【完結】BARグラズヘイムへようこそ (taisa01)
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第一話
1940年 ドイツ
第一次大戦の負債に苦しみながらも持ち前の勤勉さで、ドイツは成長を続けていた。しかし時代はブロック経済が主流となり、植民地を持たない国家の多くはその成長に大きな足かせを掛けられていた。
挫折する国。百年の計のため伏せる国。そしてあらがう国。
歴史を俯瞰して見ることができれば、愚かな選択と言わざるを得ない蛮行。だが当事者達にとっては不満の発露であり、まさしく闘争という原罪を拭えぬ人類の象徴だったのかもしれない。
さて、戦火はまだ遠く、史実通りに進めば数年後には戦場となるこの地「ベルリン」。メインストリートから一本入った場所に一軒の小さなBARがある。一階は店舗、二階は住居、地下には保管庫といったさして珍しくもない作り。
しかし古びた扉を押し開ければ、そこは外界と切り離された落ち着いた空間が広がっていた。
マホガニーと思われる年季の入ったカウンターに、四人掛けのテーブルが二セット。奥には小さなピアノと大きな壁掛けの時計が一つ。目を引くのは空間を仕切る様に置かれた数多くの鑑賞樹と、窓際に所狭しと置かれたハーブのプランター。石と鉄に覆われた市街では、公園などの一部を省くとこれほど緑を身近に感じる空間は少ないだろう。
そんな店を一人のバーテンダーが切り盛りしていた。年齢は三十代。職業柄か落ち着いた物腰のため老齢の印象を受ける。そして料理の腕は一流。ここで出される酒とつまみは他のどこよりも旨いと評判だ。しかし、店が狭いことから常連は口をつぐみ、いわゆる知られざる名店として静かに存在している。
そんな店に一人、新しい客が訪れた。
******
「いらっしゃいませ」
カランカランとドアに取り付けた小さな鐘が鳴る。
私は先程までいた常連達の後片付けを一端止め、顔を出入り口に向ける。そこには白い男性が立っていた。
「お一人様ですか? でしたらカウンターにどうぞ」
別に白髪……いや薄い銀髪? の男というのは珍しくはない。それに服装も含めて白一色ということもない。黒い軍服に白髪、赤い瞳、しかしその雰囲気が白を感じさせた。
白い男性は促されるままカウンターの席にドカっと座ると、若干不機嫌そうに声をあげる。
「なんでもいい。酒と腹にたまるものをよこしな」
私は軽くお客様を観察する。ある程度細身ではあるが、しっかりした体をお持ちのようだ。血色も悪くない。ということは、それなりに体を酷使する部署なのだろう。
そこで私はまずよく冷えた黒ビールをジョッキに注ぐ。もっともこれは私の能力で生み出すため、注ぐ瞬間を人に見られるのは不味い。一度厨房に入りジョッキを取出すのと同時に注いでしまう。
そしてジョッキをカウンターに置く。
「お客様。こんな時間ではございますが、肉でよろしいでしょうか? それとも別のものにしましょうか」
「肉でいいぜ」
「かしこまりました。先日良い鴨のジビエが手に入りましたので、少々お待ちください」
そう言うと厨房から鴨のジビエを持ってくる。先週末に仕留めて六日、熟成が進んだものを引っ張り出したばかりのものだ。そのモモ肉の部分を少し厚めにスライスし、オイルを引いたフライパンに落とす。片面に軽く焼き目がつく頃、店内には独特の香りが広がる。
もちろん火を通したジビエはそれだけでも十二分に美味しいツマミとなるが、その上から黒胡椒と自家製のハーブを軽く振り皿に盛る。
続いてジビエの油を吸ったオリーブオイルに、えのきをはじめとした数種のスライスしたきのこを放り込む。きのこはすぐにオイルを吸い取り、黄金色に変わる。そして十分に熱が通れば完成である。
「ジビエとキノコのソテーにございます」
白い男性は若干驚いたように料理を見ている。実際片手には三分の一程飲まれたジョッキ。時間にして数分で、まるでコースの肉料理で出てくるようなものが出てきたのだ。
男性はフォークを取り、ジビエを一切れ口に運ぶ。火を通しオリーブオイルをからめたジビエは、ひと噛みするごとに肉本来の味が口の中に広がる。そして黒胡椒は舌の上で踊りアクセントとなり、ハーブはくどくなりがちの後味を消しスッキリと喉を通っていく。
添えられたきのこのソテーも悪くない。口の中に変化を与えてくれる。
なにより最初に出されたビールも思えばえらく上等な味をしていたことに気がつく。まず冷えたビール自体が珍しい。そのへんの酒場で出されるのは大抵温いままだ。裏に河があるような立地なら、引き込み冷やすなんて裏技じみたことをしている店もあるが、冷えたビールを出そうとすると、まだまだ普及途上の冷蔵庫を持っている高級店しか無い。
「バーテンダー。えらくいい肉と酒じゃねえか」
「お褒めに預かり光栄です。しかし、お客様に喜んでいただけるよう基本に則って商いをさせていただいているだけでございます」
「はっ、じゃあ他の店が手ぇ抜いてるってことになっちまうなぁ」
お客様は、にやりと笑いながらそう言うとビールを飲み干す。そしてジビエやきのこを口に運ぶ。
私はメニューを手に取り質問をする。
「次のお飲み物はいかがですか、よろしければメニューをどうぞ」
「メニューはいらねえよ。ウィスキーのいいのをロックで。この店ならどの酒を頼んでも旨いんだろ」
「かしこまりました。ではとっておきの一品をお出しさせていただきます」
よく磨いたグラスを一つ。そして大ぶりの氷を取り出し、手早くアイスピックで球体にカット。そしてグラスに放り込むと、カウンターの背に所狭しと並べられたボトルからラベルの無いものを取り出し、黄金の液体を注ぐ。
氷はカラカラと回り、グラスの中で万華鏡のように輝く。
お客様は、受け取ったグラスをゆっくりと傾け、香りと味をゆっくりと楽しみ飲み干す。その仕草は夜に慣れた男の色気を感じさせるには十分なものであった。
なにより香りを楽しむ余裕があるのだ。
旨い料理と酒を出したとき、お客様の反応は大きく二パターンに別れるもの。一つは、ただ無心に食を楽しむ人。もう一つは……。
「お客様は良い夜を重ねてらっしゃったんですね」
私は片付けに取り掛かりながら、お客様の仕草を見てこんな風に表現をしてみた。その評価に驚いたのか、それともよほどツボに入ったのか声を上げて豪快に笑う。
「カカカッ。そんな風に言われたのは初めてだ。なに、夜ってもんにはちょいと拘りがあってな、なかなか嬉しい事を言ってくれる」
そういうとお客様はウィスキーを飲み干しグラスをカウンターに置くと、静かに立ち上がる。気が付けば開いたグラスの横に飲み代には十分な額の紙幣がおかれていた。
「足りなけりゃ言ってくれ。残りはチップだ取っときな」
私は深く一礼すると、皿やグラスを下げる。だがお客様はドアノブに手を掛けた時、ふと思いついたように振り返る。
「さっきのウィスキー。どんな銘柄なんだ?」
あれは私の能力で生み出した二〇〇〇年代の日本、山崎の二十五年ものだ。というより、この店でラベルの無いボトルの中身は、大抵そんな感じでとても名前を言えないものばかり。
そこで決まって言う言葉はこれである。
「申し訳ございません、自家製のブレンドにございます」
「そっか。じゃあ、またここに飲みに来るしかねえな」
「はい。またのお越しをお待ちしております」
「ああ、俺はエーレンブルグとでも覚えくれ。また来る」
エーレンブルグ様はそう言うと夜の町へと帰っていくのでした。
******
拝啓 アインズ様
届かぬ手紙をこのように書くのは不毛かと思われるかもしれませんが、縁とはわからぬもの。2130年頃でしたでしょうか? その頃の日本にこの手紙が届くかもしれません。それこそ何らかの方法でアインズ様の手に届くかもしれません。
それは素敵なことか、残酷なことか不明ではありますが筆を取らせていただきます。
今は1940年、ドイツのベルリン。
世界の列強がブロック経済を推進する中、輸出入が大きく制限された今生の祖国であるドイツは着実に経済的疲弊。それに反発するように民衆の声は次第に過激になり、戦争の火蓋が切っておとされました。
2000年代の日本で70年近く。さらに魔導国で数百年。すでに記憶は風化していますが、たぶんこれは第二次世界大戦の幕開けなのでしょう。
とはいえ、安全のためという理由でこの地を離れる気にはなれません。
今は亡き今生の親から継いだ小さなBARがあります。気持ちの良い隣人やお客様がいます。たとえ、ここが戦火に飲まれようとも、食を楽しみたい、楽しませたいという気持ちは変わりません。
もっとも、二度の転生経験からか死に対する恐怖が無いのも理由かもしれません。
色即是空空即是色
ではありませんが、今ある生で精一杯、楽しみ楽しませたいと思います。
あと何点かお伝えしたいことがございます。
一つ目はアインズ・ウール・ゴウンにお仕えしていた当時の能力を引き継いでいることです。特に例の液体を作る能力は、2000年代のみならず、魔導国絶頂期の酒類やスープ、出汁まで再現することができました。くわえれば前と同じようにレシピなど料理関係の知識だけは消えずに残っております。
二つ目はユリとの結婚式の時、長年の貢献という名目で結婚指輪代わりに下賜されたリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンが気が付いたら手元にあったことです。具体的には、子供の頃、気が付けばこの手にありました。
この二つが私が
まさしく世の中不思議なことだらけです。
それと、本日ですが懐かしい気配を感じました。
血と闇の香り。
真祖のヴァンパイアであるシャルティア様ほどではないが、常連のヴァンパイアに似た気配。本人は知ってか知らずなのかわかりませんが、すでに人外に一歩踏み込んでいるような気配でした。
この世界にも魔法や人外が存在するのでしょうか?
この液体(主に酒など)を生成する能力も、分類すれば魔法でしょうから、案外ヴァンパイアも存在するのかもしれませんね。
さて、長くなってしまいましたが、また機会がありましたら筆を取らせていただきます。
バーテンダー
かしこ
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第二話
オバロのナザリック基準なら、人間らしい人間って評価ですよ!
(比較対象がアンデッドやヴァンパイア、悪魔など異形種)
それにしても1940年代。まだシュピーネさん黒円卓入りしてないはず……まあ、それでもシュピーネと名乗っていたことにしましょう(ねつ造)
1940年 ドイツ ベルリン
小さな店とは、地域に密着することで成り立つもの。特にうちのように酔っ払いを相手にする店は、騒音などでいろいろとご迷惑をおかけすることもあります。
「昨晩の余り物ですが、皆さんでどうぞ」
てな感じで、お隣さん達や裏のラジオ屋親子におすそ分けをしております。週に数回、程よく食卓に一・二品増える程度ですが、効果はバカにはなりません。食材調達などで店を開けることも多く空き巣の絶好の的、だったらしく、根こそぎ捕まえていただいた……なんて事もありました。本当に近所付き合いとは、馬鹿になりません。
さてナザリック時代は、つねに新鮮な食材が入手できる大鍋に、時間停止の冷蔵庫、通常の冷蔵に冷凍庫。考えうる限り全ての料理が可能なほど充実した調理機器。じつに恵まれた環境で料理をしておりました。
しかしこの時代の料理事情はまさしく黎明期といえましょう。戦争開始と同時に始まった配給制。鉄道を中心とした輸送技術、冷蔵技術が飛躍的に向上するも、一般家庭ではまだ手に届かない。
もっとも店ともなれば話は違うので、冷やすという工程を利用できるようになったので、戦時中という厳しい現実の中様々な試行錯誤が続くのは料理人の業でしょうか。
とはいえ魚は酢漬けや塩漬け。肉は燻製など常温保存が可能なものが主流。そうなってくると重要なのは、ハーブや香辛料を如何に使うかが腕の見せどころとなります。うちもハーブの消費量が多いので、ミントなどすぐ育つものを、窓辺で自家製栽培しております。マーレ様に基礎の基礎とはいえ、土質改善、植物成長促進、発火の魔法を教えて頂いたのはいまでも役立っています。覚えるのに十年ぐらいかかりましたが。
またお酒も同じように常温で飲むことが前提です。もちろん、常温で飲んで美味しいお酒なのですが、最近になり冷やして飲むことも研究されているようです。とはいえ質でいえばピンキリの差がすごく大きい。そして一般家庭に流通するものの質はあまり良くない。魔導国絶頂期に一流ブランドに上り詰めた上で大量生産に踏み切ったことで、北部ドワーフ部族の火酒に喧嘩を売ったカルネ村名物ゴブリンウィスキー(ロック)には、質・量ともにおよびません。
そんなことをつらつらと考えなら、本日も開店となります。
******
土曜日。開店してしばらくすると、一人の男性が友を連れずに来店される。
「いらっしゃいませ。シュピーネ様」
シュピーネ様は軽く頷くと、上着を脱いで玄関口で軽く払う。そしてカウンター席に座ると、隣の席に、軽く畳んで置く。
痩身で蛇のようなという形容が似合う風貌。若干芝居がかった喋り口。一般的な美醜の判断基準でいえば個性的な男性。話してみれば血統、特に人種に強いプライドを持たれ、同時に仕事も有能でなくてはならないという強迫観念を持たれている方です。
褒めているようには見えない?
外見も人間の枠に収まってますし、この程度の個性などナザリックでは当たり前です。個性について悩まれたセバス様が、どこから仕入れてきたのか、語尾に「にゃん」を付けた事件に比べれば何ら問題のない範囲です。
「いつものを」
「かしこまりました」
私は、グラスに氷をいれると、冷蔵庫から取り出したコーヒーを注ぐ。
「どうぞ。水出しコーヒーです」
グラスを一口。カランとなる氷の音が涼やかに店に広がる。
「ふむ。何度味わっても素晴らしい。時間をかけて抽出することで程よい甘味と柔らかな苦みを演出する。であってますかな?」
「はい。その通りにございます」
「国家の政策とはいえ、コーヒー豆の輸入に高関税をかけることは残念でなりません」
「代用コーヒーは、ホットで飲む分にはある程度いけますが、この飲み方はできませんからね」
シュピーネ様は、私が初めて水出しコーヒーを出した時の解説をときどき引用して返してくるあたり、本当に気に入っていらっしゃるのでしょう。
戦時下の食事においてドイツ流(という名の地産地消)という風潮に、国粋主義者であるからこそ満足していらっしゃるこの方が、食品輸入関税について愚痴をこぼされるあたり、本当に気に入っていらっしゃるのでしょう。
「本日はモーゼルワインのアダムがあります。いかがですか?」
「いいですね。ではいつものと、いっしょにいただきましょう」
「かしこまりました」
そういうと、私は三枚におろしたメバルにレモン汁をかけて寝かせたものを取り出す。そしてニンニク・バジル・パセリなどのハーブを白ワインで混ぜる。油を塗ったプレートにメバルを一枚おき、塩・胡椒・そして先ほど混ぜたものを乗せアルミホイルで蓋をしたものをオーブンで10分ほど焼きます。
香りがオーブンから漏れ出し、店内を漂い始めるころ、ワイングラスを取り、モーゼルワインのアダムを注ぐ。
「この極上の料理を待つ時間こそ至福、そうは思いませんか?」
「では香りで一杯どうぞ」
グラスをとると一口。
火が通ったメバルを皿に盛り、残った汁を小鍋に落とし軽く煮詰める。最後に煮詰めたソースと生クリーム、パセリを一振り。
「
シュピーネ様は、メバルを一口一口、ゆっくりと味わいながらたのしまれる。
「さっぱりとした味の上を彩るハーブの数々。同じ素材をつかっていようとも、日々の差異を楽しまずにはいられない一品。また腕をあげましたねぇ」
「ありがとうございます」
しかし笑顔のシュピーネ様は、すっと表情を落とし静かに質問をなげかけてくる。
空気が凍り付くというよりも、女郎蜘蛛の巣に迷い込んだような、どこか粘着質な気配。一度絡み取られれば、逃げることはできない雰囲気が漂う。
「しかし、このワインもそうですが、今では入手が困難なはず。良くのこっていましたね」
そう。モーゼルワインの産地はまさしく西部戦線が展開されたライン川流域。もし今買おうと思えばそれなりに入手困難な品。
それを普通に提供する帝都の店。
「地下の倉庫など複数個所に備蓄しております。手ごろな価格で手に入った時期のものです」
「ふむ。では話を変えましょう。例えばの話ですが、あるお店の入荷量と出荷量が大きく合わない場合は、その差分はどこから出てると考えられますか?」
「備蓄。市場を通さない独自ルート。という考察はいかがでしょう」
私はシュピーネ様の質問にこう答える。もっとも何を聞きたいのかわかる話だ。
なぜならこの店のことなのだから。とはいえ、生まれ持った魔法で、酒類・スープ類など量産できるとは言えません。実際に備蓄はかなりの量をしていますが、BARの売り上げは酒も含めてそれなりの額になるのですが、その多くを食材の仕入れに回している以上、収支のバランスなど取れるはずもありません。
しかし、その質問で満足されたのだろう。雰囲気ががらりと変わり、いつもの柔らかいがどこか慇懃無礼な表情にもどる。
「っということにしておきましょう。贔屓の店がなくなってしまうのは困りますし。せっかく胃に優しい好物の料理と、うまいお酒を出してくれるのですから」
そう言うと、食事にもどられる。
これはシュピーネ様なりの忠告なのでしょう。ある程度は庇えるが度を越してくれるなと。シュピーネ様は元は科学者とおっしゃっておりましたが、軍服で来られることもありますので、きっと今のお仕事関連で調べられたのかもしれません。
「そうですか。では、とっておきをお出ししましょう」
そういうと、ワインをおつぎしたあと、一品料理に取り掛かる。
ゆで栗とリンゴを一センチ角に切ったものを、レーズン、パン粉、パセリを生クリームと混ぜ合わせる。そして鳥の胸肉をとりだすと、薄く切り開き塩と胡椒を振り、混ぜ合わせたものを詰める。
あとはホイルに包みオーブンで焼く。最後に塩・胡椒とあわせてクリームソースをかける。
「
蒸した鶏肉いっしょに、クリームベースのどこか甘さを感じる香り。一口食べれば、素朴な味が広がり、大戦より遥か昔の家庭料理を彷彿させる。
それに加え何かお気遣いをさせてしまった申し訳なさもあって、この料理をチョイスさせていただきました。
「一度の敗戦で、多くのものが失われました。このような料理もまた、その一つなのでしょう」
シュピーネ様はふと遠くを見るようにつぶやかれる。何を思い出されているのかは、わかりませんが思い出に触れることができたのかもしれません。
その後しばらくお酒とお食事に集中されたのち、ふと思い出されたように上着から一枚の封書をとりだされました。
「渡し忘れておりましたが、グルーネヴァルト地区およびその西部の狩猟許可証です」
グルーネヴァルト地区はベルリンからもほど近い風光明媚な自然に囲まれた高級保養地とされる場所。そこの狩猟許可証。先ほどの話もシュピーネ様なりの回答なのでしょう。
「ありがとうございます。では来週ご来店いただいた時には、よいジビエをお出しできるようにしましょう」
「ええ、楽しみにしておりますよ。ではまた来週」
そういうと、上着を取り席を立たれる。
私は、偏屈な常連客に深く頭を下げるのでした。
てな具合で1話1人から複数名、そのキャラがBARで酒のんで何を話すかを考えて書きます。
長編ではなく文章量も少ないですが、週1ぐらいのペースで更新します。
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第三話
しかし、本作品に獣殿が活躍するのは後半。愛するもの、気に入ったものを最後に回すのは世の常ということで。
作品への搭乗順位は時系列で、ありえそうな流れを意識してのこと。私の好感度順ではございません。もし好感度順なら、一番に獣殿がくるにきまってますから。
イメージでは、エレオノーレは、獣殿の部下になるにあたって中尉から大尉に昇進したと考えております。え? ベアトリスは准尉のままですがなにか?
