空の軌跡 ~エステルくんとヨシュアちゃん~  (琉命)
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第1話

 ゼムリア大陸西部に位置する、リベール王国。北のエレボニア帝国、東のカルバード王国という二つの大国と国境を接しているが、彼の国は小国でありながらもその存在感を強く示している。

 それは、豊富な七曜石資源と高い導力技術により、両大国ともに対等な関係を保っているためである。

 このリベール五大都市のひとつーー地方都市ロレント。

 農業・鉱業の第一次産業を中心に発展しており、導力産業を主とするリベールにおいては非常に重要な都市である。

 このロレント市街の外れに、ぽつんとたたずむ一軒の民家がある。

 

「父さん、遅ぇなぁ・・」

 田舎とも揶揄されるロレント地方のさらに郊外に位置するこの邸宅。表札にはブライトとある。

 一人で居るには広すぎるこの家に、うら若き少年――エステルが退屈そうな表情でふてくされていた。

 テーブルに肘をついて、彼はため息までこぼしている。

 太陽はとうに沈み、もう外は真っ暗闇なのに、父さんは一向に帰宅の気配を見せない。テーブルには腕を振るって作った料理が置いてあるけれど、このまま帰ってこないとそれも冷め切ってしまうだろう。

「シェラ姉もいないしな・・」

 彼が実の姉のように慕っている女性も、準遊撃士の修行のため王国一周旅行に出かけているので不在だ。

 そんなわけで現在、エステルは暇をもてあましているのだった。父の帰りが遅いこと自体はもう日常茶飯事なので慣れているが、彼が嫌うのはもどかしいまでの退屈である。

「あー、つまんねぇ。飯の前にもっかい棒術の練習でもするかな」

 いよいよじっとしていられなくなり、ついに彼は席を立ち、テーブルを離れる。

 

「……おーい、今帰ったぞ」

「父さん!」

 タイミングがいいのか、悪いのか。エステルが行動を起こした途端に、父さんは帰ってきた。瞬間彼の瞳はぱあっと輝きをみせ、玄関へと駆けだす。満面の笑みで父さんを出迎えた。

「ただいま、エステル。待たせちまったようだな。ちゃんと留守番してたか?」

「当たり前だろ! 父さんこそ、大丈夫だったのかよ」

「おお、ぴんぴんしてるぞ。それよりエステル、実はお前にお土産があるんだ」

 父さんの帰宅に喜び勇んでいたからか。少年は父がその腕に抱く少女の存在に気づいていない。いや、目には止まっているだろうが、完全に意識の埒外においている。 

「え、マジで!? 釣りザオ? スニーカー? それとも棒術の道具とか?」

「……違う違う。ほら」

 笑いながら、父さんは胸元に抱いている毛布にくるまれた少女を、その顔を、エステルに見せる。

「……は?」

 意識を失っているのか、死んでいるのか。少女は目を閉じたまま身じろぎひとつしない。そんな状態の少女を見せられて、エステルは一瞬思考停止した。

「可愛らしい子だろう?」

 確かに少女の容貌は整然としていて、美しい。漆黒の長髪は流麗に輝いている。将来的にはとびきりの美女になるであろうことは伺えるものの、しかしその美貌を堪能するほどの余裕など、エステルにはなかった。

 エステルの動揺をよそに父はにこりと歯を見せてほほえんでいるが、それに笑顔を返す余裕も、やはりない。

「な、な、な……なんだよ、この子はぁっ!?」

 動揺はピークに達し、エステルはついに絶叫したが、父は落ち着き払った様子でたしなめる。

「大きな声を出すなって。起きちまうじゃないか」

「起きちまうって……こいつ、生きてんの? なんかぐったりしてるけど」

 眼前の少女はあまりにも傷ついていて、満身創痍といった様子だった。だって、少女の身に纏う衣服はずたずたに引き裂かれ、所々血で汚れてしまっている。かなりの重体であることが見て取れるほどだ。だからエステルは、そんなことを聞いたのだ。

「手当はすませたから、問題ないはずだ。だが、とりあえず休ませる必要がありそうだな。ベッドに運ぶから、エステルはお湯をわかしてくれ」

「あ、ああ!」

 父さんに言われた通り、エステルはすぐさま湯をわかした。その熱湯で絞ったタオルで少女の身体を丁寧に拭き、汚れを落とす。少女が身につけていた服装は脱がし、とりあえずエステルの手持ちの衣服を着せてやった。

 この家に女性はいない。だから、彼女がなんとか着られるのがエステルの衣服だったのだ。身体の大きな父さんの服を着せるわけにもいかないから。

 少女の身体には至るところに裂傷が走っていた。とりあえず手当したという父の言葉通り、雑ではあるが包帯が巻いてあったが血が滲んでいてひどく痛々しい。ベッドに寝かせた後、改めて新しい包帯を付け替えた。

 エステルに限らずこの年頃の男の子にとって、手当てとはいえ女性の身体に触るというのは少なからず羞恥を伴う行為であろう。しかし、エステルに恥ずかしがっている様子は見られない。

