緩やかな風に吹かれて (晴貴)
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1話

 

 

 東京から南東およそ850キロに位置する神南島(かなみじま)。大小4つの島からなる諸島であり、その内人が住んでいる島は2つ。

 外周は約32キロ、神南諸島の中で最も大きな神南島。そこからおよそ3キロ南西に向かうと神南島の半分ほどの大きさの結賀島がある。

 2つの島民を合わせても300人に満たない非常に小さな島々。

 けれどそこには造りこそ古いが確かに鎮守府が存在していた。

 

 神南島鎮守府。

 人と深海棲艦、その戦争の黎明期。太平洋沖から侵攻してくる深海棲艦を迎え撃つべく、小笠原諸島と並んで日本の領海における最前線の砦として島全体が要塞化された。その際に建設されたのがこの神南島鎮守府である。

 とはいえすでに半世紀以上前の建物であり、至るところにガタはきている。そして建て替えようにも海軍に……いや、日本にそんな余力はない。

 深海棲艦に侵攻を許し、人類の生活圏が狭まってしまった今の日本には。

 

『続いて先日発生した深海棲艦による高鍋鎮守府襲撃事件についての続報です。日本政府は壊滅的な被害を受けた高鍋鎮守府の放棄を決断したと発表。これにより計画されていた九州南部の奪還作戦に大きな遅れが出ることが確実となりました。これに対して野党や国民からは政府と海軍を強く非難する声が相次いでおり――』

 

 今日も朝から気の滅入るニュースが垂れ流されている。

 ここ数年、深海棲艦の動きが一層活発になってきたなぁ。各地の鎮守府や港をメインに襲撃され、その内のいくつかは陥落し放棄されている。このニュースで話題になっている高鍋鎮守府もそうだ。

 九州には日本屈指の鎮守府に数えられる佐世鎮(させちん)こと佐世保鎮守府があるが、それでも深海棲艦を追い返すことはできなかったらしい。まあ今はもう消耗戦の末期だしな。出撃のための資材もろくにないのかもしれん。

 艦娘だって出撃できなきゃどうしようもないわけだし。

 

「ふーん、どこも大変なのねぇ」

 

 そんなニュースを見ながら、きつね色に焼いたトーストをサクサクと鳴らして食べる黒髪の少女。その言葉はどこまでも他人事だった。

 いやまあ、実際こいつにとっちゃ他人事なんだけどな。

 

「あ、このパンおいしい!」

 

天津風(あまつかぜ)が試行錯誤の末にたどり着いた至高の逸品だぞ」

 

「そうなの?すごいわね、天津風!」

 

「大げさよ。毎日魚とお米だけじゃ飽きちゃうから作ってみただけだってば」

 

 確かに離島って環境だけにどうしても主食は魚になる。

 まあ天津風が魚料理のレパートリーを増やして飽きさせないようにしてくれてるだけありがたいんだが。天津風は元から和食は得意だったが、最近は中華や洋食も積極的に取り入れてる。

 今朝のメニューもトースト(手作りジャム付き)に家庭菜園(鎮守府敷地内の畑)の野菜で作ったサラダとトマトの冷製スープ、ブラックペッパーの風味と桜チップの薫りが食欲をそそる豚バラ肉の燻製ベーコン(自家製)だ。

 生来の凝り性もあってうちの天津風は完全に料理人と化してるな。一応、俺の秘書艦でもあるんだけどさ……。

 

「そういえば明石(あかし)さんは?」

 

「あいつなら徹夜してるからまだ工房だろ」

 

「徹夜?どうして?」

 

「近海を漁ってたら物珍しい資材があったらしくてな。いじくり回してる」

 

「明石は本当にそういうのが好きね」

 

「本人は生き甲斐だって言ってるくらいだもの」

 

 やや呆れたように言いつつ、天津風は1人分の朝食を取り分ける。それをトレイに乗せて足早にダイニングから出て行った。

 ただ今の時刻は午前8時少し前。まだ起きてるかどうかは微妙なところだな。寝る前に食わすのもどうかとは思うが、あの明石がそんなこと気にするわけねぇか。

 

「天津風は世話焼きね」

 

「神南島鎮守府の2大おかんだからな」

 

「もう1人は?」

 

(かすみ)

 

「なるほど」

 

 まあ世話の焼ける人間が多いとも言えるのかもしれんが。

 自慢じゃないがうちの鎮守府は年中温暖な気候も手伝って空気が緩いからな。俺なんてここ一年、軍服に袖を通した記憶がない。深海棲艦の襲撃に苦しんでいる本土の方とはえらい違いである。

 

「さてと、俺も畑の様子を見てくるかね」

 

「いってらっしゃーい」

 

「……お前も食い終わったら自分の食器くらい洗っとけよ?」

 

「気が向いたらね」

 

 向きそうもねーなこれ。鈴谷(すずや)に懐くのはいいけど、どんどん性格まで似てきてる気がするぜ。

 ため息混じりに席を立ち、俺は鎮守府内の一角にある家庭菜園まで足を向ける。家庭菜園と言ってもビニールハウスがいくつか並ぶ本格的な代物だ。

 島で長年農家をやってる野田のおやっさんを拝み倒してイロハを叩き込んでもらっただけはある。人類の生活圏が狭まっているこんな時代だし、小さな鎮守府の食料くらい自給自足しないとやってけないからな。

 

 以前は物資を乗せた定期船なんてものもあったが、今じゃ民間の船なんて深海棲艦の標的になって海の藻屑になるのが関の山だ。そのために艦娘が護衛につかなければならず、それにかかる費用に対して負うリスクと得られる利益は雀の涙だ。そんな危険地帯に物を運ぶよりも、島民に移住してきてもらう方がはるかに効率的である。

 

 なのでその役目は俺の鎮守府で引き継ぐことにした。

 ここまで追い込まれた状況になっても島を出ない人間が移住の説得なんかに応じるわけもない。彼らはみんな、死ぬならこの島で死ぬつもりだ。不便で危険でも、生まれた場所ってのはそれくらい大切なんだろう。

 彼らの命を保護しなければならない国からしてみれば傍迷惑な話だろうが、故郷を離れたくないという気持ちも分かるからなぁ。

 

 なんてことを考えながら、ビニールハウスや畑の農作物を見て回る。必要に応じて水やりはするが、それよりも大事なのが雑草取りと害虫対策だ。健康そうな個体にはお手製の木酢液(もくさくえき)を散布して防虫に努める。

 アブラムシなんかに寄生された固体には農薬を散布。まあ農薬って言っても本来なら殺虫効果のない木酢液にニンニクや唐辛子をぶち込んだ程度のもんだけど。

 

 とはいえこまめな手入れのおかげか作物の状態は良好。ビニールハウス内で赤々と育ったトマトはそろそろ全部収穫できそうだった。スペース空いたら今年はスイカ植えてみるか。

 今年の夏はみんなでスイカ割りとしゃれこもう。

 

 これじゃ提督じゃなくて農家だが、この島で生きていくには必要なことだ。実際、島民は何かしら育てていたり、危険を承知で漁に出る者だっている。

 一応近海については鎮守府の艦娘達で巡回し、敵の深海棲艦が現れれば沈めているのでそういう人達からは大層感謝されている。

 そうしてお互いの収穫物を分け合う持ちつ持たれつの関係が、俺が鎮守府に着任する以前から神南島には出来上がっていた。

 

 ちなみに俺の野望は稲作を始めて米はもちろん、酒や酢も鎮守府で作ってしまうことだ。そのために必要な設備の開発も明石に協力してもらって形になりつつある。本人は「工作艦の本領発揮ですよ!」と色めき立っているので、まあ楽しんでやってるようだ。

 ただ工作艦の本領ではないと思うけどな。

 

 鎮守府の将来像を思い浮かべながら黙々と作業を続ける。

 そんな時だった。

 

「あなた、霞から報告があったわ」

 

 いつの間にやってきたのか、天津風にそう声をかけられた。

 霞はこの時間だと近海の巡視にあたっているが、天津風の声色からしてそう大事でもなさそうである。

 

「何かあったのか?」

 

「大破している艦娘を発見したそうよ。命に別状はないらしいけど意識がないみたい」

 

「大破した艦娘ねぇ……」

 

 制海権を深海棲艦に奪われて久しいこのご時世、大破に追い込まれるまで深手を負ったのは不幸か、それとも沈まないで済んだ幸運を称えるべきか。ま、この鎮守府に流れ着いただけ悪運は強いみたいだな。

 んじゃあその顔でも拝みに行きましょうかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……ここは……?」

 

 体にまとわりつくような怠さを感じながら私は目を覚ます。

 まず目に入ったのは板張りの天井。横になっているベッドの脇には開け放たれた窓あって、そこ吹いてくる緩やかな風が気持ちいい。

 そんなまどろみの中で、私は気を失う直前の記憶を呼び覚ます。

 

 確か鎮守府から追い出されて、でも行く当てなんてなくて……そして、深海棲艦に……。

 

「あら、目が覚めたのね」

 

 記憶を思い出していると声をかけられた。体を起こして声のした方に目を向ける。

 扉を開けて部屋に入ってきたのは私と同じ、艦娘の天津風。そしてまだ20歳くらいの若い男の人だった。

 ええっと、ここは鎮守府……なのかな?男の人は司令官にしても憲兵にしてもものすご~く軽装だけど。だってアロハシャツに半ズボン、そしてサンダルだよ?