1940年 ドイツ ベルリン
この時代、新鮮な食材というものは限られている。
例えば魚。川や海が近くにない場合、オイル漬けや酢漬け、塩漬けなど加工されたものがメインとなる。
例えば肉。古来からの猟文化を色濃く残すジビエもある意味加工品。牛・豚・羊・鳥など酪農文化の恩恵ともいえる各種肉。町に近い場所から供給されるため、比較的新鮮なものとなる。もっとも新鮮なものを新鮮なまま調理し口に出来るのは、上流階級の人々ぐらいである。特に配給がメインとなっている戦時下では、一般市民が口にできるのは最低限の保存処理をされたものが多くなり、加工食品が中心となる。
このような状況に、料理人でもある私が我慢できるはずもなく、創造主である
子供の頃、春口に冬眠明けの熊を倒したのはいい思い出。熊先生……。貴方との戦いで自然の厳しさを学ぶことができました。
それはさておき、先日頂いた許可証のおかげでベルリンに一番近く獲物の豊富な森で狩りができるようになり、素材の質・量共に一気にあがりました。しかし肉はある程度熟成する期間が必要なので、肉屋の倉庫の借スペースを増やさざるを得なかったのは誤算でした。
「お前さんが捕まえたヤツだと、今日はウサギかな。鹿はあと数日。鴨はもう1日はねかせたほうがいい」
「わかりました。ではウサギを5羽と、そこの牛のひき肉とソーセージをひと束もらいましょう」
「じゃあ待っててくれ。持ってくるから」
そんなわけで、どうみても屈強の陸軍軍人? または裏社会のバウンサーと言ったほうが納得される、筋肉隆々の肉屋の店長と、こんな会話を店先でしております。
ふと周りを見れば商店街の活気はだいぶ減ってしまったように感じます。開戦して約1年。義憤や愛国心に駆られ兵に志願した人、戦争の影響を恐れて国内の田舎や国外に疎開した人。いろいろな人が居なくなりました。
「ああ、三軒隣の香辛料やハーブ、チーズを扱ってる所。店を畳んで田舎に行くらしいぞ」
「それは残念です。あそこのチーズと香辛料の品揃えは、この辺りでは一番でしたのに」
私の独り言に、感慨深そうに肉屋の店長も相槌をいれる。
実際、この戦争は田舎にいったら安全ということはないでしょう。ただ私の風化した記憶には、ベルリンは連合軍に包囲され焼かれ、多くの命と財産が焼失されたはず。
目の前の店主にしろ、この店にしろ、焼かれて消える運命
なんとも、もどかしい。
「てなわけで、在庫一掃のセールやってるぜ」
「それは良い情報ですね」
「じゃあ、今度行ったら一杯おごってくれ」
「ええ。お待ちしております」
終わりのない自責の念は腹の底に押し込め、いつも通りに言葉をかわす。
肉屋の店主は大きく笑いながら見送ってくれる。私は今晩のおすすめメニューを考えながら、香辛料屋に足を向けるのであった。
***
夜もふけ、第一陣のお客様が帰られるころ外がにわかに騒がしくなる。
あるものは愛しい我が家に。
あるものは、仲間たちと二軒目に。
「ここです。ここです。大尉」
ガス灯の柔らかい灯りに照らされた街に人の往来が出来上がる頃、若い女性の明るい声が開け放たれた扉の外から響き渡る。
「まったく。そんなに大声でなくても聞こえている」
出入り口に顔を向けると、一組のお客様が来店される所でした。
金髪のポニーテールに人懐っこい笑みを浮かべた女性。赤毛のセミロングにクールな面立ちの女性。そして、藍色のロングに何処か困ったような、それでいて優しい笑みを浮かべた女性。
それぞれ特徴的で、三者三様の魅力を持ったお客様たちでした。
もっとも一人は、ここ数日何回も来店された御方ですが。
「いらっしゃいませ、ベアトリス様。本日はテーブル席もカウンター席も開いております。どちらになさいますか?」
「バーテンダーさん、こんばんわ。カウンターで」
「では、こちらにどうぞ」
私は、お客様たちをカウンター席にご案内すると、おしぼりを一人一人お渡しする。そして、塩を振ったミックスナッツを小皿にのせお配りする。
「メニューはこちらとなります。お飲み物はいかがなさいますか?」
私は、自然と真ん中に座った立場が上と思われる赤毛の女性にメニューを渡しながら注文を伺う。しかし、女性はメニューも見ずに注文を口にされる。
「とりあえず、適当にビールを人数分」
「かしこまりました」
私は手近なメニュー立てに置くと、飲み物の準備にかかる。
「大尉。そんな男らしい注文の仕方じゃ、あの方とご一緒した時に幻滅されちゃいますよぉ」
「TPOぐらいわきまえている」
大尉と呼ばれる赤毛の女性は、ベアトリス様を睨みつけながら反論する。しかし隣で藍色の髪の女性は、困ったように微笑んでいる。きっと、この方も同じ心配をされているのだろう。
そこで、よく冷やした黒ビールのシュバルツを大きめのグラスに注ぎ、お配りしながら一言付け加えさせていただく。
「最近は、自分の意見をしっかり口にされる自立した女性を好まれる方も多いとか。深窓の令嬢がもてはやされる時代ではありませんよ」
「バーテンダーさんは優しいからそう言いますけど、世の男共なんてみんな自分の支配欲を満たしてくれるような、一歩引いた女がいいに決まってます!」
ベアトリス様はそう言うと、シュバルツをグイッとあおるように半分ほど一気に飲み干す。対する二人はやれやれという風にビールを口にする。
「ほぅ」
「随分飲みやすいビールね」
「でしょ。せっかく同じ職場になってこうやって飲みに行く機会も増えたんだから、美味しい店をって探したかいがありました」
ビールに感嘆の声を上げるお二人に鼻高々という感じのベアトリス様。私としては最初の表情だけでも十二分な賛辞であります。
「どうせお前が食べ歩きしたかった口実だろ」
「大尉。ひどいですよ」
そんな風なやり取りをされておりますが、実際ベアトリス様がこの店に初めて来られた時も、いろんな店で評判を聞いて回り回って最終的にたどり着かれたようでした。本当に喜んでほしく自分の足で探されるあたり、口調の軽さとは裏腹な律儀さがある御方です。
「しかし、ずいぶんと飲みやすいビールだな。冷やしたビールはあまり飲んだことがなかったが、他のもそうなのか?」
「そうね。すっと喉を流れるような。もしかして……」
「あ、そんなことないですよ」
お二人が気にされたことにベアトリス様も気が付いたようで、メニューを取ると先程のビールの値段を指差す。まあ、一般的なビールの価格ではありますが、見たこと無い名前なのはご容赦いただきたい。
シュバルツというドイツ風の名称がついていますが、実際は2000年代の日本、あるテーマパークの所在地の地ビールだったりするのですから。
「それにこの店、お酒だけじゃなくってカクテルや、おつまみも美味しいんですよ」
「なにかお作りいたしますか?」
そういうと三人はメニューを見ながらあれこれ注文をいれる。中には見たこともないという理由で注文をされる。
「本当に皆様、仲がよろしいのですね」
「ん? ただ注文しているだけだが?」
赤毛の女性が何故? という感じで質問をしてくる。まあ実際には、雰囲気や口調などを長年の経験と照らし合わせ、さらに元インキュバスとしての女性に対する脈拍、発汗、血色、香りなどなど、無駄に高い情報収集能力で裏付けただけなのですが。そんなこと言えるハズもなく。
「皆様の雰囲気もそうですが、アイスバインやザワークラフトのように、もともと分け合うような大皿料理ではなく、一人一皿の料理を皆様で分け合うことも前提に選択されたり。それでいて、それぞれの好みを考慮して選ばれたりしておりましたから」
「あら、案外しっかり見られてたのね」
「お客様の気分に合わせたおもてなしをさせていただくのが、バーテンダーの職務と心得ておりますので」
私は静かに一礼する。
その言葉にお二人は感心されたような表情をされますが、一人だけまるでいたずらっ子が悪巧みを思いついたような表情をなさっています。
「じゃあ、いまの注文と合わせて私達にそれぞれ合うカクテルを出していただけます?」
「注文承りました。順番にお出しさせていただきますね」
はい。ベアトリス様。そんな楽しそうに注文されなくてもわかっております。ほかのお二人も意図が伝わったらしく、好奇と期待の視線を送られてきました。
「まだビールがありますので、料理からはじめさせていただきましょう」
取り出したのは先日の狩で捕まえたウサギ。捕まえたその場で血抜きを行い、その日のうちに熟成用の下処理をしたものです。これを今朝受け取ったあと解体、薄切りにしたモノに塩、コショウを練り込み、棒で叩き柔らかさが増した肉。
それをボイルし、食べやすい大きさにカットしたものに赤ワインソースを掛ける。ウサギ独特の風味をそのまま、食感を変えた一品。
「野うさぎのロワイヤルにございます」
一切れずつ口にすると、全員表情が変わる。しかし最初に感想を口にしたのは、ベアトリス様ではなく赤髪の女性でした。
「仕事柄訓練で野うさぎを口にしたこともあるが、弾力の強い食感だったのを覚えている。これは本当にうさぎか? いや味は確かにうさぎの味なのだが」
「あ~。あの時のサバイバル訓練は大変でしたね。必死に捕まえたうさぎの肉も、貴重なタンパク質と思って食べようと焼いたら、まるでゴムを噛み締めてるような歯ごたえになってしまって。最後は何を食べているのかわかりませんでした」
赤髪の女性とベアトリス様はしみじみとつぶやかれる。
よく最初の一品にトラウマ食材の料理を選択されましたね。いや、一人美味しそうに食べていらっしゃる方がおりますね。この方の好物ですか。
「狩りで仕留めた後その場で適切に処理し、くわえて調理に入る前に、塩コショウを揉み込んだ上から叩くことで対応しました。もし仕留めた直後に食べる必要があるなら、血抜き、筋切り、解体したあと綺麗な水で汚れを洗い流し、薄切りにしてから火を通すのがよいかもしれませんね」
「くわしいな。狩りをするのか?」
「はい。この店に出す食材の何割かは私が仕留めたものですので。そのため店の方は週に二日はおやすみをいただいてますが」
「なるほど。鴨はあるか?」
「本日はございませんが、明日には熟成が終わる予定です」
「そうか」
そういうと、赤髪の女性は手を口元に置き思考の海に落ちられた。たぶん明日の予定を考えられているのだろう。
そんな会話の間に料理の仕込みを進める。サーモンにレモン汁をかけ塩・胡椒を振ったものをバターを塗ったバットに乗せ、白ワインを入れて火にかけます。その後、オーブンに放り込む。
「店で好物を避ける理由はないからな。それにここなら、目の前で火入れをしてくれるようだし」
こちらの考えも気がついているのだろう。若干言い訳っぽいことを口にされる。
「はい。目の前でお焼きすることもできますよ」
「大尉、鴨の炙り肉は好物ですからね。恋愛観は乙女なのに、各種好みはことごとく男らし…イタっ」
どうやら見えないところでベアトリス様が赤髪の女性にはたかれたのだろう。
それはさておき、ドイツのベックスビールを冷やしたものをゴブレットグラスに注ぐ。そしてクレーム・ド・ミントのグリーンを取り出し、10mlほど加え軽くステア。最後に自家製のミントを一枚。
ビール特有の小麦色や黒ではない透明感のあるグリーンのグラスをベアトリス様にお出しする。
「あ、やっぱり顔にでてました?」
「ミント・ビアにございます。前回、美味しそうに飲まれておりましたので」
「ビールのカクテルって、あまり飲んだことなかったけど思った以上に美味しくって」
ビールのほろ苦さと、クレーム・ド・ミントの程よい甘さとまろやかさが舌の上で踊る。そしてビールののど越しの後に残るのはミントのさっぱりとした香り。
ベアトリス様は本当においしそうにお酒を飲まれる。
では続いて二品目。
ピルスナーグラスにボック・ビールを注ぎ、その上から静かに滑らせるようにシャンパンを半分ほど。注いだだけでは二色の境界線。ここでかるくまぜることで色が広がる。
そして琥珀色のグラデーションが完成したこれを、赤毛の女性にお渡しする。
大尉と呼ばれる女性は受け取ると、軽く傾ける。
「ああ、小難しいことは分からんが旨いな」
「今回は北ドイツ、バイエルン地方のビールを使わせていただきました」
「そういえば、エレオノーレって北部の出身だっけ?」
「ああ、そうだが」
「じゃあ出身地まで合わせてのレシピですか。なんで出身地までわかったんです?」
ベアトリス様は興味津々に聞いてきますが、私は微笑みながらお茶を濁します。
気が付けば一品目の料理がなくなり、皆様お通しでお出ししたミックスナッツに手をつけはじめる。そこで次の料理ができあがる。
オーブンに放り込んだサーモンのワイン蒸しを取り出し皮と骨を取る。そしてバットに残った出汁と生クリーム。ディル、バジル、パセリなど香草をふんだんに加えソースを作る。
「
「美味しいですね大尉。あっでも北出身なら、サーモンは生じゃないと許せないたちですか?」
「べつにそんなことないぞ。しかし、このサーモンも十二分に旨い。こっちだと塩かオイル漬けがほとんどだろうに、そんなことを感じさせない」
「そうよね」
皆様がそれぞれ楽しまれているようなので、少しばかり潤滑油を。
「ありがとうございます。こっちに入ってくるものは塩漬けやオイル漬けは基本ですからね、身の部分は塩を洗い落として使ってますが、皮の部分をパリパリに炙って……ああ、食べますか?」
こんなことを話をすると、赤髪の女性の視線が変わる。若干恥ずかしそうにして口にされませんが、視線は注文をされていたので、ささっと作ってしまう。
「そういえば、酒飲み達はこんなのを食ってたな」
「塩っけが強いパリパリのつまみ。これならビールも美味しそうですね」
まあ、どこの世も酒飲みのつまみというのは共通点があるもの。海を越えても 、世界を超えても。
最後にシェーカーを取り出し、クルボアジェルージュ、ブルガリエクストラドライ、ホワイトキュラソー。そしてフレッシュレモンジュースを1TSP。
リズミカルにシェイカーを振る。
もちろん振りすぎては泡立ち味を壊してしまうので、程よく、そしてショーのワンシーンと心得る。
カクテルグラスを藍色の髪の女性の前に置き、シェイカーを傾けると、透明度の高いブラウンの酒が流れ落ちる。
「
「あら、誘ってくださるんですか?」
「え? リザさんどういう意味ですか?」
「
「なるほど。で、実際のところどうなんですか?」
「まずはご賞味ください」
話題を振った本人は分かって言っているので、おかしげに微笑んでいらっしゃるが、生真面目そうな赤髪の女性はこちらを訝しむように見ている。ベアトリス様は純粋に興味本位ですね。
「あ。甘い」
「苦味が苦手のように思いましたので」
そう。最初のビールもこのお方は進みが悪かったのだ。しかし他料理は何ら問題なかったので、もしかしてと推論を立てさせていただきました。
「度数は高めでナイトキャップ向きのカクテルですので、こんな名前が付いております」
「さながら甘い夢の世界に入り込んでいきたい。って感じかしら?」
「はい」
私とリザと呼ばれる藍色の髪の女性は感想を重ね合わせる。さすがに大尉と呼ばれる女性も、言葉遊びとわかってか、カクテルを口にされている。
「バーテンダーさんすごいな~。これだけ出来るんだから、女の人にもモテモテでしょ」
「ばかもん。准尉。バーテンダーの手をよく見てみろ」
「その指輪」
左手の薬指にはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンが輝いている。
もし真面目に鑑定しようものなら、どんな材質が出てくるのか想像もできません。たぶん造形の段階ででるゆがみなどもゼロでまるで未知の金属の削りだしのような評価がでて、さらに見る角度次第で赤い宝石の中に浮かぶアインズ・ウール・ゴウンの紋章。
うん。
オーパーツですね。
「少なくとも今の私は独身ですよ。この指輪はとても大切なもの……というだけです。料理をする人間が指輪をするのはあまりよろしくは無いのですが。まあ私のわがままです」
「え~今は、ってことは昔はいたってことですか? ならどんな」
「まったく。この恋愛脳は」
「あら。でも、ちょっと気にならない?」
「ブレンナーまで……まあ、多少は気にならんというわけではないがな」
そんな感じで、酒の席の会話は続いていく。
後日正式のお名前をいただき、気が付けば常連となっていた方々との出会い。
こんな夜もあるのでしょう。
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第四話
耳が幸せになれそうだ。
あとコミケ当選しました。がんばるぞ~
1940 秋 ベルリン
暑い夏が過ぎ去り秋が深まる頃、今年もベルリンで収穫祭が開催された。
世は世界大戦。戦争という熱病にうなされ人死が出る中、後方で祭などという論調がなかったわけではない。しかし上層部の政策をメディアなども後押しする形で、ほぼ例年通りの祭が開催された。
戦場に赴いた者達はどう思ったのだろう。
むしろ愛する人々が、優しい隣人達が、祭で今年の収穫を喜び来年の豊作を笑いながら願う。そんな安らげる日々を守りたくて、銃を手に取ったのではないか? そんな自分たちを気遣って日常を捨ててほしくない……と考えたのではないか。
そんなことを思いながら、夕日で照らされたベルリンを路地から眺める。徐々に赤から黒に。街の色が変わっていく。そんな中。今日も店の看板を出す。
これが私にとって日常であり、終わるその日まで続くものなのだから。
******
小さなBARの窓際にあるテーブル席。
常連の年若い男二人組が、まるで争うようにビールとソーセージを口に放り込んでいく。その勢いたるや、まるでその場だけがギャグ漫画時空のようなと表現できるほどである。
それもほぼ毎日。
もちろん飲むもの、食べるものは毎回違う。律儀に今週は何時来れるという連絡や、こんなのが食べたいなどの要望までしっかり伝えられるので、準備する側としてとてもありがたいお客様です。とはいえ、結構な飲み食いを毎回されているところから、それなりの資産家なのでしょう。
もっとも伺った名前の資産家や政治家、そして軍人はいらっしゃらないんですよね。はて、どんな素性の御方なのでしょうか。
それはさて置き、今日は朝から小雨が続いており、窓際に置いたハーブもいまいち元気がない。
そんな夜。扉が開き、取り付けた小さな鐘が小気味の良い音を鳴らす。出入り口に目を向けると、ちょうど一人の女性が男性を伴って来店されるところでした。
「いらっしゃいませ。アンナ様」
「こんばんわバーテンダー。今日は新しい人を連れてきたわ」
腰まである長い赤髪に整った顔つき。アーリア人特有の白い肌に上気しほんのりと赤みをさした表情は妖艶と呼べる域。もっとも、私のインキュバス時代と変わらぬセンサー(?)が、容姿の評価は是。ただしスタイルについては否と告げています。
この世界では珍しく魔力の香りを色濃く漂わせる御方であることから、きっと姿の一部を偽っていらっしゃるのでしょう。
そんなアンナ様が腕を取り連れてきたのは一人の青年でした。
「アンナ。そんなに引っ張るなよ」
「あら、ロートス。せっかくの休暇だもの。時間は大切にしたいじゃない」
少し困った風だが、自然とでてくる笑顔がとても魅力的な青年。そんな青年を観察しながら、アンナ様に質問する。
「本日は皆様とご一緒じゃないんですね」
「ま~ねぇ。今日は元同僚と旧交を温めるために寄らせてもらったわ」
皆様、ベアトリス様をはじめとしたアンナ様のご同僚の方々の姿がないことを確認する。
ふむふむ。
しかし元同僚ですか。しかしその鼓動と表情は……。
「はじめまして。当店のバーテンダーを務めさせていただいております。お飲み物はいかがなさいますか」
私は青年の方に挨拶をしながらメニューをお渡しする。
青年は若干緊張した面持ちでメニューを見るが、しばらくするとパタンと閉じてしまう。そして両手を上げて降参の意思表示をされる。
「ごめん、アンナ。俺こんな高そうな店入ったことなくって分からないや。教えてくれないか」
「もうしょうがないわね。じゃあコレとコレ。ああ、あとコレもお願い」
「かしこまりました」
アンナ様はしょうがないなと小さくつぶやきつつも、得意げにオーダーを通される。青年のわからないことを変に取り繕わない姿は好感を持てるもの。
ちなみに実際に高いことはありません。値段相応より少々安いぐらいです。もっともここでしか手にはいらないもの、見慣れないモノが多くそんな反応をされたのでしょう。
そこでピルスナービールをグラスとジョッキに注ぎ、そしてザワークラウトとナッツに塩を振ったものを小皿に盛り一緒にお出しします。
青年は目の前に置かれたジョッキと、アンナ様の前に置かれたグラス、そして私を順番に見られました。
「この店はただ古いだけで、別に気取った店ではございません。飲みたいように、食べたいように、お心のままにどうぞ」
「そうよロートス。このお店、注文すると材料さえあれば見たこともないようなお酒も料理も出してくれるわよ。それこそ、裏通りにあるバッカスの酒場のような脂っこい料理から、高級料理店の一品まで」
「なんだよそれ」
青年はアンナ様の解説を聞き笑いながら乾杯をする。青年らしく喉を鳴らしながらそれこそ美味しそうにビールを飲む。対してアンナ様は青年の顔を見ながら、一口二口と口をつける。
たぶん私の予想は正しいのでしょうが、それをいきなり直球で投げるのは無粋。はてさてどうしたものでしょうか。
そんな雑念は脇に置き、私はまず保存棚からベーコンとほうれん草のキッシュを取り出し温める。この手のものはすぐに出せることもあり、何かと人気がある。夕飯代わりに。肉系は重いが小腹が空いた時。なによりビール、ワインのどちらにも合うからだ。