 そんなことよりもこの子の怪我の手当てが大事だ。

 その一心で懸命に手当てを行っていたから。

 そして何より、女性に劣情を催すその感覚が、エステルにはまだわからないのだった。

 

「よく寝てんなぁ」

 一通り手当てを済ませると、少女は安らかな寝息を立て始めた。ずっと苦しそうに表情を歪めていたから、穏やかな顔つきになったのを見ると、安心する。

「こいつ、俺と同じくらいの歳だよな。こんな真っ黒の髪の毛、初めてみた」

 改めて少女を見ると、やはり綺麗な子である。その髪は腰のあたりまで伸び、枝毛一つなくさらさらと流れている。それとは裏腹に病的なほど白い肌は、この世のものとは思えないほどの儚さを覚えた。

 そして、少女はひどく華奢だった。

 エステルがその力を発揮すればあっさり折れてしまいそうな繊細さが、また彼女の儚さに磨きをかけている。

「確かに見事な黒髪だな」

 その美麗さは、父さんも褒めそやすほどだ。

 

「まあ、ともかくさ・・こいつ、誰なの?」

 少女の風貌に見とれるのをやめ、エステルはようやく尋ねた。

 それは手当てしている間も、エステルがずっと気にしていたことだった。

 どこからつれてきたのか。なぜ怪我をしているのか。

 知りたいことは多々ある。

 父さんがぎくりと冷や汗を流すのがわかったけれど、エステルはどんどん追及していく。

「もしかして、隠し子? 母さんをだましてたのか?」

「違う。まったく、どこでそんな言葉を覚えてくるのか……って、シェラザードしかいないか」

「うん」

「あの耳年増め……」

 父さんは頭に手をあててため息をつき、恨めしそうにつぶやいた。

 そして、ようやく語り出す。

「父さんも、仕事関係で知り合ったばかりなんだ。だから、まだ名前も知らない」

「仕事って、遊撃士の?」

 そう尋ねると、父は神妙な顔で頷いた。

 

 エステルの父――カシウス・ブライトは、民間人の安全と地域の平和を護ることを目的とする「遊撃士」の職についている。

 遊撃士は遊撃士教会という、王国軍とは一線を画する民間組織に所属する。協会は国家権力に対する不干渉を規約に掲げており、ゼムリア大陸各地に支部を置く巨大組織。あくまでも中立の立場にあるため、時には国家間の仲介を行うこともあるほどだ。

 カシウスは遊撃士としてすさまじい活躍をあげる、エステル自慢の父なのである。

 

「おっと、目を覚ますぞ」

 ふと父がそう呟き、エステルも少女の方に向き直る。

「んっ……」

 少女は小さく身じろぎし、聞こえるか聞こえないかくらいのか細い声を洩らした。

「わ、琥珀色だ。キレー……」

 ゆっくりと目をあけた少女の瞳は、思わず見とれてしいまうほど綺麗な琥珀色だった。

「……ここは……?」

 どうも少女は状況をはかりかねているらしい。身体を起こさずに、視線だけを這わしている。

「目を覚ましたか。ここは俺の家だ。とりあえず安心していいぞ」

 優しい声で声をかけるカシウスであったが、対する少女は不服そうだ。冷たい目で、じっと父を睨みつけている。

「……どういうつもりなの」

 そうしてようやく口を開いた少女だったが、その言葉はありがとう、でもごめんなさいでもなかった。

「は?」

 なぜ、目覚めて開口一番に言うのがそれなのか。疑問に思ったが、しかし少女はさらに憎まれ口を叩く。

「正気とは思えない……どうして、放っておいてくれなかったの」

「どうして、って言われてもなぁ」

 いきなり責めたてられて、カシウスは困り顔だ。

「いわゆる、成り行きってヤツ?」

「……ふ、ふざけないでっ!」

 ついに少女は激高し、声を荒げはじめた。

 自分が怪我人であるということを、この少女はわかっているのだろうか。

「カシウス・ブライト! あなたは自分がなにをしているのか……」

「おいっ! 怪我人が大声を出すなよ。怪我に響くだろっ!」

 父と少女の遣り取りを黙って見守っていたエステルだったが、ここにきて介入した。自分の身を案じない少女の行動に苛立ったのだ。

 しかし怪我人を殴るわけにもいかない。

 そこでエステルは、普段棒術の練習を行う時の半分以下の力で少女の右頬をはたいた。

「……えっ?」

 きっ、と父を睨んでいた少女の目が、ふっと緩んだ。突然のエステルの暴挙に、少女は再び混乱状態になってしまったらしい。

「だ、だれ?」

 その声も、さっきとはうって変わって不安そうだ。

「エステルだ! エステル・ブライト!」

 満を持して、エステルは自らの名を告げる。

 しかし、未だ頭に疑問符が浮かんでいる様子の彼女に、父が横から補足する。

「俺の息子だよ。お前さんと同じくらいの子供がいるって話しただろう?」

「そういえば……って、そんな話をしてるんじゃなくてっ!」

「だから、大きな声出すなって!」

 またも声を荒げる少女に、まだ懲りないのかと、エステルはその左頬をはたいた。

「きゃっ……」

 可愛らしい声を洩らす少女を前にして、さらに追い打ちをかけるのは憚られる。

 だが、しかし彼女は初犯ではないのだ。厳しくいかなければまた再犯が行われるかもしれない。だからエステルは少女の目前に手をかざし、騒いだらまた叩いてやるぞと暗に告げた。

