 その一瞬に、王を背に乗せたカヴァスが、トゥルッフ・トゥルウィスを認識さえできぬ速度域で通過する。勝負は決まった。頭部を喪って崩れ落ちていくトゥルッフ・トゥルウィス、そして、それを当然のごとくと見つめるカヴァス。王は高らかに聖剣を挙げ、騎士たちの喝采が地を揺らした。

 

 この結果に驚きもせず事態を静観するサー・ケイに不安の色は見えなかった。私や、ガウェイン、ベディヴィエールは、かの王とカヴァスの勇姿に言葉もない。ただ、かの巨狼は王と並ぶ武を身に宿しているということが理解させられた。

 

 あれほどの武勇を持ちながらも王を背に乗せて、その意のままに在る姿。それこそ、私が人に渇望するものであるということをこの瞬間、私は悟ったのだ。私が余人に欲していたのは、対価を求めぬ真の献身。そんな真実の忠誠、それを人ではない巨狼が体現したという事実に皮肉を感じ取る。

 

 ああ、その忠誠、人でないことがつくづく惜しい。

 

 結局のところ、私たちは騎士王たちの勇姿を目に焼き付けただけで、猪王との対決は終了した。

 

 

 

「カヴァス……貴方が王の猟犬か……」

 

 

 猪王の討伐を終え、雑務に追われる日々の中で私は偶然にもカヴァスと遭遇することが出来た。いきなり、話しかけてしまったために、警戒されないかと思案するが彼には真摯に想いを投げ掛けるだけで理解すると確信を持っていた。

 

 かの巨狼の眼を正面から見ると、人が持ち得ない純真と忠義に輝いているようにさえ感じる。

 

 

「……貴方と王が共に猪の王を狩る勇姿、見せてもらった。野心なくただ主人のために大地を駆る、感嘆に値する忠義だ。ああ、願わくば私も……」

 

 彼は私の口にする言葉を聞いて、その四足で大地を踏みしめる。この巨大な体躯と、本物の忠こそ私の理想に他ならない。ええ、カヴァス。貴方こそ我が道標にして目的地なのだ。そう、叶うならば私も貴方(カヴァス)のように……

 

 

「王に身を任せて頂ける程の信頼を築きたいものだ……」

 

 

 そうだ、この先に如何なる困難が待ち受けようと、我が忠義に迷いはない。私は答えを得たのだから。人間を信じることのできない自分が、カヴァスの姿から得た忠誠という存在の解答。ああ、この出会いは何度生まれ変わろうと忘却し得まい。

 

 カヴァスよ、貴公にとって何ら特別なことではないのだろう。けれど、それこそ私がこの世界で最も求めた真実、"本当に信じられる宝物"だったのだ。……ありがとう、この一言に全ての感謝を。

 

 そして、それ以降、カヴァスは時たま私の執務室に顔を出すようになる。自分の気難しい気質ゆえ、歓待出来たかと言えば自信は持てない。カヴァスの頭を軽く撫でるくらいしか出来なかった気がする。それでも、カヴァスと共にある時間、その時間は騎士王と共に過ごした時間と並ぶ私にとっての輝かしい刹那だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は、いや私こそがブリテンを救うはずだった。

 

 父であるウーサー、王の後見たるマーリン、彼らは何たることか私をブリテンの王とすることを認めず、赤き竜の模造に過ぎないアルトリアに王位を継がせた。彼らは分かっているのか?このブリテンを渦巻く危機と災厄に。このブリテンは滅びの運命にある。

 

 例え、足掻いたところでどうにもなるまい。そんな末期の国に必要なのは理想に囚われたお優しい騎士王では無い。冷徹に事を終わらせ、全てを己の策謀のままに片付けられる謀略の王だ。ああ、確かに彼女の目指す理想とは甘美なものだろう。しかし、それではブリテンは救えない。

 

 効率よく、民を動かし整理し間引く。そうする事で……いやそうする事でしかブリテンは救えない。国を守るために、消え逝く神秘と大地を守るためにはそれしか出来ない。私はアグラヴェインを円卓に座らせ、内部よりキャメロットを瓦解せしめんと画策した。

 

 

 けれども我が子は、アーサー王と名乗り出した妹の理想に熱を浮かし私の元を去っていく。

 

 

 なんと、愚かな。騎士よ、お前たちは国を守る正義の剣ではないのか?

 

 もはや、全てに見切りをつけた私は、円卓を崩壊させるためだけの騎士を"生み出す"ことに決めた。その騎士が裏切ろうと裏切らずとも、王が騎士を受け入れようと突き放そうと、どうあっても何があっても結果として円卓を崩壊させる"叛逆の騎士"。

 

 その騎士を生み出すためには騎士王の体の一部が必要だ。髪でも血でも、何でもいい。魔女と呼ばれる誹りも受け入れましょう。そう、私を認めなかったブリテンを、この私の意思で滅ぼす。

 

 

 騎士王の体の一部を手に入れようとキャメロットを訪れた時、見慣れない獣がキャメロット城の中庭に鎮座していた。何でも騎士王が連れてきたカヴァスという猟犬ということだったが、私はカヴァスを見た瞬間に身が(すく)んだ。

 

 

 神秘と異なる法則に基づいた巨躯、大気から空間、虫や霊、あらゆるモノの存在を捕食し自己を高みへと引き上げる極大の理不尽。あれが猟犬だと?耄碌(もうろく)でもしたのか、花の魔術師。あれは、あれだけで世界を塗り替えられる怪物に違いない。

 

 あれは望めば、世界から死を奪い不死者をこの世に溢れさせることも可能だろう。

 

 あの怪物の実体に気がついていない愚かな騎士は、何たることか普通の獣のごとく毛並みや頭を撫で回し愛玩さえしている様だ。

 

 私はカヴァスに関わらないと決めて、王の体の一部を手にすることに専念しようとした。だが、あの猟犬は主人の害になる事を察したのか私を監視する様に行く先々に現れる。そして、恐ろしい事に私の胸元、心臓付近をその両眼で捉えていた。

 

 下手な行動をすれば、カヴァスと呼ばれる灰の巨狼は我が心臓を抉り取るだろう。

 

 いつか来るであろう、機を伺うのだ。

 

 

 騎士王の体の一部を採取することは至難を極めた。いざ、騎士王に近づこうとすると、カヴァスは私へと飛びかかり威圧してきた。ある時には私のローブの裾を踏んで私を転ばせたりもした。別の場合には魔術で完璧に姿を消した私の背後から気配もなく柔らかな感触の前足を当てて来る始末。まるで、いつであろうと貴様を殺せるのだぞ、と言わんばかりの接触は大いに私を苦しめた。

 

 やがて、私はカヴァスの出現と同時に姿を消す事にした。そして、数ヶ月の試行錯誤の末に私は、アーサー王の身辺より体の一部を手に入れる事に成功する。

 

 円卓の崩壊は確定された。栄華に輝くキャメロット、滅びの時を待つがいい。

 

 待っていろ、騎士王アルトリア。そして、覚えていろ、灰の巨狼カヴァス。

 

 

 このモルガンの子である騎士が円卓へと座す時、怨嗟と嘆き、悲鳴が響きキャメロットは終焉を迎える。騎士たちの座す円卓の席は崩れ堕ちる。

 

 

 "騎士たちに席は無し"

 

 



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第四話

 もしも、なんて仮定の話に意味はないはずだ。それでも、もしとか、たらればの話を人がしてしまうのは、きっと如何にか出来たはずのことが出来なかったからなんだろう。

 

 俺ことシフは、キャメロット城の中庭を住処とする狼である。周囲の人々はカヴァスと俺を呼ぶが、シフで呼んで欲しい。日々、もっぱらキャメロットを走り回ったり獣を狩ったりとそこそこ忙しくも楽しく平凡な狼ライフを満喫している。しかし、ちょうど暇してた時にアルトリアちゃんが俺を呼んできた。

 

 

 この時の俺は、これがあんな事態を起こすなんて事を、知らずにいたんだ……

 

 

 曰く、どっかの村が襲われているため急いで乗せてくれという次第。無論、ノリノリで一鳴きして準備万端である。40秒で支度(したく)しな!なんて言うまでもなく準備万端なアルトリアちゃんを背に俺はキャメロットを発進した。他の騎士たちの騎馬も十分に早いんだが、やはりこのシフボディに追いつけるものなど皆無だったか。

 

 イヤー、ツライわー。シフの駆け足が速すぎてお馬さんよりもスピードで上回っているとか、ツライわー。な〜んて冗談は、さておき俺とアルトリアちゃん、少し遅れて他の騎士たちは(くだん)の蛮族だかエイリアンだかに襲われている村へと着いた。

 

 

 おい、ピクト人って蛮族というか地球外生物ではないか?正直、こいつらの外見にしてもキャメロットで雇用されている騎士たちを相手に素手で互角な事実にしても、普通の人間では考えられないんだが。そんなエイリアンクラスの怪人たちを剣やら牙やらでバッタバッタ倒して、如何にか退却にまで追い込んだ。民を傷つけられ、怒り心頭なアルトリアちゃんは騎士たちを率いて、奴らを追い詰めていく。

 

 そんな時、偶然か知らんがピクト人の一人がちょうど、後ろを向いたタイミングでアルトリアちゃんは、ばっさりと剣を振り下ろしてしまった。そんな騎士らしからぬ行為にアルトリアちゃんは、衝撃のあまり聖剣をポロリと落としてしまった。

 

 

 そう、これが今回の事件の始まりであり終わりでもあったんだ。

 

 

 

 ショックだったんだろう。アルトリアちゃんの敵味方を思いやる心はほんま癒しやで〜。愕然と自らの手を見つめる彼女に気を使って俺は彼女の聖剣、カリバーンを(くわ)えて彼女に渡そうと(こころ)みた。

 

 カリバーン、伝説に曰く選定の剣。俺はこれがビーム出る剣としか思っていないんだけどね。まぁ、剣は剣だ。斬れれば良いのかと思いつつ俺はカリバーンを口に(くわ)える。俺ことシフは賢い狼だ。決して主人の宝もの的なサムシングの聖剣を、躾けのなってない犬みたいに(よだれ)まみれにすることなどあってはならない。そんな風に力を入れていたことが、あんなことになるなんて……

 

 

 俺はカリバーンを咥えていた時、(よだれ)で汚さないよう顎に力を入れた。そうすると、なんということでしょう。

 

 

 美術品としても高い価値を見込め、武器としても優秀な性能というかビームを出すカリバーンは、俺の咬合力(こうごうりょく)をモロに受けてしまったのである。

 

 

 その結果、"折れました"。

 

 というか、噛み砕いちゃいました。結構、根元の方からパリンと。バリンだったっけ?いや、それどころじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!

 

 おいおい、こんな聖剣で大丈夫か?

 

 大丈夫じゃねぇ、大問題だ。

 どーすんの、これぇぇぇぇ!?

 

 

 うん、あれはヒドい事故だった。選定の聖剣が折れて(噛み砕かれて)しまい、アルトリアちゃんは新しい聖剣を貰いに湖の乙女さんとこに行くことに。もちろん、俺はアルトリアちゃんの行くとこに向かうぜ。いつでも足代わりに頼ってくれよ!

 

 

 嘘です。罪悪感で死にそうなんで是非とも私の背中に乗ってください。

 

 

 ……そして、湖の乙女の住まう湖畔に到着した訳だが、どうすんだろ。えっ?これ、もしかして湖の乙女とかいう妖精が出るまで待機する感じなんですか?アルトリアちゃんは湖畔に座って俺のモフモフを枕に待つ構えのようだ。それで、半日弱くらい待っていると湖から女性が現れたではありませんか。

 

 正直、美人で良かったと思う。ここまで待たされて美人じゃなくておっさんとか出てこられた日には、シフボディの全力タックルをお見舞いするところだ。後はアルトリアちゃんが聖剣もらってお終いだろうと、俺は体を伸ばして眠気ざましに頭をブルブル振るう。

 

 

 さて、いつ頃に話が終わるかなー。なんて、考えているとアルトリアちゃん、湖の乙女さんは俺を見てくるのです。やっべ、俺が剣を噛み折ったのバレたんだろうか。そんな不安が胸中浮かぶ中、凝視されっぱなしは心臓に悪いので二人の元に歩いていく。

 

 今の気分は窓ガラスを割ったのがバレて職員室に呼び出しくらう小学生みたいな感じっすわ。アルトリアちゃん、湖の乙女さんのお膝元に来て戦々恐々としていると、湖の乙女さんが口を開く。

 

 

『……あなたほどの方も彼女の力にならんとするのですね。そう……それならば私も決断しなくてはならない局面にあるのでしょう。……騎士王アルトリア・ペンドラゴン、灰燼(かいじん)の巨狼カヴァス。あなたたちの可能性を信じ、星の内海にて鍛えられし二振りの剣を預けます』

 

 

 えっ、マジっすか。それはつまり、俺ももらえるってことなの?

 

 湖の乙女さんは無言で二本の剣をこちらへと渡した。アルトリアちゃんは、カリバーンに似通った形状の輝く聖剣。これには十二の封印が課せられているらしく、それを満たさなくては真の力は発揮できないという代物らしい。そして、俺に渡された聖剣だが、人が扱うことを想定していないような大剣のような形状で驚くことにアルトリウスの剣にそっくり。

 

 それに聖剣の()も"アルトリウス"という奇妙な一致。これで俺もシフとして一歩成長するのかなぁ〜なんて浮かれていられるほど美味い話ではなかった。

 

 

 この"聖剣・アルトリウス"は持ち主の真の能力を封じるという自己封印宝具。しかも、神造兵装というだけあって、異常というくらい力を拘束される。いや、なんか封印されている力を蓄積(溜め込み)、そして自己を強化するか、他者へと受け渡すというモノらしいが、ビーム出ないの?

 

 溜め込んだ力は全て身体能力の強化に回る?何その脳筋の究極系みたいな力は?

 

 つまり、力をストックする聖剣ってこと?まんまワンフォーオールじゃないですか。

 

 

『アルトリア、カヴァス、あなたたちの選択と運命に全てを託します。どうか、あなたたちの行く先に良き記憶のあらんことを』

 

 

 この言葉は、何か俺たちを気遣うような優しい声色を感じた。もしかして、俺がカリバーンを壊したのバレているのか?それを見越して、釘でも刺しているのだろうか?

 

『ええ、どうか心安らかに。この託された聖剣を必ず貴女の元へお返しします』

 

 

 うん、俺もとにかく首をブンブン振る。絶対、今度こそ壊しません。さっきから冷や汗ダラダラで心臓に悪いんだよな。そんなこんなで、もらった聖剣・アルトリウスの持ち手部分を咥えて俺とアルトリアちゃんはキャメロットへの帰路に着くのでした。

 

 

 …………あまりに超展開過ぎて着いていけないけど、一つ言わせてくれ。

 

 

 俺の名前、シフでお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分が王に相応しいのか。選定の剣を抜いたその時から、私は王として生きていくことを心に決めた。しかし、それでも考えてしまう。もし、自分よりも相応しい者がいるとしたら。あの時、選定の剣を抜くことをしていなければ。考え出すだけで思考は泥沼で動けなくなる。

 

 アルトリアという少女からアーサー王というブリテンを治める者へと私は成長を遂げた。卑王ヴォーティガーンや猪王トゥルッフ・トゥルウィス、海の果てからやってくる蛮族たち。多くの難敵との戦いを制し、王としての日々に慣れ始めていた時の事だ。

 

 蛮族出現の一報を聞いた私は、カヴァスと共に報告にあった村へ全速力で駆けて行った。襲撃していた蛮族たちを今度はこちらが強襲し、敵を潰走にまで追い込んだ。無辜の民を傷つけた蛮族に怒りを覚えていたのだろうか、カリバーンに魔力を供給し続け極光の刃を感情のまま振るい続けた。

 

 

 退いていく蛮族の追撃を行なっていた時、私は逃げる蛮族を騎士としてあるまじきことだが、背後から斬りかかってしまう。この卑怯な行為を自分が行ったという事実に愕然とし、私はカリバーンを手から取りこぼす。

 

 

 

 騎士としてあるまじき行為ゆえか、はたまた聖剣に許容量を超過する魔力を乗せたためか、聖剣は根元より破損し折れていた。折れた剣を咥えたカヴァスは、どこか悲しそうに私を見ている。それは怒りに翻弄される私の姿を見てか、聖剣が折れて焦燥している私を案じているのか。

 

 

 すみません、カヴァス。心配をかけて。……折れてしまった聖剣をカヴァスから預かり、私たちはキャメロットへ帰って兄とマーリンに全てを打ち明けた。

 

 

 兄はカリバーンを折ってしまった事を追求せず『働き過ぎなんだよ、ド阿呆が』と言って休むように告げられた。一方、マーリンは私とカヴァスにある場所へ行くことを勧めた。湖の乙女が住まう湖に私とカヴァスの二人で新たな聖剣を譲り受けてくるようにと。

 

 兄の休むようにという勧めと、マーリンの導きを聞いて、私とカヴァスは妖精の住む湖へ向かうことにした。それは王としての責務に没頭する生活とはまた違った時間だった。カヴァスの背に乗り、目的地へと向かう旅。それは私がもう手に入らないと思っていた普通の少女のような時間。こんな普通を、日常を守るために私は前を向かなくては。

 

 カリバーンを折ってしまい沈んでいた気分は、カヴァスのおかげで解消された気がする。そう、聖剣を折ってしまった瞬間も、蛮族や怪異、猪王といった難敵たちとの戦いの時も、いつだって彼は私と同じ場所で同じ思いでいてくれたんだ。

 

 湖畔に着いて妖精を待つ少しの間、私はカヴァスの体に身を預けて日向(ひなた)で少しの微睡(まどろ)みについた。何も特別なことのない時間、私は一人の少女としての自分がいたという事を再確認し、十分な休息から目覚めると湖からこの地を守護する妖精が現れたではないか。

 

 

 

 私はマーリンの勧めで此処に訪れた事を告げ、彼女が持つ聖剣を借り受けられるかと問いかける。すると、湖の乙女は私の瞳をじっと見た後に目線を背後のカヴァスへ。それに連られて私も思わず背後へ振り向く。突然、目線を浴びた彼は静かに私たちの方へと歩み寄った。

 

 

 湖の乙女は私とカヴァスの二人を見つめ、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。

 

 

「……あなたほどの方も彼女の力にならんとするのですね。そう……それならば私も決断しなくてはならない局面にあるのでしょう。……騎士王アルトリア・ペンドラゴン、灰燼(かいじん)の巨狼カヴァス。あなたたちの可能性を信じ、星の内海にて鍛えられし二振りの剣を預けます」

 

 彼女はカヴァスが何らかの超常存在だという示唆を口にした。それだけではなく私とカヴァスの両方に聖剣を与えたのだ。星の内海より鍛えられた神造兵器たる聖剣を二振り。はっきり言ってこれは尋常ではない。私は聖剣を諸手で受け取り、カヴァスは巨大な大剣の柄を己の顎門で(くわ)え受け取った。

 

 

 カヴァスの預かりし聖剣、その銘はアルトリウス。私に似通った銘の聖剣をカヴァスは不思議そうに咥えたまま、剣を右側から左側、左側から右側へ持ち変えたりしている。

 

 約束された勝利の剣(エクスカリバー)と共にカヴァスが得た聖剣・アルトリウスには、力の収束・蓄積を行う力を有している。約束された勝利の剣(エクスカリバー)が人々の"こうあって欲しい"という願いを元に結晶化したものなら、カヴァスの持つアルトリウスは人々の"次代へと受け継ぐ"という意思を核に現出された聖剣。カヴァスの持つアルトリウス……その名の意味は、"()()ぎし約束の剣"。人々が絶え間なく行う次代への継承、人々の営み()という歩み(進歩)を約束する聖なる剣。

 

 受け継ぎし約束の剣(アルトリウス)、人々の歩みを祝福する聖剣。湖の乙女は、カヴァスを超常なる存在として扱っていた。それでも、私にとってのカヴァスは一人の友に相違ない。私はカヴァスを最後まで信じ続ける事を誓う。友への誓いを無言で胸に秘めると共に湖の乙女は別れの言葉を紡いだ。

 

「アルトリア、カヴァス、あなたたちの選択と運命に全てを託します。どうか、あなたたちの行く先に良き記憶のあらんことを」

 

 良き……記憶?

 

 不思議な言い回しに疑問が浮かんだものの、湖の乙女は静かに消えてゆく。消えてゆく彼女の笑顔があまりにも儚く映ったためか、去りゆく彼女に向けて私は厳かな宣言をした。

 

 

「ええ、どうか心安らかに。この託された聖剣を必ず貴女の元へお返しします」

 

 

 その宣言を終え、私とカヴァスはブリテンへと帰還する次第となった。そして、あの時の私たちは、この場での宣言が果たされる瞬間の事を、想像もしていなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブリテンを治める赤き龍が私の元に訪れた時、私は二つの事に関心を持った。一つは彼女の連れている存在、次いで二つはそれを恐れる事なく共にいる彼女の心に。

 

 世界、いいえ、この星から神秘が急速に消えていく。神秘は薄れ、神代は終わり人理が世界を統べる時代が到来する。そこに幻想の居場所はなく、星の内海、世界の裏側へと旅立つ時は近い。しかし、そこに"待った"をかけた一人の男がいた。人と夢魔の混血児たる花の魔術師は、星の内海へ旅立つのを待つように願い出た。もはや、世界から我ら幻想の住処が消える中、彼は一人で幸福な結末とやらのため奔走していたのである。

 

 

 結果として私は彼の口車に乗せられ、ブリテンの片隅にある湖で"その時"という来るかも分からない時を待つこととなった。

 

 

 待ち続けて、数年ほどの時が流れる。幻想たるこの身には数年など大した時間ではないが、それでも幻想が消えゆく世界に留まり続けるのは負担であった。そして、花の魔術師が告げた"その時"が訪れた日、少女を乗せた狼という風変わりな一組みが湖へとやってきた。

 

 

 少女は光を放つような金髪を靡かせ、その総身から生命の光輝を感じさせた。花の魔術師が入れ込むのも分からなくない。あれほど、生き生きと生命を謳歌する存在を見つけたならば、肩入れしたくなるのもわかる。だが、もう一方の狼は少女とは真逆の印象を見せた。

 

 

 燃えた灰のような灰色の毛並み、禍々しさを感じさせる強烈な瞳、世界の万象から生命を奪い己の体内に蓄えて自己を強化する怪物。純粋な幻想種である自分だからこそ分かったあの狼の特異性。本来であるならば、あの生物は世界を終わらせていなければおかしい存在なのだ。人が世界を統べる人理の時代であろうと、神秘が薄れゆく時代であろうと、神秘の満ち足りた神代であろうと、あの生物が出現すればそれだけで世界は切り替わる。

 

 

 それは火の時代。生物から死が消え存在の消滅が意味を成さなくなる時代。強靭な魂を薪とし続けなければ、即座に滅びる恐怖の時代。

 

 時代どころか、世界の基軸を根底から覆す形容も出来ない化け物。そんな化け物が、金髪の少女を寄りかからせて枕代わりに甘んじている。そんな嘘みたいな光景が目に飛び込んだ。それを信じられず中々、彼女らの前に出られなかったが覚悟を決めて私は彼らの前に姿を見せることを選ぶ。

 

 ようやく、湖畔へ出てきたところに聖剣に選ばれた騎士王が近づいて来る。彼女の瞳を見て理解が追いつく。あの灰の巨狼は、彼女だからこそ力と忠を尽くす事を決めたのだと。

 

 

 だとしたら、もう幻想の時代はお終い。これからは彼女のような人々の時代。私は図らずも、いや花の魔術師の計らいなのか、神代と決別する事を選んだ騎士王に星の願いより生み出された希望を託す。でも、それだけでは面白くない。最後まで花の魔術師の手の平というのは望ましくない。

 

 それなら、彼女と共に進むであろう彼にも託そう。

 

 

 星が連綿と受け継いできた継承の誓約を持つ剣を……

 

 

「……あなたほどの方も彼女の力にならんとするのですね。そう……それならば私も決断しなくてはならない局面にあるのでしょう。……騎士王アルトリア・ペンドラゴン、灰燼(かいじん)の巨狼カヴァス。あなたたちの可能性を信じ、星の内海にて鍛えられし二振りの剣を預けます」

 

 

 騎士王は驚いたような仕草を、灰の巨狼……いいえ"カヴァス"は頭を挙げ真っ直ぐな瞳で見つめてくる。ああ、そうか彼女たちなら次代の希望を託せる。いつとも知れない"その時"を待つため留まり続けてきたことに意味はあったのだ。

 

 

 騎士王とその猟犬の両名に祝福を。願わくば、彼女らの行く先に幸福を。

 

 

「アルトリア、カヴァス、あなたたちの選択と運命に全てを託します。どうか、あなたたちの行く先に良き記憶のあらんことを」

 

 

 



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第五話

 雪が降るトンネル……じゃなくてキャメロット城を抜けたら雪国でした。

 

 

 いや、冗談抜きで。ブリテンに冬が訪れる、正直なところ今の時代では現代のような快適な暖房器具があるわけでもなし。しかも騎士だからなのか暖を取る燃料を民家の人々に渡し、キャメロットの城内は極寒。おかげでモフモフなシフボディに集まる人が多いのなんの。最近、早朝にアルトリアちゃんの暖房代わりでいることが多い。そのせいか、狩りに出る時間が夜遅くになってすっかり夜行性の狼暮らし。

 

 朝はアルトリアちゃんの暖房、昼にはアっくんのとこにお邪魔して、そこを出たら夜の狩りまで睡眠を取る。狼らしいのか?まぁ、なんでもいいさ。雪の降り始めた日の夜、俺は横になって夜の狩りに備えていた……ような気がする。そこで雪の薄っすらと積もり出した中庭で会ったのが彼女だった。

 

 

 フルアーマー換装済み、夜中に会うには物騒すぎる格好をした円卓の騎士が一人であるモードレッド、後にモーさんと呼ぶことになるオレっ娘の微少女(乳)だったんだよネ?!

 

 

 型月世界のモードレッドって、ブリテン崩壊の一因ですよねー。どうすべきか、キャメロットというよりアルトリアちゃんのことを考えれば彼女にどう対応するのが正解?

 

 …………俺は考えるのをやめた。うん、もうフィーリングでどうにかすればいいよネ!

 

 近づいてくる彼女がガチャガチャと音を立て、こちらに接近してくる。これでもワイは灰の巨狼と呼ばれるシフさんだ。穏やかで寛容な心持ちで……

 

 

『……よう、クソ犬。てめぇ、デケェ図体(ずうたい)して丸くなってんじゃねぇ。調子に乗んなよ。何が灰の巨狼、王の猟犬、てめぇなんぞ、ただデカイだけの犬畜生だ』

 

 

 ーーーーよーし、この娘っ子ウルフズブートキャンプで更生させたらぁ。壁ドンならぬ地面にドンとモーさんを押し倒して顎を開き脅かしてみる。……いや、よく考えてみよう。このヤンキー口調はグレているせいだし、ヤンクミならぬウルクミ的な教育をすればいいのではないか?思い起こせば、モーさんを取り巻く家庭環境が崩壊しているせいでもあるだし、一概にモーさんを責めるわけにもいかん。

 

 

 

 ちゅーわけで…………オモテ出ようか。

 

 キャメロットを出て、俺の最近の狩猟場である草原に到着する。この場でモーさん、“人には大切なものを守れる力さえあれば、それでいいんだ”ってことを君に教えてやらぁ。まぁ、俺は狼であって人じゃないんだがネ!俺の灰色の毛と同化するような雪の降る夜天へと顔を上げる。腹から喉に渾身の力が通り抜け、開かれた口から世界を揺らす遠叫が響いた。

 

 巨狼の咆哮に応じて虚空より巨狼に対応するような大剣が雪原に現れる。ちなみに……聖剣アルトリウスが実体化する原理については、俺一切理解できてません。なんで自分の使うものの細かい原理がわかってないんだって?テレビだって電源を付けたり切ったりするのに、内部構造を深く理解する必要はないでしょ?それと同じようなもんですわ。

 

 

 

 そんで戦闘開始……終了。細かい描写?要らんでしょ、いくらモーさんがアルトリアちゃんを超える基礎性能(スペック)の持ち主でも今のモーさんは聖剣無し、経験不足。勝てて当然という戦い。まぁ、何だかんだと言ってもアルトリアちゃんの血縁やし。贔屓目(ひいきめ)が入るくらいは勘弁してヨ。

 

 

 崩れ落ちるように座り込むモーさんを後ろから支える。この戦いでヤンキーから更生してくれればブリテンは安泰かな?……いや、モルガンちゃんのネグレクトキャンセルとアルトリアちゃんの認知の二つが何よりも必要だよねぇ。

 

 次の日から……俺が狩りに出かける先にモーさんが現れ、夜な夜なガチバトルに明け暮れる日々が始まるわけだ。日を追うごとに強くなるモーさんは凄まじいと言う他ない。俺の動きをトレースしては自己流に改良を重ね、俺を追い越さん勢いで強くなっていく。

 

 

 そんなこんなで、モーさんと仲良くなった代わりに朝(アルトリアちゃん)〜昼(アっくん)〜夜(モーさん)と一日のほとんどがキャメロット在住の騎士たちのカウンセリング(愚痴聞き)に当たられることになる。いや、忙しいのは別段構わないとも、仲良くなってくれたことも嬉しい限りだ。

 

 モーさんも、俺をクソ犬なんて呼ばずに名前で呼んでくれるようになってわけだし。……それでも、やっぱりというかまたなのかと思われるだろうが……一言だけ口にしたい。

 

 俺の名前は、シフで(たの)んます。

 

 

 

 

 

 

 もし、人生の中で一つの出会いが運命を分けるというのなら、あの身を切るような寒さの雪の降る日こそオレの運命を変えた日だったんだ。

 

 円卓は崩壊し、ブリテンの栄華は地に堕ちる。これは決められていたことだった。裏切りを前提に円卓に座したアグラヴェインとは異なり、オレという騎士は裏切りの遂行がためだけに生み出されたのだから。しかし、滑稽にも程がある。結局、オレという騎士はアグラヴェインと同じように騎士王に憧憬を持ち、裏切ることなく王に仕えようとした結果があの丘の上の末路。

 

 かの騎士王の姿に焦がれ、尊いと手を伸ばした単純なオレの無様なオチ。馬鹿馬鹿しいよなぁ、けどそんなオレの事を最後の最期まで慕ってくれた友がいたんだ。

 

 父上や母上、そこらの騎士が認めずともオレには友がいる。世界の全てが偽りであろうと信じ抜ける真の友情は確かにあったのだから。

 

 ああ、オレは騎士王に憧れていた。その後継となり王座に着くことも夢に見た。けれど、ただ王座に着くことだけが、騎士王の後を継ぐことだけがオレの願望の全てではなかった。

 

 オレの語らざる願望、それは…………

 

 

 

 母上が円卓の崩壊を目論み、オレはそれを遂行する。母上の言葉を聞いている時は騎士王の統治を終わらせ、母上を玉座に座らせることが民草のためなのだと信じていたんだ。しかし、オレの想像を超えるほど騎士王の統治は素晴らしく、オレの理解を離れるほど騎士王の武勇は見事だった。これ以上の国家など望むべくもないだろう。

 

 

 実際、母上の話とは違い、民草は喜びのうちにブリテンの繁栄を謳歌している。全ては騎士王の手腕によってブリテンを泰平に導いたという事実。それを理解しない諸王や蛮族どもを蹴散らすのは気分が良い。かつて、騎士王と自分の関係を知る前の自分は、母上の円卓崩壊の謀略と騎士王の憧憬の板挟みに悩んでいた。その発散先である諸王や蛮族退治の功績が認められ、円卓入りを果たすというのだから星の巡り合わせはワケが分からん。

 

 

 苛立ちまぎれに敵をブッ飛ばす日々が流れ、ブリテンに冬が訪れた。凍えるような寒さでブリテンの人々は、これまでで貯めた食料や燃料を節約しながら冬を越す。キャメロットも例外ではなく、むしろ騎士という軍属である以上、普通の民家よりも環境は厳しい。普通の民家なら燃料を使う寒さでも、騎士は忍耐を強いられる。軍属だから民草よりも雑に扱うのは仕方がないだろう。

 

 

 しかし、オレにとっては寒さよりも戦場に行かなくなった事がキツかった。相も変わらず、円卓に対し謀略を仕掛けようとする母上に付き合うのは骨が折れる。騎士王への憧憬は日に日に増すばかりであり、同時に母上の謀略の一環でもある自分が円卓にいる事が王への裏切りにも思えてきて、不機嫌さと苛立ちは増え続けやがる。

 

 

 夜中、あまりにも冷え込むばかりに寝付けなかった自分は、与えられた寝室から出て城の中を歩き回る事にした。特に散歩好きってワケじゃねぇけど、その時は何も考えないでいたかっただけなんだ。母上の謀略も、騎士王への憧れも、自分の存在も、未来も、何もかも忘れて歩き出す。

 

 

 歩き続けて、ようやく立ち止まったのは城の中庭。降り始めた雪が、今のブリテンの冬の厳しさを物語っている。鎧を身につけていても身を切るような寒さは防げない。大人しく部屋へ戻り寝床に付こうとして……意識が止まった。

 

 

 雪によって、白く染まった庭に何かが"いる"。もし、その何かが危険なものであるなら、城内に黙って置いとけない。支給された何の変哲も無い剣に軽く触れ、いつでも抜剣できる用意を備えた上で、謎の生物との間合いを詰めていく。互いの相貌が視認できるまでの距離になった時、ようやくオレは相手が何者かを確認した。銀世界に融け込むような灰色の狼毛、そこらの男を凌ぐ巨体、まるで篝火のような静かで身を焦がすような威圧感を漂わせる存在。

 

 母上から聞いた事がある。人ならざる身にて王に仕える獣、人智を超えた怪物、王の猟犬たる灰の巨狼カヴァス。母上がキャメロットにおいて最も危険な存在だと語り警戒する魔獣。その姿を見て、俺はこいつに対する反感を持った。俺が母上、アーサー王との関係に挟まれ煩悶しているというのに、この獣は何と自由なことか。何者にも縛られない猟犬という存在が無性に(しゃく)に触った。

 

 

「……よう、クソ犬。てめぇ、デケェ図体(ずうたい)して丸くなってんじゃねぇ。調子に乗んなよ。何が灰の巨狼、王の猟犬、てめぇなんぞ、ただデカイだけの犬畜生だ」

 

 

 苛立つ心のまま、灰の巨狼カヴァスを嘲弄する。安い挑発、情けない騎士として恥ずべき行い、こんな真似とても素面(しらふ)のままでは出来ないだろう。疲弊(ひへい)した精神状態で、なおかつカヴァスという存在を知っていなかったために行った愚行。普通なら敵対行動と受け取る行動に対し、カヴァスは音を立てずに静かに立ち上がった。一歩、二歩、こちらに迫りオレは剣を抜き戦闘態勢に。いつでも反撃可能な態勢のオレは、雪が目の前に降り刹那、視界が妨げられた瞬間にカヴァスにのしかかられ行動を封じられていた。

 

 眼前には顎門が、カヴァスは何かを確認するように透き通った眼で見つめてくる。その眼を見れば敵対行為などでは無いと分かったが、その時のオレはカヴァスを蹴っ飛ばして素早く立ち上がる。肉体に流れる魔力が赤雷となって、放電を始めバリバリと大気を鋭く鳴らす。カヴァスは首を軽く振って、城門の方へと四足を動かす。なるほど、城内で派手にやるってのがマズイのはお互い様。オレはカヴァスの後を追って城門を出る。オレとカヴァスが立ち止まったのは、城から少し離れた草原……いや雪が積もっているため雪原だろう。

 

 この場に遮蔽となるモノはなく、灯が無いため辺りは暗い。夜の闇と地面の白銀が世界を二色に分けているようだ。カヴァスは四足を広げてしっかりと地を踏みしめる。その次にカヴァスは頭を天に向け、高らかに吠えあげた。空間に反響するような遠吠えは自分の鎧をリィィィンと揺らす。思わず、眼を閉じてまた眼を開くとカヴァスの真横に巨大な両手剣が地に刺さっていた。

 

 

 カヴァスは大剣を口で咥えて、大地から抜き放った。そう、これは騎士どもの立ち話で聞いた事だが、灰の巨狼カヴァスは騎士王と同じく湖の乙女より預かった聖剣を携えていると。

 

 ヤバい、本能的にカヴァスが聖剣を構える前に剣を振るう。赤雷を伴った斬撃は、これまでで最高の一斬だった。それをカヴァスは口に咥えた聖剣で受け止めていた。咄嗟に防御したというのか、あの一瞬で。おもしれぇ、ここで不思議とオレの顔に浮かんだのは満面の笑み。現状では超えられない壁を前に、オレは“上等だ”と剣を握り直す。赤雷が矢のようにカヴァスに飛ぶ、振ってくる雪と地面の雪を焼き熔かして赤い稲妻はカヴァスに刺さる。だが、どうしたことか雷はカヴァスに当たったかと思えば、奴の聖剣の刃身に吸い込まれていく。エネルギーの吸収?