それで場をつないでいる間に、次の品を準備しなくてはいけない。
取り出したのは、レモン、塩、胡椒、ベルトラム粉で下味をつけたサーモンと、人参、玉ねぎ、根セロリなど数種類の野菜を細切りにしたもの。調理は簡単。鍋に細切り野菜をしき、塩、胡椒、水ワンカップ。そして下処理の済んだサーモンを乗せ白ワインを加えて、蓋をして蒸す。
一度沸騰させ、そのあと弱火で10分ほど。キッシュとビールがなくなる頃、白ワインの香りが店内にほんのりと広がる。
「
青年はナイフとフォークで器用に切り分け一口食べると一瞬驚いた表情をされるが、すぐに落ち着いた笑みを浮かべられました。
先ほどのキッシュを食べた時にはなかった反応。
「前線だと焼く、煮るはあっても蒸すはないからな。やっぱこういうの食べると、戻ってきたんだなって感じるよ」
青年をしみじみと感想をこぼす。
「前線の料理ですか。あいにくと経験が無くどのようなものでしょうか」
「たいしたものじゃないよ。乾燥したパンやら保存食が中心かな。べつに缶詰ばっかりってことはないし、野菜とか肉とか無いわけじゃない。料理してる人も頑張ってくれてるけどね」
青年の言葉自体に否定的なものはないのですが、言葉の端々や表情には若干うんざりした雰囲気が読み取れる。実際、上層部はどう思っているかわからないのですが、すくなくとも前線を預かる人達は、この戦争がすぐ終わる類のものではないと認識し、食材や調理法もそれに伴うものとなっているのだろう。
「それはご愁傷様です」
「ロートス。それおいしい?」
美味しそうに青年が食べていると、アンナ様が小首をかしげながら質問する。
アンナ様は意識してかしないでかわかりませんが、細かい仕草が若い男には毒な方ですよね。今日もですが私服は大抵胸を強調されたものばかり選ばれてますし。ブレンナー様とは同属性なのに逆といいますか。
「ああ、旨いぜ。一口食べるか?」
「ええ」
アンナ様はごく素直にうなずかれる。私も小皿をお渡ししようと、手を伸ばそうとした時、青年はごく自然な仕草で一口大に切り分け、フォークで刺し差し出す。
「えっ」
そう、フォークに刺しそのままアンナ様の口元に。
「ほら。美味しいぞ」
「そっ。そうね」
そういうとアンナ様は髪が掛からぬように右手で軽く押さえ、そしてフォークに顔を寄せ口を開く。
一口
何気ない仕草と唇の艶。たったそれだけでも十二分に女性としての色気があるのだが……。
「どうだ?」
「ええ、ありがとう。おいしいわね」
この青年には、その色香も届かないらしい。加えてアンナ様の方は、味もわからぬようなご様子。
アンナ様がそんな調子なので、ミュンヘンのシュタークビアを一本取り青年におすすめする。
「そういえば前線とおっしゃっておられましたがどちらのほうに?」
「ああ。西方方面軍に」
新しいジョッキに濃い琥珀色が広がる。一口飲めば喉を走り抜ける強い炭酸といっしょにどこか重さを感じさせるモルトの風味が広がる。
「なるほど。ではベルリンで安全な生活をできるのは貴方様のおかげですね」
「よせよ。別にそんなつもりで戦ってるわけじゃない」
青年はどこか悲しそうに微笑みながら否定される。きっとこの方は、名誉なんて陳腐なものではない、それでいて自分ではない何かのために戦われているのでしょう。
「前はアンナと遺産管理局にいてな、いろいろやってた。それなりに忙しい日々を送ってたよ。でも戦争がはじまって、ちょうどアンナも異動した頃にふと思ったんだよ」
青年はジョッキを傾けながら心境を語られる。アンナ様もそんな青年の横顔をゆっくりとながめている。
「ああ、忙しかったけど平穏な日常の大切さっていうのかな。たとえば今のような楽しい時間、いや一瞬でもいい。そんな刹那が永遠に続けばいいなっておもったんだよ」
青年のグラスが空く。
私は新しいグラスに同じビールを注ぎお渡しすると、グイっと青年は半分ほど飲み干してしまう。
「そしたら、転属願いを出してた」
「戦う事はお嫌いですか?」
「正直いえば向いてないよ。俺には。実家に居た時からわかってたことだけどね。でも何もしないって選択肢を選びたくなかったってのが本音かな」
冷えたグラスは火照った青年の手を冷やしてくれるのだろう。青年は開いたジョッキを包み込むように両手で持つ。
そんな青年の手に、何も言わずにアンナ様が右手を重ねる。きっと何かを言いたいのでしょうが、良い言葉が浮かばず、だけどなにもしない選択をしたくなくて手を重ねられたのでしょう。
「なかなか耳が痛い。私は何もしないことを選択したモノですので」
「何言ってんだよ。こんな美味しい酒に料理を出してくれてるじゃないか。まさしく守りたい日常ってヤツの一部じゃないか」
「そう言っていただけると、助かります」
私は料理の手を止め顔を上げると、青年はまっすぐこっちを見ておられました。
「美しいと思う刹那を永遠に――俺もそんなバカげた願望を捨てられないし、叶えられないから渇きも消えない。不満で、不安で、いつもふらふらと揺れていて。でも選ぶことをやめられなかった……」
まっすぐな瞳。年若く、夢と願望を捨てていない青年の姿がそこにありました。
「だけど、それが人間だろ? あんたも何か願って今を選んだ。人間なら当たり前だよ」
自然と笑みがこみ上げる。ああ、なんと気持ちの良い日なのだろう。経験ではない。与えられたスキルではない。ただあるがままに本質に迫る存在。
「アンナ様」
「なぁに。バーテンダー」
「良い方を選ばれましたね」
「えっ?」
アンナ様は、まるで鳩が豆鉄砲で撃たれたように驚かれる。そして徐々に顔を真っ赤にさせ否定される。
「ちょっ……ちょっとそんなんじゃないわよ」
そんなアンナ様を青年は笑いながら見ておられる。
そんなお二人に私はできたばかりの次の料理とお酒をふるまう。
そう。
こんな出会いがあるから私はこの仕事を辞められないのだ。いつまでも。たとえ生まれ変わっても。
お二人の帰り間際、私は気に入ったお客様にいつもしているように一つの質問をする。
「本日はありがとうございました。お名前をうかがってもよろしいでしょうか」
「ロートス」
青年は一瞬迷う。しかし意を決されたのだろう。静かに言葉をつなげる。
「ロートス・ライヒハート。あんたとは真逆さ。首切り人だよ。落ちこぼれだけどね」
ライヒハート。この国に生きて少しでも歴史や文化に触れれば出てくる名前。けして良い意味はない。でも私にとってはどうでも良い話だ。なぜなら私の主は死の支配者にして墓場の王なのだから。
「では、またのお越しを心よりお待ち申し上げております。ロートス様」
私は深く頭を下げる。
気が付けば朝から降っていた小雨はあがっていた。雲のきれまから星がみえる。そんな空を眺めたあと、扉を閉じ片づけをはじめる。
今日も終わり。
明日に続く。
そんな連綿と続く日々。
ひと時の安らぎのために。
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第五話
1940 冬 ベルリン
ベルリンの冬は寒い。すでに心の故郷としか言いようのない日本の北海道よりも緯度が高いのだから、どの程度の寒さかを予想いただけるだろう。もっとも内陸であり、湿度も低いことから、豪雪地帯のように埋もれるほどの雪は降らない。
しかし夜はマイナス十度も当たり前。
そんな中、わざわざBARで酒を飲む人たちは、それ相応の理由がある。
一つ目は夜が遅くなり食事を準備することが負担となり外で取られるお客様。主にご近所の方々。
二つ目はみんなで騒ぐ場を探す一見さん。その名のとおりだが、メインストリートから外れているこの店にはあまりいらっしゃいません。
三つ目は常連の二人を筆頭とするお客様。ここでしか出ない酒、料理を目的に来られる方々。この店を気に入って頂いている大変嬉しいお客様方です。
そして四つ目は……。
「どうかいたしましたか? ベアトリス様」
カウンターでホットワインと夕食のトマトベースに鷹の爪と数種類のスパイスをつかった辛めのショートパスタと生ハムサラダを前にうんうん唸っているベアトリス様がお一人。同僚の方々と来ることもありますが、お話を伺う限り家事を放棄されているらしく、ほぼ毎日ここで食事をとっていらっしゃっています。
もちろん軍の食堂もあるようですが、どうもお気に召さないらしく夕飯はこちらと決められているようです。
さて、もう常連ともいえるベアトリス様が何時になく考えごとをされているようです。せっかくのホットワインもだいぶぬるくなってしまっているご様子。
「ん~。あっそういえばバーテンダーに相談しても他言無しでしたっけ」
「はい。酒の席のお話は本人のご了承がない限り、墓まで持っていきますよ」
私は、笑みを浮かべながら回答する。
「例えばの話ですけど。友人の上司にあたる女性が、さらにその上の上司に片思い中……ということとします」
ベアトリス様も信じていただけたのでしょう。一瞬ですがぱっと笑顔になると、すぐに神妙な顔つきになり例え話をはじめられます。
「はい、例えばのお話ですね」
「そうそう。で、その女性上司なんですけど、なんとも乙女というかなんというか。意を決して行動した結果、念願叶って片思いの男性上司の部下にまではなれたんですけど、そこからピタッとアプローチが止まっちゃったんですよ」
ベアトリス様。それ例え話になっていませんよね。しかもその女性上司は定期的にうちにいらっしゃる常連に近いお客様のことですよね。
最近では鴨のスライスを炙ったものを片手に、ビールがお気に入りなようでより一層男らしさに磨きが掛かっていらっしゃいますが。
「部下であるということに満足されてしまったとかでしょうか」
「それだったら私も気にしないんですけどね~」
「と、いいますと?」
ベアトリス様はワインを飲み干されたので、新しいワインを火にかける。今日はスペインのバレンシア産赤ワイン。香りは控えめだが、甘さと程よい渋みが特長。現在は敵国のワインにあたるのですが、まあ開戦前に地下倉庫に備蓄したものの一品ですし、食材に敵も味方もありません。そのへんを気にされないお客様にかぎりお出しさせていただいております。
「朝一番に出勤して、決められてもいないのに上司の机を掃除してるとか」
「まあ、そのぐらいでしたら気の利く部下というお話かもしれませんね」
「夜が遅い任務になると、予定も無いのに勝負下着をこっそり準備してるとか」
ワインが程よく潤滑油となったのか、女性上司の日常が暴かれつつありますね。
「例えば気が付けばその男性上司を視線で追っているとか、男性上司に褒められると端から見ても尻尾をブンブン振ってる姿が幻視できるとか。仕事の報告とか相談はさらっと出来てるくせに、毎朝の挨拶一つで嬉しそうにニヤけてるとか」
「その男性の上司って朴念仁ですか? それとも相当な奥手ですか? または相手がいるとか」
ベアトリス様が上げる数々の例を並べてみると、行き着く感想がこんなものである。
軍関係に限りませんが、人の上に立ち、その上で仕事ができる方というのは、総じてコミュニケーション能力が一定以上あるものです。そんな方の部下が例に上げられているような状況なら、普通気が付きます。そして気が付いた上で、無視されているとなれば……。
「それが相手はいないそうなんですよ。むしろ博愛主義者といいますか、全てを愛している~っていいますか」
「と、いいますと?」
「その男性上司、立場もあるので社交界とかにも顔を出しているんですけど、日々言い寄る女性をみんな受け入れちゃうそうなんですよね」
「それはそれは。良く刺されませんね」
「女は駄菓子? みたいな感じで言うんですけど、まあ肩書に実績、見た目、くわえて物腰、とどめは声もいいですから、一夜だけでもって感じで引く手数多なんですよ」
ベアトリス様が若干呆れを含みつつ、カウンターに腕を組みつっぷされる。マホガニーの机は酔われた頭にはさぞ冷たく感じられることでしょう。
私は氷の入った水に、スライスレモンを浮かべたグラスをお渡しする。
「その男性上司というのもなかなか魅力的な方ですが、特定の方への愛よりも全体愛のようなものを優先される方なのかもしれませんね。ですから個人的な好意についても来るもの拒まず、でもそれ以上になることができない。だからこそ今みたいな状況なのでしょうか」
しいて言えばアイドルのようなものでしょうか?まだこの時代には新聞やラジオが主流ですので、たとえるなら映画の銀幕スターのようなものでしょうか。
とはいえ、見方次第では下種な人物にもみえますが、それが許容されるレベルとなるとある意味で突き抜けた、それこそ物語の主人公のような人物なのかもしれませんね。前世で散々見ていましたので、わざわざ見たいとまでは思いませんが。
「そんな感じですかね~。でも、それだと女性上司に芽が無いってことになっちゃいますよね」
「まあ、端的にいえば。付き合っていくうちに個人の魅力で、全体愛の価値観を超えるぐらいしか思い浮かばないですよね」
「そうですよね。でもキッカケもないんですよ」
「ああ、それなら作れますよ」
私は空いた皿を下げながら答える。しかしベアトリス様には驚きに値する内容だったのでしょうか、ガバッと上体を起こされると矢継ぎ早に質問される。
「えっどんな方法ですか?」
「たとえば、飲みに誘うんですよ」
「飲みに……ですか?」
「いまの仕事上の関係だけではキッカケもない。ならお酒を入れて、自由に会話することですこしずつプライベートの時間もつながりを作っていくんですよ。ランチは社会通念上、仕事の延長と捉えられてます。しかしディナーはプライベートも入ると判断されてますから」
「なるほど。さしものあの完璧上司もプライべートは存在するはずですからね」
社交界は立場と家の付き合い。そこはプライベートと切っても切れない領域。そのためそんな考えがあるのでしょう。未来の話ですが2000年代のアメリカの公務員も、ランチなら受益者……つまり付き合いのある業者と共にしてもよいとされるルールがあったりします。
そんなわけで夜の飲みというのは、一風変わった線引きの中にあるんですよね。
あとたとえ話という体裁が抜けてますよ。ベアトリス様。
「まあ、どんな人間でも睡眠はとりますし食事もします。仕事の裏にはプライベートの顔があるはずですから」
「ですよね……。でもどうやって誘えば。この一年近く、そんな機会なかったですから」
「そうですね」
ふと考える。
ドイツ人として生きた時代。魔導国時代。日本での時代。
仕事一筋に見える存在を引っ張り出す常套句。
「クリスマスは家族と教会でというのはポピュラーですが、仕事納めのタイミングなどはいかがですか?」
「仕事納めってだけだと弱いかな~」
「円滑な人間関係は仕事をする上でも重要。古来よりアルコールが入った場での会話というのは、コミュニケーションの常套手段。これらの言葉を組み合わせて上司を誘って職場の皆さんで繰り出すというのはいかがですか?」
「なるほど~。そして慣れてきたら人数を絞ってってことですね」
「そんな感じで少しずつ進めるってことで」
「
「はい」
その日はそんな感じで会話が終わりました。実際1940年の暮れが押し詰っており、終戦はたしか45年。軍人ということでいつどんな時にもしもがあるかわかりません。
まさしく時は金なり。
余裕がある日々はそう長くはないはずです。これから先は少しずつ戦況も悪化していくことでしょう。無事終戦を迎えられたとしても、しばらくはドイツにとっては苦しい時期。
私はそんなことを考えていました。
同時に、私にとってのapocalyptic soundsであったと気が付いたのはずいぶん先のこと
Zeit ist Geld.:訳:時は金なり
ドイツのことわざです。この言葉本当にどの国にもあるんですよね。
そんなわけでやっとこさ獣殿襲来のフラグがたちました。
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第六話
「もしパンドラズ・アクターが獣殿であったのなら(下)」頒布できそうです。
そんなわけで遅れを取り戻すべく投稿いたします。
やっと核心に近づいてきました。
1940年 12月31日 ベルリン
年の瀬というのは、何度過ごしても不思議な感覚に囚われる。
暦上の区切りにすぎないとはいえ、やり残したことはないか? 何か忘れていないか? 今日の内にやっておかなくて良いのか? と、何かに追い立てられるような気持ちになる。
だからこそ、十二月三十一日はこの日までに仕事を終わらせてしまおう。終わらせて大切な人々とすごそう。そして新しい日を祝おう。そんな小さな望みを叶えたくて慌ただしく過ごす一日なのだ。
たとえ小康状態とはいえ、世界大戦の真っ只中であってもだ。
「ありがとうございました」
静かに降り積もる雪に、街の喧騒が吸い込まれる。
私は雪の降る中お客様をお見送りし、BARの扉に「貸し切り」のプレートを掛ける。本日これからの時間、ご予約をいただいたお客様のための準備時間となります。
ちなみに先程のお客様は、ローストビーフに各種揚げ物などの盛り合わせ、倉庫に保管していた貴重なワイン数本を受け取りにきた常連の方々です。店を開けないが、せっかくの年越しだからと予約を受け付けたところ、結構な数の注文をいただいたので腕によりをかけて準備いたしました。
では、頭を切り替えて本日のご予約の方々の準備に入りましょう。
本日のご予約は八名。
幹事はベアトリス様。名目は職場の忘年会。裏の目的は先日のご相談の件。半分は女性ということで、よく女子会でお集まりになられる方々でしょう。
まずは間仕切り代わりの観賞用植物を移動させた後、テーブル席を並べ直し真新しいテーブルクロスを広げる。ストーブで部屋の温度を高めにして、外からくるお客様をお迎えする準備をすすめる。
聞けば、結構食べる方もいらっしゃるとのこと。ですので料理は、すぐ出せるものも含めて仕込みを行う。なんせ店は一人で切り盛りしており、手が足りない。常連たちならば、一品料理の時間を待ってくれる。しかし、団体様となればそうもいっていられません。
なによりここはBARである。お酒を中心とする以上、接客や料理の比重を調整しなくてはなりません。一通りの下ごしらえと準備が整う頃、来客を知らせるドアの鐘が鳴る。
さあ、はじめましょう。
******
「ほら、ここですよ」
「自信満々にどこに連れて行くかと思えばここか。お前にしては上出来だ」
「げっ。チンピラにも知られてたなんて、ちょっとショックです」
「んだとこらっ。喧嘩売ってんのか」
最初に入ってこられたのは今回の幹事を務めるベアトリス様。そしてエーレンブルグ様。お二人とも軍に籍を置く方とは知っておりましたが、同じ職場だったのですね。
「いらっしゃいませベアトリス様。エーレンブルグ様。軍籍の方と伺っておりましたが、同じ職場だったのですね」
「おう。邪魔するぜバーテンダー。今日も旨い酒をたのむわ」
先程までベアトリス様にガンを飛ばしていらっしゃったエーレンブルグ様は、そんなことは無かったとばかりに片手を軽く上げられる。若干獰猛ともとれる笑みを浮かべながらお声をいただき、コートをお預かりします。
「ごめんなさいバーテンダー。八人で予約してたけど一人欠席がでちゃって、変更大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ」
「ああ、でも一人欠食児童いるから料理は出してもらっても大丈夫です」
「かしこまりました。進みを見ながら調整させていただきます。お席はこちらになります」
ベアトリス様から欠席のお話を伺い、頭の中で献立の変更を行う。保存の効くものは後回しにして、新鮮なものや下処理済のものを中心に再構成しながら、入店された方々を席にご案内し、お預かりしたコートをハンガーに掛けていく。
ブレンナー様にヴィッテンブルグ様、シュヴェーゲリン様。女性陣は女子会のような感じで時々ご利用いただく、慣れ親しんだ方々でしたか。
そして背は小さく、銀髪に黒皮の眼帯。病的なレベルで中性的ではありますが男性ですね。インキュバス時代のセンサーが反応しませんから……。
「ねえおじさん、なにじろじろ見てんの」
銀髪の方は直接ガンを飛ばしてくるですか。
「いらっしゃいませ。ようこそおいで下さいました」
素早く視線を外し深くお辞儀をする。ここはお酒を飲む場所。大抵の手の早い方、気の早い方はこれで収めていただけます。もちろん気配は読んでおりますので、たとえなにがあっても問題ありません。もっとも今回は、素振りだけだったご様子。まるで投げ捨てるように、コートをこちらに放り投げられました。
周りも止める雰囲気はないので、育ちの悪い一面程度と認識されているのでしょうか。
しかし、そんなことを考えているのも束の間、銀髪の方の後ろから強烈な気配が現れます。
静かに一歩一歩ゆっくりと。
けして焦るような素振りはなく、力あるものの優雅とはかくあるべしという王者の風格。私も再度お迎えのための礼をするために向き直った時、その方の顔をまじまじと見てしまう。その瞬間、過去何百年と培った経験から、素早く居住まいを正し、深く腰を押し礼をする。
「いらっしゃいませ。パンドラズ・アクター様」
そこには、背に届くまで伸びた金髪、慈愛に満ちているが同時に獣性を漂わせる黄金の瞳。精悍な顔つきに、軍人として均整の取れた立ち姿。記憶とは着用されている軍服のデザインこそ違いますが、雰囲気はそのまま、しいて言えば気配がまだ人間の枠内?