「わかったか?」

「わ、わかったから……。ごめんなさい」

 しゅんとして、ついに謝罪する少女。それを見てエステルは満足げに笑った。

「ははは。言いくるめられちゃったな。ま、この家ではエステルに逆らわん方がいいぞ」 

「はい、そうみたいですね……」

 ようやく騒ぐのを諦めたらしい。ため息混じりにつぶやいた。だんだん彼女が落ち着いてくるのを見て、エステルは尋ねる。

「で、名前は?」

「え?」

「だから、名前だよ。お前の。俺はさっき名乗ったけど、お前は名乗ってない。不公平だろ?」

「……」

 そう言うと、少女は黙り込んでしまった。なぜそんなに言いたくないのかと、エステルは首をひねる。

「まあ、今更隠してもしょうがないだろう。不便だし、聞かせてもらおうか?」

 そうして、図らずも二人して彼女に詰め寄るような構図になる。

 元々暗かった表情はさらに陰りを見せ、少女はついに俯いてしまった。追いつめられた小動物を見ているようで、あまりいい光景ではない。

 居心地の悪い静寂が、空間を包む。

 そして数秒の後、ようやく決心したのか、少女は顔を上げた。

「……わかりました。私は、私の名前は……」

 

 ――ヨシュア、と。少女はそう名乗った。

 その日から、ブライト家は三人家族となったのだった。

 



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第2話

 可愛らしい小鳥のさえずりと、部屋の窓から射し込む眩しい陽光に迎えられ、エステルは目を覚ます。

 

「ふわぁ……よく寝た」

 

 心地よい朝に、心地よい目覚め。

 記念すべき日にふさわしい爽やかな朝を迎えられたことに、エステルは顔をほころばせる。今日のために、昨日は夜までずっと棒術の修行に明け暮れていた。そうしてそのまま床についたから、ぐっすりと眠ることができたのだった。

 

「ヨシュア、起きてるかな」

 

 自分よりも数倍はしっかりしている義妹のことだから、心配はいらないだろうけれど。エステルは何気なくそう呟いて、ベッドから這い出る。

 寝間着から今日のための活動着に着替えていると、ふと、外から幻想的な音楽が聴こえてきた。ヨシュアがハーモニカを吹いているのだ。ヨシュアらしい優しいメロディが奏でられている。

 あの日から幾度となく聴いてきたこの演奏は、今ではエステルにとって無くてはならないものになっていた。これを聴いていると心が安らいで、優しい気持ちになれる。

 心地の良い音楽を聞きながら、エステルは着替えを済ませた。そのまま、駆けだすようにして部屋を飛び出し、ベランダへ向かう。

 扉を開けると同時に眩しい陽光に視界を覆われ、思わず目を閉じる。

 そうして再び目を開けると――そこにはヨシュアがいた。

 

 あれから五年。やはりというかなんというか、ヨシュアは類希なる美少女へと成長した。

 腰まで伸びる黒髪と真っ白の肌はそのままに、非常に魅力的な身体つきになった。具体的にいえば、女性らしい曲線を描く――それも大きすぎず小さすぎずの美乳であるとか、柔らかそうなお尻とか。要するに抜群のスタイルなのである。

 身長もエステルほどではないが女性としては高い方で、長くすらっと伸びる美脚と相まってどこか妖艶な魅力を醸し出している。

 そして準遊撃士としても、そして女としても華奢すぎるその体躯もまた、相変わらずである。その簡単に折れてしまいそうな細い腕からも分かる通り、ヨシュアはあまりにも非力だ。まあ、純粋な腕力がまったくないというだけで、こと戦闘に関してはすさまじいまでの敏捷性で敵を翻弄するのだが……ともかく。

 そんなヨシュアが、控えめに微笑みながら、ベランダの隅に佇んでいたのである。その手にあるのは、ヨシュア愛用のハーモニカ。今は演奏しておらず、どうやら小休憩に入っているらしい。

 

「おはよう、ヨシュア。さすがの演奏だったよ」

 

 朝の挨拶もかねて声をかけると、ヨシュアはにこやかにこちらに目をむけた。

 

「おはよう、エステル。ごめんね、もしかして起こしちゃった?」

 

「俺もちょうど起きたところだったから」

 

 だから気にしないで、と。そう言いながら、ヨシュアの隣を陣取る。

 

「いやぁ、それにしても。お兄さん、思わず聞き惚れちまったよ」

 

「もう……なにがお兄さんなんだか。私と同い年なのに」

 

 ちょっぴり嬉しそうにはにかみながら、けれど口をつくのはそんな言葉。まあ、照れ隠しなのだろう。

 

