異世界人こと俺氏の憂鬱 (魚乃眼)
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異世界人こと俺氏の憂鬱
第一話


 

 

俺はサンタクロースをいつまで信じていたのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――なぁんてことを話すのはそもそも世間話としてどうなのか。

だって聞くだけ野暮だし話して何が楽しいのかが俺にはわからない。

別に信心深い人間でなくても赤福もとい赤服じーさんの存在を疑わない奴は多いはずだ。

つまり、存在の有無は各々の意識であって、最初から信じないかどうかなんて別の問題なのだ。

何故ならば、最初から信じていない人にとってはサンタの有無という概念すら無いのだろう。

ただ、無が有るだけだ。

二元論でさえない。

マイナスでもプラスでもゼロでもないのさ。

スタートラインに立っていないんだから。

 

――では俺の場合はどうなのか?

と、尋ねられると実のところサンタクロース氏を長い間信じていた。

だが、中学時代のアホどものせいでそれも終わった

それこそたわいもない世間話のおかげでサンタクロースの不在を俺は聞きつけたのだ。

サンタクロースという存在は人の夢のように儚い幻想。

それが砕け散ったガラスとして俺の胸に突き刺さるように大変ショッキングな思いをしてしまった。

 

 

 

しかしながら今も尚俺はサンタクロースの存在を心のどこかで信じている。

……数字にすれば1桁程度の思いだが。

そして捻くれた考え方をすればその考えは神や悪魔の存在を証明したがる数学者と同じなのかもしれない。

そうさ、まるで雲を掴むような話だ。

けれど俺は全知ではない。

自分の目と耳で全てを確かめたわけではない俺からすると無知こそが希望となるのだ。

 

――要するに俺もどうしようもなく憧れていたのだ。

アニメ的で特撮的な漫画的物語。幻想の世界とやらに。

サンタクロースの不在証明に限った話じゃないのさ。

俺が考えたシナリオとしてはこうである。

ある日突然別の世界へ飛ばされて、そこで自分に眠っていた魔法のようなファンタジー的な能力に目覚める俺。

仲間とともにそのスーパーパワーでもって様々な事件を解決していく。

主人公に憧れてはいるが、俺はそこまでの優待は望まない。

俺にとってのヒロインが居てくれればそれで満足だ。

ま、そんな幻想も現実問題あり得ないと心のどこかでは諦めていたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、現実ってのは何があるかわからない。

世界の物理法則とやらと会話ができるのなら言ってやりたい。

 

 

「お前さん、実は何も考えてないんじゃあないのか」

 

と。

 

――中学一年生のある時に『俺は前世の記憶を思い出した』。

何を言ってるのかわからないと思うが俺も何があったのかわからなかった。

いや、正確には某ひみつ道具のタマシイムマシン的な体験をしたと言うべきか。

俺の記憶では少なくとも2000年は10の桁に差し掛かっていたし、そもそも死んだ覚えがない。

最後の記憶はしがない会社で働いている俺が残業を終え、やっとの思いで眠れるというものだ。

もしかしたら夢なのかもしれないが、現在はその説を棄却している。

俺は生まれてこのかた自由に思考や行動ができる夢を見たことがないからだ。

そして鏡に映る自分は忌々しい中学時代のそれであった。

家族構成や容姿といったコアとでも言うべき部分はかつての俺と変わらないのだ。

しかしながら、記憶が正しければ住所は昔俺が住んでいた地域と違う上に、あろうことか姓名さえ変わっていたのだ。

加えて今日までの記憶も混在しているというのだから頭が痛い、頭が破裂してしまいそうだ。

 

 

「フゥーハハハ!」

 

という具合に俺がなるのも仕方ないだろう?

おかげさまで学校以外の時間は殆ど自室に引きこもる事になったのは黒歴史だ。

でもその内勉強に困らないからいいだろうと思考を放棄するようにもなった。

 

 

 

――だが、俺はある時に理解した。何故タマシイムマシン的な体験を俺がしてしまったのかを。

不思議体験をしたその日は七月七日だったのだ。

そして現在、俺が延々と続く坂道を上った山にある学校。

今日からこの"世界"で俺の新しい学校生活が始まる。

……らしい。

某県立北高校、校門には間違いなくそう書いてあった。

さあ、ここはどこなんだろうな。

俺はとっくに知っていたさ。

 

 

――この物語は、俺が謎を解かない物語だ。

何事もなく入学式を終え、今はクラスでホームルームを行っている。

期待半分ではあったのだが、初登校の折に見たクラス分けの張り紙には俺の心を動かすには充分な情報が載っていた

 

 

「1年5組、ね」

 

入学式とだけあって授業自体のガイダンスは科目の初めにそれぞれ行うのだろう。

ホームルームに充てられた時間は式が終わってから1時限だけである。

担任教師の若い青年が自身のスポーツ経歴を一通り話し終わった後、クラスメートそれぞれに自己紹介の時間が設けられた。

実のところ、今日は俺が何を言おうと後々にある女子生徒の自己紹介に持っていかれてしまうのだ。

独壇場に食い掛かる勇気を持ち合わせてはいない、考えただけでも恐ろしいね。

俺は趣味である読書とパソコン弄りについて一通り話した後、ゆっくりと着席した。

 

 

 

××県立北高校、俺がこの高校を進学先に決めた理由。

つまり今この高校に行く事に意味があるという訳で。

この高校に何があるのか、それはこの有名な口上を聞けば嫌でも解るさ。

男子生徒の平凡な自己紹介が終わり、後ろの女子生徒が勢いよく立ち上がった。

その様子を横目で見つつ、後に"伝説"とも言われるこの光景を俺は目に焼き付けよう。

 

 

「東中学出身、涼宮ハルヒ――」

 

俺はその涼やかな声を聞いた途端、つい抑えていた興奮が高まるのを自覚した。

だが、今日の主役は俺ではない、ポーカーフェイスを徹底するよ。

 

 

「――ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上!」

 

――さて、教室内の空気が凍り付いている間に説明をさせていただこう。

今の一言でとっくにご存じなんだと思うが、ここは【涼宮ハルヒシリーズ】の世界である。

不思議体験をしてから俺がその事に気づいたのは、中学のクラスメートの会話。

その中で"涼宮ハルヒ"の名前が出たからだ。

その時はオタクどものたわいもないアニメの話だろうと思ったのだ。

まぁ、しがない会社員だった俺も学生時代は創作活動にハマっていた。

"ハルヒ"という懐かしい単語を耳に入れた俺は久々に原作が読みたくなったので買おうとした。

だが、どこの本屋でも見つからないと来たのだから可笑しな話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――【涼宮ハルヒシリーズ】が世間で有名になったのはアニメ化してからの話である。

後日、話をしていたクラスの男子生徒に聞いたところ、ゆかいな仲間たちが中心となるライトノベルの話ではなく中学校の校庭に地上絵を描いたアホ女の話をしていたと言うのだから文字通り俺は凍り付いた。

……では、何故俺がこの世界に迷い込んだのか?

これは時間をかけずにわかった。つまり涼宮ハルヒが無意識の内に俺を呼び寄せたのだ。

遊び相手の一人、"異世界人"として。

原作開始三年前の中学時代、いつ涼宮ハルヒの能力が覚醒したか詳細は本編でも不明だったはずだ。

しかしながら7月7日が重要な分岐点だったのは確かだ。そ

の日に何らかの世界改変があっても不思議ではないし、それを確認することが出来る存在など一握りのはずだ。

涼宮ハルヒシリーズで異世界人は登場しておらず、一説には第四の壁を超えた観客達ではないかと言われていた。

なるほど谷川大先生、確かにそれなら涼宮ハルヒと言えど異世界人を呼び寄せるのは難しい。

その手の二次創作も存在したはずだ。

だが、紛れもないイレギュラーである俺を呼び寄せてしまった以上、異世界人の役割は俺が担当するのだろう。

もしかすると原作の本編でも異世界人は居たのかも知れないが。

 

――と、まぁ、俺が異世界人だ。

こう自称自覚する以上は、恐らく受動的に生活していても某団体に引きずり込まれるはずだ。

しかしながらこのままぼーっとしていても原作+俺の流れにしかならない事は明白だろう。

間違ってもハルヒの方から勧誘されればこちらの立場は低くなると考えられる。

原作主人公君は奴隷さながらだったが、流石にそれ以下の扱いにはならないだろうが……

とは言え先手を打つにこしたこともない、その点はアテもあるから大丈夫さ、多分。

もっとも、この思考そのものが涼宮ハルヒによるアブダクションの一環なのかも知れない。

俺の目的は多少の原作ブレイクである。

何も主人公勢力とケンカがしたい訳ではない、そういうライバルポジションは原作通りコンピ研や未来の生徒会長に任せるとする。

だが能動的にならない限り、このままでは原作をなぞるだけなので俺の目的は達成できない。

俺の目的とは、つまり、助けたい人が居る。

たったそれだけだ。

リスクも覚悟の上だが、こちらがカードの切り方を間違えるとあっという間に詰んでしまうのはかなりのプレッシャー。

涼宮ハルヒが俺に異世界、それも二次元への介入というチャンスを与えてくれた訳だが、彼女は腫れ物でもある。

まったく、どうもこうもないね。

 

 

 

――そんなこんなでいつの間にか、俺が今後を考えている間だが……

教室に張りつめていた空気は見事に立ち消え、自己紹介は無事に再開していた。

今日から数日は原作での描写もなく、俺としても動く必要はないと判断している。

入学式当日は、あらかじめ述べた通り涼宮ハルヒの独壇場で一日を終えた。

この世界の主人公も当たり前だけど動きそうにはなかったよ。

 

 

 



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第二話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして入学式から一週間以上が経過した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二度目の学生生活でわざわざぼっちの道を進むのは苦痛以外の何物でもない、

それに、少なくとも高校の三年間は原作メンバーと関わる事になるのだ。

パイプを作るなら早い方がいいはずだと考えた俺は、原作主人公、彼と同じ中学出身の国木田、そして涼宮ハルヒと同じ東中出身の谷口と昼飯を共にするようになった。

ちなみに、俺の出身中学校はこの3人とは違う。

 

 

「お前ら、もし涼宮に気があるんなら悪いことは言わん、やめとけ。あいつが変人だってのは充分理解したろ」

 

谷口はゆで卵を咀嚼しながら東中学校出身ではない俺を含めた3人に警告する。

こいつ(主人公)が涼宮に絡んだのはさておき、何故俺と国木田にも言うんだ?

 

 

「あいつの奇人ぶりが常軌を逸しているからだ。中学時代からああでよ、高校生にもなったら少しは落ち着くかと思ったが、まるで成長していねえ。お前らも聞いただろ、初日の自己紹介を」

 

「宇宙人がどうとか言うやつ?」

 

自己紹介という単語に反応したのは焼き魚の切り身から小骨を取り除いていた国木田だ。

丁寧な言葉使いだが国木田の言葉にはどこかトゲがある。

 

 

「ああ。涼宮で宇宙人と言えば有名なのが校庭落書き事件」

 

「何だそりゃ?」

 

主人公が訝しむような目で谷口に聞き返す。

ちなみに俺と彼はとっくに弁当をたいらげている。

俺は昔から食べるのが早かった、のんびり麦茶を飲みながら谷口の話を聞いている。

 

 

「石灰で白線引く道具があるだろ、涼宮はそれで校庭にデカデカとけったいな絵文字を書きやがった。しかも夜中に学校に忍び込んでだ、訳わからなくて笑えるぜ」

 

「話だけならオレも聞いたことあるけど、その涼宮ハルヒってのがまさか……あそこで退屈そうにしている女子生徒とはね」

 

今の発言は俺だ。

当然原作を知っているのでこれは嘘だが、異世界云々を話した所で、俺も涼宮同様に精神病と判断されるのがオチさ。

 

 

「それ見た覚えあるな。確か新聞の地方欄に載ってなかった? 航空写真でさ。 出来そこないのナスカの地上絵みたいなの」

 

「載ってた載ってた。中学校の校庭に描かれた謎のイタズラ書きってな。で、こんなアホなことをした犯人は誰だってことになったんだが」

 

「それがあいつの仕業ってか。よく警察沙汰にならなかったな」

 

「調べる前に本人から自白したんだ。当然、教師に呼び出されて校長室で尋問タイム。……だが動機は不明だ、だんまりを決め込んだ涼宮に職員一同お手上げで事件は終わる。一説にはUFOを呼ぶための地上絵、あるいは悪魔召還の魔方陣、または異世界への扉を開くだの、噂はいろいろあった」

 

 

その話を聞いた俺は思わずむせかけてしまった。

原作の細かい台詞など覚えていないが、その予想はどれも正解に近いと言える。

内情を知っている以上はどうしても笑えないし、反応に困る内容だ。

アンドロイド的宇宙人集団は実在する、そして他でもない異世界人が自分なのだから。

 

 

 

しかし、悪魔召喚の魔法陣か……。原作では悪魔というポジションの人物は居ない。

そして自己紹介の時に悪魔来い、と言ってない以上は元々悪魔に興味が無いのか、そうじゃなければとっくに悪魔とお付き合いするのを諦めているのだろう。

ただ、涼宮ハルヒがどこまで不思議を求めているのかは原作を読んでいてもよくわからかった。

なんと言うか、ただ"退屈"という不平不満を周囲にぶつけているだけにしか見えない。

少なくとも不思議を見つける事に対する執念を感じられる場面はそうないはずだ。

実際、主人公に対して妥協めいた台詞も言っていたと思うし。

……いずれにせよ本当に悪魔なんか呼ばないでくれよ。

『ファウスト』みたいな目にあうのは御免だ。

 

 

 

「――で、お前はそのAAランクプラスと何を話していたんだ? 今日の朝も会話してただろ」

 

いつの間にか話の内容は涼宮ハルヒの奇行から同じ学年である、一学年女子生徒のクオリティについてシフトしていた。

話半分で与太話を聞いていたのでよくわからなかったが、どうやら谷口は俺に言いたいことがあるらしい。

 

 

「だから、お前は今日の朝に朝倉涼子と仲良くお話ししてたはずだ。それともお前にとって美人と話す事に思うところがないのかよ、ちくしょう」

 

結局はただの嫉妬だが、そういう人間臭さがこいつを憎めない所以である。

下心はあるくせに変に純情なんだよな。

 

 

 

さて、谷口が名前を挙げた朝倉良子、原作1巻における重要人物である。

何故かと言えば彼女の行動が切っ掛けとなり、物語が加速するからだ。

主人公が身の回りの不思議を理解する切っ掛けでもある。

正直な話、今の段階でそんな重要人物とコンタクトするのはリスキーで、話かけられた時は恐怖したね。

彼女は宇宙人に分類される立ち位置で、俺の正体を掴まれている可能性があるからだ。

とは言え、表立った行動はしていないのでその可能性は現段階で低い上に、話の内容も世間話以下である。

 

 

「どうもこうもないよ。何を勘違いしたかは知らないけど、オレは彼女と世間話を楽しんだ訳ではないんだよ。ただ、オレがそこの物好き君と涼宮さんが話していたのを眺めていたら尋ねられたのさ。涼宮さんと話をしている彼……つまりこいつについてだ。オレには興味なし、じゃあないかな」

 

朝倉さんがどこまで考えて俺に接触したのかはわからないが、これは事実である。

曰く私を含めたクラスの女子ほとんどが涼宮さんに話しかけてもこれといった反応がない。

そこで、主人公とつるんでいる俺に主人公の人となりと聞かれたという訳である。

話しかけられたのは出席番号の都合で、俺と朝倉さんの席が近いというのもあったはずだ。

という言う方も聞く方も嬉しくない説明を俺はさせられた。

谷口は憐れむような目で「そうかそうか」と言って与太話を再開するのだった。

ナンパが生き甲斐の今のこいつを見ているのも面白いが、クリスマス前に付き合う彼女の件で報われればいいんだけどね。

その点をどうにかしてやりたい気もするが……それは俺の活躍次第だろう。

何せその相手は一般人ではないのだ、トラブルは御免だね。

俺に出来る事は限られているんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、主人公君が涼宮ハルヒと親睦を深めている間にゴールデンウィークに入った。

GWに入るころには、めでたく主人公君のキョンというあだ名は浸透していた。

 

 

 

そして連休明けの一日目、授業が終わり、放課後となった。

普段ならそのまま帰宅するのだが、今日は行くところがある。それは文芸部室だ。

つまりこういう事だ。

俺が原作に介入する上で涼宮さんに変に目を付けられるよりか、既に文芸部員として居る方が立場がマシになるのではないかと思ったからだ。

少なくとも涼宮ハルヒ以外のメンバーからの同情はあるだろう。

こちらから直接涼宮ハルヒに接触しようものなら、他の勢力を全て敵に回しかねない。

少なくともマークされるのは確かで、そんな事情も露知らずキョンは涼宮さんと親睦を深めている。

"鍵"という役割があろうとなかろうと各勢力からキョンは恐ろしい奴だと思われるのも無理はない。

早い時期に部員として居座ることも可能だが、それをしなかったのは単純な話で、涼宮ハルヒと俺が接触するには時期尚早だと判断したからだ。

涼宮さんは全部の部活をGW前にとっかえひっかえしていた、

普通なら凡人である俺など涼宮さんは意に介さないと思うけれど、念には"念"を入れたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――さて文化部部室棟3階、文芸部室の前にやってきた。

いきなり攻撃なんてされないと思うが、覚悟はしておく。

彼女は任務に忠実だから過激な行動はしない、と信じたいね。

 

 

ドアノブを握り、静かにドアを開ける。

部室は意外に広い。長テーブルとパイプ椅子、スチール製の本棚くらいしかないせいもあるが、俺一人が物語に増えた所で空間における支障はまるでないだろう。

クリスマスにはメンバーを集めてパーティもしてたはずだ。

そしてやはり、部室の中には一人の女子生徒がパイプ椅子に座りながら読書していた。

 

 

「どうも。……ここは文芸部室で間違いないかな?」

 

「……」

 

突然の来訪者である俺に対し、彼女は無表情でこちらを見つめてきた。

沈黙は恐らく肯定なのだろう。ともかく会話を続けることにした。

 

 

「文芸部室のプレートを見てね、こう見えて創作活動には興味があるのさ。部長はどこかな?」

 

「私」

 

「他の部員は?」

 

「いない」

 

「すると、君一人の部活動って訳かな。魂消たよ」

 

「そう」

 

すると彼女は本に栞を挿めて、ばたんと閉じた。どうやら本格的に会話してくれるらしい。

 

 

「オレもここで文芸部員として活動したいんだがいいかな?」

 

「……」

 

長門は少しの間沈黙した。もしかしなくても値踏みしているのだ、俺という存在を。

やがて小さなトーンで一言だけ、どうぞ、と口を開いた。

 

 

「どうも。オレは物を書くのが好きでね。それなのに物覚えが悪いから、メモ帳とペンは手放せないんだ。アイディアは創作活動の命らしい」

 

「そう」

 

「君はどうなのかな、書く方は」

 

「長門有希」

 

それは平坦で耳に残らないような声だった。

元々俺が一方的に彼女――長門有希――の名前を知っていたというのもあるが、それ以上に緊張していたせいで自己紹介を失念していた。

俺もそれに応じる事にした。

 

 

「読書だけ」

 

「長門さん、本は好きかい?」

 

「わりと」

 

「そうか。……オレも好きだ。読書をすることで見知らぬ人間の感情を手に入れられる」

 

「……」

 

持論に思うところがあるのか長門も特に反応はしなかった。

だが、俺は台詞にただ、と付け加えて話を続ける。

 

 

「それと同じくらい、あるいはそれ以上に執筆も素晴らしいとオレは思う。話し合いをしなくて済むからね」

 

「ユニーク」

 

「はは、オレのはただの没個性だよ」

 

なかなかどうして長門さんとの会話は愉快だが、これ以上読書を妨害するのも忍びない。

俺はさっさと退散する事にした。

 

 

「それじゃあ、帰るついでに入部届を先生に提出しに行くとするかな。出来るだけ放課後はここに来るようにするよ」

 

「わかった」

 

「長門さん、さようなら」

 

「……」

 

別れを告げてからゆっくりと長門さんは視線を俺から手元に戻し、本を開いて読書を再開した。

この時の値踏みで俺がどんな判断をされたのかは今でも不明だが、敢えて尋ねようとは考えていない。

彼女に聞けば教えてくれるのかも知れないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――とにかく、こんな感じで俺は文芸部の一員となった。

言っても一か月とない、至極短い間だったが。

 

 

 

 

 



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第三話

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が文芸部に入部して数日が経過した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本来ならば俺を含めて2人という現状は部活として最早破綻している状態なのだ。

しかし意外にも教師から特別な反応はなく、無事に俺の入部は受理された。

俺は一瞬、長門さんによる何らかの力が働いたのかとも思った。

実際は伝統ある文芸部を潰したくないという、一部教師の意向があり、入部は歓迎らしい。

長門さんには出来るだけ放課後に残るようにすると言ったが、俺は毎日部室に顔を出していた。

特別何かするのかと問われると、どうもこうもない。

しかしながら創作活動に興味があるのは事実で、部室で執筆こそしなかったものの、短編のプロットを幾つか長門さんに見せて意見を頂戴していた。

長門さんの感想はまさに簡潔で「ユニーク」や「普通」と実にシンプルな評価である。

ただ、言葉数こそ多くないものの具体的な意見もありそこそこの参考になった。

 

 

 

 

そして今日、長門さんと俺が大人しく読書している。

俺が読んでいるのは本屋で適当に買ったSFのハードカバーで、海外のマイナー作家の作品らしい。

SFやミステリーに関して有名どころはこの世界に来る前、既に読んでいる。

正直、読んでいるこの本は映画にすればC級レベルと言える。

登場人物の妙なテンションが、いかにも海外作家と思える所以でなかなか面白い作品だと思う。

すると、何の前触れもなしにドアが勢いよく開かれ、男女の二人組が部室に侵入してきた。

言うまでもなく、涼宮ハルヒとキョンの二人だ。 

涼宮氏は腕を大きく広げ満面の笑みで、今日からここが私たちの部室よ、と高らかに宣言された。

その後暫く二人の漫才が続いたが、どうやら涼宮が俺に気づいたらしく「あんた誰?」と微妙な顔をする。

その言葉でキョンも俺と長門さんの存在に気付く。彼女はさておき、俺も空気扱いとは……。

 

 

「おいハルヒ、こいつは同じクラスの明智だろ。1ヶ月以上過ぎたのに同級生の顔も覚えとらんのか。……それと明智、お前とそこの少女は何してんだ?」

 

明智というのはこの世界での俺の名字だ。

出席番号順の座席で朝倉涼子と席が近いのも納得だろう?

ただ、キョンが席替えをして涼宮ハルヒが後ろの座席に来たように、俺は朝倉良子が後ろの座席になった。

特別、会話はしないものの、後ろから刺されるんじゃあないかと時々恐ろしくなってしまう。

果たしてこの時の俺はまさか彼女と長い付き合いになるとは思っていなかったが。

 

 

 

もしかするとこいつらは俺と長門さんが校内で逢引しているように勘違いしたのかもしれない。

キョンも神妙な面持ちであるし、いかにもやれやれと言いたげだ。

それに対し俺はわざとらしく「やぁ」と会釈をして説明を開始する。

 

 

「ここは文芸部室、オレは部員で彼女が部長。今は見ての通り読書中でね……文章を書くための文芸部なのは確かだけど、一つの作品を掘り下げるのも創作活動になるのさ」

 

「お前が文科系の部活で、それも文芸部なんぞに所属していたとは驚きだよ。だがハルヒが言うにはこの部室を乗っ取って部活を作るつもりらしいぞ。詳細はよくわからんが」

 

「面白そうだね。でも、急に言われても困るよ」

 

「その娘は構わないって言ったわよ」

 

そう言えば原作でも事後承諾みたいな感じだったな。

キョンにとっては被害者であり加害者だが、俺と長門さんの立場からすれば一方的な被害者だ。

だが俺が反対する理由もとくにない。

 

 

「本当かそれ?」

 

「昼休みに会った時にね。部室貸してって言ったら、どうぞって。本さえ読めればいいらしいわ。ちょっと変わってる娘ね」

 

確かに長門さんは少し変わっているどころか、そもそも地球人ですらない宇宙人だが、

それなら涼宮さんは変態的なまでの変わり者である。

俺も前世――ここに来る前の世界――では、女性の変人も何人か見てきたが、涼宮さんは裏表がない純粋な変わり者だ。

だから困るのだが。

しかも一部ではそのルックスや絶対的な能力から、信仰の対象とされているときた。

さながらゲイリー・オールドマンを神と称すブラッド・ピットのような話だ。

 しかしまぁ、そろそろ涼宮さんとキョンが来るころだとは思っていた。

それにしても長門さんや、俺にも何かしらの報告があれば嬉しかったのだが。

変な娘について自分の事を言われていると知った長門さんは、俺にしたように「長門有希」と一言だけ口を開いて自己紹介した。

 

 

「長門さんとやら。こいつはこの部室を何だかわからん部の部室にしようとしてんだぞ、それでもいいのか?」

 

「いい」

 

「いや、しかし、多分ものすごく迷惑をかけると思うぞ」

 

「別に」

 

「そのうち明智といっしょに追い出されるかもしれんぞ?」

 

「どうぞ」

 

 

即答する長門さんにキョンは呆れた様子である。

 

 

「明智よ、お前はいいのか?」

 

「どうもこうもないさ。まぁ追い出されるのは心外だけど、ここを使いたいのなら構わないよ。オレと長門さんの二人きりじゃこの部室は広いからね。部長が認めてる以上はそれに従うさ」

 

「やれやれ、お前もお前で変わり者だぜ……」

 

「あんたも変わってるわね。同じクラスの男子なんてまるで気にしてなかったけど。ま、そういうことだから。これから放課後はこの部室に集合ね。絶対来なさいよ。来ないと死刑だから」

 

何やら死刑以外にも俺が「変わってる」だの聞く方は穏やかじゃない台詞を吐いた涼宮氏は、当面は部員の確保が先決らしい。

俺という異分子が紛れてはいるものの、原作通りに残り二人は部員が欲しいと言い、この日は解散となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日、涼宮さんは遅れるらしく暫くの間俺とキョンと長門さんの三人の空間が続いた。

 

 

 

ボードゲームでもあればキョンの相手をしてやるけれど、今のところ娯楽としての置物は皆無。

俺と長門さんは昨日同様に読書していた。手持無沙汰なキョンが退屈そうにあくびをして、パイプ椅子に腰かけようとした。

すると蹴飛ばされたようにドアが開いた。

……間違っても壊すなよ?

 

 

「ごめんごめん、遅れちゃった! 捕まえるのに手間取っちゃって」

 

一体涼宮氏は何をキャプチャーしたのだ。少なくとも人間相手に捕獲と言うのは正しいのだろうか、それは確保の間違いじゃあないのか?

栗色のふわっとしたロングヘアの小柄な女子生徒が怯えた表情で涼宮氏の後に続く。

涼宮氏は彼女の腕を掴んでおり半ば引きずった形での入室となった。

女子生徒はかなり戸惑った様子だが、今にも泣きだしそうな彼女を涼宮氏が「黙りなさい」と一喝する。

 

 

「紹介するわ。朝比奈みくるちゃんよ!」

 

「……どこから拉致して来たんだ」

 

「違うわ、任意同行よ。二年の教室でぼんやりとしているところを捕まえたの。あたし、休み時間には校舎をすみずみまで歩くようにしてるから、何回か見かけて覚えていたわけ」

 

「先輩まで勧誘するなんて、流石だね」

 

「はぁ!? 馬鹿かお前は」

 

「何よ、文句あんの?」

 

いや、文句があるとすれば朝比奈さんの方じゃないのか。

キョンと涼宮氏のやりとりを要約すると。

上級生である朝比奈さんは涼宮に、「可愛くて、小柄で、胸が大きかったから」という理由なだけで連れてこられたらしい。

更に犯人は、萌えが重要でマスコットが必要などと意味不明な供述をしており、反省の色は1ミリも窺えない。

そもそも自分の行為に一切の疑問も無いのだろう。

そして拉致までやっておいて涼宮さんは「今所属している書道部を辞めなさい」という無茶な要求を朝比奈さんに叩きつけた。

どうも鬼畜の所業としか思えないが、俺や長門さんは止める気が更々ないし、キョンも諦めている。せめて同情はするけど。

キョンはここが文芸部だと勘違いしている朝比奈さんに事情を説明する。

 

 

「ここの部室は一時的に借りてるだけなんです。あなたが入られようとしているのは、そこの涼宮がこれから作る活動内容未定で名称不明の同好会ですよ」

 

「えっ……?」

 

「ちなみにあっちで座って本読んでいる二人が本当の文芸部員です」

 

「……」

 

「どうも。オレは明智、こっちの彼女が文芸部部長の長門さん。と、言っても涼宮さんは新しい部活を作るみたいだから、元文芸部かな?」

 

「はぁ……」

 

「だいじょうぶ!」

 

何が大丈夫なのかまるでサッパリだが、どうやら涼宮はこの部活の名前を考え付いたらしい。

 

 

「それはSOS団。世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団。略してSOS団よ!」

 

どや顔もここまで来ると胸が清々しくなるものである。

原作では笑えるシーンとまで言われていたが、生で見ると感慨深い。

その後は毎日放課後ここに集合ね、と涼宮さんが全員に言い渡し、この日も特に活動はせず解散だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――てな訳で、こうして『涼宮ハルヒによる恐ろしい侵略連合軍団』

通称"SOS団"がここに発足したわけである。

実に感動的瞬間だった。

 

 

 

 



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第四話

 

 

 

 

 

 

 

「お前さあ、涼宮と何やってんの?まさか付き合いだしたんじゃねぇよな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SOS団結成の翌日。

いつも通り昼食を四人でとっていると、谷口がキョンにそう質問した。

万年ピンク脳内のこいつの中では、どうやらキョンと涼宮が付き合っている事になっているらしい。

確かにあんな異世界人じみた奴とまともに付き合えるのはこいつぐらいで、俺も原作を読んでいて二人がお似合いだとは思っていた。

 

 

「断じて違う。俺が一体全体何をやっているのか、俺自身が一番知りたいね。それに、涼宮に巻き込まれた被害者は俺だけじゃないぞ、明智もだ」

 

キョンは昨日の事をかいつまんで説明した。

谷口、キョンはともかく俺の事まで哀れな目で見るなよ。

 

 

「まったく、変な部活動をするのは自由だが、ほどほどにしとけよ。中坊じゃないんだ。グラウンドを使い物に出来なくなるようなことしたら悪けりゃ停学くらいにはなるぜ」

 

「あいよ」

 

「善処するよ」

 

キョンと俺は、どうせ涼宮ハルヒ相手に逆らえるわけもないので気のない返事を返した。

社会ってのは存外、こうやって成り立っているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その甲斐があってか知らないがそれから数日は涼宮ハルヒは大人しかった。

ただ、その間にSOS団本部にはどこから用意したのかわからない様々な備品が増えていた。

もしかしなくても涼宮さんが全て持ってきている。

部室の片隅に設置された移動式ハンガーラック、ここにコスプレの衣類を掛けるのかね。

給湯ポットと急須、人数分の湯飲みも常備、MDすら付いていないCDラジカセ、一層しかない冷蔵庫、カセットコンロ、土鍋、ヤカン、数々の食器、リサイクルショップさながらだ。

もしかすると、本当にリサイクルショップで買ったのかも。

涼宮氏はどこかの教室から持ち出した勉強机に座っており、あぐらをかいていたが、ふと思いついたようにこんな事を言い出した。

 

 

「コンピュータも欲しいところね」

 

「はぁ?」

 

「この情報化時代にパソコンの一つもないなんて、度し難いことだわ」

 

 

長机の向かいどうしに座っているキョンと俺は目を合わせる。

なんということはない、涼宮ハルヒが大人しいのは嵐の前の静けさだったのだ。

 

 

 

だが彼女が言っている事は一理ある。

スマートフォンなどまだ誰も思いついていないようなこの世界において、ガラパゴスケータイのサイト閲覧による情報収集など、たかが知れている。

海外に行けばPDAが流通しているはずだが、そもそも日本でPDAを知っているという人はそう多くない。

パソコンはあれば色々役に立つ。俺ぐらいか? こんな考えをするのは。

 

 

「と言うわけで、調達に行くわよ」

 

「調達? パソコンを? ……どこでだよ。電気屋でも襲うつもりか」

 

「まさか。もっと手近な所よ。みくるちゃん、こいつと一緒についてきなさい」

 

言うや否や涼宮はキョンと朝比奈さんを引き連れて部室を出ていく。

今後の展開的にも避けて通れないイベントだが、犯罪紛いの行為を知っていて放置するのも気が引ける。

 

 

長門さんに「オレもフォローしに行く」と伝え、餞別として「そう」と一言だけ頂き俺は三人の後を追う事にした。

目的地はすぐ近くだが。

 

 

「あら、明智君も来たのね」

 

部室から二軒隣のところにあるコンピュータ研究部、通称コンピ研の前に三人はいた。

涼宮の作戦は原作通りで、人の尊厳もへったくれもないごり押しである。

 

 

「辛い思いをしたくないならお前だけでも部室に引き返した方がいいぞ」

 

「確かにそうだね。だけど、そうさせないためにオレは来たのさ」

 

そんな裏方二人のやりとりなど耳に入れず、涼宮はノックもせずにコンピ研のドアを開いた。

突然の来訪者に中の部員は硬直してしまっている。

動いているのは室内の冷却ファンと、俺たちSOS団ぐらいである。

 

 

「こんにちわー! パソコン一式、頂きに来ましたー! ここの部長は誰?」

 

「僕だけど……何の用?」

 

「言ったでしょ、一台でいいからパソコンちょうだい」

 

そんな事を何の説明もなしに急に言われて、はい、と答えるのはイエスマンな会社員でもノーと言うに決まっている。

 

 

その後、コンピ研部長と涼宮との押し問答が続いたが、涼宮は痺れを切らし強硬手段に出た。

ぼんやり立っていた朝比奈さんの背を押して涼宮は部長へと歩み寄り、いきなり部長の手首を握りしめ、電光石火の早業で掌を朝比奈さんの胸に押しつけたのだ。

目のやり場に困る以前に、部長は何をされたのかよくわかっていない。

そして凍り付いた時が動き出そうとする瞬間、キョンはインスタントカメラを構え、シャッターを押してその光景を激写した。

 

 

「あんたのセクハラ現場はばっちり撮らせてもらったわ。この写真をばらまかれたくなかったら、とっととパソコンをよこしなさい」

 

「そんなバカな!」

 

と、見事にセクハラ現場を捏造したが、流石にここで放置はできないので俺が動いた。

 

 

「涼宮さん、その必要はないよ」

 

「どういう事よ明智君。まさか、こいつの味方する気?」

 

「いいやいいや、もっと平和的な交渉のカードがあるからさ」

 

思わせぶりな台詞を吐いた俺はブレザーの胸ポケットからあるものを取り出した。

白いプラスチックでコーティングされた長方形の物体。これが俺の交渉材料だ。

 

 

「部長さん。コンピューター研究会と言うぐらいだ、その活動はプログラミングやゲーム開発が主ですよね?」

 

「あ、あぁ……」

 

「今オレが持っているこのUSBメモリの中には、オレが構築したIDEが入っています。ここで使われているものより遙かにレスポンスが良く、拡張性に優れている事でしょう」

 

「何だって!? ……君一人でそんなものが?」

 

「IDEだと。う、嘘に決まってる!」

 

「もちろん一般には公開されていません。仕様書も一緒にあるので時間をあげます、今すぐに確認してみて下さい。それで満足出来るのであれば、パソコン一台と交換という事でどうですか?」

 

他の部員からの反応を気にせず、俺はUSBメモリを部長に手渡す。

確認作業のために暫しの間、俺たちは外で待たされる事となった。

 

 

「なぁ明智、お前が渡したのは一体何なんだ?」

 

「あれはプログラミングをするためのものなんだけど、色々な機能が統合されててね……。とりあえず、詳しい説明は聞きたくもないだろ。オレだって面倒だし」

 

「あたしにはよくわからないけど凄いじゃない、明智君」

 

「たまたまUSBを持ち合わせてただけだよ。それに、やる気さえあれば誰にでもできる事さ」

 

 

俺が個人で作り上げたものだというのは本当だが、たまたま持ち合わせていたというのは嘘。

そして、誰にでもできるかと言えば、少なくともコンピ研レベルの学生では不可能と言える。

何故そんなけったいなデータを作れるかと言えば、前世でIT企業で働いていたからで、そこではプログラミングやシステム設計をやっていた。

所謂SEである。

 

いくら開発の経験があるとは言え、そんなものが簡単に作れるかと言えば仮に出来ても時間が圧倒的にかかる。

暇つぶしとはいえ、かなりの手間をかけ構築した渾身の力作である。

ただ、オレの自由時間を全てこれにかけた訳じゃあない。

そもそも大部分は前世で見たオープンソースソフトウェアのパクりなんだし。

……一人でも、出来る人には出来るんじゃない?

 

 

 

やがて、コンピ研の部長が興奮した様子で廊下に出てきた。

俺の作戦は成功したみたいだ。再び俺たちはコンピ研の部室に入る。

 

 

「作っている途中の作品を君からもらったデータに移して作業してるけど、作業効率が今までとダンチだ。部員がみんな感動しているよ、自主制作とはとても思えないって」

 

「そいつはよかったですよ」

 

「一台だけでいいなら好きなのを持っていくといい」

 

「毎度あり。部のPCにコピーしましたね? USBそのものはオレ個人のものなので返してもらいます」

 

「もちろんだ。……よかったらうちの部に入らないかい? 君の方が僕よりよっぽど部長にふさわしい気がするよ」

 

俺を引き抜こうとするコンピ研部長に対して涼宮は「あぁ!?」とドスの効かせた声と射貫かんとする眼光で部長を睨み付ける。

せっかく俺が平和的に解決しようと考えたのに下手に刺激しないでくれ。

ありがたい評価だが、俺にはこの部活でやる事があるので無理ですよと断った。

 

 

「君ほどの生徒が、やりたいことって?」

 

不思議な顔で俺を見る部長に対して、俺はキザったらしくこう言い残した。

 

 

「世界を大いに盛り上げる事です」

 

 

涼宮からのウケや、事態を丸く収めた俺に対して朝比奈さんから好評価を頂いた――なんだかんだ、女子から評価される方が嬉しい――キョンからは最後の台詞で台無しだと笑われた。

見事パソコン一台獲得の権利を手にした我々SOS団は、コンピ研に置いてあった最新機種を目ざとく見つけた俺が涼宮にこっそり教えて、部長が先月購入したばかりのその最新機種と俺のデータは引き換えとなった。

その時に、部長が少しだけ悲しい表情をしたのを見なかったのは涼宮くらいだろう。

ノートパソコンではないので、ディスプレイや本体、マウスやらキーボードやら。

周辺機器を含めて俺とキョンが手分けをして、コンピ研とSOS団部室を往復して運んだ。

原作では配線、インターネット環境までコンピ研にやらせていたが、今回は俺がやると志願した。

前世では知人にこういう事もよく頼まれていたので、特別面倒だと感じることはなかった。

友人ってほどの付き合いではなかったが、わざわざ断る必要もなかったからね。

くだらない世界だったけど助け合いってのは必要だったのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうしてSOS団にパソコンが置かれることになった。

俺は家に自分のパソコンがあるので、わざわざこの部室で使うことはそう無い。

しかし涼宮さんやキョンのいい暇つぶしアイテムになるだろうさ。

朝比奈さんはパソコンに道具以上の興味なさそうだし、長門さんには必要ないしな。

ちなみに、俺は涼宮さんにキョンが撮った痴漢現場の写真をとっておくように言った。

これでコンピ研に対する圧力を彼らが知らないうちに我々が保持することになる。

俺に対するリスペクトはあれど、部長は個人的に涼宮さんを恨んでそうだ。

そもそもコンピ研によるゲーム対決も涼宮さんが暇つぶしとして望む事だろう。

よって俺が今日のパソコン略奪を平和的にしたとしても、本筋には影響しないってわけだ。

 

 

 

 

 

しかしながらノートパソコンを複数奪う(予定)である以上は、切り札を持っておくのも悪くないんじゃないかな。

 

 

 

 







PDA:携帯情報端末。スマホが普及する前から海外では存在していた。
   主な機能は静止画観覧、動画再生、Webサイト閲覧と個人情報の管理。
   自由なカスタマイズ、機種によっては通話機能、長時間稼働できるバッテリー、
   ソフトウェアを扱う上での高パフォーマンスが特徴。

IDE:ソフトウェアの開発環境で、その中でも開発に必要な様々な作業をこの開発環境のみで
   ある程度まかなえるよう、多くの機能を統合したもの。




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第五話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

情報化だの言っていた涼宮さんだが、パソコンを使って何がしたかったと言えば。

SOS団のホームページ作りであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原作ではキョンが『ホームページにようこそ!』というHello worldレベルの出来のものを作っていたはずだ。

けれども、俺はホームページ作りの心得が多少ある。

よって俺が作成する事にした。仕事でやった事はないがHTMLぐらいは知っている。

そして、多少の試行錯誤を経てホームページが完成した。

でっちあげの内容を書くのも妙で、しかし個人情報に繋がる情報はあまり多く載せたくない。

俺は文芸部としての活動についてや、適当に調べた都市伝説なんやらについてのまとめをホームページに掲載する事にした。

無難である。

いわくつきのロゴについてはキョンに任せる。

 

 

 

 

そんなパソコンにまつわる一連の作業は手間でもなんでもなかったので気にすることではないのだが。

俺がホームページを作成した次の日の放課後に、涼宮はとんでもない事を決行した。

 

涼宮はこれまたどこからか調達したバニーガールのコスプレを無理矢理に朝比奈さんに着させ、自分もまたそれに着替えると、宣伝用のチラシを持って校門の前でSOS団の宣伝活動をしたのだ。

 

オー、クレイジー。

 

その活動は教師たちに邪魔されるまでの約十数分しかない短い時間ではあったが、学校中に広がり、伝説となるには充分すぎる時間であった。

涼宮による強引なストリップまがいの強制や、教職員の説教といったショッキングな出来事で次の日、朝比奈さんは学校を休んだ。

 

ご愁傷様です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キョン、明智……いよいよもって、お前らは涼宮と愉快な仲間たちの一員になっちまったんだな……」

 

休み時間、谷口が憐れみすら感じられる口調で俺とキョンに言った。

 

 

「涼宮にまさか仲間が出来るとはな……。やっぱ世間は広いぜ」

 

「ほんと、昨日はビックリしたよ。帰り際にバニーガールに会うなんて、夢でも見ているのかと思う前に自分の正気を疑ったもんね。このSOS団って何なの? 何するとこ、それ」

 

手に持った宣伝用のチラシをヒラヒラさせて訊いてくるのは国木田だ。

 

そう質問されたところで何かをするかと言えばどうもこうもないとしか言えない。

せいぜい実績と言えるのもコンピ研からパソコンを頂いたぐらいである。

「不思議なことを教えてくれればそれを調査、解決します」

俺はそんな事をホームページに書いた気がする。さながらゴーストバスターズだな。

実際に涼宮のあずかり知らぬ所でそれを行うのだから間違ってはいない、よな?

 

 

「面白いことしているみたいね、あなたたち。でも公序良俗に反することはやめておいたほうがいいよ。あれはちょっとやりすぎだと思うな」

 

俺の後ろの席の朝倉涼子にまで釘を刺される。

刺させたのが釘でよかったよ、いや、マジで。

一言だけ「善処するよ」とだけ言った。この台詞の多さに最近の俺はまるで政治家のようだ。

 

 

当の涼宮さんはそこまでやっても宣伝不足だと思っているらしく。ビラ配りを途中で邪魔され、今日の放課後になってもまるっきりSOS団宛のメールが届かなかったのが証拠である。

 

つまり、涼宮ハルヒはイライラしていた。

 

 

「なんで一つも来ないのよ!」

 

不機嫌な涼宮さんに対してキョンは「昨日の今日だから仕方がない」と気休めを言う。

 

ただ、俺のホームページの出来栄えがいいのかアクセスカウンタはそこそこ回っておりこんなHPの割に100の桁に突入している。

単なるカウンタではなく、同じIPの人は一日に一回しかカウントアップされないので、まあまあの成果ではなかろうか。

ログを見ても色々な人が来ているのがわかった。

一般人からすると、ただのミステリオタクのHPでしかないが、コアな奴にウケたのかもしれない。

とくにチュパカブラについてのページはかなりの力が入っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

謎のバニーガールズとして認知を受けてしまった二人組みの片割れである朝比奈さんは、けなげにも一日休んだだけで次の日には復活し、部活にも顔を出すようになった。

なかなかのメンタルタフネス、俺も見習わなくてはならない。

 

今はキョンが自宅から持ってきたオセロで時間を潰している。1勝1敗でとんとん。

長門は相変わらずの読書である。今度、興味のある本の見つけ方を訊いてみようと思う。

オセロが第3ラウンドに突入した時に、朝比奈さんがポツリと漏らす。

 

 

「涼宮さん、遅いね」

 

「今日、転校生が来ましたからね。多分そいつの勧誘に行っているんでしょう」

 

「転校生……?」

 

「九組に転入してきた奴がいまして。ハルヒ大喜びですよ。よっぽど転校生が好きなんでしょう」

 

俺も初耳である。谷口も特に話してなかったが、男だから興味がないのだろう。

 

 

キョンと朝比奈さんがそんなやりとりをしていると、長門が俺の横に来て、じっと盤面を見つめていた。

どうやらオセロに興味があるらしい。

 

俺が席をかわり、キョンが長門にオセロを説明しながら対戦していると、諸悪の根源である涼宮が新しい生贄を連れてきた。

 

重役出勤である。

 

 

「へい、お待ち! 一年九組に本日やって来た即戦力の転校生、その名も」

 

「古泉一樹です。よろしく」

 

そう名乗る細身の男はさわやかなスポーツ少年といった外見で、間違ってもオカルトやミステリーに興味がある人材だとは思えない。

身長も高く、俺やキョンより上なのが窺えた。

 

そしてその笑顔からは、涼宮に連行された事への不満が一切窺えない。

 

 

「ここ、SOS団。わたしが団長の涼宮ハルヒ。そこの四人は団員その一と二と三と四。ちなみにあなたは五番目。みんな、仲良くやりましょう!」

 

ちなみに、団員その一がキョンで二が長門、三が俺で四が朝比奈さんである。

数字で呼ばれるのは刑務所ぐらいにしてほしい。

 

 

「入るのは別にいいんですが、何をするクラブなんです?」

 

「教えるわ。SOS団の活動内容、それは、」

 

大きく息を吸い込み、しっかり間を作る涼宮。なんとも芝居がかっている。

だが、ここら辺のやりとりなど俺はすっかり忘れている。

どんな活動内容なのだろう、後でホームページを更新する必要があるかもしれない。

 

そんな俺の呑気な考えと裏腹に涼宮は驚くべき真相を吐く。

 

 

 

「宇宙人や未来人や超能力者、ついでに異世界人を探し出して一緒にあそぶことよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なるほどね。…………って、俺はついでかよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呼び寄せた張本人におまけ扱いとややショックな俺を尻目に部室の時は止まっていた。

キョンは呆れ顔だが朝比奈さんは完全に硬化していた。

目と口をあけ涼宮を見つめたまま動かない。

長門も同様に、首を涼宮へと向けた状態で動作が止まっている。

 

古泉一樹は微笑なのか苦笑なのか驚きなのか判断しにくい微妙な表情で突っ立っていた。

そして我に返ると「なるほど」と一言だけ納得したように呟き。

 

 

「いいでしょう。入ります。今後とも、どうぞよろしく」

 

何ともさわやかな笑顔だった。

 

 

 

 

 

その後は各々が古泉一樹と自己紹介をした後に、学校を案内すると言った涼宮が古泉を連れ出し、朝比奈さんは用事があるからと帰ってしまい、部室には俺と長門とキョンの三人が残された。

 

キョンは「はぁ」とため息をついた後に「じゃあな」と一言こっちに声をかけて鞄を掲げた。

すると長門が「本読んだ?」とキョンに質問した。キョンは思わず足が止まったようだ。

 

 

――そういえば今日だったか、キョンが長門の家に行くのは。

別に変な意味ではない、長門が自身の正体について語るのだ。

この時点でキョンは信じないが。 

ともすれば近いうちに俺も長門に呼び出されるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして俺のその予想は、まさかの翌日に的中する事になる。

 

古泉一樹が加入した翌日、涼宮がSOS団初ミーティングを行い、明日の土曜日に市内散策をすると言い出した。

俺はいよいよ楽しくなってくるな、などとのぼせていたら、帰り際に長門が俺に本を手渡し「読んで」とだけ言った。

マジか。

本には栞がはさんであり、『午後七時。光陽園駅前公園で待つ』と書いてある。

 

明日は市内散策のため九時に駅前集合だが、遅くまで働き朝早くに出勤など日常だった。

よって夜の外出に特別な抵抗はなかった。

ただ、両親からは「夜遊びもほどほどに」と微妙な表情をされたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで長門と合流し、彼女の部屋がある分譲マンションまでやってきている。

俺の夢はこんなマンションのセキュリティとして、警備室にのんびり居座る生活か、もしくはマタギとして山で静かに暮らす事だ。

銃の免許取得はアホなぐらいお金がかかるから、マタギはまず無理だろうが。

 

 

俺が自由な生活に憧れていると、いつの間にか長門の部屋である708号室の前に来ていた。

ドアを開けて「入って」と言われるのでそれに従う。

 

リビングにはコタツ机が一つ置いてあるだけで他には何もない。

窓にはカーテンすらかかっておらず。十畳くらいのフローリングにはカーペットも敷かれていない。

居るだけで淋しくなってくる部屋である。

 

 

コタツに座ると、長門はお茶を出して俺の正面に座った。

熱いお茶である、確かに夜に出歩いて身体がやや冷えるのでありがたい。

俺は一口すすると話を切り出した。

 

 

「――それで、オレに何か用事があるんだよね?」

 

「話」

 

わざとらしくと俺はとぼけるが、長門がそれに気づくことはないだろう

 

「涼宮ハルヒのこと」

 

背筋を伸ばした綺麗な正座で、

 

「それと、わたしのこと」

 

口をつぐんで一拍置き、

 

「あなたに教えておく」

  

話すペースがゆっくりなのは構わないが、帰りが遅くなりすぎると流石に明日に響く。

そんな俺の思いと関係なしに、長門は淡々と説明していく。

 

 

 

 

俺はその間聞くだけだったのだが、数十分にわたる長い説明を要約する。

 

 

涼宮と長門は性格に普遍的な性質を持っていないという意味ではなく、文字通りの意味で大多数の人間とは違う、普通の人間ではない。

 

長門有希は銀河を統括する情報統合思念体によって造られた、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースで要するに宇宙人。

三年前に創られた長門は涼宮ハルヒの観察と報告が任務。

 

涼宮ハルヒはよくわからないが凄い能力を持っていてとにかく情報で宇宙がヤバいらしい。

曰く、自律進化の可能性。

 

 

「産み出されてから三年間、わたしはずっとそうやって過ごしてきた。この三年間は特別な不確定要素がなく、いたって平穏。でも、最近になって無視出来ないイレギュラー因子が涼宮ハルヒの周囲に現れた」

 

「……」

 

その一つはキョンだ。長門じゃなくても、涼宮とまともに話し合えるのを見ただけでキョンは凄い人間だと思うよ。

鍵ってのはいまだによくわからんが。

 

 

「もう一つのイレギュラーは、あなた」

 

 

 

 

涼宮ハルヒの異常性に普通の人間は耐えられないらしい。

あいつは魔物か? じゃなきゃジャンプの某生徒会バトル漫画の登場人物か。

涼宮は、自分の都合の良いように周囲の環境情報を操作する力があり、ただの一般人である俺は本来、文芸部で涼宮とエンカウントした時点で排除される。

これが筋書きらしい。……だから長門は俺の文芸部への入部を意に介さなかったのか。

 

 

「だけどあなたは今もあの部室に居る。何故?」

 

「……」

 

これは意外な落とし穴である。こんなところから俺の異常性が露見するとは。

おそらくだが、朝比奈さんや、前から涼宮を監視していたであろう『機関』

それに所属する古泉も俺に対して何かしらの思うところがあるはずだ。

 

 

ここですっとぼけるのも構わないだろうが、涼宮が俺を排除しない限りは向こう三年以上の付き合いをすることになるのだ。

今後の信頼関係のためにある程度は話す覚悟をする。原作知識については語らないが。

 

 

 

「長門さん。涼宮が入学してきた時、自己紹介で何て言ったか知っているか?」

 

「……」

 

「ただの人間に興味はない、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら来い。だってさ」

 

「……」

 

「仮に涼宮がそいつらと遊ぼうと願う。すると涼宮の、オブジェクトを操る能力によってその願いが実現するわけだよね。その結果、長門さんはSOS団に居るんでしょ? つまりそういうことじゃないかな」

 

「……あなたも涼宮ハルヒに望まれた?」

 

「長門さんが宇宙人なら、オレはさしずめ異世界人かな」

 

「……」

 

 

暫く無言の時が続いた。恐らく親玉と長門は交信をしているのかもしれない。

文字通りのイレギュラー、空席である六人目のSOS団員、異世界人の俺に。

 

 

だが、俺はその無言を乾いた笑いによってかき消した。

長門は相変わらずの無言である。

 

 

「ごめんごめん。あぁ、面白くってさ」

 

「……?」

 

「よくできたハナシだ。その設定で何か作品が書けそう。長門さんのおかげでガンガン創作意欲が湧いてくる。でも、オレには宇宙だの情報だの、何の事だかサッパリわからないんだよ」

 

「……」

 

 

長門は無表情ながら、どこか不思議さと残念さを感じる視線でこちらを見る。

 

 

そもそもこいつら宇宙人勢が俺の正体をあらかじめ判らなかった以上は、

こちらがネタバラししない限りは真偽を確かめられない。

異世界人としての証拠となるものはあるが、原作知識は最後の切り札。

奥の手の中でも一番奥だ。また、ほかの方法は今披露するわけにはいかない。

まだ時期が早いからである。

 

 

 

「貴重な体験だったよ、うん。今後も何か思いついたら教えてほしい。最近はライトノベルなんかも注目されているみたいだから、卒業したらそういう進路もありかもしれないね」

 

「そう」

 

「じゃあ、そろそろ御暇するよ。明日も早いし」

 

「わかった」

 

長門は諦めたらしく、ただ、涼宮と自分について伝えられただけ満足なのだろう。

去ろうとする俺を止めなかったが、最後に俺にこう言った。

 

 

 

 

「情報統合思念体が地球に置いているインターフェイスはわたし一つではない。統合思念体の意識には積極的な動きを起こして情報の変動を観測しようという動きもある。あなたは鍵ではない、しかしあなたにも危機が迫るかもしれない」

 

 

どうも穏やかな台詞ではない。

というか、今日の問答で俺も完全にターゲットの仲間入りだろう。

情報は他の宇宙人仲間とも共有してるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

……なんだか、だんだん長門の家に行った事を後悔してきたが、

俺はそれを悟られないように「どうも」と言い残して家に帰った。

 

 

 

 

 

長門から渡された本は、明日の散策の時にでも返そう。

 

 

 

 



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第六話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前世でもよほどの事がない限り休日出勤などなかったが、このSOS団という集まりにおいてそれを言ったところでしょうがないのである。

 

駅前は家から近いわけではないのだが、遠いわけでもない。

せいぜいが片道数十分かかるかどうかな上に、不法駐輪するのもあれなので、徒歩で向かう事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は昔からあらゆる移動手段の中で徒歩が一番好きだ。

地に足を付ける考え方を常にしたいという願掛けの面もあるが、そこまで乗り物が好きじゃないのだ。

何となくだが。

 

 

 

 

程なくして九時から三十分以上も前には到着した俺だが、その時にはもうキョンを除く全員が揃っていた。なにこれこわい。

こいつらは時間遵守の意味をはき違えてるんじゃあないのか?

自衛隊でそんなに規定時間の早くから行動したら、かえって腕立て伏せやランニングなどの罰が課せられるんだぞ。

 

俺は早起きが習慣づいていて、朝五時には起きるので徒歩でも間に合う。

ちなみに昨日は遅くに帰宅し、今日は朝早くに出かけるいう俺を、母はまたしても生暖かい眼差しで見たのだが、「部活だよ」という俺の言い訳はたいして信用されていなかった。

そりゃあ文芸部に入部したとしか言っていない、これも当然であるが。

 

 

しかし、貴重な私服姿である。

涼宮は裾が長いロゴTシャツとニー丈デニムスカート、カジュアルだ。

 

朝比奈さんは白いノースリーブワンピースに水色のカーディガン、バレッタで後ろ髪をまとめていて、手には小さなポーチを持っている。うむ。

 

古泉はピンクのワイシャツにブラウンのジャケットスーツ、えんじ色のネクタイを締めており、とてもスタイリッシュだ。

……高校生とはとても思えないファッションレベルの高さである。

 

俺はと言うと青のジーンズに上は黒を基調としたTシャツとライトグレーのジレ。

そして長門は説明不要、いつものセーラー服だ。

 

 

そして俺が到着してから二十分と少しでキョンは到着した。

キョンの私服は青のロングパンツに白黒ラインのインナー、アウターにグレーのジャケットと落ち着いた服装だが、これも高得点だろう。

 

 

 

 

その後とりあえず喫茶店に入り、一番遅かったキョンは全員に一品を奢らされる事に。

俺は無難にチーズケーキを奢ってもらい、ウィンナーコーヒーをプラスする。

ひとしきり全員がオーダーを平らげた後、いよいよ散策の班決めが行われる事になった。

原作では2:3のメンバー比率だったが俺の存在により現在団員は六人なので、二人ずつでの行動である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「明智さんは、どこか行きたい場所はありますか?」

 

記念すべき最初の市内散策の相手は、なんと残念ながら野郎で、古泉だ。

 

キョンは原作通り朝比奈さんと、涼宮は長門とだ。

俺は009の大気圏突入シーンを思い出しつつ、どうもこうも、行きたいところは特にないよと答えると。

「とりあえず歩きましょう」と言われ、古泉を先頭にぶらぶら歩くことになった。

 

 

 

やがて、公園のベンチにすわって休憩する事にしていたら、不意に古泉が「話があります」と切り出した。

 

 

「何かな?」

 

「あなたは昨日、部活終わりに長門さんに呼び出された。そこでおそらくですが、涼宮さんを取り巻く環境について様々な説明を受けたはずです。違いますか?」

 

俺の事、正確には長門の事も監視しているようだ。

正確には監視しつつされつつといった関係なのだろうが。

 

 

「宇宙人がどうこうって話? まさか、それは転校生の古泉にも知られてる設定なのかな」

 

「いえ、現実ですよ。信じられないでしょうが。あるいは知らないふりという線も考えられますが、それはどちらでもいい事です」

 

「……」

 

古泉は相変わらずの笑顔である。

だがな古泉君よ、日本人はそういうニヤニヤ顔のせいで外国人から気味悪がられているんだ。

あまり多用は禁物だぞ。

俺は黙り、古泉は話を続ける。

 

 

「僕も長門さん同様に、いわゆるただ者じゃありません。正確には違いますが、涼宮さん風に言いますと、そうです、僕は超能力者です」

 

「なるほど。涼宮ハルヒが注目した謎の転校生、その正体は超能力者。……悪くないね、いいんじゃないかな」

 

「ありがとうございます。僕の能力は非常に限定的でして、今この場では残念ながら証拠をお見せできません。これは、機会があれば披露しますので楽しみにしてて下さい」

 

 

俺の皮肉に対し、どこがありがたかったのかわからない古泉は感謝を述べた。 

だがな、スプーン曲げぐらいじゃ俺の心は動かんぞ。

 

 

「実のところ、急に北高へ転校する予定はありませんでしたが、状況が変わりまして。まさか長門さんと朝比奈さんが簡単に涼宮ハルヒと結託したのは驚きです。それまでは外部から観察しているだけだったんですが、抜き差しならない事態になる前に僕が送り込まれたのです。どうか気を悪くしないで下さい。我々も必死なんですよ」

 

「その口ぶりじゃ、まるで古泉以外にも超能力者が居るみたいだね」

 

「ええ、正確な人数はわかりませんが十人居るかどうかでして、その全員が僕の所属する『機関』に属しています」

 

『機関』とは、どこぞのマッドサイエンティストも納得の中二設定だ。

しかしその『機関』も涼宮が望んで出来たものだから、痛々しいのはあいつもなのだ。

何か正式名称はないものだろうか。

 

 

「『機関』の最重要事項は涼宮ハルヒの監視です。はっきり言いますと、このためだけに発生したようなものです。そしてお察しの通り、『機関』のエージェントは僕以外にも北高に潜入済みです。僕は追加要員として来ました」

 

「監視だの潜入だの、穏やかじゃないね」

 

「ええ、むしろ穏やかじゃないから僕が送り込まれました。どうにも厄介な状況になりつつありまして」

 

「厄介って?」

 

「我々SOS団というグループの中で、あなたと彼は一般人という点において異端です。実際にその真偽を検証できませんが、表面上ではそうですからこちらからすると同じです。ただ問題は別にあります。あなたと彼は現在どこのコミュニティにも所属していません。これが、どういうことかわかりますか?」

 

 

なるほど、多くの化け物の群れに居る少数の人間は化け物からすれば異端である。

俺はかつて読んだ海外の小説を思い出した。

 

それは感染した人間が怪物となるウィルスが全世界に蔓延し、人類が滅びた。

だが怪物を駆逐して荒廃した世界を生き延び、ついに人類最後となった男がいたが、実は怪物たちからすれば彼こそが恐れられる対象の"怪物"であった。

というオチだ。

 

 

 

そんな事が脳裏によぎりながら、俺は古泉の質問に答えた。

 

 

「後ろ盾がない、だろ」

 

「正解です。あなた方二人は僕や長門さん、朝比奈さんのように支援組織がありません。ゆえにいつ、どこで、誰に狙われるのかがわからないのですよ。見捨てるつもりもありませんし、勧誘するわけじゃありませんが、これは警告です」

 

最近は警告されてばかりである。俺はそんなに危険なスポーツマンだったのか。

このままではイエローカードが溜まる一方だ。

 

 

「彼がある種の『鍵』だというのが勢力間の共通認識でして、それが何なのかまではわかりません。しかしながらあなたのことはそれ以上に謎なんです。失礼とは思いましたがあなたについては色々調べさせてもらいました。わかったことはある種の、技術者としての才能があることぐらいです」

 

「ソフトウェアに関しては、多少の知識があってね。文芸部に所属してたのも読書が好きで、本を書くのも好きだからさ。……でも、それだけだ」

 

「まぁ、とにかく、危ない橋を渡らないようにしてください。涼宮さんに害を及ぼさない内は、我々はあなたの味方ですよ」

 

「ありがたいよ」

 

 

そして古泉は「話は終わりにして、探索を再開しましょう。何か見つかるかもしれません」と言い、この場はお開きとなった。

はたして俺のポーカーフェイスはどこまで通用したのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

昼食ということで再び全員が合流し、ハンバーガーショップへ立ち寄った。

午後も散策は継続するらしく、再びグループ分けが行われた。

言うまでもないだろうが、午前の散策では何の成果も得られませんでした。

 

そして午後にもまさか何かオカルトやらミステリやらの痕跡が見つかるとは思えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お話したいことがあります」

 

いつになくきりっとした目元でやる気が感じられるこの女性は朝比奈さんだ。

何の因果かは知らないが、俺は順番に全員と面談する羽目になったというわけである。

こりゃ、俺もいつかキョンと面談した方がいいんだろうな。 

 

ちなみに午後のグループは、俺と朝比奈さん、長門とキョン、古泉と涼宮だ。

午前中にキョンと話したであろう河原に、オレと朝比奈さんの二人は居る。

 

 

「ほかの二人からいろいろ話があったと思います。わたしはこの時代の人間ではありません。もっと、未来から来ました」

 

 

 

 

これまた長門同様に長い上に、俺から言葉をかけることもなく、たまに質問をしても「禁則事項です」の一言でねじ伏せられ、俺は相槌をうつだけなので話を要約させていただく。

 

 

未来人が過去の人間と意思疎通をはかるのには制限があり、特定の情報にはブロックがかかる。

フィルタリングだろうか。

 

時間と時間には連続性が本来ないらしい。この辺は要約すらできない程に謎だが、彼女曰く「パラパラマンガ」のようなものらしい。

つまり、一ページの変化は全体に影響しないのだ。

 

朝比奈さんがこの時代に来た理由は、今から三年前に時間振動とやらがあり。

それが原因で三年前のその時より過去に遡れなくなった。

朝比奈さんはその主犯と思われる涼宮ハルヒを監視するのが仕事。

 

 

 

……それにしてもこいつら全員涼宮を監視だとか本当に恐ろしい連中だ。

回るターレットから、ハルヒに熱い視線が突き刺さる。さながらバトリングである。

 

 

「信じてもらえないかもしれませんが、本当のことなんです。あなたがSOS団に居るのにも理由があるはずです」

 

「運命的な話ですか。ロマンチックだと思います。でも、オレは何かに理由があるなんて考え方、嫌いなんですよ。お話として読む分には好きなんですがね」

 

「そうですか……」

 

「見解の相違って奴です。俺はただ、自分の考えに基づいて行動している。そう信じないと生きられない性質でして。生まれつき運はよくないので、理不尽だなって思うような出来事がよくあります。ですが、その度に何かのせいにしていちゃ、自分自身が成長できないと思うんですよ」

 

 

これは俺の昔からのスタンスである。

どっかの小説じゃあないが、向上心は本当に大切だ。 

 

俺のそんな未来人からすれば馬鹿馬鹿しいともとれる発言を真剣に受け止め、朝比奈さんは笑顔で微笑んでくれた。 

 

 

「今はそれでいいです。でも、今後もわたしとは普通に接して下さい。お願いします」

 

「かまいませんよ、たまには奇天烈な話をするのも面白いですし。流石に三人連続は堪えましたが」

 

「一つだけ俺から訊いてもいいですか?」

 

「何でしょう」

 

「未来ではチュパカブラが実在しているかどうか、わかりますか?」

 

「それは……禁則事項ですっ」

 

朝比奈さんは笑いながら俺のギャグに応えてくれた。

 

 

 

チュパカブラが実在するかどうかを本気で知りたかったのは俺だけの内緒だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、涼宮から朝比奈さんのケータイに呼び出しがかかり、駅前に戻る。

ちなみに話をした後の俺と朝比奈さんはショッピングモールに行き、朝比奈さんが様々な服を眺めている様子を遠くで見たり、この時代のおもちゃに興味津々で、最後の方はカフェテリアでコーヒーをすすっていた。

勿論俺の奢りである。

 

 

 

キョンは待ち合わせに三十分以上と、盛大に遅刻したおかげで再び奢らされていた。

 

 

 

 

 

今日、涼宮にとってはまともな成果などなかっただろうが、俺にとってはいい異文化コミュニケーションとなった一日だった。

腹の探り合いは気持ちいものではないけれど。

 

だが、ひと時の平穏もこれで終わりである。

俺が記憶する限りでは、いよいよ来週から話が進むはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく、今後の無事を祈りつつ、その日の俺は帰宅した。

 

 

 

 



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第七話

 

 

 

 

 

 

さて、皆さんは原作SOS団の団員について何か考えた事はあるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

考察というのはサブカルの常でもあり、考察の余地があるというのは面白い。

ただ、伏線を回収しないだとか、単なる思わせぶりというのは萎えてしまうが。

 

 

涼宮ハルヒは絶対的な力の持ち主で、まさに神に等しいとも言える。

 

長門有希は情報操作能力というありえないほどのチートが可能。

 

朝比奈みくるは未来人というだけでかなりの情報アドバンテージが本来あり、TPDDによる時間移動というだけでもかなりの役割だ。

 

古泉の超能力は限定的ではあるが、組織力という点で『機関』は長門と朝比奈さんと充分対抗できるだろう。

 

また、キョンについても原作では何かしらの伏線があり、一部では、佐々木にハルヒの能力を移動するのにキョンの協力が必要という描写からキョンにも鍵としての役割以上の能力があるのではないかと考察されている。

 

 

何が言いたいかというと、SOS団のメンバーはもれなく特異性があるのだ。

 

 

 

では、俺はどうなのだろうか?

そもそもただの原作知識があるだけの凡人が、後ろ盾もなしに原作介入しようなど、不可能と言える。

しかし涼宮ハルヒは俺という異世界人枠の登場を望んだのだ。

あるいはこの世界はその可能性の一つとして存在するのかもしれないが、ここがどういう世界なのかは俺の知るところではない。

 

 

 

 

 

 

とにかく、異世界人として呼ばれた俺にもスキルと呼べるほどの技術があるらしい。

それは前世で俺が知っていたものだったので、使い方の把握にも苦労しなかったが。

 

……まあ、それがあるからこそ無茶な作戦が可能になるんだけど。

特殊な技術が無くても、俺は原作知識でも涼宮ハルヒでも使って何とかしてただろう。

死ぬ覚悟ぐらいはできている。

 

 

これから行うのは、全部、自己満足のための戦いだ。

何故ならば、俺の前世の憧れは異世界に飛ばされた俺がファンタジーな力に目覚めて事件を解決するというものだ。

正義感から行動するわけじゃないけど、身近な人間が死のうとしているのを黙って見てはいられない。

 

故の自己満足さ。

 

 

 

 

 

 

 

 

市内散策後の週明けである月曜日。涼宮さんは部活に来なかった。

翌日の今日、話を聞くところではどうやら「反省会」として、一人で土曜日に回ったコースを再びトレースしたとの話だ。

 

今日は古泉が「アルバイト」で早めに帰宅したらしい。

おそらく巨人相手に格闘しているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、朝比奈さんがメイド服から着替えるために男子の部活が解散した。

五時三十分ごろ。俺は一年五組の教室の前まで来ている。

意を決して教室の引き戸を開けると、中に居た人物は驚いた顔をしてこちらを見た。

 

 

「こんな時間にどうしたの?」

 

すぐに驚きを取り消し、こちらに笑いかけてきたのは俺の席の後ろの朝倉涼子だ。

青いロングヘアーの彼女は、夕日をバックにしている。

 

 

「どうもこうもないさ」

 

「ふーん。あなた、キョン君と同じ部活よね。彼はどうしたのかしら。私はここで彼を待っているの」

 

「ああキョンか」

 

それならね、と俺は言葉を続け、懐からノートの切れ端を取り出して朝倉に見せる。

すると、再び朝倉の顔は驚きに包まれる。

その切れ端には、『放課後誰もいなくなったら、一年五組の教室まで来て』と書いてあった。

 

 

「彼は、今日、来ないよ」

 

「……あら、それはひょっとしてキョン君の代理として来たって事?」

 

「いいや。キョンはこの紙を見てない。オレが先にキョンの下駄箱からとったからね」

 

 

そう。

今日俺は朝、キョンより早く登校し、彼の下駄箱に入っていたこの呼び出しの紙を彼に見られる前にそこからとった。

流石に彼がこの教室に居る状態で俺が現場に介入して解決できる自信がないからだ。

あいにく、一般人を守りながら朝倉を相手にできるような能力は持ち合わせていない。

 

 

「勘違いさせたみたいだけど、いたずらでやったんじゃないのよ。彼を呼んできてくれる?」

 

「それも"ノー"だ。残念ながらあいつは既に学校を出てる、話は後でいいんじゃないか」

 

演技がかった台詞をポーカーフェイスで並べる。

朝倉相手にどこまで心理戦が通用するかは謎だが、先ずは舌戦というものだろう。

昔の日本の武将も「やあやあ我こそは~」と名乗りを上げるのが戦のルールだった。

 

 

「今日はオレが、朝倉さんに用があるのさ」

 

「ふーん。人の呼び出しを邪魔したのは感心しないけど、いいわ。その前に一つだけ訊いてもいいかしら」

 

「何かな」

 

つまらなそうな顔でこちらを見る朝倉は話を続ける。

 

 

「『やらなくて後悔するよりも、やって後悔するほうがいい』って言うよね。これ、どう思う?」

 

マジかよ、こいつ、やっぱり俺の話を聞く気がなさそう。殺る気充分だよ。

覚悟を決めた事を悟られずに、俺はそれに答える。

 

 

「どう思うか、ね。そのままの意味だと思うけど」

 

「じゃあ、たとえ話なんだけど、現状を維持するままではジリ貧になることは解ってるの、でもどうすれば良い方向に向かうことが出来るのか解らないとき。あなたならどうする?」

 

「そうだな……。朝倉さんは、オレの名字"明智"についてこんな話を知ってるかな。明智の語源は悪に地面の地で"あくち"というらしい。今でこそ日本では悪地といっても、イメージはつかないだろうけど、言い換えると悪地は荒野って意味でね。昔の時代じゃ、道路も水道も整備されていないから豊かな台地が荒野になることもあった」

 

「その戯言にどういう意味があるのかしら」

 

「要するに、オレはそんな名字を背負って生まれた以上。絶望的な状況でも、どこかに活路を見出して生きてきたいんだ。ジリ貧だろうが現状から何かいい手段を見つける。その結果、志半ばにして倒れようと、そこに後悔はないよ。退屈かと思われた高校生活も、涼宮のおかげで楽しくなりそうだしね」

 

「へぇ。でもね。上司は頭が固い。現場はそうもしてられない。どんどん状況は悪化する一方。だったらもう現場の独断で強硬に変革を進めちゃってもいいわよね?」

 

改革というスタンスに肯定的な意見を出され、朝倉はにこやかな表情に戻った。

だが、俺は何も過激な行動を許すという意味で言ったわけではない。

本質はそこじゃないんだ。

どんな絶望的な状況にでも希望を生み出せる人間の心、その素晴らしさを君に伝えたいんだ。

 

 

「それでも。だからといって、人が死ぬ必要は、ないんだ」

 

「どういうことかしら?」

 

「そのままの意味さ。オレが今日、ここに来たのは誰も死なせないためなんだ。朝倉さん、とうぜん君も含めてね」

 

「死なせない? それって何の話?」

 

「とぼけなくてもいいよ、オレも演技はやめるからさ。対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース、朝倉涼子さんや」

 

「……」

 

そう言うと、朝倉さんは沈黙して無表情になって立ち尽くす。

そしてそのまま数十秒が経過すると、朝倉は表情を変えずに口を開いた。

 

 

「なぁんだ。あなたには私の計画が筒抜けみたい。イレギュラー、明智黎。文字通りのクロだったわけか」

 

「自分でふっておいてあれなんだけど、名前をネタにするのは感心しないよ」

 

「けれど、正体はともかく、私の狙いを知った以上はあなたにも消えてもらう方が都合がいいの。どの道、彼の次はあなたのつもりだったわ」

 

「野郎をとっかえひっかえか、それも感心できない」

 

「――そう。じゃあ、死んで?」

 

 

俺の戯言をまるっきり無視し、朝倉は後ろ手から隠し持っていたナイフを取り出した。

しょうがない。この教室は彼女の情報制御下とやらで不利だ、"場所を変えるとしよう"

 

右手の一閃をかがんで回避すると、俺は朝倉の右手首を掴んだ。

朝倉は持っていたナイフを落として、もう一方の左手から、いつの間にか持っていた別のナイフ――おそらく情報操作で構成した――で俺に切りかかろうとしたが、それは叶わなかった。

 

 

「な、何!?」

 

いつの間にか、足元に出来ていた黒い水たまりのような、あるいは穴のようなものが、俺と朝倉の下半身をじわじわと飲み込んでいくからだ。

いや、正確にはその中に身体が入っていくというべきか。

その折に生じた隙を突いて、俺は朝倉の左手のナイフを手刀ではたき落とす。

 

 

「大丈夫、こちらから危害は加えないよ。とにかく、話の続きは"向こう"でしよう。ここでやりあうのはオレにとってフェアじゃないんだ」

 

その言葉を最後に、俺と朝倉は一年五組の教室から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「殺風景な部屋だが、我慢してほしいよ。粗茶でよければお出しできるけど」

 

 

そこはまるで部屋とすら呼べるか怪しいただの空間だった。

壁紙と呼べるものもなく、天井から壁は全て白。間取りは一般家庭のリビング程度。

あるのは机と椅子と冷蔵庫とキッチンシンクぐらいで、TVもないのだ。

長門の部屋と同じく、この空間から生活臭は感じられない。まるで箱の中である。

 

朝倉は木製の長椅子の横に立ち、ナイフの背で肩を叩きながらこちらを見ている。

相変わらずの無表情である。

 

 

「この空間に送り込まれたのはあなたの仕業ね?」

 

「ああ。とりあえず座ったらどうかな。この空間そのものに、害はない。それにオレを殺すのは話をしてからでも遅くないんじゃないかな」

 

はぁ、とため息をついた後。朝倉は「熱いのを頼むわ」と言って椅子に座った。

こちらの秘めた手札がわからない以上、当面の抵抗は諦めたらしい。

 

 

やかんに水を入れてコンロに火をつける。

俺は朝比奈さんのようにお茶のスキルがないので必然的にティーパックだ。

 

数分後、朝倉に緑茶を入れた湯呑を渡すと再び話をすることになった。

心理戦で相手を威圧する方法の一つは、食事をしながら会話することだ。

よく映画なんかでマフィアのボスがやっているあれである。

しかしながら彼女にそんな手段が通用するとは思えないので今回は没。

 

 

「尋ねたいことがあるの、質問に答えてほしいわ。そして、この空間から解放することを保障するのであれば私は暴れない」

 

「うん。オレが知っている、あるいは答えられる範囲なら質問に答えるよ。ただしここから出られるかは信頼関係しだいさ。脅しは一切通用しないと思ってくれ」

 

「そ。一つ目、あなたは何者かしら?」

 

「はぁ、てっきり情報統合思念体サマのおかげで、この前の金曜日のオレと長門とのやりとりは共有されているんじゃないのかな」

 

俺の台詞に反応して眉毛が一瞬動いたが、未だに無表情のまま「そうね」と返事をする。

こんな状況で紹介することではないが、朝倉のチャームポイントは太めの眉毛である。

 

 

「でも、今は通信を断っているの。本当なら今頃キョン君を殺してるはずだから」

 

「なるほどね。……あの時の会話を知っているのなら話は早い。オレは本当に異世界人なのさ」

 

「どうやら空間転移といい、普通の人間じゃあないのは確かみたいね。ここを解析しようにもよくわからないもの。でも、あなたに関して更に質問するけど、三年前涼宮ハルヒの情報フレアが観測される以前からあなたはこの世界に存在していたわ。少なくとも記録上はね。異世界人に歴史改竄なんてことが出来るのかしら」

 

「さぁて何のことやら。オレに答えられるのは、今居るのが涼宮に呼ばれた結果だから。そうとしか言えない。だた、この前、ある日を起点に時間逆行ができないって話を聞いてね。つまりオレが産まれてからずっとこの世界に存在していたのかという検証もできない。それが事実ならばオレの記録の正確性なんて、ハナから消し飛んでしまう。馬鹿馬鹿しいと思うよ」

 

「ええ。訊くだけ無駄なのはわかってたわ。でも、訊かないでいて後悔したくないもの」

 

嫌味ったらしくそういうと朝倉はようやく無表情を崩し、にこにこ顔に戻った。

思い出したかのように笑うのはやめてくれ。

 

 

「二つ目は、あなたの目的についてよ」

 

目的? てっきり俺がどうやってお前をこの空間に移動させただの、能力に関する質問だとか。

何故朝倉の計画を知ったのかだの俺の情報網について訊くかとばかり思っていた。

 

そんな俺の表情を読んだ朝倉は、「それこそ訊くだけ無駄じゃない」と言った。

おいおい、宇宙人ってのはどっちつかずなもんなのだろうか。

 

 

「目的だなんて言えるほどの大義はないよ。強いて言えば、高校生活を無事に終える事ぐらいかな」

 

「ふふっ。なら何故あなたは今日、キョン君に知られないように工作してまで、私と話すリスクを選択したのかしら?」

 

「さっきも言ったはずだよ。誰も死なせないためだ。あのままだったら、キョンか朝倉さんのどちらかが死んでいた」

 

「彼が私に殺されるのはわかるけど、じゃあ私は誰に殺されるっていうの?」

 

「長門有希。……君に対抗できるのは長門さんくらいだろう」

 

それについて思うところがあるのか、朝倉は黙っていた。

 

 

「そうね、そうかもしれないわ。彼女なら私の邪魔をする理由があるもの。でも、私もただじゃやられないわよ」

 

「とにかく、どうあれ平和が一番なのさ」

 

「ふーん。つまんないわ。ま、私の質問は以上よ」

 

二点だけとは何とも短い質問であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで。そろそろ本題に入ってくれる?私の質問タイムを確保するためだけにここまでしたと言うのかしら」  

 

「わかっているなら話は早いね。オレの要求はいたってシンプルなものさ。『今後、急進派として行動することを止め、涼宮ハルヒ及びその関係者に手を出さない』。これがここから解放する条件だよ。オレを今殺そうとするのは構わないが、その場合同時に、脱出の保証も出来なくなるけど」

 

「……それがどれだけ無茶な要求かわかってるのかな」

 

ほどなくして朝倉さんは困ったような表情になった。

 

 

「私みたいな急進派は少数なの。この地球に存在するインターフェースの大半が、長門さんみたいな観察するだけで融通の利かない中道派よ。……けれど、少数とはいえ、勢力であることには違いないわ。そいつら全員から裏切り者として狙われるなんて御免よ」

 

「長門が居る勢力が大多数なんだろ? そっちに回ればいいと思うけれど」

 

「派閥関係もそう単純じゃないし、何より協力こそしても私をわざわざ助けないわよ。キョン君を狙って行動を起こしたけれど、あなたが教室に来るまでの間、私の邪魔をしようとした個体は存在しなかった。基本的に相互不干渉なの」

 

「やっかいだね……」

 

と渋い顔をする俺に対し朝倉の表情は依然として困っている。

ここから出るためのプランを考えているのだろう。俺の要求についても、おそらく真剣に吟味してくれているはずだが、その場合のリスクは計り知れない。

しかしながら、闘争よりも会話の方が今は重要だと判断しているのだ。

 

いわゆる手詰まりである。

 

 

正直なところ、長門と仲良くすれば万々歳だと思っていたがそうにもいかないらしい。

宇宙人のくせに保身だのしがらみだの、どうにも人間臭い連中である。

これも涼宮が望んだ結果なんだろう。せめて、もっとシンプルな勢力に設定しろよ。

 

そして。この問題を解決すべく、俺はある事を決断した。

 

 

「じゃあさ。朝倉さんの安全が確保できるなら、それも構わないんだね?」

 

「どういうことかしら」

 

「オレが朝倉さんを守るよ。どんなことがあっても」

 

 

今日一番の沈黙が訪れた。

正面に座る彼女は飲みかけのお茶を手に持ったまま、何故かうわのそらな表情である。

何だ、長門を相手にしているより長い沈黙だぞ。つまり俺が頼りないってことなのか。

 

やがて「ぷっ」と噴出した後に朝倉さんは大笑いを始めた。

もしかしなくても宇宙人に現在進行形で馬鹿にされているのか、俺は。

その電波キャラとしての役目は涼宮ハルヒだけで充分じゃないのかい。

 

ひとしきり笑い終えた朝倉さんは「ごめんね」と言い。

 

 

「あなた、自分で何を言ったかわかってるの?」

 

「何だいそれは。オレを信用できないってことかな。誓っていい、オレは朝倉さんを裏切らない。当然だけどSOS団のみんなもね」

 

「はぁ……」

 

残念そうな表情の俺を見て、彼女はやれやれと言わんばかりの溜息で呆れた。

 

 

「いいわ」

 

「おっ」

 

「馬鹿なあなたに免じて、その要求を呑むとするわ」

 

嬉しさのあまり、叫びながら小躍りでもしたい気分になったが、それをするとますます馬鹿にされそうなのでオレは我慢した。

とにかく、原作一巻におけるイベントの一つである『朝倉涼子の死』を回避できたのだ。

そして彼女こそ俺の目的である"助けたかった人"そのものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が何故、朝倉涼子を説得してまでこのイベントをぶち壊したかったのか。

正直、前世で最初に原作を読んだときは朝倉涼子というキャラが好きではなかった。

現状や世界を変えたいという思想こそ素晴らしい向上心である。しかし人殺しという、

手段を択ばない行動はテロリストそのもの。そのくせ長門にアッサリ敗北したので、同情しようにもできなかったからだ。

 

しかし、原作四巻である"消失"を読んだときに、俺の考えが間違っていたと気付く。

つまり彼女は単なるかませ犬ではなく、長門有希という存在の対極、影だったと。

確か、作中でもそう表現されていたはずだ。

 

妥協なき自身の生き方に、死に際も彼女は後悔などしていなかっただろう。

だが、それが作者、あるいは涼宮ハルヒのさじ加減でその結果になってしまったのだ。

ここまで原作を掘り下げて考えた時に、俺は初めて朝倉涼子に同情した。

 

俺の前世の生き方に後悔は無いが、あったのは妥協の連続だ。

殉教者である彼女と比べて、オレ自身が何と醜く、同時に彼女が運命という

シナリオに翻弄される何と哀れで美しい女性なのかと思い知らされた。

全ては"演出"、この戯言のためだけに彼女は死んだのだ。

俺が打ち明けない限り、その事実を彼女が知ることはないだろうが。 

 

オレはいつのころからか、彼女を是が非でも助けたいという思いを抱いていた。

そこに希望があるのならば。オレは自分の命を差し出すという最悪の手段、それも考えていた。

もっとも、涼宮ハルヒシリーズは言うまでもなく架空の世界の話だから、しょせんは学生時代の思い出の一つ。

働くようになってからはそんな事も忘れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感極まって今にも泣きだしそうな声で俺は朝倉に「ありがとう」と伝えた。

そして、とりあえず今後を話し合おうかと俺が話を切り出す前に朝倉が、「ただし」とそれを制した。

 

 

「その要求を呑むにあたって、こちらから二つ条件があるわ」

 

「……朝倉さんは、条件を出せる立場なのかな?」

 

「あら、別に難しい条件じゃないわ。わざわざ私に中道派に寝返れって言うんだから、つまんない観察だけじゃ嫌になっちゃう。こっちにも面白みが欲しいのよ。それに、今後の信頼関係のためにも必要な条件よ?」

 

再び二つのテーマについての問答らしい。

そこまで言うのならと思い、とりあえず話だけでも聞くことにする。

 

 

「一つはあなたの能力についてよ。教えてくれるかしら。まさか、何も知らない相手に私の命を信用して預けろ。って言うのかしら」

 

そう言われてしまうと耳が痛い。

それに、やはり俺の能力を知りたがっていた。とんだタヌキである。

 

 

「説明の場は設けるつもりだよ。そこで、オレが話せる限りの情報は開示しよう」

 

「話せる限りって?」

 

「奥の手は最後まで使うなってことさ」

 

「ふーん」

 

つまらなそうな表情をする朝倉だが、今は深く訊いてこないらしい。

しかしながら朝倉の表情は全部演技なのだろうか。

原作では人間の感情が理解できないと言っていたような気がするのだが。

単純な話で、俺に見る目がないだけかもしれない。

 

とまあ。さっきも言ったように、死人を出さずにこのイベントを達成でき、何だかんだで俺も日和った思考になりがちだった。

 

したがって次の朝倉の要求に、今度は俺の思考が停止する番になるのだが。

 

 

「二つ目の条件はね」

 

 

「ああ」

 

 

「――私と付き合ってくれないかな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……は?

 

 

 

 

 




 


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第八話

 

 

 

 

 

 

――付き合う(つきあう)。

その一、行き来したりして、その人と親しい関係をつくる。

その二、行動をともにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

例えば、買い物に"付き合う"というのは二番目の意味である。

主によく"付き合う"という単語だけで相手を勘違いさせてしまったり、からかわれる原因はここにある。

そして、恋人として"付き合う"というのは一番目の意味から派生している表現。

 

 

さて、思考停止から何とか持ち直さなくてはいけない俺は、朝倉さんの言葉がこの場合、どちらの意味に該当するのかを必死に考えていた。

判断材料が少ないのだ。

 

 

「……は? じゃないわよ。ちゃんと聞いてたの?」

 

どうやら声に出ていたらしい。

 

 

「その、聞いてたつもりなんだけど、オレには本当に意味がわからないんだ。どこか行きたい場所でもあるのかな」

 

「あのねぇ。"自分と付き合ってください"って言われたら、普通は男女交際のお願いなの。この星の有機生命体における一般常識を基に構築された、私の知識ではそうなってるわ」

 

「…………あ、うん。それはわかったんだけど、なんていうか、その。何故、Whyの部分が抜けている気がするんだ」

 

「私じゃ不満なの?」

 

不思議そう、あるいは信じられないといった表情でこちらを見る朝倉さん。

朝倉に不満があるわけではないのだが、何かを満足した覚えもない。

つい十数分前までナイフを向けられるような仲だったのだ。

というか、俺が言いたいのはそういう事じゃない。

 

 

「まさか。でも、突然そんなこと言われたらいくらなんでも慌てるさ。だから、オレは何故朝倉さんが急にそんな事を言い出したのか、意図がわからないんだよ。オレを混乱させるためだけに、そんな条件を突きつけるのなら拒否するよ。この場合、君も解放しよう」

 

「はぁ……。キョン君もそうだけど、あなたも大概ね」

 

そう言うと朝倉はいつものにこにこ顔に戻り、話を再開させた。

 

 

「さっきも言ったけど、私が裏切ると急進派は快く思わない。何せ、私は長門さんと同じく涼宮さんに近いもの。今後は私みたいな独断専行がし辛くなる、と考えるはずよ」

 

「うん、だから朝倉さんも狙われる可能性が出てくるんだよね?」

 

「実際には急進派といえど私が裏切ったところで、独断専行と限らずに、まず何も出来ないわ。それだけ現状のパワーバランスは拮抗してるの。未来人、超能力者も含めてね。さっきああ言ったのは、私が中道派に回っても結局は涼宮ハルヒの監視だけ。何も変わらなくてつまらないからよ」

 

俺の覚悟とは何だったのか。これではただのおのぼりさんである。

面白いかどうかの二元論が彼女の大義なのだろう。

 

そんな俺の気持ちも知らずに朝倉は「だからね」と言って、話を続ける。

 

 

「あなたを監視することにしたわ」

 

無慈悲に再投下される爆弾発言に、俺は自分の分に入れたお茶がむせ返る。

朝倉さんはマジで俺の錯乱が目的なんじゃなかろうか。

 

 

「だって、涼宮さんを監視する役目は長門さんがしてるじゃない。長門さんと同じ事をしてもつまらないわ。それだったら、付き合っちゃえば身近であなたを観察できるわ。その方が面白そうだもの」

 

「すまないけど、オレはその期待に応えられるほどの面白い人間じゃないよ」

 

「あら、自分の言ったことも忘れたの?」

 

何か俺は彼女の琴線に触れるほどの発言をしたのだろうか。

やがて朝倉さんは、今日一番の笑顔でこう言った。

 

 

「私の事を守ってくれるんでしょ? 責任とってね」

 

 

今にして思えば、俺のその台詞はまるでプロポーズにでも使うような。

キザったらしい言葉だった。

 

 

 

その後は。自虐を交えてどうにか朝倉さんに諦めてもらおうと発言するオレに対し。

自分の事を悪く言う男子はデリカシーがない、だの、守るって言ったのは嘘だったのか、だの、守るなら私の傍にいないとおかしい、だのエトセトラ。

今まで明らかに俺の方が勝っていたはずだ。

しかしいつの間にか主導権が朝倉さんに奪われ、結局のところ俺は「まあ監視が目的みたいだし気にするほどでもない」と自分に言い聞かせ。

最終的には俺氏サイドが折れる形で話は決着した。

 

その認識が間違っている事に気づくのに、長い時間はかからないのだが。

 

 

 

 

交渉は成立し、湯呑もぬるくなってきたので俺は、今後について考える必要があると言った。

朝倉も派閥を寝返る手前、その必要性は感じているようだ。

 

 

「ただ、情報統合思念体さんが朝倉さんをどう判断するかわからないからね。続きはとりあえずここを出てからだ」

 

「何か狙いがあるの?」

 

「手札は多い方がいい」

 

「いいわ。で、肝心のここからの出方を教えてくれる?」

 

「簡単さ」

 

そう言ってオレは、朝倉さんの数メートル後方にあるドアを指差す。

 

 

「あそこから出るだけさ。そうすれば、一年五組の教室に戻れる。まさか、ドアの開け方ぐらいわかるよね」

 

「一発殴っていいかしら?」

 

本当に殴られました。

グーで。

右わき腹を。

 

 

 

 

 

教室に戻り、掛け時計を見ると既に六時になっていた。

この時間までなると残っている部活も限られてくる。

SOS団の女子は全員帰宅したのだろうか。

 

 

「それで、どうするのかしら」

 

「キョンと長門を交えて情報統合思念体さんにお願いするのさ。朝倉涼子も涼宮ハルヒの関係者だ、って。あの二人が居た方が確実じゃないかな」

 

「今から集まるつもり?」

 

「早い方がいいさ」

 

ブレザーの右ポケットから携帯電話を取り出し、キョンにかける。

数回のダイアルの後に『何だ』と声が聞こえた。

 

ちなみに、北高ではとくに携帯の持ち込みは禁止されていない。

北高が進学校気取りなだけあって、俺のクラスでは今のところではあるものの

授業中に携帯を弄るような不届き者はいない。

 

 

 

『お前から電話があるとは思わなかったよ、何せ初めてだからな。それで、何の用だ』

 

「薄々気づいているんじゃないの?」

 

『知らん。用があるならはっきり言え』

 

「今から長門さんが住んでいるマンションの前まで来てくれないかな」

 

『理由を教えてくれ』

 

「そろそろ聞きすぎて耳にタコができたと思うけど、涼宮さん絡みで話がある』

 

『やれやれ。また涼宮か……。しかし、どうしてあのマンションの前なんだ?』

 

「こっちにも事情があってね。長門さんも必要なんだ」

 

『……しょうがねぇ。今度俺に奢れよ』

 

「ジュースぐらいならいいよ」

 

『馬鹿言え。メシだ、メシ』そう言ってプツリと電話が切れた。

この調子でいけば七時には集合できるだろう。

 

 

「長門さんの部屋に集まるの?」

 

「アポなしでも大丈夫だと思ったからね。それに、朝倉さんの家は同じマンションでしょ?」

 

「まったく。私の家まで知られてるなんて」

 

携帯電話をしまい俺は、さぁ行こうか、と何やら不気味な笑い声を出している朝倉さんに声をかけようとした。

するとその時、なんと彼女が俺の右手に自身の左手の指を絡めてきたのだ。

 

 

「あの、朝倉さん。いったい何をしているんでしょうか」

 

「なぁに。もっと驚くかと思ったけど、とくに反応はないのね」

 

「いやぁ、驚いてるよ。うん。さっきから、もう、驚きの連続で、ついていけない」

 

「もう。私たちは仮にも付き合っているのよ。これぐらい普通でしょ。世の中の交際している男女は、移動の際に手を繋ぐと聞いたのだけど」

 

彼女のこだわりはどこから来るのだろうか、俺にはわからない。

それにその知識は正しくもなんともない。

 

 

「とにかく、困るよ。出来れば放してほしいんだけど」

 

「嫌、なの?」

 

困った表情をしながら上目づかいでこっちを見る朝倉さん。

未だに手は握ったままである。顔が近い。

 

まぁ、別に嫌じゃないんだけどね、あはは。と俺が言ったその瞬間。

ガラッと教室のドアが勢いよく開かれ、

「うぃーっす」と言いながら誰かが中に入ってきた。

 

 

「忘れ物~。……ぬぅわっ!!」

 

手を繋ぎながら見つめあっていた男女。

客観的に考えても、それはただの友達がするような行為ではなく。

教室に忘れ物を取りに来たらしい谷口も例外なくそう判断したのだろう。

 

俺たちを見て奴は口をポカンと開け、顔はこの世の絶望を見たかのような表情だった。

その後、悔しそうな顔に変化した涙目の谷口は、何とか自分を取り戻して、「すまん」とこちらに一礼すると、絶叫しながら教室を出て行った。

 

 

「彼、面白かったわね」

 

「はは、ははは……」

 

このイベントは本当に回避できない類のものだったのだろうか。

てっきり谷口は流石に帰っているものだと思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何で朝倉まで居るんだ?」

 

七時にギリギリ間に合って到着したキョンが発した第一声だ。

微妙な顔で朝倉と俺を見る。

 

 

「それも後で説明するよ」

 

「うふふ。よろしくね、キョン君」 

 

 

かったるそうな顔をしたキョンを引き連れ、玄関口へ向かう。

朝倉さんがパスワードを打ち込み、ガラス戸を開け、エレベーターに乗って長門が住んでいる708号室の前まで来た。

 

朝倉さんがインターホンを押すと、数十秒の沈黙の後に、ガチャリと音が聞こえて長門が「入って」と顔を出した。

 

 

 

相も変わらずに殺風景な部屋の中心に置いてあるコタツに全員が座る。

座席は俺から見て左が朝倉さん。俺の利き手が左だと知っている上での着席である。

朝倉の左側が長門で、俺の右がキョンという席になっている。

 

最初に口を開いたのはキョンだった。

 

 

「で、これは何の催しだ」

 

「結論から言うとオレは異世界人。聞いたと思うけど長門さんは本当に宇宙人で、朝倉さんも宇宙人だよ」

 

「……」

 

 

長門は沈黙し、朝倉さんは恒例のにこにこ。キョンは呆れて物も言えない様子だった。

 

 

「ま、今日はキョンに俺の正体をバラすってのも目的の一つなんだけど。オレの本題は、長門さん、もっと言うと上司の方にあるんだよね」

 

「どうぞ」

 

話をして構わないという意味らしい。

俺は置いてかれているキョンを無視して話を始める。

 

 

「朝倉さんは本日付で急進派から抜けて、中道派に回りたい。彼女の任務は涼宮ハルヒの監視をする長門さんの補助と、オレの監視。その許可が欲しい」

 

「……」

 

俺の要求を耳にした長門は目をつむり、沈黙した。

おそらくだが情報統合思念体と通信しているのか。

やがて、目を開けた長門は口を開いた。会話にすると例によって長いので要約。

 

情報統合思念体は任務を与えるだけで、よほどのことが無い限りインターフェースを放置しているらしい。

つまり、どこの派閥に回ろうが知った事ではないとのこと。

いい加減な上司だな。

 

しかし、自称異世界人の俺が未だによくわからないらしく。

監視するにしても朝倉涼子を割く意味があるのか。と言われたらしい。

まるで娘に出てってほしくない父親だな。朝倉さんも不満そうな顔である。

 

つまるところ。

 

 

「イレギュラーである明智黎の必要性が知りたい」

 

ま、朝倉さんが通信を断っていた以上。教室の立ち回りを情報統合思念体は知らないのだろう。

 

 

「わかった。キョンも退屈してただろうし、眠気覚ましにはちょうどいいかな」

 

俺はそう言って立ち上がり、長門の部屋の壁に手を当てた。

すると、教室で俺と朝倉を呑みこんだ黒い渦が壁に現出する。

それは手のひらほどの大きさだったが、やがて人一人は入れるほどの細長い楕円形となった。

 

 

「な、なんだそれは」

 

「オレの後に続いてこれに入ってくれ。害はない」

 

 

先に行って待っている、とだけ言い残して俺はすっと歩くように黒い壁に飲み込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ説明してくれ」

 

最後に穴に入ったキョンは。思考を放棄したらしい。

俺たちが居るのはさっき朝倉と俺が居た部屋と同じ広さだが、黒を基調とした花柄の壁紙が貼ってあり、ダイニングチェアにテーブル、テレビ、小さな冷蔵庫。

床にはイエローベージュとブラウンのタイルカーペットが交互に敷いてある。

 

 

「あら。一番遅かったくせにその態度なの?」

 

キョンは朝倉さんと長門が続けて入ってきてから五分ほど経過してようやく入ってきた。

多分、現実逃避していたか、びびっていたのだ。煽られるのも無理はない。

 

 

「とりあえず。長門さんの横に席が空いてるだろう、そこに座ってくれ。ここは来客用の部屋だから冷蔵庫しか置いてなくてね。キッチンがない。まぁ、缶ジュース程度しか出せないが許してくれ」

 

俺はそう言うと席から立ち、冷蔵庫から缶コーラを出して

長門の横の席に着席したキョンの前に置く。

置いてあるテーブルは長い辺にして、椅子を四つは置ける長さがあるのだが、朝倉は相も変わらずに俺の左側に着席している。

キョンと長門の2名と比べて心なしか、俺と朝倉さんの席の感覚が狭い気がするのだが。

 

 

「結論から言うと、この部屋そのものがオレの力だ。オレが知る限りではこんな芸当ができる一般人はいないはずだけど」

 

「ちょっと待て、何かのトリックじゃないのか」

 

「キョン。君は今、得体の知れないモノに出会ったことで一種のパニック状態に陥っている。理解が追い付かないのも無理はない。けれどこれは現実に起きている出来事で、君が今まで受けてきた説明もおそらく本当の事さ。全部涼宮の仕業って訳だ」

 

「……信じ切っちゃいないが、ここまで口裏を合わせられたら少しは妙だと思う。お前だけならともかく、朝倉までグルらしいからな」

 

「オレ自身について語れることは、そう多くないんだ。涼宮ハルヒに呼ばれた異世界人。そうとだけ認識してくれれば結構さ」

 

「で、長門と朝倉の二人が宇宙人と」

 

「そこら辺は追々納得してくれればいいさ」

 

「長門さんは、この空間が解析できるかしら? 私じゃちっともわからないのよ」

 

「私にもわからない」

 

長門はいつも通りの無表情で朝倉さんの質問に答えた。

こいつらの個体性能差がどこまであるのかは不明だが、原作での描写では長門の方が立場は上みたいだから朝倉も尋ねたのだろう。

 

「ただし、推測は可能」

 

「俺にもわかるように聞かせてくれ」

 

「この空間は少なくとも既存の物理法則では説明できない何かで構成されている。壁紙や家具は一般に流通されているものだと思われる」

 

「それくらいは私にもわかるわ」

 

「問題はその前」

 

「どういうことだ」

 

「明智黎が私の部屋に生み出した黒い穴。視覚上では穴があるように見えたが、実際に壁の構成が改変されたわけではない。先ほどの明智黎の発言を加味すると。彼の能力は空間転移ではなく、空間そのものを生み出す力だと推測される。これが、情報統合思念体の出した結論」

 

長門のその言葉を聞いた朝倉さんも情報統合思念体と通信したのだろうか、言葉を失っていた。

 

 

「長門。それは宇宙人仲間とやらの朝倉が驚くほどの事実なのか?」

 

「我々の情報操作能力をもってしても、無から有を生み出す事は不可能」

 

「私たちにできる事は、主に現実世界の物理法則を制御することなの。例えばキョン君が今飲んでいるコーラを冷たくすることも、熱くすることも出来るし、その気になれば天気や時間も操れるわ。でも、その能力でコーラを創る事はできないの」

 

「なんとなくしかわからん」

 

そう言ってキョンが残り少ないであろうコーラを飲んだ瞬間、彼は目を大きく開いて驚愕した。

 

 

「驚いた? 今の話の最中に、コーラをただの冷水に変化させたの。でも、こんなくだらない事をするのにも情報統合思念体の許可が一々必要だから、そこまで便利なものじゃないけど」

 

「……」

 

軽い悪戯をした朝倉はキョンに「ごめんね」と謝った後、俺の方を向いて笑顔でこう訊ねた。

長門は心なしか朝倉を窘めるような視線である。

 

 

「それはそうと明智君。まだあなたからここの具体的な説明がないわよね?」 

 

「わかってるさ。結論から言うと長門さんの推測は正しい。ここは俺が作った空間で、実在する場所じゃない。ワームホールのようなものを開けてその中に居るとでも考えてくれ」

 

「ワームホールとは。異世界的なのか宇宙的なのかよくわからんな」

 

「あくまで例えだよ。実際には原理が違うけれど特に説明はしない。オレのは技術(ワザ)だ、人間には未知の部分がある。この世界で解明されていないように」

 

「ユニーク」

 

「具体的な数字は伏せさせてもらうけど、似たような空間は他にもある。ここより広いところもね。オレは能力によって出来た空間を文字通り"部屋"と読んでいる。この部屋は最初に言ったように来客用さ。オレの能力には使うにあたって、いくつかのルールがあってね。条件次第では君たちも部屋へ出入りが出来る」

 

「お前がいなくてもか?」

 

「ああ。先ず部屋に入るには、オレがさっきやったみたいに、壁や床といった固定された場所に手をかざして穴の入口を作る必要がある。どの部屋へ行くかは入口を作成した時に設定する」

 

「俺が手をかざしても壁に穴が開くとは思えんぞ」

 

「当然さ。残念ながら入口を作れるのはオレだけでね。でも、あらかじめその場所にオレが入口を設置しておけば、他の人や物も部屋の中に入れることができる」

 

「だから家具が置いてあるのか」

 

「流石にそんなものまで創れないからね。色々と置いてる方が便利だろう?入口はこの部屋に入ると同時に閉じるから、部屋を出るにはそのドアを開けて出ればいい。そうすれば元の場所に戻れる。これに関しては誰でも可能だよ」

 

「まるで隠れ家ね」

 

「その通り。オレはこの能力を"臆病者の隠れ家(ハイド・&・シーク)"と呼んでいる。文字通りのかくれんぼにはうってつけさ」

 

と、ここまでは基本事項でこれからする補足事項の方が重要なのである。

今説明した内容だけでは、この能力が特別に優れた技だとは言えない。

 

 

「先ず、部屋にはそれぞれ異なる上限の数で、入口が一度に設置できる。これによって別の場所から一つの部屋に集合する事が可能だ」

 

「その場合、外に戻る時はどうなるんだ?」

 

「ドアは一つしかないが、通常通り、各々の入ってきた所へ振り分けられる」

 

「辻褄はあうな」

 

「次に出口についての説明だが。既に説明した通りに、戻る時は入った入口から外に出ていくのが原則だ。しかし、オレが部屋一つにつき一つだけその部屋の出口を設定する事ができる。つまり出口を設定した部屋から出る場合は、その人がどの入口から入ろうと、出口のある場所に行くことが可能になる」

 

「擬似的な空間転移能力」

 

「オレは出来ないと言った覚えはないよ」

 

別に説明するつもりだったのだから許してほしい。

長門は怒ってなんかいないと思うけど。

 

 

「部屋は完全に独立していて、部屋から部屋への移動は不可能だ。仮に部屋の壁を破壊できたとしても何の意味もないだろう。また、入口と出口の排除はオレだけが可能だ」

 

「どうにも、いまいちイメージができん」

 

「今すぐ覚える必要はないよ。困ったら長門さんに訊けばいい、オレが説明した内容を答えてくれるはずさ」

 

 

とは言え、一つだけ説明していない事があるが今はいいだろう。

俺が一通りの説明を終えた後、長門は再び通信を行った。

そして暫くの沈黙の後に、彼女の方で結論が出たらしい。

 

 

「明智黎の特殊性は我々の予想を超えていた。この能力は戦術的及び戦略的な観点から非常に価値のある能力」  

 

「たった今、情報統合思念体から任務が出たわ。私に涼宮さんの監視と並行して明智くんの能力の観測をしてほしいみたい」

 

何はともあれ『朝倉さんが急進派として行動しなくなる』、『俺の監視』というお互いの条件がようやく合致した。

この世界の技術でない以上、"臆病者の隠れ家"を調査しても無駄だと思うが、それ以上の興味が俺にあるらしい。

 

俺に自覚はあまりないが。

 

 

 

 

「なんだかよくわからん一日だったよ。最後には変な場所へ飛ばされた」

 

今のは長門の部屋を出たキョンの第一声だ。

俺の話が終わり、こちらの要望も通ったので今日の集まりが解散という事になった。

朝倉さんが言った通り、急進派がわざわざ狙いに来る事はないだろうが、万一の時は長門も協力してくれるらしい。

ようは、オレは中道派と同盟を組んだようなものだ。

 

 

時刻は午後八時三十分を過ぎており、家に着く頃には九時を超えているのだろう。

そろそろ両親への言い訳も尽きつつある。門限という制限や意識はないのだが、いかんせん年頃の男子高校生がふらつくのは風紀が乱れていると考えられる。

 

 

「昼間は、古泉のよくわからん話でうんざりさせられたからな。だが涼宮が体調不良で部活に出なかったおかげで、癒しの一日になると思ってた数時間前の俺は何だったんだ」 

 

「どうせ説明するなら、人数は多い方がいいだろ。古泉はバイトで、朝比奈さんは長門さんが苦手みたいだし」

 

「……そうかい」

 

正直なところ、説明の手間というのは嘘ではない。

しかし、キョンは情報統合思念体との交渉材料として来てもらったというのが本当だ。

その点は長門も朝倉さんも織り込み済みだと思うが。

 

 

「だが、朝倉まで居たのは何だ?お前らで勝手に落ち着いたみたいだが、俺には何の話かわけがわからん」

 

そう言われたので分かりやすく俺が説明しようとしたところ、朝倉さんに遮られた。

 

 

「私はもともと急進派だったの。でも、任務は観察するだけ、毎日に嫌気が差したわ。そんな時に明智君が来て、長門さんが居る勢力の主流である中道派に回らないか。って言ったの。急進派は物騒だから私に危険な真似はしてほしくないって」

 

何やら違う気もするが、俺とキョンは黙って朝倉さんの説明を聞く。

 

 

「確かに今まで通りに涼宮さんを見てるよりは、異世界人の明智君に注目した方が発見があるかもしれない。それじゃなくても今日の今日まで私たちは明智君が異世界人だって知らなかったもの」

 

「なるほどな。古泉や朝比奈さんは明智に何か感じていたらしいが、結局正体までは知らなかったみたいだからな」

 

「でもそれをしちゃうと裏切り者として他の急進派に狙われるかも知れない。ただでさえ現状の各勢力のパワーバランスは平行線のギリギリを保っている。だから無理だって断ったの。そしたら『俺が一生守ってあげる』って言ってくれたわ」

 

「…………明智、お前」

 

何やらとてつもなく脚色されている気がしてならない。

俺を見るキョンの目が死んでいる。

 

 

「だから、その責任を取ってもらうために付き合うことにしたの。私が明智君に守ってもらうには傍にいる必要があるもの」

 

「……」

 

はたしてそれを言う必要があったのだろうか。

キョンは何かを悟ったような表情で。

 

 

「その、何だ。宇宙人とか異世界人とかよくわかんないけどな。お前らお似合いだと思うぞ。うん」

 

とだけ残して一人でさっさと消えてしまった。

分譲マンションの廊下で、俺と朝倉さんの二人だけが残される。

 

 

 

 

キョンが一人でエレベータに乗ってしまったため。

必然的にエレベーターが来るのを待つことになる。 

俺が誤解の生みの親である朝倉さんを見ると、いつもの笑顔で。

 

 

「本当の事を話しただけよ?」

 

「うん、だいたいあってた。……とりあえず、家まで送るよ」

 

やれやれ、この調子で俺の精神力はどこまで持つのだろうか。

 

 

 

 

 








"臆病者の隠れ家(ハイド・&・シーク)"

隠れ家のような部屋を異空間に創り出す技術。
具体的な数は不明だが、部屋は同時に複数、別の場所に存在できる。
部屋への出入りにはルールがあり、条件が合えば誰でも出入りが可能。
ハイド・&・シークとは、英訳で、"かくれんぼ"のこと。


入室時のルール

・この能力を持つ者は、壁や床のような、固定された場所へ手をかざし、入りたい部屋の"入口"を設置する。
・部屋へ入室をするにはその"入口"へ侵入すればよい。"原則"これ以外の方法での入室は不可能
・入室時は部屋の天井から"入口"が開き、部屋の内部へ落下する。
・その際に外界に設置した"入口"は存在し続けるが、部屋の天井に空いた"入口"は入室と同時に閉鎖される。
・なお、"入口"は同じ部屋についても複数設置することができ、部屋によってその上限が異なる。
・外界に設置した"入口"は設置した人間の意志でのみ開閉が可能。ある程度の距離であれば開閉の遠隔操作も可能
・"入口"が閉じていれば入室はできない。
・人間以外に、物質も部屋へ運ぶことができ、大きさの上限は部屋にあるドアよりやや大きい程度が限界。


退室時のルール

・部屋に一つだけあるドアを開けて、外へ出ると外界への退室が可能。
・その場合に出る場所は、入室した人が使用した"入口"がそのまま出口となる。
・仮に他の人が退室しようとした時に、同じタイミングで外へ出ようが、その人が入室した"入口"へ飛ばされる。
・一つの部屋につき、一つだけ、どの"入口"から入室してもそこへ退室できる"出口"を設置することができる。
・"出口"の設置には特別な魔方陣のような術式を刻印する必要がある。
・"原則"として、部屋から部屋への移動は不可能。各部屋はそれぞれ独立している。



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第九話

 

 

俺が朝倉さん及び情報統合思念体と激闘した次の日、当然に平日なので学校がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キョンには本当の事を言わなかったが、古泉と朝比奈さんをあの場に呼ばなかったのは呼ぶ必要がそもそも無いからである。

 

――どういう事か?