 

 

 ざっけんな!つまり、奴には魔力や火力、雷、冷気といった攻撃は効かず、純粋な斬撃打撃といった物理で沈める他にないということか?心中に渦巻く焦りを消そうと剣を強く握りこみ、魔力を放ちながらカヴァスの頭を両断する軌道で斬撃を行う。赤雷となった魔力を推進力とした高速の剣撃、それをカヴァスは横方向のターンで回避……違うっ!回避のためのターンではなく、巨大な大剣に遠心力を加算しての一振り。両断するために剣を勢いよく振ったために、剣を防御に回せない。鎧で上手く防御できるか、一種の賭けだ。

 

 

 カヴァスの聖剣、確か銘は“アルトリウス”。それがオレの身を守る鎧と接触、少しの意識の空白。気が付くとオレは雪の降る空と、こちらを見つめるカヴァスを見上げる形で地面に倒れていた。

 

 

 

 手心を加え、情けをかけたつもりなのかと考えた瞬間、オレの中の自制の(くびき)が易々と外れた。転がっていた剣を掴んで奴の首へ振り切った。首の毛が鋼を思わせる硬質な音を立てて自身を斬ろうとした刃を跳ね返す。跳ね返された剣は毛並みに沿った形で刃毀(はこぼ)れしており、カヴァスという存在が如何に凶猛なるかを示していた。

 

 

 オレと奴の間にある実力差に歯噛みして、それでも再びオレは奴に向かって剣を振るう。振るわれる剣を後方に飛び退く事で回避したカヴァスに追随しようと魔力を脚に乗せ高速の踏み込みから奇襲を行う。だが、それは奴の前脚の払い、人間で形容するならオープンブローのような打撃が全身を痛打する。痛みから生じた思考の停止、何も考えられなくなろうとも剣を振ろうと一歩、踏み出す。その一歩を皮切りとしたのか、カヴァスはオレの鎧の首元を噛み(くわ)えたまま、オレを地面へと叩きつけた。雪がクッションになったんだろうか、はたまた地面に叩きつけられた際にバウンドしたことが衝撃の吸収に一役買ったのか。オレは叩きつけられた直後に間髪入れず立つことはできた。

 

 

 ただ、それだけだ。立てただけ、構えは隙だらけで足取りは覚束(おぼつか)ない。これまでか、剣を握る手から力が抜け倒れそうになった。しかし、倒れそうになったオレをなんと敵であるはずのカヴァスが背後に回って支えてきたのだ。またもや、情けをかけられたかと激憤を持つ間際、カヴァスの瞳が見えた。その瞳には虚偽、欺瞞、嘘は欠片となく、ただ戦士たる矜持と尊厳だけがあった。

 

 

 オレは背後に回ったカヴァスに支えられ音無く、雪原に座った。一人と一匹の間に言葉はなかったが、不思議と居心地は悪くない。カヴァスの灰色の狼毛が毛布のように自分を包んでいるおかげで、寒さはなく優しい穏やかな暖かさに包まれ、その晩のオレは意識を手放すのだった。

 

 

 

 

 朝、目覚めたオレはベッドの上で五体を放り出していた。どうやら、廊下で倒れていたオレをアグラヴェインがベッドまで運んでくれたというそうだ。あいつはオレと同様にモルガンの親類に当たる男、面倒を見てくれたことは意外でこそあれ驚くほどではなかった。

 

 

 それよりもこの身を焦がすように急かす感情の行き先は、灰の巨狼“カヴァス”との再戦と勝ち星の奪取に向けられていた。

 

「次こそはオレが負かして見せる、待ってやがれ“カヴァス”」

 

 

 次の晩、オレは夜のキャメロット城から抜け出して、あの雪原へ走る。走りついた時には、既に奴がそこにいた。狩猟の帰りなのか、木の実や薬草に食用の山菜など城に持ち帰るであろう獲物を咥えた籠に詰め込んでいる。カヴァスはオレと接敵するや顎の力を抜いて籠を地面に落とす。奴が籠を咥えたままなら、獣である奴の武器の一つである鋭い牙と強靭な顎門が封じられていたものを。まぁ、そこまでオレにとって都合のいい状態で勝負に臨める幸運などあるまい。

 

 

 カヴァスは四肢を地面に叩きつけるように踏みしめて四足獣としての構えを取る。オレも奴に応じるように母にして魔女より教え習った剣技を十全に発揮するため騎士としての構えに移る。剣を構えながら相手の打つであろう一手を読むべく奴の瞳に視線を集中させた。覗いた瞳の奥底、そこには人のような欲望と野心、醜悪な望みは見ることができない。悔しいほどに憧れてしまいそうになるくらい透き通るような瞳の中には、ただあるがままの生命の暖かさと騎士としての忠義が燃えていた。

 

 

 ーーカヴァスが動く、奴の瞳中に意識を取られ戦闘のためだけに回転していた思考に隙間が生じた。“バカか、オレは!”と自分を叱咤しつつ、構えていた剣先を奴の進行方向に乗せる。上下の顎門が刃を食い千切ろうと襲い来るが、オレは剣を両手持ちから右手持ちに換えてカヴァスの噛みつきから剣を避けさせた。昨日のオレならここで後方に下がってから攻撃に転じていたかもしれない。だが、昨日の夜の僅かな戦闘を潜り抜けたオレは空いた片手を握り拳としてカヴァスの顔面へ振り抜く。

 

 

 母、モルガンこそオレの剣の師。そして、モルガンはかつて先王ウーサーと魔術師マーリンより王としての教育を受けた存在。結局、モルガンは王とならなかったが、その剣技や知識はオレへと受け継がれた。そう、言うなればオレは騎士王と同様の剣技を習得しているのだ。しかし、それでは足りない。王としての剣技ではカヴァスを越えられないことが嫌という程に分かった。騎士王と同様の剣技でダメだったのだ、騎士という人の範囲の剣技では更に望みは薄いだろう。

 

 

 ならば、どうすべきなのか。至った答えはただ一つ、越えるべきカヴァスの戦闘技法を余すことなく吸収し人の扱える段階にまで改良し自己流にしてしまえばいい。剣が使えないなら拳を握って打撃・回避のためのターンといった運動エネルギーを攻撃に転化・相手と取っ組み合って地面や壁などの硬いものに衝突させるなど昨晩に喰らって敗北を与えられた技を総て吸収するのだ。

 

 

 流儀や型に囚われた騎士としてではない、勝つためだけに自分の総てを解放する獣として勝負に挑む。顔に打撃をもらったというのにカヴァスはよろめく気配も見せやしねぇ。奴は聖剣を呼び出し、その顎門で咥えて戦闘に備える。出来ればエネルギーを吸収する聖剣アルトリウスを出す前にカタをつけたかったが、文句を言っても勝てる道理はない。

 

 

 赤い雷撃を発し一歩前進のための一歩を踏んだ。雷を飛ばしても奴に効かない、ならば飛び道具としての雷は捨てろ。移動と剣戟の速度を上げる加速機能として割り切れ。一瞬一秒ずつ進化するんだ。カヴァスが疾駆する雪原の雪が吹き飛ぶほどの速度、オレは右足を軸としてカヴァスの一撃を剣で受け、駒のように廻転する事でどうにか受け流す。一度、流すだけで腕が痺れてしまった。カヴァス、王の猟犬と謳われる者の戦闘は獣らしい動きの中に騎士としての忠義を秘めた矛盾の塊。ならば、オレもそうあろう。獣ならざる人身にて獣体の戦技を用い、円卓の騎士としての誇りを勝利の原動力にする矛盾の騎士に。

 

 

 カヴァスの剛剣を必死に捌き続ける、奴の刃の圏域に囚われ続けるのはマズイ。本能が、騎士としての経験が、モードレッドとして生きてきたこれまで(過去)が警鐘を鳴らす。離れなければ、そう叫ぶ意識を裏腹にこの場に留まるので精一杯の無様。カヴァスの剣戟を捌き続けた。十を越えてから数えるのをやめて意識は空白になる。一分、いや体感では一日にも感じる濃密な戦闘、圧縮された体感が現実の時の流れと誤差を起こす。カヴァスの攻撃を受け腕が上がらなくなりそうになった時、奴の動きが止まった。いや、止まったというより剣を咥え直した僅かな機にオレは勝負を賭ける。

 

 

 赤雷のブーストでカヴァスの真上に飛んだ。急激な上下駆動、いくらカヴァスといえど一瞬はオレの姿を見失うはず………甘かった。カヴァスは当たり前のように上を向いて剣を強く噛み締める。撹乱は失敗に終わった、けれどここまで跳躍する時間、もしくはオレが落下するまでの時間があれば刃にカヴァスを仕留めるだけの赤雷を蓄積可能。

 

 

 宙に滞空したオレは剣を上段に構えつつ、意識をカヴァスから剣に集中させてしまったのだ。それが敗因となり勝負の分かれ目になる。カヴァスは剣を咥えたまま首を、脚を、全身を捻り肉体を円と化す。それは槍の投擲、または円盤投げ、あるいは投石機のごとく。(ねじ)っていた総身を捻っていた方向とは逆に廻転、肉体の元に戻ろうとする力と今までとは反対方向に回ろうとする遠心力が合わさった状態で、聖剣アルトリウスは射出された。

 

 

「っなぁ!?戦場で武器を手離すだと!?」

 

 

 その投擲、狙い誤る事なくモードレッドに命中。飛来する刃を受けて無事だったのは自分を守護する鎧の加護か、悪運か。兎にも角にも、この晩の一戦、狼騎士の投剣にて赤雷の騎士は敗北へと墜落するのだった。雪原の二戦目、落下したモードレッドの意識は昨晩とは異なり保ったままではあるが、戦闘に移行するのは難しかろう。それでも、モードレッドは不敵そうに笑いながらカヴァスに対峙する。

 

 

「はっ、ハハッ……その動きはいただいた!」

 

 

 ………………苦し紛れの負け惜しみ。自分でも見え見えな見栄(みえ)を張る。それは狼たるカヴァスにも見破られるほどの粗雑さ。けど、カヴァスはまるで笑うように牙を剥いていた。カヴァスの笑みは、オレの思い違いだったのかもしれない。でも、カヴァスはオレへ褒めるように認めるように笑って見えた。そして、聞き間違えかもしれない、けれどもオレの耳には聞こえたんだ。

 

 

 

 “いい感性(センス)だ”

 

 

 ああ、そうともたった一つの言葉……いや言葉でなくともそれだけでオレは満たされることができたんだ。これからオレはカヴァスの狩猟に同行し、カヴァスと互いに互いを鍛え切磋琢磨する真の(ともがら)になる。ああ、灰の巨狼カヴァスこそ我が生涯における親友であり、最大の好敵手となる。

 

 

 カヴァスは自分にとって師であり友であり敵であり、人生の解でもあった。そう、故にこそオレの生涯の幕引きを預けるに相応しいのは他の誰でもないカヴァスのみだったんだ。我が結末自体に悔いはない、けれども願いが叶うなら……オレは……

 

 



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第六話

安定の独自解釈と勘違い。
それでも、お楽しみいただけるという剛の方がいれば幸いです。


 我輩はシフである。度重なる誤名にも負けず、白亜の城キャメロットの番狼を務めている()である。本日は晴天なり、本日は円卓の招集なり。サラッと言ったが、アルトリアちゃんが蛮族たちの被害に際して対策を講じるための会議が急に開かれることになった。この対策の内容は村を一つ干上がらせて蛮族の進行を抑えようとすることで、会議を招集したのだが会議は踊りに踊った。特に多くの騎士が村を干上がらせるということに反対意見を出したのだ。

 

 それは騎士たちが村を干上がらせることに反対する旨であり、アルトリアちゃんの苦渋の決断に反する姿勢を見せた。確かに村を干上がらせ、蛮族の略奪するモノを無くしてしまえば彼らの侵略を遅れさせることは出来るだろう。しかし、そのために多くの民が犠牲になることが彼らには許容できず反対する意見が多数を占めていた。

 

 

 此処で俺には一つの問題があった。それは円卓の部屋に俺をアルトリアちゃんが連れてきて、部屋の人口密度を大幅に占めていたことである。しかも部屋の大半は男所帯。キッツイもんである、なんというか騎士たちがゲッソリした表情なのも同意できる。ぶっちゃけ、女の子がいないことが問題じゃないのかと俺は思う。だって、円卓の女子勢はアルトリアちゃん(ほぼ上司、というか社長)、モーさん(フルアーマー)、ガレスちゃん(ガウェインの妹さん)とみんな手を出すのにはリスキーが過ぎる。

 

 そんな、どうでもいいような思考を巡らせていると、アルトリアちゃんの鶴の一声が飛ぶ。

 

「では、蛮族の進行を抑えるための代案はあるのですか?」

 

 アルトリアちゃんの核心を突く一言。反対意見を提出した騎士たちが総じて口をつぐむ。反対するには代案を用意して、と言いたいが彼らは騎士、専業軍人であり命令を受ける側、戦略的な作戦を立てることができるとは思えない。しかし、円卓の会議を見ていると頭をよぎることがある。

 

 

 

 ……それは……円卓ってピザみたいじゃないかということだ。

 

 無性に腹が減って仕方がない。キャメロットの食事は大体が雑であるため自分で狩りをしている俺だが、やはりピザとかハンバーガーやらお米を無性に食いたくなるのはどうにかならないものか。そんなことを考えていると、円卓の一席に座る騎士と目が合った。それは災厄の席とか言われる縁起でもない席に座らせられた貧乏くじを引きやすい青少年騎士、ギャラハッド君だった。彼は俺と目を合わせるとコクリと首を縦に振り、バンと卓上に手を叩きつけて騎士たちを叱咤する。

 

 

「いい加減にしてください。これ以上の議論は時間を無為に消費するだけだ。これほどの騎士が集まって、これ以上の時間を浪費するおつもりか」

 

 そうそう、良いことを言うものだと感心し俺は前足を少し挙げ気づかれないようにガッツポーズをこっそりと取る。年若い彼は女好きのランスロット氏の息子ということもあって、若干警戒の目で見ていたのだが彼は父と比べて真面目な良い子らしい。

 

「しかし、サー・ギャラハッド。我々、騎士は民を守らなくてはならない身にある。その騎士が民を守る為とはいえ民に犠牲を強いていいものか」

「代案が無いなら黙ってください。ランスロット卿」

 

 にべもねぇ、ランスロットさんの提言もすげなく断じたギャラハッド君はアルトリアちゃんの意見に賛成の態度を見せた。それをきっかけとし少しずつ騎士たちがアルトリアちゃんの意見への賛同へ会議が傾く。まぁ、これしか手段がないとすれば、仕方ない。そりゃ、今の会議の焦点となっている村は立地が悪く蛮族が多くの方向から進行してくる地点なのだ。一回、二回くらい騎士を派遣しても間髪入れず蛮族がやってくるだろう。それなら、村を干上がらせ無くしてしまえば、蛮族の進行だけでなく、民を安全なキャメロット付近へ移住させられる策だ。

 

 まぁ、必死で土地を開拓した領民にしてみれば、やすやすと土地を捨て干上がらせるなんてできないだろうが、命あっての物種。とっとと移住してくれれば丸く収まるはず。こういう最善手を素直に納得できないというのは、人情というヤツなのか。

 

 それにしても腹へった。今日は何を狩ってこようかな?

 

「皆さん、決断するならば迅速にしていただきたい。大体、この現状に恥じ入らないのですか。王の後ろにいるカヴァスを見てください。彼は会議を見て円卓の騎士たちは決断をすることに躊躇う者だと、円卓の結束とはかくも脆いのかと思うことでしょう」

 

 

 ……ごめん、円卓ってピザみたいで美味しそうとか、女の子が少ないなぁ、一狩り行こうゼ、とか考えてました。本当にごめんヨ、真面目な思考が続かんのさ。と思っている時に一人の騎士が立ち上がって、部屋から出て行こうとする。それは糸目胡散臭いことマーリンの如しと俺が見ている円卓の騎士、トリスタンであった。彼は忠義より情を重んじるかもしれないっぽい騎士。若干、女運が薄そうな面相のロン毛の人。そんな彼の残した言葉はとんでもない爆弾だった。

 

「…………王は人の心がわからない」

 

 

 そう言い残し、彼は円卓を去っていった。いや待て、文句を言うなら代案出せとギャラハッド君言ってたぜ。せめて、なんでも良いから意見を言え、爆弾発言残していくんじゃない。見ろ、円卓勢が会議というか通夜の雰囲気に早変わり。色々と考え……こらこら、待ちなさい。

 

 部屋を出ていくトリスタンを追うと、廊下の途中でいきなりこっちを振り向いてくる。その顔は罪人のように痛ましそうで、病人のごとき苦しげな表情をしていた。そっちにも色々と事情があるのだろうが、さっきのセリフ、会議の席を退出する間際に言うこと?

 

 

 

「……カヴァス……」

 シフだよ。そして、『さん』をつけろよ、デコ助野郎。

 

 上の感情を込め、やたらカヴァスと呼ばれる俺は吠えた。すると、トリスタン卿は薄っすらと笑って、再び前を向いて歩いていく。こうして哀しみの騎士という男はキャメロットを去っていった。野郎、アナザーなら殺ってたからな。

 

 こうして哀しみの男は去り、俺はアルトリアちゃんをモフモフして話は終了した。正直、ブリテンはもうやべー感じです。これ、下手を打てば、あっという間に国が滅ぶ瀬戸際。普段から緊張間の無い俺でも気づくと言うのだから相当なシリアスですよ。

 

 と言っても、俺のやることは変わらない。変えるような器用さも無いし、変えるつもりも毛頭無い。この国の終わりまで俺は何も諦めたりはしない。俺はアルトリアちゃんと出会った時からすべきことを決めていた。そこはいつだって、曲がってない。

 

 ……俺は俺をシフと呼ばせるのを諦めるつもりはないんだ!……いつになるのか分からんけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 円卓における災厄の席に座る青年は彼方を見据えて国を眺める。騎士王に仕える騎士の一人として彼はブリテンの現状とこれからの状況に想いを馳せる。この国は行き詰まりだ、もはや神秘の時代は終わりブリテンは外部より来たる蛮族や環境に適応できず滅びゆくのみ。例え蛮族たちがいなくとも大地は枯れ国は終わる。永遠に続く国などない、ならばこそ、せめて終わりの瞬間は安らかなものとしたいと願うことは間違いではないのではないか。例え、終わるとしても悲劇の下で嘆きと憎悪に沈むより眠るかのごとき終わりを願うのは正しいことだと、私は信じている。

 

 

 それが災厄の席を預かる私、ギャラハッドの嘘偽りない真実だ。

 

 

 今日、我々円卓の騎士一同は王の招集に馳せ参じた。招集の理由は円卓の騎士たちを交えての忌憚なき意見を求めるため。この会議の主題は蛮族の進行を遅らせるために、一つの村を干上がらせるということについてだ。民衆を守るために存在する騎士が民衆を守るための犠牲を彼らに支払わせる、それがどれほどの矛盾かを理解した上で我らは選択しなければならない。

 

 今回、会議で上がった街は以前から蛮族の被害を受けていた地で、あの場を取られればキャメロットまでの足がかりになってしまう。そうすれば、今度はキャメロットが戦場に変わる。決断の機はジリジリと迫ってきていた。だと言うのに、円卓の騎士の大半はこの決断に代わる案もないまま長々と反対する旨だけを言い続け会議を長引かせている。

 

 それはきっと、決断をしたくないという気持ちが裏にはあるのかもしれない。しかし、我ら騎士にその怠慢は許されない。王がどれほどの重責と覚悟を持ってこの案を選ぶに至ったか、王の心境が察せられた。王の意思を己の理解し得る範囲で理解し、その決断を支持するか、はたまた諫言し代わりの提案を口にするか。騎士の役目は戦うのみにないと言うのに。

 

 王に賛同する騎士は思うより少ない。アグラヴェイン卿、ケイ卿、ベディヴィエール卿、モードレッド卿、そして私ことギャラハッド。ベディヴィエール卿はともかく、アグラヴェイン卿とケイ卿が真っ先に賛同する方向で意思表明したことで色々とややこしいことになっている。弁論や文術に長ける両名だ、他の騎士からの感情面では悪い方向への偏りが見られる。今も反対する騎士へ向け正論を皮肉交じりに唱えている。あれでは賛同を得ようにも、感情面が邪魔をする。私やベディヴィエール卿が穏当に取りなそうにも、白熱し過ぎて止めようがない。

 

 

 特に私の親類であるランスロット卿は、今も諫言らしきことを口にしても代案を出すことがない。他にトリスタン卿なども同様であった。事態を静観するガウェイン卿、そも会議の内容に興味を示さず王の背後の猟犬カヴァスに視線を向けているモードレッド卿などと、円卓の意思統一はままならぬ状況にあった。理解している戦力や公務などの豊富な人材が整っている上で更に性格などの要求をするのは贅沢に過ぎると。

 

 しかし、実務能力よりもこの場においては穏便で柔軟な性格の騎士はいないものか。

 

 

「では、蛮族の進行を抑えるための代案はあるのですか?」

 

 とうとう、王の忍耐も持たなかったようだ。他の騎士たちもこれが王の苦渋の選択であることを察し、これ以上の最適な方策が思い浮かばないのだろう。反対を声高にしていた騎士たちの数が減る。しかし、若干二名ほどがまだ反論を言い募っている。それが空気を読むことが苦手で無神経気味なトリスタン卿ならまだしも、女が絡まなければ、多少まともな仕事をするランスロット卿まで。なぜ、幼少の折の自分にはあれが立派な父親に見えたのだろうか。

 

 そのように物思いをしているうちに王の背後より剣呑な雰囲気を放ち始めた存在がいる。それは王の猟犬、キャメロットに存在し王に忠を尽くす灰色の巨獣。王を時に背へ乗せ戦場を駆ける灰色の大狼、カヴァス。王へのあまりの無礼ゆえに憤りを感じ始めようというのは無理もない。

 

 

「いい加減にしてください。これ以上の議論は時間を無為に消費するだけだ。これほどの騎士が集まって、これ以上の時間を浪費するおつもりか」

 

 まずい、このままでは血を見る羽目にと懸念した私は起立し、この会談の軌道修正を図る。

 

「しかし、サー・ギャラハッド。我々、騎士は民を守らなくてはならない身にある。その騎士が民を守る為とはいえ民に犠牲を強いていいものか」

 

 悪いだろうとも、正しいとは言えない。だが、犠牲にする以外の代案を出さないから決断するしか無くなっているのだろうに。ランスロット卿の頭の巡りが鈍重過ぎて話が出来ていない。そのため、あくまで会議の席の雰囲気を悪化させないような口調でこいつを窘めなくては……

 

「代案が無いなら黙ってください。ランスロット卿」

 

 無理だった。何というか、心の奥底からこの男にだけは態度を軟化してたまるものかともう一人の私が叫んでいる気がする。なんとなく、眼鏡をかけているような私が……

 

 いや、それどころではない。今のうちに話し合いの整えを済ませ、果断な決断を取らなくては。そのために必要なこととしてカヴァス、彼をだしにして話を進めてみよう。かの巨狼も円卓より一目置かれる存在、彼を話の引き合いに出せば、納得も容易に得られよう。

 

 

「皆さん、決断するならば迅速にしていただきたい。大体、この現状に恥じ入らないのですか。王の後ろにいるカヴァスを見てください。彼は会議を見て円卓の騎士たちは決断をすることに躊躇う者だと、円卓の結束とはかくも脆いのかと思うことでしょう」

 

 あとは、これで話し合いが穏便に済むようにすれば……と言う側からトリスタン卿が席を立つ。一度、退席して冷静に考え直そうというのかと思っていると彼は最後にある言葉を言い残して去っていく。それが決定的なまでに取り返しのつかない言葉だったことは言うまでも無い。

 

「……王は人の心がわからない」

 

 “……騎士は王のことを理解しようとさえしない”。頭の中でその言葉が思い浮かんだ。だが、これを口に出せば円卓が割れる。物理でも精神面でも。無言のまま静観しようとした矢先、トリスタン卿はそれだけを言い残し去っていく。割りと空気が読めない所や気がつくと所構わず寝るような性格とは知っていたが、これは流石に言葉が……

 

 

 出て行ったトリスタン卿を追い、カヴァスが部屋を出る。その時のカヴァスの双眸には並々ならぬ感情が暴走しているように私には見えた。人の分かりやすく表層に出るような目に見える怒りではなく、静かに全てが沈むような怒りが猛っている。かの狼は王が自ら連れてきた神秘を宿す猛獣。それに加えて湖の乙女より聖剣を預かっているのだ。その実力は円卓の半数を以ってしてようやく拘束が可能かどうかというところ。騎士一人では太刀打ちできない巨狼。このままではトリスタン卿が落命し、キャメロットが戦場になるのではと最悪の事態を想像してしまう。此処で騎士王はカヴァスを信じているのか動こうとはしない。

 

 会議は止まり、沈黙しているうちに扉を開けカヴァスが部屋に再び入ってくる。巨狼は騎士王の元に寄り添い、労うように側で丸くなる。先ほどから外で戦闘音らしきもの音はなかった、つまりカヴァスはトリスタン卿に対し“何もしなかった”ということだ。許した、ということはあり得ない。主人を貶されたカヴァスは怒りに燃えていたことだろう。

 

 

 それはきっと、何よりも重く辛い罰になる。誰も彼を罰すことなく、彼は何の手傷も痛みも持たぬままキャメロットを去るのだ。これから先、トリスタン卿はたった一言のために、その名の通りに哀しみを背負う。それきっと、死してからも続くはずだ。これは彼の永劫に続く後悔と苦難の始まりでしか無い。いっそ、一思いに罰されてしまえば、拷問に等しい哀しみを終えることが出来たものを。

 

 

 それから程なくして、私は王より奇跡の杯である聖杯の捜索を王より命じられる。それはブリテンの土地を回復させ延命させるためか、はたまたこれより起こる騒乱に私を巻き込ませないための配慮か。どちらにせよ、私は偉大な王より拝命した任務に努める。

 

 これこそ、私が行う聖杯探索(グランドオーダー)の始まり。しかし、この旅に待つ終末とこの国の崩壊を、あの時の私は予感しつつも、王の命に従ってキャメロットを発つ。願わくば、国の終焉が安らかにあらんことを。騎士王に安息とこれまでの苦難に見合うだけの幸福を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その一言は我が生涯における最大の汚点であり、重大な罪業であった。それに気づくこともないまま、ただ前に進むことしか出来なかったあの時の私を、私自身は永劫に呪い続けるだろう。これは去りゆく騎士と、残り留まり続けることを選んだ騎士()の話。

 

 

 まだ、ブリテンが白亜の城キャメロットが光輝に満ちていた頃のこと。円卓の騎士は総員が騎士王の招集に参じた。騎士王の招集に蛮族討伐のため、また何処かの村落に向かうのかと想像していた我らは、かの王が会議で発した言葉を吞み下すことに時間を要した。蛮族の進行を遅らせるべく、蛮族に度重なる襲撃を受けていた村を一つ焼き払うと宣言を行った。

 

 その宣言はあまりにも力強く、決して覆ることがないように見えた。まるでその場にいた全ての騎士たちを説得するかのように言葉は円卓に響き、王は沈黙する。その決断は騎士のこれまでの戦いを否定するものだ、これまで多くの蛮族を騎士たちは力の限り倒し退けてきた。ならば、此度もただ一言、蛮族討伐を命じてくれさえすれば騎士は命をかけ遵守しようというものを。

 

 王はそれ以外の選択肢を提示しなかった。早計に過ぎると、多くの騎士たちは諫言を行い王に思い留まってもらうように言葉を意思を尽くす。だが、王は以前と首を縦に振らない。会議は王を止めようとする騎士と、王の決断を迅速に遂行しようとする騎士の意見で二つに割れた。互いの意見がぶつかり、円卓に座した騎士たちの会議は白熱する。まだ、民を救う道はあるはずだという反対に、王の命が下ったなら迅速に遂行せよとする賛同。冷徹なアグラヴェイン卿とケイ卿が王に賛同を示し、他の騎士たちが反対を口にする。

 

 確かに蛮族の進行は遅れるだろう、しかし次は?そのまた次はどうなる?

 

 

 この決断は、破滅への一本道だ。この決断を下せば、あとは落ちるだけ。更なる犠牲を、もっと贄を、多くの血を、無数の嘆きを。それを繰り返していけば、キャメロットは蛮族という外敵ではなく、内部より民の反乱により瓦解する。そのような哀しみしか、もたらさない結末など許容出来るはずもない。

 

 

 必死に否定を続ける騎士たちに対して、会議は更なる段階に進む。

 

「では、蛮族の進行を抑えるための代案はあるのですか?」

 

 騎士王は感情を露わにしないまま、先の言葉を淡々と語った。それを感情を押し殺したものではなく、冷酷な意思の発露と勘違いをしたことこそ私の最大の過ち。それに対し、反対派の騎士たちは具体的な策が思いつくことはなかった。それでも、何の意見も出せないまま、けれど犠牲を出す案に賛同も出来ないまま会議は無為に続く。それを見て、円卓の一席に座す青年が立ち上がった。

 

 その青年こそは災厄の席を与えられたランスロット卿の子息、ギャラハッド卿。

 

「いい加減にしてください。これ以上の議論は時間を無為に消費するだけだ。これほどの騎士が集まって、これ以上の時間を浪費するおつもりか」

 

 

 それは鶴の一声というもの。自分たちより年若い青年に(たしな)められた騎士たちは恥じ入るように騎士王の案に同意をしていく。その時、私はなぜ実直に頷くことができなかったのか。私は騎士王を決して軽んじているわけでも悪意を持っているわけでもない。ただ、騎士王とキャメロットのためを思い行動を起こしているだけだというのに。

 

 それと同じ思いであるランスロット卿は、ギャラハッド卿を逆に説得しようとするが……

 

「しかし、サー・ギャラハッド。我々、騎士は民を守らなくてはならない身にある。その騎士が民を守る為とはいえ民に犠牲を強いていいものか」

「代案が無いなら黙ってください。ランスロット卿」

 

 哀しい、すげなく断られていたようです。ランスロット卿を無視する形で、ギャラハッド卿は続けて円卓の意思を統一しようと更に言葉を尽くした。

 

 

「皆さん、決断するならば迅速にしていただきたい。大体、この現状に恥じ入らないのですか。王の後ろにいるカヴァスを見てください。彼は会議を見て円卓の騎士たちは決断をすることに躊躇う者だと、円卓の結束とはかくも脆いのかと思うことでしょう」

 

 それを聞き、円卓の総員は騎士王の背後に(はべ)る巨大な狼に集中する。灰の巨狼。ブリテン、いやキャメロットに存在する偉大なる神秘の獣。騎士王を背に乗せれば一騎当千、単騎であろうと戦場や荒野を縦横無尽と疾走する大狼。そう、彼の名は“カヴァス”。

 

 

 カヴァスは円卓を同胞と見てくれているのか、分からない。それほどにあの時のカヴァスの感情は静かな湖面のように深淵なものだった。それは忠義だったのかもしれない、王である主人の命を遂行すべくひたすらに全霊を以って動く。野生の獣では不可能だろう、人である騎士でも感情が障害となる。それはカヴァスが王に忠を尽くす狼騎士だからこそあり得た奇跡。他の何者にも届かぬ王とカヴァスだけの関係。

 

 

 そんなカヴァスは語ることなく言外に問うていた。

 

『何に忠を尽くすか……』

 

 忠義とは不変にして普遍のものでなくてはならない。王に忠義を捧げると誓いし時は死して灰となるまで忠道を貫くのだ。だが、その時に私は王ではなく理想に忠義を支払った。その時の私が下した決断は、カヴァスのように王という一個人に忠義を以って仕えられないというもの。

 

 私は王の元を去る。愚かなことだと当時は思わなかった。その行動こそ、死して彼方の座に引き上げられようとも悔い続けると思わぬままに。

 

「……王は人の心がわからない」

 

 

 それを言って、私は円卓から立ち去る。騎士たちは何も言わぬまま見届ける。それが助かったと思うのか、何故止めてくれなかったのかと思うのか。今でもそれは分からずじまい。ただ、あの巨狼だけは部屋を出て私の後ろまで来てくれた。カヴァスはその瞳を燻らせて私の真意を見通すように目と目を合わせ、沈黙を守る。

 

「……カヴァス……」

 

 私の縋るような呼び掛けに対し、彼は力強く吠える。

 

 それはまるで自分に“己は留まることを選び、貴方は去ることを選んだ。道は違えど、それが騎士として尽くす忠義の形であるなら貫き通せ”と宣言しているようで。

 

 私はカヴァスから背を向け、キャメロットを出て行く。彼と道を違え、円卓より去りキャメロットは崩壊の憂き目に。私に訪れた結末とて余人に誇らしげに語れるものでも無し。ああ、だからこそだ。次なる機会があろうものなら、私は決して間違えなどしない。私は騎士王の名に従い、かの王のあらゆる命を遂行する者となる。

 

 

 私は王に忠を尽くす。叶うのならば、貴方にそれを見届けてもらえることを。騎士王に仕えた忠実なる灰の巨狼、カヴァス。貴方とまた、出会うことを待ち望んでいます。

 

 



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番外編一話

シフもとい主人公は話では出てきません。
番外編というか現代編ですので本編とは無関係。
それなのに、無駄に長々とした話であることにはご容赦を。

読んでくださることを、書き手として願います。
それでは、皆さま良きバレンタイン(イベント)を。


 朝、目が覚めると何故か泣いていることが時々ある。涙するような悪夢を見ていたのか、泣きたくなるほど悲しい夢を見ていたのか、見ていたはずの夢はいつも思い出すことができない。それは奇妙な喪失感と空虚な悲しみを胸に去来させる。頰を(つた)って流れる涙と共に何かが消えてしまったという感覚が胸の奥へ残留(ざんりゅう)するのだ。消えてしまった何か、誰かとの約束、大事な思い出を探さなければ。“(せつ)”がそんな気持ちに取り憑かれ始めたのは、拙が自分を失い始めた頃からのこと。

 

 

 ーーー

 

 イヌ科の動物とは人類にとって何者なるや?