「ふふ。甘いな、ヨシュア。たとえ同い年でも、この家では俺の方が先輩なんだ。つまり俺がお兄さんというわけだ。わかったか?」

 

「はいはい、わかったから」

 

 ヨシュアもヨシュアで時たま自分が姉であると主張することがあるのでこうして声高に言うのだが、軽くあしらわれてしまった。しかしそこでむっとするエステルではない。

 

「いや、でもさ。本当に良かったよ」

 

 先程ヨシュアが演奏していたのは、星の在り処という曲だった。ヨシュアは他にも様々な曲ができるけれど、星の在り処がエステルの一番のお気に入りである。

 

「ふふ、ありがとう」

 

「うーん、俺もヨシュアみたいに上手に吹けたらいいんだけど……これが中々難しいんだよなぁ」

 

「あはは……エステルのやってる棒術よりは簡単だと思うけど」

 

「棒術は、ほら、インスピレーションでさあ……」

 

「要は集中力の問題だよ。ちゃんと真剣に取り組めばエステルにだって……」

 

 話の流れでなんとなく口にしただけなのに、ヨシュアは真摯に考えはじめてしまった。他人をここまで思いやれるのはヨシュアの美徳であると理解してはいるが、本気で挑戦させられる前に、エステルは早々に逃げの一手を打った。

 

「ま、そういう細やかなコトは俺には向いてないんだよ」

 

「もう……エステルったら」

 

半ば口癖のようになっているヨシュアの台詞に、エステルはむっとした。

 

「ていうか、ヨシュアこそ、他に何か趣味はないのかよ。ハーモニカ以外には、せいぜい読書くらいのもんだろ。少しは運動しろよ、運動を」

 

エステルがちまちました作業を嫌がるのと同じように、ヨシュアはあまり運動をしようとしない。そう指摘してやると、ヨシュアは目に見えて怯んだ。

そんな様子を見て、エステルはここぞとばかりに責め立てる。

 

「だからいつまでもひょろっちいんだよ、ヨシュアは」

 

「わ、私は一応頑張ってはいるもの。結果が出ないだけで……」

 

「はいはい、わかったわかった。ま、今度一緒に釣りにでも行くか?」

 

「……うん」

 

 どうも話は平行線を辿る一方だったので、エステルはここらでヨシュアをからかうのを切り上げた。

 それにしても、ここまで趣味嗜好が全く違っていて、性格ひとつとっても真逆なのに。そんなヨシュアと共に過ごすのは、何故かとても居心地がいい。 

 

「おーい、エステル! ヨシュア!」

 

 そんなエステルたちに、下から声がかかる。声の主は、眼下の庭にいる父カシウスだ。その姿を見てエステルは嬉しそうに笑みを浮かべ、手を振った。

 

「あ、父さん。おはよー!」

 

「おはよう、お父さん。朝食の用意、できたの?」

 

 そんな子供らしい振る舞いに苦笑しつつヨシュアがそれに続く。

 ブライト家の家事はローテーションの交代制になっており、今日の朝食を作るのはカシウスの担当である。

 

「ああ、もう出来てるぞ。冷めないうちにとっとと下りてこい」

 

「りょーかいっ!」

 

「すぐに行くね」

 

 軽快に返事して、エステルたちは一階の食卓へ向かう。真っ先に駆け出すエステルに、ヨシュアは家では走らないように、とたしなめる。

 そうして各々席につき、ブライト家の賑やかな朝食の時間が幕を開けた。

 

「ごちそうさまー!」

 

 次から次へと口にかきこんでいき、早々に完食したのはエステルだ。

 

「さすがエステル、よく食べるね……」

 

 ゆっくりと、丁寧に。お上品に口へと運ぶヨシュアはエステルの豪快な食べっぷりに若干引き気味だ。少々食が細いヨシュアは、男らしくかなりの量を食べるエステルには何度も驚かされている。

 

「いいだろ、成長期なんだから」

 

「ははは。ま、食えるだけ食っておけばいい。お前ら、今日はギルドで研修の仕上げがあるんだろう?」

 

「あ、うん……今までのおさらいなんだけどね」

 

 以前より、遊撃士となるべく研修を受けていたエステルとヨシュア。その仕上げとして、今日、ロレントのギルドで試験が行われるのだ。

 

「それが終われば、俺たちもようやく父さんと同じ『遊撃士』だぜ」

 

「ふふふ。甘いな、エステル。最初になれるのはあくまでも『準』遊撃士。つまりは見習いだ。俺と肩を並べるのはまだまだ先だぞ」

 

「むー、上等だ。功績を上げまくって、父さんなんかすぐに追い越してやるからな!」

 

「はっはっは。やれるもんならやってみろ」

 

「なにをー!」

 

「もう……なに張り合ってるの…… 」

 

 男同士の微笑ましい言い争いに着いていけない、紅一点のヨシュア。

 もはや見慣れた光景に、ヨシュアはため息を吐くだけで止めようとはしない。止めても無駄だと分かっているからだ。

 

 そんなこんなで食事を終えれば、いよいよ試験のため街へと向かうわけだ。準備を整え、いざ出発。

 