 

「あ、あなたたちが助けてくれたの?」

 

「私も介抱はしたけど、大破して意識不明だったあなたを曳航してきたのは違う子よ。あとでお礼を言っておくといいわ」

 

「う、うん。ありがとう」

 

「体の方は平気?痛むところとか、違和感があるところはない?」

 

「ない……と思う。ただ、体は少し重いかも」

 

「高速修復剤を使ったからそれは仕方ないな」

 

「そうなん……ええっ!そんな貴重なものを!?」

 

 男の人が何でもないようにそんなことを言ったから危なく聞き逃すところだった!

 高速修復剤(バケツ)なんて戦艦や空母にしか使われてるの見たことないのに……はっ!まさか清霜(きよしも)は知らない内に戦艦になってたりして!?

 鏡、鏡はどこ!?

 

「ちょうど余っているのがあったのよ。それであなたは夕雲型(ゆうぐもがた)駆逐艦の清霜でいいのよね?」

 

「……く、駆逐艦に見える?」

 

「……?ええ、私の知ってる駆逐艦・清霜と相違ない外見だけれど」

 

「そうですか……」

 

 別に清霜が戦艦になったわけじゃなかったんだね……。

 しょぼーん。

 

「どうしてそんなに落ち込んでいるのかしら?」

 

「気にしないで……」

 

「そう……なら本題に入るけど体調に問題はないのね?」

 

「うん、それは大丈夫よ!」

 

「じゃあまずは軽く自己紹介といこう。俺の名前は上園(うえぞの)(わたる)、ここ神南島鎮守府の提督だ」

 

 あ、やっぱり司令官だったんだ。なんで制服を着てないんだろう?

 

「私は陽炎型駆逐艦の9番艦、天津風よ。秘書艦をやってるわ」

 

「夕雲型駆逐艦19番艦の清霜です!」

 

 ベッドから降りて、司令官と天津風に対して敬礼する。

 

「ああ、よろしく。だがまだ無理をするな」

 

 そう言って司令官はベッドに腰かけたままでいいと笑いかけてくれた。

 司令官と天津風はそんな私と向かい合うようにイスに腰かける。

 

「それで清霜、お前の所属と大破に至った経緯を話してもらえるか?」

 

「所属……」

 

 その一言に、私の心がざわめく。まるで厚くて真っ黒な曇天が立ち込めるように。

 泣きたくなるのを堪えて何とか声を絞り出す。

 

「……所属は、ないの。清霜は捨てられちゃったから」

 

「……そういうことか」

 

 私の言葉で司令官はどういうことか理解したみたいにため息を吐いた。

 そんなに悲しげな顔をしてるってことは天津風もどういう意味か分かってるんだね。

 

「清霜がいた鎮守府もさ、深海棲艦に攻められて、なんとか踏ん張ってたんだけど本当にギリギリで、使えるものはなんでも使ってた」

 

 それは物資に留まらず、どんな手段も。

 ダメージを受けて帰還した艦娘を治す資材は主力になる戦艦や空母に優先的に回されたから清霜みたいな駆逐艦はたとえ大破でもそのまま放置されて、そんな状態のまままた出撃させられる。そういう戦いだった。

 

 私も3回出撃した。最初の出撃で砲弾のほとんどを使い切った。

 2回目の出撃で中破して、燃料もほぼ底を尽いた。

 そして3回目の出撃。私は砲弾も燃料もなく、深海棲艦がひしめく最前線に放り出された。ただの的……囮として。

 唯一手にしていたのは探照灯だけ。

 

「一緒に囮として出撃させられた他の駆逐艦が目の前で次々と沈んでいったの。当たり前だよね、だって清霜たちにはもう戦う力が残ってなかったんだもん……」

 

 囮の私たちにできたのは傷付いた体を引きずって、絶望に染まった海で探照灯を照らしながら1秒でも長く逃げ続けることだけ。

 でもただでさえ燃料は少なくて損壊している体じゃそう長くは逃げられない。探照灯のせいで集中砲火にあって、一時間と経たない内に私は大破してしまった。

 そしてあの瞬間、左足をものすごい衝撃が襲った。立ってることなんかできなくて、私はそのまま夜の海に倒れ込んだ。

 痛くて苦しくて、体に力も入らないからこのまま沈むんだって思ったけど……。

 

「攻撃を受けた際に気絶して探照灯を手放したことで姿が隠れ、夜の海にまぎれて流された……ってところか」

 

「あはは、運がいいんだか悪いんだか……」

 

「どんな形であれ生きてんだ。運がいいに決まってるだろ」

 

「そう……かな?沈んでいったみんなのこと覚えてるまま生きてるのってそんなに運のいいことなの……?」

 

 同じように囮にされ、迫りくる恐怖や絶望と戦いながら沈んだいった仲間。

 それだけじゃない。清霜が建造されて、あの戦いの日を迎えるまでに沈んでいった仲間やお姉さまたちだっている。駆逐艦の私じゃみんなを助けることなんてできなくて、名誉の死を遂げるその後姿を見送ることしかできなかった。

 何度自分の無力さを嘆いたか、もう覚えていない。

 

「ああ、そうだ」

 

 それでも司令官は私の目を見つめて、全く躊躇することなくそう言い切った。

 その目は真っ直ぐで、だけど私よりもずっと深い悲しみを宿しているように見えた。

 

「死んじまったらそいつらを思い出すことすらできなくなる。確かに仲間の死に際なんて見慣れないし悪夢にうなされるような記憶だ。けどそいつらとの記憶は、思い出は、楽しかった時のこともちゃんと覚えてるだろ?」

 

「あ……」

 

 言われて気が付く。

 ……そっか。ああ、そうだよね。

 

「楽しかった日々を思い出して郷愁に暮れる時もある。その思い出があるからこそ苦しむことだってある。でもな清霜、もしお前が沈んで仲間が生き残っていたら、そいつには生きていてほしいと思わないか?」

 

「思う……思うよ……!」

 

 きっと司令官もそうやって生きてきたんだ。

 司令官の言葉を聞いて、不思議とそう思えた。

 

「なら前を向け。沈んでいった仲間達との楽しかった思い出も、忘れたいくらい辛い記憶も、全部大切にしながら、胸を張って生きてきゃいい」

 

 その言葉に、私の中で色々堪えてきたものが、ついに決壊した。

 叫ぶような泣き声と、とめどなく溢れてくる涙。嗚咽を上げながら、私は思わず司令官の胸にすがりついて、声と涙が枯れるまで泣き続けた。

 

 

 



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2話

 

 

「……で、落ち着いたか?」

 

「う、うん。いきなり抱きついてごめんなさい……」

 

「いやまあ、それはいいんだけど」

 

 正確にはよくないが。天津風からの視線が痛い。

 でもあの状況で抱き止めないのは人としてあり得ないだろ?しかたなくね?

 それはともかく、泣き止んだ清霜にこれからどうするか聞いてみる。

 

「それで清霜、お前はこれからどうしたい?元の鎮守府に帰りたいか?」

 

「……帰りたくはない、かな。今はまだ心を整理したいっていうか……」

 

「そうか。じゃあ答えが出るまではここにいればいい」

 

「え、いいの!?」

 

「構わねぇよ。戦えない、帰る鎮守府もないお前を海に放り出すほど俺も鬼じゃない」

 

「ありがとう司令官!」

 

 清霜がにこっと笑う。天真爛漫を絵に描いたような笑顔だ。

 が、直後にそれは恐怖と混乱に染まることになった。

 

「ちょっとー、様子見るだけでどんだけかかってるのー?」

 

 部屋の中を覗き込むように、ひょこっと顔を出した黒髪の少女。

 その姿を見た清霜は少しの間固まり、そして次の瞬間に悲鳴を上げた。

 

「ひゃあああああ!し、深海棲艦だーーー!」

 

 もんどりうってベッドの陰に姿を隠す清霜。何とは言わんが水色か。

 それと天津風、無言で俺の足を踏むのは止めてくれない?世の中には不可抗力というものがあってだな……。

 ってそれどころじゃねぇわ。

 

「おい(なぎ)、いきなり出てくんなよお前」

 

「何よ、目を覚ましたのにまだ説明してないの?」

 

 まるで悪びれる様子もなく、凪こと軽巡棲鬼は肩をすくめた。

 

「さっき起きたばっかなんだよ。そこでお前みたいな恐怖映像を目の当たりにすればこうもなるわ」

 

「誰が心霊現象か」

 

 仮説だと深海棲艦はかつて海で沈んだ人や船の怨念が形になったものって言われてるし心霊現象なのは間違っていないような気もするけどな。

 ああでも艦娘も過去に沈んだ軍艦の魂が宿った存在だって話だし、どっちも亡霊みたいなものかもしれん。

 

「し、司令官……どど、どうして深海棲艦がここに……っていうか楽しそうにおしゃべりしてる……?」

 

 いかん、清霜がパニック状態だ。

 本当ならもっと順を追って説明するつもりだったんだけどな。その細い両肩を掴んで言い聞かせる。

 

「とりあえず落ち着け清霜。あいつは深海棲艦だが敵じゃない」

 

「敵じゃ、ない……?」

 

「そうだ。信じられないかもしれないが、あいつは人間や艦娘を攻撃しない」

 

「で、でも……」

 

「ほら、よく見てみろ。武器も持ってないし足も生えてるだろ?あいつは普通の軽巡棲鬼じゃないんだよ」

 

 そう、軽巡棲鬼の凪には本来ないはずの両足がしっかりある。

 本人曰く「ある朝、目が覚めたら生えてた」とのことらしい。超生物すぎない?