 

 

 (イヌ)という生き物は人類が紡いできた歴史において人類と非常に近しい間柄にある。それは家畜として食用か、狩猟の補佐や支援を行う狩猟犬か、あるいは牧羊犬として他の家畜の管理を任せるものか、ペットという愛玩としての役割か。飼い主である存在がイヌを友や兄弟、親と認識することも珍しくない。それでも、イヌという存在を明確に定義するならば、イヌとは人類の進歩の最初の痕跡なのだ。

 

 

 太古の時代、人は野に住まう生き物を狩る狩猟者として生活を行なっていた。生き物を狩る、すなわち殺し肉や皮、毛などを生活に運用することを意味する。遠く時代が流れた現代では己の力で生物を狩り生きるということは思案すらなかろう。現代では生命活動を継続させるための狩りという行動は必要が無くなった。食料はその生物の命が奪われる姿を目にすることなく入手が可能となり、衣服は完成された品々が店頭に購買意欲を湧かせる文言(もんごん)とともに置かれている。

 

 狩りを行う者たちも少なからず存在しているだろうが、それらの人々は退屈な日常の飢えを満たす娯楽のためか、それとも本当に狩りを行わねば生存できないためかの二極化される。

 

 古き時代は狩りこそ日常であり生活の一環、日々の糧。そうした中から人はより効率の良い食料の調達に気づく。より効率化された食料調達とは自らの手で糧を育み生み出すこと。それは、それまであくまで狩りの対象、獲物でしかなかった他の生命と人類の共生の実現を意味している。

 

 他の生命の生存の許容、すなわち人類が自己を“他の生命の生存を己の意思で制御(コントロール)可能となった存在“と位置付けた事実を指し示し、人類が霊長の存在へ踏み込んだ証明。そう、人類は遥かなる時代より生命を制御しようとする高次元的な存在を目指していたのだ。

 

 

 

 

 ーーーー

 

 

 

 近代化の進むロンドン、その街並みに時間の流れから乖離したかのように煉瓦や石によって積み上げられた建築物が(そび)え立つ。それは魔術を志す者たちの学び舎、魔術世界に名高き時計塔。12世紀という当時の建物が近代の街並みと重なり独特の風景を織り成す。時計塔は、四十は優に超える学生たちの住居、カレッジと呼ばれる学生寮と時計塔そのものとさえ言える十二の学部にそれと(つら)なる学術科、時計塔の学生や講師などを対象とした商業地によって成立している。

 

 時計塔での日々は御伽噺(おとぎばなし)の魔法使いの学校のようなファンタジー溢れるものでこそあれ、死と恐怖、危険と脅威に満ちた魔術世界の中枢。決してお気楽な気分で生活できるような場所ではない。

 

 ーーー

 

「教授!見てくださいよ、これ!この前の動物科との合同研究の時に貰ったアングラ系の競売の目録、なんでも新宿で合成されたペット用キメラなんてのが載ってるんですよ!これはエルメロイ教室のみんなでワイワイしながら、日本へ行って花見とか秋葉原とか観光しながら見物に行くしかないですって!!」

 

「フラット、早急に口を閉じることを勧めておく。でないとそこの窓からその目録とやらと一緒に放り出すぞ。ご丁寧に観光などとバカ正直に本音を隠さず口走って、(てい)良く観光資金を現代魔術科から捻出しようとするつもりか?その目録だけで許すから、今すぐに窓の外に廃棄しろ」

 

 

 金髪の少年が奇妙奇天烈な動物群が載った本を振り回しながら跳ね回り、頭痛を抑えながら長髪の男性が不愉快そうな面持ちで一刀両断する。そこは時計塔のロードの一角が管理するエルメロイ教室。もっとも、ロードと言っても本人は頑なにII世と言い張るのだが。

 

「……待て、動物科との合同研究だと?なんだそれは私は聞いてないのだがな。一体、どんな厄介ごとを招いた、今ならまだレポートと課題を三日三晩徹夜する事で処理し切れる量に増やす程度で抑えておこう。早く言え、お前の起こす騒動は時間が経つにつれ面倒が乗数的に増えるのだから」

 

 

 明るく笑う金髪の少年、エルメロイ教室が恥ず天才的な問題児フラット・エスカルドスを、額に青筋を立てイライラが伝わってくるほどの恐ろしい面相で叱る長髪の男性。身綺麗な服装に手入れされた長髪、不機嫌そうな表情のこの男性こそロードと称されるエルメロイII世であり、かつて聖杯戦争を生き残った魔術師の一人なのである。

 

 ガチャリ、扉の開く音と共にフードを目深に被ったエルメロイII世の内弟子グレイが喧騒に満ちた部屋に入室する。部屋に入ったグレイはいつも通り不機嫌そうに怒っている師を見てからフラットに視線を流し、くるりと反転すると入ってきた扉から退室していった。

 

「あれ〜!?グレイちゃん?なんだか用事でもあったんじゃないの〜」

 

「待て、こいつの相手を私一人に押し付けるつもりか!?こいつの面倒を見ろとまでは言わんから、せめて戻って同席していてくれ!?」

 

 

 師匠の緊迫した声に足が引き止められそうになるが、ここで止まったならば間違いなく一日中フラットの相手をする羽目に。流石にそれは御免被りたいのだが……片手に持つ相棒を収納した檻が中から揺らされ始める。相方が何やら物申したがっているようだ。

 

「ヒッヒヒヒヒ!!なんだよグレイ、お前のモヤシセンセが泣きそうな声で呼んでるゼ?どうしたよ、今すぐに行って抱きしめてやれって!男ってのは傷ついてる時に優しくされたらイチコロなんだ。さっくり手軽に籠絡(ろうらく)できるぜぇ」

 

 

 相棒である檻の中の住人、アッドはこちらの精神の忍耐を振り切らせるようなセリフで煽りを入れてくる。若干、イラッときたグレイは黙ったまま檻を上下に振って相棒への折檻を行う。檻の住人は檻の格子に箱状の体をぶつけ豆鉄砲を食らった鳩のような絶叫を上げる。魔術世界の中枢たる魑魅魍魎(ちみもうりょう)跋扈(ばっこ)する時計塔の中でも異彩を放つ現代魔術科(ノーリッジ)は今日も平常運転を貫徹していた。

 

 

 

 

「近頃、噂されている現代に現れたジェヴォーダンの獣?」

 

「そうです、なんでもグラストンベリーの近辺で巨大な灰色の獣が現れたっていうらしいんですよ。何か新種の幻想種かって動物科が研究員を派遣したそうなんですけど、誰一人帰って来なかったって曰くのついた面白そうな話なんですよ〜。あまりにも多くの研究者やら魔術師が消えたんで今では高額な成功報酬が付いたらしいですし」

 

 フラットは心の底から楽しいと口ずさむように嬉々と口を綻ばせる。それと反対にエルメロイII世は怒りか、ストレスによるものなのかプルプルと拳を握り震えていた。それを遠巻きに眺めるグレイはアッドを収納した檻を床に置き、二人の口論を沈黙したまま見つめていた。

 

「はぁぁ、それで面白半分で首を突っ込んで動物科の連中を怒らせてきたと……んっ?まさかとは思うが、フラット。その獣の探索と諸々の隠匿、現代魔術科として受けたなんて言うまいな」

 

「ーーすっげぇ!なんで教授ってば、そんなにあっさりと真相を見破れるんですか!さっすが、時計塔の名講師、絶対領域マジシャン先生!」

 

「ファック!またぞろ厄介と面倒ごとを運んできたな!死んで来い、厄介と面倒と共に爆発四散しろ!私をストレスで忙殺でもするつもりなのかバカめ!」

 

 師であるエルメロイII世がブチ切れ、肩で息をする頃合いになった。グレイは紅茶を淹れ、部屋に置かれている茶菓子と一緒に二人に出し落ち着かせる。フラットは菓子を嬉しそうに食べ、師は背もたれに沈みカップの紅茶を嚥下する。

 

「師匠、ジェヴォーダンの獣とは?」

 

「……なんだ、ジェヴォーダンの獣について知らんのか?」

 

 グレイはコクリと首肯(しゅこう)し、師匠の対面のソファーに一度礼をしてから座る。その隣にフラットもワクワクとしながら、拝聴姿勢を取る。

 

「ジェヴォーダンの獣、いわゆる怪物幻想のお手本のような話だ。18世紀、フランスのジェヴォーダン地方に突如として人を襲う獣が現れた。その被害は100名にも及ぶほど、その時の獣害の恐怖が伝言ゲームみたく歪みに歪んで怪物の伝説になった……公式にはそうされている。が実際はなんて事のない半端ななりそこないの死徒くずれが狼を凶暴化させて人を襲わせ最終的に聖堂協会が始末したそうだ。ただ、その時は神秘の隠匿も杜撰な有様だったようで多少は世に情報が漏れた。最初は時計塔と聖堂協会で責任の所在を押し付け合うヒドい政治闘争があったらしいが、ジェヴォーダンの獣を題材とした小説や映画が出回ったおかげで真実は闇の中に消えジェヴォーダンの獣はフィクションという幻想に埋もれた訳だ」

 

 

「死徒がけしかけた狼……ですか。動物をそんな道具のように扱うなんて」

 

「ふむ……その発想は人間的だ。しかし魔術師の思考ではない。そもそもグレイ、狼や犬といったイヌ科の動物は人間にとってどんな存在か、分かるか?」

 

「?……ペットなどの家族にも等しい間柄だったり、警察犬や牧羊犬といった人と共生する存在だと思います。英国の(ことわざ)にもそんなものがあったような」

 

 

 どうにか回答したのはいいが、言葉の末尾で英国には犬に関連した諺があったことを思い出しながら口に出す。咄嗟だったためか内容は靄がかかったように思い浮かばないが口ごもるグレイを引き継ぐ形で師は弟子の言おうとしていた諺を語る。

 

 

「“子供が生まれたら子犬を飼うといい。子犬は赤子の良き守り手となるだろう。幼少期には子供の良き遊び相手となり少年期を迎えると子供の良き理解者になるだろう。そして子供が青年になった時、自らの死をもって子供に命の尊さを教える”。犬とは人間の歴史上、最古の家畜だ。古代、犬は生活から戦争と多岐にわたって人の側にいた。犬とは人間が狩猟民族から農耕、畜産などにシフトした要因とも言えるだろう。いわゆる人類の余裕の象徴なんだ。生物は自分や血族を生かすことで手一杯、他の異なる種の生き物を面倒見るなんて相当の余裕ある生活が求められる。その中でも犬は人にとって都合が良かった訳だ。優れた動体視力、嗅覚などの人の生活で有益なスキルを持っていたことなど、そして主人への絶対な忠誠心。初期のイヌ科の家畜は狼のようなものだったが、長い年月を重ねていくうちに現在の犬と呼ぶ種へと行き着いた。すなわち、人にとってより都合の良い形にな」

 

「師匠、それは……」

 

 師の穿ち過ぎた言葉に渋い顔をするグレイ、だがエルメロイII世は肘をついて話を続ける。

 

「勘違いしているようだが、これは互いにとっての最善な在り方なんだ。人は愛玩、警備、盲導、捜査などの専門性に優れた犬と共生ができ、犬は食住が満たされる。実際のところ、犬はその忠誠心から非常に多くの分野で活躍している。犬は他の動物と違い人とより近く様々な形の共存を実現しているだろう。牧羊犬という在り方がなければ、犬は人と争い絶滅の憂き目にあっていたかもしれない。人が世界最大数の動物となった以上、共生することが生存できる唯一の道だったのだ」

 

「それでは犬にとってもはや野生という生存圏は存在しないのでしょうか?」

 

 

「今のご時世で野生の獣が現れればそれだけで一大事だからな。かつては互いを相互に補完する間柄だった犬と人も今では変わり果てた。人は傲慢となり命への関わり方を見失った。犬を飼うというのは犬を飼育することであっても犬の上に立つことが全てではない。無論、ある程度の躾けは要するが飼育することで犬よりも偉いなんて感じるのは人の傲慢からくる錯覚に過ぎん。人は犬を飼うことで人では出来ない、見つけられない何かを得るため、犬は自身の食住を得て人に恩義を返すため。互いの必要とするものを補完することが正しい命との関わり方なのだ。人は外部から他の生命を観測することで自身の生命活動を確認する。犬とは最古の家畜であり視認可能な生命の雛形(モデル)と考えられるだろう」

 

 

 自論を展開して不機嫌そうに現代魔術科の若きロードは窓の外へ目線を送った。それは変わり果てた人と犬の関係性を憂いてのことか、それともフラットが発端となった“謎の獣”に関する面倒をどう始末しようと考えているのか。グレイはいつも通り不機嫌な師の対面のソファーで想いを馳せる。犬、昔は拙も飼っていたような覚えが。

 

 それは確か……灰色で……とても(おお)きくてーーーー犬についての思考が不意に切断される。まるでそれ以上はまだ早いというかのように。アッドは思考に空白が生まれたグレイを静かに確かめるように箱型の体から観察する。

 

 

 

「んっ?でも教授、犬とかって魔術や神話系だと悪者だったり不幸の前触れみたいな扱いされたりもしますけど?その辺は詳しく説明すると、どういうことなんですか」

 

 大人しく黙っていたフラットは珍しくまともな質問を行った。エルメロイII世、グレイは少し目を見張るが、グレイはこれが通常ならいいのにと息を吐き、エルメロイII世は嫌な予感を背筋に感じながら犬と関連する魔術の話を語り出す。

 

「不幸を呼ぶ動物、幸運を引き寄せる動物、多くの神話や魔術でも珍しくない内容だ。一部の地域では犬は幸運の象徴で猫は不吉の象徴ということがある。しかし、ほんの少し距離をおいた地域ではそれとは全く逆の状態である場合が存在する。中世ヨーロッパでは猫は魔女の使い魔として忌み嫌われ、犬は猫を追い払う獣として重用された。それと反対にイスラム圏内での犬は聖書に不浄の生き物と書かれているために邪悪な獣の烙印を押されている。分かるか?人間は都合の良い面や自分の見た面しか視界に入れない近視眼的な思考で生きている。あいつが見れば聖なる存在、こいつが見れば悪魔の手先、つまるところ、不運や幸運などの枕詞は犬という存在の一側面を切り取って過大に表現しただけに過ぎないんだよ。悪や善、中庸といった全ての本質をありのまま受け入れられる人間なんて、英雄か聖人くらいなものだ」

 

 

 師は犬に関する陳述の区切りのところで一息ついて、葉巻に手を伸ばそうとする。その動きは部屋のドアの開閉音によって中断された。グレイに次いで入室してきた少女、名義上ではエルメロイII世の義妹に当たるライネスが現れたのだ。

 

「ふむ、歓談の最中らしいが失礼するよ。事前に連絡も入れられず、すまないね。兄上」

 

 にっこりと普段の彼女からは考えられもしない気遣いの言葉と謝罪を聞き、エルメロイII世は顔に手を当て世の不条理と自分の不運を嘆く。この状況でエルメロイの姫君・ライネスが現れたのだ、ほぼ確実に過労死レベルの厄介ごとの処理に駆り出されることを確信する。

 

 

「それで、君が来たからには何の揉め事に私は駆り出される?他の学科との交渉か、また問題児を押し付けられるのか。何でもいいが早くしてくれ、フラットの持ち込んだ厄介ごととどっちが面倒かを判断した後、より困難な方に片をつける」

 

「おや、そこは楽な方からではないのかな。兄上」

 

「先に面倒な案件を始末して楽な案件に手を回す方が幾分か気が楽になるのでね」

 

 ライネスに遅れて彼女の魔術礼装であるトリムマウも部屋に入ってくる。エルメロイII世は頭に鈍痛を感じ始めた。絶対に過労死一歩手前になる案件だと検討を付けて、彼は葉巻を手に取った。

 

 

「なに、そう警戒するもんじゃあない。これは単なるフィールドワークだよ。まぁ、まさかフラットが私に先んじて情報をキャッチしていたのは驚いたが……」

 

「先んじて……ということは先ほど出た現代のジェオヴォーダンの獣に関する調査か?」

 

「そうだ、この案件で動物科の名の知れた当主たちがグラストンベリーで消息を絶った。その当主、もしくは魔術刻印の回収と獣の正体について調査依頼を請け負った。我が兄よ、この案件はいくつかの動物科の家々に恩を売れるだけではなくエルメロイの膨大な借金のおよそ三割弱を返済できる膨大な報酬付きの依頼だ。勝ち取るのに苦労したのだが、義妹の心遣いを受け取ってもらえるかな?」

 

「クッソ、選択肢があるように見えて一択しかない強制ルートじゃないか!“YES”か、“はい”しかない選択肢とか選ばせる気ゼロだな!?」

 

 長髪を混乱気味にかき回し、青年は手にとっていた吸ってもいない葉巻をゴミ箱の底に叩きつける。そこで床に捨てたり窓から放り出したりしない辺り、妙な育ちの良さというか良識があると褒めるのが妥当なのか。エルメロイII世を預かる身としては、いきなりエルメロイの莫大な借金を三割減らせる手段がある以上、この調査に関わるほかあるまい。フラットは同行したいと手を挙げていたがエルメロイII世は鈍器として扱えば確実に二、三人は息の根を止められる分厚さの課題を出して追い払う。

 

 

 エルメロイII世は調査に必要なものを頭の中でリストアップし、ライネスは動物科の依頼を出した講師連中と交渉し報酬を少しでも上げるための策謀を巡らす。部屋で手持ち無沙汰になったグレイ、彼女は今回の調査に赴く先がグラストンベリーと聞いて、一歩腰が引けていた。グラストンベリーには“あの王”の墓がある。自分という霊媒的に感応性の高い存在がそこに行くことは危険だ。

 

 

 ……けれど、拙は師匠を守りたい。ーーーーーそれになぜだろう、果たさなければいけない約束があるという思いが頭から離れない。そんな難しく思考するグレイに対し、静かに立っていたトリムマウは肩を叩いて呼びかける。トリムマウが自発的に行動したことにエルメロイII性とライネスも釣られてグレイとトリムマウの方を見てしまった。そんな自分の主人とその兄に注目されていることを気にせず、トリムマウはグレイを励まそうと自己の記憶領域にある言語を音声として発した。

 

Don't Think. Feel(考えるな 感じろ)

 

 親指を立て心なしかドヤ顔をしている自分の魔術礼装を見て、ライネスは頭を抱える。また、どこかの問題児がトリムマウに妙な映画でも見せたのかと予想し、苦笑いをしながら義兄にグラストンベリーでの調査結果を待つと言い残し部屋を出ていく。

 

 

 ライネスの退室を見てから、エルメロイII世は自分の教室の誰かに調査の同行を頼もうかと考え出す。普段の非常時に連れ出しているグレイも今回の調査先であるグラストンベリーへの同行は断るだろう。仕方がないが、フラットやスヴィンにでも……

 

「師匠、少し良いですか?」

 

「なんだ、これから慌ただしいことになるから簡潔に頼む」

 

 

 グレイが改まって自分に何かをいうとは珍しいことがあった。そう、思いつつ内弟子の言うこと、多少の便宜は図ろうと彼はグレイに話の内容を聞こうとする。グレイの言ったことはこれまでの彼女では考えられない、少々想定していたよりも意外なことだった。

 

 グレイの珍しいお願い……それは。

 

 

 

「……はい、それではどうか拙を今回の調査に同行させてはいただけませんか?」

 

 

 

 

 

 

 グラストンベリー、近郊の一角。動物科の計らいで乗ってきた車を降りて二人がグラストンベリーの地に立つ。グラストンベリー、そこはアリマタヤのヨセフ、聖杯やアーサー王伝説などの多くの伝承を残している。しかし、それらの信憑性には疑いの余地があるというのが通説だ。実際、先の第四次聖杯戦争においてアーサー王の召喚触媒はコーンウォールで発掘されたという。グラストンベリーにアーサー王伝説が残されているのは事実だが、そこまで過敏にならなくとも良いのではと少女は前を向く。

 

「グレイ、一応先に口にしておくが……体、精神、なんらかの不調があればすぐに伝えるようにしろ。此処がどのような影響を君に与えるのか、まだ未知数だからな」

 

「分かりました。でも、そこまで拙を心配していただかなくとも」

 

「フン、単に荷物を持つ人手がいなくなるのが困るだけだ。自慢じゃないが、私の腕で荷物を持って移動するとなれば調査どころではないからな」

 

「……以前にも聞きましたが、本当に自慢ではないですね」

 

 

 気心の知れた間柄らしく雑談をしながら、途中で疲れてしばしば休みを入れた師と共にグレイは最初の目的地である動物科の調査員たちの消えた調査拠点に着いた。

 

「そういえば、師匠たちの話を聞いて疑問に思ったのですが、なぜ一地方の調査のためにわざわざ、動物科の家の当主たちが来たのですか?代理人にでも任せて置けばよかったのでは?」

 

 グレイのもっともな質問を、周囲に散乱した調査機材であるライトやフラスコ、魔術礼装をどかして座る場所を確保した師は葉巻を取り出しながら説明を行う。

 

「確かにその考えは当然のものだ。普通の一般的なインドア系の魔術師ならな。しかし、動物科の魔術師はフィールドワークを研究の一環に加えている。そもそも動物科の魔術師は、動物という自分以外の命を外部から観測し、そこから根源へと到達することを目指している。強力な命という媒体を通すことで根源という超次元的な存在を観測しようというのが動物科の根源へのアプローチ方法なんだ。当然、通常の獣などでは、そういった根源への到達実験には適さない。となると、根源を認識できるほどの尋常ではない人ならざる生命力を持つ存在、例えば千年クラスの神秘を内包した幻想種なんて動物科からすれば命を差し出しても惜しくない存在のはずだ。そうした幻想種の発見に血道を挙げている動物科は、信憑性の高い幻想種発見の情報の一つにバカみたいな大金を注ぎ込む。今回、いくつかの家の当主たちが現地入りしたというのも、よほど確かな根拠のある情報だったからなのか。それとも当主同士で競争相手を始末して……このザマになったのか」

 

 

 魔術師の業の深さ、不条理さ、無意味さ、そして極め付けの愚かさを熟知しているエルメロイII世は、この事件の真実が下らない仲違いによるものでないことを切に祈る。何故ならば、その場合に動物科の家から報酬が捻出されるかが確実ではなくなるためと、そんな馬鹿げた騒動に駆り出される自分の滑稽さを感じたくないがために。

 

 

 ウォォォォン、遙かな彼方より風鳴りのような咆哮のような音が流れてくるのをグレイは聞き取る。それは隣にいた師匠とて同じ、確実に人ならざる存在が発した咆哮を聞いた二人はその音のした方角に何があるのかを知っていた。グラストンベリーに存在する最大の観光名所、英国における最古の宗教的建造物。

 

 

「グレイ、この先に何があるのか分かっているか?」

 

 

「はい、師匠。先の咆哮のした方角は……英国で最も深い歴史を持つ宗教遺跡、そしてある王の墓所でもある場所。この先にあるのは………………グラストンベリー修道院」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でなんだよ、結局は調査やらは明日に持ち越しってわけか?ビビってるねぇぇどぅぇぇ!!」

 

 

 夜中、無事だった動物科の拠点に放置されていたテントや野外用のテーブルなどで一晩を過ごし、空けてから修道院へ赴くことにしたエルメロイII世、グレイ、あとアッド。アッドは調査が慎重過ぎないかと揶揄うわけだが、それを不機嫌MAXな顔でエルメロイII世が檻をブン回してアッドを強制的に黙らせた。実際、日が暮れてそんな状況で危険地帯にホイホイ足を踏みしめるわけにもいくまい。現代に現れたジェヴォーダンの獣、その正体について彼は今、この瞬間も思索を続ける。

 

 

 自分がもっと調査や探索などの魔術に長けていたなら、此処からグラストンベリー修道院を調査できたものを。使い魔を送り込んで修道院を見た結果、どうやら修道院近辺の異界化が進行しているらしい。そのせいで使い魔は不意に自壊してしまい帰還せずときた。

 

 

「師匠、そろそろ明日に備えて就寝しましょう。現状、此処でやるべきことはないわけですし、明日に改めて修道院へ調査に行くべきでは」

 

 

 グレイの言い分はもっともであり、エルメロイII世は元は動物科関係者の仮眠用と思われるテントに入ろうとする。そして、グレイはもう一つのテントから出て、焚き火の始末をしようとバケツを掴んだ。バケツの水で火を消そうと動こうとすると、焚き火の前に誰かがいた。

 

 

 真っ白なローブを纏っており顔はフードで見えないのだが、なんというか後ろ姿だけだが非常に雰囲気が軽薄な気がしてならない。自分はこの男性と“会ったこと”すらないのに、何故にこんな感慨を持ってしまうのか?いや、それどころではない。此処は師匠の人払いの結界が貼られている。それを抜けてくる以上、ただの一般人と考えるのは難しいだろう。とにかく、拙は師匠の側へ。

 

 

 グレイ、エルメロイII世は白いローブの男性の僅かな動きも見逃さないように警戒する。

 

「グレイ、こんな夜中にすまんが荒事になった時は頼んだ」

 

「はい、師匠は拙が守ります」

 

 

 白いローブの男がゆっくりと立ち上がる。それに合わせて、男の足元に花が咲き始めた。これは何らかの魔術かと二つは口元を抑えて距離を取ろうとする、のだが。

 

 

「あぁ、いやいや、そこまで警戒しなくても良くないかい?私はちっとも怪しくないし、いたって平和的かつ温厚な優しいお兄さんだよ?」

 

 

 その説明は無理がある気がする。この状況で自分は無害などと言える精神の図太さは凄いが、そんな言葉を信用できないのが魔術師の世界。とにかく、捕獲だけでもしようとグレイが踏み出すと。男は一瞬で自分の目の前に出現していた。瞬間移動、いや自分の直感ではこれは幻術の類い……

 

 

 まったく、相変わらずいたずらが好きな老人だ。昔から少しも変わっていないことにグレイは頭を痛め……思考にノイズが入る。今の思考はなんだ。拙はこの男性を知らない、会ったこともない。突如として生じた記憶の齟齬が脳内を激しく混乱させる。

 

 なのに何故にこのような感想を?それにこんな若い青年の姿なのに、老人と呼んだのは一体?

 

「失礼だが、貴方は何者なのかね?こんな状況で意味ありげに出てきたんだ。正直、今回の調査やら報告やらで私の胃は限界なので、言いたいことがあるなら早急に済ませてくれ。特に何もせず、謎だけを残していくというのなら、黙ってお引き取り願おう」

 

「ウハハッハハハハ!おい、やるじゃねーの先生よぉ。そうだ、そうとも、こんなクソ詐欺師の与太話なんざさっさと放って寝ちまうのがいいのさ。まぁ、夢にまで出て執念深くダラダラ長話を聞く羽目になるだろうが、夢なだけマシってもんだ。なんせ、起きちまえば忘れる泡沫だからな!」

 

 

「……む〜、おかしいな。ここまで警戒されて冷たくされるとは。いや、擬似人格とはいえハッチャケ過ぎじゃないか?私の前でそんなハイテンションだった彼の記憶は無いんだが」

 

 白のフードを被ったローブの男性は首を捻って、仕方なさそうにグレイの方に体を向ける。

 

「遥かな時を越えて生まれた王の影法師よ。君には色々と謝罪しなくてはね。いや、まぁ私だけでなくご先祖とも言える隻腕の騎士も君という存在を待ち望んでいたわけだが」

 

 

「ハッ!よく言いやがるな、クソ野郎。純粋無垢なあいつをテメェの話術で騙くらかしたんだろうが。このクソ詐欺師め、なんで此処にいやがるんだ。世界の終わりまで塔に引きこもってるんじゃなかったのかよ」

 

 アッドが箱状の体を揺らし、鋭く白いローブの男性に追求を行う。そして、グレイとエルメロイII世はこの会話から、白いローブの男性の正体を理解する。塔に引きこもる、いや閉じ込められたという伝承だろうが、そのような逸話の持ち主はアーサー王伝説の伝承の中で一人だけが該当する。曰く、キングメーカーと称される騎士王に仕えた宮廷魔術師。

 

 

 その魔術師の名は、マーリン。人と幻想種の間に生まれた半人半魔の花の魔術師。遥かな過去からの訪問者に、グレイたちは戸惑いを隠せない。

 

 

「無論、体は塔の中にいるままだ。これは単なる幻術を此処に映しているだけさ。ああ、話がズレてしまったな。では、気を取り直して。……グレイ、君がかつてのブリテンに存在した騎士の王、彼女に似ているのは世界の楔たる聖なる槍の担い手となるを期待してーーーーーーではない」

 

 

 ーーーー?彼は何を言っているのだろう。その言葉が真実であるなら、何故に拙は騎士王の生き写しとなったのか?聖槍を扱う存在へと昇華することが、かつての拙の親類や血族たちの悲願だったのでは無いのか?それが違うのならば、拙はどうして白、黒のはっきりした存在ではなく白でも黒でもないグレイ(どっちつかず)になったのだろう。

 

 

「白でも黒でもない(グレイ)だからこそできることもある。君に求めるのは、ただ一つ。かつての約束を果たして欲しいからだ。()にも(英霊)にも成りきることなく、(アッシュ)としてこの世界に彼は留まり続けている。既に去った主人を待ち続け、燃えぬ薪として世界の片隅にいる彼と彼女の約束を完了させてくれ。それが私と騎士(ベディヴィエール)の願い、この願いは断ってくれても構わない。これは君個人は何の関係もないことだろう、でも頼んだよ。おっと、そろそろ時間かな?それじゃあ、私はこの辺りで舞台から降りるとしよう。……”ボク“は信じているよ、君たちが織りなす結末が幸福と喜びに満ちていることをーーーー」

 

 

 マーリンはそれだけを言い残すと、まるで砂漠の蜃気楼のように影も形もなく消えていく。残されたのは、拙と師匠の二人だけ。まるで白昼夢を見ていたような混乱した気分になる。

 

 

 修道院……思わず、その方角を見てしまう拙に師匠は苦い顔をして葉巻を吸う。

 

 

「し、師匠。拙は、拙は……」

 

「……正直なところ、あんな不審人物の話術に嵌められて思い通りに動くのは危険極まりない。もし、修道院にまで行って、そこに待つのが特大の厄ネタだったら目も当てられない。しかも、これは騎士王がらみの話である以上、君が君という存在を無くす可能性もあるだろう。……それでも決めるのは君だ。君だけだ」

 

 決めるのは拙?…………騎士王に関連する事柄に関わるということ、それが自己の消失を招く恐れを抱かせる。しかし、決断を行うのなら……

 

「拙は……行ってきます。行かなくてはならないと、自分自身で覚悟を決めました」

 

「……そうか、なら少し待て。修道院に行くならば周到な準備が必要だ」

 

 師匠の気持ちは嬉しい、けれど……

 

「いえ、師匠。グラストンベリー修道院には一人で行ってきます。直感ですが、きっと修道院には恐ろしいものが待ち構えているでしょう。きっと、拙だけでは師匠を守りきれない。だから、お願いします。必ず帰りますから、此処で……待っていてください」

 

 そう、待っている。約束して約束を交わした相手と出会いを待つことを続けるのが、どれほど難しいのか。待つためには約束を信じること、そして約束の成就を望み待つことが求められる。待ち続けるために相手を信じるか、いやもしかしたら、修道院に待つ何者かは信じてもいないのかもしれない。信じているから待つのではなく、ただ待つことが信じることの証となることを決めたのだ。

 

 

「……そうか、ならば早く帰ってこい。遅くなるようなら置いて行く。だから、必ず帰って来い」

 

「はい……では師匠、行ってきます。」

 

 

 拙は師匠のテントを後にする。修道院に向け、足を懸命に動かす。走れ、走れ、一歩でも早く更に向こうへ。向こうの先に、アッドの入った檻を小脇に抱えて修道院に向かっていく。

 

 

 修道院の手前にまで到着をしようと言うところ、拙は急停止のためにブレーキをかける。この急制動によって、靴底が磨り減る。拙の停止した先、そこには尖った形状をした兜と外套を纏う亡霊のような姿の騎士たちが並び立っていた。直剣と短剣を持ち、直剣を前方に構え短剣を肩に置くように姿勢を取った。あれは、マズい。今の拙ではあの騎士たちには敵わない。

 

 

 聖槍の発動をするには時間が足りない。

 

 ならば、どうするのかと思わずアッドに視線が向いてしまう。

 

 

「……へっ、心配はいらねぇよ。あいつらは監視者だ、この先にいるヤツに着いて回るだけの幽鬼どもだ。それにグレイ、お前なら心配は必要ねぇから早く行け」

 

 

 アッドの声を知ってか、知らずか、亡霊の騎士たちは隊列を分け道を作った。

 

 まるで割れた海を渡る預言者の伝説のごとく、騎士たちは隊列を分け修道院までの道となる。グレイは数秒、迷いそして修道院に向かって駆けて行く。

 

 走る最中、拙はアッドの口数が少なくなっていることに気づく。まるで、この先に待つ相手を知っているかのような沈黙。拙はアッドに沈黙の理由、そしてこの先に待つ相手のことを聞こうとして、拙の視界が一転する。そこには夜中の修道院までの道のりではなく見渡す限りの草原。

 

 

 辺りを見回すと、近くに金髪の少女が立っている。拙が彼女に向かって手を伸ばそうとすると、少女はこちらに振り向いた。金髪の少女は、驚くべきことに拙と顔が全くの同一、いや拙が酷似し同一なのか?

 

 

 彼女は笑っていた。優しそうに穏やかに微笑む姿を、綺麗なものだと感じる。

 

 

「ーーーー頼みます。私の友を、友と交わした約束を。その全てを頼みます」

 

 

 彼女の独白の後、気がつくと拙はグラストンベリー修道院に到着していた。騎士王の墓所は目と鼻の先。そこに向かっていこうとすると、墓所の隣には巨大な大剣が鎮座している。その剣を見て思考が燃え上がった。灰色のーー、王に仕える忠実なーーーー、騎士王の支えとなったーー、大事なことが思い出せない。記憶が所々、剥離して失われているという実感に恐れが起きる。

 

 

「誰だ……大事な存在、忘れたくない存在、忘れてはいけない存在、思い出さなくてはいけない存在、拙は何で……思い出さなきゃいけないのに……誰なんですか、名前は!」

 

 

 グレイの悲しみを込めた涙の哀哭に呼応するように、修道院内に遠吠えが響く。大気が焼け焦がれ、火の粉がまるで雪のように降り始めた。

 

 

「アッド!」

 

 

 箱型の魔術礼装が担い手の意思に応じて形状をキューブから死神の鎌(グリム・リーパー)へと変形する。鎌を構えて周辺警戒に神経を注いだグレイは、数秒の索敵によって騎士王の墓の後方に尋常ならざる怪物の気配を感じ取る。あれは死者すら殺戮するだろう、あれは生者を灰燼に帰すだろう。あれこそはブリテンにかつて存在した極大の幻想。至上にして究極の一。

 

 

 いわゆる異星よりの来訪者、他の天体から降り立った恐るべき捕食者(プレデター)。神秘も幻想も、あれの前では紙風船ほどの強度も保てまい。あの灰色の怪物(アッシュ)からすれば全ては容易に空想と妄想に朽ち果て、世界から完全に絶滅するだろう。それは死という絶対的な終わりよりも恐ろしい終焉に違いない。

 

 

 (アッシュ)、煌々と燃える火でなければ、火を燃え続けさせる薪でもない。あれは正しく(アッシュ)である、燃え尽き崩れて風に流され散っていく灰。ブリテンの繁栄と衰退を見つめ、多くの騎士や主人さえも喪った中で永劫に訪れることのない待ち人を待ち続ける殉教者。

 

 

 騎士王の墓の後ろから緩慢な動きで、灰色の怪物がその全貌を見せる。それは狼だった。人間と比べるよりは重機や建築と比べる方がわかりやすいくらいの巨躯。灰色の毛並みに透き通るような純粋な眼光。しかし、あの巨狼の周囲には火の粉が舞い、篝火のような明るさを放っている。

 

 

 拙が鎌を持つ手の力を抜いて近くへ迫ろうと試みる。灰色の巨狼は静謐に佇んだまま、拙を見つめている。その瞳からは野を駆ける動物の警戒心は見受けられない。かといって、外敵に対して無防備ということでもない。(アッシュ)とグレイが接触する。グレイは巨狼の首筋を恐る恐る割れ物にでも触れるかのように軽く触る。

 

 

 火の粉を発する巨狼に触れるが火傷をするような温度はなく、暖かな篝火のように感じる。触れた瞬間、この灰の中に込められた情報が拙の魂へ流入する。それは拙が騎士王に近すぎるが故に起きたことか、はたまた狼型の異界に触れたことで拙の担う聖槍が想起されたのか。

 

 朧げな断片であれ、情報は獲得された。

 

 

 この灰色の巨狼は、信じられないことに生命でありながら独立した一個の世界として確立されている。しかも、その世界は既存の世界や異星といった世界ではなく、これまでに類を見ない異界。いや、この異界は果ての果て、人の世界の規範たる人理が焼却、破却された時に人の世に生きとし生きる者を全て焚べる、暗黒の火の時代を呼び起こす。

 

 

 狼という形に惑わされたが、これは化け物という(くく)りですら、認識が甘い。幻想種?吸血鬼?英霊?獣?どれも危険でこそあれ、この巨狼はその意思一つで人理を滅ぼしうる。

 

 

 神、悪魔、災害よりも、この“ーーーー”は恐ろしい。

 

 

 拙は背中を向け、臆面なく逃げようと覚悟を決める。これは拙、一人の手に余る。例え、なんと言われてもこれほど異質な存在と対峙し続けては心が精神が摩滅しかねない。

 

 

 冷や汗が止まらず、背筋が凍りついたような時、狼は優しい瞳で拙を見据えていた。それは懐かしむように、慈しむように、癒すように。拙は足の力が抜け膝をつく。

 

 

 涙が止まらない、何故!?拙はこの狼を知らない、知っていてもそれは騎士王という別の誰かの思い出でしかない。此処で一思いに後ろを向いて去れば、この物語は約束は終わる。もう二度と拙の前に立ちふさがることはないだろう。

 

 なのに、何故動かない!?

 

 

 ある場面が見えた。

 

 灰色の巨躯の狼が咆哮を轟かせている。その透き通った双眸からは大粒の涙を流して……そうか、これが騎士王の約束とただ一つの心残り。

 

 

 王は選定の剣を抜いた時、“笑っている誰かがいた”だから間違いではないと言葉にしていた。でも、それだけではなかったんだ。涙する誰か(巨狼)もいた。それが唯一、王の犯した間違いであり誓いだったのだ。約束する、友よ。待っていてください、いつか騎士王の系譜が貴方に追いつく。

 

 

 その時、貴方の名を呼びましょう。

 

 私が貴方に初めて出会い、そして呼ぶことになった約束の名を。

 

 

 金髪の少女は、拙の後ろに立ち困ったように微笑んでいた。私事に此処まで巻き込んでしまい申し訳ない、というように。騎士王、いや既に王としての責務を果たした少女は拙に告げる。

 

「……無理に付き合う必要はないのです。此処で立ち去る権利も貴女は持っている。しかし、願わくば、彼の名を呼び、彼を救ってください。それがアーサー(騎士の王)ではなくアルトリア(ただの少女)となった私の願う真実……」

 

 

 

 

 

 ………………………………

 

 拙を育てた親類は聖槍と騎士王の再来を待ち焦がれていた。全ては王と交わした誓いのために。拙の血族たちはいつだって、誓いを果たすというたった一つの道を進んできた。いつだろうと真っ直ぐに愚直なまで最短の道を突き進んできた。けれど、いつのまにか誓いを交わした意味とそこに込められた尊い思いは失われ、最短の道は最大の遠回りとなり、願いの成就はもはや不可能に近いものとなっていた。けれど、拙という一人が、誓いの場所に相手の元に辿り着いた。

 

 

 無限とも愚かとも思えるような遠回りを重ね、拙は此処に至った。

 

「……此処まで遠回りをしてきた。けれど、遠回りこそが拙たちの最短の道だった。遠回りこそが王と彼の約束へ至るための近道だった!」

 

 

 

 

 

 

 グレイと呼ばれた少女は狼の首元に手を当て、慈愛の笑みをもって巨狼を抱きとめる。後ろにいたアルトリアという少女はもう影も形もない。けど、彼女の思いとその願いはグレイの胸を焦がしていた。この出会いこそ、王とその王の最期を看取った騎士の願いの果て。

 

 

 拙と同じ色をした髪の女性とも見紛うほどの造形美をした騎士の姿が見えた。彼もまた、罪悪感を浮かべた笑みをこぼし、それでもなお、誓いの成就を願っていた。

 

 

 そう、物語のエンドマークは此処でつけなくてはならない。

 

 でも、これが終わりではないのだ。“アルトリア”と“ーーーー”の物語は遥かなる理想郷の再会に。

 

 

 それでは、名を告げよう。果たされなかった誓いを果たし、彼を主人の元へ導くために。

 

 

 

 

「……貴方の名前は」

 

 

 




タイトル回収コーナー


「…………いや、だから俺の名前はシフね」





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番外編二話

番外編第二弾。
ごちゃごちゃとした話ですが、要するにいつものです。
ワンパターン?いいや違うね、天丼だね!