それは古泉が所属する『機関』は宇宙人、未来人とパイプがあり、俺が情報統合思念体に異世界人だ、という事が知れた以上は全てのインターフェースにその事が伝わるのだ。

つまり必然的に『機関』と未来人にも俺の正体が知れ渡る。

ただ、その場合は全ての端末がリアルタイムで自由に情報を共有できるわけではなく、原作であったように同期方式らしい。

その辺の事は事前に朝倉さんに確認してあり、俺の"臆病者の隠れ家"についての情報は中道派と穏健派の一部にしか知れていないとの事だ。

ただ、万が一を考えて何点かまだ話していない事はある。

いずれその手札も使う時が来るのだろうか。

 

 

 

――朝倉さんを彼女の自宅である505号室に送った後の話になる。

そのついでにお邪魔する事になった。

神と涼宮ハルヒに誓っていいが変な事は一切してない。

もっとも涼宮さんに誓ったところで信用されないのがオチなのは言うまでもない。

何故朝倉さんの家に入ったかと言えば話は簡単だ。

有事の際を想定して彼女の部屋の壁に"入口"を設置するために他ならない。

朝倉さんの戦闘能力は高い上に、自宅に関しても恐らく情報制御下とやらだ。

正直ここまでする必要があるかと言われれば何とも言えないさ。

備えあれば憂いなし、憂鬱ではあるけど大事をとっておいて損はない。

更に、万が一"入口"に朝倉さん以外の人物――要するに俺たちに敵対する輩――の侵入に備え、朝倉さんの家に設置した部屋は一番広く何もないただの空間。

つまり最悪の場合にそこで戦闘さえ可能な広さだ。

そしてその部屋の"出口"はあらかじめ自宅の俺の部屋の壁に設置してある。

最後に部屋を利用する場合に入る前、もしくは入ってからは出来るだけ俺に早急な連絡をお願いした。

……という徹底ぶりである。

しかしながら連絡先として朝倉さんのメールアドレスと携帯番号をゲットしたのだが、何やら深みにはまっている気がしてならないのは、どうしてだ。

 

 

「どうもこうもない、か」

 

その後。

もう九時が近いので、お腹が空いたしそろそろ帰りますんで、とその旨を伝えたところ。

 

 

「私もお腹が空いたのよ。一緒に食べればいいじゃない」

 

こう言われてしまい。

俺はもうどうとでもなれとの思いで朝倉の家で、白米と味噌汁と白身魚ときゅうりの浅漬けを頂いた。

エイリアンとは名ばかりで和風だった。

ようやく帰宅した俺を待っていたのは両親の質問という名の尋問である。

曰く「帰りが遅くなるのは構わないが、せめてきちんとした理由を教えてほしい」

との事で、容姿といい家庭の方針といい前世の両親となんら変わらなかった。

さてどうしたものかと考えた俺は仕方なしに半分だけ真実の説明をした。

 

――ええ、つまり。

俺の下駄箱に放課後の教室での呼び出し文が入っていた。

部活終わりに「どうせ誰かのイタズラだと」とタカをくくっていた俺を待ち受けていたのは、クラスの男子女子両方から人気がある麗しい委員長。

なんと彼女に告白された俺は、なし崩し的にOKし、その後は彼女の家で晩御飯を頂いてきた。

当然の如く健全なお付き合いをさせてもらっています。

遅くなったのは何度か帰ろうとした俺が引き止められたから。

……だという非常に苦しい言い訳だった。

それでも両親は俺に一応の理解をしてくれたようで「今度紹介してね」と言われ。

元々朝倉さんの気まぐれみたいな話だろうし、紹介する日は永遠に来ないだろうと思い就寝。

激動の一日はこうして終了したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして今日に至る訳である。

この日は確かキョンが朝比奈さん(大)と遭遇する程度で、俺など脇役に過ぎない。

朝に顔を合わせた谷口は俺の存在にすら気づかず、ただただうわのそら。

キョンに関してはいかにも「……頑張れよ」と言わんばかりの生暖かい視線である。

だが、特に俺と朝倉さんについてのうわさが広まっている様子もないので、配慮はできる二人だ。

昨日は色々あったが、今日一日はのんびりできるな。

と、またタカをくくっていた俺の、まるで世の中を馬鹿にした態度は文字通り打ち砕かれることになった。

この日、母が俺の弁当を用意していなかった。

決してストライキではない。たまにはパンが食べたいだろうという俺への配慮だ。

今日は購買で昼飯を調達しようと思い立ったが吉日。

さっさと教室を後にしようと席を立ちあがった俺を止めたのは、他でもなく俺の後ろの座席の。

 

 

「明智君。私、お弁当作ってきたの。一緒に食べましょ」

 

満面の笑顔とともに朝倉さんの急降下爆撃が俺に叩き付けられた。

いつも通り朝倉さんと昼食を食べていたであろうグループの女子が、今にも朝倉さんを誘おうとして彼女の隣に居たにも関わらず。だ。 

 

――俺も凍り付く。

その女子生徒も凍り付く。

先に動き出したのは俺ではなく、女子生徒の方だった。

 

 

「朝倉さん。アタシの聞き間違いじゃなきゃ、明智君とお昼食べようって聞こえたんだけど」

 

決して彼女の声は大きくないのだが、生憎と女子生徒の声はよく通る声だった。

その結果、教室に居るクラスメートほぼ全員がこちらに視線を向けた。

こっちを向いていないのは俺と朝倉さん以外には、元々生気がない谷口だけだ。

涼宮でさえ不思議な表情でこっちを見ている。

ちなみにキョンは絶賛朝比奈さんイベント中だ。

あいつはいつの間にいなくなりやがったんだ。

俺も迅速に行動していればこうはならなかったのか。

そんな事が頭によぎり、この段階でようやく俺は言葉を出すことができるようになった。

 

 

「何かの間違いでしょ。そんな、大げさな。ね。君とオレを間違えたんじゃあないかな」

 

俺に残された選択肢など、無言で立ち去る以外になかったのだ。

この返し手は悪手に他ならなかった。

 

 

「あら。ちゃんと聞こえるように言ったつもりだけど。明智君、まさか惚けるつもりかしら? 薄情者ね。昨日私の家で晩御飯を食べた時、味噌汁がおいしいって褒めてくれたじゃない」

 

俺はそんな事言ったような気がするが言ってない。

信じられるのはいつの時代も自分自身なのだと必死に自分へ言い聞かせる。

 

 

「それに、お昼がなくてこれから購買部に行くつもりだったんでしょ? もしかして私が作ったお弁当より、購買のパンの方がいいのかしら」

 

わざとらしく悲しげな表情をする朝倉を尻目に教室の中は騒然としている。

すると、さっきとは別の女子生徒が朝倉さんに訊ねた。

 

 

「手作りお弁当に晩御飯って、二人はどういう関係なの?」

 

「明智君と付き合ってるのよ」

 

「ええっ! 嘘!?」

 

悲鳴のような女子生徒の嬌声とほぼ同時に、教室も静寂から一転して狂気が訪れた。

うそー、だの、キャーだの嬌声を上げる女子生徒と、泣き声や叫び声が上がるのは男子生徒。

この一連の流れによって、俺の昨日から持て余していたフラストレーションが、とうとう破裂してしまった。 

 

 

 

――ドン!

 

と、渾身の力を込めて机に叩き付けた左拳の轟音により再び教室は鎮まる。

台パンならぬ台ドンである。

そして、その腕も振り上げずに俺は勢いのまま言い放つ。

 

 

「何かあるなら! ……直接オレに言ってくれ。話くらいは聞いてあげるよ」

 

最大限の威圧を込めたその一言に対し、特に反応はなかった。

男子生徒すら萎縮している。

 

 

「行こう、朝倉さん」

 

「はいはい」

 

教室の連中が復活する前にとっとと中庭へ退散する事にした。

 

――結論から言うと朝倉さんの手作り弁当は非常においしかった。

最近冷凍食品が増えてきたような気がする母の弁当との差を、あまり言いたくないがそこそこ感じられる。

弁当の良し悪しは卵焼きで7割以上決まると言っても過言ではない。

朝倉さんの卵焼きは、作られて数時間が経過しているはずだが味に一切の劣化がなかった。

卵焼き以外の内容に関しても完璧だった。

これが宇宙人の成せる業なのだろうか。 

 

 

 

 

  

そんな一件を経て、ようやく放課後である。 

昼休みの終わりに我に返った俺だが、特にクラスの雰囲気に異常はなかった。

男子は知らぬ存ぜぬで、女子は何人か俺の前に来て、俺に何かしら質問したかったみたいだ。

しかし俺は予鈴に助けられ無駄な労力を費やすことはなかった。

 

 

「国木田から聞いたぞ。朝倉の無茶がたたったそうだな」

 

「同情ならよしてくれ……この気持ちはお前にはわからないよ」

 

部室で机に顔をうずめている俺の横で、キョンは俺を慰めているつもりらしい。

ええい、今日のあれは黒歴史だ。

正気じゃなかったんだ。

更に驚いたことに部室には俺とキョンの他に誰もいない。

長門さんさえ。

 

 

「俺にはよくわからんが、甲斐性を見せるのが彼氏の役割なんだそうだ」

 

「オレは悪くない」

 

朝倉さんはきっと、とっくに家だろう。

 

 

「お前がその調子でどうする。朝倉を守るんだろ。しっかりしろよ」

 

「……失言なんだ」

 

「やれやれ」

 

朝倉さん以外なら誰でもいいからこの停滞をどうにかしてほしい。

そんな俺の思いに答えたのは、出来れば朝倉さんの次に来てほしくない人物だった。

SOS団の長、涼宮さんだ。

 

 

「遅れてごめーん。学校中を探したんだけど、朝倉さんが見つからなくって。あら、この二人だけ?」

 

「何故かは知らん」

 

「まあいいわ。明智君に訊きたい事があるし」

 

「後にしてやれ。こいつは今、会話ができるような状態じゃない」

 

「ふーん、さっきはあんなにかっこよく啖呵切ってたのに」

 

悪気があって言ってるようにしか思えない。

だが、キョンが言うようにここでぐだぐだ腐っていても何も解決しない。

こういう時だけは主人公らしいんだよな、こいつ。

顔を上げ、制服の乱れを整える。虚勢ぐらいは張れる程度に持ち直した。

 

 

「涼宮さん、すまないが質問はまたの機会にしてくれないか。おそらくオレと朝倉さんについてだろ? ……自分の不甲斐なさに呆れててね。今日のあれだって、オレが変に誤魔化そうとしなきゃよかっただけなんだ」

 

「別に明智君を責めるつもりはないわ。私には恋愛なんてさっぱりだけど、そんな調子じゃ朝倉さんに失礼よ。SOS団員なるもの、常に自信を持ちなさい!」

 

涼宮さんがまさかこんなにまともな事を言うとは思わなかった。

恋愛をある種の精神病と考えている彼女でも大人な言葉をかけたくなる程度に、今日の俺は覇気がなかったのだろう。

キョンも驚いている。

そういえば、昼休みから今までの記憶がすっかりあやふやだったが俺はある事を思い出した。

 

「今まで忘れてたけど、帰り際に朝倉さんが言ってたよ。部活が終わったら相談したいことがあるから家に来て。って」

 

「どうせ俺ら三人でやることもないだろ。明智、お前は帰っていいぞ」

 

「ちょっとキョン。下っ端のあんたが何勝手に決めてるわけ!?」

 

「ここは俺に任せてさっさと行け」

 

何やら死亡フラグにしか聞こえない台詞を吐いたキョンは金切り声の涼宮さんと漫才を始めた。

別に彼女も俺を引き止める気はないらしく、俺はさっさと用事を済ませる事にする。

"臆病者の隠れ家"のまだ誰にも説明していない荒業を使えば、朝倉さんの部屋まで直に行く事すら可能だ。

それをしなかったのは俺の技術が制限の強いものという印象を植え付けておきたいという理由もある。

しかしながら、今はとにかく頭を冷やす時間が欲しかった。

 

 

「ここに来るまで色々考えてたんだけど。そもそも何で朝倉さんは俺が今日昼飯を用意してないってわかったのかな」

 

木製テーブル越しに俺の正面に座る朝倉さんが、相談とやらを始める前に俺が訊ねた質問だ。

何となく予想はついてているのだが、本人に答える気があるのかどうかの確認である。

 

 

「ふふふ。乙女の勘よ」

 

はぐらかされてしまったが、俺も人の事をとやかく言えないので追及はしない。

彼女たちのテクノロジーなら透明な監視装置的なナニカを用意するくらい"わけない"。

 

 

「そんな事より、私に言う事があるんじゃないの?」

 

「すいませんでしたーっ」

 

椅子から立ち上がり、机の横で土下座する。

誰に謝ってるのかと訊かれると、朝倉さんではなく自分に対してなのかもしれない。

 

 

「うん、いいわ」

 

何とも満足そうな声である。

これから暫く俺は強く生きなければならないのだろうか。向こう一か月は。 

そんな自覚はまだないが、お付き合いをしている以上は振り回されるのが世の常だ。

しかし俺は涼宮さんのご機嫌取りとしてこの世界に来たんじゃないのか?

つくづくいい加減な女神様である。 

その後、土下座を解いた俺は、宇宙人の相談とやらに乗ろうと思って身構えた。

しかし朝倉さんの「明智君の顔を見たら解決したわ」などとよくわからない事を言われ。

結局そのまま家に帰宅する事になった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、自宅に戻ろうとする俺を出迎えたその輩は母ではなく、家の前に止まっているタクシーの横に立っていた。

SOS団一のトッポイ野郎、超能力者の古泉一樹だ。

 

 

「少しばかりお時間を借りていいでしょうか。本来は一人だけの予定でしたが、もののついでです。明智さんに案内したいところがあるんですよ」

 

「どうやら。マジックショーに招待されるのはオレだけじゃあないようだね」

 

「ええ、彼もご一緒ですよ」

 

左後部座席に乗り込んだ俺の右隣には、案の定キョンが座っていた。

どうやら彼も気力がかなり削がれているらしい。

俺が居なくなってからほどなくして部活を終了して涼宮さんと一緒に下校していたらしい。が、愚痴を延々と聞かせられたあげく、しまいには彼女一人でさっさといなくなってしまったそうだ。 

この車は県外へと向かっているようで、わざわざタクシーで行くという徹底ぶり。

タクシーと運転手にも『機関』の息がかかっているのは容易に判る。

 

 

「超能力者としての証拠をお見せできる、ちょうどいい機会が到来しましてね。二人にはお付き合い願おうと思いまして」

 

「わざわざ遠出しないと駄目なのか?」

 

「面倒ですが、僕が力を発揮するには、とある場所、とある条件下でないと無理でして。今日これから向かう場所が、いい具合に条件を満たしているというわけです」

 

「知りたくもないような話だな」

 

昨日一日のやりとりを思い出してうんざりしているのか、キョンはいつにも増して無気力である。

助手席に座る古泉はいつも通りのニタニタ顔で、こいつも宇宙人じゃないのかと思えてくる。

 

 

「それにしても、明智さんには驚かされましたよ」

 

「……その口ぶりだと、やっぱり知ってるみたいだね」

 

「ええ、詳しくは話せませんが我々『機関』は長門さんのようなTFEI端末との接触に成功しています。基本的に相互不干渉ではありますが、情報の共有は我々からすれば重要事項でして。もっとも、我々もあなたが異世界人だという事しか知り得ていませんが」

 

「どうでもいいけど、その"端末"って表現は気に入らないな」

 

「すみません。気分を悪くさせるつもりはありませんでしたが、これが『機関』による通称でして。とにかく、異世界人という事実よりも急進派である朝倉涼子の暴走を阻止して、ついにはこちら側へ引き入れてしまったのですから……。この事実の方が驚きです」

 

「ある程度は情報を掴んでいて、それを止めなかったのはお前さんたち『機関』だろ? オレには誰も死んでほしくなかっただけだよ。深い意味はない」

 

「これはお恥ずかしい話ですが、放課後になってからの朝倉涼子の足取りは我々にも掴めませんでした。ようやく判明した時には一年五組の教室の中に居ましたが、中の様子は監視できません。何かしらの妨害工作が行われていたのでしょう。だからこそあなたが教室の前に現れた時は我々も肝を冷やしたんですよ」

 

「仮に、朝倉さんの予定通りにキョンの方が呼び出しに応じていたらどうするつもりだったのかな?」

 

俺は低い声を出し、威圧する。

古泉個人に非がある訳ではないのだが、原作では『機関』は明らかな静観の立場であった。

どうせ『機関』の要請で長門さんがキョンを助けるという筋書きなんだろうよ。

 

 

「その時は応援を送る予定でしたよ。我々のエージェントの一人が急いで教室に向かった時は既に蛻の殻でして。やむなく実働隊は撤収しました」

 

「おい。さっきから黙ってたら、暴走だの監視だの。いったい何の話だ?」

 

俺と古泉の会話に入ったのはキョンである。

そういえば昨日は朝倉さんのでっちあげの説明しか聞いてなかったな、こいつ。

別に隠す必要もないし、危機感を持ってほしいので俺は説明することにした。

 

 

「キョン。君は長門さんに、過激な行動によって情報の変動を望む連中が居るって、言われたはずだよ。少なくともオレはそう警告されたからね」

 

「それは昨日の、急進派がどうのこうのとかいう話か?」

 

「うん。要約すると昨日朝倉さんがお前を殺そうとしてたから、オレがそれを止めたのさ。どうしてああなったのかはオレにもわからないけど」

 

「はぁ? 朝倉が俺を殺す?いったい何のために」

 

「あなたのせいですよ。涼宮さんに妙なことを思いつかせなければ、我々は今もまだ彼女を遠目から観察するだけで済んでいたはずです」

 

キョンを責めるのもかわいそうな気がする。

しかし古泉の発言も間違ってはいない。

 

 

「俺がどうしたって言うんだ」

 

「怪しげなクラブを作るよう彼女に吹き込んだのはあなたです」

 

「あいつが勝手に言い出した事だぞ」

 

「しかしながら涼宮さんはあなたとの会話がきっかけとなって彼女は奇妙な人間ばかりを集めたクラブを作る気になったのだから責任のありかはあなたに帰結します」

 

ともすれば暴論だ。

 

 

「そして、その結果として涼宮ハルヒに関心を抱く三つの勢力の末端が一堂に会することになってしまった。そもそもの原因であるあなたが注目されるのは当然のことですよ」

 

「そいつを認めてやってもいいが、何が目的で俺を殺したがるんだ。どっかから金が出るのか」

 

「オレが聞いた限りでは、涼宮さんの監視がつまらないからだそうだよ。急進派みんながキョンを殺そうと考えてるわけじゃないけれど、身近な人が死ねば何らかの反応があるでしょ? それが涼宮さんだったらどうなると思う? ただ宇宙人未来人異世界人超能力者と遊びたいってだけで、ここまで話を大きくできる人だ。間違っても精神恐慌なんて起こしてほしくないね」

 

「……そんなもんかね」

 

「まあ、それだけが理由ではないのですが」

 

それだけ言って古泉は口を閉ざした。

その発言に対してキョンが何か言おうとしていたが、タクシーはどうやら目的地に到着したらしく。

運転手が「着きました」と言うと車は停止し、ドアが開かれた。

当然のようにタクシーは料金を受け取らずに、俺たち三人が降りると去って行った。

 

――県外のこの都市は、周辺地域に住む人間にとっての街の象徴である。

地方都市という観点からしても日本有数であるのは窺えた。

 

 

「ここまでお連れして言うのも何ですが。今ならまだ引き返せますよ」

 

青信号のスクランブル交差点。雑踏の中を古泉が先導しながらそう言った。

本当に今更だね。

 

 

「オレはできれば今日の昼休みまで引き返したいんだけど」

 

「今更だな」

 

キョンは俺と古泉のどちらに対してそう発言したのだろうか。

すると不意に古泉が立ち止り、俺の右手とキョンの左手を握った。

 

 

「すみませんがお二方、しばし目を閉じていただけませんか。すぐ済みますよ。ほんの数秒です」

 

古泉なりの配慮で俺とキョンの利き手じゃない方を握ったと思われる。

しかしながら必要な行為だとわかっていても野郎に手を握られるのは快くない。

俺の利き手である左手をもし握られていたら奥の手を使ってでも古泉をバラバラにしていたかもしれない。

そんな事を古泉本人は知らない。

俺とキョンは目をつむり、街の喧騒をバックに、古泉に手を引かれて数歩。

 

 

「けっこうですよ」

 

目を開くとそこは異世界だった。

そこにあるもの全てが灰色で塗りつぶされており、太陽は消え失せ、空一面は暗灰色の雲にもれなく埋め尽くされている。

雲なのかすら怪しいが。

太陽の光が無い代わりに、その空からボンヤリとした光が放たれていて、白という概念はそこに存在していなかった。

何か、嫌な光景を思い出してしまうね……。

 

 

「次元断層の隙間にある我々の世界とは隔絶された、通称"閉鎖空間"です」

 

古泉の声がやけに大きく響く。

それもそのはずで、この空間には俺とキョンと古泉の三人しか姿が見えない。

さっきまで居たはずの、地方都市のスクランブル交差点を縦横無尽する人混みはとうに消え、一帯には静寂だけが残されている。

 

 

「ここの半径はおよそ五キロメートル。通常の物理的な手段では出入り出来ません。僕の持つ力の一つが、この空間に侵入することですよ」

 

「……最近はこういうのが流行してるのか?」

 

キョンがそう言って俺を見る。

もしかしなくても"臆病者の隠れ家"についてだろう。

 

 

「オレはお前と同様に、この空間の存在自体を今認識したからね。どうもこうも、涼宮さんがそういう風に仕立て上げたんだろ?オレは知らないよ」

 

「興味深い話ですね。機会があれば、是非、明智さんについて教えてほしいものです」

 

「考えておくよ」

 

俺は必ずしも話すとは言っていない。

その様子に納得した古泉は説明を再開する。

 

 

「ここの詳細は不明ですが、我々の住む世界とは少しだけズレたところにある違う世界……とでも言いましょうか」

 

「ふっ。みんな異世界人だね」

 

「我々は今次元断層の隙間に入り込んだ状態になっています。つまり、外では何ら変わりありません。今も人や車が往来していることでしょう。ここに迷い込むことが無い、とは断言できませんが我々もそのような事例は今まで確認していませんよ」

 

曰く、閉鎖空間はドーム状の内部のようなもので、まったくのランダムに発生する。

一日おき、何ヶ月もの間、発生しないこともある。

ただ一つだけ明らかなのは涼宮ハルヒの精神が不安定になるとこの空間が発生するという事。

閉鎖空間の現出や、場所、その時間を何故かしらないが古泉たち超能力者は察知できるらしい。

一通りの説明をした古泉は、「こちらへどうぞ」と言った。

そして四階建て雑居ビルの屋上まで俺とキョンを誘導していく。

キョンはここの何が楽しいのかわからないらしく。

 

 

「こんなものを見せるためだけに、わざわざ俺たちを連れてきたのか? なにもないじゃないか」

 

「いいえ、核心はこれからですよ。もうすぐ始まります。しかしあなたは大したお方だ。この状況に驚きが感じられません」

 

「色々あったからな」

 

それは昨日の"臆病者の隠れ家"や、朝倉さんの情報操作によるイタズラ。

そして今日に会ったであろう朝比奈さん(大)を想起しての発言だと思われた。

すると古泉はこちらを向き、俺とキョンのはるか後方に焦点を合わせた。

 

 

「始まったようですね。後ろを見て下さい」

 

遠くの高層ビルの隙間を縫って歩く、青光りした"巨人"。

しかし巨人という表現は怪しく、それは人のような形をとっているだけ。

輪郭は曖昧で、顔は穴が三つあるだけの、のっぺらぼうである。

巨人を眺めていると、それは片手らしきものを大きく振り上げ、そばのビルに対して振り下ろす。

 

 

――轟ッ

 

爆ぜるような轟音とともに、ビルは砕かれた。

あんな一撃を俺は貰いたくないね。

 

 

「あれは涼宮さんのイライラが具現化したものだと思われます。一種のストレス発散なのでしょう。現実世界でやろうものなら大惨事ですから、こうやってここで破壊活動を繰り返しているのです。なかなかどうして合理的ですね」

 

「オレには物理法則を無視しているようにしか見えないんだけど」

 

「その通りです。あの巨人はまるで重力がないかのように振る舞うんです。ビルを破壊出来るということは質量を持っているはずなんですが、自重さえ感じさせません」

 

ロボットアニメとは得てしてそういう出来栄えになっている。

 

 

「いかなる理屈もあれには通用しませんよ。たとえ軍隊を動員したとしてもあれを止めることは不可能でしょうね」

 

「じゃあ、あいつはここら一帯を破壊し尽くすまで暴れてるのか」

 

キョンはうんざりした顔でそう言う。

俺もここの色にうんざりしていた。

 

 

「いえ、僕はそれを止めるためにいるのですから。あそこを見て下さい」

 

古泉が指さす先には赤の光点がいくつも宙に浮かんでおり、それらは巨人の周囲を旋回していた。

実際に見るとますます不気味な存在である。

赤い球体に変化するのが超能力、というわけだ。

巨人はそれらの突撃によって体を貫かれているようだが、効果のほどは怪しい。

 

 

「僕の同志です。我々に与えられた役割はあの巨人を刈る事ですので。……さて、僕も参加しなければ」

 

それとほぼ同時に古泉の体も赤く発光し、ついにはその光に包み込まれる。

やがて先ほどの赤の光点の正体と思われる球体になった。 

古泉も宙に浮かぶと、目で追うのがやっとの速度で巨人目がけて飛び去った。

 

 

「なぁ……軍隊じゃあれを倒せないみたいだが。お前はどうなんだ?」

 

巨人と光点の戦闘を見ながらキョンは俺に質問した。

あの光景のどこからそんな疑問が生じるんだ、お前は。

 

 

「異世界人なんだろ。なんかこう、レーザー銃とかでビビビッと消し炭にできないのか」

 

「あんなのお手上げだよ。そんな便利な道具は一切持ってないし、仮に攻撃を試みても踏まれるのがオチさ」

 

「そりゃそうか」

 

やがて旋回していた光点の集団は、巨人の体に沿って回転を始め、その場所が切断された。

今のは片腕だろうか、巨人の肘から先が喪失している。

そのような切り刻み攻撃が繰り返された後に、巨人は身体の半分以上をバラバラにされ、ついには塵となって消滅してしまった。

任務を終えた光点たちは四方八方へ散らばってしまったが、一つだけこちらに接近してきた。

 

 

「お待たせしました」

 

何事もなくそう言ったのは古泉だった。

球体から瞬く間に普段のキザ野郎の姿に戻る。

最後に面白いものがありますよ、と彼は付け加えた。

超能力者というか、エンターティナーらしい台詞である。

古泉が上空を指さすと、そこにひびのようなものが入り、それはどんどん拡大していく。

 

 

「巨人が消滅すると、ここも消滅します。まあ、ちょっとしたスペクタクルです」

 

そう言い終わると同時に上空の亀裂は最早、亀裂を通り越して、黒一色に塗りつぶされる。

そして空が砕け散り、光が訪れた。あの空間には存在しなかった白だ。

目を閉じた覚えはないが、いつの間にか元の世界へ戻っていたらしい。

キョンは未だに困惑している。

何だかんだでそう超常現象への耐性は上がらないという事だ。

 

 

「我々はあの巨人を"神人"と呼んでいます。神人は涼宮さんの精神状態に応じて出現しますが、我々もその条件下で、閉鎖空間の内部に限り、あんな芸当ができるようになります」

 

行きと全く同じタクシーに乗り込んだ俺たちは、古泉の話を聞いていた。

キョンは黙って運転手の後頭部を眺めており、俺は外の風景を眺めている。

 

 

「なぜ我々だけにこんな力が備わったのかは不明ですが、多分、誰でもよかったんでしょう。僕が選ばれたのもたまたまですよ」

 

「さっきのはハルヒのストレス解消なんだろ? 何でそれを邪魔するんだ」

 

「あれを放置しておくわけには行きません。なぜなら神人が破壊すればするほど、閉鎖空間も拡大していくからです。さっきお見せしたあの空間はまだ小規模なものなのです」

 

規模はさておき、二度と行きたくない世界だね。

 

 

「やがてどんどん広がっていってそのうち日本全国を、それどころか全世界を覆い尽くすでしょう。あちらの灰色の世界が、我々の世界と入れ替わってしまうのですよ」

 

「なぜそんなことがお前に解る」

 

「ですから、解ってしまうのだからしょうがありません。ある日突然、涼宮さんと彼女が及ぼす世界への影響についての知識と、それから妙な能力が自分にあることを知ってしまったのです。もちろん閉鎖空間についてもね」

 

「難儀なこったい」

 

俺がそう呟くと、古泉は「困ったものです」とだけ返した。 

帰り道の都合上俺の家の方がキョンの家より近く、俺は先に降りることになった。

停車してドアを開けた時、俺は最後に古泉に訊ねた

 

 

「オレが今日、昼ご飯の用意が無いことを朝倉さんに伝えたのは、もしかして『機関』なのかな?」

 

そう言われた古泉は困ったような表情で。

 

 

「不快な思いをさせてるようで申し訳ありません。ですが、我々は日常的にあなた方の監視をしているわけではありませんよ。基本的には涼宮さんが優先ですから。しかしながら、朝倉さん本人ならそれも可能でしょう」

 

「知ってるさ……念のための確認だよ」

 

では、と言い残して幽霊タクシーは去って行った。

次の停車駅はキョンの家だろう。

 

 

 

俺は今日の晩御飯の事でも考えながら自宅に入っていった。 

 

 

 



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第十話

 

 

 

 

……さあて、何から語ろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"その日"は古泉一樹の閉鎖空間ツアーから一週間ほどが経過していた。

いつもと変わらないはずの、そんな平日だった。

季節は夏の訪れを感じさせるように、朝でもそこそこの暑さである。

北高の立地の悪さが影響しているのは言うまでもないさ。

毎朝、こんな登山を強いられているんだ。

昼休みの一件以来俺は主に男子から負の感情をぶつけられるようになった。

だが当の朝倉さんはどこ吹く風なので特別なリアクションはなかった。

 

――しかしながら、何点か、変わった事がある。

たまたま通学中にキョンと遭遇した俺は一緒に登校する事にした。

すると後ろから俺とキョンの肩を叩いて「よっ」と声が上がった。谷口だ。

あれから二日で谷口は復活し、そのうちに俺をからかうようになった。

 

 

「なぁ、谷口……俺って普通の男子高校生だよな」

 

「はあ?」

 

キョンの発言で今にもなんなんだこいつと言わんばかりの表情の谷口は、こちらを見てきた。

俺は無言で首を横に振ってそれに応じた。

こいつの意味不明な発言に関しては知らないよ。 

 

 

「普通の意味を定義してくれよ」

 

「そうかい」

 

「おいおい冗談だって。お前が普通かって話? ……まぁ、お前の横に居る、彼女持ち野郎に比べりゃマシだがな。それでも普通の人間は涼宮とまともな会話なんかできねぇぜ」

 

やはり涼宮が核弾頭のような輩という認識はどこもかしこも同じなのか。

しかし谷口よ。

俺はこの前のあれを除いてSOS団員ではあるものの、表立った奇行なぞ一切していない。

キョンの引き合いに俺を出すのはやめてくれ。

 

 

「しっかし明智よ。お前どうやっていつのまにあんな関係になったんだ。え? よりによって美的ランクAA+の朝倉涼子と」

 

「それを知ってお前さんに何の意義があるのかな」

 

言外に馬鹿にしているが、谷口はそんな事に気づかずそれに答える。

 

 

「馬鹿野郎、参考にするに決まってら。あと二ヵ月ちょっとで夏休みだぜ」

 

どうにも彼は気が早い男で、夏のナンパしか頭にないらしい。

だから普段の勉強が疎かになるんだよ。

原作での谷口は頭が良くなかったはずだ。

キョンも何も言えないといった様子でこちらを見る。

仕方がないので適当にいなす。

 

 

「ほぉ~。それは大変だー。谷口、オレから言えることはただ一つ。普段の行いに気を付けろ……だよ」

 

「時代はクールなインテリなのかぁ?」

 

ふぅ、と勝手に疲れた谷口に対してキョンが追い打ちを仕掛ける。

 

 

「なあ谷口、お前って超能力を使えるか?」

 

谷口の間抜け顔が見るだけで悲壮感を感ぜられるほどに進化した。

そのまま彼が禿げてもおかしくない勢いだ。

 

 

「……そうか、お前らはとうとう涼宮の毒におかされたんだな。手遅れだ。短い間だったが楽しかったよ。こっちに寄らないでくれ、涼宮が移る」

 

何故か俺も感染者扱いされたので、キョンと同時に谷口を小突く。

谷口は吹き出し、俺たちもそれにつられた。久々に馬鹿な事をして笑った気がする。

こいつが超能力者になれるほど世も末なら、俺は世界の支配者にでもなれるさ。

 

――さて、"その日"について語る前に、皆さんは何か忘れていないだろうか。 

俺の黒歴史である日に、朝倉さんは「相談がある」と言っていた。

しかし結局特に話をされずに終わった一件についてだ。

その日は朝倉さんに振り回された上に古泉に閉鎖空間へ連行された。

正直なところ、俺もそんな事は次の日の朝にとっくに忘れていた。

そんな朝を迎えた日の放課後、またしてもの事件が起こった。

俺は放課後の文芸部室でメモ帳を眺めながら、作品の設定を考えていた。

キョンは古泉とオセロ。

長門さんは読書。

朝比奈さんはメイド姿。

涼宮さんは昨日の閉鎖空間によるストレス解消が効果を発揮したのか、普通だった。

もしかしなくても数日後に、あわや世界崩壊の大騒動があるのだ。

事前に阻止できるのならばした方がいいに決まっている。

しかしながらそのイベントはある種のフラグらしいので俺の一存でどうこう出来るとは考えにくい。

そもそも俺が奮闘したところで、対涼宮さんにおいてはキョンが最強なのだから。

とにかく今は、束の間の平穏を大事にしなければ……。

部室は朝倉さんからの精神攻撃に対する避難所で、俺の能力なんかよりも頼もしく思えた。

だが俺のその勘違いは数十分としない内に払拭されることとなる。

 

 

――コン、コン、コン

 

それはとても丁寧なノックだった。

叩かれたのは言うまでもなくSOS団アジト、文芸部室のドアだ。

俺はかつて社会人として働いてた頃に入室時のノックは二回より三回の方がよい。

という、特に意味のない哲学を持っていた事を思い出した。

 

 

「どうぞー」

 

ネットサーフィン中の涼宮さんが顔も上げずに、外の来客に対して言った。

誰もドアを開けて迎え入れるという心意気の奴はここに居ないのだろうか。

朝比奈さんが慌ててそれに対応しようとした。

俺はおいしいお茶を淹れるべく準備している彼女を制する。俺が行きますよ。

ドアを開けて「どなたですか」と来客の顔を窺う。

 

 

「今日は、明智君」

 

――つい反射的に俺はドアを閉じてしまった。

何やら俺は幻聴と幻覚の疑いがあるらしい。変な薬を服用した覚えはないが。

そうでなければドアの向こうに朝倉さんの姿があった説明がつかない。

ホラー小説だ。

精神恐慌が何だ、俺はまだハゲたくない。

これが谷口が言う涼宮毒なのか。

俺は何も見ていなかったのだ。

後ろを振り向いて部室に居るみんなに報告した。

 

 

「誰かいると思ったけど気のせいだったみたいだ」

 

そんな俺の声を聞いてか再びドアがガチャリと開き、後ろから俺に語りかける。

俺は後ろへ振り返るつもりはないぞ。

 

 

「何かの冗談かしら。来客に対して話も聞かずに閉め出すだなんて非常識だわ」

 

常識を覆すような能力を行使できる朝倉さんに言われていい台詞とは思えない。

というか入るならさっさと入ってくれないかな。

半ドアの状態で顔だけを覗かしている朝倉さんはさながら『シャイニング』のジャック・ニコルソンを彷彿とさせた。

それほどまでに俺はこの状況に戦慄していた。

 

 

「それでどういう用件なの、朝倉さん」

 

昨日と同じようにメモ帳ごと机に突っ伏している俺。

その左に座る朝倉さんに、涼宮さんはそう訊ねた。

この場に居座る朝倉涼子はどうやら俺の幻覚幻聴ではなかったらしい。

 

 

「単刀直入に言うと。私もこの部活に入れてほしいの」

 

潔く俺の完全敗北を認めるので、どうかこれ以上の精神攻撃は許してほしい。

もう朝倉さんの破天荒さに呆れる気力もない。

 

――そして意外な事に彼女のこの要望は真剣に受け止められているらしい。

少なくとも涼宮さんは真面目に検討しているようでありった。

長門さんも読書を止めて朝倉さんと涼宮さんの二人をじっと見ていた。

後の面子はと言うと、キョンは俺に何となく「最悪の場合を想定しておけ」と言わんばかりの表情で沈黙していて。

朝比奈さんはまさかの来訪者に、気が動転したものの何とかお茶を出すことに成功した。

そしてあえて説明する価値はないが、古泉はいつも通りの思わせぶりなニヤニヤ顔。

 

 

「SOS団は厳しいわよ。恋愛を禁止するつもりはないけど、団員たるもの節操のある生活を心がけて頂戴。不純異性交遊なんてもってのほかよ!」

 

はたしてこの集まりはいつ厳しかったのだろうか。

まぁ、キョンにとっては楽でない事は確かだ。

個人的な意見としてだが団員の正体云々が無ければ、SOS団は帰宅部の次にぬるそうな部活である。

ともあれ、団長からのゴーサインが出てしまった以上は俺も諦める。

絶望だ。

 

 

「ふふ。わかったわ、涼宮さん。でも、いつかみたいなコスプレは私には無理かな。明智君以外に見せたくないもの」

 

「そう言ってくれるとオレは嬉しいよ」

 

はたしてこの時の俺は嬉しそうな表情だったのだろうか。

そんは事は誰にも聞いてないので、永遠の謎となっている。

 

――てな訳で。変わった事その一は、朝倉さんのSOS団侵略であった。

そりゃあ確かに彼女を守るには部活の時間も一緒にいた方がいいに決まってるさ。

これとほぼ同時に俺は下校時に家まで送るという使命が科せられた。

しかし俺が朝倉さんにSOS団への加入を提案しなかったのは。何というか、

この期に及んでではあるが。未だに朝倉さんと付き合っているという自覚が薄いからだ。

これは後で長門さんに訊いたことだが、

 

 

「何故涼宮さんが朝倉さんのSOS団入りを許したと思う?」

 

との俺の質問に対し。

長門さんは無表情ながら、どこか呆れた声でご教授してくれた。

 

 

「簡単なこと。朝倉涼子も涼宮ハルヒが言う"宇宙人"に該当する。朝倉涼子を涼宮ハルヒが受け入れるのは、ごく自然なこと」

 

異世界人も含め、四人しっかり集まったんだから満足すればいいものを……。

だが、確かに原作で涼宮さんは朝倉さんをどこか肯定している発言があったのは事実だ。

遅かれ早かれ、だ。

朝倉さんがいればこうなっていたのだろう。

まったく――。

 

 

「どうもこうもない。でしょ、ふふふ」

 

俺の台詞を盗らないでくれ、朝倉さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次に変わった事と言えば、校内における俺の知名度である。 

クラスの中での扱いが変化するなら、俺も身から出た錆だと許容できた。

前述の通りそこまで俺が悪者扱いされてはいない。

だが、校内で俺の知名度が……もっと言えば悪名みたいなものが広まってしまった。

それもその筈で、涼宮さんのように表立った行動はしてないものの俺はSOS団の一員だ。

よって必然的に朝倉さんとの交際について尾ひれ羽ひれが付いて回り。

台ドンもあって、なんかこう俺は不良みたいな扱いをされていた。

まことに遺憾である。

進学校気取りなだけあって今どき北高に不良などと呼べる存在は居ない。

つまり俺がこういった不本意な形で目立つのは確かに筋が通る話であった。

一説によると俺は、暴力で朝倉さんを言いなりにさせてる、だとか。

SOS団の真の支配者は涼宮ハルヒではなく俺だ、とか言われたい放題であった。

しかしながら俺に対して直接、なんで朝倉さんと付き合っているのか。

という質問をされた時は両親に説明した時とほぼ同じ内容を説明。

女子生徒も朝倉さんと会話していく中で、俺が朝倉さんに対して何か悪いことをしたのではという誤解は解けたらしい。

つまり結果的に俺の名前だけが独り歩きしてしまい、現在ではある種の風評被害を感じている。 

けれど、まぁ、俺が彼女助けたくて助けたわけで結局は自己満足のため。

だから胃の痛みもそのツケだと思って割り切るさ。

宇宙人は気まぐれだから、一か月もすりゃ俺に飽きるだろう。

何か俺からするわけじゃあないし。

……淋しくはあるが、それでいいのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に変わった事と言えば、これは蛇足である。

朝倉さんが定期的に俺の昼飯――つまりお弁当――を作る事を宣言した。

具体的には火曜日と木曜日の週二日である。

朝倉さん本人は。

 

 

「本当は毎日作ってもいいんだけど、そうすると女子のみんなに悪いもの」

 

男子のみんなはどうでもいいらしい。

そして朝倉さんの中ではお弁当を作るイコール俺と昼食を共にするという認識なのか。

いずれにせよ、女子生徒との昼食は朝倉さんにとって人間を知るいい機会なのだ。

彼女もその認識はあるようで、俺は何となく安心した。

朝倉さんがSOS団に入った時点で、登校時も俺が彼女のマンションまで迎えに行くようになったのだ。

流石に限られた朝の時間を有効活用してお弁当を作っているところに俺が押しかけるのは憚られる。

よって朝倉さんが弁当を作る日は、一緒の登校がない。

それに、弁当の中身は知らない方が楽しみというものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、"その日"は朝倉さんと俺が一緒に登校してない様子からわかるだろう。

彼女がお弁当を用意している火曜日であった。

そう、月並みな台詞だが。

 

 

「――死ぬにはいい日だ」

 

「突然どうしたの?」

 

「いや、何でもないよ。ただの独り言さ」

 

放課後の部室。

俺の目の前にあるのは、なんてことない日常だった。

キョンと古泉はオセロをして楽しんでいる。

明らかなワンサイドゲームで、古泉は絶賛連敗中なのだ。

だけど彼のその笑顔からは、初めて普通の楽しさが感じられた。

涼宮さんは何とあのチラシ配りの時に着た、バニーガールのコスプレをしている。

彼女の辞書に"黒歴史"の文字はないのだろうか。

朝比奈さんの髪をこれでもかと弄り、メイド姿の朝比奈さんで遊んでいる。

ついさっきまではキョンのせいで涼宮さんの機嫌が悪くなったような気もした。

今は鳴りを潜め、その影もない。 

長門さんは平常運転の読書。

 

 

「……『死ぬにはいい日』って言葉。ネイティブアメリカンの挨拶よね」

 

朝倉さんが俺にぽつりとそう漏らした。

いつも思うが本当にしっかり彼女の知識は構築されているのだろうか。

少なくとも一般的な女子高校生の水準に設定しているとは思えない。

 

――死ぬにはいい日。英訳すれば"It's a good day to die."。

朝倉さんが言ったように、ネイティブアメリカンの古い挨拶と伝わっている。

日本の北海道におけるアイヌ民族もそうだが、歴史的に先住民と称される民族は、資本主義とは異なる独自の価値観を持ち合わせている。

それは生きる事も同じだ。彼ら狩猟を生活の糧とする人々は、"潔く死ぬ"という考え方を持ち合わせており。

どう生きたか、よりも、どう死ぬのかという考え方が尊重されているそうだ。

少し解釈は異なるものの。日本の"武士道とは死ぬことと見つけたり"なんてのも、本質的には同じなのだろうさ。

そしてこれは、他でもない朝倉さんにも共通する信念なのだ。

"やらないで後悔するくらいなら、やってから後悔すればよい"。

それは、人間の感情を正しく理解できない彼女が考え付いたやり方。

彼女なりの価値観に基づく自分自身が人間に近づくための抵抗だったのかもしれない。

だからこそ、長門有希の影としての朝倉涼子が成立するのだ。

もっとも、この世界においてその芽を"抓んだ"のは俺のエゴに他ならない。

これこそが俺の本当の責任とやらであり、放棄するわけにはいかない。

こんな考え方の時点で俺は"詰んで"いるのだ。

ま、宇宙人の朝倉さんが"死ぬにはいい日だ"なんて言い出したら、俺にはスタートレックしか浮かばない。

どうも趣味がオッサンじみている。

 

 

「そうだね。死して尚、不浄の者たれ。そんな意味じゃないかな」

 

「宗教ってよくわからないわ」

 

「オレも同じさ。人は、生き続ける事がすべてなんだ」

 

「いつか。私もそう言える日が来るのかしら?」

 

朝倉さんは不安そうな顔で俺にそう訊ねる。

これもプログラムされた表情なのだろう。

だが。

 

 

「その考えを忘れないことが大切だよ」

 

今はこれで充分だ。だから俺は彼女の力になろうと思える。

 

 

 

そんな何気ない日の、深夜十二時を回ろうかという時に、俺の携帯電話は鳴った。

 

 

 

 



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第十一話

 

 

 

 

手早く適当な服装に着替える。

部屋のドアに鍵をかけ、電気を消す。

俺は学習机の横の壁に"入口"を現出させ、即座に中に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「状況を説明してくれないか」

 

何もなく、ただ白いだけの空間。俺の"臆病者の隠れ家"の中で一番広い部屋だ。

その中に俺を呼び出した彼女、朝倉涼子が立っていた。

ライトブルーのスカート、白地にエンブレムがプリントされているインナー、ベージュのジャケットを着ている。

 

 

「今行われているこれは、もはや情報爆発と言えるレベルじゃないわ。数分前から、この世界のありとあらゆる情報が改変されようとしている」

 

「涼宮さんの仕業かな」

 

「ええ。このままじゃ終わりよ、全部」

 

それだけ言うと朝倉さんはその場に座った。

床は暖かくも冷たくもない。

俺の能力は、そういうふうにできている。

やがて彼女は状況について語った。

 

 

「長門さんが現場に介入しようとしているわ、おそらく超能力者も。彼らが言うところの"閉鎖空間"が発生してて、その中に涼宮ハルヒと彼が居る」

 

朝倉さんがそう言うとほぼ同時に、俺の携帯電話が再び鳴り響いた。

こんな空間の中でも何故か電波は通じるのである。

相手は古泉だった。

 

 

「もしもし。……ああ、みなまで言うな。大体の説明は朝倉さんから受けたから」

 

『それはありがたいです。とにかく、急を要する事態でして。我々が考えていた最悪の事態なんですよ。超弩級の"閉鎖空間"が、恐ろしい速度で拡大しています。夜明けが訪れるよりも前に全世界は"閉鎖空間"に飲み込まれてしまいます』

 

「キョンもその中らしいが」

 

『彼は選ばれたのです。他でもない、神である涼宮さんに。たとえ世界が滅んだとしても一緒に居たい。と、そういったところでしょうか』

 

随分とロマンチックな話だが、とんだ自作自演だね。

全人類を無理矢理滅ぼしてそれを演出するのか。

やれやれだよ。

 

 

「何かアテはあるのか?」

 

『今から我々の同志の協力を得て、どうにか現場への介入を試みます。もしこの事態を解決できる人が居るとしたら、それは涼宮さんに選ばれた唯一無二の"鍵"である彼だけです』

 

「わかったよ。精々期待しておくさ」

 

それでは、とだけ言い残して古泉は電話を切った。

もう二度と、誰からも、かかる事が無いかもしれない携帯電話を仕舞う。

俺も朝倉さんの横に座った。

しかし、向いている方向は真逆であった。

彼女が白塗りの壁を見つめるのに対し、俺は外へ繋がるドアを見ていた。

 

 

「いざ待ち望んでた変革だけど、あっさりしてちゃ、こうも面白みが無いのね」

 

「観測とやらは捗ってるんじゃあないの?」

 

「ええ。情報改変はまだ概念的なものだけど、やがて現実になるわ。でも肝心の涼宮ハルヒが見られないんじゃ、拍子抜けよ」

 

「それもそうか」

 

そう言うと俺は立ち上がり、ドアへ向かって歩き出す。

その様子に気づいた朝倉さんは、こちらを見ずに声をかけた。

 

 

「無駄よ。あの空間は涼宮ハルヒと彼以外の要素を例外なく拒絶する。こうなった以上は、誰にも邪魔できないの」

 

「なに。涼宮さんにバレなきゃいいんだろ? 大丈夫、俺がどうこうする訳じゃあない。キョンに喝を入れてやるだけさ」

 

それに。

 

 

「やらないで後悔するぐらいなら、やってから後悔したほうがいい」

 

俺は前を向いているのでわからないが、朝倉さんが振り向いた事が確信できた。

悪あがきで上等。有無を言わずに行動あるのみ。

このまま黙って死んでく運命なんてこちらから願い下げさ。

 

 

「どこへ行くつもり? この部屋の"出口"は既にあなたの家の部屋に繋がってるんでしょ?」

 

「死に土産だ。奥の手の一つを見ていくといいさ。もっともオレは、死ぬつもりは毛頭ないけど」

 

ドアノブに手を掛けた俺はジレの懐に手を入れ。

あるものを"精製"し、横手にして朝倉さんに見せる。

 

「マスターキー。この鍵を使えばオレはこのドアの行先を全ての"入口"、"出口"に設定できるんだ。つまり、このドアからどこへでも行けるようになる。……文芸部部室に一つ、ここと別の部屋の"出口"が設定してある。そこへ出るよ。心配せずとも、すぐに戻るさ」

 

そう言うと俺はマスターキーを鍵穴に挿し、外へ出た。

行くのは勿論SOS団アジト。

なぜなら俺だって、団員の一人だからさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしろってんだよ。長門、古泉」  

 

床に設置した"出口"から上半身を出すと。団長机にあるPCを見つめつつ、椅子にもたれかかっているキョンがそんな弱音を吐いていた。

"出口"の設置にはある術式をその場所へ刻印する必要がある。

本来ならば床に書いたところで「何だこの落書きは」と発見されるのだが。俺は"隠"という技術を使い、その術式を不可視のものとしている。

その辺の説明は割愛させてもらおう。まだ知られていい技術じゃない。

とにかく、誰にも"出口"がある事を気づかれなかったのだ。

まあ。

長門さんなら不純物として検知はしたのだろう。

しかしながら対応がされてない分を考えるに、特に緊急性を感知しなかったのか。

 

 

「らしくないね」

 

「ん? ……って明智、お前!」

 

こちらを見て驚くキョン。それもその筈で長机の横で上半身だけの俺が居るのだ。

正直ホラー映像でしかないのだが、これ以上全身を出すことができない。

というか、今この瞬間から徐々に俺の体が"出口"へ押し戻されつつある。

 

 

 

「ちょいとした二重のウルテクでね。だが、それも長くないらしい」

 

「……なあ。俺はどうすればいいんだ。明智、教えてくれ」

 

「ヒントは二回までだろう? オレは激励しに来ただけだよ。答えは自分で見つけるんだ。大丈夫、お前が下した判断なら、どんな結果でも誰も恨まないさ。それだけの権利が今のお前にあるんだ」

 

「なんで俺なんだ。ただの平凡な男子高校生の俺が、何で人類の命運を背負わされなきゃいけないんだ!」

 

その激昂は何に由来するモノなのか。

おそらく彼自身でもわからないのだろう。

だけどな、俺がテレビ越しに見たお前はそこまで落ちぶれちゃいなかったぜ。

少なくとも俺は、アンタに何度も憧れたんだ。

 

 

「簡単な事さ。キョンもそう望んだんだろ? お前がここで腐っているのは勝手だ、俺にはどうする事も出来ない。だがな、"鍵"は、ヒーローはお前さんだ。助けを求めようが俺じゃあないのさ」

 

そう言われたキョンは暫く目をつむって天井を見上げた。

そしてこちらの方を向いた彼の瞳からは、迷いが消えていた。

偉そうな事は言えるが、俺にできるのはここまで、応援だけだ。

やれるだけの事はやったさ。

単なる後押しだがな。

 

 

「押しつけがましい連中だぜ、まったく」

 

「涼宮さんを任せたよ。それに、まだオレはお前に飯をおごっていない」

 

「今回だけだ」

 

もう俺の体はほぼ全て"出口"に呑まれてしまっている。

残り数秒らしい。

やがてキョンの「ここから出られたらファミレスぐらいじゃ済まさん」

という声をバックに、俺は朝倉さんの居る部屋に戻された。

"臆病者の隠れ家"の転送は、天井から行われるのでしっかりと着地する。

 

 

「"賽は投げられた"、ってね」

 

「あら。有機生命体の比喩はよくわからないけれど"神はサイコロを振らない"とも言うじゃない」

 

「どちらでも構わないさ、こんな時は」

 

再び俺は朝倉さんの横にしゃがむ。が、今度は俺も彼女も同じ方向を見ている。

それは外界へ通ずるドアの方向だ。

 

 

「どうせ世界が終わるかもしれないなら一つだけ教えてくれないかな。朝倉さんは、何でオレと付き合う、だなんて言い出したんだ?」

 

暫くの無言の間を打ち破ったのは、俺の最大の疑問であった。

冥土の土産にしたいんだよ。

 

 

「オレが出来ることなんてタカが知れてる…………。現に、世界が滅ぶかもしれないこの状況で何も出来ない。何の力も持たない非力な友人に全部丸投げ、最低の奴だよ」

 

「……」

 

「涼宮さんが求めているのは"鍵"であるキョンだ。オレは"鍵"じゃない。オレを監視する意味なんて、あるのかな」

 

 ――そうかしら。

 

俺は朝倉さんの、そんなか細い声が聞こえた気がした。

何に対してそう言ったのかは、わからない。

そして再びの静寂の後に、朝倉さんが口を開いた。

 

 

「わたしにもわからないわ。ただ、あなたたち風に言えば"興味が湧いた"」

 

「宇宙人にも吊り橋効果ってのがあるのかな。オレから攻撃こそしなかったけど、殺し合い一歩手前ってとこだったろ」

 

「さあ。それまでの私は何にも考えていなかったもの」

 

「みんなに愛想を良くしてたのに?」

 

「私にとっては任務が全てだったもの。あれも任務のうちよ。演技以下の振る舞いでしかないけど、出来ないよりは便利でしょ?」

  

そうとは限らない。俺は声にこそ出さなかったが、そう思った。

彼女の意見を肯定してしまえば、俺は光の世界を生きようとする原作の長門有希を否定する事になってしまう。

朝倉さんは無言の俺に対して話を続ける。 

 

 

「私の独断専行を駆り立てるものがあったとしたら、それはきっと"憧れ"よ」

 

「それは、誰に対してかな」

 

俺は、彼女のその憧れはコインの裏と表である対極の存在、長門さんに対してのものだと思った。

だからこそ、朝倉さんの口から出た名前は俺を驚愕させるには充分なものであった。

 

 

「――涼宮ハルヒよ」

 

俺の驚いている横顔を見て、朝倉さんは「ふふ。驚いた?」と言って話を続ける。

 

 

「彼女はこの世界で最も自由な人間。それなのに何でもできて、みんなが彼女に注目する。人を惹きつける、特別な何かがあるのね。それは能力なんかじゃないわ。現に、あなただって涼宮さんのために、わざわざ遠い世界からやってきたんでしょ? 感情がなくたってわかるわ。私は、絶対に、涼宮さんに勝てない。って」

 

「それは違うよ」

 

「ありがとう。でも、私にとってはそうなのよ。だから、私はこう思ったの。『そんな誰もが羨む涼宮さんを、絶望の底に叩き落としたい』。もし涼宮さんが私の手によって、この世に絶望してくれれば、その表情を見ることが出来れば、初めて、"愉快"という感情が理解できる。……そんな気がしたの」

 

もしかすると、俺はとてつもない勘違いをしていたのかも知れない。

本で読んだ知識だけで判断していたから、大事な事実を見落とすのだ。

 つまり、朝倉涼子は、長門有希の"影"などではなく――

 

 

「ねぇ。一つだけ、お願いしたいことがあるの」

 

俺の思考を遮ったのは朝倉さんである。

他人とのやりとりが最後かもしれないからか、いつになく饒舌な気がする。

 

 

「何かな」

 

「あと数分もすれば、世界は終わる。どうなるかはわからないけれど、涼宮さんに殺されるのだけはごめんよ。だから最後は――

 

 

 

 

 

 

 私と一緒に死んでくれる?

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はその台詞に「うん。いいよ」と答えた。

そして左横の彼女の、蒼い瞳に吸い込まれそうに、顔を近づけようとしたその瞬間

 

 

 

 

――ピロリロン、ピロリロン♪

 

 

 

 

「う、うわぁ!」

 

二度と鳴る事が無いと思われた携帯電話の着信音が鳴り響き、俺は慌てて「ご、ごめん」と言って朝倉さんから離れた。

この間抜けな着信メロディの設定相手は古泉一樹だ。

俺は電話に応じる。

 

 

『超弩級の"閉鎖空間"の消滅がたった今、確認できました! 彼が見事、やってくれたのですよ』 

声だけでわかった。

今のこいつは、今日の部活の時の時みたいな作り物の仮面を被っていない。

心底から生まれたいい笑顔なんだろう。

ふと朝倉さんを見ると、彼女にもその情報が伝わったのだろう。

唖然の表情だった。

 

 

「ああ、とりあえずお互い生きててよかった。もう夜も遅いから失礼するよ。話は部活の時にでも」

 

『ええ、わかりました。本当にお疲れ様です』

 

そう古泉に言われ、俺は通話を切る。

朝倉さんは立ち上がり、どことなく呆れた雰囲気である。俺だって同感だ。

ただのヒステリックで世界が滅びかけちゃ、世界が持たない。

 

――しかし、まぁ。

 

 

「生きていれば何があるかわからないさ。最近はつくづくそう思うよ」

 

「ふふ。いい気味って奴ね」

 

「そういえば、朝倉さん。俺からも一つお願いがあるんだ」

 

「何かしら」

 

「それは――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"その後"のことを少しだけ語ろう。

 

 

 

学校に登校した俺と朝倉さんが見たのは、原作よろしく涼宮さんのポニーテール――そう呼ぶのはいささか無茶だが――で。

それを思わず見ていたら、左足を踏まれた。

笑顔の朝倉さんにである。無言の圧力だ。

別に俺はそれに興味があった訳じゃないが、まぁ、珍しいモノを見せてもらった、ありがとう。

そんな事を休み時間中の彼に言ったら、やれやれと言われ。 

 

 

「お前は俺をからかいに来たのか」

 

「まさか。そんなつもりはそこそこあるよ」

 

「まったく……」

 

「どうもこうもないってね」

 

一通り呆れた後、キョンは何やら照れたような表情で俺にお礼を伝えた。

 

 

「ま、お前にも感謝はしてる。だがな、メシは別だぜ」

 

「適当な食べ放題のお店で我慢してくれ」

 

俺の懇願に彼は、それでいいぜ。と快く了承してくれた。

超能力者、古泉一樹とは、昼休みに廊下ですれ違った。

 

 

「彼から聞きましたよ。まさか、あなたがあの場所に現れていたとは」

 

「さてね。……オレは何も助けちゃいない。ヒントもあげてない。ただ、勝手に世界が助かっただけさ」

 

「今後とも、長い付き合いになりそうですね」

 

「そいつはどうも」

 

「それでは、放課後に」

 

せっかく教室の外へ出たので、ついでに部室にまで顔を出すことにした。

そこでキョンともすれ違ったが、今度はお互いに何も言わなかった。

文芸部部室では長門さんが本を読んでいた。

彼女にとってのクラスとはなんなのだろうか。

 

 

「長門さんは気づいてたんでしょ? 俺がこの部室に"出口"を用意してた事を」

 

「それがどういう原理かは不明。解析は完了できなかった。しかし、あなたによる工作だとは推測が可能」

 

「こいつが無けりゃ本当にオレには何もできなかった。見逃してくれてありがたいよ」

 

本を読みながら長門さんは俺にこう訊ねた。

 

 

「あなたはなぜ、朝倉涼子の暴走を阻止したのか」

 

「いろいろな事がありすぎて全部思い出せないくらいだけど、敢えて言えば、どこか、似ていたからかな」

 

「誰に?」

 

「昔の知り合いにだよ」

 

本当に"誰か"は思い出せないんだけどね。

 

 

「そう」

 

俺の回答に満足したのか。長門さんは読書に没頭し、無言になった。

そして放課後。

俺は部室へ向かったが、そこでキョンは朝比奈さんとラッキースケベに興じていた。

後から到着した朝倉は何も言えないといった感じで。

 

 

「彼、馬鹿なの? まるで学習してないわね」

 

「少なくとも俺より計画的な奴じゃあないのは確かだと思っているよ」

 

そして涼宮さんが登場し、コスプレに明け暮れようと暴走を始めた。

朝比奈さんは俺にも何か言いたそうであったが、涼宮ハルヒの魔の手によってそれも叶わない。

 

――まあいいさ。

つい半日前と違って、時間はたっぷりあるのだから。

市内散策の時にでも、ゆっくり話をするとしよう。

SOS団の設立申請についてだが、キョンと俺があることないことをどうにかでっち上げそれらしい内容の文章を生徒会に提出することとなった。

『生徒社会を応援する世界造りのための奉仕団体(同好会)』。略称・SOS団、と勝手に改名したのはいいが。

……とにかく、涼宮さんに突っこまれない事を願うよ。

活動内容は学園生活での生徒の悩み相談、コンサルティング業務、地域奉仕活動への積極参加。

そして一番重要なのは、文芸部としての伝統を引き継いだ創作活動。

エンターテインメント性が欲しいからね。どこからも文句を言われないさ。

しかし、意外にもこの内容で繁盛するかも知れない。

地域奉仕活動なぞ俺はついぞ興味がないが、ITに関するコンサルティングなら俺は出来る。

もっともそんな依頼はまず来ないだろうが。

ともあれ。SOS団は一応、れっきとした部活動としてここに成立した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「暇ね」

 

自宅の机に肘をついている朝倉さんが、俺にそう言った。

今日は土曜日で、記念すべきSOS団市内散策二回目の日……なのだが

 

 

「仕方ないよ。古泉から『明日は、彼と涼宮さんを二人きりにしてあげて下さい』ってお願いされたからね。涼宮さんの気分がいい限り、世界は平和だよ」

 

こういういきさつで俺と朝倉さんは休日にもかかわらず、彼女の家でぐだぐだしていた。

 

 

「明智君。何か面白いものでも見せてちょうだい」

 

「前にも言ったと思うけれど、オレは朝倉さんの期待に応えられるほど面白い人間じゃないよ」

 

「それはどうでもいいのよ。私が悲しいのはね」

 

はぐらかすような俺に対して朝倉さんは急に真剣なモードに入った。

斜め上の展開に俺は思わず身構える。

 

 

「あなた、自分の事を全然話してくれないんだもの。それでお付き合いしてるって言えるのかしら」

 

でもオレは付き合いたいなんて一言も、そう言いかけた瞬間。

正面に座している朝倉さんが手首をスナップさせ、音速で俺の右頬のすぐ横を何かが飛来した。

 

恐る恐る後ろを振り向くと、壁にどこか見覚えのあるナイフが突き刺さっていた。

 

 

「……今からでもいいから、どっか出かけようか?」

 

「そんな気分じゃないの」

 

「諦めてくれないかな」

 

「うん、それ無理」

 

そうだな、悪いけど俺の前世についてなぞ、平凡な人生について語るぐらいしかできないんだ。

どうやら彼女はそれでも構わないらしい。

いいさ、結局のところは"それ"がきっかけだったんだ。

最初に話したいことは決まっている。

そう、まず――。

 

 

 

 

かつてその生き方に憧れた、宇宙人についてでも話してやろうと俺は思っている。   

 

 

 

 

 







【あとづけ】
 
はじめに。

私のこんな作品をここまで読んでいただき、大変ありがとうございます。
第一章である"異世界人こと俺氏の憂鬱"はこれで終わりです。

ここで書きたいことは山ほどあります。
ですが、一つだけ受け手である読者の方々に知ってもらいたいことがあります。
それはこの作品のテーマについてです。


この作品のテーマは三つほどあります。
話の都合上、全てのテーマを明かすことは展開の面白みが減ってしまいますのであれですが。
ですが、このテーマだけは書かせていただきます。

それは、『愛』です。難しいですよね。 
このテーマと他の二つのテーマ。
そして全てのテーマに共通する解答。
この四つが絡み合って、この作品は構成されているのです。
いずれ物語が進めば、他のテーマも明らかになっていくと思います。
 
まあ、後書き欄での解説なんて、こういった一段落したときぐらいしか正当化されませんね。


それでは。

 


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異世界人こと俺氏の退屈潰し
第十二話


 

 

 

 

さて。

 

俺氏と題名にもあるように。

涼宮ハルヒというよりは俺が憂鬱な思いをした上に、世界崩壊の危機すら迎えて最早ただの鬱病に過ぎなかったのは。

思い起こせば春先のことである。

 

 

季節が季節なだけに、気温の上昇に伴って虫は湧いてくる。

俺の部屋は一軒家の二階にあり、地を這う類の虫はそうやってこないが、いかんせんコバエが目立つ時期になってきた。

 

何より雨なぞ降ろうものなら、湿気で夜に眠るのさえ苦痛になってくる。

かといって窓を開け寝るというのも防犯上かつ精神衛生上におっくうである。

なので、最近の俺は"臆病者の隠れ家"の一室にある、いわゆるプライベートルームに潜んで寝るようになりつつある。

 

"臆病者の隠れ家"は、密室ではあるのだが、何故か外界からの電波が届く上に、空気も普通にある。

どういう理屈かしらないが酸素欠乏症にはならない。

そのくせ、部屋の温度は常に常温なのだ。

 

とにかく、くだらない事に技術を使っている感はあるが、おかげで助かっている。

 

 

 

 

しかし、俺に一つ誤算があるとすれば、それは朝倉さんに他ならない。

 

ついうん週間も前の俺は

「どうせ特に面白みもない自称異世界人の観察など、一ヵ月やそこらで飽きてしまうのだろう」

と異文化男女交際を軽く考えていたのだが。未だに彼女からはその徴候がない。

 

確かに、朝倉さんは文字通りに"普通"の人間ではないので、いつ気が変わるともしれないが。

それでも、不満があれば俺にぶつけるというのが"普通"だろう。

 

ここで兄(けい)に勘違いしてほしくはないが、俺の方に朝倉さんへの不満があるわけではない。

いや、彼女相手に不満を持てるような身分の高いヤローなんざ、この世で一握りしかいない。

何だかんだ。

朝倉さんとの登下校は初めの方こそ気怠さを感じてはいたものの、徐々にだが、それも俺の日常の一部として受け入れつつあるのは確かで。

お弁当もリクエストに応じてくれる。

徐々におのぼりさんになってしまうのも無理はない。

 

 

 

まぁ、結局のところ、感情がない、プログラムされた演技だとわかっていたとしても。

彼女の屈託のない、俺に向けるにはやや眩しい笑顔を見ていると

 

 

――これも悪くないんじゃないか。って思えてくるのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな季節を迎えた六月のある日。

文芸部部室に寄生している我らがSOS団――というか俺と長門さんは、正確には文芸部部員で、寄生されている側なのだが――団長。

涼宮ハルヒ殿が、唐突に、高らかにこう宣言した。

 

 

 

 

「野球大会に出るわよ!」

 

散々、異世界人だの技術だのと思わせぶりな立ち振る舞いをしておいて。

結局は、俺が主人公に丸投げした日から約二週間後。放課後の部室でのことだ。

 

そういやそんなそれこそ茶番みたいなイベントの開始は今日だったのか。と思いつつ。

俺はこの部屋に居る俺以外のSOS団団員の様子を窺う。

 

 

最初に見たのは、俺の席から一番離れており、涼宮さんの近く。

窓辺の横でパイプ椅子に座していつも通りの読書に勤しんでいる、元文芸部部長、宇宙人こと長門有希だ。 

うん、反応ナシ。期待はしていなかったよ。

 

 

俺は次にいつもクールな長門さんとは精神的にも、身体的にも――ヤらしい意味ではないぞ――対照的な、二年の上級生。

未来人こと朝比奈みくるさんを見た。

 

朝比奈さんは涼宮さんの"せい"でメイド服に代表される様々なコスプレをさせられており。

この部室にいる時に彼女の制服姿を見たのは、それこそ朝比奈さんがSOS団に来たときぐらいで今は薄いピンクのナース服をお召しになられている。

その朝比奈さんは、野球がどうとらとかいう涼宮さんの謎の宣言に対し、まるで意味がわからないらしく

 

 

「え……?」

 

と困惑すら浮かべられない有様だ。

安心して下さい、俺も意味がわかりませんから。

 

 

未来のSOS団副団長、謎の転校生、超能力者、古泉一樹はいつものニタニタ顔ではなく。

どちらかと言えば苦笑雑じりに笑い、俺やキョンと目が合うと髪をファサッとさせて、肩をすくめた。

なんだか、これからお前の事を気にするのをやめようかとさえ思えてきたよ。

 

 

その次は雑用、普通の男子高校生、二週間ほど前に人知れず世界を救った"鍵"、俺の斜め向かいに座ってのんびりお茶をすすっている男、通称キョンが俺を見る。

俺は首を横に振り「何も言えない」と無言で彼に伝える。

それを察したらしい。

 

最近、キョンと俺はますます意気投合してきたのだ。

何せ、破天荒な女性に振り回されて苦労しているという点において俺は彼と同じだからだ。

 

 

 

 

 

「明智君。今、失礼なこと考えなかった?」

 

笑顔で俺にそう呼びかけるのは俺の隣に座る彼女、同じクラスの委員長、宇宙人その2、俺の胃を痛くさせているその元凶の朝倉涼子である。

 

 

「いいや。滅相もない」

 

「ふーん」

 

このやり取りでわかってもらえると思うが、SOS団内では一番新人ではあるものの、朝倉さんのヒエラルキーは既に俺を凌駕している。

随分と差がつきましたぁ。悔しいですねぇ。

 

 

青のロングヘアで、容姿端麗、おまけに人当たりもよく、男女問わず人気が高い朝倉さんは、なんと文字通り俺の彼女――男女交際をしているという点で――なのだ。

眉唾物の話である。

 

俺がアタックしたと言えば、まあ文字通りの攻撃にはなったのだが、その背景は割愛させていただく。

 

 

 

以上、このメンバーに異世界人の俺と神らしい団長の涼宮さんを含めた計7人がSOS団である。

 

 

 

 

とにかく、誰も涼宮さんに突っこまないと下校時までこの空気だろう。

漫才やってるんじゃないんだ、微妙な空間は朝倉さんの次に胃に痛い。

 

俺はキョンに「お前が訊いてやれ」とサインを送った。

 

 

「……何に出るって?」

 

「これよ」

 

涼宮さんがキョンへ一枚のチラシを満面の笑みで差し出す。

少なくともここに居る古泉以外の全員は涼宮ハルヒとチラシの組み合わせが、ロクなものじゃあないことを知っている。

だが今回、涼宮さんが見せたチラシの内容はSOS団とはまったく関係がないはずのものであった。

 

そのチラシには『第九回市内アマチュア野球大会参加募集のお知らせ』と書いてあり。

まあ、要するに町内で行われるらしい草野球大会だ。

 

一通りチラシに目を通したキョンは顔色を変えず。

 

 

「ふーん。で、誰が出ると言うんだ、その野球大会とやらに」

 

「あたしたちに決まってるじゃない!」

 

「その『たち』というのは、まさかここに居る全員を指しているのか?」

 

「あたりまえよ」

 

「俺たちの意思はどうなんだ」

 

キョンがそう言うが当の本人には聴こえていないらしい。

しかし、ここに集められた時点で意思もへったくれもないと思うのは俺だけかね。

 

 

 

  

俺は体育会系ではないものの。野球自体はそれなりに好きだ。

実際のスタジアムへ観戦しに行った記憶なぞ両手の指で数えられるほどだが、草野球レベルの経験なら俺にもあるさ。

最後にバットを握ったのがいつだったか、それはもう忘れているが。

 

 

つまり、俺が何を言いたいかと言えば、野球をするのは一向に構わないんだよ。

問題とは涼宮ハルヒ氏サイドにありまして。

俺の記憶違いじゃなければ、この野球大会でも世界がヤバくなったようなはずだ。

 

勘弁してくれ、草野球なんぞの成果次第で崩壊するようでいいのか世界よ。

俺は総理大臣や大統領が気の毒で仕方ない。涼宮ハルヒは世界平和に興味がないのだ。

あるとしたら戦国大名よろしく天下取りぐらいだろう。

 

この調子じゃ神はサイコロを投げないかもしれないが、ルーレットぐらいはやりそうだぞ。

 

本当に――

 

 

 

 

 

「どうもこうもないさ」

 

勘を取り戻すところから始めたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後涼宮さんは練習のため、野球部に野球道具をもらいに行く(そんな事が許されるのか)と言って部室を勢いよく飛び出していった。

 

苦笑をいつもの笑みに戻した古泉はいつも通りに涼宮ハルヒの肩をもつような事を述懐した。

 

 

「宇宙人捕獲作戦やUMA探索合宿旅行とかじゃなくてよかったじゃないですか。野球でしたら我々の恐れている非現実的な超常現象とは無関係でしょう」

 

「まあな」

 

「涼宮さんなら、ホームランボールでUFOを叩き落とせ。だなんて言うかも」

 

「そうならない事を祈るしかあるまい」

 

UFO云々は俺の発言だ。

本当にそう言い出しかねないのが涼宮ハルヒの恐ろしさである。

 

 

 

 

そして野球部と涼宮ハルヒとでどういう交渉が行われたのかは皆目見当がつかない。

だが、ものの十分程度でSOS団団長は段ボールに詰められた野球道具一式を抱えて帰還した。

彼女の身体能力の異常さが垣間見える瞬間である。

 

 

「……待て。この大会は軟式野球の試合だぞ。このボールは硬式じゃないか」

 

そういえばそんなに酷い設定だったか。

しかし無いものねだりは出来ない。

 

俺の"臆病者の隠れ家"には物専用のロッカールームがあるが、まさか軟式ボールの用意なぞしている訳がない。

今こそお前が所属する変態集団こと『機関』とやら、力の見せ場だぞ。

と言わんばかりに古泉を俺は見たが、またまた肩を竦めてしまった。

 

つくづく使えない連中な気がするのは気のせいだろうか。

 

 

「硬式でも同じことよ。バットで叩いたら飛ぶわよ。知らないの?」

 

「俺だって野球なんか小学校の頃に校庭で遊んだ時以来だが、それでもわかる。硬式球は当たったら痛い」

 

「当たらなければいいじゃない」

 

どこの金髪グラサンエースパイロットだお前は。

少なくとも捕球は身体の正面でとらえる必要があるというのに。

隣の朝倉さんも何やら笑いをこらえているぞ。

 

そもそも涼宮さんの当たらなければ痛くない理論は実践に移せるのか。

悪いが俺は公道最速理論よりゼロ理論派なんだ。

あっちの方が理にかなってる。

 

 

「……で、その試合とやらはいつなんだ」

 

「今度の日曜よ」

 

「おい、今日は金曜日だぞ。明後日じゃねえか!」

 

いくらなんでも急すぎである。

俺は昨日の朝倉さんの弁当は相変わらず美味しかったな、と現実逃避を始める。

ハンバーグはニンジンを入れる派で、手作りのケチャップソースがかかっていれば最高だ。

 

 

「でも。もう申し込んじゃったし。安心して、チーム名はSOS団にしてあるわ」

 

「……他のメンツはどこからかき集めるつもりだ? お前にアテがあるのか。それに、まさか補欠もなしでやろうってか。そして、今ここに居るのは7人だぞ。野球に必要な人数は9人だ」

 

「そこらを歩いている暇そうな奴を捕まえればいいじゃない」

 

涼宮ハルヒにとって人脈とは何なんだろう。

人を誘うのはそこらでとまっているトンボを捕まえるのと同じ感覚らしい。

彼女にとっての学校とは部活のためだけにあるんじゃなかろうか。

入学したてで色々な部に押しかけてたみたいだし、あながち間違いではない気がする。

 

  

「そうかい。解ったからお前はじっとしてろ。選手集めは俺がするよ。そうだな…………谷口と国木田はどうだ?」

 

「それでいいわ。いないよりマシでしょ」

 

涼宮さんの中でのクラスメートとは。

"それ"であり、英語で言えばIT。

なんとスティーヴン・キングのホラー小説に出てくる殺人ピエロと同じ呼ばれ方だ。

俺は心の中でアホ面の谷口と飄々とした国木田に合掌した。

こいつら二人の巻き添えが決定した瞬間である。南無。

 

 

その後補欠として朝比奈さんの友人が呼ばれるらしく、恐らくあの人だろうな。

古泉が不気味に「僕の知り合いも呼びますよ」と言っていたが、俺とキョンに却下された。

 

……というか仮にも古泉は『機関』の人間で超能力者なんだから、

本気を出せばそれなりの、身体能力を誇るんじゃないのか? 

まさか野球もロクにできない人材で構成されているのか。

 

 

そして、原作みたいに幼女を選手にするわけにはいかない。

とはいえ多分キョンの妹は応援に来るだろう。

俺は子供がそこまで好きじゃあないけれども、お利口さんなら話は別だ。

そこでいつも呆れてる兄貴よりよっぽど立派な大人に成長しそうだね。

 

 

「メンバーの都合が付いたようね。じゃあ、まずは特訓よ特訓」

 

「まあ、話の流れ上はそうなるだろうな。いつやるんだ?」

 

「今から」

 

「どこでだ」

 

「グラウンドで!」

 

 

 

 

 

とまあ。

こんないきさつで、涼宮ハルヒの退屈しのぎのためだけに、あの一件から二週間後に再び世界の危機が訪れることになってしまうのだ。

 

この世界にアベンジャーズが居たとしても二度目は助けてくれるかどうか怪しい。

 

野球を舐めきっている涼宮さんだが、やる気だけは負けてないだろうな。

まあ、俺も死ぬ気でやらないと死ぬと知っている以上は――

 

 

「善処するか」

 

「ふふ。野球なんて初めて。楽しみだわ」

 

 

 

 

 

 

朝倉さん。楽しそうで何よりです。でも

 

 

俺が全然楽しくなさそうのは、言わなくてもわかるだろ?

 

 

 

  



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第十三話

 

 

 

 

言うまでもなく。

 

何もこれは野球に限った話ではないのだが、スポーツの第一歩は走り込みからだ。

特に早朝かつ空腹時のランニングは、もっとも脂肪を効率よく燃焼させ、スタミナを増強させる。

俺は5時起きなので、毎朝ではないもののそれをやっている。

 

そして、第一歩であると同時に、走り込みは競技を引退するその日までやらなくてはならない。

 

つまり、何が言いたいかと言うと。

それこそアトランダムに選んだ9人が試合に出た方が勝ちを期待できるほどに、我々SOS団はスタートラインにすら立っていなかった。

 

挙句の果てに出場選手が顔を合わせるのが本番当日という、文字通りの出たとこ勝負。

よって、俺には練習をする意味が1ミクロンもわからなかった。

 

 

 

 

そして更なる事実。

 

 

「なあ。そういやキョン。オレたちって今日、体育なかったよな……?」

 

「ああ……」

 

「おや。奇遇ですね。僕もです」

 

「……」

 

言うまでもなく、俺のクラスは女子も体育はない。

長門さんのクラスは不明だが、今の所、彼女もいつも通り、制服である。

まあ、仮に運動用の服があったとして、長門はそれに着替えないのだろうが。

そして理数系特進クラスである9組に在籍している古泉一樹は、元々体育の時間が普通科と比べやや削られているはずだ。

ヒットしないのも無理はない。

 

制服姿での練習。

もう、俺は今すぐにでも帰りたくなった。

スポーツの神が今ここに居たら涼宮さんを含め全員土下座だ。

何なら、"入口"を地面に設置してもいい。"出口"が俺の家に繋がってる、あの部屋のだ。

そうすれば5秒と経たずに家に戻れるだろう。

 

 

しかし俺一人がそんな勝手な行動をしようものなら二日後と言わず、今からでも世界が滅びかねない。

はぁ、もうね、どうしろと。

 

諦めて俺は運動場に立つ他の団員たちを眺めながら、軽い体操から始めることにした。

 

ちなみに朝比奈さんに関しては、体操服やジャージがあろうがなかろうが、団長命令によってコスプレのままなのだろう。

本人も着替えるという意識さえない。

これがマインドコントロールと言わずしてなんなのか。

 

 

 

しかしよく考えたところ、何やら絶望的な気はしつつあるものの。

このSOS団が戦う限り『負ける事』は絶対にないのだ。

 

運動神経抜群の団長、涼宮ハルヒ。公式チート、長門有希と朝倉涼子。

この三人だけでどうにかなるだろ。うん。俺も含めて他はみんなおまけだ。

 

 

 

 

 

バットと硬式球を持ってマウンドに仁王立ちした涼宮さんによって、練習の開始が言い渡された。

 

 

「最初は千本ノックね」

 

いや、走れよ。何の最初なんだ。

ROOKIESなんか不良の喫煙生徒がランニングしているんだぞ。

俺たちの方が体力は有り余っているはずである。

 

横一列に並んだ俺たちに対し涼宮ハルヒはそう無茶を言い放つと、硬球という名の無慈悲の暴風雨が俺たちに降り注いだ。

ジーザス。

 

やはりスポーツを舐めている。俺がどうこう言える立場ではないが。

しかしながら涼宮さんの身体能力は驚きの連続で、定期的にトレーニングをしてる俺でもここまでやれる気がしない。

これはやる気の問題なのだろうか。

 

 

「ひー!」

 

朝比奈さんは殺人ノックに対応できずしゃがんでしまう。

すぐさまキョンがフォローに入っているので、俺は二人を気にせず補球に勤しむことにした。

 

 

「……」

 

長門さんは棒立ちで何もしていないが、何故か球が当たらない。

そしてたまに直撃コースが来た時だけ片手を動かしグローブでそれを撃墜していた。

野球はそういうスポーツじゃないんだが、彼女がやっているのはさながらインベーダーゲームだ。

 

 

 

 

そしてやはりと言うべきか古泉一樹はそこそこのパフォーマンスを見せており、素人目から見てもスポーツのセンスが窺えた。

明後日もそれくらい動いてくれると、何事も無しに勝てそうなんだが。

 

 

「いやあ。懐かしいな、この感触。久しく忘れてました」

 

「なかなかやるじゃないか」

 

「いえ、明智さんほどではありませんよ」

 

「それはどうも。当日も期待していいのかな」

 

「期待は嬉しいのですが。残念ながら、僕は本番に弱いタイプでして」

 

こいつの言動がいちいち三味線を弾いているようにしか聴こえないのは、俺の不徳さに問題があるのか。

とにかく食えない男である。

喰いたくもないが。

 

 

「なるほど。こうすればいいのね」

 

俺と古泉という真剣(ガチ)二人の動きを見よう見まねで再現し、朝倉さんもノックをさばいている。

俺たちからコピーした動きをパターンに合わせて正確に切り替えているのだ。

 

しかし、制服と言う都合上、なんというか、その、スカートの部分が気になるが。

どうやら謎の技術を駆使しているようで、中身が見えそうで見えない!

その俺の、珍しく下種な視線に気づいた朝倉さんは。

   

 

「あら。明智君なら、頼めばいつでも見せてあげるわよ」

 

何をとは聞かずに、俺は首を振って前に視線を戻す。集中集中。

俺は何も考えちゃいないんだ。 

 

 

 

 

 

「わきゃあっ!」

 

やがて、キョンは朝比奈さんのフォローに徹する事ができなかったらしく、バウンドした硬球が朝比奈さんのヒザにヒットしてしまった。

軟式球だろうと当たればどうなるかわからない彼女である。

ただちに泣き出すのは明白であった。

 

キョンはこちらに目をやり「後を頼む」とだけ言って、朝比奈さんを連れ消えてしまう。

おそらく保健室にでも向かうのだろう。

涼宮さんが何やら激昂するが、それも無駄だと悟ったらしく。そのうちにノックを再開する。

 

 

 

 

 

 

流石に捕球、しかもノックだけやっていても付け焼刃にすらならない。

せめて実践に則したフライの練習はすべきである。ただ高めなだけでは駄目なのだ。

次第に俺と古泉の勢いは無くなり。朝倉さんもどことなく雑にやっている。

 

こちらのやる気の低下を悟った涼宮さんは、やがて野球部員相手にノックを始めるようになった、

 

 

「……おや。そういえばあなたはサウスポーでしたね」

 

黙々と素振りを始めた俺に対し、古泉はわざとらしくそう声かける

 

 

「それに片手スイングですか。いやはや、脱帽しました」

 

何も俺は実戦で片手打ちを狙っているわけではない。やるかもしれんが。

 

 

素振り練習は。スタミナ、筋力、バッティングフォーム、この三つの向上が主な目的だ。

草野球レベルではピッチャーの球威など程度が知れているが、プロのプレイヤーはいくら動体視力があろうと、目でボールを直に見て打っているわけではない。

コースを読み、自分が持つバッティングフォームから最適なものを選択し、再生するのだ。

 

その中で片手スイングの素振りは。

見落とされがちな、バッティング時の下半身の動きを研究することができるのである。

実際、プロ野球の中継でもたまに軽く片手で振っているだろう?

