Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】 (たたこ)
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人物紹介

鯖としての宝具や真名・パラメータは前作マテリアルを見てくれ(https://syosetu.org/novel/25268/)。
ちなみにこのページで真名を白色で書いているので気になる方は反転してください。
またホロウの中でも真名隠しはしないので、ホロウから読むのも一興です。たぶん。



【サーヴァント】

 

セイバー 真名:日本武尊

碓氷明(うすいあきら)のサーヴァント。女装もいける銀河美少年だったはずがなんやかや身長180超えのクールビューティーマッチョイケメン枠に。聖杯戦争を経て色んなしがらみから解き放たれてしまったため、INT(知能指数)が下がった。大丈夫イケメンは万難隠す。

元々社畜体質であったことに加え、ゲーセンのパンチングマシーンをぶっ壊した弁償代を払うためにカフェでバイト中。また明が留守の間の春日市管理者代行代行。

コミュ障? 治ってないよ! 体は神で心は人で運命は剣だからね!

「俺を見くびるな――これは正式な手順で手にいれた明のぱんつだ。俺はのーぱん主義だが、現代女性の大半はぱんつを履くと聞いた。ゆえに女装するならば、俺もぱんつを履くべきだと考えたのだ」

 

 

アーチャー 真名:藤原道長

土御門一成(つちみかどかずなり)のサーヴァント。コミュニケーション強者にしてスーパーリッチなおじさん。マスターの腕をぶった切って裏切った前科があるけどもう忘れた。「一成の家は犬小屋」の為、春日市一の高級ホテルのスイートルームを借りてブルジョワジーな生活をしている。黄金律Bに幸運A+は伊達ではないが、某ライダーにたかられて地味に困っている。最近起業したい。

「私の時代の帝はあんなに強烈ではなかったのじゃ。コンビニ感覚で因果律を付け替える? なにそれ怖い」

 

 

ランサー 真名:本多忠勝

バランス感覚を持った多才なスポーツ系ガチムチおっさん。何故か現在真凍咲の中学校で体育教師のアシスタントをして、生徒に人気を博し、たまに市役所に近い公民館で行われるカルチャースクール護身術にも出ている。住んでいるのは真凍咲の家。週に一二回「正しき臣下とは」の会議を開いて盛り上がっている。参加者はセイバーだけの模様。しかし三河武士が正しき臣下っていうのはなあ……(ボソボソ

「いつの時代も子供はかわいいものだな! いや、稲の小さいころはなあ(以下一時間」

 

 

ダンサー 真名:神武天皇

神内御雄(じんないおゆう)のサーヴァント。恐喝してアーチャーに資金を捻出させ、違った厚意で資金を融資してもらいCDを自作し駅前や公民館でライブをブチ上げている。当面は現代の実家(皇居)でライブをすることが目標。マネージャーはマスターでもある道楽神父。マスコットは喋る断絶剣フツヌシ、舞台には天鳥船、照明に輝く八咫烏(金鵄)でいつでもどこでもライブができるねヤッター!

「東征とは、いわば神代と人代をまたにかけた公の全国ツアー「GO EAST!」だ。 終生のライバル長髄彦(ナガスネヒコ)との対バンは壮絶だった……テンションあがりすぎた長髄彦により長兄は倒れ、ガンギマリの次兄と三兄は常世郷(モッシュ)するわ、ニギハヤヒが長髄彦バンド脱退を宣言するわ、(わたし)もあれはヤベェなと思った」

 

 

バーサーカー 真名:平将門

真凍咲(しんとうさき)のサーヴァント。マスターの忠実なる守護者。……だが宝具で常に七人に分身し、マスターの警護・洗濯・掃除・買い物・料理・魔術の補佐・暇つぶしの相手とじつにこき使われている。咲曰く「喜んでるからいいの」だが、パンピーからしてみれば喜んでいるのか怒っているのか全く不明である。最近白いエプロン姿が板についてきた。ほんとに狂化ついてんのか。

「■■■■■■■■■■ッーーー!!」

 

 

キャスターズ 真名:酒呑童子

キリエのサーヴァント。鬼サーの首領(ドン)。複数形なのは魔術師のサーヴァントとその眷属たち副首領・四天王を合わせた言い方。セイバーの宝具ブッパで原形失った大西山だが、そこで六人で楽しく暮らしている。たまに街に出てくるが、人間を見ると「おいしそうだわ~」と思ってしまうため、本人たちも自重してあまり出てこない。のわりに駅前のカラオケ屋周辺でよく見かけるとはT御門K成の言葉。マスターのキリエは碓氷邸やアーチャーのホテルで暮らしているため、基本的に別行動している。

「人間はスイーツ☆」

 

 

アサシン 真名:石川五右衛門

山内悟(やまうちさとる)のサーヴァント。定住せず日夜春日市をふらふらしているが、悟のアパートにいることも多い。「楽しむぜ」って言ってた割に戦争中はなんだかんだ真面目に戦ってしまった分を取り戻す為、今は繁華街や盛り場に繰り出して羽目を外して現世を謳歌している。もしかしたらサーヴァント中一二を争う顔の広さかもしれない。たまに春日駅近くの繁華街のゴミ捨て場で寝ている。

「……ハッ!? くっせえなあ……臭いのは俺か……」

 

 

 

【マスター・その他人物】

 

碓氷明(うすいあきら)

セイバーとアルトリアのマスター。春日聖杯戦争の勝者であり、春日市の管理者代行にして虚数属性の魔術師・碓氷の次期当主。戦争終了後、事情説明のために時計塔に行っており、此度は休暇で帰国中。

苦労性であることに変化はないが、ちょっと図々しくなった。あとイギリスの料理がクソすぎたため自炊スキルが上がっている。引き続きおっぱい枠。だが最近「胸を小さく見せるブラ」を手に入れた。女子大生だが跡継ぎ的な意味で、見合いとかしなきゃアカンかなあと考えている。

「いや、パンツ一枚でおとなしくしているなら安いものかなと思って……」

 

 

土御門一成(つちみかどかずなり)

アーチャーのマスター。千年を数える魔導の一族、土御門家長男(しかし跡継ぎではない)。だけど陰陽師なのはクラスのみんなには内緒だよ! 千里天眼通は実家にも内緒だよ!

我が道を行き直情径行、突っ走る花のDK(男子高校生)。トラブルには進んで首を突っ込んでいく。成績は日本史以外低空飛行だが、和食が得意で着付けもできる謎の女子力を持つ。今回は年上JDと年下JCとロリババアとツンデレ同級生に囲まれたただのリア爆野郎と化している。死ぬのか。最近、というか今更進路に悩んでる。

「非モテ最後の砦つったのは誰だゴルァ!!」

 

 

真凍咲(しんとうさき)

バーサーカーのマスター。両親が仕事で海外にいる為、広い屋敷にバーサーカーとランサーで暮らしている中学生。誰に対しても態度がそっけないが、尊敬すべき人に払う敬意はある(だが尊敬できない相手にはおそろしくすげない)。敵を作りまくる。魔術だけでなく学校の勉強も真面目にこなさないと、と思い直して勉強しなおしているため、成績向上中。ツンデレなのではなく、クールデレ。

背伸びした言動は相変わらずである。

「先輩って案外モテるんじゃありませんか?」

 

 

キリエスフィール・フォン・アインツベルン

キャスターのマスター。戦争に敗れたためにアインツベルン城に帰らず、碓氷邸とアーチャーのホテルで生活している。自称土御門一成のマスターだが、故なきことではない(意味深)。

明が碓氷邸にいたときは魔術の手伝いもし、虚数空間に吞まれかけたりしてた。

メインの錬金術に加え、陰陽道まで使いこなす人造人間(ホムンクルス)

高飛車ロリババア。御年32だが人生経験が浅く精神年齢はもっと下。

「カズナリ、ロリコンって何かしら? おいしいの?」

 

 

山内悟(やまうちさとる)

アサシンのマスター。春日聖杯戦争中ではガチで生粋の一般人。聖杯戦争時は無職だったが無事就職活動に成功し、新たな職場で働いている。やっと妻の実家に再び顔が出せそう。とりあえずまだ別居一人暮らしだが、隠れて会う必要は無くなっている。

……が、妙なないすばでー同居人が……?? これは今流行りの不倫の香り……??

「ええっ聖杯戦争が再開……!?」

 

 

神内御雄(じんないおゆう)

ダンサー、もといライダーのマスター。聖杯戦争厨の春日聖杯戦争の首謀者であるが、今は何事もなかったかのよーにインチキ聖職者している。元々はガチ神道魔術の家の出だから、今も洗礼詠唱など教会の秘儀より呪術の方が得意というアレな人。

ほっとくとまた聖杯戦争を始めそうなので、碓氷明や土御門一成からは警戒されている。

「私のことは神内Pとよぶとよい。ライダー、これが来週のスケジュールだ」

 

 

神内美琴(じんないみこと)

脳みそ筋肉系シスター。かつお姉さん肌で頼りがいある。真面目に教会の雑務やミサの開催を執り行い、時流に乗って教会のSNSを始めた。元魔術師で聖堂教会に宗旨替えしているため、魔術が使える。養父の御雄がP業を始めたことに若干とまどいがある。オイタをする者には今日も黒鍵を魔力放出の示現流疑似鉄甲作用でブッパする。

「悔い改めよ!!(物理」

 

 

シグマ・アスガード

碓氷家と大本を同じくするアスガード家の魔術師。封印指定。えっちな巫女さん(日本の巫女ではない)。おっぱい枠にして男も女も全然イけるお姉様。本編でも怪しさしかなかったけどいつでも怪しめだし通常運転。一体どこに住んでるんだこいつ。控えめにしているが今でも明のことを狙ってはいるのだった。

色々事情があって今回は一般人をエンジョイしようとしている。

「カブト狩りよォーーー!!」

 

 

☆ホロウ初出

碓氷影景(うすいえいけい) 

明の父親。御年四十五歳・現碓氷家六代目当主にして、妖精眼(グラム・サイト)を持つ魔術師。四分の一スウェーデン人。刻印自体は明に移植完了しているが、思うところあって魔術協会にはまだ代替わりを伝えていない為、彼が正式な春日の管理者。

前作から名前だけは出ていて既に「クソオヤジでは?」との風評がある。彼曰く「単純な魔術の戦闘能力だと明に負ける」。

 

氷空満(そらみつる) 

一成のクラスメイト・よくつるむ。コンピュータ部元部長。成績学年トップにして一成と並ぶ学年二大問題児(奇行児)。気の強い陰キャ、もしかして:ロリコン。

 

桜田正義(さくらだまさよし)

一成のクラスメイト・よくつるむ。元サッカー部。クラスの文化祭実行委員。面倒見がいい。彼女がいたことある。

 

榊原理子(さかきばらりこ) 

一成のクラスメイト。元生徒会長。クラスの文化祭実行委員。一年のおのぼりさんで舞い上がっている一成をよく注意してきた間柄。

 

ラヴァー 謎のサーヴァント。

ハルカ・エーデルフェルト 聖杯戦争に参加したマスター。

 




前に創った遊びの事前クソ告知サイト https://fateib.tumblr.com/
既存絵も含めてですが設定画などあるので、ヘタレ絵が許せる方はどうぞ。
ホロウ絵は新キャラ優先多め。かつキャラの名前が載ってたり載ってなかったりするので、前作未読の方は「日本史fate絵①~」を先に見たほうがいいかも。

日本史fateホロウ絵①
https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=62405317
日本史fateホロウ絵②
https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=65085136


日本史fate絵① サーヴァント
https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=42850146
日本史fate絵② マスター
https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=42850399
日本史fate絵③ 設定など
https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=45476356
日本史fate絵④ ラクガキログ
https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=55217293
日本史fate鯖FGO風宝具カード
https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=55648786
セイバー生前外伝
https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=47805004

設定だけで小説がないのは規約にかかるので、一時間後くらいにプロローグ1あげます。


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序章 春日はなべてこともなし
prologue-1 滅国のヤマトタケル



――それは、国を滅ぼす愛の歌。


 ちりん。ちりん。ちりん。ちりん。

 

 空は赤く燃えていた。地平線の彼方へ半分以上その身を落とした太陽は、名残惜しむように、嘆くように、世界を一色に染め上げていた。

 

 まるで墓標のように突き立つ剣、太刀、刀の数々は、明らかにこの時代にそぐわないものまで含みながら、夕暮れに血染めの姿をさらしていた。それらも男が手を振り下ろすと、刹那真っ赤な石くれ――(はがね)へと変貌し、跡形もなく消え去った。

 

 ――そうして見渡す限り、大地には草ひとつ生えない空漠とした光景が残った。今や燃え堕ち、焼け落ちた人々の暮らしの跡が僅かに朽ちた姿を晒しているだけ。

 人の気配どころか、生命の気配もない。

 巣へ戻ろうと列なす雀も、暮れの烏も、鳴く虫も、大気を動かす風もない。

 

 時が停滞していた。そして、二度と動き出すことのない事を――男は了解していた。

 

 

 ちりん。ちりん。ちりん。ちりん。

 

 全てが灰燼に帰した今、風さえも息絶えた今、響くのは男が腰の帯にくくりつけた鈴の音ばかり。

 

 大和(くに)は滅んだ。男は胡坐で地面に坐り、落日の国(故郷)を見届ける。

 父に厭われ、東に向けて数少ない部下と旅立ち、また故郷へと帰るために、神を殺し、獣を殺し、人を殺した。

 そして伊吹の山を越え、故郷へと帰りつき、父を殺し帝となり、国を滅ぼした。

 

 高天原に召される資格は、天叢雲剣を棄てた時に失った。既に自分の記録を残す者もいないから、きっと死後にも何も残らない。死んだあとに記録も痕跡も残らない――それは大昔に憧れた、「ただ人の死」と同じだと思い、男は笑った。

 

 ――ここまでしてやっと、名もなき人として死ねるのか。可笑しな話だ。

 

 男は滅びを願ってはいなかった。男があることを目指した結果、国が滅びてしまっただけだ。

 少々残念であり期待外れだと思いながらも、男に後悔はなかった。喜びよりも苦難と悲しみと苦痛が多い生であったが、やりたいことをした結果だから文句はない。

 ただ、自分の勝手で全てを喪った民は気の毒ではあるとは感じてはいた。

 

 

 だが己の運命に唾吐かぬ者は生きるには弱すぎる。

 天に唾吐かぬ者など生きる価値はない。

 

 民は、死ぬべくして死んだ。

 

 男はその場に仰向けに倒れた。神剣を棄てた身となってから、傷は癒えなくなった。常人であればとっくに死んでいるほどの傷跡でも生きていたのは、それでもただ人ではないからか。

 

 顔を左に向ければ、つい先ほど縊り殺した体が横たわっていた。まだその体は温もりを残し、まるで眠っているだけのようにも見えた。

 彼はその頬を指で、優しく撫で上げた。

 

 よくもまあ、ここまで来たものだ。お互いに。

 男は口角を吊り上げて笑うと、眼を閉じた。

 

 

「――長い旅だった、な」

 

 そして誰もいなくなった。

 

 

 ――それは、かつて神の剣だった男の成れの果て。

 

 



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prologue-2 人と、星の触覚


――助けて、と言われたのだから助けたい。
たとえ、呪いに身を染めるとしても。



 ――土御門神社。半年以上前の、春日聖杯戦争決着の地。

 今は安倍晴明の写本を神体として奉り続ける森閑とした神社に立ち戻っている。

 聖杯戦争時に退去させられていた神主たちも今は戻り、少人数で営みを続けていた。

 

 聖杯戦争が終わってから、自身が時計塔へ出向いたせいもあり――彼女がここを訪れた回数は多くない。

 それでも何度か足を運んで調査をしていた。

 

 そして、今。

 春日市次期管理者である碓氷明は、あの寒い夜の戦いを思い出す空気に包まれながら、神社の鳥居へと続く石階段の前に立っていた。

 

 

 ――これは……。

 

 階段下から見上げる境内は、暗紫色にぼんやりと光を放っていた。

 あの最終決戦の時と同じように。

 

 明は肌で感じた。間違いなく、ここには聖杯戦争時と同等の魔力が溜まっている。しかし大聖杯はセイバーによって破壊され、この地において二度と戦争は起こらないはずである。

 まさかとは思うが、聖杯は完全破壊に至らず、何かの術式が残留しているのか。

 それとも……。

 

 近頃の春日の異変に気付いたのは、明より父影景が先だった。聖杯戦争時、ライダーの断絶剣(フツノミタマ)によって一度碓氷の結界が切断されている。

 その再構築も途上の今、隙に乗じて春日を奪いにくる外様の魔術師を追い払っていたところ異変に気付いたのだ。

 

 父にさんざっぱら探知や異変への鈍さを笑顔で詰られ、その後異状が最も強く感じられる場所を見てこいと指示を下された。父は現在そう急ぐ事態でもないと見ているようで、今日直ぐ行けと言われたわけでもない。

 しかし、どうせ見るのならば今でいいだろうと明は神社に足を伸ばしたのである。

 

 ただ不思議なのは最も異変が強く感知された場所が、大聖杯が設置されていた地下空洞ではなく神社の境内だったということだ。その理由も定かではないが、明は意を決して一歩一歩石階段を上り始めた。

 深夜の今は真昼よりも遥かに涼しいとはいえ、それでも日本の夏である。

 湿度が高くじめじめとした暑さはたとえ日本生まれであろうと心地よいとは思えない。

 その上、明はつい先日までイギリスに滞在していた身だ。

 

 急に胸から吐き気を催して、数度せき込む。呼吸を落ち着かせてから、じわりと額に浮かぶ汗を腕で拭いながら黙々と上り続けた彼女を迎えたのは、朱塗りの鳥居だった。

 

 明は鳥居をくぐり、広い境内を見渡した。鳥居から真っ直ぐ伸びた道の先に拝殿と本殿がある。聖杯戦争で無残に破壊された本殿はすっかり立て直され、以前よりも立派になった感すらある。

 しかしそれよりも明の感覚を引き付けたのは、拝殿の前、さらに言えば賽銭箱の前あたりに蟠るモノの気配だった。

 

 

 この気配は、サーヴァント……?

 

 今一つ自信が持てなかったのは、己の知るサーヴァントたちに比べて気配が微弱だったからだ。その上、視覚強化をしている明の眼にも対象の姿かたちがはっきりとわからない。

 人の形のようには見えるが、周囲がぼやけて――まるで影のように見える。

 

 明が気づくのとほぼ同時に、影が動いた。滑るように石畳の上を突き進み、明に迫る。靄ではっきりしないが、獲物は何か円盤状のものを振り回している。

 距離は五十メートル以上あったのだが、正体不明でもサーヴァント、あっという間に詰められる――!

 

 明は身体強化で突進を避け、一瞬にして姿を消した。そして刹那、明の身体は鳥居の前から本殿の前、賽銭箱の上に着地していた。虚数空間を通過することによる限定的空間転移である。

 虚数空間を行き来することは意識的には一度死んで生き返るようなものだから、精神衛生上非常によろしくはない。

 

 

「――話は通じる?」

 

 鳥居の前に佇む影は、小柄の女の姿に思えた。気配の微弱なサーヴァント――これは問題である。

 聖杯戦争が終わったというのに、サーヴァントが召喚される事態などあってはならない。それに、暴れられては管理者として非常に困る。

 

 

 明は素早く視線を左右に走らせたが、人の気配は感じられない。神社内に住み込んでいる人間はいないはずで当然なのだが、彼女が気にしたのはマスターの存在である。

 

 聖杯戦争において、マスターの資格を持つ者が召喚をすることでサーヴァントは現界する。サーヴァント召喚は聖杯が行うため、マスターは複雑な儀式を要求されない。

 つまり、ややもすれば適当に呪文を唱えるだけでも、明確にサーヴァントを呼ぼうという意識さえなくても呼ばれることもある。

 だがマスターという門を開く者がいなければ、召喚はない。

 

 目の前の影はマスターに当たる者がいるから召喚されたのか、それともマスターがいなくとも何らかの事故で召喚されたが、憑代がないために影なのか。

 

Minun varjo(私の影は)

 

 ――もしこの不完全なサーヴァントが、何らかのきっかけで本当のサーヴァントになってはそれこそ手が付けられない。だがしかし、今の状態なら明にも対処の仕様がある。サーヴァントこそ打倒したことはないものの、サーヴァントが呼び出した眷属くらいなら虚数の焔で焼いたこともある。

 

 鳥居の下に佇む影から、今敵意は感じ取れない。先程襲い掛かってきたのは、むしろ明が攻撃してくると思ったから、先手を取ろうとしただけのようにも思える。

 

 だがしかし、こうして現界している時点で明には看過できない。

 彼女は目を見開き、己を突き刺すイメージに身を委ねる。

 

 

Häkin kahleet(檻であり枷)Kuitenkin asia avaamaan oman(されど汝を解き放つもの)――」

 

 虚数とは本来幽世の存在に対する特攻魔術であり、幽世のものとは大雑把にいえば幽霊である。サーヴァントを幽霊扱いするのは如何かと思うが、彼らも大きな枠でとれば霊体であり同じ分類となるため、サーヴァントにも通る。影のサーヴァントの背後に闇色の帯が二枚、三枚と出現しそれをからめ捕る。

 

 ――虚数の海にて燃え尽きよ。

 

 巻き付いた闇色の帯に抗そうと、影のサーヴァントが蠢いているが虚数の呪縛帯は本来のサーヴァントならまだしも、なりきらない影に抜け出せるものではない。どろりととけだした帯はまるで濃硫酸のように影を溶かしていく。

 

PolttoaineenePudotachiro、Tämä on helpotus(燃え堕ちろ、それが汝の救済である)

 

 詠唱に応じて、さらに薄くなっていく影――だがしかし、明はむしろ奇妙なものを見た。影に留まっていたはずのサーヴァント、

 その色彩が鮮やかに蘇るように――、

 靄が消えていき明確に人の輪郭を取るように――

 

 

「――ふるべ」

 

 それは影の声か。明は全身が総毛立つ悪寒に晒され、本能的に今の魔術では駄目だと理解した。

 虚数の焔で燃やすなど生温いことを言っていられない。

 虚数空間に放逐してしまう方が確実だと。

 

「ゆらゆらと ふるべ」

Meri ikuisesti(永久の海)Kuvitteellinen arm(虚数の腕)――」

 

 もはや間に合うか。どちらが早いか。影が行おうとするよりも早くしなければ。

 魔術回路の暗渠を流れ狂う水流に身を任せ、明は渾身の魔術を放つ。

 

 影のサーヴァントが何をしようとしているのかはわからない。

 だがあれが――彼女が何と呟いたのか、言葉は断片的に聞き取れた。

 

 

『――――常世郷(かくりよ)』。

 

 

 その歌うような旋律は、少女のように無垢で、この世全ての呪いのようにおぞましく。

 



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0日目① Sabers <聖剣使いと神剣使い>

『王は/皇子は、人の気持ちがわからない』

 

 この聖杯戦争で、碓氷明は偶然により二人のセイバーを召喚していた。

 願いを叶えるはただ一組のため、最後にはセイバー同士の殺し合いになることも前提として――彼らは聖杯戦争を戦った。

 

 騎士王(セイバー)は故国の救済――王の選定のやり直しを願いとして。

 大和最強(セイバー)はただ、その真名の通りに最強であることを願いとして。

 

 (ブリテン/大和)の統一と鎮定のために一生を捧げ、ついぞそれが叶わないまま終わりを迎えた剣士。

 奇妙に似た境遇にあった彼らは、しかし、順風満帆な相棒とはならなかった。

 

 

 方やブリテンは滅び、方や大和は滅ばなかった。

 方や感情を排除した「王の機構」、方や感情を解しきれない「神の剣」。

 方や心の底から国と人々の安寧を願い、方や国の安定ではなく一握りの幸福を願った。

 

 似ているからこそ違いが鮮明に見える。似ていることは、即ち親和を意味しない。

 

 

 そして今、その両雄は――。

 

 

 

 *

 

 

 春日の管理者が住まう碓氷邸は、古色蒼然たる西洋風の屋敷。庭は広々として石畳が敷かれ、家の門と玄関の間には噴水なんてものまで備えられている。異人館の風貌を持った三百坪近い屋敷は、周囲の家からかなり浮いている。ちょっとした名所でもあるこの屋敷だが、現在主はいない。

 

 夏真っ盛り――とはいえ、暦上ではすでに残暑である。だが近頃の地球温暖化は暦をねじまげつつあるのか、残暑という名の酷暑が続いていた。

 今は主なき碓氷邸を護るのは、二人のセイバー。サーヴァントは暑さを生身の人間ほど感じない為に、冷房を入れなくても堪えはしないのだが――家にある調度品が痛むということで、明からは空調を入れるように言われている。

 そのため、ついさっき空調をいれたばかりなので屋敷はまだ暑苦しかった。

 

 

「……!! ヤマトタケル、あなたという人は……ッ!!」

 

 一階のリビング、チェス盤の乗った艶のあるテーブルを前にわなわなとふるえているのは金髪に碧眼、髪の毛をシニョンにした十代半ばの美少女だった。白地に毛筆風の書体で「常勝不敗」とでかでかと書かれたTシャツを着、紺色のプリーツスカートに裸足というラフな格好をしていた。

 彼女の瞳は険を帯びて、奥の二人掛けソファに悠然と座る男を睨んでいた。

 

 少女に睨まれたのは目鼻立ちの整った、二十代半ばと目される黒髪の青年だった。こちらは黒地に白で「あんたが最強」と筆書きされた観光地土産風のTシャツに三本ラインのジャージを着用し、その膝の上には白い子犬が気持ちよさそうに寝そべっていた。子犬の毛並みは部屋の明かりを反射してきらきらと輝き、捨てられた雑種とは思えない毛並みの良さだった。

 

 

「どうしたアルトリア」

 

 男は素知らぬ顔で子犬を撫でながら、眼を少女に向けずに返した。「真神三号、あとで小屋を建ててやろう」

「勝手にその子を真神と呼ばないでほしい! いや、それよりも勝手に駒を動かしたでしょう!」

 

 先程まで互角に戦っていたはずの盤上は、いつの間にかヤマトタケル圧倒的優勢――というかチェックメイト直前――になっていた。

 ただアルトリアの鋭い詰問にも、当のヤマトタケルは興味なさそうに答えるだけだった。

 

「何の話だ」

 

 ちなみに彼女が席を外していたのは、前述したように空調のつけ忘れに気づき、スイッチを入れてくるためであった。

 

 ここしばらくヤマトタケルとこういう戦いをすることがなかったからすっかり失念していたが、彼はこういうヤツだったことを彼女はよく思い出していた。

 目の前の男に対してイカサマとか卑怯を言い立てるのは、全く堪えないし意味もない。剣を用いた戦と同じく、彼から少しでも意識を逸らしてしまえば最後、一瞬にして首と胴を切り離される。

 捕えるなら万引きや痴漢と同じく、現行犯断罪でなければならない。

 

 

 ちなみにこのチェスバトルは、今ヤマトタケルの膝に坐る犬が原因であった。彼がゴミ捨てに行った際、碓氷邸の門前に犬が捨てられているのを見つけて拾って帰ってきたのだ。

 ヤマトタケルは生前狼に助けられたことがあり、またアルトリアも生前犬を飼っていたこともあり、ついかわいくてお風呂に入れて食事をやり、飼う気満々になっていた。

 

 だがそこでひっかかったのが「名前」である。

 

「カヴァス二世」「真神三号」

 

 ――ちなみに「カヴァス」とはアーサー王が生前に最もかわいがった愛犬の名であり、トゥルッフ・トゥルウィスなどの巨大猪狩りに伴われた。また、「真神」とは「大口真神(おおぐちのまかみ)」のことであり、生前の日本武尊が山にて迷った時に道案内をして助けた神代の狼である。

 

 流石に二人ともサーヴァントバトルを繰り広げ春日を灰燼に帰すほどアホではなかったが、こうなっては何かしら勝負で決めるしかないとチェス盤を引っ張り出してきたのである。

 

 さらに彼女とヤマトタケルがゲームで戦うのは初めてではないのだが、基本的に明に禁止されていた為、かなり久々だったのだ(二人とも極めて勝負ごとに強いのはいいとしても、同時に極めて負けず嫌いであり放っておくと誰かが止めるまで昼も夜もなくやめないため、明が禁じた)。

 

 彼女は眉を寄せて盤を見下ろしたが、ここまで弄られての挽回は厳しすぎる。次回は絶対に眼を離さず、隠しカメラをセットして現場を押さえるか、完膚なきまでに完全勝利を収めると誓いながら、彼女は息を吐いた。

 

「……元々はあなたが拾ってきた犬ですし、真神三号にしましょう」

「当然だ」

「しかし犬小屋を作ることには賛成ですが、家主はアキラです。彼女は犬を飼うことを許可してくれるでしょうか」

「……俺が散歩やエサを与えるから、明に手間は取らせない。バイト代から道具代も出す」

 

 なんかもう完全に小学生が母親に犬を飼うのをねだるときの文句だが、アルトリアも真面目な面持ちで頷いた。

 そう、仲がいいかといわれたら微妙な二人だが、この白い犬を飼いたいという点において、目的は一致しているのだ。

 

「貴方だけにまかせてはおけません。私も世話をしましょう。もちろんしつけもします」

 

 歴戦の英雄たちは目配せをして、互いに頷き合った。

 なんとか家主の明を説得しようと、二人は一時同盟関係を組んだ。

 

 そしてその明であるが。

 

 

「……さて、明後日はアキラが帰ってくる予定です。今日の午後には、明後日にそなえてカズナリも話し合いに来ます」

 

 そう、明後日は碓氷明が父親を伴って帰国してくる日なのだ。今日、一成も交え何の食事を作って迎えるかなど相談をする。

 明を出迎えるために、真神をかわいがっているだけではダメなのだ。

 

 

「……そうだな」

 

 ヤマトタケルは子犬を自分の隣のスペースに降ろすと、ゆっくり立ち上がった。

 

「……出かけてくる」

「どこへ」

「明後日の一張羅を取りにだ。マスターの父君に会うのだ、下手な格好はできまい」

 

 彼の眼は鋭く、戦場へ向かう戦士の顔をしていた。一方アルトリアは首を傾げていた。

 

「そこまでする必要があるのですか? サーヴァントらしさを見せたいのであれば武装でいいと思いますが」

「フン、現代において正装はスーツなる衣服だ。郷に入っては郷に従えという言葉を知らないのか……ハッ、明後日はお前ひとり恥をかくがいい」

 

 ソファとクッションの隙間に挟んでいたらしい本「就職活動 身だしなみ・マナー編」の表紙をチラつかせて不敵に笑うヤマトタケル。アルトリアはいまいち彼ほどの熱意をもっておらず、明も何も言ってきていないため、特別な恰好をするつもりはない。ただ、今のTシャツに裸足姿で出迎えるつもりもない。

 

「それより出かけるのであれば、ホームセンターにでも寄って犬小屋用の木材を買ってきてください。私が建てます。……今はやりのDIY(では いま やりましょう)ですね」

 

 何か微妙に間違っているが、二人とも戦場においては他の追随を許さぬ強者であっても現代人としてのレベルはまだまだ発展途上である。一成のようにツッコんでくれる人物は、今の碓氷邸にいないのである。

 犬小屋に関して異論はないようで、ヤマトタケルは無言で頷くとすたすたとリビングを後にした。

 

 ひとまず名づけ騒動の片がついたところ、アルトリアのポケットに入っている携帯電話が振動を始めた。そうそうかけてくる人間もいないので、彼女はおっかなびっくりガラケーを開き、一成に教えてもらった通りに通話ボタンを押した。

 画面には相手の名前が出ていたので、つながった先はわかる。

 

「はい、もしもし。アキラですか?」

『……あ、えっと……ア、アルトリア?』

 

 何故か明の声が不安げで、おどおどしているように聞こえ、アルトリアは訝しく思ったが話を続けた。

 

「はい。でもアキラが電話とは珍しいですね」

 

 サーヴァントとマスター間には因果線(パス)があるため、お互いに念じるだけで会話ができる。実験までに携帯を購入した際に登録をしたが、明とアルトリアが電話をしたのはこれが初めてといえるレベルである。その上明も現代人だが機械音痴の気があるため、彼女は携帯電話自体をあまり使わない。

 先程リビングを出て行ったはずのヤマトタケルが、いつ間にか戻ってきていた。アルトリアが電話で話す声を聞きつけたためであろう。

 

「もしかして、明後日の帰国予定が変わったのですか?」

『あ、いや……そういうのじゃないんだけど……』

 

 どうも明の言葉はキレがない。確実に何かに戸惑っている様子だが、話してくれなければさしものアルトリアにもわからない。

 

『あの、セイバーはいる?』

「セイバー……とは、もしかしてヤマトタケルのことですか」

 

 アルトリアは話の流れ的に自分でないことを察したが、やはり明は変だ。騎士王と大和最強、二人ともセイバーなので「セイバー」という呼び名ではどちらかわからないため、聖杯戦争が終わった今は真名で呼ぶことにしたはずだ。

 

『あ、うん、そうそうヤマトタケル…………いる?』

 

 目の前のヤマトタケルは真顔で右手のひらを突きだして「代われ」と無言で言う。いつもなら代わるのだが、先ほどの真神三号の一件で素直に渡す気にさっぱりなれなかったアルトリアは、ボタンを探しスピーカーモードに切り替えた。彼はむっとアルトリアを睨んだが、アルトリアは素知らぬ顔をした。

 

「明、俺だが何かあったのか」

『……!? 声低っ……誰?』

 

 漫画的に例えるなら背後に「ガーン」の三文字が見えるような驚愕の表情で、ヤマトタケルは言葉を失っていた。アルトリアもまた眉根を寄せた。彼女としてはヤマトタケルが部屋の隅でのの字を書いていじけていてもどうでもいいのだが、マスターの明が共に戦ったサーヴァントの片方がわからないというのはおかしすぎる。

 

「アキラ、本当に大丈夫なのですか? 体調でも『あっ、そういうのじゃない、ほんと……うん。ちょっと、びっくりしただけ』

 

 電話先でなにやら鼻をすすっているような音も聞こえ、本当に風邪でも引いているのではないかと心配になる。日本の夏に慣れた明には、イギリスの夏は涼しすぎたのか。

 

『うん、ホントなんでもない……ごめんね変な電話かけて。明後日だよね、うん、帰るから。うん……じゃあね』

 

 本当に電話はそのまま切れてしまい、「誰」と言われたヤマトタケルへのフォローはなしのまま、電話はツー、ツーと不在の音を立てつづけていた。

 アルトリアには全く事情が呑み込めず、ヤマトタケルは落ち込んでいた。

 

 

 

 *

 

 

 現在春日市の管理者代行の碓氷明は、春日聖杯戦争の後始末のために時計塔に行っており、この地を留守にしている。また、管理者の父影景も同様である。

 

 そしてその間の管理者代行代行は――サーヴァント・セイバー『日本武尊(やまとたけるのみこと)』。そして、彼が万が一、いや十に一変な行動(殺し過ぎ)をとり始めた時に力づくで止める役割がサーヴァント・セイバー『アルトリア・ペンドラゴン』である。



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0日目② 夏にして花のDK(男子高校生)

 じわじわと、セミの鳴き声が喧しく響き渡っていた。駅から徒歩十分あるかないかの住宅街だが、夏の虫はかくも威勢がいい。

 猛暑に苦しみつつ、単身者向けの小さいマンション、ルージュノワール春日の二〇二号室の前に二人の男子高校生とおぼしき、ワイシャツとズボン、学生かばんを下げた二人が立っていた。

 

「かーずーなーりーしー」

 

 妙なイントネーションで家主の名を呼びつつインターホンを押したのは、黒髪ショートカットに眼鏡の少年だった。この暑さにもかかわらず、長袖のワイシャツを袖口まで止めている真面目そうなタイプである。

 

「いないのか? おい一成ー」

 

 口の横に手を当て、声をかけたのは茶髪の少年だ。茶色っぽいのはあくまで地毛だが、良く染めているのではと勘違いされる。半そでのワイシャツの中に赤いTシャツを着ており、メガネの少年に比べれば制服を着崩していた。

 

「カァズゥゥナリィィクゥゥゥン!!」

「おい奇声を上げるな!」

 

 大声を上げた眼鏡の少年を、もう一人の少年がはたいた。しかしそれが功を奏したのか、扉の内側から騒がしい足音が聞こえたかと思うと、内側から開かれた。

 姿を見せたのは、これまでせっせと家の掃除をして疲労した様子の土御門一成だ。

 

「……ま、待たせたな。汚いけど入れよ」

「知ってる。これは俺と桜田からの土産でダッツだ」

 眼鏡の少年――氷空満(そらみつる)は、学生鞄とまとめて持っていたビニール袋を、一成に手渡した。中にはハーゲンダッツのバニラ、クッキー&クリーム、抹茶、ストロベリー味が入っていた。

 

「サンキュ。つか食ってからやるか?」

「そーしようぜ。外メッチャ暑くてヤバイ」

 

 二人は知った顔で一成の家へ足を踏み入れる。それもそのはず、高校生の身分で一人暮らしをする一成の家が、友人のたまり場にならないはずはなかった。

 ワンルームだが、今は折りたたみベッドを採用しているため片付ければそれなりに広くなる。

 一応当初の目的を果たすつもりがあり、ワンルームの中央には小さいテーブルが置かれ、ノートが開かれていた。

 

「お前らなんで制服なんだ?」

 

 そういう一成はTシャツにGパンのラフな普段着だ。夏休みの恰好なので、当然制服は着ない。

 

「俺は榊原と文化祭の相談、氷空は図書館で本借りてた」

「へえ。学校といや明日朝から練習だな。桜田お前もよく文化祭委員とかやるよなあ」

「まあ、行事嫌いじゃないからな」

 

 茶髪の少年――桜田正義(さくらだまさよし)は頭を掻きながら答えた。一成の高校では新学期開けて二週間で文化祭が催される。その開催時期ため、気合の入った三年生は夏休みも準備を行うのだ。

 一成としては学校行事を嫌ってはいないが、委員会と名のつく面倒くさそうなものはやりたくないのが本音のため、結構真面目に桜田には感心しているのだ。

 そういえば桜田は二年の時、クラス委員をやっていたヤツでもあった。

 

 一成と桜田が話している間に、氷空は一足先に適当に座布団を引き寄せて先にクッキー&クリームアイスを堪能していた。追いかけて一成は抹茶、桜田はストロベリーを手に取ると、それぞれ堪能していたが、そこに氷空が水を差した。

 

「しかし単純な疑問なのだが、何故お前たちはいまだに宿題が終わっていないんだ」

「「バカだからだよ!!」」

 

 一成と桜田の美しいユニゾンに何ら感動することなく、氷空は冷酷に突っ込んだ。

 

「アホか。いやバカか」

「万年学年一位は黙ってろ!」

「そんな口を利いていいのか」

「すみません足の裏とか舐めます」

「お前らに舐められてもうれしくない」

 

 そう、何を隠そう一成と桜田は夏休みの宿題が、終わっていないのである。

 

 一成曰く「中途半端な進学校」にありがちの「学校の勉強をきちんとすれば受験対策にもなる」精神で、埋火高校は三年生でも容赦なく宿題が出る。容赦がないので簡単には終わらない。一応「受験対策にもなる」と謳っているだけはあるのだ。

 

 桜田は塾の課題をこなすことを優先していて、そして文化祭委員もきちんとこなしていたツケ。ついでに彼は文系科目が得意なため、数学と生物がまるまる残っていた。

 一成は一成で一年の時は宿題を踏み倒そうとした悪辣な人間なのだが、当時の榊原理子がやかましく、かつ上京したてで浮ついてもいた素行を親に連絡されてはまずいと、結局はこなす羽目になった経緯がある。

 そんな彼も高校三年生であり、一度進路希望には大学進学と書いたのだが――迷っていることがあり勉強自体に身が入っていない。いい加減腹をくくらねばならないと、彼自身も承知してはいるのだが――宿題は残っていた。

 

 とどのつまりこれは、学年一位様に宿題のわからないところを教えてもらおうの会である。

 

 

「漫画でも読んでるから聞きたいことがあったら聞いてくれ。というか今更だが、教師役として俺をキャスティングするのはどうかと思うぞ? 素直に榊原あたりに頼めばよかったのでは?」

 

 自己申告の通り、氷空は教えるのがうまい方ではない。多少苦手な人間の方が理解しにくい場所を心得ていることがあるように、苦も無く微分積分や数列を呑み込める人間が必ずしも教師として向いているとは言い切れない。

 そして氷空の言う榊原――同じクラスの元生徒会長にして桜田と同じ文化祭委員の榊原理子(さかきばらりこ)は、教え上手として知られている。

 その上彼女自身は高い学力にもかかわらず、実家の神社の後を継ぐために神道学科のある大学に行くことが決定している。ゆえに他の生徒程躍起になって受験勉強する必要がないため、よく他の生徒に宿題を聞かれているのだ。

 

 だが、桜田と一成が微妙な顔をした。しかしその理由は二人で異なった。

 

「いや、あいつ他のヤツにもいろいろ聞かれてて忙しそうだしさ」

「いや……あれに教わるのはなあ……」

「ふうん。まあいい、とにかくアイスも食ったし始めた方がいいぞ」

「「おう……」」

 

 やっぱりやりたくはないのを思いっきり顔にだしつつも、一成と桜田はしぶしぶシャーペンを取り出してノートと教科書に眼を落とし始めた。

 

 ……が、突如桜田が悲鳴を上げた。

 

「ぎゃあああ!!」

「うわあああああ!?」

「!?」

 

 彼の悲鳴につられて、一成と氷空も振り返った――今の彼らの位置としては、桜田はベランダの方を向き、一成と氷空は玄関の方を向いていた。桜田はひきつった顔に震える指でベランダを指した。

 

 

「……外ッ……今、なんか……笑顔の……」

「泥棒か!?」

 

 一成と氷空はベランダの方を振り返る。だがそこには何もない。洗濯ばさみを入れたバケツがある程度だ。

 

「……笑顔の、平安……貴族が……ダブルピースで……」

「……予備校の課題は古文ばっかなのか?」

 

 氷空はあきれ顔でツッコんだが、一成の顔は引きつっていた。

 平安貴族、すごく心当たりがある。

 

「……一成氏、不審者に心当たりは?」

「……ねえけど、一応ちょっと外見てみるわ。お前らは待っててくれ」

 

 顔を見合わせる友人二人をおいて、腰を上げた一成は一度ベランダに目配せすると玄関から外に出た。

 

 マンション二階の通路に人気がないことを確認し、一成は小声で「アーチャー」と呼んだ。瞬間、そこには衣冠束帯の平安貴族――ではなく、糊の効いたワイシャツとズボン、磨かれた革靴に身を包んだ中年のビジネスマンが姿を現した。

 

「ほう、彼らがそなたの学友か。片方は聖杯戦争中、学校で話しているのを見たことがある」

「そーじゃなくてもっとマトモに出てこいよ!?」

「それはその、おちゃめ心じゃ」

 

 中年にウインクされても、恐ろしいほど何の感慨もない。

 なんで自分のところにはアルトリアのような美少女サーヴァントがこなかったのだろうか。アーサー王が女なら藤原氏の氏長者が美少女でもいいと思う一成だった。だが目の前に立っているのは、当然オッサンだった。

 勝手にげんなりしている一成の心を読んだアーチャーは、懐から扇子を取り出して彼をぱちぱちと叩いた。

 

「また下らぬことを考えておるな? 私の女体化など……あ」

「?」

「頼光は女であったな。しかも現代でいうボインというやつじゃ」

「!!??」

 

 源頼光――源氏の嫡男として生まれ、摂津源氏の祖として清和源氏全体の発展に貢献した十~十一世紀の人物で、酒呑童子、大蜘蛛、牛鬼など多くの怪異を討ち滅ぼした「神秘殺し」である。だが表向きは当時の職業軍人の一族として、藤原氏に臣従して受領として財を蓄え、アーチャーの権勢の発展につれて「朝家の守護」とまで呼称されるようになったれっきとした武士だ。

 

左馬権頭(頼光)は私の家司(執事)でもあったが、変なロマンスなど妄想するだけ無駄じゃぞ? アレはもう人間としてみなすより別のものとした方がふさわしいからの……それは晴明も同じかもしれぬが」

「なあ、もしかして晴明も……」

「安心せよ。そっちは男じゃ」

 

 安倍晴明まで女だったらいったい歴史はどうなっているのか、というかきちんと仕事してくれ当時の歴史学者とツッコんでしまうところだった。

 アーチャーの生前の話はかなり興味深いため始まるとうっかり聞き込んでしまう一成であったが、アーチャーの方は話を思い出したようでぴしりと扇子で指した。

 

 

「そなた、のんきに学友と勉強をしておるが、今日は午後から碓氷の屋敷に行くとかいかないとか言っておったではないか」

「は? 碓氷の帰国は明後日だろ」

 

 一成はズボンのポケットからスマホを取り出し、スケジュール帳を開いた。明後日碓氷明の帰国のため、ヤマトタケルやアルトリアと屋敷を掃除し食事を作る約束をしていた――そこまで思い至り、一成は声を上げた。

 

「あ! そういや何を作るかとか飾り付けとかの相談……」

 

 明のお帰り会を開くことは決まっていたが、詳細を決めていない。何か出し物をするわけではないが、何を作るとか買い出し品のリストアップを行うのが今日だった。

 記憶が正しければ約束はこちらが先で、それをすっかり忘れていた一成はまんまと同じ時刻に友人との宿題会を入れてしまったのだった。

 

 しかし今更友人に帰れというのも気がひける。幸い、セイバーズは多忙な身ではない。謝って今日の夜に予定をずらしてもらうことも可能だろう。

 

「……完全に忘れてた」

「まったく、何故私が秘書のようなことを。そなたはまだ秘書が必要なほど過密スケジュールで生きてはおらんだろうに、先の思いやられる」

「ぐっ」

 

 大げさに頭を抱えてみせるアーチャーにイラッとするが、非はこちらにある。一成は渋々黙ったが、ふと疑問が浮かんだ。

 

「つかお前なんでここにいんの? 今日はヒマなのか?」

「すごーくいやなヤボ用があるのじゃ。その途中で近くを通り、そなたの気配を感じて不審に思った故」

「いやなヤボ用?」

「大人の事情じゃ。そういう事情があるのかあとだけ思っておいてほしい」

 

 これは詳細まで話す気はないな、と見て一成は追及をやめた。そもそもアーチャーが何していようと勝手である。法に触れなければ。

 ただ、災いの芽は災いになる前に潰す、戦わずして勝つことが至上のアーチャーにしては珍しい。何かヘタを打ったのか。

 それとも、自然災害のように避けることができない何かか。

 

「まーがんばれよ。教えてくれてありがとうな」

「気をつけよ。では、私はいくぞ」

 

 実体化したまま、階段を降りて行ったアーチャーはすぐ一成の視界から消えた。彼の野暮用が何かは気になるが、突っ込むのはよしておこう。

 しかし通りがかりとはいえ、わざわざ顔を出し、しかも友人にまでからかっていき、予定を忘れていることを指摘してくれるとはある意味マメ……?

 

「いや、念話をしろよ!」

 

 ついもういない相手に裏手で突っ込んだ。だがその時間の悪いことに、声が聞こえたのか帰ってこない一成が気になったのか、扉が開いた。

 

「何やってんだ一成? つか、誰かと話してた?」

「ウア! いや、なんでもない。変な奴はいなさそうだ。桜田お前変なモン食ったんじゃねえか? 平安貴族なんかいるわけないだろ」

「……そうかなあ。でもそうだよなあ」

 

 今だ半信半疑(というか彼は正常)の桜田を無理やり納得させる。当然首を傾げたままの彼に、一成は電話をしてから戻ると言った。

 スマホには碓氷邸の番号だけでなく、碓氷明の個人携帯の番号も登録されている。

 

 彼女がイギリスに発ったのはもう半年以上前だろうか。時計塔というところは魔術師の巣窟で何百年も魔術師家業をしている連中だらけと聞いた。海千山千の魔術師たちの中で、彼女はなんとか元気だろうか。

 

「俺が気軽に電話していいもんなのか……?」

 

 いや、実は一成は既に何回か電話をかけている。ただ時差を考慮せず睡眠中の明をたたき起こしてしまったり、たまたま折悪しく忙しい時で満足に話ができなかったりして、迷惑な事をしてしまったという自覚があり、最近は電話をせずメールを投げていた。

 

 ただ明はメール無精で返信がかなりそっけなく、返信の必要がないとわかると何も返してこない。無精、というより文字を打つのが苦手なだけかもしれないが。

 

「……帰ってきたら、いつなら電話していいか聞いてみるか」

 

 しかし真夜中に電話で叩き起こしてしまった時は、電話先に寝起きで寝乱れた明が居ると思うと男子高校生的にはかなりグッときた……いやこれ以上はやめておこう。その時の無駄に詳細な妄想は頭の片隅に追いやり、宿題の心境にいたらねばならないのだ。

 



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0日目③ 巫女二人

 カスミハイツ近くのコンビニのアルコール飲料の前で、悟は鼻歌まじりに品定めしていた。今日は午後に会社の健康診断を受け、そのまま直帰するよき日――であると同時に、先程さらに喜ばしいニュースを聞いたばかりだった。

 

「……♪」

 

 今日くらいは第三のビールではなく正真正銘のビールを飲んでもいいだろうと、スーパードライを籠に放り込む。もう駅前でショートケーキなんかも買っている。

 一人でコンビニ弁当、ビール、ケーキなど寂しすぎる気もするが、よいニュースを聞いてウキウキのため全く気にならない。会計を済ませて外に出ると、既に五時を過ぎているのにまだまだ沈まない太陽が眩しく照りつけていた。

 

 築三十年のボロアパートも、今日はそれなりの建物に見えてしまうから実に現金なものである。錆びついた階段の脇を通り過ぎて、一階の自分の部屋へ。涼しかったコンビニから二分歩いただけでまた汗が噴き出していた。早く冷房をつけて涼もうと、鞄から鍵を取り出した時、部屋の中から物音がしていることに気づいた。

 

「なんだ、アサシン来てんのかな?」

 

 聖杯戦争における悟のサーヴァント、アサシンはときどき勝手に悟の部屋にやってくる。戦争終了後、悟が碓氷の斡旋も借りて再就職するまでの三か月はほとんど入りびたりといっていい生活だった。しかし悟の就職後は、当然悟自身が家にいない時間が増えるため、アサシンが来る回数も減った。

 それでも知らないうちに隠しているはずの紳士の本が散らかっていたり、アサシン曰く「隣人のマオさん(フィリピン人)からもらった」謎の酒が増えていたりするなど、来訪の痕跡はあった(むしろ悟自身より、アサシンの方が隣人と仲良くなっている気配がある)。

 

 悟は急いで鍵を開け、部屋の中に入った。「アサシン、来てるのか? いい知らせがあるんだ聞いて……酒くっさ!!」

 

 カスミハイツは年代物のボロアパートで確実に単身者向けである。悟の部屋も入ってしまえば馴染みの六畳一間があるだけなのだが、先客が既に酒盛りを始めていた。部屋には既に酒精が充満しており、眉をしかめるほどの匂いが立ち込めていた。

 

「へえ~~姉ちゃんは何でもいいのかと思ってたけどな。アバズレだし」

 

 丸いちゃぶ台の上には裂きイカ、チータラ、ポッキー、あたりめ、ビーフジャーキー・焼き鳥といったTHE・酒のつまみが散らかり、同時に酒の缶も色々置いてある。酒盛りメンバーその一、アサシンはスーパードライを片手にトレードマークの紅い褞袍(宝具)をぐしゃぐしゃに放り投げて、派手な着流しでくつろいでいた。

 

「アバズレは認めるけど、アバズレだからこそ大体のモノは食べて来たからつまらないのよ。でもね私、気付いてしまったの」

 

 方や北欧神話の女神フレイヤもかくやの美貌と豊満な肢体を持つ金髪碧眼の女。だがチューハイ缶を片手にチータラを加えている姿は、完全なるオッサンだった。ただ、その眼差しはやたらと真剣だった。

 

「へえ」

 

「私の食べてきた大体のモノって、魔術師の大体なの。つまり、全然魔術に関係ない一般人はほとんど食べたことがないの」

「そういや姉ちゃんはお嬢様なんだっけか? 一応。ったく魔術師ってのは大体いけすかねーんだけどな」

「これでも箱入りだったのよ? 箱入りに見えるでしょ?」

「黙ってて動かなけりゃなぁ! 神さんまで引っ張り出してきた女が良く言うぜ!」

 

 何が面白いのか二人して一斉に爆笑する酔っ払い。自分の家が突如異空間になってしまったような感覚を抱き呆然とした悟にようやく気付いたアサシンが、図々しく陽気に声をかけた。

 

「おう悟! 邪魔してるぜ! お前もどうだ」

 

 手近にあったスーパードライ缶を放り投げられ、あやうく取り落としそうになりながら受け取る。そしてさらに目ざとい女が、悟の右腕にかかっているケーキ屋のロゴ入りバッグを発見しひったくった。

 

「ケーキ? 差し入れありがとう、いただくわ」

 

 なんだこいつら山賊か? いや、アサシンは本物の(義)賊だけど。最早どこから突っ込んでいいのかわからなかったが、悟は荷物を降ろしてアサシンの方ににじりよった。

 

「……アサシン、なんだこれ? というかなんでシグマ・アスガードが……!?」

「あん? そりゃあ流れだ。俺がゴミ捨て場で寝てるのを、こいつが発見した。それでこうなった」

 

 いやだからどういうことだよ。だが超常現象みたいな二人に説明を求めるのも、徒労に終わりそうな気配が漂っている。

 しかしよりにもよってシグマ・アスガード――聖杯戦争において碓氷明と死闘を繰り広げた、札付きの封印指定(悟自身は封印指定の意味をいまいち理解していない。すごくてヤバい魔術師程度の認識)がやってくるなど、ただごとではない。一体この一般市民の自分に何の用なのか。

 

「そうそう山内悟? 私、しばらくここに住むわ」

「……?」

 

 これだから魔術師は。もう少し、一般人にもわかるように話をしてほしい。悟は魔術回路だの刻印だの聖杯だの、言葉の意味を呑み込むので精一杯なのである。

 

 シバラクワタシココニスムワ、呪文?

 

「………ってはあ!? 何言ってんですか!? ダメですよ!」

「え~? どうして? 私どこでも寝られるから、押入れでもあなたの上でも大丈夫よ?」

「全然駄目です! お金がなくて済む場所に困っているなら一度警察に行きましょう!」

「両方とも困ってないわよ。私、あなたみたいな普通の人と暮らしたいの」

 

 澄んだ、碧玉の瞳。吸い込まれそうなほどに誘う眼。そのまま、うん、と頷きそうにな――ったところで、アサシンがシグマの頭を煙管で叩いた。

 

「魅了をかけたら意味ないだろアバズレ」

「あら、かけたつもりはなかったけど……魔力殺しのコンタクトでも入れた方がいいのかしら。でも、そうね、魅了なんてしたら意味ないのよ。だから一緒に住むわ」

「いやいやいやいや駄目です! だからの意味がわからない! 俺はこう見えて妻子がいるんです! にもかかわらず、あなたみたいな女性と二人で暮らすとか、まずいので!」

「……? 何がまずいのかしら?」

「俺の家庭が完全に崩壊するので!! やっと今日、妻の実家にまた顔を出してもいいって話がでたのに!」

 

 酔っ払いだから話が通じないのかそれとも、シグマだから話が通じないのか。前者ならまだいいが後者の気がしてならない。

 いや、悟もこれでも成人男性であり、好みや性癖はあれど百人中九十九人は美女と判定するだろう女性と一晩だけ、とか妄想しないでもない。だが嘘が得意ではない悟は、もし過ちを犯してしまったら妻に対し誤魔化せる気もしない――それに、裏切りはしたくない。

 

 悟は救いを求めるようにアサシンに眼をやった。アサシンはふざけたところも多いが、悟の家庭の快復を応援してくれる一番の味方なはずなのだ。

 そのアサシンは力強く頷いた。

 

「……よし、わかった! 俺も住む!」

「なんでそうなるんだ!?」

「よっく考えろよ。この女、お前がいくら言ったところで聞かねえぞ。仮に今は追いだせたとしても、まとわりつかれるのがオチだ。だからせめてここにおいて、俺が監視するのが一番マシだ」

「……」

 

 何故か知らない間に、彼女が暫くここに居座ることは既定路線になっていたらしい。悟は自分とシグマが間違いを犯してしまうこと(自分がその気になってしまう、というよりはシグマがどう出るかという方)、自分とシグマに妙な噂が流れてしまう事を危惧しているのだが、それ以上に彼女がまた魔術絡みの事件を引き起こそうとしているのかも気になる。

 

「……もう、なにもしないわよ。何もできない、って言う方が正しいけど。私の降霊術はいまへっぽこだもの。ま、これはこれで珍しいからいろいろチャレンジしてみてもいいんだけど、そのつもりもないし」

 

 不穏過ぎる。そのチャレンジが一体何を意味するのか――説明されても悟にはさっぱりだろうが。見目麗しい美女は悟の心境を全く気にせず、胡坐でがぶがぶビールを飲んでカラにしている。既に家主の悟より家主顔をしている。

 

「安心しろよ。ヘンなことしてんなって思ったら碓氷の姉ちゃんに聞いてみるさ」

「……任せたぞ、アサシン」

 

 正直彼女を追い出す方策も思いつかず、押し売りの詐欺に引っ掛かった気分である。それにアサシンも本気でシグマを追い出そうという様子でもない(おそらく、本当に危険だと思っていたらシグマに勝てずとも悟とともに逃げ出す)。アサシンの眼を信じるのであれば、ひとまず危険はないということか。

 

「やったわ。しばらくよろしくお願い、山内悟」

 

 しかし悟としては正直一刻も早く帰っていただきたい気持ちでいっぱいである。だが、何故よりにもよって自分の所に転がり込んできたのか。金に不自由しているわけでもなさそうなのに。シグマは悟のケーキを勝手に食べながら世間話のように話す。

 

「そんなの、あなたが一般人だからよ。さっきも言ったけどこの世界じゃ食べるのにも意味ないし、黄金華も難しい。はあ、私の専門だけど降霊術ってまどろっこしいわよね。神を呼ぶより、自分が神になっちゃえば早いのに」

「……はあ」

 

 

 やはり何を言っているのかわからない。考えても無駄かな、と思いつつ、悟は諦めて、汗をかいているビールを手に取った。

 せっかくの良いニュースが今の衝撃で吹き飛んでしまった。いや、それでも喜ばしいことには変わらないのだが。

 片手に弁当を下げている今、ここから消えるという選択肢もない彼はため息をつきつつ、ちゃぶ台の上のおつまみをおしのけてささやかな自分の食事スペースを確保して腰を下ろした。

 

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

 ――言えなかったことがたくさんありました。

 

 たとえば、私が倭姫命(ヤマトヒメノミコト)様の弟子だったこと。

 たとえば、私が「鞘」として役目を負っていたこと。

 たとえば、あなたがもう二度と大和へ帰れないと知っていたのに、黙っていたこと。

 たとえば、結婚した時はあなたを憎んでいたこと。

 

 師匠に口止めされていたのもあるけど、その中のいくつかは乙女のヒミツとして、このまま海の底まで持っていきます。

 

 ……もし私がいなくなることを、とても悲しいと思うのなら――本当につらいと思うなら、――ううん、そう思ってもらえるならちょっぴり嬉しいんですが……私のことは忘れてください。

 あなたは一人に入れあげるタチでもなかったし、大碓様みたいに惚れっぽい性質でもなさそうだったし、「好き」と言われたこともないので、私は数いる妻の中のただ一人だとしか思われてないと思います。

 だからうぬぼれだと笑い飛ばしてください。それはちょっぴり寂しいけど、私も悔いが残りません。

 

 後の役目は、美夜受媛様に託します。大丈夫、あの方も師匠のお墨付きですよ。……それに、私よりも美人だしいいひとだし……やっぱ小碓様、爆ぜて!

 ……こほん、それはともかく……自分の代わりがいるというのは悔しいやら安心するやら、なんとも複雑な気持ちです。

 

 さて、ほんとは見つからずこっそりするつもりだったのですが、見つかってしまったからには仕方ありません。

 ――さてさて皆さま、御覧じろ。

 この橘の巫女神の鞘、かくして大和を護るもの――一世一代の見せ場なのです!

 

 

 ――師匠から教わったものはただ一回限りの業。

 そこに在るのなら、神様にだってなってみせる(・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 ……でも、願いが叶うなら、もっと一緒にいたかったな。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「――ってなんじゃこりゃーーー!!」

 

 夜の住宅街のど真ん中に、少女が一人絶叫していた。濡場玉の黒髪に白い肌、黒い瞳。薄桃色のゆったりとした貫頭衣に赤い帯を巻き、つややかな白い肩掛けを羽織った、かわいらしい少女だった。

 

 夜も更けきった頃合い、住宅街を行く影は一つもない。空に浮かぶ月が、巨きくて夜の街さえ食らってしまいそう。そして街並みには、ただ奇怪な声を上げる女がいるだけ。不審者だった。

 

「えっ、意味がわからない……せ、聖杯戦争はぁ!?」

 

 長く美しい髪が台無しになるほど狼狽えた表情で、少女はあたふたとあたりを見回したが、物言わぬ住宅が佇んでいるだけで、彼女の問いに答える者はどこにもいない。

 だが動揺しながらも、彼女は己とつながるか細い因果線の存在に気づき、慌てて――蜘蛛の糸にしがみつく罪人のように――一心不乱にそれを辿った。

 必死に走って辿り着いたのは、少々古い西洋風の屋敷だった。門の中のささやかな庭園は、元々は目を楽しませるものだったろうが、いまやぼうぼうに雑草が茂っている。

 

 この中に、マスターがいる。彼女は雑草をかきわけ、脇目も振らず門を開き、無理やりに扉をこじ開けて屋敷の中に入った。室内はほこりっぽく、床にもうっすらと積もっていた。窓から差し込む月光を頼りに、彼女は気配のある二階へと急いだ。自分の着物の裾を踏みそうになりながらも、彼女は階段を上りきり寝室らしき部屋のドアを開け放つ。

 

「……!」

 

 部屋には、風が吹き込んでいた。

 薄手のカーテンがたなびいて、月光を導き入れていた。

 その向こう――壁に接触するように設置されたベッドの上に、人の姿がある。

 西洋の一大宗教の祭祀者が身に纏うカソックなる衣服にも似た、紺色の裾の長い服にズボンを纏った男が、微動だにせず横たわっている。

 

 彼女は慌ててベッドの縁においすがり、その男の顔色を窺い、その頬に触れて温もりを確かめた。

 温かい。生きている。女の手を鬱陶しがってか、金色のまつ毛が僅かに動き眉間に皺が寄ったが、男が目覚める気配はない。

 

「……マスター……」

 

 彼女は男の胸の上で合された手を取り、自らの手で包み込んだ。

 またその手も温かく、彼女は己の頬を摺り寄せた。彼は生きている。

 

 安堵した彼女の心のうちに浮かぶのは、新たな決意。今まで自分の愚かしさで、多くのモノを台無しにしてきた。だがそれでも、助けを求められたなら助けてみせる。自分の出来ることをやり遂げる。

 

 たとえ神の剣がいなくても、此度こそは(・・・・・)救ってみせる。

 

 



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1日目 予兆
昼① 夏にして花の(高校生)


「……朝か……」

 

 一成が眼を醒ましたのは、当然ながらベッドの上だった。しかし場所は、彼の暮らすワンルームアパートではなかった。賃貸で傷をつけたくない為壁には何も飾っていないはずだが、ここには絵画がかかっている。それに自分の枕はこれほどふかふかではなく、シーツも染み一つない新品でもなかったと思う。

 近くの大窓からは燦燦と日光が差し込んで、再開発真っただ中の春日のビル群が一望できる。ここはまかり間違っても一成の城たるルージュノワール春日のワンルームマンションではない。

 とりあえずベッドから降りようとしたとき、ベッドの中に生温かいものがあるのに気づく――いや、それはモノではなくヒトだった。

 

「……ってキリエエエエッ!!?」

「……何よ、朝から騒がしいわね」

 

 一成の腰元に抱きついていたのは、間違いなくキリエスフィール・フォン・アインツベルン。彼女は胸元に白いリボンのあしらわれたネグリジェを纏い、眠い目をこすっていた。

 

「何でここで寝てんだ!?」

「私ひとりじゃ、このベッドは大きいもの」

 

 一成の使っていたベッドの隣には同じ型のベッドがもうひとつ、使われた形跡もなく鎮座している。キリエの言葉は理由になっているようでなっていない。

 一成はそろそろとキリエを引きはがしてスリッパを履いた。ベッドとベッドの間にある棚に埋め込まれた時計を見れば、時刻は八時半過ぎ。そこまで認識して、やっと一成は昨夜のことを思い出し始めた。

 ここはホテル春日イノセント――再開発中の春日にそびえ立つ、最もグレードの高いホテル。そしてこの部屋は俗に言うスイートルームだ。しかし最上の部屋ではない――確かアレは当初インペリアルスイートに宿泊していたが、一人ではあまりにも広すぎるということでこのアンバサダースイートに格を落としたのだとか。

 インペリアルとアンバサダーの違いを弁えない一成としては、どっちもスイートである。

 

 キリエはまだ眠り足りないのか、一成に引きはがされるままにベッドに横になっている。「カズナリ、お出かけはブッソーだから気をつけなさい……」とむにゃむにゃ言っている。彼女にタオルケットをかけてやり、彼は寝室を出た。

 扉の先はリビングで、左手に二人掛けのソファとテーブル、一人掛けのチェア。

 右手に一人用のソファが二つ――そして顔を上げた先に日光を取り込む嵌め殺しの窓近く、四人掛けのテーブルに優雅に腰かけ新聞を読む、三十代前半の男がいた。

 

「……アーチャー……」

「おや起きたのか。そなた、明日は九時には学校に行くとかなんとか言っておらなんだか?」

「別に、授業ってわけじゃねえから遅れても平気だ」

 

 一成はテーブルに近付き、しげしげとアーチャーの姿を眺めた。元は平安人のくせに、アイロンがびしっとかかったワイシャツとパリッとしたスーツの上下が実によく似合う。一成は暫し黙っていたが、意を決して口を開いた。

 

「あのよ……なんでここにいるのかはわかってんだけど、俺なんか変な事してたか?」

「安心せよ一成」

 

 アーチャーは穏やかな笑みを浮かべ、親愛の籠った眼差しで一成を見た。「録画済みじゃ」

「何をだよ!?」

 

 昨日、絶賛夏休み中の土御門一成は、夜に明の歓迎会相談のために碓氷邸を訪れた。その際碓氷邸にいたキリエが「今日はアーチャーのホテルにしようかしら」と言いだし、送りついでに一成もホテルまで来ていたのだ。聖杯戦争終了後、アインツベルンの城に帰らなかったキリエは碓氷邸、もしくはアーチャーのホテルの二か所で寝泊まりしている。

 

 だからキリエがホテルに来るのはよくあることなのだが、一成はこれが初めてである。

 正直なところ一成も最高級スイートに一度くらい宿泊してみたかったのだが、真っ正直にアーチャーにお願いするのはなけなしのプライドが許さなかった……というわけでキリエに便乗しつつ初お泊りとなったわけである。

 しかしこの部屋でアーチャー用に給仕された飲み物を口にしてから記憶がない。妙な味がするぶどうジュースだと思いながらぐびぐび飲んでしまったあれは、もしやワインではなかったか。

 

「そういきりたつでない。決して外に裸で躍り出たり、アインツベルンの姫に無体を働いたり、碓氷の姫や騎士王に卑猥な電話を掛けたりはしておらぬ。安心せよ」

「してたまるか! あーもういい、着替えて飯食って学校行ってくる!」

「アインツベルンの姫は連れて行かぬのか?寂しがるであろう」

「学校に連れて行けるか!! ……とにかく、俺はいくからな。あと飯や宿泊代ありがとう!」

 

 生活に必要な分の金額しか送られない一成に、高級ホテルに泊まる金があるはずもない。もちろん費用はすべてアーチャー持ちである。

 ちなみに聖杯戦争終了後、アーチャーは一成の部屋に住んでいたことは一度もない。「ワンルームなど人間が住む部屋とは思えぬ」と、一般市民を敵に回す発言を吐いて、以来ずっとこのホテルで暮らしている。

 費用は幸運A+か黄金律Bの賜物か、全く不自由する様子を見せない。

 

「何、気にするでない。私はそなたのサーヴァントゆえな」

 

 空々しい衷心の言葉を聞き流して、一成は二人掛けソファの上に畳まれている半袖のワイシャツとズボンに着替えた。

 それから広い部屋をうろつきまわって見つけた洗面所で顔を洗い、鞄を手にとってスイートルームを後にした。

 

 ホテルでとった朝食は、豪華だった。トリュフの乗ったイタリアンエッグベネディクト、ナチュラルヨーグルト、しぼりたてのフルーツジュース、フィナンシェをピアノの生演奏をBGMにしつつ味わうものだった。

 一成は育ち上、和風の高級さには免疫があるのだが洋風にはてんで慣れていない分興味があり、うっかり洋食にしたのだ。しかし味がいいことに疑いはない……とは思うが、高級でも食べなれていないもののため今一つ満足しきれぬまま彼はホテルを出た。

 

 ホテルを出た途端、一瞬にして暑さに辟易した。時節としてはすでに残暑のはずだが、現代日本の八月下旬は残暑には程遠い。

 朝の九時過ぎにもかかわらず、すでに容赦なく太陽は照りつけていた。

 

 ホテルから徒歩十五分程度で、一成が通う私立埋火(うずみび)高校に到着する。陸上部とサッカー部が部活に勤しむ様子を尻目に、一成は二階の自分のクラス、三年B組に到着した。まだ夏休みであるにも拘らず、三年の他クラスにも多数の生徒が見受けられるのは――文化祭が新学期始まってすぐに開催されるからである。

 

 

 この学校の慣行で、文化祭はどの学年も結構な力を入れて出し物を行っている。進学校でもあるが、勉強だけではなくイベントごとにも力を入れる「文武両道」がモットーであるからかもしれない。

 

 入場も関係者のみのチケット制ではなく、自由に出入りができるために学校見学に来る中学生も多い。文化祭は金土の二日間で開催され、金曜は学生間のみの解放で、土曜日に一般開放される。また、金曜日の夜には生徒だけの中夜祭も開催される。

 そして来場者にアンケートをとり、最も人気のあったクラスは表彰されるとともに金一封が出る(大体打ち上げで消える)――という、埋火高校内では年間で最も気合の入ったイベントなのだ。

 ちなみに一番気合が入っているのは三年で、多くは劇をする。文化祭の終了を以て、三年は本格的に受験モードに入ることが埋火高校の通例である。

 

 一成は元来、こういうイベントごとは嫌いではないものの中心になって音頭をとるタイプではない。ゆえにクラスの文化祭実行委員長になってはいない。しかし友人の桜田が副委員長を引き受けたせいで、付き合いで中心的な立ち位置になってしまっていた。

 

 そうして夏休み終盤の今日も、学校に来られる者は来て作業をすることになっているのだが――一成はガラガラと戸を引いた。

 

「おせーぞ土御門!」

「お前実行委員会だろ!」

「……相変わらず、バイオハザードって感じだな……あと俺は実行委員じゃねえ」

 

 一成の眼の前に広がっていたのはゾンビだち……否、女装をした男子クラスメイトたちだった。チアガール姿、ホステスママ風、女子高生風と様々だったが、化粧を施しているせいなのかカツラがチープなせいなのか、端的に言って不気味な集団だった。そのうちの一人であるチアガール氷空満は一成に襲いかかってきた。

 

「お前もゾンビになるんだよォォ!!」

「俺たちが目指してるのはゾンビ喫茶じゃねーだろ! 正気に戻れ!」

 

 氷空は足元にあった板につっかかり転げそうになり襲撃どころではなくなった。それを呑気に眺めていた3年B組文化祭実行副委員長桜田は、金槌をもてあそびながら唸った。

 

「そうなんだよな。3-B男女交換喫茶のコンせプトはバケモノ喫茶じゃない。男でミスコンできるレベルを目標にしてきたんだ」

「ジャスティスが言いだしたんだろそれ」

「ジャスティス言うな」

 

 そう、一成のクラスの出し物は『男女交換喫茶』。つまり男子生徒は女装、女子生徒は男装をしてジュースやお菓子などをだし、一時間に一回程度男装女装の生徒でダンスなどショーをする喫茶店だ。

 過去に女装喫茶をしたクラスがあり、そのときは「笑いを取る女装」という感じだったらしい。しかしこのクラスは「本当に美人の女装」「本当にカッコイイ男装」をコンセプトにした。

 というか、してしまった。

 

 しかし3年B組のクラスメイトは男装、女装に対し深い造詣のある人間がいなかった。もしかしたらクラスメイトには最近流行るアニメのコスプレなどを趣味としている者がいるのかもしれないが、あまりそういう趣味を表だって言うクラスメイトはいないだろう。

 またネットを駆使して女装・男装を調べてみたが今一つうまくいかない。女子の男装まだ見られるクオリティであるが、女装は見ての通りTウィルス蔓延状態のヒャッハー世紀末である。

 

 大道具担当の看板・内装作りは順調に進んでいる。また、ショー用のダンスも女子男装陣と共に行ってクオリティを上げる予定だ。問題は男装の改善改良である。

 

 女装陣は頭を抱えていたが、一成にはある案があった。

 あまり気が進まない為に今まで言わずにきたのだが、クラスメイトが真面目に文化祭に取り組んでいるのに黙っているのは良心がとがめる。

 

「なあ……やっぱり、つきつめるんならプロというか、詳しい人に教えてもらうのがいいだろ?」

「そりゃあそうだろうが、プロに教えてもらうのは金がかかるだろう」

 

 当然すぎる氷空の発言である。クラスメイトから金を集めるにしても限度があり、そこまでしたくないという意見も出るに違いない。

 

「……実は俺、女装とか得意そうな知り合いがいる。そいつに頼めばメシおごるくらいでできるかも」

「「……もっと早く言えよ!!」」

 

 ゾンビ、もといクラスメイトたちも声がハモった。まあそういうツッコミになるよな、と一成は思ったが、気軽に頼める相手かといえば微妙なラインであり来てくれるとも限らない。

 相手に暇があってもけんもほろろに断られる可能性もかなりある。

 

「頼んでみるけどあんまり期待すんなよな、断られるかもしれないし」

「……時々思うけど、謎の知り合い多くね?お前、ここの出身でもないのに碓氷さんとも知り合いっぽいし」

 

 桜田のまっとうなツッコミに、一成は曖昧な笑いを返した。既にキリエスフィールはこの学校に突撃した前科があり、明はここ一帯の地主であり学校に挨拶に来ることもあるため、一成とも鉢合わせたことがある。春日における学校外の謎の知り合いは概ね聖杯戦争関連の名残である。

 と、その時勢いよく教室の扉が開かれた。

 

「女装組! ダンスの練習始めるから体育館に来なさい!」

 

 一成は「あ」という言葉を半ば口からだしつつも呑み込み、そっと近くの桜田の影に隠れた。大股で教室内に入ってきたのは、このクラスの文化祭実行委員長である榊原理子だった。

 全く染めていない長い黒髪を両肩で二つに結っており、頭には臙脂のカチューシャが乗っている。校則を正しく守った長くもなく短くもない膝までの紺色のスカート。栄養状態の良さを感じさせる健康的な身体つき。

 もう少し性格にマイルドさがあればクラス一の美少女といえなくもないかもしれないとうわさの、ややつり気味の眼。

 

 声は鋭いが決して怒っているわけではなく、これが彼女のデフォルトなのだ。そしてトレードマークは、首から下げられた一眼レフのデジタルカメラ。文化祭の写真係まで兼任するとは、どこまでやる気に満ち溢れているのか。

 

 桜田は慣れた様子で、面々に声をかけてぞろぞろと教室から移動しはじめた。一成は桜田の陰に隠れたまま静かに移動したかったが、そうは問屋が卸さない。

 教室の出入り口で仁王像のごとく立つ榊原理子に、Yシャツの端を捕まれた。

 

「ちょっとあんた」

「んだよ」

「今日は陰陽師の衣装着ないの?」

「今クリーニング中だ。汗だくの狩衣とか匂いやばいだろ」

「それもそうね、ほら早く行くわよ」

「お前が引き留めたんだろーが」

「あんたは目を離すと何するかわからないじゃない」

 

 当然のごとく言い放たれた言葉に、一成は大きくため息をつこうとしてやめた。ついたら「何よそのため息は!」とつっかかられることがわかりきっているからだ。

 一体この同級生の元生徒会長様は自分をなんだと思っているのか。

 

 埋火高校の生徒会は、二学期から次の一学期までが任期である。つまり今の三年生はもう生徒会を満期任了して、前年度生徒会となっている。

 その元生徒会長こそ3年B組文化祭実行委員長、榊原理子(さかきばらりこ)である。

 

 一成と理子のクラスが一緒になったのは三年の今だけであるが、振り返れば一年の一学期からの縁である。当時、北陸の田舎からこの都会(※一成の実家から見ればだいたい都会)に出てきた一成は、そのおのぼりさんかつ本来の性質ゆえに、不良ではないにしろ問題児、トラブルメーカーの気があった。その彼を追い回してしつこく注意してまわっていたのが、絵にかいたような――多少気が強すぎる嫌いはあるが――優等生の榊原理子だった。

 一成も脛に傷がないともいいきれないため、あまり強硬に彼女に文句を言うことはめったにないのだが、正直面倒くさいものは面倒くさい。それももう三年目という腐れ縁だ。

 

 ゆえに対応に慣れてきたのもお互い様で、一成はもういちいち彼女の小言に反論しない。まあ、なんやかんやで彼女のいうことは正しいのだ。

 それがはじけんばかりのエネルギーを持っている花の男子高校生にはちょっと鬱陶しいだけで。

 

「ほらさっさと歩いて! もう男装組は体育館で待ってるんだから!」

 

 前方の桜田たちを注意しながら、理子はすぐ後ろの一成に振り返った。「そういえばあんた、ちゃんと進路希望表書いたの? 藤岡先生が心配してたんだけど」

「ぐっ」

 

 地味に痛いところを突かれた。一成もそれについては頭を悩ませていて、二学期頭に出すということで、仮で担任に提出していた。というかこの元生徒会長、なんでそんなことまで知ってんだ。一成よりはるかに教師受けがよく信頼もある彼女だから、簡単に知れることではあるが。

 

 ――一成はすでに土御門家の跡継ぎではない。それでも千年を超える家の一員であり、魔術に携わる道はある。だが、彼は一般人となる事も許されている状態でもある。しかし――

 

(俺は、まだ魔術の世界に未練がある)

 

 聖杯戦争は終わったが、春日聖杯の解体をすると碓氷明に約束したこともある。ただそれ以外にも、離れがたいものが魔術の世界にはある。

 聖杯戦争を経て、もう魔道が明るく日の当たる世界でないことは身をもって知っている。

 それでもあの戦いで、己にできることはあった。

 

 魔術使いになるのもいい。だが問題は、魔術使いになって何をするのか、である。人を救うために魔術を使うのか。でも人助けなら、魔術の世界に固執する必要はない。

 

 両親や祖父に相談しても、どんな返答があるかは想像がついてしまう。キリエは俗世に疎くて相談には不向きだ。そこで彼は碓氷明のことを思い出した――次期春日管理者の魔術師である彼女こそ、相談相手にうってつけではなかろうか。

 ただしこれにも問題があり、彼女は絶賛イギリス時計塔に短期留学中なのだ。

 留学、というよりは春日聖杯戦争の顛末・後処理のために行かざるを得なかったという感じだが。

 

 しかし幸いにも、明日碓氷明は帰国する――それを夏休み前にセイバーコンビから聞いていた一成は、彼女と相談の結果を受けてから決めようと思ったのだ。

 

 一成は理子に向き直って答えた。「まだ書いてねえけど、ちゃんと書くぞ」

「……あのさ、あんたさえよければ相談に乗るけど?」

 

 彼女の声が妙に小声だったためか、一成は聞き間違えたのかと思い振り返った。

 

「は?」

「……ッ! だから! そんなに困ってるなら相談に乗るって言ってんの! 私は生徒会長だから、あんたみたいなのを放っておくと先生からどうせ頼まれるのよ!」

「元生徒会長だろ」

「土御門の癖に細かいことつっこむな!」

 

 普段は鬱陶しくも厳しくも、正しく親切な元生徒会長様であるのにたまに意味不明にキレだすのは何事だろうかとよく思う。ヒステリーか。口に出したら殴られそうだ。

 しかし気持ちはありがたいが、これは一般人である彼女には相談できない。

 

「いや~いいわ。心配すんな」

「そういって心配しない事態があった? 屋上からプールへダイブしたり体育館に穴開けたり、夜中の校舎に忍び込んで偶然痴漢を捕まえたり!!」

 

 ちなみにこの男子高校生に、無断で夜中の博物館に侵入して警備員を昏倒させた前科が追加されていることを彼女は知らない。

 一成は視線を宙にさまよわせた後、まじまじと理子を見た。

 

「……俺よく生きてるな?」

「自分で言うなーーーー!!」

 

 耳元で叫ぶのはやめてほしいところである。一成とて彼女が悪い人間ではないことくらい承知だが、知り合ってからずっとこの調子なのでいかんせん面倒くさい。

 流石に年単位の付き合いで慣れたが、面倒くさい。

 

「とにかく気にすんなって。お前こそどうせ受験して大学行くんだろ、俺にかまってると落ちるぞ」

「? 私は神社の後を継ぐから、神職を養成する大学にいくって言わなかった? 実家と氏子会の推薦もある「おいお前ら、さっさとこーい」

 

 廊下を曲がった先から顔を出したのは、女装の桜田だった。またか、という顔付きをして呆れ気味に二人を呼んだ。一成は軽く返事を返して、いいチャンスと話を打ち切って走り出した。

 

(……そうか、榊原は神社の跡継ぎだったな)

 



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昼② 夏にして花の(高校生)

 体育館で男装組・女装組で合流し、ひとしきりダンスの練習を行った。一成も本番では陰陽師姿で激しくダンシングするため、練習には混じった。一時間ほど合わせた後、本日は解散ということになった。

 残暑の体育館で一時間も踊れば、誰もかれも汗だくである。

 

「みんな、お疲れ様!」

 

 理子は途中で練習を抜けて、皆の練習風景の写真を撮っていた。卒業アルバムに乗せるための写真である。理子の友達のスミレがクーラーボックスに詰め込んだアクエリをせっせと配っていた。女装で汗だく、中途半端にしたメイクがデロデロに溶けて惨事になっている顔面の桜田が、それでも元気に彼女へ声をかけた。

 

「お~い榊原、写真熱心だな、ありがとう」

「写真は趣味だしいいのよ。というか、あんたたち顔面ホントひどいけど……化粧が得意な女子に教えてもらえば? 私から頼んでもいいけど」

「うーん、気持ちだけもらっとく。なんか一成が女装が得意な知り合いいるっぽくて、その人に教えてもらえるか聞くつってたから」

「女装が得意な知り合い……? あいつ、時々顔ひろいわよね。それはいいけど、外部の人を学校に入れるなら手続きとか面倒くさいわよ。親とか兄弟なら普通に事務で受付してもらえればいいけど、赤の他人?」

 

 私立高校であり、昨今の情勢を考えて無関係な人間が校内に入ろうとすると警備員に止められる。そこまで厳しいセキュリティを強いているわけではないが、最低限身分のしっかりした人でないといけない。

 

「あ、それ一成が多分どうにかなるつってた。詳しくは聞いてないけど」

「……? まあいいわ。じゃあ楽しみにしとく。そろそろ戻りましょう」

 

 文化祭も近い今、このクラスのように練習で体育館を使いたい者たちと、通常のように部活動で体育館を使いたい部員の間で体育館は奪い合いになりがちである。

 今年から夏休み中の体育館は予約制になっていて、何時から何時まで、何面をどこがつかう、と事前に予約ノートに記入しなければならない。今日予約分の時間が過ぎたので、次の予約者たちが入り口で待っている。

 

 桜田と理子は残ったクラスメイトたちに声をかけ、それぞれ着替えの為に教室へと戻った。

 

 

 男子陣は教室にて女装衣装を片付け、いつもの制服に着替えていた。一成も体操服から制服へと着替えているとき、桜田と氷空が近づいてきた。

 

「おい一成、この後メシ食ってゲーセンいかね?」

 

 クラスメイトにはこのまま学校の図書館で受験勉強する者も多い。だが一日くらいサボってもいいじゃん? 宿題はやっているし? というか予備校で勉強してるし? 勢の桜田に強烈な熱意はなく、成績優秀の氷空は今更勉強ごときで騒がない。

 一成はダンス後の暑さにうだりながら、適当に応えた。

 

「お~~~……あ~~~パス! さっき言った女装の知り合いに会いに行くし」

「「俺も行く」」

「早ッ」 

 

 そんなこと言えば百パーセントこの友人たちはついてくるに決まっているのである。ボーッとしていたための失言だと気づいたものの、後の祭りだった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 外は相変わらず暑かった。体育館は蒸し暑かったが、こっちは直射日光だ。蜃気楼で先のアスファルトが歪んで見える。土御門一成、氷空満、桜田正義の三人組は語彙力を無くしながら春日駅方面へと足を進めた。

 

 春日駅南口から徒歩五分、埋火高校からも徒歩十分の位置にそのカフェ「joki(ヨキ)」はある。ヨキとはフィンランド語で「川」の意味で、店主は歴史の流れが川だとか大河だとか壮大なことを言っていた気もするが、一成は大部分を聞き流していた為あまり覚えていない。

 駅から近いのだがこの店は裏路地のビル2Fの立地で、少々わかりにくいため期せずして隠れ家的カフェとなっている。さらに店主はそれなりに資産家であり、店を趣味でやっているところもあるため、営業は昼から夜八時くらいまで(よく変わる)の不定休である。

 一成を先頭に外に取り付けられた階段をのぼりながら、桜田が言った。

 

「一成がカフェとかイメージじゃないな」

「俺だってカフェくらい行くわ。それに女装の知り合いのバイト先がここなんだ」

 

 どうやらここの店主は地主の碓氷と懇意のようで、明の口利きによって女装の知り合いのバイト先が決定したのである。前述したが趣味の店であるため、一成と店員がだべっていても文句を言われないユルさなのだ。

 

 ガラスがはめ込まれた扉に内側からかけられたプレートには「OPEN」の文字が並んでいる。いい加減暑さから逃れたく、一成は勢いよく扉を押し開けた。冷風が吹き付ける店内に足を踏み入れ、同時に扉についていたベルがちりんと鳴った。

 

 内装はシンプルで、壁は白くおしゃれな絵がフレームに入って飾られている。テーブルも紺色・四角の簡素なもので、椅子も塗装をしていない木製の素朴なものだ。カウンターが四席、四人掛けテーブル席が三つ、二人掛けテーブル席が二つの小さなカフェだ。

 

 五十半ばに見える店主は、室内だがハンチング帽をかぶってキッチンの奥で、新聞を読んで座っていた。

 

「いらっしゃ……なんだお前か」

 

 客にいらっしゃいませもない今どき実に硬派な店である。ちなみに言いかけたのは店主ではなく、モップ片手に掃除をしていたアルバイトだった。

 

「……おう。邪魔するぞ」

「客だから邪魔ではない。売り上げに貢献していけ」

 

 うろたえる桜田と氷空を引き連れ、一成は入り口から一番奥の四人掛けテーブルに腰かけた。スタンドに立てかけてあるメニューを開くと、北欧っぽいもの(一成の主観)で、サーモンサンドやオムレツの品ぞろえが写真で飛び込んできた。

 

「どれでもうまいぞ。量もあるし」

 

 一成はメニューを目の前の二人に向けて差し出したが、学友の目はアルバイトと一成の間を行き来し、そしてアルバイトへの凝視に落ち着く。

 まあ、二人が思っていることは容易に想像がつく。女装が得意な知り合い、と言ったから彼らは一成にオネエの知り合いがいるとでも思っていたのだろう。オネエの知り合いもいるにはいるが、ただしそちらは人間ではない。

 

「おい一成!? あれが女装の知り合いなのか!?」

 

 桜田は声を小さくして一成に詰め寄った。氷空は氷空でまじまじとアルバイトの様子を見つめ、感嘆とも驚愕ともつかぬ声をもらした。

 

「なんだあの肌……フォトショップで加工したのか……? 毛穴は……? あれは現実か……? どんな画像処理を……」

「ちょっと黙ってろクソコラ職人! 一成、お前の交友関係ってマジ何?」

「注文は決まったか?」

 

 水を持ってきたアルバイトが、愛想もなく問うた。桜田と氷空は言葉を失っていたので、代わりに一成が答えた。本日のランチのオムライスBセット三人前。

 そして注文を店主に伝えようとする彼を引きとめ、一成は尋ねた。

 

「ちょっと、お前に頼みたいことがあるんだけど」

「断る」

「せめて話くらい聞けよ! ……俺たちに女装を教えて「話を聞こう」

「今度は早ええよ!?」

「店主、オムライスBセットを三つ!」

 

 アルバイトはキッチンに向かって叫ぶと、隣のテーブルの椅子を引き寄せて輪に加わった。実にユルい職場である。

 

「話を聞かせてもらおう。というか、お前たちは誰だ?」

「あ、えっと、俺は桜田正義で、こっちが氷空満です。土御門くんの同級生です」

「そうか。俺は大和健という。この土御門……と仲良くはないが知り合いだ」

 

 ――そう、このアルバイト店員大和健は、すなわち日本武尊(やまとたけるのみこと)。先の春日聖杯戦争においてセイバーとして最終勝利者となったサーヴァントである。それはともかく、聖杯戦争を終えた後はここでアルバイトをしているのだ。

 

 碓氷はここ春日の管理者であり地主でもあるため、金に困っておらずセイバーが働く必要はない。だが「何もしないで飯を食らうだけでは魂が腐る!」というよくわからない理由と、さらにゲーセンのパンチングマシーンを壊した修理代のため、マスターの明に頼んでバイトを斡旋してもらったという生前も今も社畜……もとい、実に生真面目な英雄だった。

 

 そして英雄イズイケメンの法則(命名:土御門一成)にたがわず、というか神話にたがわず、このセイバー日本武尊も精悍な美青年であり、一成的には非常にムカつくのであった。

 身長百八十超えとか半ば神代に足突っ込んだ時期の栄養状態どうなってんだ。

 

 ちなみに氷空のフォトショップ発言は、現実にもかかわらずまるでフォトショップで加工を施したように肌がきれいで整っているという意味である。パソコン部画像加工の雄として名高い彼くらいしか使わないたとえだ。

 

 とにかく、一成は手短に文化祭で女装・男装喫茶を行うことを話した。セイバーは恐ろしい速さで話を快諾し、明々後日の集まりに出席することを了承した。

 一成的にはセイバーの乗り気がむしろ不気味だったが、ちょうどその時カウンターからどんと大きな皿が三つ置かれた。

 

「おい女装野郎、オムライス三丁!」

「……店主! 何度も言っているが俺は女装が好きなのではなく、女装も好きなのだ! ただしく仮装(コスプレ)野郎と呼べ!」

 

 どうでもいいからオムライス持ってきてくれないかな、と一成は頬杖をつきながら思っていた。たまにここに来る一成としては見慣れたが、店主はヤマトタケルをいじって面白がっている節がある。

 それはともかく、セイバーはやっとオムライスを一成たちの元に運んできた。綺麗に焼けた黄色い卵に包まれデミグラスソースがたっぷりかかった、スタンダードなオムライスだ。付け合せのじゃがいもコロッケは衣はさっくり、中はほくほくだと評判である。

 三人共ダンスで腹を減らしているのはまぎれもない真実なので、目の前に置かれるなりスプーンを手にかきこみ始めた。

 

「うん、うまいな!」

 

 桜田が急いで食べながらも感嘆の声を漏らした。オムライスも米の一粒一粒までにケチャップがからみ、味にムラがなく染みわたっており、バターの香ばしい香りが食欲をそそる手持無沙汰になった店主はカウンターに両腕をのせて、一成たちを眺めた。

 

「一の字、お前さんはもう学校始まったのか?」

「いや、まだです。文化祭の準備で」

「そういや埋火の学祭は早かったな」

 

 一成とセイバーが文化祭の話をしていたとき、せっせとオムライスを作っていた店主は話を聞いていない。

 かいつまんで説明をすると、店主は綺麗に髭を剃った顎を撫でた。

 

「なるほどな。で、女装男装喫茶でヤマトに教えてもらう……ん? 男装の方もか?」

「そうです」

「男装なら、ほれ、アルトリアちゃんがいたろう。あの子、家の都合で最近まで男として育てられたとかどうのって」

「……ごふ!」

 

 一成は思わずむせかけた。当然「彼女は生前アーサー王です」なんて頭のおかしい説明をするわけにもいかないのだが、その話の言いだしっぺは明かヤマトタケルか。

 しかし、アルトリアは好きで男装していたのではなく必要に迫られてのことだ。それに「文化祭で女装男装喫茶をするから男装を教えてくれ」などとフザケた提案を、あの真面目な彼女が引き受けてくれるものだろうか「おいアルトリア、俺だ。お前男装を教える気はないか」

「って早ッ!」

 

 モップを片手に掃除をしていたセイバー・ヤマトタケルは、いつの間にかスマホを耳に当てていた。困惑しているアルトリアが眼に浮かぶようだと思ったとき、セイバーはスマホを一成に投げてよこした。どうやらあとはお前が話せということらしい。お前が話してくれるんじゃないのかよと、一成は心の中でつっこんだ。

 

「あ、アルトリアさん……?」

『はい。ヤマトタケルから少々話を聞きましたが、私に男装を教えてほしいとは……? カズナリは男ですよね?』

 

 いつ聞いても彼女に似つかわしい凛とした聞きやすい声である。外国の美少女、しかもアーサー王ということもあってギャップや外見に一成はどぎまぎしてしまうのだが、ここまできたらきちんと説明をしなければなるまい。今日何度目かになる文化祭の説明をして、落ち着かない心持で彼女の返答を待った。

 

『構いませんよ』

「そっかダメ……えっ!? ほ、ほんとに!? いいんですか!?」

『ええ。文化祭、こちらのお祭りの一種でしょう? 催し物は楽しいものですからね。しかし……』

「しかし?」

『私は現代の化粧に造詣がありません。教えられるのは……そうですね、騎士としての振る舞い、女性のエスコートの仕方などになりますが、それでも?』

 

 いや全然かまいませんとも。むしろすごい宝塚の香りがしてきた。一成は勢いよく頷いて、日取りや学校の場所の詳細は後で連絡すると伝えて電話を切った。アルトリアの声も心なしか楽しそうであったし、大満足の結果だ。

 一成はセイバーにスマホを投げ返した。しかしヤマトタケルは彼女をライバル視しているのか、あまりアルトリアの力を借りたがらないと思っていたので、一成はついでに彼に尋ねた。

 

「お前、もしかして男装教えるのは苦手なのか」

「……俺が男装を教えられんこともない。だが、歌舞伎の女形がそこいらに転がる女よりも女らしい振る舞いを心がけるように、宝塚の男役がそこいらに転がる男よりも理想の男を演じるように、異性の異性たる魅力は異性が最もわかっているといえる。そういう意味で、あれは俺より適任だろう」

「お、おう」

 

 思ったより真面目、ガチな答えが返ってきてしまって一成は勝手に引いていたのだが、本人がやる気に満ちているのはいいことだ。

 とりあえず主目的は果たした一成一行は、オムライスを食べながら文化祭の話や最近プレイしているソシャゲの話に花を咲かせた。昼食時にもかかわらず他の客がおらず、経営が心配されるが静かでいい。

 また来ようぜ、と話をしていたのを読んだかのように、ちりんと扉のベルが鳴った。常連のお客さんかと思い、一成一同は入り口に目を向けると――固まった。

 

「うわっ、本当に三バカ!?」

「三バカ言うな!」

 

 新たな客は、なんと一成たちのクラスメイトである真田スミレと、榊原理子だった。ちなみに三バカ発言は真田スミレのものである。

 

「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ」

「あっ、はーい」

 

 セイバーに促され、同級生女子二人は一成たちの隣の隣のテーブル席についた。どうやってこんなマニアックな店見つけたのか、女子はカフェとか好きだからか……と一成が思っていたところ、なにやら榊原理子が驚いた顔でセイバーを見ていることに気付いた。

 彼女の前に座るスミレは、「は~~本当にイケメン」とか言いながら見ていたが。桜田はスミレをつついた。

 

「おい真田、お前らもしかしてここの常連なのか?」

「ん? 違うよ! とある筋からここにイケメン店員がいるって聞いて、理子を引き連れてやってきたというわけさ。というか三バカ、私的には何で君たちがこんなところにいるのかが不思議なんだけど。似合わね~」

「こっちにはこっちで事情があんだ。明々後日楽しみにしてろ」

「何それ」

 

 のんきに話している桜田と引き換え、氷空はあまり興味がなさそうにオムライスを食べていた。彼は女子が苦手なわけではない。彼曰く同い年の女子は「育ちすぎ」とのこと。そもそも氷空は男だろうと女だろうと、自分から話しかけることは少ない。

 

 他愛もない話をしながらも、一成は先ほどからずっと理子がセイバーを注視しているのが気になった。イケメンだから眺めるスミレの視線とは明らかに違う。

 たとえるならありえないものを見つけた、写真の中にありえないものが映っているいるのを見つけてしまった、ような。

 

 丁度その時セイバーは注文をとりがてら、思い出したように一成に話しかけた。

 

「そうだ、土御門。明日だが予定通りだ。お前は午後碓氷邸に来い」

「お、おう」

 

 からん、と入ったとき同じ音を耳にして一成たちはカフェ「ヨキ」を後にした。一成は桜田たちとゲーセンに行こうとしていたのだが、出たところで厳しい顔をした理子に引きとどめられて、後から追いかけることにした。

 理子の方もスミレをカフェの中で待たせているようだ。

 

 カフェのあるビルの二階から三階に至る階段で、何故か一成と理子は向かい合っていた。正直とても暑いので、話があるなら早く切り上げてほしい。

 その気持ちは話し掛けた理子も同じらしく、早くも話を切り出した。

 

「単刀直入に聞くけど、さっきの店員さん……名札には大和、ってあったけど、なんの知り合い?」

 

 スミレならともかく彼女に限ってまさかお近づきになりたい、というわけでもあるまい。しかも理子の顔が怖すぎる。

 しかし一成は「聖杯戦争で共同戦線を組んだ仲間のマスターのサーヴァントです」とは言えない。かといって急にうまい話も思いつかない。

 

「……道を聞かれたのがきっかけだった……かな?」

「……ふうん。じゃあ、あの人はどこで何してる人なの?」

「……碓氷邸ってあるだろ。あそこの主人が今イギリスで不在らしいんだけど、留守を預かっている使用人だ、って」

 

 嘘ではない。事実セイバーズは対外的にはそういう身分だと(明の入れ知恵で)言って回っている。相変わらず理子の顔は険しいが、それでも何か腑に落ちた顔はしていた。

 

「……碓氷……、とにかく土御門、あの人には関わらない方がいい。明日何かあるみたいなこと言ってたけど、断りなさい。距離をおきなさい」

「は? なんでだよ」

「いいから! あんたは何起こすかわからないところあるし、危うきには近寄るんじゃないの! それに、最近色々物騒なんだから」

 

 全く理解できないが理子はやたらと怒っている。それにいつにもまして理不尽である――委員長じみた発言は今に始まったことでもなく、かつては一成も真正面からぶつかって「うるせえくそ女ァ!!」と激しい口論をしたこともあるが――彼は成長した。みっともなく大喧嘩などという振る舞いは卒業したのである。

 

「……おう。よくわかんねえけどわかった」

「ほんと?」

「別にすごい仲のいい相手じゃねえし」

 

 とりあえず口では分かったそぶりをしておいて、勝手に会えばいいのである。

 正面からぶつかって無駄なエネルギーを消費するのは、かつての愚直な土御門一成(自分)である。

 今やクレバーに成長した土御門一成は、何事もスマートにこなすのである。

 

 ひとまず返答を聞いて満足したらしい理子は、最後に「絶対だからね」と念押しをしてスミレを迎えにカフェへ戻った。

 

 じりじりと噴き出してきた汗をシャツで拭いながら、一成はカンカンと鉄の階段を下りていった。

 にしても、不思議と言えば不思議なのだが――榊原理子という同級生は、正直口うるさくて鬱陶しいことはあるものの、言うことには理由があって、理不尽なことを押し付ける人間ではなかったはずだ。

 彼女が鬱陶しがられるのは、正しいからだ。そのことを思えば、先ほどの彼女の言動は無茶であり、幾分妙ではある。

 

「……こんなクソ暑くちゃ、変にもなるか」

 



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昼③ あっきらせつのすいーつ☆ばいきんぐ

 ――土御門が、まさか……いや、可能性はあった……けど。

 

 土御門と言う魔道の家は、日本に複数存在した。ただ陰陽道の多くは民間習俗化しており、かつて陰陽師だった家は多くても、今も本当に魔術師としての営みを行っている陰陽師の家はごくわずかだ。

 それに一成からは魔術師としての気配を全く感じず、碓氷家に挨拶に行った時もこの地に陰陽師はいないと聞いていた。

 

 ゆえに土御門一成は魔術師ではない。理子はそう結論付け、普通のクラスメイトとして付き合ってきたのだが、それは早計だったのではないだろうか。

 

 疑惑を抱えたものの、友人を待たせ続けるわけにもいかない。スミレを迎えに、理子は足早に階段を上ってカフェへ戻った。すでに中の光景とかけられる言葉には予想がついて、早くも笑ってしまった。

 

「理子! 写真撮って!」

 

 店員大和の腕にくっついているスミレが、戻ってきた理子を見るなり満面の笑みで声をかけた。大和は特に邪魔そうにもしていないが、掃除の手は止まらざるを得ない。

 スミレのこの図々しさやミーハーっぷりには困るものの、うらやましいと思うことも多い。理子は鞄の中からデジカメを取り出した。

 

「すみません、写真とってもいいですか」

「俺は構わないが」

 

 大和はちらりと視線をキッチンの店主へ向けた。いつの間にか店主はカウンターまで出て来ていて、半笑いだが真面目に言った。

 

「そいつと撮ってもいいが、いんすたとかついったーには上げないでくれ」

「? どうしてですか?」

「ここは半ば趣味でやってるような店だからな。こいつのツラ目当ての客が大量に来られても困る。正直碓氷さんの話でも雇うのを迷ったもんだ」

 

 今は口コミ、SNSの宣伝がバカにならない時代である。単なる一般人の理子たちであるが、それでも何の拍子に投稿が多くの人に知られるかわからない。今日日商売っ気のない店だが、趣味ならば店主の意向もわかる。

 スミレは少々不承不承だったが、友達に自慢するのはいいよね、と逞しかった。

 

「今まで顔で困ると言われたことはなかったのだが……店主、俺は覆面を被って働いた方がいいのか」

「いったいウチは何の店なんだ。お前減給」

「げっ……待て、これ以上減給になったら俺が給料を払わなければならないではないか!

 ろ、労働基準法というものがあるのは知っている!」

 

 コントのようなやりとりだが、理子としては実は少々頭が痛い……というか眩暈がする。それはともかく、スミレ御所望の写真を撮らなければならない。

 スミレと大和のツーショット、ついでに店主も入ったショット。

 自前のカメラを持ち歩く理子だが、彼女の撮影技術が優れているわけではない。

 彼女の生まれもった力を活用することで、プロ顔負けの映りになる――むしろ、プリクラで眼を大きくするとか肌を白くする加工に近いのだが、違和感のない程度に手加減はしている。また、タイマーをかけて理子も一緒に映る写真も取った。

 

「はー店長さん、大和さんありがとうございました! 理子、後で送ってね!」

「うん……」

 

 すっかり満足げで帰る準備を始めるスミレ。理子はその場で立ち竦み、もじもじとカメラを触っていた。

 柄でもないのはわかっているが、この機会を逃すのもまた違うと思う。

 

「ね、ねえスミレ。私も大和さんと撮りたいから、頼んでもいい?」

「……! めっずらしい! うん、いいよいいよ! 任せて!」

 

 きっとスミレは「堅物の理子もこのくらいの男前になるとイイと思うのかあ」と考えているに違いない。理子には弁解したい気持ちもあるが、本当のことは言えないのでそう思っていてもらうことにした。

 

 

 コピー――境界記録帯(ゴーストライナー)とはいえ、自分の神社で奉っている御祭神の一柱が、安時給でアルバイトしている図は衝撃だ。

 しかし、御祭神と写真を取る機会など普通はないし、逃す手もないのであった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「ん~~人間はスイーツ★」

 

 目を細めて貪る女の口元からは、一筋赤い液体が垂れていた。ぺろりと、みずからの指先についた赤を妖艶に舐めとった女は、恍惚の表情で笑む。

 

「おお~~人間はすい~~つ」

 

 女の向かいに座る男は、先が四つ叉に別れた鋭い道具で人の形をしたものを何度も何度も執拗に突き刺し、バラバラにして、そして食らっていた。

 

 生前は「人を取って食らう鬼」と平安京を震撼させた彼女とその部下であるが、現代でも同様に人を――食べているわけではなかった。

 

 ここは春日駅に隣接するビルの七階に新設されたフルーツパーラー、その店の目玉は九十分三千円で食事とスイーツ食べ放題のブッフェである。ブッフェコーナーにはシャインマスカットやメロンがきらきらと輝き、整然とカットされたケーキたちが待ち構えている。

 

 丁度一成がカフェを訪れている、平日昼間の比較的人の少ない時間帯。妙齢の赤毛の美女――マキシ丈の朱色のスカートにオフショルダーの上着にサンダル――と、黒の長袖パーカーに茶色のカーゴパンツ、素足にスニーカーのおかっぱ揃えの青年がもりもりとスーツバイキングを楽しんでいた。

 

 バイキングあるあるの「最初の三十分で急いで食べてしまい後半苦しくなる現象」と、この二人は無縁だった。全く変わらないペースで、豚のピラフやじゃがいものビシソワーズ、ベーコンと鮭のパスタを食べてからミニパフェ、クレープ、ジェラート、ゼリーにフルーツと食べ続けている。

 彼らに元を取ろうという発想はないので、素の食欲である。

 

 女性――キャスターが食べているのはラズベリームースケーキで、赤いソースが口元についている。男性――キャスターの使い魔(眷属)たる茨木童子は、ショートケーキの上に載っていたメレンゲ細工の人形をフォークで突き刺して食べていた。

 

 傍から見て美男美女の二人組は、その異様な食欲を除けば仲睦まじいカップルであり、奇異なところは何もない。

 

「みんな来ればよかったのにね~」

「仕方ない。きのこたけのこ戦争で殺し合いしてダウンしてるアホなんか知らん」

「でも不思議よね。あ、まず、星熊死んだって思ったのに」

 

 ショートケーキのイチゴを口に放り込んで、茨木童子は黙り込んだ。

 きのこたけのこ戦争は「山で採れるものできのことたけのこ、どっちが美味いか」という果てしなくどうでもいい議題が白熱して星熊童子と虎熊童子が喧嘩を始め実力行使のバトルになったという、やっぱり死ぬほどどうでもいい昨夜の出来事である。

 

 生前二人が些細なことから喧嘩をしはじめてお互いに殺し合ってお互いが死ぬ、ということは日常茶飯事で、次の日には何事もなかったようにぴんしゃんしているのが常だった。

 だが今は事情が違う。茨木と四天王は、キャスターのサーヴァントとして召喚された酒呑童子によって召喚された、サーヴァントもどきの眷属である。そして大江山は既に無く、彼らは一度死ねば本当に死ぬ体である。

 

 それを知るからこそ、昨夜の星熊童子と虎熊童子の殺し合いを見咎めた熊童子とかね童子が止めに入ってくれたようなのだが、――茨木童子が気づいた時には、星熊童子はこと切れていた。

 

 キャスターの宝具『大江山百鬼夜行(おおえやまにようまよゆけ)』が発動している状態であれば、茨木と四天王は死なずに何度も蘇生する。だがあの宝具は大西山という春日随一の霊地と長い時間、マスターからの支援があってこそ完璧に機能するものだった。

 今やセイバー・ヤマトタケルの宝具で形が変ってしまった大西山の霊脈は乱れており、また聖杯戦争が終わった今「宝具使う意味ない」としたマスターのキリエの意向もあり、眷属たちは「死ねば死ぬ」状態にあるのだ。

 

 ――だから星熊童子が死ぬ(消えてしまう)と茨木童子も酒呑童子も思ったのだが――次の日(つまり今日)、星熊童子は怪我を負ってはいたものの意識も明瞭で生きていたのだ。

 

 否、あれは――生き返ったと言っていいのでは?

 

 キャスターはフルーツゼリーを飲み物のように食べきると、すっくと席を立った。

 

「お代わりとってくる~」

 

 キャスターはその蘇生については「何故だろう」と不思議に思っている程度だったが、茨木童子の方は深刻に受け止めていた。

 生き返る? 生前ならまだしも、今そんなバカがあってたまるものか。

 

 今も昔も大江山(楽園)を率いるのは酒呑童子、仇なす者を殺すのが茨木童子(自分)であるからには、気になることは潰しておかねばなるまい。

 

 しかし調べるにしても、茨木童子はサーヴァント未満の存在であるため宝具もなく、そもそも生前からして調査に向く力を持ってはいなかった。

 

「こりゃあ管理者の碓氷に聞く方が早いか?」

 

 しかし碓氷のマスターは現在春日を留守にしている。大御頭(マスターのキリエ)曰く、そろそろ戻ってくるらしいのだが、できれば早い方がいい。とすればもう一人の有識者――春日教会の神内御雄か。

 管理者は同じ土地の教会と適宜協力しているらしく、悪くはないと茨木童子は思った。

 

「茨~~タイムサービスでマロンパフェあったから持ってきたわ~」

「おうあ……は?」

 

 顔を上げると、目の前には見慣れた酒呑童子の姿と――その後ろに、傲然とした態度のヤマトタケルが皿の上にケーキを山盛りにして立っていた。

 お菓子は往々にして見た目を楽しむものでもあるのだが、とにかく数を盛ることを優先した結果か、皿の上のケーキは得体のしれない塊になっていた。

 

「ヤマトタケルのセイバーかよ……お前、何の用だ?」

「用はない」

「は?」

「私が見つけて声をかけたの。一人だったら一緒に食べないって」

 

 茨木童子は脱力した。そういえばお頭はこういう鬼だった。聖杯戦争でこの護国の英雄に追いつめられたことはもうどうでもいいのだ。大江山で金色の同族()に首切られたことも、全く恨んでいないのと同じで。

 隣で笑っていたかと思えば首を断つ。首を断たれても恨まず笑いかける。良くも悪くもそういうもの。

 そしてまた、茨木童子(おのれ)も。

 

「……お前も一人でこんなとこくるなんて物好きだな。坐れよ」

 

 ヤマトタケルは無地のTシャツにGパン、スニーカーとラフな夏の恰好をしていた。左手首に鈴つきのミサンガをつけており、ちりんと涼やかな音がした。

 茨木童子自身はヤマトタケルを好きではなかったが、これは碓氷のサーヴァントだ。何かしら聞けるところもあるかもしれない。

 

「やっぱ栗っておいしい。茨も食べて」

「お、おう。ところでセイバー、最近春日でなんか変なことないか」

 

 同じテーブルに着きはしたものの、全く酒呑童子と茨木童子を気にせずケーキを貪る男は声を掛けられて手を止めた。

 

「……変な事? そう聞くからには、変なことはお前が見つけたのだろう」

「まあな。死んでも蘇る、なんてのは変な事だろう」

「……ふむ、そんなことが起きているのか。マスターに伝えておく」

「ってこたあ、お前の方は特に何も知らねえってことか」

「あっ店員さん? このサンガリア、ってお酒樽で。樽なんかない……じゃあ一番大きいので。バイキングの値段に入ってない? 全然いいわ」

 

 キャスターが昼間から酒を所望する傍ら、茨木童子とヤマトタケルはきな臭い話をしていた――とはいっても主に話すのは茨木のほうで、ヤマトタケルはあまり興味なさそうだった。

 

 結局茨木はこれと言った情報はつかめず、やはり神父にでも聞いてみるかと思った時に追加注文されたサングリアが運ばれてきた。ガラスの大きなピッチャーになみなみと入った赤ワインの中に沈むリンゴ、バナナ、レモン、オレンジのフルーツ群。

 ワインの渋みも抑えられフルーティな飲み口から若い女性にも人気のカクテルだが、キャスターに注がせるとほぼ日本酒に見えてくるのは不思議である。自分に注ぎ、茨木童子にも注いで、彼女は残る一人にもピッチャーを向けた。

 

「ほら、あなたも」

「お頭、そいつ酒には酔わねえ。美味いと思ったこともねえって言ってたんだろ」

 

 聖杯戦争中、碓氷邸での聖杯酒宴でヤマトタケルはそう言った。そもそも、ヤマトタケル(日本神話的)に酒は毒物と認識されている可能性もあり、神剣の加護によって勝手に解毒されているのではないかと茨木童子は思っている。

 

「え? そんなことないわよね」

「……」

 

 男は手元のグラスを手に取り、無言で上げた。キャスターが喜んで注いだそれを一息に飲み干し――大きく息を吐いた。すると珍しいことに、彼はお代わりとばかりに引き続きグラスを差し出している。

 

「いい飲みっぷり~! うん、私、今のあなたの方が好きかも。さて次いってみましょ~」

 

 結局サングリアを何度も追加注文し、三人共周りのテーブルが呆れるくらいに酒臭くなりながらバイキングの時間切れを迎えた。スイーツバイキングで浴びるほど酒を飲む奇異な客だったが、サーヴァントはそれくらいで前後不覚になりはしない。

 キリエからもらった小遣いで茨木童子が会計を済ませている間、残る二人は先に店の外に出た。

 

「ところであなた、何でこんなところに来たの?」

「理由はない。だが飯を食うというのはそれだけで楽しいものだろう?」

 

 最初に声をかけたときよりは、大分口が軽くなっている。キャスター・酒呑童子は満面の笑みを浮かべた。

 

「……ええ、そうね! いまならもっと、あなたと楽しく殺し合いができそう!」

「ほざけ妖鬼。俺はスイーツバイキングする程度にはヒマだが、お前と殺し合いするほどヒマではない」

 

 酒呑童子は知らぬ闇、漆黒の太陽。一体悪鬼羅刹はどちらなのか。酒呑童子の目の前の男は、言葉とは裏腹に嗤っている。

 

 ぢりん、と鈍い鈴の音が響いた。刹那キャスターは咄嗟に己の顔を両腕でガードしていた――殆ど反射であり頭で考えてはいなかった。しかし鬼の勘は外れず、その腕にはびりびりと強烈な衝撃が走っていた。

 

 男が攻撃に移る動作(モーション)はほとんど目に映らなかったが、それでもキャスターが反応できたのは彼女もまた、鬼種と変貌する前はむしろ自然の一部だったがゆえ。

 伊吹大明神は八岐大蛇の娘子として山に自然と共にあったゆえ。

 

 ――合気。森羅万象との気の和合により、自らの気配を自然に溶け込ませる技術。普通はアサシンの気配遮断スキルのように身を隠すために使うが、ヤマトタケルは自然な所作のまま攻撃動作に移ることで、攻撃動作の認知を遅らせたのだ。

 

「……やーね。私殺し合いは好きだけど、一方的に殴られるのが好きとは言ってないわ。バーサーカーだったらここでやり合うのもいいけどね」

 

 一瞬浴びせられた殺気をものともせず、キャスターは先ほどまでと変わらない調子で答えた。仕掛けたヤマトタケルも、昼間の駅チカの立地で本気で殺すつもりはないようで、軽く手を振って息を吐いた。

 

 

 

 

 

「お頭、星熊たちへの土産も買ったぞ……ってあいつは?」

 片手にケーキの入った紙バッグを下げた茨木童子が出てきたころ、既にヤマトタケルの姿はなかった。

 首を傾げる茨木童子に対し、キャスターはいつものようにほけほけと笑っていた。

 

「帰ったわ。私たちも今日は帰りましょ……今度は皆で来ましょうね。焼肉食べ放題でもいいけど!」

「おう」

 

 仲良く人込みに紛れたキャスターとその眷属は、軽い足取りで駅前を後にした。

 




FGOで酒呑童子と茨木童子が実装されたのは2016年2月だったと思うんですが、その時には本編beyondでキャスター陣営が消滅していたので、実装後に書くのは何気に初めて(ドキドキ


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夜① 続・神の剣たち

――加護とは、呪いに似る。


「……ふむ? ふむ? ふむむむむ?」

 

 夜に暮れた春日教会。教会の礼拝堂には十数人の信者が集っており、礼拝の後に讃美歌を歌っていた。聖杯戦争もない日常において、春日教会は結婚式を執り行ったり集会や礼拝を実施したり、季節であればクリスマス会も開く。

 だがしかし、今この教会にまします神は、彼らが崇める救い主ではなく、権能たる国生みの槍であり雷の一柱の末端(アルターエゴ)、それに彼の頭上を旋回する黒い烏だった。

 

 彼が立つ教会の屋根から遠く北に、春日駅周辺の明るさが良く見える。

 再開発進む春日駅周辺は、夕食時はもちろん終電近くなっても人気がある。都会の夜景でも楽しんでいるのか、彼の恰好は白地の甚平に黒い下駄という夏祭りに行くかのような格好だった。

 

「どうしたのよイワレヒコ。ただでさえ妙なのにさらに妙な顔しちゃって」

「何だお前か。そうだ(わたし)は妙な顔をしているのだ」

 

 彼に話しかけてきたのは、人ではなく――一振りの剣だった。反りのない直刀が宙に浮いて、イワレヒコ――ライダーの周りをくるくると回っていた。女口調だが、何処から出ているかわからない声は野太い。

 

「……ここは、変だな?」

「変って何が?」

 

 きょとんとした顔(顔はない)をした剣――布津御霊剣(ふつのみたまのつるぎ)が、首を傾げた(首はない)。しかし最初から同意を求めていなかったのか、彼は剣を一顧だにせず一人頷いた。

 

「ふむ、が、しかし。よいか」

「あっ」

 

 すうと音もなく、ライダーの頭上へ何かか落下する――彼は紙一重でそれを躱し、何かは屋根へべちゃりとあたり白く、ところどころ黒い半固体の物体を付着させた。

 烏のフンだった。しかしこの烏は腐っても神の化身、今は宝具であり、生理現象としての排便は当然存在しないので厳密に言えばウンコではない。

 その身に蓄えた魔力を練って結晶化するほど高濃度にウンコっぽく加工して落しただけなので、魔力ウンコ結晶である。摂取すれば魔力補給にもなる。

 ライダーは上に一度も顔を向けていなかったが、読んでいたのか華麗に躱した。

 

「やはり公の主目的は芸能界に殴り込みをかけること。金は財布(アーチャー)のサーヴァントが出すとのことだし、Pは神父が請け負うとのこと。あとは公がキメるだけである!」

「ね~~ほんとにそんなことするのバカレヒコ? (わたし)、あまり目立つのは好きじゃないのよぅ」

「バカを言うな、お前がいなくてどうする。魔法少女にはマスコットキャラがつくのは日本開闢以来の鉄板である。多少武骨すぎる見た目だが赦そう」

「キャッ、マスコットだなんて……! 褒めても何も出ないわよお!」

「それに公は聖杯戦争では召喚も遅く戦局も終盤、戦闘して消滅というもの寂しさだ。たとえ幻のような今であっても、人生としては歌って踊って殺せる開闢の帝として名を馳せた公である、芸能界を焼野原にしなければな」

 

 魔法少女なんてどこにもいないとツッコんではいけない。芸能界を焼野原にしてどうする気なのか全く意味不明だが、何故かライダーと宝具はノリノリである。

 また魔力ウンコ結晶が降ってきたが、ライダーは華麗に回避した。

 

「神々は信仰を喪えば精霊に格落ちする。芸能人も人気を喪えばただの人。何だかんだ神代から今も信仰を得ている公は既にスーパースターといって相違なかろう。よし経津主神(フツヌシ)八咫烏(ヤタガラス)……天鳥船(トリフネ)……は改造中だったな? まあいい、人生楽しむぞ~~!!! ヒャッホー!!」

 

 その時教会から飛び出してきたのは、修道服に身を包んだ美琴だった。今の今まで礼拝堂で讃美歌を謳っていたため、片手には楽譜が握られていた。

 

「……ライダー! うるさい! ちょっと静かにして!」

 

「む? なら公も喉ならしに讃美歌を歌うか。若い妻にはいいメシを、古い妻には安いメシを~!」

「讃美歌じゃないし、SNSで炎上しそうな歌を歌うのはやめて!」

 

 ちなみに、春日教会は表の顔用の宣伝としてツイッターアカウントとフェイスブックアカウントを持っている。勿論礼拝や集会の予定を告知したり、イベントで撮影した写真を乗せるなど平和なものである。更新は美琴担当である。余談ではあるが、ライダーの歌はあまりにもストレートすぎて逆に炎上しないと思われる。

 ライダーとフツヌシはひらりと屋根から飛び降りて、甚平のポケットを漁ると何かを掴むと御冠の美琴へと渡した。

 

「そう怒るな。ほら飴をやろう」

「あ、ありがとう……いやそれより静かにしてくれればそれでいいんだけど!」

「ゴメンネ~美琴チャン! 剣からもバカレヒコには言っておくから!」

「フツヌシも結構うるさいけど……変なことしたいのなら他でやって!」

 

 しっかり飴はもらい中途半端にごまかされた感を抱いた美琴であるが、信者たちを放っておくわけにもいかず、すぐに教会内に戻った。ふと、ライダーは一瞬赤い目を細め、教会の奥に意識を払った。

 

「さて、何やら公に来客の模様だ。気の早いファンかもしれないな? さて一般人にお前を見せるわけにはいくまい。さっさと散った散った」

「むぅっ。何なのよその態度! イワレヒコのバーカーバーカ!」

 

 こちらもない眉毛を吊り上げて、ぴゅうとこの場からいなくなってしまった。

 そして残されたのは甚平姿のライダーのみ――温い風が吹いて、彼の白いポニーテールを揺らした。

 

 己の剣の気配が消えたことを確認してから、ライダーはカラコロと下駄を鳴らして石畳を歩き、教会の脇をすり抜けて裏の勝手口から外に出た。教会の裏手から歩いて数分の場所には、春日教会が管理する共同墓地がある。

 

 夜に墓参りに来る者はおらず、沈黙の死者たちによる静寂が空間を包んでいた。

 土の足もとにおいて下駄は音を立てない。墓地の半ばまで進んだライダーは、振り返らずに――「さて何用か?」

 

 その問いかけが終わる方が早いか、それとも剣の方が早いか。ライダーは軽く身を躱したが、直前に彼がいた場所――墓石に鋭い音を立てて、闇夜から飛来した太刀が突き刺さっていた。柄の尻から宝玉がひもでつながれ、柄は勾玉を模した玉が連なって装飾されている、研ぎ抜かれた黄金の太刀が震えながら突き立っている。

 

 現代までの知識を得るサーヴァントたる今――否、そうではなかったとしても、その刀のをライダーは知っていた。

 

 大通連。天女・鈴鹿御前が振るったとされる三振の宝刀のうちの一つ。数多の物に姿を変えるとされる黄金の太刀である。

 

「さて、天魔の姫がいるとはとても思えないが――」

 

 ライダーが軽くバックステップを取ると同時に、先ほどまで彼が立っていた場所に容赦なく刀が降り注いできた。

 墓石にも刃こぼれひとつなく突き刺さったそれらは、童子切安綱・鬼丸国綱・数珠丸恒次・三日月宗近・大典田光世と――誉れ高き天下五剣だ。月光を反射する刀身はほれぼれするほどに美しいが、童子切安綱以外は赤く燃え上がってボロボロとその場に崩れて消え失せた。

 

 ちりん、と鈴の音が響き渡った。

 それは、残った童子切の柄を乱暴に掴むと横なぎに振るい、墓石ごと両断してライダーの首をも狙っていた。

 

「――」

 

 一筋の残像しか残らない、あまりにも早すぎる一閃。ライダー本体より慣性で遅れた白い髪が一筋落ちる。しかしライダーは、相手がその武器の手練れではないと見抜いていた。

 

 振りぬかれた剣はただ一度で刃こぼれを起こしている――そして、剣の持ち主はあっさりとそれを投げ捨てた。

 

 神風の如き勢いをそのままにライダーにせまり、右ストレートの拳を顔面に叩き込んだ。だが顔の前で交差した腕によって、ライダーは直撃を免れていた。だが衝撃は殺し切れず、そのまま墓を破壊しつつ、ライダーは距離を取るべく余計に後ずさる。

 

 突如攻撃をしかけてきた男はライダーより若干高い身長に、服装は白いTシャツにGパン、サンダルという現代のラフな服装だった。

 しかし右目には白い眼帯が取り付けられ、腰に巻かれた黒いベルトには黒塗りの鞘に収まった剣がぶら下げられていた。だがその剣は抜くことはないとばかりに、黒葛の蔦でがんじがらめに封印されている。

 

 腰元の剣は鞘から抜かずに鈍器として使うのが常なのか、左手にまたどこからか取り出した別の剣を持ち、右手に鞘に収まったままの剣を手に、男は地を蹴った。片方を防いでも片方で斬られる、集中を切らすわけにはいかぬとそこへライダーの背後から襲い掛かるのが――最初の大通連。

 

 襲撃者の取り出した剣は全て灰燼になってきたが、ただ一振り残っていた剣。それは目の前の男の意思により墓地を浮遊し、虎視眈々と刺すタイミングを計っていた――!

 

「……公もフツヌシで同じような手を使う!」

 

 空気を切り裂くように、ライダーを中心に猛烈な雷が迸った。ライダーの一撃は雷を纏う――魔力放出(雷)によって大通連を弾き飛ばし、さらには剣自体を燃やし尽くした。

 

 男は少々距離を取ったが、恐れた様子は微塵もなく――またもや手には全く違う武器――笹型の穂先を持った槍があった。男はまるでその槍の究極の一の担い手であるかのように、槍を振り回して構え、切っ先をライダーに向けた。

 月光に輝く笹の穂先。それは天下に名高き武者の得物。それを我が物とし、ライダーの前に立ちふさがる男は降格を釣り上げた。

 

「――この槍、掠れば死ぬぞ」

 

 ライダーも生前は自ら戦場にあった者、ただの一撃で易々と心臓をくれてやることはない。が、神代と人代を渡す舟(アメノトリフネ)断絶剣(フツヌシ)もない身一つで、敵は己と互角以上の体術と武器を所持する相手である。

 

 そして迫る敵はその魔力を穂先に凝縮させ、真なる名を披露する。

 

 

「『絶てぬ物無き蜻蛉切!(とんぼぎり)』」

 

 戦国最強と謳われた兵の愛槍。留まっただけの蜻蛉を真っ二つにした謂れをもつその槍は、たとえかすり傷であってもまさしく傷つけたのであれば、「かすり傷をつけた」事実を「急所を貫いた」という事実に書き換える――!

 

 青い魔力光を放ちライダーを狙う必殺の槍。生き延びるには完全回避しかありえないが、双方の距離は十メートルに届くか否か、髪の一房、服の裾、鎧への瑕疵さえ命取り。にもかかわらず、ライダーはもうその場から一歩も動かなかった。

 

 風を切り、音を切り、天下の名槍がただ一筋に狙うはライダーの心の臓。神速の穂先を前に、開闢の帝は何事かをつぶやいた。

 

「――」

 

 ぞぶん、と槍は確かに標的へと突き刺さり、内腑を抉った。槍の獲物だった体は、音さえ超える速度の槍に貫かれるとその勢いのままに真っ暗な闇の中に放物線を描き、墓石を壊して地面に落ちた。

 

 赤い血が、地面にしみ込んでいく。槍の男は歩くたびにちりん、と鈴の音を鳴らしながら動かないライダーへと近づいた。

 微動だにしないライダーの鼻先に、赤く染まった切っ先を突き付けた。

 

 

「いつまで死んだふりをしているつもりだ」

 

 ライダーは手で槍をのけて、よっこらしょとじじくさい動きで上半身を起こした。宝具の槍は右肩をざっくりと突き刺してはいたものの、致命傷、急所を貫いたとは言えない。

 

「全く真っ白の甚平はなかなかなかったのだが」

 

 流血による汚れは諦め、できるだけついた土をはらってライダーは腰を上げた。当たりさえすれば急所を貫いたことになる『絶てぬ物無き蜻蛉切』が不発に終わった理由は二つ。それは槍の持ち主も理解している。

 

 一つは、眼帯の男が蜻蛉切の「究極の一」ではないため。真なる担い手でないにも関わらず曲がりなりにも真名解放できるのにはそれなりの理由はあるが、「究極の一」届かない。

 そして二つは、ライダーの魔術――厳密に言えば魔術が生まれる前のモノ――である。神代文字によって、自己の内側世界の変革を行ったのである。蜻蛉切の「事象書き換え」の呪いは、傷がついた「対象」内のみで完結する事象であるため、神代文字による自己暗示によって呪いを相殺した。

 元々神代文字――ヲシテ、天名地鎮(あないち)阿比留(あびる)文字と様々な名を持つ――は、世界を変革する言語であった。ただ神代文字はバベルの崩壊後、統一言語が失われた後に世界各地に散った直後の言語であり、統一言語に肉薄する世界に語りかける言葉である。

 固有結界を外界に展開するよりも自己の体内という世界だけで展開した方が長持ちしかつ有効に使用できることがあるように、ライダーも「世界を変革」する文字を体内に限って使ったのである(現代にそれに見合う発音はないため、聞き取れぬ発音となった)。

 蜻蛉切を投げ捨てた眼帯の男は、渋い顔でつぶやいた。

 

「キャスターの真似事か」

「何を言う。公は生前、朝寝ながら神霊を奉り昼飯を食いながら神霊を奉り、夜寝ながら神霊を奉り、巫女がいなければ手近にいた道臣(みちのおみ)を女にして祭祀するほどの祭祀オタクである……それはさておき、公に何の用か? ヤマトタケル」

 

 ヤマトタケルと呼ばれた男――眼帯の男は鞘つきの剣を腰のホルダーに納め、軽く片方の目を見開いた。

 

「……用というほどのものではないな。強いて言うなら機嫌伺いだ、先輩」

「ほう? お前は大事な相手に剣を振り回す……公には八つ当たりといったところだろうが、よい。何を窺いに来た? 忌憚なく申せよ(後輩)

 

 眼帯の男・ヤマトタケルは舌打ちをした。彼自身、ライダーと戦う意味がないことは承知である。そしてライダーが(ヤタガラス)(フツヌシ)(アメノトリフネ)も連れていないこと自体、戦う意思がなく、余人を交えず話を聞くことの表れであることも知っていた。そして、ヤマトタケルに真の殺意がないことも見抜いていた。

 だから今までのやり取りは茶番にして八つ当たりである。第二代神の剣だったものから、初代神の剣への。

 

 吹く風は温く、先ほどまでと比べれば弛緩した空気が頼っている。墓地の墓石に刻まれた名も読み解けるほどに、月は明るいが、ライダーからみてヤマトタケルは逆光にあり、その姿は薄暗い。

 

 ヤマトタケルは黒塗りの鞘を腰のベルトに引っ掛け納めると、真顔で問うた。

 

 

「ライダー、お前は世界を滅ぼすつもりはあるか?」

「ない。公は芸能活動に精を出さねばならぬ」

 

 即答どころか、半ば言葉の最後を食った勢いでライダーは答えた。ヤマトタケルはその答えを薄々察してはいたものの、肩をすくめた。ライダーは口角を上げつつ、暗い影を纏う男へ問い返す。

 

 

「逆に聞き返すが、そういうお前はどうだ?」

 

 断絶剣「布津御霊剣」――神霊・経津主神(フツヌシ)は幾多の可能性と因果律・並行世界・編纂事象・剪定事象を見る。それは彼の()が神霊を宝具に落とした神象宝具にして断絶の概念そのものであるから――対象を斬るには、対象が見えていなければならない。それは対象が石であっても、因果であっても、死であっても、世界であっても変わらない。ゆえにフツヌシは世界を見る。

 先程、ライダーが抱いた違和感に対しフツヌシが大した答えを返さなかったのは、フツヌシが何も感じていないからではない。ライダーが見えているものがフツヌシに見えないことはない。

 常に複数の世界を見ていることが当然のフツヌシにとって、何が起きていようと「どうでもいい」もしくは「そういう世界もある」程度の認識であり、違和も不思議さも感じないからだ。

 

 ライダーは断絶剣フツヌシの担い手であり、かつ本人も神霊の末端(アルターエゴ)であるがゆえに、同等の視界を得ている。しかし、ライダーは意識的にその眼を閉じている。しかし、眼を閉じても光のあるなしを感じられるように、全てが見えなくなることはない。

 

 ライダーのことを知るヤマトタケルが、偽る気など最初からなかった。誤魔化す意味のない相手に対し誤魔化そうとするのはただただ滑稽であるから、彼も最初から宝具による偽装をせずにこの墓地へと至ったのだ。

 だから返された問いにも、ヤマトタケルは誤魔化さない。

 

 

「……帝たるもの、世界平和を望むモノだろう?」

「公は一回も望んだことはないがな。しかし後輩、ある意味お前はさっさと死んだ方が身のためかもしれないぞ? そのままでは自分の意志で死ねなくなる」

「何をいまさら。神の剣(我ら)、『死にたかったから自殺しました』がまかり通るなら、白い俺は伊吹山なんかに向かわず自分で首を刎ねたろうよ」

 

 ライダーは鼻で笑うと、土を払って腰を上げた。因果を辿って辿って辿り続ければ大源へと至り、枝別れした可能性を辿れば別の世界へも行きつく。千里眼ならぬ千里眼を以て、既に目の前のヤマトタケルがナニかは了解しているものの、ライダーは彼を咎めもせずに放置する。

 そもそも彼は自称案山子のサーヴァントにして、観戦者である。

 ――そしてこのヤマトタケルがどう出ようと、終焉は何ら揺らぐことなく立っている。

 花は遅かれ早かれ枯れるもの。ライダーにはそれを手折る趣味がないだけ――誰かが全力で手折ろうとするなら、それも一興と協力することもない事もないが。

 

 

「……白かろうが黒かろうが難儀な男だ。行き場を失った憎悪を抱えて平和を願うのは、なかなかに苦行であろう」

 

 遠く、狼の遠吠えが聞こえる。風も吹いていないのに、ざわざわとさざめく木々の奥に、ひとつふたつみっつよっつ――と、炯々と輝く赤い目がある。生臭いほどの獣の匂いが漂い、呪いと、憎悪と、悪意の眼差しがライダーを遠巻きに囲っている。それらを統べるかつて大和を滅ぼした最強は、開闢の帝に対して堂々と立ちふさがる。

 

 

「――神の剣(我ら)は、そもそも感情も、共感も、心も不要だった。あってもそれは不完全なシロモノだ。にもかかわらず、憎悪に心が軋むというならば」

 

 既に復讐に合理も理由もない。大本は明確な復讐対象があったとしても、それは既に消え失せた。今残るものは尽きぬ憎悪と復讐心のみ。その憎しみから生まれる活力(エネルギー)は生きる糧でもありながら、同時に止まぬ憎悪を宥めるために復讐を続けさせる劇薬でもあり、心は加速を続けていく。

 

「――それは福音だと思うがな?」

 

 だがそれを「良し」と、このヤマトタケルは嗤う。彼は肩をすくめて、遠巻きに獣たちに囲まれながらも先程と全く変わらない様子でライダーに声をかけた。

 

「さて先輩への挨拶もおわったことだし、俺は帰る」

「挨拶回りと言っていたが、他は何処を当たる予定なのか?」

「重要さでならあとは碓氷明だけだ。他は趣味でやるさ」

 

 ヤマトタケルとしてはこの現状を見るに碓氷明に会う必要はないとも考えていたのだが、彼自身が碓氷明に興味があった。白い己が敬愛するマスターとあれば、たとえ何ら関係がなくてもちょっかいの一つや二つをかけてみるのにもやぶさかではない。

 

「俺もお前と同様精々楽しむさ。じゃあな、せ・ん・ぱ・い」

 




現在公開可能ステータス

【クラス】????
【真名】日本武尊???
【性別】男性
【身長/体重】183CM/体重:78kg
【属性】混沌/悪
【クラス別スキル】
【固有スキル】
魔力放出:B+
自己改造(偽装):A+
今回の格好なのでNOT武装ですがイラスト

【挿絵表示】
 


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夜② それぞれの予感

 ――今はもう、遥か遠き懐かしき記憶。

 

 島国であるこの葦原中国は、大陸がとうに神の時代を離れた今であっても、奥深き神代の香りを色濃く残していた。大陸の幻想種の多くはとっくに星の内海(世界の裏側)へと移行したにもかかわらず、思惑は様々だろうが、内海に向かうことを拒んだ大陸の幻想種や神々の端くれは、世界の辺境の葦原へと流れ着いた。

 まだ真エーテルの深き葦原、世界の流れから遅れた田舎ではあったろうが、残された辺境だからこそそれらの幻想が生きるには適していた。

 

 それを厭うた辺境古来の神々、天津神と国津神は一時結託し――我らに恭順するならばよし。だがそうでないのならば――屠りつくすしかないと、神の剣を遣わした。

 

 その神の剣は、神霊でありながら人であり、人でありながら剣であった。

 それは、彼らにとっても見たことのない珍しい――面白い、生き物だった。魔性と神性、外宇宙の遺物、神秘の掃き溜めのごとき葦原で何もかもを殺すなら、その剣はどこにも属さない、何処にも肩入れしない、しがらみもない、ただひとりでなければならない。

 

 天津神はそういうものを作ったのだと、彼らは即座に理解した。

 

 彼ら(・・)は元々、神の使いなどではなかった。だが神代より生きた群れであり、外来の神秘と戦ううちに力を増し、古来より葦原に在ったという理由で、天津神々たちの使いと思われていた。

 ゆえに彼らは人間にも神にも興味はなく、ただ葦原にて群れとして暮らせれば事足りた。

 

 神の剣は、彼らが暮らしていた山の神霊を殺害した。神の剣が山中で迷ったのは、神霊を殺害したことにより空想具現に包まれ異界化していた山が――それが普通だったのだが――崩壊し元の姿に戻って道や形を変えたからであり、時さえ経てば彼等の助けがなくても自力で山から抜け出ただろう。

 彼らが山に迷った神の剣を助けたのは、気まぐれでもあり、物珍しさからの興味だった。

 

 神の剣は、父の命で東の悪神、まつろわぬ幻想種、人々を制圧、従えて回っているという。彼は日本武尊と名乗り彼らの名を聞いたが、彼らに名はなかった。今まで名乗る名を必要としなかったからだ。

 

 日本武尊は、何故彼らがここの神霊を放置していたのかと尋ねた。お前たちの力があれば、あれを駆逐することもできただろうと。

 彼の言葉はその通りで、彼らの力を持ってすればあの神霊程度なら祓うこともできただろう。だが、そうまでしなくても暮らすことはできるため、放置していた。

 すると、日本武尊は何を思ったか妙な事を言いだした。

 

『俺は父帝の命があるからここにはいられない。しかしまた、ここに悪神が住みつかないとも限らない。だから、お前たちが倒してくれ』

 

 彼らが日本武尊に従う義理も謂れもない。だから彼らは、この頼みを一笑に付すこともできた。

 まあしかし、彼らが住まう山を自分で守ること自体は悪い事でもない。

 

『お前たちはこれから大口真神(おおぐちのまかみ)と名乗ってこの山に留まり、俺の代わりに――あらゆる魔性を食らい、殺し尽くせ』

「――了承した。神の剣・日本武尊」

 

 彼等にとって、名をもらうことも何者かに従うことも、初めてのことだった。

 目新しいものへの興味から始まったこの契約だったが、今も彼らの中にある。

 たとえ主が死したとしても、約束は消えず今もある。

 

 ――彼らの名は、大神()。人語を理解し、善人を守護し悪人を罰するもの。

 只存在するだけで神秘を退ける、より古き神秘にして、魔術の大敵。

 

 

 

 春日市立春日自然公園――春日駅からバスを利用して四十分南へと向かった先にあるのは、東端は大西山と連なる丘と野原を抱えた広大な公園だった。昼間は遠足の小学生やら近隣住民憩いの場として、にぎわうとまではいかずとも人の姿があるのだが、この深更にあっては無人だ。

 電灯もわずかで、星々の明かりのみがたよりなく輝く、森閑の夜が佇んでいた。

 その公園にある、森に囲まれた小高い丘の中にあって立っているのは一人の少女。彼女は紅い袴と白衣、白足袋に草履という巫女の恰好をしていた。いや、恰好だけでなく彼女は正真正銘の巫女である。

 彼女は怪訝な顔をして、傍らに佇む自分よりも大きく白い狼を見上げた。かそけき星の光すら反射し、純白の毛並みが輝いて、この狼だけ自ら光りを放っているようにさえ見えた。

 

 彼女が狼を召喚したのは、修行の一環だ。今は実家を離れている彼女だが、腕がなまらないように契約している狼をときどき召喚し、彼に神道魔術を見てもらっている。

 契約上、彼女と狼は使い魔とその主人ではあるが――一般に考えられている関係とは大幅に異なり、彼女に生殺与奪の権がない。

 どころか、狼の一存で契約を破棄されることすらありえる。

 

 狼は彼女――否、彼女の実家と代々契約を続けているのは、彼女の一族が長い歴史を持つ神社であり、土地を魔術的に守護する役割であったことが狼の目的とも合致していたからであり、利害の一致を見たからである。

 

『俺の代わりに――あらゆる魔性を食らい、殺し尽くせ』

 

 たとえその契約を持ちかけた主がいなくなっても、彼らはその約を護り続けてきた。

 時がたち、神秘が薄れ、時代は完全に物理法則のものとなり、彼らの多くが世界の裏側へと移っても、その約束を果たし続けるために山奥深くにて潜み続けていた。

 

 もう二千年近く前の話――彼女は何故、そこまでやるのかと不遜にも尋ねたことがある。狼にそう命じた神の剣も、そこまでは求めていなかったのではないかと。

 

 だが彼らの答えはあまりにも単純(シンプル)で、逆に彼女を驚かせた。

『約束は護るものだ』と。

 

 しかし、今日の狼の様子はどこか変わっている。いつもは泰然自若として落ち着いているのだが、今日は目線に落ち着きがない。何かを探しているようにも思える。

 

『――榊原の。何か、神の剣の気配を感じる――かつてと比べると、吹けば飛ぶほどに弱いが』

「神の剣……」

 

 真神が「神の剣」と呼ぶのはただ一人――もちろん、通常ならそれが今いるなど有り得ないというのだが、彼女には心当たりがあった。

 八か月前、この地で行われた聖杯戦争――それで召喚されたサーヴァントたちが、今もいる。

 彼女はそれに参加してない――その時には春日を離れていた為、どんなサーヴァントが召喚に応じたのは知らないのだが、神の剣は確実にいる。

 ……というより、昼間会った。そのことを伝えようとしたが、それよりも狼の言葉の方が早かった。

 

『……それから。私を呼ぶなとは言わないが、控えたほうがいいかもしれん』

「え、何故……」

 

 何か気分を害することでもしただろうかと彼女は不安になったが、どうも違うようだ。詳細を話さないのはよくあることで、今も狼は事情を伝える気はなさそうである。

 しかし狼は無駄なことは言わない。彼女は神妙に頷いて、春日の街を眺めていた。

 

 ――異変の原因を見つけるには、自分の手でやるしかないわね。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 街灯がぽつり、ぽつりと灯る寂しい路地にカスミハイツはある。昨日実質半休で出てきたことと、今日急な問い合わせがあったこともあり、残業になってしまった。時刻は午後十時を回っており、近くのコンビニで買った弁当を片手に、悟は家路についていた。

 

 帰り道では黒い猫ならぬ黒い犬に一回ならず二回も横切られ、不吉感もすさまじい。見慣れたカスミハイツは古びた姿で、夜だといっそう不気味に見える。

 

「……ハァ……疲れた。ただいま~」

 

 おかえり、の返事はない。ただ人の気配は濃密にあり、部屋の電気をつけると六畳間にはクーラーがかかっており、寝袋で眠りについているシグマと畳に直に転がっているアサシンがいる。噂に聞く下宿をする大学生というものはこういう感じなのだろうかと想像した。

 

 さて、これから遅い夕食に風呂だ。発泡酒の一本くらい残っていたはず、と冷蔵庫を開けると、中身が焼酎やビールでぎっしり詰まっていた。

 多分アサシンの仕業だ。家賃代だと思って有り難く受け取る。

 

 テレビをつけて適当に番組を変えたが、どうも気を引くものはやっていなかった。

 適当にニュースで止めて、遅い夕食をとることにした。今日のディナーはメンチカツ弁当だ。

 完全に押し切られる形で、昨日からシグマが住みついている。貞操の危機を感じていたが、打って変わって彼女は全くそんなそぶりもなく、昨日は酒を飲んで眠ってしまった。

 朝は悟が出勤するころにはまだ眠っていて、今日は一言も交わしていない。それはアサシンに対しても同じだが。

 悟が残業していなければ別かもしれないが、これはただ夜家にいるだけで喋ることもない謎の同居人である。

 

「……この人、いったい昼間は何をしてるんだろう」

 

 近くのコンビニは工場で作った弁当を置いているのではなく、おかずをコンビニ店内で作っているので、なんとなくメンチカツもおいしい気がする。

 

「普通の生活、一般人を謳歌する、みたいなことを言ってたっけか……?」

 

 一般人の暮らしをする、と言う言葉がどんな意味を持つのか悟にはわからない。一般人の暮らしなんて、ここにいなくてもいくらでもできると思う。

 

「ン~~あの子のことを今までの感性で理解しようとしない方がいいワヨ、貴方とは全く違う人種だし」

「そんな気はするんだよなあ……。でもならなんでここに転がり込んできたのかってのが気になって……」

「それは合縁奇縁ってヤツね。貴方が聖杯戦争に参加してしまったのが運のツキなの。ゴリゴリの魔術師だったシグマちゃんにとって、一般人が聖杯戦争にいるってことは興味深かったのヨ」

「はあ~~そんな理由……ってえっ!? 誰!?」

 

 あまりにもナチュラルに受け答えをされていたため、当然のように答えてしまっていたが、シグマもアサシンも爆睡中で受け答えするはずの人間はいない。悟は慌てて辺りを見渡すと、人影はない――が、奇妙な物体が空中に浮いていた。

 

 白銀に輝く刀身は、反りがなく真っ直ぐ。どのような材質から成っているのか、光を反射する不思議な白。柄頭が丸い、頭椎の太刀。武骨なほどに単純(シンプル)であるが、ゆえにごまかしようもなく研ぎ澄まされて美しい――が、その感嘆はあっという間に打ち砕かれた。

 

「ウフッ、あなたのフツヌシヨ!」

「……! ライダーの剣!」

「コラッ、誤解しないで! (わたし)は今こそ剣の形をとっているけど、本来はこれ以外の形を持って……って、何言わせるのよ恥ずかしいッ!!」

 

 悟は何故か刀身でばしんばしんと背中を叩かれる。剣が宙に浮いて喋るという不思議現象に対して動じなくなってしまったあたり、聖杯戦争で鍛えられた感はある。

 

「というか、どこから……戸締りはしているはず、」

「フフンッ、霊脈・因果線・因果律・並行世界への道も何でもブッた切る断絶剣フツヌシちゃんを舐めちゃメッ! 戸締り? 何それ? おいしいの?」

 

 それなりに魔術を心得ている者であれば、正真正銘の神霊がサーヴァントの宝具として神格をギリギリまで落として顕現しているという、とてつもなく希少な現象であると了解できるのだが、生憎悟は一般人である。彼には半分以上フツヌシが何を言っているのかわからないのだが、問うだけ無駄なことは了解していた。

 

 魔術師シグマに引き続き喋る剣までくるとは、カスミハイツはいつからトンデモ引き寄せアパートになったのか。正直、悟としてはシグマだけで手いっぱいなので帰ってほしい気持ちだった。

 

「あの~フツヌシさん、できれば早く帰ってくれませんか?」

「まぁっ!! シグマちゃんは家に置いてあげるのに剣はダメっていうの!? やっぱり肉体のある女が好きなの!? このエロガッパ!」

 

 悟は明日も会社に行く。早く寝ることが最善と、彼は勢いよく白飯をかきこんで、すっくと立ち上がった。宙に浮く剣という時点で意味が解らないし、それと話している時点で自分はかなりまずい。他人に見られたら精神科待ったなしだ。

 

「あの~これからお風呂に入るので、帰ってもらえませんか」

「キャッ! ……もうっ、私はタケミカちゃんやイワレヒコのを見慣れてるからアンタのハダカなんてどうも思わないわヨ! でも、剣は慎みある淑剣()だから今日は帰ってあげるワ! とりあえずシグマちゃんの確認もできたし。でもバカレヒコにはしばらく帰ってくるなって言われてるし……どうしよ~~」

 

 そしてフツヌシは、幻のようにその場から消失した。悟は大きなため息をついて、その場に坐った。

 結局あの剣は何をしに来たのか。

 

 

 そういえば、聖杯戦争が終わった後に碓氷明から何かを言われたような気がする。

 確か、貴方は魔術師じゃない一般人だから、もう魔術のことは忘れろとか。

 だが元気にサーヴァントたちが現界を続け、平和を謳歌している中で「忘れろ」は土台無理である。現に目の前にサーヴァントアサシンと、魔術師の女が転がっているのである。

 

「……なんで碓氷さん、あんなこといったんだろうな……? 忘れろも何も、もう日常の一部になってるのに」

 

 悟は首を傾げつつ、足を延ばしてテレビに眼をやった。

 殺人事件も外国でのテロもなく、放送することがないのか、ニュースは呑気に芸能人の不倫騒動を放送していた。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 日はとっぷりと暮れ切り、アルトリアが作り置きのカレーを食べていたところに、来客を知らせるベルが屋敷に鳴り響いた。

 ヤマトタケルはカフェでバイト、明は勿論まだ帰国していないためにアルトリアと真神三号の二人のみの屋敷であり、大抵新聞勧誘やセールスの類に違いないと思ったが、違った。

 アルトリアが玄関から顔を出すと、離れた門前から手を振っているのはランサーだった。彼女の見知った顔の訪問であった。

 

「よう、騎士王!」

 

 短く刈った髪ににこやかな笑みを浮かべる、三十代半ばとおぼしき益荒男。彼はボーダーのTシャツに半袖の薄いジャケット、Gパンにサンダルの恰好の上、右手には瓶の入ったビニール袋、左手にはネットに入ったスイカを手にしていた。アルトリアは玄関からサンダルを履いて、門まで小走りで向かった。

 

「ランサー、何か用でも?」

「祝いの品とでもいうのか? 差し入れを持ってきた。こっちは咲からでこっちはアサシンだ」

 

 曰く、「鬼ころし」の銘の一升瓶が咲からで、スイカ一玉がアサシンからとのこと。

 

「咲に『碓氷は明日帰ってくるから、一応挨拶がてら持って行って』と頼まれたからな」

 

 何故酒なのかというと、碓氷明もその父も成人しているはずで、それで祝いの品ならお酒でしょという咲の意見があったからだった。ランサーとしてはそこまで酒にこだわる必要もないとは思ったのだが、咲が両親の居ない間背伸びして考えた案であることもあり、言う通りに酒を買ったのである。

 

「で、途中にアサシンと行きあって、スイカを任された。『騎士王の姉ちゃんと碓氷の姉ちゃんによろしく』だと」

 

 門を開いてから、アルトリアはスイカと酒を受け取った。スイカは冷やして、明日美味しい食べ方を一成に聞こうと心に決めた。

 

「ほう……ありがとうございます。しかしアサシンは何故あなたに任せて帰ってしまったのでしょう。本当に渡すだけだからでしょうか」

「あ~~……気を悪くせんでほしいんだが、アサシンは王様が好きではないからな」

 

 アルトリアとアサシンの間に確執は何もない。だがそれ以前にアサシン――英霊・石川五右衛門の成り立ちゆえに彼の霊基がそういうふうに刻まれてしまっているのだ。「弱気を助け、強きを挫き、民衆の味方にして権力に対し抗う者」として座に刻まれてしまったアサシンは、人格以前に権力者の類に脊髄反射で反抗心を抱いてしまう。

 つまりどんな清廉な人物であっても、好感度マイナスのスタートになるのだ。

 これはアルトリアのみでなく、ヤマトタケル・アーチャー・ライダーにも当てはまる。

 

 アサシン自身が人格も嫌っているのはアーチャーくらいだろうが、彼は無暗にケンカを売るまいと積極的な接触を避けている節がある。特に一対一の二人になるパターンを。

 

「いえ、アサシンは気をつかってくれたのでしょう。感謝します」

「儂も明日の帰還祝いには行けないが、よろしく伝えてくれ。しかし騎士王、儂の勘違いならいいのだが……どうも、春日の気配が聖杯戦争の時のようになってきている気がする」

 

 ランサーの勘違いは、アルトリアにも無視できるものではなかった。いや、言うほどのことでもないとは思っていたことと、気のせいと片付けられても納得してしまうレベルの違和感ゆえに、彼女は違和感を放っていたのだ。

 聖杯戦争に参加するサーヴァントには、強制ではないものの戦闘衝動が付与される。つまり、敵サーヴァントを探し戦いたいという衝動だ。すでに聖杯戦争が終わった今その衝動はないはずだが、うっすらとある(・・)とアルトリアは感じている。

 

 アルトリアは既に王の選定のやり直しという望みを捨てた身ゆえ、たとえ聖杯が再び顕現しても争うつもりはないが――ランサーも同様の衝動を抱いているのであれば、それは異変ではないか?

 

「儂の気のせいかもしれんから、そう大げさにとるな。何、元々「戦い」を求めて現界した身だからな、こう平和な日々を過ごしていて体がムズムズしているのやもしれん」

 

 ランサーはからからと笑っていたが、アルトリアは明に相談しておくべきかと思っていた。

 彼女は休暇として帰ってくる予定なのだが、もしかしたら落ち着けない休暇になってしまうかもしれない。



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夜③ START:Imaginary Boundary

 ここは、どこだ。

 男が意識を覚醒させた時に、最初に思ったことはそれだった。部屋は暗く、日は疾うに暮れきった時間らしい。見知らぬ家屋の中、大体十五平方メートル程度であろうと思われる、広い板張りの部屋のベッドに横になっていた。

 ベッドは右側を壁に接しており、足の方にベランダが見える。中途半端に開かれたカーテンからは、白光が差し込んでいる。

 

 ―――蒸し暑い。

 

 日本の夏は湿潤で不快であるのは知っていた。十年以上振りの日本の夜は、今も変わらないようだ。夜でさえこうなのだから、昼は考えたくもない。

 そこでふと、男は違和感を抱いた。なんとなく、自分がこの日本にやってきたのは、フィンランドに比べれば笑止とはいえ、寒さが身に沁みる季節だったような気がしたのだ。

 

「何を勘違いしているのか、私は」

 

 今が冬のはずはない。それに季節など些事だ。

 彼はここ、春日で開催されると言う戦争に参加するために来た。

 

 聖杯戦争。聖杯に選ばれた七人の魔術師(マスター)と、召喚に応じた七騎のサーヴァントによって行われる血で血を洗う戦争。

 男は時計塔から「この聖杯戦争に勝つ(何事もなく終わらせ、できればその聖杯を持ち帰る)」という任務を与えられた。戦争の監督役である教会の神父とはすでに時計塔からして連絡済であり、触媒もそちらで用意してくれていると聞いていた。

 

 

「――私は、一体何を」

 

 記憶が定かではない。この春日に到着した時までのことは覚えているが、それ以降自分が何をしていたのか覚えていない。体は見たところ異状なく、痛みなどもない。

 ――丁度その時、階下から何者かが上がってくる足音を聞いた。その音を聞く限り、気配を消す気もなくまた武術を嗜んだものでもないことは明白だった。

 

 それでも彼は張りつめた空気を纏い、懐を確かめた。

 

「、マスター! 気が付いたんですね!」

 

 一かけらの警戒もなく扉を開いたのは、なんと女だった。背は百六十あるかないかで、二十歳に満たぬ、少女と女性の間をさまよう年ごろであった。

 美人というよりは愛嬌のある顔立ちをしており、かわいらしいという言葉が似合う。薄桃色の衣を纏い、白の裳(長いスカート)を身に着けて縞模様の帯を腰のあたりで縛っている。衣よりは濃い桃色の領巾を腕にかけていた。

 

 暗い部屋であったが、差し込む月光を受けて輝く黒髪は薄く緑色を帯びて見えた。

 

「貴方は誰ですか」

 

 幻想的なまでの女の姿であったが、男の体は油断するなと頻りに訴えていた。

 この女、明らかに人間ではなく――おそらくは、サーヴァント。

 しかし女は男の警戒を知ってか知らずか、呆れるほどに能天気に答えた。

 

「何言ってるんですか、貴方が召喚した愛しのサーヴァントですよ。覚えてないんですか?」

「……」

 

 理解しかねる形容が一か所あったが、彼はそれ以外について考える。確かに自分はサーヴァントを召喚するべき魔術師であり、目の前の女から敵意や殺意の類は全くうかがえない。

 

 英霊召喚は生まれて初めての試みの為、召喚後に疲労しそのまま眠ってしまったことはあり得る。

 彼が答えないことを「覚えていない」という返事と解した女は、肩を竦めながらも嫌がることなく説明をした。

 

「私を召喚した後、お疲れになって眠っちゃったんですよ。あとここはマスターが同盟? を結んでいる神父? からあてがわれた拠点だって、ご自分でおっしゃってたところです」

 

 自分の記憶は召喚の余波で記憶が混濁しているのか。女の言っていることは欠落していない記憶とは一致している。男はまじまじと女を見つめた。

 

「……? そんなじっと見ないでください、恥ずかしいです」

 

 頬を赤らめる女とは反対に、男は内心首を傾げていた。確かに目の前のサーヴァントは敵ではない。殺意があれば自分が呑気に眠っている間に殺してしまえばいい話で、そうしていないことからも明らかだ。

 

 だが、確か自分が召喚するはずだったサーヴァントは、このか弱い乙女ではなかったような気がする。

 

 戦国の世を風靡し、駆け抜けた無数の戦場に置いて傷一つ負うことなかった益荒男と共に戦うはずだった――

 

「……ッ」

 

 月光が眩しい。一度目が眩んだ。

 これはいったい、なんの夢か。

 

「!? マスター、まだ御具合が」

「……いえ、問題ありません。それよりどうやら、召喚の余波で多少記憶が混乱しているようです。状況整理を手伝ってください」

「はい、私にできることでしたら」

 

 男は顔を上げて、女を見た。まだ初見も同然だが、彼女からは邪悪なものを感じない。根が悪い者ではなく、全うで善良な英霊なのだろう。

 警戒はしていたが、悪感情はない。

 

「貴方は何のクラスのサーヴァントなのですか」

「フフフ、当ててみてください」

「言いなさい」

「当ててみてください」

 

 冗談が好きな質なのか、半笑いで素直に答えようとしない。内心面倒くさいと思いながらも、彼はそれに付き合うことにした。見た感じ武勇を誇る英霊とは思えず、そして意思疎通はできている。

 とすればキャスターかアサシンといったところか。

 

「キャスターですか」

「違いまーす」

「アサシンですか」

「違いまーす。もっと素敵でロマンチックでいい感じのクラスです!」

 

 サーヴァントのクラスとして、「素敵」で「いい感じ」とくれば、一つである。

 

「もしかしてセイバーですか」

「ブッブー! 違います!正解は、「LOVER(恋人)」のクラスです!」

 

 キャー言っちゃったー!とほざきながら顔を手で覆いその場でぴょんぴょん跳ねる女を見ながら、男は内心前言に追加した。この英霊、アホだ。

 というかこのように無駄な問答をしなくとも、マスターは自分のサーヴァントのステータスを見られたはずである。

 

「……何だ、キャスターじゃないですか」

「ぐはっ! 何故わかりましたし……くっ、ラバーラバーと呼ばせて刷り込んでいく策略が」

「何を刷り込むんですか、何も刷り込まれません」

 

 ちなみに英語のLOVERは単数形であれば女の恋人ではなく男の恋人を指すことが多いために使い方としては良くないのだが、純日本英霊である彼女はそこまで頓着していないらしい。

 キャスターがぎりぎり呻いているところに、男はさらに質問を重ねた。

 

「もう一つ聞きたいことがあります。召喚に応じたのだから、貴方にも何か願いがあるのでしょう。その願いは何ですか」

 

 かつて英雄となった者が、無償で魔術師の使い魔をやるはずはない。

 彼らは彼等の願いがあり、マスターなしではこの世への依代がなく現界を続けられず、かつ魔力が足りないから仕方なく魔術師と手を組むのだ。ゆえにマスターとのサーヴァントの願いが相反するものだった場合、協力関係に支障が出る。だからこそ、彼はキャスターに願いを問うたのだ。

 

 しかし、聖杯に掛ける願いを聞くことは、人の奥深くに踏み込む行為である。

 それでも問いを後伸ばしにして、決定的な破滅を迎えるよりは今から願いを把握して、相反した場合は打開策を講じるべきである。

 

「……願いですか? ふふふ、聞いて驚くなかれです……! 私は、あなたをお助けしたいのです!! つまり、あなたの願いこそ、私の願いなのです!! あ、ただし世界滅ぼすとかそういうのはナシで!」

「……」

 

 前方に左手と右足を突出し、自慢げな顔で宣言するキャスター。とりあえず混沌・悪属性のサーヴァントではないのだろうなと察する。

 

 しかし「マスターを助けることが願い」と来た。

 

「……それは、また、大層な願いですね」

「え、そうですか? てっきり笑われるかと」

「笑いやしませんよ。それなら精々、私の為に力を尽くしてください」

 

 彼にはキャスターが嘘をついている、という考えが脳裏をよぎったが、正直今は判断できない。

 只嘘をつくにしても、良い嘘ではないと思う。あまりに自らの欲がなさすぎる願いであり、逆に疑念を抱かれてしまうこともあるだろう――と、キャスターが自分の顔を覗き込んでいることに気づいた。

 

「私も聞いていいですか? マスターの願い」

 

 自分が相手に問うたのだから、聞き返されることももちろん想定内である。区分としては使い魔であるが、サーヴァントはマスターが百パーセントの生殺与奪の権利を持てる相手ではない。となれば、できる限りは友好的な関係を築くために、自分の目的も明かすべきであると男は思う。

 

「ああ……私の役目はこの戦争に勝ち、聖杯を手に入れることです。私はそれを目的として時計塔から派遣されてきたのです」

 

 何故か、キャスターからの返事がない。

 彼女は何とも言えない表情で男を見てから、ゆっくり口を開いた。

 

「……マスターは、その時計塔とかに命じられたからここにいるんですか? 聖杯なんて興味ないし戦いたいわけでもないけど、命じられたことだから聖杯が欲するんですか」

「それは違います。この戦争に派遣してくれと願ったのは私自身です。魔術師同士の戦いをしたくてここに来たのです。――願いは戦うこと、役目は聖杯を得ることと言えばいいですかね」

 

 抑々、時計塔にとってこの聖杯戦争は厄介事でしかない。

 春日聖杯は既に贋作であると認定されているが、神秘を漏らさぬ為、万一「渦」へ至ることができた場合の為人を派遣することが決定した。

 負けることは許されず、栄誉もない。だから厄介者が任命される役目だが、彼の家はれっきとした貴族であり時計塔でも無下に扱われる家柄ではない。

 むしろ一族は男の参加を引き留めたのだが、彼の強い意志で派遣が決まったのだ。

 

 彼は、自ら望んで戦いに身を投じようとしているのだ。

 ゆえに彼女の言葉は盛大に的を外している。しかし、キャスターは彼の言葉を聞いて安心したように胸を撫で下ろした。

 

「……そうですか! ならば問題なし――いや、私は戦いが得意ではありませんが……(かしこ)(かしこ)み申す。高天(たかま)祀り磐座(いわくら)祀り、八雲(やくも)祀りて幾星霜。(われ)は神の妻非時香実(ときじくのかぐのこのみ)の巫女、今一時貴方様のお力となりましょう」

 

 温い空気の中、キャスターの裳の裾がふわりと宙に浮く。月光を透かして、細い足が布越しに影として映る。

 

「マスター、お名前を教えてください!」

 

 ――ああ、そういえばまだ答えていなかった。彼は口を開いた。

 

 

「ハルカ。ハルカ・エーデルフェルト」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 月は中天にかかり、夜は深く。寝苦しい真夏の夜の夢――キャスターのサーヴァントとそのマスターは、小さな木製のテーブルを挟んで向かい合っていた。自己紹介をした彼だが、ハルカはいきなり夜の街に打って出るよりも状況を整理すべきとの判断である。

 なにしろ、己の記憶の一部が欠損しているようなのだ。

 

「えーっと、先ほども申しあげましたがハルカ様。あなたは私を教会で召喚したあと、倒れてしまいました。そのあと、私がここまで運んで今に至ります」

「ふむ……正直、そこまで細かな記憶は今の私にはありません。しかしおぼろげになる前の記憶と照らし合わせると、そこまで予想とかけ離れた状態にはなっていないようです」

 

 英霊召喚の副作用か、余波か。やはり記憶が欠けているのはどうしても気になってしまうが、しばらく時間をおいてみることとして、ハルカは目の前の女へと向き直った。

 

「ところで聖杯戦争を戦うにあたり、あなたの真名を確認したいのですが」

「えっ……私の、真名、ですか」

「ええ。マスターとして自分のサーヴァントの正体や戦闘力は把握しておかなければなりません」

 

 聖杯戦争において英霊が真名ではなくクラス名で呼ばれる理由。

 それは多くの英霊にとって真名が明らかになり正体を暴かれることは、弱点をもさらすことに等しいからである。ゆえに戦うマスターとサーヴァントは、できる限り真名を隠すものだが……しかし自分たちの力を把握するために、味方内では共有すべき事項である。

 にもかかわらず、キャスターは困った顔をして黙り込んでしまった。しばらく間をおいてから、やがて観念したらしく口を開いた。

 

「……あの、大変申し訳ないのですが……私、自分の真名がわからないんです」

「はい?」

「だから、自分の真名がわからないんです」

「何故ですか」

「……たぶん、召喚のせいだと……」

「……そんなにひどい召喚をしたのですか、私は」

「……ちょっと、筆舌に尽くしがたい……」

 

 恐縮しているキャスターを見て、ハルカは頭を抱えた。一切合財思い出せないが、これでも一流の魔術の家系の末席を汚す者、そんな情けない召喚をしたとは考えたくない。

 それはともかく、真名がわからないとは一大事である。つまりそれは切り札たる宝具も使えないと同義ではないのか。

 

「何か思い出せることはありませんか? どんな些細な事でも」

「あっ、巫女やってたことはきっと確かです! あのさっきの口上はスラスラ出てきましたし……あと人妻でした……きゃっ、ドキドキしません?」

「巫女……キャスターであれば妥当ですが、それだけでは……」

「こ、後半スルゥー!!」

 

 キャスターはその場に崩れ落ち、四つんばいになってよよと泣くふりをしていたが、彼は無視した。

 

「……仕方がありません。今日のところはお互いに休息をし、明日また記憶を確認しましょう。パラメータの高いセイバーであれば宝具がなくとも勝ち目があるかもしれませんが、キャスターでは……」

「ううっ……セイバーの適正は小指の爪垢ほどもなさそうです……」

「あなたが謝ることではありません。ええ、セイバーやランサーなど三騎士を召喚したかったのは本音ではあります。しかしキャスター? いいではないですか。この聖杯戦争たる儀式を生み出したのは魔術師ですよ。ならば真の支配者はキャスターのサーヴァントでしかるべき。私はハルカ・エーデルフェルト。地上で最も優美なハイエナたるエーデルフェルトの末席を汚す者。今こそ聖杯戦争におけるわれらの雪辱を果たすのです!」

 

 俄かに立ち上がり、こぶしを握り締めて熱く語るハルカ・エーデルフェルト。だが次の瞬間、彼は貧血で眩暈を起こしたように、その場でたたらを踏んで踏みとどまった。

 

「ハルカ様、おっしゃってることがわかるよーなわからないよーな感じなのですが、今日はお休みになった方がよいのではないでしょうか?」

 

 彼のやる気のほどはキャスターにもよく伝わってきた。とりあえずやる気は。しかしまだ休んで体を癒した方がいいことも伝わってきた。

 

「……確かに。記憶があやふやな状態で飛び出していくのはよくありません。今日は休むことにして、明日活動を始めましょう。記憶も回復するかもしれません」

「はい、マスター。お大事に」

 

 やはり疲労が回復し切っていないようで、おとなしく背後のベッドに入るハルカ・エーデルフェルト。それを見届けて、キャスターは深く息をついた。

 月光差し込む窓から、聖杯戦争の幕を開けた都市を眺めた。遠くに光る春日駅周辺の明かりは、まだその気配を知らない。

 

 彼女はハルカが眠りについたことを確認してから、まじまじと自分の身体を眺めた。顔を触り、首、胸、腹、腰、尻、脚、膝、ふくらはぎ、足首、足の甲と検査のように触って確かめる。

 異状なし、既に死んでいるのに表現としては変だが、実に健康体である。

 だが五体満足、何の異状もないことに違和感がある。

 

「……いや、元気でいいはずですね、うん」

 

 あるのは違和感だけ、違和感の原因に心当たりがない。

 彼女は一抹の不安を抱きながらも、元気ならばそれでいいと、無理やり自分を納得させた。




前作「fate/beyond」に当回のプロトタイプもあるので、見比べるのも一興です。


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2日目 管理者の帰還
昼① 管理者の帰還・前


「ファッ!?」

「なんじゃその声は」

 

 目の前にはつやつやした白米の盛られたお椀、わかめの味噌汁、焼き鮭、おしんこ、納豆という健康的な日本の朝食。当の本人はお椀を左手に、箸を右手に食事をしていたはずなのだが――「ああ、悪い、なんかボーっとしてた」

 

 食事を再開した一成の手元に、何故か納豆の器が増えている。隣には同じ食事をしているはずのキリエスフィールが、しれっとした顔で告げた。

 

「カズナリ、納豆が好きで好きでたまらないあなたの為に、私の納豆をあげるわ」

「嫌いなだけだろーが! 好き嫌いせずちゃんと食え!」

「こんなねばねばしてにちゃにちゃしてくさいもの、人間の食べ物じゃないわ!」

 

 練習の結果、ある程度箸を扱えるようになったキリエであるが、食の好みまではそうそう変わらない。陰陽師の血が入っているとはいえ、彼女は三十年以上ドイツの深い雪の城で過ごした女性である。納豆はつらい。

 一成は甘やかしていいものかと思いつつ、しぶしぶ納豆を受け取った。ハンバーグに練り込むなど工夫を凝らすか、もしくは最近品種改良でねばりの少ない納豆を勧める必要があるかもしれないと思った。

 また、目の前のアーチャーは昨日と同じくアイロンのびしっとかかったワイシャツとズボンに身を包み、新聞を読みながら同じ食事をとっている。

 ビジネスマン姿、板につきすぎである。

 

「食事をしながら眠るとは器用な男であるな」

「うっせ高校生は忙しいんだよ。日頃の疲れってやつだ」

「そなた今からそのようなことを言っておっては、私と同年齢になるころには死んでおるぞ」

 

 昨日はホテル内のバイキングで食事をとった一成だが、今日はアーチャー・キリエとともに和食の朝ごはんだ。ランクの高い部屋に宿泊する黄金律Bのアーチャーである。

 朝食をルームサービスで和食にしたいなら、電話一本でスタッフが飛んできてくれる。

 

 ……そういえば、サーヴァントはマスターさえいれば食事も睡眠も不要の存在であり、ぶっちゃけた話戦争のない今は暇人のはずだ。少し前まで図書館に入り浸っていたアーチャーだが、最近はますます現代人風の振る舞いをしている。

 

「そういやお前、昼は何やってんだ?」

「うむ。金など寝転がっても入ってくるのだが、暇は暇なのじゃ。現代文学を楽しむのもよいが、そればかりではメリハリがない。ゆえに●●して、現代の戸籍を手に入れ投資や起業に手を出してみようと思うておる」

「……って何だよ!?」

「いつの時代でも金を積めば色々としてくれる人間がおるでな?」

 

 なー、と何故か示し合わせたかのようにキリエと視線を合わせるブルジョア平安貴族。ブラックかグレーなことをお構いなしにするあたり、本当に権力者である。まあ、一成よりもはるかに勝手はわかっていそうであり、あまり口出しできないが現代の法に触れることは控えてほしい。

 

「黙っても金あるのに金稼ぐとか、お前そんなに金が好きなのか?」

「私は金が好きなのではなく、権力を好むゆえに金を稼いでいるのじゃ。マネーイズパワー、これは平安も現代も変わらぬ。……ただこの行為が、私が「王朝政治の最高到達点としての貴族」として呼ばれているがゆえの業だと言われると反論もできぬが」

 

 人が集団で生活する以上、不可避に発生する権力。アーチャーが「権力」を愛するのは、人の営みを愛することと同義であり、権力が目に見えるカタチをとったものが金と言う形態との解釈である。

 要するにこの男、必要に迫られてではなく「趣味で」金稼ぎをしているのだ。全く最高権力者はわからん、と一成は味噌汁をすすった。

 

 おいしい遅めの朝食を終えると、一成はホテルのパジャマから学校の制服に着替えた。学校に行くのではなく、制服しかなかったのである。

 今日は昨日喫茶店でヤマトタケルと軽く確認した通り、碓氷明の帰国祝いをする。午前中から碓氷邸に出向き、家の掃除や料理の準備をするのだ。手早く準備を済ませた一成を追いかけて、キリエの声が響いた。

 

「カズナリ、お帰り会は何時からだったかしら」

「あー……たぶん五時とか六時とかだな」

「わかったわ。それまでには碓氷邸につくようにするから」

 

 軽く頷くと、一成は最後にアーチャーに声をかけた。

 

「アーチャー、お前は来ないのか?」

「遠慮する。そなたたちで楽しんでくるがよい。碓氷の姫にはよろしく伝えてほしい」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ホテルは春日駅徒歩一分の立地であり、春日駅から碓氷邸までは歩いて三十分かかる。現在時刻は十時半過ぎ、容赦ない太陽が照りつけている。一日で最高気温になる時間は十四時だというから、今から真昼間が思いやられる。

 蒸し暑い空気を吸いながらも、一成は碓氷邸の門まで辿り着いた。

 

 主が留守にしている庭は、それなりに刈られて整えられてはいた。ただ手入れの方法がヤマトタケルによる宝具「全て翻し焔の剣(くさなぎのつるぎ)」による草焼きのせいでやや雑で、燃やしてはいけないところまで燃やしていたり、チリチリになっていたりしていた。

 ちなみに「我が身を焼く焔などなし――全て翻し焔の剣(くさなぎのつるぎ)!!」と絶叫しながら焼いているせいで、ご近所さんからは「碓氷さんちの新しい使用人さん、変な人」とちょっと遠巻きにされているが、本人は気づいていない。

 

 しかし今、碓氷邸の庭は荒れ果てた箇所は微塵もなく木々や芝生も刈りこまれて整っている。宝具による焼き草ではなく、人の手で整理された庭――プロが行ったわけではないが――それでも往時の碓氷邸に近づいていた。

 一成はその庭に感心しながら、インターホンを押そうとしたが、それよりも早く門の内側から声がかけられた。

 

「カズナリではありませんか。早いですね」

 

 麦わら帽子に軍手、「あんたが騎士王」と毛筆調にかかれた白いTシャツ、三本ラインの入った長ジャージ。手にはチリトリと外用の箒。輝く金髪に碧眼、髪の毛はまとめて帽子の中に入れているのか、ショートに見える――珍しい姿のセイバーことアルトリア・ペンドラゴンだった。

 

「あ、アルトリアさん! お、おはようございます!」

「おはようございます。もう門は空いているので入れますよ……それに私に敬語はいりません」

 

 てっきりセイバー(ヤマトタケル)が作業しているのかと思っていた一成は、思わず上ずった声を出した。「セイバーだとヤマトタケルと紛らわしいので、アルトリアで構いません」と言われているのだがどうにも慣れない。

 見た目は年下の美少女だが、中身は三十歳超えのお姉さん、その上アーサー王ですと言われたらなおさらである。もう何度も敬語はいらないといわれているのに、ふとしたときに敬語になってしまう。

 

 と、その時、アルトリアの足もとに駆け寄ってきた白い物体が目に入った。白くてもふもふした、柴犬くらいの大きさの犬。

 

「……? 野良……じゃないよな?」

「はい。碓氷邸の前に捨てられていたのを拾ったのです。名前はマカミ三号」

「へえ~」

 

 犬は大昔にさかのぼれば夜行性だったようだが、家畜化されるにあたり人間に合わせて昼行性になったとか。犬はアルトリアの足もとをくるくる回っていて、彼女はかなり懐かれているらしい。

 

「野良でこんな真っ白なのも珍しいな……というか、飼うのか?」

「私たちはそのつもりですが、アキラの許可はまだです。世話も私たちがしますし、彼女ならいいと言ってくれると思うのですが……何故かヤマトタケルはアキラが拒否すると思っているみたいです」

「碓氷、動物嫌いだっけか?」

「いや、特に聞いたことは」

 

 明に言えば犬の一匹くらいは赦してくれると思う。ただ、一匹ならいいがこれからもほいほい拾ってこられたら困るだろうが。

 

「そういえばセイバー、あ、いや日本武尊の方は?」

「ヤマトタケルなら朝から室内の掃除と洗濯をしていますよ」

「ふーん」

 

 丁度庭の掃除が終わったところなのか、アルトリアは玄関近くに溜めていたゴミ袋を回収し、掃除道具を片付けてから一成とともに屋敷へと戻った。流石はサーヴァント、この暑い中そこそこの時間庭を掃除していたと思われるのに、汗はあまりみられない。

 

(……なんで俺、日本武尊の方をセイバーなんて言おうとしたんだ?)

 

 約八か月前にここ春日で開催された聖杯戦争において、管理者の碓氷明はサーヴァントとして日本武尊とさらにアーサー王を召喚し、二人のセイバーを使役してこの聖杯戦争に勝利を収めた。

 途中から明と共同戦線を張った一成だが、ただ「セイバー」と呼んではどちらかわからないため、敵と対峙している時以外の時は真名で呼んでいたはずなのだ。

 

「カズナリ、どうしました?」

「あ、いや何でもない。ちょっとボーッとしてた」

「土御門か、早いな」

 

 玄関から入ってすぐのホールで、かごいっぱいに洗濯物を入れた噂のセイバー・ヤマトタケルが二人を発見した。こちらは黒地に白字で背中に「史上最強」と書かれたTシャツに、アルトリアと同じく三本ラインのジャージを身に着けていた。

 

「……? ヤマトタケル、先ほどからずっと洗濯をしているようですが、この家にそんなに多くの洗濯物はありましたか? 私とあなた、それにキリエだけのはずですが」

「……俺たちの分だけでなく、明の服も洗濯していて量が増えた……」

「?」

 

 何か言いよどんだ様子のヤマトタケルは、何か別のことが気になっている様子だった。彼は言うべきか言わないべきか迷っていたが、やっと口を開いた。

 

 

「明の部屋で、明を見かけたような気がした」

「は?」

 

 彼曰く、ずっと箪笥にしまわれたままの明の服を洗濯しようと彼女の部屋に入り服を回収して出て行こうとした時、明の姿を見たという。ヤマトタケルもまさかと思ったが、次の瞬間に彼女の姿は煙のように消えていたという。

 

「……一応家の中を捜してみたが、結局見つからなかった……俺の気のせいだと思うが」

「変な話ですね。あなたがそう勘違いするとは思えないのですが」

「とにかく、変に明を捜していたこともあって洗濯が終わっていない」

 

 二人は業務的に会話をしているが、なにとはなく話を聞いていた一成はヤマトタケルの抱える衣服の山に視線を釘づけにしてしまった。あれは……薄桃色にフリルのついた下半身用の下着と、碓氷明のふくよかな胸部を包んでいるであろう下着である。

 

 ……わかんないけど……でかくね?