「じゃあ、行ってくるぜ!」

 

「行ってきます、お父さん」

 

「ああ、頑張ってこい!」

 

 父の激励を背に受けて、エステルたちは家を出る。

 ロレントの街は、自然豊かなエリーズ街道を東に向かった先にある。ブライト家からは徒歩で約四十分ほどはかかる。距離にして、49セルジュ。元気いっぱいのエステルにかかればなんてことはない。陽気にスキップしながら、軽快に歩みを進めていった。体力なら人並みにあるヨシュアも、なんなくそれに着いていく。

 そうして歩いていくと、城塞のように高く設えられた石壁に囲われた、ロレント市街――その街並みが見えてきた。

 

「うーん、ちょっと早く着いちゃったみたいだね」

 

 何かトラブルが発生したりして、到着が遅れることなどあってはならないから、エステルたちは余裕をもって出発したのだ。だから試験の開始までには、まだ大分時間がある。

 

「じゃ、見て回ろうぜ。みんなに挨拶もしたいし」

 

「そうだね」

 

 先に到着して、ギルドの中で待ちぼうけというのもなんだから、と。

 話し合った結果そういう結論になり、エステルたちはまず街に入ってすぐ右手にある武器のお店、「エルガー武器商店」へ足を踏み入れた。

 此処はその名の通り主人のエルガーが営んでいるお店で、エステルたちも贔屓にさせてもらっている。

 

「おっはよー、エルガーおじさん!」

 

「おはようございます」

 

 カウンターに立つエルガーにエステルは元気よく、ヨシュアは慎ましく声をかけた。

 

「やあ、おはよう。エステルにヨシュア」

 

 口まわりにお洒落な髭を生やしたニヒルなおじさま。そんな風貌のエルガーは元気少年と美少女のロレント名物コンビを見て、にこやかに挨拶を返した。

 

「どうしたんだ? 確か、今日は研修の最終日じゃなかったか?」

 

「ええ、そうなんですけど……」

 

 人当たりの良いヨシュアが受け答えし、その研修まで時間が空いているとの旨を説明した。

 

「そうか、頑張れよ。ヨシュアはともかく、問題はエステルだよな」

 

「ええ、何でだよ!」

 

 あまりの軽口にエステルが心外だとばかりに声をあげる。

 

「何でじゃないだろ、お前は小さい頃からそそっかしいんだからな」

 

「そ、そんなことない。最近は大人しくなっただろ!?」

 

 その言葉にまた食ってかかるエステルだったが、ヨシュアは苦笑するばかりだ。エルガーの言った通り、ヨシュアが彼に出会ってから、そのそそっかしさは変わっていない。むしろ、更にそそっかしくなっているのではないか。

 

「ど、どこが……」

 

 自覚していないのは本人だけか、とヨシュアは小さく微笑んだ。

 

 「それにしても、あの小さかったエステルが遊撃士になるとは。いやあ、時が経つのは本当に早いな」

 

 しみじみと、エルガーは語った。言いながらエステルを見つめる双眸は、温もりを帯びている。幼い頃から見守ってきた子供の成長を見守る、優しい目だ。

 

「うん。俺、頑張るよ。絶対すげぇ遊撃士になってやる。エルガーおじさんも何か悩みがあったら言ってくれよ。遊撃士として解決してやるから」

 

「ああ、その時はよろしく頼むよ。そうだ、二階にステラがいるから顔を見せてやってくれ。将来素敵な遊撃士になる顔をな」

 

「……そうだな、ちょっと挨拶してくるよ」

 

  エルガー武器商店の二階は、エルガー・ステラ夫妻の生活空間となっている。エルガーに言われるままにエステルは駆け出し、階段を上がっていく。

 

「あ、ちょっと待って……エステル!」

 

「ヨシュア」

 

 先走って二階へ向かうエステルを追いかけようとして、ヨシュアはエルガーに声をかけられた。

 

「はい?」

 

「さっきはああ言ってからかったがな、俺はエステルが心配なんだ。体は鍛えているかもしれんが、どうも突っ走ってしまいがちだからな。ちゃんと支えてやってくれよ」

 

 本当に、エルガーはよく見てくれている。

 

 ロレントの人達は、エステルとヨシュアに親身に接してくれる。だから家族のような身近な存在として、ヨシュアは愛しさすら覚えるのだ。

 

「はい……そのつもりです。エステルは、本当にそそっかしいですもんね」

 

 はにかむヨシュアの頭を、エルガーの男らしい大きな手が撫でる。子供にするような優しい手つきに気恥ずかしさを覚えながらも、ヨシュアは心地よさに目を細めた。

 

「ヨシュアも気を付けるんだぞ。嫁入り前の女の子の体に傷でもついたら大変だ。なに、力仕事なんかはエステルに押し付けちまえばいい」

 

「あはは……」

 

「すまん、時間取らせちゃったな」

 

「いえ、ありがとうございます」

 

 こんな素敵な街の人達のために働く遊撃士という仕事って、なんて素晴らしいのだろう。エルガーに小さく頭を下げ、ヨシュアも二階へ向かった。

 