 この世界の終焉の果てに、火の時代は訪れ死は世界から忘却される。

 

 その果ての世界はこれまでの世界とは異なる異界なり。希望と呼べる願いは消え、暗き魂が人々を照らす篝火となる。幾億もの命と願望の集積されし人理は灰燼と帰す。その前に絶望を焚べよ。光すら届かなくなり闇さえ失われてしまう、その前に。

 

 人類史、いや地球という巨大過ぎる命は、いずれ訪れる宇宙の熱的死に巻き込まれる形で開闢以前の無へと消えていく。本来であるならば、その先の未来を知ることは例え創世の神代を統べた英雄の王でさえ不可能である。開闢以前の無、それは意味や概念さえ存在せず無という認識さえ観測できない暗黒の世界。

 

 しかし、その暗黒の世界が如何なる理由かを鑑みることはできないが、人理世界に出現している。カヴァスと呼ばれる形、いや本人には別の呼んでもらいたい名があるわけなのだが。タイムパラドックスという次元ではない、前提条件として人理世界が滅んでからでなければ観測さえ出来ないような異界が狼という生物の形状を持って人理世界に現出しているのだ。

 

 

 それが果たして、どのような意味を持つのか。それは誰にも理解されることはない。無論、狼自体も理解しようとはしない。何故なら、そんな難しいことを考えられるような器があれば、こんな始末になっていないだろう。願いは一つ、その願いが人理世界で叶えられることは、きっと無い。

 

 

 何故なら、それが叶うときこそーーーー

 

 

 

 

 

 

 火が燃え盛っている、意識は不明瞭だが目の前には焚き火が燃えているのだけが朧げに認識できる。いや、この焚き火は俺を導く篝火なのか。その火は命を焚べて、死を灰とする異界の法則から成り立つ火焔。この篝火こそが人類から不死を焼却するだろう。

 

 

 ……だが、それは違う。それは俺が求める願望ではない。

 

 

 俺が求めるのは、もう誰も喪われずただ暖かくありふれた平穏の世界。この篝火は人から死を奪いこそするだろう。そして死を忘却した命は暗き魂として焚べられ灰と化す。

 

 

 そう、だから私にはこの篝火の導きは不要です。既に進むべき道を己の手で切り拓く覚悟を決めた。覚悟とは貫き通すこと、それが例え間違っていようと果てが無意味と断じられたとしても、その全てをひっくるめて受け止め貫き通す。それが“覚悟”を決めたということだ。

 

 

 ……この“天草四郎時貞”には夢がある!

 

 

 

 暗黒に彩られた世界に亀裂が走り黄金の風が吹き込む。それは少年の覚悟と誇り高き夢に対する賞賛とも賛美とも取れる現象。少年は暗闇の中の篝火から背を向け黄金の光と風が吹き荒ぶ方向へと足を進める。少年が背を向けた方には篝火に照らされた灰色の巨大な四足の怪物が眼を細めて今、この場を後にした少年の背中を見つめていた。

 

 

 意識が目覚める。それに伴い夢に対する記憶は泡のごとく消えていった。

 

 重い瞼が開かれ、少年はベッドから身を起こす。元は黒かった髪は白く灰と化したかのような白い髪、それに反するような褐色の肌。かつて、島原と呼ばれる地の地獄を越えた少年はようやく願いを叶える舞台へと辿り着いた。彼は寝室を出て、洗面所にて軽く顔を洗い教会の食堂で朝食を神への感謝と共に口にする。これより彼が赴くは七対七、総勢十四騎もの歴史に名を残した英霊が覇を競い、万能の願望機たる聖杯へ願いを託す聖杯大戦。前回の聖杯戦争では、辛くも願いを聖杯に託すまでには届かなかった。

 

 

 しかし、これからルーマニアで対峙するユグドミレニアと自分の願い、どちらが願いを叶えるのかを決する時が来る。シギショアラの教会で既に五人のマスターを欺き、アサシンの洗脳によってサーヴァントは確保した。次に訪れるマスターは、最後にして最優たるセイバークラス。これまでのようにマスターやサーヴァントを手中に出来るかは分からず、無理に捉えようとしてセイバーのサーヴァントと敵対し痛い目を見る恐れがあるなら、大人しくセイバーとそのマスターは黒の陣営と好きにさせるのがいいだろう。

 

 

 ラフなシャツのまま、寝室を出たシロウを待っていたのは闇夜のごとき黒のドレスを纏う退廃的な美女だった。彼女はアサシン、シロウが呼んだサーヴァントであり此度の聖杯大戦の鬼札となる存在。赤の陣営が一騎、赤のアサシンたるアッシリアの女帝、セミラミス。ここではアサシンと呼称するが、彼女は鷹揚にマスターを眺めながら揶揄うように言葉を投げる。

 

 

「ほう、早いなシロウ。最後のマスターが教会に来るまで時間はまだあるぞ?」

 

 マスターに対し、女主人のような上からの発言を行うアサシン。主従が逆転しているような現状だが、これはマスターが認めサーヴァントが許容する間柄。両者は互いを尊重しこれはこれで良好な関係であるのだ。

 

 セイバーのマスターが訪れるのは朝の九時頃。現在は朝の五時前後。およそ三、四時間ほど空いてしまっている。しかし、シロウは穏当な口調で最後のマスターへの対応について説明する。

 

「これでも神に尽くすことを誓った身ですから、惰眠を貪るような怠慢は神父として禁ずべき行為でしょう。それに最後のサーヴァントであるセイバーを呼び出したマスターは無理にこちらに引き込む気はありませんから。他の五騎を掌中に納めたのであれば無理にセイバーのマスターに手を出すリスクは避けたほうがいい」

 

 

「全く、慎重すぎるのではないか?これまでのマスターは容易に謀り切ったのだ。どうせなら、六騎目も手に入れてしまうのも一興だ。いくら、最優のサーヴァントを有するマスターと言えど、五騎のサーヴァントを以ってすれば恐るるに足りぬだろう?」

 

 

「だからこそですよ、現段階で敵に回っていない相手に手を出し痛い目を見るのは少々困ります。一応、黒の陣営と対峙する同胞なのですから。セイバーのマスターを手に入れられるに越したことはありませんが、無理をすべき時でも無いでしょう。今の時点で我が陣営は十二分の戦力を確保できているのです。赤のセイバー、一騎だけなら無理に手は出さないでおきます」

 

「五騎のサーヴァント……か。だが、実際の話では制御できるのは四騎であろうが。まぁ、あのクラスのサーヴァントに制御というのは酷な話ではある。赤のバーサーカーは、どう運用するのだ?いや、そもそも“あれ”は本当にサーヴァントなのか……」

 

「サーヴァント、英霊とは人類史に刻まれた境界記録帯(ゴーストライナー)。そのため、ああいった存在が英霊として召喚に応じるというのは予想外でした。よほど、杜撰な召喚式を構築したか、イレギュラーによる召喚でしょう」

 

 

 そう、赤の陣営では獣の姿をとるサーヴァントが召喚されている。元々のマスターが意図してバーサーカーを召喚することを選択したかは別として、あれは真名看破が無効化された異例中の規格外。獣であるために人間の名付けた名前を獣自身が認識していないために起こった異常なのか、それとも真名を隠蔽する逸話を持っているのか。現状、アサシンの魔術拘束をかけているが、戦場で役立つのかと言われれば敵に損害を与えるだけ与えて、リタイヤすることが望ましい死兵としてしか運用は出来まい。

 

 

「……まぁ、ままならぬことを嘆いても事が進展するわけでもなし。しかしな、バーサーカーの真名くらいは分からんのか?」

 

「物の見事に真名からステータスまで不明ですね。人間ではなく、獣という存在であることが真名看破が効かない理由かもしれません。今のところ分かるのは、その身に宿した凄まじい憤怒の感情だけでした」

 

 

「真名も分からず、ステータスも不明瞭なまま。加えて凄まじい怒りを身に秘めているか。如何に扱うにしても死兵としてしか運用はできんな。……どのみち、我の宝具が起動さえすれば、我含めた四騎で黒の陣営を打倒できよう」

 

 

 アサシンから退廃的な雰囲気が薄れ女帝としての威厳に満ちた自信ありげな言葉を口にする。自信満々にセリフを言い切った彼女は霊体となってこの場を去っていく。

 

 

 それを黙して見送ったシロウは黒の修道服(カソック)を纏い、セイバーのマスターが訪れるまでを礼拝堂で待機することにする。元よりこれからのことを考えると緊張や興奮、期待と恐怖が入り混じってろくに行動が出来ないのだから、礼拝堂で大人しくしている方が賢明な選択だろう。最前列の長椅子に腰掛け、シロウはステンドグラスへ焦点を当てる。光が差し込み、様々な色彩で構築されたステンドグラスはそれ自体が豪華な照明にさえ見紛うほど。

 

 少年は祭壇の方に向かい、来たる最後のサーヴァントを有するマスターを待ちながら、真摯に祈りを捧げる。それは念願の成就、この聖杯を巡る戦いを世界最後の争いとするためシロウは祈る。そして時刻は朝の九時、約束の刻限。それに際し、教会の扉が重圧的な音を立て開かれていった。

 

 

 

 ーーーーー

 

 

 

 

 赤のアサシンがマスター、シロウ・コトミネと赤のセイバーがマスター、獅子劫界離の会合は情報の開示と疑念の発生を生んだものの表面上は平穏無事に終了した。教会から出た赤のセイバーとマスターの獅子劫は階段を降りつつ背後の教会のアサシンとマスターへの警戒について語っていた。

 

 

「セイバー、追ってきている気配はないか」

 

「今のところは無しだ、マスター。といってもアサシンが霊体化や気配を遮断していたら直感でも対処しにくい。まぁ、アサシンが不意に襲撃したとしてもその瞬間に返り討ちにしてやるがな。……イヤな予感だ、アサシンだけではない。それ以外にも何か“ある”気がしやがる」

 

「同感だ。もっともアサシンの襲撃は昼間だから考えにくいが。アサシンだけでなく、あの神父も物騒な気配が見え隠れして落ち着かん。とっとと此処から離れるとしよう」

 

 マスターの言葉に付け加えるようにセイバーは話を切り出す。

 

「オレからも一つ言いたいことがあるがいいか?」

 

「どうぞ」

 

「確かにあの赤のアサシンとそのマスターには注意を払うべきだろう。特に赤のアサシンは“母上と同じ匂いがする”。裏切られるだけならばまだしも裏切られたとすら気付かぬまま屍を晒す羽目になりそうだ。あの神父にしてもアサシンを従えるだけの人物だ。裏がある奴と見ておいて間違いはねぇ」

 

 

「ふむ、わかった。しっかし、のっけから味方陣営が不安要素とは幸先が良くねぇな」

 

 

「……違う、それだけじゃね〜よ。確かにアサシンどもには裏があるし謀られる恐れもある。だが、あの教会に入ってから、オレはあの二人以外にも警戒すべきと直感が動いた。あいつら以上の怪物が奴らの背後にいるぞ、マスター」

 

 

 そう、赤のセイバーである騎士モードレッドはあの教会に入った瞬間から恐ろしい、懐かしいという二つの感情が直感として働いた。円卓において叛逆を起こした己を、そこまで警戒させる存在は自分の中では一人と一頭しか存在しない。もし、どちらかが目の前に現れたなら……

 

 

 そんな悩みを浮かべていると、マスターの言葉が耳に入る。

 

「おいおい、セイバーがそこまでいうとはな……わかった、警戒は怠らんが積極的に敵に回すわけでもない。その怪物には精々、黒の陣営とぶつかって消耗してもらうとするさ」

 

 

 マスターの自信過剰な言葉に、不安や懸念が吹き飛び愉快な気分にさせられる。モードレッドは自分というサーヴァントを引き当てたマスターが戦場を共にする存在であると認識した。これは良い戦いが出来そうだと、無性に戦意が昂揚してくる。

 

 

「なぁマスター」

 

「なんだ?」

 

「いやなに、オレのマスターが奸物に(おもね)るような(やから)ではないことがわかって安心した。これは幸先の良いスタートだぜ、マスター!」

 

 獅子劫界離は、セイバーの信頼が得られたことに先の会合を蹴ったのは間違いではなかったと再認識する。それにセイバーの性格も薄々把握できてきた。なるほど、円卓というガラにもない触媒で自分が呼ぶに相応しい英霊だ。

 

 なんとなしに気恥ずかしくなりつつもマスターは次の指針を口走る。

 

「そいつぁ、どうも。それじゃあセイバー、次はトゥリファスだ。黒の陣営を撃退しつつ、味方の陣営にも警戒する孤立無縁の状態から戦場に飛び込むわけだが……構わんだろ?」

 

 

「任せろ、マスター。我が名はモードレッド。父上を超え、我が友に勝るとも劣らぬ唯一の騎士であるこのオレが、徒党を組むような三下どもに遅れなんぞ取らねぇさ!」

 

 

 

 ーーーーー

 

 

「参りました。恐らく勘付かれたようです」

 

「……だが、シロウ。お前ならばあのセイバーの真名を容易に見抜けることができよう?」

 

 アサシンの疑問符が浮かんだ問いに困ったように諸手を広げる。

 

「いえ、それがあのセイバーもバーサーカーと似たように真名が読めませんでした。ステータスは読み取れましたが、それ以外はどうにも……」

 

「そうか、易々と真名を明かさぬサーヴァントが二騎もいようとは。全く、つくづく聖杯戦争、いや今回は大戦か?……どちらにせよ英霊がしのぎを削る舞台は容易にことが進まぬなぁ」

 

 

「ですね。真名が明らかにならなかったのは痛いですが、此処で敵に回られても困りますし貴女の宝具が発動するまでの間、彼らに黒の陣営の相手をしてもらいましょう」

 

 

「ならば、我の鳩たちを情報収集に向かわせるか。戦場の推移によってはセイバーの真名や宝具、それに黒のサーヴァントが脱落するやもしれん」

 

 と、そこでアサシン、シロウの会話は不意に止まり再び教会の扉を開き何者かが登場する。

 

 

「キャスターではないですか。どうしました」

 

 

 キャスターと呼ばれた洒脱な衣装を着た男性は、大仰な手振りで高らかに叫んだ。

 

「“馬だ!(A horse)馬を引け(A horse)!馬を引いてきたら王国をくれてやるぞ!(My kingdom for a horse)”」

 

 

 しばしの沈黙の後、普段から温和な笑みを浮かべるシロウが珍しく困ったような微笑みで、キャスターに質問のため口を開いた。

 

「自作の台詞でしょうか?」

 

「おお、何ということだ!この現世に生きていながら我が傑作劇をご存知ないと仰るとは!マスター、どうかこちらの本をお読みください!」

 

 シロウは困った表情のまま分厚い本、“シェイクスピア大全集”を受け取る。赤のキャスター、シェイクスピア。赤の陣営において重要な役目を担うサーヴァントであると同時にシロウが注意を払っている言葉通りのトラブルメーカーだ。

 

 

「いかな聖杯といえど、お主の作品の知識までは与えられておらんよ。我が知っているのは、歴史的に有名な作家であるといった程度さ。いや、それよりキャスター。貴様がこうして現れたのは何用だ?まさか、マスターに本を渡しに来ただけではあるまいに」

 

 

 アサシンの呆れた物言いの問いにキャスターは、気まずそうに然りとて楽しげに語り出す。

 

「ええ、まぁ。あの雄大なる巨躯を持つ獣の姿をしたバーサーカーなんですが、いやはや獣とは人間の常識や理性では推し量れないものでして……」

 

「バーサーカーが暴れ出したのですか?」

 

 キャスターは頭を振って否定の意を露わにする。

 

「持って回ったような言動はやめよ。明瞭かつ簡潔に話せ」

 

「なんと!?作家に芸術的な表現を抜きにした無味乾燥な事実だけを口にさせるなど!いや、失礼。バーサーカーの話ですな。……バーサーカーはトゥリファスに向けあらゆる障害、妨害を突破し出発いたしました。どうやら、敵である存在を見定めたようで!」

 

 

「なっ!」

 

「……おや、それは困りましたね」

 

 アサシンは驚きのあまり言葉を失い、シロウは平時のようにのんびりとした口調で呟いた。

 

「どうする、マスター。まだ我の宝具は準備に時間を要する。この状況で単身攻め入っては一騎無駄に失うことになる。見捨てる他ないぞ」

 

「……キャスター、貴方の仕業ですね」

 

「檻に束縛されし巨躯の狼。彼に相応しきは広大な大地をかけ、城壁を走破すること。縛られ閉じ込められし獣の憂いに、このシェイクスピアが(こた)えずして誰が応えようというのでしょう!」

 

 

 キャスターはこの戦いの勝利を絶対視していない。彼にとってはこの聖杯大戦という舞台が如何にして愉快かつ壮大な物語となるかにしか興味がないのだ。彼からすれば、この退屈な状況に波紋を投げてみようという思いつきの行動。それ故にマスターの手綱を容易に離れてしまうのだが。

 

 

「しかたありません。ならば、アーチャーにバーサーカーの後方支援を要請してください。ただし、状況が不利になるようでしたら撤退を視野に含めるようにと。あのバーサーカーの実力を確かめる良い機会でもあります。さて、どういった結果となるのでしょうか」

 

 

 シロウは教会を後にし、アサシンはアーチャーに向け鳩の使い魔を伝令として放つ。キャスターはこの事態を心底、楽しげに傍観しながらこの聖杯大戦の趨勢を夢想しつつ、霊体化を行い教会から姿を消す。こうして舞台は次の段階へと進み始めた。

 

 

 ーーーーー

 

 

 

 

 時が少々流れ、ルーラーを狙う赤のランサーと黒のセイバーの戦闘が終わり、聖杯大戦の対陣営の第一幕が幕を下ろした。それと同じ頃、トゥリファスに向けて暴走するように疾駆する四足の狼の影とそれに並ぶ二足の人影。狼はただ闇雲に疾走し、人は横合いから言葉を投げてどうにか足を止めさせようと試みている。

 

 

「止まれ、止まらぬか!バーサーカー!」

 

 

 狼の疾走にかろうじて追従する少女、彼女こそはギリシャに名高い女狩人。その駿足はあらゆる障害を置き去りに駆け抜ける。翠色の装束を纏う野性味あふれた彼女こそ、女神アルテミスの加護を受ける麗しのアタランテ。その彼女が追い縋ることに精一杯という驚きの事実。

 

 

 灰色の毛並みは火の粉を僅かに発し、踏みしめた脚跡が発火している。狩人としてのアタランテは、この狼の姿を持つバーサーカーが神代の魔獣、幻獣などよりも恐ろしく危険な存在であることを自身の経験から察知していた。かの英雄たちを乗せたアルゴー号にいたアタランテでさえ見たこともないようなナニカ。

 

「ええい、どこの間抜けがこんな“バケモノ”を呼び出したのだ!」

 

 面倒ごとに巻き込まれた不運と運命を嘆きながら、翠緑の狩人は伝承に謳われる通りの速脚をもって自陣のバーサーカーを追跡する。ここで彼女はこの狂戦士の正体について見当を付けようと考え出す。例としてギリシャにおける魔獣などの怪物たちは、多くが神に関連した因果より生じる世界のイレギュラー。それを打ち倒すものこそが英雄であるのだが、この狼はそれらとは決定的に異なる。神性など微塵も感じない上に、奇怪なズレを感じている。まるで世界から干渉されることを拒否しているような気配。

 

 現時点で分かるのは、このバーサーカーが形容し難い未知にして未解の怪物であるということ。

 

 

 恐ろしい、狩人という獣を狩る者である少女は切実に恐怖を覚えていた。これは殺すモノだ、神だろうが英雄であろうと無辜の人々であれ、何であろうとこの狼は激情と本能に基づいて生きとし生けるものを区別なく鏖殺(おうさつ)する魔の存在だ。奇妙な納得があった、これは今の我らでは打ち倒せないという納得が。

 

 

 例え、かの大英雄であるヘラクレスが現れたとしても戦況は安易に予想できない。こんな怪物が生まれた時代に生まれなかったことに安堵しながらアタランテは説得を諦める。既に敵の本丸とも言えるミレニア城塞は目と鼻の先、森林に入り込んだ辺りでアタランテは木の上に登り、説得よりも敵とバーサーカーの戦闘を観察に専念することにした。

 

 

「いよぉ、(あね)さん。今んとこ、バーサーカーの調子は……(かんば)しくねぇらしいな」

 

「見ての通りだ、バーサーカーは本能のまま敵陣へ突入していった。凄まじいものだ。よもや、この私ですら、追跡が困難なりかけるのだから」

 

 

 ここで一騎、ライダーのサーヴァントがアーチャーの隣に並ぶ形で出現した。ライダーは騎兵たる本質である戦車を出すことなくアーチャーと同様の自らの足で移動を行う。気怠そうな気配を漂わせた会話をしながらも、この二騎はその足の速さを伝説に残す英霊。気軽そうな会話の最中であれ、その足は先と変わらずの速度を維持している。このままではバーサーカーは敵陣に無策で突入することになってしまう。ここで二騎はバーサーカーの援護に固執することをやめ、敵情視察とバーサーカーを推し量ることにベクトルを向けた。

 

 

「……にしても、おっかねぇ獣だこと。こいつはかの十二の試練に語られる多頭の毒蛇(ヒュドラ)に劣らぬ怪物なのではないか。その辺どう思うね、姐さん?英雄帆船(アルゴー号)にいたんだろ、だったら怪異の目利きも効くんじゃないか?」

 

「あの船の乗員であったことは否定せぬが、だからといって怪物退治を得手(えて)とするわけではない。むしろ、怪異に成り果てた末路の身としては何も言えぬよ」

 

 アタランテの言葉に気まずそうに口を尖らせたライダー、いやトロイア攻めにて名を高めた不死の英雄アキレウスは申し訳ないというように(こうべ)を垂れる。それを気にしていないと言うようにアタランテは更に加速して大地を駆ける。そんな爽快さを感じさせる実直な仕草にアキレウスは良き盟友と戦場に臨めることに笑みを深めた。

 

 

 だが、(かたわ)らにいたバーサーカーはそんな二騎を置き去りにするほどに加速して、周囲に隠れ潜むように配備されたゴーレムとホムンクルスを蹴散らすような走行を行う。ゴーレムはバーサーカーの烈速に粉砕されホムンクルスは狼の毛に(かす)っただけで爆散し血飛沫と肉片を撒き散らし轢殺(れきさつ)される。そこで不可思議な現象が生じる、ホムンクルスを殺したバーサーカーの体が激しく発火し火の粉を挙げる。そう、ホムンクルスの魂が魔狼の体内に吸収されたのだ。

 

 

「魂……喰らい、なのか?」

 

「魂を喰らっていることには違いない、しかし通常のサーヴァントの行うそれとは決定的にナニカが違う。より恐ろしく悪辣な魂の捕食。ライダー、気をつけろ。おそらくだが、あのバーサーカーは神だろうと死者だろうと生者だろうと区別なく喰い殺す。奴に魂を喰われることは死よりも恐ろしい末路であると知れ」

 

 

 通常のサーヴァントが行う魂喰らいは人の生命力を喰らい魔力に変換することを指す。けれど、このバーサーカーは違う。このバーサーカーは対象の存在や概念を捕食するのだ。このバーサーカーは存在を喰らうことによって無限に自己を強化する異端の化け物。

 

 

「あのバーサーカーを止めるには最低でも四騎、いや六騎は要するだろうな」

 

「へぇ、姐さんがそこまで言うとは……ならバーサーカーを俺が単騎で倒せば、頰の一つでも赤らめてくれるかい?」

 

「よせ、バーサーカーが認識しているかは別として此奴は味方ということになっている。下手に手を出す意味はあるまい。それに(なんじ)も薄々、分かっているだろう?このバーサーカーは単純な力のみで討ち倒せる(たぐ)いの怪物ではないと」

 

 アーチャーの強い断言にライダーはただ無言で笑う。赤のライダー、トロイア攻めの英雄たるアキレウスでさえ、決死でも勝機を探れるか否かというバケモノ。ただ負けるつもりはないが易々(やすやす)と命を取らせてはくれないだろう。

 

「ところで姐さん、こいつの真名は聞いてんのか?」

 

「否だ、こやつの真名についての情報は開示されなんだ。バーサーカーのマスターが命じているのだろうが、愚かなことを。場合によっては此奴、聖杯大戦を崩壊させる一因になりかねんぞ」

 

「同じ陣営の一騎の真名さえ明らかにせず、俺たちの前に一度として顔を出さぬマスターか。姐さん、こいつはちと可笑しいと思わんか」

 

「魔術を扱うものが怪しいのは常のことだろう。いや、このバーサーカーを呼び出したマスターの考えていることに関しては異常だという他ない。ともかく、今はバーサーカーと敵の力量の観察に回る。余計な考えにかまけて遅れるなよ、ライダー」

 

「あいよ、あの狼の狂戦士の散歩にもうちっと付き合うとしますかねぇ」

 

 二騎が語り合う間にも、バーサーカーの暴虐は収まることを知らなかった。木々がまるで泡のごとく四散し、行く手を阻もうとするゴーレムたちはバーサーカーに接触するだけで砂塵に姿を変え粉微塵(こなみじん)と散る。魔術によって生み出された感情の希薄な命令を受動するだけのホムンクルスでさえ恐怖に震え逃亡を選択する。

 

 

 灰色の巨狼は夜闇を駆ける獣となり敵を討つ。そして、これから待つ黒の陣営との対決は近い。

 

 

 

 

 ーーーー

 

 

 黒の陣営でも赤の陣営でもない独立した一騎。この聖杯大戦におけるイレギュラーの一人、ルーラーのジャンヌ・ダルクだけが察知していた。背筋に氷柱が刺されたような寒気と頭に響く恐れと警戒の震え。ミレニア城塞の方角で何か、恐ろしい存在が動いている。彼女の導きである啓示があるビジョンを脳内に写した。森を疾駆する巨大な狼、場所が変わり夜空に近い場所に佇む狼が齎す咆哮によってこのルーマニア、いや世界に暗黒の火が放たれるイメージ。そう、聖杯大戦においてルーラーが呼ばれるのは聖杯戦争において大きなルール違反がある場合か、世界を危機に陥れる恐れのある場合。

 

 

 ルーラーであるジャンヌ・ダルクはこれが後者の事例であると予想する。

 

「っく!一体、今のイメージは……それにあの狼、まさかサーヴァント?」

 

 狼という獣の姿を持つサーヴァントという異例に彼女は瞬時に己の持つ戦装束に換装し、黒の陣営の拠点たるミレニア城塞へ赴く。赤のランサーと黒のセイバーの戦闘の際、ミレニア城塞に逗留することを拒んだ選択が裏目に出た。あの時は公平性を保つべく、相手の意見を断ったがまさかこんな事態になるなんて。

 

 

 奥歯がカタカタと震え、恐怖に足がすくみ足取りが思ったよりも遅い。しかし、いざという時はあのバーサーカーを存在する全サーヴァントの総力をもって討伐しなければならない。

 

 ルーラーの本懐たる公平性が保たれなくなるが、それを差し引いてもあの狼のサーヴァントを放置してはおけないと彼女の中の使命に燃える覚悟が道を指し示す。

 

「……なんとしてもあのサーヴァントを止めなくては!」

 

 聖女は走る、恐怖を覚えながらも旗を手に戦場へとひた走る。例え、自らの公平と秩序を乱したとしても人理を守護する英霊として、あの規格外の怪物を倒さなくてはならない。聖女は己の内に秘めた意思を(たぎ)らせ戦場に向かうのだった。

 

 

 

 ーーーー

 

 

 迫る赤の陣営の一騎を前に黒の陣営のマスターとサーヴァントたちはミレニア城塞の城壁部で一同に会していた。迫る巨大な獣のサーヴァント、ステータスはおろかクラスさえ判明しない正体不明の一騎に黒の陣営は全員が警戒を露わにし、困惑を隠せずにいた。

 

 

「よもや、クラスさえ隠蔽するサーヴァントが存在するとは……ステータスも同様に見抜けん。巨大な狼の英霊だと?狼を連れた者や、狼に関連する逸話を持つ英霊なら少なからず存在するが狼そのものがサーヴァントということか……?」

 

「ダーニック、他のマスターもステータスの確認は出来なかったようだな」

 

 

 黒の陣営の首魁ともいうべきサーヴァントとマスター、ルーマニアの英霊ブラド三世とユグドミレニアの頭首とも言うべきダーニック。彼らは冷静さを保とうとしながらも単騎で攻め込んできたサーヴァントの謎を解こうと僅かな情報から予測を行う。

 

 

 黒の陣営は工房に留まるキャスターを除く全サーヴァントが集い、敵を討ち退けんと動き出す。そして、その中で一騎、弓兵のクラスを持つ賢人ケイローンは敵の正体が掴めぬことと自身の直感で脅威を感じていた。如何にギリシャに名高い賢者と言えども、異なる伝承の英霊の真名を見抜くことはできない。しかし、現代の知識から高度な予測は立てることが可能、そんな彼の慧眼をもってしてもあの狼のサーヴァントの正体を欠片も掴めないでいた。

 

 

 しかし、正体ではなく脅威として図るならばケイローンはこの場の誰よりも、あの狼のサーヴァントの脅威を悟っていた。

 

「あの狼、ただのサーヴァントというには少々、規格から外れすぎている」

 

「規格から?ということはあのサーヴァントはもしやルーラーと同様のエクストラクラスで召喚されたということですか、アーチャー?」

 

 アーチャーのマスター、フィオレはアーチャーの呟きを耳で拾い疑問を投げてみた。思索に耽っていたアーチャーは我に返って、マスターの疑問に答える。

 

 

「いえ、特殊なクラスとして召喚されたから特殊ということではなく、あの存在が英霊として現代に召喚されているということ自体に問題があるのです。悪辣な反英雄とも神の分霊としてもあれは規格から外れている。怪物、いや怪異ということさえ言い表し難い。例えるとするなら、あれは狼の形を取った……」

 

 

「何でもいいけど、ボクたちはどうするのさ?あのすっごく怒ってそうな狼のサーヴァントと戦うの、戦わないの?まさか、ここでこのまま待機するなら、ボク城に戻りたいんだけどなぁ」

 

 

 アーチャーの声に被せる形で発言をしたライダー、アストルフォはチラチラと城の方を見ながらやってきた。内心、自分の部屋に匿った少年のことで頭が一杯だったのだが、ライダーのマスターの睨みつけに無駄口を閉じ、戦場に臨む。

 

 

「……よもや、ライダー。この場において臆したか?」

 

 

「む〜心外だなぁ。ボクだってシャルルマーニュの騎士さ。別に臆したとかじゃなくて、こういうどっちつかずな待機が苦手なだけ。戦うなら戦うで早く勝負を着けて偵察のために待機するなら待機とはっきりして欲しいの!」

 

 

 どこか愛嬌のあるしかめっ面でランサーに反論するライダー。彼の言に一理あると頷くランサーと苦笑いしながらも明朗快活としたライダーに好感を持つアーチャー。既にあの狼のサーヴァントに随伴する形でやってきたサーヴァントたちがいる以上、たった一騎のみに兵力を割き続けるわけにもいかない。

 

 ランサーは己が決断を声高に口に出し、黒の陣営が騎乗兵を焚き付ける。

 

「では()け、ライダー。シャルルマーニュ十二勇士の力、存分に振るうがいい」

 

「はぁ、荒事は好みじゃないんだけど、そういうことを言ってる場合でもないし!良いとも、ボクの力を見せてあげるよ!」

 

 そういうとライダーは黄金の馬上槍(ランス)を手に取り、戦場に向かって跳躍していった。アーチャーは跳び去っていったライダーを見送り、弓兵としての能力を発揮できる城壁部に上がって変化し続けるであろう戦況を観測する。

 

 

 

 トゥリファス東部に広がり、現在の戦場となっているイデアル森林。今、此処では狼の姿を持つ異形が死の暴風となり立ち塞がる敵をその激情のままに無機物(ゴーレム)有機物(ホムンクルス)も、鎧袖一触に蹴散らされている。この獣は激怒している、召喚されたことかはたまた狂気に呑まれ憤怒に支配されているのか。目に付く全てが粉砕され、鏖殺される。そこに善も悪も中庸もなく、狼は怒りのままに震えて己が爪牙で破壊の限りを尽くす。

 

「うっわぁ〜、なんだかすっごく怒っていて話とか通じそうもないなぁ。だけど、ボクはこういう戦場での働きを買われて召喚されたんだし、ようしやってみるか!」

 

 

 周辺のゴーレムやホムンクルスたちを粗方、散滅させた狼は近づいてくるライダーに気づいて脚を止める。それを、“おや”と意外そうに見るライダーはにっこりと笑みを湛えた。

 

「遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ!我が名はシャルルマーニュ十二勇士が一人、アストルフォ!さぁ、尋常に勝負だよっ!多分、えっと……“バーサーカー”!」

 

 アストルフォが口上を終え、最後に狼のサーヴァントの予測クラスを口にした瞬間、血戦の火蓋が落ちた。うっすらと火花や火の粉を発する巨大な狼はその怒りのまま全てを斬り裂く刃の風となる。遠目から見て速いと覚悟していたためか、ライダーは敵の攻撃をどうにか(かわ)す。

 

 

 巨躯に見合わぬ小回りの効く俊敏性、ライダーは黄金の馬上槍(ランス)を構えて次の攻撃に備える。如何に早くとも宝具によって脚を霊体化させ機動力を奪えば後は真打ちともいうべきランサーが決着を付けてくれる。すなわち、ライダーのすべきは宝具を敵のバーサーカーに喰らわせること。

 

 

「よーしっ、来い!」

 

 

 その声に応じるように巨躯が駆動する。ただ敵を殺すべく、バーサーカーは首を挙げ大きく咆哮を響かせる。トゥリファス中に響き渡った遠吠えの終了と共に狂乱に惑う狼が暴走する。灰の毛並みを靡かせ、疾駆するバーサーカーを迎え撃とうとするライダーは宝具の真名解放のため口を開こうとしてーーーー意識がトんだ。

 

 

「あれっ?」

 

 口から掠れるような小さな声でやっと出たのは、そんな疑問の声だけ。視界に映るのは、戦場と化したイデアル森林で自分が先ほどいたまでの場所を見下ろす形でライダーは時間にして数秒ほど手放していた意識を取り戻した。

 

 

 少し前の状況を思い返す。ほんの少し、バーサーカーの突進に警戒しつつも僅かに宝具に意識を分けた瞬間、餓狼はあり得ないような加速で構えていた槍ごとライダーを()いて、跳ね飛ばしたのだ。

 

「ゴ……プッ!?」

 

 喉元から熱い鉄錆の匂いと味が込み上げる。相手からすればただの突進(タックル)、だが喰らったライダーからすればあれは意思を持った城壁が突っ込んできたようなものだった。質量が違う、重さが違う、規模が違う、硬さが違う。この攻撃でライダーは腹部を中心に大きなダメージを負った。肋骨、鎖骨、内臓器官などにも重大な損傷を負っただろうと他人事のように思考が空転する。

 

 

 ライダーは空中に跳ね飛ばされながら、ミレニア城塞にいる少年のことを場違いにも考えながら馬上槍を手放し重力に従って地表へと墜落していくのだった。

 

 

 

 

 

 ライダーを轢き飛ばした狼のバーサーカーは四足で大地を踏みしめ、次の敵影を察知する。次なる二騎の敵影は気配を隠す様子さえ見せず、真っ向から領王の統べる地に訪れた侵略者たる魔狼を見据えていた。

 

 

「キャスター、僅かで良い。あの獣の足取りを縛れ」

 

「了解した、王よ」

 

 

 カバラに伝説を残した英雄、キャスターのアヴィケブロンは城より引っ張り出してきたゴーレムを以てしてバーサーカーの足元を固定する。その土石で拘束されたバーサーカーに向かってすかさずランサーの串刺しの槍が牙を剥く。

 

 

 カッカッカッカッカッカン!鉄を思わせる硬質な音が耳に届く。それと同時に魔狼の目が見開かれる。灰色の毛皮に火が灯る。それは火を纏っているようにも、狼自体が炎上して燃やされているようにも見えた。土石で編まれた拘束が破られる。

 

「バカなっ!?あれを数秒足らずで破るだと、一体何者なんだ。あの“バーサーカー”は?」

 

 それがこの場におけるキャスターの最後の言葉となった。死の暴風が吹き荒れる、側にいたランサーですら見切れない速度を持って狂狼は、キャスターの肩付近に牙を食い込ませる。キャスターが痛みに叫ぶ前に、牙を食い込ませたままバーサーカーは周辺を飛び跳ね回る。

 

 それは地面への激突、草木や大気への衝突であった。

 時間にして三秒、キャスターからすれば数時間にさえ錯覚するような(またた)きの時間を終え、周囲は刹那の間に更地(さらち)と成り果てる。そして魔狼の暴走に強制的に付き合わされて粉々に砕け散った仮面とそこから(こぼ)れた中身が血溜まりの中で丸くなるような形で(たお)れていた。

 

 

 

「きっ……さまぁぁぁ!!」

 