 

「カズナリ、どうしました?」

「い、いやなんでもない!! そうだアルトリアさん、買い出しまだだよな!? 行こうか!?」

「? はい、カズナリがいると心強いです」

 

 彼女も彼女で人生を男として生きてきた経歴のために、細かい機微には疎いところがある。アルトリアにきょとんとした顔で見られてしまったが、詳しく説明するのはただの墓穴と一成は少々強引に、思春期の動揺を悟られまいと当初の予定その一である買い出しに、アルトリアとともに出かけることにした。

 

 

 

 

 

「メニューはもう決めているのですか?」

「あー……碓氷は日本久々だし日本食で魚がいいかなって。……魚ならアジとかアユ、高級なとこならシタビラメかな」

 

 暑さは増す一方のである日本の夏。一成は碓氷邸にあったエコバッグを片手に、アルトリアは麦わら帽子だけそのままに、服は黒いリボンのついた白いワンピースに、歩きやすいサンダルに着替えていた。

 明が中学生の時のおさがりらしいが、彼女自体の洋服が育ちのいいお嬢様風であるために、アルトリアにも良く似合っている。

 

 現在、あの碓氷邸はヤマトタケルとアルトリアの二人暮らしだ(キリエはアーチャーのホテルにいることの方が多い)。

 美人のマスターに美少女の仲間ってアイツマジ何?リア充は爆発しろと一成は思っているが、ヤマトタケルとアルトリアの関係はキャッキャウフフムーチョムーチョには程遠い。

 聖杯戦争中、一時は仲間割れで春日が吹っ飛ぶかと思っていたが、よく二人で同居生活ができるまでになったというべきか。

 ショッピングモールへ向かって歩きながら、アルトリアは嬉しげに話した。

 

「カズナリも和食が得意のようですし、私も期待しています」

「も? ヤマタケも和食が得意なのか?」

 

 今の碓氷邸にて料理はほとんどヤマトタケルがしているとは聞いている。案外彼自身が料理に吝かではないことと、またアルトリアの料理は「なんか雑」ゆえにそうなったらしい。

 

「ヤマトタケルですか? いや、彼の料理は最優、とは言えますが……何が得意というのはないと思います……?」

 

「最優の味」流石セイバー。何を作ってもそれなりにおいしいものができるのか。

 しかしアルトリアは一体「誰と比較して」和食が得意と発言したのか、自分でもよくわからないようで首を傾げていた。

 まあ、こんなに暑ければ勘違いもするだろう。

 

 

 

 

 道すがら話していた結果、ショッピングモールに到着する頃には大体メニューが決定した。アジの南蛮漬け、筑前煮、海藻ときゅうりの酢の物、大根の味噌汁……それに何かいいものがあればデザートをつけようということになった。

 現在の碓氷邸冷蔵庫には、ニンジンとピーマンが少々、きな粉と大したものは残っていなかった。逆に自由に作れていい。

 

 一階のスーパーは午前中にもかかわらず、妙に人が多かった。親子の姿が目につくのはやはり夏休みだからだろうか。一成が必要な材料を集め、その間にアルトリアがいいデザートを捜す運びになった。

 

 今日御帰り会のメンバーは自分、ヤマトタケル、アルトリア、明、明の父、キリエ。六人分とは作り甲斐があるが、大人数を作るのは久々だから勘が鈍ってないといいが。アジ、鶏肉、ちくわ、わかめ、などをかごに放り込んでいく。

 と、その時、一成は何か気配を感じて振り返った。

 

「……?」

「カズナリ」

「ふぁい!?」

「デザートはこちらをお願いしたいです」

 

 どことなくわくわくした瞳とともに見せられたものは、チラシ――否、無料で配布しているレシピだった。そこに載っていたものは透明な信玄餅――水信玄餅だった。

 透明なボールにきな粉と黒蜜をかけて食べる、実に夏らしいスイーツである。碓氷邸には型を取る用の器がないが、こんなレシピを置いているくらいだ、このスーパーで一緒に売っていることだろう。それに水信玄餅は作るのも難しくないため、一成は二つ返事でアルトリアの案を採用した。

 

 

 ついでに昼ごはん用に併設されているパン屋に寄っていくことにした。忘れずにヤマトタケルの分も買っていく。育ちざかりの高校生と健啖家のセイバーズの食事だ、明太子フランスパン、パニーニ、サンドイッチにカレーパン、おやつにあんぱんやクイニーアマンまで買い込んだ。

 買ったものはアルトリアと手分けして持ち、ナマモノがあるために真っ直ぐ碓氷邸に戻る。じわじわと聞こえる蝉の音、吹き出す汗に、屋敷に戻ったら着替えたい欲がすでにある。

 

 暑い暑いと言いながら碓氷邸に戻ったあと、二人は手早く食材を冷蔵庫にしまった。昼ごはん用のパンだけ食卓に置いておき、屋敷の掃除に取り掛かろうとする。

 大掃除とまでは本格的に行わないが、何分広い屋敷である。三人くらいいたほうが捗るだろう。

 一成とアルトリアが食堂にて一息ついていた時、洗濯物を干し終えてからのかごを持って、玄関からヤマトタケルが戻ってきた。

 彼はいつも無愛想ではあるが、輪をかけて愛想がない顔をしていた。

 

「ご苦労だった。……おいアルトリア」

「わかっています。……カズナリ、ショッピングモール買い物をしている間、そして碓氷邸に戻るまで、私たちは何者かにつけられていました」

「は?」

 

 一成は全く覚えがなかったがゆえに変な声を出してしまった。とても平和な買い物だったと思うのだが。

 

「ただ害意は全く感じられなかったのでそのままにしておきましたが……。この気配、昨日はありませんでした」

 

 碓氷はこの土地の管理者という立場上、魔術師として土地の霊脈の力を利用できるなど様々なアドバンテージを持つ。それを奪おうと、外様の魔術師が襲撃を仕掛けてくることはままあるのだ。

 それに何より、現在管理者本人が不在であり、かつ八か月前の聖杯戦争でライダーの断絶剣(フツノミタマ)により碓氷の結界本体――碓氷邸の結界は一度引きちぎられている。

 碓氷明曰く八割方修復は終わっているそうだが、そこを突こうとする輩はいる。

 

 ただ管理者の不在はむしろ襲撃者の不幸と言えなくもない――留守を預かるのはマスターより「碓氷の地を荒らす者は抹殺すべし」との命を受けたセイバー・日本武尊なのだから。

 

 ヤマトタケルはふむ、と頷く。

 

「幸いにして今日明が帰ってくる。害意がないなら、マスターに相談してからでいいだろう。……あまり殺すと怒られるしな……」

 

 ……もうマスターに忠実と言うより単に尻に敷かれているのでは……。とにかく、ここにいない明の方針は一成と一致していると思う。やはり神の剣、放っておくととかく殺しがちになる――今はいざとなればアルトリアが止めてくれるが。

 

「じゃ、碓氷に相談するってことで……とりあえず掃除をするか」

 

 二人とも頷いて、今日のお帰り会に備えて家の清掃を始めることとなった。

 




最優の味……何をつくってもそこそこのものができる。


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昼② 巫女先輩による恋愛相談

 太陽は昇り、今日も晴れ晴れと春日を照らしていた。既に気温は上がり始めているため、室内はクーラーをかけていた。ただ、年単位で使用されていなかったため、最初は埃が吐き出されてたまらなかった。今は苦労してフィルター掃除をして、人にも耐えられるレベルになっている。

 草がボウボウに生えた西洋屋敷の二階。傍らに眠り続ける金髪の優男を尻目に、女は顔を伏せ、己が主の持ち物であるトランクに手を這わせた。

 

「申し訳ありません、ハルカ様……!」

 

 その手は金具を探り、ぱちんと外す。持ち主手製の魔術錠がかかっているのだが、彼女は何事もなかったようにトランクを開いた。そして着替えや書物を放り投げると、丸い金属の質感と紙の束が入った封筒を探り当ててわしづかみにした。

 

「現金、ちょうだいたすのです!!」

 

 

 

 *

 

 

 

 

 およそ人一人が立つのが精々の小部屋は、一方をカーテン、のこる三方を壁に囲まれている。カーテンに対する壁には、姿見が張り付けられている。その箱の外からかけられた女性の声にこたえ、部屋の中に立つ女はやや上ずった声でよい、と答えた。

 そして、シャッ、とカーテンが開かれた。

 

「良くお似合いですよお客様。……あ、リボンが」

「す、すみません!」

「いえいえ、結ばせていただきますね。苦しかったらおっしゃってください」

 

 ショッピングセンター「ウェルフェア」は、再開発中の春日駅から少々離れた位置にある。だがスーパーやカジュアルファッション、ファミリー向けレストランが一同に揃うこの二階建てのショッピングセンターは、今も春日住民には根強い支持を得ている。

 そのウェルフェアの二階、女性向けファッションエリアにて試着をしていたのは、他でもないキャスターだった。

 

 今の彼女は昨夜の桃色を基調とした着物ではなく、薄めのネイビーデニム生地のノースリーブワンピースだ。スカートのすそ部分はレース状になっていて女の子らしさがあり、また胸元はレースアップで白いリボンが結わえつけられている。

 ノースリーブのため、彼女はこのワンピースの下に淡い桃色の半袖ブラウスを着用している。また足元は三つ折りの白ソックスに茶色のリボンがついたパンプスだ。

 全体的にかわいらしい――ガーリィにまとめられたコーディネートといえよう。

 

「に、似合います? 変じゃありません? 危険人物に見えません??」

「とてもかわいらしいですよ! でももう少し大人っぽい雰囲気の方がお好みでしたら……」

「ど、どんなのですか!」

 

 時刻は午前十時を回ったばかりで、このショッピングセンターも開店したてだ。店員も忙しくないためか、あれやこれやと世話を焼いている――いや、今ファッションショー状態にあるキャスターが「金ならあるので素敵な服を!! いや、常人に見える服を!」と、封筒に札束を握りしめてきた上客だからかもしれない。

 

「この服を着ていきます! 試着したのも買います!」

「ありがとうございます~!」

 

 キャスターは結局最初に試着をした薄桃色のブラウスとデニム生地のワンピースを纏い、他の服も手提げに詰めてもらって洋服屋を後にした。何を隠そう、ショッピングセンターに辿り着くまで現代からすれば時代錯誤で暑苦しいな着物と羽織で歩き回っていたのだ。

 

 霊体化すればいいのではと気づいたものの、その時には既にここに辿り着いていた塩梅である。

 

「よし、これで一般人として振舞えますね!」

 

 ショッピングセンターの往来で腰に手を当てふんすと意気込むキャスター。他の客も十代半ば、高校生くらいの歳の少女の大荷物に少々面喰う。

 彼女が何故ショッピングセンターにやってきたかといえば、現代衣装を欲したのもひとつだがそれは要ではない。昨夜顔を合わせてから眠り続けているマスター・ハルカのための食糧調達である。

 拠点の屋敷は本当にやっと人が住めるように整えたという様子で、食料が全くなかったのだ。おそらく目を覚ましたハルカは腹を減らしていることになるだろうし、また腹が減っては戦はできぬ。

 

 明け方、ハルカよりも早く目覚めたキャスターは彼の胃袋を満たすべく、食べ物屋を捜していたのだが――春日市についてとんと知らない彼女は、道行く人に食べ物を売っている場所を聞いて「スーパーならウェルフェアかな」との助言をもらい、ここに至っている。

 一応聖杯戦争の意識を持つ彼女は、自分の魔力を周囲の空気に溶かし込みつつサーヴァントとしての気配を薄めている。合気に近い方法だが、魔術回路や呪文も使わず魔術を発動させる高速祝詞の応用である。

 流石に気配遮断には及ばぬものの、並みのサーヴァントなら今の彼女をサーヴァントとは思うまい。

 

「さて、スーパーとやらは一階にあるみたいですね。行きますか!」

 

 

 

 *

 

 

 

 リュックサックの中には財布、スマホ、カメラ、タオル、塩飴、日傘、救急セット。水分と食料はこれから買うことを考えれば、用意は万全だろう。

 榊原理子は一人暮らしのマンション、十階建ての五〇五号室から飛び出した。

 

 向かうは碓氷邸――それまでに物を調達するなら、通り道でもあるウェルフェアだ。買うのは昼ごはん(とお菓子)と水分だが、コンビニで買うよりも安い上に種類もある。友達から一人暮らしとかお金持ちと揶揄されるが、無駄遣いはできない生活費であり、日用品にはスーパーを愛用している。

 

 午後十時半、まだ一階のスーパーが混雑する時間ではない。そもそも、午前中からがんばる必要なんてあったかとも思ってしまうものの、じっとしているのも性に合わず出てきてしまった。

 式神を飛ばし自分は後から悠々と行く――普通の監視であればそれでよかろうが、碓氷邸は結界に守られた土地であり式神の視界では覗けない上、無理に突入しようとすればこちらがばれる。

 やはり、自分で出向きある程度距離を取って監視するしかない。

 

 自炊のための食糧調達で慣れたスーパーである。おにぎりとスポーツドリンク、数個のお菓子を選んで早く行こう――とした理子の眼は、つい奇妙な人物を捉えてしまった。

 歳は理子と同じくらいで、背中の中ごろまである長い髪の毛。デニム地のふわっとしたワンピースを見に纏った女性。それだけなら普通だが、両腕に服屋のロゴの入った大きな紙袋抱えた上、両腕にスーパーの籠を持っていることが奇異だった。普通ならショッピングカートを使えばいいのだが、何のポリシーかそうしていない。

 

 それですいすい買い物をしているならいいのだが、どう見てもここのスーパーに不慣れ……そもそもスーパーに不慣れも何もあるのか謎だが、動きがおかしい。一人で「おいしそ~~」「醤油……って何……」「まよねぇず……とは……」と呟きながら、フラフラと歩いている。

 

「あのー、大丈夫ですか?」

「はい?」

 

 ――元来、困っている人を見過ごせないタチの理子である。気付いた時には、少々不審者染みた少女に声をかけていた。

 

 

 

 

 

「いや~~助かりました! 私、かれーらいす、作れそうな気がしてきました!」

 

 洋服屋の大荷物に加え、カレーライスの材料や米でさらに目も当てられない大荷物になりながらも、少女はキャラメルフラペチーノをおいしそうに啜っていた。

 

「ど、どういたしまして」

 

 理子は少々どもりながら、ほうじ茶ラテを飲んでいた。人のいい彼女は大荷物の同い年近くと見える少女に声をかけ、あれよあれよとカレーライスの材料をそろえ、作り方をルーの裏側を見つつ指南し、さらに家に鍋や包丁もないらしいと聞き、料理道具と皿、スプーン、マグカップまで買い物に付き合った。

 恐ろしい大荷物になり、流石に持ちづらそうにしていたもののやたらと筋力がある彼女は、大して苦しそうな顔を見せなかった。また何故か現金(キャッシュ)で大金を持っており危なっかしい事この上ない。

 

 それらの買い物を終えて理子は去ろうとしたのだが、その不審な少女は付き合わせたことに礼を言うだけでは飽きたらず、せめてごちそうさせてくれと申し出てきた。理子も一応用事がある身であり丁重に断ろうとも思ったのだが強く頼まれたことと、これからしばらく暑い中待ち続けることにもなることを思い、今は涼んでいこうと思い直した。

 

 ショッピングモールの一階、外に面して駐車場や客を一望できるガラス壁をもつチェーンのコーヒーショップ。季節ごとに新発売される甘いフラペチーノにはファンも多く、特に女性陣にはダイエットの大敵とされている。理子は少量なら甘いものも好きだが、カップ一杯の生クリームとチョコレートは多すぎる。

 

 店の奥まった位置にあるソファの二人席を取り、向かい合って方やほうじ茶ラテ、方やフラペチーノを堪能して寛いでいる。理子は目の前の少女に押し切られて寛ぐ形で、もっぱら少女が春日や理子について質問をしていた。

 

 春日駅はどっちだとか、公園はあるのかとか、または理子は普段何をしているのかなど話はあちらこちらに飛んでいく。学校の話、だれそれがどんな問題を起こしたとか、今文化祭の準備で忙しいとか、受験も迫っているとか、クラスで誰が付き合っているとか。

 同じ学校にいないと面白くないだろうウチワネタも、彼女はとても楽しそうに聞いていた。

 話している理子の方が嬉しく、また同時に同級生ではないという気楽さからついつい口が軽くなった。歳が近そうなこともあり、理子はいつの間にかタメ口で話していた。

 

「あははは、その土御門って人、面白い人ですね!」

「……面白いのは認めるけど、目が離せないの! まったくあなたは他人事だから呑気に……あ」

「? どうしました?」

「……そういえば聞き忘れてたけど、名前。なんて呼べばいい?」

「え」

 

 何故か彼女は、全く意図していなかった質問を受けたように一瞬固まった。だがすぐに直前の笑顔に戻った。

 

「た、橘とこよです。とこよ」

「ふうん……とこよ、って呼んでもいい?私のことも、理子でいいよ」

「わかりました! 榊原……いや、理子さん!」

「さんをつけなくてもいいんだけど……まあいっか」

「で、で、話を戻しますけど、……理子さん、その土御門くんって人、気になってますね?」

「……ッ!?」

 

 がたん、と椅子が大きくずれて理子はその場に尻もちをつきそうになった。確かに学校の話を多くしており、自然と土御門一成に触れることも多かったが、そんなことを言われるほど語っていたことはない。断じてない。

 

「人生の先輩とすいーつ恋愛脳を舐めないでください。あと私、人のコイバナ、大好きです」

「す、すいーつ恋愛脳はどうなの!? っていうか、先輩って……とこよ、何歳!?」

「え? えっとひーふーみ……二十八? 二十九?」

「に、二十九!?」

 

 理子はこんどこそ腰を抜かすかと思った。どう見ても同年代としか思えない相手が、十も年上だったのだから。しかし何度見ても、やはり同い年くらいに見える。精々、大学生レベルだ。

 しかし童顔の大人などいくらでもいる上、テレビなどでも美魔女といって四十大五十代ももっと若く見える時代だ。見た目の年齢はあまりあてにならないのかもしれない。

 

「す、すみません、年上とは気づかずタメ口で」

「いや、気にしないでください。私は逆にタメ口?だとなんか違和感あるので、このままですが理子さんはどうぞタメ口?で」

「は、はあ……」

「で、話を戻しますけど。理子さん、その土御門くんのこと、気になってますね? そして気になっていると同時に、何でしょうね、引け目というか、気にしない方がいいって思っているっていうか」

 

 自分で「恋愛スイーツ脳」と言うが、その洞察は恐ろしく的を射ていた。理子が土御門一成を気にしているかどうかはともかく、これまでの高校二年半で彼女が恋の一つや二つをしてこなかったのには、理由がある。

 幸い、相手は学校の同級生ではない――色々知られても、困ることがない。その気楽さから理子は学友に話したことのないことを、初対面の女に漏らした。

 

「……私、婚約者がいるんです」

「へ~」

「お、驚かないのね」

 

 地元では、理子に婚約者がいることは周知の事実であり最初から「隠す」という選択肢自体がなかった。だが地元から離れた春日においては違う。

 彼女は学友たちにこのことを隠していた。婚約者がいるなんて人間は少数派だと知っている――高校の友達に言えば驚かれるに違いない。だが、目の前の橘とこよはあたりまえの顔をしていた。

 

「……はは~~ん。土御門君が気になるけど、付き合えても婚約者がいるし、そして理子さんは婚約者を押しのけてでも土御門君とよろしく続けるほどの気合があるかも微妙と。大体婚約者は御家の都合で決められますもんね、きっと理子さんはお家のことも大事に思っているんでしょう。神社の跡継ぎって言ってましたもんね」

「べ、別に私は、土御門と付き合いたいとか思ってない」

 

 理子は表向きには大学で神道を先行し公的な神職の資格を取得した後、地元に戻り神社を継ぐ。裏向きには、家の魔道を継ぐ。

 自由に学生として遊べるのは高校で終わり――ゆえに彼女は地元を離れた場所で高校生活を送ることを選んだ。だが地元を離れ、婚約者の存在を隠しても、それは彼女の心からは消えない。

 誰を好きになっても最後には――今だけ楽しむという刹那的な発想ができなかった彼女は、結局高校生活を浮いた話なしで過ごしてしまった。告白されるイベントが、なかったわけではないのだが。

 

 その婚約者が嫌いなのでもなく、一度もあったことがないわけでもない。ただ幼馴染のような存在ではなく、家の行事で一年に二回会う間柄である。それに今時連絡手段は文通と言うアナログさだ(おそらく互いの親類が内容を確認するためだと理子は思っている)。

 嫌いな相手ではないが、恋のトキメキと呼ばれるものは、多分ないと思う。

 

 ゆえに理子は、土御門一成のことはさておき、橘とこよの言うことが的外れだと一笑に付すことはできなかった。今日初めて出会い、三十分超話をしていただけなのに恐ろしいほど思いを見透かしている。

 まるで自分も、そうであったかのように。

 

「とこよ、あなた……も、もしかして婚約者が」

「婚約者はいませんでしたけど、周囲の勧めで好きではない人と結婚したことは確かです。ううん、私としては好きな人と結婚するっていうこと自体があまりなじまないというか……結婚って好きだからするものじゃなくて、した方が都合いいからすると言うか……そう、恋愛と結婚は別! ってやつです!」

 

 いきなり同い年(に見える)外見からは想像できないほど現実主義な言葉が出てきて、理子は面食らった。やはりアラサーという言葉は本当なのだろうか。

 

「いやでも、僭越ながら理子さんにアドバイスさせてもらうとしたら……あっ、もしかしてこれ求められてません? 老害って感じのことしてます? バ、BBAムーヴってやつです!?」

「い、いやそんなことないけど。むしろちょっと聞きたいけど」

 

 それでは、ととこよはフラペチーノを啜ってから顔を上げた。その黒い瞳は澄んでいて、本来の彼女……愉快ながらも真面目な一面が顔を覗かせていた。

 

「もし、どうせ別れなきゃいけないからやめようと思うなら、それこそやめたほうがいいです。結婚相手でも友達でも親でも、絶対に別れる時がくるのですから。別れるのがいやだからやめようは、どうせ死ぬからなにもしなくていいと同じです」

「……」

「あ……でも別れる前提での付き合いをよしとする男からはそこはかとないクソオーラを感じるというか、都合のいい女だと思われかねないような気も……いやこっちから期間限定を切りだしてるとすると……」

 

 前半、真面目に聞き入ってしまった理子だが後半の、どこか恨み節的なものを感じさせるとこよの黒い思念に少々引いていた。しかしとこよは理子の微妙な顔つきにすぐ気付き、はっと笑顔に戻り手を振った。

 

「い、いやともかく、もし理子さんに今好きな方がいるなら、その気持ちを押し潰したままにしてしまうのはとてもつまらないというか、もったいないとは思うですよ、はい」

「……はい」

 

 結局、とこよが言いたかったのは最後の部分なのだろう。自分の心を押し潰してしまうの辛く、また自分にとってもきっと負担になりあとから祟る。今のうちに気持ちを整理し、悔いがないように過ごせと言う事だろう――理子はそう受け取った。

 

「ありがとう、ございます」

「はい! あと、楽しくて私も思った以上に引き留めてしまったんですが、時間は大丈夫ですか?」

 

 最初から絶対死守の時間があったわけでもない。理子は大分前から時間のことを気にしてはいなかったが、そろそろ十一時半近くになる。いい加減碓氷邸周辺に向かうべきだろう。

 二人で飲み終わったカップを返却台に片付けると、ここに来た時より大分気温の上がった昼の春日へと足を踏み出した。

 

 理子はここからすぐ、南の碓氷邸へ。とこよは少々散歩してから家へと戻るそうだ。洋服と食料の大荷物が全く苦になっていないのは本当に不思議である。一応、理子は「ナマモノがあるから早めに帰って冷蔵庫に入れた方がいい」とは伝えた。

 

 別れた後、理子が何気なくショッピングモールの出口へ振り返ると、とこよがまだ手を振っていた。

 

「命短しー! 恋せよ乙女ェー!」

 

 結構な大声で、他の客もちらちらと彼女を振り返っている。年上なのか、それとも年下なのか同い年なのか、結局よくわからない人だなと思いつつ理子はまた手を振りかえした。

 

 

 ――さて、これからはそれなりに真面目な案件である。と、碓氷邸に向かおうとした時、彼女はまさに目的とする人物を発見した。

 自分が向かおうとする方向――正面の横断歩道で信号待ちをしている男子高校生の姿を見つけてしまったのだ。

 彼は仲良く並んだ金髪碧眼の外国人美少女と楽しげに話していて理子には気づいていないが、このまま横断歩道を渡られたらすぐに見つかってしまう。理子はあわててショッピングモールに引きかえした。

 




オエビっぽい絵にハマっているので橘とこよ
(死亡時)中身アラサーですが見た目は高校生くらい

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昼③ 管理者の帰還・後

 アルトリアは一階の掃除機掛け・雑巾がけ、ヤマトタケルは二階の掃除、一成は台所回りの清掃の割り振りとなった。地下室もあるが、そこは魔術礼装などがたくさん積まれている工房であるため、放置しておいてほしいと明に言われているらしい。

 途中、買ってきたパンを三人で食べる休憩をはさんで、再開。

 

 一成はシンクの水垢やコンロの焦げとりまで実施して一息ついた。台所の角の窓を開くと、むわっとした熱気が一気に雪崩れ込んできた。確か碓氷明がイギリスへ旅立ったのは、今年のまだ寒い二月頃だったから、半年ぶりの帰国となるのか。

 

 よくもまあ、あのセイバーズでこの春日が平穏無事だったものである。ヤマトタケルのストッパーとしてアルトリアがいるものの、彼女も結構前のめりなところがあるため、不安要素がないとはいいきれないと思っていたのだ。

 

 一成が台所の清掃を完了したころ――屈んで足元の保存蔵まで清掃し終わった頃――、突然にヤマトタケルが顔を出した。

 

「土御門、料理はお前に一任する。腕によりをかけろ」

「は? お前も別に料理下手じゃねえだろ、ちょっとは手伝え」

 

 ぶっちゃけた話、そんな複雑な料理を作るわけでもないので一成一人で全く問題はないのだがつい勢いで言い返してしまった。それから一成は顔を上げると硬直してから、首を傾げた。

 

「……お前、その恰好何?」

「どうだ。現代の常識的に変なところはないか」

「……」

 

 繰り返しになるが、二千年近く前の日本を生きた人間が何故身長百八十センチを超えるのか問い質したい。どうなってんだ古代日本の栄養状態。

 最強Tシャツジャージ姿はどこへやら、今のヤマトタケルは上下とも黒のスーツに白のワイシャツ、赤のネクタイが決まった精悍な青年だった。柔和な微笑が似合うハンサムというより視線の鋭い男前である。

 最近やっと身長が百七十台に乗った一成としてはうらやましい事この上ない。

 

「変じゃねーよ。むしろ似合いすぎて変だよ。というか、何お前その恰好」

「? マスターの父君にお会いするのに変な格好で出られるわけがないだろう」

「お前碓氷の何!? 結婚を申し込む彼氏か!!」

「阿呆なことを言うな、俺は明のサーヴァントに決まっている……というわけでコレを着てしまった以上、料理はできない。後は任せた。俺は予行練習をしてくる」

「何の予行!?」

 

 ツッコミを待たずに敏捷Aで去ってしまったヤマトタケルを見送って、一成はこれからどうすべきか思案した。もうヤマトタケルに手伝わせる考えはない。

 少々早いが、夕食の支度をしておくことにした。冷めても温め直せばいいことだし、水信玄餅は固める時間が必要だから丁度いいかもしれない。

 

 

「よし」

 

 一成はテーブルの脇の棚の中にある黒いエプロンを引き出して手早く身に着けると、台所に踏み入った。自分で掃除したのだが、ピカピカのシンクを今から使うのかと思うと微妙が気分になる。

 

 メニューは昼にアルトリアと決めた通り、一汁三菜でアジの南蛮漬け、筑前煮、大根の味噌汁、わかめメインの海藻サラダに加えてデザートに水信玄餅・スイカ。

 スイカは買い物の後にアルトリアが思い出してあると言われたので、バケツに水を張ってつけておく。本当は川の流水や井戸水が最高で、一成は実家ではそうしていたのだが碓氷邸には望めまい。また冷やし過ぎると甘味が半減するので、冷蔵庫に入れるのは食べる一二時間前の予定だ。

 

「スイカはこれでよし。つかスイカあるなら水信玄餅は要らなかったんじゃ……まあいいか」

 

 スイカの入ったバケツを台所の隅においやり、一成は水信玄餅にとりかかることにした。

 台所を見渡し、頭上の棚を開けて、買い出しで購入したシリコン製の丸い製氷機とアガーを取り出す。アガーとは海藻やマメ科の種子の抽出物からできたゲル化剤のことで、ゼラチンや寒天の親戚だと思えばよい。

 まずアガーを少量の水でふやかし、同時に鍋でお湯を沸かす。沸いたところでふやかしたアガーを投入し、二分ほどそのままにしてから火を止めて水を張ったボウルに鍋を沈め、二三分粗熱を取りながらダマにならないようにかき混ぜる。

 そのあとシリコン製の製氷機に入れ、冷蔵庫で冷やすだけだ。黒蜜ときな粉を掛けて食べるのが今から楽しみである。

 

 それから下処理としてアジは一枚三等分のそぎ切りにし、付け合せや筑前煮や味噌汁のために鶏肉や、野菜を手際よく処理していく。あと海藻サラダ用の海藻を水で戻すことも忘れずに。筑前煮の野菜を煮はじめたころ、同時にフライパンに油をたっぷりと注いで中温(百七十~百八十度)になるまで待つ。また、南蛮酢のためにしょうゆやお酢、砂糖などを書きまぜて合わせておく。

 

 手を動かしながら、一成は改めてキッチンを見回した。明がイギリスに旅立ったとき、キリエもついていったために碓氷邸はアルトリアとヤマトタケルのみになった。キリエは飽きたのかそれとも何か事情があったのか、二か月ほどで春日に帰ってきて、それからは碓氷邸・アーチャーのホテル・大西山の屋敷と気分で宿を変えている。

 

「よし、これは後煮るだけだな」

 

 筑前煮のアクを取り鍋に蓋をし、アジに片栗粉をつけてフライパンの油へ投入。適度にひっくり返しながら二分ほど揚げてからキッチンペーパーで軽く油を取り、先ほど合わせた南蛮酢に細切りにしたにんじんときゅうりと共に揚げたアジを投入し、あとは野菜がしんなりするまで十五分ほどつける。

 酸っぱい匂いが食欲をそそり、早くも腹が減ってきた。あとは味噌汁を作りたいのだが――。

 

「……にぼしとかこんぶのこと、完全に忘れてたな」

 

 仕方がない、手抜きだがだしはほんだしでとらせてもらおう。だしを投入して鍋に細切りにした大根と角切りの豆腐を入れる。煮立ったことを確認し、元々冷蔵庫にあった合わせみそを溶けば出来上がりだ。

 

 最期に水で戻した海藻に加え、かにかまぼこを裂いた。サラダは大ボウルに入れて分けて食べようと考えているので、クルトンは最後に乗せよう。

 

 ワンルームの一口コンロかつ対象が自分だけではやりがいも強制力もなく、日がなカップラーメンを貪ってしまう一成だが、やはり広いキッチンだと話は違う。

 

 そういえばご飯を炊くのを忘れていた。時間には余裕があるし、今から炊けば……と思ったところ、食堂――食堂と台所は扉一枚で繋がっている――からちらちらと金髪のあほ毛がこちらを窺っていた。

 

「……アルトリアさん?」

「ハッ……! いえ、よい匂いがしてきたのでつい……。一階の掃除は終わりました」

 

 つい、というか物欲しそうな顔である。ヤマトタケルもなかなかの胃袋と食欲を持つが、アルトリアはその上をいっている気もする。

 少々煮込み不足ではあるが、筑前煮は食べられる。

 

「実はまだ米を炊いてないんだけど、アルトリアさん頼まれてくれるか? あと、筑前煮煮てるんだけど適当に味見して硬さを確かめてくれ」

「わ、私はそこまでお腹が減っているわけでは! ……しかし、味見は任されましょう」

 

 ふんす、と胸を張って請け負うアルトリア。生前は一国を統べた王様だとしても、今は日常を楽しむ少女である。一成は味見だけではなく米炊きもだと念を押して、休憩をしようとリビングへと向かった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 長い夏の昼も終焉を迎える十七時半。アルトリア、ヤマトタケル、一成の三人は緑茶を飲みながらくつろいでいた――その時、家の呼び鈴が鳴った。

 時間的に間違いなく明とその父の帰宅だ――三人は一斉に立ち上がると、急いで玄関から飛び出した。

 

 そして目に飛び込んできたものは――夕方の橙をバックに、青い大きなスーツケースと、同サイズの黒いスーツケースを引きずった女性の姿。英国へ旅立った半年前と比べてみたが、髪の毛が伸びて背中までの長さになっていた。洋服は季節柄半袖のブラウスにスカーフ、ワインレッドのスカートに黒のストッキングだった。

 

 彼女に加え、途中で行きあったのか、傍らには小さな淑女――白いワンピースを纏う冬の令嬢、キリエスフィール・フォン・アインツベルン。こちらも夏ならではのリボン付の白いつば広帽を身に着けていた。

 二人は玄関から飛び出してきた三人を見つけると、綻ぶように笑った。

 

「ただいま」

「ただいま到着したわ!」

「……碓氷、待ってたぞ!」

 

 スーツケースを引きずる明に駆け寄り、一成とヤマトタケルはそれぞれ荷物を受け持った。一成の足もとにはキリエもまとわりつき、にぎやかさは二倍にも三倍にもなった。

 

「アキラ、おかえりなさい。イギリスはどうでしたか?」

「あ、アルトリア。え~っと、イギリス自体はよかったよ。日本ほど蒸し暑くないし……それに料理についてはすごいビビッてたけど、食べられはしたかな」

「……! なんと……我が故国の地にも食の変化が……!?」

 

 衝撃を受けるアルトリアと、明を挟んで反対側に並んだのはヤマトタケルだった。勿論、あのばっちり決めたスーツで。

 

「明!」

「あ、うん……で、でかい……」

「でかい?」

 

 何故か驚いた様子の明に首を傾げるヤマトタケル。明ははっと首を振ってから話題を変えた。

 

「というか、何その恰好? 要人警護のSP?」

「何とは何だ。お前の父君にお会いするからには下手な格好ができないだろう」

「何? セイバーは碓氷タケルにでもなるの?」

「む。ヤマトは名字ではない。今も皇族には名字はないはずだろう?」

 

 一成はそこかよと突っ込みなおしたい衝動に駆られながらも、面倒だったので黙っていた。しかしもう一人いるはずの人物の不在については突っ込んだ。

 

「碓氷、その親父さんは?」

「あー……一緒に来るはずだったけど、ちょっと調べものするって言ってたから今日帰ってこないかも」

 

 春日の現管理者は明ではなく父たる影景である。ただ明の父は一年のほとんどを留守にするため、実質明が管理者の仕事をしているが、自分自身が春日にいる時はそれなりに管理者をしている様子だ。

 というわけで、ヤマトタケルのスーツは無事空振りに終わったわけだ。

 

「じゃあまだ暑いし、早く中に――って、あれは何?」

 

 そう、目ざとい――目ざとくなくても気づくが――庭の一角に鎮座する、蒼い屋根の小さな小屋。前方に出入りができる丸い穴があいて、そこから首をだしてお座り状態で眠っている真神三号の姿。

 そう、アルトリアDIY(平日大工)の結果の犬小屋である。

 

「……」

 

 明は沈黙したまま、じっと犬小屋と犬を見つめていた。彼女は、アルトリアとヤマトタケルがどうしたのか何となく察した。

 だがそれよりも、驚愕に眼を見開いていた。

 

「……えだまめ……?」

「「えだまめ?」」

 

 明は吸い寄せられるようにふらふらと、次には小走りで真神三号の小屋へと向かった。真神三号は眠っているので、彼女は起こさないように優しい手つきで頭を撫でていた。

 

「え~……うそ、えだまめ……」

「お~い碓氷、えだまめって……何だ?」

 

 明の後を追いかけた一成とセイバーズは、座り込んだ明の背後からそろそろと声をかけた。彼等から見ても明は真神三号に釘づけであり、おそらくえだまめとは三号のことだとわかりながらも謎はある。

 明ははっと我に返ったように振り返った。

 

「あっ……いや、うん、なんでもない。この犬については後で聞くよ。暑いし、早く中に入ろう」

 

 

 

 

 

 屋敷には、既に夕食の匂いが満ちていた。早速食事にするべく、一成たちは荷物の片づけを後にして食堂のテーブルに着席した。

 一成とヤマトタケル、アルトリアは手分けして、炊いた白米をよそい主菜や味噌汁を盛り付けて用意し、歓迎される側の明は黙って座って待つスタイルだ(何故かキリエも歓迎される側カウントである)。

 

 それぞれの目の前にアジの南蛮漬け、筑前煮、大根の味噌汁、海藻サラダのボウルが置かれている。キリエは箸づかいをもっと鍛えたいようで、スプーンとフォークを渡そうとした一成はにべもなく断られていた。

 明、ヤマトタケル、一成、キリエ、アルトリアの五人で着席。行儀正しくいただきますの挨拶のあと、夕食は始まった。

 

「ああ~~日本食って感じの日本食だ! 嬉しい……」

 

 明は半ば泣き出しそうな勢いで端を握り、白米をかみしめている。先程アルトリアに「食べられはしたかな」と言っていたくせに……いや、食べられはした? それは……要するに。

 

「……お前、英国のメシ、不味くないって」

「食べられはするかな」

 

 碓氷明は笑顔だった。すごい笑顔だった。これは思った以上に闇が深そうだと察した一成は、この話をやめた。多少強引だが、話を変えることにした。

 

「そういやなんでキリエと一緒なんだ?」

「アキラとはたまたま行きあっただけよ。タクシーでも使えばよかったのに、アキラったらわざわざ駅から歩いてきたそうよ」

「……ほいほいタクシーに乗って贅沢に慣れたくないからね」

 

 ここが生粋のお嬢様セレブリティたるキリエと明の差である。一般からみれば明も十分お嬢様の部類だが、流石に城を持つ家は格が違う。

 その時、話の区切りを読んだわけではないだろうが、ダブルセイバーズは一成に空になった茶碗と御椀を両手で出した。御飯と味噌汁のお代わりの要求である。

 もういちいち文句を言うのも億劫な一成は、それを受け取るとキッチンに戻りよそった。地味に多く作りすぎたので、お代わりは寧ろありがたい。明父の分はラップにかけて冷蔵庫にとってある。

 食堂では明とヤマトタケル、アルトリアが話を続けている。

 

「春日に変なところはない?」

「……今日買い出しに出た時に、何者かにつけられていました」

「外に誰かがいるような状態は今も続いている。害そうという意思を感じないから放っているが」

「……一瞬アルトリアのストーカーかと思っちゃったけど」

「ストーカー……TVで見たことはありますが、ないでしょう」

 

 アルトリアにストーカーするなど命知らずもいいところだが、彼女の場合はストーカーを懲らしめる時にも手心を加えてくれるであろう安心感はある。

 

「いやストーカーは冗談だけど……それは気にしなくて大丈夫だよ。平気平気。一応、知ってる相手ではあるし」

 

 明は能天気に片手を振って、一気に味噌汁を飲み干した。セイバーズは顔を見合わせたが、マスターがそういうのならばと引き下がった。知り合いならば素直に訪ねてくればいいのではないかと、アルトリアは思った。

 ヤマトタケル、一成も釈然としないために怪訝な顔をしていたが、明はもう素知らぬ顔だ。

 

「そんなに気にしなくても平気だよ。で、それより、私はあの犬が気になるんだけど」

 

 犬の話になったとたん、妙に畏まったヤマトタケルが早口で言った。「あ、あれか。この屋敷の前に捨てられていたから拾った。飼ってもいいか」

「いいかっていうか既に飼う気満々じゃん。あれ一匹ならいいけど、これ以上拾ってこないでよね」

 

 明はやれやれと溜息をついてから味噌汁をすすり、筑前煮のごぼうをかみしめていた。

 

「……つまり、それは飼ってもいいと……」

「いいよ。だけど変に繁殖されても困るし、一回病院連れてって病気とか調べて去勢も……「よかった……」

 

 アルトリアは「ほら、そんな心配する必要なかったでしょう」と横目でヤマトタケルをみていたが、彼は一仕事終えた後のように大きく息を吐きだした。

 

「え? 何? 飼っちゃダメって言いそうだと思ったの?」

「いや……前にお前が他の人間に飼われている犬を見たときに「前犬うちにいたけど、魔術に使っちゃった」と……」

 

 一成は白米をよそいつつああ、と何とも言えない顔をした。

 魔術によっては動物を生贄にするものなど掃いて捨てるほどある。陰陽道にも壺に毒を持つ虫を大量に放り込み共食いをさせ、最後に生き残った虫を使用する蠱毒と呼ばれる、限りなく呪術に近い魔術がある。犬を魔術に使われてはたまらないと思い、ヤマトタケルは気にしていたのだろう。

 

「ああ、それ……。私、犬だけじゃなくて熱帯魚とかハムスターとか、小学校くらいの時に飼ってたけど、その時黒魔術に嵌ってたお父様に全部生贄にされたからねえ……骨も残さず本当にエコに使い切ったからお墓すらないよ」

「? ウスイの家系は黒魔術(ウィッチクラフト)もするものだったかしら?」

「いや違うよ。でもお父様は研究の肥やしになりそうだと思ったら、他流の魔術でも首を突っ込んでいくから……そのときは黒魔術にハマってた」

「ほらよお代わり」

 

 一成からのお代わりを受け取りつつ、ヤマトタケルは声を出した。「と、とにかく飼っていいんだな。世話は俺とアルトリアでやるから、お前は気にしなくていい」

「……いや、面倒は私も見るよ。生贄事件があってから飼っていないけど、犬は嫌いじゃない。それにあの子、えだまめに似てて懐かしくて」

 

 先程、真神三号を優しげに撫でていた明。進んで動物を飼う気はないようだが、本来動物好きなのだろう。

 

「えだまめに似てる犬ってどんな犬だよ」

「食べる枝豆じゃなくて、生贄事件前に買ってた犬の名前がえだまめ。あの犬すごい似てるからさっき見たときびっくりした。色といい、大きさといい、目つきといい……」

 

 明は懐かしそうに目を細めていた。女の子が犬が戯れている姿、とても絵になる。アルトリアさんが世話してるのもかわいいと、一成は自由な妄想を広げていた。

 

「えだまめ、じゃないあの子の名前は?」

「真神三号」

「真神……大口真神ね。そのネーミングはヤマトタケルだね?」

「ええ……色々ありまして」

 

 穏やかに食事を楽しんでいたアルトリアが若干剣呑な雰囲気を発したが、触れてもいいことはなさそうだと察し、明はスルーした。

 

「俺が生前助けられた狼の名だ。そのうち人語もしゃべり存在だけで魔術を壊すようになる」

 

 自慢げなヤマトタケルにそれはない、と明が突っ込んだ。現代と神代に片足突っ込んだ時期を一緒にしないでほしい。とにかくセイバーズの中で最大の懸念案件だった犬の件が片付き、まったり食事が再開されたのだが、まだヤマトタケルには気になることがあった。

 

 

「ところで明、……お前の父君はどういう人物だ?」

 筑前煮の汁を白飯にかけつつ、明は訝しげな声を出した。「は?」

「いや、一応知っておきたいと言うか……どんな方なのか」

 

 一成も、実はそれに興味がある。ただ、聖杯戦争中の碓氷明の有様を見て、なおかつそれを放置し続けていた魔術師の父であり――正直、あまりいいイメージを持っていない。それに今の「娘のペットを勝手に魔術に使って殺した」という新情報で、魔術師としてはともかく人間としてのイメージは悪化している。

 

「う~ん……。魔術師としては凄いけど、人としてはダメだと思う」

「……」

 

 キリエと明以外の全員が思わず箸を止めた。魔術師然とした祖父をもつ一成にはなんとなくわからないでもなかったが、ヤマトタケルは渋い顔をした。

 

「あまり父をけなすというのは……」

「でもそうとしか言いようがなくて……。えっと、だからそんなおろしたてのスーツ着るとか、気合いれなくてもいいよ。むしろあとで「なんで俺はあんなのに気を使おうと思ったんだ!」って思うよ」

 

 ヤマトタケルはまだ憮然とした顔つきで味噌汁を啜っていた。彼は彼で生前は実の父に「死んでしまえばいい」と思われ故郷を追われたくせに恨み言のひとつもないのだから、極端な方ではある。

 

「俺が威儀を正すのは、こちらの誠意を示すためだ。だから俺はきちんとした格好でお前の父に会うぞ」

「……まあ、いいけど」

 

 明は困惑していたが、かといって無理強いはできないと諦めているようだった。一成は、明がセイバーズを父に合わせたくないと思っているのかと感じた。なんとなく予想以上にややこしいことになりそうな気配を感じて、喋る代わりにアジ一切れを丸ごと食べた。

 

 明の父については雲行きが怪しかったものの、帰国を祝うささやかな食事会は恙なく終了した。

 デザートのスイカ・水信玄餅も大好評で、一成は食後に明とアルトリアを交えて水信玄餅の作り方を教えることまでしてしまった。キリエは自分で作る事には興味がないらしく手持無沙汰にしていたが。

 洗い物はアルトリアが引き受けてくれたので、一成はキリエと共に碓氷邸を後にすることにした。一成としては自分のアパートに帰ろうと思ったのだが、自分の家には粗末なサブふとんしかない。流石にキリエと一緒にシングルの折りたたみベッドはよろしくないと思う。

 とすれば、行き先は一つだ。

 

 

「……アーチャーんとこに行くかー」

「夜は危ないわ、紳士なエスコートをお願いするわカズナリ」

「夜が危ないってどの口が言ってんだよ……」

「暑い季節には変質者とか変質者とか変質者が湧いて出ると聞いたもの。危ないわ」

 

 もう慣れた仕草で、一成は差し出された手を握り返す。玄関から出て空を見上げると、とっぷりと日は暮れて空には星が瞬いていた。夜陰となっても空気が湿気を孕み蒸して不快であることは変わらない。

 

 歩けば駅まで三十分、私鉄を使えば五分もない……キリエには申し訳ないが、こちらは一円を惜しむ貧乏学生である。貧乏人は時間を金に換えるのだ。

 

「よし、腹ごなしに歩くぞキリ「待ちなさい土御門!!」

 

 一成たちの背後から飛んだ声――その鋭さに、一成は思わずキリエから手を放し、振り返って彼女を護るように何者かの前に立ちはだかった。

 

 

「!? ……変質者かっ!?」

「誰が変質者よっ!!」

「はっ?」

 

 聞き覚えのある声。

 しかし、何故ここに――観念して正面を見据えた一成の眼に飛び込んできたのは、クラスメイトかつ元生徒会長の榊原理子だった。

 




サブタイ「碓氷さん家の今日のごはん」


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夜① 聖杯戦争、再開

 白いキャミソールに青いパーカーを着て、茶色のキュロットにサンダルという夏のいでたちのクラスメイトの姿がそこにあった。仁王立ちでしっかと一成とキリエを眺める姿は、さながら探偵モノの刑事のようでもある。

 

「あんたが「わかった、じゃあ碓氷邸に行くのはやめる」なんて言う殊勝な人間なわけないものね。悪いけど今日一日つけさせてもらったわ」

 

 彼女もまた、一成と同様クレバーに成長していたと言うわけだ。とすれば、彼女は一成が午前中に碓氷邸に来た時からつけていたことになり、おそらくヤマトタケルやアルトリアが言っていた「何者か」は彼女のことであろう。そう結論づけた一成は、心の片隅にあった不穏が払しょくされた心持で、なかばどうでもよさそうに言った。

 

「……お前案外ヒマなのか?」

「ひっ……ヒマなわけないでしょ! あんたが碓氷なんかに近付こうとするから!」

「? 碓氷は良い奴だぞ?」

「ああもう話が進まない! やっぱり持って回るのはダメね、……土御門、あなた、もしかして魔術師?」

 

 ……一成は頭が痛くなってきた。自分が他の魔術師としての気配を感じられないのはともかく、昨日の彼女の発言とこの状態からして感付くべきではあったのかもしれない。

 即ち榊原理子は魔術師、もしくはそれに近しい何かであると。

 

「……まさかお前、魔術師?」

 

 その瞬間、理子は大きなため息をついた。

 

「その反応……はぁ、まさかとは思っていたけど本当にそうなんて」

 

 顔を覆い、落ち込んでいる理子。がっくりしているのは自分が原因なのだろうかと一成は思うが、それ以上にもう帰っていいかなと考えていた。だがどう考えてもただで返してくれそうな気はしない。

 とすれば、いっそ納得のいくまで話す方が早いだろう。

 

「榊原、よくわかんねえけど俺に用があるんだろ。時間はあるか」

「勿論よ」

「よし、じゃあホテル行こうぜ」

 

 一成的には「夜に立ち話も危ないし、アーチャーが宿泊している豪勢なホテルがあるから、自分とキリエと一緒にその部屋で話をしないか」というごくごく当たり前の、むしろ親切心からの発言であった。

 決して頭にラブがつくホテルに行こうとか大人の階段をエスカレーターにしようぜとか、全く考えてはいなかったのだ。

 しかし気付いた時には遅かった。紅いやら白いやらの顔をした同級生は、怒鳴りながら拳を繰り出してきたのだ。

 

「……高校生の分際でなぁにを言うかァーーー!!」

 

 すごいぞ元生徒会長。右ストレートが見えなかったぞ。

 

 

 

 

 一成・キリエ・理子の三人組は碓氷駅最寄りの私鉄に乗り、すぐに春日駅に到着した。

 高級ホテルに分類されるホテル春日イノセントは駅の目の前で、迷うことはない。すでに顔パスでホテルマンに挨拶をされる一成とキリエの後ろにつづきながら、理子は狐につままれたような顔をしていた。

 普通ホテルは予定の人数以上が宿泊することは断られるが、金に物を言わせているのかアーチャーの部屋については、一成やキリエが急に宿泊しようと何も言われたことがない。

 レストランにもドレスコードは設定されていないが、元がハイクラスなホテルのため、学生服の一成は常に浮いている。

 

 一階のエントランスから二十四時間糊のきいた制服を身に着けるホテルマンが対応し、三階のロビーに入った途端にシャンデリアに、庭園を見渡しながら腰かけられるソファ、目を楽しませる生け花と非日常である。予想しなかったホテルの高級さに戸惑う理子をひきつれ、一成たちは十四階のアンバサダースイートに到着した。

 

「あんた、いったいどんな手を使ってこんないいところに泊まってるのよ」

「俺がどうにかしてるんじゃなくて俺のサーヴァントのせいだ」

「サーヴァントってまさかあんたも「おーいアーチャー、邪魔するぞ」

 

 一面のガラス張りを通して目の前に広がる、春日市の夜景。一人かけのソファに座り、優雅にコーヒーを嗜むワイシャツ姿の男性が一人。

 

「おや、そこな女子は?」

「クラスメイトの榊原。長話になりそうだったから連れてきた」

「判然とせぬ理由じゃのう。しかし聖杯戦争が再開されたこのタイミングとは、厄ダネの匂いがするの」

「!? ……せ、聖杯戦争の再開!? 何だそれ!?」

「カズナリ、話が進まないわ。まずは皆席について、自己紹介からでしょう?」

 

 夜の顔をしたキリエは、あくまで冷静に一成を促した。この場ではキリエの発言の方が正しいため、一成は一度口をつぐんだ。

 朝にはアーチャーたちが食事をとった四人掛けのテーブルに着席し、そして一成が人数分の紅茶を入れて、軽く自己紹介をしてから話は始まった。

 

「……っていうかお前、俺が魔術師だって知らなかったのか? 二年前だろ、知り合ったの。いや俺もお前が魔術師ってわかんなかったけど」

 

 理子は眉間に指を当てて、頭痛を堪えるように唸った。「……最初は魔術師かも?って疑ったわよ。名字もそうだけど、出身は北陸、それに友達にも陰陽師の家系って平然と言ってたし。あんたの一人暮らしの家までつけたこともあるし……」

 

 マジか。全く気付かなかった一成も一成であるが、それは少々怖い。

 発言の迂闊さに気づいた理子は、慌てて否定をした。

 

「ちょっ、変な意味じゃない! 魔術師としての痕跡を掴もうとしただけ! けどどーも……」

「リコ・サカキバラの言うことはわかるわ。私ももしカズナリがサーヴァントと契約していない状態だったら、魔術師だとわからなかったかもしれないもの。それだけカズナリが魔術師としてはへっぽこということね」

 

 一成は既に慣れかけてしまっているのだが、何回もへっぽこへっぽこ言われると悲しくなる。それが純然たる事実であるからなおのこと。

 今は使えないもののこの『眼』という奥の手があるのだが、あまりにもリスクが高すぎてキリエと明からやめておけと言われているため、ノーカウントだ。少々落ち込む一成に構わず、理子は話を続けた。

 

「で、ここ最近春日の様子が変だなと思っていたところに、あんたがあの……絶対ただの人間じゃないカフェの店員さんと関わって、それに碓氷の家に行くなんて言うじゃない。この土地出身でもないあんたが、一般人として碓氷に関わることなんてなにもない。というか、次期碓氷の当主なんて札付き……折り紙つきの魔術師よ、近づくべきじゃない」

「けど碓氷もセイバーたちも良い奴……いや片方のセイバーは……悪い奴じゃないぞ」

「悪いとかいいとかそういう次元じゃないの。力は力を呼び、魔は魔を呼ぶの。それに巻き込まれかねないから行くなって言ったの」

 

 魔は魔を呼び込む。喩えるなら優れた魔道の素質を持つ者は強力な磁石のようなもので、己の意図するしないにかかわらず魔、災難を引き寄せる。

 知っている。自分よりも碓氷明とヤマトタケルこそ、身に染みてそれを知っている。ゆえに彼らはあれほどまでに己を疎み嫌い、未来を諦めていたのだから。

 勿論、彼らは無理に傍にいられることを望まない。しかし一成は自分を護る事にはそれなりに長けているつもりだ――ゆえに、理子の心遣いに感謝をするが、彼女の助言を受けることはない。

 

「お前のいう事は解ったけど「だけど思ったよりあんた、魔術の世界に触れているみたいだし。今更やめろっていうのも不毛だし」

 

 とんだ骨折り損だ、と大きく溜息をつく榊原理子。もっと口やかましく言われると予想した一成としては拍子抜けだ。このクラスメイト、こうと決めると引き下がらないのである。

 妙にあっさり引き下がられたことが逆に不気味であるが、深くつっこんで口うるさくなられても厄介である。一成もそれ以上は言わなかった。

 

 理子が碓氷邸に張り付いていた件については解決したが、春日市での異変、聖杯戦争の再開と、一成の知らない間にまた厄介な事態が出来しているようだ。むしろアーチャーやキリエの落ち着きぶりを顧みると、このメンバーで事を知らないのは一成だけではないかと思われる。

 

「……アーチャー、それ、具体的にはどういうことだ?」

 

 セイバーズは何も言っていなかった……一成が帰ってから明にだけ報告するつもりだったのかもしれない。しかし、セイバーズの様子に可笑しいところはなにもなかった。

 というか、このアーチャーも今まで何も言わなかったのは何なのだろうか。一成はジト眼で自分のサーヴァントを見たが、当のアーチャーはやはり優雅にコーヒーを飲んでいた。

 

「ほれ、聖杯戦争中は春日市の魔力が濃くなるであろ? それに合わせて我らサーヴァントには「他のサーヴァントを倒す」という衝動が与えられる。その状態よ……決して大聖杯が復活したのではあるまい」

 

 つまり、今アーチャーたちサーヴァントは聖杯戦争時のようなやや好戦的な状態にあるらしい。

 だがそれだけならば困ることはないのではないかと、一成は思った。願いを叶える魔力の渦である大聖杯がないということは、願いを叶えることはできないということ。

 そして願いを叶えたいとサーヴァントたちが思っていても、そのために他を殺しても無意味であるということ。一成の表情を見て、アーチャーは頷いた。

 

「左様。街が聖杯戦争時と同じ状態となっていても、景品がないのだから争う理由がない」

「つまり、特に普段とかわらないってことか?」

 

 大聖杯はセイバーの宝具で破壊された。それが春日聖杯戦争の顛末であり、何かの要因で聖杯戦争が再開されても褒賞がなければ誰も戦わない。ゆえにアーチャーは呑気な顔をして株だ起業だとほざいていたのである。

 

 聖杯が目的ではないサーヴァントにはランサーがいたが、聖杯が目的ではないなら既に行動を起こしているべきであるが、彼は平和に暮らしている。

 

「私も聖杯戦争の再開を感じ取ってはいたけれど、概ねアーチャーと同意見で問題はないと思うわ。今更戦い始めるサーヴァントとマスターがいるとは思えない。危惧するとすれば、戦闘衝動はあるからサーヴァント同士の関係は多少ぎくしゃくするかもってくらいかしら」

「だけど異変は異変だろ? 放っといていいのか?」

「それこそ管理者の仕事よ。アキラとその父君に任せればいいわ」

 

 キリエも大して興味はなさそうである。だが、一成は聖杯戦争に関わることには自分も協力すると明に言った。全て明に任せてしまうのは釈然としない――一成が顔をしかめていたところ、居心地悪げな理子の声がした。

 

「あの……すごい今更で恐縮なんだけど、土御門、とキリエスフィールさんはここでの聖杯戦争に参加していて、アーチャーさんは土御門のサーヴァント?」

「そうよ。あとキリエで結構よ、リコ・サカキバラ」

「悲しいことにその通りじゃ。それからアーチャーで構わぬぞ」

 

 理子は適応力高くわかりました、と頷いた。

 これも今更だが一成たちは理子が聖杯戦争を知っているものだと思ってきたが、実際彼女はどの程度知っているのかは確認していない。また、彼女はあの聖杯戦争の時期にどうしていたのか。

 一成はあの期間ほぼ学校を休んでいた上、二年の時は理子とクラスも違ったのでわからない。

 それを聞くと、理子はああ、と頷いた。

 

「勿論聖杯戦争が開催されることは知っていたわよ。だけど私も親も、参加する気はなかった。冬木でも一度も成就を見なかった胡散臭い儀式に巻き込まれてたまるかって、その期間学校を休んで実家に戻ってたから」

 

 聖杯戦争開催地の魔術師が本当に参加したくないならば、唯一の方法が「期間中、その土地から離れる」ことである。一度聖杯にマスターとして選定されてしまうと、根本的にマスターを辞める方法はない。

 令呪を破棄し教会に保護を求めたとしても「マスターに選ばれた」事実は変えようがなく、その体は依然サーヴァントと契約可能のままなのだ。

 しかし戦争の地を離れていれば(御三家相当の者でもないかぎり)、数合わせにマスターに選ばれることはない。彼女と彼女の実家は、そんな危うい儀式に参加するよりも身の安全を取った。

 となれば、彼女は同時期に一成が学校を休んでいたことも知らなかったことになる。

 

「……私が最近の春日の魔力の流れがヘン、と感じたのは聖杯戦争の再開のせい。碓氷が留守しているから私が独自に調べようかと思ったけど、もう帰還しているならねえ……。そして土御門が碓氷やサーヴァントとかかわりがあるのは、聖杯戦争に参加してたから……これで疑問は解消したわ」

 

 理子は得心がいったらしく、ダージリンの紅茶をおいしそうに飲んでいた。一成が見たところ、キリエとアーチャーも再開された戦争に興味はなさそうである。

 春日の異変は管理者がどうにかすること――確かに間違いではないのだが、一成は放置していられない。何故なら、彼は碓氷明もとい碓氷にかなりの借金(無利子にしてもらっている)があるからだ。

 戦争で喪失した左腕の義手代――何やら蒼崎ナントカとかいう人形師に頼んだと碓氷は言っていた――が、高くてローンを組んでいる。

 しかしそれを抜きにしても、聖杯戦争について最後まで付き合うと約束した。

 

「俺、やっぱまた碓氷んち行って話を聞いてみる。あと、一応他のサーヴァントにもどういうつもりか確認だけする」

「そう申すと思ったぞ。死なぬ程度に励むがよい」

 

 アーチャーとキリエからすれば予想された一成の反応であったため彼らは落ち着いていたが、一成の同級生は違う。目を吊り上げて、鋭い眼差しで一成を睨みつけた。

 

「何であんたがそこで首をつっこむの!? 碓氷の足をひっぱるだけだからやめておきなさい! というかあんたが関わると大変なことになるでしょ!」

「すげえ偏見だな!? 俺にも色々あるんだっつーの、別にお前に手伝ってくれなんて言ってないだろ!」

「……っ、フラフラ危ない事しようとしてる同級生を、元生徒会長として放っておけないわよ!」

 

 なんだかんだ二年以上の付き合いにはなる同級生だ。一成は理子が悪い人間ではないことを知っている――良い奴ではあるのだが、鬱陶しくないとは言ってない。

 極論一成自身が野垂れ死んでも、それは一成自身の責任だ。理子が負う責任でもないのに。

 

「お前は俺のお母さんかよ、放っとけっつーの!」

「まあまあ一成、そう冷たいことを言うでない。門外漢の見立てではあるが、この女子、そなたよりは魔術に習熟しているような気配がある。折角じゃ、共に調査をするがよい。というかほとんどの魔術師はそなたより手練れであるがな」

 

 一成はお互いに魔術師であることを確認はしたが、理子がどの様な魔術の使い手かは知らない。ただ、そもそも魔術師は己の手の内を見せないものではあるから、理子がそうほいほいと魔術を見せるかは別の話である。

 

「……はぁ。別にいいけど……自分の身は自分に護れよな」

「あんたこそ」

 

 口うるさい母親が学校の授業参観に来た気分はこんな感じなのだろうか。何故こんな面倒臭い事態になったのか。ただ一成は一成で自分の力量を聖杯戦争で知っているため、彼女に期待するところがないことはないのだが。アーチャーの言う通り、だいたいの魔術師は一成よりも手練れだ。

 

「そんなに物騒な事態にはならないと思うのだけれどね。何か困ったら聞きに来てもいいわ」

「一成ガンバ!」

 

 一番頼りになるはずのサーヴァントとアインツベルンの令嬢はむしろ興味なさそうに、半ば他人事の態度である。もしかしてこれは本当に大した出来事ではないのかと今更思ったが、一成は今更引けない。まずは明日、再び午前中に碓氷邸に出向くことにすることを決めた。

 

 話が終わったことを見計らい、アーチャーは部屋を見回した。

 

「この部屋にはダブルベッドが二つ、シングルベッドが二つある。順当に考えて榊原の姫とアインツベルンの姫がダブル、私と一成がそれぞれシングルで寝るべきかの。パジャマも備えつきのものがあるゆえ、好きに着るがよい。ホテルの二階にジェットバスやプールなどスパもあるが、面倒であれば備え付きの風呂が「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 滔々と施設の説明を始めるアーチャーに焦り、理子は立ち上がった。彼女はただ落ち着いて話をするためにここに来たのであり、そこまで世話になるつもりはなかった。

 

「私としたことが失礼をした。そなたにこの後予定があることを全く考慮「い、いやそうではなくて、そこまでしていただくのは気が退けるというか……!」

 

 当然のように姫と呼ばれるのも、一女子高生しては恥ずかしい。しかしそもそもお嬢様扱いに慣れたキリエ、図々しくなった一成はけろりとした顔で助言した。

 

「気にすんなよ、金は使うべきもんだ。それにどうせ明日も午前中から一緒に出掛けるんだしな。あとここメシもうまいぞ」

「私は一成からは魔力を受け取っているゆえ、等価交換じゃ。……そして榊原の姫、遠慮は不要ぞ。そなたは我がふつつかなマスターの学友であろう。いつもこの短慮な男が手間を掛けさせている模様。サーヴァントとしてその礼と、これからもよろしく付き合って欲しいという願いをこめて寛いでいってほしいのだが、如何かな」

「……はあ、じゃあ……お言葉に甘えさせていただきます」

 

 理子とて、これほど高級なホテルに泊まる機会などそうそうない。春日の土地でこの高級ホテルでスイートルーム、一泊三十万以上はするに違いない。

 話がついたところで彼女が気になってきたのは、このアーチャーというサーヴァントの正体だ。聖杯戦争において真名は隠すもの、だとされていたが終わった今となってはこだわらなくてもいいだろう。

 

 理子は少々勇気を出して、尋ねた。「聞きそびれていましたが、アーチャーの真名を聞いても?」

「そういえば「アーチャー」としか名乗っておらなんだか」

 

 スーツの姿が板についた挙措優雅な中年の男性は、あくまで穏やかに、余裕を持って答えた。

 

「私は藤原道長(ふじわらのみちなが)。望月歌の、あの道長ぞ」

 

 

 

 

 先程のアーチャーの差配通り、理子とキリエがダブルベッドで、別室のツインルームで一成とアーチャーが眠ることになった。無論理子が一成やアーチャーと同じベッドで眠るのは言語道断なので、この組み合わせは当然の成り行きではある。

 備え付けの上下のシルクの寝巻に着替え、海のように広々としたキングサイズベッドの上で、理子はすぐ隣のキリエを横目で見た。

 

(まさか、あいつが魔術師なんて)

 

 二年以上もその事実に気づかなかったことには恥じ入るしかないが、そも一成があまりにも魔術師としての気配を感じさせなかったことが原因である。魔術師の気配を感じない理由としては二つあり、強力な魔力殺しの礼装を身につけられるほどの家の魔術師か、単に一般人に近いレベルの魔術師かだ。一成の場合は後者のようだ。

 

(土御門、っていっても、どの土御門なんだか)

 

 理子の家の魔術は神道であるが、土御門の陰陽道とはあまり関わりがない。かつて榊原はとある退魔の血族に近しかったのだが、現在日本において両儀以外の退魔の一族はほぼ壊滅状態であり、榊原も別の道を歩んでいる。

 話がそれたが、榊原と土御門とは深いつながりはない。

 ただ土御門の家は分派が多いため、全く繋がりがないわけでもないが、一成と近しいかというと違うのだ。

 

(……それに、聖杯戦争。参加してるなんて全く思ってなかったわよ)

 

 彼らにとっては八か月も前に、その熾烈な戦いは終わっている。ゆえに先ほどの場では、結果として大聖杯が破壊されて終了したことしか話に出なかった。だが理子にとってはサーヴァントが今だ現界を続けていることも、同級生が参加者だったことも今知ったことなのだ。

 

「……キリエ、さん?」

「何かしら、リコ・サカキバラ。あと呼び捨てで結構よ」

 

 淡々と、冷静に眠る仕度を整えるキリエスフィール・フォン・アインツベルン。小学校低学年としか見えぬ幼い容貌、流れるような黒髪に、紅玉(ルビー)の瞳。西洋とも東洋のものともつかぬ人形めいた、初対面の少女。白いシルクのネグリジェに身を包んだ、真正の令嬢。彼女もまた聖杯戦争の参加者だったそうだ。

 

「そう、じゃあキリエ。興味で聞くけど……春日聖杯戦争って、勝者は誰なの? どんな英霊が召喚されたの?」

 キリエはベッドの上に足を投げ出し、寛いだ様子で話す。「……勝者は碓氷、サーヴァントはセイバー。召喚された英霊は日本武尊(やまとたけるのみこと)、アーサー王、本多忠勝(ほんだただかつ)、藤原道長、酒呑童子(しゅてんどうじ)石川五右衛門(いしかわごえもん)平将門(たいらのまさかど)神武天皇(じんむてんのう)

 

「……クラスは七つ、けどあなたは八人の名前を上げた。どういうこと?」

「……模造品であるがゆえのイレギュラーね。幸い、追加召喚はアーサー王、一般の常識が通じる英霊だったから、神秘の漏えいなどの大事には至らなかったわ」

 

 春日の聖杯は、冬木の聖杯の模造品。本家冬木の聖杯戦争も、色々なイレギュラーが起きていたと耳にしたことがある。また勝者が管理者の碓氷というのも、妥当の範囲内だ。

 外部から見れば、春日聖杯戦争は至当の終焉を迎えたのだ。

 

「そう……最後にひとついい? ――春日聖杯は、本当に如何なる願いを叶える代物だったの?」

「……叶えたでしょう。碓氷の手を借りれば、もっと確実にね」

 

 キリエは眠いのか、口を手で覆いあくびをするともぞもぞとベッドにもぐりこんだ。理子は布団の上から、眼を閉じた彼女へと礼を言った。

 

「話してくれてありがとう」

 

 正直、理子は少々面喰っていた。この少女の名はアインツベルン。理子とは縁がないが、それでも千年を超える名家であることは既知だった。その魔術師の中の魔術師である彼女が、もう終わってしまった儀式とはいえ、内容を真面目に教えてくれるとは思っていなかった。

 

 魔術とは秘するもの。他家にその秘伝を開示しない。ゆえに理子は感謝と、同時に不信をこの小さな娘――魔術世界において歳と能力は比例しないが――に抱き、しかし何かをされる心当たりは全くないことを思いつつ、同じベッドで眠りについた。



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夜② 復讐者(アヴェンジャー)と虚数使い

 後片付けはヤマトタケルとアルトリアが率先してやってくれたため、明は自分の荷物を整理することにした。洋服などの日用品を片付け、魔術礼装を地下室に移した。

 ついでに地下室の掃除を始めたのだが、つい少しのつもりで掃除を始めたら何時の間にか日付が変わる頃合いになっていた。

 

 セイバーズは双方とも夜が早く朝も早い。既に二人とも自室――明と父が帰ってきたため、アルトリアは客用寝室で、ヤマトタケルは応接間に折りたたみベッドを出して寝ている。

一階の食堂に、人の気配はなかった。

 

 明はシャワーを浴びて、ショートパンツにフード付きのルームウェアに着替えて食堂のテーブルで水を飲んだ。どん、と鎮座しているのはランサーと咲からの差し入れである日本酒「鬼ころし」の瓶。

 

 余ったスイカはいつのまにかアルトリアが食べつくしていたが、酒は未成年の一成がいるため、食事の時にはなんとなく躊躇われたのだ。そしてヤマトタケルは酒を飲まず、アルトリアも酒好きというほどでもないので、封すら切られていなかった。

 

 

 ……一杯だけグラスに入れて、部屋で飲もうかな。

 

 食器棚から透明なグラスを一つ取り出し、日本酒を注ぐ。明は一階の電気をすべて消し、二階の自室へと向かった。

 

 

 碓氷邸でもっとも広い部屋は父・碓氷影景の部屋で、明の部屋はその次に大きい。扉から中に入ると、左手にクイーンサイズのベッド、その奥に本棚。右手に洋服箪笥、その奥に作業机があり、扉の真正面に大きな出窓がある。大体二十平米くらいの広さだ。

 明はベッドに腰掛け、息をついてちびちびと日本酒を口に運んだ。

 物騒な名前に似合わず、あっさりした飲み口のやや辛口の酒で、おいしい。

 

 

「……」

 

 明は、寝酒にしようと思い持ってきたのではない。まだ、眠る気はなかった。父は既に異変に感づいて今日は家に戻らず調査をしているが、明も明で気になることがある。そしてその調査は、一人で行うつもりだった。

 

 景気づけのように残った日本酒を一気に呷った明は、立ち上がると出かけるために下だけタイツとショートパンツに着替えようとしたが、可笑しなことに気づいた。

 

「……?」

 

 出窓のカーテンが少しだけたなびいている。つまり、窓が開いていて風が吹きこんでいる。昼にセイバーたちが掃除をしていたときに開けたのがそのまま忘れられているのか。しかし掃除の時に開けるなら、カーテンも開けておくのではないか。

 

 とりあえず窓を閉めようと、近づいたその時――。突風が吹きこんでカーテンが舞い上がった。俄かに月光が差し込むと同時に部屋の電気が消え、明の視界は刹那何かに遮られた――と同時におぞましい気配がすぐ隣を横切り、総毛だった。

 

 

 ちりん、と場違いに涼やかに響く鈴の音。

 

 間違いない、背後に――部屋の中に、何かがいる。今、こうして息をして立っているのだからおそらく害意はない、少なくとも現時点では殺意を持たないが、おぞましい何かがいる。

 

 ただ人・魔術師であれば碓氷の結界が反応する。サーヴァントであればセイバーたちが気づく。アサシンであれば気配遮断でかいくぐることもできるだろうが、背後の気配は明の知るアサシンではなく、また彼がここに忍んでくる理由などないはずだ。

 

 振り返りたくない。しかし、振り返らずに目を閉じたままでいることも恐ろしい。

 明は一気呵成に振り返ると――そこには、背の高い男が立っていた。男は口の端を吊り上げて、笑みの形を作った。

 

 

「ご機嫌伺いに来たぜ、マスター」

 

 ぞわりと、全身の毛孔から汗が噴き出す感覚。出窓と、部屋の扉の前で対峙する。

 男はヤマトタケルだった。Tシャツ、Gパン姿の一般人の恰好をしていて、見た目はまさに碓氷明のサーヴァントだったが、同時に絶対にヤマトタケルでないことも解っていた。

 セイバーはこんな笑い方をしない。

 セイバーはこんな口調で話さない。

 部屋にノックなしで入ることは許しているが、彼が明相手に偽装スキルを使うことはない。

 

Hukkumassa Diracin meri(ディラックの海に溺れ)Tässä schwarzchild(シュワルツシルトに飲まれた汝)――Aika jäätyy melko(時よ凍)……!」

 

 虚数魔術による空間転移(ゼロダイブ)。だがその詠唱が終わるよりも早く、男の手が伸びて襟ぐりを掴まれて引き寄せられ、口を塞がれた。

 

「うぐぅ……」

 

 ぬるりと口腔をなぞる感覚に鳥肌が立ちそうになる。貪られるように深く深く差し込まれる舌から逃れようとするも、サーヴァントの力で腰に腕を回されていて逃れられない。明に応じる気はないが、舌を巧みに引きずり出されて絡め取られる。息の仕方が分からず酸欠で視界が霞むが、ああ、鼻で息をすればいいのかと頭の片隅で考えた。

 

 虚数魔術による空間転移(ゼロダイブ)は、まだ詠唱なしで可能な領域に至っていない。自らへの暗示のために詠唱は不可欠であり、彼がそれを知っているのかいないのかはともかく、明は脱出の手段を奪われていた。

 また虚数を用いた魔術は幽世への特攻でもあるためサーヴァント(霊体)にも効くが、膨大な出力を求められるため、今ぶつけたところでどれだけ効果があるかは疑わしい。

 そして昔取った杵柄ではないが、体質的に幼少のころ変質者を寄せてきた体験から、今は大人しくしている方がマシと判断していた。

 この偽ヤマトタケルは、己を襲おうとしているのではないと明は察していた。

 

「……ぅ」

 

 たっぷり数分もかけた濃厚な口づけの末は、あっさりと放された――明は息をきらしつつも、唇と唇に伝った銀の糸を袖で拭って至近距離の男を突き放した。

 大した時間と量ではないはずだが、明は予想外の疲労を感じた。残ったのは、血腥さ。ヤマトタケルが血腥いことに違和感はないが、目の前のヤマトタケルの血腥さはもっと質が悪い――あの、呪われた聖杯の姿を思い出す。

 

 ヤマトタケルそっくりの男は、満足げに唇を舐めて薄く笑っていた。スキルか宝具か、どちらかの程度を緩めたのか、男の様子はこれまでと変わっていた。

 ばさばさの黒髪に右目に眼帯、そして古傷が除く腕や首筋――深い溝底のように暗い眼。顔と身体つきがヤマトタケルと瓜二つなのは変わらないが、纏う雰囲気と姿はかなり異なる。

 

「悪い悪い。思った以上にいい魔力(もの)だったからやりすぎた」

 

 全く悪びれず、偽ヤマトタケルは明を上から下まで眺めて笑った。明は流石に相手が自分を殺す気はないと了解してはいたものの、同時に気を許すべき相手でもないと知っていた。

 

 春日聖杯戦争にヤマトタケルはただ一人。

 こんなもの、春日にはいるはずがないのだから。

 

「……誰」

「色気のない質問だな。お前のヤマトタケルだよ」

「違う。私のセイバーはあなたじゃない」

 

 この偽ヤマトタケルと会話をすべきか、逃げるべきか迷ってはいたものの、明は最初を選んだ。逃げることが現実的ではないこともあるが、彼女も春日の把握に当たって本来いないはずの異物を無視するのは上策ではないと思ったからだ。

 

「私のセイバーねえ……まあいいさ。で、そのセイバーのマスター様は、そのセイバーを連れず、夜に一人でお出かけするのかい?」

 

 にやにやと笑っている偽ヤマトタケルは、黙した明を面白がっている。彼女が返すであろう答えを半ば理解して敢えて反応を楽しんでいる。

 

「そんな不良マスターに朗報だ。セイバーズとは無関係な護衛はいらないか?」

「いらない。あなたこそ、何が目的で私に近付いて来てるの。まさか魔力を味見しにきただけなんてこと、言わないでよ」

「お前は白い俺のマスターだろ。興味でちょっかいかけに来ただけだぜ?」

 

 その言葉が本当かどうか明には判断がつかなかったが、問い詰めたところで吐くような相手ではあるまい。

 偽のヤマトタケルは薄笑いを浮かべたまま、腰元の刀の柄を撫でていた。

 

「で、話を戻すがお前は春日の調査でもしようとしてるんだろう? 俺も春日は自分の眼で見て廻っておきたいと思ってんだ。やることは一緒だろ? ……出ないとは思うが、敵がいたら俺が殺してやるし」

 

 正直、関わりたくはない気持ちでいっぱいの明だったが――調査をしたいことは本当であり、またセイバーズを連れるつもりもないことも本当であり、かつ偽ヤマトタケルも調査対象でもある。

 明はもう嫌そうな顔を隠そうとしないまま、頷いた。

 

「……で、あなたのことはなんて呼べばいい」

「呼び名が欲しいなら、アヴェンジャーとでも呼べ」

 

 アヴェンジャ―――聖杯戦争におけるエクストラクラスの一つで、復讐者のクラス。このクラスにて召喚を受ける基準はあいまいで、必ずしも生前に復讐を成したことが必須というわけではない。

 あるいは、クラス名すら彼の騙りである可能性もあるが――セイバー二人で困っている明は、個体を識別できればなんでもいいとその自称を受け入れた。

 

 セイバーズを屋敷に残して、碓氷明とアヴェンジャーは碓氷邸の門前に立っていた。宝具かスキルの力か、アヴェンジャーがセイバーたちに気づかれることは全くなかった。

 

「さて、どこを見たい? マスター」

 

 腰に刀を携えた普段着のアヴェンジャーは、軽く街案内でもする様子で声をかけた。どちらかといえば案内するのは明の役目だとは思うのだが。

 

「じゃあ、美玖川」

「オーケー。行くか」

 

 美玖川の場所は知っているのか、アヴェンジャーは迷いもせず歩き始めた。彼は一体何をどこまで知っているのか。その背中を窺いながら、明は夜の住宅街を進む。

 

 ――かわいくないな……。

 

 偽ヤマトタケルことアヴェンジャーが、現状敵意のない相手だと理解したことで、明は相手を観察する余裕が出てきた。そもそも明はセイバーヤマトタケルに対してさえ、少年の姿ではなく成人した姿となっていることに違和感がすさまじいのだ。

 ただセイバーの場合、中身は大差ない――願いから解放されたため、多少自由になっている感はあるものの――ため、普通に接することができていると思っている。ただ明としては体格のいい男性としての形よりも、美少女ともとれる少年のほうが親しみやすくてよかったのだが。

 

(……戦闘力(サーヴァント)に見た目云々言うのもよくないんだけどな)

 

 自分の現金さに内心げんなりしつつも、改めてアヴェンジャーを見た。こちらに至ってはかわいいかわいくないの話ではなく、お近づきになりたくない類のモノだ。

 自称ヤマトタケルだけあって彼はセイバーと瓜二つ、違いは髪の長さと眼帯の有無、そして古傷の有無。神剣の加護を持つセイバーは如何な傷も回復させ、四肢が切り落とされても再生されるため、彼の身体には傷一つない。それに比べるとアヴェンジャーは満身創痍に近い。

 正直、アヴェンジャーに興味がないと言ったら嘘になる。だが同時に初対面の相手に必要もなくディープキスをする変質者でもあり、明としては内心非常に複雑だった。

 

 閑話休題。深夜の住宅街は人気もなく静まり返っており、少々不気味であった。明は管理者として夜の街を歩くことには慣れているが、どこか違和感がある。

 

 ここは本当に、明が知る春日なのか。いや……。

 

 碓氷邸から美玖川は北へと歩いて徒歩四十分となかなかの距離だが、アヴェンジャーと電車を使う気にもなれず結局徒歩になった。

 春日駅をさらに北へ、再び住宅街を抜けてそろそろ到着かと思われた時、予期せぬ人物に出会った。

 

 白を基調にしたセーラー服に手提げかばん、黒のハイソックスにローファーの、明らかに女子学生ですと主張する恰好。茶色っぽい髪を肩で片方だけ結んだ、真凍咲とランサーのサーヴァント。ランサーはTシャツにGパン、スニーカーのラフな格好で、二人とも帰宅途中といった様子ではある。時間帯が遅すぎることを除けば。

 

「……こんばんは、碓氷。夜遅くまで精が出ますね」

「ようセイバーとそのマスター」

 

 真凍咲が簡単に、ランサーはいつも通り快活に挨拶をした。彼等はヤマトタケルを不審に思うことなく、いつも通りの様子である。

 

「こんな夜に二人とは、聖杯戦争再開の調査か? 儂もできることがあれば手伝うぞ」

「ちょっとランサー、これは碓氷の仕事なんだから、碓氷にやらせとけばいいの。碓氷、ランサーを手伝わせるなら、貸し一つよ」

 

 明は真凍咲をしっかりした少女だと思う。おそらく、本来の、通常の彼女はこのような少女なのだろう。それはともかく、咲の言うことは間違っていない。

 管理者は魔術協会から土地の管理を任せられた名門魔術師の家で、その土地・霊地からのバックアップを受けられると同時に、その土地での問題を解決する義務がある。代表的なものは外道に落ちようとする魔術師を抹殺するなど。つまり、春日の土地で起きる魔術的異変は、碓氷が解決する義務と権利になっているのだ。

 しかし、その事情をおおよそ理解しながらも、ランサーは咲の頭をぽんぽんと撫でつつ呑気に言った。

 

「咲はこう言ってるが、案外わかる娘だ。困ったらいつでも声をかけてくれ。騎士王のほうにもよろしくな」

 咲は咎めるように声を発した。「ランサー」

「まあ、覚えておくよ。けどこんな遅くに何してるの?」

「いやなに、咲が友人の家で長居してしまってな、こんな夜更けに少女を一人で歩かせるわけにはいかんだろう」

「ランサー! 余計なことはいわなくていいの!」

 

 咲は、今度はやや怒りかけている口調だった。彼女としては、つい友達と時間を忘れて過ごしてしまったことは恥ずべきことらしい。ただそんな態度もランサーからすればかわいい限りで、明らが聞いてもいないのに話し出した。

 

「学校帰りに友人の家で宿題をし出前で食事をして、そのあと少し部屋で遊んでから解散するつもりだったらしいのだがなあ、その友人の家も今日は両親がいないようで、誰も注意する者がおらず時を過ごしてしまったらしい」

「ラ・ン・サー? 黙りなさい」

「はっはっは、気の強いところは(儂の娘)に似てるな」

 

 どうも咲一人でから回っているようにも見えるのだが、傍から見れば微笑ましい。咲もこれ以上怒っても分が悪いと思ったようで、大きなため息をついてからランサーの腕を引いた。

 

「はあ、行くわよランサー。それじゃあ、また」

「じゃあまた。お酒はありがとう」

 

 ランサーと咲の背中を見送ってから、明はアヴェンジャーを見上げた。彼女から見れば似ているが明らかに別人のヤマトタケルも、彼らからは普通のヤマトタケルに見えていたようで、何も言っていなかった。あえて持ち出すことはないと、明は咲たちに話を会わせていたが、良いタイミングと尋ねた。

 

「……それは、宝具?」

「『斎宮衣装(みつえしろのかご)』――ステータス隠蔽の宝具だな。親愛なる叔母上からもらった衣装で、今の現代服もそれを変化させたもので買ったわけじゃない」

「私に通じてないのは?」

「通じてないんじゃねえよ、隠蔽する相手を選択できるからお前を外している」

 

 日本武尊の伝説で、クマソタケルの暗殺において女装をしたことによる宝具。セイバーのヤマトタケルはこれを保持していなかったが、彼の伝説的には所持してしかるべき宝具である。明はまだ目の前のこれがヤマトタケルを騙っているだけの別物である可能性を捨ててはいなかったのだが、希望的観測であることも自覚していた。

 ランサーらに会った時点で美玖川はほど近かった。住宅街を抜け、目の前に広がる河川敷を眺めて、アヴェンジャーは明に振り返った。

 

「川に着いたぞ。一体ここで何を調べようっていうんだ?」

「……」

 

 明は明確な目的があって美玖川を選んだのではない。おそらく、父影景は土御門神社――春日聖杯戦争における大聖杯の設置個所――を調べている。ならば自分は別の場所を調べたいと思ったことと、大西山は今から行くには遠すぎると思ったからだ。

 

 美玖川は隣市との境界であり、春日の奇妙な点を見るにあたっては隣市と比べるのも悪くないと思っている。

 風もないため、黒々とした水面が横たわっている。明は目を凝らして川の向こう岸を見ようとしたが、その時異様な気配に気が付いた。

 

 囲まれている。黒い靄のような塊に、アヴェンジャーもろとも包囲されている。

 さらに目を凝らすと、それは靄のようでありながらも獣の群れであることに気が付いた。群れなして隙間なく連なっているゆえに、塊のように見えていたのだ。気づけば無数の紅い眼が注視している――その視線のおぞましさに、明は言い知れぬ不安を覚えた。

 

 そして思い出すものは、土御門神社大空洞の大聖杯、黒い太陽。

 

 隣のアヴェンジャーの様子を窺うと、彼は眉をしかめて獣の群れを見やっていた。そしてどこからともなく火花ととともに黄金の太刀を取り出して、右手で掴んでいた。

 

「……ったく、これは俺の不手際か?」

「え、何か言った?」

「なんでもねえよ。マスター、こいつらを掃討する――!」

 

 ちりん、と鈴が鳴り響く。

 火花を散らして、中空から抜き放たれる無数の刀剣をそのまま射出して、黒い獣を一網打尽に砕いていく。その無数の刀剣類は一本一本が宝具であり、中には蜻蛉切のような、明も見知った武器が混ざっていた。英霊によっては宝具を複数所持することもあるが、これは異常である。これすべてがアヴェンジャーの宝具と考えるよりは、これらを生み出している別の何かが宝具と考えた方が妥当だ。

 

 降り注ぐ刀剣から辛くも回避しおおせた獣たちは、一心不乱に明へと襲い掛かって来ようとするが、明はさしたる不安を抱かなかった。流石に大波のごとき群れで襲い掛かられるのは困るが、数匹であれば自分の虚数魔術で抹殺できる。

 

 それに、

「――」

 顔に面倒くさい、と書いたアヴェンジャーはさして困る様子もなく、腰元の刀を鞘に収まったまま鈍器として操り獣をなぎ倒していた。サーヴァントの動きは人間の動体視力で追える速さではない。

 だが背後から襲い掛かってくる獣にも振り返りさえせず、裏拳で殴り倒すのはまさにセイバー――いや、ヤマトタケルらしくも思えた。

 

 アヴェンジャーによって無限にも呼び出される刀剣、槍の類によって散々に滅多打ちにされた獣たちは霧が晴れるように消滅した。明はまだ油断せず、周囲を警戒しながら口を開いた。

 

「……とりあえず、調べても大丈夫かな?……あのさ」

「どうした」

「いや……なんか、向こう岸の住宅街が、暗いなって」

 

 それは、違和感のレベルではあった。当然日付をまたいだこの時間帯で、住宅街が煌々と光り輝いていれば異常だ。だがしかし、なんとなく暗すぎるような――人の気配が感じられないような気がするのだ。

 

「アヴェンジャー、あっちいって調べてきてよ。ちゃんと人がいるのか確認するくらいでいいから……水の上歩けるでしょ」

「は? 歩けねえけど」

「え?」

「剣を捨てたからな」

「はあ?」

「言っとくけど美夜受に預けて手放したって意味じゃない。ロードオブザソードだ」

 

 ……ギャグが面白くないところは、白い方と同じらしい。それはともかく、確かに彼の腰元にぶら下がる剣は確かにセイバーヤマトタケルが持つ剣とは全く違う。聞きたいことは多いが、今は調査だ。たとえ水の上を歩けなくとも、サーヴァントの脚力があれば助走をつけて向こう岸にジャンプすることは可能だろう。

 明はアヴェンジャーにそう指示すると、彼は渋々川岸から離れ、鈴を鳴らして走りだし見事な跳躍で向こう岸へと渡った。

 アヴェンジャーの帰りを待つ間、明は改めて静かに川べりを見渡した。魔力の流れを読むことついては父の妖精眼の精度には遠く及ばないものの、明も管理者の端くれだ、ある程度はわかる。

 そして、ここ美玖川――春日市と隣市の境界――を区切りに、春日市の魔力は隣市に全く漏れることなく市街へと流れ込み、市街で噴出している。霊脈は山や川、自然の地形に大きく影響をうけるため、川で遮られた隣市に漏れないのは通常通りだ。春日の四神相応の地形からして、中央の市街を護るべくそこに魔力を集める流れになっているのも通常だが、あまりに漏れがなさすぎる(・・・・・・・・)。効率が良すぎると言ってもいい。

 と、今度は向こう岸から跳んでくるアヴェンジャーが見えた。彼は幅跳びの選手のように、流れるフォームで危なげなく着地する。

 

「マスター、見てきたぜ。ふつーだったぜ、異常なし」

「……そう。じゃあ今日はいいや、帰ろう」

「あれ、もういいのか」

 

 未練なく踵を返した明に、アヴェンジャーもついて行く。明は彼に色々問いただしたいこともあったが、それよりも思考に耽ることを優先した――美玖川の様子、四神相応の魔力の循環、疑念は確信になる。

 

 

 碓氷邸門前にたどり着いた時、アヴェンジャーは明に何を投げてよこした。明がまじまじとそれを見ると、アヴェンジャーが左手首に着けている紐つきの鈴と同形の、ただし色は金ではなく漆黒の鈴だった。試しに振ってみても、音は鳴らない。

 何らかの礼装かと思いきや、古い神秘は感じない。

 

「四六時中ヒマじゃあないが、用がある時はこれを鳴らせば行く」

「……あなた、何が目的なの?」

「俺はこの世界の平和を守る。そのためには、お前に死なれたから困るんだよ。で、多少は事情を呑み込んでいる使い魔がいた方が助かるだろう? マスター」

 

 彼はこの春日における明確な、具現化した異常である。本当に味方か――明は頭を振った。誰かを百パーセントの味方だと頼り切ることは危険だ。協力し合う仲間でも、各々自分の目的の為に動く者であって、互いがいい結果を受け取れるように努力することが大事なのである。

 たとえアヴェンジャーの半分が明の目的と反することを考えていたとしても、もう半分の利害が合うならそれでいい。

 

 全てを望み、だが六割で上々としろと言ったのは父だったか。

 明は漆黒の鈴を握りしめ、目の前のサーヴァントを見上げた。

 

「……わかった。でもマスターと呼ばないで……」

 

 ――具現化した異常は、アヴェンジャーだけではない。

 もうひとりのセイバー・アーサー王ことアルトリア・ペンドラゴン。春日聖杯戦争において、明はアーサー王など召喚しておらず、どの陣営も呼んではいないはずだ。にもかかわず、セイバーヤマトタケルも、一成も当然のように彼女と共に戦ってきたという。

 

 差し入れのスイカと酒が示すように、アサシンもランサーも、彼女のことを知っている。明は携帯の連絡先の存在と、直に会って自分のサーヴァントとしてステータス確認ができて、やっと自分のサーヴァントだと受け入れたというのに。

 

 その上、アルトリア自身も明と共に戦ったおかげで願いを捨て、自分の人生の誇りを取り戻せたと全幅の信頼をおいてくれている。明にそんな記憶はないのに、そういうことがあったとしてもそれはどこか別の誰かに違いないのに、彼女は純粋に明を信頼している。

 ゆえにアルトリアにマスターと呼ばれることにも違和感つきまとっているが、彼女にマスターと呼ぶなとは言えない。

 

 

 ああ、そもそも、可笑しいと言うなら何もかもが――。

 

 

「シケた顔をするな、碓氷明」

 

 言葉に詰まった明の頬を掴み、無理やり上に向けたのは当然アヴェンジャーだった。

 

「俺が嫌いなものを教えてやる。献身、滅私奉公、自己犠牲、そして意気地なし」

「……?」

「主従で雁首そろえて察しが悪くてどうする阿呆。どうせ最初から間違いなんだ。やるなら思いっきり楽しめよ」

 

 ちりん、と鈴が鳴り響く。

 その残響が消えた時には、既にアヴェンジャーの姿はなかった。

 

 

 

「明」

「ひゃっ!?」

 

 消えたはずのアヴェンジャーと同じ声。だが別人である。碓氷邸の門前に腕を組んで仁王立ちしていたのは、ヤマトタケル――最強Tシャツにアディダスのジャージを寝間着とする、セイバーだった。呼びかけられた声音から察せられたが、怒っている。夜遊びを咎められた中学生ってこんな気持ちなのか、と明は能天気なことを思った。

 

「真夜中に一人でどこに行っていた」

「べ、別にどこでもいいじゃん」

「ああどこでもいい。だが夜に一人で出歩くなと言っている。真夜中、その上夏は変質者や変質者や変質者が湧くとキリエも言っていたろう」

「変質者なら武器持ってる相手で十人くらい束になっても倒せるよ」

「それは知っている。だが万が一がある――それに、何かあっても大丈夫であることと心配しないことは別だ」

 

 セイバーが少年の姿ではないためだろうか。もし普通の兄や父がいるならこんな感じなのかと明は思う。ありがたい、と思うと同時に申し訳ない。

 ――もし次があるなら、きちんと言い訳を考えておかなければ。

 

「うん。でも、寝れなくてコンビニで立ち読みしてきただけだからさ」

「……」

 

 セイバーはまだ不服そうな顔をしていたが、口うるさくするつもりはなくため息をついただけだった。セイバーは明を門の中に引っ張り、鍵をかけた。無言で邸に戻るセイバーの背中を追いかけつつ、明は突拍子も無いことを問うた。

 

「ねえ弟橘媛(おとたちばなひめ)って、サーヴァントとして召喚される可能性はある……よね? 普通に」

「は?」

 

 これはセイバーでなくとも同様の返事を返すだろう。前後の文脈ゼロであり、どこからその問いが出てきたかわかるのは明だけだ。しかし明の忠実なサーヴァントたるセイバーは、わけがわからないながらもはっきりと答えた。

 

「ない。あれはサーヴァントになれない」

「何で」

「アレは弟橘のまま、弟橘ではないものに成り果てた。だから死んではいない。座に登録されていないはずだ」

「……」

 

 しかし、仮にセイバーと共にあった弟橘媛はいなくとも、歴史と神話に刻まれ知名度を得た「弟橘媛」が、座を得たという線もありえる。物語の集合体、病の概念が座にありサーヴァントとして召喚されうるとは聞いたことがあるため、このヤマトタケルの知らない弟橘媛が呼ばれることもありえはするだろう。

 

 明が考えていたのは、聖杯戦争の再開とともに呼ばれた、土御門神社にいたアレ(影のサーヴァント)は何なのかということだ。

 追加のサーヴァントが呼ばれた理由はわからないが、呼ばれるからには何かしらの触媒となったものがあるはず。だが、大聖杯が破壊された今、わざわざ触媒を用意してサーヴァント召喚を試みる物好きはいないだろう。

 だから触媒となるなら「春日聖杯戦争に呼ばれたサーヴァントそのもの」ではないか。そう仮定すると、「春日聖杯戦争のサーヴァントの七騎の関係者で女」が、あの影の正体になるだろう。そのうえ、偽のヤマトタケルがいるのだからと思っての問いであった。

 

「しかし、何故急にそのようなことを聞く?」

「あ、いや大した理由でもないんだけど聞いておきたくて。うん早く寝よう寝よう。眠くなってきた気がする」

「夜歩きしていたのはお前なのだが……」

 

 明はぐいぐいとセイバーの背を押して、屋敷内へと急いだ。理由を説明しない明はセイバーからみれば挙動不審であるが、ひとまず彼女が元気であるのでよしとした。




咲は私立中学に行ってて登校日です。
虚数空間を通って全く別の場所に出る空間転移はびよんど本編からやってるんですが、名前がなかったのでゼロダイブにしておきました。

現在公開可能ステータス

【クラス】アヴェンジャー
【真名】日本武尊???
【性別】男性
【身長/体重】183CM/体重:78kg
【属性】混沌/悪
【クラス別スキル】
復讐者 C:復讐者として、人の恨みと怨念を一身に集める在り方がスキルとなったもの。周囲からの敵意を向けられやすくなるが、彼自身は人の敵意や悪意をどうでもいいと思っているためランクが低い。
忘却補正 B:人は多くを忘れる生き物だが、復讐者は決して忘れない。忘却の彼方より襲い来るアヴェンジャーの攻撃はクリティカル効果を強化させる。
自己回復(魔力) A+:復讐が果たされるまでその魔力は延々と湧き続ける。神剣の加護を得ていた残滓による特級の回復力。

【固有スキル】
魔力放出:B+
自己改造(偽装):A+
????

【宝具】
斎宮衣装(みつえしろのかご)
ランク……B
種別……対魔術宝具
レンジ……1~99 最大補足 ――
日本武尊(小碓命)が景行天皇の命によりクマソタケル兄弟を暗殺する際、第二代御杖代倭姫命からもらった衣装。伝説では女物の衣装であるが、本来は倭姫命が加工した白い襦袢のような着物で女物ではない。持ち手の望む衣装を纏っているように他人に見えるよう、対象への認識を操作する加護がかかっている。
聖杯戦争に参加するマスターは本来、サーヴァントの姿を視認すればそのステータス数値を看破できるが、彼はこの衣装を纏うことで隠蔽することが可能。またサーヴァントとしての気配も絶つことも可能でAランク相当の気配遮断を得るが、攻撃態勢に移ると隠蔽は不可能になる。
担い手であるヤマトタケルは、Aに対しては女装の格好、Bに対しては男の格好といったふうに見せる使い分けも可能。ただし使い分けが細かすぎると管理が追いつかなくなり、「あれ、さっきまで女だったような……男?」と逆に相手に不審がられるためあまりやらない。

『????・無刃真打』
『????・千刃影打』


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夜③ 碓氷影景と神内御雄

 丘の上に鎮座する土御門神社、その周囲は鬱蒼とした林に囲まれている。普通誰も立ち入らないため、道も整備されていない。だが、よく見れば整備されてはいなくとも、人の通った跡が残っている。

 その道を通り、スーツを汚しつつも石段前に姿を現したのは、四十半ば、黒縁眼鏡をかけた、整った顔立ちをもつ中肉中背の中年男性だった。上下ともにネイビーのスーツで固め、赤色のループタイをつけている。細身ではあるがただ痩せているわけではなく、適度な運動を日課的にこなしているであろう体幹の強さを感じさせる男である。彼は右手の小型の黒い革トランクを乱暴に振り回しつつ、くっついた木の葉を払った。

 

「……ふむ、明の報告に虚偽はなし」

 

 今まで彼の通ってきた道の奥には、側面からこの丘の地下へとつながる出入り口が存在する。そここそが春日聖杯戦争の発端、春日大聖杯が設置されている大空洞への道なのである。

 大聖杯はセイバー・ヤマトタケルの宝具によって破壊された。あわや大空洞崩壊、土御門神社陥没の危機にあったが、幸いにして大空洞は崩壊しなかった。ただ、儀式の残骸が残されているだけ。

 

「しかしおかしいな」

 

 春日での大聖杯の設置を許したのは管理者の碓氷。彼が聖杯に後から付属させた、春日市観測機能――聖杯に貯蔵される魔力を拝借し、春日の人間、動物の誕生と死亡、思想、魔力の流れを記録する計算モデル(オートマトン)。彼は春日の管理を容易かつ、いざと言う時に原因を究明できるように全春日の記録(ビッグデータ)を観測機能に蓄えさせていた。聖杯に付属させる必要はなかったが、早々に聖杯から魔力が漏れていることを察した影景はそれを再利用すべく、この魔導機械を設置した。

 ゆえにこの男が春日の聖杯を知らなかった、というのは有り得ない。

 

 さて、それはともかく。彼はイギリスにて直接明から報告を受けた聖杯戦争の顛末と、この記録を突き合わせ、差異がないか確認していたのである。

 娘の報告内容は問題なかったが、それ以外に気になることを見つけてしまった。

 

春日自動観測装置(カスガ・オートマトン)にノイズが入るなど……)

 コンマ秒以下のわずかなものであるが、記録に傷がついている。それらは複数あり、全て聖杯戦争開催時期に集中していた。

 

 この春日市観測機能の存在を知るのは彼ただ一人。彼が死んだ際に、屋敷の地下室で魔術錠をかけた箱の鍵は、碓氷の家の者が触った場合にだけ解除される設定になっている。その中の手紙にこの観測機能のことも書き記しており、明に譲渡される仕組みである。万が一生前に影景以外の誰かが触った場合、手紙は瞬間に燃え尽きる。

 

「――私がついてくる必要はあったのか? 影景」

 

 ここまでずっと沈黙を守っていた男が、低い声で言った。三十代~五十代ともとれる年齢不詳の、だが精悍な肉体を持つカソックを纏った男性――春日教会の神父、神内御雄だった。

 

「あるともこのクソ神父め。聖杯戦争がらみかもしれない事態なら、お前も連れた方がなにかといい」

「全くお前と言う男は」

 

 御雄は呆れ気味に笑ったが、不快がる様子はない。碓氷影景は先程いきなり春日教会に現れ、美琴に向かって御雄はどこだと道場破りさながらの様子で迫ってきたのだ。

 呼ばれた御雄は久闊を叙する間もなく、ここ土御門神社にまで引っ張られて今に至る。

 

 碓氷影景(うすいえいけい)――現碓氷家当主にして春日の管理者たる男は、口元に笑みを浮かべながら目の前に連なる石階段を見上げた。

 

「さて土御門境内を見てひとまず今日の調査は終わりとしよう。行くぞ御雄」

 

 久々に春日に戻ってきた管理者の影景と、春日教会の御雄。魔術師(魔術協会)聖職者(聖堂教会)、本来は相反する立ち位置でかつては殺し合いをしていた同士であるが、神秘を秘匿する一点においては目的が一致するため、相互連絡・協力をする地域も多い。

 そしてここ春日においては、御雄がもともと主への敬虔な信仰から聖職者になったのではないこともあり、水面下での争いもなく協力関係があった。かつ人間的相性か――影景と御雄は良好な関係を築いていた。

 

「済んだ話ではあるが、お前は本当に私が戦争の首謀者であると七代目に伝えなかったのだな」

「ああ? そういう約束であったろう」

 

 碓氷影景は不思議そうに首を傾げた。もし影景が最初から首謀者が御雄だと明に伝えていれば、明は神父を野放しにしないはずで、そしてライダーを召喚させることもなく、アインツベルンと連絡をとらせることもなかった。つまりその一点を明が知っていれば、春日聖杯戦争は戦争こそ行われるも、あれほどの混迷を極めはしなかったはずだ。魔術的な戦闘能力では影景を上回る明であれば、どんな方法であれ神父を拘束することはできた。

 ――ゆえに御雄は、聖杯戦争を楽しむためにも影景にその事実を伝えてほしくはなかった。いや、碓氷の現当主を知悉する神父はそんな依頼をせずとも、彼が娘に何も言わないだろうことは察してはいた。

 

 元々、冬木の大聖杯とは遠坂・マキリ・アインツベルンの御三家が生み出した大儀式である。その模倣聖杯を春日の土地に置くことを許可したのは碓氷の先代、影景の父で明の祖父だ。そのため、影景が管理者になった時には聖杯は既に春日にあるものだったのだ。そして、碓氷の先代と影景の思惑もまた違ったようである。

 碓氷影景とは、他家の尻馬に乗る形で根源へと至ることを良しとする男ではあるのだが、それ以前に冬木の儀式を信用していなかった。既に五回も失敗したものを、何の考証も検証もなくただ春日に移しただけで成功するとは思わなかった。しかし信用せずとも、それを無意味と断じはしていなかった。

 

「命に軽重があるものか。ただある時には重く、ある時には軽く感じられるだけだ。そして(後継)の命は、春日すべてよりも重く魔術師の使命より軽い」

 ――つまりこの碓氷影景は、聖杯戦争を、春日の霊脈を使った大儀式を娘のための薪としたのだ。

 

「……七代目は、聖杯戦争についてお前に聞いただろう。本当にお前が春日聖杯戦争のことを知らないと言ったのを信じたのか?」

「土地にも影響を及ぼす儀式を跡取りにまで黙っているはずがない、いくら酔狂なお父様でも……と、半信半疑ではあったろうよ。いくらお人よしな(あれ)でも、純粋に俺を信じていたのは小学校高学年までだったぞ? それにすでに聖杯戦争が始まっている中、俺を捕まえるには時間が足りなかったに違いない。だったら俺を血眼になって探すより、敵陣営を倒した方が手っ取り早いと思ったのだろうよ」

 

 かつかつと石階段をのぼりながら、春日聖杯戦争の首謀者たちは八か月前を振り返る。温い風が吹き降ろしてきて、彼らの髪をなぶる。互いに目指す場所は全く違ったのだが、普段道楽神父、クソ神父となじってくる影景は、御雄にとっては同質だと感じられていた。ただ影景は彼にあまりに相応しすぎる環境に生まれ落ちたがために、普通に見えているだけである。

 

「七代目は既に管理者の仕事も行っているだろう。にもかかわらず気づかなかったと?」

「大聖杯の設置は俺が管理者になる前、明が生まれるより前だ。明にとっての春日は、聖杯が設置されている状態がデフォルトだ。だから気づきもしなかった」

「ふむ」

「蓋を開ければ、春日聖杯戦争は上々の首尾を得た。お前は無事聖杯戦争の再演を完遂し、明はイマジナリ・ドライブと破滅剣(ティルフィング)を習得したのだから。アインツベルンは知らん……また別で聖杯の成就でも目論むのかもしれんが……さて」

 

 影景と御雄は健脚であっという間に登り切り、目の前に聳える朱塗りの鳥居から神社境内を見渡した。聖杯戦争の終局において神社本殿が破壊されたため、新しく建て直されているものの土御門神社は健在である。

 御雄は鳥居をくぐり、境内を一瞥した。今でこそ聖職者であるが、神内御雄は聖職者の技量よりも呪術師としての技量の方が上である。

 

「……ふむ、特に異常はないと見えるが」

 

 元来日本の神社は、西洋の石・煉瓦造りの教会とは異なり立て直すことが前提の建築物である。この島国が常に地震と火山の危険に晒されている為であり、古来建前でも不滅を目指して作られる建築物は存在しなかった。城でさえ壊れても早く修繕できれば「良し」として築城されるものなのだ。

 現に伊勢神宮や出雲大社など、二十年に一度「式年遷宮」として定期的に立て直しを行っている。

 

 ――不滅ではないが、何度でも蘇る。春が去っても季節が廻れば、再び春が訪れるように。

 

 ゆえに神社が立てなおされたからといって、これまでの歴史が薄れたと言うのはお門違いである。むしろ、歴史という循環の中にあることを再確認している。

 

「――平安貴族の歴史観は前に進もうとするものではない。彼らにとっては年中行事をこなすことこそが政治であり、それらをこなし続ければ今と同じ変わらぬ平穏な明日が来るのだろうと信じていた。平安京という庭の中で、黄昏の貴族たちは変わらぬ明日を望み続けていた。ま、それはここに奉られる晴明より二百年近く先の話ではあるが――千年の昔、その精神性は魔術に通じるが、終わらぬ世界はない。永遠の平穏はない。動かない世界、可能性のない世界はすでに死んでいるにも同じなのだからな――うん、しかし普通だ! わからん」

「お前でもわからないのか」

「ああ。何がわからないのかわからない――ま、何がわからないのかわかれば、七割わかったも同然なんだが」

「お前からそのような言葉を聞くのは珍しい。そういえば、先日キャスターの配下……茨木童子が異変を聞きに来た。なんでも、大西山で死ぬはずのけがを負った者が死なず、翌朝には元通りだったと」

「何!? そういうことは早く言え! しかし、死んで蘇る……? ますます意味不明だな」

 

 影景は眼鏡を外して土御門神社を眺めたが、霊脈にも魔力の流れにも異変はない。そもそも観測機能のデータを調べれば大概のことは片が付いてしまうのに、それにノイズが走るとは。これは管理を観測機能に頼り過ぎてきたツケかな、と影景は唸った。

 

「ひとまず境内を一周しておくか。……ん?」

 

 その時、影景の左手側、こんもりと林になっているところから何かが飛び出してきた。敵意・殺意の類を感じなかったため、彼らはじっとそれを見つめた。

 

「……ふむ。犬か……?いや……」

 暗闇に同化してわかりにくいが、林の手前には三匹、連れ立った巨大な黒い犬がうろついていた。もしかしたら、林の中にはもっと、群れでいるのかもしれない。しかし犬にしては三匹とも巨大で、眼光も鋭くむしろ狼のようにも見える。影景と神父がその犬らを注視し出すより早く、さらに林の奥から何かが飛び出してきて、彼らの意識はそちらに奪われた。

 

「キャッ!! 何見てんのよアナタ!」

 

 男の低さだが甲高い声を発したのは、人ではない。反りのない直刀がふわりと宙に浮いて喋っていた。口がないから喋っている、という表現が正しいかは微妙だが。

 

「「……何だ布津御霊剣(フツヌシ)か」」

 

 奇しくも管理者と神父の台詞がハモった。常人であれば腰を抜かすような状況だが、二人は眉ひとつ動かさず、というか関心を見せることなくすたすたと境内を進んでいく。その釣れない様子に(勝手に)憤慨したのは剣の方で、ふわふわと背後をついていった。

 

「ちょっとォあなたたちィ!! こんな美刃がいるっていうのに無視とはなにごとなのォ!?」

「俺はイタリアの伊達男じゃない。だが美刃さん、俺の心は会った瞬間から君に釘づけだぞ?」

「キャッ美刃だなんて! もう上手なんだから! ……ってえ……?」

 

 2人のバックには花弁が舞い散り、ついでに昼メロまで流れ出した(気がする)。夜の神社はどこへやら、世界は少女漫画の如きピンク一色である。影景はバックに花をしょって布津御霊の鍔を人さし指で上げた。ちなみに神父は心の底から興味がなさそうで、漫然と神社を眺めていた。

 

「布津御霊剣……この国における第一級の聖遺物。断絶にして開闢の剣を我が物とし解析したがらない魔術師(男)などいない」

「……ッ!! このケダモノッ!! 乙女の身体を暴きたいなんてッ! (わたし)には建御雷っていう(ヒト)がいるんだからッ!」

「そうはいってもまんざらじゃないんだろう?」

 

 フツヌシは直刀にもかかわらずまるでくねっているように恥じらい、裏返った。そして影景は今までのことは何もなかったかのように刀を無視して本殿へと歩いていく。

 ピンク色の背景?そんなものはない。ここは夜の神社である。

 

「お前に興味津々なのは間違いではない。だが断絶剣、意志あるお前をとらえたとて、あっという間に結界でも世界でも切り裂いて逃げてしまうだろう。俺は無謀な勝負はしない。するのは逃げ場を断ってからだ」

「……もォー!! 乙女をもてあそんでッ! ハッ……(わたし)、逃げ場を断たれちゃう……!?」

 

 漫画的表現で頭(柄)から湯気をたてて、それでも布津御霊剣は影景たちの背後についていく。影景はまだ新しい木の匂いもかぐわしい本殿を眺めながら、長く息を吐いた。

 

 何かが可笑しい。影景が真面目に春日を調べるのは数年ぶりであり、その間に聖杯戦争があり、かつ碓氷の結界が背後の剣によりズタズタに引き裂かれたことを差し引いても違和感がぬぐえない。最も可笑しいことは、何が可笑しいのかわからないこと。ただ、春日の魔力の流れは、此処まで効率化されていただろうか?

 

「結界も修復は八割済んでいるのだがな? ……ううむ、これはやりがいがある。おい御雄、あとでさっきの茨木童子の言っていた話について詳しく聞かせてくれ」

 

 ここは碓氷の管理地――とはいえ、以前に存在しなかったものは確かにある。

現界し留まり続けるサーヴァントたち。彼らまですべて把握しているかと言われれば否である。勿論影景自身も調査をするつもりであるが――。

 

「それはそれとして、明にやらせるか」

 




春日自動観測装置は春日で起きた全事象を記録し続けているシロモノですが、
未来演算はしてないです。
あくまで観測しているのは春日市というミクロな範囲にとどまるので、未来を演算するにしても情報源が春日市だけだと足りなさ過ぎて使える精度にまで達していないからです。影景はあくまで過去の事象分析のために使用しています。
(外部から情報を付加する、仮定を与えることでやろうと思えばやれる)

そしてどこにでも現れるフツヌシ


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夜④ 過去はいまだ闇の中

 昼も下りつつあるころあい、拠点にてキャスターは鼻歌交じりに包丁を握りしめ、台所に立っていた。まな板の上ににんじんを乗せ、その周りには買い込んだ食材が所狭しと並べられている。明らかに作業場としては最適化されていない。

 

「ふ~~うふを越えていだぁ!! くない……」

 

 思い切りよく包丁を下して指を切った……と思いきや、そんなことはなかった。生前ならともかくサーヴァントとなった今であれば、神秘のない刃物で傷を負うことはない。白い指は何事もなく健在、不恰好ながらにんじんは切れている。

 

「ナナさんは切るのすごい早かったなあ~私がやるっていっても媛様にされられません、って言われたけど~」

 

 かつての東征における膳手(料理人)七掬脛(ななつかはぎ)。彼は戦闘においてはキャスターと同レベルの才能なしで剣を握っても何の役にも立たず、有事の際には彼女とともに神速で後ろに引っ込むのが常だった。だが包丁を持たせれば話が違い、どんな魚や獣も綺麗にさばいてみせた。神の剣は「もしもの際には剣ではなく包丁で戦え」などと言っていたか。

 戦いがメインとなる東征軍において、彼は己が戦えないことを何ら恥じてはいなかった。何故なら戦闘は彼の役目ではなく、それを他のメンツも承知していたからだ。

 キャスターも彼と同じだ。東征軍において戦えなくても、彼女は気おくれしなかった。産むことも育てることも役目ではなかったから(それは大和にいる他の奥方の役目)、一人いた子供は大和においてきた。

 彼女の役目は、いわば神の剣の身代わり石。神の剣のために死ぬのではなく、神の剣が成すべき事のために死ぬ。つまりキャスターが元気ということは、神の剣も元気で東征は今日もことはなしなのだ。

 

 生前はそんなふうであった彼女であり、サーヴァント化した今料理は「役目ではない」ことは百も承知なのでこれは心の贅肉というか、遊びである。死んだからこそ、生前を顧みることもできる。

 

(……っていうか、私もうほとんど自分のこととか思いだしましたけど……)

 

 ハルカはまだ記憶があいまいなままであったが、キャスターは違った。八割の記憶は復元され、残りの二割も推定でおおよその内容は察しがついている。だが、思い出してしまったからこそ(・・・・・・・・・・・・・)、ハルカには何も言わないと彼女は決めていた。

 そして記憶が戻っても、解決されないことはある。何故自分がここまで元気なのか、である。戻った記憶が正しければ、今頃正気を保っているかどうかも怪しいはずだ。

 

「わっかんないですね……いだぁ!! くない……」

 

 つい数秒前と同じことを繰り返しつつ、キャスターはじゃがいもを手に取った。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ――お前が不必要なのではないだが、「宝石」の魔眼に比べれば……。

 

 それが実親の本当の思いだったのだろう。

 

 ――魔眼蒐集列車(レール・ツェッペリン)。時計塔でも大多数の魔術師は噂しか聞いたことがない、ありとあらゆる魔眼を蒐集して世ヨーロッパを走り続ける列車。年に一度とりそろえた魔眼をお披露目し、同時にオークションを開くという。

 

 魔眼を純粋な研究対象として求める向きも勿論あるが、その列車が特異な点は、魔眼の移植さえやってのけることである。本来魔眼は持ち主に根付いたもので、摘出するだけでも至難の業である。だが魔眼蒐集列車はさらに諸問題を無視して、移植まで行う。

 

 その伝説の列車に、何の因果かハルカの生家は招待状を受けた。生家の家は魔術の家系としては三百年程度、時計塔においては貴族に手が届かない、かといって全く歴史のない家でもない、もどかしい歴史の家だった。

 その生家は、意気揚々と魔眼蒐集列車に乗り込んだ。そして結果だけ述べれば、「宝石」ランクの石化の魔眼を落札した。ノウブルカラー、しかも宝石ランクの魔眼とくれば落札価格は億を優に超える。

 当時、ハルカの生家にそれだけの貯蓄があったか――なかった。とすればその費用は借用のわけだが、それはどう調達されたか。

 

 ――ハルカの両親は、ハルカをエーデルフェルトに近い分家の養子に出してその金を調達した。養子にしたといえば聞こえはいいが、要は跡継ぎのハルカを売って金を作ったのだ。

 当時、ハルカは五歳。また跡継ぎを作り直す費用と、今魔眼を落札する費用――今度、いつ招待状が届くかわからない――と引き比べた結果、魔眼を選んだのだ。

 

 エーデルフェルトといえば歴史ある魔導の家にして、宝石魔術の大家。よい魔術師の卵を手に入れられるのであれば、ある程度の貸与なら請け負う(そもそも宝石魔術は宝石を使用するだけあって、数ある魔術の中でも金のかかるものである)。

 

 今でこそ実の両親の意向もよく理解でき、エーデルフェルトは「この子には大金の代になるだけの素質がある」と認められたと言う意味でも、むしろ当然で誇らしいとすら思っているのだが、当時のハルカにとってはただただ衝撃の出来事だった。

 これまでお前が跡継ぎだ、出来過ぎた素質だと両親から褒められてきたのに、魔眼に比べれば不要だと切り捨てられた気がしたのだ。

 

 ゆえに日々の暮らしがエーデルフェルトの一屋敷に移ってからも、ハルカは落ち込んでいた。養子の立場で魔術に身が入らないことを幼心によくないだろうと感じてはいたものの、どうしても気もそぞろになっていた。

 

 その時に出会ったのが、エーデルフェルトの現当主の片割れ。

 青のよく似合う、天上の美貌と評される麗人にして傲慢して、『地上で最も優美なハイエナ』を絵にかいたような彼女。

 

 当時の当主としては、引き取ったハルカを元気づける意図はなかったと思う。正直、誰かを気遣って励ますという言葉と行為が似合う御仁ではない。

 いや、励まそうという心持はあってもそれが肉体言語的に現れ、スパルタ様式と取ることが多いのであるが。

 

 そういえば、最後まで聖杯戦争に関わるのはやめろと言っていたのも御当主だったか……。

 

 

 

 

 

「……スピー」

 

 ハルカはゆっくりと目を覚ますと、目の前にあったのはキャスターの顔だった。彼女はベッドの傍らに腰を落ろし、両腕と頭をベッドの上にのせて眠りこけていた。眠るならもっと寝やすいところでねればいいものをと思いつつ、ハルカは彼女をゆすって起こした。

 

 

「ハッ! ハルカ様も寝顔を堪能していたら……おはようございます!」

 

 ハルカはセリフにツッコミを入れず、ベッド近くのベランダへつながる窓から外を見やれば、外は夕暮れに染まっていた。頭を振って意識をはっきりさせるが、やはり記憶が戻った様子はない。正直に落胆し、溜息をついたところ、キャスターが慌てていた。

 

「あっ、どこか具合でも!?」

「いえ、体調に問題はありません。しかし全く記憶は回復した様子がなく……あなたはどうですか」

「えっ、私も記憶はあんまり、」

 

 恐縮して小さくなるキャスターに対し、ハルカは肩に手を置いた。「あなたが謝る事ではありません。しかし、安静にしていても回復が見られない。ならば行動していたほうがマシですね。ひとまず、この屋敷の工房化は行いますか……」

 

 起きる前と起きた後で、周囲に気配の変化はない。魔術師・サーヴァントの気配もない。しかしベッドから立ち上がった時、ハルカは腹に違和感を覚えた――とてつもなく、腹が減っている、と。

 

「……キャスター、すみませんが食事にしましょう。あなたは待っていてくれればいいので「待ってました!」

「は?」

「私はデキるサーヴァントです。既にカレーライスを作ってありますとも」

 

 腰に手を当て鼻を鳴らして得意げなキャスターだが、ハルカはその内容を手放しに喜べない。拠点として与えられた場所に最初から食材が用意されていたのか。いや、御雄神父はまさか自分、ハルカ・エーデルフェルトが自炊をすると思っていたのだろうか。

 

「……食材があるのですか。調理器具も」

「フフン、ハルカ様より先に起きたので作っちゃいました。冷めてしまっているので温め直しましょう……ささ下へ参りましょう」

 

 マイペースでハルカの手を引こうとするキャスターをとどめ、彼はその場で立ち止まったまま鋭い眼で彼女を見据えた。

 

「キャスター、買ったのですね。それらの食事を買うお金はどこから」

 

 麻痺にでもかかったように一時停止するキャスターは、油の切れた機械のような動きでハルカに振り向くも、完全に目を泳がせていた。「……お、夫の財布は妻が握るものですよ」

「前提として、私たちは夫婦ではありません。そして正当な出費であれば、きちんと日本円を渡しますので勝手にとっていくのはやめなさい。ひとつ訊ねておきますが、私のお金で買ったものはそれらの食事のみですか」

 

 これまた盛大にキャスターの眼はバタフライで泳いでいた。ハルカは無言で拳骨を彼女の頭に落した。

 

「た、体罰反対! これはDVですっ」

「あとで何に使ったのか詳しく報告を。しかし食事を用意してくれたことには感謝しますが……正直、作るなんて手間をかけず出来あいのものでよかったのですが」

「で、出来あいのものの方がおいしいかもしれませんけど、愛情はたっぷりいれました」

「……」

「ス、スルー!?」

 

 一人その場でよよよと崩れ落ちるキャスターだが、それさえあえなく無視された。溜息をつきながら階段を降りるハルカは、正直先行きの怪しさに不吉なものを感じていた。記憶が欠けていることに加え、昨夜目覚めてからほぼ丸一日眠りこけていたという事実。

 自分としてはそこまでの不調を感じていないだけに、なおさら奇異である。だがその思考は、背後から復活して追いかけてきたキャスターによって止められた。

 

「あの、私、見ちゃいました!」

「何を?」

「多分、ハルカ様の過去を……いや私としてはマスターのことを知れてラッキー☆くらいなんですけど、そのぷらいばしーの侵害的な? 不可抗力なので許してほしいな、みたいな」

 

 自分で自分の頭をこつん、と拳骨で軽くたたいて見せるキャスター。かわいいと思ってやっているか……はともかく、サーヴァントと契約したマスターは、因果線(パス)を通じてサーヴァントの記憶を垣間見ることがある。またその逆もありうる。

 しかし眠るときに意識をカットすれば起こらなくなるのだが、あえてハルカはこのままでいいと思った。

 

「何を見たのか知りませんが、私は気にしませんよ」

「え? ほんとにほんとですか? お嫌でしたら何か手を打って」

 

 しかしハルカは、顔色一つ変えずに首を振った。「敵陣営に見られては何かこちらの弱点を探られる可能性があるので問題ですが、自分のサーヴァントでは構わないでしょう。むしろ今現在、二人とも己の記憶がおぼつかない状態であることを思えば、互いに何を思い出したのか共有できたほうが便利でしょう」

 するとなぜか、キャスターが唇を尖らせて文句を言い始めた。「むう、ハルカ様のそのあけすけ感は嫌いではありませんが、相手も自分と同様に過去を見られてもいいと思っているあたり、無神経です! オトメには秘密が多いものなのです!」

「男だろうが女だろうがサーヴァントはサーヴァントでしょう。使い魔とはいえ人格がある以上、その人格は尊重したいと思いますが機微を求めないでいただきたい」

「ムキー!! ハルカ様、モテると見せかけてモテないでしょう!」

「? モテなくても困ったことはありませんが……。あなたも大概わけのわからないことを言いますね。それに生きた時代も違い、地域も違う者同士、それ以前に他人同士で何も言わずとも理解しろと思う方が愚かです」

 

 テンポよく交わされていた会話が、一瞬止まった。それはなんでもないと言われればなんでもない間であり、ハルカも気に留めなかった。なぜか肩を落としたキャスターは、カエルがつぶれたような声を出した。

「ブピー……。正しくてグウの音も出ません。以心伝心なんて幻想で……ハァ、早くごはんにしましょう! ちゃんとレシピ通りにつくったんです! 愛の味をご堪能あれ」

「食事をしたらこの屋敷の工房化を行い、軽く周囲の偵察を行いましょう」

「ねえハルカ様ァー! あんまり無視するといじけますよぅ! あっでもそのうち無視されるのも快感に……」

 

 最早キャスターの妄言をスルーし始めたハルカは、さっさと階段から一階へ降りて行った。

 

 

 

 

 

 元々外国人の老夫婦の生活用だったとされるこの屋敷は、碓氷邸と比べるとコンパクトでシンプルな造りである。客間・リビング・ダイニングキッチン、書斎に風呂と洗面所――日本の一軒家よりも敷地が広いものの、部屋数は大差ない。ハルカは対面式ダイニングキッチンの食卓で食事を終えていた。

 食卓には新しい白のテーブルクロスが敷かれていたが、多分勝手にキャスターが買ったのだろう。クーラーがきいた静かな古屋敷で、ハルカは改めて拠点を見回してから顔をキャスターに向けた。

 

「ごちそうさまでした。普通ですね」

「普通ですね、といいつつ完食してくださるということはアレですね! ジャパニーズシャイ、口ではそういいつつめちゃくちゃおいしかったという!」

「いえ普通ですね。ただものすごくお腹が空いていたので。あと私は日本人ではありません」

「ま、まじれす……しかし初めて現代食を作って普通ならむしろ上出来ではなかろうか!」

 

 台所でからっぽになった鍋を抱えて叫ぶキャスターをスルーしつつ、カレーライスで腹を満たしたハルカは休憩もそこそこに立ち上がる。まだ少々埃臭い室内を見回しつつ、白っぽい壁に触れた。管理が行き届いていない箇所はあるものの、基本は西洋の屋敷として作られているため密閉性もまずまず及第点である。

 

「さて、ここの工房化をしようと思いますが……そもそも私ではなくあなたに任せた方がいいですね。私はあまり結界を得手としませんし、宝具が使えないとはいえ、あなたはキャスターですし」

 

 キャスターにはクラススキル「陣地作成」がある。魔術師の工房のグレードが上がったようなもので、自身に有利な陣地を敷くことができる。その陣地内であれば、白兵戦に劣るキャスターだろうとセイバーやランサーなどと渡り合える可能性も高い。

 ただそれもあって、おめおめキャスターの陣地に無策で攻め込む陣営もなかなかいない。しかし敵を防げる安全地帯をつくる意味では、当然陣地は作成するべきである。

 

「……もしや、宝具だけでなくスキルや魔術も使えないなんてことは……」

「い、いえっ! 大丈夫です! 敵を迎撃する機能ってのは得意じゃないんですが、入らせないようにするっていうのは得意です。ここを認識できないようにする、みたいな? それならチョチョッとやればできるはずです」

「……ほう。ではお願いします」

 

 キャスターは軽く言ったが、認識をそらす形の結界は結界の中でも高度なものに分類される。彼女がどの程度のものを作るかは後で確かめさせてもらうとしても、まかり間違っても自分より下手糞ではあるまい。

 キャスターはきれいに食べ終えられたカレー皿を回収し、台所で鍋とともにざぶざぶと洗い始めた。カレーの汚れは落ちにくく、大量の洗剤を使って格闘しながら、事のついでに彼女は尋ねた。

 

「結界が苦手とおっしゃいましたが、ハルカ様が得意とする魔術は何ですか?」

「エーデルフェルトは宝石魔術の大家です。しかし私は生まれがエーデルフェルトではないので」

 

 キャスターが既に過去を見ているため、ハルカは細かい説明を省いた。エーデルフェルトも、ハルカが生家から学んだ術と体質のことは知られているから隠すことでもない。今思えば、生家の魔術もなかなか役に立ってはいるのだ。魔術に必要な触媒や素材集めの方面で、特に。

 

「……生家の魔術である幻獣狩りですかね。ただ、聖杯戦争は魔術師対魔術師、サーヴァント対サーヴァントなので使うことはなさそうですが」

 

 




キャスター「東征軍の今日のごはん!(刃物を振り回しながら)」
七掬脛「やめましょう媛様、殿下も血の味がする刺身とか食べたくないですよ……ハッ、部屋の奥から殿下が飯はまだかムーヴを……!」




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3日目 異変調査&聖杯戦争、はじめました
昼① 神武(じんむ)プレリュード


 往くのならば東が佳い。往くのならば東が佳い。往くのならば東が佳い。往くのならば東が佳い。往くのならば東が佳い。往くのならば東が佳い。往くのならば東が佳い。往くのならば東が佳い。往くのならば東が佳い。往くのならば東が佳い。往くのならば東が佳い。往くのならば東が佳い。

 

 衝動にも似た何か。神霊の啓示。塩筒老翁(しおつちのおじ)が「往くのならば東が佳い」と告げる前から、男はそうなのだろうと気づいていた。

 

 東征とは、己が血潮と神霊の血潮、今も秋津島に留まる荒御霊の力・蔓延る悪神の体をも薪として、葦原国に龍脈(龍神)そのものを刻み込み・変革をする大儀式。

 後に造られる第二代神の剣(ヤマトタケル)が本当に神も獣も鬼も屠る「武具としての神の剣」となったのは対照的に、彼は儀式の触媒たる「祭具としての神の剣」だった。

 

 ――遠き大陸では、既に神代は終わりに近づいている。だが世界の潮流の端にある、極東の小島は違う。

 大陸で神代が後退しても、その伝播は遅い。おそらく人間時間にして千年以上の遅れをもって、漸くこの小島でも神代が終わる。ではその差の間、秋津島はどうなるか。神代が残る、と言えば聞こえはいいか。

 いや、神代・神秘の掃き溜めだ。世界の裏側へ行くことを拒んだ大陸の有象無象の幻想種、外宇宙の神秘も生存してしまう混沌の時代が来ると、天津神は睨んでいた。

 

 

 神霊は、おおよそ人間にとって良きものである。ただそれは総体としては良い結果に向かわせると言う話で、一人間の幸福にこだわりはしないのだが――「良い結果」に向かわせるため、天津神神は極東の離れ小島を護るために、龍脈――地球にある魔術回路のようなものを――を、秋津島に群する人間・精霊らに利する働きをするように改造する挙に出た。

 

 そのために、再び地に降りた建御雷の分霊(アルターエゴ)。今の名を「彦火火出見(ひこほほでみ)」。

 秋津島を結果的に護る、という意図で国津神の加護をも得た神の剣。

 彼はこの筑紫から旅立ち、遥かなる大和にまで及ぶ――たしか、逆側からは邇藝速日命(ニギハヤヒノミコト)が刻み、最終的に二人は出会う。

 

 この大儀式を成すための薪は、秋津島に襲来したモノ・押し寄せたモノ・まつろわぬ悪神全て。そして、天津神直系の子らも含んで。

 秋津島を脅かすほどの力を以てこの大地に陣を刻みつけて龍脈をも圧し変える。――そうだ、全てはもう決まっている。

 必然であり必定の事柄をただただ現実へと移していくことだけが自分の成すことであり、生なのだと知っていた。

 ゆえに生には喜びも悲哀も驚愕もない。

 これは日本最強の名を冠する英雄よりも、もっと人と神が同一であった時代の話。

「カムヤマトイワレヒコ」という体はあったが、その心はまだなかった時の話。

 

 全ての始まり。伝説の始まりにして、この国の始まり。

 

 

 

 

 ――ふうむ、しかし、知らぬと言うことは幸せなものだな。

 

 彼は幼少の時からまわりの人間を見て、常々そう思ってきた。最もそう感じたのは、最も身近である三人の兄についてだった。

 いずれ成長し、己が東へと旅立つ際に同行するこの三人の兄は、ことごとくその旅において死ぬ。仔細まではわからずとも、彼らは全員、悲願とした美しき地を踏むことなく嘆いて死ぬことになる。

 

 そして兄たちに限らずとも、共に旅立つであろう者たちも途中で斃れていく。

 彼は、あえてその運命を伝えることはしなかった。

 

 生物にとって死は恐るべきものであり、それを知っては絶望せずにはいられまい。

 彼らがいなくては、己が出る旅に多少の不自由が生じるから黙っていた。

 

 しかし、悲しき終わりを迎える運命にも拘わらず、人間は誰も彼もが楽しそうに笑っている。

 自分より遥かに不自由な事が多いくせに、誰も彼もが苦にせず、幸せそうに笑っている。

 その理由を彼は「己が運命を、己が卑小さを知らないから」と理解し、半ばその無知を見下しながら、半ばその運命を憐れみながら、淡々と儀式の時を待っていた。

 

 

 彼は己が他の人間とは違うことを知っていた。さらに血を分けた兄たちとも、また違うことを知っていた。

 幼少から賢いと言われてきたが、それすらある程度加減していた。人間どもを従え使役する立場にある彼は、優れた人物でなければならなかったが「怪物」であると見做されれば面倒なことになると知っていた。

 彼にとって正真正銘の天孫の血である自分以外のものは須らくどうでもいいもので、東征(儀式)を完遂することがすべてだった。

 

彦火火出見(ひこほほでみ)

 

 そう彼のことを呼ぶ、彼の長兄もその十把一絡げの中の一人。取り立てて何が得意というわけでもないが長兄らしく心優しく、名を五瀬命(いつせのみこと)といった。

 

 塩筒老翁によるお告げを聞いた後のことだった。まだ日の高い時分、野原にてその長兄――五瀬命は、男彦火火出見を引き連れてそぞろに歩いていた。

 遠く並ぶ山脈は美しく、澄んだ青い空と好対照をなしていた。

 

「本当に、東に行くのかい?」

「当たり前でしょう」

 

 それについてはこれまでさんざんに話を重ねてきた。お告げまで得たのだから、これ以上東征をしない理由はない。これは成さねばならぬ神命。

 

「……うん、きっと神はそう仰せになっているんだろう」

 

 何を呑気な事を、と彼は思う。彦火火出見は本当に神の声を聴く。別に祝詞を捧げることなく、禊もせずとも声を聴く。

 最早呪いとでもいえる回数、彦火火出見は「東へ」との言葉を聞いている。

 しかし彼以外のすべては神託を得るにも呪的行為を必要とし、さらにそうしたとて正確に聞けることさえごくまれだ。そもそも、神託を受けるには素養に寄る部分が大きすぎた。

 

「彦火火出見、君は僕たちよりもより多くのものが視得ているのだろう。その君が行くべきだと言うのだから、もちろん僕たちは従うよ」

 

 その言葉に、彼は初めて兄を見上げた。少なくとも五瀬命は、彦火火出見とその他大勢が全く違うモノであるとわかっている。少しだけ兄を見直した彦火火出見だったが、その兄が発した次の言葉を、理解できなかった。

 

「しなくちゃいけないことはある。だけど君自身がやりたいことを持つのも、決して悪い事じゃないと僕は思う」

「私はやりたいことをしています」

 

 即座に彦火火出見はそう言い返した。己の成すべきことなど生まれた時から知っており、考える間でもない。彼は兄を無視し、踵を返した。

 その後ろ姿を兄がどんな顔で見ていたかなど、興味もなかった。

 

 彦火火出見が成長し、お告げの通り東征(大儀式)は始まった。神筑紫、豊国、安芸、吉備国を敵を破り、土地を祀り治めて進んでいったが、浪速の国において待ち構えた軍勢――彼の東征において最大の敵である長髄彦(ながすねひこ)の軍勢と出会う。

 

 そもそも長髄彦(ながすねひこ)なるものは、一体何者なのか。この時、まだ彦火火出見一行はその正体を知らず、東の神代の地に割拠する神秘の端くれだと認識していた。だがその「端くれ」に一行はてこずり、水上にて激闘を繰り広げ一進一退を繰り返し、矢の雨が降りそそぎ幾人も敵の剣にかかって死んでいった。

 そしてその負傷者の中に、五瀬命の姿があった。何分当たり所が悪く、心の臓付近を射抜かれていた。即死は免れたものの、重体には変わりない。

 

 船の中で傷ついた兄の姿を見た時、彼は理解した。

 ああ、この兄はここで死ぬ予定だったのか。

 

 兄が死ぬことは初めからわかっていたから、驚くことではない。いよいよ容態が危うくなったとき、部下から兄が呼んでいるとの話を聞き足を運んだ。

 

 天気は悪く、朝から雨が降り続いていた。そういえば長髄彦との戦いを始めてから、天気の良い日がないような気がするなどと考えながら、彼は兄の寝そべる部屋へと入った。

 

 空気は重い。兄の顔色を見ただけで、彼は兄の死の確実さを察した。枕元に腰を下ろすと、時間が惜しいとばかりに兄が口を開いた。

 

「……僕たちは天照様の加護を受けて戦わなければならない。だから、太陽に向かって進軍するのは間違いだった。これからは太陽を背中にして戦ってくれ。そうすれば、君は長髄彦なんかに負けない」

 

 太陽の子孫たちが太陽に抗するのではない。その方角の加護を受けて戦う。それだけで神代にほどちかいこの時代では、得られる力が格段に変わる。

 とすれば、進軍方向を南に向けていちど長髄彦からは離れるほうがよいことになる。

 

「……ま、もっと早く気づくべきだったんだけど……。君がいるから大丈夫、ってみんな思ってしまっていたのが間違いだった」

「……さすが我が兄、慧眼だ。だからこそ惜しいが、そなたはもう死ぬぞ」

 

 最早黄泉路へと片足を入れている者に対しては構わぬだろうと、彼はあっさりとそう言った。

 だが兄は恐ろしく悪い顔色のまま、気にした風もなく笑んだ。

 

「だろうね。流石に自分の身体だからわかるよ……にしても、ここだったかぁ。東征の途中で絶対死ぬのはわかってたけど、もうすこし先かなと思っていたんだけど」

 

 さらりと吐かれた言葉に彼は耳を疑い、兄を凝視した。

 今この男は「東征の途中で死ぬことはわかっていた」と言った。

 死ぬかもしれない、ではなく絶対に死ぬと。彼は視線に気づいて、兄は苦しげに笑った。

 

「流石に君ほどじゃないけど、僕も天孫の末裔だ。ある程度のお告げを聞くことはできるから、解っちゃったんだよ。僕はこの旅で絶対に死ぬって」

「……ならば、何故お前はこの旅に同行した」

 

 そう問う声は震えていたのかもしれない。

 人間とは、多くが悲惨な報われぬ終わりを迎えるもの。

 それなのに絶望せずに笑っていられるのは、己の運命から目をそらし、自分だけは死なないものと錯覚しているからだと。

 自分は幸福な終わりを迎えられるはずと、無根拠に想い無知であるが故に幸せな生き物――それが、彼の思い描き続けてきた人間だった。

 

 生きていたいなら東征に出るべきではないのに、兄は全く東征を渋ることなどなかった。絶対に嫌だというのなら、足手まといになられるのも面倒なため日向の支配を頼んでいてもよかった。

 それなのに何故、この人間は東征を否まなかったのか。

 

 兄はいまさら何をと言いたげに、当たり前のように答えた。

 

「君の創る国を見てみたかったんだ」

「だからお前は途中で死ぬと」

「あ、言葉が足らないか。うん……国を建てる、いや、本当は国を作るのが目的じゃないのかもしれないけど……君という人が作る国の手伝いをしていたかったんだ」

「……お前は、俺が国を建てられると本当に信じているのか?」

 

 男は自分の建国すること(儀式を完遂すること)を知っている。だがそれは彼だけで、他の人間は知らないはずだ。

 

「いや、どうだろう」

 

 話の流れとしては完全に「信じている」というところだと思ったが、兄はせき込みながら首を傾げていた。

 

「も、もちろんできると思っている。だけど、たとえ僕は、最後がどんなに悲惨であっても、君や他の弟たちと進んだその道のりが無意味だとは思わない。僕が懸命に足掻いたことは絶対に無意味じゃない」

 

 途中で死ぬことが決められていた運命だとしても、そこまで共に戦った記憶が意味を持つ。己に恥じることはなく、終わりにおいて希望がある――彼は、呟いた。

 

「……最後が死であっても、その道中にこそ意味があるというのか」

「だって、皆、最後には死んでしまうだろう?」

 

 兄はうっすらとほほ笑んだ。すでにその眼は彼は姿も映っていない。意識も消え失せ始めている。殆ど唇の動きだけで、末期の言葉を未来の開闢の帝に――否、己の弟に伝えた。

 

「でも、君自身がしたいことを、知りたかったな」

 

 その時、ずるりと兄の手が床に落ちた。

 

「……! 五瀬兄!」

 

 ――その時まで、彼ははすべてが有象無象に見えていた。

 味方であろうと敵であろうと、全て矮小な生き物だった。

 

 しかし、それは早計なのではないかとの疑問が、彼の脳裏を掠めた。

 兄は自分の運命から目をそらして生きてきたわけではなかったのだから。

 

「……人間、とは」

 

 死した兄の手を握ったまま、彼は呟いた。この疑問を解消するためには、己が神命を成す傍らで生きる人間を見続けるしかない。

 間違いがあるなら正すべきとする彦火火出見は、静かにそう誓った。

 

 だが、その時彼はまだ知らなかった。神霊の写し身であるがゆえに尊大にして不遜だったが、自身が人の感情に近付いていることを。

 そして我知らずのうちに、己の顔つきが鋭く険しくなっていることを。

 

 この東征は何があろうと続く。ならば、また長髄彦と見える時も必ず来る。

 

 

 その時こそ――兄の命を奪ったあ奴の命はない。

 あれもこの儀式の贄、変革の為、必ず地に刻んでやると。

 

 

 

 

 サーヴァントは夢を見ない。だからこれはただの記憶であり、記録。

 あまりにも古い、根の国にも常世郷にも徒歩で向えたほどの人代の始まり。

 

 

 

『イワレヒコ』

「……む?」

 

 は、とライダーは眼を開いた。フツヌシが浮遊しているのかと思ったが、剣の姿はない。彼が座っていたのは駅前に特設ステージとして造られた舞台の裏手だった。幕で外とは隔てられており、人に見られるような場所ではない。

 機材がごちゃごちゃと積んで置かれている中、ライダーは白に輝く船の上に胡坐をかいて眠りこけていたらしい。

 

 そして彼に声をかけたのは、その船そのもの。天鳥船、またの名を鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)。彼はフツヌシとは違って寡黙であるため、話しかけてくることは少ない。ライダーが覚醒したことを確認すると、またいつものだんまりに戻ってしまった。

 

「何用か……」

 

 ライダーが腰を上げるとほぼ同時に、幕をのけて入ってきた男が一人。プロデューサーの神内御雄だった。この夏に長袖詰襟のカソックであるが、汗ひとつかかずいつもの胡散臭い微笑を湛えた表情のまま、彼は言った。

 

「準備はいいか。ライダー……これが、「KAMI NO TSURUGI」初のイベントだ」

「ああ……」

 

 珍しく生前の記憶を夢見たのも、今このタイミングだからか。

 ずっと昔、まだ日向にいた頃、神命以外の何にも価値を見出していなかった原初(ゼロ)の己。まだ、ただの建御雷であり「カムヤマトイワレヒコ」がいなかった時の自分。

 ああ、なるほどつまり――。

 

「また(わたし)はゼロからはじめるのだ。「KAMI NO TSURUGI」として」

「? 何の話だ」

「いや、こちらの話よ。御雄、お前は客席方から見ているがいい。機材の操作はお前の養女と一般信者に任せるのであろう?」

「お前に言われなくとも客席から客の目線で観察するつもりであった」

 

 ライダーはフ、を唇を緩めると紅い瞳を閃かせた。光沢(ラメ)の煌めく白い羽織と袴を翻し、早くもマイクとマイクスタンドをひっつかみ、鳥船から飛び降りた。

 

 

「――GO EAST! 新たなる(東征)の始まりである!」

 




シスター美琴「私は何をしているのかしら……?」
巻き込まれ労働力搾取される春日教会の一般信者の皆さん(……いったいこれは何なんだ……?)

落書きライダー
【挿絵表示】


※beyond本編だとシリアスキャラだった
あしはらさん(https://www.pixiv.net/member.php?id=2119463)に書いていただいた文庫版表紙
【挿絵表示】




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昼② 荒ぶるKAMI NO TSURUGI

「……ぁ~」

 

 碓氷明が目を覚ましたのは、午前七時半。予定のない日の彼女にしては快挙といえる時間だが、どうにも体調がすぐれない。熱はないと思うが、けだるく、のどもいがらっぽい。

 ここ数日、色々と気が揉むことは多かった上に昨日はアヴェンジャーと夜歩きに精を出してしまったから、もしかして疲れているのだろうか。とにかく明は気合を入れて上半身を起こし、顔を横に向けた。

 

 パンイチのヤマトタケルが、全身鏡の前に立っていた。

 

 

「うむ。ギリギリイケるな」

「……?」

 

 もしかして自分は寝ぼけているのだろうか。目をこすり頭を振って、もう一度同じ場所に目をやった。

 

 女性物のフリルがついたパンツ一丁のヤマトタケルが、全身鏡の前仁王立ちし、こちらに背中を向けて、立っていた。

 

 どうやら幻覚ではないことを、明は嫌々受け入れた。だが正直どうリアクションをとっていいのかわからず、結局まじまじと彼を見つめる状態になってしまった。

 というか、どういう状況?

 

「……何してるの?」

「明、起きたか。今日は早いな」

 

 ヤマトタケルは、いつもと全く変わらない様子でくるりと振り返った。今まで明は背面を見ていたが、前側もそれはそれで衝撃映像であり、女物の下着は当然男性のソレをホールドしたり解放感をあたえたりする作りになっていないうえ、大柄な彼には全く合っていないサイズのためいろんな意味ではちきれそうだった。いや、詳しい言及はよそう。

 朝から気色の悪い姿を見せないでほしいのだが、いや夜ならいいわけでもないが、看過できないことにそのパンツは明の私物ではないか。

 体調とは別の原因の頭痛を感じながら、明は重ねて尋ねた。

 

「……何してるの?」

「お前のパンツを穿いている」

「……いや、えっと……ぱんつ、穿かない主義じゃないの……?」

「ああ。常々、こんな薄い布で何を護ろうとしているのかと思っている」

 

 ぱんつは人間の尊厳的な何かを護っているのだ!

 会話をして徐々に意識がはっきりしてくるにつれ、明はふつふつと怒りを感じ始めていた。だが、話を聞かないうちから怒るのはいかがなものかと理性を動員し、さらにヤマトタケルの言葉を待った。

 

「明日、土御門の学校に女装を教えに行くといっただろう。俺自身はのーぱん主義だが、世の女性の多くはパンツを穿くものだそうだ。故に女装に当たっては、女物の下着を身に着けるべきだと考えている。そして明日のために、女物の下着のサンプルがあった方がいいと考え、お前のパンツを拝借し試し履きをしているというわけだ」

「わかった。セイバー、一発殴らせて。よけたら契約破棄ね」

「!? 何故!?」

 

 やはり明の怒りの意味を全く理解していないヤマトタケルだったが、脳裏に殺人的な色彩で明滅する契約破棄の四文字に戦き、その場に直立不動の姿勢をとった。張り手のパーではなく思い切りグーのパンチが、ヤマトタケルの左ほおにめり込んだ。

 

 

 明はヤマトタケルにパンツを脱がせて――そうすると自然全裸になってしまうので、戦闘時鎧の下に纏っている衣服を魔力で編ませて、正座をさせた。寝起きの悪い明だが、哀しくも目が覚めている。

 

「……マフラーやエプロンは俺と同じものを使っても何も言わなかったではないか。なぜパンツはだめなのか」

「……そういわれると説明しにくいけど、大体の女性は直接肌に、特に局部に触れるものは人と同じものを使いたくないんだよ。だからもし女性物の下着がほしかったら、下着屋に行って買ってきて」

「……買うことも考えたのだが、明は無駄なものを買うことは嫌いだろう。だから借りる選択肢をとった。それに現代の品は新品よりも、実際に使用されたものの方が穿きやすい」

 

 ……新品のタオルなど水を吸わないから、一回洗濯してから使う人も多い。パンツもまた然り。

 毎度のことではあるが、話を聞けばヤマトタケルの行動には彼なりに筋が通っている行動ではある。ただ、その前提でコケていることが多いだけで。

 

 とりあえず明はヤマトタケルに「下着を勝手に穿くことは多くの女性が嫌うこと」と覚えさせた。彼はなぜか一度自室に戻り「春日生活マニュアル」と表紙に書いたノートを持ってきて、「下着を勝手に~」の下りをメモしていた。

 明は何だそれと覗き込むと、「極力人を殺さない」「碓氷邸のお客様には言葉であいさつする」、アルトリアの字で「暴力に訴える前に私に言う」と、なにやら恐ろしげだったり小学生かと思うメモ書きが連なっていた。

 明はどれだけ平和慣れしてないのかとツッコもうとしたが、良くも悪くも本気の常在戦場であることを思えばむべなるかな。とにかく、パンツの件でこれ以上責めるのも不毛である。

 そこで残った問題は、薄桃色にフリルのついた、ヤマトタケルが穿いたこの明のパンツをどうするか、である。

 

 正直明としては、洗ってももう穿く気がしない。とすれば捨てるしかない……と思ったが、ヤマトタケルは女装に使いたいと言っていた。恐らく彼は下着屋にパンツを買いに行くだろうし、とすればその出費をさせるよりもうこのパンツを上げてしまったほうがいい。

 

「……セイバー、私もうこのパンツいらないからあげるよ。だけどまたパンツがほしくなったらお店で買うんだよ」

「……! 本当か! 感謝する!」

 

 女子大生のパンツを握りしめて喜ぶヤマトタケル。絵面はただの変態である。明としてはパンツ一枚で大人しくしてくれるならいいか、と諦めにも近い気持ちもあるのだが、彼女の内心を知ってか知らずか、ヤマトタケルはこんなことを言い出した。

 

「そうだ、明、女性の下着といえば下だけではく胸当てのようなものもあるだろう。お前のアレを貸してくれないか」

「店で買って」

 

 時々びっくりするくらい図々しいよね、セイバー。さらなる体調の悪化を感じながら、明は大きなため息をついた。セイバーがどんな格好をしようと自由だし、店で買うなら好きにしてほしい。

 しかしアルトリアの下着ではなく自分の下着を拝借しようとしたあたり、まだ軽傷だったのかもしれない。パンツを勝手に穿いたとか穿かないとかのサーヴァントバトルで春日が灰燼に帰してしまってはたまらない。

 

 

「明―――!!」

 

 一件落着、となりかけたところに次いで部屋に入ってきたのは、歳四十代半ばの男性だった。その男は朝からテンションは高く、しわ一つないスーツを身に着け、トランクを右手に部屋に滑り込んできた。

 

「ん? セイバーヤマトタケルはなぜパンツを鷲掴みしているのか? それはいい、セイバーアルトリアも犬の散歩から帰ってきたようだし、今から聖杯戦争の振返りを行うぞ」

「? お前は誰だ? 明、知り合いのようだが?」

 

 影景に会ったことのないヤマトタケルは頭にはてなを浮かべている一方、明は心の中で大きなため息をついた。

 休暇のため春日に戻ってきた時から、残念ながら休みだけではないと承知はしていた。

 

 

「セイバー、これ、私のお父様。名前は知ってると思うけど、碓氷影景」

 

 

 

 

 *

 

 

 

「はァ~~」

 

 一成は盛大な溜息をついて、テーブルにつっぷした。彼の目の前には数学の教科書と問題集、それらを解くノートが広げられていた。先日桜田・氷空とともに宿題をする会を開いて進捗はあったものの、まだすべて片付いてはいなかった。

 その続きをこなそうと、今こそシャープペンシルを取ったわけだが、今やそのペンはコロコロとノートの上を転がっていた。

 

 今日は健康的に朝七時に起床し、バイキングで一成・アーチャー・理子・キリエとそろって食事をとったのだが、あまりに早く碓氷邸を訪問しても迷惑である。午後十時くらいになったら出かけることにしたため、それまで宿題を片付けて時間を潰すことにした。先程までは。

 宿題に決して全く歯が立たない訳ではないが、応用問題が解けない。

 

「何? あんたまだ宿題終えてなかったの?」

 

 アーチャーの買い込んでいる文庫本を読んでいた理子が、飲み物を取りに行きがてら通りかかった。昨日と同じ青いパーカーに茶色のキュロット姿だ。

 

「悪いかよ……はァ~~~微分積分とか死んでくれ~~」

「悪いとは言ってないけど早くやるべきものでしょ。どこがわからないの、教えてあげるけど」

 

 彼女は、四人掛けのテーブルで勉強していた一成の隣の椅子を引いて近づいた。

 

「ハァ~~~母性のないお母さん……」

「お母さん言うな!そして微妙に腹立つわね」

「是非助けてくれ……」

「す、素直ね」

「背に腹は代えられねえ」

 

 口から魂を吐き出しそうな一成の手元にある宿題を見ると、途中式が書いては消され書いては消されを繰り返した痕跡が残っており、真面目に取り組んでいたことが伺えた。きちんと宿題をしようとしているクラスメイトを助けないのは彼女・榊原理子のポリシーに反する……そう、理子が手伝うのは、それだけである。

 

 

 

 

「ふぅ……いやあ、青春だのぉ……」

 

 アーチャーは一成たちが勉強をするテーブルから離れたソファで、彼らを眺めながらくつろいでいた。顔になま温い笑みを浮かべながら、己がマスターとその同級生の行く先に想いを馳せていた。昔から十分親などから愛され、己を信じる独立独歩な土御門一成は他人からの好意の有無はわかるが――好意の種類の違いを感じ取ることには鈍い。

 経験不足もあるだろうが、彼自身今、それを必須のものとしていないから。

 

「言わぬからこそ情緒あることもあるが――あれには言わんと伝わらぬゾ」

 

 アーチャーは世話を焼くほどお節介でもなし、むしろ人のことにうかつに首をつっこむとややこしいことになるのは百も承知。ただ見るのは楽しい。ゆえに何もしない。

 

「前から思っていたのだけれど、あなた、現代に適応しずぎじゃないかしら」

 

 アーチャーの一人言が聞こえたのか聞こえていないのか、キリエは呆れ気味につっこんだ。アーチャーは鼻歌まじりに新聞をめくり楽しげであったが、ふと、何か思い出したように傍らの聖杯を見つめ神妙に問うた。

 

「姫、聖杯戦争再開の件であるが……私も本当にそれ自体は問題がないと思ってはいるのだが」

 

 キリエは紅茶をティースプーンで攪拌しつつ、静かな声音で答えた。「……ええ、問題はないわ。……ちょっとカズナリ、リコ・サカキバラ。もう十一時になるけどいいのかしら?」

 

 一成は勢いよく顔を上げた。思った以上に二人とも、真面目に宿題に取り組んでいて時間を過ごしてしまったようだ。「ゲッまじか。榊原行くぞ!」

 

「私はあんたに声をかける前に出かける用意してたわよ」

 

 がちゃがちゃと文房具やノートを片付ける一成に対し、理子はソファの上に置いてあるショルダーバッグをたすき掛けにし、早くも昨日と同じ格好で仁王立ちしている。と、彼女は思い出したようにアーチャー達へ振り返った。

 

「アーチャー、ありがとうございます」

「礼には及ばぬ。そなたが寛ぎ楽しめたのであれば、それが至上よ」

 

 恐縮して頭を下げる理子の背後に、女には親切だなと言わんばかりに苦虫を百匹くらい噛み潰していた表情の一成がいる。彼はさっさと踵を返し部屋を後にし、理子もそれに続いた。

 四人のうちでやかましい――キリエもやかましいメンバーカウントの時もあるが――二人が消えたことで、アーチャーは真顔で問うた。

 

「恐らく一成は聖杯戦争再開について、碓氷の姫の許可を得て調査なりなんなりを始めるであろう。あれは姫に協力したいという気持ちもあるが、同時に自発的に調べたい、知りたいという気持ちが大きい筈じゃ。私としては一成を放置しておくつもりであるが、危険はあると思うかの。小聖杯の姫」

「……さて、ね。どうかしら。カズナリは、必要とあれば危ない橋も渡ってしまうけれど……」

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ホテル春日イノセントは駅前の一等地に位置する高級なホテルであり、交通の便も優れている。ただ例によって駅前は人通りが多く、その上季節柄容赦ない日光で焦がされるコンクリートの道は控えめに申し上げて地獄である。

 それにしても心なしか昼間にしては人が多すぎる気がするし、何やら和風、だがロックな音楽が響きわずかに地面をゆらしている。春日駅南口、天気予報やCMを流している馴染みの巨大電光掲示板を何とはなしに、理子と一成は通り過ぎがてら見上げると、大きく人の顔が写っていた。

 

 この電光掲示板の下ではよく献血用の車が止まっていたり、子供向けのミニヒーローショーなどが行われたりする。

 普通であればショーでもしているのかと思うだけだが……。

 

「太陽を背に受けた公に敵なし! 待たせたな民草共ォォ!!」

「「「オォ―――!!」」」

「何のアーティストかしら。というかこんなに人がいるなんて……」

 

 人波にもみくちゃにされているが、ぶつくさ言いながら理子は迷わずついてきている。

 一成はつっこむことを辞めた。よし、何も聞かず何も見なかったことにしよう。「お前といるとめんどくさい事に巻き込まれるんだよ!」とよく友達に言われる一成ではあるが、無意味に自ら厄介ごとに関わるほど暇ではないのだ。

 たとえライダーによく似た人物が駅前のステージ上で、十人以上のバックダンサーを従えて、尺八や三味線がメインの和風ロックをミュージックに、かつ宝具でもある八咫烏を遥か頭上で激しく光り輝かせながら、光沢のある全身白の紋付袴でキレッキレのダンスを披露していても関係ないのだ。

 

 どんどん人ごみは酷くなる一方で、多分興味がなかったであろう人々も集まっているに違いない。

 響く大音量を尻目に、一成は理子を促しさっさとこの場を離れようとした。

 

「これ、本当に市が許可を出したの?」

 

 さあどうだろうか。無断でやってても違和感がなく、また(いろんな手を使って)許可を出させていても違和感がない。とりあえず早く離れたい。

 一成は前方を向いて歩きやすい道を捜していたところ、唐突にその男は現れた。

 

「そういわず見ていくがよい、陰陽師に巫女」

「心の声を読むな! ……って神内御雄!?」

 

 いつの間にか至近距離に立っていたのは神内御雄――真夏にもかかわらず冬と変わらない詰め襟のカソックだが、汗ひとつ書いていない。何故か真っ黒のサングラスを掛けており、なおさら堅気に見えない。

 一成は思い切り後ずさりし、理子とぶつかった。

 

「何やってんだお前」

「見ればわかるだろう。「KAMI NO TSURUGI」イベントのマネジメントだ」

「何一つわからねえ! つーかKAMI NO TSURUGIって何だよ! セカオワのパクリか!!」

「ライダーはセイバー(ヤマトタケル)も誘ってやりたいらしいが、セイバーが乗ってこないようでな。現在ライダーのソロ活動名だ」

 

 人と会話する気があるのか、このインチキ神父。そりゃセイバーは理由もなく人前で歌ったり踊ったりを好むタイプではないからわかるが、もう全体的に意味不明である。何故ライダーがこんな路上パフォーマンスを始めたのかとか、金は一体誰が工面していのかとか、いつの間にこんなにファンをつくったのかとか、疑問(ツッコミ)は尽きないのだが、ツッコんだら負けな気もしている。

 

「現段階の目標は日本武道館、そして皇居(現代の自宅)でのパフォーマンスライヴだ」

「聞いてねえよ!?」

「お前と私の好だ。チケットはいい席を確保するからいつでも連絡をするがいい」

「人の話聞いてる!? おまえ神父だよな!? 懺悔とか聞く職業だろ!? ついでに好なんかねえ!」

 

 ライダーがアレなのはともかくとして、この神父もそんな酔狂に付き合うとはヒマなのだろうか。この男も聖杯戦争を見、何度も繰り返したいという酔狂な願いの持ち主であり、クレイジーとクレイジーで似合いのマスターとサーヴァントである。

 弛緩した空気が漂う中、理子だけが怪訝な顔をしていた。

 

「……神内御雄?」

「そうだ。狼の巫女よ、久しいな」

「なんだ? お前ら知り合いなのか」

 

 神父と理子の顔をかわるがわるに見つつ、一成は微妙な空気を感じた。片や神父、方や神社の娘。理子はふいと一成に眼を向けると、ぶっきらぼうに言った。

 

「神内は神道魔術の家柄よ。それなりに長い、ね。だから少し神内家とはかかわりがあったけど、この人は神道をやめて聖職に鞍替えしてるから」

 

 魔道とは先祖代々受け継がれていくものであり、跡継ぎは先祖の無念を背負って真理の探究に励む者。日本の神道においては真理の探究と言う側面は薄いが、信仰を護る一族ということに変わりはない。

 全うに家業を継ごうとしている理子にとって、それを投げ出した人間に良い印象はないのだろう。ただ、態度が固いのは理子の方だけで神父は通常運転である。

 

 さて、一成一行は碓氷邸へと向かう最中だったのだが、偶然にもマスターの一人と行きあってしまった。となれば、一応動向を聞いておくべきだろう。

 

「神父。今再開されてる聖杯戦争について、何か関わっているか?」

「ほう。そのようなことを春日聖杯戦争の首謀者である私に、単刀直入に無防備に聞いていいのか陰陽師」

 

 周囲の騒音まで、一瞬消えたような気がした。この男は聖杯戦争が終わっても、一成に敗れても、何一つ全く変わっていないのだ。

 腹に響く重低音を聞きながら、熱気あふれる周囲にもかかわらず空気が冷え込んでいく。

 

 

「……俺が知ってる程度のこと、お前が知らない筈ないだろ。それに何かする気なら俺はとっくにどうにかされてる」

 

 ――神内御雄。魔術師としては三流、聖職者としては二流、呪術師としては一流。

 あの土御門神社での戦いを思い出しても、明らかに神父の方が格上だった。一成が今生きているのは、ひとえにキリエのお陰である。

 

 神父は薄く笑った。「安心しろ。今の私は見ての通り、ただのマネージャーだ」

 

 何が見てのとおりなのかさっぱりである。「何のマネージャーか聞きたげな顔をしているな。それはKAMI NO「いやわかったから! それはさっき聞いた!」

 

 少しだけ、もしかしたらライダーに無理にやらされているのではないかと思っていたが、全く余計な心配だったようだ。神父は懐からチケット的ななにかを取り出そうとしていたが、一成の様子をみて残念そうに引っ込めた。

 

「ああ、聖杯戦争の話だったな。特に何もしていない」

「……本当か?」

「もう褒賞がない。ゆえにどの陣営も争わない。もしこれが私が戦争を再開させた結果だとしたら、明らかに失敗だ」

 

 確かに、言われてみれば「戦闘のない」聖杯戦争は、神父にしてみればカレー粉の入ってないカレー、豚のない酢豚だ。それに春日聖杯戦争においても、神父自体は大聖杯のシステム構築に関わっていない。

 キリエは知らない素振りであったし、やはり聞くならば碓氷しかない。

 

「とりあえずわかった。じゃあな」

「ライブチケットならいつでも融通してやろう」

「いらねーから!! ……ったく、これで実は黒幕でしたとかだったら容赦し――」

 

 もしまた誰かが死ぬのであれば――聖杯戦争で真●●や、神●●琴が――なら、きっと自分は神父をまた――。

 ――また? 前にも神父を●したような言い方――?

 

「……どうした土御門一成。顔色が悪いが」

「……何でもねえよ。行こうぜ榊原」

「まあ待て。聖杯戦争の調査をしているのだろう、それなら碓氷に聞くといい」

「お前に言われなくてもそのつもりだっつの」

「お前は七代目に聞くつもりだろう。だが今は六代目もいる――調査という意味では、そちらの方がはるかに格上だ。聞いてみるといい」

「……」

 

 一成が知る限り、春日の管理業務をしているのは碓氷明であったが、確か彼女はまだ「次期当主」の立場だった。

 珍しくまともな助言を受けて、一成は真面目な顔で頷いた。

 

「わかった。ありがとよ」

 

 理子は理子で、今一成のことを思い出したようで、ちらちらと踊るライダーの方を見て気もそぞろであった。

「……三本足の烏……太陽を背にして……いや、ないわ……そっくりさんよ……」と、彼女も一成と同様顔色の優れない様子で、轟音の駅前から立ち去った。




明「……セイバーもう一発殴らせて」
セイバー「!? い、痛いからやめてほしいのだが」
明「魔力なんかこめてないし込めたところで対魔力Aだから痛いわけないでしょ」
セイバー「そ、それはそうだが。その、なんだ……お、お前は私の心を叩いてる!」
明「……ど~~してそういう果てしなくどうでもいいスラング(?)を覚えるかな?」

おまけぱんつまんが
セイバーと一成
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昼③ アオハルかよ

 ゆらゆらと浮かぶ逃げ水を追いかけながら、理子と一成は碓氷邸に到着した。二人とも汗を拭き拭き、直射日光にさらされながら門から邸宅を覗き込んだ。

 もしセイバーのどちらかが外で掃除なんなりしていれば、声をかけて開けてもらうのが一成の常であるが、今日はサーヴァントの姿は見えない。しかし噴水が涼しげな庭は無人ではなく、見たことがない人物が我が物顔で歩いていた。

 

 歳は三十後半から四十の半ばの、灰色の天然パーマに黒縁メガネの男性だ。スーツのジャケットを脱ぎ、ワイシャツを捲り上げた格好でズボンも糊が効いている。だが履いているのはサンダルだった。長いホースを屋敷近くの蛇口につなぎ、洋楽か何かの歌を歌いながら生い茂る木々に水を撒いている。

 

 もしや明がやとった庭師なのだろうか。いや、庭の手入れは現在セイバーズに一任しているようだし、それに今は一般の人間をお手伝いとして雇う気にはなれないと、彼女は言っていた気がする。

 

「……あのーすいません!」

「ん?」男はテノールの声で振り返った。

「明さんは御在宅ですか? 俺は、いや僕は土御門「……おお! 君が土御門君か!」

 

 男は元々上機嫌の様子だったが、一成の方に振り向くなり太陽が輝くような笑みを浮かべてホースを投げ出して門に走り寄ってきた。

 そして門の格子越しに手をだし、一成の手を握り――掴み、ぶんぶんとシェイクハンドした。

 

「明から話はかねがね伺っているよ。俺は碓氷影景だ!」

「は、はあ、どうも……って、お父さん!?」

 

 碓氷影景――明の父であり、現春日市管理者。昨夜からすでに春日調査をするとかでお帰り会には不在であった、れっきとした魔術師である。

 第一印象では明と似ているのは髪の毛の色くらいで、他は全く似ていない。

 

「それに榊原さんも久しぶりだな。元気してるか?」

「は、はあ……元気です」

 

 唐突に水を向けられた理子は、一歩引きながら頷いた。一成は小声で彼女に尋ねた。

 

「お前、知り合い?」

「……既に管理者のいる土地に他の魔術師が工房を作る際には、管理者に断りを入れるものでしょ。私は工房作成していないけど、他家の魔術師ではあるから一応挨拶はしたの」

 

 なるほど。一成も理子と同様、春日に一人暮らしの身分の魔術師ではあるが、さっぱり挨拶に行っていなかったが。

 

「ところで何か用かね? 明は今日取り込み中だから、彼女に用ならば明日出直してもらいたいんだが」

 

 いきなり出鼻をくじかれてしまった。ただ一成たちも約束をとりつけていたわけでもないので仕方がないと思った時、理子が口を開いた。

 

「いえ、明さんじゃなくても大丈夫です。私たち、この春日の聖杯戦争が再開されていることについて調べているんです」

「ほう。既に実質管理者は明だが、確かに正式な管理者は私だ」

 

 影景は腕を組んで頷いている。呑気で明るく見える影景は、気のいい人間にしか見えない。

 

「……単刀直入にお聞きしますが、この状態の原因を管理者は把握しているのですか?」

「それは明に聞いてくれ」

「「はい?」」

「俺も俺で楽し……調べてはいるのだが、この件はいい教材でもある。聖杯戦争での体たらくを見るに少々補習が要ると思ってな、明に任せているんだ」

「……はあ……」

 

 相変わらず笑顔だが、ひしひしと「自分からは何も話さない」オーラを感じ、理子と一成は頷いてしまった。愛想笑いではなく譲りはしないという意思がある。

 しかし、影景は明の聖杯戦争における活躍に不満があるのだろうが――一成からすれば、助けてもらったばかりで不満はないが――内面はともかくとして。

 

「……じゃあ、また明日、お昼ごろにお邪魔します」

「わかった。明には伝えておこう」

 

 しかし、この件は明の修行とするなら一成や理子を手伝わせてもいいのか。または手伝ったところで大した戦力にならないと思われているのか。

 手を振っている影景を振り返りつつ、一度二人は碓氷邸を後にした。

 

 

 さて、当初の予定は明日に延びてしまったわけであるが、これから午後の予定は白紙である。このまま理子と解散する手もあるが、どうしたものか。なんとなく駅に向かって歩きつつ、一成は理子に振り返った。

 

「どーする。今日のところは解散すっか?」

 すると、理子はなぜか恨めしげな目つきで一成を睨んだが、すぐ諦めたように息をついた。

 

「……せっかくだから御飯でも食べない? 駅の方は……さっきのライブイベントやってるとちょっと面倒くさいから、ショッピングモールのフードコートとかで」

 

 駅ナカの飲食店は流石に流行の店が揃っているが、お値段が高めである。ビンボー学生的にはショッピングモールの方が強い味方なのだが、駅から少し離れているので行かないときもある。

 幸い、モールは碓氷邸と駅の間にあるので、帰り道の途中だ。

 

「じゃあそうするか。ん~~あのホテルのメシはうまいんだけど、もう少し安い味が……」

「何お大尽みたいなこと言ってるの」

 

 ちなみに土御門一成、今や雑食一人暮らし学生だが、中学まではインスタント麺など食べたことのなかったお坊ちゃまではある。ただその反動で、高校一年の時はタガが外れたようにインスタント食品やスナック菓子を貪り食っていた経歴の持ち主だ。

 

 一成は右隣を歩く同級生女子の姿をちらりと見た。この女もこの女で実に物好きで、いかに勉学に余裕があるとはいえ楽しい夏休みを問題児(一成は自分のことを問題児と思ってはいないが、彼女から見ればそうらしい)に費やしていいのか。

 まあ、それがなくとも春日の異変を気にかけていた彼女である。一成のことはついでだろう。

 

 頭上の青いキャンバスの中に大きな白い線――モノレールが行き来するのを眺め、二人は主に文化祭についての話をしながらモールへと歩いていた。暑さのせいか、気持ち住宅街を歩く人間も少ないように思う――と、二十メートルほど先の十字路の右から右折し、前方を歩く少女が一成の目に入った。

 

 こげ茶色の紙を左肩で、花のアクセサリー付のゴムで結んだ少女。白を基調にし、襟は紺色のセーラー服。

 スカートも同じ紺色で、重そうなバッグを右肩にかけて歩いている。

 

「おーい真凍!」

「……? 土御門先輩?」

 

 振り返った少女は、ハンカチで汗を拭きながら怠そうに振り返った。一成が少女に駆け寄るのに続き理子も追いかけた。

 

「中学生……? あんたの知り合い?」

「おう。確か中学二年になったんだっけか……真凍咲(しんとうさき)、聖杯戦争の参加者だ。で、こっちは俺の同級生で榊原理子。魔術師だ」

 

 咲は気だるげに理子に向かって小さく頭を下げた。咲は愛想はないものの根は悪い人間ではないのだが、理子はどう受け取っただろうか。

 

「土御門、その魔術師だーってバカみたいな紹介の仕方はやめなさい」

「そんなこと言われなくてもわかります」

 

 初対面のはずだが、何故か既知のように視線を交わす理子と咲。お互いに面倒くさい魔術師もどきと知り合いなのね、と通じ合ったようでもある。

 魔力殺しの礼装でも身につけていない限り、通常魔術師は魔術師の気配を察せるものである。そのあたり一成はとんとできないのでわからないが、逆に魔術師からも魔術師と認識されない。

 

「……で、何の用ですか?」

「お前、今時間あるか?昼飯一緒に食おうぜ」

 

 咲は面倒くさそうに一成と理子を交互に見ると、渋々と言った様子で頷いた。

 結局食事をする場所は、ヤマトタケルのバイト先であるカフェ「ヨキ」に決定した。モールに行くつもりだったが、より人の少ない場所で、気心の知れた場所の方がよかった。

 

 カラーン、と涼やかなベルの音と共に入店すると、奥の席に客は独りだけ。常の如く経営が心配される店である。今日はセイバーのシフトではないのか、店にいるのは店主の親父一人である。

 

 三人は四人用テーブル席につき、スタンドに立ててあるメニューを眺めていると、店主が水を運んできた。咲はメニューに眼を落したまま、先ほどよりはましな口調で言った。

 

「碓氷とつるんでる先輩のことなんて大体想像つきます。どうせ再開した聖杯戦争について、お前はどうするつもりなんだ~~とか聞きに来たんでしょう」

「お前エスパーか!?」

「先輩が抜けているだけです……先に言いますけど、何もしません。褒賞がないのに戦うほど暇じゃないんで……すみません」

 

 咲は背後を振り返り、カウンターの奥で新聞を読む店主に声をかけた。はーいと返事を返したが店主が全く立ち上がる気配がないのを見て、咲は仕方なく大き目の声でオーダーをした。ついでとばかりに一成、理子も注文した。全く気楽な店である。咲は水を飲むと、常と変らぬ辛辣な口調で言った。

 

「先輩こそなんですか? こんなの、管理者の碓氷の仕事ですけど? 何にでも首を突っ込みたがるなんて幼稚園児並みの好奇心ですね。尊敬します」

 

 皮肉塗れの言葉だが、もう慣れてしまった一成は親愛の表現と言うか、それなりに仲良くしてもいい印、と思うことにしている。本当に嫌であれば立ち止まりさえせずに、無視して歩いていってしまうJCなのだし。

 

「そりゃそーだけど、俺は聖杯戦争がらみに関しては碓氷の手伝いするって約束してんだよ」

 

 義手を作ってもらった借金もあるし、という言葉は呑み込んでおく。

 

「先輩が碓氷の役に立つとは思えませんけど、大きなお世話が好きですもんね。でもその……榊原さん? は何で口を挿もうとしてるんですかね。厄介ごとなのに」

 

 咲は心底不思議そうに、一成の隣の同級生を見つめていた。

 

「貴方には関係ないわ」

 

 今まで一成は当然のように理子と行動してきたが、言われてみれば確かに不思議である。「放っておけない」との言葉はとても榊原理子に相応しく疑ってこなかったが、彼女がここまでついてくる必要はあるのか? 

 管理者の「管理する地の厄介事を治め、地を平和に保つ」という役割は一般人で例えるなら「警察」そのもので、つまりは「権力・権限」に付随する責任である。警察は市民の平和を守る義務があるからこそ、時には市民の家に立ち入り調査したり、犯罪者を逮捕したりする権力――権限があるわけだ。

 

 勿論理子が原因で起こしたいざこざならば、彼女が主体的に解決に向かうのはわかる。だが聖杯戦争に彼女はまるで無関係――無関係な事に自ら首を突っ込み裁こうとする、よく言えば「大きな世話焼きのオバサン」、もっと悪くすれば「裁定すべき権力者(管理者)を放って自分が裁定をする」反逆者ともいえる。

 ただ、そういう厄介なことにならないように、一成と理子はきちんと碓氷に相談しようとしているのだ。

 

「お待ちー。しかしどうした一の字、両手に花じゃねえか」

 

 相変わらず気安い店主が、二往復ほどして料理を運んできた。咲のクラブハウスサンドは、トーストしたパンにターキー・シャキシャキのレタス・薄い卵焼き・スライストマト、それに蕩けたスライスチーズが挟み込まれた定番の逸品だ。崩れないように楊枝で留められて、ボリュームもある。

 

 理子はスウェーデン・ミートボール。一成も最近知ったが、スウェーデン料理といえばミートボールらしい。牛豚ひき肉のオーソドックスなミートボールと、温かいクリームソースをたっぷりかけたミートボールに、山のマッシュポテトとリンゴンベリージャム(酸味の強い果実)がついてくる。

 

 一成はビーフカレーの大盛り、コンソメスープ付。ことこと煮込んで玉ねぎやじゃがいもは溶けているようだが、大きな肉の塊がきっちり入っているあたり有り難い。御飯はお代わり自由というもの強い味方だ。

 

 ちなみに最近よく喫茶店に来ているのに財布が無事な理由は、アーチャーのホテルに泊まっているからである。咲は早速お手拭を使ってから、サンドイッチに手を伸ばした。

 

「へえ、先輩でもいい店知ってるんですね」

「……さっきから思っていたけど、真凍さん? 土御門がいくら……だからって、ちょっと失礼過ぎない?」

 

 何を言いよどんでるんだこの同級生は。それはさておき、確かに委員長気質な理子からすれば、一成の妹や親戚・友達ともいえない真凍咲の態度は目に余るだろう。

 ただ一成からすればもう慣れたものであり、これも彼女なりの親愛表現である……と信じることにしている。

 

「気にすんな榊原。こいつはいつもこんなんだぞ」

「私も礼くらいあります。ただ年上だろうとなかろうと、尊敬できない人に払う礼は持ちあわせていないので」

 

 すまし顔でサンドイッチを食べる咲と、呑気にカレーを食べる一成の様子を見て、理子は溜息をついた。だが、きっとした目つきで再度咲を見据えた。

 

「……土御門がいいっていってるならいいけど。だけどその態度、気を付けた方がいいわよ」

「助言はいただいておきます」

 

 どうもメシがまずい。おいしいけれど。

 気のせいか、一成周辺の女魔術師たちはあまり仲が良くない。立場上の都合もあるだろうが、明と咲、明とシグマ、咲と理子、大体アウトである。唯一キリエだけは誰とでもそれなりに仲良くしているように見えるが。

 

 しかし、この食事を終えたらどうするか。碓氷邸の予定がつぶれ、丁度昼でかつ咲を見つけたから話を聞くために昼ご飯をここでとったが、もう用は終わっている。

 午後のこれから、予定はないがここで解散とすべきだろう。スパイシーなカレーに舌鼓を打ちつつも微妙な空気のなか、突如咲が妙なことを言った。

 

「先輩、もしこの後時間があるならデートしませんか?」

「「ブッフォー!!」」

 

 一成と理子は同時に噎せた。「はっ!?」

 

「家にある炊飯器が壊れたので新しいものを買おうと思っているんですが、家まで運んでほしいです」

「ただの荷物運びじゃねーか。驚かせんな」

 

 相変わらず女王様、というか人を顎で使おうとする中学生である。かろうじて丁寧語であるが、彼女のことこそを慇懃無礼というのではないだろうか。

 

「男女が二人連れ立って歩きまわることは、一般的にデートと言うと思います」

「どこの一般だよ! ……でも炊飯器買いくらいなら付き合うぞ」

 

 自分のサーヴァントを荷物持ちにすればいいのではと思ったが、咲のサーヴァントはコテコテの鎧武者のバーサーカーで、まったく日常生活に馴染まない。この後予定もない一成は、二つ返事で了承した。

 

「ありがとうございます。家に来たらジュースくらいは「私も行くわよ!」

 

 突如大声を張り上げた理子に、一成たちだけでなく店奥の店主も顔を上げた。自分思った以上の声を出してしまった理子は咳払いをして、きっとした目つきで一成を見据えた。

 

「……こ、こいつだって一応男なんだから。そうホイホイと家に上げちゃだめよ。私も見張りとしてついていくわ」

「それは知ってますけど、正直先輩なら私の魔術でどうにでもできるので」

 

 ……同じような事を碓氷にも言われたような、と一成は微妙に悲しい気持ちになった。男扱いしてほしいということではなく……いや少しはしてほしくもあるが、碓氷明が気にしなさすぎて一成が目のやり場に困るパターン。

 こっちは育ちざかり思春期の男子高校生である。少しは察していただきたい。

 それにくらべれば咲はマシ……中学生の方が羞恥心と自衛意識がしっかりしているというのはどうなのか、七代目管理者。

 

「まーついてきたいならついてこいよ。榊原、お前もヒマだな」

「ヒマじゃないわよ! まったく」

 

 この同級生は本当に何気取りなのか。母親か。と、一成は咲が黙って理子を見ていることに気づいた。

 文句があるわけではなさそうだが、彼女は何度か頷いていた。

 

 三人は会計を済ませると喫茶店を出た。思うに、小さな店とはいえ席がすべて埋まるほど客が入ったら、店主一人では絶対に手が回らない店だ(そんなことは一成が訪れるようになってから一回もお目にかかったこともないが)。セイバーがアルバイトを始める前、困ることはなかったのかと今更気になった。

 結局、食事を終えた一成、理子、咲の奇妙なトリオはショッピングモールへと足を運ぶこととなった。二階の専門店街の一角に小規模ではあるが電化製品の店が入っており、一般家電を購入する程度なら事足りるだろう。

 正直、駅の方が近いのだが、駅前で家電を扱う店があったかどうかは一成の記憶になかった。

 

 そして、案外炊飯器の購入はあっさりと終わった。元々咲にもこだわりはなく、種類も豊富にはないため、店員にお勧めを聞いてそれに即決したのだった。

 しかし炊飯器よりも一成の気になったのは、理子の態度である。妙に咲をちらちらとみている――魔術師ゆえに、魔術師が気になるのだろうか。

 

 お互い初対面、さらに理子は咲の態度を良く思っていないのは明白であるため、楽しい空気とは言い難いが、さりとて気まずいというほどでもない空気の中、三人は真凍宅へと到着した。

 

 真凍邸は、見た目は今風のおしゃれなデザイナーズハウスだ。百五十坪の広い一軒家で、中庭のある二階建てである。両親の居ない咲は、この広い家にバーサーカー、それにランサーと三人(九人?)暮らしをしている。

 

 碓氷邸という歴史ある洋館、その近くにも洋館があるために印象が薄れがちだが、真凍邸も周囲の家からは憧れられる家である。むしろ、今風と言う意味ではこちらの方が上だ。

 

 ただこの家がデザイナーズハウスであるのは、咲の両親が地下に魔術工房を作るために訳知った建築家に依頼した為である。真凍家も元をたどれば西洋魔術のため、コンクリート打ちっぱなし、防音性と遮蔽性に優れた家は望ましい。

 

 咲が金属の取手を握り中に入ると、家は綺麗に清掃されており埃一つない。玄関を入って廊下を経てすぐに広がるリビングは解放感に溢れ、右手の中庭に面した箇所はガラス張りで、景色が良い。

 その中庭で、分身した鎧武者――バーサーカー二体が白いエプロンをかけて洗濯物をせっせと干していたが、一成は見なかったことにした。

 

 大きな四人掛けソファにとにかく大きなテレビ、さらに奥には食事用のテーブルとダイニングキッチン。咲は光熱費を気にしていないのか、家に入った瞬間に冷房が効いていた。

 

「炊飯器はテーブルの上に置いといてください。今飲み物出すので、寛いでいてください」

「相変わらずすげえ家だな」

 

 この広い家にかつては三人暮らしとは贅沢な話もあったものだが、少々さびしいだろうなと思う。その感想は碓氷邸に対しても同じだが。

 ふと気づけば、理子はなにやらそわそわちらちらと、部屋を見回していた。

 

「どうしたんだお前」

「西洋の魔術師の家に入るのなんて初めてで、いろいろ気になるのよ」

「ふーん」

「……というか、あんたよくここくるの」

 

 一成がここにくるのはじめてではないが、よく来るというほどでもない。今だって三度目か四度目くらいである。そういえば初めは一体どんな理由でここに足を運ぶことになったのだったか……と一成が思いを馳せていると、理子につつかれて現実に引き戻された。

 

「あの子のホームだしむしろ返り討ちにされると思うけど、まさかあんた、変な事を考えてるんじゃないでしょうね」

「お前俺をなんだと思ってんだ……」

 

 信頼なさすぎである。この同級生、知り合った時からずっと自分がいつもなにかしでかすと思っている。

 それはこの土御門一成、花のDK(男子高校生)、たまに前かがみになっちゃったりしないこともないが、弁えている紳士である。

 

「リンゴジュースですけどどうぞ」

 

 丁度、咲がお盆にジュースを乗せて現れた。ソファの前のミニテーブルに置くと、自分も一つ手に取り、一成の隣に腰かけた。

 

「そういやランサーはどうしてんだ?」

「今日はカルチャーセンターで護身術の先生のアシスタントしています」

 

 ……何故かランサーは最近、市が催している講座の手伝いをしている。たまに新聞配達をしていたり、スポーツジムでバイトをしていたり、この家で料理もしていたり、思った以上に自由に過ごしている。

 武士であり領主――一応生前は支配階級の人間であろうに、アーチャーとは違って「若い頃を思い出して楽しい」と、身一つの状態を楽しんでいる。

 

「あいつは戦争……する気ないだろうな」

「ランサーはもともと聖杯に興味ありませんから。だから戦いたくなってもそれとは関係ないと思います……ところで気になっていたんですけど」

 

 からからと、一成たちの背後で中庭から何者かが入ってくる音がした。洗濯物を干し終わったバーサーカーズがのっしのっしと、籠を片付けるべく二階へと向かっていった。流石に突っ込むべきかどうか一成が逡巡していると、咲が予想だにしない爆弾を落とした。

 

「先輩と榊原さんは付き合ってるんですか?」

「それはねえよ!!」

 

 速攻で言い返した一成に対し、理子はジュースを噴出していた。

 

「だって「お前俺のこと好きだろ!」って言ったら「何言ってんの? バカ?」って言われたことあるしな」

 

 あれはまだ一成の若き頃、とはいっても二年前の高校一年だった頃だが、まだ理子からのお叱りを真に受けてキレまくっていた時分の話である。

 そのころ一成は、ド田舎から都会にきたばかりでおのぼりさんテンションだったためか、暴れん坊でもあったせいでしょっちゅうこの元生徒会長に怒られていた。

 

 一成は本当に「榊原は自分に気がある」と思ってそういったのではなく、彼女を鬱陶しく思っていたがゆえの言葉であった。だからそんなわけない、と返されるのも、一成としては納得のいくことである。

 経緯を聞いた咲は聞いたわりにそれ以上追及はせず、そうですかと頷いていた。

 

 その後、まだ咲と理子の間の微妙な空気は完全には払しょくできなかったものの、雑談をして過ごした。途中、手製と思われるチーズケーキを白エプロンのバーサーカーが運んできて、ツッコミ我慢の限界を迎えた一成が渾身のツッコミを披露する一幕もあった。

 玄関まで咲に見送られ、一成と理子は真凍家をあとにした。

 

 

 

 炊飯器ショッピングと真凍家での歓談を経ても、まだ三時かそこらだった。時間はあるがお開き――いや、二人の頭には今日からの夜の予定が考えられていた。

 現在、聖杯戦争にやる気を見せているサーヴァントとマスターはいないものの――それでもこれは異常である。明日また碓氷明に相談に行くとしても――。

 

「土御門、あんた夜の見回りするつもりでしょ」

「……よくわかったな」

 

 自分にできることをする。それに土御門一成は聖杯戦争について、碓氷明の相棒……はセイバーとしても、自分も仲間である。ゆえに坐しているつもりはない。

 正直一成としては、理子がここまで首をつっこんでくる必要はないと思うのだが――彼女がするというのなら、止めるのは難しい事も知っている。

 

「私も行くわ。あんたよりは魔術もできるつもりだし」

「まあいいか……じゃあ、今日の夜十一時に春日駅前、南口でいいか?」

 

 理子は頷いた。いつもだったら「高校生が夜の十時過ぎに歩くな」というはずの彼女が反論しないことが一成には新鮮だった。



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夜① 異変調査開始

 午後十時五十分。終電にはまだ早く、かといって帰宅ラッシュは遥か前、駅ナカの施設も多くが閉店している時間帯――一成は約束の時間より一足早く、集合場所にやってきた。

 礼装である神主衣装で来ようかとも思ったが、駅前でその恰好は目立ちすぎると思ってTシャツとGパンにした。というか、神主スタイルで深夜の駅前をうろつく高校生は補導対象である。

 

 ヒマだったので早く来てしまったが、多少手持ち無沙汰だ。なんとなくまだ営業しているカフェを覗き込んでみたが、客少なであり……と、見知った顔を見つけた。一成は思わずガラス張りの壁にはりついてしまった。

 

「……悟さん……!?」

 

 角度の都合で、一成からは正面を向いている山内悟の顔しか見えない。そして彼に向き合っているのは、なめらかな金髪を持つ、美女。紺色のフレアスカートに白のブラウス。

 この夜遅く、まさか不倫……、家庭崩壊と思いきや、その麗しい女性の後ろ姿からそれはないと一成は判断した。

 というか、むしろ悟の身の方が危ないのかもしれない。一成は様子を伺おうと、急いで外に面した入り口である自動ドアからカフェに入った。ラストオーダーも終わった、人の少ない店内を縫って二人に近付いた。

 

「あら、陰陽師のボウヤかしら」

「……! 土御門君!」

 

 後ろに眼でもついているのか――金髪碧眼の女は振り返らずに言った。その声で悟も一成の存在に気づいたようで、ほっとした声を上げた。

 

「シグマ……あんた、悟さんと何してるんだ」

 

 金髪の女――シグマ・アスガードはくるりと振り返った。「見ての通り、世間話よ」

 

 いけしゃあしゃあと女は言った。見たところ、本当に何もしていないようだが――そもそも、彼女が本当に何かしようと思ったら駅などという人の多い場所で行いはしない。

 一成は今更それに思い至ったが、相手がシグマなだけに不安だ。というかシグマが悟と話すことなどあるのだろうか。

 

「悟さん、何してるんですか?」

「う~ん、話をすると長いんだけど……俺は八時くらいに残業を終えて、駅ナカで弁当を買って帰ろうと思ったらシグマさんと行きあわせて、一緒に映画を見るハメになって、今」

「……?」

 

 ……奥さん一筋らしい悟が浮気、とは一成には想像しにくかったが、大人のアバンチュールはわからない。しかし悟自身もこの状況を意味不明に思っているのか、困惑した顔つきで答えた。

 やはり一成はさっぱり要領がつかめなかったのだが、この再開された戦争のこともある――一成は意を決してシグマに対し口を開きかけたが、彼女の行動の方が早かった。彼女は勢いよく立ち上がると、飲みかけのコーヒーを一成に押し付けた。

 

「あげるわ」

「は?」

 

 コーヒーは苦いから好きではない。それよりもこれはもしや間接キスになるので「じゃあ山内悟、そろそろ愛の巣に帰りましょう」

「はっ……!? 愛の巣!?」

「ちょっ、シグマさん!? 誤解を招くようなことは「陰陽師のボウヤ、私、今この人とこの人の家で暮らしているの。ほんとよ」

「……大人って、いろいろあるんだな……」

 

 一成は一歩引いて、小声でつぶやいた。聖杯戦争中、妻と娘が大好きといっていた彼は、どこに行ってしまったのだろう。でも、大人にはいろいろあるんだろう。これ以上踏み込むと、大人の泥沼世界にダイブすることになる。そういえば、桜田が所属していたサッカー部では、先輩がマネージャー二人と二股かけて大修羅場になったっていってたな。くそう片方俺にくれよ……一成は妄想を飛躍させてしまったが、重要なのはそこではない。

 

「……おい、シグマッ! 愛の巣……はともかく、再開された聖杯戦争でまた何かやろうとしてるんじゃないだろうな」

「? それは知ってるけど、何もしないわよ。私はここでは、翼をもがれたエンジェル? みたいなものだし。ただの普通のシグマ・アスガードよ」

 

 笑う女の碧眼が、一瞬金色に見えた。だがそれは本当に一瞬で、気が付いた時には碧眼に戻っていた。

 

「再開された聖杯戦争、そんなうわっつらの話、興味ないの。今の私は一般人の生活を楽しむ一般人なんだから。あ、どうせいらないし、これあげるわ」

 

 シグマは椅子に掛けていた白いロングコートを引っかけると、コートの中に入れていたらしいものを一成の手に押し付けた。白い手で渡されたものは硬い玉……否、ルビー、エメラルド、サファイアなど、輝きが目にも鮮やかな宝石だった。しかしこのように高価なものを受け取る謂れは一成にない、というよりあとからいちゃもんをつけられたくなかった。

 

「おいいらね……っていない!?」

 

 店内を見回しても、すでにシグマの姿はなかった。一成も悟も、狐につままれたような表情で視線をかわした。

 一成は押し付けられた宝石を、とりあえずそのままGパンのポケットに押し込んだ。

 

「……何だあいつ」

「俺にもわからない……シグマさん、わからないことしかないし」

「……愛の巣」

「そ、それは本当に誤解なんだ!」

 

 このままだと不倫野郎扱いされることを危ぶんだ悟は、シグマとアサシンが家で酒盛りをしていたときのことから一成に解説した。

 シグマはよくわからない行動をして映画につき合わせたりはするが、悟に危害を加えてきたことは一度もない。一成はまだ若干胡乱な目つきをしていたが、とりあえず納得はした。

 だが、今の話の中で悟にも聞きたいことがあった。

 

「土御門君、さっき、聖杯戦争が再開されたっていってたけど」

「……アサシンは何か言ってませんでしたか?」

 

 悟は首を振った。アーチャーが知り得ていることを同程度にアサシンも知っているとしても、悟に言わないことはありえる。アサシンは聖杯戦争の真っただ中で、悟は戦争に関わるべきではないと思い続けていたサーヴァントだ。

 危険が迫る事態でかつどうしても必要にならなければ、自分から悟に協力を仰いだりはしないだろう。

 

「……アサシンは俺に危険が及ぶことにならないといわないと思うけど、こんな時間に君が出歩いてるのはその件が絡んでるのか?」

 一成は頷く。「再開はしましたが、聖杯はないみたいなのでどの陣営も戦う気がないみたいですけど……でも異変は異変なんで」

「……そうか。無駄かもしれないけど、無茶をしないで」

 

 悟は一般人の側で、一成は魔道の側で。関わるにしてもこのような会話はないはずだが、聖杯戦争という一点において交わってしまったがゆえの今の状況。

 

「はい「あの、閉店の時間なのでご退席いただいても……」

 

 その時、背後から緑のエプロンをつけた店員が、申し訳なさげに声を掛けてきた。気づけば時間は十一時――店の閉店時間であり、理子との約束の時間である。

 一成は悟に挨拶をすると、慌ててカフェを飛び出した。

 

 

「遅い!」

「に、二分遅れただけじゃねーか……」

 

 南口、電光掲示板の前で仁王立ちする理子。彼女にも礼装があると思うが、人目を考えてTシャツにパーカー、キュロットにスニーカーの先日と大差ない恰好だった。

 理子は怒ってはおらず、じろりと一成を一瞥すると空を見上げた。

 

「まあいいわ。じゃあ探索に行きましょう……何か心当たりの場所、春日聖杯戦争で戦場になった場所とかを見て廻ればいいのかしら」

「おう。この近くだと……美玖川とか土御門神社か。そういや聖杯戦争の時、真凍が春日総合病院に入院してたな」

「とりあえず病院を眺めながら川に行きましょう」

 

 聖杯戦争自体は一成が経験した戦争である。一成が先導し、二人は真夜中の春日市に走り出した。

 

 

 

 *

 

 

 

 ――死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね――。

 疾うに怨嗟は聞き飽きた。今更人の悪意ごときですぐにやられはしないものの、一体いつまで耐えられたものか。しかもこんなものを傍らに置きながら、平和を願うのも骨が折れる話である。

 

 

 診療時間も終了し、夜勤の看護師と当直の医者のいる部屋の光が漏れる春日総合病院。深い眠りについた病棟の屋上のフェンスに立っているのは、GパンにTシャツ、腰には刀を携えた隻眼の男だった。

 そしてフェンスの内側には漆黒の呪いを塗り固めたような、泥に似た狼たちが眼ばかりを赤く光らせて蟠っていた。

 遊び相手の碓氷明は屋敷に不在で碓氷影景とともにどこかに出かけているために、彼は無聊を囲っていた。

 退屈そうに春日の街を見下ろす復讐者のサーヴァントの視線の先には、高校生と見える男女二人組――土御門一成と榊原理子の姿があった。どうやら彼の少年少女はこの春日の異変を調べようとしているらしい。

 土御門一成――千里天眼通保持者であるが、現在は魔力不足により使用不可能。だがキリエスフィールなどとパスを繋ぎ魔力を補うことで今も使うことができるはず――得たこの知識からすれば、土御門一成は十分春日を崩壊せしめる力を持つ。ライダーや碓氷明同様、声をかけることをしてもいいのだが――あれは春日を滅ぼすまいと、彼は接触を却下した。

 

 そうしてアヴェンジャーは一人で半ば呆れながら、眼下の少年少女を眺めて嘆息した。

 

「好奇心は猫をも殺す。知っていいことなんかなんもなくても、調べずにはいられないってか」

 

 

 春日総合病院――聖杯戦争中、軽い肺炎にかかった真凍咲が入院していた病院である。彼女は夜な夜なこっそり病院を抜け出し、病身を圧して聖杯戦争を戦っていた。折あしく病棟の中庭が戦場になり、神秘の秘匿が危ぶまれた一幕もあった――ということになっている(・・・・・・・・・・・)らしい。

 そもそも、あの女(・・・)に才知の祝福を持つ鈴鹿御前のような高い演算能力など存在しない。およそ並みの人間レベルの力でありとあらゆるつじつまを合わせようとしているのだから疎漏ばかりで、特に、

 

「本線で死んでいるヤツほどボロが出やすい。なんてったって、死んだのを生きてることにしてんだからな――」

 

 アヴェンジャーがフェンスを蹴って宙を舞った刹那に、先ほどまで彼がいたはずのフェンスが物凄い圧力で押しひしゃげていた。そして軽やかに屋上に着地したアヴェンジャーの目の前には、漆黒にして肉厚の刃が迫っていた。間一髪、腰元の刀で鞘を付けたまま一撃を受け止める。

 目の前には、アヴェンジャーよりも遥かに大きな体躯の黒の鎧武者。闇にまぎれた狂戦士は、怒号とも雄叫びともつかぬ大音声を発した。

 

「■■■■―――!!」

「……っとお!」

 

 鞘で黒の太刀を弾き返し、再び太刀が襲い掛かり幾合も幾合も剣戟が重なりあう。火花が散り、魔力が迸り、光が曲がる。鎧武者の圧倒的な筋力の前にも、アヴェンジャーは汗ひとつかくことなく応じている。速度は一時的に音速を超えて衝撃波を生み出し、床をフェンスを激しく震動させた。

 

「……俺を殺しにきたわけじゃなかろうに!」

 

 太刀を受けずに紙一重で躱し、鞘ごと刀をを投げつけたアヴェンジャーは、それが叩き落とされる一瞬の間に刀の間合いよりも狭い至近距離まで迫り、素手で武者の喉笛を貫いた。鎧武者は一瞬呻いたものの、彼にとって首が刺されようと捥げようと無傷に等しいため、ダメージそのものはない。

 それはアヴェンジャーも既知のこと。彼は血塗れになった手を振るいつつ、鞘を回収して、あっという間に距離を取った。

 

 もうもうと首から黒い霧を巻き上げながら、喉笛を突かれた傷は既になかったことになっている。鎧武者――バーサーカーにとっては、こめかみ以外に負う傷は無意味に等しい。

 一度落ち着いたものの怨霊として現界しているバーサーカー(新皇)は、腐ってもヤマトタケル(東征の皇子)であるものをを襲わずにはいられない。アヴェンジャーは自ら離れ、距離を置いた。

 

 どうせ最後には隠れている意味もなくなると了解しているため、これまでアヴェンジャーは本気で身を隠そうとはしてこなかった。本当に姿を隠す気なら街などふらつかずにどこかの廃屋や林にでも隠れているが、宝具で正体を隠蔽しつつも平然と春日を闊歩して楽しんでいる。

 また、マスターが理性のないバーサーカーを真昼間から歩かせることなど、普通はしない。夜も勝手に歩かせはしないだろう。ゆえにアヴェンジャーとバーサーカーが出会うことはなかった。

 

(バーサーカーの宝具は分身できる宝具……常に分身状態にあるなら全分身の場所をマスターである真凍咲が把握しているわけでもねえのか、それとも)

 

 それにしても、何故あえて春日総合病院にバーサーカーがいるのか。真凍咲に命じられた? でなければ。

 

 バーサーカーは黙して語らない。狂化がかかっていることもあり、彼がどこまで己の意志を持っているかはアヴェンジャーにもわからない。だがしかし、バーサーカーだからといってただ荒れ狂うだけの化物と見做すことは早計に過ぎる。名高い英雄であれば狂化がかかっても戦闘には野生の獣の如き理性が宿りうるうえに、ただ一つの思いが純化されたゆえのバーサーカーも存在する。

 ――理性をはく奪されているからこそ、理性があるものより遥かに正直(・・)だとアヴェンジャーは思う。彼らが何か思いを表現するならば、全ては行動になるのだから。

 理性なく、マスターの姿もなく狂戦士がここにいる理由。彼はここに居なければならないと思っている。

 隠れた矛盾に触れる者あらば、それを排除しなければならぬとここにいる。

 全てが明るみに出てしまえば、彼のあるじたる少女が壊れてしまうから。狂戦士は、ここではないところで、親を殺し人を殺し魔力を啜ってでも生きようとした少女の今を護ろうとしている。

 

「俺は、ここの平和を護るものだ。真凍咲をどうこうしようなんざ、思ってねえつか興味ねえよ――って、聞こえてんのか?」

 

 黒い霧に包まれたバーサーカーから、殺意は消えていない。彼が自分を抑えているのか収まったのかは不明瞭で、いつ再び襲い掛かってきてもおかしくはない。

 バーサーカー七体で襲われても遅れをとる気はしないものの、好き好んで戦いを起こすほど戦闘好きでもないアヴェンジャーは自ら屋上から身を引いた。彼はフェンスに足をかけ、足元にくすぶる呪が凝ったような、赤目の狼たちの群れに命じた。

 

「――三峰の(大神)、そいつを暫く止めておけ」

 

 そのセリフを最後に、アヴェンジャーは全くためらうことなく屋上から飛び降りた。屋上が視界から消え失せる直前に、我慢しきれずに襲い掛かってくるバーサーカーの姿を見た。




「荒ぶるKAMI NO TSURUGI」回のあとがきにおまけ4コマを追加したので興味のある方はどうぞ。
(活動報告のタンブラーにも同じものあり)


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夜② 聖杯戦争、再開

 昨夜の屋敷の魔術工房化は、明け方には完了した。

 この屋敷は元々海外から来た老夫妻が暮らしていただけあって、適度に閉塞感もあり西洋魔術には適している。ハルカは引きこもり、敵を迎撃する気はない――自ら打って出てサーヴァントと共に戦場を駆けるつもりだ。

 ゆえに家は敵襲を知らせ、足止めの宝石魔術・集中砲火を食らわせる程度の工房化で、異界につなげるほど手の込んだものにはしなかった。ただ工房化についてはキャスターがハルカよりも取組み、彼女曰く「絶対発見できない! 道端の石ころみたいな工房にしました!」と豪語していた。

 

 ハルカは少し周囲の偵察でも行おうかと思っていたが、眠気に襲われ仮眠をとると昼になっていた。それでも昼間の内に地形などを把握しようと、散歩に行き周辺を歩き回って体を日本の夏に慣らしていた。

 まだ自分の記憶も体調も、どこかおかしい。だが悠長なことはいっていられない――今日こそは行動を開始する――記憶ははっきりせずとも、用意した宝石を袖の中に携え、衣服にほつれのないこと、体調・魔術回路ともに不安がないことを確認し、彼は一人頷き背後を振り返った。

 

「準備は整いました。行きますよ、キャスター」

「えっ!? 見たいテレビがあるんですけどぉ!?」

 

 リビングの二人掛けのソファに座り、テレビのリモコンを操っているキャスターは愕然とした表情でハルカに振り返った。テレビ程度でこの世の終わりのような反応をされたことも頭が痛いが、最新機器に疎いハルカも今日日のテレビは録画もタイムシフト視聴も自由にできることくらい知っている。

 どうしても見たいのであれば、録画なりなんなりして無事に今日を生きぬいてから見てほしい。

 

 ……とは思ったものの、ここにあるテレビは化石と言って差し支えない年代物で、かろうじてデータ放送が受信できるが録画機能は天に召されているようだった。良く考えればこの家自体十数年放置されており、前住んでいた人も老夫婦で、むしろ今時のテレビがある方が奇妙である。

 

「よし、ならば諦めてください。行きますよキャスター」

 

 あっさりと見切りとつけ、足早に玄関へ向かうハルカ。それを見て慌てたのはキャスターの方で、リモコンを投げ出して慌ててマスターの後ろに従った。

 

 キャスターのサーヴァントなら、引きこもって陣地を構築することが有利であることは常識である。だがこのキャスターの力を考えるに、そこまで陣地にこだわる必要はないとのハルカの判断に、彼女も従ったのだ。

 

 昼に春日市の地図を見て塵は頭に叩き込んである――ハルカはこじんまりとした庭に出てから、後ろに振り返った。

 

「ところでキャスター、何か乗り物は持っていませんか」

 

 ライダーではないのだから、ハルカはそこまで期待していたわけではない。ただ万が一空を飛べたり海を走れたりするならば、それだけで戦闘のアドバンテージになる。

 そしてそれに乗って移動できるならば、余計な体力を消費しないだろうと思っての問いだった。

 

「あります……アラビアンナイトの魔法の絨毯的なものというか……はいっ」

 

 キャスターがどこからともなく取り出した榊の枝を振ると、目の前には――大き目の絨毯のようなものが現れた。色は薄い緑色で、触り心地もふわふわとしておらずざらついているが、不愉快ではない。草を丁寧に編んで作られたと思われる、軽やかな敷物だった。

 

「……これは、ジャパニーズ……畳? 茣蓙(ござ)?」

 

 古代の畳は、茣蓙(ござ)(こも)などの薄い敷物の総称であり、現代の厚みのある畳とは異なる。畳んで部屋の隅に置いたことから、動詞である「タタム」が名詞化して「タタミ」になったのが語源とされる。ちなみに畳が今の形状に近くなったのは平安時代になってからであるため、彼女はそれ以前の人物ということになるのだが、日本文化に疎いハルカはそこまで察せてはいない。

 

 

「ハイ! 空飛ぶ敷物です! あと多分、これ自体に凄い力とかないですよ? 水の上を走ることもできますが、ほんと移動用なので」

 

 それは大丈夫なのか? とは思うものの、腐っても英霊の乗り物である。見た目が牛車や馬のように力強さに欠けても、見た目だけであろう。

 

「ならばそれに乗って春日を回り、把握をしましょう。気になる場所に至ったときには降ろしてください」

「了解です。ささ、後ろへどうぞ」

 

 キャスターが宙に浮く畳に跳びのり手招きするので、ハルカは彼女の後ろに乗り込んだ。畳自体はかなり広く、あと二三人乗り込んでも余裕がある。この草の匂いは井草というのか――とハルカがとりとめもなく考えた時、畳は垂直に浮上した。

 

 真夏の夜の現実――先ほどまでいた屋敷を眼下に、ハルカとキャスターは空高く浮かんでいた。日本の夏は気温もあるが湿度も高く不快だと十年以上前にも感じたが、やはり今年もダメで真昼間の散歩もなかなかに北国育ちのハルカには堪えた。

 それに比べれば夜は遥かにマシで――湿度は相変わらず煩わしいが――高所になったこともあり吹き付ける風があるために、過ごしやすさを増していた。

 乗り心地は悪くないが、アラビアンナイトの絨毯同様、これ自体は布一枚のためあっさり転落してしまいそうな感じがする。

 

「ふふん、マスターご安心を。これは腐っても巫女の乗り物です。神様にはちょっと弱いですが、そんじょそこらの戦闘機以上の強度と安全性はあるのでご安心を。ただ本当にただの乗り物で、宝具を耐えれるとか実は対粛清防御の秘めたる力がとか全くないので!」

「なるほど」

 

 ハルカもそこまで期待してはいなかったので、落胆はない。彼女がかなり変わったサーヴァントであることは確かではある。それでもハルカはこの英霊と聖杯戦争を戦う気になっているのだが――この違和感は、何か。

 自分が共に戦うはずだったサーヴァントは、彼女ではなく、彼で。

 キャスターではなく、おそらく別のクラスで。

 聖杯に願いはないものの、熱き戦を求めて戦う最強ではなかったか?