「おいおい、それは昔の話だろー……」

 

 後れ馳せながらヨシュアが2階へ上がると、ステラと向かい合うエステルが何故かうなだれていた。

 

「えっ……と、どういう状況?」

 

 誰に言うでもなく、ぼそりと呟く。その声でヨシュアの来訪に気づいたのか、ステラが目を輝かせる。

 

「あら、ヨシュアちゃん。おはよう」

 

「あ、はい……おはようございます、ステラさん。それで、エステルはどうしちゃったんですか?」

 

「んー、大したことじゃないのよ。ちゃんと歯磨きした? 顔洗った? って聞いただけ。ヨシュアちゃんと違って、エステルくんはそそっかしいからねー」

 

「あー……なるほど」

 

 それだけ聞いて、ヨシュアは納得した。ああ、また小言をいわれているんだ、と。

 

「どんだけ信用ないんだよ、俺……」

 

 エルガーに続いてステラにまで心配され、いよいよ自信をなくしたらしい。エステルは本気で落ち込んでいた。しかし事実なので、どうにもフォローのしようがない。だからヨシュアは、追い打ちをかける方を選んだ。

 

「しかたないよ。エステルってば、本当にそそっかしいんだもん。この間だって、エステルは修行で疲れて面倒臭いって言って、お風呂に入らずに寝ちゃったじゃない」

 

「まあ! お風呂は入らなきゃだめよ、エステルくん。湯船に浸かることで疲れがとれるんだから」

 

「ああっ! ヨシュア、ばらすなよー……」

 

「もう、エステルくんはいつまでたっても子供だねー。だらしないのはいけないよ?」

 

「う……はい……」

 

 この家とブライト家は家族ぐるみの付き合いがあり、幼少の頃、カシウスが不在の際にはこちらに預けられていた。いわばステラはエステルの母にも等しい女性といえる。そのせいか、流石のエステルもステラにはかなわない。完全に恐縮してしまっている。

 ステラは穏やかな口調で散々エステルを叱りつけた後、ヨシュアの方に向き直り口を開く。

 

「ヨシュアちゃん、君だけが頼りだわ。この子をしっかり支えてあげるんだぞっ」

 

「あはは……。が、頑張ります」

 

「くそぉ、俺が兄のはずなのに……」

 

 仕方ない。それもこれも、エステルに兄としての威厳がないのが悪いのだ。

 

「それじゃ、頑張ってね。応援してるから」

 

「ありがと、ステラおばさん。俺はだらしなくなんかないって、絶対証明してやるからなっ!」

 

「うふふ。期待してるわね。ヨシュアちゃんも、大変だろうけれど頑張るのよ」

 

 そうして、ヨシュアはステラに頭を撫で回されるのだった。

 

「ありがとう、ございます」

 

 気恥ずかしく思いつつも、ヨシュアはステラに感謝していた。 

 心は幸せな気持ちに満たされ、二人の遊撃士への想いは更に強まった。そんな暖かな心持ちで、エステルとヨシュアはエルガー武器商店を後にする。

 

 店を出て少し歩いたところで、突然横道から小さな子供が飛び出してきた。

 

「わっ!」

 

 その子も人がいるとは思っていなかったのだろう。その子供はなんとか止まろうとしていたが勢いは収まらず、そのままエステルの身体に激突した。

 

「いてて……」

 

「おいおい、大丈夫か? 気をつけろよ、ルック」

 

 激突したその子供――ルックは、エステルの肉体に跳ね返され、後ろに転倒してしまった。エステルは地面に倒れたまま頭を抑えているルックを気遣い、手をさしのべる。

 

 しかしその顔を認めると、ルックはエステルを指さして叫んだ。

 

「あーっ! エステルじゃねーか!」

 

 やんちゃなルックはいつもエステルに対して何かと反抗し、ちょっかいをかけるのだが、エステルも馬鹿正直に挑発に乗ってしまうから、実に低レベルな争いに発展することがしばしばある。

 

「いちいち叫ぶなよ、子供っぽいぞ」

 

「う、うるせぇっ! バカエステル!」

 

「おいルック、お前年上のお兄さんにぶつかっておいてその言い草かよ!」

 

「へへーんだ、謝ってほしかったら捕まえてみろーっ!」

 

「おう、捕まえてやる! 待ちやがれーっ!」

 

 言い争いの果てに、二人は走り出してしまった。

 

 「はぁ。もう、本当に子供っぽいんだから、エステルは・・・」

 

 ため息をこぼし、遠くなっていくエステルの背中を見送る。

 

 こうしてエステルが突っ走ったら、当然置いてきぼりを食らうのはヨシュアである。事態の収拾を行うのもヨシュアなのだから、ため息のひとつも出るってものだ。

 しかし楽しげに街を駆け回る二人を見ていると、何かこちらまで楽しくなってくる。逃げるルックも追いかけるエステルも楽しそうで、ついついヨシュアは笑みをこぼした。喧嘩するほど仲がいいというのはこういうことを言うのだろう。