しかし、条件反射のように対応してしまいましたが、よくよく考えればこんな場所にいるはずも無い御方であることを思い出します。それらを含めて謝罪をしようとした時、黄金の御仁は先に声をかけられた。
「どうやら卿は私を知っているようだが、あいにく私には覚えがない。また名も違うようだ」
「申し訳ございません。古く、もう会うことも無い御方に似ておられましたので。とんだご無礼をいたしました」
「良い。私に似た古い知り合いというものに興味が無いわけではないが、卿は我らが護るべき臣民である。過度に改まる必要はない。私の名はラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ。また今日は軍人としての立場ではなく、一人の客として来たのだ」
「はい。かしこまりました」
頭を切り替える。
ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ。その名はすぐに立場と紐づく。ゲシュタポの長官ですか……。そして皆様はその部下。なるほどブレンナー様を省けば荒事が得意そうですね。しかし、全員から個人差はありますが濃厚な魔力の香り。元からその香りを宿すシュヴェーゲリン様は別としたとしても、何かしらあるのでしょうか。
「ではこちらにどうぞ」
私はハイドリヒ様を上座にご案内する。そしてベアトリス様に目配せをすると、空気を読んでいただけたのでしょう素早く動かれエレオノーレ様の背を押し、ハイドリヒ様のお隣に押し込む。もともと、このために場を設定されたということですので。
上座が決まれば自然と席はきまるもの。女性陣は並んで席につき、シュヴェーゲリン様のお隣はエーレンブルグ様ですか。銀髪の方はいつのまにかハイドリヒ様のお隣ですか。
「最初の一杯はベアトリス様よりご注文いただいたイェヴァー・ピルスナーにございます。ドイツ北部、フリースラント地方の街イェヴァーで醸造されたものにございます」
定番のイェヴァー・ピルスナーをついでまわり、全員にビールが行き渡ると、ベアトリス様が席を立ち司会をはじめる。
「不肖ベアトリス。今回の幹事を拝命いたしました。まずはじめに我らがハガルの君に一言と乾杯の音頭を頂きたいと思います。ハイドリヒ卿お願いします」
促されたハイドリヒ様は、ごく自然に立ち上がると社交的な笑みを浮かべながら挨拶を綴る。
「准尉には正直驚かされたよ。私は卿らの全てを把握している。すくなくとも今もそう思っている。しかしこのような場では、また違う顔が見えるというのだ。ならばこのひとときは無礼講。故に私を楽しませよ。乾杯」
「「「乾杯」」」
みなさんが勢いよくグラスを掲げる。
しかし、その表情は若干引きつっておりますね。まあ上司がいきなり無礼講にするから俺を楽しませろと言えば、顔も引きつりましょう。それにハイドリヒ様の笑顔は、あえて表現するなら肉食獣が餌を見つけた時のような代物。本気の片鱗が伺えます。
そんな状況であってもお酒を楽しく飲めるのがBARと自負しております。微力ではございますが、対応させていただきましょう。
はじめに用意していた料理を素早くお配りします。
アイスバイン、ほぐした鳥のササミを使ったサラダ、カットフルーツの盛り合わせ、ほうれん草とベーコンのキッシュ、食べやすいサイズにカットした大麦の黒パンにオリーブオイル。
つぎに、辛味の強いもの、香りの強いもの、そしてプレーンの三種のソーセージを火に、筋切りし下味を付けた鳥のムネ肉を油に通します。店内には香ばしい香りがいっきに漂い、よりビールの味を引き立てることでしょう。そして素早く皿に盛りお出しする。
ここまでで数分。
皆様も、一気に料理が並ぶ様に驚いていただけたようです。
さて、場を和ませるのもバーテンダーの務め。まずベアトリス様を見るといつもの様に、最初の一杯は一気飲みされているようです。そこでカウンターに入りベアトリス様にお声を掛けます。
「ベアトリス様。グラスが空いているようなので、一杯お任せいただいても?」
「えっ? あっおねがいします」
「では」
バーテンダーがシェイカーを振る事は、パフォーマンスのようなもの。リズミカルな音、に振る姿。まるで魔法のように生み出される新しい味。それらを美味しいお酒の前座としてお客様に楽しんでいただくのだ。
シェイカーをカウンターの前に蓋を開けて置きます。ベアトリス様をはじめ普段から来店される方々の顔をみれば、いつも通りにシェイカーを振る姿を想像されているのだろうことは簡単に読み取れます。
ですが、今日ばかりは意表を突かせていただきましょう。
私はアスバッハ・ブランデーの瓶を振り返りもせず後ろ手で掴むと手首のスナップだけで背中越しに投げ上げる。瓶は軽く回転しながら、私の頭上を飛び越え、体の前においた左手の元に。そしてキャッチすると、そのままジャグリングの要領で再度空中に浮かすを繰り返します。
最初はアスバッハ。続いてアップル・ブランデー。スウィート・ベルモット。最後にアンゴスチュラ・ビターズ。
四本の瓶が宙を舞う頃、今度は右手で空中に浮く瓶を一本抜いては、シェイカーに注ぎ元の位置に戻します。もともとカクテル用で置いているので、逆さにすれば中身が出てくるキャップを付けているという小技を使っています。
「すごい。空中を舞う瓶がどんどん器に注がれてる」
「てかバーテンダーのやつ、後ろ見てないよな」
注ぎ終われば軽くシェイクしカクテルグラスへ。このあたりは無駄な演出を必要としません。ただただ正確に、無駄を省いて手を動かすことこそ、気が付けばカクテルが出来ているように見える秘訣です。
そこには、薄いブラウンの輝く宝石が一つ。
「どうぞ。ジャージー・ライトニングです」
「バーテンダーにこんな技あったんだ」
ベアトリス様は嬉しそうにカクテルを受け取られます。皆様の表情を確認すれば、パフォーマンスのかいあり先程までの硬い雰囲気はなくなったようです。
「バーテンダー。何時ものをロックで」
「かしこまりました。エーレンブルグ様」
そういうと。今度はラベルの無い瓶を普通に取り出し、氷をアイスピックでカット。グラスに山崎の30年モノを注ぎ、お渡しします。
「あいつにはサービスして、俺にはそのまま渡すってか」
エーレンブルグ様は、若干つまらなそうに受け取られる。私はそのお言葉に笑みを浮かべながら、定型句のように切り替えさせていただく。
「せっかくのウィスキーが泡立ってよろしければ、振り回しますが」
「じゃあ、しゃあねえか」
エーレンブルグ様は、一定以上飲むと手酌派になりますのでボトルはそのまま横におかせていただきます。
とはいえ、空気を凍らせた本人は悠然とビールを片手に、緩やかに流れるレコードに耳を傾けている。そこで、もう一手間。
取り出したのは鴨の熟成ジビエをスライスしマリネ液に一晩漬け、オーブンで熱したもの。それを軽くフライパンで焼き目を付けたもの。そして肉汁の染み出したマリネ液に赤ワインとオレンジ一個分の果汁を加えたソース。
私は一皿目をハイドリヒ様とヴィッテンブルグ様の間に置く。
「
「そうですね。鴨の焼ける香りがジビエ特有の熟成香と合わさり食欲を掻き立て、ワインのソースを程よく吸った柔らかい肉は舌を楽しませ……と、申し訳ございません!」
「良い。鴨が好みと知っていたが、なるほど確かに。普段から生真面目で必要以上は口を開かぬ卿が長舌になるとはな。せっかくだ一ついただこうか」
「はっはい! どうぞ」
どうやら上手くいったようですね。
と、私がカウンターに戻り他の方々のお酒などを準備していると
「大尉。お皿ごと渡そうとしてどうするんですか。せめてナイフをつかってください」
「あっ。ああ、そうだな」
見かねたベアトリス様はフォークを一本取りヴィッテンブルグ様にお渡しする。しかしヴィッテンブルグ様は顔を赤くしながら何を思われたのか、フォークで一切れ刺すと、そのままハイドリヒ様の口元に持っていくのだった。
まあ、恋人や家族がやるならわかりますが。ヴィッテンブルグ様は本当にテンパってしまっているのでしょう、自分の行為がどう見えているのか全く気がついていないご様子。
まわりの様子といいますと……。
ブレンナー様はニコニコしながら、何も言わずに見ておられますね。
シュヴェーゲリン様もニコニコというかニヤニヤしておりますが、背景に「まだ笑うな、まだ笑うんじゃない」という吹き出しと顔が新世界の神の顔に変わってますね。
銀髪で背の小さい方は、ああソーセージを気に入っていただけましたか。はい。ほかの種類もありますがいかがですか? どうせならいろいろ食わせろと。わかりました。少々お待ち下さい。焼く、蒸す、煮る。いろいろお出ししますね。
そしてもっとも派手なリアクションをしそうなエーレンブルグ様は、ああベアトリス様に後ろから羽交い締めにされ、口も塞がれてますね。なかなか楽しいワンシーンですので、もうちょっと楽しみたいという気持ちはわかります。あとでどうなっても関係ございませんよ。
さて、そんな状況に全く気が付く素振りを見せない、初心な乙女のヴィッテンブルグ様。それに対してハイドリヒ様はというと。
「ふむ。たしかに美味いな。この店主の腕が良いのか、それとも卿が手ずから食べさせてくれたからかな」
「えっ、あっ……申し訳ありません」
「なに。私は無礼講と言ったのだ。何の問題もありはしない。なにより私は全てを愛している。ゆえに卿の行動もまた愛おしい」
「は……はい」
幸せそうに真っ赤になりながらどんどん小さくなるヴィッテンブルグ様を他所に、正面突破し美味しそうに鴨を食べるハイドリヒ様。
それにしても本当にパンドラズ・アクター様に似てますね。なんというかCV諏訪部はご褒美という謎の単語が見えますが。
「恥ずかしげもなく、こんな事できるなら。そりゃ~女は駄菓子でしょうよ」
「ほんっとレベル高いわね。嫌味な程に」
開放されたエーレンブルグ様とシュヴェーゲリン様が、ゲラゲラ笑いながら感想を漏らされます。その点については私も同意させていただきます。
そしてやっと状況を飲み込めたヴィッテンブルグ様は、羞耻心から立ち上がろうとしますが、ブレンナー様がニコニコしながら抱きしめられてしまいます。
「はなせ! ブレンナー」
「せっかくの場なんだから、暴れちゃだめよ」
「あそこの二人をたたっ斬らねば、私は!」
「だ~め。ハイドリヒ卿も無礼講っていってらっしゃるんだから」
「しかし」
気が付けば、開幕当初の緊張感は完全に無くなったようだ。
私はバーテンダーとしての責務を果たすため、お酒と料理を携え、皆様の所を回りはじめるのでした。
はい。ヴィッテンブルグ様はサーモンのソテーをご注文ですね。飲み物は黒ビールのシュバルツですか。かしこまりました。
******
先程までの熱気とは裏腹に、宴の後というのは洗い物や掃除など泥臭い日常というものが残るもの。もう夜も遅いため、客も来ないだろうと思いつつ、ゆっくりと片付けを進めます。
帰り際、ハイドリヒ様はおっしゃったこと。
「ほんの一時ではあるが、既知感に苛まれない時間を楽しむことができた。礼を言う。もっとも真に未知であったのか、日常に既知感が埋もれただけなのかはわからぬがね」
「もし本当に既知であったのならば、また楽しむことができた。未知であったなら良い出会いであった。そう考えてはいかがでしょう」
「面白い解釈だ。私と間違えた古い知り合いとやらも気になるからな。また寄らせてもらおうか」
「またのお越しをお待ちしております」
既知感ですか。そういえば、パンドラズ・アクター様も同じようなことをおっしゃっておられましたね。ただアインズ様曰く、あれは中二病の至りだとのこと。
実際の世の中わかりません。
私のように転生による既知感を持つものもいるのですから、人生そのものを既知感に苛まれている人がいるかもしれません。
そんな事をつらつらと考えながら皿を洗っていくと、カランカランと店の扉が開く鐘の音が鳴り響きました。
私は顔を出入り口に向けるとそこには影法師のような男性が一人立っておられました。
必ずそこに存在する。視覚ではそう捉えていますが、その存在感が大きすぎる故か、まるでそこに人がいないように感じられる存在。こんな人物は、少なくともこの世界では一人しか知りません。
「いらっしゃいませ。
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第七話
それが私の力となります
その日も今日と同じように雪が降っていました。
周りには立ち並ぶ十字架。その上には時の経過を示すように降り積もる雪。多くの知人が集まり花を手向け、口々に思い出を語り、死を惜しむ。
ベルリン郊外の墓地。
今日、私の両親が埋葬された場所。
第一次世界大戦がようやく終わったが、多額の賠償金にあえぐ今生の母国ドイツ。それでも生き残った者達は手を取り合い、懸命に生きていました。
そんなベルリンで長く続く場末の小さなBAR。父親は生来明るい人柄で、人が喜ぶのを見ることが大好きな人でした。その意味ではBARの仕事も天職だったのでしょう。加えて第一次世界大戦の折りも、志願兵として従軍しながらも生きて帰って来れたのだから、運にも恵まれた人だったのかもしれません。
逆に母親は父親さえ居ればソレで良いという人でした。父親がBARを愛しているから自分も愛す。父親が戦場に向かっても帰ってくる場を守って欲しいという言葉を頼りに、明るく振舞い店を切り盛りする。良い意味で父親を愛し、悪い意味で依存していた存在でした。それでも、家族として十二分に愛してくれたことには感謝しかありません。たとえ父親の息子というカテゴリであったとしても、転生という怪しい経歴と知識を持つ私を息子として愛してくれたのですから。
しかし、父親が急死した時、全ては終わりました。
死因は心不全。夜半の仕事中に胸の痛みを訴えたので、とりあえず朝になったら医者に見て貰おうと話をしていたが、朝にはすでに冷たくなっていました。
その事実を受け止めることができなかった母親は、その夜に後を追いました。
もし自分が普通の十代半ばの人間であればどうだったか。世情もあり絶望していたのだろうか。それとも奮起して新たな人生を歩みだしたのだろうか。ただ流されるまま現実を受け入れたのだろうか。
しかし、自己の認識では数百年におよぶ思い出が、多くの出会いと別れの記憶が、死を司るオーバーロードに仕えた経験が……。
――死は万人に与えられるモノ
という認識を産んでしまったのでしょう。そのため、肉親の死に悲しみを覚えることができず、有るかわからぬ冥福を祈ることしかできませんでした。
そんな時に現れたのが、叔父と名乗る黒服に身を包んだ怪しげな男性でした。
1941年1月1日 ベルリン 冬
朝から降り出した雪は、年の瀬のベルリンを白く染め上げる。世界は一色に染まっていく中、多くの人の祝と祈り、新年がはじまる。
予約されたお客様による忘年会もつつがなく終わり、後片付けに取り掛かっていると、叔父がふらり来店された。柱時計を見ればちょうど年が明けた頃でした。
「いらっしゃいませ。叔父さん。店に来られるとはめずらしいですね」
「ああ、ついこの間来たような気がしていたのだがね」
「ほぼ一年振りですね。カウンターへどうぞ。何か出しますよ」
「そうか。時が経つのは早いものだ」
黒い長髪は濡れた鴉の羽のような艶を持ち、無駄な肉など無く、姿勢の良い長身が着こなす質の良い黒コートとスーツ。その顔は百人に聞けば八十人以上は美しいと答える造形。妖しく輝く黒い瞳は、見るもの惑わす。
それらの美点を打ち砕く、他者を嘲るような微笑と芝居がかった語り口。そんな叔父、カール・クラフトが促されるままにカウンター席に座る。
私は叔父が座るのを確認すると、耐熱グラスをカウンターに置き、手を翳します。すると虚空から温かいワインが溢れ出し、グラスを満たす。
端から見れば、水をワインに変えた聖者の奇跡に匹敵する事象であるが、叔父はそのグラスを当たり前のように受け取ると、香りと味を楽しみ、そして冷えた体を溶かすように少しずつグラスを傾ける。
「去年はたしか軍に捕まってましたっけ? 今年はどうでした」
「収監されていた過去を気にせず、今年の心配かね?」
「叔父さんは詐欺師ではないですか。たとえ収監されてもどうとでもなるでしょ」
普段お客様にはしない口調で話しながら、私はピザ生地を取り出します。
小ぶりの円形に整えたピザ生地にピザソースを塗り、サラミとカットしたオリーブオイル、そしてフレッシュトマトを多めに乗せ、オーブンに放り込みます。
「今は宣伝省に席を置いている。お前も感じているだろうがこの国は長くない。終焉の時まで過ごす仮初の役目を得たに過ぎぬな」
「それでも職は大事ですよ。日々の糧を得るために労働を対価に差し出さなければ」
「その重要と説く労働を伴わず、魔力の消費さえもほとんどない神の奇跡に等しき能力を見せながら説く重要性か。なんとも薄いものではないかな」
そう。この人は、私が転生の記憶を持つこと、加えて記憶された液体を生成する能力のことを知っています。その上でこのような、口喧嘩をしているようなやり取りですが、それこそこの人との距離感を掴む事ができないコミュ障にして、頭が常温で愉快に沸騰している叔父との数少ないコミュニケーション方法なのですからしょうがありません。
オーブンの中を見れば、ピザ生地が膨らみ、フレッシュトマトが熱でその形を変えるところでした。徐々にピザソースとサーモンの焼ける香りがオーブンから漏れ出してきます。
「そういえば、今日ハイドリヒ様とお会いました。この街でも珍しい魔力の気配をお持ちの方と思っておりましたが、叔父さんに会って思い出しましたよ。あの方から漂う魔力の香りの原典は貴方ですね」
「おお、我が友と会ったのか」
「叔父さんに友人なんて居たんですか?」
「もちろんいるぞ。お前は私を何だと思っているのだね」
詐欺師にしてボッチのニートと頭に浮かびますが口には出さず、かわりに焼きあがったばかりのピザをカットしてカウンターに置きます。
「コミュニケーションを取ることができない詐欺師。ただし優秀な魔術師でもあるといったところでしょうか」
「そのような口を利けるのはお前だけだぞ」
叔父が私の秘密を知っている様に、私もある程度ですが叔父の秘密を聞かされています。複数の名を持ち、幾多の時代に介入した魔術師。無限の時を生きるこの世界の怪物。
私の尺度で言えば、アインズ様のような魔神。
もっとも人の身で山の麓から山の大きさを推し量ろうと見上げても、雲の上は見えず真の意味でその巨大さを知ることはできないように、本当の意味で叔父の高みというのは理解することはできていませんが。
どちらにしろ叔父という存在の前に、私など木っ端に等しい存在でしょう。
しかし叔父という存在を知った上で、私という存在を考えれば、どちらが因でどちらが果か理解することができます。無駄なモノ、目的も無いものを生み出すほど神という存在は暇ではない。なぜなら神とは特定の結末を迎えるための舞台装置にすぎないのですから。
「次の飲み物はどうしますか? 都合半世紀以上未来の飲み物でもいいですし、推定異界の飲み物もだせますよ」
「次は任せようか。どのようなものもその存在は既知だが、今という時間軸においては未知である。その積み重ねの先に真の未知を見つけることができるかもしれぬからな」
先程出したのはショートサイズのピザでしたから、グラスを取出すと、ほどよく冷えたエビスプレミアム・モルツを注ぎ渡します。黄金色の液体と、白い雲のような泡の組み合わせ。比率には諸説がありますが、それでも、この色合と音が旨さを感じさせます。
「そういえばハイドリヒ様も似たようなことを言っておられましたね。たしか既知と感じなかったとか」
「獣殿にとって、今の世界線におけるこの店の因果は未知だからな。そう感じるのも当然といえよう」