 

 いや、そんなはずなはい。ハルカはゆるゆると頭を振った。

 

「それでは今日は駅周辺を回った後、碓氷邸と土御門神社を回りましょう。今の二か所はここ一帯でも霊地に数えられています」

「はい!」

 

 風を切って進む畳は、音もなく宙を滑って移動する。今は夜十一時近いが、終電は十二時過ぎのため駅周辺の店はまだ営業中であるところもちらほらとあり、人影も多い。

 こんなところで戦闘を始めるサーヴァントはまずいないだろう。営々たる文明の光を後に、彼らは駅から北上して美玖川に至る。上空とはいえ水辺ゆえか、駅前よりも涼しく感じられる。良く晴れた夜に輝く月は半月で、凪ぐ水面にその姿が映し出されていた。

 

「フフフ、人気もなくて私たちだけですね、マスター」

「ええ。この時間となると人気もないでしょう。それにここは川に沿えば対城宝具も放ちやすく決戦向けの場所ですね。サーヴァントの気配は?」

「……私たちだけですぅ」

 

 どこか拗ねたようなキャスターの言葉を言葉だけ頭に入れ、ハルカは息をついた。

 

「それは残念です。他サーヴァントがいれば、あなたの力を見せてもらおうことができるのですが」

「私はマスターのことが知りたいですぅ~!」

「サーヴァントとして主の魔術師としての力が気になるのも然りですね。時が来れば私も敵マスターと戦う時が来るでしょう」

 

 何かズレた会話に違和感を懐いたのはキャスターのみで、ハルカのほうは淡々と考えを述べた。キャスターは大きなため息をついたが、ハルカはそれに頓着しなかった。

 

「もうここはいいです。駅周辺を周回した後に碓氷邸を眺めた後、土御門神社へ行きましょう」

「は~い」

 

 春日総合病院の上空を旋回し、そのまま南下して碓氷邸を上空から観察した。実に管理者の屋敷らしく強固な結界に守護された要塞であり、ここに突入するのは避けるべきであろう。

 そしてさらに南下し、土御門神社に至った。碓氷邸に侵入することは避けたが、もうひとつの霊地たるここは探索を避ける理由はない。ハルカはキャスターに命じ、丘の上の境内に着陸させた。

 

 静まりかえり闇に沈んだ境内に光はない。流行っている神社ではないためか、灯篭でライトアップされていることもない。ハルカは石畳に添って本殿に向かいながら、辺りを一瞥した。

 

「なるほど。確かにそれなりの霊地ではあるようですね」

 

 誰かに占拠されている様子もない。こちらに陣を張る手もないこともないが、教会から提供された陣地をわざわざ引き払うほどか。それに、最終局面に至るまで同盟を組む予定の碓氷に無言では、要らぬ誤解を招く。

 

 

 ――そういえば、教会と碓氷と私で同盟する話であったが、連絡手段はどうするのだったか……?

 

 今の屋敷をあてがわれているのだから、自分が一度教会を訪れたことに間違いはない。しかし教会を訪れた記憶も教会で触媒を受け取った記憶も虚ろなまま。

 これは、再度教会を訪れたほうがいいのかもしれない。

 

「あの、マスター? 眉間の皺を伸ばしてもいいですか?」

「よくありません」

 

 気付けば自分の顔をキャスターが覗き込んでいた。気づいてはいたが、よく見れば実にかわいらしい顔立ちをしている。やや童顔のため、おそらく実年齢より若く(幼く?)見えるのだろう。

 ハルカはキャスターの額を手のひらで押し返した。

 

「ここまでこんな重要なことを忘れていたことこそが不覚ですが、キャスター。私は貴女を召喚してそのあと、召喚の反動で眠ってしまった。貴方が知っているのはここまでですよね」

「……そうですけど? 何か変な事でも?」

「記憶に混乱があると、先日あなたにも告げたと思います。それが今でも回復していません。やはり心当たりは召喚だけなのですが」

「……」

「あなたも自分の真名が思い出せないと言っていましたね。そちらは?」

「……申し訳ありません。まだ……」

「あなたが謝る事ではありません」

 

 キャスターは恐縮しているが、彼女に非はない。召喚時の異変によりこの事態となっているならば、原因は呼び手であるハルカにある。

 一体数日前の自分はどんな状況下で召喚を行ったのか――それを知るのは、教会の神父のみか。

 

 石畳から外れ土の地面を踏みつつ、二人はぐるりと周囲を一周した。神社自体は碓氷の支配よりも古くからあったと聞いているが、本殿はとても新しい。つい最近立て直したばかりのようだ。

 

「……仕方がないですね、しばらくは様子見します。もし気にかかったことがあれば、何でも私に言ってください。ところで、ひとつ質問したいのですが」

「はい! スリーサイズですか? 上から「違います。この地は確か四神相応の地だと伺っています。四神相応とは東に流水、西に大道、南にくぼ地(池など)、北に丘陵が備わる土地だと。しかしここ春日はそれと比べると、四神相応と言えないのでは?」

 

 キャスターの言葉を遮り、ハルカは話を聖杯戦争関連に引き戻した。春日は西に春日港(池など)、東に大西山(丘陵)、南に丘の土御門神社、北に美玖川(流水)、となっている。大本の理論からすると、春日市は四神相応の地ではないのだ。

 それでもハルカはここが霊地であることを認めてはいるが、東洋の魔術に造詣が深くない為理論がわからない。

 

 キャスターは自分の話を遮られたことに不満げだったが、ハルカの問いには答える。

 

「ん~~四神相応て元は中国からの思想なんですけど。日本の四神相応は、日本に伝播した後にこの土地に合うように変えられちゃったものです。それに北は山とかっていうのは時代とさらに細かい地勢、龍脈の位置によってもかわっちゃうので絶対じゃありません。ここ春日は、大本の中国や朝鮮の理論に近い感じがします」

「そうなのですか」

 

 中国や韓国の四神相応は、背後に山、前方に海、湖沼、河川の(すい)が配置されている背山臨水の地を、左右から()と呼ばれる丘陵もしくは背後の山よりも低い山で囲むことで蔵風聚水(風を蓄え水を集める)の形態となっているものをいう。

 しかし四神相応の解釈は日本においても現代に至るまで割れ続けており、先ほどハルカが述べた説が一般的になっているのは平安京という一大魔術都市の存在に尽きる。その平安京こと京都でさえ、現在南の窪地(巨椋池)が埋め立てられていて厳密な意味での四神相応ではなくなっている。

 

「あれは方位の吉凶を利用して龍脈地脈の流れを読み取り、できるならば池をつくったり川をつくったりして流れを整えて、その中央に魔力を貯めることが目的なんです。と言っても治水事業は今も昔も国家事業なので、完全な事例が平安京とか江戸城にしかならないんです。春日みたいな一地方都市の有力者レベルでは、余裕でズレます」

「……なるほど」

「とはいっても私、陰陽術あんまり知らないので。詳しいことは安倍晴明さんとかに聞いてください。彼の子孫とかなら現代にもいるのではないでしょうか」

 

 興味はあるが、今専門家を捜して問う余裕はない。聖杯戦争を勝ち抜いた後に調べてから帰途につきたいものである――ふと、ハルカはキャスターを振り返った。

 

 夜の帳。人ならぬものを崇め奉る神域――この夜の神社という空間に、彼女の存在は酷く似つかわしく感じられた。吐き出される恋愛脳じみた言葉はあれど、きっと生前からこのような場所に馴染んでいたのだろう。よくわからない、と言いながらも魔術について語るように。

 

「キャスター」

「はい! なんでしょう?」

「……あなたは本当にキャスターらしいキャスターなのでしょうね」

「よくわかりませんけど、私もそう思います」

 

 真名のわからぬサーヴァント。しかし真名を忘却していても、体は伝説を体現する英雄のもの。生前どのようなことをしていたか、エーテルで構成された肉体も覚えている。キャスターは嬉しそうに言った。

 

「まだ自分で自分の力すら完全にわかっていないサーヴァントですが、それでも確信があります。私はきっと、LOVERのサーヴァントに相応しい力が「一通り神社は見ました。特に異変もなさそうですし……ちょっと教会に行ってみたいですね。あちらの階段を降りてから畳に乗りましょう」

「マスタースルースキル高いですね!?」

 

 さっさと踵を返して鳥居の方角へ向かっていくハルカに追い付こうと、キャスターは小走りで追いかけてくる。このキャスターの頼りなさ、自分の記憶の混濁など不安材料もある――今日はまだ敵陣営に鉢合わせなくてよかったのかもしれない。

 

 土御門神社は小高い丘の上で、周囲を林に囲まれている。見通しは悪く、斜面の様子はやはり林にかこまれている。だがまるっきり人が通った跡がないわけでもなく、神社の者が立ち入っているらしい気配があった。石階段は長く、段数にして百段以上はある。神社は夜間立ち入り禁止になってはいないが、わざわざ深夜にここに来るのは肝試し目当ての学生くらいだろう。

 

「……近くの家で飼っている犬の遠吠えですかね」

 

 遠くから聞こえる獣の吠え声。神社には犬を飼っている様子はなかったため、ハルカは何気なくそう推察した。

 

「でも、犬より狼っぽい感じしますね」

「犬は狼を家畜化したものといいますし、似ていてもおかしくないのでは?」

 

 世間話をしつつ、ハルカがキャスターを先導して階段を降りていく。ハルカの方が大分先に階段を降り切り、まだかと彼女を振り返った時――「……! マスター! 多分後ろ!」

 

 キャスターの高い声と同時に、ハルカは住宅街へと目を向けた。時すでに遅し――何かが迫っていることはわかるが、対応できない。とっさに袖に仕込んだ宝石を手に取ったが、手に取った時に、既にそれは指呼の間にあった。

 長い黒髪にロングスカートのようなものを穿いた、大柄な女性。表情までは伺えず、疾風の如きスピードで迫りくる。その速度は、既に人間のそれではない。

 

「……、!」

 だが、疾風はなんらハルカに危害を加えることなく、すぐ隣を駆け去って行った。遅れて巻きこまれた風が吹き抜け、疾風の主はあっという間に闇に紛れて見えなくなった。

 

「マスター! 大丈夫ですかっ」

 

 転がり落ちそうな勢いでキャスターが階段を降り切ったときには、すべてが終わっていた。いや、何も始まってすらいないのだが。ハルカが見つめている闇の中を同じように見つめ、キャスターは嘆息した。

 

「……な、なんか人だかなんだかよくわからない気配だったんですが、今のは、」

「……ただの人間とは思えない速度でした」

 

 魔術師であれば――強力な魔力殺しの礼装でも身に着けていないのであれば、ハルカが気づく。先程の一瞬、ハルカは完全に反応で後れを取っていた。はっきりとした正体はつかめていないものの、一つの可能性が脳裏をよぎる。

 ――気配遮断のスキルをもつ、アサシンのサーヴァント。

 もちろん、可能性の域を出ない。だが十二分にあり得る可能性に、ハルカは悪寒を禁じ得ない。

 

 

「……なんにせよ、今のは僥倖です。マスターが御無事でよかった」

「私も油断していました……これはやはり、一度教会に行くべきでしょう。記憶をよみがえらせる手助けになるかも「マスター! サーヴァントですっ!」

 

 刹那、キャスターがハルカの前に躍り出た。どこから取り出したのか、彼女は大きな鏡を出現させて攻撃をそれで受けた。

 

「……っつぐう!」

 

 与えられた衝撃に耐えきれず、キャスターは足を浮かしてハルカを巻きこんで吹き飛んだ。その距離およそ五メートル。キャスターはすぐさま立ち上がった――だがそれが可能だったのは襲いかかってきた何者かが、追撃してこなかったからである。

 

 魔術的には境界記録帯(ゴーストライナー)と呼ばれる最強の使い魔、サーヴァント。

 ハルカの傍らにあるキャスターと同等の、敵。

 

 シニョンに結われた金髪、蒼を基調とした衣装(ドレス)に銀の鎧――そして何か構えているのは解るが、何かは見えない――不可視の武器を所持した、キャスターと同じ年の頃の少女だった。

 



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夜③ 聖杯戦争、終了

 相対する蒼銀のサーヴァントが魔力に不足なく、力に溢れた英霊であることをハルカは一目で看破できた。

 

 彼女が現れてから、周囲の風の流れが微妙に変化している――それは、あの不可視の武器が風にまつわる何かで覆われていることを示している。

 今、激突した相手。敵サーヴァントである少女は、何故か戸惑いを含んだ視線をよこした。

 しかし彼女の視線が意味することに、ハルカは気づかない。

 

「……敵、サーヴァント……ッ!」

 

 先程超速で通り過ぎて行ったサーヴァント(かもしれない何者か)はいいとして、今ここで敵と出会ったのなら。これは聖杯戦争、戦って障害を葬り去るもの。

 ハルカは手元の宝石と礼装を確認し、ちらりとキャスターをみやると――身体強化と共に、一気に襲い掛かった。

 

「――――Acht(八番)……!」

 

 キャスターではなくマスター自身が。通常なら一刀両断に伏されるはずの非力な人間は、金髪の少女へ突撃した。自殺行為か――いや、その速さは人間を超えていた。

 予想だにしない速度に金髪の少女は目を見張り、その突撃を不可視の武器で防ごうとする。だが、男の武器は接近しようとやはり宝石。

 長年時をかけて蓄積した魔力の爆発は、Aランクの魔術にも匹敵する――!!

 

 宝石は強烈な閃光を放ち、爆風の衝撃が夜を揺らした。しかし――煙の中から現れた敵サーヴァントの少女は傷一つなかった。サーヴァントのクラススキル、対魔力。仮にAランクともなればそれ以下の魔術を無効化してしまい、事実上現代の魔術師では傷を負わせられない。

 

 だが無傷の少女は、ハルカが接近したこの状態で反撃に出なかった。ただ風を纏った武器――おそらくは剣か槍――を振るい砂埃を払い、距離を取るのみ。ハルカはその様子を訝ったが、それよりもキャスターの怒声の方が早かった。

 

「マスター! サーヴァント相手にっ……! 何をしてるんですか!!」

 

 しかし、当のマスターは涼しい顔で言った。「いざとなったらあなたが助けてくれるでしょう」

「……! え、ええもちろんっ!! けど、それとこれとは話が別ですっ!」

 

 蒼銀の少女は隙だらけの相手に(強いて言うならキャスターの方が隙だらけ、というのがさらに奇異であるが)、襲いかかろうとしなかった。彼女は構えこそ解かないものの、明確な敵意を見せていないままである。

 

「――貴方たちは……?」

「……私は聖杯戦争のために来たマスター、ハルカ・エーデルフェルト。こちらは私のサーヴァントです。……その対魔力、セイバーかランサーのサーヴァントと見ました……いざ尋常に」

「待ってください。ハルカ・エーデルフェルト……? そんなマスターは春日の聖杯戦争にはいません。それに聖杯戦争は終わっています」

「……は?」

「ファッ!?」

 

 予期しない言葉に、ハルカは自分の耳を疑った。同じ気持ちなのか、キャスターも奇声をあげてへどもどしていた。

 聖杯戦争が終わっている?

 そんなはずはない。現にここにサーヴァントがいて、戦いに臨もうとしているではないか。まさに聖杯戦争の真っただ中ではないか。ハルカは敵意とはまた違った憤怒をにじませ、金髪の少女を睨みつけた。

 

「わけのわからないことを。敵陣営同士が邂逅したのであれば、あとは殺し合うのみ。――あなたはサーヴァント。サーヴァントは敵サーヴァントとマスターを殺すものでしょう。聖杯を求め、己の願いの為に!」

「ええ、そうでしょう。しかし今の私に聖杯にかける願いはなく、マスターにも戦う気はない。見知らぬマスター。あなたが聖杯を欲していても、もうここに聖杯などありません」

 

 信じがたいことを言われ、敵サーヴァントの少女を訝っていたハルカの気持ちが変ったのはこの時だった。

 聖杯がない? そのうえ目の前のサーヴァントとそのマスターは戦う気もない? 

 まるで、足元を、土台を突き崩されているような感覚。

 

 なんだそれは。自分は戦うために、時計塔からここに来た。

 たとえ死闘の末に敗れ命を落とすことがあるのは仕方がないとしても――戦いすらしないことはありえない。

 何故なら、彼は戦うためにこの地を踏んだのだから。

 

 ハルカは一度構えを解いて、静かな眼差しで目の前の少女騎士を睨みつけた。

 

「……あなたは戦う気がないと言った。ですが今、武装しているのはなぜですか」

「これはあなた方と戦う為の武装ではありません。私が追っていた者の為の武装です」

 

 先程通り過ぎたサーヴァントらしき人物のことだろうか。少女のサーヴァントは一瞬視線をハルカの左に寄せ、そして恐ろしく素早い足でハルカの右を駆け抜けようとした――が、驚いたことに、ハルカの眼はそれを見逃さなかった。

 

 自らの身体を武器のように見做し、少女騎士の視線のブラフさえ見越して、彼女が脇を通り抜ける刹那に体をずらして、振りかぶり――彼女の顔に右ストレートを叩きこもうとしたのだ。

 

「――!」

 

 少女のサーヴァントは驚いたものの、ハルカの身体能力は先ほど垣間見ており――さらに左に体を捻って回避した。

 彼女とハルカの距離は、およそ十メートル。彼女には戦う気はない、だが目の前の自称マスターがこのまま逃がす気はないことも理解していた。

 そして、控えるキャスターからも強い戦意を感じないことも。

 

 少女のサーヴァントは不可視の武器を構えなおす。ハルカとの距離は、サーヴァントの身体能力をもってすればなきが如し。ハルカも宝石を指と指の間に挟んだ。

 

 Aランクの魔術でさえ通らない対魔力のサーヴァントに一番初めに出会ってしまうことこそ運がない。または逆に、運が良いのか。

 じりじりと湧き上がる焦燥。引き続き強化されたままのハルカの足が地面を蹴る!

 

「――Sechs(六番)!!」

 

 詠唱が早いか否か。ハルカは装填された弾丸のように飛び出した。彼の服――見た目は神父のカソックにも似ているが――には特殊な加工が施されている。

 袖、背中、ズボン、すべての部位に加工の施された細いチューブが編み込まれており、魔力の籠った宝石が詰まっている。そしてハルカの詠唱に応じて液状化し、噴射される。その噴射された魔力はサーヴァントのスキルで言う「魔力放出」であり、術者の身体を魔力で強制的に強化し、動かすのだ。通常の身体強化に加え宝石魔力放出により、人間を超える速さで迫るハルカだが、そこまで行ってセイバーと対等の速さ。

 そこからいかに殺るかが本番である――!

 

「ハァッ!」

 

 接近したことでハルカは不可視の剣が、空気密度によるカラクリであることを理解する。剣の周囲に圧縮した空気を纏わせることで光の屈折率を変え、見えなくしているのだ。

 まだハルカはその剣の長さ・間合いを完全に把握できていない。これまでのわずかな遣り取りからの予想で、自身の髪が数本断ち切られるギリギリで躱す。

 さらに一歩踏み込み、宝石を煌めかす――!

 しかしその威力が自身を傷つけるものではないと承知しているセイバーは、避けようとはしなかった。

 

「――――Sieben(七番)……!!」

 

 されどそれは威力と破壊力を主とした宝石ではなかった。空をも焦がす閃光を上げて輝く宝石――閃光弾(フラッシュバン)の役割を果たした宝石がセイバーの眼をくらませたときに、とっておきの――!

 

「えーい!」

 

 ハルカのとっておきの宝石が炸裂する直前、蒼銀の少女の武器がハルカの胴に当たる前――大きな鏡が割り込んだ。

 それは不可視の武器を弾き、二人の間を引き離した。今まで動かなかったキャスターが、突如――覚悟を決めたように――二人の間に割り込んだのだ。

 

「さ、さっきから黙って見てれば! 無茶をしないでくださいっ、マスター!」

 

 キャスターの周囲を浮遊する紅い縁のある鏡は、鏡というより鈍器として扱うものらしい。腹の据わったらしいキャスターは、そのまま鏡を振り回して蒼銀の少女の前に立ちはだかった。そのマスターを守る、という意思を見た少女のサーヴァントは一拍、後ろに左足を引いたと思うと、一息に飛び出した。

 

 それは愚直な突撃ではあった。だが、単純にあまりにも速過ぎた。

 ハルカの知らぬことだが、彼女の宝具『風王結界』による風のジェット噴射とスキル『魔力放出』の魔力ジェット噴射併用による豪速の突撃。

 間合いの意味さえなくすほどの速さで、キャスターの認識よりも早く、キャスターを斬り伏せる。

 

「……ぐぅっ!」

 

 鏡によるガードが間に合うはずもなく、キャスターは剣の一撃を胴体に受けて、纏う風と少女騎士の膂力のままに吹き飛ばされた。彼女の身体は道路の真ん中にまでごろごろと転がった。

 

「キャ、キャスター!」

 

 ハルカが彼女に気を取られた隙に、少女のサーヴァントは魔力放出まで使用して一瞬にしてハルカをすり抜けてその場を去った。

 ハルカが急いで倒れたキャスターに駆け寄って見たところ、彼女は腹をかかえてうずくまってはいたものの、斬られてはいなかった。ただ激しい衝撃のために身動きがとれず、息をするのも精いっぱいで言葉を発することもできなかった。

 彼女は数分うずくまったあと、やっとしゃべれるまでに回復した。

 

「……手加減、されたみたいです。ほんとに戦う気は、ないみたい、ですね……」

 

 仮に最後のような突撃がなくても、直にキャスターは力負けして膝を折っていただろう。それでも少女騎士が突撃を選んだのは、一刻も早く向かいたい場所があったからに他ならない。

 

 消滅に至る傷ではないことを確認し安心したものの、ハルカは大きなため息をついた。真名を思い出せないサーヴァント、記憶の欠落が快復しない自分――思った以上に問題がある、と。

 

 その上――

 

「聖杯戦争が、終わっている……?」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 夜の春日教会の礼拝堂は、穏やかな明かりがともされていた。

 今日の夜は特に催し物もなく、教会は終えてよい時間ではあったのだが、今も神父と修道女が二人、長椅子に座り黙々と紙切れを折り続ける作業をしていた。

 

「……あの、これはほんとに教会の仕事なのでしょうか?お父様」

「? そんなわけないだろう」

「――ッ!! そういうことはさっさと言ってくださいよ! 騙されました!」

「私は何も言っていないが」

 

 ばしーん、と景気よく美琴は折っていたチラシを机にたたきつけた。御雄神父が黙々とチラシを折り続けているのを見て、彼女は大仰にため息をついた。

 

「もう、お父様ったら! 最近ライダーの(プロデューサー)活動にうつつを抜かし過ぎでは? そりゃあお父様がミサなどに手を抜いているとは思えませんけど!」

 

 現在進行形で御雄がせっせと折っているのは、A4判のチラシだった。だがその内容はミサのお知らせなどではなく、「KAMI NO TSURUGI」のチャリティーライブのチラシだった。

 聖杯戦争終了後、あの度し難いライダーが謎の芸能活動をブチ上げた。美琴としては勝手にやってくれと思うのだが、何を思ったか養父の御雄がノリノリで神父業の傍らプロデューサー業を請け負ったのだから大変である。

 

 

 一般向けには信徒の葬儀・結婚式、日曜には礼拝、平日には聖書の勉強会・墓地の清掃。第八秘跡会としての活動は不定期(何か事件などがあったときのみ)――要するに今はそう忙しくはないのだが、あまり教会を留守にし続けられるのはよろしくない。

 

 美琴としてはライダーを無下にするつもりはないが(というか、無下にしたらどうなるかわからない)、ここは教会であり、ライダーはこの国の神でもある。

 あまり神父が別の神をプロデュースするのはどうかと思うのだ。まあ、教義には解釈はあれど主は神の子であり神ではないのだが。

 御雄は複雑な顔色の美琴を見て、チラシを折る手を止めないまま笑った。

 

「……初めて会った時から真面目な娘と思っていたが、今も変わらない。これでも私なりにお前に遊びを持たせようとしてきたのだが、どうやら遅かったらしいな」

「……お父様の娘となったのはもう十五歳の時でしたから」

 

 みずからの意思で魔道の家系を抜けた、十五の少女。御雄が彼女を養女としたのには、明確な理由があった。

 十五年前にはすでに彼は聖杯戦争を蘇らせるべく奮闘しており、春日教会に着任していた。彼は表向き聖職者であっても、その中身は信仰よりも優先すべき渇望があった。

 だからその渇望のために、聖杯戦争がらみでしばらく教会を留守にすることもある。だが聖職者の立場は必要であり、自分がいなくても円滑に教会の行事をこなせる都合のいい存在が欲しかったのだ。

 

 その点、美琴は都合がよかった。魔道の家を出奔したということで、実家からは勘当状態。どうしようと彼女を探そうとする人間はいない。また御雄も元魔術師(正確には呪術師)である経歴から、彼女とは円滑にコミュニケーションしやすいだろうと思ったのだ。

 実際彼女は物覚えもよく、てきぱきと物事をこなし、本当に信仰心のある修道女であった。

 

 御雄は妻を取ろうと考えたことはない。家族よりも優先すべき衝動があり、そのためには家族は不要だったからだ。養子縁組をしているが、美琴にも自分を父と呼べと強制した記憶はない。

 十五の少女にも、新しい父は遅すぎるだろうと思っていたが、美琴は案外すんなりとお父様と呼んだ。

 

 親子の情はあるのかないのか、御雄自身にもわからない。ただ、親しみはある。

 だが彼女を●すことになっても、致し方ないと思う。

 この人を殺されたくない、大事にしたい――物語でうたわれる人らしい感情を、御雄は感じたことがない。

 実の娘ならまた違ったのか。だが、血のつながる実の親に対してもそのような感情を抱いたことがない。

 

 別段、それで不自由したこともない。

 死ぬときは、死ぬ。死ななければ、まだ生きる。ただ、死なない限り生きるだろう。

 

 特定の誰かに対する激しい情動がわからない、だからといってその情動を持つ人間を馬鹿にはしない。

 むしろ自分が抱かないからこそ、知りたく、もっと近くで見たいのだ。

 

 ――それゆえの、戦争。砂被り席を私は望んでいた。

 

 私の分まで、激しい情動を感じてくれ、と。

 もしかしたら、これは根の深い不感症のようなものかもしれない。極端な刺激でないと感じられない、人を通してでしか楽しめない。

 神父の内心を全く知らず、美琴は腰に手を当てて大きなため息をついた。

 

「もう、私はこんなですからね。もう二十七ですし。普通のシスターとして、時には第八秘跡会の一員として粉骨砕身尽くすだけですよ」

 

 

 ――正味な話、美琴の力量は専門的に鍛えれば聖堂教会の代行者になりうるレベルだと、御雄は思っている。だが、彼女は代行者になろうとはしないし、向いてもいない。

 

 そもそも「聖堂教会」とは、世界一大宗教の裏組織、教義に反したモノを熱狂的に排斥する者たちによって設立された、「異端狩り」に特化した巨大な部門のことである。

 裏組織であるため神父修道女の中にはこれを知らない者も多い。だが美琴や御雄はその始まりからして魔術の徒であったため、自然と聖堂教会のことを知ることになり、移った今も一般人の神父修道女ではなく「そちら側」の神父と修道女にならざるを得なかった。

 

 御雄が魔術を辞めた理由は魔術も異端も関係ない理由だったが、美琴は違う。

 魔術の家の営みに嫌気がさして、人を人とも思わない行いを厭うて家を出た。聖堂教会が敵とするものは吸血種や人の範疇を外れた者のため、一般人を害するものではない。だが本来魔術師も神秘を秘匿し、一般人を傷つけるものではない。

 魔術の徒も教会の徒も一般人を守っているのではなく、単に対象の範疇外であるだけ。

 

 ――戦闘力があっても、美琴に向いているのは「そちら」ではない。

 仮に「そちら」の仕事に回したとて、長持ちはすまいと御雄は見ている。ある程度「そちら」の仕事をしているが、あまり深くに入り込ませるべきではない。

 彼女に比べれば、タイプこそ違えど未熟な陰陽師や碓氷の七代目の方がはるかに頑丈にできている。

 彼女が心より願い尊ぶのは、敬虔なシスターとして、普通の人々の信仰を守ること。

 

「お前も教会の雑務ばかりでは疲れるだろう。リフレッシュにライブチラシでも折るとよい」

「お父様がライブにかまけているから私の雑務が増えているんですよ!」

「はぁーい」

「……」

 

 美琴はわかりやすく嫌な顔をして、入り口の闖入者へと目をやった。流れる金髪、碧眼に夏にも関わらず紺色のロングスカートに白い長そでのブラウス。

 封印指定魔術師、シグマ・アスガードがまるで気安いお隣さんを訪問したような顔つきで、軽く長椅子に腰かけた。

 御雄が対応する気ゼロであるのを看取り、美琴は溜息をつきながら立ち上がった。美琴が歩く音と、チラシを折る音以外は静まり返った静寂な教会の中でシグマの美貌は、その場にそぐわず魔的であった。

 

「……何の用かしら、シグマ・アスガード。ここは魔術師の訪れるところではないけど?」

「あらつれない。明ちゃんはよく来てるのに私はダメ?」

「あの子は管理者だから。最近は一般人の家に転がり込んで大人しくしているって聞いたけど、何の用?」

 

 シグマが悟の家に転がり込んでいるのを美琴が知っているのは、あのおしゃべりな断絶剣(フツヌシ)のせいである。ただ、美琴たちもシグマが何を思い立ってそのような事をしているのかは知らない。

 

「明ちゃんが帰ってきたって聞いたから、どこにいるのかしらと思って。さっき行ってみたけど屋敷にはいないみたいだったの」

「……あなた、明に何の用?」

 

 相変わらず剣呑な気配を消さない美琴を見て、シグマは口元に手を当てて笑った。春日で縁深い相手とはいえ、同じ魔術師に対する態度の差に笑ったのである。

 そして黙々とチラシを折っている御雄が思い出したように口を挿んだ。

 

「昨日の夕方、碓氷たちが帰ってきた。となれば、今日しているのだろうな……シグマ、七代目を尋ねたいなら明日以降にするがいい」

「しているって、何を?」

「何、影景と七代目が手合わせをしていると言う話だ。時計塔では誰が何時どこで見ているかわかったものではないからな」

 

 魔術師は互いの研究成果を発表しない。受け継ぐのは自分の跡継ぎのみ。そして明は虚数属性というその属性だけでホルマリン漬けにされかねない希少な体質の持ち主であり、影景としてもその魔術を時計塔のど真ん中で披露させるのは避けたかったのだろう。

 シグマは納得したが拍子抜けしたようで、興味は失せたとばかりに裾を払って立ち上がった。

 

「わかったわ。急いではいないから適当な時に会いに行くことにするわ」

「それが良かろう」

「ちょ、結局明に何の用なの?」

「あなたの許可を取る必要があるのかしら? そんなに心配しなくても――」

 

 踊るような足取りで、シグマは美琴との距離を詰める。同じ女性の美琴からみても、シグマのプロポーションと相貌の造形は完璧だ。もし神話の中の女神が形をとるなら、きっとこんな女性なのだろうと――その碧眼が、至近距離で美琴を覗いていた。

 

「明ちゃんには何もしないわ。むしろ私は命乞いをする立場だもの。それよりも」

 

 ガラス細工の指が美琴の顎に触れ、軽く支えている。吐息が、近い。

 

「あなたはあなたの今を楽しんだ方がいいわよ?」

「――ッ!」

 

 美琴は勢いよくシグマの手を払いのけた。触れてはいけない。

 彼女の封印指定の訳を知っており、かつこの状態で疑似神霊降霊を成し得るはずがないと承知していても、魅了にかかってしまいそうな恐れを抱いた。

 

「ふふっ、それじゃあお邪魔したわ。何だかんだ今回も楽しいじゃない、エセ神父」

「お父様のどこがエセなのよ! 帰ったら聖水振りまくから!」

 

 忙しいこともあってか、頭に血が上りがちな美琴は最後には完全に怒った様子でシグマを追い払った。

 



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4日目 隔離虚数境界都市・春日
昼① カワイイは作れる!


 うっすら眼を開くと、室内の電気はついていないものの、開いたカーテンから日光が差し込んでいて薄明るい。

 ベッドの上におとなしく寝転がる明の脇に、流石に見慣れてきたシニョンの金髪が座って添っていた。

 ――そうだ、昨日怪我を負って帰ってきたから、そのあとはさっさと寝て安静にしていろとセイバーズにベッドに押し込まれたのだった。

 

「……ごめんね、アルトリア」

 

 明自身、聞かせる気があったかどうかすら怪しい音量の声だったが、騎士王は耳敏く聞き取った。

 

「気にしないでください。男装はまた教える機会もあるでしょう。あとで一成に連絡をしてみます」

「……でも、アルトリアも行ってきてよかったのに」

「せっかくサーヴァントが二人いるのです。にもかかわらず二人とも負傷したマスターを放置しておくのはどうかと思います」

 

 放置されたからといって殺しにくる輩がいるわけでもあるまい、と明は思ったが、アルトリアは昨夜見知らぬマスターとサーヴァントに遭遇していたらしい。彼女曰く力量的に負ける気はしないそうだが、気を払っているのだろう。明はスローな動きで上半身をベッドから起こした。

 

「朝ごはんが食堂にありますが、持ってきましょうか」

「うん。あるなら食べるよ」

 

 アルトリアが機敏に部屋を出ていき、扉が閉まるのを見送ってから明はため息をついた。謝ったのは、きっと男装講義をすっぽかさせてしまったことに対してだけではない。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 なんでも、エアコンは高温の室内を冷やすのに最も電気代がかかり、冷えた室内温度をキープするのは電気代がそうかからないらしい。そのため、冷えたら消して暑くなったらまた点けを繰り返すよりずっと点けっぱなしの方が電気代は安く上がるらしい。

 

 一成はその話に従い、家では学校など長時間留守にするとき以外は冷房をつけたままにしている。夜もつけたままである。

 ゆえに外はいかに地獄猛暑であろうとも、彼は涼しい気温の中で起床した。時刻は八時を回っており、差し込む日差しは眩しい。

 

 

「……朝か」

 

 昨夜理子とともに春日の偵察をしていた一成だったが、結果として何もなかった。春日総合病院、美玖川を回り、最期には春日港まで見てみたがなにも異変は感じられなかったのだ。

 強いて言えば美玖川の向こう側――橋を渡った先はもう春日市ではないが――が、やたら暗く感じたくらいか。あちらの市も春日ほどではないが、春日に新幹線が止まるようになってから栄えているはずなのだ。時間が深更だったからそのせいか。

 とにかく、異変は感じられなかったため昨日は解散となった。もちろん今日も夜は見回りをするつもりである。

 

 一成は目をこすりつつ、ユニットバスの洗面所に向かい顔を洗った。冷凍しておいた白米をレンジで温め、ケトルでお湯をわかしてインスタントの味噌汁を作り、賞味期限が切れそうな卵を目玉焼きにして白米の上に乗せた。

 半熟にした目玉焼きを割り、塩コショウ醤油でかきこむ。実家にいたころには考えられないほどにジャンクな食べ物だが、非常においしい。ジャンクをなめてはいけない。

 

 適当に制服を身に着けると、財布だけ入れた鞄を持ち家を出た。前回遅刻した分早めに行っておいてもいいだろうと思ったが、食器を洗っていたために結果時間通りくらいの到着になりそうだった。

 

(そういや、あいつ、アルトリアさんもちゃんと来れんのか)

 

 三日前ヤマトタケルに「女装を教えてくれ」と頼んだはいいものの、迎えに行かなくても大丈夫だろうか。学校の場所は知っているだろうし、ついでにアルトリアも一緒のはずで地主の碓氷のつてで不審者扱いはされないとは思うが、不安は残る。

 

(いや二人とも古代人とはいえ子供じゃねーんだし)

 

 一成はどうにでもなるだろ、と投げやりに考えながら、今日も三十五度越えを予感させる日差しに抵抗しつつ学校へ向かった。

 

 部活に励むサッカー部員や陸上部員を見ながら、早く文化祭準備をやりたい気持ちよりも涼しいところに行きたい一心で一成は急いで下駄箱に駆け込み、せっせと階段を上った。

 にも拘わらず二階の3-B教室へ急ぎ、扉に手を掛けたその時、彼はその手を止めてしまった。

 

「カワイイは作れるッ!!!」

「「カワイイは作れるッ!!!」」

「キレイは生めるッ!!」

「「キレイは生めるッ!!!」」

「生きろ、そなたは美しい!!」

「「生きろ、そなたは美しいッ!!」」

「よし、意気込みは様になってきたな」

 

 いや、かわいいは作れるじゃねーよ。そしてお前ら、こんな不審者によく従うな!?

 などとツッコミは尽きないのだが、この光景を見た瞬間に一成は帰りたくなった。

 しかし当然帰るわけにもいかず、そのうえ入ることをためらっているうちに向こうがこちらに気づいてしまった。

 教壇に立ち、一成の同級生を二列に並べていた男がつかつかと近づいてきて、勢いよく扉を開いたのだ。

 

「何をしている土御門。もっと時間に余裕を持って到着すべきだろう」

「……お、おう」

 

 全くの正論に、一成はグウの音も出ず頷いた。そう言った当人――ヤマトタケルは最強TシャツにGパンというラフな格好だった。一成は逃れようもなく教室の中に入り、小声で彼にに尋ねた。

 

「……何やってんだお前」

「何を言う。お前がクラスメイトたちに女装の真髄を教えてくれと言ったのではないか」

 

 ヤマトタケルの眼が余りにもマジだったためツッコミそこねてしまったのだが、そこへ遅まきながら、最後のクラスメイトが姿を見せた。

 

「ワリー遅刻……って、どちら様?」

 

 我らが文化祭実行委員長、桜田ジャスティスこと桜田正義が汗をかきながら現れた。しかし呑み込みと適応力の高い彼は、その不審者もといヤマトタケルの隣にいる一成の姿を見て三日前の出来事を思い出していた。

 

「……あ! 大和さん?」

「いかにも」

「ど、どうも。言いわすれましたけど、俺、文化祭リーダーやってます」

 

 二人は握手を交わすと、ヤマトタケルは再び教壇へ、桜田と一成は鞄を教室の後ろ隅へおいて並んでいるクラスメイトの隣にそろそろと立った。桜田は小声で一成に尋ねた。

 

「……で、今なにやってんの?」

「俺が聞きてえ」

 

 ツッコミたい気持ちは山々だが、教えを乞うたのは一成自身であり、ヤマトタケルもやる気に満ち溢れている。ここはじっと様子をみておこう。

 

 教壇のヤマトタケルは腰に両手をあて、女装メンバー十人の顔を順繰りに眺めた。そして教壇の脇には置いてある長期海外旅行用とおぼしき巨大なスーツケース二個を叩き、不敵な笑顔を浮かべた。

 

「じっくりかわいがってやる! 泣いたり笑ったり出来なくしてやる! さっさと立て!」

 

 いや、もうみんな立ってるっつーの。

 

 

 

 巨大スーツケースの中身は、一つ目にメイク道具とウィッグが詰め込まれており、二つ目には女物の服が詰め込まれていた。一成はてっきりヤマトタケルの私物かと思ったが、どうやらこの三日間でレンタルして用意してきたらしい。一成から見れば、仮装が好きなら多少は自分で買った方が安上がりではと思うのだが、モノを増やすのが好きではないのか、ヤマトタケルが持っている仮装道具は案外少ないようだ。

 

「お前たちが綺麗にすね毛や腕の気を剃っていることは評価しよう。それにネットでかなり調べていることも認めよう。しかし足りていないものは圧倒的に技術――女装の為のメイクと服装の選定センスだ。正直、これらは一朝一夕で身に着くものではない。練習を重ねていく必要があるが、俺はそこを補うために呼ばれているのだと解釈している。その点は俺に任せてもらうが――恐れるな。お前たちは既に女装にあたり、強い武器を持っている。それは男であることだ。男であるが故に、お前たちは女の魅力的な仕草や姿を知っている――ゆえに、女装は女以上に理想の女足り得るのだ!! このことを心に刻んでおけ……リーダー桜田ァ! 手始めに貴様を女にしてやる!」

「……」

 

 教室は謎の熱気に包まれていた。というか一成は、これほどにノリノリのヤマトタケルを聖杯戦争中にも見たことがない。これが仕事(戦闘)趣味(仮装)の熱意の差なのだろうか。

 桜田はなぜか右手と右足を同時に出すほどの緊張を伴いながら、ヤマトタケルの隣へと至った。彼を教室の椅子に座らせ、モデルケースとして美少女に替えてみせる目論見らしい。

 

「大前提として知っておいてほしいのは、男と女では体が違うと言うことだ。まとめてしまうと男は四角く、女は丸い。極論すれば男の角ばった部分を隠していけば、それだけで女に近付いてくる。お前たちは女子から化粧のやり方を聞いたらしいが、女装のための化粧と女のための化粧は違う。男は女に比べ顔の掘りが深い傾向になるから、洗顔後にファンデーションとコンシーラーで顔の凹凸を無くす。顔の赤みもこの時点で消していく。ちなみにカラーコンタクトレンズがあれば瞳孔を大きく見せるために入れておくといいが、無理には勧めない」

 

 ヤマトタケルは異様に良い手際で、ピンで桜田の前髪を上げて眉毛を切ってから、ファンデーションを塗っていった上で眉毛を書き、アイラインを引きつけまつげとアイシャドウまで施し、軽くチークをつけて薄いピンクのグロス口紅を引いた。

 

「濃い色の口紅はなぜか男らしく見えるから、淡い色の方がいい。さて次はウィッグだが、できるだけ長髪で顔のラインを隠せるものを勧める。男の輪郭を隠してしまうのだ」

 

 スーツケースから取り出した長髪のウィッグを桜田に被せて毛先を整える。

 

「ちなみに服装だが、初心者の場合長袖の方が望ましい。これも顔の輪郭と同様、ラインを隠すためだ。だが今の季節に長袖が酷だというなら、おしゃれなアームカバーもいいだろう。または頭で髪を結ぶなど女性らしい形にして、そちらに視線を集めてしまうことも有効だ。ちなみに運動をしていると男の脚もすらりとしていることが多いから、進んでミニスカートやショートパンツを履くのも一案だ」

 

 ちなみに桜田は引退したが、二年まではサッカー部に所属していた身である。勿論筋肉がついた足をしているが、同時に細い。元々用意していた服はミニスカだったので、それにニーハイソックスを合わせて着る。

 

「とりあえずこのくらいだ。あとは爪の手入れや仕草にも気を使えば敵はない。お前は幸いにも背も百七十少しと高過ぎないし、比較的細身だからなお良い……鏡を見てみろ」

 

 正直、これまでなんだこのテンションと思っていた一成も感嘆の声を上げてしまった。すらりと伸びた手足に細い腰、ウィッグで丸みを帯びた輪郭にぱっちりした目元――これは美少女である。

 

「……桜田正子ちゃん!?」

「……やべえ、これなら余裕で付き合える」

 

 美少女の爆誕にざわめく一同。桜田がもともとムキムキの身体つきではないこともあるが、劇的ビフォーアフターといって差し付かえない。みながじろじろと彼を眺める中、ヤマトタケルは教師のように言う。

 

「さて、見本はこんなところか。これから各々女装をしてもらうが、その前に一つ。お前たち、女装の際に下着はどうしているか」

 

 一応健全な高校生の文化祭だ。男のパンチラなど需要もなく風紀的にも全くよろしくない。踊りはするが、楽しく愉快な女装男装ダンスである。桜田が苦笑いで首を振った。

 

「……流石にそこまでは「甘ァい!! これを見ろ!」

 

 怒声にも近い大声と共に、ヤマトタケルのポケットから飛び出したものは――なんと、薄桃色にかわいらしいレースのあしらわれた、女性用のパンティだった。流石に皆度肝を抜かれたのだが、一成は同時に既視感を覚えていた。

 

 あのパンツは、どこかで見たことがあるような。そう碓氷邸で洗濯され、干される前に山積みになっていた……。

 

「これは俺がうす「おい待て――!!」

 

 一成は慌てて前に飛び出し、ヤマトタケルの身体に跳びついて無理にクラスメイトたちに背中を向けさせた。二人してクラスメイトに背中を向け、ひそひそと話す形になる。

 

「おまっ、それは何だ!?」

「? 明のパンツだ。今は俺の物だが」

 

 まさかの予想が当たってしまい、一成は眩暈を感じた。「……ッ、勝手に持ってきたのか!?」

「見くびるな。これは正式な手順で手に入れた明のぱんつだ」

 

 パンツを手に入れる正式な手順とは……ぜひご教示いただきたい。というかパンツを上げる間柄とは一体、まさかとの想像が一成の脳裏をよぎる。

 

「おまえ、まさか、碓氷と恋人だったりするのか……? ぱんつをもらえるって、そういう……」

「は? 何故ぱんつをもらうこと即ち恋人関係ということになるのだ。……まさか、俺の知らない現代新ルールか?」

 

 その答えからどうやら二人がデキていることはなさそうだが、結局ぱんつ入手の経緯は藪の中である。一成は気になって仕方がないのだが、クラスメイトの手前あまり長々と内緒話するわけにもいかない。

 

「……わかった、お前が碓氷の同意を得てそれを手に入れたことは認める。だけど、それを他の人の前にチラつかせるのは絶対によくない! あとで碓氷に怒られるぞ! 絶対!」

 

 正直、パンツの穿き主がわかっていて美少女であれば自分もこっそり持ち帰りかねないと思いつつ、一成は良識に従いヤマトタケルを止めた。一成的にはヤマタケがいくら明から怒られようとどうでもいいのだが、この事態をノンキに明に話して同じ場所に一成もいたことがバレたら、確実に白い眼で見られる。

 

「……何故怒られるのかがいまひとつわからないが、お前がそういう時は大体本当に怒られるからな……」

 

 一応、共に聖杯戦争を駆け抜けてきただけあって、一成はぞんざいに扱われはしても一定の信頼を得ている。渋々だがヤマトタケルは頷いて、クラスメイトたちに振り返った。

 

「これは俺が買った自前のぱんつだ! 女装の際には、例え見えない部分でも女になれ。……参考までに、下着も女ものをおすすめしておく!」

 やはり渋々ぱんつをポケットにしまって、何事もなかったかのように辺りを見回した。おそらくもっと話したいことはあったのだろうが、ぱんつにうかつに触れるのは良くないと思ったのだろう、何も話さずに終わった。クラスメイトからすれば謎のぱんつの回覧である。

 

「お前たちも道具は持っているだろう。俺が見ているから、それぞれ女装を開始しろ。気になるところがあったら個別に指導する。桜田は他のメンバーを手伝ってやれ」

「「……ハイッ!!」」

 

 謎のテンションで、女装メンバーは各々自分の鞄から女装道具を取り出し、まずは洗顔と廊下へ飛び出していった。ちなみにヤマトタケルはやたらと道具を持ってきているので、持ってきていない者に貸してやるつもりらしい。なんて(こういう時は)準備の良い奴だろうか。

 

 ばたばたと洗顔を終えて戻ってきた野郎どもは、それぞれファンデーションを塗り始めようとしたが、その前にヤマトタケルが一言付け加えた。

 

「本来はファンデーションの前に化粧水や乳液で肌を整えておくべきことを憶えておけ。きっと眉とアイシャドウのあたりで一番困るだろうから、すぐに声を掛けろ……ところで土御門、お前は何故女装しない」

 

 クラスメイトが一心不乱に持参の鏡とファンデーションで顔面を塗りたくっている中、一成一人がそれに参加していない。実は一成はこのメンバーの中にいながら、女装はしない。ただし仮装はする。

 

「……俺は陰陽師だからな。陰陽師の仮装をする」

「……? 明は魔術とは秘匿するものと言っていた。いかにお前がヘボ陰陽師であっても、そのルールくらいは知っているものと思っていたが」

「誰がヘボ陰陽師だ!」

 

 未熟であることは重々承知だが、ヤマトタケルに言われると腹が立つ。「あとそのルールだけど、陰陽道は碓氷のヤツよりはそこんとこが緩いんだよ」

 

 魔術師は「根源」へ至る手段として「神秘」を学ぶが、その「魔術師の学ぶ神秘」を言い換えると、「魔術」と呼ばれるものになる。

 魔術とは神秘であり、神秘とはそもそも(根源から発する)事象の太い流れのことを意味する。それは一般にしられれば知られるほど細い流れになっていき、根源から遠ざかっていく。それを、魔術師は最も忌避する――ゆえに、魔術(神秘)は秘匿されなければならないのだ。

 

 しかし上記の話と矛盾するようだが、魔術とは「世界に刻み付けられた」大魔術式を用いたシステムであり、魔術として機能するためには知名度が必要になる。

 なぜなら「世界に刻み付ける」ための力とは、人の意思、集合無意識、信仰心・知名度のことだからだ。人々に魔術(神秘)がある、と思われることによって世界が魔術式の存在を許容するのである。

 ここでいう「ある」と思われることは、確信でなくて構わない。幽霊など大体の人間は信じていないだろうが、完全に否定されることもないために「もしかしたら」いるかもしれないと思う人間は多いだろう。その程度の疑念も知名度に含まれるのだ。

 魔術師と一般人の大きな違いは双方とも「魔術」の存在を知っているが、それはどういう仕組みで機能するか、どういう目的で存在するものかを魔術師の方が知っているということにつきる。

 

 長々と語ってしまったが、有り体に言えば「浅い部分なら知られても問題ない」わけであり、かつ陰陽道(神道)は日本の習俗と習慣に深く根を下ろしているがために、明がもっぱらにする西洋魔術よりも秘匿には寛容なのである。

 

 事実、クラスメイトは一成が陰陽師家系の一人息子で安倍晴明の末裔だと知っている。しかし彼らは一成が本当に一般で言う魔法のようなものが使えるとは知らない。入学当初、好奇の反応は飽きるほどにされて符を見せてほしいとか、印を結んでみてほしいと頼まれたこともある(魔術回路をオフにしたまま行えば魔術が発動することはないため、やったことは何度もある)。

 

「俺は女装しない代わりに陰陽師の恰好をして客引きすんだよ。女装男装喫茶のコンセプトからははずれるけど目立っていいだろってことで」

 

 用意してある衣装は聖杯戦争時の神主装束ではなく、実家から送ってもらった烏帽子付の狩衣である。埋火高校において生粋の陰陽師の家系など、一成くらいなものだろう。本当に最近、榊原理子が神道魔術の家系であることを知ったけれど。

 同様に理子も男装ではなく巫女衣装で文化祭に出ないかとクラスメイトに持ちかけられていたが、彼女は神事を扱う本当の神職志望であることもあり、拒否していた。

 

 ヤマトタケルはそうか、と頷いて何か思いついたように言った。

 

「アーチャーと「ぺあるっく」か」

「あいつもう普段着は衣冠束帯じゃあねえからな!?」

 

 想像しても全く面白くないので、一成は全力で否定した。

 

 するとその時、化粧のことでヤマトタケルを呼ぶ声がかかった。一成も一成で、後に控えるダンスパフォーマンスは行わなければならない。

 狩衣は一人で着れるものではないため着替えを手伝わせるべく、美少女化した桜田に声をかけた。

 



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昼② 文化祭準備なう

「やだ~満子スカートかわいい~~」

「蓮ちゃんもそのニャンコタイツどこで買ったの~」

 

 ヤマトタケルの手による魔改造が加えられ、3-B教室の女装ははるかにクオリティが上がっていた。なんちゃって女と化した氷空満と山田蓮太郎を始め、どいつもこいつも女学生ぶってお互いを褒め合っていて気色が悪い。いや、見た目はグッと女学生なのだが。

 

 ヤマトタケルはウィッグを複数持ってきていた為、そちらで足りていなかった分はカバーできた(一成が陰陽師スタイルになった理由の一つに、衣装代・ウィッグ代を浮かすと言うこともあった)。その後女性らしい仕草講座と、教室内でパフォーマンスダンスの練習をして、ヤマトタケルに感想と修正点を教えてもらった。

 

 これから女子(男装)と合流し、パフォーマンスダンスの練習を体育館で行う。当然ヤマトタケルもついてくるのだと思ったが、彼はそそくさとスーツケースを片付け始めた。

 

 女装男性陣が移動を始めようとしたころ、デジャヴのように――男装女性陣代表の榊原理子がスパーンと教室の扉を開いた。いつも肩で二つに結んでいる髪を一本結びにして、胸をさらしでつぶし、上下黒のスーツで固めた姿だった。

 

「男子―! そろそろダンスの練習するから体育館に……」

 

 だが、理子は固まった。やたらと男子だちの女装レベルが上がっていることもあるが、その中に一昨日のカフェの店員の姿を見たからでもあった。勿論彼女が動きを止めたのは、この女装講師がただのヒトではないと判っていたからである。

 

 理子はつかつかと教室に入ると、一成を捕まえた。「ちょっと土御門、女装の知り合いって……あの、カフェの、大和さん?」

「あれ? お前俺があいつに頼むときいなかったか……? あ、頼み終わったあとにお前来たんだっけか」

 

 理子がヤマトタケルのバイト先に姿を現したのは、一成が女装講座の依頼をし終わったあとである。ニアミスでヤマトタケルだとは知らなかったわけだ。

 もうお互いに魔術師であると割れているわけであるし、正体を行ってしまってもいいと判断した一成は理子に近づいた。

 

「あれ、碓氷のサーヴァント。真名は日本武尊な」

「……それはわかってるわよ……カフェの時から気づいてたし」

「まじでか。つかどーした、なんかおかしいか?」

 

 理子は何やら頭を抱えて、横目でちらちらとヤマトタケルを見ていた。彼女はアーチャーの真名を知ったときも驚いてはいたが、こんな挙動不審はしなかった。

 

「……日本武尊って、ウチの神社の御祭神の一柱なの。だからアーチャーさんに比べて、どんな顔していいかわからないのよ」

「……そういやあいつ、軍神でもあったな?」

 

 最近は自由すぎて得体のしれないクソイケメンになり果てていたが、言われれば日本屈指の大英雄だった。正直一成には理子の心境を理解しきれないが、一成の場合、もし先祖であり偉大な陰陽師たる安倍晴明が現界していたらどんな顔をすればいいのか困るから、そのような気持なのだろう。

 

「あいつ、結構ヤマトタケルの名前かなぐり捨ててるところあるし、いいやつかは微妙だけど悪い奴じゃないぞ」

「バ、バイトをしているのを見た時から結構微妙な気持ちだったんだけど……あと桜田から男装の先生が来るぞって聞いてたけど、急用でこれなくなったんだってね」

「え、アルトリアさん来てないのか。なんでだ」

 

 アルトリアがドタキャンするなんて、それなりの事情があるに違いない。理子は山田からそれを聞いたらしいが、理由までは聞いていなかった。おそらく山田はヤマトタケルから聞いたのだと思われる。一成が道具を片付け終わったヤマトタケルに眼をやると、そのまま桜田や氷空に絡まれていた。

 

「大和さん! あの、パフォーマンスと、あと女子の男装もみてもらえませんか!?」

「……そうしたい気持ちは山々だが、用事があってな。今日は代理を呼んでおいた。また近日集まると聞いているから、その日時を教えてくれればまた来る。連絡先を教えておこう」

 

 ヤマトタケルはGパンのポケットからスマホを取り出すと、話しかけた桜田と氷空だけでなく話の内容を聞きつけたクラスメイトたちとも、ぞろぞろとラインを交換し始めた。

 一成はそれを遠巻きに眺めつつ、いつの間に現代機器を操れるようになったのかと訝しんでいた。もしかしたらマスターの明より達者になっているかもしれない。

 

「つかあいつ、ダンスは見ていかないのか……」

 

 一成はてっきりヤマトタケルが最後まで見ていくのだと思っていたが、違うらしい。文化祭準備が終わった後、理子も加えて一緒に碓氷邸に行こうと思っていた一成は、教室を出て行こうとするヤマトタケルを引き留めた。

 

「おいセ……大和、アルトリアさん来てないってどうしたんだ」

「……ああ、アルトリアがどうこなったわけではない。怪我をした明の面倒をあれがみるため、来ていない」

「怪我ァ!? 何でだよ!」

「話すと長い」

 

 実は明の怪我の為、セイバーズは二人して今日の女装・男装講座をギリギリになって断ろうと思ったらしいが、「流石に二人も残さなくていい。約束したのだから、せめてどちらかだけでも行った方がいい」という明の鶴の一声で、初めに話を受けたヤマトタケルは行くことにしたという。

 しかし全く予想しなかった返答に、一成は慌てた。明が怪我をするというとどうしても聖杯戦争の時の大怪我が脳裏をよぎってしまう。

 

「大丈夫なのか? それ、まさか聖杯戦争再開の……」

「いや、その件とは全く関係ない怪我だ」

 

 魔術に関わる事柄だからか、ヤマトタケルは詳細を話そうとはしなかった。しかしここまで話されては、また明に聞きたいことが増えてしまった。

 

「……あのさ、俺これが終わったら碓氷の家に行こうと思うけど」

「……? 何故?」

「ちょっと碓氷に聞きたいことがあるんだよ。一応、碓氷の親父さんには昨日許可を取ったんだけど」

 

 その時、一瞬ヤマトタケルの顔が恐ろしく渋いものになった。が、直ぐにいつもの無愛想に戻った。彼は暫し迷ってから、ゆっくりと頷いた。

 

「わかった。明も昏睡しているわけではないからな、話だけなら構わないだろう。ところで、榊原、理子といったか……お前も来るのか?」

「……あ、はい。行きます。はい」

「了解した」

「おーい一成! 何してんだ~?」

 

 いつの間にか一成たち以外の女装軍団はさっさと移動を始めていたようで、教室にはもう一成、理子、ヤマトタケルの三人しかいなかった。階段から顔を出して呼ぶ美少女桜田の声に呼ばれ、戸惑いながらも一成らはヤマトタケルに向けて頷き、別れた。

 

 ダンス合同練習の体育館には、すでに二人の不審者、もとい勇士が仁王立ちしていた。方や筋骨隆々たる三十代半ばに見える益荒男で、TシャツにGパンのラフな格好をしている。方やこの暑い中、真っ赤な褞袍を羽織り、竜が編まれた派手な着流しを身に着ける歌舞伎役者。

 先に体育館に来ていた男装女性陣や女装男性陣は、見慣れぬ人物を遠巻きにしていた。

 

「セ……大和健代理の、本多忠勝だ!」

「同じく代理の、アサシンだ!」

「……何でお前らがダンス教えに来たんだ?」

 

 本多忠勝ってダンス得意だったっけ? 歌舞伎はダンスの一形態ともいえなくはない? というかどういう人選? と一成の頭の中には謎ばかりが浮かんだが、おそらく彼らは善意で来ている。ただの暇人かもしれないが。

 

「ヤマトタケルのセイバーに頼まれてな。ちょうど手すきであり引き受けたが、よく考えてみれば儂らは現代のダンスには精通していない」

 

 そりゃあそうだ。精々、見ず知らずのムキムキのおっさんと歌舞伎役者がなぜか一緒に文化祭ダンスの練習をするだけのような。あの山茸(ヤマタケ)、何を考えている。

 

「……あの~、大和さんが呼んだ代理っていうのは、貴方たちですか?」

 

 勇敢にも女装状態の桜田が二人に声をかけ、ランサーとアサシンは自信満々にうなずいていた。大多数のクラスメイトはまごついていたが、理子は魔術師、彼らが何者かを察して複雑な顔をしていた。

 

「よし、お前ら始めるぞ! で、何を踊るんだ」

 

 ダンス曲は三曲。一つ目はレディーガガの「Judas」。カッコイイダンスナンバーなのだが、元のダンスの難易度が高いために元々自信がある者、体育で成績のいい者が担当だ。

 

 二つ目はマイケルジャクソンの「Bad」、三つめは妖怪ウオッチの「妖怪体操第一」である。前回のダンス練習では、JudasとBadを担当別に分かれて練習していた。

 今回は全員が交代で踊る、妖怪体操第一の練習だ。ちなみにこの選曲はダンスとしてカッコいい曲、それなりに踊れそうな曲、文化祭二日目は一般の人も来るため、小さい子ウケもするみんなが知っていそうな曲ということである。

 

 妖怪体操第一の振り付け自体は難しくない。今日は朝寝坊した~やら、歌詞と振り付けが一致している箇所も多く覚えやすい。ランサーとアサシンはまずどんなダンスなのか把握するために、一成たちが踊るのを見学していた。

 

「ああ、これか。スーパーなどでも流れているあれに振り付けがあったのだな」

「キャバクラで娘が好きだから覚えたんだ~~とか言ってるオヤジがいたな」

 

 ランサーとアサシンも歌自体には覚えがあったようで、感心したように頷いた。一曲通しで踊ったあと、理子が進んで二人に尋ねた。

 

「どうですか、曲自体は知らなくても、観客として出来栄えは」

 

 完全に怪しいおっさん二人なのだが、委員の桜田や理子が全く不審者扱いしていないこと、またその二人の不思議な威厳によって、クラスメイトたちは真面目に二人の意見を(とりあえずは)聞こうとしていた。

 

「うむ、形になってはいると思う。助言をするなら……これは踊りだが、「体操」であろう。腕を伸ばしたり足を延ばしたりするところは、中途半端では体操にならんな」

「……まずはランサーの言う通りだと俺も思うけどよ……俺は全体が気になるぜ。話を聞くに、演目はこれ一つじゃねえだろう。……全体の構成を考えてるヤツは誰だ!」

「お、俺ですけど」

 

 おずおずと顔を出してきたのは、ミニスカセーラー服の山田蓮太郎。全体の仕切りをしているのは委員長コンビだが、演出やどんなセットが必要かの案を出しているのは彼だ。演劇部所属の経験を頼りにされての役目である。

 

「知らざぁ言って聞かせやしょう。俺ァこれでも歌舞伎に一家言ある男でな……ダンスはダンスだけであるものじゃねえ。全体の流れが大事で、どのタイミングでどの演目を出すか……まずはそれを聞かせてもらおうか」

 

 アサシン・石川五右衛門。歌舞伎に一家言ある、というより歌舞伎にて描かれた人物像の幻想。だが端から見れば日常から歌舞伎役者のような恰好をしている変な人であり、山田は完全におびえながらアサシンに近づいた。

 そして近づいたが最後、首根っこを捕まれて体育館の端まで引きずられていった。

 

「おい一成、あの人大丈夫なのか!?」

「……大丈夫だ、なんかスイッチ入ってる感じあるけど……」

 

 アサシンは一般市民に手を出す英霊ではない。ただ文化祭の演目について真面目に演出を考える気になっただけだろう。こっちにも(プロデューサー)がいたのか。ランサーはランサーでアサシンを放置し、儂も大体覚えたし踊るぞと意気込んでいた。

 

 体育館で踊り続けてはさすがに熱中症になってしまう。一時間ほど皆で妖怪体操第一を踊ったところで、体育館の使用時間も過ぎて解散の運びとなった。

 アサシンに連れて行かれた山田は、二人で悪巧み……ではないが、ダンスとは別次元の話し合いをしていたが満足げな表情だった。

 

 丁度時間は昼近くで、男子と女子で分かれて着替えた後はそれぞれ帰るなり、仲のいい者同士で昼ごはんに行くなりする。

 

「おーい一成、本田さんとアサシンさんも一緒にメシ食いに行くんだけど行こうぜ」

 

 すっかり着替え終えた桜田、それに山田など数人がランサーとアサシンを捕まえて教室の出入り口に立っていた。流石桜田、十以上歳の離れた兄とその友達と遊んでいるだけあって年上に慣れている。というか他の連中も人見知りゼロか。

 

「わりー俺今日用事あるわ。パス!」

「マジかよ! わかったじゃあな!」

 

 若干ランサーやアサシンたちの言動に不安を抱かないでもなかったが、あの二人はかなり器用なサーヴァントだ。うまく楽しくやるだろう。桜田たちに手を振りながら、一成は教室内を見回したが、すでに彼一人になっていた。

 

「……さて、榊原は榊原で行っただろーし、碓氷の家に行くか」

 

 文化祭準備後に理子と一緒に行っては余計なウワサを招きそうだと思った一成は、碓氷邸前で集合と言った。かなり腹が減ってきたが、食事をとってから行こうと連絡し直すのも面倒くさい。

 よし、と一成は気合を入れると、鞄をかついで教室を後にした。

 

 碓氷邸に向かう道すがら、明が怪我をして休んでいるとのことで、一応見舞いとして個人経営のケーキ屋でショートケーキとチョコケーキ、フルーツケーキ、チーズケーキを買った。少々、財布に堪えた。

 相も変わらずうだるような暑さのため、急いでいかないとクリームが溶けるかもしれない。碓氷邸の正門の横には、暑さにうんざりした顔つきの理子が立っていた。

 

「わりぃ、待たせたか」

「十分くらいよ。……そのケーキは?」

「ほら、なんか知らねえけど碓氷が怪我しみたいって言ってたから、見舞いだよ」

「……ふうん、案外気が利くのね」

 

 何故か理子が先程より不機嫌になったように見えて、一成は首を傾げた。だが彼女の方が何も言わずに、素早く碓氷邸のベルを鳴らしていた。チャイムを鳴らすと、ダンス練習を抜けてすぐに帰っていたらしいヤマトタケルが顔を出した。

 

 もう最強Tシャツではなく、Yシャツと黒のスラックスだった。わざわざ門にまで出てきて――明曰く、魔術錠の一種で制御しているため、門の開錠のために出迎える必要はない――開錠し、一成と理子を招き入れた。

 

 いつも仏頂面のヤマトタケルだが、今は輪をかけて愛想がない。教室ではキモいくらいにノリノリだったため、より差が激しい。学校での話と今のヤマトタケルの態度で、聞きたいことが増えてしまった。

 庭を横切りながら、早くも一成は口火を切った。

 

「……碓氷が怪我したっつってたけど、どうしたんだよ。」

 

 次期春日市管理者たる彼女が怪我を負う事態など、あまり良い想像ができない。単なる事故か何かであればよいのだが……そもそも、何かあれば明が戦うよりも先にセイバーたちが相手を倒しにかかるのではないか。

 ヤマトタケルは重々しく、言いづらそうに口を開いた。

 

「……昨日、明の父が帰ってきた。そして昨夜明の父と戦闘をし、その結果として明は怪我を負った」

「……は?」

「詳しい話は後だ。というより榊原、やはりお前も魔術師だったのだな……そんな気はしないでもなかったが」

「そっか、お前は榊原が魔術師の家系だって知らなかったな」

 

 一成の知る限りでは、理子とヤマトタケルの接触はカフェと今日の教室だけである。理子が魔術師であると知るタイミングは一度もなかったはずだ。だが明から聞いているのか。ヤマトタケルは特に抵抗もなく理子も迎え入れた。

 

「……世話になっているな」

「え、いや、そんなことは」

 

 理子はしどろもどろになりつつも、こくこくと頷いた。ヤマトタケルは二人に背中を向けると、すたすたと碓氷邸玄関へと向かう。一成たちは彼の後ろについていく。

 玄関の脇にある真新しい犬小屋の中では、水をなめつつも、暑さに真神三号がだらけていた。

 



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昼③ 六代目と七代目1

「麦茶でも用意するから、先に明の部屋に行っていろ」

 

 碓氷邸内に入ると、ヤマトタケルはホールを横切って食堂から台所に行った。勝手に明の寝室に行ってもいいと言われている時点で、流石にある程度は信頼されていると一成は感じた。赤絨毯の敷かれた階段を上り、目の前の明の部屋をノックする。

 

「どうぞ」との返事が返ってきた。部屋に入ると、ベッドの隣に置かれた丸いミニテーブルに坐る明と、白いワンピースのアルトリアの姿があった。看病はアルトリアがしていたのか、ベッドの脇には水を張った洗面器の中にぬれたタオルが浸かっていた。

 彼女は申し訳なさそうに一成たちに頭を下げた。

 

「カズナリ! ……今日の約束を破ることになってしまい、申し訳ありません」

「い、いいって。また練習の日あるからその時に着てくれれば、」

 

 明は来客を聞いていたためか、怪我にもかかわらずパジャマではなく黒のハイネックに灰色のロングスカートだった。

 明は表情のない瞳で一成、そして理子と視線を動かした。

 

「暑い中お疲れ様。大した用意はないけど……久しぶりですね、榊原さん」

「……ええ。ご健勝のようでなによりです」

 

 他人行儀――むしろ冷たささえ感じさせる碓氷明と榊原理子のやりとりは、一成に聖杯戦争当初の碓氷明の態度を思い起こさせた。

 そういえば魔術師だったな、と。

 

「一成が何を聞きに来たのかは検討がついてるけど、榊原さん、どうしてあなたはここにいるの?」

「……私もこの春日の異変には気づいています。土御門君も気づいている。同級生だからでしょうか、土御門君が一緒に調べてくれないかと言ったので、ここにいます」

「お前何「そうよね、土御門君」

 

 一体こいつ、何を言ってるんだと一成はつっこみかけたが、理子がものすごい目力で睨みつけてくるので黙った。というか、流石に明にも不自然に見えているだろう。だが当の明は興味なさそうにその不自然なやりとりを無視した。

 

「……まあ、どうでもいいか。で、聖杯戦争再開されてるっていう話で来たんでしょ」

「麦茶だ」

 

 ノーノックで入ってきたヤマトタケルは、四人分の麦茶をテーブルに置くと、テーブルの周囲に座る場所がないのを見て取って、明のベッドの上に腰かけた。全員がこれから話される内容を知っているからか、自然と空気は重くなった。

 

「私もお父様、ヤマトタケルとアルトリアもそれは知っている。で、今のところの結論だけど――一成たちが動く必要はない」

「……アーチャーやキリエも大したことないって言ってたけど。それは褒賞の聖杯がないからか?」

「そう。春日の聖杯は破壊された。この状態は聖杯から三十年かけて漏れ出した魔力の残滓と、使われなかった聖杯の魔力によってこんなことになっているんだと思う。多分ね」

 

 明によれば、本来魔力は何もしなければ揮発してなくなるものだが、大聖杯という魔術式の残滓によって魔力が滞留しているらしい、とのことである。

 

「あくまで魔力の残滓。だから放っておけば、この奇妙な状態も霧散すると思う。ただ、アルトリアが知らないサーヴァントとマスターに会ったってのは気になる」

「アルトリアさん、昨日何かあったのか!?」

 

 

 アルトリアは神妙な顔で頷いた。「……飛び出したヤマトタケルを追いかけていた途中に出会いました。彼等は聖杯戦争をすると言っていて、既に戦争が終わっていることは知らない様子でした。私はヤマトタケルを追うことを優先していたので、峰打ちにしてきてしまったのですが……サーヴァントは女で、マスターはハルカ・エーデルフェルトと名乗っていました」

 

 ハルカ・エーデルフェルト。それは春日聖杯戦争において、序盤――序盤にすら至らないままに敗退したマスターの名である。

 そして既にサーヴァントは七騎揃っているというのに、更にサーヴァントがいるというのはおかしい。

 

「……ヤマトタケルとアルトリアには、その知らないサーヴァントとマスターがいたら生け捕りにしてって頼んだ。だけど、特に一成たちに頼むことはないかな」

 

 ヤマトタケルが小声で「生け捕りか……」と面倒くさそうに呟いていた。殺した方が早くないか、と言わないだけ明たちに慣れたと評価すべきだろう。

 

「……確かに俺にできることはあんまりなさそうだけど、俺もその知らないマスター探しを手伝うぞ。お前には借りもあるし、それに聖杯戦争がらみのことには協力するって約束だったろ」

 

 明は渋い顔をして考え込んだが、きっぱりと首を振った。「……いや、いいよ。一成の手を借りなくても平気」

「……お前は俺よりずっと優秀で強いけど、「大丈夫」はいまいち信用ならないんだよな……危なっかしいつーかなんつーか」

 

「死ぬ気で戦う」と「死んでもいいと思って戦う」をはき違えて生き続けてきた女である。聖杯戦争中の彼女を振り返ると、一成は放っておいていいものかと心配になる。

 彼の心を知ってか知らずか、ヤマトタケルは強く言った。

 

「心配するな土御門、俺がいる」

「お前が言うと危なっかしさが二倍になる」

「大丈夫だよ、アルトリアもいるし」

「はい、心配はいりませんよカズナリ」

 

 こちらも力強く頷くアルトリア。隣の理子が「もう任せなさいよ」という顔をしているのもわかりながら、一成は腕を組んで一度目を瞑り、開いた。

 

「わかった。じゃあ俺は勝手にうろつくことにする!」

「「えっ?」」

 

 理子と明の声が綺麗にハモった。

 

「お前が管理者ってことも知ってるし、戦力も十分ってことも解ってる。それに今、お父さんもいるんだしな。だけど俺は聖杯戦争に参加した人間として、この状態が気になる――だから勝手に調べることにする」

「……そうだ、そういえば一成ってそういうやつだったね……」

 

 明は額に手を当てて大きなため息をついた。

 極論、春日聖杯戦争において主体的に参加を望んだ人間は、一成とあの神父しかいないと明は思っている。明とキリエは参加しないという選択肢はなく、咲は状況が状況であり、悟は本来であれば早く棄権していただろう。

 

 土御門一成は誰に強いられるでもなく、状況に追い込まれたわけでもなく、自ら意識的に闘争に身を投げた命知らずだった。明は自分で「この状況は大したことがない」と言った手前、それに彼もサーヴァントを連れる者である手前、強く禁止とはいえなかった。

 それに禁止と言ったところで一成が大人しくしているかどうかは怪しい。ならば、状況をきちんと報告してもらう方がいい。

 

「……なんかあったら必ず私に報告すること。危なくなったら逃げる。いい?」

 

 明はそっと一成の左手に触れた。彼女が傷で熱を持っているのか、一成の身体が冷房で冷やされたからか、その手は温かかった。

 

「ローンまだ残ってるんだから」

「……おう……」

 

 全く違和感なく動く左腕。ローン三十回。無利子貸与、ありがたい。一成は遠い目をしながら頷いた。ありがたい。

 

 さて、これにて春日の異変についての方針は固まった。明は明で調査を続け、アルトリアとヤマトタケルは明を助けつつ知らぬサーヴァントとマスターを追う。

 一成は勝手に調べる。しかし、ここで去就を決めていない者が一人。

 

「……っと、お前はどーする?」

 

 一成は隣の理子を振り返った。何故か彼女は恐ろしく機嫌が悪そうで、人を射殺せそうな目つきで視線をやった。一体何で怒っているのか、一成には全く分からない。

 

「危ないあんたを放っておけるわけないでしょ。私もやるわよ」

「お、おう……?」

 

 理子はつっけんどんに言い放って、麦茶を一気飲みすると「……私、用事を思い出したから帰ります。またあとで、土御門」とだけ言い捨てて立ち上がり出て行ってしまった。礼儀正しいタイプであるだけ、一成には妙に感じられた。

 ヤマトタケル、アルトリアにも彼女が気分を害した理由に心当たりがなく首をかしげる中、明は落ち着き払いながらも、彼等とは別の理由で首を傾げた。

 

「……しかし、榊原さん……彼女がわざわざここに来るなんてね。どういう風の吹き回し?」

「? どういう意味だ?」

「ちょっと調べればわかることだから言うけど」

 

 明は手元の麦茶を引き寄せ、飲んでからあっさりと告げた。

 

「三百年くらい前、碓氷がここに定住することに決めた時に、土着の陰陽師と戦って追放したんだ。その追放した陰陽師の一族が、榊原家の親類なんだよね」

「!?」

「ちなみに榊原と神内も遠縁らしいけど、神内は遠縁すぎて知らなかったみたい……魔術師の世界はやっぱ狭いね」

 

 明曰く、春日土着の魔術師は榊原理子の直接の先祖ではないとのことだが、一帯を管理する土着の陰陽師(理子の祖先の親類)の家から碓氷はかなり睨まれていたらしい。

 三百年が経ち今はもうここは碓氷のものという認識になっているそうだが、魔術世界における時間の感覚は一般よりもはるかに長い。三百年は、魔術の歴史時間としてはそう長くない。

 

「あいつ、まさかここを取り返そうとしているとか……」

「それはないでしょ。彼女の榊原本家は本家できちんとした霊地もちだし」

 

 明の答えはあっさりしていたが、それもそのはず。特定の管理者のものとなった霊地を奪うのは、一朝一夕にできることではない。管理者が管理する土地はホーム中のホーム――であり、長年張った結界があり土地の霊脈はすべて管理者に味方する。侵略者は圧倒的アウェーにて戦わなければならない。

 

「彼女がここに暮らすとき挨拶はされたけど、なんでわざわざ高校進学でこの地を選んだ、もしくは彼女の家が選ばせたのかはよくわからない。他意はないのかもしれないけど」

「……」

 

 明の話はわかったが、その事情は今まで理子とて承知だったはずだ。理子がいきなり機嫌を悪くすることの説明にはなっていない。

 結局明にも、アルトリアにも、ヤマトタケルにもわからないのか、理子の話はそのまま流れた。

 

 しかし一成に気になる事はまだある。明は大怪我をしたらしいが、大丈夫なのだろうか。そして何故怪我を負ったのか。

 それに昨日碓氷邸を訪問した時には、父影景が「明は忙しい」と言っていた。魔術がらみであろうか、と一成は思っているが、騎士王(アルトリア)大和最強(ヤマトタケル)を侍らせての大怪我は考えにくい。

 

「来る前から気になってはいたけど、どうした? お前ほどの奴が寝込むレベルの怪我なんて。魔術に失敗したか?」

「一成じゃあるまいし違うよ……私がお父様にフルボッコされただけ」

 

 明の言葉が予想だにしなかったものだったため、ヤマトタケルとアルトリアの顔が一瞬曇ったのを、一成は見逃した。

 彼は理由に見当がつかず、素直に疑問を口にした。

 

「……? 何で親父さんに?」

 

 明は榊原さんもいないしいっか、とひとりごちた。「少し長いけどいい? 昨日の話なんだけど」

 

 

 

 *

 

 

 

 春日市の管理者、碓氷影景が碓氷邸に帰ってきたのは昨日の朝七時ごろだった。

 長いフライトの疲れと気候の激変による疲れに加え、彼女しか知らないものの夜のアヴェンジャーとの探索後はこんこんと眠り続けていた明である。

 起き抜け、パンイチ(女性物)のヤマトタケルという衝撃映像を見せつけられた彼女であったが、朝の衝撃はそれだけにとどまらなかった。

 

 管理者である影景に碓氷の結界は当然反応しない――そのため、余人ではありえないのだが、影景がノーノックで突撃してきたときに、明はやっと父の存在に気づいたのだ。

 

「おはようセイバーヤマトタケル。セイバーアルトリアも犬の散歩から帰ってきたようだし、今から聖杯戦争の振返りを行うぞ」

「? お前は誰だ? 明、知り合いのようだが?」

「セイバー、これ、私のお父様。名前は知ってると思うけど、碓氷影景(うすいえいけい)

 

 その瞬間、ヤマトタケルはまるでバネ人形のように背筋を勢いよく伸ばし、右手と右足を一緒に出した。

 

「お、お父様、初めまして、日本武尊と申します」

「ははっ、初めまして、セイバーヤマトタケル。話は明から聞いている」

 

 影景は笑顔、かつ和やかに右手を差し出して握手を交わす。影景の後ろからひょっこり顔を出したのは、真神三号の散歩帰りのアルトリアだった。

 

「アキラ、おはようございます」

 

 彼女は上は半袖の白パーカー、下は黒のスパッツというスポーティーな格好をしていた。アルトリアはもう影景の勢いに多少慣れているのか、いつも通りの様子である。

 

「丁度散歩から戻ってきたときにエイケイと行き合わせました」

「すでにセイバーアルトリアには自己紹介してしまったが、もう一度。私は碓氷家六代目当主にして春日の管理者、そして明の父である碓氷影景だ」

 

 仁王立ちで堂々と言い放つ影景は、身長百七十半ば、年はおそらく四十代以上、この暑い中に紺のスーツを着てループタイを締めた、天然パーマの男性だ。

 ヤマトタケルとならぶと小柄に見えるが、日本人男性としては並みの身長である。

 

 影景は左手に持っていたトランクを放り出し、両手をそれぞれヤマトタケルとアルトリアの手を握った。

 事の唐突さに面食らっていたが、二人はその手を握り返した。

 

「よし、二人とも一緒に朝ごはんを食べよう。どうやらセイバーヤマトタケルがこしらえてくれたようだし。明も早く来なさい」

「は、はい! お父様の舌に合うかどうか自信はありませんが……」

 

 恐ろしく腰の低いヤマトタケルは、右手でパンツを掴み、左手で自発的に影景のトランク掴み、意気揚々と階下に向かう影景の後を追った。後には明とアルトリアが残されたが、明はその場に腰を下ろし深々と溜息をついた。

 

「……朝から先が思いやられるなあ」

「アキラの父は、アキラとは雰囲気が違いますね」

「……そうだね。似てるって言われたこと一度もないし」

「いきなりエクスカリバーとアヴァロンを見せてくれと言われて驚きましたよ」

「? 見せたの?」

「アヴァロンは持っていないので、エクスカリバーだけ」

 

 明はさらに大きなため息とともに、億劫そうに腰を上げた。父が来てしまった以上、話をしないわけにもいくまい。

 時計塔ではいつ誰に聞かれるかわからない、ということでしていない話も多い。突然の父襲来に巻き込まれたアルトリアだが、何故か彼女は笑っていた。

 

「……? 何か面白い事でもあった?」

「いえ、アキラとなら似合いの親子なのかと思いまして」

「……? そうかな」

 

 傍からは引っ込み思案な娘と陽気な父親に見えるかもしれない。

 いや、一般論を除いても不本意ながら明と影景は組み合わせとしてはいい親子(師弟)ではあるのだ。さて、朝食のために軽く着替えて階下に向かわなければならないのだが、どうにも体が重くて力がでない。風邪にかかりかけているようなだるさがある。

 目ざといアルトリアは腰をかがませると、明の顔に触れた。

 

「……しかしアキラ、顔色が優れませんね。体調が……」

「……ん~、正直よくないけど、動けないほどじゃない。アルトリアは先行ってて」

 

 アルトリアは不安げに明を見つめていたが、真神三号にご飯をあげてから行きますと加えた。

 明は大きなため息をつき、手ごろなスカートとスウェットを適当に箪笥から引っ張り出した。



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昼④ 六代目と七代目2

 明が階下の食堂に向かった時には、既に完成された朝食の匂いが漂っていた。出汁と香ばしく焼けたアジの香。ヤマトタケルの料理は一成ほど凝ってはいないが、「最優の味」――料理の教本通りに作るため、外れた味にならない。

 

 メニューは炊き立ての白飯、わかめの味噌汁、アジの開き、大根おろしつきの卵焼きに納豆、お新香という真っ直ぐさだ。ヤマトタケルは甲斐甲斐しく全員分の食事を器によそい用意をしていた。

 影景は先に席に着き、おそらくは煎れてもらったであろう茶をすすりながらにこやかに明を待っていた。アルトリアも先に席に着き、影景の斜め右に坐っている。

 

「おお、やっと着替えたか」

「うん」

 

 言葉少なに、明はアルトリアの前に坐った。明の横に影景、アルトリアの横にヤマトタケルという位置になる。エプロンを外したヤマトタケルが最後に席に着き、朝食が始まった。

 

 夏の朝七時ともなれば、既に夜明けすら遠く、食堂は日差しに溢れていた。朝の苦手な明も徐々にだが頭が動くようになってきて、朝食を楽しむ余裕はあった。そしてヤマトタケルの料理の腕が悪くないことも理解することもできたのだが――。

 

「うむ、日本食はいいな。おいしいぞ。セイバーヤマトタケル、生前から料理が得意だったのか?」

「いえ、生前はもっぱら食材調達ばかりでしたが……現界してから身に着けた技術です」

「戦闘だけでなく料理もできるとは、本当に召使い(サーヴァント)……飯使いになる気か!」

 

 父のギャグがブリザードであるのはいつものことゆえどうでもいいのだが、いつこの仮初の和やかさが崩壊をし始めるのか、明は内心青色吐息だった。

 父が何時までこの茶番をする気かわからないが、さっさと話を始めればいいのにと思う――と、その時、見計らったかのように影景が箸を明に向けた。

 

「さて、忘れないうちに言っておこうと思うのだが、俺から見た聖杯戦争において明の振る舞いの採点と、これからの課題だ。ぜひセイバーたちにも聞いてもらい、忌憚のない意見をしてもらいたい」

 

 父の脈絡のなさと突然であるのもまたいつものことだが、いまだに明もこれが天然であるのか、それとも相手の不意を突き話の主導権を握ろうとするが故の行いなのか判断がつかない。両方なのかもしれないが。

 

 話が話故に、黙々と朝食を味わっていたアルトリアも顔を上げて、もとから慣れない気を遣いまくっているヤマトタケルはもちろん影景を注視した。

 

 

「百点中六十五点。最低ラインをクリアしているが、他の失点が多い」

 

 大学の授業で例えれば、単位取得ができるギリギリの点。

 決して良い点、優秀と言うわけではない。

 

 明自身はすでに評価自体は時計塔で影景から聞いているため、今更どうということもないのだが――それよりアルトリアとヤマトタケルの反応が気になる。娘の内心を知ってか知らずか、影景は滔々と語る。

 

「第一に最低ラインだが、これは最終勝者となることだ。ここは我が碓氷の土地、管理者が外様の魔術師に負ける無様を晒してはならない。ま、仮にアインツベルンに負けたというのであれば情状酌量の余地はあるが……これは勝ったからクリアだ」

 

 悪くとも最終勝者となれ――高い目標と思われるかもしれないが、管理者である以上この土地において敗北するのはありえない。土地の管理者はこの土地で戦う以上、勝手知ったる土地である以上に霊脈のバックアップもあり、他より遥かに優位な状態での戦いのはずだからだ。

 勿論セイバーたちも、明と自分が勝つために戦っていたのだから、難じるような発言ではなかった。

 

「第二に失点について。失点その一、危うく神秘の秘匿を危うくするところだったこと。大西山は山で人のいない場所だからいいとしても、春日総合病院の件はいただけない――例のマスターの居場所は、病院内での戦闘になる前に突き止められていたはずだ。その時点で殺すべきだった。神父の人払いが間に合ったからいいものの、中庭で戦闘とは大胆すぎる」

 

 春日総合病院の件については、明の知るものと影景・セイバーたちの語るものは全く違う。どうやら、ここでは春日総合病院での真凍咲による大量殺戮は起きておらず、単に病院の中庭で戦闘が繰り広げられ、真凍咲が敗れたことになっているらしい。

 明は彼らの知るバーサーカー戦の顛末について詳しく聞きたいとは思ったものの、影景の目の前でするわけにはいかない。

 明は単純な戦闘力で影景に劣るとは考えていないが、分析・解析においては二歩も三歩も遅れており、今も敵う気がしないのだ。何を嗅ぎ付けられるかわかったものではない。

 

 

「失点その二、サーヴァントの手綱を取るのに時間がかかりすぎている。特にセイバーヤマトタケルの方。お前はサーヴァントを対等の人間として扱い過ぎる。……いや、サーヴァントは使い魔(道具)ではあるが、人格再現までしているがゆえに使い魔にしては主人の自由にならない部分が多すぎる――ゆえに対等に扱うことすなわち問題とならない。だが道具扱いでも人間扱いでも、徹底的に解析し理解し認識しなければならない。このサーヴァントは、お前の唯一の剣なのだから」

 

 サーヴァントは道具か相棒か。道具扱い、というと酷い扱いをしているように思われがちだがそれは違う。道具をきちんと働かせるには、何が可能で何が不可能で、どこまでの負荷に耐えられるものなのか把握し、さらに必要であれば手入れを行い燃料の用意をしたうえで使わなければならない。

 そうしなければ役に立たないか、壊れるだけだ。道具が壊れるのは道具が悪いからではなく、道具の特性を理解しない持ち主が悪いからだ。

 

 そして人間扱いをするならば、サーヴァントの裏切りをも許容しなければならない。相手が己と対等ならば、相手はこちらを裏切る権利を持つ。

 だから一体相手はどんな人物で、何を想い、どんな動機で行動するのかを知らねばならない。そうして、相手にも共に戦うのは自分が最適であると思ってもらう努力をしなければならない。

 どちらにしろ共通するのは、深い理解と相手への興味。確かに明はサーヴァントを理解しようとした――だけど、その歩みがあまりにも遅かった。

 対人経験値が低いこともあり、誰かの深くに触れることを恐れていた。

 

「失点その三、最終局面にいたるまで神内御雄の正体を見抜けなかったこと。これは難度が高いかもしれんが。御雄が正体だとわかっていれば、もっと戦争は早く片がついただろう」

 

 あの読めない神父。そもそも明が生まれる以前から聖杯戦争を企んでいたのだから、いまさら疑えというのも大変な話である。

 滔々と語っていた影景の指摘だが、明としては既に聞いたことであり何も意見することはない。ヤマトタケルとアルトリアも、完全に納得とはいかないまでも意見をするほどではないらしく、神妙な顔をしていた。一同の顔を見回して、ついでと影景は話を続けた。

 

「最後に余談だが、もし達成できていればボーナスポイントとなった課題を教えておこう。一つ、破滅剣(ティルフィング)を用いての第三魔法成就。二つ、私の殺害。三つ、全陣営に対しての勝利。しかしボーナスとまではいかずとも、やっとイマジナリ・ドライブをものにできたことは評価に値する。私が出ないで明を戦争に参加させた甲斐があったな」

 

 ひとしきり話し終えた影景は、何かあるかと再び全員の顔を見回した。それに応じて、アルトリアが声をかけた。

 

「……エイケイ、気になることがあります」

「どうぞ」

「……話を聞いていると、あなたは意図的に明を聖杯戦争に参加させた……いや、以前から聖杯戦争が起きることを知っていた、ように聞こえますが」

 

 影景の口ぶりを聞くに、まるで最初から聖杯戦争のことを知っていたかのようで――聖杯戦争のカラクリを知っていたからこそ、何が合格で何が不合格、と判断を下しているようでもある。

 明は内心、流石にアルトリアはその辺気づくか、と思いながら溜息をついた。

 

「当然知っていた。大聖杯の設置を許可したのは先代だが、私にも死ぬ前にそのことは告げられたからな。ついでに御雄が事の発端であることもその際に知った。何で聖杯が設置されたかわからないなんてほざくなら、もう管理者などやめた方がいいな」

 

 影景はしれっとした顔で答える。セイバーたちは息をのみ、言葉を喪う。仮にも和やかだったはずの朝食は、緊張感を帯びている――ヤマトタケルの眼が険を帯びた。

 

「……! なら、なぜそれを明に伝えなかった!? お前からの手紙では、たしか「自分も驚いている」という旨だったはず……です」

 驚きのあまり、敬語が崩れている。だが聞かれた影景の方はしれっとした顔のままだった。

 

「それを教えてしまえばつまらない、というか明の修行にならないだろう? 儀式に難があったとしても聖杯戦争という闘争自体は、魔術の腕を上げるにも、調査の力を計るにも、敵や中立者にどれだけ交渉できるかを見るにもうってつけだ」

 

 神父にも明は何も知らない、と前もって伝えておいたと影景はぬけぬけと言う。もし影景が明にすべてを伝えていたら、大聖杯の場所も把握でき、ライダーの召喚も防いで、セイバーたちで大聖杯を破壊させれば全てが終わっていただろう。

 

 ――明とて、この父から受け取った手紙を鵜呑みにせず疑ってはいた。だが、既に聖杯戦争が始まった段階で所在不明の父を問い詰める時間があるなら、自分で調べ戦った方が早いとの判断を下していた。そしておそらく影景も、明ならそう判断すると踏んだ上で下手糞すぎる嘘を綴っていたのだろう。

 もともと、碓氷影景はあまりこの屋敷に帰ってこない。管理者代行に慣れた今、忘れがちになることがあるが――そういえばこの父――この男は、そういう魔術師であった。

 

 

「……ッ、貴様……!」

 

 立ち上がろうとしたヤマトタケルを、隣のアルトリアが力づくで押さえつけた。

 明には彼が思っていることが良くわかる。そして、その気持ちを有り難くも思うのだが――きっとそれを影景に伝えても、何にもならないことも解るのだ。

 そしてさらに、すべてを察している影景は、続きの言葉を待たなかった。

 

 

「大事だから箱にしまっておくか? お腹を空かせているから魚を釣ってやるか? ……だが自分がいなくなったらどうする? それとも自分なしでは生きていけなくすることが目的か?」

 

 正直、明はこの碓氷影景という父を、世間一般でいう「父」として素晴らしいとは全く思わない。ただそれでも、自分を先導する魔術の師としてはこれ以上ないのではないか、とも思ってはいるのだ。

 そして魔術師には魔術師の目的があり、それはまっとうな人の親であろうとする意志よりも遥かに重い。

 

「私の大事な跡継ぎだ。どんなことを考え、どんなことを悩んでいるのか、私は極力把握するようにしている。知っているか、セイバーヤマトタケル。影使いは、術者の暗黒面を刃とする。ゆえに心穏やかな状態でいたら、術者としては成長しないのだ」

「――まさか、お前……明の、姉や、明が死のうとしたことも」

 

 明の友が死ぬことも、家政婦が死ぬことも、敢えて看過して、むしろ望んでいたのか。

 影景はまるで茶飲み話のような軽さで笑う。

 

「明が死のうとしたこと。はは、そんなこともあったな。良い家政婦であったのに、もったいないことをした――首を刺した明など助けなくてもよかったのにな。自殺くらいで死ねたら、魔術師は苦労しない」

 

 代々受け継がれる魔術刻印による自動詠唱によって、魔術師の身体は無理やりに生かされる。一般人よりもはるかに死ににくい体になっているため、あの明の自殺未遂も放置されたとて、時を待てば回復する。

 つまり明を助けようとした家政婦は、明を助けようとさえしなければ――魔術師の営みを目撃しなければ、きっと今も生きて碓氷家の家政婦をしていた。

 

「貴様、」

 

 にこやかな影景にとは対照的に、今にも殴りかかっていきそうなヤマトタケル。明も、父を別個の人間、通常の親子の愛情を求める者ではないと、突き放して見られるようになるまで時間はかかった。

 だがやはり、師としては優れていると認めている。たとえ、聖杯戦争前の自分――未来を諦めながら生きながらえている状態を意図的に放置していたとしても。

 

 そういうわけだから、明は絶対に父影景とヤマトタケルの相性はよくないと思っていた。しかし二人をずっと合わせないでいることは不可能、というか影景がサーヴァントに会いたいと意気込んでいた時点で無理であった。

 

 

「かわいい娘には旅をさせるものだ。もっとも、お前はかわいいから旅に出されたわけではなかろうが」

 

 これ以上なく場が冷え切りながら、これ以上なく場は熱かった。ヤマトタケルがいつ影景に飛び掛かるか明は気が気ではなかったが、同時にアルトリアも双方の動向に気を張っていた。

 だが、その片方の影景は呑気に笑い、明へ声をかけた。

 

「さて、明。今日の夜、お前の現在の力を直々に見よう。久々の戦い、手合わせだ。夜十一時に南の自然公園――人払いは私がしておくから気にしなくていい。ただ準備はしておくように」

 

 この上なく嬉しそうに微笑む影景は、気持ちが悪いほど浮いた口調で言った。

 

「聖杯戦争を経たお前の力、楽しみだ。私もいい加減、お前をタコ殴りにするのには飽きていたところだ」

 

 その言葉に、またしてもヤマトタケルが目を見開いて影景を凝視した。だが当の父親は箸をおいて本当に満足げに、トランクを引っ提げて、悠々自適に二階の自分の部屋――これまではヤマトタケルが使用していた部屋に向かった。

 後に残された明はやはりこうなったか、と溜息をつきながら頭を掻き、アルトリアは難しい顔をしながらも食事を続け、ヤマトタケルはやっと腰を下ろして無言で食事を続けていた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 その後碓氷影景は自室の整理整とん、地下の研究室の検分を済ませた後に徐に庭掃除を始め、その後トランクを片手にさっそうとどこかへ行ってしまった。

 おそらく春日の調査の続きであろう。明は明で父が地下室から出た後、何やら魔術の道具を用意したのちに家を出ていこうとした。こちらは今日の夜、父との手合わせに向けての準備である。

 

 明は地下室から顔を出すと、一階で掃除機をかけていたアルトリアに声をかけた。

 

「私今から夜まで帰ってこないけど、いや、一回は戻ってくるけど昼ごはんいらないって言っといて。あと、夜もさっきの話通り留守にするけど絶対についてこないでね」

「それは何故ですか」

 

 流石に誇張だとは思うが、アルトリアにも先ほどの影景の発言はひっかかっていた。彼女もタコ殴り、とは厳しく教える、スパルタくらいの意味だと信じている。

 

「魔術とは秘匿するもの。家の魔術をするときは、できるだけ私とお父様だけでやりたいんだ。それに元々魔術って危ないものだから、多少の怪我とかはしょうがないんだよ。アルトリアも戦い方の修行とかしてるだろうし、わかるでしょ」

 

 それはアルトリアにもよくわかる。自分自身、過去に誰かに剣術を教えたことがあり、サーヴァントと戦うなんて無茶はさせるわけにはいかないが、竹刀によって何度も疑似的な死、危機を教え込むというやり方をした記憶がある。

 しかし教えたのは誰相手だったか思い出せなかった。仮に息子とは言えモードレッドではないことは確かだが。アルトリアは頭を振って、話を変えた。

 

「……しかし、ヤマトタケルにはアキラから直接伝えた方がいいかと。私から伝えると、あまり聞かないと言うか……」

 

 アルトリアは歯切れ悪く答えた。アルトリアとヤマトタケルは、似ているところも多いのだが仲は良くない。

 属性:秩序善と秩序悪の差か、目的は同じであったとしても成そうとする手段に隔たりがあり、対立も多い。それでも目的――「マスターを護る」「聖杯戦争に勝つ」――で合意が取れているため、二人の間で調停する人間がいてくれれば、案外なんとかなる。それが明であったり、キリエであったりする。

 

「しかし明の父君、……なかなか、厄介な人のようですね」

「……それは、否定できないなぁ。いや、師としては本当にすごいと思うんだけどね……」

 

 影景は決して教師向きの人格ではない。だがその人格と興味の方向が――人への興味を持ち理解しようと努める心性と、魔術師としての力が人を向き不向きを判定して伸ばす、という方向に適しているため、師として優れているということになってしまう――そう明は見ている。

 

「少々、私の生前の師とも通じる何かを感じました。彼の方も師としてはいいのですが、かなりどうしようもない人格ではありましたから」

「アルトリアにそういわせるのは相当と見た」

 

 アーサー王の師、花の魔術師マーリン。アルトリアの治世に長くかかわった彼であるが、彼女のローマ遠征に際して、 手を出した性質の悪い妖精に狙われアヴァロンへと逃げ、そこに仕掛けられた塔に幽閉された。

 アルトリアの終わり――カムランの丘まで、彼はその最果ての塔から眺めつづけていたそうだ。彼自身は塔から抜け出すこともできたが、彼自身が塔を永久に封印しているため、この惑星が終わるまでただ一人塔から人々を眺めているという。

 

 マーリンは純粋な人ではなく夢魔との混血であり、かつ現在を見通す最高位の千里眼を持つため、その思考形式は人間のそれではない。

 傍から見て彼が好青年に見えたとしても、それはマーリンが人間を観察した結果の真似事であり、彼の感情が籠っているわけではない。

 

 それを想えば、影景は純然たるただの人間の魔術師である。マーリンのように人間の枠外にはじかれたゆえの特異な思想はない。

 人の中にあって人の思想を以て「どうしようもない」だけである。

 

 明は今夜のことを考えると憂鬱になるが、それでも魔術師として有意義かつ必要なことだと判っている。これまた「時計塔では誰が見ているかわかったものではない」と危機でない限り虚数魔術を禁じたゆえに、父に魔術を見てもらうことは久々になる。

 

 ああいうモノだと念頭に置いて置けば、今更碓氷影景の態度に一喜一憂することもない。

 

 

「昼に一度戻ってくるから、ごほっ、ヤマトタケルにはその時言うよ……行ってくるね」

 



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昼⑤ 六代目と七代目3

 明を見送った後アルトリアは掃除機をかけていたが、何やら一階の客間からヤマトタケルが姿を現したことに気づいた。これまで彼は二階の碓氷影景の部屋で寝起きしていたが、真の主人が帰ってきた今、彼は一階の応接間を自分の部屋として使用することになった。

 ちなみにアルトリアは二階の客用寝室を自室としている。その新・自室から出てきたもう一人のセイバーに、アルトリアは胡乱な目を向けた。

 

「……何をしているのですか」

「見て解るだろう。女装だ」

 

 彼の言葉通り――ヤマトタケルはマキシ丈の白いスカートに水色の大き目のシャツ、夏用スカーフを巻いて、パーマの入った黒髪の長いウィッグを装備して現れた。

 腰から下のラインをスカートで隠し、喉仏をスカーフで隠し、ウィッグで顔のラインをカバー。

 しかし女装における彼の難点は、体格――百八十超えの細身とは言えない筋肉質の身体だった。サーヴァントとなった今、どうやっても体格は変更できない。

 彼自身「少年時代ならよかったが、今の姿では女装はイマイチだな」と落ち込んで女装することは滅多になかったのだが、いったいどんな風の吹き回しか。

 

 アルトリアとて最初は驚いたが、女装が誰かに迷惑をかけているわけでもなし、というか彼女とて生前は男装で通していた身だ。好きにすればいいと思ってはいる、が。

 

「まさかまたアキラのパンツを勝手に穿いているのでは……?」

「フン、俺は同じ過ちを繰り返さない。今穿いているのは明からもらったパンツだ」

 

 ……過去に女装時、ヤマトタケルは明のパンツを勝手に穿いた。彼自身はノーパン主義だが、現代女性の大多数がパンツを履くと聞いて、ならばと手近にあったもの――すなわち明のパンツを拝借したのだった。

 ヤマトタケルが勝手にパンツを履いた――その時の明の、憤怒とも戸惑いとも軽蔑ともつかぬ表情を、アルトリアは忘れないだろう。

 

「何となく女装の気分だからな。今日一日はこれで過ごそうと思う」

「……先ほどからあなたの気配が薄いと思っていたら、女装のせいでしたか。ところで話は変わりますが、一応伝えます。今日の夜、アキラが心配だからといってついていかないように」

「……ついていきそうに見えるのか」

「ええ。アキラもそう思っていますよ。あとで直接言われると思いますが」

 

 正直、アルトリア自身も心配ではある。聖杯戦争後、幾分マシになってきたとはいえまだ明は自分の身を蔑にする傾向がある。本人も意識して気をつけてはいるが、まだまだ途上だ。

 それに碓氷影景自体もまだ掴みきれていない――しかしそれでも、マスターたる明は影景を「師」としてきちんと認めている。彼女は子供ではない、大人の魔術師である――ゆえにアルトリアは、彼女の要請があるまで待つ。

 

 だがヤマトタケルは、おそらくアルトリア以上に碓氷影景に不信を懐いている。それ以上に、聖杯戦争について明に何も告げなかったことに対し憤っている。

 彼が伝えてさえいれば、明があれほど傷つくことはなかったと。

 

(しかし、明の父の方も必要以上にヤマトタケルを煽っているように見えますが……)

 

 だが、何故影景はそうしたのか。その理由がわからない。単に口が悪い、そういう性格だからとは思えない。

 

「明がそう言うなら従うが……買い出しに行ってくる」

 

 ぶつくさ言いながら、ヤマトタケルは女装姿のまま玄関へと向かった。彼の女装に道行く誰もが二度見してしまう……ということはない。

 スキル「偽装」の賜物で、女装時には低ランクの気配遮断を取得し、さらにパラメータ隠匿も可能となる。ゆえに一般人に対して多少の違和感は懐かれても不自然には思われない。攻撃態勢に移らずある程度距離を取っている限りは、サーヴァントとして認識されることも遅れるだろう。

 

 

 そして明は言葉通り、三時過ぎに一度家に帰ってきたがそれ以降は家に帰ってこなかった。影景も同様で、夕食はヤマトタケル作のグラタンだったのだが、食卓にはアルトリアとヤマトタケルのみだった。

 ここにキリエか明が居れば話は違うが、二人は特に仲がいいわけではないため会話も多くない。むしろちょっとしたきっかけで口論になってしまうと朝まで決着がつかない。だから二人とキリエで生活していた時も、一成が聞いて怒るような風紀の乱れは皆無であり、完全にただの同居人だった。

 

 アルトリアが風呂に入り、テレビを見ながら茶を嗜んでいる間に、ヤマトタケルはさっさと一階の応接間、彼の新自室に籠ってしまった。アルトリアも茶と菓子を片付けて、二階の客用寝室へと向かい、床に就いた。

 

 夜も更け、同じく寝床に入ったが、何故か――アルトリアは眼を醒ました。ベッドは壁に面しており、その壁に窓がはめ込まれている。

 そこから見える夜の景色は、静まり返った住宅街。何の不自然さもないいつもの春日。ふと壁掛けの時計を視ると、時刻は午後十一時十五分。

 今頃南の自然公園にて、明と影景は魔術の修行をしているはず――と、彼女は突然ベッドから飛び降りてドアを開き、一直線に階下へと向かった。

 

 向かったのは応接間。申し訳程度のノックのあと、勢いよくドアを開いた先には――誰も、いなかった。脇に押し固められたソファやテーブル、持ちこまれたパイプベッドの上にも人影はなく――ただ開け放たれた窓から吹き込む生温い風で、白いカーテンが波を打っていた。

 

「……!」

 

 ひとつ屋根の下にいるサーヴァントの気配は、索敵に突出した能力を持たないサーヴァントでもわかる。ゆえにもしヤマトタケルが勝手にいなくなったら、アルトリアもすぐ気付いたろう。

 

 しかし今日ヤマトタケルは日がな女装していたせいで、彼のサーヴァントとしての気配はずっと希薄になっていた。もちろん女装による気配遮断は戦闘態勢に入ればランクはがた落ちするが、ただ彼は女装をし続けていただけで、アルトリアに敵意はなかった。故に、ヤマトタケルの気配はあるのだかないのだか、はっきりしない状態が続いていた。

 

 今日、彼が女装をしていたのはアルトリアの眼を欺くため。夜に突然女装をして気配を薄れされたら、アルトリアはヤマトタケルがいなくなったと判断して捜し始める。

 だが、今日一日サーヴァントとしての気配が薄いまま、姿を消したら――アルトリアの気づきは前者よりも確実に遅れる。

 彼女の眼を騙し、明と影景の手合わせを見に行く。アルトリアにばれたら、きっと妨害されると思っていたから。

 

 明は「魔術とは秘匿するもの」と言う。ヤマトタケルもそれは承知であっただろう。彼とて修行の邪魔をする気はないに違いない。

 ただ影景を信じきれず、黙って待ってはいられない――サーヴァントとしての気配を断ち、成り行きだけを見守るつもりなのだろうと、アルトリアは推測した。

 

 場所は南の自然公園。ヤマトタケルを追いかけるべきか否か――逡巡は僅か。瞬時に銀の鎧を纏うと、彼女は弾丸のように窓から飛び出した。

 

 元々、彼女は明の留守の間管理者代行代行を務めるヤマトタケルが無茶・暴走をしたときに止めることを任されていた。それに今日の手合わせは、明と影景だけで行う予定だったろうが、彼が首を突っ込んだ時点で破たんしている。

 

 

 

 *

 

 

 

 春日市立春日自然公園――春日駅からバスを利用して四十分南へと向かった先にあるのは、東端は大西山と連なる丘と野原を抱えた広大な公園である。市の主導できのこ、昆虫、野鳥の観察会やハイキングが催され、春日市の小学生は必ず遠足で来たことがある場所である。より春日駅に近い海浜公園よりもはるかに広い。ただの野原、という市民の声もある。

 

 とにかく、温い空気の漂う夜の野原にて――街灯もなく、光源は月明かりのみの状況下で、碓氷明と碓氷影景は、三十メートルをおいて対峙していた。

 

 影景は朝と同じスーツ姿だが眼鏡を外しトランクを足元に置いて、両手を自由にしている。明は両太ももに礼装のナイフを吊っている以外は、武器もなく手ぶらだ。

 

 明は深く息を吐いて、離れた影景を見つめた。生まれてから一度も、影景に勝ったことはない。いつもボロボロにされてきた。

 正直、負けて当たり前と刷り込まれてしまっていると自覚もしている。だが影景は決して戦闘向きの魔術師ではなく、むしろ突発的襲撃に対する攻撃力・反撃力だけ見れば既に明の方が上である。それでも勝てない理由がある。

 

「さて、いつも通り先手はお前からだ。いつでもどうぞ」

 

 声は静かに。己の身体を切り裂くイメージと共に、魔術回路が起動(オン)する。刹那、体に走る電流の刺激を感じるが、自分の魔力でねじ伏せる。

 

 全くいつもふざけた真似をする()である。今でなくてもしばしば、挨拶代わりにこちらの魔術回路をショートさせようと直接妨害術式で干渉してくる。

 普通、まともな魔術師に対して妨害術式などかけはしない。通常明ほどの魔術師であれば、妨害術式をかけた相手の魔力を弾きとばし、相手の回路を逆に焼切ってしまう。

 

 ――だがしかし、碓氷影景に対してはそこまでの対応はできない。

 

「――Ääni on hiljainen(音は静かに),minun varjo juoksi maailman(私の影は世界を走る)

 

 明は太ももにくくりつけた礼装のナイフ・黒刃影像を引き抜き投擲する――それは彼女の詠唱に合わせて姿を消した。

 そして勢いよく踏み込んだ彼女自身も、夜闇に忽然と姿を消した。

 

「……ほほう」

 

 呑気に口元を緩めた影景の背後およそ五メートルに、姿を消したはずの明が、溶けるように姿を見せた。その腕は真っ直ぐ構えられて、魔術刻印の力で詠唱もなくガンドを連射――ほぼ同時に先ほど消えたはずのナイフが、解けるように再度現れて真っ直ぐ影景を射抜くべく走った。

 

「背後を取ろうとするのは良策ではあるが安直すぎる」

 

 明が消えた瞬間から背後を取られることを予期していたらしい影景は、後ろ手のまま振り返らずにガンドを連射。互いの呪いは中間地点――つまりは互いの近距離にて激突し、お互いにはずしたものは実弾さながらの威力を伴って野原を削り取った。

 

 そのまま次の挙動に移ろうとした明であるが、それは己のナイフに妨げられた。影景を襲う筈の明のナイフは彼の目の前で逸れて向きを変え、二本とも明に向かって飛んできたのである。

 

「……!」

 

 方向を変えたナイフは、明のわずか二メートルの距離でようやくコントロールが効く状態になり、明は無事受け止めて自分の腿のホルスターにもどすことができた。

 

 しかし前方にいる影景の真上、上空に、月の光を受けて輝く黒いナイフが何十本も浮いていた。

 明の黒刃影像と同形のナイフ――月光を弾いて光り、まるで地上近くに星々が煌めいているよう。

 

「――copy on(複製・開始)volley firing(一斉掃射)

 

 空を切り、風を切り、黒のナイフは一斉に明へと降り注ぐ――!

 自分が用意した以上の本数、刃の雨霰。このナイフを父の前で使ったのは前回の時だけのはずだが、と考える間もなく彼女は急いで詠唱を紡ぐ。

 

「……Maailma olisi mitään,Mene pois, ei edes varjo(世界は無となり、私は消える影もなし)

 

 詠唱が完了するとともに、再び明の姿がこの世から消え失せた。

 容赦なく降り注ぐ黒銀の嵐は、しかし対象を喪ってただただ空を切り裂いて地面へと、墓標のように突き立った。

 

 戦闘前のように静まり返る公園の中、碓氷影景ただ一人。彼の隣には、トランクが無傷で佇んでいる。

 

虚数空間を使用した空間転移(ゼロダイブ)。流石に便利だな――ふうむ、流石にこれを真似るには骨が折れそうだ、というか俺が虚数使いでないだけに無理か」

 

 眼鏡を外した彼の眼は普段の茶色の瞳ではなく、僅かに赤みがかっていた。その瞳が、右端の視界に歪みを捉えた。彼はここで後ろ足でトランクを遥か背後に蹴りとばし、軽く右手と左手に硬化のルーンをきざんだ。足には既に(オウルコス(野生の牛))、力強さ・速度をもたらすルーンが刻まれている。

 

 影景は歪みを見定めて、地を蹴った。壮絶な速さで彼が向かう先には何もないのに――しかし次の瞬間、向かう先の空間が波打ち、明が再び姿を見せた。

 

 彼女は腕を前に向けガンドを発射する体制だったが、その腹にルーンの刻まれた影景の拳がもぐりこむ。避けようもなく彼女は疾走による速度と魔術のかかったストレートを食らった。

 明は勢いよく吹き飛んで滑るように野原を転がった――だが、影景の顔はどこか笑みを含んでいた。

 

「……ふむ、既に予想していたか」

 

 数度地面を転がった明だが、彼女は案外けろりとした顔で立ち上がっていた。影景もインパクトの瞬間に違和感を覚えており、手首を振って離れた娘を見やった。

 明はスカートに草をくっつけたまま、大きく息をついた。

 

 明は虚数空間を利用した空間転移(ゼロダイブ)に慣れてきたとはいえ、使える場所が限られている。ただ虚数空間に飛び込むだけならいいが、この実数世界に帰ってくる時に座標を定めることのほうが難しい。

 管理する土地である春日市内なら誤差上下左右三メートルに収まるが、縁の薄い知らない土地や、もしくは何らかの魔力に満ちた土地であれば、たちまちその精度は落ちる。土やコンクリートの中に埋まって帰還することになるのはまだマシで、体の中身だけ虚数世界においてくる、上半身だけ帰ってくるなどした暁には終いである。

 

 そしてこの限定的空間転移は当然「魔術」であり、発動し明が消えて戻ってくる際には魔力を使っている。

 さすれば、影景には明がどこの地点に帰還するかは直前には把握できることになる。

 

 

 影景の有する魔眼の名は、「妖精眼(グラムサイト)」。

 

 本来眼球は、外界からの情報を手に入れるための器官である。魔眼とは、それとは逆に外界に働きかける力を持った眼のことだ。魔術師に付属した器官でありながら、半ば独立した魔術回路でもある。ゆえに、稀に一般人であっても魔眼を持つ者もいる。

 

 妖精眼自体は稀有というほどの魔眼ではないが、持ち主によって能力の振れ幅が大きい傾向にあり、影景のそれは強い妖精眼に分類されるだろう。

 

 この眼は現実の視界とは焦点がずれており、魔術の気配・魔力・実体を持つ前の幻想種などを把握できる。魔力の気配や魔力を感じることにより、相手がどのような魔術を放とうとしているのか察知でき、春日の魔術的異変にも早くに気づく。また、サーヴァント同士の高速戦闘も追うことが可能である。

 

 さらに彼の眼は魔眼の定義にある通り、外界にも働きかける――放たれた魔術の纏う魔力の流れを掴み操作する、濃い魔力のある場所で大雑把に魔力を動かし、物理的破壊力を持たせることができる。

 先程自分に向かってきた明のナイフを捻じ曲げたのはその一端である。ただし彼曰く、「何でもかんでも他人の魔力を操作できれば苦労はしない。そもそも暗示や洗脳、他人の魔力を帯びたものに干渉するのは難しいのは常識だ」――明の魔力は彼にとって既知であるから可能な技でもある。

 

 そう、影景は明が生まれてこの方、彼女の魔術回路と魔力をずっと見続けてきた。どのような過程(プロセス)を経て魔術回路を開き、魔力を精製し、魔術を行使しているのか。小源から生み出される魔力の質、クセ、回路の特質、それをすべて知っているから、明の魔術回路に自分の魔力を介入させてショートさせることさえもできる。(明もかつては常に、朝の挨拶代わりにやられていたため今ではそうそうショートさせられることはないのだが)

 

 朱色を強める影景の妖精眼――彼が常にかけている眼鏡は魔眼殺しの眼鏡である。魔眼は術者と独立した魔術回路であるがゆえに、酷い場合は魔眼が勝手に術式を発動し、魔術師本人の魔術回路から精気を強引に搾り取りだす。

 勿論影景はそのようなことになっていないが、魔眼は年々強力になっていっているそうだ。

 

 ――私が小学校に上がる前は、父はまだ、眼鏡なんてかけていなかった。

 

 影景曰く、まともな「人の眼」としての機能を維持できるのは後精々十年程度だそうだ。

 その時を、自分の眼が魔力と魔術・神秘をみるだけのモノになる日を、父は待っている。完全に現実の視界が失われ、魔力と幻想を把握するだけの眼になるときを。

 

 あれはいつの日だったか。明が初めて魔術の手ほどきを受けることになり、地下室へ誘われた時だった。いつものように父はにこやかに微笑んでおり、明の目線に合わせるために腰を落として話しかけたのだ。

 

 ――お前が俺を殺す日を、楽しみにしている。

 

 あの言葉は、冗談でも諧謔でもない。あの時にすでに、父は「魔術師であることを全肯定するゆえに己がたどり着けない地平」に、明がたどり着けると予感していたからこそあの言葉を投げたのだ。魔術師の大義のために自らの子供さえ殺すことが大いにあり得る世界だからこそ、その逆もまた然りと、たどり着くのは自分でなくとも構わないと……。

 

 ぬるい風が吹き付けて、明は頭を振った。考えることは後でしよう――また、父が得意とするルーンの光が見えたから、その暇もなくなったのである。




影景は明特攻持っているようものなので……


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昼⑥ 六代目と七代目4

 影景の妖精眼(グラムサイト)は本当に厄介だが、それに拍車をかけているのは、妖精眼の力が父の魔術に非常にマッチしたものであることだ。

 一度目は絶対負ける、しかし二度目はもう知っている。影景は解析見稽古とわけのわからない名前をつけていたその特性。碓氷の魔術特性「分解」から「分析」に通じ「解析」し「再構成」へと至った魔術師。

 

 ――付き合いは己が生れた時から。己の力を知悉されていても、先手を取るにしくはなし――明は地を蹴り、どこからともなく空中からなんと拳銃を取り出して真っ直ぐ影景に向かって打ち放った。

 

 急所は外し大腿部を狙って、近代の鉄の武器は轟音と硝煙の匂いを吐き散らした。影景は強化した足の速さで、済んでのところで直撃をかわした。

 明は引き続き銃にて連射をし、弾が尽きると走り――またどこからともなく拳銃を引き抜き、間髪入れず撃ち込む。

 

 虚数空間を生かした次元ポケット――昼間にも明は公園へと足を運び、複数の拳銃やら武器をポケットに収納していた。もちろんそれは目に見えず、明が意図的に術を緩めない限りは虚数使いにしかアクセスできない秘密の隠し場所である。

 

「……っ!」

「その手段の選ばなさは悪くない! だが、単に現代兵器を用いるなら魔術による防御を突破する破壊力を持つ兵器を選ばねば意味がないぞ」

 

 ナイフのように魔力を帯びたものは影景に操作されるかもしれない。ならばいっそ魔力を帯びていないモノで攻撃する。世には魔術師専門の殺し屋もおり、彼らは魔術を使うこともあれば現代兵器を用いることもある。

 魔術師も現代兵器に対し無防備のままでいてはいけないとのことで、影景と明は互いに現代兵器の使用を許可している。影景は無理に銃弾を避けようとはせず――防弾繊維を織り込んだスーツに、ルーンで強化を加えた手足で受けても走る。

 

 明とてもっと強力な現代兵器を手に入れたくはあったが、ここは日本であり銃を秘密裏に手に入れるのは色々と手間であるのと同時に、これは魔術の成果を見せることが主眼である。あくまで現代兵器は補助であるというに認識で、明は行動している。

 

 走りながら、明は銃弾を放つ。少なくともそれを防いでいる間、影景は防御に意識を割かれるために魔術を仕掛けては来ない。移動しながらも二人の距離は変わらず、およそ三十メートルを置いて対峙。明は最後の弾を放った後、静かに手を振った。

 

Syvä pimeys,kjøt i kjøt(闇は深い。骨は骨へ)――」

 

 その瞬間、影景を囲う四方八方から――何もない箇所から一斉にガンドが打ち放たれたのだ。その数、およそ二十以上。いつも打つようなガンドではなく、フィンの一撃――明流ではフィンの大砲と呼んでいる、心臓をも止める一撃が二十以上、同時に放たれる。

 

「……!」

 

 要領は先ほど、ナイフを虚数空間に飛ばしたのと同じだ。放ったガンドを虚数ポケットに放り込み、それを今一斉にポケットから解放しただけ。ナイフと異なるのは、ガンドを準備したのは拳銃と同様に今日の昼間であることだ。

 

 自分で影景を追うことと、同時に現代兵器を放つことによって、昼間セッティングしたガンドの集中発射を命中させられる場所へと誘導する――それが今。いつも連射しているガンドとは込めた魔力量も桁違いの一撃二十撃は、彼の眼をしても全ては操りきれるものではない筈!

 

 小型ミサイルが撃ち込まれたような衝撃に地面は震え、上がる轟音、舞い起こる土煙。ちょっとしたクレーターを作るほどの連撃の間も、明は目を凝らして奥を見つめた。少しは効いたに違いなかろうが、最悪父はトランクを開けて回避はするだろうし、悪くすればこの罠を承知で飛び込んだ可能性も――。

 

avoin(解放)……Varjokilpi(影は盾)

 

 思考は途切れた。土煙を食い破り飛来するガンド――おまけにアンザスのルーンを通しているらしく、まるで襲い来る鬼火(ウィルオウイスプ)だった。明は影による盾を展開し連撃を防いだが、冷や汗を流していた。

 影景はトランクを開いたのか、フィンの大砲群はあまり効いていないのか。

 しかし明が深く考察する暇はない――先鋒のガンドが過ぎ去ったのちに、影景本体が突進してきたのだ。しかも引き続き炎のガンドを撃ちながら。

 

 影景は普通にガンドを打つこともできるが、腕や指を対象に向けずとも撃つことができる。魔眼の回路を動員し、眼からガンドを撃つのだ。

 本来のガンドは「指さした相手の体調を悪くする」北欧の呪いであるため、威力は指なり腕なりを出した方があるようだが。

 

 まずい。明は影景がこの試合を終わらせる意図を感じた――明がイマジナリ・ドライブを使わない限り。

 

「そろそろお前なら、俺を殺せると思うのだが――複写開始(COPY ON)

 

 詠唱とともに再び、中天には光り輝く黒いナイフの数、数、数。一振り一振りが月明かりに煌めいて、先ほど見た尖刃が空に広がっている。

 しかも影景は炎のガンドを引き続き連射し続けて、しかも無理に明に当てようとはしていなかった。見当違いの方向に飛んで行ったガンドは野原に着弾し燃え広がっていく。通常の炎と異なる魔術の焔は、燃焼物がなくともしばらくは燃え続ける。

 

 迫る影景、空の浮か針山の如きナイフたち。影景に直に接触されるのが一番まずい。明は急いて詠唱をこなし、虚数空間を通る空間転移を行使しようとする。

 

「――ッ 「Maailma olisi mitään,(世界は無となり)、」

「――解析完了(I have analyzed)詠唱強制介入(spell forced interference)

 

 魔術を行使する時に、集中していないことはない。ぼんやりした意識で使っていては回路を廻す効率も下がり、下手をすれば失敗する。だが常日頃魔術を使用している者にとっては、集中していても集中の度合いが違ってくることはある。

 通常、そして戦闘時にその度合いは影響しないといっていいが、こと碓氷影景相手に限っては良くない。

 勿論明としては気を払っているのではあるが――燃え広がる魔術の炎がスカートに燃え移った時、明の魔術は形を成さなくなった。

 

「……ッ!」

 

 人の魔術回路への強制介入。電気を流している回路(サーキット)に水を垂らすような行為。全身に走る痛みに、明の詠唱は途切れた。

 身を守る影を発動できなくなった彼女は、千刃とガンドに身を晒すほかない。空に広がる、凶悪な煌めきが降り注ぐ――!

 

「……っ……」

 

 魔術の使えない魔術師は一般人にも等しい。回路(神経)の痛みに苛まれながら、明は無理やりに上半身を起こした。熱くもないルーンの炎が野原を覆っている。明に突き刺さった投影のナイフは消えて、血止めにもならなくなった。

 ナイフはすべて影景のコントロール下にあるからだろうが、ナイフは急所を外され、ガンドによって恐ろしく体調は悪化していたものの意識はある。

 

 見上げた先に、碓氷影景が立っていた。彼女が投げ捨てた拳銃を拾い、撃鉄を上げて、あたかも弾が入っているかのように――いや、弾は入っている。

 影景が投影したであろう、銃弾が。

 

「明、俺はイマジナリ・ドライブが見てみたい」

 

 明は暑いような寒いような体を抱え、だろうな、と思考した。

 聖杯戦争の顛末を報告した時に、シグマ・アスガードをどうやって打倒し得たかの話で虚数空間転移とイマジナリ・ドライブを省くことはできなかった。元々あの魔術の原案は影景であるし、協会に詳細が割れれば封印指定へと王手をかけかねない代物である。

 

 けれど、明は使いたくなかった。

 空間転移はともかく、今の自分がイマジナリ・ドライブを使うなど――。

 

 動かない明を見て、影景は重く溜息をついた。あくまでこれは魔術の成長を視るための試合にして指導である。

 そもそも、今このような試合を設けるには理由がある。現在、明は「次期当主」であり「次期管理者」である。魔術刻印は疾うに移植が済んでいるものの、魔術協会や春日教会、周囲にとっての管理者はまだ影景である。

 

 正式に管理者の座を受け渡す条件として、影景が定めたもの。

 それが「影景が死ぬか、明が影景を殺すか、驚かせるか」だった。

 

 影景としてはいつ殺しにかかってこられてもよいそうだが、いきなり殺してしまっては彼がその時かかずらっている時計塔がらみの案件や土地管理の案件が中途半端になってしまい面倒なため、こうして試合を設けて戦っているのだ。

 

 ――元の条件は殺すだった。だが、影景の魔術特性的にそれはかなり難しい、できても時間が必要という判断のもと、最後の「驚かせたら」が追加された。

 

 つまりこの試合、明が影景を殺すことはあっても影景が明を殺すことはない。

 事実明は何度も死ぬような目に合されてきてはいるが、苛烈であっても殺意を感じたことは一度もなかった。ある魔術を使いたがらないからといって殺されることはない。

 使わざるを得ない状況に追い込まれることはいくらでもあったが……。

 

 しかし、今ばかりは――彼女は身の危険を感じた。拳銃を構える影景から感じられるのは、きっと殺意と呼ばれるものだ。聖杯戦争でも何度も感じたもの。

 

「……ッ!」

 

 実の父に殺意を向けられることは、恐ろしくはない。

 恐ろしくはないが――父の意図が読めなかった。影景に明を殺す意味はない。魔術的な意味で、それなりに大事にされている意識はあるから――跡継ぎを殺す意味はない。

 だが明とて殺意の本気か否かくらいはわかる。良くわからないが、死ぬわけにはいかない。明がとにもかくにも距離を、と影で無理に体を動かそうとして同時に引き金にかけられた指が動く。

 

「……何をしている」

 

 耳を劈く発砲音は確かにあり、引き金は引かれた――だが凶弾は、二人の間に割りこんだ何者かによって弾かれて明後日の方向へ飛んで行った。

 

 明の目に映ったのは、高速の移動の為、烈しく靡いた黒髪。

 ふわりと舞ったマキシ丈のスカート。膝まである黒いブーツに、高い背丈。

 右手には、不可視の剣。

 

「……セイバー……!?」

 

 呆気にとられた明は、自分を護るように立つ使い魔(サーヴァント)の姿をまじまじと見た。これだけすぐに割り込んでこられるということは、ずっと近くで見ていたのか。セイバーヤマトタケルは明へ振り向こうとはしなかったが、彼が怒っているのはよくわかった。

 

「……お前、今、殺そうとしたな?」

「……だとしたら?」

 

 答える声が早いか否か。影景はあっさり拳銃を手放したかと思うと、明の眼には捉えられないほどの速度で――後からわかったことだが、回し蹴りを放っていた。

 まさかサーヴァントたる己に反撃すると思っていなかったヤマトタケルは攻勢に出ることこそできなかったが、剣でその蹴りを受け止めようとして――吹き飛びこそしなかったものの、十メートル以上横なぎに押し出された。

 

「……!?」

 我が目を疑ったのはヤマトタケルだ。筋力A相当の自分をこれほど動かすほどの力が、一魔術師にあるとは――しかし考えている間もなく、マスターの父親である男は、またしてもサーヴァントじみた速度で風を切る。右手に握りしめたトランクが雷光の鋭さで振り下ろされるのを剣で受け止める。受け止めた時の衝撃派で空気が震え、芝が一斉に吹き倒れた。

 何故影景が襲い掛かってきたのか、しかもサーヴァント並みの速度と膂力を兼ね備えているのか、ヤマトタケルにはまるで理解ができない。だがしかしこれでもマスターの父親であるがゆえに、傷つけることはできない。

 手に馴染んだハンマーのように扱われるトランクを裁きながら、手加減して胴に一撃打ち込もうと思ったその時――いきなり影景がその場に崩れ落ちた。

 

 全くわけがわからないまま、ヤマトタケルは明に眼をやった。その彼女は、人差し指を自分の父親につきつけて息をついていた。

 

 

 トランクを枕代わりにして、芝生にそのまま横たわる碓氷影景。先程までのハッスルぶりはどこへやら、ああだとかううだとか言葉にならないうめき声をあげている。先程まで影景に対して敵意むき出しだったヤマトタケルも、一体どうしたものかと困っていた。

 自分がやらねば何も進まないと察した明は、自分もガンドを受けた体をさすりながら、まずはヤマトタケルを見た。

 

「……セイバー、来るなって言ったじゃん」

「……それに関しては、その……お前の父のことがどうにも気にかかって……。木の影から見て、終わったらそっと帰るつもりだった」

 

 ヤマトタケルはちらちらと明を見つつ、気まずそうに答える。流石に後ろめたさはあったようだ。

 ヤマトタケルのスキル「偽装」。サーヴァントとしての気配を断つ、気配遮断に近いスキル。ただし彼の場合、女装をした方が成功率が上がる――そのため、多少不恰好ではあるもののヤマトタケルは女装をしていた。明も戦闘に注力しており、彼の気配に気づかなかった。影景も具体的な位置まではわかっていなかっただろう。

 

 ヤマトタケルは、本当に手出しをする気はなかった。事実彼はこれまで沈黙を守っていた。彼とて生前に修行で過酷な事をした経験もあり、怪我を負うことは仕方がないと思ってもいるのだ。

 

「だが、この戦いはあくまで魔術師としての力を見るためのもので、殺し殺されるというものではないものだろう。それなのに、この男は明を本気で殺そうとしていた」

 

 それは明も不思議に思っていた。もしヤマトタケルが割り込んでこなかったら、明は今の一撃を、後々さらに魔術回路が傷つくことを承知で起動させて空間転移を行い、影景を退けるために、イマジナリドライブで――。

 そこで明は、呻く父の顔をみた。

 

「……お父様、全部わざと?」

「ハハッ。失敗に終わったがな……気持ち悪い」

 

 明のガンドを背中から食らった影響で風邪を引いたような体調になっている影景は、それでもいつものように笑っていた。ひとり訳が分かっていないヤマトタケルは二人の顔を交互に見た。

 

「……この手合わせは何回かしてる。真面目に戦うけど、お父様は私を殺すわけにはいかない。だから私がどうしても使えるけど使いたくない魔術があって、でもお父様はそれを見たいとき、本当に無理強いはできない」

「……追いつめることで、見えることもある。俺が本気で殺しにかかれば、明もそれに応じざるを得ないだろう。だが、俺は明を、本当に殺す気はない。殺す気では、あるが殺したくない――まずくなったら、止めてくれる奴が、いると助かるだろう?」

「――!」

 

 影景は最初からヤマトタケルがこっそりと来るであろうことを予測していた。

 むしろ来てほしかったのだ。

 

 だから朝食の時、妙にヤマトタケルの不安を煽るようなことを言いけしかけていたのだ。邪魔をせず、ただ見ているだけなら許されるだろうと。

 もし本当に自分が明を殺しにかかったら、きっと彼ならば止めに入ると、影景は信じていた。

 つまりうっかり自分が明を殺してしまいそうになったときに、止める役としてヤマトタケルを要請した。

 

「……マスターの、有無については、アルトリアより、ヤマトタケルの方が切実だったからな。これは、アルトリアが、マスターを大事に思っていない、ということではなく、生前の在り方に、関する事柄だ。生前、自分自身が主であった者と、主を抱き信用されなかった者の差からくる、こだわりの、違いだな……ただ、予想より早かった。というか、途中から来るかと、思っていたが、最初からいたとはな。さっきの、一撃なら明は避けたであろうし、も~~っと、絶体絶命くらいのところで、止めてほしかった、のだが」

 

 影景はきっと最初からわかっていた。明がイマジナリ・ドライブを使いたがらないことも、それを見るにはギリギリまで――それこそ聖杯戦争のように――追いつめることしかないことも。

 だが殺してしまっては元も子もない、ゆえに頼れるストッパーを欲したのだ。

 

 結局影景の望みは達成できなかったのだが、彼に不満の表情はない。聖杯戦争を経た明の力自体には満足している。

 明はやはり父は父であったと脱力した。ヤマトタケルは意味のなくなった女装を脱ぎ捨て、武装に切り替えて、静かに呟いた。

 

「……もし、俺が来なかったら」

「んー、殺していた、可能性もあるが、今の一撃では死なない。魔術刻印は、術者をどうにかして、生かそうと、するだろうしな。仮に破滅剣(テイルフィング)を装備して、イマジナリドライブを、厭わない、明であれば、俺が、返り討ちに、されるだろう」

 

 ちなみに碓氷の家宝である破滅剣ティルフィングは、聖杯戦争中は明が所持していたものの、終わった後に鍵が影景に返却されているため、明はもう自由には使えない。

 

 前に立つヤマトタケルの右手が、まだ剣を不穏に握りしめられたり緩められたりしているのを見て、明は内心穏やかではなかった。穏やかではないが、彼は影景に何もしないだろうとの確信もあった。

 

「俺は、君――ヤマトタケルなら、きっとここに来ると思っていたよ。明が、心配でならなかっただろうし」

「それなら最初から俺に居合わせてほしいと言えばよかった」

「『明を殺すかもしれないから殺しそうになったら止めてくれ』と、馬鹿正直に頼んだら、そもそも手合わせ自体が、ご破算になるだろう? 君は俺を、殺しはしなくても、懲りるまで、どこかに閉じ込めるとかは、しそうだからな」

 

 どんなに無茶を言われても、日本武尊は父に叛意すら抱かなかった。弑しようなどもってのほか。だから今仕えるマスターの父を殺そうなど、やはり思ってはいない――それでも日本武尊は目の前の男に対し、明らかに反感を持っていた。

 その不穏なサーヴァントの様子もどこ吹く風で、影景は顔色の悪いまま呑気に笑った。セイバーは納得いかない顔つきのまま、追加の問いを投げた。

 

「……一つ答えろ。最後に俺に襲い掛かったのは何故だ」

「ああ、いや……出来心だ」

「はあ?」

 

 真っ青な顔色のまま、にこにこと笑う影景は逆に不気味である。「明から、サーヴァントの話は、聞いていた。サーヴァントなんて現象は、それ自体が一つの奇跡だ――、その真価を見るには、自分が戦うのが、一番手っ取り早い。しかし、戦争が終わった今、サーヴァント同士の戦闘など、ない。だから、つい」

「……」

「これでも、明の話を、聞いて、君の日常動作を見て、仮想戦闘(シミュレーション)は何回も、してみたんだ。何回やっても、俺の死で終わったが」

 

 ヤマトタケルは完全に理解しがたいという顔をしていたが、すでに影景はどこ吹く風である。よろよろとトランクを杖代わりに立ち上がった。

 

 

「さて、明の力も、確認はできた。イマジナリドライブまでは、無理だったが、良しとしよう。俺は春日の調査を続けるが、明、お前もお前で、調査をしろ。終わったら、答え合わせだ……ウッ!」

 

 影景は完全に飲み過ぎたサラリーマンの体たらくで、おそらくは公衆便所を求めて駆け去って行った。あれでも影景は分析解析には長けている――明のガンドならあと一時間ほどで回復させるだろう。

 

 温い風が吹き抜けて、伸びた芝が一斉にそよいだ。ようやく終わったかと明が額に張り付いた髪の毛を払ったとき、ヤマトタケルは困った顔で彼女を見下ろした。

 

「……明、お前の父の性格……は置いておくが、あの力は……」

「……まあ、気になるよね……」

 

 ただの人間(魔術師)が、筋力A相当のサーヴァントと渡り合えるはずはない。明がそれにこたえようとしたそのその時、また林の向こうから素早く何者かが現れた――銀色の鎧をまとったアルトリアだった。

 

「……アキラ! ヤマトタケル!」

「!? アルトリアまで……」

 

 アルトリアは彼等の様子を見て既に事が終わったことを認識し、不可視の剣を消した。ヤマトタケルは面倒くさそうな顔で溜息をついた。

 

「……案外気づくのが早かったな」

「……もう終わってしまったようですがね。とにかく、碓氷邸に戻りましょう。私も伝えたいことがあります」

「何、何かあったの」

 

 今日はもう何事もなく終わってほしいと顔に書いていた明だったが、そうは問屋が卸さない。騎士王が続けた言葉は、さらに明に頭を抱えさせる事案だったのである。

 

「見覚えのないマスターとサーヴァントに会いました。サーヴァントは、酒呑童子ではないキャスターです」

 



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昼⑦ 碓氷と土御門と榊原

 以上の顛末を以て、明はセイバーズに助けられつつ碓氷の屋敷に戻ってきたそうだ。

 

「だから、今刺し傷とかガンドによる体調不良が尾を引いてて具合が悪いんだよ。……明日には大分元に戻っていると思うけど」

 

 明はまた大きなため息をついた。大したことではない、と事実を述べて、さらに父へのコメントもないあたり、彼女にとっては当たり前なのだ。珍しいロングスカートに夏の長袖も、理子や一成相手に傷を見せる気がなかったからだろう。

 

 一成はどうコメントすればいいかわからず、黙って頷いていた。

 だが、気になる事もある。

 

「……俺、もしかして帰った方がいいか。お前寝てた方がいいんじゃね」

「……んー、話してるだけなら平気だし。なんか聞きたいことありそうだけど、応えられる範囲なら応えるよ」

 

 碓氷の魔術についてならばさらっと表面を撫でる程度の説明に限るけど、と付け足して明は一成を促した。

 

「じゃあ聞くけど、お前のお父さんって何者?」

「……さっきの話の中でもう言ったけど、魔眼持ちの魔術師。私に対しては特攻持ってるの?ってくらいに強いけど、元々戦闘向きではないよ」

 

 碓氷家の魔術特性は「分解」。分解は破壊ではなく、ひとつのものを要素や部分に分けていくことである。そこから「分析・解析」――要素や部分を分けた後に構成を解明していくこと――へ通じた魔術師が碓氷影景である。

 この性質は碓氷の家の魔術としてもおあつらえ向きの体質で、彼は他の流派でも呪術でも一度見れば大抵は見抜いてしまうのだが、悪く言えばそれだけなのだ。

 

 例えば一流の短距離ランナーがどうしてそれほどまでに速く走れるのか理屈で説明ができても、自分がそのランナーと同等に走れるようにはならないのと同じで、冠位や封印指定魔術師の絡繰りを見抜いても彼らに勝てるわけではない。むしろ明の方がよっぽど戦闘に向いている。

 

 しかし影景が明に対してめっぽう強いのは、明は生まれた時から影景の分析下にあり続けているからである。魔術回路の特質、詠唱の過程、魔術と魔力の性質――それを明本人よりも熟知している。

 ゆえに本来は難しいとされる他の魔力への干渉をも、明相手には易々と行って見せるのだ。

 

 自分の魔力を相手の魔術回路に叩き込み回路をショートさせる、相手の詠唱に魔眼で割り込み魔術の発動を止める、相手のコントロール下にある魔術をハイジャックする――これらは通常、熟練した魔術師に行えば自分の回路がダメージを受ける行いだが――ことを可能にしている。

 

 これらの魔術は入念な下調べと解析するだけの情報があれば明以外にも勿論行使可能であるが、まず魔術師は他家に魔術を披露せず、おめおめと情報をくれることもまずないため、実際に行うには「まず一度本人と対峙して戦わ」なければならないことが殆どだ。

 

「名付けて解析見稽古(アナリシス・リハーサル)!」「二回やれば私が勝つ」が影景の口癖であるが、まずは一回を生き延びなければならない。

 

 勿論影景とて戦闘に使いやすい魔術もある。ガンドにルーンは元々家の魔術だから当然としても、流派の違うノタリコンを応用して詠唱を極限にまで短縮し、恐ろしい速度で魔術を放つ。また元々燃費のいい回路を調整し更に回転数を上げているため、一気に力づくで片付けるのは得意である(かつて出会った青の魔法使いを真似してみたそうだ)。

 

 また分析・解析を得意とする性質上「強化」魔術のプロフェッショナルでもある。

 強化魔術にあたって、全身全部を強化するのは魔力の無駄で効率も悪い。通常、早く走りたいのであれば脚力を、腕相撲で勝ちたいなら腕力を、必要な部分にだけ強化をかける。影景の強化はそれをさらに極めたものであり、解析結果をもとにどれだけの魔力を使い、どこをどの程度強化し、なおかつ流動的に配分を変えてのける。

 一見した性格は(おおらか)であっても、魔力・魔術のコントロールは正確無比。性格が面倒くさい(繊細)方でも、コントロールは丼勘定の明とは正反対なのだ。

 

 

「良くも悪くも魔術師だからね。魔術師としては尊敬できるところもあるけど、一般倫理的にはクソだから……セイバー、無理に仲良くしようとしないでいいから。無理そうだし」

 

 ヤマトタケルはむっつりと黙り込んでいて、ウンともスンとも言わない。明の父が解析するのは魔術だけではないと、流石に一成もわかっていた。碓氷影景は碓氷明を殺すものではなく、むしろ成長を望んでいる。

 ただ、その過程でどれだけ傷だらけになろうと厭うていないだけで。当の明は父親の話にはあまり興味がないようで、あっさりと話題を変えた。

 

「で、話戻すけど、一成は春日の調査をするんだよね。ちゃんとアーチャー連れてきなよ」

「あー……まー……そだな……」

 

 明らかにアーチャーは気乗りしなさそうだったので誘わないでもいいかな、と思っていた一成ではあるが、そうしないと理子に頼りっぱなしになりそうである。それに知らないサーヴァントがいるのなら、こちらもサーヴァントを連れないと純粋に危険である。

 

「何か見つけたら要報告だからね」

「おう。碓氷も碓氷で調べるんだろ?」

「まあね。でも私は休むから、実際の行動はヤマトタケルとアルトリアにお願いしようと思ってるけど……一晩ごとに交代で」

 

 ヤマトタケルとアルトリアは請け負った、と二人とも頷いた。

 とりあえず一成は碓氷邸における当初の目的を果たした。明も怪我があり休んでいた方がよいだろうし、ここは礼を言って早々に引き払うべきだろう。それに、唐突に出て行った理子のことも気になる。彼女が何に気分を害して出て行ったのか一成にもわかっていないが、このまま放置しておくのは何かすわりが悪い。

 

 一成は残っていた麦茶を一気に飲み干して鞄を持ち、立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 外は、既にうだるような暑さであった。一瞬にして理子を追いかけるのが面倒くさくなった一成ではあるが、己を奮い立たせて碓氷邸を後にした。いや、あとで電話をかければいいかと思い直す。

 

 

「……ウチも大分アレだったけど、碓氷の家も碓氷の家だな……」

 

 一成は、真昼間の住宅街をダラダラ歩きながら碓氷邸の話を思い返していた。

 今まで碓氷邸の主人は碓氷明だと思っていたが、彼女はまだ代理の立場。あの一見とても親しみやすく、初めて出会った一成にも友好的でフランクな態度の男性が現春日の管理者。

 

 一成が言えた義理ではないが、碓氷家は一般家庭とはかなりズレた関係を構築している。ただ明は明で「お父様はああいうのだから」と、既に割り切ってしまっている。それがいいかどうかは一成にはわからないが、彼女がそれでいいなら口出しすることではないだろう。

 

「……せっかくなら俺の進路相談もしたかったけど、完全に言うタイミングじゃなかったな……」

 

 またそれは次、碓氷邸に寄った時にさせてもらうと思いつつ、一成の足は駅前に向かっていた。

 彼の家がそちらの方向であることもあったが、遅い昼ごはんを食べ、駅チカの本屋で雑誌の立ち読みでもしていこうと思ってのことである。

 

 碓氷邸で涼んだ体はどこへやら、駅まで歩けば勝手に汗が流れていた。救いと言うなら夏の平日ということで、駅自体は比較的人が少なく歩きやすいことだろうか。

 一成が春日駅南口をうろついていたところ、見知った集団を見かけた。

 

 一人は見慣れた、小学校低学年に見える黒髪の美少女。珍しく半袖白ブラウスにピンクのミニスカートという恰好。

 その彼女にずらずらと連れられているのは、赤毛に豊満な肉体を持つ美女。白Tシャツに夏には暑苦しい皮ジャン、Gパンにパンプスというどこかズレた恰好だった。

 さらにその後に、おかっぱ頭に赤いTシャツ、半ズボンに健康サンダルの青年男性、ポニーテールにキャミソール、ミニスカサンダルと露出度の高いスレンダーな女性が続いていた。どうにも妙な一行だが、例外なく美男美女集団ではあったため周囲はちらちらと彼らを見ている。

 

「……キリエ、お前らなにやってんだ?」

「? あら、カズナリ! 土偶ね!」

「奇遇な」

「? 陰陽師のボウヤじゃない? どうしたの?」

 

 キリエとキャスターズ――酒呑童子、茨木童子、虎熊童子の四人組だった。普段キャスターズは形状の変わった大西山で酒盛りをして暮らしているので、人の多い場所で会うのは本当に珍しい。

 

「どうしたのはこっちの台詞だよ。お前ら何やってんだ? まさか聖杯戦争がらみじゃねえよな」

「? 聖杯自体がないのにどうして聖杯戦争をするの?」

 

 そう純粋にきょとんと答えられては、一成の方が困る。キャスター酒呑童子は首をかしげるばかり。

 

「聖杯戦争再開は俺たちも知っているが、それは碓氷、もしくはあの神父が調べるのだろう。確かに奇妙なことではあるが」

「人間はスイーツ」と書かれた謎のTシャツを着た茨木童子が、真面目くさった顔で答えた。彼等は困ったことがないから、今更聖杯戦争にも興味はなく日々を楽しんでいるようだ。良くも悪くも、この鬼種たちは嘘をつかないし、彼らの言うとおり戦う理由もないから当然のように戦わないのだ。

 

「そう、私たちはカラオケというものを嗜んできたのよカズナリ。こういうのは人が多いほどいいと聞いたから、キャスターたちを呼んだのよ。星熊たちは来なかったけれど」

「なかなか楽しかったな大頭。給仕されたぽてとふらいやぴざやどーなつ、うまかった」

 

 スレンダーな女性――虎熊童子は歌ではなく食事の話しかしていないが、その顔は満足げである。というか、キリエたちはカラオケで何を謳うのだろうか。

 JPOPか、演歌か、洋楽が、どれもイメージにない。というよりカラオケのイメージがない。

 

「……何歌ってきたんだ?」

「私? そうね、あまり日本の歌には詳しくないけど、テレビでCMで流れている歌とかね」

「茨は般若心経歌ってたわね」

 

 おい鬼種。それ歌っていいのか。キャスターはチョコレートディスコで踊るなり、AK●B48で踊るなり、結構現代の歌に通じているらしい。

 

「っと、そうだキリエ、お前今日は碓氷邸か、それともアーチャーんとこか?」

「うーん、今日はアーチャーのところにするつもりよ。そういえばエイケイに会えていないけど、ロンドンで会ってはいるから気が向いた時でいいわ」

 

 キリエは明ととも時計塔に旅立ち、明より早く帰国(?)してきたのだった。ついでに、一成は明の父についてどう思うか尋ねた。

 キリエは一成よりも遥かに魔術師であるため、彼にも違和感はないようだった。

 

「エイケイ? 優秀な魔術師よ。「」を追い求める者としては、アキラの方が適格かもしれないけれど」

「? まあ親父さんも碓氷には大分期待をかけてるっぽかったな」

 

 娘に殺されても構わないと豪語することを娘への期待といっていいのかは怪しいが、影景が明を大事にしていることは一成にもわかる。そもそも明は稀少属性の持ち主でもあり、封印しての危険すらあるのだから。

 しかし、キリエはゆるゆると頭を振った。

 

「そうじゃないわ。なんていうか……性質的な話よ。性格的に明の方が向いているって話。影景は優秀だけど、決定的に欠落しているものがあるから」

 

 既に一成との会話に興味をなくしている酒呑童子らを追いかけ、キリエは軽い足取りで走りだした。振り返り様、おまけとばかりに付け加えた。

 

「魔術、「」の追求が楽しくて楽しくてたまらないなんていうのは、魔術師の素質としては下なのよ」

 

 

 

 *

 

 

 

 榊原家は、東京の西に位置する神社の神主の家系である。神社の創建は紀元前と言われているが、魔術の歴史として残っている記録は奈良時代初期、僧行基の時代からである。

 また中世以降、山岳信仰の興隆とともに、中世・関東の修験の中心として、鎌倉時代には有力な武将達の信仰は厚かった神社である。

 

 魔術師、と公称している榊原家であるが、それも明治維新以降の話である。彼女らは土着の神主・元は神霊をお祀りする一族であり、西洋の魔術師よりもはるかに土着的で地域に根差した信仰の元にある。過去から今に至るまで、一族は目的として根源を追い求めてはいない。信仰を護る家として、そして退魔の端くれとして、人の暮らしを護り続けることことが使命であった。

 

 古くから続く神社で山頂にあり田舎――その神社の次期宮司となり榊原の当主となることが定められていたことに、不満がないと言ったら嘘になる。高校進学の時も、まだ将来の絵を描けない白紙の未来を持つ同級生たちを尻目に、「お前は将来こうなる」と思われ、定められている自分を思った。

 

 周りは自由に選べるのに、自分は違う。その不満はあったが、彼女に他に強烈になりたいと思う将来もなかった。また長く信仰を継承してきた家に生まれ、それを引き継ぐに相応しい人間が己しかいないのならば、己がやろうと思った。それに最初は周りに決められていたことでも、立派にこなせるようになれば「やっててよかった」と思うこともあるのかもしれない――と、彼女は家の役目を継ごうと思った。

 

 大学で公的な神職の資格さえ取ってしまえば、あとは実家の神社に戻ることになる。ゆえに行く大学は高校に入る前から決まっており、自分で学校を選べるのは高校が最初で最後だった。

 かといって全国高校名鑑を捲ってみたものの、最初からここに行きたいと思うような学校があったわけではなかった。ただまたこの土地に戻ってくるなら、違った場所で過ごしてみたいと思った。

 

 両親や祖父も、一人暮らしはいい経験になるだろうとのことで許してくれた(週一で電話し出来事を報告することが課されたが)。しかしそれでは選択肢が多すぎて、いったいどうすればいいのか――制服は地元の公立と比べるとどこも可愛く見えるし、設備もどこもよさそうで――悩んだ結果、理子は春日市の私立高校を選んだ。かつて榊原の親類がいた土地、というとっかかりから選んだだけだった。

 

 親元を離れ、どんな生活が始まるのか不安ながらも楽しみにしていたのだが――なんやかやで地元の学校の時と彼女のクラスメイト間における立ち位置はそう変わらなかったのだが――概ね、高校生活は刺激的だった。

 そもそも田舎の実家とは違い、発展中の春日には娯楽が多い。友達も出来て、親元を離れてさびしいという気持ちもそこまで強くならなかった。

 それに、高校生活を通じて――気になる存在ができてしまった。

 

「……一体なにやってるのかしら私……!」

 

 真夏の太陽の下、全力疾走をかました理子は途中の十字路でその足を止めて電柱に拳を叩きつけた。猛暑の中での行為に、汗は噴出しで呼吸もとっくに乱れていた。

 力強く上半身を上げると、彼女は大きく溜息をついてとぼとぼと歩きだした。

 

 ――碓氷も土御門も、一体何かと思っただろう。

 

 だって飛び出してきた理由は、魔術にも春日の異変にも全く関係のないことだから。

 ある意味、初代天皇が駅前でライブを繰り広げていた時や、東征の皇子がノリノリで女装を教えていた時以上の衝撃があった。

 

「……私も聖杯戦争に参加していれば……」

 

 詮無き妄想だとわかってはいる。

 だが、土御門一成がああまで碓氷と懇意になったのは、共に死線をくぐり抜けたからに違いない。吊り橋効果というどうでもいい言葉が脳裏をよぎる。とにかく一度家に戻ろうと思ったその時――早くも電話がかかってきた。

 

 相手は解りきっているが出にくい――でも、出ない訳にはいかない。それに、ちゃんと出たい。

 

「……もしもし」

『榊原か? あー出てよかった』

「何か用?」

『何か用? じゃねーよ急に出てったのはお前だろ。どうしたんだよ、腹でも壊したか?』

 

 電話先の声はあくまでいつも通りで、変わらぬ土御門一成だった。そして予想通り、何も気づいていない。

 ホッとするやら苛立つやらなんともいえないが、必死で平静の声を出した。

 

「……まあそんなとこよ。で、今日の夜は巡回する?」

『お、おう。何時くらいにする? 昨日と同じでいいか? 場所も駅前で』

「良いと思う。……じゃあ切るわよ」

『ちょっ、ちょっと待て! ……何かよくわかんねえけど、元気出せよな!』

「……言われなくても元気だから。……ありがと」

 

 終わってから気づいたが、自分が出て行ったあと碓氷とどんなやり取りを交わしたのかはきちんと聞いておかねばならないだろう。短い話が終わり、理子は長く息を吐いた。

 

「お前俺のこと好きだろ!」「何言ってんの? バカ?」――あの遣り取りをしたのは二年前か。

 それがあるから、土御門はもう何も思っていないのだ。

 

 バカか、あいつは――二年も経てば、変わることもあるだろう。その二年の間に何があったか、あいつは気にも留めていないんだろうけど――だから言わなければ伝わらない。

 

 ただ、言っても仕方がないと、ずっと思っているのだ。

 

 だけど――「その気持ちを押し潰したままにしてしまうのはとてもつまらないというか、もったいないとは思うですよ」――そういった、見知らぬ少女がいた。

 

 押し潰すよりは、自由にするべきだと。



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夜① 神の鞘

「はあ~痛え~~!」

 草原に転がった十歳前後の少年は、腕を濡れた布できつく縛られると苦痛の声を上げた。彼は先程まで剣の稽古をしており、相手である双子の弟に叩きのめされた後であった。腕や足には内出血の跡がいくつもあった。

 その彼の手当てをしていたのが、彼よりも三、四歳年下の少女だった。

 

「大碓様は将来、天皇になるんでしょ! これくらい、がまんしてください!」

 少女が手当てを終えた打ち身を布の上から勢いよく叩くと、少年はぎゃっと情けない声を上げた。

 

「うぇぇ~~こんな我慢しなきゃいけないなら、天皇になんかならない~~」

「こらっ! そんなこと言うんじゃありません!」

 

 もうどちらが年上なのかわからない光景である。腰まである美しい黒髪を持つ少女は、まるで先生のように少年を指さした。

 

「大碓様は御自ら熊襲のまつろわぬ者、土蜘蛛まで征伐なさり大和の安定に尽力した天皇の御子なのですよ! そんな偉大な天皇に、自分もなりたいと思わないのですか! 大和を守る大役を果たしたいと思わないのですか!」

 

 彼女自身、その言葉の意味をきちんと理解しているかは疑わしい。彼女も教育係から教えられた言葉をそのまま繰り返している――ただ、それが「すごい」ことだと思って言っている。

 今目の前に広がる青い空、吹き抜ける風、四季折々に咲く花々。この全身を包む暖かな空気――所与のものとして与えられているこれらが、決して何の代償も払わずに得られているのではないことを、少年もうすうす察している。

 少年は父帝が偉大なことは知っている。だが、未来に己が父帝に代わって今も渦巻く神秘という名の猛威に立ち向かう覚悟があるかと問われれば――。

 

「うう、父君はすごいんだ! でも絶対大変なんだ! 俺はそんなの一人でできない!」

「……ッ、ひ、ひとりじゃありません、この、私がついています! 大碓様がへこたれたら、私がお尻をたたきます! もし、大碓様がそれでもへこたれたまんまなら――」

 

 少女の白い肌に刺した赤みに、少年が気づいたのかどうか。少女は少年の手を取り、強く握りしめた。

 

「私が大和を守ります!」

 

 

 

 それは、もう遠い昔の約束。

 たとえ、貴方の妻になれなくても。

 たとえ、貴方が殺されてしまって、いなくなっても。

 

 たとえ、死したのちも会うことはなくても(根の国にすら至らぬとも)

 

 

 約束は守るもの。誓いは果たすもの。

 たとえ剣をとることができなくとも、身命を賭すことはできる。

 

 

「――神の鞘、拝命いたします」

 

 

 

 

 

 ――神の剣の付属物。女の形をした、妻と言う名の盾。

 私は神の剣の為に死ぬのではなく、神の剣に与えられた神命の為に死ぬ宿命を背負った。

 

 できることなら、私自身が神の剣として生まれればよかった。

 そうであれば、本当に名実共に大碓様の代わりに大和を護ることができるから。

 でも、そうではなかった。

 

 その代わりに私には、特異な術を使う力があった。代々ニギハヤヒノミコトから受け継いだ神宝と共に、使うことが叶う術。

 倭姫様はその私の力を見込んで、弟子にまでとった。いざという時の為、刀身を護る鞘の役目――それが私。

 

 ただその力はたまたま私に与えられていたのではなく、意図的であると考えるべきだった。

 かつての国譲りのように神霊が降りることはもうできない。それは神霊と同格の力を芦原国に降ろせないという意味だ。

 しかし何も、毎度毎度神霊格の力が要請されるわけではない。時には神を殺す力として、時に呪いから身を護る力として、その必要な時に発動できればいい。

 

 殺す力として神の剣を。護る力として天叢雲剣を。そして護りすら貫通した時の一回きりの奇跡を――分割して葦原国に降ろした。

 現代っぽく例えるなら、旅行で必要なものを全部鞄に入れて持っていくのではなくて、必要最低限だけ持って身軽になって、旅先で随時調達する感じだろうか。つまり私はその分割された力の一端を担う者だったわけで、東征に行くことも生まれながらにして決定事項だったのである。

 

 

 とにかく、あの原っぱでの約束を果たすため、私は神の鞘となり神の剣の妻となった。大碓様を殺した神の剣のことは、正直憎んでもいたけれど――私一人では大和を護れない。

 

 私でも、鞘としてならば果たせることがある。だから私は、神の剣の妻となった。

 

 元より巫女の家系、神霊に身を捧げるのはよくあることだ。人ではないものの妻になることくらい、大騒ぎすることでもない。それにどうあがいたって、もう大碓様の妻にはなれないのだから、どうでもよかった。

 私はきっと、もう大和には帰れない。ただ、大碓様と楽しく過ごしたこの愛すべき土地を護るためにこの身を使うことに、後悔はない。

 

 ――だが、それはそれとして。

 夫婦となり東征までついていくとしたら、長く共にいることになる。その相手が嫌いな相手というのは、つまらないというか精神衛生上悪いと言うか、楽しくない。

 

 だから、相手が人間じゃなくても、正直嫌いな部類の人でも、好きになる努力をしよう。

 

 好きでなくとも、好きだと言っていれば本当に好きになるかもしれない。

 恋していると言い続ければ、本当に恋をする日がくるのかもしれない。

 私は美人でも男の人受けする体をしているわけでもないから、神の剣が私を好きになるとはあまり思えないけれど、少なくとも私が神の剣を好きになるだけでも、旅は違うはずだ。

 

 だって大碓様は、人も自然も大好きで、いいところをみつけるのもうまくて――いつも笑っている人だったのだから。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ――遥か遠い、蒼い空を見た。

 もう、蒸し暑い中の眼ざめではなかった。ベッドから上半身を起こしたハルカは現実を確認すると、自分の頬を叩いた。一時間程度午睡を取っただけだが、大分意識はすっきりしていた。

 

 瞼の裏に残るのは、抜けるような青い空の下に立っているキャスターの姿だった。何もない野原――丘だろうか――もしくは集落を見下ろせる高台。周囲には武装した男たちらしき姿も見えたが、模糊として曖昧だった。

 ただ彼女が危うい目に遭っているようには見えず、むしろ気心の知れた知り合い、仲間のようにも思えた。

 

 

「……やはり、昼は暑すぎます」

 

 深夜に昨日の戦闘からこの拠点に戻り、キャスターの快復を待つために彼女を休ませていた。その昼間、ハルカは一人で出歩こうと考えたのだが、曲がりなりにも今は聖杯戦争中のため、一人で出歩くことは躊躇われた。

 考えた末、遠出はせず周囲を歩いて回り食事の買い出しにとどめたのだが、彼は日本の夏の暑さに参ってしまった。生粋の北欧育ちのハルカには厳しく、昼間に活動するのならなんらかの魔術を施さなければ無理かもしれない。

 いや、それよりも彼の脳裏を占めているものは別にある。

 

 サーヴァントとマスターで欠けた記憶のまま。

 そして、昨日邂逅したセイバーのサーヴァントの言葉。

 

「聖杯戦争はもう終わっている」

「ハルカ・エーデルフェルトというマスターは知らない」――。

 

 その時、ぱたぱたと階段を上がってくる足音が聞こえた。

 

「マスター! お目覚めになりましたか!」

 

 扉を開けて入ってきたのは、おなじみのキャスターだった。昨夜のダメージはすっかり回復したようで、ハルカの午睡中に食事をこしらえていた。

 お盆の上には白い器に盛られたカレーライスと水の入ったグラスが載っていた。そして彼女の服装も祭礼用ではなく、この時代の服装に変わっていた。オフショルダーの淡い水色の半袖に、白い膝丈のスカートに黒い薄手のストッキングだ。彼女の見た目年齢からすればやや背伸びした格好だが、それでもよく似合っている。先日報告にあった、ハルカの財布を勝手に拝借して購入したものに間違いはない。

 しかしその話を蒸し返す気はないハルカは、溜息をついてから口を開いた。

 

「……よく似合いますよ」

「キャッ、ありがとうございます! そして、あの……。ワンパタで非常に申し訳ありませんが、カレーライスです! 多分、前回よりはおいしいかと!」

「……ふむ。前回もまずくはありませんでしたが」

「……もうっ、おいしいって言っておけばいいんだろって思ってもらっては困ります! 日々クオリティの向上のため、私は研鑽を積んでいるのですから!」

 

 もっと別のことを研鑽してくれ。そもそも、今更練習したところでサーヴァントは既に完成した存在であり、座に帰っても還元されない――とツッコもうとしたが、そういったところでこのキャスターはああだこうだと理論にならない理論を言い返すに違いない。面倒になったハルカはテンションの高いキャスターに従い、億劫だが階下に行って食卓に着いた。

 

 目の前には、またしてもカレーライス。具材はにんじん、じゃがいも、豚肉、玉ねぎと前回から変化なし。出来立てで湯気が立ち、スパイスの香りが鼻をくすぐる。どことなく野菜の切り方が前回より多少マシになったようには見えるが、味の方は食べないとわからない。

 

「それでは……いただきます」

 

 スプーンを右手にとり、ルーとご飯をからめて一口。食べるといかに自分が食事をとっていなかったのか今更自覚し、スプーンは動いた。にんじんやじゃがいもの芯はなく、十分火が通っている。問題があるほどではなかったが前回は少々硬さが残っていたから、確かに上達している。

 あっという間に平らげたハルカをじっとみつめて、キャスターは身を乗り出した。

 

「ど、どうですか!? 進歩の形跡はありますか!? 前回よりイイ! と思ったんですがいかがですか!」

「……よく煮こまれていて、前回より美味しかったです。――さて、キャスター。色々と話したいことがあります」

「はいっ」

 

 畏まったキャスターはその場に正座した。「今後の同棲生活についてのルール決めですね」

 

「違います。もしかして貴方は、生前の自分について何か思い出したのでは?」

「はうあ! スルゥー!!」

 

 よよよ、とその場に崩れるキャスター。百パーセントウソ泣きである。

 

「過去より未来に目を向けましょうよマスター!」

「未来を語るにはまず過去を知らなければ、現在を超えることもできません」

「うぐぅ。……確かに御言葉通り、少し思い出しました。それは見苦しいながらも、マスターにもお見せしてしまったと思いますが……あと、それに加えて自分の力も思い出しました」

 

 その言葉に身を乗り出したのはハルカの方だった。ベッドの上から降りて、自分も何故か床に正座をした。

 

「本当ですか。宝具は!?」

「す、すいません、宝具はまだ使えなさそうです……それに、凄く言いにくいんですけど……私、サーヴァントとしてはかなり弱いです」

「それは知っています」

「はうあ!」

 

 再びよよよ、とその場に崩れるキャスター。今度は本気泣きかもしれない。

 昨晩の少女騎士――セイバーのサーヴァントとの戦いを思い起こせば、自己申告されるまでもない。

 

「はい……多分、私の生前に武功とかはありません。多分、力としてはサポート系というか……もしかしたら、私がマスターを強化してマスターに戦ってもらう、っていうのが最適解なのかもしれません……」

「ならばそれで行きましょう」

「決定速くないですか!? 躊躇いゼロですか!? 相手はサーヴァントなんですけど!?」

 

 真顔のハルカに、キャスターは渾身のツッコミを入れた。ただツッコんだはいいものの、彼女にいい代案はない。

 昨日、セイバーとの戦闘――相手に戦意がなかったから帰ってこられたようなもの――でも、白兵戦においては月とスッポンほども実力差があった。相手が白兵戦最強のセイバークラスであることを差し引いても惨惨たる結果だった。

 

 それでも――人間が超人・戦闘機並みの戦闘力のサーヴァントに立ち向かうことは死ににいくようなものだ。昨日ハルカがいきなりサーヴァントに突撃したのを見た時は、キャスターも肝を冷やしていた。

 

「宝具を使えなくとも、私をサーヴァント並みに強化できるのならばそれが最善です」

 

 ハルカは表情を微塵も変えずに答えた。確かに、彼の言う事は間違っていない。

 キャスターに戦闘の心得などない。ただその答えを躊躇いなく言えるハルカに不安を抱いた。

 

 落ちる日が、橙色の光を投げかけていた。濃い陰影の中に沈む部屋の中で、位置的に逆光になった主へと、キャスターは念押しをした。

 

「マスター。マスターが自ら戦いを望んでここにいることは知ってます。戦う以上、命の危険はありますが、それは軽率に命を使っていいという意味ではありません」

「当然です。勝利の誉れと共に、私は北欧へと凱旋しなくてはならないのですから。死んでは凱旋も何もありません」

 

 ハルカは、かつてのエーデルフェルトの雪辱を果たすと誓って北欧を出てきた。

 御当主が最後までいい顔をしていなかったのは気がかりではあるが、勝利と共に帰ればきっと違うだろう。まだためらいがちなキャスターは、話を進めようとするハルカを圧しとどめた。

 

「あなたが死んだら、サーヴァントである私も現界できなくなります。ハルカ様が死ぬくらいなら、私が先に死にますから。そこをお忘れなく!」

「ならば、全力で私を助けてください。では、あなたの力でどう私を強化し戦うか話しましょう」

 

 

 

 一時間後、話し合いを終えたハルカ改めて一階を見直してその変貌ぶりには驚いた。元々長年使われておらず埃はつもり蜘蛛の巣は張っていたので掃除はしたのだが、それだけだったはずの屋敷に、モノが増えていた。

 淡い桃色のカーテンに、大きな葉を茂らせた観葉植物、薄汚れていたソファのカバーが新しくなっており、台所には新品のフライパンや鍋が見えていた。

 

「……あれは?」

「大事なのはメリハリです! 戦う時は戦う、やすらぐときはやすらぐ。私でやすらいでもいいんですよ!」

 

 答えになっているのか怪しい返しだった。正直、ハルカの金銭感覚も日本の一般人とはだいぶ異なる。分家とはいえ富豪のエーデルフェルト家の一員であり、金銭の用途は把握しようとする気持ちはあるがどんぶり勘定だ。

 一昨日の精算後、新たに使ってもいい分の金をキャスターに渡した結果がこれである。

 

「キャスター、一つ提案ですが」

「え? 他に食べたい料理ですか? レパートリー増やしたいので、どうぞ!」

 

 ハルカはキャスター自体に闘争心はないことは知っている。彼女は聖杯に願いもないと言った。

 嘘をついている様子は見られないためハルカは彼女をひとまず信用してはいるが、聊か暢気すぎやしないかと思う。

 

「……ちがいます。今日は敵を捜す前に教会に行きましょう。神父なら何か私について知っているかもしれません。それに、聖杯戦争についても聞きたいです。此度の聖杯戦争は、尋常なる戦争であるのかと」

 

 ハルカ自身は聖杯戦争中にうかつに中立地帯である教会に向かいたくはなかったが、そう言っている場合ではなくなってきた。

 しばらくすれば記憶は戻るかと思っていたがその気配もなく、この記憶障害が何に起因するのかを突き止める必要がある。それに少女騎士、セイバーのサーヴァントの言葉も、一笑には付せず気になり続けている。

 

 

 



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夜② 偽り踊る教会

 キャスターとハルカは夜の街へと足を踏み出した。教会はそう遠い距離ではないため、歩いて向かう。

 ストールを置いてきたキャスターは完全に現代人に溶け込んでおり、むしろ外国人のハルカのほうが目立つ。

 とりあえず警戒はしていたが、サーヴァントや魔術師の気配はない。

 

「ンフッ、これはお散歩デートというやつですね」と、何故か浮かれているキャスターを例の如く放置して、ハルカは黙々と歩みを進めた。地図を見なくとも教会の場所は覚えていたはずだ。

 

 ハルカの記憶通りに、歩いて十五分程度で教会に到着した。門から延びる石畳の両サイドには花が咲き乱れているが、夜のため精彩を欠いている。石畳の果てに佇む教会の窓からは明かりが漏れており、人の気配を感じさせた。

 

 聖杯戦争中は日課のミサも取りやめているそうなので、中にいるのは神父とシスターだけに違いない。ハルカは足早に扉へと向かい、一気に開いた。

 

 

「おや――、ハルカか」

 

 入り口のハルカから最も遠い、祭壇の前に黒いカソックの姿。

 春日聖杯戦争の監督役、神内御雄が泰然と振り返った。

 

 ハルカと御雄は春日聖杯戦争で知り合ったのではない。元々影景とハルカは知り合いであり、十年以上前だが聖杯戦争とは無関係に碓氷邸を尋ねたこともある。その際に影景から紹介されたのが、この神内御雄という神父だった。

 春日聖杯戦争と聞いた時、てっきり影景がマスターとして戦うのかと思っていたのだが、娘が戦うと知り拍子抜けしたことを憶えている。

 数日前にもこの教会で召喚の為の聖遺物を受け取り、召喚したはずだ――その記憶はいまだない。

 

 ハルカは少しだけ影景はどうしているのかと気になったが、今はそれよりも聞きたいことがある。

 

「お久しぶりです、オユウ――ッ!!」

 