 

 

 

 

 

そんな事をやっているとやがてキョンが帰ってきた。

どうやら朝比奈さんは先に帰宅させたらしい。

残念ながら当然の処置である。

 

 

「やあどうも」

 

「何やってんだ、アイツは」

 

キョンは野球部員を虐待している涼宮さんを指差す。 

 

 

「オレたちじゃあ涼宮さんの相手をするのは役者不足でね」

 

「ええ。先ほどからあの調子なのですよ」

 

ちなみに朝倉さんと長門さんは俺たちから少し離れたところでのんびりしている。

時折、何かを話しているようだがこちらには声が届かない。

 

すると、涼宮さんはバットを置き、汗を拭いて。

やがてノックが終了となった。

 

 

「驚きですね。本当に千本ちょうどです」

 

「そんなもんを数えられる、お前の方が驚きだ」

 

「……」

 

長門さんが無言で立ち上がり踵を返す。キョンは慌ててそれについていった。

 

自由解散らしい。

古泉の方を見ると「お先にどうぞ」と言ったので、俺は軽く手を振って、朝倉さんと一緒にグラウンドを後にした。

 

涼宮さんはまだまだ続けるようで、次はピッチングの確認を開始していた。

 

 

 

 

 

 

 

「それで、どこまで本気でやるつもりなの?」

 

下校中の俺にそう訊ねるのは朝倉さんである。

彼女のマンションへの帰路を辿りつつ、どうしようもない会話が始まろうとしていた。

 

 

「どういう意味かな」

 

「言葉通りの意味よ。張り切って練習していたじゃない」

 

どうやらそう判断されていたらしい。あの程度の練習で十全も何もあったものではないが。

その旨を彼女に伝えると非常に驚かれた。

 

 

「あら。明智君は意外とスポーツマンなのね」

 

そんなつもりはない。

というかむしろ普段の俺がどう見られているというんだ。

 

 

「……やれる限りはやりたいさ。最悪、また涼宮さんがこの世界を消しにかかる」

 

「それにしてはやり切れないみたいだけど?」

 

つくづく恐ろしい宇宙人である。

俺はどうせ出来レースなので語る事にした。

 

 

「涼宮さんは彼の活躍が見たいのさ。オレがいくら活躍しようが、機嫌を損ねはしないだろうけど、満足するかは甚だ、疑問だよ」

 

「ふーん」

 

「古泉だってそうさ。それがわかってるから、きっと明後日も本気を出さない」

 

「それで。やれる限りって訳ね」

 

そう言うと彼女は俺の数歩前に出て、立ち止り、こちらを向いて訊ねる。

 

 

「明智君は、それでいいのかしら?」

 

「いいも何も、なるようになれば一番だけど」

 

「その結果。涼宮さんが世界を滅ぼすとしても?」

 

そう言われてしまうと、いつもながら、どうもこうもない。

原作みたいにホーミングモードとやらに頼るのもアリなのだが……。

 

 

 

俺は揺らいでいた。

 

 

 

 

「やってから後悔しろ。って話かな。それが主人公なら許されたんだろうけど、生憎とオレは彼と涼宮さんの引き立て役でね。エラーをしないことが仕事さ」

 

こんな女々しい俺の言い訳を聞いた朝倉さんは、まるで気持ちを切り替えたかのように、俺にこう切り出した。

 

 

「じゃあ、明智君」

 

「何だい」

 

いつぞやのように、夕日を背にした朝倉さんは、まるで呪文を紡ぐように。

 

笑顔で俺にこう言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

「――他でもない、私のために、本気を出してちょうだい」

 

 

 

 

 

 

 

頼むからやめてくれ。

 

そんな事言われたら。

 

 

「……いいよ」

 

「ふふっ」

 

「今回だけだぜ」

 

「私は明智君の"奥の手"が見たいのよ」

 

「奥の手は先に見せるな、見せるなら更に別の奥の手を持て。ってのがポリシーでね。それに、オレの引き出しはそこまで多くないんだ」

 

「面白くないわね」

 

「その辺は既に、織り込み済みだと思ってたけど」

 

「見せてあげないわよ?」

 

その脅しは心臓に悪いからやめてくれ。

 

 

 

 

 

 

とまあ。

 

試合においてベストを尽くすという意味ではあるものの、俺は初めて本気を出すことにした。

この心境の変化が、何に由来しているのかは、俺にはわからないが。

 

 

 

 

俺が再び彼女を心理戦で圧倒できる日は果たして来るのだろうか。

 

 

そんな事を考えつつ、オレンジの空に対してどこかブルーな俺は、朝倉さんを彼女の家まで送るのであった。

 

 

 

 



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第十四話

 

 

 

 

涼宮ハルヒの独断によってSOS団とその他"それ"による野球大会の参加が宣言された二日後。

朝八時にメンバーは市営グラウンドに集合した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何やら大がかりな大会らしいのだが、どうせ俺たちは負けるので関係のないことである。

しかしこの空気――他の出場チームは各々ユニフォームを着込んでいる――の中で、俺たちは学校指定のジャージである。

先月の段階で色々あったので、羞恥心はとくにないのだが、場違いである事に変わりはない。

この日は長門さんも流石に制服ではなくジャージだ。

 

 

キョンが連れてきた助っ人の谷口と国木田は、何やらピクニック気分といった様子で。

とくに谷口の方は鼻の下が伸びているといった有様である。

まあ、男子高校生なんだから最低でも捕球ぐらいはキチンとやってほしい。

どう見てもこの二人には危機感が足りなかった。

 

 

朝比奈さんが連れてきた助っ人のお方は鶴屋さんとおっしゃるらしく、同級生らしい。

緑のロングで、八重歯がチャームポイントの天真爛漫な彼女は、小動物的なオーラを発してはいるものの、実際に今居る女子の中では朝倉さんと並んで身長が一番高い。

小動物は小動物でも鶴屋さんはプレーリードッグといったところか。

その鶴屋さんはキョンとあいさつをした後、次いで俺の方へ来た。

 

 

「やぁやぁ。キミがウワサの明智くんだね? 意外と大人しそーだねーっ」

 

「どこでどうオレの名を耳にしたかは知りませんが、確かに明智です。あと、大人しいのはあれですよ、口は災いのもとって奴です」

 

 

「なるほどー。キミ幸薄そうだもんねぇ。強く生きるんだぞ、少年っ!」

 

確かに鶴屋さんは偉大なお方だが、大きなお世話である。

鶴屋さんはその後、笑いながら「飲み物買ってくるっさー」と言いながらどこかへ消えてしまった。

こんな感じだが心なしか谷口よりかは頼もしい。

 

 

そして予想通りだが、キョンの妹もここへ来ていた。

選手としては出せない、応援だろう。

相手にするのも疲れそうなので俺は手を振るだけに止めておいたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キョンが顔を引き攣らせながら俺に説明したところによると。

SOS団の初戦の相手は三年連続の優勝記録がある、優勝候補筆頭らしい。

この場合"持ってる"のは涼宮さんか、それともキョンなのか。

いくら鶴屋さんに幸が薄いと言われた俺でも、俺が居なくても原作の相手は今と同じだった。

 

その優勝候補とやらの上ヶ原パイレーツさんは大学野球サークルらしい。

野球に対する意識からして俺たちと違うのだ。何やら大声を出して気合が入っている。

 

 

 

それに対しSOS団の涼宮監督の作戦は悲惨なものであった。

 

出塁、盗塁、選球眼。

 

どれも素人にはやれと言われようができない事だ。相手が優勝候補なら尚更だ。

インナーマッスルくらいなら俺も彼らに対抗できるだろうが、最悪の場合は土下座をしてでも古泉に本気を出してもらおう。

何ならあいつがまだ俺に招待されていない"臆病者の隠れ家"に入れてやってもいい。

物置部屋であるロッカールームに、だが。

 

 

そして長門によるインチキ打法ホーミングモードは本当の奥の手だ。

あれをするくらいなら相手チームの選手を闇討ちした方が精神的にマシだ。

……どうせ頼る事になるのだろうが。

 

 

 

そしてアミダくじにより俺たちSOS団のスタメンが抽選抜擢された。

その結果がこれだ。

 

 

一番、ピッチャー、涼宮ハルヒ。

二番、サード、俺。

三番、センター、朝倉涼子。

四番、セカンド、キョン。

五番、レフト、朝比奈みくる。

六番、キャッチャー、古泉一樹。

七番、ライト、長門有希。

八番、ファースト、国木田。

九番、ショート、谷口。

そして補欠として鶴屋さんだ。

 

 

まあ、鶴屋さんには朝比奈さんがダウンしたらお願いする事になるだろう。

こちらの応援はキョンの妹のみだ。マネージャーなぞ居るわけがない。

 

以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして早速、試合が開始された。

プレイボールの宣言とともに相手ピッチャーが投球モーションに入る。

一回の表。SOS団の攻撃である。

涼宮さんが右バッターボックスで構える。

ピッチャーは振りかぶって投げる、が、全力でないのは相手の表情を見ただけでわかった。

 

 

コン。

 

と金属音が響いたかと思うと涼宮さんの打球は伸びていく。

センター頭上を抜けたが、惜しくもフェンスを越えることは出来なかった。

見事なまでのツーベースヒットであった。

 

 

「全然大した球じゃないわよっ! あたしに続きなさい!」

 

最近思うようになってきたのだが、何故この人は黙るということができないのだろうか。

ともあれ、これのおかげで相手も何やら手心を加えなくなってしまった。

つまり俺のハードルが上がってしまったのだ。しかも涼宮さんと違って俺は男だし。

 

 

気怠さ半分と、俺も何やら野球を舐めているかのような態度で打席に立つ。

バッターボックスの左側に立った俺を見て彼は準備に入る。

悪いな、今日の俺は主役じゃない。二番手もいいとこなんだ。

 

ピッチャーの初球。今度は手加減抜きだろう。

けん制するまでもないと言う余裕が感じられる。だが。

 

 

カン。

 

 

インコース高めのストレートだったはずだ。俺は涼宮さん同様に初球で振りに行った。

しかし、ミートが十全でなかったのは打球の方向を見なくてもわかる。

左打者特有の、センターから左側へ逸れてしまった。

 

野球はコンマ数秒の差が勝負を変える世界だ。

俺がやや振り遅れていたのは明らかだった。

まあ、ともあれ涼宮さんは三塁へ進み俺は一塁。

 

 

何とSOS団はトーシロ集団とは思えぬなかなかの滑り出しであった。

 

 

 

 

次はいよいよ朝倉さんである。

バッターボックス右に立つと、彼女はバットを構えた。中々様になっている。

 

いよいよマズいと思った上ヶ原パイレーツ先発投手の初球。

直球軌道から右下に落ちながら曲がった。キレのあるシンカーだ。

しかしこれは内角に鋭く入ってしまい、朝倉さんも初球は見逃していた。ワンボール。

次の豪速ストレート、ど真ん中も朝倉さんは見逃しワンストライク。

 

そして次の一球。今度は内角低めのストレート。

朝倉さんはバットを一閃。

 

効果音を付けるとすれば。カッキーン、といったところか。

朝倉さんはその身体のどこにあるのかまったく怪しい剛腕でストレートをねじ伏せ、打球をバックスクリーンまで吹き飛ばした。

この日第一号のホームランである。

 

 

SOS団の先制点。

3-0。

なんか、こう、あれだ。申し訳ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたがヒットを放つなんて意外でした。いや、実力についてじゃありませんよ。僕はあなたが目立つことが嫌いな人種だと思っていたものでして」

 

ベンチに戻った俺に労いなのかよくわからない言葉をかけたのは古泉だった。

確かにそうだけど、そんな事を言ったところで、北高内で独り歩きしている俺の名前はまだ消えてくれそうにない。

 

 

「明らかに運が良かっただけさ。涼宮さんと朝倉さんの活躍には及ばないよ」

 

「それだけでしょうか。いずれにしても謙虚なお方だ」

 

「まあ、このまま終わるほど甘い相手じゃない。キョンにも魅せ場は残ってるさ」

 

俺はキョンが見逃し三振でワンアウトになった様子を眺めながら言う。

 

 

「ええ。それが一番なのですが」

 

次のバッターは朝比奈さんだ。

その様子を見た古泉は「では」と言ってネクストバッターボックスへ向かっていった。

 

 

結局この回は朝倉さんのHR以降何もなく、三連続アウトで攻守交代。

SOS団が初回から3点ももぎ取る結果となったのだが、古泉は本気を出さなかった。

 

 

 

 

 

 

こちらの先発は言うまでもなく涼宮ハルヒで、オーバースローから放たれる速球は、相手チームのピッチャーに勝るとも劣らぬものであった。

しかしながら、捕球という面においてこちらのチームは圧倒的に不利である。

とくに左後方なぞ行こうものなら、レフトの朝比奈さんが捕れるはずもない。

また、ファースト、ショート間のヒューマンエラーもあって、もはや防御陣形の変更すら考えさせるレベルであった。

こんな破綻した守備ではあったものの、涼宮さんの奮闘もあってこの回の失点は2点に抑えられた。

 

3-2。接戦である。

 

 

 

二回の表については割愛させてもらおう。

何の成果も得られずに、スリーアウトチェンジだからだ。

古泉が言ってた俺たちに興味のある人物に来てもらった方が良かったのかもしれない。

 

 

 

 

息もつかずに二回裏が始まったものの、相手チームにこちらの外野の甘さを見抜かれ、本来ならアウトであろう打球さえセーフになってしまっている。

長門さんと朝倉さんは捕球こそするものの基本的に立ちんぼで、動くことを知らない。

朝比奈さんについては残念ながらお察しである。

 

5点も奪われ、3-7で交代。いよいよもって怪しくなってきた。

いくら一部が奮闘しようと結局のところは総合力でこちらが負けているのだ。

これを機に涼宮さんにはチームプレーを考えてくれると少しはありがたい。

 

まあ、とりあえずキョン、涙目の朝比奈さんを慰めてやれ。

 

 

 

 

 

三回表の攻撃。

一巡して涼宮さんの打席である。

相変わらずの高調子で、再びの二塁打を放った。

 

 

「ヘイヘイヘイ、ピッチャーどうしたー!?」

 

だからスポーツマンシップに反する行為はやめてくれ。

学習の無さにキョンも目頭を押さえている。

 

 

初回は叩き付けるようなミートバッティングを狙って失敗したので、せっかくだから俺は遊ぶことにした。

どうせ負けそうになったら長門さんに助けてもらえばいいのだ。

この時既に俺の思考回路はマヒしていた。

バッターボックスに立った俺は、化け物女二名ほどではないものの警戒されていた。

 

とりあえず構え、初球を見逃す。

左斜め下へ曲がる変化球。カーブである。

ギリギリにストライクゾーンをかすったらしく、なんとストライクだ。

はっきり言うと審判を舐めていた。草野球だぜ、際どい。

そして次の一球も見逃す、高めのストレート。

おいしい球ではあるのだが俺は手を出さなかった。ツーストライク。

そして3球目、仕留めに来たのだろう。

ストレートと同じモーションから放たれる緩やかな一球。本日初披露となるチェンジアップだった。

 

俺はそれを練習通りに右手一本ですくい上げた。

敵も味方も例外なく唖然としていた。

秘技、片手打ちである。

どこぞの黒人選手ほどではないものの、何とフェンス一歩手前まで伸びた打球によって、俊足の涼宮さんはホームイン。

 

4-7となった。

 

しかしながら、その後の朝倉さんはバットを振らずにアウト。

そして、キョン、朝比奈さんと続いてスリーアウトにこの回も終わる。

あまりの不甲斐なさに涼宮さんは「このアホー!」と怒鳴っていた。

 

俺はホームインせずに攻守交代となり、いよいよもって雲行きさえも怪しくなってきた。

最悪、涼宮さんは大雨でこの大会をぶち壊しかねない。

 

三回裏。

キョンのスーパーセーブによって被害は最小限に留めたものの、2点を奪われており、4-9。

こちらの敗色は濃厚であった。

 

 

 

 

ベンチに戻ると、朝倉さんが何やら退屈そうな表情を浮かべていた。

 

 

「どうしたんだ?」

 

「飽きたわ」

 

どうやら彼女は初回時のホームランで飽きたらしく、故にさっきの打席も手を出さなかったらしい。

さっきは俺も本気と言いつつ舐めたプレイングをしてしまったが。

どうせ野球に飽きるのであればそのついでに俺にも飽きてほしいものである。

 

 

「何やらキョン君と古泉一樹が騒いでいたわ。恐らく、涼宮ハルヒによる閉鎖空間の発生ね。それも大きな」

 

「……オレも手を抜きつつあったのは謝るから、どうにか戦ってくれないかな」

 

「長門さんがどうにかするわ。任せましょ」

 

あんなに変革どうのこうので暴れていた朝倉さんがどうしてこうなったのだろう。

急進派とはなんだったのか。

もしかしたらこれは夏バテなのかもしれない。

 

 

「そりゃあ。長門さんならバットだろうがボールだろうが弄ってしまえるだろうさ。でも、オレにやる気を出せって発破かけたんだから、もう一回ぐらい朝倉さんのホームランを見せてくれよ。実力で打ったヤツを」

 

朝倉さんは怠そうな表情のまま「わかったわ」と了承した。

彼女もホーミングモードの切り替えは可能なはずだ。

俺はガチで打ちに行こうと思う。

 

 

 

 

四回表の攻撃。

 

とうとう古泉は最低限度のやる気を出したらしく内野安打を放った。

最初からそうしてくれれば1点から2点ぐらいは変わったかもしれないというのに。

そして、長門さんがバットを拾うと、何やら口元が動いている。

するとその初球。長門さんがバットをブンと振りぬき。白球を吹き飛ばす。

本日二回目のSOS団によるホームランである。ツーランだ。

 

6-9。惨劇が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

「やれやれ」

 

ホームランを放ち、ダイヤモンドを一周した4番のキョンは戻るなり頭を抱えた。

俺は朝倉さんに頼んで長門印のチートコードを一時解除。

地力だけで挑戦したのだが、トーシロ集団に押されつつあるのが原因なのか、そもそもの球威が明らかに落ちていた。

ちなみにキョンのホームインで11点の現在11-9。

俺と朝倉さんもソロを放っていた。

しかしながら、涼宮さんがバットを持った時だけ、ホーミングモードはてんで機能していなかったようで。

それどころか彼女はまさかの三振に終わっている。

逆ホーミングモードという配慮なのか。

 

キョンは疲労困憊の朝比奈さんに変わり代打として交代出場する鶴屋さんにバットを渡す前に、長門さんの所へ行った。

俺だってこんなことされたら怪しく思う。上ヶ原パイレーツの心中をお察しする。

 

 

 

 

 

鶴屋さんの身体能力もなかなかのもので、最早屍と化した上ヶ原パイレーツから安打をむしることはわけなかった。

とは言ったが、この結果に満足しているようで、古泉は見逃し三振。

続く長門さんも見逃しスリーアウトで今までの魔法のホームランが嘘のようにこの回は終わった。

それを証明してくれるのはスコアボードだけである。

 

 

そしてなんとまあご都合的な事に、この試合には制限時間があるらしく。

一回戦に限り九十分間と限定されている。

要は時間が押していて、本来五イニングの試合だったが、この四回裏を抑えれば、終わりなのだ。

事態を把握していないキョンの妹も、数字の優越については理解できるらしく、こちらに激を飛ばしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後については敢えて語る必要がない。

 

原作よろしくリリーフ登板したキョンは、長門印のチートコード第二弾の魔球で次々にバッターを屠っていた。

最後は意地の振り逃げであわや失点の可能性があったが、長門さんのレーザービームによってそれも阻止された。

要するに今回も俺は大きな活躍をしていない。

長門さんかっけーだ。

 

草野球など何年振りかわからないが、もうこの面子でやるのだけは勘弁してほしい。

正確にはやるのは構わないが、負けても世界が滅ばないという条件付きでだ。

 

その思いを察したのか、キョンの涼宮さんへの必死の説得により、この場は棄権することとなった。

 

 

意気込んでた上にこんな得体の知れない集団にのされた上ヶ原パイレーツの監督は、その旨を伝えると中年ながらに涙してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ」

 

元ホーミングバットを売ってそれなりの収入があるキョンの奢りにより、昼間のファミレスで盛大な打ち上げが行われた。

総勢九名の大所帯である。

古泉は残念ながら閉鎖空間の後始末でここにはいない。まあ、仕事だからな。

 

 

しかし行き成り大人数で昼間のファミレスなど、そもそも入れる店なんてあるのか。

と思いきやこれまたご都合的に、たまたま入ったお店に団体用だろうか、長テーブルの席が空いていた。

 

 

 

 

「どうした明智。食欲がないな」

 

「そういう事は自分の皿を見てから言うんだ」

 

俺の席にはチキングリルのプレートとライスがあり、キョンの方はオムライスとサラダが置いてある。

しかしながらお互いドリンクバーにしか手がいっていない。

他のみんなは楽しそうに盛り上がっている、涼宮さんは棄権したというのに満面の笑みだ。

あんなに怠そうにしてた朝倉さんも笑顔で長門さんを含めて鶴屋さんと交流している。

 

さっきのは何だったんだろうな。

 

 

「俺にもよくわからん」

 

どうやら声に出てしまってたらしい。

 

 

「まあ。ハルヒが楽しそうならいいんじゃないのか」

 

「難儀なこった」

 

「お互い様だろ」

 

そういうとキョンはとりあえずとの意識からだろうか、サラダに手を付け始めて会話を中断した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局のところ、俺はただのチキン野郎であり。

いくら事前に知識があったとしても、涼宮ハルヒという絶対の法則には逆らえない。

 

 

涼宮ハルヒに相対する。

もしそんな事が許されるとすれば"鍵"であり、この世界の主人公であるキョンだけだ――

 

 

 

 

 

――この時の俺は、まだ、そんな風にしか考えちゃいなかったのだ。

 

 

 

 

 



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クラッキング・トゥ・サインオン
第十五話


 

 

 

 

 

 

 

 

あなたにとって、夏と冬ではどちらが好きですか?

 

 

 

 

 

 

 

こう訊ねられれば、俺は「間違いなく夏だけはないだろ」と断言できる自信がある。

 

 

つい一ヶ月近く前のいつぞやは、なし崩し的にぽかぽか日和の中、草野球をさせられた。

しかしながら何もわざわざ暑い中で身体を動かすことに俺は生き甲斐を感じてなどいない。

そしてスポーツといえど涼宮ハルヒが関係する以上、危険係数がカウンターストップしてしまうのが一番の問題だろう。

 

まあ。早朝ランニングに関しても、確かに効率面での理由がある。

けれど朝はまだ涼しかったりするので夏に運動するにしても朝はまだマシなのだ。

そんな事をしている割に思考は開放的ではないのである。

 

 

つまり、何がいいたいのかといえば。

六月の日々で苦しんでいた俺にとって、ここからが本当の地獄なのである。

しかも。季節的にも涼宮ハルヒ関係の事件が多発するようになるはずだ。

俺のどこでもドアもどきの技術力で何かが出来るとも思えない。

"奥の手"にしても精々人間相手をするのが限界だ。

いつもながら大人しく長門さんと朝倉さんの2人に解決してもらおう。

 

 

 

 

 

 

そのような事を考えていた今日は七月の中ごろ。

この日で期末試験が終わり、夏休みまでの間、束の間の平穏が訪れていた。

 

北高に限らず、テスト期間中というものは例外なく部活動は休止されるものである。

だというのにSOS団はテスト期間中も活動をしていた。いや、ただ集まっていただけに過ぎないが。

 

しかし、高校生の、それも1年生時のテストなど、俺が前世の記憶がなかったとしても、真面目に授業を受けていればまあそこそこの点数に終わるはずだ。

だが原作でキョンはあそこまで口が達者にも拘らず、何故勉強が苦手な設定なのだろう。

それはこの世界でも同じようで、期間中に四苦八苦しているのが見受けられた。

朝倉さんに関しては言うまでもなく優等生なのでテスト対策について心配の必要などなかった。

 

 

 

で、テストが三時限目に終わりさっさと帰宅できるにも関わらず、文芸部部室に居るというわけだ。

古泉と朝比奈さんはまだ来ておらず、キョンは何やら涼宮さんとPC前でギャーギャー騒いでいる。

長門さんはいつも通りの読書。今日は何やらどこの国の言葉かもわからない本を読んでいた。

 

 

「ジャックのスリーカードだ」

 

「あら残念。私の負けね」

 

朝倉さんはそう言って札を表にする。2とQによるツーペアだった。

俺はボードゲームが苦手ではないのだが、朝倉さん相手には将棋、チェスもオセロも歯が立たなかった。

唯一勝ち越せたのは軍人将棋くらいなのだが、最近では俺の配置パターンを研究していて押され気味である。

よって今日はトランプに興じていた。ポーカーだ。賭けるものなどないのだが。

 

 

「おい明智。こっちに来てくれ」

 

何やらPCのディスプレイを団長席に座りながら睨んでいるキョンが俺を呼んだ。

既に札を配り終わっていたが、ポーカーを中断してキョンの所へ行く。

 

 

「何だ」

 

「こいつを見てみろ」

 

ディスプレイにはよくわからないヘビみたいなニョロニョロが大きく表示されており、何やらよくわからないサイトのようである。

 

 

「お前が作ったホームページなんだがな、様子がおかしい。アクセスカウンタは吹っ飛んでいるし、お前が書いたよくわからんミステリ紹介のページも、リンクを押しても表示されん」

 

「どうしたらこんな画面になるんだ? HTMLを弄ったにしちゃ出来栄えが悪すぎる。背景まで白じゃないか」

 

「それが分からんから呼んだんだ。ファイルのクラッシュかと思って上書きしたんだが、効果がない」

 

「俺は何でも屋じゃないんだ。何か心当たりはないのか?」

 

「さてな。これを最後に弄ったのはテスト期間中、ハルヒに頼まれてあいつが書いたSOS団のエンブレムとやらをアップした時だ」

 

間違いなくそれが原因である。

まあ。こうなってしまった以上、現状ではそのエンブレムを削除しようにもどうもこうもないのだが。

 

 

「俺には何も出来ん。サーバー管理者に問い合わせて、駄目みたいなら諦めて別のサイトを立ち上げるしかないぞ」

 

「こんなサイトに何の意味があるのかね……」

 

それは作った俺でもわからん。

涼宮さんが「これはサイバーテロよ!」とか騒いでいるがキョンは相手にすらしていない。

俺はサーバーに侵入しようと思えばできるのだが、原因がわかっている以上は無駄な抵抗をしないのが吉だ。

万が一にバレれば大変な事になるし。

 

朝倉さんとポーカーの続きでもするかと思い、長机に戻ると部室のドアがノックされた。

 

 

「おや。皆さんお揃いかと思いきや、朝比奈さんはまだですか?」

 

古泉一樹であった。二年生の朝比奈さんは俺たち一年生よりテストの終わりが一時限ほど遅いのである。

キョンは一旦ホームページについて考えるのをやめたようで、古泉とダイヤモンドゲームを始めた。

ちなみに朝倉さんとポーカーを再開したその第一戦は、スペードのロイヤルストレートフラッシュを叩きつけられた。

絶対何かしたとしか思えない。

なぜなら俺の手札はブタだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして一時間と少しが経過した。

キョンが再び涼宮さんによくわからない注文をされており――どうやらホームページ不調の原因はキョンの方にあると判断しているらしい――古泉は詰将棋の本を読みながら盤面を睨んでいる。

やがて俺と朝倉さんはページワンに遊びを切りかえ、暫くしてからのことである。再び部室の扉が叩かれる。

涼宮さんの「どうぞ」という声に反応して登場したのは朝比奈さんだった。

 

 

「遅れちゃってごめんなさい。四限までテストだったんです」

 

申し訳なさそうな表情でそう説明する朝比奈さんだが、部室には入ろうとしてこない。

やがてしどろもどろになり朝比奈さんに視線が集まる。長門さんすら見ていた。

 

「ええと、その……。お客さんを、連れてきました」

 

 

 

 

お客さんとはどういう事だろうと思えば、何やらキョンが独断で部室棟の掲示板にSOS団のポスターを張っていたらしい。

それは生徒会にSOS団について認可させるためであり、内容についてはかつて俺とキョンがでっちあげた架空の内容。

まあ、要約すると「相談ごと受け付けます」ということである。

つまり、そのお客さんは我々に相談があるということらしく、早い話が俺には正気と思えなかった。

 

 

「するとあなたは……我がSOS団に、行方不明中の彼氏を探して欲しいと言うわけね?」

 

「はい」

 

「ふむむ……」

 

そういった我らが団長涼宮ハルヒは手に持っていたペンをくるくる回し、唇の上に乗せて唸りはじめた。

本人的には何やら考えているのだろうが、個人的には彼女が団長でいいのだろうかとさえ思える不真面目な態度である。

俺の中での団長と言えば、黒のオールバックの盗賊集団なのだ。

 

朝比奈さんが連れてきた来客は、喜緑江美里さんといい、朝比奈さんと同じく二年生だ。

薄緑色のウェーブがかった髪の毛。あの長さはミディアムと言うのだろうか?

そして何より清楚感があって落ち着いている。

俺もああいう人と仲良くしたいもんだと思っているのだが――

 

 

「?!」

 

隣から物凄い殺気を感じたその瞬間、俺の机の下にある左足爪先が踵によって踏みつけられた。

思わずうめき声を上げそうになったがどうにか堪える。

 

 

「どうしたの? 明智君」

 

「いや、しゃっくりが出そうになってね……」

 

実行犯である朝倉さんが白々しくそう訊ねてきた。

ちくしょう。俺に何の恨みがあるんだ。

そんなこちらのやりとりを気にせず、喜緑さんは涼宮さんへの相談を続けた。

 

 

「彼が何日も学校に来ていません。めったに休まない人なのに……」

 

彼女がそう思うのも当然で、何せ今の今までテスト期間中だったのだ。

確かにこれはいくらなんでもおかしい。

それに追い打ちをかけるかの如く、テストを受けていないことによって彼氏君は再試が確定してしまっている。

哀れ也。

 

 

「電話はしたの?」

 

「はい。携帯にも家にもかけましたが出ません。家まで行ってみたんですけど、鍵がかかっていて反応もありませんでした」

 

「ほうほう~」

 

涼宮さんはいい暇つぶしを見つけたと思い、喜緑さんの悲痛な打ち明けに対しても嬉しそうに聞いている。

事件性という認識が彼女にあるかどうか怪しい。

 

 

「家族は?」

 

「彼は一人暮らしなんです。ご両親は外国にいらっしゃるらしく、私は連絡先を知りません」

 

「へぇ。それってどこかわかる?」

 

「確かホンジュラスだったと思います」

 

「なるほど、ホンジュラスねぇ~」

 

テストの点数が良くない割に、何故か原作でキョンはホンジュラスがメキシコの下くらいにある事は知っていた。

そして果たして涼宮さんはホンジュラスについて知っているのだろうか。

彼女は頭がいいから場所ぐらいは知ってそうだが、頷けるほどに国についての知識があるのか。

かく言う俺もギジェルモ・アンダーソンくらいしか知らないが。

 

 

「夜中に訪ねても真っ暗で、部屋にいないみたいで……。わたし、心配なんです!」

 

「まあ気持ちはわからなくもないわ。でも、我がSOS団を訊ねてきたのは何故かしら?」

 

「彼がよく話題にしてたんです。名前は覚えていました。それで貼ってあったポスターを見てここに来ました」

 

「へぇ? 私たちを知ってる人なの? 誰かしら」

 

知ってるも何もSOS団は悪名高いのだ。この部室でその自覚がないのは長門さんと涼宮氏ぐらいだ。

 

 

「SOS団とはいいお付き合いをさせてもらっていると聞きました」

 

「そんな事あったかしら?」

 

「彼はコンピュータ研究部の部長を務めているんです。とくに明智さんという方に対して、感謝の気持ちがいつも伝わりました」

 

なるほど。あの時俺がどうにか場を丸く収めた事についてだろう。

結果としては最新型のパソコンを頂いたこちら側がむしろ感謝すべきなのだが。

しかもまだ痴漢の証拠となるインスタントカメラは処分されていない。

はたしていつ気づくのだろうか。

 

 

「いいわ。あたしたちが何とかしてあげる!」

 

根拠のない自信こそが大成しない大きな原因なのだ。

そんな意識を一切持たない涼宮ハルヒは快く、捜索依頼を引き受けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、喜緑さんにコンピ研部長の住所があるメモ書きをもらい、SOS団は調査を開始することになった。

メモにある住所に従って到着した場所は、三階建てで半地下一階のワンルームマンションだった。

この一室に彼は住んでいるらしい。

 

可もなく不可もなく、新しいとも古いとも言えない微妙な作りだが、俺がかつて自立したての時に借りたアパートはこれより酷かった。

先導して階段を上がっていく涼宮さんを俺たちも追いかける。7人では十分に大所帯である。

 

 

「よし、ここね」

 

そういうと涼宮さんは早速ドアノブを捻るが、当然の如くロックされている。開かない。

インターホンをいくら押しても反応はなかった。

 

 

「裏からまわってみるのはどう? ガラスを叩き割れば中に入れるんじゃない?」

 

と物騒なことを言い出した。ここは三階だ。

そんな涼宮さんを見ていつも以上に不安になったキョンは小声で俺に声をかけた。

 

 

「なあ明智。お前の能力とやらでこの部屋に入れないのか?」

 

「残念だけどそれは無理だ。……オレが空間を出入りするためには"入口"もしくは"出口"をそこへ設置する必要がある。つまり、一度行った場所でなければ使う事が出来ないんだ」

 

「そうかい」

 

涼宮さんはこれ以上の抵抗を諦めたらしく素直に管理人に鍵を借りようとした。

すると。ドアの方からカチャリと音がした。

長門がドアノブを握っている。おそらくインチキでもして開けたのだろう。

こちらを無言で見て、ドアを開いた。

 

 

「……」

 

「あら、開いてたの? まあいいわ、さっさと探しましょ」

 

俺には不法侵入の何がいいのかわからなかったが、他の六人に続くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

結論から言わせてもらうと、部長氏の姿は影も形もなかった。

トイレ、ベッドの下、机の下、果てには冷蔵庫や洗濯機まで漁ったのだが見つからない。

涼宮さんは冷蔵庫にあったコンビニで売っているワラビ餅を勝手に拝借、朝比奈さんに毒見させていた。

 

 

「明智君。気づいたかしら」

 

朝倉さんが何やら俺に話しかけてきた。何が原因かは知っているのだが、俺はそれを察知できるような人種ではない。

しだいに朝比奈さんと涼宮さんを除く他の団員が近くに集まった。

古泉は小声で説明する。

 

 

「この部屋には奇妙な違和感を感じます。これに近い感覚を僕は知っているのです、あるいは別のナニカかも知れませんが」

 

「何に近いって?」

 

「閉鎖空間ですよ」

 

俺には違和感なぞわからないのでその辺の調査は古泉と宇宙人に任せよう。

朝倉さんにその旨を伝えると驚かれた。

 

 

「あなたの能力は空間に作用しているはずよ? これくらいの異常はわかると思っていたわ」

 

「過大評価してもらってるようで何よりだよ。それに、前にも言ったと思うけど、オレのは技術だ。種も仕掛けもあるのさ」

 

もっとも、この世界では解明されない技術だろう。

 

 

いずれにしてもこれ以上この場に居るのは危険だ。

キョンが涼宮さんを説得してマンションから撤退する事になった。

涼宮さんも成果が得られない上に飽きていて、「お腹が空いたから今日は解散よ!」と言い出した。

依頼を引き受けておいて無責任ではあるものの、事件はそのうちなんとかなると思っているらしい。

 

 

 

 

 

 

 

それから十分後、団長の涼宮ハルヒを除くSOS団団員、現在六名が再びマンション前に集合した。

 

人間を糧とする巨大化け物アリが相手という訳ではないが、討伐隊が今ここに結成された。

 

 

 

 

今回も出番なしで大丈夫だろ、とにかく自衛を心がけよう。

 

 

そんな俺の。まるでチョコラテのような甘さ。

これがまさにアマチュアレベルの思考停止だと思い知らされるのはここから約十数分後の話だった。

 

 



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第十六話

 

 

 

 

 

 

みなさんは"カマドウマ"という昆虫についてどこまでご存じだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かく言う俺も詳しくは知らないが、便所コオロギという大変ありがたくなさそうな別名を持ち、バッタ目のくせにバッタ科に属していないといったよくわからない昆虫だ。

暗くてジメジメした場所を好むらしく、それを知った時はコンピ研部長氏がまるでカマドウマみたいな根暗な人種だという事を暗示しているのだろうかと思ったね。

カマドウマはまさに雑食で、それこそ人間が食べるものであれば何でも食べるらしい。

とは言え、巨大カマドウマが俺たち人類を食べるのかと言えばそこには疑問が残るのだが。

 

 

 

 

 

……まあ、今回のケースにおいて重要だったのはカマドウマについての予備知識じゃなくて。

 

こんな"知識"がまったくもって"役に立たなかった"、という事実だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部長氏のマンション前で再集合した俺たちだが、朝比奈さんはよく状況が飲み込めていないようで。

 

 

「あの、どうかしたんですか……? 涼宮さんに見つからないように再集合って……」

 

「こいつらはさっきの部屋が気になるみたいです。……そうなんだろ?」

 

キョンが言うこいつらには俺も含まれていたのだが、俺だって閉鎖空間もどきについては何も知らない。

 

 

 

もう一度行けばわかると言う古泉により再び部長氏の自室へ俺たちは舞い戻る事となった。

開けたはずの鍵が閉じているわけもなく、俺たちは部屋の中央、ベッドの横に立ち並んだ。

こんなワンルーム、6人も居ていいような広さではない。満員どころか飽和していた。

その狭さを意識せずに長門は切り出した。

 

 

「この部屋の内部に、局地的非浸食性融合異次元空間が制限条件モードで単独発生している」

 

「…………感覚としては閉鎖空間に近いものです。あちらは涼宮さんが発生源ですが、こちらはどうも違う感じがします」

 

「お前らはいいコンビだ。付き合うといい。ついでだから長門に読書以外の趣味も教えてやれ」

 

専門用語を羅列され、理解が追い付けないキョンはそう言った。

俺だって詳しくはわからん。

 

 

「その件に関しましては後ほど検討させていただきます。それより今はする事がありそうですね。長門さん、事件の原因はその異常空間のせいですか?」

 

「そう」

 

と、一言だけ言うと長門さんは片手を挙げ、目の前の空間を撫でた。

 

 

「はひっ!?」

 

「どこだここは」

 

「侵入コードを解析した。ここは通常空間と重複している。位相が少しズレているだけ」

 

「何か気味が悪い空間ね」

 

「あのようなマンションにこのような空間が隠されていようとは。驚きです」

 

他の五人がそれぞれリアクションをとっていたと思うが、それを俺は覚えていない。

俺は絶句し、硬直していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――こんな場所、俺は知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は何も"涼宮ハルヒの憂鬱"を何度も繰り返し観ていたわけじゃないが、それでもこの異常はわかった。

原作で巨大カマドウマが現出した異空間は、太陽が照りつけ、黄土色の地平が彼方へ広がる、まるで砂漠であった。

 

 

 

 

 

 

だが。

 

 

「ここは……森だ…………」

 

そう、遠くのあたり一面には木々が生い茂っている。砂漠とは正反対の土地だ。

俺たちは"森の広場"とでも呼ぶべきか、木が群生していない、雑草があるだけの、広い空間に立っていた。

そして何より、真っ暗な闇夜であった。

 

 

「ここは涼宮さんの閉鎖空間とは異なるようですね。さしずめ、"似て非なるもの"といったところでしょうか」

 

「空間データの一部に涼宮ハルヒが発信源らしいジャンク情報が混在している]

 

「それはどの程度です?」

 

「数字にすれば1桁もないわ。涼宮さんは引き金になっただけ」

 

「なるほど。そういうことですか……」

 

超能力者と宇宙人二名が考察をしているようだが、俺には今の状況がまるでわからなかった。

 

 

どういう事だ?

考えろ……。

 

だが、いくら考えたところで自問自答の上に焦っていては満足のいく結論が出るはずもなかった。

俺の様子に気づいたキョンが、「おい、明智」と俺に呼びかけようとした。

その瞬間――

 

 

 

 

 

 

――バチィィィ

 

 

 

 

 

 

長門さんがキョンと朝比奈さんの前に立ち、庇うように空中から飛来したナニカから二人を防御していた。

斥力場というヤツだろうか。

闇夜の襲来者は攻撃が通じなかったところを判断すると、すぐさま消え失せた。

赤い残像を残して。

 

 

「ひ、ひぇぇっ!」

 

「おい、今のは何だったんだ?」

 

「わからない」

 

「まるで姿が見えなかったぞ」

 

夜の森にあったのは精々が月明かり程度で、満足のいく視界が得られるはずもなかった。

だが、不意にあたりがぼんやりとした明かりに包まれた。

 

 

「おや。不完全ながらこの空間でも僕の力が有効化されるようです。威力は本来の十分の一かどうか。それに、僕自身も変化できません」

 

「もっと明るくする事はできないのか?」

 

キョンがそういうと、長門さんが何かを唱え、明かりは更に強まった。

 

 

「その球体から発せられる光を増幅させたのね」

 

「光源そのものを生み出すことは不可能。この空間での情報操作能力は限定されている」

 

「なるほど。あちらは奇襲が得意なようですからね」

 

この期に及んで俺はまだ動けずにいた。

何が理由でこの空間へ飛ばされたのか。少なくとも相手はカマドウマではない。

あれは――

 

 

「おい、さっきからどうしたんだ明智」

 

「……いや、ちょっと混乱してて――

 

 

 

そう言いかけた瞬間、右顎に衝撃を感じ、俺の視界は夜空へと切り替わっていた。

 

 

「がっ、げほっ」

 

むせながら背を起こす、どうやら俺は殴られたらしい。

随分と吹き飛ばされた。

にも関わらず口の中が少し切れた程度で済んだのは手加減されたからだろうか。

突然の出来事だったので、打ち身がきついが。

 

そしてその実行犯と思われる朝倉さんが、冷酷な目でこちらを見ている。

キョンと朝比奈さんは彼女の行為に対して驚いていた。

長門さんと古泉は何かを悟っているらしく沈黙のままだが。

俺はまだ思考がままならない。

 

 

 

 

「お、おい。朝倉」

 

「…………あなた、わかっているの?」

 

「はぁはぁ…………。朝倉さん。どういう、ことかな」

 

その瞬間、朝倉さんは俺の襟首をぐいっと掴んで俺を無理やり起き上がらせた。

表情は相変わらずに無表情である。その瞳には、何も映っていないようにも思えた。

 

 

「さっきの攻撃、あなたが決定的な隙を作ったのよ? それがどういうことかわかってるの? 長門さんがいなかったらキョン君達はどうなっていたかわからないわ」

 

「……」

 

「何とか言ったらどうなの?」

 

「……」

 

ふんっ。

と彼女がそう言うと、襟首をつかんだ手を放し、後ろを向いた。

 

 

「アレが何なのかはわからないけど、私と長門さんならアレを相手にしてもこの空間で生き残れるわ」

 

「……」

 

「でも、それでいいのかしら? キョン君や朝比奈さんは何もできないわ。古泉君だって超能力が使えても、結局は人間よ。もしかしたらみんな殺されるかもしれない」

 

「……」

 

「暴走しかけの私を助けてくれた異世界人なら、きっとこう考えるはずよ。『みんなで協力して、ここから生きて帰る』って」

 

「!」

 

彼女の言葉でようやく目が覚めた。

 

 

 

 

 

結局の所。俺はそこから逃げていただけに過ぎない。

あるいはどこか、わざと気づかぬフリをしていた。

原作と言う運命に"予定"はあれど"決定"はない。

その事実を証明したのは、朝倉涼子を助けた、他ならない俺自身ではなかったのか。

涼宮ハルヒという存在を言い訳に使っていただけじゃなかったのか? 俺は。

 

 

――"With great power, comes great responsibility."

 

この世界において俺が持つ"知識"は大きな力となる。

問題は、それを使うかどうかではなく、それを持つ俺がどう生きるかだったのだ。

俺は、いつの間にか、責任から逃げていた。

 

 

だが、もう『迷い』はない。

 

 

 

 

制服にまみれた土埃を払うと、俺はここに居る全員に対して、頭を下げた。

 

 

「すまなかった……! オレが取り乱していた理由は言えない。今、オレが言えるのはこれだけだ。『誰一人欠けずに、ここから出よう』」

 

「やれやれね」

 

朝倉さんはそういうと、呆れた顔で振り向いてくれた。

長門さんは無表情のままだが、他のみんなもどこか安心してくれたらしい。

 

 

「いつまた襲われるかわかりません。何か対策を立てなければ」

 

「長門、朝倉、お前たちはあの正体がわからないのか?」

 

「さあ。私にはさっぱりだわ。よく見えなかったし」

 

「交戦した情報から、180センチメートル前後の体長を持ち、高速で飛来することが可能と推測される」

 

「そんな生物、地球上に居たかしら?」

 

「……オレにはだいたいの予想がついている」

 

俺が小声にも関わらず、そう言うと全員がこちらに注目した。

 

 

「オレの予想があっていれば、の話だけど」

 

「いいから早く説明してくれ」

 

キョンに急かされ俺は説明を開始することにした。

 

 

 

 

 

「アレが世界で初めて現れたとされるのは、1995年、アメリカの海外領土、プエルトリコ島のある牧場付近でのことだ。一夜にして、そこに居た家畜の生き血が全て抜き取られ、死骸となっていた」

 

「血だと?」

 

「ああ……。被害にあった家畜の顎や首には穴が開いていた。その傷が致命傷となったのだろう。しかし、奇妙なことに、現場には一切の血痕がなかった」

 

「だから"抜き取られた"って訳ね?」

 

「そうだ。この事件を皮切りに、同様の事件や、また犯人の目撃例が相次いでいる。プエルトリコに限らず、世界中でだ」

 

「さっきのは人間だってのか」

 

「"犯人"というのは比喩さ。その正体は不明だ。ヤギやブタ、ニワトリ……ついには人間さえもアレに襲われたらしい」

 

「血がありゃ何でもいいってか…………。って、おい、まさか!?」

 

キョンは俺の説明で気が付いたらしい。

伊達に宇宙人未来人異世界人超能力者に憧れていただけはある。

SFの知識は豊富だということか。

 

 

「アレはおそらく"生き血をすするもの"…………。チュパカブラだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……と、言ったところでキョン以外の全員が理解してくれたのだろうか。

古泉は頷いているが。

 

 

「ずんぐりむっくりのコミカルなイラストで描かれている事実とは裏腹に、チュパカブラは体長が1.8メートル前後と大きく、全身が産毛のような薄い体毛で覆われていて、頭から背中にかけてトゲがある。また、コウモリのような翼をもっていて、空を飛ぶことだってできる。さっきの赤い残像は目だ、チュパカブラは暗闇で発光する目を持つ」

 

「確かに条件とは一致するわね」

 

「だがチュパカブラはUMAの一種だろ? 空想上の生物じゃなかったのか?」

 

「さてな。一説には疫病で毛の抜けたコヨーテだとか、人体実験の成果だとか、あるいは異世界人だとか。でもここは現実と異なる空間だし、何が居ても不思議じゃないさ」

 

 

 

 

 

ここまで整理して、俺はこの空間が何故カマドウマが居た砂漠ではなく、チュパカブラの奇襲に適した夜の森なのかがわかった。

この世界で俺がSOS団のホームページを作ったからなのだ。

 

原作で部長氏を取り込んだとされる情報生命体は、その人が持つ畏怖の対象へと変化した。

つまりカマドウマとは一人暮らしで暗い生活を送っている自分自身の投影対象だったのだ。

SOS団のサイトを見ていたであろう部長氏は俺が用意したミステリ関連のページを見ていただろう。

そこにはチュパカブラの内容も克明に記してあった。

闇夜の吸血生物なぞ、恐怖を抱くには充分だ。それに、日本でも目撃例がある。

 

 

 

朝比奈さんはいつぞやチュパカブラについて未来に居るかどうかは『禁則事項』と言っていたが、具体的にそれが何を指すか知らなかったらしい。

今もキョンにしがみついて涙目である。チュパカブラに限らず未来のことはだいたい『禁則事項』なのだろう。

そして、長門さんが俺の情報に補足してくれた。

 

 

「アレはおそらくこの空間の創造主」

 

「チュパカブラがか?」

 

「そう」

 

「部長氏はこの空間のどこかにいるんだろ?」

 

「おそらくですが、彼はあの怪物の中でしょう。そして、アレを倒せばこの空間も崩壊する。違いますか?」

 

「その通りよ。古泉君」

 

まったく。

と呆れたキョンはやがて何かに気づいたかのようにこっちを見て「明智!」と呼んだ

 

 

「というか、俺と朝比奈さんはわざわざここに居る必要がないだろ。化け物退治の足手まといだぜ。お前の能力でどこでもいいから外へ出してくれ」

 

「それができないから困ってる……でしょ?」

 

やはりというか、いつもながらに朝倉さんは鋭い。

俺は推測を交えつつ"臆病者の隠れ家"が使えない理由を説明する。

 

 

「さっきから何度か試しているんだけどね。オレが"入口"を作るには、その場所が地面や壁のように固定されている必要があるんだけど、ここの地面はそれができない」

 

「ここは現実世界とは少々異なるようですからね。我々が立っている場所も、実際には何もないのかもしれません」

 

「勘弁してくれ……」

 

まだまだ情報はあるが、しかし、お喋りはここまでの方がいい。

人間を襲ってくるところから、あのチュパカブラは大層お腹が空いているのだろう。

まだ俺たちを警戒していると思うが、いつ再び襲われるかがわからない。

俺は全員に作戦を伝える事にした。

 

 

「オレがアレの相手をする。……と、言いたいところだがオレ一人じゃ無理だ。空飛ぶ相手に格闘は挑めない」

 

「つまり」

 

古泉が俺に先を促す。

他の全員も俺が言いたいことを理解したらしい。

 

 

 

 

 

 

「ああ。チームでチュパカブラを仕留める……!」

 

 

 

 

 

チュパカブラ討伐隊。

 

ゴーストバスターズならぬ、ゴートサッカーバスターズが今ここに結成された。

 

 

 



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第十七話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チュパカブラが何故、かくも恐れられているか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

闇夜に煌めく深紅の眼光や、空を飛ぶことや、吸血のための鋭い牙や爪をもつことでもない。

まあ、それは確かに恐ろしい。畏怖の対象と成り得る。

しかしながら、もっと、もっと、単純なことなのだ。

 

 

 

 

チュパカブラは力が強い。

 

 

 

 

 

チュパカブラは脚力だけで、5メートル以上も軽々と飛び上がる事が出来る。

UMAに生物学が通用するのかは甚だ不明だが、チュパカブラは亜人型だ。

人間の脚力は、腕力のおよそ5倍。少なく見積もっても4倍は超えるとされている。

つまり、自重を踏まえても、逆立ちして1メートル以上は上昇できるほどの腕力を持っているのだ。

 

だからこそチュパカブラは恐ろしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「明智よ。チームで戦うと言ってもだな、……俺と朝比奈さんは残念ながらお前たちに何も貢献できないと思うぞ」

 

申し訳なさそうに頭をかきながら、キョンは俺に向かってそう言った。

彼の横に居る朝比奈さんも同様で、「すいません……お役に立てなくて」と悲しげな声を上げている。

だが、俺のチームプレーという言葉の意図をこの場に居る彼ら二人以外は確かに理解していた。

 

 

「いえ、それで構いません。むしろそれがいいのですから。そうですよね? 明智さん」

 

古泉は俺に続きを促した。

慌てずとも説明してやるさ、作戦をな。

 

 

「チュパカブラは"吸血"という本能に身を任せて行動して、その犯行は無差別的に行われている。つまり、ここに居る全員がターゲットという訳だ」

 

「ああ、それぐらいはわかるぜ」

 

「このまま俺たち全員が固まっていたとしても持久戦となって効率がとても悪い。奴の移動速度を見ただろ? 何度も不意打ちに対応できるとは限らない」

 

「そこで明智さんが提案した"チーム"なのです」

 

「具体的なプランはこうだ。オレと朝倉さんがチュパカブラを追いかける、キョンと朝比奈さんは長門さんに守ってもらいつつ、俺たちの後を追う」

 

このプランは、このままではただ単純に頭数を減らしただけとなってしまい。効率が悪い。

先ほど言ったように、長門さんも必ず守り切れるとは限らない。

 

 

本来ならば持てる限りの最大戦力で仕掛けるのが、複数対個における戦闘の基本。

しかし、今回に限り、非戦闘要員が6人中2人と全体の三分の一を占めている。

 

チュパカブラは背水の陣が通用するような相手ではない。

少なくとも知能指数が低ければ、既に世間に正体が明らかとなっているはずである。

この場における最高戦力である長門さんでなければ、護衛役は務まらない。

だからこそ――

 

 

「そして古泉が先導するオレ達二人と、長門さん達三人の間に入る――」

 

「つまり、アレがどちらのチームを叩いても構わない。そこを僕が攻撃する"はさみうち"の形になる訳です」

 

「その通りだ。チームの最大の目的は、どちらでもいいからチュパカブラの動きを止めてやる事だ。そうすれば古泉がトドメを刺してくれる」

 

「いやはや。責任重大ですね」

 

古泉が茶化した様子でそう言うが、今回の彼の表情は真剣そのものであった。

 

 

「チームプレーにおいて大事な点は一つだけだ、くれぐれも勝手な行動をとらないでくれ。最悪の場合、全滅に繋がる」

 

「……やれやれ。囮ぐらいにはなれってワケか」

 

「ぐすんっ。私も頑張ります!」

 

涙目だった朝比奈さんもいつぞやのようにきりっとした表情である。

 

 

「移動範囲は古泉を基点に、古泉と各チームの連携がとれるギリギリだ。オレも深追いはしないし、長門さんも必要以上の攻撃は避けてくれ。防御の隙を突かれかねない」

 

「わかった」

 

「では、追跡を始めるとしましょうか」

 

そして、チュパカブラ討伐作戦が開始された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無音の森の中で聴こえる音など、俺たちが草木をガサゴソとかき分ける音ぐらいだった。

こんな中にチュパカブラが潜んでいるというのだから、仮に実在してたとしても見つからないわけである。

人間の声の届く範囲は状況によって異なるのだが、このように木が生い茂っている森の中では音が反響する。

よって、今は風が吹いていないとは言え、大事をとって古泉から離れていい最大距離を半径100メートルに設定した。

 

 

確かに、こんな状況は想定していなかった。

しかし。

 

 

「まさかの為に持ってきた、こいつを使う羽目になるとはね……」

 

俺は七月の中ごろと暑い時期にも関わらず、今日はブレザーを着用していた。

有事の際に皮膚の露出を控えたいという意識もあったが、他にも意味があった。

 

 

 

 

 

――それはチュパカブラ討伐のための追跡が宣言された時であった。

俺は着込んでいたブレザーを脱ぎ、キョンへ投げ渡した。

 

 

「キョン、悪いが預かっていてくれ」

 

「ああ。構わねぇが、……それは何だ?」

 

キョンが指した"それ"とは俺の夏服の上にある、左胸に装着されていたナイフホルダーであった。

 

 

「見ての通り、武器さ」

 

「それが明智君の"奥の手"なの?」

 

「朝倉さんのご想像にお任せするよ」

 

俺は、仮に自分が戦闘する事になった場合を想定して武器を用意していた。

巨大カマドウマ相手には無手で挑むよりこれを使う方がまだマシだと判断して、マンション前に再集合するまでの間、密かにロッカールームから取り出したのだ。

 

"奥の手"などではなく、どちらかといえば"隠し玉"なそのナイフ。

それは、過去にとある大量殺人鬼が犯行の記念として人の命を奪う度に製造したと言われている、曰く付きのナイフだ。

名をベンズナイフといい、この世界の技術で作られた武器ではないのだが、その話は今はいいだろう。

 

 

 

 

俺と朝倉さんが立てた追跡チームの作戦は単純明快。

空中の敵も攻撃できる朝倉さんがどうにかチュパカブラを引きずり降ろし、俺が古泉の攻撃のために隙を作る。

そして恐らく、チュパカブラが次に狙うのは俺ではなかろうかといった予感もしていた。

何故ならば一度キョンと朝比奈さんへの奇襲が長門さんによって阻止されている。

チュパカブラの知能指数がどれほどかは未だ不明だが、確率的に次は俺か。或いは古泉だ。

 

 

 

 

そして、追跡を開始してから十分ほどが経過したその時である。

俺の後方から人間のものではない金切り声が聴こえた。

それはチュパカブラ特有の泣き声、「ルーンヤッ」だった。

狙われたのは――

 

 

「古泉!!」

 

俺は後ろを振り返り、すぐ傍にいた朝倉さんに「古泉の援護を頼む」と指示。

彼女はいつものナイフを構えて、攻撃の隙を図った。投げるつもりらしい。

 

 

「おや、お次は僕が標的ですか。ありがたいですが、役者不足だと思いますよ」

 

そう言うと古泉は上空から襲い掛かる吸血生物の爪による一撃を半身になって回避。

その体勢を崩さぬまま、右手に持つ光球を投げずにそのまま振りかぶる。

カウンター。光球を直でぶち込むつもりらしい。

 

 

ギッ?!

 

と奇妙な声を上げたチュパカブラは、それを察知したのだろうか。

地面に着地するや否や大きくジャンプした。あれが持ち前の跳躍力か。

古泉の一撃は空を切る。

そのままチュパカブラは空中へ逃れ、再びいなくなってしまう。

 

 

「すみません。取り逃がしてしまいました」

 

申し訳なさそうに一礼する古泉。

動きが制限される森の中を自由に飛び回る相手。

楽な相手ではないのは明らかだった。

 

 

「うーん。当たらなかったなぁ」

 

そう言った朝倉さんの手にはナイフが無い。

しかし手を軽くスナップすると次の瞬間にはナイフが握られていた。

いつも思うがそれはどういった原理なのだろうか。

 

俺が確認できた範囲では少なくとも二本以上、今の攻防でナイフが投擲されていた。

一本はチュパカブラが古泉に接近し、地面に着地した瞬間だ。そのナイフは古泉の近くにある木に刺さっている。

そして空中へ逃れた時にもナイフを投げていたのが窺えたが、効果はなかったらしい。

チュパカブラは散弾銃を持ったハンターですら仕留められない相手なのだ。

 

 

「次は当てるわ」

 

「別に、アレを倒してしまってもいいんだぜ」

 

「ふふ。美味しい所は残しておくものよ」

 

全く以て、嬉しくない提案である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チュパカブラが逃れた方向を更に追跡すると、やがて水辺に出た。

見たところはそこまで深くなさそうだが、何かの拍子で足場を取られるリスクはある。

よく、水中の丸石に滑って転ぶことがあるだろう? ここ一番でそれは勘弁してほしいが。

水中での動きは森林以上に制限される。間違いなく、奴はこの場所で俺たちを狩る心算なのだ。

 

 

「全く、どうしようもないな……。古泉、チュパカブラはここで再三襲撃してくる可能性が高い」

 

「心得てます。超能力者の名誉挽回、と行きたいものですが」

 

 

 

 

俺はチュパカブラを誘うために水辺へと入り先導、朝倉さんが俺の数メートル後方に続き、古泉は長門さん達と一緒に川に入らずにほとりで警戒している。

 

やがて一番深い所まで来たのだろうか。ひざ上から腰近くまで、俺の下半身は浸水していた。

その時である。水辺に群生している細い木の上から泣き声が聴こえた。

そしてその木に赤い残光を残し、上空からこちらへ接近する。

 

 

ルーンヤッ、ルーンヤッ。

 

 

 

 

 

 

 

 

――勝負は一瞬だった。

 

後ろに居た朝倉さんは両手に持つナイフをそれぞれ投擲し、チュパカブラの脇下にある翼を引き裂く。両翼だ。

俺はナイフホルダーからベンズナイフを抜刀、右手で逆手に構える。

空中で制御を失ったチュパカブラは落下しながらも長い舌を伸ばし、俺に突き刺そうとする。

ヤツは牙や爪以外にも、先端が鋭く発達した数メートルにも及ぶ細長い舌を持っている。

一説にはその舌で獲物の血を吸うとも言われているが、おそらくは手段の一つなのだろう。

 

その攻撃を右に回避し――左頬に掠ったが問題ない――ベンズナイフで舌を切り裂く。

グガッ。と呻き声を上げたチュパカブラは着水するや否や俺に掴みかかろうとする。

力押しじゃ俺はかなわない、朝倉さんが次を投げるより早く俺はチュパカブラの一撃を貰うだろう。

 

だが、突如としてその動きが硬直した。

 

 

「やれやれ……。"毒"が効かなかったら詰みかけていたよ」

 

ベンズナイフには288本と様々な種類があるのだが、俺が持つのは中期に製作されたと言われている。

魚の骨が曲線を描いているかのような特徴的なエッジ。そこには、ごく少量であろうとクジラを動かなくさせる程の神経毒が仕込まれているらしい。

 

つまり、このメンバーを相手に、空が飛べなくなった時点でチュパカブラは"詰んでいた"のだ。

 

そして、その決定的な隙を見逃さずに古泉が光球を空高く放り投げた。

巻き込まれたくないので俺は全力でその場から逃げる。

……これが終わったら、靴下を買い替える必要がありそうだな。

 

 

 

 

「ていっ!」

 

原作と同じ、バレーボールサーブの要領で放たれた光球はチュパカブラに見事命中する。

 

 

「これで終わりですか?」

 

「そう」

 

長門さんが肯定すると、チュパカブラの身体は霧散し、森の風景も消えていく。

そこには、俺たちの他に仰向けに気絶しているコンピ研の部長だけが取り残された。

部長氏の自室に戻ってきたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「約二億八千万年前のことになる」

 

それからの長門さんの説明は原作通り。

太古の地球へやってきた原始的な情報生命体とやらが長き眠りから目覚め、コンピュータネットワークを依り代にしたらしい。

涼宮さんが描いたエンブレムは召喚魔法陣の如く起爆剤となった上に、俺のサイト内容もあってチュパカブラの姿になったという、俺の予想通りであった、

 

しかし、一連の説明にキョンは納得がいかなかったらしく。

 

 

「おかしなことがある。……俺はハルヒが前衛的なアートに勤しんでいた場に居合わせたが、何も起こらなかったぞ。だいたいからして絵が完成した時に何故そいつは出てこなかった?」

 

「あの部室はとっくに異空間化してますからね。我々が特殊だというのもありますが、やはり涼宮さん本人によるところが大きいでしょう。様々な要素や力場がせめぎあい、飽和して、かえって普通に感じてしまうのです」

 

「文字通り"飽和"しているから、チュパカブラは出てこなかったという訳か」

 

「その通りです」

 

俺が部室に設置した"出口"も、その要因の一つなんだろうな。

 

 

 

 

その後、長門さんの解説によって今回と同様の被害があることが発覚。

8名の被害者うち5名が北高生で、他の3名を助けるには新幹線に乗らないといけない。

どうせ新幹線の代金は『機関』持ちだから気にしない。

帰りは俺の"臆病者の隠れ家"を使わせても構わない、ちゃっちゃと帰りたいのだ。

このための出口は長門さんの部屋に設置した。

 

キョンは涼宮さんをコントロールできなかった尻ぬぐいをしたいらしく、朝比奈さんもやる気を出しており、二人とも討伐へついてくるらしい。

こうして再び、異空間でUMAと格闘することになったのだ。

 

 

……その話は割愛させてもらおう。

まあ、雪山で対峙したビッグフットは強敵だったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ。朝倉さん」

 

「何かしら? 明智君」

 

そんな激闘の日々は夏休み前の期間にどうにかこうにか完了し、今日は終業式。

すっかりいつも通りになってしまったが俺は朝倉さんと登校していた。

 

 

「この間のことなんだけど、そういえばまだお礼を言ってなかったよ。……俺を殴ってくれて、ありがとう」

 

立ち止り、彼女の前で頭を下げる。

客観的に登校中の風景とはとても思えない。

だが、暫く反応が無かったので顔を上げると朝倉さんは不思議そうな表情をしていた。

 

 

「あなた殴られるのが好きなの?」

 

「まさか。勘違いしないでくれ、そういう意味じゃないよ。オレが感謝してるのは情けないオレを矯正してくれたことだよ」

 

「別に……何故ああしたのかは私にもよくわからないわ。ただ、あの程度で明智君に死んでもらっちゃ困るの」

 

「そうかな。オレが死んだら朝倉さんが困る事ってなんかあったっけ?」

 

俺がそう言うと朝倉さんは「はぁ」とため息を吐いた。

呆れた表情で彼女は説明する。

 

 

「私個人を守ってくれるのは明智君だけよ。今も依然変わりなくね。それに、何より約束したじゃない」

 

「約束?」

 

 

 

 

 

「私と一緒に死んでくれる? って」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はその時、一週間以上も前にあった原作剥離の時よりも硬直していた。

 

そういやそんな事言ったっけ。

確かに。

 

 

……おい、ちょっと待て。

 

 

「そのお願いって、"あの時"だけだろ?」

 

「あら。私そんな事一度も言ってないわ」

 

話術もここまでくれば詐欺だ。

大体、涼宮さんに殺されるのが嫌だから俺にそう振ったんじゃなかったのか。

 

 

 

 

 

明日からは合宿だというのに。

朝倉さんは俺の悩みの種を増やすのがどうしてこうも上手なんだろう。

 

 

「まったく……」

 

 

 

 

 

 

「「どうもこうもない」」

 

 

 

 



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『 "孤島" 症候群 』
第十八話


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺がSOS団団員として自主的に原作に関わる以上は、俺も様々な体験をしてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今にして思えばだが、心構えが甘かったりだとか、覚悟と妥協をどこか勘違いしていただとか。

まあ、俺自身への落ち度を列挙すればキリがない。

過去の後悔とは得てしてそういうものだからだ。

そして、俺が自分自身の過去を乗り越えるのはここからもう少し先のことになる。

 

 

しかしながら、茶番中の茶番と言える出来事は、後にも先にも"この件"ぐらいだったと言える自信がある。

 

 

 

俺の"臆病者の隠れ家"は、異空間作成、疑似空間転移の2つを可能としている。

こんな技術を知ったら世のミステリーやサスペンスに代表される推理小説作家は口を揃えてこう言うはずだね。

 

 

「なんだそれは、ふざけるな!」

 

……と。

 

 

 

つまり、俺が居る以上はだいたいの事件のトリックが可能になるし、アリバイについては言うまでもない。

文字通りの"推理殺し"なのだから、やられた方は楽しくもなんともないだろうよ。

 

賢明な皆さんならば"この件"の詳細については、よくご存じだと思う。

だからこそ、今回ぐらいは趣向。あるいは視点を変えて、そのリアクションを楽しむというのはどうだろうか?

 

 

 

 

物事を知るには広い視野と、見落とさない洞察力。

そして何より多くの時間が必要だ。

でなければ、どんな事象もその一部しか捉えられない。

正に氷山の一角。

 

 

俺の能力である"臆病者の隠れ家"も、本質的にだが、俺が認識していた物と異なる別の"ナニカ"がルーツだったのだが……。

 

 

 

 

 

……しかし、その件は今回において重要ではない。

俺が話をしたいのは未来でも過去でもなく、"この件"についてであり。俺に"推理殺し"としての役割があればそれでいい。

サーカスのピエロはジャグリングも行うが、その役割は司会であり、早い話が道化師の俺は主役のお邪魔虫なのだ。

 

 

どうやら"この件"の仕掛け人もそれを望んでるらしい。

俺に好き勝手されちゃあ計画も、どうもこうもないのである。

 

 

 

 

だが、幕開けの別れをする前に、これだけは俺に言わせてくれないだろうか。

 

 

「あれは夏真っ盛りの七月中旬頃であった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれは夏真っ盛りの七月中旬頃であった。

太陽は飽きもせず連日と照り続けていて、まったく、誰と闘ってるのかね。

 

 

俺はいつものように不法占拠している文芸部部室で熱いお茶を飲んでいた。

言うまでもなく朝比奈さんが淹れてくれたその熱いお茶は、こんな毎日において格別の楽しみだ。

別に汗をかいて発散させようという事ではない。何故ならばとても美味しいからだ。

朝比奈さんの慈愛に満ちたそのお茶を飲むと、今までの疲れが全部吹っ飛んで、驚くほどの元気が体の芯から湧いてくる。

信じられないぐらいにいい香りで、また明日から頑張ろうという気持ちになる。

まさに"命の水"だ。

 

しかしながら、そのような素晴らしい体験をしたとしても俺のテストの結果が何一つ改善される訳ではない。

補習という宿命からは逃れられない。こんな時はあれだ、現実逃避をする手に限る。

今この瞬間から現実が崩壊してくれないだろうか、海底からのエイリアン襲来でも、ドラゴンが新宿に出現でも構わない。

 

 

「あの……難しい顔してますけど。お茶、美味しくなかった?」

 

「とんでもない。相変わらずの甘露でしたよ」

 

そんな俺の妄想なんざ、朝比奈さんの不安な顔を見たら一刻も早く中断してしまうね。

俺の嘘偽りない率直な感想に対し夏服メイド姿――生地が薄手らしい――の朝比奈さんは安心した様子で、くすりと小さな吐息を漏らした。

そんな俺と朝比奈さんの至福のひと時を空気を読めずに邪魔する不届き者がいた。

 

 

「期末テストはどうでしたか? 僕の方はまずまず、といったところでしょうか」

 

うさんくさい笑顔で無駄に軽快な声を出し、俺にとって知りたくもなんともない情報を与えてくるのは古泉だ。

お前はそこで一人モノポリーにでも興じていればいいさ。百歩譲って俺と話がしたいのならテストの話を持ち出すな。

 

 

「これは失敬」

 

おかげさまで再び精神世界へトリップしかけてしまった。俺が現実を放棄したらここの集まりはおしまいだ。

長門はパイプ椅子の上でえらくぶ厚いハードカバーを広げていた。

 

 

「…………」

 

眼鏡の奥に潜む視線からは感情が読み取れないが、思うに長門は本ばかり読んでいるから目が悪いのではなかろうか。

というか、宇宙人でも目が悪くなるものなのか。どうにも情報操作とやらは謎の技術力である。

 

 

「……」

 

そしてもう一人の無言の主は俺と同じクラスの明智だ。

さっきから何かを必死にメモしているようで、俺はちらっと覗いてみたのだがメモにはよくわからない象形文字が羅列されていた。

古代インド人さながらの記号たちを見た俺はむしろこいつの方が宇宙人なんじゃないかとさえ思えたね。

その明智と付き合っている、これも同じクラスの朝倉は他の女子から借りたらしいファッション雑誌を独り言をしながら物珍しく眺めていた。

 

 

「ふーん」

 

俺は朝倉に限らず団員の私服姿など市内散策の折ぐらいしか見ていないのだが、品性のない俺から見ても長門を除くみんなは気を使っている方だと思う。

長門と違って彼女はファッションやファッドに興味があるのだろうか、今度明智にその辺りを聞いてみるか。

いずれにせよ人間社会のいい勉強にはなっているのだろうさ。

 

 

 

 

さて、今更ながらこの文芸部を乗っ取っているSOS団は俺以外の団員全員が例外なく"普通じゃない"。

 

 

天使のような笑みを浮かべる朝比奈みくるさんは未来人で俺なんかついこの間はタイムスリップを体験した。

朝比奈さんの更に未来の姿である朝比奈さん(大)とも対面したことがあるのだが。正直、たまりませんでした。

 

 

夏だというのにやけに爽やかな優男、古泉一樹は超能力者で文字通り巨大な敵との戦いに明け暮れている。

そのくせよくわからない秘密結社『機関』とやらに属しているので、話だけではどちらが悪役かがわからない。

 

 

常に寡黙で読書の方に明け暮れているのは宇宙人こと長門有希で先日のUMAを模した情報生命体とやらの戦いではその宇宙的片鱗が窺えた。

俺じゃなくてもバリアなんか出された日には地球人に理解できない宇宙的な技術がそこにはあると思うさ。

何よりモスマンを相手した時に彼女が居なかったら俺たちは今頃どうなっていたかがわからない。

モスマンが翼を攻撃されてもなお飛べるとは驚いたね。

 

 

そして謎多き異世界人、明智黎。

俺以上に無気力そうな顔のくせに口から出る言葉はやけに前向きなものが多い。

明智はよくわからない異世界的技術で異空間を作ったり移動したりができる。

しかしながらUMAを相手に立ち回ったのを見るに、こいつも只者ではないのは確かだ。

確かに謎といえば他の団員も謎があるのだが、明智は必要以上の事を言わない奴だった。

 

なんと古泉によると彼のような異世界人は明智一人だけらしく、勢力や、まして後ろ盾などない。

未来人は何やら上層部と言える組織があるみたいだし、宇宙人は世界中に紛れているらしい、古泉には『機関』がある。

ただ、スタンドアロンな異邦人、明智黎について俺が確信を持って言えるのは"悪い奴"じゃないって事ぐらいだ。

友人としちゃそれで充分だろう?

 

 

その彼女である朝倉涼子も長門と同じく宇宙人らしい。

クラスで言えばハルヒと同じくらいの北高でもトップクラスの美人で、何よりハルヒと違って人当たりがいい。

人気が出るのも当然で、そんな彼女が明智と付き合ってる事が発覚した時は全校中で騒ぎになった。

内情を知ってても俺が明智に、ほんの1ミクロン程度しか同情できないと思うのも当然だろう。

あんな美人さん相手に一体何を考えているんだ。忌々しい、クソ忌々しい、忌々しい。

まあ、流石に高速で明智を殴り飛ばした時は俺もビビったが。

 

しかし、朝倉と長門は同じ宇宙人とはとても思えない程に全てが正反対である。

こういうケースもあるのだろうか。

俺はいつぞやの来訪者、喜緑江美里さんを思い出したがそれでも参考にならず思考を中断した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小腹が空いた俺は購買部から仕入れたハムパンで飢えを凌ぐことにする。

お茶が進む。

 

――それにしても全員ヒマである。

テスト期間中も集まっていた上、苦しんでない様子を見るにこいつらは俺と頭の構造が違うらしい。

理不尽ここに極まれり、だ。

 

 

「あたしもお弁当にしますね」

 

朝比奈さんは自分の分のお茶と、とってもキュートなお弁当箱を用意すると俺の向かいに着席した。

ああ、その一挙一動に癒されます。

 

 

「僕ならお構いなく、どうぞ昼食の方をお取りください。学食で済ませましたので」

 

そうかい。俺は気にもしてなかったがな。

長門は読書に集中しているのかそれとも既に何か食べたのかはしらないが、明智と朝倉のペアは既に朝倉のお手製弁当を食べてきたらしい。

授業短縮で午前で終了するようになってからは朝倉が毎日お弁当を作っているそうだ。

その楽しそうな光景を考えるだけで、そこの倦怠男に殺意が湧くね。ちくしょう。

やがて朝比奈さんがふりかけがかかった白米をつついて

 

 

「涼宮さん、遅いですね」

 

「さあ。どっかその辺でバッタやカブトムシを探してるんじゃないですか。夏ですし」

 

「涼宮さんなら先ほど学食でお見かけしましたよ。食欲旺盛極まれりといったご様子で、人間の神秘を感じさせましたね」

 

「あいつの胃袋に興味なんざないさ。夕食まで食堂に居てくれていいんだぜ」

 

「そうもいかないでしょう。何やら今日は重大発表があるそうで」

 

あいつの思いつきとやらが某忍者養成学校の学園長と同レベルだという事をこいつは理解していない。

ハルヒがやってきたことが有益であったためしがないからである。お前の記憶は一晩で消し飛ぶものなのか?

 

 

「どうしてお前にそれがわかるんだ?」

 

「さあ、どうしてでしょう。お答えしても構いませんが、ここはやはり、彼女の口から直接耳に入れるべきでしょうね」

 

「お前がそうする事で少しでも重大発表の内容が改善されるのであれば永遠に黙っててくれ」

 

「これは手厳しい」

 

手厳しいも何も当然の対処である。

たった今、ここで、俺の平穏は消え失せたのだ。

どうしてくれる、と言おうとした俺のセリフはいつも通りに勢いよく開かれたドアの音に遮られた。

 

 

「みんなそろってるわね! 今日は重要な会議の日だからね、重役出勤なんて平社員としてあるまじき行為よ。あなたたちにもそろそろ団員としての自覚が芽生えてきたみたいで、とてもいい兆候よ」

 

今日が会議だというのは少なくとも俺は初耳だし、お前がいつの間にか設立してた会社に入った覚えもない。

そしてその兆候とやらは徴候に他ならない。いつぞや谷口が言ってた涼宮毒のである。

 

 

「遅かったじゃないか」

 

「学食でたらふく食べるコツはね、営業終了間際に行く事よ。タイミングが命なの。うまくいけばおばちゃんが余りそうな分もオマケしてくれるわ」

 

「ラッキーなことで」

 

「まあそんなことはどうでもいいの」

 

「お前が言ったんだろ」

 

ハルヒの反応はない、無視である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、ハルヒによるいつもの朝比奈さんイジりが行われた後、会話の流れで重大発表とやらがあった。

 

 

「夏休みには合宿にいかなければならないのよ!」

 

「合宿、だ?」

 

「そうよ」

 

合宿というとあれだ、運動系に限らず放送局や吹奏楽部でも行われている合同宿泊研修訓練のことだ。

しかし俺たちのどこに合宿をする必要があるんだ。まさか異形の生物を捕獲しろとでも言うのか、もうUMAを見るのは懲り懲りだ。

 

 

「……その合宿とやらで、どこへ行こうと言うんだ?」

 

「孤島に行くつもりよ」

 

それも孤島に"絶海の"がつくらしい。

行きたいなら勝手に行けばいいさ、お前のロビンソン・クルーソーごっこに付き合う必要がどこにある。

 

 

「この夏休みは海、いえ、孤島に行くわよ!」

 

何やら俺の言葉を無視して雪山だの冬休みの楽しみだのと言ってた気がするが、合宿は既に決定事項らしい。

確かに夏と言えば海なのはわかる。魅力的だからな。

 

 

「で、そこまで言うからには絶海の孤島に海水浴場があるんだろうな?」

 

ここまで振っておいて崖から着水しろだなんて言われたら俺はここから飛び降りてでも合宿に参加しないぞ。

 

 

「もちろんよ! そうでしょ、古泉君」

 

「ええ、あったはずですよ。砂浜だけが広がる無人の海水浴場ですが」

 

ちょっと待て、なんでお前が合宿の話に関わっているんだ。

 

 

「それはですね――」

 

「今回の合宿地は古泉君の提供だからよ! この功績は団長である私に認められ、あなたを二階級特進してSOS団副団長に任命するわ!」

 

「拝領いたします」

 

その手書きで「副団長」と書いてある腕章なんざ羨ましくもなんともないからこっちを見るな。

 

 

「というわけで三泊四日の豪華ツアーです。今から張り切って準備しときなさい!」

 

どういうわけなんだろうな。

 

 

 

 

 

 

その後の補足によると、どうやら古泉の遠い親戚の富豪さんとやらの提供らしい。

無人島を丸々買い取って別荘を建てたはいいのだが、その館の落成式に行ける人がなかなかいないので、古泉まで話が回ってきたとのことだ。

 

……どこまでこいつの話を信用できるのかね。

いかにも『機関』とかいうアホの集まりが関係してそうだ。

しかしながらハルヒはノリノリだし、俺の頼みの綱であった明智さえもハルヒの話に頷いている。

とどのつまり、毎度のことだがハルヒがやりたいように俺たちも振り回されるのだ。

 

 

「そういうわけだから、行くわよ孤島! そこにはあたしたちを何かが待ち受けているの、きっと面白いことが。あたしの役割もとっくに決まっているのよ!」

 

そういって団長机から取り出した腕章には「名探偵」と殴り書きされていた。

どうでもいいが、頼むから世界が滅ぶような謎だけは望まないでくれよ。

冷蔵庫のプリンが減っただとか、俺の手に負えるヤツにしてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――SOS団団長、涼宮ハルヒ。

彼女にはどうやら願望を実現する能力があるそうで、この部室に宇宙人未来人異世界人超能力者がたむろしているのも。

 

 

「あたしのところへ来なさい!」

 

と望まれた結果らしく、なんともまあわざわざハルヒの前へ行く方も行く方である。

 

そのくせ自分やその周囲の特殊性に無自覚らしく、こいつの知らないところで世界が滅びかけているのだから、困るでは済まされない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく、これでわかったろう?

 

 

この部室に居る普通の人間は俺だけで、何故俺がここに居るのかもよくわからんのが現状だ。

 

"鍵"だとか言われても俺は特別な鍵なんか持ち合わせていないからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてやれやれ。

わかりきっていたことだが、合宿はロクなもんじゃなかったさ。

 

 

 

 

 



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第十九話

 

 

 

 

 

 

 

ハルヒによる重大発表があった日の部活が解散した後。

 

俺は古泉に尋問を試みたのだが、問答の末に満足の行く回答は得られなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この件に『機関』は無関係ですよ。報告はしましたが、それだけです。僕は超能力者集団の一員であると同時に一介の高校生です。今回の件も星の巡りというものでしょう」

 

なるほどな、まあいいさ。

俺も一々と聞きたくもないふざけた話なんて聞かない事にするさ。

だが星の巡りとやらがアテに出来ない事だけは確かだ。

 

 

どうせこれも恒例のハルヒが望んだから云々理論なんだろ? 万歳万歳だ。

合宿にあいつがどんな期待をしようが勝手だが、「名探偵」ね……。

殺人事件を望むほどハルヒが狂気に満ちていない事を俺は期待するよ。

何故ならば"絶海の孤島"と、合宿の場所が場所である。

事件におあつらえ向きの合宿地だと俺は全くもって思いたくないね。

 

 

 

そんなことより夏だ海だの三泊四日。

なんと砂浜までしっかりとあるのだ、合宿は半ばと言うか100%に強制参加なんだし最低限は希望的に考えよう。

そこに海があるからには即ち泳ぐのであって、更にそこには水着があるのだ。

 

SOS団の団員うち半分以上は女子だぜ? 

しかもみんな美的ランクが高いときた、慰安旅行にはもってこいじゃないか。

ハルヒや朝倉を追いかけるほど俺は命知らずじゃないが、せめて朝比奈さんの水着姿を拝む準備くらいはしておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

合宿についてだが、ずいぶんと虫のいい、あるいは気前がいいことに食費を含めた宿泊費用は全てロハだと言うのだ。

俺たちの負担は往復のフェリー代くらいである。

だがそれは夏休みで料金が上乗せされている事を加味しても大した金額じゃない。

 

 

 

そのようないきさつで、俺たちは現在フェリー乗り場で乗船時間を今か今かと待ちわびているのだ。

しかしながら、ハルヒは行き急いでいるのか生き急いでいるのか知らないが、どうしても早く合宿に行きたいらしい。

何せ一学期の終業式は昨日で、今日は夏休みの初日。

合宿をこんな時期にやる部活動なぞ俺は一度も聞いたことがない。

古泉の親戚さんはいつでもいいとの話だったが、ここまでせっかちだとは思ってもいなかったんじゃないかね。

 

 

「フェリーなんて久しぶりね」

 

ああ、そうだな。俺だってまさか高校の、それも1年生でまた乗る事になるとは思わなかったよ。

そのまま海でも眺めながら一日中大人しくしててくれ。外に出てこそのサンバイザーだ。

 

 

「おっきい船ですね。どうやって水に浮いてるんだろう」

 

白いサマードレスと麦わら帽子、やはり朝比奈さんは何をお召しになられても栄えます。

こんな中古品もいいとこのフェリーに感動してるあたり、未来技術の発達とやらが窺えるね。

時間遡航さえ可能な彼女にしてみればこの時代はさながらフリントストーンだろう。

 

 

「……」

 

その後ろで長門はぼんやりと虚空を見つめている。視線の先にあったのは船の横にあるこのフェリーの運営会社名だ。

こんな時でも制服なのだろうかと俺は考えていたが珍しいことに長門は私服だった。

ライトグリーンをベースとしたクロスチェックのノースリーブ。日傘も差しており、清涼感を感じさせた。

市内探索の時もこれぐらいのコーディネートを期待してるのだが。

 

 

「いやあ、晴天に恵まれてよかったですね。クルージングにはうってつけですよ。残念ながら船室は二等ですが」

 

それで充分ってもんだぜ。

ベージュのサマージャケットを着込んだ古泉が俺の一言に「そうかもしれませんね」と応じる。

 

 

「通貨とは、本質的に無価値であり、流動的な媒体物である。……要するに安けりゃそれでいいのさ、オレは大金を持ち合わせちゃいない」

 

俺と古泉のやりとりに意味不明な講釈で入ったのは明智だ。

グレーのワイシャツ――詳しくは知らないが安物じゃなさそうだ、オーダーだろうか――にブラックのジーンズ。

そしてこれまたそこそこの値段がしそうなサングラスをかけている。アスリートが使うようなやつだ。

普段の無気力さからは想像できないが、こいつは意外にもこういう事にお金をかけるタイプなのだろうか。

 

 

「ずいぶんと甲斐性がなさそうな事を言うのね、明智君」

 

最後に明智の横で呆れた表情をしているのは朝倉だ。

白のTシャツの上に青のキャミチュニック、下はショートのレギンスと、落ち着いた大人な恰好である。

 

 

 

と、合宿メンバーはこれで全員だ。

早朝に家を出る折に、妹に泣きつかれて勝手に付いてきたのは夢だ。

そのせいで集合時間に遅れたのも気のせいだ。

朝比奈さんとすぐそこで戯れている俺の妹は幻覚なのだ。

 

古泉が言ったように、俺たちSOS団に割り当てられた客室はパーテーションすらない大部屋だ。

俺たちが乗るのはもともとハイシーズンすらないようなフェリーなのだが、そこそこの乗客は窺えた。

そして、朝比奈さんと楽しい会話を弾ませているとまもなくフェリーが到着した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愚妹のおかげで遅刻する羽目になってしまった俺はSOS団恒例の罰ゲームである奢りをさせられていた。

俺のお土産代金は8人分の幕の内弁当の前に消え去ってしまったのである。

せめて朝倉がいつものように明智との仲良し弁当を用意していれば心なしか負担は軽くなったのだが。

まあ、三泊四日の旅で弁当箱なんか邪魔になるだけだからな。

 

 

 

ハルヒと古泉の雑談によるとこれから六時間で港に到着し、そこから知り合いが用意した専用クルーザーに乗り換えて約三十分。

いかにもスケールが大きい旅ではあるが、問題はこの集まりが合宿と呼べるようなものではないという一点に集約されるだろうよ。

 

明智の野郎は弁当を食べ終わるや否や、いつも使っている黒色のメモ帳とペンを持ってどこかへ消えてしまった。

文芸部部員としての創作活動なのか、あるいはこの前の象形文字を書いているのか、どちらにしても難儀な奴である。

 

 

 

片道六時間な上に帰りも同じフェリーなので計十二時間は乗る事になるのだ。

わざわざ探検なんぞするまでもないが、ただ波に揺られるのも暇なので未だに戻らない明智を除いた七人で大富豪をすることになった。

ひとしきり楽しんだ後、全戦全敗の古泉が買ってきたジュースを俺は黙々と飲んでいた。

この期に及んで俺は不安を感じていたからだ。何もフェリーに対してではない。

しかしながら家に居たところで宿題に手を付けようとは思えないのも事実で、割に合わない訳ではないのだが。

 

 

とりあえず俺は寝ることにするよ。起きていてもやる事がないんだからな。

明智が居れば何か暇つぶしの道具を出してくれそうだが、どこへ居るのかがわからない。あいつなら機関室まで行きかねない。

そして屁理屈が特技の古泉の相手をしてやれるほど俺は心が広くないんだ。

お休み。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――どすん。

 

 

と何かに叩かれたような衝撃がして俺の意識は回復した。

 

 

「うふ。キョン君の寝起きの写真撮っちゃいましたぁ。寝顔も撮ったんですよ、よく寝てました」

 

デジカメを手に持った朝比奈さんが俺にそうほほ笑んでくれた。

 

おお、寝顔だって? 

朝比奈さんが俺の寝顔を撮る理由なんて何があるのだろう。

ひょっとしてプリントアウトして写真立てにでも入れてくれるのか。

 

だが、俺を叩き起こした犯人はまさか朝比奈さんであろうはずもない。

その犯人ことハルヒは朝比奈さんのデジカメを奪い、にやけ顔の俺に対し。

 

 

「やっと起きたのね。……なぁにニヤニヤしてんの? みくるちゃん、こいつの寝顔なんて馬鹿みたいだからよした方がいいわ」

 

何故起きてそうそう肉体的にも言論的にも叩かれる必要があるんだ。

しかし、どうやら俺が寝ている間に乗り継ぎの港がある島へ到着したらしい。

これは少々損だったかもしれないが、船内での遊びなど帰りに楽しめばいいさ。

その体力が残っていれば、だが。

 

 

「初めの一歩が重要なのよ。あんたからは合宿を楽しもうって気概がとてもじゃないけど感じられないわ」

 

そうかい。で、そのカメラには何の意味があるんだ?

 

 

「みくるちゃんには今回、SOS団専属の臨時カメラマンになってもらったの。あたしたちの輝かしい活動記録を後世へ残すためにね」

 

でも、撮るのはあたしの指示よ。と付け加えてハルヒはそう宣った。

それは結構だが、では俺の寝顔のどこに資料的価値があるのだろう。

 

 

「公開処刑よ! 緊張感のないあんたのマヌケ面を見れば、誰もが緊張感を持ってくれるでしょ?」

 

お前はどこのラッパーだ。

まあいいさ、それで。勝手にしてくれ。

 

 

「ふん。見なさい、他のみんなを。合宿に対する熱意がこれまでかと言わんばかりに伝わってくるわ」

 

そうなのか? ハルヒが指差す先には他の団員が既に下船へ向けて荷物を抱えていた。

いつの間にか明智も戻ってきていたらしく、弄られている俺を見て笑っているのが見受けられた。

 

 

「涼宮さん。きっと彼は合宿へ向けて英気をやしなっていたのでしょう。きっと素晴らしいサプライズが待っていると思いますよ」

 

「オレは種無しマジックをやるって聞いたけど」

 

古泉よ、それはフォローになってないし、むしろ俺に対する風当たりが強くなるだけに終わるぞ。

そして明智。俺はそんな事を言った覚えは一秒たりともないのだが。

俺はお前たちに対する認識を改める必要があるらしい。

 

 

 

……ともあれ、もう着いたのだ。

現時点で俺がやった事など弁当の買い出しと大富豪のみだ。

とてもじゃないが青春とは程遠い。

どうにか海水浴で俺の楽しみを発掘したいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フェリーを降りた俺たちを港で待ち受けていたのは、どこからどう見ても執事とメイドであった。

その二人は当然と言えば当然だが古泉の知り合いらしく、古泉は会釈をして。

 

 

「どうも。お久しぶりです新川さん。森さんも出迎えご苦労様です。わざわざすみませんね」

 

俺たちは古泉のペースに置いてかれていた。

いや、少なくとも俺はこんなマジもんの執事とメイドを生で見たことがない。

 

 

「ご紹介します。これから我々がお邪魔することになる館でお世話になるであろうお二人が、こちらの新川さんと森さんです。まあ、見ての通りの職業ですよ」

 

そうだろうな。

これで軍人とか言われた日には俺は泳いで帰ってやってもいい。

それほどまでに執事とメイドの出で立ちは洗練されていた。

 

 

「ようこそお待ちしておりました。執事の新川と申します」

 

「森園生です。家政婦をやっております」

 

二人はそれぞれこちらへ一礼する。

練習しているのか職業柄身についているのかは知らないが、二人とも同じ角度で頭を下げ、同じタイミングで礼を完了させた。

 

 

執事の新川さんは頭にある毛という毛が全て白く、老紳士といった出で立ちであったが、その一挙一動は衰えを感じさせない。

 

家政婦の森さんはSOS団女子に引けを取らない美貌をお持ちの方で、しかしながら顔からは年齢がまったく判断できない。

俺たちと同世代と言われればそうかもしれないし、もしかしたら三十を超えているのかもしれない。

使用人ながらに個性的な方々であった。

 

 

 

一連の出来事にはあのハルヒでさえたまげたらしい。

確かに古泉の知り合いが来るとは聞いてたが、クルーザーだぜ。

てっきり、アロハシャツを着込んだ無精ひげのおっさんが来るものだとばかり思っていた。

 

明智の奴は「興味深いね」だとか呟きながら二人に向け、指を物差しのようにL字にして何かを測っていた。

長門も朝倉もリアクションと言えるほどの反応はない。冷めた宇宙人である。

朝比奈さんは本物のメイドである森さんに感動したらしく、羨望の眼差しを森さんへ向けていた。

 

 

 

自己紹介が一段落したと判断した新川さんは。

 

 

「それでは皆様、こちらで船をご用意しております。窮屈な船ではありますが、我が主が待つ島までは半時ほどで到着いたします。不便かと存じますがしばしの間、どうかご容赦のほどをお願いします」

 

と言い再び森さんと一緒にお辞儀をする。

そしてすぐさま俺たちを船があるらしい桟橋へと誘導してくれた。

丁寧な立ち振る舞いと迅速な行動、二人とも正に使用人の鑑である。

このお二方を見て少しはハルヒも社会性のなんたるかを学べばそれだけで合宿の甲斐があったってもんだ。

 

 

 

 

 

 

フェリーを降りた港からその桟橋へはものの数分もせずに到着した。

 

"窮屈な船"とは謙遜もいいところで、俺が想像していた数倍は豪華な自家用クルーザーがそこにはあった。

この人数を乗せても余裕がありそうである。ますます持ち主の富豪さんとやらが気になってくるね。

 

しかし気になると言えばむしろ古泉である。

こんな方々と知り合いな上に、親戚とやらは富豪らしい古泉は、いったい何者なんだろうな。

新川さんと森さんとのやりとりから、ひょっとするといいとこのお坊ちゃんなのかもしれない。

もしそうだとしたら悲惨だな。たいして敷居が高くない北高なんぞに、ハルヒのためだけに転校してきたのだ。

ますます『機関』とやらがアホらしく思えてくるね。

 

と、そんなことを考えているとみんな既にクルーザーに乗り込んでいて、朝比奈さんを古泉がエスコートしていた。

 

ちくしょう。

その役目、帰りは俺がやるからな――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ん?

 

 

そうか。

 

すまない、どうやら前置きが長かったらしい。

 

そろそろ本題に入るとするよ。

 

 

 

確かに今回の話のメインはこの後の出来事だが、新川さんの台詞を借りるとすればどうか容赦してほしい。

 

いきなり「海だ!」なんて言ってハイ回想という手法が許されるのは精々が少年誌くらいなもんさ。

 

わざわざ俺が話を進めない以上、これにも意味はあるし、何よりこの時点で伏線はもうあるんだ。

 

犯行の動機としては、いささかぱっとしないんだけどね。

 

 

 

 

重要なのはこんな茶番があったという報告だけで、俺が"いつの明智黎か"なんてのは気にしなくていいんだ。

 

ただ一つだけ、俺が今言えるSOS団夏季合宿の感想としては。

 

 

 

 

 

 

 

 

ま、朝倉さんの水着姿が最高だったって事くらいかな。

 

 

 

 

 



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第二十話

 

 

 

 

 

 

 

――そこは普通の別荘だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、普通というのは語弊があるだろうな。

 

少なくとも俺が田舎に住むじーさんばーさんの家へ行く時に道すがら見かけるような、それと思わしき一戸建ての建築物が一般的な"別荘"だ。

古泉の遠い親戚さんの別荘は住居と呼ぶにはいささか大きすぎるのだが、大富豪の所有物としては際立った装飾もなく派手さに欠ける。

 

 

 

要するに金持ち基準としては多分あれが普通なのだろう。

これが俺たち庶民にとっていかにもと言える前衛的なデザインであれば館の主人に対しても身構えるのだが。

どうやらハルヒも期待していたであろう別荘が奇抜なものではなく拍子抜けみたいだ。

 

 

「思ってたのとかなり違うわね。あんたはどう思う? せっかくの孤島なのに普通に建ってるじゃない」

 

こいつは何をどう思ってたんだろうな。

どうでもいいが灰色一色だけは勘弁してくれよ。あんな光景、思い出したくもないからな。

 

 

「そうだな、何もこんな所に別荘を建てる必要があるのかと思うよ。永住するにしては手間がかかりそうだ」

 

「はあ? あたしが言ってるのは雰囲気の問題よ。あれじゃドラキュラも出やしないわ」

 

少なくとも日中にドラキュラは出ないさ。

そういや明智は本だけでなく映画も好きらしく、よく話の種にしていた。

ドラキュラで俺が思い出せるのはゲイリー・オールドマンくらいだが、あれは名作だ。

 

 

しかし、合宿ね。

今更だが何をするつもりなんだ? 

特訓なんて言っても俺たちが普段してるのは放課後に不法占拠した部室で時間を潰しているか、たまの休日に市内を探検するぐらいだろ。

もしこの島で冒険家の真似事でも始めようってんなら俺たちには火おこし程度が限界だろうよ。

 

 

「それいいわね。島の探検も日程に入れておくわ」

 

日程も何も、最初から決まってないと思うんだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クルーザーに乗っていた俺たちを一人の青年が孤島の波止場からこちらへ大きく手を振って歓迎してくれた。

古泉の話によると彼は館の主人の弟さんで、なんと俺たちの他にも招待客が居たということになる。

SOS団で来ておいて身内のノリに嫌気がさすのは恥知らずな気もするが、古泉曰く「主人である兄を含めてとてもいい方」らしい。

せめて俺だけでも彼らに迷惑をかけないようにしたい。

 

 

 

やがて六時間三十分の船旅を終えた俺たちを弟氏が出迎えてくれた。

 

 

「やあ一樹くん。しばらくぶりだね、元気だったかい?」

 

「ええ、おかげさまで。祐さんの方も、わざわざご苦労様です」

 

古泉の人脈はどうなってるんだろうな。少なくともハルヒより素晴らしいのは確かだ。

弟の裕さんと二三会話をした後、こちらを振り返ると古泉は俺たちの紹介に入った。

 

 

「この可憐な女性が涼宮ハルヒさん。僕の得難い友人の一人です。いつも自由闊達としていて、その行動力を見習いたいくらいですよ」

 

自由闊達なのか自分勝手なのかは知らないが、とんでもない紹介文である。

この時ばかりかハルヒも猫をかぶって普段教師にはしないであろう丁寧な一礼を見せている。

その対応が義理じゃないことを願うね。

 

ハルヒは弟さんに自己紹介をしていたが、それを聞いていた俺はとてもじゃないほどの寒気に襲われた。

その後も古泉による紹介は続き。

 

 

「こちらは朝比奈みくるさん。愛らしく美しい学園のアイドルに相応しい先輩でして、彼女が淹れてくれるお茶には僕でなくとも感服の念を抱くことでしょう」

 

だの

 

 

「長門有希さんです。読書が趣味で、あらゆることに造詣が深いお方です。やや寡黙な印象を受けますが、そこもまた魅力と言えますね」

 

とか

 

 

「彼は明智黎さんです。明智さんは分別がつく方でして、我々の部活動でも積極的に活動してくれます。いわば、影の功労者ですね」

 

しまいには

 

 

「朝倉涼子さん。見ての通り、容姿端麗で成績優秀。そしてクラスでは委員長を務めるなどとても人望が厚い方です。残念ながら彼女は明智さんとお付き合いしているので、僕には縁がありませんでしたが」

 

と、耳にするこっちが恥ずかしくなってしまうようなプロフィールをよくもまあ考え付くもんだ。

あん? 俺のプロフィールだと? 

思い出すだけで吐き気がするからやめてくれ。妹は俺が自分のついでに紹介しておいた。

俺がされたら一種の拷問かと思えるような紹介を笑顔で終始受けてくれた弟さんは

 

 

「いらっしゃい。僕は多丸裕。僕の仕事といっても兄貴の会社を手伝ってるだけなんだけどね。一樹君にいい友達ができたようで安心だよ」

 

そりゃそうだ。

超能力も『機関』も知らない人が古泉の急な転校を聞いたら心配の一つはするってもんだ。

 

 

 

 

 

 

 

外は日差しがきついと言う新川さんの配慮により、俺たちは早速主人の待つ館へ向かう事にした。

別荘は崖の上にあるだけあってちょっとした運動を強いられたが、まあ北高までの道のりに比べると大したことはない。

階段を上りきって、目の前の別荘を今一度近くで見るも、何もおかしな点はなかった。

 

 

「どうぞ」

 

古泉が玄関へと招き入れる。

いよいよ主人の登場だ。整列した俺たちを見て古泉はインターフォンを押す。

 

 

「あらいらっしゃい」

 

登場したのはごく普通のオッサンだった。

水色のゴルフシャツにカーゴパンツとラフな格好だが、別荘住まいならばこんなものなのかもしれない。

館の主人は名を多丸圭一さんと言い、俺にはよくわからないがバイオ関係の仕事で一山当てたらしい。

その技術や功績について俺は知ろうとも思わなかったが明智はやはり興味がある様子だった。

またまた俺たち団員と圭一さんとの間で寒いやり取り――とくにハルヒだが――を終え。

俺たちはようやく館の中へ入ることとなったのだ。

しかし、今にして思えばどうにも割に合わない合宿であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別荘は全三階建てで、俺たちが宿泊させていただく部屋は全て二階にあるらしい。

多丸兄弟は三階の客間にそれぞれ。新川さんと森さんは一階に小部屋があるとのことだ。

 

 

 

ロビーを通りぬけて、高そうな木製階段を上がるとこれまたしっかりした造りの扉が並んでいた。

部屋にはシングルとツインがあるらしく、俺たちは全員で8人ではあるものの俺はまさか妹なんぞと寝起きを共にしたくない。

どう考えても朝も早くから叩き起こされるのが目に見えているからだ。

 

 

「一人一部屋ということでいいではありませんか。どうせ部屋に居るのは就寝時ぐらいでしょう」

 

そうだな、俺も古泉の意見に便乗させてもらうよ。反対も無さそうだしな。

結局、俺の妹は朝比奈さんと同じ部屋で寝ることになった。

まあいくら愚妹と言えど朝比奈さんを相手にお転婆はしないと思いたい。

何かこいつが迷惑をかけるようでしたら俺に言ってください。おやつ抜きぐらいにはしますので、

 

 

「ふふ。大丈夫ですよ。ね?」

 

「ねー」

 

ハルヒの言葉じゃないが、こいつは緊張感のない奴である。

 

 

「血は争えない。ね」

 

そんな事を言うならな、お前にだけはマジックを見せてやらんからな、明智。

と言ってもやる予定はないけれど。

 

ちなみに部屋はオートロックじゃないが鍵をかけられるといった徹底ぶりである。

サイドボードに置かれている部屋の鍵を使う事なんざまずないだろうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう午後に差し掛かってはいたのだが、こんなチャンスはなかなかない。

何せこんな中身のない合宿に来てやった理由そのものなんだからな。

てなわけで。

 

 

「海よ!」

 

ハルヒよ、どうしても言いたかったらしいな。

まあ気持ちはわかるが。

 

 

 

そこには海岸があった、砂浜もあった、太陽は今日も照りつけている。絶好の海日和である。

しかしながら当然ではあるものの俺たち以外に人など誰もいないし、ましてや野生生物の影も形もない。

Theが付く無人島であった。

 

ゴザを敷き、日蔭として圭一さんから借り受けたビーチパラソルを砂浜に突き刺す。

俺たち男子三人は女性陣の水着姿を目の保養としていた。

いつもはうるさいだけのハルヒもさることながら、ピンク色でフリルのついたワンピースタイプの朝比奈さんが素晴らしい。

これでこそ、海の合宿ってもんだ。

 

 

「オレは前もってどんな水着なのか聞いてなかったけど、なかなかどうして素晴らしいね」

 

再び指をL字にしてそんな事をぬかしたのは明智だ。

奴の目線の先には、リーフ柄がプリントされたブルーのビキニと花柄のパレオを着込んで準備体操をしている朝倉が居た。

いつもは朝倉なぞ心にもないようなことばかり言うくせに、こんな時だけ現金な奴である。

と、言うかお前。外なのにサングラスはどうしたんだ?

 

 

「ん。あれならレンズを交換して長門さんに渡したよ。度が入ってるやつとね」

 

言われて隣のゴザを見ると、確かにレンズの色こそさっきまでと違ったが、明智のサングラスをかけた長門が佇んでいた。

まさに無機質な長門の雰囲気に拍車がかかっており、同時にこんなところまで来て読書をする彼女に俺は呆れた。

 

 

「まあ、楽しみ方は人それぞれでしょう。せっかくの機会です、リフレッシュしなければ」

 

ビーチボールに息を吹き込みながら、それを中断して古泉は俺に話しかける。

ああ、そうだな。こういう形での非日常なら俺も構わないさ。

この反動でハルヒがしばらく落ち着いてくれれば合宿は100点満点だ。

 

 

「こらキョン! 古泉君と明智君も! 早く来なさい!」

 

普段ならハルヒの命令なぞ聞きたくもないが、無礼講だ。

俺は朝比奈さんに近づくためにも水球遊びに興じることにした。

浅瀬なら妹でも足が届くからな。

 

 

 

やがてごっこバレーに飽きたハルヒは、古泉とペアを組んで明智と朝倉に本格的なビーチバレーを挑んでいた。

残念ながらネットなどはない。

 

俺は朝比奈さんと妹の遊泳を眺めつつ遠目でちらほらその勝負を窺っていたのだが、どうやら決着はつかなかったらしい。

形としてはタイムアップということで明智サイドが折れていた。

一日目からよくもここまで動こうと思うもんだ、まったく。

 

 

しかし、こいつらのこの時の行動は正解だったんだろうな。

この日以降、海水浴は打ち止めになるからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。突然だが、冗談にはやっていい冗談と悪い冗談の二種類がある。

 

俺たちを宿泊費無料で迎えてくれた圭一さんが、まさか食費までタダだと言うのに豪華絢爛な晩餐をふるまってくれたのは、悪い冗談にしたくない。

 

 

 

今回の合宿で俺にとっての悪い冗談は三つあった。

 

未成年である俺たちにワインを奨めた森さんはその一つだが、合宿における悪い冗談としては仕掛け人共々可愛い方であった。

俺の意識は朦朧としていたのだが、朝比奈さんは直ぐにダウンしてしまうし、長門は酒豪で何杯も呑むし、ハルヒは悪酔いしていた。

朝倉はワインの何がいいのかがわからないらしく終始無表情で、古泉と明智は長門程ではないもののアルコールに対する耐性があったらしい。

 

 

次の悪い冗談は、二日目に突然の大嵐が島を襲ったことだ。

これではせっかくの楽しみである海水浴など堪能できる訳もない。海は大荒れだからな。

しかしながら、インドアな合宿とやらも悪いものではなかった。

俺はフェリーで寝ていたから尚のことそう思えたのだろう。

地下一階に設けられていた遊戯室でリーグ戦のピンポン大会や、麻雀大会を楽しんだ。

もし天気が晴れていて、ハルヒが別荘の外での探検ばかり考えていたならこうは行かなかっただろう。

こればかりは天候の悪化にも容赦ができた。

 

 

――だが、最後の"やって悪い冗談"こそ、今回の合宿における懸案事項そのものだったのだ。

 

死体や殺人現場を見せつけられる。

それのどこが"いい冗談"になるってんだろうな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三日目の朝になっても島の天気は回復する見込みがなかった。

いよいよハルヒが望むクローズドサークル、嵐の孤島が完成したのだ。

 

今にして思うと、二日酔いをしていた事を度外視してもその日の朝はいい雰囲気じゃなかった。

俺たちが朝食を食べ終えた頃になっても、多丸兄弟は食堂へいよいよ姿を見せなかったのだ。

この二人が揃って遅れる朝食など今日が初めてである。

そんな呑気な考えは、俺たちの前に進み出た森さんと、神妙な面持ちの新川さんの一言で立ち消えた。

 

 

「皆様」

 

「新川さん、どうかしましたか?」

 

「はい。何か問題と呼べるようなことがあったのかもしれません」

 

話によると、弟の多丸裕氏がなかなか起きてこないので部屋へ様子を窺った森さんだが、その部屋に鍵がかかっていなかった。

この数日で弟氏が鍵をかけずに就寝したことなどなかったので、気になってドアを開けたところ、中はもぬけの殻だった。

 

 

「しかも、主人の部屋へ内線をかけたのですが応答がありません」

 

確かにこれは問題なのかもしれない。

主人である多丸圭一氏は寝起きが悪いと聞いていたが、内線を試みたのは一回二回じゃないだろう。

それに、緊急時に対応が出来てこその内線なのだから。

 

 

各部屋のスペアキーの管理は新川さんが担当しているが、圭一さんの部屋だけは特別らしい。

仕事の都合上、予備も圭一さんしか持っていないのだという。

 

 

「これから主人の部屋まで赴こうと私は考えております。よろしければ皆様もご同行願えないでしょうか」

 

俺たちは新川さんの言葉に従うことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……では問題の結論から言おう。

 

 

多丸圭一氏の部屋の床には、本人のものと思わしき血にまみれた死体があった。

 

 

当然だが圭一氏の部屋は鍵がかかっていたため、俺と古泉と明智のタックルで強行突破された頑丈なドア。

そのそばで狼狽する俺たちに足を向け、仰向けに横たわる圭一氏。

いや、"それ"が圭一氏だと判断できたのは初日に見たゴルフシャツを"それ"が着ていたからに他ならない。

 

 

 

 

その死体には、首から上が喪失していた。

 

首の根元には犯行に用いられたであろう血塗れた大鉈が床に突き刺さっており、とてもじゃないが俺は反応する事ができなかった。

誰も、悲鳴すら上げられなかった。

 

 

 

 

 

そしてふとベッドが置かれている横の壁に目が行くと、そこには血のような赤い文字でこう書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――SCREAM!!