 

「足……?あ、ほんとだ……」

 

「足の有無で恐怖の対象か否か判別されるって、本物の幽霊みたいね」

 

「……ははーん、さてはやきもち焼いてるのね」

 

 機嫌の悪い天津風の様子を見て、凪はニヤニヤと笑う。前に霞にも似たようなことして一発KOされたってのに学習しねぇなこいつ。

 まあ天津風は霞と違って手が出るタイプじゃないからな。からかわれた反応は「ふん!」と鼻を鳴らしてそっぽを向いただけで終わった。

 その顔は羞恥心で赤みがさしている。

 

「ま、いいわ。それで貴女、名前は?」

 

「き、清霜っていいますぅ……」

 

 なんとかコミュニケーションは可能になったがまだビビりまくっている。

 艦娘の本能に深海棲艦は敵だって刻み込まれてるからこうなるのはしかたのないことではある。これが好戦的な性格の艦娘だったらこの場で攻撃してたかもしれない。

 そうなれば凪は負けるだろう。こいつクソ弱いからな。そうと分かればここまで恐れることもなくなると思うんだが。

 

「ふぅん。あたしは凪よ」

 

「な、名前があるの?」

 

「ええ。といっても渉がつけてくれた名前だけどね」

 

「同じ屋根の下で生活するのに名前がないと不便だからな」

 

 ちなみに名前の由来は、こいつと出会った時の海が凪ぎの状態だったからだ。

 安直もいいところである。

 

「もしかして、凪……さんも?」

 

「ああ、ここで暮らしてるぞ」

 

「ええ!?」

 

 深海棲艦が住む鎮守府。まあ前代未聞だよな。

 しかもそれが占拠とかじゃなくて人間や艦娘と共同生活してるってんだからにわかには信じられない話だろう。清霜の驚きも当然だ。

 

「な、なんでそんなことに……?」

 

「そうねぇ、あたしは戦争なんてしたくないのよ。痛いし怖いし疲れるし」

 

「しかも超絶弱いしな」

 

「うるさいわね!」

 

「でも事実でしょ?」

 

「むぐぐ……」

 

 さっきの意趣返しか、天津風。

 お前も案外大人気ないところあるよな。

 

「よ、弱い……?でも軽巡棲鬼は鬼クラスで……」

 

「深海棲艦にも個体差があるみたいでな。凪はたぶん低練度駆逐艦のワンパンで沈むぞ」

 

 もしかしたら駆逐イ級にも負けるんじゃなかろうか。

 それくらいの弱さなのである。

 

「さすがにそこまで弱くはないわよ!」

 

「はいはい」

 

「まったくもう……それで話を戻すけど、そういう諸々の事情であたしは戦争なんてしたくなかったの。でもその代わりやりたいことがあったわ」

 

「やりたいこと?」

 

「そう、それはね……」

 

 凪が一旦言葉を切る。

 果たして彼女のやりたいことは何なのか、と清霜はのどを鳴らして息を飲んだ。

 

「――普通の女の子として人生を楽しむことよっ!」

 

 その宣言を聞いて、さっきとは違う意味で清霜が固まる。

 まあそうなるだろうな、というのが俺や天津風の感想だ。

 

 人類を、艦娘を追い詰めている深海棲艦。その中でも強力な力を持つ鬼クラスである軽巡棲鬼。そいつが「戦争はイヤ、人生を楽しみたい」とか言い出しちゃ理解が追いつかないのも頷ける。

 ただこの弱っちくてかなりポンコツな深海棲艦は、何の冗談でもなく真剣にそう思っているのだ。

 

「ある日あたしの住処に流れ着いた人間の雑誌を読んで衝撃を受けたの。いえ、あれは革命が起こったとさえ言えるわ。その雑誌に載っていた人間の女の子は、写っていた世界は、全部キラキラと輝いてた!」

 

 あ、これ自己陶酔モードに入ってますね。

 この話を何度も聞かされている天津風があとは任せるわ、とでも言いたげな視線を残して去って行った。俺もそれに続きたいところだったが、いきなり清霜と凪を2人っきりにするのはまずい。

 しかしそんな俺の心中なんて察することもなく、凪は熱弁を奮う。もはや演説に近かった。

 

「あたしの夢は雑誌に載っていた女の子みたいに、可愛くて素敵なものに囲まれた世界に行くことなのよ。渋谷、原宿、表参道……そこにあたしの求める全てがあるわ!その夢を叶えるためには戦争なんてしてる場合じゃないし、そんな世界を壊そうとする深海棲艦はアホかと思うわ!」

 

 俺はお前の方こそアホの子だと思うぞ。まあ憎しみに支配されて人間ぶっ殺そうとする平均的な深海棲艦と比べれば100万倍いい奴ではあるんだけど。

 で、一方の清霜はといえば絶句だった。口を開けてポカーンとしている。

 ティーン雑誌を読み込んで人間の女の子に憧れ、深海棲艦をアホ呼ばわりする深海棲艦とか古今東西、過去現在未来を探してもこいつくらいのもんだろう。清霜の中の深海棲艦に対するイメージが崩れ去っていく音が聞こえるようだ。

 

 清霜にもこれまでに深海棲艦に関して築いてきた常識ってものもあるだろうけど、凪にはそんなもの一切通用しないんだわ。

 こいつは人間が知る深海棲艦に対する尺度じゃ計りきれない存在なのだ。あまりにも予想外すぎるぶっ飛び方をしてるせいでな。

 

「なあ清霜、凪はずいぶんと流暢に日本語をしゃべると思わないか?」

 

「そ、そういえば……どうしてそんな風にしゃべれるの?」

 

「勉強したのよ!」

 

「べん……きょう……?」

 

 ドヤ顔で胸を張る凪。清霜は深海棲艦と勉強という単語がうまく結び付けられないでいるが。

 まあかいつまんで言うと、ティーン雑誌を拾って人間の世界に興味を持った凪は、雑誌の少女達に近付くために日本語を学ぶことにした……らしい。

 

「道のりは困難を極めたわ。人間って基本的にあたしを見ると逃げるし、艦娘に見つかれば攻撃されるし」

 

「当たり前だろ。っていうか何度か見つかったくせによく生きてたよな」

 

「あの時はもう本当に必死になって逃げたのよ……」

 

 それでも諦めずにここまで自然に話せるようになったんだから見事なもんだ。

 俺が凪と出会ったきっかけも、こいつが神南島のとある島民に日本語を教えてもらってたからだしな。

 

「そして極めつけがこの足だよ。なんでお前に足があるのか清霜に教えてやれ」

 

「ふふん、聞いて驚きなさい。あたしの『可愛い女の子になりたい』っていう強い想いがこの足を生んだのよ!」

 

「……えっと、そのぉ……言ってる意味がちょっと分かんないかな~って……」

 

「安心しろ。俺も分かんないから」

 

「なんでよ!あたしの想いが奇跡を叶えたってことで「うるっさい!」

 

 凪がさらなるヒートアップをしかけたところに割り込んだ突然の怒号。

 その声の主は神南島鎮守府の2大おかんこと朝潮型(あさしおがた)駆逐艦・10番艦の霞だった。

 夜間巡視を終えて、帰還中に大破した艦娘曳航してきた上の徹夜明けでついた眠りを妨げられりゃキレるか。マジですまん、騒ぎ過ぎた。

 

「あんた達のせいで落ち着いて寝れやしないじゃない!だいたい怪我人が寝込んでる部屋でいつまで――」

 

「霞ちゃん!」

 

 お説教を遮って、清霜が霞に飛びついた。

 初対面のはずだけど……ああ、そういや霞と清霜は過去の戦争――つっても深海棲艦とじゃなく人間同士で争ってた時代の戦争で一緒に戦ってたんだっけか。

 

「き、清霜、あなた起きてたの?」

 

「うん!霞ちゃんもこの鎮守府にいたんだね」

 

「ええ、まあね」

 

「っていうか大破してた清霜を発見して鎮守府まで連れてきたのは霞だぞ」

 

「そうなの!?ありがとう、霞ちゃん!」

 

 清霜は霞の右手を両手で掴んで上下にぶんぶんと動かす。

 輝きを増したその瞳は喜び、感謝、信頼……そんな感情が込められている。よっぽど嬉しかったんだろう。

 真正面からの素直な感謝に慣れてない霞はそれに戸惑ってるけど。

 

「もう、分かったから離しなさいってば」

 

「えへへー、もうちょっとだけ」

 

 だが俺には分かるぞ霞。実はお前も今、めっちゃ喜んでいるということが!