 

 ランサーが怒りの叫びを挙げ、握った槍を灰の巨狼へ叩き込もうと掲げる。その掲げた腕を通り過ぎる形で魔狼は顎門を広げ、そして閉じた。赤い雫が降り注ぐ、槍を握ったままの腕は宙を二回転して大地に突き刺さる。自らの血によって染められたランサーは膝をつき、怒りに震える。対してバーサーカーは勝ち鬨を挙げるかのごとく、はたまた激怒のままに叫ぶがごとく再びトゥリファス中へ響く遠吠えを大地に轟かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 戦場より遠く離れた魔術師の工房、いや此処は正確に地下墓地(カタコンベ)と呼称しよう。獅子劫という死霊魔術師(ネクロマンサー)が作り上げた聖杯大戦における仮宿。そこに彼に召喚された赤の剣士、セイバーが地下まで鳴動させる咆哮を聞いて、戦場に焦点を合わせる。

 

 

「…… まさか、お前なのか………………“カヴァス”」

 

「なんだと、どうかしたのかセイバー?」

 

 無意識のうちに溢れた音を耳で拾ったマスターは叛逆の騎士たるモードレッドの反応を見る。

 

 

「ーーーー悪りぃ、マスター。オレは今すぐ行かねばならない。行って確かめなくてはならないのだ、本当に今、ここで感じた気配の正体が我が友なのかを……」

 

 

「友、だと?まさか、円卓の騎士が別クラスで召喚されたとでも?」

 

 

「阿呆抜かせ、マスター!誰が円卓の野郎どもを友などと呼ぶものか!あんな鈍どもと我が友を同列に考えるなんぞ、侮辱に(あたい)する!」

 

 

 語気を荒げてマスターに怒鳴るモードレッドを見て、獅子劫は説得を諦めた。こうなれば、好きにやらせて見るのがいいだろう。なにせ、この目の前に立つ騎士さまは聖杯戦争における最優の一騎。無理に留めて信頼を失うよりもリスクを以ってしてリターンを得る方が、何というか“自分好みだ”。

 

 

「……ふぅ、好きにやって来い、セイバー。あいにくと今のお前を止めるだけの理由と力を俺は持ち合わせちゃいない。だけどな、この戦いに願いを賭けてんのはお前だけじゃないということを忘れるなよ。これは俺たちの戦いなんだ。だから、戻って来い。最優の一騎である(あかし)を示せ」

 

 

 唐突に過ぎるセイバーの独断行動にマスターは多くを尋ねず、ただ帰還のみを命じセイバーを送り出す。セイバーは少し口元を緩ませ、軽く手を振って墓地を出る。そこからセイバーは加速する、魔力を赤雷に変換して爆発的な加速として運用する。

 

 

 良きマスターに恵まれたことに感謝をしながら、セイバーというクラスを受けた円卓の騎士モードレッドは荒野を駆ける。そう、この先の戦場で感じた激怒に震える友の気配を感じながら。

 

 

 その怒りが誰に対するものであろうとオレは友に再び会いたいと心が叫んでいる。

 

 心に溢れ出ずる思いを抱えて剣士は戦場へひた走る。

 その先に待つ獣が何を思い、何を願うのかを知らぬまま。

 

 

 

「…………待ってろよ……カヴァァァァァス!!!」

 

 

 

 

 

 

 




いつものタイトル回収コーナー

内心『いい加減、名前呼べやぁぁぁぁ!』
状態のムカ着火ファイヤーしたハイの巨狼からの一言。

「シフダヨー」





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番外編三話

エイプリルフールからのオリジナル特異点です。

小説の体も為していないダイジェスト擬き。
改定するかもしれないし、消すかもしれない話となっております。

しかし、ダクソ基盤で舞台設定をしてみたけど、型月的に見れば終焉間際なのにダクソ的に見たら序盤も序盤になってしまうのは何故なのか。


 深淵侵食異界ダークソウル

 

 それは三つの深度からなる異相点。第一焼却深度(epidermal burn)“死の忘却”・不死街。第二焼却深度(deep dermal burn)“生存のための最善手”・生贄の道。第三焼却深度(deep burn)“深淵の監視者”・ファランの城塞。

 

 それは深淵からの侵食。不意に訪れた最悪なる脅威。魔術王の為し遂げんと試みた逆行運河・創世光年に対するイレギュラー。汎人類史より来たれ、人類を守護する英霊たちよ。獣をこそ畏れよ、異聞帯からの来訪者たちよ。聖剣の極光を恐れよ。

 

 その獣には悪も善も無い。あるのはただ叶うことなき願いのみ。獣に騎乗する騎士はただ、訪れし全てに敵対し聖剣を振るう。星の光を放つ聖剣、輝きを蓄積する聖剣。二振りの聖剣を担う主従は正義も悪もなく、ただ深淵に侵食された領域で全てを滅ぼす者となる。

 

 灰の獣が今、眼を覚ます。万物を鏖殺し全てを燃やし焚べる獣が主人を乗せて異界を駆ける。全てが白紙となるならば、まだ救いはある。汎人類史に埋もれ異聞帯に消えていくのなら、まだ希望がある。救いも希望も失われてしまう前に駆けるのだ。篝火に火を灯せ。全てが絶望に焚べられ魂を捕食する獣が死を焼滅させる前に。

 

 篝火に火を灯せ、祭壇に贄を焚べるのだ。

 

 埋没し敗れ去った歴史からの悪意、剪定され選別された事象の善意、みな(ことごと)く滅び去れ。されども、獣と騎士王の(もた)らす滅びに抗うのならば、この異界に(そび)え立つ三つの尖塔の灯し火を消すがいい。さすれば、道は開かれ万物を灰燼へ堕とす主従が現れる。

 

 

 巨狼の咆哮は天地に響き、三つの位相からなる異界は深みを増していく。

 

 星見台からのマスターよ、駆け抜けろ。

 

 第一焼却深度(epidermal burn)“死の忘却”・不死街。

 

 円卓の騎士たちよ、正義を為せ。かつての特異点の罪を(あがな)え。

 

「私どもの悪行、善行を積もうと贖えるものではないのでしょうが、それでも何もしないわけにはいきますまい。このトリスタン、我が弓の武練の冴えを以ってマスターの道を切り拓きましょう。それが我々に許された行いなのですから。皆さんは如何に?」

 

「異論はありません。彼方の地にて異教の徒ながらも無辜の民であった人々の命を奪った罪人には過ぎた善行を行える機会。輝ける太陽に正義を誓い、いざ戦場へ赴きましょう」

 

「オレは罪だ、なんだとかどうでもいい。オレは騎士だ、命を奪う者を至上命題とする戦士。命令があれば、非戦闘員でも殺るのが軍属というもの。故にこの戦いに参陣するはオレのエゴ。騎士王だけでなく、我が友が世界に牙を剥こうとしている。確かに世界は醜悪で残忍だろうとも。けれど、……決してそれだけではなかった。オレ様にそれを教えてくれた“あいつ”が道を誤ったというなら、親友たるオレが死んでも止めてやる」

 

「騎士王に不義を働き、獅子王へは不忠を行った。まったく、どこにいようと私はつくづく完璧な騎士というものに縁がないらしい。これならば、最期まで王に忠を尽くし死してなお忠義を捧げる彼に顔向けできん。だが、そんな私でもこのような機会を許されたというなら、我が剣と武を忠義のためのみに。……マシュ嬢、お父さんという呼び方、落ち着かないのでもっとこう、穏当な呼び方は無いだろうか?」

 

「聖槍によりて人類を保存し管理しようとした我が行いは水泡に帰した。あれは種族の延命という点では正義であったかもしれない、けれど取りこぼしてしまった命にとって悪だったのだろう。しかし、この世界は善でも悪でも無い。このままでは命は焼却され死は忘却に沈む。それは全ての生命にとり裏切りだ。暗黒のライダー、“彼女と彼”はおそらくブリテンにおける最も強い存在でしょう。王である責務にも、騎士たる掟も、人の願いにも縛られぬ二振りの聖剣を担う騎乗兵。放出と蓄積の聖剣、星の内海より鍛えられたあの二振りはあらゆる外敵を滅ぼし駆逐するはず。私の持つ最果ての槍でも通用するかどうか……この不死街の尖塔の火だけは我々の命を賭けてでも消してみましょう。だから、どうか私と“カヴァス”のことを頼みます」

 

 

 

 第二焼却深度(deep dermal burn)“生存のための最善手”・生贄の道。

 

 今、天命を告げる晩鐘が響く。生存のために最適手段を模索せよ。此処より信仰を謳う暗殺教団の盟主たちが闇に疾る。復讐鬼は深淵からの侵食を見届け、冠位を受けし東方の大英雄は今、己の弓と究極の献身を以ってして再び救世の神話を描き出す。

 

 

「最早、神託は焚べられた。天命を告げる晩鐘も同様に。全てが火に呑まれ、新たなる時代が鳴動する。魔術師よ、立ち去れ。こと此処に至っては打てる術は皆無なり。されど、諦めを選択せぬならば、贄を焚べるのだ。何よりも喪うことを拒み、だからこそ捧げねばならない矛盾を焚べろ。贄を焚べた時、一度は原初の海に捨てた冠位を以って幽谷の淵より死を忘却した者どもの首を断ち斬ろう。急ぐがいい、第二の尖塔に灯る火を一刻も早く消し去るのだ」

 

「魔術師殿、道は我々が繋ぎ止めましょう。この呪腕こそ我が妄執の全て、マスターの道を創るために一役買うならば、これを贄とすることを天命としましょう。魔術師殿、感謝を。名を残すという宿願こそ叶わなかったものの、世界を救うほどの御仁を守れたという栄誉、凡才の身には過ぎたものでありました。では、いつかまた、奇縁が我らを再び結びつけるまで。……ああ、サリアへの良い土産話が出来ました。重ねて感謝を……マスター」

 

「まったく、貴様は何も変わっていないようだな。その諦めの悪さ、何があろうと前を向き続ける豪胆さ、そして去り逝く我らに対し涙する甘さ。お前は世界すら救ったマスターなのだろうが、ならばその涙は此処で捨てていけ。その分、再会の時に泣くくらいなら目を瞑ってやる。行け、我らが唯一と仰いだ我らのマスター。……ザイード……ゴズール……マクール、一人くらい返事をせんか馬鹿者め。普段から騒々しかった頭の中が急に静かになっては寂しいだろうが……ふん、これはいつかマスターともども説教してやらねばな」

 

「私が触れても死なず微笑みかけてくれるマスター。愛しています、ただ貴方のことだけを。私の愛は孤独を埋めてくれる誰かならば誰にでも向けられるのかと、迷い苦しみました。けれど、今は違います。此処にいる私を思い寄り添ってくれた。そう、もう大丈夫。触れられないとしても、それは真の孤独ではない。真の孤独とは、誰の思いの中にも残らない絶命。でも、今の私は多くの方の思いの中に立っている。暗殺者としては未熟の極みでしょうが、ええ私にとってそれこそが本当に欲しかったモノ。ありがとう、言葉では語りきれぬほどに愛しています。マスター」

 

「これまでの巡り合わせは奇跡のようなものだった。十八の盟主の技を模倣し確固たる己の(わざ)見出(みいだ)せなんだ私に多くの先達との邂逅と初代様からのお言葉、ああ私の生涯は此処で十分過ぎるほどに報われた。感謝を、異教徒の……いいえ、我がマスター。天命を司る山の翁の業を己の正義というエゴで振るう私は暗殺教団の盟主たる器になかったようです。ですが、正しくあろうと懸命に進まんとする若者の助力になれた、これを誇りとし貴方のこの先の幸運を願っています。どうか、壮健に。マスター」

 

「ふん、遅かったな。共犯者よ。この場に至るまで多くを贄とし、この異界に焚べたと見える。悲観、嘆きの一切を見せぬか。ならば、此処までの道を繋いだ者たちも誇らしいだろう。だが、此処から先はそれだけでは何も望めん。如何(いか)な贄を焚べようと、あの深淵の侵食を留めることすら(あた)わぬだろうよ。しかし、それでも貴様は諦めるという事を知らぬらしい。クッ、クハハハハハ!!それでこそ、おおそれでこそだ汎人類史最後のマスターよ!我が怨讐ほど、地獄よりも深みにある深淵を焼くのに適したモノはないだろうさ。……かつて、魔術王の企みから為されたシャトー・ディフでオレは貴様にこう言ったな。“オレたちの勝ちだ!”と。ならば今回も同様のこと、“最後に勝つのはオレたちだ!!”もはや、マスターに“待て”などとは言わぬ。進め!そして希望せよ!」

 

「俺にとって多くの人々は守らなければならない存在だった。これも全て、人間以上の身で生まれ助けの手を伸ばせるだけの力があったからかもなぁ。けど、マスター。あんたは此処まで俺と並んで戦ってくれた。ああ、そんなあんただから多くの英霊が力を貸そうとしたんだろう。マスター、俺はあんたを守り抜くぜ。そうしなければという思いからではなく、俺がそうしたいと願ったからだ。ありがとよ、マスター。ーーーー陽のいと聖なる主よ、あらゆる叡智、尊厳、力をあたえたもう輝きの主よ。我が心、我が考え、我が成しうることをご照覧あれ。さあ、月と星を創りしものよ。我が行い、我が最期、我が成しうる聖なる献身(スプンタ・アールマティ)を見よ。流星一条(ステラ)ァァ!!」

 

 

 

 第三焼却深度(deep burn)“深淵の監視者”・ファランの城塞。

 

 鍛刀の英霊、依り代にて顕現し三位一体を成す女神、最弱の悪神。第三の尖塔の火は消し去られた。狼血への扉が開かれ、最恐の騎乗兵は救世のマスターと激突する。獣が燃え上がり、王が生誕する。そは薪の王。王の戴冠と共に異界法則が世界を喰らう、世界を救いたくば絶望を焚べろ。

 

 

「やれやれ、ただでさえ面倒な事に巻き込まれてるってのに、身内にまで厄介な連中が揃ってんじゃねぇか。女神様だかなんだか知らねぇが、こっちの仕事の邪魔をしなさんなよ。それにしても、(オレ)セイバー(剣士)で呼ぶなっていうに。こっちゃ、一介の刀鍛冶だぞ」

 

「何よ、そんな愚痴ばかり零して。女神を前にして文句言うって何?貴方、普通だったら、天罰とか呪いとか食らってもおかしくないのよ。こんな追い詰められた状況でなければ、あんたみたいな偏屈なサーヴァントなんて相手にしてやんないんだから!ああ、もうなんなの!?この名状しがたい感情の濁流は!この霊基ってば、一体、こんな奴の何処がいいのよ〜!!」

 

「うう、我ながらなんてテンプレートなツンデレ。自分の気に食わない側面の人格を端から見るのってこんなにも心にクるとは。知らなかったし知りたくもなかったのだわ……それにしても、あの鍛冶屋。一人とて手をかけてもいないのに勝手に自分を罪深いと思っているのかしら?人間が人間を裁けるのは生きている内だけ、死んでからの罪の領分は私たち(神さま)の領分よ。死んでからも勝手に自罰行為とか冗談じゃないわ。生きている間、ずっと自分を罰し続けてきたのでしょう、だったら死んだ後くらい楽しくやらなきゃ嘘でしょう。いいわ、そっちで言うところの冥界(地獄)よりも私の冥界(ギガル)で幸福のなんたるかを教授させてやるのだわ!」

 

「ふ、フッフフフフ。せっかく、あの人の霊基を持った方と並んで戦えるというのに何ですか、あれ?美と金星のイケイケ女神と冥界のウジウジダウナー系女神とか。何処にいてもとことん邪魔をしてきますねぇ。しかも後者に至っては若干、キャラ被りをしてますし。……ですけど、まぁこんな機会でもなければ皆さんと共に肩を並べるような戦況に遭遇することはなかったでしょうし、せっかくなので存分にストレスを発散しましょうか!でも、最終的な正ヒロインの座は渡しませんから、そこのところはきっちりとしておかないと」

 

「いやぁ、本当に凄いドロドロ具合ですわ。下手すれば、あの若作りジーさん痴情のナンタラで死ぬんでない?原典からして、選択ミスで死に直行な奴だったしなぁ。……にしても何で呼ばれちゃったかねぇ。世界のピンチで役に立つような英霊じゃないんだけどなぁ、オレって。むしろ、死んだくたばったが日常茶飯事で、死に戻って延々と周回するような世界観じゃないとオレってば役に立ちようが……って、此処がそうじゃん。死に戻るのが前提、誠意を持って殺しにかかる不死者の時代。やっべ〜、勘弁してくれよ。こちとら、死んだ負けたが平常運転だぜ。ちょっとした段差でも死ぬレベルのサーヴァントなんだけど。マジかー、呼ばれたってことは“そういう事”か〜。仕方ない、それじゃあ一つ、人類を救うために命を放り投げてきますかねっと」

 

 

 名を呼べ、それだけが彼を止める唯一の希望。

 

 深淵をも捕食し焼却する不条理の人類悪、暗黒のライダーの聖剣が星光を発する。

 

「カヴァスの持つ聖剣アルトリウスはエネルギーの蓄積を行う宝具。それは聖剣、最果ての槍、天地乖離の剣であろうと、エネルギーであるなら無限に蓄積する神造兵装。そして、私の聖剣エクスカリバーは魔力を熱エネルギーとして放出する。来なさい、カルデアよりの来訪者。貴方たちの真価、我々二人が此処で見極めましょう。いざ、死力を尽くして来るがいい。……宝具、重複解放。聖剣アルトリウスよりエクスカリバーへ魔力充填。双聖剣、解放。これは新たなる時代の篝火、集うは星の内海よりの命の奔流、受けきれますか?……約束された勝利の剣(エクスカリバー)!!」

 

 

 白亜の城壁と継承と約束の聖剣の交差は世界を救済するに足るのか。勝利は果たして誰の頭上を照らすのか。世界を救うため獣と騎士王の統べる異界で運命の物語が動き出す。

 

 

 深淵侵食異界ダークソウル。絶望が焚べられた異界の最後の希望となるのは一体、誰か。

 

 

「私の中の彼が言っている。貴方の真の名を呼びなさいと。この盾に誓い、私は貴方たちを止めてみせる。マシュ・キリエライト。冠位指令(グランドオーダー)、遂行のため最終戦闘に入ります!勝負です、暗黒のライダー……いいえ、騎士王アルトリア・ペンドラゴン及び灰燼の巨狼カヴァス!」

 

 

 




いつも通りの蛇足とも言える巨狼道場にて

「あえて言おう。『シフ』であると」


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アーネンエルベの一日
第一話


 平穏な日常というものは時として、人の危機意識を鈍らせるものだという。戦争から懸け離れた国では防犯や危機意識の低下が騒がれる事例が存在している。危機意識というものは、ある程度のシリアスがあってこそ正常に機能するもの。つまり、極端なほどに平穏な空間ではとんでもない異常事態でさえ、あっさりと受け入れられるのではないか?これから語られる物語は、どっかの塔に監禁された魔術師の思いつきによる悪戯の産物である。

 

 

 そこは日本、とある街のとある住所にある普通さを見せつつ異常を内包する喫茶店。そこはノスタルジーを感じさせつつも、古臭さを微塵と見せぬ良好な雰囲気を醸し出していた。カウンターは木製ながらも艶が出るほどに磨き上げられ、数々のテーブルも同様に掃除が行き届いている。窓際のテーブルには燦々と陽光が差し込み、逆に店内奥のテーブルは窓際に比べると明るさは劣るものの落ち着いた光量でランプが灯され穏やかな雰囲気を感じさせる。

 

 街に一つはありそうな穴場的な喫茶店として、この喫茶店は訪れるべき客を穏やかに待っていた。この喫茶店は数多の世界と時間を超克したある種、特異点。特異点といっても人理がやべーとか、世界のピンチなどとは関係のない場所。ギャグ時空ならではの割りとなんでもありな飲食空間。

 

 

 その店の名はアーネンエルベ。ドイツ語の店名ではあるが、イギリス人店長の経営する店。建造に並行世界を行ったり来たりする爺ちゃんの手が加えられた“魔法使いの匣”。普段から穏当な雰囲気のありふれた喫茶店として、この場は異なる世界の客人の来訪を待っている。しかし、この喫茶店は常とは異なるような状態に変化していた。その変化とは大きく分けて二つ。変化といっても極端に異常な変化を遂げてはおらず、言われれば気づく程度の変化でしかない。

 

 まず、一つ目の変化、平時なら日替わりのメニューが書かれているような黒のボードの真ん中にデカデカとペット可とチョークで書いてある。飲食店でありながら、ペット可というのは衛生面でネガティブ要素に成りかねないが掃除が行き届いているのなら動物の鑑賞ができそうというポジティブ要素に転じるやもしれない。二つ目の変化は天井が大きく広がっていることだ。店内も広く拡大され広大な空間になっていた。これならば、2m強の巨人や10トン級トラックでも店内に入りそうだ。もっとも、ありふれた普通の喫茶店にそんな大型の物体を格納(かくのう)するような事態が早々に起こるとは思えないが。

 

 

 まぁ、その変化を気にしないジョージボイスの店長はグラスを拭いていた。彼はどこか黒い愉悦を浮かべた笑みを取り、手入れされた店内を見渡している。どこか黒幕っぽい雰囲気を出しているが、どうやら今日のメニューを考えているらしい。そんないつも通りの店に今日もどこかの世界より訪れた客が現れる。扉のベルが軽やかな音を立て本日最初の客が来店した。

 

「おや、いらっしゃ…………」

 

 扉を開けて現れた客は通常の想定を軽々と飛び越えるような来店者であり、言葉を失って絶句している店長は驚愕のあまり顔面を床に叩きつけるように気絶し退場していった。

 

 

 

 店長が気絶した後、第一の客の次に新たな人物が登場する。扉を開けて来たのは、朴訥な雰囲気をした高校生くらいの青年。中肉中背ながらも服の下は日々の生活の中で効率的に鍛えられたような肉体を秘めている。実のところ、彼は客としてではなくバイト、従業員としてアーネンエルベに訪れた。彼は店内を見て回り、店長の影を探そうとしている。

 

「……すいません、店長。今日、臨時で手伝いに来た静希です。木乃美の紹介で来たのですが……ん?店長が床で寝ている、だと?」

 

 一般的な田舎、と言うには少しばかり外れた山奥の田舎から都会へ下りてきた彼にとって、都会の普通や当然というものが判別しようがない。もしかすると店長が床に寝ていると言うのも、もしかすると都会においては特別ではあるが驚くようなことではないのかもしれないと納得し、どうすればいいのかと途方にくれる。

 

 此処で店長を起こすのが正解なのかと少し悩むも、自分一人では判断しかねると店内据え付けの電話の受話器を取り、このバイトを紹介してきた木乃美へ連絡を取ろうと動く。

 

 

 青年は木乃美の番号を打ち込もうすると、視界の中にとんでもないモノが飛び込んできた。それは店長を気絶にまで追い込んだ存在であり田舎育ちの青年、静希草十郎にとっては異常かどうかも判断できないものだった。彼は象やキリン、ワニなどの生き物さえ知らないのだから、今、視界に映る生物の異常性に気づけないのも無理はない。取り敢えず、木乃美に電話をかけてみるが、どういうことか通じない。

 

 

 仕方がないと草十郎は自分の下宿先である坂の上に建つ屋敷の黒電話へ電話をかけた。都会の細やかなルールに疎い青年は山より下りてから頼りにしている女傑の助力を得ようと試みる。

 

『はい、もしもし?』

 

「あっ、蒼崎かい?ちょうど良かった少し力を貸してはくれないか?」

 

 電話口で蒼崎と呼ばれた女性、坂の上のお屋敷に住まう一人の魔女である蒼崎青子は、この屋敷に同居している草十郎のいつも通りな言い振りに頭を痛めながらどう言うことかを問う。

 

『待った、確か今日って木乃美くんの紹介したバイトだったじゃない。普通の喫茶店なんだから、何でもかんでも私にわざわざ電話しないで店長とか同じ店員に話を聞きなさいよ。学校で困ったことがあったら、多少なりとも融通はするけど学外は貴方が自分の力で解決すべき問題よ。草十郎、社会勉強と思って多少の苦労は飲み込みなさい』

 

 そう言い募ると、むうというぐうの音も出ない反応が電話先から聞こえてくる。とそこで青子は少し変なことに気づく。普段から屋敷の家賃を払うため、いくつかのバイトを並列して行なっている草十郎だが、彼は高い順応性を持つため並大抵の事態はどうにか出来ている。そのためバイトで困ったことがある、という相談はこれが初めての物だったのである。

 

 そんな彼が思わず、電話をしてまで相談するほどの事例。珍しいという印象と同時に木乃美という問題児の紹介したバイト先、善良な田舎育ちが困惑するような何かがあるのかもしれない。少しの当惑の末に詳細を知るべく草十郎の話を聞いたのだが、どうも要領を得ない。何でも店長が床で寝ているとか、店内に大きな狼がいるとか訳がわからん。おそらく、狼というのは草十郎が初めて目にする大型犬種のペットか何かだろう。衛生管理が叫ばれる現代で動物を店内に入れてもOKとは挑戦的な店だと思うが、店長が床で寝ているというのはあまりにもおかしい。

 

『草十郎、あんた道を間違えたんじゃない?そこ、本当に喫茶店?』

 

「失敬な、これでも土地勘はいい方だと自覚している。こんな周囲に特徴が山のようにある街中でなんてどうやっても迷いようがない。蒼崎、俺を子供扱いしていないか?」

 

 それもそうか、周囲が草や木々で囲まれて目印になりそうなものが乏しい山と違い、街には目印になりそうなものが溢れかえっているほどだ。山で生活してきた彼にとっては、よほどのことがない限り迷いようがないだろう。であるなら、場所ではなく店内がおかしいということになる。

 

 せっかくの休日、家で雑誌でも読もうと思っていたが予定を変更せざるを得ない。休み明けに木乃美君には相応のお礼をしなければいけないなと思いながら、草十郎に店の住所を聞いてそちらに行く旨を伝え電話を切る。一度、部屋に戻り、よそ行きの服装に着替えてから玄関に行くともう一人の同居人の姿がそこにはあった。光を吸い込みながらも輝くような黒曜石のごとき黒髪、人形のように美という形を具現するように設計されたとさえ感じてしまいそうになる容姿の少女。彼女は久遠寺邸の主人であり屋敷の魔女の一人、久遠寺有珠は休日は自分と同じように室内で日々を過ごす同居人が外出するという意外なことに目を瞬かせ、ジッと見つめている。

 

 不満を口にしないこそすれ、不満を決して忘れない有珠を除け者にするのはリスキーだと青子は判断し、一応だが通過儀礼的に事情を説明し草十郎がいる喫茶店に行くか聞いてみる。すると意外なことに有珠もついて行くと言い出して二階へ着替えに行った。保守的なことを絶対とする傾向の有珠が取る行動としては驚きのもので草十郎が同居するようになってから徐々に見え始めていた同居人の新たな一面。それを何となしに微笑ましくなり小さく笑って青子は変わりつつある相棒の身支度の仕上がりを大人しく玄関で待つのだった。

 

 

 

 草十郎の説明は街に来て日が浅い割りには分かりやすい説明のため、二人の魔女は特別、迷うことなく喫茶店に到着できた。喫茶店アーネンエルベの前には、給仕服を着て竹箒を手に店前を掃除している草十郎の姿が。こちらに気づいたのか、彼は軽く手を挙げてきている。

 

「やぁ、蒼崎。思ったより早かったね、急かしたつもりはないのだが急ぎ来てくれたなら、ありがたい限りだ。むっ、有珠も来てくれたのかい?それなら、中でお茶でもどうだろう。この店の厨房には紅茶の淹れ方のマニュアルがあるから、俺でも上手く淹れられそうだ」

 

「静希くん、紅茶はそんな一朝一夕で上達するものではないわ。でも、そうね。何か、ご馳走してくれるというのなら、ご相伴に預かるけど」

 

「ちょっと、本来の目的を見失ってない?今は店の問題で手助けが欲しいという事でヘルプを呼んだんでしょうに。とにかく、店内の状況の把握から始めるわよ。まぁ、わざわざ私を呼びつけたんだから、多少のお礼は期待しても良いのよね」

 

 青の魔法使いこと蒼崎のあんまりにもない言い振りに目尻に涙を浮かべ、とほほと肩を落とし草十郎は先に店内へ入っていった。そんな彼に続き青子、有珠も店内に入り近くにあったテーブル席に座る。草十郎はティーパックの紅茶を淹れてくると言い残し厨房へ。

 

「にしても、こんな店があったとはね。まぁ、立地が分かりにくいってとこもあるんだろうけど、ある意味で隠れ家的な良店ってとこかしら」

 

「あまり、こういったお店には足を運ばないんだけど、たまにはこういった落ち着いた雰囲気の場所に来るというのも悪くはないものね。紅茶の銘柄で物珍しいものがあれば、行きつけの店舗にしても良いかもしれないわ。静希君が働くというのならだけど。それにしても、こういう店というのは手狭な印象を持っていたんだけど、とても広々としていて…………こっ……」

 

 有珠の末語で意味不明な単語が溢れる。無意味な会話を好まぬ有珠は時たま、言葉を口にしようとして思い直し一言だけ零してしまうことがある。そういった一言を零した後は冷静さを取り繕い、沈黙するのが普段通りの彼女なのだが、今日は口を押さえながら青子の後ろ側の方を震えながら指差していた。草十郎にしても有珠にしても珍しいこと尽くしだなと思いながら、青子は有珠の指差すモノを見てみようと振り返った。

 

 

 

 

 

「草十郎ぉぉぉぉ!!!!」

 

 厨房の扉がけたたましい音と共に開かれる。あまりに大音量に草十郎は驚くも、それが青子だと見て紅茶を淹れる作業に戻ろうとする。そんな草十郎の肩を掴んで引っ張り、カウンターの方にまで連行する。

 

「いきなり、どうしたんだ蒼崎。呼びつけた身で文句を言える立場ではないのは理解しているが、せめてお茶を淹れてからにしてくれないと」

 

「それどころじゃない!良いから説明、あれ!何なの!?」

 

 そう言って青子の指差した先に座っていたのは広々とした店内を大きく占領する巨大な狼だった。ただ、そのサイズが異常に過ぎる。縮尺が狂っているのではないかと思うほどの巨大さで、店の内部を我が物としていた。全身に灰色の狼毛を纏う狼は薄っすらと騒ぎ立てる青子たちを見て、一つ欠伸を零し再び目を閉じる。どうやら、積極的に暴れまわるような種の怪物ではないのだろうが、魔術世界に身を置く二人の魔女にとってはこの狼の際立った異常なまでの存在感を無視仕切れなかった。

 

「いや、電話口で言わなかったか。店に大きな狼がいるって」

 

 そういや、確かに言っていた。だが、まさか本当に言葉通りの巨大な狼が出るとは思うまい。

 

「言ってた。そういや言ってたわね。草十郎」

 

「静希君、この狼は一体?」

 

「ん、実は俺も分かっていないんだ。今日、店に来たらいきなり店長が倒れてて、見回すと店にこいつが居たというだけで他に特別なことは」

 

「こんな馬鹿でかくて異常な気配を放っている狼がいるだけで十分、特別なことが起きてるでしょうが!ちょっと、草十郎そこになおれ!」

 

 青子は草十郎に更なる説明を求めたがやはり、この少年はこの異常な店に居合わせただけの無関係な一アルバイトだったようだ。これ以上の情報提供がないとなると分かり、紅茶を淹れるよう厨房へ草十郎を解放する。それにしても魔術を使っている自分や蒼崎橙子と遭遇したりと妙な存在とエンカウント率が高いのではないか?

 

 いやそれどころではない。こんな存在が店にいるというのが知れれば神秘の隠匿がどうこうという話ではない。三咲町の管理者である青子たちの管理責任になりかねない。こうなれば、この狼を隠すために結界でも貼ろうかと思うがこの狼の発している魔力などに阻害され上手く起動しない。

 

「どうする?この狼をこのまま放置するっていうのも色々と問題がありそうよ。唯一の救いは、この狼がやたらと暴れまわるようなもんじゃないってとこだけど」

 

「これなら、私もプロイをいくつか持ってくるべきだったわ。今の手持ちは片目のプロイだけ、出先でこんな場面に遭遇するなんて」

 

 二人の魔女が話し込んでいる中に草十郎が紅茶を持って戻ってきた。

 

「そんな騒ぐことでもないのではないか。あの狼も大きさには面食らったが、ああやって大人しくしているというのなら、特に問題はない。店長が起きてくるまでなら、メニューの作り方が厨房に書いてあるし俺が店を回してみるよ。心配いらないぞ、これでも接客のバイトは経験がある」

 

 そう言って胸を張っている草十郎に蹴りをかましたい衝動に駆られる青子。問題は店とか、接客の経験値とかではなくあの狼という存在の隠蔽が上手くいくかという点にあるのだが、この男何もわかっていないと見た。青子は頭を押さえて、決断を下す。

 

「問題はそこじゃないっての!もう、あったま来た。今から私たちも店員やるから、制服を探してきなさい。あんた一人に任せていたら、缶コーヒーの一つも隠しきれないでしょうが。ほら、有珠も行くわよ」

 

「なんで私まで……」

 

「私たちだけで隠し通せるものでもないでしょう。有珠なら、プロイがなくとも簡単な意識をズラす暗示も出来るし、店を回す人員も一人でも多くいた方が色々とやりようもあるでしょう」

 

 本音は自分が苦労している中で一人、同居人が紅茶を飲んでいた時のストレスを危惧してのものだが、神秘の隠匿を持ち出された以上、有珠にも断る選択肢はなかったようだ。テーブルの上のティーパックで淹れた草十郎作の紅茶を飲み切り、彼の持ってきた女性用給仕服を更衣室で着て店に戻る。

 

「ふむ、二人とも凄く似合ってると思う。それと手伝ってくれて助かるよ」

 

「どういたしまして、こんな状況でもなければ多少は喜べたんでしょうけどこう切羽詰まっていると、喜ぶよりもこの状況をどうしようかで頭が回らないわ」

 

「……そう、似合っているかしら。……たまの衣装替えなら、ええ悪くないわね」

 

 事態の収拾に必死な青子を置いて、有珠は素直に草十郎の飾り気の無いセリフに一喜一憂している。なんというか、基本的に人を寄り付かせないため多くは知るよしもない事だが久遠寺有珠という少女は飾り気のない人物を好むメルヘンチックな浪漫主義の魔女なのだった。

 

 気絶した店長をロッカーに詰めて終え、新たに三人の店員がアーネンエルベで働くことになった。もっとも、青子はこの店が隠れ家的な店でそう簡単に客が入ることもないだろうとタカをくくっていたわけだが。

 

 

 

 カラン、と軽いベルの音と共にアーネンエルベへの客が来店する。

 

「どうも〜、マスターひっさしぶり〜。ってあら?新しいバイトさん?」

 

 月光のような金髪、赤く煌めく両眼、街中に現れればそれだけで話題になりそうな美人が草十郎を見つけ、フレンドリーに話しかける。

 

「はい、今日一日だけの日雇いのバイトなんですけど、実は店長が倒れてしまいまして」

 

「えっ、嘘。あの店長が?生半可なことじゃ膝さえ付きそうにない店長が?うーん、まぁこの店ならよくあるような事なんだろうけど。それにしても貴方はともかく、貴女たち二人がバイトって冗談でしょう。現代では絶滅危惧種のお伽の魔女に五番目の魔法使いなんて」

 

 金髪の女性の軽口に二人の魔女は警戒も新たに客へ向けるとは思えないような強い眼差しを送る。

 

「本当に警戒という部分が鈍ったものね、以前ならちょっとした外出でもワンダースナッチを隠し持っていたのに。まさか、プロイ無しで外に出るほど平和呆けしていたなんて……」

 

「そうね、まぁこれからの課題はさて置き、今は目の前の問題の方に注力しましょう。見たところ、一般人というのは無理がある客みたいだし。こっちが魔法使いだって気づいたんなら、それなりの頭はお持ちのようだし。死徒じゃなくて真祖、それもよっぽどの格の持ち主じゃなくて?」

 

 

「あっ、まぁそうね。そっちのことを知っててこっちのことを何も知らせないってのはフェアじゃないし。私、アルクェイド。アルクェイド・ブリュンスタッドで〜す。貴族っていうか、どっちかっていうと朱い月の代行?真祖の姫なんて呼ばれているけど、今は平和に生活してる普通の真祖かな〜」

 

「へぇお姫様なんだ。それは凄い、山から降りて初めてお姫様を見た。木乃美達への自慢話になりそうだ。握手とかしてもらえますか?」

 

「ええ、良いわよ。それで貴方は……」

 

「静希、静希草十郎です。今日限りのバイトですが、今後とも店をご贔屓に」

 

「……って何を普通に話し込んでるのよー!草十郎!」

 

 ぺシーン、手首のスナップを効かせた平手が草十郎の頭をはたいて鈍い彼と真祖の会話を中断させた。もっとも、草十郎に真祖の危険性の何たるかを知らせていないため理不尽ということは理解しつつもどうにも彼の危なっかしいところはツッコまざるを得なかった。

 

 

 

「真祖?朱い月の代行?姫?それにブリュンスタッドとか、何でそんなのが私たちに気付かれず街中に入って喫茶店でお茶をしようとできるのよ!?」

 

 隣で青子に同意する形で有珠も頷く。

 