 気が許せるか、と聞かれたら微妙であるがそれでも見知った顔に、ハルカは笑ったが――その瞬間、背筋が凍った。

 

 神父の右、ハルカから見て左の柱の傍に、一人の女が立っていた。ウェーブのついた美しい金糸の長い髪、碧眼の瞳が細められている。薄手の白ブラウスに、紺色のロングスカート。

 目鼻立ちの整った美女がただそこに立っていただけ。

 

 にもかかわらず、ハルカは構えずにはいられなかった。女は魔術師ではあるが魔術を使っている気配もなく、敵意も殺意もない。

 理性でそれを理解しながらも、体の奥深くが恐れている。

 それでもハルカは平静を装い、視線は女に向けたまま神父に尋ねた。

 

「……そちらの女性は?」

「シグマ・アスガード。事情があり、しばしばこちらに顔を出している魔術師だ」

「……聖杯戦争の関係者ですか」

「心配するな。教会で保護するマスターは、すでに棄権しサーヴァントを失った者のみ。彼女にはそもそも令呪もない。ただ居合わせた魔術師だ」

 

 この時期に、普段はいないはずの魔術師がいるとなればどうしても勘ぐってしまう。ハルカの内心を知ってか知らずか、美貌の女は微笑んで手を振った。

 

「こんにちはハルカ・エーデルフェルト。私のことは気にしなくても平気よ」

「……」

 

 どうも調子がおかしい。シグマの名、どこかで聞いたことがある気もするものの思い出せないが、彼女はかなりの魔術師であるように感じる。そういう手合いを目の前にした時、普段は高揚するほうなのだが――今は悪寒が止まらない。

 

 とにかく、一刻も早く、この女の前から立ち去りたい。

 

 その時、ぴったりとハルカの後ろにくっついていたが押し黙っていたキャスターが、初めて口を挿んだ。

 

「シグマさん、関係者でないのであれば、今は席を外してくださいませんか」

 

 二人の女魔術師の視線が、初めて交差した。キャスターは決して強い口調ではなかったが、決して譲らないという意思を滲ませていた。

 シグマは挑発的に笑うと、凄然と並んだ長椅子の間をすり抜けてハルカ――ではなくキャスターに近付いた。背はシグマの方が十センチ以上高いが、キャスターは鋭い目で彼女を見上げていた。

 

「私とマスターの結婚式についての打ち合わせなので聞かれるのはちょっぴり恥ずかしいんですッ!! ――フギャー!!」

 

 恐ろしくヨタな発言の後に、踏みつぶされた猫のような叫び声を上げたキャスター。叫びの方は然もあらん、シグマは顔色一つ変えずにキャスターのささやかな胸部を掴んで揉んでいた。

 

「もうちょっと太った方がかわいいわよ、あなた」

「えっマジですか……って違う!! 女同士でもセクハラになるんですからね!! 訴えますよ! でもどこに!?」

 

 エキサイトするキャスターをよそに、シグマは揉むだけ揉んだ割に微妙な顔つきで手を放すと、何事もなかったかのようにそのまま扉へと向かった。そして礼拝堂を出る前に振り返り、艶のある唇を吊り上げて笑った。

 

「じゃあ私は御邪魔みたいだし、用も済んだし――悟の家に帰るわ。ごゆるりとどうぞ――ハルカ・エーデルフェルト」

 

 ヒールの音も遠く、礼拝堂に静寂が下りた。ハルカは誰にも感付かれないように長く静かに息を吐いた。……神父は自分のことを「ハルカ」と呼んだが、彼女はファミリーネームをどこで聞いたのか。

 とにかく重い荷を下ろしたような解放感を味わい、まだ胸をガードしたままのキャスターに礼を言った。

 

「助かりました、キャスター」

「……あんな巫女がこの現代にいるなんて私の立場マジでなし……はい?」

「助かりました、キャスター」

「……ホワッツ?」

「何人ですか貴方は。ありがとうございます、と礼を言ったのです」

「……え、えへへ! お礼を言われるまでもありません! 私はハルカ様のサーヴァントなのですから!」

 

 キャスターは何故礼を言われたのかわからないだろうな、とハルカは思った。自分にさえ何故己がここまであの女に恐れを抱いているのかわからないのだから。

 と、そこへ半笑いの声と顔の神父が割って入った。

 

「サーヴァントとの関係が良好なのはよいことだ。しかし、教会に何の御用かな?」

「これは失礼しました。聖杯戦争中にうかつに教会に訪れることにはためらいがあったのですが、少々困った事態になったのです」

「マスターって真顔で恥ずかしいこと言うの得意そうですよね」

 

 ハルカとしては助かったから助かったと言っただけだった。何故か急にふてくされたキャスターを放置して、ハルカは本件を切り出した。

 ヨタ話をするために教会に来たのではない。

 

 彼は神父に、手短にここ数日の出来事を話した。日本に来る前に教会・碓氷と手を組んで戦う約束をしていたことは覚えているが、春日にやってきてから拠点で眼を醒ますまでの記憶がないこと。

 ゆえに本当に教会に訪れていたかも記憶にないこと。そして英霊召喚時に事故があったかもわからないこと。キャスターの記憶までも完全に戻っていない状態であること。

 話を聞き終えた神父は、大して難しい顔をしないまま頷いた。

 

「……原因は私にもわからない。だが、ここに来てから拠点に行くまでのお前については覚えているからそれを話そう」

 

 神父曰く、春日教会に到着した時のハルカは至って普通だったという。そして英霊召喚についてだが――結果として春日教会は触媒を用意できず、ハルカは触媒なしでの召喚を実行した。

 結果召喚自体は成功したが、当然そのときもキャスターの記憶は曖昧模糊としていて真名はわからなかったそうだ。

 

「サーヴァントへの魔力供給が開始されたことに体が慣れておらず、次の日に疲労が残ることはままある。だが記憶の欠損は聞いたことがない」

「……そうですか」

 

 ハルカとて事態が劇的に改善するとは思っていなかったが、収穫はなく落胆した。さらにそこへ神父が追い打ちとまではいかないが、不可解な知らせを告げた。

 

「……その様子だとおそらく忘れているようだから伝えておくが、当初碓氷・協会・お前でしばらく戦って予定は崩れた。碓氷は単独で戦うそうだ」

「そうですか。影景の娘、名前は明といいましたか。何を考えているのか……」

 

 どうせこの共闘も、互いの利益を優先した結果である。途中までは協力したほうが効率的であるが、最期は碓氷とハルカで雌雄を決しなければならない。それに碓氷はホームで戦っているのだから、ハルカの助けがなくとも元々有利なのだ。

 

 影景の娘でもあるし、何かより良い勝算を持っているのかもしれない。それならそれで構わないと、ハルカは思った。

 

「……すみません、あと確認したいことが一つ」

「何かね」

「……いや、何でもありません」

 

 昨日遭遇したセイバーの言葉。「聖杯戦争は終わった」――その確認を神父に取ろうとしたが、やめた。これまでの神父の口ぶりと態度は、まさに今聖杯戦争をしていると語っていた。その彼に、聖杯戦争が終わっているなどという話をしても失笑を買うだけだ。

 御雄神父とは知り合いであっても、胸襟を開く仲ではない。そも、聖職者と魔術師は近しくあっても敵同士である。

 

「では、良き聖杯戦争を――」

 

 閉じ行く扉の中へと最後に見えたのは、恭しく頭を下げる神父の姿。今宵も魔術師とサーヴァントは戦いへと足を踏み入れる。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「――何故ハルカ・エーデルフェルトと話を合わせた? 御雄よ」

 

 ぶらんと、教会の入り口で逆さにぶら下がっているライダーが薄笑いで問うた。ドアの上部の枠に足先をひっかけ、そこに全体重をかけてまっさかさまにぶら下がっている。白い甚平の上下に裸足という、また奇態な格好をしている。

 

「ライダーか。お前は一体何をしている?」

「案外足が痛い。やめた」

 

 地面に手をつき、足を降ろしたライダーは何事もなかったかのように教会内に入り適当な椅子に腰かけた。「再開はしていても、聖杯戦争は終わっている。何故お前はあれに真実を告げないのか」

 

 神内御雄とて、昨日一昨日と、聖杯戦争の再開について一成や影景と話した身だ。当然聖杯戦争が終わっていることを知らぬはずがない。

 

「――私は聖杯戦争を求めた身だ。いまだ聖杯戦争をするといって戦う者に戦争が終わったなどと、私は言えぬよ」

 

 聖杯戦争を見ることを求め、三十年以上の長きにわたり聖杯戦争の再開を企てた男だ。たとえ聖杯戦争が終わっていても、まだ戦うという者を諦めさせることをするわけがない。

 根本的に神内御雄という男は、聖杯戦争そのものではなく聖杯戦争が巻き起こす闘争そのものを見たがっていたのだから。ライダーは一気に破顔し、腹を抱えた。

 

「ははあ、砂被り席でハルカ・エーデルフェルトの戦いをを見る気か。既に使い魔を飛ばして監視させているか。いやはや公としたことが愚問であった。というかお前――」

 

 夏に、冷え切った教会。講堂につられた電灯が風もなく揺れる。雷の神霊の別人格(アルターエゴ)が笑う。

 

 

「もう自分が死んでいると、気付いているな?」

 

 教会(境界)には、神父と騎乗兵(ライダー)のみ。烏も、鳥船も、断絶剣も今はいない。あくまで世間話の如く、神父は続ける。

 

「死んでいようといまいと、私のすることは変わらない。お前こそ最も状況を把握してしまっているだろうに、何を思って遊んでいる」

「阿呆め。公は本線の春日聖杯戦争で日本武尊に敗れ消滅している。それはどうでもいいのだが、お前の召喚が遅かったゆえに遊び足りんのだ」

「おや、私はそんなことを?」

「全く白々しい。自身の死に気づいているのならさっさと全部思い出せ――わかりやすい矛盾はそこらじゅうに転がっているというに」

 

 春日聖杯戦争において、最も歪みない――いかなる状態に置かれても動じないライダー陣営は互いに笑みを交わした。

 たとえここがいかな場所であれ、己は己であると、そう思うことさえ不要なほどに変わらなかった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 夜も深まりつつある夜十時。例によって人も少ない春日駅南口――やはり目立つ礼装は装備せずキュロット・パーカー・スニーカーの理子は腕を組み、どこか居づらそうにしていた。

 

「……」

 

 一成も何と話そうか言葉に詰まった。だが、二人の微妙な空気の原因を知らないもう一人の男はからからと笑った。

 

「おう、陰陽師。彼女が戦闘の共連れか? それより榊原殿は魔術師だったのか」

 

 白いTシャツ、ジーンズにスニーカーというおおよそ一成と同じ格好だが、Tシャツはサイズが小さいのかパツパツで、肉体の逞しさが段違いの益荒男が能天気に話しかけた。

 

「お、おう。榊原、昼間見てもう察してたと思うけど……ランサーだ」

「今更自己紹介も少々面映ゆいな。ランサー・本多忠勝だ」

「さ、榊原理子です」

 

 理子がおずおずと差し出した手を、ランサーは強く握り返して振った。本多忠勝――徳川家康の忠臣にして、武功も並々ならず徳川四天王の一に数えられる益荒男。

 生涯駆け抜けた戦場は五十を超えて、なお無傷。愛槍蜻蛉切と共に、その勇名は現代にまで語り継がれている。

 

 昼間の文化祭準備の時点で薄々察していたが理子も恐縮しながら興奮を抑えられない。ただ何故ここにいるのがランサーなのかは疑問だ。

 

「……あんたのサーヴァントってアーチャーじゃなかった?」

 

 理子の疑問も然り。だがアーチャーは不在である。一成が碓氷邸を出た後、ホテルに寄った時にはアーチャーは部屋にいたのだが「今夜は先約があるのじゃ。しかし呼べば行く」と思わせぶりな事を言って、巡回についてくる気は皆無だったのである。

 

 さて、そうすると巡回について来てくれるサーヴァントがいない。ホテルに寄る途中に会ったキャスターとキリエに何も言わなかったことが悔やまれる。

 それはともかく、他について来てくれそうなサーヴァントを考えた結果、真凍咲のランサーが候補に挙がった。明はセイバーズを巡回と家の警護に使っており、バーサーカーは扱いにくい、アサシンは住居不定でどこにいるかわからない。

 

 そこで真凍宅に足を運んでランサーを貸してくれないかと尋ねたところ、咲は簡単に許可を出してくれた。ランサー自身は再開された聖杯戦争自体に興味はないが、元々戦い自体を求めて現界したサーヴァントだ。

 ちなみに咲はランサーを貸す代わりに、何かわかったら教えて欲しいと――要するに明と似たようなことを言っていた。碓氷に貸すなら貸し一つだが、一成なら情報と等価交換ということにしてくれた。咲も咲で、碓氷に任せると言いながら一参加者として、顛末が気になっているらしい。

 

「アルトリアが言っていたのか、知らないマスターとサーヴァントがいるというのは」

「そうだ。その人たちが一体何を考えて聖杯戦争を続けているのかわからねーけど、春日の異常にも関係しているかもしれない。話を聞きたいと思ってる」

「応わかった。さて、どこから巡回するか」

「うーん……セイバーたちも霊地は巡回するだろうしな。春日の北――美玖川からだんだん南に下っていく、って感じで行くか」

 

 特に案もなかったのか、理子とランサーも頷いた。美玖川は駅から歩いて十五分程度か――三人はいざ、春日の異変解明へと乗り出した。

 

 成人のランサーがいることで、この時間でも高校生の一成と理子が歩いていても補導される危険は格段に落ちた。一成は住宅街の中を歩きつつ、二週間ほど前に美玖川で打ち上げ花火があったことを思い出した。丁度その時間は昼寝、というより夕寝していて見過ごしていたが。

 三人で会話が盛り上がってはいないが、いつまでも気を使うのが面倒臭くなった一成は、完全に開き直って理子に話しかけた。

 

 

「なあお前、電話でも聞いたけど今日の昼どうしたんだ? 腹でも壊したか?」

「……あれは私の勝手な都合だった。碓氷には迷惑をかけたと思うから、あんたから謝って。あんたにも迷惑かけたわね」

 

 理子は大きなため息をついた。それは他の誰かに対してではなく、自分に向かって呆れているようだった。

 

「俺はいいけど、謝るなら自分で謝れよ。つか別に碓氷怒ってなかったけど」

「……あんたに正しい事言われると残念な気持ちになるわね……」

「何だそれ!?」

「何だ? お前たち仲がいいな」

 

 先頭を歩き、Tシャツ姿で蜻蛉切を肩に担いで闊歩するランサーが振り返った。うっかり人様に見つかったら、補導ではなく銃刀法違反で捕まりそうである。ふい、と前を向いた理子はランサーに声をかけた。

 

「あの、ランサーさん? はいつも何をしてるんですか?」

「ランサーでよい。それにそこの陰陽師と同じように、敬語はいらん。 ……普段何をしている、か。ううむ」

 

 静かな住宅街では、ランサーの低い声も良く響く。「家事はバーサーカーがしているからなあ。儂は咲の中学校で体育のアシスタントをしたり、文化会館のカルチャースクールで護身術の講師をしているくらいか。悠々自適に楽しんでいる」

 

 ランサーに限らず、サーヴァントたちは各々自由に現世を謳歌している。ちょっとハジけすぎなサーヴァントもいるほどで、その中でもランサーはまだおとなしい方である。

 

 歩き続けて住宅街を抜けると、目の前に河川敷が広がっていた。すぐ近くに電車の通る橋がかかっており、丁度人少なな電車が春日駅から隣駅へと走り抜けていった。

 区画上、春日市の北端はこの美玖川を境にしている。向こう岸は隣の市だ。三人はそのまま河川敷へと降り、静かな水面を眺めながら周囲をうかがった。

 観察を続けて、しばらく。

 

「……何もないわね」

「……何もないな」

「……うむ」

 

 聖杯戦争最終決戦時、セイバーとライダーはここで戦っていたらしい(そのときは宝具を放った後のようで、周囲一帯が水浸しになっていたそうだ)。そのため確認しても損はないと思ったが、特に何もなかった。

 

「まあ、何もないならないでいいか。でも、やっぱ昨日と同じで……」

 

 一成が肩をすくめて何とはなしに対岸を見た時、何か気にかかった。

 当然隣の市にも住宅街があり、家家の明かりがあるはずなのだが、どうにも静かすぎるような……いや、特に不審な個所はないのだが。

 

「……天眼通が使えればなあ……でもあれは……」

「……何か言った?」

「あ、いやなんでもねえよ」

 

 一人言を理子に聞かれ、一成は慌てて首を振った。千里天眼通はもう使うなとキリエと明に言われているのに、一度使ってしまいうまくいった実績があるから、ふと頼りたくなってしまう。使用による反動が凄まじいのは承知だが、うまくいってしまったのだから――一成は慌てて頭を振った。

 

「ここは何もなさそうだけど、美玖川自体はそこそこ長いわよ。もう少し川に沿って歩いてみましょう」

 

 一同は川沿い、東に向けて歩き始め――真っ先に、ランサーが足を止めた。



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夜③ ランサーVS

 

「おや、早くも件のマスターが釣れたのかもしれんぞ」

「――!!」

 

 一成たちから見て左手、足音もなく現れた二人組。片方は金髪に眉目秀麗な、中肉中背の男性。そしてもう片方は白い膝丈のスカートに黒のストッキング、オフショルダーの水色の半袖を身に着けた髪の長い女性。その魔力から察するに、マスターとサーヴァント。

 女性の方はともかく、男性が纏う空気は剣呑だった。いや……喜んでも、いるのだろうか。

 

 

「お前たちがセイバーの言っていたマスターとサーヴァントだな」

 

 ランサーが一成と理子の前に立ち、肩に乗せていた槍を構えた。金髪の男は頷いた。

 

「はい。そちらも聖杯戦争に参加するサーヴァントとお見受けします」

 

 既に戦闘に入る気満々の男に対し、一成はあわてて口を挟んだ。

 

「ちょっと待ってくれ。もう聖杯戦争は終わったんだ。再開されてはいるようだけど、」

「迷い事を!」

 

 そう言い終わるが早いか否か――金髪の男はサーヴァント顔負けの敏捷でランサーに襲い掛かった。踏込は深く、まっすぐ正面からの突撃だった。ランサーは面食らったものの、愛槍を使い、手袋で覆われた拳を受け止めていた。

 衝撃で蜻蛉切がわずかに震えていた。

 

「……サーヴァントはそこの女子だろうが……珍しくはあるが、自分で戦う型のサーヴァントではないのか」

 

 刹那ランサーの私服がはじけ飛び、鎖帷子に草履、鎧の武装へと切り替わる。左足を引き、力任せに槍を振り下ろすと同時に男が距離を取った。ランサーは歴戦の武将、一度のやり取りで相手の力量はおおよそ把握できる。

 

 そのランサーの見たところ、この金髪の男はかなり手ごわい。戦闘経験ならランサーの方が上だが、どういうからくりか彼は筋力や敏捷をサーヴァントレベルにまで引き上げている。

 しかしその拳に濁ったものを感じない――ランサーは思わず笑んだ。

 

「まさかマスターと戦うことになろうとは。見ての通り儂はサーヴァントだが、お前のようなマスターの元で戦うのも、なかなか楽しそうだな。名は何という」

「ハルカ・エーデルフェルト」

 

 ハルカが再び地を蹴った――ランサーの懐に潜り込もうと、身を低くして駆け抜ける。だが速さは先ほど見ている――逆にランサーは間を詰めて槍を猛烈な速さで突き出す。そして直前で槍自体の長さを伸ばす。生前時に応じて蜻蛉切(愛槍)の長さを変えた逸話から、ランサーに扱われる限りそれはリーチも自在である。

 しかし刹那、ハルカの体と腕が、伸びた。

 

「!?」

 

 突き出す槍を緩め、早急にランサーは体を右にひねって拳を躱した。鎖帷子をかすった拳は、スピードだけで衝撃波が発生した。ハルカの方も槍の伸縮は想定外だったようで、袖の繊維をほつれさせていた。

 

 そのまますれ違い、位置を変えて対峙する。

 

 もちろんハルカの腕・体が伸びたわけではない。接近し拳が当たる直前に、爆発的に拳の速さが上がったため、あたかも腕が伸びたように感じたのだ。

 今の加速ならランサーに対応できないくはないが、問題はどこのくらいまで速度が上がるかだ。今のが全力とは思えない。

 

 伸縮自在の槍。直前で速度の上がる拳。

 仕組みは違うが、敵に与える効果は似ている技。

 

 ランサーは槍を右手だけで持ち、疾走してハルカへと接近する――ハルカはいつあの槍が来てどれだけ伸びるかを考えた。されど槍は全く突き出されない――穂先が上に向けられると伸長し、そのまま上から叩き付けられた。

 

 実際に振りまわすのであれば、槍の長さは長くても二メートル以下ではないと取り回しが悪すぎる。しかし伝えられる蜻蛉切の全長はおよそ六メートル――その振り回すとは思えない長さは、一体何のためにあったのか。

 

 ――相手から一定の距離をとり、叩き付ける! 槍で刺すのではなく、槍の茎で殴りつける。

 

 ハルカは壮絶な勢いで叩き付けられ地面を割った槍を、一瞬で右横に跳んで回避し右足で飛びすぎないよう踏みとどまると、上半身を低くしてさらにランサーに突っ込んでいく。ランサーはめり込んだ槍を短縮することですぐさま操れる状態にすると、そのまま横に薙ぎ柄の部分でハルカの胴体に直撃させた。

 

「――!」

 

 まごうことなく胴体横っ腹に直撃した一閃で、ハルカはそのまま川の方へ吹き飛んだ。だが驚いたことに、ハルカは飛ばされている空中で体勢を整え、追撃してくるランサーの突きを躱したのだ。

 のみならず、滞空状態にもかかわらずジェット噴射でもついているかのように、体ごと体当たりを仕掛けてきた。

 

「!」

 

 宙に浮いた状態で、自在に体を動かすという考えすらしなかった行為。ランサーが予想しない至近距離に至り、だがハルカは拳すら構えていない。

 ハルカ自体、自らの意志ではなく後ろから何かに思い切り突き飛ばされたような挙動であり、構えるも何もなかったのだが――その手には、月下に輝く大粒の宝石が三つ。

 

 エーデルフェルトの魔術は宝石魔術―― 「Zwei(二番)―――Explosion(爆発)!」

 

 ハルカが長年をかけて溜めてきた魔力の炸裂は、Aランクの破壊力を有する。それを超至近距離で食らったランサーはどうなるか――。

 あたかも拳、この体こそが武器と見せてきたが、ハルカ・エーデルフェルトは魔術師である。

 

 篭められた魔力は爆破の方向性を定め、全て破壊力に変換して爆発させ、ランサーの胴体を至近距離から吹き飛ばした。

 

 

 ランサーと金髪の男が対峙する傍らで、一成と理子、それに女のサーヴァントもまた向き合っていた。

 ランサー曰く、戦っているのがマスターで控えている方がサーヴァントだと。

 

 ハルカ・エーデルフェルトなるマスターは好戦的だが、そのサーヴァントはそれほどには思えない。一成と理子も聖杯戦争をしたいのではなく、ただ春日の異変の究明・解決をしたいだけだ。

 

 ランサーとハルカはお互いだけに注意を向けているようで、まったくこちらにかかわってこない。現代服のサーヴァントは、押し黙ったまま一成たちを見つめていた。

 

 一成や理子より少々年上、碓氷明と同じくらいの歳か。しかし顔立ちがやや幼いため、同級生でも違和感がない。女神がおり、女でも英霊となるものが多いことも一成は承知しているが、春日の聖杯戦争において女のサーヴァントは皆無(酒呑童子は女ではない)だっため、少し動揺もしていた。

 

「……俺たちは戦いたいんじゃない。ちょっと話を聞かせてほしい「……とこよ、あなた……サーヴァントだったの」

 

 理子は震える声で問うた。彼女は一昨日の朝、ショッピングモールで出会った少女そのもの。ただそのときはサーヴァントとしての気配を感じなかったが、今はサーヴァントとしか思えない。

 

 その少女のサーヴァントは、一成たちに聞こえない程度の声で何事かつぶやいていた。マスターとは正反対で、いまや全身から戦いたくないオーラをまき散らしている。

 

「……ハルカ様が戦うなら、私が戦わないっていうのも具合が悪いし……」

「何か言ったか?」

「でも私戦闘向きじゃないんですけど……」

「……おーい。俺たち、戦いたいわけじゃねえから、話を」

「ハッ、いいえ何も。理子さんとその知り合いの方、私はサーヴァントです。そして御察しのとおり、私は戦闘が得意ではないのでマスターが戦っております。しかし――」

 

 サーヴァントキャスターの纏う衣服がゆったりとした白い着物に変化した。やはり本心は戦いたくはないのであろうが、それでも彼女はやる気になっている――どこからか現れた、朱色で縁取られた大きな鏡が宙に浮遊して月の光を受ける――。

 

「現代の陰陽師に遅れをとるほど、残念なキャスターのつもりもありませんよ!」

 

 その一言は一成たちに聞き取れなかったが、詠唱は成った。

 

 高速祝詞――神話時代の巫女が用いていた、現代の祝詞とは異なる言葉。通常の呪文・魔術回路の接続なしに魔術を行使するスキルである。

 

 彼女の背後から無数の不可視の弾丸が飛来する。現在は遠当てと呼ばれる魔術で、魔力を凝縮して打ち出すことで対象を吹き飛ばし・粉砕する。

 原理自体は簡単で理子にも心得があるが、その弾数が並ではなかった。そのうえ、彼女は現代の魔術師のように体内の小源を使っているのではなく大源から魔力を使っている。残弾はまだまだ、無限にもある。

 

 一成はもともと防御や結界を構築する陰陽術しか使えない。用意していた礼装の呪札の補助で、正面に己と理子を守るための結界を即席で構築する。

 

「救急如律令!」

「土御門! あんた……そういえば、呪詛とか直接攻撃するみたいなのは使えないって言ってたわね……そのまま防御は任せる!」

「どうすんだお前!」

「私、遠当得意よ……!」

 

 鋭い目で、キャスターを見据える。これは理子の勘だが、キャスターから殺意は感じない。どの英霊かはわからないが、自己申告の通りマスターがああして戦っているのを見る限り、戦闘能力も高くはない。とすれば、ランサーがマスターを倒すまで耐え凌ぐ。

 

 一度、眼を閉じる。頭の中にある映像(イメージ)は、放った遠当が真っ直ぐキャスターに向かって跳んでいき、頭、胴体と滅多打ちにするモノ。

 

 この榊原理子にとって、止まっているなら無駄撃ち、狙いを外すという言葉は存在しない。

 

 ()じ思い描いた映像を、そのまま現実に()し張り付けるように――手を伸ばして、魔術回路を起動させる。山の頂上から足を踏み外し、谷底にまで落ちていく己――。

 かつて狼は言った。「お前のそれは、いつか世界をも写し変えるかもしれぬ」

 

 

「……どぅっ!?」

「……何だ、今の!?」

 

 一成は理子の遠当に、アーチャーの弓を幻視した。アーチャーの弓は技量のみではなく、幸運によって命中する。たとえ後ろを向いて放っても、的に当たる。

 それに似て、理子の放った遠当はキャスターのそれのように豪速で飛ぶのではなく、瞬間的にキャスターへ到達しているように見えた。

 

 そしてその通り、理子の遠当はキャスターの胴に命中し、彼女は不意を突かれたのか悲鳴を上げた。しかし次の瞬間には顔を上げ、にやりと笑っていた。

 

「――これは魔術じゃない……全く、厄介な力ですね」

 

 彼女の周囲を周回する紅い縁の鏡が煌めき、キャスターは遠当の連射を続けながらも、その場から打って出た。ランサーには遥かに及ばない速度とはいえサーヴァントだが、一成たちに接近するのではなくまるででたらめに前後左右に移動しているだけである。

 

 しかしそれだけで、理子の遠当の精度はがくんと落ちて、ほとんど当たらなくなった。

 

「……ッち、一発で見抜いたか……!」

「――天津罪・国津罪・大祓」

 

 もう理子が立て直す間もなく、キャスターの高速祝詞一つで地面から弾き飛ばされた。今更ながら、キャスターはかなり手加減して遠当を放っていたのだと理解する。

 キャスターはおそらく、どこからでも遠当を放つことができる。

 指からでも上からでも、地面からでも。

 

 一成の結界は地表から上にしか展開していない。地面から掃き出されるように、二人は勢いよく地面に転がった。内蔵がかき回されたような衝撃に、再度立ち上がることも難しかったが、理子の方が先に、腹を抱えながら立ち上がった。

 

「おいっ、榊原……」

 

 よろりと立ち上がった一成は、気遣いしつつ理子を見た。だが、彼女の足取りはしっかりしており、常に学校で見る鬱陶しくも毅然とした姿だった。

 

「私がどこの巫女だか、言ってなかったっけ!」

 

 理子も袖に仕込んでいた呪札を両手に一枚ずつ携えると、素早く詠唱をした。いつもは成功しないことの方が多い――否、対象が召喚に応じてくれない。

 仮契約だが契約をしているのだが、主導権はあちらにあり、常に答えてくれるとは限らない。その上、今は呼ばない方がいいと言われていたのだが――答えてくれと祈る。

 

()()()()()()()()()()布瑠部(ふるべ)由良由良止(ゆらゆらと)布瑠部(ふるべ)。――大口真神、イマシマセ!!」

 

 白くまばゆい光。真っ白い浄化の光と見紛う魔力光に包まれながら現れたのは、白くて大きな犬だった。しかし大きさは明らかに犬のそれではなく、大の大人ほどの体調があり、毛並みは穢れ一つなく白く、うっすらと輝いているように見えた。鋭い眼は真っ黒であるが、瞳孔の奥が金色に輝いているようにも見える。

 

 ――大口真神。犬ではなく、今は絶滅したとされる日本狼。理子が使い魔として使役できる最上級の幻想種である。

 

 幻想種とは幻想・神話の中に存在する生き物のことだ。在り方そのものが「神秘」とみなされそこにあるだけで魔術を凌駕する存在であり、特に千年クラスの幻獣・聖獣の類の神秘性は魔法と同格であり、魔術程度の神秘では太刀打ちできない。

 だが長く生きた幻想種であるほど、この世界から遠ざかっていく。

 現在、世界に留まっている幻想種はせいぜい百年単位のモノであるとされる。

 

 ゆえに理子が使役する狼は、発見できたことが奇跡といえるかぎりなく神獣に近い幻獣であり――秩父の山奥深くにひっそりと生き残り続けてきた、裏側に向かわなかった最後の一匹。積み重ねた神秘は二千年レベル、理子が使役できる使い魔では最強である。

 しかし先日、「あまり呼ばない方がよい」と忠告されたばかりではある。だが、こういう時に頼らずしていつ頼るのか。理子は慣れた様子で、古い神秘に命じた。

 

「行って真神!」

 

 理子の命を受けて、狼は放たれた弓のように駆ける。飛来し続ける遠当てを躱して――秒を待たずにキャスターに接近した。しかしキャスターは全く恐れる様子なく、悠々と遠当ての掃射を続けている。

 それは一成が断続的に結界を張り続けているために彼らに直撃こそしていないが、もうあちこちの綻びが出始めていた。

 

「噛み砕けッ!」

 

 流石に距離が近くなると弾丸の回避も難しい。それにサーヴァントの弾丸であっても、大口真神はものともしない。

 その牙は彼女の間近にまで迫り、華奢な女の首をへし折って――。

 

 

「……おすわりッ!」

 

 獣の息さえ感じられる至近距離にて叫ばれた、サーヴァントのただの一言。だがそれだけで――大口真神は止まってしまった。確かに並はずれた神秘であるだけあり、契約上使い魔の範疇にあるとはいえ、大口真神は彼の一存で一方的に契約を破棄することもできる。ゆえに理子の命令をいつ何時でも必ず聞くわけはでないのだが、理子とて法外な命令を下したことはない。今回だって、普通の命令のはず。

 

「さて、もう決めてしまいましょう!」

 

 まるで自分が狼の主であるかのように大口真神をそばに控えさせながら、キャスターは遠当ての掃射を加速させた。一成は必至で結界の強化を続けていたが、この雨あられの散弾銃の中ではもう限界だった。

 

「――ッ!!」

「土御門っ!!」

 

 ガラスが割れるような、鋭い音を最後に真っ白い魔力がさく裂した。一成の結界が持たず、破壊された音だった。

 しかしそれと同時に降り注いだのは、見覚えのある弓矢の雨。

 

 

「――この矢、(あた)れ」

 

 朗々と響く、低い声と共にキャスターへ向かって矢が射かけられる。

 一成が知っている通り、本当に狙っているのか疑わしい射にもかかわらず、確実にキャスター()目がけて走る豪運の鏃。

 

「―――ッ!!」

 

 キャスターは即座に遠当を辞め結界を構築し、矢から身を守った。

 ふわりと、彼女と一成たちの間に舞い降りた平安貴族によって、双方は一度動きを止めた。

 

 そよ風にたなびく衣冠束帯。

 ――アーチャー・藤原道長が弓を片手に、月下に佇んでいる。

 

 

「――アーチャー!!」

 

 一応、一成は戦闘前からアーチャーに念話で呼びかけて出動を要請していたのだ。彼としては遅い、と文句を言いたかったが、助けられてしまったので今はそれを呑み込んだ。

 

「アーチャー……!」

 

 唇をかみしめるのは、今度はキャスターとハルカだった。サーヴァント一人ならともかく、もう一人三騎士とは。しかし、ランサーはハルカがAランクの破壊力を誇る宝石をさく裂させたおかげで、倒れてこそいないもののダメージを負っていた。それでも彼のスキル「無傷の誉れ」「心眼」によって、致命傷を与えることはできなかった。

 もしランサーが宝具の鎧をつけていれば、ダメージをほぼゼロにしてその槍の切れ味鋭く戦っていたろうが……。

 

 アーチャーは弓の弦から指を放さず、ハルカとキャスターを見据えた。

 

「ランサー、無事か?」

「……応、まさか魔術師の宝石がそこまでとは……良いぞ!」

 

 腹部からしとどに血を流しながらも、ランサーの意気は今も軒昂。アーチャーは半ばあきれながら彼を見たが、すぐに前を向きなおした。

 

「キャスターとそのマスターや、今は引くがよい――さもなくば、我が宝具を展開するにもやぶさかではない」

「いや、よせアーチャー。お前にばかりに任せてはおれん。今からでも我が槍の本当の切れ味を「そなたはしばし静かにしておれ。全く、普段は物わかりが良い御仁じゃというに、これだから侍とやらは」

 

 ハルカはキャスターを一瞥して、心の中で歯噛みした。このアーチャー、三騎士クラスとはいえランサーほど白兵戦向きではないと見える。戦闘でランサーを圧倒出来たことから、目の前のサーヴァントもう一人くらい、という気持ちがあるが、しかし。

 

 ――キャスターは宝具を使えない。

 

 そのハンデは余りにも大きい。

 英霊が持つ、彼らが生前に築き上げた伝説の象徴。逸話や伝説、あるいは真に存在した武器道具そのものを基盤として誕生したもの。伝説を形にした「物質化した奇跡」が宝具だ。

 それを行使されては――しかも二騎のサーヴァントに――ハルカはただでは済まないだろう。元々サーヴァントと戦う時には、相手が様子見をしている間に致命傷を与え、宝具を使わせないつもりだったのだ。

 

 ハルカはキャスターに目配せして、一歩退く。

 それから静かにさらに距離を取り、じりじりと離れ――ハルカたちの姿は、アーチャーたちから見えなくなった。

 




理子のアレは超能力です。予測さえできれば百発百中になるけど、予測は超能力の範疇外なのでやりたいなら他でどうにかしないとならない。


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夜④ Curiosity killed the cat.

 

 一成たちがハルカらと遭遇する前、美玖川の河口付近。

 

 見た目はただのそぞろ歩き。本質もただのそぞろ歩き。

 生前も、現代も、ライダーの目からすれば大差ない。たとえ信じがたいほどに無駄が多くても、信じがたいほどに愚かでも、信じがたいほどに醜悪だとしても。

 良いものも悪いものも、すべては滅んでしまう。良し悪しを判断する価値観さえも。

 

 無駄というのならば生きていること自体が無駄の傑作である。

 だから効率を求めるならば――さっさと滅びてしまえばいい。

 

 しかし、無駄で余計なものに価値がないとは断じない。

 放置するのはただそれだけの理由だ。先程話した、既に真実を察した神父と同様で、ライダーの行いはいつなんどきでも変わらない。

 

「……最初からあれこれ考えず、適当に散歩でもしているべきだったかのう……」

 

 ライダーの目の前に現れたのは、衣冠束帯に身を包んだ貴族――アーチャーだった。しかし弓を携えず、戦う気がないことを示している。

 気配にはとっくに気づいていたが、ライダーは驚いた風に大仰にあいさつした。

 

「おや親愛なるパトロンではないか。ファーストシングルはパトロン特典として真っ先に渡したはずだがお代わりか? ……しばし待て。今フツヌシが飛んで取ってくる」

「いやいらぬ。本当に。マジで」

 

 大真面目な顔で断るアーチャーは、その話はしたくないとばかりに恐ろしい速さで話を変えた。元々、伊達や酔狂でライダーを探していたのではない――携帯から何度も電話をかけたが返信はなかった。よくいると噂の教会を訪ねても空振り。

 駅前でコンサートをぶち上げていたと聞いていたため、捕まえようと思えばすぐに捕まると思ったのだが違った。

 あちらは勝手に呼びつけるわりに、こちらの会いたいときには会えない。

 

「率直に伺おう。この春日で何が起きている?」

 

 ――天皇家に仕えたアーチャーではあるが、ライダー相手にへりくだる気は毛頭ない――つもりなのだが、生前のならいはなかなか抜けない。

 ライダー自身も「天皇業は生前で今は廃業」とのたまい天皇らしい振る舞いを全くしない上、アサシンにタメ口されても全く気分を害した様子もない。その上アーチャーはライダーにライブの小道具用費用やCD制作代をたかられており、気持ちとしては敬意レベルは氷点下ではあるのだが。

 そのアーチャーの内心を知ってか知らずか、甚平姿のライダーはにやりと笑った。

 

「これは本当に珍しいな、我が臣下。お前にしては愚直な問いだ」

「そなたについてあれこれ策を弄しても無意味じゃ。それに、……未熟な我がマスターが、この異変を解決するとか解明するとか意気込んでおってな」

 

 アーチャー自身は再三言っているが、異変に興味はない。困っていることもなく、碓氷もキリエも将来的に問題はなさそうだと言っている。

 だが自分のマスターが戦いに臨むのであれば放っておけない。アーチャーとしては、一成とともに巡回するのが嫌なのではない。ただ面倒くさいから、さっさと片付けたいだけである。

 

 一成は事態解決に意気込み、やる気であることに嘘はない。だが、真に事態を把握して最速の解決を図るのであれば、素直に知ってそうな人物に聞くのが最短だろう。

 碓氷には聞いて彼らも調査中とのことだが、碓氷以外にも事態を分かっている者を一成は忘れている――いや、勘定に入れていない。

 

 そう、ライダーである。

 

 ……アーチャーの見たところ、一成に自覚があるかどうかはともかく、この状況を楽しんでいる節がある。決して死にたがりではないが、やるべき意味がある事柄については危険をも承知で充実感に変えているようでもある。

 

(……苦しかった、つらかった、聖杯戦争は起こすべきではないと強く思うが、それでもあれはかけがえのない体験でもあったと思っていそうじゃからのう)

 

 恐ろしく人世を生きることに向いている性質ではあるが、まだまだ危うい。もう少し慎重さを身に着けられれば安心もできるのだが……アーチャーは考えにふけっていたが、ライダーの声で中断した。

 

「……聖杯戦争が終わった今となっては、自分たちだけで探すよりもわかっていそうな者に聞いた方が早い、至当である。だが、公がどうにかできると思っているのであればそれは買いかぶりだ。公にはどうもできん――フツヌシ!」

「アァン! そういうとうきだけカッコイイ声出してェ!! くっ……声がイケボなんて卑怯よ!」

 

 低いがピンク色の声を出しながら、ライダーの手に収まるフツヌシこと布津御霊剣。

 かの剣を中心に渦を巻く風、収斂する魔力とともに近づく雷鳴の嘶き――!

 アーチャーは思わず身構えたが、その切っ先はまったく明後日の、夜闇を指していた。

 

「一割以下の出力だ。薄皮一枚を剥ぐだけでいい――天地神命!」

 

 そういえば自分は戦争中にこの宝具を見ることはなかったな、とアーチャーは自分に向けられていないからこそ、ぼんやりと思った。

 ゆえにただ恐ろしくも美しく感じる、神代の剣。

 

 立ち上る光の柱が、そのまま川へと向けて振り下ろされる(突き立てられる)――!

 

開闢せし断絶の剣神(ふつのみたまのつるぎ)!」

 

 圧だけで川を割り、押し出された水が大きくうねりを上げて河川敷へと溢れ出していく。

 だがしかしアーチャーの目を奪ったものは一割の破壊力ではなく、対岸に開いた、黒々とした割れ目だった。

 

 割れ目は広がり、周囲は崩れ落ちるように、まるで障子紙がぼろぼろと落ちるように、対岸の景色が現実味のない黒一色に埋まっていく。

 

 

「……これは……」

 

 人間が色を認識できるのは、対象の物体が反射する光を目で受け、脳で判断しているからである。人間は反射する光がなければ、色を判別することはできない。

 光が全て吸収されてしまう、光のないところでは色の判別は不可能で全てが黒に見える。

 

 対岸は、黒かった。

 自然界には存在しない、百パーセント光を吸収してしまう黒体をぶちまければこうなるのかと思われる、あまりに非現実的でのっぺりとした黒が広がっていた。

 

 

「あまり直視するなよ。境界など、ふつうは見ないものだ」

「……あれは」

 

 断絶剣・布津御霊剣。「断絶」の概念を内包した概念礼装にして神造兵装の一。

 本質は破壊にあるのではなく形のあるなしに関わらず「断絶」すること。

 すなわち「世界を斬る剣」が極力出力を抑えて、表面に薄く切れ込みを入れて外の世界を垣間見させた先に、黒。

 

 ただただ、黒。

 

「今は一部を斬っただけだ。数分もすれば修復されよう」

 

 ライダーはなにごともなかったかのように布津御霊から手を放すと、あっさりとアーチャーに背を向け、急ぐことなく歩き始めた。傍らでフツヌシが「何よ! ヤルことやったら用済みってワケ!?」とシナを作っていた(フツヌシは直刀である)。

 

 美玖川上空に横切る烏の群れが、夜闇にも拘わらず悠々と眼下を睥睨しながら飛んでいた。

 

「この事態は黙っていても収束するが、収束を速める手がいくつかある。その一つがこのフツヌシ、それにお前のマスターの眼……」

「……千里天眼通のことは言うてくれるな」

 

 陰陽師としては凡庸な体質に宿った、千年前より伝わる飛び切りの異能。

 聖杯戦争から消滅する最後に、アーチャーはかつての部下と同じ異能を一成に見た。だが生前からその異能を知るが故に、一成が容易くそれに頼ってしまうことを畏れている。

 あれは晴明だからこそまともに扱えたのである。

 

「お前はそういうと思うたさ」

「……たとえどうにもできない事態であっても、そなたはもう知っているのであろう」

「ハハハ、否定はしない。しかし明かしたければ公はさっさと皆に言いふらしに行っている。そんなことをしても楽しくはないから、しない」

 

 目の覚めるような一つ結びの白い髪が揺れて、初代天皇は貴族へと振り返った。鮮血とも宝玉とも取れる、紅い瞳はやはり人のモノではない。

 

「だが謎があれば、人間は探ってしまうもの。たとえその果てに見つかるものが、何であれ」

 

 やはりロクなことにはなっていないと、アーチャーは内心嘆息した。

 好奇心は猫をも殺す。真実という言葉が持つ魔力。真実こそが絶対不変と信じることは勝手だが、それを暴いたところで誰が得をするのか。

 誰も幸せにならない真実など屑に等しい。なぜなら人は真実のために生きているのではなく、幸福になるために生きているからだ。

 既にアーチャーはこの件に関してやる気を失っていたが、「なんかヤバイから調べるのやめようぞ」と言って聞くマスターではないことは百も承知だ。

 

 そして、この初代天皇は判断を下さない。

 彼自身は物事に対して、良い・悪いを断じない。面白い・面白くないを判断するが、倫理的な良し悪しには興味がない――生まれながらにして、どうでもいいと感じている。

 つまりは、アテにならない。

 

「よって公は思わせぶりなことを言うことにしたのだ。一歩間違えると、何も起こらないまま幕引きとなってしまうかもしれんからな。それは少々つまらない」

 

 アーチャーの複雑な内心を知ってか知らずか、ライダーは妙に機嫌がいい。

 アーチャーがライダー相手に駆け引きする気にならないのは、そもそも得られる情報量に雲泥の差があるからである。

 

 ――断絶剣経津主神と、それを扱うための因果視。

 千里眼とは仕組みがまるで異なるが、過去・未来・並行世界に伸びる因果線を辿り続けるその視界。普段は「鬱陶しい」という理由であえて視界を抑えているそうだが、そのスキル――権能の残滓――で収集できる情報はアーチャーに太刀打ちできるものではない。

 

 本当に春日が、世界が危機に陥っても彼は助けない。救おうとしない。

 それがわかるから、ご機嫌を取ろうと無意味であることもまたよくわかる。

 

「よって貴族、お前に思わせぶり第一弾だ。去年、この街で起きた聖杯戦争のことを思い出せ。ざっくりではなく、最初から詳細にだ。きちんと詳細まで思い出せるか?」

「……」

「しかしさらにアドバイスをするなら、我が臣下、そして民草。やはり今を楽しむべきだ。この奇跡に奇跡を上書きしたような今、楽しまないには惜しいぞ」

 

 風が吹きぬける。夜にあっても目の覚めるようなライダーの白髪は、良く目立つ。

 

 

「そのようなこと、そなたに言われなくてもわかっておる―――」

 

 その時、はとアーチャーは川の遥か東に振り向いた。美玖川は東から西に流れており、海に注いでいる――春日駅の方向から、一成の呼び出しを受けた。

 どうやらサーヴァントに遭遇し戦闘をしているそうだ。ランサーを連れているとはいえ、真面目な呼び出しに自分のマスターを放っておくわけにはいかない。

 

 これで用も済んだことだ。

 アーチャーはライダーに背を向け、マスターの元へ走った。

 

 

 

 一成の元へ向かったアーチャーの後をみやったライダーの足もとに、いつの間にか複数の黒い犬が現れていた。

 犬にしては大きい――狼ともとれる巨大さに鋭い視線でライダーとフツヌシを囲んでいたが、彼らは気にした素振りもない。

 

「キャッ、けっこう増えたわねえ、黒い狼」

「わかりやすい。漏れ出すにもしても、運営者に馴染んだ形をとる。これは禍津日(まがつひ)の似姿をとったか」

 

 襲い掛かりこそしないが、禍々しい泥のような気配を漂わせる黒い狼たち。ライダーは大きく足を踏み出し、振り上げた右手を勢いよく降ろす――と同時に、黒い狼が胴体から真っ二つになって倒れた。御世辞にも耳に心地よいとはいえない断末魔を意に介さず、空間にピアノ線が閃くように狼たちは倒れ伏していく。

 超速で獣を切り伏せたのは、宙を舞う断絶剣(フツヌシ)。フツヌシ自身が抗するのでなければ、ライダーの思うままに機動する剣の神。

 

「もしくは、三峰の狼か」

 

 ライダーらは狼たちを害する意思はなく、単に歩くのに邪魔だったから斬っただけ。

 この黒狼たち、絶やそうと思っても無意味である。

 現にいま斬った狼たちの倒れた後には、既に何も残っていない。

 

 血も臓物も死体も、何もない。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「はぁ~~き、気疲れした……」

「おつかれさん。まあ呑め。俺のオゴリだ」

 

 それを買う金は一体どこから出ているのか、若干の不安はあれど、悟は汗をかいた缶ビールをありがたく受け取った。カスミハイツの六畳一間、ちゃぶ台を挟んでアサシンと向かい合っている。互いの目の前にはコンビニ弁当が開封されている。

 

 悟は今日の休みを利用して、妻の実家に顔を出してきた。そのために会社の面接に行くレベルにきちんとクリーニングにだしたスーツを身にまとい、自分に発破をかけながら出かけてきたのである。

 ゆえアサシンの待つカスミハイツに戻ってきた途端に気が抜けたのだ。

 

「ヨメの実家って春日から近いんだっけか?」

「電車で一時間くらいかな」

「ほーかい。で、首尾はどうだ」

 

 アサシンは自分も缶ビールをあけつつ、にやにや笑いながら尋ねた。

 

「どうにかなったけど、結局椿に……」

 

 気の緩みからか、妙に滑らかな滑舌で話していた悟の言葉が唐突に止まった。

 そして口元に手を当て、いきなり考え込んでしまったのだ。

 

「どうしたお前」

「……いや、いろいろあったことは覚えてるんだけど……実家で何を話したのかとか、どいうやりとりをしてマズったとか、思い出せなくて」

「たっだいまー。この挨拶、一般人っぽい?」

 

 悟は合鍵を与えた覚えはないのだが、シグマは何事もなかったかのように入ってくる。幸いここ数日、映画に連行することはあったもののシグマは悟に物理的にちょっかいをかけることもなく、カスミハイツを寝床にしているだけの人物となっていた。

 昼間、何をしているのかは謎だが、今日はネットに包まれたスイカを持って帰ってきた。

 

「はいこれあげる。おいしそうだから買ってきたの」

「あ、ありがとうございます……? ちゃんと冷たい」

 

 殆ど放り投げられたスイカを、あわててキャッチする悟。唐突な同居人の侵入で今悩んでいたことを忘れてしまったらしく、もらったスイカを素直に喜んでいた。

 悟の中では「妻の実家へのあいさつ」はいろいろあったが無事終わったことのため、無理に思い出す気持ちも最初からなかった。

 だが悟よりもアサシンの方が、そのおぼろな記憶を気にしていた。

 

「アサシンも食うか?」

「適当に切っとけ。おいアバズレ」

「ん~~何~~私の分も切って~」

 

 早くも寝袋にもぐりこむシグマは、アサシンの雑な蔑称も気に掛けずごろごろと転がった。ただ六畳一間の為、半回転でちゃぶだいにひっかかり止まった。

 一方悟はスイカをかかえ、そばの台所に立ち、包丁を取り出してスイカを切ろうとしていた。

 

「お前、確か魔術師の魔術や魂を取り込む魔術師だったな。それはもうやんねえのか」

「やめたつもりはないわ。ん~だけどそれどころじゃないっていうか、今は明ちゃんにあいたいんだけどねえ」

 

 しばらく会話して(大体が酒を飲みながらではあるが)、アサシンは自分なりにシグマという女を理解していた。

 この女は邪悪ではないが、良くもない。ライダーが善悪という基準があることを知っていながらとらわれないとするならば、シグマはまず善悪を知らないゆえにとらわれない。

 シグマの悪食は、幼子が手にしたものを食べていいものかどうかわからないまま口にしてしまうのと同じである。だから彼女は、自分の目的に影響がないならウソをつかない。

 ただ意固地になった子供が口を閉ざしてしまうように、無理に聞き出そうとしてもできない相談である。春日聖杯戦争サーヴァント最弱を自称するアサシンとしては、彼女の相手をしたくない。

 

「二人とも、半分に切ったのを三等分にしたよ」

 

 丁度大皿に盛ったスイカを、悟がちゃぶ台の上に置いた。それはそれとして、スイカはおいしくいただくアサシンである。

 悟もデザート代わりに食べるつもりらしく、せっせと弁当をかきこんでいた。

 

「さて、どうすっか……」

 

 再開された聖杯戦争の話は、昨日悟から聞くまでもなく自覚していた。アサシン自身も放っておくつもりであったが、本当にそれでよいのかどうか。

 



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5日目 境界主ヤマトタケル
昼① 進路相談with平安貴族


「あ……?」

 

 目を覚ますと、飛び込んできたのは真っ白い天井だった。アーチャーのホテルだとはすぐに気付いた。

 だが何か……すぐ隣に固くて大きなものが横たわって、自分がベッドから押し出されそうなことにも気付いた。落ちないように気をつけながら上半身を起こすと、何故か隣にはランサーが気持ちよさそうに眠っていた。

 

「……なぜにランサー?」

 

 左隣に同じサイズのセミダブルベッドがあるのに、何が悲しくて男二人して同じベッドで寝ているのか。

 と、その時、出入り口である木製の扉が開かれた。

 

「まーったく何をしておるのじゃそなたは。それにランサー、いつまで寝ておる」

 

 朝から上下スーツでキメたアーチャーがノックもなしに立ち入り、ランサーの顔面を扇でばしばしと叩いた。

 ランサーはうめき声をあげると、面倒くさそうに上半身を起こした。

 

「おやアーチャーか。久しいな……? 待て、何故儂はここに?」

「そなた、美玖川の河川敷で新たなサーヴァントと交戦して深手を負ったであろう。一成も疲労しておったゆえ、私がそなたらをここまで連れてきたのじゃ」

「……じゃあ、榊原は?」

「あの女子も一緒であった。だがそなたらが起床するよりもずっと早く起きて、出ていった。ほれ、書置きを預かっておる」

 

 電話のそばに置いてあるような簡易なメモを二つ折りにしたもの。一成はすぐに受け取って開いてみた。

 

『調べたいことがあるから、今夜の巡回はパス。明日はやるからよろしく。榊原』

 

 一成は一度目を閉じて、昨夜の出来事を思い出そうとした。

 確か美玖川の河川敷で、ハルカ・エーデルフェルトとキャスターに出会い、交戦した。一成と理子はキャスターと戦っていた。ランサーが深手を負い、一成たちもキャスターに敗れそうなったところでアーチャーがやってきたのだった。

 

「……! アーチャー! 来るのが遅い!」

 アーチャーは一成の文句もどこ吹く風である。「きちんと呼びかけには応じたではないか」

「……しかし、あのハルカ・エーデルフェルトなる者……人間にシテは強すぎる。何らかの仕掛けが……キャスターはどうみても戦闘向きのサーヴァントではなかった。キャスターの力で強化されている可能性もあるかもしれん。それでもあの身体能力……最初から宝具の鎧を身につけていくべきだった」

 

 ランサー自体が対魔力を持つクラスであること、さらに彼は「無傷の誉れ」という防御スキルを持つことで、Bランクの魔術を放たれてもそのままダメージを受けることはない。スキル分だけ威力が減殺されるので、彼はハルカのAランク相当の宝石でも即霊核を破壊されるまでには至らなかったが、あの時のダメージは深かった。

 

 しかし思いのほか傷の治りは早く、既にランサーの深手はきれいさっぱり治っていた。アーチャーは二人を見比べてから、ランサーに顔を向けた。

 

「ランサー、そなたは己がマスターのもとに帰るがいい。どうせあの娘のことじゃ、巡回で手に入れた情報はキチンと報告しろと言っているのであろう」

「その通り。……一宿の礼、いつか返す。しかし陰陽師、今晩は巡回するのか?」

「……いや、榊原今日これないつってたし、なしで」

 

 ランサーは軽く頷くと、ベッドから腰を上げて部屋から出て行った。さて、自分はこれからどうするべきか、と一成は腕を組んだ。

 だが首根っこをつかまれそのまま引き上げられ、無理やり起立させられた。

 

 そういえばアーチャー、見た目はただのオッサンでも、筋力Cだった。

 

「なんだ?」

「さて一成や。今日は久々にマスターとサーヴァントとして交誼を結ぼうではないか♪」

「キモッ」

「心外じゃのう。私は日々なすべきことがあっても、きちんとそなたのことを考えていたりいなかったり、そういえばそんなやつもいたな、惜しいやつを無くしたと追憶したりしているのじゃ」

「勝手に殺すな!」

「食事ならこのホテルのレストランの方が高級ではあるが、私は案外この時代の庶民の味が嫌いではない。というより食事に多様性が出過ぎてマジヤバい。ところで私は焼肉が食べたい」

 

 一成のツッコミを聞いているのかいないのか、やたらと軽い足い足取りで出かけようとするアーチャー。というか今から焼肉を食うのか、まだ朝ではないかと一成は思ったが、時計を見たら十一時を回っていた。

 昨日は巡回をしていたとはいえ寝過ぎの感はあるものの、陰陽術を使った疲労などまるでなかったかのように体は元気だ。ランサーも昨日の深手などなかったような顔をしていた。一成は首を傾げた。

 

(そういえばランサーって、傷はつきにくいけど一回傷つくと治りにくいんじゃ……)

 

 

 

 

 で、焼肉だが。アーチャーは事前に焼肉店を調べていたようで、駅近くのビルにある焼肉店へと一成を引きずって行った。

 一成が春日にやってきたころに立ったらしい新しいビルの七階にある「焼肉 清水苑」へと足を踏み入れた。焼肉店としては高めな部類ではあるが、ランチタイムは二千円台の焼肉ランチを提供しており、利用のしやすい店である。

 ただ仕送り的に贅沢できない一成は一度も訪れたことはない。

 

 店内はモダンでシックな雰囲気で、黒が基調となっている。個室席、打ち上げなどに利用できるソファ席、カップル向けのペアシートなどがある。

 最近はやりの一人焼肉には向いていなさそうではある。

 客の入りは五割くらいだろうか。稼ぎ時はやはり夜か、昼の今は混んでいるというほどではなく過ごしやすそうだ。

 

「いらっしゃいませ、何名様でしょうか」

「二人だ。個室で頼む」

 

 通された席は四人掛けで、テーブルの真ん中に肉を焼くための炭火の七輪が埋め込まれている。壁上部が開いている以外は区切られている、半個室だった。

 

「とりあえずオススメの贅沢コースにしておくか。食べ盛りなそなたのことじゃ、足りなければ追加で何か頼むがよい」

「クソ……ごちそうになります……」

 

 アーチャーの選んだ贅沢コースは一人七千円、塩焼き三種盛り合わせ、タレ四種盛り合わせ、前菜、選べる三種盛り合わせ、ごはんもの、デザートのコースだった。A5ランク国産黒毛和牛という文字が躍っており、行くにしてももっとリーズナブルな焼肉屋で食べ放題の土御門一成としては拝むしかない。

 背に腹は代えられないのだ。一成はついでにライスも頼んだ。

 

 一成は先に運ばれてきたキムチの盛り合わせをつつきつつ、アーチャーは昼から生ビールをちびちびやっている。

 

 いや、まあ、しかし。

 自分が腹を減らしていたこともあるけれど、アーチャーがこういう風にどこかに行こうと言いだすときは何かあるのだ。それもそこそこ以上に大事な話で。

 

「一成」

 予想通り、来たと一成は身構える。「何だよ」

「――最近、学校はどうじゃ」

 

 はい? 最近仕事で帰りが遅く、子供とのコミュニケーションに困った父親のような言葉である。流石に意図が全く分からない。

 丁度店員が塩焼き三種盛り合わせ(ザブトン、牛タン、上ハラミ)とタレ四種盛り合わせ(ミスジ、上カルビ、ロース、上中落ちカルビ)の皿を運んできた。ザブトンには細かく美しいサシが入り、牛タンはスモークが輝き、上ハラミは赤身と白身のバランスが絶妙で油が載ってそうだ。

 タレに浸かったカルビたちも、今か今かと焼かれるのを待っている。

 

 火は店員がつけていったため、七輪も準備万端だ。一成は何も言わずにカルビを取り網の上にのせ、アーチャーも無言で牛タンを乗せた。

 

「学校、どうもこうも普通だよ」

「む、何かしらあるじゃろう。そなた、来年の三月で高校とやらを卒業するのだろう?そのあとはどうするのじゃ」

「ぐ……」

 

 それはずばり喫緊の課題である。せめて大学受験をするかどうかは夏休みが終わるまでに決めたいところなのである。

 そして、魔術とどう付き合っていくのかも。

 

 ある意味一成の立場は、恐ろしく自由である。魔道の家柄であることには変わりないが、土御門家の跡継ぎではないために一般人として生きていくこともできる。

 だがもし望むなら、陰陽師として――魔道の徒として生きることもできる。

 

 故に問題は「一成自身がどうしたいか」なのである。

 

 クラスメイト達にも明確に将来なりたい職業が決まっている者もいるが、まだ特に決めておらず「とりあえず大学で興味のある勉強をしよう」と思っている程度の者もいる。しかし魔術を生業とするのならば、今大学に行くことにしてもその心づもりをするべきである。

 

 一般人となるか。魔術師になるか、もしくは――魔術使いとなるか。

 

 ――いや、もうおぼろげでも心は決まっているような気がする。

 

 

「私の生前では全く考えられなかったが、今を生きる者は未来が白紙――なりたいものになれるという。うらやましいことでもあるかもしれぬが、逆になりたいものが見つからないままの者にとって、本当にそれは幸いであるのか。逆に自由を、白紙であることを恐れて逃げ出す……と、一成や、その肉食べられるのではないか」

 

 じゅうじゅうとかぐわしい香りを上げる牛タンをひょいと取り、塩だれのシンプルな味を楽しむ抜け目のないアーチャー。想いに耽っている場合ではないと、一成は慌てていい具合に焦げ目のついたカルビをつかみ、白飯にワンバウンドさせてから口に運ぶ。

 

 信じがたいほどに柔らかく、甘辛いタレと肉汁が共に口腔に広がり、肉の香もさらにつよく感じられる。

 

「……これぞ……肉……ッ!!」

 

 テーブルにつっぷし、涙さえ流しかねない強い感情に襲われた一成は中おちカルビを三枚掴んで一気に焼き始めた。

 食べ盛りらしい豪快な焼き方であるが、アーチャーは情緒がないのうとつっこんだ。

 

 その時、店員が三種盛り合わせ――トロホルモン、豚三枚肉、鶏モモ――と、石焼ビビンバ・わかめスープを持ってきた。

 

 

「私としてはそなたが魔術寄りでも一般人でもどうにかなると思っているが、仮に魔術の道である場合、千里天眼通のことはどうするのじゃ」

「……それなんだよな」

 

 自分が育てていた牛タンの焼き具合を伺いつつも、一成は唸った。

 アーチャーは話を振りながらも、こちらはこちらで熱い熱いと言いながら石焼ビビンバを堪能していた。

 

 千里天眼通――聖杯戦争中に覚醒した、一成の魔眼。正確には魔眼のカテゴリでないそれは、一時的にアカシックレコードへアクセスするとっておきの切り札でありながら厄ネタである。

 ただ聖杯戦争が終わった時点で、キリエとのパスもない状態では起動分の魔力すら足りないため、使用できなくなっている。

 

 だがそれでもあまりに予想外、かつ並外れた力であるために、この眼が実家にバレたら一発逆転で一成が次期土御門当主となる、ならされてしまう可能性も大いにある。

 

 千里天眼通のことを知るのは碓氷明やセイバー、アーチャーやキリエなどごく一部だけ。

 もしかしたら、明が話したことで碓氷影景も知っているのかもしれない。

 

「……私が視るにそなたは、まだ魔術の世界に未練があるように思うが」

「……そうだな」

 

 芽は余りでなかったが、中学生までは真面目に魔術の修行をしていたのだ。

 これでも昔から魔術は身近であったため、魔術に憧れている気持ちはない。そして家の魔導を絶やすまいとする気持ちも、今は淡い。

 

 それでも未練があるのは――芽はでなかったけど、修行で魔術を行うことが好きだったからだ。

 

 それに聖杯戦争。今もあの戦争を復活すべきでないし、永遠に絶つべきものだと思っている。

 だがそれでも、あの戦いを通してかけがえのないものを得てしまい、自分と向き合うことにもなった。

 一成にとって聖杯戦争は、深い意味を持つ出来事だったのだ。

 

 

 ――せっかくならば、人の役に立つことに魔術を使いたい。

 

「しかし、魔術がらみの道を歩むつもりならそなた、家を継いでしまった方が早くはないか? そなたが当主となってしまえば少なくとも土御門の魔道は好きにできよう……土御門ほど長い歴史を持つと、周囲のしがらみも多そうではあるが」

「それもちょっと考えた。けど俺は真理のために、五行の為に人の命まで擲つことはしたくない。でも俺がそう思うだけで、俺の先祖が五行の為に他人だけじゃなく自分までも擲ってきたことを無にするのは違うと思う」

 

 自分が正しいと思う事が、他人にとっても正しいとは限らない。土御門家の魔道が様々な犠牲を払っていても、即ち先祖がすべて人非人とはいえまい。

 

 しかしその犠牲は何のためにあったのか。

 本当に世界の総てを記したもの――五行に辿り着くことだけが目的だったのか。

 辿り着いて、したいことはなかったのか。

 

 その考えを読んだように、アーチャーは肉を焼く手を止めた。

 

「私は魔術師ではないからのう。だが五行を極めるその理由は――単によりよい世界を求めていただけかもしれぬ」

「――ああ」

「根源――五行を掴めば世界の全てがわかるという。ならば今より多くの人が幸せになれるはず。ゆえに五行を読み解くため、魔術、陰陽術を使う。それが時を経て――目的と手段が入れ替わることなど、よくあるであろう?」

 

 魔術師とは学者であり、研究者である。ものごとの真理に迫る方法が科学ではなく、魔術であるだけで。

 一般の学者・研究者も勿論興味から始まり、興味のままに研究をする人々もいる。

 だが興味と共に、この学問は世界を良くすると思って研究をする人もいるだろう。安直に魔術師と彼らを比べることはできないが、何を思って真理を求めるか――それは自由だ。

 

「そなたがミュージシャンになりたいとかであれば家をおん出るのも悪くはないが、魔術に関わりたいのであれば家から離れる――逃げるべきではないと思うぞ? 人脈や権威には事欠かぬ。人脈マジ大事」

「……なるほどな」

「だが歴史が長すぎるというのも困りものでな。腐敗の程度にもよるな? 人脈を構築しなおすのに一生涯を費やすのも、そなたとしては不本意であろう」

 

 一成は実家に不和こそないものの、何だかんだ継ぐことに抵抗があった。かつては素直に家を継ぐ気だったが、魔術の才がないからと跡継ぎから外された。

 跡継ぎでなくなったことは仕方がないと思っていたが、天眼通がある今、これを伝えればむしろ次期当主にさせられるだろう現金さに対する嫌気である。

 でも魔術は嫌いにならなかった。

 

 嫌だったものは人を犠牲にすることと、これまでの土御門――現当主嘉昭の方針である。

 

(お爺様か……)

 

 もう幼少時からの刷り込みのため、一成はまだ祖父が少し怖い。最初の魔術の師であり、尊敬もしていたが――今はもう、その方針には従えない。

 悶々と考え始めてしまった一成に対し、せっせと肉を焼いて食べるアーチャーは軽く話を変えた。

 

「いっそ、碓氷の婿になるのも一案? それに榊原の姫もきっと婿をとるのであろう?跡継ぎとそなたは申していたが」

「ブゥッホォー!!」

 

 一成は水を飲んで一息入れていたつもりが、思い切り吐き出した。吐き出された水はモロに、おいしく焼けた食べごろの肉がのっている網の上に降りかかった。

 

「こら意地汚い肉の確保の仕方をするでない」

「オフッ、お前がヘンな事言うからだろが!」

「いやいや脈はなくもないぞ? 碓氷の姫に前に婿に来ない? って言われたそうではないか。それになんやかや天眼通持ちはいいアピール材料であろう」

「碓氷の「婿にこない?」はいい奴だね、ってくらいのノリだからな!? 榊原はそもそも俺を好きでも何でもねえよ!」

「私の名言知っておるか?」

「望月の歌か?! つーか自分で名言っていうのかよ!」

「それは黒歴史ゆえ疾く忘れよ。それではなく「男は女がらなり☆」。男の価値は妻の身分で決まる、つまり現代っぽく言えば嫁選びは力入れろよ! という意味じゃ」

 

 今だ意味深な笑みを向けてくるアーチャーに対し、一成は空いた左手を振った。

 

「っていうか結婚の話はいい! 進路の話はわかった! ちょっと碓氷にも相談してみる!」

「婿入りの相談?」

「婿から離れろ!」

 

 

 

 

 

 

 焼肉に舌鼓を打ち、デザートの杏仁豆腐を堪能してから二人は店を後にした。その後、一成は洗剤や食材などの日用品を買うべく、駅ナカのドラッグストアと食品売り場に立ち寄った。いつもは安いショッピングモールにまで足を運ぶのだが、暑すぎてそこまで歩きたくない。

 暇なのかついてきたアーチャーは、世間話のように話しかけてきた。

 

「そなた、今日の巡回は無しだったかのう」

「ああ」

「そういえばあの榊原の姫、昨日遠目から少し魔術を見ただけだが、神道の魔術師らしいのう。大口真神など、私も見たことがなかった。よもや現代に残っておるとはな」

 

 大口真神――「おいぬ様」として現代にも信仰を集める狼。

 人語を解し、人間の性質を見分け、善人を守護し、悪人を罰し、魔を払う神代の獣。

 

「あいつの実家、お犬様とか奉ってる神社だったし。……真神がすげえことはわかるんだけど、なんか真神、キャスターを襲わなかったんだよな」

「……ふむ……。そういえば、大口真神は日本武尊にまつわる伝説があったはずじゃ」

 

 

 日本武尊の東征において、とある山から西北に進もうとした時、邪神である大きな白鹿が道を塞いでいた。彼は野蒜を投げつけて退治したが、その時山谷が鳴動し霧が発生して道に迷ってしまった。そこに忽然と白狼が姿を現し、彼らを西北へと導いた。

 その後、日本武尊はこの白狼に命じた。

「これよりお前は大口真神としてこの山に留まり、全ての魔物と魔性を退治せよ」と。

 

 

「神代に生きた獣を、たとえ格落ちしていたとしても、現代の魔術師に操りきれるとは考えられぬ。あの女子の家は、歴史ある神社だとすれば碓氷と同様地元では管理者のようなものでもあろう。その土地を護る、という一点において真神と目的が一致するゆえ、契約と取り交わし使い魔として使役されることを許しておるのだろうよ。それゆえ、契約の強度は著しく低く、真神は絶対服従を強いられているわけではあるまい」

 

 色とりどりの洗剤をそぞろに眺め、時折手に取りながら、アーチャーは続ける。

 

「あれは魔除けの獣、魔を食い破るために生まれたもの。大概の魔術は正面から食らい尽くす。もし日本武尊がライダーで召喚されたとしたら、真神自体が宝具でも可笑しくないぞ」

「……おう。それ以外にもちょっと気になるのがあったんだけど」

 

 一成は適当に食器洗い用中性洗剤詰めかえパックを手に取り、籠に放り込んだ。その隣のボディーソープコーナーにたらたらと足を運んだ。

 

 

「何じゃ」

「あいつの遠当て、なんか……お前の弓矢っぽかったんだよな」

「? 幸運補正がかかるトンチキ飛び道具使いなど、私くらいだと思っていたが」

「自分の弓がトンチキ飛び道具って意識があったことに驚いたよ!」

「「運が良かったから中った」って言葉に起こすとマヌケそのものじゃろう……話がそれたな。流石に私っぽい、だけではわからぬよ。私は詳細に見ておらぬ」

「そりゃそうだよなあ……」

 

 直接理子に聞いてしまえばいいのだが、魔術師は他家に魔術を秘匿する。日本の神道・陰陽道においては西洋の魔術よりも民間習俗化している部分が多いため、比較的緩やかではあるものの、進んで公開する者はいない。

 しかも今すぐ知らなければ困る事柄ではなく、一成の好奇心によるところが大きいため、この話はここで終わった。

 

「さて、今日は巡回をしないそうだが、明日以降は私も付き合おう。行くときは呼ぶがよい」

「? わかった」

 

 どういう風の吹き回しか。ランサーは自分のサーヴァントではないために毎回手伝わせるのは少し申し訳ないので、アーチャーがそう言うなら遠慮なくコキ使おうと、一成は心に決めた。

 

「でもやっぱ回るかな……一応、マスターとサーヴァントがいるわけだし」

「死人が出るような異変でもないようであるし、無理して回らんでもよいのではないか」

「……は? 死人が出ないって、あいつらは殺す気満々じゃないか?」

 

 キャスターとハルカ・エーデルフェルトは悪人には見えなかったが、さりとて一成の話を聞く気もなさそうだった。

 正しい聖杯戦争のマスターとして、敵を殺そうとしている。

 ただ、春日そのものに不審な人死にはなく、ハルカはサーヴァントに一般人の魂を食わせる暴挙に出るとは思えないため、喫緊で対応しなければならないことはないだろうが。

 アーチャーは扇子で口元をかくしながら呟いた。

 

「……それもそうさな。すまぬ、何か勘違いをしていたようじゃ」

「……? 変な奴だな。まあ、今日は休むか……」

 

 物珍しげにカップラーメンや大袋入りのスナック菓子を眺めるアーチャーを引きずりながら、一成は洗剤とボディーソープ、カップラーメン数点、ついでに服の防虫剤やトイレットペーパーなど色々カゴに放りこんでいく。結果的に思ったより荷物と出費が増えた状態で会計を済ませることになってしまった。

 

「こちらレシートになります。また、今抽選会を二階で実施しておりますので、ぜひご参加くださいませ」

 

 レジのお姉さんから渡されたのは、言葉通り「大抽選会」と銘打たれたチケットであり、駅ナカの施設で三千円以上の買い物につき抽選券一枚を配布しているようだ。

 普段ならそんなイベントをやっているのか、と思うだけだが、振り返れば――

 

 そこにはまだ抽選すらしていないのに、ドヤ顔をキメたアーチャーがふんぞり返っていた。

 

 

 

 

 二階の抽選会場。予想通り、抽選のためにチケットを握りしめ多くの人が並んでいた。そして数十分後、そこには「目録」と書かれた大きなのし袋を持つアーチャーがやっぱりふんぞり返っていた。

 

「なんかお前、そろそろ不正を疑われそうだよな」

「何を失礼な。私は清廉潔白にしてクリーンな行いをモットーにしているというに」

 

 一ミリも本心が感じられない言葉はともかく、予想はついていたとはいえ、アーチャーは見事抽選会特賞の「旅行券十万円分」を手に入れたのであった。

 

「しかし特賞で10万円か、世知辛いのぉ。……ほれ、元はそなたの買い物による抽選券じゃ。好きに使うがよい」

「お、おう。ありがとう。……けど誰とどこ行くか。定番だと箱根とかの温泉なのか? USJとか?」

 

 哀しきノー彼女である一成は、友人の桜田や氷空を誘おうかと考えていた。だがアーチャーは、予想外のことを言いだした。

 

「ここは碓氷や榊原の姫を誘うのはどうじゃ」

「お前婿の話引っ張りすぎだろ」

「話は最後まで聞くがよい。彼女たちだけでなく、友人の桜田や氷空も、セイバーやランサー、キリエなども誘い、スーパー銭湯で宿泊してみてはどうじゃ。春日にもあったであろ、スーパー銭湯」

 

 高級志向のアーチャーとは思えない発言に、一成は面食らった。

 行ったことはないが、春日市の南に温泉を引いているスーパー銭湯があることは知っている。露天風呂、サウナ、岩盤浴、別料金だがエステやマッサージもできるそうだ。

 宿泊施設もついているタイプで、和室を選べば何人か入れそうだ。

 それにあくまでスーパー銭湯なので、一人頭の宿泊料金も一万円を切るはずだ。

 

「なんか修学旅行みたいだな……でも、それはそれで面白そうだな」

 

 桜田と氷空で遊ぶのは良くやることだが、たまには別の面子――聖杯戦争の面子で集まるのも楽しそうではある。

 そもそも、滅多に集まる顔ぶれではないから。

 

「ある程度人選ばないとクソめんどくさそうだから、基本は一緒に戦った面子中心にするか……」

 

 悟は社会人でもあり、今から急に予定を合せてもらうのは厳しいだろうか。正直ライダーとか面倒くさそうなので呼びたくない。咲は私立中学で、早くも学校が始まっていたっけ。などとかんがえつつ、一成はスマホで彼女ら、彼らにスーパー銭湯聖杯戦争合宿のお誘いメールをせっせと送ることにした。

 



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昼② 奇怪なボウリング

「何コレ」

「元気出して明ちゃん! こういう遊びは正気を失った者が勝つのよッ!」

 

 一般人の常識に照らし合わせれば、直刀が浮遊してオネエ口調で喋っていること自体既に狂気である。

 だがそれよりも明が呆然としていたのは、このボウリング場の状態であった――。

 

 

 

 午前中の碓氷邸。影景は例によって家には帰ってきていないため、メンバーは明、日本武尊、アルトリア。

 リビングにて、ヤマトタケルが昨夜春日市の巡回を行った結果を報告していた。

 

「昨日春日市を巡回していたが、特に異変は感じられなかった」

「そう。じゃあ、今夜はアルトリアに頼むね」

「はい。どこか重点的に「ボウリングをしに行くわよ! アキラ!」

「ボウリングよ! みんなで行きましょう!」

 

 その時前触れもなく食堂に滑り込んできたのは、水色ニットにデニムのマキシ丈スカートのキャスターと、白ワンピースを着ているキリエだった。

 こうしてみると、キャスターとキリエは姉妹に見えなくもない。

 

 キリエは碓氷邸とアーチャーのホテルを行き来しているため、碓氷邸に入るときも結界は反応しない仕様になっている。

 ただ結界を通った時点で把握されるため、明は驚きはしなかったが、話の内容は唐突だった。

 

「……ボウリング」

「そうよボウリングよ! 球を投げて棒を倒す現代の遊戯と聞いたのだけれど、それをやりに行きましょう!」

「でも私、ボウリングのやり方知らないの。ほら、蛇の道は蛇でしょ?」

 

 話を聞くに、昨日キリエとキャスターズはなんとカラオケを楽しんでいたそうである。だが現代機器に疎いキリエ、知識としては知っているだけのキャスターズはマイクひとつで大騒ぎ、それに「デンモク」を全く使いこなせず、店員を読んで教えてもらったものの結果としてデンモクとマイクを破壊し、マイクなしで歌う謎の会になってしまったらしい。よく追い出されなかったものだ。

 

 ゆえにボウリングでは、経験者を連れていこうと決めてここに至ったらしい。 

 

 ちなみに茨木童子たちが不在なのは、昨日のカラオケ騒動で現代文明機器疲れをしているから、今日は休憩として現代文明に触れるのを忌避しているとのこと。

 

「アキラは女子大生でしょう? 世間一般の女子大生って男とお酒を飲んだ後にボウリングかカラオケをして終電を逃してホテルに泊まるモノと聞いたから知ってるでしょう? ボウリングをしましょう!」

「その偏った女子大生の見方はどこから来たの? ……まあ、ボウリングに行くことはいいけど。ヤマトタケルとアルトリアも行かない?」

「私はむしろやってみたいのですが、アキラ、体は大丈夫ですか?」

 

 一昨日の夜に、影景と戦ったことによる傷はまだあるものの動けはする。あまり激しくする気にはなれないが、一、二ゲームくらいならやれないこともない。

 どうせ家に居てもすることもない。

 

「いいよ付き合うよ。駅の近くのビル七階が春日ボウルだったし。準備するからちょっと待ってて。二人も出かけられる服に着替えて」

 

 というわけで、明・アルトリア・ヤマトタケル・キリエ・キャスターの五人で意気揚々と駅前のボウリング場へ向かうことになった。

 アルトリアは白のワンピースに夏用のブーサン、明は黒のTシャツに日焼け防止のアームカバーをつけ、珍しくジーンズにヒールのないパンプス。

 ヤマトタケルは黒字に白で「最強」と書かれたTシャツ、ジャージにスニーカーである。キリエは白のワンピースにメリー・ジェーン。キャスターは先ほどの恰好にサンダルの夏らしい軽装である。

 

 碓氷邸から駅まで三十分歩くのは骨のため、近い私鉄を使って駅まで向かった。駅南口から正面に見えるボックスビルの七階。ボックスビルの一二階はファッション・アクセサリーの店舗が入っており、三階から八階まではゲームセンターやスポーツジムが入り、九階がレストラン街になっている。

 

 一行がエレベーターで七階に到着すると、彼らから見て左側にずらりと三十のレーンが並び、それぞれレーンごとにモニターがありスコアを表示している。客の入りは半分に満たないのは、まだ開店したばかりだからだろう。

 右手にはボウリングアイテムの販売を行っているコーナーがあり、そこを真っ直ぐ通り過ぎたところに受付カウンターがあった。

 

 メンバーは五人。一レーン借りると少し回転が悪くて待ち時間が長くなってしまう。

 あと一人いれば六人になって二レーン借りれるのに、と明が考えながら振り返ると――何故か一人増えていた。

 

「ん? 何を悩んでいる民草。さっさと手続きを済ませ始めようではないか」

 

 そこには白いTシャツに下半身ジャージにボウリングシューズにボウリンググローブまで装着し素振りを繰り返すライダーと、彼の宝具であるフツヌシが平然と浮かんでいた。

 

「ライダー! 貴方、何故ここに!?」

「貴様なぜここに!? 帰れ!」

「フ、フツヌシ消して!」

「がーん! 私にボウリングする資格はないのォ!?」

 

 

 上から順にアルトリア、ヤマトタケル、明、フツヌシである。聖杯戦争が終わっても、ヤマトタケルとライダーの仲はよろしくない。

 アルトリアはライダーとの因縁はないはずだが、彼女はなぜか知り合いを思い出してどうも苦手なようだ。それとライダーが似ている、というわけではないそうだが。

 

 受付カウンター前で盛り上がる客は珍しくなく、店員は苦笑いを浮かべているだけだったが、流石に浮遊する剣には我が目を疑ったらしい。

 

「……? 剣が浮いて……」

「気のせいですよ。六人で二レーンお願いします」

 

 明が自分の背後にフツヌシを隠して早口でそう言ったとたん、ライダーはしれっとフツヌシを消した。ライダーも含めて受付を済ませたのだが、ヤマトタケルは明らかに不満顔だった。

 

「明! こいつとする気か!?」

「私はいいわよ? 多い方が楽しいって相場は決まってるじゃない!」

 

 キャスター、それにキリエもライダーがいることに全く意義はなく平気な顔をしていた。

 明としてはここで騒ぎになる事を避けたかったのだが、彼女自身もライダーのことは苦手だ。しかし放置するには危ない。一応人語は通じる相手ではある。

 ヤマトタケルの訴えはスルー。

 

 貸出靴を五足うけとり、それぞれに手渡しながら使うレーンを決めた。

 

「私とライダー、アルトリア。そしてヤマトタケル、キャスターとキリエで」

 

 ライダーが平然と居ることの違和感が止まらないが、ボーリング自体は楽しいものだ。明自身、麻貴や日向と何度かやったこともある。得意というほどではないが、このように遊ぶ程度では困らない。

 

 受付とレーンの間に、色とりどりのボールが並んでいる。碓氷邸で「球で棒を倒すゲーム」と言っていただけあり、キリエとキャスターは好きに球を選んで持って行った。

 ライダーはマイボウルを持っていた。白い。

 

「ここにある球を投げて棒、ピンを倒すんだけど、好きなボウルを持ってって。二つあればいいかな。まあ二人はどんな重さのボウルでもいいと思うけど、ここに書いてある数字が大きいほど重いよ」

「重い方が破壊力あっていいですね」

「同意だ」

 

 ボウルの列を目の前に既に目がマジになっているヤマトタケルとアルトリア。明はすっかり失念していたが、この二人は負けず嫌いだった。それも並ではない負けず嫌いである。その上二人とも勝負強い上に勝負勘も鋭いときている。

 

 現に屋敷でヤマトタケルとアルトリアがチェスやオセロ、将棋を知り勝負を始めた暁には一勝一敗をお互いに繰り返し、誰か(明かキリエ)が止めなければ永久にやり続けている。

 

「うーん、別の意味で厄介なのがここにもいたか……」

「? 何か言いましたか、アキラ」

「いや、勝負ごとに熱くなり過ぎないようにね」

「、勝負事は真剣にしますが……」

 

 自分でも負けず嫌いに自覚のあるアルトリアは、ごにょごにょと言葉を濁した。

 さて明、ライダー、アルトリアで一レーン、ヤマトタケル、キリエ、キャスターで一レーン。

 まずは経験者である明がボールを持ち、ヤマトタケルも並ぶ。まずは明が投げるのを見てから、ヤマトタケルが投げる。

 

「レーンの向こうに立ってるものあるでしょ。あれがピン。十本立ってるんだけど、ここからボールを投げて、あのピンに当てて倒す」

 

 そう言って、明はボールを構えてレーン向こうのピンを見据えた。そして振りかぶり、ボールを放った――それはガーターに落ちることなく、見事ピンに当たったが、すべて倒すには至らず三本残った。しかも右端に1本、左端に2本。

 

「一回で倒し切れなかったらもう一回投げられるよ」

 

 そうして明は再びボールを放ったが、今度は一本も倒せなかった。

 

「でも二回で倒し切れなかったらそこまでで、それが一回目のスコア。これを十回で一ゲーム。一回で全部倒すのが一番良くてストライク、二番目が二回で全部倒すのがスペア」

 

 周りの客も、明と同じようなやり方で投げている。ライダー以外がふむふむと頷いたのを見て、とりあえず大丈夫そうだと明は思った。

 

「ならば俺もやってみるか。すとらいく、が一番いいのだな」

「うん」

 

 ヤマトタケルは後ろに下がった。

 助走でもするのかと思いきや、かなり――レーンから十メートル以上離れていた。明は急に嫌な予感にかられた。

 

 

「ちょっ待……」

 

 ヤマトタケルが助走をつけて走り、レーン二メートル手前で飛び上がり――その滞空の間にボールを高く振りかぶり、魔力放出の力まで加えて、ピンに向かって投擲した。

 転がしていない。直接ピンを狙って投げたのである。

 

 コントロールは概ね正確、それゆえに一番重い球――十六ポンド七・三キロ――は人間に視認できるか怪しい超速度で激突し、ピンを倒すどころではなく吹き飛ばし粉々に破壊しおおせた。

 爆発のような轟音、罅の入ったレーンにめりこんだボウリングの球。周囲の客は何事かと視線を寄越し、あっという間に店員がやってきた。

 当の本人は腰に手を当て満足げだ。

 

 

「無事すとらいくだ。塵も残さん」

「あーいう感じなの? なら私も上手にできそう! いっくわよ~~!」

 

 腕まくりをして片手で一つずつボールを掴みレーンへ走り出す、極めて危ないキャスターの腰に追いすがりながら明は叫んだ。

 

「キャスターそれは違う! そしてセイバー! しばらくバイト代抜きね!」

「何!? 最近げーむせんたーの機械を破壊した金を払い終わったばかりなのだが!?」

「どうしましたか!?」

 

 駆け寄ってきた店員に、あわてて対応するのは勿論明である。どうせ監視カメラも動いていることだろうし、下手に誤魔化すことはできない。

 軽い暗示をかけて、あとで監視カメラに干渉する手もあるが、魔術を脱法のために使うのはよくない。

 

「……投げるのはダメなのですね」

 

 椅子に座っているアルトリアも不穏な事を言っていたが、今の様子を見て同じ轍は踏まないだろう。ついでに彼女と少し離れた場所に坐っているライダーはニヤニヤしてこちらを見ていたので、もしかしてこの男はこの顛末を予想していたのではないかと、明は大きなため息をついた。

 

 

 

 とりあえずヤマトタケルが破壊したレーンは使用不可となり、すぐ隣――キャスターたちのレーンの右隣りへと移った。明は事情の説明をするために一時レーンを離れざるを得ず、ヤマトタケル達は「ボールを投げてはいけません。転がしてください」というごくごくまっとうな注意を受けていた。

 

「私の分も適当に投げておいて」と言われたので、代わりにアルトリアが明分も投げることにしてボウリング大会がやっと始まった。

 

「そうか。投げるもののピンは破壊せずに倒すのか……」

「ちょっとー! あの溝は何!? 吸い込まれていくのだけれど!」

「マスター投げるのヘタクソね~~」

 

 キリエのような少女がボウリングの大きな球を放るのは見るにはかわいげがあるのだが、本人としては投げにくくガーター連発で御冠である。

 ちなみに現在1ゲーム目の五回目であるが、いきなりストライク連発とはいかないもののヤマトタケルとアルトリアはあまりガーターせずにピンを倒せており、キャスターは考えているのかいないのかガーターしまくると思えばスペアやストライクをたまに出す。ライダーは謎の常連感を醸し出し、一番の好成績を収めていた。

 

「ちょっと! あれは何!? 向こうでやっている人のレーンには柵みたいなものがあるのだけれど! 卑怯よ!」

 

 キリエたちから五レーンほど離れたところでプレイしている家族連れのレーンには、ガーターの溝に柵がついている。このゲームでガーター女王の名をほしいままにしているキリエの声を、通りかかった店員が聞きつけた。

 

「こちらもノーガーターレーンにできますけど、そうしましょうか?」

「あらそうなの? じゃあお願いするわ」

「ええ~~あそこの溝に落ちるのが楽しいのに」

「そういうゲームじゃないって、さっきアキラが言っていたでしょ!」

 

 妖艶な美女と日本人形のような美少女の取り合わせが他愛ないことで言い争っているのは、周りから見ても微笑ましい。

 だが、また別の取り合わせ――ヤマトタケルとアルトリアは戦場の空気を醸し出していた。

 

「このゲームならあなたが汚い手を使うことはなさそうですね」

「フン、俺が汚い手を使わなければ勝てないと言いたげだな、騎士王」

「そうは言ってはいませんが、あなたは汚い手を使いすぎです! 将棋やチェスでは目を離した隙に入れ替える、自分が危なくなったら盤をひっくりかえして勝負をなかったことにしようとする! それで勝ってうれしいのですか!」

「嬉しい! 結果がすべてだ!」

 

 そう絶叫しながら、ボールを投げるため助走をつけていたアルトリアに向かい足払いをかけようとするストレート卑怯ヤマトタケル(危ないので真似をしてはいけません)。

 

 しかしアルトリアもさるものであり、彼の足を華麗にジャンプして、同時にボールを持った手を後ろに振りかぶり、着地とほぼ同時にそれを放った。

 それはいきおいよく、かつ真っ直ぐ転がりピンのど真ん中に当たり、見事にストライクを勝ち取った。誇らしげに足払いをかけようとしたヤマトタケルをちらりと見てから、アルトリアは振り返った。

 

「ライダー、あなたの番「フツヌシ、適当に投げておけ」

「エーッ!?」

 

 タオルを肩に引っ掛けたライダーは、それだけ言って剣(フツヌシ)を放置して、出口の方へ向かって行った。

 ライダーが意味不明なのはいつものことで、いちいち真意を考えていたらこちらが疲れてしまうためにヤマトタケルたちも大して気にも留めなかった。

 

 ただ、フツヌシが投げることは流石に無理なのではないかと、皆が思っていた。

 

「アルトリアちゃん、レーンの前にボールを置いてもらえる?」

「……は、はい」

 

 レーンの前にどんとおかれたボウリングの球。それに向かうは浮遊する剣。

 

「え~い!」

 

 妙に野太い声で刀身がボールに当てられ、ころころと転がり出した。力が足りなかったのか今にもとまりそうなとろとろした遅さで進み、徐々に右に寄っていき、あと少しのところでガーターとなった。

 

「いや~ん、外しちゃった」

 

 何ともコメントしがたい結果と神剣に、気にしていないキャスター以外は微妙な顔をして、見なかったことにした。

 

 

 

 *

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 ボウリング場の店員・店長を交えた話し合いが終わり、明はボウリング場から出て、エレベーター脇の自販機で一息ついていた。

 右手に缶ジュースを持ち、何とはなしに窓から駅前を見下ろしていた。

 

 碓氷は春日の地主であり、一レーンを破壊した程度で大事になりはしない。ただ非は百パーセントこちらにあるため、修理代は払わなければならない。またヤマトタケルのバイト代は修理費用に消えることだろう。

 

 前述したが、こういうトラブルごとのとき、一般人相手でも明は暗示を使わない。魔術はそのような俗事に使うことではないという想いではなく、自分の修行のため――きちんと人と話して交渉の術を身に着けるためだ。そもそも、海千山千の時計塔の魔術師に暗示など効かないのだから、自力で交渉できなければいけない。

 

 父の影景であれば今の状況でも地主の立場も利用して、白を黒と言い張り丸め込むだろう。明もそこまでいかなくとも、それくらいの意気込みでいたほうがいいことは解っている。ただでさえ女は男より舐められがちだ。

 良心とか、気が退ける、とかはきっとつけ込まれるだけなのだ。

 

 しかし今ここに一人でいるのは、話し合いの疲労とは無関係である。キリエたちと共にボウリング場に来たはいいものの、あまり体調がすぐれなかった。

 影景と戦った時の怪我ではなく、なんとなく風邪っぽくなっているのだ。風邪っぽいだけ、気分転換に出かけるならむしろいいだろうと思っていたが、少々舐めていたかもしれない。

 

 投げないで座って見ていようかと思ったが、心配をかけるなら断って一人で先に帰るべきか。さしものヤマトタケルも最初はああだがルールを知れば無茶はしない、というか明に迷惑になることはしない。

 空になった缶を片手に、とりあえずボウリング場に戻ろうと踵を返した。

 

「一体何しに来たんだろう私は……」

「おや、一球も投げずに帰るのか」

「!……」

 

 何故気配に気づかなかったのか。

 いつの間にか目の前には白のポロシャツ、黒ジャージにボウリンググローブ装備のやる気に満ち溢れたライダーが立っていた。というか、近い。

 しかも明は壁にもたれかかっていたため、壁際に追い詰められている感さえある。

 

「……来ておいてなんだけど、あんまり体調がよくなくてね……」

「ふむ。確かに白い顔をしているな」

「……ライダーこそ、そんなに気合の入った格好してるのに抜けてきていいの」

 

 どの陣営のサーヴァントも、今となってはかなり現代に順応している。その中でもライダーは謎のアーティスト活動を始め、このように現代の遊戯にもやたらと詳しくなっている。ついでに、結構形から入るタイプでもある。

 

 だが、いくら現代に馴染んでも、普通の人間のような顔をしていてもサーヴァント――しかもヤマトタケルの原型(オリジナル)たる、原初の帝にして聖杯戦争最後の敵である。

 いくら性根から悪いものではないと頭で分かっていても、明はこの男が苦手だった。

 

 明の内心を知っているのかいないのか、ライダーは笑った。

 

「何、ゲームは長い。楽しみはまだまだこれからだ。だがその前に、お前に礼を言っておかねばばらないと思ってな。だから探しに来たのだ」

「……え、私、何かした?」

 

 ライダーに礼を言われるようなことは何もしていない。

 そもそも、あまり話す機会もなかった。

 

「公は他のサーヴァントより現界が遅かった。ゆえにその分、現世を満喫できぬまま戦争の終わりを迎えてしまった。しかし今こうして思う存分現世を謳歌している――そのことについて、礼を言わねばな」

 

 それは、明が礼を言われるようなことではない。

 たとえ明とセイバーたちが無事に聖杯戦争を終わらせた立役者であっても。

 

「……やっぱりそれ、私にお礼を言うのは違うよ」

「そうか。だが公は心の底から喜び、楽しんでいるのだ。礼を言おう」

 

 違うと言っているのに、ライダーは全く人の話を聞いていない。

 

「しかし碓氷明――どうせ消え「アキラ!」

 

 明の前――ライダーの背後から鋭い声を飛ばしてきたのは、アルトリアだった。なかなか戻ってこない明を気にかけ、探しに来たのだ。

 傍から見れば大の男が女性を壁に追いつめているように見える、というかその通りなのだが、それ以上に相手がライダーであることに、アルトリアは警戒していた。

 

 特に悪びれもせず、ライダーはすっと明から離れた。「礼は言ったぞ」と妙にご機嫌で、あとをアルトリアに任せてさっさとボウリング場に戻ってしまった。妙な緊張の糸が切れた明は、大きなため息を吐いた。

 

「アキラ! 大丈夫ですか!? ライダーは何を」

「……いや、ほんとに大した話はしてないんだ。でもあんま具合がよくないから、先に帰るよ」

「なら私も付き添います」

「どうせヤマトタケルと仁義なきスコア争いしてるんでしょ? こうしてる間にも何してるかわかんないよ」

「そ、それはそうですが」

 

 似た者同士か同族嫌悪か、アルトリアとヤマトタケルは仲が良くは見えないのに色々な場所で張り合っている。互いに負けず嫌いなことが大きいのだろう。

 これは一周して仲が良いのではないか。

 

「でもアキラの具合が悪いと聞けば、彼とて一緒に帰ると言いますよ」

「……たしかに」

 

 しかし明だけならまだしも、アルトリアとヤマトタケルも共に帰ってしまうといきなりメンバーが半分になってしまう。既に三ゲーム分のお金も払っており、少しもったいない。

 だが明が一人で帰ると言えば、彼らは体調の悪いマスターを放っておけないと言いだす。

 

 ここはじゃんけんをしてもらって、負けた方に一緒に帰ってもらうことにしようと明は決めた。荷物はボウリング場のロッカーに入れてあるため、二人でボウリング場に歩き始めた時、明は口を開いた。

 

 

「ねえ、アルトリア。ちょっと聞きたいんだけど」

「何でしょうか」

「……最近、変なことない?」

 

 漠然とした問いに、アルトリアは首を傾げた。「変な事、ですか。春日の聖杯戦争が再開されたことですか?」

「それ関係ではあるんだけど、アルトリア自身に何かない? 以前はなかったけど、最近なんか変だな~って思う事とか」

 

 するとアルトリアは暫く考え込んだ後に、その顔を上げて真っ直ぐに、しかしどこか引け目のある目で自分のマスターを見返した。

 

「……あまり気分を害さないでほしいのですが」

「うん。何?」

「時々変な気分になると言いますか……。私のマスターは、本当はアキラではないような錯覚にとらわれることがあります。何かを、誰か忘れているような……」

 

 ――少年は荒野を往く。

 たとえその終わりが報われるかはわからなくても、その理想が借り物であったとしても

 

 ――人間として破綻していても、理想を目指すことは間違いではないと信じた誰かがいた。

 

 

 ……ような、気がする。

 

 

「……そっか」

「……! いや、はっきりしない話で申し訳ありません。それに私のマスターはアキラです」

 

 ぶんぶんと首を振り、力強く握り拳をつくるアルトリア。

 その姿が微笑ましくて、中身は自分より年上であると知っているのに、明は思わず笑った。

 

 

「うん、知ってる。ありがとう」

 



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昼③ 春日の中から出られない

 朝起床した時は、アーチャーのホテルのベッドで眠っていた。

 となりのベッドには何故か土御門一成とランサーが一緒にスヤスヤと眠っており、更に理子を混乱に陥れた。

 

 昨日は確か、ランサー・一成と共に春日の巡回をしていたところ、謎のサーヴァント・マスターと戦闘になった。

 マスターが異様に強くランサーと戦い、キャスターが理子たちと戦った。かなり圧倒され、一成と理子はキャスターに倒されそうになったのだが、すんでのところでアーチャーに救出されたのだった。

 

 アーチャーはゆっくり朝食でも食べていけと言ってくれたが、理子は丁重に断り自宅へと帰ることにした。

 

 

 

 

 今、理子が使役できる最強の使い魔の狼でさえ通用しなかった――通用しなかった、というよりは使い魔は飛び掛かりさえもしなかった。

 あの狼は使い魔ではあるが、前述したように、理子なしで生きていけない存在ではない(通常、使い魔は逆らうことがないように「自分なしでは生きていけない(魔力など)」ものにする)。

 つまり真神にとって、昨日のキャスターは仮初の主である理子よりも、優先すべき者であったということだ。

 

 閑話休題。とにかく、狼はあのサーヴァント相手に使えない。

 ならば一度実家に戻り、夜の巡回に使える礼装を取って来ようと思ったのだ。

 

 ホテルから出た時刻は朝八時――理子の実家は快速電車に乗って一時間半、そこからバスに乗り三十分ほどで到着する。今日の夜には春日に戻れるだろうが、礼装をきちんと使えるように整備するには時間が足りない。

 ゆえに一成にはラインで今日の夜は巡回できないと伝えた。

 

 

 理子は春日駅から徒歩十分の位置にある、四階建てのマンションの三階に一人暮らしをしている。単身者用のマンションで、間取りはどこも1Kらしい。築二十五年と少し経っているが、四年前にリフォームを行っていてそこそこ綺麗になっている。

 

 マンションに到着してから理子はシャワーを浴びてTシャツとGパンに着替え、リュックサックに財布などの最低限の荷物を入れるとまた外へと飛び出した。

 

 春日駅から電車に乗り実家へ向かう、はずだった。

 

 しかし、春日駅に到着しホームに立った時に、理子は「何故自分はいま、ここに立ち何処へ行こうとしているのか」わからなくなってしまった。

 

 わからなくなったから家に戻り、何をしようとしていたのか思い出せないから何となく部屋の掃除を始めたり、洗濯物を干し始めたりしていたのだが――「春日駅からどこかに行こうとした」ことをすっかり忘れたころに、「礼装を取るために実家に帰ろうとしていた」ことを思い出し、慌ててまた春日駅に向かった。

 

 しかし、また春日駅に到着しホームに立った時に、理子は「何故自分はいま、ここに立ち何処へ行こうとしているのか」わからなくなり、家に帰り、昼ご飯を取りスーパーで買い物も済ませ、家で大学要綱などを読んでいるとまた「礼装を取るために実家に帰ろうとしていた」ことを思い出した。

 そして先ほども同じことをしていたことを思い出した。

 

 また春日駅に向かえば、おそらく「何しに行こうとしたか」を忘れてしまう。

 ならばルートを変えてみようと思い立ち、春日駅に向かい電車ではなく循環バスに乗り、隣の市まで行ってから電車に乗ってみることにした。

 

 バスに乗るまでは全く問題がなかった。移り変わる景色をみつつ、春日市内の病院や博物館などに停車しながら徐々に市外へと向かっていく。

 今の現象の原因はわからないが、とにかく実家に向かえそうではある。

 

 しかし。

 次は市外のバス停か、と思った理子が聞いた車内放送は、耳を疑うものだった。

 

 

「次は春日博物館前、春日博物館前――。お降りの方はお近くの停車ボタンを……」

「!?」

 

 春日博物館前はさきほど過ぎたはずのバス停だ。理子は走行中の車内にもかかわらず手すりを掴みながら前へ進み、運転手に話しかけた。

 

「あのすみません、下田植物園前って次じゃありませんでしたか……?」

「下田植物園前なら、まだ先ですよ」

「……はあ」

 

 釈然としない。確か次だったはずなのだが……理子は首を傾げながら座席につき、とりあえず大人しく乗っていることにした。

 

 しかし、結局下田植物園前には到着することなく――そこだけではなく、隣の市のバス停には全く停まることなく、バスは春日駅前まで戻ってきたのだ。

 

 隣の市に行ってない――流石に理子は運転手に詰め寄ったが、運転手は戸惑うばかり。きちんと隣の市のバス停に停車したし、そこで乗り降りした乗客もいると。

 たまたま春日駅まで乗っていた乗客にも理子の味方は一人もおらず、逆に理子が怪しまれる有様だった。

 

 仕方なく春日駅内のマクドナルドで、憤懣やるかたなくダブルチーズバーガーのバリューセットを食べながらこの異変に首を傾げていた。

 春日市から出ようと思って忘れて掃除洗濯・また出ようと思って忘れて読書とスーパーの買い物をし、バスに乗り込み一巡(?)しているため既に夕方になっていたのである。

 

「……もしかして、春日市から外に出られないの?」

 

 しかし春日は地方都市だ。ここから都内へ通勤・通学している人も多い筈なのに、まったく騒ぎになっていない。

 可能性としては①一般人は春日から出られるが、魔術師にはできなくなっている。

 ②全員春日から出られないが、一般人は暗示や洗脳で出られないことに違和感がなくなっている(出た気になっている)。

 

 どちらにしろ、春日の外がどうなっているのか。この異変は春日だけのものなのか。

 

 ――ただ、これはかなり大事なのではないか。

 

 碓氷は「大したことない」と言っていたが、本当に?

 

 

「……美玖川が一番近い市の境よね」

 

 ほんのわずかな違和感――美玖川を隔てた向こうの市が、やたらと暗く見えた。

 そう簡単に何かが見つかると思ってはいないが、春日を隔てる境界を再度調べてみるのも悪くはないだろう。幸いにして夏の夜は遅く、まだ日は落ちていない。

 

 リュックサックにGパンの軽装のまま、再び理子は美玖川河川敷へと足を運んだ。橙色の夕日を反射する水面はどこか幻想的で美しい。

 ただ、いつもはサッカーやら野球やらをする少年たちがおりにぎやかなのに、今日は通りかかる人さえいなかった。

 

「……ここから見ると、普通に隣の市が見えるのに」

 

 川を挟んだ向こう側には、見慣れた隣市の街並みがある。ただ、そちらもこちら側と同様に人気はない。

 

「……! 水着持ってくればよかったかな? 泳いでいけるかチャレンジする価値は」

「やめておけ。この川はあまり綺麗ではない上に、中ほどで急に水深が増す」

「! ……日本武尊!?」

 

 いつの間にか少し離れた背後に、ヤマトタケルが立っていた。私服の「最強」Tシャツにジャージのズボン、スニーカーのラフな格好だった。手にはリールが握られており、その先には真っ白い中型犬が大人しくお座りしていた。

 理子は慌てて本気ではない、と付け足した。

 

「そもそも私、あまり泳ぐのは得意な方じゃないので……」

「そうか」

 

 ヤマトタケルの方は話すつもりはないのか、それきり黙ってしまった。だが、理子にとってここで彼に会えたのは僥倖だった。

 

「あの、日本武尊。あなたは、碓氷の命令で調査をしているのですか」

「それは頼まれているが、今は違う。今は犬の散歩をしている」

「……調査で、何か気づいたことなどは……?」

「……ない」

 

 理子は少々落胆した。実家で奉る神の一柱に日本武尊がおり、かつ実家が狼を使役しているのも彼繋がりであるためになじみ深い英雄であるため、無暗に期待してしまう。

 しかし彼はセイバークラスで、元々索敵や調査に長じたサーヴァントではないのだ。

 それでも何か知っていることを聞きたいと、理子は話を続けた。

 

「私、昨日ここで謎のサーヴァントとマスターに会い、戦いました」

「……ほう」

「私の使い魔は狼です。三峰の狼、大口真神の末裔です。それを女のサーヴァントにけしかけても、攻撃さえしませんでした。そしてその女のサーヴァントは、巫女のようでもありました」

 

 大口真神は、かつて日本武尊を助け、彼の命を受けた神代の獣。

 理子が真神を日本武尊にけしかけたとしても、真神は十中十言う事を聞かない。

 そして彼にまつわる女性であれば、たとえば主人と仰ぐ者の妻などであれば、同じく真神は襲い掛からない。

 

「お前はその女のサーヴァントが弟橘媛と言いたいのだな。かつ、春日の異変に何か関係があるのかと。そして、俺に何か心当たりはないかと」

 

 もちろん、推測とサーヴァントの背格好から考えた結果で、絶対に弟橘媛とは言い切れない。ヤマトタケルにまつわる女性ならほかにも何人も候補がおり、また全く関係のない縁により、真神はあの女サーヴァントに襲いかからないのかもしれない。

 

 ヤマトタケルは暫く沈黙した後、口を開いた。

 

 

「――前に明にも同じことを聞かれたな。だが、弟橘がサーヴァントとして呼ばれることはない。あれは死んでいない。英霊の座にさえ記録されていない。だからサーヴァントとして召喚されることはない」

 

 まさか、と理子は驚愕の表情を浮かべたものの、ヤマトタケルの言わんとすることを理解した。

 

「……もしかして、弟橘媛の最期は……」

「話が早いな、狼の巫女」

 

 巫女の役目とは、神域に近付き、天津神々の言葉を聞き、人々に伝えること。神代の意思を伝えること。

 その方法は多くが一時的に神霊を降ろすことであるが、方法はそれだけではない。

 人代とはいえ、神代から離れて間もない時分であったヤマトタケルの生きた時代では、神霊降ろしは現代より遥かに容易いものであった。しかし神霊降霊は一時的なものであり、あくまで言葉を聞くだけである。優れた巫女であればその力の一端を借り受けることもできるが、「一端」でしかない。

 

 ――神霊を降ろすのではなく、自らが神霊になってしまえばいい。

 

 巫女とは神の器であり、自分に神を降ろすか、自分が神の一部になるかは僅かな差である。

 しかしそこにははっきりと境界が横たわっている。

 自分が神霊の一部になる――そんなことをすれば、人間としての記憶や意識は消滅を免れない。

 

 

 しかしその記憶や意識が消える刹那の間は、神霊そのものとして権能さえも行使しうる。

 

 ――弟橘媛の入水は後者をなすために行われた。

 

 

 ゆえに彼女の身体は死んでいない。魂さえも海の神霊と一体化して世界の裏側(星の内海)で生きている。ただ人として生きた時の記録と記憶が、もうサルベージ不可能なほど大いなるものに取り込まれて還ってこない。

 

「そういうわけだ。人理に異変が起きれば話も変わろうが、まずアレが呼ばれることはない。しかし、美夜受(みやず)のことは考えなかったのか」

 

 日本武尊のもう一人の有名な妻、美夜受媛(みやずひめ)

 もちろん理子は考えていたが、あのキャスターは偽名で「橘とこよ」と名乗っていた。東西を問わず、魔術世界で重要な意味を持つ「名前」を、簡単に偽ることはしない――との読みから、美夜受媛を外していた。

 

「橘」は、別名を「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」――永久に馨しい芳香がなくならない果実と言われ、永遠性と神秘性の果物である。垂仁天皇は田道間守(たじまもり)に命じ「常世国に向かい、この非時香菓を取ってまいれ」と命じたという。

 

 常世の国――日本神話の世界において、海の遥か彼方にあるとされる理想郷。

 その理想郷に生える木になる、不老不死の果実が橘なのである。

 

 理子はそのことを簡単に説明してから、日本武尊に礼を言った。

 

「気にするな、お前には真神が世話になっている。……しかし本当に律儀な狼だ。全ての魔物や魔性が消えるまで護れと言ったが、それは世界が滅びるまで護れと同義だろうに」

「……伝説的に、日本武尊、あなたも律儀な方だとは思います。主と認めた人には」

「む……」

 

 主人以外には律儀も何もあったものではない英雄だが、彼は死ぬまで父を裏切らなかった。まさか本人には自覚がなかったのかと、理子は少し面白い気持ちになった。少し気持ちがほどけ、つい彼女は追加の質問を口にした。

 

「セイバー日本武尊。一つ、聞いても」

「何だ」

「あなたにとって、碓氷はよい主人(マスター)だったのですか」

 

 榊原理子が碓氷明に抱く感情は、やや嫌悪寄りの複雑なものである。この地を奪った外様の魔術師であること、それに聖杯戦争において、よりにもよって榊原の御祭神の一柱である日本武尊を召喚できていること。

 

 その二つは、碓氷明個人によって作り出された感情ではないが、どうしても距離を置く要素にはなる。

 

 そして今は、土御門一成についても、少し。

 

「……悪いマスターではない。しかし、たとえば、生前の父帝のように思っているかと聞かれれば、違う。俺のマスターではあるが、主人ではない……というのが、一番近いか……危なっかしくて心配になる。だが、……もう俺がいなくとも、」

 

 危なっかしくて心配という意見は、明もヤマトタケルに対して抱いているものであるが、彼自身もそう思われていることは知っている。最後の方は小声で、理子には聞き取れなかったため、彼女は聞き返した。

 

「何ですか?」

「いや、何でもない」

「……そうですか。貴方が良い関係を築けているなら、それでよいのでしょう」

 

 御祭神の一柱が今、楽しく生活できているならよしとしよう。

 あまりつついても、自分がみっともないだけに思える。話が途切れ、このままお互いに分かれる流れになりかけたとき、ヤマトタケルは思い出したように口を開いた。

 

「お前はまだここを調べるのか」

「はい。身一つで泳ぐのは危なそうなので、浮き輪やロープを買ってからやろうと思います」

 

 春日は海岸に面しているため、ショッピングモールに行けば浮き輪や水着用品が豊富にそろえられるはずだ。理子は泳ぐことは断念しているが、調査は諦めていない。

 

「そうか、気をつけろ」

「……ワン!」

 

 真神三号も、気をつけろ、と言いたいのか威勢よく理子に対して吼えた。ヤマトタケルは散歩の続きを、理子は調査の為にとそれぞれ別れた。

 



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夜① ニセ人魚姫のお誘い

 ――人には死ぬべき時がある。自分は死ぬべき時に死ねなかった。

 

 走水の海に沈めなかった。

 あそこが死ぬべき場所だとわかっていたのに、土壇場で死にたくないと願ってしまったから生きながらえた。

 

 今思えば、あれは魔の契約――海の神は、この結末まで知っていたのだろうか。

 

 燃えている。初恋の人の代わりに、自分が護ると誓った大和(もの)が、燃えている。

 緑は灰に、蒼は真紅に、木は黒ずんで、焼き払われた都にはもう何も残らない。

 それでもこれまでの営みを薪として、最後の生命の断末魔のごとく――赤赤と煌々と、大和が燃えている。

 

 ――私は選べなかった。人魚姫には、遠く及ばない。

 

 

 

 

 恋に破れ、海の泡と消えた人魚姫。王子様を殺すくらいならば自分を殺すことをえらんだ彼女の生き様は、愚かであっても醜いものではないと思う。

 王子を恨み、彼と結婚する王妃を妬み、忠告を無視した己の愚昧を悔んだかもしれない。

 

 それでも――彼女はその思いをねじ伏せて、何も知らない王子の命を選んだのだ。

 

 きっと、人魚姫は後悔なんかしなかった――と思う。

 

 命を賭けてもいいと思える人がいた。たとえそれが一時の熱狂・狂奔・衝動で、長い時が過ぎれば消え去るものだとしても、その一時の情熱は、彼女の命を擲つに価するものだった。

 

 ――仮に、人魚姫が王子を殺していたらどうなった? 姉たちは喜んで人魚姫を海に迎え入れ、慰めたり怒ってくれたりして、人魚姫は王子と出会う前の暮らしに戻っただろう。王子は死んだことで、その父母である王様と王妃は嘆き悲しむだろう。

 

 うん、王子を殺すバージョンの人魚姫は熱しやすく冷めやすい図太い女と見た。強そう。

 

 キャスターは拠点の書棚に納められている本を物色しているうちに、一冊の本を手に取った。絵本の人魚姫――ハルカが眠っている間に読み切れそうだったため、何となく読んでいたのだが、思った以上に考えさせられてしまった。

 

 ――でも、王子を殺して生きるならそれくらいに図太い方がいい。

 

 人魚姫の視点からすると王子コノヤロウと思ってしまうが、王子からすれば、助けてくれたのは人魚姫ではない別の女、王子にとって人魚姫は善意で助けた、口のきけない一人の女に過ぎない。

 そもそも惚れたのは人魚姫の勝手で王子の責ではない――っていうかなんでよりにもよって声を奪った魔女ォ! そして人の手柄を横取りすんな別の女ぁ! やはり女の敵は女か!

 

 こほん、それはともかく、王子に責任を求めるのはちょっと酷だ。にもかかわらず王子を殺すなら、それからの生涯を、良心の呵責を背負って生きねばならないだろう。

 それに耐えられずに死んでしまうなら、やっぱり泡になって消える方が王子も人魚姫も幸せだと思う。

 

 キャスターはぱたん、と絵本を閉じて本棚にもどした。また夜は街に出る予定だが、その前に身支度を済ませたい。

 日の長い夏は、まだみっともなくその明るさで昼間を保ち続けているが、太陽の巨体もそろそろ地平線に近付くだろう。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 黄金が嘲笑っている。黄金が嘲笑っている。黄金が嘲笑っている――。

 その姿は、幼き頃より慣れ親しんだ神話の、月の女神(フレイヤ)と見紛う輝き。

 お前は一体、何をしようとしているのだ。

 この、私の体を以て。

 

 

「――ッ!!」

 

 夢から逃れようと跳ね起きる。汗で服が体に張り付き、非常に不快だった。

 だがそれでも、おぞましい幻想から逃れた安堵の気持ちが強く、ハルカはそのまま深い息をついた。

 

 近頃、夢見がよくない。キャスターの過去を垣間見てしまうのはまだしも、何か己に関係のあるような――本当に体調まで悪化しそうな悪夢である。

 

 まだ指先が震えている。夢でここまで臨場感があり恐ろしいものなど、生まれてから見たことあるかどうかだ。

 

 大きく深呼吸を繰り返し、呼吸を整える。またしても、夜。

 戦いを終えてこの拠点に帰還してからしばらくは起きており、宝石や結界の確認をしていたのだがいつの間にか眠ってしまっていたようだ。きちんとベッドに入っているのは、キャスターが運んだからなのか自力なのか。

 

 ――しかし、昨日の夜の戦闘はなかなかの好成績だった。マスターの自分が敵サーヴァントと戦い、キャスターがマスターと戦う。変則的だとわかってはいるが、自分の力を思い出したキャスターと一昨日の戦闘に鑑みれば、そちらの方がまだましとの結論になった。

 

 キャスターは明確なサポート型のサーヴァントだった。

 キャスターの魔術は、ハルカの魔術とは、魔力を使って現象を起こすことだけしか共通点がないと言っていいほど異なる(魔術基盤ももちろん、キャスターは高速祝詞で大源に働きかけるため発動工程も違う)ため、ハルカにも全容は把握できていない。もしかしたら生前の英雄としての功績によるスキルもあるのかもしれないが、とにかく彼女の魔術は『他人の力を増幅させる事』に優れていた。

 

 たとえば百メートルを二十秒で走れる人間を、五秒で走れるようにする。腕立て伏せが十回しか出来ない人間を、百回できるようにするように。

 ただし、『元々できないことをできるようにする』のではない。一般人が自分の身体だけで空を飛べないなら、彼女の力でも空を飛べるようにはできない。

 だがもし魔術で飛行できる魔術師であれば、もっと早く飛べるようにすることができるという具合だ。

 

 彼女の力で昨夜のハルカは身体能力、魔術回路の効率化、回転率の上昇を成し遂げた。それに加え、彼特製の礼装でもある服『宝石炸裂・機動装甲(モービルバースト)』――繊維の間に極細のチューブが通っており、その中に溶かした宝石を流し込んであるもの――がある。

 ハルカの意思一つで解けた宝石が噴射され、その爆発を以て強制的に体を加速させる荒技の礼装。これによってハルカはサーヴァントと同等の高速戦闘を可能にし、みごととっておきの宝石魔術でAランク相当の攻撃をぶつけてランサーを圧倒したのだ。

 滞空中での挙動も、一定方向へ宝石から魔力を噴出させることによって、無理にだが動かすことができる。

 

 だが、勝利にまでは至らなかった。最後の局面でアーチャーに乱入されてしまったこともあるが、なによりもキャスターはまだ宝具を使えない。

 つまり、決め手を欠いた状態のため、止めを刺すことができなかった。

 

 ハルカ手製のとっておきの礼装はあるが、あれは使う相手を選ぶため、出番はないかもしれないと思いつつ持ってきた。そして使うべき相手は今だおらず、無駄になってしまいそうだが、縁起担ぎやお守りの意味でそれでも持ち歩いている。

 

 キャスターが宝具・自らの正体を思いだせればよいのだが、まだそれは期待できなさそうだ。

 そのとき、丁度階下から上がってくるキャスターの足音が聞こえた。

 

「マスター! おはようございます」

 

 もはや見慣れたキャスターの笑顔。恰好は手ぶらであったが、昨日のようなラフな格好ではなく淡いピンクのパーティドレス――ワンピースにストール、ネックレスを身に着け、完全なよそいきの恰好だった。

 

「……その恰好は?」

「これはハルカ様のポケットマ……ゲフン、それはともかく、今日はお楽しみのあの日ですよ!」

「は?」

「もうトボけなくてもいいんですよッ。私とハルカ様がマスターとサーヴァントの契りをかわして6日目記念の日です!」

「……さて、今日も戦闘に出ますよ」

 

 相変わらずどこから考え着くのか意味不明な戯言を繰り出すキャスターに呆れながら、ハルカはベッドから降りて立ち上がった。

 何故かキャスターは自分の腕で自分を抱えて身をくねらせていた。

 

「ンフフ、私ハルカ様の塩対応がクセになってまいりましたンフフ」

「ところで、また自分のことを思い出したりなどしていますか。宝具のことなど思い出しては?」

「いえ、さっぱり! ハルカ様の方は記憶がお戻りになったりは……してなさそうですね」

 

 最早開き直っているのか妙にテンションの高いキャスターだが、ハルカの様子を見て肩を落とした。ハルカは夢のことをあまり思い出したくはなかったが、あれが記憶の欠損と無関係とは考えにくい。

 良くない夢を見るようになったのは、記憶の欠損以降なのだから。

 

「……もしかしたら、私は記憶を喪う前に何者から攻撃を受けていたのかもしれません。時系列的には、貴女を召喚する前、神父に会う前、日本に到着してから春日教会に到着するまで。金色の、女……!」

 

 昨夜、春日教会を訪れた際にいたシグマ・アスガードという女。

 美しい金髪に碧眼の女――あの女に気づいた時、悪寒が止まらなかった。まさか、あの女が何か知っているのか。

 

 しかし、現状記憶の問題はあるものの、ハルカは五体満足で魔術の行使にも問題ない。ならばあの女は何を目的にハルカを襲ったのか。

 

「キャスター! 今日もまた教会に向かいます。シグマなる女に尋問します」

「はい!?」

「昨日の教会の女です。私はあの女に襲われた可能性があります……いや、あの女を知っているということは神父も……」

「ハ、ハルカ様一度落ち着きましょう。そう、お腹も減っていますでしょう? 私、ホテルのふれんちーを予約したのでそれを一緒に食べてから考えましょう」

「何を悠長な……」

 

 カッとなって言い返そうとしたが、ハルカはすんでのところで深呼吸を繰り返した。感情に任せて行動しても、ロクなことにはなるまい。

 ここはキャスターの言うとおりだ。悪夢が強烈、かつ自分が記憶の欠損をかなり気にかけているせいで思考があまりにも安直になっている。それに例によって腹も減っている。

 

 腹が減っては戦はできぬとこの国では言うらしい……しかし、待て。

 

「ホテルのふれんちーを予約した?」

「はい! 私はあまり現代の食に通じていませんが、いいホテルのごはんはまず外れないと! 雑誌を見て予約してみました!」

 

 ゆえにその余所行きの恰好か。

 

「あっ、安心してください、ちゃんと戦う気はあります!その証拠にふれんちーは予約しましたが、「部屋はもう取ってあるんだが……」とかそういうことしてませんから!」

 

 誰もその心配はしていない。キャスターの行動には溜息をつくことが多いが、許せない逸脱の範囲ということもない。

 なにより自分が一日の半分以上を眠って過ごしている体たらくにもかかわらず、拠点を守っており、こちらに文句を言わないのは、ありがたくもある(ただその点の文句なら遠慮なくぶつけてくるサーヴァントの方が好ましくはある)。

 

「……どうせそのレストランも私のマネーで予約しているのでしょう。腹が減っては戦はできませんし……食べながら考えを整理しましょうか」

「流石ハルカ様! ではでは、向かいましょう♪駅直結のホテルらしいので迷いませんよ!」

 

 ……聖杯戦争にもかかわらず、いささかならず緊張感がないと思うのは気のせいだろうか。

 気のせいではない。

 

 

 

 *

 

 

 

 キャスターが予約したというホテルは、春日駅直結という交通の意味では利便性に特化したホテルだった。

 ランクとしては駅に近い別のホテルの方が上だろうが、こちらもレストランの質やロビーの様子を見るにコストパフォーマンス優先のホテルではない。

 

 レストラン「フォーシーズンズ」の受け付けは大理石のカウンターから始まり、中のテーブル席もひとつひとつがスペースを多くとられていて、ソファも革張りが基本だった。

 店内はオレンジ色の照明で照らされ、そこかしこに飾られた生け花が趣を添えている。オーソドックスなフレンチ店の装いではなく、今風のシックなレストラン・バーという方が近い。

 

 そんな店内でキャスターが予約したのは、角の二人席で目の前の壁がすべてガラス張りになっており、春日の夜景が一望できる場所だった。丸いテーブルには既に皿とカテラリー、グラスが整えられていて主賓の到着を待っていた。

 

 ウェイターに案内された二人は、おとなしく席に着いた。先に飲み物のメニューを手渡されたが、よくわからないキャスターはとりあえずオススメのワイン、ハルカはドメーヌ・ディディエ・ムヌヴォー アロクス・コルトン プルミエ・クリュという呪文ワインを頼んでいた。フランボワーズにスミレの香りがして、酸味と冷涼感のある赤系果実の味わいの落ち着くワインらしい。

 

「ハルカ様、ワイン詳しいのですか?」

「普通です。……いや、これでも実家は金のある方だと思うので、自然とある程度は覚えました。今のは高いワインではありませんよ」

 

 ハルカが扱う宝石魔術は、魔術の中でも費用のかかるものである。

 その名の通り宝石を使うからであり、一回使ってしまえば終わりだからだ。その上質のいい宝石でないと魔術に使いにくいこともあり、宝石魔術の家系は大金持ちと相場が決まっている。

 そのため――ハルカは周りを見渡して首を傾げた。

 

「貸切にしなかったのですか? このくらいのホテルのレストランなら、貸切っても大した額にはならないでしょう」

「ハァイ!? 貸切!? なぜに貸切る必要が!?」

「そちらの方が静かに話せると思いませんか?」

「いや、たしかに、それはそうですけど……予約も今日しましたし、当日貸切は難しくて」

 

 キャスターはしどろもどろになって答えた。ハルカは周囲を確認し、周りの客席とは距離があることを確認してまあいいかと息をついた。

 ウェイターが運んできたワインを受け取る。なにはともあれ、乾杯をするのがこの国の流儀らしい。ハルカとキャスターは軽くグラスを当てた。

 

「フフ、私たちって傍から見るとラブラブ新婚ですか!? キャー!」

「精々兄と妹では」

「兄と妹はこんなところに来ませんー! 多分―! というか、ハルカ様はおいくつなんですか!」

「三十二です」

「えっ!?」

「……そういわれる気はしましたが。二十五歳くらいかとよく言われます」

 

 ハルカ自身気にしているのだが、童顔であるせいか必要以上に若く見られる。

 あまり若く見られすぎると軽んじられかねない為、ハルカとしてはむしろ老けて見える方が好ましいと思っている。

 

「へえ! 思ったより年上でした。私死んだのは二十代なので、人生の先輩ですね」

「失礼いたします。こちら、前菜の丹波産いのししのテリーヌでございます」

 

 テリーヌとは型にバターや豚の背脂を敷き、挽肉やすり潰したレバー、魚肉のすり身、切った野菜、香辛料などを混ぜたものを詰めてオーブンで焼いたものだ。前菜として食欲をそそる塩味が効いたものだろう。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 英霊とくればこのキャスターも庶民の出とは思えないが、どうも人に仕えられる、給仕されることに慣れているように見えない。

 ハルカは自分の方が様になっているのではないかと思う。カテラリーの使い方が鈍いのは日本の英霊であるし、御愛嬌であろう。

 

「あ! いまなんでうまくフォークとか使えないのにオフレンチにしたんだとか思ってらっしゃるでしょう! 日本人は海外のモノをやたらとありがたがるクセがあるんです!!」

「そうですか。……ところでキャスター、あなたは生前この国における魔術師の一つ、巫女であったそうですが」

「えっ!? そうですけど、それが何か?」

「あなたが真名を思い出せていないことは承知です。けれどそれでもできる限り、あなたの人生を知りたい。私も日本の神話には疎いのですが、何かひっかかるものがあるかもしれません」

 

 テリーヌを早々に食べ終わっていたキャスターは、フォークを片手に頬を赤らめた。

 

「……キャッ、私のことが知りたいなんてマスター情熱的」

「マスターがサーヴァントのことを知らないでどうするのです」

「……そういうところ、なんか妙に生前の夫と似てて微妙な気分になりますね~~」

「そういえば生前結婚していたのですね」

 

 丁度運ばれてきたのは新鮮なアジと甘海老の温かいスープ・ド・ポワソン。要するにフランス風の魚介スープで、魚介のアラから旨味をとった濃厚なものだ。温かい湯気とともに、芳醇な香りが漂う。

 

「してました! というか、この夫の名前を思いだせれば何もかも解決する気すらするんですが……」

 

 食欲旺盛にさっさとスプーンを手に、スープに手を付けながらキャスターは話を続ける。

 

「……そもそも、私自体、その人がなすべきことのためだけにあったんです。勿論現代じゃないので、結婚は周りに決められたものでしたが……そういう次元ではなく、この身はその人の為ではなく、もっと大いなる目的の為にありました」

 

 湧いたスイーツ脳の発言はあるが、彼女自身は愛や恋に生きていなかったのだろうか。

 

「私、恋とか愛とか、そういう話大好きです。やっぱエネルギーですよね、そういうの。だけど同じくらいヤバい代物だとも思うんです。きっと最初に抱いていた願いさえ粉々にしてしまうほどの、キョーレツなパワーを持ったものです。取扱い注意、いやむしろこんなにやばいなら、最初からない方がいいんじゃないかってくらい」

 

 物語の世界だけではなく、現実世界でも殺人のトップ原因に踊るのは金銭と男女関係だ。彼女が言うのは、至極当たり前のこの世の話だ。

 しかしそんなことを言いだすとは、昼ドラ顔負けの生前だったのかとハルカは思ってしまう。

 

「あっいや~~、私と夫はなんやかやラブラブでしたし?? ……いや、それは今だから言えることですね……生きている当時は、いや、ラブラブ! ラブラブです!」

 

 スプーンを突き上げて謎のガッツポーズをとるキャスター。あまり深くつっこむとややこしそうなので、ハルカは突っ込むのを辞めた。

 人の恋愛話にあまり興味もないが、気になる点はあった。

 

「……? 夫と仲睦まじかったのに、そんなゴミのような恋愛脳を私にさく裂させているのですか?」

「ぐっはー!! ゴミいただきました……しかしこれも徐々に快感に……!」

 

 キャスターはテーブルに倒れ伏して死にかけの蟲のように蠢いた後、よろよろと顔を上げた。

 

「……フッ、お忘れではありませんかマスター。私はすでに死人、生前の話はそこで終わっているのです。つまりたまたまサーヴァントとなった今、私は新たな恋とか愛をしたいと思っているのです! まずは手近なところから!」

「さりげなく凄いこと言っていますが、もしかして酔っていますか」

「あっ手近っていうのはですね、手近にいい男いてラッキーくらいのあれなので! アバズレではないので!」

「失礼いたします。こちら黒毛和牛のステーキとフォアグラのソテーと、バゲットでございます。バゲットはお代わり自由ですので、御所望の際はお声掛けください」

 

 丁度運ばれてきたメインに遮られ、キャスターは奇声を上げるのを辞めた。

 ステーキはステーキ、こんがりと焼かれているが中はミディアムレアで、ナイフがスッと通り柔らかさ抜群の肉である。それに添えられたフォアグラも焼き目がてらてらと光り、濃厚な滋味を予想させた。

 第三者の介入により落ち着きを取り戻したのか、キャスターはこほんと咳払いをしてハルカに水を向けた。

 

「わ、私のことはこんなとこです。正直、あと一息で思い出せる感じはあるんです。で、今度はハルカ様の番です!」

「? 私に何か聞きたいことでも?」

「ご職業は? ご趣味は? 休日は何をして過ごしますか? 恋人に望むことは?」

「魔術師です。趣味はレスリング。休日はレスリングと魔術の鍛錬で過ごします。恋人はできれば美しい方がいいですが、それよりも丈夫な子を産める母体として優れた方を望みます」

「ンアー!! なにそれー!! 魔術しかないんですかー!! つまんないですー!」

 

 最早駄々っ子のごとく、キャスターは足をばたつかせて文句を言った。ついでに面倒くさくなったのか、ステーキは真っ二つにナイフできっただけの大きな塊をフォークで突き刺して食べていた。

 

「趣味=仕事と考えていただいて差し支えないかと。つまらないはたまに言われます」

「あっ、そうですか……面白くなる気は?」

「ないです。そもそも何をすれば面白い、ということになるのですか」

「はぁ……こういう変に糞真面目なところは似てるんですよね~」

「何か言いましたか」

「いえ何も!」

 

 キャスターは生前の夫とハルカが似ているだけで、別人だとよくわかっている。

 ハルカは戦闘が好きと口でも言っていたが、これまでの戦闘を見て本当だとキャスターも理解していた。

 危機に瀕しながらも抑えきれない興奮と衝動、尽きせぬ相手への興味。自分がどこまで辿りつけるか試したい想い。どちらかの死という結果になっても、それはきっと――少年同士が河原で殴り合いの喧嘩をすることの延長線上にある。

 

 見た目は落ち着きのある文学青年といった風なのに、中身は全然違う。

 社会での立ち振る舞いを憶えても、きっとハルカの中身は少年のままだ。試したくて知りたくて、どこまでやれるかわかりたくて、現界を超えたくて――楽しいから戦う。

 

 それが魔術師として良いかはともかくとして、ハルカは根本として「戦うのが楽しいから戦っている」。

 却ってキャスターの夫は違った。彼は戦うことが得意だったが、好きではなかった。ただ役目として戦闘があったから戦っていただけだ。

 

 ゆえに生前の夫と同じことにはならないと思っているが、一応――彼がそこまで聖杯戦争で戦うことに執着する意味を知りたかった。

 

 戦うだけなら、無理に聖杯戦争にこだわる必要はないと思うのだ。

 

「マスター。マスターは時計塔とかの命で聖杯戦争に来たとおっしゃりました。だけどエーデルフェルト家は、マスターを出すことを渋ったとも。そこまでしてあなたがこの戦争にこだわったのは何故ですか」

「……そうですね」

 

 ハルカは暫し考えてから、口を開いた。「かつてエーデルフェルトは冬木の聖杯戦争で一度惨敗を喫しています。その雪辱を果たすには聖杯戦争しかないとは前に言ったと思います」

「はい」

「私はエーデルフェルトですが、あくまで分家です。それに……私はこう、魔術師として生きることに不満はありませんが、根源を求めたり研究を進めたりするには、才能が足りないようです」

「才能が足りない」

「……魔術師全体から見れば、私はそう程度の低いわけでも才能が足りていないこともないです。しかし我がエーデルフェルトにおいては、私の力など取るに足らないのです」

 

 それでも、ハルカ自身は卑屈になったことはない。ないならないで、それでもいい。

 ただこの高貴な家の末席に連なるのであれば、それにふさわしいだけの働きをしたい。

 畢竟ハルカは、その倫理感が一般世俗から逸脱したものであっても、魔術と神秘を追う世界を愛していたのだ。

 生まれた時から神秘と共にあった彼に、世間並みの感覚を求めるのは難しいが。

 

「神秘の最奥を求める事。時計塔にて海千山千の老獪な君主(ロード)らと渡り合う事。それらが私にできなくても、私にはこの体がありこの拳がある。華麗なるハイエナ、その先鋒がこの私。先陣を切って地を駆ける者です」

 

 生まれた家を誇り、戦いに喜びを見出す。勝つことは重要でも、もっと大事なことは戦うことそのもの。すでにハルカは戦うことが目的化している。

 

 聖杯戦争では陣地を超えた英雄たち、魔術師と命を懸けて戦える。その上勝利すれば、誇る我が家の恥をも雪ぐことになる。だから彼はこの戦争にこだわった。

 

「……これはこれで戦闘狂(バトルジャンキー)って言うんですか? 確かに、ハルカ様は魔術師にしてはきっとずれているのでしょう。魔術師が魔術を使うのは神秘を学ぶためで、戦闘の為じゃないっぽいですし」

 

 キャスターは呆れたように息をついてから、もぐもぐとフォアグラを口に運んだ。貧乏性か、ソースの一滴まで逃すまいと肉にたっぷりとつけている。

 ワインを一口、ナプキンで軽く口を拭ってから彼女は顔を上げた。

 

「ハルカ様。貴方は自分が戦えなくなることを考えたことはありますか」

「? あります。魔術師ですから……戦闘でない魔術行使にあっても、うっかり失敗したで死にかねないので」

「では、たとえば戦場にて――戦わずして敗れ去ることは?」

「……」

 

 そこでハルカはむっつりと腕をくんで考え込んでしまった。戦って死ぬこと、魔術の暴発で死ぬことは考えたことがあっても、そちらは考えたことがないようだ。

 自分を暗殺することの意味はないと思っていそうだ。

 

「……じゃあ、時々でいいので、考えてみてください」

 

 キャスターの意図が読めないハルカは、首を傾げていた。何故このサーヴァントはそんなことを言うのか。

 もう自分たちは聖杯戦争で戦っていると言うのに。

 

 

 

 その後、ハルカとキャスターは運ばれてきたイベリコ豚のハムとデザートのガトーショコラ・クラシックと紅茶を堪能した。

 高級店に慣れているハルカとしてはまあまあの感想だったが、現代文化を楽しむキャスターは終始楽しそうだった。

 

 流石にハルカとて理解はしている。このサーヴァントは聖杯戦争には実に不釣り合いな英雄だと。言ってしまえばただの殺し合いには、彼女は不釣り合いだ。

 それに本人も出会った時にも願いはない、マスターの願いが叶えばそれでいいと言った。

 

 ――英霊は無理やり座から呼び出されるのではない。呼びかけがあった時に応じるかどうかは英霊に選択権がある。

 

 殺生に向かない彼女が何故召喚に応じたのか、ハルカにはわからない。

 

 

「あなたは何故召喚に応じたのですか。キャスター」

「え? そんなの、助けを求められたからです。言いませんでしたっけ。私が助けたいと思ったからだって」

「……そんな必死な召喚をしたのですか、私は」

 

 ハルカは記憶の欠落部分に関わることは、色々な意味で思い出したくないと改めて思った。

 

 

 デザートと紅茶を完食し、最後にビルの光と月光降り注ぐ景色を名残惜しくも置いて、二人はレストランを後にした。エレベーターで一階まで降り、ガラス越しの景色ではなく彼ら自身が夜景の一部になった。

 レストランを出てからキャスターは終始ご機嫌でハルカの左腕にくっついてくるが、彼としては少し鬱陶しい。

 

「離れてください。歩きにくいです」

「え~~いいじゃないですか。ラブラブごっこしましょうよ~寒いですし~~」

「サーヴァントは寒さを人間ほど感じないはずです。それにラブラブなら生前たっぷりしたと言っていたではありませんか」

 

 ハルカの言葉を聞き咎め、キャスターはむっとした顔つきになった。

 

「ハルカ様それは拡大解釈というものです。今思えばラブラブだったかな? と思えなくもないってレベルです。それに私夫に殺されてるんで、今こそは正真正銘のラブラブを」

「……」

 

 キャスターはさらりと重いことを言った。しかし、過去神話において連れ合いを殺すことなど掃いて捨てるほどあるために、驚くほどのことではない。ハルカは大きなため息をついて、左腕の力を緩めた。

 

「当然今日も索敵します。敵に遭遇したらすぐさま離れ、戦闘に移れるようにしてください」

「はい! マスター何だかんだでお優しいから好きです! ぐふふ同情を買う作戦成功」

「……」

 

 この女はわざと余計なひと言を付け加えているのだろうか。

 

 



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夜② 結界をまもるもの

 ちりん、と響く鈴の音。

 それは、まるで熱愛中の彼女のような言葉を吐いて、窓に腰かけていた。

 

「来ちゃった♥」

「呼んでないんだけど」

 

 白いカーテンが風にたなびいている。室内の空気よりも生温い風が吹き込んで、眠る気はさらさらなかったものの、明は妙に意識を覚醒させられた。

 彼の宝具の力で、一階にいるであろうセイバーヤマトタケルは気づかない。影景は影景で調査に出かけており、アルトリアは今日の巡回当番で不在。

 誰にも気づかれていないとは思うが、拒まずこそこそ会っている時点でどうも後ろ暗い。小心だが犯罪をする人の気持ちってこんな感じなのだろうか。

 

 アヴェンジャーは前回と同じTシャツGパン、腰にベルトで刀を収めた格好だった。

 明は鈴を鳴らしていない。何の用かと聞いたが、「ヒマだから来た」と言った。

 

「そう。でも私は暇じゃないから帰って」

 

 明はこれからセイバーの方のヤマトタケルと出かけるつもりなのだ。

 

「ちょっと気になったんだけど、お前らってヤってんの」

「……」

 

 どーして夜更けに突撃されてセクハラ発言を受けなければならないのか。

 セイバーと同じ顔であるのがなおさら腹立たしい。

 

「うるさい帰れ」

「構えよ暇なんだよ。で、どうなんだよ」

「どうせ答えなんてわかってんでしょ。あるわけない、以上」

「ちょっとは照れるなり恥じるなりしろよ、かわいくねえなあ」

「虚数空間に捨てられたいの? あと一夫多妻の世界に生きててもセクハラモラハラ

 夫なんて奥さんが泣くよ」

「夫婦ごっこは生前で終わってま~す」

 

 やはり、何があったらあのセイバーヤマトタケルが、こんなふざけた有様になってしまうのか不思議である。セイバーの方も女性関係については来る者拒まずだとは思うが、少なくともいやなことは嫌だと伝えればしなくなる、とは思う。

 

 目の前のアヴェンジャーに問いたいことはあるが、本当のことを答えるかは限りなく怪しい。もう半ば、この春日のからくりはわかったが――土御門神社のサーヴァントと、一度話す必要がある。

 

 おそらく、彼女はアルトリアが目撃したという女のサーヴァントのはず。その拠点は、他の誰がわからなくてもこの碓氷明は知っている。

 ハルカ・エーデルフェルトが聖杯戦争でおいた拠点を知っている。だが知っていることと、実際に拠点を訪れることができるかは別の話である。

 

 できればハルカ・エーデルフェルトを抜いた二人きりで会いたいのだが――その状況を整えるのは難しそうだ。まっとうなマスターなら、聖杯戦争中にサーヴァントから離れようとはすまい。

 明は渋い顔つきだが、漸くまともにアヴェンジャーを見た。

 

「……アヴェンジャー、ひとつ頼みが……」

「……碓氷明、用事ができた」

「は?」

 

 アヴェンジャーはこれまでのふざけた態度を一変させ、腰元の刀を撫でると一息に窓から外へと飛び降りた。

 驚いた明は思わず窓から身を乗り出したが、既にアヴェンジャーの姿はなかった。

 

 

「……ほんとにセクハラしに来ただけ?」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 美玖川は暗く静まり返っていた。空は晴れており小さく星の輝きが散っている。しかし人気は全くない。時間を考えれば、人が少なくても可笑しくないが……。

 

 銀の鎧を纏ったアルトリアは、不可視の剣を右手に、美玖川の川面に立っていた。春日市の巡回のため、あちらこちらを見て廻っているのだが、昨日のヤマトタケルは大西山と土御門神社を見たため、それ以外の場所を回っていた。

 

 美玖川そのものに気になる点があったのではなく、通りかかった際に川辺に黒い狼を数匹見つけて、珍しいと思い調べ始めたのが始まりだった。河川敷を歩き回っていたら、見かけた狼はいつの間にか消えていた。

 そしてふと向こう岸を見た時、違和感を抱き渡ってみようとしたのだ。

 

「……確かに、これは妙だ」

 

 彼女は湖の妖精の加護を受けている為、ヤマトタケルと同様に水上を駆け抜けることができる。そこで彼女も理子と同様に、川を走って向こう岸へと辿りつこうとした。

 敵の警戒は常に怠らず、真っ直ぐに向こう岸へと走る。自然な川の流れとは異なる波紋が水上に広まり、広まり、薄まり消える。

 

 あっという間に対岸へ到着した、と思いきや、彼女の目の前に広がる景色は、今まさに背後に置き去りにしたはずの春日市の夜景だった。まさかと思い再び背後の隣市――本当は春日市側だと思うのだが――へと引き返す。しかし辿り着いたのは春日市側だった。

 何らかの幻術・暗示の魔術にかけられているのか。しかし対魔力Aを持つアルトリアが簡単に魔術にかけられるはずはない。

 しかも、魔術にかかっているという自覚さえ与えないほど高度なもの。

 

 アルトリアは川面をゆっくり歩きだしたが――背後に見知った気配を感じて振り返った。

 

「……エイケイ」

 

 紺色のスーツ。少し光沢のある生地ゆえか、夜の闇のなかでも彼の姿は浮き上がって見えた。影景は能天気に手を振りながら、川辺ギリギリに近付いてきた。

 

「明の命で調査か、騎士王」

「……ええ。貴方は何を」

 

 アルトリアは碓氷影景の人柄を信頼してはいないが、春日への見識という意味では信用には足ると思っていた。なによりマスターである明がその実力を認めている。それにヤマトタケルは憤慨していたものの――おそらく明への教育方針自体は、そんなに外れたものではないと、アルトリアは考えていた。

 

「俺も調査だ。管理者として気になるのでな」

「明と共に調べないのですか」

「これも勉強だ。何、危険なことは……おそらく、ない!」

 

 呑気に笑っているが、あまり信じられない。これでも管理者の言葉ゆえ危険はないのだと信じたいが、魔術師は良く言えば風変り、悪く言えば人でなしのところもある。

 ただそれでも最も真実に近い人間である――明のことを思えば、多少この父から話を引き出しても悪くはないだろう。

 アルトリアが共に調べないか、と声をかけるより先に、影景が口を開いた。

 

「ちょっと付き合ってくれないか、騎士王」

「……私も同じことを言おうと思っていました」

「あなたが春日市異状調査なら、ヤマトタケルの方は明の護衛か」

 

 きょろきょろと周囲を見回している影景の言葉に、アルトリアは小さく頷いた。彼女はこの役割分担に不満はないが、少し明の態度に壁を感じないでもない。

 自分はヤマトタケルと同様に明のサーヴァントとして春日聖杯戦争を駆け抜けたはずなのだが、何となく明はアルトリアよりもヤマトタケルに信を置いている、頼りにしているような気がするのだ。

 そう考えていたところに影景に話しかけられ、アルトリアは声の方に顔を向けた。

 

「騎士王。なにかこの場所について感じたことがあれば教えてほしい」

「……敵意は感じませんが、居心地は良くありません。何かに見つめられているような気がします」

 

 周囲の気配は先ほどからずっと窺っている。明確な敵の気配は感じない――ただどうも不穏な、通常の春日ではないという違和感・不快感がある。

 何かはわからないまでも、確実に何かがあると彼女の直感は告げていた。

 

「ふむ。それは美玖川に近付いてから感じたものか? 街中では感じなかっただろう」

「ええ」

「奇妙なことをまとめるぞ。その一、春日から外に出られない。その二、春日聖杯戦争の再開。その三、知らぬサーヴァントの召喚。その四、どうやら、ここでは死なないらしい」

「……最後のは初めて聞きましたが」

「俺もこれは伝聞だ。神父のところに茨木童子が来て、そのようなことを言ったらしい。死んでもそのことを忘れて、次の日には元通りになると」

 

 聞けば聞くほど奇怪で不気味な話である。春日という閉鎖の檻で再開された聖杯戦争――だが戦争と言いながらも、死人は出ない矛盾。

 影景は軽く指を振りつつ、口を開く。

 

「さてここからは俺の仮説だ――ここは本来の春日ではないのかもしれない。何者かによって創られた、ニセの春日の可能性だ」

「……」

「春日から外に出られないのではなく、春日の外が存在しない。我々は世界の影響下にあるため、この世界、いや結界の主の意思によって死すらなかったことにされる。なかったことにしているのか、蘇生魔術を自動で発動させているのかは不明だが……」

 

 そもそも、春日において俺にわからないことがあること自体がイレギュラーなのだと、影景は煙草をふかしながら淡々と語る。

 

「ここ数日の春日の霊脈の流れが妙だ。魔力が春日市内だけで循環し、完結している。まあ四神相応の地というものは、魔力を中心に集めて市街を守護するための仕組みなんだがな。川で仕切られた先には漏れ出さないのが通常ではあるが、あまりにも漏れがなさすぎる。あまりも効率よすぎる。まるで、漏れる先がないから漏れないみたいな――それにどうも春日に漂う魔力は、ただの魔力ではない――汚染された聖杯の魔力に近い」

「――!? そんなバカな」

 

 影景の話を聞いていたアルトリアは、流石に驚愕の声を上げた。

 彼女も知っている――聖杯に満ちた、汚染された魔力のおぞましさ。サーヴァントの霊基さえも変質させる呪いの塊。それを用いてこの疑似春日が造られているのだとしたら、こんな普通の街で、普通に人々が生活できる街になるはずがない。

 アルトリアの言いたいことを察し、影景はにいっと笑った。

 

「……騎士王、夜に徘徊する黒い狼をみたことはあるか。俺の観察したところ、あれは聖杯の呪いの塊だ。姿が黒い狼なのは、結界主のイメージしやすい形を取っているのだろうが――あれとて、出したくて出しているものではないと推測している。なにしろ死人が出ない春日だ」

 

 影景と明が戦った日にヤマトタケルを追って飛び出した時以来、アルトリアは夜外に出ていないため、その黒い狼を見たことはなかったが――先程視界の端にとらえたが消えた、獣を思い出す。

 影景は黒々とした美玖川を眺めながら続ける。

 

「……さて、ここが造られた春日だと仮定して、異界創造法としてすぐに思いつくのは空想具現化、固有結界だが、前者は人工物を生み出せない。後者は世界の修正力を受けるので、魔力がいくらあったとしても何日も持つはずがない。とすればそれら単独ではなく、複合した結果によりこの春日が維持継続されていると見るべきだ。……しかし、何処の誰が何故春日を模倣しているのかはわからない。明らかなイレギュラーはハルカと知らぬサーヴァントだが、サーヴァント一騎の宝具としても苦しい」

 

 アーチャーが固有結界宝具を持っているが、あの結界内の心象風景は平安の屋敷となるため確実に春日の風景とは異なる。それ以外、春日聖杯戦争を戦ったサーヴァントたちに、このような事象を引き起こしかねない宝具の持ち主はいない。

 

「……しかし、この春日を維持しているのが誰にしろ、このレベルに精緻な世界を保ち続けるのは並大抵ではない魔力と技量が必要になる。俺たちが見ていないだけで、この世界を維持管理している者がいる。それがハルカと新サーヴァントの一味、もしくは俺たちの知らない者だ」

「……」

「春日とほぼ同じ街で、聖杯戦争を再開させ、かつ一夜にして死をもなかったことにする結界を作りだし維持する。何をしたいのかさっぱりわからん。目的が読めないところが気持ち悪いが、ともあれ、この結界の継続を望んでいる者がいるのは確かだろう。とすると、結界の継続を望む者、仮に境界主と呼ぶとすれば最も危険なのは何か」

「……ライダーの宝具、ですね」

「そうだとも。断絶剣(対界宝具)にかかればどんな結界も紙くず同然だ。それどころか、ライダーはもう何もかもを把握していて黙っていることも十分ありえる。なにしろ因果を見る神霊の一側面、あれにとっては俺たちも娯楽の一部に過ぎん。フツヌシの話を聞く限りな」

 

 アルトリアも、それは言われずとも察していた。ライダーは記憶の片隅に過る黄金とは全く異なり、傲慢さや慢心を感じはしない分まだ付き合うにはマシだが、こちらを観察している朱色の瞳には慣れない。

 

「俺の見立てでは、境界主は既にライダーに接触はしているはずだ。あれを放置するのは導火線に火のついた爆弾を放置するようなもの。せめてライダーに宝具を使う気はないことを確かめているだろう。とすれば、俺たちも同様に「この結界ぶっ壊すぞ」の意思を見せつければ、それを防ぐために境界主が出てくることになる」

 

 影景は残った煙草を惜しげもなく、ポケットの携帯灰皿に押し付けて消した。

 

「だが、当然世界を破壊する手段は俺にはない。星の聖剣も、世界を破壊するための剣ではないから違う……」

 

 彼は河川敷を見回しながら、適当なところで川辺に近付き腰を下ろし、川の水に触れた。温いというには少々冷たい、黒々と沈んだ川の色だった。

 

「川は古来より境界だ。単純に川が流れていると向こう岸へ渡れないという自然的要因からの連想で、魔術的にこの世とあの世を隔てるものとしても扱われる。このイメージは普遍的にあるようで、仏教には三途の川、ギリシア神話にもステュクス・アケローンと類似が見受けられる。魔術でなくとも、国境・村・街の堺は川であることは多い」

 

 影景の手元が薄く光を放っており、何らかの魔術を行使していることは明らかだ。

 一体何を、とアルトリアが影景に近付いた。と、今まで流暢に説明をしていた影景の様子がおかしい。

 息は荒く、肩を上下させて顔色は青い。アルトリアが声をかける前に、彼が口を開いた。

 

「……心配は不要、これでも春日のプロだからな。ちょ~っとその聖杯の魔力に触れようと……」

「それは……ッ!?」

 

 アルトリアが影景の肩を引いて、無理に川の水から引きはがそうとした時――彼女は唐突にサーヴァントの気配を感じて不可視の剣を両手で持った。

 

 だが、彼女は自分の眼を疑った。

 

 川面に立つ、一人の青年。アルトリアと同じく銀色の鎧に、不可視の剣。

 毎日顔を合わせる同居人の姿があった――そして彼は素早く剣を横なぎに振るい、目にも止まらぬ速さで何かを吹き飛ばしてきた。

 

 狙いは碓氷影景。アルトリアはとっさに影景を突き飛ばし、自らの剣でそれを受けた。不可視の剣が纏う風に吹き散らされて、弾き飛ばされてきたものは水であったと知れた。

 

「……ヤマトタケル……!」

 

 そこに立っていたのは、銀の鎧をまとったもう一人のセイバー、日本武尊だった。



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夜③ 黒葛纏剣・無刃真打(くろつづらのつるぎ)

 目の前には、見慣れたセイバー・日本武尊の姿。

 

 だがしかし、彼女は緊張を高めた。

 一つは、彼は明の護衛として、今彼女とともにいるはずであること。

 二つはこの至近距離になるまで、彼の気配に全く気付かなかったこと。

 

 アルトリアは索敵に優れたサーヴァントではないが、ヤマトタケルが女装をしていたのでもなければ、セイバークラスのサーヴァントに半径二十メートル以内に近付かれるまでわからないはずはない。

 

 影景は肩で息をしながら、河川敷の芝生にひっくり返っていた。

 

「エイケイ、離れていてください……ヤマトタケル、何故ここにいるのですか」

 

 ヤマトタケルは深々と溜息をついた。「お前たちが望んでいたから出てきた。俺はお前たちになんら害を与える気はない。このまま帰れ」

 

「……あなた、本当にヤマトタケルですか。……いや、この際どちらでもいい。あなたはエイケイのいう、「境界主」なのですか」

「……」

「騎士王! そいつ、霊体化しようとしているぞ!」

 

 上半身を起こした影景は、眼鏡をはずしてヤマトタケルを睨み据えていた。彼の言うことを瞬時に察したアルトリアは、一足で水面を駆け抜けて剣を振り下ろした。

 ヤマトタケルは左足を引き、不可視の剣を不可視の剣で受け止めた。衝撃で水しぶきが跳ねあがり、互いの膂力で弾き合って水面上で距離を取った。

 

 ――春日の異変を知る手がかりを、このまま見逃す手はない。碧玉の瞳の意思を読み取ったヤマトタケルは、面倒そうに刹那、眼を閉じた。

 

 だが再び目を開いた時には、漆黒の瞳に殺意を抱いていた。

 

「……仕方ない」

「エイケイ、後ろに下がりなさい!」

「わからいでか! ……騎士王、アレを戦闘不能にしてくれ! あとは俺が聞き出す」

 

 影景は脱兎の勢いで脇目も振らず駆けだした。サーヴァント同士の戦闘に巻き込まれてはただではすまない。

 これでアルトリアは心置きなく戦うことができる。影景の気配が少し遠ざかるのを確認し、彼女は水上を走った。

 

「――!!」

 

 轟、と風が荒れ狂っていた。アルトリアの宝具「風王結界(インビジブル・エア)」と、ヤマトタケルによって振るわれる剣が激しく、幾度も幾度も打ち合わされて魔力と火花を散らした。

 

 ――聖杯戦争中のヤマトタケルは、剣を完全なる不可視の剣にしてはいなかった。彼は草薙の炎で鞘である天叢雲を蒸発させて纏い、蒸気に包まれた剣として使っていた。

 鎧なく肌を切りつけられたら、火傷を負ってしまうだろう灼熱の剣としていた。

 

 確か「どうせサーヴァント同士の戦いであれば、不可視であっても間合いは測られてしまう。ならば断った時により深手を負わせる方がよいだろう」との考えであった。

 

 だが今の彼は天叢雲を蒸発させず、水として草薙に纏わせ光の屈折率を変えることで、奇しくもアルトリアと同じ不可視の剣として使用していた。なぜ今は、剣を完全なる不可視にしているのだろうか。

 

 不思議なことはもう一つ。ちりん、と場違いに涼やかな音が時折響く。

 どうやら彼は鎧の内側に小さな鈴を取り付けているらしいが、彼がそんな音を鳴らすのを一度も聞いたことがなかった。違和感を脳裏に抱きながらも、アルトリアは容赦なく剣を振るう。

 

 裂帛の気勢と共に振り下ろされる不可視の剣。それを間断なく受ける不可視の剣は、互いに弾き、競り合い、弾き、競り合いを目にも映らぬ速さで繰り返している。既に打ち合いは五十を超えて、なお二人共に傷一つない。

 一拍、剣士たちは距離を置く。

 

「――話す気はないのですか、ヤマトタケル」

 

 アルトリアの目的は、ヤマトタケルの首ではない。春日に起こる不可思議な事象を解明するために知っていることを話させる事。

 彼に話させることと彼を倒すことは別の話であるが、影景の様子を見る限り戦闘ができない状態に追い込めば、彼を調べる方法があるはずだ。

 

 ヤマトタケルから返答はない。その代わりに返ってきたものは剣。

 水面を蹴り一息の間に詰められた間合いに、不可視の神剣が突撃する。不可視の聖剣が受け、弾き、ちらちらとほどけた風王結界から、黄金が煌めいている。「幻想返し」の焔の剣は、ぶつかった瞬間風の鎧をほつれさせる。

 

 アルトリアは真正面から愚直な直撃を受けて弾き返し、ヤマトタケルは間髪入れずに剣をアルトリアへではなく、水面へと叩きつける。烈しく上がる水柱のカーテンから鋭く突きが繰り出され――はしない。水面を滑るように、足払いが走っていく。

 

「――! 飽きもせず……!」

 

 ヤマトタケルとの戦闘記憶から、この可能性を予知していたアルトリアは右足を水柱の先へと踏込みつつ跳躍し、しゃがみこんだ彼の頭上を飛び越える。水しぶきが跳ねあがり相手の姿を見たのは、眼下――から、太い腕が伸びて、アルトリアの徹甲に包まれた右足を捉えた。

 

 無論、ヤマトタケルとてしゃがみ片足を軸に体を回転させた途中で、力の入りやすい体制ではなかった。だが彼の力は、体勢の不充分を補って余りある。

 アルトリアは跳躍の途上で、力任せに水面に叩きつけられた。足首は、今も掴まれたまま――その手が離された刹那、上から襲い来るのは不可視の神剣。瞬間の判断で自らの聖剣で受け、彼女にとっては地面も同様の水面で足を跳ね上げ、ヤマトタケルの鎧を掠めながら宙返りを以て立った。

 

 降り注いだ水で濡れた前髪を払い、アルトリアは眼前の男を見据えた。

 

 ――やはり、目の前のヤマトタケルはヤマトタケルではない……。

 

 数回の打ち合いで、彼女はその確信を強めていた。

 騎士王と東征の皇子――互いに筋力はA相当であるが、膂力だけならヤマトタケルが上を行く。アルトリアの素の筋力は、見た目通りの少女並みでしかない。だがその身に宿った竜の因子により息をするだけで魔力を生成し、魔力放出のブーストにより圧倒的な膂力を手に入れている。

 

 それに対し、ヤマトタケルの筋力はそれだけで人を縊り殺し千切れるほどに、素の身体能力からして異常なのである。さらに神剣自体が貯蔵する魔力を追加ブーストとして放出している。だが生前の侵略者と侵略に耐える者の違いか、神剣の治癒力で回復するから身を守る意識が薄いからか、耐久力に関してはアルトリアが上を行く。

 

 アルトリアとヤマトタケルの打ち合いは死闘である。アルトリアの精確にして高い直感、さらに風王結界を組み合わせた剣はヤマトタケルにしても読みきることは至難であり、耐久に劣る彼にしても戦いやすい相手ではない。

 そしてヤマトタケルの一撃はあまりにも重く、さしものアルトリアも連撃で受けることは避けたい。澱のように溜まる衝撃で、いつしか剣を握る力さえも喪わせるだろう。だが――

 

「……どうしたヤマトタケル。貴方にしては攻撃が軽いが?」

 

 軽い。剣を支える腕を砕く巨石のような破壊力は、今のヤマトタケルにはない。目の前の相手は確かに見た目こそヤマトタケルであるが、別人であると――アルトリアは確信を抱いていた。

 

 アルトリアは敢えて口にして相手の様子を窺ったが、相変わらず相手は無言を貫いている。

 

 だが、本物のヤマトタケルより筋力が低いのであれば、アルトリアに分が出てくる。

 明の命ではあるが、彼女も相応にこの事態を気にかけているのだ。

 

 ――そう、時折脳裏に過る少年は一体誰なのかと。

 

「――、流石に――お前ほどの英霊と撃ちあって騙し果せることはできないか」

「――!」

 

 ヤマトタケルの姿が歪んで、曲がる――瞬きの次の瞬間には、彼の姿は全く異なるものに変わっていた。

 腰には蔦でがんじがらめにされた黒塗りの刀を携えている。髪の毛は肩辺りで不揃いに切り落とされている。右目は黒い布で覆われておりうかがえない。彼の身体は神剣の加護によって傷一つないはずだったが、上着の下の晒しで巻かれた身体は数えきれない傷に塗れていた。

 下半身は鎖の付属した具足を纏っている――アルトリアの知る彼に比べれば、遥かに満身創痍だった。

 

 ちりん、と響いたのは彼の手首に巻かれた鈴。

 

「――もう少し隠していたかったが、仕方ないな! 楽しもうか騎士王!」

 

 ヤマトタケルが手を指揮者のように振るうと、空間が波打ち何振もの刀剣が姿を現した。

 

「――出雲は錬鉄・製鉄の王」

 

 言葉が紡がれた途端、出現した無数の剣・槍・矛が――打ち放たれた矢のごとく、先んじてアルトリアに向けて降り注ぐ。だが、その程度なら撃ちおとせない騎士王ではない。

 

 風を纏った不可視の剣によって、一つは払い、一つは薙ぎ、一つは叩き落とし、無駄のない動きで打ち払う。狙いをつけて射るというより投げつけているような形――どこかで似たような戦い方を見たことがある。

 ただ似た戦い方をする黄金とは違い、大和最強は自ら降らせた剣槍の嵐の中を自ら走りアルトリアに襲い掛かる。

 

 黒塗りの鞘から剣が抜かれることもなく、ただ鈍器として滅多打ちにしてくる――!