 しかしここで凪みたいにニヤニヤしようもんなら俺までワンパンKOされてしまう。なのでここは変則的に、それでいて王道で攻めることにした。

 

「そうだ、霞」

 

「なによ司令官」

 

「清霜な、しばらくここにいるから」

 

「霞ちゃんがいるならずっといようかな~」

 

 すっげぇ締まりのない顔しながら清霜は霞にべったり引っ付いている。

 これは霞が強硬な態度に出られない系の攻撃だ。まあ本人もまんざらじゃなさそうだからいいか。

 

「ふ、ふ~ん、そう」

 

「そんなわけで今夜、清霜の歓迎会やるぞ!」

 

「「ええ!?」」

 

 霞と清霜の声が揃って部屋に響く。

 そんな中、凪は右手を勢いよく上げてすかさずこう言った。

 

「あたしホットケーキ食べたい!」

 

「なんでお前がリクエストする側なんだよ……」

 

 まあいい、とりあえず善は急げだ。

 早速準備に取り掛かるとしよう。まずは鎮守府のメンバーに歓迎会の旨を通達だな。

 

「じゃあ俺は行くから。あ、霞は清霜のこと見といてくれな。時間がくるまで食堂に近寄らせないように!」

 

 それだけ一気に言い放って俺は部屋を出た。

 背中に「そんなこといきなり決めるんじゃないわよ、このクズ司令官!」という霞の罵声を浴びながら。

 

 

 



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3話

 

 

「そんなこといきなり決めるんじゃないわよ、このクズ司令官!」

 

 霞ちゃんが司令官に向かってそう叫ぶ。

 クズなんて言っちゃって大丈夫なのかな……?司令官は気にした風でもなく走って行っちゃったけど。

 でも歓迎会か~。そういうのしてもらえるのって嬉しいなぁ。

 

「まったく……それで清霜、体の方は平気なのね?」

 

「うん!ほんとにありがとね!バケツまで使ってもらちゃったって言うし……」

 

「気にしなくていいわよ。ここじゃバケツなんて滅多に使わないんだから」

 

「え?なんで?」

 

「色々特殊なの。凪を見れば分かるでしょ?」

 

 うぅ、凪さんかぁ……。横目でチラッと覗き見る。

 司令官や霞ちゃんはこう言うけど、やっぱりすぐには仲良くできそうにないよ……。

 

「やれやれ、お邪魔みたいだしあたしももう行くわ」

 

「あ……」

 

 私の物言いたげな視線を感じてか、凪さんは部屋を出て行こうとする。

 嫌な気分にさせちゃった……よね?でも、なんて声をかけたらいいか分かんないし……。

 

「別に気にする必要なんてないわよ」

 

 ドアノブに手をかけたところで凪さんは首だけ振り向いて私にそう言った。

 

「え?」

 

「あたしが深海棲艦なのは事実だし、それが艦娘にとって受け入れ難いことなのは分かってるつもりだから。それにあなたの反応なんて会ったばかりの霞と比べれば可愛らしいものだわ」

 

 じゃあまたあとで、と言い残して凪さんは出て行った。

 い、今のって私のこと気遣ってくれたんだよね?

 

「霞ちゃん、凪さんって……」

 

「清霜が戸惑うのも分かるけれど見た通りの“人”よ。少なくともこの鎮守府の司令官や艦娘はそう思ってるわ」

 

「そうなんだ……だとしたらやっぱり悪いことしちゃったなぁ」

 

「そんなこと気にする奴でもないけどね。清霜がそう思うならあとで謝っておきなさいな」

 

「うん、そうするよ!そういえば霞ちゃんは凪さんと初めて会った時どんな反応だったの?」

 

「問答無用で主砲をぶち込んだわ」

 

「……まあそれが普通の反応だよね」

 

 霞ちゃん改二だし。それだけ深海棲艦と戦ってきたってことだもん。

 でもそんな霞ちゃんが認めてるんだから、凪さんはいい人なんだと思う。それなら私も仲良くできるよね!

 

 そう思ったら体から緊張感が抜けて、体がすっと軽くなった。

 司令官や天津風は優しそうだし、霞ちゃんがいるし、凪さんも深海棲艦だけど敵じゃない。この鎮守府はいい人たちばっかりで、安心したら……急に、眠気が……。

 重くなったまぶたをこする。霞ちゃんはそんな私の頭を撫でながら諭すようにこう言った。

 

「大人しく寝てなさい。傷は治ったけど体力はまだ戻っていないんだから」

 

「うん……起きたら、たくさんおしゃべりしようね……」

 

「ええ。だから今は安心して眠るといいわ」

 

 その優しい声と温かい手のひらの感触に誘われて、私は眠り落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでこんな時間まで清霜と一緒にお昼寝してた、と」

 

「何よ、悪いの!?私だって徹夜明けで眠かったのよ!」

 

 霞が顔を真っ赤にしながら叫ぶ。

 その後ろでは腫れぼったい目をした清霜がオロオロしていた。

 

「誰も悪いなんて言ってないだろ?」

 

 むしろいいもの見せてもらったぞ。

 1つのベッドで清霜と手を握りながら眠る霞、という貴重映像はこの目でしっかり堪能させてもらった。無論映像機器でも録画してある。

 グッジョブ明石。

 

「じゃあそのニヤけた顔をやめなさいよ、あんた達!」

 

「えー?」

 

「何のことだ?」

 

「別にニヤけてなんかないよ?」

 

 凪、俺、鈴谷がそう口答えする。

 これはニヤけてるんじゃなくて……そう、可愛いものを見る微笑ましい表情だ。ニヤけてるように見えるのは霞の心が気恥ずかしいと感じてるからだよ、うん。

 ちなみに昼寝する2人を見つけて俺達に報告し、あまつさえ録画した明石はすまし顔である。どういう神経してんだお前。

 

「か、霞ちゃん霞ちゃん」

 

「なによ?」

 

「あのさ、清霜の見間違えかもしれないんだけど、あそこに座ってるのって……」

 

 霞の背後でオロオロしていた清霜が、何かに気付いて恐る恐るそう尋ねる。

 清霜の視線の先を確認して、霞は彼女が何を言いたいのか理解したようだ。ただその反応はえらく淡白である。

 

「言い忘れてたけどこの鎮守府にいる深海棲艦は凪だけじゃないの」

 

「じゃああの子って本物の……」

 

「ええ、北方棲姫(ほっぽうせいき)よ」

 

 背丈が低いため幼児用のイスに腰かけ、テーブルの上のごちそうに釘付けになっているその姿は紛う事無き神南島鎮守府の天使(マスコット)、北方棲姫のほっぽちゃんである。

 隣に座った天津風の袖をクイクイと引っ張りながら「アレ、タベタイ」とおねだりの真っ最中だ。

 それを「少しだけ待ってなさい」とあやす天津風。母と子のようにしか見えない。

 

「ほっぽの我慢も限界だしそろそろ始めるか。じゃあ清霜、簡単に自己紹介して」

 

「い、いきなり!?ええっと、夕雲型駆逐艦の清霜です!危ないところを助けてくれてありがとうございました!これからしばらくお世話になるのでよろしくお願いします!」

 

「はい拍手ー、そしてカンパーイ!」

 

 乾杯、という声とグラスの鳴る音が重なる。

 それをきっかけに場が一気に騒がしくなった。その筆頭は鈴谷である。

 

「やっほー、アタシは鈴谷だよ。ねえねえ清霜はどこから来たのー?」

 

「私がいたのは岩国鎮守府ってところで……」

 

「げ、それって最前線の鎮守府じゃん。そこで生きるのは鈴谷じゃムリだなー」

 

「そらせやろ。アンタ実戦はおろか演習もろくに出たことないんやから」

 

 半日で沈むで、とご尤もなツッコミを入れるのがこの鎮守府唯一の空母・龍驤(りゅうじょう)

 胸部装甲がかなり手薄なことにさえ触れなければ気のいいお姉さんである」

 

「……キミ、途中から声に出てるで?」

 

「出したんだよ」

 

「ほ~う、ええ度胸やないか。そのケンカ買うで」

 

「いいだろう。天津風、とっておきの酒を出せ」

 

「出さないわよ」

 

「なんでだ!?」「なんでなん!?」

 

「争い合うふりをしてお酒を飲もうって魂胆が見え見えよ。清霜にあなたや龍驤さんの醜態をさらすのは気が引けるわ」

 

「提督は脱ぎ魔、龍驤はキス魔ですからね」

 

「服を脱ぐのは天津風と霞の前だけにしてもらいたいクマ」

 

 天津風の言葉に明石と球磨(くま)からも援護射撃が入った。

 

「なななな、いきなり何を言ってるの!」

 

「何がクマ?霞は提督とケッコンしてるんだから目の前で脱がれても困らないはずクマ」

 

「困るわよ!」

 

「待って霞ちゃん!霞ちゃん、司令官とケッコンしてるの!?」

 

「霞だけじゃなく天津風もねー」

 

「ふ、二股……じゃなくて……重婚?司令官ってもしかしてプレイボーイってやつなの……?」

 

「駆逐艦限定ですけどね。清霜も注意してください」

 

「いらんこと吹き込むな、明石!」

 

 前霞に「このロリコンクズ司令官!」って罵られた時に結構ダメージ受けたんだから!