まあ、そのへんの話は私にはよくわかりません。加えて、ろくな説明もされていない事から知る必要の無い情報なのでしょう。
「ハイドリヒ様は獣殿ですか。確か社交界では黄金の君などと呼ばれていたようですが」
「我が友の本質は愛と闘争。故に黄金の獣と呼ばれるようになるのだよ」
「それは、叔父さんにしては珍しく良いネーミングセンスですね」
黄金の獣。
その呼び名はパンドラズ・アクター様の通称の一つ。そして時々ですがパンドラズ・アクター様はドイツ語を喋ってらっしゃいました。
時系列を考えれば、アインズ様が過去の記録として残っていたハイドリヒ様を参考に、パンドラズ・アクター様を生み出されたのでしょうか。そう考えると、この世界線の先に荒廃した地球があり、企業支配の末に生み出されたディストピアがあるのかもしれません。
「未知であろうと既知であろうと、お客様が楽しんでいただくことが私の喜びですからね」
「お前は、お前自身の望む通りに行動すればそれで良い。その総ては女神に捧げる首飾りを生み出す儀式の一端となるのだから」
女神ですか。
何度も名の出る存在ですが、すくなくともこの時間軸に存在する人ではないのでしょう。はるか未来に生まれる存在なのか。それとも過去の人物なのか。神に見初められた時点で、不幸な存在かもしれませんね。
「本日お越しいただいたハイドリヒ様とその部下の皆様ですが、私と接触して大丈夫なのですか?」
私は暗に、叔父の計画の邪魔にならないかと質問します。どう見てもあの方々はそう遠くない未来に魔法的儀式を行うことでしょう。魔力の充実がそれを物語っておられました。しかし魔術の基本は等価交換。触媒や魔力で支払える範囲なら良いが、それを超える力を持とうとすれば、それ相応のモノを対価として支払うこととなります。
なにより、緻密な準備を必要とするのに、私のような存在がかき回してしまうことによる失敗や悪影響を気にしたからだ。
「なに、もしそれで失敗、別の道を選択することになるなら、それでもよい」
「そうですか。さて、まだお腹は空いてますか? もし空きがあるなら、そうですね良いサーモンがあるので、パスタなんてどうです? 飲みのものは……」
「
「これみよがしに一万マルクは超えるモノ」
「出せないのかね?」
叔父はまるで挑発するように問いかける。いや事実、挑発しているのでしょう。
「出せますよ」
素っ気無く私は答えると、ドイツの至宝とも呼べる貴腐ワインを惜しげもなくワイングラスに注ぎます。
本当にこの能力は経済の敵であり職人の研鑽に対する冒涜ですね。日本円にすれば一本数十万。年代によっては百万を超えるものが一瞬で産みだされるのですから。
ワインを片手に、珍しく上機嫌な叔父。その姿を横目に料理をはじめます。パスタなので、けして時間のかかるものでも、手間のかかるものでもありません。それこそパスタを茹で上げると同時に、スライスしたサーモン、ブラックオリーブ、バジルペーストとゆで汁をフライパンでまぜ、パスタと絡めれば完成です。
「サーモンとオリーブのグリーンパスタです」
叔父はワインを置くと、サーモンと一緒にパスタを一口。そしてオリーブを一口。その仕草は普段の胡散臭い演技など微塵も感じられず、優雅に動く手と唇の動きは、見るものを魅了する貴人の礼法を感じさせます。
普段からの行動と口調、そして表情が、香り立つ程の美貌を損ねていることに、叔父は気がついていない。もっともそれらを止めたら叔父と言えなくなるような気がしなくもありませんが。
「過酷な大海より舞い戻ったサーモンの凝縮された旨味と太陽の光を存分に浴びたブラックオリーブの熟成された苦味。どちらも単体で十分な味を示すが、このワインの格には足りぬな。しかし、二つを合わせ、絶妙な香料でつなぎ合わせたパスタであれば……」
「褒めていただけるのは嬉しいが、叔父さんが単純にパスタ好きなだけでしょ」
「たとえそうであっても、言葉にせねば観客には伝わらぬ。そういうものだぞ」
両親が死んだ時、私はまだ十代半ばでした。その年でこの店を継ぐには早すぎたため、この叔父はほぼ置物ではあったが、この店のオーナー兼後見人となっていました。
好きな時に姿を消し、好きな時に戻ってくる。なにも気が向かず用事も無ければ、日がな一日BARに引きこもる。
その時気が付いたことですが、この叔父はあまりに食というものに頓着しない人間でした。たとえ既知であろうと、経験し繰り返さねば身につかない。そんなことでは話に聞く女神をエスコートさえできないと、マナーにはじまり、食のイロハを叩き込みました。
その結果はさて置き、この人のおかげでこの店を残すことができ、今では私が継ぐこともできたのだ。
「そういえばまだ挨拶をしてませんでしたね」
「何をだね」
私は叔父と同じものを注いだワイングラスを持ちあげる。
「Frohes Neues Jahr」
叔父は無言であったが二つのグラスが触れる静かな音が、ちょうどレコードが止まったBARに広がるのでした。
Frohes Neues Jahr:ドイツ語のあけましておめでとう
何クラフト氏のセリフにある通り、
三つ巴どころか本編時空前の世界線でした。
あと2・3話かな
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第八話
1941年4月1日 ベルリン
1941年。
第二次世界大戦の戦況的には転換期であり、ドイツ軍凋落のはじまりとなる年が開けてからしばらくの時が経過した。
しかしベルリンは戦火に見舞われる事無く、ある程度の緊張感はあるものの、戦場はどこか遠くのことのような空気が漂っていた。それは夜であっても変わらない。若者は口々に威勢の良い事を酔った勢いで吐き出し、老齢な者達は第一次世界大戦後から続く苦渋の日々に愚痴を漏らす。そして目端の効くものだけが口をつぐみ、周りを見渡しているのだ。
そんなベルリンの場末にあるBAR「グラズヘイム」は、別の意味で騒がしかった。
テーブル席で、そのベーコンとイノシシのジビエ、とくに量的に珍しいタンは俺のものだと競い合うように食べる常連の男性客二人。
カウンター席に、キャベツの酢漬けとキジのモモ肉のクリーム煮を食べつつ、大ジョッキ片手に管を巻くベアトリス様。
外とは一風変わった空気ではありますが、本日もBARグラズヘイムは開店しております。
******
「ここで寝てしまうと風邪を引いてしまいますよ」
時間でいえば20時頃。
よほどおつかれだったのでしょう。
声を掛けるも夢の中。私は店の奥から持ってきた薄手のタオルケットを、カウンターで眠ってしまっているベアトリス様の肩に掛けます。
先程まで元気よく愚痴っておられたベアトリス様ですが、私が材料を取りに奥に入り出て来るまでの数分で、すっかり寝入ってしまったようです。
アルコールが入り若干赤みがさした頬。年相応の張りのある肌に柔らかそうな唇。ポニーテールでまとめた金髪は軍の激務を耐えぬいたとは思えないほどの艶を保っている。元気が良すぎることが人によってはマイナス点でしょうが、十二分に魅力的ではあります。
しいていえば、もう人間の気配が無くなってしまったことでしょうか。
「ああ、ここだ」
そんな観察をしていますと、扉に取り付けた鐘の音に乗って一人の男性の声が出入り口から聞こえてきました。
視線を送ると、久しぶりとなるお姿。
「いらっしゃいませ。ロートス様」
「ひさしぶりでいいのかな? バーテンダー。前に来たのって結構前だったはずだけど、覚えていてくれたんだな」
「珍しいことではございません。店を預かる者の基本ですよ。それにこの店は小さく新規のお客様は少ないので」
「ここの店、すごく旨いのになんで客が少ないのかなっと、ミハエルお前も入ってこいよ」
久しぶりにご来店いただいたロートス様は、外に声を掛けると一人の大柄な、いかにも軍人という御仁を招き入れるのでした。
ロートス様よりも身長が高いことに加え、軍服の上からもわかるほど、ガッチリとした筋肉を感じさせる体格。無精髭に口をつぐんだ形で作られた皺は、寡黙な軍人という雰囲気を醸し出しております。
柔和な雰囲気を持つロートス様とは真逆な魅力を持つ御方ですね。
「こいつはミハエル。今の相棒だ」
「いらっしゃいませ。手前のカウンターをどうぞ」
ミハエルと呼ばれた方が軽く会釈をされる。たったそれだけの行動ですが、屈強の軍人を感じさせるのは、ブレない体幹とムダのない動きだからでしょうか。
私は手前のカウンターにご案内する。まあ、奥のカウンターには眠りこけている女性が嫌でも目につきますので、お二人は何も言わず席に座られます。
それにしても同僚ということは、同じ西方戦線で戦う戦友というところでしょうか。
「何になさいますか?」
「ミハエルは何にする? どれもうまかったぜ」
「まかせる」
「まかせるって、おまえがいつも飲んでるのって牛乳か、一番安いビール一辺倒だろ。ここはそんな店じゃねえよ」
ロートス様はそういうとメニューとにらめっこをはじめますが、ビールのカテゴリに絞ったとしても他の店では見ないような銘柄が多数並ぶので迷っておられるようですね。
中には全部自分で決めたいという趣向の方もいらっしゃいますが、ロートス様はそのへんに拘りが無い方なのは、以前来店された時に確認させていただいております。
なにより「おすすめは?」の一言はけして恥ずかしいことではございません。その日の仕入れ状況は店の人間にしかわかりません。外の看板と店の黒板におすすめを書いてはいますが、聞かれたら答えるレベルのものもございます。
「ビールとそれに合うつまみということで、こちらで見繕いましょうか?」
「じゃあそれで」
ロートス様は助かったとばかりに表情を明るくされ、同意の言葉を返していただきました。お隣に座られているミハエル様は表情こそ変わりませんが、目尻が若干下がっていますね。とてもわかりにくいですが楽しんでいるご様子と判断できます。
先程のお話では普段からビールを飲んでいるとのことですので、定番から攻めてみましょうか。
「ヴァルシュタイナーピルスナーにございます」
泡立つ琥珀。ドイツ南方ではポピュラーなビール。甘さと若干の苦味が、とても飲みやすく、常温でも冷やしても美味しい一品。
「乾杯」
ロートス様はジョッキを持ち上げると、同僚の方は静かにジョッキを打ち鳴らす。そして半分ほどを一気に飲み干してしまう。味わうというよりも喉越しを楽しむ飲み方といったところでしょうか。
豪快な飲み方で、いつも牛乳を飲むですか。ふと浮かぶのはある戦闘機乗りというか爆撃機乗りのお客様。あの方は細身ですが、猛禽類のような強烈な印象を相手に与える御方でしたね。対して同僚の方を例えるなら、揺るがず見るものを圧倒する巨大な山といったところでしょうか。
そんなことを考えていると、お出しするべき料理のイメージが固まってきました。
厚切りのベーコンに、ソーセージ、ブロッコリー、パプリカや玉ねぎ、セロリなどを大きめにカットし、小さな鉄板に乗せ火を通します。そして大ぶりのチーズの固まりを別の鍋で白ワインを混ぜながら溶かし、火を通した食材の上から掛けます。
そして鉄板ごと木製の台に乗せ、お二人の前に置きます。
「
肉や野菜の焼ける芳ばしい香りに混ざる濃厚なチーズの存在感。フォークで食材を一つ持ち上げれば、溶けたチーズは食材に絡まり、小さな鉄板に広がります。ベーコンの油と溶けたチーズが交わり、ピザなどにも通じる香りに変化し、より一層食欲を掻き立てます。
しかし一度口に入れば、食材の味はチーズに負ける事無い。セロリはさっぱりとした味だが、大地の香りが広がる。ソーセージやベーコンはより一層甘く、そして複雑な味わいとなり舌の上で踊る。
「ここってBARだよな。なんで食べ物が旨いんだよ」
ロートス様が、ポツリとつぶやかれる。その言葉に、批判的な色は一切なく、純粋なツッコミのようなものでしょう。
対する同僚の方は残ったビールを一気に飲み干し、空となったジョッキをカウンターに勢い良く置かれます。私はこれをお代りと判断し、もう一杯同じものをお出しさせていただく。
「食べ物が旨いんじゃない。ビールをうまくするための食べ物だ」
「はい。もちろん単品で美味しいと感じていただけるように研鑽を積んでおりますが、この店の料理の本質は、お酒をより一層引き立てるためのものにございます」
「へ~」
「そういえば、今回の帰省は休暇ですか?」
「一応休暇だな。報告やらなんやら任務もあるけど一週間ちょっとはこっちの予定」
「で、あればシュべーゲリン様にご連絡されては? なかなか連絡が取れないと零されておいででしたよ」
「そういえば、手紙とか来てたっけ」
ロートス様はふと思い出したようにつぶやかれますが、どうやら受け取った手紙の返信はされていなかったご様子。聞けばシュべーゲリン様は結構な回数出されていたようですが。
しかしそんなやり取りを静かに聞いていた同僚の方が、若干表情を崩される。
「なんだ。あの手紙は故郷に残した女からのものだったのか」
「べつにそんなんじゃねえよ。ただ、昔の同僚ってだけだ」
「昔の同僚ってだけで、定期的に手紙をよこしてくるようなヤツなんぞいないぞ」
「まあ、そうなんだけどさ」
ロートス様は焦ったように声を上げられ、同僚の方はニヤリと笑う。きっと休暇が終わってからも、このネタで定期的に使われることでしょう。
「本当にアンナはそんなんじゃねえよ」
そういうとロートス様は残っていたベーコンを口に放り込むと、恥ずかしいのか顔を横に向けてしまいます。
まあ、口では否定されていますが、何度も店に運ばれ、デートだなんだと定期的に言われれば どんな朴念仁も「これはデートなんじゃないか? じゃあ俺と彼女は付き合っているのか?」と気づくもの。それでも気がつかないのは、本当の意味で人の話を聞かないラノベ主人公という呪いを受けた人種だけでしょう。
もっともロートス様も口では否定されていますが、シュべーゲリン様を大事に思われているのは事実のようですね。そして踏み込まないのは、自分が戦場で死ぬ可能性が高いと考えているからでしょうか。
「前線は多大なストレスを抱える現場だ。加えて男が中心の世界だから、そっちに走る輩も多い。てっきりおまえもその気があるのかとおもっていたぞ」
「そんなわけないだろ。そういうお前だって女っ気ないだろ。ミハエル」
「俺は筋トレをしてストレスを発散している。なにも問題ない」
「あの毎日限界までやってるトレーニングはストレス発散だったのかよ」
とはいえ、話題は尽きぬご様子。
「お代りと、ウィンナーシュニッツェルにございます」
そこでビールを追加と合わせて準備したのは、ウィーン風のカツレツとも言えるウィンナーシュニッツェル。
「サクッとした歯ごたえと豚肉の油。良い」
「さっきのも良かったけど、前線だと揚げる料理や蒸す料理はないからな」
さすが体が資本の男性軍人。またたく間に消えて行きます。そのような勢いで数々の料理、さらに追加でワインも一本開けた頃、お二人のペースも落ちついてきました。
その時、ロートス様は若干赤い顔をされながらも疑問が口に登ります。
「なあ、バーテンダー」
「はい?」
「なんで、俺たち戦ってるんだろう」
もし外で聞かれれば、特に軍人であるロートス様の立場上、不味いこととなるでしょう。もっとも店にいるのは、同僚の方といまだ夢の中のベアトリス様と私のみ。常連達は少し前に帰っていきましたので、他に聞く人もいません。
「いやさ、おれは守りたいと思ってコレしか浮かばなかった。良いことなのか悪いことなのか。他のヤツらはどうなのかなってふとおもうんだ」
「シュべーゲリン様と初めてお越しになった時も同じような事をおっしゃっておいででしたね」
「そっか。こっちに戻ってくると、気が緩むのかな」
「その疑問には、私よりも適任の方がいらっしゃるようですが?」
洗い終わったグラスを拭きながら同僚の方に視線を送りますが、ロートス様は気が付かず、話題が続きます。
ちょうどその時、来客を告げる鐘がなりました。私はグラスを置き、お二人に耳を傾けつつ軽く来店された方に頭をさげ、開いている席にお客様をご案内します。
「守りたいナニカのために戦う。その戦いに正義も嘘もない。結果の評価を決めるのはいつも生き残った人間だ」
「ミハエル」
「お前の考えは尊い。お前の考えを無理に善悪に置き換える必要などない。そんなものに囚われず、守りたいものを守ればいい」
今のロートス様が求められているのは、世間一般の倫理観からくる正論などではなく、背を押してくれる一言。それも家族や恋人、仲間など近しい存在からの言葉。どうやら同僚の方もそれに気付かれたのでしょう、なかなか男前な言葉を口にされておいでです。
しかし、そんな友の語らいに同意の言葉を送る男性が一人。
「そう。闘争に善も悪も存在しない」
「ハイドリヒ様」
仕事の帰りなのだろうか、軍服を纏った金髪の美丈夫。ゲシュタポ長官という肩書を持つハイドリヒ様が、ちょうどロートス様達とは一席開けたカウンター席に付いたところでした。
「バーテンダー。私がこの店でまだ飲んでいないワインを。後は任せる」
「かしこまりました」
私が、ワインと料理の準備をはじめます。しかし先程お呼びした名前で、すでにお二方はハイドリヒ様の立場をご理解してしまったのでしょう。表情が固くなられます。
もちろんハイドリヒ様もその当たりの機微を読み取られたのでしょう。
「ここにいるのはラインハルト・オイゲン・ハイドリヒという、ただのバーの客だ。外の立場を振りかざすような無粋なことなどせぬよ」
しかし、こんな言葉で緊張感が取れるならば、物事に悩むようなことはないでしょう。いままでの方々と同様に、お二人の警戒の色が解けることはございません。
「本当のことですよ。うちの常連二人がハイドリヒ様の後ろのテーブル席で、酔った勢いで現政府批判をしても、翌日いつも通りに飲みにきていましたから」
「酒の席の戯言を、バーの外に持ち出しはせぬ。それだけのことだ。もしそうするならそこのバーテンダーを縛り上げたほうが、よほど有意義な情報源となるだろう」
ハイドリヒ様は私の方を見て一瞬だけ殺気ともとれる強い意志を乗せられます。しかし昔取った杵柄。この御方の底知れぬ本気ならいざしらず、お遊び程度で動揺してはバーテンダー失格です。
「この通りです。最近はワインに少々凝っておられる一人のお客様ですよ」
「なに。以前カールにワインの味について語られてな。存外知らぬことが多いと気が付かされたのだよ。ならば嗜むのも一興ではないか」
私は、
ドイツの古い白ワイン。比較的寒い地方で磨き上げられたソレは、フルーティーな甘みが特長。しかし甘みの質は若さによるものではなく熟成されたものであり、甘さに隠れるように僅かな酸味がさっぱりとした後味を演出してくれます。
「
お二人もさすがに毒を抜かれたのでしょう、緊張感が消えてなくなったようです。そして、そんなお二人のご様子を肴に、優雅にワインを傾けるラインハルト様。
「卿は戦うことは悪であると感じているのかね。戦わぬことで愛するものが失われるとするならばどうだ」
「いい事とは思わないが、あんたの言う通り悪ではないとおもう」
「そうだ。戦いにおいて総てが平等ということはない。しかし、その存在を互いにベットしている以上は対等だ。ゆえに善悪は存在せん」
ハイドリヒ様の表情には一切の迷いはありません。その言葉こそ真実と確信されているのでしょう。
対するお二人は、若干渋い顔をされておいでです。もちろん思い当たる所があるのでしょうが、倫理観がそれを否定するのでしょう。
「じゃあ、あんたはなんのために戦うんだ?」
「私は総てを愛している。そして私の愛は破壊の慕情であり、闘争は人に刻まれた性だ。故に全身全霊を持って戦うのみ。もっとも今は全力を出そうにも出来ぬ相談だがな」
「おれは、そこまで割り切れそうにない」
愛ゆえに戦う。
結果が第二次世界大戦。三千世界に地獄を生み出す大儀式となっているのだから皮肉すぎる。