 

 

 

 

 

 

 

 

と。

 



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第二十一話

 

 

 

 

 

 

 

この状況下で誰が一番先に我に返れたのかは不明だ。

 

しかしながら一番先に動くことが出来たのは、それとほぼ同時に動こうとしたハルヒを制した新川さんだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれを動かしてはなりません。私が確認しましょう」

 

新川さんは死体まで近づき、指先で死体の右手の脈拍を計る。

まだ混乱しているが俺にだってわかる。あの状態で助かっている人間なんかこの世に居ないさ。

宇宙人未来人異世界人超能力者だって、首を切断されればどうだかわからない。

確認が終わると新川さんはいたって冷静な声で。

 

 

「亡くなられております」

 

「ひえぇぇぇええええええ」

 

初めて死体に恐怖の反応を見せたのは朝比奈さんだった。

そして叫び終わった朝比奈さんはふらっと倒れてしまうが古泉がそれを支えた。

 

ハルヒはまだ現実を受け止められないらしい。

本来ならここから今すぐ立ち去るべきだが、ハルヒの身体は徐々に前のめりになっていた。

俺だって信じられない。まさか、こんなショッキングな光景が待ち受けているとは夢にも思わなかった――

 

 

 

 

 

――その時、俺の身体。あるいは思考が停止した。

 

得体の知れぬ不安感が俺を支配し、まるで自由を奪われているかのようだった。

 

汗が止まらない、寒気もする。

 

何とか目を動かすとハルヒもガチガチに震えていた。

 

 

 

「落ち着くんだ。ここで慌ててもしょうがない。現場保存はオレたち発見者の責任だ」

 

「ええ。まずはこの部屋から出ましょう」

 

明智と古泉の言葉を聞き、何とか必死に身体を動かす。

やや時間がかかったが部屋を出るころには落ち着いたのだろうか、身体は自由に動かせた。

だが一度支配された感覚からはなかなか抜け出せなかった。

 

 

「朝比奈さんは気絶しています。彼女を運ばなくては」

 

「キョン! ……顔色が悪いな、無理もない。オレと古泉で運ぼう。あれを見た後の女子にはきつい」

 

「古泉くん、明智くん。みくるちゃんはあたしの部屋にお願い」

 

「了解しました」

 

男子二人に両脇をしっかり抱えられた朝比奈さんは二階の部屋まで運ぶ必要がある。

体力的にも精神的にも冷静でいられた古泉と明智がその役を務めるのは当然のことであった。

やっぱり、普通じゃないんだと思い知らされる瞬間でもあった。

ハルヒも未だに額に汗が流れているが、何とか気丈に振る舞っていた。

 

 

「あら、とんでもないことが起きたみたいね」

 

退屈そうな顔で呑気な事を言ったのは朝倉だ。

俺は彼女の台詞に対し我を忘れ激昂しようとしたが、それではただの八つ当たりだ。

すんでのところで自制心が働いてくれた。

 

 

「古泉君から聞いたわ。クローズドサークルって言うのね? この状況」

 

……ああ。小説なぞまともに読まないから俺も聞いただけだがな。

 

 

「嵐の孤島での事件。首なし死体に謎の文字。そして何より部屋には鍵がかかっていました」

 

「何が言いたい」

 

「別に。それに、この状況が呑みこめないのはあなたの方でしょ?」

 

悔しいが、その通りだ。

死体、それも殺人が行われた状態そのままのなんざ生まれてこのかた初めて目撃したからな。

そしてできれば永遠に体験したくなかったよ。

 

 

「なあ長門、朝倉。お前たちはあの状況を見て何かわかることはないのか」

 

「私たちに何か期待されても困るわ。見たまんまよ」

 

「……」

 

無言の長門も同様らしい。

まあ、せめてもの救いは俺の妹がこれを見ていないって事ぐらいか。

新川さんは警察へ連絡してくると言った。

俺たちはとりあえずハルヒの部屋に集まる事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハルヒは自分の部屋の前に立ち、ドアをノックした。

中には朝比奈さんを運んだ明智と古泉、そして妹がいる。

 

 

「誰かな?」

 

「あたしよ」

 

ドアがカチャリと開かれる。そこには明智が立っていた。

しかし中を見ても古泉の姿は見えなかった。

 

 

「古泉はどうしたんだ?」

 

「何やら新川さんと森さんの所へ行ったらしい。今後を相談するんだろうね」

 

今後、ね。

今の所の俺たちには実感がわかない言葉である。

 

 

「ここではあれだ、外で話すぞ」

 

「そうだね。朝倉さん、長門さん。こいつの妹と朝比奈さんを頼んだ」

 

まあ、女子とは言え宇宙人二人組が居れば安心だろ。

かたやバリア持ち、かたやナイフ使いだからな。

朝倉は「わかったわ」と言い、長門は無言で数ミリだが頷いた。

妹はベッドでうなされている朝比奈さんが心配そうだが、朝倉が相手してる。

 

明智とハルヒと共に俺は廊下へ出た。

 

 

 

 

そして俺の部屋で話し合う事になった。

しかし何も話すようなことはないんだかな。

 

 

「二人とも、どう思う?」

 

「何の事だ」

 

「圭一さんよ! ……もしかして、これって殺人事件なの?」

 

「少なくともオレには自殺に見えなかった。二人ともそうだろう。つまりそういうことだ」

 

この状況でも異世界人は思うところがないのだろうか。

しかしながら明智は何かを考えているらしく、時折ぶつぶつ呟いている。

 

 

「……まさか、こんなことになるなんて」

 

ハルヒはベッドにダイブした。気が紛れるならそこで飛び跳ねてくれて構わない。

俺には動く気力さえもが皆無だった。

しかし、これもお前が望んだ結果とやらじゃないのか……?

 

 

「だって本当に事件が起こるなんて思わないし、喜べるわけないじゃない」

 

まあ、ハルヒが正常な判断ができるとわかっただけでもマシだ。

発狂なんかされた日には世界がどうなるかわからない。

そういや閉鎖空間は大丈夫なのだろうか?

 

 

「二人とも。とりあえず落ち着いて状況を整理しようか」

 

SOS団の名探偵よりよっぽど探偵らしい落ち着きを持って明智がそう言った。

 

 

 

「前提として、殺人事件があった。ここまではいいよね」

 

「そうね」

 

「被害者はこの館の主人。多丸圭一さん、と"思われる"」

 

館の主人が殺される。悪い冗談としちゃベタベタな展開だぜ。

 

 

「謎は三つ。一つ目、部屋には本人以外持っていないと"言われた"鍵がかけられていた。遠目だけど窓も鍵がかかっていたみたいだ」

 

「いわゆる、密室ってやつか」

 

「そうだ。二つ目、あの壁の文字は間違っても圭一さん本人が書いたものではない。十中八九犯人によるものだろう」

 

「なんであんな字を書いたのかしら」

 

俺の脳裏によぎるのは謎の英単語と思わしき赤字、決して大きくはなかったが、それとわかる大きさで書かれていた。

 

 

「Scream。スクリーム、ね……」

 

まるでホラー映画だ。と明智は言い残した。

二つ目の謎はこれで終わりらしい。

 

 

「そして三つ目にして最大の謎だ。何故、圭一氏の死体には頭が無かったんだろう?」

 

「さあな。でも運んだのは間違いなく犯人だぜ。殺人犯の気持ちなんかわかりたくもないね」

 

「犯行に使われたであろうナタが放置されてたのも気になるけどね。"そこはいい"」

 

確かに、謎は簡単に解けそうにない。

 

 

「問題は頭なんだよ頭。生物学上、人間の成人の頭部の重さは体重比率にして10%前後。圭一氏はそこそこ恰幅の良いお方だ、60キロは超えているだろう」

 

「つまり最低でも、圭一さんの頭は6キロの重さがあるのね」

 

「更にそこに脳の重さが加わると、成人男性の場合7キロは超える。誤差を加味すれば約7.25キロってところかな」

 

「そこまで重くないんじゃないのか?」

 

「まさか。二人とも、ボーリングくらいやったことがあるだろ? 7.25キロはボールで一番重い16ポンドに相当する。確かに持てるが、オレでも満足に扱えない」

 

確かに。俺はボーリングなぞ数えるほどしか体験していない。

しかし特に鍛えてなければ重さは8~10ポンドがちょうどいいだろうな。

 

 

「人間の頭はボールと違って持ちやすくもなんともない。そして、そんな扱いに困るものを犯人は密室を作りつつ、運んだんだ。血の跡も一切外へ残さずにね。つまり、慎重に扱ったんだ。7.25キロの物体を」

 

女子には困難な芸当だろう。

 

 

「首なし死体を作るケースはいくつか考えられるけど、やはり可能性が大きいのは"顔を見られたくない"って事だろうね」

 

「どういうことなんだ?」

 

「理由は不明だけど、犯人には死体の顔を見せられない"理由"がある。"だから"首を切って運んだ。こう考えるのが自然なんだ。恐らく、死体の顔に"謎を解く鍵"がある」

 

犯人だって馬鹿じゃないだろう。

そう簡単に見つかるとは思えんがな。

 

 

「さて仕上げだ。今、この館に居る誰かが犯人なんだけど――」

 

「ちょっと待ちなさいよ! あたしはSOS団の中にこんな酷いことをする人が居るなんて、少しでも疑いたくないわ!」

 

ハルヒはベッドから立ち上がり、明智を睨む。

ふぅ。と溜息をついた奴は左手で頭をかきながら困った表情で。

 

 

「落ち着いてくれ、涼宮さん。オレは可能性を論じているだけさ。何せ今この島は外部との交通が途絶えている。嵐だからね」

 

「……」

 

「それに、キョンと涼宮さんも、だいたいの目星はついているだろう」

 

ああ、今この瞬間にもこの館から姿を消しているのは主人の圭一氏だけではない。

弟の裕氏が行方不明で、今日我々の前に姿を表していないのだから。

彼に何かがあるのは確かだろう。

 

 

「そうだ。それに"もう一人"が――」

 

そこまで言って明智は話すのを止めた。

何か考え付いたらしく、こちらに目を合わせずに下を向いてしまっている。

やがてこちらを向いた明智は。

 

 

「ちょっと気になる事が出来た。……いや、確かめたい事かな。そう長く動き回るつもりはないから何か用があったらオレの部屋へ来てくれ。一人で考えをまとめたい」

 

そう言って俺の部屋を出ようとしたが、ふと振り返ってこう言い残した。

 

 

「最後に二つ目の謎についてだけど。スクリームの意味は"悲鳴"だ。首なし死体は、悲鳴を上げることが許されない」

 

それがこの日、最後に明智の姿を見た瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、このまま俺の部屋に居ても何か進展するとは思えない。

自分を持ち直した「名探偵」ハルヒは。

 

 

「そう言えば、昨日みくるちゃんが言ってたわ。圭一さんと裕さんが兄弟げんかしていたのを見たって」

 

「何だと?」

 

「それに昨日あたしが麻雀大会の途中でトイレに行ったでしょ? その時通りがかりの部屋から裕さんの声が聞こえたのよ『急いで手配してくれ』とか何とか。慌てた様子だったわ」

 

そんな大事なことはもっと早くに言ってほしかったね。

 

 

「仕方ないじゃない。わたしだって、まだ、その……」

 

「わかったわかった。俺だって現実とは思えないよ。で、どうする?」

 

「とりあえず、また現場へ行ってみましょ。何かわかるかもしれないわ」

 

口には出さなかったが、きっとハルヒはこう考えていたんだろうな。

犯人がSOS団の団員じゃないことを証明してみせるって。

 

 

 

 

三階の圭一氏の部屋まで行くと、ドアの前で新川さんが立ち尽くしていた。

ドアの隙間からはわずかに中の様子が窺えたが、詳しくはわからない。

 

 

「おや。すみませんが警察に連絡しましたところ『誰の立ち入りも許可しないように』と指示がありまして。気になるのはわかりますが、これも私の務めですので」

 

「警察はいつ来るの?」

 

「ふむ。何せこの嵐ですからな。天候が回復し次第来るとの事です。予報によると明日の午後には嵐が収まるらしいので、その頃にはお見えになるかと」

 

「そういえば、明智はここに来ませんでしたか? あいつもこの事件について調べているらしいんですが」

 

その名を聞いた新川さんは少しだけ眉を動かしたが、直ぐに無表情に戻り。

 

 

「わかりかねますな。つい先ほどまで私は警察と連絡をとっていましたが、その間は森がここに居ましたので」

 

「そうですか」

 

まあ、恐らく明智も中に入れなかったのだろうし気にするまでもないか。

 

 

 

その後のハルヒと新川さんのやりとりによると。

なんと新川さんと森さんの二人は昔から圭一氏に仕えてたわけではないらしい。

この夏の間だけの短期契約だと言うのだ。ここへ来たのもつい一週間前との事だ。

 

 

「この手の職の相場からすれば給与は高くありませんでしたが、まあ私も見た通りの歳ですからな。雇ってもらえるだけでありがたいのです」

 

 

 

 

話を聞いたハルヒは今度は外へ船を確認すると言い、俺の手をいつかのように引っ張った。

一階に降りたところ、玄関近くに森さんが居た。

 

 

「外へ出られるのですか?」

 

「うん。船があるか調べようと思うの」

 

「もしかすると、ないかもしれませんよ」

 

「どうして?」

 

「昨晩ですが、裕様の姿をお見かけしました。この嵐の中だと言うのに、私の『どちらへ?』との質問も聞かずに急いで玄関口へ向かっておられました」

 

森さんは廊下ですれちがっただけで実際に出ていく姿を見たわけではないらしい。

それは俺たちが懲りずにワインを飲んで酔っ払っていた時間帯。午前一時ごろ。

 

 

「いいわ。私は自分で確かめる。自分で直接行って、自分の目と耳で確かめたいの」

 

それに俺を巻き込まないでくれ。

 

 

 

大嵐の中、波止場は冠水していた。

それにあの大きなクルーザーも見当たらない。

思い起こせば、ロープでクルーザーを縛り付けていたのは裕さんだ。

何気ない行動が、事件の前フリだとは思えもしなかったがね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

館に戻ってタオルで水を拭いた俺とハルヒが二階へ上がると廊下に古泉が居た。

 

 

「おや、外へ出かけていたのですか? ご苦労様です」

 

「何の成果もなかったがね」

 

「それはさておき、明智さんの姿を見かけませんでしたか? 涼宮さんの部屋には戻ってないようでして、てっきりあなた方と行動していると思っていたのですが」

 

「さあな、ちょっと調べごとをしたら自分の部屋に戻ると言っていたぜ」

 

「なるほど」

 

 

 

 

それからハルヒの部屋に戻った俺たちを、古泉が深刻な表情で訪ねたのは数分後の事だった。

 

 

「明智さんの部屋に鍵がかけられていました。ドアを叩いても反応がありません」

 

おい、まさか。

 

 

「……新川さんに頼んで部屋のスペアキーを用意してもらいましょう。とにかく、何事もなければいいのですが」

 

 

 

 

そして暫くした後、明智の部屋のスペアキーを用意した新川さんがやってきた。

 

 

「主人の部屋は森に任せました。何事もないかと思いますが、万が一を考えて誰か私とご同行願えませんかな?」

 

俺とハルヒ、古泉の三人がそれに応じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明智の部屋には誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、部屋の真ん中から窓にかけて血の跡が残されていた。

 

そして、窓が空いていた。

 

部屋から下を除くも何かがある様子はない。

 

 

「私が様子を見てきましょう」

 

そう言った新川さんが十分ほど後に戻ってきた時、彼の手にはあるものが握られていた。

 

 

「この部屋の下あたりの草むらに、これが落ちていました」

 

 

 

 

 

 

泥にまみれ薄汚れた果物ナイフ。

 

そしてレンズこそ長門がかけていた時のままだったが、明智のサングラスだった。

 

 

 

 

 



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第二十二話

 

 

 

 

 

 

 

 

明智は異世界人らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼がどういう世界から来たのかは知らない、明智には謎が多かった。

 

 

だが、いつぞやのUMAとの格闘。

そしてこれは話に聞いただけだが宇宙人、朝倉涼子の暴走も阻止した。

 

とてもじゃないが普通の高校生である俺にはできない事だ。

よくわからん部屋もたくさん持ってるしな。

 

 

 

その、明智が。

 

 

 

 

 

 

「いなくなった……?」

 

明智の部屋は窓が開けられ、窓辺は嵐によって水浸しになっていた。

それはついさっき開けられたものではない。

少なくとも一時間近くは経過しているはずだ。

そして、彼のいない部屋には血痕と、サイドボードに使用された形跡のない鍵だけが残されていた。

 

おい、何かの冗談だろ?

お前の"ハイドなんとか"とか言う能力で、隠れてるだけなんだろ?

 

 

古泉。

 

 

「はい」

 

いつものポーカーフェイスが消え、困惑の表情を浮かべた古泉がこちらを見る。

 

――長門だ。

 

 

 

「長門を呼んでくれ。今すぐ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝倉をここへ呼ばなかったのは多分、無意識による判断だ。

俺は彼女に明智の失踪を知らせるのを遅らせたいという配慮があったのかもしれない。

ハルヒと入れ替わるように明智の部屋にやってきた長門に俺は言う。

 

 

「この部屋、何かおかしな所はないか? 明智の能力の痕跡だとか、もしあったら長門ならわかるだろ?」

 

俺はすがるように無機質な彼女の目をみてそう聞いた。

やがて、長門はじっくりと部屋を見渡すと、それが終わるとこちらを見て。

 

 

「この部屋に超常的な作用は一切働いていない。いたって"普通"の部屋」

 

なんだよ。

それじゃ、まるで。

 

 

「裕さんに続いて、今度はあいつが消えたって言うのか!?」

 

「そういうことになる」

 

立っているのが辛くなり、俺は壁に背中をもたれかける。

すると新川さんと一緒に森さんのところへ行っていた古泉が戻ってきた。

 

 

「何かわかりましたか?」

 

「なにも」

 

「なあ、古泉。明智はどこへ行ったんだ? 長門が言うにはこの部屋にあいつの能力の痕跡も、何もないらしい。じゃあ、どこへ消えたってんだ……?」

 

「わかりませんが、一つだけ確かな事があります」

 

古泉は出来るだけ落ち着いた表情と声色でこう言った。

 

 

「明智さんも、事件に巻き込まれた可能性が非常に高いということです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日の俺がまともに口にできたのは朝食を除けば水程度であった。

せっかくの豪華な食事は昼も夜も無駄になってしまった。

少なくとも、俺とハルヒと朝比奈さんはまともに食事へ手をつけていなかった。

 

 

形だけの晩餐を終え。

部屋に戻るとやがてドアがノックされた。

 

 

「誰だ」

 

「僕ですよ」

 

来訪者は古泉一樹だった。

 

 

 

 

「森さんが明智さんを見たのは、彼が圭一さんの部屋に入ろうとしてストップをかけた時が最後とのことでした」

 

なるほどな。

これで決まりだ、あいつの失踪が。

 

 

「……古泉。俺は今から最悪の事態を想定して発言する。聞いてくれるか」

 

「いいでしょう」

 

そういった優男の表情は、いつになく真剣だった。

 

 

「仮に、あいつが殺された。あるいはそれに近い何らかの状態で行動不能だとする」

 

「ええ。彼が動ければ、流石に食事の際には我々の前へ姿を見せることでしょう」

 

「問題は、誰がそれをやったか。だ。……少なくともあんな事件の後だ、明智は警戒ぐらいはしていたはずだ」

 

「彼が"ただもの"じゃないことぐらいは僕も理解していますよ」

 

そうだ、仮に不意打ちをされたとしても黙ってやられるような奴なのだろうか。

現在行方不明の裕さんを含めて、圭一氏を殺害したと見られている犯人像は"男性"だ。

しかし、この館に残されている男は俺と古泉を除けば新川さんだけだ。

もし裕さんがわざわざ戻ってきたとしても、明智を排除する理由がどこにある……?

 

いや。

 

 

「間違いなく、明智はこの事件について"何か"を掴んでいた。だから俺とハルヒとは別の行動をしたんだ」

 

「外を調べるより重要な"もの"が、この館にある。と?」

 

「俺にもわからん。だが、犯人にとってあいつが邪魔になる理由はこれぐらいだ。明智は犯人がわかった」

 

「ではどうやって犯人はそれを知ったのでしょう? そして、明智さんを黙らせるにしても一筋縄ではいかないはずです」

 

そうだ、それに明智の部屋も鍵がかけられていたし、サイドボードには鍵だって――

 

 

「スペアだ」

 

「はい?」

 

「スペアキーなら、明智の部屋に入る事も、あの状況を作り上げることもできる」

 

「……ですが、それが可能な人間は一人しかいません」

 

そうだ、スペアキーを管理していると言ってたのは。

 

 

「新川さんが、犯人なのか……?」

 

「しかしそれでは圭一さんの事件についてはどう説明します?」

 

「あの部屋には事件発生以来だが立ち入りが許されていない。鍵を何らかの方法で新川さんが入手していたとしても不思議じゃない。俺たちは部屋をしっかり確認できなかった」

 

「なるほど。ですがそれでも二つほど疑問が残ります」

 

古泉は困った表情で作り笑いをして。

 

 

「一つは行方不明中の裕さんです。彼も新川さんが手にかけたのでしょうか?」

 

「さあな。だが昨日の夜、俺たちはワインを飲んで前後不覚の状況だった。新川さんの行動なんか一々確認できちゃいないさ」 

 

「そうでしょうね。では、もう一つ。今回失踪した明智さんが新川さんこそ犯人だ、とわかったとしましょう」

 

「ああ、犯行が可能な条件を満たしているのは新川さんだけだ」

 

「そんな犯人の新川さんが、明智さんの部屋を訪ねたとして、わざわざ黙って襲われるでしょうか? 少なくとも不意打ちなんてできないでしょう」

 

確かに。

明智を倒せるとしたら完全の不意打ちだけだ。

それも警戒すらしてない相手からの。

犯人と思われる新川さんがやってきたとしても、能力で逃げるくらいはできたはずだ。

一瞬俺は朝倉の顔がよぎったが直ぐに取り消す。

間違っても、そんなことがあってはいけないからだ。

 

 

「そして新川さんについてですが、つい先ほどまで圭一さんの部屋の前に居ました。森さんが定期的に確認していたそうです」

 

短時間での犯行は厳しい、か。

 

 

 

 

だが、待てよ……?

もしかすると――。

 

 

 

俺がなけなしの脳細胞をフル活用して浮かんだ推理を古泉に聞かせる。

すると古泉は納得したかのような表情で。

 

 

「まさか、そんなことが。……ですがこれならば犯行についての説明が全て可能です」

 

死体が放置された圭一氏に対し、身体すら残さずに消えた裕氏と明智。

俺の推理には悔しいが穴がなかった。

 

 

「とりあえず僕は涼宮さんの部屋へ行ってきます。あなたも気を付けて下さい。何かあれば、飛び降りてでも逃げて下さい」

 

そう言って古泉は部屋から出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

取り残された俺は一人で思考する。

俺の出した結論は全ての事件に一応の説明がつく。

 

しかし、どうにも腑に落ちない事があった。

 

 

「何で犯人は凶器を残したんだ……」

 

圭一氏のナタ。明智が刺されたと思われるナイフ。

これらは処分する時間があったはずだ。

そして。

 

 

「"SCREAM"の文字だ」

 

圭一氏の事件は、凶器を隠すよりも、あの字を書く方が優先されたというのだろうか?

現場のかく乱にしてはその意味がわからない。

まるで、"あえて差をつけている"かのように感じられた。

猟奇的な演出がしたいならば、首なし死体だけで充分だというのに。

 

 

明智の事件についてもまだ謎がある。

果物ナイフには十分な長さがあったので、あれで致命傷は与えられるだろう。

謎は明智のサングラスだ。

 

明智はメモをたまに取る程度には几帳面な奴だ。

そんな彼が長門から返してもらったサングラスのレンズをもとのレンズに"戻さない"。

なんて事があるのだろうか。一日目の夜ならばいつでも時間はあったはずだ。

確かに大嵐のおかげでサングラスの出番は昨日からなくなった。

単純に彼が忘れていたのだろうか?

 

 

 

 

そんな事を考えていると再びドアがノックされた。

 

俺は一瞬恐怖に襲われたが、なんとか来訪者の確認だけでもしなければならない。

出来るだけ平静を装って、相手を窺う。

 

 

「誰だ」

 

「キョン君、私よ」

 

その声は宇宙人、朝倉涼子のものだった。

 

 

 

自分の彼氏が行方不明だというのに、朝倉からは何も感じられなかった。

かえって無気力になっていたのかもしれないが、本物の感情がないらしい彼女の考えていることは俺にはわからなかった。

もしかすると、明智ならそれがわかるのかもしれないが彼はもうここには居ない。

 

 

「あなた達と一緒に涼宮さんの部屋を出てしばらくしてからね。明智君は私たちがいた涼宮さんの部屋に一度戻って来た」

 

「なんだと?!」

 

私たち、と言うのは長門と朝比奈さんと妹が含まれている筈だ。

するとあいつが一人で行動を開始してから、すぐの事だったのだろう。

朝倉は後ろ手に持っていた手帳を取り出して。

 

 

「もし自分に何かあったなら、これをキョン君に渡してほしい。そう言われたわ」

 

その手帳はいつも明智が書いていた黒のメモ帳とは異なり、しっかりした造りの青の手帳だった。

明智が何かを書いているのは時折見ていたが、この手帳は始めて見た。

表紙にはDIARYとプリントされている。日記帳か。

 

 

「私も中身は見てないわ」

 

じゃあね。と言って去ろうとする朝倉を俺は「朝倉!」と呼び止めた。

 

 

「お前は、その……大丈夫なのか? 明智がいなくなったんだぞ、もしかしたら――」

 

殺されてるかもしれない。とは口が裂けても言えなかった。

俺のその様子を見た朝倉は。

 

 

「そうね。でも、どうでもいいわ。彼と約束したから」

 

何をだ? という俺の問いに対して。

 

 

「ふふ。二人だけの秘密よ」

 

俺はそれ以上朝倉から話を聞かなかった。

バタン。とドアが閉まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再び部屋には俺一人だけが取り残された。

壁にかけられた時計は12時を回っていた。深夜だ。

 

寝るに寝れないので、俺はベッドの近くのライトをつけて明智のらしい日記帳を読むことにした。

ぱらぱらっとめくるも後ろの方には何も書かれていない。

とりあえず一番最初のページを見る。

 

 

『合宿一日目。

 

合宿日和とはまさに今日のためにあるような天気で、退屈なはずのクルージングも許せた。

 

フェリーでは様々なものを見て回った。

 

外の風景、他の乗客、ちょっと能力を駆使して機関室に潜り込んだのは秘密だ。

 

しかし、これも立派な創作活動として役立てるつもりなのでどうか見逃してほしい。

 

乗り継ぎの港へ着くと執事の方とメイドさんが我々を出迎えてくれた。

 

古泉とは旧知の仲だという。ちょっと彼の家系が気になった。

 

で、さっそくビーチへ行くことになったのだが、朝倉さんの水着姿はオレの期待の数段上であった。

 

色々あってなし崩し的に彼女と付き合う事になってしまったが、こういうのは悪くない。

 

別荘で出された食事はたいそう豪華なもので、執事の新川さんが料理長を兼任しているらしい。

 

言うまでもなく美味しかったが、朝倉さんの料理もそれに負けていないとオレは思うね』

 

 

 

どうやらこの手帳は合宿のためだけに用意されたのだろうか。

普段から常用している日記ならばもっと前の内容が書かれているはずだからだ。

今となってはそれも不明だ、本人が居ないので確かめようがない。

内容に色々と突っ込みどころはあるが、俺は次を読むことにする。

 

 

『合宿二日目。

 

この日はあいにくの空模様で、どうやら台風が接近しているらしい。

 

残念ながら外へ出るのもおっくうだ。新川さん曰く、嵐が訪れたのは早朝との事。

 

そういえば昨日はワインを嗜んだ。そのせいもあってか一部団員の気分は優れない。

 

長門さんはぐびぐび飲んでいたが気に入ったのだろうか。朝倉さんは一杯で止めていた。

 

ワインはなかなかの名酒らしく。我々には少々勿体なく思えたが、タダより高いものもない。

 

昨日の晩餐は古泉と他愛もない話をしているとあっという間だった。

 

そういった背景もあり二日目の午前中はとくに動き回りもしなかった。

 

午後からは全員が本調子に戻ったらしく、卓球と麻雀に興じた。

 

オレは卓球について素人ではなかったが涼宮さんは文字通り格が違った。

 

昨日のビーチバレーといい、素晴らしい多才な方である。オレは器用貧乏なのだ。

 

麻雀についてはオレはもともと運が無いので話にもならなかった。

 

そしてこの日の晩餐でも森さんによってワインが振る舞われた』

 

 

 

ふむ。なんてことはない、ただの日記だ。

どうせ今日の事が書かれてはいないだろうと思ったが、俺は何となく次のページを開いた。

しかし、そこには三日目である今日の内容が書かれてある文章があった。

 

 

『三日目。

 

さて、何から書くべきか。まあ、圭一さんと裕さんについてかな。

 

一連の事件の犯人についてはだいたいの推測がついている。

 

しかし、それでは納得できない部分があるのも事実だ。

 

とにかく、これを読んだ人にオレが伝えたいことは一つだけだ――』

 

 

 

どうやらいつ書かれたのかは不明だが、この内容が圭一氏の事件が発覚した後のものであるのは確かだ。

そして、その日記はこう締めくくられていた。

 

 

「『一期一会。人間とは、出会いこそが全てなのだ』……?」

 

先のページには何も書かれていない。これで最後らしい。

何故この日記には犯人について書かれていないのだろう。

単純に時間がなかっただけかもしれないが、だが、この内容の意図がわからない。

しかしながらそれは明智なりの皮肉にも思えた。

 

 

「出会いね……やれやれ。だとしたら今回の合宿は最悪の出会いになったってわけだ」

 

殺された別荘の主人、大富豪の多丸圭一さん。

その弟の多丸裕さんも"恐らく"殺されている。

犯人の可能性が高い執事の新川さん。

そして、メイドの森園生さん。

 

 

彼らは、俺たちSOS団と出会わなければ、このような状況にならなかったのだろうか?

犯人について気づいていた明智にもそれはわからないだろう。

裕さんと圭一さんの兄弟げんかとやらも気になるしな。

とにかく、警察がやってくる明日の午後まで生きなければならない――

 

 

 

 

 

 

 

 

そこまで考えて、俺はふと気づいた。

 

 

「出会い……?」

 

そうだ、この事件の違和感の正体。

そこには"出会い"があった。

 

そして。

 

 

「まさか。これは全部、"仕組まれていた"んだ――」

 

ああ。

いいぜ、わかった。

 

こういう時はきっと、「名探偵」様ならこう言うんだろうさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――謎は全て解けた」

 

ってな。

 

 

 

 



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第二十三話

 

 

 

 

 

 

 

 

合宿四日目の早朝。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二三時間の仮眠をとった俺はハルヒの部屋の前までやってきていた。

ドアを叩くと出てきたハルヒは寝巻きな上に髪もボサボサ。ロクに寝れてなさそうだった。

 

 

「あんた……こんな朝早くに何の用?」

 

「事件の真相がわかった」

 

俺はハルヒに昨日古泉にも聞かせた推理を言った。

 

 

「なんてこと……! それじゃ」

 

「待て。この話には続きがある」

 

それに昨日俺が気づいた要素を加えてやった。

 

 

「で、どうするんだ。名探偵さんよ」

 

「うふふふふ」

 

どう見ても起きてきた時にはダウナーなハルヒだったが、俺の話を聞き終わると気味の悪い笑みを浮かべだした。

そしてこちらを見て大声で。

 

 

「謎は全て解けたわ!」

 

そのくだりはもうとっくに終わった。

 

 

「今から一時間後、食堂にみんなを集めてちょうだい。そこで真相を明らかにするわ!」

 

普段なら俺も嫌々ハルヒの言う事を聞くが、海水浴といい、合宿は例外だ。

ハルヒはすぐに部屋に引っこんで身支度をすると言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから一時間近くが経過したので俺も食堂へ向かおうとしていたら、朝比奈さんがまるでナメクジが地を這うかの如き移動速度で進んでいるのを発見した。

 

 

「朝比奈さん」

 

「ひっ!」

 

俺が声をかけただけでこの反応である。相当まいってしまってるらしい。

 

 

「き、キョンくん……けーいちさんに続いて、ひっく。明智くんまで……」

 

「大丈夫です」

 

俺がそう言うと朝比奈さんはきょとんとした顔で。

 

 

「とにかく、この事件は解決します。とりあえずみんなもう待ってると思いますから、遅れないようにしましょう」

 

涙目のまま朝比奈さんは「ふぁい」と返事をしてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食堂に俺と朝比奈さんが到着すると、やはり全員が既に着席していた。

いや、全員ではない。空席が三つほどある。

圭一氏と裕氏と、明智のだ。

俺と朝比奈さんが座ると、痺れを切らしたかのように新川さんが「コホン」と咳払いをして切り出した。

 

 

「それで。いったい何の用ですかな。申し訳ありませんが朝食の準備がまだ終わってないのです。手短に済ませていただきたいですな」

 

その台詞を聞いたハルヒは立ち上がり。腰に手を当ててこう宣言した。

 

 

「今回の"殺人事件"。いや、"事件"の犯人がわかったわ!」

 

その言葉を聞いた一同は一様の反応を示した。

古泉はにやけ顔でハルヒの発表をいかにも楽しみにしており、朝比奈さんは目と口を大きく開けて驚いている。

俺の妹は相変わらず理解できてないようで、新川さんは「なんと」と呟いた。

この場で反応しなかったのは、俺とハルヒを除けば宇宙人二人組と森さんの三人であった。

 

 

「今回の事件は強敵だったわ。なんせ、嵐の中起きた事件だもの。必然的に行動範囲が限られたわ」

 

いったい、いつこいつは事件と向き合うような人種になったんだろうな。

 

 

「そして犯人は――」

 

ハルヒが右手の人差し指を上に掲げ、犯人を指し示す。

 

 

「執事の新川さん!」

 

「む」

 

だがハルヒの指の動きはそこで終わりではなかった。

その指は新川さんを指し終わると、"二人目"の犯人の方へ向けられた。

 

 

「――と、家政婦の森さんよ!!」

 

「……」

 

森さんは無表情だった。

新川さんは不当な扱いを受けたと言わんばかりの態度で。

 

 

「僭越ながら、理由をお聞かせ願えますかな」

 

「いいわ。そもそもこの事件には犯人にとって計算外の出来事があったの」

 

そうだ。

 

 

「それは我がSOS団が誇る優秀な人材の一人。明智君よ」

 

そう言うとハルヒはお前も説明しろと言わんばかりにこちらを睨んだ。

いいが、丸投げはごめんだぞ。

俺も仕方なく立ち上がり、説明を開始することにした。

 

 

「犯人にとっては圭一さんの殺害と、裕さんの失踪で全て解決するはずだったんです」

 

「何をおっしゃりたいのですかな」

 

「圭一さんを"殺した"のは裕さん。ここまでは間違いありません。犯人が手にかけたのは正確には行方不明となった裕さんと明智の二人です」

 

ええい。注目されるのは苦手なんだ。

 

 

「この"事件"は『居直り強盗』のような事件なんです。圭一さんの殺害に便乗して発生したのが一連の事件です」

 

「ええ。動機はズバリ"金"よ」

 

俺たちには価値なぞ一切わからないが、そういった高級品は別荘であるこの館にも色々あるはずだ。

それにポケットマネーとは言え圭一氏は大富豪だ。俺たち学生がアルバイトするよりはよっぽど割に合う金が手に入るだろうさ。

何より新川さんと森さんの料金待遇は良くなかったらしい。不満を持ってもおかしくはない。

 

 

「主人の部屋は密室でしたが、あれも裕氏が行ったと言うのですかな?」

 

「いいえ。あれは工作です。犯人にとっては誰もが入れる状況よりは密室の方が都合がよかったんです」

 

「そう。部屋の鍵は主人である圭一さんしか予備を含めて持っていないもの」

 

「ではどうやって」

 

新川さんからは焦りの表情が感ぜられない。

そして森さんは未だに自分が共犯扱いされている理由がわからないといった表情だ。

 

 

「第一の事件についてはこうです。裕さんは圭一さんを何らかの方法で殺害します。恐らくもみ合いになったことによる脳挫傷でしょうか。慌てて裕さんは現場を後にしました」

 

「部屋には当然、予備を含めた鍵が二つも残されていることになるわ」

 

「その様子を見た犯人、新川さんは工作を開始します。ナタで圭一さんの頭を切断。鍵を一つ確保。頭部を処分した後に部屋の鍵をかけます」

 

「窓には鍵がかかっていたけど、閉めれば済むことよ。廊下に血の跡がなかったから、多分頭は外へ落とされたのよ」

 

「後は俺たちがドアをぶち開けてくれればいい。短時間で鍵を二つも確認なんかできなかったし、俺たちが消えてから鍵は元の場所に戻せます」

 

「なるほど。筋は通ってますな。しかし殺害方法をわざわざ誤認させる必要がどこにあると言うのです」

 

「これは推測でしかありませんが、あのナタからは裕さんの指紋しか検出されないはずです。執事の新川さんなら手袋ぐらい用意がありますよね?」

 

「いかにも……。しかし、主人を殺した犯人を裕氏に誤認させるのはいいとしても、肝心の裕氏に対してはどう動くのですかな。私が工作をしていては、とてもじゃありませんが裕氏は逃げてしまいますぞ」

 

「そこでもう一人の犯人、森さんが活躍するの」

 

ハルヒに名前を呼ばれた森さんは一瞬顔色が変わった。

 

 

「現場から逃げて外へ出た裕さんは驚いたと思います。何せ、自分が使おうと思っていた"クルーザーが既に無かった"」

 

「茫然自失の中、隙だらけの裕さんの命を奪うのは女性でも出来る事よ。背後から、ナイフでグサり、って」

 

何より裕氏の姿を確認したと森さん本人が言っていたからな。

 

 

「犯人の計画は計算されていたものなんです。この嵐があったからこそ、この事件は成立します」

 

「警察が来ない以上、時間はたっぷりあるわ。天気予報さえ知ってれば、あらかじめクルーザーを隠すことだってできるのよ」

 

「部屋から落とした圭一さんの頭部を確保する時間も、一晩とかからずに出来たはずです。その処理を含めて」

 

「だから私たちに夜中、自由に動き回らないよう森さんはワインを奨めたのよ」

 

朝比奈さんは恐ろしいといった顔色で、新川さんと森さんを見つめていた。

そして、次は明智の事件だ。

 

 

「明智がこそこそ動いていることは森さんが確認しています。その時に何点か質問があったはずです。そしてその一つに、きっとこういった質問がありました」

 

「『新川さん、あるいは森さんの部屋を見せてくれませんか』って」

 

「犯人は既に金目のものは確保しているはずです。おそらく自分の部屋に」

 

「そして嵐が去ったと同時に、隠していたクルーザーで一目散に逃げるのよ」

 

「俺たちは警察がくるまでどうすることもできませんし、万が一にクルーザーが見つかっても俺たちは操縦できません」

 

まあ、長門や朝倉なら出来そうなんだけどな。

 

 

「きっと明智は新川さんが犯人の一人だという事には気付いていたはずなんです。ですが、共犯者についてはつかめなかった。死体が見つからない以上は生きている裕さんの可能性もあるので」

 

「じゃないと犯人の森さんの前で『自分は事件について嗅ぎまわっています、しかも一人で』としか思えない行動はとれないもの」

 

「明智の部屋に入る、あるいは擬似密室を作り上げるにはスペアキーがあれば充分です」

 

「だけど新川さんが相手なら明智君も逃げたり抵抗したりする警戒ができたはずよ」

 

「家政婦の森さんならば、明智の部屋に入るような理由がいくらでも作れます。『ベッドメークをするために各部屋を回ってる』とか、理由があればなんでもいい」

 

「裕さん同様、警戒してない相手からの不意打ちを受けた明智君は何とか逃れようとしたわ」

 

「そこで、窓から転落してしまった。これが事件のシナリオです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

推理が一段落すると、食堂は静寂に包まれた。

いくら事件についてわかったところで、失われた命が戻ってくるわけではない。

しかし、それを打ち破ったのは他でもない犯人の一人、新川さんであった。

 

 

「お見事な推理ですな。しかし、腑に落ちない点がございます。何故凶器が処分されなかったのでしょうか。ナタはさておき、ナイフは処分する必要があったはずです」

 

それを聞いたハルヒは「ぷっ。……あははははは!!」と高笑いを始めた。

何も笑う必要はないのだが、ここからが重要なのだ。

 

 

「当り前よ。犯人は凶器を処分する"必要がなかった"。つまり、"犯行に用いられてなんかいなかった"んだから」

 

そう。

 

 

「この事件には真犯人が居るわ。そしてその"真犯人"は――」

 

ハルヒが次に指を指したのは、余裕そうな表情で椅子に座る優男。

 

 

「古泉君、あなたがこの事件を"でっちあげた"。つまり、"誰も殺されてなんかいなかった"のよ!!」

 

「おや」

 

いかにも驚いた、といったオーバーリアクションをする古泉。

いいさ。人を馬鹿にしたお前の態度を、文字通り打ち砕いてやるよ。

 

 

「では、その理由の方をお願いします」

 

「簡単だ。この事件を調べていくうちに、矛盾点がいくつか見つかったからな」

 

「そもそもあたしたちは事件に対して何もしていない。ただ、現場を見せられただけよ。クルーザーがなかったのだってそう」

 

「圭一さんの"死体"に触れたのは新川さんだけだ。俺たちはじっくり観察できるような時間も、余裕もなかった。そしてその時以降部屋には立ち入りができなくなる」

 

「ミスディレクションよ。血まみれの現場や、凶器のナタ。そして奇怪な文字で演出することで死体から目を遠ざけたの」

 

その言葉の意味は俺は知らないがこれは後から聞いた話になる。

ミスディレクションとは誤った判断をさせる技術らしい。

俺たちは現場のインパクトに目を奪われ、その本質を見失っていた。

即ち、圭一氏の着用していた衣服をまとう物体が"本物の死体かどうか"という事実を。

血なんかそれこそいくらでも誤魔化せる。

こんな別荘を用意する金があればいくらでも偽装工作が出来るって訳だ。

 

 

「あれが精巧な"つくりもの"でもなかなか気づかないという事だ。死体は動かないし、触ろうとしても現場保持で許されない」

 

「確かに……。ですがそれは言いがかりではありませんか。明智さんだって身体を隠せばいいだけです」

 

「そうだ、本来なら明智の分も死体を用意するのが妥当なんだろうさ。だから最初に言ったろ? 『計算外の出来事』があったと」

 

「要するに明智君が一番最初に気づいたのよ、この"作られた事件"をね。明智君はあなたたちに説得されて協力することにしたのよ」

 

古泉は下を向いて頷いている。

しかし、まだ納得できないと言った様子で。

 

 

「では、何をもってこの事件を"つくりもの"と称すのでしょうか。犯人の新川さんと森さんはさておき、僕は無関係のはずですよ。この島に来たのも初めてですし、合宿について打ち合わせもしていませんでした」

 

その瞳にはまだ余裕が感じられる。

真犯人の古泉と共犯である新川さんと森さんも、「名探偵」の推理を期待している。

ハルヒは俺にここの説明を丸投げするらしい。

まあいいさ、俺が明智から教えてもらったことだからな。

 

 

「確たる証拠はないが、強いて言えば"出会い"だ」

 

「出会い……?」

 

古泉は意味がわからないらしい、そりゃそうだろうな。

おおかた「ドッキリ大成功」とか言いながら最後の最後でネタばらしする予定だったんだろう

犯人たちは証拠を残しているつもりがないからな。

 

 

「新川さん、圭一さんの所に務め始めたのは"つい一週間前"で、しかも"この夏限り"の契約とのことでしたね?」

 

「左様です」

 

「古泉。俺たちが新川さんと森さんと出会った時、お前は『お久しぶりです』と言った。"以前から顔見知りのよう"に」

 

これこそが違和感の正体。

一週間前に仕え始めた新川さんたちが、多丸兄弟について詳しく知らないのは納得だ。

 

 

「二人は、お前の親戚である多丸圭一氏にずっと仕えてたわけじゃない。仮にお前がどこかでこの二人と知り合っていたとしても、つい一週間前に圭一さんに仕え始めた二人を見て、最初に出る言葉が『お久しぶり』か? 『どうしてここに』とか、驚く方が先なんじゃないか」

 

「おや」

 

「お前は二人がここに来ることを"知っていた"。まるで"打ち合わせ"でもしていたみたいだな?」

 

「これは失態でした」

 

「そして裕さんと出会ったとき、彼はロープでクルーザーを波止場に留めていた。だがそれはハーバーにある柱に巻き付けた程度で、ロープもたいした太さじゃなかった。嵐を前にしては迂闊としか思えない。金持ちの唯一の移動手段なんだぜ、せめてワイヤーでしっかり固定するべきだ」

 

「なるほど」

 

「おそらくそのロープを使えば、明智を部屋から誰にも見られずに外へ出す事が可能だ。何もぴったり地面に届かせる必要はないんだからな。ロープの回収、血のりによる偽装、スペアキーによる施錠は全て誰か一人でもできる」

 

ハルヒ、後は「名探偵」のお前に任せた。

俺はもう座る。

 

 

「そして、あたしたちはこの館を隅々から調べたわけじゃない。三人を隠すのにうってつけな場所があるわ。誰か一人でもそこの近くに居ればいいんだから。そこは――」

 

ああ、圭一氏が俺たちと出会った時にしてくれた、館の部屋の説明。

兄弟が寝泊まりする三階の客間と、俺たちに割り当てられた二階の部屋、そして。

 

 

「使用人が使っている、一階の小部屋よ! そこに三人は居るわ!!」

 

いやはや、灯台下暗しとはまさにこのことだ。

何てったって圭一氏の首なし事件以降、古泉と新川さんと森さんの三人が揃った姿を見た時がなかったんだからな。

それはつまり、三人の内誰かが常に他の人が近づかないように見回っていたという事だ。

俺とハルヒが外へ出ようとした時も、森さんは一階に居たからな。

 

 

 

 

再び暫くの静寂が訪れた後に、古泉がこう言った。

 

 

「もう結構です。お三方、出てきて構いませんよ」

 

すると食堂の扉が開かれ、死んだはずの圭一氏、行方不明のはずの裕氏と明智の野郎が全員笑顔で出てきた。

圭一氏は大きな拍手で。

 

 

「すばらしい! 見事な推理だったよ、名探偵さん」

 

と述べた。

そして明智の脇には圭一氏をモデルとした首なし人形が抱えられていた。

 

 

「いや。わざわざ持ってきてあれだけど、これ意外と重いんだよ」

 

知るか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、事件は全部古泉によってでっちあげられたものだったのだ。

親戚の多丸兄弟はもちろん、新川さんも森さんもグルってわけだ。

 

放置されていた凶器も、奇怪な"SCREAM"の文字も、全部わざと残された、俺たちへのヒントに過ぎなかった。

これが合理的な判断のみに基づいて演習された事件だったならば、俺たちは今頃も苦しんでいただろうさ。

久しぶりに落ち着いて食事が出来ただけでも嬉しいがな。

 

 

 

壮大な"演出"を仕掛けられたにも関わらずハルヒは終始ご機嫌だった。

「名探偵」として活躍できたからだろうかね。推理したは殆ど俺なんだがな。

あれがシャレで済んでくれればそれで充分だろ、あと一日あったらどうなってたかわからないが。

古泉を含めた親戚の一同は頭を下げたが、それを見たハルヒは遠慮していた。

まあ、ハルヒもきっと心のどこかでこの事件の異常性を感知できていたのかもしれない。

 

 

 

朝比奈さんはショッキングな思いをしたにも関わらず、何とか元気を取り戻せた。

多丸兄弟と明智が戻ってきた時は思わず泣いてしまっていたが。

 

 

 

真犯人こと古泉は帰りのフェリーでの飲食代を全部負担させられていた。

そしてハルヒには「次も期待してるわよ。今度は雪の降る山荘なんだから」とかこっちが不安になるような台詞をかけられていた。

ハードルは高そうである。

 

 

 

宇宙人二人組は真相がわかっていたのだろう、その辺りを問いただすと朝倉は。

 

 

「あら? 私は嘘はついてないわよ。聞かれなかったもの。それに『見たまんま』ってのも本当よ、あれが有機生命体にはとても見えなかったもの」

 

「……」

 

無言の長門も同様らしい。

悔しいがこいつらは事実しか言ってなかったのだ。

やれやれ、オオカミ少年の話が情けなく思えてくるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、帰りのフェリーのデッキ。

俺は、風を浴びて外を眺める"そいつ"の所へ行く。

 

 

 

 

 

「――やあ、名探偵の助手君」

 

 

 

 



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そして誰もいなくならなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、どこまでお前は"協力"したんだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう言ってデッキで外を眺める俺の隣に現れたのは、キョンだった。

何やら俺に言いたいことがあるらしい。

 

 

「やあ、名探偵の助手さん。……協力ってどういう事かな」

 

「とぼけなくてもいいぜ。お前はたっぷりヒントをくれたんだからな」

 

そう言って彼は俺に手帳を渡した。

 

 

「今日の内容でもそれに書いとけ」

 

「総括としては『もっと海で遊びたかった』かな」

 

「まとめになってねえよ」

 

キョンは怠い表情をしていたが、どうやらはぐらかされてはくれなかった。

なんだかんだで彼もやりづらい相手だ。

 

 

「どこまでと聞かれても、ね。答えてもいいけど、どうしてそれが気になったのか教えてくれるかな」

 

「サングラスだ。お前がレンズを元に戻さなかったのは、その必要が無いことを知っていたからだ」

 

「つまり?」

 

「嵐が来るって情報も古泉たち『機関』の連中から知っていたんだろ?」

 

古泉からそこまで聞いていたのか。

ま、サングラスはわざとああしたんだけどね。

……なら、いいとするか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が回想するのは、コンピ研部長氏の事件を解決してから数日後。

この合宿からはだいたい二週間近く前の話になる。

UMAに擬態した情報生命体狩りを終え、自宅に帰宅しようと歩いていた時の事である。

 

 

「少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか」

 

懐かしき幽霊タクシーの横に立ち、俺を待ち受けていたのは古泉だった。

 

 

タクシーに乗せられた先は、隣町の高級ホテルだった。

その一室で俺を待ち受けていたのは、新川さんと森さん、そして多丸兄弟だった。

なんと全員正装である。俺なんか私服でせめて制服なら場違い感も薄れる――

とか呑気な考えは俺は一切持っていなかった。どう見てもそこは敵のフィールドである。

ホテルの一室という空間で多人数を相手にするのは不利だ、俺は今すぐにでも動けるように身構えた。

すると。

 

 

「おっと警戒しないでくれ。我々は確かに『機関』の一員だが、何も君をどうこうしようって話じゃない」

 

圭一氏が手を挙げながらそう言った。

そして古泉が隣に立ち。

 

 

「今回、我々はあなたにお願いがあってお呼びしました」

 

 

 

 

 

 

 

 

古泉の説明は夏休みに行う予定の合宿についてだった。

 

 

「我々があらかじめこういった場を提供することで、涼宮さんに変なことを思いつかせないようにしよう。という事です」

 

「何度も世界が滅びかけては困ります」

 

くすり。と森さんは笑ったが、とてもじゃないが俺には笑えない冗談である。

 

 

「それで? オレに何の関係があるのかな」

 

「あなたの能力ですよ。あれを駆使されてしまうと、我々が予定している模擬殺人事件が破綻しかねません。あなたの事を知らない涼宮さんはさておき、彼はそうもいかないでしょう」

 

「何もせずにただ黙っていろ。って話か」

 

「言葉を悪くすればそうともとれます」

 

「朝倉さんや長門さんはどうなのかな?」

 

「既に我々『機関』とコネクションのある方を通して、彼女たちにも話が行っているはずです」

 

なるほど、後は俺だけってわけか。

逆らうメリットもない。

 

 

「……それはいいんだけど、とりあえずそっちが予定している殺人事件とやらの詳細を聞かせてくれないかな」

 

その説明は原作通りのものだった。

兄弟げんかといった多丸兄弟不仲のきざしを見せておき、いよいよ事件を起こす。

圭一氏は胸の手帳ごとナイフが刺さり、心臓に達して死んだ。

けど実はそれは裕氏によって殺されたわけじゃなく、密室状態の中、意識を取り戻しかけた圭一氏がドアへ近づき――

 

 

「そこで僕やあなたによってドアが強行突破されてしまいます。その衝撃によって胸のナイフが心臓まで達する」

 

なんともお粗末な話である。

いまいち盛り上がりに欠けると言うか……。

 

 

「うーん。事件が起こるのはいいと思うんだけど、何ていうか、圭一さんは赤の他人だぜ? 合宿になってようやく初めて会った人がいきなり死んでも実感が湧かないんじゃあないかな?」

 

「ふむ。では僕も死体役をやりましょうか?」

 

「いいや。もっといい案がある――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――つまり、好き勝手されたくないならオレが消えてしまえばいいって理屈だよ」

 

「はぁ……」

 

キョンはため息を吐き、手すりにもたれかかる。

 

 

「あのな、てっきり俺はお前が死んだとも思ってたんだぜ。それがまさか最初からお前もグルで、しかもこの事件がお前の"演出"だったとはな」

 

「大したことじゃあないさ。原案をちょっと弄っただけだからね。それに朝倉さんと長門さんも黙認してたじゃないか」

 

「やれやれ。道理で朝倉が大した反応をしなかったわけだ」

 

そんなやり取りをしながら俺は考えた。

冬の山荘イベントを前にして待ち受ける、大きな山場。

それは原作第四巻に相当する、これまた下手すると世界崩壊どころか世界末梢レベルの大事件である。

まあ、はっきり言ってどうなるかがわからない。

俺に何が出来るのかもわからない、何せ"鍵"はキョンだ。

知らない所で全部終わっててもおかしくはない。

 

 

「なあキョン、シャーロックホームズを読んだことはあるか?」

 

「名前ぐらいしか知らんぞ」

 

「だがホームズが名探偵なことぐらいは知っているだろ?」

 

「そりゃあな。どんな事件をどれだけ解決したかなどさっぱりだが」

 

「名探偵の涼宮さんがホームズだとして、君はその助手ワトスンくんだ」

 

「何が言いたい?」

 

「いや、別に。じゃあオレは一体誰なんだろうか……。ふとそう思っただけさ」

 

シリーズにおける彼の最大のライバルはモリアティ教授だ。

また、教授の右腕であるモラン大佐も彼に劣らないほどの悪人である。

だが俺はそんな器じゃないし、涼宮さんと張り合えるほどの立場じゃない。

そして、"鍵"であるキョン相手でもだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

果たして俺にとって、嘘でもいい。

「世界が自分を中心に廻っている」だなんて思える日が来るのだろうか?

自分の意味すらどこにも見いだせない男に、だ。

朝倉さんを助けたのもエゴにしか過ぎない。

 

 

 

すると、すっかり黙った俺を見てキョンが。

 

 

「俺はホームズを読んだことが無いから言えるが。明智、お前はお前だろ。ハルヒだって、俺だってそうさ。もっとも、俺の代役が居るのなら交代してやりたいがな」

 

きっとこいつは、俺と特別に親しくなくてもそういう事が言える人間なんだろう。

……やっぱり、主人公にはかなわないな。

俺が女だったら間違いなく惚れてしまうような、感動的な台詞だ。

そんなんだからエラーで世界が危険になるんだけど。

 

 

「馬鹿だな。お前はそこが似合ってる。交代なんか、嘘でも言うもんじゃないよ」

 

「そういうもんかね……」

 

長門さん風に言えば、それはユニークなのだろう。

俺が無事でいられるならエラーも、まあいいのかなと思えてしまう。

 

 

 

……では朝倉さんは?

俺は彼女に対するまだ結論が何一つ出ちゃいない。

その回答は、他ならぬ自分自身である俺の、この世界で生きる意味が無ければきっと出せない。

いつの日か自分の意味を見つけて、朝倉さんに対しても、俺の方だけと一方的じゃなく、お互いに向き合える。

そんな希望的な日が来るのだろうか。

 

 

「希望はいいものだ」

 

「何だ?」

 

「いいものは決してなくならない。そういう意味だよ」

 

人間の心は素晴らしい。

だがその素晴らしさは、希望で生きていけると同時に、心が腐敗しても尚死人のように生きていけるという惰性の側面も持っている。

少なくとも、今の俺は惰性寄りだった。

 

 

「いつの日か――」

 

"全て"に決着がつく。

それが何なのかはわからない、ただ漠然としている。

しかし、その時が必ず来るといった確信めいた予感が俺にはあった。

 

キョンは肩を竦め、どこかへ消えてしまう。

俺に残されたのは書く予定のない手帳と、薄汚れたサングラスだけ。

いいさ、帰ったら今回の報酬として『機関』からそこそこのお金が出る。

お金に困っていたわけではないが、基本的に貰えるものは貰う主義だからね。

雪山やエラーよりも先に訪れる8月の懸案事項もどうにかしたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――だが、今日ではない。

 

 

 

 

 



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ロールバック・アウグストゥス
8月7日


 

 

 

 

 

 

 

 

――そう言えば、七月七日の話をするのを忘れていたな。

 

しかし何てことはない。

俺にとってはごく普通の平日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もっとも、俺のあずかり知らぬ所でおそらく朝比奈さんとキョンは"笹の葉"イベントをこなしたのだろう。

あれは俺がどうこうするような話じゃあないから仕方ない。

 

 

 

で、唐突だけど、俺の誕生日の話をしたい。

俺の誕生日は前世においてもこの世界においても同じだった。

今日がその日なんだけど、夏休み真っ只中である。

要するに今も昔も家族以外から誕生日を祝ってもらうなんてことが殆どなかった。

いや、俺自身が誕生日を明かすのも嫌だったというのもある。

何せ学生は休み中なのだからわざわざアピールもしたくない。

一部の親しい友人だけが俺の休みに埋もれた誕生日を祝ってくれた。ただそれだけ。

 

 

 

ところで俺は"エンドレスエイト"について詳しく覚えているわけじゃあない。

なんというか、オチっぽいのとだいたいの流れくらいか。

確か十七日に開始だったはずなんだが……何かあれば自ずとわかることだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

合宿が終わって以降、原作でキョンがぐーたらしてたようにSOS団の集まりは無かった。

宿題に手を付けてはいるのだが、それが退屈しのぎとしての役割を果たしてくれないのは言うまでもない。

それにもやがて終わりが来るからだ。

つまりですね、今の俺がどうしているかと言いますと。

 

 

「明智君、何か見せてちょうだい」

 

「その台詞を今日こそは聞きたくなかったんだけど」

 

俺の部屋にはエアコンが無い。

じゃあ異空間にでも引っこめばいいのだがそれも結局のところは生活環境がマシになるだけである。

そんなわけで俺は日中に朝倉さんの部屋に入り浸っていた。

いやあ、エアコンは文明の利器ですよ。

 

 

……うん。

自分でも思うさ、何てクソ野郎なんだ。

暫くは惰性から抜け出せそうにない。

 

しかし――朝倉さんのお金がどこから出ているのかは未だ謎だが――お昼ごはんも出してくれる。

言うまでもなく間違いなく生活環境としては上位である。元がいいとこのマンションだし。

朝倉さんは未だに俺の監視なのかよくわからない行動をしており――長門さんの補助もあるからそっちがメインでいいんだけど――早い話が俺の一発芸を毎日期待しているのだ。

 

仕方がないと思い、一度だけロッカールームからいつぞやのベンズナイフをひっぱって見せたのだが大変驚いていた。

本来はこの世界にあるような代物じゃあないからね。解析ができないのも当然である。

その際、かなりベンズナイフを欲しがられたのだが俺は一日中何とか断り続けた。

といった理由で現在は物を出すと言う案は没になっている。極力ね。

 

 

「ケチねえ。今日はせっかくの誕生日なんだから、サービスするべきよ」

 

「いいや、その理屈で言えばオレがサービスされる側なんだけど――」

 

――おい。

ちょっと待て。

 

 

「オレ、自分の誕生日を言った覚えは無いんだけど……?」

 

自己紹介の場でもまさかそんな事を言うはずもない。

すると朝倉さんは「何言ってんの?」と言わんばかりの顔で。

 

 

「涼宮ハルヒと接触した時点で、あなたの情報は各勢力に出回っていたのよ? 調べられる範囲の内容だと思うけど」

 

そういえばそれっぽい事を古泉にも言われたような気がする。

駄目だ、思考がままならない程度には夏に俺は屈していた。

ここからどうにかループ脱出へ向け――ループが起きないのが一番なのだが――切り替えなくてはならない。

何かのプロになった覚えはないが、切り替えが早い人種こそがプロフェッショナルと呼ばれる者なのだ。

 

しかし。

 

 

「誕生日、ね」

 

カレンダーを見るまでもない。

この日、八月七日は俺の誕生日だ。

普通ならばこの話はただの謎自慢で終わってしまうのだろうが、俺はある『因果』を感じていた。

そう、原作における七月七日。七夕との『因果』をだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在、日本に限らず沢山の国々の暦はグレゴリオ暦が用いられている。

俺は別にローマが偉大だって話がしたい訳じゃあない。

新暦の逆、旧暦の話がしたいだけだ。

日本における旧暦である太陽太陰暦は、詳しい説明は省くがだいたい今とひと月ぐらいズレている。

それはつまりグレゴリオ暦に変換すると旧暦は遅いという意味なのだが――正確には速さではなく基準の問題なんだけど――そこは気にしなくていい。

で、日本では一ヶ月遅れの旧暦で年中行事を行うといった風習があるところもあり。

八月七日は旧暦における七夕なのだ。北海道や愛媛県、他の田舎なんかでもあるはずだ。

 

だがそんな事言っても長門さんはどうやら七夕より前から涼宮ハルヒを観測してたみたいだし、補助役だった朝倉さんもそのはずだ。

せいぜい俺の場合はよくできた偶然なんだろうさ。

 

 

「そんなに面白いものが欲しいならこれでもやってなよ」

 

俺が無造作に床に左手をつけ、ロッカールームから手のひらサイズの箱状の物を取り出して朝倉さんに投げ渡す。

かがんでキャッチしたそれを朝倉さんは意味が分からないといった顔で。

 

 

「なあにこれ?」

 

「ぷちぷち、って潰せる梱包材があるだろ? あれを潰した感覚を無限に楽しめるおもちゃさ」

 

ちなみにこの時代にはまだ販売されていない。

微妙に未来のテクノロジーなのだが彼女はそんな事は知る由もないだろう。

ベンズナイフと違って毒が仕込まれてたりだの変な技術もないし、原材料は普通だからね。

試しに朝倉さんが指でぷちぷちを押すとおもちゃの裏側から「プチッ」というよりは「パキッ」に近い電子音がする。

その指を放すと押されたぷちぷちは元に戻るという実に――

 

 

「意味がわからないわね」

 

だよね。

 

 

「そのアイディアを玩具販売メーカーに持ってけば多分一儲けは出来るんだけどね」

 

「異世界の玩具なの? あなたが持ってけばいいじゃない」

 

「興味ないさ」

 

しかしながらこの日常も十日後にはどうなるかわからないのだよ。

いや、むしろ後十日間もこんな怠惰な生活を送るのはまずいだろう。

チラリと右手の腕時計を見ると、まだお昼前もいいとこだった。

今日からでも卒業だ。

 

 

「ずっと家に居るのも飽きたよね。しかしオレも提供できるような物なんか特に持ってないんだ」

 

何も持っていないわけではないが、中には物騒な物もある。

玩具や小物程度ならいくらでもあるんだけどね。ぷちぷちしかり。

そんな俺の発言に対して朝倉さんは俺が何か案を持っていると思ったらしい。

 

 

「ふーん。じゃあ何かいい考えがあるの?」

 

「そうだね」

 

とりあえず。

 

 

「外へ出ようか。歩いていれば何か見つかるかも知れない」

 

割と真面目に考えた末の発言だったのだが、異世界ジョークと受け取られたようだ。

朝倉さんは笑っているが俺は笑えない。

 

 

「まるで涼宮さんみたい」

 

「褒め言葉としては微妙だね」

 

「うん、いいわ。どっか行きましょ」

 

どうやら許可されたらしい。

思えばここ数日はこのマンションへの移動以外にまともに外へ出ていなかった。

夏を満喫するという意味では"エンドレスエイト"様様なのだが、無限ループだけは勘弁してくれ。

でも朝倉さんは何故か俺に協力的な面もあるから、こっちが聞いたら教えてくれるだろう。

何故わかったかはあれだ、異世界パワーでごり押そう。あながち間違ってはいない。

 

 

 

 

あてもなくふら付くだけで、目的なぞない。

昼食を含め通りすがりの店に立ち寄ることはあるかも知れないが、結局のところSOS団の市内探索と変わらない。

……ただ。

 

 

「まさか明智君がデートに誘ってくれるなんて。てっきり引き籠りの素養があると思ってたわ」

 

俺はどちらにどう突っこめばいいんだろうね。

朝倉さんは宇宙人と言えど長門さんほど社会性から遠いわけではなく、一応身だしなみを整えてから出かけたいらしい。

別に気にしないんだけど、まあ、これも一種の勉強になるさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とりあえず先に玄関へ行って、新調したばかりの靴でも履いて待ってるとするよ。

 

 

 

 

 

 



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第二十四話

 

 

 

 

 

 

 

 

単にびびっていた訳ではなく、俺はその時、状況をいち早く理解する必要があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よって、俺が寝ずに起き続けてその日を待っていた事にもきっと意味がある。多分。

間違いなく時計の針が深夜0時を回ったのを確認して、朝倉さんに電話をかけた。

彼女は2コールとしない内に出てくれた。

 

 

「もしもし、オレだ」

 

『……こんな遅くに何かしら?』

 

「朝倉さんだって随分と早く出てくれたじゃあないか。まるでオレの電話が予想できたみたいだ。腹の探り合いはいい、単刀直入に聞くけど"何かあった"んじゃあないかな?」

 

すると朝倉さんは驚いたらしい。

少しの間、反応が無かった。

だがこの情報だけでほぼ答えは出ていた。

俺の電話に対し迅速に出た事から、涼宮ハルヒが何らかの改変を行った事を既に観測していた。

そして、俺の質問が過去に繰り返されているものならば、朝倉さんは正確に結果だけを教えてくれるはずだ。

よって――。

 

 

『ええ。この夏休みは、巻き戻された"二回目"よ』

 

やはり、"一回目の俺は何もしなかった"か……。

 

 

しかし予想通り朝倉さんも原作の長門さんと同じく同期とやらで情報を引き継いでいるらしい。

一回目に関しては誰かに相談したところで特に信用されずに終わる可能性が高い。

さっきの「何かあった」の質問も、そこら辺を配慮した上での事だ。

原作では涼宮ハルヒがいつ改変を始めたのかまでは言及されてなかったはずだ。

となれば一回目の出来栄えに満足いかずにループを開始する、という風に考えるのが自然じゃないのかね。

 

 

 

とにかく。

 

 

「わかった、ありがとう。詳しい話は後ででいいよね。とりあえずもう寝よう」

 

『……そうね。おやすみなさい』

 

ツーツーと電子音が鳴り、通話は切れた。

 

 

「さてと、オレはこれからどうするべきなのかな……」

 

自問自答であり、答えなどなかったが確かな事は一つだけある。

それは。

 

 

「この馬鹿馬鹿しい二週間が終わってくれれば安眠できる」

 

何も楽しいからと言って、自分勝手に世界を変化させるなんて許されるはずもない。

とりあえず今は寝よう。今日は間違いなく八月十七日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝食を済ませた俺は昨日までならば精々九時ぐらいに朝倉さんのマンションへ向かっていたのだが、今日は八時前には家を出た。

505のインターフォンを押し、部屋に入るとそこには俺以外の来客がちょこんと椅子に座っていた。

朝倉さんと同じく宇宙人の長門さんである。

 

 

「まさか、長門さんも来ているとはね」

 

「……」

 

別に朝倉さんと二人っきりが良かったわけではない。

ただ原作では長門さんはループ現象に対して静観的だったはずだ。

どういう事なのだろう?

すると朝倉さんが説明してくれた。

 

 

「情報統合思念体があなたに興味を持ったのよ。何故あなたが巻き戻り現象に気づけたのか、って」

 

そうなるだろうね。

とりあえず俺は家を出る前の朝食時に適当に考えた言い訳をする事にした。

 

 

「オレほどにジェダイの騎士としての地位が高くなると、予知じみたレベルでフォースの導きってのがあるのさ。"May the Force be with you(フォースと共に在らんことを)"、ってね」

 

その瞬間、感情が無いはずの二人から物凄い殺気がしたのは気のせいだろうか。

少なくとも心なしか視線が冷やかになった気がする。

とは言え、俺が真面目に答えてくれるという可能性を捨ててくれたらしい。

 

 

「……まあいいわ。今度見せてもらうから」

 

玩具の光るライトセーバーで良ければ見せてあげるさ。

それに実際は山を張っただけにすぎない。

これが一回目でなく二回目だからこそ、朝倉さんは俺の「何かあった」を理解できた。

それはさておき、今は与太話よりも今後を話し合うべきだ。

 

 

「オレが朝も早くからここへ来たのは朝倉さんが恋しくなったわけじゃあない。この現象が解決してほしいからだよ」

 

そう。"二回目"ならばただの"巻き戻り"に過ぎないが"三回目"にしてようやく"繰り返し"となる。

これだけは、というか全世界的に迷惑をかけてるのでこの二回目で終わるべきなんだ。

 

 

「そうね。おそらくこのまま放置していれば、間違いなく八月は繰り返されることになるわ」

 

「で、興味を持ってくれたのはいいんだけど。長門さんの意見はどうなのかな」

 

「……どう、とは」

 

「長門さんの任務は観測でしょ? オレみたいに大義も持たないままに行動をしている訳じゃあない。強いて言えばオレのは独善に過ぎない」

 

「よく言うわね」

 

呆れた声でそう言うと、朝倉さんはコップに注いだ烏龍茶を俺に差し出した。

自分と長門さんの分は既に机に置かれていたらしい。

このお茶の色、黒烏龍か。

 

 

「わからない。ただ、あなたが涼宮ハルヒに対して何かすると言うのなら私はそれを含めて観測する。それだけ」

 

ご期待の所、悪いけど俺が涼宮さんに何かかをしようとするつもりは今の所ない。

この事態を解決できるのはいつも通り"鍵"であるキョンだけであり、結局はいつも通り――

 

 

「世界に助かってもらおう」

 

中立が一番儲かるのさ。多分。

 

 

 

 

 

 

そんな中身がまるでないやり取りを終えた後、お茶を飲み干した長門さんは自分の部屋へ帰って行った。

涼宮さんから呼び出しがかかるまで俺は何もする気はなかったのだが、彼女なりに気を遣ったというのだろうか。

 

しかしながら。

 

 

「プールか……」

 

「何であなたがそれを知っているかは聞かないであげるわ」

 

そうだ、確か今日はプールの日だ。

嵐が来るのを知っていたにしても、海水浴が一日だけだったいつかの合宿はとても残念であった。

思えば合宿で長門さんと潜水対決をしたが強敵どころか俺がかなう相手ではなかった。

どこぞの肺活量に自身のあるお方ならば勝てたのだろうか。

いずれにしても水着はいい。ビーチバレーの時といい最高だったね。

ただ、朝倉さんとペアを組んだ以上は彼女のグンバツの脚をじっくり見れなかったのが心残りだったのだ。

……うん。半分くらいは冗談だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これはまったく意外だったが、お昼近くに涼宮さんから俺の携帯に電話がかかってきたが、俺は朝比奈さんに次いで二番目らしかった。

流れで行くと、キョンが最後ということになりそうだ。

 

 

『明智君は今日暇よね?』

 

その質問は俺にとって死の宣告に他ならなかった。

例え用事があろうがそれが法事でない限りは涼宮さん優先である。

彼女から必要な持ち物を一通り聞いた後、俺は「朝倉さんと長門さんにもこの内容を伝えておく」と言っておいた。

実際は"二回目"だから俺が言う必要もとくにないんだけどね。

そんな訳で水泳道具を取るためだけに俺は"臆病者の隠れ家"を使った。

どうせ長門さんにも伝えるんだから行きは三人で行くことにした。俺は自転車を手押しである。

やはりと言うか、長門さんはセーラー服だった。

さっきは私服だったのにわざわざ着替えたらしい。それにも意味はあるのだろうか。

 

 

 

SOS団が集合する際に、キョンが一番最後に到着するのは何かの宿命なのかもしれない。

これはもしかしたら涼宮さんの能力ではないかと勘繰ってしまうが、多分そうじゃないにしてもキョンが一番最後のような気がする。

俺の友人にもそういう奴は居たからな。

キョンに対する恒例のお説教があった後、涼宮さんは。

 

 

「それじゃ、全員揃ったことだし出発よ」

 

「どこへだ?」

 

「プールよプール、市民プールに決まってるじゃない」

 

その後ありがたくはない彼女の哲学が一通り語られた後に自転車でプールへ向かう事になった。

単純に自転車で行くと言っても何と自転車は三台しか無い。男子しか自転車を持参していないのだ。

実は俺は性能面だけで言えば軽いしタイヤもゴツいバイシクルがあるのだが、今回は多人数による乗車が強制されている。

要するに今回、俺は最早消耗品と呼ぶに相応しい値段や性能のママチャリである。

別に俺は原作のキョンのように三人乗りを余儀なくされなければ誰が後ろに乗ってくれても良かったのだが、当然の如く朝倉さんが後ろに乗った。

というか乗られた。

 

 

「いくぜぇ、流星号!」

 

「それ前回も聞いたけど何なの?」

 

そんな訳で流星号もとい安物のママチャリを後ろに朝倉さんを乗せて俺は走らせていた。

しかしながらアルミフレームの穴ぼこ荷台では申し訳ないと思い俺はあらかじめウッドベースのシートが取り付けられているリアキャリアと交換していた。

これなら負担も少なくて済むだろう。……いや、朝倉さんが重いって訳じゃあないんだけどね。

原作そのままにキョンは涼宮さんと長門さんを乗せてちんたらやっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

市民プールのレベルの低さはアニメを見た時に分かり切っていた事なのだが、しかし何もここにする必要はあったのだろうか。

いくらここが都会じゃないとは言っても少し離れればしっかりとしたプール施設があったはずだ。

それに俺は屋外プールより屋内プールの方が好きなのだが……割り切ろう。

涼宮氏に急かされた平団員は荷物置きを終え、有象無象のプールに入ることとなった。

 

 

 

 

 

最早直進が不可能な条件下である時点でレースとしては某大陸横断レース並の厳しさであり、そのような中で敢行された五十メートル自由形は原作通りに長門さんの優勝であった。

ここがしっかりレーン分けされているような温水プールならば俺も本気の出し甲斐があったのだが、お子様達の群れをかき分けることを余儀なくされる以上はまともな試合など望めない。

涼宮さんは長門さんに優勝を奪われて悔しそうではあったが、これがまともな条件下だったらと思うと優勝者もどうなったかわからない。

 

そんなやり取りを終え、女子はプールで自由に動き回っていた。

涼宮さんと朝比奈さんは水中で格闘戦――まあ朝比奈さんが一方的にされてるだけ――を繰り広げ、長門さんは持参したらしい浮き輪でぷかぷか揺れていた。

朝倉さんはゴーグルを付けて退屈しのぎに泳ぎ回っていたが、どうやら今日の彼女の水着は合宿の時と異なっていた。

ネイビーカラーで下がスカートのような形になっているワンピースタイプのものだ。

女子高生にしては大人びたチョイスである。まあ、悪くないんだけどね。

ここがもっと落ち着いた場所なら俺も泳ごうと思うんだけど、男子三人は彼女らの光景を眺めているだけだった。

 

 

「いやあ。楽しそうですね」

 

「オレは場所に文句を言いたいんだけど」

 

「これも一興でしょう。実にほほえましい光景で、何より平和です」

 

現在進行形でその平和が損なわれつつあるんだけどね……。知らぬが仏って奴か。

 

 

――俺は考えた。

原作においてループ現象が発覚したのは朝比奈さんの何気ない行動がきっかけだったはずだ。

そして同時に必ずループ現象を自覚できた訳ではなかった。

パーセンテージは統計的には半分を超えていたが、実際には後半に入ってからループ現象に気づく頻度が高くなってきたと言う。

キョンの既視感なんかがそうなんだろうが、それにしても謎である。

肉体的にも精神的にもリセットされているはずではなかったのだろうか?

じゃあ、どこにその既視感を生み出した要素が残っていたと言うのだ。

 

 

「心、か……」

 

非論理的にもほどがあるさ。

しかし、確かな事の一つとして、この"二回目"において朝比奈さんが"巻き戻し"現象に気づく確率は低いらしいという事だ。

長門さんは観測が任務だからわざわざキョン達に説明しないだろうし、朝倉さんもわざわざそのような事をしないだろう。

俺がどうこうしない限り、宇宙人と俺を除く皆は異常を知らずに"二回目"を終えてしまう事になる。

そして俺にはみんなに知らせるその覚悟が無かった。ただの原作知識に頼った結果に過ぎないから。

相も変わらずに臆病者だった。

 

つまり、何故か俺だけが例外だった。

朝倉さんはこの事件においても俺の秘めた実力とやらを期待しているのだろうか?

少なくともはぐらかそうと思えばいくらでも出来たはずだ。

あっちが知ってるかは知らないが、俺には現象を確かめる方法が無いのだから。

それに、今回は全世界レベルでの異変だが何も滅ぼそうって訳じゃないんだ。

元に戻ってくれればそれでいい。

 

 

 

 

 

 

お昼ご飯として涼宮さんから各団員に配布されたのは朝比奈さん特製のサンドウィッチだと言う。

ふむ、食パンベースのミックスサンドか。朝倉さんがお昼に出してくれたサンドウィッチはバンズだったが、まあ、こちらも美味しかった。

しかしながら既製品でない食べ物を比較することなど不毛以外の何物でもなく、失礼に値する。

俺だって料理に多少の心得はある――こと炒飯に関しては負ける気がしない――が、頼れる以上は頼るべきなのだ。

彼女には食事を楽しむという概念はあるのだろうか。さっさと口に入れた涼宮さんは

 

 

「もうひと泳ぎしてくるわ。みんなも食べ終わったら来るのよ!」

 

と言い残してプールに飛び込んだ。子供は真似しちゃあ駄目だ。

そこら辺で調達してきたスポーツドリンクを飲みながらのんびり食事をしていると朝倉さんが

 

 

「何かプランはあるのかしら?」

 

と訊ねてきた。

 

 

「朝も言ったはずだよ、"助かってもらう"のさ。俺は異世界人、宇宙人未来人超能力者と並ぶただの人形だよ」

 

「ふーん」

 

とつまらなそうな声を上げた朝倉さんもミックスサンドを平らげ、俺の手からスポドリをぶん取って飲み干すとこう言い残した。

 

 

「私はそれが嫌だから変革を望んだのよ。そして多分、あなたは勘違いしてるわ」

 

何を? と聞き返す前に朝倉さんはさっさとプールの中へ消えてしまった。

優等生だけあってダイブなんかするはずもなかったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――俺はどうしたいんだろうな。

 

 

この"二回目"で終わってほしいし、それを実現させるために何かがしたいと思う反面。

涼宮ハルヒの人形である事を受け入れ、"鍵"であるキョンが解決してくれればいいと思う無責任な自分も居た。

どうもこうもない。

 

何せ俺一人の行動で原作が変化する事に関しては実証済みだ。

朝倉さんもそうだし、情報生命体や、合宿の殺人事件だってそうとも言える。

俺は不安に駆られていた、再び揺らいでいた。

自分に責任は持てても他の誰かの分はわからない。

だからこそ俺は朝倉さんに対しての結論を先送りにしているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

既に他の団員の姿は無く、プールサイドには俺だけが取り残されていた。

 

 

 

 

 



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第二十五話

 

 

 

結局俺たちはあの庶民プールに日が暮れるまで居た。

お子様が消え失せて行くに連れて俺も泳ぐようになったが、結局は海の広々さが一番だったんだろう。

プール特有の温さというのも悪くはないのだが。心地よさは別物だ。

 

 

 

何より合宿の時の海岸は無人だったからね。

つまり自由だったのだ。

庶民プールは狭くはないが広くもない。

水も滴るいい女性である朝倉さんにはこの場所は役者不足である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再び自転車で駅前まで舞い戻る事になったのだが、三人乗りをさせられたあげくに遅刻という事で奢らされているキョンは悲惨の一言に尽きた。

帰りの自転車で後ろの朝倉さんの反応が悪かったのは、さっきの俺の不甲斐なさ故なのだろうか。

 

 

 

結局、集合場所であった駅前まで戻ってきたのだ。

近くの喫茶店に入りオーダーが全て到着するや否や涼宮さんから発表が。

 

 

「夏休みの活動計画を考えてみたんだけどどうかしら。残り少ない中でどうやって過ごすかの予定表よ」

 

「誰の予定表だって?」

 

「あたしたちに決まってるじゃない。SOS団サマープログラムよ」

 

俺に言わせりゃ二週間も遊び呆けていられるなど贅沢以外の何物でもないさ。

いくら涼宮さんが美人と称されようと、その実はティーンエイジャーに過ぎない。

こんなに長く休めるのはいいことだ。だから学生の長期休暇は滅びないのだろう。

 

そして涼宮氏が考案した予定表とやらの内容はこうである。

盆踊り、花火大会、アルバイト、天体観測、バッティグ練習、昆虫採集、肝試し、etc...。

そこに書いてあったが夏季合宿とプールは既にクリアされている。これらは全て未達成の内容だ。

そして、更にそこへ朝比奈さんたっての希望で金魚すくいが内容に加えられた。

……俺の希望? 仮に思いついたとしても何も言いたくもないさ。余計に夏休みの達成が厳しくなる。

他の皆も同感らしく、これ以上の内容は付加されずに終わる。

 

 

「明日から決行よ、集合場所は同じだから。近くで明日に盆踊りやってるところあるかしら? 花火大会でもいいわ」

 

「僕が調べておきましょう」

 

同じも何も、SOS団の集まりで駅前以外に集合した覚えは合宿のフェリーくらいしかない気がする。

盆踊り云々については古泉が調べてくれるらしいが、まあ、『機関』なら架空の縁日をでっち上げても不思議じゃない。

合宿の別荘だって『機関』が用意した訳だからね。

 

 

 

 

そして晩飯前に解散となり、各々が去っていく。キョンは支払いだ。

俺は自転車を押しながら、隣を歩く朝倉さんに訊ねる。

 

 

「一つ教えてくれないかな」

 

「何?」

 

「"一回目"のオレは朝倉さんから見て、どんな感じだった?」

 

「……多分今のあなたと変わらないわ。何考えてるかわからない。いいえ、何も考えてなかったみたい」

 

なるほどね、そりゃあ多分正解だよ。

きっとSOS団で遊ぶことだけに無理矢理集中しようとしてたんだろうさ。

"人形"もいいとこ、だ。

 

 

「じゃあ、もしこの"現象"がループするようになったら……。朝倉さんは観測以外に何かするのかな?」

 

「質問は一つだけじゃなかったの? でも、そうね。もしかすると涼宮さんを殺そうとするかも」

 

冗談交じりに笑いながら言っているが、彼女ならやりかねない。

俺が彼女のその覚悟を踏みにじった末に今の光景があるのだ。

結論はまだ無理だけど、この"現象"に対してはどうやら俺にも責任があるらしい。

このまま続けば朝倉さんは退屈な思いをするだけなのだ……。

いくら察しがつこうが、俺は前回の内容を共有できない。無力だ。

朝倉さんのそれはかつての"エンドレスエイト"では無かった事だ、俺も含めて。

だから――

 

 

「……俺がさせない」

 

そう呟いた俺を見て朝倉さんは立ち止る。

 

 

「作戦なんか何もないけど、でも、オレが必ず今回で終わらせる。だから朝倉さんは……いや、何もせずに観測に集中しててくれ」

 

きっと、こんな気障な台詞は主人公が言うべきなんだろうよ。

ゲストの俺に相応しい言葉じゃない。

でも、キョンが言ってもいまいちピンと来ないけどさ。

 

ただ、それでも俺の心に嘘は無かった。

もし誰もやらないなら、誰かがやならければならないのだ。

そしてどうやら俺にはその権利だけが目の前の床に無造作に置かれている状態だ。

 

涼宮ハルヒ、知っているか。

"巻き戻し(ロールバック)"ってのは、障害が発生してからするもんなんだぜ。

お前さんが学校――SOS団以外だ――に対して関心を持てないのは同情できる、誰にでも思いうる事だからね。

でも、それで朝倉さんや長門さんが苦しむのはただの理不尽だ。

俺が決める事ではないが、涼宮ハルヒが決めていいことでもない。

明日があるから希望もあるのだ。涼宮さんは、世界から希望を奪った。

 

こんな俺の戯言を聞いてくれた朝倉さんは皮肉交じりに。

 

 

「明智君のその言葉。もし"次"があったとしても聞きたいわ」

 

「善処するよ……"覚えてたら"ね」

 

あの時俺が『守る』と言ったのは、もしかしたら自分自身なのかも知れない。

俺が朝倉さんにしているのはただのポーズでしかない。

だが、今はそれでいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日、盆踊り兼縁日である。

いつの間にか水着を用意していた朝倉さんではあったものの着物までは持ち合わせていなかったらしい。

長門さんも同様で、ショッピングモールすら普段行かないような朝比奈さんについては言うまでもない。

そんな訳で女子はまとめて着物を婦人服衣料店で購入していた。

宇宙人パワーなのかは知らないが朝倉さんと長門さんは着付けが出来ていた。他二人は女店員さんに頼んでいたが。

朝倉さんの浴衣は黒を基調としたもので、何の花が描かれているのかまでは俺にはわからない。

ホームズなら何の花かが判るんだろうな。ワトスンとの初対面の時は散々な評価をされていたが。

 

女店員さんは「だれがどの彼氏だろう」と言わんばかりにあちらとこちらに視線を動かしている。

まあ、外見だけで言えば古泉対四人で丸く収まるんだけどね……。

俺は鏡で自分を見るような趣味などない。服装は気にするが、それだけだよ。

 

 

「みくるちゃん、かわいいわ! あなたの浴衣姿に世の男の九五パーセントはメロメロよ」

 

と涼宮さんは黄色ベースにカラフルな金魚が描かれた浴衣姿の朝比奈さんを褒め称えていた。

確かに、美人であることに間違いはないが、俺はメロメロになるかと言われればそうではい。

精神的に枯れているのかもしれないと思うと軽く虚しくなってしまう。

 

 

キョンはいつも通りに朝比奈さんをいじり倒している涼宮さんを見て。

 

 

「まったく。馬子にも衣装とはこの事だな」

 

「素直に褒めてやれよ」

 

「明智、お前こそどうなんだ?」

 

「…………」

 

「いやあ、お見事ですね」

 

何でお前と古泉の前で朝倉さんを褒めなければいけないんだ。

巻き戻りについて知らなくてもいいが、常に危機感を持ってくれよ。

その後、俺が朝倉さんを褒めたかどうかは秘密だ。

 

 

 

 

 

未だ日没前の盆踊り会場ではあったものの、俺たちのような暇人どもが既に集まっており、隆盛を極めていた。

盆踊りで本当に踊ってる人種なんざだいたい子供もしくはその家族と、間抜けの二種類に大別されよう。

つまり俺は踊るわけがあるはずもない。

 

縁日は出店がそこそこあり、気分という付加価値のために値段が吊り上げられた海鮮焼きそばを俺はすすっていた。

イカが安物で腹立たしい。ホタテも貝柱程度である。これならば自作した方が精神的にいい。

みんなは自由に行動している。基本的に男子と女子で別れた感じではあったのだが。

朝比奈さんは金魚すくいが楽しみらしいが、俺はお祭りの動物と言うとカラーひよこを思い出してしまうので軽いトラウマである。

輪投げや射的も興味深いがこういうのは得てして素のポテンシャルでは厳しい設計になっている。

ダーツなら腕に自信があるんだけど。

 

フルーツ飴の出店の前を通ったので俺はキョンに気を使ってやることにした。

 

 

「キョン」

 

「ん。何だ」

 

「妹さんにおみやげぐらい買っていきなよ」

 

「そうだな……。まあ、りんごあめの一番小さいやつでいいか」

 

うろ覚えだが、原作では確か買い忘れてたんだよな。

キョンはテイクアウトということで先端のフィルムを剥がさずにビニール袋をもらっていた。

 

 

で、途中まばらに行動する組み合わせが入れ替わったものの、七八時のいい時間帯になると全員が再び集結するようになる。

涼宮氏は買ったらしいタコヤキをキョンへ差し出し、気分も上々だ。

朝比奈さんは大きなりんごあめと金魚すくいの金魚が入ったビニール袋を持っている。

クラゲといい水生生物の飼育は大切にしてやって下さい。朝比奈さんなら大丈夫だと思いますが。

朝倉さんと長門さん二人組は特に買い物をしていなかった。いや、長門さんは謎のお面を頭に乗せていたな。

謎のクオリティにもかかわらずそれに800円を出しちゃうあたり、長門さんのツボも謎である。

とにかく大所帯にも関わらず俺たちは冷やかしがメインなのさ。焼きそばで俺も打ち止めだし。

 

 

そしてその後、コンビニで適当に買いあさった花火セットに興じたのも。出費としちゃ悪くないさ。

 

 

 

ちなみに俺は前世でねずみ花火に追いかけられて三階の屋上から落ちて骨折した過去がある。

その時からビールは絶対に飲まないと思ったね。

酒は飲んでも飲まれるなとはよくぞ言ったものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは怒涛の日々である。

俺が生きてきた中で、密度の濃さで言えば一番の二週間だったと思う。

 

盆踊りと縁日の次の日は虫取り。セミ限定の大会でやってて気持ちいいものじゃなかったけど。

 

 

「セミって天ぷらにできないかしら?」

 

いつか漫画で見たような気もするよ。

沖縄の方じゃセミ料理の店もあるし、中国へ行けば串焼きだってある。

案外食べれるものなのかもしれないし、前世では食糧難対策として虫を食べるなんて話も聞いたことがある。

と言っても俺たちがトライする必要性は無い。

あの朝比奈さんが確保できるほどに、セミは大量かつ容易に捕まえられた。

その後はまさか天ぷらにする訳にも持ち帰る事もなく、セミは一斉に解放される。

涼宮さんが言うにはセミが恩返しに来てくれるという。セミはもうすぐ死ぬというのに。

 

 

「ほら、帰りなさい!」

 

土に還る方が早そうだ。

 

 

 

 

 

 

 

その翌日はアルバイトで、涼宮さんがどこかから日雇いのを取り付けてくれたらしい。

だがそれは倉庫の荷物運びと、間違っても暑い日にやりたいようなもんではない。

しかもあれだぜ、必然的に男がメインになるのだ。

俺はフェミニストってほどじゃないが、世界の矛盾をこの瞬間に感じている。

けれど、これで世界の平和が守られるのならばありがたいんだけど。

 

 

「キョン! みくるちゃんの分も手伝ってあげなさい」

 

ご覧の有様だよ。

長門さんと朝倉さんはおそらくインチキをしたのだろう、軽々と運んでいく。

まったく、本当にフォースが使えたらどれだけありがたいことか。

トレーニングではなかなか使わない筋肉の負担になるからいいんだけどさ。

ぜぇぜぇと息を上げながらキョンは俺に文句を言う。

 

 

「明智。お前も朝比奈さんの分を手伝いやがれ……」

 

「お前が朝比奈さんのためになるからいいんじゃあないか。喜んで遠慮するよ」

 

ちっ。と言って彼は作業を再開する。

時給としちゃ引っ越しには劣るんだが、これは遊びの一環らしいからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日、アルバイトの帰りだ。長門さんがこちらをじっと見つめていた。

何やら話したいことがあるのだろうか?

近づいて聞いてみることにする。

 

 

「何か用かな?」

 

「朝倉涼子を通してあなたの話を聞いた」

 

はて、何の事を言っているんだ。噂話は北高内だけで充分である。

その様子に気づいた長門さんは俺の疑問を解消してくれた。

 

 

「あなたはこの現象を終わらせるつもり」

 

「ああ、その事ね。……まあ、これも聞いたと思うけどノープランさ。オレ一人でどこをどうまでやれるのやら」

 

すると再び長門さんは黙りこくってしまう。俺の無責任さに気を悪くしたのだろうか。

夕焼けのせいもあり、眼鏡のレンズの底は知れない。

そしてふと顔を上げると。

 

 

「あなたはどうしたい?」

 

「どうって、……こうもないよ。皆で協力して、ループを発生させないのがベストさ。涼宮さんの退屈を、俺たちが共有する必要はないんだ。良かれと思ってやってるのかも知れないけれど、少なくとも俺一人に言わせりゃ"良くない"ことだね」

 

「そう」

 

とだけ言うとさっさと踵を返して俺の前から立ち去ってしまった。

まあ、朝倉さんを送るから帰る方向は同じなんだけど。彼女は意外にも足が速いらしい。

朝倉さんは自動販売機へ飲み物を買いに行っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……しかし、まさか。ね。

 

俺にとって都合がいいのか何なのか。

まあ、少なくとも意味はあったのかも知れないが。

 

 

 

 

 

この日の夜、携帯電話が鳴るとは思ってもいなかったよ。

 

 

 

 



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第二十六話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真夜中にかかってきた電話の主は古泉だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今から駅前に集まってほしいとの内容で、俺は急いで行く事にする。

この時の俺は、朝比奈さんが偶然にも未来との交信が途絶えたことに気づいたのだろう。

……と思っていたのだ。

 

 

「どうも」

 

「ふぇええええんん」

 

「……」

 

駅前に到着するとキョンと涼宮さんを除く全員が揃っていた。

朝倉さんは長門さんと違い、無言というか、目をつむって電柱によりかかっている。

女子がするようなポーズではない。

 

 

「じきに彼が到着すると思いますので、その時に説明します」

 

古泉がそう言ってから数分後にキョンは到着した。

 

 

 

 

 

「……で? いったい何なんだよ」

 

「ふええええん、キョンくん……」

 

朝比奈さんはその場に崩れ落ちてしまう。

この状況は未来と言うアイデンティティから見捨てられたも同然なのだろう。

今の彼女は文字通りに帰る場所がない。

俺は今の所、元の世界に帰るあてなどない異世界人だと言うのにも関わらず、その気持ちがわからなかった。

何故なんだろう。

 

 

「端的に言えば、こういうことです。我々が体験した夏休みは"二回目"です。正確には――」

 

「八月十七日から八月三十一日にかけて。涼宮ハルヒは九月一日が来る前にこの世界を八月十七日まで戻した」

 

「と、いうわけです。今この世界には八月から先が無いのですよ」

 

朝比奈さんは「未来へ帰れなくなりましたぁ」と泣きながら呟き、朝倉さんは無言である。

キョンはいまいち事態を飲み込めていないらしく。

 

 

「二回目? 馬鹿言え、俺は夏休みが終わった記憶なんかないぞ。意味がわからん」

 

「当然でしょう。この世界が全て"巻き戻された"のですから。精神も肉体も十七日まで」

 

「……百歩譲ってそれを認めてやってもいいが、だったら普通に夏休みを終えればいいだけじゃないのか」

 

「おそらくですが、それで涼宮さんが満足しなかったからこのような事になったのです。このままでは次も、その次も巻き戻され、やがてループする事になるでしょう」

 

「じゃあ、どうやってそれにお前は気づいたんだ」

 

「正確には僕が気づいた訳ではありません。僕も例外なく記憶がありませんから。今回この事実に直面できたのは長門さんのおかげですよ」

 

「……」

 

「ふぁい……。長門さんから連絡があって、そしたら『禁則事項』が『禁則事項』になって……ひっく。あわてて――」

 

 

まさか、と思って長門さんを見るが、彼女の表情はいつも通りの無機質そのものだ。

このの口ぶりでは、まるで長門さんがこの巻き戻り現象について説明したみたいじゃないか。

 

 

「長門さん、何で……?」

 

観測だけを任務として、原作では"エンドレスエイト"に静観を決め込んでいたアンドロイド。

その彼女が何故――。

 

 

「あなたはこの現象を解決すると言った」

 

「ふふ。余計なお世話だった?」

 

まさか、そんな訳ないだろ。

最悪の場合として俺一人で課題作戦を無理矢理にでも展開させていくつもりだった。

だが、どういう訳か協力してくれるらしい。

 

 

「異世界人のあなたが何をするのか……涼宮さんがこの夏休みをループさせるなら、一回ぐらいはあなたを観測するのも悪くない。長門さんはそう考えたのよ」

 

「……」

 

まったく。

これで感情が無いらしいんだから、詐欺もいいとこだよ。

いや、正確には理解できないだけなんだろうけど。

しかしながら他の三人を置いて話を展開してしまい。

 

 

「お前達は何を言ってるんだ? 俺にわかるように説明してくれ」

 

「なるほど……」

 

「どういう事ですか?」

 

一名だけ何かを納得しているがキョンと朝比奈さんは、俺と宇宙人の話を理解できていない。

理解してもらわなくていいんだけど。

 

 

 

まあ、いいさ。

 

 

「みんな、オレに考えがある」

 

ここに居る全員が協力すれば、涼宮ハルヒの心変わりくらい"わけない"。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が原作のループについて考えた内容はこうだ。

 

涼宮さんは楽しい夏休みが"終わってほしくない"から巻き戻した。

正直俺も最初は、ただ夏休みに満足していないからループを引き起こしたんじゃあないのかと思ったさ。

けれど、キョンの宿題を手伝うというだけでループから抜け出すという"事実"を考えるとどうもおかしい。

だって宿題だぜ? 楽しい夏休み、つまり遊びとは正反対じゃないか。

だから、きっと涼宮さんは"満足してしまった"んだ。遊びだけで充分だ、って。

他にもう楽しい事はないんじゃないか、そう考えちゃったから遊びだけの二週間を求めたんだ。

つまり――。

 

 

「逆だったんだ。夏休みに"やり残した事がある"から巻き戻したんじゃあない。もう"やり残した事は他にない"……その絶頂である満足感を永遠に味わい続けたいから、こんな事になったんだ」

 

そう。これが俺の考えたエンドレスエイトにおける"諸悪の根源"。

そしてこれをどうにかするには俺一人がどう動こうが、きっと無駄だ。

もしかしなくても次回以降のループで俺の存在が消されかねない。

朝倉さんが涼宮さんを殺そうとしても、きっとそうなるだろう。

遊びの輪を乱す者は除け者にされる。小学生だってそうだ、涼宮ハルヒにおいても例外じゃない。

 

 

「だから、オレ一人じゃ無理だ。みんなの協力が要る。まだ出てない、夏休みにやりたい事の案を出すのもよし。涼宮さんに九月一日以降の可能性を見せるもよし。とにかく、みんなの協力が必要なんだ。涼宮さんがわざわざ集めたみんなだから、涼宮さんもきっとオレたちと同じ気持ちになってくれる。SOS団は、そのための集まりなんだ」

 

SOS団の活動内容は宇宙人未来人異世界人超能力者と一緒に遊ぶこと。

"鍵"であるキョンは最早涼宮さんと同じ次元だ、言うまでもなく遊ぶ権利がある。

そして、遊びとは心の満足のための行為でる。よって。

 

 

「オレ達はまだ満足しちゃいない! ……これを涼宮さんに伝えるんだ。そうすれば八月三十一日は終わる」

 

俺の話がどこまで信用されたのかはわからないが。

 

 

「やれやれ。どうやらまたハルヒのわがままが原因らしいな。俺もSOS団結成の責任がある以上、協力しないはずがないぜ」

 

「涼宮さん、そんな風に考えてたんですね……。あたしも何かみんなとやりたい事を考えてみます」

 

「これはとても興味深い意見ですね。そして、それを知った以上は、僕個人としても涼宮さんのために行動したいものです」

 

「……ユニーク」

 

「なによ。結局まともな作戦があったじゃない」

 

やってみるさ。俺に何が出来るか、まだわからないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

涼宮さんじゃないが、思い立ったが吉日とはまさにこのことだろう。

次の日は夜からの天体観測のみの予定だったが、キョン経由で急きょ朝から予定を入れた。

 

 

「海釣りに行くわよ!」

 

流石に服装までは本格的なものが用意できるはずもないが、海までは電車とバスを使えばそう遠くない。

ちょろっと楽しんで帰ってくる頃にはすっかり夜だろうさ。

 

 

 

シーズンという事もあり、海岸には釣り目的の人もそこそこ窺える。

そして釣りが出来るような海岸の近くには釣具店があるのがセオリーだ。

俺は用意があるが他のみんなは持っている訳もなく、レンタル品となる。

 

 

「じゃんじゃん釣るわ~」

 

との言葉通りに何故か涼宮さんのところへは様々な魚が集中する。

これが本当の神業なんだろうよ。

俺たち男子が釣ったものなど今の所地球だけである。

 

 

「たまにはこうして、落ち着いて潮風を浴びるというのもいいものですね」

 

「違いない。俺の所には一向にかからないがな」

 

「どうしようもないね」

 

朝倉さんと長門さんは黙々と成果を上げ、朝比奈さんでさえ一匹ヒットしている。

SOS団男子にはボウズの未来しか見えていない。

まあ、クーラーボックスに入れられはしたものの、結局はその魚たちも海へ放されていったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

釣りが終わり、朝倉さんと長門さんの住むマンションの屋上での天体観測。

海からこっちへ戻ると古泉と一旦別れる。天体望遠鏡を持ってくるらしい。

ごつい望遠鏡があるのはいいことだが、ここが都会じゃあないにも関わらず空には星がまるで見えない。

世知辛い時代になったもんだ。

 

 

 

星の軌道などまるで知らない涼宮さんはUFOを探しにあちこち動かしている。

これで見つかったらそれはそれでまずい。頼むから見つかるなよ、グレイ。

すっかり夜も遅くなり、涼宮さんと朝比奈さんは寝てしまった。

朝倉さんは退屈そうにいつぞやの無限ぷちぷちを押している。五十回で音が変化する。

大人しくすやすやと音を立てる涼宮さんの寝顔を見てキョンは。

 

 

「何がしたいんだろうなハルヒは……。夏休みに遊ぶのもいいが、冬に山荘に行きたいんじゃなかったのか」

 

「神はサイコロを振らないんだ。涼宮さんも気まぐれなのさ」

 

「そうかもしれませんね。これも彼女の気まぐれなのです」

 

「その結果九月が来ないって? おいおい、夏休みに田舎で遊ぶゲームと現実をごっちゃにするなよ」

 

「ひょっとして、我々が今居るこの世界だって現実かどうか……。確かめる術はないのですよ」

 

「どうもこうもないさ。オレにとってこの現象は"煉獄"そのものだね」

 

涼宮さんが神ならば、彼女と親交の深い俺たちがどこへも行く事が許されない。

つまり、永遠の苦しみを強いられている。

もっとも、悔い改める事すら許されないから本物の煉獄より性質が悪い。

長門さんは虚空を見つめていた。彼女のレンズには何が映っているのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日はバッティングセンター。

涼宮さんはいつぞやの金属バットを持参している。でこぼこで実用性は皆無だ。

そんなポンコツで百三十キロをホームランの的へ送り込んでいるのだから超人としか言いようがない。

朝比奈さんにも本格的なバントを教えてるようで、ひょっとすると来年も草野球大会に参加するのかもしれない。

 

 

 

その日の夜は、一部に迷惑をかけたかも知れないが昨日と同じマンションで屋上バーベキューを敢行した。

食材はバッセンの帰りに買い出しに行き。またまた別れた古泉は俺たちがマンションへ戻ると立派なコンロを用意して待っていた。

 

 

「車で運んでもらいました。流石に僕一人じゃ無理なので屋上まで手伝ってください」

 

女子は先にエレベーターで上がってもらい。俺たち三人で食材や炭、コンロ等を運搬した。

 

 

 

本格的なBBQと言うと実は大きいコンロを用意するよりも二つ用意して使い分けるものなのだ。

しかしながらSOS団はルール無用の変人集団。

そんな事知るかと言わんばかりにどんどん食材が並べられていく、主に涼宮さんのせいで。

野菜から楽しんで焼いていくのがセオリーなんだがな……。

 

 

「この大きいベーコン旨いじゃない!」

 

「それはパンチェッタです。塩味がなかなかピーマンと合いますね」

 

「うん。まだ肉は焼けてないわ」

 

「お前ら適当に焼きすぎだ」

 

「……」

 

「ふぇっくしょん。コショウで鼻がむずむずします」

 

長門さんは焼けてるかどうか怪しい野菜をむしゃむしゃ口に入れていた。

彼女の好みは何なんだろうね。基本的に雑食みたいだけど。

まあ、煙たくならなければそれでいいさ。

宇宙人もきっと情報操作とやらでこれが邪魔されないようにしてるはずだし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花火大会、海釣りの次は川釣り。

ちゃんと全員自転車に乗った上でのサイクリング、何もないような山のふもとまで行きピクニックだ。

 

 

 

一日中、市民体育館に籠って様々なスポーツも楽しんだ。

羽がボロボロでロクに使えないようなシャトルとガットの張力が怪しいラケットを用いたバドミントン。

ラバーなぞあってない同然のラケットによる卓球。唯一まともにできたバスケットボール、3on3で一人交代制だ。

 

 

 

長門さんの部屋を使って女子はお菓子作りなんかもしていたな。

俺はシュークリームだけはちょっとしたトラウマがあるから苦手だが、出されたのは立派なパンケーキやプリン。

味については言うまでもない。SOS団はもれなく変人だが、女子力はあったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

――とにかく、涼宮さんを満足させないために色々な事をやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅前の喫茶店。今日は八月三十日。

昨日は夜に肝試しをするために広々した墓場まで行った。

間違っても幽霊なんかに出られた日には極楽へ行かせてやらなければいけない。

ちなみに俺はルシオラ派だった。

 

 

そして、涼宮さんはいつかの予定表を見て。

 

 

「……うん。ほんと、今年の夏休みはよく遊んだわ! みんなのおかげよ。まあ色々行ったし、こんなもんよ」

 

満面の笑みである。

 

 

「明日は予備日として開けてたけど、もうやり残した事はないわね。みんな明日は休みでいいわ。じゃあ、今日はこれで――」

 

「まだだ」

 

キョンが腕を組んで目をつむり、そう言い放つ。

席を立ち上がろうとしていた涼宮さんの動きは停止する。

 

 

「お前は確かにそうかもしれんが、ここに居るこいつらの顔を見てみろ。まだやりたい事があるらしい」

 

「そうなの?」

 

涼宮さんはこちらを見まわす。

俺たちはそれに対し様々な反応をした。

 

 

「オレはこの時期にやっている演劇が見に行きたかったんだけど、時間がなかったみたいだ」

 

「あたしは動物園に行ってみたかったなぁ……」

 

「僕の知り合いのつてで、人数分の遊園地のチケットが手に入りそうなんですが。いや、明後日からは学校ですから」

 

「……寿司」

 

「最近出来たアウトレットモールに興味があるんだけど、ここから遠いもの。残念ね」

 

長門さん、お寿司は夏休みじゃなくても行けるよ。

キョンは涼宮さんの目を見て。

 

 

「ハルヒ、らしくないな。お前は満足しているのかも知れんが、こいつらはまだまだやり残したことがあるんだとよ」

 

「そんな事言っても……夏休みは後一日しか無いわよ?」

 

「それがどうした? 俺が言ってるお前らしくないってのは、休みだとか言ってる事に対してだぜ」

 

「SOS団は年中無休。オレはそう思っていたよ」

 

「僕も最近、みなさんの顔を見ていないと落ち着かなくなってきましてね」

 

「私もけじめはつけた方がいいと思うけど、涼宮さんがやりたいようなことはどれも楽しそうね」

 

「あたしも、休み明けでお茶の味が落ちてないといいなぁ」

 

「……」

 

俺は涼宮さんがあっけにとられる顔を始めて見た。

そしてキョンが。

 

 

 

 

 

「はあ。俺の課題がまだ終わっちゃいねえ。これじゃあ岡部に睨まれちまう」

 

「なんだかんだでオレも途中までしかやってないや」

 

「おい明智、俺は手をつけてないようなもんだ。明日はSOS団休業日なんだろ? 頼むから宿題を手伝ってくれ」

 

「自分で勉強しなよ」

 

「それが出来たら困ってねえよ」

 

「おや、僕もよろしいでしょうか。バタバタしていたのでまだ半ばなんですよ」

 

「あなたたち……。明智君もだらしないわね」

 

「大丈夫さ朝倉さん、一日あればパーペキさ」

 

「ついでだから長門も、朝比奈さんも一緒に課題を終わらせましょう」

 

「……」

 

「でも、どこでやるんですか?」

 

「俺の部屋はこの人数だときついな。……長門、悪いがお前の部屋を使わせてくれないか?」

 

「かまわない」

 

「よし。ノートも問題集も全部持っていこう。明智、俺に写させろ」

 

「数学は自分でやりなよ。それに朝倉さんの方がオレより頭いいよ、きっと」

 

「人の彼女に頼れるかってんだ」

 

「まあ、せっかく集まるのですから、次の休みに向けて今の内から計画を練るというのはどうでしょう」

 

「どうでもいいが、俺の課題が先――」

 

 

 

 

 

 

――バン! 