 

「でも駆逐艦(ようじたいけい)の子とだけケッコンしてるのは事実でしょ?」

 

 勝ち誇ったように笑う凪。

 まさか昼間の意趣返しがここでくるとは……。

 

「そうだよねー。普通ケッコンって燃費向上のために戦艦や空母とするものだけど、駆逐艦となると完全に趣味っていうか」

 

「うちには戦艦いないけどな。唯一の空母である龍驤もスタイル的には天津風や霞に引けを取らないが俺は手を出してない」

 

「つまり生粋の駆逐艦(ロリ)じゃないとダメ、ということですね」

 

「無駄にいい顔して何言ってんだお前」

 

「幼児体形とかロリとか、あなた達は私と霞にケンカを売っているのかしら?」

 

「そうだって言うなら容赦しないわよ」

 

「ええで~、やったれやったれ!」

 

「酒瓶振り回すのは止めるクマ!」

 

 喧々囂々、それぞれが好き勝手に言い合う。そこには上下関係も、人間だ艦娘だ深海棲艦だとかいう種族の違いもない。

 とても小さくて、深海棲艦との戦いに押され続け終末一直線の人類にとっては何の救いにもならないだろう。だけどこの光景こそ俺が望んだものだ。

 俺がこの戦争の中で、叶えたかった世界の未来だ。

 

「……まあそれももう無理な話か」

 

 グラスを傾けながら誰にも聞こえないように呟く。

 もう、なのか。それとも最初から、だったのか。どちらにせよ今からじゃどうしようもない。そう遠くない未来、人類は完全に敗北する。そう言い切ってしまえるほど人類は追い込まれている。

 その最後の時がやってくるまで俺はここで夢に見た世界を守り続けよう。たとえ無意味なことだとしても、こいつらがこの場所を求めてくれる限り、俺は神南島鎮守府の提督であり続けると決めたからな。

 

「何を考えてるの?」

 

「どうせろくでもないことでしょ」

 

 気が付けば俺の両サイドには天津風と霞が座っていた。どうやら結構な時間ボーっとしてたらしいな。

 

「どうにも酔ったみたいだ」

 

「……嘘が下手なんだから」

 

 中身のほとんど減っていない俺のグラスを見て、天津風はため息を吐いた。

 その態度に思わず小さな笑いがこぼれた。

 ああ、俺は幸せ者だ、となんの疑いもなく思える。この救いのない時代に生まれてよかった。勝機の見えない戦いに身を投じる運命でよかった。

 こんな絶望に染まった世界だからこそ、本当に大事なものが輝いて見えた。だから真っ先にそれに手を伸ばして、ちゃんと掴むことができた。幸せに生きて死んでいたら、この場所を手にすることはできなかっただろうから。

 

「この世界の行く末がどうなっても、俺は最後までこの鎮守府の提督だ」

 

「何よ突然。そんなの当たり前でしょ!」

 

「今さらじゃないかしら。それに最後なんて簡単にこさせないつもりよ、私と霞は」

 

 俺の両手に、それぞれ2人の手が重なる。

 それはどんな温かみよりも優しく感じられた。

 

「……ああ、そうだな」

 

 たとえこの世界に俺達だけが取り残されたとしても、俺は最後まで抗い続けよう。

 こいつらとだったらどんな絶望の中でだって生きていける。

 

「天津風、霞。俺はお前達を愛してるよ。死ぬまで愛し続ける」

 

 2人から返ってくる言葉はなかった。でも聞こえなかったってことはないんだろう。

 重なっている手のひらが両方、少しだけ強く握られた。

 それだけで、俺にとっては充分だった。

 

 

 



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4話

 

 

 清霜の歓迎会の翌日、鎮守府内の至るところに屍が転がっていた。

 もちろんのこと屍というのは比喩表現であり、調子に乗って飲みまくった龍驤達が二日酔いで苦しんでいるだけだが。ちょっとしんみりした雰囲気にならなかったら俺もそっち側になっていたのは言うまでもない。

 まあそれはさておき。

 

「頭が……頭が痛い……」

 

「なんでお前はわざわざ俺の部屋まできて苦しんでるんだ?」

 

 提督室に備え付けてあるアンティーク調のソファーの上でぐったりしている凪にそう問いかける。

 デカいソファーだから凪くらいの身長ならゆったり横になれはするが、視界に入る位置でごろごろされてるのは気になるんだが。

 

「だってここにいれば天津風が看てくれるじゃない」

 

「私は介護士じゃないんだから頼りにされても困るわよ」

 

 そんなこと言いながらため息を吐く天津風。だがしかし、すでに手厚い看病を済ませている奴のセリフではないと思うね。

 龍驤や鈴谷の方は恐らく霞が看ていてくれてるだろう。

 

「そういえば二日酔い用の薬はどうした?」

 

「在庫がなくなっていたわ。前の買い出しの時に買い忘れてたみたい」

 

「渉マジ使えない……」

 

「服と化粧品しか買わなかったお前には言われたくないぞ」

 

 前回の買い出しじゃ東京に着くや否や鈴谷と連れ立って俺達から離れ、合流した時には財布(中身は俺があげてる小遣い)をすっからかんにした引き換えに大量の荷物を持って現れたからな。せめて自分に必要そうな日用品くらいは買っとけよ。

 だいたい島の外に出ることなんてほとんどないのに余所行きの支度だけ整えてどうすんだっつーの。

 

「まあすぐ回復するわよ。朝食は食べたんでしょ?」

 

「うん……」

 

 そういや今日の朝食は梅干しのおかゆとシジミの味噌汁、大根おろしたっぷりの冷奴などなど二日酔いに効く食材がズラリと並んでたな。

 薬がなくてもあと1~2時間後にはケロッとしてるだろう。弱いとはいえ深海棲艦、体の作りが人間とは違う。まあ深海棲艦のくせに二日酔いにかかるのもどうなのかって話だが。

 

 こいつが酔っぱらう度に大本営時代、深海棲艦を鹵獲(ろかく)しては毒物や薬物が効かないか実験していた頃を思い出す。あの時もアルコールは試したはずだが、ここまで顕著に変調をきたす深海棲艦はいなかったな。

 つくづく人間に優しい(ポンコツな)深海棲艦である。

 

 そんな凪に呆れながら仕事に精を出す。仕事、といっても日々行っている巡視の結果をまとめたものと深海棲艦の生態についての研究報告、そしてたまに鎮守府の運営における近況について報せる程度のことだ。どっちも慣れたものなので大抵の場合は午前中に片が付く。

 まあ深海棲艦の報告については大本営も必要になんてしてないだろう。むしろそれを嫌がられた結果、この辺境の鎮守府まで追いやられたわけで。言ってしまえば単なる“あてつけ”である。

 

 凪を迎え入れて彼女の話を聞いた当初は俺が考えていた深海棲艦との共生……とまでは言わないが、ある程度の棲み分けが可能になるんじゃないかと期待した。結論から言うと夢の見過ぎだったわけだが。

 大本営時代から俺は深海棲艦には勝てないと考えていた。なにせ物量の差がありすぎる。

 人類は地下に埋まっている資源を手当たり次第に掘り起こし、国は税金を上げて国民から資金を徴収した。さらに国中から金属を集めるために建物を解体して資材に変え、そのせいで一部からは人工の建造物が消え去った地域もある。

 また、艦娘を遠征させて深海棲艦と会敵する危険を冒しながら資材を回収してはそれを艦娘の建造や武器の開発につぎ込んだ。

 

 今でこそ多少は落ち着いているが、特定の物価はアホほど上昇したと聞く。それでも埋まるどころか、どんどん開いていく戦力の差。それも当然だった。

 既存の兵器が一切通用せず、人類は0から戦力の構築を始めたに等しい。そんなんで海の底からポコポコと湧いて出てくるような深海棲艦と渡り合えるわけもない。むしろ深海棲艦が出現してからの8年間、よく一進一退の攻防をしていたもんだと思う。

 

 当時は物も人も溢れていたからこそ戦力的な不利をカバーできていたのだろうが、人も物も減少の一途を辿る今となってはいくら歯を食いしばって耐えたところでじり貧にしかならない。迎える結末は人類の滅亡、ただその一点だけである。

 俺が提督として招集された時には、すでにそんな時代だった。

 

 とはいえ無抵抗で死にたくはないし、提督として艦娘を預けられた立場上戦わないわけにはいかない。

 戦ったところで人類の滅亡が10年後から10年と1日後になるかもしれない、というだけの意味なんてほとんどない戦い。というかそんなことをしているせいで常に今日死ぬかもしれない危険と隣り合わせの日々。

 

 そんな戦いの最中で、俺は深海棲艦にも自我と呼べるものを持つ個体がいることを知った。そいつらは自我や知性を得たからなのか姿形は人間に近付き、それに比例してその戦闘能力と人間に対する憎しみも増幅していた。

 だが、自我を得た存在の思考が全て統一されるなんてことはあり得ない。俺がそう考えたのは論理的だったか、はたまたそう思い込むことで一縷の希望を見出そうとしたのか。

 当時の俺はまだ17歳になったばかりで、今よりなお未熟だった精神面はかなりボロボロだった。そうでも思わないとやってられなかったのかもな。

 

 今にして思えばなんの根拠も根回しもなく「友好的な深海棲艦がいるかもしれない!」なんて叫んだところで賛同なんて得られるわけもなかった。

 つーかそんな主張をしといてよくぶっ殺されなかったよな。心理療法を施されたし、たぶん精神的におかしくなったって判断されたんだろうけど。

 平時ならそのまま退役ということになったかもしれないが、提督という存在はかなり貴重だった。妖精が見えるというある意味頭お花畑な提督に足る資格ではあるが、それがなければ艦娘を指揮して彼女達の能力を十全に発揮させることができないのだ。

 

 そんでもって自慢になるが俺は提督としてそれなりに優秀だった。提督になったばかりの頃に起こった深海棲艦の大規模侵攻。艦娘の練度は低く大した戦力もない中で、俺は自分の艦隊の半数を失いながらも防衛線の突破だけは許さなかった。