そんなお言葉は、お二人の表情からありありと読み取ることができます。しかし真剣な語らいも、美味しい酒のスパイスです。しかしこのままでは、後味がよろしくありません。
「少々暗い雰囲気になってしまいましたね。ではこんなワインなどいかがでしょう」
私は気分を変えるため、あるボトルを取り出し四つのワイングラスに注ぎます。
「これは?」
「名前は
皆様、初めて口にされるのでしょう。軽く回しゆっくりと香りと味を楽しまれます。
「ワイン本来の味を保持しつつ、まるで蜂蜜のような甘さ。色も透き通る黄金であり飲む芸術品といったところか」
「はい。ハイドリヒ様。もし買うことができれば1万マルクは下らぬ一品です。私の経験からでは、戦うことを評価することはできません。しかしながら身の丈に合った言葉で表現するならば、文化に貴賎はありません。今は敵味方に別れようとも、この味を互いに楽しめるという一点においては対等であり共有できるのですから」
普段しないのですが、私も残った小さなワイングラスを手に取ります。
「故に、願わくば早く戦いが終わり、またこのようなお酒を楽しめる時があらんことを」
そして、ゆっくりとグラスを掲げます。
掲げたワインは室内の灯りを纏い輝きます。そしてゆっくりと喉の奥に消えていき、残り香は、まるで霞のように消えていきます。
「そういえば、名を聞いていなかったな」
甘いデザートワインの余韻を楽しんでいると、ふとハイドリヒ様がお二人に名を問われます。名乗ったのに相手の名も知らぬということを避けるための社交辞令的なものでしょう。
「ロートス……。ロートス、ライヒハート」
「ミハエル」
名を聞いたハイドリヒ様は、グラスを置きゆっくりとした仕草で右手を形の良い顎に置き、ふと呟く。
「確か西方方面に所属するリストに名があったな。そして、卿があのライヒハートか」
「落ちこぼれだけどな」
ロートス様は肩をすくませなら答えます。
口ぶりからすると、ハイドリヒ様は全軍の名前と配属が記憶でもされているのでしょうか。どこのトレーズ閣下なのでしょうかね。
しかしハイドリヒ様には別の物が見えているのでしょうか。
「そんなに卑下することはない。私の目からすれば、当代よりもよほど適正があると思うが……。先程の話を聞く限り皮肉でしかないか」
「それも含めて才能が無かったのさ」
「あれ……?」
男らの語らいが続く中、ふと女性の寝ぼけた声が響く。見れば半ば目が閉じているが、ベアトリス様が目を覚まされたようです。
ほらダメですよ、うら若い女性なのですから。涎をそのままにしてはいけませんよ。
私は熱めのおしぼりを取り出すと、ベアトリス様の顔を軽くぬぐわせていただく。対するベアトリス様は目を閉じ、気持ちよさそうにされるがまま。
一通り拭き、目が覚めたのだろう。
「ハイドリヒ卿?」
「ふむ准尉、体力は十分に回復したのかね」
「え……?!」
「なにを驚くことがある。私がこの店に来ることは卿も知っているだろう? たまたま今日だったというだけにすぎぬ」
「え~~~~~~~~~~」
ハイドリヒ様もわざとなのか、的はずれな返答をされておいでですが、対するベアトリス様は、驚きのあまり席から立ち上がり、若干女性としてはどうかとおもうリアクションをとられます。
私は床におちたタオルケットを拾いあげ、奥の部屋にほうりこみます。
先程までの男同士の友好にシリアスな語らい。しかし最後はギャグですか。
こんな感じではございますが、BARグラズヘイムはいつも通りベルリンの片隅にて、皆様のおこしをお待ちしております。
冬コミについては活動報告に書きました。
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第九話
皆様も健康にはお気を付けください。
1943年 ベルリン
ベルリンは連合軍に包囲され、ドイツ最後の抵抗となる火蓋は切って落とされた。
歴史ある町並みは、二度目の戦火に晒され多くを失われようとしている。それを歴史は戦争の負債であり敗者が支払うべき代償であると断じるだろう。だが、その燃える街にも、文化の担い手たる人々は確かに生きているのだ。
そんな中、私は今日もベルリンの場末にある私の店、BARグラズヘイムにいる。
すでに常連の方々の姿はない。
ある方は暗殺され、ある方は任地で亡くなったそうだ。
最後の常連ともいえる二人もつい先日「また会いましょう」と一言残し、それ以降姿を見ることがなくなりました。
窓を開けずとも響く砲火の衝撃、銃弾の音、街が燃える熱。
いつか来るとわかっていた情景。
私は諦めとも感傷ともつかない感情を感じながら、いつもと変わらずグラスを磨いていると、トントンと扉を叩く音が静かな店に響き渡る。
今は営業時間。もともとBARの扉に鍵などはかけていない。
その上でノックの音が聞こえるということは、隣人でしょうか? 最後まで残った軍の方々でしょうか? それとも連合軍でしょうか。どなたであっても、どんな結果であっても受け入れることに変わりません。
私は扉に手をかけ、そっと開けた先には……
******
選択肢1:金髪の女性が一人
選択肢2:影法師のような男が一人
******
私は扉に手をかけ、そっと開けた先には影法師のようなどこか捉え所のない男。カール・クラフト。いや、私にとっては……。
「ひさしいな。我が甥よ」
まるで普段と変わらぬような口振りで私に話し掛ける叔父の姿がありました。
「これは久しぶりですね叔父さん」
「たしか我が友が、姿を隠してからだから一年以上といったところか」
「そうですね」
懐かしい顔を見て、ふと過ぎ去った時間が思い出だされる。
叔父とくらすようになった青年時代。順調に店を切り盛りし、1940年、1941年あたりの最も常連が多く、ある意味一番忙しく幸福であった時期。
しかし思い出しても先のないことなのでしょう。
「して、今日はどのようなご用件で? すでに世間的に死んだとされる叔父さんが、わざわざ顔を出されたのですから、それなりの用事かとおもいますが」
「そうだな。私にとって女神と友以外は塵芥とおもっていたよ」
「そうでしょうね。得てして長寿の方は、執着するもの以外どうでもよくなるようですから」
叔父の言葉に私は同意する。少なくとも数百年の時を生きた意識は、今生においても確実に根付いており、この世界、この世間、この地域の一般的な人々が持つ価値観とは違うものが軸となっているのだから。そして私以上の時を生きる叔父であれば、それこそ多くのことをやり尽くしているのだろうことぐらい、想像に難しくありません。
「ああ、しかしだ。その両手の隙間から取りこぼしたモノが存外多いことに気が付いたのだよ。その意味で、このBARもお前も我が友と同じように、千金の価値があるといえるのだろう」
「私個人に価値はありませんよ」
普段の叔父からすれば、考えられないほどの高評価を貰ったわけだが、私にとってその評価は過分のモノです。
「なぜなら私は、私の生きた時代に研鑽された酒、料理を身に着け模倣しているにすぎません。実のところ私自身が真の意味で生み出したモノはカクテル2種類だけです。もしそれでもその評価をいただけるのであれば、私にではなく」
「お前にではなく?」
「私が生きた時代の文化にこそ、その評価は相応しいかと」
そう。私の研鑽はその下地となる文化があってこそ。
叔父は私の言葉にある意味で納得したのでしょう。軽く目を閉じ静かに頷いた。
しかし、次に目を開いた瞬間、その瞳はいつものどこまでも暗く掴みどころのない黒ではなく、複雑な文様、しいていえば絡み合う蛇のようなものが浮かびあがっていました。
「お前の言わんとすることは理解した。だが、私の評価を覆す理由でもない。故に私は私の思うままに褒美を与えよう」
「叔父さんから褒美ですか? それは今降り注ぐ、破壊の魔力に関係が?」
「ああ、今、この時を以てこの地は我が友の支配下となり、この地にある生命は総て上空に浮かぶ黄金の城へと帰結する」
我が友。つまり死んだとされたハイドリヒ様は、本当は死んでおらず、今日この時をもってこの地に準備していた魔術儀式を発動させたということですね。
ハイドリヒ様の言霊に乗り、この地に降り注ぐのは破壊の魔力。魔術的防壁を持たぬものはひとたまりもないでしょう。そして規模はベルリンの住民総てを飲み込みむほどのもの。それこそ魔術に最低限の素養がある私であっても、放置すれば取り込まれるレベル。
「魂食いですか」
「厳密には違うが、その認識で十分だ」
そういうと叔父、いやカール・クラフトはその手を私に向ける。そして私がその手に吸い寄せられるように意識が向くと、まるでランプを消した時のように周りから灯りが消え、静寂に包まれる。
「では我が甥よ、那由多の先で会おう。お前のおかげで多くのものを見つけることができた。なにより女神に捧げる首飾りに相応しい
-そして私の意識は深く眠りにつく
******
魂で組み上げられた黄金の城が現世から旅立ってから、数日が経過した。
黄金の城の最奥には、この城の主を祀るに相応しい玉座があり、そこに一人の男が肩肘をつきながら静かに座っている。
その姿はナニカをまっているようにも見えるし、瞑想しているようにも見える。
しかし気配はそんな生易しいものではない。荒れ狂う大河を飲み干し、おのが内に沈めんとする人間ならざるものの力のせめぎあいがそこにあった。
ゆえにその場には彼以外いない。
部下たちはその力の放流を恐れ、畏怖し、またその儀式の邪魔をせぬよう控えているのだから。
だが、その場にまるで我のみは違うと言わんばかりに一人の男が近づいてくる。
もちろんこの城の主。ラインハルト・ハイドリヒも気がつく。
「どうしたカール」
「いやはや、あれだけの大儀式を行って数日で安定させるとは、さすがの一言に尽きる」
「ありがとうと返そうか。しかし、その儀式のお膳立てした卿に言われても、まるで自画自賛しているようにも聞こえるが?」
「私は嘘偽り無く、我が友を褒め称えているのだ。そこに他意はないよ」
そう。近づいてきたのはカール・クラフト。聖槍十三騎士団の副首領。首領であるラインハルトの補佐にして対を成す存在である。
「して今日は何用だ? てっきり次の策謀の準備をはじめしばらく顔を出さないと考えていたぞ」
「これは手厳しい。私も友の偉業を礼賛するぐらいの甲斐性はあるつもりだが」
そういうと、カール・クラフトはその手に持っていたワイングラスの一つをハイドリヒに渡し、持参したワインを注ぐ。そして同じように自分のグラスにも注ぎ。
「では、友の第一歩を祝して」
「乾杯」
二人はグラスを軽く掲げ一口。
「
「我が友もついに味がわかるようになったのだな」
「酒というものは存外面白いものだな。聖遺物を宿し、もはや酔うこともなくなった身だが、味を楽しむことはできる。闘争と同じように、同じ銘柄であっても同じ味は二つとない」
「それがわかる友に飲まれるこの酒も幸せだろう」
「その物言いは、あのバーテンダーのようだな」
ラインハルトは、ふとベルリンの裏路地にある小さなBARのバーテンダーの事を思い出す。あの者は闘争の英雄ではあり得ないが、その生き方はけして嫌いなものではなかった。
しかし、そこまで考えが至り、ふとあることを考える。
「カール」
「なにかな」
ワイングラスを揺らしながらカール・クラフトはラインハルトの呼び声に答える。
「おまえはベルリンの裏路地にあるBARを知っているか?」
「はて、ベルリンの裏路地にあるBARなど、それこそ無数にあると思うが、我が友が気にするほどのものが?」
「なに、このグラズヘイムにそこのバーテンダーの魂が無いようなのだ」
「はて、あの術式の範囲内であれば取り込まれているのが当然。たまたまあの戦場から避難していたため、術式の範囲外にいたという可能性も十分にありえるが」
「まあ、それも縁なのだろう」
そういうと、ラインハルトは興味をなくしたように目を閉じ、ゆっくりとグラスを傾ける。カール・クラフトはその姿を見届けると、いつの間にかその場から消え失せていた。
なぜなら、カール・クラフトにとってついに見付けた女神に捧げる首飾りに相応しい原石を、いかにして磨き上げるかを考えるという、何に置いても優先しなくてはならない事象がまちかまえているのだから。
次は最終話
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第■話
Diesireaを知らないひとガン無視するような展開ですが、
まあ二次創作ということでご容赦ください。
ちょうどゲーム一本分の歴史が流れたということで。
1941年4月1日 ベルリン
1941年。
第二次世界大戦の戦況的には転換期であり、ドイツ軍凋落のはじまりとなる年が開けてからしばらくの時が経過した。
しかしベルリンは戦火に見舞われる事無く、ある程度の緊張感はあるものの、戦場はどこか遠くのことのような空気が漂っていた。それは夜であっても変わらない。若者は口々に威勢の良い事を酔った勢いで吐き出し、老齢な者達は第一次世界大戦後から続く苦渋の日々に愚痴を漏らす。そして目端の効くものだけが口をつぐみ、周りを見渡しているのだ。
そんなベルリンの場末にあるBAR「グラズヘイム」は、別の意味で騒がしかった。
数年前、田舎からベルリンに出てきた出稼ぎ少女。今では看板娘として頑張っているもらっているアンナさんが、注文されたビールを慌しく運ぶ。
テーブル席では、ベーコンと鹿のジビエ、特に量的に珍しいタンは俺のものだと競い合うように食べる常連の男性客二人。
その隣の席では、一晩掛けてじっくり抽出した水出しのアイスコーヒーと鶏もも肉のクリーム煮を優雅に味わうシュピーネ様。
カウンター席には、ザワークラウトと鴨の胸肉をボイルし、焼き目をつけたものをつまみつつ、大ジョッキ片手に管を巻くベアトリス様。
そしてバーテンダーを務める私は、都合
外とは一風変わった空気ではありますが、本日もBARグラズヘイムは開店しております。
******
「ベアトリス起きなさい。ここで寝ちゃうと風邪を引くわよ」
「起きそうにないですね。ソファーベットを出しましたので、連れていってあげてください」
「はーい。バーテンダー」
時間でいえば二十時。第一陣のお客様がお帰りになった頃。
よほどおつかれだったのでしょう。
声を掛けるも夢の中。ベアトリス様は完全に寝付いてしまったようなので、キッチンの奥にある従業員用の休憩室を片付け、なんとか寝ることができるようにしてアンナさんに運んでもらいました。
アルコールが入り若干赤みがさした頬。年相応の張りのある肌に柔らかそうな唇。ポニーテールでまとめた金髪は軍の激務を耐え抜いたとは思えないほどの艶を保っている。元気が良すぎることが人によっては評価が別れるところでしょうが、十二分に魅力的ではあります。
どうも隙が大きく、女子力が壊滅しかかってますが……。
「バーテンダー。席二つ開いてるか?」
そんな時、勢い良く扉が開かれ男性の声が聞こえてきました。出入り口を見ると、そこにはもう常連と言っても良いお姿がありました。
「いらっしゃいませ。ロートス様」
「今日は同僚を一人連れてきたぜ。ミハエルお前も入ってこいよ」
ご来店いただいたロートス様は、外に声を掛けると一人の大柄な、いかにも軍人という御仁を招き入れるのでした。
ロートス様よりも身長が高いことに加え、軍服の上からもわかるほど、ガッチリとした筋肉を感じさせる体格。無精髭に口をつぐんだ形で作られた皺は、寡黙な軍人という雰囲気を醸し出しております。
柔和な雰囲気を持つロートス様とは真逆な魅力を持つ御方ですね。
「こいつはミハエル。相棒だ」
「いらっしゃいませ。カウンターをどうぞ」
ミハエルと呼ばれた方が軽く会釈をされ、静かにカウンター席に座られます。たったそれだけの行動ですが、屈強の軍人を感じさせるのは、ブレない体幹とムダのない動きだからでしょうか。
「何になさいますか?」
「ミハエルは何にする? どれもうまいぜ」
「まかせる」
「まかせるって、おまえがいつも飲んでるのって牛乳か、一番安いビール一辺倒だろ。ここはそんな店じゃねえよ」
ロートス様は笑いながらそういうと、メニューを手に取ります。とはいっても普段から三・四種の飲み物をローテーションしているような飲み方のため、いざメニューから探そうとしても目移りしてしまい、すぐには決まらないようですね。
「ロートスのことだから、今日はシュバルツでしょ」
「ようアンナ。じゃあそれで」
ちょうど奥から出てきたアンナさんが、今日のローテーションの品を口にします。するとロートス様も特に異論が無かったようなので、注文は決まったようです。
お隣に座られているミハエル様は表情こそ変わりませんが、目尻が若干下がっていますね。きっとアンナさんとロートス様のやり取りをみて、どんな関係なのか目算がついたからでしょう。
「はい、シュバルツのジョッキ二つ。どうぞ」
泡立つ黒。ドイツの黒い森を題材とした黒ビール。さっぱりとした苦味とコク。そして喉ごしがとても心地良い一品を、アンナさんがジョッキでお出しする。私はその間につまみの準備を進めさせていただく。
「乾杯」
ロートス様はジョッキを持ち上げると、同僚の方は勢い良くジョッキを打ち鳴らす。そして半分ほどを一気に飲み干してしまう。味わうというよりも喉越しを楽しむ飲み方といったところでしょうか。
豪快な飲み方で、いつも牛乳を飲むですか。ふと浮かぶのはある戦闘機乗りというか爆撃機乗りのお客様。あの方は細身ですが、猛禽類のような強烈な印象を相手に与える御方でしたね。対して同僚の方を例えるなら、揺るがず見るものを圧倒する巨大な山といったところでしょうか。
さて手元では厚切りのベーコンに、ソーセージ、ブロッコリー、パプリカや玉ねぎ、セロリなどを大きめにカットし、小さな鉄板に乗せ火を通していきます。そして大ぶりのチーズの固まりを別の小鍋で白ワインを混ぜながら溶かし、火を通した食材の上から掛けます。
そして鉄板ごと木製の台に乗せ、お二人の前に置きます。
「
肉や野菜の焼ける芳ばしい香りに混ざる濃厚なチーズの存在感。フォークで食材を一つ持ち上げれば、溶けたチーズは食材に絡まり、小さな鉄板に広がります。ベーコンの油と溶けたチーズが交わり、ピザなどにも通じる香りに変化し、より一層食欲を掻き立てます。
しかし一度口に入れば、食材の味はチーズに負ける事はありません。セロリはさっぱりとした味ですが、大地の香りが広がります。ソーセージやベーコンはより一層甘く、そして複雑な味わいとなり舌の上で踊るのです。
「そういえば、料理はバーテンダーがいつも準備してるけど、アンナも作ったりするのか?」
「今は修行中よ。一品ぐらいならできるけど、まだまだね」
ロートス様が、ふと気になったという風に投げかけた質問に、大げさに肩をすくめながらアンナさんが答える。
同僚の方は残ったビールを一気に飲み干し、空となったジョッキをカウンターに勢い良く置かれました。アンナさんはそれをお代りと判断し、もう一杯同じものをお出ししたようですね。
「アンナさんも家庭料理レベルはマスターされてますよ。お店にお出しする一品料理としても十分なぐらいに。丁寧すぎて少々時間がかかってしまうところが要修行ということでしょうか」
私がアンナさんの評価を口にすると、まるで小さな子が誇るように、「えっへん」とアンナさんはわざとらしく胸をはります。実際のところアンナさんの料理の腕はけして悪くはありません。一流とはいいませんが、そのへんの料理店ぐらいなら任せられるレベルでしょう。この店でも、お客様が少ない時なら十分に対応できるぐらいに。
それにしても端からみれば可愛らしい姿。わざとらしさも見えるところから、どこまで計算しているのか、なかなか判断が難しいラインですね。
しかしロートス様は意識せずに爆弾を投げ込まれる。
「じゃあ、いつ結婚してもいいわけか」
「えっ」