 

 ただ投げつけるだけの得物の嵐も、このヤマトタケルには落ちる場所が分かっているかのように、武器の嵐は彼を貫かない。得物を抜くのに場所は選ばないようで、前後左右どこから射出されるのか直前まで読めず、アルトリアは防ぐ対応になってしまう。

 

「!」

 

 上段から振り下ろされた鞘を受け止めたが、背後から火花とともに見覚えのある槍――蜻蛉切が真っ直ぐに打ち出された。アルトリアは鞘を弾き返し体を右に捻って回避した。

 

 アルトリアを貫き損ねた槍は、そのままヤマトタケルを撃つこともなく――僅かに彼の首筋間際と通りすぎていくのみ。

 

「……!」

 

 間断なく剣、槍を打ちだしつつ、自らの攻撃を絡めた相手に攻撃する暇を与えない戦闘スタイル。アルトリアが知るヤマトタケルとは、違う。

 

 そして何より――彼は、何も見ていない。目の焦点が、合ってない。

 

 セイバーヤマトタケルのふりをして戦っている時は、眼の焦点が合っているように見えた。今ならばわかる、それは眼が見える振りをしているだけだったのだと。

 眼帯をしていない左の眼も、おそらくほとんど見えてはいない。

 

 ――ちりん、と鈴が鳴り響く。

 あれはお洒落でつけているものではなく、彼の眼そのもの。

 

 反響定位(エコーロケーション)。一般には発した音が何かにぶつかって返ってきたもの(反響)を受信し、その方向と遅れによってぶつかってきたものの位置を知ること。各方向からの反響を受信すれば、周囲のものと自分の距離および位置関係を知ることができる。この反響定位で有名なのは暗闇を飛ぶコウモリだが、人間でもこれを得意とする者は、聴覚による情報取得よりも、むしろ視覚に近い情報を得るという。

 

 鈴を切り落としてしまえば彼の情報源を断てる――いや、この戦闘の中でヤマトタケルから鈴を奪ったところで大して意味はあるまい。擦る足の音、大気の流れ、息遣い、剣戟、水飛沫、草のそよぎ――彼はそれら全てからこの戦場を描いているのだから。

 

 ――音から情報を得る。ならば……。

 

 アルトリアは頭上から投下される刀を弾き飛ばし、大きく背後へと飛び退って距離を取った。

 

 次弾が放たれるよりも早く、アルトリアが動く。

 

 情報源が音ならば、音よりも速くもっと速くこの剣を叩きこめばいい。

 

 風王結界を束ねていた魔力をほどくと同時に、アルトリアの身体は砲弾のように打ちだされた。背後に風を置き去りにして、風が激しく踊った。

 風王鉄槌(ストライク・エア)の応用、束ねた風をジェット噴射として使い自分の加速を加える――一息の間にこの剣は、彼を貫く。音速を超える速度に達するアルトリアの背後は真空となり、さらに周囲の空気を巻きこみさらなる加速を生む。

 ヤマトタケルの反応が間に合うかどうか。

 烈風を纏う突撃を避けるには、頭で考えていては、耳で聞いていては追い付かない。脊髄よりももっと早く、体がはじき出す最適解・直感のままに日本最強の身体は駆動する。

 

「――俺が、音だけでモノを見ていると思うか」

 

 アルトリアが風王結界をほどくとほぼ同時に、ヤマトタケルは鞘のままの剣を構え――既に後ろへ飛び退っていた。荒れ狂い乱れる暴風が迫る中、たとえ剣自体を避けたとしても、すでにアルトリア自体が砲弾であり大怪我は避けられない。中途半端に避けるよりも、直撃を受けても同じ方向に跳ぶことで威力を殺そうとしている。

 

 空気が割れて、烈しく波打つ。

 同時に川面も激しく振動し人の可聴域を超えた音波が広がっていく。

 

 碧玉の瞳は、黄金の剣の切っ先が、黒塗りの鞘に包まれた剣によって受け止められた刹那を目撃し、そして衝撃のままヤマトタケルの身体が吹き飛んだのを見たが――ヤマトタケルは中空にて剣をを足元に出現させ、それを足場にして反転しミサイルのようにアルトリアへ突撃してきたのだ。

 速さは先ほどのアルトリアには及ばなかったが、音速を超える突撃から体勢を立て直したばかりの彼女はなんとかよけきることで精一杯だった。

 

 黒いヤマトタケルと、アルトリア。片方は鞘に収まったままの剣を抜身の剣のように両手で持ち、片方は不可視の剣を持ち、互いに対峙し、こう着している。

 

「……宝具しかないのでは? ……っつ~~あいたた、とんでもねーもの飛ばすな」

「……?」

 

 はるか後方から、大きな声で彼女の内心を現したのは碓氷影景だった。眼鏡を外し、薄く赤みかかった瞳でじっと戦いを見守っていたようだ。だが今は何やら片目を抑えて呻いている。

 

「……互角以上の戦いをしているからわかるが、ゆえに、宝具で決着をつけるしかないのではないか」

 

 常人にサーヴァントの高速戦闘を視認することはほぼ不可能である。しかし碓氷影景は魔眼「妖精眼(グラムサイト)」にて、魔力の流れとして戦闘を追うことができるため、この戦闘を漏らさず把握していた。

 そして影景の認識は、奇しくもアルトリアのそれと一致していた。

 

 だが、ここで対城宝具である約束された勝利の剣(エクスカリバー)を放つとこの街中では被害が大きくなり過ぎる。それに、目的はヤマトタケルの殺害ではないはずだ。

 黙したアルトリアの背中からその思考を読んだように、影景は続けた。

 

「この川沿いに宝具を放てば街に被害は出まい。それに相手はヤマトタケル――騎士王の剣に対抗する術を、宝具であれば持っているさ――あのヤマトタケルの正体を暴くと言う意味でも、宝具の打ち合いは有効だろう」

「……」

 

 互いに戦闘方法が似て膂力もほぼ同じで戦闘技術に優劣がなく、作戦もないのであれば宝具のぶつけ合いになる。

 しかし約束された勝利の剣は、全て翻し焔の剣にて返り討ちにされる可能性が非常に高い――この場所が日本であるゆえに、なおさら。

 もしくは全て呑み込みし氾濫の神剣にて相殺するか。だが、目の前のヤマトタケルは、その宝具をもつヤマトタケルなのか。その疑念を、影景は肯定した。

 

「……多分、宝具は違うぞセイバーアルトリア。あ、この春日はニセモノだから人命を気に掛ける必要はないな」

 

 今更人命が大切だ、と言わないところは逆に信用できるとは思うが――その「春日が造られた偽の春日である」とは、まだ彼の仮説ではないのか。

 たとえ春日が偽物であっても、ここに暮らす人々、ひいては自分たちは今ここに生きている本当ではないのか。

 

 ――否、たとえ偽物であったとしても、今生きる者を無差別に蹂躙していいことにはならないだろう。

 

 しかし、影景がこの事態を解きあかそうとする意志だけは本物だと、アルトリアは理解している。ならば宝具を開帳するにしくはない――川に沿ってぶつけるならば、人々に被害も出まい。

 一方のヤマトタケルは、もう面倒になったのか開き直ったのか、かかってくるならこいという様子で剣を構えていた。

 

 アルトリアは深く息を吐き、極東の皇子に向き直った。

 解ける『風王結界』、高密度の空気が霧散して姿を現した黄金の剣。暗闇の中にありて今も昔も、光り輝く星の聖剣。

 

「束ねるは星の息吹、輝ける命の奔流――」

 

 高密度に収斂する光を振り上げる。立ち上る光の粒子が、さらにさらに輝きを強めていく――騎士たちの夢の結晶たる聖剣は、ここ極東でも不変にて健在、常勝の王の赫奕とした幻想(キセキ)である。

 

 それを見ても、ヤマトタケルは無言のまま――無策では刹那の間に、加速された閃光の嵐に焼き果たされてしまうことを知りながら、彼はまだ鞘に収まったままの剣を抜かない。

 アルトリアは瞠目したが、もちろん彼が無策にやられるためではないとは思っている。

 

 彼は手にしている同じ黒塗りの鞘に納められた剣を持ち上げた。

 柄と鞘は葛でがんじがらめにされていたが――彼はその葛を力づくで引きちぎって、引きぬいた。

 

「――大和ならぬ国(イズモ)の戦士。そなたを刺すは」

 

 立ち上る光の柱は止まらない。魔力の光への変換は成った――光の断層よって打ち放たれるのまで後刹那。

 しかしヤマトタケルの宝具も、その姿を現した。

 

「そなたの剣であると知れ!」

 

 抜かれた剣に、刀身はなかった。

 

約束された勝利の剣(エクスカリバー)!』

黒葛纏剣・無刃真打(くろつづらのつるぎ)!』

 

 迸る光の暴力、圧倒的熱量で一瞬にして蒸発していく水飛沫、襲いかかる灼熱の光線――十二の会戦を超えてなお不敗、誰もが尊きものと思う、幻想の結晶。

 刀身のない剣を掲げたヤマトタケルは、その光に嘆息した。

 

「……結果として国が滅びたが――お前は良き王だったのだろう。俺とは違って」

 

 その言葉に、自らを蔑む色はない。

 ただ単に、そういう王もいるのだと知った感想だった。

 

 しかし同時に、このヤマトタケルは思う。気高き尊き理想を懐くのはよいが、それが度を過ぎたものであったのなら、それは抱いた当人をも焼くものにもなると。

 

「――己の輝きで焼かれるがいい」

 

 鮮烈にして黄金の光が消え失せ、美玖川にもひとまずの静けさがようやく戻ってきた時――水上に立っているのは騎士王ではなく、ヤマトタケルだった。

 一方アルトリアは消滅こそしていないものの、自らの聖剣による熱量でダメージをうけ、水上に倒れ身動きがとれない状態となっていた。

 アルトリアは全力で身を起こそうとしつつ、眼を疑うような、最後の光景を思い出していた。ヤマトタケルを焼くはずの約束された勝利の剣(エクスカリバー)を、ヤマトタケルが手にしている、という不可解な光景を。

 

「……ッ……!」

「おーい、大丈夫かセイバーアルトリア! 大人しく霊体化していろ!」

 

 言葉通り市街地に被害を出さないように川沿いに宝具が放たれたことにより、影景は、水しぶきで全身ずぶ濡れになりつつも、河川敷から声をかけていた。

 やっとのことで顔を上げたアルトリアが見たものは、確かにヤマトタケル――背格好、顔かたちはほぼ同じでありながら、やはり全くの別人だった。

 歩くとちりん、と堂堂たる体躯に似合わぬ涼やかな音が響いた。ヤマトタケルはアルトリアを一瞥すると、川べりの碓氷影景を見据えた。

 

 どことなくげんなりして、呆れたような声である。

 

「碓氷影景。それほど、死ぬ危険を冒しても(・・・・・・・・・)俺に会いたかったか」

「そうだとも」

 

 ――先程影景が川に手を浸して行使していた魔術は、魔術師の魔術回路へのハッキングに近い。陰陽道の観点でなくとも、魔術的に川や山は霊脈の通りやすい場所である。

 影景は、これを機に川から自らの魔力をもって、この異変を起こしている大本の魔力への干渉を試みた――もちろん、これは春日の霊脈を把握している影景だから成しうることであるが、魔術師の魔術回路へのハッキングが手練れの魔術師には効かないどころか逆に術者側の回路が焼かれることもあるように、影景を拒むモノへのアクセスだった場合、むしろ影景が被害を蒙る。

 

 そしてこの結界の魔力の源は「かつて聖杯だったもの」。

 

 そして「ここ」をなすものはその魔力。

 つまり、影景の推測が正しいとすれば、汚染された「聖杯そのもの」。

 

 蘇生魔術が結界内部に働いているとして、その魔術を成している大本の魔力・この世の呪いを煮詰めたそれに触れたらどうなるか。その場合でも、蘇生は、本当に働くのか。

 

 結局実験は偽ヤマトタケルの介入により止められたが、彼が介入したことで影景の仮定はほぼ実証されたようなものだった。

 

「お前は人死にを出したくない。ゆえに俺を止めるために現れた――いや、人死にを出したくないのは、本当はお前ではないのかもしれないが」

 

 黒いヤマトタケルは何も答えない。

 

「人が死ぬのを嫌うくせに、聖杯戦争は再開している。矛盾極まりないな、ここの創造主は」

 

 黒いヤマトタケルは何も答えない。

 

「お前の存在を確認できたことで、自分の考えが間違いでないことを確認できた。俺はもうこの異変には手を出さない。おそらくお前にもう会うこともない。自殺未遂もしないから安心してくれ――あとは明に任せるさ。しかしついに俺も当主引退かな?」

 

 ヤマトタケルとは正反対に、何故か清々しい顔をした影景は伸びをしてご機嫌だった。

 今アルトリアが負った深手も、日付を超えれば治るだろう。

 

「ならばさっさと帰れ」

「しかし面白い事象を確認させてもらった。不思議なんだが、ここを護ることでお前に何の益があるのかがさっぱりわからない。よければ聞かせてもらえるか」

 

 影景はアルトリアのサーヴァントとしての気配があることを確認し、武装を解いた黒いヤマトタケルに対し言葉をかけた。

 影景はあまりにあっけらかんとして、既に友人であるかのような態度だったが、対するヤマトタケルは陰惨な笑みを浮かべていた。

 

「……自慰だよ、自慰。自己満足ってヤツだ」

 



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幕間
幕間 ××世界の碓氷明


 人は亡くなった人について最初に声を、次に顔を、最後に思い出を忘れるという。

 

 彼は亡くなったというより、既に死んでいるのだが、二度と会わないという意味では似たようなものだ。

 

 しかし今、いつまで続くか極めて不安定でも――その姿の残滓を、垣間見る。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「ん……」

 

 明は重い頭を持ち上げ、眼をこすった。つい一階のソファで横になり、眠りこけてしまっていたらしい。

 大きなため息をついて座り直し顔を上げると、時刻は夜中の二時だった。夕食を終えた後ソファでうとうとしていたところまでは記憶しているが、そのまま寝入ってしまったのだ。もう真夜中どころか、丑三つ時である。

 

 先程の夢が、まだ頭の中に残っている。

 とても懐かしく、温かく、こうあったらいいなと思えるような日常(まぼろし)の夢だ。目元をこすると、水がついた。

 もしや夢で泣いていたのだろうか。情緒不安定である。

 

「……明日は一成とキリエと……」

 

 明日は一成、それにキリエと焼肉を食べに行く約束がある。

 一成は自分の進路について相談したいと、彼にしては恐縮して頼まれた。と、明は腹の虫がなるのに気づいた。

 誰もいない屋敷の中で、明のスリッパの音だけが響く。冷蔵庫を見ると牛乳やケチャップなど、ロクなものが入っていなかった。

 父も春日にいるとはいえ、夜家に戻っているとは限らない。父は父で勝手に食べているだろう。

 

「……春日の異変の原因もわかったのに、本当調べるのが好きな人だよなあ」

 

 空腹を水で黙らせて階段をのぼりながら、明は呆れ半分にひとりごちた。騒ぎになるほどのことではないが、今の春日は少々異常である。聖杯戦争時の状態のような魔力の濃さが街を覆っている。

 

 だが、影景と明は既に原因を突き止め話し合った結果、「これは放置してもよい。要経過観察」との結論を出していた。ゆえに明も異状については気にしていない。

 

 大聖杯から漏れだしていた魔力によって、春日が聖杯戦争時に酷似した魔力に覆われている。だが、大本の魔法陣が破壊されていることと戦争時の魔力には総量で全く及ばないことから、自然と消滅するだろうというのが明と影景の見立てだった。

 

 明は自分の部屋に戻ると、着ていたパーカーとズボンのまま、自分のベッドの上に身を投げた。今起きたばかりだが、一成たちとの約束は午前中からだから、このまま眠れなくても横になっていたほうがいいとの判断だった。

 

 ――聖杯戦争後、時計塔に行っており、あそこはあそこで騒がしくも気の抜けない場所だった。

 だがこの碓氷邸はホームであり、くつろげる空間に違いないのだが――少しだけさびしかった。

 

 再開された聖杯戦争。違う。聖杯戦争はもう終わったのだ。

 

 元気にしてるかなあ、と、かつて共に戦ったサーヴァントのことを思う。

 彼は戦争を終えやっと死を迎えたのだから元気かと思うのは少々可笑しいのだが、それでも安らかにあることを願う。

 

 ――もしまた出会えるのであれば、大変だけど頑張ってると伝えたい。

 

 こんな感傷に浸るのは久々だった。それもこれも、先ほど見た変な夢のせいだ。

 

 あんな都合のいい世界、あるわけない。セイバーも、ランサーも、アーチャーも、サーヴァントが皆健在で、真凍咲やシグマまでも生きていて、平和を謳歌している。

 

 ただ、ありえなくっても、たまに夢を見る事くらいは許してほしい。

 

「でも、何でだろう? 冬木の聖杯戦争に召喚された記録はあったと思うけど――何でアーサー王がいたのかな」

 

 と、その時――全く自分と同じ気配が、玄関の前に佇んでいることに気づいた。

 夜、この屋敷を飛び出していった彼女(・・)が、ようやく戻ってきたらしい。今回の自分は今の自分というより、むしろ聖杯戦争前の自分に近い仕上がりのため、行動を読むのは容易いはずだったのだが、どうも近頃様子が違う。

 

 何故かかなり急いで階段を上ってきている――何か緊急事態でもあるのかと、明は扉が開く前に上半身を起こした。

 

「――何? どうしたの」

 

 勢いよく開け放たれた扉の前に立っていたのは、明と全く同じ顔、同じ背丈をした女性。服は明がよく着るブラウスにミニスカート、黒のストッキング――よっぽど急いでいたのか、彼女は息をきらせていた。

 

「……話が、ある」

「……ッ!?」

 

 自分と全く同じ顔・背丈の人物の登場には驚かなかった明だが――その背後から出てきた人物には、度肝を抜かれた。

 

 打つ金髪、透き通った碧眼に加え、均整のとれた、女神がいればかくやと思うプロポーション。真夏の今、季節外れの長袖にロングスカート、小脇に畳んだコート。

 

「ハーイ、明ちゃん。いつ振りかしら? 虚数空間に時間の概念なんてないから、もうわかんなくって」

 

 八か月前、虚数空間へと葬り去ったはずの――シグマ・アスガードの姿だった。

 



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6日目 綻びだす世界
昼① 魔術師の進路


「土御門! 起きなさい!」

「うあぁ!?」

 

 ばさりとかぶっていた毛布を剥ぎとられ、土御門一成は目覚めた。この暑い季節にガンガン冷房をかけて毛布にくるまる贅沢な眠り方をしていたが、その惰眠もここまでであった。

 ぼさぼさの髪を枕に押し付けながら、一成は緩慢な動作でベッドの上に坐り、相手を見上げた。

 

「……あ? 榊原? 何で朝っぱらから居るんだ」

 

 昨日はアーチャーと焼肉を嗜んで買い物をした後、一度買ったものを置くために自宅に引き返してから、再びアーチャーのホテルを訪れた。そしてそのまま宿泊することになったのである。

 

 昨日は理子もいなかったし、ハルカがひとりで聖杯戦争をしているだけで、一般人に危害を加えようともしていない。そのため昨夜は巡回を休んで、代わりに宿題に手を付けてから眠った。

 前に氷空たちとの宿題会と理子の助けもあったこともあり、九割方片付いたので気持ちよく眠っていたのだが。

 

「朝早く悪いわね。でも大事な事に気づいたの。アーチャーさんには了解得たから」

「……まああいつが了解しないとホテルに入れないだろうけど」

 

 一成はやはりのっそりした動きでベッドから腰を上げた。部屋に備わっている寝巻を使わず、家から持ってきたTシャツと半ズボンで眠っていたので、スイートルームに似合わぬ庶民振りだった。

 

 理子は率先して寝室の扉を開け、一成を誘導する。その後ろについていきながら、改めて折り目正しい元生徒会長が、朝早く突撃してくるとはかなり緊急事態なのではないかと思い直した。

 ルームサービスを頼んだらしいアーチャーがホットチョコレートを飲みつつ新聞を読んでいるテーブルについた。席に着くなり、理子は本題を切り出した。

 

「……春日の外に出られないわ」

「は?」

 

 最初は何を言っているのかと思った一成だが、話を聞くにつれ、目が覚めたこともあり真顔になってきた。

 昨日実家に戻ろうとしても、戻れなかった理子。夜、彼女は急きょ買った浮き輪に縄を括りつけ、余った片方を河川敷のサッカーのゴールポストに結び、美玖川を泳いで渡ろうとしたが無駄だったそうだ。

 渡りきって隣市に上陸したと思ったら、春日市側の岸だった、と。それを何回も繰り返し、理子は夜の水泳を諦めて自宅に戻ったそうだ。

 

「……よし、碓氷の家に行こう。元々報告しろって言われてたしいいタイミングだ」

「私が気づくくらいのことは碓氷も気づいてるわよ」

「かもしれない。というか、碓氷が掴んでることを聞きたいってのが本音だな……つうか、あいつ、春日の外に出れないってこと知ってる……よな?」

 

 外様とはいえ、魔術師の理子が気づいていることを管理者の碓氷が知らないとは考えにくい。とはいえ、前回碓氷邸を訪れた時明はそのことを全く言っていなかったので、そのときは知らなかったはずだと一成は思った。

 

「あとあいつの体調も気になるし」

 

 父影景との戦闘で、明は怪我を負った上に体調が悪そうだった。元々回復の早い明であり、父の影景もかなり変わった質とはいえ跡継ぎの彼女を大事にはしている、らしい。良くなっていると思うが、顔を見ておきたい。

 

「っと、榊原、お前嫌だったら俺一人で行ってくるぞ。あとで内容は伝える」

「平気よ。というか、前回帰ったのは本当になんでもない。榊原と碓氷の過去を聞いたかもしれないけど、それのことでもないし」

「お、おう」

 

 やはり理子は明にまつわることだと、何かいつも以上につんけんとした態度だと思うが、本人が言うなら一緒に行こうとは思う。一成がちらりと視線をやると、アーチャーも無言で頷いた。

 

「さて、今は人の家を訪れるには少々早い。そなたら、ルームサービスを好きに頼んで朝食を食べるがよい」

 

 すでにワイシャツ姿となっているアーチャーは、一足先に席を立った。ホテルにあるスパ施設でくつろいでくると言いのこし、理子と一成が残された。

 アーチャーによる厚待遇に慣れていない彼女だが、それでも初対面時よりは甘える気になっている。

 

「……私は朝ご飯食べて来たから。でもジュースくらいはもらおうかしら……」

「おう。アーチャーがいいって言ってんだし飲め飲め」

 

 一成は慣れた手つきでメニューを片手にロビーへ内線をかけて、ブレックファストセットを頼み、理子のリクエストでリンゴジュースを追加した。

 

 大して時を置かずして、ホテルマンがワゴンを引いて部屋を訪れた。プレーンオムレツにベーコン、オレンジジュースにトースト、紅茶のオーソドックスな朝食メニューだ。

 理子の分のリンゴジュースまでテーブルにセッティングしてくれ、丁寧に頭を下げて立ち去った。

 

 さて朝食であるが、一成は先程話すべきことを話してしまったために、目の前の同級生と話すことがなかった。

 同級生なので文化祭の話など共通の話題はあるのだが、元々一緒につるんで遊ぶような間柄でもないため、何となく沈黙が続いていた。

 だが、理子の方が顔を上げて口を開いた。

 

「土御門。あんた、進路悩んでるって言ってたけど。前はあんたが一般人だと思ってたから深く突っ込まなかったけど、魔術の家の子でしょ。継がないの? 兄弟とかいなかったでしょ」

「あー」

 

 理子は一成の家の事情まで知らない。二、三代の浅い家系なら跡を継ぐ事への圧力も少ないが、陰陽道をもっぱらにする家は総じて歴史が長い。つまり兄弟のうち誰かがあとを継がなければならない。

 確か榊原理子も一人っ子であり、彼女が跡を継ぐのだろう。

 

「兄弟はいねえけど、跡は継がない。つか、お前には継がせないってお爺様から言われたからな。ウチの魔術回路は衰退して、俺が最後。土御門の回路は俺の子にも残せないらしい」

 

 仮に回路が少なくとも一成が何らかの魔術に秀でていたら、一成を次期当主として遠縁の陰陽道の家の魔術回路を持つ女と結婚させて、その子に跡を継がせることも考えられた(回路は土御門のものではなくなるが、魔術刻印は一成の祖父嘉昭が所持しているため刻印を残すことはできる)。

 だが一成がロクな魔術の才能もなかったため、跡を継ぐ立場から外されたのである。理子は合点がいったようで、神妙な顔で頷いた。

 

「……そう。でもあんた、あんまり跡継ぎじゃなくなったことショックじゃなかったの」

「小学校卒業するまでは自分が継ぐもんだと思ってたけどな。……まー色々あって、それでもいいかって思ってる」

 

 千里天眼通のことを明かせば、一気に跡継ぎに返り咲ける。だがその場合、祖父の干渉だけでなく他家の陰陽師の繋がりからも、ややこしい関係が増える。一成としても少しいい方法を考えて、それを明に相談しようと思っていたのだ。

 

「つか、お前は後を継ぐんだろ」

「そうよ」

「逆に聞きてーんだけど、継ぐのヤダって思ったことはねえの?」

「……あるわよ。魔術を受け継ぐことは嫌じゃないけど、神社っていう古くからあるもの、その土地についてまで受け継ぐことが嫌だったんだけどね」

 

 神社の後継者は、その神社が「官社(明治以降は皇室から幣帛を奉った、社格の高い神社)」か「民社(官社以外の神社)」によって世襲か否かがわかれる。特に官社では宮司になる道は険しく、親子での宮司継承は特別な神社でない限り、有り得ないといっていい。

 理子の家は民社ではあるが、それでも氏子崇敬会の承認と、神社庁からの承認が必要になり、親子や親戚でもない者が跡継ぎとなる場合は養子縁組を組むことが多い。

 要するに後を継ぐことは、地元の人間となりそこで一生を過ごすことを意味する。

 

 十代の女子にとって、それは面白い話ではないだろう。正直、小学生までの一成の世界は魔術で生きていくのだろうと思っていたし、それ以外の世界を知らなかったから、不満を抱くことはなかったけれど。

 

「でも、高校で一人暮らしを始めてから――家を離れたからこそ、神社の跡継ぎになろうって思ったわ。あれが無くなるのは私自身寂しいし、確かに旧態依然としたところは多いけど、それでも残った伝統には理由がある。神社がある意味は、まだあると思ってるから」

 

 大本、伝統とは「必要だから・こうしたら便利だから」と取り決めた「決まり事」である。伝統を受け継いでいくことが重要なのではなく、時代に合わせて変化させ「決まり事」を作った根本を残していくことが重要なのだ。

 

 神社が残る意味。神々への信仰が現代にも必要とされる意味。いや、仮になくなったらなくなったでそれなりに世界が回るとしても、心のよりどころ、ルーツ、この土地に生まれた自己証明(アイデンティティ)のため――後を継ぐことは悪くないと、理子は思うようになった。

 

「ふうん、そうなのか。ちゃんと考えてんだな」

 

 一成はもさもさと朝食を食べながら、感心しつつ相槌を打った。

 

「当たり前でしょ。それで、あんたは途中までは自分が跡継ぎだと思ってたけどいきなり自由になったわけね……でもそれ、結構困らなかった?」

 

 流石は高級ホテルの朝食である。卵はフワフワでバターの香が食欲をそそり、カリカリに焼かれたベーコンもたまらない触感と肉汁だ。

 一成は口にものを含んだまま、行儀悪く答えた。

 

「? 困りゅって何に」

「……あんたには無縁そうだなとは思っていたけど。お前の将来はこうだ!って決められてそれを受け入れていたのに、いきなりそれはなしって言われたら……いきなり自由にしていいって言われたら困るんじゃないかなって」

「なるほど……それならわかるけどよ、直に慣れるだろ」

 

 理子はそうだね、と頷いた。確かに一成も、もう跡継ぎになれないと言われた時にはショックを受けた。しかしそれは中学に上がるか上がらないかのころで、その時は将来のことを深く考えてもいなかったので、理子の言うほど大仰に困ったことはなかった。

 

「……変な事言ったわね。……ねえあんた、覚えてる? 一年のころ、桜井ねむの髪の色を認めさせようとした話」

「……ん、ああ……あったな?」

 

 一年のころ、一成が同じクラスだった女子で、地毛が赤毛に近い生徒がいた。

 校則で生徒の髪の染色は禁止されているため、彼女はそれにひっかかった。一成はそれに対し、地毛だからいいだろうと主張していたのだが、担任は黒にしろと言い続けていた。

 染めるのがダメなのに、何故黒に染めるのは許されるのか?そもそも、髪を染めるのってそんなにいけないことなのかと、一成は食ってかかった。結局、その女子は髪を黒く染めることにはしたのだが、話はそこで終わらなかった。

 校則見直し――まずは生徒間で賛同者を増やし、生徒会に話を持っていき、署名活動を行う――ところまで発展した。これは一成が先導したのではなく、その髪を黒くしろと言われた桜井が行ったことだった。

 

 しかし校則改正は、そうやすやすと成せることではない。生徒間で賛同者を増やし、生徒会を巻きこみ、署名活動を行い、一定数以上の署名を集め、生徒会に渡して生徒総会で議題にしてもらい、生徒会と立案者、それに教師をも交えて議論を行った後、職員会議にかけられ、保護者への確認も行われその後改正……と、気の長く根気が必要とされることになる。

 

 結局、署名集めまで行い、全校生徒の三割の署名を集めることはできたものの――他の生徒には「別にいいんじゃない」と思われているのか、職員会議にまでは辿り着かず棚上げのままになっている。

 

「……あれであんた、先生から絶対めんどくさい生徒って思われたわよね。その前から氷空と夜の学校に侵入してたりしたし」

「うっせ。……まあ、桜井にはめんどくせーことに巻き込んじまって悪かったよ……ただ、活動自体はあいつの方が頑張ってた気がするんだけど……」

「頑張ってたわよ。結局、実を結ばなかったけど、あんたには礼を言ったんでしょ。あの子、ああいうの高校が初めてじゃなかったみたいでまたか、って思ってたみたいだから、自分以外にわざわざ怒る人がいるなんて思わなかった、って」

「……!? 礼は言われたけど、そこまで詳しく聞いてねえよ!?」

 

 二年越しに明かされる真実。一成は首を傾げていたが、桜井と友人でもある理子は面白そうに笑った。

 

「あの子も照れ屋だからいいにくかったのよ」

「んだよ水くせーな」

 

 ちなみに氷空と深夜の学校侵入は、一成が悪事を企んでいたのではない。むしろ一成は氷空の凶行を止めるためにしたことなのだが、結果として二人で御縄についてしまった。その話は長いので、また今度振り返る事にしよう。

 

「……つか、何でそんな話?」

「ああ、長くなったわね。ん~……いや、あんたとねむを見て、そうか、自分から変えることもできるのね、と思って」

「? いや、校則変わってねえけど……」

「そうじゃなくて。それまでの私には、自分から替えようとする発想そのものがなかったの。今までのやり方に従い、それを続けるのが最善だって思ってた。だって私の先人は、ずっとそうしてきたから」

 

 遥か昔から続いてきた、彼女の神社。悠久の時を経て成り立ってきた伝統と、因習と、旧弊。

 先祖が積み重ねてきた何百年の知恵に、自分如きが敵うはずない。だから従っているべきだと信じていた――だが、その先人が知らず、今の理子が知っていることが一つある。「今」である。

 

「……ま、私は魔術が嫌いじゃないし。それに後ついで宮司になっちゃえば、私が最高権力者だものね」

「お前、アーチャーみたいなこと言うな」

 

 当主になれば権力が生まれる。だがその力は、決して榊原単品で成立するものではなく、他の魔術の家、退魔の一族と複雑な関係の上にある。

 そして、それを彼女が変えるとすれば――「構築しなおすのに一生涯を費やすのも、そなたとしては不本意であろう」。

 

 ――そうか、彼女は「それでもいい」と思っているのか。

 

 魔術とは自分の代で願いが通じずとも、刻印を残して次代へ繋げるリレーである。だから彼女は、たとえ自分が道半ばで終わっても、次に希望が残ればそれでいいと思っている。

 それが呪いなのか、希望なのかは人によるのだが……。

 

 ――榊原理子は、魔術師ではないかもしれないが――土地と共に生きた巫女である。

 

「お前やっぱすごいわ」

「……い、いきなり何よ。褒めても何もでないから。と、とにかくあんたには感謝してるってこと」

「……感謝してる割には俺へのあたりはきつくね?」

「感謝するのと、あんたが夜間の学校に侵入したり屋上からプールにダイブする危険行為を咎めるのは別の話よ! ……まあ、二年生の半ば以降はかなりマシになったけど……」

 

 ぷりぷり怒る理子を見て、一成も何か腑に落ちていた。

 

 そうだ――自分が天眼通を実家に伝え、跡継ぎとして返り咲くなら、きっと理子と同じような覚悟と意思を持って進まねばならないのだ。

 

 理子も、明も、迷った末に自分で魔術の徒であることを選んだのだから。

 



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昼② 碓氷邸での情報共有

 色々あって、明が帰国してからはかなり頻繁に碓氷邸に訪れている気がする一成である。今日は理子に加えさらにスーツのアーチャーまでいる。

 一成と理子が汗を拭き拭きしている傍らで涼しい顔をしているアーチャーが、率先してインターフォン代わりのベルを鳴らした。碓氷邸の結界でベルを鳴らさずとも来客は察知される。ベルが鳴るのとほぼ同時に、普段着のヤマトタケルが顔を出した。

 

「お前たちか、入れ」

 

 彼の表情は微妙だったが、それは一成たちの訪問を厭うていたのではなかった。「先に言っておくが、明の父もいる」

「……おう」

 

 前回碓氷邸を訪れた時に伝えられた、明とその父の戦い。かなりクセのある人物であることは話から伺えた。だが今日は厄介な人間にも対応するスキルを持っている(だろう)サーヴァントが一成側にもいる。

 

「なんじゃその期待に満ちた眼差しは。キモッ。察するに碓氷影景はクセある者かの」

「お前碓氷の親父さん知ってるのか」

「春日の主だった地主の名くらい調べておる。当然じゃ」

「あ、そ」

 

 一成には何が当然なのかよくわからなかったが、知っているなら話は早い。理子も春日を訪れた時碓氷邸に挨拶に来ているだけあって、驚きはしていなかった。三人はヤマトタケルの後ろについて、碓氷邸へと足を踏み入れた。

 

 

「おや、土御門君に榊原さんか。それにお初に御目にかかる。アーチャー」

 

 碓氷邸一階、食堂に碓氷影景、明の二人がいた。明とヤマトタケルはテーブルにつき、影景は牛乳の入ったグラス片手に歩き回っていた。既に一成の訪問は知れており、三人分の麦茶がテーブルの上に載っている。

 一成はアルトリアの姿が見えないことを明に尋ねたが、彼女はキリエとともに「人探し」に出かけたそうだ。誰を、と聞くと後でと返されたので、それ以上は聞けなかった。

 

 明は長袖にフードのついたルームウェアに半ズボンの恰好で、面倒くさそうに半目で父親を見ていたが、あまり具合が悪そうには見えない。

 ヤマトタケルは馴染んだ最強TシャツにGパンで、やはり影景とは反りが合わないのか、胡乱な目つきで彼を見つめていた。

 

 そんな中、訪問組で最初に食堂へ足を踏み入れたのはアーチャーだった。穏やかな笑みを浮かべ、影景へと手を差し出した。

 

「私はアーチャー……碓氷影景殿、はじめまして、と言うべきかの」

「こちらこそ。取り込み中で大したもてなしもないが、ぜひ話を聞いていってほしい」

 

 影景とアーチャーは互いに握手をしたが、どうもこの二人だとお互いに含みがあるようにしか思えないのは、一成の考え過ぎか。

 とにかく理子、一成、アーチャーは空いた椅子に腰かけた。

 

 アーチャーと同じくシワ一つないスーツを着た影景が、この場で話を進める役割を担っているようである。影景はコップを片手に、もう片手を腰に当てて口を開いた。

 

「さて、アーチャー達が来たのも春日の話をするためだろう。丁度いい、明たちには同じ話になるが言っておこう――この異変を解決するリミットは今日を含めて五日だ。明、さっさと真相を突き止めろ」

「!?」

 

 突如区切られた春日異変調査のリミット――だがしかし、影景の言い方は――。

 一成の心を読んだように、アーチャーが何気ない口調で言った。

 

「まるで真相を掴んでいるような口ぶりであるのう」

「ああ、私は真相を掴んでいるよ」

「!?」

 

 まさかの言葉に一成は瞠目したが、それは彼とヤマトタケル、理子だけだった。明とアーチャーは特に驚いた風もなく、変わらず影景を見ていた。

 

「もう一度言うがリミットは五日だ。楽しい報告を待っているぞ」

 

 そして手にしていた牛乳を一気飲みすると、話は終わったとばかりにすたすたと食堂を出て行ってしまった。

 ヤマトタケルが追いかけようとしたが、明に服を掴まれて止まった。

 

「何故止めた!」

「お父様から聞き出そうとしても無駄だよ。絶対に話さないって。どうせ私の教育にいい素材だから自分で解いてみろ、って言ってるだけだから」

 

 ヤマトタケルはまだ文句ありげだったが――明ではなく影景に対して――それでも渋々席に座り直した。

 明は溜息をついてから顔を上げて、正面に坐る一成と理子、アーチャーを眺めた。

 

「で、何となく理由はわかるけどなんで来たの?」

「……さっきお前の親父さんが言ってたことの続きだ。俺たちも春日の異変調査をしてるからその報告と、何かお前の方で分かったことがあれば教えてほしくて来たんだけど」

 

 しかし、「謎はすべて解けた!」宣言を聞いてしまって、一成は気勢がそがれたことも確かである。カラクリを知ったうえで管理者が放置しているのだから、本当に危険が迫っているのではないことには安心したが。

 ただ、春日の外に出られないことはかなり大事だと思う。

 

「で、一成たちはどこまで調べたの?」

 

 そこで一成が口を開くより早く、理子が話を始めた。

 

「……大きなことは二つ。一つは聖杯戦争を行うマスターとサーヴァントは確実に存在すること。二つ目は、春日から外に出られないこと」

 

 彼女が話したことは、これまで一成たちに起こったことそのままだ。ハルカ・エーデルフェルトとそのサーヴァントとの戦い。

 電車を使っても川を渡ろうとしても、対岸の隣市に出られない。

 一通り話を聞いてから、明は他の全員を見回した。

 

「……私が把握しているのは、一成たちが調べたことに加えて、やはり聖杯戦争が関わっていること。昨日の夜は……ヤマトタケルと一緒に土御門神社の大空洞を見てきた」

 

 春日の大聖杯が設置されていた地下の大空洞――そして、春日聖杯戦争最終決戦の場所の一つ。

 一成はその大空洞の上、土御門神社境内で戦っていた為、地下大空洞に行ったことはない。

 

「んで、調べた結果なんだけど。春日の大聖杯は三十年かけて魔力を貯めてきたけど――本当はもっと早く戦争が始まる予定だったのに三十年もかかってしまった。それは魔力が漏れ出ていたからだけど、その三十年にわたって漏れ出続けた魔力が原因。聖杯の残留魔力っていうのかな」

 

 魔力は通常、時が経つにつれて消滅してしまう。宝石などに魔力を込めて固定化することに長けた家系を除けは、魔力はナマモノなのだ。しかし三十年にわたり垂れ流されてきた魔力は消えずに残り続けてしまっていたという。

 その原因は調査中だが、その魔力が原因で今の事態が引き起こされているそうだ。

 

 破壊された大聖杯魔法陣の残滓にそって、サーヴァントが呼び出され――しかし一騎だけ、そして近くにいた魔術師と契約して今更新しい主従として成立してしまったらしい。魔法陣の残滓に残りかすの魔力では精々サーヴァント一騎召喚が限度で、もちろん願いを叶える力もない。

 

「……だと、思ってたけど、話はもっと厄介みたい。私も可能性としては考えてたけど、ここは――そもそも、本当の春日じゃない可能性が高い」

「……は?」

 

 昨夜、深手を負ったアルトリアと彼女を連れ帰ってきた影景の話。

 影景は勿論明に何も話していないが、アルトリアに聞かせていたということは、明に伝わっても構わないという意味である。

 ゆえに昨日の影景の話を、明やヤマトタケルも承知している。

 

 昨夜深手を負ったというが、アルトリアは人探しに出かけているということは、もうある程度は元気なのだ。

 死んでも蘇る――ランサーの怪我も一夜で完全回復していた。

 

「つまり、私たちはニセモノの春日の街――固有結界のようなものの内部に連れ込まれて暮らしている。ここがニセモノの街なら、春日から外に出れないんじゃなくて、春日の外がない(・・・・・・・・・)。死んでもなかったことになるのは、結界の創造主ががそういうルールを敷いたから」

「街ひとつまるまる作る固有結界で、街丸々一つ分の人間を巻きこむって、そんなの有り得るのか」

「だから固有結界のようなもの、って言ったの。で、ここまで踏まえて調べたいもの――一つ目は「境界主」のサーヴァント、もう一つはやっぱり、ハルカ・エーデルフェルトとキャスターのサーヴァント」

 

 ヤマトタケルに瓜二つにして、全く異なるサーヴァント。春日にはいないはずの追加サーヴァントと聞き、一成は首を傾げた。

 

「ヤマトタケルそっくりだけど、ヤマトタケルじゃない? それは……兄貴?」

「それはない。兄がアルトリアに勝てる見込みはない。ゼロだ」

 

 身内ながら全く容赦のないヤマトタケルは、素で答えた。「だが放った宝具からしても、俺に間違いはあるまい。だから俺が会いに行く」

 

 自分と出会う、などヤマトタケルにしても想像を超えた話だろう。だが本人のことは本人が一番わかる、かもしれない。

 

「……じゃあ俺と榊原、アーチャーはハルカ・エーデルフェルトを捜した方がいいのか。あいつらも、何でいるのかよくわからないことには変わらねえもんな」

 

 明は頷いた。とりあえず、これからの方針は決まった――結局、聖杯戦争の時と同じように協力する形になって、一成はなんとなく懐かしい気持ちになった。

 

「また何かわかったら連絡をちょうだい。――で、全然話は変わるんだけど、あの温泉行こうってメールは一体何? 休暇だし行くって返したけど」

「ホントに話変わったな。メールにも書いただろ、くじ引きで「お、温泉!?碓氷と二人で!?」

 

 急に挙動不審になった理子は、眼を皿のようにして明と一成の顔を凝視した。首を傾げたヤマトタケルが補足する。

 彼は懐から自分のスマートフォンを取り出し、メールを一通開いた。

 

「これだ。聖杯戦争を行った面子で温泉で一泊旅行企画だそうだ」

「……」

「一成もいい神経してるよね。殺し合いしたメンバーで仲良く一泊遊ぼうっていうんだからさ」

「べ、別にもう終わったことだろ」

「土御門の言うとおりだ。理由があれば殺すし、なければ殺さない。今は殺す理由がないから、構わないと思うが」

「それもそっか」

 

 理子が羞恥にうち震える傍らで、そろいもそろって鈍い三人は前向きに温泉について話していた。

 アーチャーだけ訳知りながらも敢えて三人組と同様に、温泉楽しみだのうと呑気な事を言っている。温泉と言ってもスーパー銭湯であるが、源泉を引いているから温泉といっていいだろう。

 

「っつか今思ったけど、ここが偽の春日なんて事態なのに呑気に温泉なんて行って大丈夫なのか?」

「構わんであろ。そもそも、ここを作った者が私たちを殺そうと思えばもっと早く殺せたはずじゃ。だが既に春日の異変を知ってから何日も経過しておる――にもかかわらず、この通り春日は無事。ということは、少なくとも創造主の目的、境界主もうひとりのヤマトタケルの目的は我ら、そしてこの街を害すことではない」

 

 ――アーチャーのいうことはもっともだが、何故こんな世界を維持しているのかわからない。聖杯戦争を再開させながら、死んでもなお蘇る世界。改めて考えると不気味である。

 しかし、確かに一成たちは誰一人喪うことなく平和に過ごしている。

 ずっと気を張っていても疲れるばかりだ。とりあえず温泉企画は続行するとして、一成は理子に振り向いた。

 

「……もしかして榊原、お前も行きたかったのか?お前の知らない奴ばっかだけど」

「……あ、ああ、そうね!できれば、行きたいかも」

 

 大慌てで頷く理子を少し不審に想いながらも、一成はスマホのメモに理子の名前を追加した。詳細メールはまたあとで送ることにする。

 現状、山内悟は平日は無理ということで欠席連絡をもらっているが、他は軒並み来るらしい。咲はバーサーカーを置いてくるそうだが。

 

 話は一通り終わり、それぞれなんとなく麦茶を飲んで世間話をしていたが、一成は明に話したいこと――進路相談――があることを思い出した。

 切り出すべきか迷っていると、突如先ほど姿を消した碓氷影景が颯爽と現れた。

 

「ただいま!」

 

 しかも両手には大きなビニール袋を引っ提げている。片方のビニール袋には精肉店で勝ったらしい包の肉の山、ラード。

 片方にはキャベツやタマネギなどの野菜類が詰め込まれていた。

 

「……お父様、何?」

「さっき美玖川を通りかかったら神父とシスターとライダーが焼肉をしていてな。混ぜてくれと言ったら食材を持ってくるならいいと言われた。さあ行くぞお前たち、親交を深めよう」

 

 一体春日教会は何をやっているのか。影景も妙にノリノリで、全員が来ることを疑っていない顔をしている。ヤマトタケルはバーベキューと聞いて行きたそうにしていたが、それ以外は全員呆気にとられていた。

 一成も理子も、今日の予定が空いているため行けなくはないのだが。

 

「さあ行くぞみんな。土御門君も榊原さんも是非。タダメシは食っておくものだ――それに土御門君は婿候補でもあるからな! 仲良くしようか」

「「「ブゥーー!!」」」

 

 突然の爆弾発言に、一成だけではなく理子、そしてヤマトタケルも飲みかけの麦茶を吐き出した。

 

「え? 一成婿に来るの?」

「行かねえよ! いや行かなくはないけど、行かねえよ!」

「アッ、アンタッ、言ってること意味不明よ!?」

「貴様! 明の伴侶となりたいのであれば、最低俺を倒せる程度の強さがなくては認めない!」

「人間やめろってか!? つーかお前はほんと碓氷の何気取り!?」

 

 手近にあった布巾で麦茶を拭きつつ、一成はどもりながら答えた。少年少女のうぶな反応を知ってか知らずか、影景は変わらず呑気に笑っていた。

 

「回路は残念であっても土御門君の眼、いや脳かな? には代えがたい価値がある。しかも自分の家の当主にならないとは好物件だからな! どうぞよろしく」

 

 恐ろしく打算塗れなことを隠さずぬけぬけと言い放つ影景。千里天眼通のことはおそらく明が話したのであろう。一成自身の力だけではロクに使えないのだが、それでもいいのか。

 

 結局進路の話もできておらず、まだ話をしたいと言う意味で一成はバーベキューに付き合うことにした。しかしアーチャーは「こんな炎天下で涼むのではなく焼けた肉を食べるのは狂気の沙汰」といい、先にホテルへと引き上げた。

 



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昼③ チキチキ☆炎天下のBBQ

 風のうわさで聞いたが、屋外バーベキューに最も適した季節は夏ではなく秋らしい。冬は論外として、春は虫が増えてくるし、夏は何しろ暑い。

 それを聞けば成る程と思うが、何故人は夏にバーベキューをしてしまうのか。熱中症の危険は考えていないのか。

 

 それでも、太陽は爆発だ。

 

 

「キエエエエエィ!!」

 

 雲一つない晴天の炎天下だった。容赦なく降り注ぐ日光に負けず肉を楽しむ一団がたしかにいた。

 美玖川河川敷の一角を陣取り、奇声を上げながら黒鍵で固まり肉や野菜を切り刻んでいるシスター。勿論服装は暑苦しい修道服ではなく、TシャツにGパン・野球帽に熱中症防止のネッククーラーという実にラフなバーベキュースタイルである。食材を切るのはいいがまな板置きになっている台座が悲鳴を上げているので、示現流は使うのはやめた方がいいと思われる。

 そして黒鍵はバーベキューの串にするために生まれた道具ではない。

 

「アサシン、おにぎりの提供に感謝する。これシーチキン味噌か、新しくも素朴な味わいだ」

「俺はお前らが炊いたのを握っただけだ、ギブアンドテイクっつーのか?」

 

 そして地面に青いビニールシートを敷きパラソルをセットし、バスケットに詰められた無数のおにぎりを片手に、焼かれた肉を乗せた皿をさらに片手に、そして手元にはビールを置いているアサシンのサーヴァントと神父。

 既に空になったビール缶が何本か転がっている。アサシンはともかく、神父もこの暑い中いつもの詰め襟カソックを着用していた。仲良さそうな空気はないが、真昼間から堂々と酒を飲む道楽人間感をかもしだしている。

 

「白髪の兄ちゃん早く肉―!」

「まあ待て、幼き草草。ここに捕えたるは世にも珍しい三本足のクァラァアアアス!!今から羽を毟って血抜きをするから草共、公のテンションを上げるためになんか踊れ」

「踊れって何だよ、全然話繋がってねーよ」

「テンションを上げる時に歌ったり踊ったりするのは現代も同じであろう?仕方ない、公が久米歌を歌うから草共はそれに合わせていい感じに踊るがよい。宇陀の~高城に~(しぎ)罠張る、我が待つや~鴫は(さや)らず~」

 

 片や、大き目のバーベキューコンロの前で菜箸を片手に、もう片手に三本足の烏がくくりつけられた棒を持つ騎兵のサーヴァント。麦わら帽子をかぶり、いつもは頭頂あるポニーテールは位置を下げて頭の付け根近くで一本結びにしている。服装はこちらもTシャツに半ズボン、サンダルとラフなバーベキュースタイルだった。

 その彼の周りには、五人の少年がまとわりついており、いつの間にかバーベキューの相伴にあずかっている。ちなみに棒に縛られた烏はコケーッっと種族を間違えた絶叫を上げていた。

 

 

 

「……何だこの会」

 

 美玖川河川敷手前の道路を挟み、およそ百メートルの間を置いた場所にまで一成たち一行はやってきていた。しかしそこではいい声で歌いだす青年、奇声を上げながら肉を切り刻む女性、昼間から飲んだくれているオッサン二人。

 バーベキューのイメージにある、和気あいあいとした交流の場とは程遠い退廃的な場面が展開されていた。

 一成が頭を抱えたとき、いきなり隣からも奇声が上がった。

 

「ウアーッ!!」

 

 奇声の主――碓氷影景は一直線に走り出し――道路を走っていたトラックに轢かれかかりながら、真っ直ぐバーベキューの舞台へと突き進んでいき、肉を焼いている主の片手にある棒を奪い取った。

 

「何だ草」

「なんてもったいないことを!!俺が解析してからにしてくれェ!」

 

 棒と烏を抱きしめ、その場に蹲る影景。ライダーは口をとがらせていたが、面倒くさかったのか奪い返すことはしなかった。既に一成たちはバーベキューにイマイチ乗り気ではなかったが、ここまで来てしまった以上引き返すのも微妙で、たらたらとした足取りで河川敷へとやってきた。

 明に気づいた美琴は、黒鍵に生肉を突き刺したまま笑いかけた。

 

「あら、明じゃない! 食べる?」

「せめて焼いてほしい」

 

 ついで気づいたアサシンが、ビールを持ち上げて挨拶をした。おそらく出来上がっているだろうが、サーヴァントは生身の人間に比べ酒にも酔いにくいため、様子はあまり変わらない。

 

「おう一成じゃねーか。榊原の嬢ちゃんも」

「アサシン。どうしてあなたが?」

「俺は今日買い出しに出てたシスターの姉ちゃんに偶然会ってなりゆきだ」

「おやおや神父が真昼間から酒とは。一本もらうぞ」

 

 棒にくくりつけられた八咫烏をせしめた影景は、ベルトと背中の間に棒を挟み込むと、勝手にクーラーボックスを開けてビールを手にした。

 

「誰だあんた?」

「碓氷影景。あそこにいる明の父だ。よろしくアサシン」

 

 矢張り第一印象はフレンドリーな影景は、気さくに開いた手を差し出した。アサシンはそれに応じて手を握った。

 暑苦しい恰好で黙々とビールをやりつづける神父は、やっと顔を上げた。

 

「相変わらずお前は元気だな、影景」

「俺から元気と好奇心を取ったら何も残らないぞ。しかし御雄、お前がこんなバーベキューに出てくるとは少々意外だ」

「確かに。美琴に強く誘われてな。ライダーの(プロデューサー)業も小休止していたところでちょうどよかったからだ」

「お前がライダーのマスターになったと明から報告を受けた時、だろうなと思った。お前の願いを思えば、一回の聖杯戦争で満足するとは到底思えなかったからな」

 

 他の聖杯戦争参加者が聞いたら耳を疑いそうな会話をする神父と影景を胡散臭げにみやっるアサシンは腰を上げて、焼かれた肉と野菜を頬張る明に近付いた。

 

「おい姉ちゃん、あのお前の親父何だ?」

「……あまり深く突っ込まないでほしいんだけど、神父の共犯者かな……それよりこのバーベキューは一体何?」

「信者の方から中古のバーベキューセットをいただいてねー! 折角だからお父様とバーベキューでもしようかって話をして、こんな感じよ!」

 

 明の話を聞きつけたらしく、勇ましく黒鍵で野菜と肉を切り刻む美琴は、汗を拭きながら答えた。

 

「にしても急だね」

「そうねーでももらったの昨日だったからね」

「行動早っ。というか美琴はちゃんと食べてるの?」

「ライダーに焼いたの取っといてって頼んだから……ってそんなの欠片もないじゃない!!」

 

 いや、ライダーはもしかしたら億に一つくらいの可能性で取っておいてくれたのかもしれないが、彼の焼いた肉は片っ端から菜箸で直食いされるか、周囲の少年どもに食われるか、自発的にいい具合に焼けたところに取りに来る者たちに端から食われている。

 肉を目の前にして人の思いやりをアテにするとは、実に甘いシスターであった。

 

「な、汝の隣人を愛せよ! よ! 隣人の肉も取っておくべきでしょう!」

 

 猛烈な勢いではじき出された黒鍵――おそらく彼女の起源である放出まで加えられて射出された剣は、育ち盛りの男子高校生の鼻先を通過して地面に突き刺さった。自分の皿に肉と野菜を盛りまくってコンロから離れていた一成は、流石に声を荒げた。

 

「何で俺に黒鍵を投げるんだ!!」

「投げられたくなかったら私の肉をとっておいて!」

「今まさにあんたがたくさん切ってるから大丈夫だろ!? 落ち着いてくれシスター!」

「神内シスター、私がとっておきます」

 

 こんなときでも折り目正しいのは理子である。ただ理子たちは後から参加したので、勝手に肉を取っておくべきか判断しかねていたのだ。

 理子の言葉を聞いて、正気を取り戻した美琴は勇ましく切り刻む作業に戻っていた。一方用意された食材を焼く係と化しているライダーは、焼きつつ――目の前に立つヤマトタケルにちょっかいを出していた。

 

「ついに「KAMI NO TSURUGI」に入る決心がついたか。ウェルカム」

「そんなバカげたものに入る気はない。一人でやっていろ」

 

 最近はもう顔を合わせれば芸能活動の誘いをかけてくるライダーに辟易しているセイバーであり、さっさとそっぽを向いて去るところだが、今は周囲に小学三四年くらいの子供が四人ほどいることがそうさせなかった。

 

「おいイワレヒコ、あとでサッカーしよーぜ」

「若芽ども、公はこれでも歌ったり踊ったり多忙な身なのだ。このヤマトタケルで我慢しろ」

「俺ならば構わな「え~やだ、だってヤマタケ大人げねーんだもん。子供相手にムキになるんだぜ」

 

 リーダー的立ち位置とおぼしき少年がちらりとヤマトタケルを見上げて、口を尖らせた。

 

「な……! ムキになってなどいない、子供相手だからといって手加減するのは違う、俺は誰が相手でも全力で叩き潰すだけだ!」

 

「ハーッハッハッハッ、滑稽だな山茸! やはりお前はおとなしく公とユニットを組んでKAMI NO TSURUGIとして芸能界に殴り込みをかけるのが似合いのようだな!」

「つーかイワレヒコも何言っていることわかんないけどなー。サッカーしようぜ~烏はナシな」

 

 実は狂化スキルでもかかっているのはないかと思える発言だが、子供たちはどうでもいいのかそれも面白がっているのか気にかけない。既に大分肉を食べてバーベキューに満足したのか、サッカーボールを抱えている背の高い少年がライダーを見上げつつ言った。

 

「おいイワレヒコ、夏でも帽子かぶり続けると毛根が蒸れてハゲやすくなるって父ちゃんが言ってたぞ。気をつけろよ」

「英霊はハゲない! ハーッハッハッハッ」

 

 高笑いのライダーの傍らで、何故か負けた気になって打ちひしがれるヤマトタケル。なんかヤマトタケル、結構頻繁に打ちひしがれるなと思いつつ、一成は明のところへたどり着いた。

 明は神父が座っている大きい青ビニールシートの反対側に腰を下ろしていた。理子は取った肉を美琴に渡して世間話をしている。

 

「碓氷、ちょっと相談に乗ってほしいんだけど」

「何?」

「俺の進路について」

「別にいいけど、大して役に立つ意見は言えないかもよ」

 

 そうは言いながらも、「座れば」と隣に促してくるので、答えてはくれそうだ。一成は明の隣に腰を下ろした。

 

「俺はもう土御門の跡取りじゃない。でもお爺様は天眼通のことはまだ知らないから、もし当主になりたければそれを言えばなれる可能性も出てくる」

「あれ? 一成って当主になりたいの?」

「いや。だけど俺が聖杯戦争に参加したのは、土御門の魔道を絶やさないためだ。だけど戦争を通して、俺は誰かを犠牲にしてまで続けようとは思えなかった。でも、今まで魔術をしてきたのは、大変ではあっても楽しかったからだと思う」

 

 できないことができるようになるのは楽しい。自分の力で、かつ理論を以て新しい何かにいたること。一成がしてきたものがたまたま魔術であったのだが、きっとその気持ち自体は他の事柄にも共通するだろう。

 だが生まれ持った環境の影響は大きいのか、一成の慣れ親しんだものは魔術であったのだ。

 

「……じゃあ、魔術をしながら人の役に立てることはないかと聞いてる? 魔術使いとして」

「おう。魔術師になるべくしてなろうとしているお前には、虫のいい話って思われるかもしれねえけど……」

 

 明は生まれながらにして、魔術師となる運命を背負っている。優れ過ぎた素養は、魔道の庇護なくしてその体を五体満足に保つことすら難しかった。

 それでも今の彼女は、魔術師となることを受けて入れているのだが――彼女が涼やかな心持で一成を見るかは、別の話である。

 

「……魔術師は根源へといたろうとする学者のようなもの。倫理や道徳も一般のそれからは離れている場合が多いけど、それでも魔術師の中には、人理を観測して未来を保証するとか大きな目で見れば人類の為に善をなそうとする家もあるから、全部が人でなしとも言えないけどね」

「そ、そうなのか!?」

 

 驚いて、かつ嬉しそうにする一成だったが、明は大きな釘を刺した。

 

「『大きな目で見れば』だよ。結果は善かもしれないけど、過程が人道にのっとっているとはいってない。……うーん、だけどイイ事する魔術組織ねえ……時計塔の魔術師の依頼を受けて、聖遺物や魔術用の素材を取りにいく外部団体とかは知ってるけど。そこの人たちは大体魔術使いだけど……」

 

「魔術で人助け」――明の反応を見るに、予想はしていたもののなじみにくい言葉同士のようだった。しかし、時計塔の外部団体というものがあるなら、他にも様々な団体があるのではないか。

 時計塔に拘らずとも、ここ日本の魔術外部団体なら一成にも調べられる。

 

 京都の大学に進学し、学生の傍ら魔術団体を調べていくのも悪くなさそうだ。一成が顔を上げた時、明は思いもよらないことを口走った。

 

「いっそ眼をバラして当主になるのも手じゃない?」

「……は?」

「いや、魔術やるのに権力はなくても権威ある土御門の利点を使わないのは惜しいんじゃないかなって。当主になっちゃえば一成の好きな風に土御門の魔術研究方針を決められるじゃん……いや、他の陰陽師家系とのいざこざがあるのかもしれないけどさ。ほら、何かを変えたいならば権力がないとって言うし」

「お前も榊原やアーチャーみたいなこと言うな」

「権力って大事」

 

 力強く真顔で頷く明に、時計塔での苦労を察して一成は浅く頷いた。しかし明の話を聞くにつけ、魔術をしたいなら当主になることがベストだとはわかる。当主になって、自分で土御門を変えていくこと――だがそれに、頷けない自分もいる。

 

「……一成って、魔術師じゃないし道徳も一般人だけど、自分の家のことを嫌いになってないと言うか、許容はできないけど「これはひとつの道なんだな」とは思ってるんだよね、多分。自分はその「お爺様」の後を継ごうと思わないけど、人を犠牲にしてまで神秘に価値がある、と思う人のことを憎んでない。それが自分の家でしかも魔術自体は楽しい、ときた。だから迷ってるんだ」

「……! そうかも、しれないな……」

 

 言われるまで考えたこともなかったが、明に言われたことは一成の腑に落ちた。

 無暗矢鱈に人命を喪うことは当然許し難いが、だからといって魔術にまつわる営み全てが無駄で無意味で無価値とは思っていない。

 自分の家が代々行ってきたことすべてが害悪でしかないとは、当然思いたくもないのだ。一成の反応を見て、明は安心したように微笑んだ。

 

「……厳しく怖いことはあったかもだけど、きっと酷いことはされなかったんだね。それがどういう意図に基づくものかはわからないけど」

 

 一成は曖昧ながらも頷いた。魔術の修行は厳しかったが、それでも虐待と呼ばれるものではなかった、とは思う。ただもし虐待にも等しい修行が必要で意味があると祖父が判断したのであれば、それはなされていたと思うのだが。

 

「……まあ、一成が当主になることは魔術の、神秘の探究という点では後退してる感もあるんだけど。とすれば、いっそ本当に私の婿になると言う手もあるね。魔術がらみの仕事にもつけるだろうし」

「……ポンポン婿ってワード出すけどよ~お前、恋の相手が俺でいいのかよ……」

 

 明は軽々に「婿」という言葉を出し過ぎである。もしかして合う相手会う相手に言っているのではないかと不安もよぎるが、そうではないと信じたい。

 彼女なりの信用の表れだと一成は自分に言い聞かせているが、真に受けるヤツがいないとも限らないだろう。

 

「え? 恋はあんまりしたくないし……。いちいちドキッ! とかキュン! とかしなきゃいけないんでしょ? 疲れるよ。それに恋しなくても結婚はできるよ? 一成は話は通じるしそこそこ常識はあるし、一応魔術側の人間だし、一緒に暮らせそう」

「……はあ……」

 

 なんだか婚活をしているOLみたいなことを言いだす明だが、実際彼女もそろそろ婚活もどきをする立場ではある。

 世の女性の初産年齢が上がっているとはいえ、それは出産可能年齢の延長を意味しない。魔道の家として研究結果を後に残す義務はあるからこそ、出産適齢期に入ったのであれば、早めに跡継ぎを作っておかねばならないのである。

 一成は影景が明に見合いサンプルを渡していることなど、知らないのであるが。

 

「あ、別に私じゃなくても、榊原さんでもいいんじゃない? あの子も自分の神社の跡継ぎだし、婿とったりするんじゃない? 婿目指すなら、さっさと婿になるって言っておいた方がいいことは確か」

「……婿ルートがあることは覚えとく」

 

 一成は半笑いで頷いた。やはり身一つで日本であれ時計塔であれ、魔術の世界に飛び込むのは大変そうである。それに魔道の家柄は大体において魔術で食べているのではなく、現世に収入源を持つものだ。

 

 現在の土御門家の収入は土地経営(貸し出している)に、全国の土御門神社・晴明神社の賽銭・祈願料・お守りなどの売り上げである。ただ神社の売り上げは神社の整備や建て替え・人件費で使われあまり残らないので、やはり土地経営である。

 

 しかし土地経営自体も当主がするべきことなので、これも土御門当主になる場合の話だ。

 

「私の助手になるっていうのもいいよ。欲しいと思ってたところでもあるし、給料も出すし。キリエもいるから陰陽道も多少はなんとかできるかも。私としても、千里天眼通持ちが手元にいるのは悪くないしね」

 

 助手以外の時間を自分の活動に仕えるのであれば、悪くないなと思ってしまった。

 婿話に比べればはるかに現実味はある。それにキリエの様子も近くで見られる。明のツテを借りれば、魔術の外部団体への渡りもつけやすくなるだろう。

 

「……! ちょっと心揺らいだじゃねーか!」

「選択肢選択肢……っと、なんか榊原さん、美琴と意気投合してるなあ……」

 

 明は一成越しに肉きり修道女と元生徒会長に視線をやった。持ってきた野菜と肉を切り終えた美琴は、理子がとってきてくれた焼けた肉と野菜山盛りの皿を片手に、豪快に食事をしていた。その時、鋭くも明の視線に気が付いた美琴は箸を持った手を上げた。

 

「明! ちゃんと食べてる?」

「食べてるよー! 榊原さんと何の話してるの?」

「そこの土御門君の言ってた、温泉合宿の話!」

「……さっきいきおいで行くっていったけど、急よね?」

 

 美琴も興味はあるようだが、既にその日は予定があっていけないようだった。一成と明は食べかけの皿を持ち、理子と美琴の元へと歩いた。

 

「もうすぐ夏休みも終わっちまうし、人数それなりにいるし呼びかけた人全員がOKになる日なんてそれこそいつになるかわかんねー。だったらすぐやったほうがいいだろ」

「……それもそうね。それにあんたが当てた旅行だし、あんたの意向が一番でしょ」

 

 いや、当てたのはアーチャーだが、これは言わないでおこう。美琴は山盛りの肉をもっきゅもっきゅと食べながら言う。

 

「土御門君、春日の温泉施設っていうとあれにするつもり?「春日園」?」

「あっそれです。あそこ宿泊施設もあるしいいと思って」

 

 温泉施設「春日園」。宿泊施設もつき宴会も可能なスーパー銭湯の進化形である。会議室の貸し出しもあり、日帰り温泉も勿論OK、岩盤浴・サウナ・マッサージをそろえたリラクゼーション施設だった。

 場所は春日市南部、自然公園近くのため駅からは遠いので、春日駅からシャトルバスが出ている。

 

 ちなみに一成が誘いのメールを送ったのは、明とキリエ(ヤマトタケル・アルトリア含む)、咲(ランサーと大人しくできるならバーサーカーも)、悟(アサシン)、美琴、ライダーという面子だ。

 アーチャーはメール作成時に一緒にいたから省略。キャスターとシグマと神父は連絡先を知らなかったので、キャスターはキリエに、神父は美琴に確認を取ってほしいと頼んだ。

 

「けど君、けっこうじじむさいね? 高校生で旅行というとディズニーとかUSJとか行くもんじゃないの?」

「……そうっすかね」

 

 一成が中学の時の修学旅行が東京周辺で、その時にディズニーランドには行ったことがある。ただよくある男女混合班での活動で、そして特に仲が良くもなかったので、アトラクションは楽しかったが行く組み合わせとしては微妙だった思い出がある。

 ただそれをさしひいても、テーマパークに自発的に行こうと思うモチベーションはない。今やると多分、氷空や桜田をさそった男三人衆でミッ●ーのカチューシャをつけるウスラ寒い状態になることが見えている。

 あとはやはり、くじを引いたのがアーチャーというのが大きい。やはり引いた本人も楽しむべきだと、一成は思うのだ。

 

「私は友達とテーマパークとか行きますし、パワースポット観光とかもやりますけどね」

「……女三人組旅行は赦されるのに、野郎三人組旅行は肩身が狭い気がするのは俺の気のせいか? ディズニーとか」

「男三人でディズニーしててもいいじゃない。変なところ古いわね」

 

 いや、ディズニーにはいかないが。それはさておき、温泉宿泊会の参加可否の返信はおおむね帰ってきており、ほぼ全員参加になっている。ただ咲はバーサーカーは置いておき、悟は仕事、神父は理由はわからないが不参加(一成的にはこなくていい)、ライダーは返信なし、キャスターは眷属揃って不参加。不参加組にはお土産でも買って行こうかと考えている。

 

 その後、一同は思い思いに歓談をしていたが、主に一成・理子・アサシン、明・美琴・神父・影景、ヤマトタケル・ライダーとの取り合わせが多かった。

 

 バーベキューはうまいとはいえ、残暑厳しい真昼間である。水分をとり帽子やネッククーラーを駆使しても流石に暑い。ついで食材と酒が尽きかけてきたので、そろそろ片付けてお開きかという頃に、影景が勝手にバーベキューセットの箱の中にあった串を取り出して配って回っていたので、マシュマロを焼いて食べて終了となった。

 

 

 

 

 

 照る太陽の下、影景や明などマスター・教会の者は後片付けをヤマトタケルとアサシンに任せて先に引き上げた。

 これは彼らが押し付けたのではなく、ヤマトタケルが自ら引き受けると名乗り出て、アサシンはその巻き添えである。

 人間がこの暑い中ずっといては、熱中症で倒れてしまう。サーヴァントたる自分たちが肉の礼に片付けるから、先に帰っていろと言ったのだ。アサシンはぶつくさ言っていたが、彼とて義賊であり一宿一飯の恩義を忘れないタチのため、鉄網を洗いに行ってくれた。

 

 ヤマトタケルは黙々と燃えるごみを詰めながら、ちらと河川敷のサッカーコートを見た。さっきまで子供たちにサッカーをせがまれたライダーが、奇天烈なボール使いで子供たちを翻弄していたが、子供らが疲れたのか、今は休憩して木陰でドリンクを飲んでいた。

 

 ――どうせお前のことだ、俺が何を考えているかわかっていよう。

 

「……ふむ、わざわざマスターまで帰してしまうとはな?」

 

 サッカーボールを片手に、片付けをするヤマトタケルの前で笑っているライダー。自分から関わり合いになりたくはないが、事情通には変わりあるまい。

 

「……ひとつ聞きたい。俺ではない俺が、おそらくは別世界の俺が呼ばれる可能性はあるのか」

 

 ライダーはぽんとサッカーボールを宙に放り、器用にリフティングをし始めた。

 

「――剪定事象と編纂事象・並行世界の話か。魂は編纂事象で並行世界のものであれば座に召し上げられるとも。ゆえに違う世界のお前が呼ばれることはあろう。通常、剪定事象のお前が呼ばれることはないが例外はある。一つは人理が不安定であるときだ。固定されたはずの歴史の境界線自体があいまいになる、つまり剪定と編纂の境が揺らぐためにありうる可能性が増え、召喚される」

 

 しかし人理定礎が不安定になる事象は大偉業と呼べるほどの行いであり、そんなことが起きていたら異変は極東の一都市レベルの話では済まない。

 ゆえに、第一の例外は当てはまらない。

 

「二つは、事象の確定が――人理定礎の確定が神代にほど近いとき。お前もそうだろが、およそ同一人物がなしたとは思えぬ記録が残るときがある。たとえば源義経が死なずに大陸に渡り、蹂躙王(チンギスハン)になるなどだな。大抵、その手の伝承は人々の幻想(ユメ)、信仰を得ても幻霊止まりでサーヴァントになるほどの霊基はもてない。しかし神代の巫女には、並行世界を垣間見る者もいる。お前の叔母もその類だったろう――彼女彼らは、実際に有ったこととして違う世界の記録を編纂事象(正史)に刻む。ゆえにその類の別人は、……呼ばれうる。だが、人理定まった世界にて、編纂事象と因果をむすんでいるとはいえ、剪定事象の人物の召喚が叶ったとしてもやはりその性能は編纂事象の人物より遥かに劣る」

 

 たとえ剪定事象の日本武尊がサーヴァントとして召喚されたとしても、編纂事象の日本武尊の敵にはならない。たとえそちらの世界でいかな偉業を成し遂げていたとしても、存在の強度が薄弱にすぎるからだ。

 

 しかし、昨夜戦ったアルトリアによれば、もうひとりのヤマトタケルはこちらのヤマトタケルより膂力こそやや劣るものの、まず変わらないステータスを持ちエクスカリバーをも退ける宝具を保持していたという。

 

 ゆえにもう一人のヤマトタケルは、並行世界のヤマトタケル、もしくは別側面の可能性が高い。

 だがしかし、明の仮説によればここは作られた春日、固有結界のようなものの中。それであれば、話は違う。

 結界内は結界内のルールに縛られる――となれば、サーヴァントとして十分すぎる強さを持ったヤマトタケルを生み出す結界主の正体は――。

 

「――なるほど」

「フン、このような話、お前のマスターにでも聞けば、大体同じようなことを答えるだろうにわざわざ(わたし)に確認を取ったのだ。精々うまく振舞え。お前はコミュ障でも、ウソをつくのは得意だろう」

「舐めるな。俺は明の成そうとすることに協力は惜しまないが、明の目的すなわち俺の目的になるとは限らない」

 

 今も間違いなく魔力供給されており、魔力の質も明そのもので、あれが碓氷明であると疑っていないが、何かが可笑しい。

 それに、帰国前の電話や帰国時の発言など、妙な点もある。明は何かを隠している。嘘をついているというより、本当のことを言っていない、意図的に言ってないことがあると、ヤマトタケルは見ている。

 

 彼はゴミ袋の口を強く縛って、一か所にまとめた。バーベキューセットはアサシンの網洗いと灰捨てだけを残し、畳んで片付けが終わっていた。必要なこと以外は話すつもりのないヤマトタケルは、ごみ袋を抱えてゴミ捨て場へと足を向けようとしたが、思い出したように振り返った。

 

 多分、気の迷いだ。

 

「……ライダー、お前は面白いのか」

「何が?」

「もう、お前が一番事情に通じているのは皆が知っている。だが無理強いしたとて――お前に無理強いできる者などいないが――お前は決して喋らない。しかし話に応じることは皆知っているから、まるで答え合わせのように、お前の話を聞きに来る」

 

 計算ドリルの巻末にある解答を見るみたいに。自分の考え出した答えが合っているかどうか知るために、ライダーの言葉(神託)を聞きに来る。事実ヤマトタケルは知らぬことだが、アーチャーは素直にライダーに事情を聴きに来ている。

 

 ヤマトタケルも、ライダーがあえてこの状態を放置しているのだろうと思ってはいる。

 

「――お前は、何が楽しくて、一人でこの世界を眺めている?」

 

 サーヴァントの中で最もライダーに近い立ち位置であるセイバーだが、彼と仲良くしようとは毛ほども思わない。

 だけど、彼はずっと一人だ。

 寂しいなどと、彼が思っていないに違いないが、何故そうして生きているのか。

 

 ライダーはちらっと、木陰で休む少年たちを見てからまた顔を戻した。彼らがのんびり休んでいるのを見て、まだ戻らなくてもいいと判断したから暇つぶしに話してやろう、という様子だった。

 

「……そもそも、公には人格などない。神の剣に人格は不要。世界に「カムヤマトイワレヒコ」は必要でも、「カムヤマトイワレヒコ」の人格は要らなかったのだ」

 

 建御雷命の別人格(アルターエゴ)。ただ頭に鳴り響く啓示のままに生きることがライダーの運命。そこに、人としての人格は必要とされなかったから、葦原に生まれても、人格がなかった。

 定められた運命をなぞる神の剣。

 

「ならば何故今の公に人格があるのか? それはな、公自身は神の剣として生きたつまらない生であっても、周りに多くの人間がいて、彼らが面白かったからだ。何故(あれ)は悲惨なことしかない虫けらのような命なのに、それを有り難がって泣いて笑うのか。不覚にも、それに興味を持ってしまったのが運のつきだな。……全く天照の(つるぎ)が天照に引きずられてどうする。あの(野グソ)の方が、よっぽど真面目に神霊やっているというもの」

 

 人に興味を沸かしてしまった――だが、ライダー自体に「人としての人格」というチャネル自体がない。必要がないから。だがそれをライダーは無理やり作り出した。

 

「卑近に例えよう。RPGで技を四つ覚えられ、あとはHP(体力)MP(魔力)・性格がある。その中で公は特殊キャラで、技を五個覚えられる代わりに、性格がない。だが、頑張って性格を獲得した結果、技を三個しか覚えられなくなった。そんな感じだ」

「……性格は何か、意味があるのか?」

「戦闘中に意味はない。宿屋で声を掛けたら、性格によって反応が変るくらいだ」

「……俺はRPG……ゲーム? をしないからわかるようなわからないような……」

 

 ライダーの「卑近」に喩えるはおそらく本当に卑近なのだろうが、現代文明の細部にまで通じていないヤマトタケルには寧ろ難解である。

 

「とまあこういうわけで、公は無理に人格スロットを獲得したが、ではどう人格を埋めるか。これはもう外側しか持ってくるしかない。生身の人間を見て、都度人格を埋めていくのだ。つまり公の「人格」はその時々の人間たちによる。だから生前人格を得てからの公と、今現界している公の人格は微妙に違う」

 

 風が吹いたら消し飛ぶような儚いもの。唯一絶対という言葉からは最も遠く、他者なしにはありえないライダーの仮初の「人格」。

 人間がいなければ人格が生まれないとするなら、彼にとって人を殺すことは精神的自傷にも近い。そして、この世界から人類が滅ぶその時が、「カムヤマトイワレヒコ」が死ぬときなのだ。

 

 彼の本体(建御雷)は生き続けても、人としての彼はもういなくなる。

 

「お前は公が「一人で」世界を眺めているといったが、それは違う。公に人格があるのなら、すでに公は一人ではないのだ」

「……はあ、聞いて損した気分だ」

 

 もしかして、自分は少しだけライダーを心配していたのだろうか。自分自身はもう生前に未練はないが、後悔が多いことに変わりはないから。

 もしくは同じ神の剣として生まれたライダーのことを、図らずとも少し知りたかったのかもしれない。

 

「話ついでと老婆心だが、お前もRPGやゲーム……特にストーリー性のあるものをやってみるがいい。物語は、人生とは辛いものだと思う者にこそ救いとなるからな。何の疑いもなく人生を肯定できる者には、物語は不要だ」

「……俺たちの人生は終わっているはずだが」

「そう固い事を言うな。現にお前は今公と会話をし、物を考えている。一回死んだことくらい、その事実の前ではどうでもよかろう」

「おーいイワレヒコー!! もっかいやろうぜー!!」

 

 いつの間にか、少年たちが日差しの下で跳ねまわっていた。ライダーはさくさくと少年たちの方へ、リフティングをしながら向かっていた。

 そしてタイミングよく――あまりにもタイミングが良すぎるため、ライダーとの話が終わるのを見計らっていたらしいアサシンが、肉を焼く金網を持って戻ってきた。

 



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昼④ 面影を探している

「正直、ファストフードはそこまで好みではなかったのですが……誤解していました」

「人生経験としてファストフード店はいくつか通ったことがあるけれど、なかなかエレガントなところね」

「……」

 

 咲はエビアボガドを食しつつ、ファストフードで盛り上がる王様と令嬢を内心おどろきながら見ていた。

 咲、キリエ、アルトリアの女三人組は早めの昼ごはんとして、カスタムサンドイッチで有名なチェーン店でくつろいでいた。現界してから食道楽に目覚めた騎士王、聖杯戦争によって初めて雪の城を出ることになった冬の令嬢。

 なるほど、その素性を知ればたかがチェーン店でここまでテンションが上がることも理解できる。このサンドイッチ店は多少割高だがパンや野菜の素材にこだわり、無料で野菜の増量とドレッシングの変更ができる。サイドメニューのスープやデザートも本格派だ。

 

「ところで、咲はカズナリの催す温泉合宿に行くのですか?」

 

 ローストビーフ・トッピングにチーズのサンドイッチを片手に、ご機嫌麗しいアルトリアは、当初の目的を忘れていなかろうが全く違う話を出した。

 

「……流石先輩、殺し合いした顔ぶれで仲良し合宿なんていい性格してます。……興味深いので、私は参加しますけど」

「私も行くわよ。未熟ながらも一成が精いっぱいホストをつとめようというのだもの」

「ところで温泉施設には懐石料理と言うものがあると聞きましたが」

 

 全く方向性がてんでバラバラだったが、アルトリアとキリエも合宿を楽しみにしているメンバーだった。しかし咲として少々不思議なのは、何故にスーパー温泉なのかということだ。ぶっちゃけ言うと、じじむさい。

 

 咲は温泉が嫌いではないが、友人と遊びに行くならばもっとネズミモチーフのキャラクターが有名なテーマパークや、絶叫マシンが名物の遊園地など、目一杯遊ぶ場所の方が好きだ。

 魔術師をするときは百パーセント魔術師に、学生として遊ぶときは限界まで遊びたい。

 

(……でも、良く考えたらメンバーが友達でも何でもなかった)

 

 碓氷と友達などありえないし、目の前のキリエやアルトリアは友達と呼ぶにはすこしちがうと思う。バーサーカーは自分の僕、ランサーは親戚の叔父さんがいれば、このような感じなのかと思うが、友達ではない。

 そう思うと、案外温泉施設合宿はハマっているのかもしれない。バーサーカーを連れていけないのは惜しまれるが。

 

「……でも先輩が自分で「温泉にいこう」っていうって、あまり……」

「どうしました?」

「……なんでもないです。……キリエスフェール、口元」

 

 野菜を上限まで増やす無茶をしたキリエは、サンドイッチから溢れかけた野菜を皿の上にぼろぼろと落していたため、途中で野菜を敢えて皿の上に落し、サラダのようにして食べていた。

 それにたっぷりとかかったサウザンドレッシングが、キリエの口の端についていた。

 

「あら」

「そのまま、動かないでください」

 

 ポケットからハンカチを取り出したアルトリアが、丁寧にソースをぬぐう。今更だが、アルトリアもキリエもとんでもない美少女であり、ファーストフード店の一角でも、その光景は一枚の絵のように思えた。

 しかしすっかり拭き取ったはずなのに、何故かアルトリアの手はキリエの頬にハンカチを当てたまま、止まってしまった。

 

「……アルトリア?」

「……、いえ、何でもありません。キリエ、前にも私は今のように、あなたの頬をぬぐったことがありましたか?」

「私の記憶にはないわ。だいたいカズナリが拭くもの」

 

 アルトリアはやっとキリエの頬からハンカチを放すと、綺麗に畳んで閉った。すっかり呑気に女子ランチの雰囲気になっていたが、元々彼女たちはランチに集まったのではない。

 

 

「……話が本題に戻るようで何よりです。けど、本当にそんな方法で探すんですか」

 

 咲、そしてキリエも、昨夜アルトリアが遭遇した出来事について聞いていた。

 造られた春日とヤマトタケルに瓜二つの「境界主」のサーヴァント。

 約束された勝利の剣すら正面から打ち破った、並々ならぬ異形の宝具。

 元々は境界主から話を聞き出すことが主目的であり、どうしても勝たなければならない戦いではなかったが――それでも、昨夜の戦いはこの騎士王に忸怩たる傷を残した。

 

 次見えたときは必ず勝つ――しかし、それ以前に一体あのサーヴァントは何故いるのか、その深層が見えてこなければ、何にもならない。

 

 最早これも異常なのだが、昨夜の深手にも拘わらずアルトリアは傷を残さず回復していた。

 

 ――死んだはずの者が蘇る。その異常のため、既に通常戦闘も宝具解放も可能である。

 だ

 からアルトリアは今日の朝から行動できたのだが、この春日の異変の最中に置いて、彼女は彼女で心に引っ掛かるものを持ち続けていた。

 

 ――あの少年は、いったい誰なのだろう。

 

 名前すら思い出せないのに、忘れてはいけない誰かな気がする。一成を見ると時折脳裏をよぎる、その人。

 

 今春日には異変が起きている。ここは造られたニセモノの春日市だと――管理者として明は異変を究明する立場にあり、彼女のサーヴァントたるアルトリアもそれを補助する立場にある。

 昨夜現れた境界主のサーヴァントに、見事にエクスカリバーを封殺された忸怩たる思いもあり、もし彼のサーヴァントが再び現れる時には、同じ轍は踏むまいと強く思う――だからこんな些細な引っ掛かりなど、気にしなくていいと自分に言い聞かせていた。

 でも、気になって仕方がない。

 

 夜は明の手伝いや碓氷邸の警護で屋敷にいなければならないため、人を探すなら昼間の方がいい。そのため、アルトリアは人探しの為に街に繰り出したのだ。

 

 昨夜キリエは碓氷邸にて宿泊していたため、アルトリアは街に出る前にキリエに事情を話し、人探しに妙案はないかと尋ねてみた。

 

 これは通常の人探しではない。「名前も解らない。顔も解らない。歳はカズナリと同じくらいの、料理がうまい男性」という、無茶に過ぎる条件で探そうというのだから。

 

 肝心のアルトリアの記憶さえもはっきりしない状態で、キリエもあきれ顔だった。

 

 

 ――ところで、刑事には指名手配犯の似顔絵・写真を頭に叩き込んだ上で、一日中街の人通りの多い場所に立ち行きかう人々を見て、犯人を捜す者がいるという。つまりアルトリアがしようとしていることはその刑事と同じで、駅前に立ってピンとくる人物を捜すということだ。

 

 キリエの呆れ顔は五割増しになったが、彼女は彼女で時間があったのか、アルトリアにしては珍しい酔狂に付き合うと言った。そうして前途多難なまま碓氷邸を出てきた二人だったが、腹が減っては戦はできぬと駅ナカのカスタムサンドイッチチェーンへ流れ込んで、そこで一人早い昼ご飯を取る咲に行きあったのだった。話を聞いた咲も、キリエと全く同じ呆れ顔をした。

 

「わ、私でもバカなことをしていると思っています。しかし自分の気のせいと放っておくには、ひっかかりすぎるというか……できる限り探して何もなかったら思い違いと納得もできます」

「……アルトリアが食べ物以外で変な事を言うとは思えません」

「食べ物に関しても変な事を言ったことはありません!」

 

 アルトリアのツッコミはスルーし、キリエと咲は同様の面持ちで目配せをした。アルトリアは手に残った最後の一口を平らげると、ナプキンで口を拭って立ち上がった。

 

「それでは、行ってきます。元々私でしかできない人探しですし、先に帰っても大丈夫ですよ」

 

 全く光明の見えない人探しにもかかわらず、アルトリアは意気揚々と店を出ていき、人並みに紛れた。ここは二階であり、キリエらが座っているのは窓際で、見下ろせば駅前を行きかう人々の姿が見える。少しすれば、金髪の美少女の姿も見えるだろう。

 

「キリエスフィール。アルトリアのいう人は、いると思う」

「あなたも解っているでしょう。アルトリアは嘘をついていない。彼女のいう人物も、きっと本当にいたのでしょう。だけど」

 

 春日の聖杯は知っている。そして、春日聖杯を求めて争い、敗れた者もまた。

 

「――春日には、いない」

「……わかっているようね。貴方にしてはとても落ち着いているけれど」

「だってバーサーカーがいるもの」

 

 あくまでいつものトーンで紡がれた言葉の奥、咲が水を口に運ぶ手が僅かに震えていることにキリエは気づいただろうか。気づいても、気付かなかった振りをするキリエではあるが。

 

 キリエの見るところ、咲はまだ若すぎる、幼い嫌いはあるものの、わかりやすく魔術師という家業に向いており、また魔術師らしい。

 誇り高く、努力家で、根源を求めると言う魔術の営みの不毛さも知りながら邁進する。自分がやりたいと思ったからやる、邪魔をするなら倒すと、敵を増やしやすくもわかりやすい性格をしている。

 

 ――聖杯戦争中、魔術師の心構えとしては半人前であった彼女は、今少し、魔術師へと近づいている。

 

「惜しかったわね」

 

 

 おしぼりで手を拭きつつ、キリエは眼下のアルトリアを眺めた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 太陽が傾いており、空は橙色に染まっている。驚いたことに、アルトリアはサンドイッチの後はずっと駅前で人探しをしていたらしい。バーベキュー後、地下室に籠っていた明はキリエに声を掛けられ、真神三号の散歩がてらアルトリアを迎えに行くことにした。ただ、キリエ自身は一成の様子をみるようで、迎えにはいかなかった。

 

 真神の世話は当人たちの宣言通り、アルトリアとヤマトタケルがしているが、明も二人に断ってご飯をやったり散歩をしたりしている。また真神三号も人懐っこいたちで、明や影景に吠え立てることもない。

 

「……アルトリア、そろそろ帰らない?」

「……アキラ」

 

 戦果がなかったことは一目瞭然だった。明は詳しく問うことはせず、真神に引っ張られるように、来た道を戻る。

 バーベキューしたことを伝えると、アルトリアは何故誘ってくれなかったと拗ねるかと思われたが、それ以上に上の空でその様子もない。

 明は今日の晩御飯はハンバーグだそうとか、ヤマトタケルの料理の腕前も上がっているとか、たわいもないことを積極的に話しかけたが、アルトリアの返事はいまひとつだった。

 

 アルトリア自身よりより少し前を歩く、この土地の管理者・碓氷明。

 似ているようで、でも何かが違う。

 

 じわじわと、公園を横切る時にセミの鳴き声が響く。

 ほんの日常、何もない日々――春日(ここ)ではないどこかで、同じように大切な時を過ごした。

 

 午後を費やし何の収穫もなく、騎士王の心は晴れないままだった。ずっと心に引っ掛かっている、少年。自分は本当に、碓氷明の剣であったのかという疑念。

 

 またそれとは別に、気になることが一つ。

 

「……アキラ、一つ聞きたいことがあります。私の気のせいであれば謝ります」

「……どうしたの?」

 

 歩みを止めたアルトリアを気にかけ、明は振り返った。

 

「――あなたは、この異変について調べるつもりがあるのですか」

 

 最初は「大したことではない」と言う明の言葉を信じ、アルトリアも警戒するくらいの気持ちで春日を回っていた。だが徐々に、「知らないマスターとサーヴァント」「境界主のサーヴァント」「春日の外に出られない」「造られた春日」の疑惑が深まっていき、危険度も上がっているはずなのに、明は焦る様子も、深刻になる様子も見せない。

 

 いくら急に人命が危険にさらされることはないとはいえ、如何なものか。

 明は暫く黙り、アルトリアの顔を見つめて笑った。

 

「……ない、って言ったらどうする?」

「……は?」

「ウソだよ。お父様も調べているし、緊急性はないから焦っていないだけ……焦ってもいいことないしね」

 

 明はなんでもないように前に向き直り、屋敷への道を歩き出した。本当にそれでいいのか――問うても、騎士王の不安は募るばかりだった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 昨夜のディナー後、春日市へと繰り出したハルカとキャスターであるが、サーヴァントと邂逅することもなくそのまま拠点へと帰ってきていた。

 不完全燃焼を禁じ得ないハルカであったが、この聖杯戦争の雲行きに不安を感じ――そもそも、本当に戦争が行われているのかすら怪しい現状――碓氷邸への訪問を思い立った。

 

「……いませんね」

「……いないようですね」

 

 ハルカはカソックのような濃紺の服を纏い、キャスターは白のワンピースの恰好で、顔を見合わせていた。

 春日の管理者・碓氷の屋敷――その門はぴったりと閉じられていて、蝉の鳴く庭からは人気を感じられなかった。元々ハルカは管理者・碓氷影景と春日教会と手を結んで戦う予定だったのだが、影景の一存でなかったことになったらしい。

 ハルカとしては共闘の利点も理解はしていたが、この身ひとつで戦いたいと言う気持ちがあったために深く追求する気はなかった。だが、そうも言ってはいられない。

 

 今は敵対するつもりもないため昼間に訪れたのだが、結果は見ての通りである。

 彼らの知る事ではないが、碓氷邸の住人と訪問者は今頃美玖川の河川敷でバーベキューをしている。

 

「……影景も明も不在ですか。また夜に尋ねましょうか」

「? その口ぶり、ハルカ様は管理者の方とは知り合いなんでしょうか。あの神父さんと同じで」

「ええ。むしろ神父よりも影景の方が懇意ですね。時計塔で知り合ったのですが」

 

 時計塔での付き合いといえば、どうしても政治的な色合いを帯びてしまう。だがエーデルフェルトと碓氷が同派閥に属していること(碓氷というより碓氷の元家)もあり、ウマがあったこともありなにくれと付き合いがあったのだ。

 春日聖杯戦争勃発前に一度、冬木を見たいとの思いから訪日したことのあるハルカは、その時にも春日の碓氷邸を訪れたことがある。当時の明は十にもなっておらず、彼女の記憶にハルカもことは薄いと思われる。

 

 出直すか、とハルカは門に背を向けた時、彼はキャスターが固まっていることに気づいた。

 

 

「どうしましたかキャ「おう、ハルカ・エーデルフェルトといったか?」

 

 野太くも頼もしいその声は、数日前戦闘に至った槍のサーヴァントに相違ない。丁度碓氷邸前を通りかかったようだ。昼間の住宅街という状況だからか、彼からも敵意は感じない。だがハルカの目を引きキャスターを硬直させているのはランサーではなく、ランサーに腕を引かれていた男の方だった。

 黒髪長身で筋肉のついた、Tシャツの男――彼もまたサーヴァントだった。

 

「ランサー……。あなたの隣にいるのは、」

「ん? 会ったことはないか。セイバー・ヤマトタケルだ」

 

 セイバーと呼ばれたサーヴァントは、ランサーに無理やり引っ張られてきたと言いたげな表情をしていた。ハルカとキャスターに向けて挨拶の一つもない。

 

「あなたは何故ここへ?」

「ああ、どうもセイバーの様子が可笑しくてな。いつもなら稲トーク、ああ稲とは儂の娘のことなのだが、を楽しく聞いてくれるのにどうも今日は面倒そうな顔をずっとしていてな。これはおかしいとマスターの碓氷に相談しにきたのだ」

 

 内容は果てしなくどうでもよかった。だが聖杯戦争中にもかかわらず、セイバーの真名を明らかにし、昼間とはいえ敵陣営のサーヴァントとお茶で雑談するとは平和ボケが過ぎる。

 じりじりと焦がす太陽の下、ハルカはランサーとセイバーを見据えた。

 

「……聖杯戦争は、終わっているのですか」

「? まだお前は聖杯戦争が終わってないなどと言っているのか。終わったとも。このセイバーが、大聖杯を破壊してな」

 

 あっけらかんと告げるランサーが嘘を言っているようには見えず、ハルカは眼を見開いて押し黙った。しかし呆然とする彼とは逆に、ランサーは平時にはなかなか見せなかった獰猛な笑みを浮かべた。

 

「されど、儂は戦うこと自体にはやぶさかではない。アーチャーの横やりなしで、お前ともう一度戦いたい」

 

 数日前の、美玖川での戦い。アーチャーの横やりが入ったために撤退したが、ランサー自体には優勢だった。

 あの時はまだランサーの宝具も発動しておらず、今戦い直したからといって勝てるとも限らない。まだキャスターは宝具(真名)を思い出していないのだ。

 

 いつものハルカであれば、否応もなく頷いただろう。

 だが、「聖杯戦争が終わっている」との言葉が彼を呆然自失とさせていた。

 

「……あの、ところで、碓氷さんは留守ですかね?」

 

 言葉を失っているハルカの代わりに、彼の後ろにひっこんでいたキャスターが恐る恐る口を出した。

 

「ん? 留守なのか。儂も今訊ねにきて知らなんだ……しかしいないのならばしかたない。ヤマトタケル、養生するのだぞ」

 

 セイバーはやはり無言のまま、面倒そうにランサーを見やった。碓氷が留守ということで、セイバーもランサーもハルカたちもここにいる意味はない。

 しかし、漸く気をとりもどしたハルカはなんと、セイバーの腕を掴んだ。

 

「セイバー、あなたは碓氷のサーヴァントと言いましたね」

「……」

「私は碓氷の管理者に話を聞きたい。中で待たせてもらっても」

「俺はこれから用がある。また出直せ」

 

 セイバーは無表情のまま、ハルカの手を振り払った。

 ハルカの横を通過して去ろうとする刹那、彼はキャスターに初めて目をやったが――そのまま何もいわずに通り過ぎた。微かに、ちりんと鈴の音を残して。

 




カスタムサンドイッチのモデルはサブ〇ェイです。


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夜① はつこいのひと

 閑話休題。昼は和気あいあいとバーベキューに興じていたが、夜は夜で春日市の調査がある。

 

 今日からはアーチャーが一成・理子につきあって調査をする。また明側では今日の担当はヤマトタケル。ちなみにヤマトタケルと一成たちは別行動で、一成たちはハルカとキャスターを優先する。

 

 集合はアーチャー宿泊のホテルに夜十一時。理子もホテルの勝手を解ってきたため、難なく時間通りにやってきた。迎えに出たアーチャーに導かれ、室内に入った理子が目にしたものは――リビングの大きなソファーで、キリエに馬乗りされている一成の姿だった。

 

「……土御門、あんた……」

「な、何だその眼は! 俺は無実だ!」

「何が無実よカズナリ! 私の大事なものを奪ったくせに!」

 

 キリエは涙目になりながら、一成の胸や頭をやたらめったらぽこぽこ叩いた。アーチャーはその様子を、一歩引いて蔑んだ表情で見つめて呟く。

 

「……そなた……」

「何がそなた……だ! 榊原はともかくお前は全部知ってんだろーが!!」

「私のプッチンプリン、勝手に二つも食べて!」

「なんだ、無実じゃないじゃない」

 

 そんなことだろうと思った、と理子は肩を竦めて一成たちの向かいのソファに腰は下ろさず、よりかかった。

 

 このホテルのロビーにでも電話すれば、プッチンプリンよりも高級なプリンがルームサービスで運ばれてくる。深窓の令嬢たるキリエの舌にはそちらの方があっているのではないかと思われたが、むしろ庶民のプリンを妙に気にいってしまったのである。

 そういうわけで部屋の冷蔵庫にはプリンが常備されているのだが、それを一成が勝手に食べたという話だった。

 

「アーチャー、土御門、そろそろ行きましょ」

「お、おう……おいキリエ、ちゃんとプリンは買ってくるから勘弁してくれ。春日の調査に行ってくる」

「……プッチンだけじゃなくて、あの青と緑のコンビニの、俺のプリンもつけるなら許してあげるわ。あのおっきいやつね」

 

 一成がもがきつつ頷いたのを確認して、キリエはしぶしぶと彼の上から降りた。それから理子やアーチャーを一瞥して目を細めた。

 

「あなたたちも物好きね」

 

 キリエは一貫して、今春日に起こっている事象に興味がない素振りを貫いている。それはこの春日が結界である、とわかった後でも変わらない。

 一成にはどうして彼女はここまで関わろうとしないのかは、よくわからない。だが明の父はもう真相を知っているようでもあり、またキリエがやりたくないのに強制することは(力量的にも人道的にも)無理だ。

 

「留守番を頼んでもよろしいか、アインツベルンの姫」

「任せなさい。とはいっても、何もすることはないのだけれど」

 

 冬の令嬢は一成のどいたソファに再び腰を下ろし、深く体を鎮めてゆっくり手を振った。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 今宵は月が明るい。冬ほど煌めく星がみえなくとも、明るさは十分である。さて、どこから探したものかと一同が顔を合わせた時、一成が思い出したように口を開いた。

 

「……今更だけどハルカと新キャスターの拠点ってどこなんだ? 碓氷は知ってんのかな」

「知っていたとしても向かうのはどうであろうか。キャスターは陣地防衛を最も得手とするサーヴァント、つまりは大西山決戦のようなもの。あまり気が進まぬのう」

 

 春日聖杯戦争において、サーヴァント五騎が入り乱れる大決戦となった大西山の記憶はアーチャーにも深く刻まれている。キリエの魔術も併用し一ヶ月以上の時間をかけて構築された陣地は、死地そのものであった。

 一成も確かに、と言いかけた時、理子が割り込んだ。

 

「ちょくちょく思うけど、あんた碓氷に頼りすぎじゃない? 確かにあんたはヘッポコだけど、きちんとサーヴァントもいて私もいるんだから、もうちょっと自分でやろうって思いなさいよ」

「う……た、確かに」

 

 以前より明に頼ることに抵抗がなくなっているのは否めない。頼ることが悪いのではないが、その分の借りを返せているか、ギブアンドテイクのギブができているかという話である。

 聖杯戦争時は互いにサーヴァントを連れており、明たちも問題を抱えていたが、今は違う。調査は一成が好き好んで行っていることであり、明から頼んだことではない。

 ただ、「春日自体が偽物」という大事で、明がそこにこだわるかどうかだが……。

 

「……そうだな、俺たちで探すか。やっぱ気になるのは美玖川か?」

「ええ。先日調べたけど、やっぱり春日の外に出られない。念写とかも試してみたけど、無駄だったもの」

「念写?」

 

 一成はハルカたちと戦闘した時の、理子の魔術について聞いていない。むしろ他家の魔術に深く突っ込むべきではないと思ってもいたため、一成は聞いていなかった。

 しかし日本の魔術師の特性、土着の信仰を護る家と言う意味では、理子は明たち西洋魔術師ほど神秘の漏えいに気を払ってはいないようだった。

 

「……詳しくは行ってから話すわ。行きましょう」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 かつて、初代神の剣(神武天皇)とニギハヤヒノミコトによる大儀式(東征)が完了し、大和は成った。

 それから数百年が経過した今、第二代神の剣が造られた。とすれば、自然ニギハヤヒのような役が此度もいるのだろうと、大和の帝と近しい者たちは思った。

 

 ――しかし、此度のニギハヤヒは男ではなく、女だった。

 

 初代神の剣にして初代天皇・神武から下る事既に数百年が経った。葦原は落ち着いた――とは言い難い。

 むしろある意味、神武の時代よりも混迷しているといっていい。

 

 島国であるこの葦原中国は大陸が神の時代を離れた今であっても、奥深き神代の香りを色濃く残していた。大陸の幻想種の多くはとっくに星の内海(世界の裏側)へと移行したにもかかわらず、思惑は様々だろうが、内海に向かうことを拒んだ大陸の幻想種や神々の端くれは、世界の辺境の葦原へと流れ着いた。

 

 まだ真エーテルの深き葦原、世界の流れから遅れた田舎ではあったろうが、残された辺境だからこそそれらの幻想が生きるには適していた。つまり今の葦原はありとあらゆる、逃げ場を求めた幻想種の巣窟、神秘の掃き溜め、魔性と神性、外宇宙の遺物それらすべてが同居する坩堝に成り果てていた。

 

 ただ流れ着いても、こちらの規則(ルール)に従うならば良し。だがそればかりとは限らない――。古来の神々、天津神と国津神は一時結託し屠りつくすしかないと、今一度神の剣を鋳造した。

 神霊直接の降臨が難しくなった今、彼らは代理を遣わした。

 

 第二代神の剣、現世の名を小碓命にして日本武尊。

 

 神の剣は大和を害するあらゆる怪異を、神を、獣を、ひいては人を殺すことのみが至上命題。兵器を大和に置いていて腐らせるなら意味はない。

 それはただ滅ぼすもの。殺すもの。

 天皇に疎まれたから東征にいくことになった? それは違う。好かれようと疎まれようと、東征は既定であった。だから神の剣は、帰れない。

 

 だが帰れないのは彼だけではない。「神の剣」が帰れないなら「鞘」もまた帰れない。

「鞘」の役目は剣が斬ってはならぬものを斬らぬように、そして剣を護るもの。

 剣より先に壊れる宿命を持つもの。

 

 神霊そのものの降臨は不可能だが「剣」は滅ぼす力のみに比重を傾けて神霊を葦原に下ろしたようなもの。それを補強する鞘は別途、選ばれた。

 かつての東征において初代神の剣ともに東征を完遂した、邇藝速日命(ニギハヤヒ)の血筋と神宝を所持する者が。

 

 神命であり、天皇の命であり、その者に拒否権はなかった。

 大和を護るための、人を護るための人柱である。

 

 

 

 

 皆勝手なことばかり。好きで女になったわけでもないのに、さらに大和の為に死ね?はあそうですか、そうですか。ふぅ~~ん。

 

 彼女は内心ずっと不満を覚えてはいたものの、幼いころから「お前には大和を護る大任がある」と言われ続け、半ば諦めてもいた。

 たくさんの人が死ぬのは見たくないと思う普通の感性を持っていた彼女は、自分がやれば多くの人の死が遠ざかると聞いて渋々受け入れた。

 

 生まれた時から彼女にはその大任があるため、周囲は一豪族の娘以上の特別扱いをしていた――だがその扱いはよそよそしさに通じ、幼い彼女には親しい友人がいなかった。

 

 もう少し歳を重ねたら伊勢の倭姫命(ヤマトヒメ)へ弟子入りするなどの話も、耳から耳へ通り過ぎていくばかり。周りの人間にとって、自分は大和を護るための道具でしかないことを無意識のうちに態度から察してしまった彼女は、すべてに対して投げやりで上辺だけだった。

 

 そんな彼女が天皇家の者と触れることを許されたのは、将来的に大碓命と娶せるためではなく、弟の方と娶せるために親しませる目的のためだった。神の剣と、神の鞘として。

 

 新緑の薫る暖かい季節だった。彼女は父親に宮中に連れてこられたはいいものの、父は父で誰かと話があるとかで立ち去ってしまった。

 彼女は手持無沙汰にだだっぴろい板張りの広間で座って待っていたのだが、その時廊下からけたたましい音が響いてきた。

 

 顔立ちの整った、黒髪の少年がこの部屋の前で止まり彼女と目があった。すると少年はまた凄まじい勢いで彼女の方へ突進してきた――かと思えば、すれ違いざまに「黙ってて!」と言ったかと思うと、そのまま部屋の隅に置いてある大籠の中に姿を隠した。武器などを運ぶ際に使うもので、子供一人ならすっぽり入れる大きさだ。

 

 何が何だかわからない彼女の耳に、またしても足音が聞こえてきた。今度は静かで、ともすれば聞き逃してしまいそうな、小さな音だった。

 それはまたしてもこの部屋の前で止まった。

 

「……!」

 

 先程のうるさい足音の少年と、全く同じ顔をした少年が真っ黒な瞳で少女を見た。彼は無表情のまま、抑揚のない声で訊ねた。

 

「僕と同じ顔をした人がここに来ませんでしたか」

 

 彼女はどう返答したか迷った末に、首を横に振った。暫く沈黙が続いたあとに、後から来た少年は足音もなくその場を去った。

 念のため、暫く間を置いてから彼女は小声で籠の中の少年に声をかけた。

 

「い、行きましたよ」

「……ほんとか!」

 

 どすんと籠を横倒しにして這い出してきた少年は、まだ半信半疑の体であちらこちらを見まわしていたが、一通りあたりを眺めると気が済んだのか、息をついてその場に坐った。

 

「お前ありがとうな! 助かった! ……ん? 誰だお前」

 

 それは彼女からの台詞でもあるのだが、宮中を我が物顔で疾走するあたり、身分は上の可能性が高い。彼女は静かに答えた。

 

「タチバナ。弟橘です」

「へ~よろしくなタチバナ。俺大碓! ところでお前、ヒマ?」

 

 暇、かと言われれば暇ではある。だが父にここで待っていろと言われたので、勝手に動くのは良くないと思う。

 それを素直に大碓に伝えたところ、彼はなぜかにんまりと笑った。

 

「つまりヒマってことだな! よし、行こうぜ!」

「は、はい!?」

「野イチゴが生ってるとこ見つけたんだぜ~穴場~~の・の・のいちごッ」

 

 謎の歌を歌いながら、大碓は弟橘をずるずるとひっぱって晴れ渡る空の下へと連れて行った。弟橘は完全に流されるままに、勝手に話し続ける大碓の話を聞きながら野イチゴを食することになったのである。

 

 初めての出会いは、それだった。結果として大碓と遊びに行ってしまったことは父親からも咎められはしなかった。

 

 何もかもがつまらない、と思っていた彼女――弟橘だったが、大碓と遊んでいる時だけは違った。

 初めてできた友達で、色々なものを見せてくれて、いつも笑っている。

 いつか、大碓様には楽しい事しかないんでしょうと言ったら、腹を立てられた。

 

「む! 俺だってやなことあるぞ。たとえば教育係のババアに怒られるとか、父帝に叱られるとか、小碓にボコボコにされるとか、歴史覚えられなくて眠いとか」

「でも、大碓様、今まで一回もそれいやだって言ってないですよね」

「ん~~怒られるのとかボコボコにされるのは嫌いだけど、ババアや父帝、小碓は好きだから」

 

 ババアは怒るけど飽きずに俺にずっと歴史や政治を教えてくれる。

 父帝はこの大和を護るので忙しいのに、俺と楽しく話してくれる。

 小碓は凄くできるやつで、特に武術なら大人複数人にも負けない。

 

 放っておけば、今挙げた人々だけではなく宮中の役人や他の兄弟まで褒め倒しかねない勢いだった。けれど彼は無理に褒めようとしているのではなく、単に目についたことを言っているだけの自然さだった。

 

 宮中で、数多い現帝の子の中でも大碓と小碓の双子は、良くも悪くも有名人だった。小碓は小碓で出来が良すぎて不気味がられているが、大碓はその弟と引き比べて出来が悪いことで影で不肖の子と謗られている。

 その陰口を大碓が知っているのか弟橘にはわからなかったが、大碓は陰口をたたく者の悪口を全く言わなかったし、宮中でも彼らに普通に話しかけていた。

 

 ――大碓と話すとき、多くの顔が笑っていた。

 たとえ天皇として不適合だと思われていても、無能だと思われていても、彼の人格が嫌われていることとは話が違う。

 

 彼に呆れながらも、バカだと思いながらも、たくさんの顔が笑っていた。

 

「大碓様は、人のいいところを見つけるのは上手ですね」

「そうかな? でも、やなところより好きなところを見つける方が得意かも?楽しいしな!」

「……私は、いいところよりやだな~ってところの方が目に入ります」

「そうなのか。お前には、俺とは違うものが見えるんだな! すげえな!」

 

 なんだか、大碓と話していると自分がつまらないことで悩みすぎているような気がしてくるから不思議だ。

 弟橘は手渡されたハシバミをつまみながら、ふと思いついたことを聞いた。

 

「大碓様、私のいいところを言ってみてください」

 

 きょとんとした大碓だったが、直ぐに破顔した。「かわいい!」

 

「ギャーッ!」

「何で殴るんだよぉ!」

 

 衝撃のあまり大碓の腕を殴ってしまった弟橘は彼から距離を取り、そっぽを向いた。熱を出したわけでもないのに頬が熱くて恥ずかしい。

 とても大碓の顔を直視できそうになくて、彼女はしばらく不自然にそっぽをむいたままだった。

 

 

 

 

 

 どんよりと垂れこめた雲が泣いていた。肌寒さの取りきれない季節に、白い装束と羽織を身にまとった弟橘は一人、こんもりとした丘の前に立ち竦んでいた。

 周囲は林で人気は皆無だ。一応、豪族の娘である彼女が友も連れず一人きりで歩き回るのはよろしくないのだが、既に倭姫命に弟子入りしている彼女は、魔獣避けの術を使っているため不安はなかった。

 

 傘を小わきにかかえ、雨に濡れるのも気にせず、彼女は目の前の丘に手を合わせた。この丘は、墓。

 

 大碓命が永久に眠る、墓である。

 

 仔細は彼女も解らない。ただ父帝から麗しい乙女を連れてくるように仰せつかった大碓命が、魔がさしてその乙女を自分の妻にしてしまい、そのくせ罰せられることを畏れて引きこもったらしい。だがそこから死に至った経緯が判然としない。

 

 ひとつには、怒った父帝が小碓命に命じて大碓を殺させた、とか。

 ひとつには、父帝は小碓命に説得して顔を出させるように命じたが、説得の段階で争いになり、誤って小碓命が大碓命を殺してしまった、とか。

 ひとつには、父帝は小碓命に説得して顔を出させるように命じたが、「殺せ」と言われたと思った小碓命が大碓命を殺した、とか。

 ひとつには、この機に皇位継承の敵である大碓命を、小碓命が殺したとか。

 

 弟橘の所見からありえないと思われる説もあったが、ありえると思える説もあった。何が真実かは藪の中。

 大碓命が初めて妻を持ったときから、弟橘は彼から距離を置いていたため、なおさらわからなかった。ただひとつの真実は、大碓命はもういないということだけ。

 

「……大碓様、あなたのことが大好きでした」

 

 結局、最後まで伝えなかった言葉が虚空に木霊した。今思えば、言うだけ言っておきたかった気もすれば、やっぱり言わなくてよかった気もする。

 

 私はあなたの妻の一人にすらなれない立場ではあるけど、それでも――。

 

 一人の友達として扱ってくれて、ありがとうございました。

 貴方のお陰で、つまらなかった世界に興味を持とうと思いました。

 だから、

 

 

「――あなたが好きだった大和は、私が護ります」

 

 大碓命との日々を、過去の想い出として、懐かしむだけにすることもできた。

 でもそれは、懐かしむには美しすぎた。風化させるには輝かしすぎた。

 

 自分は神の剣なんかの為に死ぬのではない。また大和の為に死ぬのでもない。

 

 ただ失われた(景色)の為に死ぬのだと――まだ十代も半分に満たない少女は、その時、本気で思っていたのだ。

 

 

「……何をしている?」

「ウヴォゥァアア!?」

「魔獣みたいな声を出すな、お前」

 

 静かな林の中、背後からぬっと顔を出したのは、傘を片手に持つ小碓命だった。いつもと変わらぬ無表情で、こちらもただ一人で現れた。彼の場合、宮中の誰かに適当に行ってくると残して出てきたのだろう。

 彼が魔獣や強盗に襲われる心配をする者は、もう宮中に皆無だろうから。

 

 この時既に小碓命と弟橘の結婚は決まっていたが、婚儀自体は執り行われていない。その理由は、小碓命に熊襲(クマソ)討伐が命じられたからである。

 いわば東への前哨戦――熊襲の地は元々、初代天皇の生まれた土地であり人の住まう土地である。ただ、今では大和に従わない者たちによる支配となっている。

 

 つまり、敵は神ではなく人の範疇にあるものではある。

 だが数えで十五歳の少年に、軍もなしにしろというのはあまりに厳しい。

 

「……お、小碓様、いったい何しにここへ」

「これから伊勢に行き、熊襲に向かう。その前に墓参りくらいしろと武彦が」

 

 吉備武彦(きびのたけひこ)とは、弟橘に先んじて妻となっている女の父であり、つまり小碓命の舅である。小碓命も弟橘と同様に墓に向けて手を合わせたが、その内心は杳として知れない。いつも通りの無表情だ。

 熊襲討伐の命をどう思っているのかも読み取れなかった。

 

「た、大変なこと命じられちゃいましたね! 熊襲討伐とか!」

「そうだな」

「やっぱ怖いですよねぇ、私おしっこちびりそうです」

「戦うことを怖い怖くないで考えたことはない。命じられたからには殺すまで」

「失敗したらとか考えちゃいません?」

「失敗したところで俺が死ぬだけだ」

 

 またとんでもないやつの妻になることになっちまったもんだ、と弟橘は嘆息した。もし大碓命が同じことを言われたら「絶対無理~~! いやだ~~!! 死んじゃうだろ~~!」って恥も外聞もなく断るに違いない。

 表だっては言えないが、これは天皇に相応しくないと、弟橘ですら思う。

 

 かといって、小碓命が天皇に相応しいかとと言えば、それも違うと思っている。

 

 しとしとと雨の音だけが響き、獣の気配も人の気配もない静寂の森で、会話は途絶えた。交流を心がけようと質問を投げてみたはいいものの、最も聞きたくて、かつ最も恐ろしい問いが弟橘の内でずっと木霊していた。

 

 

 ――小碓様、あなたは望んで大碓様を殺したんですか――?

 

 小碓命の妻となる決心がついた時から、彼女は決めていたことがあった。

 

 恋はできなくても、小碓命を好きになる努力をすると。大碓命は、人のいいところを見つけて好いていた。その彼は、この弟の悪口を一回も言わなかった(ケチだ、とは言っていた気がするが)。

 だから大碓命を見習おうと決めた。

 嫌いでいるより、好きでいる方が楽しいと――人を楽しんだ彼のように。

 

 けれどもしも、小碓命が「殺したかったから殺した」と返してきたならば、その努力をする心が折れてしまうと思った。それが、彼女の口を凍らせていた。

 

 結局その問いを投げかけることなく、代わりに彼女は笑った。

 

「あのっ、小碓様はいつ伊勢に向かうんですか?」

「明日だが」

「私も一緒に行っていいですか? ホラ、結婚しますし? 小碓様の叔母様にも挨拶したいですし? それに観光逢瀬できますし? キャー!」

 

 何言ってんだこいつみたいな顔されたが、めげるものか。ついでに倭姫命に会いたいのも本音だ。挨拶ではなく最近伊勢に行っていないから、修行をの成果を見てもらいたいという内容だが。

 

 正直、師匠たる倭姫命にも不可解なことが多い。元々天照をしょってるとか未来が見えるとか変な噂があり、弟橘にも噂の真偽はわからない。

 それに加え、何故か小碓命に神の剣であることを伝えていないらしく、弟橘も鞘であることを言うなと口止めされている。

 

 

 ――うーん、わからないなあ。

 

 これから先のことも、小碓命のことも、倭姫命のことも。大変な困難が待ち受けているだろうことは薄々察しているが、それでも楽しい人生として過ごしたいのだ。

 相変わらず小碓命は胡乱な顔つきをしていたが、半ばどうでも良さそうに頷いた。

 

「……ついてきたいなら好きにしろ」

「やった! キャー小碓様しゅてき! 好き!」

 

 幾ら空疎な言葉であっても、繰り返せばいつの日か本当になると願っていた。

 



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夜② 蘇る記憶

今日もまた、夜が来る。


「ホァー!! 超絶黒歴史!!」

 

 ベランダにつながる窓を通してみた空の色は赤紫から紺色に変わりつつあり、夜が近いことを教えていた。

 碓氷邸から一旦帰宅して夜に備えていたのだが、二人ともまどろんでしまったらしい。

 

 キャスターは窓際に座り込んで眠りこけていたのだが、自身の寝言で覚醒するという奇妙な技をやってのけ、のろのろとベランダへと出た。

 

「なんて夢見の悪い……夢じゃなくて過去ですが……」

 

 若さ、若さって何だ? 振り向かないことさ。うん若いって怖いね! 十代思春期のこう、体は大人になってきていることととそれに追いついていない精神の、アンバランスが成せる業か。

 夢の自分を十字架に磔にしてジャンヌ・ダルク処刑の如く燃やしたい。キャスターは思いっきり頭を振って顔を上げた。

 

 

 外は髪を揺らすほどの微風があり、比較的涼しかった。昨日が五日目、今日で六日目。

 魔力量は問題ないが、その魔力はこの世すべての悪に汚染されたものであり、自分の霊基では耐えられて数日が限度だと思っていたのだが、今もこの通りピンピンしている。

 

 ――呪いを肩代わりしている何かがいる?

 

 わからない。すでにこの世界はキャスターの手を離れている。

 もともと、偶然で存続を許されている――存在を見逃されている世界だ。作りも細かなところは粗雑だし、ほとんど記録のコピーでつじつまの合わないところもある、元々無意味な苦し紛れで逃げるためだけに作った世界だった。

 こんなに長続きする予定も、するはずもなかったものだ。

 

 だってこんな世界を長続きさせてしまえば、小心者の自分は罪の意識を抱いてしまう。

 

 ――どうせ罪であるのなら、せめて、ハルカ様は、

 

 ここが終わってしまったとき、ハルカはまた元のハルカに戻ってしまう。

 

 それはよくない。というより、いやだと思う。この世界が無事である内に、自分が正気である内に、ハルカは自分の真実と向き合わなければならない。

 

 実際、それは時間の問題だった。ハルカはすでに夢の形をとって、自分の身に何が起こったのか思い出しつつある。頭は忘れても、体は、血は覚えているのか。

 

 それを理解していながら、キャスターはあえてその点には触れないでいた。

 いつかは向き合わなければならないと知っていたけれど、放置した。

 

 その理由は単純で、この世界が楽しかったからだ。

 そもそもこれほど長居できること自体想定外で、正気でいられたことも奇跡で――楽しかったから、いずれ来る終わりに目をそらした。

 

 人は死に時というものがあると、キャスターは思っている。ランサーは戦国を生き抜いてしまい太平の世で生きながらえたことを心の片隅で悔み、戦場で死ぬことを望んだ。

 

 そしてャスターは、あの荒れ狂う異界の海で死ねなかった。

 死にたくないと思って、生きながらえてしまった。

 

「……そういえば、夜にはまた碓氷さんちに行くってハルカ様言ってましたねえ」

 

 キャスターが踵を返し、部屋の中に戻ろうとしたその時――ハルカがベッドから転がり落ちて、うずくまっているのが目に入った。

 

「マスター!?」

「……っ」

「……大丈夫ですか!?」

 

 体をゆすってしばらくすると、ハルカの震えは止まった。彼はキャスターの手を払い、ゆらりと起き上がると、顔を上げて勢いよく部屋を飛び出し階段を駆け下りていく。キャスターは慌てて彼についていく。

 

「ちょっ、マスター!? どうなさったんですか!」

 

 ハルカは聞く耳を持たず、どたどたと階段を踏み続け降りていく。

 

「……っ!!」

 

 ハルカは最後の階段を踏み外し、そのうえ受け身も取れずに床に転がった。起き上がろうとしてもうまく起き上がれない。

 だがそれよりも思い出したことの方が重要だ――!

 

「ハ、ハルカ様、とりあえず落ち着いて、お身体が……」

「……あの女は、シグマは……!」

「ハルカ様、落ち着いてください!」

 

 俯せになりながらもなお前進しようとするハルカの上に覆い被さり、キャスターは自重で押さえつけようとする。体力を使い切ったのか、ハルカはそのまま顔を床に押し付けた。息を荒げ床に向かったまま、ハルカは口を開いた。

 

「……キャスター……。思い出しました……」

 

 ――時計塔からの派遣として、春日聖杯戦争を何事もなく終わらせる。

 その目的のため、春日聖堂教会、果ては碓氷家との同盟・共闘をすることを条件として聖杯戦争へと参加したハルカ・エーデルフェルト。触媒も春日聖堂協会に用意され、彼自身は戦闘準備を整えて日本を訪れることになっていた。

 

 季節は冬とはいえ、フィンランドに比べれば物の数の寒さではない。コートの一つも羽織らずに、ハルカは空港からバスで春日市に向かった。

 

 冬木の第三次聖杯戦に参加した時は、エーデルフェルトは冬木市内に拠点となる屋敷を用意していた。此度も急造で拠点を断てるかと本家に尋ねられたが、ハルカはそれを遠慮し、聖堂教会の用意する拠点を使用することに決めた。

 この参加自体本家が望んだことではないため、手間をかけさせるまいとしたのである。

 

 時計塔にいた時、同じく春日聖杯戦争を聞いた影景とも顔を合わせた。彼は娘に一任する、と呑気に言っていたが、流石に何か含め置いてはいるに違いない。

 また管理者である彼自身が参加しないということは、この聖杯はやはり「根源」に至ることはないのだろうとも感じたが、ハルカとしてはそれでもよかった。

 根源に辿り着かずとも聖杯戦争に勝つことでエーデルフェルトの雪辱も晴らせ、聖杯を持ちかえれば家の役にも立つだろう。

 

 影景は親切にも春日の三大霊地を教えてくれた――少し調べればわかることでもあるが――ので、ハルカは教会に寄るまえにそちらを見てみることにした。

 

 三大霊地は大西山・碓氷邸・土御門神社。距離的に大西山は遠く、碓氷邸をアポなしに寄るのは躊躇われ、消去法で土御門神社に向かった。

 

 普通の平日ゆえ、人もまばらである。ハルカは一般の参詣道を一通り見た後、神社を取り囲む林へ足を踏み入れて、そこで――

 

 黄金の女神(シグマ・アスガード)に出会った。

 

 ハルカは以前にシグマと出会ったことはない。だが、現代において疑似的に神霊を降霊できる封印指定の魔術師がいることは知っていた――それが、すぐに目の前の女と結びつきはしなかったのだが。

 その後、どのように戦いどのように敗れたのかまでは記憶にない。

 

 シグマによって魔術的に干渉されたのか。気が付いた時には、

 和風建築(恐らくは神社)の中で、指一本動かせず天井を見上げていた――。

 

 

 

 そうだ。

 つまり――このハルカ・エーデルフェルトは――

 

 サーヴァントすら呼び出さぬまま、聖杯戦争が始まる前に、敗れていた。

 

 

 そして事前に春日聖堂教会から聞いていた聖遺物は、戦国の益荒男の愛槍。

 呼び出そうとしたのは、この可愛らしい穣子(おとめ)ではない。

 

 ならばこのキャスターは何者なのか。

 

 ――布団の上に寝かせられ、指一本動かせない己。その傍らに寄り添う影。

 

 自分には、影にしか見えなかった。しかし気配は、間違いなくこのキャスターのもの。

 思うに、あれはサーヴァントとして召喚されたものの、正規サーヴァントとなるには霊基が足りなかった存在。シャドウサーヴァント、といったものに思えた。

 

 何故かはわからない。だがそのシャドウであったキャスターはなぜか、ずっと自分の傍に寄り添っていた。その彼女に、自分はうわごとのように繰り返していた。

 

 

「助けてくれ」と。「聖杯戦争を、したい」と。

 

 

「……」

 

 荒くなった息を整え、鉛のように重い体を起こしてから、ハルカはキャスターをどかせた。押さえつけられて少しは冷静になった。

 

 ハルカは廊下の壁にもたれかかり、不安げにのぞいてくるキャスターに顔を向けた。

 彼自身、人を見る目がある方ではない自覚はある。それでもキャスターが自分に対し、害そうとしているようには感じない。

 だが、しかし。

 

「……キャスター」

「はい」

「私に、嘘をついていますね」

 

 暗い廊下、眼も慣れたとはいえ、それでも互いの顔はぼんやりとしている。キャスターは観念した、と大きな息をついた。

 

「……最初、記憶が飛んでいたのは本当です。でも数日で思いだして、真名も宝具もわかっています」

 

 何故、彼女がそのような嘘をついたのかまでハルカにはわからない。それでも敵意あっての行為ではないと信じている。

 キャスターは顔を上げて、真摯な眼差しでマスターを見つめた。

 

「私の真名は弟橘媛(おとたちばなひめ)。かつてこの国であらゆる悪神と反逆の芽を刈り取った英雄の、妻だった者です」

 

 ――「さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」

 

 弟橘媛。日本武尊の妻にして、彼の東征事業にも随行したと伝えられる女性。一説には巫女とも伝わっている。

 

 日本武尊一行が走水から船で上総に渡ろうとしたとき、彼は「こんな海飛んでわたっていけるだろう」と、海の神を侮った発言をした。それを神が効き咎め、海を荒らし、彼らが上総へたどり着けないようにした。

 

 そこで弟橘媛は、彼の代わりに海に身を捧げ、神の怒りを鎮めた――おかげで、日本武尊一行は上総に辿り着くことができた。彼女を喪った日本武尊は彼女を惜しんだと伝えられている――。

 日本神話における屈指の悲劇のヒロインとして、その名を知られている。

 

 

 空が徐々に濃紺に染まる中、ハルカがいつも眠るベッドの脇で、彼とキャスターは膝をつきあわせていた。重苦しい空気にも拘わらず、いや、あえてそうしているのか、キャスターは能天気な様子で笑った。

 

「さて、真名もバラしてしまったことですし、私のことはキャスターではなくどうぞタチバナと。あっ、引き続きラヴァーでも構いませんよ」

「……キャスター。聞きたいことがあるのですが」

 

 まだハルカの脳内は大混乱であり、何が起きたのか信じられない。

 キャスターの正体も気になってはいたがそれよりも本当に自分は、聖杯戦争に参加すら出来ていないまま倒れたのか。冷静なのか興奮しているのか、もう自分で判断がつかない。

 だからきっと通常の己ではない――必死でそれだけ念頭に置いて、ハルカは膝の上の拳を握りしめた。

 

「……ンアー! 知ってた!」

 

 キャスターは自分の額を叩いて、何故か床に転がった。今のハルカにキャスターの奇態にツッコミを入れる余裕はない。

 

「……信じがたいことですが、本当に聖杯戦争は終わっている。そして私は、自分自身の意思でサーヴァントを呼び出すことさえ叶わず、シグマという女に倒されて傀儡にされていた――」

 

 やっとのことで絞り出した声は、今も震えていた。思い出すだけで憤怒と恥辱で体も震える。踊る金髪碧眼、現代の女神――噂には聞いたことはあった、神代より伝わるセイド(降霊術)の大家が、神霊を降ろす巫女を生んだ、と。

 

 この記憶はきっと別人のものだと信じたがっている――そう思っていることはキャスターにもよく伝わっているはずなのだが、彼女は敢えて気にしない素振りをしているのか、気遣う声音をしない。

 

「そうでしょうね。私は見た訳じゃないですけど」

「……何故、貴方はそのことを知っていたのですか。私は話した覚えなどありません」

 

 ハルカはキャスターを信じている。今までのふざけた姿をわざとで、自分を欺くために成していたこととは思っていない。

 だが、彼女の思考と目的が分からないことも確かであった。

 

「ハルカ様も御察しの通り、私は正規のサーヴァントではありません。ならば何故、私は召喚されたとお思いですか」

「……」

「春日聖杯は、本来なら大聖杯設置から五年で戦争が始まる予定だった。にもかかわらず、開催は三十年かかってしまった。それは、冬木と違い大聖杯魔法陣の核は一人ではなく二人で、二人の回路接合のわずかなずれから魔力が漏れ出していたからです」

 

 ハルカには初耳のことだ。管理者である影景や娘の明であれば事情を察していてもおかしくないが、何故キャスターが、いや、腐っても神話の魔術師(キャスター)だからだろうか。

 

「しかしそもそも、五年で戦争が始まる公算の、その五年と言う数字はどう出されたものなのでしょうか。冬木聖杯戦争は六十年周期だったのに。それは春日(ここ)が一等の霊地であると同時に――それは冬木でも同じはずですが――ちょっと特殊な霊地だから、五年でできるという公算だったのです」

「――四神相応、ですか」

「前にちょっとだけお話はしたと思います。アレは四神の中央に魔力を集め、都を護るために使うというのが基本です。だから、春日の市街地には魔力が溜まるんですよ。何もしなくても。魔力は水のようなもので、普通放っておくと蒸発して霧散しますが、ここにはそれがない」

 

 魔力を貯める方法はいくつか存在する。エーデルフェルトの得意とする宝石魔術も宝石に魔力を貯める術であり、冬木の大聖杯も魔力を貯めることを可能にしている。

 しかし何もしなくとも魔力が溜まるとは――いや、だからこその霊地である。

 

「何を考えていたのかはわかりませんが、ここの管理者の一族は魔力を地下に溜めていたようです。春日聖杯戦争が企画されるよりもずっと前から。だからその貯金を踏まえて、五年という予想が成立していたわけです。そこで春日聖杯戦争のための魔力貯蔵が始まったわけですが、魔力は漏れていた。漏れる量より溜まる量の方が多いから開催はされましたが、その漏れた魔力はどうなったと思いますか」

「霧散――いや」

 

 キャスターは頷く。「そうです。漏れて消えたのではなく――土地に滞留していたのです。一度聖杯の魔力に染まりながらも滑り落ちた魔力が、残り続けていたのです。近くに聖杯戦争用、という膨大な魔力塊があるため、それに比べれば本当に微々たる量ですが……。だけどそれは一度聖杯に染まった魔力なのです。大聖杯が壊れても残り続けた魔力は聖杯としての活動を始めてしまった」

 

 聖杯としての活動――サーヴァントを召喚し、聖杯戦争を始める。その聖杯の残滓によって召喚されたのがこのキャスターだった。

 

 最早願いを叶える力もない聖杯の残りかすが召喚した、ただただ弱いサーヴァント。そう、聖杯戦争はとっくに終わっていて、これは後始末し損ねた聖杯(奇跡)の悪足掻きでしかない。

 

「私はこの土地、聖杯の残滓に呼ばれたサーヴァント。ほとんどの魔力は聖杯から供給されていて、ハルカ様との契約がなくても消滅しません。その代わり、春日市からは出られない体です。聖杯は、この土地に根付いたものですから」

「……!、待ってください」

 

 私はあなたのサーヴァントではないと告げる彼女に、ハルカは流石に声を上げた。間違いなく彼女と自分の間にはパスが通っている――弱い代わりに燃費がいいのかと思うくらい少ない魔力負担だが、確かに自分からキャスターに魔力が渡っている感覚がある。

 

 決してこの繋がりが嘘だと信じたくなかった、わけではない。そこで初めて、キャスターは僅かに口ごもった。

 

「……ハルカ様。ご自身の今の身体の状態って、御存じですか」

「シグマ・アスガードに倒され、傀儡にされた……」

「その結果の、状態をご存知ですか」

 

 考えたく、ない。

 考えたく、ない。

 

 黒魔術をもっぱらとする家が、生贄をどういう風に扱うか知っているか。

 人造人間作製に長けた家が、試作品レベルのホムンクルスをどう扱うか知っているか。

 つまり、は。

 

「私のスキルで、ハルカ様を強化してサーヴァントと同レベルに戦えるまでにしていましたとお伝えしていました。だけど、あれはスキルじゃなくて、私の宝具『この身・英雄の妻』。宝具によりあなたの身体を普段は魔術師並み、戦闘時は最大出力でサーヴァント並みにしていたのです」

 

 つまり、キャスターはハルカが活動している時は常に宝具を展開していた。常時宝具を使い続ける離れ業が可能だったのは、彼女が聖杯と接続している身だったからだ、

 つまり、は。本来の自分(ハルカ)は、きっと本当に屍のようであったのだろう。

 もう自分が何を考えているのかさえ曖昧で、きちんと正座で坐れているのかも模糊としていて、世界が歪んでいる。

 

「……貴方は、では、何故……私に宝具を使い、終わったはずの聖杯戦争をしよう、などと……」

 

 キャスターは最初から、戦いは得意ではないと言っていた。聖杯に願いがないとも。

 ハルが戦いたいなら、それに付き合おうと。

 ハルカの願いを叶えることが願いだ、と。

 

「何故召喚されたかわからず、彷徨っていた私がたまたま出会ったのがハルカ様でした。あなたはずっと、助けてくれ、聖杯戦争をしたい、戦いたいとおっしゃっていました。だからその願いを叶えようと思いました」

「……それだけですか」

「そうですけど、何か変ですか?」

 

 ……頭が痛い。何も考えたくない。キャスターの言が正しいなら、今自分がまともに坐っていられるのも彼女の宝具のお陰に違いあるまい。

 全く、彼女がしていることには、彼女にはなんの益もない。聖杯はない、身動きの取れない男一人の戦いたい、という願いを叶えても何も見返りはない。

 

 ならば何故、この女はそんな骨折り損のくたびれもうけをしているのか――と考えて、ハルカの口から笑いが漏れた。

 

「……そうか、貴方は……私が可哀そうだから、憐れんでいるのですね」

「……え!? はっ!?」

 

 それは不憫だろう。息巻いて雪辱を晴らす、誇り高きエーデルフェルト、と言いながらもその実サーヴァントさえも呼び出せずに、知らぬ魔術師に操られていた道化だ。

 身動き取れないまま、戦いたい、聖杯戦争で勝ちたいと繰り言を言っている廃人だ。

 それは憐憫の情を催すだろう。

 

「魔眼の価値もないと、売り払われた私を不憫だと思っているのですね」

 

 ハルカは勢いよく立ち上がり、そのままキャスターの首を掴んだ。そのまま力任せに引きずり、部屋の外へと投げだし、扉を閉めて施錠した。

 本当にただ施錠しただけで、サーヴァントならキャスターでも容易く壊せてしまうのに、それすら思い至らぬほど彼の頭は回っていないようだ。

 

「……ゴホッ、!? ちょっ、ハルカ様!」

 

 キャスターは急いで立ち上がり、扉を強くたたくが中から返事はない。数分、キャスターは粘り強く声をかけたが梨の礫。

 彼女は一回扉から離れ、大きく息を吐いた。

 

 ハルカは色々な事を思い出し、キャスターも色々な事を告げた。ここは一度、時間を置いた方がよいと彼女は思った。

 

 キャスターは彼を憐れんで、同情心から助けようと思ったのではない。

 ただ、助けを求められたから、助けたかったのだ。

 

「……私の願いはあなたを助けることだって、言ったじゃないですか、ハルカ様」

 

 ただ人の為にと思ってしたことでも、それが本当に人の為になるかは別の話だ。

 

 自分は大和を護るなんて大口をたたいた癖に、護れなかった。誰も助けられなかった。

 我が身かわいさに死ぬべき時に死ねなかった。

 

 そんなだから自分は、誰も幸せにできぬまま殺された。

 

 だからもし、偽りでも願いが叶うならば――今度こそ、誰かを救うために死にたいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

どれくらい時間が経っただろうか。睡眠も食事も不要なキャスターは、まんじりともせずに扉の前で正座をして待っていた。

勿論今も宝具でハルカを通常の活動ができるレベルを保ち続けている。

 

「……」

 

キャスターが春日聖杯のカラクリを既知としていたのは、彼女が聖杯(の残骸)から召喚され、接続されて魔力を得ている状況以外にももうひとつ要因がある。

 

碓氷影景が聖杯に後から付属させた、春日市自動観測機能――聖杯に貯蔵される魔力を拝借し、春日の人間、動物の誕生と死亡、思想、魔力の流れを記録する計算モデル《オートマトン》。

影景は春日の管理を容易かつ、いざという時には詳細にできるように全春日の記録《ビッグデータ》を観測機能に蓄えさせていた。

ただ、それが聖杯に付属させたものであるため――聖杯からそれを切り離しても、聖杯は全く問題なく動く――聖杯の残留魔力から呼ばれたキャスターは早期にその機能の存在を知り、アクセスを試みていた。

 

故に彼女は、その気になれば碓氷影景と同様に春日に起きたあらゆることを把握できた――そのため、聖杯の仕組みさえ知っていた。

 

しかし当然ながら、春日市自動観測機能の記録に残っているのは、春日市に来てからのハルカのみ。それ以前の彼がどこで何をしていたかはわからないのだ。ゆえにハルカの生い立ちまでは詳細につかめていなかった。

 

キャスターは、ひとまずハルカが落ち着くのを待っていた。

波が過ぎればまともに話ができるはずだと思う――と、その時、部屋の奥で物音がした。足音はこの扉に近付き、そして開かれた。扉は外開きのため、すぐそばにいたキャスターの膝に扉が激突した。

 

「痛!!」

「……キャスター。行きますよ」

「ハルカ様、まずはご自分の、……って、え?」

 

キャスターに声をかけたものの顔を向けず、ハルカは足早に階段を駆け下りていく。彼女は慌ててそれに追従する。階段を降り切ったハルカは廊下をつっきり玄関に向かい、手早く扉を開けて夜の街へと踏み出した。

空は暗く、星も良く見えない――既に深夜となっていて、住宅街に人気は全くなかった。

 

「ハルカ様、何を!?」

「教会に行きます。シグマ・アスガードを探し、戦います。あなたは宝具で私を助けてください」

「え、ハァ!?何で、というか、碓氷影景という方に会うのでは!?」

「私はシグマ・アスガードに一度敗れました。身体も無事ではなかった。しかしあなたの宝具がある限り、私は通常以上の力で戦うことができる。だから、今シグマを討ち果たすのです。聖杯戦争が終わってしまっていても、それだけは成さなければ」

「いやいやいやいや!」

 

キャスターは走り出し、ハルカの前に回り込んで足を止めさせた。

最早会話も成立していない。

 

春日の夜は、静かだった。ここが住宅街であることを差し引いても静かに過ぎた。温い風が吹いて、顔を上げたハルカの前髪を攫った。彼の顔は真顔でありながら、どこか強張り瞋恚に燃えていた。

 

「私は、ハルカ様の「聖杯戦争をしたい」という願いを叶えようと思いました。だけど、本当にしようと思ったことはそうじゃなくて――聖杯戦争に負けても、まだあなたの人生はこれからだって、歩いて行ってほしくて」

 

キャスターは宝具でハルカを回復させるより前の彼を知っている。ずっと彼は、聖杯戦争がしたい、エーデルフェルトの雪辱を晴らしたいと、そればかり呟いていた。

壊れた機械人形のようにそのことばかり。

 

だからキャスターはウソでも聖杯戦争をしようと思った。

聖杯戦争をしたいと願った彼だから、ウソでも聖杯戦争をし終えれば、きっと彼は未来を考えられるようになると、信じたから。

 

「――あなたの考えていることはわかりました」

「……じゃあ、」

「ならばこそ、私はせめてシグマを倒さなければなりません。私はエーデルフェルトの雪辱を雪ぐために来ました。万に一つ、それが叶わなかったとしても――決して、恥の上塗りは赦されない」

 

自分を拾ってくれた、エーデルフェルト家への感謝。そして素質なしと烙印を押され、それを恥辱と思っている昔から通じる今の己。

ハルカ・エーデルフェルトを舐めるな。そして誇り高きハイエナ、エーデルフェルトが侮られることなどあってはならない。

 

ハルカはそこで初めて、キャスターの顔を見据えて微笑んだ。

 

「あなたがいてくれてよかったです。あなたがいれば、私はシグマと刺し違える可能性があるのですから――」

 

そしてハルカは、足の速さを緩めず再び歩き出す。言葉を失ったキャスターはしばし遠ざかる彼の背中を見ていたが、あわてて追いかけた。

 




わかりにくくてアレなんですが、ハルカはまだ「ここが結界内の春日かも」説は知りません。


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夜③ 真実を知る者たち

 春日教会。数日前に訪れ、神父とシグマに見えた場所。

 彼女は教会に住んでいるのではないため、行ったところで彼女の居場所が分かるとは限らない。だが手掛かりは教会のみだったことと、何故、神父は倒れたはずのハルカを見て平然としていたのかという疑問もある。

 

 教会の礼拝堂は、やはり静かだった。白く照らされる講堂内には、十字架像の前に御雄神父が一人きりで立っていた。

 

「神父。シグマ・アスガードはどこにいますか」

 

 ハルカは鬼気迫る形相で講堂の床を蹴り、真っ直ぐ神父へと詰め寄った。神父は何ら動揺なくはて、と首を傾げた。

 

「さてな。あれは腰の落ち着かない女だからな」

「まさか匿っているわけではないでしょう」

「直截な聞き方をするな。急いでいるのか――しかし、私にアレを匿うほどの義理はなく、また私ごときの二流聖職者の助けを必要とする魔術師でもないことくらい、お前も理解はしているだろう」

 

 それも、そうである。封印指定を受ける魔術師が、魔術的な庇護を他に求めるとは考えにくい。その時、ハルカはうっすらと教会に漂う煙草の香に気が付いた。苦み走った、目の覚めるような特徴のある香――時計塔ではしばしば顔を合わせた男の匂い。

 

「……ここにエイケイが来たのですか。この聖杯戦争のことを、既に終わっていることを――彼は知っているのですか。それに、神父……前回、私が訪れた時、何故聖杯戦争がおわっていることを言わなかったのですか」

「私も私なりに、この状況を楽しんでいる。あっさりお前に聖杯戦争が終わっていると告げるより、お前に合わせた方が面白そうだと思ったからだ。そもそも、春日聖杯戦争の発端は私だ」

 

 十字架像の両脇に灯されたろうそくが燃えている。

 右側のみだいぶ蝋がとけて、そろそろ交換が必要そうに思える。

 

 聖堂教会と魔術協会は長年犬猿の仲であり、今は不可侵の取り決めがされているとはいえ、裏では殺し合いに発展することもある。だが「神秘の秘匿」という点においては意向が合致するため、その土地の管理者と教会はある程度友誼を結び、協力しあうこともある。

 その上この神内御雄という神父は不心得者で、敬虔なる信心を以て神に仕えているのではなく、「春日の神父・聖杯戦争の監督役」という立場が欲しいがために神父になった男である。

 そのため、影景としてはやりやすい相手であり、聖杯戦争を目論んでいた神父にとっては共犯者だった。

 

 しかし、今まで聖杯戦争の首魁を知らなかったハルカにとっては衝撃の連続だった。

 

「……!? ……聖職者の貴方が、何故、聖杯戦争を……」

 

 がたん、と揺れたハルカの身体が長椅子に当たって大きな音を立てた。

 

「美琴が起きる。あまり騒ぐな……話せば長くなるがな」

「……し、シスターは知っているのですか」

「知らん。思えばあれには不憫な事をした。また何も知らぬまま息絶えさせるが慈悲だろう」

 

 御雄は書見台の上に乗せた聖書を開きながら、他人事のように呟いた。自分に呆れているようにも、吐き捨てるようにも思えた。

 だが、今ハルカの頭の中は自分のこととシグマのことで占められており、神父の様子まで気を使う余裕はなかった。

 

「老婆心ながら言うが、頭を冷やせ。ライダーではないが、楽しい方を選んだ方が良い」

「……わけの、わからないことを」

「……ハルカ様、行きましょう、あの神父の言う通りです。戦ったところで、策もなにもない今の貴方ではシグマには勝てません」

 

 ハルカは強く唇をかみしめ、強く神父を睨みつけた。ここで神父を殺したところで何にもならない。彼は踵を返し、肩を怒らせて教会を後にした。

 

 荒々しく扉が締められたあとに、再び静寂が講堂を支配した。神父が聖書を手繰る音だけが、響いている。

 

「kyrie eleison」

「……お父様、お客様ですか?」

 

 ぱたぱたと、右側の扉の奥から姿を見せたのは、ネグリジェ姿の美琴だった。彼女も自室で起きていたのか、あまり眠そうな様子は見えなかった。

 

「客と言うほどでもない。もう帰った。私もそろそろ眠るから、お前もそろそろ寝るといい」

「私も寝ようとしていたんですけど、最近夢見がよくないんですよね。……なんか、お父様に殺される夢を見るんです」

 

 神父は何一つ表情を変えず、聖書を閉じた。「そうか。お前も元は魔術畑だからな――そういうことに無縁であったのでもあるまい」

 

 美琴はぽかん、と目を見開き、噴出した。

 

「……プ、それでもよくあるみたいに言われちゃたまりません。全く――自分用に牛乳を入れますが、お父様もいかがですか」

「……それではいただこうか」

 

 神父は本を閉じ、ろうそくを消した。

 仮初の親子関係を続ける。既に壊してしまった関係でも、今この時だけは繕い、最後まで保たせる。あまりにも欺瞞に満ちて、自己満足に過ぎない。

 己の歪みは己が一番よく知っている。

 

 最早後悔もないが――かつて己が人らしい生活に戻れるかと望みをかけた娘も、この欲には届かなかったのだ。

 

 

 

 *

 

 

 

「……」

「何故お前がいる、と顔に書いてあるぞヤマトタケル。お前表に出にくいだけで、本来喜怒哀楽の激しい方だろう」

 

 本日、街の巡回担当のヤマトタケルは屋敷の玄関を出た瞬間に、その顔をひきつらせた。

 右手にトランクを携えた碓氷影景が、門の前で笑顔で手を振っていたのだ。最初ヤマトタケルは彼を無視しようとしたが、マスターの父を無視するほど神経は太くない。だが嫌そうな顔のままだ。

 

「お前はもうひとりのヤマトタケルに会いに行くのだろう?頑張れ!」

 

 適当に頷いて行こうとしたが、ふと彼は影景の身体に眼を止めた。

 

「その体……」

 

 彼の顔は笑っているが、その体は既にギジギジと悲鳴を上げていた。ヤマトタケルは医術には長けていないが、人体の構成は理解している。巧妙に隠しているが、影景は右足を軽くひきずっており、顔色も優れない。内臓もよくないのだと看破できた。

 

「死なないなら今まで理論立てしたものの、成功の見込みが少ないものを何度でも実験できる。「造られた春日」という条件下ではあるが、これは貴重な機会だ」

 

 影景は自ら暗示をかけ、体には浅い眠りを、脳には深い眠りを纏わせ、数分のショートスリープによって長時間活動を可能にさせてきた。

 自分の意識解体を利用した短期睡眠であるが、意識解体は一度自分を殺すようなものなので、明も影景もめったに使わない。

 

 つまり、碓氷影景は精神的にも肉体的にも自分を追いつめていることになる。

 

「まだ試したいことは多いからな、ギリギリまでやる」

 

 影景は自分の隣に置いたトランクを手のひらで叩いた。今まで実験しまとめた結果がすべてこの中にまとまっているという。

 

「ならば今日も実験に勤しむがいい。お前はもう、わかっているのだろう」

「うむ。だが少々息抜きだ。身体と精神は別物ではない。精神が脳のみに宿るものではない以上、休息を挟まねば実験の質の低下は免れないからな」

「……そうか」

 

 ヤマトタケルは影景を得意としておらず、好いてもいない。

 だが、彼がすべて間違っているとも思わない。その手法はどうかと思うが、「一人でも魔術師としてやっていける」「魔術師として大成をできる」という目的の為、試練を与えることは、きっと明にとっても良い事だからだ。

 

 ゆえにもう関わるまいと、話しかけはしなかった。しかしそれはヤマトタケル側の話で、影景は実に気楽に、世間話のように語りかけてくる。

 

「しかし、明にここまでしてやられたのは初めてだ。全てが終わったら俺は引退だな。あれは自己より他者を顧み、己を嫌うがゆえに、きっと俺にはたどり着けない地平へ到達する……俺は魔術師としての才能としてはよくても、資質としては健康すぎた。俺は魔術が楽しくて楽しくて仕方がないからなあ」

 

 心の底から楽しげに、嬉しそうに語る影景の姿と声音は、娘を誇る気持ちで満ちていた。それを見るにつけ、ヤマトタケルの心中はなおいっそう複雑になる。

 生前自分が得られなかった賞賛を彼女が得て喜ばしいと同時に、しかしその褒め言葉の内容は、幼い明が願った希望とは、きっと全く違うから。

 今の明は魔術師として生きる決意を固めているから、この父の言葉さえも諾うだろう。それはいい――しかしヤマトタケルとしては、背反する願いであったとしても、明には幼い明の願いを捨てないで(殺さないで)欲しいと思っていた。

 

 ――己は、明の幸せを願って消えたのだから。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 セイバーとの入れ替わりに、なんと父が帰ってきた。

 正直予想していなかった、というより予想不可能なので最初から考えていなかった。だがしかし、ここに至って父相手に誤魔化すのも馬鹿馬鹿しいと、明は開き直っていた。

 

 一階のリビングのソファで、我が物顔で寝そべっているヤマトタケル――ただし髪が短く、Gパンに白Tシャツで、冷蔵庫の缶チューハイを勝手に飲んでいるふてぶてしい来客。しかし彼は明が鈴を使って呼んだ相手である。

 

「はー疲れた疲れた……ってオルタじゃないか!」

 

 宝具による気配遮断でさっぱり気が付かなかったため、玄関をくぐるなり影景は大げさに飛びのいた。しかしそこですぐ明に振り返るあたり、彼もわかっている。

 

「お前がオルタについてなにか隠していることはわかっていたが、あれを呼び出せるなら最初から言ってくれ! そのせいで俺は昨日死にかけたぞ!」

「ゴメンナサイ。でも死にかけたのはお父さまの勝手だと思う」

 

 明はすたすたと影景の脇を通り過ぎると、ためいきをつきながらヤマトタケルオルタ――アヴェンジャーに対するソファに腰かけた。

 それから玄関前に立ったままの父に振り返る。

 

「今から彼と話すけど、お父さまもいるでしょ、どうせ」

 

 

 存在がうるさい影景がいるため、静寂という言葉が似合わないリビングではあったが、――それでも音は、アヴェンジャーが酒を啜る音だけだった。

 

 ちなみにアルトリアには、「ちょっと一成たちが心配だから、こっそりキリエと一成たちを追いかけてもらってもいいかな」と依頼して、キリエと一緒にいなくなってもらった。

 

 我ながら微妙な言い訳だったとは思うが、最初から訳知ったキリエがいるのはやはり心強い。ヤマトタケルは夜の巡回ことアヴェンジャー探しで不在である。

 

 目の前のアヴェンジャーは、今は眼帯を外していた。アルトリアと影景からの戦闘報告が明にも伝わっているため、「片目が見えている」ように偽る芝居をもうやめていた。見えもしないのに焦点を合わせる演技をしていた理由は、小手先みたいなものと彼は吐き捨てていた。

 

「んで、マスターは白い方の俺に無駄足させている間に俺と密会しているわけだが? 何の用だ?」

 

 アヴェンジャーは後天的に視力を失ったせいか、眼の焦点こそあってはいないものの、視線を声のするほうに寄越すことはしている。

 

「アヴェンジャー。……いや、境界主。頼みがある。この結界の創造主であるキャスター弟橘媛、ハルカの拠点に案内してほしい」

 

 結界の主が弟橘媛、もとい土御門神社で見えた影のサーヴァントであろうことなど、碓氷明は最初(・・)から知っている。

 そしてハルカ・エーデルフェルトのサーヴァントとして振舞っているならば、拠点は教会が貸し与えたはずの洋館。もちろん明は洋館の場所を知っているが、どうしてもそこに辿り着けない。

 結界の主が誰にも認識されないように隠蔽を計っている――ここ春日は碓氷の土地であるが、結界である以上最大の主導権はキャスターにある。しかしアヴェンジャーは気のなさそうに首を振った。

 

「却下。自分で頑張れ。応援してる」

「……却下っていうのは、キャスターの意向?」

「それもある」

「キャスターは何をしたくて、こんな偽春日結界の維持を望むの」

「さあ知らね。折角現界できたんだし、現代を楽しみたかったんじゃねえの」

「それは結界を作る理由になってない。……埒が明かないなあ、最初からはっきりさせよう」

 

 明は勢いよく立ち上がり、アヴェンジャーの持っている缶チューハイをひったくると景気よく飲み干して、テーブルに叩きつけた。

 

「あなたは、弟橘媛のサーヴァントでしょ。元々聖杯の残滓から召喚されたのは弟橘媛で、彼女はキャスター。聖杯とつながったままの彼女は、結界内にてあなたを召喚した。結界内ならすべて自分の工房みたいなものだから、あなたを自由に遊ばせられる。目的は多分――泥の押し付けと管理」

 

 春日の聖杯は、冬木のコピー。それは、内に潜んでいたこの世全ての悪までも等しく、魔力は真っ黒に染まったそれ。その残滓から召喚を受け、聖杯そのものから魔力を受けるキャスターもただでは済まない。正気を保てるかどうかすら怪しい。

 

 キャスターは魔力は欲しいが泥はいらない――彼女は魔力を自力で濾過するが、呪いを吐き出す場所としてゴミ箱をこしらえた。

 

 それが、この復讐者(アヴェンジャー)

 

 アヴェンジャーというクラスは通常召喚されず、ヤマトタケルにそれらしき逸話もない。

 だがしかし、聖杯戦争の記録に残るアヴェンジャーは、その聖杯の奥に潜むモノ。それを受けたからこそ、彼は後天的にアヴェンジャーとしてここにいる。

 

 彼は、この結界内だからこそ並みのサーヴァント以上に戦えるのだ。この結界外では、彼は姿を保てない。そして、キャスターは結界を崩壊せしめる要員に対して観察・春日の巡回を命じ、アヴェンジャーはそれに従う。それがこれまでの彼の振る舞い。

 

 明の話をひとまず最後まで聞き届け、アヴェンジャーは手を打って笑った。「おおすげーな、大体合ってるわ」

 

 アヴェンジャーは我が家の如く、立ち上がると勝手に台所へ向かい、冷蔵庫からチューハイのお代わりを持ってきた。本当に選んでいるのかはわからない。

 

「でも目的については知らねーよ? やれって言われてるの、この結界を護ることだけだしな……俺はもう死んでるんだし、今更消滅が怖いもなにもねーけど、折角だから現世を楽しみたいからな。ちゃんと言う事は聞いてるぜ?」

「……本当に?」

「ほんとほんと」

 

 どこまでも態度が軽薄極まりないため、明はいまひとつ信じきれない。「ちなみに、真でも生き返るってのは、俺のせいであり俺のせいでもない。泥、つまりこの世全ての悪(アンリマユ)の影響を受けて、自然とリセットされるんだよ。生き返るっていうか、巻戻るってアレ。……だけど、昨日のそこのオッサンみたいに、直に泥に触った場合は話が違う。本当に消える《・・・》。俺としては、そんな本来の春日ではありえない、イレギュラーな死に方をする奴は極力防ぎたい」

「呪いといえば、ときどき夜に眼にする黒い狼。あれ、お前のだろう?」

 

 ソファの肘掛に頬杖をついて成り行きを追っていた影景が、面白くなさそうに口を挟んだ。

 

「ご名答。俺が聖杯の呪いの受け手になっちまってるわけだが、それが溢れ出しているわけだ。俺という出力口を通す以上、俺になじみ深い狼の形ととっている。で、御察しの通り」

「いまもキャスターは聖杯と繋がり、それから魔力を得ている。それを止めない限り、呪いも一緒にこの結界に取り込まれ続ける。で、俺も呪いを積み続け、留めておけない分は黒い狼の形で街を徘徊する。あとはわかるだろ」

 

 呪いの集積場であるアヴェンジャーの閾値を超えれば、行き場を失ったこの世全ての悪はこの結界の中に溢れかえる。

 聖杯戦争最終段階、土御門神社の境内を満たしていたあの呪いの塊が街を覆い尽くす――それはもう、人が生活する場所ではない。

 

 つまり、この結界の終わるとき。

 

「だから俺を今ここで抹殺すれば何もかも、すべてが解決。で、俺を殺さなくても、……体感であと三、四日で閾値を超える。何もしなくても三日で元通り、皆晴れて自由の身というわけだ」

 

 ふらりと、アヴェンジャーは起ちあがった。「マスター、どうせお前はキャスターに直接事情を聴くために案内しろって言ってるんだろ。でも要諦は俺が話した。異変はあと三日で終わる。結界は消える――管理者として、もう行く必要なんてないだろう」

 

 明は黙り込んだ。仮にアヴェンジャーの言うことが本当として――これまでの観察結果から嘘はないと判断していても――それでも、明はキャスターに会いたい。

 勿論魔術的に問い質したいことは山とあるが、根本の動機はもう違う。

 

 管理者だからではなく、魔術師だからでもなく、一個人として――あの土御門神社で出会った、影のサーヴァントにもう一度。

 

 視線は見えずとも雰囲気で感じ取ったのか、アヴェンジャーは笑った。「悪いがキャスターへの手引きはできない。だがあれは結界の主だが、この結界全てをコントロールできるわけでもない。陰陽師のガキと巫女、それに騎士王なんかは遭遇してっだろ」

「……」

 

 ハルカの拠点の外で、どうにか補足するしかないというわけか。おそらくキャスター自体に戦闘の意思はない、とは思うが、ハルカは。

 考える明を置いて、アヴェンジャーは話は終わったとリビングを出て行こうとする。

 

「さーて、白い方の俺は呑気に俺を探してるんだっけか。折角だから会ってきてやるよ、今更もったいぶることもないしな」

 

 ひらひらと手を振ると、アヴェンジャーは霊体化してその場から消え失せた。

 邸には明と影景が残されたが、二人の間に会話はない。影景はもう明がアヴェンジャーと連絡を取っていたことにも、何も突っ込まない。

 二人とも、特に気まずい様子はないが――同時に顔を上げた。二人の魔力回路に響き渡る、訪問の響き。

 

 碓氷の結界は知らぬ魔術師の来訪を告げていた。

 

 その魔力は明にとって既知のものであるが、もう未来永劫会うことはないと思っていたもの。

 

 現代に蘇った神代の巫女。そして虚数空間に葬り去ったはずの封印指定。

 

 二人は揃って玄関の扉を開いた。夜の温い風が頬に触れるが――それはどこか棘を孕んでいるように思えた。

 玄関から真正面、礼儀正しく門前で佇む金髪碧眼の女が微笑む。

 

「頃合いも頃合い、ほんとは明ちゃんがひとりの時がよかったんだけれど」

「シグマ・アスガード……」

 

 もう遠い昔のように思える、聖杯戦争での記憶。土御門神社での最後の戦い――明はこのシグマ・アスガードと戦い勝利した。

 その時は明一人ではなく、想像明と共にあった。

 

 そしてつかんだ勝利とは、具体的に言えば――

 

「何故貴方がここにいる。虚数空間に放逐されたはずのあなたが」

「ええ、私は間違いなく虚数空間に葬られた。だけど死んではいないの」

「虚数使いでない魔術師が生身で虚数空間に放り込まれて生きていられるはずがない」

 

 虚数空間において、人を実質的な死に追いやるものは意味消失と呼ばれる現象である。存在し得ない架空が存在する世界の中では、物質界のモノ(実数)こそが異物であり、虚数空間内では定型を保てない。

 そこで外部から存在を観測・証明して保護することでやっと形を保てるのだが、虚数使いでもないかぎり虚数世界での自力での観測は不可能だ。まさか彼女がアトラスの兵器を持っているわけでもあるまい。

 

 だが答えたのはシグマではなく、隣に佇む父親だった。メガネのブリッジを押上げ、当然のように言った。

 

「明、鈍いな。そこの女の力は知っているだろう? 魔術師の魔術回路や刻印を食べて、自分のものにできるの一代限りの異能――」

「あら、影景。始めまして、というべきかしら」

「初めましてだな。こちらこそ、本家の鬼子にお会いできて何よりだ」

 

 明よりもはるかに碓氷の大本、北欧の地とアースガルド家に慣れている影景はあくまで余裕を崩さない。能力は明の口から伝えているため、知っていておかしくはないのだが、――まさかシグマにすら喧嘩を売るのではないかと、それはそれで気が気でない。

 

 ただ影景のことよりも、今はシグマである。彼女は今の明より遥かに魔術を鍛え上げた想像明の魔術によって、シグマ・アスガードは虚数空間に放逐された。

 

 その想像明は製造上の宿命で、シグマを葬り去るとほぼ同時に霧散したはずだ。

 

 ――あの刹那の瞬間にシグマは想像明を食っていたのか? 虚数使いである想像明の回路と刻印を手に入れ、自らを観測し虚数空間での意味消失を防ぎ生き延びたというのか。

 

 いやしかし、それで虚数使いとなったのであれば自力で虚数空間からもとの世界へ戻ることも可能であり、わざわざこんな珍妙な結界に手を出す必要などないはずだ。

 

「ふふっ、半分当たりで半分はずれ。私は他人の魔術回路と刻印を自分の身体に吸収できるけど、それでも、私は私なの。空っぽでも私っていう器は変わらない」

「……」

 

 シグマの特異な体質が在ろうと、彼女の起源や体質は変化しない。いくら他の魔術師の回路と刻印を身に着けていっても、他人の回路と刻印を吸収するという彼女本来の体質は変わらない。

 

 つまり魔術師個人に帰属する属性である五大元素・架空元素を、シグマは吸収することができない。

 これまでノーマルの火属性の魔術師はいくらでも摂取したろうに、それでも彼女が火属性になることがないように。

 

「……私が虚数空間で生きていられたのは、ほんと偶然よ。あの時、フレイヤを落していたから――虚数に完全に落ちる寸前に自分の身体を「世界」の区切りとした。「神様」は世界の中では死なないもの」

 

 大魔術の域であり禁呪でもある固有結界の展開は、世界の修正力を受けるために大量の魔力があっても長続きしない。

 この固有結界の展開を容易にする方法に、結界の範囲を術者の体内に設定することがある。持って生まれた体を境界として設定するのは最も無理がなく、世界からの修正力もゼロとはいわずとも受けにくい。

 土御門神社地下大空洞を己の結界(世界)としていたシグマは、結界規模を自己の体内に設定しなおした状態で虚数に呑まれた。

 時の概念もなくした虚数世界でただ一つの「世界」として浮遊していたシグマは生きることも死ぬこともなく、虚数の海を漂い続けていたのだろう。

 

 ただ生きながらえることができても、物質界には帰れない。極小の「世界」として浮遊するシグマは、虚数から物質界に戻る道標、座標を観測できないからだ。

 

 ゆえに明は、実質シグマを殺したようなものであったのだが――。

 

「マスターでなくても、私が春日聖杯戦争に深くかかわっていたから? それとも、「世界」として浮かぶ私は、この虚像の春日と同じだったから? 永劫にも似た停滞の中で、私はこの「春日」を見つけた……逆かも」

 

 ――とにかく、終末の黄金華は、碓氷明が本当の春日聖杯戦争で葬り去ったはずのシグマ・アスガードは死なずに今、ここにいるのだ。

 

 偽りだらけのこの春日にある唯一の本物が、このシグマとは笑えない。

 それはともかく、仮にシグマが通常の思考であれば、自分に何を願うか明は察しがついていたが、相手はシグマである。

 

「ねえ明ちゃん。折角だし私も元の物質界に帰りたいの。一緒に帰りましょ」

「……おどろいた。貴方にしては普通な事言うんだね」

「だって虚数空間、飽きたし」

 

 理由が苦しいとか、生きているのか死んでいるのかわからない状態を厭うからではないあたりはシグマである。

 だがしかし、そんな希望を碓氷明が通すと思っているのか。

 

 確かに現実では大聖杯が破壊された以上、シグマが春日に仇なすことはないだろうが、魔術師食いである彼女が明に何をしないとも限らない。やはり許すわけにはいかない。

 

「そんなの却下。今もう一度、虚数に送り返して「いやまて明」

 

 自らの回路を起動させかけた明を制し、碓氷影景が歩き出した。石畳の上に鎮座し、いまもさらさらと清浄なせせらぎを届ける噴水を挟んでシグマと対峙する。

 

「鄭重に実世界にお返ししろ、明」

「……!? 何で」

「この女は本家の鬼子だが、邪魔者でもないさ。神代に遡ろうとする本家の最高傑作――封印指定を受けてしまっこともあり、本家に置かず自由にさせているが、同時に大切な最終兵器でもある。諸刃の剣という奴だ」

 

 ――なにしろ本当に神になりかねんからな、と影景は笑う。

 

「しかし本家もこれを扱いかねているのは事実。俺は態々丁寧に本家に、シグマは死んだぞとお伝えしたのだが――逃げるのに一苦労だったが、信じてもらえなかった。何しろ死体すらない。本家も完全にこれを把握できていないから、証明ができんわけだな」

「あら、あなた」

 

 黄金が嗤う。金糸の髪がふわりと舞い、瞳も同じく黄金の色味を帯びていく。「実世界に返す代わりに、本家から切り離そうというの?」

 

 影景が懐から投げ上げた一枚の羊皮紙。風に乗ってシグマの足許に転がったそれを、彼女は見るまでもなく何かを認識していた。

 

自己証明強制(セルフギアス・スクロール)』――契約者は碓氷明と、シグマ・アスガード。

 権謀術数入り乱れる魔術師の世界において、決して違約不可能な取り決めをする時にのみ使用される、最も容赦のない呪術契約の一つ。この証文を用いての交渉は魔術師にとって最大限の譲歩を意味し、滅多に見ることのできない代物である。

 

『束縛術式 対象:碓氷明

 碓氷の刻印が命ず。

 各条件の成就を前提とし、制約は戒律となりて、例外無く対象を縛るものなり。

 

 制約:碓氷明はシグマ・アスガードに対し、虚数空間からの脱出を約束し、十日以内に履行すること。

 

 条件:シグマ・アスガードは、死ぬまでアスガード家本拠地に足を踏み入れねばならない。また、アスガード家嫡流からの援助を受けてはならないまた、アスガード家本拠地と魔術的交信をしてはならない。何らかの理由で上記を行わねばならない際は、碓氷の者の同行を必須とする。

(嫡流の範囲、碓氷の範囲は後述する)』

 

 

「……あえて聞いてあげるけれど、これ、穴だらけじゃないかしら」

「それは承知だ。奴隷にするにはお前は勿体なさすぎる」

 

 明も同様の内容をコピーした紙を渡され、眼を通す。対象は明だが、まだ明のサイン自体は入っていない。影景はシグマに可否を問いつつ、明にも判断を迫っている。

 

 だがしかし、明の力なしにはシグマはどうにもならないはずである。にもかかわらず、黄金の女神は即答せずに、羊皮紙を胸にねじ込んだ。

 

「話はわかったわ。どーせ私も虚数空間の話をしに来たんだし、目的は達したし……けどあなた、碓氷影景」

「何だ?」

「明ちゃんほどじゃないけど、あなたも十分おいしそうよ」

「それは光栄」

 

 艶やかな美女の視線。並みの男であれば、単に誘惑された以上の強制力で意識を奪われるだろうものも、影景は笑って受け流した。

 

 シグマが去った後の碓氷邸には、いつもの静けさが戻っていた。

 影景がいなければ危うく戦闘に入るところだったと思うにつけ、明は自分が案外脳筋なのではないかと思ってしまう。

 

 明はそっと、自分の斜め前に立つ父の姿を見上げた。いつもと変わらず皺ひとつないスーツの裾が、風で舞い上がる。しかしあの自己強制証明といい、シグマの口ぶりと言い、父もシグマも、やはり何もかも知っている。

 

 ふと、影景が振り返った。

 

「……一縷の可能性として、昨日お前に課題を出したものの無意味だったな」

 

 明から返す言葉はない。流石はわが父、と心の中だけで呟いた。

 

「……私は今夜、もう何もしない。セイバーたちの帰りを待つけど、お父さまは出るの?」

「勿論。最後にはお前に全て託そう。現実の俺とお前に、しっかり伝えてくれ」



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夜④ Thoughtography(ソートグラフィー)

「よし、それでは行くぞ」

「おう」

「とうっ」

 

 若干気の抜けた掛け声とともに、アーチャーは河川敷を助走をつけて、川べりから高々と跳躍した。目指すは美玖川の対岸、隣市である。

 理子が試したところによれば、向こう岸に渡ったつもりが何故か向こう岸からこちらに来たことになっており、全く渡れなかったとのこと。それは明も認めており、一成も信じていないわけでもないのだが、どうにも実体験として納得しにくく、アーチャーに実験を頼んだのだ。

 

 跳んだアーチャーの黒い衣冠束帯が闇にまぎれ、一成たちの眼に一瞬映らなくなった――。

 

「ほれ、変であろう」

「!?」

 

 一成の傍らには、いましがた対岸へジャンプしたはずのアーチャーが立っていた。彼がこちら側に引き返すための跳躍は見ていない。

 

「……やっぱ、ほんとに春日の外に出れないのか」

「これでわかったでしょ。とりあえず、私たちの目的はハルカ・エーデルフェルトとキャスターを見つけて、聖杯戦争が終わってることを納得してもらう。そして今の状況について、知ってることがあったら話してもらうこと」

 

 理子の言うことはもっともなのだが、そのハルカの居場所について手がかりがない。

 そもそも春日聖杯戦争にハルカ・エーデルフェルトなどいなかったはずだ、と一成は思う。

 

 ハルカはひとり聖杯戦争をしているのだから、こちらもサーヴァントをひきつれて徘徊していればそのうち出会うだろうという楽観的・あまり計画性のない行動予定だ。

 明もハルカの拠点については何も言っていなかった。一成ははと何か思い出したように振り返った。

 

「俺たちに戦う気はねえけど、あっちは戦うために来てる。また戦闘になるかもしれねえし、お前の魔術教えといてくれよ」

「……そうね、そもそも、そのつもりだったし」

「私も気になるのう。真神の件は察しがつくが、そなた、神道とは関係のない……いや、少々ずれた力もあろう」

 

 先日の美玖川での戦いの際に遅れて参じたはずのアーチャーだが、少々戦いの成り行きを遠目から観察していたようである。アーチャーからの期待の眼差しがなくても理子は話をしただろうが、彼女は少々改まって咳ばらいをした。

 

「大口真神、あの狼は実家で代々契約している使い魔。でも私たちの生殺与奪の力なんてない」

 

 盗難と火難の厄除けの神とされる大口真神は、本来であれば当の昔に世界の裏側に行ってしまっているはず神獣である。それでも最後の一匹が今も残り続けられているのは、真神に近いほど長い歴史を持つ巫女と神官の一族――榊原家の先祖との繋がりがあったからだ。

 要するに榊原の一族が憑代となり、真神の最後の一匹を表側に引き留める楔となっている。だから理子の一族が消えれば真神は表側に居られなくなる一方、榊原家はエーテルが薄れたとはいえ魔そのものを退ける獣を意思一つで操れない。

 マスターとサーヴァントに関係に近いものがある。

 

「……最近も呼び出しているけど、何かあんまり呼び出すな、って渋ってるのよね」

 

 ヤマトタケルに乞われて呼び出した時には真神も粛々と従っていたので、前のあの言葉にどれほどの意味があるのか、理子にもよくわからない。

 

「とにかく、私の一番強い味方は真神。私自身の神道魔術はオーソドックスなもの。あとは……あんまり役には立たないんだけど、一応超能力者でもあるから」

 

 超能力とは、魔術のように神秘に根差した技術でもなく、混血のようにヒト以外の力を取り込んだものでもなく、ヒトがヒトのまま持つ機能。人間という生き物を運営するのに全く関係のない力であり、超常現象を起こすチャンネルである。

 本人にとってその超常現象は「できて当たり前」であり、外部からの指摘によって異常であると気づくことが多い。

 

 基本は一代限りの異能であるが、近親婚を繰り返して血脈に異能を留めようとする一族も存在し、また異能に魔術的な手を加えて変質させることもある。

 そして理子の異能は、そういった手を加えた異能ではなく、純粋に自然発生した異能だった。その上、彼女の家もその異能について知悉していないため、重要視はされていないそうだ。

 

「地味だし、面白いものではないわ……こんな感じ」

 

 理子はポケットからメモ帳を取り出すと、一番上の一枚をちぎった。そして眼を瞑り、右手を紙の上にかざして数秒――。

 ひらりと見せられたそれには、なんとまるで写真のように鮮明な、今の一成の姿が映っていた。事前に書いておいたものを手品のようにすり替えたのか? それは違う。

 

「見ての通り、念写。英語だとThoughtography(ソートグラフィー)って言うみたいね」

 

 念写――よく知られるのは頭の中にあるイメージを感熱紙に映し出すものだが、彼女の場合ただの紙でもいい。

 

「へえ……ってこれ、どう使ってるんだ?」

「正直あんまりない。私は魔術を使うから、遠当の命中補正に使うのが一番多いわ。頭の中で、撃った遠当がまっすぐ相手に目がけて当たるイメージを強く念じて、それを現実という感熱紙に写すって感じ」

「……サラッと言ってるけど、それやばくねえ? たとえばお前が頭の中で「土御門一成、あの10トントラックに轢かれて死ね!」って念じたら俺は死ぬの?」

 

 これまでの行状を振り返っているのか、妙に挙動不審な一成を見て、理子は溜息をついた。

 

「そんなうまく行ったらこんな苦労してないわよ。……そうねえ、似て非なる固有結界って言えばいいのかしら」

 

 固有結界は、己の心象風景で世界を一時的に塗りつぶすもの。世界にとっては染みであり異物であり矛盾のため、修正力が働き通常数分で消えてしまう。

 理子の念写も、念じた物事を世界に張り付けようとする試みという意味ではかなり近い。

 

「ただ念写は『結界』じゃない。本当に世界を上書きし、永続させようとしてしまう。だから固有結界よりも激しく世界の抵抗を受けて、非現実的な空想は秒どころか刹那も持たない。できることは世界から許される程度の改変、つまり「実際に十二分にありえる時に、そうありえる可能性をちょっと増やす」程度なの。さっき言った遠当の命中補正がまさにそれ。実際私は相手に当てるつもりで遠当を放っているわけで、その瞬間に当たるイメージを念写することで命中させているの。それでも完璧に念写できることが少ないから、外れる時は外れるの」

「そうなのか」

 

 なんとなく、すごそうだけれど実際使い道が少ないと言う意味で、天眼通とシンパシーを感じてしまう一成である。

 

 また、彼女が日常生活でカメラを持ち歩いているのはその超能力による影響で、幼い時から「写真を撮る」行為から能力を鍛えようとしていた名残だが、今では単なる趣味になっているとのこと。

 

「さて、榊原の姫の力も聞いたことで、これからどこを廻るとする? 手がかりがないにしても、可能性の高そうな場所とすると……「カズナリー!」

 

 アーチャーの声を遮ったのは、元気な少女の声――河川敷と道路の境を通りかかっている、白ワンピースの少女、キリエスフィール・フォン・アインツベルン。そして彼女を護るようにすぐ脇に控える、蒼銀の少女騎士セイバー。

 

「キリエにセイバー!? あれ、どうしたんだ」

「アキラにカズナリたちが心配だから見てきてあげってって。ね、セイバー?」

「ええ」

 

 アルトリアはどこか釈然としない顔をしていたが、それでも一成たちの姿を見て微笑んだ。

 

「あ、そーだアルトリアさん、碓氷のやつ、ハルカの拠点について何か言ってなかったか? あいつ管理者……「伏せろ一成!」

 

 殆どアーチャーに蹴り飛ばされるような形で、一成は地面を転がった。文句を言うより早く届いたものは真昼のような光に次いで轟音、そして振動が広がって、地面に伏した一成にまで伝わった。

 

「……っ!」

「何者かッ!」

 

 一成と理子の前にアーチャー、それより前にキリエにアルトリアが立ちはだかり、奇襲をしかけてきた相手を探った。

 しかし探るまでもなく、敵は最も前方に立つアルトリア目がけて、煙を切り裂いて迫った。

 

 彼女は難なく煙幕の奥から繰り出されてきた攻撃を不可視の剣でいなしたが、その相手に眼を奪われた。

 彼女からすれば三日ぶりに見える、新キャスターのマスターであるハルカ・エーデルフェルトなる魔術師――!

 

 明や一成たちの話からマスターのほうが戦う側だとは聞いたが、確かにこれはサーヴァント並みの身体能力である。

 しかも、剣や槍などの武器はなく拳で向かってくる。

 

「ハァッ!」

 

 裂帛の気合と共に真正面から突き出された拳は、剣とかちあい高い音を響かせた。彼には聞きたいことがある――殺すのではなく、戦闘不能に追いやりたい。

 そして今、アルトリアはただハルカの気を引き付けるだけでいい。

 

「……ッ!!」

 

 次の瞬間、ハルカの右腕には幾本もの弓矢が突き立っていた。まだ煙が晴れぬ中、アーチャーの矢が容赦なく狙う。そもそも、距離は20メートルと離れていないのだ。

 たとえ幸運補正に頼らずとも、その程度彼は当てる。アルトリアは威力を押さえ、それでも強く刹那の隙を狙ってハルカの腹に剣の腹を叩き込んだ。

 

「ハ、ハルカ様ぁっ!!」

 

 悲鳴めいた女の叫び声も、アルトリアや一成たちには聞いた覚えのあるもの。

 アルトリアはキリエをつれ、アーチャーは一成と理子を促して足早に彼らから距離を置いた。

 

 煙が晴れると、女――キャスターに支えられながら、ハルカ・エーデルフェルトは肩で息をしていた。ただその眼だけは炯々と輝き、憎しみさえ籠ってアルトリアたちを睨んでいた。

 

「……ハルカ・エーデルフェルトですね。あなたに聞きたいことがあります」

「……戦えッ! 戦えサーヴァント!お前たちは、戦うために現界したはずだっ!」

「話を聞いてください。もう聖杯戦争は終わっているのです。戦ったところで、万能の杯など手に入らない。戦っても得るものなどなにもありません!」

 

 アルトリアの言葉に、ハルカはひきつった声で笑った。「聖杯がない? そんなことはもうでもいいのです。私が、私が勝ちさえすれば……」

 

「話を聞きなさい、キャスターのマスター。聖杯戦争は終わったのです。それに私たちは、あなたの存在を、そもそも知らない」

「騎士王や、話の腰を折って申し訳ないが周りを見よ」 

 

 アルトリアの背中側に立っていたアーチャーは、いつの間にか再び矢を番えていた。言葉に促されたアルトリアが視線だけで周囲を伺うと、確かに、何かがおかしい。

 美玖川の湖面が夜だからという理由では片付けられないほど黒ずみ、まるで汚泥のようだ。月明かりさえ反射しない漆黒の泥。

 これに似た何かを、アルトリアと一成・キリエは知っている。

 

 聖杯によって穿たれた黒い孔から漏れ出る中身。この世全ての●。だがそれは彼らの記憶の中にある形ではなく、大型の犬、狼のような形を伴って川を這いずっている。

 やがてそれらは意思を持っているかのように、河川敷へどろどろと上がってくる。その数はざっと見渡した限り百体以上。

 

 

「……何だ、これ?」

 

 これは本当に犬なのか。眼だけが爛々と輝き、黒に赤い孔が空いているだけのようだ。泥の大群のごとき獣の群れの中の紅い眼のうちのひとつが、一成たちをとらえた。

 

「――!」

 

 一成の脳裏に過ったのは、土御門神社の境内。自分と、その真向かいに立っているのは神内御雄。自分の手には、碓氷明から借り受けたナイフが握られていた。

 泥に囲まれた中で、白刃が神父を貫いていた。

 

 アーチャーは? いるわけがない。だって自分のサーヴァントは、大西山決戦で。

 

「一成! ぼうっとしておるでない!」

「とにかく、この狼たちを追い払います!」

 

 状況はハルカを問い詰めるどころではない。一成が呆けている間に黒狼たちはいや数を増し、のみならず鋭い牙をむき出しに襲い掛かってきていた。

 幸いなことに、サーヴァントを前にしては遠く及ばない程度と見え、容赦なくアルトリアに切り伏せられ、アーチャーに射抜かれていた。

 身を守るだけなら理子の結界でも間に合っていた。

 

 狼たちは一個体がそれぞれ別れているのに、どことなく密集する虫を思わせる。アルトリアはアーチャーに一成やキリエの護衛を任せると、自分は一歩退いた。

 不可視の剣に纏わせた高密度の風の鞘を解放して放つ飛び道具で、一度にこの黒い塊を薙ぎ晴らう!

 

「爆ぜよ、風王鉄槌(ストライク・エア)!」

 

 解き放たれた風の突撃――正面方向の狼たちを、風圧で千切り細切れにし、断末魔を最後に消失させる。

 だが、この黒狼はまだまだ湧き上がり蠢いている。宝具で焼き払うしかないか、とアルトリアが思ったその時、これまで黙っていたキリエが声を上げた。

 

「――とにかくここにいてはダメよ。この境界――川から離れるわよ! アルトリアの開けた道から!」

 



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夜⑤ 剣士と復讐者

「……さて」

 

 碓氷邸から徒歩十五分で辿り着く土御門神社。丘の上へと連なる石階段の上には、既に見慣れた赤い鳥居が待ち構えている。

 セイバー・ヤマトタケルは普段着のTシャツから武装姿へと切り替え、階段を上り始めた。

 

 あっという間に神社の境内に辿り着いた。両側に並ぶ灯籠には明かりがともされ、夜でも十分に歩き回ることができる。夜でも涼しいというより生温い空気のなかで、彼は空を見上げた。

 

 セイバーは明に言われたとおり、もうひとりのヤマトタケルを探しに来たはいいものの、その実どうやって時間を潰すかを考えていた。

 

 ――おそらく明は本気で『ヤマトタケル』を探そうとしてはいない。

 

 セイバーに人の心はわからない。

 記憶の中の、聖杯戦争時の明と今の明を引き比べると、どうしても違和感はある。

 

 碓氷明は管理者として、春日と春日に住まう人々を護ろうとしていた。

 セイバーにとって街の壊滅などどうでもいいのだが、明が重要視するため、彼も気を配らざるを得ない。

 

 しかし今の明から、焦りを感じない。ここが造られた偽の春日だというなら、人々は結界の外からここへ運ばれてきた・取り込まれたことになるのだろうか。

 

 そうだとしたら、今ごろ現実では、春日市から人っ子一人消えてしまったことになる。それが何日も続いて、大騒ぎにならないはずがない。現代の治安維持機構、警察はセイバーの時代より(そもそも警察などなかったが……)はるかにまめまめしく働くそうで、より騒ぎが拡大するだろう。

 

 同じことをアルトリアも気にかけており聞かれたこともあるが、「本当に危険ではないのだろう」と返しておいた。

 明は自分にも何も言わないが、自分から明にそう確認を取るべきか、セイバーは悩んでいる。勝手に行動していいことがあった試しもないが、明が聞かれたくないならば無理に聞き出すのもどうかと思い、今に至っている。

 

 さらに、イギリスから一時帰国してから明はずっとどこかおかしい。奇妙な電話に加え、どうも最初はよそよそしかった。

 原因に全く心当たりがないため、気付かないうちに何かしでかしたかと思いきや、明は何も言わない。

 明は、我慢ならないことは言ってくれるはずだ。

 

 

 ――そうだ。何もかもおかしなことばかりだ。俺は、聖杯戦争に勝利して、

 

 

「よう。能褒野で死んだ俺」

 

 気配がなかった。それは、宝具に加え、相手方に戦意がなかったからであろう。あたかも最終決戦のライダーのように――賽銭箱の上に胡坐をかく、ヤマトタケル(セイバー)と瓜二つのサーヴァントの姿があった。

 

 賽銭箱の上の『ヤマトタケル』は、セイバーよりも軽装というより普段着のGパンとTシャツで、傍らに葛で封じられた黒塗りの太刀を置いているだけ。

 もう、片目を覆っていない。焦点を合わせる振りもしない。

 

「……これまでこちらに接触しようとしなかったのに、随分あっさり姿を見せたな」

「俺は本気で隠れる気もなかったが、進んで接触する気もなかったぜ? 必要な一部以外は。……けどまあ、人間どもが色々探ってくるもんだから、こそこそ隠れる方が面倒になったんだ」

 

『ヤマトタケル』はゆらりと賽銭箱の上から腰を挙げ、刀を片手に立ち上がった。歩くたびにちりんと、腰の鈴が鳴る。「ついさっき、お前の――マスターに会ってたぜ」

 

 セイバーは、『ヤマトタケル』がどのように明に関わっているのか知らない。しかしセイバーの知らないところで会っていたと聞いても、動揺はしなかった。

 明の隠し事の一つであろう。だが何を話したのかは気になる。『ヤマトタケル』は笑う。

 

「大した話はしてねえよ。ていうか、俺が何にも言わなくてもだいたいのとこわかってるぜ、碓氷明は。お前も検討くらいつけてるんだろ」

 

 この春日は造られたニセモノの春日。そして榊原理子らが出会った知らないキャスター。

 実はセイバーにもこの事態を引き起こせるものに心当たりはある。だがあくまで仮定に仮定を重ねた砂上の楼閣のようなもので、口にするのも恥ずかしいくらいである。

 

 しかし目の前の『ヤマトタケル』は、境界主。この結界を護るのに、一役も二役も働いているに違いない。

 

「聞きたいことがある。弟橘は何故、世界を作った? そしてお前は何故、弟橘の生んだこの世界を維持しようとしている?」

 

 以前理子と話したように新たなキャスターは、セイバーの知る弟橘ではないはずだ。だが如何なる世界の弟橘であっても、大筋の生涯は似てくる。

 ライダーとのやり取りを経て、セイバーはキャスターの宝具がここを生み出していると予測していた。

 

 ――神と同一になることによって、人を辞めた末の宝具(伝説)

 

「全く碓氷明と同じことを聞くんだな。つまんねえ。知らねえよ」

「妙な奴だな。折角この世界にいるのだから、直接何をしたいか聞けばいいのではないか」

 

 ざわりざわりと、吹き抜ける風が木々を揺らした。境内を取り囲む林の奥から、複数の赤黒い視線を感じる。数えるのも億劫になるほどの瞳の数に、獣の匂い。

 セイバーも知る気配――穢れた聖杯・狼の形をした聖杯の呪いの群れ。それらは賽銭箱前に立つ、『ヤマトタケル』の指揮を待つように震えている。

 

「その言葉、そのままお前に返すぜ。とっとと碓氷明に『なんでこの事態を解決しようとしない』と聞けばいい」

 

『ヤマトタケル』は鞘に収まったままの刀をセイバーに向けて、笑う。

 烈風が吹き抜けた。どちらが先かは、判断がつかない。ヤマトタケルの不可視の神剣と『ヤマトタケル』の黒塗りの鞘が激突すると同時にわき出でた黒狼の群れ。

 そしてセイバーがやってきた石階段から飛び出した、白く大きな獣。

 

「――真神一号! 黒狼を追い払え!」

 

 高圧の電光のごとく走った白い獣は、猛然と黒狼の群れへと突っ込んでいく――生ける神秘殺したる狼は、ただ体当たりするだけで呪いを散らしていく。

 

 セイバーと『ヤマトタケル』は互いに剣を合わせ、鞘と不可視の剣がかちあって震えている。『ヤマトタケル』は薄笑いを浮かべたまま、愉快気に問うた。

 

「――おや? お互いに戦う理由はないはずだが?」

「ああそうだ。だからこれは俺が戦いたい――否、お前を殴りたいから殴ろうとしている」

「奇遇だな(ヤマトタケル)。これまで俺はお前に偽装していたが、不快で不快でたまらなかったよ」

 

 話には聞いていたものの、相手を見た瞬間に、セイバーは相手もまた同じく『ヤマトタケル』であることを理解した。同時に言いようのない嫌悪感も懐いた。相手がどんな東征()を経て来たのか、セイバーにはわからないが、その生は、自分にとって許し難くありえない選択の末に果てたものだと直感が教えていた。

 きっと『ヤマトタケル』も同じことを思ったに違いない。

 

「――お前、サーヴァントとしてのクラスは」

「呼びたいのならば、アヴェンジャーと呼べ!」

 

 セイバーが力づくで剣を弾き、距離を取る。間髪入れず地を蹴ったセイバーの剣とアヴェンジャーの鞘が何回も何回も競り合い弾いていく。

 ちりん、ちりんと涼やかになり続ける鈴の音に合わせ、あたかも演武のように火花が飛び散る。鞘と不可視の剣の長さはほぼ同じ。つまり間合いは同じ。同じ英雄同士が打ちあっても、決着がつかないと思われる――だが、少しずつセイバーの方が圧しているのは、見る者が見ればすぐわかる。

 原因は単純に膂力である。それに限れば、セイバーの力が上回っている。

 

「く……」

 

 苦しい声を漏らしたのはアヴェンジャーの方。魔力を孕む風が吹き荒れ、削れた石畳の破片を巻きあげて黒狼にも突き刺さる。何合も何合も続く剣戟の中、セイバーはほんの一瞬だけの隙を見つけ、針の穴を通すような正確さで一息にアヴェンジャーの心臓(霊核)を狙った。

 

「――」

 

 その時、背後より飛来する何かを感じ――僅かな風の動きと振動で――セイバーは僅かに体をずらさざるを得なかった。

 背後に感じた何かは剣で、その三振りはセイバーの顔の両側面・右わきすれすれを貫いて石畳へと突き刺さった。そして不可視の剣もアヴェンジャーの肩の上着を掠めたにすぎず――二人は至近距離にて静止し、互いに退いた。

 

 ――やはり……。

 

 アルトリアは最初、美玖川でアヴェンジャーを見た時はヤマトタケルだと思ったらしい。サーヴァントとしての気配すら絶つ宝具、「斎宮衣装(みつえしろのかご)」。そして葛に巻かれた黒い太刀の宝具は、イズモタケルを暗殺した時のもの。

 

 これらは本来、ヤマトタケルが「アサシン」として召喚されれば持ちうる宝具である。

 

 しかし知らぬ剣を三振り取り出し、自在に操った――セイバーのヤマトタケルにその記憶はない。今も振動に震えて突き立っている三振りは、彼が見たことのない形状の剣であり、もっと後世の作と思わせた。その三振りは焔に包まれて姿を消した。

 

「――フン、まるで演武(ダンス)みたいだな。現状、お前は俺を殺せない。俺にもお前を殺す気はないしな」

 

 アヴェンジャーは鼻で笑った。セイバーも同じ顔で笑った。

 

 お互いがお互いを把握したうえで成された殺陣(たて)のようなもの。セイバーはアヴェンジャーの表情を演技と見抜き、またアヴェンジャーもセイバーが三振りの剣のことを待っていたと承知していた。

 

「――剣を棄てた俺は、演技の達者さに磨きをかけたらしい」

 

 アヴェンジャーの上着の下、晒に巻かれた体からは古傷がいくつも見て取れる。それは本来のヤマトタケルであればありえない。

 神剣の加護によって、どんな深手も跡形もなく治癒するのだから。

 

 両目が見えないのに、右目にだけ眼帯をしている理由も、セイバーは察していた。

 

 右目を覆えば、人は残った左目は見えているのだろうと勝手に勘違いする。そして戦闘時には、右目側に死角が増え、自然敵はそちら側から攻撃を仕掛けるようになる。

 つまり、アヴェンジャーには読みやすくなる。

 

 また、相手が片目でも見えているなら、まさか音で世界を把握しているとはまず考えない。つまり目が見える振りをするのは、敵を欺く戦術のひとつなのだ。

 

 ただ「音で世界を把握している」のも、アヴェンジャーの詐術のうち。情報伝達の速度が音速――水中ならともかく、空気中では、サーヴァント戦では確実に後れを取るからだ。

 そこまで考え、セイバーは溜息をついた。

 

「……まあ、いい」

 

 アヴェンジャーが、どんな生を送ったのかはわからない。だが神剣を棄てる――神の剣を辞めるというのは、神の剣として生まれたゆえに死と同義。

 神の剣とは、神霊天津神々の支配を人代にもつなげ維持する役目のこと。直接には天皇の命という形をとるが、その実神霊の命である。

 

 ライダーはすべてを承知のうえで神の剣であることを享受し、セイバーは神命に振り回されて神の剣を終え――アヴェンジャーは神の剣を辞めた。

 人代とはいえまだ神代の残り香深い時分に、神霊をも敵に回した。

 つまりは、大和朝廷への反逆者である。

 

 

 ――死血山河。

 

 木々や住処は灰燼に帰して、息する者は誰一人もない――そんな大和を幻視した。

 

 何を思いアヴェンジャーがその道を選んだかはわからずとも、その選択自体がヤマトタケルにはありえない。景行天皇(かつて憧れた人)が護ろうとした大和を滅ぼすことはありえない。

 仮にアヴェンジャーと己が道を分かった理由を知るときが来ても、融和はない。

 

 セイバーは剣を消して、息をついた。既に黒狼は成りをひそめ、真神一号――拾った犬の真神三号にちなんで(順序としては逆なのだが)一号――も、おとなしくセイバーの後ろに控えている。

 

「もう用はない。帰るぞ」

 

 真神の首の下を撫で、セイバーはアヴェンジャーに背を向けた。一匹と一人は事は済んだと、神社の出口、鳥居に向かった。アヴェンジャーも、追いかけない。

 

 何も口にせず、真神とセイバーは黙々と石階段を降りていく。真神の純白の毛並みは、月光を受けると、まるで真神自体が白光しているように見える。

 

『主』

「昔から、俺はお前の主になった覚えはないのだが……それよりお前、榊原の使い魔だろう。今の主を放っておいていいのか」

『榊原は同盟者だ。主ではない』

 

 当初、理子に呼び出された真神は何にも干渉するつもりはなかった。ゆえにできるかぎり理子には呼ぶなといったが、かつての主の匂いを嗅ぎつけて気にかけてはいた。

 ちょうど折よく、セイバーヤマトタケルは白い犬を飼い出していた。神秘としての格があまりにも違うとはいえ、真神も獣にして狼のため、近しい動物との意思疎通は容易い。

 あの真神三号は本当にただの犬であるが、彼の眼を通して真神一号は碓氷邸周辺、もといセイバーヤマトタケルの状態を把握していた。

 

『で、主、そなたは何もしないのか。この結界のカタチ、術はまぎれもなくお前の妻のものだろう』

「……これは弟橘のものだと感じるのだが、問題は俺のものではない。だから関わるつもりはない。あちらの俺がどうにかすることだ」

『……主がそういうなら、よい』

 

 しかし、自分が何をすることが最適なのか、セイバーに答えはない。

 聖杯戦争は終わって、ただ強ければどうにかるという話ではないのだ。

 



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7日目 真実
昼① 夏の朝


 誰かがいた。たとえ結末が滅びであっても、己の人生を誇れるようにしてくれた誰かが。

 誰かがいた。たとえ結末が滅びであっても、歩んだ道のりをなかったことにすることはないと教えてくれた誰かが。

 

 今だその名を思い出せない。

 それでも、その後ろ姿は――碓氷明では、ない。

 

 

「……ッ!」

 

 ベッドから跳ね起きて目にしたものは、知らぬ広い部屋。ゆっくり身を起こすと、豪奢なホテルのリビングのソファの上だった。

 サーヴァントの身にもかかわらずじっとりと脂汗をかいて、寝巻が気持ち悪く湿っている。

 

 ――そうか、美玖川での戦闘のあと、アーチャーのホテルにキリエとともに来たのだ。

 

 ベッドが足りないから、サーヴァントである自分はソファでよいと言った……。

 

 気づけば、ソファの上に濡れた布が落ちていた。多分自分の額に乗せられていたものだろう。

 

「お、起きたのか」

 

 腕に水の張った洗面器を抱えていたのは、白いガウンを羽織ったアーチャーだった。

 

「まさか貴方が看病を……申し訳ない」

 

 今日の戦闘、可笑しなものは見たが、アルトリア自身に傷はない。おかしなこと、違和感はたくさんあるが、どこも傷ついてはいないはずだ。

 

「まだ夜中じゃ。ゆっくり眠っておくがよい」

「……ええ。しかし、私はいつからその……うなされていましたか」

「三十分ほど前かの、私が気づいたのはな」

「……」

 

 暫し、沈黙が下りた。まだ部屋は暗く、夜明けも遠いだろう。お互いサーヴァントであり眠りをとらなくていい気持ちからか、アルトリアは自然と口を開いていた。

 

「……私は昨日の昼、人探しをしていました。探し人が誰なのかは、自分でもよくわからないのですが」

「……?」

「……春日駅前で日が暮れるまで、記憶にある人物を探していました。名前も姿も、よくわかりません。だけどもし、会えたら絶対にわかると思うのです。その、カズナリと同じくらいの歳で、料理の上手い、男性が」

 

 探した。だが見つからない。いない。それでもいないはずはないという確信。

 

 アルトリア自身も、何をバカなことをしているのか、と呆れられるのが関の山だと思っている。自分でさえ一体、どうしてこんなにこだわっているのか判然としないのだから。しかしアーチャーは笑いもしなかった。

 

「騎士王、そなたは知らぬと思うが、私は一成を殺そうとしたことがある。一成の左腕は、私が奪った」

「――!? アーチャー、何を言って」

「ならば聞こう。一成の左腕、何故喪われた?」

「それは……あなたがカズナリから目を離した隙に、敵サーヴァントに」

「その敵とは?」

「……」

 

 思い出せない。碓氷明と一成は聖杯戦争初期から共同戦線を張って、その中で裏切りなどなかった……と、思う。

 口ごもるアルトリアに対し、アーチャーはただ淡々と告げた。

 

「――そなたが探している人物を私は知らぬ。だがいくら虚ろであっても、忘れてはならぬことがある。それはきっと、そなたの運命だったのだ」

「……貴方は……」

 

 アーチャーは毛布の上に落ちていた、温いタオルを回収し、新しいタオルを絞ってアルトリアに手渡した。

 これだけ気遣われるということは、傍から見ても自分は思い詰めているように見えるのであろうか。そして目の前のアーチャーは、何処で何を知ったというのか。

 

「そなたももう一度思い出してみるがよい。春日の聖杯戦争を……いやそなたの場合、それより前の戦争かもしれぬが」

「……」

「……私の記憶からの推測じゃ。そなたは春日聖杯戦争に参加しておらず、碓氷明をマスターとしたことはない。とすれば、そなたが参加したのは」

 

 アルトリアはその戦争の名を知っている。

 かつて二度戦争に参加し、その末に自分は長き戦いを終えて死を迎えたのだから――。

 

 

「冬木の聖杯戦争」

 

 アルトリアの記憶では、彼女は明・ヤマトタケルとともに春日聖杯戦争を勝ち抜き、故国の救済という願いを捨てたことになっている。

 そしてヤマトタケルの記憶も、アルトリアと共闘したことになっている。

 

 にもかかわらず、アルトリアはアーチャーの言葉を違和感なく受けいれていた。

 頭の中では矛盾が渦巻いていても、心は納得している。

 

「……まあ、今は眠るがよい。もう焦っても仕方のないことでもあろうしの」

 

 アーチャーは洗面器を抱え、ぼうっとしているアルトリアをそのままにリビングを後にした。

 

 

 彼女が何を思っているか、アーチャーにはわからない。ただもし自分がアルトリアの立場であっても、どんなに虚ろな存在であっても、名前も姿も忘れても、一成という存在を忘れたくないと思うだろう。

 

 アーサー王は春日聖杯戦争にはいない。

 しかし冬木の聖杯戦争でアーサー王が呼ばれた記録はあるという。おそらく彼女は、そこで出会ったマスターによって、故国の救済という願いを捨てることができたのだ。

 

 ここは造られた春日。市をまるまる生み出す固有結界か、もしくはそれに類するもの。

 

 仮に固有結界だとすれば、通常、世界からの修正力を受けていくら魔力があっても分単位でしか維持できない。

 固有結界が長持ちしないのは、魔力不足と修正力の為――ならば、聖杯の残留魔力を元に現実世界以外で固有結界を築けば、固有結界は長持ちする。

 

 とすれば、世界と世界の狭間、虚数空間を操り行き来する魔術師がいるではないか。

 

 しかし彼の魔術師が固有結界を操るとは聞いたことがない。とすれば、この結界を展開した者は別にいると考える方が自然だ。

 

 そして、春日の聖杯戦争にいなかったあの、三峰の狼が襲い掛からないキャスター。

 

 神代の巫女、身を投げて神となった女がいる。

 

 

 

 *

 

 

 

 ――そうさな、バーサーカーを倒した時。

 そなたを殺せなかった時点で、私は負けていたのじゃ。

 

 

 一体、この左腕は――何の為に、失ったのだったか。

 

「……」

 

 半ば眠っているような状態で、一成はアーチャーのホテルのリビングで紅茶を飲んでいた。昨夜の巡回を終えた後、一成・理子・アーチャー、さらにアルトリアとキリエまでこのホテルに押し掛けてきたのだ。

 美玖川からだと、碓氷邸は徒歩で四十分の一方、ホテルは徒歩十分なのだ。

 

 ベッドが足りず、ダブルベッドに理子とキリエ、シングルベッド二つに一成とアーチャーが眠った。アーチャーはアルトリアにベッドを明け渡そうとしたが、ここはアーチャーの借りたホテルだからと、アルトリアは固辞した。(そもそもサーヴァントは寝なくてもいい)

 

 勿論巡回自体も色々ありすぎて、一成には整理ができていない。しかしそれよりも、湧き出る黒い狼と目が合った時に、脳裏に過ったモノが気になって仕方がない。

 

 

 神父を刺し殺す己。

 自分を裏切り、右腕を持ち去るアーチャー。

 気が狂ったように嗤う咲――。

 

 こんな景色は知らない。こんな聖杯戦争は知らない。誰も消滅なんかしていない。

 だがサーヴァントが誰も消えなければ、そもそも杯が満ちることもまた、ないはずだ。

 

 

「一成」

「……」

「おーい一成や」

 

 肩をゆすられて、一成は我に返った。

 真隣には、自分の右腕を持ち去ったサーヴァントの姿が――「うわああああ!!」

 

 俄かにバランスを崩し、彼は椅子からひっくり返った。同時に右手に持っていたティーカップまでひっくり返して、自分の制服を汚してしまった。

 

 尻もちをついたまま見上げると、呆れ顔をしたアーチャーがいた。そして、同じテーブルに理子・キリエ・アルトリアも腰かけ、同じく紅茶を飲んでいた。

 ただ楽しく雑談をしているような雰囲気ではなく、真面目な相談――昨日起きたことについて――であることはすぐに察した。

 

「何をやっておるのじゃ、そなた」

 

 アーチャーが一成を起こそうと伸ばした手を、一成はとらずに自力で起ちあがった。

 

「わ、わり。何してたんだっけ」

「大丈夫ですか、カズナリ。先程からずっとうわのそらですが……」

「い、いや大丈夫だ。ちょっと頭がまだ起きてないみてーだ」

 

 一成は汚れたワイシャツも気にせず、とにかく立ち上がって席に坐りなおした。こちらも呆れた顔の理子だが、それでも世話焼きらしくこれまでの話のダイジェストを聞かせてくれた。

 

 春日市の外に出られないことを皆で確認したこと。美玖川で行き合わせたハルカとキャスター。

 その最中、川から湧き出してきた黒い狼。黒い狼を掃討し逃げたあとには、既にハルカたちも逃げた後で、追跡のしようもなかった。

 

 キリエは優雅にティーカップをソーサーに置き、話を継いだ。

 

「あの黒い狼だけれど、元をたどればあれは聖杯の中身よ。魔力の塊。そしてこの世統べての悪(アンリマユ)に汚されたもの。泥ではなく狼の形をとっているのは……間に通されるフィルターの問題よ。フィルターの馴染みやすい形に変換されて街を徘徊しているの。で、そのフィルターというのは、アルトリアが語っていた、アンリマユによってクラスが歪められたもうひとりのヤマトタケル。あの狼は、彼の中にある三峰の狼のイメージを受けている」

「じゃあ、彼がこの異変の原因なの?」

 

 キリエは首を振った。「違うわ。三十年間漏れ続けた魔力と、破壊されて残った大聖杯残りのせいだって、アキラも言ってなかったかしら」

「……確かに」

「もう、かなり事態は煮詰まってきているわ。こと細やかに知りたいのなら、毎日でも碓氷邸に通いなさいな」

 

 口ぶりからして、ロクに巡回もしていないのに、キリエもかなり事態を把握しているようである。

 足を使っている自分としては哀しいものを感じながらも、一成は碓氷邸に向かうことはいいと思う。昨日明もバーベキューはしたものの、黒狼の話はしていない。

 

 しかし今日、夏休みも終盤を迎えた今、一成と理子にはすることがある。今日は文化祭準備の為に集まる日であり、そろそろ学校へ向かわなければならないのだ。

 となれば、代わりに誰かに行ってもらうのがよいのだが。

 

「……アーチャー、俺の代わりに碓氷邸に行って来てくれ」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 閑話休題。一成はすでにズボンとワイシャツを一組ホテルに置いており、理子も今日を見越して制服を持ってきているため、軽く身支度をすれば学校に行ける。

 一成と理子は話が区切れたのを見計らって立ち上がった。

 

「じゃあ俺たち高校に行ってくる。碓氷邸での話、ちゃんと夜に聞くからな」

「心得た~」

 

 やる気がなさそうなアーチャーの返事だが、やることはやるサーヴァントではある。一成と理子はそれぞれ別れて、鞄など持ち物の準備をすることにした。

 

 そして数十分後、一成は理子とともに部屋から出たが、何故か余計な何か二人が、しれっとついてきていた。

 

「……何でアルトリアさんが? ……あ」

「全く、あなたから「男装での振る舞いを教えてほしい」と頼んだのに忘れたのですか」

 

 少々呆れ顔のアルトリアは、溜息をついた。今日は朝から呆れられてばかりだと思うが、一成自身でもこの間抜けっぷりは相当だと思う。

 

「で、その服は……」

「アーチャーに男装を教えると伝えたら、二つ返事で用意してくれました」

 

 そう、先程テーブルで話をしていたときには、アルトリアは白い半そでのTシャツに半ズボンという非常にラフな寝間着姿だった。

 だが今は全く様相を変えて、全身黒いスーツに身を包み、シニョンに結っている髪は首許で一本縛りにされている。少女というより、青年になりかけの美少年といった風貌である。また、ボディーガードのようでもある。

 そして、非常によく似合っていた。

 

「アーチャーは白拍子衣裳もいかがかと言ってましたが、それは日本古来の男性の衣装なのでしょうか。現代でもよくわかる男装のほうがいいかと思い、遠慮しましたが」

「何勧めてんだアイツは」

 

 白拍子とは、起源は神事で神を降ろすための巫女舞だが、一般には平安時代末期に流行った男装の遊女や子供が今様(現代で言う流行歌)を歌い舞うものを指す。

 その衣装は水干に立烏帽子をかぶり、白鞘巻という男装なのだ。ぶっちゃけ、少々一成たちがやろうとしている男装女装とは異なる。

 だが、金髪美人の白拍子もそれはそれで……としょうもないことを一成が考えていたその時、理子が珍しくおずおずとした声音で訊ねた。

 

「あの……すごく今更なんだけど、アルトリアさんって、まさか、セイバーで、……アーサー王……?」

「? 今更何言ってんだお前」

「何が今更よ! 全然知らなかったんだけど!」

「ああ、明から紹介されたとは思うのですが、理子にはきちんと自己紹介をしていませんでしたね……私の真明はアルトリア・ペンドラゴン。生前は男装し男として生きたので、アーサー王のほうがとおりはいいはずです」

 

 完全に言葉を失った理子であるが、彼女とておかしいとは思っていたのだ。

 碓氷邸に訪れた時も、碓氷がアーサー王と連れていると聞いていたのに、ヤマトタケル以外に男の姿はない。かわりに金髪の美少女がいる。

 しかしアーサー王は男だ。

 

「……」

 

 まだ衝撃の沈黙から脱せない理子はさておいて、一成はもう一人の問題児に眼をやった。

 

「んでアルトリアさんはいいとしても、キリエ、何でお前も?」

「あら、私がついていっては具合が悪いのかしら」

 

 いつでもお嬢様然とした様子を崩さないキリエスフィール・フォン・アインツベルンは、白いワンピースに、何処から出したのか麦わら帽子をかぶっていた。

 春日の異状には興味のないキリエであったが、一成の学校生活については違うらしい。

 

 しかし文化祭についてはこれまで連れていけ、とは一言もなかったのにどういう風の吹き回しか。

 

「聖杯戦争中にあなたの学校を訪れたことがあったでしょう? その時、ちょっとした人だかりができてしまったじゃない? その時に淑女たるもの、むやみやたらに人々を驚かせるものではないと反省したの」

 

 ふふん、と微妙にドヤ顔を向けてくるキリエだが、一成としてはロクな案を出してこないのだろうなと思っていた。キリエは肩掛けのポシェットから、一枚のカードを取り出した。

 

「管理者のアキラに頼んで、学校に連絡してもらって正々堂々入れるようにカードを手に入れたわ!」

 

 プラスチックと思えるカードには、入館許可証と書かれ、一緒に埋火高校の校章が印刷されていた。

 というかこれはICカードで、学校にとってお客様といえる人間に渡されるものだと思う。普通に入るだけ、しかも見た目は小学生のキリエならそんな手続きなどしなくても、一成の親戚ということで学校見学できてしまう気もする。

 

 というより前回騒ぎになったのは、事前連絡をせずに学校に来たせいではない。

 どうせまたクラスメイトに詰め寄られることが予想されたが、絶対に来るなというほどかといわれれば、そうでもない。ちらりと理子を見たが、彼女には「入館許可証」が効いているのか、溜息をついていたが強く言いだす気配はなかった。

 

「じゃあいきましょう、キリエ……にセイバー」

「ええ。あなたたちブンカサイ、というものの準備をしているのでしょう?興味深いわ。催し物は何をするのかしら」

「一成の同輩と会うのは楽しみですね」

 

 キリエと理子はすでに何回か顔を合わせている仲であり、一成が特に口を挿まなくても雑談をしている。

 また礼儀正しいアルトリアは、これまた元生徒会長の理子とも性質が合いそうだと思う。

 

 今更ながら、キリエを連れて行くとロリコンの濡れ衣を着せられかねないと思うが、考えたところでやっぱりロリコン扱いの宿命からは逃れなさそうであった。

 



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昼② 青春文化祭(準備) 

 今日は男装&女装組でダンスの合わせ練習がメインである。

 だがその前に、各々で最終確認をする時間を取っている。そのため、理子と一成は一度別れた。

 そして当然の如く、男装の指南をしに来たアルトリアは理子とともに男装部屋――借りている一年B組の教室にやってきていた。

 

 机を教室の後ろ半分に片付けて、各々学ラン、スーツなどの衣装に身を包んだ男装担当の同級生たち八人が、何事かと遅れてやってきた理子たちを見ている。アルトリアは教壇の前にたち、少女たちの様を一瞥した。

 

「ふむ、なかなか様になってるではありませんか。これはリコの手ほどきですか?」

「えーっと……みんなでインターネットを見たりコスプレ雑誌を読んだりして……っと、みんな、話を聞いて!」

 

 見知らぬ外国人の美初年にどよめきを隠せない同級生に向かって、理子は割って入った。

 

「この人は、土御門の知り合いでセイバーさんっていうの。長めの旅行で日本に来てて、この通り……女性だけど男装が上手だから、コツなんかあったら教えてほしいって来てもらったの」

「……土御門の知り合いってヤバいの多くない?」

 

 クラスメイトの誰かが呟いたが、そう思ってしまうもの致し方ない。平安貴族や戦国武将、日本神話の人物と知り合いの高校生がそういてたまるか。

 

「始めまして。リコから紹介にあずかりました、セイバーです。男装は得意……といいますか、男性らしい姿恰好には詳しくありません。ですが、騎士としての振る舞い、女性のエスコートであれば教えられるかと思います」

「私たち、合間に踊ったりもするけど、男装女装「喫茶店」でしょ? だから来てくれた人を、ステキにエスコートするのもいいと思うの」

「なるほど~」

 

 同級生はへえとかほおとか要領の得ない顔つきをしているが、かといって否定的ではない。むしろ教える内容より、アルトリア自体に興味津々に見える。

 とりあえず、ここは事情を知っている自分が率先してことを進めた方が良さそうだ。

 

「じゃあ、机と椅子を一組だけ出して、これがお客さんが座る席のつもりで……。お客さんが店、っていうか教室に入るところかセイバーさんに実演してもらおうか」

 

 とすれば相手役が必要になり、誰に頼もうかとクラスメイトを見回した時、友人の真田スミレと目があった。ミーハーで物怖じしない彼女らしく、顔に「どうぞ!」と書かれていた。

 

 というわけで、スミレが客役で、アルトリアが迎える側として、客席まで案内しメニューを手渡すまでの一連の流れをやってもらうことになった。

 しかし、アルトリアは大丈夫だろうか。手早く「「いらっしゃいませ」でお迎えして席まで導き、坐ってもらい、メニューをお渡しする」までが一連の流れと教えたものの、不安がぬぐえない。

 というか、土御門は具体的に何をどういう風にアルトリアに教えてもらうつもりだったのだろうか。

 

 アルトリアもアルトリアで「わかりました。やれるだけやってみます」と謎の確信ありげな様子である。

 

 しかし理子がひとりでやきもきしている間にも、アルトリアとスミレ、観客のクラスメイトの用意万端である。廊下に出たスミレが「じゃあ行くよー!」と元気に叫んだ。

 

 ガラガラと、教室の扉が開く。

 

「いらっしゃいませ、お嬢様」

「は、はひ……」

 

 漫画では少女漫画のイケメンには常に謎の風が吹いているという。スミレの入店と同時に一歩前に出たアルトリアにも、室内にもかかわらず風が吹き、彼女の金糸を揺らした。

 インビジブルエアかな?