 その後も一定以上の戦果は出し続けたのだから、しっかりと指揮が取れる以上、多少頭がイカレようとも大本営が俺を戦線から下げるなんて考えはしなかったようである。

 

 それから1年が経ち、2年が経ち、その間も戦果を出しながら「歩み寄れる深海棲艦もいるはずだ」と声高に主張する俺は明らかに異質で、海軍の中で浮いていた。別に心的外傷後ストレス障害(PTSD)などになったわけでもなく、精神的に正常なまま深海棲艦と和解できると本気で考えているんだと周囲が理解したのだ。

 その在り方自体、あいつらにとっては気味の悪いものだったんだろう。

 提督を退役させるにはもったいない程度の能力はあるが、大本営という国の防衛の最重要拠点にそんな奴を置いておくのは新たな危険を招き入れかねない。

 そこで出された結論が日本の最東端、深海棲艦が出現するとされているポイントに最も近い神南島鎮守府への派遣だった。要するに近海にうようよしているだろう深海棲艦を沈めまくってから死ね、ということである。

 

 そんなこんなで2年ちょい、まあよくやってる方だろう。

 天津風と霞がいなけりゃどうなってたか。さすがに見放されると思ったからな~。

 

「うーっし、終わった」

 

「お疲れ様。お茶でも飲む?」

 

「おお、サンキュー」

 

 仕事が一段落したのを見計らって天津風が緑茶を淹れてくれる。神南島だとこの時期はもう半袖で過ごせるくらいの気候なので熱いお茶ではなく水出しの煎茶だ。

 それでのどを潤しつつ、さて午後はどうするかなと予定を練っていると開けたままにしている提督室の扉がコンコンコンと3回叩かれた。音の主は清霜を引き連れた霞である。

 

「ちょっといい?」

 

「どうした?」

 

「今、清霜を案内してたのよ。この鎮守府のこと何も知らないから」

 

「そりゃ助かる」

 

 俺の役目……ってわけじゃないが、俺が気を配っておくべきことだったな。

 

「って、凪はいないと思ったらここにいたのね」

 

「天津風の看病をご所望だそうだ」

 

 ソファーに寝転がっていた凪はいつの間にか寝息を立てていた。

 本当に自由だなこいつ。

 

「はあ……まあいいわ。それで他の場所は一通り案内したから最後にここに連れてきたのよ。仕事ももう終わった頃合いでしょ?」

 

「ついさっき終わったところだ」

 

「司令官、仕事早い!有能ってやつだね」

 

 清霜が何やら感心している。

 が、仕事が早いのは慣れてるのと、そもそも大きな鎮守府や戦いの多い戦線の鎮守府と違って仕事自体が少ないからだ。艦隊の指揮ならいざ知らず、デスクワークに関しては凡である。

 

「それほどでもない。で、案内は提督室の場所だけか?」

 

「なわけないでしょ。この鎮守府の特殊性を直接あんたに説明してもらおうと思ったのよ」

 

「了解。霞も清霜も腰かけてくれ」

 

 生憎と2つあるソファーの片方は凪に占拠されちまってるが。

 まあ天津風の淹れたお茶でも飲みながら聞いてもらうとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神南島鎮守府で迎える初めての朝。

 昨日の歓迎会ではしゃぎすぎちゃったせいかまだ体に疲労が残ってるような感覚。でもそれは今まで味わったことのない、心地よい疲労感だった。

 どこかボーっとしたままで昨日は歓迎会の会場だった居間まで足を運ぶ。

 

 鎮守府にある食堂とは全然違う。鎮守府内の一室なのに、テレビで見たことのある、本当に一般の家みたいな居間。当然一般家庭のものよりは広いけど、食器棚や冷蔵庫、テレビなんかが機能的に配置されてる。

 心理的に“手を伸ばせば全部届く”みたいな部屋だ。素直に居心地がいい、と思えた。

 問題はその居間のテーブルに龍驤さんが突っ伏してることだけど……。

 

「龍驤さん、どうしたんですか?」

 

「二日酔いや……そっとしといて……」

 

「う、うん」

 

 そういえば昨日、一升瓶を一気飲みして大笑いしてたもんね。

 笑い上戸ってやつなのかな?

 

「あら、おはよう清霜。ゆうべはよく眠れた?」

 

「おはよう霞ちゃん。ちょっと寝すぎちゃったかも……」

 

 苦笑いしながら頬をかく。起きたのは午前9時を回ってからだった。

 夜間巡視明けでもないのにそんな時間まで眠れるなんて、前の鎮守府じゃあり得なかったけど。

 

「まだ疲れが抜けてないのにあんな乱痴気騒ぎに参加させられちゃそうもなるわよ」

 

「あはは……でも、すっごい楽しかったよ」

 

 ほんとに、ほんとに楽しかった。あんなに心の底から笑えたのはいつ振りだろう?

 司令官も、霞ちゃんも、深海棲艦のはずの凪さんやほっぽちゃんも、みんなに笑顔があった。あんなに温かい空間がこの世界にもあるなんて、なんか信じられないくらい。

 

「そう?ならいいけど。はいこれ、朝食よ」

 

 霞ちゃんが出してくれたのは豪勢というわけじゃないけど、居間の雰囲気に合う日本の朝食って感じだった。

 でも前の鎮守府と比べればこれでもちゃんとした食事だ。

 清霜たちは人間みたいな食事は必要ない。燃料さえ補給できれば体は動くし、入渠すれば数時間から数十時間で怪我も治る。

 

 けど味覚はあるし、おいしいものを食べれば気分も高揚するんだよね。食べたことないけど間宮アイスは艦娘にとって1度は食べてみたいスイーツだもん。

 っていうか昨日の歓迎会で食べた食事の豪華さたるや、清霜にとっては衝撃だよ!思わず値段を気にしちゃったけど、ほとんど鎮守府内で育ててる農作物から作ったって聞いてまた驚いた。

 

「ねえ清霜、今日は何か予定あるの?」

 

「うーん、ひれいひゃんには……」

 

「しゃべるのは口の中のものを飲み込んでからでいいから」

 

 もぐもぐ……ごくん。

 

「司令官にはなにも言われてないからひま……かなぁ」

 

「ならちょうどいいわね。それ食べ終わったら鎮守府の中を案内してあげるわ」

 

「ありがとう!」

 

 そんなわけで霞ちゃんに鎮守府を案内してもらうことになった。

 で、最初に案内されたのは居間の隣。

 

「ここがこの鎮守府の中心。リビングね」

 

 鎮守府の中心が提督室でも作戦室でもなく、リビング。そもそも他の鎮守府にリビングなんて呼べる場所があるなんて聞いたことがない。

 でもここにならそんなものがあってもいいのかな、って気がしてくる。

 

 リビングの第一印象は暖かい、だった。壁の一面を埋め尽くすような大きな窓があって、そこから朝の柔らかな日差しとそよ風が入り込んで、純白のレースカーテンを静かにはためかせる。

 その向こうにはバルコニーと緑の絨毯が広がっていた。青々と輝く、きれいな芝生だ。

 部屋の内側はフローリングだけど、部屋の中心部は一段下がっていて、その段差を埋めるようにソファーが埋め込まれている。

 

「なんか……すごくおしゃれだね」

 

「そう?まあ司令官と明石が素人なりにリフォームしたってことを考えれば立派なものだとは思うけど」

 

「この部屋自分で作ったの!?」

 

「そうよ。あの2人は基本的に何でも自分で作ってみようとするから」

 

 す、すごいなぁ。農業だけじゃなくて大工さんみたいなことまでやるなんて。

 

「でもそれって司令官の仕事じゃないような……」

 

「清霜の言う通りだけど、ここは日本の本土から遠く離れた島なのよ。深海棲艦に制海権を奪われた今の状況じゃ物資もろくに届かないし、生活環境くらい自分達で何とかしないとやっていけないの」

 

「あ……そうだよね」

 

 みんなが楽しそうにしてるから浮かれちゃってたけど、ここの環境を考えたら本土の鎮守府より大変なんだ。元は古くて小さい鎮守府だから衣食住を確保しなきゃそもそも運営していけない。そのためになんでも自作するって方法を選ばざるを得なかったってことだよね。

 まず生きていけなきゃ司令官うんぬんなんて言うことすらできないんだもん。

 

「まあ明石なんかは物作りが趣味だから9割楽しんでやってたみたいだけど。次はその明石の所に行くわよ」

 

 そう言われて連れられてきたのはリビングのある建物から一度外に出て右手側。湾港に隣接してある工廠(こうしょう)だった。

 工廠も知ってるものより2回りくらい小さいけど、それでも見慣れた建物ではある。ただ一点を除いては。

 

「ここが工廠よ。大抵は明石が常駐してるわ」

 

「あの、霞ちゃん」

 

「なに?」

 

「明石さんが……」

 

 工廠の入り口前に明石さんが寝ていた。それもビーチチェアに寝転んで。

 その傍らにはパラソルが立てられていて明石さんのいるスペースがしっかり日陰になっている。中心にパラソルが刺せるようになっている木製のテーブルにはフルーツの入ったいかにもトロピカルなジュースと、時代遅れのでっかいラジカセが置かれて、そこから英語の歌詞の曲が流れていた。