「えーでも、この店って大体そういう感じじゃない?どこかの異邦人でも吸血鬼でもなんのその。とりあえず、店に入れば丸く収まってしまう感じで」

 

「………………ああ、頭痛い。もう好きにして、とりあえず注文は」

 

 頭を抱えたまま注文を聞く青子、吸血鬼、真祖というワードについて有珠に草十郎が質問し、有珠は当たり障りのない答えで説明をしている。アルクェイドはメニューを手にどれにしようかと考えて、コーヒーだけでも頼もうと顔を上げる。

 

「えーっと、それじゃ……あっ!?」

 

 

 顔を上げた先には、理解不能の存在が其処に居た。灰色の毛並みと生物としての従来の常識を凌駕する強靭にして巨大な四足の獣体。その瞳の奥には死者すら灰と散らせ、生者を焼き払う異界を秘めている。いるべきではない、少なくとも人理の崩壊していないような世界で存在を確立することの出来るようなモノであるはずがない。吸血鬼の真祖、アーキタイプ、地球の究極の一に類する身でも、この狼は敵に回したくない。

 

「ちょっと、何あれ。最近の喫茶店って地獄の淵にでも開店しているの?」

 

「その反応からすると、あんたの持ち込んで来た存在ってわけじゃないみたいね。となると、この狼っぽいナニカは自分で来たの?」

 

「普段のアーネンエルベは物騒なのが集まる場所だったけど、こんな出現して即世界を滅ぼしかねないような怪物の住処になるような場所じゃなかったわよ。え、こんな存在が私の知覚外に居たとか信じられないんだけど。なに、よくこれまで地球滅ばなかったわね」

 

「ま、それは同感。あれ、魔法とか根源とか完全に無視してるでしょ。地球、というか宇宙が何度終わって出来上がれば、あんなのが闊歩するような時代になるんだか」

 

 青の魔法使いと月の姫君は異界の狼に対する同意で何だかんだ親交を深めている。とそんな二人の会話に入る形で平々凡々なのか微妙な草十郎が乱入する。

 

「……二人とも今はそれより大事な話がある」

 

 珍しく真剣な顔で草十郎はアルクェイドの方を向いて見つめてくる。

 

 

「アルクェイドさん、ご注文は?」

 

 蒼崎青子のハイキックが草十郎めがけ飛び、それを山育ち特有の奇跡的な挙動で回避した草十郎とぼんやりと事態の推移を黙して見守る有珠、そしてそんな三者三様に圧倒されるアルクェイド、事態はどのように見積もっても混沌の坩堝にはまり込んでしまっているようだった。

 

 

「わぁ、これ美味しい。有珠、紅茶を淹れるの凄く上手いのねぇ」

 

「ええ、意外なことにこの店、茶葉だけは良いものを揃えてあったようだし。それなりに弁えているような人なら美味しいものを提供できたのでしょう」

 

「ああ、有珠が居てくれて本当に助かる。紅茶の淹れ方はマニュアルがあったが、やはり美味しいものを淹れるというのは容易ならざるものだからな」

 

「それは良いけど、アレ本当にどうするの。今のところ、横になっているけど、下手に動かれたり店の外に出ようものなら大惨事確定。神秘の秘匿どころじゃないわ」

 

 どうも青子以外の面子は、まともに事態を理解していないようでのほほんとした雰囲気を漂わせ、不安になって仕方ない。ダメだ、割りと早くどうにかしないと。

 

 

「美味しい料理を出して見るというのはどうだろう。幸いなことに、この店の料理のマニュアルにはペット用のものがあった。ちょっと厨房に行ってくるから、蒼崎に有珠は此処でアルクェイドさんの話し相手をしてくれると助かる。今はそれほど忙しくもないしね。それじゃあ」

 

「って、草十郎!?アレ、君が思っているような動物とかとは外殻とか内核からして違うんだけど!?あれが喜ぶのって、魂とか人理とか喰らうっぽい……行っちゃった」

 

「心配しすぎるとバカを見るわよ。月のお姫様。あれであいつは“こっち”(魔法使いの夜)の主人公の一人なのよ。そう簡単には死なないわよ、なんせ一度実際に死に目に合ってるんだから。それになんだかんだとあいつって上手くやるのよね。危険を察知して、それを回避したり解除したりするのが」

 

「へぇ、魔法使いからそこまで太鼓判を押されるような人だったなんて。人は見かけによらないものね。もしかして、なんでも殺しちゃうような魔眼を持っていたり、剣からビーム出したりとか出来る人だったの?やっぱり、彼も特別派手な隠し球を……」

 

「いや、別にあいつそういう珍妙な芸はないけど。そんな物騒なものを持って学生やってる奴なんて普通に考えればあり得ないでしょうに。いや、まぁ徒手格闘(ステゴロ)が異常な腕で千年級の幻想種もただの拳打(パンチ)肘打ち(エルボー)でダウンさせられるんだけど」

 

「何それ、怖い。普通の一般人が何の神秘も無しで幻想種を沈めるとか。それどうすれば、今みたいな関係に落ち着いたの?大体、彼との初対面の時はどんな感じだったわけ。まさか、初対面で唐突にお互いの顔目掛けて拳を叩き込み合ったとか?そっちは物騒ね〜」

 

 

 そういって、紅茶に口をつけるアルクェイドを横目で見る有珠。彼女の所感では、真祖の吸血鬼の日常生活はこちらを上回る物騒なものだと思うが、言わずが花ということで口には出さず自分で淹れた紅茶で喉を潤し草十郎が入っていった厨房を見つめている。

 

「どんな不良漫画よ。そんな初対面、世紀末でもなきゃ流行らないっての。大体、物騒だどうだと言えた柄かしら。真祖の吸血鬼が街中、ウロチョロしてるのよ。聖堂協会やら同じ真祖、死徒たちまで物騒なこととの遭遇率は貴女の方が上なんじゃない?」

 

「ん〜言われてみれば。私って志貴と初めて会った時に十七くらいに腑分けられたし。まぁ、それで今の私がいるんだから、あまり気には止めてないけど」

 

「いきなり、ブッ込んで来たわね。しかも特大のを。少なくとも物騒さならそっちが上よ。こっちはエロ無し、バッドエンドも基本無し、ルート分岐とかも無しの洋館で雑居するだけの極めて真っ当な世界観だから。そっちみたいな伝奇活劇で切った張ったがどうこうという血生臭いのはないから」

 

「そうね、基本的に自分で手を汚すような雑事はあまりないし、静希君がベオを退治した時とかくらいじゃないかしら、血生臭いような事が起きたのは」

 

「本当かなぁ〜実は青子たちも物騒な事をしてるんじゃない?」

 

 アルクェイドのセリフに思うところがある青子、有珠は目を逸らし誤魔化す事に。それを見たアルクェイドは草十郎も中々に苦労しているのだなと察し、まぁ自分が口出しするようなことでも無しと紅茶へ手を伸ばす。それにしても背後の狼の存在を見て魔術や怪異への知見に乏しそうな草十郎があっさりと事態を許容している事は内心、驚いている。異常への順応性が高いのか、それとも“異常を異常”と認識できないために順応することしか出来ないのか。

 

 

 まぁ、その辺りは自分が考えても詮無いことか、と考えるのをやめカップを手に取る。基本的にこの場所では喧嘩乱闘は起きにくい事になっている。かといって余計な波風を立てる必要もない。

 

「あれ?大分、楽しそうに話し込んでいたが、もう打ち解けたようだね。やはり、女性同士というのは話し込みやすいのかな」

 

「余計なお世話よ。大体、あんたの素っ頓狂な電話で今、こんな事態になっているんだからね。ちょっとは悪びれるくらいしなさい。というか、あの狼に美味しいものを持ってくるって言って厨房行ってたじゃない。何か、持って来たんでしょうね」

 

「ああ、これお高めのドッグフード。一皿分だけでなんと俺たちの一日ぶんの食費を軽々と超えるお値段だ。いや、都会というのは凄い。動物にここまで贅沢させる余裕があるとは」

 

「いやちょっ!?ドッグフードって!?あんな姿でも中身は誰だろうと対処出来ない怪物よ。草十郎みたいな子が出ていけば、あっという間に丸かじ……」

 

 

 会って間もないアルクェイドが必死で止めようとするが、草十郎はドッグフードの載せた皿を巨狼の前にそっと置いてにこやかな顔をしている。それを引きつった顔で見ているアルクェイド、対し少し呆れ気味の有珠と青子の二人組。灰色の巨狼はその両眼で草十郎を見つめ観察している。

 

 ジッと、巨大な狼とただのありふれた一人の人間が目と目を合わせ対峙する。その時間は長かったか、短かったか。両者、動くことも無く互いの変化と一挙動の全てを観察する。それは達人同士の相対のようでも、はたまた子供同士の見つめ合いのようでもあった。互いの目と目を合わせた対峙の時は巨狼の動きと共に唐突に終わりを告げた。巨狼は草十郎の置いたドッグフードをやむを得まい、と行った仕草をして僅か数秒で完食してしまった。

 

 それを近くより見ていた女性陣は草十郎の行動に驚いていたり、相変わらず妙な幸運を持っているなと感心させられたりとなんだかんだで草十郎の株は上り調子であった。

 

「草十郎って何時もあんな調子で生きてるの?無鉄砲とか無茶をするとかいうレベルじゃないわよ。彼、よく魔術世界と関わって生きていけるわね」

 

「常態、あの調子だからこそ生きてこれたのよ。むしろ、ああいった性格じゃない人間だったら、私の屋敷に住まわせてないわ。普通ならプロイの餌食、かしら?」

 

「まぁ、あの人畜無害さというか、文明慣れしてないせいでどこかズレてるから、魔術世界のことを知って関わろうと、なんだかんだで上手くやっていけるんじゃない?まぁ、もっともなんだかんだっていうところがミソで、少しの油断とかでヒドイ目に遭う恐れがあるんだけど」

 

「さっきまで物騒なこと無し、血生臭いこととは無縁よ〜なんて貴女達言ってなかった?今の話を聞いて、やっぱり草十郎って酷いことに巻き込まれて来たんじゃないの?」

 

 アルクェイドのジト目による質問にも坂の上の魔女たちは涼しい顔で席を立ち、カウンター側や厨房へ戻っていった、草十郎は何やらあの巨狼を一撫でして厨房へ帰還していく。アルクェイドは二人の坂の上の魔女と魔女の同居人が型月の主人公格であることを再確認するのだった。

 

「さすがね、なるほど三人全員が主人公クラスっていうのも頷けるわ。もう少し私も個性を磨かないとダメかな?朱い月のお姫様っていうの地味だし、魔法少女ファンタズムーンで劇場版やんないかしら。そうすれば、私も銀幕ヒロイン。夢の映画スター……」

 

 そんなアルクェイドの夢見がちなセリフの途中で店奥の巨狼が地の底から響くような重低音で一鳴きする。彼女は鳴き声のした方を見ると、そこには存在する世界を間違えた、もしくは存在を確立するのが数千年クラスで早い獣の存在を思い出す。

 

「そういえば、まだこの狼がいるんだった〜!!青子〜有珠〜、草十郎ぉ〜!誰でもいいからこっちに居てぇ〜!食べられちゃう〜〜」

 

 

 




安定の巨狼道場にて

「シフです。とうとう『狼』としか呼ばれないようになってもシフです」


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第二話

 喫茶アーネンエルベ。異なる世界と場所に交わる一種の特異点。(いわ)く、全てがあり得る奇想天外な土地。そこは万象遍く可能性の交錯する場であり、同時に全てを許容する空間である。このようにお題目を打ち立ててみても、つまるところなんでもありな無礼講の乱痴気騒ぎを許されるというだけの場所こそが喫茶アーネンエルベなのだ。

 

 今日のアーネンエルベは常とは少し店内の雰囲気が変わっていたが、なんとか店は原型を保っている。店の奥に座す灰の巨狼は恐れ知らずの純朴少年、静希草十郎から出されたドッグフードを完食してから動きはない。それを観察、いやこの場合は警戒している金髪赤眼の女性。どちらもやろうと思えば喫茶店どころか惑星規模の破壊をもたらす極大の危険な存在。片や異界より来訪した魂魄を喰らい自己を拡張する究極に数えられる一個体(アルティメットワン)。そして、女性の方も地球という惑星における究極の一に該当し得る原型存在(アーキタイプ)。普通ならば喫茶店でどうこうしているような存在ではないのだろうが、まぁ異例中の異例というやつだろう。

 

 そんな二体の怪物たちがいるフロアの裏側、スタッフのいるべき厨房では青子と有珠たちに草十郎が談笑しながらも、注意を払ってフロアを見ている。もっとも草十郎は店で狼が暴れれば掃除が大変だからという少し気の抜けるような理由なのだが。正直、あの獣が暴れようものなら店どころか周囲がごっそりと削り消えるだろう。それを正確に理解する魔女の二人は獣と吸血鬼の姫君を注視しているが、有珠がどうやら飽き始めてきたこともあって青子は自分がしっかりしなければと腕を組んで事態の推移を見守る。

 

 そんな彼女の緊迫した雰囲気を汲み取れない山育ちの青少年は、にっこりと微笑んで一言。

 

「蒼崎、そんな怖い顔しているのは接客業としては、如何(いかが)なものか。今、有珠が紅茶を淹れてくれたんだ。少し休憩するといい」

 

 事態の重さを何も知らない少年の言葉にこめかみを痙攣させ、青子は無言で草十郎の首に巻かれた首輪の魔術を起動させる。魔術の発動により彼の首輪が所有者の首を絞めにかかった。それは止めてはいけない頸動脈ももちろん、締めつけているので草十郎は十秒としないうちに顔を青くして手をパタパタと振り、“勘弁してくれ”とギブアップ宣言のジェスチャーを行った。

 

 少年の必死の懇願に溜飲を下げた青子は魔術行使を中断、厨房に備えられた席に座り紅茶に口を付けた。自身の相棒が手ずから淹れた紅茶、店にあった高めの紅茶を使っているだけあって流石に美味だと感想を頭に浮かべる。青子の対面に腰掛けている有珠は紅茶や店にあった選りすぐりの高めなお茶菓子を厨房のテーブルに乗せティータイムに勤しんでいる最中。

 

 そんな彼女たちを見て、これはフロア方面のサポートを期待できそうにないと悟った草十郎は新たな注文やお客が来るまでフロアの方で待機していると彼女らに言い含め厨房を出ていった。青子たちは、店にいくつかの探知、探索魔術を仕掛けて店内の様子を厨房から観察する。つまり、魔術による監視カメラもどきということになる。これで何があっても事態の把握は可能ということになる。まぁ、若干慌て気味の吸血鬼のお姫様と草十郎が話し込んでいるのを見ている有珠の機嫌が下降傾向にあるのは困りようではあるが。

 

「それにしても吸血鬼の姫様なんて規格外を相手にしてアイツ、よく笑っていられるものね」

 

「彼、こちらの常識に疎いから。私たちも彼女もちょっと変わったところがあるだけという認識で行動しているのでしょう。……それよりフロア担当が一人だけという喫茶店は不自然じゃない?」

 

「それ、私もフロアに出て接客しろって言ってる?」

 

「遠回しに言ってみたのだけれど、不満?」

 

「草十郎はともかく、なんで私まで向こうで愛想振りまかなきゃいけないのよ!」

 

「私、そういうの(愛想よく接客)は苦手だから。青子なら得意でしょう。生徒会長も務めている経験もあるでしょうし、厨房で店の監視なら私一人で十分よ。それなら余暇のある貴女がフロアで静希君の補佐に回る方が効率的でしょう」

 

 有珠がもっともらしいことを順序立てて話しているが、要するに月のお姫様と草十郎の二人きりの会話が不満だから、私が行って中断させて来いというわけか。それだけ不満なら、自分で草十郎を連れ戻せば良いものを。この回りくどい真似は異性なら可愛らしいと感じるだろうが同性の場合だと七面倒としか感じられない。まぁ、フロアをあの山育ちに任せっきりが怖かったのも事実だしフロアに行く気は元々あったから、特に反対する気は無い。

 

 けど、どうせ私たちがフロアに行けば、今度はこっちが退屈になり自分から出てくるはずだ。それなら、最初から出てくればいいと思いつつ、青子はエプロンを軽く整えて厨房を出る。自分のとこの可愛らしい相棒が拗ねるのも面倒だし、草十郎を連れてこようとすると店奥の方に横になっている狼と目が合った。

 

 背筋に冷たい何かが走る。あれは危険だと魔法使いとしての思考が空転し、人間としての思考が恐怖を訴えてくる。巨狼が前脚を動かした時、咄嗟に腕を翳して魔弾を撃とうとして。

 

「蒼崎、ちょっと待った」

 

 制止を受けた。

 

「此処では物騒なのは無しで行こう」

 

 草十郎の普段通りの語りに腕の力が抜けていく。彼のお陰で冷静になれた、魔術とは何の関わりも無いし持つこともない青年だからこそだろうか。素直に感謝できる可愛げに欠けていることは自覚しているが、此処は直接礼を言うべきか。

 

「草十郎……その、さ。ありがとう」

 

「むっ?ああ、まぁどう致しまして」

 

 いきなり礼を言われ、目を白黒させた草十郎はよく分からないまま礼を受け取り、横になっている巨狼の近くにまで寄って行ってご機嫌を取るように狼の鼻先を撫で始め……

 

「いやいや!その狼がとんでもなくヤバい怪物だって、今の流れで分からんのか!?マズいってば、そいつ身動きすればあんたなんてすぐさまミンチに出来るの!」

 

「そうかな、こうして大人しく横になっているし躾けはきちんとされていると思うが」

 

「こんな怪物相手に躾けとか出来る奴がいれば世界は今頃滅んでるわよ」

 

 そうかなぁ、と首を傾げながら草十郎は巨狼から手を離してカウンターの方へ戻っていく。それを見ていた青子とアルクェイドは頰を引きつらせ、“店で一番肝が座ってるのは草十郎”だと目配せをし合うのだった。すると、厨房から有珠が珍妙なものを抱えてフロアへやってくる。

 

 カウンターという厨房とフロア両方に近い関係もあり、それを最初に目撃したのは草十郎だった。

 

「……有珠。なんだい、それ?」

 

「猫よ」

 

「猫なのか」

 

 気の抜けるような会話にまたぞろ厄介なものでも持ってきたのかと青子がカウンターの方を見ると、そこには有珠に抱えられ脱力しきった猫、いやネコ耳はあるものの猫というには些か奇妙なナマモノ。直立の二頭身で、目がデカく、造形も奇怪なそれは端的に言えば不気味、酷な言い方をするならキモかった。

 

「どーも、猫です。……いにゃ、そうじゃねー!お嬢さん、いきなり無実のキャットをひっ捕らえて晒しもんとか、鬼畜すぎゃ〜しない?というか、アニメでも銀幕でもにゃいから、容易に手駒に出来ると思いきや衝撃的な予想外!会話する暇さえ無いまま打撃をもらったゼ」

 

「有珠、この猫?はどうしてこんな弱っているのかな?」

 

 草十郎の質問に軽く口元に手を当て、ごく自然にお伽の魔女は回答する。

 

「さっき、不意に現れて私を捕まえるなんて、口走るものだから近くにあったニボシ入りの袋で頰を叩いたの。静希君、これどうしましょう?」

 

「……手加減抜きのフルスイングだったにゃ〜。しかも袋詰めニボシ……意外と固い……」

 

「そりゃ、ニボシ入りの袋で叩かれるなんて経験する人、そうそういないだろうね。ところで君は最期の言葉が“袋詰めニボシ、意外と固い”なんてので良いのか?」

 

 有珠から渡されグッタリした猫っぽいナニカをカウンター席に乗せ、草十郎は謎の生命体とのコンタクトを試みる。そんなシュール過ぎる光景に青子とアルクェイドは絶句していた。

 

「うっわ、また出た。あのナマモノ。ほんと、どこでも急に現れるものねぇ。きちんと退治しておかないと、あっという間に増えちゃうわよ。青子……って、どうしたの?」

 

「ーーーあの微妙過ぎるビジュアル、珍奇なスタイル、加えてエセっぽい猫要素、総合的に言えば不気味な未確認生命体だけど……うん、個人的に有り」

 

「しっかりした良い子だと思ったんだけどなー。青子、趣味の方が……」

 

「彼女、そういうところがあるから。静希君の首輪だって、彼女の案で着けられたものですし。ええ、ロックなのよ。全体的に趣味が」

 

 猫もどきを見て、頷く青子と青子の一面を見てリアクションしているアルクェイドと有珠。草十郎はあのナマモノと何のわだかまりも無いまま話しをしている。

 

「蒼崎、すまない。このネコ、アルク?さんが冷やしたいから氷を持ってきてくれと」

 

「っ!し、仕方ないわね。すぐ、持ってくるからジッとしてるように。良い、くれぐれもジッとしているのよ」

 

 そう言い残し、青子は厨房の方に駆けていった。ネコアルクの耳を凝視していたことから、おそらく撫でる気満々らしい。そんな弱り切ったネコアルクはチラリと店奥の方に意識を向ける。すると、そこにいたのは厳つい面相をした巨大な狼の姿が。

 

 

「ンニャーー!!何ですかー!いつから平和な喫茶店が世紀末もビックリな殺伐空間にぃ!」

 

「そんなに怖がることはないと思うが。さっきから大人しく横になっているだけだし、そこまで驚くようなことでもあるのかい?」

 

「ヘーイ、ボーイ?逆にあんな生命体が世界に解き放たれたら、どうなると思ってるん?世界は三日で火の海、というか滅亡だニャー!!絶対に軽いギャグでもガチ対応するヤツじゃにゃーですか。あちし、大抵のことならギャグ補正でどうとでも復活出来るけど、あの狼さんはギャグ補正だろうと魔法だろうと問答無用で貫通してくる攻撃を繰り出すカ・イ・ブ・ツ。相性、悪すぎニャー!!」

 

「怪物具合で言えば、直立不動で人語を使い熟す猫も相当だと思うんだが……」

 

「まぁ、あの巨狼を相手に冗談ふっかけるほど向こう見ずではなかったようね。あー良かった。下手すると店というか惑星もろとも灰にする怪物だもの。というか、何処から来たのかしら?あれ、吸血鬼の真祖とかよりも希少で危険な異界存在のはずなんだけど」

 

「その割には静希君、普通の動物みたいに撫で回してたけど?アルクェイドさん、貴女も試しに撫でるのに挑戦してきたら?」

 

「ブッハ!?有珠、無茶言わないでよ。あれってば、この私でもどうしようもない位階に生息してる獣なのよ。迂闊に近づこうものなら、あっという間に……うっわ、想像したくないんだけど嫌に絶望的な想像しか出来ない」

 

「ん?でも、そう言う割にはアルクェイドさん、店を出ないのだが、どうしてなんだ?」

 

「そりゃ、危険だからでしょ。店を出るとき背を向けたら食べられちゃうかもだし、ほっといて私の預かり知れぬところであの巨狼が世界を滅ぼすために動き始めたらお終い。だったら、危険でもある程度は近距離にいた方がマシってもんよ」

 

「そういうものか、都会の喫茶店というのは世界の危機にさえ対応しているものなんだな」

 

「いや、にゃいから。そんなアポカリプスチックな喫茶店」

 

 冷静なのか天然なのか余人には判断しにくい淡々とした草十郎の呟きを、ギャグ担当だが他にするべき人材がいないためにネコアルクがツッコミを入れる。それを見ている灰の巨狼は、ただ沈黙を守り巨大な壁のごとく店の奥の方で横になったままであった。

 

 

 

 

 

 それに気づいたのは全くの偶然だった。春の麗らかな日差しに当てられてか、フラフラと気の向くまま黒髪の麗人は街中を徘徊する。この年頃の少年少女にとっては目的地を定めてのきっちりとした行動を行う者の方が少数派に属するだろう。そんな年相応の無目的な散歩の末、路地裏へと入り込みその先でとある喫茶店を見つけた。

 

 “喫茶アーネンエルベ”

 

「?へぇ、これまた珍しいところに出店したもんだな。前来た時は色々と騒がしい奴らがいて落ち着くどころじゃなかったが退屈はしなかった。さて、入ってしまえば面倒ごとが起きるだろうが、まぁこんな平和な日に敢えて愉快そうな場所に行くのも面白いさ。……幹也の奴も今日、仕事で相手してくれなさそうだしな。時間潰しにはなるか」

 

 “和服に革ジャン”という不思議なコーディネートの女性は、ベルの付いた扉を押し開いて少なくとも退屈だけはしなさそうなギャグ空間へと来店した。

 

「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」

 

「ああ、連れは居ない。……そうだな、落ち着けそうな奥の席とか空いてる?」

 

「むっ、いやすいません。今は奥は使えないんです。テーブル席かカウンター席なら、すぐにご案内できますけど、どうですか?」

 

「ふーん、じゃあテーブルで。どっか空いてるなら日当たりとか気にしなくていいから」

 

「はい、わかりました。あ、ご案内する前に一ついいですか?」

 

「なに?日替わりとかのありがちな宣伝なら聞き流すけど」

 

「いや、そうじゃなくて。当店、物騒なことはなるべく避けるようにしているんです。だから、そちらも腰の帯に差してある短刀は抜かないで貰えれば」

 

 まるで今日のおすすめをマニュアル通りに勧めているかのようにアルバイトの青年は、短刀を携えてやってきた女性、両儀式の仕込みナイフをごく普通に看破した。そのにこやかな態度と話し方からは予想もつかないセリフを聞いた式は目を瞬いて青年の肉体に焦点を当てた。

 

「はは、面白いな、あんた。こっちは気取られないよう意識していたのに、そんな当たり前みたいに見破るなんて。喫茶店の給仕をしているにしては感が良すぎやしないか?それに仕込み武器は女の嗜みだろ、そんな風にあっさり仕込みナイフを見抜いた奴が物騒なことは無しっていうのも説得力に欠けるね」

 

「別にそんなつもりはないんだけど。仕込み武器に関しては雰囲気と帯周りに違和感を覚えただけで、何も驚くようなことではないから気にしないでください。普段なら気づかなかっただろうけど、今日は接客って事でお客に集中してたから分かったようなものですし」

 

「集中された、されなかったで気づかれるほど、やわな隠し方はしてないんだけどな。あんた、相当の使い手だろ。それも接近戦、いや徒手格闘かな。武器はその総身、磨いた技を以って命を絶つってとこ?さすがアーネンエルベ、こんな普通の人間でここまで外れた変り種がいるなんてな」

 

「……随分な言われようだ。あいにくと俺は殺し殺されたなんて面倒ごとは御免被(ごめんこうむ)る。それにいくら不穏な事をいっておいても、君だって分かっているんだろう。……人殺しはいけないことだ」

 

 草十郎の一言は先ほどまでとは違った重さと実感の込められた独白だった。それを聞いた式は、フラれたかと肩を竦める。最初からこの青年は命というものの在り方を理解する人間だったというだけの話。それなら、この実直な青年に花を持たせるため今日一日は物騒な事を抜きにして茶でも飲むことにしようと式は案内された席へ着いた。

 

「なぁ、これも何かの縁って事で名前聞かせてくれよ」

 

「静希、静希草十郎です。そっちの名前も聞き返すのが礼儀なんだろうが、すまない今はバイト中だから長話をしていると蒼崎に叱られる。それじゃあ、お冷やを持ってくるけど注文が決まったなら呼んでください」

 

 蒼崎というワードに引っかかりは感じたものの、草十郎は話し終えるや否やカウンターの奥、厨房へとすぐ移動してしまった。こうして手持ち無沙汰になったところで都合よく、横から聞き覚えのある声がしてくる。

 

「やっほー、式。久しぶりねぇ。調子が崩されたみたいだけど大丈夫?流石の貴女も草十郎の天然無害っぷりに毒気を抜かれてきたってところかしら」

 

 からかうようなアルクェイドの声を聞いて式は隣り合った席にいた吸血鬼を認識した。

 

「ん?ってお前、バカ女。また、かち合ったのかよ。つくづく奇縁だな、オレたち」

 

「そっちの憎まれ口も相変わらずね。というか、いい加減バカ女はやめてほしいと思いまーす。これでも私はできる女なんだから」

 

「出来るって何がだよ。ドジか?それともヘマか?うっかりってのもあるぜ?」

 

「どれも違うから〜まったく、口と性格の悪さは相変わらずの筋金入りね」

 

 口角を上げ、互いに互いを揶揄う軽口での鞘当てを済ませた式は置いてあったメニュー表を眺め、そんな式にアルクェイドは憂鬱そうに話しかける。

 

「式も災難ね、というか面倒なことのある場所に居合わせるのも才能なのかな?」

 

「まぁ、此処じゃ面倒で愉快なことが起こるのは日常茶飯事だろ?にしても言うじゃないか、あんたとやりあえるってんなら、良いぜ。災難もろとも斬り伏せ殺してやるよ。もっとも、物騒なことは無しだって、さっきの給仕の奴が言ってたんで、こっちからは仕掛けないけど」

 

「違う違う、災難って私じゃないって。もっと、ヤバいの」

 

「はぁ?じゃあ何か、さっきの草十郎、お前がそんな警戒するほどの達人なわけ?」

 

「いや、そっちも違うわよ」

 

 そこまで言ったところで、アルクェイドの席の近くでグッタリしている猫型の怪生物を見かけた式は苦々しい顔をする。

 

「またかよ、そのネコっぽいナマモノいい加減出番多すぎやしないか?確かにこいつは面倒の種で災難の元か。そんなとこに置いておかないで、店の外に放り出せばいいのに」

 

「あ〜、こいつも外れ。というか、これならまだ可愛げがあったんだけど……」

 

「ふむ、じゃあ草十郎が言ってた蒼崎の関係者?橙子の知り合い?」

 

「少なくとも人間じゃない」

 

「謎かけじみてきたな。じゃあ、あれだウチのドル箱の王様じゃないの?」

 

「……いや、そうじゃニャくて。あちきですらドン引く災害クラスのトンデモ生物なんです」

 

 そう言ってネコアルクとアルクェイドは式の座った方とは逆の店の奥の方を指差す。確か、草十郎いわく店の奥は今は使えないと言っていたが……

 

 

 絶句した。少なくとも感じ取れる限り、喫茶店にいること自体に違和感を抱く巨大な獣が鎮座していたのである。危険という認識が芽生え途端、腰の帯に差していたナイフを抜く。先ほどの草十郎との約束を忘れたわけではないが、此処に存在を固定化している獣には約束、義理、信念、誇り、全てをなりふり構わず生き残るため全霊を以って挑まねば柘榴(ざくろ)と散る未来が現実のものになる。

 

 獣の肉体に死の線が“存在”しないことを確認し、奴の正体を探るように魔眼が持っている全能力を稼働させる。元より死の概念の可視化など「」に繋がる『両儀式』の持つ能力の一端に過ぎない。直死の魔眼、世に言うところバロールの権能に匹敵し得る魔眼は、万物を殺すのではなく対象の終焉を確定させる未来視の究極。生の果て、未来に存在する未来を直視する魔眼。

 

 そう、死とは生きる全てが辿り着く逃れることのできない未来の果て。それを認識する魔眼に死が映らない怪物など、人の生きる社会にとって危険でしかない。式は両眼の機能をフル回転させ、巨狼の終焉を見極めようとするが、巨狼の死の線は相変わらず映らないまま。

 

 己の無機質な死のイメージだけが増幅し、自分の息遣いが遠いもののように感じ始めた。

 

 もはや、これまでかと蒼の瞳を閉じた式は意識が薄れていき、此処に式ではなく『両儀式』と呼ばれる世界の極点、最大級の掟破りが顔を見せた。

 

 閉じられた瞳が開かれ、それに呼応して変化が生じる。式の髪が腰のかかるまでに伸び、彼女の普段着である革ジャンと着物が刹那に十二単の豪奢な着物へ変わっていった。それに合わせ、式の持つ気配も人のそれからある種の超越者としての気配を漂わせる。

 

 彼女はもはや、式にして式に非ず。彼女こそ「」の位階に位置する意識の具現。その名を“両儀式”、根源より世界を俯瞰し夢として観測する絶対者なり。両儀より根源へ至り、太極にて世界を見つめる者。彼女は式の見る夢のような存在、普通ならば生まれることも目覚めることもないはずの阿摩羅の意識。世界の法則にさえ干渉する彼女が現れた理由、それは自己生命の保存という生命本能による行動に他ならない。

 

「ああ、酷い悪夢ね。殺そうにも殺しようがない魔物と出会うなんて。全く、軽い気持ちで暇を潰そうとして寿命をすり減らしたのでは、元も子もないじゃない。先立たれることになる彼の気持ちも考慮しなさい。ああ、こんな快い昼下がりに似合わない悪夢だこと」

 

「にゃっ!?にゃんと、こっちの銀幕ヒロインの中の人が出た!お〜、これにゃらあのギガントな狼だって子犬の前脚を捻るかのごとくスッパーンと両断してくれるはず!まぁ、出来たら店内のガチ戦闘は避けて欲しいんだけど、店の外でお願い出来にゃい?」

 

「なら、直接あんたがあの狼と彼女の間で言ってきなさいよ。間違いなくミンチか刺身かの二択でしょうけど。というか、まさか一目で境界の具現が出張ってくるとか、今日のアーネンエルベは本当に危険地帯だったかぁ〜。これはどこかの惑星から別の怪物でも引っ張り込んでこないと収拾つかないわね……」

 

 店内に新たに現れ、入店した両儀式は蒼眼を瞬かせ手に握るのは一本の日本刀。巻き込まれまいと離れる真祖アルクェイドと謎の怪生物ネコアルク。そして、騒動の発端である巨狼は我関せずを保った状態で伏せたまま牙と爪を寝かせているようだ。

 

「“あの狼”はこちらの法則の上位に立っている、だから死の概念もどのような攻撃も無意味に帰すのでしょう。そうね、私が此処でどう足掻いても、どんな行動をしても殺されるでしょうね。この時代、この世界線においては巨狼を殺す手段は存在しない。何故なら、この宇宙の終焉の果てから来訪した魔物なんですもの。如何に死を見通す魔眼だろうと死の権能を持つ神性だろうと死の彼方に位置する貴方(巨狼)は打倒しようがない」

 

 両儀式は諦めを口にしながらも諦観を容認しておらず、“だけど……”と彼女は言葉を繋ぐ。

 

「今の時間軸と世界線で貴方を殺せないのなら、貴方を傷つけ、殺せることが可能になるような時間軸と世界線を創り上げればいいのよ。それがどんな地獄を呼び寄せることになっても、あの子と彼の幸福な世界を壊させはしない。さぁ、殺し合いましょう。そうね、これは私の言うべき言葉ではないのでしょうけど、貴方がどれほどの怪物であろうと、生きている限り殺してみせる」

 

 アーネンエルベ、いや世界が両儀式の静かなる号令に応じて姿を変えていく。それは不死の時代、火の時代の世界の上書き。世界の表層面(テクスチャ)が悍ましい深淵の侵食を受け深みを増す。それは平常時の世界のルールから逸脱した異界。

 

 そう、これこそ現在の世界では傷つけられず殺すことの不可能な怪物を殺すことが可能になる唯一の手段にして、暗黒の異界法則。

 

 舞台が整ったとはいえ、両儀式の勝算は限りなくゼロに近い。如何に巨狼を殺しうる時代に世界を整えつつあっても、それは元々相手のフィールド。殺すことが可能になっただけであって、実際の戦闘では肉体や能力の基礎性能(スペック)で劣っている。勝てるかより逃げることを選択する方が生存の目はあっただろう。けれど、彼女は自分の中の自分と平凡な彼の幸せを願っている。

 

 式は両儀式の見る夢で、両儀式は式の見る夢だ。乙女が夢を守るということに理由など不要。此処に怪物の極致、最悪の魔物である巨狼との決戦に臨む。

 

 死が廃絶された不死の時代。全てが火へと焚べられる火の時代。

 

 昏き魂(ダークソウル)が今、アーネンエルベに浮かび上がり……

 

「……いや、だから物騒なことは外でやってほしい」

 

 メニュー表と水を持ってきた給仕の一言が、そこに待ったをかけた。

 

 

 

 異界化された喫茶店の一角が、召喚者の意識の緩みによって解除されたことで元の喫茶店としての風景を取り戻す。それを成し得たのは勇敢な勇者でも悪辣な外道でもなく、どこにでもいる高校生の手柄だった。まぁ、山育ちの幻想種だろうと素手で打倒する技量の男子高校生というのは全体的に見ても少数派だろうが。とにかく、異界化を思わず解いてしまった両儀式はお絞りと水を持ってきた青年に驚きの目を当てる。

 

 

 

「いや、驚くのは仕方ないにしても店の内装を勝手に変えてしまうのは店員としていただけない」

 

 いや、内装というか世界法則を変えられたのであって、実際は世界の窮地的なものだったのだが、草十郎にとっては刀を持ち出して内装をいきなり変えられる程度としか感想はない。物騒なことは勘弁してくれと言い残して両儀式が虚空より持ち込んだ刀を回収し、“それじゃあ”と言い残しシリアスが唐突に壊されてオロオロしている両儀式を置いて草十郎は厨房裏(バックヤード)に引っ込んでしまった。

 

 なお、厨房の方に戻った草十郎は氷を持っていこうとした青子とすれ違う時、刀を持っているところを捕まり青子に渾々と説教を受けるのだが、それは割愛するとしよう。

 