 

「ご、ごめんね、ヨシュアお姉ちゃん」

 

 そこに、小さな声で謝りながら、子供が物陰から恐る恐る出てきた。いつも連れ回されているルックの友人のパットである。

 

 彼は少々気弱なところがあり、騒々しい鬼ごっこを繰り広げるエステルとルックをいつも怯えた様子ではらはらと見守っている。

 パットからすれば、年上で体格も良いエステルに対して強気に刃向かっていくルックが恐ろしくてたまらないらしい。いつか激怒されてしまうのではないかって。

 

「泣かないで、パットくん。あなたが謝らなくてもいいの。悪いのはあの子たちなんだから」

 

 ともすれば泣き出してしまいそうなパットの頭を、ヨシュアは優しく撫でる。敵意がないことを示し、安心させてあげるためだ。

 

「う、うん。ありがとう……」

 

 すると恐怖心は消えたみたいだけれど、代わりにパットの顔がみるみる真っ赤に火照っていく。突然の様子の変化に、ヨシュアは焦った。

 

「どうしたの? 顔が赤くなってるよ」

 

「な、なんでもない。なんでもないから!」

 

「何でもないわけないじゃない! もしかして、風邪かなぁ?」

 

 熱が出ているかもしれない。そう思いヨシュアはパットの体温を確認するため彼の前髪を手でよけて、そのまま自らの額を当てた。自然、ヨシュアの鼻先がパットの顔に触れてしまいそうなほど接近することになる。

 あくまでもパットを心配しての行動だったのだが、真っ先に動揺を見せたのはパットだった。

 

「ひゃぁっ!」

 

 甲高い声を上げ、抵抗を示している。しかし手当てのためには、時に患者の嫌がることもしなければならないのだ。ぐっと抑えて、熱を計る。

 

「うーん、熱はないみたいだけど……」

 

 しかし、非力なヨシュアでは子供の力すら長くは抑えきれない。ついにヨシュアは、ばっ! と腕を払われてしまった。

 

「だ、大丈夫だから! 問題ないよっ」

 

「……ほんとに?」

 

 子供は本当はつらいのに我慢して強がってみせることがある。

 

 もしかしてパットもそれではないのか。手遅れになっては遅いからと疑念の目を向けると、あわてて視線を逸らされた。

 

「う、うん……」

 

 その不審な所作に、疑いをさらに強めるヨシュア。しゃがみこんで、俯くパットに今度こそ目線を合わせて問いつめる。

 

「ほんとにほんと?」

 

「ほ、本当だってば!」

 

「……そこまで言うならなにも聞かない。でも、何かあったらすぐに言ってね」

 

 ヨシュアは真剣な表情でパットを見据える。

 様子がおかしいのを見落として大変な事態になってしまったら、後悔してもしきれない。だからこそ、ここまで心配するのだ。

 

「うん……。ありがとう、心配してくれて」

 

 そんなヨシュアの真摯な思いが伝わったのか、パットはにこりと笑みを浮かべた。どうやら本当に大丈夫らしい。

 ――と、ヨシュアがパットとこんな遣り取りをしている合間もずっと、ルックとエステルはそこらを駆け回っている。いつまでも、よくぞ飽きずに走りつづけられるものだと、その有り余る体力に感動すら覚える。

 しかし、いい加減に切り上げてもらわないといけない。よもやこの後試験があることを忘れているのではないかと思うくらい、後先考えぬ騒ぎっぷりだったから。

 

「さて。そろそろ、エステルたちを止めないとね」

 

 そう呟き、ヨシュアはついに行動を起こす。

 

「え……。って、ヨシュア姉ちゃん?」

 

 ヨシュアの声にパットが反応を示したが、目を向けたときにはそこに彼女の姿はなかった。

 

 大地を蹴り、ヨシュアは目にも止まらぬ速さで駆け出す。

 瞬発的な速さであれば、右に出るものはいないスピード。ヨシュアの遊撃士どころか同年代の女性よりも弱い力を補うのがそれだ。

 持ち前の敏捷さで風を切り、残像を描きながら、ヨシュアは二人のところへ即座にたどり着く。そのまま、エステルからの逃走を続けるルックの進行方向へ先周りした。

 

「こら、ルックくん!」

 

「え……わあっ!」

 

 そして向かってくるルックを叱咤すると、彼は突然のヨシュア登場に驚愕の声をあげた。

 しかし。

 

「くぅ……持ちあが……らない……」

 

 そのままルックを抱っこしてやろうと画策していたヨシュアだったけれど、何度も言うがいかんせん彼女には力がない。そのためルックを持ち上げることもできず、そのまま胸元で彼を受け止める形となってしまったのだった。

 

「よ、ヨシュア姉ちゃん……?」

 

 その背に両腕を回して、持ち上げようと力を込めたのが悪かったのか。ヨシュアはそのままルックをきつく抱きしめることとなったわけだ。 

 図らずもヨシュアの豊満な胸に顔をうずめることと相成ったルックは、頬を染めて狼狽している。

 

「お、重い……なんで持ち上げられないの……ッ!」

 