 なにより驚きなのが明石さんの格好が水着ってところ。その上サングラスまでしてる。

 どこからどう見てもバカンス中だった。

 

「仕事してない時の明石はあんなものよ」

 

「でも今は仕事中じゃ……」

 

「正直、明石の仕事って平時じゃほとんどないのよね」

 

「聞こえていますよ、霞」

 

 明石さんが体を起こして、かけていたサングラスを頭の上に乗せる。

 うわー、すごい大人っぽい。明石さんって意外と胸あるんだ。

 

「気に障ったかしら?でも事実でしょ?」

 

「まあ反論はできませんけど、今はこれでも仕事中です」

 

「そ、そうなの?」

 

「ええ。今は球磨と姫ちゃんが巡視に出ていますからね。何かあればすぐ動けるように備えているんです」

 

「それにしたってもう少し備え方ってもんがあるでしょうに……」

 

 霞ちゃんがやれやれ、とため息を吐いた。

 ちなみに“姫ちゃん”というのはほっぽちゃん、北方棲姫のこと。明石さんはその1文字を取って姫ちゃんって呼んでるらしい。

 私としては艦娘と深海棲艦が一緒になって巡視してるって事実に驚きだけどね……。

 

「まああの2人なら多少のトラブルは自分達で対処してくれるでしょうから」

 

「半分サボり気分じゃない」

 

「あはは……」

 

 驚きの連続で私はもう笑うことしかできなかった。

 なんていうか、ここの鎮守府とそこに住むみんなは自由だ。種族の違いとか、世間の常識とか、そういうのにあんまり縛られてない。それがいいことなのか悪いことなのか清霜にはいまいち理解できないけど、こういう雰囲気は好きだな。

 自分がすべきことはしっかりやってるからこういうゆったりとした空気でもうまく回ってるんだと思う。そしてその“すべきこと”っていうのは、たぶん艦娘として私が今まで求められてきた“すべきこと”とは違う……そんな気がする。

 

 その後も鎮守府の至るところを見て回った。提督や天津風が精を出して管理してる畑は果樹園やビニールハウスまである本格的なものだったり、大きな木の上には秘密基地って呼ばれてるログハウスみたいなものがあったり、小さな鎮守府とは思えないくらいたくさんの驚きに溢れてた。

 そして最後にたどり着いたのは司令官の部屋……提督室。

 私が知る提督室の扉は常に閉じられていたけど、ここでは両開きの扉が盛大に開け放たれていた。霞ちゃんはそれを無造作にノックしながら入室する。

 

「ちょっといい?」

 

「どうした?」

 

「今、清霜を案内してたのよ。この鎮守府のこと何も知らないから」

 

「そりゃ助かる」

 

「って、凪はいないと思ったらここにいたのね」

 

「天津風の看病をご所望だそうだ」

 

 司令官と霞ちゃんが、なぜか提督室のソファーで寝ている凪さんを挟んでそんな会話をする。

 

「はあ……まあいいわ。それで他の場所は一通り案内したから最後にここに連れてきたのよ。仕事ももう終わった頃合いでしょ?」

 

「ついさっき終わったところだ」

 

 ええ、もう!?まだ午前の11時前なのに!

 

「司令官、仕事早い!有能ってやつだね」

 

「それほどでもない。で、案内は提督室の場所だけか?」

 

「なわけないでしょ。この鎮守府の特殊性を直接あんたに説明してもらおうと思ったのよ」

 

 特殊性、って霞ちゃんははっきりと言った。

 それは司令官が農家や大工の真似事をしていることもそうだし、明石さんが仕事中にバカンス気分でくつろいでいることもそうだと思う。

 でもその言葉が意味する最大の原因は間違いなく凪さんやほっぽちゃん……深海棲艦のこと、だよね?

 

「了解。霞も清霜も腰かけてくれ」

 

 言われたままにソファーに座る。天津風が冷たいお茶を出してくれた。

 それで少し乾いたのどを潤して、司令官からの説明を待つ。そしてくり出された司令官の最初の一言はこんな言葉だった。

 

「まず神南島鎮守府の基本理念(モットー)なんだけどな。それは“深海棲艦とは可能な限り戦うな”だ」

 

 

 



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5話

 

 

 清霜がほけっとした顔を見せる。

 いきなり“深海棲艦とは可能な限り戦うな”なんて言われれば、艦娘の清霜がそんな表情になるのもしかたないのかもしれない。

 

「そ、それってどういうこと?」

 

「言った通りだよ。うちの鎮守府は戦力が薄い。そして戦力を整えるための建造ができるほどの資材もない」

 

 日々の巡視や島民が漁に出る際の燃料、それを護衛する艦娘の燃料を確保するだけで結構カツカツである。その中で定期的に本土に戻るための燃料も確保しておかないといけないわけで、深海棲艦と毎日ドンパチやってたら資材はあっという間に底を尽く。

 もちろん万が一の時に備えて備蓄はそれなりにしてあるが、それに手をつけるということは神南島鎮守府が存続の危機に立たされる時がきたということを意味する。ひいては島民の命も危険に晒されるだろう。

 

「深海棲艦と交戦する条件は主に2つ。巡視や護衛の最中に襲われた時か、この島を攻められた時だけと決めている」

 

「でも、それだけで大丈夫なの?」

 

 大丈夫、というのはそれだけで深海棲艦という脅威を排除できるのか、という意味で聞いたのだろう。

 まあそう思うのは当然だ。

 

「普通はムリだな。凪やほっぽがいなけりゃこんな方法で生き延びることはできてない」

 

「凪さんとほっぽちゃんが……?」

 

「ああ。こいつらを見てれば分かるだろうけど、深海棲艦は全てが足並みを揃えて人間を襲ってるわけじゃないんだよ。凪やほっぽみたいに戦争を忌避するやつや、そもそも人間に関心のないやつも少数ながら存在する」

 

 この辺は俺が大本営にいた時から考えていた通りだ。

 人型に近い深海棲艦の思想は統一なんてされていない。必ずや例外が存在する、と。

 

「そういうのをまとめて“穏健派”と俺は勝手に呼んでる」

 

「穏健派……」

 

 清霜がチラッと凪の方を見る。

 すやすやと眠っていた。顔の血色もよくなってきたし目が覚めれば二日酔いも治ってるだろう。

 

「まあ穏健派の深海棲艦なんてこの2人にしか会ったことないんだけどな。探せば他にもいるはずだ」

 

「じゃあそういう穏健派を集めれば戦争が――「終わらない」

 

 清霜の言葉を遮って、俺ははっきりとそう言った。

 確かに穏健派の数が一定数以上いればそういう道も開けたかもしれないが、凪の話を聞く限り今の戦況に影響を与えられるほど穏健派は存在しない。深海棲艦全体の1%にも満たないだろう、というのが俺の見解だ。

 ……まあ仮に穏健派が全体の半数を占めていたところで和平なんてあり得るか、といえば甚だ疑問である。深海棲艦が現れてから半世紀以上の間、お互いに殺し殺され、禍根を残しすぎた。

 

 大本営……本土から離れ、神南島で人類と深海棲艦の戦争から距離を取ってようやくそれに気付いた辺り、俺も冷静じゃなかったんだろう。

 理想はあくまでも理想で、現実からほど遠いからこそ理想と呼ぶんだ。

 

「この戦争はもうどうやったって止まらない。終わるのは人間か深海棲艦、どっちかが滅んだ時だ」

 

 そして人類はそう遠くない未来に負けるだろう。それはわざわざ口にするまでもなく、天津風や霞はもちろん、岩国鎮守府で戦っていた清霜も薄々勘付いてはいたんだろう。

 提督室に少しばかり重い空気が流れる。

 

「……話が少し逸れたな。本題は深海棲艦の足並みが揃ってないってところだ」

 

 その空気を払拭するために俺は説明を続ける。

 

「実は深海棲艦っていうのは、いくつものグループの集合体で出来上がってる」

 

 そのグループは大小様々。

 1番大きなグループとなると複数の鬼・姫クラスを頂点に据えた、イロハ級まで含めれば500を数えるほどの大規模なものになる。しかしその巨大さ故か遊撃には向かず、特定の海域や島を根城にして、その周辺地域を侵食していく。

 現状、この規模の深海棲艦に1度でも定住されたら取り返すことはほぼ不可能だ。こいつらのせいでオーストラリアは丸々占拠されちまったしな。このままいけばまずは南半球が深海棲艦の手に落ちることになる。

 

 次いでは100~200体ほどの中規模グループになり、こいつらのトップも鬼・姫クラスだが、その数は多くても5体以下だ。

 普段は特定の海域に住んでいて、その近海をイロハ級が常に回遊し、遠征中の艦娘などを発見すれば攻撃に移る。こいつらも基本は島かなんかを拠点にするのが多いが、中には海底に根城があると考えられているグループもある。潜水艦でもないのに海に潜るとかとんでもないやつらだ。

 しかも時たま船団丸ごと出向いて人間が住んでいる場所に進撃してくることもある。撃退できればいいが、失敗すれば四国や九州のようにこれまた地上を占拠されることになる。

 

 で、次がイロハ級の中でも人型に近く、鬼・姫クラスには劣るものの自我と戦闘能力を有している空母ヲ級や戦艦レ級を頂点としたグループ。これまで人類と艦娘が最も戦ってきた相手だろう。