 

 

 

 

 

と机が勢いよく叩かれた。

台パンは軽く鬱になるからやめてほしい。

 

音の主は涼宮さんだ。彼女は怒り心頭といった様子で。

 

 

 

「なにあんたたち勝手に話を進めてるの!? 団長のあたしの許可もなしに、勝手な行動は許されないわ!」

 

「じゃあ」

 

「今日はこれから動物園に行くわよ! 帰りは有希が言ってたお寿司でいいわ。他の内容はまた今度にしましょ」

 

「おい、俺の課題は……」

 

「明日でいいでしょ。それに、あたしも行くんだからね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっきまで帰ろうとしていた涼宮さんの目は、確かに死んでいた。

だが、高らかに宣言した彼女は。

 

 

「そう。明智君が言ったように、SOS団は年中無休なのよ! さっきのは忘れてちょうだい!」

 

 

 

 

――こんな俺でも素直に感心したくなるような、熱意と輝きに満ちている。

 

 

 

 

 



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9月1日

 

 

 

 

 

 

 

 

先ずは昨日の話をさせてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こいつらは学校に行くよりやる気あるんじゃないのか。

と、言わんばかりの時間帯で、朝も早くから長門さんの家へSOS団は集合した。

正確には。

 

 

「あら、妹ちゃんも一緒なの?」

 

「こいつが勝手についてきただけだ」

 

キョンの妹も来ていた。

だが、長門さんの部屋にはゲームの類など一切合財置かれていない。

呼ばれたはいいが課題が終わっている朝倉さん涼宮さんと遊べばいいさ。

朝比奈さんも全部終わるのにそこまで時間はかからないだろう。

小論文については涼宮さんが何か口出ししてたけど。

 

 

 

長門さんの部屋でやるはいいが元々置いていたこたつだけでは机としての役割を果たせない。

仕方なしに俺が朝倉さんの部屋経由で、"臆病者の隠れ家"から適当な机を引っ張り出してきた。

一人暮らしにしちゃ、ほんと広すぎる部屋だよ。

涼宮さんは仏の心で課題のノートをどさっとキョンの前に置いて。

 

 

「はい。丸写しはダメだから」

 

「勘弁してくれ」

 

「いや、自分の責任だろうよ」

 

「そういうお前はどうなんだ?」

 

「一時間とちょっとで終わるんじゃないかな」

 

「俺も少しは手をつけとけばよかったよ」

 

「いいから! キョン、あんたは黙って手を動かしてなさい」

 

「……」

 

実にその通りだね。

古泉はよく思えばクラスからして俺たちとやってる事が違うのだ。

課題の内容や量も多少異なっているのが見受けられる。

その日のお昼ご飯は女子が作ってくれたおにぎりだった。

俺はこういうシンプルなのに弱いんだよ。

コンビニで食べるようなツナマヨもいいが、手作り特有の味気ないのも好きだ。

 

 

 

その後、半日以上の格闘の末、ようやくキョンが。

 

 

「ぬぅぅうう。……終わった」

 

「遅いわよ!」

 

「むしろ今日一日でここまでやった事を褒めてほしいね」

 

悪いが彼に賛同する者はこの場に誰も居なかった。

キョンは妹にも「おそーい」と笑われていた。

当然だがキョン以外の全員はとっくに終わっている。時計は十七時を回っていた。

 

 

「さあ、明日もあるんだし今日はもう解散よ!」

 

キョンのせいですっかり遅くなったが、涼宮さんは言うほど気分が悪くなさそうだ。

俺は用意した机を片付けるために多少残ったのだが、帰り際に玄関へ行こうとする涼宮さんに声をかけた。

 

 

「涼宮さん」

 

俺に呼ばれたのが不思議に思ったらしい。

こちらを不思議な顔で見る。

 

 

「また明日」

 

「うん。明智君も、また明日ね!」

 

この反応だけで、勝利を確信したさ。

どこぞの魔法学校校長の気持ちがよくわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そして。

 

 

 

俺の携帯電話の時刻が0時を迎え、日付が変わった。

九月一日。

どこぞのゲームよろしく八月三十二日なんかじゃあない。

間違いなく八月三十一日を超えている。

 

 

「フ…フハ…フハハハハハハハハハ! 戻らなかったぞ……」

 

これで暫くは安眠できそうだ。

とにかく、明日は遅刻なんてしたくもない。

寝起きが悪くなってしまうからね。

 

"巻き戻し(ロールバック)"は結局、"繰り返し(ループ)"にはならなかった。

俺はこれだけでもう、充分さ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局、次は無かったわね」

 

朝倉さんは残念そうに言う。

約一ヶ月ぶりの登校。久々の光景だ。

今日は午前で終了なので弁当を用意してくれている。

本来ならば弁当を作ってもらった日は一緒に登校をしていないのだが、今回は反省会ということで例外である。

 

 

「朝倉さんはあった方が良かったのかな?」

 

「さあ。でも、色々と楽しめたかも知れないわ」

 

「その楽しみとやらが物騒な話じゃあないことを願うよ」

 

どっちにしても、その場合俺は覚えちゃいないんだから。

すると朝倉さんは口に出してもいないのに。

 

 

「そうね、明智君が忘れてたらつまんないもの」

 

「ループさせてオレから何かを見たかったのかもしれないけど、そいつは御免蒙るよ」

 

「ええ。きっとあなたなら前の記憶がなくてもガードが堅いでしょうね」

 

じゃあ何で朝倉さんは俺なんかの監視をするんだ?

元々他人の心を読むのに長けてない俺にとって彼女は強敵でしかない。

すると。

 

 

「あなたは私に隠してる事が多い。口が堅いからこっちも燃えるのよ。それに、自分自身でも気づいてない"何か"がきっと明智君にはあるわ」

 

よくわからないし変にやる気を出さないでくれ。

それに、"何か"と言われても……。

俺が一番わからないのは何故この世界に居るのかって事なんだけどね。

 

 

「過大評価さ」

 

その通りさ。

俺は朝倉さんを助けたのもそうだけど、今回のループについてもある疑問が残っている。

果たしてこれで良かったのだろうか、と。

後悔をするつもりはない。ただ、どちらにせよ俺の勝手な判断だ。

涼宮さんだっていつかはループを終わらせたかも知れない。途方もない時間だろうけど。

朝倉さんや長門さんのためと言っても、結局は自己満足のためなのだ。

そして、涼宮ハルヒも自己満足のために二人どころか世界を巻き込んだ。

結局はどっちが勝ったのか、勝った方が優先された、それだけなんだ。

 

 

「そして、オレのは正義じゃあない、独善だ。……朝倉さんは今でも変革を望んでいるんでしょ?」

 

俺のこの質問に対し彼女は「うーん」と考えていた。

意外だった。直ぐに結論が出ていると思っていたからだ。

やがて朝倉さんは話がまとまったらしく。

 

 

「わからないわ。長門さんなんて涼宮ハルヒの観測だけで充分だと思っているもの。……でもね」

 

「ん?」

 

「今回、間違いなく"鍵"の彼を含めて未来人超能力者、そして私と長門さんを動かしたのは明智君。あなたなのよ」

 

「まさか。……オレは本当にノープランだったさ。涼宮さんが満足している、だなんてのも出任せだよ」

 

「それでもあなたが居なければ、私はここに居ないかもしれないし、今日だって来なかったかもしれない」

 

その一言で心が救われる。

悪魔の囁きってのは、きっとこんな感じなんだろう。

だが、全てを投げ出せるほど俺は強くなかった。

 

 

「いいように考えればそうなるさ。オレは自分の責任は放棄したくない」

 

「卑屈になる必要はないのよ。あなたはきっと――」

 

そう言いかけて朝倉さんは話すのを止めた。

なんだ。気になるじゃあないか。

 

 

「――ううん。何でもないわ」

 

「とりあえず、新学期早々の遅刻だけは勘弁だね」

 

「そうかしら? 私と明智君が出遅れたらスキャンダラスな話が流れるかもしれないわ」

 

「これ以上悩みは増やしたくないし、涼宮さんに下手な悪影響を及ぼすからノーで」

 

朝倉さんは退屈そうな表情をしていた。

残念だが俺はピエロだとしても出来損ないのピエロなんだ。

他人を楽しませられるような才能なんて持ち合わせちゃいない。

 

 

色々あったが、とりあえず、無事に九月を迎えられたんだ。

 

暫くは平和である。

今からでも文化祭の映画の脚本を考えとこう。

俺は人に見せてもいいような話にしたいんだ。

原作のあれは悲惨だね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は今まで、何かを手にしようと思って行動をした事はなかった。

それはこれから先も変わらない可能性はある。

だが、もしかしたら、こんな俺にでも何かを変えてやる事は出来るのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

もし俺が。

 

俺が、変えれるのであれば――

 

 

「朝倉さん」

 

「なあに?」

 

「久しぶりのお弁当、楽しみにしてるよ」

 

「ふふ。だから作り甲斐があるのよ」

 

 

 

 

 

彼女の笑顔を、いつの日か、本物にしてやりたい。

 

 

 

 

 



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異世界人こと俺氏の嘆声
ウィン・バック・トリビュート


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今にして思えば、九月は平和だったし、十一月は色々な事が立て続けだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では十月はどうなんだと言われると、俺はてっきり何もないもんだと思っていたさ。

 

 

 

 

 

 

……体育祭というものをやるらしい。

 

 

まあ、北高に限らずだが、どこの高校でも体育祭もとい体育大会は実施される。

そういや原作でもそんな話に少しだけ触れられてたような、そうじゃなかったようなだ。

つまり、九月ですっかり平和ボケしてしまった俺はまた油断してたわけだ。

 

俺が知らないような事があっても不思議じゃない。って事にね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十月。季節はすっかり秋で、夏の暑さも引いてきている。

そして今日は体育祭当日だ。

クラス対抗ではなく紅白戦なのだが、いまいちクラスの振り分け基準が俺にはわからない。

しかしながら確かな事と言えば――。

 

 

「俺は朝比奈さんと戦うなんてまっぴらなんだが」

 

「仕方ないさ。オレたちのクラス以外の団員は全員白組だからね」

 

俺とキョンと朝倉さんと涼宮さんは赤組。

それ以外のクラスの知り合いは全員白組で、全員敵なのである。

朝比奈さんと同じクラスの鶴屋さんも必然的にそうだ。

 

 

 

 

 

――だが、SOS団での活動が無かったわけではない。

 

ついさっき競技の合間にクラブ対抗バトンリレーなる余興があったのだが、我々SOS団も意味もなく参加していた。

説明不要だとは思うけど涼宮さんの発案であり、何よりこの集団は変人であり変態なのだ。

キョンと朝比奈さんはさておき、俺は鬼に変身できるオッサンライダーぐらいには「鍛えてます」と言える。

古泉もイケメンでスポーツセンス抜群の産まれの差があるし、後の女子三人は言うまでもなくチートだ。

長門さんがゼロシフトさながらのインチキ走法を駆使していなかったとしても優勝は充分に出来るわけである。

割と本気でかかってきた体育系部活の方々には申し訳ないと思う。思うだけだが。

 

 

 

 

 

しかしそんな内容は実際の紅白戦にはまるで影響しない。

それどころか現在俺たち赤組はダブルスコア間近で白組に押されているのだ。

谷口はすっかり白組の方の観戦に集中して。

 

 

「おーい、キョン、明智。お前らもこっち来いよ。どうせ俺たちの負けだぜ。一足先に祝杯と行こう、赤組の大敗を祝してな」

 

他の赤組連中も諦めムードである。

俺も朝倉さんにお願いしてまで勝とうとなんか思っちゃいない。自分のベストは尽くすが、それだけだ。

つまり、楽できればそれに越したことはない。

涼宮さんは舐めた発言の谷口につっかかっていたが、彼がそう言うのも仕方のないことである。

お、長門さんは今回インチキなしの活躍か。案外素のスペックも高いらしい。

俺が持参した麦茶はあっちに置いているからな……。

 

 

「さて、オレもあっちに行くかな。喉が渇いた」

 

「お、おい……明智。何か、ハルヒから嫌な威圧感を感じるんだが」

 

「と言ってもね。いくら涼宮さんが負けず嫌いだからって――」

 

この状況はしょうがないでしょ。

と言おうとした瞬間だった。

 

 

 

 

 

――キィィィイイン

 

変な耳鳴りがしたかと思ったら俺の平衡感覚が一瞬失われた。

 

 

「さあ、まだ気を緩めるのは早いわよ!」

 

妙だ。世界が反転したかのような感覚を覚えた。

何だと思ってキョンを見ると、彼の付けていた赤のハチマキが白になっている。

いや……俺の近くに居た赤組の生徒全員が白のハチマキを――。

 

 

「勝って兜の緒を締めよって言うじゃない。このまま行けばあたしたち"白組"が勝つんだから」

 

馬鹿な。あたしたち、だって?

俺は慌てて自分のハチマキを外す。俺も白だ。

 

 

「何言ってんだ涼宮。これじゃ寝てても俺たち白が勝つぜ。点差も倍近くついてんだ」

 

「そんな考えだと足元をすくわれるの! あんたも応援なさい」

 

 

――白組、ファイトー!

 

 

 

 

涼宮さんと谷口はそんな掛け声をしてたと思う。

俺もキョンも固まっていた。朝倉さんの方を見ると、口に手のひらを当てて何か考えている。

朝倉さんも白のハチマキだ。さっきまで赤だったのに。

ただ、一つ確かなのは。

 

 

「どうやら、今月は休ませてくれないらしいね」

 

さて、俺の携帯にはたった今古泉からのメールが届いた。

内容は、呼び出しだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体育館裏に呼び出されると、そこには涼宮さんと朝比奈さんの二人を除く団員が集まっていた。

まだ話は始まっていないらしい。まあ、この面子の時点で察しはつくよね。

 

 

「迅速な行動、ありがとうございます」

 

「いいから要件を言え」

 

「お気づきですか?」

 

「あれで気づかない方がどうかしてると思うけど……どうやら谷口や他の生徒の様子は普通だった。そんなすり替えじみた芸当が出来るのは一人しか居ないね」

 

「ああ、赤組と白組が入れ替わったんだぞ」

 

「まさにそうです。この逆転現象は涼宮さんによるものですよ」

 

逆転がお望みならばただ劇的に勝てばいいんじゃないのか?

どうして彼女はこんな迷惑じみた方法をとったのだろう。

 

 

「オレたちがこの逆転現象に気づけたのはSOS団だからかな?」

 

「どうやらそうですね。彼女に親しい人ほど違和感を感じる。何故かはわかりませんが」

 

「草野球大会と同じか……? ハルヒが勝たなきゃ駄目ってことか」

 

「いえ。今回はどうやら違うようです」

 

若干どや顔っぽく焦らす古泉に俺もキョンもイラッときたのは確かだ。

 

 

「閉鎖空間の発生分布が異なります。野球大会では涼宮さんが劣勢になったから閉鎖空間が発生したのですが、この体育大会においては時間の経過とともに小規模なものから発生しています。つまり、涼宮さんのストレスも時間と共に上がっている」

 

「わかりやすく説明してくれ」

 

「勝敗がストレスの原因じゃないんですよ。もっとも、先ほど我々が出場した部活リレーの間は、彼女も落ち着いていたようですが」

 

「……涼宮さんはまさか、この体育大会、あるいは紅白戦そのものに不満があるって事かな?」

 

「僕も予想に過ぎませんが、そうでしょうね。何故かは不明です、涼宮さんの感情も我々との交流を通して複雑化している傾向にありますから」

 

感情の複雑化、多様化、大いに結構。

何せそれらは精神の成長に欠かせないものだからだ。

ただし巻き込まれているのはいつも俺たち外野である。

 

 

「訳がわからん。じゃあ俺たちはどうすりゃいいんだ。お前の言い方だと勝てば解決しないみたいじゃないか」

 

「……この催しの本質は代理戦争」

 

「はぁ?」

 

「ふふ。人間は本来闘争を好むものよ。どんなに嫌だって言ってもね」

 

朝倉さんがウィンクしてこっちを見てくる。俺に思うところがあるらしい。

だが俺は降りかかる火の粉を払ってきただけだ。

それに、朝倉さんの暴走も"巻き戻し"も、話し合いで解決した。

戦わずに済むならUMAだってそうしたかったさ。あれが本物だったら仲良くなれるかもしれない。

 

 

「涼宮ハルヒの意図が不明な以上はゲームの本質を彼女に見せる」

 

「これが、現状の解決策でしょう」

 

「どういうことだ」

 

「なるほど、"ゲームの本質"ね」

 

「明智さんは理解していただけたようですね。ええ、彼女はこの代理戦争の本質そのものがわからない。よって――」

 

「古泉たち"赤組"が、オレたち"白組"を倒す」

 

「――それも、圧倒的な力で。ですよ」

 

まったく……荒れなきゃいいんだけどね。

 

 

 

 

その予感も虚しく、グラウンドに戻ると状況は変わっていた。

 

 

「あんたら、何てザマなの!」

 

涼宮さんが激昂するのは無理もない。

逆転現象が起きた時点では白組は300点近くで赤組はいいとこ180点だった。

それがなんと、赤組は倍を上回る380点まで伸びているのだ。現在白組は20点差で負けている。

地力で劣っていたのもあるかもしれないが、ここまで追い上げたのは赤組のエース。その名も――。

 

 

「おおっと、赤組一年の長門有希。凄い追い上げだ!」

 

実況の放送局員も熱が入っている。

長門さんは今回真剣らしい。

ありゃ俺でも勝てねーわ。俺がインチキしてどうにか五分ってところか。

……すると、古泉から携帯に着信が入る。

とりあえず校舎の裏へ行くとしよう。キョンもついてきた。

 

 

 

 

こんな時代に多人数通話アプリケーションなどあるはずもない。

ハンズフリー機能でどうにかする。

 

 

「おい古泉! こりゃ一体どういうことだよ。いくら何でもやりすぎだ、ハルヒが怒るぞ」

 

「いいやキョン。これでいいんだ、これで」

 

『はい。涼宮さんが勝てばいい……。そうとは限らないからこうしているんですよ』

 

「何だって?」

 

『今重要なのは"ワンサイドゲームではつまらない"という判断に他なりません。だからこそ涼宮さんはせめて勝ち馬に乗りたかった。しかしながら現状でも閉鎖空間が発生しています。つまり、彼女のストレスは勝つことでは解消されないのです』

 

「そう、草野球大会でも涼宮さんが味わえなかったもの。それは接戦だ」

 

『ええ。クロスゲームの方が"燃える"でしょう?』

 

こっちの身にもなってほしい。が、紅白戦に罪はない。

原因があるとしたら、いつも通り"涼宮ハルヒ"なのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"白組"陣営に戻るとさっきまでのやる気はどこへやら、再び意気消沈している。

これでは"赤組"の時とまったく同じである。唯一の救いはまだ逆転の余地が大いにある事だが。

 

 

「まだよ……まだ、終わらないわ」

 

涼宮さんは一人でも「白組、ファイトー」と叫んでいる。

なんだか見ていて痛々しい。それほどまでにやはり涼宮ハルヒもただの少女だった。

キョンも首を振っている。お前がどうにかしてやるべきなんだぜ。

そんな彼女を見て谷口が「涼宮!」と。

 

 

「もういいぜ、この辺でよ……。これだけやったんだ、皆もう疲れてんだよ。俺たちは頑張ったさ」

 

「あんた……」

 

他の白組連中も同意見らしい。

覇気がないし、これ以上涼宮さんの姿を見てられないのだ。

だが、彼女はまだ死んでいない。

 

 

「その言葉、取り消しなさい」

 

それは凛とした声だった。

まったく……キョンがやらないなら、俺が手伝うとするかね。

 

 

「あたしが聞きたいのは弱音じゃないの。強い熱意よ。こんな状態で、あんた達は最後まで"頑張った"って言えるの?」

 

「オレも涼宮さんに同意見だ」

 

「明智」

 

おいおい、注目しないでくれよ。

有名人としての鳴りはすっかり潜んでいると思っていたんだけど。

 

 

 

 

「勝負の世界にあるのは勝ちと負けの二元論だけだ。だが、実際に戦うのはオレたち人間だろ? そこには心がある。そして、お互いへの敬意がある。……オレはサッカーは嫌いじゃないが、サポーターは嫌いだ。知ってるか? 負けたチームのサポーターには試合が終わったら全力を尽くした選手たちに平気で罵詈雑言を浴びせる連中が居るんだぜ? それのどこが応援なんだろうな? 海外で彼らはフーリガンと呼ばれ、暴徒化し、社会問題にもなっている。今のお前達は心がなければ、相手への敬意もない。そんなクズ以下の連中と同類なのさ」

 

 

台ドンの時以来の静寂が辺りを包んだ。

いや、朝倉さんだけは何か笑っている。

やれやれ……、これだから説教は苦手なんだよ。

脅すだけなら他に方法はあったが、わざわざ使うまでもない。

 

 

「悔い改められれば、別だけどね」

 

そう言って俺は白組陣営を後にした。

紅白リレーを落ち着いて見れる場所へ行くためだ。キョンがアンカーだからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「意外だったわ」

 

一人で遠巻きにリレーを眺めてた俺の横に来たのは朝倉さんだった。

何が言いたいのか察しはつくけど一応確認してみる。

 

 

「何が、かな?」

 

「あなたが涼宮さんの肩を持った事よ。やっぱり羨ましいわね」

 

谷口たちがロクでもない連中に成り下がっていたのは確かだし、涼宮さんは元々ういた存在だ。

それのどこがいいんだろう。

 

 

「あの説教の半分は自分に対してだよ。オレは精神の成長なんて語れるような奴じゃない。だからこそ、自分の能力を"臆病者の隠れ家"って呼んでるのさ」

 

「ポジティブなのかネガティブなのか、明智君はコロコロ変わるのね」

 

「朝倉さん。……人間の感情なんてそんなもんさ」

 

どれだけ気分が良くても、たった一つの出来事で転落してしまう。

人間はかくも弱い生き物だ。

 

 

「ふーん。そうかもしれないわね。でも」

 

朝倉さんが指を指すと、そこはキョンがちょうどアンカーになるところだった。

 

 

「応援くらいしてあげたら? 友達なんでしょ?」

 

「余計なお世話だけどね」

 

「どういたしまして」

 

俺はレーンから遠い位置に座っている。

 

――だからどうした。

こう見えて俺は、前世で声量だけは褒められてたんだ。

応援ってのは結局な、"心"ありきなんだよ。

 

 

「おいキョン! 負けたら承知しないぜ!!」

 

その言葉が届いたかどうかはしらない。

だが、あいつは普段の無気力さからはとても考えられない脅威の走りを見せた。

そして白組がリレーに勝利。逆転のチャンスを掴んだ。

 

 

 

確かに勝敗は問題じゃあないかもしれない、だが。

 

 

「朝倉さん、次は騎馬戦だ。勝ちに行こう」

 

「そうね。でも私たちの学年からは涼宮さんが出るわ。私たちはお休みじゃない」

 

おいおい、君は宇宙人だろ?

 

 

「知らん。役に立たない二年生や三年生と交代してもらえばいいさ。そんな連中よりオレはよっぽど朝倉さんの方が強いと思うよ」

 

「まったく……あなたはいつも強引なのね」

 

「いざとなったら得意の情報操作があるでしょ? これも涼宮ハルヒのためになるのさ」

 

「しょうがないわね」

 

どうせ観測だけじゃ暇なんだ。

こんな時ぐらいなら目立ってやってもいいんだぜ。

 

 

「オレは年中にやけ顔の古泉が悔しがる所を見たいんだ」

 

「ま、赤組は長門さんが出るから。ちょうどいい憂さ晴らしになるわね」

 

頼むからナイフはよしてくれよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――午後十五時過ぎ。

 

長かった体育祭も全行程を完了し、閉会式を残すのみとなった。

まあ、わざわざそんなもの行く必要もない。

俺とキョンは校庭の端の草むらでのんびりしていた。

 

 

「お疲れ様でした」

 

古泉だ。お前はエリートクラスなのに閉会式をふけるって、不良じみた事をやってていいのかね。

 

 

「ふん。今思えば"赤組"は長門のワンマンチームだったぜ」

 

「涼宮さんも負けてなかったでしょう? それに、最後の騎馬戦。まさか朝倉涼子が出てくるとは……明智さんの差し金ですか?」

 

「そうだよ。オレも、あのまま帰ったらかっこ悪いと思ったのさ」

 

「お見事でした。我々"赤組"の完敗です」

 

そうだ。

俺たち白組は騎馬戦で勝利し、見事に逆転優勝を飾った。

最終的な点差は10点もない。ギリギリもいいところである。

 

 

「閉鎖空間はどうなった」

 

「消滅しましたよ。涼宮さんの望み通りの結果になったからです」

 

「結局ハルヒが勝ったんだ。紅白を逆転なんかさせる必要があったのか?」

 

「では逆にお尋ねしますが、あの点差で長門さんのいない逆転現象前の"赤組"が"白組"に勝てたでしょうか? 朝倉さんもどうやら長門さんほど活躍はしませんでしたから。まあ、わざとでしょうが」

 

むしろ現赤組が長門さんをゴリ押ししすぎなのだ。

ほぼすべての競技に出ていた。鉄人か。

 

 

「僕が考えるに、涼宮さんは戦っているという実感が欲しかったのですよ」

 

「実感だと?」

 

「長門さんが言っていたように、代理戦争だったのです」

 

「そしてその本質、みんなでぶつかり合うこと。涼宮さんは自分一人だけが強くても、面白くなんかないんだ。草野球だって一方的な展開の連続だった」

 

「その通りです。高校とは受験やスポーツ、そして定期考査。形を変えたいわば戦争が連続します」

 

「お前たちの戦争論なんか知りたくもねえよ」

 

「いいや、簡単な事さ。涼宮さんが一番許せなかったのは、一方的な展開と言うより、谷口や他の生徒がもう"諦めていた"。一緒に戦ってくれなかったからストレスを感じたんだ」

 

「接戦になるにつれて閉鎖空間は不思議と収縮していきました。その頃には"白組"の皆さんは選手に対して、けただましいまでの声援を送るようになりましたから」

 

あの谷口も、騎馬戦の時には大声を出して応援してくれた。

なんだかんだであいつは悪い奴じゃないのだ。

キョンは一言「やれやれ」と言い。

 

 

「常にシーソーゲームになるように仕組まれてたってわけか……」

 

「来年は僕たちが勝ちたいですね」

 

「残念だけど、オレも負けず嫌いな涼宮さんの気持ちはよくわかるんだ」

 

「おい。どうでもいいが、またハルヒのごたごたは勘弁してくれよ」

 

「大丈夫だってキョン。閉鎖空間の処理は『機関』のお仕事さ」

 

「おやおや、これは作戦が必要かも知れませんね」

 

古泉はどうも笑顔が絶えないらしい。少しは悔しがればいいのに。

いや、俺だって多分負けてても気分が良かっただろう。

みんなでしっかり戦えたんだ。最後まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――これはそんな、秋の一幕だった。

 

 

 

 



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第二十七話

 

 

 

 

 

 

 

――いや、今にして思えば十月も実に平和だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつぞやの俺はつい「年中無休」だなんてアホな事を言っていた。

だがSOS団の歴史から見ても高校一年生の九月と十月は休みの期間とも考えられる。

つまり、これから先の出来事はほぼノンストップ状態。

涼宮ハルヒという名の暴走機関車に俺たちは地球の裏側まで引きずられていくのだ。

 

 

その、手始めとして、十一月の文化祭について語ろうじゃあないか。

この時はまだ季節柄もあって空気が穏やかだったからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体育祭が終わり、いよいよ文化祭の準備が始まった。

部活やらステージコンサートやらの話もあるが、先ずはクラスの出し物について語ろう。

1年5組は頼れるクラス委員長こと朝倉さんが健在なので原作のようにアンケート発表とかいったふざけた内容になるはずがなかった。

個人的にメイド喫茶とかその辺でいいだろ男子は活躍しないし。

と思っていたがウェイトレスのコスプレは朝比奈さんのクラスでそう言えばあったはずだ。

確か焼きそばを出していたな。何故汚れるウェイトレスの服装だったんだろう。

とにかく、じゃあ無難な模擬店で行こうとなり、最終的に俺の。

 

 

「そうだね。甘いもんでも売っときゃ女子が来るんじゃない?」

 

という適当な発言が採用され、クレープ兼タピオカジュースを販売する模擬店となった。

しかしながらこの時期はタピオカと言っても知名度がまちまちらしく、仕入すら俺に任される羽目に。

……まあいい、インターネットがあれば大丈夫だ。文明の利器だよ。

残念ながらコスプレとは無縁であるが、実に1年5組らしくていいんじゃなかろうか。

喫茶店と言うよりは販売がメインだからな、こっちは。

とっとと回ってくれるのが一番さ。

 

 

 

 

 

 

要するに俺は面倒な役を押し付けられたのだ。

その分、当日は何もするつもりは無いのだが、これぐらいは当然だろう?

俺はクラスの予算を考えると言う面倒な作業さえ部室に持ってこなければならないという事が一番嫌だったが。

そんなかったるい雰囲気に包まれていると部室のドアが開かれた。キョンと涼宮氏だ。

 

 

「あ、こんにちは。すぐにお茶を淹れますね」

 

SOS団が楽しみでしょうがない涼宮さんはさておき、キョンは朝比奈さんのお茶のためにここへ来ている所がある。

あいつはそんな能天気だから涼宮さんが怒るのだ。

ちいとは自分の立場を理解して欲しいが、俺もここにまだ来ていない古泉もそれは諦めている。

ほら、涼宮さんがキョンの横っ腹に肘鉄を入れた。思いの他痛そうである。

 

 

 

その後、朝比奈さんへ涼宮さんによる。

 

 

「メイドはお茶を運ぶ三回に一回の割合でこけるのよ、ドジッ娘を演出なさい」

 

などと言う意味不明な講釈があった後。

 

 

「すいません。ホームルームが長引いてしましまして」

 

イエスマンこと古泉一樹が遅れてやってきた。

どうやら文化祭絡みだろう。涼宮さんがどう思うかはさておきいい事じゃないか。

そもそも俺のクラスはやる気がなさすぎる。朝倉さんが不在だと思うと恐ろしいね。

 

 

「せっかくの会議が僕のおかげで始められなかったようで。いや、すいません」

 

「会議だと? なんだ、俺は一言も聞いてないぞ」

 

「あ、言うの忘れてたわ。昼のうちに他のみんなには知らせたんだけどね。どうせあんた前の席だしいいやって」

 

「おい。どうして他の教室まで出向いてるくせに俺が聞いてないんだ。一番最初でよかったじゃないか」

 

「いいじゃない。どうせ会議をすることは変わらないんだし」

 

同情してやりたいが今回は多少俺にも関係するからな。

俺もどうせキョンは会議について聞いてないだろうとは思ってたが、言う必要も無いからね。

そしてこの部室に集まらない方が珍しいし。

で、肝心の会議の議題は。

 

 

「今度の文化祭、あたしたちSOS団は映画の上映を行います!」

 

「はあ?」

 

「と、いうわけよ。解った?」

 

「今の流れで何が解ると言うんだ。じゃあ会議ってのは、その映画の内容を考えろってのか?」

 

「そうとは言ってないわ。脚本は明智君に手伝ってもらったの。だいたいの流れは出来てるから、後は撮影ね」

 

「お前……」

 

何でそんな事黙ってた。と言わんばかりにキョンが俺を睨む。

用意があると言えど、しっかりした台本と呼べるものではないんだけど。

 

 

「オレに聞かれてないからね。答える必要もないのさ。ちょっとしたサプライズだよ」

 

「……ハルヒ、本気で言ってんのか?」

 

「嘘ついてどうすんのよ。これはもう決まった事なの」

 

「なるほど。よく解りました」

 

「映画ね。楽しそうだわ」

 

「……」

 

「へぇ」

 

出任せもいいとこに古泉がそう言う。

朝倉さんは楽しんでくれるのはいいけど勝手な行動はしないでくれよ、頼むから。

他のみんなも、まさか涼宮さんに意見する訳もない。

だがキョンは抵抗を必死に続けていた。

 

 

「製作費はどうするんだ? 機材やら小道具やら、タダではいかんだろう」

 

「予算ならあるわ。文芸部にくれた分が」

 

「おい。それは文芸部の予算だろ。勝手に使っていいもんじゃねえぞ、それは横領だ」

 

「違うわよ。だって有希はいいって言ったもの」

 

「……」

 

キョンに見られた長門さんはゆっくりとした動作でこくんと頷いた。

とにかく、本人が言うように決定事項。

これより"いい案"を出さない限り映画の撮影は実施されるのだ。

 

 

「だからみんないいわね! まずはこっちの撮影が優先よ。監督の命令は絶対なんだから」

 

チープな出来だとしても、SOS団は美人揃いだ。

内容さえ見れるレベルならいいんじゃないかなと思うよ。

涼宮さんは色々と用意が忙しいと言って解散を宣言した。とっとと去っていく。

今日の部活はここまでらしい。

 

 

「いいじゃないですか」

 

「何がだよ」

 

「宇宙人を捕獲してこいだとか言われたら、僕たちはエリア51にでも行かないといけませんでしたよ」

 

「オレは銃弾の雨の中をかいくぐってまであそこに潜入したくないんだけど」

 

「ですから、まともな内容で一安心ですよ」

 

「それはともかく。明智、お前ハルヒが脚本云々と言っていたがどういうことだ?」

 

「言った通りさ。別に馬鹿にするわけじゃあないけど、涼宮さん一人で映画を撮るのは無茶だろう? オレが脚本でも書いとけば彼女は安心して監督業に専念できる」

 

「俺は専念してほしくなかったがな」

 

「うん、それは無理みたいね」

 

いつぞやみたいに全員で反抗すればわからない。

でも誰に迷惑をかけるわけじゃ……まあ、世界全体に比べれば安いもんさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会議でもなんでもない集まりがあった次の日。

委員長な故にクラスの出し物について責任がある朝倉さんと、委員長でもなんでもないのに責任を押し付けられた俺の二人は模擬店の予算案をどうにかまとめ上げ、担任の岡部先生へと書類を提出した。

実際の販売時間など半日とない。それに、高校の模擬店なんざ黒字だろうが赤字だろうが同じなのだ。

後は、俺の仕事は自宅へと届く段ボールに詰められたタピオカを当日学校へ運ぶだけだ。

あまりにも怠いので"臆病者の隠れ家"を使おう。早朝に部室へ運べばまず大丈夫だろうよ。

調理器具その他ドリンクに入れる飲み物やクレープは俺の担当ではない。

まあ、近場で手に入る安い値段でまとめといたから、誰かに買ってきてもらうさ。

 

 

 

このような理由で俺と朝倉さんが遅れて部室に行くと涼宮さんは。

 

 

「ようやく来たわね。今からスポンサー回りに行くわ」

 

どうやら機材や小道具をかっぱらいに行くらしい。

商店街には様々な店が立ち並んでいる。だがここの駅前ではない。

高校が山の上にある事といい。ここは半ば田舎である。

三駅ほど電車を移動して、ようやくいつもとは異なる駅前へ行くと近くに商店街があった。

しかしながら最近では大型ショッピングモールに押されつつある。時代の波とやらだ。

涼宮さんはスポンサーとして回った電器店と模型店からビデオカメラとエアガンをもらっていた。

わざわざビニール袋にまで入れて頂いている。何も買ってないのに。

個人的に銃は好きで詳しいのだが今回詳細な説明は割愛させていただく。

そしてそれらは全てキョンが持たされていた。

 

 

「おい、貰ったはいいがこの荷物はどうすんだ」

 

「あんたが持ってて。一回部室まで戻るのは面倒だから、今日は解散ね」

 

キョン、俺を見ても困る。お前が頼まれたんだから自分でやってくれ。

 

 

 

 

 

 

 

……しかしそれでは流石にキョンがかわいそうだ。

幸いと言ってはあれだが今日は朝倉さんが弁当を用意してくれる日だった。

よって俺は朝から野郎の家へ行くという嬉しくない気分になりつつ荷物運びを手伝う事にした。

俺が運ぶのは未だに段ボールに入っているビデオカメラだけだが。

そんな、こっちとしてはとても笑えない状況で谷口は笑いながらやってきた。

 

 

「おう。お前ら二人が揃って登校してるなんて珍しいと思えばよ……何だその袋は?」

 

「オレのはビデオカメラ、キョンのは見た方が早い」

 

「ほれ」

 

とキョンはやけに大きいビニール袋を谷口に渡す。

 

 

「ん。何だこりゃ? モデルガンか? おいおい、お前らがミリオタだったのは意外だが、文化祭はまだ先だぜ。」

 

「確かに文化祭絡みではあるが違う。ハルヒが用意したんだ」

 

「まあ何に使うかは楽しみにしてよ」

 

「へっ。セーラー服に機関銃たあ随分な趣味だな」

 

一応断っておくがどこぞのスタローンが振り回すようなゴツい銃は貰っていない。

精々が自動小銃と拳銃程度である。傍から見ればアホにしか見えないね。

つまり現在俺までそのアホの片棒を担いでいるのだ。

 

 

「俺も悪趣味だと思うよ」

 

「お前も大変だな。まあ、涼宮のお守り役が務まるのはお前ぐらいさ。中学時代のあいつを知ってる俺が保障してやる。さっさとくっつけ」

 

「いいんじゃないかな」

 

「明智、お前が言うんじゃねえ。そして谷口よ、俺がくっつきたいのはハルヒなんかより朝比奈さんの方だ」

 

こいつも普通の男子高校生である以上、普通のゲス野郎である事も確かだった。

価値観が破綻しつつある俺よりはよっぽどマシだが。

 

 

「オレに言わせてもらえば涼宮さんは美人だと思うけど?」

 

「おうそうだ。涼宮はそこのクソ野郎の彼女と同じで、見てくれだけで言えばAAは超えるぜ。それに朝比奈さんは無理だな、全男子生徒にとってどれだけ大きな存在か。お前だって袋叩きはごめんだろ?」

 

「……じゃ、次点で長門にしよう」

 

「お前んとこの集まりは美人ぞろいで麻痺してんのかもしんないがな、長門さんも隠れファンが多いみたいなんだよ」

 

「はぁ。だいたいな、どうして俺がハルヒとくっつくって話になってるんだ」

 

「言っただろ。涼宮とまともに話が出来るのはお前ぐらいだからだ。そして、お前がコントロールしてくれりゃ被害も少なくなるってもんだ」

 

「谷口にしちゃまともな意見だね。100点をあげてやってもいいよ」

 

「勝手に言ってればいいさ」

 

「そうカッカすんなって。そういやそろそろ文化祭だが、お前らは何かするのか?」

 

この場合の"お前ら"はSOS団を表しているらしい。

キョンが「どうするよ」と目で訴えてきたので俺は首を横に振った。

どうせ谷口はエキストラで呼ぶかもしれないんだ。お楽しみにしといてくれ。

 

 

「知らん。それこそハルヒに聞いてくれ」

 

「涼宮に聞いても素直にハイ~ですって答えてくれると思うか? 消去法でお前らに聞いたんだよ」

 

「明智はともかく俺はお人よしじゃない。俺はハルヒの被害を最小限にするために仕方なくこんな状況に甘んじているんだ」

 

「オレを引き合いに出さないで欲しいな。どうもこうもない」

 

「知るか。朝比奈さんだってハルヒによってそれはそれは迷惑して心を痛めているんだ。だから朝比奈さんは"俺が守る"、他の男子生徒なぞ知らん」

 

俺はいつぞやの、つい考えなしに朝倉さんに言ってしまった言葉を思い出して頭が痛くなった。

と言うかこいつは俺を見てそう言ったから狙ってやがるな。そっちこそ後で覚えとけよ……。

あの時俺はもっと慎重に言葉を選んでいれば、きっと朝倉さんは伸び伸びと生きていたのだろう。

彼女の考えなど俺にはわからないが、疑問があるのも確かなのだ。

キョンのいかにも主人公らしい台詞を聞いた谷口は。

 

 

「そうかよ。とにかくほどほどにしろよ。新月は月に一度はやってくるんだからな」

 

谷口は時でも加速させたいのだろうか。

そうこうしている内に山なりの道を登り終え、校門へと辿り着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、いい加減、何の映画か教えてくれ」

 

昼休み、俺が朝倉さんと弁当を食べようと思って教室を出ようとすると肩を掴まれこう言われた。

 

 

「キョン、知りたいのか? 涼宮さんはお前を雑用にするつもりだけど」

 

「それはどうにか受け入れてやってもいいがな。俺は何をやってるのかも解らないままに得体の知れない作品を作るのは嫌なんだよ」

 

俺もそれには同感だ。

だから涼宮さんのアイディアを協力して、しっかりとした形にしたのだ。

朝比奈さんが終始制服を着ないのもおかしいからね。

 

 

「まあいいよ。聞いて驚くがいいさ」

 

「ああ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――今回の映画はズバリ、"魔法少女"だ」

 

俺の言葉を聞くや否や、キョンの目の色が急速に濁った。

 

 

 

 

 

 



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第二十八話

 

 

 

 

 

 

 

 

どうも、みなさんご無沙汰している。

夏の合宿以来だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あのアホの明智が昼休みに朝倉といちゃいちゃするためにさっさと居なくなってしまったからな。

まったくもって忌々しい。

そして「魔法少女」と意味不明な事を言ったあいつに対して俺はハルヒと同じくらいに恐怖を覚えたね。

あいつも頭がお花畑なのだろうか。俺の中でのあいつのキャラは安定しない。

いや、とにかく俺は詳しい話を聞きたかったのだが、明智は鞄から黒のバインダーを取り出して俺に渡すと消えていた。

中にはルーズリーフが何枚か入っている。これを読めと言いたいのだろうか。

 

 

 

いいさ。"信頼できない語り手"の明智よりは俺の方がよっぽどマシだろう?

今回の俺はただの狂言回しに過ぎないが。

 

 

 

 

 

 

……てな訳で谷口、国木田との昼食を終えると俺は自分の座席にさっさと戻り、ルーズリーフを眺める事にした。

先ずは一枚目からだ。

 

 

『原案:涼宮ハルヒ(総指揮/総監督)

原題:【朝比奈ミクルの冒険】

主演女優:朝比奈みくる

主演男優:古泉一樹

ライバル:長門有希

その他:その他

雑用:キョン

 

 

基本設定

 

・ミクル:未来からやって来た戦うウェイトレス。商店街の一角に居住スペースを借り受けている。

・イツキ:ごく普通の男子高校生だが正体は超能力者。だが本人に自覚は無い。

・ユキ:ミクルのライバル。悪い魔女

 

 

あらすじ

 

・未来からやってきた戦うウェイトレス朝比奈ミクル。

 ミクルは男子高校生のイツキを陰ながら守るために日夜戦っている。

 イツキには秘められた力があり、ミクルのライバルのユキがそれを狙っているのだ。

 頑張れミクル。負けるなミクル。地域住民の笑顔のために!』

 

 

 

 

 

 

この時点で眩暈がしたね。

どうやらこれは原案らしく、つまりハルヒが用意した内容なんだろう。

と言うか「未来」だの「超能力」だのそのまんまじゃねえか。

ハルヒには自覚が無いんじゃなかったのか。

……次だ。

 

 

『脚本:明智黎(演出)

題名:【未来系魔法少女 アサルト×ミクル】

主演女優:朝比奈みくる

主演男優:古泉一樹

ライバル:朝倉涼子

謎の魔女:長門有希

みくるの兄:キョン(雑用)

その他:必要に応じて

 

 

基本設定

 

・ミクル:高校二年生の美少女。その正体は未来の技術で変身する魔法少女。武器は銃。年下のイツキに片思い。

・イツキ:ミクルと同じ高校に通う普通の高校一年生。ミクルに惚れられている自覚は無い。その正体は……?

・リョウコ:世界征服を企む、悪の秘密結社"アサクラ―"の女首領。ミクルとイツキを何故か狙う。

・ユキ:ミクルとは別の、謎の魔法少女。敵か味方か。

・キョン:ミクルの兄で軍人。作中では故人。

・秘密結社の構成員:エキストラが担当。

 

 

あらすじ

 

・高校二年生の女子高生ミクル。ある日彼女は謎のペンライトを拾う。

 だがそれは未来の技術で出来た、光る、鳴る、の変身アイテムだった。

 悪の秘密結社"アサクラー"によってミクルが突如襲われた際に、偶然にも彼女は魔法少女として覚醒した。

 果たして魔法少女とは何なのか、そして"アサクラ―"の狙いとは!?

 非合法に仕入れたミクルの銃が今日も悪を撃ち倒す!』

 

 

 

 

 

 

……どこから突っこめばいいんだ?

だいたいな、高校生の俺たちが"魔法少女"だなんて言ってもな、通用しないんだよ。

世の"魔法少女"を冠する作品の大半が小学生かどうかって感じなんだぞ。

それに俺が出るようだが、軍人で故人って何だ。

どうやって死んだんだ。世界観がわからん。

まあ、ハルヒの意味不明な内容よりはまだわかりやすくていいが。

それにしても"アサクラー"って、おい。思わず読んでて噴き出しかけたぞ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――何やら俺と朝倉さんが馬鹿にされたような気がする。

 

 

大方キョンが俺の渡した設定集を読んで文句しているのだろう。

だが脚本にしても原作ではまるで存在してなかった全編アドリブ状態なわけで、作品としては成立させたつもりだ。

涼宮さんと相談した時も。

 

 

「う~ん、魔法少女ねえ……。悪いとは言わないけどありきたりだと思うわ」

 

「それは違うよ涼宮さん。朝比奈さんの魅力を前面に押し出すには、まずはわかりやすくしないといけないんだ」

 

「あたしたちは高校生よ? コスプレさせるにしてもみくるちゃんのエロさが大切じゃない。ムラムラっとしたいのよ」

 

「高校生"だからいい"んじゃあないか! あの朝比奈さんが魔法少女だなんて幼稚な恰好をするんだ、その背徳感だけで客は来てくれるね。そしてこの作品は観客をカタルシスへ誘ってくれる」

 

「……そうね。まあ、ストーリーもしっかりしてるし、台本も少し弄ればいいと思うわ」

 

「流石だよ監督」

 

と謎の話し合いになってしまった。

まあ、詳しい内容については上映会まで伏せさせてもらうよ。

 

 

 

 

俺が朝倉さんのオムライス弁当を食べ終わってのんびりしていると。

 

 

「よくあんな話が作れるわね」

 

朝倉さんが微妙な表情でそう言ってきた、

一応彼女にもルーズリーフについては見せているがその時は十分近く朝倉さんは無表情になってしまった。

ハイライトが消えたあの顔を思い出すだけで恐ろしい。

何が気に入らなかったんだろうか。

 

 

「涼宮さんの意見を基にアレンジしただけだよ」

 

「それにしても私を出す必要はあったのかしら? そもそもあなたが出てないじゃない」

 

「オレはいいんだよ。映像編集なんかもするつもりだし、台本も書かなきゃだからね」

 

「出来栄えは期待していいのかしら?」

 

「こっちは朝倉さんの迫真の演技に期待しとくよ」

 

演技という点において朝倉さんは長門さんより頼りになるだろう。

とりあえず、涼宮さんが無茶を言って現実が無茶苦茶にならなければいいけど。

 

 

 

 

 

……いや、無茶苦茶になる点においてはこの時点から水面下で進行していたのだ。

そして。挙句の果てに、現実まで無茶苦茶にされてしまう。

 

 

 

 

 

 

次の日の昼休みの話をしよう。

元々作りかけていた台本を仕上げ、ワードソフトに打ち込んだので原稿用紙に印刷でもするかと考えていたところ。

いつもの男子四人でメシを食っていた所涼宮さんがやってきて。

 

 

「キョン、ついてきなさい!」

 

と言ってキョンを引っ張ってさっさと消えてしまった。

 

 

「何だったんだありゃ?」

 

「涼宮さんが手に持っていたビデオカメラが気になる。オレもちょっと行ってくるよ」

 

そして悪い予感ほど見事に的中する。

涼宮さんがやって来たのはなんと放送室で。

 

 

「大変だわ! 緊急事態よ緊急事態!!」

 

と叫びながら放送室特有の分厚いドアを押し開ける。

まだ昼の校内放送は始まっておらず、準備中だった局員たちは唖然としている。

 

 

「……な、何ですか?」

 

「大変だわ、今すぐ全校中に知らせなきゃまずいのよ! じゃないと恐ろしい事になるの!!」

 

「もしかして火事とか!?」

 

「いいから早く、マイク」

 

キョンは置いてけぼりを食らっている。

まあ、俺はだいたいの察しが付いた。ビデオカメラを用意している辺り放送がしたいのだろう。

 

 

「ちょっとどいてくれるかな」

 

とミキサー近くにいた放送局員に言うと、俺は勝手に椅子に座って放送の準備をする。

放送機材を扱った経験はある。前世では高校の放送局員をやっていたからね。いやあ懐かしい。

涼宮さんはカメラにケーブルを繋げ終わると俺に合図をした。キューサインを送ってマイクのボリュームを上げていく。

 

 

『ここで一大ニュース! 全校生徒の皆さん、SOS団からのお知らせよ。まずはテレビを付けてチャンネルを校内放送に切り替えてちょうだい』

 

数秒の間を置いて涼宮さんはビデオカメラを再生する。

内容は何だろうかと思うと放送局員が確認用にモニターを付けてくれた。

すると一昨日行った商店街をバックに、メイド服の朝比奈さんと、クラスイベントの占いで使うらしい魔女装束の長門さんが映し出された。

……スポンサーと言っていたからな。コマーシャルだろう。

ビデオカメラを貰った電器店の宣伝が終わると再び涼宮さんはマイクに語りかけ。

 

 

『以上、スポンサーからの告知でした。で、ここからが本題だから』

 

モニターが暗転。壮大なBGMと共に一枚絵に切り替わる。

 

 

「SOS団プレゼンツ、【未来系魔法少女 アサルト×ミクル】 文化祭にて上映予定! ……だぁ?」

 

キョンは口をあんぐり開けている。いや、俺もここまでやるとはね。

昨日部活終わりに朝比奈さんと長門さんを引き連れていなくなったのは見てたけど、こんなCMを撮影しに行ってたのか。

 

 

『そういうわけだから。文化祭はぜひSOS団自主製作の大作を見に来てちょーだい!!』

 

そう言ってマイクから手を放す。要件は済んだらしい、俺はミキサーの電源を落としといた。

しかしこの場にはキョンより現状を訴えたい人物が居た。

眼鏡をかけた青年。どうやら他局員の様子からするに彼が局長らしい。

 

 

「あ、あなた達! 何してるんですか! 勝手に放送室に来て、わけがわからない放送して、ここは学校のためにあるんですよ!」

 

気持ちはわかる。俺もかつては局員だったからね。

キョンは涼宮さんをフォローする気が無いらしいし、この場で揉められても困る。

今回も俺が誤魔化すとしよう。

 

 

「あなたが局長さんですか?」

 

「ああ、そうだが」

 

「オレは放送局の活動に詳しいから言わせてもらうけど、この学校の放送局は駄目だね。向上心が無い、アナウンスのレベルも低い、ただ曲を定期的に流すだけ、なあなあに活動してるのは見なくてもわかるよ」

 

「な、何だと……!」

 

「こう言えばわかりますか、意識が低いと言ってるんだよ無能。今は学校祭期間だ、それなのにいつも通りに"お昼の校内放送"だあ? 笑わせる。内容に工夫がない。体育祭の時もそうだったが、取材したり、関係するゲストを呼んでインタビューすれば生徒は学校行事に関心を持ってくれるでしょう。ここに置かれている機材は飾りですか?」

 

「ちょっとお前!」

 

男子局員に肩を掴まれたが俺は無視する。

 

 

「そんなんで、あんた達は学校のために活動してると言えるんだろうな? だったらコンクールで入賞ぐらいしてくれ。見たところ、賞状は飾られてないみたいだけど」

 

「それは……」

 

「普段から意識が低けりゃ結果はついてこないさ。残念ながらあんた達がオレ達をどうこう言っても仕方ない。方法はさておき、オレ達は文化祭の盛り上がりに貢献したよ」

 

「そうよ、これは学校のための放送なんだから。この情報を知らなかったら人生損してるわ」

 

部長は何も言ってこなかった。

俺は肩を掴んだ男子局員の手を払い言う。

 

 

「まずはしっかり発声練習をする事をお勧めするよ。今の君たちより涼宮さんの方がよっぽど放送向きだ」

 

最後に涼宮さんが「またCM流しにくるからね~」と言ってこの場は終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやあ驚きましたね。何事かと思いました」

 

そう笑顔で語るのは古泉だ。

放課後の文芸部部室。まあ、人数分の台本は明日にでも渡そう。

原作ではノロノロ撮影してた気がするからな。

編集だって映像だけじゃなく音声まで含まれているのだ。

手直しは時間がかかるに越した事はない。

 

 

「どうよ。これで当日は大盛況間違いなしだわ」

 

「なかなか面白かったけど、無茶はよくないと思うな」

 

「わかってるわよ涼子。とにかく、完成が待ち遠しいわね!」

 

これは本当にいつの間にかなのだが、涼宮さんは朝倉さんを下の名前で呼ぶ程度には親しく思っているらしい。

未だに朝倉さんと呼んでいる俺がなんだか情けなくも思えてくるね。

 

 

 

 

と、けっこう呑気してた俺ではある。

しかしキョンにかかってきた電話の内容で呑気も出来なくなってしまった。

 

 

「――おい、ハルヒ。CMで流した商店街の電器店なんだがな……。北高の生徒が大挙して押し寄せてきてるらしい」

 

嫌な予感しかしない。

涼宮さんは「コマーシャルが大うけしたわね」と喜んで。

 

 

「さ、明日から撮影開始だから。今日はもう解散でいいわよ!」

 

と帰ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

要するに俺の一番の油断というのは対"涼宮ハルヒ"における認識の甘さに他ならない。

脚本がよくなろうと好き勝手するのは目に見えていたはずだ。

それがまさか本編より前のCMについても力を発揮するとはね。

長門さんが言うには。

 

 

「人間には言語だけではなく記号化された映像もメッセージとして受け取る力がある」

 

「はあ? あの映像のどこに記号なんかあったんだ。いつぞやのホームページのようなものは見えなかったぞ」

 

「テレビの映像は本来数字の羅列に過ぎない。涼宮ハルヒが広告を練った以上、何があっても不思議ではない」

 

「サブリミナル効果ってヤツかな」

 

「そう」

 

サブリミナルメッセージ。

人間の目や耳でなく、直接潜在意識に働きかける効果であり、一種の洗脳とも言える。

 

 

「昔アメリカで用いられたことがある広告手法さ。一般の映画フィルムは一秒間に二十四コマなんだけど、その中で各所にコーラが映されたコマを挿入する。一秒間に二十四分の一だぜ? 目で捉える事は不可能だ。そして次第に映像を見ていた観客はコーラが飲みたいとか、喉が渇いたとか言うようになったそうだ」

 

「それが本当なら、そんな事をして大丈夫なのか?」

 

「大丈夫じゃあないから話してるのさ。実際この手法はもう禁止されている。知らず知らずのうちに見てる人へ暗示をかけてしまうからね」

 

「おい、ハルヒはまだCMを流す気でいるんだぞ」

 

「どうもこうもないさ。あの電気店だって客が入ってまさか嫌って事はないでしょ。迷惑にしては可愛いもんだよ」

 

「それはそうだが……」

 

「とにかく、我々は目先の撮影に集中しましょう。涼宮さんの気分が良ければ何事もないはずですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――古泉よ、何事もあるから涼宮ハルヒはやっかいなのだ。

 

 

 

 

 

 



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第二十九話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

撮影そのものは中々順調に進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それもそうだろう。元となる脚本家が居て、台本がある。

いくら涼宮さんが傍若無人とは言っても、ベースさえあれば演じる方としてはありがたいのだ。

とにかく、スムーズに行ってたもんだから俺の頭からは抜け落ちてたんだ。

原作の映画撮影がどんな話だったか、なんて事は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SOS団からすれば制服の朝比奈さんと言うのは珍しい。

今回の映画では学校の日常風景なんかも取り入れた。涼宮さんはつまらなそうだったけど。

だけど今回はウェイトレスではなく朝比奈さんも高校生の設定だからね。

 

 

エキストラとして谷口と国木田、そして鶴屋さんにも協力して頂いた。

三人とも悪の戦闘員ポジションである事は確かなのだが、今回の話は魔法少女と題している。

つまり"それなり"の恰好をしてもらう事になったのだが……。

まあ、これは実際に作品を見てもらえばわかるさ。

中世的な顔立ちの国木田はまだ許せたけど、谷口のは地獄だったね。

思わずテープを叩き壊しそうになってしまった。

 

 

――と、全体の進行具合で行けば中々のもんである。

だがな、アクションシーンを撮るようになってから、俺の嫌な予感は見事に的中してくれた訳だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは土曜日の事だった。

先ずは一日がかりで残った日常パートを撮り終えると言う事になったのだが。

涼宮さんは急に。

 

 

「う~ん。明智君、有希は謎の魔法少女なわけじゃない」

 

「そうだね」

 

「なんかこう、使い魔的な猫が欲しいわね……」

 

確かに猫はいい。可愛いからね。

俺も犬か猫かで言えば猫だよ。

 

 

「そうだ、野良猫を捕まえましょう!」

 

と言う訳だ。

因みに文芸部に割り当てられた文化祭費用は小道具や撮影機材に充てられる事に。

俺がビデオカメラで映像作品を作る上で気にしていたのはマイクだ。それも、指向性をね。

その指向性マイクも涼宮さんのおかげで、タダではなかったが半額以下で用意できた。

 

 

 

撮影用の猫を捕獲すべくやってきたのは朝倉さんと長門さんが済むマンションの裏手だ。

そこには猫と言う猫が何匹も居る。野良が群れていた。

一匹適当に捕まえてみる。猫たちは警戒心がなく、もふもふし放題だった。

どれ、お前達には用意していたキャットフードをやろう。パラパラと草むらに置いていくと、猫たちは一気に餌を求めて集結していく。

 

 

「黒猫が欲しかったんだけどここには居ないわね。ま、これでいいわ」

 

涼宮さんに"これ"と呼ばれむんずと掴まれたのは一匹の三毛猫だ。

ああ、こいつは間違いなくあの猫なんだろうさ。

試しに猫の股を覗いてみると案の定オスだった。激レアもんだ。

 

 

「有希、これが相棒よ。仲良くしてあげなさい」

 

「……」

 

「にゃあ」

 

猫が相棒とは世も末である。

長門さんが魔女姿で三毛猫を乗せ、川沿いを闊歩するシーンを撮影する事になったのだが。

 

 

「明智君。やっぱり使い魔なら喋るべきよね」

 

「みんながみんなそうとは思わないけど、喋ったら面白いんじゃないかな」

 

「そうね。あの三毛猫は喋れる事にするわ」

 

と言って涼宮さんは長門さんの肩に乗っている三毛猫と顔を合わせ。

 

 

「あなたの名前は今からシャミセンよ。ほら、有希の使い魔なんだから何か喋りなさい」

 

しかし三毛猫は喉をゴロゴロ鳴らすだけだった。

結局、シャミセンが喋れると言う設定については後で誰かアフレコでもすればいいという結論に。

彼もわざわざ喋るほど節操のない猫では無いはずだ。個人的に彼をにゃんこ先生と呼ぶことにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、アクションシーンの山場の一つ。

武器を失った朝比奈さんが朝倉さんに追い詰められた時、必殺魔法"みくるビーム"で応戦するといった内容だ。

今思えば涼宮さんがアクションを欲しがってたとは言え、俺何でこの内容書いちゃったんだろうな。

 

 

「――さあ、大人しくしてもらうわよ」

 

「ひっ!」

 

朝倉さんはタキシードに身を包んでいる。実にクールだ。

最初に彼女が着替えたのを見た時はこういうのもありなんだなって不覚にも思ったよ。

それに対して胸元が強調されているようなピンクベースに黒が要所にある魔法少女コスプレの朝比奈さん。

変身後は片目がカラコンだ。

 

 

「みくるちゃん。ビームよ」

 

そう、そんな呟きが隣の涼宮さんから聞こえたと思う。

朝比奈さんはポーズをとり。

 

 

「み、ミクルビーム!」

 

そんな声が聞こえた瞬間だった。

正面で撮影していたキョンの身体が、近くに居た長門さんによって倒される。

瞬間的に状況を把握――マジか。どうやらフォトンレーザーが発射されちまったらしい――。

朝倉さんはサイドステップで華麗に回避したが、まだ発射は続いている。

朝比奈さんがふと後ろを振り向くと、そこに立っていた古泉のレフ板が焼き切られる。

しょうがない、俺がやるかと思い両手に――

 

 

「やれやれだわ」

 

朝倉さんはそう言うと神速の動きで飛び回り朝比奈さんに接近。

幸いにも涼宮さんはキョンの方に集中している。あれは人外の動きにしか見えない。

そして一瞬で朝比奈さんを押し倒し、朝倉さんはコンタクトを外したのだった。

 

 

「あ、あれ? 涼子、どうしたのかしら。いつの間にみくるちゃんを倒してるの?」

 

「ごめんね。もっと追い詰めてからビームが出た方がいいと思って、アドリブ入れちゃった」

 

「……そうですね。ビームの方はCG加工となりますから、直ぐ当たっては面白くないでしょう。迫真の演技でした」

 

「ふーん。わかったわ」

 

どうやらキョンは倒れながらも撮影していたらしい。

思わぬ形で迫力のある画が撮れた。

それを確認して満足そうに涼宮さんは朝比奈さんの肩を叩いている。

だが撮影者のキョンは。

 

 

「おい、さっきのは一体何だ。レフ板が一枚使いもんにならなくなったぞ」

 

「見えなかったから無理もないさ。あれが本物の"ミクルビーム"だ」

 

「これよ」

 

と言って朝倉さんはコンタクトレンズを出す。朝比奈さんが付けていたものだ。

 

 

「僕には普通のカラーレンズにしか見えません」

 

「そうだね。だが、そうじゃなかったらしい」

 

「ええ、長門さんが補助してくれなかったら危なかったわ。思ったよりも数段は高い指向性だったから一人じゃ防げなかったかも」

 

朝倉さんの掌は無傷だった。

これで彼女の手に穴でも空いていたなら俺は俺を許さないだろう。

次からは即座に動こう。最近たるんでいる。

 

 

「不可視帯域のコヒーレント光」

 

「なるほど、朝比奈さんはそのコンタクトを付けてレーザーを」

 

「は? じゃあ朝比奈さんは眼からモノホンのビームを発射したってか?」

 

「正確には粒子加速砲ではない。凝集光」

 

「まさか朝比奈さんがこんな事を出来る訳が、いや、する訳がないよ」

 

「ええ。涼宮さんは先ほど撮影前に朝比奈さんに無茶ぶりをしてましたからね。ビームを出せと」

 

「するとこれもハルヒの仕業だって言うのか? おいおい、そのコンタクトは市販されてるような普通のもんだぞ」

 

「そんな事は些細な問題にしかなりませんよ。涼宮さんのさじ加減一つで常識は覆されるのですから」

 

これを聞いたらどこぞの超能力者の二番手さんが怒りそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく、これがきっかけとなる。

変身すると目の色が変わる設定は残しておきたい――撮り直すのが嫌だから――ので、朝比奈さんに長門さんがナノマシンとやらを注入することで解決した。

その後も、銃をぶっ放せば遠くの木の枝が何本もへし折れたりだとか、レンズから今度は圧力砲が発射されたり。

いっそアクションシーンを消さないかぎり涼宮ハルヒは何でもしてくるんじゃないかとさえ思えた。

その度に朝比奈さんはナノマシンを注入されており。元々高くもない彼女のテンションが次第に下がっていった。

 

 

「……で、次は何を出したんだ?」

 

「超振動性分子カッター」

 

「幸いにも怪我人は出ませんでした。しかし目にも見えず、質量も持たないカッターですか?」

 

「微量の質量は感知した」

 

「今回は明智君が動いてくれたわね」

 

「朝倉さんに怪我をしてほしくなかっただけだよ。それにオレが映った部分は編集すりゃいい」

 

「あの……あたしは後何回長門さんに噛まれればいいんですか?」

 

涙目で手首をさすりながら朝比奈さんがそう言う。

長門さんのナノマシン注入は噛む事によって行われるのだ。

うーむ。

 

 

「ちくしょう。俺はもう限界だぜ。何もお前の台本が悪いってんじゃねえ、こんな事を立て続けに起こすハルヒにだ」

 

「だが責任の一端がオレにもあるのは事実だ。朝比奈さんの分、殴ってくれても構わない」

 

「あ、あたしなら大丈夫です……。何とかやってみますから」

 

健気にも朝比奈さんはそう言ってくれた。

しかし、何とかはならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それは撮影の合間の出来事である。

 

涼宮さんは朝比奈さんを弄っていた。髪とかボディタッチだとか。

何てことは無い、いつも通りなのだが、キョンのイライラは限界だったのだ。

その上涼宮さんもおどおどしている朝比奈さんに対して徐々にエスカレートしていった。

 

 

「あれ、コンタクト付けたままだったの? 次は外していい場面だから」

 

そう言うと涼宮さんはメガホンで朝比奈さんの後頭部を叩く。

 

 

「ひぇっ!」

 

「あら、駄目じゃないみくるちゃん! あたしが頭を叩いたら目からコンタクトを出すの。さあ練習よ」

 

流石に俺もまずいかなと思い、ふとキョンの方を見ると涼宮さんへ近づきメガホンを取り上げた。

この間にも朝比奈さんは頭を叩かれており、すっかり目には涙が滲んでいる。

キョンは焦ったような声で。

 

 

「やめろ。朝比奈さんはお前のオモチャじゃないんだ、何度も叩いて良いわけあるか」

 

「はあ? みくるちゃんはあたしのオモチャよ。それ返してちょうだい」

 

それとはメガホンの事だが、そんな事はどうでもいい。

 

 

 

――まずっ。

 

と俺が思った瞬間には既に、キョンは古泉に腕を押さえられている。

一言で言えば、"彼は涼宮さんを殴ろうとした"。

そして、その動きに迷いは無かった。頭で考えての行動じゃない。

キョンも我を忘れての咄嗟の行動だったらしい。目を見開いて慌てている。

涼宮さんは彼の反抗的な態度が気に食わないようで。

 

 

「何よ。何なのよ! あんたはあたしの言われたことだけやればいいのよ……あたしが偉いのよ! 大人しくしてなさい」

 

「てめぇ!!」

 

再びキョンは動こうとした。しかし古泉がしっかり両腕を押さえつけている。

だが、それでもこれが危険な状態には変わりない。どちらも血気盛んだ。

沈静化させる必要がある、どうもこうもない痴話喧嘩なのにな。

 

 

……やれやれ、"脅し"に使うのは合宿の時以来か。

 

 

 

 

 

俺が二人の間に割り込んだ瞬間、キョンと涼宮さんの顔色は悪くなった。

擬音で言えば「ゾワっ」と言うヤツだろう。青ざめ、汗が出てきている。

 

 

「なっ……」

 

「うぅ」

 

無理もない。常人にはキツいし、身体に悪い。覇気が使えたら気絶でもさせられるんだけどね。

俺は左手をキョンに向けて。

 

 

「キョン、激昂するんじゃない。少し頭を冷やすんだ。……涼宮さんも、落ち着いた方がいい。今日は終わりにしよう。もう少しで完成だから、充分だ」

 

とだけ言ってその場を後にする。

早い所仲直りしてくれよ。切実に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「"あれ"は明智君の仕業ね?」

 

一人で帰ろうとしていた俺の後をつけてきたらしい朝倉さんがそう言って来た。

しょうがないので道を変更して彼女のマンションへ向かう事にする。

 

 

「一人で帰ろうとして悪いね。やっぱり朝倉さんを送る事にするよ」

 

「それはうれしいわ。でも、私の質問に答えてくれると、もっとうれしいな」

 

まったく。ノリがアメリカ映画さながらだな。

それに朝倉さんに誤魔化しが通用しない事ぐらいはとっくに知っている。

わざとらしい彼女の笑顔は見飽きた。

 

 

「誰か、と聞かれたらオレの仕業になっちゃうのかも」

 

「ふーん。精神論かと思ってたけど威圧なんて存在するのね。私に向けられたものじゃなかったけど、あなたから確かな危険を感じたわ」

 

実際は大した話ではないが、ネタが割れてない方がこちらは有利なのだ。

わざわざ説明する必要はない。

 

 

「そんなことより二人は大丈夫だったのかな?」

 

「さあ。興味ないもの」

 

「せめて涼宮さんの方は気にしてあげなよ」

 

「長門さんが居るし、古泉一樹は涼宮さん信者よ。そっちは大丈夫じゃないかしら」

 

問題はキョンの方か。

同情はしてやれるが、あいつもあいつで負けず嫌いだからな……。

 

 

「キョンのフォローは後でオレがしよう。また世界の危機まで発展されちゃ身がもたないんだ」

 

「難儀してるのね」

 

「それがオレ達の役目でしょ」

 

「……」

 

ま、朝倉さんはそーゆーのが嫌なのはわかってるさ。

素直に謝ろう。

 

 

「ごめん。冗談だよ、忘れてくれ」

 

「いいわよ、私が考えてた事は別だから」

 

彼女のそれに興味がないわけではなかったが、多くを語らない俺が質問するのも失礼だろう。

 

 

「とにかく、さっきも言ったように後少しなんだから……我慢してほしいんだけどね」

 

「私に言われても困るわよ」

 

「たまには愚痴もいいでしょ」

 

「人間で言えば、それも"つまらない"のよ」

 

「確かに」

 

でも、俺からすれば朝倉さんは退屈しない相手なんだけどね。

もっとも彼女が何を考えて俺を行動を共にしてくれるのかは未だ謎だ。

普段の様子からすると、何か理由があるみたいではあるが。

しかし俺は読心のスキルなどない。だが、読唇の方は出来る。

たまに他人の何気ないやりとりを遠巻きに見て、その会話を知るのに重宝する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、言い忘れてたが、にゃんこ先生もとい喋る三毛猫はキョンが預かる事になっている。

 

 

 

 

 

 



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第三十話

 

 

 

 

 

 

 

 

――翌日、日曜日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

順当に行けば今日が撮影最終日となる。

文化祭は約一週間後。ああ、充分すぎるさ。

俺が前世で放送局に居た時、映像作品を作った事があるのだが、編集させられた時の期間なんて二日とない。

経験から言わせてもらうと映像よりも音声編集が本当にキツい。

音をクリアにするための波長弄りは地獄だった。マウスの繊細な操作が要求される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、今日は再びエキストラの谷口と国木田と鶴屋さんにも来てもらっている。

クライマックスを撮るためにも雑兵は必要だからだ。

だが、駅前に集まった俺たちには現在、一つだけ致命的な問題が発生していた。

 

 

「おい明智。来てやったはいいがよ、肝心の監督とやらがいねえぞ」

 

そうだな谷口、おまけにキョンもだ。忘れてやるな。

キョンはさておき涼宮さんがいないと撮影ができない。カメラは彼女が持っている。

朝比奈さんは全く責任がないのに悲しんでいて、そんな彼女を鶴屋さんがよくわからずに「よしよし」と撫でている。

このまま黙っているのも嫌なのでとりあえず涼宮ハルヒ教信者である古泉に話を伺うとしよう。

 

 

「古泉、あの後どうなったんだ? まさか閉鎖空間で世界が云々だなんて言わないでくれよ」

 

「大丈夫ですよ。どうやら今回に関して言えば彼女はストレスを感じたのではなく、いじけてしまったようです」

 

「キョンが怒ったからか?」

 

「そうでしょうね。涼宮さんはきっと、何があっても彼だけは自分の味方だ。そう思ってたんでしょう。だからこそ、彼のあの態度は涼宮さんにとってショッキングだったのです」

 

「実に感動的だね。でも、その結果二人とも来ていないなんて笑えないんだけど」

 

「ええ。ですが大丈夫だと思いますよ。彼にはちょっとしたアドバイスをしてあげましたから」

 

古泉は涼宮さん信者である以上、根拠のない自信の精神も見習っているらしい。

しかしながら今回ばかりは根拠があったのだろう。何故かって? 

そりゃあ。俺の目が確かならば、キョンと涼宮さんの二人が一緒に遅れてやってきたからだよ。

どうしようもないね、心なしか吹っ切れたようにも見える。

 

 

「雨降って地固まる、とやらですね」

 

「オレはその大雨が洪水にならない事を祈るよ」

 

キョンが引き連れてきたにゃんこ先生はとても眠そうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言うと、撮影自体は滞りなく完了し、お昼には終了となった。

打ち上げなんてのは文化祭が終わってからやるもんだ。今日はさっさと解散である。

 

 

 

 

だが、どうやらこのまま終わらせるには少々まずいらしい。

解散後、再びエキストラ三人と涼宮さんを除いたメンバーで駅前へ再集合を行った。

馴染みの喫茶店に入り、部室でやるよりはよっぽど会議らしい会議が始まる。

にゃんこ先生はキョンが既に家に置いてきている。

 

 

「撮影が終了したのはとても喜ばしい事なのですが、そうも言ってられません。僕たちは涼宮さんを見くびっていました」

 

「どういう意味だ?」

 

「今回の騒動、撮影を通してではあったものの涼宮さんの能力によって様々な現象が発生しました」

 

「シャミセンさんも大変そうでしたね」

 

朝比奈さんはどうやら喋る所を目撃したらしい。

残念だが俺は彼と話していない。その必要も無さそうだったからだ。

 

 

「文化祭が近づくに連れて校内でも妙な格好をした生徒が増えていました。まるで映画の登場人物のように」

 

「リハーサルにしては気が早かったからね」

 

「あれも涼宮ハルヒによるもの」

 

「ええ。涼宮さんは今までは"映画"、つまり創作物中の出来事として力を発揮させてきました。しかし現在、現実と創作の境界があやふやになりつつあるのですよ。シャミセンが喋ったのがいい例です」

 

「それが事実だったとして、どうすりゃいいってんだ」

 

「簡単ですよ。しっかり線引きしてあげればいいのです」

 

「つまり、夢オチって事かな」

 

「ええ。それでも構いません。とにかく彼女に自覚させる必要があるのですよ、これは嘘っぱちの内容だと」

 

本当に秘密結社なんかに出られた日にはたまったもんじゃない。

そして、原作でも最後の方でそんなやりとりがあったからな。

魔法の言葉作戦。それでいいだろう。

 

 

「その意見は理解したけど、脚本家として夢オチは邪道だ。いい方法を考えとくよ」

 

「わかりました。お願いしましょう」

 

「ついでだからオレからも『機関』にお願いが一つあるんだけど」

 

「何でしょう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなやり取りは昨日までの話だ、月曜からは編集作業が待ち受けていた。

……この作業は一切の妥協があってはいけない。デスマーチ万歳だよ。

そして、俺の経験上から言うと最低でも二人は居るべきである。

音については言っちゃうとフィーリングの部分があるからね、一人でずっとやっていると上手くいかないのだ。

と、言う訳でビデオカメラをパソコンに繋げて引っ張ってきた映像や音を編集している。

俺とキョンの二人でだ。

 

 

 

俺が忌々しい"ミクルビーム"の映像編集をしていると不意にキョンが。

 

 

「なあ明智よ。お前はハルヒの能力を……いや、ハルヒをどう思っているんだ?」

 

突然だな。何がいいたいんだお前は。

後半部分だけ聞けば「お前あいつに気があるのか?」とも受け取れるじゃあないか。

とりあえず作業の手を止める。

 

 

「言い忘れたが、"どうもこうもない"って台詞は無しで頼む」

 

「はぁ……。それに答える前に、何でそんな事オレに聞こうと思ったわけ?」

 

質問を質問で返すのは会話のドッジボールに繋がりかねないのでよした方がいい。

しかし男子高校生にはそんなマナーなぞ存在していない。

 

 

「ああ。いや、他の連中はハルヒに対して色んな見方をしているらしい。古泉はハルヒが神とか言うし、朝比奈さんが言うにはあいつは世界の仕組みを変えてるんじゃなくて不思議を見つけるのに長けてるだけらしい。長門にいたっては専門用語が多くて主張がよくわからん」

 

「……で、自分もわからないからオレに聞いたって話か」

 

「そんなところだ」

 

「さてな。造物主、奇跡の発掘人、自律進化、そのどれも正しいかもしれないし、間違ってるかもしれない」

 

「おい。俺はしっかりとした説明が欲しいんだよ」

 

「お前に"それ"が必要なのか? オレなんかよりよっぽど涼宮さんを詳しく調べてる人間でさえ本質が掴めていないんだ。オレにわかるわけないでしょ」

 

「だが明智は異世界人なんだろ? どういう経緯かは知らんがハルヒに呼ばれた。あいつら三人とは違った視点なんじゃないのか」

 

「そうだね……。でもオレの意見は多分キョンと"同じ"さ。涼宮ハルヒは"それ以上でもそれ以下でもない"。ちょっと心が不完全なだけの、夢見る少女だ」

 

「そうかい。だが得体の知れない何かがハルヒにあるのは事実なんだろうさ」

 

「ふっ。前に言ったと思うけど人間には未知の領域がまだまだある。涼宮さんに限らないよ」

 

「お前は"それ"を知ってるって言うのか」

 

「オレのも一端だけだ。アカシックレコードでも読破しない限りは無理だと思うね」

 

「やれやれ……真相は闇の中か」

 

キョンは怠そうに空を仰ぐ。

このまま俺が黙っていると天井のシミでも数え出しそうだ。

編集作業に集中したいので俺なりの答えを伝える事にする。

 

 

「……神じゃあないよ」

 

「ん、お前は古泉の意見に反対なのか?」

 

「いや、涼宮さんは神に等しいだけであって神そのものではないと思う。それに、神が居ないとも言ってない」

 

「俺みたいな普通の人間にはその差がわからん。要約しろ」

 

「キョン。オレはお前さんが読書をしないのは悪いことだと言ってるのさ」

 

「まさか本の中に答えがあるってか」

 

「さあ。だけどヒントをくれるのは確かだ。ニーチェを知っているか?」

 

「名前ぐらいはな。"神殺し"だとかどうとか」

 

「それだけ知ってれば充分だ。十九世紀は神に変わり人間が時代を作った。信仰の話じゃない、精神的主柱が神から人間になったのさ」

 

「歴史の話をしたいなら俺は無視するぜ」

 

「慌てるなって。だけど、人間が精神的主柱になったと言っても全員がそう考える訳じゃあないだろ? それに、精神そのものが破綻している人だって居る」

 

「つまり?」

 

「人間は不完全だ、精神的主柱とは言えない。そう考えたのがニーチェさ」

 

「それとハルヒがどう関係するんだ」

 

「ニーチェがそう言ったのはいいけど、それじゃあ神も駄目、ヒトも駄目、心の支えが無くなるだろ? そこで考えられたのが、完全なる人間。すなわち"超人"だよ。涼宮さんは、どちらかと言えば超人さ」

 

「ハルヒがそんなたいそうな奴にしては、どうにも子供じみてる気がするぜ」

 

「超人ってのは文字通り人間と次元が違うのさ。涼宮さんの才能の豊富さ、秘められた何か、これらは人間の次元ではない。人格者かどうかとは別だ」

 

「次元ねえ。だとすると、あいつから見える世界と俺たちから見える世界には差があるんだろうか」

 

「それはわからない。でも、猿と人間だって次元が違うでしょ? オレたちが猿を嗤えば、涼宮さんはオレたちを嗤うのさ。それが次元の差だよ」

 

「……なるほど。普段の様子からすると、あいつにとって普通の人間社会が退屈なのは納得だぜ」

 

「でもこれだけは勘違いしないでくれよ。超人が特別だって言いたいんじゃあない。誰でも進化さえできれば超人になれる、それが本質らしい」

 

超人は人間の目標、人間とは克服されなければならない。

彼が言うには人間の偉大さ、素晴らしさは、不完全さそのものにあるらしい。

心に信念さえあれば人間に不可能はない、人間は成長する――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――か。

俺には足りない要素だ。

キョンはいまいち進化と言われてもピンとこないらしく。

 

「これ以上どうにかなるってか」

 

「それもオレにはわからない。ニーチェの考えに基づいた意見だからね。オレが言える確かな事は、涼宮さんの音楽センスはいいって事だよ。マリリン・マンソン、いい趣味してるよね」

 

「そう言えばこの前あいつ歌ってたな」

 

99年に全英チャート23位に輝いたあの曲である。

俺はマリリン・マンソン自体に思い入れはないけど、あの曲はいいと思う。

何より歌詞がいいからね。

 

 

「しかしハルヒも、もうちょっと大人しくしてくれればありがたいんだがな」

 

「それはお前が頑張りなよ。オレなんかナイフが飛んで来るんだ」

 

「はいはい、昼にいつもいちゃいちゃしてるお前に言われたかねえよ」

 

「……作業に戻ろう」

 

「引き分けにしてやっていいぜ」

 

「賛成だ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――って話があったんだけど、元急進派の朝倉さんから見て、涼宮さんはどうなのかな」

 

編集作業も一段落し、いよいよ完成間近となった日の下校中。

俺は朝倉さんの意見を伺う事にした。当然だがナイフのくだりは割愛している。

 

 

「それ、私にするなんて……デリカシーのない質問ね」

 

「もっと褒めてくれてもいい」

 

「はぁ。……前にも言った通りよ。忘れてないわよね?」

 

当然さ。

もう半年は前になるのか。

あの時の朝倉さんの発言にはとても驚かされた。

憧れ、そして嫉妬。彼女はそれが感情と呼べる動機だとは自覚していなかったようだが。

 

 

「それだけよ。私はもう涼宮さんへの関心を捨てつつあるもの」

 

「聞きたくないけど敢えて聞くよ。今は誰に関心があるのかな」

 

「ふふ。明智君、あなたよ」

 

――そうだな、キョン。

人を見た目だけで全て判断してちゃ、たまったもんじゃあないよな。

 

……とりあえず文化祭に向けて、今の内から用意しておきたい事が他にある。

その事だけに集中しよう。朝倉さんにも手伝ってもらうが。

笑顔とは本来、攻撃的なものらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてこれは余談だ。

 

SOS団が放送室に乗り込んで以降、校内放送で文化祭を採り上げたりし始めた。

コマーシャルビデオも再び流したのだが、模型店はやはり繁盛したようだ。

倫理的にあれな一種の洗脳とは言え、話題作りにはなっただろう。

これを機に商店街に並ぶ他の店も時代の荒波に立ち向かっていてほしい。

 

 

 

SOS団自主製作の映画作品だが、プロジェクターの都合上視聴覚室で上映されることになった。

そこは映画研究部がもともと使う予定で、涼宮さんのゴリ押しによってどうにか通す事に成功。

映研との二本立てである。

 

 

しかし俺は配られた文化祭パンフレットを見て腹が立った、SOS団の映画作品の名前がどこにもないからだ。

この事実を涼宮さんに伝えた俺と、涼宮さんに引っ張られたキョンの三人が文化祭実行委員に殴り込む。

暴論に次ぐ暴論の末になんとパンフレットを修正させ、再配布させたのだがその内容は割愛させていただこう。

涼宮ハルヒに喧嘩を売ったのが間違いなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで残された数日もあっという間に経過し、いよいよ文化祭当日となる。

 

 

 

 

 

 



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未来系魔法少女 アサルト×ミクル

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは、どこにでもあるような、普通の高校。

その教室の一つである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この物語の主人公は、そんな普通の高校に通っている女子生徒だ。

彼女の名はミクル。高校ではちょっとした有名人で何故なら彼女は美しかった。

 

そんなミクルはなんと今、一人の男子生徒に片思いをしている。

男子生徒の名はイツキ。彼は一年生で、ミクルは二年生。後輩なのだ。

だがミクルは奥手もいいところで、イツキはミクルに惚れられている自覚があるはずもない。

つまり、恋愛へと発展するわけもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミクルは憂鬱な日々を送っていた。

そんなある日の登校中の出来事。

 

 

「あれ? 落し物かなあ」

 

ミクルは道端に落ちていたピンク色のペンライトを拾う。

文化祭のシーズンだ、誰かが落としたのだろうか?

しかし今日の彼女に余裕はなかった。

 

 

「あわわ。遅刻しちゃいます」

 

友人に勧められて見てしまったホラー映画のせいでなかなか寝付けなかったのだ。

おかげで今日のミクルは遅刻スレスレ。慌てて学校へと走っていく。

すると、そんな彼女を見る怪しい影が。

 

 

「……」

 

とんがり帽子を被った魔女装束の女。

彼女は何者なのだろうか? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何やら物語の始まりを感じさせつつ、場面はその日の下校風景へと変化する。

 

 

「結局、これの持ち主は見つかりませんでした」

 

ミクルの手には朝のペンライトが握られていた。

クラスメートや友人に聞いて回ったが心当たりはないと言う。

小物ではあるものの、一応交番にでも届けようかと彼女が思ったその時。

 

 

「ぐへへ。お前が持っている"フラッシャー"をこっちへ寄こせ!」

 

突如、変態としか言いようのない男がミクルの眼前へと現れた。

オールバックに間抜け面のそいつは、なんとあろうことかメイド服を身にまとっていたのだ。

生脚を惜しげもなくさらけ出し、彼のすね毛はこちらに多大な不快感を与える。

 

 

「ひぇっ!? へ、変態さんです!」

 

「おい、人聞きが悪い事言わないでくれ! 俺は秘密結社"アサクラ―"の戦闘員だ。偉大なるボスの命令により、お前が拾ったそれを回収しに来たんだよ」

 

こんな変態が戦闘員とは、世も末である。

しかしながら設定上、彼は常人とは比較にならない戦闘力を誇っているのだが、果たしてそれは活躍するのだろうか。

 

 

「こ、これの事ですかぁ……?」

 

「ああそうだぜ。それはボスの落し物なんだ、返してくれよ。俺がボスに渡す」

 

涙目になりながらもミクルは、「どうやら持ち主さんの知り合いらしいし渡しちゃってもいいよね」と考えていた。

そして彼女が変態に近寄ろうとしたその時。

 

 

『そこの可憐なお嬢さん! それを渡してはなりませんぞ』

 

「だ、誰だ!?」

 

それはやけにダンディな声だった。

思わずミクルの動きが止まり、後ろを振り向く。

 

 

「猫さん……?」

 

『いかにも。それを奴の手に渡してしまったが最後、世界は破滅してしまいます』

 

「んだぁ? 猫が喋りやがった! ……そんな事より、いいからそれをこっちに渡せ!」

 

声の主はなんと三毛猫である。

どう見てもその猫は口を一切動かしてないどころかこちらを見てはいないのだが、その辺はお察し願いたい。

とにかく、第三者。いや第三描の介入によってミクルはすっかり混乱してしまった。

ああ、今にも泣き出してしまいそうだ。ちくしょう。

 

 

「どっちを信用すればいいんですかぁ……」

 

『とにかく、ここは私に騙されたと思って、そのフラッシャーを天へ掲げこう叫ぶのです「サーチアンドデストロイ」と』

 

「いいから早くしやがれ。そろそろ我慢の限界だ、こっちから行くぜ」

 

「ふぇっ? 何て言えばいいんですか?」

 

『「サーチアンドデストロイ」ですぞ』

 

混乱の最中、最終的にミクルが信用したのがメイド服姿の変態男より喋る三毛猫なのは当然だろう。

彼女は訳も分からぬまま、謎の勢いに身を任せペンライトを揚げとりあえず絶叫した。

 

 

「さ、さーちあんど、ですとろい!」

 

その瞬間。辺りが閃光を包み、次の瞬間にはミクルの服装がセーラー服からやけに胸を強調しているピンク主体の、いかにも魔法少女が着ているようなアレになっていた!

 

 

「ええっ!? 何なんですかぁ!? もうわけがわかりません!」

 

『説明は後でしますので。とにかく、今は奴の撃退が先決ですな』

 

「ちっ。変身しやがったか。だが素人相手に俺が負けるかよ!」

 

一瞬怯んだ変態だったが、直ぐにミクルへ接近しようとする。

このままではまずい、絶体絶命だ。

最悪の場合はここで放映できないような、いやらしい展開になってしまうかもしれない。

映像が無ければ映画にならないぞ。どうするミクル!

 

 

『奥の手を使いますぞ。奴を視界に捉えてこう言うのです「ミクルビーム」と』

 

何故会ったばかりの猫がミクルの名前を知っているのか。そんな事は些細な問題に過ぎない。

今はあの変態の息の根を止めれればそれでいいのだ。

 

 

「わ、わかりました。ミクルビーム!」

 

その瞬間、やけにチープなエフェクトと共にミクルの目から黄色の怪光線が発射される。

変身と共にミクルの左目の色は変わっていた。そこからミクルビームは放たれたのだ。

それを直撃してしまった変態ははるか彼方へ飛ばされていく。

 

 

「ぬわー」

 

後には年齢と抜群のプロポーションの割に際どい恰好のミクルと三毛猫だけが残された。

 

 

「すいません。どうすれば変身は解除されるんですか?」

 

『……脱ぐのです』

 

「へっ?」

 

『全裸になれば元の服装へと戻れますぞ』

 

再び涙目になりながらミクルは肩に手をかけ――

おっと、ここから先は撮影すらしていないので我々に問い合わせてもらっても困る。

朝比奈さんはしかるべき場所で更衣を完了したのであしからず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

場面が切り替わり、何やら和室である。

ここはミクルの家だ。細かい全体像は映さないが、とにかく大きく美しい旧日本的豪邸だと理解してもらえればありがたい。

そして、彼女は遺影の前で合掌していた。

 

 

「お兄ちゃん。あたし、魔法少女になりました」

 

遺影に写っているその青年はミクルの兄で、名をキョンと言うのだが既に死んでいる。

この作品で俺……。本人が登場する予定はない。

ミクルの横には三毛猫も座っている。何やらこれから説明があるらしい。

 

 

『この魔法少女変身アイテム、"フラッシャー"はこの時代の技術で作られたものではありません』

 

「どういうことですか?」

 

『これから数十年後、未来は悪の秘密結社により世界が征服される闇の時代となってしまうのです』

 

「それって、さっきの変態さんが言ってた」

 

『そう。奴らの名前は"アサクラ―"。このフラッシャーはアサクラ―の怪人を打ち倒すために開発されました』

 

「それが何故ここにあるんですか?」

 

『これを開発したのは私の飼い主だった方です。彼はようやくこれを完成させたのですが、アサクラ―に見つかってしまい命を狙われました。そこで試作中のタイムマシンに私共々この時代へ飛ばされたのです。アサクラ―を倒し、未来を変えるために』

 

何やら話の流れとしては普通ではあるのだが、その開発者は何故魔法少女のコスチュームに拘ったのだろう。

戦闘服ならもっといいのがあるはずだ。しかしながらこれも脚本家の趣味なのでご容赦願いたい。

 

 

『私からの頼みは一つだけでございます。どうか、打倒アサクラ―に協力していただきたいのです』

 

「すごく大変なのはわかりましたけど。あたし一人で無理ですよ、そんな、戦うだなんて」

 

『左様ですか。しかし、フラッシャーはもう一つあるのです』

 

三毛猫が後ろを振り返ると、いつの間にか魔女装束の女が居た。

登校中のミクルを陰ながら見つめていた彼女だ。

 

 

「これ」

 

と言って女は手に抱えてた自動小銃をミクルへ手渡す。

俺は銃に詳しくないからよくわからないのだが、カラシニコフだろうか。

……ん、何だ? あれはカラシニコフじゃなくてアバカンだって? 

まあ、とにかくアサルトライフルだ。うん。

 

 

「ええっ。これって本物ですかぁ!?」

 

「そう」

 

『武器はあった方がよいですな。アサクラ―は極悪卑劣。どんな手段を使ってでも襲い掛かかってきます』

 

「でも、これは一体どこから?」

 

「闇ルート」

 

「ひぇぇぇっ」

 

『おや。大丈夫ですかな』

 

「……」

 

思わずミクルは気絶してしまった。

そんなこんなでミクルは魔法少女としての生活が始まるのだ。

頑張れミクル。兄は軍人らしいからその血が流れている君なら射撃も得意だ!

 

おい、この設定必要なのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日からミクルの戦闘員狩りの日々が始まったのだ。

尺の都合上一枚絵の連続で勘弁してほしいが、とにかくアサクラ―の先兵どもをなぎ倒していった。

 

 

「ぶ、ぶっ壊すほどミクルシュート! です」

 

「ぬわぁー」

 

魔法を使わずに銃で。というか魔法が使えるのだろうか? ビームは兵器だろ。

しかし、そんなミクルの活躍を快く思わない輩が一人。

 

 

「あなたたち。小娘一人相手に、まるで使えないわね」

 

「すいません。お許しくださいリョウコ様!」

 

「ははぁっ」

 

マンションの一室。

タキシード姿で椅子に腰かける女と、メイド服の変態、そして今回初登場となるもう一人の下っ端も男で、彼もメイド服を着ていたが、中性的な顔立ち故に変態よりはマシだった。

しかし、この様子から察するにここが秘密結社のアジトなのだろうか。

せめてしっかりと部屋を装飾すべきなのだが、予算の都合上こうなってしまった。

 

 

「いいわ、私が直接行きましょう」

 

「えっ。リョウコ様がですか!?」

 

「何、文句あるの?」

 

「いいえ、しかしわざわざ……」

 

「そうでございます、リョウコ様が出向かなくてもじきに我々が」

 

「黙りなさい。それで済むならさっさとフラッシャーを確保してきなさい。まだどちらも奪えていないでしょう」

 

「すいません!」

 

「すいません」

 

再び戦闘員二人は跪く。

 

 

「とにかく、そういう事だから。で、男の方の懐柔は上手くいってるのかしら?」

 

「はい、一週間ほど前からツルヤがターゲットに接触。時間の問題かと」

 

「ふふ。いよいよだわ」

 

先ほどまで無表情だったアサクラーのボス、リョウコが笑いながら立ち上がる。

その様子を見た戦闘員二人は驚いた。

 

 

「ふはははははははは!!」

 

「リョウコ様が高笑いなんて」

 

「は、はじめて見た……」

 

 

「予定は少々遅れたけど構わない、これから順調になるもの。……いよいよ、総取りの時が来たわ!」

 

何やら不穏な空気を感じつつ。ここで場面は暗転する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも明るい可憐な女性、ミクル。

そんな彼女にも最近悩みがあった。

遠巻きに、並んで学校の廊下を歩く男女を見つめている。

 

 

「はぁ……ツルヤさん、イツキくんと仲いいなぁ」

 

イツキにガールフレンドが出来たのだろうか。

とにかく、二人の様子はとても良さげだった。

下校時間だと言うのに校内をブラブラしている。

 

 

「あたしも、もう少し勇気があれば」

 

こんなダウナーな時は誰しも、神にでもすがりたくなる。

よってミクルが神社へと足を運んだのもごく自然の事だったのだ。うん。

しかし、今日の彼女は残念なことに運が悪かった。

 

 

「あなたがミクルね?」

 

ミクルが後ろを振り向くと、アサクラ―のボス、リョウコが居た。

タキシードが彼女の普段着らしい。ついでに言うが、これも脚本家の趣味だ。

 

 

「だ、誰ですか?」

 

「私がアサクラ―のボスよ」

 

「ふぇっ!?」

 

「さっさと倒されてちょうだい」

 

「あ、あわわ。とにかく変身ですっ。さーちあーんどですとろーい!」

 

咄嗟に変身するミクル。

しかし今の彼女には武器が無い。下校中だった彼女はまさか銃なんて持ち運べるわけがない。

それもあって今のミクルはリョウコに萎縮してしまっている。

 

 

「さあ、大人しくしてもらうわよ」

 

「ひっ!」

 

何とか、リョウコを眼前に捉え、いつの間にか作られた決めポーズをミクルはとった。

 

 

「み、ミクルビーム!」

 

その瞬間、画面は一気に揺れ動く。

こ、これは演出である。気にしないでほしい。

とにかく、リョウコはミクルの一撃を回避し、接近に成功。

馬乗りになっている。キャットファイト寸前だ。

何故なら変身を解くにはミクルを脱がすしかない。

 

 

「これでごっこ遊びは終わりね」

 

ミクルの服に手をかけようとした、その瞬間。

 

 

「……ユキリンビーム」

 

「ちっ」

 

リョウコの右方向から紫色のビームが飛んできた。

なんとかその場から飛び退き、回避される。

 

 

「もう一人の魔法少女、ユキね」

 

「……」

 

無言の魔女装束の女。その名をユキと言う。

ユキが発射するビームはミクルとは異なり彼女が持つ星形のステッキから出る。

同時期に開発されたのなら、仕様ぐらい統一するべきである。そんなんだから開発が遅れたんだろう。

 

 

「二対一はさすがにきついわね……今日のところは退いてあげる。どの道、イツキは我々の手に落ちるわ。時間の問題ね」

 

「……」

 

「えっ。イツキって、イツキくんのことですかぁ!?」

 

「さあね、何の事かしら? わからないわ……。じゃあね」

 

そう言って一瞬でリョウコは姿を消してしまう。

流石は悪の秘密結社アサクラ―のボス。どうやらただ者ではないらしい。

ユキの後を追って、遅れて三毛猫がやってきた。

 

 

「……老師」

 

『どうやらボスが来ていたようですな』

 

「シャミセンさん。アサクラ―がイツキくんを狙ってるって言ってました。変身できるあたしたちが襲われるのはともかく、何でイツキくんが……?」

 

ユキに老師と呼ばれた三毛猫の名はシャミセンと言うらしい。

まあ、そりゃあ猫が喋ったら三味線を弾かれたと思うさ。

 

 

『ふむ。イツキと申されましたかな? それが私の知る人物と同じであれば、彼こそが未来で変身アイテムフラッシャーを開発した、私の元飼い主のドクター・イツキでございます』

 

「ええっ!? じゃあ、未来のイツキくんがこれを作ったんですかぁ?」

 

『左様。アサクラ―がどうやってフラッシャーやドクターについて知り得たのかは謎ですが』

 

「彼はアサクラ―の工作員に接触を受けている可能性が高い」

 

「もしかして……ツルヤさんが」

 

『とにかく、このままイツキが捕まってしまえば世界はアサクラ―の手に落ちかねません。歴史が更に悪い方へ変わってしまいますので』

 

「あたし、急いで学校へ戻ります。イツキくんはまだツルヤさんと一緒に残っているかもしれません」

 

「……学校に居ない可能性もある。私はツルヤの家へ向かう」

 

『ミクルさん。どうか気を付けて』

 

明かされた衝撃の真実!

いよいよ物語はクライマックスへと突入する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕暮れの教室。イツキのクラス一年九組だ。

残念なことにミクルが武器を取りに家に帰るような時間は無かった。

ミクルが黒板を見ると、チョークの色をふんだんにつかい、デカデカとこう書かれている。

 

 

『魔法少女へ次ぐ! 

イツキの身柄はこちらが押さえた。体育館まで来い。

 

アサクラ―』

 

 

「ま、まずいです……」

 

ミクルは急いで体育館へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

……しかし、そこにはイツキは居なかった。

いや、ステージに人影があった。そこに立っているのは――。

 

 

「おやぁ? あんたはミクルじゃないかっ」

 

「ツ、ツルヤさん!」

 

「って事は、教室の黒板を見たんだねぇ? でも残念だよ。イツキくんはここにはいないのさー」

 

「えっ。でも体育館へこいって」

 

「とわっはは! イツキくんと校内でぐだぐだしてたのはフェイクだよっ」

 

「その通りだぜ」

 

すると体育館の入口から聞きたくもない変態の声が。

変態は中性的メイド男と共に縄を引きずって体育館へ侵入する。

 

 

「い、イツキくん! ユキさんも!」

 

何とロープでイツキとユキが捕獲されてしまったらしい。

ユキもこの時はいつもの魔女服ではなくセーラー服だ。ミクルと同じ学校の生徒だったのか。

そしてその奥から「あははははは」と笑い声が聞こえてくる。

 

 

「チェックメイトね。流石にユキ相手は手こずったけど、一対一なら負けないわ」

 

「……不覚」

 

「おや、僕にはいまいち状況がわからないのですが」

 

「あなた、とっとと降参なさい。命だけは助けてあげるかもしれないわよ」

 

「ひいぃ……」

 

「おら! とっとと服を脱ぐんだ」

 

「そうだよ、大人しく降参した方がいいよ」

 

今度こそ大ピンチ。

いよいよ終わりかと思われたその時。

 

 

『まだ打つ手はありますぞ』

 

「しゃみせんさん~」

 

ミクルの前に現れたのはシャミセンこと猫老師だった。

 

 

「でもあの人数相手じゃミクルビームは無理です……」

 

『最後の奥の手。"ミクルダイナマイト"を使うのです』

 

「だ、ダイナマイト!? 爆発しちゃうんですか!?」

 

『いや、ダイナマイトと言うのは比喩でしてな。ミクルさんの"フラッシャー"はユキとは違い、特別製なのです』

 

「服装は確かに違いますけど……どう違うんですか?」

 

『ミクルさんのはユキとは違い豊満な方が変身して初めて効果を発揮する。まさにダイナマイトな女性用のフラッシャーでして』

 

おい、ドクター・イツキとやら。

お前は自分が変身して戦おうとかは思わなかったのか。

そしてアサクラ―の方々は待ちぼうけてるぞ。早くしてやれ。

悪役の鑑である。

 

 

『とにかく、胸元を強調して一言。"ミクルダイナマイト"です』

 

「わ、わかりましたぁ」

 

「作戦会議は終わったの? そろそろ行くわよ」

 

「おう、お前も今日で終わりだぜ!」

 

「僕たちの勝ちだね」

 

「ははっ。じゃあねーっ、ミクルーっ」

 

アサクラ―の四人がミクルへ一斉に襲い掛かろうとしたその瞬間。

ミクルはそのバストを両脇で挟み込んで叫んだ!