見ればアンナさんは真っ赤になり、パクパクと何か言おうとしても言葉にならないご様子。そして、そのリアクションになぜか気が付かないロートス様。
同僚の方は……若干吹き出されたご様子。ああこの布巾をお使いください。
「ちょっと、ロートスそれって」
アンナさんはしどろもどろになりながらを、手を胸に置いてロートス様の顔を伺う。
「ん? ああビール、同じのもう一杯」
「はぁ。わかってた。ちょっとまってて」
ロートス様は予想通りというか自分が口にされたことにまったく気が付かず、お代りを注文されるのでした。その言葉にアンナ様は大きくため息をつき、新しいビール瓶を開けるのでした。
まあ、毎回のこととはいえ、これではアンナさんが不憫でしかたがないので、私からロートス様に一つ話題を振ることといたしましょう。
「そういえば、そろそろ休暇とか言われてましたが、休めそうですか?」
「一応休暇は貰えそうだな。ミハエルのほうもだろ」
「ああ」
「であれば、半日ほどお手伝いいただくことはできませんか? 報酬はその夜に最上級のお酒と食事を無料ということで」
「まあ、普段からバーテンダーには世話になってるし俺はいいけど、何を手伝えばいいんだ?」
私の提案にロートス様は特に気にすることもなく、快諾いただけました。
「アンナさんの新しい制服の受け取りと、皿や小物などお店で使うものの買い出しの荷物持ちです」
「そういうのってバーテンダーが全部やってるとおもってた」
「食材は私が買い付けをしておりますが、皿や小物についてはアンナさんのほうがセンスありますから、最近は任せてます」
「バーテンダーがその辺選ぶとひたすらシンプルで質実剛健~みたいなものばかり並べちゃうのよ」
「とはいえ荷物持ちは私の仕事だったのですが、その日は西地区の狩猟許可がおりましたので、鹿やキジあたりを捕りにいきたいと。そこでロートス様にはアンナさんの荷物持ちを」
「なるほど、いいぜ。あ、取れたばっかりの獲物って食えるのか?」
「ええ、熟成させたほうが美味しい部位もありますが、普段はあまりだしませんが一風変わった味を楽しむことができますよ」
私の回答に満面の笑みを浮かべるロートス様。戦争がはじまり少しずつですが、娯楽が減っていく中、やはり食の占める意味は大きいようですね。
加えてアンナさんのデートのセッティングも完了……と。同僚の方に目配せすれば、ニヤリと笑われておいでです。きっと休暇が終わってからも、このネタが定期的に使われることでしょう。
そして、口では否定されたとしても、周りからデートだなんだと言われれば、どんな朴念仁も「これはデートなんじゃないか? じゃあ俺と彼女は付き合っているのか?」と気づくことでしょう。
それでも気が付かないのは、本当の意味で人の話を聞かないラノベ主人公という呪いを受けた人種だけではないでしょうか。
「それにしてもお前にも女がいたのだな。軍はストレスを抱える現場だ。加えて男が中心の世界だから、そっちに走る輩も多い。てっきりおまえもその気があるのかとおもっていたぞ」
「アンナはそんなんじゃねえよ。そういうお前だって女っ気ないだろ。ミハエル」
「俺は筋トレをしてストレスを発散している。なにも問題ない」
「あの毎日限界までやってるトレーニングはストレス発散だったのかよ」
話題は尽きぬご様子。アンナさんは合間合間にお酒を出しておりますね。
「ウィンナーシュニッツェルにございます」
そこでビールを追加と合わせて準備したのは、ウィーン風のカツレツとも言えるウィンナーシュニッツェル。
さすが体が資本の男性軍人。揚げ物もまたたく間に消えて行きます。そのような勢いで数々の料理、さらに追加でワインも一本開けた頃、お二人のペースも落ちついてきました。
「邪魔をする」
そんな時、扉につけた鐘が鳴り、新しいお客様が来店されました。
「いらっしゃいませ。こちらのカウンターにどうぞ」
席に付かれた新しいお客様は金髪の青年将校。凛とした風貌ですが、その瞳の奥には何かへの飢えと、達観が読み取れます。
「本日は何になさいますか」
「
「かしこまりました」
私はアンナさんに店を任せ、地下の倉庫から寝かせてあるワインボトルを一本持ってきます。
注いだグラスに広がるのはドイツに古くから伝わる白。比較的寒い地方で磨き上げられたソレは、フルーティーな甘みが特長。しかし甘みの質は若さによるものではなく熟成されたものであり、甘さに隠れるように広がる僅かな酸味がさっぱりとした後味を演出してくれます。
「
お客様。いえ、ハイドリヒ様はグラスを回し香りを楽しまれます。そして一口。舌の上で転がし重厚なそれを一つ一つ味わいつくすように、そしてゆっくりと喉をながれてゆく。
ワインを一口飲むというたったそれだけどの行為。
しかしそこには金髪に整った顔。無駄の一切ない肢体を包む高級軍人を示す軍服。そして気品さえ感じさせる仕草がえも言われぬ男の色香を醸し出します。なにより芳醇なワインの香りと相まって同じ空間にいるものを男女問わず魅了する。
「……」
「……」
「さすがね」
慣れている私やアンナさんは別にして、たまたまカウンターに同席してしまった二人には、刺激が強すぎる色香かもしれませんね。
「味わい、舌触り、そして香り。どれもすばらしい。また保管状況もよいのだろう。前回のものよりもより深いものとなっている」
「ありがとうございます」
私は、ハイドリヒ様からの賞賛に深い礼をもって回答します。しかし、お隣で飲まれていたお二人は、最初の印象は別としてもどう見ても上官の登場に、空気が固まってしまっているご様子。
もちろんハイドリヒ様もその空気の機微を読み取られたのでしょう。
「ここにいるのはラインハルト・オイゲン・ハイドリヒという、ただのBARの客だ。外の立場を振りかざすような無粋な事などせぬよ」
しかし、こんな言葉で緊張感が取れるならば、物事に悩むようなことはないでしょう。いままでの方々と同様に、お二人の警戒の色が解けることはございません。
「本当のことですよ。うちの常連二人がハイドリヒ様の後ろのテーブル席で、酔った勢いで現政府批判をしても、翌日いつも通りに飲みに来ていましたから」
「酒の席の戯言を、店の外に持ち出しはせぬ。それだけのことだ。もしそうするならそこのバーテンダーを縛り上げたほうが、よほど有意義な情報源となるだろう」
ハイドリヒ様は私の方を見て一瞬だけ殺気ともとれる強い意志を乗せられます。しかし昔取った杵柄。この御方の底知れぬ本気ならいざしらず、お遊び程度で動揺してはバーテンダー失格です。
「この通り、ワインに少々凝っておられる一人のお客様ですよ」
「そうだな。ここで飲むワインは懐かしく、しかし新鮮にも感じるのだよ。ならば嗜むのも一興ではないか。例えばこの
ハイドリヒ様のまるで詩でも歌うかのごとく諳んじるワインの薀蓄に、さすがのお二人も毒を抜かれたのでしょうか、緊張感が消えてなくなったようです。
「そういえば卿らにも聞いてみようか。カール・クラフト。その名に憶えはないかな」
「いや」
ハイドリヒ様の質問にロートス様は言葉で、同僚の方は顔を横に振りNOと答えられる。そういえば同じ質問をアンナさんにもされてましたね。
「人探しか? いったいどんなヤツなんだ?」
「知らぬなら問題のない存在だ。どんな存在かといえば、そうだな。有り体に言えば詐欺師の部類だ」
「とりあえずロクでもない奴ってことだけはわかったよ」
「そうだな。ロクでもない男であったよ。バーテンダー。彼らにも同じものを」
ロートス様の言葉がよほど気に入られたのでしょう。まるで同意するように笑みを浮かべながら、同じワインをと注文するハイドリヒ様。
私は磨かれたワインクラスを取り出し、お二人にお注ぎする。
黄とも緑とも付かぬ淡い色を帯びた透き通る液体。その透明な中にどれほどの蓄えているのか分からぬほどの香り。普段ビールをメインに飲まれているだろうお二人には、初めてとなる貴婦人との出会い。
「ならば、私の中にあるそのロクでもない者達の記憶はなんなのだろうな。新世界の開闢を決する戦い。魔人と呼べる部下と、それに追随する何百何千万の魂を引き連れた怒りの日」
掲げられたハイドリヒ様のグラスは、部屋の灯りを一身に受け、まるできらきらと輝くシャンデリアのような輝きを得る。そして語られるのは、在りし日に語られたような物語。
「その主演の一人。 --黄金の獣と呼ばれた自分は何者なのか」
そしてグラスをゆっくりと方向け、ワインは飲み干される。そのに残ったのは空のグラスと、何かを探す金髪の男性。
「今の自分は間違いなく人のはずだ。しかし今だに確証が持てないのだよ。この飢えは、渇きは満たされることはないのかとね」
もし、この言葉がそのへんの酔っぱらいの言葉であれば、なにを世迷い言をと切って捨てられたであろう。
もし、この言葉がそのへんの子供のものならば、いい加減夢と現実を分けなさいと叱られたであろう。
だが、今現在ドイツ軍でもっとも成功したと言われている青年将校、ラインハルト・ハイドリヒの言葉である。子供と断じるのも夢と断じるも、現実に築き上げた功績が大きすぎる。なによりしっかりとした口調が夢と現実の間に揺れる狂人とはとても感じさせない。
逆にいえば、それほどの男であっても悩みの一つはあるのだと感じさせる説得力がそこにはあった。
「あんたは正気だよ」
だからこそだろう。ロートス様はワイングラスを傾けながら言葉を紡ぎ、そしてその言葉に同意するように同僚の方も口にする
「俺達は現実に生きている。良いこともあれば悪いこともあるし、満たされない物語のような夢を抱え飢えてもいる。だが夢は朝には覚め、生にはいつしか終わりが来る。だが、それが人間だ」
「ああそうだ。俺達は永遠になれない刹那だ。どれだけ憧れて求めても、幻想にはなれない現実に生きる人間だよ」
ロートス様と同僚の方の言葉は、若干酔っているためか詩的表現ではあるものの、まるで共に過ごしたように、同じ高みに登った者のようでもあり、ある意味で立場などを気にしない傲慢で、それでいて真摯な評価をされます。
「生に真摯であること。ああ、確かに卿らの言う通りだな」
そしてハイドリヒ様が噛み締めるように紡がれる言葉もまた、先程までの苦悩を感じさせぬ、答えを得たものの言葉でした。
「飽いていればいい、餓えていればよいのだ。生きる場所の何を飲み、何を喰らおうと足りぬ。だがそれで良い」
私はふと隣に立つアンナさんを見ると、ある意味で哲学的な、ある意味で酔っ払いのたわごととも取れる三人の会話をつまらなそうに見ていました。
「アンナさんは加わらないのですか?」
「男達が酔って楽しんでるからって、野暮なツッコミなんか入れてみなさい。いい女が廃るわ」
「それもそうですね」
「男達が、自分は人間だ化物だ~なんて言ってても、女にとっては愛すべき
「それに?」
なにを当たり前のことを議論しているのかと、さらっと答えるアンナさん。
「夢を追っかけて突っ走るのは男の特権だけど、何時何処でのたれ死んじゃうかわからないのよね。だから女ががっちり捕まえるのがお仕事」
「そうですね。たしかに彼らは気が付けば何処までも、それこそ世界の中心までも駆け抜けてしまいそうですね」
「そうそう」
アンナさんがにっこりと笑いながら出した結論は、気が付けば男たちの語らいも終わった男性陣にも聞かれていたようです。
まあ、せっかく暖まった場です。
「では女性に捕まるしか能の無い哀れな男の一人として、皆様に一杯披露させていただきましょうか」
そういうと私はカウンターから数本の酒とシェイカーを取出す。
シェイカーにウォッカにオレンジ・キュラソー、アプリコット・ブランデーを2対1対1。そしてライムジュースをワンショット。
観客は4人。
目ではなく、鼓動にも近い心地よいリズムでシェイカーを振る。しかしそのリズムは一瞬で引き込まれるも決して長い演目ではありません。
4つのショートのカクテルグラスに注がれるのは、淡い黄金。
最後にオレンジの果皮を香り付け程度にひと撫で。
「これは?」
「名前はアキダクト」
ウォッカの強いアルコールを感じるものの、アプリコット・ブランデーやオレンジキュラソーが柑橘系のさわやかな舌触りを演出してくれます。そして後味はさっぱりとしていえ、ほのかに香るオレンジ。
「花には花言葉というものがあるように、カクテルにも誰がきめたのかカクテル言葉なるものがあります。そしてこのアキダクトのカクテル言葉は」
自然と4人の視線が私に向きます。そこで勿体ぶるように、しかし普段と変わらぬ口調で
「時の流れに身を任せて」
たぶん。この言葉こそが今日の話題に対するバーテンダーとしての私なりの回答なのかもしれません。皆様、初めて口にされる味でしょう。ゆっくりと香りと味を楽しまれます。
「そういえば、名を聞いていなかったな」
デザートカクテルの余韻を楽しんでいると、ふとハイドリヒ様がお二人に名を問われます。名乗ったのに相手の名も知らぬということを避けるための社交辞令的なものでしょうか。
「ロートス……。ロートス、ライヒハート」
「ミハエル」
名を聞いたハイドリヒ様は、グラスを置きゆっくりとした仕草で右手を形の良い顎に置き、ふと呟く。
「確か先日、遺産管理局から首都防衛隊に移動したメンバーに名があったな。そして、卿があのライヒハートか」
「落ちこぼれだけどな」
ロートス様は肩をすくませなら答えます。しかしハイドリヒ様は言葉をつづけられます。
「そんなに卑下することはない。卿という人間の価値の前に、家の名など取るに足らぬ。私とて与えられた地位をなくせば、それこそ市井の一角と変わらんだろう。その程度なのだ。いや、そうでなくてはならない」
「それもそうか」
「感謝しよう。幻想にはなれぬか。なるほど。ならばありふれた人間、職務を全うして滅びる一人の軍人であろう」
そういうと、ハイドリヒ様は満足したとばかりに席を立たれる。カウンターには三人が飲み食いしたには余りある紙幣が置かれている。
さすがにロートス様たちも、その意味に気が付かれたのでしょう。
「また、あえるかな」
「縁があれば」
「じゃあ、またどこかで」
ハイドリヒ様は、ロートス様の言葉を背に、静かに扉を閉じられるのでした。
******
0時に差し掛かる頃。
すでにアンナさんは片付けを終えて上がっています。
私も粗方洗い物を終え、明日の仕込みに入る頃、扉が押し開かれ来客を告げる鐘がなります。
そこには、今生では会うことの無かった身内、ベルリンでは珍しい黒髪黒目のまるで影法師のよう男性が立っておりました。
「久しぶりですね、叔父さん。神様業は無事引退されたのですか」
最終話は北海道の空港でビールを飲みながら書いてました。
活動報告は明日あたりに書きます。
そちらのほうもご覧いただければ幸いです。
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第九話 IF
ならばと書き始めた作品。
明日が、このお話の後日談を書くんだ!
1943年 ベルリン
ベルリンは連合軍に包囲され、ドイツ最後の抵抗となる火蓋は切って落とされた。
歴史ある町並みは、二度目の戦火に晒され多くを失われようとしている。それを歴史は戦争の負債であり敗者が支払うべき代償であると断じるだろう。だが、その燃える街にも、文化の担い手たる人々は確かに生きているのだ。
そんな中、私は今日もベルリンの場末にある私の店、BARグラズヘイムにいる。
すでに常連の方々の姿はない。
ある方は暗殺され、ある方は任地で亡くなったそうだ。
最後の常連ともいえる二人もつい先日「また会いましょう」と一言残し、それ以降姿を見ることがなくなりました。
窓を開けずとも響く砲火の衝撃、銃弾の音、街が燃える熱。
いつか来るとわかっていた情景。
私は諦めとも感傷ともつかない感情を感じながら、いつもと変わらずグラスを磨いていると、トントンと扉を叩く音が静かな店に響き渡る。
今は営業時間。もともとBARの扉に鍵などはかけていない。
その上でノックの音が聞こえるということは、隣人でしょうか? 最後まで残った軍の方々でしょうか? それとも連合軍でしょうか。どなたであっても、どんな結果であっても受け入れることに変わりません。
私は扉に手をかけ、そっと開けた先には……
******
選択肢1:金髪の女性が一人
選択肢2:影法師のような男が一人
******
私は扉に手をかけ、そっと開けた先には金髪の女性。
「ご無沙汰ですね。バーテンダー」
そこには、記憶するお姿からかけ離れた、疲れた表情のベアトリス様のお姿がありました。
「これはご無沙汰しております。ベアトリス様」
「たしかハイドリヒ卿が、姿を隠されてからですから一年以上といったところでしょうか」
「そうですね」
状況を考えれば、場違いな挨拶。
しかし懐かしい顔を見て、ふと過ぎ去った時間が思い出だされる。
ベアトリス様が初めて来店された頃。同僚によろこんで貰いたいと時間を惜しんで、お店を探されておいででした。その後、常連として通いつめられた1940年、1941年あたりは、もっともお客様が多く、ある意味一番忙しく幸福であった時期。
しかし思い出しても先のないことなのでしょう。
「して、今日はどのようなご用件で? 世間的にはベルリンが陥落し、枢軸側が敗北必須という情勢。その中、戦乙女と信奉される貴方がわざわざ顔を出されたのですから、それなりの用事かとおもいますが」
「そうですね。私としては、放置して良い事象では無くなってしまいまして」
「そうですか」
感情を押し殺しながら呟かれるベアトリス様の言葉に、私は相槌を打つしかできませんでした。人より長い生を生きたとはいえ、気の利いた言葉が出せるほど成長はしていないようです。
「もう、バーテンダーは気が付かれてますよね?」
そんな中、ベアトリス様はまっすぐ私を目を見ながら宣言する。ここで何がと煙に巻くこともできましょう。しかし、真剣な質問には真摯に答える。なにより私の事など酒の席のネタにしかならぬ程度のもの。嘘偽りを並べてまで隠す必要などございません。
「それは今降り注ぐ、破壊の魔力に関係がありますか?」
「やっぱり魔術や魔力についてわかっちゃうんですね」
「多少の心得もありますので」
私はそういうと一度空を見上げる。
そこには光で描かれた巨大な方陣が展開され、まるで溢れ出したように巨大な魔力がこのベルリンの地に降り注いでいます。なによりハイドリヒ様の声を乗せて広がる言霊は、聞くものを魅了し破滅させる類のモノ。
「きっとあの魔力に当てられた人たちが死ねば、その魂は絡め取られ魔力となりあの方陣、いえ、ハイドリヒ様に取り込まれるのでしょうね」
「そこまで……」
ベアトリス様は、何かを口にしようとして一度顔をそむけてしまう。しかし意を決したのでしょう、私に対して質問をしてきます。
「そこまでわかっていて、なんで逃げないんですか?! 死んじゃうんですよ」
「たとえ、そうであっても。私が
そう少なくとも数百年の時を生きた意識は、今生においても確実に根付いており、この世界、この世間、この地域の一般的な人々が持つ価値観とは違うものが軸となっています。
そして得てして長寿の方は、執着するもの以外どうでもよくなるようで、私にとってバーテンダーとして生きることこそ総てといえましょう。
「じゃあ、私と……」
「そこまでにしていただこうか」
「副……首……」
私はまるで糸が切れたように、意識を失うベアトリス様を抱きとめる。そこには、まるで世界そのものと同化し、巨大な気配を隠蔽した影法師のような男が立っておりました。
「どうしましたか? 叔父さんまで」
「ふむ。私的に褒美をと思って訪れてみれば、甥の珍しい女性関係のシーンにでくわすとはいやはや」
「出歯亀は、女性に嫌われますよ」
私は、軽口を叔父に向けますが、意識は腕の中のベアトリス様に集中しております。呼吸、脈拍ともに正常、これは魔術なりで意識を飛ばされましたか?