 こいつらは特定の海域に住むということはせず、常に回遊して艦娘を攻撃する習性を持っている。そのためあまり数は多くなく、大きな戦力がないからか地上に攻め込むということはしない。

 ただイロハ級グループには2通りあって完全に野良か、中・大規模グループの偵察で行動してしているものに分けられる。

 

 そういったグループが800から1000ほどあるとされている。

 その大多数はイロハ級のグループなのだが、年月を追うごとに中・大規模のグループが徐々に増えてきているのが実情だ。

 

「これらのグループはそれぞれ棲み分けをしていて、中規模グループ以上になると余程のことがない限り干渉をしないらしい」

 

 これは凪から聞き出した話だ。

 イロハ級の小さな集団は中・大規模グループに取り込まれることも普通にあるとのことだが、ある程度大きなグループになると、行動指針はその中でトップに立つ深海棲艦が決めるのだという。

 まあその大半が人間に対して憎悪の感情を抱いているので、結果的に深海棲艦のほとんどが攻撃を仕掛けてくるのだが。見方を変えれば各個撃破をしやすく、圧倒的な物量を誇る深海棲艦相手に何とか踏みとどまれている要因の1つと言える。

 こいつらが示し合わせて一斉攻撃でもしてくれば人類はあっという間に滅びかねない。そしてそういった知恵をつけた深海棲艦が現れないとも限らないんだよな。

 

 凪を見てるとそう思わずにはいられない。こいつは日本語を修得し、俺達と共同生活するようになってから飛躍的に知恵や知識を身につけ、思考能力も上昇した。

 もし凪が今から人類に敵対し始めれば、各グループを取り持つように動き、連携させるはずだ。当人は弱っちくても嫌らしい指揮を取ることだろう。いつまでも渋谷に憧れてるだけの女の子でいてもらいたいもんだ。

 

「ここまで言えば分かるか?深海棲艦は違うグループには不干渉、グループのトップは鬼・姫クラス、そして今この鎮守府には鬼クラスの軽巡棲鬼と姫クラスの北方棲姫がいる」

 

「まさか……凪さんたちがいるから、この鎮守府は他のグループの深海棲艦に攻撃されないってこと?」

 

「そういうことだ。沖に出れば野良の深海棲艦も多いからそういうのは排除しなきゃいけない時もあるが、他の深海棲艦からすればここは中規模グループの棲み処なんだよ」

 

 なんて偉そうに種明かししてみるが、実際のところいくつもの幸運が重なって作り出された環境でしかない。

 この島は要塞化されはしたが戦況の悪化で鎮守府が放棄され、同時に人がほとんどいなくなった。

 深海棲艦の習性の中に、人間が多く住まう場所を攻撃対象にするというのがある。当時はそんなこと知られていなかっただろうが、鎮守府の放棄と島民が大量に本土へ渡ったことでもぬけの殻になった神南島は深海棲艦の攻撃対象から外れたのである。

 

 そしてそのままであればいずれ深海棲艦の棲み処にされ島民の命もなかっただろうが、そんな時にちょうど棲みついたのが凪だった。

 弱かろうとも鬼クラス。こんなんでも当時からそれなりのグループを率いていたのである。

 つまり凪は図らずもこの島を縄張りにすることで島民の命を守っていたわけだ。

 

「これは艦娘を増やさないの理由1つでもある。いくら他グループの縄張りと言えど艦娘がうろうろしてちゃ攻撃対象にされる恐れがあるからな」

 

 だから神南島鎮守府にきてから建造したのは2回だけ。設備がちゃんと動くか確認するために稼働させた。

 当初から資材の不安があったから回したのはどちらも最小値レシピ。駆逐艦2隻でいいやってところで建造されたのが軽巡の球磨と、なぜかしらんが重巡の鈴谷だった。鈴谷って最小値(オール30)じゃ建造できないはずなんだけど……。

 

「そして面白いことに、グループに所属してるイロハ級の行動原理ってのはトップの思想に多大な影響を受ける。凪とほっぽの傘下であり島の周りを回遊してる深海棲艦は人間や艦娘に対して敵対行動を取らないんだよ」

 

 そうして完成したのがこの環境である。

 人間の生活に憧れる軽巡棲鬼と、そもそも人間に興味のなかった北方棲姫。そんな特殊過ぎる深海棲艦と出会ったのが提督のくせに深海棲艦との共生を主張する頭のイカレた男。

 どんな確率なんだか。奇跡と言っても過言じゃない。

 

「……」

 

 俺の説明を聞いた清霜は無言だった。

 呆然自失とまではいかないが、なんて言ったらいいのか分からない。そんな顔だ。

 まあいきなりこんなことを言われて受け入れられるかと言えば難しい。特にずっと深海棲艦と戦ってきた艦娘からすればなおさらだ。

 さてどう声をかけるべきか、と思案し始めたところで、話題の中心だった凪が目を覚ました。

 

「う、うぅ~ん……ふわぁ」

 

「また大きなあくびね」

 

「よく眠れた証拠よ」

 

 霞の皮肉に動じることもなく、寝っ転がったままぐーっと背伸びをする凪。

 どこか猫を彷彿とさせる動きだ。

 

「二日酔いは治ったみたいだな」

 

「ええ、バッチリ。ありがとね、天津風」

 

「次はあまり飲み過ぎるんじゃないわよ?」

 

「気を付けるわ」

 

「このやり取りももう何度聞いたかしらね……反省なさいったら」

 

 凪が目を覚ましたことで提督室の空気がいつも通りに戻る。清霜も難しい顔から打って変わって小さく笑っている。

 本人に自覚はないだろうけど、うちのムードメーカーはこいつだ。

 ここは世界から見れば取るに足らない、本当に小さな鎮守府。だからこそ人間も艦娘も深海棲艦も、誰1人欠かせない場所なんだ。

 

「なあ清霜」

 

「なーに?司令官」

 

「さっきは深海棲艦に警戒されないために艦娘は建造しないって言ったけどさ、駆逐艦をもう1人迎え入れるくらいの余裕はあるんだ」

 

「司令官、それって……」

 

「強制はしない。ただ清霜がここに残りたいと言ってくれることを俺は望んでる」

 

 俺達の世界を選んでくれるなら、俺達の在り方を肯定してくれるなら、こんなに嬉しいことはない。

 現実から目を背けてるだけなんだってのは分かってる。勝利を諦めずに戦ってる連中からは愛国心のない……深海棲艦に取り入った売国奴だとでも罵られるだろう。

 だが、それがどうした。この島と鎮守府を守れるならどんな汚名を被せられたって痛くもかゆくもない。

 

「どうするかはお前の自由だ。ただ答えを出す時に、俺がそう思ってるってことは覚えておいてくれ」

 

「うん……分かった。そう言ってくれて嬉しいわ、司令官!」

 

「うわー、会って2日目の駆逐艦をもう口説きに入ってるわ。筋金入りのロリコンね」

 

「この空気でそんなセリフぶっこめるお前に感心すら覚えそうだ」

 

 ムードメーカーではあるが、裏を返せば空気を読めないところがあるってことだ。

 

「清霜的にはどうなの?渉とのケッコン」

 

「ケッコンなんてそんな……!さすがにまだ早いっていうか……ああ別に司令官とのケッコンが嫌ってわけじゃなくて!ただもう少しお互いのことを知ってからの方がいいかなって……」

 

「清霜はまんざらでもないみたいよ?」

 

「お前は俺を窮地に追い込んで楽しいのか?」

 

 天津風と霞の視線がすごく冷たい。

 

「とっても」

 

「いい笑顔だな紫」

 

「むらさき……?あっ!」

 

 グダグダとした体勢から一変、凪が飛び起きて姿勢を正す。

 その両手はスカートの裾をしっかり抑えていた。しかし色白な顔は羞恥の赤で染まっている。

 

「今さら隠してもおせぇよ」

 

「変態!ロリハーレム!」

 

「あなた、最低ね」

 

「このクズ司令官!」

 

 いかん、集中砲火がきた。

 

「待て待て、確かにデリカシーのない発言かもしれんがあれで見るなって方がムリだろ!あのスカートで俺の方に足向けて寝てんだぞ!」

 

「それってずっと見てたってことでしょ!」

 

「お前らのガードがゆるすぎるんだよ!前からスパッツとかはけって言ってんだろ!」

 

「ダサいから嫌!」

 

「あのなぁ……」

 

「ちょっといいかしら?」

 

 俺と凪の言い合いに、天津風が割って入る。

 その視線は依然冷たい。

 

「あなた今、“お前ら”って言ったわよね?正直に言いなさい。お前らっていうのはここにいる全員のことでいいのかしら?」

 

 ……ああ、これは墓穴を掘ったかもわからんね。

 

「い、いやー、別にそういう意味じゃなくて。ほら、艦娘の服装って露出過多じゃん?スカートとか特に短いし、覗く気なんてなくても不可抗力で見える時があってだな?」

 

「正直に、言いなさい」

 

「紫水玉水色黒でした」

 

「死ね変態!」

 

 そんな霞の言葉と共に顔面への衝撃を受けた俺の意識はブラックアウトする。

 意識が暗闇に沈んでいく中で、けれども俺はこう反論した。

 

 ――ちょっと前かがみになったり足を組み替えただけで見える方にも、問題はあると思うんだ……。

 

 

 




Q1 だれがどの色だったでしょう?

紫・・・凪
水玉・・・?
水色・・・?
黒・・・?


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