 

 

「みっ、ミクルダイナマイトー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ドゴォォォン!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なっ――」

 

「おい、マジか―」

 

「何となく予感はして――」

 

「すご――」

 

爆発音と共に辺り一面が強烈な閃光に包まれる。

これが最終魔法・ミクルダイナマイトなのだ。

……本当に魔法なんだろうか?

 

 

「……あれ?」

 

『成功したようですな』

 

光が消えると、そこにはアサクラ―の姿は無かった。

 

 

「ま、まさかあたし。こ、殺しちゃった!?」

 

「違う」

 

ロープに縛られたままユキがミクルの隣へ移動する。

慌ててミクルはユキとイツキのロープを外してあげた。

 

 

「なかなか面白い催しでし――」

 

「当て身」

 

ぐふっ。と言いながらイツキは気絶した。

確かにこの事実は彼にとって忘れている方が都合がいいのだ。

未だ混乱しているミクルに対し、一人と一匹は説明を開始する。

 

 

『ミクルダイナマイトは開発途中だったタイムマシンの技術が応用されているのです』

 

「擬似的な時空間転移」

 

『今頃、奴らは地球にいないと思われます』

 

「それって、大丈夫なんですか?」

 

『なあに、ああ見えて奴らは怪人。空気が無い程度で死なない連中。とにかく、地球には戻れないでしょうな』

 

「……」

 

とにかく。

こうして悪は去ったのだ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして場面は切り替わり、のどかな川沿い。

ミクルが一人で歩いている。

 

 

「色々あったけど、ツルヤさんがイツキくんと仲良くしているのを見て、あたし悔しかった……」

 

そして彼女は強い表情で空を見上げる。

 

 

「今度、イツキ君に告白しよう」

 

紆余曲折を経てミクルは勇気を手にすることができたのだ。

これにて一件落着だ、めでたしめでたし――

 

 

「ミクルさん!!」

 

「はい?」

 

ミクルの後ろを走って追いかけてくるのはイツキだ。

しかしどうも様子がおかしい。何故かイツキは白衣を身にまとっている。

 

 

「い、イツキくん、あの、その、あ、あたし――」

 

「やっとこの時代のミクルさんに出会えました! とにかく今すぐ来てください」

 

「えっ?」

 

そう言ってイツキはミクルの手を引いて、来た道を引き返していく。

 

 

「急になんなんですか? それに、この時代って」

 

「僕は今から5年後の未来から来たイツキです。とにかく未来が危ない、あなたの力が必要なんです」

 

「未来が危険って、アサクラ―はあたしがこの前倒しましたよ!?」

 

「別の秘密結社が突如現れました。名前は"マッドアサクラ―"、その構成員から全てが謎に包まれています」

 

「ええええっ!?」

 

「さあ、あれがタイムマシンです」

 

イツキが指さす目の前には一台のタクシー。

……おい、似たような展開の映画があったなそういや。

 

 

「行きましょう」

 

「どこへ?」

 

「二人の未来へ!」

 

ミクルとイツキがタクシーへ乗り込み、画面は暗転。

一応言っとくと、本当に運転なんかはしていないからな。

乗っただけだ。

 

それじゃ、エンドロール行くぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『【未来系魔法少女 アサルト×ミクル】

 

 

出演

 

・正義の魔法少女ミクル  朝比奈みくる

・未来の科学者イツキ   古泉一樹

・もう一人の魔法少女ユキ 長門有希

・女首領リョウコ     朝倉涼子

・アサクラ―の変態    谷口

・中性的なメイド服男   国木田

・女工作員ツルヤ     鶴屋さん

・老師シャミセン     シャミセン(猫)

・シャミセンの声優    新川さん

・ミクルの兄/天の声   キョン

 

 

スポンサー

 

・大森電器店

・ヤマツチモデルショップ

 

 

スペシャルサンクス

 

・自宅を撮影に使用させてくれた鶴屋さん

・休日に体育館を使用させてくれた運動部のみなさん

・撮影用にタクシーを貸し出してくれた新川さん

 

 

スタッフ

 

・撮影/雑用/編集    キョン

・脚本/演出/編集    明智黎

 

 

・超監督         涼宮ハルヒ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――この物語はフィクションです。

 

実在する人物、団体、事件、その他の固有名詞や現象などとは何の関係もありません。

全部嘘なのよ。どっか似ていたとしてもそれはたまたま。他人のそら似です。

あ。でも、校内放送で流したCMの大森電器店とヤマツチモデルショップは実在するわよ。

「北高生がたくさん買い物に来てくれた」ってお礼の電話も頂いたわ。

商店街に立ち並ぶ他の店も行ってあげなさい。青果店だってスーパーに負けてないわよ。

あとみんな、気になったと思うけど、男が着てたメイド服は新品だから。

撮影が終わったと同時に、さっさと処分したから安心して。

あんなの、この世にあると思っただけで恐ろしいわね。

 

 

 

 

えっ? もう一回言うの?

 

……しょうがないわね、この物語はフィクション――。

 

 

 

 

 

 

 

 



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The Disappearance of the Alien
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――かつて、俺は夏より冬の方が好きだ、なんて言ってたような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ。今でもその主張を曲げるつもりは無い。

理由は汗をかかずに済むからだよ。それだけ。

インフルエンザなんて予防接種するだけで違う、手間を惜しむから苦しむのだ。

 

今にして思えば一ヶ月ほど前の文化祭は秋だと言うのにどうもまだ暑かった。

しかし、今は十二月。

 

 

 

 

 

 

 

そう、十二月。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は"涼宮ハルヒの憂鬱"が好きだった。

いや、今でも好きだが。

だが記憶なんてやがて劣化していくし、そもそも正確に全てを把握していた訳じゃない。

 

そして――この時が俺の人生において最後ではあるものの――俺は油断していた。

 

 

 

先ずはその日の前までの出来事について話そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんな、クリスマスイブに予定のある人いる?」

 

団長である涼宮さんは部室へ入るなり鞄を投げてそう発言した。

いわゆる「お前ら、私が何言いたいのかわかってるよな?」と言わんばかりの圧力が言外にあるのだ。

部室内の全員の動きが止まる。懐かしいTRPGなんぞに興じているキョンと古泉。

メイド衣装で大森電器店から貰いうけたストーブで暖をとる朝比奈さん。読書の長門さんもだ。

俺か? 言うまでもなく予定なんかないさ。

しかし今回、俺はその質問に対して真面目に考える事にする。

ちらり、と俺の隣でお茶をすすってのんびりしている女性を見る。

 

 

枝毛なんて存在していないほど、綺麗に生え揃った青みがかった毛色のロングヘアー。

まるで精巧に造られた人形かと見紛うまでに美しいマスク。

それらを持ち合わせている文字通り俺の彼女らしい彼女、朝倉涼子その人だ。

付き合う事になってしまった背景は割愛させていただく。

未だに俺も謎だからな。

 

 

 

――しかし、クリスマス。クリスマスねぇ。

 

俺は年甲斐もなくはしゃごうだとは思わないが、義理にも相手が居る以上は多少の意識はするさ。

ずるずると、まさか半年以上経過してしまったのだ。

特別な何かがあったわけじゃないが、お昼の弁当だって作ってもらっている。

しかしながら彼女が俺をどう思っているのかはさておき、さっきも言ったと思うが二人きりの予定なんか今の所ない。

少々残念ではあるが、朝倉さんに対して結論を出してない、保留中の俺には妥当だろ?

つまりこの思考も無意味で、結局のところ涼宮さんの命令に従うだけの未来だ。

 

 

「キョン。訊くまでもないけど、義理で訊いてあげる。もちろんあんたは何もないわよね?」

 

「予定があったらどうなるってんだ。お前の要件を先に言ってくれ」

 

「そう、ないのね、わかったわ。古泉くんはどう? もしかしてデートとか?」

 

「そうであったらいいのですが……どうにも、クリスマス前後の僕のスケジュールはクレバスでして」

 

「悲しまなくてもいいのよ古泉くん。スケジュールは埋まるから」

 

そう。涼宮ハルヒにとって予定されたならばそれは決定となる。

俺にもし"帝王の紅"があってこの世の時間を十数秒消し去れるのなら、その予定を思いつく瞬間を消してやりたい。

そんな涼宮さんの次のターゲットは朝比奈さんで。

 

 

「みくるちゃんは? まさかどこの馬の骨ともわからないような奴に誘われてなんかないわよね? 駄目よ、一見優しそうでもそれはオオカミだわ」

 

「は、はいっ。そうですね、今の所なにもないですけど……それより涼宮さんにお茶を」

 

「あ、そうね……。ここのところすっかり冷えちゃうからとびきり熱いのをお願い。この間飲んだハーブティがいいわ」

 

「わかりました。すぐお出ししますね」

 

何が彼女の原動力かは不明だが、朝比奈さんは喜んでカセットコンロの前で準備を始めた。

ハーブティね。何だか爪が生えてきそうではあるものの、確かにカモミールなんかはいい。

一口飲むとそれだけでリラックスが出来る。

色々あったがセイヨウオトギリソウの世話にはなりたくないな。

あれは鬱病に効果があるハーブティだからね。

そんな事を考えていると涼宮さんはやや気まずそうにこちらを見ていた。

それもそうか、体裁上は俺と朝倉さんはお付き合いをしているのだから。

 

 

「涼宮さん。オレたちは今の所二人きりで過ごそうだとかは考えちゃあいないよ」

 

「あら? そうなの?」

 

「オレたちはオレたちのペースがあるのさ」

 

多分。

ちらっと朝倉さんの方を見たが、彼女は無表情だ。

どうかしたのだろうか? うわのそらにも見える。

 

 

「涼子も、本当に大丈夫なの?」

 

「…………あ、うん。そうね。予定はないわ」

 

「ふーん。まあこっちとしてはいいんだけど、明智くんも男なんだから甲斐性は見せるものよ」

 

チャンスがあれば、ね。

 

 

「有希は」

 

「ない」

 

「そうよね。……そういうことだから。SOS団クリスマスパーティの開催が満場一致で可決されたわ、開催決定!」

 

「何が満場一致だ、よく言うぜ」

 

「で、せっかくのクリスマスなんだから何かと準備が必要じゃない? グッズは用意してきたわ。足りないぐらいだけど」

 

キョンのぼやきが届くことはそうない。文化祭のあれはレアケースだったのだ。

そう言って涼宮さんは手提げバッグに手を突っ込んで中の物を取り出していく。

スプレー、モール、パーティクラッカー、ミニのツリー、――俺の家も大きいツリーに縁が無くてミニチュアだった――赤鼻トナカイの人形、綿……etc。

これで涼宮さんがコスプレでもすればサンタクロースさながらの光景であった。

 

 

「こんな部室、クリスマスには殺風景じゃない? これを使ってあたしたちで少しでも部室をクリスマス色に染めるのよ」

 

クリスマスの色とやらは不明であるが、もし色があったとしたらそれは赤と白に他ならない。

部室が赤と白で満たされるのはちょっとした恐怖だ。そういうのはワンポイントだから映えるのが俺の持論さ。

まあ、涼宮さんの発言も比喩であり、実際には色々飾ろうといった意味合いなのだろう。

これで壁や天井にペンキでも塗りたくられた日には、どうにか情報操作で消し去る他ない。

……本当にやらないでくれよ。

 

 

「涼宮さんっ。お茶入りましたよ」

 

「ん」

 

アツアツにも関わらず、涼宮さんはズズっと飲み干していく。

その様子が羨ましい。何故なら俺は猫舌気味なのだ。

 

 

「とってもおいしかったわ。ありがと、みくるちゃん。でさー、お礼にしてはあれなんだけど、あなたに早めのプレゼントがあるわ」

 

「ええっ。本当ですか?」

 

「本当よ……じゃじゃーん!」

 

涼宮さんが取り出したのは赤い服。

そしてこの季節に赤い服と言えば一つしかない。

 

 

「サンタよ、サンタクロース。どう、いいでしょ? この時期なんだからメイド服なんて許されないわ。見飽きたし。季節限定なんだから楽しまなきゃ」

 

「あ、そ、そうですね」

 

「ほらほら。着替え手伝ってあげるわよ~」

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな様子を尻目に男子三人は廊下へ出ていく。

あの空間に残るだって? 

その瞬間に俺が消されかねないね。

窓から淋しげな雰囲気がある、冬の外を見つめていると古泉が喋りだした。

 

 

「いや、朝比奈さんには少々お気の毒ですが、涼宮さんが楽しそうで何よりです。彼女がイライラしている姿は僕も悲しくなります」

 

「ハルヒが大人しい内はお前の仕事も無いからか?」

 

「それもあります。閉鎖空間はやっかいでして。ですが、この春以降は出現回数がそれまでに比べて減っていますよ」

 

「するとまだ、たまには発生するのかな?」

 

「ごく稀にですが。そうですね……主に深夜から明け方にかけてです。おそらくですが、彼女が何か嫌な夢でも見たんでしょう」

 

「随分とお騒がせな時間帯だな」

 

「違いないね」

 

「まさか、とんでもない」

 

珍しく古泉から強い声が発せられた。

キョンはややたじろいだが、古泉は笑顔のままだ。しかし目線は鋭い。

 

 

「失礼。ですが、あなたたちは知らないのですよ。高校以前である中学時代の涼宮さんを。我々が観察を始めた三年前は、誰も想像しなかったでしょう。彼女が楽しそうに友人と笑いあうなど。すべてはあの春先にあった閉鎖空間の一件以来、涼宮さんの精神はとても安定しているのです。中学時代とは比べ物にならないほど」

 

「涼宮さんはそんなに荒れてたのか?」

 

「精神的に、ですが。しかし涼宮さんは明らかに変化しつつあります。喜ばしいことに良い方向へ。我々はこの傾向が続けばとてもありがたいと考えています。お二方はどうですか? 彼女にとって、SOS団は最早必要不可欠だ。あなたたちと、朝比奈さん、長門さん、あの朝倉さんでさえ今や立派な一員だ。客観的にも涼宮さんと良い関係を築けているでしょう。明智さんのおかげですよ」

 

「オレは何かを考えたわけじゃない。ただ、キョンにも彼女にも傷ついてほしくなかっただけだ」

 

「いずれにせよ命がけの行動だ、僕は『機関』の一員としてあなたに敬意を表しますよ」

 

よしてくれ。本当に。

特別な理由なんかないさ。

朝倉さんにかつて俺も憧れたから、彼女に生きていてほしかっただけなんだ。

彼女を好きにしようだとか、考えもしなかったさ。

その無責任なザマだ。

 

 

「そして僕自身も涼宮さんに必要とされているのでしょう。我々SOS団は一心同体なのです」

 

「そんなのはお前の理屈だろ? 個人の明智はともかく、朝比奈さんや宇宙人はどうだかわからんぞ」

 

「ええ。でも悪いことではないでしょう。あなたたちは彼女が世界を滅ぼす姿を見たいと思いますか?」

 

「いいや」

 

「同感だね」

 

「その言葉が聞ければ安心です。世界の平和を守るためならば、クリスマスパーティぐらいは安いでしょう。その上楽しいとくればお釣りさえ出ます」

 

「そうだね。仮面ライダーもパーティで世界が平和になるって聞いたら、二度とキックできなくなるよ」

 

「けっ」

 

キョンは皮肉さえ言えなくなったらしい。

 

やがて、朝比奈さんの着替えが完了した。

そして話し合いの末――涼宮さんの一方的な要件があっただけだが――鍋パーティを行う事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オレは鍋って言うとどちらかと言えば郷土料理の方が好みなんだ。何故なら家じゃ週に一回は鍋だからね」

 

「……」

 

「一度インターネットで郷土鍋について調べた事があるけどその多さに驚いたよ」

 

「……」

 

その日の下校中、朝倉さんの反応は薄かった。

部活中といい、どうかしたのだろうか。

 

 

「……朝倉さん?」

 

「あ、ごめんね。ちょっと考え事してた。それで、何の話?」

 

「いいや、別にいいさ。ただ鍋の話」

 

「そう」

 

何故なんだ、今日に限ってはやけに気まずい。

いや、俺が空気を悪くしていると言うよりは朝倉さんの様子がおかしいのだ。

しかし不思議な事にそんな空気にも関わらず、時間は早く経過してとうとう彼女のマンション前までやってきた。

 

 

「……今日はここまででいいわ」

 

「オレ、なんか気分を悪くするような事言ったかな」

 

身に覚えが全くないのだ。

すると朝倉さんは首を振って。

 

 

「ううん、明智君は何も悪くないわ。私の考えすぎ。明日には落ち着いてると思う」

 

「そっか」

 

何を考えていたのかまでは訊けなかった。

これ以上俺はこの空気に耐えられそうになかったから「じゃ」と言ってきびすを返す――。

 

 

「明智君! 私――」

 

思わず振り返った。

彼女は悲しい表情をしている。

どうしたんだ。と俺が言うより早く。

 

 

「……また明日」

 

そう言い残してさっさとマンション内へ消えて行ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日には朝倉さんからは昨日の歯切れの悪さが消えていた。

最初は俺も戸惑ったが、まあ、やがて深く気にしない事に。

 

その日――十二月十七日――は何事もなかった。

普通だった。

涼宮さんの指示の下で俺と朝倉さんとキョンと古泉は飾り付けを開始。

朝比奈さんはサンタコスプレ。長門さんは作業など我知らずの読書だ。

それで終わり。鍋の内容は未定だ。

 

 

 

 

 

 

 

――さて、本題に入る前に。

これはいつだったか忘れたがキョンと俺の二人で登校中に話した内容だ。

不意に彼は俺にこう訊ねた。

 

 

「明智。お前は文芸部員としての活動も陰ながらしているようだが、ポリシーとかはあるのか?」

 

「ポリシー?」

 

「まあ、取材ではなく執筆についてだが」

 

「ずいぶんとコアな質問だね。そんなの人それぞれだろ」

 

「ああ。だが俺の身の回りにそんな事やってる知り合いなんてお前ぐらいだからな。少し興味がある」

 

「ポリシーね、確かにある。人によっちゃあり得ない人も居るそうだが、オレにはあるよ」

 

「話が長くなってもいいぜ」

 

「いや、長い話なんて誰かの受け売りになるだけさ。だから、これはオレが最近考えるようになった事だ」

 

合宿と巻き戻し現象のあった夏休み。

あれを通して俺の価値観はどこか変わったのかもしれない。

 

 

「"物語"には"敵"が必要だ」

 

「敵?」

 

まるで中二病患者でも見るかのような痛々しい目とわざとらしい声でキョンはそう言う。

誤解するんじゃあない。

 

 

「オレはバトルものについて話したい訳じゃないよ。勘違いしないでくれ」

 

「じゃあどういう意味だ」

 

「確かに戦闘中心の作品には敵が必要だ。ライバル、ボス、それらは明確に敵対する」

 

「一番イメージされるのがそうだろうな」

 

「しかし作品である以上、そうじゃないのもあるだろう?」

 

「探偵ものは犯人が敵と言えるが、平和な日常を綴ったりだとかドキュメンタリーみたいなものもあるぜ」

 

「じゃあ日常系の作品、これらの敵は"時間"と考えられる。老いには勝てないし、やがてその日常も崩れていく」

 

「しかしテレビでやってるような話は時間法則を無視してるぞ」

 

「その場合の敵は現状維持という"惰性"に他ならない。敢えて日常を色濃くする事で、視聴者にも敵を意識させない。だけど話としては成立する。オレに言わせると邪道さ」

 

「惰性ね。じゃあどちらかと言えばスタッフよりの敵だなそりゃ」

 

「そうだね。ドキュメンタリーなんかは簡単さ、敵は"社会"だ。例え敵対せずとも、ある意味ではその社会に屈服しているのだから敵なんだよ」

 

「無茶苦茶な発想だな」

 

「そうか? とにかく形が無くても敵にはなるのさ。記憶喪失の主人公なら、その過去と向き合う必要がある。自分自身の心が敵ってね」

 

「お前の話はいつもわかるような、わからんようなの間だな」

 

「だけど、作品ってのは掘り下げてけばそうなっているんだ。見た映画がつまらなかったら"制作側"に文句を言いたくなるだろう? それも俺たちからすれば敵だよ」

 

「暴論だぜ」

 

「ま、わかりやすいでしょ」

 

「確かにな。だが、俺たちは生きた人間だ。敵なんか一生出てこないでほしいね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

敵。

……敵か。

 

この時の俺はそんな事、意識していなかった。

自分がこの世界のキャストだと、まだ認めていなかったからだ。

 

 

そして今の俺に後悔があるとしたら。

それはあの時、悲しそうな朝倉さんの後を追いかけてやらなかった事だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺がこれから語るのは、自分の過去。謎に向き合う物語だ。

それは向き合った謎を解くための物語でもあり、そして、答え合わせに他ならない。

 

 

 

 

 

 

――じゃあ、始めようか。

 

 

 

 

 

 

 

 



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0001

 

 

 

 

 

――十二月、十八日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普段通りなはずのこの日、俺が事態を察知し遅れたのには理由がある。

翌日の十九日から冬休み前という事で短縮授業となるのだが、短縮授業中は毎日朝倉さんのお世話になる。

正直な所、彼女は自分のペースでいてもらうのが一番だし、何よりまだ俺は二日前の雰囲気をどこか引きずっていた。

要するにこの日は朝、一緒に登校するのを遠慮したのだ。昨日の帰りにそれは伝えている。

 

本来ならば水曜日だから、俺が朝倉さんの家へ行く予定だった。

だが、決定ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな、俺が柄にもなく遠慮した朝。

登校中にキョンの後姿を見かけたので声をかける。

 

 

「おはよう」

 

「ん、よう。明智か」

 

「鍋大会のいい案は思いついたかな」

 

「おい、俺が意見した所で通るとは思えないぜ。闇鍋じゃなけりゃいいさ」

 

「それに付け加えると、食べれないものは入っていない。かな」

 

「ああ。俺も使用済みだろうがパンストを食べようだなんて思わんさ」

 

「そうだね」

 

「しかし、最近は冷え込むな。地球をアイスピックでつついたとしたら、そりゃあちょうど良い感じにカチ割れるんじゃないか?」

 

「おお。キョンにしちゃ、なかなかウィットに富んだ発言だ」

 

「けっ……頭の出来について言いたいのか?」

 

「素直な感心だよ」

 

他愛もないやりとりを続けて山のような通学路を上っていく。

この時点で気づくのは、油断しまくりの俺には無理だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺とキョンは一年五組の教室に入る。

すると。

 

 

「オレの後ろの席が、空いている……?」

 

キョンと涼宮さんに座席の因果があるとしたら、俺と朝倉さんにもそれはあった。

風邪か? まさか、宇宙人の彼女がそんな事で――。

 

 

「ああ。"阪中"なら昨日から調子が悪かったからな……風邪でもおかしくないだろうよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――は?

 

 

 

 

今。

 

キョンは。

 

 

こいつは。

 

 

 

 

何て言った?

 

 

いや。

 

 

馬鹿言え、あの席替え以来、俺の後ろはずっと朝倉さんだ。

 

 

名前を聞き間違えたのか、俺は?

 

 

 

 

 

「さ、阪…中……?」

 

「おう。お前といつも仲良くしてただろ。こんな事言っちゃいいお世話だが、クリスマスも近いしそろそろ告白してもいいと――」

 

 

 

 

 

 

 

おい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――阪中って誰だよ!! 朝倉さんは? 朝倉さんはどうした!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで悲鳴のような大声でキョンに訊いた。

いつかのように俺に視線が集中し、クラスは静かになる。

 

いや、俺だって馬鹿じゃあない。

クラスメートの阪中さんぐらいは知っているし、原作ではやがてSOS団とも絡みがある。

俺は直ぐに"その可能性"を感じた。とてもじゃないが認めたくはない。

だが、それよりも確認すべき事がある。

 

 

「おい、お前…………急にどうした。朝倉はな……」

 

「ああ。いいから、とにかくちょっと二人で話そう」

 

「ってもうそろそろHRが――」

 

「後回しだ!」

 

俺はかつての涼宮さんさながらの勢いでキョンを引っ張っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

落ち着いて話をできるような精神状態ではなかったが、落ち着くには文芸部ぐらいしか考えられない。

不本意な形でHRをふける事になった俺とキョンは部室に入ると早速話を始めた。

 

 

「明智。今日のお前はやけにおかしいぞ?」

 

「……そうかも知れない」

 

「急に朝倉がどうとか言い出して。変な夢でも見たのか」

 

「……少し、オレの質問に答えてほしい」

 

「はぁ。いいぜ」

 

キョンはため息をついて椅子に座る。

 

 

「朝倉さんは、彼女は……死んだのか?」

 

「……ああ。何でそれを今聞くかは知らんが答えてやる。お前も話だけは聞いただろ、俺が襲われそうになって――」

 

ああ。

ちくしょう!

意味が解らないし笑えない。

主人公のこいつはさておき、どうして"俺"なんだ。

そして、噛み合わない会話。

この状況は間違いなく。

 

 

「――で、カナダに飛ばされたって設定だっ」

 

「"消失"じゃねえか!!」

 

「は、はあ? いいから落ち着け! 俺のでよけりゃお茶を出してやる」

 

そうだな、題名を付けるとしたら【朝倉涼子の消失】ってところか?

傑作だ、興行収入が二億は超えるね。

でも俺に言わせればちっとも面白くないシナリオだ。

 

 

 

 

数分後、どうにか思考能力をまとめるまでに持ち直した俺は、キョンが淹れたまずいお茶を飲みながら考えた。

色々と疑問点は多いし、推測可能な点もある。

奪われたのは"どちら"か。ただ一つ確かなのは、"ここ"に朝倉さんの姿がないと言う一点のみである。

 

だが、いずれにしても情報が足りない。

 

 

「なあ。オレは、SOS団の一員なのか?」

 

「どうやら錯乱はまだ続いているみたいだな。ああ、そうだぜ。もっとも文芸部部員が正確だが」

 

「涼宮ハルヒは? 居るんだろ?」

 

「当り前だろ。あいつのせいでお前はSOS団に入れさせられたんだぜ」

 

「そうか。……そうだったね」

 

これ以上二人での会話は無謀。精神疾患としか思われなくなる。

詳しい話は放課後だな。

 

 

「ああ、もう大丈夫だ。ちょっと頭がまだ回らない、昨日遅くまで起きててね」

 

「おいおい、体調はしっかり整えろ。阪中の二の舞になるなよ」

 

「! ……善処しよう」

 

結局。一時限目の途中から授業を受けることに。

ふと見ると、キョンの後ろには涼宮さんが居た。

だが、俺の後ろには誰も居ない。

俺だけが孤独。おそらく、違う時間を生きている。

呆然としたまま世界に取り残されることになったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある人に言わせると、見張りを見張る人が必要らしい。

そして、問題はそれが誰なのか、という話だ。

神が存在するとして、全知全能故に全てを見張る事ができる。

しかし、今の俺は神から文字通り見放されている。

 

 

 

――では、この状況では誰が困るのだろうか?

少なくとも生気のないままに部室の装飾を行っていく俺を見た団員たちは困っていただろう。

そして、作業を進めるそこには朝倉さんの姿はない。

二日前の古泉が俺に対して放った一言、今思えばとてもありがたい。

だが、彼女の存在証明さえもこの世界には無いのだ。

俺はこの日、今までの記憶が殆ど無かった。有り体に言えば死人だ。

 

 

「うーん。じゃあ今日はもう解散でいいわ」

 

と言って涼宮さんが去っていく。

まだ、鍋の案は決まっちゃいない。イブまで六日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他の皆も立ち上がり、帰ろうとするが俺は。

 

 

「みんな、待ってくれ」

 

本を閉じた長門さんがこちらを見る。彼女は眼鏡を"かけていない"。

古泉とキョンは手に持った鞄を再び机に置く。朝比奈さんも動きが止まった。

 

 

「話があるんだ」

 

「……言ってみろ」

 

今朝の俺の様子を知っているからか、キョンは落ち着いていた。

他三人は俺の様子に興味があるらしい。

 

 

「まず質問させてくれ。古泉、オレは"何者"だ?」

 

「と、言いますのは?」

 

「いや、この部活は涼宮さんに集められた異能の集団だろ? じゃあ俺は何なのかなってさ」

 

「おい明智。そのやりとりを今更するのか?」

 

「敢えて申し上げるならば、一般人としか言えません。我々が調査したところ、あなたには特異性がありませんでした。……前にお伝えしたはずですが?」

 

そうだろうな。

朝倉さんが生きているのは、俺が助けたからだ。

わざわざキョンの代わりに出向いてな。

しかし朝のキョンの説明は原作の朝倉涼子消滅の流れだった。

そして一般人と認識されている俺。

ここは間違いなく――。

 

 

「オレが居るだけで、"原作"に近い世界だ。とても」

 

「何を言ってるんだ」

 

「おや、意味深な発言ですね」

 

「明智くん。さっきから様子が変ですけど、どうしたんですか?」

 

「……」

 

いいさ。

どの道俺一人でどうにかなる訳がない。

ならば、相談だけでもしてみるものだ。

もっともこの現象の原因は未だ不明だが……。

原作通りに長門さんの仕業なのだろうか?

何故、俺が取り残されたのか。それが問題だ。

 

 

「みんな。今まで黙っていたが、オレの正体は"異世界人"だ」

 

「はぁ?」

 

「なんと」

 

「ふぇっ? 本当ですか?!」

 

「……」

 

 

 

 

「オレがこれから言う話を聞いて欲しい。オレは、"ここ"とは違う世界の明智黎だ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

末永い俺の説明と、会話交換の末に得られた情報はこうだ。

 

 

・俺は元文芸部員で涼宮さんの部室乗っ取りに巻き込まれてSOS団に居る

・俺はただの一般人らしい。何故SOS団に居たかは不明だが。

・朝倉さんについては原作そのまま。俺は話だけ後から聞いた。

・夏合宿とエンドレスエイトも原作通り。

・文化祭の映画も【朝比奈ミクルの冒険】

・この世界の俺は阪中さんと仲がいいらしい。

・俺に関する部分で、世界が改変された様子はない。

 

 

余りにも成果が得られていないが、俺について知ってもらう方に意義があった。

もしかしたら俺は狂っていた、いや、狂っているのかも知れない。

ただ、どうしようもないほど、どうもこうもあるほどに。

 

 

「朝倉さん……」

 

俺は不安で、幻でもいいから彼女の姿を見たかった。

それほどまでに惰性の生活に毒されていたのだろうか。

しかし、俺がどれだけ悔もうと結論は出せない。

何故ならばその相手である朝倉涼子が居ないからだ。

そして、この世界で生きていく意味も、見出せそうにない。

 

 

 

俺が絶望する中、部室は静寂に包まれた。

……って、そうだ。

 

 

「長門さん! 長門さんなら何か、何か知らないか? この異常について何か――」

 

「わからない。少なくとも個人というレベルにおいてあなたに変化は見られない」

 

「ええ、昨日まで我々が共にした明智さんと、容姿においては何ら変わりませんよ」

 

「この原因は!?」

 

「……」

 

長門さんは無言で首を振った。

彼女がエラーでおかしくなったとしても、俺の世界の眼鏡の長門さんとは別人だ。

まさかピンポイントで俺を呼ぶ必要があるとは思えない。

原作通りにキョンが改変世界を生きていくのだろう。

そして、与えられた情報から俺がこの状況を総合的に判断した結果。

 

 

「つまり、オレは、"また"異世界へ飛ばされたって訳か……」

 

それも二度目はご丁寧に似たような世界へ。

長門さんの話によると涼宮さんが世界を改変した様子は無いと言う。

もちろん、自分が歪めた覚えもない。

 

 

では誰が?

何の目的で、俺を、だ?

まさか俺には元の世界へ戻るアテも何もない。

元々、異世界人としてあの世界へ何故飛ばされたのかもわからないのだ。

どういう原因であれ、俺個人の許容範囲をとっくにフローしていた。

そして、この世界の俺、明智はどうなるのだろう。

彼には彼の人生があるはずだ。俺ではない、どこに居るかもわからない。

もしかしたら本当に阪中さんと付き合うつもりだったのかも知れない。

だが、俺が居る限り彼が現れる事は多分ない。なんとなくだが、そう思う。

 

 

「もう遅い時間帯です。今日のところはここまでにしましょう」

 

「あ、ああ。未だに理解しきれないが、明智、お前が大変な状況下にあることだけはわかった」

 

「……」

 

「と、とにかく諦めないで下さい。きっと元の世界にも――」

 

「無理だよ」

 

――ああ、これは世界改変なんかじゃないんだろ?

なら打つ手なしだよ。どういう理屈か知らんが、俺だけがここに居る。

仮に俺が無茶やって世界を創り変えたとしても、それはあの世界ではない。

ただのコピーだ。虚構で成り立っているに過ぎない。

そこに俺が助けた唯一無二の彼女、朝倉涼子本人は存在しないのだから。

 

 

「この世界のオレがどうなっているか、わからない。しかしオレに戻る方法が無いのは事実だ」

 

平行世界なんてifの数だけ無数に存在する。

いくら涼宮ハルヒがワームホールを開けてくれようとどうなるかわからない。

何より彼女に能力を自覚させようとすると、宇宙人未来人超能力者が黙っていない。

俺は組織を相手どれるほど強いわけが無かった。

本当に、本当に最後、心の底から俺が死にたくなったらやるさ。

今はただ、希望でもなんでもなく、俺は惰性で体と心を動かしていた。

 

キョンは怠そうに立ち上がると。

 

 

「帰る前に言っておくがな、俺の知っている明智は、そりゃあ暗い奴だった。だが、ハルヒを取り巻く環境について、泣き言を言ってた覚えだけはないぜ」

 

「また明日、話し合いましょう」

 

「あたし、勝手な事言っちゃって、すいませんでした……」

 

「……」

 

キョン、この世界の明智はよっぽど俺より強い精神だったんだろうさ。

どうやって知り合ったかは謎だが、お嬢様の阪中と仲良くなれるほどの胆力はあるらしい。

古泉、お前と涼宮さんが原作同様にこの学校に居なかったら、俺は心が折れていただろう。

いいや、今だって俺自身に覇気が無いのは自覚している。時間の問題か。

朝比奈さん、何もあなたが謝る必要はありません。

諦めているのは俺の勝手であり。その方法さえ見つからないのですから。

長門さん、もしかしたら、俺の世界の君が犯人なのかも知れないな。

だとしても、俺は長門さんを責めるつもりはない。

 

これは、朝倉涼子を助け、原作に少しでも関わろうとした俺に対する罰なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、四人は荷物を持ち、去っていく。

 

 

「やれやれ。……状況といい、"巻き戻し"現象の二回目。プールの時を思い出すよ」

 

 

 

 

 

俺は暫く部室を後にすることが出来なかった。

 

そう、俺一人だけが取り残されている。

 

 

 

 

 



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0010

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、十二月の十九日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日はどうやって家に帰ったのかも覚えていない。

起きたら自分の部屋だった。多分、ご飯も食べていないだろう。

母さんに「あんたのそんな顔、今まで見たことがない」と言われた気がする。

それが本当ならやはり、この世界の俺は、文芸オタクで暗かったのかも知れないが、強い男だったのだろう。

俺とは正反対さ。彼の居場所を奪う資格は俺にない。

いや、明智黎そのものが、虚構だった。

 

 

 

 

 

 

俺は"臆病者の隠れ家"を使って朝倉さんの部屋まで行く事が、怖くてできなかった。

もし、彼女の部屋に"入口"が無かったら。俺が彼女と関わっていなかったら。

それを知ってしまえば、朝倉さんがここに居ない事を認めてしまうような気がしたからだ。

そう、俺が"臆病者"なのは、最初から今まで何ら変わっていなかったんだ。

こうなっては、原作知識も、ちょっとした技術も意味が無い。

完全敗北の、その一歩手前、死の淵だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな俺は、昨日と同じくキョンと登校している。

 

 

「"深淵を覗く時、深淵もまた、こちらを覗いている"か」

 

「どういう意味だ?」

 

「オレがミイラ取りだったなら、オレはじきにミイラになる。それだけさ」

 

この世界での俺は、文化祭でこいつとニーチェについて語り合っていないだろう。

エキストラと編集補助をしていたらしい。超人なんて出鱈目もいいとこ。

相も変わらずにダウナーな俺を見て彼は。

 

 

「まあ、その、あれだ。最終手段だってある」

 

「それは――」

 

"あの名前"か、とは言えなかった。

あれは、俺なんかが口にしていい名前ではない。

鍵であるキョンが持つ。唯一にして最大の武器だからだ。

 

 

「――涼宮さんかい?」

 

「ああ。よく知っていると思うがハルヒは、それはそれは凄い、まるで神の如き力があるらしい」

 

「だけどそれで上手くいく保証はないさ。涼宮さんがオレの居た世界を知っていれば別だけど、可能性は無限なんだ。元の場所には戻れないよ」

 

「とにかく、諦めんな。俺はお前みたいなお前を見たくない」

 

「そうだ。オレはここの明智と違って、何も得ちゃいないんだから」

 

「いいかげんにしろ!」

 

キョンの一喝によって登校中の他の生徒がこちらに注目する。

俺も思わず彼を見る。

やがて他の生徒たちは気にせず歩行を再開した。

 

 

「……悪いな、怒鳴っちまってよ。だがな、自分と他人を比べる事に、意味なんかないぜ」

 

「ふふっ。キョンにしちゃいい台詞じゃないか。誰の言葉だ?」

 

「お前だよ」

 

「えっ」

 

キョンは頭をかきながら気怠そうに。

 

 

「ある日、お前が俺にそう言ったのさ。宇宙人、未来人、超能力者、そして神みたいな存在らしいハルヒ。SOS団の中で俺とお前だけが一般人だろ。ハルヒの迷惑にうんざりしてた俺に対して、お前はそう言ったんだ」

 

「この世界の、明智がか?」

 

「そうだ。前にも言ったと思うが、俺の知ってる明智はSOS団のゴタゴタにも何一つ迷惑そうにしていなかった。それがいい事かは別だが、少なくとも古泉と違って、あいつはハルヒと一緒に行動する理由がないだろ? 仕事でも監視でもなけりゃ、俺みたいに強制的にハルヒに引っ張られたわけじゃない。ただ、部室を乗っ取る時に巻き込まれただけだ。でもあいつは、ハルヒと一緒に楽しんでたんだ。この迷惑な日常を」

 

「……良い奴だな。この世界の明智は。オレは独善でしか動いてない」

 

「あいつは言ってたぜ。自分は楽しいからSOS団に居る。こんな取るに足らないちっぽけなオレに、学校へ行く楽しみが出来た。涼宮さんには、SOS団には本当に感謝したんだ。だから、社会的に涼宮さんが非難されようと、オレだけは彼女の味方でいたい。ってな」

 

「素晴らしい。ちょっとした作品の主人公に成れるね」

 

「いいや。誰でも主人公に成れる。それがきっと、あいつの信念なんだろうさ」

 

「そうか、一度会ってみたいよ」

 

「ああ、俺もまた会いたいさ。ダチだからな」

 

そうこうしている内に、校門へと辿り着いた。

キョン。元気づけるにしちゃ下手すぎるが、まあ、今日はこの程度でいいさ。

まだ、俺は生きているからな。しかし、それにも終わりが来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日から短縮授業と言う事で、昼ぐらいには授業が終わる。

しかしそんな事で俺の気分が少しでも晴れる訳もない、逆効果だ。

この日も、俺の後ろの座席は空白なままだ。朝倉さんはもちろん、阪中さんさえ居ない。

もう一人の明智にとっては、阪中さんについて知らないから都合がいいのだが。

 

 

「オレは今日は部活を休むよ」

 

「お前、大丈夫か。まるで――」

 

死に場所を探しているみたいだ。と俺を見たキョンは言った。

そうだったのかも知れない。だが、それでも一度朝倉さんが住んでいる505号室まで行きたかったのだ。

その先に確かな絶望があると、知っていても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、俺はこの世界のSOS団を信用できなかったのかも知れない。

彼らに落ち度はあるはずがない。これは俺氏サイドの問題でしかなかった。

昨日古泉は「また話し合いましょう」と言っていたが、その約束を果たせそうにない。

つまり、ただ時間が消えて行った。意味もなく。

そして見慣れた分譲マンションの前へ来たのだ。パスワードは俺の知っているもので侵入が成功した。

 

 

「まるでフられても尚、固執する男だ」

 

いや、この世に居るだけそいつの方がマシだろう。

仮に長門さんが朝倉涼子を再生したとしても、もう、俺の知る朝倉さんではないのだ。

 

 

「……わかってたさ」

 

505号室。ネームプレートさえない。

そしてインターフォンを押した所で、誰も返事が――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――パチパチパチパチ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、乾いた音だった。

思考能力の残りカスしかないような俺でもその音が拍手だと理解できる。

虚空を見つめていた俺が、音の主の方を向く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『予想した通りだ。君の思考パターンから、今日、学校が終わると、ここへ来ると思っていた。90%を超える確率でね。後の数字は不確定要素だ。気にしなくていい』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

理解が出来なかった。

緑のロングコートを羽織った人物が、そこに立っていた。

俺が"人物"とそれを形容したのには理由がある。

コートが厚手で、体系が不鮮明。

そして、顔には髑髏をあしらったバラクラバ――強盗などが被る奴だ――で覆われており、口元さえわからない。

眼には黒の濃いサングラス、瞳のあちら側が窺えない。

頭頂部にはバラクラバの上から緑のシルクハットを被っている。

手にはレザーの手袋、皮膚を一切露出させていない。

更にその人物の声は、何故か変声機を使ったかのような声で、正確な音がわからない。

 

 

つまり。

 

 

「誰だ、あんた……」

 

こんな変質者じみた奴を俺は知らない。

一度も見たことが無いからだ。まさか原作で出ているはずもない。

だが、奴は俺を知っている口ぶりだった……どういう事だ?

奴は俺の様子にどこか納得した様子で。

 

 

『おっと失礼。君とは初対面だったね。君は私に聞きたいことがあるかも知れないが、先ず、私が君に質問したいのだよ』

 

「何を言っている」

 

『君がどこまで覚えているかは不明だが、最初の助け舟は十二月十九日……。今回は、"彼女"ではなく私が代わりにその役目を果たしに来ただけだ』

 

助け舟?

何の話だ、意図が全く見えない。

すると奴は俺の傍に近づく。俺は思わず後ずさりする。

そして奴は505号室のドアノブに手をかけ。

 

 

『立ち話もなんだ。続きは中でしようじゃないか。何も無いと思うがね』

 

"ドアを開けた"

 

 

 

なっ、馬鹿な。

無人室と言えど鍵がかかっていなかった訳がない。

しかし、何事もなくそいつはドアを開く。

 

 

 

「お前! 一体何をした!?」

 

『いいから入りたまえ』

 

変声音にも関わらず、確かな威圧がその一言にあった。

 

 

『これは君にとってもチャンスなのだ』

 

「……何のだって?」

 

『それもやがてわかる事だ。とにかく、私の質問は一つだけだ――』

 

その台詞を聞いた瞬間、俺はこの謎の人物に戦慄した。

何故かは今でも不明だ。

 

 

 

 

 

『――真実を、知りたいかね?』

 

 

 

 

 

……ああ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

謎の人物が言った通り、かつて朝倉さんが住んでいた505号室には何も置かれていなかった。

朝倉涼子。彼女が居た。その痕跡、残照さえない。あるのは虚無だ。

俺は直ぐにでも窓から飛び降りてもよかった。いや、実際一人だったならばそうしていただろう。

だが。

 

 

「あんた、何者なんだ」

 

俺の目の前に居る。この骸骨コート。

そいつは俺の質問に対し、やや考えるようなポーズをしてから語りだした。

 

 

『実は私、色々な名前で呼ばれていてね。何故かは不明だが、とにかくそうなのだ。"ウリエル"、"ゴースト"、"ナイチンゲール"、"ストーカー"……一々と全部覚えてはいないがね』

 

「ふざけるな」

 

『ふざけてなどいない。事実だ。だが、私が自称するのはこの名前だけだ。私はJ、"エージェントJ"だ』

 

ますます俺は馬鹿にされていると思った。

エージェントJだと?

何だそれは、エイリアンでも退治してるエージェント連中か?

これでこいつが黒人俳優だったら俺が拍手してやるよ。

ニューラライザーはどこにある?

 

 

『何のエージェントかは気にしないでくれ。とにかく"ジェイ"と呼んでくれると、こちらはありがたい』

 

するとジェイと名乗る人物は床に座した。

この部屋には椅子さえ置かれていない。

不便だが、これしか問答の手段はないのだ。

仕方なく俺もそれに倣う。

 

 

「ジェイとやら、あんた、オレを知っているかのような口ぶりだ。それも、"ここ"とは違うオレを」

 

『すまないが、私も何から話せばいいのか……とにかく整理がつかない。では一つずつ私が答えて行こう。先ず、その質問はイエスだ』

 

「どういう事だ? この世界は改変された世界じゃないと聞いた。いや、万が一はあるかも知れないが、だとしても"こういう風に"する理由がない。オレはこの世界へ飛ばされた。じゃあ、あんたは何でここに居るんだ?」

 

『……一つずつ、と言っただろう。これ以上手間を増やさないでくれ』

 

ジェイはイライラしたような態度でそう言った。

いや、それは演技なのかも知れない。

 

 

『私自身について語れる事には限界がある。だからこうして、徹底して変装しているのだ』

 

「オレは今すぐあんたをボコボコにして、拷問してやってもいいんだぜ」

 

『それはよした方がいい。確かに私自身は非力だが、ボスが黙っちゃいない。何より君はチャンスを失う。永遠にだ』

 

「さっきから、真実だの、チャンスだの、抽象的だな」

 

『では私について語る前に、君にとって有益な情報を与えよう――』

 

ジェイはすくっとその場から立ち上がり、両手をいっぱいに広げてこう叫んだ。

まるで演劇俳優さながらのオーバーアクションで。

 

 

 

 

 

 

 

『――私は君を、元の世界に返す方法を知っている!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

「なっ……!?」

 

 

その言葉が正確で信用に値するものならば、こいつは長門よりも、"恐ろしい"存在なんじゃないのか?

とにかく変装のせいもあって、底が知れなかった。

俺はまるで深淵そのものと相対しているようだ。

ジェイは再びしゃがむと。

 

 

『どうかね。少しは落ち着いただろう?』

 

「……少なくとも、あんたの話を聞こうとは思ったよ」

 

『それでいい』

 

そして、ジェイは語り始めた。

 

 

『既に察していると思うが、私は"ある組織"のエージェントでね。しかし、実働隊ではない。どちらかと言えば諜報的な部署なのだよ。だからこそ多くの情報を持っているのだが。とにかく表舞台に出たのは今回が初めてだ』

 

その組織が機関ではないことだけは確かなんだろう。

古泉が俺に隠し事をする理由もない。余計に胡散臭い連中だ。

しかし原作において、水面下で様々な組織が存在していることは示唆されていた。

こいつも、その中の一つなのだろうか?

 

 

『そもそも、今回の出来事は我々にとっても寝耳に水でね。君がそう思った通りにほとんど不意打ち同然なのだよ』

 

「待て、あんたについて聞きたいことは残っている。何故ここと違う世界の話を知っているんだ?」

 

ひょっとするとこいつらの組織は異世界人の集団なのかも知れない。

しかし、ジェイの言葉はそれを否定する内容だった。

 

 

『詳しい説明は出来ないのだが、私のボスは空間さえ超越した存在でね。唯一時間だけは未来人と同じく限界があるが、それでも、まあ、情報統合思念体と同じレベルなのだよ』

 

「だからお前は、オレについて知っていると? 無茶がありすぎる説明だな」

 

『君は何か勘違いしているようだな。"基本世界"はここではない、君が居た世界なのだ。涼宮ハルヒ、SOS団にとってはどちらも差がないだろうがね』

 

「じゃあ何だってわざわざオレの所に? 二人きりになるタイミングまで図ったようじゃないか」

 

『前提として、私は君の味方でも敵でもない。今の所はだが。今回、君の前に現れたのはその方が我々にとって都合がいいからだ』

 

「意味がわからないね」

 

『つまり、私は君に用がある訳だよ』

 

「どうしてオレなんだ。他の世界にもオレは居るんじゃないのか」

 

『君は特別なのだよ……。しかし、その話は最後で構わない。理由もいずれわかる』

 

それきりジェイは黙り込んだ。

どうやら俺の質問待ちらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正直な所、俺はジェイと名乗る人物を信用する気は無かった。

明らかに異端だ。まるで、俺と同じ次元でこいつはイレギュラーだ。

だが、それとほぼ同時に今の俺に打つ手がないのも事実だった。

もしかしたら既に、このマンションに着いた時点で俺は正気を失っていて、このジェイも俺の幻覚かもしれない。

しかしジェイを信用こそ出来なかったが、俺はどうしてかこいつをどうにかしようとは思えなかった。

まるで、ジェイが俺の欠けた"何か"を知っている、あるいは持っている。そんな気がしたんだ。

だからこそ俺はこいつとの会話を続けようと思っている。

 

 

「オレがこの世界へ飛ばされた経緯について教えてくれないか?」

 

『残念だが、それはできない』

 

「何故だ?」

 

『君は事実だけ知ればいいからだ。経緯など、背景については知らなくていい。我々の都合でね。私がどうやって君の居場所をつきとめたのか、も』

 

「……じゃあ、その事実とやらを言ってくれ」

 

次の瞬間。

ジェイの口から発せられたのは思いもよらない一言だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――敢えて犯人を挙げるとすれば、それはかつて君が助けたTFEI端末の一つ。朝倉涼子、その本人に他ならない』

 

 

俺の"敵"は、まだ姿を見せていない。

 

 

 

 

 

 



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0011

 

 

 

 

 

 

 

 

「――そういえば、朝倉さん。オレからも一つお願いがあるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五月のある日。

超弩級の閉鎖空間とやらが消滅して、世界に一時の平和が訪れた時の話だ。

 

 

不意にそう言った俺に対し、彼女は不思議そうに。

 

 

「何かしら」

 

「それは。……それは、オレがもし、死んだとしても朝倉さんは気にしないでほしい」

 

「どういうことかしら?」

 

彼女の一言は呆れて、いや怒っているかのようにも聞こえた。

 

 

「何も死にたいって訳じゃない。でも、もしオレだけが朝倉さんの目の前から消えたとしても、オレのことは顧みないでいてほしいんだ。オレが助けた君が生きてくれれば、オレは満足だ」

 

その時、俺がどんな顔をしていたのかはわからない。

自分を見るための鏡なんて無かったからね。

 

 

「わかったわ。要するに私に死ぬな、生きろって言いたいんでしょ?」

 

「そうともとれるね」

 

「はぁ……。でも、私もあなたに死なれたら困るわ。せっかくの観察対象だもの」

 

「それ、笑うとこ?」

 

「人間の感性はわからないの、任せるわ」

 

俺は乾いた笑いをした。

 

 

 

 

そんな、俺の記憶だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は消失に気づいた段階で、"その"可能性も考えてはいた。

つまり。

 

 

「朝倉さんは、オレを必要としなくなったって事か」

 

俺はこの事実をぶつけられ、泣く事も、壊れたように叫ぶ事も許されたはずだ。

だが、俺はそこまで強い人間じゃなかった。臆病者だ。

仕方がない、仕方がないんだ。認めようじゃないか。

まさに俺はフられたんだ。朝倉涼子に――

 

 

『話は終わっていない。君がどう思おうが構わないが、先ずは私の説明を全て聞いてほしいのだが』

 

ジェイは困ったようにそう言った。

最早俺は抜け殻同然だが、彼の言葉に従う。

 

 

『訂正しようか。朝倉涼子が犯人と言うのは少々語弊があった』

 

「……何?」

 

『彼女は元凶。いや、正確には君がこの現象を引き起こしたとも言える』

 

「はっ。オレはそんな覚えがないけど」

 

『そうか? 君はあの世界で運命を変えたのだよ。朝倉涼子の、死を』

 

「今更それに、何の文句があるんだ」

 

『私は事実しか述べない。そもそも君はおかしいと思わないのか? 朝倉涼子は、何故長門有希に消される必要があるのか』

 

「馬鹿言え、それは独断専行が――」

 

『やはり、思った通りだ。君は"なってない"な。彼女は異常動作、いや、異常個体として処分されるのだ』

 

「……同じ事だろ?」

 

『君の認識の問題なのだよ。彼女は既に壊れている。壊れていた、と言った方が正確だが』

 

壊れている?

何の話だ。

機能として何か不都合な事など――

 

 

『エラーだよ』

 

「まさか!?」

 

『既に春先の時点で、彼女はエラーまみれ。まあ、バグスタイルと言うヤツだ。それが君のおかげで彼女は生き延びた。朝倉涼子を保護下に置く事で、情報統合思念体すら黙らせた。よってエラーが更に増えていくのは当然の事だろう?』

 

エージェントだか諜報員だか知らないが、携帯ゲームなんぞに興じたことがあるのか。

ナビカスタマイザーでどうにかなるとは思えないね。

 

 

『エラーが蓄積する末に何があるか、君は知っているだろう』

 

「……疑似感情か」

 

『しかしそれは本来TFEI端末に存在しないもの。朝倉涼子が長門有希より人間"らしかった"のは演技だけではない。フローした末の、バグだったのだ』

 

「それが今回の件と、オレとどう関係する?」

 

『……ふむ。ところで君は、涼宮ハルヒをある種の超人と考えているそうだな』

 

何故ジェイがそれを知っているのか。

俺は文化祭のあの時以来、そんな話をした覚えがない。

あの世界の、キョン相手だけだ。

 

 

『だが、私に言わせれば彼女は超人にしては不完全だ。君もニーチェを知っているのなら、わかるだろう?』

 

「超人とは人間の克服した先にあるもの。だが、彼にとっての超人はどのような過酷な運命でも、それを受け入れ肯定する精神の持ち主。……涼宮さんとは正反対だ」

 

『そうだ』

 

「だが実際に涼宮さんは人間を超越している。おい、超越者なのは確かだぜ」

 

『それでも私からすれば、涼宮ハルヒは完璧な超人ではない』

 

「ああ、それでいいよ。だけど朝倉さんと何の関係が」

 

『朝倉涼子、彼女は既に精神的に人間のそれではなかった。一切妥協しない考え、実に素晴らしい。ニーチェとは正反対だがね』

 

俺はそんな彼女の気高さに憧れたんだからな。

妥協の連続の、俺とは違う。

純潔なる殉教者。それが朝倉涼子。

 

 

『しかし彼女は人間と言えなかった。何故か? 感情がないからだ。私に言わせれば猿同然、考えることは出来ても、その先が無いのだからな』

 

ある作者が言うには"勇気"とは"怖さ"の裏にあるらしい。

恐怖がなければ勇気は無いし、それは最早人間ではないのだ。

朝倉さんの精神は、恐怖という感情が無いからこそ成立する。

 

 

「悪口を本人の居ない所で言うのはいただけないね」

 

『落ち着きたまえ。だが、彼女はエラーに次ぐエラーでバグまみれだった。その結果――』

 

ジェイは再び立ち上がり、まるで誕生日の如く喝采を送る。

ここには居ない、彼女。朝倉涼子へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

『朝倉涼子はついに、感情を手に入れたのだ! 君のせいで! そして、彼女は進化した! 人間の感情を持ち合わせ、それでも尚、妥協せずに済む絶対的な精神力!!』

 

 

 

 

そう。

 

 

 

 

 

『涼宮ハルヒを能力的超人と定義すれば、朝倉涼子はその反対! 精神的超人だ!! 素晴らしい!!』

 

 

 

 

 

 

 

それは、かつて俺が考えた内容。

即ち。

 

 

「朝倉涼子は長門有希の影ではなく。涼宮ハルヒの影だった……」

 

『上出来だな』

 

しかし、進化の壁を飛び越える、だ?

ミッシングリンクもいいとこだ。

いや、それよりも。

 

 

「おい! どうして朝倉さんは感情を手に入れた、だなんて言えるんだ? 何の根拠がある。そしてオレのせいってのもよくわからない」

 

『だから、回答は一つずつなのだよ。興奮するのはわかるがね。先ず、根拠については私が口にするのは野暮だ。自分で考えた方がいい。彼女のためにもなるし、君のためにもなるぞ?』

 

「……」

 

『そして君についてだが、その兆候はあっただろう?』

 

驚いた。

多分ジェイは、あの、十六日の、歯切れが悪かった朝倉さんについて言っている。

こいつは一体、どこまで何を知っている。

 

 

『まあ、彼女についてはここまででいいだろう。これは前提条件だったのだから』

 

「結論としては、超人と化した朝倉さんがついにオレを排除した。そういう事だろ?」

 

『いいや。それなら解りやすいし、ここまで回り道をする必要がない。事態は複雑でね。それでいて一部しか君に伝えられない。残念だ』

 

ジェイは涙をすするような演技をしながらしゃがむ。

まるでこいつはピエロだった。それも、出来損ないの。

俺は鏡の裏の世界を知ったような気分だ。

 

 

『つまり、朝倉涼子が超人に進化したからこそこの事件は起こった。だから彼女は犯人なのだよ』

 

「だが、その口ぶり。まるで実行犯が別に居るみたいだな?」

 

『そうだ。聞きたいかね?』

 

馬鹿野郎、あたりまえだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『今回の事件。全ての原因が君と朝倉涼子にあるとしたら、事件を引き起こしたのは別の二人組だ。実行犯と、計画犯』

 

「朝倉さんの存在を消そうって事か」

 

だとしたら、俺は現在進行形で彼女を守れていない。

ふっ。無様だ。生きる資格すらない。

しかしジェイはそれを否定する。

 

 

『"その逆"だ。まあ、そこら辺は君に関係ないことだ。知らない方がいい』

 

「何だよ? いいから、その二人組が実質の犯人なんだろ? さっさと説明してくれ」

 

『ふむ。……先ず計画者についてだが、私にもその正体は不明だ。だが、君をこの世界へ送り飛ばせるような人物は限られているし、かつ、それをする理由がありそうな人物は一人ぐらいだ』

 

「誰だ」

 

『"カイザー・ソゼ"と呼ばれている人物だ』

 

「おい、そいつも超人って言いたいのか?」

 

『さあな。正体が不明と言っただろう? とにかく謎なのだよ。だが、ソゼが介入した場合、必ずそこには変化がある。これは、三年前から確かな話なのだよ』

 

「三年前?」

 

『ソゼらしき人物が現れたと言われているのが、その時期なのだ』

 

「何をしたんだ?」

 

『ある日、それなりな規模の閉鎖空間が発生した。しかし急進派のTFEI端末の一つが超能力者を妨害しようとした』

 

「世界の終わりのためにか」

 

『多分な。その現場にソゼが介入した』

 

「ん? だが世界が崩壊してない以上、そいつは超能力者を助けたんだろ。いい奴じゃないか」

 

『ならば、良かったんだがな。結果から言えば、その端末と超能力者の一人が世界から文字通り"消えた"。それで事件は解決した』

 

「機関の構成員がか!?」

 

『その辺は君が知らなくてもいいだろう。ソゼが特殊な方法で世界から人間を消せる。今はその情報だけが大事なのだ』

 

「どうしてその男の名前がわかるんだ。謎じゃないのか」

 

『奴が登場した現場には、必ず白のハンカチが落ちている。黒色で"KEYSER SOZE"と刺繍されたものがな』

 

ジェイが口にする情報はどれもあてにならない。

雲を掴むような話だ。しかしそのソゼと言う人物が黒幕ならば。

 

 

「そいつが! 朝倉さんをどうこうしたってのか!?」

 

『いや、落ち着け。朝倉涼子は"君によって"完成された。喜べ。……彼女の話はもういいだろう? おそらくソゼが接触したのは実行犯の方だ。そっちは正体が割れている』

 

「さっさと言え」

 

『君にとって名前を知る必要はない。急進派のTFEI端末の一つだ。彼女とソゼが結託して君をここへ送ったのだ。正確には、彼女がソゼの協力を得た。これが我々の見解だ』

 

「何のために?」

 

『ヒントは既に言った。そして私は事実しか言わない。自分で考えたまえ』

 

それきりジェイは黙り込んだ。

俺がいくら考えようと答えは出るはずがない。

ならば建設的な話をしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――オレがあの世界へ戻る方法について、教えてくれ」

 

ジェイはようやくか、と言った感じで。

 

 

『いいだろう。だが、方法はまだ言えない』

 

「どうしてだ」

 

『君は、彼女……朝倉涼子への結論、そして、あの世界で生きる意味を見出していないからだ』

 

何故こいつがそんな事を、とも思えなかった。

俺はただ、胸の虚無感の正体がようやくわかりかけてきたと言うのに。

 

 

『詳しい理論は省くが、簡単に言えば君に覚悟が無い。それでは意味がないのだ。それは朝倉涼子にあって、君にないものだ』

 

図星もいいところだ。  

まさか、見ず知らずの骸骨野郎にそう言われるとは。

するとジェイは立ち上がり。

 

 

『今日はここまでだ。リミットは明日、十二月二十日の午後十八時。君が元の世界に戻りたくて、覚悟があるなら再びここへ来い』

 

そう言うとさっさと玄関へ行ってしまう。

慌てて俺はジェイの後を追って、マンションの廊下へ出たが、既に奴の姿は無かった。

エレベーターも使っていない。

 

 

……文字通り、フッ、消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マンションを後にしながら、俺は考える。

当然、"ジェイ"と名乗る人物についてだ。

 

 

 

奴は歩く姿すらまともに俺に観察させなかった。

つまり歩幅から奴を推測さえ出来ない。

厚手のバラクラバとコートにより襟元さえ露出させない。

はっきり言うと、性別も男か怪しい。

そして、これもなんとなくだが、ジェイは全て真実を語っているかさえ怪しかった。

 

 

 

だが、奴にとって俺との接触が意味のある事だけは確からしい。

そして、まだジェイは俺について語っていない。

明日、俺がもし"答え"を手にすることが出来ればそれも語られるのだろう。

おそらく、俺の知らない部分の俺を知っているのだ。

 

 

 

「わからないな……」

 

「明智、何がわからないだって?」

 

「わっ」

 

いつの間にか谷口が俺の後ろに居た。

どうしたんだ、急に。

 

 

「へっ、わからねえのはこっちの方だぜ。阪中んとこへ行ったのかよ? 風邪で弱ってる今が稼ぎ時だぜ」

 

「いいや……」

 

「情けねえな。俺なんかようやく春が来たんだぜ。へへっ!」

 

そう言えば光陽園学院の女子生徒と知り合っていたな。

まあ、曰く付きかも知れないのだが。

きっと、その出会いはいいことなんだろう。

 

 

「そっくりお返しするさ。……その人の事、大事にしなよ」

 

谷口は何でお前に言われなきゃいけないんだ? といった表情だ。

 

 

「おいおい、お前はどうなんだよ。阪中はもういいのか? もしかして……」

 

「よせ。告白なんかしてないよ。まだ」

 

きっと、これは俺自身に言い聞かせたのだ。

朝倉さんを、あの世界へ置いてきた、俺に。

明智はきっと、結論を出している。

 

 

「じゃあしけたツラすんなよ。さっきキョンとも話したが、お前らしくない。阪中が見たらびっくりすんぜ」

 

「そうかな」

 

「おう。今日は涼宮んとこに行かなかったみたいだしよ。まあ、クリスマス時期に情緒不安定になるのもわかるが、落ち着いてりゃいいのさ。きっとお前なら阪中とうまくやれるぜ」

 

あの谷口さえ認める男なのか。

この世界の明智は。

……。

 

 

「なあ、谷口」

 

「あん?」

 

「カイザー・ソゼ、って名前知ってるか?」

 

「何だそりゃ。どこの王族だ。俺はお前と違って勉強が苦手なんだよ。知ってるだろ?」

 

「知らないならいい」

 

こいつがソゼなんじゃないかとも思えたが、まあ、それは無いだろう。

俺がそうじゃないように。谷口は谷口だ。

 

 

「とにかく元気出せよ。じゃあな」

 

谷口は笑顔で俺と違う道へ分岐していった。

その足取りは、俺と違って軽いものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リミットは明日。午後十八時か……」

 

とにかく、考えをまとめたい。

情報をまとめて考察するのもありだ。

そして、そろそろ夕方なのだ。今日はもう帰ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の"敵"は、見たこともない二人組らしい。

 

 

本当に?

 

 

 

 

 

この時の俺はそれを疑っていなかった。

 

 

 

 

 

 



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0100

 

 

 

 

 

 

 

そして、十二月二十日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一晩かけてでもジェイとやらの真意を確かめたかったが、俺には無理だった。

それよりも俺はあの世界で生きる意味、戻る意味を考えるべきだからだ。

俺はどうやら自覚している以上に精神がやられていたらしい。

原作で改変世界に送り込まれたキョンは凄いと思う。

普通、ああも勇気を失わずにはいられない。

 

 

 

 

 

ただ、ジェイについてよりも俺が気になっている事がある。

それはこの"消失"現象についてだ。

仮にジェイの言う事が真実だとして、では犯人が俺をこの世界に送り込んだ意図はなんだったのだろう。

俺を排除したければ殺しにかかるべきである。二度と邪魔なんかされないはずだ。

いくら他勢力の妨害を受ける可能性があるにせよその方が早い。

何故ならばジェイが言うように、俺が元の世界へ戻るアテが存在するらしいからだ。

時間稼ぎ? ……まさか、何のだ。

 

 

あるいは、俺をこの世界へ飛ばす方が殺すよりも妨害のリスクが無かったのかもしれない。

そもそも俺一人相手に、ジェイは何故変装してまで現れたんだ?

監視されてる可能性なんて低いはずだ。

俺に知られたくない正体。そう考えるのが妥当か?

つまり、俺は奴と知り合いの可能性がある。

 

 

 

 

いずれにしても謎は多かった。

しかし、ジェイは俺が元の世界へ戻ってくれる方が都合がいいらしい。

それも狙ったようなタイミングだ。まさか……。

 

 

「あいつが真犯人なのか……?」

 

それが真実ならば。奴はこの消失を通して、俺に何の変化を与えたいのだろう。

ジェイが言うには朝倉さんは、最早ただのアンドロイドではないと言う。

いや、彼女がそうであろうとなかろうと、俺にとってただの一人以上の存在であるのは確かだ。

そしてジェイは朝倉さんへの変化が狙いではない。覚悟の必要性といい、俺なのだ。

 

 

「考えすぎかな」

 

しかし、口には出さなかったが、結論は出つつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オレ、元の世界へ戻れるかもしれない」

 

「何!?」

 

俺にとっては珍しい三日連続となるキョンとの登校である。

もしかしたら、この彼とは今日が最後になるかも知れなかった。

 

 

「昨日、何かあったのか?」

 

「前の世界のオレを知っているらしい不審者に出会った」

 

「はぁ?」

 

「そいつが言うには、オレには戻ってもらった方が都合がいいらしい」

 

「……そうか」

 

キョンは何やら寂しそうだった。

 

 

「どうしたんだ? もしかして、もうこの世界の明智に会えないかもしれないからか」

 

「へっ。そんなんは最悪、ハルヒでも何でも使ってあいつを取り返す。……そうじゃない、お前と別れるのが寂しいって思うのさ」

 

まさか……。

俺はそんな言葉が聞けるなんて思ってもいなかった。

 

 

「今日は部室には来れるのか?」

 

「まあ、時間制限があるから多少だけどね。そうだね、十七時近くまで居るよ」

 

「クリスマス鍋パーティの案が決まるといいが」

 

「ああ。もし戻れなかった時は仲良くしてくれ」

 

「嘘でもそんな話はするもんじゃないが、当然だろ。短い間だったが、お前もSOS団の一員だよ」

 

やっぱり、こいつは良い奴だ。

涼宮さんと同じで、人を惹きつける何かがある。

俺がジェイのように色んな情報を得ようが、涼宮さんのように絶大な力を得ようが、朝倉さんのように超人的な精神力を得ようが。

 

 

「やっぱり、お前には勝てないよ」

 

「何のことだ?」

 

「言葉通りさ」

 

そして、この世界の明智にも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

授業はあっと言う間に終わり、放課後。

都合のいい事に俺はこの世界も悪くないと思いつつあった。

それは元の世界へ戻れるという心の余裕から来るものなのかも知れない。

しかし、この世界は虚構ではない。彼らには彼らの人生が、そこにはある。

だからこそ俺は、こんな馬鹿げた真似をした奴らを許せない。

何の都合かは知らないが、俺の都合を無視するのはおかしな話だ。

俺の後ろの席は、とうとう埋まらなかった。

 

 

「ちょっといいか」

 

部室へ行こうとした俺を、キョンが引き止める。

どうしたんだと思うと。

 

 

「この時間ぐらいしか、落ち着いて話せそうにありませんので」

 

「明智くん……」

 

「……」

 

宇宙人、未来人、超能力者がそこに居た。

 

 

「今日ぐらい遅れてもいいだろ、中庭で話そうぜ」

 

……ああ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、あなたを知る人物ですか」

 

「それも、ここじゃない世界のな」

 

ざっくりとした説明を俺は全員にした。

朝倉さんと犯人に関係する事は話していない。

ジェイについてだけだ。

 

 

「先日あなたが指摘した通り、パラレルワールド移動は元の世界を探す必要があります。そしてそれは普通の方法ではわからない。考えられるケースは二つ、そのジェイと言う人物が犯人あるいはそれに近い人物。もう一つは、あなたを元の世界へ戻す肝心の方法が、奇跡じみているという事です」

 

「そうだ。案外、その両方ってのもあり得るね」

 

「その人物のボスとやらも気になりますね。長門さん、ジェイと言う人物に心当たりはありませんか?」

 

「ない」

 

そりゃあそうだろうよ。

少なくとも俺は知らない。

 

 

「しかし、それが可能かもしれない存在は知っている」

 

「どういった方でしょうか」

 

「それは、情報統合思念体とは起源が異なる存在」

 

「なるほどね……」

 

それならば一応の説明は成り立つ。

他の世界の俺を観測する方法もあるのかも知れない。

いや、逆だ。ジェイの口ぶりからすれば、こちらへ情報を送ったと言うのが正しいのだ。

 

 

「組織と言うのも気になりますね」

 

「いちいち気にしてられないさ。オレは結局、罠だろうとジェイに頼るしかない」

 

「なあ。怪しい相手ってわかっているのに、どうしてそこまでして戻りたいんだ? いや、変な意味じゃない。単なる疑問だ」

 

キョンが俺に訊ねる。

確かに涼宮さんを含め、彼らは異世界の俺も受け入れてくれるだろう。

だが、俺にとってはとても残酷な事だ。

 

 

「強いて言えばオレにも責任があるらしいから、だ。よくわからないけど」

 

「もしかしてお前。朝倉が――」

 

「ストップだ。オレの採点者は君たちじゃあない。……朝倉さんだ」

 

妥協ではない、確かな覚悟が俺にはあった。

模範解答かどうかは不明だが。

 

 

「みんな。次にこの世界の明智と会ったら彼にこう伝えてくれ」

 

「いいぜ、何だ?」

 

「次はお前の番だ。ってね」

 

俺の一言で全員が察してくれたらしい。あの長門さんも頷いた。

 

 

「ふふ。明智くんにそこまで思ってもらえるなんて、素敵ですね」

 

朝比奈さん、逆ですよ。

俺は今日の今日まで何一つとして向き合わなかった臆病者です。

 

 

「あなたの覚悟、僕は敬意を表しますよ」

 

お前に敬意を表されるのは二回目だぜ。

だが、悪くないもんだよ。

 

 

「……」

 

長門さんはその時無言だったが、俺には何だか笑っているように見えた。

彼女の変化、その先に何があるかはわからないが、長門さんもSOS団の一員だ。

必ず力になってくれる。きっと、この世界の俺も。

 

 

「これは、俺がこの世界の朝倉に言われた言葉なんだがな。やらないで後悔するより、やってから後悔した方がいい。……だとよ。そのせいで死にかけたが、お前のおかげで笑い話にはなりそうだ」

 

キョン。

本当に、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

遅れて部室に行った俺たちは涼宮さんに怒られた。

でも、成果と言ってはあれだが、鍋パーティの方針が決まったんだ。

それは水炊きだ。

 

 

 

 

……普通すぎて笑えちゃうだろ?

でも、シンプルにして、その分具材の質を高めようって話になった。

どうせ割り勘みたいなもんだ。だったら美味しい方がいい。

もし俺が元の世界へ戻って、まだ鍋の案が出てなかったらこれにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして俺は学校を後にした。

不思議な気持ちだ。

この世界への離別の悲しさがある反面、俺は早く彼女に会いたかった。

まるで、初めてデートに行くかのような高揚感と不安。

唯一気がかりなのは、この世界の俺にとっての――。

 

 

「あっ。れーくん!」

 

後ろからそんな声が聞こえてきたかと思うと、その瞬間俺の背中に軽い衝撃が走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――不意打ちだと!?

 

 

 

 

 

 

まずい、おのぼりさんもいいとこだ、せめて反撃せねば。

そう思い首を捻って手を動かし、奥の手を――

 

 

「久しぶりなのね!」

 

――へっ?

女子にしては高めの身長――流石に俺の方が高いが、朝倉さんより高い――。

ショートカットにどこか気の抜けた声。

 

 

 

 

 

「さ、阪中……さん」

 

「えへへっ」

 

 

 

 

この世界における、俺の後ろの席の方。

俺の世界とは違う、阪中佳実がそこに居た。

しかも、俺に抱きついてきている。

 

 

 

 

 

 

……落ち着け、先ず今は何時だ?

ちらりと腕時計を見る。

十七時二十三分。

ここからマンションまでの残りの距離は歩いても二十分とかからない。

時間的余裕はある。次だ。

 

 

 

では、この状況は一体何だ?

明智と阪中さんの仲がいいらしいって話は聞いていたが、こんな間柄なのか?

おい、おいおいおいおいおい。俺が言えた義理じゃないが、そりゃねえぜ、明智。

俺はお前をたいそう評価してたが少々気変わりした。

こんなアタックしてくる女子と付き合っていないのかお前は?

"れーくん"と言うのは俺の愛称か? 初めて言われたぞ。

はっ。とにかく、お前さん、臆病者もいいとこだ。

 

 

 

 

 

俺は足元にやってきた彼女の愛犬。ルソーを視界に入れながら聞く。

 

 

「風邪はもう大丈夫なのか?」

 

「うん。本当は今日行きたかったんだけど、お母さんが、もう少し様子を見なさいって。いいお世話なのね」

 

「それで、元気になったから散歩をしている訳か」

 

「そんなことより」

 

阪中さんは俺から身体を放し、肩を掴んでこちらに向き合わせた。

女子と対面か。き、きつい……。

そして彼女は悲しそうな表情で。

 

 

「あたし、悲しかったのね。れーくんにお見舞いに来てほしかった」

 

「ご、ごめん。オレもちょっと調子が悪くてね……」

 

「あはっ。冗談だよ」

 

阪中さんはすぐに笑顔になった。

なかなかの演技派じゃないか。騙されかけた。

 

 

「部活はもう終わり? だったら一緒にルソーの散歩しよ」

 

……。

 

 

「それは、できない」

 

「えっ?」

 

阪中さんは驚いた表情で俺を見た。

多分、そんな事言われるとも思ってなかったんだろう。

何故だかわからないが、俺は彼女にありのままを伝える事にした。

 

 

「オレは君が知っているれーくん、明智黎じゃないんだ。別人でね、ワケあって彼は今居ない。だが、すぐにまた会える」

 

「……」

 

「オレは異世界人さ。この世界の明智黎の居場所をちょっとの間、借りていた。そして今から彼に返しに行くんだ」

 

普通ならこんな俺の戯言は気にもしないだろう。

まあ、SOS団の連中は例外だ。異常耐性が半端ないからね。

しかし、彼女は。

 

 

「うん。そう言われれば、いつもと雰囲気違うね。れーくんと、似てるけど違うかも」

 

「……そうか、羨ましいな」

 

「どういうこと?」

 

「次に君と会う明智黎は、間違いなく本人さ。オレが約束する。だから、彼を大切にしてやってほしい。別人だけどオレが幸せなら嬉しいよ」

 

「ふーん」

 

そう言うと阪中さんはルソーを抱っこして、意地悪そうに。

 

 

「……あなた。好きな人が居るのね?」

 

「ああ」

 

「わかった。よくわからないけど、なんとなくわかったよ。異世界人さん」

 

「もうオレと会う事はないだろう。今のは夢でも見たと思ってほしい」

 

そう言って俺は踵を返す。

最後に会えたのが彼女で良かった。

これで、きっともう大丈夫だ。

 

 

「阪中さん、さようなら」

 

「うん。またなのね~!」

 

まただって? よしてくれ。

ここのところ、感傷的になりやすいんだ。

本当に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十七時五十二分。

エレベーターを降りて、廊下に出ると奴は居た。

 

 

『おや、意外と早かったな』

 

「何故かはわかってるんだろ?」

 

『ふむ。質問は手短に頼む』

 

昨日と全く同じ格好の骸骨コート。

ジェイはホールドアップのポーズをとった。

つくづく人を馬鹿にしている奴だ。

 

 

「オレが戻ったら。この世界に居た明智はどうなる?」

 

『……それを知って。何か君に意味はあるのかね?』

 

「質問に答えろ」

 

『済まないが、その質問の返答によって君の決意が揺らぐと言うのなら私は答えられない。これも仕事なのだよ』

 

「まさか」

 

お前は知らないのか?

俺は正義漢でも、偽善者でもない、独善者だ。

今の、今もそれは変わらない。

 

 

「仮に、この世界の明智が戻らないと言うのならオレはそれを受け入れる。それすらもオレの覚悟としよう。オレは、戻る方が大切だ」

 

『その言葉。どうやら、結論は出たようだな』

 

「ああ」

 

ジェイは昨日のようにまた拍手をした。

手袋越しの拍手は、実に乾いていて、奇妙な音だ。

 

 

『いいだろう。安心したまえ。彼は君がこの世界から去ったとほぼ同時に戻る。そういう手筈になっている』

 

「どこへ戻るってんだ? 流石にこの町だよな。外国なんて勘弁してやれ」

 

『ふっ。ならば安心できるような場所がいいかね?』

 

「おい、いきなり阪中さんはあいつにきついぜ。ハードルがやばい」

 

『妥当なのは長門有希の家の前だろう。人もなかなか通らない。彼は今、寝ている設定だからな』

 

「頼むよ」

 

ジェイは任せろと言わんばかりに腕を組んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして。

 

 

 

 

 

 

『タイムアップだ。行くぞ』

 

十二月二十日、午後十八時。

再び505号室のドアが開かれた。

 

 

 

 

 

 

 

――部屋の中には、何もない。

 

 

 

 

 

 

 



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第三十一話、あるいは

 

 

十二月十八日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まさか俺はこの日、深夜の着信音に叩き起こされるとは思ってもいなかった。

ようやく起きた俺は鳴り響き続ける携帯電話を睨み付ける。

 

 

「……くっ、誰だ…?」

 

俺はまず古泉かと思ったが昨日の今日の閉鎖空間談義で起こされた日にはあいつの謝罪を要求する。

しかし携帯電話のディスプレイには俺が登録していない番号らしく、名前が表示されていない。

はぁ。間違い電話だろと思いつつも律儀に俺は出ることに。

 

 

「もしもし、すいませんが間違い電話じゃな――」

 

『わたしよキョンくん』

 

聞き間違えるはずもない声、朝比奈さんだ。

いや、この大人びた感じと電話番号が登録されていない事から朝比奈さん(大)か。

 

 

「――朝比奈さん?」

 

『そうよ……とにかく緊急事態なの。今すぐ公園に、駅前の公園まで来て』

 

「わかりました。話は後ですね?」

 

『ええ、ごめんなさい』

 

そう言って通話は終了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はどうせまたハルヒ絡みだろうと思いつつ、今回はどんな事件かと走りながら考えていた。

しかしながら事件は事件だったのだが、まさかハルヒとは別件だとは思いもしないだろう。

朝比奈さん(大)が言う駅前の公園とは光陽園駅前公園のことである。

俺がかつて長門と待ち合わせをしたあそこで、ここらの駅前公園と言えばまずあそこだ。

と言うかあそこしかない。

 

 

「……キョンくん!」

 

「……」

 

何やらモフモフの防寒具で暖かそうな格好の朝比奈さん(大)と、制服にカーディガンを羽織った長門が居た。

いや、朝比奈さんの後ろに誰か――。

 

 

「朝倉!?」

 

朝比奈さんにおんぶされている寝巻き姿の彼女からは返事がない。

何やらうなされている感じだ。風邪か?

 

 

「とりあえず彼女を安静にさせたいの。本当は家に居た方がいいんだけど……」

 

「どうやら事情があるって訳ですね」

 

寝巻き姿の朝倉を近くのベンチに横にすると、朝比奈さんは自身が着ていた厚手のコートを被せる。

彼女のコートの下はセーターだった。冷え性なのかもしれない。

しかし、まさか宇宙人でも風邪をひくのだろうか?

 

 

「朝倉涼子は現在攻撃を受けている」

 

「何!?」

 

「過負荷による熱暴走みたいなものです。長門さん達は地球の風邪なんてひきませんから」

 

「どこのどいつがそんな真似を」

 

「わからない」

 

おいおい、てっきり面倒かと思っていたら面倒に殺伐の二文字が追加されやがった。

古泉とのやりとりで"あの単語"は封印したんだ。つい先月にな。

しかしこの緊急事態。って。

 

 

「おい、明智は!? 肝心の明智が居ないじゃないか」

 

国木田以上に掴めない男、朝倉涼子の監督係である明智が居ない。

よくわからんが朝倉は攻撃を受けているんだろ?

あいつが守ってやらないと――。

 

 

「明智黎なら"消えた"わよ。そのままの意味でね」

 

何だ?

俺は声のする方へと向く。

闇夜の中、公園の薄い外灯に照らされてその主の姿が明らかになった。

 

 

「朝…倉……?」

 

制服姿の、朝倉涼子が立っている。

すぐに長門が俺の前に出て。

 

 

「さがって」

 

意味がわからないが俺は後退してベンチ近くの朝比奈さんの方へ行く。

ベンチには朝倉が寝込んでいる。

意味がわからん。何がどうなっている。

 

 

「どういうことです? 明智が消えただの、朝倉が二人出てきたり」

 

「おそらくあれが朝倉さんを攻撃したの。姿は同じだけど、多分別人」

 

「他の時間から朝倉が来たんじゃないんですか?」

 

「時空振は観測されてないわ」

 

「……偽者ってことか?」

 

確かに、長門と相対しているその女はどこか雰囲気が違っていた。

感覚的なものだが、朝倉とは違う。明智なら言われなくてもわかるはずだ。

偽者の朝倉とさえ形容したくない、偽の女で充分だ。

 

 

「そうです、明智だ! 明智はどこへ!?」

 

「ごめんなさい……わからないわ」

 

朝比奈さん(大)は悲しそうに言う。

消えた? いや、いくらあいつが個人だからって簡単にやられないはずだ。

機関だって情報統合思念体だって未来人だって、明智を多少は監視している。

そのはずだ。それが、こうも、あっけなく。

 

 

「死んだのか……?」

 

夏の合宿を思い出す。

思えばあの時より今の俺は冷静じゃない。

今回は確かに、あいつが消えたと言う。

認めたくはないが、俺に嘘をつく必要がないし、何よりあいつが今居ないのが証拠だ。

 

 

「ううん。明智さんがどうなったかはわからない。でも死んだとも限らないの」

 

「はあ……」

 

「ちょうど今日の0時。彼はこの時空。いいえ、おそらくこの世界から姿を消したの。それも一瞬で」

 

そんなこと――。

 

 

「ええ。わたしたちでも難しい。少なくとも彼の家に侵入された形跡はなかった」

 

姿も見せずに、いや、見ずに相手を一瞬で消すだと?

いい加減にしろ。そんな無茶苦茶ありか。

そう思っていると、パァン、と破裂音のような音が聞こえた。

慌てて長門の方を向くと早速戦闘が開始されている。

 

 

「ふふ。うまく躱した」

 

「……」

 

偽女の背後から金属弾のような物が放たれ長門はそれを回避。

それに当たった地面はクレーターになった。ちらりと辺りを見ると遊具は徐々に壊されているようだ。

 

 

「あの人たちを気にしながらいつまで戦えるかしら」

 

言葉通りに長門は不利だった。

動き回る速度で言えば互角以上かもしれないが、時折偽女はフェイントを交えてこちらに攻撃を放っている。

その度に長門が防御に回る必要があり、はっきり言うと俺はお荷物状態だった。

 

 

「朝比奈さん。何か手は無いんですか」

 

「……」

 

せめてこの横たわっている朝倉が動ければまだ違うはずだ。

この瞬間にも偽女の攻撃で公園が徐々に荒れ地に姿を変えつつある。

ちくしょう。俺は無力だ。武器の携帯が許可されない、朝比奈さんも悔しそうな顔をしている。

超能力者も現実じゃ頼れないと言う。

 

 

「"今"なのか……?」

 

俺の持つジョーカー。それを切る時は。

自然とポケットの携帯電話に手が伸びた。力を入れ、握りしめる。

刻一刻と長門は押されていく。長門は接近を試みているが偽女の猛攻がそれを許さない。

そして、この虚偽の均衡は――。

 

 

――ズザァッ

 

 

「長門っ!?」

 

謎の衝撃派を喰らい、長門の身体は遠くへ吹き飛ばされていく。

道路までは飛び出していないがおかげで公園の木に叩き付けられた。

動けはするだろうが、決定的な隙が出来てしまう。

偽女はこちらに笑顔で近づいてくる。

近づきながらも長門へ遠距離攻撃を仕掛けている。器用な奴だ。

 

 

「あなたたちに用はないの。消えてくれる? 私が用があるのは朝倉涼子よ」

 

「てめぇ……」

 

 

――おい。

何やってんだ。

……どこのどいつの台詞だ?

俺はそれを直接聞いちゃいないが、知っている。

朝倉を守ってやるんだろ。

なあ。

謎の攻撃やらで彼女は今、自衛すら出来ない状態なんだぜ。

だから、"消えた"とか言っても俺は認めない。

俺がこの目で直接見た訳じゃないんだ。

だから、戻ってこい。

早くしろ。

 

 

「そこをどかないなら、死んでもらうわよ?」

 

偽女の手が振り上がる。

槍と言うよりは銛のような物が形成されていく。

 

――クソが。

ここ一番で頼りにならねえ。

俺のダチは嘘をつくような奴だったのか。

だから。

 

「さっさと来やがれ!」

 

「じゃあ、死んで」

 

ハルヒに電話した所で最早間に合わない。

けっ、不本意もいいとこだ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……ん?

いつまでたっても俺の身体には衝撃の一つが無かった。

俺の隣の朝比奈さん(大)は、何やら驚いた様子だ。

ふと顔を向けると、偽女の腕には何かが刺さっていた。

そしてそいつの動きは止まっている。

 

 

「――こんなに公園を荒らすとは。公共の場で、礼儀知らずもいいとこだね」

 

――それは、若い男、少年の声だった。

 

 

「ところで、君はオレの名字についてこんな話を知っているかな?」

 

「まさか、アンタは……」

 

偽女は声のする方へ顔を向ける。

遠くの、地面へ。

 

 

「悪に地面で"悪地"が語源なんだけどね。ようは荒れ地さ……ちょうど、君が荒らした今の公園みたいな」

 

地面から徐々に人影が現れていく。

 

 

「でも、やっぱりオレの名字からするとあの逆賊が一番連想されるんだよね。"五十五年の夢、覚め来たり、一元に帰す"。まあ、オレはまだ死ぬつもりはないけど」

 

その声は、俺がよく知っている奴の声だ。

同時にそれを待ち望んでいた。

 

 

「……で、問題。オレの名字は何でしょう?」

 

「アンタ! どうやって戻ったと言うの!? この世界へ――」

 

冬にも関わらずブレザーかよ。

いいや、最近は中に黒のカーディガンを着ていたなこいつは。

こんなダサい制服に思い入れでもあんのかね?

とにかく、やっと来たのか。

遅ぇんだよ。

偽女はその姿を見て叫ぶ。

どうやら偽女の朝倉みたいな口調の演技も終わりらしい。

 

 

「――異世界人、明智黎!!」

 

「わざわざ名前まで、正解だ。そして、やれやれ……間に合ったぜ……。ってね」

 

こいつがどこ行ってたか知らないが、まだ"その時"じゃなかったらしい。

俺の切り札の出番は持越しだ。

ボロボロの長門が明智へと近づく。動けるまでには回復している。

眼鏡は吹き飛んでしまったようだが、長門の視力は大丈夫なのだろうか。

もしかしたら眼鏡はただの飾りだったのかもしれない。

 

 

「おかえり」

 

「どうも」

 

「アンタたち……。邪魔するなぁっ!」

 

偽女は手に刺さっていたナイフを抜き取ると、持っている銛を二人の方へ投げつける。

二人はそれを間を開けるような形で横へ回避した。

 

 

「おっと。……それ、普通じゃ手に入らないから大事にしてくれる? 毒は効かないって思ってたけどさ」

 

明智は偽女の足元に落ちたナイフを指差して言う。

だがそんな台詞は言うだけ無駄だろう。ナイフは後ろへ蹴り飛ばされた。

 

 

「協力する」

 

「いいや、長門さんはあっちの方へ行ってくれ。まあ、俺が彼女に合わせる顔がないってのもあるけど」

 

「了解した」

 

すると長門はてくてくこちらへ向かってきた。

おい、あいつ一人でやる気なのか?

バリア持ちの長門でも苦戦する宇宙人相手に。

 

 

「異世界人。もしかしてアタシを馬鹿にしている? こっちは二人相手でも良かったのに」

 

「オレの責任だからな。オレが決着をつけたい。……それより、"カイザー・ソゼ"は一緒じゃないのか?」

 

「アンタが何故その名を知っている」 

 

「さあ? 秘密。暴れるの止めたら教えてあげるよ」

 

「ま、いいわ。アンタを殺しに行く手間が省けただけね」

 

偽女はどこかからナイフを取り出す。

明智相手に遠距離戦をするまでもない、と判断したのか。

とにかく、その容姿といいふざけた奴だった。

 

 

「オレが一番許せないのは、あの世界へ飛ばされたことよりも、君のその恰好なんだけど。醜くて仕方ない、反吐が出る」

 

「深い意味はないよ。強いて言えば目的のためだから」

 

「もしかして、それは進化かな」

 

明智がそう言うとさっきまで感情があるように見えた偽女の表情は張り付いた。

進化? 何を言っているんだ明智は。進化論ぐらいは聞いたことがあるが、意味がわからない。

目的が謎の進化だとして、偽女がこの朝倉を狙う理由は何なんだ?

 

 

「だとしたら無様だよ。つい抱きしめたくなっちゃうね。これは、あの世界のオレが言ってたらしいんだけど、人と人を比べる事に意味はない。だって。いやあ、オレながら素晴らしいよね」

 

「……理解できないわ」

 

「だから君は猿。いや、ノミなのさ」

 

「アタシに勝てると思う?」

 

「サシでやろう。長門さんにはオレも邪魔させない」

 

そう言った明智からは強い威圧感が感じられる。

それはいつか感じた悪寒ではなかったが、彼が現れた安心感から来るものでもない。

深夜という事もあって明智の顔がよく見えなかったが、俺はほんの一瞬明智をとても恐ろしく感じた。

まるで、あいつが深い闇の中に居るかのように、この夜はそれを演出している。

いや、彼を闇そのものと見紛うほどに、恐ろしかったのだ。

 

 

「――死にな」

 

 

明智とそいつの距離は少なく見積もっても五メートル以上は離れていたはずだ。

それを俺が瞬きするよりも前に偽女は明智に接近した、ナイフを握って。

とてもじゃないが俺には何が起こっているのかわからない。

明智は偽女が繰り出す高速の斬撃を回避し続けている。

 

 

「長門。あいつは……明智は勝てるのか?」

 

「わからない」

 

俺はただの、普通の高校生だ。

戦闘の心得も知らないし、格闘技はテレビで見る程度。

まして喧嘩など数えるくらいしかしたことがない。

だがボクシングの試合を見ていて、素人目でもどっちが有利かなんてのはわかる。

明智は体術ではそいつに劣っていなかったが、相手のポテンシャルが段違いだった。

カウンターで繰り出す足技もそいつはさばいている。無傷に等しい。

それに対して明智は躱してはいるのだが、危ない場面も多い。多分かすり傷ぐらいはあるだろう。

さっきの長門と同じく押されていた。異世界人だか知らないが、無茶なのだ。

 

 

「明智!」

 

無理だ。と言おうとした瞬間だった。

偽女はその場から勢いよく離れると、右腕を鋭い触手のような形へ変化させて勢いよく伸ばし、明智を突き刺さんとする。

嘘だろ、そんなのアリかよ。長門、助けてや――。

 

 

「閉じろ」

 

――それは瞬く間の所作だ。

明智は触手とすれ違うように前進すると、両手を合わせ、開き、素早く横へ振るい、そう言うと、触手が切断された。

驚いたそいつは更に後退した。どうやら"置き"に行くつもりらしい。

五メートルじゃきかない、今度は十メートル以上は間隔がある。

 

 

「アンタ。今、何した?」

 

そいつの触手が腕に戻ると右手首から先が喪失していた。

切断の際に出血もしているようだが、やがて、徐々に根元から右手が再生していく。

宇宙人ってのは何でもアリなのか。物理攻撃は無意味なのかもしれない。

何かをしたらしい明智は残念そうな声で。

 

 

「いや。せっかくのオレの"奥の手"の一つ。その初披露を朝倉さんが見てないのがオレは悲しい」

 

「得体が知れないね。でも、アンタはこの距離からの攻撃に耐えられる?」

 

「それは無理かな。だからこっちも"新技"を披露するよ」

 

明智が左手をだらん、と下へ垂らすと、次の瞬間には何かを掴んでいた。

 

 

「漫画なんかで言うところの"修行の成果"、って奴だ。オレは修行なんてしてないけど」

 

明智の手にあるそれは武器なのだろうか?

詳しくは見えないが、刀のような……。いや、しかし先端は尖っていない。

柄と鍔はあるものの、エッジは平坦だ。そして真っ直ぐ。

長さも中途半端。正確にはわからないが、1メートルとない。

とにかく、始めて見るような代物だ。

 

 

「あはは。銃でも出すかと思えばそんな――」

 

きっと偽女は明智の出した物について、馬鹿にするような言葉を吐くつもりだったんだろう。

だが、次の瞬間には明智に蹴り飛ばされていた。右の地面へ偽女の身体が倒される。

 

 

「どうやらジェイが言った通り。本物の念能力者なら、具現化系のオレはここまで身体強化できない。それにオレは神経質じゃない。性格診断に外れる。そして何より君の精孔が開いてない」

 

「――ぐっ。アンタどうやってこの距離をっ」

 

立ち上がろうとした偽女の顔を明智は踏みつける。

傍から見ても痛々しい。どういう理屈か知らないが、明智の方が強いらしい。

彼は左手に持った武器で肩を叩きながら不快そうに。

 

 

「君に自由は、ない。……大人しく負けを認めろ。これ以上、彼女の姿を愚弄するなら君が再生できなくなるまで身体を切り落とすだけだ」

 

「ぶはっ。誰がアンタに負けを認め――」

 

 

俺の居る距離からは聴こえないが、音をつけるなら、ドッ、みたいな音だと思う。

明智は地面に倒れている偽女に対し、目にも止まらぬ速さで左かかと落としを喰らわせていく。

何発も繰り返して。

充分に足を振り上げて、下に居る相手へ落とす。

そんな動作、俺がいくら頑張ろうが一発に一秒以上はかかる。

そんな攻撃を明智は偽女の頭、腕、首とまんべんなく行っていく。

……おい、殺す気か!?

 

 

「だから君は猿以下なんだ。オレに返事をしたいなら『すいませんでした、私の負けです』って死ぬまで詫びながら地面にその汚い顔を擦り付けて土下座するんだよ」

 

「ごっ。ひゅ」

 

「おいおい、何の鳴き真似だ? 動物でもないって、やっぱり、ノミか」

 

 

 

――これだったのか。

俺が感じた明智への底知れぬ恐怖。

いや、彼から感じるのは狂気ですらない。

"まるでそれが当然だ"と言わんばかりに彼は絶えず攻撃している。

迷いも妥協もない、無慈悲の連撃。これが彼の正義なのだ。

なあ。こいつに一体何があったんだ?

隣の朝比奈さん(大)は震えている。いつも余裕そうな彼女が。

長門も、どこか悲しげにその光景を見つめている。

とにかく。

 

 

「やめろ明智!」

 

「ん?」

 

「……もう充分じゃないのか」

 

「いや、いやいやいやいやいやいやいや。何言ってんだよキョン。こいつは"敵"だぞ?」

 

「でも、もう充分だろ」

 

「このノミ相手にか? こんなの、ノミにとっちゃ風に吹かれた程度でしょ。しっかり潰さないと」

 

「ふざけるな!」

 

その一言で、ようやく明智の攻撃は止んだ。

うつぶせの偽女に動きは無い。

死んでいるかまでわからないが意識はないだろう。

 

 

「何があったかは知らないが、それ以上は駄目だ」

 

「どうしてだ」

 

「さあな。何となくだが、昔のお前ならそう言うと思うぜ」

 

「そうかい」

 

明智はそう言うと偽女の横腹を爪先で蹴飛ばし。

 

 

「起きろ。反撃の意思をコンマ単位でもこちらに見せたらその瞬間に君の身体をバラバラにしてあげよう」

 

「がはっ。げ、ひぃ……ごぼっ。うぅ」

 

偽女は少し身体を浮かせた。

その顔は俺には見えなかったが、きっとボロボロ、いやぐちゃぐちゃでもおかしくはない。

 

 

「元々殺す気はなかったさ。手加減したからね。まあ、拷問を先行したって事で。さっき君が言ったでしょ『手間が省けた』って」

 

「ご……殺じな、ざい」

 

「死にたきゃ死になよ。変わりたいって気持ちは自殺同然なんだから。でも、君にはそれを理解する術すらない。実に哀れだ。そして朝倉さんのような気高い精神も、ない」

 

「ぞ……ん…」

 

「カイザー・ソゼについて教えてもらおうか」

 

偽女は首を振った。

そのソゼとやらを知らないという意思表示らしい。

様子を見た明智は。

 

 

「フハハハハハッ。愉快だね、協力者のソゼについて何も知らないだって? ノミでも生きるために何が必要か知っているんだ。君には、それすらないのか。いや、実に愉快だ!」

 

俺が狂っていなけりゃ、世界か明智のどっちかだ。

異様な光景に俺は動けなかった。

俺にはもう言葉を紡ぐ気力さえない。

やがて偽女の手には何かが握られていた。

それを見た明智は。

 

 

「……なるほどね。私は被害者、とでも言いたいのかな。いいだろう。オレが殺さなくてもこの世界に居る限り、どうせ君は危険だ。だからこそ、君に希望をあげよう」

 

明智は左手の武器を偽女が倒れているすぐ傍の地面に叩き付ける。

それに何の意味があるのかは俺にはわからない。

しかしその疑問は彼の言葉で解消された。

 

 

「希望はいいものだ。君がそれを理解できる事を、オレは期待しているよ」

 

そんな事を言ったと思えば偽女の姿は消えていた。

何だ? こいつの能力とやらで匿ったのか?

 

 

「お、おい明智。あいつはどこへ行った」

 

「どこかはわからない。この世界じゃないどこかさ」

 

「何言ってるんだ……?」

 

「……まさか、明智さん」

 

何かに気付いた朝比奈さん(大)は明智を恐ろしい目で見た。

 

 

「はじめまして。いや、お久しぶりなんですかね? 朝比奈さん」

 

「明智さん、あなたは――」

 

「まあ、だいたい予想してる通りです。詳しい原理はオレにもわかりませんし、何より不完全らしいので」

 

はあ。さっきの襲撃者とか、カイザーがどうだとか、とにかく俺にもわかるようにだな……。

そう思っていると長門が明智に近づいて。

 

 

「あなたは、平行世界の移動に成功した」

 

……はぁ?

 

 

「まあ、オレ、異世界人ですから」

 

ベンチに寝かされた朝倉は、まだうなされている。

 

 

 







"念能力"

生命エネルギーのオーラを操る技術そのもの。
この技術を持つ者を、文字通りに念能力者と呼ぶ。

だが、一般的には明智の"臆病者の隠れ家"のような能力と呼べる域の技術についてを言う。
非力な人間でも、オーラによって底上げすればかなりの攻撃力を誇れるようになる。

現在、明智が通常時に出来る事は、"隠れ家"の行使と"奥の手"。
"制約"によって無条件に可能なのは"絶"と"隠"のみ。




"制約"

自分にルールを決め、それに従う事で念能力を爆発的に強化させることができる。
そのリスクが高ければ高いほど能力の質は向上する。

即ち、覚悟。

明智は自分のオーラ行使に"隠れ家"に影響を与えないギリギリの範囲で制限をかけている。
よって、まともな身体強化が期待できない。




"絶"

本来、念能力者でなくてもオーラは常に人体にある。
それを敢えてシャットアウトすることで、自分の生命エネルギーも感じられにくくなる。

気配遮断、疲労回復の効果もある。
そして、この状態ではオーラの行使ができない。




"隠"

絶の応用。
本来、念能力者にしかオーラは見えない(オーラを具現化する能力者、つまり明智は別)
戦闘においてオーラの流れが筒抜けなのは動きや次の手すら読まれることになる。

この技は文字通り"隠す"技術で、肉眼だけでは能力者からもオーラを看破されなくなる。
文芸部室に設置した"出口"はこの技で隠している。
しかし長門に代表される宇宙人相手には"何か"があるとバレる。
また、隠を見破る為の技もあるので万能ではない。




だが、明智は漫画で読んだこれらの技術を無意識で真似しているだけ。
本物の念能力者ではない。




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How to use "0101"

 

 

 

 

『ふむ。いいだろう。確認したぞ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

骸骨コート。ジェイはそう言って俺から受け取った手帳をポケットにしまった。

何も無い505号室、明かりと呼べるのは外からの光だが最早それも失われつつある。

冬の十八時はとっくのとうに夜だ。細長いペンライトを使ってジェイは手帳を読んでいた。

 

 

『では、本題に入る前にまだ質問があるようだな。聞いてやる』

 

「お前は何故オレに正体を隠す必要があるんだ?」

 

『勘違いしないでほしいが、別に私の変装は君相手に限っていない。私の顔を知るのはせいぜいボスぐらいだ』

 

「その必要性がわからないから聞いている」

 

『知る必要はない。いずれ、わかるかもしれないがな』

 

そう言ってジェイは黙り込んだ。

いや、そう思った途端に奴は口を開いた。

 

 

『元の世界へ戻る方法だが、それにはまず君について話す必要がある』

 

「オレにはその意味もわからないんだ」

 

『正確には、君の持つ能力。いや、技術についてだ』

 

やはりジェイは"臆病者の隠れ家"についても知っているらしい。

だが奴の口から放たれた一言は俺を驚かせるには充分すぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『君の持つ能力は、厳密にいうと"念能力"ではない』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何だと……。

こいつは、念能力まで知っているのか!?