「……静希君、こういうあり得ない状況でもマイペースね」

 

「えっ、それ有珠が言っちゃう?私も大概、自分のペースは崩さないけど有珠も相当なもんじゃない?まぁ、草十郎があそこまで我が道を行く系の男子だったとは思わなかったけど。日本の男子って草食なんて言うけど、あんな草食動物がいたら肉食なんて絶滅するわよ」

 

「というか、いつまでこっちで休憩中なのかにゃ〜黒髪のお嬢さん。ぶっちゃけ、店員なんでしょ?だったら、せめてカウンターあたりにいた方がいいんじゃにゃいか」

 

「私、こういうの向いてないみたい。それに静希君だけで十分にお店が回るのだから、別に私が動く必要もないでしょう」

 

「にゃんという女王様気質!?」

 

 有珠やアルクェイドたちの雑談を聞いているうちに、両儀式も我に返り会話に介入をする。

 

「……ねぇ、貴方たち。あの巨狼がいるのに、どうしてそこまで落ち着いていられるの?」

 

「というか、私が説明する前に式ってば切った張ったを選ぶんだもの。あれは今の所、こっちが刺激しない限り動くことがないから心配はないわよ。なんせ、草十郎がドッグフードを出しても暴れ出さず完食したからね。そういうことだから、ご心配なく」

 

 首を傾げた様子でいる着物の麗人は青子に叱られている草十郎の方へ視線を向けた。

 

「でも、まさか空の具現が出てくるなんて。今日のアーネンエルベは本当に魔窟ね。あ、そうだ。さっきの召喚しかけた異界、本気でヤバイから使用は禁止よ。あの異界だけど私でさえおっかなくて認識さえできないキワモノの極みだから。何、あの死んでも殺す、生きてれば殺す、人だろうが人外だろうが殺す、とにかく殺すって異界は。殺意過剰すぎじゃないかしら?」

 

 青ざめた顔で愚痴るアルクェイドはテーブルに置かれた紅茶を手にする。一方の両儀式はどうやら、危険は無いということを理解したから、具現化している必要はもうないのだが式に戻れていない。

 

「あ〜、あの狼がヤバ過ぎるせいで安全って分かっても本能の部分で動けにゃいのかも」

 

「そんな、嘘でしょう。ここはもう私は退場して式と変わるはずじゃないの?」

 

「戻れにゃいのだから、ここは素直に楽しんでおこうぜ。あちしと一緒に一杯どう?」

 

 明らかに作風というか性格的にアーネンエルベにミスマッチな両儀式は、式と変われないという事実を理解して、どうしようかと混乱している。五、六分ほどオロオロしていた彼女は仕方ないと言いたげにメニュー表を手に取ることにした。

 

 かつて、式を非常識に対しての死神と表現した人形遣いがいたが非常識に対しては滅法強くとも、常識や平々凡々な青年などには相性が悪いということがこれ以上ないというほどに証明されてしまったようだ。

 

 

 




世界の果ての巨狼道場にて

「シフって呼んでくれないから、拗ねてやる!」


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第三話

言い訳として、ここ最近が異常に忙しく更新が大幅に遅れたことを此処に謝罪するものであります。

小説がより良くなるような事柄がありましたら、感想などでアドバイスをお願いします。



 本日もアーネンエルベは平常運転。いつも通り裏の世界でも規格外に分類される者たちが束の間の休息を行なっているということを示しているわけで。軽口や冗談の一つでも迂闊に語れば命の危機を呼び込みかねない喫茶アーネンエルベ。そこで給仕を行う青年、草十郎の口から出た一言をきっかけとしてアーネンエルベを揺るがす盛大な談義は始まった。

 

「なんだか、式さんの方がお姫様っぽいような気がする」

 

 

 唐突に自分の感想を口にする草十郎、そんな彼の言葉にコーヒーを飲んでいたアルクェイド、メニューから無難そうな紅茶とケーキを頼み食べていた両儀式、それを隣で見ていたネコアルクは意識が追いつけず目をパチクリさせていた。

 

 しかし、手馴れたものか青子と有珠はリカバリーが早く、草十郎にどういうことかと聞き返す。草十郎によると、“アルクェイドさんより式さんの方がお姫様っぽい”ということらしい。確かに今の両儀式の服装は豪奢な着物と腰まで伸びた艶やかな黒髪。その楚々とした立ち居振る舞いは良家の令嬢というに相応しい。対してアルクェイドは月光を放つかのような金髪にロングスカートと海外より訪日した美人留学生を思わせる。

 

 

 日本で生まれ、外国の方と接する機会の無かった草十郎からすれば、現状ではアルクェイドより両儀式の方がお姫様らしいということなんだとか。

 

「あら、何の含みもなく褒められると素直に嬉しいものね。ありがとう、草十郎君」

 

「え〜、なんか納得いかな〜い。私だって本当に吸血鬼のお姫様なのよ?それなのにいきなり、式の方がお姫様っぽいとか、色々と文句があるんですけど」

 

 確かにアルクェイドは真祖の姫君とされる存在、しかし今の彼女は草十郎からすると美人だが親しみやすく、お姫様というのは違和感があると。

 

「イヤー、静希くんってば怖いもの知らずを地で行くね。その無軌道な思考プロセスは理解不能、あたしでさえ予測でいないとか相当ニャね。ベイビー」

 

「いきなり、何を言うかと思えば、あいつ機嫌を損ねれば命がいくつあっても足りない存在と会話してるってこと、分かってるの?全く、有珠に同居を頼み込もうとした時もそうだったけど、どうしてこう地雷源の上でブレイクダンスを踊るような真似を……」

 

「下手すれば、物理的に木っ端微塵(ブレイク)すると。イヤァ、草十郎ボーイってば死亡フラグの見極めが尋常じゃないですニャー。まぁ、そうしないと型月の主人公ポジとか立っていられないだろうけど。大体、一般人が素手で幻想種とタイマン張るとか、出演する世界観に合致してないような気がするわけなのですが!?」

 

「……少しいいかしら、静希君」

 

 

 草十郎が不思議そうに首を傾げ、それに合わせフロアの一同の意識も有珠に集中する。有珠と付き合いの長い青子も内心ではおかしいと感じ取っていた。他者を己の心情に踏み込ませず口数も少ない彼女が自分から自発的に発言をしたのだ、口数の少ない彼女らしからぬ行動。

 

 まぁ、草十郎が絡むと大抵、らしくなくなるのが平常なのだが。しかし、こういった変化は有珠らしくはないけれど良い傾向だ。青子は保護者感覚で黙って有珠の遠回し過ぎるアプローチを横合いから見物する。色々と草十郎や有珠には振り回されているわけだし、これくらいの悪趣味は寛容されて然るべきだろう。

 

「今、式さんがお姫様らしいと言っていたのだけど……その、他の女性とかはどうなのかしら?例えば、そこのネコ……は性別が分からないから別として青子とか……あと私とか」

 

 呑気に観客気取っていたら、まさかの流れ弾が来た。

 

「ちょっと待った!何でそこで私が槍玉に挙げられるのよ。お姫様に憧れるような年頃でもないし、あとネコの隣に並べられたのも若干、イラッときたんだけど。……まったく、そこは素直に有珠だけでいいでしょうが」

 

「とかなんとか言って、実はお姫様に憧れてんでにゃい?」

 

 無駄口を挟んできたネコ型生物の顔面鼻っ柱に魔弾を撃ち込んで、青子は強制的に黙らせる。好きか嫌いかで言えば好ましいビジュアルではあれど、性格というか言動が百害あって一利も無いものだったための迅速果断な一撃。その攻撃の判断速度にはアルクェイド、両儀式も目を見張るものがあった。

 

「おっそろしく、切り替え早いわねぇ。というか迷いがないのかな?……魔法使いって私が知る限りもう一人いるけど、そっちといい勝負よ」

 

「ああ、これは橙子の血縁者のようね。彼女も決断は曲げない人だったから……」

 

 

「ふむ、蒼崎がお姫様…………」

 

 純朴な青年はネコアルクの遺した一言を素直に聞き入れ、生真面目に考え込む。発案者である怪生物が即座に退場したのを目の前にして、堂々と考える辺り相当な天然に違いはないが。

 

 答えが出たのか、草十郎は軽いノリで自分の考えを口に出す。

 

「蒼崎はどちらかといえばアイドルみたいなものじゃないか?」

 

 それを聞いてアーネンエルベに沈黙が生じる。青子は草十郎が含みのない思いついたことをまっすぐ言っているだけということは理解していた。けど、それでもどうしようもないのが人情である。顔を赤くした青子は、度肝を抜かれ黙り込んだ面々が正気に戻る前に草十郎に魔弾を撃ち込んで気絶させとこうと手を伸ばした時、店奥の席の方で“チーン”とベルの音が鳴った。

 

 アーネンエルベにいた全員がベルの鳴ったところに首を向ける。そこにいたのは店奥を巨大な体躯で占めている現在、店における危険度ぶっちぎりの怪物。灰の巨狼がベルを鳴らしていた。

 

「……ねぇ、あれってもしかして、草十郎の意見に同意したって事なんじゃあ……」

 

 アルクェイドの恐る恐ると言った言葉を聞いて、まさかと思う面々。しかし、草十郎の口にした言葉に合わせて先ほどのベルの音が鳴ったのは事実である。

 

「そんな、ただの偶然でしょう?まさか、あんな怪物が私をアイドルだ、アイドルじゃないとかで意見を出すような可愛げのある生き物に見えるっての?」

 

「でも、静希君の言動に合わせてベルは鳴ったのでしょう。なら、あれは同意の意思表示と見るのが妥当よ。でも、どうしてこんな話題に……」

 

 青子はまさかそんなと言いたげだが、有珠の言う通りだと青子の感性は納得しかかっている。青子の狼狽を横目に両儀式は草十郎へ穏やかに話しかけた。

 

「ねぇ、草十郎君。どうして青子のことをアイドルみたいだと?」

 

「ちょっ、続ける気なの!?こんな話題!?」

 

「だって、あの巨狼が意思表示を出したのよ。こんな平和な話題に乗ってくれているのだから、もう少し続ける意味はあると思うのだけれど」

 

 グゥと青子は口を噤みかける。確かにあんな世界にとっての災厄をアイドル云々という下らない話題でどうにか出来るなら、会話を盛り上げるのがいいだろう。ただし、会話の渦中にいるのが自分でさえなければという注釈はつくわけだが。

 

「じゃあ、草十郎!有珠はどうなのよ、あんたの考えるお姫様ってのにぴったりなの?」

 

「えっ……」

 

 えっ、ではない。先ほどさりげなく自分のことも聞いていただろうに。自分だけが話の肴になるのは看過できず、青子は自分の共犯者もまな板の上に引っ張り込んだ。無言で睨み合う青子たちを置いて、草十郎は真面目に考え込んでいた。この真面目さは万人好むところだが、ケースバイケースというものが世には存在すると知るべきだろう。

 

「……有珠のお姫様か、それはさぞかし綺麗なんだろうな」

 

 此処で恥ずかしがるような思春期男子らしい態度でも取れば青子とて感情を(たかぶ)らせないものを、草十郎は聞いている側が恥ずかしくなる程に本気で褒め言葉を口にする。黙り込んで顔を朱に染めている有珠への意趣返しという目的は果たしたので良しとするか。

 

「ところで蒼崎をアイドルみたいだと言った件だが」

 

「シャラップ!この唐変木、その話題はもう持ち出すなっての!?」

 

「いや、しかし有珠に訊かれてたことだし、忘れず答えておかないといけないのでは?」

 

「……ええ、そうね。此処で私だけが話題に持ち出されるのも後々まで引きずりかねないもの、しっかりと清算だけはしておかないと」

 

「有珠が綺麗スッパリと切り替えてくれれば良いだけじゃないの。……わかったわかったわよ。どうせ此処で話題を潰しても私のいない場所でされたら意味ないし、目の届くとこで監視でもしていたほうがマシか。でも、草十郎。くれぐれも発言には注意なさい。あんたの一言がいつ遺言になるんだか分からないからね」

 

 話し終えた青子の目は釣り上げられ、猛禽を思わせる鋭い眼光を放っている。その目つきの鋭さたるや、百戦錬磨の猛者の威風を知らしめるものであり、どう考えても喫茶店の給仕を行う女性が発していいようなオーラでは無かった。

 

 なぜ、アイドルという平和な話題を選んだつもりなのに結局、命の危機が付いて回るのかと草十郎はホロリと目尻に雫を湛える。アルクェイド、両儀式は“なるほど苦労しているものだ”と草十郎の境遇に同情しながらも救いの手を伸ばす気は無く草十郎の意見を待っていた。

 

「蒼崎は生徒会長で人の前に立つのが実に上手い。似たようなことを鳶丸も言っていた。ほら、お姫様というものは何というか浮世離れしたような印象だからアイドルとか難しいのではと思うんだ。だから、アイドルとして上手くやっていけるのなら、この中では蒼崎が一番合致していると……」

 

「へぇ、草十郎。それは何、私が世俗的とでも言いたいのかしら?」

 

「少なくとも脱俗という柄でもなかろうに。君の部屋のギターもそうだが、あと最近ではやたら目新しい電化製品にまで手を出して。使わない電化製品よりも食費の方に手を回してくれ」

 

 草十郎の“罪を受け止めて悔い改めなさい”系の言動に言い澱む青子。実際、最近ではギター以外にも電化製品を買ってきたりする癖が青子に付きつつあったことも相まって痛烈に心理的な痛手を被った。

 

 蒼崎青子は何でも新しいものに手を出すあたり、柔軟な価値観の持ち主なのだろう。もっとも、同居人の有珠は典型的な保守を旨とする少女。そんな有珠が最新の電化製品を歓迎することはなく増え続けている現状に内心では柳眉(りゅうび)を逆立てているのが久遠寺邸の実情である。

 

「なるほど、アイドルって神輿の同義語かと思ったけど、強かさも必要になるんだぁ。レンに教えてあげようかしら」

 

「確かに、式にはアイドルとか無理ね。ヒラヒラの衣装を見て抜刀、甘い歌詞を歌わされそうになれば直死の魔眼、インタビューなんて(もっ)ての(ほか)。愛想を振りまくのが決定的に向いてないわ。静かに佇んでいるだけのお姫様でも微妙なところね。そもそも、空の境界ってヒロイン枠はコクトー君が占めているのだし」

 

「それ、話の流れから察するに男の人だと思うけど、女子が負けるほどなの?」

 

 隣にいた青子は肘をついて、楽しそうに語る両儀式へ問いを投げる。自分のアイドル云々の話題を晒すためという建前こそあれ、純粋に気にはなる話題であった。

 

「青子の思う以上のヒロイン気質よ。本人も知らない間に目をつけられていて、こちらの思いも寄らない無茶をして。あの子()も苦労してるわ」

 

 そう口にする両儀式の顔は陽だまりのような温もりを感じさせる優しさを醸し出していた。

 

 

「それで蒼崎のアイドルの話に戻るんだが」

 

「アハハハ、意外と草十郎って律儀なのね」

 

 アルクェイドはにこやかに笑っているが、隣の青子の眼光は凄まじく何なら目からビームでも出そうな鋭さの眼光である。律儀は美徳だが、時と場合によっては命を落とす要因になるという特異な例を挙げてしまっていた。

 

「青子のアイドル姿……それなら青のドレスを着てロック風の曲でも歌うのは?」

 

「蒼崎の青子だからって、青を基本に物を考えないでくれる?大体、昔から誕生日でもクリスマスでも青系統の小物とか、名前にちなんだものばかりで。もうちょっと、ひねって考えて欲しいものよ」

 

「しかし蒼崎、君の調度品には青色の物がいくつかあった気がする。つまり、青色のモノが嫌いというわけではないんだろう?」

 

「そりゃそうだけど、名前を出汁にプレゼントを考えるのがどうかってこと!少しは使う側のことも考えなさいよ全く。青色なら、何でもいいかってのが頭に来るんだから。一番、ヒドイ時なんか凄い濃さの青色の茶碗に箸と皿のセットよ?食欲無くなるってーの!」

 

 此処で全くの蛇足だが、青色は食欲減退の効果のある色であることを明記しておく。

 

「なら、青以外のことでもう少し意見を出してみましょうか」

 

「さんせーい!それなら、ジーパンに白シャツだけってのはどう!?」

 

「アイドル的にそれでステージ上がるってのは、問題があるのでは?」

 

「着物というのも印象が変わって面白いわ」

 

「……ペンギンの着ぐるみ」

 

「人のことだからって、こうも好き勝手に言うとは……」

 

 もはや、青子も怒る気力を無くし、疲れたようにテーブルに突っ伏している。他の面々も自分の意見を好き放題に言い募ったことで話題が尽きたようだ。奥のテーブルにいる巨狼の動向が気になるものの、これ以上この話題に生産性はないかと区切りをつけようとする。

 

 そこに意外性で言えば現状ではトップに躍り出る草十郎が新たな話題を放り込んだ。

 

「そうだ、“ユーフォー”というものはどうだろうか?」

 

 

 UFO、正式名称を『unidentified・flying・object』とし日本語に訳すと未確認飛行物体などと語られる超常的ミステリーの代表物。その存在は一時代に於いては多くの活発な議論と宇宙への浪漫について思索を巡らせたものである。しかし、アイドルについて語る場では似合わない意見でもあった。

 

 いや、平成に入ってからはアイドルの中で“〜星の〜星人”というキャラを売りにするアイドルが出没するため、平成の生まれの人々には聞き覚えのある設定ではある。アルクェイドも日本に来てから、多少はテレビなど志貴と暮らす中で学んで聞き及んではいる。

 

 だが、1995年代を舞台とする空の境界出身の両儀式、そして1980年代を舞台とする“魔法使いの夜”に登場した蒼崎青子、及び久遠寺有珠にとっては寝耳に水のトンデモ設定。ゆえに青子が額に青筋を立てて草十郎の首を己の両手で締めあげ、有珠が顔を背けて腹を抱えるように笑い続けるのも頷ける。両儀式だけはアイドルという話題の中でどうしてUFOなどという珍妙なモノを出してきたのか本気で首を傾げている最中だ。

 

 

 首を手加減抜きで締められ、オチかけている草十郎はタップをして“わけを聞いてくれ”という無言の懇願を行う。青子も鬼では無い、手を離して草十郎の話を聞く姿勢は一応だが取っている。しかし、組んでいる腕を起点にして輝く魔術刻印が可視化できている時点で話し終えれば命はないということを言外に知らしめていた。鬼ではないが、慈悲はないということなのか。

 

「別に蒼崎を揶揄(からか)うような意図で意見を口にしたわけじゃないぞ。これは鳶丸からの又聞きだが、アイドルというか女性全般に当てはまることだが、女性はミステリーなくらいが丁度いいそうだ。ミステリーというものが何なのか分からないが、クラスの男子いわく鉄板(てっぱん)のミステリーと言えばユーフォーとツチノコというモノらしい。ツチノコは蛇の親戚みたいなものと聞いたので、もう片方のユーフォーを推したというわけなんだ」

 

 青子は組んでいた諸手を下ろし、頭に手を当てる。ああ、頭痛がすると言わんばかりの態度の理由は、草十郎の世間知らずっぷりにあった。この男、山から降りてきたためか都会における常識の判断を他者にぶん投げる悪癖がある。いや、悪癖と言うほどではない。全くの無知であるため自分よりも見識のある人物らに判断を任せると言うのは賢い選択ではある。

 

 無知の身でありながら、全ての判断を自身が下すという無謀よりはマシなモノだ。しかし、草十郎は他者の意見を完全に信じ切ってしまう純朴さがあった。普通ならば他者の意見に対し抱くであろう疑念や疑いの目が草十郎からは抜け落ちているのだ。

 

 それは彼の山における生活より学んだ、在るものは在る、という理念に基づいた思考の賜物で、都会で生きていく上では不用心としか判断されない草十郎の美徳にして欠点でもあった。信じるという美徳を、欠点とする都会の生活は草十郎の目からして怪奇過ぎる代物。

 

 早々に理解しろと言うのは簡単でも実行に移すのは中々の難題だ。

 

「今時、ツチノコにユーフォーって。もう廃れ始めた単語じゃない。というか、女性のミステリアスと超常現象のミステリーを混同した時点で却下よ」

 

「そうなのか…………」

 

 本気で残念がっているため、悪意はなくただ真面目なだけだったのだろう。まぁ、それが却って逆鱗に触れるというケースも珍しくないのが彼らしいところではある。

 

 しかし、そこに待ったをかけるように店奥から太く短く巨狼が()えた。それに合わせて、テーブルのベルを一回鳴らす。その光景は先ほどと同じもので、巨狼の鳴らしたベルを青子たちは何らかの肯定の合図だと認識していた。

 

「えっ、マジなの……」

 

「あ〜お〜こ。これはユーフォーアイドルとしてデビューした方が平和に収まるんじゃない?」

 

「そうね、衣装程度なら私や、そこの吸血鬼さんでも用意できるもの。少し着替えるだけでこの平和が保たれるなら、安いものじゃなくて?」

 

「それじゃあ青子、頑張ってね」

 

「……すまん蒼崎、俺の失言だった……」

 

 草十郎ならば、如何様にでも出来るもののこの場にいるには“朱い月の代行たる吸血姫”に“空の境界に(たたず)む両儀の具現”、さらには青子の共犯者でもある“現代における最後の魔女”。例え、第五の魔法を継承した青子であろうと、容易く抗えることの出来ない理不尽たちの集い。

 

 

 青子は失意のあまり(うつむ)いて、と思えば満面の笑みで皆に微笑みかけてから厨房へダッシュで逃亡を図った。面白がったアルクェイド、両儀式に続き自分を話題に持ち出した青子への報復をすべく有珠も厨房へ歩を進める。草十郎は困ったような顔で参ったと言わんばかりに息を吐き、そっと店奥の巨狼の方へ視線を向けた。あのベル、果たして本当に肯定の意味合いで鳴らしたのかと疑問に思いながら。

 

 厨房から爆発音、破砕音、斬撃音までが響き始める。そろそろ、()めに入らねばと草十郎は、空になったカップを持って現在進行形で戦場と化した厨房に行った。

 

 

 最後にフロアに残った灰の巨狼は誰もいなくなったフロアをキョロキョロと見渡してから、よく聞こえるように、もう一度ベルを大きく鳴らした。

 

 




巨狼道場、解読編

1回目のベル
『すいませーん、注文お願いしまーす』

2回目のベル
『聞こえないのかな。無視されたわけじゃないよね?すいませーん!』

最後のベル
『そして誰もいなくなった…………えっ、マジで放置された?』

次回予告、とうとうアーネンエルベに飼い主現る!?


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第四話

お待たせ致しました。お待ち頂いた時間に値する面白さになっているのか、不安なところですがひとまず投稿です。

これから多少、投稿が早くなると思うのですが遅筆な身の上。お待ち頂いて下さった方々に感謝を筆した上で、今後とも応援のほどをお願いする所存です。

具体的には今月にもう1話を目指し、努力致します。


 そこはアーネンエルベ、異なる場所と場所とが繋がる不可思議な喫茶店。そこに集う客は一人一人が何らかの超常に関わっていることが大半。それに混ざる形で普通の客も現れるのだが、今日のアーネンエルベはいつにも増して常識を逸脱した面々が来店しているようだ。

 

 それを側から見ていた一般人の青年は、裏の世界から見ても過剰戦力と言わざるを得ない面々が散らかした厨房を箒片手に清掃している最中だ。今、厨房を殺人現場もびっくりな惨状にした女性陣は、フロアの方に戻り談笑をしている。

 

 草十郎はあれだけ派手な破壊音があって、よく厨房が消し飛ばなかったものだと思いをはせる。青子がビームを出してアルクェイドさんが爪を振るった時はどうなるものかと心配したが……

 

「やはりというか、やっぱりというか。家庭用の厨房と違って業務用は頑丈に出来ているんだな」

 

「いや、草十郎ボーイ?あの面子のガチ戦闘で砕け散らなかったこの厨房が異常なんであって、普通の厨房はこんな鉄壁宇宙要塞よろしく頑堅じゃニャーから」

 

 

 ちりとりを持って掃除を手伝ってくれている直立ネコが合いの手を入れてくれるおかげで、色々と考え込まなくなって少し助かる。一人きりだと今回のバイトのこととか、壊れたものの修理や補填はどうなるのかと考えてしまうが、ここはひとつ後回しにしておこう。

 

 今、考えて答えの出ない思考は後回しにするのが利口なものだと悪友も言っていたくらいだし。

 

 

「さて、とりあえず早く厨房を片付けてしまおう。この惨状では茶の一つも淹れられない」

 

「てゆーか、この惨状をつくった面々が真っ先にフロアに戻るとかふざけてんのかニャー!!」

 

 ネコもどきの直立生物が思いの丈を怒りと共に叫ぶが草十郎はそれを一顧だにせず黙々と掃除を続行する。何故なら、経験則としてこの状況での自暴自棄はまさしく自分の命を棄てることに繋がると知っているからだ。特に蒼崎と有珠が絡む場合は。

 

 

「確かにそう思わないこともないが、今ここでそれを口に出しても得なんてないぞ。それについでだが、命もないと思う」

 

「ついでの方に命の危機を報せるとか……草十郎っち、相当な苦労してるみたいですなぁ」

 

 

 ネコ型怪生物に憐憫を込められて話しかけられるが、青年にとってこんなものは日常的なこと。多少は肩を落としたくもなるが、掃除を手早く済ませてしまおう。

 

 

 

 やたら、足元をちょこまかと動くネコもどき、いやネコアルクのお陰で一人でするより掃除が早く片付いた。このまま、厨房で一息いれたいが蒼崎たちを放っておくのもおっかない。もし、迂闊に彼女へ絡むような不埒な客がいたら、とても危ない。

 

 ちなみに有珠はもっと危ない。それにアルクェイドさんに式さんも、そういった軽口に対しての沸点がわからない以上は自分が気をつけなくては。

 

 

 

 軽く手を洗い、制服を正すなど飲食店の従業員としてすべきことを終えてから厨房を後に。カウンターから見た蒼崎たちが何やら楽しそうに話し込んでいるようで一安心だ。これでフロアの方も壊れていたら、本格的に店仕舞いにしなければならなくなる。

 

 

「あ、草十郎。向こうの掃除は終わった?」

 

「うん、あらかた片付いたところだ。あのネコは凄い活躍してくれたよ。今はゴミ出しに外に出ているところで、しばらくしたら戻るって」

 

「このバカ!あんな怪生物を表に出すんじゃない!……というか、あんな身長で活躍なんて何が出来たっていうのよ」

 

「そう馬鹿にしたものでもない。まさかネコミミを折り畳むことであそこまでの吸引力を発揮するなんて、初見では気づくことも出来なかった。都会は本当に驚くことばかりだ」

 

 

「……深くはツッコまないでおくわ、根掘り葉掘り聞くと頭痛くなりそうだし」

 

 そう言って蒼崎は背もたれに深く寄りかかった。正直、他人に弱みや弱っているところを見せたがらない彼女がこうも臆面もなく疲労を露わにしているのにはびっくりした。有珠の方は普段通り、紅茶を飲んでいるようだが普段の精彩を欠いているようにも見える。

 

 

 また、蒼崎たちの反応から見て橙子さん級だと思われるアルクェイドさん、式さんも疲れを隠せていない。草十郎は翻って、店奥で横になっている巨大な狼を見つめた。彼女らはあの狼を危険と言っていたが、動かないのならば危険は言うほどではないのかと思案する。

 

 もちろん、草十郎とてあの狼の危険度はある程度、理解している。ただ、あくまでそれは下手に怒らせたりした時の場合であって。今のところ、店奥に佇んでいるだけの安全な狼でしかない。

 

 青子が聞けば『安全な狼などいない!』と言われるであろうことを考えながら、草十郎はカウンターのあたりで来店客を待つことに。

 

 

「店の掃除、草十郎に任せちゃったけど、彼っていつもあんな調子なの?」

 

「……ええ、彼は私の家に下宿していて当番制だけど家のことをしてくれているの。掃除、料理、特に草むしりは本当に凄かったわ」

 

「草むしり?意外ね、あの若さであの技量なら日常生活より修行に明け暮れていそうなものなのに。近接なら、式にも遅れは取らないと思うけど」

 

 アルクェイドを筆頭にした三人が草十郎に視線を重ねる。

 

 

 長身痩躯の彼は側から見れば、どこにでもいそうな好青年だろう。しかし、その戦闘技巧は常人に計り知れるものではない。アーネンエルベにいる世界でも稀な規格外の女性陣から見て、あれだけ普通の域から外れていないのにも関わらず異常なものと渡り合えるなど驚嘆ものだと。

 

 

 アルクェイドは自らの最愛の人が持つ異常性を理解していたがために、何の異常性も際立って見せない草十郎に興味を馳せ、有珠は草十郎の牧歌的な面に言及するだけで留める。

 

 

 両儀式は自らの家が退魔の業を家業とする家柄なため、人間でありながらも人外と対峙するという事例を知っている。しかし、彼はあまりに普通過ぎる。それは非常識の天敵である自分だからこそ判断できるというもので、境界の果ての視点を持つ両儀式だからこそ分かり得たことだった。

 

 

 世界でもトップランクに数えられる強者の女性陣から思わぬ評価を受けている一般人こと、静希草十郎はそんなことを知りもしないまま次の来店者をカウンターで待つ。こんな異常だらけの空間でそんな普段通りの生活を送ることがどれだけ人並外れているのかを理解しないまま。

 

 まぁ、草十郎の異常を異常と認識しない状態で自分の日常を過ごせることこそ、丘の上に住む二人のおっかない魔女と同居できる最大の要因なのかもしれないが。

 

 

 そんな自分のことを話して盛り上がっているとは露知らずに、草十郎は『女性は仲良くなるのが早いなぁ』などと平和ボケしたことを考えながら店奥の狼の方に何か持って行こうかと考える。何か食べていれば、きっと他のことに集中はしないだろうという考えで。

 

 よし、とカウンターを離れ厨房で何かつまめそうなものを用意しようとすると、軽やかに鳴ったドアのベルが新たな来店客を知らせた。あの巨狼に何か食べ物を用意するのは後回しになるなと思いつつ、お客様に快く来店してもらえるように笑って歓迎の挨拶をしなくては。

 

 

「いらっしゃいませ、喫茶アーネンエルベにようこそ」

 

 

 

 

 

 

 

 精肉店、魚屋、八百屋と昔ながらの店が立ち並ぶマウント深山商店街。食品関係の店が軒を連ねている冬木に住む人たちの憩いの場。その商店街に金髪碧眼という日本では稀な外見の少女が闊歩する。ただ金髪碧眼ならば外国から来た旅行者かと意識されないのだろうが優れた容姿の美少女というところが殊更(ことさら)に人の目を惹く。

 

 普通なら話しかけるのが躊躇われるような美貌だが、商店街の人々からは親しみを込めてにこやかな声をかけられ、彼女もそれに応じている。それは彼女が精肉店のコロッケを嬉しそうに食べ満面の笑みで帰途につくのを見かけたからか、はたまた鯛焼(たいや)きを頬張っているところを見られたからか。他に近所の子供達と本気で砂埃で汚れるまで遊んでいる場面に出くわしたからなのか。

 

 何にしろ、セイバーと呼ばれる年端もいかない少女はすっかり冬木の空気に馴染み、マウント深山商店街の看板とも言えるような娘になっていた。

 

 

 

 

 

 

 買い物バッグに食品を詰め、商店街を歩くセイバー。金髪碧眼という日本人離れした姿を裏腹に彼女の口から、所帯染みた内容が飛び出した。

 

「……シロウから頼まれたもの、春菊、豚肉、豆腐、椎茸と他は何でしたでしょうか?」

 

 

 シロウに頼まれて、鍋の材料を買いに出かけてみれば、買い物に必要なメモを置いてくるというポカをしてしまった身の上。心配そうにしているシロウへ自信満々に“子供ではないのですから、一人で食料を買ってこれますよ“などと言ってしまったのが仇になった。

 

 意地になって、メモを取りに帰ればいいものをあやふやな記憶で買い物を進めてしまったために、何が足りなくて何を買えばいいのかが分からない状態。商店街の人に話を聞けば話は解決するのだろうが、同じく商店街で働くランサー辺りに聞かれれば、後日に大笑いされかねない。魚屋にいるランサーに言わないように口止めしても商店街の情報網は自分の予想を遥かに超える。

 

「はぁ、誰か鍋の材料などで相談に乗ってくれる方がいれば助かるのですが……」

 

 それもなるべく、シロウなどと関わりが薄く、自分の話しやすい人物。

 

 そんな都合の良い人材がそうホイホイといるはずもない。この身はシロウを寄る辺に召喚されたサーヴァントであり、交友関係はマスターであるシロウを中心にしている。友人と呼べるのもシロウの屋敷に通うリン、サクラに最近よく顔を出すイリヤスフィール。

 

 他はライダーと商店街の面々。キャスターやランサー、アーチャーは……知り合いくらいか。

 

 自分の生きた時代ではないのにここまでの交友関係を結べた事に感謝するべきでしょうね。いや、かつてのブリテンにいた頃の私の友人と言えば、えっといつも側にいてくれたカヴァス。

 

 他に……マーリン、は師匠であり友人というほどでは。円卓の騎士たち、に関しては部下で友人と呼ぶのは難しい上に様々なシコリがある。城下の人々は、そもそもブリテンが戦時下で城下に顔を出すときは大抵が出陣か帰還かのどちらかでしかない。

 

 召喚されて後の方が交友関係が広くなってるというのは、何がどういうことか?

 

 忘れましょう。うん、思い出しても頭が痛くなるだけですので。

 

 

 

 額にしわを寄せてセイバーは一息をつく。商店街の外れまで歩いてみたが結局、何を買うべきかを見失ったためにどうしようもない。鍋の具材に関する知識を聖杯が与えてくれれば良いのだが、あいにく聖杯がサーヴァントに与える知識の中に鍋の具材や作り方はなかった。

 

 意地を張って夕食の鍋が流れるのは堪え難い。ここは一旦、衛宮邸に戻り、メモを取ってもう一度買い物をすべきと判断を下す。

 

 帰宅を決意し踵を返そうとした目線の先には、ある喫茶店がひっそりとそこにあった。

 

 喫茶アーネンエルベ、以前に訪れた時にどこか違う場所より様々な立場の面々が集った喫茶店。その時のことは今でもありありと思い出せる。もしや、今日もあのような規格外な面々がいるのではないかと危機感を募らせる。一人で街一個をお釈迦に出来るような者が集う店。

 

 その危険性をみすみす、放置できるほどセイバーの善良な意思は捻くれてはいなかった。ちなみにセイバー自身も街に甚大な被害を齎すことのできる人物であることは、この際、見過ごす事にしよう。指摘してもセイバーが意思を曲げるとは考え難いし、実際のところ常識からいささか外れているとはいえ常識人枠がいないのも問題があるため。

 

 店の前には以前は見かけなかったミニボードがあり、大きくペット可と書かれている。

 

 他にも何処か懐かしいような感じがするのだが、とりあえずセイバーはベルを鳴らし魔境と化したアーネンエルベに入店した。

 

「いらっしゃいませ、喫茶アーネンエルベにようこそ」

 

 ある種、飲食業では定型とも言えるような挨拶が耳に入る。アーネンエルベという恐ろしい面子が集う地で、まさか歓迎の挨拶を受けるとは。

 

 意外そうに思いつつも、セイバーは尽くされた礼には礼で尽くす騎士だ。にっこりと柔らかな対応を心がけ、歓迎を示してくれた青年へ客として返事をする。

 

「ええ、あいにくと一名なのですがどちらか空いてる席があれば案内をお願い出来ますか?」

 

 ウェイターの青年は笑みを浮かべたまま、空いている席へ誘導をしてくれた。しかし、その途中でアルクェイド、式というかつて出会った人とすれ違う。同席している二人の女性は、直感だがアルクェイドや式に負けず劣らずの実力者。先の二人と同等の強者の類いであることを推察する。

 

 しかし、その二人の衣装がウェイトレスであるということが違和感を誘う。

 

 もしや、あの青年と同じ店員なのか?