 

「貴方にお目にかかれまして、光栄の極み。至らぬ騎士ではありますが、貴方の御手を取ることをお許しいただけませんか、姫」

 

 メニューを小脇に抱えたまま、アルトリアはスミレの目の前に片膝をつき、その手を取って見上げた。スミレは裏返った声で、なんとか言葉を発した。

 

「は、はい、許します」

「ありがたき幸せ」

 

 ちゅっ、と控えめな音をたてて、アルトリアの唇がスミレの手の甲に落とされる。それからアルトリアはゆっくりと立ち上がり、スミレの手の下に自分の手を重ねたまま、ゆったりと席へと導く。

 挙動が完全に開発黎明時のロボット化したスミレが、なんとか椅子に座ろうとしたその時、アルトリアが押し留めた。

 

「失礼。しばしお待ちを」

 

 スーツのポケットから取り出した白ハンカチを広げ、椅子の上に置く。それからスミレに振り返り、手でどうぞと指し示す。油の切れたブリキ人形染みた動きのスミレに、メニューを持たせる。

 

「ささやかですが、本日は楽しんでください、姫。何かあれば、またすぐおよびくださいね」

 いままできりりとした表情だったアルトリアが、初めてふわりとほほ笑む。

 またよくわからない風が吹き抜けていく――。

 

「……こんな感じで、どうでしょうか」

 

 一仕事終えたとばかりに、くるりと他クラスメイトたちの方に振り返り、理子の方にも視線をやる騎士アルトリア。しかし理子とその同級生からはなぜか反応がない。何か拙い事でもしたかとアルトリアが思ったとき、眺めていたクラスメイトの一人が突如倒れた。

 

「は、春田さん!?大丈夫!?」

「私もお願いします……死にます……」

「生きて!!」

 

 周りのクラスメイトが慌てて倒れた春田をかかえ、ひとまず教室の端に坐らせた。何やらその顔は多幸感に満ち溢れていた。

 その傍ら、顔を真っ赤にしたスミレが息も荒く、しかし至極まっとうなツッコミをいれた。

 

「し、心臓に悪い……! っていうかこれを女のお客さん皆に!? 無理でしょ!」

「いや、やり方さえわかれば、そう難しいものでは」

「そういう意味じゃなくてーー!!」

 

 謎の風は誰にでも吹かせられるものではない。それはともかく、現実的に考えて客ひとりひとりにこんなことをしているスペースは教室にない。

 また、昼時~午後二時のピーク時にはそれを行う時間もない可能性があるため、却下となった。

 

 結局、彼女たちはこの後に控える男装&女装混合でのダンス練習のために、アルトリアも交えて練習することになった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「あ~~まあ、こうなるよな」

 

 男装・女装各自での練習時間を終えて、クラスメイト一行は蒸し暑い体育館に集まっていた。一成の予想通り、クラスメイトたちは物珍しさからキリエ、そしてアルトリアを取り囲んでいる。

 

 アルトリアはクラスメイトとは初見のはずだが、キリエは違う。だが、勿論全員と知り合ってはない。しかし二人とも元々人見知りをする質ではないので、彼女たち自体はナチュラルにクラスメイト達と話している。

 

 濡場玉の髪、陶磁器のように白い肌、宝玉をはめ込んだかのような紅い瞳。見た目は完全に日本人形のキリエ。

 美しい金髪を後ろで一本にまとめ、碧玉の瞳が印象的で中性的な少女。黒いスーツに身を包んだ今は美少年としてもおかしくないアルトリア。

 女子は先ほどからアルトリアと一緒にいたため自然だが、こんな強烈な外国美少女に免疫のない一部の男は、むしろ一成に「何の知り合いだ!!」と問い詰める始末である。

 

 ちなみにキリエは、先ほどまで一成と一緒にいたのではなく、校舎を探検したいとのことで合流はつい先ほどである。

 

 最早キリエ・アルトリアブームがひと段落してからでないと練習に取り掛かれそうもない。とその時、先ほどからひそかにマークしていた友人が視界からいなくなっていることに気づいた。

 一成はあわてて、女子に囲まれているキリエを探して、そして見た。女子の冷たい視線もなんのその、躊躇いなくデジカメを片手にキリエと近寄る男子が一人。

 

「……こ、これが……いや失礼、この方が噂のキリエたん……!」

「おい氷空」

 

 一成が話している同級生を退けて向かった時にはもう遅かった。

 

「……キ、キリエタン、決して剥ぎコラを作ったりネットに流したりしないと誓うので写真を撮らせてもらってもぐは」

 

 一成の拳が氷空の脳天に当たると同時に、彼は一成の方に振り返った。

 

「何する一成氏!」

「何すんだじゃねえわ!! 妙な事教えてんじゃねえ!!」

「ネットというものは知っているけれど、剥ぎコラって何かしら?」

「それはお前にとって世界で一番要らない知識だから知らなくていい。マジで!!」

 

 女子の仲にも剥ぎコラの意味がわからない者が多数いるようで首を傾げていたが、こんなところでご丁寧に説明をしたらクラスにおける人権がなくなる。

 ただ人権が無くなっても気にしないのがこの氷空という友人ではあるが。

 

「氷空お前ロリコンもいい加減にしろよ」

「俺はロリコンではない、少女が好きな紳士だ。キリエたんに獣のように迫る真似などしないし尊厳を奪う剥ぎコラも作らない。ただ写真をとってフォトショでエンジェル加工を施し懐に修めておきたいだけだ」

 

 勉強もできるし運動もまあまあ、見た目が悪いわけでもないこの同級生が女子からドン引きされているのは、この隠さないロリコン癖のお陰であるのだが、まだ常識を失っていない良い奴ではあるのだ。

 

「ちょっと何やってるの? コンポ借りて来たからそろそろ練習始めるわよー!」

 

 黒いスーツを纏った理子が、白くて大きいCDコンポを2つ抱えて出入り口から入ってきた。そして何故か後ろには派手な金襴褞袍を纏い、片手に煙管を持った歌舞伎役者もついていた。

 言うまでもなくアサシンである。

 

「あっアサシンさん、ちっす」

「こんにちは!」

「おー元気してるか。野郎どもはかなり女装が見れるもんになったな」

 

 一回ダンスを教えに(?)来ただけなのに、妙に馴染んでいるのはアサシンの馴染み力かそれともクラスメイトの順応が早いからなのか。

 一成を見つけたアサシンは、にやにや笑いながら手を振った。

 

「お前も今日は変装してんだな。まーあんまり変装じゃねえんだろうけど」

「まーな!」

 

 今の一成の恰好は、狩衣に烏帽子、浅沓(あさぐつ)というまるで平安貴族のようないでたちだった。狩衣は水色に臥蝶丸(ふせちょうまる)の柄で涼しげであるが、そもそも長袖長ズボンなので涼しくはない。

 前回は体操服にジャージでダンスをしていたが、多少は本番に近い状態で練習しておかねば、いざ本番で予期せぬミスをしかねない。ただ狩衣は一度汚すと洗うのがかなり面倒であり、一人で着ることも不可能な代物なので、これまで学校に置いていたものの、着ることはしなかった。

 

「よっしみんな配置につけ! 踊るぞ~! こっちはJudas組~!」

 

 クオリティの大分上がった女装が板についてきた委員長桜田が音頭を取り、レディーガガの「Judas」担当の面々がぞろぞろと並び始めた。

 カッコイイダンスナンバーなのだが、元のダンスの難易度が高いために元々自信がある者、体育で成績のいい者が担当だ。

 

 他に踊るのは定番曲でもあるマイケルジャクソンの「Bad」と、妖怪ウオッチの「妖怪体操第一」。ちなみに一成はBadと妖怪体操第一に割り振りである。前回は妖怪ウォッチの練習を行ったので、今回は「Judas」と「Bad」に分かれて振付の確認を行うことになっている。

 

 理子は「judas」担当で、率先して体育館のラインを目印にして、誰はどこだと指示をしている。踊るメンバーは十人ほどで、理子がセンターでV字にならんだ。

 

 

「んじゃあ俺たちもやるか~Bad組~」

 

 残ったもう一方のコンポを取り、Judas担当の面々から距離を置いて一成が先導した。あらかじめBad組の音頭を取ってくれと桜田から頼まれていたのだが、そもそもクラスに委員会メンバーが二人いるのだから手分けしろと後から思った。

 しかし理子曰く「女子からやれって騒ぐよりも、男子に一人協力的なのがいた方がいいでしょ」と、妙に冷静なお言葉を戴き、一成はそれに従っているのであった。

 

「おい土御門~おまえちゃんと振付覚えてんのかよ~」

「ん~~大体……多分……」

 

 一成が山田に生返事を返していると、リズミカルな洋楽が始まった。すでにJudas組は合わせ練習を始めていた。

 別の場所のコンセントを見つけ、コンポを降ろすと一成は周囲を見回した。

 

「よっしbad組もはじめっか~」

 

 

 

 

 

「……まあ合わせ一発目ならこんなもんなんじゃねえの?」

 

 アサシンは体育館にウンコ坐りをして、冷静な眼差しで体育館に大の字になる一成とそのクラスメイトたちを眺めていた。

 真夏の体育館が暑くないわけあるだろうか、いやない。高温多湿の空間で一時間近くダンスをしていてはふつうそうなる。狩衣をぐしゃぐしゃにした一成は、やっぱり狩衣はしばらくやめておこうと思いつつ、大きく息を吐いた。

 

「なによりも振付がアヤフヤな人が多いわ。練習不足よ」

 

 床にペタンと腰を下ろし、どこから持ってきたのか持ちこんだのか、優雅にオレンジジュースを飲んでいるキリエはにべもなく言った。

 確かに彼女の言う通り、こういう学校行事では生徒によって意気込みがマリアナ海溝とエベレスト程に差があるものだ。こういうダンスという目立つ役割に振られるタイプの高校生は、学校行事に積極的な傾向はあるものの傾向は傾向。

 氷空など仲のいい桜田や一成がこちらだから流れで女装ダンス組になっていたが、そうでもなければどう考えても裏方である。

 

 一成自身も、ダンスは苦手ではないものの、最近の春日異変の方に心を取られていて熱心に練習していたとは言い難い。元々先陣を切って学校行事に張り切る質ではないが、今回ばかりは委員長になった桜田に引きずられて積極的な立ち位置になっている。

 これでは他のクラスメイトの手本にもならない。

 

「……こっちも真面目にやっか……」

「カズナリ、あなた動き自体は悪くないのだから振付をマシになさい。ミツル・ソラ、あなたはもっと手足をピシっと伸ばせば格好よくなるわ」

「ハイキリエタン!」

 

 氷空がはあはあと息を荒げているのは、ダンスで疲弊しているからではない気がするが突っ込むのはよしておこうと、心の中で一成は呟いた。具体的な変態行為にでているわけでもなし。

 

 それにしてもキリエは良く見ているというか、お嬢様でバレエなどのダンスは知っているのかなかなかに具体的なアドバイスをしている。

 アサシンもbad組のみならずJudas組のダンスも見学しており、クラスメイトをからかいつつもアドバイスをしていた。

 ちなみに、アルトリアは見学ではなく、今日休みのメンバーの穴埋め代打として一緒に踊っていた。振りの記憶は間に合っていなかったが、動きのキレが明らかに人間の高校生ではないのであえて温いダンスをしてほしいと思う。

 

 それから小休止を挟み、もう一時間ほど(こんどはペースを落として)ダンス練習をして今回はお開きとなった。各々振付の確認をすることを宿題に、解散の運びとなったのである。

 クラスメイトがおのおの荷物をまとめ、さっさと更衣室へ向かう中、さて一成はこれからどうするかとふと考えた。先に碓氷邸に行かせたアーチャーを追いかけて行こうと思うのだが、どう理子と合流したものか。と、いきなり背中を叩かれた。

 

「一成氏、キリエタンと一緒に遊びに行こう。海浜公園のアヒルボートに乗ろう」

「突然に話が具体的だなオイ!」

 

 顔がゆるみまくった氷空満と、その隣にキリエが何故か自信満々な笑顔で立っていた。どうせキリエがそういえばあれに乗ったことがないと言いだして、ロリコンの氷空が二返事で了解したのだろう。

 

「いやお前らで行けばいいんじゃね? 兄妹に見えるだろ」

「文脈を読んでくれ一成氏。一緒に行こう」

 

 ロリコンであっても自分の友達であり、氷空がロリコンという名の紳士であることは承知している一成である。二人だけで出かけさせても、キリエが酷い目に合うことはないと思う。

 それにキリエは一流の魔術師でもある。もしやキリエが一緒について来てほしいと思っているのか、と考えたが、キリエは平気で氷空と手を繋いでいてご機嫌でそういうわけでもないらしい。しかし、氷空が真顔で言った。

 

「君が思っている通り俺はロリコンではなくただの紳士だが、他人がそう思ってくれるとは限らない。だけど俺が呼吸を荒くしていても君が普通の顔をしていればまだごまかせる」

「誤魔化せるって発言自体どうなんだよ……」

 

 前言撤回しようかな。一成は脱力しながら項垂れた。

 しかし自分もこれからどうしようか考えていたところでもあるし、折角だからついていくのも悪くない。

 

「つか桜田は?」

「桜田も誘うか。あいつはチャラいがキリエタンは俺が護る」

「ええ、良いエスコートを期待するわ。ミツル・ソラ」

「アイキャンドゥーイット。この命に懸けても」

 

 なんかもうどこからツッコめばいいのか対応に困るが、キリエが楽しそうだからよしとする。

 しかし、聖杯戦争中は自分にしつこくエスコートしろと言ってきた割に、今や誰にでもエスコートを求めるあたり少々寂しいというか、良く手を繋いでいたのは自分であったのにと、一成は少々悔しくも思う。

 

「……いやいや、俺はロリコンじゃねえから」

「何!? 一成氏も同胞か!?」

「違ぇよ!! つかお前、暗に今ロリコンって認めたな!?」

「カズナリ」

「!? アルトリアさん!?」

 

 この暑い体育館の中でも汗ひとつかかない(サーヴァント)黒スーツのアルトリアが、いつものトーンで声をかけた。

 

「私はお先に失礼しますね。春日のことも、アキラの様子も気になるので」

 

 最後の方は聞かれないように小声だった。一成は素早く頷く。

 

「もう何を話しているの! カズナリもミツル・ソラも着替えるのでしょう? 早く行きましょう!」

 

 気付けば、体育館には一成たち以外誰もいなかった。普通、冷房もかからない体育館にン長々と居たいものではないから当然である。

 荷物を全部更衣室に置いてきた一成は、そのまますたすたと氷空たちの先に立って歩こうとしたが――汗で湿った狩衣の袖が、何者かに後ろから引っ張られた。

 

「うおっ!?」

「もう、いつまでたってもカズナリは未熟者ね」

 

 振り返った先には、差し出された手。左手は氷空にとつないでいるが、空いた右手が伸ばされている。

 

「……おう」

 

 そっとその手を握り返す。正直、大分キリエに慣らされているとは思うものの、悪い心地はしない。一成は短い返事だけして、三人連れ立って歩き始めた。

 



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昼③ 宿泊旅行・拡大の巻

 その時、来客を教えるベルの音が響いた。

 丁度リビングで読書していた明は「アーチャーとランサーだ」と呟いた。彼女に拒む様子はなさそうなので、同じくリビングで本を読んでいたヤマトタケルは、しぶしぶ出迎えに玄関から出る。

 むわっとした熱気と共に強い日差しに晒され、サーヴァントの身ながら目が眩むようであった。

 

 庭を挟んだ門の外に、ワイシャツとスーツのズボンを纏ったアーチャーに、TシャツGパンのランサーが立っている。珍しい組み合わせである。

 

「何の用だ」

「我がマスターの名代として来たまでじゃ。春日の異変について情報交換に参った」

「儂は途中でアーチャーに行きあってな。咲が調査は碓氷に任せておけというからあまり噛んでなかったが、経緯は気になっていた」

 

 ランサーとは比較的気があうヤマトタケルであるが、アーチャーとはいまも犬猿に近い仲だ。アーチャーは素知らぬ風を吹かせて、さっさと中に入れてくれという顔をしている。まあ、明が否まない以上自分の判断で断ることもしないのだが。

 

「二人とも入れ」

 

 アルトリアには今まさに休んでいろと言ったばかりのため、代わりに明・ヤマトタケルが話すことになった。暑いため紅茶ではなく、作り置きの冷たい麦茶を供した。

 

 古い掛け時計が静かに時を刻む中、リビングのソファにて明とヤマトタケル、アーチャーとランサーで向き合う。

 

「なんと、もうひとりのヤマトタケルとは……!それまた戦いがいがありそうな」

「呑気なことを申すな。知らぬマスターとサーヴァント、春日からは出られぬ、別のヤマトタケル、湧き出でる黒い狼。事態は混迷する一方ではないか」

 

 アーチャーはざっくりと昨日の巡回で起きた出来事を報告し、溜息をついた。明の方はアーチャーからの報告を意外に思わなかったようで、顔色を変えなかった。

 

「そこで管理者、碓氷の姫よ。われらはハルカとキャスターを調べているが、奴らの拠点を知らぬと思うてな。何か手がかりでもあれば教えてほしいのだが」

「う~ん……」

 

 明は腕を組み、唸った。「ごめん。私もハルカの拠点はわからない……というか、場所はわかるんだけど認識ができなくて入れない。多分、結界が張られてる。それもベラボーに高度な。だから、結界の外に出た彼らを捕まえる方がまだ早い」

 

 アーチャーは肩をすくめて、出された麦茶に手を付けた。

 

「ふむ。しかしそれとは別に碓氷の姫に聞きたいのだが――そなた、目的は観察か、それとも魔術実験か? 虚数空間に固有結界を展開して、いったい何をしようとしているのかのう」

「? それは何の話だ、アーチャー」

 

 素で反応をしたランサー以外、明とヤマトタケルの空気が、本人が意図するとせざるとにかかわらず重くなった。ヤマトタケルは直感で、アーチャーがカマをかけているのだろうと思った。

 彼も彼で春日を調査しているとはいえ、ライダーに聞いたのではないかぎり、その答えは出てこない。そしてライダーは、答えを言わない。

 

 問われた明は、しばらく沈黙したあと観念したように溜息をついた。

 

「……ひょっとしてカマかけてる? もう、どっちでもいいけど。でも知っていいことなんか、何もないよ。それでも聞く?」

 

 いつもの気合の入らない声でありながらも、明の声は覚悟のようなものに満ちていた。たとえばこれから法廷に上り、どんな糾弾でも受けて立つというような覚悟である。

 

「セイバーのマスター、意味が解らんぞ」

「……真凍咲は知らないのかな。いや……」

 

 現在の明の見立てでは、ライダー・影景・神父・咲は知りながらにして黙っている。この結界の創造主に近しいこちらのヤマトタケルも、薄々は感付いているのではないかと思っている。

 

「……もう一回言うけど、本当に面白い話じゃない。それでも聞く?」

 

 春日を統べる女魔術師の真面目な問いかけに、アーチャーとランサーは視線を鋭くした。だが彼らはの場所からは動こうとせず、彼女の言葉の続きを聞きたいと、態度で示していた。

 

 ランサーはこれ以上問わず、麦茶を一気に飲み干すと太い声で言った。

 

「……そこまで聞いて帰れはしないな。儂らが英霊として召喚される奇跡さえ起こるのだ。大抵のことでは驚かんぞ」

「……知見を得ることすなわち幸せとは限らぬ。私としてはあまり聞きたくもないのであるが」

 

 ズボンの尻ポケットに挟まれていた扇子が取り出され、鮮やかに開かれた。

 

「我が愚かなマスターは、知るまで止まりはせぬじゃろう。ならばそのサーヴァントたる私が知らないままではすむまいよ」

 

 口元を広げた扇子で隠し、再び大きなため息をつくアーチャー。どうせ良い話ではないことは最初から知っていると、顔で伝えている。

 

 明は聖杯戦争を共に戦った、土御門一成のことを思い出す。

 聖杯戦争の中で、彼を欺いたことは一度もない。だが、ことここに置いては虚言を弄した。進んでウソはついていないが、「調査中」「わからない」という言葉を多用して誤魔化していた。

 

 そして褒められたことではない自覚があるから、セイバー――ヤマトタケルとアルトリアにも、事実を伏せてここまでやってきた。

 

 国を/大切な人を護ろうとしてきた彼らから、正論を聞きたくはなかった。

 

 

「そうだよ。ここは虚数の海に揺蕩う、造られた春日。虚数空間の中に造られた結界の中」

 

 どこでこんなことになってしまったのか。何も告げずに穏やかな終わりが来ればいいと願っていたが、土台無理な話だった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

「暑いわ!」

「そうだな」

「そりゃな」

「夏だからねキリエタン」

 

 上から順に、キリエ、一成、桜田、氷空の順である。更衣室で桜田を捕まえた一成たちだが、経緯を説明したところ(多分興味本位で)桜田もキリエのスワンボート初体験についていくことになった。

 思えば生まれてこの方、一成と氷空はスワンボートに乗ったことがなかった。家族旅行で家族と乗るのでもなければ、確かに乗るタイミングもない物体ではある。

 一人で乗っているのをクラスメイトに目撃されたら心配をされるかもしれない。ちなみに桜田は「元カノと乗ったことがある」という強者だった。

 

 それはともかく、三人組とキリエは学校から徒歩で春日海浜公園に向かい、汗をかきかき件の池に到着していた。

 池の縁にスワンボートや手漕ぎボートが並んでいる。池では数台のスワンボートが水上を滑っているが、手漕ぎボートは一台も使われていない。残念ながら景勝地などではないため、公園の池は少し緑がかって透明感には乏しい。

 

 今日も燦燦と照る太陽の真下にある春日だが、水辺周辺は心持涼しく感じる。まあ、暑いものは暑いのだが。

 

「よし、じゃあ乗るか。キリエちゃんはスワンボートでいいんだな」

「ええ」

 

 ボートがずらっと並んでいる先に、プレハブ小屋が立っている。そこで料金を払うことで、ボートに乗れる。受付のお爺さん曰く、三十分千円とのことだった。

 気候を考え、あまり長く乗っていると熱中症にもなりそうなので、三十分で一成が料金を払った。

 

 奇しくもキリエと同じく麦わら帽子を装着したお爺さんに案内され、岸に繋がれたスワンボートを示された。前二席、後ろ二席の四人用で、前席の中央にハンドルがついている。足元にはそれぞれペダルがあり、皆でせっせと漕いで前進するよくあるスタイルだ。

 

 どう考えてもキリエは誰にも似ておらず、うち一人ははあはあと興奮しているのだが、お爺さんは呑気に「妹さんかい?」と聞いてくれた。一成たちは曖昧に返事をしたが、全く会話を聞いていないキリエは早くも一人、前の席に乗り込んでいた。

 

「早く来なさい! 私は大海原、というには流石に狭いけれど、漕ぎ出したいわ!」

「はいはいお姫様」

 

 早くもキリエに慣れた様子の桜田は、キリエの真後ろに坐った。氷空はキリエの隣に座りたがったが、そうすると彼女の写真を撮りまくって完全に前方不注意になるので無理に桜田の隣に押し込んだ。

 そして消去法で一成がキリエの隣となる。キリエは既にそわそわしながら、ハンドルをぺたぺた触っている。

 

「お前が運転してもいいぞ」

「ふぅん、私は普通、召使いに運転させるのだけれど……たまには殿方のように運転するのも良いわね。……カズナリ、ミツル・ソラ、マサヨシ・サクラダ、出発よ!」

「「「あいあいさー」」」

 

 完全に召使い役となった三人組は、足元のペダルをせっせと漕ぐ肉体労働に従事するのである。

 

 屋根があるだけよいが、日差しは燦燦とスワンボート内にも差し込む。すでにそれなりに日焼けをしている一成や桜田、ついでに氷空はいいとしても、キリエも日焼けしてしまうのではないか。

 いや、焼けないで赤くなって終わるタイプだろうか。

 

 公園内に生い茂る樹木からは、じわじわと蝉の鳴き声が漏れている。

 

 ボートはハンドルを小さく切るだけでもかなり方向が変ってしまうようで、慣れないキリエ運転手のハンドルさばきで岸に激突したり、数少ない他の客のスワンボートに激突したりしていた。

 だが徐々に感覚を掴んできたようで、とりあえず何かにぶつかることはなくなってきた――単に、池の縁辺りを避けていっただけともいう。

 

 きらきら、ぎらぎらと光を反射する水面。角度と場所によってはとても眩しい。せっせとペダルを踏む男三人衆は、そこまで激しい運動をしているわけでもないのに、輪をかけて汗だくになりつある。

 

「キリエタンこっち向いて~!」

「はーい」

「元気だなオメーはよォ!」

 

 たぶんペダル漕ぎのせいだけではない原因で息を切らせている氷空に、キリエは華やかなスマイルで振り返る。流石に氷空ほど激写しようとは思わないが、一緒に写真を撮ったことがないのは惜しいと、一成は思った。

 

(榊原あたりに取ってもらうかなあ)

 

 理子のことを思い出したついでに、一成の思考は春日の異変に流れた。刑事は現場百回、というし、アーチャーの聞き込み結果を踏まえて今夜も春日の調査をするつもりである。

 すると、若干ペダル漕ぎに飽きたらしい桜田が後ろから少し身を乗り出してきた。

 

「っていうか今までなぁなぁに流してきたけどよ、一成とキリエちゃんって一体何の関係? ほんとに親戚?」

 

 そこはなぁなぁで流し続けてくれないか、桜田。一成が陰陽師の家柄であることは学年では有名な事実であり、その神秘&オカルトイメージからなんとなく「そういうこともあるのか」と、キリエ親戚説は受け止められている。

 

「だってアインツベルンだろ? ドイツ人みたいだなーって思って」

 

 くそう鋭いじゃねえか。キリエはドイツ生まれのドイツ育ちだ。

 ただ城から出ないために一般のドイツ人ともかけ離れている。

 

「……俺の家の親戚じゃねーんだ。ホントは碓氷の親戚で、それから仲良くなったんだよ」

「キリエちゃん、そうなのか」

「ならそういうことにしておこうかしら。まあ、一成は私の従者なのだけれどね」

「うらやましい……!」

 

 桜田は従者発言を真に受けず、氷空は歯ぎしりを上げていた。桜田自身も深く問い詰める気はないようで、話をかえた。

 

「けどお前、最近美人の知り合い増えすぎじゃねえ? 碓氷さんだろ、キリエちゃんだろ、あと駅前で金髪の巨乳美人や赤い髪の巨乳美人と一緒にいたって話も聞いたし、茶髪の女子中学生? と一緒にいたって話も聞いたぞ」

 

 それと同じくらい、男の得体の知れない知り合い――パンツを振り回す青年とか、やたらツキまくってる人生絶頂系中年男性とか、総白髪でダンスパフォーマンスする青年とか、オールウェイズエブリウェア隈取の歌舞伎役者とか、プロデューサー業に精を出すエセ神父とかもろもろ――も増えているのだが、桜田の眼には女子の方がフォーカスされているらしい。よくわかります。

 

「……まあ、色々あったんだよ」

「そういえばアキラで思い出したけれど、宿泊会はアキラも私も参加するわ。アキラにメールを返してもらったはずだけど、届いていて?」

「バッ……!」

 

 一成が慌てるも、時すでに遅し。キリエはきょとんとした顔を向けてくるだけだが、後ろの桜田と氷空は世紀末のような……いや、聖飢魔Ⅱのような形相をしていた。

 

「一成氏……俺はお前を信じて来たのに……!」

「話の流れ的に、そのアキラ、って、碓氷さんちのお姉さんのことだろ……お前……」

「おい! 変にガチっぽい誤解をするな!」

「さ、さんぴー……」

「ちょっと黙れロリコン!」

「どうしたのかしら?」

 

 針の筵と化した一成のことはどこ吹く風、キリエは愛らしく小首を傾げている。「ああっキリエタンナイスショット」氷空はカメラのシャッターから指を放さないわグダグダである。

 しかし宿泊会のことを黙っているわけにはいかず、一成は詳細を白状するハメになった。

 

 炎天下であることもあり、三十分に満たない時間でスワンボートを元の係留所の所にまで戻し、余人は近くの自販機でペットボトルを買って木陰で休むことにした。

 四人仲良く並んでベンチにすわり、宿泊会の話を一成から根ほり葉ほり聞いていた。キリエはもう詳細を知っているため、優雅にポカリを味わっている。

 

「へえ、お前が最近碓氷さんと知り合って、その碓氷さんの知り合いと大勢でスーパー銭湯で宿泊会……と」

「そう! だから俺がキリエや碓氷と三人だけで泊まるわけじゃねえの!」

「なんだ、よくわかんねえけど楽しそうだな」

 

 温泉は一成から言い出しておいてなんだが、ぶっちゃけプランはあまり考えていない。施設には卓球やエアホッケー台、ゲーセンも備わっており、宴会みたいなことをしたあとはそれぞれ勝手に遊ぶなり話し込むなりするだろうと思うからだ。

 むしろ面子的にみんなで何かを一緒にする、というのは考えにくい。

 

「あら、じゃあマサヨシ・サクラダやミツル・ソラも来る? あなたたちにとっては初対面の人間が多いと思うけど、それでよければ」

「うぇえ!? キリエェ!?」

 

 キリエからそんなことを切りだすとは予想だにしなかった一成は、妙な声を上げた。いきなりあの強烈な面子の中に放り込まれて楽しいのか……と心配したが、案外この二人ならそこそこ馴染んでいるような気もする。

 

「マジで? 俺行きたいわ、いつ?」

「一成氏もいるし、キリエタンもいるのなら」

 

 そして予想に違わず、ノリノリの同級生である。聖杯戦争の面子で集まるとはいえ、魔術向きの話をしたいわけでもないし、まあいいかと一成は思った。

 一言、メールで友人も来ると連絡すれば済む話だろう。金額についても、二人なら商品券でカバーが効くと思われるし、若干足りなくなっても数千円を桜田たちに負担してもらう程度だろう。

 

 キリエは今日碓氷邸に宿泊するつもりのようで、碓氷邸は海浜公園から南に位置している。

 そして一成たちは春日駅に行くため、北へ向かう。一成はキリエを碓氷邸まで送ろうかと申し出たが、心配はいらないとあっさり断られた。

 今は真昼間で、危ない輩もいないだろうと思われるので、一成はおとなしく受け入れた。

 

 公園の入り口でキリエと別れ、男子高校生三人組は汗を拭き拭き、春日駅へと向かう。一成は一度家に帰るつもりだが、どっちにしろ春日駅方向だ。

 

 平日の昼間で、人影はそこそこ。流石に海浜公園だけあって、先ほどの公園には遊ぶ親子や小学生の姿も見かけられたが、住宅街は静かなものだ。

 公園よりは控えめだが、ここでも蝉の鳴き声が聞こえた。

 

「ハァ……良いキリエタンでした……一成氏、もっと早く紹介してくれればよかったのに」

「……」

 

 普通、知り合いの少女(見た目は)を、自分の学校に連れてくることはしないと思う。氷空が人畜無害系のロリコンであることを信じてはいたので、決して彼を避けてキリエを連れてきたくなかったのではないのだ。

 

「でもお泊り会なんていつ振り……いや、一成の家にはわりと泊まるからとくに久しぶりでもなかったな」

「ただクラスメイトと別の場所で宿泊するのは修学旅行くらいだろ」

 

 既に気持ちの悪い口調は去っていたが、氷空はデジカメに山ほど記録の残ったキリエの姿をニヤニヤしながら眺めている。

 見た目は非常にキモいが、人畜無害である。

 

「あとでお前らにも詳細ラインするわ」

「おう。そういや明日もダンスの練習だからちゃんと振付確認して来いよ。特に一成!」

 

 桜田は一成を指さして、真面目な顔つきで言う。彼も進んで文化祭実行委員になったわけではないわりに真面目に取り組んでいる。

 

「お、おう」

 

 すみません春日の異変に気を取られてすっかり忘れていましたとは言えない。一成は少したじろぎながらも頷いた。

 

「けど最近は本当に少女が豊作で俺は幸せだ。死期が近いのかもしれない。今日はキリエタン、昨日はシグマタン。死期が近いというよりここが天国なのかもしれない」

「ブゥッ!!」

 

 余っていたポカリを飲んでいた一成は、それを見事に噴出した。霧吹きのようにポカリを散らして思い切りせき込んだ。

 今ありえない人物の口からありえない人物名を聞いた気がする。

 

「……そ、氷空、シグマタンって……」

「ああ、昨日であった少女だ。彼女は非常に珍しいタイプで、見た目は美しい女性だが中身は純粋無垢という、グロテスクですらある生粋の少女だった。写真もあるが見るか?」

 

 キリエだらけのデジカメを操作して、一成と桜田に見せた一枚は、麦わら帽子をかぶった金髪碧眼の美女――シグマ・アスガードと同じく麦わら帽子の氷空満が、何故かカブトムシの入った籠と網を手にしている写真だった。

 

 日本に留学しに来た女性が、現地の高校生と楽しく異文化交流している――そんな朗らかな写真に見えるが、一成には友人の身が気になってしかたがない。

 

「え、これ一成の知り合いのお姉さんじゃねーの?」

「何!? 一成氏、キリエタンだけでなくシグマタンとも知り合いだったのか!とんだ少女ハンターだな! うらやましいこと山の如し」

「変な汚名を着せるな! つか氷空、お前シグマと何してたんだよ!?」

「? 見ての通り、一緒に自然公園へカブトムシを取りに行った。会ったのは昨日、春日駅で「カブトムシの取り方を教えてくれ」って聞かれた」

 

 いや、本当に何をしているんだシグマ・アスガード。

 魔術にでも使う気なのか、カブトムシを。

 

「小学生みてーなことしてんな。あ~でもうらやましいな……氷空お前ロリ専門じゃなかったのかよ」

「前にも言っただろう。大事なのは魂がロリ……じゃなかった少女かどうかだ。肉体はどうでもいいのだ。しかし現実には大人の肉体に魂が少女というのは極めてまれだからな……そういう意味ではシグマタンは稀有な存在だ。逆に言えばキリエタンもまた稀有でな……少女であるにも拘らず、貫録のある少女と言うか……」

 

 わかるようなわからないことを大真面目に言う氷空に、桜田はどうでもよさそうな顔をしていたが、一成としては少々聞き流せないコメントだった。

 貫録のある少女――少女歴二十年を超えるキリエを表す言葉としては間違いとも言い切れない。

 

「ふーん、お前ロリコンなだけじゃなくて大人のお姉さんも好きだったんだな。何か安心したわ」

「桜田貴様、何を聞いていたァ!」

 

 ……まあ、見る限り氷空は通常運転でおかしなところは見られない。常に若干可笑しいし。しかしシグマ・アスガードは一体何をしているのか。

 悟のアパートに転がり込み、アサシンと酒を飲み、カブトムシを取って暮らしている。春日の異変について調べる中でも、彼女については何のかかわりも見いだせていない。

 

「……オーイ氷空、あんまシグマには関わらない方がいいぞ」

「彼女にならもてあそばれても構わない」

 

 無駄にキメ顔で言わないでほしい。いや本当に外見だけならぜひシグマには弄んでほしいけれども。

 一成も原因を説明できないため、強くかかわるなとは言えないままだらだらと歩き続け、春日駅に到着してしまった。

 

 桜田と氷空は電車通学であり、春日市の隣市にある実家から通っている。二人とも今日はこのまま家に帰るようで、一成は春日駅で別れた。

 春日市から外には出られない――そのことが頭をよぎったが、引き留められない。そもそも、出られない現象は一成が知るよりも前から起きていて、それまでも友人二人は何事もなく春日に来ていた。

 

 だからきっと、明日も来る。

 

 

「……さて、俺はどうすっかな」

 

 今日はもう用事はない。宿題も理子の手伝いと自助努力で概ね片付いている――ちょうどいいからアーチャーのホテルに戻って、宿泊会での予定を真面目に考えるのも悪くない。

 いや、それよりも碓氷家に行かせたアーチャーの報告も聞きたいところだ。

 



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昼④ 真名

「ハルカ様! 土御門神社へ行きましょう」

 

 起床したハルカに対し、キャスターがいの一番に言ったことはそれだった。ベッドから起き上がったハルカは、相変わらず最悪の気分のまま、彼女を押しのけて立ち上がった。

 

 昨夜、自分の本当の状態を知り、シグマを倒すと意気込んだハルカであったが――教会の神父もその居場所を知らなかった。

 街を廻って、美玖川にてこの間のアーチャーとそのマスターらに遭遇するも、黒い狼に阻まれたときにキャスターに怒涛の勢いで引きずられて離脱することになった。

 そのままこの拠点へと帰還した。

 

 喩え今自分が元気に動けているのが、すべてこのキャスターの宝具のお陰だとしても、ならばせめて今の状態で、シグマを下さなければならない。

 宝具が解けたあと、本当に動けなくなってしまうのであれば。

 

「だから今のテンパったハルカ様で勝てるわけないんですから!」

 

 そのキャスターの言葉がきちんと頭に入ってくるようになっただけ、冷静になっていると自己評価している。だがその現実を理解したとて、今の自分に何もない事だけが身に染みて感じられるだけ。

 参加すらできないで敗れた、恥辱。己の愚かさ。

 

 そして嬉しくもない朝を迎えたとき、このような言葉でキャスターはハルカを迎えたのだ。

 

 朝といっても既に十時を回っている。早く起きて何をするという気持ちのハルカだったが、キャスターは今か今かと起きるのを待っていたようだった。

 

「……土御門神社……何故」

「私、まだハルカ様に言ってないことがあります」

「……それで、何故土御門神社なのです」

「私も、何もかもをわかっているんじゃないんです。多分、事をお伝えする補助をしてくれる方が来てくれるはず、なので」

「……」

 

 これ以上、何があると言うのか。ハルカは回らない頭のまま、曖昧に頷いた。

 

 何にしろ、これ以上状態が悪くなることもあるまい。再びベッドに横たわったハルカに向かい、キャスターがご飯食べますかとか早めに出かけて散歩しますかなどと、しきりに話しかけてきていたが、彼は答えず眼を瞑った。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 熊野村には、高倉下(たかくらじ)という男がいた。

 

 その人物が、彼に向かって一振りの太刀を差し出した。それはどこからみても、普通の剣ではなかった。

 およそ人を斬るとは思えない、長方形の刀身。刀身に刻まれた文字は彼にも誰にも読めなかった。高倉下曰く、夢に天照大神、高木神(たかぎのかみ)が現れこの剣を降ろしてきたという。

 

 これは神が下した――今よりも昔、神がこの国を平定した剣。

 

 だがそのような謂れよりももっと早く、雷に撃たれたような衝撃と共に彼は全てを理解した。

 

 ――嗚呼、公は神だったのだ。

 

 己が身が天照大神より五代を経て、かつ母と祖母は竜でもあり天神のみならず地祇からも大いなる加護を受けていることを、彼は生まれながらに知っていた。

 だが、それは自分だけではなく兄たちも同様だ。

 

 それでも、兄と自分の間には何か深い断絶がある。

 兄たちは死んでも、自分だけは生き残らなければならないと言う使命。

 

 その原因、その正体をかの断絶剣を手にしたときに知った。

 

 

 ――俺は建御雷神なのだ。

 

 建御雷命(たけみかづちのみこと)。神産みの際、伊弉諾(いざなぎ)が子の加具土命(カグツチ)十束剣(とつかのつるぎ)で切り殺した際に飛び散った血液から生まれた一柱。

 天照大神の要請に応じ、天鳥船と共に葦原中国を平定した雷神であり戦神。己はそれだと、彼は分かってしまったのだ。

 

 もちろん、彼は建御雷神そのものではない。天照大神から僅か五代のその体に、建御雷神の一人格を移したのだ。

 なぜそのようなことを天津神はしたのか――その理由も今や明白である。

 

 神代と人世の狭間。天津神の血統が薄れ行くことを恐れた天津神々は、葦原中国が神の手を離れる前に、天津神の血を引くものがこの地を統べる国を建てることを急いだのだ。

 

 そこで白羽の矢が立てられたのが、国譲りの実績を持つ建御雷神だった。

 しかし神代離れつつある今、彼ほどの神霊が直接降臨することはもう不可能であったがゆえに、天津神の血を通じてその一人格を移して生を受けさせた。

 それが彼の正体だった。

 

 ゆえに、生まれつき使命を帯びて生まれた彼が東に向かい、我が国を建てようとするのは至極当然のことだった。

 

 おそらく天津神々は、彼が自分の正体に気づいた時、その使命を天命と知り、ますますその使命に向かってまい進すると思ったのだろう。

 だが、彼は己が建御雷命の一人格(アルターエゴ)だと知っても、使命を知ってもそうは思わなかった。

 

 何故東に向かいたいのかという欲望に答えはもたらされたが、天津神々の目的は彼にとって面白くもなんともなかった。

 その上、己が天津神の一部であると自覚し、断絶の剣を受け取った彼には、この旅の結末がはっきりとわかっていた。

 まだ多くの犠牲を払いながらも、多くの悪神を殺しながら、天津神の子孫の国を確立する。

 

 己が人間として葦原国の初代天皇として、穏やかに生を終えるその時も。

 兄たちは、ただ彼を東に進めるための駒として、天津神が配置したことも。

 自らの正体を知って彼が抱いたのは、神々に対する反感だった。

 

 

 貴様ら、何様だ――?

 

 

 今を生きる人間にとって、天津神の国ができようができまいがどうでもいいことだ。

 それを神々の都合だけで造って壊して、兄のような生きざまを刻める人間を適当に殺し、高天原でのうのうと過ごしている。

 あまつさえ、自分がその神々の一人だと思うと吐き気がする。

 

 ――俺は、建御雷命であったな?ならば、

 

 男は剣を差し出した格好のままの高倉下が、いぶかしげな眼で自分を見ていることに気づいてはいたが何も言わなかった。

 体を押して勢いよく立ちあがり、剣を肩にかついで大股で屋敷から出て行った。

 

 この剣は、ふつ、という切断の擬音がそのまま剣の銘となった、世界の概念も断絶する剣である。

 葦原国を始めた剣。その剣をもってすれば、神の空想具現だろうと毒気だろうと、世界ごと切り裂いて雲散霧消させることができる。

 

 彼は表向き、熊野の毒気を払うために剣をとって一人深い森へと戻ったのだが――。

 

 天津神の考える、天孫の国を葦原国の王朝とする考え――筑紫から陣を刻み、大和を終着点とし、霊脈を組み替えて外様なる神秘を駆逐する大儀式――は、とても彼一代では成し遂げられるものではない。

 彼の建国は第一歩であり、周辺にはびこる悪神やまつろわぬ者どもを服従させるには、人として転生した彼一人の寿命では足りない。

 

 悪神どもを討伐しつくすためには、おそらく次なる神の剣が必要になるだろう。

 

 そうしてまた、兄のようにその道半ばで倒れる運命になる者も――。

 

 それが可能であるのは今のうち――あまりに時が経ち過ぎると神代と神々は、完全に世界の裏側に行かざるを得なくなる。

 結局彼がなにもしなくても、神代は時がたてば、葦原国には手出しできなくなるのだが――。

 

「ならば、いま終わらせてやる。神などいなくても、人は生きるのだ」

 

 ヒトでないなら、この神剣解放は彼にも可能である。

 そう、今この場で剣を以て――神代との繋がりを断絶し、神命も神の告げも届かぬ世界に早送りしてしまおう。

 

 周囲は鬱蒼とした森で、人の気配はない。時間の感覚も狂う中で、彼は静かに呟いた。

 

開闢(ひら)け」

 

 長方の剣が震え、薄明りを帯びる。彼とて、それが神々の意に沿わぬことは知っている。

 

 己の中の建御雷神である部分が、それをしてはならぬと騒ぎ立てていることは百も承知。

 神の国と人の国を断ち切ることは、彼に与えられた使命が完全に破却されることを意味する。

 

「――天地神明! 天地開闢! 断絶し開闢せよ――」

 

 与えられたこの剣は、断絶にして開闢。終わりを終わらせ、始まりを始める剣。

 一度彼がこの剣を本気で振るえば、高天原――天津神の国とこの秋津島を完全に断ち切る事さえもできた。

 

 当初、天津神は自らの正体に気づいた彼が発奮して国を盛り立てることを想定していたのだから、神の国と人の国を断ち切る暴挙にでるとは想像してすらいなかった。

 

 神代から残り続ける濃いエーテルごと切り裂き、時代を一気に進める。神代とともにあった巫女や神落としの術は零落し、神秘は千年以上も未来も同然となる。

 神々に葦原国に手出しはさせまいとしたが――彼はそこで手を止めた。

 

 そこで彼は、やっと自分の異変に気付いた。

 自分は元々神々なのだから、神々に反感を抱くのはおかしい。

 そもそも、建御雷は高天原の意向に反そうと思ったことなど一度もなく、今もないのに――。

 

(ならばこの、神々の意向に反感を抱いたのは、いったい誰だ?)

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 じわじわと、喧しく蝉が鳴いていた。日も傾き始めた頃合いの土御門神社、境内――生い茂った木々によって造られる木陰により、直射日光さえ避ければ比較的暑さはマシだった。

 丘の上にある神社のため、平地よりも風が通ることもその一因である。

 

 吹き抜ける風になびくは、ポニーテールの白髪。夏にも関わらず白い羽織に和服という季節はずれな衣装に身を包む赤眼の男――ライダーは賽銭箱の上に堂堂と座り、何故か数少ない参拝客に相対していた。

 

「――なにやってんの、アンタ」

「おや、バーサーカーのマスターか。お前こそ如何した。トイレはこの本殿を裏手にまっわったところだ」

「ありがとうございます! あの、KAMI NO TSURUGIですよね?」

「うむ」

「あの、握手してもらってもいいですか」

 

 ライダーは鷹揚に頷くと、参拝にきた男女のカップルの両方と固い握手を交わした。二人とてもにこやかにライダーに礼を言って、腕を組んで裏手へと向かった。

 あの参拝客もこのライダーに違和感はないのだろうか。真夏に羽織に総白髪の若者など怪しさ満点である。……というか、ファンか。制服姿の咲は胡乱な目つきのまま、ライダーに近付いた。

 

「ん? 私のシングルCDではないか。さてはファンだな?」

「違うっ! 何であなた、こんなの配って売ってんの? 私の友達でもライダーのこと知ってるんだけど」

 

 咲のクラスでも、春日駅前や公民館でゲリラ的にライブをしているライダーのことは噂になっていた。ライダーの日本人離れした風貌、そして歌はうまいため、咲の友人にも妙にァンがいる。そして布教のため、彼女はその友人からCDを「あげる!」といって押し付けられたのである。

 それに、最近最寄りのスーパーにいくと、店内BGMがライダーの曲だったりしている。どういう影響力だ。

 

「何で売っているかだと? 趣味だ」

「……」

 

 これはもう関わるはよした方がよさそうだと顔に書いて、咲は口を閉じた。「フフ、今の世では公の知名度は第二次世界大戦前ほどではない。だが今この春日においてKAMI NO TSURUGIとしてうなぎのぼりよ。ところで草、学校帰りかなにかか」

「……そうよ。友達があなたにハマってるから、何よからぬことをしようとしているのかと思って様子を見に来たの」

「で、お前から見た結果はどうか」

「変なことはしてた」

 

 喧しい蝉の鳴き声は続いていた。奥に行ったカップルが戻ってくる気配はない。何か――魔術師の気配を感じた。石階段をゆっくりと登ってくる気配。

 敵意は感じないが、知らない気配である。咲が気づいていることを、ライダーが気づかぬはずはない。

 ライダーの表情をそっと窺うと、その赤い眼はじっとこちらを見返していた。

 

「来客だ。いたければ草、お前もここにいるがいい。聞きたくなければ、去って耳を塞げ」

 

 ランサーから報告を受けていた、聖杯戦争を続けているとかいうキャスターとマスター。状況と気配から、いま来ようとしているのはその二人だろう。

 咲は、春日の異変に興味はったけれど、知りたいとは思わなかった。この微妙な気持ちを汲んでくれたのか、バーサーカーは何一つ言わない(元々喋れないけれど)。

 

 最近、咲は苦しい夢を見る。いつも体が重くて、息をするのも苦しくて、おまけに痛くて、父と母はどこにもいなくて、ただバーサーカーだけがいつも傍にいてくれる。

 

 血に染まった、春日総合病――。血臭と、死臭と、噎せ返るような熱気。

 

 

「――長兄であれば、聖杯戦争に召喚されうるかもしれない」

 

 咲は、ライダーの声で我に返った。そして鳥居の方向に向けば、金髪の青年と黒髪の少女が並んで佇んでいた。その様子は友好的には程遠く、殺伐としていながら、何かに諦めたような退廃的な雰囲気が漂っていた。

 ライダーは彼等に向かい、本題の前の枕とばかりに、呑気に語っている。

 

「だが次兄と三兄はありえない。それは編纂事象のお前と同じで、死んではいないからだ」

 

 神武天皇の兄である稲飯命(いないいのみこと)三毛入野命(みけいりののみこと)は、荒れて進軍できない海に向けて「父は天津神・母は海神なのに何故進めないのか」と憤慨し、入水したとされる。

 

 ――その話はどこか、日本武尊伝説の弟橘媛と似ていないだろうか。

 

「編纂事象のお前と我が兄たちは同じだ。己の身を以て神霊となし、世界を操る。ただ弟橘媛と違ったのは時代だ。公のころはまだ、常世郷に歩いて行けたからな。兄も当初は戻ってくるつもりだったのかもしれん」

 

 あの度し難い兄だからわからんが、とライダーは愉快そうに笑った。

 

「我が兄は元気か、()橘媛」

「――」

 

 参拝客――もとい、キャスター・弟橘媛とハルカ・エーデルフェルトは硬い面もちのまま、ライダーに対峙していた。ライダーの問いかけには答えない。

 

「……貴方はどのようにこの世界を終わらせるつもりですか」

「異なことを。ここを作ったのはお前だろう。それに仮初とはいえ人生だ。自分の終わりくらい自分で決めたらどうだ」

「キャスター、彼は……」

 

 キャスターの「事情をきちんと説明したい」という言葉のままに連れられてきたハルカには、事の次第が呑み込めない。

 目の前の男が尋常ならざるサーヴァントであることは認識しているが、あたかもキャスターと彼は知り合いのようであるのが不思議である。

 

 それに、「世界を終わらせる」とは。

 

「――ハルカ様、私は、貴方にまだお話していないことがあります。わざわざここまで来ていただいたのは、ライダー(スメラミコト)もいらっしゃった方が、私も把握できなかったことが把握できると思ったからです」

 

 ざわざわと、吹き抜ける風に木々が木の葉を揺らがせていた。

 日本の夏に弱いハルカだが、木々に囲まれた神社は比較的過ごしやすく感じていた。いつもはふざけていることの多いキャスターも、今は真面目な顔をしていた。

 

「……正直、話さなくても問題ないかな~とか、結構ごまかしききそうだし? 思ってたんですが……なんかこのままいくと、どうせすべてが明るみに出てしまいそうなので……」

「キャスター」

「ヒッすみません! 悪気とかそういうのはないんです!!」

 

 ハルカは半ばあきれながらもキャスターを睨みつけた。もうすでに自分の身体がボロボロの死に体であること以上に悪いことなどあるものかと、先を促した。

 ハルカとしても、ここまで中途半端に事情を知った状態でごまかされるのでは堪らない。それに自分の現状を解決するにも、状況は正しく知っておかねばならないと思う。

 

 ……知ったところでどうする、という気持ちを呑み込んだまま。

 

 キャスターは、ハルカに向き直った。

 

「……本来『弟橘媛』はこのシステムの召喚式では呼ばれません。人として死を迎えていない以上、座に登録がないのですから」

「……じゃあ、貴方は誰なのですか」

「『弟橘媛』は走水で入水し、神霊の一端となった。私は走水で入水したものの、神霊の一端とはならず――そのままおめおめと生きながらえてしまった弟橘媛です」

 

 走水の海で、海神の怒りを収めるために我が身を捧げて入水した弟橘媛。

 彼女は海神の妻となり――神霊の一端となり、人として二度と日本武尊の元に戻ることはなかった。

 

 しかし『常陸風土記』に曰く。

 日本武尊は、走水で入水したはずの弟橘媛と再会している。その彼女は、海亀に助けられ生きて帰ることができ、常陸国でお互いの無事を喜んだとされる。

 

 弟橘媛の生きた時代、未来を・過去を・並行世界を垣間見る巫女のいた時代――彼らは、剪定された世界の記録も残していた。

 神代を過ぎ去らりきらない古い時代から残され、長い時を経ても人々の記憶に残り続けた記録は、本来は消されたはずの事象の英雄を呼んだ。

 

 聖杯は過去・未来・並行世界からの英霊を呼ぶ。

 実際に生きていた彼らであれば、編纂事象ではなくとも英霊として呼ばれうる。編纂事象の弟橘媛の、皮を被り。

 

 そして『常陸風土記』に曰く。

 日本武尊は倭健天皇(ヤマトタケルノスメラミコト)となり、常陸を巡幸したとのこと。

 

「……私の真名は、()橘媛。景行天皇を弑逆(しいぎゃく)し、倭健天皇として即位した者の妻です」

 



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夜① この世界は何なのか―1

「はぁ~~飽きたわ」

 

 何の脈絡もなくそう呟いたのは、シグマ・アスガード。

 今やブラトップにジャージという、恐ろしく庶民的な格好に身を包んだ彼女は、六畳一間のアパートで大の字で転がった……つもりだったが、真ん中にちゃぶ台が置いてあるため無理で、ただのIの字だった。

 今も何故シグマがここに居座っているのか全く理解していない悟であるが、思った以上に彼女が無害に大人しく暮らしているため、この状態でもいいかと思ってしまいつつある。

 ただ妻子ある身で女性と暮らしているのはいかがなものかと常々思っているものの、アサシンがいてくれるためこれまた妥協している面があった。

 

「飽きたっていうのは、ここで暮らすことですか」

 

 コンビニのシャケ弁当をつつく悟は、言外に出て言っても全然いいんですよというニュアンスを漂わせていたが、生憎シグマには感知されなかった。

 

「ん~~ここじゃあ殺して食べたって、なかったことになっちゃうし、滅多にないことだから日常として普通の生活をエンジョイしようとしたけれど、雲を掴むようでわからないし。普通って何?」

 

 昨日はなぜか虫かごにカブトムシを捉えて帰ってくるなど、小学生の夏休みな生活をしているようでもある彼女から、いきなり殺伐とした言葉が出たことに悟は動揺した。

 

 忘れかけていたか、彼女は碓氷明に危険と言われる魔術師である。

 悟は同じくメンチカツ弁当をビールで流し込むアサシンに目線をやったが、アサシンは素知らぬ顔でテレビのバラエティ番組を眺めていた。

 

「アバズレ、普通なんて雲を掴むような話はやめとけよ。そいつぁ簡単に見えて嵌れば沼だ」

「ん~~そんな気はしてきたわ。随分、適当に言葉を使うのね。普通なんてかたちのないものに呪われてしまいそうね。……うん、やめた!」

 

 シグマは一人で頷き跳ね起きると、彼女の分用に取っておかれた酢豚弁当を開封しもさもさと食べ始めた。

 

「やることはやってしまったし。ライダーにさっさと終わらせてくれって……あれが私の言う事なんか聞くわけないわね」

 

 一人で百面相をしているシグマに、悟もアサシンもつっこまない。ここ数日、内容はもっと日常的ではあったが、シグマは一人で会話して一人で納得していることは日常茶飯事だった。

 アサシンと雑談していることもあるが、悟はいまいち彼女の話にはついていけず、結果として交わした言葉は少ない。

 

 噛んでいるどころか飲んでいるのではと思われる速さでシグマは弁当を平らげ、立ち上がって悟の家を出ていった。初日も今も、シグマの行動は悟には意味不明である。

 

「う~ん、彼女が何をしたいのかさっぱりわからないけど……。でも殺して食べても何にもならないとか、世界を終わらせるとか、なんか不穏だけど……アサシンは何か知ってるのかい?」

「あ? 聖杯戦争復活の絡みだよ。気になるなら今どうなってるか、碓氷の姉ちゃんに聞いてくるけどよ」

 

 アサシンは心底興味なさそうに答えたが、悟はそのアサシンの様子も気にかかる。そう、聖杯戦争が再開されたことは聞いているが、その状態がどうなっているのかは知らない。

 非力だがかつての参加者として気になるという以外にも、悟としても、何か、この平和な日常がどこか作り物見えて感じられる時がある。

 

 きっと気のせいに違いない、もしくは再開の影響下もしれないが……。

 

「うん。ちょっと気になるから聞いて来てもらってもいいか」

「わかった。適当にくつろいだ後に行ってくらあ」

 

 頼んだとはいえ、碓氷がアサシンに本当のことを伝えたとしても、またアサシンが悟に本当の事を言うかは怪しいと、悟自身が思っている。

 それはアサシンが欺こうとしているという意味ではない。聖杯戦争中も「お前は戦うべきじゃない」と言い続けた彼だからこそ、本当の危険から悟を遠ざけるために、事実を言わないのではないかという思いである。

 

(……やっぱり、俺も何かこの春日は変だって思ってるのかな)

 

 ――好奇心は猫を殺す。

 

 何となく、そんな言葉が脳裏をよぎった。悟はある決心を固めながら、ごろりと横になってビールを煽るアサシンの姿を眺めていた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 昼間、一成たちが学校で文化祭準備を行っている間、碓氷邸でアーチャーが明から話を聞いてきた。

 夕方のホテルで、一成たちがその話を聞いていた。

 

 それは俄かには信じがたい話であり、現に理子などは今でも信じていない素振りである。一成もまさかとは思っているが、碓氷明はいい加減な確信で話を広める人間ではない。

 そういうこともあるのかもしれないと、理子よりはずっと信じていた。

 

 しかし問題は、碓氷の話を受けて今日も春日の巡回を行うかどうかである。当初一成たちは異変の究明のために巡回を行っていたが、今や「原因究明」の意味はなくなってしまった。

 強いて言えば、明の見解を誤りだと仮定して真の異変原因究明をすることだが、管理者よりも正確な調査が一成たちにできる見込みはない。

 

 となれば、もう一成たちがすることは何もない。

 大人しく残された日常を享受するのが、普通の在り方であろう。

 

 しかし今一成、アーチャー、ついで理子は昨夜と同様に夜の春日に立っていた。つまり今日も春日の巡回を行う腹積もりなのだ。

 ホテル春日イノセントのロビーから出た三人組は、今日も賑々しい春日駅前を眺めていた。

 

「やはりそなた、アホよな」

「お前基本スタイルがディスりだよな……」

「いやいや、言葉尻は悪口になってしまったが褒めておるのだ。アホでなければここまでピンピンしていられるかよ」

「……あんた、現実感がないからケロっとしてるだけじゃないの?」

 

 暗い面もちの理子に険を含んだ言葉で言われ、一成は言葉に詰まる。

 

「……うーん、そうかもしれない。でももしそうなら、現実感があったほうがいいだろ」

「そこがアホじゃと言うておるのだ。これ以上関わって、楽しい現実感を得られるわけでもあるまいに」

「死ぬなら死ぬで、実感があった方がいいだろ」

「……ハァ、カジュアルに末恐ろしいヤツじゃ。しかしマスターがすると言うのなら、しがないサーヴァントたる私は従うしかないのう」

「……私も、本当に信じてるわけじゃないし、先は気になるから付き合うわよ」

 

 一成は二人に付き合うことを強要してはいないが、二人は一成に付き合ってやるかという心持であった。

 

 さて、仮に原因究明は無意味として彼らがしようとしていることは何か。

 

 気にかかることは二つ。キャスターと、もうひとりのヤマトタケル。

 碓氷明も全てを解明して理解しているのではない。もうひとりのヤマトタケルはキャスターに使役される存在となれば、彼らを探し出して問い質すこと。

 

 そして、キャスターの目的は明も気になっている――ということで、明とヤマトタケルは、今夜キャスターに会いに行くという。

 

 一成だけでなく、明にもハルカたちの拠点は掴めていないという。場所はわかるが、超高度な認識阻害の結界がかかっており、行っても拠点を認識できないという。

 だがしかし、その阻害は拠点から出れば効果を喪い、彼らは並みのサーヴァントとマスターとなり探すことができる。

 そして明は期せずしてキャスター探知機を手に入れていた。

 

『真神三号』。アルトリアとヤマトタケルに拾われた、正真正銘ただの犬。

 だが理子の使い魔である真神と動物会話で意思疎通し、一度サーヴァントとしてのキャスターにも見えたこともある真神の記憶を頼りに「キャスター」――かつての主人の奥方の気配を追尾できるという。犬らしく言えば嗅覚だが、厳密には真神はキャスターの魔力の痕跡を追っているそうだ。

 

 この話を聞いても、まだやる気があるなら夜九時に碓氷邸に。

 それが明からの伝言だった。

 

 残る謎がこれだけであるならば、それを明らかにしにいこう。

 まだ眠るには早すぎる。

 

 

 

 *

 

 

 

 昼間のライダーとの会談からそのまま――キャスターとハルカは、お互いに一言も交わさぬままだった。とっぷりと日が暮れ、土御門神社は闇に包まれていた。

 仄明るい灯籠は風情あるものの、今の彼らに楽しむ余裕はなかった。

 

 熱中症を気にして、途中キャスターがコンビニに行く一幕はあったものの、彼らはずっと、土御門神社内のベンチに腰かけたままだった。

 

 キャスターはハルカがショックを受けるであろうことは予想していたため、どう慰めるべきかどう謝るべきかを一応考えていたのだが、それも吹き飛んでしまっていた。

 

 生前()からポンコツで、肝心なところで間違えてしまう。

 

 今更何を言っても無駄だ。でも、ハルカを助けたかった気持ちに嘘はない。

 助けを求められたから、助けようと思った。ただ、それだけ。

 

 二人は一メートルの間を開けて、ベンチに腰かけている。陽もくれて――キャスターはおずおずと、話しかけた。

 

「……あの、ハルカ様……大丈夫ですか」

 

 ハルカは答えない。答えがないことが恐ろしく、キャスターはただ待つしかできなかった。たっぷり間を置いて反ってきたのは、恐ろしく低い、落ち込んだ声音だった。

 

「……最初から何もかもが茶番だったのですね。世界も自分も何もかもが」

「……ハ、ハルカ様自体は本当に、ご本人を連れてくるつもり、だったんですけど!」

 

 今更、いくら言葉を弄しても意味はないだろう。謝るといっても、謝る筋合いなのかもキャスターにはよくわからなかった。

 

 その時、何を思ったのか――ハルカは勢いよく立ち上がった。

 

「……キャスター、その持っている食べ物を寄越しなさい」

「え? あ? ……は、はい」

 

 今日の朝以降、ハルカは食事をとっていない。先程コンビニに行ったとき、スポーツ飲料など水分に加え、腹ごしらえ用に菓子パンやおにぎりを買ってきたのだが、彼は手を付けていなかった。キャスターはあわてて袋ごと彼に手渡す。

 

 とにかく何かを食べようと思うことは、まだ意思があるということ。悪い事ではないと、キャスターは気を取り直して彼を見上げた。

 ハルカは力任せにビニールを破り、恐ろしい速さでそれらを平らげた。味わうには程遠い、完全なるエネルギー補給の感があった。

 

「……シグマを倒しに行きますよ」

「……えっ?」

「どうせ本当の春日では倒せないのなら、今ここにいるシグマだけでも倒します」

「……」

 

 その顔が、あまりにもいつも通り過ぎて。自分が本当は這う這うの体であることを知る前と変わらないことが、逆にキャスターには不安だった。

 絶望していないことを喜ぶべきなのか。それさえ、キャスターにはわからなかった。

 

「け、けど居場所に心当たりとか、あるんですか」

「それこちらの台詞です。あなたがこの世界を作ったのであれば、その中の物の位置くらい把握できないのですか」

「わ、私がやったのは作るまでで……。それ以降は動くがままというか。というか作るのに必死すぎて」

 

 ハルカはげんなりして溜息をついた。これは本当に足で探すしかない。

 やはりこの極東の地は、エーデルフェルトとは相性が悪いのか。

 

 いや、それを覆しに来た己でである――その誓いは、まだ胸にある。

 月は明るく、星は微か。たとえすべてが幻だとしても、その誓いを裏切るわけにはいかない。ハルカが振り返った。

 

「となれば、手掛かりはゼロです。望みは薄いですが――御雄にもう一度問い質してみましょう。教会に向かいます」

 



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夜② この世界は何なのか―2

 チッ、チッ、チッと、壁掛け時計が時を刻む音がいやに大きく響いていた。

 午前十時、碓氷邸に再訪したアーチャーと行きがけに出会ったランサーは、ヤマトタケルと明に迎えられた。多少話をしたがその後、明は、「午後にアルトリアも戻ってくるって電話あったから、それまで待ってもらってもいい?」と言った。

 

 アーチャーとランサーはおとなしく頷き、待つことにした。その間若干嫌そうな顔をしていたが、昼食担当のヤマトタケルが、明の命でさんまのかば焼きをこしらえてくれた。

 

 状況が状況なこととヤマトタケルとアーチャーが不仲なこともあり、会話は弾まなかった。午後十二時を回ったころ、黒スーツのアルトリアが帰ってきた。

 

「ただいま戻りました……これは、サンマのかば焼きですね!」

「アルトリアの分とってあるから、先に食べなよ。終わったら、リビングに来て」

 

 明のただならぬ様子を察したアルトリアは、食卓につくことを躊躇ったが、明の「急がなきゃダメなことでもないから食べな」の言葉で食事を選んだ。

 

 いつもはもう少し和気あいあいと……多少喧嘩もしつつも食事をすることが多いので、少々急いで一人で食べるというのは、おいしくとも味気なく感じるものだ。

 

 手早く昼食をとったアルトリアがリビングに顔を出すと、予想していた顔が揃っていた。空いていた明の隣のソファに腰かける。目の前にはアーチャー、ランサー、その隣にヤマトタケルが座っている。

 

 全員が場についてからも、明は暫く黙っていた。だが顔を上げた彼女から放たれた言葉は、驚くべき内容だったが、動揺をするものではなかった。

 

「ごめん、アルトリア。私はあなたのマスターじゃないし、一緒に聖杯戦争を戦ってもいないんだ」

「……」

 

 昨日の夜、休んでいた時にアーチャーから聞いた言葉。

 前は春日聖杯戦争にいなかった、という俄かには信じがたい事実。アーチャー一人が言うなら虚言と一笑に付したかもしれないが、己の記憶と、いましがたのマスターも同じことを告げている。

 

 アルトリアはやっと――信じがたくとも納得のいく答えに触れていた。

 

 名前も思い出せない、少年の記憶がある。

 があっても、起こったことをなかったことにしないと。

 たとえ在り方が人として壊れて/違っていても、理想を目指したことは間違いではないと。

 終わりが納得のいかないものでも――歩んだ軌跡を無にしないと、教えてくれた何者かがいる。

 

 その少年を捜してみたりもしたが、見つからなかった。自分が知っているくらいだから、間違いなく聖杯戦争関係者だと思ったのだが――。

 

 明が長く息を吐く音が聞こえ、アルトリアはふと彼女を見た。腹を決めたのか、落ち着いた顔をしていた。

 

「……長い話だけど、最後まで付き合ってほしい」

 

 

 

 *

 

 

 

「去年の十二月、春日聖杯戦争は私たちセイバー陣営による大聖杯の破壊で幕を下ろした。セイバーを含め全てのサーヴァントは消滅し、聖杯は壊れた。だけど、全てがなくなったわけじゃない。かつては神域の天才たちによって創られた大儀式のコピー。破壊はした。だけど解体・処理が終わったわけじゃなかった」

 

 冬木の聖杯戦争においても、大聖杯の解体そのものは第五次聖杯戦争終了後十年をおいて、時計塔のロードエルメロイ二世と冬木の管理者遠坂で実施されていた。

 もちろん春日においても碓氷家と――もしかしたら時計塔の某と――で、解体と処理を予定しているが、現状は壊して動きを止めたが、後始末が終わってない状態で放置されているのである。

 

 そして冬木にはなく春日にはあった特殊な事情――四神相応の地であり、かつ聖杯が満ちるまで三十年にわたり魔力が漏れ出ていたこともあり、壊されたまま放置された大聖杯魔法陣と相まって、聖杯戦争が疑似的に再開された。

 

 もちろん、壊れた魔法陣と魔力の残りかすで聖杯戦争ができるはずはない。それらが為し得るだろうことは魔力の汚染くらいで、大したことはないと思われていた。

 

 碓氷影景と碓氷明は当然この異変を早々に察知しており、大聖杯設置個所の監視をしていたところ、使い魔からの視覚によって魔力の異変を察知した。

 

 その確認をするため、碓氷明は土御門神社に足を運んだ。

 

 そこで彼女は、影を見つけた。

 何の影かはわからず、正体を確かめるために接近したが――それはサーヴァントのなりそこない。

 

 召喚の不首尾によって、サーヴァントになりきれなかった影だった。

 

 残留魔力と残った魔法陣だけで、サーヴァントの影が召喚されるとは思っていなかった。そもそも召喚者がいなければ、呼ばれない。もう聖杯の残骸に願いを叶える力はないのに、誰が何の目的で影を呼んだのか。

 

 しかし土御門境内に、人の気配は感じられなかった。マスター――召喚者はここにはいないのかもしれない。

 だが放っておいても消えるだろうが、見つけたからには始末しておくべきだろうと思い、明はシャドウサーヴァントの前に立ちはだかった。

 

「影とはいえサーヴァントもどきだからね。虚数空間送りにしようと思ったんだけど……」

 

 殺せなくても世界の外に追い出すことはできる。

 相手を虚数空間へと放逐する高度虚数魔術を用い、始末しようとしたが――。

 

「そのサーヴァント、残留魔力と壊れかけの魔法陣(大聖杯)から召喚されたのは本当だけど――召喚された時点で、聖杯そのものになっていた。残留魔力と聖杯の残滓は最期の力でサーヴァントを召喚し、そのサーヴァントと同化してしまった」

 

 もう願いを叶えるべくもない聖杯の残滓。しかし、残滓は願いを叶える力を持たなくとも、願いを叶える機構を残していた。

 そして、召喚されたサーヴァントが奇しくも残滓の機構を用いて、願いを叶えようとした。

 

「その結果として宝具は発現していた。サーヴァントが何を望んだかはわからない――襲ってきた私から身を守るために、宝具を使いたいと願ったのかもしれない」

 

 その宝具の名は『波の秀も遠き常世郷(うつしよとおきかくりよ)』。

 

「多分、本来は固有結界……のようなものだと思う。その固有結界に私は呑み込まれるより前に、私は相手を虚数空間に引きずり込んだ。だけどそれは先手にはなりきらなくて――結果として、虚数空間内に固有結界が展開されてしまった」

「待、待ってくださいアキラ。貴方はそのシャドウサーヴァントの固有結界に呑み込まれていますが、その、他の人々、いや、私たちサーヴァントは」

 

 通常、固有結界を展開する時には、対象の人物だけを取り込む。

 百歩譲って、この春日に生きる人全員を固有結界に取り込んだとしても、それでは説明のつかない人々がいる。

 

 明は、「全てのサーヴァントは消滅した」と言った。

 なら、ここにいるサーヴァントたちは。

 

「……私以外の人は、全員現実の人物じゃない。私とそのキャスター以外の全員は、この固有結界のようなものの一部。だからこの結界が消えれば、みんな消える」

「……固有結界という魔術は莫大な魔力を消費するうえ、世界が長時間の存在を許さないと聞きました」

 

 固有結界、またの名をリアリティ・マーブル。術者の心象風景をカタチにし、現実を侵食させて形成する結界の一つ。

 世界内の物理法則を独自に変えたり捩じりつぶしたりできる大魔術。だが自然の延長である精霊以外が固有結界を形成した場合、世界そのものが法則をねじ曲げられた異界を潰しにかかるため、維持には莫大なエネルギーが必要になる。また「世界を塗りつぶす」という性質上、「抑止力」からの修正も免れないため、展開・維持できる時間は個人では数分程度が限界である。

 

「普通はね。だけど結界が展開しているのは、虚数空間の中。世界も抑止力も動かない。ここなら楔となる虚数の術者がいて、魔力さえ足りれば、結界は永続する」

「……しかし、固有結界は術者の心象風景で、再現できるのは一つの世界だけでは? そのサーヴァントの心象風景は、この現代の春日なのですか」

「さっき、私は固有結界のようなもの(・・・・・)って言ったでしょ。多分、この結界は固有結界と空想具現化の中間の性質を持つと思う。そして術者――サーヴァントを思えば、それもわからなくはない。海に身を捧げる――海神の妻となることは、死ぬというより人間をやめること。精霊とか神霊とか、星の触覚に連なるものになること。元々空想具現化はそれらの操る力だからね」

 

 空想具現化は、自己の意思を世界と直結させ、範囲は局所的ながら因果に干渉して、その望む空間になる確率を意図的に取捨選択し、世界を思い描く通りの環境に変貌させる異界創造法の一つ。

 だが自然現象の一種でしかないので、変貌させられるのは自然のみで、機械や人間を変貌させることはできない。しかし自然現象のため、固有結界のように世界や抑止の修正力を受けないために長持ちする。

 

 まとめると固有結界は一つの風景しか具現化できない・だがその風景は自由・世界と抑止力の修正を受け長持ちしない。

 空想具現化は自然しか操れない・だが自然にかぎりどんな世界も作れる・世界と抑止力の制限を受けない。両方とも自由でありながら制限のある異界創造法である。

 

「……この結界は固有結界でありながら、固定の心象風景を持たない。結界を想像する際に、自己と世界を繋げて自然の空間情報を得ているけど、それは情報として得ているだけ。あとはその情報をもとに、固有結界として創り上げている。もしその自然に付け加えたいものがあれば、自分の想像力で都度付加していく……」

 

 土台は固有結界だが、必要な心象風景をその都度作成する特異な固有結界。

 敢えて名をつけるとしたら「現実」を「空想と異なる現実の混合物」で上書きする――混合結界(アマルガム・ファンタズム)か。

 

「空想具現化と固有結界の折衷だけど、いいとこどりじゃない。むしろ中途半端。元々異界創造自体人間ではなく神霊や精霊の力。その都度色々な世界を作り出すことはあまりに困難だから、固有結界は一つの心象風景に限られているんだ。一時でも現実を押し潰すほどに強固な心象などそうホイホイつくれない。英霊(サーヴァント)でも固有結界を宝具にする人物はいるけど、大抵その人物にとってとても印象深い人生の場面だからね」

 

 平安貴族の頂点の、約束された栄華の月。

 赤い暴君の、招き揺蕩う黄金劇場。

 征服王の、王の軍勢。

 

 ――これほどまでに人生に刻みつけられた場面(モノ)でなければ、世界を塗り替えることはできない。

 

「だから混合結界を用いても、普通は確率干渉した世界を固有結界として展開する、ことになると思う。だけどあのサーヴァントは聖杯と同化していて――ということは、お父様が聖杯に付随させた春日自動観測装置の存在も知っていた可能性がある。とすれば、それを元に春日を、春日の人々を全て再生した混合結界を作成することもできる」

 

 碓氷影景が春日調査・把握の効率化のために設置した春日自動観測装置に残る「ありとあらゆる春日の記録」を以て、春日を再生する。

 自分で想像する労力はなしで、ある時点の春日を固有結界内に生み出す。

 

「……春日の外に出られないのではなく、春日の外がない話は前に聞きたのう。春日自動観測装置に残っているのは春日の記録だけ。他のところは作成しようにも情報がないからできない」

 

 明の言葉を受けて、アーチャーは呟いた。自分が現実に存在していたモノではないことはショックといえばショックであるが、すでに英霊となりサーヴァントなっている己はどうでもいいのだ。

 問題は、今を生きる、マスターたち。

 

「セイバーやアーチャー、ランサーは確かに春日聖杯戦争にいた。だけど、アルトリアは春日聖杯戦争にはいなかった。だけど、きっと冬木の聖杯戦争には参加していたんだと思う。聖杯と一体化したサーヴァントがこの世界を作った時、記録に残っていたあなたも一緒に再生されてしまった。今ある記憶はつじつま合わせ――あなたの本当のマスターは、冬木にいた誰か」

 

 俄かには信じがたい話ではあったが、アルトリアには明が嘘をついているようには思えなかった。

 そもそも、こんなタチの悪い嘘をつく彼女ではなかった――いや、この記憶さえも結界を作ったサーヴァントにねつ造されたものだろうか。

 

 しかし、明との戦いの記憶と共に、おぼろげな記憶に底にある少年の姿は決して消えない。奥底にあるこの儚い記憶を自分は尊いと思い、また目の前の明はその記憶を否定しない。

 それだけで、偽りのマスターであったとしても――明を信じることは、間違いでないと思う。

 

「……わかりました。それでもあなたは、今は私のマスターです」

 

 真っ直ぐに吐かれたかつて王だった少女の言葉は、痛みを伴いながらも明にしみ込んだ。有り難く思うと同時に、ずっと言えないでいた――むしろ、できることならば言わずに終えた方がよかったのではないかという思いがあった。

 

「……しかし、それを受けてどうするべきでしょうか。明が言うには、そのサーヴァントの魔力が尽きぬ限り、またそのサーヴァントがこの世界の存続を願うかぎりここは続くのでは」

 

 たとえ自分が造られたものであっても、これまで生きた記憶は体にはっきりと根付いている。この世界が続いても、誰にも迷惑は掛からない。

 ならばこの閉じた虚数の孤島にて、安閑とした日々を続けることもできるのではないか。

 

 ただ、それが良きことなのか――アルトリアには疑問がある。

 

「……そうだね。魔力の量だけなら年は持つ。だけど」

 

 明は複雑な面持ちのまま続ける。「聖杯の魔力は穢れている。それは冬木のなんだけど、コピーである春日聖杯も同じ。その聖杯と同化したサーヴァントが、この世全ての悪という呪いに耐えられる器なのか――そんなサーヴァント、そうそういない。普通のサーヴァントなら、呪いに耐え切れずに性質を変えてしまう。そうしたらこの世界にも悪影響が出るはず」

「というと」

「……召喚に応じたサーヴァントがこの世全ての悪を浄化できる。耐えられるほどの傑物という説もあるけど、これはない。だから他の誰かが、呪いを肩代わりしている。それが、あのもうひとりのヤマトタケル。アヴェンジャー」

 

 彼はキャスターが意図的に呼び出したサーヴァントか否かはわからないが、あれ自体はキャスターの意向通りに動いていると見るべきだ。

 日本屈指の神代の英霊、ヤマトタケルの器で呪いを耐えさせている。

 

「それでも、この世全ての悪を抱え込み続けることはできない。いずれ閾値を超える。そのときこの世界は呪いに溢れて、消滅する。タイムリミットは今日を除いて、あと三日」

「その数字はどこから」

「……お父様があと五日で事態を究明しろ、って言ってたでしょ。それにお父様はもう把握しているからこそ、明確に五日って言ったんだと思う」

 

 あと三日でこの結界――世界は終わるだろう。

 たとえこの世界が終わっても、本物の世界は全く別のところにあり、何ら異常もなく、世はなべてこともなし。

 

 だって、ここがニセモノで、ここが想像の世界なのだから。

 

 聖杯の残り滓から呼ばれたサーヴァント/マスターの、苦し紛れの、末期の夢なのだから。

 

「……ここの終わりを防ぐ手立てはないのか?」事態を把握するのはやっとという顔つきで、ランサーは問うた。

「……ない。ここを続けようというのなら、汚染された魔力を元の無色に戻すしかない」

 無色のものは、一滴の墨汁で真っ黒に染まる。

 だが、一度染まってしまったものを元に戻すには、遥かに時間と手間がかかる。

 

 それはかつて、ライダーが行おうとして見事に失敗した事柄でもある。

 

 アルトリアは、全てを話し切った明をじっと見据えた。元々サーヴァントは死したもの、英霊の座にある力のコピーでもある。

 それに彼女自身、既に生前の未練を乗り切った身であり、今の自分が消えることに衝撃はない。それは、アーチャーもヤマトタケルも同様のはず。

 

「今のことを知っているのは、アキラと、エーケーと……」

「ここにいる三人と、キリエも知っている」

 

 この結界に呑み込まれたばかりの明は、流石に動揺した。

 何か攻撃が飛んでくるかと思いきや、いきなり真夜中から真昼間の春日にいたのだから。当事者であるため、固有結界と虚数空間についてはすぐに察しがついたが、ここがどのような春日かまではわからない。

 

 ち物を確認した末に見つけたスマホ。その中にあった、知らない連絡先――「アルトリア」「ヤマトタケル」。

 おそるおそる連絡を取るところから、状況把握を始めたという。こっそり碓氷邸に戻ろうとしたが、イギリスにいる設定になっているのにアルトリアらに見つかってはまずいと一回ゼロダイブで試したのみ。

 

 そして「イギリスから帰ってきた」体で正面から碓氷邸に戻ってきたときには、おおよそ絡繰りを把握していた。

 キリエに話してしまったのは、「イギリスにいる」体になっている間にこっそり春日を歩き回っていた時キリエに発見されてしまったからである。

 

 ただサーヴァント勢はともかく、一成やその友人にとっては受け入れがたい話であろう。

 明の話によれば、この世界が終わってからも生きているのは明とそのサーヴァント、キャスターだけだ。しかし今までの話で、おそらく敢えて避けていたのか、聞かれるのを待っているのか、明が説明していない点がある。

 

 今まで沈黙を守っていたヤマトタケルは、やっと口を開いた。

 

「……一つ聞きたい。この結界は固有結界に近く、世界や抑止の力を受ける。だがここは虚数空間だからその力を受けず、結界が続けられていると言ったな」

 

 それは、つまり。

 

「もしお前がこの世界を許容しなければ、すぐさま終わっていたはずだ。虚数使いである明があってこそ、この世界は存在をゆるされていた」

 

 ヤマトタケルは強い眼差しだったが、決して明を責めていなかった。明に悪気があって事を成しているとは思っていない。

 それでもこの世界を担ってしまい左右する存在として、自分を生み出したものの一つとして、ヤマトタケルは問うていた。

 

「……お前はにとって、ここは望ましい世界だったのか」

「……そうだねえ……」

 

 ――否定のしようも、なかった。最初は事故だった。

 偶然だった。だからカラクリに気づいた時点で、さっさとこんな世界は否定すべきだった。きっと碓氷明(・・・)ならそうしている。

 

 だけど――二度と会えないはずの人たちが、平和に、呑気に暮らしている。

 たとえ仮初でも、そんな世界があったらいいなあと夢想していたものが、目の前に広がっていた。

 

 たとえすぐに終わるとしても、その世界で生きてみたかった。

 全てが消え去ったあとで、この世界を覚えている者が自分しかいなくなることを知っても、自分さえすぐに消え失せるとしても、生きてみたかった。

 

 そう思ったのなら、その事実を自分だけが知ったまま、今のようにアルトリアやヤマトタケルには真実を何一つ告げずに消滅を待つべきだった。

 

 彼らは何も知らずに消える方が、よっぽど幸せであったことかと思う。

 結局は自分が重荷に耐えられなくなっただけ。

 すぐに世界を否定するならよかったが、暮らすうちに生命を感じてしまう。

 

 恐ろしくなるに決まっている。でも碓氷明なら……。

 

「……迷惑かけてごめんね」

「迷惑だと思ったことはない」

「私もじゃ。だが、この話を一成たちにすべきかどうかは微妙じゃの」

 

 今を生きる一成たちに「お前はニセモノでこの結界の一部で、本物の一成は虚数空間の外の世界で元気に生きています」と言ったところで受け入れられるまい。

 そして、あと三日で消えるなどと。

 

 ただ隠したところで、アーチャーが己の裏切りを自覚したように――一成もまた、その記憶を持っている。

 記録装置の記録からここに再作成され、偽の記憶を上書きされているのだろうが、元の記録が消されたわけではない以上、誤魔化すのは苦しい。

 

「ふむ、となるとライダーの発言もまことだったわけよな」

 

 ライダーは「公にはどうにもできない」と言った。ライダーも「結界の一部」である以上、結界の消滅とともに彼もまた消える。

 彼の宝具は「世界を斬る」ものであり、終わりを早めることしかできない。

 

 壁掛け時計の時を刻む音が、やたらと大きい。明は大きく息をついてから、顔を上げた。

 

「……私にもどうにもできない。だけど知りたいことは、まだある。私はこの結界主、キャスターに会いたい」

 

 そう。まだ明も、何故キャスターがこの結界を構築したのか――当初は明の攻撃から逃れるためだったとしても、今も続けているのは何故なのかを、知らない。

 

 聖杯戦争を行うにしても、どうにも結界が中途半端であることも気になる。

 今となっては、知りたいものはもう原因だけ。

 知っても、結界を救えやしない。

 

「……今日の夜、キャスターに会いに行く。百パーセントじゃないけど、多分見つけられると思う。真神三号がいるからね」

 



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夜③ 世界を造った者たち

 暗闇に覆われた春日、その中の碓氷邸。

 

 明はアーチャーに告げた通り、キャスターを追うために、一成たちを待つために庭に出ていた。蒸し暑さはいつもの通り、夏の春日の夜そのもの。

 うっかりすると、明でさえ本当にここが結界の中であること忘れそうになる。

 

 結界内であって碓氷邸は春日の拠点であるため、アルトリアには留守居を頼んであるので、彼女は屋敷の中だ。一緒に待つヤマトタケルも終始無言で、明も気詰まりだ。

 セイバーヤマトタケルが無表情なのは今に始まったことではないが、彼の考えていることがこれほどわからないのも久々だった。

 

「? 雁首そろえてなにやってんだお前ら」

「!? アサシン!?」

 

 碓氷邸を取り囲むブロック塀の上にのって、首をかしげているのは金襴褞袍を纏ったいつものアサシンだった。

 庭でただずっと突っ立っている明とセイバーを見て不審に思うのは当然である――明らの雰囲気が決して明るくないことも、不審の一因だろう。

 

「……何しに来たの?」

「おう。ホラ、聖杯戦争が再開したって話だったろ。何か進展あったら教えてもらおうと思ってな」

「……」

 

 基本、一般人の悟の家に間借りしているアサシンは、それは一成のようにぐいぐい首を突っ込んでこないために事情にも疎い。それでも一応心にかけていたのか、それともアーチャーやアルトリアのように、彼自身も気になる何かがあったのか。

 

 既に知っていることを他サーヴァントにも話した手前、アサシンにだけ隠す理由はない。

 

「シグマのやつに聞いてもよかったんだが、アイツはアイツで胡乱なところがあるだろ。ちゃんと姉ちゃんに聞いた方が確実だ」

「……? シグマがどこにいるか知ってるの?」

「あいつなら何でかしらねーが、悟の家で転がってるぜ? 今日はいねえけどな」

 

 明はその言葉に唖然とした。それならそうともっと早く教えてほしかったと言う気持ちに加え、アサシンの様子からして、シグマは誰にも害を与えることなくノホホンとやっていることに驚きを隠せない。

 

「……そう。まあいいや……私はこれから出かけるから、詳しい話は中にいるアルトリアから聞いて」

「おう。ところでどこ行くんだ?」

「まだわからない。一成たちも行くけど」

「なんだそりゃ。俺もついてくぜ」

「それはやめて。多分アルトリアの話を聞いてからじゃないとわからないこと、話すし」

 

 ブロック塀の上に乗ったままのアサシンは、じっと黙り込んで明の顔を見つめた。夜とはいえ碓氷邸には外灯が等間隔に並んでいるため、表情が読めないことはない。

 

「……わーったよ。留守番してら。姉ちゃん、あんま怖い顔すんなよ、死にそうだぜ」

 

 ひょいっと塀を乗り越えて屋敷内に入ったアサシンは、軽く手を振りながら自分の家のように、邸の玄関に向かった。彼が霊体化したとき、門の向こうから待ち人の姿が現れた。

 言うまでもなく、一成、アーチャー、理子の三人組である。彼等の表情も明るいとは言い難かった。

 

 明は指を鳴らすだけで門を開くと、彼らを招き入れた。一成は神主服、アーチャーは衣冠束帯、理子は春日には巫女服は持ってきていないのか、普通のパーカーと半ズボンだった。一成はなんと話しかけていいかわからない様子だ。

 

「よ、よう」

「よく来る気になったね」

「……ほんとう、なのか。俺たちが宝具……この結界の一部で、本物の俺は別にいるって」

「多分ね。そう考えるのが一番つじつまがあう。現実の春日の人間をつれてきたって理屈じゃ通じない部分が多すぎる。サーヴァントがいることだけじゃない。聖杯戦争で死んだはずの人間が、普通に生きてるし」

 

 ――己の握ったナイフが、神父の肉体を貫く感触。あまりにも生々しく思い出すことができるその記憶は、ウソだと言われるよりもずっと腑に落ちてしまった。

 そして、こちらは神父の記憶ほどの生々しさはないが、アーチャーが己の左腕を斬り落とした記憶。

 まだ自分は全てを思い出したわけではないと思うと、よりおぞましい記憶がまだ眠っているかと一成は不安になった。

 隣に立つのは、自分を裏切ったとかいうサーヴァント。

 

 アーチャーがケロッとした顔をしているのが腹立たしくもあったが、よそよそしくされるのも気詰まりで、何とも言えない気分だった。せめて何故彼が裏切り、どう自分は受け止めたのかくらいは思い出したい。

 

 そしてさらに、目の前に立つ馴染んだ姿の碓氷明は、本当に碓氷明なのか。

 

「……色々思い出してるみたいだけど、思い出しているってのは言葉として正しくないね。一成たちは、春日記録装置の記録を元に、都合の悪い部分を改竄して再生成された別バージョンって感じだから、その改竄部分が元々の記録と齟齬って馬脚を現しているってのが正しい。本来は死んでいる人、本来は居なかった人ほど、その齟齬は大きくなる」

 

 大体、この世界創造は色々と雑と明がぼやいた時に、顔を強張らせた理子が口を開いた。

 

「……碓氷」

「何?」

「あなたがその気になれば、この世界をすぐさま消せる……」

 

 楔である虚数使いの碓氷明が居るからこそ、固有結界は虚数空間にて保たれている。それはつまり、一成たち、今ここにいる春日の人々すべての命は、碓氷明の掌の上というわけだ。

 硬い表情の理子を見て、明は軽く笑った。

 

「今更そんなことしないよ。本当に不満なら、とっくの昔に消してるんだから」

 

 明は一同を見回し、溜息をつきながらも笑った。

 

「じゃあ、結界を作ったサーヴァントに会いに行こう。榊原さんが来るなら真神三号じゃなくて、一号の力でもよかったけど」

「ワン!」

 

 いつの間にか、明の足許には白い犬――真神一号と意思疎通する眷属がまとわりついていた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 ハルカとキャスターは、徒歩で教会裏の墓地を通りかかっていた。

 最初は教会に訪れたのだが、電気がすべて消され、人の気配がまるでなかった。神内御雄そのものがいなかった。

 

 完全に梨の礫となった彼等が移動がてら通りかかったのが裏の墓地だった。死者の名を刻んだ重々しい石が、整然と並んでいる。

 僅かに凪ぐ風が、ここが生きた世界だと感じさせる唯一だった。世界そのものが作り事である以上、生きたも死んだもないのだが。

 

 さて、神父が見つからない以上どうするべきか、とハルカが考えていると――墓地から、生者の気配どころか、複数の魔術師とサーヴァントの気配を察知した。

 

「……貴方たちは……」

 

 墓石と墓石の間に立つ、人の気配。殺意を感じなかったが、ハルカは警戒しながらゆっくりと墓地に足を踏み入れた。墓地に街灯はないが、月明かりで十分顔を把握できた。

 

 現れたのは、先日戦ったアーチャー――衣冠束帯の中年男性と、高校生とおぼしき男女二名。それに加え、初めて見るサーヴァントらしき精悍な男に、そのマスターと見えるすらりとした女性だった。

 その女性に、ハルカは古くも見覚えがあった。

 

「……もしかして、アキラ……?」

「……どうも、お久しぶりです、ハルカさん。碓氷明です」

「……大きく、なりましたね。私が碓氷邸にお邪魔したのはもう十年以上は前ですから、私のことは覚えていないでしょう」

 

 ハルカと面識と交流があるのは、明ではなく父影景である。十年以上前に、ハルカは影景に招かれてここ春日の地を踏んだことがある。その際に、まだ少女だった明とも出会っている。

 しかしハルカが碓氷邸に来たのはそれっきりで、明とは交流らしい交流はない。

 

 その明からも戦意のようなものは感じない。高校生と見える男女二人も、前回は気力のある顔つきをしていたが、今は複雑な――信じがたい事を知って呑み込めていない、そんな顔をしている。髪を二つに結った女子高生――榊原理子が尋ねた。

 

「……ハルカ・エーデルフェルトさん、でしたか。ここで何を」

「あなたがたこそ、何を」

「俺たちは……貴方たち、いや、キャスターを探していました」

「……? 何故彼女を」

 

 彼等は前に会った時も、最初はハルカと戦おうとはしなかった。今もサーヴァントを引き連れているとはいえ、戦意は見られない。ならば話をしに来た、情報収集をしに来たのだろう。

 

 ――もしや、彼らもこの春日がキャスターの宝具によって造られたものであることを知っている、または感付いているのか。

 だとしても、今更隠すことではない。

 

 明はハルカよりも奥、彼に隠れたキャスターを見据えていた。ハルカはそこで初めて振り返ったが、キャスターも嫌がってこそいないものの、色を失っていた。

 

「……キャスター、聞きたいことがある。この春日は、貴方が作ったもの。それは間違いない?」

「……そうです」

「何で作ったの?」

 

 ハルカには、今の状況が呑み込めない。

 何故碓氷明が、キャスターに問いを投げかけているのか。碓氷明とキャスター、二人は初めて出会うはずなのに、どこか知己のような雰囲気を感じる。

 

 しかし、それもそうだ。ハルカの知る限り二人は一度も出会っていないが――もしかしたらハルカの寝ている隙に出会っていたのかもしれないが――二人のどちらか失くして、この世界は成り立たない。

 既に結界の始まりを聞いたハルカには理解できる。

 

 結界の生み出し手であるキャスターと、修正力を受けない虚数空間を提供する碓氷明。2人が土御門神社で出会ったときから、この世界は始まった。

 

 明は、軽く手を振った。「ああ、いや……責めてるわけじゃないというか、私も共犯だし……。でも、理由を知りたかったから、ここに来たんだ。戦うためでもない」

 

「……この方……ハルカ様を助けるために、そうするしかないと思っただけです。私は、現実世界の春日の壊れた聖杯から召喚を受けました。編纂事象の弟橘媛の伝説の皮を戴いた、喪われた世界の弟橘媛である私が……」

 

 編纂事象の弟橘媛は、伝説は濃く今も受け継がれているが、魂は座に存在しない。今ここに呼ばれた者は、同じ弟橘媛でありながら、異なる世界の彼女である。

 

「今更です。分かりにくいので……私のことは、大橘媛とおよびください」

 

 聖杯の記録――聖杯戦争の最終局面、ライダー神武天皇とセイバー日本武尊の戦いにおいて破壊された宝具は、弟橘媛の櫛。

 その記録自体が触媒となって、異なる弟橘媛を呼んだ。

 

 編纂事象の弟橘媛は座に記録が存在しない――そして、剪定事象とはいえ「編纂事象の世界において記録が残る大橘媛」。「弟橘媛」は座に記録がなくても、神話がある。「物語」として信仰を得た、人々が思い描いた「弟橘媛」であれば現界もしえたかもしれないが――結果として、大橘媛が現界した。

 

「召喚は成った。でも、聖杯は壊れていた。私一人を呼ぶのが精いっぱいで、私すらも影でしかなくて。けれど、土御門神社で療養していたハルカ様が、私と契約してくれました。それで私はなんとか実体を保てていたのですが、ハルカ様の願いを叶えることはできなかった。現実のハルカ様は、まだ意識もなかったけれど……聖杯戦争をしたいとずっとおっしゃって、ずっと、そればかりを」

 

 今度こそ、誰かを助けない。かつては、助けられなかったから。

 だから今度こそ、命を賭して誰かを助けたいのだ。

 

「そんな時に、あなたは来た。碓氷明さん……土地の管理者であるあなたは、私を排除しようと。私は、私が消えることはどうでもよかったのです。でも、ハルカ様をこのまま放っておけない。とにかく、この場を凌ぐことを考えて……」

「聖杯の魔力を駆使して、とにもかくにも危機を脱しようとこの結界を創り上げた。そのタイミングと、私があなたを消そうとする虚数魔術のタイミングと奇跡的に被った」

 

 キャスターは浅く頷いた。今思い出しても、自分はあの時、必死だった。

 一度助けを求められたなら、今度こそ助けてみせると誓ったのだ。

 

 現実世界で明が神社にやってくるまで、影のキャスターはハルカの願いを叶えるべく試行錯誤していた。自分の宝具を使えば聖杯戦争時を再現した世界を構築できるが、長続きしない。

 早くしなければ、聖杯から穢れた魔力を得ている自分は正気さえも保てなくなる。

 

 そんなときに現れたのが、聖杯の残滓とサーヴァントを始末しに現れた碓氷明だった。

 

「……この結界も、急ごしらえなのでぐちゃぐちゃなんです。とにかく逃げなきゃって、でもハルカ様は聖杯戦争やりたいっていってたし、参考にできるのは碓氷さんの記憶装置だけで……」

 

 混合結界(アマルガム・ファンタズム)――固有結界と空想具現化の合いの子の力。もしより時間とまともな魔力があれば、もっと精緻に聖杯戦争を再現できたのだろう。だがしかし、急に迫られて創造も構想もうまく働かず――せっかくの神霊に等しき身となった力にしてはあまりにもお粗末な体たらくに、彼女自身も呆れた。

 

「だからサーヴァントはいるけど、みんな聖杯戦争は終わってるみたいな感じになってしまったんだね」

「……そうです。しかも、あなたをハルカ様から遠ざけるのに必死で、それには成功したけれど、ここにいるのは現実のハルカ様ですらなかった。その、土御門さんや榊原さんと同じ、記憶からの再生体」

 

 ここにいるハルカが再生体だとわかったのは、キャスターでさえ今日――正確に言えば、土御門神社でライダーも交えて真相を伝えたときだった。

 自分がキャスターの宝具なしでは動けない状態であることを信じようとしないハルカに信じさせるために、ずっとかけっぱなしであった宝具の使用をやめたのだ。

 

 そうしてハルカは身動きできなくなる――はずだったのだが、彼は普通に行動することができた。それこそ、彼が現実のモノではない証だった。

 

 現実のハルカは、今も土御門神社で眠っている。誰も救われはしない。

 ここでハルカが何をしても、現実にフィードバックされないのだ。

 

 明は話を聞き終えて、笑うことなく頷いた。自分はこの結界が消えても、しばらくは生き残る。結界の創造主で現実世界の聖杯の残滓から呼ばれたキャスターも、生き残るのではあるが……彼女の終わりを、宝具を思えば……。

 

 風もなく、他に人気もない。お互いの気配と息遣いだけがある、温い夏の夜。

 しかし空気は地の底よりも重い。ただ終わるにしても、すべてを了解してから終わるべきだと――今度はキャスターが尋ねる番だった。

 

「私からも聞きたいことがあります、明さん。私がここの存続を願ったように、何故貴方もここの存続を願ったのですか」

 

 碓氷明は、微笑む。「……楽しかったから。魔術師の碓氷明はこんなことしないけど、現実世界ではないのなら(ここが虚数世界なら)、違う碓氷明でもいいでしょう」

 

 ぴくりと、今まで黙っていたセイバーが顔を上げた。だが、彼はそれ以上の反応を見せない。

 他に聞くことはないかと、明が眼で促すと、キャスターはどこか居心地悪そうにした。

 

「――あと、ひとつだけ。とても恥ずかしいんですけど……」

「何?」

「私は、何でこんなに正気で元気はつらつなんでしょうか? 聖杯の魔力――呪われた其れをずっと使い続けているのに、何もないんです」

「……えっ? あの、アヴェンジャーのヤマトタケルは?」

 

 明をはじめ、キャスターとハルカ以外の面子は首を傾げた。

 アヴェンジャーは、自分は呪いの捌け口とされるために呼ばれたと言っていたではないか。だが、明たちの反応に、キャスターが訝る。

 

「はい?? え、えーっと、編纂事象のヤマトタケルさんはそちらに……」

「いやこっちのセイバーヤマトタケルじゃなくて、アヴェンジャーの。ここには二人ヤマトタケルがいる……って、知らないの? え? 何で?」

 

 ここに至り、キャスターが嘘をつく意味はないと思われる。

 とすれば、嘘をついていたのはアヴェンジャーということになる。今となっては、アヴェンジャーの目的だけが不明なのだ。

 明がアヴェンジャーを頭に想い描いていると、何かに思い至ったのか、キャスターが震えていた。

 

「……いや、まさかソンナー。……明さん、あの、アヴェンジャーさんには、どうやって会うことができますか?」

「……一応、あれから用があるときには使えって言われた鈴を持ってるけど、鳴らしても必ず来るわけじゃないよ」

 

 もう自分には不要だと思っている鳴らない黒い鈴を、明はポケットから取り出した。

 それをキャスターに手渡したとき、話は終わったと見做したらしいハルカが割って入った。

 

「あなたたち、シグマ・アスガードの居場所を知っていますか」

「シグマ? いや知らない……あ」

「何か知っているのですね」

 

 先程のアサシンの衝撃発言でシグマの居住地はわかったわけだが、そこは一般人の悟の家である。

 現実の聖杯戦争におけるシグマとハルカのいきさつを知る明は、ハルカが何をしようとしているのか薄ら察したが、見るからに殺気のある男をそのアパートへと行かせるのには気が進まなかった。

 

「私はシグマによって聖杯戦争に敗れました。しかし既に戦争が終わっていても、今からでも打ち負かさねばならないのです」

 

 その言葉に対して一成たちが浮かべていたのは、困惑だった。

 だってこの春日は造られたものであり、造られたものは街だけではないから。ここで彼女を倒しとして、覚えている者は誰もいない。彼自身でさえも。理子が、重い顔つきのまま問うた。

 

「……このウソの春日でも、それはやらなければいけないんですか?」

「やります」

「……ハルカ様……」

 

 キャスターは、気が進まなかった。ハルカを救うためにと作った結界だったが、もう意味がない。彼女は、彼がヤケになっているのではと不安だった。

 

 様々な理由から、明たちが回答を渋っていた時――遥か頭上から声が響いた。

 いや、頭上ではない。この墓地の表、つまりは春日教会の屋根の上――!

 

「マスターがやると言っているのだ。お前がやらないでどうするんだよ」

「……!?」

 

 今のは、ハルカ以外のここにいる誰もが聞いたことのある男の声。

 しかし決定的に何かが違う――声。教会の屋根に佇む、黒い影と狼の群れ。

 

「……アヴェンジャー!」

「……ッ!!」

 

 明が声を挙げ、キャスターが息を吞む。

 

「死ぬ気で防げよ。死なないからな――我は鉄打つ、製鉄の天皇(おう)

 

 



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夜④ 世界の鍵を握る者

 こちらにいるセイバーヤマトタケルと同じ背丈。しかし微風に翻った濃紺の下は、包帯・もしくは晒しにきつく巻かれて、古傷が見える体だった。彼は右手に握られた黒い鞘に収まった剣を掲げて――「――音に聞こえし大通連」

 

 低いながらも良く通る声と共に、中空に浮かぶ一振りの紅い剣。

 大通連、それは田村の草紙における天女・鈴鹿御前が所持していたとされる三振の宝剣のうちの一。同じ型の大塔連は見る見るうちに数を増やしていく。

 

「いらかの如く八雲立ち 群がる悪鬼を雀刺し」

 

 夜陰に響く声と共に、光を纏った宝剣は数を十、二十、百といや増していき――水上に立っていた黒い男を中心に何重にも円をつくっていく。

 眩いばかりの光に眼がくらみそうになりながらも、その危うい切っ先が向けられるのは当然――硬直していたキャスターは危険を感じ取り、ハルカを護るように前に立ち、鏡を構えた。

 

「――! なんでっ……!? いやっ、ハルカ様、結界を張ります!」

「うむ、まずいな? 一成と姫たちは後ろに下がっておれ! セイバー」

「わかっている。全て叩き落とす!」

「我は皇統を永らえし者、我は皇統を助けし者」

 

 セイバーが最も前面に立ち、その後ろにアーチャーが控える。

 彼が素早く腰から取り外した脇差程度の太刀は、鞘から抜かれることもない。その剣は人を断つための剣ではなく、皇統の象徴(レガリア)、神縛りの剣。

 

 かつて春日聖杯戦争で、セイバーに意に反した行動をとらせた宝具であるが、使い方はそれだけではない。これはいわば対神性持ちに対する令呪。対象を拘束することもで可能であれば、強化することもできる。

 

「一成榊原さん! アーチャーの後ろに!」

 

 明が一成の腕と理子の腕を引き、アーチャーのすぐ背後に引きずり込む。彼らが影に隠れる方が早いか、それとも中空に吊られた剣の軍勢の方が早いか。

 

文殊智剣大神通(もんじゅちけんだいしんとう)天元発破天鬼雨(てんげんはっぱてんきあめ)!」

尊きを受け継ぎし剣(つぼきりのみつるぎ)!」

 

 号令と共に一斉に降り注ぐ剣の嵐。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、永劫とも思える煌めく刃の雨霰。

 河川敷に、川の水面にと何区別なく降りそそぐ紅い凶刃。血を抉り、水しぶきを上げ、剣の煌めき以外の視界が奪われる中、キャスターは高速祝詞により結界を張り、限界まで剣戟を受け止める。

 アーチャーはこの剣の嵐が、正確に狙いを定めているのではなく、大雑把に範囲指定で打ちこまれていることを認識していた。

 数本食らってもいい、致命傷さえ避けられれば――!

 

 そのために、第一の盾たるセイバーがほぼすべての剣を薙ぎ払う。元々敏捷Aを持つセイバーだが、アーチャーの宝具により全ステータスが底上げされている。

 彼は眼にも映らぬ速さで、剣を振るう事で起こす風圧だけで墓石を空高く舞い上げた。

 

 剣、槍の多くは石に激突して威力が減殺され、残った得物はセイバー自身にへし折られていく。だが、空高く光る剣の数はまだまだ残っている。

 

 キャスターはその場に結界を張っている為、降り注ぐ剣をもろに受けている。耐えてはいるが、立て続けに受ける攻撃に結界は軋みを上げている。彼女の後ろに控えるハルカは、緊迫した声で言った。

 

「大丈夫ですか、結界が壊れて一毛打尽にされては事です。私に宝具を使って、致命傷を避けつつ回避するのは」

「……! なんの! これでも神話の巫女さんなのです!」

 

 アーチャーは壺切御剣に魔力を注ぎ込みながら、宝具の主――教会の屋根の黒い影を見上げた。あれもまた、ヤマトタケルだという。ならば――

 

「セイバー、そなたへの宝具展開を止める! 数秒、自力で耐えよ。一成! 宝具展開、続けるぞ! ――尊きを受け継ぎし剣《つぼきりのみつるぎ》!」

「……!」

 

 セイバーに宿っていた光が喪われ、彼の速度が落ちる。だがセイバーは顔色一つ変えず、その剣と体だけで降り注ぐ刀剣を破壊し続けている。

 

 方や、激しく揺れる結界を即時修復しながれ耐え続けるキャスター。剣の一振りがすぐわきを貫通して突き刺さり、ガラスが砕け散るような音が響き渡る。

 セイバーのおかげで降り注ぐ弾数は減っているとはいえ、もう限界も近い。ハルカは腰を低くして、いざとなれば懐の宝石をさく裂させて爆風を巻き起こし、剣の軌道を逸らすことを考えたその時――夜空を埋め尽くすほどの刃物の数が激減していた。

 月明かりに反射する光も減って、あと少し耐え凌げばと希望を持った。

 

 そして最後の剣をセイバーが叩き終り、嵐は過ぎ去った。

 

「……ッ、」

 

 キャスターはその場にへたり込み、大きく肩で息を繰り返した。結界が壊れた隙に飛び込んできた剣によって、衣服のあちらこちらが切れていた。アーチャーの後ろに控えていた明、理子と一成は幸いにも無傷であった。

 セイバーは両手足から血を流してはいたものの、流石は神剣の加護持ちであり、すでに血は止まりかけていた。

 

「……おいアーチャー! 腕ッ!」

「言うても腕だけじゃ。大事ない」

 

 アーチャーの左腕には、大通連の一振りが突き刺さっていた。直衣の袖の部分を引き破り、ぽたぽたと血を流してはいるものの、致命傷ではなく、サーヴァントとしての肉体維持に支障はなかろう。

 だが、これ以上自身の武器である弓を引くことはできない。彼はセイバーとは正反対に、「飲水の病」という自身の負傷の快復を遅らせてしまうマイナススキルを持っている。

 

 しかしアーチャーは落ち着き払って――屋根に立つ男を見据えた。

 

「腐ってもヤマトタケルのようじゃ。だが、腐ってはいるようだのう」

 

 アーチャーは片手に持つ壺切御剣を振ってから消した。最後、アヴェンジャーがの降らす剣が数を減らしたのは壺切御剣の対象が、セイバーではなくアヴェンジャーになったからである。

 だが、アヴェンジャーはセイバーよりも神性が下がっているようで、宝具の威力を抑えることはできたが、動きを支配することはできなかった。

 

 それに、なにより。壺切御剣越しに感じた、アヴェンジャーの魔力は――。

 

「アーチャー、それ以上はやめておけ」

 

 背を向けたまま言われたセイバーの言葉に、アーチャーは素直に従った。呪いの掃き溜めとなったもうひとりのヤマトタケル。

 その魔力に干渉することは身の破滅だ。しかし、アーチャーたちはアヴェンジャーを殺しにきたわけではない。ただ、事態を知りに来たのだ。

 

「……今の宝具は、立烏帽子・鈴鹿御前のものであろう」

 

 当然、アヴェンジャーは鈴鹿御前ではない。黒髪が肩で雑に切られていて、片目を布で巻き、黒いマントと鉄のブーツ、蔦に捲かれた太刀と恰好の相違点はあるものの――それは間違いなく、日本武尊だった。

 だが、セイバーの日本武尊とは決定的に異なっていた。

 

「……何故、あなたがここに……」

 

 息を荒げているキャスターは、あり得ないものを見つけた瞳で、アヴェンジャーを凝視していた。そのかそけき声に気づいたのか、盛大に溜息をついた。

 

「……はァ~~しくじった。碓氷明、お前、キャスターに会いたがるとはな。お前はただただ、ありえない時を平和に過ごしたかっただけだと思ってたんだが」

 

 彼はどっかりと屋根の上に腰をおろし、キャスターたちを見下ろしていた。

 夜にしては明るいが、彼の後ろに月が浮かんでいるせいで、アヴェンジャー自体の顔は逆光でうまく伺えない。

 

「世界の根幹にも、始まりにも、興味ないもんだと思ってたぜ。最後の時まで、お前は真実に蓋をしておいてくれるって……なあ魔術師じゃない明さん(・・・・・・・・・・)。相変わらず俺は人を見る目がない」

 

 明は何も返さない。アヴェンジャーも返答を期待していないようで、それ以上の言及はなかった。

 

「キャスター。走水でも死ななかったお前が、意気地のないこった……やるってんなら最後まで好き勝手暴れろ」

 

 アヴェンジャーは、ゆっくりとハルカ、一成、アーチャー、理子、明を見回して――傷だらけの腕を振り上げた。

 その周囲には、先ほど分裂して襲い掛かった宝具の大通連の他に、小通連・顕明連・合わせて三振りの剣が浮いていた。

 

「少し俺が発破をかけてやるよ、死ぬ気で守りな――我は鉄打つ、製鉄の天皇(おう)

 

 アヴェンジャーが手を振り下ろすと同時に、中空からずぶりと――刃渡り七十センチ超の直刀が姿を見せた。

 刀身には七星紋、北斗七星の他には雲形文・三星文・竜頭・白虎の四神が刻まれていた。理子はその剣の名に思い至り、息を呑む。

 

「――!? 七星剣!? 、それは聖徳太子の……!」

 

 七星剣とは、中国道教の思想に基づいて、北斗七星が意匠された剣のことである。国家鎮護・破邪滅敵を目的として造られ、刻まれた北斗七製は宇宙の中心である北極星(天帝)を護ることを示している。

 本来は儀式用の剣であり、切れ味が望める代物ではない。

 

 しかし当然、その剣の真価は切れ味にあるのではなく――「星の光よ」

 

「……キャスター、援護を頼みます」

「……!?」

 

 アヴェンジャーの唇が開くと同時に、突然ハルカは走り出した。先と同様に、あれが宝具を打ちだそうとしているのは火を見るより明らか。

 彼は何を目的としているのか、何故聖杯戦争が終わっているのに襲い掛かってくるのか、ハルカには全く分からないが――このまま甘んじて宝具を受ければ死ぬ。

 それが分かっていて、突っ立っているだけではいられない。たとえこの身が仮初だとしても。

 

「……ハルカ様ッ……!」

 

 既にキャスターの真名を知ったハルカは、今敵として立つ男が、彼女の生前の夫であったろうことを察してはいた。

 だから今戦おうとしても、本当に彼女がこれまで通り自分を助けてくれるか確信はなかった。

 

 だがしかし、彼女が自分を助けてくれなくともやられる。自分が動かなくともやられる。ならば体を走らせるしかない。それに――

 

(用途が広くはないため、使うことはないと思っていましたが……)

 

「――ben zi bena, bluot zi bluoda(骨は骨へ、血液は血液へ)

 

 風を切るハルカの袖口から、細いひものようなものが飛び出した。

 闇夜に溶ける黒色のそれは、一見ただの紐であるが、影景あたりが見れば瞠目せざるを得ない代物だった。隅々までハルカの魔力はいきわたったロープは、自由意思を持つように一直線にアヴェンジャーへと躍りかかる。

 

 ――間に合うか。

 

 アヴェンジャーが掲げる剣は一筋の光を放ち、天高く上っていく。

 それは剣のカタチをとりながらも、守護するべきモノがここにあるという道標に過ぎず、人を斬るための道具ではない。

 

 ゆえに剣ではなく、星の指揮棒(タクト)

 

「|Wolf syntyi Silitysrauta metsässä,Hän menee ulos häkistä《鉄の森から生まれた狼、自ら食い破るか》――」

「天の北極より座標固定――北斗七星(たいきょく)

 

 ハルカの詠唱の方が僅かに遅い。あと数秒の後には星を超えて穿たれてしまう――と、刹那、何か素早い線のようなもと銀色に輝く何かが、彼の脇を過ぎ去って――アヴェンジャーの肩に突き立った。

 線のようなものは放たれた矢であり、大通連・小通連に弾かれたが銀色に輝く――草薙剣は見事中った。

 

「――そなた、幸運値低いであろう」

 

 申し訳程度の止血――一成による治療をほどこされたアーチャーが、震える左腕で弓を持ち、残心の状態を保っていた。

 藤原道長の弓は幸運の弓、言上げの弓――本来的に矢が標的を射るかどうかは彼の技量よりも、相手と彼の幸運値により大きく左右される。

 彼の矢を援護に、草薙剣を投擲したのはセイバーである。

 

「――!」

 

 アヴェンジャーの眼が見開かれるのと、そのわずかな隙で光明を見出したハルカの詠唱がなるのは同時だった。

 

 

「――貪婪の狼を呑み込む枷(グレイプニル)!」

 

 同時、細い紐に見えたそれは凶悪に牙を剥き――津波のように身を大きく躍らせてアヴェンジャーに襲いかかった。

 彼は今展開しようとしている宝具で、紐を焼き尽くしてしまおうと指揮棒を振りおろ――すことができなかった。

 

「……ッ!!」

 

 機動が目にすら映らず、気が付いたら全身を縛されていて、アヴェンジャーは身動きが取れなくなっていた。彼の手から剣が滑り落ち、一度真っ赤な鉄に戻ってから霧散した。

 ただ魔力を込めただけの紐では、こうまではならない――力を込めても全く意味がなく、ただ抜けていくような感覚が、彼を襲っていた。

 アーチャーの宝具ですら、ここまでの拘束力はありえないはずだ。

 

「……まさか役に立つとは。ヤマトタケル、狼の加護を受ける者……」

 

 ハルカは川縁で息を落ち着かせながら、水面で拘束されているアヴェンジャーをまじまじと見据えた。

貪婪の狼を呑み込む枷(グレイプニル)」――北欧神話において、神々に大いなる災いをもたらすとされた災禍の狼・フェンリルを拘束し続けた紐の名前だ。

 勿論神話に存在する現物をハルカが操っているのではない――グレイプニルは妖精ドゥエルグの技術と猫の足音、女の顎髭、山の根元、熊の神経、魚の吐息、鳥の唾液と今や世界の裏側に行ってしまったであろう素材からでしか生成できない代物。

 

 だがハルカは、エーデルフェルトにあらずしてエーデルフェルトと認められたその印に、一級の聖遺物である鳥の唾液を一滴手に入れ、「貪婪の狼を呑み込む枷(グレイプニル)」を創り上げた。エーデルフェルトの養子となる前の彼の実家は、幻獣狩りを得意とする一族だったのだから。

 

 神話の謂れだけあって、この紐は人間に対してはただの紐でしかない。

 有効な魔術礼装として働くのは魔獣・幻獣の類に対してであり、絶対の拘束力を発揮する。本物であれば神獣さえ御しうる代物だが、ハルカのそれは流石にそこまでの力はない。ただし――元の伝承に従い狼に限っては、特に強く働きかける。

 

 ハルカは紐を操り、拘束したアヴェンジャーを地面に転がした。殺すつもりはない――それよりも、一体彼は何をしようとしているのか、気になる。

 今まで隠し事をしていたキャスターではあるが、キャスターも驚いた顔をしており、本当に彼のことを知らなかったのだと思わせた。

 

 身動きできないというのに、アヴェンジャーは黙ったままで顔色一つ変えない。

 ちらりと、ハルカより奥にいる理子とその隣の一成、明とそしてセイバーと一瞥した。

 

「……幻獣縛りの礼装か。「大和を護れ」と言った俺が滅ぼしているというのに、まだ三峰の狼の加護があるとな――義理堅い奴だ」

「……貴方は一体、何なのですか。何故私たちを襲ったのですか……」

 

 ハルカの問いにも、アヴェンジャーは何も答えない。そこへ、左腕を抑えたアーチャーが口を挿んだ。

 

「日本武尊、いや、アヴェンジャー。私たちはもう、この世界の絡繰りを知っている。だがそなたが何故いるのか、何のために行動しているのかは判然とせぬ」

 

 その眼はちらりとキャスター――大橘媛へと向けられた。アーチャーも彼女の様子から、彼女さえもこの日本武尊を想定外としていることを察していた。

 アーチャーたちは明から、ハルカたちはキャスターとライダーから――大体の事情は知らされている。

 

 その彼女たちでさえ、知らぬアヴェンジャー。だが、当の本人は問いに答えなかった。

 

「……俺の目的はお前たちに何の意味もねえよ。っていうか、俺のことを問い詰めるヒマがあるんなら自分のやりたいことをすべきだな。時間、ホントに少ないぜ」

「は? わけのわからないことを……!」

 

 今のハルカも、決して通常通り落ち着いた心境とはいいがたい。本当に通じるかどうかはわからないが、彼はポケットに忍ばせた宝石に手を伸ばした。

 顔を向けないまま、ハルカの敵意を察したアヴェンジャーは口角を釣り上げた。

 

「本当の神代の遺物ならまだしも、今の俺をこれだけで完全に拘束できたと思うのか?悪いことはいわねえから、さっさと放――」

 

 がくんと、アヴェンジャーはいきなり俯いた。電池が切れたおもちゃのように動かない。一体どうしたのかと、ハルカが彼に歩み寄った時、世界が反転した。

 

 ぞわぞわと這い上がる悪寒。酷い風邪に罹患したかのような怖気。

 己の信じていたものが崩れ去っていくような絶望。

 

 ――月夜は、こんなに暗かっただろうか。

 ――木々は、こんなに汚れていただろうか。

 ――夜気は、こんなに濁っていただろうか。

 

 風はなかったはずだ。墓地を囲む申しわけ程度の木々は、無言だった。

 だが今は梢を揺らし、徐々にざわめきを増しつつあった。恐ろしい何か、深淵のまた深淵、遠い黒い太陽を幻視した。

 

「これ、は」

 

 ハルカよりもむしろ、一成の方が深い既視感を憶えていた。

 春日聖杯戦争の最終局面、土御門神社にて彼は相対したモノ。

 空高く贄として掲げられたキリエと、この世全ての――

 

「――ッッ!!」

 

 その時まで誰も気づかなかった。それはいきなり舞台に飛び込んできた人物が、それまで超高速で移動してきたからであるが――ハルカたちの背後から飛ぶように彼らを飛び越えて、振り下ろされる大槌のごとくに重い一撃を、アヴェンジャーに打ちおろした。

 

 そのときずるりと――呪いめいた泥が黒い日本武尊とグレイプニルの間のわずかな間に滑り込んで、潤滑油のように彼を戒めから助け出してしまった。

 

 煌めく銀の鎧、翻る衣の裾、意思持つ剣の神。

 濃紫の上着に武骨な晒し、古傷残る身体に黒塗りの太刀が激突した。アヴェンジャーは不可視の剣を弾き返すと、反撃には移らずバックステップで距離を取った。

 それを追撃しようと、セイバーが最も早く駆け出したが――。

 

天啓齎す導きの金鵄(たかむすひのやたがらす)!」

 

 朗々と響き渡る声と共に、闇夜にありうべからざる強い光に満たされる。

 光り輝く皇紀の煌めき。真夜中の太陽が淀みを、濁りを暗がりを照らしだし、全てを明るみの元に晒し出す。

 この宝具を担う者はただ一人、初代天皇・神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコノミコト)。セイバーとは異なり、身に纏うものは既に普段着と化した、紅い羽織と上下白の袴。

 と、同時に番えられた矢のように放たれたのはフツヌシで、セイバー目がけて飛んでいく――セイバーであればそれを躱してアヴェンジャーを追うことはできたが、その場で踏みとどまった。

 

「人の心がわかろうとわかるまいと、お前は阿呆だな。日本武尊(どちらも)

 

 東征の途にあった神武天皇を導き、敵を威光のみでひれ伏せさせた逸話の具現たる八咫烏の元で、アヴェンジャーのみならず一成やアーチャーも微動だにできない。

 ライダーは悠々と歩きながら、一成たちに近付いた。

 

「ホンッッットイワレヒコは趣味が悪いわね~~! 全部把握しているくせに黙っていて迷っている人たちを放っておくなんて英霊の風上にも置けないじゃない!知ってたけど!」

「ならば好きに風下に置くがよい。しかし、全てを知った上で黙っていることを悪趣味というなら、公以上の悪趣味がいることになるが」

「う、ううっ! (ワタシ)は女の子、乙女心の味方なのよぅ!」

「乙女要素を微塵も感じられないヤツがなにをほざくか」

「セ、セクハラ!! 次会うときは法廷よッ!!」

 

 直刀のくせに何故かくねくねしているように見えるフツヌシを無視し、ライダーは再びアヴぇンジャーに眼をやり、そして彼に対してだけ宝具による拘束を解いた。

 アヴェンジャーはチッ、と舌打ちをすると、礼は言わんと言い捨ててその場を去った。

 

 アヴェンジャーの離脱を確認してから、ライダーは宝具の烏自体を解除した。

 一気に拘束から解かれたアーチャー、一成、理子、ハルカ、キャスター、明は脱力した。先程まで墓地を覆い尽くしていた黒いモノは鳴りを潜め、いつもの墓地に戻っている。

 

 あの悪寒は一体なんだったのかと訝しがるハルカと理子に比べ、一成と明はその正体を理解していた。

 

 聖杯の奥にあったもの。冬木から春日にも受け継がれてしまった、この世全ての悪。

 沈黙する面々の中、中でも一番事態の把握が遅れているハルカは、むしろ場違いにも果敢にライダーへ言いつのった。

 

「ライダー、何故邪魔をしたのですか。よくわかりませんが、彼もこの事態の原因のひとつなのでしょう」

「草。お前のことだ。このままあのアヴェンジャーを消滅させようと戦うという筋書きもあったのだろう」

 

 ハルカはぐっと口をつぐんだ。一成たちも混乱の中にいるが、それに輪をかけて混乱しているのが彼だった。

 聖杯戦争は疾うに終わり、本当の自分は身動きもままならないままで、しかも今の自分とこの世界は結界で、消滅する? シグマはこの世界でも見つからず、何もできないまま終わるのか――何かで鬱憤を晴らさねばやっていられない。

 

「いやなに、あれを消されては少々公も困るゆえ、邪魔立てしたまで。あれが消えることもまた、この世界、結界の終わりだからな」

「うっ……た、確かにそうかもしれないけど……」

 

 変な声を出したのは明――この結界維持の立役者の一人でもある彼女も、最初はアヴェンジャーの存在意義を知らなかった。

 

「……そのところはもう、お前もわかっておろう草。説明するがよい」

 

 ライダーが顎で指示したのは、俯きがちに黙りこくっていたキャスターだった。能面のように血の気が引いた顔で、案山子のように突っ立っていた。

 

「……あれは……あの人は、多分、私が……召喚したんだと、思います」

「いや、そうだと思ってたけど、知らなかった?」明はおそるおそる口を挟んだ。

「えっと……ちょっと、順を追って話します。さっきの話と、被るところも多いですけど……。私は、現実の春日聖杯の残滓から召喚され、土御門神社で療養している、ハルカ様に会い、契約を結びました。正直、ハルカ様は夢現の状態だったので、契約ができるか危ぶんでいましたが……夢でも、聖杯戦争のことばかりかんがえていたのでしょうね。契約はできました」

 

 キャスター自身、自分の記憶を確かめるような話しぶりだった。

 

「すぐ、碓氷さんが土御門神社に来たのではありません。多少……数時間ありました。その間に、私はハルカ様の願いが「聖杯戦争をすること」だと知りました。その願いをどうやったら叶えられるか……もう聖杯戦争は、終わっているのに。そして考えつきました」

 

 その方法が、キャスター大橘媛の宝具を異界創造。「聖杯戦争中の春日」を再現した結界を構築し、その中で本物のハルカと自分、再現したサーヴァントとマスターで戦う。聖杯戦争をするというより、聖杯戦争のシミュレーションに近いが、キャスターに実現できる範囲ではこれが限度だった。

 

 しかし、それでも問題はある。春日聖杯戦争の記録は、聖杯に付属していた碓氷影景の「春日記録装置」から読みだせばいい。だが、結界を維持する魔力は、ハルカ一人では到底足りない――キャスターが自身を聖杯の残滓と接続させれば解決するが、その魔力の性質は推してしるべし。また、魔力が調達できたとしても、結界は修正力で押し潰される。

 

 ならば結局、無理ではないか。そう落胆した時に、碓氷明はやってきた。

 

「碓氷さんが私を始末しに来た、というのは感じました。でも、私はまだハルカ様を助けてなかった。だからまだ、倒れるわけにはいかなかった。一か八か、聖杯の魔力に汚染されてでも宝具を使って場を凌ごうとしたんですけど……私の宝具展開と、碓氷さんの虚数魔術が、奇跡的に被って――虚数空間の中に結界が展開されました。楔の碓氷さんがいることで、私には変わらず、現実世界の春日聖杯からの魔力が流れていました」

 

 そこで、一成がおそるおそる手を上げた。場違いかもしれないけど、と言いつつ、彼は疑問を口にした。

 

「その、聖杯戦争中の春日を再現しようとしたんなら、何でおれたちは「聖杯戦争が終わった」って認識してるんだ? そして、アルトリアさん――本当は春日聖杯戦争にはいなかったんなら、何でいるんだ」

「ぐはっ」

 

 何か痛いところを衝かれたように、キャスターは呻いた。「それは……私の異界創造がヘタクソだったからとしか言えません」

「ハ?」

「自然物を操る空想具現化でもなく、単一の心象風景を写す固有結界でもない、一から自分で世界を作るってハードル高いんですよ! だから春日記録を使ってそれをコピーするつもりだったんですけど、現状、聖杯戦争終結後の今をコピーしてはサーヴァントがいないじゃないですか。だから、いつの時期を模倣して、記憶を改竄して、……ってやってたらボロも出ます……ハァ……しかも結界を作ったのは、碓氷さんに襲われたから急いで――だったので、ハルカ様ですら連れてこられなかったんですから……」

「……は、はぁ」

 

 弟橘媛自体、神話時代の人物とはいえ、彼女はれっきとした人間である。異界の創造――元は神霊・精霊の権能を、人が十全に扱うには荷が重すぎる。

 キャスターは己の至らなさと戦っているのか、顔は暗い。

 

「……話を戻します。私は結界を成立させました。だけどそれから、ハルカ様をこちらで見つけて、安心して眠ってしまってからしばらく、記憶がないんです。ただ苦しくて苦しくて、とても逃げたいほどにおぞましい覚えだけがあって……私、ハルカ様に記憶がないって申し上げたの、半分本当で半分ウソです。この覚えから抜け出してから二日は、本当に忘れていたんです。ここが何で、私が誰なのか」

「でも今は、その苦しいのが何であったのか見当はついています。というか、ずっと不思議だったんです。なんでこの世全ての悪に汚染された魔力をずっと摂取しているのに、私はこんなに普通で正気なのかって――」

 

 聖杯戦争最終段階の記憶を持つものには、キャスターの言う意味がよくわかる。あんなものに触れて正気で居続けられるものなど、そこでひょうひょうとした顔で立っている白髪の初代天皇くらいである。

 

「サーヴァント・アヴェンジャー。覚えてませんが、あの人は私が召喚したのでしょう。この世全ての悪に染まった呪いの、捨て場所として……呼びやすさで言えば屈指ですし、英霊の格も私よりははるかに呪いに耐えられる……」

「というわけで、絶賛呪いを貯め込んでいるアレを殺せば、一気に結界が汚染され地獄となろう。即ち終わりだ。ちなみに、死んでも生き返るルールはあれにはない。そもそも「死んでも生き返る」というより、結界成立時――夜中十二時の時点の生存情報に戻るというのが正しい。成立時に生きている設定になっていたものは、死んでも生存していたことに戻される。これはキャスターの力というより、この世全ての悪、そのものの一端か」

 

 割り込んだライダーが、場の暗さに反して軽く言った。「あれが呪いに耐えられるのにも限界がある。あれが死ぬときが、全ての終わりだ」

「じゃあさっき、ライダーが割って入らず、アヴェンジャーを殺害していたら、その瞬間に春日は黒く染まり、終わっていたと言う事か」

「セイバー、お前はあれをあっさり殺せそうに思えたかもしれないが、存外あれを屠るのは厄介で面倒だ。それでも万が一のことを思い、公は割って入ったというわけだ。公はこの世界を最後までエンジョイしたい!」

 

 ふんす、と何故か胸を張るライダーだが、滅びを望まないのは一成たちも同じである。正直、そんな綱渡りの世界を生きているという実感に薄いものの、理子は恐る恐る尋ねた。

 

「……ライダー、その……この事態を解決する方法とか、ないんでしょうか」

「……解決。ふむ、解決とはどのようなことを意味するのか?」

「……あ」

 

 仮に魔力の制限と、呪いの制限がなかったとしても――春日以外の世界がないここで、永劫に生き続けることか。もしくは、本当の現実世界の春日に行くことか。

 そこには、もうひとりの、本物の自分がいる――。

 

 一体、どうすればよいのか――とっさに理子は案が想いうかばず、黙りこくってしまった。

 

「好きなだけ考えるがよい。といっても、アヴェンジャーのあの様子だと……もってあと二日……三日か」

「み、三日!?」

「草共、精々足掻けよ? 滅びを免れないことは、救いがないことと等価ではない」

「ちょっ、待ちなさいよイワレヒコッ! あっ、え~~っと……頑張ってね! 人間のみなさん!」

 

 何をだよ、とツッコミを入れる雰囲気でもない。ライダーは悠々とした足取りで、破壊された墓石を避けながらその場を去って行った。

 

 ライダーはこの状態を何とも思っていないのか、思い悩む様子はなかったが――残された一成たちには、重苦しい沈黙が伸し掛かっていた。

 アーチャーとセイバーは自分のマスターの様子を伺い、キャスターはぶつぶつと、独り言を言っている。

 

「……あの人、なんでこれまで一度も私の前に姿を見せなかったのに、なんで今……それに、この世全ての悪の呪いに耐え続けて、何の得が……」

「……ちょ、ちょっと……やっぱり整理がつかないわ……。一回、自分の家に戻りたい……」

「と、とりあえず……帰るか?」

 

 一成はへどもどしながら、全員の顔を見回した。誰も彼も、返事をしなかったが――ハルカはその空気に一石を投じた。

 

「……アヴェンジャーの乱入によって話の腰が折れましたが、シグマの居場所に心当たりがあるようでしたね、アキラ」

「……」

 

 明としてはその話は忘れていてほしかったのだが、ハルカの執念は並々ではなかった。現実の聖杯戦争の記憶を持つ彼女としては、その気持ちもわかるのだが。

 

「教えてもいいけど、彼女と戦うときは、ちゃんと一目のつかない場所に移動してからにしてくれると約束するのなら」

 

 相手は名門の魔術の家系だけあって、聖杯戦争中の真凍咲のような真似はしないと思っていたが、明は念を押した。そして、山内悟のアパートの名と住所、部屋番号を教えた。

 

 ハルカは一礼すると、棒立ちのキャスターを連れて墓地を去った。

 またしても沈黙が下りたが、誰からともなく静かに歩き出した。

 明とセイバーは碓氷邸に、一成とアーチャーはホテルに、理子は自分のマンションへと戻る――重苦しい沈黙を伴ったまま。

 



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8日目 さて、これから?
昼① 一夜明けて


 明、セイバーヤマトタケルが碓氷邸に帰ってくるのを待ち構えていたのは、勿論アルトリアとアサシンだった。墓地でなされたキャスターとの会話を、かいつまんで話したところ、元々大枠を知っていたアルトリアはともかくとして、アサシンは言葉を失っていた。

 マスターの悟に話すべきかどうか、思案しているのは一目瞭然だった。

 

 一同は碓氷邸のリビングに集結し、飲み物も出さずに明たちからの話を聞いていた。まだまだ夜は長い――そして夜が明けても、それはこの世界の寿命が近づいていることを目の前に突き付けられるよう。

 だが、一度欠片でも知ってしまったならば、毒を喰うなら皿までと――アサシンは、最後まで黙って聞いていた。

 

 また、アヴェンジャーの正体について、セイバーが所見を語ってくれた。

 明たちも知らなかったことだが、セイバーはいつの間にかライダーとも隙を見て相談し――あのいきなりバーベキューの時だが――ていたようだった。

 

「編纂事象と剪定事象。端的に言えば、あれは剪定された世界の俺だ」

 

 ――魔術世界の言葉で『人理』というものがある。真エーテルの溢れる中で神が振るう権能に左右される神代が去り、物理法則に支配された人の世において、もっとも人類が多様性と可能性に溢れる世界の可能性を『人理』と呼ぶ。

 

 つまり人類全部が幸せな世界となっても、完成すれば終わってしまう。ゆえにその世界は『人理』には当たらない。逆に何もかもに失敗し終わってしまった世界も、『人理』とはならない。

 宇宙は誰も知らない可能性の未来に向かって膨張していくため、一本道ではなく多様な分岐を取り得る世界こそを人理となすのである。

 つまり宇宙は異なる展開を見せる並行世界を許容するが、際限なく並行世界を発生させ続けると宇宙の寿命が尽きてしまう。そこで、一定のタイミング――太陽系においては百年に一回――で『もっとも強く、安定したルート』から外れた世界を伐採し、エネルギーの消費を抑える。この事象を魔術的に『人理定礎』、科学的に『霊子記録固定帯(クォンタム・タイムロック)』と呼ぶ。

 

 イメージとしては無限に枝を増やし続ける大樹から、不要な枝を伐採するようなもの。 そのため、メインとなる平均的な世界の出来事を『編纂事象』、伐採され消滅する世界の出来事を『剪定事象』と呼ぶ。

 

 東征に旅立ち、並みいる悪神や魔獣・幻想種をなぎ倒したが、道半ばで倒れた皇子が編纂事象の日本武尊(セイバー)とすれば、あの黒い日本武尊(アヴェンジャー)は。

 

「とうに滅びた世界、剪定事象の俺――しかし、この編纂事象の世界には、剪定事象の記録も残っているだろう。あれのクラスが復讐者なのはあくまで聖杯の影響で、本来のクラスはおそらくアサシン。あれに、俺と異なる名前があるとすれば、それは――倭武天皇(やまとたけるのすめらみこと)

 

 倭武天皇――古事記や日本書紀では、日本武尊は天皇に即位していない。だが常陸風土記に現れる彼は、倭武天皇(やまとたけるのすめらみこと)と呼称され、天皇となっているのである。

 しかし常陸風土記に書かれている「倭武天皇」とは雄略天皇のことであるなど、日本武尊の子は天皇に即位しているから後付で持ち上げられたものなど、日本武尊とは別人だと言われている。

 

「倭武天皇がいた世界線は滅んだのだろう。可能性のない世界として、剪定事象と認定された――何故、あの俺が天皇になろうと思ったのかはわからない。だが、お前たちも知っての通り、俺は父帝に好かれてはいなかった。大和に戻ってくるなと言われた。だから、俺が天皇になることは、本来ありなえいのだ」

 

 そんな彼が、どのような手を使って天皇となったか。口先で父帝を丸め込む? 宮中に見方を増やす? 

 ――いや、そんな器用な事、日本武尊はしないできない、やろうとも思わない。

 ならば、殺すしかない。

 

 弑逆のみならず、文句を言う者どもを皆殺して天皇の高御座に腰かけたのだ。

 

 だがそこで、明が慌てて割って入った。

 

「ちょ、ちょっと待ってセイバー。アヴェンジャーが別の世界のセイバーってことはわかるけど、それだけ天皇になったセイバーっていう仮定は飛び過ぎじゃない」

「いや、俺も絶対の確信を持っているわけではない。だが……あの、キャスター。弟橘媛は、アヴェンジャーに「走水でも死ななかった」と言われていただろう。それで確実に俺と共にあったヤツではないと確信した。それ以前から、弟橘媛はもっとアホっぽい顔をしていたはずだと違和感があったのだが」

 

「ヘイヘイその辺の話はいいから次に行ってくれ」アサシンはソファに転がり、至極どうでもよさそうな様子で言った。

 

「走水で弟橘媛が生き残った伝説も、残っているのだ。それが常陸風土記、俺が天皇となった伝説と、同じ記録体だ」

 

 ――神と人に橋をかける時代――公の時代にも並行世界を観測できる者はいた。

 まだ魔法と魔術の別はなかった時代だ。そういう者たちの言説が、たとえこの世界の話でなくとも、記録として残されることは大いにある。

 剪定事象の記録――きっと、日本武尊の叔母も見ていた世界。

 

「待ってください。それは別の世界の話ではありませんか。座に登録されている英霊でないと、英霊として召喚されないはずでは?」

 

 アルトリアの問いに、自分も同じことを思ったとセイバーは言った。「……編纂事象において常陸風土記(観測された記録)があるとはいえ、あれは俺からはかけ離れた存在だ。まず、あれが呼ばれることはない。仮に召喚されても霊基が足りず、精々、シャドウサーヴァントか幻霊。あのアサシン以下の力しか持てない何か――だが、ここは通常の世界ではない。キャスターが生んだ、結界だ」

「へえ、この結界内だからこそ、アヴェンジャーはまともなサーヴァントとして召喚されたってことか」

 

 アヴェンジャーもまた、この結界に生かされた・造られた存在であることに変わりはない。

 

「で、あのアヴェンジャーの目的は何なんだ? 話を聞く限り、キャスターも知らず知らずのうちにゴミ箱として召喚したってことだったじゃねーか」

 

 アサシンの問いに、今までよどみなく話していたセイバーの口が、ぴったりと止まった。どこか不機嫌そうでもある。

 

「俺はアヴェンジャーではない。それはわからない」

「それでも日本武尊は日本武尊じゃねーの?」

「知らん。俺には父帝を弑逆しようとした者の心のうちなどわからない。……だが、仮に俺がアレと同じ立場であったとしたら、俺の行いは多分、あれとそう変わらない」

「? お前、今目的なんかわからんっていってばっかじゃねえか」

「そうだが」

 

 アサシンもセイバーも、正式な春日聖杯戦争でも遺恨があった二人ではない。だが、権力者とそれに抗う者という立ち位置上、相性はあまりよくはない。

 言葉が喧嘩腰になっていく前に、明が割り込んだ。

 

「アヴェンジャーの目的はわからない。だけど、アヴェンジャーの行動だけ見れば、セイバーも同じことをするだろうってこと、だよね」

 セイバーは頷いた。「そうだ」

 

「じゃあ、セイバー版でいいからさ。なんでセイバーは、アヴェンジャーの立場だったら、アヴェンジャーと同じことをしようと思うのか、教えてよ」

 

 セイバーは何故わからない、と言いたげに不思議そうに首を傾げた。「それは、」

 

 

 

 *

 

 

 

「……あ~~」

 

 中途半端に開かれたカーテンからは朝日が差し込んでいた。彼女はうめき声を上げながら、絨毯の上に寝転がっていた自らの身体を起こした。

 周囲を見回せば、恐ろしく狭い畳敷きの部屋に、自分と、ハルカと、もう一人別の男――確か名前は、山内悟という――雑魚寝していた。端に寄せられたちゃぶ台の上には、食べ終わったコンビニ弁当と空いたビール缶が転がっていた。

 

 六畳一間のアパート、山内悟の部屋である。昨夜、碓氷明からシグマの居住地を聞き出したハルカは、脇目も振らずこのアパートまでやってきたのだ。

 

 今でも鮮やかに、ここに辿り着いた時のことを思い出せる。押し売りのセールスマンもかくやとばかりのハルカは、眼を白黒させる山内悟を舌先三寸で言いくるめて――いや、ハルカはそこまで弁舌が巧みではなかった――殆ど居直り強盗の体で、この六畳間に居座ったのだ。

 

 ただ、この家主の山内悟もさるものというか変人に慣れているのか諦めているのか、最後にはわかりましたわかりましたと、ハルカに茶まで出していた。

 

「シグマさんはここに住んで……住んでるっていうのかな? まあ、とにかくいますけど、毎晩帰ってくるわけじゃないですよ」

 

 その言葉通り、明方までここで起きていたハルカであるが、全くシグマが現れないため、丸くなって眠ってしまった。それにつられて、睡眠を要しないキャスターもうたたねしていたが、誰よりも早く起床した。

 静かな朝だが、ハルカと悟の寝息が聞こえる。

 

「……はぁ」

 

 この、アサシンのマスター山内悟は、この世界・結界の真実にひどく驚いていた。

 シグマが泊まるくらいなのだから、魔術の徒だとばかり思っていたハルカは、土御門神社で明かされた話をそのまま、悟にもした。

 彼はにわかにも信じられない様子で、冗談でしょうとかウソでしょうと繰り返していた。記録によれば、山内悟は聖杯戦争のマスターではあったが、一般人で魔術のまの字も知らなかったのだ。

 

 あと数日で世界がなくなるし、自分の消えます。というか、自分は本物の自分ではないといわれて、魔術や神秘を知らない人間が、信じるのか。

 結局悟は悲嘆以前に実感がないまま、眠りについたのだ。

 

「……これから、どうしましょう」

 

 この世界が消えてしまうことを防ぐことは不可能だ。穢れた魔力による世界の変質は免れない。この世界を終わらせられる人物は複数人いても、延命させられる者は一人もいない。

 

 ここまでややこしい事態になってしまったが、大本は、ハルカを助けたかっただけだ。

 ただ助けを求められたから――生前、誰も救うことができなかった身勝手な己でも、誰かを救ってみたかった。

 

 だがそれすら、もう絶望的となった。何もかもが中途半端だった。死ぬ前と同じか。

 

 境界の彼方から倭武天皇まで呼び寄せておいてこの様か。

 出会わない方がマシだったのか。

 

 キャスターは、昨夜のもう一人の神の剣、神武天皇を思った。あのライダーがアヴェンジャーに助け船を出したのは、きっとまだこの世界を楽しみたいからだ。

 早かれ遅かれ、世界は終わる。それが一日先か、何千年先か、それだけの違いだと原初の帝は言う。

 あれにとっては、結界のここも、現実世界も同じなのだ。

 

 ――そう、ここで生きているのなら、ここが世界なのだ。

 英霊が願いを抱き、サーヴァントとしてかりそめの肉体を得ても、生前の業には縛られ続ける。

 

 だから自分は、ここでさえ、誰かの為に死ぬこともできなかったのだ。

 

 救おうとしたハルカも、ここにいるのは現実のハルカではなく記録からの再生体で、現実のハルカは倒れているだけだ。

 

 キャスターはそろそろと四つん這いで、隣にハルカの顔を見つめた。今は静かに眠っているが、起き出した途端に何をし始めるかわからなくて不安でもある。

 ここでシグマを倒そうと、現実にはフィードバックされないはずだ。

 

 けれど昨夜のハルカは、それを知っているにも関わらず、シグマと戦う気満々だった。やはりまだ、落ち着く時間が必要なのではないかと思う。

 

 そして何かにつけて脳裏をよぎるのは、アヴェンジャー、倭建天皇。聖杯の呪いを受けるなんて、想像を絶する痛みに苛まれ続けることになるはずなのに、何故それを甘んじて受けているのか。

 

 キャスターは、常に彼の傍らにありながら、何故彼が父帝を弑するに至ったのかわからなかった。傍にはいたが、傍にいただけ。彼を止めることも、諌めることもできなかった。

 

 彼は何に怒り、何に憤って、国を滅ぼし、自らを貶めたのか。

 彼が父帝に厭われていても、悲しみはすれど父帝や大和を恨むことなど、なかったはずだ。

 

 でも、多分、何故かはわからないけれど、彼はキャスター――大橘媛に対しても、怒っていたように思うのだ。

 

 考えても答えは出なかった。キャスターは大きなため息をついて、畳の上に腰を下ろした。穏やかな朝と言えば朝だが、いつまでここにいればいいのだろう。

 

「……シグマさんが来るまでここで待機なんです……?」

 

 



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昼② 文化祭準備・継続

 何があろうと、朝は来る。

 永遠に続く日曜日がないように、無情にも月曜日はやってくる。

 

 土御門神社から去って、一人自分のアパートに帰った榊原理子だったが――彼女自身、どうやって辿りついたのか覚えていない。

 正直、昨日は昼間に碓氷邸に行ってきたアーチャーの話を聞いただけで、頭がいっぱいだったのだ。夜、土御門神社での碓氷明とキャスターの話も、なんとか頭に入れるだけで精一杯だった。

 

 一応ベッドには入ったものの、精々うとうとするだけで深い眠りにはつけなかった。カーテンを閉めていなかったのか、日光は全力で窓から差し込んできている。理子はそれを避けるように、タオルケットにくるまって丸くなった。

 

 一体いつから、ここは虚数空間内の結界だったのか。

 それを考えることは無意味なことはわかっていても、思ってしまう。ただおそらく聖杯の異常が起きて、一成と共に捜査をし始めていたころが結界の始まりなのだろう。それまではキャスターの話も、聖杯戦争の話も全くなかったのだから。

 

 とすれば、ここ数日の――一成やアーチャーとともに、夜に春日の街を探し歩いたことも、現実ではすべてなかったことになると言うのか。

 

 魔術のかかわりのない、ただの同級生だったころが本当の理子と一成。

 それが、悪いということではない。ただこの数日が、恐ろしいことも怒ることもあっても、理子にとってはもう――。

 

「……ってか、碓氷は一体なんなのよ……」

 

 理子はくるまったまま毒づいた。この世界の中で、キャスターと同じく、ここの記憶を持ったまま現実に帰還する魔術師。

 キャスターは現実で契約したマスターを助けるため、なりゆきで宝具を発動させここを維持していたのはわかったが、あの女は一体何を目的に、この世界の維持に協力しているのかわからない。

 

 虚数空間内に展開した固有結界という、貴重な事例の観察? それなら、この結界の絡繰りを最初からわかっていたなら、最後まで黙っていてほしかった。

 理子はここの真実など、知りたくはなかった。

 事態の究明に協力してはいたけれど、こんなことなら知らないで良かった。

 

 ライダーという因果律を見てしまうサーヴァントがいること、明以上の春日のプロフェッショナルたる影景がいることもあり、仮に明が黙っていたとしても、一成らが彼らから聞き出す可能性もいくらでもあったのだが、理子は一倍、碓氷明を嫌悪した。

 

「私に、どうしろっての……」

 

 あのライダーでさえ、手はないと言った。仮に(まず無理な仮なのだが)結界の一部である理子たちが現実世界に行くことができたとして、現実にいる自分との折り合いをつけねばならなくなる。

 ひとり分の陽だまりに、二人が入ることはできない。

 

 理子は、古くから続く由緒ある神社の跡継ぎであり神道魔術の跡継ぎでもあるが、彼女の家は、碓氷のような西洋由来の魔道の家とは趣を異にしている。

 ざっくりと言えば、榊原家は碓氷のように、根源を求めて魔術の研究をしているのではない。神代より受け継いだ土地と神獣を、地域(霊地)共々守り続けること自体が目的なのである。

 それは彼らが奉る大口真神が魔除けの具現であり、日本武尊の命に従っているからでもある。

 

 ――そのため、時計塔における「魔術師」の定義からも、彼女たちは外れる。有り体に言えば、根源を追い求めるための魔術師の資質である自己の客観化も、さほど求められていないのだ。

 

 たとえば碓氷影景であれば、同じ事実を知ったとて、理子のように悩みはしない。

 現実の自分が他に存在しているならば、結界内の自分がどうなろうと慌てることは何もないのだ。

 

 ふと、理子が目線を上げた先に置いてある時計は、八時半を指していた。夏休みも終わりに近づいているということで、昨日に引き続き今日も文化祭の練習がある。昨日のような合わせ練習はないため、クラスメイトに一本電話を入れれば行かなくてもよい。

 実際理子はそうしようかと思い、芋虫のようにはいずってベッドサイドのミニテーブル上のスマホを手に取った、が、やめた。

 

 ここでゴロゴロしても何もならない。それならば、友人の顔でも見て騒いで文化祭準備をしたほうが、気も紛れる。

 それに、今日の練習にも自分は行くと言ったのだから、体調不良でもないのにサボるのは避けるべきだ。

 

「……っしょ」

 

 

 理子はのろのろと、だが確かにベッドから這い出した。行くと決めたなら、行き、練習をする。

 たとえその文化祭当日が、永劫に来ないものであっても。

 

 今日も憎らしくなるほどの晴天で――というか、春日に異変が起きてからずっと晴れているような気がする。それが結界であるがゆえに固定された天気なのかそうでないのか、理子にはわからない。

 

 雲一つない空の下、暑さにうだりながらも、理子は高校に辿り着いた。

 着替えはもちろん教室を分けているが、終わった者は多目的教室に行って各々ダンスの演習をするゆるい練習回の予定である。

 

 朝布団の中でうだうだしていたため、珍しく遅刻した理子が教室に行ったときには、誰もいなかった。通学バッグや制服が置いてあるので、皆多目的教室に行ったのだろう。踊りやすいようにジャージに着替えると、急ぎ足で教室を飛び出した……と、見たことのある後ろ姿が眼に入った。

 

 

 

 *

 

 

 

 クーラーの効いた多目的教室で、男子生徒女生徒とあわせて十人がダンスの振付の確認をしていた。

 流石に体育館より手狭であるが、普通の教室よりは広い。その中で一成は窓際で練習をしていたのだが。

 

「おい一成!」

「うあっ!? 何だ!?」

 

 いきなり背中を叩かれ、一成は前のめりになった。後ろにはジャージ姿の桜田が口をとがらせていた。どうも怒っているらしい。

 

「何だじゃねーよ、さっきから声かけてるのに全然返事しねえから」

「悪い、ボーっとしてた」

 

 素直に謝罪されて、桜田は溜息をついた。「いや、いーんだけどよ。何か元気ないみたいだから気になった」

「いやほんとボサッとしてただけだから。気にすんな」

 

 知ってはいたが、相変わらず桜田は目ざとい、気の付くやつである。一成自身としてはへこたれているつもりはないのだが、違和感は出てしまっているようだ。

 

 勿論一成の脳を占めているのは、昨日の話――この春日についての話だ。

 いきなりこの世界はキャスターによって創られたもので、自分は記録から再現されたニセモノで、しかもこの世界はあと数日で消滅すると言われても、現実感皆無だ。

 

 ただ言われてみれば、神父の記憶、食い違うアーチャーの記憶……思い当たる節々は多いため、否定する気は起きない。

 俄かに信じられることではないが――キャスターはともかく、明がこんな嘘をつくとは思えない。その上、この状態を根本的に解決する方法もないと来た。

 

 本当に自分は、別にいる。

 何も知らず幸せに死ぬか、知って来る滅亡に怯えるか――一成は急に立ち上がった。

 

「アー!! よし、踊るぞ! 妖怪体操第二!!」

 

 この問題は、自分が悩み続けて解決する類ではない。もし策を模索するなら明や、あとはライダーなどに持ちかけるべきだ。

 今、自分は何をしに来たか――そう、文化祭のダンスの練習に来た。世界が消えれば文化祭はない? そんな未来の話は知らない。

 俺たちはいつを生きているのか? 今でしょ。

 

 だが一成の内心など知ったこっちゃない氷空は、期待に満ちた顔で全く違う話を持ち出した。

 

「そういえば一成氏、キリエタンは?」

「今日は来ねえよ!」

「つか今ダンスで練習してるの妖怪体操じゃねえって」

 

 山田の言う通り、良く聞けば今流れているのはBad――マイケルジャクソンのダンスナンバーだった。一成はきまり悪そうに頭を掻いていたところ、急に扉が開かれた。

 

「よーしみんな、集まったか!」

「げえっラン……本多さんと大和!?」

 

 サーヴァントたちが、平然とこのクラスの文化祭に首を突っ込んでくるのはどうなんだろうか。碓氷明という地主(の娘)の力は絶大だ。

 二人とも真名まるだし、かつその真名らしさのある人物(というか本人)のため、妙にクラスメイトの人気を得てしまっていた。しかも二人とも運動神経がよく、舞踊もまたたしなみがあるから手におえない。

 ランサーもセイバーもラフなTシャツとGパンで現れたが、セイバーは「日本最強」Tシャツ、ランサーは「一番槍」Tシャツだった。

 

「おい、なんで来たんだよ!」

「いや、そこな桜田から本日も文化祭の練習があると聞いていてな、参ったのだ」

 

 何時の間に桜田とそんな話をしていたのか。セイバーもランサーも、一度来て勝手も理解している為、もう学校に来ることに苦労はしなかっただろう。しかしサーヴァントたちのスペックを除いても、このクラスの面々、順応力がやたらと高い気がする。

 

「本多さん、また護身術教えてください!」

「大和さん、女装練習したんで後で見てもらってもいいですか!?」

「うぉい! お前ら何しに来たんだ! 後にしろ!」

 

 桜田が斜め上の理由でサーヴァントたちに駆け寄る同級生を阻止し、ぐいぐいと教室内へとひっぱりもどした。昨日の騒動、春日の話にもかかわらず、セイバーは至っていつも通りだった。……ランサーは、その話を知っているのだろうか。

 セイバーと行き合わせたなら、その話を聞いているのであろうか。

 

「ここは女子も男子もいるようだ。場所を変えた方がいいだろう」

「じゃあもうひとつの多目的教室に行きましょう。三階です」

「ならば行くか」

 

 イケメンは万難隠す。もう好きにしてくれ。と一成は考えるのを辞めていたが、ランサーもランサーで妙な事を言いだした。

 

「儂も女装したら似合うのか?」

「おいラ……本多さん、変な扉開くなよ!」

「そうは言っても陰陽師、趣味とするかはともかく、儂の時代に女装はそう奇異な事でもないのだ。魔除けに男児を女装させることもあるしな」

 

 装いを変えることは、魔術にもつながる。一成としてもその知識がないわけではなかったが、それでも悲しき現代人、残念な女装ランサー本多忠勝の図が浮かんでしまう。

 

「……いや、やっぱやめておこうぜ。俺らはダンスの練習するから、ちょっと見ててくれ」

「本多さん、動画ありますよ! ここ押してください」

 

 桜田が脇からスマホを渡した。教室でやるため、今は列を組んで踊るわけではないのだが参考にはなる。

 ランサーは教室の床より一段高くなった教壇に坐り、ふむふむと動画を眺めはじめた。

 

 とそのとき、ランサーら大柄な男二人の背後に隠れて、ジャージ姿の榊原理子がひょっこり顔を出した。

 

「さ、榊原。おはよう」

「……おはよう」

「お前が遅刻するなんて、珍しいな」

 

 昨夜、不完全燃焼のまま別れて帰宅してしまったため、一成はいまひとつ調子がつかめず、月並みな話し方をした。

 今はクラスメイトも周囲におり、文化祭練習の時なのだから、あの話は後回しにする。

 

「よし、じゃあちょっと音楽して踊るか」

 

 

 

 

 やはり自分はひとつひとつ振付を確認して覚えていくよりも、不恰好であっても音楽を流して踊れている人を見ながら一緒に踊る方が憶えると、一成は思った。

 

「一つ提案なのだが、ここの振付でジャンプを入れると映えるのではないか? ……このように」

 

 ランサーが言及している箇所は、動画では長い間マイケルが曲なしで歌っているところだ。他のダンサーは背後に並び、マイケルの歌に合わせて合いの手を入れており、ダンスがほぼない。

 動画ではセットが雰囲気をだしているが、ここは教室――もうすこし動きを取り入れた方が、見る側としては楽しいと言ったのだ。

 

「今から全く新しい振付をつけるのは手間だし……他の箇所のを組み合わせてって感じでいけるかな」

「それでも大分変わると思うぞ」

 

 実行委員長の桜田と振付役の山田が額を突き合わせ鳩首している間、ダンスでヨレヨレになった氷空が教室の床に倒れていた。

 絵に描いたようなインドアで内気に見える彼だが(内気に見えるだけ)、一生懸命ダンスをしている。

 

「……ハァ……ハァ……体力おばけどもめ……」

「いやお前がないだけだろ。ポカリ飲むか。飲みかけだけど」

「くれ」

 

 氷空の体力がないというよりは、彼は机に向かう作業であれば二十四時間イケると豪語するので、体力の使い方の問題だろう。

 見ての通り、運動自体が好きでないと同時に得意でもないのだ。と、その時桜田が壁の時計を見てから声をかけた。

 

「よーし、今日はこのところにしとこう。そろそろ片付けるか」

 



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昼③ 宿泊会は決行

 一時間ほどの練習を終えて、一成はジャージから着替えながらクラスメイトたちを横目で眺めた。

 既に片づけを終えたクラスメイトで今日暇な面子は、ランサーに護身術を教わっていた。ぶっちゃけた話、彼らは実用面から護身術を学びたいのではなく、なんかかっこういいから教えてもらいたい、というライトな動機であるが、ランサーも教えるのは嫌いではないらしく楽しそうだった。

 

 いつの間にかしれっと戻ってきたヤマトタケルに女装の様子を聞くと、「将来有望」とのこと。最早文化祭の出し物レベルを超えて求道者染みた女装道に走っている気もするが、それは人の趣味だ。触らないでおこう。

 

 ダラダラ着替えていたが、丁度終わったところで後ろから氷空に声を掛けられた。彼もすっかり着替え終わって制服のワイシャツとズボンだ。

 

「明日は温泉に直接集合でいいんだよな」

「……何の話……あ」

 

 完全に、すっかり忘れていた。福引きで当てた旅行券による宿泊会は明日だった。

 

「一成氏、忘れてたのか?」

「いやいやちょっとボーっとしてただけだって! おう、明日の三時に現地集合でオッケーだ」

 

 空良や桜田は、春日について何も知らない。今更中止するのにちょうどいい言い訳も見つからず、いや、中止にしたところで楽しみが一つ減るだけだ。

 問題なし――明日ドキドキ☆ワクワクの宿泊会は雨天決行である。

 

「氷空、ちゃんとお菓子とか用意しておけよ!」

「遠足かよ。それはいいけど、面子ってヤマトさんとか碓氷さんとかもいるんだろ?」

「部屋分けなら勿論男女別だ。風紀は俺が守る」

 

 明がヤマトタケルと同じ部屋で寝るとか、アルトリアがヤマトタケルと一つ屋根の下に暮らしているとか、そういうふしだらなことは許さない所存の土御門一成である。

 だが氷空は首を振った。

 

「いや部屋はそうとしても、成人してる人は夜酒飲みたいんじゃないのか?」

「……あ~~」

 

 言われてみればアーチャーはホテルで夜にちびちび飲んでいるらしいし、ランサーやアサシンは酒が好きそうだ。

 碓氷邸に何度か足を運び冷蔵庫や台所を使ったことのある身だが、料理用の酒以外はみた覚えがないため、明たちは飲まないとは思うが、すっかり忘れていた。

 

「やばい酔い方するのいないと思うし……多分……飲みたきゃ勝手に飲むさ」

「ふーん。ま、そういうならいいか。俺は桜田と行くけど、お前は?」

「あー俺は、アーチャ……ふ、藤原の叔父さんと示し合わせていくから」

「わかった」

「じゃ、俺は用があるから先に帰る」

「じゃあまた今度……いや、俺も今日は用があるからもう行こう」

 

 また今度――本当に何気なく交わしている言葉に重みを感じた。

 明日はまだ来る。明後日は? 明々後日は?