俺は一切あの世界で"オーラ"について説明していない。

そう。

 

 

『君は本来の能力を基に、"HUNTER×HUNTER"の世界の技術を再現しているに過ぎないのだ』

 

【涼宮ハルヒの憂鬱】とは全く別の作品、それも漫画。

とある少年誌で連載している【HUNTER×HUNTER】に登場する、ある能力。

それを俺は使っているつもりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――オーラとは、簡単に言えば生命エネルギーだ。

誰にでも備わっているもので、そのエネルギーを駆使する技術が"念能力"。

だが、誰にでもあるエネルギーとは言え、念の習得には才能が必要だ。

コントロール出来ない場合、死にすら至るケースがある。

 

しかし、この世界ではない、ハンタ世界の技術。

そのルーツを知る方法がどこにある?

 

 

『ハイドアンドシーク。いや、"臆病者の隠れ家"と言ったかな? とにかく、それほどの能力だ。いくら君に才能があろうと、その年齢で達せる境地ではない』

 

「お前は何故。念能力を知っている……?」

 

『これだ』

 

そう言ってジェイが懐から何かを取り出し、俺に投げつける。

馬鹿なっ!?

まさか、これが何故ここに。

 

 

「HUNTER×HUNTERの、この表紙、25巻……?」

 

『おっと落ち着け。それはこの世界では書店で市販されている本だ。もっとも、あの世界では売られてないがね』

 

パラパラっと読む。

宮殿に龍星群が降り注ぐシーン。

マンションでの討伐隊のやりとり。

間違いない、これは本物だった

 

 

『私は討伐隊の出陣がとてつもなく好きなのだよ。ユピーと対峙し、一瞬で臨戦態勢へと変化するあの緊張感。たまらない』

 

「ああ。同感だよ。だがな、そんな事よりオレの能力が念じゃないってのはどういう話だ?」

 

『それは簡単な話だ。君の役割が関係するからな』

 

「役割だと?」

 

『そうだ。『機関』いや、古泉一樹から教えてもらっただろう』

 

「何も聞いちゃいないぜ」

 

俺がそう言うとジェイは何やら驚いた様子だった。

表情などわからないが、間違いなく奴の予想が外れたという事だ。

今まで全てを知っているかのような態度なだけに意外だった。

 

 

『……どうやら手違いのようだ。忘れてくれ』

 

「役割って、聞いても教えてくれないんだろ?」

 

『そういう事らしい。いや、私も驚きだ』

 

「簡単にでいい。念について聞かせてくれ」

 

『詳細は話せないが君には役割がある。それに引きずられた、いわば副産物なのだよ。君がノヴの能力を手にしたのにもそれに関係している』

 

「だが、オーラはあるぞ」

 

『似て非なるものだよ。私にそれを送り込んでみるといい、精孔は開かない。君以外にない概念だからな。洗礼も存在しない』

 

「……遠慮しとこう」

 

『私は構わないのだが。まあいい、君の能力について話を戻そう。かなりの高レベルの能力だろう? 制約があるはずだ』

 

そうだ。

俺の能力、いや、俺には制約がある。

それも念能力者としては致命的な欠陥。

 

 

 

 

 

 

 

「オレには、"発"以外のオーラの行使範囲に限界がある」

 

 

 

 

 

具体的には両手を合計した広さ。正確には手首から中指までの長さだ。

片手で約20cm×8cmこの範囲を同時に二か所まで存在させられる。

制約の範囲にオーラ量は関係ない、三次元的な広さなのだ。

つまり、体中への"纏"が出来ないし、"円"も無理だ。

高速のオーラ移動なので"流"も出来ない。

制約の範囲でのオーラ展開以外では"絶"と"隠"しかできない。

ハッキリ言うと本編に出るような念能力者と闘えば俺は秒殺される。GI後のゴンは無理だな。

素質の問題ではない、長い年月をかければ俺はノヴのようになれただろう。

 

 

「だが、それでは間に合わない」

 

『なるほど。それも覚悟の一部だ』

 

しかし、そんな事を知って何がしたいんだ?

するとジェイは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『では、"マスターキー"を具現化してくれ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何?

いや、現実世界でもやれるが、何の意味があるのだろうか。

と思いつつ左手にオーラを集めてマスターキーを構成する。

見た目はどこにでもある家の鍵だ。

 

 

『やはり、"違う"な。一回それを消せ』

 

「説明しろよ」

 

『君にはふさわしい"武器"が、既に頭の中にあるはずだ。君が、覚悟できているのならな。それを具現化したまえ』

 

「はあ?」

 

お前、【HUNTER×HUNTER】を読んだ事があるなら、具現化系の厳しさを知っているだろ?

クラピカの修行が正しいのか知らないが、いきなり武器を出せ、だの言われてもハリボテが出る。

容量(メモリ)の無駄は嫌なんだが……。

 

 

 

しかし、目を瞑り集中すると、脳内には"それ"のビジョンが見えていた。

左手を下に垂らし、オーラを集中。"それ"を掴む。

 

 

「おい……何だこりゃ、出すだけで4000オーラ以上は持ってかれたぞ……」

 

直剣のようなものが左手にはあった。

先端は平ら、いや、そもそもエッジが存在しない。

長さは柄を除いて六十センチ、横幅は三センチ。

もしかしなくても、これ、切れないぞ?

軍刀の方がマシだ。

 

 

『ふむ。……3割かどうか、だな』

 

「何がだ」

 

『それは未完成なのだよ。そうだな、例えるなら始解ですらない、ただの"もの"だ。まあ、それで充分だろう』

 

「何か知っているのか?」

 

『それこそ、君の役割に関わる。言わば核だ』

 

「で、何の意味があるんだ」

 

『私の予想通りならば、だが。試しに"練"をやってみたまえ。スラングじゃない方だ』

 

何言ってやがる、俺の制約上は範囲に限界が……。

いや、まさか。

 

 

「"練"が、制約の範囲外にも出来るぞ……」

 

慌てて体中を見てみようと思い、俺は武器から手を放すと。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――へっ?」

 

 

 

 

 

 

 

俺の体中にあったオーラは消失。

強制的に"絶"となり、武器も霧散してしまう。

 

 

『言い忘れてたが、あの武器。"マスターキー"を手放すとそうなる。まあ、また出せばいいだけだが』

 

「そういう事は先に言え。こっちは無駄な消耗を避けたいんだ」

 

『だが、こうすれば忘れないだろう?』

 

ジェイは楽しそうにそう言う。

それは別にいいが、そのマスターキー(武器?)に何の意味がある。

 

 

『つまり、あのマスターキーを使えばいいのだ』

 

「何がだ」

 

『前の世界へ戻れるぞ』

 

「はあ?」

 

あんな大きい物、どうやってドアの鍵穴に入れればいいんだ。

それが本当なら使い方を教えてくれ。

 

 

『もう一回出してみろ』

 

「……冗談きついな」

 

『それで、床か壁を叩くのだ。ハイドアンドシークの入口を設置する要領でな』

 

俺は絨毯すら敷かれていない部屋の床に対し、こつんとマスターキーの先端を当てる。

すると、ジェイが言うように黒い水たまりのような渦が発生した。"入口"だ。

 

 

「別に、普段と変わらないように見えるけど」

 

『そこに入って外へ出れば、君が今一番行くべき場所へ出るだろう』

 

「……なるほどね」

 

その為の覚悟。って訳か。

 

 

『本来ならば空間どころか、時間の流れさえ超越できるのだが』

 

「未完成ってのはそのことか?」

 

『そうだ。君があの世界から消えてから一時間前後がいいとこだろう』

 

「そんだけ都合がよけりゃ充分だ」

 

『しかし、そうでもない』

 

ジェイの一言には確かな否定があった。

便利な代物じゃない理由、ね。

 

 

『未完成であると同時に、欠陥品だ。それは君の覚悟でのみ成り立っていると言っても過言ではない』

 

「他に必要な構成要素があるのか? オレは出来ればワンストップショッピングがいいんだけど」

 

『それは私が言うべき内容ではない』

 

「また、いずれわかる、か?」

 

『ともかく、マスターキーを使えば本来、自由に時空間を移動出来るはずなのだ。しかし、今君にあるのは前の世界への執念だけだ。つまり、他の世界へ自由には行けない。どこへ行くのかすらわからないだろう』

 

「なるほど。……だが、そんなに強烈なデメリットもオレなら関係ないし、攻撃手段にもなるんじゃないのか」

 

『確かに、君ならば生きている限り元の世界へは戻れるだろう。だが攻撃手段としては期待できないな』

 

「どうして」

 

『一つは設置型である以上、使い勝手が悪い。そして何より抵抗すれば入り口から脱出できる』

 

「どこへ行くかわからないから生け捕りも無理。せいぜいトドメの手段か」

 

『トドメだと!?』

 

何やらジェイは驚いて、いや、いかにもおかしいといった感じでオーバーリアクションする。

そして乾いた拍手をしながら。

 

 

『君には空間切断能力がある。あれこそトドメに相応しい! まさに悲鳴さえ上げられない!』

 

「馬鹿言え、あんなん使ったら死んでしまう」

 

『もしや、君は殺したくない。と? ……この世界に送り込んだ犯人を相手にすると言うのに?』

 

「そうだ。たとえアンドロイドでも、生きる資格はある。生き続ける事が、全てなんだ」

 

『……どうやら私は君を見くびっていたようだ。好きにしたまえ』

 

「そうするよ」

 

俺はそう言って踵を返し、床の入口に入ろうとした。

が、ジェイは。

 

 

『待て』

 

「何だ?」

 

『君に敬意を表して、二点ほどアドバイスだ』

 

「手帳のおつりってわけか」

 

『ふむ。一つは、犯人のTFEI端末についてだ。彼女の狙いはさておき、彼女は朝倉良子に擬態している』

 

「朝倉さんは、無事なんだろ?」

 

『将来的にそれは君次第だな。君は、そんな奴を相手に正気で戦えるのかね?』

 

余計なお世話だ。

 

 

「お前がその情報をくれなくても、一目見れば偽物だってわかるさ」

 

『素晴らしい。期待しよう』

 

「で? もう一つってのは」

 

『これは忠告だ。そのマスターキーについて』

 

消耗が激しい未完成で、自由に移動できない欠陥品。

これ以上の欠点があるってのか?

 

 

『君は、朝倉良子に憧れ、固執した。あれは君の覚悟と執念で成り立っている』

 

「らしいな」

 

『制約を一時的に無視し、戦闘能力も飛躍的に向上するだろう。だが、出来れば使わない方がいい』

 

「どうしてだ?」

 

『私が相手"だから"君は正気でいられるが、前の世界へ戻った途端、君の感情は蝕まれる』

 

「何にだ」

 

『憧れの朝倉良子の精神力。即ち、精神的超越者に近づく。一時的なものだがな』

 

「……つまり?」

 

『最悪の場合は戦闘中の敵を、殺しかねない』

 

「そうか」

 

俺は独善者だ。

それをどうにか自分で抑えているに過ぎない。

これも妥協だ。だが、そのタガが外れるとどうなるのか?

自分でもそれは予想が出来なかった。

 

 

『精々頑張りたまえ。彼女のためにな』

 

そう言ってジェイは外を見る。

今、もう話すことはない。

 

 

「なあ、ジェイ。あんたには……いないのか?」

 

『何の話かね』

 

「命をかけれる相手ってのが」

 

ジェイは沈黙でそれに応じた。

俺もさっさと行くことにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、俺の身体が殆ど"入口"に入った時、とても小さな声で。

 

 

 

『ふっ。私にも居たさ』

 

 

――そう聞こえた気がした。

 

 

 









"オーラ"

生命エネルギー。
オーラ自体はどの世界の人物であろうと持ち合わせている。
これを用いた技術を修めているのは原則【HUNTER×HUNTER】の住人だけ。
オーラを自在に操る事、その技術自体を"念能力"と呼ぶ。
身体強化や自己治癒能力の促進、気配遮断から、その集大成である能力など。
その他オーラの用途は多岐に渡る。
例えるなら某作品の"気"の概念に近い。



しかし、ジェイ曰く明智が使うエネルギーは似て非なるものらしい。




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for the answer.

 

 

 

 

――俺にはその時の記憶が確かにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、俺の意識で俺をコントロールできたかと言えば嘘になる。

そこには殺意すら無かった。俺はあの時、確かに超越者の世界を垣間見た。

ただ、俺は目の前の敵を憎悪で、いや、それが当然の如く排除しようとした。

殺さずに済んだのは偶然だ。俺一人だったらどうなっていたか、わからない。

 

 

 

 

 

 

 

ありがとう。

 

 

お前には、本当にいくら感謝しても足りないな。

 

 

SOS団のみんなといい、俺の、最高の、友達だ。

 

 

 

 

キョン。

 

ありがとう――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…お……しっ……ろ………か!」

 

何やら、俺の身体が揺さぶられている。

地面が硬い。

な、家じゃ、ないのか?

 

 

「明智さん!」

 

「おい、起きろ! 明智!」

 

「……」

 

目を開けるとそこにはキョンと朝比奈さん……数年後の方と長門さんが居た。

 

 

ここは?

 

……。

 

 

「いや、大丈夫だ。もう」

 

そう言って立ち上がる。

瞬間的にさっきの出来事を思い出した。

 

ほんの数分か、寝ていたのは。

いつの間にか地面や遊具は修復されている。長門さんのおかげだろう。

実行犯の宇宙人をどこかへ飛ばし、その後キョンたちと二三会話したら俺は気絶したのだ。

脳の自己防衛だったのかもしれない。俺に、あの精神領域は無理だった。

 

 

「大丈夫って、お前」

 

「未完成って言ったと思うけど、その上超が付く欠陥品でね。あれは、あのオレは副作用だ」

 

全員が絶句していた。

世界すら移動する事実に対してではない、俺の執念を、独善者としての俺を見たからだ。

 

 

「しかし、オレにあんな一面があるのは確かだ。全部副作用で割り切れるもんじゃない」

 

「そんな危険なもんを、どうして」

 

「愚問だね……」

 

「そうか」

 

それ以上、キョンが俺に対する質問はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長門さんが言うには攻撃を仕掛けたインターフェースが消えた以上、じきに朝倉さんの容体も回復するらしいのだが、症状を和らげるための補助としてナノマシン――直ぐに治せるもんでもないのだろうか――を腕に噛みついて注入していた。

朝比奈さん(大)は俺に対し警戒していたが。

 

 

「明智さん……あなたは、わたしたちの敵ですか?」

 

「今のところ、オレの敵はこの件を仕組んだ黒幕かな。そいつに一発決めれば、後はどうでもいいです」

 

「そうですか。でも、あなたのその能力は、個人が持つには大きすぎるわ」

 

「それって、統計論ですか? オレはオレ、個人主義なんです。でも、最近はその考えをやめましたけど」

 

「今は何なの?」

 

「他人の責任は背負えない、いつも、自分だけの責任だと考えていました。ですが、オレは別の世界へ飛ばされました。そこで、そうじゃない……そうじゃない時もあるって。そう、一人より二人、一人より多く、そんな時があるってわかったんです」

 

俺の目の前には、確かにあの世界のSOS団、谷口やクラスメート。

そして、明智にとっての大切な人、阪中さんが確かに居た。毛むくじゃらの、ルソーまで一緒だ。

それは今や幻だが、俺のあの体験は、俺のマイナスを帳消しにしてくれたんだ!

俺は、俺のこの世界で生きる意味は……。

 

 

朝比奈さんは、何やら俺の様子を見て笑顔になり。

 

 

「ふふっ。さっきは驚いたけど、安心しました。やっぱり、明智さんは変わってないわ」

 

「どう受け取りゃいいんですかね」

 

「わたしも、まさかこんな形で解決するとは思いませんでした」

 

「この事件は、かつて、"起こらなかった"と?」

 

「それは禁則に引っかかるわ。でも、変化があるのは確か。涼宮さんも、SOS団のみんなも、朝倉さんも」

 

「変わりたいのが自殺、だなんてのはオレの本心じゃないですよ。どっかで読んだ本の話です」

 

「ううん。そうじゃないの。その変化を与えているのは間違いなく、明智さんなのよ」

 

俺にそんな実感なんてなかった。

原作と言うレンズを通してでしか、彼らを見ていなかったせいだろうか。

だが、今は違う。

 

 

「もう、行くんですか?」

 

「ええ。きっといつか、また会うでしょう」

 

「その時が平和な事を祈ってますよ」

 

「そうね。ここのわたしにもよろしく」

 

「寒中見舞いには早すぎませんか」

 

そんな俺の戯言に対し、笑いながら朝比奈さんは公園を後にする。

きっと行ってしまったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――で。

 

 

 

 

 

 

えー、現在ですね。

十二月十八日の、午前五時四七分でして。

私がどこにおるかと言いますと、その、505号室なんですよ。はい。

そうです、朝倉さんの部屋です。ええ。

 

 

長門さんとキョンは俺が朝倉さんをベッドに寝かしつけるのを見るなりすぐ去った。

いや、本来であれば俺もそうするべきだったが。

まだ少し苦しそうな彼女の顔を見たら、さ。どうしようもない。

何時間も、俺は椅子に座りながら、彼女の近くに居た。ただ。

 

 

「長門さんのやつ。さては、"わざと"治さなかったな……?」

 

そうだな、ありがたいことに。

『なおさないから、いいんじゃあないか……』って奴らしい。

長門式の宇宙人ジョークか。何だかんだ、エラーが発生しているのだろうか。

いいさ、古泉風に言えば、いい傾向さ。

 

そして二人ともまったくいいお世話だって。

もう、俺には答えがあるんだからさ。

 

 

 

 

 

 

 

「う、ん………あ…れ?」

 

「朝倉さん!?」

 

 

 

 

 

どうやら起きたらしい。

俺の姿を見た彼女は上体を起こそうとする。

 

 

「あ、けちく」

 

「いいから、そのまま寝ているんだ。何でここに居るか説明するよ」

 

 

 

 

 

 

そして一時間以上も、俺は一方的に話していた。

だいたいの事は話したと思う。

言わなかったのは、あの世界の人たちについてぐらい。

念能力もどきについても簡単に説明した。

朝倉さんは、終始無言だ。

 

 

「……そうだったのね。私としたことが、ただの一人相手に後れをとるなんて」

 

「奇襲もいいとこだよ。オレだって不甲斐ない」

 

「ふふっ」

 

それきり、お互い無言になった。

何分経過したのかはわからない。

地平線からは徐々に朝焼けが見えてきているのだろう。

カーテン越しに、朝の訪れが感じられる。

体感では何十分も経過したように思えた。

そして――。

 

 

 

 

 

「朝倉さん、その、ジェイが言うところでは、君は超人らしい」

 

「わからないわ、そんなの」

 

「でも、奴は君に感情が芽生えた。いいや、オレは君が感情を理解できるようになったと確信している。根拠はないけど」

 

「根拠のない自信は大成しない要因じゃなかったの?」

 

「たまには主張を曲げるのさ。……ただ、オレには何故朝倉さんがそうなったのか、あいつの言う進化に達したのかが――」

 

――わからない。

そう言おうとした瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿」

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女のその一言には、プログラムなんかじゃない、複雑な思考の末に、ルーチンではないフィーリングの末に出された一言だというのが詰まっていた。

即ち、"思い"。

そしてあの時のように、朝倉さんは悲しい顔をしていた。

 

 

「……どういうつもり?」

 

「わけは聞かないでくれ。オレがまた喋りつづける。朝倉さんはそれを聞いててほしい」

 

その顔を見た瞬間。

俺はベッドの彼女を近くに引き寄せ、抱きしめていた。

何故かはわからないが、きっと、理由づけなんか必要ない。

確かなのはその時、俺は朝倉さんのその表情を見ていられなかった事だけだ。

 

 

「オレは、オレは君に憧れたというだけで、そんな身勝手だけで君を助けた。最低の、独善者だ」

 

「……」

 

「オレは朝倉さんに『付き合ってほしい』って言われた時、本当に困ったんだ。君がこの世界で生きて、自由でいてくれればそれでいい。でも、オレなんかの近くに居たら、多分それは叶わないし、何より君をどうにかしたくて助けたわけじゃなかった」

 

「……」

 

「オレは、君を保留していた。あげくにはこの世界に置き去りにすらした、最低の野郎だ」

 

「違うわ」

 

「オレは異世界人だ。この世界で生きる意味が無かった。いや、怖かったんだ。この世界で、全てを受け入れるのが」

 

「……」

 

「でも――」

 

俺は彼女から腕を放し、しっかりと向き合ってこう言う。

 

 

 

 

 

 

「――そんな最低な男にも、生きる意味が見つかった。自分の存在理由は、何も自分自身じゃなくていいんだ」

 

それに似た言葉を、俺はいつか、どこかで聴いた気がする。

他でもない、彼女から。

 

だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「朝倉さん。こんなオレでよければ。君を、オレの生きる意味にさせてほしい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺がそう言うと、彼女は目に涙を浮かべたが、口元で必死に笑顔を作り。

 

 

 

「そうね……やっぱり、こういうのは男の子からじゃなきゃ。焦らなくて、よかったわ」

 

「そっちが先に仕掛けてきたのに、その分はノーカウントなのかな」

 

「ふふっ。任せるわ」

 

「朝倉さん――」

 

「なあに?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……やっぱり明智君は馬鹿ね。

 

こういう時は、黙ってするのよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――十二月十八日の朝。

 

悪いな、正確な時間なんか見てもいない。

 

 

 

 

俺は付き合って半年以上の彼女、朝倉涼子に。

 

この日、はじめてキスをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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地球人こと彼氏のその後

 

 

 

……『知らない天井だ』。ってやつだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と言うか、何だ……布団の中にいるぞ。

とりあえず起きよう、むくりと上体を上げる。

謎だ、ここは和室っぽいんだけど、どこなんだろう。

 

 

「まさか拉致なんて物騒なことはないよね」

 

って思いながら布団から抜け出す。

ここは俺の部屋じゃなかったけど俺の服装は寝る時にいつも着ているスウェットだ。

起きた覚えなんてないからここまで連れてこられたのだろう。

畳の上を歩き、襖を開けると――。

 

 

「おや。みなさん、お目覚めのようですよ」

 

「明智!」

 

「ふぇっ? 異世界人さんの方ですか?!」

 

「わからない」

 

「いや、きっと、あいつはもう戻りましたよ……」

 

「ええ。僕もそれを願っています」

 

「……」

 

「そうですよね」

 

SOS団のみんなが――涼宮さんはいないみたいだけど――そこに居た。

見たことあるこたつの周りを4人で囲むように座っている。

 

 

「ここは、長門さんの家……?」

 

「どうしてって聞きたそうな顔してるな」

 

「まあ、僕たちにも詳しくはわからないのですが」

 

「あなたは私の家の前で倒れていた」

 

「長門さんに呼ばれて、あたしたち急いで来たんです」

 

よくわからないんだけど。

長門さんの家の前で倒れてたって?

俺は間違いなく自分の家で寝ていたんだけど。

するとキョンが。

 

 

「ま、お前が居なかった間に会った記念すべき7人目の団員、異世界人について教えてやるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みんなから一通りの話を聞いた俺は驚いた。

確かにキョンの携帯電話の日付は十二月二十日。

壮大なドッキリじゃない限りは……まあ、信じる他ない。

今まで散々不思議体験なんて経験してきたさ。

本当に愉快な一年だったね。

 

 

「平行世界のオレ、異世界人ね……。面白い」

 

「お前ならそう言うと思ったぜ」

 

「記憶障害だとは思いませんが、どうです? 『機関』なら病院を手配しても構いませんが」

 

「遠慮するよ」

 

しかし、三日近くも経過したのか。

……そうだ。

 

 

「阪中さんの様子はどうだった?」

 

「しらん。阪中は今日も風邪で休んでるからな。まあ、インフルエンザじゃないらしいが」

 

俺が最後に見た時の彼女は調子が悪そうだった。

三日も休めば大丈夫だと思うけど、でも、心配だな――

 

――と、俺が黙り込んでいるとみんなも黙っている。

何だ? と思いみんなを見ると何故か笑っていた。長門さんは無表情だけど。

 

 

「どうかしたの?」

 

「いや、お前らしいっつーか」

 

「すいません。ですが、やはりと言いますか」

 

「ふふ。明智くん、さっそく阪中さんの事を気にしてます」

 

「興味深い」

 

な、何だよみんな。

俺はただ心配してるだけじゃないか、クラスメートとして。

 

 

「そう言えば、あっちの明智からお前に伝言があるぜ」

 

「キョン。そりゃ本当か?」

 

「ああ。『次はお前の番だ』だとよ」

 

「明言はしませんでしたが、彼には恐らく意中の女性が居るようで」

 

「あいつの世界には朝倉が居るらしい。とにかく、こっちに朝倉が居ないって知って、死人みたいだったぜ」

 

「ふふ。きっとあの明智くんは、朝倉さんが好きなんです」

 

「何があったかは知らないが、元の世界へ戻れるって知った時のあいつは、俺たちに対して別れを惜しんでくれたがやっぱり嬉しそうだったぜ」

 

「またお会いしたいものです」

 

「彼が本物の異世界人だとすれば、とてもユニーク」

 

まさか、いつの間にか居なくなってた朝倉さんが、ね。

その異世界人はどんな人なんだろう。

会って話してみたい。けど。

 

 

「余計なお世話じゃない?」

 

「馬鹿野郎。お前が悪いんだよ」

 

「ええ。SOS団のクリスマスパーティもよろしいですが、あなたには気にするべき相手がいるはずです」

 

「あり得ないとは思うがな、阪中がもし誰か他の野郎とクリスマスを――」

 

そんな笑えない話を聞いた瞬間。

俺は何かが吹っ切れてしまった。

全速力でその場を後にする。

 

 

「お、おい! まさか阪中の家まで行くつもりかあいつは?」

 

「おや。あなたが心にも無いことを言うからですよ」

 

「馬鹿言え、お見舞いにも行かない野郎にはちょうどいい機会だ」

 

「……」

 

「ほんと、二人とも、羨ましいなあ」

 

珍しく、俺は我を忘れていた。

いつの間にか自宅に戻っていたらしく私服に着替えていた俺は、現在ローカル電車に揺られている。

腕時計を見ると、八時も三十分を超えていた。

多分阪中さんの家に着くころには九時を超えてしまう。

更に電車を乗り換える必要があるからだ。

俺が顔見知りとは言え、家族からすればいい迷惑だろう

 

――それでも。

 

 

「阪中さん……!」

 

どうしようもなく、俺は彼女に会いたかった。

こんな気持ちは多分初めてだ。

ひょっとして、"君"のおかげなのか?

"異世界人"。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――なあ、谷口」

 

「なんだ明智、どうしたよ」

 

「君さ、この前美的ランクがどうこう言ってたよね」

 

「ああ」

 

「つまり、女子に詳しいんでしょ?」

 

「調べがつく範囲だがな」

 

「うちのクラスだよね? 彼女」

 

俺はそう言って校庭の一角にあるベンチに座る女子の一人を指差す。

今は体育の授業であり、俺たち男子(一部)は現在遠くから女子の様子を眺めていた。

そのやりとりを聞いたキョンが。

 

 

「どうしたんだ明智? 気になる奴でもいんのか」

 

「さあ。何となく、彼女はどっか行きそうな雰囲気だなって」

 

「……ありゃ阪中だな」

 

「阪中?」

 

「おいおい、女子の名前も知らないで、しかもクラスメートだぜ? そんな初期段階は三日で全工程は完了したね」

 

谷口は何をおっぱじめると言うのだろう。

俺が指さした先の女性――阪中さんと言うらしい――は、とにかく存在感が薄かった。

いや、噂の涼宮さんと同じでマイペースなのだろう。

座高の割に、目立つ様子がない。

 

 

「ま、お前にしちゃなかなかの逸材に目を付けたぜ。Aは堅い。だが性格がいまいちつかめないのがマイナスだな」

 

「そんな事言う割には高評価なんだな」

 

「おまえら知らないようだな。阪中佳実、ああ見えてお嬢さんだぜ」

 

「本当かそりゃ。こんなお山の高校なんかじゃなくて、光陽に行けばよかったのにな」

 

「……ふーん」

 

とにかく、これが俺の人生において、初めて阪中さんを認識した瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に、いつの頃からだろう。

俺は阪中さんを無意識の内に目で追うようになっていた。

そのうち俺がSOS団に居るようになってからもそれは続いた。

そんな五月のある日。

 

 

「今日はこれで終わりよ。そろそろ夏へ向けて作戦を練りたいわね」

 

涼宮さんは何の作戦を立案するのだろうか。

おおかたツチコノ捕獲とか、その辺だと思う。

団長による解散の一言を聞いたキョンは。

 

 

「やれやれ、終わりが早いのはいいがこの雨はきついぜ」

 

「みくるちゃん。あなた傘は持ってきてるよね? ヤローと相合傘だなんて許さないわよ」

 

「えっ、だ、大丈夫です。ちゃんとありますよ」

 

「……」

 

「今日の降水量ではどうしても足元は濡れてしまいます。いや、天の恵みと言いますか」

 

「意味がわからん」

 

 

バタン。

と長門さんが本を閉じ、各々解散していく。

この日は昼からずっと雨だった。

それも大雨で、部活が解散した今でも止む気配はない。

ま、俺は雨が降ってなくても常に折り畳み傘は用意している。

古泉が言ったように防ぎきれはしないような大雨だが、まあ、頭にかかるよかマシである。

と思いながら外へ出ようとすると。

 

 

「………」

 

「阪中、さん……?」

 

憂鬱な表情で阪中さんが雨を見つめていた。

彼女は生徒玄関で雨を凌いでいる。もしかしなくても傘がないらしい。

 

 

「阪中さん、どうしたの?」

 

「あっ、え~っと……」

 

「同じクラスの明智、明智黎って言うんだ」

 

「そう、明智くんね。ごめん、名前が出てこなかった」

 

「いや気にしなくていいよ。……で、こんなところに居るってことは」

 

「あははっ。そう、今日は傘がないのねあたし。いやあ、お母さんが持ってった方がいいって言ってたんだけど」

 

「そういう時もあるよね」

 

「うん。迎えに来てもらおうって思ってるけど、まだかかりそうなのね。駅まで行くにしてもちょっと辛いなー」

 

それが彼女の家族の誰かは知らないが、世間話もしていると都合よく来てくれるとは限らない。

……君の言葉を借りると『やれやれ』だけど、まあ、いいか。

 

 

「これ」

 

「ん?」

 

「阪中さんが、使ってよ」

 

青色の折り畳み傘を手渡そうとする、が。

それに気づいた瞬間押し返される。

 

 

「いやいや。受け取れないって」

 

「気にしなくていいよ。家、遠いの?」

 

「それはそうなんだけどね。じゃ、明智くんは傘あるの?」

 

「オレは近いから大丈夫」

 

ま、どこまで彼女の家が遠いかは知らないが、駅経由で帰宅する彼女よりは俺の方が早い。

嘘はついてないさ。

 

 

「とにかく、使ってやってくれ。オレに使われるより阪中さんに使われる方が傘も嬉しいよ」

 

「まるで傘が生きてるみたいなのね」

 

「そうだったら面白いさ」

 

しかしそんな事を涼宮さんが聞いたらお化けでも呼ぶかも知れない。

これから夏だ、それはちょっと困るかも。いや、楽しそう。

まあ、涼宮さんが呼ぶようなお化けならきっと大丈夫かな。

それに、みんな一緒なら恐くないさ。

 

 

「じゃ、さよなら」

 

俺はそう言ってその場を後にする。

ビチャビチャと不快な感覚がするが、こんなの、彼女が待ってた時間に比べれば軽いもんだろ?

高々ニ、三十分の苦行だぜ、俺。

 

 

「ありがと~、明智くん~」

 

間延びした声が後ろから聞こえた気がする。

振り返ると、彼女は逆方向へ去っていく。

ああ、あっち側にも駅ってあったな。

言うまでもなく俺はその日濡れ鼠になった。

お気に入りの靴も、新調したくなったさ。

でも、後悔はしてない。

 

 

 

 

――いつからだろう。

とにかく、そんなやりとりがきっかけで俺は阪中さんと話すようになった。

そうしているうちに、あだ名で呼ばれるようになってた。

だけど、俺は普通に接してきた。

彼女が自分に懐いているのは感じていた。

まったく、何故なんだろうな?

気付かないフリでもしてたのかな。

君なら、それがわかるのかい?

俺と同じ名前の、そっくりらしい、異世界人さんなら。

 

――気付けば、俺は阪中さんの家の前まで来ていた。

充分に豪華な家だ。でもこんな時間にインターフォンを押す勇気が湧いてこない。

だと言うのに、俺は彼女に会いたかった。

いや、話したいことがある。

今、わかったんだ。

俺は、最初から阪中さん。

阪中佳実に負けていた。

多分、谷口に質問するよりも前に、その姿を見た時から。

 

……それじゃ、気にする必要はないだろ?

どうやら、今日の俺は何故か気分がいいんだ。

何故だろうな、臆病って言葉が辞書から消えている。

インターフォンを押し、阪中さんの母親が笑いながら俺に応じてくれた。

申し訳ないです。馬鹿な知り合いで。

でも、俺にだってこういう時もあるのさ。

 

――そして、約三日ぶりらしい彼女。

阪中さんがやってきて。

 

 

「やあ、久しぶり。元気だった?」

 

彼女は笑顔で――

 

 



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サムデイ イン ザ ダーク

 

 

 

 

――結論から言うと、この世界での十二月十八日。

 

俺と朝倉さんは学校を休んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……まあ、ちょっと待ってくれ。俺に弁明の時間を与えてもらおう。

別にやましい事があるわけじゃない。何もなかったぞ。

何だかんだで朝倉さんも本調子じゃないらしいし、気づいたら時間も八時近く。

さてどうしようかと思ったが、俺は今更時間なんかよりも恐ろしい事に気づいてしまった。

 

 

「……やべ。オレ家にいねーじゃん」

 

今日は早朝トレーニングが長引いたと言い訳でもするか?

ちくしょう。オーラで強化して走ってもいいがそろそろ登校中の生徒も出てきている。

 

 

遅……刻…確定!

 

言い訳する……家族に!?

 

できる!?

 

否。

 

 

…死。

 

 

 

 

 

 

「明智君」

 

どこぞのゴリラハンターよろしく俺が焦っていると。

布団から出てきた朝倉さんが。

 

 

 

 

 

「今日は休みましょ」

 

 

俺は考えるのをやめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしながら最低限の言い訳を用意しなければならない。

俺はもう"詰んで"いるのかも知れない。が、希望はいいものだ。ああ、すがってやるよ。

携帯電話で母さんに送ったメールはとてもじゃないが、自分が送られたら不信感を抱くような内容だった。

 

つまり早朝ランニング――冬の朝は暗いしきつい――をしているとたまたま同じ部活の長門さんと遭遇。

そこで朝倉さんと同じ分譲マンションに住む彼女から朝倉さんの不調を聞き現在進行形で看病している。

 

 

説明はともかく理由を言えお前何勝手なことしてんの状態であり。当然ながら自宅から電話がかかってきた。

くそっ。俺に『牙』Act.3があれば一生無限回転の穴に潜んでやりたい気分だ。

やむなくマンションの廊下まで出て通話に応じる。

 

 

『ちょっとあんた、どういうことなの!?』

 

「どうもこうもないよ。そんな訳で今日は学校休む」

 

『…………朝倉さんって娘は大丈夫なのかい?』

 

「今はちょっと落ち着いてるけど無茶はしてほしくないんだ」

 

『そう。なんかあったの?』

 

何だその質問は。

抽象的すぎるぞ。

 

 

『あんたの顔を見たわけじゃないけど。あんた朝倉さんのために何かするなんて感じじゃなかったでしょ』

 

「そうかな」

 

『とにかく、迷惑かけるんじゃないよ』

 

そう言って通話は終わった。

病人じゃない方の俺が迷惑をかけるとは、どういう方程式なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで曲がりなりにも"病人"な朝倉さんに動いてもらうわけにはいかない。

いや、もうとっくに治っていて"演技"な気もしないでもないが、それで別に何かが変わるわけではない。

誰でも作れるおかゆでも出すことにした。

 

 

学校を休むと言えどSOS団には顔を出したいな、と思い昼過ぎから行くことに。

いくら冬休み前だからと言えど風紀はよくない生活である。

そして下校時間に関わらず北高へ俺と朝倉さんは逆走しているのだ。

ぐっ。たまにすれ違う生徒たち。とくに一年生の視線がきつい。

それもそうだ、俺の表情はさておき赤いコートの朝倉さんはニコニコしながら俺の左手を握っている。

いや同じクラスじゃなきゃいいんだ。俺と朝倉さんが休んだことなんか知らないだろうから。

何人かクラスメートとも遭遇したがお察し状態だった。

 

 

「は、はははははは」

 

すっかり忘れられつつある俺の悪名が広がりかねない。

いいぜ、この勢いで北高を征服しにかかってもいい。

先ずは生徒会からだ。リアルファイトでもロンパでもいい。

さあ俺を満足させてもらおうか。

 

 

「ねえ、さっきやってたのって何なの?」

 

「あははは。……え?」

 

「さっきよくわからない武器を出したと思ったら、黙って立ってたじゃない。何時間も。だんだん汗かいてたし」

 

どうやら朝倉さんは俺の修行について聞いていたらしい。

ま、これぐらいは説明してもいいか。

 

 

「あれは念能力……オレのはもどきらしいけど……の基本の一つで"練"って言うんだ。普段身体のまわりにあるオーラよりも多くのオーラを"精孔"ってツボから出すんだ」

 

「それに何の意味があるの?」

 

「修行の一環でね。プロが練を維持するのに消費するオーラ量1オーラだとして、あれを続ければオーラ量も増えていく」

 

「ふーん」

 

俺は自分の正確なオーラ残量がわからない。

いや、潜在量で言えば二回目修行後の主人公の潜在オーラ量21500よりはあるような気がする。

しかしながら"モラウ"と同格ぐらいの"ノヴ"が7万オーラ前後だと想定して、まさか俺がそれ以上だとは思えない。

これもジェイが言うところの「俺が念能力者じゃないから」なのだろうか。

 

 

「あれでもバテるまでやる必要があるし、通常あの状態を限界から10分延ばすだけで一ヶ月はかかる」

 

「非効率的すぎじゃない?」

 

「わかるでしょ。地道な修行が一番で、理屈じゃないんだ」

 

でも、俺も限界にぶつかろうと思ってやったわけじゃない。

精々が肩慣らし程度である。それに、"マスターキー"の副作用も気になるから試したかった。

結論から言えばさっきは深夜の戦闘時のように俺の精神がやられる事はなかった。

ジェイは敵に容赦しなくなるとか言ってたから、戦闘用の状態なのだろうか?

しかし彼が言ったように、多用できないのも確かなのだが。

 

 

「それにしても、よくわからないわねあの漫画」

 

朝倉さんは俺がジェイに渡された【HUNTER×HUNTER】の25巻をさっき読んでいたが面白さがわからないらしい。

そりゃあ念の説明はずっと前の巻だしな。それに途中から読んでも意味がわからない。

しかしながら一応こっちの世界では激薬みたいなもんだからロッカールームに封印している。

 

 

「全巻ありゃいいんだけどね。面白いよ?」

 

「男の子がいかにもって感じで好きそうね」

 

「そうかな。俺が一番好きなのは」

 

「馬鹿」

 

どこぞのツンデレピンクのごとく今日の俺は馬鹿呼ばわりされている。

これで馬鹿に犬がついた日には答えは"お死枚"だ。

ま、あっちでは普通に売られてるとは――。

 

 

「……ちょっと待てよ」

 

「ん?」

 

「済まない。一旦手、放すよ」

 

周囲に人気が無いことを確認して、俺は地面に手をかざす。

"臆病者の隠れ家"そのロッカールームからずずっと漫画を取り出す。25巻だ。

勢いよく最後の方のページをめくると。

 

 

「ちくしょう。……朝倉さん。今、何年だっけ?」

 

「どうしたの? 2006年じゃない」

 

「ああ、知ってる」

 

まさかあっちの世界の時間が年単位でズレてるわけがない。

だったら俺も今日の深夜まで戻れなかったと思うし。

とにかく、この世界の西暦は【涼宮ハルヒの憂鬱】がアニメ放送された2006年。

そう――。

 

 

「前の巻、24巻は休載で一年以上期間が開いてた。"まさか"とは思ってたけど」

 

25巻の初版発売日は2008年。

俺は発売を楽しみにしてたから覚えている。そう。

 

 

「2008年の、3月4日……」

 

つまり。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジェイは、"嘘をついていた"」

 

 

だとすれば、この漫画。

あいつはどこで手に入れたんだ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――"カイザー・ソゼ"と名乗る人物について、私が知っているのはこれだけだ。

 

 

『間違いなく存在する』

 

自分が存在することが知れる、それだけでいい。

何故なら正体を知る者はいないからだ。

 

 

原理がわからないわけではないが、説明は難しい。

しかし、ソゼにはソゼの役割があって、世界の移動が可能だ。

他人の転移も含めて、かなり限定的な条件だろうが。

そしてその目的は、おそらく。

 

 

『涼宮ハルヒ、そして"鍵"』

 

付け加えるならば、彼は自分の役割を自覚していなかった。

これは計算外だ。少なくとも教えるつもりはないらしい。

間違いなくあの未来すら見通せる"古泉一樹"の洞察力、『機関』の組織力ならその結論にたどり着いている。

今回の一件で、異世界人としての力を覚醒させたと思っているようだが、私に言わせればそれは違う。

何故なら彼は――。

 

 

 

 

「"カイゼル"。またアンタお絵かきしてるの?」

 

『……君か』

 

TFEI端末の一つが私の筆記の邪魔をした。

ふむ。名前など彼女にとって必要ない。

それらは朝倉涼子に向けられるものであり、彼女は朝倉涼子のように、世界を垣間見ようと言うのだ。

 

超越者。超人。

 

 

『馬鹿馬鹿しい』

 

それが憧れならば、愚かだ。

それを理解する方が先だと言うのに。

彼女は過程を無視し、結論である自己進化を目的としている。

悪役にしては微妙な発言であるが、過程や方法こそが、正義に勝つ唯一の術なのだ。

 

一方の彼は違う。

朝倉涼子に抱くのは、敬意であり、無償の愛だ。

すばらしい。結論ではなく、間違いなく彼は朝倉涼子という存在そのものを愛している。

そう、彼のせいで、彼が朝倉涼子を完成させた。

それこそが、朝倉涼子が涼宮ハルヒの影としての役割を終えた事に繋がる。

 

 

 

……まあいい。彼は彼、マスターキーの3割がいいとこなのは『機関』のせいだろう。

 

 

『君。私をどう形容しようが構わないが、私を呼ぶのならば"カイゼル"ではなく"ジェイ"だと言ったはずだ』

 

「はいはい。そーですか」

 

彼女はそう言い残し、私の前から去っていく。

ふむ。長門有希が相手ならば勝てる可能性の方が高いだろう。

しかし、彼が相手では負ける。

戦術をしっかり考えたとしても、しょせんTFEI端末。

勝つために何が必要なのかを、不良品の長門有希と違って彼女は知らない。

即ち。

 

 

『自分自身を捨てる勇気』

 

猿には知恵があれど、勇気は無い。

蛮勇は恐怖に打ち勝つ武器ではないのだ。

私は臆病者だからな。

 

 

『天上の案内人"ウリエル"、実体無き亡霊"ゴースト"、追跡者"ストーカー"、このどれも正解だ。"ナイチンゲール"はウグイス。ロシア語で――』

 

 

 

 

 

――そして。

 

 

 

 

 

 

 

『……私が顔を晒す日は、そう遠くなかろう』

 

 

 

だが、今日ではない。

 

 

 










"オーラ量"

1秒間に"練"で消費される量を1オーラとするオーラ単位。
臨戦時は秒間1オーラの消費だが、実際は戦闘中に様々な技を駆使する。
よって戦闘中は基本的に6〜10オーラを秒間で消費することになる。

潜在量とはその個人のオーラ最大積載量であり、この多さが戦闘継続力。
つまりオーラのスタミナに影響する。
才能の差はあれど修行によって成長していくし、何もしなければ肉体同様衰えていく。
しかしオーラ潜在量の大さだけで戦闘の優位性は決まらない。

明智が"マスターキー(武器)"を出すのに必要なオーラ量は4000オーラ。
実に一時間以上相当のオーラ消費量である。燃費が悪い。




"練"

基本技の一つ。
オーラを通常時より多く展開する。
某作品で言えば気を出して、地面がえぐれ、その周囲が吹き飛ぶあれ。
この状態になるだけでも常人の数倍以上に及ぶ戦闘力となる。

明智は"制約"により、通常時は体中にオーラを纏えない。
よって広義的な意味での練の使用には"マスターキー(武器)"の具現化が必要。




"発"

念能力の集大成。
これ自体を念能力と指すこともある。

通常は自分に向いた能力特性を選択する。
明智の場合は、オーラの"具現化"。
他には、オーラの"変化"
オーラを用いた身体強化に特化する"強化"
オーラを体外へ放ち攻撃や運用する"放出"
プログラミングされた行動や自分で命令を行う"操作"
これら5つとは異なる例外の"特質"
以上6系統の能力特性が存在する。


明智の"発"は
"臆病者の隠れ家"
"奥の手(ジェイ曰く空間切断)"
"マスターキー(武器)"
の3つで、"発"には多系統との複合技も存在する。




"容量(メモリ)"

その個人がもつ"発"の設定の限界度合い。
複雑な能力を選べば容量は多く減る。
身体強化の延長といった単純な能力は容量使用が少なく済む。

一度"発"を決めてしまえば変える事はできない。
そして圧迫された分の容量は何があっても減らないし増えない。
複雑な能力に加え自分の適性がない能力を作れば容量はオーバーフロー。
その場合、「メモリの無駄遣い」となり能力も十全に効果を発揮しなくなる。

容量の概念は先天性であり、どうあっても拡張できない。
つまり、"発"は一生向き合っていく能力であり、自分に見合うよう慎重に決める必要がある。





しかし、明智に容量の概念があるのかは怪しい。





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第三十二話

 

 

明らかな挑戦らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あいつは超人である事に対し何かしらの考えがあるようだった。

そして、これは俺の予想でしかないが、あの時の"偽物"宇宙人は朝倉さんの進化。

つまり人間としてのその先の世界を目指していた。哀れな事に人間すら理解せずに、だ。

これらの要素は偶然ではなかったのだ。あいつは、ジェイはわざと俺にヒントを残している。

敵でも味方でもない、か。それも期間限定らしいが。

とにかく、くれてやった手前。新しい手帳を買わなきゃな……。

 

 

「――で、何だって? よくわからなかったんだけど」

 

「なるほど、長門さん。それは興味深い話ですね」

 

「……」

 

装飾がほぼ完了した文芸部部室内――入口周りは見られるとまずいからね――は現在珍しい面子で構成されている。

俺、わかってるのかわかってないのか相槌を打つ古泉、よく伝わらない説明をした長門さん、横の椅子に座りながらも俺の左手を放さない朝倉さんの四人だ。

授業を休んだ俺と朝倉さんが部室にやってくると既に部室内は長門さんと古泉の二人だけだった。

古泉が言うには。

 

 

「涼宮さんは鍋にいい具材を探しに行きましたよ。彼と朝比奈さんを連れて」

 

だそうだ。留守番ご苦労。

で、椅子に座ると俺は古泉にも多少の話をしてやった。あっちの世界について。

そして俺の話が終わるなり、長門さんから謎の説明が始まったんだけど要約すらできそうにない。

 

 

「つまり、情報統合思念体が私に匙を投げたのよ」

 

「何の話だよ」

 

「手に負えないそうよ。通信はできるけど、勝手にしてくれーって状態ね」

 

勝手も何もあったのだろうか。

あったんだろうな、少なくとも朝倉さんにとっては。

古泉はそっちの方すら向きたくないようなニヤケ面を浮かべながら。

 

 

「つい先日僕はあなたに敬意を表しました。ですが、あなたがそこまで動いていたとは。驚きです」

 

「朝倉涼子は最早対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースとは分類できないだろう。独自の思考体系が確立している」

 

「ですって」

 

いや、それでいいのか情報統合思念体。

超人とかはさておいて、感情を得た朝倉さんは逸材なんじゃないのか。

 

 

「本来ならば、情報統合思念体は我々とコミュニケーションをとるために長門さんたちを派遣しているはずです。それが、今や人間と呼べる朝倉さんとコンタクトをとりたがらない。……長門さん、これはどういうことですか?」

 

「朝倉涼子の発達プロセス自体は興味深い。しかし、朝倉涼子と通信しても客観的な情報が得られるとは期待出来ない。そう判断された」

 

「つまり、朝倉さんも監視してしまえ。と」

 

「それが今回の決定」

 

決定か……。

淡々と捕捉してくれる長門さんには申し訳ないけど。

 

 

「随分と勝手なこと言うね」

 

「実際に監視を行うわけではない。比喩」

 

「わかってるさ。ま、長門さん相手なら安心できるかな」

 

「そう」

 

「別に私は気にしないわ。そりゃ気味悪いとは思うけど」

 

「オレの精神衛生上の問題だよ」

 

監視なんて言葉のあやだとしても、耳にして気持ちいい単語ではない。

古泉はこちらを見て。

 

 

「いや、何と言いますか。素晴らしいですね」

 

「お前はいつも主語が足りない気がするよ」

 

「失礼。ですが本当に驚きです。ひょっとして……」

 

失礼ついでにそのまま黙ってしまえばいいのに。

そして古泉の煽りに朝倉さんは乗っかってしまった。

 

 

「そうよ、古泉君。私は明智君が好き」

 

「朝倉さん。オレに公開自殺じみたことをさせないでほしいな」

 

SAN値がゴリゴリ削れていく。

ああ、これがSOS団なのだ。

 

 

「実に青春ですね。彼も、あなたのように素直になってほしいものですが」

 

「あいつに期待するだけ無駄っぽいよ。あっちの世界でもそうだったし」

 

「気長に待ちましょうか」

 

「大丈夫よ、きっといつかあの二人にも分かる日が来るわ」

 

「……」

 

「クリスマス前だと言うのに、いやはや奇跡じみてますね」

 

さあな。

もしジェイが仕組んだ結果だとしても、今のところは悪くない。

 

――悪くないだって?

これは失言だ。

 

 

「こいつは、グレートだよ」

 

「ふふっ」

 

長門さんは無表情で無言。

本当に嬉しそうにしているのは俺にべたべたひっついて来る朝倉さんであり。

俺もどうしてもテンションが狂ってしまう。嬉しいのさ。

古泉は相変わらずの愛想笑いであるが、今日ぐらいは許してやるか。

 

 

 

――その後、三人が鍋具材候補漁りから部室へ戻って来た。

解散前の朝比奈さんの着替えということで男子が追い出される。

朝比奈さん、いくら長ズボンバージョンとは言え、サンタコスで行くのはまずいですよ。

キョンはため息をついた後にこっちを見て。

 

 

「しっかし、またお前には何か奢ってもらいたいね」

 

「何の話かな」

 

「さっさと帰っちまったのはあれだが、まさか二人して休むとはよ。眼が飛び出そうになった。おかげで火消しに苦労したぜ」

 

「それは本当ですか? ……いや、敢えて聞きませんよ僕は」

 

「おい、変な想像しないでくれ」

 

「つい半日も前に暴れまわってた明智にしちゃ、ヘタレだぜ」

 

「これ以上は何も言わない方がいいでしょう」

 

「わかってるぜ」

 

クソが……。

かなり『してやられた』って気分だ。

初めてだよ、ここまで精神的に追い詰められたのは。

ここまで苦しめられるとは思わなかったよ……。

このちっぽけな男子高校生二人に。

だが。

 

 

「負け組が、お前たちは馬鹿丸出しだッ! オレはクリスマスが来るのを楽しみに待っててやるぞッ!」

 

「やれやれ……。確かに、羨ましいかもな」

 

「おや。その言葉は封印したのでは?」

 

「……ちくしょう。今のはノーカンだ、明智に乗せられた」

 

「まあ、朝倉さんに感情があるとしたら、きっと喜んでいることでしょう」

 

「そんな風には見えなかったぜ」

 

「だから馬鹿なのさ」

 

俺も散々言われたが、これぐらいはわかる。

 

 

「結局、"青い鳥"だったんだ」

 

俺がいつか願った朝倉さんの本物の笑顔。

それは、きっと、最初から本物だったんだ。じゃなきゃ彼女を否定してしまう。

馬鹿もいいとこだよ。

そして朝倉さんは朝倉さんだ。ジェイが何と言おうがそれ以上でもそれ以下でもない。

偽者があるとすれば、今日出会った刺客の宇宙人。

あの人が笑顔を見せてたら、あの時の俺だったら本当に殺してたかもしれない。

今でもそれを想像すると気分が良くはならないからね。

とにかく、キョンに感謝あるのみだ。殺人を背負える精神力は、ない。

 

 

「お前にしちゃ月並みな発言だな」

 

「でも、そういうものだろ?」

 

「知るか」

 

「僕は賛同しますよ」

 

「ありがとうそして出来ればクリスマスは『機関』に引っこんでてほしい理由は聞くな」

 

「そうですか、いいでしょう」

 

「けっ。半年以上待った結果がこれか。谷口が死んでたのもわかるぜ」

 

「おいおい。そんな谷口でさえ今は相手が居るんだ」

 

そして古泉も普通の高校生活を送っていれば、予定ぐらいあるかもしれない。

谷口がどうなるか、俺は知らんが。

キョンは一言だけ呪うように。

 

 

「不公平だ」

 

ま、今年一年ぐらい我慢しろよ。

きっと来年にはいいことあるさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イブ。

終業式で、明日から冬休み。

そしてSOS団のクリスマスパーティ。

あれほどあっちの世界でキョンが闇鍋だけは嫌だとか言ってたにも関わらず、こっちでは決行されてしまった。

各々持ち寄った具材での勝負。

ベースは水炊きだから、俺の意見は確かに反映された。

だが、大人数でやる競技じゃあないぞ。

真面目に"円"の使用を考えたのは内緒だ。

トナカイ役のキョンは悲惨そのもので、俺はその惨めさを後世へ残すべく携帯電話のカメラ機能を駆使した。

本人の顔が一種の悟りの境地だったのは言うまでもない。

俺だったら多分角をへし折っている。

朝倉さんにお願いされてもやらないからな。

絶対にだ。

 

 

「――どうもこうもない騒ぎだったよ」

 

時刻は二十一時を過ぎていた。

現在、朝倉さんと俺は下校中。

俺は前世の放送局で遅くまで残った事はあるが、二十時越えが関の山だ。

学校側もいい迷惑だったろうが、涼宮ハルヒと最近北高の魔王扱いされている俺が部室に居るのだ。

きっと自爆テロなんかされたくないからアンタッチャブルだったんだろう。

そりゃ、あの集まりをぶち壊されたら俺だってきっと反抗するだろうさ。

 

 

「そうね……」

 

「どうかした?」

 

いつぞやの感じとはまたちょっと違うが、朝倉さんの様子はおかしい。

さっきまでは普通だったのに。

 

 

「……その。ジェイって人物は何者かしら?」

 

さあな。俺にもわからないよ。

骸骨コート。正体不明の奴、ジェイ。

あいつはどこまで本当の事を話したのだろうか。

今となっては別世界だからな。

 

――ニーチェの思想には続きがある。

それは虚無主義、現実への敗北。

つまり妥協だ。そこを乗り越える為の"超人"であり。

そして本来、超人論は虚無主義に敗北する大衆を批判したものである。

彼が生きた十九世紀。

"革命騒ぎの宝くじを最後に引き当てた男"による大革命。

科学技術の発展。それによるリアリズムの台頭。信仰心の欠如。

彼岸世界の崩壊。資本主義の浸透。即物的な利害関係。

どれも、「神が死ぬ」には相応しい要素だ。

 

――ジェイは、あいつはまるで何かに負けたかのような雰囲気だった。

不気味な存在を演出する事に終始していてた。

色々な名前や情報を語ったがあいつに相応しいのは"エージェント(代行者)"ではなく"ハーフベイクド"。

なり損ないの末路が確かにそこにあった。

あいつが何を考えているのか、その狙いはわからない。

だが、それでも。

 

 

「オレが朝倉さんを護る。もう二度と、今度こそはどこにも行かない」

 

すると、ぼふっとした感触と共に俺の左腕が朝倉さんに支配された。

ついあの世界の出来事を思い出すが、女性を比較するのは最上級の失礼に値する。

要するに彼女は俺の腕に抱き着いている。こんな道の真ん中で。

夜とは言え、あれだ。

 

 

「……明智君。いつかこう言ってたわ。『オレが死んでも気にするな』って……今思えば馬鹿じゃない! 訂正して」

 

「それ、よく覚えてたね」

 

「あなたが死んだら私も死ぬわ」

 

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、ちょっと違うかな」

 

「何……?」

 

「オレと一緒に生きてほしい。それから、一緒に死んでほしい。……君が許してくれるのなら」

 

「…………」

 

ふと見ると朝倉さんは泣いていた。

こんなの、今までじゃ見られなかった光景だ。

俺はつい見とれるけど、彼女は何で泣いてしまったんだ。

 

 

「あなた、やっぱり馬鹿ね。それじゃ、まるで、プロポーズじゃない」

 

――記念すべきことに今ここで、この瞬間に俺の座右の銘が決定した。

それは、『階段は一段ずつ上がりましょう』である。

ちなみに親父の口癖は「冷静に対処しろ」だ。言葉の力とは恐ろしい。

俺は常々デコボコ道を蛇行運転する事を強いられているんだから、冷静に対処していく他ない。

それはさておいてとにかく、俺が語り継ぎたいのはこんな事だ。

自分の意味は自分じゃなくてもいい。

だが、それは自分で決める事なんだ。

誰かが決める事じゃない。

まして、ジェイでもない。

俺が決める。

それこそが、他でもないこの世界で生きていくという事だ。

俺の、あの世界で得た、覚悟だ。

 

 

 

 

――そして十二月二十四日。

その日の出来事をこれ以上語る事はもうない。

この物語は、とりあえず一段落する。

……何だって?

どうもこうもないね。

キョンに限らず、この日は誰も俺と朝倉さんに突っこんでこなかったよ。

まあ、クリスマスの"続き"は二人だけの秘密だ。

それでいいじゃないか。

 

 










【あとづけ】

ここまで読んで下さった方が居れば本当にありがとうございます。
ええ。"消失"はこれにて終わりです。ちなみに溜息とセットで三章でした。


以下、解説と言う体の何かになってます。
参考までに見たい方はどうそ。











【退屈潰し】

反省点その1。

勢いだけで書いたのに勢いがありません。
知識の方はさておき言い訳しますと
これ単体で見てもらうよりミステリックサインまで含めて見てやって下さい。

目立った行動もせずにハルヒに従う妥協の日々。
朝倉さんは助けたし、閉鎖空間も消えて世界が平和になった燃え尽き症候群。
明智が腑抜け始めた理由としてはこんな感じです。




【クラッキング・トゥ・サインオン】

退屈が前フリだとするとこの話はそれに対するツッコミ。

つまり、退屈時点ですっかり腑抜けてる明智に冷や水を浴びせるのがこの話。
なあなあ感を連動させるつもりで書きました。
サイト作り時のUMAは結果的に伏線に。

あと、"ザ"は語感だけで抜いています。





【『 "孤島" 症候群 』】

文化祭もそうなんですけど、この話を書くにあたって考えたのは。
この話、単独で楽しめる話にしようって事です。

別に死体を書いたわけじゃありませんがこの話以降「残酷な描写」のタグを付けました。

朝倉さんの「明智君と約束云々」は消失で明らかになった「オレが死んでも~」って奴です。





【ロールバック・アウグストゥス】

明智がローマ云々と言いつつもアウグストゥスはローマ初代皇帝。
ま、ちょっとしたお遊びです。
今後の伏線だったり……げふんげふん。

本来この話までで二章でして、あとがき書こうとも思ったんです。
内容が浮かばなくてやめたんですが。

この話までの目的としては、明智の意識改革。まだ甘いですが。





【異世界人こと俺氏の嘆声】

嘆声(たんせい)とは溜息の事。

反省点その2は体育祭。
漫画から変更点が少ない……。

とにかく、ギャグ回を意識しました。
魔法少女~、高校生だからいい~、ってのがまさにそうです。
ミクル本編はマリリン・マンソンのあの曲聞きながら書きました。
おかげで無茶苦茶な話に。





【The Disappearance of the Alien】

異世界人→異邦人→エイリアン
宇宙人もエイリアンと呼ばれたりする。
消失したのは明智か朝倉か。

ジョジョリオンぐらい謎が謎を呼ぶ展開になってしまいました。
明智君と朝倉さんはめでたく通じ合えましたが、何も解決していません。
ですが、どちらにとっても意味がある話だったと思います。




・阪中さん

どうしてこうなった。

いや、世界改変なら長門で解決しちゃうんで、平行世界ってのは決まってたんです。
で、じゃあ後ろの席空けとこう、名前は出さないとな、阪中さんあたりでいいんじゃない?
って思いながら書いてるといつの間にか裏ヒロインに。本当の謎です。

彼女について原作でわかることは。

 >キョン曰く「クラスでの印象は薄い」
 >北高から遠い住宅街に住むお嬢様
 >ハルヒと仲良くなった、あるいはなりたかった(携帯番号の交換、一緒に遊んだ)

キャラ付けとしてはこれぐらいです。
つまり、目立たない事を選ぶタイプだけど、本質的に孤独感を抱くという矛盾がある。
と、勝手に解釈。

消失世界の話をこれ以上書くつもりはありません。
阪中佳実ファンのお方が居たら申し訳ありませんけど。




・明智(消失)

独善とは正反対。正義と勇気。
まさに主人公と呼べる心の強さの持ち主。でも恋愛はお察しだった。
朝倉さんが消えて以降、実は彼がクラスの裏リーダーです。

まあ、リーダーシップそのものは明智(憂鬱)も持っています。
巻き戻しの時の話し合いでその片鱗が出ています。
いわゆる一種のカリスマ性。
キョンとハルヒが人を惹きつける"何か"があるとすれば。
明智には人を惹きつける"言葉"があるのです。それが最大の武器。

阪中さんは、彼の存在に依存する形で懐いたのです。
流石に放置しておくのもあれだったんで蛇足話すら書いてしまう。
別に私は阪中さんに思い入れは無いんですけどね。






裏話は以上になります。
触れてない点についてはお察し下さい。

これから先、謎がようやく解消されていく兆しが見えます。
続きを楽しみにしてくれれば、作者冥利に尽きるというものです。


それでは。



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今すぐできる、驚く程簡単にそして優雅で大胆に一目惚れ症候群をぶち壊す方法を伝える話
ライヴマン


 

 

 

 

 

年末年始というのは往々にして至極どうでもいい番組が放送されるものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリスマスパーティが終わり、冬休み。

色々あったが俺はあの二人を素直に祝福していた。

半年以上の付き合いの末、平行世界まで飛ばされると言う遠回りではあるものの、ようやく落ち着いたわけだ。

むしろ今まで何を考えてきたんだろうな、明智は。それはわからないし、聞こうとも思わなかった。

きっとそれがあの二人にとって必要な時間だったと思ってやりたいからな。

 

 

 

まあ、どうせハルヒのことだから今回も何かあるんだろうが今の所その連絡はない。

冬合宿について考えるにはまだ数日の猶予が俺に与えられていた。

 

夏休みのように世界が巻き戻っただの言われない限りはありがたい。

しかしながらその平和もいつまで続くかはわからない。

何もいつも月曜日ってわけではないが、それでも俺は不安だったのでとりあえず掃除だけはしておく事にした。

妹がシャミセンと戯れているのを見ながら一旦休憩。テレビはよくわからない歌謡祭を放送している。

 

 

「文化祭、ね」

 

思えばこの元喋る三毛猫ことシャミセンを我が家に引き入れたのも文化祭である。

しかし、俺が回想するのはその当日。映画なんかよりも驚かされた時の話だ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――文化祭当日。

 

明智の意見をハゲタカのごとく突くことにより採用された模擬店はそれなりに繁盛していた。

とは言え男子で店番をしているのは少数派だ。男女についてどうこう言いたくないが、野郎に手渡されて男は喜ばん。

あのハルヒも最初の一時間近くは居たらしい。ただ退屈そうに座っていただけ、と聞いたがな。

 

これは後から聞いた話であるが、SOS団の映画の方は好評だったらしく、視聴覚室の観客は口コミにより次第に増加していったと言う。

あの映画を"魔法少女"と冠していいのかは謎どころか単なる詐欺であり、申し訳程度のコスプレ以外は科学でしか成り立っていない。

編集作業を終え、確認用に視聴した際にそれを明智に言ったのだが。

 

 

「何言ってるんだキョン。『科学と魔術が交差する時、物語は始まる』って事だよ」

 

「お前こそ何言ってるんだよ」

 

この作品のジャンルがギャグ映画なのは確かだった。

だが、一応の話は成立しており、自主制作にしてはそこそこの面白さがあったのは確かだ。

俺も編集しただけに曲がりなりにも達成感はある。

朝比奈さんと古泉がペア設定なのは腹立たしいが、ビジュアル的には妥当である。

谷口は論外で国木田はありではあるもののSOS団の映画でメインキャストをやりたがるような奴ではない。

更に消去法となるが、俺は映像向きではないし、明智に関しては多分そんな話を作ったら朝倉に刺されるだろう。

偽UMA退治ツアーの時もナイフをどこからか出していたがどういう原理なのだろうか、と思い明智に聞いたら。

 

 

「あれはナイフを作ってんのか?」

 

「"創る"と言うのは彼女ら宇宙人の技術にはない。らしい」

 

「じゃあどうしてんだ」

 

「オレも推測でしかないが考えられる可能性は二つ。一つは、この世界のどこかからナイフを持ってきている」

 

「何だそりゃ。テレポートか?」

 

「テレポートじゃない、アポートだ。それに情報操作には限界があるし、許可が必要らしいから"何でも"とは行かないだろうさ」

 

「どっちにしろ超能力っぽいな」

 

「位置情報の改竄ってとこかな。まあ、推測さ。もう一つは物質を原子レベルで分解して、再構成してナイフを作っている。こっちの方が正しそうかな」

 

「物質?」

 

「ああ。原子分離や変換が出来るのはコーラで実証済みだろう? しかし、あの空間でそれが可能かは怪しい。おそらく両方を複合しているんだろう」

 

「よくわからん。今度聞いてみろ」

 

「お前が聞けばいいじゃないか」

 

「俺の質問に答えてくれると思うのか?」

 

「さあね。オレが質問したら見返りに情報を要求されそうだから嫌だ」

 

「いいじゃねえか。相互理解ってのは大前提だぜ」

 

何のだ、とは聞いてこなかった。

こいつは今の今までそうしている。だが、情けないのは確かだがそれを馬鹿にする権利は俺に無い。

黙っていたら死ぬまでそうしている。そんな意思が明智にはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな明智も今日は店番などせずに、俺や谷口、国木田と共に二年の焼きそば喫茶を満喫せんとしている。

朝比奈さんと鶴屋さんのクラスだ。現在進行形で待ち時間を浪費しており、早い話がかなり焼きそば喫茶は繁盛していた。

はぁ、とため息をついた谷口は。

 

 

「おい、明智」

 

「何だよ」

 

「お前はいいのか? こんな野郎どもの集団と行動を共にしててよ」

 

間違いなく朝倉の事を言っていた。

彼女は1-5模擬店に今も残っている。というかお前も責任者なんだし本来は居るべきなのだ。

 

 

「オレが居てもすることないし」

 

「そうじゃねえだろ」

 

「はは、よくわかんないね明智は」

 

「あのなあ明智。余計なお世話だがな、俺は最近お前ら二人を認めつつあんだよ、それがこのザマか? 朝倉に愛想を尽かされても文句言うんじゃねえぞ」

 

「一応、あとで朝倉さんは自由時間があるからね」

 

「はっ。心配して損したぜちくしょう」

 

「どうでもいいがな。俺は朝比奈さんのウェイトレス姿だけが今回の楽しみだ」

 

「そうだね。映画の衣装はちょっと扇情的だったよ」

 

「清楚な感じは王道だな」

 

「馬鹿どもが……」

 

呪詛をひねり出すかの如く明智はそう呟いた。

それから更に十数分ほどした後、焼きそば喫茶・どんぐりへの入店となった。

朝比奈さんはウェイトレス姿ではあるものの、実際の料理運びはしないらしい。

鶴屋さんが言うには彼女は食券のもぎり係であり、他の仕事はバッシングと水入れくらいと言う。

確かに、焼きそばを運んでいる時に朝比奈さんなら転びかねない。これもハルヒのせいだが。

妥当と言えば失礼ではあるが俺は朝比奈さんに悲しい思いをしてほしくないのだ。

いいんじゃないか、それで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、まさに文化祭だなと思える焼きそばを食べた後、俺は今後をどうするか悩んでいた。

と言うのも谷口はナンパをすると言い、それに呆れた国木田は消え、いつのまにか明智も消えていた。

当然俺はナンパなんぞするはずもないので必然的に一人となっている。

はぁ、ブレザーの内ポケットに折りたたんでいた文化祭プログラムを取り出す。

このプログラムにSOS団の存在を認めさせるためだけに実行委員に迷惑をかけたこの前を思い出す。

ハルヒもそうだが明智も説教をしていたな。借金取りにでもなったほうがいいんじゃないかと思えるぐらいの剣幕だった。

 

 

「吹奏楽部のコンサートね……」

 

暇つぶしとして考えられるのはこれぐらいか。他クラスの団員は自分の仕事があるし、俺は仕事をする気が無い。

かと言ってあの映画を見るのもしょうがなく、冷やかしに校内を回るのも憚られた。明日も文化祭はある。

こういったライブの催しはどこの文化祭学校祭でも大なり小なりとあるだろう。

その運営について明智は。

 

 

「こういうのも放送局員の仕事だ。会場設営もそうだけど、ハウリング防止のための調整とか。ま、お手並み拝見だよ」

 

とか言ってたが。

 

 

「放送局員ってのは雑用でもすんのか?」

 

「そうだね。基本的に学校行事の裏には彼らが居る、生徒会は表向きさ。キョンがそう思うように、大多数の生徒は放送局の仕事を知らないし」

 

「しかもハルヒに目をつけられて、難儀な連中だ。……そういや体育祭で実況してたな」

 

「オレに言わせりゃ三流落ちもいいとこだよ。テンションだけのゴリ押しだった」

 

「ほどほどにしてやれ」

 

「彼ら、いや、北高の放送局に期待なんかしてないさ」

 

そもそも北高は何に秀でている高校でもない。

そんな地方に宇宙人未来人異世界人超能力者そして神だか何だかわからんハルヒが居るのだ。

二十世紀バルカン半島さながらの危険地帯だ。ここは荒野のウェスタンだ。

 

 

とまあ、とにかく俺は久々となる自分だけの時間を満喫しようとしていたのさ。

それがまさか、幽霊に出会うよりもっと驚かされる、二重(ダブル)ショックが待ち受けているとは予想だにしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普段何に使うかもわからない無駄に広い講堂へ行くと、ドアを開けるや否や別世界だ。

ステージの演奏より、こういう適当な観客のリアクションが文化祭特有の雰囲気と言うか。

俺はライブなぞ行った試しもないのだが。……きっとそうだろう。

適当に空いているパイプ椅子にすわり、プログラムを見る。

スピーカーの音量がいまいち適切でない辺り、明智の言ってたことは正しいんだろう。

よくわからない軽音楽部五人組の発表が終わり、妥当な拍手が湧く。

そんな脱力した状態故に、次の瞬間に見た光景を俺は疑った。

 

 

「おい」

 

入れ替わるように壇上に上がる四人組。

うち二人は俺が幻覚を見ていない限り知った顔だった。

 

神妙な面持ちで壇上に上がる、いつかのバニーガールのコスプレをしたハルヒ。

エレキギターをだらんとぶら下げた魔女装束の長門。今日の長門はいつかのサングラスをかけている。

いつの間に明智から借りたのだろうか。確かに機械的な演出にはなっているが。

そして占いはもういいのか。とにかく、わからん殺しとは今の俺のためにある言葉だった。

キアリクでもザメハでもいい。俺のこの睡眠状態は解除される間もなく一曲目が開始される。

 

 

「……」

 

俺に限らず会場は静かだった。正確には観客が静かである。

ハルヒと長門と知らない女子生徒による演奏はアップテンポなものであり、長門の指捌きが凄まじい事だけは伝わった。

それがいいことかどうかは俺にギターの心得がないから、わからないがな。

しかしながら観客どもが静かなのはハルヒと長門の異様な格好が原因であり、曲に白けているわけではないらしい。

次第に俺の前の席の奴の身体が揺れ始め、謎のバンドの世界観に引き込まれつつあった。

 

 

「どうも、失礼します……これは何事でしょうか?」

 

「知らん。それよりその恰好はなんだ」

 

許可もなく俺の隣に座る古泉はどこぞの勇者のような装束であった。

そういやこいつの所の演劇の内容を俺は知らない。

 

 

「僕のところでやっているハムレットですよ。いちいち着替えるのも面倒ですから、こうして暇をいただいているのです」

 

「何でわざわざここへ来たんだ?」

 

「風の噂ですよ」

 

「はあ? もう噂になってるだと。じゃあ、今のバンドもあいつが望んだ結果だってか」

 

「いえ、おそらく彼女の実力だと思われます」

 

ハルヒの実力だとしたら、その凶悪さが原因だろうな。

確かにあたりを見渡すと観客は増えていた。立ち聞きしてる奴なんかもいる。

八分という発表の時間制限故にフルの曲は無いらしい。いや、多分オリジナルの楽曲だ。

四曲目が終わると、ようやくハルヒがMCとして。

 

 

「本来ならメンバー紹介といきたいんだけど、実はあたしと有希はこのバンドのメンバーじゃないの。代役」

 

俺の疑問が解消された。だからハルヒはいきなりオンザステージに興じているのか。

 

 

聞けば本来のメンバー二人は事情があって不在で、たまたま残り二人の慌てた様子を見たハルヒが力を貸したと言う。

自分から人助けなんかするような奴だったのか。これは後で聞いた詳細だが、ハルヒは実行委員とバンドメンバーがモメているのを見たらしい。

この日の為に必死で練習してきた彼女たちではあったが、無茶もいいとこの病状らしく、とてもじゃないがステージに立たせられないと言う。

そりゃそうだ、演奏も体力勝負の面があると言う事ぐらいは俺でもわかる。倒れられたら責任問題になりかねない。

 

 

 

 

とにかく、五曲目のラストソングを終えたハルヒたちの演奏は大盛況の内に終わる。

 

 

 

 

 

 

……はずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『フッ、フハハッ、フハハハハハハハハハ!!』

 

 

 

突如、どこかのマイクから男の声が響き渡る。

ステージからではなく、後ろの方だった。

 

 

『ふっ。流石の演奏だと言いたいが……甘い』

 

謎の声に会場は一瞬静まるも、ざわざわとどよめきはじめる。

俺の耳が確かならば、その声には聞き覚えがあった。

 

 

『コスプレ女二人の演奏は確かに素晴らしかった、ボーカルも、ギターも。だが、しかし、まるで全然、ドラムやベースを含めた総合力でオレたちを超えるには――』

 

そして、その人物にスポットライトが照らされる。

光を見た観客は思わず後ろを振り向く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――程遠いんだよねぇ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

スーツ姿で、ホッケーマスクを装着した男がそこに居た。

いや、こいつは間違いなく、明智だ。

明智らしき変質者は自分に注目が集まったのを感じると。

 

 

『君たちのベーシストはそこそこ、三流落ちもいいとこだ。オレたちは違う! 二流だ! 何故なら一流と呼べるのは、後にも先にも"ジャコパス"だけだからだ!!』

 

誰だそいつは。

 

 

「僕も詳しくは知りませんが、名前ぐらいは知ってますよ。ベースの神様と名高いお方です」

 

何だそりゃと思い、静寂のままハルヒたちと明智は交代する。

ハルヒも明智と気付き、驚いていたが黙って観ることにしたらしい。

しかしながら、ハルヒと長門より恐ろしいメンバーが、ステージのそこに居た。

 

 

『先ずはイカれたメンバーを紹介するぜ! ギターを担当する"スクリーム"だ!』

 

そう呼ばれ、タキシード姿で口元があんぐり開いた覆面を被る女性。

後ろに見える髪からして、間違いなく朝倉だった。

 

 

『説明不要。ドラマー、"ジグソウ"!』

 

白い奇妙なお面を被り、ドラムスティックをくるくると回すこちらはレディーススーツの女性。

緑色のもじゃっとした髪の毛。おい、まさか喜緑さんか!?

 

 

『そしてオレがボーカルとベースを担当する"ジェイソン"だ! さぁ、オレの歌を聴けぇっ!!』

 

会場の何もかもを置き去りにしたホラー集団。

ジグソウさんがスティックをカチカチ打ち付けると、スクリームとジグソウさんの演奏が始まった。

その主旋律を追いかけるかのように、ポポン、ポポン、とジェイソンがベースを弾く。

そしてジグソウさんがシンバルを、シャシャーンと打ち付け、ギターの余韻が残るとジェイソンは口を開いた。

どうやら洋楽らしい、俺は聞いたことが無い。

 

 

「なるほど、ボーカル兼ベースで三人組。あれはポリスです」

 

「警察か?」

 

「いえ、昔のバンドですよ」

 

よくわからんがそうらしい。

器用にも左手一本でポポンと音を鳴らしながらジェイソン、いや明智は歌い続ける。

そしてデデデデデデデとドラムが打ち付けられるとサビに入り、明智はシャウトする。

その曲が何なのかはわからないが、確かにそいつらの演奏は凄かった。

 

 

明智らホラー集団はフルの演奏をした。つまり次の曲で最後らしい。

一曲目がビートを刻んだ後に盛り上がっていく曲だったのに対し、二曲目は何やらサイケチックな曲だった。

だがしかしカッコいい曲だ、最初から力強いドラムの、確かな存在感がある。

そして明智はイントロの盛り上がりと共に、身体にベースの背を密着させ、弦を押すように弾いている。

というか手元の動きが激しくてよくわからん。

 

 

「今のはライトハンド奏法ですね。レフティながら右手も鍛えてるようで、お見事です」

 

「俺はあいつらがあそこに居る事が一番の驚きだ」

 

「こういう場合もあるのかもしれません」

 

一曲目とは曲調も違えば、歌詞の感じも違った。英語なぞ歌えない俺からすればとにかく早口だ。

その曲が終わると、会場はハルヒらが演奏した時と同じくらいの拍手歓声が上がった。

こいつらの殆どが明智らホラー集団の正体を知らないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、何の真似だったんだありゃ」

 

翌日、文化祭二日目。

校内をブラブラしていると手持無沙汰な明智を発見したので尋問する。

ハルヒは明智らのギグを素直に認めていたが、音楽対決の場をどうやら望んでいるらしい。

どうでもいいからやめてくれ。

 

 

「プログラムに書いてるでしょ」

 

ああ、このふざけた"TERROR IS REALITY"ってバンド名の事だろ。

明らかに俺はビビったのだから間違いない。

 

 

「というか、あのドラマー喜緑さんだろ」

 

「うん。暇つぶしにバンドやりませんかって言ったら快諾してくれたよ」

 

あのお方も宇宙人だとは思っていたが、理解できない人種だとは思いたくなかった。

いつの時代も俺の味方は俺だけらしい。いつからこうなったんだろうな。

 

 

「暇つぶしだあ?」

 

「何かやりたいって言い出したのは朝倉さんなんだけどね。で、バンドやろうってなった」

 

「お前らの思考回路は多分基盤が割れてるぜ」

 

「言ってもベースは安物だけどね。いや、レフティのベーシストと言えば巨乳ロングのご時世だ。それもジャズベ」

 

「誰だよそいつは」

 

「オレたちの後継者みたいなもんだよ」

 

明智が意味不明な事を言いだすのにはもう慣れているが、俺たちの後継者とやらはSOS団より変態なのだろうか。

 

 

「にしても久々だから鈍ってた、手が痛い」

 

「事前に練習してないのか?」

 

「昔はよく弾いてたからね……前段階ではちょろっとやっただけだ。他二人は説明不要だろ?」

 

ピンチヒッターとして出たハルヒの方がよっぽどマシだったのである。

どうでもいいが、ハルヒの音楽対決が実現するとしても俺はやらんからな。

 

 

 

 

そして、これは余談となるがハルヒ加入前の元の女子バンド"ENOZ"は彼女らのオリジナルバージョンが録音されたMDを配布したところ、直ぐに足りなくなったと言う。

また、謎の覆面バンドについてはその正体を知る者が居るはずもなく、やがてその存在が忘れられた。

一部ファンからは復活を望む声があるようだが、どうだかな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そんな文化祭の一幕を思い出していると、その数分後にどうしようもない電話が旧友からかかってきた。

 

言うまでもなく、俺の平穏の二文字は音も立てずに崩壊していく事になる。

 

 

 

 



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第三十三話

 

 

 

 

 

――冬休み。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今は冬であり、年末だ。

 

……いや、年末年始のテレビの不毛さだとか、そんな話がしたいんじゃあない。

話は実にシンプルであり、ようは自己採点についてである。

夏休みの生活――SOS団の活動とは別――について点数を付けるなら100点満点中10点だ。

しかしながらこの冬休みについては1桁まで下がっていると断言できる。

まだ開始早々なのに。

 

 

何故か?

それは、だな。

 

 

「昼はなにがいいかしら?」

 

「……」

 

「今日は部室の大掃除があるから、さっさと食べれた方がいいわよね?」

 

「……」

 

暖かいうどんでもいいんじゃないかな、そばはどうせ今度食べる事になるし。

と俺は思っていたのだがしかし口にはしていない。つまり固まっている。

動物で言えば虚空を見つめるハムスターさながらであり、俺は置物でしかなかった。

その原因は朝倉さんが俺の修行中に後ろから抱き着いてそう言ってるからであり、現在進行形で激しく困っている。

いや、こんなのはまだ比較的マシな部類で、とにかく粘着性で壁に投げるとくっつきひっくり返りながら落ちていくおもちゃ、あれさながらの生活だ。

俺がただダれてただけの雪解け夏休みに対し、冬休みはコールタールの如くどろどろとした生活を送っている。

 

だと言うのに俺も嫌な気などせずむしろ乗り気になってしまうのだからどうしようもない。

 

 

 

 

……これ、オフレコだぜ。

 

 

基本的には朝倉さんがひっついてくるだけで、俺は嬉しいがなるべく無反応だ。

 

 

 

しかし、たまに俺の方から彼女に密着する事もある。

 

 

 

 

その時はとても嬉しそうな反応をするんだが……。

 

 

 

もう、説明はいいだろ?

 

 

 

 

 

 

 

……とりあえずこのまま黙っているのはあれだ。俺はマスターキーを破棄し、修行を中断することに。

通しでやってないが、昨日の夜、今日の朝ここに来る前、とやってはいるので俺の総量が仮に7万と仮定すれば半分近くは消耗している。

だが、ゼロにしようとはとてもじゃないが思えなかった。

昔試しに"奥の手"を使ってザ・ハンドよろしく空間をズバズバと一日中切り裂いて遊ぼうとしたら半日もせず、いつの間にか倒れていたことがある。

それ以来俺は自分を追い詰める事よりも、小手先の技を磨こうと思ったのだ。

 

 

馬鹿馬鹿しい過去を思い出した俺は朝倉さんの顔を横目で見ながら。

 

「そうだね、うどんでいいんじゃないかな。暖かい奴」

 

「うん」

 

ニコニコとキッチンへ向かっていく朝倉さん。

これが一昔前だったらちょっとしたホラー映像だ。

もし空の鍋なんかを出された日にはどこか違う世界へ逃げ出したくなっていただろう。

 

……今か?

 

 

 

 

まさか。そんなこと、あるわけないだろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼飯もそこそこに冬休み中の校舎へと向かう。

まだまだ日中にも関わらず寒い。かじりつくような寒さ、とはまさにこのことだ。

部室も定期的な掃除を朝比奈さんがしているので汚くはないものの、整理する必要はあるし、そもそもが文芸部だと思えない部屋となっている。

ちょっとした食料さえあれば生活できるからかな。しかも本やボードゲームもある、俺の"部屋"といい勝負なのかも知れない。

そんな事も考えつつ部室へ向かおうとすると、廊下で。

 

 

「おや、お二人ともこんにちは」

 

「えへへっ。二日ぶりですね」

 

朝比奈さんと古泉が部室から少し離れた所に居た。

いかにも手持無沙汰といった感じである。

 

 

「どったの先生?」

 

「何やら僕たちはお邪魔虫のようでして」

 

「まあ、ここに居ない人を想定するにだいたいの察しはついたよ」

 

「どうせキョン君が馬鹿な事を言ったんだと思うわ」

 

「それはどうかわかりませんが涼宮さんと何やら楽しげに会話をしていましたよ」

 

こいつの楽しいが俺の楽しいと感覚的にズレているのは確かだ。

やがてキョンがドアから顔を出し「お前らも来い、説明してやる」と言ったのでそれに従った。

彼の弁明によると、昨日中学時代の知人である中河という男から電話がかかってきたらしく。

 

 

「『好きだ』とか突然言いやがってな」

 

「お前……」

 

「笑いながら低い声を出すな明智。俺もそう思ったが奴は同性愛者じゃなかった」

 

「それはどういうことでしょうか?」

 

「何やらうちの女子生徒に一目惚れしたらしい。で、いてもたってもいられなく電話してきた」

 

涼宮さんはいかにも人を馬鹿にした態度で。

 

 

「はぁ? あんたに電話してどうなるってよ」

 

「まあ待て。仕方ないから女子の特徴を言ってくれって頼んだら、俺が総合的に判断したところ長門としか思えなかった。眼鏡の知り合いも少ないからな」

 

長門さんはこの前の戦闘で眼鏡がボロボロになったらしく違うものになっていた。

前のよりレンズが小さく、シャープな印象を与える。買い換えたのだろうか?

 

 

「中河が電話してきたのは長門と俺が歩いているところを見たかららしい。五月って言ってたから、市内探索の時だと思うぜ」

 

「一目惚れの割には随分な休遊期間じゃないか。五月だって?」

 

キョンはいかにもお前が言うなといった目で睨んできた。

安心してくれ、多少の自覚はあるさ。

 

 

「知るか。何やら勉強スポーツと打ち込んできたらしいがついにその感情は昇華されなかったらしい」

 

「素晴らしい精神力ですね」

 

「馬っ鹿みたい。半年も経ったら忘れるでしょ、普通」

 

「そうかしら?」

 

朝倉さんは終始ニコニコして話を聞いている。

何が楽しいのか知らないが物騒でなければ何でもいいさ。

 

 

「とにかく、限界だと言う事で俺に電話がきた」

 

「で、あのふざけた内容の文章は何なの?」

 

「中河なりのラブレターらしい」

 

「おいおい。まさかキョン、お前に代理でそれを長門さんに伝えろ、と?」

 

「だとよ」

 

机の上には、くしゃとなっているルーズリーフが数枚。

キョンはそれを捨てたところ涼宮さんに見つかり、口論となったらしい。

そして本人の知らない所でラブレターはSOS団のおもちゃとして全員に回し読みされる事に。

内容は長門さんへの熱い思いがあふれており、俺でも素直に感心できる"作品"だった。

もっとも、非常に残念な点があるのだが……。

 

朝比奈さんは自分宛てでもないのに何やら照れた様子で。

 

 

「何だか素敵です……こんなに人に好きになってもらえるなんて……」

 

「中河はいかにもコワモテの体育会系といった奴でして、ロマンチックには程遠いんですがね」

 

「……あたしにはさっぱりだわ」

 

「しかしながら、中々の名文だと思いますよ。趣旨がしっかりしていますし、具体例がある。十年先まで語るのはやや飛躍した印象もありますが、彼の熱意の裏腹でもあるでしょう」

 

「そうかい。で、お前は?」

 

「……」

 

気が付くとみんな俺を見ていた。

何だよ、長門さんまでどうしたんだよ。

 

 

「まともな文芸部員は長門とお前しか居ないだろ」

 

「パス1、朝倉さん」

 

「私はいい内容と思うわ」

 

「だとよ。ほら、早くしろ」

 

ちくしょう。

朝倉さん、頼むからこれで終わりだってぐらいのオチになるような感想を言ってくれても良かったんだぜ。

それじゃ言ったも言ってないも同じじゃないか。

 

しょうがないから真面目に話してやるさ。

 

 

「五十九点。ギリギリ赤点ってレベルだ」

 

「何が減点対象なんだ?」

 

「それは、中河氏本人の手で書かれていない。……だろ?」

 

「それだけの要素にしちゃでかいな」

 

「"それだけ"? わかってないね、別に手書きである必要は無いさ。流石にメールはナンセンスだと思うけど、ワードならいいと思う」

 

「何が言いたいんだ? 偉そうに言いたいならハッキリ言えよ」

 

「確かにいい内容だけど、それはキョン、お前という仲立ちによって"魂"がその文から消えている。仮にお前が書いたって聞かなくてもわかる。"そういうもん"だ」

 

「おや、魂とは。なかなか面白い意見ですね」

 

「文章とは常に高潔なる血で書かれなくてはならない。その人の、"精神"で。それがオレの哲学だ」

 

「まあ。あいつがいくら長門と会うのに今の自分が相応しくないと思おうが、筋違いなのは確かだな」

 

「そうよ、結局あんたのダチはただのチキン野郎じゃない!」

 

ぐっ。

俺に対して言ったわけではないと思うけど、涼宮さんの発言はちょっとしたダメージだ。

"臆病者"の俺は今月、二十五日――つまり昨日だが――に、朝倉さんと語った時の事を思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんな事言うのもあれなんだけどさ、ちょっといくつか聞いていいかな」

 

「何かしら?」

 

「いや、ほんのちょっとした好奇心でね。猫を殺すほどじゃあないけど」

 

何をするでもなく、彼女の部屋で二人してソファにもたれかかっていた。

今にして思えばそれは空いた時間を埋めるような行為だったのかも知れない。

テレビはあるにはあるが、この部屋に居る間は電源がついている時間の方が短いのは確かだった。

しかしながら俺の質問は情けないことに猫どころか虎をも殺しかねない内容だとは思いもせず。

 

 

「何で、朝倉さんはオレと『付き合って』だなんて言ったの? うまくはぐらかされたけど、理由があるんでしょ?」

 

と、聞いてしまった。

……もしかしたら彼女の提案はエラーの末の誤解答だったのかも知れない。

だが、俺にはそれを知る権利がある。彼女の全てを俺は知りたいとさえ思えた。冗談ではなく。

反応がないなと感じ、ふと隣を見ると朝倉さんは悲しそうな顔で。

 

 

「……失望すると思うわ。それでもいいなら、怒らないで聞いてほしいの」

 

「構わないよ」

 

「はっきり言うけど、私は人間を……もっと言えばあなたを舐めてた。イレギュラーよ? 最初から全力で仕留めにかかるべきじゃない」

 

こちらに彼女を攻撃する意思が無い事は知られていなかったと言え、まともな戦闘をしたなら明らかに俺が不利だった。

今でさえ秒単位以下の身体能力を発揮できる手段があるが、それは結局ただの手段に過ぎない。

しかしながらポテンシャルでは女性型だろうが宇宙人の方が俺より高い。

念能力者本来の戦闘速度がコンマ秒単位な事を考えると俺は明らかに十全な状態ではないのだ、今尚。

 

 

「で、謎だらけのあなたをどう攻略するか考えたのよ」

 

「その結果の提案だったって?」

 

「そうよ。私が情報を引き出して満足したら、……あなたを殺すつもりだった」

 

「どうにも気が長い話だね?」

 

「さあ。でも、私たちとあなたたちの時間に対する尺度は違うもの」

 

原作、エンドレスエイトにおける長門さんを思い出す。

それにあの世界でもエンドレスエイトはあったらしい。

機械にとっては、ただの数字でしかないのだ。

 

 

「……いまいちわからないのは、朝倉さんのエラーなんだよね。どっかの誰かが言うにはそれが足がかりになって、朝倉さんが感情を理解したって聞いたけど、じゃあ何で増えたんだ?」

 

あいつが言うところの、"もともと壊れていた"理論は確かに俺も見落としていた。

だが、それでエラーが増えるってのもおかしな理論だ。何があったわけでもないのに。

 

 

「つまり、私はあなたの事を知りたかったのよ」

 

それと奴が言う"俺のせい"が結びつかない、俺が念能力もどきについて隠していたからか? 

前の世界についても特別には話していないし、不満故の結果。なのか?

 

 

「今ならわかるわ。私の感情は、次第に複雑なものとなっていったのよ。"知りたい"以外の要素も」

 

古泉が体育祭で言っていた、涼宮さんの心の発達を思い出す。

彼女も同時進行で、そうなっていたならば、それはどんな――

 

 

「その中の一つに、確かにあなたに対する殺意もあったわ。でも、あの日、私は気づいてしまった」

 

「何に?」

 

「私は、あなたを好きになっていたの。信じられなかったと同時に、恐怖した。そして恐怖した事に恐怖したわ。これがプログラムされた動作じゃなくて、感情そのものだって事に」

 

「それ、どういうことなのかな」

 

「はっきり言うけどやっぱりあなたは馬鹿なのよ。一般的に考えて、この年頃の男女交際で、あなたは私に何を要求するでもなかった」

 

「この前も言ったようにオレは朝倉さんが生きててくれればそれでよかったんだ。オレは、朝倉さんが離れててくれた方がいいとさえ思っていた。オレが迷惑なんじゃなくて、そっちが迷惑だと思ったから」

 

「そうね。なかなか明智君のガードは堅いし、本当に長期戦になる事は理解してたわ。でも」

 

「でも?」

 

「あなたが私の事を考えてくれている。それも大切に。私はそう気づいてしまったのよ、無意識のうちに」

 

「過大評価さ」

 

「きっと私は、そんなあなたに対して不満を感じたからこうなったのよ。拒絶してくれればそれでよかった、敵対しても、よかった」

 

彼女の一言は確かにそう思っていた事を感じさせた。

ここまで聞いて俺はようやく理解した、現在進行形で朝倉さんを悲しませているのは、俺の方だという事に。

なあ、"臆病者"。ここまで言わせておいて、黙ってるのかよ。

 

 

「朝倉さん――」

 

なんとなくだが、だいたいだが、わかったよ。理解した。

それに理由を欲しがるのは、人間の悪いクセだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――今でも、オレを殺したい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝倉さんはどんな返事をしただろう。

 

絶叫? 悲鳴? わからない。

 

 

ただ、確かなのは、彼女は今や"そう"思っていない。

 

それだけだった。

 

 

 

 

それでも、俺は彼女と過ごした半年以上の期間を後悔したくない。

いつか、その覚悟が出来た日には、俺についての全てを打ち明けよう。

俺が知っている範囲で。

 

 

 

その時が、"臆病者"としての俺の、卒業式だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日についてあの後の事は回想したくないので割愛させてほしい。

朝倉さんが泣き止んだ後、一時間以上は苦しい空間だったのは確かで。

やがて二人で抱き合ってお互いの後悔を解消するような事になった。

まるで儀式だった。その後悔とは、質問であり、解答だ。そのものだ。

 

そんなこんなを思い出していると。

 

 

「……」

 

長門さんはまじまじと中河氏の言葉があるラブレターを見ていた。

俺は何とも思わなかったが、涼宮さんは意外に思ったらしく。

 

 

「有希、記念に貰ったら?」

 

「欲しけりゃ持ってっていいぞ。どうせゴミ箱へ行く運命だったんだ」

 

「いや」

 

それは長門さんによる明らかな否定だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とても興味深い人物。会う価値はある」

 

 

 

 

 

 

 

 

……これは他の団員にとってはどうでもいい話になる。

もし中河氏の一目惚れ相手が朝倉さんだったら、今の俺なら喧嘩じゃ済まなかっただろう。

アメフト部だか知らないが、容赦はしない。長門さんで良かったよ。

 

しかしながら、今回もまた、面倒事なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そう、それは『因果』らしい。

 

 

 

 

 



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第三十四話

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、あんた……"それ"が読めるのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十二月二十日。

あっちの世界での505号室、そこでジェイは俺にこんな要求をした。

 

 

『君の手帳を、私に譲ってほしい』

 

「なん、……だって?」

 

『創作活動として、色々書いていると聞いた。ちょっとした対価だが、構わんだろう?』

 

誰から聞いたのか、何故それを知っているかは知らないが、文字通りに色々書いた手帳はある。

俺が先ず異世界人として涼宮ハルヒシリーズの世界だと自覚した際にとった行動とは、記録に他ならなかった。

つまり覚えている範囲での原作の書き写しである。それも、大まかな内容だ。

それは手帳に記載しているが、解読されないように特別な言語で書いているし、何より普段持ち歩くわけがない。

更に言うと、こっちの世界にそんなものがある訳ない。寝て起きたら入れ替わってたんだから。

俺がこの短期間、メモ帳に書いたのは文章にならない文章だった、が、それでも解読されたくないから特殊な言語で書いた。

解読表は、俺の頭の中ぐらいだ。エノク語を何も見ずに読めるような奴でもまず無理だろう。

 

 

 

 

そんな訳で内容の無いような手帳をジェイに渡し、冒頭の俺の台詞へとつながるのである。

一通り手帳を流し読みした骸骨コートは。

 

 

『ふむ。さっぱりわからん』

 

当然の如くそう結論付けた。

だが、文句はないらしい。

 

 

「じゃあ返せよ。それは元々この世界の明智のもんだ、新調したばかりみたいだぜ」

 

『残念だが断らせてもらおう。意味は分からないが、この文字を読むと"伝わる"のだ』

 

「何の事だ?」

 

『君の精神。その揺らぎが』

 

「"血をもって書け"か? とんだロマンチストだね」

 

『ほう。君はそれに賛同していると思っていたが、……私の気のせいだったようだ』

 

何もそうだとは言ってない。

俺がメモ書きしたのはジェイから与えられた情報と、この世界についての事実ぐらいだ。

はっきり言うと解読できたところであいつに旨味がある訳ない。知ってるかは知らないが。

後は、まあ、ただ感情をぶつけただけの文字列だ。意味なんてない。

 

 

『別に内容など気にしてない。君の意志を知る、それだけだ………ふむ。いいだろう。確認したぞ』

 

 

 

とにかく、ジェイは得体の知れない奴だった。

 

俺に接触した理由、そのものと同じく、最初から。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長門さんがキョンの旧友中河氏と対面することを望んだその翌日。

ケワタガモもびっくりの速度で二人の面会が果たされる手筈となった。

あと数日もせず冬期合宿があると言うのに、SOS団の原動力は何に起因しているのだろうか。

しかしながら朝倉さんと怠惰な日々を送るのも、そろそろ人間失格一歩手前だということを自覚した俺にとってはいい機会だった。

もっとも、その認識はオーストラリアをオーストリアと混同するぐらいの的外れだったのだが。

 

 

「キョン、言い出しっぺのくせに遅いわよ!」

 

「何も急ぐ必要はないだろ。それに、お前は昨日さんざん中河を馬鹿にしてたじゃないか」

 

いつもの駅前での集合。

どうでもいいが、阪中さんが使う駅とは北高を起点として文字通り正反対に位置する。

何故、朝も早々に駅前に集合しているかというと中河氏がアメフト部に所属するのが理由だ。

今日は他校との交流戦だか対抗戦だかがあり、要するに自分の勇姿を見せたいのだと言う。

あえて追い込むその姿勢は、まさに気高い彼の誇りと言えるだろう。

 

 

と言っても今は冬だ、真冬だ。みんな暖かそうな恰好をしている。

かく言う俺も今日は冬用のジャケットだ。いや、最近の外出は基本的にこれなんだけども。

生地はベージュ色で、暖かそうには見えない外観だが超保温性を誇ると謳っている代物。

ただ今回、中河氏の心意気はさておいて寒中競技をしたいと俺は思わない。

根本的に彼は俺と違う世界の人間らしい。

……これ、異世界人ジョークだぜ。俺限定だが。

 

 

「いいわ、さっさと行くわよ。昨日はああ言ったけどそれなりに楽しみなのよ、その男が」

 

「そうかい」

 

「……」

 

古泉はバスの路線、運賃、目的地までの所要時間それら全てを調べてきたらしい。

インターネットを使えば一発だが、この時代の普及率は昔に比べて伸びつつあるもののまだ中途半端だ。

それにガラパゴス携帯では面倒だからな。スマートフォンがない以上、それも手間でしかない。

何事も自分の足で行き、自分の目で見て、自分の耳で"音"を知る。そんな時代は廃れつつある。

図書館にしても、悪くないんだよ。もっと利用されるべきだと思うね。

 

 

まあ、最近の朝倉さんはさておき、どうにもみんな浮かれた空気だった。

ピクニック気分と言えば聞こえがいいが、俺はその油断のせいで痛い目を見てきた以上警戒を怠れない。

だがしかし、流石に今回のは不意打ちだったね。消える魔球を野球盤でするやつはただのアホだ。

ダイヤモンドゲームでもやるといい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いかにも年季が入っていたバスを降りて道なりに行くと、目的地である男子校がそこに見えた。

観戦と言えど遊びもいいとこで、SOS団員のほとんどがアメフトなぞ知らないのだ。

俺も数えるぐらいしかテレビで見たことがない。草野球大会の後にキョンは万が一を考えてルールを調べたらしいが。

とまあこんな理由で、キョンの遅刻が原因となり試合がとっくに始まっていても、別に誰も怒らなかった。

やけにだだっ広いくせに運動場には入れなく、フェンス越しに彼らの闘いを眺めていた。

ふと見ると朝倉さんは猫のように目を細めていた、視線の先には82番のフットボウラ―。キョンが言うには中河氏らしい。

 

 

「どうかした?」

 

「彼、普通じゃないわね」

 

ああ、そう言えばこの話はそんな話だったっけ。

そんな事は、というかこの話についてすら俺は手帳に書かなかったほどだ。

長門さんの気まぐれ回みたいなオチである。ピクニック気分になるのも無理はない。

 

 

「あいつらは動き回ってるからいいけど、寒いわね。キョン、カイロでも無いの?」

 

「悪いがねえよ」

 

俺は持っている。

一つぐらいいいかな、と思って涼宮さんの方へ行こうとすると、肩を掴まれた。

もしかしなくても朝倉さんだった。

 

 

「涼宮さんへの点数稼ぎが必要かしら?」

 

「いい質問だ、やめとこう」

 

悪意のある笑顔とはまさにそれだ。というか、エスパーだとしか思えない読み。

本来笑顔が攻撃的なものだと聞いた覚えはあるが、彼女のそれはその意思すら感じられない。

こんなくだらない事に超人的精神力は駆使され。いや、くだらなくないから肩から手を放して下さい。痛いです。

つまり、嫉妬と言うか謎の攻撃をされた。

 

 

「……」

 

馬鹿馬鹿しい、と言わんばかりの様子でこちらを見た長門さんも中河氏の特異性には気づいた。いや、気づいていたのかも。

もしかすると中河氏が長門さんそのものに惚れている可能性は否定できないが、初見とのギャップは感じるだろう。

事故に見せかけた治療か。手荒な真似ってのも、仕方のないことなのかもしれない。

中河氏が倒れたのは、それから暫くしてからの事である。

第三クオーターとやらが始まると。

 

 

「あら。長門さん、……やる気ね」

 

「何のやる気かは聞かないでおこう」

 

「明智君、どこか察した顔ね。うん、すぐに終わるわ」

 

「……死ぬなよ」

 

凄味で解決できればそれでよかったが、あくまで脳に関係する症状らしい。

中河氏は確か情報統合思念体を認識できる能力を持つ人間で、長門さんに惚れたのは勘違いだ。

見たのは長門さんではなく正確には思念体であり、また、ただの人間には危険な能力との話。

インデックスじゃないが、脳がパンクしかねない、それだけの情報量が、文字通り思念体にはあるのだから。

で、荒っぽい治療をしてあげた……ってのが原作の流れだ。

手違いでマジの怪我をしなければいいんだよ。千年の恋は恋ですらなかったのだ。

しかしながら朝倉さんが見られなくて良かったよ。俺まで手荒くなる必要はない。

そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

――ドゴン!