 

 

 アルクェイドや式が無理を言って引き止めているとしたら、大変申し訳ない。アルクェイドや式に説得が通用するかは未明だが、一言だけでも注意するのが私の務め。

 

 そうして、彼女たちの座るテーブルに近づこうとした時、そのテーブルの奥から、灰色の体躯を起こし巨大な瞳が視線を投げてくる。それは遠い昔に(わか)たれた我が半身とも言える存在であり、この時代に再会できるなど予想だにしない事態だった。

 

 騎士王(アーサー)としての私、一人の少女(アルトリア)としての私、そのどちらにも寄り添う形で連れ添った比翼が私の前へ再び現れた。なぜ、喫茶店にいるのか、という細かいことなど今は考えもつかない。ただ、この望外の出会いを喜び祝福したいと私は流れた一筋の涙を、そのままに唯一とも言える相棒の下へ行こうと動き出す。

 

 それに合わせ、”彼“も身じろぎ一つしなかった状態から身を起こし、こちらへ姿を見せた。巨大な狼が持つ両の前脚に力と緊張が発せられる。それはこちらに抱きつこうとする準備動作、セイバーはそれを抱き留めようと諸手(もろて)を広げつつも巨狼へ歩み寄った。

 

 ”彼“が私の方へ飛び込んでくる。これは数多(あまた)の奇跡が折り重なって生まれた奇跡。出会うことのないはずの二人がアーネンエルベという喫茶店の不可思議な何かによって出会うことが出来たのだ。この出会いがどのような偶然であれ、ただひたすらに感謝を。

 

 泣きながらも笑みをこぼし、セイバーは相棒の名前を呼ぼうとする。

 

「カヴァ……」

 

 

 

 飛び込んでくる灰色の巨狼、それの鼻先へ英霊という規格外の戦闘者の動体視力を以ってして霞んで見えるほどの速度で放たれる打拳。それに合一する形でアルクェイドの爪から五つの斬撃波が飛び、着物姿の式が刀で斬りかかる。

 

 ウェイトレスの女性も咄嗟の動きなのか、伸ばした片手より蒼の光弾を撃つ。その光弾を撃った娘の隣に立つ魔女は光弾を強く睨み付けることで何らかの術を光弾へ加える。魔女の瞳に宿る魔眼が相方の魔術へ干渉、蒼の燐光を放つ弾丸は、紅に染まり巨狼の顔に命中した。

 

 その流れるような連携を前に、セイバーは思考と足を止めて硬直する。混乱した心境が肉体の動きを止め、停止した肉体が考えるという機能を不動のものにした。本当に今日のアーネンエルベは、悪鬼羅刹ですら裸足で逃げ出す魔境である。

 

 後、余談だが、セイバーが後生大事に携えていた買い物バッグが床に落っこちてしまったのは不慮の事故と思いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ”それ“に最初に反応できたのは意外な事に、この場で最も普通な青年、静希草十郎だった。今まで出されたものを食べ、ベルを鳴らす程度のことしかしなかった巨大な灰色の狼。それを見て、アーネンエルベにいる女性たちは口々に恐ろしいという感想を口にしてきた。しかし草十郎からすれば、あの巨狼は山で見た野犬よりも脅威度は少ないと感じていたのである。

 

 

 確かに山で見かける野犬とは肉体の性能が根本より異なる。自分には判断できないが、その身に宿すナニカも蒼崎たちが警戒を隠さないほど強力なのだろう。危険というのはわかってはいた。しかし、この巨狼にはこの場で何か行動しようとする意思が抜け落ちていた。

 

 動く理由も、意思も持たない異形の狼。例え、どれだけ恐ろしくとも動かないのであれば、そこに危険や脅威はない。そう、思い込んでしまっていた。

 

 来店したお客様を案内している時、店奥で鎮座していた魔狼が何の前触れもなく起き上がる。今まで特別、感情の宿っていなかった瞳に爛々と何らかの意思が燃え(さか)った。そして、その意思が巨狼の総身を駆動させる燃料となり、狼の巨軀から原初の恐怖を蘇らせる威圧が巻き起こる。

 

 圧倒的な捕食者の気配を漂わせた巨狼は前脚へ力を込めて、跳躍しようとする。そこまでを予測した草十郎は、案内をしている最中のお客様と巨狼の間に割って入った。脚の力の込め具合を見るに、飛び込んでくる先はこの場所。あの巨大な肉体は、およそ人間一人の手では妨害し切れまい。

 

 以前、蒼崎橙子が連れていた金色の人狼の時には心臓の破壊により戦闘を停止させたが、今回も同様の手が取れる訳ではない。おそらく、自分の打擲、蹴撃でどうこうとはいかない難敵。一矢報いられれば、十二分に大番狂わせと呼べる苦難の状況。

 

 ならば、今までの自分の常と何ら変わりない。今までどれだけの大番狂わせと幸運に恵まれ此処に立っているのかを俺は既に知っている。蒼崎や有珠と過ごす中で得たもの、山の暮らしで培ってきた経験。その全てを動員してこの苦境をひっくり返す。

 

 もはや数瞬の猶予もなく飛び込んでくる灰色の巨狼、この状況では動きを止めるのは不可能。それに動きすら止められない以上、痛手を与えることも不可能だ。

 

 故に軌道を変えることのみに集中する。飛び込んでくる角度の斜角より拳を打ち込み、軌道を少しだけでも変えられることが叶うはず。以前、人狼へ対し打った拳とは異なるアプローチ。あれは生命や抗戦意思を砕くことのみに専心した結果。

 

 今回のは、ただ飛来する巨狼の軌道変更。そのため、軌道を変えた後のことなどは思考の外。人間の打拳を受け、痛苦を感じるかはさておき無謀な攻撃の代償は高くつくだろう。けど、それが人を助けないという選択をする理由になるはずがなく。

 

 草十郎の打拳は巨狼の鼻先を鋭く捉えた。

 

 みしり、と鈍い痛みと共に体内の奥深くから嫌な音が上がる。そんな痛みを抱えながらも草十郎は後のことを一切、心配してなかった。そう、何故なら後詰めとして、自分の同居人である二人の魔女とそれに比肩する二人の女性がいたのだから。

 

 久遠寺邸に住む魔女のコンビである蒼崎、有珠の二人はかつて自分の命を狙っていた。それに今日、居合わせたアルクェイド、両儀式の二人とて危険度はさして変わらないと見受けられる。これは大前提だが、自分の命を奪いかけた相手たちに自分の命運を賭けるなど常人では考えもしない。

 

 だが、草十郎の考えは違った。

 

 “自分の命運を握られていると言うことは、自分の命運を任せられることでもあるんじゃないか?”

 

 

 慣れている二人の魔女はさておき、アルクェイド、両儀式を絶句させた彼の持論。その考えに基づき無私の献身からくる自壊覚悟の彼の拳は、圧倒的な質量を持つ巨狼の飛び込みの軌道をずらすという偉業を成す。その代償に反作用によるものか、草十郎の体は反対に弾かれた。

 

 

 青子たちは草十郎のことを視線で追いたくなる衝動を抑え込む。彼が命を賭して得た数瞬の時間、それを無駄にしないためにも。四人の女傑による完璧な連携、それを受けた巨狼は飛び込んできた角度の逆方向に椅子、テーブルなどの調度品を薙ぎ払いながら吹っ飛んでいった。

 

 

 

 鼻先という生物の肉体では脆弱な部類に当てはまる箇所を攻撃したにも関わらず、手の甲を起点に肌と肉が裂け血を流している。なるほど、蒼崎たちの言う通りだったようだ。しかし、参った事に吹き飛ばした先で狼はすぐさま立ち上がっており今の連携を意にも解さない様子。

 

「セイバー、ちょうど良いところに!いきなりで悪いけど、私たちに合わせて。みんなであの巨大狼をやっつけるわよ!」

 

 アルクェイドの呼びかけを聞いて、ようやくセイバーは現状の把握を終える。それと同時にアルクェイドや彼女に合わせ、自分の相棒を息の合った連携で吹き飛ばした面々に声を荒げた。それは普段の冷静沈着な彼女らしからず、以前に邂逅を果たしていたアルクェイド、両儀式の二人は驚いたように眉を顰める。また、初対面の草十郎と二人の魔女たちはどう言うことかと混乱を隠せていない。

 

「ちょっと待ちなさい、アルクェイド!いきなり、なんて事をしているんですか!」

 

 唐突な援護の要請に対し、セイバーが取ったのは吹き飛んだ狼と草十郎を含めた五人の間に立ち塞がる事だった。それにアルクェイドたちは目を剥いてしまう。自分が気づく危険性を、セイバーが見逃すはずもないという程度には信用しているアルクェイド、式の両名。

 

 セイバーの身に纏った神秘から只者ではないことを見破った青子と有珠の魔女たちも、いきなり来てあの怪物に背中を許すとは如何なる事情かと疑問を浮かべた。

 

 今、分かることはセイバーが狼を庇うような形の立ち位置にいるという事実。

 

 これはひょっとして……

 

「すいません、お客様。もしや、そちらの大きな狼、知り合いか何かでしょうか」

 

 草十郎は血を流している手を抑えながら、セイバーと呼ばれた少女に尋ねてみた。

 

「はぁ?草十郎、真っ先にグーパンかましといて此処で日和る気じゃないでしょうね?あれは魂魄を喰らう魔狼よ。少なくともこっちが人であっちが獣である以上、穏当な妥協点なんて有り得ない。それより、あんたは怪我を有珠に直してもらって。猫だろうと一般人だろうと手が足りてないんだから」

 

「っていうか、セイバー!そこ危ないから、その狼に背中を見せるなんて正気!?早くしないと丸かじりにされるわよ!」

 

 ただ、草十郎の時と場を無視した意見に両儀式、久遠寺有珠の二人は何らかの意図を見出したらしく、吹き飛んだ先で立ち上がった巨狼から目は離さないものの刀や手を下ろし事態の把握に努める。一方、セイバーは青子、アルクェイドの双方の言葉を聞いた上で不機嫌極まり無いと言うように腕を組んだ。

 

「彼は私の友であり、優れた猟犬です。少なくとも公の場でその暴威を示すことは有り得ません」

 

 そう、言い切ったセイバーの横に巨狼が来て、真剣な顔をしたセイバーへ(じゃ)れつく。そんな魔術、魔法に根源、吸血鬼の関係者達から見て異常な強靭(つよ)さを宿している怪物がまるで飼い犬のごとく戯れ付いている様子を見て草十郎を除く四人の女性はフラフラとした様子でへたり込んだ。

 

 両儀式と有珠は立ち直るのが早かったのか、脱力し切った形で席に座る。しかし、紅茶を淹れたカップが不自然に揺れているところを見るに、動揺はしているようだが。

 

 

 混乱している女性陣とは別の、今のところ店でただ一人の男性である静希草十郎は、なるほどと言いたげに頷きポツリと呟いた。

 

 

「今、思い出したが、そう言えば店の前の黒板にペット可って書いてあったっけ……」

 

 

 その(のち)にアルクェイドと青子は“そんなのアリか!?”と同時に吠えたそうな。

 

 




沈黙の巨狼道場にて

情け容赦のないグーパン。

「なんで!俺、特に悪いことしてないのに!あんまりだぁぁ!」

ちなみに、もはやカヴァスとさえ呼ばれていない定期。



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第五話

十一月中にもう一話、投稿と言ったな。

あれは嘘だ(ごめんなさい!)。





 超常の者たちの憩いの場、アーネンエルベのフロアは混沌の(てい)を見せていた。散乱したテーブル、椅子などの喫茶店の備品の数々。テーブルや椅子など散乱するものに違いはあれど先ほど片付けたばかりの厨房の焼き直しと思うようなヒドい荒れ様の中で青年は肩を落とす。

 

 現在、アーネンエルベにおいて、ただ一人の男性である草十郎は先ほど派手に散らかった厨房の片付けで使っていた箒、ちりとりを持ち出して再び清掃を黙々とし始めた。

 

 肩を落としているとは言っても掃除をすることが嫌いというわけではない。アルバイトという職務であることを除いても乱雑な場所を綺麗な状態にするという活動は好ましいものだ。けれど、さっき片付けを終えたと思えば間髪(かんぱつ)入れずにフロアの方を清掃しなければならないことが気を滅入らせている。

 

 

 もっとも、この惨状は自分も関与しているため清掃をするのはやぶさかではない。文句を言うとすれば、いや言えば命がいくつあっても足りないので、文句があるとすればあの狼を吹っ飛ばすのに関与した女性陣がセイバーという女性を交えてお茶を飲みあっていると言う点だ。

 

 

 まぁ、青子たちとは長い付き合いだし、こういう扱いであることは慣れてきている。現に今も頭は掃除と無関係のことを考えていてもテキパキと効率よく仕事をこなす。壊れたものは廃棄して壊れていないものは布巾で拭いて元の位置に戻す、の繰り返し。

 

 全く、少しは手伝ってくれればいいのにと思いながら、普通では数人体制で一時間は要すであろう惨状を片付ける。草十郎は肩をトントンと叩きながらカウンターの方へ行き次の来店者を待つ態勢を取った。そのあまりにも手際よく掃除を終え定位置に戻った草十郎を見て、女性の面々は目を見開き『この中で一番マイペースなのは彼ではないか』という結論に落ち着いたらしい。

 

「掃除の過程を余すことなく見ていましたが驚きです。まさかこれだけの範囲の掃除をここまで速やかに終えるとは」

 

「まぁ、これがあいつの得意分野だものね。庭の手入れもきっちりこなすし、何かを黙々と片付けるのが上手いのよ」

 

「……蒼崎、そんな他人事のように言っているが、それもこれも君達が庭を放置するものだから俺がするしかなかったんじゃないか。別段、上手くなりたいなんて高尚な心持ちでやったつもりはないぞ。というか、屋敷内の雑事を当番制でやっているんだから庭の手入れとかご近所への回覧板を回すのとかも当番制にしたらどうだろう?中々、いい考えだと思うんだ」

 

「却下よ、だいたいあんたが有珠を無闇に甘やかすからそうなるんでしょ。私は知らないから」

 

「…………」

 

 ほとんど予想通りの回答がノータイムで返ってきたところを見るに、これは無理だと諦めを付ける。後、甘やかす云々の下りから有珠の目にイヤな重力が篭ってきている。割と子供っぽいところのある有珠は、根に持つことが多く負けず嫌いな上に強情だ。

 

 後で蒼崎に何らかの報復がいくのは目に見えている。仲裁の度に巻き込まれる身としてはあまり、派手なドンパチをやらないでくれると助かるのだが。

 

 久遠寺邸の主人である彼女が表立って自分の素を見せないのは、他の人に弱みを見せたくないのと自らの品格を保つためらしい。付き合いが長くなれば、おおよそわかってしまうくらいの曖昧な隠し方。隠してるようでバレバレなところが微笑ましいと思うのは俺だけだろうか。

 

「まぁ、皆が仲良くしてくれるに越したことはないか」

 

 

 こちらがそう言うと、青子たち女性陣の驚いたような視線が集中する。別に変なことを言ったつもりはないが、何か変だったのかと首を傾げる。俺の不可解そうな顔つきに何かを感じたのか、蒼崎がまず始めの口火を切る形で発言をした。

 

「この状況でよく、呑気なことを言えたわね。だいたい、何でそんな怪獣が放し飼いになってるのかについても、掘り下げていきたいんだけど」

 

 蒼崎がこうして、渋面でため息混じりの声色を使うのは正直、驚きだ。もっとも、それは有珠を除くアルクェイドさんと式さんにも共通していることだった。その原因、今のところ店内が平穏を保っている最大要因の一匹。

 

 

 セイバーさんのペットだという巨大な狼は主人である彼女の背後に静かに控えていた。特別、敵意も見せずにいる姿は、対岸で燃え盛る災火を思わせる。存在そのものが世界に認識されないもの、まるでどこまでも(くら)い深淵が意思を持っているかのようだ。

 

 

 少なくとも先程まで意思なく目的なく、ただ存在していただけの存在と同一体とは思えない。主人との再会を機に巨狼の存在感が膨れ上がったと見受けられる。目的を持つということの意味、願いや意思は斯くも明確な強さの原動力になるのかと圧倒される。

 

 

「何ですか、青子。人の友人に向かって怪獣とは。カヴァスは立派な猟犬にして騎士。無辜の民にその力を振りかざす横暴をするはずがありません」

 

「友人って、ちょっとセイバー。何がどういう天変地異とか奇跡が起きたら、こんな異界の獣が飼育できるようになるのよ。何、ひょっとして昔のブリテンってこんなのが平然と闊歩してたの?」

 

「そんな時代があったら、人類が今まで存在するわけないわ。少なくともこの子、アラヤとか根源とかモノともしないでしょうね」

 

「式にアルクェイドも、先ほどから聞いていれば。カヴァスは確かに幻獣の類いでしょうが、無闇に恐れを抱くほど危険な生き物ではない。昔は普通の大型犬程度だったのです。それから共に生活する中ですくすくと元気に育っただけで特別な存在ではありませんとも」

 

 

 それを聞いたアルクェイドたちは、口角を引きつらせながらセイバーの背後に侍る巨狼へ焦点を合わせた。それは今まで敢えて外していた脅威の再確認。先ほどまでの無機質な印象を反する圧倒的な存在感。常識を侵食する強大な魔の気配。

 

「セイバーって、こんなペットのことになると目が曇りまくる子だったかな?実際には幻獣という括りでも、まだ過少よ。犬なんて呼びようがない上、真祖が複数いても殲滅できるスペックに見えるけど。何がどうすれば、飼い主とかの関係に収まったの?」

 

「そうね、さっきの突進を逸らせたのも半分以上が攻撃の意図じゃなかったからで。攻撃、いえ害意を持って動いていればどうなっていたのかしら。……そういえば、草十郎君。ついさっき、そこの狼の鼻先へ拳打を撃ち込んだでしょ。腕は無事……みたいね」

 

 

 カウンターにいる前はテキパキと掃除を両手でしていたのを見ていたのだ。いつのまにか、自分で包帯を巻き、そのままという雑な応急処置。それで平気な顔をしている辺り、普通の一般人とはやはり何かが異なる青年。

 

 こんな質問はするだけ無駄というものか。

 

「うん?……ええ、痛打を与えるためなら話は違ってきたんだろうが、飛び込む先をズラすための打撃だからね。そこまで腕に負担はないよ。少し痺れがあるくらいだ。別に肉を喰い千切られたとか、骨が折れたとか物騒なことじゃないから、しばらくすれば治るさ」

 

 この程度なら怪我のうちに入らないと言った口ぶりで式へ微笑む山育ち。例えが妙に具体的だったのは彼の実体験に関わりがあるのか疑問が残る。当たり前だと言わんばかりに非常識なセリフがいきなり出たため反応が遅れたが草十郎の監督責任者をやっている青子がそれに指摘する。

 

「今、なんか新手の異言語かと思ったけど、日本語みたいね。ていうか、あんたね。素手であんなのに闘いを挑むんじゃないわよ」

 

「なんだい、いきなりそんなこと言って。君たちから見れば、おっかない怪獣なのかもしれないが俺から見たらでっかいだけの狼だ。別に無茶と言うほどでも」

 

「言うほどのことで、無茶としか言い表せないんだけど」

 

 青子の即答に草十郎は驚いていたようだが、なるほどとコクコク頷き両目を閉じカウンターで腕を組む。その心情を正確に汲むことは出来ないが、また一つ都会の常識というやつを脳裏に刻み込んだらしい。そういえば、やたらと頑丈だったなと他人事に考えながら、青子は背もたれに体重を預けた。

 

 

 

「静希君、そういえば私のプロイの呪いを受けても少し衰弱するくらいだったもの。山の生活は肉体を頑健にする一助になっていたようね。そのおかげで青子の首輪とか、ぞんざいな扱いを受ける羽目になっているのは気の毒だけど」

 

 

 有珠が草十郎を慰めるようなことを言っているが、その実は青子への意趣返しのため皮肉混じりにこちらを眺めてチクチクと咎めてくる。

 

「なんと、首輪など。そんな扱いに甘んじていると言うのですか。それはいけない。いくら、魔術師といっても感情表現はもっと率直に行うべきなのでは」

 

「はぁ?違うって、こいつが魔術を目撃したせいで色々と活動を制限する必要があったの。それで同居させる判断を取ったんだけど、ほら多感な思春期男性とか弱い婦女子が同居。首輪の一つでも仕掛けて置かないと無用心でしょ」

 

 

「いや、待ってくれ。蒼崎、普通もか弱い婦女子というのは安全確保のための手段に首輪などを選択しないと思うんだ。もっと女性らしい可愛いものを、ぐぇ」

 

 ギリギリと首につけている首輪が喉を締め付けてくる。か弱いと自負するのなら、こういう時は首を締めるから始めないで頂きたい。首輪の締め付けが終わり、気道がようやく自由になる。少し、締められていたせいで空気を美味く感じた。

 

 

 

 

 

「たっだい……マァァッァ!?」

 

 カランと扉が開くと、ゴミ捨てから帰ってきたネコ擬きの怪生物が両頬(りょうほほ)を抑え叫んでいた。

 

「ちょっと店から離れてたら、すぐに訳の分からんことに!セイバー嬢がご来店してると思いきや背後でとんでも狼がスタンバッってるんですが?ちょっと説明プリーズ、草十郎ボーイ」

 

 一番近くにいた草十郎は唐突な質問を受けることになったが、律儀な性格が災いしネコアルクへ現状説明という貧乏くじに当たったようだ。本人は特に忌避感は無いと思われるが、女性陣は面倒なナマモノの相手をせずに済んだと胸を撫で下ろしていた。

 

「……いや実は、あの狼はセイバーさんのペットらしい。しかし、それを俺たちは知らなかったので狼を乱暴してしまったんだ。ああ、俺たちというのは店にいる全員のことで」

 

 そこで一度、言葉を区切り、テーブルに座す面々の紹介でもするように名前を羅列する。

 

「俺、それに蒼崎に有珠、あとアルクェイドさんに式さんのみんなで。それで今はお冠なセイバーさんにみんなが叱られていた最中で……ここまでで分からないことはあったかい?」

 

「うん、ごめんね。一から十まで分からんニャ〜」

 

 かいつまんで話したとはいえ、要点だけは的確に掴んだと思う説明。こちらなりに分かりやすさをモットーにして話してみたが、どうやらうまく伝わらなかった。まだまだ、自分の至らぬところは多いと自省しつつ、レジの下に置いてあったマニュアルに目を通す。

 

 

 こんな状況とはいえ、アルバイトという身分。給金が出るか定かではないとしても務めは真っ当にこなさなくては。それが都会という未知の場所で生きていく方法ゆえに。

 

 

「難しいな、都会で生きていくというのは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 草十郎の独白を耳に挟んだ青子はカップの縁をなぞりながら、呆れた目で彼を眺めていた。

 

 

「……魔術師でも驚くこの状況を都会の常識に当てはめないで欲しいんだけど……」

 

 

 都会で暮らし始めて、そこそこ長い癖に自分が都会のことを何も理解できていないとする過小評価。同居人の勘違いを後で正そうと決め、現在のアーネンエルベの騒動の発端とも言える狼を視界に入れる。先の攻防でそれぞれが各個に取れる最大限の攻撃を叩き込んだ。自分と有珠のコンビネーションで撃った魔弾にしても、アルクェイド、式の両名の攻撃も物理、概念、神秘の面から見ても最高の威力だったはず。

 

 

 

 それを受けて、なお特に変化を見せていないという奇怪な性能。狼毛に乱れ一つ見えない点からしても、幻想種とさえクラス分けできない。異常だ、異常だと勘で察していても、眼に見える形でそれを突きつけられるのはまた一段と皮肉めいてる。

 

 セイバーの背後に座り、彼女に顔を当てているところはまるで、懐いているような動作。しかし、頭に嫌な想像がチラついて離れない。

 

 出来の悪い悪夢が頭に浮かんだ。

 

 

 

 ーーーー

 

 

 セイバーという少女の首元に鼻先を擦らせた巨狼、その顎門が何の予備動作も無しに開閉。セイバーの首は頸骨もろともに喰い砕かれ、骸は壁際に打ち捨てられる。狭い店内、普通なら一切の挙動に支障をきたす巨駆のまま残像を生じさせぬほどの速度域に到達。その両前脚に備わった鋭い爪が吸血鬼と着物の二人を細切れに。

 

 毛皮が紅い血に染まり、それが焦げ付く匂いを鼻孔が捉える。狼毛から火の粉が発し、巨狼の総身から焔の手が上がる。その焔は物質的なそれと異なる異界の焔。幻想、神秘、魔術、科学とこの世界のどの体系にも実証されない未知の脅威。

 

 床に散らばった肉片は未来の自分の暗示であり、どう行動しようと逃れられない最悪の末路。有珠や草十郎、二人も己の持つあらゆる手段を用いて、生存のために行動するが灰色の巨狼は、その怪物特有の肉体性能とそれに不随する殺人技巧のまま更に骸を量産する。

 

 

 腹をくくり、魔法使いが持つ最大の異能である魔法を使おうとした時、眼前には巨狼が広げた顎門の内部が見え、それが閉じられた瞬間に全てが終わる……

 

 

 ーーーー

 

 

 

 

 不意の、なんの意味もなさない“if”の想定。白昼夢とさえ言えぬ妄想の産物。

 

 だが、おそらくこの眼前にいる怪物は今の妄想を寸分違わず実行できる。やる、やらないではなくできるという一点が恐ろしい。草十郎のように自分のことを殺せるような異形を前に警戒を解くなんて真似ができるほど器用な精神構造など持ち合わせておらず。

 

 

 私にしても有珠にしてもだが、常に警戒心を張り詰めさせたティータイム。全く、とんだアルバイトになったと考えながら、カラカラに干上がった喉を潤すためすっかり冷めたカップに手を出す。ああ、本当に今日は厄日というやつだと心の底から思う。

 

 

「とことん狼が縁起悪いわね。こんなことなら、年末に狼関係の厄落としでもしとけばよかった」

 

 

 そんなピンポイントな厄除けなどありはしないと分かってはいる。しかし、それでも口に出してしまうほど疲れているのだと自覚した。まぁ、あの狼も特に不審な行動を見せておらず、ここは心を落ち着かせるために高めの茶葉を目一杯使ってしまおう。

 

 そう思っていたら……

 

「ハハっ、そんな都合の良い厄落としなんてないだろ、蒼崎」

 

 ニッコニコに笑いながら草十郎は子供の微笑ましい言い間違いを指摘するように声をかけてきた。頭が真っ白になる。悟りというものには、ほど遠い立場ながら私は俗に言う悟りというものを擬似体験する。全てのものに対する執着が消え、同時に総ての事柄への差別的意識の消失。

 

 

 高尚な修行など一切していない身でありながら、私はおそらく場を和ませようとしたであろう無神経な台詞に苛立ちを感じたのだ。怒り、恨みというほどの激情ではないにしろ、カンに触りまくった一言は確かに自分の何らかの沸点を超えていた。

 

 

 いや、日常生活でこの程度の軽口を言われたのなら、私も高校生として魔術師として多くの経験を積んできたために軽く受け流せた。ただ、間が悪い。極大の怪物と長々と一緒にいたことによるストレス、そしてセイバー、式、アルクェイドなどという規格外に含まれる者たちの相手。

 

 精神衛生上、今のアーネンエルベは私にとって鬼門としか言えなかった。

 

 

「……そうね、狼避けなんて丁度いい分類はないでしょうし、動物関係の広義的なものなら、探せばあるのではなくて?……ペンギンのお守りとかないかしら」

 

「ペンギンか、おそらくそういうのは難しいと思う。鶴とか亀ならあるのでは?」

 

 

 ……ダメだ、もの凄く怒鳴り散らしたい。草十郎と同じく、いやそれよりも付き合いの長い有珠のことを忘れていた。この娘、そういえばドが付く天然だった。此処では彼女も頼りにならないという現実が突きつけられた。大体、何故にペンギンを引き合いに出す。会話の流れ的に伏線でもあったのか。

 

 あと草十郎も真面目に答えるな。

 

 

「全く、皆さん纏まりというものが皆無ですね。何をどうすれば、此処まで混迷とした状況に陥るのか言葉に困ります。此処は落ち着いて飲食を行う喫茶店ですよ」

 

 

 そのセリフに式、アルクェイド、有珠はセイバーの背後にいる巨狼を見て、草十郎はお手拭きやカウンターに備え付けの調味料の補充をしていた。

 

 私はと言うと……

 

 

「あ、あ…………あんたの後ろの猛獣が原因だぁ!!」

 

 

 怒りを爆発させてしまったようだ。

 

「ギニャー!とうとう青子氏の怒りが振り切れちまったゼ!これはまさしく怒りのボルケーノ。助けて、ネコ型ポリスメン。と言うか、草十郎っち。それもこれも全部、君が何となく悪い!ン〜〜ネコ的に見てギルティ?だから、さっさと現代版のリアル魔法少女を止めるニャァァァ!」

 

 魔法少女とかふざけた声に反射で反応し、魔弾でネコを叩き潰す。アルクェイドたちを始めとした女性陣はいつのまにか退避済み。となると貧乏くじはたった一人の男子、静希草十郎に託された。

 

「なんだか、今のは蒼崎の余計な怒りを買ったような気がするんだけど。あと俺だけで蒼崎を止めるのは無理な気がする。援護を、期待できそうにないか。仕方ない……せめて、これ以上モノが壊れませんように」

 

 

 そう言うと草十郎は一人、店内で怒りの暴風を吹き荒らす人型の嵐へと吶喊していった。

 

 なお、奇跡的に物的損害はなかったが、代わりに草十郎のウェイターの制服がボロボロになり、彼は替えの二着目に着替えることになったのである。

 

 なお、ネコ一匹が粉微塵になりかけ、ノックアウトされた事実を併記しておく。

 

 

 

 

 

 

「男女比が(かたよ)っている。男ばかり少なくて女子はズルいと思うんだ」

 

 

 草十郎は自分の現状の文句として男女比についてを急に言い(およ)んだ。

 

 

「男女比ね、私も昔は男としての人格があったけど、そういうことではないみたい。むしろ、こう気楽に話せる男子がいて欲しいと?」

 

「男としての人格というのは、いささか引っかかりますが男性ということでしたらカヴァスがいるじゃないですか。彼ではダメなのでしょうか」

 

 

「男っていうより、雄って感じなんだけど」

 

「……あ」

 

 

 セイバーの発言に修正を入れるように青子は口を挟む。それを聞いた有珠に至っては雄だったのかと目を見開き、ジッと巨狼を観察している。灰色の狼も雄という扱いに不満でもあるのか、牙を剥き出し、その巨躯に比例する甚大な威圧を放つ。

 

 

 青子たちと両儀式はそれを軽く受け流すが、アルクェイドはその紅眼を輝かせ、真っ向から相対する。そんな怪物の睨み合いを委員長気質のセイバーが止めに入った。アルクェイドの眼前に手をかざし、牙を剥くカヴァスには鼻先を落ち着かせるように撫で付ける。

 

 爆発寸前までに上がっていた戦いの熱は平常時までに低下する。

 

「アルクェイド、カヴァスは容易に力に頼ったりはしません。そこまでに好戦的なのはどうかと思います。それにカヴァスも、此処は喫茶店であり茶を楽しむ場。店内で暴れてはなりません。何か、貴方でもつまめそうなものを注文するので待っていなさい」

 

 

 セイバーの言っていることは飼い主がペットに注意をするような口調のもので、むしろそんなセリフを吐けば八つ裂きにされかねないとアルクェイドは席を立ちかけるが。

 

 

 カヴァスと呼ばれた魔獣の瞳から殺意や怒り、負の情念が抜け落ちていく。

 

 後に残されたのは灰色の狼が一匹。それは恐怖を喚起させるほどの違和感を放ってはいるものの、特別周囲へ害意を振りまこうという意思だけは消え去っていた。

 

 

 ーーーー

 

 

 全く、敵わない。朱い月の代行である私とて恐る世界の規格より反したナニカ。それを言葉だけでどうこうしようとするのだから。志貴がいれば、果たしてどうなっていただろう。恐らく、志貴やこの場にいる彼女たちと協力することであの怪物を殺すことだけは叶うはずだ。

 

 しかし、殺した怪狼がそのまま死んでくれるとは限らない。むしろ、より悪辣なほどに殺戮性能を上げ、容易く死を踏破するのは明白。そんな怪物がこれまで世界を滅ぼすことなく、ただ飼い主を待ち焦がれていただけとは。主人が死ねば、世界を死の海に変えてでも復讐するかもしれなかった怪異が、主人なき世界で幾瀬(いくせ)幾歳(いくとし)を待ち続けていたというのは。

 

 永劫を生きる真祖としては身に染みる話だ。

 

「?……アルクェイドさん、どうして泣いて」

 

「馬鹿ね、草十郎。女の子が泣いていたら、そっとハンカチを出して見なかったふりをするものよ。それに悲しくて泣いてるんじゃないから……そうね、ちょっと綺麗なものが目に映っただけ。それだけの話」

 

 

 そっと目の縁に残った雫を指先で払い、笑顔を取り戻す。

 

「さて、確かどこまでを話してたんだっけ!確か、男女の話だったわよね」

 

「ええ、男より女の子の方が多いって。………全く、この中の女性の一人でも男だったら、少しは助かったろうに」

 

 私の発言に続いた草十郎のボヤきとも取れる発言に女性陣が目を見張った。

 

「私たちが男だったら?そんな下らない話してどうなるのよ。有珠とか、最悪引きこもりで夢見がちなお坊ちゃんになるじゃないの」

 

 やたら、マイナスイメージばかりが付属された意見だが、草十郎がいるなら話は別になる。訂正もないまま放置しておくと、草十郎が間違ったまま覚えるのだと思っている有珠は即座に反攻に撃って出た。

 

「そんな“もしも”なんて有り得ないでしょうけど、私が引きこもりだとしたら貴女の場合は売れないギター弾きじゃないかしら。ピッタリではなくて?」

 

「ちょっと、ギター弾きって何よ。センスの欠片もない形容するくらいならバンドマンと呼びなさい!」

 

「”売れない“は良いのかい。そっちの方が不名誉だと思うんだが」

 

 ツッコむとこ、そこじゃないわよ。

 

「じゃあ、私はどうなの?どんな男性になると思う?」

 

 ……驚いた。いや、あの式がこの話題に乗っかるのが信じられない。しかし、よくよく考えると今の彼女はアラヤの具現。こんなにも長く実体を持っていることがないからか、浮かれているのね。此処で判明した両儀式は式よりいささかノリが良いという事実。あまり使いどこはなさそうだ。しかし朱い月にしても、両儀式にしても、自由に扱える体を持たないモノたちは実体を持てば、こうも容易く浮かれてしまう。

 

 頭が痛いものだと思いながら、卓上の紅茶に角砂糖を投入する。

 

「極道?」

 

「ヤクザ」

 

 青子と有珠が頓珍漢な解答を叩き出してきた。

 

「ちょっと、式。散々な言われようだけど、反論は?」

 

「特には。堅気とまではいかない家ですもの。ただ、そういう例えが多いのも事実。やっぱり、秋隆が一年を通して黒のスーツを着ているのが悪いのかしら。春夏秋冬、黒スーツでウロウロするのもどうかと思ってはいたの。そうね、これを機に夏はアロハ、冬はダウンにすれば」

 

 そういう問題じゃないと思う。

 

 けど……確かにファッションを変えるというのは良いわね。志貴が黒のスーツを着込んだら……夜に紛れるような黒いスーツを着て、夜中に街を一緒に散歩する。ムードがあって、すっごく良い。しかし、そうすると秋葉やカレーシスターが。

 

 ……それにしても新鮮だ。女子が揃ってこういう話題で盛り上がる、なるほど。

 

「これが女子会ってヤツね」

 

「女子会というのが一般的にどうなのか知らないけど、普通の女子の会話でヤクザや極道なんて言葉は聞いたことがないんだが」

 

 ムッ、鋭い指摘。一瞬、納得しかけてしまった。

 

「では私はどうでしょう」

 

 セイバーの男子像。多分だが、女子の頭には同一のイメージが広がっただろう。

 

「そりゃ、白馬に乗った王子様ってとこが順当でしょう」

 

 青子の発言に頷く一同。確かにセイバーは女子からすれば、理想の王子様。ジェントルマンで女子を恭しく扱ってくれて、女心を介する騎士様。モテないはずがなく、だからこそ気になった。もし、仮にセイバーが本当に男だった時はどうなっていたのか。

 

 ここにいるセイバーは自分たちと同じ女子だからこそ女心をよく理解してくれる。だが、もし生粋の男だった場合は、果たしてここまでの理想の王子様になったかと。

 

 いかんいかん、とりとめない”IF(もし)“に意味はない。今、この場こそが真実なのだから。さて、青子や有珠、それに両儀と。ここまで来たら最後は私?

 

 最新の魔法使いに、最後の魔女、アラヤの具現に生粋の英霊。彼女たちの想像する男となった自分の質問に少し好奇心が働く。

 

「ねぇねぇ、それじゃあ私は?どんな感じなのかなぁ?」

 

 

 満面の笑みを浮かべた真祖の吸血鬼。その声は晴れの日の太陽を思わせ、その表情は天真爛漫そのもので。それを見た全員は互いの目を見ないまま、全くの同時にアルクェイドを評する。青子、有珠、両儀式、セイバー、異口同音に発したのは、全くの同じセリフであり、アルクェイドにとっては聞き覚えがイヤというほどある評価だった。

 

 

 

「「「「アーパー吸血鬼」」」」

 

 ……

 

 ……

 

 

 ”ウォン!“

 

 四人の女子のやけに揃った声に遅れて、狼が軽く控えめに一鳴きをする。

 

 草十郎はカウンターの乾拭きを一時中止して顎に手を当て一言。

 

「……確かになぁ」

 

 

 絶対に息を合わせないだろうと思っていた女性陣の満場一致。それを踏まえての草十郎の納得。あと、それに合わせての狼の一鳴き。多分、狼も”確かに“とでも言ったのだろう。

 

 

「なぁ〜んで、ここに来て私は、女性の時と大差ない扱いなのかしらぁ?」

 

 

 言葉の端々から、凄まじい威迫を感じる。これはまた、厄介なことになるぞ、と考えながら、今のところ唯一の男子である草十郎はカウンターを出て、女性陣たちの仲介、交渉に挑むのだった。

 

 

 

 




ーーー巨狼道場ーーー

青子のヒドイ深読み。アルクェイドの謎の感動。意思疎通のできない飼い主。
巨狼の明日はどうなるのか!

ちなみにセイバーの首元に顔を押し付けていた時、並びに最後の一鳴きの意訳

「シフって呼んでください!」


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