 

 頭を左右に振って吹っ切り、氷空と教室から廊下へと足を踏み出すと――唐突に目の前に、榊原理子が立っていた。「おぅあ!!」

 

 彼女は一成のリアクションの大きさに驚いて目を見開いたが、直ぐに「なにやってんの」と呆れた声を出した。「あ、氷空も一緒なのね」

 

 遅れて練習に顔を出したときはどことなく元気なさそうだったが、今はいつもの元生徒会長だった。そういえば、昨日は相談も何もなく別れたため、今日はどうするかの話し合いをしていなかった。

 そのために、男子更衣室化している教室前まで来てくれたのか――今は氷空がいるから、まだ話は後になるが。

 

「あれ、桜田は?」

「桜田氏は用事があると先に帰った」

 

 というわけで、一成、理子、氷空の三人で帰宅する流れになった。校庭ではサッカー部がこの炎天下に試合をしていて、走っていない一成達さえ余計に暑い気分になった。

 校門に向かって歩きながら、理子は言った。「明日の宿泊会はやるのよね?」

「もちろんだ」

「そうよね。楽しみにしてるわ」

 

 彼女は言外に「中止にしたところで事態が好転することもないし」と、了解してしまっているようだった。

 しかしおや、と一成は首を傾けた。声をかけたものの、そんなに彼女が乗り気になってくれるとは思っていなかった。面子だって彼女と仲のいいメンバーではない。自分と氷空、桜田はいるが仲のいい女子はいない。

 

「声をかけたのは俺からだけど、お前がそんなに楽しみにしているとは思わなかったぞ」

「……そうかもね。でもヤマトさんたち話ができるのはそうそうある機会じゃないし……それに、あんたや氷空もいるしね」

「「……え?」」

 

 空耳だろうか、夏の暑さのせいだろうか。なかなかにありえないお言葉を聞いた気がする。その気持ちは氷空も同じだったらしく、一成と二人で顔を見合わせた。

 

「……土御門とは長い付き合いになってきたし、悪い奴じゃないってことは知ってるから。それに氷空も、ロリコンいい加減にしろって感じだけど悪い奴ではないもの」

「お、おう。そりゃ、よかった」

 

 一年の時は喧嘩、言い争いが絶えなかったが俺たちも大人になったと、多少動揺しつつも能天気な事を考えながら一成は汗をかいた。

 氷空は氷空で一年のころは厄介な生徒認定されており、同じクラスだった一成と合わせて二大面倒な生徒だった。

 

 三人で雑談をしながら校門を出た。さて、学校を出たはいいがこれからどうしたものか。一度自分の家に帰って明日用の着替えを用意しなければならないが、こんな昼からする必要はない。

 

「氷空クン、いたわね。あらそれに陰陽師のぼうやまで」

 

 聞き覚えのある甘い声につられ、一成は思わず振り返った。振り返らなければよかったと思った時には手遅れだった。

 

「……!? しっ、シグマ・アスガード!? 何の用だ!?」

「つ、土御門君……」

「さっ、悟さん!?」

 

 先導していたのはシグマ・アスガード――夏らしく白く大きなつばのついた帽子に、白い半そでの裾長Tシャツを、腰で縛っていた。淡い青色のマキシ丈スカートにサンダル。肩掛けにした茶色のポシェットがアクセント。彼女らしくないさわやかで夏らしい装いで――その右手はがっつりと山内悟の腕を掴んでいた。

 

「ああシグマタン、わざわざ学校まで来たのか。またカブト狩りには付き合うが、この方は誰だ?」

 

 ただ事ではないと慌てる一成と理子に対し、氷空は能天気かつほがらかにシグマに挨拶をし、悟に目を向けた。

 

「サトルは同居人。一緒にカブト狩りに連れて行ってもいいかしら、氷空」

「いい。俺は氷空満といいます。そこの一成氏……土御門くんの友人です」

「あ、俺は山内悟です。シグマさんとは……話すと長いんですが、同居人です」

 

 どうも、どうもとあいさつを交わす非魔術師と半人前陰陽師。慌てているこちらがバカではないかと思えるほど、普通の遣り取り。

 シグマの存在自体に警戒してしまうのは、もう条件反射みたいなものである。

 

 ……そういえば、昨日ハルカ・エーデルフェルトは悟のアパートに向かったのではなかったか。今彼の隣にいる、シグマ・アスガードとの戦いを望んで。

 結局ハルカはこの金髪魔術師と戦ったのかどうか。

 

 一成がどう聞くか悩んでいる間に、シグマは理子が一成の連れ合いだと気づくと、微笑んで目を向けた。

 

「……あら、かわいい女の子を連れているじゃない陰陽師。彼女?」

「ちっ、違います! ……土御門、何の知り合い!?」

「……一応、聖杯戦争関係のだ。男の方も」

 

 知り合いだが正直関わりたくないリストの上位に位置する相手の為、一成の声は低い。かつ氷空には聞こえない小さなボリュームで答えた。トンデモ思考の持ち主でなければ、Tシャツの上からでもわかるスタイルの良さを持つ金髪碧眼のお姉さんなんてとても仲良くしたいのに惜しい。

 

「今から私たちカブトムシを取りに行くのだけれど、付き合わない?」

「ハッ?」

 

 そういえば、昨日氷空がシグマとカブトムシ取りに興じていたとかいううわごとを聞いた気がする。

 

「……カブトムシならホームセンターでも買えるぞ」

「一成氏、それは前に俺も伝えたが、シグマタンは童心に帰ってカブトを狩ること自体を楽しみたいんだ」

「というか、今更というかずっとつっこみたかったんだけど、なんでお前は悟さん家に転がり込んだんだ。不倫が……」

「アサシンもいるからそれはない!」

 

 顔をぶんぶんと左右に振る悟を見て、やっぱりないよなあと一成は一人納得する。

 

「シグマたんは身体こそ成熟した女性だが、魂は幼女だ。もしかしたら永遠の幼女かもしれん。幼女でしかいられないのかもしれん。白紙なのだ」

 

 熱っぽくわけのわからないことを言う氷空は、同級生が見ればいつもの病気が始まったとしかみなされないだろう。

 しかしシグマは――夜のような、底冷えするような暗い金の瞳で彼を見た。痛いところをつかれた、というように。

 

「……氷空、あなたは本当に魔術師じゃないの?」

「たまによくわからないことをいうのもソーキュートだ。さて悟さん、俺も御一緒しよう」

「いや、僕は、できれば……」

「そうか。悟さんは見たところ社会人のようだし、お忙しいのかもしれない。シグマタン、俺だけでガマンしてくれるかな」

「もう悟はしかたないわね。行くわよ氷空」

 

 まるで悟が悪人のような言い振りだが、多分彼は悪くない。氷空は右斜め前、二車線の道路を挟んで向かい側にあるバス停を指さした。

 

「あの市内循環バスに乗って春日市立小学校前で降りると自然公園が近い。行こうか」

「ええ」

 

 一瞬の暗い瞳はどこへやら――いつもの何を考えているのかわからない碧眼で笑い、氷空の手を取りスキップしかねない足取りで近くの横断歩道を渡って行った。

 これだけ見れば、天真爛漫な外国人美女が日本でサマーバケーションを楽しんでいる風情である。

 

 悟はまだ午前中にもかかわらず、疲れ切った表情で息を吐いた。「……土御門君、ありがとう。どうにか助かったよ」

 

「……まあ、シグマが悟さんに何かしようと思ってたらとっくにしてたと思うんで、俺は何もしてないですけど……。あの、昨日ハルカという魔術師が来ませんでした?」

「……来た! なんかシグマさんと戦いたいって物騒なこと言ってて、シグマさんが帰ってくるまで居座ると……」

「……さっき、シグマといましたけど、ハルカのことは言ったんですか」

「……迷ったけど、アパートを壊されても困るので、言えずじまいで……結局シグマさんがうちに戻ってきたら鉢合わせることになるけど……」

 

 悟曰く、今日朝起きた時にはハルカとそのサーヴァントはまだ居座っていたそうだ。悟は今日休日で、食料を買い出しに出たところをシグマに捕まって、今に至ると言う。

 

 シグマ自体はアパートに転がり込んできたとはいえ、具体的に悟に対し被害を出すようなことはしていないようだ。一成から見て、今のシグマには聖杯戦争時の毒々しさというか、すべてを呑み込まんとする貪欲さはないように感じた。

 むしろ不覚にも、少しキリエに似ていると思ってしまった。

 

 しかしキリエの天真爛漫さは、彼女の性格と冬の城から出たことのなかった世間知らずさと好奇心の強さによる。だがシグマは封印指定を逃れるため色々な場所をうろついてきたろうし、そもそも彼女が魂を食おうと思うならさっさと食っている、と、そこまで考えて、一成はある可能性に思い至った。

 

(この春日では死なない。死なないということは、シグマは魔術師を殺して魂・刻印を食うことができない……殺しても、なかったことになる……)

 

 考えに耽り始めた一成を呼びもどしたのは、悟だった。

 

「土御門君、それより確認したいことがあるんだけど……。ハルカさんが言ってたんだけど、その、この春日はニセモノで、自分たちもニセモノで、本物は別にあるとか……」

「……」

 

 この人も知ってしまったのか。聖杯戦争参加者の中でも、その事実を知らないままのほうがよかったのではと思う人が。

 ハルカはアサシンのように、悟が聖杯戦争に参加すべきだとかやめたほうがいいとか、魔術に関わるべきかそうじゃないかなど気にしない。シグマを住まわせている人間が、魔術と無関係のはずはないとの仮定で動いたのだろう。

 

 一成は即答はできなかったが、悟はその沈黙を肯定と取った。

 

「ほんとなんだ。って言われても、全然実感がないんだけど……」

 

 実感なんてあるものか。記憶におかしなところがあることを理解していても、この身体はちゃんと十七年生きてきたと思っているのだから。

 気まずい沈黙が下り、悟はいきなり話を変えた。

 

「……そうそう、宿泊会って明日だったよね? やるのかな」

「……は、はい。決行です」

「俺は行けないけどアサシンは行くみたいだから、楽しんでね」

 

 一般の社会人にいきなり一泊しましょう、といっても無理だろうなあと思ってはいたため、一成は申し訳なさもある。

 アサシンに土産でも持たせるかと思いながら、小さく頭を下げた。

 

「えーっと、彼女は、同級生?」

「始めまして、榊原理子です。土御門くんのクラスメイトです……私も魔術師です」

「えっ!? ……もしかして魔術師ってそこらじゅうに歩いている……!?」

「いや、碓氷曰く春日に居ついている魔術の家系は碓氷含めて四家らしいので、そんなに……俺とか榊原はいついているわけじゃないのでノーカンですけど」

 

 短期間にたくさんの魔術師を知ってしまった悟から見れば、いままで気づかなかっただけで沢山魔術師がいるように感じられてしまうようだ。

 イギリスの時計塔や京都ならともかく、霊地とはいえ春日では石を投げれば魔術師に当たる、ということはない。

 

「そ、そうか。けど榊原さんは聖杯戦争には参加しなかったんだね」

「はい。聖杯戦争が開催されることは聞いていましたが、私の実家は聖杯が本当に願いを叶えるかについて懐疑的だったので、その時期は帰省していました」

 

 聖杯戦争に参加するマスターは聖杯が選定する。御三家には優先的に参加権が与えられるが、それ以外は当人の意思と魔術師であるかどうか、さらには聖杯と縁深い者が選ばれる。

 それでも人数が足りなければ、開催地にいる魔術の素養がある者から選び出される。成功するかも怪しい儀式に参加させ後継者を危険に晒すべきではないと、実家の意向により理子はその時期春日に居なかった。

 

「そうか。それはよかった。……じゃあ俺は買い出しできてないから、ここで。宿泊会の話はアサシンからでも聞かせてもらうよ」

「はい」

 

 手を振って何事もなかったかのように悟と別れ、一成と理子と並んで春日駅へと向かう。自分のマンションも理子のマンションも駅方面なので、自然と一緒になる。

 

「全然魔術師に思えなかったけど、あの人も参加者なのね」

「悟さんは先祖に魔術師がいたんじゃないのかってのが碓氷の見立てだ。うん、一般人だな」

 

 もう何日くらい雨が降ってないだろうか。絵にかいたような夏の酷暑が続いている。住宅街に歩く人はまばらで、立っているだけで汗が吹き出しそうな気温では外に出たくもないだろう。

 

「……この春日のこと……どうにかしたい、わね」

 

 それは一成も同じだ。だがどうすれば正解なのか、わからない。タイムリミットは今日を入れて三日、正味二日。暫く無言で歩いていると、不意に理子が口を開いた。

 

「……ねえ、土御門」

「何だよ」

「色々ありがとう」

「……!?」

 

 余りの衝撃に、一成は一歩飛びのいてしまった。高校入学以来の付き合いになっているが、感謝の言葉などかつていわれたことがない。理子は思い切り顔をしかめた。

 

「その顔は何よ」

「いや……ど、どういたしまして?っつーか、俺、お前になんか礼を言われるようなことしたっけ?」

「……具体的にこれ、というのはないわ。だけど、(サーヴァント)たちと知り合えて色々なことができて、楽しかったから」

 

 最初は義務、使命感で春日の巡回をしていた。

 しかし一成と遭遇し、サーヴァントたちとも出会った。彼女としては不覚でもあるが――結果として何か掴めた事実はなく、根本から無駄だったかもしれなくても、楽しいと思ったのだ。

 

「……おう。俺も楽しかったぜ。お前口うるさくはあったけど」

「一言多いわね。あんたが私を口うるさくさせない程度にしっかりしていればいい話じゃない」

「……やっぱり口うるせえ……」

 

 一成が小声で言った言葉を、理子はしっかりと捕えていたが小さく溜息をつくだけだった。

 

「……ま、私がやたらと世話を焼くのは、あんただけじゃなくて友達からも言われるから……それなりに気を付けはするわ」

「しゅ、殊勝か!?」

「あんたに殊勝って言われるとなんか腹立つわね……それより明日だけど、私今日の夜から暇だし、今から帰って準備するから今日の夜泊まってもいい?」

「アーチャーなら二つ返事だろ。わかった。お前、結構高級ホテル楽しんでるだろ」

 

 理子は図星をさされてちょっと顔を赤くした。「あんたもでしょ! ……じゃあ私、家こっちだから」

 

 真っ直ぐ歩いた先に春日駅南口が見える十字路で一成と理子は別れた。

 結局明日の宿泊会参加者は自分、アーチャー、ヤマトタケル、アルトリア、碓氷明、アサシン、キリエ、ランサー、真凍咲、氷空満、桜田正義、榊原理子というカオスな面子だ。欠席者は山内悟(仕事)、神内御雄、美琴、キャスター(人間だらけの場所はパス)、バーサーカー(留守番)とのこと。

 ライダーに関しては神父へのメールで聞いてくれと頼んだが無回答で欠席扱いだ。

 

 一成は信号を待ちながら両手を頭の上で組んで伸びをした。折角の謎宿泊会である。やるからには楽しまなければ。

 



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夜① 破滅の王が見る(過去)

 ――天に唾吐け。己が運命に牙を立てよ。

 たとえ結果として、報われることが何ひとつなかったとしても。

 

 走水の海に消えた弟橘媛――それでも、神命であり帝の命でもある東征は終わらない。

 編纂事象の日本武尊は、そのまま東征を続け美夜受媛のもとに神剣を置き、伊吹山で致命的敗北を喫して死を迎える。

 

 編纂事象の日本武尊は、己の運命と己自身に絶望し諦めていた。

 故に、死ぬ為に剣を棄てた。

 

 剪定事象の日本武尊は、運命に対し激怒した。故に、抗うために剣を棄てた。

 ならば、日本武尊は――何故、運命に怒り狂ったのか。

 

 

 

 巫女は、神霊を降ろすもの。神霊の意思を伝えるもの。

 その究極形は、自らが神域そのものとなることである。

 

 編纂事象の弟橘媛は、神話に伝わる通りに走水の海で死に、海神の妻となった。とはいっても、海神が弟橘媛を求め夫妻となったのではなく――彼女が、神霊の一部となったことを意味する。

 自らを神霊と一体化することにより、一時的に己の意思で空想具現の力さえも操る。嵐の日本武尊を救ったのは、紛れもなくこの御業。

 だが神霊の一部になってしまえば、もう人には戻れない――大いなる力の一端となってしまえば人の時分に思っていたことはすべて吹き飛ぶ。

 

 だからそれは――人身御供は、一回限りの奇跡。そして人間としての弟橘媛は消失したが、死んではいない。神霊の一部に成り代わっただけで、死してはいない。

 

 ゆえに編纂事象の弟橘姫は、生きてもいないが死んでもいない。英霊の座に登録されてすらいないため、サーヴァントとして召喚されることもない。

 

 しかし、剪定事象の弟橘媛は、神霊の一部にはならなかった。

 海神とどのような遣り取りをしたのかは、日本武尊にはわからないが――生きて常陸の地にて、彼と再会したのだ。

 

 彼と弟橘媛は、再会を喜んだ。部下たちももちろん再会を喜んだ。そして東征を続け、いくつかの夜が過ぎた、とある夜に――弟橘媛と日本武尊は焚火に当たりながら、走水での話をした。

 彼女にとっても最大の危機であったあの海を越えてしまったことの気の緩みから、彼女は話してしまった。

 きっとこれ以上の危機はないと思ってしまったから。

 

「私が生まれたのは、小碓様の東征を助ける為だったんです。いざとなったら自分が神の一部になって、小碓様を救うのが生まれた意味だったのです。もっと行っちゃえば、小碓様というより、神の剣を護る事そのものが私の役目だったんです」

 

 彼女にとっては、幼いころに倭姫命から告げられた当然であたりまえだった神命。

 大いなる東征を果たすための(犠牲)として生を終える予定だったことを――話してしまった。

 

「――お前は、神命の為に死ぬつもりだったのか」

 

 剪定事象の日本武尊は、己が神命――東征をするために生まれてしまったことを、わかっていた。その運命に部下や弟橘媛を巻き込んでしまったことに引け目を感じ、なんとか全員無事に大和に帰ろうと粉骨砕身戦ってきた。

 

 ――だが、それは違った。甘かった。

 神命は己だけにあるものではない。今まで、もうそうなってしまったのなら仕方がないと、目的を達して無事に帰ろうと考えてきた。

 この身は、もうどうでもいい。だが、彼女まで粛々と身を投げなければならないのか。

 

 俺一人では、足らないと言うのか。

 

 父帝は、日本武尊(じぶん)の幸せなど眼中になく、ただただ大和の平穏と平和を望んでいる。それは、それでいい。弟橘媛も、そうだ。

 

 彼女は日本武尊の幸せのためにいるのではない。

 

 しかし、彼が望んだのは大和の平和なんかじゃない。もっと小さく細やかな、ただ一握りの人の幸いである。

 その一握りの人が「平和」を望むから、障害はすべて殺すと決めた。

 

 だが、その平和の、神命の代償に求められるものが、その「一握りの人」だったなら。

 

 ――日本武尊。神の剣にとって、平和なんて価値はない。

 

 

「……お前は、それでいいのか」

「それって、何がですか」

 

 弟橘媛は、きょとんとして答えた。

 彼女はまた、走水の海のようなことがあれば、きっと――。

 

 ぽつり、と天から水が垂れた。星が見えない、暗い夜は曇っていたから――その雨垂れとともに、天啓は降りた。いや、黄泉からの知らせかもしれない。

 

 ――そうだ。俺自身が、この役目自体に縛られた者ではないか。

 

 日本武尊という呪いと運命の元に生まれたなら、弟橘媛に「それは従うべきものではない」と示すなら――自分の運命にこそ、抗ってみせなくてはならないのではないだろうか。

 

 憎んだものは、神霊と――それ以上に、ただ「神命」だからという理由で運命を受け入れていた己そのもの。

 

 

「小碓様、雨です。小屋に戻りましょう!」

 

 弟橘媛が慌てて立ち上がり、日本武尊の袖を引いた。彼は先に戻っていろ、と言った。

 彼女は小首をかしげていたが、それ以上踏み込むことなく二つ返事で先に戻った。

 

 彼は激しさを増してきた雨も気にせず、腰元の剣を鞘こと手に取ると、両手で上から掴み――そして勢いよく、太腿に叩きつけた。

 剣を胴から真っ二つに力づくで叩き折ろうとする所作であった。

 

 しかし、これまで彼の膂力で振るわれて折れなかった頑丈さと、天羽々斬剣も欠けさせる硬度を持つ剣である。折れてはくれなかった。

 

 彼は面倒くさそうに剣を持ち上げると、息をついた。

 

「壊せぬのなら、捨てるか」

 

 

 

 *

 

 

 

 

「……」

 

 ――暫し、(過去)を見ていたようだった。アヴェンジャーは盛大に溜息をついて、無造作に立ちあがろうとした――が、自分が木の上で気を失っていたことに気づき、足を踏み外して落下するところだった。

 彼は姿勢を整えるだけにとどめ、その場でもぞりと動いた。

 

 陽は、暮れ切っていた。月の姿を留める美玖川は、風もなく、まるで鏡のように静まり返っていた。

 

 最も新しい記憶は、土御門神社にて邂逅したキャスターと碓氷明に割って入り、ハルカ・エーデルフェルトの礼装によって捕えられた。

 だが、これまた割って入ってきたライダーに助けられて、自分は逃げた――ところまでだ。美玖川に来たかどうかは、記憶にない。

 

 正直時間間隔も怪しいが、おそらく昨日逃げてから丸一日が経過しているのだろう。夜の気配が、昨日時点より薄い。

 

 ――限界は近い。予想通り、明後日の夜が限界で、事によってはより早まる。

 

 聖杯の呪い、この世全ての悪を受け続ける――それは並々ならぬことではない。四六時中毒を飲み続けているようなもので、それがもう九日は続いている。

 

 神代文字を駆使して呪いの一部を黒狼として放し飼いにしているが、これは作りすぎると今度は春日を汚染しはじめる。

 

 もし己が完全に呪いに侵されたら、正気を失い結界を荒らしつつ身から溢れた呪いが結界を変貌させるだろう。だから、それでこの世界は終わってしまう。

 

「……顔は会わせるつもりは、なかったんだがァ」

 

 最後まで顔を合わせるつもりはなかった。だが、碓氷明とキャスターが顔を合わせるのは避けたかった――自分の意識がしっかりしていれば、明の方を足止めしにかかれたのだが、今と同様に気を失っていていたため、行動が遅れた。

 

 キャスターと碓氷明が顔を合わせてしまうと、おそらく、自分(アヴェンジャー)の存在がキャスターに知られてしまう。碓氷明は自分のことを話し、問い質すに違いないかとわかっていたからだ。

 だがもう自ら姿を晒してしまったのだから、後の祭りではある。

 

 それに、言いたいことは言った。

 何がどうなろうとも、キャスターはキャスターのために戦うべきなのだと。

 

 アヴェンジャーは、この世界(結界内)において聖杯にして創造主であるキャスターに召喚されてから――キャスター自身に召喚した意識はなかったろうが――結界の維持に努めてきた。

 そのために、世界を崩壊させうる対象であるライダーと碓氷明には接触し意向を計ってきた。結局ライダーも、碓氷明も、泥に触れようとした影景もここを崩壊させる意思などなかったので、アヴェンジャーは何一つする必要はなかったのだ。

 だがライダーのように因果律を見通せないアヴェンジャーは、自ら彼らに接触して確かめるしかなかった。

 

 アヴェンジャーは召喚された際に、キャスターが手にしていた春日記録装置の記憶を共有されたため、状況把握に困ることはなかった。だがキャスターが何をしたくてこの結界を作りだし、維持を続けているのか記録装置ではわからない。それでも彼女がここを消そうとしない以上、維持したいと考えていると想定すべきだった。

 

 ならばアヴェンジャーのすることは決まっている。この世界を維持することだ。

 

 勿論それをキャスターから頼まれていない。彼女がアヴェンジャーを召喚したのは単に苦しすぎる聖杯の呪いを漏らさず、しかし自分以外にとどめておく入れ物を欲したから。

 彼はただ、注がれつづける現実世界からの聖杯の魔力(呪い)を黙って溜めこんでいればよかったし、苦しければ自ら死を選び、世界と心中することも選択肢としてはあった。

 

 それでも行動したのは――「自慰」のため。

 

 ――高天原から貸し与えられた神剣・天叢雲剣。あれは、この日本武尊に絶大な守りの力をもたらした。あれなしでは、いかな日本武尊でも東征は困難を極めただろう。

 

 しかしあれは同時に「呪い」でもある。神霊の加護を過分に得るのが一時的ならまだしも、何年も何年も身に纏えばその感覚と思考はよりそちらに引きずられていく。

 そもそもが人ではなく剣として生まれた日本武尊なら、その引きずられ方もより激しくなる。

 

 アヴェンジャーがそれに気づいたのは、実際に剣を棄ててからだが……。

 

 アヴェンジャーが見るに、編纂事象の日本武尊は著しくその思考の変化が遅かった。まあその理由に察しはつく。

 あれは仕組みまで把握せずとも、神霊如きになりさがることを拒んでいたからだ。そこだけは、己も同じである。

 

 そして神の加護を捨てたからこそ、アヴェンジャーが理解していることがある。

 

 

 ――あの女は、国の崩壊を望んでいなかった。

 

 それでも自分は国を滅ぼした。

 彼女が望まぬと知っていたが、やった。自分がしたくてしたことなのだ。

 

 アヴェンジャーは、自分の人生に後悔はない。悔いこそあるが、すべては自分で選んだことだから、やり直そうなどとは思わない。

 

 災厄ばかりを振りまき、憎しみばかりを産んだが、結構だ。編纂事象よりははるかによい。

 

『……おい、ヤマトタケル』

「なんだ、真神」

 

 いつの間にか、月光を受けて神々しいほどの白を讃えた毛並みを持つ、大きな狼が木の音もとに坐っていた。大口真神、今は、榊原理子の使い魔としてあるもの。

 

『用はない。だが、生きているかと思った』

「フッ、嬉しいんねえ。こっちの俺の心配もしてくれるとは」

『お前もヤマトタケルだからだ……私も、最初は驚いた。ヤマトタケルの気配がふたつあるとは、俄かに信じられなかった』

 

 数日前、理子から呼び出し(召喚)を受けた直後から、真神は二つの気配に気づいていた。普段、召喚を受ける以外では実体化しない彼であるが、その気配を気にして春日を歩き回っていた。

 理子にできるだけ呼ぶな、といったのは、その時間を邪魔されたくなかったからにすぎない。

 

「お前が今の主人にそれを伝えなくて助かったぜ。もし伝えてたら、もっと早くキャスターにバレてたかもしれねえからな」

 

 アヴェンジャーは太い枝を股に挟み、両足を宙に浮かせて前後に振った。

 

『……ずっと不思議だったのだが、何故お前は、そんなに妻から身を隠そうとした』

「……狼は義理堅いからなわからねえかもしれないが、俺らの夫婦ごっこは生前で終わってるのさ。今更過去を掘り返すのも面倒だ。お互い、好きにやるにはもう会わないのが一番だろう」

『そういうものか』

「そういうもんなんだよ」

 

 今日もまた、夜が来た。

 キャスターは、今度こそ自分のために戦っているのだろうか。

 

 



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夜② 三人デート

 空が橙色に染まる夕暮れ時、明は真神三号にドッグフードを与えていた。犬小屋から飛び出し、無心に食べる真神三号を見つめている。

 確信はないが、真神三号はえだまめである。正確に言えば、春日自動記録装置に記録されていた、えだまめをもとに作られた犬だ。あまりにも、かつてかわいがったえだまめと似すぎている。

 ただ今は、そのえだまめをベースに、真神三号の端末になっている。

 

「真神三号はえだまめの生まれ変わりだと思っておこう」

 

 自分勝手とは承知だが、うれしかった。セイバーたちだけではなくて、こんな子とも再び出会えたことが。

 そんなしみじみとした気持ちになっていた明の背後から、突如意味不明なことを叫び出した犬系サーヴァントがいた。

 

「よし、明。今からデートに行くぞ!」

「は? なんで?」

「……なんとなくだ!!」

 

 この謎の発言、どうしてくれよう。確かに自分は今日、予定がないといった気はするが、自分から言い出すなら計画でもあるのかな?と思ってしまうのは人情であろう。

 というか、自分とセイバーはカップルでも夫婦でもないからデートではないのではないか。とにかく行きたい場所でもあるのだろうか。

 

「どこか行きたいの?」

 

 明がそう尋ねると、セイバーはそそくさと一度屋敷に戻ると、なぜかアルトリアを引き連れて戻ってきた。そして彼女の肩にポンと手を置いた。

 

「騎士といえばエスコート。エスコートといえば騎士と聞いた。任せた。適材配慮」

「適材適所ね」

「全く話の流れが読めないのですが」

 

 ヤマトタケルセイバーには、もう少し段階を踏んで話すようにしてほしい。とにかく、彼はデート――というわりにアルトリアも一緒の三人デート? でもいいから、出かけたいらしい。

 しかし、したいことも特にないと来れば、三人で出かけることが自体が重要なのか。いや。

 

「もしかして、私をどこかに連れて休みを楽しませたいけど、自分には案がない?」

「それだ!!」

「回りくどっ」

 

 春日に帰ってきた設定以降、体調を崩したり、父と戦ったり、それのけがで休んだり、ボウリングも途中で抜け――なにより一人すべてを知っていることが、心の底に引っかかり続けていた。

 言われてみれば、休暇らしい楽しみは少ない。

 

「……どうしてもなにもないなら、俺のめくるめくコスプレツアーをしようと思うが」

「それでは楽しいのはあなただけでしょう。そうですね……私はかつての聖杯戦争で、少々そういった娯楽をした記憶があるようです。ウィンドウショッピングとか、バッティングセンターとか、喫茶店で食事とか、楽しかったような気がします」

 

 二人とも「人の幸せを見て微笑む」という点では似ているが、今は自分で楽しいことも考えるようになっている。アルトリアも明を伴って遊びに行くこと自体は賛成のようで、案を出してくれた。

 

 ここまで誘われて、無下に断るほど明は人情なくできていない。「じゃあ行こうか。あんまり運動はしたくないから、なんかやってる映画でも見ようよ。そのあと、ごはんなりウィンドウショッピングでも」

「……そうしよう。では、着替えて玄関に集合だ!」

 

 

 

 

 そして二十分後、三人は玄関前に集まっていた。明は白いオフショルダーに水色のミモレ丈のスカート、黒のパンプスにショルダーバッグ。

 アルトリアは襟元が黒くリボンで結われた白基調のワンピースに夏用のブーツ。ヤマトタケルは無難にワイシャツとズボンに革靴だった。

 

 すでに空は紺色に染まり、夜が近いことを教えていた。

 三人は私鉄を使い、一駅で春日駅に到着した。南口から歩いて五分の位置にSEIHOシネマがある。今何の映画がやっているかわからなかったため、上映時間がぴったりのものにしようと決めていた。

 

 券売機、グッズ売り場の周辺には多くの人がいる。映画館特有のやや薄暗い空間の中、ポップコーンやドリンクを求めて並ぶ人々、入場時間になるまで待つひとびととさまざまだった。

 そしてちょうど二十分後に上映が始まるもので、「今日、君に恋をする」という、漫画の実写化映画があった。明はCMで存在を知っていたが、予想通りヤマトタケルとアルトリアは知らないという顔をしていた。

 明も映画はパニック映画やサスペンスを好むため、恋愛モノは見ない方だったが、たまにはいいかとそれに決めた。

 

 ――内容は原作少女漫画のため、そう小難しくはなく、最初に登場人物紹介も差し込まれており、明たちにも理解できた。ただ、明の趣味の映画とは違ったため、手放しで面白いといえなかった。

 

 

「……ずっと気になっていたのだが、結局あの男は女のことが好きなのか?嫌いなのか?」

「好きでしょう」

「でも「お前なんて嫌いだ!」って言っていたが」

「それは……照れくさいというか、照れ隠しというか……思っていることの反対を言ってるのですよ。一般的にはつんでれ、というらしいです」

 

 割合仲良く映画の感想を言っているセイバーコンビの気配を感じつつ、明はほほえましい気持ちで映画館から出た。さて、夕食を取るにもいいころ合いであり、この映画館のフロントと同じ階に、レストランが入っていたはずだ。

 カジュアルイタリアンか、そばか、中華か、ファミレスか――と考えていると、背後から声をかけられた。

 

「明! お前なんか嫌いだ!」

「あ、そう」

「いや、嘘だ、これはツンデレというやつで」

「……ツンデレの素質がなさすぎる……それより、何か食べたいものある?」

 

 一応セイバーズの意見を聞くが、明は昼ごはんが遅かったため空腹ではないが、小腹がすいていた。彼等に希望がなければ、ちょっとした案を上げようと思っていた。

 

「俺は特に希望はない」

「アキラは?」

「……もしよかったら「ヨキ」に行かない? 空いてればご飯だけじゃなくてダーツも出してもらえるかも」

「ダーツ。あの……矢のようなものを的に投げる遊戯ですね。テレビで見ました」

「そ。あれ、発祥はイギリスとのうわさ」

 

 ダーツはその形自体は、古来より狩猟につかわれてきた弓矢を模したものだと言われる。十四世紀、百年戦争中のイギリスにて酒場でたむろしていた兵士たちが、暇つぶしにワイン樽めがけて矢を投げたのが起りらしい。

 その後もっと手軽に遊べるように、的が板になり矢ももっと小さくしてなどの変遷があり、十九世紀ころに今の形態に近い形に定まったそうだ。

 

 三人でダーツをしようという流れになり、一行は映画館を出てヤマトタケルのバイト先のカフェに向かう。不定休のため明が電話をして確認したところ、無事店主が出て営業中だった。

 

 カフェ「ヨキ」は、本当に道楽喫茶で良くも悪くも商売っ気が薄い。雑居ビル二階のカフェは、明たちが入るのとちょうど入れ代わりに出てきた女性二人組だけで、中はカウンター向こうのキッチンに店主が座っているだけだった。

 

「相変わらずやる気のない店だね」

「趣味でやってるって言ってるだろうが、明さん……友達でも連れてくるのかと思ったらヤマトとアルトリアさんか」

 

 一応地主の娘のため、店主は明に対しては多少気をつかう。だが店主自身もそこそこの資産家である。店主はよっこらしょと腰を上げると、キッチンの奥――一度スタッフルームに引っ込み、ガラガラと何かを引きずり出してきた。

 

 ヤマトタケルの身長とどっこいどっこいの高さで、ダーツの的が上部についており、その下には四つの小さなディスプレイがついている。それぞれのディスプレイの下にはP1、P2~P4と書かれていて、さらにその下にはコインの投入口がある。

 

「ワンゲーム百円だが、明さんの手前ただにしてやるよ。だがコインを入れないと動かないから一端金は入れてくれ」

「……これがダーツをするための機械なのか。掃除のときに邪魔だとずっと思っていたが」

「なんだヤマト、お前ダーツ知らんのか。……食事をしながらするなり飲み物を頼むなりしてくれたら、好きに遊んでくれ」

 

 店主はさらにカウンターの上からダーツの矢をプラスチックのケースに入れて出した。ヤマトタケルはダーツに興味深々だったが、アルトリアはむしろ食事をしたいで、着席してメニューを眺めていた。

 

 ここならば駅前ほど騒がしくもなく、食事もできて、なおかつダーツのような遊戯もある。おそらく店主に言えばトランプやウノ、人生ゲームも出てくるだろう。店主が追加でルールブックをヤマトタケルに投げつけていた。

 

「アルトリアってここに来た記憶はある?」

「ありますが、その口ぶりだとあなたの知る限り、私はここに来たことはないのですか?」

 

 もう秘密を言ってしまったあとだ。明もアルトリアも、必要以上に重く気負った雰囲気はない。

 

「……うん。多分、ねつ造だと思う」

「そうですか。初めてのはずなのに初めてではないというのは、不思議ですね」

 

 アルトリアは注文を決めたらしく、店主にBLTサンドイッチと食後のパンケーキを頼んだ。明はここに来るときで軽食はのりサンドイッチと決めているので、ついで注文した。

 

 ヤマトタケルは一人ダーツの機械をいじり、百円を入れて機動させていた。明はなぜヤマトタケルがゲーセンのパンチングマシーンを破壊したのか聞いたが、彼に力加減ができなかったからではない。

 店員に「全力で殴っても大丈夫ですよ」と言われたのを真に受けて筋力Aでぶん殴ってしまっただけだったそうだ。そもそも、力加減ができなければ碓氷邸は疾うに崩壊している。

 

「オイヤマト、サンドイッチとケーキを御嬢さん方に渡してやれ」

 

 既に一人でダーツに没頭しているヤマトタケルに、店主は遠慮なく命じた。店主のヤマトタケルの扱いはかなりぞんざいだが、彼としては存外悪い気はしていないらしい。

 

 ダーツの的を見ると、流石にダブルブル(中央の一番小さい丸)に突き刺さっている矢はないものの、すべて的に当たっているようだ。アルトリアも初めてでも、コツを呑み込むのは速そうな気がする。

 

 見るからにボリューム満点のBLTサンドを頬張りながら、アルトリアは首を傾げて明のノリサンドを見た。トーストに醤油をかけ、のりを挟んだだけの非常にシンプルな代物である。明が食べるかと聞くと、彼女はおずおずと手を出した。

 

「む……シンプルながら、おいしいですね。あの餅の……磯辺焼きのような」

 

 食事をするアルトリアは常々幸せそうである。残された日数も少ない――明は、少々気になっていたことを聞こうとした。

 

「私、結局アルトリアのマスターでもなんでもなかったわけだけど……その、興味本位なんだけど」

「何でしょう」

「宝具って、今何もってる? エクスカリバーと、風王結界……それに鞘?」

「……鞘は、持っていません。私が春日自動記録装置の記録から再生されたとすると、冬木の戦争において鞘を使っていなかったか、持っていなかったのかもしれません。しかし何故?」

「あ、いや興味本位。見たかったな~って。私、聖杯戦争でヤマトタケルの天叢雲剣も見てないんだよね。草薙は見たけど」

「何!?」

 

 ストン、と勢いよく放たれたダーツが的を外した。明の一言を聞き咎めたヤマトタケルが明たちの方に顔を向けた。「そんなことは……いや、そうか」

 

 一度目の天叢雲剣は、大西山決戦。だがその時明は酷いけがを追い、宝具射程外の岩陰で気を失っていた。

 二度目の天叢雲剣は美玖川のヤマトタケルVS神武天皇の最終戦で、その時明は地下大空洞でシグマと鎬を削っていた。三回目は大聖杯を破壊するため、地下大空洞で放ったが、空洞崩壊を危ぶんだヤマトタケルによって、明は地上に逃がされていた。

 

「何だ早く言え。どこかでぶっ放すか」

「そんな打ち上げ花火感覚で言われても。いいよ、被害が出そうだし」

「被害も何も、ここは本物の春日ではないだろう。ならばここで死人が出ても、それは死人ではない。そのうえ、ここでは死人は蘇る――なかったことにされる」

 

「……それは「ヤマトタケル、それは違う。ここは仮初かもしれない。それでも、市井の人は彼等の人生が「本物」だと思って生きている。生き返るから殺していい? 苦しみを与えてもなかったことになるからいい? そんなわけはないでしょう」

 

 ヤマトタケルの口調が少しでも冗談めいていれば、アルトリアとてここまで強く言わず、呆れる程度で済んだ。彼女が厳しいのは、彼なら本当にやりかねないと知っているからだ。

 結界によって与えられた虚偽の関係性であっても、理解は相当に深いようだ。

 二人とも生真面目で一見気があうように見えるが、彼らが是とする事柄は違うため、一致団結にはならない。ただ、明としてはアルトリアに賛成なのである。

 

「……ヤマトタケル、気持ちだけもらうから絶対にしないでね」

「……」

 

 若干いじけながら、ヤマトタケルは無言ですとんすとんとダーツを投げていた。アルトリアの腹ごしらえが済んだ後、三人でダーツの点数を競った。

 ダーツにも色々な遊び方があるが、一番単純な「カウントアップ」――(8ゲーム×3投)で、総合点を競うことを行った。

 

 途中店主も参加してダーツを投げまくった結果、何故か店主が一位を攫い、二位が明、三位がヤマトタケル、四位がアルトリアになった。

 一人で投げていた分若干経験値の上がったヤマトタケルが三位におちついたが、勝負ごとにおいてはアルトリアもかなりの負けず嫌いで、何回も勝負をやってしまい、時刻は十一時近くなっていた。

 

 なりゆきで店じまいまで三人で手伝い、店主に見送られて喫茶店を後にした。夜はとっぷりと暮れて、終電も近い頃合いだった。人が少ない事もあり、三人はヤマトタケル・明・アルトリアの並びで少し横に広がりながら歩いていた。

 

「いや~~疲れた。ほんと負けず嫌い×2はツラい」

 

 アルトリアとヤマトタケルは互いに眼をそらしていた。春日はこんなにも平和で呑気なのに、それが終わってしまうとは信じがたい。嘘ではないかと思ってしまう。

 

 アルトリアは、消えて困ることはない。今だ名前も思い出せないかつてのマスターが、自分の気のせいではないと、本当にいたのだとわかっただけでも満足だった。

 明のことも、誰のことも責める気はない。だが、それでも一つだけ心残りがある。

 

「……アキラ、あのアヴェンジャーは……」

「? アヴェンジャーがどうしたの?」

「彼は、放っておいてもいいのですか」

 

 明は首を傾げた。「彼を倒しても事態はよくならないよ。むしろ、あれはキャスターに代わって穢れを一手に受けて溜めこんでいる。うかつに殺せば、その瞬間に結界が壊れる」

「……そう、ですよね」

 

 アルトリアの顔に陰りがあった。ただ、もう仕方がないと思う顔でもあった。先日のアヴェンジャーとの一戦、彼の宝具によってまんまと必殺の宝具を利用され敗れた記憶。

 

 常勝の王として、それは完全に敗北の苦しい記憶だった。

 

 敗北を雪ぐには、再び戦って勝利するしかない。しかしもう、これは聖杯戦争ですらない――彼と戦う理由が、自分の口惜しさ以外にないのだ。

 

 沈黙したアルトリアに変わり、明が何とはなしに尋ねた。

 少々聞きづらいことではあったが、アルトリアがアヴェンジャーのことを話の俎上にのせた、このタイミングに乗った。

 

「……ヤマトタケルはさ、アヴェンジャーのことをどう思うの?」

 

「特に何も」即答だったが、彼の答えを真に受けるほど、明は日本武尊ビギナーではない。

 

「……本当に何も? 同じ顔がいるって、変な気持じゃない?」

「双子の兄がいたから同じ顔がいることには慣れている。あれは、伊吹の山を越えた俺。俺が届かなかった地平に辿り着いた俺――だがな、ああはなり果てたくはない。俺は大和を滅ぼしたくない」

 

 ヤマトタケルには、ヤマトタケルだから感じ取れることがあるのだろう。大和を滅ぼす天の(すめらぎ)。何がどうなれば目の前の彼がそこまで変貌するのか、明には計りかねた。だが、彼はアヴェンジャーなる自分を認めてはいないが、きっとすべてを否定できていない。

 

 日本武尊は、生きることに疲れ、諦め、絶望して、伊吹山に死ににいった。

 

 しかし倭健天皇は、どんな動機であれ「死んでなるものか」という意思で伊吹山を越えた。ただその一点において、日本武尊(セイバー)倭健天皇(アヴェンジャー)を否定できない。

 必要とあらば倭健天皇と戦うが、基本的に関わりたくはないのだろう。

 

「それに、キャスター――昨日いたのに、何も話さなくてよかったの」

「? 何故俺とあれが話さなければならない」

「いや、生前の奥さんじゃん……世界は違ったけど」

 

 明はヤマトタケルが、「同じ顔が複数いても何も思わない」と言ったばかりであることを思い出した。自分と大碓とアヴェンジャーが全くの別人であるから、キャスターと弟橘媛は本当に別人に思っているのだろう。

 

「あれは俺と共にあった弟橘媛ではない。弟橘媛はもっとこう……あふれ出るアホっぽさがあった。歩いているだけで足許に花が咲くようなアホっぽさが……。それに比べるとあれの足もとに花は咲くまい」

 

 ヤマトタケルにしては実に曖昧で感覚的なたとえに、アルトリアと明は顔を見合わせた。彼は明たちの反応がよくわからず、不思議そうな顔をしていた。

 



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夜③ 巫女の悔恨、巫女の未来

愛は事故、恋は天災、私には不要だったもの。
――悲劇のヒロインとは、片腹痛い。
私は、国の為、あの人の為に身を投げたのではない。


「――小碓様、さっき、あっちで市が開かれてるっぽいです! あとで行きましょう!」

「そういうものは見つけるのが速いな。何か欲しいものでもあるのか」

「いや、別にないですけど」

「ならば何故行く」

「店に色んなものが並んでるのとか、おいしそうな食べ物とか、見てるだけでも楽しいじゃないですか!」

「……?」

「ンアー!! 何でそこで首を傾げるんですか! 常々思っていますが、小碓様は娯楽に対する感覚なさすぎです! もっと! こう! ハァイ!!」

「全くわからん。そぞろ歩きに何の意味が……この土地の調査……?」

「ンアー!! だから意味とか理由とか考えなくてもいいんですって! 楽しむのヘタクソですか!そんなんだと息つまっちゃいますよ!」

「む……。ならば、お前が娯楽に対する感覚?を教えろ。息がつまっては困る」

「……言っときますけど、息がつまるってのは窒息しそうって意味じゃないですからね」

「それくらいわかっている。俺よりお前の方がこう……人生を楽しむ術に長じているらしいからな……?」

「それ、誰が言ってたんですか?」

「弟公彦」

「ああオトさんですか……というか小碓様に比べれば誰でも長じてますけどね」

「!?」

 

 ――一番大好きな人も、もういない。

 

 私は大碓様の代わりに、彼が愛した、私が愛した国を護るために、この命を使う。彼が人を愛したように、私も人を愛して生きると決めたけど――彼がいないのだから、私はもう誰の何番目だって、構わなかったのだ。

 

 だから小碓様が美夜受媛(みやずひめ)様と婚約した時も、嫉妬とは無縁だった。

 美夜受媛様自体も気風のいい人で、むしろいい友達ができたくらいに、能天気に思っていた。

 そう、だからマジ一回寝たくらいで、「この女は自分の」面されるのムカつくんですよね! 好きじゃなくても寝ることくらいできるんです、死ね! ……こほん、話がそれました。

 

 何故、大碓様を殺したのか。その禁忌の問いを口にすることはできなかったけれど、私は小碓様こと日本武尊と、まあまあ仲良くやれていた。

 

 誰が神の剣であっても、私は隣に寄り添い、楽しい日々が送れるように努力したと思う。

 そして大碓様を殺したことがまるで嘘ではないかと思えるほどに、私たちの関係は穏やかだった。けれど、私は鞘として、神の剣の傍にいる。旅路にて、長く連れ添ってしまったが故に、他の誰もが気づかないことに、私は気づいてしまった。

 

小碓命(この人)は、まだ自分が他の人間と同じだと、思っている?」と。

 

 誰も、日本武尊の「神の剣」としての使命を告げなかった。ただ、誰も何も言わなくても、明らかに彼は「異質」いや、「異物」だった。

 如何なる傷も一瞬で治癒する加護はホイホイ誰にでも与えられるものではないし、誰でも人を人捻りで殺せる膂力を、子供のうちから持てるはずがない。他とは違うなんて、子供でさえもわかる。

 それでも彼は、意図的か無意識かはともかく、差を自覚していないように見えた。

 

 日本武尊は言葉数こそ多い方ではなかったが、端々から人間に憧憬を抱いていることを、私は徐々に理解した。

 大碓様と出逢う前、元々、人間など憧れるに足るものではないと、私自身こそが懐疑的に思っていたから――あなたはそのうち、その憧れたものに殺されると思いながら黙っていた。

 

 しかし、心の内で――私は、美しいとも思ったのだ。彼に自分の運命の自覚がないなら、彼は手探りで、死にもの狂いで彼の目指す未来へと向かって全力疾走している。

 皆で、戦いのない平和な大和へまた帰るために。

 

 彼女は、生まれながらにして――倭姫命の教えを受けたこともあり――自らの末を薄々察して受け入れている。だから、未来が全く分からない不安がない。

 

 しかし彼は、先の見えぬ未来を求めて走っている。

 

 大碓命とは違うけれど、それはとても、前向きな――良き人の姿ではないだろうか。

 

 人ではないものに、人の善性を見るとはおかしな話だ。

 私自身は、人そのものが好きなわけではない。一体大碓/小碓様からは、世界はどう見えているのだろう。

 彼女は改めて、いつも追いかけている、神の剣たる日本武尊の背を見た。

 

 

 ――そっか。

 

 本当に間抜けな事に、彼女は旅路の途中でようやく気付いた。

 ――この人が、私の夫なのか。

 

 それでも、これが恋とか愛なのかはわからなかった。

 恋というには長く共に居すぎて、愛と呼ぶには大碓の殺害(不信)が蟠っていた。

 

 そして私の役目は常に傍にいることであり、行いも変わらなかった。そして私の内心の変化に気づくほど、日本武尊は人心に――女心に敏くはなかった。

 

 私は日本武尊の正妻でもなく、最初の妻でもない。私が妻となった時には、もう彼には複数人の妻がいた。だがどの妻も彼が選んだのではなく、周囲に勧められるままに娶った者たちだった――(神の鞘)も含めて。

 

 だが、唯一彼が自分の意思で選んだ妻がいた。尾張は天火明命の子孫である、美夜受媛。彼は自ら彼女に結婚を申し込み、東征の帰途に立ち寄り、その時に正式に娶ろうと約束した。日本武尊が初めて、自分から求婚した女だった。

 

 男が複数の妻を持つのは当然であり、そう騒ぐ事でもない。だが、気付いてしまってからは、不穏な想いにも囚われた。

 

 ――私は大碓様とは絶対に一緒になれなかったのに、小碓様(神の剣)は好きになった人はみんな妻にできていいな。

 

 長い旅を共にして、相模の火計を乗り越え、私も彼が自分のことを悪く思っていないことは了解していた。だけどこうして夫婦として旅をしているのは、好意からではなく、ただ役目の為だけだ。

 

 ――東征が進めば進む程、始めは思いもしなかったことを考えてしまうようになった。

 

 

 ――この旅が終わらなければいいのにな。

 

 東征が終われば、日本武尊は美夜受媛を娶り、そして大和へと帰る。大和には彼の正妻も他の妻もおり、きっと自分は忘れられてしまう。

 飛び抜けて美人でもなく、よい特技もなく、彼から結婚を申し込まれてもいない。ただ、彼の役目の為だけに死ぬ神の鞘。

 

 ――嫌われてはいないけど、一番じゃないしね。

 

 だから走水の海において立ち往生した時は、日本武尊(神命を受けた神の剣)の身代わりとなる命を果たすときだと気づいたとき、それでもいいと思った。

 ――最初から、いざとなればこの人の身代わりとなって(神の剣を護る鞘として)死ぬ運命だった。

 だけどこの人にとっては、身代わりとなって海に身を投げる妻がいた、という記憶になる。

 

 一緒に旅をしてきた女が、身代わりに死ぬ。

 

 きっと東征を終えて美夜受媛と結婚し、たまには海でも見るかと遠出した時には――きっと私を思い出すだろう。

 

 永遠なんて望んでいない。

 ただ忘れないでほしい。だから――せめて傷つけようと思った。

 

 遥か未来に偉業と称えられるその生涯に、露と消えた――しかし、気合の入った女がいたと。

 

 時間はかかった。でもちゃんとわかっている。自分は、日本武尊が好きなのだと。

 今も何故大碓を殺したのか聞けずにいて、蟠りがあるけれど、それでも伴侶として。

 

 だから、ここで死ぬ。

 

 役目の為に死ぬのではなく、初めての恋の為に死ぬのでもなく、世界の為に死ぬのでもなく、貴方を助けるために死ぬのだ。

 

 ――だが、死ねなかった。

 生きることに希望があったわけでも、もしかしたら、この人は自分が一番好きなのだろうという確信があったわけでもなかった。

 

 ――最後まで、見届けたいなぁ……。

 

 生涯、戦い続ける定めの夫の人生を、そばで見届けたい。神の剣には不釣り合いな願いを抱き、彼の願いが叶わなくても――自分が彼の一番でなくっても、一緒にいることはとても楽しかったと、最後まで伝えたい。

 

 その願いのために、彼女は自分の使命よりも感情を優先した。

 

 ただ彼女の一存のみで生存できる世界ではなかったが、彼女はくしくも生き永らえた。

 走水にて死ななかった世界の弟橘媛の話は、ここから始まった。

 

 

 

 彼女の過去の記憶は、日本――大陸から離れているため、西暦一〇〇〇年まで神秘が残り続けていた稀有な地域――の神代にほど近い時代として非常に興味深かった。

 魔術の多くが魔法であった時代。精霊や神霊を近くに感じた、エーテルの深き時代。神と同一となり、星の触覚となり力を振るう――現代魔術師のハルカには、夢物語にも似た話だった。

 

 神命を受けて神の剣の鞘となるべく生まれた巫女が、その命よりも自分の人生を優先した。そういう話に、ハルカには思えた。

 

「……はぁ……」

 

 ハルカが目を覚ました時には、すでにこの拠点に運ばれていた。一昨日、そして昨日と立て続けに信じがたい、信じたくない話を聞かされ続けて感覚が麻痺しているのか、ハルカは妙に落ち着きを取り戻していた。

 眼を醒ましたらベッドの上で、すぐ隣にはキャスターが腰かけていた。夢で生前の記憶を共有していたことを二人とも察知していた為か、ハルカを落ち着かせるためか――キャスターはあくまで平静だった。

 

「おはようございます! あっ、もう隠す意味があんまないんですけど、私の過去、みえちゃいましたよね。キャッエッチなんだから」

 

 キャスターもうとうとしていたのか、ハルカはたしかに彼女の過去を垣間見た。真名が判明した今彼女が話したくないのであれば、これ以上突っ込む気はないのだが変態(エッチ)の誹りは断固撤回してもらう。

 

「性的は夢ではなかったはずですが……」

「ひー性的って何か……生々しい!」

「何が生々しいですか。貴方、話では結婚して子供もいたはずでは」

「い、いましたけど! 一応、当時の上流階級なので、乳母が育てるものですし……それに、私の役目はそれではなく、神の鞘なのです」

 

 巫女とは神の鞘。神をその身に降ろすもの。彼女の場合は神の剣の鞘でもある。剣を、護るもの。

 

 ハルカは大きく溜息をついて、ベランダの窓から外を見た。もう何回も見続けてきた、春日の夕暮れが佇んでいるのだが、場所が変われば雰囲気も違う。

 あの拠点から見た景色よりも、子供が多く、さらに生活臭がする。

 

 さて、どうするか。昨夜、このアパートにシグマ・アスガードが入り浸っていると聞いて直行し、居座っているのだが、肝心のシグマの気配は皆無である。

 そもそも、客観的に見て今ここでシグマを倒す意味はない。本来のハルカ・エーデルフェルトは現実世界におり、本来のシグマ・アスガードもまた同じなのだから。

 

 しかし、現実のハルカの状態は、死んではいないものの――良いとはいい難い。どっちにしろ、現実には何の影響も及ぼさない。

 

 ハルカは、見た目は元気そうにしていても、気落ちしているだろうキャスターに、眼を向けた。現実世界でキャスターを召喚したのは自分らしいが、その記憶はない。

 倒れた自分は、夢現の中で聖杯戦争とまだ見ぬサーヴァントを追い求めていたのだから、その魔術師の願いに彼女が応じてしまったのだろう。

 

 そして彼女は「助けを求められたから」という理由だけで召喚を果たし、異変を察知した碓氷明によって虚数送りにされそうになったところ、どうにか自分を助けようと苦し紛れに宝具(混合結界)を展開した。

 

 思えば、このキャスターもとんだ事態に巻き込まれたものだ。彼女は「ハルカを助けたい」という願いでここにないるのに、結局マスターたるハルカ――現実のハルカを助けられずに終わることになる。

 

 ……しかし、やはりじっとしていることは性に合わない。身体もなまる。またこのアパートに戻ってくればいいのだし。

 

「……キャスター」

「? 何でしょうか」

「デートしませんか」

 

 たっぷり間を置いて、耳をほじってから、彼女は言った。

 

「……はい?」

「デートと言う名の巡回です。運動がてら、シグマを探しに行きましょう」

 

 俄かにハルカは立ち上がり、自らキャスターの手を取って立ちあがらせた。日は暮れかけ、東の空には星が瞬いている。

 キャスターは召喚時の服で出ることは躊躇われたのだが、彼女の服装を全く気にしていないハルカは、もう六畳間の部屋から出ていた。

 

「とりあえず、食事でもとりましょう。あなたの力があるとはいえ、戦う段になって空腹で全力が出せないなど、バカバカしいにもほどがあります」

 

 悟のアパートは住宅街にあるため、コンビニやスーパーはあるものの、食事施設は目につく範囲には見当たらない。

 駅前まで出向いた方が豊かであることは、聖杯戦争一色だったハルカも了解していた。

 

「……あ、あの……ハルカ様? もしかして、今、ヤケクソです?」

 

 一蹴して呑気そうに見えるハルカの後ろ姿を、おそるおそるの声がやっと追いかけた。

 

「……? 何故そう思うのですか」

 

 アパートの長い影が、二人を覆っていた。日はまだ沈まずとも、東から藍色に侵食されていく空は(日常)の終わりを如実に告げている。

 通りかかる人は、いない。ハルカとキャスターの間は、二、三メートルほど。

 少し駆けよれば届く距離。だが遠い。

 

「その……」

「?」

「……その……だって、ここで何しても、何もならないじゃないですか」

「そんなことはありません」

 

 消え入りそうなキャスターの言葉に対し、ハルカは断乎として首を振った。

 

 ハルカ・エーデルフェルトは戦わずして聖杯戦争に敗れ、行動不能となった。キャスターの宝具で、聖杯戦争を再現した結界に連れ込まれ、五体満足で自由に戦える機会を得た。

 

 ――蓋を開けてみれば、最上ではないにしても、決して最悪なんかではない。

 

 キャスターがいなければ、自分はただ深手を負って倒れているだけ。

 エーデルフェルトの屈辱を雪ぐ以前の問題だった。けれど今、こうしてサーヴァントを得て戦うことができる。シグマのコピーもまたここにいる。

 

 たとえこの結末が、誰一人知る結果にならなくても、今ここにいるハルカ・エーデルフェルトには千載一遇のチャンスなのだ。

 

 誰にも伝わらないのだから、自己満足には違いない。

 それでもこの身は、泡沫の中で、現実では一度失われたはずの戦いへと赴くことができる。

 

 たとえ相手が本物のシグマでなくとも、自分が彼女を打倒するのであれば、今ここを置いて他にない。

 だから、自分は戦う。

 

 いつまでも起きた出来事に動揺しつづけ、何も決断を下せないでいるほど、軟な精神修養をしたつもりはないのだ。

 

「これは、どう考えても我欲です。誰かを助ける、世界を救うというわかりやすい大義名分もない。死にたくない、という人間と言う動物の欲求とも異なる。エーデルフェルトの恥を雪ぐという元来の目的からも外れかけている」

 

 地上で最も優美なるハイエナ。……いや、戦うこと自体が目的になっているハイエナは、やはりその集団からは異端だろう。

 

「あなたが、どうして再度自分の命と苦痛までかけて、私の願いを叶えようとしてくれているのかまではわかりません。私は礼を申し上げるのみです」

 

 日は、暮れる。

 近い距離にあるはずだが、キャスターはうつむきがちで、ハルカからその表情はうかがえなかった。

 

「全く、貴方が何も隠さずすべて教えてくれれば、こんなややこしいことにならなかったのに。怒りませんよ、こんなことで」

 

 怒るのならば、己の不覚と非才のみ。ハルカが口の端を持ち上げたその時、不意に点灯し始めたはずの電灯が瞬き、消えた。

 周囲の温度が一、二度下がったような寒気。急造で張られた人避けの結界か。

 

 裾の長い白Tシャツを右端で結び、淡い水色のマキシスカート。つばの広い白い帽子――真夏の姿の、シグマ・アスガード。

 前に教会で出会ったときとは異なる、夏の女神。

 

「――あら、ハルカ・エーデルフェルト」

「……」

 

 前に教会で出会った時には理由のわからなかった悪寒の理由が、今ではわかる。自分はこの女に敗れ、令呪の宿った体のみ良いように使われた。

 

「ふふっ、わかりやすいのね。私を殺すために待っていた、って顔をしているわ」

「……ッ!」

 

 一歩、シグマが足を踏み出す。同時にハルカが一歩下がる。だがハルカは己を奮い立たせ、引いた一歩を取り戻した。

 

「シグマ・アスガード。あなたは何を求めて聖杯戦争に」

「失敗していたとはいえ神域の天才たちの大儀式よ。魔術師として何か得るものがあればと思ったの。後から加わった理由では、虚数の明ちゃんもあるけどね」

「何故私を襲ったのか、聞いても?」

「エーデルフェルトの誰かが聖杯戦争に出るって話は聞いていたから。碓氷は土着、アインツベルンは冬木からの御三家、他は誰がマスターになるのかわからない。狙うに易いのがあなただっただけよ」

 

 月下、女は微笑んでいる。普通の男であればとうに骨抜きにされているであろう、蠱惑的な笑み。彼女は現身――かつて神々を争いへと導いた黄昏(ラグナロク)の女神。

 

「――ただ、もし食べようと思うほど特殊だったり飛び抜けて優れた魔術回路だったら、傀儡にしないで食べていたとは思うけど」

 

 幾多の魔術師を咀嚼してきた女にとって、ハルカごときは物の数ではないと告げられた。一度いいようにやられてしまった前科があるため、ハルカは自信を持って言い返すことはできないが、今はキャスターがいる。

 昨夜からどこか彼女には元気がないが、彼女は自分の味方だと信じている。

 

「……ハルカ・エーデルフェルト。面白いことを教えてあげましょうか。貴方がもっとがんばれるようなことを」

 

 太陽は、その巨体をほとんど地平の彼方に沈めていた。だが、まだ光が消えきるには猶予がある刻にもかかわらず、この住宅地一円が、まるで丑三つ時のように静まり返っていた。

 人気も、生命も感じられない――シグマの人払いだろうか。

 

「この結界内では、人も、動物も全てが記録からの再生体。結界が消えれば全部終わり……そこのキャスターと、楔の明ちゃん以外は」

 

 彼女は誰からその事実を聞いたのか、それとも自分で辿りついたのか。とにかく、その認識はキャスターとハルカと異なるものではなかった。

 

「でもね、私も再生体じゃないの。私も明ちゃんと同じく、現実世界のシグマ・アスガードなのよ」

「―――!!?」

 

 ハルカはかろうじてシグマへの注意力を残したまま、目線を背後のキャスターにやった。彼女もまたハルカと同様にまさか、と二の句を告げずにいた。

 

「……う、ウソです! あなたは現実世界の土御門神社にはいなかった! だから碓氷明さんのようの巻き込まれるはずが、あ……!?」

 

 虚を衝かれたかのように、信じられないものを見るように、キャスターは息をつまらせた。

 

 そう、春日記録装置の記録を識るキャスターは、現実世界のシグマの末路を知っている。

 末路を知っているが、その先は知らない。

 

「……まさか、あなた、虚数空間の中で生き続けてッ……!?」

「はい、よくできました♪」

 

 慈母のように微笑むシグマは、その場で小首を傾げてみせた。春日聖杯戦争におけるシグマ・アスガードの最後は、想像明によって虚数空間に放逐されたというものだ。

 通常であれば、虚数空間に放り込まれたら意味消失を免れず消滅してしまうはずだ。

 

「最後の明ちゃん……想像明ちゃん。あの子は元の明ちゃんが虚数世界で魂をコピーしてできたものだから、命自体は蜻蛉のように一瞬だった。だけど、それでも魂は魂、崩れかけでも肉は肉。私が食べられないこともないわ」

「――!!」

 

 流派も属性も違う魔術師の魔術回路と刻印を我が物として、無限に自己を拡張する神降ろしの器。想像明――虚数魔術師の血肉を得て、虚数の世界で生きながらえようとした。

 

「……でも成功してないのよ。私が火属性の魔術師の回路と刻印を奪っても、私が火属性になるわけではないもの。で、私が虚数属性になるわけでもないから、虚数世界でのうのうと快適に生きてはいられなかった。だから、私は眠るしかなかった」

 

 ――虚数空間に呑まれる前のシグマ、つまり春日の大空洞に佇むシグマは、暫定的不死の神の身体だった。

 虚数空間という時の流れさえも異なる世界で、シグマは不死のまま―自身の肉体を境界として、体内に結界を生成し、その中で神霊降ろしでありつづけた。最小単位の固有結界展開を維持したまま、中身だけは死ぬこともなく、虚数の中で漂っていた。

 

 通常であれば、シグマは未来永劫このまま――当初碓氷明が想定した通り――虚空を漂い続けるはずだった。

 

 ――しかし、虚数空間内に聖杯戦争中の春日を模倣した結界が展開されようとしたとき、既に春日に縁持つシグマの肉体は、縁に引きずられて固有結界に取り込まれた。

 記録体から再生されるかわりに、本物のシグマが呼ばれて居座っている。

 

「だから、ね」

 

 既に夜は深い。人気もない。ハルカの前に立つ女は、異形めいて美しい。

 

 

「あなたが今相対しているのは、再生体などではないの。貴方を傀儡にした、正真正銘本物のシグマ・アスガードよ」

 



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夜④ 先を目指すために

「――!!」

 

 ハルカはぐっと、喉元に何かがせり上がるような感覚を味わった。今の、再生体たる自分には絶対にありえないと思っていた戦いが、目の前に蘇ったことによる興奮。

 おまけに今の自分にはサーヴァントがいるうえに、シグマにはいない。

 比較的、正攻法の戦闘を好むハルカ・エーデルフェルトではあるが、彼も華麗なるハイエナの一員、サーヴァントの有無があるから引いてやろうという心はない。

 元々、土台シグマは格上の相手なのだ――このアドヴァンテージを見逃すなど、ありえない。

 

 ハルカの殺意を察知したシグマは――そもそも、出会った時点でこうなることをわかっていたのだろうが、不敵に微笑む。

 

「あなたは素晴らしい魔術回路を持っているのでもないけれど、垣間見た魂は悪くなかったわ……」

 

 シグマがサンダルでステップを刻む。歌うように、踊るように――彼女の碧眼が明るい黄金を帯びる。円を描きながら、踊っている。

 

「私の陰陽術は一.五流止まりだし、先輩にはむしろ悪手だから自前の魔術を使うわね――」

 

 同時にキャスターが攻防一体の鏡を実体化させ、さらに宙に浮かぶ魔法陣から魔力――遠当ての弾丸を一気に打ち放った。

 濃密な魔力を込めて打ち放たれ、物理的破壊力を持つ弾丸は彼女を狙ったが、シグマの手前で不自然に曲がり、地面を抉るだけに終わる。

 

Once sat women(かつて賢き女たち座せり)

 

 シグマを取り巻く濃密な魔力が、あたかも宇宙服のように、彼女を隙間なく覆ってあらゆるものから保護している。それは、歌が紡がれるごとに視認できるほどに密度が上がっていく。狭い空間の中で充満する魔力の鎧に覆われて、あらゆる魔術的干渉を阻害するバリアだった。

 

 ハルカは知らないが、春日聖杯戦争最終戦におけるシグマは、大空洞という空間に限って不死()の力を体現していた。今はあれほどの陣地を構築できない為、我が身を境界として鎧うているのだ。さしずめ、動く固有結界である。

 

They sat here, then there.(そこにかしこに)

 

 キャスターは遠当ての雨を降り注いでいくが、意味がないことには気づいていた。サーヴァントとしての彼女の力は、誰かに戦ってもらうためのものであり、彼女自体の攻撃力はたかが知れている。

 その本質は、神話時代の巫女だからといって変わらない。

 

「ッ……! 全く、この薄いエーテルの時代にこんな巫女がいるなんて、信じたくないですね……! ……ハルカ様っ!?」

 

 いきなり飛び出し、シグマに突貫していくハルカを見たキャスターは驚きの声を上げた。いや、ハルカが前のめりなことは、彼女もとっくに知っている。だがしかし、いつもより遥かに素早いように見えたのだ。

 

 ハルカに恐れはある――魔術師であり人間であるが故に。

 この世界で戦い勝つことに何の意味もないと一時は思ったが、今は違う。たとえこのシグマが再生体であっても、それと戦うことが自分にできる唯一であるならば成そうと思っていたハルカが、シグマが本物と知った。発奮しないわけがないのだ。

 

 それについていけていないのは、キャスターのほう。原因は自分が戦闘向きではないことではない。自分で自分に、勝手にあきれ返っているだけ。

 

「キャスター!」

 

 それでもキャスターは、ハルカ・エーデルフェルトのサーヴァントである。この人を救うと誓ったサーヴァントである。

 彼が戦うことを選ぶなら、彼女もまた同じ。

 

「……ハイッ!」

 

 ハルカは手持ちの宝石量を確かめた。持っている量は『髄液爆発(ジュエルバースト)』を使うには心許ないが、キャスターの宝具による強化があればどうにかなる。ハルカはアスファルトを疾走し、あっという間にシグマとの間を詰める。

 超超至近距離での、宝石魔術解放――!!

 

Sechs Ein Flus,ein Halt(六番、冬の河)――!」

 

 閃光と爆風が広がり、池が激しく波だった。今のハルカの耐久力はサーヴァント換算でBランク、長年魔力を貯めてきた宝石の破壊力はBランク。

 彼自身は無傷だがシグマは――

 

Some fastened bonds,(ある者はいましめの鎖をととのえた)

 

 美しい歌声はそのまま――彼女を覆う魔力の鎧は、Bランクの攻撃さえも凌いだ。凄まじい魔力の奔流、これは体内魔力(オド)体外魔力(マナ)かもわからぬ力。

 疑似神霊憑依・終焉を始める女神(グルヴェイグ)――ハルカも噂には聞いたことがあったが、目の当たりにするのは初めてだ。

 

「……ハルカ様、強化を続けますッ!あれでも、彼女の鎧は完全じゃない――お得意の格闘技ぶち込んでください!」

「――はい!」

 

 彼女の眼が尋常ならざる光を帯びているのは、ハルカも気づいていた。セイズはガンド・ルーンに並ぶ北欧の魔術であり、呪歌と円を描くような舞踊を伴い、神霊や精霊を降ろす降霊術。シグマはそのためだけに生まれた傑作であると。

 

 ――このままシグマの降霊が完全に終われば……。

 

 決着をつけるなら短期決戦しかない。あの魔力の鎧を一時でも突破しなければ止められないが――ハルカは一瞬だけキャスターを振り返り、念話で伝えた。

 

「――ッ、ふるえ、ゆらゆらとふるべ!」

 

 流石は神代に近い巫女、魔力については太源(マナ)まで使用できるため、燃料切れとは無縁の無縁、遠当ての雨、雨、嵐を降り注ぐ。ハルカを避けるとか、丁寧な事は考えられていない。彼に構わず只管弾丸を打ち続ける。

 

 その雨嵐の中を駆けるハルカ・エーデルフェルト。

 

 ――自分で自分を貶めるのはやめなさい。戦う相手は、まず己ですわ。ベストを尽くし、死力を尽くし、限界に挑む。それから考えなさい。

 あなたは最早エーデルフェルト――闘争本能と誇りがないとは言わせませんわ。

 

 遠く、遥か昔のようだ。エーデルフェルトにやってきたとき、落ち込んでいた己にかけられた、当主の片割れの言葉。

 この結界が新たな土地とするなら、エーデルフェルトにやってきたときのように、また己は戦うだけだ。

 

 使うのは/信じるものは、いつでも鍛え上げてきた己の力だったはずだ。偽物(再生体)?本物?それは知らない。本物は、本物でまた頑張ってくれ。

 

Some impeded an army,(ある者は敵の軍兵をおさえ)Some unraveled fetters(ある者は鎖をむしりとり)

「――shit」

 

 刹那、瞬でシグマの至近距離――懐へともぐりこむ。ルーンで強化を施してある両の拳、その腹部へと連撃を叩き込む――その程度で効かないことは百も承知、魔力に触れるその瞬間に、放つ。

 

貪婪の狼を呑み込む枷(グレイプニル)!」

 

 この紐自体は魔獣・幻獣ではないシグマに直接の拘束力はない。だがフェンリルの魔力さえ縛りつけた礼装、それは拘束できなくても――一時的に魔力を薄れさせることはできる。

 一歩足を引き、グレイプニルを巻きつけた左拳で殴りつけた後間隙もなく右拳を叩き込み――握りこんでいた宝石を炸裂させる!

 

Der Riese und brennt das ein Ende(終局・炎の剣・相乗)――」

 

 シグマの歌声が途切れる。今しかないとハルカは畳み掛ける――さらに踏み込み、左拳、右拳、左拳、右拳、左拳、右拳を目に見えぬ速さで叩き込み、左手でシグマの襟ぐりを掴むと自らの身体を右に捻り、顔面から背負い落した。

 正式な柔道であれば危険すぎて反則になる禁じ手である。

 

 骨を砕く音を感じ、ハルカは間にあったかと振り返った――だが、足元のシグマはまだ呪歌を紡ぎ続けていた。そしてハルカは、足元の彼女を見てしまった。

 

「……ハルカ様! ダメです!」

「……Escape the bonds,flee the enemy(戒めを脱し、敵を逃れよ)……」

 

 黄金の瞳が輝いていた。魅了の魔眼――神をも惑わせた神の眼が、ハルカを捉えてしまった。呪歌を終えた、巫女の眼が。

 

「……っう……!」

 

 ハルカはその場にグレイプニルを手放し、座り込んでしまった。頭に霞みかかったように動かず、遠くから心地の良い声が聞こえてくる。その声は囁く「己の首を締めよ」。

 

 心地よい響きの中で、ハルカの手は己の首にするすると伸びる。酸素を求めるのも馬鹿馬鹿しく、遠のく意識に身を任せる。

 もう何も考えることなく、美しい声――女神に出会えたらこのような声をしているのだろうという夢に身を任せ――「ハルカ様ッ!」

 

「ッ……!!」

 

 目の前には、暗闇と星空が広がっていた。恐ろしいほど強い力で、ハルカは自分の首を締め上げていた。一気に肺に酸素がなだれ込んできて噎せ返る。

 我に返ったハルカは事態を理解し――嗚呼、また敗れた事実を理解してしまった。

 

「先輩は、祓うことは得意だものね……」

 

 シグマはつまらなさそうに嘯き、顔を上げた。すっかり戦意は失われており、瞳もいつもの碧に戻っていた。元々強い敵意や殺意を持っていなかっただけに、彼女はちらりと噎せているハルカを見たが、直ぐに目を放した。

 

「……戦っても絶対に死なないなんて、やっぱつまらないわよ、先輩。まあ、この死なないってのはあなたの企んだ機能じゃないから、どうしようもないんだけれどね」

 

 世界の創造主に対し、シグマは正面から愚痴を垂れた。創造主としてシグマのことを既知としているキャスターは、真っ直ぐ見据え返す。

 

「……世界の造りについては、もう言い訳のしようもないです」

「先輩は、きっと戦いが好きではないのね。でも、貴方のマスターは戦いを望んだ。殺し合いの果てに死ぬのなら、それは良いと。聖杯戦争に死なない世界。あなたたちのちぐはぐな願いを、折衷しちゃったみたいね」

 

 既に知れた、この世界の在り方の話。あまりに歪で、もう僅かの命脈しか残らぬ世界。

 

「……ところで、シグマさん。何の御用なのですか。……今更ですけど」

 シグマは不思議そうに首を傾げ、頭を振った。「用? ないわ。私、サトルの家に居候しているから戻ってきただけよ」

「……」

 

 そういえばそうだった。そもそも、キャスターたちは帰宅するシグマを待ち構えていたのである。シグマはキャスターに支えられるハルカを見て笑った。

 

「再生体のあなたに言ってもしょうがないんだけれど、私ね、ちゃんと現実、実数世界に戻るのよ。だから現実のあなたが何時殺しにくることを、楽しみにしてるわ。ん~~ここであなたを殺しても、私食べられなくて意味ないもの。なにしろ生き返っちゃうんだから」

 

 現実世界――実際に春日聖杯戦争があった世界の記憶を持つシグマは、誰よりも早くこの世界の違和感に気づいていたはずである。殺しても、生き返る。シグマに取り込むことのできない人間()

 

「……己の魂の薄き者。ゆえに人の魂を求めるもの。……あなたにとって摂取する人間の魂が色鮮やかでなくなるのは、魂の死活問題でしたね」

「そうね。元々私に人格なんてないもの。神の器。私はその為だけに生まれたのだから、人格など不要だったもの」

 

 アスガルド家の傑作、神霊を降ろす者。神を顕現させるためにあった体に自己の意識は要らなかった。けれど「器」に残った魂は、欠けた魂の埋め合わせを求めた。肉体に依存しない存在証明、己の記録。魔術師を食べるだけ自らの回路を増殖させる魔女は、ただ回路と刻印を求めるだけではなく、己の欠けた部分を取り戻すために人を食らわねばならない。

 この世界において、人は死なない――つまり魂食いができない彼女は、ただただ自己が/自分が薄れていく感覚を味わっていた。それを一般人に一番近く例えるなら、己の人格が壊れる恐怖。

 

「――平和って何かしら。安穏って何かしら」

 

 彼女は生まれてからずっとこの通り。神の器。器に何か入っていては、降ろす者にとって邪魔だから、彼女はカラである。

 今更魂食いをやめろということは、彼女に生きることを辞めろと言うのに等しい。聖杯戦争に彼女が神父と共謀したのも、宿命染みたものがある――方や傍観に徹し、方や自らの糧とするためであるが、戦う人間を求めていたのだ。

 

 時代は違うが巫女として、キャスターは半ば憐れみを持って呟いた。

 

「……あなたも災難な生まれですね。だけど、そんなだからこそ、我が君(ライダー)はあなたを面白く見ていたのでしょうね」

「ライダーも人格なんてなくてもいいはずのものよね。あれ、もともと私が降ろそうと降霊する対象の側だもの」

 

 シグマは大きく溜息をついて、肩を落とした。言葉通り彼女は、常と変らず過ごすつもりか、二人に向かって歩いていくと、何もせずに通り過ぎた。そう、山内悟の家は、今の彼女の家である。

 

「ハルエ・エーデルフェルト。また会えるなら会いましょう。覚えているならね」

 

 最後に向けたシグマの顔は、つぼみが花開くように艶やかで、それでいていつか散る花を惜しむような表情だった。

 非常にわかりにくいが、シグマなりの褒め言葉――魔術師としてではなく、人としての。手をひらひらと振って、シグマはカスミハイツの敷地に踏み入った。

 

 気づけば、夜のランニングをしている人が再びちらほら見えるようになった――シグマが帰りついでに結界を解いていったのだろう。凍るような空気は解けて、

 

「……ハルカ様、大丈夫ですか」

「……ええ」

 

 まだ荒げる息を整えながら、ハルカは差し出された手を取って立ち上がった。あの黄金の眼に見つめられた時は危なかった。キャスターがいなければ、うかうかと手中に落ちていただろう。聖杯戦争前に襲われた時も、あの魔眼を使われたのかもしれない。

 

「……あの眼、厄介ですね……黄金以上の魅了でも兼ね備えている……」

 

 シグマ・アスガードが恐ろしいか。恐ろしいとも。

 だがしかし、その恐怖の正体はもう知れている。

 

 何よりも恐ろしかったのは、恐怖の正体がわからないこと。名前を付けるという行為は呪的ある。

 名前をつけることによって、対象を認識可能なものに引きずりおろす。名もなきものは示せない。語ることができない。

 ゆえに名前を付けることは、世界を認識することである。

 

 ハルカは恐怖の正体を知った。本当の自分がここにいないことも。

 だがそれは、この足を止める理由に足るものではなかった。

 

 敬愛する当主は、たとえ世界が百年後に滅びるとわかっても、滅びを回避するよりもその間に根源に至る努力をすると冷徹に言った。

 

 であれば、ハルカがすることはどうあっても変わらない。自分はエーデルフェルトの雪辱を晴らすために来た。ならば挑まなくてはならないだろう。

 

 ――現実世界でシグマを打倒すことは、現実世界の自分に任せるしかない。

 そして現実世界の自分が立ち上がれるかどうかは、現実世界の自分次第だ。

 

「現実世界の自分には、せめて、誰かの力を借りてでもいいからとにかく動けと伝えたいですね……」

 

 ハルカ・エーデルフェルトは戦いながら考える。沈思黙考して部屋に閉じこもり続け、納得いく解決策を見つけだすタイプではない。

 脳は五体の筋肉にあり、じっとしていては頭も回らない。

 

「キャスター。貴方から見たシグマというのは、どんな魔術師ですか」

 

 急に話しかけられ、キャスターはびくっとした。「……あれも巫女です。きっと神を降ろすためだけの、器です。魂が希薄で、そのために自分の人格がない。他の人間の回路と刻印を取り込み、魂を食べて、あの女の人格は成立しています。北欧の魔術使いでしょうが、陰陽道だって使えても可笑しくないです。……って、ハルカ様、まさかまだあのシグマを倒そうと考えているのですか!?」

 

「――ええ。ただそれには情報が欲しい……それでも勝てるかは怪しいですが……。こうなれば、死なない利点を今のうちに活用するしか……キャスター! 家に帰りますよ」

「え!? あ!? はい!?」

「おっと、食事のことを忘れていましたね。作ってもらってもいいですか。材料がなければどこかに寄って行きましょうか」

「あ、は、はい。あんまり冷蔵庫にはなかったような気がします」

 

 すたすたと威勢よく歩いていくハルカ・エーデルフェルト。その後ろ姿は、まだ彼が何も知らなかったころに勇んだ姿と全く変わらなかった。

 

 キャスターは彼を追いかけながら――いや、この戦いの前からわかっていた。

 彼は、もう大丈夫なのだろうと。たとえあとわずかな未来でも、現実世界の己が酷い状態でも、彼は了解してしまった。

 

 もう彼の中には、ずっとずっと昔から精神の柱となった誰かの言葉がある。

 

 キャスターの「ハルカを助ける」という目的は、ある意味ここに成った。シグマを倒せるかどうかはともかくとして、彼は今を生きている。

 

 わかっている。ハルカは、きっとキャスターが何もしなくても、今のように起ちあがっただろう。

 それを理解したキャスターの胸に過るものは、喜びだけではなかった。

 

「……ハァ……私、今も昔も、バカですねえ」

 

 相も変わらず愚かな、自分への蔑みだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 

 自分と彼女は幼馴染で、家も隣同士。お互いに二階の窓を開ければ、窓から窓で会話ができる。昔やんちゃな彼女が、あちらのベランダからこちらのベランダへ飛び移って、コンコンと窓を叩き「来ちゃった」なんてかわいいことを言ったことがあったっけ。

 

 とまあそれは何かの折に読んだ少女漫画かラブコメ漫画の話で、駅前の高層ホテルに隣接する高いビルもなく、突如ベランダに現れコンコンと窓を叩く白髪赤眼の成人男性とか完全に怪奇現象で、さらに今日日の高層ホテルの窓は落下防止のために人が出入りできるほどに開かないため、招き入れる事自体できないのであった。

 

 まあその白髪の男は普通に霊体化して入って、ふわふわのソファーに勝手に腰かけているのであるが。緊張感的な意味でドキドキはするがトキメキは皆無である。

 

「……ほう、陰陽師。お前一人か」

 

 悠々とした態度を崩さない原初の帝は、フツヌシを伴わず単独でいた。今はお祭りに行くかのような黒い甚平を纏っているが、全身白の彼にはよく似合っていた。一成はてっきり謎のアーティスト活動として、アーチャーに用があるのかと思った。

 世界が崩壊しようがパラダイスになろうが、この男には全く関係ないだろう。

 

「アーチャーなら榊原とレストランだ。後三十分も待てば戻ってくるんじゃないか」

「いや、お前がいるならお前に話そう」

「座ったらどうだ」と自分が客のくせになぜかホストのような顔をして、ライダーは一成に向かいのソファを勧めた。

 

 一成はまだ学校の制服のままである。目の前のライダーと向かい合って腰を下ろすが、なんとも気詰まりである。神父はこんなやりにくいサーヴァントとよろしくやっていたのかと思うと、それはそれで頭が下がる。

 

 こちこちと、壁に懸けられた豪奢な時計が時を刻む音が妙に響いている。ライダー自体は礼儀にうるさくなく、むしろかなり鷹揚な方であるのだが、圧迫感はある。

 

 そもそも、ライダーが一成に声をかけること自体が珍しい。大抵ヤマトタケルやアーチャー、明や神父がいる時に一緒に一成がいるから会うだけで、話はほぼしない。

 ライダーの内心など分かりようもないが、なんとなく一成は「自分には興味を持たれていないだろう」と考えていた。

 

「で、何の用だよライダー。俺には芸能活動のノウハウも人脈構築術もないぞ」

「ハッハッハッハッ、お前にそんなことを期待していない。今日は提案とお願いに来たのだ」

「は? お願い?」

 

 ライダーができないことで自分にできることなどあるのか。その表情を読み取ったライダーは肩をすくめた。

 

「公は計算ドリルの答えを自認してはいるが、全知全能・万能と言ったことは一度もないし、実際違う。できないことは星の数よりもある」

 

 ときどき、ライダーは十得ナイフだか計算ドリルだか、妙なものを自認する。

 

「……それはいいけど。で、やりたいことって何だよ。人を傷つけるとかはお断りだぞ」

「安心しろ、お前が危ぶむようなことには興味がない。少々、過去の因果律を操作しようと思っているだけでな」

「は?」

「やることすらも確定ではないが、準備だけは整えておかねばな。やるかどうかは、あのハルカ・エーデルフェルトの選択如何で決めちゃおうかと思うが」

「い、いや全然話が読めねえんだけど……? 過去の因果律操作……どうやって、つーか何のために?」

「公流のこの世界の延命のためだ、陰陽師。だがこの世界の始まりはあのハルカ・エーデルフェルト。あれが聖杯戦争を望んだから、キャスターはここを生んだ。あれに気概なくば、これは取りやめる」

「いやほんっとまじで全然何言ってるかわかんないんだけど……? つうか延命って無理って言ってたじゃねえか」

「人の死は二つあるという。一つは肉体が滅ぶとき。二つは全ての人間から忘れ去られた時。これは後者の意味での延命術だ」

 

 相変わらず一成にはさっぱりだが、とにかく、ライダーはこの世界の救済策を講じているのか。それでも滅びは免れ得ない。世界にも何一つ残さず、ここは消える。

 

 しかし、一成たちは消えてしまうとしても、「現実」から来たキャスターと明はそのまま帰還できるはずだ。一成たちがいたことは、彼女たちが憶えている。

 

「キャスターの神話を忘れたか。あれは海の藻くずになる女。日本武尊が生きている以上、剪定事象でもそれは変わらぬ。ただ履行を後延ばしにしていただけだ」

 

 そうか、この世界はあのキャスターの宝具。海神の末端となった精霊の力。それを使ったから、弟橘媛はこれまでの彼女ではいられなくなった。

 ゆえにこの宝具が終息した後の結末など、最初からわかりきっている。

 

「でも碓氷は違うだろ」

 

 ライダーは意味深に笑った。「女がヘタなりに一生懸命隠していることを暴き立てるのが趣味だと言うなら、公は止めないが」

「……ちょっとエロい言い方するなよ」

 

 一成はあえて軽口をたたいたが、あまりの驚きでその意味するところを呑み込めなかった。話の流れから、つまり、――碓氷明はキャスターと同様の終わりを迎えるということか。

 しかし、明は優秀な魔術師であるものの、命と引き換えの魔術行使などしているとは思えない。確かに、それを自分(一成)が聞けばうるさく言うから、明は敢えて黙っているという線も考えられなくはないが……。

 

 その時、ピピっという電子音とともに部屋の借主と同級生が帰ってくる音がした。一成が思っていたより結構早い。

 この広いアンバサダースイートのリビングは、入り口玄関から真っ直ぐに見える位置にない。廊下を通り、いやににこやかなYシャツ姿のアーチャーと、やや硬い表情の理子が姿を見せた。

 

「一成、テイクアウトでケーキを持ってきたぞ……おや、ライダー」

 

 箱を片手にあくまで友好的だが、アーチャーがこの至近距離に至るまでライダーに気づかぬはずはない。ただ、戦闘する気配も感じず、一成からの念話もなかったため危険は感じていなかったろう。

 

「なんじゃ、芸能活動の資金かのう」

「いや、今回の要件は違うぞ(パトロン)。さて固有結界使いと念写の持ち主が来たところで、もう一度話をするか。草共、公に力を貸すがよい」

 

 一成のみならずアーチャーと理子にも、ライダーの意図は読み取れなかったが、ぶぶ漬けを出しても帰ってくれる相手ではない。

 アーチャーはもう嫌そうな顔を隠さず(腹芸が通じないから、取り繕うのを止めている)一成の隣に腰を下ろし、所在ない理子は仕方なくライダーの隣に座った。

 

「さっきも陰陽師には言ったが、やるかどうかはわからん。だが準備はしておくのだ。きっといいものがみられるぞ」

 

 

 

 *

 

 

 

 ハルカたちの拠点が今まで誰にも感知されずにいたのは、この結界構築時にキャスターが空白地帯として「拠点」を設定したからである。エアポケットのようなもので、キャスターとハルカ以外の一般人には、全く別の家が映っているはずである。

 

 キャスターがこの世界の創造主であるとはいえ、構成のもとは春日自動記録装置に記録された春日である。

 もちろん元ネタから自分で改造した世界の結界を作成することもできるのだが、結界構築時に改ざんするならまだしも、一度結界を構築してからの再編成となると、一歩間違えば結界が自壊する恐れがある。

 一旦一つの世界として結界を構築した後、その結界内は最初の作成時の規則で動く。そこに無理やり違う規則を持ち込めば、これまでの記録と齟齬をきたして結界内における因果関係の整合性が取れなくなって、世界の秩序が焼失する。

 

 通常、規則を変えたいのなら一度結界を解除して、再度結界を作り直すものである。

 だから結界の主とはいえ、最初以降は大橘媛に主導権などなかったのだ。

 

 今日も蒸し暑い夜である。キャスターとハルカは、カスミハイツから十分ほどで拠点であるこじんまりとした屋敷にたどり着いた。

 

「……ただいま、戻りました。ハルカ様、作り置きのカレーがありますので、それまで暫しお待ちくださいね」

「わかりました」

 

 まだ魔眼の力が跡を引いているのか、本調子といえないハルカはゆっくりとリビングに入ると、ソファにどさりと腰かけた。疲れて言葉少なではあるが、彼はこれからどうするかを考えているに違いなかった。

 

 キャスターはそそくさと台所に向かい、冷蔵庫の中からカレーの収まったタッパーを取り出した。これをレンジで温めるだけで、カレー大復活である。

 文明の利器ってすごい。

 

「……ハァ……」

 

 昨日から、誰もかれもが動揺の渦に叩き落されているだろう。それはキャスターも同じ――いや、彼女の場合、最初から大体の事情を了解しているだけに、自らの知らぬ事態がある点においてはより強い衝撃を受けていた。

 

 現実世界で召喚されたての弟橘媛はただ、ハルカを守ることだけに必死だった。土御門神社で自分を屠ろうとした碓氷明から逃れるためだけに、現実世界のハルカを引き連れて混合結界の展開をもくろんだ。

 

 元々、自分が戦って人を殺すという発想のない人間だった。だからハルカを守るために明を殺す、という発想がとっさに出ず、結界内に安全圏を作って逃げ込むことになった。

 

 混合結界はそう便利な力ではない。好きな世界を創造できるといっても、すぐさま何でも作れない。役に立ったのは聖杯に付属させていた春日自動記録装置――その記録から春日を再生、この「拠点」を作った。

 

 キャスターは結界構築後、碓氷明の気配に気を払い、ハルカが目を覚ますまで春日中を探し回ったが――実際の記録をもとに作成された「春日」では、碓氷明は「これから時計塔よりやってくる」設定になっていたようだった。

 また、修正力を受けて結界が消滅しないことを訝しみ――直に「現実世界に展開されたのではない」ことに気付いた。そのままハルカが目を覚まし、ハルカたっての願いだった「聖杯戦争」で戦えるように体をこっそり宝具で強化し、聖杯戦争を始めたのである。……彼女が今まで気づかなかった最大の誤算とは、現実のハルカを連れてきたつもりだったが、連れてこれていなかったこと。

 

 つまりハルカも、サーヴァントたちと同じくこの結界の再生体だったこと。

 

 何故そんな事態になったのか。サーヴァントとしての存在があやふやだったシャドウの状態で宝具を使ったため、宝具を完全にコントロールできなかったのだろうというのが有力だ。

 

 とにかく、結局この結界内で「現実から」やってきたのは、キャスターと碓氷明のみ……それにイレギュラーで、シグマ・アスガード。

 

 ――たとえここがウソの春日だとしても、ハルカが現実を受け入れて元気になってくれれば、キャスターとしてはそれでよかった。

 そして、再生体のハルカは、自分が本物のハルカ・エーデルフェルトではないということも、現実の状態も知ったうえで、それでもいいとシグマに立ち向かった。

 

 つまり、もうすることなど何もないのだ。キャスターは無事、お役御免なのである。全てを伝えた今も、ハルカはキャスターのことを恨んでおらず、サーヴァントとして遇してくれている。

 キャスターは、これ以上のことを望むこともないほどに最良の状態にあるといっていいのだ。

 

 彼女が呆れているのは、自分自身。自分の願いの、奥の底にあったもの。

 

 ハルカに助けを求められたから応じた。キャスターは、誰かを、自分の力で救いたかったのだ。相手は誰でもよかった。どんな犠牲を強いられてもよかった。自分の命が引き換えでもよかった。むしろ、そのくらいの方が良かった。

 

 ――あの時、走水の海で死ねなかった。命を賭して護るはずの大和を護れず、国は滅んだ。

 だからもし、今一度の生があるならば――誰かを、何かを助けて死にたかったのだ。

 

「バカは死んでも治らないものですねえ。我ながら頭が痛いです」

 

 小声でぼやきながら、温め直したカレーを電子レンジから取り出した。今度は白米を温めるべく、タッパーに入った白米を再びレンジに突っ込んだ。

 

 ――けど、あの人……倭武天皇、小碓様は、いったいなんでこれまで私に何も言わなかったんでしょう。

 

 腐っても自分は春日の聖杯(の残滓)と繋がった身体であり、聖杯がサーヴァントを呼ぶものだ。おそらく、自分がアヴェンジャーを召喚したのは結界を作成した最初期である。一度生成された結界は、魔力供給と基本骨子こそキャスターの手にあるとはいえ、細部は結界内で時間が経つほどに独自に変化をしている。

 

 元々が人であるキャスターに、自ら変化する世界を管理し続けるほどの、神の権能はない(人間が操れるのは、固定の心象風景を再現する固有結界が精々である)。結界内の時間が経つほど、キャスターに手出しできる部分は減ってくのだ。

 

 ゆえに、アヴェンジャーは最初からいた。召喚した理由もわかる。自分は、正気すら失うほどの呪いの濃さに耐え切れずに、真先に思い浮かんだ者を召喚したのだ。

 

(けど、あの人が私に付き合う理由というか……この世全ての悪を黙って受け続ける理由なんてないような。それに、私が何でこの世界を続けているのかも、わからないはずなのに)

 

 アヴェンジャーに、なぜキャスターが世界を作ったのか、維持しようとしているのかはわかるまい。彼は昨日まで、声さえ彼女にかけていなかった。

 彼自身も、この結界内でしたいことがあったから付き合っていたのだろうか。彼が呪いの苦しみを肯ってまでここを護る意味が、キャスターには読めなかった。

 

(……まあ、あの人がよくわからないのは昔からですし……)

 

 正直、何がきっかけで彼は神の剣をやめて国を滅ぼそうと思ったのか、今でも彼女にはよくわからない。生前も嫌われてはいないと思うが、どの程度好かれているのかもよくわからない。ただ長くともにあったことは間違いないので、腐れ縁というか情くらいは持ってくれているんじゃないかな、とは思っている。

 頭を抱えていたところ、あっという間に白米の再加熱も終了し、電子レンジの音で我に返った。

 

「うぉっと! ……できましたできました」

 

 せっせと白い器に白米とカレーを盛りつけ、インスタントスープは後で出すことにして、取り急ぎカレーライスをお盆にのせて運ぼうとすると……先ほどまでソファに座っていたはずのハルカが見えなくなっていた。

 

「……ハ、ハルカ様!?」

 

 慌ててソファにまで走り寄ると、何のことはない、ハルカはソファに横になってすやすやと眠りこけているだけであった。先程の戦闘の疲れだけではない、昨日から今日にかけて、色々な事実が明らかにされ、彼は衝撃を受けていた。

 今や全てをよしとして承知したがゆえに、これまでの緊張がどっと出てきて、弛緩しているようなものだ。

 

 健やかに眠っているハルカを見て、キャスターは胸をなでおろした。自分の愚かさ加減にはげんなりするものの、こうして彼は救われた。

 

 いや、キャスターは何もしていない。彼は、自分で自分を救ったのだ。

「……とにかく、よかったです」

 

 折角温めたカレーが冷めてしまうと思いつつも、起こすのも忍びない。キャスターはカレーライスにラップをかけて、テーブルの上にそっと置いた。



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9日目 秘められた弥縫策
昼① 夜を目指す


 コンクリート打ちっぱなしのおしゃれなデザイナーズハウスの一軒家、広いリビングにおいて真凍咲は腰に手を当て、満足げにピンクのリュックサックを見下ろしていた。

 

「よし、準備はこれでいいわ」

 

 今日は土御門一成から誘いのあった宿泊会である。健康ランドこと春日園に四時集合ということで、咲は家までタクシーを呼びつけて行く予定だ。

 

「タクシーとやらはまだか?」

 

 すっかりTシャツにGパンが板についたランサーも、手提げに着替えをいれて準備が終わっているようだった。

 配車依頼は終わっているので、あとはタクシーの到着を待つばかりである。本でも読みながらリビングで待つか、と咲がソファに腰を下ろした時、彼女は視線に気づいた。洗濯物かごを抱えているバーサーカーだった。

 こちらも白いエプロンが板につき、坂東の荒武者はすっかり家政婦の装いである。ただ料理は任せられない。

 

「なあに、バーサーカー」

 

 狂化で理性の大部分を失っているため、言語は操れない。しかし咲は彼をじっと見ていれば、なんとなく何を言わんとしているかわかるようになった。

 自分がわかるようになっている、気になっているだかもしれないが。

 

「……あんたも行きたいの?」

 

 バーサーカーは沈黙を守っている。

 

「でもあんた鎧脱げないし、一緒に行ったってずっと霊体化させてるしかできないって言ったでしょ」

 

 バーサーカーは沈黙を続けている。

 咲も沈黙を続けている。

 バーサーカーは黙して語らない。

 

 咲は肩をすくめた。「実体化許さないからね」

 

 遣り取りを黙って眺めていたランサーが口を出す。「おやバーサーカーも行くのか」

 

「そうみたい。ずっと霊体化させておくからお金はかからないと思うけど」

「ハハハ、見上げた根性だな」

「私がいないんだから家事もないし、マスターがいない状態のほうがのびのび自由にできると思うんだけど」

「バーサーカーは理性がないから自由を感じ取らないだろう」

「ランサーも知ってるでしょ。バーサーカーといっても理性が全部なくなったわけじゃないって」

「だったらバーサーカーは残った理性で、お前といる方がいいと言っておるのだろう」

「……」

 

 狂化A+、Aランクになれば理性は完全消失しマスターの制御さえ危うくなるとされるが、咲のバーサーカーのランクはBであり、理性の大半は消失しているが理性はある。

 咲とて、バーサーカーが現代にも畏れられ続ける坂東の帝であっても、本来の彼は狂戦士と化すべきものではないのだろうと思っている。

 周りが恐れ、時代が恐れ、魔人だとしても、咲にとっては目の前にいるバーサーカーがすべてである。

 それにしてもランサーは、最後までの流れを承知で口出しをした気がする。いつもうまく宥められている気がする。

 

 ――私の父親も、こんな感じだったかな。

 

 それも儚き夢。ロクなことになっていないだろうから、耳を塞いだ。

 この偽物の春日が消える――それは、魔術師としてなんとかわかる。だが、「現実の」自分がどうなっているのか。それは碓氷もランサーも語らないが、咲も聞きたいとは思わなかった。

 

 血で染まった廊下が見える。

 肉片と化した死体が見える。

 病院が地獄と化した。

 

 人を食らうは、目の前にいる我がサーヴァント――。

 

 

 正しく魔術師であろうとしていた、ありたかった。しかし真面目に考えてしまえば、きっとここから動けない。だから咲は意図的に耳を塞いだ。

 

 本当を知り動けなくなってしまうくらいなら、欺瞞でもいいから己をごまかし、儚き世界でも今度は立派にあり続ける方を選ぶ。

 

「時間があればなあ」と、ランサーは言っていた。言い訳めいて聞こえても、それでいい。

 

 その時、軽やかなベルの音が響いた。依頼したタクシーが来たのだろう。咲はさっと立ち上がり、バーサーカーに指さした。

 

「――絶対実体化しちゃだめだからね」

 

 

 

 *

 

 

 

 明、ヤマトタケル、アルトリアが宿泊会とやらに出発したため、碓氷邸には影景のみが残されていた。

 影景自体、家に戻ってくるのは数日振りである。彼は食堂のテーブルでレンチンのパンケーキをつつきながら、しかしつつくばかりで口に運んでいなかった。

 

「ふぅむ」

 

 今彼の脳内に渦巻いているのは、騎士王の宝具であるアヴァロンのことだった。

 影景は実は、アヴァロン――エクスカリバーの鞘の現物を見たことがある。コーンウォールから発掘されたというそれは今も目に焼き付いている。

 春日聖杯戦争時、あえてアーサー王を召喚するという手も考えたが、自分の所有物でもない聖遺物を使うには、最低明をイギリスにまで招かねばならず、また超一級の聖遺物を召喚に使わせてくれと突然言うわけにもいかず、あえなく断念したのだ。

 

 彼は今まで「ここでは死なない」という特性を利用し、結界内という前提条件はあるものの、今まで理論だけ立てていた事件を繰り返し、幾度となく死んできた。

 その結果はレポートにまとめ、明に渡してある。流石に精神の疲労は否めないが、いやあよく頑張った自分と悦に入ってたところに、降ってわいたように持ちかけられたのがライダーのしょうもない話だった。

 

 ――しかししょうもないが、大変興味深くはある。

 

 そのために必要になるのが、エクスカリバーの鞘。正確にはエクスカリバーの鞘でなくともいいそうなのだが、それくらいの遮断結界を張れる礼装が欲しいとのことだ。

 固有結界ならアーチャーが使えるだろうと言ったが、「アレはアレで別に使う」らしく却下された。

 

 ――「全て遠き理想郷(アヴァロン)」は真名解放を行なうと、数百のパーツに分解して使用者の周囲に展開され、この世界では無い「妖精郷」に使用者の身を置かせることであらゆる攻撃・交信をシャットアウトして対象者を守る。

 それは防御というより遮断であり、この世界最強の守り。

 

「そこまで大層なモノは求めん。やりたいのは不老不死ではなくシャットアウト。世界からの干渉をカットしたい。六次元までとはいわんがニ三次元くらいは」

 

 恐ろしく軽い口調で恐ろしくヘビーな要求をつきつけられ、影景はこれは生前の部下は苦労したろうと呵々大笑した。

 そして影景はその要求を受け入れ、アヴァロンのニセモノを作ることになってしまったのだが……。

 

「ハハハ、できるか。舐めんな!」

 

 影景は解析という己の特質上、投影魔術においては一流である。

 ただし投影自体が使い勝手の悪い魔術で、儀式のための道具を投影するのに稀に使う程度しか使い道がない。

 彼はその眼で実物の「鞘」を見た。もちろん妖精眼を使用した状態で。

 ゆえにアヴァロンの魔力構成・質は理解しているし完璧に覚えている。そういえば噂だが時計塔にヤバい投影――正確には投影じゃないかもしれない魔術を使いこなす輩がいるとか、遠坂のBBAがなにくれとなく隠しているとかいないとか。

 まあ、ないものを考えても仕方ない。

 

 ただこの世界の唯一のメリットとして、何階魔術回路を暴走させて死に至っても蘇る点がある。いつもは「できても死んだら意味がない。記録してくれるのがいればまだ許すが」だが、今は何回もトライ&エラーができる。

 

「しかし、もう時間がない……。投影は却下……結界……遮断……ん?」

 

 あるではないか、結界宝具。既に壊れているのが難点だが、砕け散っていてもヤマトタケルはアレを捨てていないはずだ。

 そうとなれば善は急げ、春日園に向かって――と影景が立ち上がった時、彼は屋敷の来訪者に気づいた。結界が反応している。碓氷以外の魔術師の来訪を告げる音。

 

「これは……ハルカとキャスターか?」

 

 気は急いていたが、こちらもなかなか重要そうな顔ぶれが来た。影景は指を鳴らして門を開けると速足で玄関に向かった。

 

「――これは何の御用かな?」

 

 想像通り、目の前にはまっすぐこちらに向かって歩いてくるハルカ・エーデルフェルトの姿があった。前に教会で見た鬱々とした彼とは違い、影景のよく知る単純にして明快な戦う魔術師の顔をしていた。

 それに引きかえ、彼の後ろにしずしずとついてくるキャスターの顔色はいまひとつだった。

 

「エイケイ、手を貸してほしい。私はシグマ・アスガードと戦い勝ちたいのです」

 

 挨拶もなしに直截な言葉を切りだされ、影景は思わず噴き出した。「調子が戻ってきたなハルカ・エーデルフェルト。要望はわかったが、俺は忙しい」

 

「一緒に戦ってほしいとはいいません。あなたの眼力を以て、どういう風に戦うことがベストか戦法を共に練ってほしいのです」

「俺が観戦するのを良しとすることを引き換えに、一時間なら付き合おう」

「春日で戦う以上、あなたの眼を逃れられるとは思っていませんよ」

「全くお前は魔術師に向いているようで向いてない。だが楽しいならいいだろう」

 

 二人の男は、顔を見合わせて笑った。キャスターは置いてけぼりを食らってやや不服そうな顔をしていたが、おとなしくハルカの後に従った。

 影景は中に入れとばかりに背を向けたので、ハルカも遠慮なくその後に続いた。

 

 十年以上振りに訪れた碓氷邸は、ハルカの中の記憶と相違しなかった。古めかしいが手入れと内部リフォームが行われている洋館。

 碓氷明とサーヴァントは出かけているとのことで、今は影景一人である。一階のリビングに通されたハルカとキャスターは、茶を持ってくると言った影景に従い、ソファに腰かけて待っていた。

 洋館住まいでも日本趣味の影景は、紅茶ではなく冷えた麦茶を運んできた。

 

「エイケイ、前に雇っていたメイドは?」

「ああ、色々あって辞めてもらったよ」

「そうですか。ところで、早速本題に入りたいのですが」

「ああ、シグマ・アスガードと戦うってやつだな。敗者復活戦か?」

「そうです」

 

 あまりにも直截なハルカの言い方に、影景は思わず噴き出した。悪く言えば馬鹿正直で、時計塔での陰謀や交渉術には不向きであるのだが(エーデルフェルト本家もわかっているようで、彼をその手のことには使わない)、それだけに影景はこの男を友人としている。

 

「春日聖杯戦争でのように、不死の身体になることはない。それだけの時間もないしな……だが魔力を周囲に循環させて鎧にする術は面倒だ。むしろその辺の解除と対抗は、キャスターに任せろ。お前は、ただただ殴る準備をするべきだ」

 

 影景は思わせぶりにキャスターを見た。居心地悪そうに身じろぎをしたキャスターは、渋々頷いていた。

 

 必勝法、とはいわないまでも、自分で考えるよりは遥かに有意義な会議を終え、ハルカは今夜へのやる気に満ちていた。

 ハルカ・エーデルフェルト、完全復活の趣である。しかしハルカは、完全に寛ぎモードに入っている影景に対し、文句ありげに口を開いた。

 

「エイケイ。あなたも再生体とはいえ、この春日の管理者です。自ら調査し、異変とその原因は早くにわかっていたはず。全く、私に声くらいかけてもよかったのでは?」

「ああ、その通りなんだが……。こっちもこっちで死なない世界ということで、やりたいこととやるべきことが一気に増えてな。お前に構っている暇がなかった!」

 

 キャスターは二人の会話では余計なことは言わず、話しかけなければ黙っていることにしていた。

 そのため、影景とハルカのやりとりが軽妙で楽しく、本当に友人なのだろうと理解できた。

 だが、相手を大切にして互いに助け合う、という友人ではないこともまた、よくわかった。

 

「はあ……そんなことだろうとは思いました。文句を言うだけ無駄なようなので、やめます。……ところで、あの教会の神父は何なのですか?」

「端的に言えば変態だ。俺は気に入ってるし興味深い相手だが、お前には毒みたいな男だな……で、今度は俺の話だ」

 

 麦茶のグラスをテーブルに置いて、影景は意味ありげに口角を釣り上げた。「お前の戦いにアドバイスしたのだから、お前の拠点を見せてもらいたい」

 

 

 

 碓氷影景との会議を終え、ハルカとキャスターは影景を伴って拠点へと帰着した。

 

 前述したが、ハルカたちの拠点は結界のエアスポットに設置されている為、影景ですら存在は把握できても、実際に現地に行くと邸を認識できない。

 拠点を設定したキャスターが共にあってこそ、はじめて現地で屋敷を見つけ、入ることができる。

 

 拠点の敷地内から外を見るならば通常だが、外から内側は意識できない。最上級の結界は「ここに結界がある事すら悟らせない、意識させない」ものである。

 とすればこの拠点は防衛には最高だろう。

 

 およそ十日間キャスターとハルカが暮らしていた為、長らく人が住んでいなかった屋敷にも生活感が出てきている。テーブルの上に載った塩コショウ、椅子の上に放り投げられている上着。影景は勝手に椅子を引出して坐ると、溜息をつきながら言った。

 

「キャスター、前々から感じていたが、もしかしてアホか? 結界主の力でこんな場所に拠点を作れるのなら、聖杯戦争をするハルカをバカ勝ちさせるような結界の作り方もできたろうに。他サーヴァントをバカ正直に春日自動記録体通りにせず、改造してもいいだろう」

「……あ、あの時は必死だったんです。あの影使いの人、明さんからどうにか逃げなきゃで、現実のハルカ様が聖杯戦争聖杯戦争言ってたからそれが頭に残ってて」

「……私はむしろ、貴方がそんな改造をしなくてよかったと思っています。私は一方的な蹂躙を楽しむためにここにいるのではないのですから」

「お前ならそういうだろうよ。これだからバトルバカは」

 

 影景はさて、と話を変えた。「俺はこの拠点を見回ったら帰る。お前たち、シグマの住処も知ってるみたいだし、これ以上言うことはないな」

 

 影景がここに来たのは、勿論一緒に戦うためなどではない。管理者の自分をしてつかめなかった拠点がどのようなものか見たいとのことで、彼はハルカの拠点に来たかったのだ。

 

「私たちは夜に備えて準備をしますので、御随意に。見られて困るものもありませんし。ただ二階に籠っているので、邪魔はしないでください。帰るときに挨拶も不要です」

「了解。好きに調べたら適当に帰るさ」

 

 影景はもうハルカたちの方を見もせず、眼鏡を外してあちらこちらに視線を彷徨わせていた。ハルカとキャスターは二人連れ立って、二階の部屋に向かった。

 

 

 

 ――知恵は得た。あとは、戦うのみである。

 



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昼② レッツゴー春日園その1

「着替え、よし。水着、よし。トランプ、よし。ウノ、よし。人生ゲームは重いからパス!」

 

 おなじみのアーチャーのホテルにて、一成はドラムバッグの中身を引きずり出してソファに置き、指さし確認を実施していた。

 今日こそは聖杯戦争面子で宿泊会という、自分で言いだしておきながら謎イベントの当日である。

 

 一成はアーチャー、理子とともに春日園へ向かうのだが、今はアーチャーの準備を待っている。理子は一度今日の朝自宅に帰り、準備をしてここに戻ってきて、今はトイレに行っている。

 

 一成は中身の確認を済ませ、出したものをドラムバッグの中にしまう。色々考えてみたが、あの人数……というかあの面子でみんなで仲良くトランプ、とは想像しにくい。

 一応遊び道具は持っていくが、スーパー銭湯には卓球台やしょぼいゲーセンもあり、勝手に楽しむだろう。

 

 と、いきなり一成のバッグの横に、どさりと衣服が置かれた。ホテルのクリーニングサービスを使用したもので、小奇麗にビニール袋に入っている。そしていつの間にか隣に珍しくポロシャツジーンズのアーチャーが立っていた。

 なんかゴルフに行こうとしているオッサンのようである。

 

「……自分の荷物もこの中に入れろってか」

「私の衣類を運べるという栄誉をやろう。そなたにこそ頼めることじゃ」

 この大きなドラムバッグにはまだ空きがあり、入れることは無理でもないのだがそういわれると素直に入れたくなくなる。

「嬉しくねえ! 自分で持ってけ!」

「まあまあ」

「テメ」

 

 にこにこ笑いながら勝手に衣類をドラムバッグに詰めるアーチャー。一成は憮然としながらも、渋々それを受け入れる。

 と、そのとき理子がトイレから出てきた。半袖のTシャツ、水玉模様のキュロットにスニーカーと普段着だ。一成と似たようなドラムバッグがテーブルの上に置いてあるが、それは理子のものである。

 

「ではそろそろ行くとするか。またあのバスとかいう乗り物でいくのであろ?」

「タクシーなんか使わねえからな! 高校生の清貧ぶりなめんな……行くぞ!」

 

 駅前のバスターミナルから、「春日園・庭の湯」の送迎バスが出ている。それに乗り二十五分ほどで到着する。

 空には雲が多く、晴れというには少々苦しい天気だった。バス内の人気は多からず少なからずで、なんとなく最後部に三人で一列になって坐った。雑談に花を咲かせているうちに、あっという間に目的地に到着した。

 

 一成たちがのる送迎バスと同じようなデザインのバスが先に客を降ろしている。それが済めば、このバスの番だ。

 

「春日園・庭の湯」の外見は、ホテルだ。もちろんアーチャーの宿泊する高級ホテルの佇まいではないが、和風テイストを加えたリーズナブルなホテルだろうか。

 ここ最近リニューアルされたようで、外観は小じゃれたガラス張りになっている。格子戸風になっている自動ドアに、親子連れや友人同士かカップルかの組み合わせが吸い込まれていく――と、自動ドアの脇には、既に見覚えのある顔が大勢あった。

 

「あいつら来るの早くね?」

「こちらが少々途中渋滞に捕まった故、むしろ私たちが遅かったのであろう」

「――ん? っていうか……」

 

 ここから確認できるのは、明、ヤマトタケル、アルトリア、氷空、桜田、ランサー、アサシン。キリエや咲は身長の都合上、隠れてしまっているのだろうが――気になったのはそれではなくて、見覚えのある白髪頭があったことだ。というか白髪頭の上に烏が乗っている。

 

「……アレ? ライダー来たの?」

 隣でアーチャーが無言でげんなりしているのを、気配で察する一成だった。

 

 

 

「遅いぞ一成! 主役が遅刻かよ!」

「バス自体は時間通りだっつの」

 

 笑いながら文句を言う桜田に一番に出迎えられ、一成たちは「春日園・庭の湯」に降り立った。桜田正義、氷空満、ヤマトタケル、アルトリア、碓氷明、キリエ、ランサー、真凍咲、アサシン、アーチャー、榊原理子そしてライダーという、錚々たる謎面子。

 

「フッ、これで全員そろったようだな」

 

 相変わらず白の羽織に袴という暑苦しいスタイルのライダーは、何故か堂堂たる態度で言葉を紡ぐ。手ぶらだが、こいつ、荷物はないのか。

 

「さあ、行くぞ草ども!」

「おーいライダー。烏、頭の上でウンコしてんぞ」

「何ィ!!」

 

 ライダーが再び烏をBBQにしようとする傍らを横切り、一成たちはさっさと格子風の自動ドアを開いて中に入る。

 一階はまるまる駐車場になっているので、エレベーターで七階のロビーにまで移動しなければならない。

 

「よしみんな行こうぜ~」

「よっしゃ一成の全奢りだ~飲むぞ~」

 

 この暑苦しいのに雨合羽を着て不審者丸出しのアサシンは口笛を吹きつつ、ご機嫌である。実にアサシンらしいが、そこまで一成に出す金はない。

 

「成人してる人々、酒は自費だからな!」

「チッ」

「えっ!?」

「何でお前がそこで驚くんだ!?」

 

 アサシンの舌打ちはともかく、明にまで驚かれるとは、一成の方が驚きである。明が年上なのは承知していたが、飲酒できる歳になっていたことは忘れていた。

 そういわれて気になるのは、ロリ熟女ことキリエスフェールである。

 

 いつの間にかとなりをとてとてと歩いているキリエは、白ワンピースに麦わら帽子とアヒルボートに乗った時と同じ格好をしていて実に愛らしい。温泉に行く格好としてはちょっと違うが。

 

「キリエ、お前酒は飲むのか。アーチャーのホテルでは飲んだ気配なかったけど」

「ん~……たしなむ程度かしら。そこまで好きなわけではないわ」

 

 キリエは酔って騒ぐのが好きなタイプにも見えないし、あまり飲むつもりもなさそうだ。一成は何故自分がこんなに酒まわりのことを気にしているのか、不可解な気分になってきた。

 

 先に他の客にエレベーターを使ってもらい、最後にまとめて全員で乗り込む。

 七階で降り、まず靴を脱いで付属の袋に入れて持ち歩く。目の前の左側が受付で、右にはお土産コーナーが展開されていた。

 人の入りはまあまあで、お土産コーナーを物色する家族連れやカップルがいたが、混んでいるというほどではない。

 

「おい土御門、受付だ」

「お、おう」

 

 ヤマトタケルらはさっさと入り、先にロビーのカウンターで受付と話をしていた。受付の背後に格子状の装飾がされており、その上に「春日園・庭の湯」と毛筆の書体でアクリル板が飾られている。

 

 一成は受付の着物を纏った女性に、いそいそとくじで当てた旅行券を差し出す。そのついでに、一人増えた――返信のなかったライダーが追加されたことを伝えた。

 

「ライダー様については昨日ご連絡をいただいております」

「えっ!? あ、そうですか」

 

 いつの間に連絡したのか。自分でやっといてくれたのであればそれに越したことはないのだが。

 

 宿泊者は全員名前を記入してほしいと頼まれ、それぞれ名前を記入してもらったが、「ライダー」「アサシン」「本多忠勝」「キリエスフィール・フォン・アインツベルン」など、一体何の集団なのか怪しげなことになり、受付から怪訝な目線を向けられたが、適当に笑って切り抜けた。

 

 まずは荷物を置くため、一行は客室へと向かった。男性七名、女性五名の大所帯のため、最も大きいファミリー用の部屋を二部屋借りて、男女別の部屋割りだ。

 

 部屋は和室で、特に男性の方は七人が寝られる部屋なので修学旅行感がある。玄関を上がると、右手にトイレ、左手に室内用の風呂と洗面所。

 十四畳の広々とした和室に、障子で仕切られた先にはテーブルとそれを挟んだ背もたれつきの椅子が二脚。そのすぐそばに面した大窓からは、春日市が一望できる。

 プラズマテレビが一つ、冷蔵庫と金庫も一つずつ。アーチャーの宿泊する高級ホテルとくらべると雲泥の差だが、ワンルーム暮らしで実家が純和風な一成としては、こちらのほうがなじみがある。

「庶民になった気分!」と嘯くアーチャーの腹に肘鉄を入れた。

 

 さてこれからの活動だが、現在四時十五分。夜六時から宴会を設定しているため、それまでは自由だ。

 だがスーパー銭湯に来てすることは一つだろう。「卓球だ」

 

 トートバッグ一つに収まる程度の荷物を放りだしたヤマトタケルは、おなじみの最強Tシャツを着こなして堂堂と言った。

 

「いやちげえよ! いやあながち間違ってないのか……?」

「おお! その話なら儂も聞いたぞ。現代においては温泉に浸かった者は即ち、卓球勝負に名乗りを上げて誉れを争うものだと」

「そのためにはまずは温泉に浸からなければならない。行くぞ」

「待てヤマトタケル。お前の気持ちはよくわかるが、温泉それ自体も素晴らしく、体を休め英気を養うにはもってこいだ。十分堪能しておくべきだろう……勝負にばかり目が行ってしまうのはお前の悪い癖だな」

「む……。確かに……まずは温泉をえんじょいするとしよう。タオルや室内着は一階で借りるのだったか」

「そうだったはずだ。では行こうか」

 

 お互いに笑いながら、温泉に浸かりにいくとは思えない豪傑二人は肩を並べ、さっさと部屋を出て行こうとする。

 突っ込むのを止めた一成は止めようとはしないが、声をかけた。

 

「おいラ……本多さん、大和さん、水着持ってきたなら持ってけよ。水着で入るゾーンもあるって言っただろ」

「おおそうだったな。感謝する」

 

 ランサーたちは踵を返し、己の荷物の中を漁り水着を取り出した。裸の水着だけ持っていくのかいとツッコみたかったが、よしておいた。

 

「どうもあの者たち、この施設を勘違いしておらぬか?」

「そう思うけど、逆にお前の把握っぷりも何だ?」

「勉強熱心と申せ。さて私も庶民をエンジョイしようと思うが、そなたらは?」

 

 アーチャーはちらりと桜田やアサシンたちにも目を向けた。アサシンは「俺は貸切の露天風呂に行くわ」と、勝手に準備を整えて出て行った。

 アサシン――石川五右衛門――の外見は歌舞伎役者そのものであるが、石川五右衛門は実在の彼のみでなく、歌舞伎や浄瑠璃で描かれた像が「無辜の怪物」スキルとなっている為、メイクを外せない。

 そしてそんな状態で大衆浴場にはいけないため、貸切風呂を用意することになったのだった。

 

「公は寝る!」

「……」

 

 なんでだよ。

 

 勝手に押入れから布団を引きずり出してお休み体勢万全のライダーを置いて、一成、アーチャー、桜田、氷空は温泉に向かうことにした。

 途中、アーチャーは七階に立ち寄り物販を見ていくといい離脱したため、馴染みのトリオになった。

 

 一成たちの客室は八階で、明たちの客室はその隣である。出てくるときに彼女たちと出会わせるかと期待したものの、それはなかった。

 

「春日園・庭の湯」は屋上付の八階建てで、一成たちの部屋は最上階になる。屋上にはデッキ広場があり、夕方以降は涼を取り、星空を見ることができる。

 

 七階は玄関・ロビー受付、物販(お土産処)、足湯庭園、三つの岩盤浴コーナー。六階に更衣室や温泉、サウナ、変わり種では水素風呂などもある。

 さらにバーデゾーンといって、三十五度くらいのぬるま湯やシャワーで首や全身をほぐしたりできる場所があるのだが、ここは男女混浴――もちろん水着着用だが――である。

 

 五階は漫画の備付もあるリラックスゾーンと貸部屋、宴会場、食事処で夕食はここだ。

 

 四階は女性専用リラックスルーム、小規模なゲームコーナー、卓球台、子供用の遊び場が揃う。

 

 三階は足裏マッサージやエステの店が入っている。ちなみに八階はすべて客室だが、五階と四階にも客室がある。一階、二階は駐車場である。

 

 館内着やバスタオルは六階の更衣室にあると言われているため、皆持つのは水着と部屋の鍵くらいだ。男子高生三人組は粛々と六階の男子更衣室へと向かう。

 ぼそりと口を開いたのは、桜田だった。

 

「……女子のレベル、高いな?」

「キリエタンのレベルはカンストしている」

「氷空はおいといて、女子のレベル高いな? クセはあるけど」

 

 榊原理子は、黒い瞳が鋭く、凜とした印象を与える。比較的細身で、半袖やキュロットから伸びた腕は適度に日焼けし、健康的で活発。

 真凍咲はゆるいウェーブのかかった地毛の茶髪を肩で一つにまとめ、その視線はしっかりと前を見つめ、強い意志をうかがわせる。理子にくらべたら発展途上の細身で白い手足だが、足取りは強い。

 キリエは透き通る白い肌に濡場玉の黒髪を持つ日本人形のような少女だが、好奇心旺盛に動く体からはそのイメージが少し変わる。

 碓氷明は目鼻立ちの整い、儚げな印象を受ける女性だが、すらりとした手足だが案外肉付きのいい体をしている。

 アルトリアは金髪碧眼、異国の少女だが、笑顔や食いしん坊なところを知るととても親近感の湧く少女だ。

 

 ここにはいないシグマ、美琴、キャスター(厳密には女性ではない)もそれぞれ枠の違った美しさがある。確かに桜田の発言には同意するしかない。

 

「……そうだな、見た目のレべルは高いな。マジで」

「で、水着か……」

「水着だな……」

「キリエタンの水着は核兵器級」

 

 バーデゾーンにまだ女子勢がいるとも限らないのに、男子高校生三人衆はそれぞれ妄想を逞しくしながらせっせと着替えをするのであった。

 

 

 

 

(よく考えたら……いやよく考えなくても、この面子ってそんなに仲良くはないよね?)

 

 男子女子と部屋別で別れ、ひとまず荷物の整理をしながら、明は同室面子を見てしみじみと感じた。

 明はキリエやアルトリアと比較的仲がいいが、理子は最近話すようになったばかり、咲とは聖杯戦争を戦ったが「夕日をバックになぐり合った男同士」のごとく仲を深めた記憶はない。

 というか理子と咲は初対面なのではないか、と思ったものの、何故か彼女らは一成を通じて面識があったらしい。それすなわち、仲がいいことを意味しないが。

 

 一成から六時の宴会までは自由行動、と聞いていたが、スーパー銭湯に来てすることは一つである。「温泉よ!ジャグジーよ! ウォータースライダーよ!」

「いや、最後のヤツはないと思う」

 

 水着と替えの下着を詰めたトートバッグを肩にかけ、既にキリエは温泉に行く気満々だった。キリエだけでなくアルトリアもこの日の為に水着を買ったと言うのだから、夏であるので春日海岸に行くのも一案だったのだが、一成がお金を出してくれるならとそれに甘えた。

 それに海は日焼けで痛くなりそうでもあったので、明は敢えて言わなかった。

 

「大きなお風呂と聞いていますが、室内プールとは違うのですか?」

「うーん、室内プールとは違うかな。家で入っているみたいなお風呂の温度で、もっと色々な種類のお風呂があって、遊ぶというかリラックス、くつろぐって感じかな」

「家のお風呂の延長線上ですか?」

「ん~~まあそんなところ。えっと、理子さんと真凍も行く?」

「はい。示し合わせていませんが、どうせ男性陣も大体は風呂に行ってるでしょうし」

 

 理子は簡潔に答え、咲は頷いた。女子勢は全会一致でお風呂へ向かうこととなった。

 エレベーターで一階まで降りて、番台で館内着とタオルをもらって二階の浴場へと向かうだけだ。

 途中のお土産コーナーでいちいち足を止めるキリエをアルトリアが引き戻しつつ、せっかく一緒に来たのだからそれなりに楽しくやろうと、女魔術師三人衆は雑談をする。

 

「真凍さんはここに来たことあるの?」

「ありますけど、たぶん幼稚園とかそれくらい……。それにリニューアルしてるみたいなので、初めてみたいなものです」

「私もリニューアル後に来るのは初めてだなあ」

 

 エレベーターで六階に。広がる待合場には、すでに湯を堪能したカップルや家族連れたちがのんびりソファでくつろいでいた。

 そして左手側が男子更衣室、温浴ゾーン、右手側が女子更衣室に温浴ゾーンになっている。更衣室の中半分くらいの混みぐあいで、十分快適に着替えて温泉を楽しめそうである。

 使えるロッカーは受付で腕につけられるタイプのカギをもらっているので、すでに決まっている。友達同士(もしくは親戚?)だと思ってくれたスタッフは近いロッカーを五人に割り当てており、仲良く脱衣することが可能だ。

 

 温浴ゾーンは裸で、バーデゾーンは男女共用のため水着着用だ。

 張り紙に「温浴ゾーンとバーデゾーンの間にはシャワールームがあり、そこで水着に着替えてよし」との旨が記載されていた。とはいえ最初は体を洗いたいため、温浴ゾーンへと向かうことにした。

 

 



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昼③ レッツゴー春日園その2

 温浴ゾーンにある風呂は、日本庭園にかこまれた天然温泉露天風呂、室内の天然温泉、天然温泉寝浴、ミクロな泡を出しているミクロバイブラ浴、炭酸泉。

 それに加えてフィンランド式サウナ(石を加熱し、その石に水をかけて熱気を室内に循環させるサウナ)、テルマリウムサウナ(古代ローマの蒸気浴。あまり温度が高くないサウナ)、またバーデゾーンにはスチームサウナがある。

 

 だがやはり温泉といえば露天風呂。すべての風呂を回る気はあるが、体を洗ったらとりあえず露天風呂だろうという気持ちは全会一致だったようで、一成・氷空・桜田・ヤマトタケル・ランサーは晴天の下露天風呂に浸かっていた。

 日本庭園に面した風呂は夏の緑も目にまぶしいほどに鮮やかで、いつもはぬるいと感じる風も濡れたからだには涼しく感じて心地よい。湯の色は透明だがうっすら茶色く、ナトリウムとか鉄イオンが溶けているとかなんとか。

 人の入りも多くはなく快適に、一成一行は温泉を楽しんでいるのだが。

 

「……クソ……薄々察してはいたけど負けた気分だ……」

「どうした陰陽師。もう逆上せたか」

 

 縁の岩に寄りかかり、頭にタオルを載せて風呂を満喫する本多忠勝と、その隣のヤマトタケル。日常服の上からでも承知してはいたのだが、この二人、それはそれは見事な肉体をお持ちであった。

 二人とも身長百八十センチ以上の長身に加え、鍛え抜かれた鋼の肉体の持ち主で腹筋バッキバキなんて常識の風貌である。おまけにヤマトタケルは目つきの鋭い精悍さのある男前で、本多忠勝は余裕と年季を備えた貫録を持つ益荒男の佇まい。

 自分が堕落した肉体を持っているとは思っていないし、比べる相手がまずすぎるのは承知していても、悔しさを禁じ得ない一成だった。

 

「……そしてちんこもでけえ……」

「? 大きい即ち急所の面積が増えるということだから、小さいほうがいいだろう」

「応とも。いざという時に大きくなればいいだけだぞ」

 

 慰めて……はいないな。多分このサーヴァントたちは素だ。

 そんな一成の肩を、両脇の氷空と桜田が生暖かい笑みで叩いた。

 

「なんだその生暖かい笑みは!」

「一成、お前の良さは俺がちゃんとわかってる」

「一成氏、お前はアホだが決して悪い奴じゃない」

「なあそれなんの慰めにもなってねえからな! っていうか慰められることなんかなんもねえ!!」

「しかししばらくぶりだな、温泉は。ここは春日駅からかなり南に位置しているから儂も知らなかった」

 

 大きく息を吐き出しながら上機嫌にランサーは言った。一成はもう二年以上春日に暮らしているから知っていたが、ここの存在は市外に住む桜田や氷空も知らなかった。

 

「一緒に風呂に入るとか修学旅行でしかしないからな。一成の家に泊まることはあったけど」

 

 一成の一人暮らしをいいことに学友が泊りに来るのはよくあることだ。だが風呂は当然一人用なので、一緒に入るなんてことはない。

 

「土御門、修学旅行とは何だ」

「……学生が教育とか、学校行事の一環でどこかに宿泊して……歴史的な建物とか見学して勉強することだよ」

 

 気持ち的には友達と学校行事の大義名分で旅行だヒャッホーだが、一応こういう名目だったような気がする修学旅行。

 桜田が修学旅行を知らないとは変わった人だな、と顔に書いていた。

 

「そうだヤマトタケル。後でサウナに行こうではないか。サウナはやたら暑くて灼熱地獄で、より長く居続けられた者を勝者とするものらしいぞ」

 

 なんだその偏ったサウナ観は。

 言われてみればサウナって何のために入るものかと聞かれると一成も返答には詰まってしまうのだが、ランサーが言っているのは確実に違う。

 

「なるほど。その勝負受けてたとう」

 

 面倒だからあえて突っ込むことはしない。サーヴァントだしぶっ倒れることもなさそうだし、好きなだけ汗を流していればいいだろう。

 

 湯船には屋根がかかっているので直射日光は当たらず快適な中、夏の気候を楽しめる。これほどゆったりとした夏休みの一日も悪くない。

 大きく息をついてそして深く息を吸い込んで「キリエたんの水着が見たい」

 

「欲望ダダ漏れかよ!」

「フン……ならお前は見たくないというのか! キリエたんの水着を!」

 

 一点の曇りもない目で強く見据えてくる氷空満十八歳。そう真っ直ぐ、真剣に正されて「見たくない!」と虚言を述べることは、一成にも躊躇われた。

 

 キリエの水着。一番に思いついたのはオーソドックスな紺色のスクール水着。「三年二組 きりえ」と刺繍された手作り感ありありのワッペン。プールで泳いで色の濃くなる水着、お尻にへの食い込み……。

 

 欲望に真っ直ぐな氷空に触発されてか、桜田も視線を宙に彷徨わせて呟いた。

 

「俺はやっぱ碓氷さん気になる……。いやあ美人だし、絶対スタイルいいよなあ」

 

 明の水着。露出を好む質ではないから、ビキニにあの……下半身にひらひらした布を巻いている……パレオ? の感じだろうか。しかし何に替えても圧巻なのは色白の身体に、ふくよかな胸部装甲……ああ挟まれたい。色んなものを。

 

「幼女ではないがアルトリアさんは美人だな。きっと清楚な水着がお似合いだろう」

 

 アルトリアの水着。氷空の言う通り、白のビキニが眩しく似合いそうだ。リボンがあしらわれているようなものも似合うだろう。選定の剣を抜いたことで女性としての成長を留めた、もどかしくも芽吹く若葉のような健康的な曲線。

 

「あとそうそう……真凍さん? 一成お前どういう知り合いなんだよ。……まあ、それはともかく、あの子も楽しみだなあ。ワンピースタイプとか似合いそう」

 

 咲の水着。彼女の性格上、ませた水着でも可笑しくないが変に露出度を上げることは考えにくい……ビキニに下はズボンタイプ、さらに上にキャミソールみたいなものがついたさわやかな水着だろう。

 細い手足や薄い腹を見ていたら、何じろじろみているのかと怒られそうだがあえて怒られたい。

 

「あと榊原なあ……あいつ、案外……」

 

 高校にて体育は男女別なので、夏季プール授業があるものの、一成たちは理子の水着を拝んだことはない。

 理子の水着。折り目正しい彼女のことだ、流石にスクール水着ということはなかろうが、ヒラッとしたワンピースっぽい水着ではないだろうか。くそう、こういう時くらい「実はスタイルがいいのでは」とうわさされている体を晒してくれてもいいのではないか。畜生。

 

 ぼうっとまだ見ぬ水着に想いを馳せるDK(男子高校生)三人組を見ていたヤマトタケルが、その時いきなり立ち上がった。

 

「では水着を見に行くか」

「躊躇いがねえ!!」

「ここが温泉施設なら、明たちも風呂に入りにきていることだろう。見たいのならば一刻も早くばーでぞーんに行くべきだ」

 

 顔色が一ミリも変わらないあたり、流石である。次いでランサーもそうだと笑う。

 

「よいのではないか? 咲の水着はなかなかかわいらしかった」

「えっ本多さんもう見たんですか!?」

 

 前提がひっくり返るようなことを言い出したランサーに、桜田が目を剥いた。

 

「駅前で買ってきたらしくてな。着替えて似合うかと聞かれた」

「明とアルトリアは家で試着をしていたから見たな」

 

 またしても果てしなく負けた気分となる一成だった。もうこうなったら恥も外聞もなく水着を見に行くしかない。

 一成、氷空、桜田もヤマトタケルに引き続き勢いよく露天風呂から立ち上がったが……「ハァ、まったく人の情緒のない事よ」

 

 聞きなれた低い声、いつの間にか露天風呂に浸かっていた平安貴族――藤原道長が頭にタオルを乗せて腕を組んでいた。

 

「!? おまっ、いつからいたんだ!?」アーチャークラスに気配遮断はないはずだ。

「まだまだ甘いのう」

 

 だがアーチャーの言葉にひっかかっていたのか一成ではなく、ヤマトタケルだった。

 

「水着を見たい……いや、女を見たいことの何の情緒がないのか」

 

「美しい女人を見ることを情緒がないと言うておるのではない。それに至るまでの過程をもっと楽しまないことを惜しい、と思うのじゃ」

 

 文句ありげなヤマトタケルを鼻で笑い、アーチャーは続ける。

 

「実物を見る前に、もっとこんなだろうなあ、あんなだろうなと妄想を肥え太らせて……現代風に言えばリビドーを高めてからするべきなのじゃ。よって先ほど一成たちが繰り広げていたしょうもないだが捨て置けぬ益体もない妄想を、ヤマトタケル、そなたももっと楽しむべきなのじゃ」

 

 結果として乗り込むことにはかわらないじゃねえか、と一成は心の中で突っ込んだ。アーチャーの生きた平安時代の恋は噂と文通からで、気になった女性の家に向かい垣間見――下世話に言えば覗きで女性の様子をうかがったとか。

 屋敷の侍女と顔見知りになって姫まで手紙を届けてもらったり、手引きしてもらったりして結婚にこぎつけるらしい。

 

 アーチャーは大仰に息を吐くと、彼もまた勢いよく立ち上がり、タオルで汗をぬぐった。

 

「ま、それはいいとして――行くか、バーデゾーンへ」

「なあお前今の薀蓄なんだったの!?」

「ちょっと言いたかっただけじゃ」

 

 ヤマトタケルは不服そうな顔をしていたが、この場にいる男たちの心は一つ。いざ立ち上がり、水着を装備してバーデ(水着)ゾーンへ!

 

 決してやましいこと考えているわけではない――そう、健康増進のためにバーデゾーンに行こうとしているだけなのだ。

 バーデゾーンと温浴ゾーンを隔てる扉の前で、一成は深呼吸をした。そして手を取ってにかける。

 

「おい陰陽師、右手と右足が一緒に出てるぞ」

「というか一成氏早く行ってくれ。お前が先頭なんだが」

「う、うるせえ! いま行こうとしてたんだよ!」

 

 水着に着替えた男子一行――アーチャーはどこで買ったのか、青色のボーダー模様で、上下が繋がった囚人服のようなある水着を着用していた。

 一成は期せずしてお揃いのボーダーのハーフパンツ、氷空は黒一色のハーフパンツ、桜田はなぜか青のビキニパンツ、ヤマトタケルとランサーは本気の競泳用らしいハーフ丈スイムパンツだった。

 

 ……しかし、女用水着に引き換え男用水着の華やかさのないこと。

 

 それはさておき、一成はやっと水着エリアへの扉を開いた。

 

 ……水着着用・男女共用のバーデゾーンはプールとは少し違う。

 あくまでリラックスしながら健康になるというコンセプトの元、ネックシャワーや水流で凝りをほぐしたり、インストラクターの元アクアプログラムを行い、健康増進を目指すものである。

 

 しかし男女別の温浴エリアから水着に着替えてバーデゾーンへと足を踏み入れると、そこはおしゃれな室内プールそのものである。

 全体としてはドーム型の空間に、大きな円形のプールが広がっている。プールの縁ではぼこぼこと泡が上がっていて、人工的に水流が発生していることがわかる。そしてプールの中央、クリスタルタブと呼ばれる円形の真ん中には大きな水晶石が置いてある。

 壁は半面ガラス張りで、外の瑞々しい緑の庭園の様子が鮮やかにうかがえる。外に面した扉から外に出ることもでき、屋外にはジャグジーや男女共用フィンランドサウナが建っているそうだ。

 

 というわけで、清水の舞台から飛び降りる気持ちでバーデゾーンへと足を踏み入れた一成だったが、結果として女性陣はいなかった。

 否、他の客の――カップルで来ている二人組の彼女等、女性自体はいるのだ。

 

「は~~~緊張した……」

 

 一成は大仰に溜息をつくと、その場に坐り込んだ。その様子を見て、桜田は笑っていた。

 

「ときどき思うけど、お前ってアホだよな」

「うっせえブーメランパンツ。なんでお前それなんだよ」

「学校の授業で使ってるのはいやだなと思ったけど、それ以外に履けるのがこれしかなかったんだよ」

 

 何故よりにもよってあるのが赤いビキニパンツなのかは謎である。

 まあ、水着女性陣はまだ来ていなかったことだし、精々アクアマッサージでも楽しむとするかと、一成が腰を上げた時だった。

 

「あ、一成」

「ハァイ!?」

 

 ――扉を開いた先にあるだろうと期待した姿はなかったが、その声が左手側から――外に面した扉から、バーデゾーンに戻ってきた女性が、そこにいた。

 

 ぺたぺたと当然裸足で歩いてくるのは、碓氷明――紺色を基調とした大きな花柄のビキニで、下はホットパンツ風になっている。

 

「外のジャグジーに入ってきたんだ。一成たちは今ここに来たの?」

「お、おう」

 

 ……自分の妄想もなかなかのクオリティだったが、本人の破壊力たるや。いつもは隠れている二つの大きな胸元の塊、その谷間。

 しかもジャグジーに浸かってきたというわけで、お湯に濡れて滴っている。胸から降りてくびれのあるウェスト、薄く脂肪の乗った下腹、白い太腿、いやちょっと刺激が強い。

 

「……ありがとうございました……」

「? 何のお礼……「アキラ、ワンピースを忘れています!」

 

 明に続き、外からバーデゾーンに戻ってきたのは金髪の少女・アルトリアだった。彼女に相応しく太腿上丈の白いワンピース風の水着だが、明に対し向き直った――一成は自分に対して彼女が横を向いた時に気づいたが、背中がちょっと開いている造りになっていて実に眩しい。

 アルトリアが小わきに抱えている同じ柄の布は、おそらく明のビキニに付属するワンピースで水着の上から着るものだった。

 

「キ、キリエたんはっ!?」

 

 一足先にプールに入っていた氷空が明の姿を確認するなり脱出してきて、何故か足元に這ってきた。明はぎょっとしながらも、その不可解な呼び名を繰り返した。

 

「キリエたん?」

「い、いやこいつのことは気にするな。ロリコンで精神に障害があるんだ」

「俺は精神疾患をわずらっていないし、そもそもロリコンでもない! ロリコン……正確にはペドフィリアと判断されるのは十三歳以下の児童と性行為を行う者、または複数の児童との性的妄想のし過ぎによって著しい苦痛や障害を有する者のことだ! 俺は少女にも他人にも迷惑をかけない、単なる少女趣味の少女崇拝者なのだ! 碓氷女史、誤解をしないでいただきたい!」

 

 明はほぼ初対面にも拘わらず、生温い笑みを一成とその学友に向けた。

 

「うん、ヤバさは伝わった」

「こんな奴だが罪は犯さないんだ。それは本当だ」

「一成の友達だし、仮性のヤバさだとは思ってる。……あ、キリエたち来たよ」

 

 明の声と共に、扉の方に眼をやればその通り――キリエ、理子、咲の三人が連れ立ってバーデゾーンに入ってきた。後ろの桜田が息を呑む声が聞こえた。

 

 その気持ちは一成にもよく納得できてしまった――まずは、キリエ。

 

「カズナリ! 私、サウナで五分耐えたわ! プール!」

 

 流石にスクール水着ではなかった――だが、スクールだった。セーラー服をモチーフにした、白のひらひらしたスカートに紺色の襟、胸元にはリボンが輝く、品の良い女学生のような水着だった。

 サウナを楽しんでいた彼女の頬はピンク色に染まり、非常に愛らしい。

 

「キッ、キリエた……俺は何故、カメラを持っていない……ッ!!」

 

 風呂場でカメラなんて持っていたら逃れようもなく事案なので、持っていなくて正しい。

 氷空は床を這いずりながらキリエに接近する不審者で、もはやキリエしか目に入っていないようだったが、続く女性陣の水着も素晴らしい。

 

「耐えたんじゃなくて限界を迎えた、って感じでしたけど」

 

 相変わらず涼しい顔の咲は、ビキニタイプの水着。ジーンズ生地風のホットパンツのようなパンツに、同色で少しフリルのついたブラ。

 彼女らしいませた雰囲気を漂わせながらも、決して下品にはならない――加えていつもは結っている髪の毛が解かれ、濡れて肩にかかっている様も大人っぽい。

 

「キリエ、走ると危ないわ!」

 

 そして最後に扉を閉めていた理子――なんとこっちがスクール水着ではないか。

 色は勿論黒に近い紺色、そしてセパレートタイプのため、下はぴっちりした半ズボン風である。彼女らしいといえば実に彼女らしいのだが、一成としては若干拍子抜けの感を免れない。

 いや、これはこれで彼女の通常のプール授業風景を想像できて楽しくはあるが。

 

 勢いよくプールにダイブしたキリエが立てる水音を聞きながら、一成は理子に近付いた。

 

「お前、それ学校の水着だろ。他に持ってねえの?」

「温泉施設にスクール水着を着ちゃいけないってことはないでしょう。それに友達とプールなんかに行くことなかったから持ってないの」

 

 理子は夏休みの間、ほとんどの期間を実家に帰省して過ごしている。その間は実家の神社の手伝いをするなり、魔術の研鑽を行うなど忙しくしているため、地元の友人とも滅多に遊びに行かないと彼女は言った。

 

「でもお前、今年は結構春日にいるよな」

「そうね。高校も今年が最後だから、お父様に頼んだの。最後の年くらい春日で楽しみたいって」

「そうか。でもプールなら春日の外には室内レジャーとかもあるし、そこに行くために買うとかでもよかったんじゃないか」

「え? あんたと?」

「べ、べつに俺じゃなくてもいいだろ。お前結構友達居るんだからよ」

 

 その時、何故か理子は虚をつかれたように目を丸くしたが、すぐさま笑った。「受験が終わって、春休みの間とかに行くのもいいわね」

 

 一成と理子も遅れてプールの中に入り、温泉よりも温いお湯に体を浸した。アルトリアとキリエは四種類八段階の水流が設置された縁に立ち、背中を水流でマッサージして楽しんでいる。

 咲とランサー、アーチャーは中央のクリスタルタブで石に触れながら温泉に浸かっている感じで、桜田はなぜかカメラを捜し続ける氷空を引っ張りフローティング――下から出る水流で体を浮かせ、マッサージを行う箇所で遊んでいた。

 

 なんとなく人々を眺めていた一成と理子だったが、丁度明とセイバーが歩行浴中に通りかかった。

 二人はダラダラ話をしながら、脂肪燃焼でもしているのだろうか。

 

「時に明、俺には気になっていることがあるのだが」

「何?」

「女物の下着と水着は覆っている面積は同じなのに、何故水着を見られることは恥ずかしがらないのか」

 

 ……言われてみれば、まあ、確かに。

 一成も女性の水着姿はありがたく拝むが、下着のそれを見るのはありがたさだけでなく、背徳感というかいけないことをしているようなことをしている気分になる。

 

「……き、気分かな」

「気分」

「ほら、水着は人に見られること前提で買って着てるから恥ずかしくはないけど、下着は見せるつもりで着てないから……」

「しかし見せないのであれば、下着は上質なものを使う意味はあっても、ヒラヒラであったり、色とりどりである必要はないのではないか」

「う、う~ん、確かに人には見せないけど、自分は見るから。あんまりボロいのつけてるとテンション下がると言うか、自分のためにも多少は綺麗な方がいいというか」

「……あと人に見せなくても、今みたいに……着替えで同性には見られるので」

 

 最後には理子も一言を付け加え、ヤマトタケルはそんなものかと頷いていた。一成としては少々気まずい話ではあるが、しっかり聞いていた。

 

「そういやお前ら、結構早くここ……バーデゾーンに来たのか?」

 

 一成たち男性陣がここに現れた時、明たち女性陣は男女共有エリアである外のフィンランドサウナにいたようだ。

 一成たちは男性温浴エリアの温泉を楽しんでから来たので、彼女たちは露天風呂を後回しにしたのかもしれない。

 

「そうよ。バーデのプールって温度が低いから、温泉で温まるのは最後でいいなってなったのよ」

「なるほどな」

「あばばばばばば!!」

「キ、キリエ!!大丈夫ですか!?」

 

 手すりから手を放したらしいキリエが泡の中へと沈没していったが、傍のアルトリアが助けて事なきを得ていた。

 

 

 

 

 

「温いのぉ~~」

 

 至極当然のことを言うアーチャー、それにランサーが円状の椅子に腰を掛けてくつろいでいた。先は二人とは少し間を置いて座っている。

 中央に鎮座したクリスタルは中央にランプが置かれているのか、内側からぼんやりと光りを放っている。

 

「咲、サウナとやらはどうだった?」

「暑かった。何、ランサーは興味あるの?」

 

 正直、咲のサウナイメージはオッサンが我慢大会を繰り広げるイメージしかない。あとダイエットにも効果的、とか。

 

「うむ、話には聞いたことがあるからな。思いっきり汗をかいて水風呂に浸かる……めくるめく恍惚体験だと。それに後でヤマトタケルで耐久勝負もするつもりだ」

「サウナの方式は私もなじみ深いのだ。平安の風呂は蒸し風呂ゆえな……懐かしい、

 あとで堪能するとしよう」

 

 サウナに想いを馳せるオッサンサーヴァントたちをよくわからないと言いたげに半眼で見る咲のところへ、キリエを引き連れたアルトリアがやってきた。

 

「ハァ……強かったわ、ボディマッサージ水流……」

「あれはキリエの使い方が可笑しかっただけでは?」

 

 何故か息を切らしながらやってきたキリエは、髪の毛を頭の上で結い直して咲の近くに坐った。「サキもボディマッサージ水流を楽しんでくるといいわ」

「……後でやるわ」

 

 咲もフローティングやボディマッサージ水流を避けているわけではなく、使っている人間がいるから後で回ろうと思っていた。

 しかしその時、咲はランサーが自分を見つめていることに気づいた。

 

「……? ランサー、どうしたの」

「うむ。キリエを見て、いや前から思ってもいたのだが、咲。お前もキリエのようにもっとハシャいでもいいのではないか?」

「……は?」

「いや、な。親も家にいない身で、魔術の跡継ぎとして大人びた振る舞いを身に着けているのはよいのだが。この時代ではお前はまだ子供の範疇であろう」

「そうよサキ、私は三十二だけれどいつまでも童心を喪わないわ。このアルトリアだって外のジャグジー風呂に入った時は「ひぃあ!」とか「ひょえ!」とか言ってテンパってたのだから、サキも奇声を上げるといいわ」

「キリエ! ……そもそも、奇声を上げようという話ではなかったはずです」

 

 ちょっと顔を赤らめたアルトリアはキリエを抑え、咳払いをした。しかし咲としてはそういわれても、はしゃぐようなことがないからはしゃいでいないだけで、クールを気取っていたりお高くとまっていたりする気持ちはない。

 

「ハシャぎたくなる時が来たら私だってはしゃぎますけど」

「ふむう、そうか……。無理にはしゃげというのも違うしな。……さて、儂はそろそろサウナに足を運ぶとするか」

「私も行こう」

 

 ランサーとアーチャーはゆっくりと立ちあがり、のっしのしとバーデプールを上がった。「おーいヤマトタケル、儂らはサウナに行くが一緒にどうだ」

 フロアから掛けられた声に、ヤマトタケルははたと顔を上げた。「受けてたとう」

 

 咲と同じような認識――サウナは我慢大会――を懐いているヤマトタケルは、不敵な笑みを浮かべると、明に一言告げてランサーとアーチャーの後に続いた。



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昼④ レッツゴー春日園その3

 春日園の館内着は男女ともに甚平のようなものだ。

 男性用は色を紺色か薄い緑色、女性用は濃い目の落ち着いたピンクか薄い黄色か選べる。おしゃれでもないため、館内着を着ないでさっさと自分の服を着る女性も多い。

 

 しかし今日は宿泊をする一成一行は、全員館内着に着替えたリラックスモードでそれぞれ宴会開始の六時まで好きに過ごすことになった。

 明、理子、一成は七階の足湯へ、氷空、キリエ、桜田、ランサーは四階のゲーセンへ、ヤマトタケル、アーチャー、アルトリア、咲は同じく四階の卓球広場やってきた。

 

「温泉とくれば……そう、卓球!」

 

 それを言っていたのは三十二歳ロリだった気もするが、ともかく。

 優雅に紺色の館内着を着こなしたアーチャーは片手に卓球のラケット、片手にピンポン球を掲げ――その相対する相手は、同じく紺色館内着のヤマトタケルだった。彼もまたラケットを右手に――アーチャーをそれで指した。

 

「俺の名前を知っているか――そう、日本武尊(日本最強)。日本最強は卓球も日本最強だ。ところで卓球とは何だ」

 

 完全にツッコミ待ちに思える台詞には突っ込まず、咲は卓球のルールを淡々と話す。

 

「……アーチャーが持っているあのオレンジ色の球をラケットで打ってラリーをして、撃ち返せなかった方の負け。それで打ち返せない球を放った方が一点、十一点先取でゲーム終了。五セットなら三ゲーム先に取った方が勝ち」

「ああ、これはひょっとしてそのためにあるものですか」

 

 壁際には、捲ってカウントしてくタイプの点数版が二つ置いてある。アルトリアはそそくさとそのうちの一台を卓球版の近くに寄せた。

 

「アルトリアさんはやったことある?」

「いや、サッカーはやった記憶があるのですがこれはありません」

「アーチャーは?」

「たしなむ程度には」

「……なら一度、私とアーチャーでやってみせます。ヤマトタケル、ラケットを」

 

 咲の中学が部活強制参加システムとなっているため、一応卓球部に所属している。

 単に「運動部だけど楽そう」という理由だ。強豪校でもなく、市大会の二、三回戦で負けるくらいの呑気な部であるため、咲も熱心に取り組んではいないが、楽しくプレイしている。

 軽くアーチャーとラリーをしてみせ、適当なところでスマッシュを決めて点を取った。

 

「だいたいこんな感じです。ラケットどうぞ」

 

 ラケットをヤマトタケルに返却すると、咲の後ろにはいつの間にかやる気に満ちたアルトリアの姿があった。壁際においてあるボックスから、自分と咲の分のラケットとピンポン玉を持ってきていた。

 

「サキ、私たちもやりましょう! 流れは把握しました」

「……いいですけど、力は加減してくださいね」

「私の方こそ、サキの胸を借りるつもりでやりますから」

 

 サーヴァントの力で放たれたスマッシュを体に受けてしまったら無事ではすまないと思うので、そこは重々気を付けてほしいと願う咲だった。

 

 

 

 

「はぁっ!」

 

 鋭いスマッシュに受けるラケットが追い付かず、ピンポン玉は咲の脇をくぐり抜け後ろへと飛んで行った。

 アルトリアと卓球を始めて約三十分、当然ながら運動神経、勘、力で咲を圧倒的に上回る彼女は、すでに試合において咲を圧倒しつつあった。

 流石にドライブやカットなどの技術は全くないが、咲がドライブ(ラケットを下から上に振り前進回転をかけ、威力を上げる)をかけても、恐ろしいほどの反応速度と直感で打ち返されてしまうのだ。

 

「……はぁ、流石ですね」

「ラケットの振り方で、回転……動きが結構、変わりますね」

 

 まじまじとラケットとピンポン球を見ながら話すアルトリアを眺めつつ、横のアーチャーVSヤマトタケル戦に視線をやった。

 少し関係ない振りをしておこうかなあと思っていたが、そろそろ止めた方がいい気がしてきた。なるほど、碓氷明や土御門一成はこのサーヴァントと付き合ってきたのかと考えると大変だな、ということは理解した。

 

 またアーチャーは以前から卓球を知っていたようだがテクニックを使えるわけではなさそうだった。初心者VS初心者、だが膂力・判断力・瞬発力が人間を超えた者たちが卓球すればどうなるか。

 

 まず、どんな球を放ってもラリーが途切れない。そしてスピードが速すぎて目で追えない。球を拾う際の動きがどう見ても人間の挙動ではない。

 おかげで通りがかりの友達連れやカップルが次々と足を止め、完全に見世物化していた。

 

「フッ……なかなかしつこいな。アーチャー!」

 

 ヤマトタケルは勝負ごとに本気になるタチのため、周囲の視線もなんのその、ラリーに一生懸命である。

 アーチャーはヤマトタケルよりは周囲を気にしているようなそぶりもあるが、自分から辞める――負ける気は毛頭なさそうだった。ヤマトタケルやランサー、アルトリアが負けず嫌いであることは咲も身を以て、もしくは伝え聞いて知っていたが、もしかしてアーチャーもかなり負けず嫌いなのではないかと思った。

 

 

 

 アーチャーとヤマトタケルが熾烈な卓球ラリーを繰り広げていたその時、氷空、キリエ、桜田、ランサーは同じく四階のゲームセンターエリアを練り歩いていた。

 大抵こういう場所にある筐体は、街中にあるゲーセンよりも何代か前の古いものであることが定番だが、春日園もその例にもれなかった。

 リニューアル直後であるのに妙に古いのは、既にどこかで使われた中古だからだろうか。

 

「フフン、私はゲーセンのプロだからなんでも聞いてちょうだい」

 

 何故か自信満々のキリエだが、彼女がゲーセンに行ったのは聖杯戦争中に一成と行った一回きりである。もし一成がここにいれば、「クレーンゲームに強化魔術は禁止だからな」と囁くのだが生憎不在であった。

 

「ハァキリエタンは何をしたい? ここにあるのだと……クレーンゲーム?プリクラ?ダンレボ? 太鼓の達人? もぐらたたき? スロット? プリクラを取るくらいなら俺がスーパー美麗なキリエたんにしてあげるよいやそのままのキリエタンでいいんだけどね!」

「ついてきなさいミツル・ソラ! 私は太鼓のプロよ!」

 

 勇ましく無一文で太鼓の達人に向かっていくキリエに追従する氷空。彼女がいたことはあるが、男兄弟の中で育ってきた桜田としては、年下の女の子――小学生三年生くらいか――と、一体どうかかわっていいのかわからない。

 氷空は一人っ子だが。となると自然、桜田と本多のランサーが残る。

 

「さっきから思っていたが、桜田、氷空はいつもこんな感じなのか」

「ロリの前では。ところで本多さんはゲーセンとか来るんですか?」

「いや、ないな。ここはひとつ手ほどきしてくれんか」

「いいですよ! わかりやすいのだと……パンチングマシーンとかどうですか?単純にパンチ力を計るゲームなんですけど」

 

 桜田が指さした先には、黄色を基調とした筐体に画面がつき、その前に赤色のパッドが立てられているパンチングマシーンがあった。

 パッドの下には専用の紅いグローブがぶら下がっており、一回百円。実は高スコアを出すために舞グローブに鉛を入れる、センサーを隠すなどの技もあるため、本当のストレートで好スコアを記録する者は少なかったりする。

 

 しかしランサーは興味を持ったようでふむふむとマシンに近付いた。

 

「ほほう……しかしパンチングマシーン、どこかで聞いたことがあるような……」

「じゃあ俺がやってみますね! うわ久しぶりだわ」

 

 桜田はそそくさとマシンに近付き、館内着のポケットから小銭を取り出して投入した。見本を見せるように、グローブをはめて構える。

 これはパッドを殴り倒して、その時速でパンチ力を計るタイプだ。これでも彼はゲームのスコア上げのためにテクニックを駆使するのではなく、純粋に、体力測定で握力を計るような心持で挑むのである。

 

「はっ!!」

 

 ばごん、と景気のいい音がしてパッドが派手に倒され跳ね返り戻る。奥の画面がパチンコのスロットのようにまわりだし、そして止まり表示されたのは「290」――フェザー。

 

「前より落ちたな~」

 

 この機種の男性平均は290~350程度です、と桜田はランサーに伝えた。つまり彼の点数はザ・平均なのだ。

 何故かランサーは何か思い出したような顔をしていたが、桜田に向かって笑った。

 

「要領はわかった。……そうか、ヤマトタケルが弁償していたのはこれだったか……うむ」

「? 何か?」

「いやなんでもない。さて儂もやるか」

 

 ランサーもポケットに忍ばせておいた百円玉を放り込むと、見よう見まねでグローブをはめた。これまた見よう見まねでファイティングポーズをとり、深く息を吸う。

 騒がしいゲームセンターではないが、桜田は周囲が水を打ったように静まりかえったと錯覚した――そして。

 

「ッ!!」

 

 眼にもとまらぬ、否、映らぬ速さで突き出されるストレートの拳――一拍遅れて風が吹き抜け、炸裂音と共にパッドがなぎ倒された。

 無事、パッドは起き上がりこぼしのように起き上がったが、衝撃にいまだ微動していた。

 

 我に返った桜田が画面を見ると、そこには「850」の文字が派手派手しく輝いていた。

 

「……す、すげえ! なんとなく予想はしてたけど850って本多さんホントの格闘家じゃないですか!」

「……お? なにやらいい点みたいだな?」

「いい点どころの話じゃないっすよ! つーか壊れてないよな? これ」

 

 今更不安になった桜田はパッドを触ったり画面を見直したりして確認をしているが、壊れてはいない。

 そんな桜田の後ろで、ランサーは全く別の意味で胸を撫で下ろしていた。

 

「……ふう、壊さないで済んだか」

 

 勿論いい点は出したいが、某ヤマトタケルのように壊してしまうのは絶対にない。目的は無事果たせたものの、謎の緊張を強いられたランサーは桜田に声をかけた。

 

「桜田、力系ではないゲームもやってみたいのだが、何かおすすめはあるか?」

「リズム系は……今氷空とキリエちゃんがやってる太鼓くらいですね。あとは……型が古いですがガンシューティングとか!」

「応。教室でのダンスとは変わって、今は儂の方が教えを乞う立場だな。ではそのガンシューティングとやらを楽しむとするか」

 

 

「アーッ!! ミツル・ソラ!その連打テクニックは何なの!?」

 

 太鼓の達人にかじりついているキリエの悲鳴と氷空の(嬉しい)悲鳴が響き、他の客の視線を集めつつも一行は、温泉のゲーセンを楽しんでいるのであった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 温浴ゾーン・バーデゾーンは六階にあるが、春日園は七階にも露天温泉が存在する――それが足湯庭園である。

 屋根で作られた日陰の元、やや傾きつつある日差しを避けて、明、理子、ライダー、一成は足湯を楽しんでいた。屋根からは霧が噴射されていて、涼をとるのに一役買っていた。

 

「ハァ~~~」

「ハァ~~~」

「ハァ~~~」

「お前らオッサン?」

「女だからオバサンです……」

「公だいたい二千七百歳。化石」

 

 つっこむのが馬鹿馬鹿しくなって、一成は他の三人と同様に――足湯に浸かったまま上半身を簀子の上に倒した。

 少々他の人の邪魔になるかもしれないが、混んでいるわけでもなし、よしとしよう。

 

「ハァ~~~~~~~」

 

 きちんと髪の毛を乾かし、絶妙にダサい館内着を着用した明と理子を見てようやく人心地を取り戻した思春期の土御門一成だが、改めて今まで姿を消していた白髪のサーヴァントに声をかけた。

 

「そういやライダー、お前風呂入ったのか」

「公はあとで入るのだ。フツヌシは今楽しんでいるようだが」

「はっ!? 剣が入浴!?」

「霊体化して楽しむとか楽しまないとか。霊体化しては感覚がないと言ったが知らん」

 

 ライダーは風呂に入っていないようだが、館内着を着てリラックスモードである。いつもはライダー相手には緊張したり畏まったりしている明や理子も、今は比較的気にしていないように思える。

 

 少し吹く風も生温いのだが、温泉から出た身には十分に涼しい。そういえばゲーセンに行くとか言っていたキリエや桜田は、折角汗を流したのにまたせっせと太鼓の達人でもして汗をかいているのだろうか。

 

 上――屋根に眼を向けたままの明が、間延びした声を上げた。

 

「……っていうかさあ~一成……」

「あ?」

「アーチャーがくじを当てたから聖杯戦争がらみの面子を集めた……っていうのはまあメールでわかったけど、なんで温泉で宿泊? センス渋すぎじゃない?」

「それには同感……。なんでこう……せめてプールとか、海とか、ディズニーとかじゃないの……?」

「……いや……当てたのは宿で使える旅行券だったからな。海やプールは宿泊できないから候補からは外してたんだ。あとテーマパークとかはいいけど、正直めちゃめちゃ暑いし……」

「ふぅん、案外まともな理由があったんだ」

「どんな理由だと思ってたんだよ」

 

 完全に旅行券に気を取られていたが、海へ行こう、プールへ行こうといえばもっと水着を拝み放題だったことに今更気づき、一成はひそかに落ち込んだ。

 しかし春日海岸は、あまり海水浴向きの海岸ではない。

 

「ま、どうせ春日から外には出られないんだし、ディズニーには行けないけど」

 

 既に受け入れた、それとも諦めているのか、理子はあっさりした口調だった。

 

「……榊原、お前ディズニーとか好きなの?」

「え? 結構好きだけど」

「へえ、なんか意外だ」

「あ~~私もディズニーとか行きたいな……でも人ごみはヤダな~~」

「ディズニーランドでワンマンライブか……」

「お前のライブだと世界観無茶苦茶だろ……あ~~」

 

 四人そろって空と屋根を見上げ、只管ダラダラしている。明は実はめんどうくさがりなところもあり、だらりとしている姿もわかる。

 ライダーは何をしていても意外に感じられない、もしくは何をしていても意外に見える。だが、ダラダラする理子は珍しい。

 

「榊原、お前でもダラダラするんだな……」

「あんた、人を何だと思ってるのよ……まあ、あんまり寝過ごしたり無駄に時間を過ごしたなって思うことは少ないけど」

「ハッハッハッハッハッ、若き草共よ。無駄に時を過ごしたことがない、ということはありえない。生きていること自体が無駄の権化のようなものなのだからな……これ陰陽師、無駄ついでにチューペットを持てい。中の売店で売っていた」

「自分で買ってこいよ天皇陛下……」

「私の分のお金出してくれるならパシリやってもいいよ……」

「地主のお嬢様の台詞じゃねえ……」

「一成だって地元ではボンボンのくせに……」

 

 結局、誰一人として足湯に浸かって動かない状態である。それに業を煮やした、というか黙って居られなかったのはやはり理子だった。

 彼女は「全く!」といいつつ、手元のタオルで軽く足を拭いて簀子の上に立ち上がった。

 

「私が買ってくるから、何味が欲しいの!?」

「オレンジ頼む。奢りサンキュー」

「カルピスがいい」

「公に似合う味で」

「おごりじゃないから! そしてライダーさん、それは私に選択を一任したってことですよね!?」

 

 スリッパを履いてきびきびと館内へ向かう理子を視線だけで見送り、明は大きく息を吐いた。「世話焼き?」

 

 目の前――竹柵の向こう、自然公園からもっと遠い空から、黒い一つの点が、だんだん大きくなってくる。それは三本足の烏で、ライダーの宝具。

 烏は躊躇なく高度を下げて、どんどん近づいてくる――そのまま勢いよく屋根の下をくぐりライダーの真上にフンを落としたが、慣れている彼は寝転がったまま避けた。

 

「あの手の輩は人の為、ではなく、自分の為に動き回っている。情けは人の為ならずというやつだ……しかし影使い、明日の夜には世界の終焉を控えているというに、呑気なことだ」

「……ライダーこそ、変な事言うね。私からすればあなたの方が意外なんだけど」

 

 昨夜、ライダーがアーチャーや理子を訪問したことは、既に本人から聞いていた。明からすればライダーなら、本当に何もしないで終わりを迎えるだけだろうと思っていた。

 

「……公も、聖杯戦争にやりのこしがあるからな」

「……?」

 

 昨日の一成たちへの提案が、どうその遣り残しにつながるのか明にはわからなかった。首を傾げているうちに、理子が戻ってきた。

 

「買ってきたわよ。はい」

 

 流石言葉通り早い――理子はきちんと注文されたとおりに、一成にオレンジ味、明にカルピス味、何故かライダーにはパイナップル味を手渡した。

 

「さんきゅ。……そういやもう少しで飯だったな?」

「チューペットなんて水みたいなものでしょ」

 

 妙に男らしいことをいう理子に頷きながら、一同は仲良くチューペットを啜った。

 

 ライダーはよくわからない鼻歌を歌いながらチューペットを齧っていた。

 明はじっと上機嫌の初代天皇を眺めながら、こんな彼でもやり残すことがあるのかと考えていた。

 

 セイバーに敗れたから再戦して勝つ? いや、関係ない。召喚されたのが遅かったから、現世を楽しんでない?それは今まさに楽しんでいる最中である。

 

(……そういや、召喚が遅れたのって……)

 

 これを聞いたのは、セイバーだったか。

 

「言ったろう。公は、どんな目的でも努力して成果を掴んだものには正しく報うべきだと思う質でな――にしては、この聖杯はいささかよくない」と。

 



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昼⑤ レッツゴー春日園その4

 十八時から五階の食事処で夕食――という名の宴会を催した。

 食事内容はしゃぶしゃぶをメインに御刺身、茶碗蒸し、サラダ、フルーツ盛り合わせに締めの雑炊を楽しんだ。

 十人以上の人数の為、小学校の給食時間らしさを感じた学生メンツである。夕食を満喫した後は自由時間――という名の、二十歳以上の面子による酒盛りと未成年グループによる無限大富豪タイムの始まりだった。

 女子用部屋と男子用部屋を借りているが、女子用部屋を大富豪ルーム、男子用部屋を酒盛り部屋にしている。

 

「じゃあ酒盛り組は私とラ……本多さん、藤原さん、ヤマトタケル、アサシン、……ライダーはどっかいっちゃった……から、そんなとこかな」

 

 既に酒の入っている明は、いつもより若干ご機嫌でにこにこしていた。

 アルトリアやキリエは実年齢としては疾うに成人しているのだが、氷空や桜田がいる前で酒盛り組に向かわせるのはあまりよろしくない。

 だがそこで一成が気にかけていたのは、酒盛り組に女は明一人、残りはむくつけき男どもだということである。

 しかし野郎どもは百パーセントサーヴァントで三大欲求からは解き放たれている存在であり、ついでに隣の部屋であるので、妙なことにはならないとは思うのだが、聖杯戦争風紀委員を自認する土御門一成としては不安なのだ。

 

「おい碓氷、そっち一人で大丈夫かよ」

 

 あとからこっそりアルトリアに酒盛り部屋に向かってもらうことも考えながら、一成はそっと明に耳打ちした。

 だがその心配もどこ吹く風か、明は首を傾げた。「何が?」

 

「いや何がじゃねえー! 部屋の中で、男だらけの中で酒盛りって危ない……かもしれない、だろ!」

「大丈夫大丈夫いざとなったら全員虚数送りだもん。よ~し酒だ~~!!皆の衆~~酒を持て~い!」

「ハハハ、碓氷の姫や、酒はルームサービスで頼むのであろ」

「そうだそうだ。皆の衆~~飲むぞ~~!!」

 

 もはや若干ご機嫌というレベルを超えてハイテンション状態になっている明は、何故か拳を突き上げながら先陣を切って食事処からエレベーターへと向かっていく。

 食事の時一成は明と席が端と端だったため、彼女の様子はわからなかったが、既にできあがっていたのか。

 

「……アルトリアさん、やっぱ心配だから酒盛り組に行ってくれないか」

「わかりました。彼らが妙なことをするとは思っていませんが、あそこまでテンションの高いアキラも何か不安です」

 

 一成とアルトリアは軽く目配せをしたあと、彼女は足早に酒盛り組を追いかけた。

 氷空や桜田には、イギリスでは十五から酒が飲めるとかアルトリアは武術の達人だと言っておこう。大体ウソじゃないし。

 

 さて、酒盛り組はさておき。未成年は未成年らしく、健全な遊びに興じるのである。

 先行した酒盛り組のあとからまったりと女子部屋に向かうのは、一成・桜田・氷空・理子・咲・キリエである。女子部屋といっても男子部屋と同じ間取りの和室なのだが、女子部屋と聞くだけでドキドキしてしまう。

 

 エレベーターで再び八階に戻り、咲と理子の先導でキーにて部屋を開けてもらった。想像した通り、男子部屋とまったく同じ――違うのは荷物くらいである。

 居間を挟んで向こう側の窓ガラスの外には、藍色に暮れた夜の春日があり、街の光――春日駅方面だろうか――が良く見えた。

 

 食事をしている間に、畳の居間に五人分の布団が敷かれていた。キリエは勢いよく誰彼の布団にも構わず、ものすごい勢いで転がり始めた。

 

「これがジャパニーズシュウガクリョコーね! 庶民がマクラナゲに風呂のノゾキに「オイ、オマエ好きな子誰だよ」とか、コイバナに花を咲かせて夜更しして、見回りに来た先生に怒られるのね!」

「キリエちゃん凄いテンプレな修学旅行観だけど、あんまり間違ってないな……」

「覗きはしねえから!!」

 

 もし魔がさしてノゾキをしていたとしても、元生徒会長様がいるここで告白しようものなら極刑に処されてしまう。

 さてキリエを止めるのは氷空に任せるとしても、一成の自前のトランプやウノは男子部屋である。一度戻ろうとしたのだが、そこを理子に止められた。

 

「トランプとウノなら私も持ってきたわよ」

「マジかよ」

「私もトランプなら家にあったので持ってきました」

 

 咲まで自前トランプを持ってきてくれたらしい。ならばそれで事足りるので、修学旅行お未成年らしく遊ぶとする――で、何をするかだが、いっそここは本当に修学旅行っぽく――「……じゃあ、大富豪でもするか」

 

「大富豪? 大貧民じゃなくてですか」

「呼び名は地域差だろ。ルール知らないやつは「大富豪? 私のことかしら」……おう、キリエは知らないだろうな。じゃ、最初は説明代わりに知ってる面子で説明しながらやってみるぞ。ルールは革命あり・縛りなし・階段あり・8切りありのノーマルで」

「8切りはノーマルルールの範囲なんですか?」

「今はノーマルの範囲にしといてくれ」

 

 咲は疑問を口にしたが、大富豪はどこまでが標準ルールでどこからがローカルルールかもあやふやなのである。

 一成は理子からトランプを受け取ると、適当に切って自分・桜田・理子・咲に配った。氷空はキリエへの解説役をしたいようで断っていた。

 

「簡単に言うと、ダイヤの3を持っているヤツから順々にカードを出していって、手持ちのカードがなくなった奴から上がり。カードの強さは3が最弱で、2が最強で、ジョーカーはその上。前のやつが出したカードより強いカードしか出せなくて、もうそれ以上カードを出せる奴がいない、ってなったら場は流れて、最後にカードを出したヤツがまた自分の好きなカードから出していく……ってのを繰り返すんだ。よしやるぞ~ダイヤの3持ってるの誰だ」

「あ、私よ。順番は右回りでいい?」

 

 理子の右隣りから、桜田、一成、咲。説明役の氷空とそれにくっつくキリエの図である。輪になった彼らの真ん中に放られるダイヤの3。

 

「じゃ次は桜田か」

「ならふつーに……」

 

 ダイヤの3の上に重なったのはスペードの5。そして一成がクラブの9、咲がハートの1を出したとき、理子は「パス」と言った。

 

「? リコ、あなた2を持っているじゃない」

「出せるカードがあっても、出したくなかったら出さなくてもいいんだよキリエタン」

 

 説明プレイのため、理子は覗き込んだキリエに文句は言わないのだが、氷空の口調の気味悪さにひいていた。

 そして桜田がハートの2を出して、ジョーカーを出す者もおらず、出されたカードたちは端に追いやられた。

 

「じゃあ俺からだな。はい」

 

 桜田がポンと出したのは、ハートとダイヤの5。「同じ数字が複数枚あったら一緒にだしてもいいんだよ。2枚以上ね。あとは3,4,5とか、連なったカードが3枚以上になるのを階段っていうんだけど、その出し方もOKだよキリエタン」

「ねえ氷空、その喋り方なんなの?」

「どうした榊原」

 

 理子に顔を向けた時には、すっかり真顔の氷空満である。理子は絶句していたが、桜田が首を傾げた。

 

「あれ、お前氷空がクソロリコンだって知らなかったっけ。っていうかキリエちゃん学校にきてた時も氷空はこんな感じだったぞ」

「知らないし知りたくもなかったわよ。それに女子と男子は練習別れてることが多かったし、指示したり作業したりで氷空一人の様子を細かく見てないわよ」

「俺はロリコンじゃない。少女趣味と言ってくれ」

「ロリコンはどうでもいいんですけど、先輩の番ですよ」

「真凍、お前はクールだな……」

 

 咲的には氷空のことはどうでもいいのか、さっさと一成の順番を促した。一成がペアの手札を捜している中、当の彼女はさらりと付け加えた。

 

「完全に変人ですけど、先輩の友達ですから危なさとしては低いんだろうなと思っています」

「お、おう」

 

 そういえば、明にも同じようなことを言われた。随分な信頼をもらっていて、少々気恥ずかしいが嬉しいことに変わりはない。

 だが、冷静な理子はぴしゃりと咲に言った。

 

「真凍さん、それは違うわ。土御門にとっていい人でも、あなたにとっていい人とは限らないんだから。ちゃんと自分で判断しないとダメよ」

「……」

 

 咲はむすりと黙り込んだが、思うところがあるのか反論はしなかった。一端の魔術師として矜持を持っているからか、咲は中学生にしてはかなり大人びているほうなのではないかと一成は思った。

 多分、中学どころか高一の自分が同じことを理子に言われたら口うるさいやつと思っているに違いない。

 

「先輩、なんですかその生暖かい目は。不愉快です」

「いやあ……悪い。真凍、たまには暴れたりしてもいいんだぞ?」

 

 ん? 真凍が本気で壊れて暴れ出すと大変な大参事になる記憶があるような、ないような。

 

「なんだかますます以て不愉快です」

「カズナリ、パスなの?」

 

 おそらく一番ゲームに興味を持っているだろうキリエにつっこまれて、ようやく一成はカードを出した。クラブとスペードの8。「8切り」ルールを適用しているため、ここで場が流れる。

 そして再び一成のターンとなり――雑に四枚の10のカードを放った。

 同じ番号のカード四枚を場に出すことで成立する「革命」。一成は説明にぴったりなカード揃いだと、自分で配った時ににっこりしたものである。

 

「出せる奴はいないな?」

「キリエタン、革命っていうのは今みたいに四枚のカードを出したときのことなんだけど、これ以降はカードの強さが逆転するんだ。今まで2が一番強かったけど、これからは最弱で、最強は3になるんだ」

「ジョーカーは?」

「ジョーカーは最強のまま」

「甘い革命ね」

「そこはルール次第だからね。ジョーカーを最弱にするルールもあるよ」

 

 そのままゲームは進み、最終的に大富豪一成、富豪咲、貧民理子、大貧民桜田で決着した。

 さてルールはおおよそわかったキリエ、それに氷空を加えてゲームをすることになったが、キリエは超初心者であることもあり、そして氷空の立候補もあり、キリエ&氷空のコンビとして暫くはゲームをすることにした。

 

 キリエを膝の上にのせてご満悦な氷空は大層気持ち悪いのだが、やはりキリエがくっついてこなくなって少々さびしい一成だった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 キリエは強くなかったが、元々氷空はゲームが強い。

 そしてノーマルルールにも馴染んだ頃――一成たちが大富豪をするときの定番、「殴り合い大富豪」に移行した。

 

 殴り合い大富豪とは、大富豪において数あるローカルルール――革命、階段、階段革命、Jバック、激縛り、スペ3、5スキップ、逆縛り、4切り、エンペラー、砂嵐を(大体)盛り込んだ大富豪である。ローカルルールは各自ググってほしいのだが、革命を砂嵐で返され8切りを4切りで返され激縛りのスペード3、4、5でもう誰も出せなかったり、いつどういう風に勝てるのかわからないメチャクチャな大富豪である。

 ルールを覚えない者は死ぬ。

 

 そういう風に大富豪に夢中になって時を過ごし、すっかり忘れていたのだが――一成は心配だから途中で明の様子を見に行くつもりだったのである。

 

 あちらにはアルトリアも一緒にいるから大変なことにはなっていないとは思うが、一応向かうことにした。

 幸い、皆大富豪に疲弊したこともあり休憩、自由時間とした。咲やキリエは自販機にジュースを買いに行き、理子は七階に足湯をしにいった。

 

 隣の部屋のドアは空いていて、あっさりと部屋に入れる――が、予想していたとはいえ一成は踏み込むのを一瞬ためらった。それくらい酒臭いのである。

 

「お~い、邪魔するぞ~」

 

 間取りは同じ、玄関を入った先にふすまが閉まっていなければ、広間があって酒盛りをしている光景が広がっている――その想像は間違いなかったが、脳が認識するよりも早くとびかかってきたものがあった。

 

「きゃずなり! うわーん!!」

「!!??」

 

 恐ろしい勢いで飛び掛かられ――抱きつかれ、受け身を取る間もなく一成は廊下に倒れた。幸い頭をぶつけずにはすんだが、一体何事かと自分に襲いかかってきたものを確かめるべく、上に載っているものを掴んだが――重くて暖かくて柔らかくて、酒臭い?