 ヨシュアは、呪った。見た目からして軽いはずのルックの身体すら満足に抱きあげられない、自らの非力さを。

 そしてそれに気を取られていたせいで、自分がルックに至高の幸福を贈っていることにも気づいていなかった。

 

「ちょ、ヨシュア姉ちゃん。む、胸があたって……」

 

 だからヨシュアは、腕の中で身じろぎするルックがそう言ってはじめて、現在の状況を悟ったのだ。

 

「……え? きゃぁっ! ご、ごめんなさいっ」

 

 悲鳴を上げ、ヨシュアは慌ててルックの身体から手を離し、飛び退いた。

 

「あ……。いや、べ、別に気にしてないから」

 

「う、うん……」

 

 頬に紅さして、互いを直視できずに目をそらす。

 

「なにやってんだ、お前ら?」

 

 そんなヨシュアとルックを、遅れてやってきたエステルが訝しげに見つめている。

 

「う、ううん。なんでもないの。気にしないで!」

 

 見られていたかと思うと余計に恥ずかしくなるけれど、エステルは深く追及してこなかった。そして、その目はヨシュアではなく隣のルックに向けられる。

 

「ふうん。ま、いいや。とにかく、ようやく追いついたぜ、ルック君よぉ!」

 

 指をぽきぽき鳴らしながら、物々しい雰囲気を纏って接近してくるエステル。

 

「ひっ!」

 

 さっきのヨシュアとの一連の遣り取りのせいで、ルックはエステルと追いかけっこしていたのを忘れていたんだろう。エステルがすぐそばまで接近してきてようやく、ルックは気がついた。

 

「へっへっへ……覚悟はいいか?」

 

 エステルの下衆な笑みに、ルックはそそくさとヨシュアを盾にして隠れた。其処が安全地帯であると分かっているのだ。

 

「ヨシュア姉ちゃん、助けてっ」

 

 ルックはすっかり怯えきって、ヨシュアの身体にしがみついた。

 

「もう、そこまでにしてあげたら? ルック君、怯えてるじゃない」

 

 それを庇うようにして、ヨシュアはエステルの前に構える。そんなヨシュアを、エステルはむっと睨みつけた。

 

「なんだよ、ヨシュアもルックの肩を持つってのか?」

 

「そうじゃないよ。エステルが大人げないってこと」

 

「はあっ!? なんで」

 

「それに、この後試験があるでしょ? 無駄な体力を使わないほうがいいと思うよ」

 

「っ……わかったよ。しょうがないな」

 

「へっへーんっ。怒られてやんのー」

 

 こうしてエステルを黙らせたら、今度はヨシュアの陰でエステルを挑発するルックの番だ。しがみついているその手をやんわりと引き離す。

 そしてヨシュアはルックの瑞々しい頬を、優しくひっぱたいた。

 

「もう……ルック君も、そういうこと言わないの。あなたも言い忘れてることがあるでしょ?」

 

「え……」

 

「前方不注意で飛び出して、エステルにぶつかったよね。そのこと、ちゃんと謝った?」

 

「うっ……まだ、だけどさ」

 

「だけど、じゃないよ。悪いことをしたら、ちゃんと謝らないといけないの。わかるよね?」

 

 大丈夫。ルックはやんちゃだけど悪い子じゃない。ちゃんと諭してあげればわかってくれる。

 

「……うん。エステル、ごめんなさい」

 

 暫しの逡巡の後、ルックは嫌々ながらエステルに頭を下げた。むすっとした表情ではあったけれど、ちゃんと謝れただけでも大したものだ。

 

「別に、気にしてねえよ」

 

 照れ隠しなのだろうか、エステルは茶色の前髪をいじりながらぶっきらぼうに返す。                              

 

「うん、ちゃんと謝れたね。偉い偉い」

 

「……へへ」

 

 褒めるついでに頭を撫でてやると、ルックもまた、照れくさそうに笑った。

 

「ふふ。それにしても、エステルとルックって似た者同士だよね」

 

 ヨシュアが何となしに放ったその言葉のせいで、エステルとルックは互いに見つめ合い睨み合い火花を散らした。そして同時に口を開く。

 

『どこがだよっ!』

 

 とはいうが、ほら、声も完全に揃っている。もしかして、エステルとルックは案外気が合うのではないだろうか。

 素直じゃない二人に思わず吹き出してしまって、ふと、空を見上げたときだ。

 

「ああっ!」

 

 あり得ないものが視界に入り、思わずヨシュアは叫び声をあげてしまった。いや、あり得ないというか、あってはならないというか。とにかくヨシュアは見ただけで非常に焦燥を覚えるモノを見てしまったのだ。

 

 どうした、と問うてくるエステルに対しては街の中心にそびえる時計台を指さしてやる。するとそれだけで、みるみるエステルの顔は青くなっていった。

 

「どしたの、ヨシュア姉ちゃん?」

 

 ルックの声もどこか遠くに聞こえる。

 

 まあ、要するに。

 

 ――約束の時間をだいぶ過ぎてしまっていたのだった。



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