「それはいけないな。美しき女神に嫌われたくはない」
珍しい叔父の軽口に驚きつつも、言葉を返させていただく。
「魂食いの夜に一年以上姿を隠していた叔父さんと再会するとは、ほとほと因果というものは悪趣味なようですね」
「全くだ。しかし時間がない用事は手早くすますとしよう」
そういうと叔父、いやカール・クラフトはその手を私に向ける。そして私がその手に吸い寄せられるように意識が向くと、まるでランプを消した時のように周りから灯りが消え、静寂に包まれる。
「では我が甥よ、那由多の先で会おう。お前のおかげで多くのものを見つけることができた。なにより女神に捧げる首飾りに相応しい
--そして私の意識は深く眠りにつく
******
魂で組み上げられた黄金の城が現世から旅立ってから、数日が経過した。
黄金の城の最奥には、この城の主を祀るに相応しい玉座があり、そこに一人の男が肩肘をつきながら静かに座っている。
その姿はナニカをまっているようにも見えるし、瞑想しているようにも見える。
しかし気配はそんな生易しいものではない。荒れ狂う大河を飲み干し、おのが内に沈めんとする人間ならざるものの力のせめぎあいがそこにあった。
ゆえにその場には彼以外いない。
部下たちはその力の放流を恐れ、畏怖し、またその儀式の邪魔をせぬよう控えているのだから。
だが、その場にまるで我のみは違うと言わんばかりに一人の男が近づいてくる。
もちろんこの城の主。ラインハルト・ハイドリヒも気がつく。
「どうしたカール」
「いやはや、あれだけの大儀式を行って数日で安定させるとは、さすがの一言に尽きる」
「ありがとうと返そうか。しかし、その儀式のお膳立てした卿に言われても、まるで自画自賛しているようにも聞こえるが?」
「私は嘘偽り無く、我が友を褒め称えているのだ。そこに他意はないよ」
そう。近づいてきたのはカール・クラフト。聖槍十三騎士団の副首領。首領であるラインハルトの補佐にして対を成す存在である。
「して今日は何用だ? てっきり次の策謀の準備をはじめしばらく顔を出さないと考えていたぞ」
「これは手厳しい。私も友の偉業を礼賛するぐらいの甲斐性はあるつもりだが」
そういうと、カール・クラフトはその手に持っていたワイングラスの一つをハイドリヒに渡し、持参したワインを注ぐ。そして同じように自分のグラスにも注ぎ。
「では、友の第一歩を祝して」
「乾杯」
二人はグラスを軽く掲げ一口。
「
「我が友もついに味がわかるようになったのだな」
「酒というものは存外面白いものだな。聖遺物を宿し、もはや酔うこともなくなった身だが、味を楽しむことはできる。闘争と同じように、同じ銘柄であっても同じ味は二つとない」
「それがわかる友に飲まれるこの酒も幸せだろう」
「その物言いは、あのバーテンダーのようだな」
ラインハルトは、ふとベルリンの裏路地にある小さなBARのバーテンダーの事を思い出す。あの者は闘争の英雄ではあり得ないが、その生き方はけして嫌いなものではなかった。
しかし、そこまで考えが至り、ふとあることを考える。
「カール」
「なにかな」
ワイングラスを揺らしながらカール・クラフトはラインハルトの呼び声に答える。
「おまえはベルリンの裏路地にあるBARを知っているか?」
「はて、ベルリンの裏路地にあるBARなど、それこそ無数にあると思うが、我が友が気にするほどのものが?」
「なに、このグラズヘイムにそこのバーテンダーの魂が無いようなのだ」
「はて、あの術式の範囲内であれば取り込まれているのが当然。たまたまあの戦場から避難していたため、術式の範囲外にいたという可能性も十分にありえるが」
「まあ、それも縁なのだろう」
そういうと、ラインハルトは興味をなくしたように目を閉じ、ゆっくりとグラスを傾ける。カール・クラフトはその姿を見届けると、満足そうに部屋から退出するのであった。
しかし
扉が閉まると同時にその首目掛けて、雷光の刺突が走る。
人間が受ければ少々の鎧もろとも刺し貫き、纏う雷光で骨一つ残さず焼き尽くすことだろう。しかし、問題は相手が人間ではないことだ。
必滅ともいえる一撃は、カール・クラフトの胸の上、それこそ塵一つ分の間を開け停止していた。
そしてカール・クラフトは大して興味もなさそうに疑問を口にする。
「これはどういうことかな」
「あの人をどこに隠した」
「はて、誰のことかな」
カール・クラフトは記憶にないとばかりに、攻撃してきた相手、ベアトリスは瞳に怒りを登らせながら言葉を返す。
「この城をくまなく探した。しかしあの人はいなかった。あの状況で、人一人の魂を隠すことができるのは、貴方だけだ」
「まったく、何を根拠として言っているかと思えば」
「それよ」
「ん?」
カール・クラフトは忙しい。なぜなら、彼はついに見つけた女神に捧げる首飾りに相応しい
しかし、悲願に至るきっかけを見つけたのだから、過去にこれ以上ないほど機嫌も良い。ゆえに聞き返したのだった。
「その断定する理由を聞こうか。もし納得できるものであれば、魔名を与えた時のように予言を与えよう」
「貴方は詐欺師だわ。胡散臭い言葉を積み重ねて煙に巻く。むしろ知ってても言わぬことだらけ。だけど、そんな貴方も嘘だけはつかなかったわ。すくなくとも、誰の事だと返しても、そんな人物など知らないと答えなかった」
ベアトリスは一瞬の隙でも生まれれば剣を押し込むと言わんばかりに、まっすぐカール・クラフトを見据える。対するカール・クラフトは軽く笑いながら答える。
「珍しい縁と思っていたが、ここまでとはさすがは我が甥。よかろう。お前に一つ予言を与えよう。私の目的が達成した暁にはまた出会えると」
「……その言葉に二言はないわね」
「無論」
その言葉に納得したわけではないが、引き時と判断したベアトリスはその場を後にする。告げられなかった言葉を、再度告げるために、戦乙女は次の戦場に向かうのだった。
「なあ、カール」
「なんだね? 我が友よ」
「なぜベルリンの裏路地にあったBARがなくなっているのだ? 既知感に誘われベルリンの表通りから一本入った裏路地のある場所に行くとBARが合ったはずだが、今は古びた民家が倉庫替わりにあるだけだった」
「それこそ記憶違いということではないかね? ベルリンの裏路地にBARなど無数にある」
「では、カール。お前が持ってくるワインなどは、いったいどこか入手してくるのだ?」
「たしかに入手しずらい銘柄も多いが普通に入手しているのだが?」
「どうあってもシラを切る気か?」
「私は女神に誓って嘘はいっていないのだが」
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第■話 if 女神の治世
もう原作やってる方のみしかわからない内容ですが、ごめんなさい
とはいえ、バレンタイン企画も終了。
次の作品はプロット完成、10%ほど本文をかいたあたり。
次回作もよろしくお願いいたします。
1943年 ベルリン
ベルリンは連合軍に包囲され、ドイツ最後の抵抗となる火蓋が切られた。
歴史ある町並みは、二度目の戦火に晒され多くを失われようとしている。それを歴史は戦争の負債であり敗者が支払うべき代償であると断じるだろう。だが、その燃える街にも、文化の担い手たる人々は確かに生きているのだ。
そんな中、私は今日もベルリンの場末にある私の店、BARグラズヘイムにいる。
すでに常連の方々の姿はない。
ある方は暗殺され、ある方は任地で亡くなったそうだ。
最後の常連ともいえる二人もつい先日「後ほどお迎えにあがります」と一言残し、それ以降姿を見ることがなくなりました。
しいて言えば、身重のアンナさんのことが心残りといえば心残りでしょうか。開戦前に入手しておいたポンドやドル、換金しやすい宝石や酒を持たせ半年ほど前に逃しましたが、上手く生き残ることができたでしょうか。
とはいえ、今考えたとしても終わりのないことですね。
窓を開けずとも響く砲火の衝撃、銃弾の音、街が燃える熱。
いつか来るとわかっていた情景。
私は諦めとも感傷ともつかない感情を持て余しながら、いつもと変わらずグラスを磨いていると、トントンと扉を叩く音が静かな店に響き渡る。
今は営業時間。もともとBARの扉に鍵などはかけていない。
その上でノックの音が聞こえるということは、隣人でしょうか? 最後まで残った軍の方々でしょうか? それとも連合軍でしょうか。どなたであっても、どんな結果であっても受け入れることに変わりません。
私は扉に手をかけ、そっと開けた先には金髪の女性。
「ご無沙汰です。バーテンダー」
そこには、記憶するお姿からかけ離れた、疲れた表情のベアトリス様のお姿がありました。
「これはご無沙汰しております。ベアトリス様」
「あの方が亡くなられてからですから、一年以上といったところでしょうか」
「そうですね。先輩が戦死されてから前線に行くことが増えましたから。でもアンナさんとは手紙のやり取りをしてたので、バーテンダーさんが元気だということだけはうかがってましたが」
「そうですか」
外を見回せば街を焼く炎の赤が空を染め上げる状況を考えれば、場違いな挨拶。
懐かしい顔を見て、ふと過ぎ去った時間が思い出だされる。
ベアトリス様が初めて来店された頃。同僚によろこんで貰いたいと時間を惜しんで、お店を探されておいででした。その後、常連として通いつめられた1940年、1941年あたりは、もっともお客様が多く、ある意味一番忙しく幸福であった時期。
しかし思い出しても先のないことなのでしょう。
「して、今日はどのようなご用件で? 世間的にはベルリンが陥落し、枢軸側が敗北必須という情勢。その中、戦乙女と信奉される貴方がわざわざ顔を出されたのですから、それなりの用事かとおもいますが」
「部隊から追い出されちゃいまして……」
「はい?」
まるで聞き間違いを確認するような、変な返答をしてしまいましたが、崩壊するドイツ軍を支える戦乙女が所属部隊を追い出されたという事を鵜呑みにできるかといわれれば、信じがたいというのが素直な感想となります。
そのためか驚き呆けるという、無様な顔を少々さらしてしまいました。
対してベアトリス様は、今日にいたるまでの激務で隠しきれない疲労が顔でておりますが、どこか晴れやかな表情で宣言されました。
「では、逃げちゃいましょう」
「申し訳ありません。私が
何を言い出すかと思えば、少なくとも数百年の時を生きた意識は、今生においても確実に根付いており、この世界、この世間、この地域の一般的な人々が持つ価値観とは違うものが軸となっています。
そして得てして長寿の方は、執着するもの以外どうでもよくなるようで、私にとってバーテンダーとして生きることこそ総てといえましょう。
しかし私の意見など関係ないとばかりに、ベアトリス様は私の手を両手で包み込むように優しく握ると、まるで懺悔するかのように独白されました。
「不思議に思うかもしれませんが、今日という日を私は何度も夢見て後悔してたんです。貴方を連れて逃げ出せなかったことを。それもチャンスがあったのは最初の一回だけ。それ以降はどれだけ貴方を探しても見つけることができませんでした。傷心の私は任務に没頭して、そんな私を真の意味で理解してくれる優しい人も現れてくれたのに、結局忘れられなくって不義理を……。ほんとうに私って……」
夢のことと語るベアトリス様の表情は、夢想家のかたる妄想と割り切るには真にせまっており、ただの戦場の狂気に侵された幻覚患者と言うには、現実での功績は高すぎました。しかし、同じように悩んでいた方がいらっしゃったのを、ふと思い出されます。
では、私は私らしく酒の席の言葉で悩めるお客様に言葉をお送りすることでしょう。
「あなたは正気ですよ」
「えっ?」
私が別の言葉をいうものと考えていたのかもしれません。ベアトリス様は私の目を覗き込むように顔を上げてきます。
私は握られたベアトリス様の手をそっと握り返し、静かに告げます。
「私達は現実に生きております。良いこともあれば悪いこともありましょう。満たされない物語のような夢を抱えることもありましょう。ですが夢は朝には覚め、生にはいつしか終わりが来きます。たとえ終わらぬ夢を追っていたとしても、貴方は正気の人間ですよ」
少々空気に酔った言葉を並べてしまったのかもしれません。ベアトリス様は俯いたままとなっております。まあ、道化として一人の悩める方に笑いの一つも与えられなら、良い人生だったのかもしれません。
耳を澄まさずとも、砲弾と女神の音が近づいてきているようです。先程まであった動く気配も、もうほとんど残っておりません。
そんな風に一瞬外に意識が向いてしまった事がいけなかったのかもしれません。
不意にベアトリス様が握る手を強く引き、私は一瞬前のめりに倒れ掛かりそうになります。人間の三半規管というのはいついかなる時もバランスを保とうとし、反射的にまっすぐ上体を起こそうとしてしまいます。
しかし、まるでそのタイミングを狙ったかのように、唇が一瞬だけ触れた気配。そこには、よく熟れたトマトのように私に密着したベアトリス様の真っ赤な顔がありました。
「やっぱりアンナにけしかけるだけけしかけて、自分は何もしないというのはダメね。もう一度いいます。私と逃げてくださいバーテンダー」
「ですが、私には」
「だったら逃げて逃げて、世界の端でもう一度お店を開きましょう。もちろん私もいっしょです。きっと楽しいですよ」
ベアトリス様は良い意見だと言わんばかりに、満開のひまわりをおもわせるような笑顔で言われます。
「しか……」
「ああ、それは良い意見ですね」
私が回答を言おうとした時、遮って言葉をかけたのはベアトリス様と同じように懐かしい顔でした。
そう「後ほどお迎えにあがります」という言葉を残して去っていった常連の二人がそこにいました。
しかしベアトリス様は常連の二人が乗る車、後ろに控える兵士達の軍服を見て素早く銃引き抜き、私を庇うように構える。
「できれば、そのままで。私達は恩を返しにきただけですから」
「恩ですか?」
「ええ。見て頂いた通り、私達は連合軍側の人間です」
そういうと、二人は簡単な身分証を提示してくれました。英国秘密情報部に、米国戦略事務局所属ですか。
まあ、所属を見れば、なぜ長らくベルリンにいらっしゃったのか予想もつきます。ベルリンで企業家を装い、スパイ活動をしていた……ということですか。しかしなおさら恩というのはわかりません。
「まあ、私達もいろいろ仕事をしていますが、まさか常連仲間がゲシュタポ長官とは思いませんでしたよ。もっともその頃には、この店の虜になっていたので、あえて手をださなかったんですがね」
「ええ。唯一のオアシスを血に染めるのは無粋と思うのは当然でしょ?」
どうやら、私の店は気が付かない内に諜報戦の主戦場一歩手前だったようです。
「もっとも、そう思っていたのはあちらもらしく、あちらさんが暗殺される直前にこんな手紙をくれましたよ」
そこには偽装でもしたかのような古びた封筒が一つ。
中には、今では発行されることも、受理されることもないアメリカ移民に関する数々の許可証。それも私とベアトリス様。そしてアンナさんの分がありました。
「これは?」
「言伝としては一言。この味が失われるのは惜しいと」
今生の両親が亡くなった時、叔父に助けられ店を護ることができた昔。そして今度は常連達の思いで店を続けてほしいと請われる今。
「人の縁とは分からぬものですね」
私は深く息を吐き出すと赤く染まる空を見上げながら手を伸ばし、そこにかかっていた看板を取り外します。
「まあ、店を続けるのですから看板ぐらい必要でしょう」
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201X年 諏訪原市
諏訪原市。日本に数ある都市の中で比較的国際色豊かな地方都市。
戦後復興の折、アメリカを中心とした資本で再建された歴史もあり、口さがない者達の言葉を借りるならば、戦勝国の人心掌握起点といった都市である。
もちろん東京や京都にそんなことをすれば伝統を重んじる日本人の反骨心に火をつけてしまっただろう。しかし、ほどほどの地方都市で焼け野原からの復興であったため、2000年代の今では、横浜や神戸のような国際色を自身の魅力とするにまで成長していた。
そんな諏訪原市のメインストリートから一本奥まった場所に、小さなBARが一軒ある。
戦後しばらくして立てられた店構えは、周りの建物と比較すれば恐ろしく古く、しかしどこか懐かしさを感じさせる作りであった。
その少々重い扉を押し開くと、そこにはマホガニー製の品のあるカウンターに、数個のテーブル席。けして広い店内ではないが、奥にはピアノと大きな柱時計が置かれており、一度中に入れば時代から取り残されたようなノスタルジックな気分を味わうことができる。
「いらっしゃいませ」
扉に取り付けた鐘の音に気がついたのだろう。奥の厨房から一人の老人が現れた。温和な笑みを浮かべた顔には数多くの深い皺が刻まれている。しかしバーテンダー服に身を包むその姿は伸びた背筋と相まって、老いよりも古き良き時代を感じさせるものであった。
「ああ、蓮くんか」
「ただいま。養父さん」
今さきほど扉を開けてはいってきた青年、藤井蓮の年のころは20代前半。老齢のバーテンダーの子供というには年が離れすぎている。
「私に息子はいないのだがね」
「でも、孤児院から引き取って育ててくれたのは、ベアトリス養母さんと養父さんだろ」
実際世話らしい世話はベアトリスがしており、私は人の親らしいことなどまるできませんでした。結果的に責任放棄にも聞こえる若干無責任な軽口になるのですが、子供は大人の背を見て育つのでしょう。しっかりした青年に成長してくれました。
なにより軽口とわかっている蓮は意にもかえさず、狭い店内に視線を送る。
窓際のテーブル席には老齢の男性客が二人。ビールの飲みながらカードを楽しんでいるようだ。
そしてカウンターの奥に座る待ち人に気がつく。
「遅くなりました先輩」
「いいよ。藤井くんが遅刻しても、ベアトリスさんとアンナさんが相手してくれてたから」
「あら、レディーを待たせるのは紳士にあるまじき失態よ」
そう言葉を返したのは銀髪の女性、氷室玲愛。この町にある教会の娘で蓮にとっての先輩にあたる。そしてもう一人は金髪の老女。言動も若々しく、腰も曲がっていないため、年齢不詳を地でいく存在。しかし年は七十を超えていたはず。
「ベアトリス養母さん。5分も遅刻してないんだけど」
「30分とは言わないけどせめて女性の来る前に、時間前に待ち合わせ場所に来なさい」
言葉だけ聞けば、まるでしつけをする母親のような口ぶりだが、バーテンダーとベアトリスは夫婦だが、蓮を含む何人もの子供を養育こそするも、戸籍の移動は行っていなかった。
「まあまあ、蓮くんもけして悪気があって遅れたわけじゃないんでしょ」
そうフォローするのは赤毛の小柄な女性。名前はアンナさん。この店の元看板娘。いまでも現役時代に覚えた楽器で弾き語りをしたりする人気のある女性だ。とはいえこちらもいい年のハズ。バーテンダーをはじめ、ここに集まる老人たちは、もうそれなりの年齢のはずなのにまったく老いを感じさせない。本当に元気なじいちゃんばあちゃんたちである。
「で、今日はどんな話を聞いてたんですか」
そういうと蓮は三人のすぐ隣のカウンター席に座る。バーテンダーは、寒い外から来たことを気にかけてくれたのだろうか、何も言わずにそっとホットワインの入ったグラスが置かれる。
「今日はドイツを離れた頃のお話をね」
「常連客にゲシュタポとCIAとMI6がいたってホラ話か? 全部が嘘とはおもわないけど、ホントなら映画になりそうな歴史の裏舞台って感じの話だったろ」
その話を知っている蓮は、日常から離れた映画のワンシーンを思い描き感想を述べる。
「え? 嘘なんですか?」
「さあ」
「今になっては分からないことだらけだしね」
二人の老婆をまるで口をそろえるように答える。その口ぶりは老人特有の胡散臭さがあり、さきほどまでの真に迫った語り口とは真逆といってもよいものであった。
先程まで本当のこととおもって聞いていた玲愛もさすがに「本当なのかな?」と疑問に感じているようだ。
そんな中で一人だけなにも言わなかった人物に蓮は質問する。
「で。本当のところは?」
その質問に私は静かに微笑みながら、折角きた子どもたちに振る舞うための料理をはじめながらいつも通りに答える。
「あなたが信じたお話が本当ですよ」
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