 

 そして、自分の胸の上に感じる、更に柔らかい肉の塊――。

 

「きゃずなり! しぇいばーがひどいんだよ!」

「……ッ!? う、碓氷!!?」

 

 たっぷり酒を飲んでいるようで、顔は赤らんで涙目だ。いやそれよりも、きっとノーブラであろう胸部の肉が、空気の隙間すらなく押し付けられている。

 いや大きいことは以前から知ってはいたが、実物と触れるのではまた全く違うというか、というか自分の足に載っている太腿もまた……。

 

 完全に石化した一成を救ったのは、少し遅れてやってきたアルトリアだった。明の足を掴むと、ずるずると荒っぽく一成から引きはがしたのだ。

 

「コラッ! アキラ! ステイ!」

「ンア~~~」

「……! ッハッ、一体……!?」

 

 危なかった。もう少しで前かがみになりながら歩かなければいけないところだった。一成はゆっくり起き上がると、恐る恐る酒盛りの間に足を踏み入れた。

 

 布団は端に寄せられ、一成の部屋と同じ四角いテーブルが鎮座しており、その上に「鬼ころし」「八海山」などの日本酒、缶チューハイ、ビールが置いてあった。

 空になった一升瓶が何本か畳の上に立ててあるため、かなりの酒量が消費されていることがわかる。また枝豆、たこわさ、ポテトチップス、チョコレートなど雑多なおつまみもテーブル上に散乱していた。

 

 ランサーとアーチャーは普通にテーブルにつき、日本酒をちびちび飲んでいるようだった。アサシンはテーブルからは少々離れ、壁に背をつけてビールを片手にだらだら飲んでいる風情、セイバーはオレンジ色の飲み物を透明なグラスで飲んでいた。

 

 そしてアルトリアは明をすぐ隣に置き、片手を繋いで押さえていた。当の明は、缶チューハイを片手にまだ飲んでいる。

 この部屋の酒の多さから見れば、サーヴァントたちはかなりまともな顔をしているが、空気のアルコールで一成自身も酔っぱらいそうだ。

 

「おや一成、何をしに来た。そなたも一杯やるか」

 

 思ったよりもサーヴァント陣は普通……というか、オカシイのは明だけのように見える。アルトリア相手にむうむう言っている明からは目を逸らし、一成はマトモそうなアーチャーに顔を向けた。

 

「未成年だっつの! ……よ、様子を見に来たんだけど……何だこれ?」

「まぁ見ての通りじゃ。碓氷の姫は予想外に酒乱だったということよ」

「なんかセイバーが酷いって言ってたんだけど」

「ああ……ヤマトタケルに罪はない。碓氷の姫が「おいセイバー、全然飲んでないよね? 私の酒が飲めないの? イッキ、イッキ、イッキ」といって絡みまくっていたのだが、セイバーが全く酔わないためにひどい~~と言っておるのじゃ」

「完全にクソ酔っ払いじゃねえか」

 

 話の渦中にある明は、今やアルトリアに抱き着いてふえぇんと奇声を上げて泣きついている。不憫な絡まれ役のヤマトタケルは、気まずそうにちらちらと明を見ていた。

 

「そういやサーヴァントって酒に酔うのか?」

 

 アサシンが笑いながら答えた。「酔いはするぜ。ただ、生前よりはかなり酔いにくくなっている感じはあるな。キャスターの神便鬼毒酒などになればまた違げーんだろうが……しかしヤマトタケルはマスターに言われて一升瓶二本は飲んでたけどよ、アレだからな」

 

 なるほど、酔いにくいために酒をがんがん飲んだ末の、あの空き瓶たちだった。ただアサシンたちはいつもより明るくなっている感じはあるが、ヤマトタケルは全く変わったように見えない。

 

「……俺の身体にとって、酒は毒物と認識されて神剣により酔わなくなっているのかもしれない。生前から酒を飲んで酔った試しがない」

 

 酒呑童子は神便鬼毒酒によって弱らせられ首を切られ、八岐大蛇は八塩折酒(やしおりのさけ)にて眠らされて首を切られている。

 彼が酒を飲んでも酔えない、というのはわからない話でもなかった。

 

「そうそう、儂らは色々な理由で酒を飲むが、まれに考え事をしたくないから敢えて酒を飲むと言うこともあってな。だが、ヤマトタケルはそれができないだろう?そういうときお前何しているのかと聞いたんだが……」

「死ぬほど走り回ったり素振りをしたり極限にまで体を疲弊させて寝る、と言っておってなあ。本当に面倒くさい奴じゃなあと思ったものよ」

「そのへん、あんまり騎士王の嬢ちゃんの同意は得られなかったな。酒は嗜むが現実逃避の為に酒を飲むことはありません、ってな。全くお堅いヤツだ」

「王としてそんな現実逃避をする意味も暇もなかったのです! お酒自体は好きですから!」

「ンア~~~私の酒がみんな飲めないっていう~~!!」

 

 ……なんか、これはこれですごく楽しそうにやってるなあと思う。とりあえず、アルトリアに酒盛りに行ってもらったのは正しかった。

 もし彼女がいなかったら、きっと明はヤマタケあたりにひっついていたに違いない。風紀委員は、無暗に女性が男性におっぱいや太ももを押し付けて密着することを許しません。

 

「……楽しそうでよかったよ。じゃあ俺は戻るわ」

「おう一成、そなたも一口くらい飲んでいくがよい」

「だーかーらー俺は十八で未成年だっつってんだろ酔っ払い。お酒は二十歳になってから!」

「あ~~そういや、日本だとお酒ってハタチからだっけ~~」

 

 何のことはない明の台詞が、一成にはひっかかった。

 そうか、明は半年ほどイギリスにいて、イギリスでは外では十八歳から酒が飲めて、家では保護者がいる条件下に限り、十五歳でも酒を飲んでいいとかだったような気がする。

 

「おい碓氷、歳いくつだ」

「十九~~」

「はい没収!!」

 

 一成はサーヴァント顔負けの速さで、明の手からチューハイを奪い取った。

 

「ンア~~かじゅなりがいじめる~~かえして~~」

「ここは日本だ! お酒は二十歳になってから!」

 

 そうか、明以外の面子は全員サーヴァントで、飲酒は二十歳からにこだわらない(もしくは知らない)者ばかり、それに明の年齢まで正確に把握している者などいない。

 

「十九などだいたい二十歳ではないか。それに一成や、そなたそこまで遵法精神にあふれた質ではあるまい。私を召喚したときなど博物館不法侵入しておるし」

「ぐぅっ……た、確かにそうだけど。法を破るにしても、わからないようにやんなきゃダメだろ。家で飲むならまだしも、あんまり外でやるのはよくないだろ。俺だってあの時ちゃんと魔術をかけてバレないようにしたし」

「そなた~~~どんどん言ってることが犯罪者っぽくなっておるぞ。つまりそれは、完全犯罪ならオッケー☆ということであるからな?」

 

 自分は一体何の話をしていたのだったか。やはりこの部屋があまりに酒臭すぎて、空気で酔っぱらってきたのだろうか。

 アーチャーも意味不明に絡んでくるし、やはり自分は早々に立ち去ったほうが良さそうだ。一成はサーヴァントたちに背を向けた。

 

「わぁかった、でも碓氷既にかなりべろべろっぽいからもう飲むのは止めた方がいいだろ。俺は戻るぞ!」

「自分の中に自分の判断基準を持つのはよいことぞ。だがそれが余りにも現実から乖離すると現実から排斥されることとなろう。覚えておくことじゃ」

「お前」

 

 一成は思わず、顔だけ振り返る――だが、既にアーチャーは呑気に御猪口を持っていた。

 

「おっとランサー、杯が開いておる」

「おっ、これはかたじけない」

「……戻るわ」

 

 サーヴァントとはいえ酔っ払いの話は話半分以下で聞いた方が良さそうだ。

 一成はげんなりしながら、酒盛り部屋を後にした。未成年大富豪部屋はまだグダグダと休憩をしているだろうし、少しいただけになのに自分がものすごく酒臭くなったような気がする。

 

 

(そういや、榊原足湯するって言ってたな。あそこ外だしいいな)

 

 

 

 *

 

 

 

 

 大富豪がひと段落し理子は一人、一階の足湯へと足を運んでいた。足湯は一日中入れるのだが、深夜に近いこの時間に人はいなかった。

 一階の光が漏れているのと、足湯の中に設置されたライトが光っていること、それに何より、天高くかかる月。足湯を行うには問題のない明るさだった。

 

 少々生温い夜風を受けながら理子は足を湯につけた。あんなに長時間大富豪をしたのは久々である。

 

 思うのは、明日のこと。ライダーの見立てでは、明日の夜が臨界点。

 昨夜話された、彼の計画を実行に移すとき。

 

「……念写をそんなふうに使う事なんてできるのかしら」

「お~榊原」

「土御門……酒臭い?」

「……やっぱか」

 

 理子は酒飲み部屋の惨状を予想して、苦笑いを浮かべた。七階から見渡す夜空はいつもよりほんの少しだけ星が近くに感じられる。

 理子は隣に立っている一成を見上げた。

 

「……あんた、やっぱりちょっとは魔術師ね」

「は? 何だ今更」

「明日で自分がなくなるのに、落ち着いてるから」

 

 ――春日はニセモノ。また自分もニセモノ。

 この世界の事実を知っているのは魔術師ばかりのせいか、誰も彼も、パニックを起こすことはなかった。ライダーに教えられなくても、自ら気づいていた者もいただろう。

 一成でさえ泰然自若……いつも通り夏休みを楽しんでやろうという気概に満ちており、気負いはなさそうだった。

 現実世界に、きちんと己がいる――魔術師は自己すらも客観視し、であれば問題はないと判断する。

 

 理子自身も、多少は魔術の徒であったのだだと――自分の動揺のなさで、改めて自覚した。

 

「……俺は、実感がないからヘラヘラしてるだけかもしれないぞ?」

「それならそれでいいわよ。この世の終わりみたいな顔されるよりは」

 

 五体は自由に動く。空気はおいしい。ご飯もおいしい。

 それでも、私たちは明日までの命なのだ。

 

 ――ライダーの延命策は、延命策という名ではあるが気休めで、気分の問題である。

 

「……今から十日前以前の記憶は、つじつま合わせだっけ。そうすると、現実世界の私ってあんたが魔術師だってことも知らないし、こうして仲良く合宿にくることもなかったのね」

「そうだな」

「――それだけが、残念よ」

「そうか? 知らなくったって、俺らはクラスメイトだろ」

 

 呑気に笑う一成を見て、理子は苦笑した。

 そりゃあそうだ、彼が気づくはずもない。大昔、一年のころだったか――自分はあんたなんて好きでも何でもない、と言ってるんだから。

 言うべきか、言うまいか。理子は家の神社を継ぐと決めている。

 

 しかし伝えることは許されるだろう。

 

「土御門、ありがとう。あんたとこの十日間、色々調べるの楽しかった」

「おう。また現実(むこう)でも、仲良くやろうぜ」

「あんたが悪さをしなければね」

 

 学生生活は楽しいものだ。理子は将来が決まっているという意味で、わざわざ離れた高校に通う必要はなかった。でも、通ってよかったと思う。

 まだ半年ほど残る学生生活、口うるさい元生徒会長として楽しむのだ。

 

 好きだけでは家業はやっていられない。たとえ足掻くだけに終わっても、少しでも良くして次に残したいと思うのだ。風習と習慣は理由があってあるもの。

 それが時代にそぐわないのであれば、己で変えねばらならない。

 

「あんたは問題児だけど、やっぱり会えてよかったわ」

「お、おう。どうした、悪いものでも食ったか」

「全く、バカ」

 



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夜① 人魚とはなれなかった、その末路

 作戦会議を終えたハルカとキャスターだが、ハルカが手持ちの宝石を整理している傍ら、キャスターは手持無沙汰にうとうとしていた。

 彼女に限って魔力不足はありえないはずだが、どことなく元気がないように見える。何か不調なのかと聞いても、彼女は勢いよく首を振った。

 ハルカは彼女を引きずって自分のベッドに投げた。

 

 そのまま黙ってキャスターが毛布を被るのを見てから、ハルカは机に向き直った。やはり、キャスターは変……落ち込んでいるように見える。彼女が落ち込むようなことなど、あっただろうか。

 ハルカを救うためにこの世界を作ったが、いたるところがポンコツだったことを気に病んでいるのだろうか。それとも……

 

「キャスター、何を落ち込んでいるのか知りませんが、それは暫くすれば治まるものですか。もし治まらないのであれば、私に話してみてはどうですか。力にはなります」

「……時間が経てば大丈夫なヤツです! ちょっと自己嫌悪というか、自分に呆れているだけなので」

 

 彼女がそういうのならば、ハルカは深く問い詰めるつもりはない。だが、またシグマと戦おうとしているこの時に、サーヴァントが不調であるのは困るのだ。

 

「ならばよいですが、あなたは私のサーヴァントです。肝心な時に使いものにならないのは困るので、いつでも話してください」

 

 ハルカはよりベッドににじり寄った。毛布を剥ぎ取りこそしないものの、真面目な、真剣な声音で語りかけた。

 

「あなたがいくら自己嫌悪しようと、呆れようと、あなたは私を助けるためのサーヴァントです。だから、最後まで付き合ってもらいますよ」

 

 キャスターから返事はなかったが、いやとは言わなかったため、承知したとの意味でハルカは解釈した。

 

 ベッドに隣接した壁の窓から空を見れば、やや日光がオレンジがかりはじめていた。

 この拠点を検分して満足した影景は、用事があるのかすでに立ち去っている。

 

 ――影景から聞いた話は、確かに収穫ではあった。

 だがシグマへの勝ち筋を見出すほどには至らなかった。

 

 春日聖杯戦争で、シグマ・アスガードは碓氷明によって虚数空間に放逐され、今ここに至っている。碓氷明はシグマを殺すことは不可能だと判断した。

 影景によれば碓氷明が勝利したのは相性によるところが多く、ハルカが真似るには適さない。

 

 しかしここが「現実」ではないことがハルカに利する。影景曰く、シグマの「偽・神霊憑依『終末の黄金華』」は現実世界ほど威力を発揮できない。

 

 シグマは北欧の「神の器」。降霊術セイドを極限まで高めた神を降ろすための巫女。神霊降霊の再現率向上のため、彼女は降ろす神霊を一柱のみに絞っている。

 グルウェイグ――フレイヤと同一視される、争いを呼んだ女神。

 

 だがしかし、ここは世界の狭間虚数空間、さらにその中の結界内。この世界においての法則の根底は、碓氷影景の設置した春日記録装置のビッグデータに加え、キャスターの記憶。それゆえに、日本の神霊ではない、遠い異郷の神は圧倒的に信仰が薄い。

 

 魔術基盤――魔術の各流派が世界に刻み付けた魔術理論。既に世界に定められたルールであり、人々の信仰がカタチとなったもの。人の意思、集合無意識、信仰心によって「世界に刻み付けられる」もの――が脆弱なのだ。

 有り体に言えば知名度が大幅に低下している状態のため、現実ほど強力に働かないのである。

 

 ――現実世界であれば、シグマは自分の魔力でこの世界の物理法則の敷物(テスクチャ)に一時的に穴を穿ち、星の内海へと接続(アクセス)して力の一端を借り受ける(現代は神代のエーテルはないため、あくまで一端の際現に留まる)。

 その上、燃費のいい魔術ではない――最終決戦でも大聖杯膝下で使用していた――ため、遥かに弱まっている。

 少なくとも、今は一時的な不死は獲得することはできない。そのため、戦って倒すなら今を持って他にない、と影景は断言した。

 

 となれば、ハルカは魅了対策をキャスターに一任し、持てる力でシグマを叩くことになる。

 

 だが降霊術なしのシグマが易い相手かいうと、そうとも言い切れない。特異な体質により北欧魔術のみならず陰陽道、カバラ、噂によっては黒魔術まで操るとされる。

 

「……ふぅ」

 

 ハルカは手持ちの宝石の確認を済ませると、それらを服の内ポケットなどに全て収めた。窓から差し込む日の高さから今の時刻を理解する。

 

 まだ夜まで少々時間がある。自分もしばし休息を取ろうと、彼は椅子にもたれかかって目を閉じた。

 

 

 

 *

 

 

 

 ――お前の身は既に走水()の一端となる。

 

 だが、その返済をお前の人生の終わりにしてもいい――お前が生きれば――もしかしたら、葦原は滅ぶのかもしれぬ。

 

 ここ日本にまします神は、天津神や国津神のように、まとまりとして分類できるものたちだけではない。

 精霊、外宇宙から降ってきたもの。神秘の減退著しい大陸から辺境の島国に逃れてきたもの。それらは天津・国津のように多くの名を歴史に残すことはなかったが、神代を離れて間もない時期には、そこかしこに存在していた。

 神代近き日本は神秘の受け皿、否掃き溜め。居場所を失った獣、神、精霊、鬼種の楽園。走水の神もその類。だからその神は、天津神々が主導していた東征に興味がなかった――もしくは、鬱陶しいと思っていたのか。

 

 彼は死後、その魂を一体化させるという契約のもと、海に身を投げた弟橘媛を、一時的に人のまま生きて地上に返したのだ。

 

 ――お前が生きれば、もしかしたら葦原は滅ぶのかもしれぬ。

 告げられたその言葉の根拠が、どこから出ているのか、当時の彼女にはわからなかった。走水の神も、本当にそう思っていただけではないかもしれない。

 神の考えることは理解しきれない――ただの、気まぐれだった可能性もある。

 

 だが。

 

 神の鞘。神の剣を救うもの。神の剣の身代りとなるもの。

 その役目を果たし、ここで消えるべきと理解しながら。

 海に身を投げる直前まで、ここで死ぬことを最善と思っておきながら――彼女は、海神から提示された言葉を受け入れてしまった。

 

 ――今死ぬのが役目だと知っていた。

 

 でも、もう少しだけ一緒に痛かった。もうすこしだけ、彼の旅にいたかった。

 

 まだ、幸せな未来を信じてみたかった。まだ、死にたくなかった。

 永遠はいらないけど、もう少しだけ、生きていたかった。

 

 だから彼女は、海神の言葉を受け入れ――使いの亀に運ばれ、生きて人の世へと戻った。

 

 

 日本武尊らと再会したのは、常陸の地においてだった。再開した彼女らは喜び、常陸を漫遊してから東征の帰路に共につくことになった。

 

 その旅のある日のことだった。弟橘媛は眠れず、ついふらりと小屋の外に出た。夜風は少々肌寒いと思っていたら、小屋のすぐそばに明かりがあった。

 日本武尊が、たき火をしていた。近づいて、隣に座ってよいかと尋ねると彼は頷いた。

 

 彼もまた、寝付けず手持無沙汰で何とはなしに外に出ていたようだった。

 

 その時――彼女は、喋ってしまった。走水での出来事を、己が何のために生まれ何をすべきものであったかを。

 気が抜けていた、といえばそれまでだ。東征の往路を終え、あとは帰るだけとなった皇子にとって、これ以上の危機はないと思ってしまった。

 

「私が生まれたのは、小碓様の東征を助ける為だったんです。小碓様が神の剣なら、それを護る神の鞘。いざとなったら自分が身代りになってでもあなたを守るのが、私が生まれた意味だったんですよ」

 

 言わなければよかったのだ。もし言わなければ、日本武尊は美夜受媛とも結婚し、弟橘媛は嫉妬もしながらも、それなりに平和に一生を終えられたかもしれなかった。

 

「――お前は、神命の為に死ぬつもりだったのか」

「え? そうですね。たまたま、走水の神の気まぐれで今あたかも生きているようになってますけど……小碓様も、神命にて大和を平和たらしめるために戦ってるんじゃないですか」

 

 今更、自明のことだった。ここまでずっと、大碓命の代わりに、大和を護ると決めていた。

 この恋の為に死ぬ、と言っていたのも今思えばこっぱずかしいのだが、本当にそれでいいと思っていたのだ。

 

「俺はどうだっていい。この国が平和かどうかなど」

「えっ?」

「そこまでして達成するほどの価値が、神命にあるのか?」

「……お前は、それでいいのか」

「それって、何がですか」

 

 何かがおかしい。長い付き合いだからわかるが、この空気では間違いなく、日本武尊が怒っている。

 しかし彼女には、何故彼が怒るのか、全く分からなかった。

 

「――お前が死ぬほどの価値が、神命にあるのか?」

「……えっと、私が死ぬほどの価値、というか……そもそも私はそのために存在しているので、その質問は何か違うといいますか」

 

 このままではまずい、と直感的に理解してはいたが、どう答えればいいのかわからない。彼女がもごもごとしているうちに、日本武尊はぽつりと言った。

 

「――ああ、そうか――まずは、俺が始めなければならないのか」

 

 その意味を彼女が理解するのは、少し後のことになる。

 

 

 

 日本武尊は、草薙剣を棄てた。

 

 それには彼女も、旅の部下たちも驚愕した。倭姫命を通じて高天原から与えられた加護を喪うことを、彼以外の全員が恐れていた。

 今まで肌身離さず持っていたのに、何故と誰もが問うた。問われた日本武尊は、失くしたと適当に応えていた。

 勿論弟橘媛、部下たちは懸命に剣を捜したが、結局見つからなかった。

 

 しかし剣を喪っても、日本武尊は最強であり続けた。剣を喪ったことによる防御力の低下は明らかだったが、彼は神剣がない時の戦い方もすぐ身に着けた。

 以前よりも身を守り、自分を意識的に護って戦うようになった。その姿を見て、部下のほとんどは安堵して主の強さをさらに信じるようになったが――弟橘媛は不安だった。

 美受夜媛のいる尾張に立ち寄っても、彼は結婚をさらに後に伸ばし、大して滞在もせずに大和へと向かった。

 

 苦戦はしたが伊吹の山の神も殺し、そのまま大和へと真っ直ぐに。

 

 そうして辿り着いた、桜吹雪く大和国。

 実質追い払われていたとはいえ、名目上は凱旋である。彼は一直線に父帝への面会を申し入れ――その場で、父帝を弑逆した。

 

 父帝だけでなく、警護の者たちも全て、宮中にいたもの全てを殺した。東征をやり遂げてしまった彼にとって、この殺戮劇は赤子の手を捻るようなものだったろう。

 

 神を殺し、獣を殺し、人を殺し、鬼を殺してきた彼にとって、大和の征服は一瞬だった。

 

 その後、倭武天皇と名乗った彼は、出雲を扼しにかかった。

 深謀遠慮があったのではない――ただ、天叢雲剣を失った彼は武器に不自由していた。彼の膂力では、生半可な武器では一瞬にして力負けしてひしゃげてしまう。

 故に彼は己の力に耐えうる武器を求め――出雲の製鉄を手に納めるべく向かった。武器は己で生み出すしかない。

 

 今彼が握る武器は神剣ではなく、かつてイズモタケルを倒した時に使用した、葛に覆われた剣。そ

 して出雲の鉄そのもの。あらゆる形状と性質を持ちうる可能性の(くろがね)

 

 唯一無二の神剣を喪った彼は、今度はいかなるモノになる金属を主武装として戦っていた。

 

 日本武尊――否、倭建天皇(やまとたけるのすめらみこと)による支配は、恐怖と血をもってなされた。逆らう者は皆殺した。

 しかし殺し続ければ、誰もいなくなる。その通り、大和にも、彼が従えていった国々にも――人の数そのものが、見る見るうちに減っていった。

 

 弟橘媛、否、大橘媛がやめてくれ、と言っても、彼は聞く耳を持たなかった。

 彼女は逃げる場所もなく、ただ無力なまま、天皇の妻、皇后として彼に付き従うしかなかった。

 彼の変貌の理由も、何もわからぬまま。

 

 しかし、流石に彼女も気づいた。日本武尊――倭武天皇は、支配をしたくて、天皇になりたくて弑逆したのではないと。

 支配をして富を得たいのであれば、人を殺し過ぎてはいけない。土地があっても耕す人間がいなければ、海があっても漁をする人間がいなければ、動物がいても家畜として育てる人間がいなければ、価値を失くす。

 

 それに、誰一人いなくなってしまえば――「天皇」という存在さえ、意味を失くす。

 

 

 

 涼やかな風に、小高い丘――星空が満点に輝く夜で、その美しさに目を奪われる、ことはもうない。眼下から燃え上がる炎によって、空も煙り霞んでいるのだ。

 

「天皇、あなたは――この国を滅ぼそうとしているのですか」

 

 もう倭武天皇は「神の剣」ではない。神の剣が成すべき使命とはかけ離れ、真逆の行いに身を染めている。

 震える声の皇后の問いに、天皇は遠く闇を見つめながら言った。

 

「結果としては滅ぶかもしれんな。神の剣、に天皇として統治をおこなう力など必要ない。神々はそんなもの与えなかったろう。俺は天皇(統治者)としては不適格だ」

「……ならば何故、そのようなことを」

「神の剣をやめるためだ」

 

 流浪の皇子。東征の皇子。

 仮にこうならなかったとしても、彼が、彼の望むような人生を送れたかどうかは怪しい。

 神の剣として生まれた呪い。前天皇もそれを承知で、彼を大和から放逐したのだから。

 

「……神々が憎いのですか」

「……憎くはある。だがもっと憎んでいるのは神命、運命を何の疑いもなく受け入れていることそのものだ」

「え――」

「……全ての人が、俺やお前のように「神命」を受けているのではないだろう。しかしそれでも、誰でも少なからず生まれた境遇に縛られるものだ。それをただただ受け入れるだけの生命は、生きるに価しない。己の運命に唾吐かぬ者は生きるには弱すぎる。天に唾吐かぬ者など生きる価値はない」

 

 ……彼の言っていることは、きっと間違ってはいないのだ。自分の思うままに生きたいという願いが、根底にある。

 誰もが思いえがく、憧れるような生き方。

 

 しかし誰もが思うがままにしたら、人の秩序は崩壊するだろう。

 

 彼にとって最大の罪は、人を殺すことでも人の者を盗むことでもない。ただ諦めて唯々諾々と生きる事だった。

 しかし、そのように生きられる者が一体どれほどいるか。

 

 

「俺は神の剣を辞めた。神命などという運命は、この程度のものだ。やればできるものだ」

 

 彼は震える彼女に向かって振り返った。

 

「だからこんな運命のために、お前が死ぬことはないのだ」

 

 そして、とうに遅きに失していたが――大橘媛はやっと気づいた。

 かつて旅の途上で放たれた日本武尊の言葉を。

 

 自分が、能天気に役目のことを話してしまったこと、走水の神の言葉を。

 

 全てはその時から始まっていた。日本武尊が怒っていたのは、のうのうと運命(神命)を受け入れていた大橘媛そのもの。

 そして自らが神命に叛くことによって、運命を捻じ曲げてみせた。

 

 たとえその結果が、国と己の破滅でも。

 

「……」

 

 あの時、走水で消えていれば。あの時、海の神と話をしなければ。

 しかし覆水盆に返らず、滅びは目前に迫っている。

 もう少しだけ共に過ごしたいと思った果てが、この結末か。

 

「……ごめんなさい……」

「何故、謝る」

「…………」

 

 自分は、大和を発つ時に何を誓ったのか。大碓命が愛した、豊かな大和を護る事。

 その使命に殉じること。大和の平和のために、日本武尊の使命の為に死ぬ。

 

 ――そうだ、すべては、自分が走水から生還してからおかしくなった。

 日本武尊が剣をなくしたと言ったのも、その直後だったではないか。走水の神は言った。「葦原は滅ぶのかもしれぬ」

 

 あと少しだけ、生きたいと願ってしまった。日本武尊のことが、好きだったから。

 何故こうなったのか、わからないけれど――走水で死ななかったことから、すべてがおかしくなってしまった。

 

 

 倭武天皇は、大和とその周辺の国々を配下に治める過程で、走水の神を殺していた。彼は単独で再びあの海に向かい――今度は神を切って捨てた。

 

 彼女はその理由を、あの大嵐の復讐だと思っている。ただ事実として、その神の死を以て、大橘媛の魂は死後の拘束から解き放たれた。

 彼女は死後神霊の末端となるのではなく、ただ人として死ぬことになった。

 

 

 

 

 ――空は赤く燃えていた。

 

 地平線の彼方へ半分以上その身を落とした太陽は、名残惜しむように、嘆くように、世界を一色に染め上げていた。ここにはもう人の気配どころか、生命の気配もない。

 巣へ戻ろうと列なす雀も、暮れの烏も、鳴く虫も、大気を動かす風もない。

 紅の世界に、黒い剣を佩いた男が立っていた。

 

「……大和はもうなくなった。あとは、お前の好きにしろ」

 

 倭武天皇一体何を言っているのか、彼女にはわからなかった。大和が焼け野原になって、誰一人いなくて、いったい自分にどこに行って何をしろというのか。

 

 彼女はそのまま坐りこみ、動かない。「したいことなんか、ないです」

 

 大和を護るという役目の真逆のことを果たされ、大橘媛のすべきこともまた、なくなった。

 幼き頃から誓っていた役目も、馴染みの大和も消失してしまった今、彼女を動かすものは何もなかった。

 

 時が、すべてが停滞していた。

 そして、二度と動き出すことのないことを、彼女は理解した。

 

「――」

 

 自分はなんと言ったか、もう弟橘媛は覚えていない。気づいたときには、彼女の白く細い首に、倭武天皇の太い指がかかっていた。

 彼にすれば、両手の必要すらなく――左手だけで彼女を絞め殺すことは容易い。

 

 彼女は抗わなかった。力では絶対に敵わない事は、彼女が一番よく知っている。

 誰も何もいなくなってしまったこの世界で、自分一人だけが残されても生きていけないことも明白だった。

 

 反射的に喘ぐように空気を求めたが、存外苦しみもなく先に意識が途絶えて、それきり。

 

 ――一体私は、この人の何なんだろう。何でこの人は、この道を選んだんだろう。

 神の剣を辞めてから、父帝を弑逆してから、彼は少しも笑いはしない。

 

 元々表情に乏しい方ではあったが、それがなお酷くなった。

 

 ……まだ、東征が始まったばかりのころ、倭武天皇――いや、日本武尊は父帝を尊敬し、人に憧れ、大和に帰りたがっていた。

 

 彼がまだ神命なんてまだ深くも考えていなかったころ。その彼の純粋で尊き思いは、いつどこで変わってしまったのか、わからない。

 

 ――もし、二度目の生があるのなら。今度は、誰かを救って死にたい。

 



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夜② 青春、河原での殴り合い

 美玖川は静謐を讃えて横たわっていた。

 風もなく、黒々とした水面は羊羹のように、鈍く艶めいていた――しかしその静寂の上を、我が物顔で荒らしまわる黒い狼たち。

 アヴェンジャーを通して、彼にとってなじみ深い形で顕現したこの世全ての悪。

 

「……もう自ら死ぬこともできないらしい」

 

 宝具から打出した剣を自分の胸に突き立てても、瞬時に黒い魔力によって覆われる。心臓――サーヴァントたる今は霊核だ――は、聖杯の魔力によって造られた核になりかわっている。

 この世界を作ったのは大橘媛で、アヴェンジャーはあくまで呪いのはけ口として呼ばれたサーヴァント。

 あくまで彼の立場は従であったが、とうにそれは意味をなさなくなっていた。彼が自らのうちに呪いを貯め込むのを辞めた瞬間に、今まで溜めこんだ呪いが一気に噴出して春日を混沌に変えるだろう。

 殺してもらうならば、自分以外の魔力によってしかない。

 

 せっかく発破をかけてきたのだ。精々好きにやればいい――大橘媛は、楽しくやっているだろうか。

 

 編纂事象の弟橘媛は、行儀よく走水で死んだ――いや、神になったらしい。

 その死の先に大和の繁栄と、今の春日のような日本がある。弟橘媛――否、大橘媛も、このような繁栄を望んでいたのだろうとは、思う。

 

「……チッ」

 

 既に許容量から溢れた量は、黒い狼として春日を渉猟している。少し前まではまだ自分の意思で操れたのだが、もうそれも限界に近い。

 しかし彼は自らの内側――臓腑を焼き尽くす呪いの疼痛をおくびにも顔に出さず、背後に立つ巫女へと振り返った。

 

「――俺に用があるわけではなさそうだが」

 

 半袖のブラウスに、瞳と同じ碧玉のブローチ。碓氷素材の紺色のマキシ丈スカートを纏う、手ぶらのシグマ・アスガードが手持無沙汰に佇んでいた。

 その様子は、アヴェンジャーではない誰かを待っているようだった。

 

「……そうね。ここは春日の境、結界の境だから――あなたの意図しないことだと思うけれど、色々な人間が寄り集まりやすい場所になっている。だからもし、人を待つのであればここだと思ってね」

「……お前はこの世界で、成したいことを成したか」

 

 それきり話はなく途切れるはずだったが、アヴェンジャーは気まぐれに彼女に話を振った。本当に気にしているのは、この巫女ではないのだが。

 

「何? あなたから話し掛けてくるなんて」

「なんとなくだ」

「死なないここだと魔術師を食べられないから、きちんと現実に戻る渡りもつけたわ。あと、ちょっと変わった一般人を見つけたのは収穫。現実に戻ったら、ちょっかいかけてみようかしら」

 

 シグマのことを、幼女と言った少年がいた。シグマの見るところ、彼から魔術師の気配は全く感じなかったのだが、日本における「混血」などと遠い縁でもあるのだろうか。

 

 幼女。幼く、眼に見える全てを興味深く思い口にしてしまう生き物――自分のことながら、きっとずっとそのままだろうと思うと、さしものシグマも呆れるのだ。

 

 もし自分が、幼女から成長するのであれば――その時に自分に何が起きるのか。

 この空白が埋まった時には、これまでの自分をどう振り返るものか。わからない。

 もともと、自我など必要とされないし、今もないこの身。ライダーと、同じく。

 

「……幼女は幼女らしく、心の赴くままに遊び戦うものよ。ねえ――」

 

 美玖川を背にしたシグマが頤を上げた先にいたのは、河川敷の向こう、道路を渡りおえたところで佇む金髪の優男と、濡場玉の黒髪をもつ少女。

 

「ハルカ・エーデルフェルト」

 

 シグマの瞳が、一瞬金色の煌めいた。ほのかに、遠き異郷の女神の面影が滲む。

 

「……戦いにきました。シグマ・アスガード」

「ふうん、昨日よりは冴えた顔をしてるじゃない」

「むしろ、昨日は失礼をしました。今日こそは殺して差し上げます」

 

 ハルカは堂堂としてかつ大股の足取りで芝生をふみ、河川敷を横断する。その後をしずしずとキャスターがついてくる。

 シグマとハルカ、彼我の距離は十メートルほど。

 

「あら、昨日は私の魅了でノックダウンされていたけれど、大丈夫なの?」

「安心してください。その点については、対策を講じています。それに、今この結界内こそ、あなたを打倒する最大の好機です。もし今を逃せば、もっと難しくなってしまう」

 

 神霊の一端をその身に宿す。そんな離れ業に今の装備で勝てる道理が浮かばなかった。それこそ碓氷の娘の助力でも仰がなければ。一方シグマは腹を抱えて笑いだした。

 

「――アハハハハ! フフ、ちゃんとわかっているのね。そこまで言うんだもの、貴方が私を倒してせたとしても、貴方の命が明日まででも、現実のあなたには何一つフィードバックしなくても、倒すのね」

「もちろん。たとえ私が幻であっても、すべてを擲っていい理由にはならないのです。私とて人間です――絶望に打ちひしがれることもあります。けれどそのままではいられない。現実の私が面した絶望は、現実の私が何とかしなければならない。私が今すべきことは、自分のベストを尽くすこと。エーデルフェルトとして、己として恥じない行いをすること。ゆえにあなたを殺します」

 

 

「――そこまで言うと、ちょっとステキね。製造上の欠陥で、人の記憶が長続きしない私でも、このやりとは覚えておいた方がいいと思っちゃう」

 

 じゃあ、始めましょうかと花のような笑顔を浮かべたシグマだが、ちらりとキャスターに眼をやった。「……キャスターはそれでいいのかしら? 彼女、ずっとアヴェンジャーのことを見てるわよ」

 

 ハルカも、それには気づいていた。ここにアヴェンジャーが姿を現すことは想定していなかったが、丁度いい。

 昨日からキャスターの様子がおかしいことに、彼が関係しているのではないかと思っていた。目で彼女を促すと、キャスターは口ごもってからようやく尋ねた。

 

「……アヴェンジャー、私は、苦しくてあなたを呼んだでしょう。でもなぜ、今まで何も言わずにずっと、この世界を維持してくれたんですか」

 

 アヴェンジャ―が召喚されたのは、聖杯の残滓と直結しているキャスターが強く「助けてほしい」と願ったからだ。

 一番に思い浮かんだのがアヴェンジャーであり、呪いのはけ口を欲したからだ。

 

「何故、そんなことを聞く。お前の目的には関係ないだろう」

「た、たしかに関係ないですけど。でも、なんで。この世全ての汚濁です、そんな何の目的もなく耐えようと思うものじゃあありません!」

 

 アヴェンジャーも結界内でも現世を楽しみたかったなど、何かしら目的があればわかる。だが彼が春日の街を楽しんでいる姿を誰も見ていない。彼は本当に世界を維持するためにだけ活動している。

 その理由がわからなくて、キャスターは問うた。

 

「? 俺はこんな世界どうでもいい。だがお前にはここですべき目的があるのだろう。だから維持している」

「? それは、じゃあ私の為にってことですか。いやだから、それこそ何のために」

「――なるほど。結論はでましたね、キャスター。これであなたの疑問は解決したでしょう」

 

 ハルカは準備運動がてら両腕をぐるぐると回してから屈伸を行った。

 ハルカとシグマの間の空気は、既に張りつめていてお互いに顔に薄い笑みを浮かべていた。重苦しくもここちいい緊張感の中で二人は、二人だけの空気を作っていた。

 しかしキャスターはハルカのサーヴァントであり、彼が戦うというのならばまた彼女も戦うのである。アヴェンジャーの話は全くケリがついていないのだが。

 

 しかし、既にハルカの瞳には獰猛な光が宿っていた。

 一方のシグマも碧眼を煌めかせて、あくまで嫋やかに微笑んだ。疎外感を感じながらも、キャスター自身も武器でもある鏡を取り出して構えた。

 

「……ハルカ様、行きますよ!」

「ええお願いします! 強化と祓いを忘れずに!」

「いいわ、いいわ! 黄金の力(グルウェイグ)を降ろすのは無理だけど――やれるとこまでやってみよう、ね!」

 

 シグマの瞳に見え隠れする黄金の気配が不穏でならない。日本の神ならまだしも、異郷の神ではあまりに接続が遠くなり過ぎるとの話だが。

 もしやこの巫女、専門とする神霊以外を降ろそうと考えているのでは――しかし、キャスターの思考よりも二人の身体の動きが速かった。

 

「――さて、楽しみましょう?」

「ハルカ・エーデルフェルト。参ります!」

 

 それは、凄惨でもあった。神代よりの大家、アスガルド家の最高傑作たるシグマ・アスガードに素質で叶わず、ハルカは劣勢を強いられていた。

 

「ふふっ、ここだと陰陽道の方が通りがいいのよね。――臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前! 来れ四神守護せし霊獣!」

 

 春日聖杯戦争でも使っていた、奪った陰陽。四神相応の地を守護し、安倍晴明の式神十二天将として数えられた霊獣・白虎の召喚。

 方角の吉凶と星に込められてきた概念にカタチを与えたものであるがゆえに、彼らは動く概念武装といってよい。日本においてさえ千五百年を超える神秘を持つ霊獣は、ハルカではなく――サポートのキャスターへと襲い掛かった。

 

「キャスター!」

「私は大丈夫ですっ、マスターはシグマさんに!」

 

 キャスター自身の来歴は、日本における白虎よりは古い(中国の白虎であれば、より遡るが)。それに加え、術者が真性陰陽師ではないこと――技をそのまま奪っただけのシグマであることが幸いして、即破られることはない。

 

「……とう! |常磐堅磐に護り給ひ幸し給ひ《ときはかきはにまもりたまひ さきわいしたまひ》、加持奉る 神通神妙神力加持!」

 

 襲い掛かる白虎を、浮遊する鏡を振り回して、頭から殴りつけ、一瞬怯んだ隙に、もう言一度同じ場所を殴りつける。

 この程度で宝具の発動とハルカへの祝詞を欠かすほど、倭姫命の元で温い修行をしてはいない。倭姫さま、キレイな顔してすごい厳しい(スパルタ)だもの。

 

(……あの、シグマの魅了。あれで全開じゃないとか、本気ですか? 私の祝詞でも、随時かけ直さないと破られるって……)

 

 影景が昼間に提案した魅了対策は、実に単純だった。キャスターが随時祓いの祝詞をかけ続ける、ただそれだけ。

 シグマの魅了は、女神グルウェイグの魅了で、魔眼ランクとしてはA以上のそれである。生半な防御術式を一度組んだだけではすぐに破られてしまうため、常に魅了と戦い続けるしかない。

 

 キャスターの宝具による強化、自らの礼装「宝石炸裂・機動装甲」によって、瞬間瞬間、シグマにインパクトする瞬間の強化も加えていく。握りこんだ宝石の爆発が、シグマの至近距離で放たれる。

 

Funf(五番)Dre(三番)Vier(四番)……!」

 

 その光景を、離れてじっと見つめているアヴェンジャー。

 彼はどうでも良さそうな顔で、どちらかを助けることもない。

 

 夜を照らし出す閃光と爆風を受けても、シグマは無傷だった。

 彼女の周囲を循環する濃密な魔力のドームが、彼女を護っているのだ。今の宝石はBランクの威力はあった筈なのだが、とハルカは歯噛みする。

 

 身体能力だけなら、ランサーと互角にやりあえるハルカの方が上だ。だが、彼女の鎧を破れない。

 

「アハハハハ!!! もっと、できるでしょう!」

「……ッ!! Sechs Ein Fus, ein Halt(九番、冬の河)!」

「……ッ!」

 

 キャスターは白虎から逃げつつ戦いつつ、宝具でハルカの身体を強化しつつ高速祝詞で常時祓いの言葉をかけ続け、シグマの魅了をその都度洗い流して落していく。

 

 しっかりと補佐の役目を果たしつつも、キャスターの脳内は混乱していた。

 

 彼が戦うのなら、自分も付き合うと決めている。

 だがわからないのだ。何でこれほどまでに、この儚き世界であっても、どうしてそこまで戦いたがるのかがわからない。

 

 その心を読み取ったかのように、背後のアヴェンジャーが口を開いた。

 

「あの手の男はたまにいる。戦うこと自体が楽しくて楽しくて仕方がないという者は」

 

 ――確かにハルカは、戦うことが目的と言っていた。

 だが死にたいとは、一言も言っていない。だからこそ、現実世界での自分がボロボロになっていることに、絶望していたのではないのか。

 

「ん~~それはちょっと違うワ、タチバナちゃん。あの男にとっての絶望は死ぬことじゃないの。戦えないまま、受けた恥を雪ぐチャンスもないまま、生きながらえてしまうことよ」

 

 何時の間にか空を浮遊してやってきたフツヌシが、したり声で言う。殺し合う二人に目を向けたままのアヴェンジャーは、それに頷く。

 

「そこの剣の言うとおりだな。あの手の男は簡単にできているから――落ち込む時は派手に落ち込むが、その分勢いよく浮き上がるだろう」

 

 どうして、全然ハルカの傍にいなかったはずのフツヌシとアヴェンジャーが、ずっとハルカの傍にいたはずの自分より彼をわかったような風でいるのか、わからない。

 

 もう、キャスターには何が何だかわからなかった。

 その一方、彼女の宝具(強化)を得たハルカは、シグマ・アスガードを傷つけるべく、とっておきの宝石を放とうとしていた。

 

 シグマのあの魔力ドームを貫くには、爆撃よりも錐のような一点突破のAランク相当の攻撃を放つしかない。いや、もしかしたら――キャスターは唸る白虎に遠当を叩き込みながら、その案を実行に移そうとした。

 ハルカは、こちらに気づいてくれるだろうか。

 

「っつ、猫さん、こちらっ!」

 

 キャスターは白虎に背を向け、全速力でシグマに向かって走り出した。

 白虎も当然、キャスターを追いかける。キャスターは減速する気配なく、そのままシグマの魔力ドームに激突してしまうが、一緒にあとを追いかけてきた白虎も、それは同じ。

 キャスターは僅かに体をずらし、白虎の突撃をすんでのところで避けた――その結果、獣の牙は魔力に突き立つ。それは、動く概念武装の刃だ。

 

「……生兵法は怪我の元、って言うらしいですよ」

「……っ!?」

 

 シグマの盾に、穴が開く。そしてハルカ・エーデルフェルトの宝石が光を放ち、魔力の渦が唸り迫る。

 

Der Riese(終局)――nd brennt(炎の剣)das ein Ende(相乗)!」

 

 

 真夜中に光る、紅。

 宝石はルビー――まるで剣のような一筋の赤い閃光が、シグマを貫いた。

 

 

 魔術の粋を凝らされたシグマは、人間の女の胎から生まれこそすれ、人間として設計されてはいない。神の器に、人格は不要。神が、人になってはいけない。

 その器が、人になってはいけない。

 人と接するうちに、人の価値観に染まってはいけない。

 

 何故ならコレは、神の器。魔術や知識については蓄積することに問題はないが、人との関係性を蓄積することは、そもそもの機能に影響を及ぼす。

 

 だから、忘れよ。変わってしまう前に。

 

 シグマは、一般的にエピソード記憶――時間や場所、その時にかんじられる感情――と呼ばれるモノを忘却する。

 それは、前述のようにアスガルド家の者が、器を器足らしめるべく実装した機能である。誰と仲が良いとか、こんなことをしてもらったとか、人情をもたらすための記憶が、定期的に喪われる。

 

 喩え脳からその記憶が抜けたとて、体が忘れたわけではないのだが――シグマは、器として不要なものは、たとえ本人がどれだけ収集しようと、失くしてしまう。

 

 ただ、シグマが魂食いに拘っているのは――彼女が器としては不要と認定されているものにも、価値を見出しているからかもしれないのだが。

 

 ――氷空が彼女を、幼女と評したことは、決して的外れではない。

 

 

 

 

 万一のカウンターを危ぶみ、ハルカは、後ろへと距離を取った。だが、魔力のドームを破った今を置いて叩き込まねば、次はいつチャンスが訪れるかわからない。

 

「ハァッ……叩き込みます! Es last frei(解放)Eilesalve(一斉射撃)――――」

 

 宝石の流星。

 ルビー・エメラルド・トパーズ・ダイヤモンドの煌めきが中天に輝き、一斉に流れ落ちシグマへと降り注ぐ。煌めきに似合わぬ轟音を上げて、火柱が立ち上る。

 ハルカは眼を細めつつ、グラウンドゼロを油断なく見つめて――そして目を疑った。

 

「……焦ったわ」

 

 脇腹から鮮血を流しながらも、シグマ・アスガードは健在だった。

 服の端々が焦げ付いているものの、その足で立っていた。濃密な魔力ドームは構成できていないのに、なぜ無事なのか――それは、キャスターの結界によって守られていたからだ。

 

 キャスターは決して意図的にシグマを護っていたのではない。

 ただ、今の一連の攻撃の起点が、キャスターのシグマへの突撃であり、彼女がシグマのそばを離れる時間はなかった。

 一撃目の針のような閃光はよいとしても、二撃目の流星は広範囲攻撃で当然キャスターをも巻き込む。ハルカは当然、キャスターは自分で防ぐと思っていたのだが――あの刹那、シグマは近くのキャスターに飛びつき、自分も守らざるを得なくした。

 

「……ッ」

 

 単なる体術でキャスターを羽交い絞めにしたシグマは、花唇を開き、彼女の首筋に息を吐きかけた。

 

「キャスター!」

「白虎」

 

 近寄ろうとしたハルカを、召喚した白虎でけん制する。

 

「キャスター、あなた、本当にサポート専門のサーヴァントなのね。ピーキーすぎて、涙が出そう。人間に人質にとられるサーヴァントなんて、珍しい」

 

 抜け目なく、鈍器である鏡はシグマの足で押さえつけられている。シグマの言う通り、数少ない攻撃手段も遠距離が基本のキャスターにこれだけの近さは致命的である。

 そして同じ巫女として、キャスターはシグマの異常さをよくわかっている。

 

 巫女とは器。器の女。魂を、食うモノ。

 

「あなたがいれば、私はウズメの器にでもなれるかしら……?」

「……!」

 

 仮にも人間が、サーヴァントを食らう? そんなこと、本当にできるのか。キャスターが危ぶんだその時、十メートル以上先にいたはずのハルカの姿が消えていた。

 そして、次の瞬間には目の前にあった。

 

 直接にシグマから逃れる術はなくとも、ハルカへの宝具は怠っていなかった。

 ゆえにハルカは、サーヴァント並みの身体能力を維持したまま、白虎のかいくぐってシグマとキャスターに迫り――シグマの顔面を、殴り飛ばした。

 

「――ッ、!」

 

 途中までキャスターも一緒に吹き飛ばされたが、シグマは彼女を確保していられず、勢いよく投げ出して地面に転がした。

 ハルカは間髪入れず、畳み掛けるように地を走った。

 

 眼に追えない速さで繰り出された右ストレートを、何とか斃れなかったシグマは紙一重で回避した。魔力ドームは生成できずとも、瞬時にルーン強化を全身に施し、右拳を叩きこもうと踏み込む。

 

「あなた、何でそんなに私を倒したいの! 恨んでいるから?」

 

 こちらも強化された、岩石をも砕く破壊力の拳が、ハルカの金髪を掠める。ハルカは一歩引き、身を屈めてさらに勢いをつけて迫る。

 

「それも、あります。しかし、私はエーデルフェルト。雪辱は、晴らします!」

 

 腹部を狙った一撃は、見事シグマにヒットするが――彼女は吹き飛びも斃れもしない。力強く地を踏みしめ、ハルカの腕を捉える。

 

「ふうん。でも、ここで私を倒しても、現実世界には何も残らない。雪辱を晴らしたと言う功績も、ただの絵空事になるわ。それでも雪辱を晴らすの?」

 

 捕えられた腕が、まがってはいけない方向に捻じ曲げられた。

 ハルカは痛みに顔をしかめたが、キャスターの宝具の力で回復はすぐさま進む。腕を気にせず、宝石を至近距離で放つ。

 

「……晴らします。私は、魔術師としては二流でしょう。でもそれでいい。エーデルフェルトは私に、私を捨てた者たちを見返すだけのチャンスをくれたのだから!」

 

 双方吹き飛ばされるほどの爆風が巻き起こり、地面は抉れて土ぼこりが舞い起こる。宝石によるBランクの魔術行使、しかも至近距離ではただでは済まないが――二人は距離をおいて、無事だった。

 

「……あなたが強くなるならエーデルフェルトとしても有益だものね。わかっていると思うけど、エーデルフェルトはあなたに価値があるから助けているのよ?」

「承知です。今更そんなこと」

「現実のあなたは、きっとエーデルフェルトにとって無価値ね」

 

 それはハルカにもわかる、胸に痛い事実だった。エーデルフェルトに利があるからハルカを育てていたのでも、感謝があることに変わりはない。

 動けない己は見捨てられても、可笑しくない。だがそれよりも――ずっと、辛いことがある。

 

「戻ったら、二度と貴方とは戦えない体かもしれない。だから今、戦うのです」

 

 熱烈な愛の言葉にも聞こえるそれに、地面を転がっていたキャスターは耳を疑った。あんなにも教会にいて恐れ、怯えていた相手に対して吐く言葉とは思えない。

 

「あら、存外情熱的なのね」

「昨日の戦い、今もですが、あなたの魔術は群を抜いている。まだ私は封印指定の所以の力さえ見られていないのでしょうが――貴方は私より強い。強い者に殺されるのは仕方がありません。もちろん、自分が聖杯戦争に敗れていたことにショックはあります。戻りたくもない。だけど、それ以上に死んだらもうあなたのような強い魔術師と戦えない」

 

 愛の告白とは違う、熱烈で真摯な言葉。

 

「聖杯戦争での最大の悔いは、負けたことではない。戦えなかったこと。だから今がいいのです。今戦ってベストを尽くす。それがハルカ・エーデルフェルト!」

「ふふっ。私なんかに言われたくはないと思うけど、本当、魔術師というより戦闘狂ね――!!」

 

 二人の荒い呼吸が、非常に大きく夜に響いていた。ハルカは満身創痍で、得意の礼装もズタズタになっており、大の字で芝生の上にひっくり返っていた。

 シグマも満足に魔力ドームが作成できず、ルーンでなんとかするのがやっとの様子で、血を流している口の端をぬぐった。

 その上二人ともぬれねずみであるのは、双方とも一回は吹き飛ばされて美玖川に落下した経緯もある。

 キャスターは強化宝具こそ発動させていたものの、もはやただただ殴りあう二人に手出しができず、眺めているだけになった。

 これ以上の手助けをする方が、無粋な気がしてしまったのだ。

 

「は、ハルカ様……大丈夫ですか」

 

 キャスターも息を切らしつつ、とぼとぼとハルカの傍に坐り込んだ。キャスターの場合は、既に戦闘による疲れだけでなく、考え事のほうが影響を及ぼしていたのではあるが。

 

「はー疲れた!」

 

 魔術戦ではなく、まるでたっぷり草野球をした後のようにシグマは叫んでその場に座り込んだ。

 

「ねえキャスター、わたしに食べられてみない? ウズメを降ろせるかも」

「そう、ホイホイ神霊、呼ばれて、たまるもんですか! 私の立つ瀬が……」

「? そう?全然違うわよ。私は空想具現なんて操れないし……」

 

 キャスターの結界宝具も、純粋な空想具現化とはかなり違うのだが。その時、ハルカが痛む体を圧して上半身を持ち上げた。

 

「……く、キャスターの力を借りてこの様とは、現実世界のあなたは大層……」

「ハルカ様、無理をなさらないで、」

 

 しかしハルカはキャスターを押しのけるようにして、ふらふらとだが立ち上がった。身体中の痛みで苦しげではありながらも、その顔に曇りはなかった。

 

「……私も、まだまだですね。現実の私をしっかりしろ、と叩きたいところですが……それはもう、現実の私に頑張ってもらうしかないでしょう」

 

 その時、今までなかった気配が河原に現れた。白い短甲、同じく長い白髪を一つにまとめた、赤い瞳のサーヴァント。

 

 まるで今までシグマとハルカの戦いを観戦していましたといわんばかりにゆったりと――宝具、「天地渡る岩鳥船の神(アメノトリフネ)」に腰かけて悠々と音もなく河原に舞い降りた。

 

 天鳥船は小型の飛行艇のようなもので、物理法則外の軌道をとる。

 

 ――ハルカは彼の気配に驚きはしたものの、すでに当然の顔をしてフツヌシがいるのだ。ライダーが現れるのは予想できなくはなかったが、何のために現れたのかはわからない。

 

 ライダーは右手の指でフツヌシを呼び寄せると、手に納めて天鳥船から飛び降りた。

 その視線は、意思はここにいるもう一人の天皇に向けられていることは明白だった――フツヌシの切っ先が真っ直ぐに指し示す。

 

「――公は決めたぞ。倭武天皇(アヴェンジャー)――草には死んでもらうとしよう」

「――ほう? 異なことを言うな初代」

 

 アヴェンジャーが口角を吊り上げると同時に、再びどこからともなく黒狼が湧き出でてくる。彼は中空から三本の剣を抜いた。

 

「最早全員知っている。俺を殺すこと即ち、ここのおわりだと」

「勘違いするな。公は忙しいのだ、お前を殺しているほどヒマではない。ついでに伝えにきただけだ」

 

 では何をしに来たのか。ライダーはやおらハルカの方に振り返ると、ついでにキャスターにも目配せをして、笑っていた。

 

「ハルカ・エーデルフェルト。公の企みに乗ってみないか」

 

 その笑みはまるで、秘密基地を友達に教える悪童のようにも似て。

 自慢げに作った秘密基地を見せる子供にも似て――いや、既に良いプレゼントをもらった子供のようでもあった。

 

「お前がこの結界の被造物ではなく、最初から影使いのように――現実世界から連れ込まれたことにしようと思う」

 



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夜③ 商談成立

 一成が様子を見に来てから三十分後、ランサー・アルトリア・アーチャー・アサシンはフロントに連絡してもらった麻雀で白熱していた。

 ランサーとアサシンが麻雀のルールを残る二人に教授しつつ、試しゲームをしている。幸運なら負けないアーチャー・勝負強さのアルトリア・無傷のランサー・特筆することはないが見た目的にはメチャ強そうな雀士のアサシンと、興味深い面子である。

 

 そして一人仲間外れを囲っているヤマトタケルは、手持無沙汰にテレビのバラエティを眺めつつ、オレンジジュースをちびちびと舐めていた。

 彼とて、好きで仲間外れにされているのでもなく、ハブられているわけでもない。

 

「……おい明」

「んん~~」

 

 一成がやってきてからは一滴も酒を飲まず、与えられたジュースを飲んでいる明であるが、それですぐに酔いがさめるはずもなく、赤い顔のままヤマトタケルにべたべたとまとわりついていた。

 

 眠るなら布団を敷くぞ、とヤマトタケルが言うと「寝ない」と返し、また絡み酒でやたらと酒を進めてきたのでしぶしぶ飲んだが、全く顔色の変わらない彼に対し理不尽に「私の酒がまずいというのかぁ」と絡んでくる。

 非常に面倒くさい。今は胡坐をかいたヤマトタケルの腿の上に頭をのせてうとうとしている。

 

「……俺がサーヴァントだからいいものの、先行きが不安だ……」

 

 そこいらを歩く男に明が負けるとは全く思わないが、酒でベロベロの状態はこれでは先が思いやられる。まさかとは思うが、敵の多い時計塔でこんなふうになってはいないだろうか。

 やっぱ酒、毒物では? の想いを強くするヤマトタケルであった。

 

 しかしなにはともあれ、平和でグダグダで弛緩した時間が過ぎていた。まあ、たまにはこんなのも悪くはないかとヤマトタケルが思っていた時、コンコンとこの部屋の扉がノックされた。

 また土御門が来たのかと一瞬思ったが、この気配は土御門ではない。ヤマトタケルは腿の上の明の頭をそっと座布団の上に降ろすと、立ち上がった。

 

「俺が出る」

 

 ここまでやってくるとは、流石に酔狂とは思えない。だが、良い予感もしない。

 

 勢いよく扉を開くと、そこには――碓氷影景が立っていた。

 

「おお、ヤマトタケルが出てくれるとはちょうどいい」

 

 いつもの糊のきいたスーツに、トランク。靴はフロントで脱がされるために靴下だった。

 にこやかに笑っている明の父は、出迎えられるなりこう言い放った。

 

「お前の宝具だった、櫛を貸してくれ!」

「……」

「といってもわけがわからないだろうから、説明をしよう。少々お邪魔する」

 

 ヤマトタケルの返事を待たずに、ずかずかと部屋に上がり込む碓氷影景。予想だにしない人物の登場に、アルトリアたちも牌を混ぜる手を止めた。

 アーチャーは既知であったが、アサシンとランサーは首をかしげていた。

 

「おいあんた誰だ?」

「おお、これは始めまして。私は碓氷影景――もう察していると思うが、そこの碓氷明の父だ。以後お見知りおきを、ランサーにアサシン」

 

 先程までうとうとしていた明は、もう寝転がってはおらず――まだとろんとした目つきをしてはいたが、テーブルに両腕を乗せて実父を見上げていた。

 

 影景の後に続いて居間に戻ったヤマトタケルは警戒の目つきのまま、ひとまずは明の隣に腰を下ろした。

 

「まずは寛いでいるところを邪魔したことを謝ろう。用が済めばさっさと帰るさ。――で、だ。皆、多かれ少なかれライダーの企みは聞いているだろう」

 

 ヤマトタケルとアルトリアは、明から。明は一成から相談を受けて知っている。ランサーとアサシンは寝耳に水であり、訝しげに影景を見上げた。

 

「そうかランサーは、当日大暴れする役目だから事前準備は要らないからな。アサシンは少々お願いしたいことがあるんだが……とりあえず胡散臭い、だが面白いことをやろうとしている。俺にとっては、だが」

「……どーもうさんくさいな。あんたもライダーも」

 ケッと唾を吐くふりをするアサシンを、影景は笑った。「否定はしないさ……おっ、ちょうどいいところに」

 

 ピピっと、部屋が開錠される音。最早全員が、その気配で誰の来訪かを察していた。

 

「良い湯であった……お前か。さきほど、異郷の魔術師(ハルカ・エーデルフェルト)には話を通してきた」

 

 いつもは頭の上で一つにまとめている白髪を下ろし、館内着の黒甚平に身を包んだライダーが姿を現した。影景がいることにも全く驚きを示さず、また影景にしか伝わらぬことを言った。

 彼は入れから追加のザブトンを引出、その場に胡坐をかいて坐った。

 

「アーチャーが覚醒させ、陰陽師が引出し、巫女が映しだし、公が成して因果律を上書きする。そのために結界宝具が必要であり、管理者によろしく頼んだ」

「そういうわけだ。ヤマトタケル、悪いようにはしない。櫛を貸してくれ」

 

 結界宝具が必要のくだりは初耳だが、計画自体を知るヤマトタケルは頭から拒否はしなかったものの、はいそうですかとも頷けなかった。

 

 碓氷影景とライダー・神武天皇という、力は疑うこともない顔だが、心の底から信じることができない二人組だった。

 勿論、頷けない理由はそれだけではない。

 

「――知っているだろう。俺の結界宝具はもう宝具として用をなさない」

 

 聖杯戦争最終戦で、天叢雲剣完全開放のため、ヤマトタケルの神性を一時的に向上させるために結界宝具である櫛を破壊して魔力塊として使用した。

 ――そう、宝具はヤマトタケルの手によって壊れた幻想(破壊)されている。

 通常、宝具の修復には長い時間がかかる。彼は櫛の欠片を集めて常に持ち歩いているが、まだ宝具として機能するには程遠い状態である。

 それがなくても、彼らに易々と渡したいものでもない。

 

「それは知っている。だが壊れていても、結界宝具だ。俺はそれを改造し修復し、使用できるようにする――それに、うってつけの人物もいるしな。世界は違うとはいえ、櫛本来の持ち主がいるんだから」

 

 ヤマトタケルは沈黙した。ライダーが何を思って酔狂を言い出したのか知りはしないし、影景が何を目的にしているのかもよくわからない。

 

 ただ、その企みを聞いた時の明は――嬉しそうだった。

 

 自分はもう死んでいる。今生きているように行動しているのも、奇跡のうち。

 自分が今消えたとて、誰も覚えていなくても構わない。

 

 けれど今生きていると思っている、ニセ春日に再生された者たちは違う。

 

 月並みな話らしい。人は、二度死ぬ。

 一度目は肉体が滅びた時、二度目は誰からも忘れられた時。だからこれは延命策で弥縫策でしかないと――それでもいいと。

 

 澄ました顔で微笑む、明の父。この男は、ヤマトタケルが櫛を渡すだろうと思ってここにいる。それは彼自身が信頼されているからではなく、状況と、辿り着く先のビジョンにヤマトタケルが魅力を感じると思ってのことだ。

 

 ――俗世を、否人の営みの中を生きるという意味で、碓氷影景はヤマトタケルよりもはるかに手練れである。

 

 ヤマトタケルは懐をまさぐり、小さな巾着を取り出した。

 

「俺はお前が嫌いだ」

「好かれようと思ったことはない。お前にも、明にも。――礼を言おう」

 

 影景は巾着を受け取ると、あっという間に踵を返して部屋を後にした。ライダーは勝手に残った日本酒を手酌で注ぎ、飲み始めていた。

 



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10日目 LAST/WORLD/LAST
昼① 如何なる日でも朝は来た


 春日教会の奥は居住空間となっており、御雄と美琴はほぼ教会で生活している。春日教会のスタッフは神内親子だけでなく、数人の修道女もいるが彼女らは春日市内に居住して教会に通っている。

 また、教会スタッフといっても彼女らは教会の裏の側面――聖堂教会を知らない。

 

 さて、今日の教会の予定では夜にミサが行われる程度でかなりゆとりがある。礼拝堂の掃除、庭の手入れ、歩いて五分の一にある霊園の見回りなど、最近できていなかったことをこなすことにする。教会自体には御雄がいてくれるはずだ。

 

 美琴は伸びをしてベッドから降りると、寝巻のジャージを脱いで箪笥にしまうと、いつもの紺色のトゥニカ(ワンピース服の部分)と白のウィンプル(頭巾)を被り、姿見を見ながら整える。

 

 部屋はよくある民家の一部屋に近いが、採光するための窓がないため閉塞感がある。そのことは常々不満に思っているのだが、住まいをリフォームするには資金不足だ。

 

「……よし、今日も一日がんばりますか」

 

 美琴は自分の頬をはたいて気合を入れると、勢いよく部屋から一歩踏み出した。部屋とは打って変わって、廊下は一面外に面していて、ガラスから日光がたっぷりと取り入れられている。

 

「今日もいい天気」

 

 左手を向いて、礼拝堂へと向かおうとすると――ちょうど、礼拝堂から居住区画へと戻ってきた御雄が見えた。今日のように忙しい日であっても、御雄はいつも早起きで朝の五時には起床している。

 

「おはようございます、お父様」

 

 朝らしい清浄な空気の中、美琴はいつものように挨拶をした。

 

「おはよう。美琴、今日の夜は集会の予定だったが、お前に任せてもいいかね」

「? もともと今日の集会は私が取り仕切る予定でしたが……まさか、ライダーがらみのP業務ですか?」

 

 美琴とて御雄がライダーの奇矯なミュージシャン活動(?)に巻き込まれていることは知っていたが、どうにも無理やりやらされているのではなく本人もまんざらではないらしい。

 教会の運営に支障を出さないという条件で美琴も了承していたが、正直神の信徒である神父がそういった活動に現を抜かすのはどうかと、内心よくは思っていなかった。

 

「そんなところだ。だがそれも今日で終わりだ」

「え? まさかライダーが飽きたんですか?」

「そんなところだ」

 

 あの何を考えているのかわからないライダーのことである、美琴としてはそうですかと納得するしかないが、(プロデューサー)業務が終わるならむしろい喜ばしい。

 

「ということは、駅前で許可でもとって解散ライブでもするんですか?」

「そんなところだ。それに付き合うため今日の夜は留守にする」

「はい。わかりました……全く、お父様ったら見た目は真面目そうなのに案外自由なんですから」

「真面目と自由は背反しない。私は真面目に自由であろうとし続けているだけだ」

 

 冗談のつもりが予想外に真面目に返答されて、美琴は思わず苦笑した。だが確かに、真面目と自由は同居可能であろう。美琴が魔道を捨てて聖堂教会に身を寄せているのも、真面目に信じようと思うモノを捜した結果である。

 

「そうですね。では今日は夜まで手すきなので、霊園の清掃など行います」

「ああ」

 

 

 

 神内御雄は礼拝堂へと向かう美琴を見送って息をついた。あれは、おそらく何にも気づいてはいない。もしライダーあたりが何かを伝えていれば、直情型の美琴は絶対に自分に問い質しに来るからだ。

 

 ――真面目に自由であろうとし続けてきた。

 

 その言葉に嘘はない。己の心に従い、戦争を求めるままに生きて、そして死んだ。

 後悔は何もないが、そんな己でも「一般人らしい価値観」を見下していたことはない。むしろ、そういう風に生きられた方が安穏とした生を送っただろうことは頭で理解している。

 

 春日教会の神父を任され、聖杯戦争再開準備と共に協会運営の為、便利な人手が欲しかったことも事実。美琴を養女としたのは、その理由が九割。

 

 残りの一割は、戦争という道楽に身を窶した己でも子がいれば何かが変わることもあっただろうかとの希望的観測か。

 

「――お前は何一つ悪くない」

 

 廊下の窓から、バケツを片手に教会を出ていく美琴の姿が目に入った。そうだ、あの娘には罪がない。私の養女となってしまったことが、運のつきだった。

 

 全てを知ることが幸福とは限らない。

 ゆえに此度も、神内御雄は神内美琴に、何も伝えないまま終わらせる。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ゆるく開いた目に、一番に飛び込んできたものは、畳の上に転がった一升瓶だった。朝か――身じろぎして上半身を起こそうとしたが、頭がズキリと痛んだ。

 そのまま重力に負けて、枕の上に頭を落とした。

 

「……う~ん……、っ、痛……い……」

 

 昨夜、自分が酒を飲んでいたことは覚えている。だが今のように、布団に入った記憶はない――自分から入ったのか、それとも誰かが入れてくれたのか。

 酒を飲んだ明けらしく、喉が渇いている。だが、頭が痛い上に眠く、だるい。

 

 布団から這い出すことを諦め、明はもぞもぞと頭からかぶりなおした。

 

「明」

「……」

「明」

「……」

「明」

「…………………………あと二時間…………」

「長い! それに朝ごはんのバイキング?の時間が終わるぞ!」

「んあ~~」

 

 薄い布団をはぎ取られそうになり、必死で掴もうとしたが二日酔いの自分と筋力Aのサーヴァントでは勝負にもならなかった。明は力なく腕を敷布団の上に落した。

 

「…………ごはんは、頭いたいし、いいや……」

「何、それは……そういえば、二日酔いとやらはそういった症状が出るのだったか。とりあえず、水でも飲むか?」

 

 正直、布団を返して眠らせておいてほしかったのだが――起き上がれないほどの頭痛でもなく、それに二日酔いからの快復は早い方でもある。

 明は実にスローモーな動きで、上半身を起こした。

 

「……飲む」

 

 予想通り、布団のすぐ左隣にヤマトタケルが座っていた。春日園の館内着ではなく、Gパンに最強Tシャツといういつもの装いだった。

 彼は四角いテーブルの上にあったピッチャーと未使用のグラスを手に取り水をそそぐと、明に手渡した。

 

「……」

 

 二日酔い気味の眼ざめに水は美味しく――温くても五臓六腑に染みわたる。明は大きな息をついてから、眼をこすって部屋を見回したが、なかなかの惨状だった。

 

 空になった一升瓶が十本くらい畳に転がっていて、同様に空き缶も転がっている。テーブルの上には枝豆のからやスナックの空き袋がそのまま放置されており、飲み会に使っただろうグラスも出しっぱなしだ。

 まるで家飲みのような自由さである。

 

「……セイバー」

「何だ」

「私、昨日のことあんまり覚えてないんだけど、何か変なことした?」

「……私の酒が飲めないのかーとか、きゃずなりーと言っていた」

「……やっちゃった感あるなあ」

 

 きゃずなりって何だ。一成のことか。イギリス時計塔では、流石に酔っ払いそのまま眠ってしまうほどの酒は飲まなかった――何をされるかわかったものではない――が、酒を飲む機会はあった。

 あちらでは十八歳以上であれば飲酒できるため、いろいろ飲み歩いてみたものだ。

 

 イギリスでの暮らしを思い出していると、ヤマトタケルが何やら思うところありげな視線を向けていることに気づいた。

 

「……セイバー、どうしたの」

「明、本当に昨日の行いを全く覚えていないのか」

「……この部屋に来てお酒を飲み始めたころまでは覚えてるよ。アーチャーが投資に目覚めたとか、でもライダーに金を吸われてるとかは……まさか、何か私とんでもないことを……」

 

 四つんばいになり、じりじりとヤマトタケルに詰め寄る明。

 記憶を喪うほど大酒を飲んだのは、イギリスに構えた拠点内にて、知るのは父影景のみの時だけ。影景は「いや~酔っていたぞ」と呑気にしており、とりあえず自分は大変なことはしていなかった。

 

「まさか全裸で部屋から踊りだして近くの一般人の部屋にガンドを打ちまくってたとか」

「いや、そんなことはしていない。ただ、酔うと人にべたべたとまとわりつきたくなるのだなと……ん? もしや明、以前に全裸で踊りだしてガンドを乱射したことがあるのか。完全に危ない人間ではないか」

「……セイバーに危ない人間っていわれた……いや、それはない。喩え」

 

 酒を過ごすと記憶が飛んでしまう質なので絶対になかったとは言い切れないが、全裸で眼をさましたことはない。

 しかし、人にべたべたしていたことは確からしく、、一成にでもまとわりついていたのだろうか。実に顔を合わせにくい。……と、今更ではあるが、何故ヤマトタケルはここにいるのだろうか。朝食バイキングの時間も迫っているだろうに。

 

「セイバー、もしかして私の面倒を見させちゃった? ごめんね。今からでもバイキング間に合うなら行ってきなよ」

「もうランサーに適当に持ち帰ってきてくれと頼んである。気にするな」

「あ、そう」

 

 明は再び布団の上に倒れ込んだ。そういえば一成は男女別の部屋に拘っていたが、遊んでからは失念していたのか、結局酒盛り組は酒盛りの部屋で、未成年組は未成年組の部屋で寝ていたのだろう。

 ごろりと布団の上であおむけになると、木目の天井が視界に広がった。昨日と変わらぬ、同じ夏の日。しかし――。

 

「セイバー、楽しかった?」

「何がだ?」

「ん~~この世界の、普通の暮らしが」

 

 本当は、当の昔に終わっていたはずの運命(出会い)。何もかもが本物ではない世界であっても、そこの暮らしが「楽しかった」ことは、無駄だと切り捨てたくない。

 

 ――それは、自分がここを作った一人だからそう思いたい、というのもあるのだろうが。

 

 ヤマトタケルはふむ、と一度顎に手を当てて考えてから、顔を上げた。

「……楽しい……そうだな、楽しかった」

「なら、よかった」

 

 今日で全て終わりだ。全てとお別れ。明は大きく息を吐き、深く体を布団に沈めた。チェックアウトの時間まで惰眠を貪ろうかと思った矢先だったが、サーヴァントはその気配に全く気付かなかったのか、話を続けた。

 彼はまるで、世間話の続きでもするかのように言った。

 

「――しかし、この世界が今日で終わりなのは、俺にとっては喜ばしいのかもしれない」

「――え?」

「……お前には悪いが、俺はお前の父のことが嫌いだ」

「いや、それは別に……。最初から絶対合わないだろうなって思ってたし」

「嫌いで、認めたくもないが、あれが間違っているとは思えない。いや、むしろお前が魔術師として生きるのであれば、そう悪いものでもない」

「――私も、お父様のことを多分、普通の家庭みたいなお父さんとは思ってない。だけど、そうだね――師としてみるなら、あれほどの人もなかなかいない。人でなしだけど」

 

 影景は決して明を憎いと思っていない。むしろ自分の跡継ぎとして、藍は藍より出でで藍より青しと自らを超える魔術師にと望んでいる。

 

 その果てに自分が殺されても、彼は良しと笑うだろう。

 

 それは見方を変えれば、どれだけ憎まれて恨まれても弟子の/娘の成長を願う師/親の姿。

 もちろん碓氷影景はそこまで己の心を殺して育てる――なんてことを考えてはいない。彼は真の臓から魔術の徒であり、根源を追う者として自分より明の方が適しているから、そのために自分が贄となることも厭わないだけである。

 

 しかし明が魔術師でありながらも普通の人間としても生きていくためには、自らの力を完全に把握し魔術師として大成することは重要である。

 人間として、魔術師としても生きるのなら中途半端はありえない。

 

 様々な偶然を重ねてはいるものの、明と影景という親子は師弟という意味で間違っていない。

 

「だが俺は、どんな時でもお前が傷つくのが嫌なのだ。お前に仇なすものは、俺が全て斬り殺す。――だがそれでは、お前のためにならないのも、わかる」

 

 泣きながらでも、自分の価値を取り戻すために一生をかけると誓った、運命の夜。

 

 あの時は明とセイバーお互いに手を取り、自分の道を捜していたけれど、それが終わった今は――。

 碓氷明は舗装された道を歩けない。道は自分で作らなければならない。

 

「この世界、楽しかった。だが、「かわいい子には旅をさせろ」なのだろう」

「フフッ、セイバーお父さんみたい」

「む、本当か。子供はいても育てたことはなかったが」

 

 ――そういえば、セイバーは生前からこういう者だった。自分が戦いしかできず、人を巻き込み傷つけるばかりで、誰一人救えない己を厭うた。

 誰かの幸せの為に自分の存在が邪魔なら、そっと身を引いてしまう。

 

 半生を(どうぐ)として生きてしまった、英雄の名残か。

 不要になった道具は、蔵にしまわておくべきだと。

 

「じゃあさ、私が死んだときには迎えに来てよ」

「は?」

「ほら、英霊ぱわーで私の魂が星幽界に行くタイミングをとらえていい感じに会いに来てよ」

「……明、俺でも適当に言ってるなとわかることを言うな」

「うん。適当に言ってる。だったらいいな、っていう夢の話だよ」

 

 夢の話だ。この世界も夢幻だが、それでも明とセイバーは今話をしている。

 

 そんな夢みたいなことが、あってもいいだろうと思うのだ。

 



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昼② 初代天皇の感想

 朝食バイキング後は、皆それぞれ部屋の片づけをし、朝風呂したい者はするなり、お土産を買いたい者は買うなり、全ての用事を済ませて、十時に一階のフロントに集合となった。

 

 それぞれ、来た時よりも何かしら荷物が増えている。

 外はもう完全に日が昇って暑いため、集合は室内である。彼等は邪魔にならないように端に寄り、入店する客を避けて集まっている。

 七階でチェックアウトの手続きを終えた一成は、皆より少し遅れて一階へとやってきた。彼は眼をこすりながら手を上げた。

 

「……ふぁ~~~みなさん、急に企画したスーパー温泉宿泊会にご参加いただき、ありがとうございました……」

「眠いのはわかるがもう少しシャキっとせぬか」

 

 アーチャーに背中をはたかれたが、突っ込むのも面倒で一成は生返事をした。

 

 昨日の夜、酔いどれ明に抱き着かれ思わず前かがみになってしまいそうだったのであわてて撤退をし、未成年部屋に戻った。

 だがしかし、理子と咲とキリエが行方不明――桜田曰く、三人でリラクゼーションルームに行ってしまったらしい。残されたいつもの三バカトリオは野郎だけの話に花を咲かせまくっていたが、途中で女性三人組が戻ってきたものの、夜中で逆に目が覚めてきた三バカは再びゲーセンと卓球台に向かったのであった。

 

 そのツケが回ってきて今更眠い一成であったが、最後はきちんと締めておくべくすっと手を上げた。

 

「よくよく考えると謎としかいえないメンツだなと思ったけど、温泉じゃなくてもまた楽しもうぜ」

「お礼は言っておきます、先輩」

 

 そういう咲もどこか眠たそうである。知り合ったばかりのキリエ、理子でも女子トークで盛り上がったのだろうか。

 しかし、皆が楽しめたようで何よりである。ただ今この場に、ライダーはいない。いつ引き揚げたのかさっぱりわからないが、あれについてはもういちいち考えるだけ無駄な気もする。

 

(……まあ、でも今はあれなりに準備をしてるのか……?)

 

「おい陰陽師、あれではないか? 駅に向かうバスは」

 

 格子風の自動ドアから半分身を出して、きょろきょろと外を見回していたのはランサーだった。

 一成は皆に声をかけ、ランサーに続いて春日園を後にした。

 

 

 当然、サーヴァント組はぴんぴんしていたのだが、マスター勢+αはほとんどが徹夜、とはいかなくても夜更しの為うとうとして舟をこいでいた。

 キリエは「カズナリ、もう食べられないわ」とベタな寝言を呟いていた。眠りこけていて春日駅に着くと運転手に起こされて、一行は鈍い動きでバスから降りた。

 

 夏休み終盤の春日駅前は人も多く、日も高く、早々に疲れてしまいそうな環境である。他の客に先に降りてもらい、お土産を車内に忘れた明が運転手に持ってきてもらったのを最後に、一成一行はバスを降りた。

 

「……おお、戻ってきたんだな……」

「戻ってきたもなにも、春日園も春日市だっつーの」

 

 ぼうっとしたコメントをした桜田に、一成は笑いながら突っ込んだ。「いやあ、それはわかってんだけど、珍しい面子だったし」

「それをいうならお前ら、よく来たよな。むしろ」

「おーい陰陽師ら、儂らはもう行くが」

「んじゃ、俺も悟にお土産置いてくからここでだ」

 

 いつの間にか咲の荷物まで抱えているランサー、もとい本多忠勝が手を振っていた。咲と並んで、徒歩でここから帰るらしい。

 アサシンも徒歩――サーヴァントの足で――徒歩三十分の距離を歩くようだ。一成は軽く手を振りかえした。

 

「おう、じゃあまたな」

「私たちは私鉄で帰るや……一駅だけど暑くて歩きたくないし」

「私も今日はアキラについていくわ」

 

 早くも暑さに参り始めている明、それにお眠のキリエはここでお別れだ。彼女らが電車ということは、ヤマトタケルとアルトリアも同じである。

 

「私は普通に家に帰るわ」

 

 理子は、面々に軽く手を振って――そして一成に軽く目配せをして――人ごみに紛れた。残された一成・桜田・氷空にアーチャーは、軽く顔を見合わせた。

 

「……お前らはふつーにJRだよな」

「おう。なんか……貴重な体験だったな、氷空」

 

 一成としてはもう馴染んだ面子ではあるのだが、桜田たちからすれば、大体得体がしれず、年齢も性別もバラバラの謎集団との一泊だった。

 それでも仲良く逞しくやっていた桜田・氷空の精神はなかなかだと、一成は友ながら思った。その通り、氷空は引き締まった顔つきで、バッグの中に入れていたデジカメを取り出して抱きしめた。

 

「キリエタンがすべて」

「お前に聞いた俺が馬鹿だった……ちょうどいい電車もあることだし、じゃあな一成」

「おう」

 

 桜田と氷空は同じ電車に乗る。桜田が氷空を引きずる形で連れて行こうとするが、バッグの取っ手を掴まれた氷空は、改めて顔を上げた。

 

「藤原さん、お世話になりました。それとありがとう一成氏。また……」

「こちらこそ、一成が世話になった」

「……またな」

 

 珍しくしおらしく――真面目な顔で、氷空は別れを告げた。

 彼の家系に魔術師がいたとは聞いたことがないが、シグマの件と言い、やはり氷空は何かしら気づいているのではないか。

 しかしそれ以上彼は何かを言いはせず、雑踏に紛れていった。

 

 既に十一時近い時刻であり、夏休みも終わりに近い今最後を楽しむべく大学生、高校生のグループが目につく。

 その雑踏の最中にあるバス停に残された一成、そしてアーチャーは、辺りを見回して――「……ライダー」

「――さて、お前の城に行くとするか」

「キャッ、男の一人暮らしなんて襲われちゃうッ!」

「カァーッ!!」

 

 忽然と姿を現したのは――これまで霊体化していたライダーだった。同時に彼の旅の連れ合いもであり神の化身・使いでもある宝具(八咫烏)までも実体化した。

 

「ってお前それ、春日園の館内着じゃねーか!あと剣、と烏、実体化させんな!」

「ライブでも出しているが、電動の玩具(おもちゃ)だと思われている。そう騒ぎ立てるな」

 

 昨夜の宿泊会においても、ライダーは自由気ままに振舞いその場にいたりいなかったりしており、最後の解散にいなくてももはやだれも突っ込まなかった。

 しかし彼の目的をしっている今の一成にとっては、彼が無意味にいなくなっていたとも思っていない。

 

「ハハッ。草、まさか公がいつも意味なく行動していると思っていたのか」

「意味はあろうとも、主上よ。周りには無意味にみえているだけでの」

「それは飼い被りだ貴族。公はいちいち意味があるかないかなど考えておらん」

 

 百歩譲って烏はいいとして、フツヌシは悪目立ちが過ぎる。それに駅前に館内着はかなり浮いている。きちんと後で春日園に返してほしい。一成は恐る恐る姿を消してくれと頼んだが、当のフツヌシが泣き出した(涙は出ない)。

 

「ウウッ、陰陽師ちゃんひどいわッ、あなたはイワレヒコと違って優しいじぇんとるだと思ってたのにッ!」

 

 いや、見た目剣にそんなことを言われても困る一成だった。一方ライダーはフツヌシを出しっぱなしのスルーで、神秘の秘匿という意思はないようである。

 

「とはいっても、後は役者がそろうのを待つだけだが。頑張るのは公ではない、お前たちだ」

 

 いつでも他人事のように笑う男である。誰よりも早くこの世界のことを知っていながら、己の消滅さえも気にかけない。

 その英霊が何故、このようなことをしようと考えたのか、一成には全く分からない。しかし、彼の成そうとしていることに協力しようとしている自分もいるのだ。

 

「ハァ~~……もしお前が俺のサーヴァントでも、うまくやっていける気がしねえ」

「奇遇だな。公にとって、お前はあまり面白くない」

「では何故一成についてくるのじゃ」

 

 さしものアーチャーもライダー相手にはやりにくいらしく、余計な小細工をしないで真っ真っ直ぐに疑問をぶつけている。

 アーチャーのこの態度は前からなのだが、アーチャーとライダーの組み合わせを見てこなかった一成には新鮮だった。

 

「うむ。最終的には草共の宝具と眼頼りになる。前もって神代を教えておくのも悪くないと思ってな。……ん? そう恐れるな、あくまでフツヌシの記憶を伝えるだけだ」

 

 魔術でも意識を一時的に壁や天井に張り付けて視界を得る、ということはできる。

 しかしライダーがやろうとしているのは、フツヌシの記憶を見させること。サーヴァントとマスターが互いの過去を覗き見ることがあるように、フツヌシの記憶を覗かせる。

 

 すっかり奇矯なマスコットキャラクターと堕したフツヌシだが、「経津主神(フツヌシノカミ)」は刀剣の力そのものの神格。建御雷の愛剣であり本人もまた神の座につく、本来ここに有り得ざるべき神霊なのである。

 

 現在はあくまでライダー(神武天皇)の宝具として、葦原中国に降りた逸話と神性と権能をそぎ落とし限界まで格を落としているために現界できている。

 本来は人の形もあるのだが、やはり武器としての器に絞る事が現界の条件となっているため、剣のままでしかいられない。

 

 その記憶を見る、とは――一成のみならずアーチャーも息をのまざるをえない。

 

「そう固くなるな。見ても拍子抜けするだけかもしれんぞ? さて草、お前の屋敷に案内するがいい」

「屋敷ってほどでかくねえよ……」

「屋敷ほどと見栄をはるでない。素直にウサギ小屋と申したほうが良いぞ」

「お前は今全国の貧乏人を敵に回した!」

 

 一成はいわば地元では地主にして名士の家といっていいので、決して貧乏ではないのだが、一人暮らしの仕送りは「贅沢はさせない」親の方針で多くはない。

 アルバイトは夏季休暇・冬季休暇のみに許可されている為、普段は頑張ってやりくりをしているのだ。

 

 また、一成の住まうルージュノワール春日は駅から徒歩十分位置するワンルームで野郎三人だと狭い。あまり大柄でもない氷空と桜田でもせせこましいのに、烏+剣までついては圧迫感は相当だろう。

 一成は見せたくないものなど出しっぱなしになっていないだろうかと、今更心配になってきた。

 

 駅前の繁華街を抜けると、一気に住宅街が広がってマンションや一軒家が増えてくる。アーチャーと一成だけならどうでもいい雑談をしているところだが、ライダーがいることでそれもしにくい。

 だが、ずっと気にしていたのか、アーチャーが口を開いた。

 

「……ライダー、一つ聞きたいのだが、何故そなたにとって一成はつまらぬのじゃ」

「アーチャー?」

「ほう? その心は」

「こやつほど面白いものはそうないと、私は思う故にな。真逆の心を聞きたくなったのよ」

「俺は珍獣か何かか!?」

 

 一成はつい条件反射でツッコんでしまったが、その「面白い」は笑いの面白いでないことに遅ればせながら気づいた。

 見ていて興味深いという点ではそう変わるまいが、この面白いは行く先が楽しみとか、期待を込めている言葉である。今更アーチャーに殊勝になられても気持ちが悪いのだが、同時に面映ゆくもある。

 

「貴族、お前の言うことはわかる。だが、それゆえにこの草は面白くないのだ――こやつはどんな道に立たされても、足掻くだろう。迷い深く苦悩しても、最後には己で選んで進もうとするだろう。もしかしたら途中で行き倒れるかもしれぬ、それでもこやつには後悔はない。いかな苦境に立たされても、こやつは己が後悔する選択をしない」

 

 一成の後ろについてやたらと偉そうに話すライダーの言葉は、一成の予想とは違った。けなすのではなく、むしろ褒めているに分類される言葉ではないか?

 

「ゆえにつまらない。どんな状況(運命線)の上に立たされても、ブレが極めて少ない。公としては状況によってガラリと変わってしまう方が見ごたえがあって好ましいからな……簡単に言えば、どんな世界線でも陰陽師、おまえは陰陽師のままということだ」

「……歪みない、というヤツか。あとは主上の趣味趣向というだけの話か」

「そういうことだ」

 

 アーチャーは、そのいつでも諦めないだろう姿に生前のある人物を幻視し、尊しと感じているが故に一成を買っている。

 だが同じ理由で、ライダーは一成を面白くないと断じている。ならばもうあとは趣味の世界でしかない。

 

「……じゃあ、お前にとってはあの神父もあんまりおもしろくないんじゃないか」

 

 春日聖杯戦争における真の黒幕、神内御雄。彼自身は聖杯を創り上げる力量を持たずに、アインツベルンと碓氷、土御門を巻きこんで己の大望を果たした。

 一成としてあれと同じとされるのは嬉しくないが、あれも自分のやりたいことに邁進した人物ではないのか。

 

「ハハハ、確かにあれはお前に近しい。だがな、あれは案外後悔と共に生きているのだ。普通の道でもよかったと、その道を歩めるかもしれないと期待をしたが、己の衝動の方が強かったがゆえに、己の衝動に付き従うことを良しとした」

 

 一成は聖杯戦争における神内御雄しか知らないが、彼にも彼の長い人生がある。

 年齢でいえば一成の倍以上なのだ、聖杯戦争だけで全てがわかるわけもない。一成としては、そんなに理解したいとも思わないのだが。

 

「精々迷えよ陰陽師(土御門一成)。人間は迷っている時が一番面白い」

 

 笑顔のライダーに、一成とアーチャーは珍しく同タイミングで溜息をついた。やはりこのライダーにはまともにつきあうと、こちらが疲弊する一方だ。

 

「ところでお前のネズミの巣穴な家はまだか?」

「俺の家をグレードダウンさせんな!」

 

 ところでライダーはいつまで春日園の館内着でいるつもりなのだろうか。

 この平日昼間の住宅街で白髪の人間が甚平のような格好でうろつくとは、完全に定年を迎えたお爺さんである。

 

 ただライダーは若すぎてそれも違和感があり、通りかかる主婦、子連れに妙な目で見られるのが気になる一成だった。

 



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昼③ かくしごと、ひとつ

「ただいま」

 

 コンクリート打ちっぱなしの全く魔術師らしさを感じない一軒家に、咲とランサーは戻ってきた。

 地味にバーサーカーも霊体化してついてきていたので、家の管理者は不在で、室内は恐ろしく蒸し暑かった。

 先はリビングのソファにバッグを放り投げ、すぐにエアコンのスイッチを入れた。

 

「バーサーカー。実体化していいわよ」

「■■■■」

「……連れて行った私が言うのもなんだけど、楽しかったの?」

 

 勿論咲には、バーサーカーの意思はわからない。だがなんとなく、楽しかったと言っている……ように見えたのだ。

 咲も霊体化をといてはやりたかったのだが、鎧を着たままの大男を連れたら大騒ぎになるに決まっている。

 

 春日園特製のお土産、巨大温泉まんじゅうの封を切って手渡すと、バーサーカーは黙々とそれを食べ始めた。

 

「うおっ、外も暑いが中もまた違った暑さだな」

 

 玄関を締めたランサーが、後からリビングに入ってきた。咲はちらりと壁掛け時計を見ると、時刻は十二時前。

 昼ごはんを用意してもいいが、朝のビュッフェで張り切って食べてしまったせいであまり腹が減っていない。

 

「……これからどうしようかしら」

 

 今夜で、全部終わり。今更咲ができることもなく、彼女も足掻く気はしない。あとはライダーの話通り、ランサーとバーサーカーは迫りくる黒狼の群れを只管に薙ぎ払うことになるだろう。

 

 咲は落ち着いた心境に至っていた。不思議だな、と彼女自身も思う。普通の自分ならもっと騒ぎ慌てふためき、この現実を受け止めることができなかったように思う。

 

 そもそも、「普通の自分」なんて俯瞰して突き放したような見方を、できた試しがあっただろうか。魔術師として、自己の同一性(アイデンティティ)さえ客観視するようになるのは成長といってもいいのだが……。

 

 ――もしかしたら、自分は……。これも、聖杯の残滓から召喚されたサーヴァントに造られたが故の差異なのだろうか。しかし……。

 

 ふと、後ろから両肩に何者かの手が置かれるのを感じた。バーサーカーの、大きな手だ。

 

「……咲よ、今更考えても仕方がないことに思い煩っても仕方ないぞ。今最も大事なのは、消え去るまでに、何をするかだ」

 

 ソファに腰かけたランサーが振り返って笑う。たとえ消え去ることになっても、無意味なわけではない。

 

 無意味と言うなら、公ら最初から悉く無意味だと――そういったのは、ライダーだったか。

 

『何、泰然自若として己が絶望を受け入れる者だけではつまらんからな。みっともなく、絶望から目を逸らし、現実を否定し、荒唐無稽な夢を見て、己の為に人間を消費する者がいてこそ良きかな。その荒唐無稽な夢が叶わなかったのは、(おまえ)の力が足りなかっただけだ』

 

 ライダーは、そのどこかの誰かの行いを批判も否定もしなかったけれど――咲は、そのどこかの誰かの行いを認めたくはなかった。

 

 ――何故なら真凍咲は魔術の徒。魔術を究める者は、神秘の流出を厭うもの。

 

 まだまだ自分は魔術師としても半人前だが――それでも、魔術師であると誓っている。

 

「魔術師らしくないことはしない。だけど――せめて、忘れられたくはない、と思うの。見捨てないで欲しいと思うの」

 

 見捨てられたのは、どこの真凍咲(わたし)。世界を恨んだのは、いつの真凍咲(わたし)。しかし、益荒男たるランサーはにやりと、咲に向かって笑った。

 

「咲。お前のバーサーカーは、お前を見捨てるサーヴァントなのか?」

「は? そんなこと、あるわけないじゃない」

 

 咲の背後の、狂気(バーサーカー)が笑う。

 笑う理性は既に飛んでいるはずなのだが、そんな気がした。

 

 己はこのバーサーカーのマスターであり、かつて聖杯を目指した魔術師。ライダーに聞けば、碓氷明に聞けば、己が現実でどうなっているのかわかるのかもしれない。

 

 だが、咲は聞かなかった。理由は、怖かったからだ。

 

「現実」の自分が骸になっている可能性。自分が聖杯戦争で何をしたのか。もしそれが咲の「良し」とする範疇を遥かに逸脱していたら、咲はおそらく立ち上がれない。

 ならば――本当を知って立ち上がれなくなってしまうなら、彼女は耳を塞ぐことを選んだ。

 

 今は、この時は、バーサーカーのマスターとして、魔術師として立ち続けるために。

 

 

 *

 

 

 

 高く上った日が照っていた。カーテンの隙間から差し込む日差しに眼を細めながら、キャスターは溜息をついた。

 拠点の二階、ハルカが横たわるベッドの横に座り込んでいた。

 

 今日で、終わりだ。

 

 昨日の夜、シグマとハルカの戦いの最後、キャスターは見ているだけだった。互いに殴り合い、魔術の神髄はどこへやらの、肉弾戦だった。

 最後はライダーの介入が入ったが、それによって事態は思わぬ方向へ進んだ。

 

 とにかく話はついたと、ライダーが立ち去ったあとに、ハルカはキャスターとともに拠点にまで戻った。

 すっかり憑き物が取れた様子のハルカは眠りにつこうとしたが、そうは問屋が卸してくれなかった。この明方、予想していなかった闖入者が現れたのだ。

 

 ――碓氷影景。昨日の昼にここを訪れた春日の管理者は、編纂事象のヤマトタケルの宝具の欠片を携えて現れた。

 ライダーの提案を踏まえて、彼はキャスターの力を借りたいと申し出た。

 

 準備段階で、ハルカが行うべきことはない。彼は影景の話を最後まで聞き届けたあとは再び眠ることにした。

 その間、キャスターは影景と共に作業と試行錯誤を行い続けていた。

 

 あまりぶっ通しで行っても集中力を欠くとのことで、お互いに三十分ほど休憩を取ることにした。その間、キャスターはハルカの様子をみるべく、眠る彼の頬をつねりつつ溜息をついた。

 

「……戦い続けたいからここにいたい。貴方の願いは、聖杯戦争そのものだった」

 

 自分を屠った相手に、喜々として立ち向かっていたハルカ・エーデルフェルト。現実世界で死に体の彼が求めた救いは、戦いだった。

 栄光に包まれた勝利さえその目的としては二次的だった。その時、微動だにしなかったハルカが身じろぎをし、ゆっくりと目を開いた。

 

「……流石にずっとつねられていれば起きますよ」

「……! は、ハルカ様……すみません」

 

 ハルカは気だるそうに体を起こし、伸びをした。彼の顔は昨日のシグマ戦と同じく、すっきりした顔をしていた。

 

「……キャスター。今日で、すべてが終わってしまうのですね」

「……はい。だけどライダーの企画が成功すれば、現実のハルカ様はここでの記憶を保持したハルカ様になります」

 

 ライダーの口ぶりからして、おそらく彼の計画自体はほとんどすべてのサーヴァントとマスターの知るところになっている。

 ハルカとキャスターが最も遅く知らされたと言っていいだろう。

 

 何故ライダーはこのギリギリにまで、ハルカ達には何も言わなかったのか。

 

 それは「ハルカがライダーの眼に叶わなかったら、計画全てを白紙に戻す」心づもりだったからに他ならない。つまり昨日の夜、ライダーはハルカを見定めに来ていた。

 

「この結界(世界)は誰が創造したか。キャスターか? それは違う。キャスターは「誰か」の願いを聞き届けようとしたから創った。つまりこの結界は、お前の為の結界である。この世界の要たるお前が変らないのであれば、公の行いはなかったことにする」

 

 結果として、ハルカはライダーの眼鏡に叶った。今晩の儀式を以て、ライダーはハルカを「現実世界から連れ込まれた」ハルカであったことにする。

 

 つまり、この結界が消失してもハルカは「この結界であったこと」を記憶している。キャスターとともに仮初の聖杯戦争を戦い、宿敵のシグマと戦ったことを覚えていることになる。

 

 元々、キャスターは現実世界のハルカをここに連れこむつもりだったことは前述した。だが、突然に碓氷明の襲撃により、碓氷明をハルカから遠ざけるという趣旨が混入し、結界作成時にハルカはここへ招かれなかった経緯がある。

 

 つまり現実のハルカがここに来たことにするということは、因果律の書き換えである。

 

 ここが虚数空間である以上、現実との時間の流れが異なるため、現実世界では一瞬にも満たないので、世界への影響自体は極小だろう。

 現実のハルカが来たことになれば、ハルカはここで戦ったことをすべて記憶したまま、現実に帰還する。現実のハルカは倒れ伏した状態でも、ここの記憶は刻まれる。

 

「全ては滅ぶのだから、今更世界の崩壊程度で騒がない」――そう嘯くライダーが、何故そんなことをしようと思ったのかはキャスターにもわからない。

 

 また「現実世界のハルカが来たことにする」とは、それはもう過去改変に等しい事象である。いくら神霊の別人格であるライダーでも今はサーヴァント、そこまでの力を発揮ができるのか。

 

 ――だがそれらの疑問があっても、キャスターはライダーの提案に頷いた。結界内で時を過ごしたハルカが、現状の自分を知っても健やかであったなら、現実のハルカも今のハルカと同様に健やかであってほしいから。

 

 ハルカもまた、ライダーの提案を受け入れた。現実の自分は現実の自分でまた立ちあがらねばならないと思っている彼としては、是が非でもという提案ではなくなっていた。

 

 だがそれでも、彼は即座に頷いていた。

 

「これは公なりの、お前たちへの餞である。なるだけ人の倫理に合わせたつもりだ」

 

 話をしていいたライダーは、謎のドヤ顔までしてくださった。

 

 

 

「……キャスター、今更ですが……この世界の継続は不可能なのですね?」

「……無理、です。虚数空間に展開しているので、修正力の影響はないのですが……結界を構成する魔力が、汚染された聖杯の魔力ですから……」

 

 ――倭武天皇(アヴェンジャー)。呪いのはけ口としてキャスターに呼ばれたサーヴァント。彼が貯蔵しきれなくなった呪いは狼の形を取って、夜の春日を徘徊している。

 

 これまではその程度で住んでいたが、アヴェンジャーの閾値を超えれば結界は一気に呪いに染まる。それが、この世界の終焉である。ハルカはゆっくり上半身を起こすと、脚をベッドから床に降ろして、キャスターへと右手を差し出した。

 

「? ハルカ様?」

「日本にも握手の風習はあるでしょう」

「え、あ、はい」

 

 言われるがままにキャスターはハルカの右手を握りしめた。すると、キャスターが思った以上に強い力で握り返された。

 

「あとわずかですが、よろしくお願いします」

「え、あ、はい」

 

 狼狽えたままのキャスターとは対照的にさわやかな顔のハルカは、そういえばと人さし指を立てた。

 

「あなたはあなたで、ヤマトタケルの宝具を回復……いや、改造する役目がある。だから食事は、今回ばかりは私が創りましょう。ついでです、影景の分も」

「え、ええっ!? ハルカ様、料理できたんですか!?」

 

 ハルカは両肩をぐるりと回しストレッチを行うと、ベッドから立ち上がってちらりとキャスターに眼をやった。「高級レストランの味を期待されても困りますが、多少は……ではお互い、頑張りましょう」

 

 既に本調子、といった様子で足早にベッドルームを出ていくハルカを見送り、静寂に満たされた部屋にて、キャスターは大きく肩を落とした。

 

 今更気づいてしまった。今も昔も、いつも気づくのが遅い。気づいた時には手遅れだ。

 

「貴方の願いが叶うことが願い」「助けを求められたから助けると決めた」――それは違う。キャスター自身が、誰かを自分(・・)の力で正しく助けたかったのだ。

 

 それは生前、死ぬべきところで死ねなかったから、繁栄する筈のものを滅ぼし、伴侶を助けられなかった悔いがあるから。

 

「自分が」助けるという願いだった。助けて、死にたかった。

 

 だが彼、ハルカ・エーデルフェルトは、この世界でキャスターがいなくてもきっと、今の答えに辿り着いた。事実を知り、烈しく落ち込み、荒れもしたが彼は魔術師として本懐、ベストを尽くす己に戻ってきた。

 

 そして、現実の自分もそうなるだろうと信じることができた。

 

 それはキャスターの力あってのことではない。これまでのハルカが培ってきた生き様である。ハルカはここで一人でも、聖杯戦争をすべく戦っただろう。

 

 他でもない自分が、助けたかった。その欲望(エゴ)は叶わなかった。それでも、自分が救おうと決めた相手が、救われていることには喜んだ。

 

 ――ああ、やっぱり生前()も今も、私は無力だなぁ。

 

 しかし、感傷に浸っている場合でもない。影景から受け取った櫛の欠片。今日の夜までには騎士王に渡さなくては為、時間は限られている。

 

 それらを用いて成したいことは『全て遠き理想郷』または『この道繋げし我が妻よ』の複製の作成である。

 

 要するに影景は超級の結界宝具・もしくは礼装を必要としているのだ。そしてその結界宝具は己らの身を守るために使うのではない。

 

 アヴェンジャーを隔離するために必要なのだ。

 

 

 

 *

 

 

 

 私鉄で屋敷の最寄駅まで戻ってきた明一行は、屋敷に到着してから荷物を片付けて、各々自由に過ごそうと思っていた。旅行の後片付けもそこそこに、空調を入れて明、ヤマトタケル、キリエ、アルトリアは一階のリビングのソファに体を沈めていた。

 

 何も全員一致でここでくつろごう、と思っていたのではない。ソファとソファの間に鎮座する艶のあるテーブルの上には、影景のものである小ぶりのトランクとメモが残されていたゆえに、流れで全員でそれを眺めていたのである。

 

『今日中にこの中のレポートを記憶して持ち帰れ 影景』

 

 何となく、父の思惑を察していた明は率先してトランクを引き寄せた。今頃影景は何を――知れたこと、今日の夜に向かって準備をしているのだろう。

 ヤマトタケルから拝借した宝具を使って。

 

「……これは何でしょうか」

「……この世界の特性を知ってから、いままで理論だけは立てていたけど実際には成立するか怪しい魔術……失敗すれば、回路が暴走してしまうとかそういうのを実験しまくっていたんだと思う。その結果をまとめたのが、この中に入ってる」

 

 いくら魔術に失敗しても次の日には生き返る、春日市に酷似した閉鎖空間。影景はここが消えるまでに、頭の中にあった魔術を試して毎夜命を落とし、毎夜も生き返ってきたのだろう。

 

 その結果をレポートにまとめ、唯一現実世界へ戻れる明に託した。流石に碓氷の跡継ぎとして、この成果を蔑ろにするわけにはいかない。

 

「私はこれから部屋でこのレポート読んでるよ。三人は?」

「俺は夕食の買い出しに行くが」

「私は洗濯をしておきます。あと、お土産を食べましょう」

「私はアキラの部屋で読書をしていたいのだけど」

 

 三者三様の言葉が返ってきて、自由にしようと明は頷いた。その時まで、彼らはあくまでいつも通りに過ごすつもりなのだ。

 

 言葉通りヤマトタケルは財布を取り出し、帰ってきたばかりだが早速出かける。アルトリアは他三人の宿泊荷物を改め回収すると、風呂場へと足を運んだ。

 明はキリエとともに二階の自室へ向かい、階段を上る。

 

「全く、アキラの酒癖があんなに悪いとは思わなかったわ」

「うう、それについては耳が痛い。気を付けます……」

 

 すっかり二日酔いは抜けたが、昨日の失態をサーヴァント陣から自分でも聞いて、流石に極まりが悪い。

 特にアルトリアやヤマトタケル、一成にはかなり迷惑をかけてしまった。そのまま世間話のように、キリエは続けた。

 

「ねえ、アキラ。本当の明も酒癖が悪いの?」

「……そうだよ。私はほとんどオリジナルそのままだし」

 

 明は、否定しない。キリエはすべてを知っている。

 

 キャスターの宝具に巻き込まれてこの春日に現れた明は、まず混乱した。

 自分は今まで夜の土御門神社で影のサーヴァントと戦っていたはずなのに、いきなり真夏の昼間の春日にいたのだから。

 場所は春日駅前のホテルの一室で、旅行用の自分のトランクがあった。

 

 ポケットには持ってきた覚えのない携帯電話。すぐに結界のようなものの中だと認識はしたが、これほどまでに春日らしい結界は構築されるとは俄かに信じられなかった。

 ――魔術を放った状況からして、この固有結界らしい空間が全く消えないことから虚数空間内に展開されていることは想像がついた。

 ならば虚数使いである自分が結界の維持に必要であることもわかり、さっさと消して現実へ帰還しようとも思った。

 

 だが、春日とそこの人間さえも創造する結界があまりにも特異で、確認しておいても損はないだろうと思ってしまった。

 

 そして現状確認のために、試しに携帯を覗いてみると見慣れない、アルトリア(セイバー)という登録名。そして、同様に並ぶヤマトタケル(セイバー)の文字があり、明は震えた。

 

 まさか、サーヴァントたちまでいるのかと。恐る恐る――この時点で念話ができる、契約状態にあるという発想自体がなかった――明は、その知らぬアルトリアに電話を掛けた。出たのは聞き覚えのない、しかし凛とした声の少女。

 

 そして、次いで尋ねた――ヤマトタケルは、いるのかと。

 

『明、俺だが何かあったのか』

 

 聞いた瞬間はあまりにも記憶と違う声で驚いたが、その聞き方とトーンは間違いなくセイバーだった。

 

 思えば、安易に電話をすべきではなかったのかもしれない。

 

 さっさと帰ろうと思っていたのに、幻でも懐かしいサーヴァントがここにいるとわかった瞬間に、その気がすっかりなくなってしまった。

 

 彼等との電話で、どうやらここでの自分はおそらくイギリスに行っており、まだ帰国していないことになっていて、明後日の帰国予定だということはわかった。

 この結界内では何故かそういう設定になっていることを理解し、ならばひとまずそれに合わせ、帰国予定の日までは人目を避けてホテルに籠ることにした。

 

 ――そして明は帰国予定の日を迎え、あたかも今帰ってきましたと言う顔をして碓氷邸に向かっていたのだが――奇しくもその途中でキリエに出会った。

 自分で事態を把握していた明だったが、客観性という意味で他魔術師の意見を聞きたく、キリエに最初に相談をしていた。

 生まれながらにして魔術師の家で育った彼女には、冷静に話をすることができた。

 

 キリエは明の行為に、良いとも悪いとも言わなかった。

 

「キリエってさ、幼女なのに空気読めるよね」

「私はこう見えて三十二よ? 空気なんて魔術書を読むより楽勝なのよ」

「いや……それほどとは……」

 

 キリエが外にでてこなかったゆえに好奇心旺盛に人懐っこいのはわかるとしても、コミュニケーションについては聖杯戦争になって外に出るようになってから磨かれたものではなかろうか。

 

 二階の階段を上がったところ正面のドアノブを開くと、明の部屋だ。キリエは我がものとしているロッキングチェアに腰かけ、明はこの部屋の空調を入れた。

 

「アキラ、あなたは最後まで自分が誰かをヤマトタケルに言わないつもり?」

「……うん」

 

 隠していることは、あとひとつだけ。

 きっとヤマトタケルは怒らないと思うが、残念には思うだろう。だからここまで来たら、彼には言わないで墓場まで持っていくつもりだ。

 

 誰だって、偽物より本物の方がいいに決まっているのだから。

 



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夜① LAST RIDER

(ならばこの、神々の意向に反感を抱いたのは、いったい誰だ?)

 

 疑問を懐いたものの、彼には国を建てるという神命が存在する。そのため導き手たる霊長の烏を従え、東へ東へと行軍を続けた。兄猾(えうかし)八十梟帥(やそたける)など、様々な敵を打ち破り――ついに彼は、仇敵たる長髄彦(ながすねひこ)と相まみえることになった。

 

 やはり――五瀬命が命を落としたときと変わらず、ナガスネヒコの軍は精強にして精鋭だった。しかし己の正体を知り、烏の加護を得た東征軍は一気呵成に彼の軍を撃破した。

 

 あと一息でナガスネヒコを捕えられるとなった時、突如東征軍の前に現れたのは一人の男だった。手にしているのは天の羽羽矢――太陽の子孫たる証明の矢――だった。

 

 それは彼も所持しているものであり一本しかないはずだったのだが、その男が持っている矢もまた真であった。

 

 その男は饒速日命(ニギハヤヒノミコト)と名乗った。黒い長髪を頭でまとめ、それ以外の風貌は彼によく似ていた。

 彼の部下はみないぶかしんでいたが、彼はニギハヤヒの正体を一目見て理解した。それはニギハヤヒも同じだろう。ニギハヤヒは、彼に向かってこう告げた。

 

「もとより、天つ神が心配しておられるのは太陽の子孫のみ。私は、あなたにお仕え致します。ナガスネヒコの首は獲りましたので、持ってまいります」

 

 ナガスネヒコがあれほどまでに強かった理由は、このニギハヤヒの存在が原因だった。

 

 彼が建御雷命の転生体として神命を与えられたのと同様に、このニギハヤヒも同じ神命を受け取っていたのだ。

 彼が布津御霊剣を与えられ、烏による加護を得ていたのと同様に、ニギハヤヒを通し、ナガスネヒコも天津神の加護を受けていた。

 しかしナガスネヒコはニギハヤヒに臣従を誓い、ニギハヤヒの走狗となったのみである。

 

 何故、天津神は同じ神命を違う場所に生きる二人の人間に与えたか。

 それは、保険と効率のためだった。本命は彼――彦火火出見(ひこほほでみ)だが、万が一加護を与えても途中で倒れた時はニギハヤヒが奈良は橿原に至り国を建てる。

 

 無事に男が東征に成功したら、ニギハヤヒは男に臣従してこれまで下した悪神たちの土地を男に献上する。

 

 ――結果的に、天津神の子孫がこの土地を支配できればそれでよい。

 彦火火出見でも、ニギハヤヒでも。

 

 そのことにニギハヤヒ自体は何の感慨もないようで、淡々と告げた。これまで共に闘ってきたであろうナガスネヒコに未練も思入れもない。

 

「……なるほどな、かつての俺はこういうモノであったのか」

「? 何かおかしなことでも?」

「いいや。時にニギハヤヒ、聞きたいのだが――ナガスネヒコとは、どのような奴だった?」

「……先ほど申し上げましたが、首は獲りました。その問いは無意味かと」

 

 人は全て、神のための駒。

 神命の前には塵芥――矮小でか弱く、卑小にして愚かな生き物だと思っていたかつての己が、彼の目の前に立っていた。彼は円座を引き払い、さっそうと立ち上がった。

 

「……我が兄を殺したナガスネヒコ。お前を頭と仰ぎながら、いったい何を考えていたのか――もう少し出会うのが遅ければ、その生き様と欲望は楽しめたであろうに、われながら惜しいことをした」

「そんなことを知っても、何にもなりませんが」

「おうとも意味はない。むしろ全てに意味などない。国を建てても、どうせ滅ぶぞ――全ては鋼の大地となってな」

「貴方……!」

 

 ニギハヤヒが色をなす。天孫の国を建てることが至上命題である彼にとって、男の発言は耳を疑うものだった。

 しかし彼は全く取りなさず、笑った。

 

 

 

 

 そして旅の果てに――彼は大和を臨む。

 翁の言ったことは間違っていなかった。大和は青々とした瑞穂が風になびく、美しき土地だった。だが、その土地が美しいことは事実だが、男の心をより色づけるものがあった。

 

 彼は畝傍山に上り、その地を見下ろして、遥か来た道を臨む。

 

 そして、さらに東へと目を向ける。

 

 ――うむ、最初からわかっていた結末だ。

 

 

 日向を経ってから、長い年月が経ったことは確かだ。それでも、彼にとって戦いの旅は瞬きの間に終わるような短さであった。

 

 彼は蒼穹の天を仰いだ。「お前たちは、お前たちの血筋とその子孫しか案じておらぬのだろう。しかしそれもよい。神代は当初の予定通り、ゆるやかに終わるがよい」

 

 神々への反発は、今やなかった。

 そもそも、神とて人間の全てを操れる全知全能の何かではない。もし全知全能であるならば、建御雷命を転生させるなど回りくどい真似をする必要がない。時代の流れにすら逆らえぬ、移り変わりゆき、物理法則に追い立てられるわれらが神々。

 

 そして神々も神々なりに知恵を絞り、彼らの目的を果たそうと働いているだけだ。

 

 彼は、ただの人間と比べればはるかに全知全能だろう。

 しかし全知全能はつまらない。先がわかることに何の楽しみがあるのかと思う。

 

 神々はもしかして、大本は自然現象でしかない己らなりに全知全能を望んでいるのかもしれない。

 

「……最後が死であっても、その道中にこそ価値がある。最後が決まっていても、その過程が価値を持つ」

 

 今ならばわかる。あの剣を受け取った時、反発を感じたのはいったい誰だったのか。

 それは人間である彼の中に生成された人格だ。

 

 それまでの彼は、己の正体を知らなくてもあまりに神霊としての在り方をしていた。

 人間としての人格、彦火火出見はいなかったのだ。

 

 ならばいったい、彦火火出見の人格をなしたものは何だったのか?

 

 それは、今を生きる人間の生きざまだった。

 東征で死んだ兄たち、部下たち、そして敵は、未熟にも愚かにも、たとえ終わりを知っていても足掻いて戦い続けていた。「彦火火出見」というカラの器を満たしたものは、矮小な人間の醜くも懸命に行き足掻く姿だった。

 

「彦火火出見」の人格は、人間なしには形成されず。

 布津御霊剣を受け取ることで神霊としての人格をはっきり認識することで、「彦火火出見」の人格を鮮明にした。そうして「彦火火出見」は、「建御雷命」を己の奥深くへ押し込めてしまったのだ。

 

 彦火火出見はひとりではない。その人格が、人々からなるモノであるがゆえに。

 

(わたし)は神代を断ち切らぬ。次なる神の剣を造りたければ、造るがよいさ」

 

 神代を断ち切ろうと断ち切るまいと、大きな差はない。たとえ決められた運命があったとしても、その道中は己が選んだものだから価値がある。

 

 なに、どいつもこいつも行き足掻いているだけだ。神々も、人々も、そして公も。

 

 ――ゆえに結果に興味はなく。お前はその旅において、何を見たかを尋ねたい。

 

 全ての物事は生まれ、そして終わりを迎える。それだけは絶対なる真理で、永遠はありえない。モノ・コトを断絶できるということは、そのモノ・コト同士を繋ぎとめる糸が見えていることである。

 

 とあるモノの始まりがあり、あらゆる無限の可能性と道筋の末にモノは終焉を迎える。

 

「故に公は天津神々も人間も等しく、その過程こそを愛で潰す。何と愛おしき神々と人々かよ」

 

 神の望み通り国を作ろう。狭くても山々の連なり囲む、青々として美しいこの国は、神も人も人外も生きる庭。

 神のモノでもあり、人のモノでもある国だ。高天原が神しか許さないのであれば、それは非常にもったいないだろうと思う。

 

 彼は終わりを知る。

 故に、その過程と生き様を愛する。

 

 結果が破滅でも無残でも幸福でも安寧でも男には関係がない。神であろうと、人であろうと、なんであろうと、その生き様――何を選び、何を捨て、何を尊び、何を蔑むかを賞翫して人の格は生まれた。

 

 この国を開闢(ひら)き、観測して映し出す鏡。それは彼の愛の形であるが、彼以外に理解できる者を求めるのは酷だろう。それでも彼は国を睥睨して、高らかに宣言する。

 

「天津神々、悪神、民草共、括目せよ! ―――公は、人世に国を開闢くぞ!」

 

 神代と人代を結ぶ英雄。この国の始まり、原初の人にて開闢の帝。

 

 結果に意味などない。全てのモノは生まれ、そして死ぬ。

 

 全ては終わりという結果を迎えるのだから、結果を求める意味はない。肝腎なものはその過程(プロセス)。生きとし生ける者すべての過程こそが、その彼を神でなくした全てであり、器を満たすもの。

 

 終幕が大円団か、悲劇か、喜劇となるか。それは興味がない。

 

 ただ只管に肝要なことは、その旅路がいかに劇的であろうとなかろうと、迷いと苦痛と汚辱と惨劇しかなくとも、喜びと快楽に満ちようと、その中で彼らはどのような選択をするに至るかである。

 

 人生は終わる。旅は終わる。

 

 最後に己に残すものが何もないなら、残った財も名誉も意味はない。それゆえに。

 

「――その短くて長き道中、楽しまなくてはな」

 



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夜② Nignt comes.

 ――夜が来る。夜が来る。押し潰す夜が来る。

 

 キリエ、明、アルトリア、ヤマトタケルが早めの夕食を済ませた後、それぞれが予定まで自由に過ごしていた頃合い。太陽は地平線の彼方に消え、中天に星が瞬きつつある夜の始まり――会社帰りのサラリーマンのような体で、影景は碓氷邸に戻ってきた。

 

「ふぅ、ただいま~」

 

 トランクは碓氷邸に置いたままのため、今持っているのは別の皮張りのトランクだった。帰着した影景が最初に顔を見たのは、リビングのソファに座って向かい合うアルトリアとヤマトタケルだった。

 アルトリアの方は武装まではしていないものの、既に青の戦闘用衣装を身に纏っていた。双方とも顔が真剣で、重要な話をしていることはすぐにわかるのだが、影景はあえて気にせずに大股でリビングに足を踏み入れた。

 

「これが切り札の礼装だ。ヤマトタケルの櫛を元にキャスター・大橘媛が再構成した」

 

 影景はトランクをリビングのテーブルの上に置き、開いた。トランクの大きさの割に、中に入っていたのは深い茶色、木目も鮮やかな櫛がクッション材に包まれてはいっているのみ。

 

 それは、先日まで粉々に砕けていたことがまるで嘘であるかのように、美しく新品のような品だった。

 否、ある意味本当に新品にして別物なのだ。

 

「すでにアサシンによる譲渡は済んでいる。有効に使ってくれ」

「……ヤマトタケル」

「俺に構うな。持って行け」

 

 ヤマトタケルは感情のこもらない声で言った。アルトリアは眼だけで一礼し、櫛を手に取った。

 空気を読んでいるのかいないのか、影景はぐるりとソファの後ろから回り込み、アルトリアの隣に腰かけた。

 

「……さて、俺ができることはここまでだ。やはりオルタとやり合うのは騎士王なのか」

「ええ」

「俺はてっきりヤマトタケルも戦いたがると思っていたが」

 

 黒い日本武尊――大和を滅ぼした天皇。編纂事象からはずれて剪定された事象の、もうひとりのヤマトタケルの姿。

 アルトリアも、ここまでヤマトタケルが何も言わないとは思っていなかった。

 

「……もう一人のあなたは、あなたの愛した国を滅ぼした貴方です」

「それがどうした。俺は俺の生を終えた。悔いは多いが、終わったのだ。だから、別の俺には興味がない。そもそも、俺は大和を愛した覚えはない。父帝が、弟橘が好きだったものだから護ろうと思っただけだ」

 

 この男は護国の英雄であれど、王ではない。彼が国を護ったのは結果論でしかなかった。

 アルトリアの記憶では――これはねつ造である可能性が高いが――国など護ろうとしたことはないと嘯いた彼に対して、怒りを感じたことがあった。それは彼の言葉に対する怒りというよりは、自分が感じていた引け目だった。

 

 自分の身が滅んだことも、自分が王として下した決定も考え抜いて最善を選んできた。だからこそ自分が王になったこと自体が間違いだと思っていたのに、目の前の大和最強(セイバー)は国を守ることになった自分の存在を否定していた。

 

 だが、見かけ上の生涯が似ているだけで、人格が似てくるはずもない。二人のセイバーは、志したものが、夢が、全く違った。ゆえに在り方で争うのは不毛でしかない。

 

「お前は黒い俺に一回負けているから再度戦いたがるのは道理だ。俺ならばそう思う。俺はあれがどうなろうと興味がないから任せる」

「くっ、あなたと同じ思考というのは少し腹立たしい……! しかし感謝します」

「何だそれは。しかし騎士王、お前のことだから無策ではないだろうが、あれを追いつめる算段はあるのだろうな」

 

 言われなくとも、それは承知だ。見事にエクスカリバーを跳ね返された記憶は、まだ生々しく残っている。

 こちらのヤマトタケルが持つ『全て翻し焔の剣(くさなぎのつるぎ)』よりもカウンターに特化した宝具である分、必殺の宝具を放つことは躊躇われる。とすれば、風王鉄槌(ストライク・エア)と通常攻撃で落とすしかない。

 ちなみに先程影景から渡された櫛は、そもそも攻撃用の礼装ではない。

 

「……あちらのあなたは、あなたより護る力が強い。負けはしなくても、勝つのは難しい相手です」

 

 却って黒いヤマトタケルの攻撃力も、こちらのヤマトタケルほど高くはない。無刃真打はカウンター故それ自体の攻撃力はない。

 しかし千刃影打から生み出される宝具を防ぎきることが、そう何度もできるかどうか。

 

「戦法はお前が考えるだろうが、あれの宝具について伝えておく。世界は違ってもあれは俺だから、絡繰りはわかった」

 

 深くソファに腰かけた影景は、関係ない素振りを見せながらもしっかりと二人の会話には耳をそばだてていた。

 

「……あれは形こそ刀剣、槍の形を取っているが本質は違う」

「あらゆる武器を納める蔵が宝具、とかでしょうか」

「いや、あれの宝具本体は鉄そのもの。今は喪われた古き金属を鍛えて都度刀剣を打ち出している」

 

 その喪われた鉄の名はヒヒイロカネ。日本武尊が生きた時代では鉄や銅と同様に扱われていた金属であり、三種の神器の原料でもある。

 

 ヒヒイロカネは、その比重は金よりも軽量であるが、合金としてのヒヒイロカネは金剛石(ダイヤモンド)よりも硬く、永久不変で絶対に錆びない。

 また常温での驚異的な熱伝導性を持ち、ヒヒイロカネで造られた茶釜で湯を沸かすには、木の葉数枚の燃料で十分であったとも伝えられている。触ると冷たい、磁気で表面が揺らめいて見えるなど、その様子は様々で一定しない。

 鏡の原料であり、勾玉の原料であり、剣の原料である――それは奇異な事ではないのだ。

 

 何故ならヒヒイロカネとは、万能金属の名。鍛冶次第でいかようにも形を変える、金属という名すら相応しくないもの。

 その物体は星の内海――この地球に存する魂の置き場から、過去未来の魂と記憶に接続するといわれたもの。つまりこれから何かを鋳造する時に、鍛冶の腕さえ見合うのであれば、望んだ未来の武装に形を変えることさえ可能となる。

 

「あれの両眼はほとんど見えていないと言ったな。眼帯で覆われている方は本当に外傷を負っている可能性もあるが、もう片方の視力低下は鉄を鍛える焔を見続けたせいだろう」

 

 ――「出雲は鉄・製鉄の王」。アルトリアとアヴェンジャーとの戦いで、アヴェンジャーが呟いた詠唱。製鉄の王・倭武天皇――編纂事象と運命を一にしていたころ、既に彼は前代の製鉄の王(イズモタケル)を殺害しおおせているが、さらに倭武天皇は大和に帰りついて後、本格的に出雲を扼し我が物とした。

 

「しかし刀剣を打ち出し真名解放までこなせるとはいえ、それでも究極の一には敵わないだろう。だがあれは腐っても倭武天皇(やまとたけるのみこと)、あれにも究極の一があるはずだ。忘れるな」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 中天にかかる月。世界は何の変化もなく、今日も終わりを迎えようとしている。目の端々、油断すれば見逃してしまいそうな、黒い犬の群れ。

 それを無視することができる者には、今日も世はなべてこともない。

 

 この春日に暮らすほとんどの者にとって、世界は何もないまま終わるのだ。

 

 ホテル春日イノセント、屋上。アーチャーが暮らしているホテルの屋上に、武装姿のライダーと宝具のフツヌシが、夜風に吹かれながら佇んでいた。

 

「ねえ、イワレヒコ」

「何だ」

「アナタはゴーイングマイウェイクソ野郎だけど、自己顕示欲はない。神の剣の仕様からして当然だけど……だから、自分のことにも頓着しない。だから、自分が消えようと気にならない。なのに、なんで」

 

 相変わらず剣の声は太くて低い。しかし常のテンションの高さはなりを潜め、困惑の色を見せていた。

 

「今の自分の記録を、残そうとしているの?」

「――ふむ、お前には公のやろうとしていることが、そう映るのか」

「違っても驚かないけど……。生前だって、結局しなかったとはいえ神代と人代の繋がりを切っちゃおうとしてたじゃない。もう、何を思って何するかわからないんだからッ!」

 

 過去を思い起こしてか、フツヌシはその場でぐるぐると回転した。ライダーはそれを見て、口元を緩めた。

 

「だが、お前は文句をいいつつも最後には公の手伝いをするだろう?」

「……もうッ!! タケミカちゃんの現身じゃなかったら、こんなことしないんだからッ!!」

「……お前ら一体なにやってんだ?」

 

 ギィ、と屋上に上がる階段を通じて姿を見せたのは、土御門一成とアーチャー、榊原理子、ランサーの四人だった。

 ライダーはそちらに向き直ると、満足げに頷いた。

 

「よし、役者はそろった。ランサーはキリキリ公を護れ。そのほかの草はファイトだ」

 

 恐ろしく適当な言葉と共に、ライダーは武装を解除した。ポニーテールにされていた白髪は解かれ、衣服も白の着流しというシンプルなものに変わっていた。

 その姿はこれから禊や潔斎を行う、神職者のようにも見える。

 

「キャッ! みんなありがと~~ほんとこのバカレヒコの思いつきに付き合ってくれて」

「い、いや、私たちも賛同してのことなので、全然気にしないでください」

 

 一応目の前にいるのは神霊の末端ということもあり、理子はノリに戸惑いつつも丁寧に答えようと努めた。

 

 高所特有の強い風が彼らにふきつけ、夏の夜の蒸し暑さも少ないこの場所――しかし今の彼らには、春日に起きる異変がまざまざと感じられていた。

 特に聖杯戦争最終段階まで残った一成は、まるでここが土御門神社境内のような――黒い聖杯が目の前にあるような異常を感じていた。

 

「これ、本当に――春日は終わるんだな」

 

 一成は「俺たちも」という言葉を呑み込んだ。今まで散々明やライダーから現状を説かれて理解はしていたものの、春日の暮らし自体は平穏で、幸せで、いつも通りだった。

 

「そうとも。さて、では準備はいいな。他サーヴァントが首尾よく黒狼を駆逐し、騎士王が滅国の王を倒すことを願って――」

 

 役者はすべてキャスティングされている。それぞれしかるべき場所に配置され、各々春日の終わりまで死力を尽くして戦う。

 これまでアヴェンジャーが身の内に封じ続けていた春日聖杯の呪いの全てが噴出している――それが最後に、春日(世界)を滅ぼすだろう。

 

 ライダーがくるりと一同に振り返り、いつもの全く変わらない意味深な笑みを浮かべて言った。

 

「過去の因果律を改竄し、ハルカ・エーデルフェルトが現実から来たことにするとしよう」

「――アルトリアさんの完了を待たなきゃいけないし、まだ時間はあるだろ。ライダー、聞かせてほしいことがある」

 

 強い風に吹かれた一成が、今しかチャンスはないとライダーを見据えた。

 

「何だ?」

「何でこんなことをしようと思ったんだ。お前は世界の滅びや消滅を拒むやつじゃあないだろ」

 

 それは、先ほどフツヌシが問い質していたのと同じ内容だった。

 ライダーは暗い天を仰ぎ、それから笑った。確かにまだ時間はある――騎士王の戦果を待たねば、話は始まらないのだ。

 

「大した理由ではない。コンサートの最後が全員の合唱で終わるのは、嫌いか?」

 

 

 

 *

 

 

 

 とっぷりと暮れた春日の街。耳を澄ませば聞こえる、キィキィときしむ鳴き声。

 姿はいまだ見えずとも、間もなく黒染めの犬たちは春日を食い荒らして破滅に導くだろう。

 石畳が敷かれた碓氷邸の庭に、武装姿のヤマトタケル、アルトリア、明は空を見上げて立っていた。ヤマトタケルは真顔のまま、明に顔を向けた。

 

「お前はライダーのところに行かなくていいのか? 魔術師として、仮初とはいえ見ておきたい現象なのではないか」

 

 明はゆるゆると首を振った。「……いや、お父様が絶好のビューポイントみつけたとか言ってたし、いいよ。最後までセイバーと戦うよ」

「そうか。うん、わかった」

 

 二人は見つめ合い、笑った。これから最後の戦いを控えているというのに、彼らは穏やかだった。

 そこにあえて無粋に、だが気まずそうに咳ばらいが入った。

 

「……アキラ、ヤマトタケル。それでは私は美玖川に行ってきます」

 

 だが、当の二人は全く気まずそうにすることはなく、自然にアルトリアに顔を向けた。明は右手を、彼女に向けて差し出す。

 

「うん。アルトリア、色々ありがとう。そしてごめんね」

 

 その謝罪は、何に対してか。本来巻き込まれるはずのなかった彼女を呼び起こしてしまったことか、彼女の記憶に欠落があるまま呼び起こしたことか。

 

「……いえ、謝ることはありません。アキラと聖杯戦争を戦ったことは偽りであっても、この数日は私にとっても快いものでした」

 

 籠手のままではあるが、アルトリアは差し出された手を握り返した。

 それからヤマトタケルにも顔を向けた。どこか楽しげな笑みを浮かべて。

 

「……あなたと戦った記憶も、偽りのようですね。一度剣を交えておくべきだったと、今では思います」

「やめておけ。常勝の王の名に傷がつくぞ」

「貴方こそ、日本最強の名を捨てることになります」

「えっ、酒宴?」

 

 仲間内で妙な空気が漂い始めたその時、彼らの頭上からとどいた能天気な女の声。アルトリアたちが振り仰ぐと同時に、月光を遮りながら落下してきたのは――黒い巫女服を身にまとい、酒の甕をひっさげたキャスターだった。

 彼女に引き続き降りてきたのは、親衛隊、いや茨木童子をはじめとする四天王たちだった。

 

「キャスター? なんで」

「私が呼んだに決まっているでしょう?」

 

 遅れて優雅に、屋敷の玄関から姿を見せたのはキリエスフィール・フォン・アインツベルン。

 聖杯戦争の時に着ていた白い長そでのワンピースに、腰にリボンを巻いていた。魔術師然として、ゆるりと微笑んで見せる。

 

「陣地を護るならキャスターよ。ここの防衛は私たちに任せて、アルトリアはアヴェンジャーに、ヤマトタケルは遊撃で戦いなさい」

 

 碓氷邸の屋根から舞い降りた赤毛の美女は、面倒くさそうに髪をかき上げたがその顔は笑っていた。

 彼らは暴れること自体にはやぶさかではない――本来ならバーサーカーで召喚される彼女たちなのだから。

 

「私はライダーがしようとしていることにも興味ないけど、ご主人に呼ばれたからねぇ」

「俺らはお頭がするっつんならするだけだしな」

 

 キャスターの後ろに、ずらりと並ぶ茨木童子・星熊童子・虎熊童子・かね童子・熊童子。その顔を見て、明たちは頷き交わす。

 

「……じゃあ、任せたよ。行こう、ヤマトタケル、アルトリア」

 

 ヤマトタケルは明を左小わきに抱えると、庭で助走をつけて空に舞った。アルトリアは同じく助走つけて加速し、塀を乗り越え流星のように、屋根から屋根へと飛び移り美玖川へと一直線に向かった。

 

 二筋の閃光を見送り、キリエは首に下げた小瓶を見た。

 その中には透明な液体が入っており、ゆらゆらと揺れている。彼女は一度息をのむと、息を吐き、それから一気に中身を呷った。

 

「……行くわよキャスター。魔術の準備はいいかしら」

「え~茨木、大丈夫?」

 

 全く能天気に、キャスターは隣の茨木童子に声をかけた。キリエの脱力を受けたように、茨木童子は苦笑いで肩をすくめた。

 

「大御頭、お頭は魔術は忘れてるからな。俺がやるさ……他の奴らは配置につけ!」

「「「イエッサー!」」」

 

 キャスターの強みは、宝具以外にも召喚術にて四天王たちを召喚したことによる人数の多さだ。

 それぞれ、碓氷邸の四方へと飛んだ。残された茨木童子、酒呑童子、キリエは既に門の前に蟠る、黒い呪いを見据えていた。

 碓氷邸は春日でも三指に入る霊地であり、すなわち霊脈の上に位置する――そしてすなわち、この世界においては魔力の流れの上にあり、同時に呪いの上に立つ場所である。

 

「ここは結界も構築されている。だから比較的持つとは思うけど――準備はいいかしら、キャスター?」

「ええ、任せてご主人」

 

 あくまで歌うように軽やかに。

 鬼にとって、戦いなど日常茶飯事。楽しく骨を折り、首を取り、血の河で笑うモノ。

 

「防戦なんて趣味じゃないと思うけど、力の限り戦いなさい」

 

 碓氷の邸は、春日の霊地の一つだ。魔力の集まりやすいところに群がるというのなら、この地を黒狼から護り続けることで、時間稼ぎになる。

 

 碓氷邸を囲う前の塀に、獣の足先がかかっている――「急急如律令!」

 

 キリエの陰陽術がさく裂し、大きな唸り声をあげて黒狼は塀の外へ押し出された。剣戟の音――おそらく虎熊童子の二刀流の唸り――も、響いている。

「とうっ」神便鬼毒酒を呷ったキリエは、陰陽術と体術で、酒呑童子たちに負けず劣らず肉弾戦を行う様子を見せている。

 

「さ~て、ちょっとは頑張っちゃうわよ!」

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ホテル春日イノセントを蓮向かいに眺めるオフィスビルの屋上に陣取った碓氷影景は、目の上に手をあてて、フェンスから半ば身を乗り出す形になっていた。

 

「おお、ここからなら良く見えるな」

 

 常の如く皺ひとつないスーツだが、風に吹かれてネクタイが勢いよく舞っている。そして影景の背後には、黒いカソックに身を包んだ神内御雄が悠然と佇んでいた。

 

「おい御雄、折角だからお前も見ていくといいぞ。いわば神代具現化か――現実の俺に伝えきれないことが実に口惜しいが、だからといって無関心ではいられない」

「私は魔術師を廃業したのだがな」

「細かいことを言うなよ、インチキ神父」

 

 土地管理者の魔術師とその土地の聖堂教会は、水面下はともかく、面と向かって対立していることは少ない。

 神秘の秘匿という一点において了解のある双方は、ある程度互いに連絡・連携を取っていることが多い。

 

 それを差し引いても、春日の管理者碓氷影景と春日教会の神内御雄は、珍しいほどに昵懇の仲であった。逆に御雄の養女である美琴と影景の仲は表面上にとどまっていた(こちらはこちらで、明とは良好な関係を築いていたが)。

 

 その仲の理由は、影景が御雄の目的を知っていたから――御雄が聖堂教会の神父となったのは、聖杯戦争の監督役となり戦争を砂被り席でみたいからだと知っていたからだ。

 彼の神父にとって教会の秘儀や吸血種の殲滅こそ二の次であり、魔術師の影景と対立することがほぼ皆無だった。

 

 何を犠牲にしても己の道を行く、という意味で二人は似たモノ同士であり、気も合うことが多かった。

 只聖杯戦争に関しては、影景にとってはただの手段であり一手法でしかなかったが、神父にとっては目的そのものだったため、神父が主導権を持ってはいた。

 

 春日聖杯戦争開催が確定したころ、影景はイギリスから電話を寄越した。

 

「前もって言ったが俺は聖杯戦争について、明には何も言ってない。あれの修行の場とするつもりだからな――だから明がお前の企みを土台からひっくり返すようなことをしたら、明の手柄だったが」

 

 結果として碓氷明が聖杯戦争に勝利したが、彼女は戦争そのものを崩壊させることはなかった。

 新たな神父の願いを崩壊せしめたのは、碓氷ではなく全く関係なかった土御門の末裔である。いや、その願いすら聖杯戦争中に新たに芽生えた願いであり、元々の「聖杯戦争を見たい」という願いはとうに成就しているのだ。

 

「結局明はそこまでできなかった。あれもまだまだだが――この世界が終わった後、俺は当主を正式に退こう。協会にも申請する。その旨は明に伝えてあるから、きっと現実の俺にも伝わるだろう」

「……成る程。現実の七代目の本意かどうかはともかく、お前を欺き出し抜いたことは確かだ」

「本意ではないだろう。だが俺がこの事態の究明に三日を要したことは確かだ。これを認めないでどうする。さてお前は――此度も娘になにも言わないのか」

「ああ」

 

 美琴は今頃、教会での夜の集会を終えて後片付けをすませ、寝る準備をしていることだろう。

 彼女は何も知らないまま、この世界と共に終わる。それは聖杯戦争中に、この養父である神父が何を思っているか知らないままに彼女が命を落としたのと、全く同じだった。

 

「……影景、記憶は」

「俺は結界で生まれた再生体だからな。記憶も現実を元に改竄を受けているが――齟齬は春日自動記録と突き合わせて訂正した。お前は現実ではすでに死んでいるから、他の人間よりも捏造による違和感・齟齬が激しいはずだ。自力で気づいたろう」

 

 あっさりと「お前はもう死んでいる」と告げる影景は、御雄が良く知る彼と寸分たりとも変わらない。

 とすれば、彼は何故、御雄が美琴を殺すことにしたのかまで理解している。

 

「魔術師かどうかの違いはあるが、俺もお前もエゴの塊だからな。俺は俺の後を超える跡継ぎにするために明を愛し育ててきた」

 

 大事なのは人からどう思われるかではなく、自分が自分をどう思うか。

 もちろん、ある程度の利便性のために体面の良さは考慮するものの、後者のほうがより重要だとするのが碓氷影景の根本である。

 一般的に見れば自分が人でなしであることを承知で、彼は人に頼らず人を愛さず、それに不足と違和感を抱くことなく生きてきた。

 

「お前も俺と同じだ。だがな、自分の目的にまい進することと何かを愛することは矛盾しない。お前はお前なりに、養女を愛していたからな」

 

 もし聖杯戦争がライダーというイレギュラーなしに集結していたとしたら、美琴は御雄の本性に気づかないまま戦争を終え、そのまま日常に帰ったであろう。

 だがシグマの協力とライダーを得てしまった今、御雄はそのままではいられなかった。どういう結果になろうと、美琴は御雄の本性を知ったろう。それを知った時、彼女はどうするだろうか。

 

 御雄にその想像は容易かった。

 

 ――あれは私の敵になるだろう。

 

 嘆きながらも、事によっては殺しにかかったかもしれない。あれは、全き善性の女である。

 

「敵は事前に始末していたほうがいい。それに、あれも私のために悲しまずに済む」

「自己中極まりない。お前は自分の本性を隠しながらもよき親でいたかっただけだろうに。だから二流の聖職者で一流の呪術師なんだお前は」

 

 影景は善なることを尊びはしない。だが御雄は、その養女の持つ善性を良きことだと思っていた。

 己もそうあれれば、この業に囚われることもなかっただろうと――だが、御雄はそれを選べなかった。

 

「我ながら度しがたい。だが後悔もない。私は、私の望みを遂げた」

「やはり俺たちは似合いの神父と魔術師だよ」

 

 追憶も僅か。世界の終わりを受け入れた魔術師と神父は遠く――奇跡を目撃して息絶える。

 



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夜③ LAST DANCE No.1

 閃光の一撃。夜の闇を切り裂くような一閃が、黒い狼の群れを切り払う。留まっただけの蜻蛉を真っ二つにした槍の切れ味は並々ではない。

 

 深夜の土御門神社・境内にてバーサーカーと咲は、周囲を取り囲む獣の群れを薙ぎ払っていた。境内――否、土御門神社を抱える丘一帯は黒々とした霧に覆われていた。

 

Открытые、Запуск(解放、発射)!」

 

 咲の放った水の刃が、雨嵐と周囲の黒狼に突き刺さる。彼等は断末魔と血飛沫を上げてその場に倒れ、霧散して消えていくが、その後から後から無尽蔵に同形の狼が現れる。

 一匹一匹は慌てず始末していけばいいのだが、もう何匹いるのか数えるのさえ飽き飽きするほどの群れである。

 

 ランサーはライダー警護に向かわせているので、ここには咲とバーサーカーの二人のみ。

 

 咲とバーサーカーがここで群れなす黒狼を始末しているのには理由がある。春日三大霊地、大西山・碓氷邸・土御門神社――そこには特に黒狼が引き寄せられる。

 たとえここが偽物の春日であっても、モデルは現実の春日である。霊地に黒狼が巣食って汚染し尽くしてしまえば、世界の消滅が早まる……それよりも、春日というキャンバスが汚染されてしまう。

 

 汚染されてしまうと、榊原理子の念写の力が薄くなる。

 

 だから今咲たち――そして他の霊地で同様に戦っている者たちがしていることは、時間稼ぎ。

 騎士王が黒狼の本体、アヴェンジャーを隔離するまで、春日が呪いに覆い尽くされることを防ぐ役割だ。

 

「……!」

 

 獰猛な唸り声をあげ、咲めがけて飛び掛かってきた狼たちが――その背後の大きな黒い塊によって一刀両断に吹き飛ばされた。

 漆黒の鎧兜、反りのある大刀、物言わずとも恐ろしいほどの圧迫感を背負った荒武者――バーサーカーの姿だった。

 

「! バーサーカー、やっちゃいなさい!」

「■■■■■■■■ッ!!」

 

 咲の指令に合せ、荒れ狂うままに振り下ろされる大刀にて黒狼たちは断末魔さえも上げる間もなく、消滅する。だが後から後から湧き出す黒狼(呪いの化身)たち、それでもバーサーカーは咲の意を受けて嵐のように駆け抜け、目についたものを、境内内の灯籠も植えられた木々も関係なくなぎ倒す。

 

 ――自分は魔術師として、まともな振る舞いができているだろうか。

 

Лэнс Пирс(貫く槍)!」

 

 咲は荒れ狂うバーサーカーの補助役――撃ち漏らされた黒狼を、魔力を通して鋭い刃に成形した純水を飛び道具として残さず屠っていく。

 

「……殺して殺して殺しなさい!」

 

 咲の手による指揮に合わせて、丁度直線状に重なった狼たちが、まとめて串刺しにされて消滅する。バーサーカーの刀が縦に、横に、斜めに走り抜け、嵐のように一緒くたに抹殺していく。

 バーサーカーの宝具『将門七人衆(みょうけんのごかご)』と『坂東大新皇(ばんどうのてんのう)』は既に発動中で、残る六体のバーサーカーは地下大空洞に二体、この丘にある神社の東西南北のふもとに各一体配置している。ここの境内まで這い上がってくる黒狼は、それらのバーサーカーをすり抜けてきた者と境内で発生した者。

 攻防は一進一退、相手はアヴェンジャーになじみ深い形で具現したこの世全ての悪の末端。

 

 元から勝ち目はない。だがそれでも、今まっとうな理由の元、自分のためにも戦っているのだという思いが咲の胸を満たしていた。

 共にバーサーカーとあり、全力で前に進むために戦っているのだと。

 

「……行くわよバーサーカー! あんたはどんなものでも負けない鉄人なんだから――!」

 

 この怨念に満ちた霧さえも、彼女たちの領域内。現代に至るまで大いなる怨霊として畏れられたかつての新皇は、その名の通りに荒ぶりつづける。

 

「■■■■ォォォーーー!!」

 

 風を切り裂き、石畳を砕き、黒狼をまるで紙屑のように屠り散らしていく。それでも狂戦士がマスターをかすり傷ひとつつけることはない。

 それを知っているからこそ、咲は彼の元を離れて近づいて、自由に魔術を行使することができる。

 

 ――今も昔も、坂東の草原で奔っていた武者が戦う理由は、些細な理由からだったのだ。

 

 頼られたならば、それに応えたい。新皇と名乗ることになってしまったのも、すべては成り行きだった。

 護ろうとしたものに裏切られることになっても、自分が守ろうとしたことはきっと間違いではないと固く固く、狂戦士は信じている。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 金襴褞袍を風にたなびかせる、男がひとりごちた。

 

「ったく、また俺の宝具が活躍することになるたあ思ってもいなかったぜ」

 

 春日駅前に並び立つ高層ビルの一つから、勢いよく落下する二つの影。一つは主体的に、もうひとつは引きずられるようにみっともなく手足をばたつかせていた。

 

 彼らが落ちる先には硬いコンクリートの地面が横たわっている――だけではなかった。紅く閃く赤眸がひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……。

 不気味に蠢く黒い獣の群れが、肉を求めて山をつくり、ビルの側面さえ這い上がりつつある。

 

「なぁ悟ゥ、お前、仲間外れにされるのってキライな質だよな?」

「そりゃ仲間外れが好きな奴なんていないだろ……うわあああ!!」

 

 落下する一つは派手な褞袍を翻し、何十丁もの火縄銃を取り出し、眼下に向けて一斉に斉射する。

 噴き上がる煙、火薬の匂いと裂光に切り刻まれた獣たちは跡形もなく消え去り――そのぽっかりと空いた地面に、アサシンは何事もなく着地した。そして引き連れていた悟を華麗に御姫様だっこの形で受け止め、地面に立たせてやった。

 

「アサシン、これは一体、」

「春日園のお土産ついでに話したろ、これが呪いだ」

「……この固有結界? とかをつくる魔力が呪いだ、って話か。これを全部倒せば、俺たちは固有結界の外の、元の世界にもどるっていうんだな。……またファンタジーな話しだなぁ……」

「ったく、聖杯戦争を終えてもファンタジーっつーのか、おめーは」

 

 再度の弾込め、点火、発射。

 間断なく打ち放たれ続ける弾丸の嵐で、獣の群れは打倒される。たまに弾幕をくぐり抜けてきた者でも、鎖鎌にて刈り取られていく。悟は周囲の光景に圧倒されながらも、アサシンに信を置いているため怯えの色は薄い。

 

「やっぱ、俺ついてきたのは失敗? 魔術師じゃないし、お前を助けたりできないし」

 

 アサシンはにやっと笑った。「バァカ、いるだけでいいんだよ。親分は一人で親分になるんじゃねえ、子分がいるから親分なんだっつの。要するに、俺のテンションを上げるためだ」

「!?」

「さーていくぞ!そろそろ褞袍に引っ込んでな!」

 

 アサシンは丸い煙幕弾を地面に投げつけ、辺りを一面白い煙で覆った。その隙に文句を言う悟を宝具の褞袍に投げ入れた。

 

「お前が連れてきたんだろ!」

 

 最後はほとんど褞袍の奥に消えてしまった文句を聞き届けつつ、アサシンは幾度も幾度も復活して群れを増殖される黒狼たちを見回した。

 

「――ヘッ」

 

 戦ってきたサーヴァントに比べれば、この程度の敵は造作もない。時間稼ぎの任は無事果たせるだろう。

 

 春日園のあと、悟の家に立ち寄り――悟は仕事があったため、帰ってきたのは八時過ぎだったが――この世界の顛末を話した。既にハルカ・エーデルフェルトが(何の気もなく)漏らしていた為、誤魔化すことに意味を感じなかった。

 

 魔術師である他のマスターたちはともかく、悟は骨の髄まで一般人だ。自分が本物の自分ではない、なんて衝撃的すぎる現実は、今も悟の身に染みて感じられているとは思えない。

 

 だが、悟は邪魔にならないのであれば、ついていきたいと言った。

 

 悟の言う通り、彼の魔術的補佐は期待できない。アサシン一人で戦っても、何ら差はない。それでも彼を戦いに連れてきた理由は、やはり一つだけ。

 

 ――たとえ他マスターに及ばずとも、共に戦ったものだからだ。

 

 

「だって、一人はさびしーだろ?」

 

 

 

 *

 

 

 

 斜向かいのビルの屋上に立つ、ショーウインドウのトランペットを眺める子供のような影景らを知りつつ、ライダーはフェンスに寄りかかっていた。

 

 ホテル春日イノセントの屋上に集結したのは、ライダー・一成・アーチャー・理子、それにハルカとキャスターである。ライダーは懐から、通常持っている扇子を取り出して振った。

 

神代回帰(リバース・ファンタズム)はあくまでついでだ。よし、では草ども頑張れ」

「……」

 

 半ば白い眼のアーチャーだが、ライダーは気軽に言ってついでにウィンクした。

 

「やることはもうわかっているはずであろう? 貴族の宝具、陰陽師の眼、そして巫女の念写、そして(わたし)!」

 

 漫画であれば背後に「バーン!」の書き文字が見えそうなハイテンションさで、ライダーは高笑いした。

 まあ、すでにライダーの計画に乗ると決めた時点でアーチャーに文句はないのだが、これまで散々たかられてきたゆえか、文句の一つや二つも言いたいものだ。

 

 アーチャーの内心はともかく。事を勧めなければと、弓兵の隣の一成が口を開こうとしたその時だった。ハルカ・エーデルフェルトは何食わぬ顔でフェンスをよじ登り、てっぺんに足をかけていた。

 

「キャスター、私たちも行きますか」

「「えっ??」」

 

 戸惑いの声は、一成とキャスターのもの。だが当のハルカは、いけしゃあしゃあと言う。

 

「神代回帰は私がここにいなくても行えるでしょう。やはり、私は戦うためにここに来たのですから、最後は戦っておわりたいのです。行きますよ、キャスター」

 

 そう言い終わるのが速いか、ハルカは勢いよくフェンスを蹴り――ビル三十階の高さから飛び降りた。

 キャスターは慌てて、「あとはお願いします」と言って彼の後を追いかけた。アーチャーは理解しがたい、と言う顔をしていたが、一成の代わりに仕切ろうと口を開いた。

 正味、ハルカはどこにいても問題ないのだ。

 

「……まずは私からであるな。さて、固有結界の中に固有結界を展開したら、本当に一時的に結界内を塗り替えられるのか」

「碓氷は大丈夫って言ってたけどな。もう信じてやってみるしかねえだろ」

「ふむ――それでは、今一度歌うとするか。しかも全力で」

 

 少々嫌そうに、しかしその口元は確かに。

 

 今宵の月は上弦にして、雲はなし。風に揺られる冠と衣冠束帯。栄華から始まるひとつの奇跡は、いまここから。

 

 弑する相手は不在にして、平安の貴族は今何を願い心象風景(せかい)を開くか。

 

 

「この世をば、わが世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしとおもえば――」

 

 

 

 *

 

 

 

 美玖川は何事もなく、常のように静かだった。ただひとり、漣すらない水面にて立つ黒い影。

 境界の主、滅国の天皇――アヴェンジャー・倭建天皇が一人たたずんでいた。

 

 しかしその背後に、周囲に、今春日市全体を覆い尽くしている黒狼の群れがまとわりついている。彼は無言で、腰に下げた黒葛太刀の柄を握っていた。

 

「――お前か」

「事は数日前であったのに、久しく感じますねアヴェンジャー」

 

 河川敷に姿を見せたのは武装し、不可視の剣を携えたアルトリア・ペンドラゴンだった。碓氷影景がいないことを除けば、状況は数日前と同じだ。

 しかしアヴェンジャーは事を構える様子をみせない。

 

「何をしに来た、騎士王。今さら俺を倒したところで、この世界が消えることに変わりはない」

「知っています。むしろ、あなたは最初から寿命の決まっていたこの固有結界を、最大限延命しようとしていた。世界に何の変化も起こらないように、汚染した魔力を呑み込み続けていたのですから。貴方の消滅は呪いの解放を意味する」

「俺が消滅するその時こそ、固有結界の終わりだ。そこまで理解して、何をしに来た? まさか先日の続きをしようという腹ではあるまい」

「いえ、その通りですよ。貴方には刻限よりも早く消滅してもらわなければならなくなりました」

 

 アヴェンジャーはちらりとアルトリアを見るようなそぶりをすると、空中から三振りの宝剣を焔と共に取り出した。先日も使っていた大通連、小通連、顕妙連である。

 

 アルトリアとしては、先日の借りがあるため、戦うにやぶさかではないのだが――無理に斬り合わずに済むのであれば、それでもよかった。

 ゆえに、戦緒を開く前に一言言いたかった。

 

「アヴェンジャー。大人しく、私に捕まって隔離される気はありませんか」

 

 万全を期するなら、少しでもアヴェンジャーの体力と魔力を削るべきであるのは承知している。

 

「フフッ、面白い事いうな。だけどもう、俺は自分で生き死にを選べないんでな。ライダーが何かたくらんでいるようだが、好きにすればいい」

 

 既に汚染され切ったアヴェンジャーの身体は、呪いでもって生きている。

 にもかかわらず、これだけ正気を以て会話できていること自体、賞賛に値する。アルトリアも、この呪いのおぞましさは知っている。

 

 アルトリアは、アヴェンジャーが世界の管理を引き受けた理由も、世界の延命を望む理由も彼から聞いてはいない。今更聞く必要もないと思う。

 アヴェンジャーと、アヴェンジャーを呼んだキャスターが承知しているのであれば、それでよい。

 

 合図はなく、ただ視線が交わされたのみ。

 

 アヴェンジャーはほぼ盲目だが、かつて視界が会ったときの名残か。

 

 アルトリアが地を蹴り、アヴェンジャーが三振りの宝剣と共に躍りかかるのは同時。川面にて激突し、水しぶきが上がる。

 三振りの剣が交差し、不可視の剣を支えるように受け止めていた。前の戦いもあり、不可視の剣の長さと間合いは理解されていると思っていい。

 

「……ハッ!」

 

 水上にて深く踏み込み、一気に距離を詰める。だが、速度も把握するところであり、攻防一体の三振りが交差して力を殺される。

 既にアヴェンジャーの瞳は焦点が合っておらず、視覚による情報はなんら得ていないと見える。水上を滑り、背後を取っても、まるで背中に眼があるかのように防がれる。

 

 ――前回の戦いで、音で世界を捉えているのであれば、音を超える速さで動けば刺せると考え、風王鉄槌で音速を超えて突撃した。

 だが、アヴェンジャーはそれを見切っていた。

 

 ならば、彼は音で、いや、音以外にも何かの手段で世界を把握していると考えるべきだ。

 

 明は、アヴェンジャーから音のならない鈴を渡されていた。

 明曰く、それには魔術的加工は感じられなかったと。

 

 とすれば、音よりも早い、魔術とは関係のない何か。

 

 ――電磁波。彼は極小の電位差を感じ取り、外界の変化を描きだしている。

 

 電磁波は真空中は光速と同じ速度で進み、物質中では物質の屈折率で速度は変化する。空気中では真空と屈折率がほぼ変わらない為、およそ光速で伝わる。

 明に渡したと言う鈴は、ヒヒイロカネを加工した特殊なもので、それ自身が磁場を形成し一定周波の電磁波を発しているのだろう。

 

 音と電磁波で、世界を把握する。アヴェンジャーの世界はそれで構成されている。

 

「俺とお前の戦いでは、結局は宝具の撃ちあいに帰結する。それは前の戦いで承知しているであろう、騎士王!」

 

 大きく一歩、距離を取ったアヴェンジャーが中空から取り出したのは、黄金色で、反りのない直刀だった。彼は三振りの宝刀を泳がせたまま、金色の剣を天に掲げた。

 

 アヴェンジャーが掲げる剣は一筋の光を放ち、天高く上っていく。

 それは剣のカタチをとりながらも、守護するべきモノがここにあるという道標に過ぎず、人を斬るための道具ではない。ゆえに剣ではなく、星の指揮棒(タクト)

 

 アルトリアは知らぬが、一度はハルカに対して打ち放とうとしたもの。

 

「天帝の座より座標固定――北極天(たいきょく)・」

 

 北斗七星を意匠として鍛え上げられたこの剣は、国家鎮護・破邪滅敵を願いとして、宇宙の中心たる北極(天帝)を守護することを示す、儀式のための剣。

 

 人を斬るための剣にあらず。しかし、敵を滅する道程たるその剣は。

 

「七星剣!」

 

 遥けき北極天より打ち下ろす、星を束ねた光の束。

 アヴェンジャーが剣を振り下ろすとほぼ同時に一斉に、この地へ、この川へ、アルトリア目がけて流星のように降り注ぐ!

 

 影景から渡された、改造・弟橘媛の櫛は確か、二度までなら使えるはず。だがただ護るだけに使ってはジリ貧が眼に見えている。相手はこの世界(結界)と接続している以上、魔力の量がアルトリアより上なのだから。

 それに、あの黒葛に覆われた剣がある以上、エクスカリバーを放つことも許されない。

 

 ならば、一か八か。アルトリアは一度、櫛を確認した。

 

 風王結界をほどいたことによる、爆発的な自身の加速

 。音速をも超える突撃が、水上を滑っていく。ビームの乱れ撃ちでも、流石に自身に当たるようなことはすまい。

 つまり、今に限ってはアヴェンジャーの至近距離こそが安全地帯のはずだ。

 

 アルトリアの音速を超えた加速で、衝撃波が発生して水がまき上がった。光線の着弾まであと一秒もない。

 背後の真空空間も味方に突っ込むが、ここまでは前回の焼き直しだ。見切ったアヴェンジャーに切り返された――「この道繋げし我が妻よ(わがつまはや)!」

 

 風王結界をほどくと、再度風を収束させ使えるようにするには多少の時間がかかる。

 だが、アルトリアは弟橘媛の櫛の魔力を解放し、魔力で無理やり風を収束させ、再び解き放った。

 つまり、風王結界による連続加速!

 

 音速の音速、空気の壁を突き破り、アルトリアの黄金の剣はアヴェンジャーに届く――と同時に星間ビームが嵐のように河原を穿ち轟音が夜を聾した。

 

 高く上がる水柱が再び地に落ち、土煙と水で煙った視界が晴れた頃――水上にアルトリアは、しっかと立っていた。

 周囲は小隕石群が落下したらかくやという惨状であったが。そしてアヴェンジャーは――目にも映らぬ光速の斬撃を受け手、腹から真っ黒い血を垂れ流していた。顔こそ笑っているが、深手であるのは明らかだ。

 

 聖杯戦争で破壊された日本武尊の宝具『この道繋げし我が妻よ(わがつまはや)』は、この結界内でも壊れたままだった。

 それを別世界の張本人たる弟橘媛が修復し、影景が彼女の助けを得て改造したもの。当然この宝具の担い手は日本武尊だが、アサシンの宝具『全ては天下の廻りもの(よにぬすっとのたねはつきまじ)』を経由することで、今はアルトリアの所持するものとなっている。

 

 深手を負ったが死んでいない今のうちにアヴェンジャーを隔離するため、アルトリアは再び櫛を掲げたが――彼女は、その手を止めた。

 

 アヴェンジャーは三振りの宝刀も七星剣も消していた。それはいい。

 だが彼が持っている、あの黒い剣はなんだ。

 抜身で刀身があるから、黒葛の剣とは違う。すべてが漆黒で金属特有の輝きもない、柄も柄も、全部が黒一色。

 だがその形状は、日本武尊が持つ蛇行剣の天叢雲剣によく似ていた。

 

 ぐらり、とアヴェンジャーの身体が傾いだ。彼は倒れることなく踏みとどまったが、その顔には凄絶な笑みが浮かんでいた。

 

「剣を棄てても、結局剣を造ってるんだから、ほんとアホみてえだ」

「――」

 

 剣を棄てた倭建天皇。ヒヒイロカネと鍛冶を得たものの、彼は剣を必要とした。

 未来過去の英雄が使ったそれではなく、ただこの倭建天皇に必要な剣を求めて。それを打ち出すために彼が思い描いたものは、かつて捨てたはずの剣、その似姿。

 

 ヒヒイロカネから再度鋳造された天叢雲剣――『八雲滅亡・暴風神剣《アマノムラクモ》』。

 

 日本武尊が言っていた、アヴェンジャーの究極の一。

 しかし、何故それを今出すのかアルトリアにはわからなかった。エクスカリバー封じであれば、「黒葛纏剣・無刃真打(くろつづらのつるぎ)」だけで十分のはずだ。

 

「解せない、って顔してるな。大したことじゃねえよ。ライダーが何を考えてんのかなんざ知らんが、どうあがいても俺もお前も消えることに変わりはない。そうだろう」

「……ええ」

「折角だから、一回は自分の宝具ってのをおもいっきりぶっ放しておこうって思っただけさ。編纂事象の俺のモノマネだよ」

 

 苦しげながらも、何故かその顔は楽しそうだった。アルトリアは、今すぐ櫛の宝具を解放することもできたが、その言葉には頷いた。

 

 

 美玖川水上。セイバーとアヴェンジャーのサーヴァン

 トは、三十メートルほどの距離を置いて対峙している。方や星の聖剣、方や嵐の神剣。金切声、獣の唸り声が聞こえる――アヴェンジャーからあふれ出した、黒狼の渦が近い。

 

「最後に、どうでもいい質問なんだが……キャスターは、元気そうだったか」

「……わかりません。私が彼女に会ったのは、三日前が最後です」

 

 それ以前も、キャスターと深いかかわりのないアルトリアである。

 彼女が元気かどうかなら、本人に聞いて欲しいところだ。

 

 その返答を聞き、アヴェンジャーは少し笑った。

 

 

 

 ――お前が兄の方を好いていたらしいことは、最初こそわからなかったものの、そのうちわかるようになった。

 なにしろ、寝所で寝ている時にしょっちゅう大碓、大碓と言っているのだから。

 

 起きている時は、俺のことを好きと言っていたが、どこまで本当なのかはわからなかった。けれどお前が兄を好きであっても、俺にはどうでもよかった。

 ただ今は、お前は俺の隣で、俺の妻である。それが事実だったから、それだけでよかったのだ。

 

 神の剣。俺はその宿命に抗った。

 大和が、神がお前を殺そうとするなら、そんなものはいらない。

 

 神の剣たる俺が抗うことで、お前も、俺の使命のために死ぬなんて馬鹿げたことをしなくていいと、わかるはずだと思った。

 

 しかしお前は、大和を護りたかった。本当に。

 俺はお前を害する大和など要らなかったから、焼いて滅ぼした。大和がなくなれば、お前は俺に縛られることなく、好きなところに、好きな人と行けるはずだと思った。

 

 だけど俺は全部焼き尽くしてしまったから、何も残らなかった。

 

 すべてが滅びた後で、お前は「殺せ」と言った。

 

 結局、俺は俺がむかついたからという理由で何もかもを粉々にした。お前がやりたかったことも、護りたかったもの諸共に。

 俺は好き勝手暴れただけだから、清々して死んだ。

 

 最終的に全てを粉砕した俺を、お前はもう見たくもないだろう。

 

 

 だが、それでもまた、呼ばれることがあるのなら。

 

 俺との夫婦ごっこは、死んだことで終わったのだ。

 

 今度こそは、お前が好きな人と、好きなことができるように。たとえどんな泡沫の世界でも、それを護るために尽力する。

 

 お前に頼まれたからでもない、ただ、俺がやりたいからする。その点について、俺は生前から全く変わっていない。どこまで行っても自慰だ。

 

 ――俺は好き勝手暴れて、お前の大和を叩き潰したのだ。

 

 

 せめて今度は、お前が俺を壊すくらいに好き勝手暴れないと、つり合いがとれないだろう?

 

 

 

 

 ひらり、と桜の花びらが水面に落ちた。夏の季節にはそぐわない、春の色。

 空に浮かぶ派、いと美しき丸い月。アルトリアは、現在の状況を察した。

 

 

「――急いで決着をつけるぞ。アヴェンジャー」

「お付き合い痛み入る、騎士王」



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夜④ LAST DANCE No.2

 空から見下ろす春日の街は、徐々に黒く蠢くモノに侵食されつつあった。しかし飛行スキルの恩恵により、ヤマトタケルと明は黒狼に襲われることはなかった。

 

 ただ、そこかしこでビルの壁を群れなして登る獣たちがおり、時がたてば仲間を踏み台にし、それらは天上の月へと手を伸ばすだろう。

 

「アルトリアはうまくやってるかな」

 

 アヴェンジャーを消滅させてはいけない。力を削った状態で櫛の宝具を発動させ、結界の中に閉じ込める。

 そうすればアヴェンジャーから湧き出している黒狼は、一時的に著しく数を減らす。

 

 その「一時」の時を有効活用するのは、ライダーや理子たちの仕事だ。結界で隔離すると言っても、あくまでこの「結界」イン「結界」の中に限る話で、櫛の魔力が尽きれば黒狼は再びボウフラのように湧いて出るだろう。

 

「まあ、どうにかするだろう」

 

 ヤマトタケルは眼下を見渡しつつ、そっけなく言った。それは信頼の表れなのか、それともあまり興味がないのか、明には計りかねた。

 

「……セイバーって、アルトリアと似てるし気も合うけど仲は良くないよね」

「む。仲良くないといけないのか」

「そんなことはない。ちょっともったいないなとは思ってるけどね」

 

 二人が目指していたのは、春日市で最も高いホテルの屋上。

 ライダーたちが陣取っているホテル春日イノセントの屋上をも見下ろせる。ヤマトタケルはそっと明を屋上の床に降ろすと、自分も足をつき天叢雲剣を取り出した。

 

 覆う蒸気はすでになく、蛇行する刀身に、水のように透明な、ガラスにも似た縁取りをなされた神剣である。

 

「さて、春日に向かって振り下ろすならここが一番か。しかし、お前が街に向かって宝具を使うことを許す時が来るとは」

 

 今は懐かしい、春日聖杯戦争。市が一つ消し飛んでもかまわない、と言ったヤマトタケルに対し令呪がつかわれたこともあった。明は文句ありげに口を尖らせた。

 

「そういうのは、ケースバイケースってやつだから」

「ふうむ。そういうものか? ではとりあえず、押し流すとするか」

 

 ヤマトタケルが両手で天叢雲剣を握りしめ、その切っ先を天に向けた。彼が視線を向けるのは、まさに春日の街。

 剣を中心に風が渦巻き、剣自体も淡く白く光を放つ――対城宝具。城塞をも薙ぎ払う、一撃必殺、雌雄を決するための最終武装。

 

「――八雲立つ出雲八重垣、其は暴風の神よ――」

 

 ヤマトタケルはこの宝具を聖杯戦争で使用したが、明はその輝きを一度も目にしたことがない。大西山ではほとんど気絶しており、最終決戦では戦場が違い、大聖杯破壊の際には地下の崩壊を危ぶんだヤマトタケルにより、先に地上へ戻らされていた。

 

 そもそも、対城宝具は魔力消費も激しく破壊の規模も大きい。サーヴァントを使役する魔術師として、滅多に使うものでも、使いたいものでもない。

 だから特段、天叢雲剣を見ていなかったことは、明にとってはそこまで気にかかることではなかった。

 

 しかし、それでも――。魔術師として、高貴な幻想を見ておきたかったのか。

 明は初めてみる神剣の真の姿に、好奇心を抑えられなかった。

 

「荒れ狂えよ天空。吹きすさべよ神風。迸れよ激流――以て此処に朝敵討ち果たさん」

 

 立ち上る光の渦に、噴き上がる魔力風。その中心にしっかと立つ日本武尊。そして彼は全く、いつもと変わらない様子で――逆にそれは空恐ろしくもあり――最期に宝具の名を告げる。

 

全て呑み込みし氾濫の神剣(あまのむらくも)――――!!」

 

 春日市街に向かって、上から放たれた猛烈な稲妻の斬撃と高熱の爆流。

 月をもかき消す圧倒的な神の光に焼かれ、青白い光が春日を呑み込んだ。重力もあいまって激流と光りの斬撃は瞬きの間に地面にまで到達して跳ね返り、一瞬にして市を地獄へと変えた。

 黒浪はまるでゴミのように斬撃に打ち砕かれ、そして多くは激流に呑み込まれ、音もなく蒸発していく。当然宝具は打ち放たれた方角の建物は紙くずのように蒸発して消え去り、文明の終わりをも思わせた。

 その凄まじい破壊にも拘わらず、明は感嘆の息を漏らしていた。

 

「……うん。いいものを見た。初めてだし」

「何だ? 見たかったのなら何度でも撃ったのだか」

「ばか、こんな大規模宝具ほいほい撃ってもらっちゃ困るよ」

 

 しかし、この対城宝具にも拘わらず、めちゃくちゃに破壊された春日市外からは凝りもせずに飽きもせず、黒狼が溢れ出していた。

 それも仕方がない、あの黒狼はこの世界の一部であり世界の呪いである。ここが終わるまで、破滅の為に湧き出てくるもの。

 

「よし、場所を変えよう……黒狼が多そうなとこ、土御門神社へ。あと一発くらい撃ってもらうかもしれないけど」

「わかった」

 

 

 明はセイバーの小脇に抱えられて春日の空を飛ぶ。その月はまだ満ちていなかったが――満ちるまで、あとわずかであろう。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

(ううっ、なんでハルカ様はこんなに戦うのが好きなんでしょう……)

 

 ハルカとキャスターはホテル春日イノセントの屋上から場所を移し、駅前のオフィスビルの屋上にて黒狼との戦いを続けていた。

 ハルカはキャスターを護るように前に立ち、宝具の補助を受けて目にも止まらぬ速さで黒狼を刈り取っていく。惜しげなく振るわれる宝石の魔弾によって吹き飛ばされる。ガンカタのように機敏に動く彼の身体は、まるで機械のように正確に、だが躍動感に満ちていた。

 それは戦いに疎いキャスターでさえ、彼が生き生きとしていると感じられるほどだった。

 

 キャスター自身も鏡を振り回し、時には遠当てを打ち、黒狼から身を守っていた。だが何よりもわからないのは、自分の主のこと。

 他のサーヴァントたちに、世界の崩壊を遅らせるための黒狼掃討は任せている。今更彼がここで戦う必要はなく、ライダーの行いをただ見ていればいいはずだった。

 

 理解できなくてもいいはずだった。ハルカが元気になってくれれば、それで。しかし、やはり自分はいらなかったのだと、何一つ果たせなかった後悔がくすぶっていた。

 

「――! 魔術のノリが悪いようですね、キャスター。どうかしましたか!」

 

 鋭いかかと落しを叩き込みながら、ハルカは一瞬視線をキャスターに向けた。

 

「いっ、いえっ! ……ハ、ハルカ様!聞きたいことがあるのですが!」

「何ですか!」

「……ハルカ様は、何故そんなに、戦うのが好き……いや、……一人でも、そんなにお強いのですか!」

「? 私のどこが強いと言うのですか!」

「……強いです! 自分の身体がもうダメだと知っても、落ち込んでも、どうにかなるだろって、今こうして戦ってるから、強いと思います! ……私がいなくても、きっと同じように元気になってたと思います」

 

 腕っ節の話ではない。ショックなことがあり落ち込んでも、彼は立ち上がった。

 それは今だけでなく、昔、生まれた家から魔眼のかたに追われた時も同じだった。勿論彼を認めたエーデルフェルト当主の存在もあっただろうが、彼は自分の力で立ち上がった。

 

「そうかもしれませんね!」

 

 ハルカはノータイムで、勢いよく返答した。見えぬスピードの拳で獣を殴りつけ、踊るように回し蹴りを叩き込みながら彼は問い返した。

 

「もしかしてあなたは、私が弱い方がいいと思っていますか?」

「それは、……違います! 誰かに助けてもらわないと生きられないより、一人でも生きられる方が、いいはずです!」

 

 キャスターはハルカに負けじと遠当てを連射し、獣らを吹き飛ばす。

 人は、いつでも誰かを助けられる余裕があるものでもない。自分で自分を助けなければならない。助けられっぱなしではいけない。生前のキャスターも、戦場では日本武尊に助けられていたが、走水の海で助け返すはずだったのだ。

 

 助けられなかった。たくさん、助けてもらったのに、自分は何もできなかった。キャスターの答えに対し、ハルカは力強く頷いた。

 

「一人で生きられない者もいるでしょう。自分すら助けられない者もいるでしょう。にもかかわらず、自分のみならず、他人まで助けられるなんて、そんな人は、どれだけ強い人なのでしょうね! ――Fixierung,EileSalve(狙え、一斉射撃)!」

 

 スナップを効かせ、エメラルドの宝石が放たれた。ひとつの獣に当たるなり、強烈な爆風と閃光を放ち阿鼻叫喚の断末魔を上げさせた。

 ハルカの身体は完全に勢いにのり、正確に、怪我を負うことも危なげもなく黒い闇の中で翻る。

 

 

「自分を助ける事さえ難しい。それでも人を助けるなら、自分の身を砕くか、だれよりも強くあらねば叶わない。だから、」

 

 きっとハルカは、当たり前のことを言っているだけ。

 

「自分の力で他人を助けたい、なんて――大層な願いですよ」

 

 それは、ハルカとキャスターが初めて顔を合わせて願いを確認したときと、同じ言葉。

 

 彼はキャスターと違って、人を助けることに尽力しようとしてきたタイプではない。

 彼は彼自身を練磨することに夢中で精一杯だったから――それゆえに、懸命に人を助けようとする人間を物好きだとも思いながら、認めているのだ。

 

「助けようと思って助けられなかった。それは普通のことでは? 大騒ぎするほどでもないと思いますが!」

「――っ」

 

 殴られたような衝撃があった。

 

 自分は、ずっと助けなければいけないと思っていた。

 

 それを、今ひと時のマスターは、救うべき対象とした相手は、否定も肯定もしなかった。

 ただ人を救うことは大変なことで、叶わなくても、誰も責めや咎を負うものではないと。

 

 突然黙ってしまったキャスターに対し、彼女の内心に気づかないハルカは少々慌てた。

 

「……すみません、気分を害しましたか。大騒ぎするほどのことではないというのは、気に病むことはないということで「……大丈夫、わかっています」

 

 きっと、キャスターはハルカの運命ではない。

 ハルカも、キャスターの運命ではない。

 

 それでもここに二人、主従として引合されることになったのはきっと故ある事だと、キャスターは信じた。

 彼女は勢いよく顔を上げた――周囲は黒々とうねる渦に塗れているというのに、その顔に絶望の色はない。

 

「……ハルカ様ッ、人助けですよ! きちんとここに、私と言うバカ女、LOVERがいたことを覚えておいてくださいね!」

「LOVER? 知りませんねそんなサーヴァント」

「ファー!!」

 

 二人は視線を交わし、戦いを続ける。キャスターが遠当てを撃ち、遠くの獣を撃ち殺す。

 そして彼女を護るように、ハルカは目にも止まらぬ速さで立ち回り足で、拳で、頭で獣を追い立てる。

 

「ハルカ様、ちょっとわからないことがあるので、聞いてもいいですか?」

「どうぞ!」

「あのっ、アヴェンジャーが、この世界を……私にはここですべき目的があるから、維持してるって言ってましたけど、私、全然意味わかんなかったんですけど、どういう意味ですか?」

「は? そのままですよ、あれは。わからないのなら、私なりに言い換えてみますけど」

 

 飛び掛かってくる黒狼を、宝石炸裂・機動装甲(モビールバースト)の瞬発力で殴り飛ばしつつ、小気味よく答える。

 

 

「愛しているってことでは?」

「はい?」

 

 

 

 キャスターが呆気にとられ、動きを止めたその時――遥か彼方から飛来する一本の槍があった。

 避ける間はないが、キャスターの結界なら間に合う――ハルカはその槍を目で追いながら――が、途中でそれは彼等を狙っていたのではないと気づいた。

 

 槍は真っ直ぐに飛翔し、ハルカたちの背後の一際巨大な黒狼の頭蓋の中心を貫いた。そして槍に次いで現れたのは、筋骨隆々たる益荒男――天を衝くような角の兜、数珠を肩がけにした戦国武者。

 数日前美玖川にて戦った、ランサーのサーヴァント。

 

「お前たち、ここは危ないぞ!」

「? 何故――狼なら倒せていて苦戦していませんが」

「そうではなく、向かいのビルからヤマトタケルが宝具を放つ。ここにいては巻き込まれるぞ!」

「――!」

 

 ランサーが指さした、百メートル以上は離れた場所に立つビルの屋上。青白い幽鬼のような光は、みるみる間に強まり輝きを増していく。

 

 それは間違いなく、宝具(奇跡)の光。生前のキャスターが、走水に至る前に見ていた、堕ちる前の輝き。

 

「……ハルカ様、一端退避です!巻き込まれると厄介ですので!」

「了解です」

 

 二人は先導するランサーに続き、黒狼を切り払いつつ最大速でその場を離れた。



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夜⑤ LAST

 最初、それは実にうさんくさい話ではあった。

 春日園一泊の前日、アーチャーのホテルに泊まった時、ライダーは我が物顔でホテルに居座っていた。理子は一成とアーチャーとともに、話を聞くことになった。

 

「結論だけ言うと、公たちはこの世界の消滅と同時に消える。防ぐ手立てはない。そして仮に防ぐ手立てがあったとしても、公はやる気がない」

「……いやそれ、前にも言ってたよな?」

「だがお前たちは、そのまま消えてしまうことを善しとするか? ここにいるのは腐っても魔術師ばかり、その事実を受け入れてはいるが気持ちは……といったところだろう」

 

 一成を筆頭に、皆黙り込んだ。一度人生を終えているサーヴァントはまだしも、一成や理子はここに生きる一個の人間だ。

 

「繰り返すが消滅を防ぐ手立てはない。だが、草どもの心を僅かばかり慰めることはできるやもしれん」

「……は?」

 

 間の抜けた声は、ライダー以外の本心を現していた。前半はともかく、後半はライダーから出たにしては似つかわしくない言葉だったからだ。

 だが当の本人は意に介さず、顎に手を当て思い出すように口を開いた。

 

「聞いたところによると、人間は二度死ぬらしい。一度は肉体が滅びた時、二度目は――」

 

 ――この世界にいる者で、現実の世界から来た者は三人。

 それ以外は消滅するが、その三人はこの世界の記憶を持って現実世界に帰還することができる。

 その三名とはキャスターとシグマと碓氷明だが、キャスターは消滅し、残りの二人も現実世界に戻っても長くはない。ん? 何故か、と? 

 それは気になるなら当人に聞くがいい。

 

 つまりこの世界の事象は本当に誰にも記憶されることなく、虚数に葬られるというわけだ。

 だがもし、他に現実世界から来た者がいたとすれば? その者は現実世界に戻ってもここの記録を保持しつづけることになる。こちらの世界にいたお前たちのことを、覚えている者がいる――二度目の死は、まだ先の話となるだろう。

 

 ――他にも現実世界から来た者がいたのかと? 阿呆、先程三人、といったろう。

 

 ここにいる誰か一人を、現実世界からきたことにするのだ(・・・・・・・・・)。つまり、固有結界に造られたのではなく、現実世界にいる人間がそのまま固有結界内に招かれたということに因果律を書き換える。

 さすればこの世界の崩壊後、その一人はここの記憶を持ったまま現実世界に帰還できる。

 

 ――そんなことができるなら全員そうすればいい? ハッハッハ、阿呆。あまりに因果律に干渉しすぎるとあとの修復が厄介なのだ。精々一人が限度だ。

 

 ――そして一人は決まっている。最も因果律干渉による歪みが少なくなる人物だ。

 そしてこれは公一人では不可能でな。最低――貴族、陰陽師、巫女の手は必要だ。

 

 だからもし今の話に興味がなければ忘れろ。

 もしやろうと言う気になったのなら、明後日夜十時、ホテル春日イノセントの屋上に。

 

 

 一成たちは半信半疑だったが、ライダーは具体的に何をするかの説明を厭わなかったため、その内容を聞くことができた。

 

 簡潔に言うと――神代具現化による因果律の書き換え。神代具現化自体は真の目的ではなく、神代の世界を蘇らせることでライダーの持つ権能を十全に使えるようにすること。

 

 そもそも布津御霊剣や天叢雲剣は真エーテルに満ちた神代を想定して製造され使われるものであるため、エーテルの薄れた現代では性能が劣化してくる。

 

 建御雷のアルターエゴ。断絶剣・布津御霊剣の完全開放を持って因果律を切断操作するための一時的神代回帰である。

 煩悶もあったが、どうせ滅びてしまうのであれば、その一人に「消えた世界があったこと」を憶えていてほしいと――一成たちはライダーの案に乗ることにした。

 

 

 そうして開かれる望月の固有結界。アーチャーの心象風景――月下に桜散り、優雅な寝殿造の屋敷で奏でられる雅楽の調べ。

 その世界にそぐわない、巻き込まれた黒狼を、アーチャーは言葉一つで悉く屠り去る。この固有結界は、春日全体を包み込む規模で展開されており、ほぼほぼキャスターの結界の大きさと重なる。その分、魔力消費も著しいため長持ちはしない。

 

「矢よ降り注げ、犬を殺せ!」

 

 何処からともなく空からわき出で、空を埋め尽くさんばかりの数の矢が一斉に降り注ぎ、悉く黒狼たちを突き刺し、蹂躙し、押し潰す。

 だがそれも、これから行うことの前哨戦でしかない。言葉一つで敵を葬り去るこの世界において、平安の貴族の役目はひとつ。

 

「一成や――そなたは今一度、安倍晴明の力を行使せよ」

「……おう!」

 

『固有結界内でのアーチャーの発言は、すべて現実化し、過程は省略される』――一見何でも現実化できそうに思えるアーチャーの固有結界だが、もちろん万能ではない。

 アーチャーの発言を固有結界内において現実たらしめる――だが、その実アーチャー自身にはっきりと思い描ける現実でなければ成就はしない。

 

 たとえば「矢に射られて死ね」であればその通りに具現化するが、「死ね」だけだとどのように死ぬかはわからない。

 ゆえに「この結界内を神代にする」と告げても、アーチャー自身が神代をよくわかっていないためにまともに成就しない。

 

 だが安倍晴明はアーチャーと同時代を生きた伝説の陰陽師にして、部下でもある。

 その力、その姿は今でも脳裏に焼き付いている――!

 

 一成の魔術回路がアーチャーの言霊により激しく変化をはじめ、彼は一瞬目を閉じた。だが次に目を開いた時には、はっきりと意識を持っていた。

 

「――榊原、俺の手を掴め!」

「ええ!」

 

 巫女衣装の理子が一成の手を握り、彼女も目をつむった。それと同時に怒涛に脳になだれ込んでくるのは――言語化も難しい遠き世界。

 世界が真エーテルにつつまれ、現在の魔術の多くが魔法であった時代の光景。

 

 理子はその映像に飲まれないように、理解しようとしてはいけない世界をただ光景として記憶する。それと同時に、流れ込んでくる魔力を受け入れる――手をつないでいるだけで高い共感状態には遠いにもかかわらず、いかなる手段で送っているのだろうか。

 

 今まで、念写をこんなことに使ったことはなかったけれど。

 

 理子は目の前、フェンスの上に仁王立ちしている初代天皇――神霊(建御雷)の姿。

 

 アーチャーの固有結界により、一成に安倍晴明レベルの魔術を付与し、一成が千里天眼通を用いて神代を垣間見、さらにその情報と自分の魔力を理子に与え――理子は超能力の「念写」を以て神代の光景を、かつてあったライダーの大本の姿を今のライダーに「念写」し、この春日結界内に神代の光景を「念写」する。

 

 それによりライダーは一時的に神代相当の権能を取戻し、因果律の書き換えを行う。

 だが問題は、神代相当の権能を得てしまうとライダーは現在の人格が吹き飛んでしまうことである。

 

 人格が消し飛ぶまでの刹那に書き換えを行うが、その後はおそらく、ここを滅ぼすだろうとライダーは語る。

 自分の大本は、この世界を醜悪だとみなすだろうと。

 しかしそれから先の話は、やってみなければわからない。

 

 遠く、美玖川の彷徨で黄金色と濃紺の光柱が立ち上った。片方は、アルトリアの宝具の輝きであるが、もう片方は……。

 

 そして、世界が一度静まり返った。黒狼の唸りや呻き、怨嗟と呪いで満ちていたはずの春日が、いつもの夜のような静寂を取り戻した。

 それすなわち、アヴェンジャーが櫛の結界に閉じ込められたということ。

 

 温い風が、理子の肌を撫でる。汚濁に満ち満ちていたキャンバスが、真っ白に染まり、ン何でも映し出せるような気がしてくる。

 

 今これから自分が見るものは、これまで神社にて祀ってきたものの本体、大いなる昔の姿。理子は脳裏に押し寄せる光景をそのまま、写し出す――!

 

「――いきます!」

 

 思い描く工程は常と変らない。脳裏に浮かんだ映像をそのまま、対象の上へと覆いかぶせるだけ。

 

 最後に見たライダーの姿は、笑っていたような気がした。

 

 

 

 

 *

 

 

 季節外れの桜が舞い散っている。どこからか優雅な笛の音が聞こえてくる。

 

 一時撤退したハルカ、キャスター、ランサーは別のホテルの屋上に陣取り、ヤマトタケルの宝具の光とその破壊を眺めていた。

 そして同時に、駅の北側――ヤマトタケルよりもさらに遠く向こうに、黄金光が立ち上って、消えるのを見た。

 

「あれは騎士王の輝きか……あちらも決着がついたようだ」

 

 その証拠に、黒狼の数は一時的に増加の勢いを衰えさせた。最後のくびきであり境界の主であったアヴェンジャーが結界に隔離されたためだ。

 だが、その結界が消滅したら、すべてが終わる。そしてランサーは続いて、ホテル春日イノセントの屋上に目をやった。

 

「さて、キャスターと、ハルカか」

「あなたは美玖川で戦った……ランサー。なぜここに?」

「ん? 儂は咲や狂戦士といたが、あっちは分身した狂戦士で事足りるようだったからな。セイバーやライダーの様子を見に来たのだ」

 

 しかし、ランサーがやってきたときにはことは終わりかけていたわけだが。ランサーはやれやれと頬を掻いた。

 

「どうも儂は本来の聖杯戦争でもここでも、いまいち戦いきれなんだな……して、キャスター。お前がこの世界を創造したそうだが、本懐を達成できたか?」

「え!? いや、……いや、はい。ちょっと変な形ですけど、なんか悩んでいたことがばかばかしくなってきたので、達成できました」

 

 キャスターは戸惑いつつも微笑みながら、隣のハルカを見上げた。当のハルカはよくわからないと顔に書いていたが、キャスターの満足げな様子で不満はないようではあった。

 が、その時、ランサーに片手を差し出した。

 

「? 何だ?」

「いえ、握手を。美玖川で戦った時から思っていたのですが、あなたの戦いに対する姿勢、そして戦う姿は素晴らしいと思ったもので」

 

 ランサーはぽかんと呆けたが、すぐさま大笑した。そして彼の手を握り、力強く振った。

 

「まだこの方法の握手には慣れなくてすまない。だがマスターでもない者からそんなに褒められるとは思っていなかったぞ。お前をマスターとするのも、また楽しそうであるな……っと! さて、本当にアヴェンジャーが倒れたと見える。あとはせいぜい、こちらが倒れるまで暴れるだけだが」

 

 再び戦闘態勢に入った彼らの目の端――に、光り輝く何かが目に入った。

 それぞれ、その白い輝きが何を意味するのかを瞬時に悟る。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「……あれは、別世界の俺と、アルトリアか。」

 

 空にかけ上る、黄金の光と濃紺の闇。

 誰もが夢見た尊き光と、何もかもを焼き尽くした滅びの光。

 ヤマトタケルは両方に憧れることはないが、得難いものなのだろうとは思う。

 

 滅びが約束されていても、最後まで王たらんと戦った騎士の終わり。

 敢えて滅びを選んで、己の宿命を否定した剣士の終わり。

 

 アヴェンジャー。ありえた別の日本武尊。興味がない、といったことは本心である。

 同じ顔というならそもそも双子の兄がいた身でもあるし、それになしたことが違うというなら、それはもう自分ではない他の誰かだと思う。

 

 ゆえに選ぶなら、別の自分との対決よりも、最後の時までマスターとともに戦うことだ。

 

「さて、俺の仕事ももうここまでだが、最後の時まで戦うとするか……その前に、明」

 

 一度剣を下したセイバーは、改めて自分のマスターに向き直った。

 

「何?」

「……俺は、聖杯戦争で、一人の明を護れなかった」

「それは、」

 

 春日地下大空洞での最終決戦。明は、想像明と二人がかりで戦い、シグマに勝利した。そして明は生き残ったのだが、想像明は消滅した。

 想像明の消滅は、明と想像明の想定内であった。明はその作戦内容をセイバーに一言も語っておらず、彼女が消えたのはセイバーの責ではない。

 

 ――それでも、最後の決着がついた後に、想像明が姿を消していたことを、セイバーは知っていた。それについて問いただす時間がなかったまま、彼は消滅した。

 

「想像明がニセモノかどうかは、わからない。同じように、この世界は偽物かもしれない。でも、俺がいたのはここだ。だから、本物か偽物かは、どうでもいいと思う。お前が作ったというここは、楽しかったのだから」

 

 息が止まるかと、思った。セイバーは知っているのか、知らないのか。しかし()がそれを問うことは絶対にない。キリエには言ったのだから、それで十分だ。

 明はくっと顔を上げて、無理に笑って見せた。

 

「……それは、よかった。……うん、そうだね、想像明のこと、言わなくてごめんね。でもセイバーが止めても、私たちはやったよ」

「……俺は、マスターがどうしてもやる、というのなら……死んでも止めるという選択はしない」

 

 不満げな面持ちのセイバーを見て、明は思わず笑った。

 良くも悪くもセイバーは自分の意思よりもマスターの意思を優先する。

 あの時、最終決戦前の自分がセイバーに何も言わなかったのは、セイバーに止められるからではなくて、セイバーが嫌がることを嫌がったのかもしれない。思えば自分勝手な話だ。

 

「そうだよね。セイバーはマスターが地獄に行くなら地獄まで一緒に行っちゃう方だもんね。オルタの方は殺してでも止めそうだけど。……というか、オルタの方はあんまりコミュ障じゃなさそうだし」

「……!」

 

 大きな石で頭を殴られたように、セイバーは大きく目を見開いた。地味にショックを受けているようだ。

 明の感覚だが、ヤマトタケルオルタはヤマトタケルより間違って話を受け取ることは少なそうだが、きちんと理解した上で敢えて逆らうイメージがある。

 明は「お、俺も剣を棄てればコミュ強に……」と不穏なことを言うセイバーの背中を叩いた。

 

「ばか言ってないで、最後まで戦うよ。セイバーは私のサーヴァントなんだから」

 

 彼は自分をマスターと呼ぶ。今現実世界にいる()に、今私はセイバーと共に戦っていると、高らかに告げたい。

 最後まで戦いたい。仮にもこの身は、春日聖杯戦争の優勝者である。

 

 終焉は近く、近くホテル春日イノセントの屋上には人影もなく――あとはライダーに任せるだけだ。セイバーも天叢雲剣をかざし、地を蹴った。

 

「わかった。……行くぞ!」

 

 空には、満月。桜の花びらが、吹雪のように舞っていた。

 

 

 *

 ――久しぶりだな、槍。どうだ懐かしき神代に、顔を出してみないか。

 

 ――カムヤマトイワレヒコ。お前、一体どういう風の吹き回しか。お前が可笑しかったのは生前からだが、此度はそれに比する位には狂っている。

 

 ――ふむ、それは認めよう。今為したことで数十年ここの命を永らえても、ハルカ・エーデルフェルトが死すれば滅びる。意味はない。

 だが、公は意味のないことが好きなのだ。

 

 ――やはりうつけか。どこでこうねじ曲がってしまったのか。

 

 ――まだそれすらわからないとくるか。ま、星の内海に行ってしまった貴様らには、知っても意味のない事であろうよ。

 

 と、いうわけで――公の中から出るがよい。

 

 

 

 *

 

 

 自分は生きているのか、死んでいるのか。――碓氷影景が起き上がると、先ほどまでそばにいたはずの神父の姿は見えなかった。

 そもそも自分は立っているのか、座っているのか、寝ているのかすらおぼつかない。

 

 眩い間での光の向こうでわずかに見えたのは、(おおとり)に乗る――白く輝く雷と、陰陽師の姿。

 

 その視界を最後に、彼の全ては絶たれた。あまりに濃すぎるエーテルの中に、現代の魔術師は無事ではいられない――。




一時間後に最終話を投稿します。


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後日談
幻も見た、夢の続き


「ふぅ、準備はこんなものかぁ」

 

 キャスター付のトランク目一杯に荷物を詰め込み、やっとのことで閉じた明は、大きく息をついた。

 夏に時計塔から春日に戻ってきてから早半年、大聖杯(魔法陣)の残滓にも片を付けた。そして何より、一番の変化は――「明、準備は終わったのか?」

 

 二階からゆったりと降りてきたのは、碓氷影景。夏だろうが冬だろうが全身黒のスーツで固めている為、その姿に変化はない。

 出かける用事があろうがなかろうがスーツだ。

 

「はい。……出発は明日なのに、今日準備終わらせなくても……」

「ハハッ、明日とはいっても朝早いだろう。どうせお前はギリギリに起きるのだから今のうちにやっておくべきだ」

 

 明は半年ぶりに、時計塔に向かうことになる。聖杯戦争終了後に時計塔に向かったのは、春日聖杯戦争顛末の説明のためだったが、今回は違う。

 一魔術師として修行の為、長く時計塔にいることになる。そして、前回は父影景と共に向かったが、今回は影景は同行しない。

 

「全くしっかりし……お前にしっかりしろなんて言っても仕方がないな。七代目」

「……」

 

 からかうような声音の影景に、明はむっすりと黙り込んだ。

 

 ――そう、碓氷明は次期当主ではなく、もう現当主となっているのだ。

 そもそも、魔術刻印自体は明が高校生になるころには完了しており、その時点で影景は当主を譲っても良かったのだ。

 

 だがそれでも対外的には影景が当主でありつづけたのは、ひとえに彼が「明は当主とするには未熟」と断じていたからである。

 

 この度、影景は正式に当主の座を退き、名実ともに碓氷明が碓氷家七代目当主となった。既に近隣の管理者の家と、時計塔にはその旨を伝えている。

 

 明が時計塔に行っている間、影景が春日の面倒を見るが、この腰の落ち着かない父がどれだけ春日にいるかははなはだ怪しい。

 

「順当なところは降霊科だが、元々お前の魔術は特殊だからこだわりすぎる必要はない。いっそ一流の神秘の解体者であるびっぐべん☆ロンドンスターの元も悪くない」

 

 本気で言っているのか疑わしさが残るが、ひとまず明は心に留めておくことにした。

 特にびっぐべん☆ロンドンスター、もといロード・エルメロイⅡ世は一年前の時計塔でも……。

 

 と、その時来訪を知らせるベルが鳴り響いた。予定されていた時間であり、誰かはわかっている。

 明はトランクから手を放し、ソファにかけていたストールを羽織ってぱたぱたと玄関へと急いだ。門自体は魔術で動作するので、既に開かせている。

 

 桜が咲き誇るには少し早く、梅花の頃は過ぎている。日差しは温もっているが、吹く風はまだ肌寒い。

 玄関の扉を開いた先に見えたのは、蒼いカソックのような上下に金髪、細身の男。彼もまた大きなトランクを横に引きずっていた。

 

 そしてその隣に、豊かな金髪をなびかせた碧眼の美女が立っていた。薄グリーンのロングスカートに、白いスプリングセーターを纏っている。

 

「アキラ、エイケイ!」

「は~い、あきらちゃ~~ん」

 

 男の方はハルカ・エーデルフェルト。まだ左足を引きずっているようだが、自分の足で歩き、晴れやかな顔つきだった。

 女の方はシグマ・アスガード。かつてハルカを襲い、明と戦った神の器。

 

 

 

 聖杯戦争終了後、半死半生の体で土御門神社に打ち捨てられていたところを碓氷明に保護されたハルカは、彼女の手配により土御門神社で養生していた。

 

 その時には魔術回路は酷使によりボロボロになっていた――神経と一体化している回路がその様ということは、満足に歩けさえしなかった。それ以前に彼の意識は戻っておらず、植物人間にも近い状態だった。

 

 その彼が、およそ半年前に覚醒した。彼が呼んでいる、と土御門神社から連絡を受けて急ぎそこへ向かったが、その時の彼は至って普通だった。

 

 ただ、「大橘媛というキャスターを憶えているか」との問いかけをされた。

 

 ――明にそのキャスターの記憶はない。

 

 ただ、ハルカが目覚める一週間前に、自身で作り出した想像明が奇妙な事を言っていた。

 

「セイバーがいた。皆がいた。ハルカ・エーデルフェルトが生きようとし、夢を叶えようとした者がいた」と。

 

 半年前の当時、確かに春日聖杯戦争は再開されていた。

 だが、それは結局漏れ出て残った魔力のなしたもので、何事もなく魔力は自然消滅したはずだった。

 

 しかし想像明曰く、実はサーヴァントがいて、それが固有結界を構築したとの話だった。

 俄かには信じがたかったが、想像明の言うことは魔術的にありえないとはいいきれなかった。

 想像明は事細やかにその固有結界とその日常の話を伝え、ノートに書き記して、三日後に死んだ。

 

 元々その想像明は、オリジナル明が春日に戻ってきたとき、明の実力を見たいと言いだした影景の求めに応じて作り出したものであった。

 正直そのときはあまりうまくいかず、生まれた想像明はオリジナルの明とほぼ同じ力量――だが、その中身は聖杯戦争前の己に近かった。

 

 

 想像明は短命である。オリジナル明の魂の模造品(コピー)は、あっという間に腐ってしまう。影景の調べを受けて解放された想像明に対し、明はこれからどうしたいか訊ねた。

 

 早々に死んでしまうが、短くてもしばらくの生を楽しむか。それとも今すぐ消えるか。

 

 想像明が現実世界にて命を保っていられるのは、オリジナル明の魔力あってこそ。虚数物質で構成されたその体は、虚数使いの魔力なしには存在できない。

 

 想像明は「生きたい」と答え、しばらくは表面上平和に暮らしてきた。だが、春日聖杯戦争が再開したころから、想像明の様子はおかしくなってきた。

 おそらく、それは死期が近いことを悟っていたからだと、今ならわかる。

 

 明はこれまで数回想像明を創造してきたが、どの想像明も死を恐れはしなかった。そもそも魔術師は死を恐れるようには育てられないものであり、オリジナル明もその例に漏れない。

 

 だが、今回の想像明は、死を恐れていた。

 

 だからこそ明の元から逃げ出し、行くあてもなく土御門神社へやってきた。そこにいたサーヴァントと戦い、虚数空間内で固有結界を形成させるという事態になった。

 

 後に明は影景と共に、春日の記録を確認したところ、確かに想像明が土御門神社に向かった日付にサーヴァント反応が残っていた。

 虚数空間は現実の時間とは異なる流れにあり、虚数空間で何十日を過ごしても現実では刹那にも満たない。仮に想像明の言う固有結界(世界)が本当にあったとしても、もうそれを覚えている者はどこにもいないはずだった。

 

 ――その例外の一つが、今、目の前にいる男だ。

 

 想像明が世を去った後、意識を取り戻したハルカはリハビリに取り組み、およそ半年で自力で歩けるまでに回復した。

 魔術はまだまだ勘を取り戻している最中ではあるが。

 

 目覚ましいと言って差し支えない回復は、ハルカ一人の努力に帰せられるものではない。碓氷影景、「解析」をもっぱらとする魔術師がハルカの身体を解析して最適なリハビリを提案してサポートしたのである。

 

 勿論影景とて、相手が旧知のハルカであっても、ただでするほどお人よしではない。彼とは何らかの遣り取りをかわし――おそらくは北欧の魔術の名家であるエーデルフェルトに関する何か――復帰を手伝っていたのだ。

 

 そしてシグマ・アスガード。明や影景が虚数空間の中の世界を信じざるを得なかったのは、彼女の存在が決定打になったからだった。

 虚数送りにしたはずの彼女が、自力で帰ってこられるはずがない。そして突き出された、セルフギアススクロール。それによりアースガルド家に出入りできなくなったシグマは、ひとまず碓氷の援助を受けることになった。

 

 虚数結界内に展開された固有結界の話は、ハルカから詳細を聞くことになった。シグマはもう興味がない、というか細かい人々の動きなど忘れ去っている様子で、あてにならなかったのだ。

 

 そして、明が再び時計塔に戻るこの時、ハルカも同行することになった。出発は明日だが、前日は碓氷邸に一泊することにし、ここにいる。

 ちなみにシグマは影景となかよく留守番である。

 

 ハルカは懐かしそうに屋敷を見上げながら、トランクを引きずって玄関へと歩いてくる。シグマはまだ屋敷の中に入る気はなさそうで、庭をあちらこちらとみて回っている。

 

「エイケイの屋敷は久々です。アキラ、あなたが幼かった頃以来ですが、覚えていますか」

「全然」

 

 明も初対面相手には遠慮がちになる質であり、ハルカも初対面には慇懃無礼になる癖があるのだが、半年を経た二人によそよそしさはない。

 

「ハッハッハッ、そうでしょうね。しかし明日で春日を去るとは、私にとっても感慨深いです。色々ありましたから」

 

 それは明の知らぬ春日の話か、それとも目覚めてからの話か。それとも両方か。

 今はもう彼の記憶の中にしか残らない、幻の春日の日々。

 

 もし想像明ではなく自分が土御門神社に行っていたら、またセイバーと出会うこともあったのだろうか。一言、とりあえず自分は元気だと伝えたいが――それはきっと、己の生が終わった時にさえ、あるかないかの奇跡だろう。

 

 明の内心を知ってか知らずか、ハルカは呑気に訪ねてきた。

 

「そういえば、彼はまだこないのですか?」

「彼……ああ、うん、今日の夜遅くに来ると思うよ。だって今日は卒業式だからね」

 

 

 

 *

 

 

 

 桜散る、卒業。

 

 には少々足らず、校庭に植えられた桜の花はまだつぼみを膨らませている最中で、まだまだ春爛漫には遠い気候であった。しかし空は青く澄み渡り、千切れたくもが途切れ途切れに浮かぶ晴天だった。

 

 長い式典、クラスごとの最後のホームルームを終わっている。先程まで廊下や教室で卒業生たちは部活動で集まったり友達同士で集まったりして、別れを惜しんでいた。

 

 進学校である埋火高校の卒業生はほとんどが四年制大学へ進学するが、国立で北海道へ行くなり、関西に行くなり、これまで通りあえなくなることは確実であり名残は尽きなかったが、今は流石にほとんどの生徒が校舎を出ていた。

 

 そんな中一成は色々なクラスに顔を出した後に、遅れて階段を降りて校庭へと向かった。桜田や氷空は部活動の後輩に会いに行っており、校門前で合流しようと約束している。それにたぶん、キリエが迎えに来ている。

 

 また氷空が騒ぐだろうなと思いつつ、一成は肩に卒業証書の入った筒をかけて、三年間過ごした学び舎を眺めた。あまり真面目に学んでないだろう、と言ってはいけない。

 

 のんびり階段を降りていると、突如三階から二階にある踊り場に差し掛かった時、後ろから背を掴まれた。

 

「……っ、土御門、一成ッ!!」

「どぅあ!?」

 

 それは同級生の榊原理子――見事に校則にのっとった耳の下での二つ結び、膝上のスカート、学校指定のカバンに卒業証書の入った筒。

 何故か息を切らしており、いったい何を慌てているのだろうか。

 

「な、なんだよ」

「……ッ、三年間、お世話に、なったわ……!」

 

 謎の気迫で三年間の礼を言われて、一成は目を丸くした。しかし律儀だと感心する。完全問題児扱いされている自分にもそうするとは。

 

 一、二年のころは口うるさく注意されてばかりで喧嘩が多かったが、聖杯戦争を終えた頃からはそれも減り、同じクラスになった三年次で喧嘩は減り、普通に会話することも増えた。お節介で口うるさいのには変わらなかったが。

 

「お、おう。こちらこそ、世話になったな。お前、確か神道系の大学に行くんだっけか」

「そうよ。今は一人暮らしだけど、実家に戻って通うわ」

 

 彼女の実家は歴史ある神社であり、後を継ぐ予定らしい。歴史ある神社の跡取り、というところでもしかして魔術の家系かという疑惑も浮かんだが、一成はそれに触れたことはない。

 神社の数はコンビニよりも多く、その中で魔術世界に浸かっているのはごく一部。それにそれぞれの家の秘儀は易々と喋っていいものでもないため、仮に本当に魔術師であっても正直にはいそうですと言わないだろう。

 

「あんたは……留学だっけ」

「おう。イギリスだな」

 

 表向きは留学、その実は碓氷明の助手である。その目的は明とキリエの下で修行し、その後何らかの魔術団体に所属するか、明の元で修行して一人で魔術使いとして自立する。

 

 碓氷影景には彼の特性故、とっくに千里天眼通のことを知られており、やたらと気に入られている。

 魔術師になるつもりはないが、魔術自体は好きなのだ。色々考えたが、決定打はそれだった。

 

 明日にはイギリスに向かう予定である。一人暮らしの家はもうからっぽで、イギリス行きの道具一式と日用品しかない。今着ている制服も、家に帰ってから着替えて実家へ送りつけ、そのあと賃貸の引き渡しをするハードスケジュールなのだ。

 

「じゃあな、元気でやれ「……ッ、ちょっと、まだ用は済んでないわよ!」

 

 軽く彼女の横を通り過ぎようとしたら、恐ろしい勢いで腕を掴まれた。

 一体何事か。怪訝な顔を彼女に向けたが、理子の様子がおかしい。

 

「お、おい榊原? どうした?」

「……さいよ」

「は?」

「……第二ボタン、寄越しなさいよ! って言ってるの!」

「…………は?」

 

 全く予想できなかった発言に、一成は思わずたっぷり間を置いてから返事をしてしまった。すると理子は失言をとりなすように、大慌ててでさらにまくしたてた。

「か、勘違いしないでよね! あんたのことだから、誰からもボタンくれとか言われないと思うし、私としても、喧嘩も多かったけど、あんたがいたから学校楽しかったってのもあるし、礼と言うか、情けと言うか、そういうわけでもらってあげるって言ってるの!」

「よ、よくわかんねーけど落ち着けよ。だが一つ訂正させろ、俺にもボタンの上げ先くらいある!」

 

 

 まあ、その相手はキリエなのだが。

 

 変な日本の知識を着々と身に着けているキリエは、先んじて第二ボタンを寄越せと無邪気に言っていたのである。ただそれを言ってしまうと半笑いされそうなので、あくまで相手は隠す方針であったが「そ、それ、どうせキリエさんでしょ」一瞬でバレた。

 

「……そうだよキリエだよ。……だけどボタンは学ランのとワイシャツのと二つあるからな、欲しけりゃやるよ。どっちがいい?」

 

 半ばヤケクソな答えだったが、むしろこれには理子が動揺した。軽くほてった頬を隠すように一度そっぽを向いて、右手を突き出した。

 

「え!? ……いい……!? じゃ、じゃあワイシャツの方をもらってあげるわ」

「? わけわかんねーやつだな……ほら」

 

 一成はワイシャツの第二ボタンをちぎると、無造作に理子の手に置いた。それからやれやれ、と伸びをすると、彼女の脇を横切って階段を降りはじめた。

 その背中に向かって、理子は大きな声で呼びかけた。

 

「……ありがとう! ……病気したり、怪我したりするんじゃないわよ!」

「おう。お前も元気でやれよ」

 

 一成が下りて行った階段を見下ろして、理子は大きく息を吐きだした。心の内を伝えなかったことに後悔はない――きちんと、ありがとうと言えたから。

 

 自分はこれから魔術師として神社を継ぐ役目につく。

 後悔はない、悔しくもない――少しだけ、惜しいけれど。

 

「一年のころにあんたなんて好きじゃない、って言った時のままなわけないじゃない。人の気持ちは、変わるんだから」

 

 踊り場に取り付けられた窓からは、抜けるような青の空。

 新たな年を迎え、別れた道を歩くけれども――ここでの三年は、忘れがたき良きものだったと思うのだ。

 

 

 

 *

 

 

 

「おーい一成、おせーぞ!」

「レディを待たせるなんて、カズナリも偉くなったものね!」

 

 校門前にて、既にキリエと桜田、氷空が待っていた。帰宅部の一成が一番遅くなるとは、彼自身も想定外である。小走りで彼らに駆け寄ると、軽く謝った。

 

「ワリー……!? おい氷空!? お前どうした!? 山姥の群れにでも遭遇したのか!?」

 

 一成の驚きもさもあらん、スマホでキリエの動画を撮り続けている氷空の学ランとワイシャツのボタンはひとつ残らず消失していた。

 そのため、インナーのシャツが丸出しになっている。氷空はやっと一成の存在に気づいたようで、面倒くさそうに顔を上げた。

 

「……ああ、これは部活の後輩たちが欲しいっていうからやった」

 

 コンピューター部は八割男子だった気がする。ボタンには恋以外にもご利益があったのだろうか。その話を聞いて、キリエはボタンのことを思い出したようだ。

 

「カズナリ! 私にもボタンをちょうだい!」

「忘れてただろ。……ほら」

「キリエタン、僕のボタンも「お前はないだろ」そうだったァァ!!」

 

 勝手に氷空はこの世の終わりのように落ち込んでいる。その傍らで笑う桜田も、なんちゃって第二ボタンが消失している。こっちは氷空と違って、真面目に女子の後輩にあげてそうな空気が漂っているので、野暮なことは突っ込まない。

 

「しかし一成が留学でイギリスか。どっちかといえばお前、アジアをバックパック一つで旅してそうだけどな。イギリスって顔じゃねえだろ」

「それもう留学じゃねえ……ってイギリスっぽい顔って何だよ!?」

 

 具体的にイギリスで何をするかは説明できないため、桜田たちには語学勉強だと伝えている。当面あちらでは翻訳魔術に頼ることになるが、一応自力でも話せるようにはなりたいとは思っている。

 

「安心なさい、マサヨシ・サクラダ! 幾らカズナリがイギリスっぽくなくても、この私がついているのだからね」

「ううんキリエたんと水入らずで海外で過ごせるなんて羨ましすぎる」

「何回も言ってるけどキリエと二人きりじゃねえからな!」

 

 おっぱいの大きいお姉さんと一緒であるとは言わない。あとイケメンの金髪北欧人もついてくるのも、負けた気がするので言わない。

 桜田が卒業証書の筒を振り上げ、先だって歩き始めた。

 

「よし、全員揃ったことだし春日駅で飯でも食うかぁ!」

 

 一成はもう明日には春日にいない。桜田の大学は国立だが地方のため、彼もいそいで引越し準備を始める。

 氷空は都内の国立大学の為、今と変わらず実家から通う。これから顔を合わせる回数も少なくなる。

 

 それでも、この別れは悲しい別れではない。これから始まる、何もない世界へ歩き出すための第一歩である。

 

「行くか! 俺は肉がある店ならなんでもいいや」

 

 空は青く、未来は白く。

 記憶にしか残らぬ幻の世界。その幻が抱いた希望(明日)は、今、新たに歩きはじめる。

 

 

 



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