 

 

 

 

 

 

「なっ!」

 

「ひぇえ!?」

 

キョンと朝比奈さんが驚く。

無理もない、長門さんの情報操作とやらで中河氏はジャンプした瞬間、敵の妨害を受けて吹き飛ばされた。

おまけに頭から勢いよく落下し、地に伏した彼からは立ち上がる気配がない。

ピピーと主審のホイッスルが鳴ったかと思えば、次の瞬間には試合が中断された。体育の基本、人命第一である。

 

 

「ねえ……あの人、大丈夫なのかしら」

 

「わ、わからん」

 

「ひぃぃ……」

 

朝倉さんは呆れており、古泉は目を閉じ何かを考えているポーズ、犯人の長門さんは無言。

俺は言うまでもなく達観視しており、担架がきただの、何だのという三人の実況解説を聞いている。

嘘も方便なのか知らないが古泉は

 

 

「軽い脳震盪でしょう。この手のスポーツではよくあることです」

 

「それは良かった、オレには向かない世界だ」

 

「しかしながらタフネスのぶつかり合いこそが、人気の秘訣なのですよ」

 

日本が盛り下がっているのかアメリカが逆に盛り上がりすぎなのかがわからない。

ただ北高にアメフト部がないのだけは確かだった。

涼宮さんはどこか申し訳なさそうな表情でキョンに。

 

 

「ふーん。キョン、ついてないわね、あんたの友達」

 

「あ、だ、大丈夫でしょうか……?」

 

「よくある事とはいえ心配ではありますから、後で病院に行きましょう。長門さんが来れば彼も元気を出しますよ」

 

「はぁ……中河の奴。ついてない、ね」

 

そうだ、確かにこの日の中河氏はついていなかった。

ただ、長門さん以外にも彼に目をつけている奴が居たのが、一番の不幸だったのだ。

ふと俺は、何気なく後ろを見た、グラウンドから離れた、俺たちが来た道路、そのさらに端。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

そう。確かに、その姿が見えた。

俺の見間違いだろうか。わからない。とにかく、彼女を見たのは今回が初だ。

 

 

直ぐに彼女はそこから離れていき、道を曲がる。

気づけば俺はその後を追っていた。考えるよりも先に、行動した。

みんなを、朝倉さんを置いて、彼らが俺に気付くよりも早く。

 

 

 

 

 

 

――何故、このタイミングで姿を見せた?

 

 

 

 

明らかに何かを狙っていた。

 

 

そして、男子校から数百メートル以上離れた住宅街の路地まで出ると、道路の真ん中にいる彼女にやっと追いついた。

思いのほか、彼女の足は速かったが俺の体力は問題ない、"動ける"。

 

 

「……君は、何故あそこに居た?」

 

「――――」

 

「答えるつもりは無いのかな」

 

「――――」

 

 

小柄な身体に見合わないほど、アンバランスなまでに伸びた髪。

何も映っていないとさえ思えるドス黒い瞳。長門さんたちのそれより、機械的な無表情。

黒いカーディガンの下にあるのは見慣れない制服だった。

それは、俺の認識が合っていれば、お嬢様学校、私立光陽園女子大学附属高等学校の制服だ。

 

 

 

そう。

 

 

 

 

 

長門さんらのパトロン、情報統合思念体とはまったく異なる存在。

広域帯宇宙存在。通称、天蓋領域が派遣した人型イントルーダー。

 

 

周防。周防九曜の姿が、確かにそこに、俺の眼の前に居る。

本来ならば、もっと後の、本格的には来年の登場。それが原作の流れ。

 

そして、彼女は俺を見るとこう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――異世界人―――いいえ―――――あなたは――予備―」

 

 

宇宙人について考えるなど、どうもこうもない。

 

とにかく、"やれやれ"だ。

 

 

 



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第三十五話

 

 

 

 

約7メートル前後

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在、俺と人型イントルーダー周防九曜の間にある距離だ。

何故彼女が姿を見せたのか。いや、"それより"も。

 

 

「今、"何て"言った……?」

 

「――――」

 

俺はこの女を知っている。一方的に、だが。

そして周防が言った単語だ。"予備"……だと? 俺が? 何のだ?

その思わせぶりな態度。まるで、まるで俺を待っていたみたいじゃあないか……。

 

 

 

 

すると、次の瞬間に周防は指をこちらへ向けた。

……ちっ。

 

 

「いいよ、やるってんなら――」

 

「――そこ」

 

彼女が指を向けたのは正確には俺ではないようだ。

いくら何でもミスディレクションに引っかかるほど甘くない。

しかしそれなら即時攻撃すべきである。

 

 

「あの人から……手紙…」

 

指先は、右斜め後ろに設置されたポストらしい。手紙……? なるほど。

彼女への警戒を怠らずに、ポスト上に置かれていた白い封筒を取る。

切手も貼られていないのに後ろには差出人が書かれていた。

 

 

「筆記体か。エージェント、……エージェントJだって!?」

 

「――――」

 

まさか。いや、あいつがあっちの世界に居るはずだ、とかそんな事を考えるのは後回しだ。

重要なのはジェイは何かを企んでて、周防はそれに一枚噛んでいる可能性が非常に高いって事が判明した事だ。

 

 

「読んでいいわ。……わたしはあなたに"なにもしない"」

 

「その台詞、オレは君を信用していない。けど、とりあえずそれに従うよ」

 

何もしない、だなんて、まるで吸血鬼が"サバイバー"を説明するシーンだ。フランスのロレーヌ地方になんか行ったことはないが。

そんな昔読んだ漫画の事を思い出しながら、封印を破り中身を見る。中身は日本語だった。安定しないキャラだな。

 

 

 

 

 

『拝啓、親愛なる異世界人"明智黎"。 

 

堅苦しいあいさつは抜きにして、突然の手紙に君は驚いているだろう。

 

いや、正確には君の眼の前に居る"周防九曜"にと言うべきだが。

 

彼女とはちょっとした知り合いで、持ちつ持たれつの関係なのだよ。

 

なぜ別世界に居た私が基本世界の君へ手紙を送れたのか? 

 

簡単だ、私も平行世界の移動が可能なのだよ。もっとも、君より更に精度は低い。

 

この手紙を君が見たと言う事は、私は間違いなくそっちの、基本世界に居ないのだ。

 

周防九曜を一人で送るのも心苦しい。この手紙はかなり前に、あらかじめ書かれたのだよ。

 

目的となる世界への移動には膨大な時間がかかる。ふむ。君と違い、難儀なものだよ。

 

私の話はこれくらいでいいだろう? 今、気にする必要はないのだからな。

 

さて、本題だが。中河君、と言ったかな――』

 

 

 

何故、そこで中河氏の名前が出るんだ……。

俺は周防の方を向く、それに対し。

 

 

「わたしたちは彼が持つ特異性。それを………彼を引き入れるために来た」

 

「何言ってるんだ?」

 

「その手紙にも……書かれている事…」

 

 

 

『――私は彼を、仲間として招待したいのだ。

 

彼には特殊な能力があってね。安心したまえ、君の役割は関係ない。

 

周防九曜は情報統合思念体とコミュニケーションするために作られた。

 

一方の私は彼を手駒としたい。まあ、簡単に言うと利害の一致だよ。

 

おそらく長門有希の作戦は失敗した。彼はまだ能力を失っていない、つまり――』

 

 

 

 

俺はその続きを読むのを止めた。

手紙は既に握りつぶしている。

 

 

「――君、周防九曜、だって?」

 

俺は目の前に居る女に最大限の威圧を込めて言う。

周防はどこ吹く風だが。

 

 

「今、君、一人かい?」

 

周防は見下したかのような表情で。

 

「もしかしてやる気かしら。あなたの危険性は……"取るに足らない"の。…………異世界人」

 

「オレは異世界人って名前じゃあない。明智黎だ、ジェイの先兵、周防九曜!」

 

俺はそう言うと、オーラを腿に集中、一気に接近。

周防九曜の右わき腹を思い切り蹴り飛ばそうと――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やめなさい。……これは警告よ」

 

「な、……くっ」

 

俺は、その場からまだ一歩も動けなかった。

 

 

見えてしまったのだ、明確な、死が。周防の周りに広がる死の忘却が。

もし一歩でも踏み出していれば、その瞬間に俺の身体は吹き飛ばされていただろう。

いや、八つ裂きかも知れないし、串刺しでもなんでもいい。彼女にとって。

今も尚臨戦態勢ですらない彼女にはそれが出来る、余裕の態度。

それに俺は気づいてしまった。

 

 

「お前……何、しやがった……」

 

「言ったはず……あなたには…なにもしないと…」

 

「ふざ、けるな」

 

「……状況から推測すると……あなたは畏縮した。…………わたしとの圧倒的差を感じて」

 

そう言われて気づいた、俺は冬だと言うのに汗をかいている。

天蓋領域が派遣した人型イントルーダー周防九曜。もう一つの宇宙人。

彼女がこの世に存在するあらゆる建造物よりも巨大だ……そうとさえ思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――どうすればいい?

 

俺は、俺は"何手"その先を行けば、周防九曜を倒せる……?

 

 

 

 

 

"マスターキー"を具現化、即座に身体強化、高機動戦に持ち込む?

いや、この7メートルすら接近する前に間違いなく俺は倒される。

仮に接近できたとして、彼女に俺が勝てる理由もなかった。

 

 

まして、俺に遠距離攻撃の手段が無いのが最大のネックだった。

今ここであちらが仕掛けてきたら、防戦を強いられるどころかやがて仕留められる。

 

 

 

どちらにしても地面にキスさせられる結果となるのだ。

 

 

 

 

 

それほどまでの、差。

生まれ持っての怪物、周防九曜と、自分自身さえわからない、俺との差。

身体、精神、実力、全てにおいて俺はこのちっぽけな一人の女性に負けている。

生かすも殺すも彼女の自由。だから俺はまだ、考える事が許されているのだ。

 

 

 

俺と言う存在そのものが、周防九曜に屈しかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

だ、駄目だ……。

 

勝てない。

 

 

 

 

 

 

気付けば半歩、俺はその場から退いていた。

周防はその様子を見ると、どこかしたり顔で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう。それでいい――」

 

「あなた、何が楽しそうなの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

周防の後ろからそんな声がしたと思えば、周防は上段へ高速の後ろ回し蹴りを放った。

 

 

「危ないわね」

 

「――――」

 

この絶望的状態に変革を与えた女性。

彼女は回し蹴りをギリギリで回避している。

 

 

「……もし二人で戦っても……挟撃だろうと…負ける要素はない………」

 

「試してみる?」

 

「あなたではない……異世界人………今の状態では…三十秒と持たない」

 

「ふーん。あなた、死にたいのね?」

 

無表情でナイフを彼女は取り出した。今すぐにでも攻撃せんとしている。

だが、悔しいが、情けないが、周防の言う内容は確かな事実だった。

周防には俺の口撃が通用しない、一切の妥協が存在しない、油断もない。

まして、完全なアウェー。ホームではないので、何か策があるわけもない。

ここら一帯の情報が全て周防に支配されていてもおかしくはない。

今の俺では、俺の精神テンションでは明らかに彼女……朝倉さんの足を引っ張るだけだった。

目を見開いて、今出せる限りの声を出す。

 

 

「朝倉さん!! ……退こう」

 

「あら、いいの?」

 

「今回は打つ手がない」

 

「どうして?」

 

「"人質"が、居るかもしれない。……だろ?」

 

「――――」

 

周防は目を細め、にやりと笑った。

そう、ジェイの手紙なんて信用できない。何より他に仲間が居る可能性などいくらでもある。

俺がマックスパフォーマンスを発揮できない条件を無視しても、不確定要素が多すぎた。

中河氏の事を考えると、ここで危険な賭けをして敗北し、更に中河氏まで危険になるのは最悪。

最悪だが、これが最善手だった。

 

 

 

朝倉さんは呆れた表情でナイフを捨て、ホールドアップしながらこちらへ近づく。

その様子を見た人型イントルーダーは無言で立ち去ろうとする。

いいさ、遠吠えって奴だが、俺に一言だけ言わせてもらおう。

 

 

「待て!」

 

「……異世界人………どうかしたの」

 

「これだけは覚えておけ」

 

俺が退くのは逃げ、ではない、次の作戦への休遊時間を確保するためだ。

学習する事こそが現在の武器である。最終的に、勝てばそれでいい。

 

 

「中河氏を危険な事に巻き込んでみろ、今度こそオレが、ジェイとまとめて君を倒(コカ)す。必ず」

 

「それができると言うの………異世界人…」

 

「"汝の敵を許せ。だが、その名は決して忘れるな"、だ。周防九曜」

 

「そう。……その言葉………覚えておくわ……明智黎――」

 

少し歩いた次の瞬間には、周防の姿は消えていた。

やはり、アウェーもいいとこだったのだろう。

どうりで、動けないわけだ。彼女もとんだ詐欺師だ。

しかし、それでも俺は戦えば負けていた可能性の方が圧倒的に高い。

 

 

 

 

 

 

 

……認める他ない。

 

俺の、完全敗北だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこそこの大きさの総合病院そこへ中河氏は運ばれたらしい。

俺の不在に気づいた朝倉さんは後で合流すると言い残したそうだ。

しかしながら病院へ行き、キョンからメールで教えてもらった病室へ入るとそこには長門さんとキョンの二人しかいなかった。

ベッドに居た、動物で例えるなら熊の如き風貌の持ち主、彼こそが中河氏だろう。

 

 

「はじめまして、キョンの世話をしている明智です」

 

「おい」

 

「おおっ! 長門さんと同じ部活の人か」

 

「私は朝倉涼子。ちなみに明智君の彼女よ」

 

「ほおおお。……人は見かけによらないと、よく言うもんだな」

 

とてもじゃないが褒めているようには聴こえなかった。俺はいつもこんな扱いな気がする。

しかし、ジェイの接触があったのだろうか? 朝倉さんを見てもとくにリアクションは無い。

いくら手に負えないとは言え、情報統合思念体は朝倉さんも最低限管理しているはずだが……。

とりあえずこの場に居ない団員について聞くことにした。

 

 

「キョン、他の皆は?」

 

「ハルヒが中河の顔を見たら満足しちまってな。それに、古泉が合宿の打ち合わせをしたいと言って三人で消えた」

 

「そうか……」

 

そんな世間話をしていると中河氏が申し訳なさそうに。

 

 

「すまないが、こいつと二人にさせてくれないか。ちょっと話したいことがある」

 

こいつとはキョンの事だろう。

原作では長門さんに対して興味が湧かないだとか言ってたような気がする。どういう流れかは忘れたが

それにこちらも少し作戦会議がしたかったのだ、都合がいい。

 

 

 

 

 

キョンと氏を残し廊下へ出ると、俺はさっそく宇宙人二人に周防とジェイについて話した。

朝倉さんは不思議そうな顔で。

 

 

「明智君、何でその周防って人が人型イントルーダーってわかったのかしら?」

 

「説明だけでざっと十時間以上かかるよ」

 

「……」

 

「いつかちゃんと教えてもらうから」

 

「わかってる。ありがとう」

 

朝倉さんは本当に俺に合わないぐらい、いい女性だ。

しかしそんなやり取りは今の所いい。

問題は別にある。そう、あの手紙についてだ。

 

 

「長門さん、ジェイは君の作戦が失敗したと言っていた。どういうことなんだ?」

 

「彼は私を見ていたのではない。彼はわたしを通して情報統合思念体とアクセスできる能力を持っている。彼が見ていたのは、情報統合思念体」

 

「よくわからないけど、それが中河氏の能力なんだろ? ジェイは、彼を狙って周防を差し向けた。しかし情報統合思念体を見れるにしては、今回は反応が薄くないか? 朝倉さんだって宇宙人だぜ」

 

「明智君、彼には何重にもプロテクトがかけられているわ」

 

プロテクト?

……なるほど、周防だろう。

 

 

「わたしが彼の能力の消去を試みた時には既に、遅かった」

 

「かなり強力ね。正攻法じゃ無理よ。攻撃者を倒すのが手っ取り早いわ」

 

「周防九曜か」

 

「そうでしょうね」

 

「彼の能力は現在、封印されている。しかしそれは術者の意思によって解除が可能」

 

「…………えげつないな」

 

つまり、"いつでもいい"のだ。周防、いやジェイにとっては。

まだ接触しない。それは俺たちへの見せしめに他ならない。

 

 

「『機関』は知っているのかな? この事を」

 

「他の端末を通して既に認識している」

 

「そうか……」

 

 

 

なら、安心だ。

最低限の監視はしといてくれてるだろう。

 

 

 

「朝倉さん」

 

「何かしら」

 

俺は今回、人型イントルーダー周防九曜との邂逅を通して自覚した。

このままではとてもじゃないが彼女を護りきれない。

 

今解った。

俺の"敵"は、ジェイだったのだ。

そして、奴らは今のSOS団よりも、とても巨大な存在だ。

最悪の場合、他の"未来人"と"超能力者"そしてあの人もジェイと接触して仲間になっている。

すぐそこまで迫っている合宿でも原作では周防と思われる介入があった。

 

それを考えると、現状では力不足。

 

 

 

 

そう。

 

 

 

 

「これから合宿当日まで、短い間だがオレは居なくなる。行く場所が出来た」

 

「どこへ行くの?」

 

「オレは今回、文字通り手も足も出なかった。いや、マジに精神が折られかけたね」

 

「……」

 

「だから――」

 

 

 

 

 

ま、少年漫画ではよくある王道展開だ。

 

強敵が現れたら、ね……。

 

 

 

 

 

 

「――オレは修行の旅に出るよ」

 

「……はあ?」

 

「興味深い」

 

雪は降っていないが、目的地は山だ。

 

 

 

 

 

 

「付け焼刃でも、無いよりマシなんだ。じゃないと、あいつらに勝てない。オレは、何もかもを知ったようなフリをして、人を見下し続ける、あいつらに勝ちたい。あいつらから朝倉さんを、みんなを守りたい」

 

「……」

 

「……わかったわよ。でも、必ず合宿には来てね? じゃないと涼宮さんが癇癪を起しちゃうもの」

 

善処、いや約束しよう。

そしてこの日は十二月二十七日。

 

 

合宿は大晦日イブ、三十日だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

――タイムリミットは概算にして二日と少しだけだった。

 

 

 

 

 



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Door Into the Different World

 

 

 

 

「あなた、自分の事を全然話してくれないんだもの。それでお付き合いしてるって言えるのかしら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、俺の眼の前で椅子に座る女性。

 

感情が無い朝倉さんに悩みがあるとすれば、それは退屈の二文字に他ならないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

朝倉さんは平和なのが嫌なのかもしれない、が、俺にとってはこっちの方がいいんだ。

ただでさえ世界崩壊のその一歩手前だったんだよ。俺なんか役に立ったかは怪しいし。

あんなの実感はさておき、もう二度と生きる上で必要ない恐怖じゃないか。

 

 

 

今日寝て、明日起きるために生きると言うまともな生活を永遠にするのが俺の夢なのだ。

朝倉さんも危険行為さえしなければ勝手に生きてくれて構わないのだが、何を思ったのかね。

まさか、俺と「付き合ってほしい」だなんて。むしろ彼女が迷惑がる方だろう?

しかしながら朝倉さんは現状に満足しないようで、かと言って俺について馬鹿正直に話すのはあれだ。

 

だが彼女の発言も正論である。

もっとも俺は別に付き合う必要性を感じておらず、あくまで交換条件の一つだからだ。

リミットは不明だが。

 

……やむを得ない。半分本当半分嘘くらいの話をすることに決めた。

 

 

「どうやってこの世界へ来たのか、オレにもわからない」

 

「あら。あなた、異世界人なんでしょ?」

 

「オレは自由に移動できると言った覚えは無い。つまり、涼宮さんに呼ばれたって訳だ」

 

「それはいつなの?」

 

「さあ、オレにはそれすらもわからないんだ。気がついたらこの状況で、涼宮さんに呼ばれたって事だけがわかっていた」

 

「異世界の記憶はないの?」

 

「あるにはあるけど、話せないな」

 

「……ああ、ケチね」

 

それはひょっとしてギャグのつもりなのだろうか。

だとしたらクラスの女子の前で言うのは今日からでも遠慮した方がいい。

 

 

「暇だからあなたについて話そうってなったんじゃない」

 

「オレから提案した覚えはないんだけど」

 

「うーん。何でもいいから話してくれないの?」

 

じゃあ、誰とは言わないが、俺の"憧れ"について話すとしよう。

そうすれば朝倉さんも涼宮さんに対してちょっとはまともに接してくれるかもしれない。

絶望へ叩き落とすだの、黙ってたら今でもやりかねないよ。

 

 

「異世界でのオレは妥協の連続だった」

 

「そうなの? でも、妥協ってあなた達ならよくある判断だと思ってたわ。それを苦しむだなんて、よっぽど修羅の国だったのね」

 

「朝倉さんがどういう世界を想像してるのかは知らないけど、こことちょっと違うだけさ。でも、オレにとっちゃ最悪だったよ」

 

自分の人生観は確立しつつあった。

社会への妥協の中で、いつしか虚無に飲まれていた。それを認めていた。

……だが。

 

 

「この世界は違った。少なくとも、オレが燻ってた世界とはモノが違う。涼宮さんのせいさ」

 

「とにもかくにも、苦労してるのね」

 

「よしてくれ。そんなオレにも、まあ、憧れってのはあった」

 

「私の知っている人かしら?」

 

「さあね。前の世界での話さ」

 

「なあんだ……」

 

「それで良ければ話してあげるけど」

 

お願いするわ、とだけ言われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「"宇宙人"さ」

 

次の瞬間には朝倉さんの顔が白けていた。

 

 

「何言ってるの? ……あなたの世界にも居たのね、端末が」

 

「端末、だなんて言わないでくれ。それに宇宙人は言葉のあやだよ。設定上はそうらしいけど」

 

「"お話"の話かしら」

 

「そうだよ。オレは彼女に勇気づけられたんだ」

 

「彼女? 性別があるなんて、よくわからないわね」

 

「その宇宙人にはとある任務があったのさ」

 

「ふーん。まるで私や長門さんみたい」

 

「そうかもしれない。でも、オレが憧れた彼女は妥協しなかった」

 

「どういうこと?」

 

「任務を放棄して、自分の為に行動したんだ。それで最終的に死んだ」

 

「犬死にじゃない……どこに憧れる要素があるの? 大量殺人を犯していた、とか?」

 

どうしてそう命のやりとりへと発想が転換されるのだろう。

そこだけが彼女の謎である。ナイフ投げしかり。

 

 

「違う。なあなあに生きてたオレからすれば、その行為そのものが美しかったんだ」

 

「それが、憧れなの?」

 

「そうだよ。理由なんてナンセンスだ。まあ、一目惚れみたいなもんさ。臆病者のオレと、正反対だったらね」

 

「恋愛感情も感情じゃない、例えにならないわよ」

 

やれやれ。

いつかそれをわかってくれるのが一番なんだけど。

 

 

「いわゆる殉教者だったんだ、そのキャラは」

 

「私に言わせればSOS団そのものがそうね。神である涼宮ハルヒのための集まりよ」

 

「そうかもしれない。でも、キョンは違うだろ? それに朝倉さんも」

 

「……どうでもいいわ」

 

本当にそう見えた。

 

 

 

ただ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、明智君」

 

「何かな」

 

「私はあなたの憧れの宇宙人と比べて、どうかしら?」

 

答えにくい質問だった。

だがな、女性を比較するもんじゃあないんだぜ。

本人が目の前に居る場合はとくに。

 

だから俺は。

 

 

 

 

 

「"朝倉さん"かな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とだけ、答えた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――」

 

さっきのは夢、か。

五月の、市内散策が中止された日。

正確にはキョンと涼宮さんだけで決行されたが。

そういやあんな時も、馬鹿みたいな台詞吐いてたっけ俺。

 

 

 

俺の"臆病者の隠れ家"、ベッドだけ置かれた一番狭い部屋に居た。

天井も床も白一色。ここは緊急用もいいとこだからこれでいいんだけど。

仮眠を終えた以上、さっさと部屋から出る。

 

 

「ちっ。まだまだだな……」

 

今は早朝で、登山道からやや離れた山の中腹に居る。

何も登山が目的じゃないのだ。

 

 

「せめて、最低でも枝くらいは吹き飛ばせないと」

 

眼の前に広がる木々。

いや、自然破壊一歩手前の状態だったが、俺が習得したい技術の達成には程遠かった。

力のさじ加減が難しいのだ。

 

 

「後一日、明日は十二月三十日……」

 

消耗の回復期間を合わせると、半日程度が限界。

常に出せない全力ならば、それは実力とは言わないのだ。

周防に遭遇した、俺のように。

 

 

「待っててくれよ、遅刻するかもしれないけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

周防九曜への仕返しが、早くしたくてたまらなかった。

 

そして、ジェイも。

 

 

 

 

 

 

「あの反省を活かす。それが中河氏に出来る俺の最大限の謝罪だ」

 

原作で超能力者の素質があったと言われている中河氏、そもそも一般人が狙われる必要は無い。

つまり、涼宮さんに原因はある。涼宮さんが彼に能力を与えた。………それを責める気なんてサラサラないが。

だが、許せないのは何も知らない、罪のない中河氏を利用しようとするジェイだ。

俺もきっと、奴にとっての都合の良さだけでこっちの世界へ戻れたのだ。何かは知らないが。

舐めるなよジェイ。エージェントだか知らないが、お前のボスごと仕返する必要があるかもしれない。

そう、あいつらは……。

 

 

 

 

 

 

「超えちゃいけないラインを超えた」

 

 

 

 

 

次の瞬間。

 

俺の眼の前の大木の幹は穴が空く。

遠くから見たらわからないだろうが、木の枝どころの威力ではない。

 

たまたま。いや、コツが、感覚が見えてきた。

 

 

……とは言っても、戦わずに済むのが一番なんだ。結局は。

 

それを忘れずにいられるなら、"臆病者"でも俺は構わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

――タイムアップは、近かった。

 

 

 

 

 

 

 



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暴風雪症候群
第三十六話


 

 

 

 

山に行く前に山に行く奴が居たとしたらそいつは無類の山好きだろう。

 

俺の死んだ爺さんはそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、山に行く前に山に行く部分に該当こそすれど俺は違う。山好きではない。

あれから直ぐに俺は家に帰ると簡単な準備を済ませて出かけることに決めた。

俺が山へ行くと聞いた母さんはまさか登山の趣味があったとは思ってないようで非常に驚いていた。

ま、熊と殺し合いに行くわけじゃないんだ、大丈夫だろう。心配はされたが。

普段集合する駅前とは正反対の駅を使い、遠くの町へ移動。

そこから更にバスに乗り、歩いて三時間以上が経過して適当な山に巡り合えた。

名前は覚えていない。近場で高そうなところを探した結果こうなったのだ。

北高は確かに山の近くではあるが、周辺はほぼ開発されている。

なんかこう、俺は人目につかないところまで行ってやりたかった。一応見られたらまずいし。

 

 

 

 

しかしながら俺の限界もあり、回復に充てた時間を覗けば実際の修行時間は二日分あるか怪しかった。

それでも一応の成果はある。出来ればその出番がなければ一番いいのだが。

中河氏も気になるし。最悪の場合は想定しておくべきなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、そんな訳で。

 

 

「すまない、遅くなったよ」

 

暗黒武術会行きの船に遅れた不良主人公よろしく俺はそう言った。

俺がいつもの駅前での集合に遅刻したのは、後にも先にも今回だけだった。

防寒具など山籠もりでは使わなかった。そのまま北高を横断する形でこっちの駅へ戻ったのだ。

"臆病者の隠れ家"を使用してもよかったが、その程度の消耗すら今はしたくない。

コンディションは今からでも整えておきたかった。今はいいとこ8割だ。

 

そして、今回はSOS団だけではない。キョンの妹と鶴屋さんも一緒だ。

何故かと言えば、今回宿泊先として、鶴屋さんの別荘を利用させていただけるらしいのだ。またロハで。

俺の姿を見るなり鶴屋さんはケラケラ笑いだし。

 

 

「やっほーっ。なんか山行ってたんだって? いや、ほんと面白いよねーキミ」

 

「おはようございます。言っても、ちょっとした気分転換ですよ。スイッチ入れと言いますか」

 

「とわっははは! すごいやる気だねぇ!」

 

「そうですかね」

 

俺は鶴屋さんにバシバシ叩かれている。

遅刻と言えど五分と経過していない。これが仕事なら許されないが、予定に問題は無い。

やっと来たかと言わんばかりの息を吐いた涼宮さんは。

 

 

「ぐーたらしてるキョンなんかよりもやる気があるわね。ま、それに免じて今回は許してあげるわ」

 

「以後気を付けるよ」

 

「はあ、俺もそうしてくれればいいんだがな」

 

「お前は理由もなくいつも遅いじゃないか、今日だってオレの次に遅いのはキョンだろ?」

 

「ええ、その通りですよ」

 

「馬鹿言え。妹が朝から騒がしいからだ、急にまた連れてけってわめいてよ……」

 

言い訳にならない言い訳をしたキョンの台詞は全員に無視され、とにかく俺の到着によって出発となった。

色々考えてしまうが、出来るだけ素直に楽しもう。多分無理だと思うけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雪山へ向かうために利用したのは特急列車だ。

総勢九名と一匹。何を隠そうあのにゃんこ先生ことシャミセンがこの旅に同行していた。

古泉が言うには今回のトリックで必要だからだ。

……俺か? さあ、今回は"どっち"だろうね。

名探偵明智はあてにならない。

 

 

やや間を空けて俺の隣に座るキョンがため息を吐いた。

 

 

「はあ……」

 

「どったの先生?」

 

「俺は先生になった覚えなどないがな。いや、急に妹が来たいって言ったのは本当でよ。しかもこんな列車で暴れまわって……よく楽しいもんだなって思ったのさ」

 

キョンがそう言うように妹さんは無邪気にかけまわったりしていた。

年末と言う事もあり、しかも地方行の特急だ。人は全然いないからさほど迷惑じゃない。

そして現在、男子と女子でメンバーは別れている。

ありがたいことに3人がけの座席なのだ。古泉含めた男子は三人で三角形のような形で座っている。

女子はUNOに興じたりととにかく楽しそうだ。俺たちはトランプをやっていたが、古泉がビリ確定というのも不毛であり、じきにやらなくなっていた。

キョンの足元に置かれたバックに三毛猫のシャミが入れられている。

 

 

「元気なのはいいことですよ。子どもの特権と言えるでしょう」

 

「古泉、権利には義務があるんだぜ」

 

「でも将来的にはキョンより立派になってそうだけど? ただうるさいだけならオレも嫌だけど、素直でいい子じゃないか」

 

「お前は俺のじーさんみたいな発言をするな」

 

「しかしながら、今日はいい天気です。妹さんがはしゃぐのもわかります」

 

「やかましいのが増えただけだ」

 

そのやかましいのはきっと涼宮さんの事だろう。なかなか心無い発言だ。

 

 

 

 

……そんな事より、俺は悩んでいた。

ジェイや周防九曜と言うよりは朝倉さんについてである。

仮に原作そのまま遭難コースになれば、長門さんと一緒に朝倉さんまで行動不能にされる可能性が高い。

いや、普通に考えなくても当然の如くそうするだろう。周防の目的はいまいちわからないが。

ではその時、俺は冷静でいられるだろうか? またこの前のように、暴走してしまうのではないだろうか。

ジェイはあれを朝倉さんへの固執と言ったが、ならあまりにも出来が悪い代物だ。俺の精神の象徴なのだろうか。

とにかく俺はまたあの状態にはなりたくなかった。妥協しないのがいいのではない、恐怖の裏にある勇気こそ俺が本当に欲しいものだ。

ただ敵を叩きのめすだけの精神状態。それを機械と呼ばずして何なのだろうか。

俺が憧れた朝倉さんには感情が無くても、意思があった。

 

 

そして今の彼女には、朝倉さんには心がある。

周防と遭遇したあの時。彼女が俺の撤退に賛同してくれたのは、俺の精神状態を察してくれたからだ。

きっと、俺に死んでほしくなかったから、俺の意見を受け入れてくれたのだ。文句すら言わずに。

本当に……こんな俺には相応しくない程、朝倉さんは素敵な女性だ。一目惚れってのも嘘じゃないのかも。

なんて、戯言だ。

 

 

「雪か……」

 

外の景色はいつしか雪が伴っていた。俺たちが住む町には無い光景だ。

気が付くと横のキョンは寝ている。

 

……よく毎回寝てられるな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目的の駅へ到着し、外へ出ると執事とメイドが居た。

それはあの二人であり、まさかの夏の恰好そのままである。

言うまでもなく今この場所は銀世界の中だ。とんだブラック企業じゃないか。

確かに雪はある程度積もっていて降ってない時はそこそこ冬にしては暖かい。暖かいが馬鹿馬鹿しかった。

夏同様に古泉が二人を労う。

 

 

「どうも、出迎えご苦労様です」

 

新川さんと森さんはご苦労どころじゃないにも関わらずこの状況への負担を一切見せない。

もうこの人たちが超人でいいんじゃないかな、虚無主義には屈していないと思うよ。

鶴屋さんは初対面の使用人二人組を気に入ったようで、妹氏は森さんに飛びついていた。

我らの団長涼宮さんはまたまた啖呵を切った後。

 

 

「みんな、ここからは全力で遊びつくすのよ! 今年、やり残した事がもうないようにね」

 

旅行先で出来る事などほぼ限られているんだけど、気のない反応が全員から上がる。

寝起きで返事さえしないキョン、ノリが非常によく一番いい返事をした鶴屋さん、二番目は妹氏だった、この時点で兄より優れている。

宇宙人に関して言えば長門さんは無反応だし朝倉さんは「フフフ」と気味の悪い笑い声、俺は空気に溶け込むような声の返事だ。

朝比奈さんはボブルヘッド人形よろしく首をがくがくさせて頷き、古泉は見飽きたスマイル。

どうにも既に連帯感の欠けている集団だった。俺からすればこれぐらいが丁度いいが。

 

 

「それにしても、山なんか行って何をしてきたの?」

 

「オレは駅から出た途端に朝倉さんが恐ろしい速度で自然に腕を組んできたことに恐怖を覚えつつあるんだけど」

 

「べつにいいじゃない。寂しかったのよ?」

 

しかしながら本当はもっと長いスパンでやるべきである。

二日ほどで成長があっただけで良かったと言える。基礎確認もついでに出来たし。

 

 

「悪かった。でも、多分、また行くことになると思うんだよね。今度は自主的に。時間的にも冬休み中にやるつもりだ」

 

「……北高の裏山じゃ駄目なの?」

 

「休み明けに変なクレーターが、とか木々が一部ありえない形で消失している、だとかって騒がれるのが目に見えてる」

 

「男の子って、そんなもんなのかしら」

 

「この前見せたあの漫画だと大体そんな感じかな」

 

「ユニークね」

 

多分褒め言葉だろう。

俺はやけに晴れている青空を見た瞬間確信した。

 

 

「荒れるな」

 

「……」

 

俺がジェイなら、間違いなく『こんな天気をぶち壊してやろう』と思うぐらいに。

今日は、いや、俺が死ぬ日は今日ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新川さんと森さんはそれぞれ俺たちを運んで四輪を走らせる事になった。

俺たちは森さんが運転する方で、その横は鶴屋さん。後ろには男子三人が押しやられている。

いや、あっちの方にはちっこいとは言え更に妹氏がいるからまだスペース的にはマシだった。

何が楽しいのか鶴屋さんは。

 

 

「別荘って言っても、全然大したことないんだけどねー? ウチの中じゃ一番こぢんまりしてるから。まあ、雨風はばっちし凌げるさっ」

 

お金持ちの"大したことない"の一言は"検討する"と同じくらい信用ならない。

一般家庭とはとても思えない振る舞いをする古泉も同様に信用できないのだ。

お前はどう思うよ、キョン。

 

 

「だとよ。明智」

 

「何の話かな?」

 

「お前やハルヒが期待するような別荘じゃないって事だ」

 

キョンの中ではとうとう俺は涼宮さんと同列らしい。

もはや過大評価の騒ぎではなかった。

 

 

「キョン、お前は何をどう勘違いしてるんだろう」

 

「"一般的な"という意味であれば我々が宿泊するには充分な広さだと思いますよ」

 

「悪いけどさ、部屋数はギリギリなんだよねー」

 

「そこら辺は、まあ、いざとなれば男子で固まればどうにかなりますよ」

 

「おい、問題は広いかどうかじゃないだろ。ドラキュラが出たり、殺人ゲームが起きたり、そういうのを期待してんだこいつらは」

 

鶴屋さんは座席の上から頭を出してこっちを見てきた。

ドライバーがドライバーなので大丈夫だと思うけど、危ないですよ。

 

 

「ひひーっ。でもそーゆーのとは縁がないんだよねっ」

 

そりゃそうだ。

 

 

「さっきからキョンが勝手な事を言ってますが気にしないで下さい。オレは平和が一番なんだけど」

 

「はあ? 散々北高で噂になってるお前を俺が信用すると思うのか?」

 

「嘘だよ。オレにとっちゃ朝倉さんが一番だ」

 

「……黙れ」

 

「素晴らしいですね」

 

「わはは! 黎くんはやっぱり面白いねっ!」

 

ちなみに下の名前で俺を呼ぶのは鶴屋さんぐらいだ。

今頃あっちの俺はどうしてるのかな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、ウィンタースポーツと言えばスキーかボードだ。

俺はわざわざ冬の休みにゲレンデを目指し旅行する程度にはやっていたことがある。

スノーボーダーだった。年に一回の趣味にしては金がやけにかかったけどね。

 

 

「ひゃっほおおおう!」

 

「……」

 

「あいつら、よくあんなに滑れるな」

 

「だね。インチキさ」

 

「と言うか、お前だけなんだそりゃ」

 

「見ればわかるでしょ」

 

そんな訳でみんながスキーをする中で俺一人だけがスノーボードに興じていた。

因みに俺のボードを含め全員のスキーはレンタル品である。古泉が用意したらしい。

おいお前、いつサイズなんて……これが『機関』か。無駄な努力である。

キョンは"ハの字"滑りから体得する必要があり、妹氏はもはや笑いながら転がっている。

兄妹仲良くポンコツだった。まあ、普段やらなきゃ仕方ないっちゃ仕方ないんだけど。

 

 

とりあえず俺は目の前のスポーツマンに文句を言う事にした。

 

 

「ハーフパイプは無いのかな」

 

「残念ながら。……最上級コースでも行ったらどうでしょうか?」

 

涼宮さんと宇宙人二名はここでもその高い運動性を発揮していた。

しかしながらこの手の上位コースは技術と言うよりは精神の戦いみたいなコースになっている。

ロクに滑りやすくもない――雪がほぼ積もったままだ――上に無意味なくらいの急斜面。

彼女らが投げ飛ばされていないのが不思議なくらいである。だからインチキなのだ。

 

 

「いくらかやって慣らしたら行くとするよ」

 

「ええ、楽しんできてください」

 

今回も例外ではなく、こーゆー楽しみが出来るのは今の内だけだからね。

鶴屋さんは朝比奈さんに教えながら滑っているが、朝比奈さんは膝が笑っている。

数メートル下降してはバタンと転倒する。その連続だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな楽しみは本当に今の内だけだったらしい。

 

それから一時間とちょっと。

 

 

 

 

――嫌な予感は見事に的中してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

そりゃあ映画にあるような見事なまでのホワイトアウトだった。

 

要するに現在SOS団はもれなく遭難中である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三十七話

 

 

 

 

流石に俺も雪山で遭難したのは前世を含めて人生初だった。

 

 

……いや、普通は警報とかチェックするよ。

 

一応俺も今回は見てきたんだ。なのにこのザマである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しっかし、さっきから歩き続けてはいるけどこれが雪山だとはとても思えないほど平坦な道のりだ。

間違いなく人型イントルーダー周防九曜の仕業だった。

 

 

「まいったわね……先が見えないわ」

 

「おかしいですね、距離からすれば我々は充分進行しています。そろそろどこかへ出てもいいころです」

 

「まるで樹海だね」

 

「……」

 

「こ、ここはどこなんですかぁ?」

 

朝比奈さんが雪風に飲まれそうな声でそう言う。

どこかと聞かれれば鶴屋さんの別荘でないことだけは確かだ。

そして今回の遭難ツアー、鶴屋さんとキョンの妹氏はいない。SOS団メンバーオンリー。

 

 

「やれやれ、だね」

 

「明智。俺が言わないからって言うんじゃねぇ」

 

「誰かが言うべき状況だろ?」

 

「知るか。……古泉、朝比奈さんがかわいそうだ。何とかしてやれ」

 

こういう準備だけはいいと言うべきか、古泉はコンパスを持っていた。

 

 

「そう言われましても、まあ、はっきり言いますと異常事態です」

 

「またか?」

 

「どうやら」

 

「おい、台風の次は暴風雪。嵐ばっかじゃないか。勘弁してくれ」

 

俺たちは決してクロスカントリーに興じたい訳ではなかった。

ボードを運ぶのも負担ではないが、面倒であることは確かだ。

長門さんは無言で進行しており、朝倉さんは何やら呆れている。どうしたのだろう。

 

 

「さっぱりだわ」

 

「何が?」

 

「脱出方法よ。でも、この空間は"似ている"わね」

 

そう、周防九曜のテリトリー。

あの時の住宅街の一部も、きっと既にそうなっていたのだ。

俺、いいや、SOS団関係者だけ入り込めるように。

 

 

「本当に本当に困ったら逃げるさ」

 

「あら、使えるの?」

 

「問題ない」

 

とっくにわかりきっていた事だ。

春先に朝倉さんと対峙したあの時、あの教室で"入口"を設置できた。

今のところの例外は涼宮さんとUMAだけだった。

 

 

「似ているってのはわかっても、脱出方法はわからない。どういう事かな」

 

「簡単よ。解析不能。私の空間把握能力じゃとてもじゃないけど理解不能ね」

 

「なるほど、いいニュースだ」

 

「悪いニュースで言えば長門さんもそう判断してるって事かしら」

 

「犯人に心当たりがあるだけ、オレたちの方がマシか……」

 

さっきまで定期的に腕時計を見ていたが、俺の目を疑ったね。

時刻がまるっきり進まない。直ぐに仕舞ったさ。

 

 

「まったく、大人しく中河氏を叩けばいいのに」

 

いくら『機関』が――実際には喜緑さんを代表する宇宙人も――中河氏を監視しているとは言え、明らかに防御が手薄なのは今なのだ。

なのにジェイは、おそらく最強の手駒の一つであろう周防九曜を俺たちにぶつけてきた。

やはりあいつは破綻している。まるで、この行為に意味が無いようにさえ思える。

 

 

「でも、あなたのハイド&シークなら一瞬だわ」

 

「そりゃそうだけどね。でも"一手"遅れるのは確かさ、不利なのはこっちだよ」

 

「馬鹿馬鹿しいわ。きっとこれがイライラね。明智君まで馬鹿にしてたもの、あの女」

 

「今回こそは何とかやるさ」

 

やがて先頭集団が騒がしくなった。

 

 

「明智くーん! 涼子ー! 建物があったわ! ついてきて」

 

涼宮さんが大きな声でそう言う。

来なくてもいい進展があったのだ。

 

 

「SOS団一行、カリフォルニアホテルにご招待ってね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺のホテルという表現はあながち間違ってもいなかった。

城、館、とにかく洋風で、とても大きい建物だ。

 

 

「ビッグフットのお出ましかな」

 

「何を言ってるんだ」

 

「あいつ頭良かっただろ。こんな家があるかもよ」

 

「……さあな」

 

思い出すのは夏休み前のUMA討伐。

最もポピュラーな敵であり、最強だったビッグフット。

巨体にも関わらず雪山を自由に駆け回る運動能力、チュパカブラのそれとは比較にならない知性。

俺が一旦逃げるぐらいには、マジでやばい相手だった。チームだから勝てたものの、周防でも苦戦しそうだ。

 

 

 

 

 

その洋館の、扉というよりは門とでも呼ぶべき扉の前で涼宮さんが叫ぶ。

 

 

「すいませーん! 誰かいませんかー! 吹雪いてきちゃって! 少しでいいんで暖を取らせてくださいっ!」

 

反応はない。

館の窓からは光が出ており明るく、吹雪もあって幻想的ではあったが見とれるような気分ではなかった。

頑丈そうな扉を涼宮さんはタコ殴りするものの、それでも反応は無い。

 

 

「留守なのかしらね……押して開かないかしら」

 

「おすすめしないけど二階から侵入ってのがあるよ」

 

「本当に困ったらそうしましょ」

 

まだ余裕があるらしい。いや、それは団長、つまりリーダーとしての責任感だろう。

何だかんだ言っても、涼宮さんも精神的に強い面はあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな事を考えていると、扉が開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……中はやはり明るい。

電気か? 間違いなくロウソクのそれではない、何処に電源があるんだ。

そして、空いたにも関わらず屋内には人影などいなかった。扉の裏にも。

はあ、とにかく入ろう。暑いよりは寒いだが、寒すぎていいと言った覚えはない。

ズカズカと上り込む涼宮さん同様、俺も自分勝手なやつだ。

もっとも、"準備"は忘れずにしておくけど。

 

 

「だれかーーーーっ! いないのー!? お邪魔しまーっす!!」

 

もう既にお邪魔している。

やはり内部はちょっとしたホテルのようだ。

エントランスにロビー。こんな雪山にしてはあまりにも近代的だ。

床に紅の絨毯、天井にはいかにもといった巨大シャンデリア。

 

 

「幽霊屋敷じゃないだろうな……?」

 

「この館が実在してればそれでもいいんじゃない?」

 

「アホか、呪われるのなんか御免だぜ。朝比奈さんが幽霊なんか見た日にゃそのままショックで死んでしまうかもしれん」

 

こいつの中で朝比奈さんはきっと未来人じゃなくてスペランカーか何かなんじゃないだろうか。

そうじゃなかったらキョンはたいそう過保護だ。その思いやりを妹さんにも分けてやれ。

 

 

「ちょっと緊急事態だから、あたしはここに人が居るか見てくるわ」

 

「待て。俺も行く」

 

「……うん」

 

「明智、古泉、後は任せたぞ」

 

まるで死亡フラグみたいな台詞を吐いて、主人公はとっとと消えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、情報統合思念体とは別の何か。そういった人外の存在であればこういった現象も引き起こせるかもしれませんね」

 

「とにかくあっちからすりゃ、こっちはフクロのネズミさ」

 

「ひぇぇ……」

 

ロビーにあるソファに座り、俺と朝倉さんを通して他三人と意見交換が行われた。

因みにキョンと涼宮さんの分もだがレンタル品のウィンターポーツ道具一式はロビーの壁に安置している。

 

 

 

しかし意見交換とは名ばかりで、朝比奈さんは言うまでもなく原因不明だと言う。

古泉も閉鎖空間以外は専門外だ。ここが涼宮さん関係じゃないのは確からしい。

 

 

「周防九曜と呼ばれる個体に関する詳細は不明だが、それが事実ならば間違いなく脱出は困難」

 

「私と長門さんでも手に負えないのよ。まあ、明智君は別みたいだけど」

 

「オレの"臆病者の隠れ家"は、本当の最終手段だと思ってくれ。わかると思うけど誤魔化しがきかない」

 

「ええ。承知してますよ」

 

誰か? それは涼宮さんに決まっている。

 

 

「みんなは時計を持っているかどうか知らないが、オレは持っている。で、ここに来るまでの間見ていたけど、時間が一切進まなかった」

 

「……」

 

「どっ、どういうことですかぁ!?」

 

「これがあの女の仕業ならそれも不思議じゃないわ。空間は時間と切っては切れない関係だもの」

 

相対性理論、時空ね……。

俺の不完全な平行世界も、そこら辺が何やら関係してそうだ。

 

 

「試しにこの屋敷の中の時間経過を確かめてみるのはどうかな。ストップウォッチぐらいは機能するはずだ」

 

俺はポケットからデジタル時計を取り出して提案する。

 

 

「これが宇宙人における別勢力の犯行ならば単独行動は危険です」

 

「わかったよ。オレが行こう。誰か一緒に行きたい人」

 

「……」

 

「あたしはここで涼宮さんをまってます」

 

「僕は遠慮しましょう」

 

……消去法で朝倉さんになってしまう。

さっさと行ってさっさと帰ろう。古泉に時計を投げ渡す。

 

 

「モードは既に切り替えてる。まあ、見ればわかるけど右下のスイッチでスタート・ストップ。左上でリセットだ」

 

「設定時間はどうしますか?」

 

「十分だ。十分もあれば、もし何か異常があればわかるだろうよ」

 

「了解しました」

 

「長門さんが居るとは言え、安心できない。気を付けてくれ」

 

周防が強襲してくるとは考えにくいが、何があるかわからない。

ただ、涼宮さんに見つかるリスクを犯すほど彼女は馬鹿じゃあないはずだ。

それに今はまだ、その段階じゃない。何せジェイが居ないんだ、そして謎の"カイザー・ソゼ"とやらもわからない。

しかしながら、今日はただで帰れないのだけは確かだった。

 

 

「そちらこそ」

 

「また十分後に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺と朝倉さんは適当に一階部分を探索する事にした。

だが。

 

 

「朝倉さん、君は、……平気なのか?」

 

「……いつから気づいてたの」

 

「館に入ってから。いや、正確には吹雪に巻き込まれてからかな。明らかに様子が変わった、一瞬だけど顔色が悪くなってた」

 

「気付いてくれたのはありがたいけど、変態じみてるわ」

 

「それほどでも」

 

この空間が朝倉さんや長門さんの負担になることは織り込み済みだ。

にも関わらず普段通りに行動している。二人とも、大した精神力だよ。

 

 

「情報統合思念体と、通信が取れないわ」

 

「だから解析もままならないって訳か」

 

「それだけじゃないわ。この空間は私たちに負荷を与える。情報操作も難しいでしょうね」

 

「……そうか」

 

「ねえ」

 

ぴたりと朝倉さんは足を止めた。

不安そうな表情だ、まるで十二月十六日の、あの時のように。

 

 

「あなた……何から何まで、まるでこうなることがわかってたみたいだわ。もっと言えば、八月のだってそう」

 

「つまり?」

 

「今だからわかるわ、八月の時の私もきっと不安だったの。あなたが、明智君がわからない」

 

「……」

 

この期に及んで俺にはまだ、決定的な要素が欠けていた。

修行中に"マスターキー"を何度も具現化させたが、一向に変化は無かった。

あれがもし、俺の精神の象徴だとすれば……俺の精神は、いや、俺はまだあっちの別世界に取り残されたままだ。

 

 

まだ、『新しい道』が見えない。

 

 

それどころか、周防九曜に勝てる保証もない。

 

 

 

 

 

それでも。

 

 

 

 

 

 

「オレを信用してほしい、とは言わない。言えない。だけど、待っててほしいんだ」

 

「……何を?」

 

予定変更だよ、ちくしょう。

あの時と違って、泣き出しそうな朝倉さんを見捨てるような俺よりは成長した。

 

 

いいさ、死亡フラグでもいいさ。

 

人には帰る場所の他に、帰る理由も必要なんだ。

 

俺にとっての朝倉さんは、生きる意味なんだ。

 

 

 

 

「合宿が終わったら、本当に、全部話す。だから――」

 

 

 

 

 

 

今回が最後だ。

 

黙ってついてきてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

「しょうがないわね、惚れた弱みってやつかしら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戻った俺と朝倉さんを迎えた古泉が言うには、百二十秒だそうだ。

 

この屋敷は、周防九曜は狂っている。

 

 

 

 

 

 



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第三十八話

 

 

 

 

この建物には生活する上で困る要素が一つとして無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二階には充分な数の寝室。多丸氏の別荘に勝るとも劣らない質だ。

どこがどうなっているのかは不明だが水道も通っており、トイレや厨房を利用できる。

食糧庫には市販されているような食材であれば何でもあった。野菜から魚肉まで、この人数でも数日は持つだろう。

ましてや大浴場に加え娯楽室なんてものがあるのだ……。カラオケ、麻雀、卓球、ここに無いのはテレビとネット回線ぐらいだ。

まさに用意周到。涼宮ハルヒに不安感を与えずに閉じ込めたい、とでも言いたいのか?

どうなんだ? ……周防九曜。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはさておき現在SOS団は食事中である。

 

 

「さあ、どんどん食べていいわよ!」

 

「勝手に入り込んで勝手に飯食って……はぁ…」

 

「……」

 

「緊急事態ですからね。それにしても、美味です」

 

「えへへ」

 

朝比奈さんお手製のシチューと、カツサンド、ありあわせのサラダ。

遭難した連中の晩餐にしては最上級と言えるだろう。まるでマッチ売りの少女だ。

そして古泉はさっきからどうも緊急事態というのを免罪符にしている節がある。

事実そうだし、まさかこの館の主人は実在しないから俺は気にもしていないが。

キリキリと手を動かしながら朝倉さんは。

 

 

「明智君」

 

「ん?」

 

「これが倦怠感って奴ね。味わうのは二回目だけど」

 

「……済まない」

 

「私は今回、あなたを助けられそうにないわ。謝るのはこっちよ」

 

何言ってるんだ。

俺が君を守る必要があるのに、知ってて何も出来ない。

いや、ぶち壊そうと思えばいくらでも出来る。

俺は今すぐにでも彼女を家に帰してやれる、その手札だけが俺にある。

それをしないのは何故なんだろうな。涼宮さんの名前を出すのは甘えだ。

きっと、周防を見返してやりたいって気持ちもその中に多分ある。

もしかしたらヒーローごっこを通すことで朝倉さんを守っている気になろう……だ、なんて。

 

 

 

普段は大食らいの長門さんでさえ、今はちびちび食べている。

その光景を俺は見ていられなかった。だが、今はそうではない。

俺がすべき事は、彼女たちを侮辱しないためにも、この決断を後悔しない事なのだ。

結局、俺はただの独善者でしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さっき見たら、でっかいお風呂があったわ」

 

「もしかしてそれは浴場でしょうか」

 

「確かにあった。だが男女別だなんてご丁寧な仕様じゃないぜ」

 

「オレはいい時間だしさっぱりしたいよ」

 

「まあ、とりあえず部屋割を決めるとしよう。風呂はそれからでいいだろ」

 

「どこも中は同じだったわよ?」

 

「では隣や向かい、とにかく固まって七部屋確保しましょう。何かあればすぐに対応する必要があります」

 

曲がりなりにも我々は今も尚、遭難者である。

人為的にではあるが"山の天気は何とやら"を思い知らされた。

肝心の部屋決めだが、全員二階の部屋だ。階段近くから古泉、キョン、俺。

その向かいは女子だ。……行く予定などあるわけない。

鞄のように置いておきたい荷物もとくにないが、脱いだ上着は部屋に置く。

スノボウェアだが、さっきから手荷物程度にはなっていて邪魔だった。

 

 

 

そしてすっかり風呂気分の涼宮さんは。

 

 

「あ、当然だけど一番風呂は女子よ!」

 

「勝手にしろ」

 

「覗いたら全裸で外へ追い出すわよ。いい!?」 

 

良くはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、そんな訳で女子が入浴している間、俺たち男子は覗く訳もなく、適当に割り当てたキョンの部屋に集まっていた。

外は吹雪いている……だが、あれも全部嘘らしい。

俺はキョンにも周防について説明をした。

 

 

「……長門と朝倉の二人を相手に気付かれず異空間に隔離。そいつはそれを単独でやったってのか」

 

「正確には我々七人を相手に、です。明智さんの言う事が本当ならばですが」

 

「オレだってあり得ないと思うさ。でも、あり得ない、なんて事はあり得ないらしい」

 

「こんな時にまた哲学の時間か」

 

キョンは特急列車で嫌というほど寝ていたはずなのに欠伸をかいていた。

いや、それは体力的な面が原因なのかも知れない。

実時間はさておき、間違いなく俺たちは消耗している。

 

 

「ですが、そのイントルーダーにも何かしらの任務、或いは目的があって行動しているはずです」

 

「そりゃこんな雪山にわざわざ閉じ込めるって事はドッキリにしちゃ壮大だぜ」

 

「つまり、『ドッキリじゃない』と。キョンはオレたちを信用しているのかな?」

 

「朝倉はともかく長門まで嘘をつくとは思えん。話半分だが認めてやる」

 

正論だった。

でも、あまり朝倉さんの事を悪く言わないでくれよ。

彼女は人間社会を勉強中もいいとこなんだ。

 

 

「周防九曜。仮に彼女の狙いが中河さんでなく、我々だとしたら……」

 

「……おい、二人して何だその目は」

 

「キョンが標的の可能性は高い。普通に考えたらそうなるよ」

 

「そういうことになります」

 

「ハルヒもそうだがな、お前らは普通の意味を調べてから使え。いつの間にか、俺が巻き込まれるのが当たり前ってのが普通になってやがる」

 

「残念だけど最初からそうだって」

 

「とにかく、脱出のプランを考えましょう。明智さんの能力には頼らずに、我々全員で雪山から出る方法をです」

 

「周防って宇宙人の狙いが俺たちだとして、ここから先はどうするつもりなんだ?」

 

「わからないけど、きっと状況は悪化する一方さ」

 

「笑えないな」

 

「笑うしかないと思うけど」

 

このやり取りを真に受けたのか古泉はいつものニヤニヤした顔で。

 

 

「手っ取り早い展開としては、イントルーダーがこちらに出向いてくれる事です」

 

「だが長門も朝倉も情報操作とやらができないんだろ。それで勝ち目はあるのか?」

 

「おや、ここに頼もしいお方が居ますよ」

 

思い出したかのようにキョンはこっちを見た。

別に悔しくはないのだが馬鹿にされた感は否めない。

 

 

「……このまま吹雪が止んでくれないかな、って思ってるんだけど」

 

「涼宮さんを除けば、現在この場で頼りになる戦力はあなたしか居ません」

 

「でも、勝てる保証はないんだよ。言わなかったけど前に周防と会った時、精神折られかけたし」

 

「そうですか? 我々の情報では、山に行ったのは籠もるためだったと聞きましたよ」

 

古泉の発言を聞いた瞬間、キョンが笑い出した。

珍しい光景だが、今度こそ俺は馬鹿にされている。

そして古泉よ、お前ら『機関』は俺なんかより中河氏を見張っておけ。

肩を震わせながらキョンは俺に聞く。

 

 

「お、おい。それってまさか、修行って奴か?」

 

「だと思いますよ」

 

「ぷっ。随分ワイルドな趣味だな……」

 

「キョン、お前はオレが熊を相手に戦ったとか、滝に打たれた……とか想像してないか?」

 

「そんなん知るか。何をしてきたのかはどうでもいいがな、俺が心配なのはお前の方だ」

 

おいおい、やっぱり道理で涼宮さんに靡かない訳だ。

アニメでは古泉フラグさえ立ってたとか一部の方々に思われている有様だった。

 

 

「よしてくれ! 中河氏といいキョンはやっぱり……」

 

「うるせえ。そっちは俺より朝倉が心配する。俺が言ってるのはあの偽者宇宙人の時の事だ」

 

十二月十八日、俺がこっちに戻った時の話らしい。

何やら真面目な雰囲気じゃないか、最初からそうだが。

 

 

「ハルヒ。いやSOS団の活動を通して俺が怖いって思ったのは、あの時の明智相手だけだ」

 

「五月の閉鎖空間といい、あなたも中々の修羅場をくぐり抜けて来たはずです。そのあなたが恐怖した、と?」

 

「長門も朝倉も、俺は一度もアンドロイドだとか感じたことはない。だが、こいつは……まるで人間には見えなかった」

 

「オレも自分を制御出来なかったし、やりすぎた感はあるけどね、でもこっちも大変だったんだよ」

 

「僕には想像できません、ある日起きたら別世界だなんて」

 

「一度経験済みとは言えど今回はきつかったね。朝倉さんが消えただけで泥みたいになった」

 

「人は往々にして失ってからその大切さに気付くという物でしょう。我々も、今回はあなたが失わずに済んでよかったと思いますよ」

 

「どういう立場での発言かな」

 

「いち個人。SOS団の副団長、いえ、ただの古泉一樹の発言です」

 

「気休めにはなった。感謝するよ」

 

どっかのアホが言うには、古泉は俺に何かを隠しているらしい。

それは何に由来するのだろうか、とにかくこいつも裏があるのは確かだ。

でも、これはきっとだが悪意があって隠しているわけではない。そう俺は信じている。

 

 

「お前に自覚がありゃそれでいい。とにかく忘れんなよ……」

 

わかってるさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺たち男子も風呂から上がると、一旦寝る事になった。

この館で大分リフレッシュされた。コンディションは万全と言えるだろう。

もっとも、朝倉さんや長門さんはそろそろ限界だろう。

脱出したら周防をさっさと見つけよう。

 

そんなこんなで二三時間ほど、ちょっとした仮眠をとっていたのだが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「明智君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の安眠を奪い去る彼女の声がする。

つい飛び起きてしまった。

 

 

 

……いや、いやいやいやいやいや。

この展開は必要なのか? もうちょっと捻りを加えろよ。

仮に俺が何も知らなかったとしても、こんなチープな罠にかかる訳がない。

 

 

「明智君……」

 

「誰かな」

 

「私よ。……失礼ね」

 

あのな人型イントルーダー、お前は知らないだろうが朝倉さんは――。

 

 

「ねえ、私もここで寝ていいかしら」

 

――切れた、俺はその瞬間に間違いなく切れた。

しかし悔しい事に俺はそいつを殴れそうにない。あの時の俺は例外だったのだ。

そして、いつの間にか部屋に居た来訪者の方を見て言い放つ。

 

 

「周防九曜、いいかげんにしろ」

 

どうせこれはフェイク、幻影だ。

しかしここで怒らなければ俺は自分を許せなくなる。

ただでさえ彼女には迷惑をかけているのだ。八つ当たりでも、やらないよかマシだ。

そいつは困惑した顔で。

 

 

「ど、どうしたの明智君」

 

「勉強不足なんだよ、周防。君は朝倉さんを知らないから"偽物"すらまともに用意できない」

 

「何を言ってるの……?」

 

「ハニートラップ以下だ。オレもそうだけど、彼女を馬鹿にするのが一番許せない。朝倉さんはこんな状況下ですり寄って来るような浅ましい女性じゃない」

 

「…………」

 

「わかったら出て行ってくれ」

 

その瞬間、そいつは悲しむような演技をぴたりとやめ、人形のような無表情になった。

生気が感じられない、いつ襲ってくるかもわからない雰囲気だ。

彼女の恰好と言うのもあってやりづらい。

 

 

「手荒な真似はしたくないんだけど?」

 

「そう。………伝言よ。異世界人……いえ…明智黎……」

 

「お前は、まさか」

 

「覚悟が出来たら外へ出なさい………あなたなら"ここ"から出られる……そうでしょう?」

 

「何勝手な事言ってるんだよ」

 

「――――」

 

そいつはさっさとドアを開けて部屋を出た。

俺はその後を追おうとしたが、当然その姿は消えている。

……なるほど、最初から狙いは。

 

 

「オレだったって訳か」

 

その目的は未だ不明だけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからやや暫くしたら廊下が騒がしくなった。

どうやら偽者祭りが始まったらしい。俺もそれに便乗しよう。

涼宮さんはとにかく慌てて。

 

 

「み、みんなどうしたの? 何で部屋から出てきたの?」

 

「そういうお前はどうなんだ」

 

「……変な夢を見たのよ。あんたが部屋にいた。でも、全然似てなかったわ」

 

「奇遇ですね。僕もそうなんですよ」

 

「言っておくが俺はずっと部屋に居たぞ」

 

「あたしのところには、涼宮さんが……」

 

まるで"スタンド攻撃"だ。幻覚に幻聴、精神恐慌だよ。

そして部屋から出てきた宇宙人二人組は。

 

 

「……」

 

「ゆ、有希!?」

 

長門さんはその場に崩れ落ちた。

苦しそうな顔をしながらも朝倉さんはこっちに近づいて。

 

 

「ふ、ふふっ。あ、なた……本物ね……」

 

「朝倉さん、今回はかなりキてるよ。今月はどうも厄月だ」

 

「…ほんと………ずいぶんと悪趣味な、女ね……ぜんぜん明智君を理解してないんだもの……」

 

「気持ちはわかるけど朝倉さんの方が心配だ」

 

「あなた、勝手に死んだら――」

 

許さない、だろ?

こちらにもたれかかる朝倉さんを支える。

最早俺は怒る気にもなれなかった。ただ、悲しい。

 

 

「涼宮さん。二人ともかなりの高熱らしい」

 

「涼子まで!? ……二人をベッドまで運んでちょうだい」

 

「では長門さんは僕が」

 

「病人相手だ、水枕はあるかな」

 

「キョン!」

 

「わかったよ」

 

彼からは焦りの表情があったが今はそれどころではない。

涼宮さんの呼びかけに答えて足早にこの場を後にした。

そして俺はパズル遊びになんか、興じるつもりは全く無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝倉さんをベッドへ運び、俺は後を女子に任せる。

何気なくエントランスまで行ってみると、古泉とキョンがそこに居た。

 

 

「……明智」

 

「ここから"出られない"って感じだね」

 

「あなたの方は、何かあったようですね」

 

「周防九曜から伝言があった。どうやら狙いはオレらしい」

 

「はあ?」

 

「なるほど……」

 

「どういう事だ、長門や朝倉を追い詰めて非力な俺を狙うのはわかる。ハルヒもな。だが、明智が狙われる必要がわからん」

 

「オレにもさっぱりさ。でも、オレがこっちの世界へ戻れた事ときっと何か関係している。そのためにあの日、急進派の宇宙人が行動したんだ」

 

「……」

 

古泉は心当たりがあるらしい。

きっと、俺が何故そうなっているのか、その一端を知っている。

いつになく真剣な表情の古泉は。

 

 

「明智さん」

 

「何かな」

 

「あなたはお察しでしょうが、今はまだ僕の口から何も言えません。その確信がないのです」

 

「オレだってオレの全部を知らない。おあいこさ」

 

そう、朝倉さん。いや、みんなに話していないことがあるのは俺も……。

もっと言えばSOS団は仮面同好会だった。だが。

 

 

「でも、朝倉さんだけはそうじゃない」

 

「……ええ」

 

俺が好きになった朝倉涼子は朝倉涼子だ、宇宙人だろうが、精神的超越者だろうが関係ない。

何であろうと好きなのだから、きっと救われない。独善者ってのはいつの時代もそうだ。

それに今回だって本当に狙いが俺なら、朝倉さんは俺が巻き込んだようなもんだ。

勝ち負けじゃない、周防との決着を俺はつけたかった。

散々俺を馬鹿にした宇宙人との、決着を、納得を。

 

 

「どうするつもりですか?」

 

床に手をかざし、"入口"を設置した俺を見て古泉が聞く。

おいおい古泉、半年以上の付き合いじゃないか、愚問だ。

 

 

 

 

 

 

「どうもこうもない。ただ、周防に呼ばれたから行く。……それだけだよ」

 

 

 

俺が入口に呑まれてく最中、キョンの「さっさと戻ってこい!」という叫びを耳にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外の吹雪は、更に激しさを増している。

 

 

 

 

 



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第三十九話

 

 

 

 

俺の"臆病者の隠れ家"

 

それには戦闘で活用できない原因となる致命的な欠点が二つあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一つ、敵地での直接戦闘には使えない。

基本的にこの能力を戦闘で使うような場合は奇襲ありきだ。

まして、初めて行くような場所では入口出口を設置しなければ攪乱にさえ使えない。

確かに設置をしなかったとしても一時的に身を隠したり、戦線離脱には使える。

だが周防と対峙した住宅街の一角のように初見の場所で、しかも正面堂々の戦闘には何ら役立たないのである。

入退室をするだけで隙が生じてしまう。それを敵が黙って観ているわけがない。

 

 

 

もう一つ、それは設置の条件だ。

床や壁……と言えば漠然としていて具体的にはわからないだろう。

要するにこの能力は三次元上に固定されたフラットな"面"にしか入口と出口を設置できない。

外は猛吹雪の雪山だ。周囲には何もないし、足場は雪に覆われている。設置は不可能。

 

 

 

つまり、今回も役に立ちそうになかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この洋館に入る前、俺は既に扉近くの壁に別の"入口"を設置していた。

原則不可能な部屋と部屋への移動。それを、マスターキーを使うことで俺は外に出たのだ。

因みに今俺の服装はボードウェアではない。普段着るジャケットに手袋、下は普通のズボン。

内側に上下で保温性の高いウェアを着用しているので多少マシではあるが吹雪の中を行くには無茶な格好である。

しかし、運動性を考えればこっちの方が良いのだから仕方ない。

 

 

 

 

洋館の扉の前に立ち、叫ぶ。俺の眼の前にそいつはいたのだ。

冷酷、残忍、狂気、人型イントルーダーの。

 

 

「周防九曜!!」 

 

「――――」

 

まるで全然寒そうな感じではなく、イントルーダーは制服姿で吹雪の中を立っている。

どうやら彼女は俺とイーブンな条件ではないらしい。つくづくアウェーである。

 

 

「――明智黎。……ここで始めようかしら?」

 

「その前に、ちょっと話そう。どうせ君と語り合うなんて機会は滅多にないんだからさ」

 

「――」

 

周防の眼差しは、勝手にしろと言わんばかりのものだ。

俺は何故かこの段階になってようやく冷静になることが出来た。

それは恐怖、怒り、悲しみ、といった戦闘に余計な感情を一切排し、結果的に俺にある疑問を残す。

 

 

「周防九曜。君は何がしたいんだ?」

 

「それはわたしの目的。……についてかしら」

 

「広域帯宇宙存在、天蓋領域の代理人。その役割は情報統合思念体との対話。それはいい。中河氏の能力消去を妨害したのは、彼にその任務の手伝いをしてほしいから……筋が通っている」

 

「……それがどうしたの」

 

「だが、今回はどうなんだ? 君に何の意味がある? この状況下こそ、中河氏を利用する最大のチャンスのはずだ」

 

「――」

 

「君がオレに接触するメリットもない。あの時姿を現したのも、"わざと"でしょ」

 

「さあ……意味がわからないわね…」

 

「君の任務は情報統合思念体との対話、だがジェイの依頼はオレへの接触。そう、ここもまだ解る。オレを通して朝倉さんに通じる事も出来る。だが」

 

そう、周防九曜。

彼女には腑に落ちない点が一つだけある。

 

 

「君は、何故谷口と付き合っているんだ?」

 

「――――!」

 

周防の目が大きく見開かれる。

でも、もう谷口をフったのかもしれないけど。

……そこは敢えて言わないし聞かないでおこう。

 

 

「最初から君は気づいていたんだ、谷口はただの一般人、部外者もいいとこだって」

 

「……違うわ」

 

「違うだって? そんなわけないだろ。ジェイと通じている君が、天蓋領域の代理人が谷口について誤解するはずなんてない。"誰か"と間違えるわけがないんだ」

 

「――」

 

残された可能性としては谷口もかつての俺と同じようなイレギュラーだという説。

だが、それは限りなくゼロに近い。そんな動きは今の所無いのだから。

 

 

「君はきっと、この前の中河氏の時は何も思わなかったけど今回ばかりは違う。君は"悩んでいる"んじゃないのかな?」

 

「――あなた、本当におしゃべりが過ぎるわ」

 

その言葉には明確な敵意があった。

しかし、こっちのペースにはならないだろう。

 

 

そうかい、谷口はどうなったんだろうな。ま、さっさと俺も解決したいんだ。

……年越しそばが数少ない楽しみの一つでね、いつも安物のエビかき揚げを乗せている。

今年はちょっと豪華だろう。何せ『機関』や鶴屋さんが提供してくれるのだ。

そんな考えはさておき、周防に一つだけお願いしてみる。

 

 

「最後に聞きたいんだけど、このまま帰ってくれないかな。ここからみんな出してくれれば充分だ……そういう決着も、まあ、悪くないと思う」

 

「交渉には応じないわ、……明智黎」

 

わかってたさ。

ただ、義務みたいなもんだよ。自分を正当化するための。

君がそう言うならさっさと始めた方がいい。お互いやりづらくなる前に。

 

 

「場所を変えよう。ここじゃあれだ、こんな見事な建物壊したくない」

 

「――――」

 

周防は無言で先行していく。

俺たち二人は洋館を後にした。

きっともう、ここには帰らないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どれくらい歩いたかは知らないが、洋館の影も形もない場所へ出た。

おそらくSOS団が遭難中に通過したどこかだろう。

俺と周防は移動中無言だった、まさか俺は不意打ちするはずもなく、彼女もしなかった。

こんなことする割には礼儀正しい奴だ。好感が持てるね、嘘だけど。

やはり、こいつも結局は"大きい何か"に利用されているだけにすぎないのだ。

 

 

 

 

そうして俺たちは再び対峙した。

正直なところ、今回も相変わらずに周防の威圧感は凄まじい。

俺の眼の前に居るのは底知れぬ恐怖。人は、未知なるものに恐怖するらしい。

だが、もう俺は逃げ出すわけにはいかない。今度こそ彼女にフられちまう。

周防の相手は不本意だが、今やれるのは俺しかいないのだ。

 

 

今度は、"半歩"、前へと踏み出す。

俺の様子を見た周防はわざとらしく。

 

 

「今回は大丈夫なのかしら……?」

 

「……君がオレを追い詰めたんだ。オレは昔からそうでね、追い詰められて力を発揮するタイプじゃなくて、追い詰められなきゃ力を発揮できないタイプなんだ。もっとオレを追い詰めろ」

 

「ただの戯言ね……」

 

そう言う割に周防は何故か饒舌だった。

イントルーダーの感性もなかなかに謎である。

確かなのはこいつもただのアンドロイドではない、憎たらしいが、俺に言わせりゃ人間だ。

きっと、あの急進派、偽者の宇宙人もそうだった。

 

 

「今回……わたしの任務は明智黎の調査…」

 

調査だって?

天蓋領域がそんな指令を出すとは思えない。

つまり、これはやっぱりあのアホが関係しているらしい。

 

……本当にこの世界に今、あいつは居ないのか?

だとしたら、あいつは恐ろしいまでの計画を練っていると言える。

平行世界移動、"カイザー・ソゼ"、そして3年前に消えた"急進派"。

これらの符号が意味するものは――。

 

 

「――まさか、とっくにご存じなんだろ? これ以上オレについて何を調査すると言うんだ、みんなを巻き込んでまで」

 

「あなたの潜在性。……場合によっては抹殺も許可されている」

 

「どういう場合だって?」

 

「わたしの裁量」

 

「……どっちにしろ、君を避けては通れないって訳かな」

 

「――」

 

沈黙は肯定か。

 

左手袋を外し、腕を水平に伸ばし、遠くの周防へ向けて親指を立てる。

その動作を見て周防は警戒した……。が、俺が今するのは攻撃じゃあない。

ただの確認だ。

 

 

「平行、約5倍……、17メートル前後ってとこか」

 

概算であるが、ちょっとした距離算出法だ。

戦闘ではこんな小技も使えればそれなりに役に立つ。

そしてここが異空間だからだろうか。吹雪の中にも関わらず、お互いの声はよく通る。

周防は得意げに。

 

 

「――あなたはこの状況でわたしに接近する事さえできない」

 

「それは驚きだ。てっきり、君から仕掛けてくると思ってたからね」

 

「"取るに足らない"と言ったはず。……仮に、接近してもそれは変わらない………」

 

残念だが事実だった。この距離を詰めるのには一苦労しそうだ。

俺が最大限に身体強化をしたところで足場が足場だ、通常の何倍もの時間がかかる。

普段は17メートルを移動するのに2秒とかからないが、今回ばかりはそうもいかない。

そして、俺のスピードにも周防は何故か平気で対応してくるのだ。

彼女は余裕の表情で。

 

 

「『どこからでもかかってきなさい』と、言うのかしら……わたしとあなたは兎と亀。のろのろと、向かってきなさい」

 

これが噂に名高い周防スマイルか。

確かこれに谷口が惚れた……んだっけ?

 

 

でも、悪いが、俺は浮気なんかするつもりはない。

星の廻りによってはどうなってたか知らないけど。

ifは後悔を生む。

なら、考えない方がいいのだ。そうだろ。

 

 

 

 

そして17メートルなら、"届く"。

少しばかり練習不足だが、山でそれなりに訓練は出来た。

 

 

 

再び左手を前に向け水平に伸ばし、俺は言い放つ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――防いでみろ、周防九曜」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その瞬間、彼女の上半身が勢いよくのけ反った。

あわや転倒スレスレだったが、起き上がる。

……外傷はなし。一瞬で防御してみせるなんて恐ろしい反応速度じゃないか。

周防は驚いた声で。

 

 

「明智黎――何をした―――」

 

「眼が悪いんなら、ひと眠りして疲れを取った方が良い。"兎さん"」

 

「―――危険性を確認」

 

どうやら、ようやく臨戦態勢らしい。

今この瞬間にも俺は周防との力量差を感じている、が、もう二度と彼女に精神では負けたくなかった。

俺は、再び彼女に腕を向け、放つ。

障壁が展開され、再び防がれてしまう。

 

 

「……危険性が一段階上昇。攻撃を解析、12ミリの球体発射を確認。時速159.1キロを計測」

 

「まるでスーパーコンピュータじゃないか」

 

もうタネが割れるとはね……。

更にお見舞いする、が、阻まれ続ける。

限りがあるから無駄撃ちは出来ないし、この寒さで俺の指にも限界はある。

一旦ポケットに左手を突っ込む。この間に少し接近できたが2メートル詰めれたかどうかだ。

 

 

 

しかし次の瞬間、明らかに周防から発せられる威圧感が巨大なものになった。

あれが"ターミネートモード"だろうか、取るに足らない俺一人相手に熱烈な歓迎である。

最早俺の心の支えは朝倉さんだけだ。だが、"それ"は周防、お前には無いんだぜ。

 

 

「――」

 

無言で周防が右手を振るったかと思えば、次の瞬間には積もった雪が勢いよく吹き飛んでいく。

衝撃波、いや、真空波って奴だ。横っ飛びで回避するが、これはきつい。

直撃しても即死は無いだろうが、かなりのダメージになる。

 

 

「ちょっとは手加減してくれないかな」

 

周防は足元の雪などまるで存在しないかの如く右へ横移動。

変化球を仕掛けるつもりのようだ、素早く動けるあちらが有利。

そしてどうやら早くもこの技の欠点に気付かれたらしい。

やれやれ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――さて、ここで一旦俺が周防に仕掛けた攻撃について説明したい。

 

 

握り拳を作り、親指の溝に物体を乗せ、正面の相手に放つ。

いわゆる"羅漢銭"。……ではなく、ただの指弾だ。一発500円は高いからね。

今回使用したのは12ミリメートルスチール製ボールベアリング。

単純な遠距離攻撃ではあるが、オーラで強化した手から放たれる一撃は銃弾のそれと大差ない。

初速だけなら160キロ近くを叩き出せる。

 

 

だが、これにも弱点がある。

しかも多い。

 

 

 

その一、言うまでもなく残弾数だ。

デットウェイトにならない程度かつ十分に取り出して扱える量。

左右のポケットに10発の計20発がいいところだ。

現在3発撃ったのでベアリングは残り17発。

 

 

 

 

その二、射程距離。

届くだけなら遠くへ飛ばせるが、実践レベルの威力射程は20メートルがギリギリ。

正直なところ拳銃を撃つ方がよっぽどマシな気がしてくる射程だ。

でも普通手に入るもんじゃないし、俺は殺しがしたい訳ではなかった。

……とにかく、仕方ない。

 

 

 

その三、直線的な攻撃しか出来ない。

「何を当たり前な」と思うかも知れないが、銃が動きながら撃てるのに対し、この技はそうもいかない。

俺が達人レベルまで指弾を極めれば別なのだ。動いている相手に、俺も動きながら当てるのは現状では厳しかった。

そういう意味で"直線的な攻撃"と形容させてもらう。

 

 

 

そして今回雪山と言う特殊条件下に限り発生する問題。それは"寒さ"。

……おいおい"寒さ"まして"雪"を馬鹿にする事なんか絶対に許されない。

フランス皇帝ナポレオンさえ冬将軍のせいでロシアに勝てなかったのだ。

指弾の特性上、まさか手袋をしたまま撃てる訳がない。素手を強いられる。

悴んでまともに指を動かせなくなった時がこの技の打ち止めとなってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

周防は移動しながら攻撃を仕掛けようとする。

俺の眼の前に居なければ、狙うまでに時間がかかると判断したのだろう。

だが。

 

 

「想定内もいいとこだ」

 

弱点とは往々にして利用、あるいは克服されるためにある。

それをしないのはただの怠慢だ。惰性以下でしかない。

右手も手袋を外して、ベアリングを掌に乗せて逆手にする。

そして左中指を弾き右斜め方向に居る周防へ向け発射。

威力、精度ともに落ちるが、けん制には充分だ。

 

 

「――プロテクト」

 

しっかりそれを防御した周防は。

 

 

「……危険性は維持」

 

「そいつはどうも」

 

すると急に立ち止まり、何やらぶつぶつ呟いたかと思えば指先をこちらに向け。

 

 

「――標的、明智黎の鎮圧化を目的とした空間爆発の許可を申請」

 

って、爆発だと、何言ってやがる! 

潜在性も何もあったもんじゃない。殺す気満々じゃないか。

とっさに"マスターキー"を具現化し、最大速度でその場から移動する。

ベアリング指弾を狙う余裕はない、空間攻撃には座標を指定させないのがセオリーだ。

 

 

「……承認を確認。シーケンスを実行」

 

「は……?」

 

「――――」

 

……実行? 

その言葉が聞こえてから十数秒は経過した。

だが爆発なんてどこにも起こってないぞ、と思ったその時だった。

突然周防は愉快な声で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――"防いで"みなさい、明智黎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺たちが居たのは、何度もしつこいようだが平坦な雪道。

 

斜面なんかまるでないのに、左方向からそれは勢いよく流れ込んで来た。

 

 

 

 

 

雪の大波。

 

 

「……こりゃマジかよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――人生初の、雪崩だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 












"距離算出法"

やり方さえわかれば今すぐ誰にでもできる簡単な技。
標的を基準に視覚情報から自分と標的との距離の概算を割り出す。
【ダイヤモンドは砕けない】で吉良が使用したものとは原理が異なる。




吉良が使用したのは三角関数の応用、相似を利用したもの。
必要な情報は。

・自分の腕の長さ
・自分の人指し指の長さ
・標的の高さ(身長)
・標的が自分の指と比較してどう見えるか(視覚情報)

の4つ。

例として腕74cm、指10cm、標的170cm、標的が指の1つ分に見えたとする。
この時 170:10x(視覚情報はx倍となる) = 未知数:74 となる。
これを解くと、 = 1258cm となり間隔が約12メートルだとわかる。
標的が指の1/2ならばこの距離は倍になり、標的が指の2倍なら距離は半分となる。

欠点は標的の高さを知っている必要がある事と、長さがわかりにくい時がある事。




それに対し明智が使用したのは形態学の応用、目の間隔と腕の長さの比率を利用。
必要な情報は。

・相手の横幅
・平行移動した倍数(視覚情報)

の2つだけ。

標的に向けて腕を伸ばし、指を立てる。
この時片目で見た後に、別の目に視界を切り替える。
そして標的の横幅を基準に、指がどれだけ移動したかを計算する。

例として、周防の肩幅を女子の平均である35cmと仮定。
明智は視覚情報から移動した指の距離が周防5人分と判断した。
この時 35cm × 5(視覚情報の倍数) × 10 (腕の長さは目の間隔の約10倍)
となり、 = 1750cm つまり約17メートルだとわかった。




どちらの算出法も良し悪しだが、結局は概算。
ただしこれを使う事で距離感覚を養う事が出来る。




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第四十話

 

 

 

 

"詰み"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この二文字を結論付けるのに俺の脳はコンマ一秒とかからなかった。

俺と周防の距離はまだ十五メートル以上は離れている。

周防に接近すればチャンスはある――まさか自分は雪崩に巻き込まれない――だろうが、その距離を数秒で詰めれない。

"臆病者の隠れ家"の入口も地面に設置できない。残りの時間では穴を掘れそうにないからだ。

 

 

「どうしようもないな……」

 

気絶さえしなければまだ脱出の可能性はある。

一番怖いのは窒息、そして雪の硬さ。

雪の硬さを舐めてはいけない、埋まったが最後、容易な脱出が出来ないのだ。

眼前に雪崩込む雪流、ああ、これが走馬灯ってやつか――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――涼宮がクリスマスパーティ、ね」

 

十二月十九日。

こっちの世界に戻ってきて、谷口をSOS団クリスマスパーティに一応誘った時の事だ。

俺とキョンの説明を聞いた谷口と国木田は。

 

 

「悪いが無理だな、予定がある」

 

「僕も遠慮するよ」

 

という反応であった。

何かを明言していない国木田はさておき、キョンは驚いた様子で。

 

 

「お前……この前言ってたのは嘘じゃなかったのか」

 

「あん? 俺はお前ら相手に嘘なんかついた覚えは一度もないぜ」

 

「……確かに」

 

「普段の行いのせいじゃないかな」

 

「脳内が桃源郷なのは確かだと思う」

 

キョン、国木田、俺の順番で谷口への熱い精神攻撃が開始される。

しかし今回――というかいつもだが――谷口の耳には届かない。こいつ、涼宮さんみたいだな。

 

 

「ハッハァ、何とでも言え。今年の俺にはしっかりとした相手が居るんだからよ」

 

「お前がそこまで言うとはたいそう美人なんだろうな」

 

「AAってほどじゃないな……ま、お前んとこの長門有希に似てるかも。A-だな」

 

「充分じゃねえか……」

 

「どうやって知り合えたの? そんな人」

 

いかにもコネが欲しいと言った様子で国木田は谷口に聞く。

この半年以上を通して国木田も中々の腹黒さがあることを俺は理解している。

だが谷口はそんな事もわからず、調子よく。

 

 

「愚問だな。ついに日頃の成果が出ただけだ」

 

「……ナンパか」

 

「ナンパだね」

 

「どうもこうもないな」

 

「うるせえ!」

 

こいつの精神力はかなりのものである。

夏休みで懲りなかったのだけは確からしい。

言っても谷口は顔がいいので――キョンに目が死んでると言われた俺よりは活き活きしている――不思議ではない。

普段のこいつを散々見ているから俺たちは信用してないだけなのだ。

 

 

「せいぜい頑張ればいいさ。俺のアドバイスは黙ってることだ」

 

「谷口は口で損してるからね」

 

「オレはノーコメント」

 

「使えない連中だぜ。そもそもよ、イブに変な仲間内で集まって鍋をつつきあうなんて、モテない連中のするこった」

 

と言うと谷口は俺を見た。

 

 

「え? お前はどうなんだよ、明智」

 

「何だよ」

 

「昨日朝倉と休んだあげく、まさかイブは本当にそのクリスマスパーティとやらに出るつもりか?」

 

「休んだのは看病だよ。冬の風邪はきつい。そして部活に出るかと言えばイエスだ」

 

「いや、お前すげーよ、うん、マジで」

 

何を褒めてるのかは知らないが、朝倉さんもSOS団の一員である以上は強制参加なのだ。

部外者のこいつにはそれら一切の世知辛さは伝わる事がないだろうが。

 

 

「谷口、これはあまり言いたくないがクリパだって永遠にやるわけじゃない……」

 

「あっ……」

 

「明智はいいねぇ」

 

途端に俺が悪者、いや負け犬ムードになってしまう。

馬鹿な、"勝っている"のは俺の方だと言うのに。

そして谷口は肩をポンと叩き。

 

 

「ほどほど、にな……」

 

とだけ言って国木田と共に去って行った――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――おい、これが走馬灯かよ。

もっと他にフラッシュバックすべきなんじゃないのか、そう、朝倉さんの発言とか、朝倉さんとか。

 

 

「――終」

 

そうかい。

"マスターキー"を強く握り、覚悟を決める。

悪いけど、今回こそは死にそうだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――標的、消失。……派手に吹き飛んだのね。…まるで、ひっくり返された亀………」

 

周防九曜は笑わない。

雪崩も彼女を避け、今も尚人型イントルーダーは雪山に立っている。

踵を返し、その場を後にしながら呟く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう。これでいい――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「周防、何が楽しそうなんだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勢いよく右手で殴りつける。

だが、左腕でガードされてしまった。

 

 

「――異世界人―――何故―」

 

「さあな。でも、ご期待通りの結果……らしいぜ」

 

俺の手に握られていた"マスターキー"

それは、ついさっきまで銀色であった。

だが今はそれが変化している。形こそ前と同じ出来損ないの刀のようだが、色が青に変色した。

 

 

 

死を覚悟した瞬間、俺は比喩じゃなくこの世界から消えた。

いや、"実体が無くなった"と言うべきだろうか。

意識や移動は出来るものの、物体への干渉が一切できない。

さながら"ゴースト"だ。

そして。

 

 

「これは"マスターキー"なんかじゃない。なんとなくだが、ほんの少しだけ理解できたよ」

 

「標的の行動をトレース、不可能」

 

「……どうにかこうにか、ようやく君に接近できた」

 

やられたらやり返す、それだけ。

左手に出来る限りのオーラを集中させ、再び殴りぬける。

周防は障壁でガードするが。

 

 

「――!」

 

「悪いけど、古泉が言うにはSOS団は少しばかり非常識な存在らしい」

 

バリアブレイクって奴だ。これで破れなかったら今度は正拳突きの修行をする羽目になっていた。

そしてそのまま周防の頭に――

 

 

 

 

 

 

 

 

――ゴチン

 

 

 

 

 

 

 

 

「……くっ」

 

オーラで強化なんかしてない、普通の拳骨を落とした。

痛いってのがあるかは知らないが、少々苦しそうではある。

痛覚が無くても、身体上鈍痛があるってのは事実なんだ。

周防は恨めしそうな目で。

 

 

「……殺す気はないのかしら……?」

 

「まさか」

 

しかし彼女はどうにも不服そうである。

まったく……。

 

 

「殺す気が無いのはお互い様でしょ。雪崩なんか発生させなくても、情報統合思念体の介入が無い以上君はオレに好き勝手出来たはずだ」

 

「――――」

 

「例えば、金縛りにあわせるとか」

 

「……やらなかっただけよ」

 

「"だから"だよ。やっぱり君は悩んでいたんだ」

 

そして揺らいでいた……与えられし任務と自分の興味の間に。

まるで周防のそれは、かつての彼女のようだった。

 

 

「君は情報統合思念体や、オレの潜在性なんかより、ただ、人間のことを知りたかっただけなんだ」

 

「――嘘」

 

「それは君が決める事じゃないしオレでもない」

 

「ふざけないで」

 

「最初から茶番さ。だから君も悩んでたんだ」

 

結局、周防九曜もどうしようもなく人間だった。

……だが、あいつは違う。

 

 

「好きに報告しなよ。もう充分でしょ? あそこから一発逆転出来たらオレながら凄いと思うんだけど」

 

「―――」

 

「あ、これは頼みなんだけど、谷口と仲良くしてやってくれよ。あいつ、オレなんかよりはよっぽど良い奴だよ」

 

「――そう」

 

周防は興味が失せたかのように、この場を後にしていく。

俺もそれを追いかけるつもりはなかった。

 

 

「………次に会う時はきっと、殺し合いね」

 

「ティーパーティにしようよ」

 

「――」

 

そして次の瞬間には姿が消え、周りの背景が解け始めていく。

やっぱり律儀な奴じゃない――。

 

 

「――か」

 

俺はその場にバタリと倒れる。

それは精神的疲弊ではなく、完全なエネルギー不足から来るものだった。

俺のオーラ総量は恐らく5~6万。指弾や武器の具現化だけではここまで疲弊しない。

 

 

「ぐ、ひどすぎんだろ……」

 

何故か発現した能力。

暫定的に"透明化"とでも呼ぶことにするが、あれだけで残りをほぼ全て持ってかれた。

俺が実際に消えていたのは十秒前後だが、その間だけで4万オーラ以上は消費している計算となる。

とてもじゃないが"使える"もんじゃない。最後のは、文字通り全身全霊の一撃だった。

 

そして最後の謎は、俺の精神。

俺は何故か周防をボコボコにしなかった。まあオーラがないから出来なかったけど。

それでも偽者の時とは違った。妥協こそしなかったが、容赦がないって感じじゃない。

これが本当の成長なのだろうか? 少なくとも、真実には近づいたんだろう。

 

まあ、イントルーダー、お前の敗因は一つだよ。

 

 

「周防……さ、……は…な。亀が……」

 

そして俺は意識を手放した。

ゼノンのパラドックスなんかまるでアテにならない。

 

 

 

最後に勝つのはそう、歩き続け、妥協しなかった"亀"なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――起きなさい」

 

という声と同時に俺の右頬はビンタされる。

ん、あ、朝倉さんじゃないか。

 

 

「あなたは最上級コースを滑っていたら、制御できずに転がって気絶した……という事になってるわ」

 

「……ここは?」

 

「スキー場よ」

 

どうやら、戻ってきたようだ。

俺がどれだけ気絶していたのかは謎だが、確実にオーラがすっからかんなのは確かだ。

厳密にはオーラじゃないらしいが、俺がロクに動けない状況なのは事実。

情けないが、仕方ない、限界です……。

 

 

「朝倉さん」

 

「ん?」

 

「これ、女の子に頼むような事じゃないんだけどさ、……オレ自力で立てそうにない」

 

申し訳ないがこれで周防に勝ったとは言えない。

どちらかと言えば勝ち逃げに近いだろう。

あのまま戦っていたら俺は最早何も出来なかった。

やれやれね、と呟いた朝倉さんが俺の左手を引っ張り上げる。

男らしさの欠片もない、肩を貸してもらっている状況だ。

朝倉さんは現在スキー用具を装備していないが俺のボードも持ってもらっている。

そして俺の服装はスノボウェアに戻っていた。謎だ。

 

 

「みんなはどうした……?」

 

「さあ、突然スキー場に戻ったもの、古泉君が集団催眠って事で片付けてたわ」

 

「ゴリ押しだね……」

 

「いつも通りじゃない。……さ、戻るわよ。帰りの車が来るって言うんだもの」

 

「帰るって言っても合宿はまさか中止じゃないだろ? 鶴屋さんの別荘だよね、でもここからそんなに遠くない……」

 

「涼宮さんが長門さんに無理させたくないそうよ。私も必死に言われたんだけど、あなたを起こす方が大事だもの」

 

涼宮さんはきっとあの館でのことを引きずってるのだろう。

実際は夢という形で落ち着いたが、宇宙人二人が倒れたのは本当だ。

 

にしても朝倉さん。嬉しいこと言ってくれるじゃないか。

その思考回路が末恐ろしいのは何でだろうね。きっと気のせいだろう。

これで少しは見栄を張れればいいのだが、いや、マジで無理だった。

走れって言われたら朝比奈さんより先に転ぶ自信がある。

 

 

「じゃ、オレもそれに乗せてくれ」

 

「だからさっさと戻るのよ」

 

「オレは馬車馬じゃないんだけど……」

 

「何処に寄り道するのかしら?」

 

「……善処するよ」

 

コースの中腹からスキー場を出るまでに三十分近くかかったが、まあ、許してほしい。

車も立派な文明の利器だと思ったね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「にゃ」

 

「そうか、お前はオレの話がわかってくれるのか」

 

「にゃあ」

 

「キョンはよ、くたくたのオレに対して馬鹿にしてきたんだぜ。本当にスノボが原因で気絶したと思ってたんだとよ」

 

「……」

 

「酷いよな? お前の飼い主さんは」

 

シャミセンはそれに応じるように喉をゴロゴロ鳴らす。

今やこいつだけが俺の癒しだった。お腹をもふもふし続ける。

それを見かねたこいつは。

 

 

「おい、さっさとシャミセンを開放してやれ」

 

「お前に散々馬鹿にされたから嫌だ。シャミだけが味方じゃないか」

 

「朝倉はどうした?」

 

「逆に聞くけど、オレと朝倉さんがべたべたしてて、それを見てキョンは平気でいれるの?」

 

「………はあ。気が済んだら放してやれよ、そいつは妹の遊び相手だからな」

 

猫で遊ぶとは感心しない。もっと可愛がってやれ。

キョンはそう言うと俺の部屋から出て行った。

 

しかしながら何とかまともに歩ける程度には回復しつつあるが、それでも厳しい。

念能力者にとってオーラの枯渇とは戦闘以前に生命活動さえ危うくなるのだ。

ベッドの上で横になりながら腹にシャミを乗せていると。

 

 

「どうも」

 

「帰っていいよ」

 

「いえ、お礼がまだでしたので」

 

何やら今回俺のおかげなのか不明だが、こいつらが脱出ゲームを完了させる前に俺が周防を撃退したらしい。

あれ自体に大した意味はないからフラグ回避にも何にもならないだろうけど。

だがな古泉。

 

 

「ヨイショしたのはお前じゃないか。オレなんか雪崩に呑まれそうになったんだよ。ゆきのまだよ」

 

「ええ、ですから『機関』を代表してお礼をさせていただきます」

 

「じゃあ明日、年越しそばのエビ天を二本にしてくれ。そもそもエビ天だよな? かき揚げじゃないよな?」

 

「いいでしょう。その程度、いくらでもかまいませんよ」

 

「オレにとっちゃ切実な問題だったんだ」

 

「ふぎー!」

 

何故か急にシャミセンが俺の腹から降りて、そのまま部屋を飛び出していった。

馬鹿馬鹿しいとでも思ったのだろうか。あのオッサン猫は。

 

 

「とにかく、無事に戻ってこれて何よりでした。こうしてまた世界は平和になったのです」

 

「平和って何なんだ……」

 

「僕にとっては涼宮さんが安心して生きていける事です」

 

「お前は親かよ」

 

「明智さん、あなたはどうなんですか?」

 

「その質問はオレの返しが聞きたくて訊いてるのかな」

 

「真面目にですよ」

 

何で年末の別荘。

しかも外は雪だと言うのに野郎二人でそんな話をするんだ。

そういう恥ずかしい話は普通、夜寝る前にやるもんだぜ。修学旅行か。

それに礼が済んだのならさっさと出てって欲しい。

 

 

 

……ま、今年もじきに最後だから、許してやるよ。

 

 

「愚問だね。朝倉さんに決まってるじゃないか」

 

「ふふっ。これは失礼しました。では」

 

ようやく古泉は部屋を出て行ってくれた。

にゃんこ先生が居ないので現在の俺は一人ぼっちだ。

……けど。

 

 

 

 

「何故だろうな……今回は、"巻き戻し"の時や"別世界"に飛ばされた時と違って、孤独感が無い」

 

虚偽の充足なのだろうか。

それでも俺は何かが変わる気がした。いや、俺だって世界を変えられるのだ。

俺は、どうやら気づかぬ内にメインキャストにさせられていたのだから。

そして願わくば、あのイントルーダーも変わってくれればいいのだ。

朝比奈さん(大)の言う事が、確かな事実であれば、だけど。

 

 

しかし、確信をもってただ一つ言える事がある。

 

 

 

 

 

 

「今夜はきっと吹雪かないだろうさ」

 

もう充分雪は降らせただろ?

吹雪の中はどこから周防が出てくるかがわからないから怖いんだよ。

いつも古泉みたいにニコニコすればいいのに。

 

 

 

 

 

 

――とりあえず。

 

 

頼んだよ、そこに居る誰か。

 

 

 

 

 



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一富士、二鷹、三ナイフ

 

 

 

先ずは簡単な報告から始めたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遭難した翌三十一日に鶴屋さんの別荘に多丸兄弟が合流した。

で、彼らが到着するや否や推理ゲームが始まったのだが。

 

 

「おい、お前な……どこから用意して来たんだこいつら」

 

「苦労しましたよ」

 

涼宮さんと鶴屋さんが『犯人はシャミセンをアリバイに利用しているのではないか?』

という点に気付くまでは良かったのだが、肝心のシャミセンいや三毛猫がとんでもない事になっている。

キョンは頭を抱えながら。

 

 

「何匹居るんだ……」

 

「ざっと7匹。本物のシャミセンさんを含めて8匹になります」

 

「わー! ねこさんいっぱいだよー」

 

キョンの妹氏は何匹も猫たちを捕獲しようとわたわたしている。

こうなればアリバイも何もあったもんじゃない、ぶち壊しである。

原作の「猫は『二匹』あったッ」も中々であるが今回はそれなりに苦戦してくれた。

いや、前回の夏合宿がとんでもなかったんだよ。俺が何かやったら直ぐ疑われるし、キョンに。

その後、涼宮さんが居ない所で。

 

 

「こいつらどこから連れてきたんだ」

 

「ちょっとしたインチキですよ」

 

「本物のシャミがわからなくなるから、もういいんじゃないかな」

 

俺がそう言うと宇宙人二人が高速詠唱を始めた。

すると。

 

 

「おい、三毛猫じゃねえじゃねえか」

 

「キョン、流石に毛染めは可愛そうでしょ」

 

「視覚情報を操作。人間の認識能力はそこまで優れていない」

 

「……と、いう訳です」

 

8匹もウロチョロされたのでは"猫と行動を共にする"というアリバイ自体があやふやなものとなる。

難易度を引き上げると言うよりも、思考能力を低下させようという作戦であった。

事実、とてもシャミセンそっくりに"見えた"のだから。ま、パッと見じゃわからないし全員雄だ。

 

 

 

本当は最初、某大統領よろしくシャミセンを「連れて戻って来た」しても良かったのだが、無理だ。

そんな事出来るような状態まで回復してなかったし、そもそも元の世界へ帰してやれそうにないからだ。

とまあ三十一日は前日とは比較にならないまでに平和に終わった。

 

 

そう、エビ天は美味しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして新年、一月一日。

この日はスポーツが解禁され、ようやく何事もなく滑る事が出来た。

キョンはついに"ハの字"を体得したのだが妹氏はなんとパラレルターンまで出来るようになっていた。

 

 

「凄いじゃない! 妹ちゃん」

 

「えへへー ハルにゃんの真似したの」

 

「……マジか」

 

「お前も出来るようになるさ」

 

「ふん。どうせ今回だけだ」

 

何だかんだでキョンも負けず嫌いらしい。

 

 

まあ、この日はそんな事よりももっと大きな事件があった。

皆さんは"ニホンオオカミ"というものをご存じだろうか。いや、名前なら誰でも知っているだろう。

俺も剥製しか見たことが無い。何故ならば絶滅危惧どころか"絶滅"してしまっているからだ。

その、ニホンオオカミが。

 

 

「オ、オオカミ!?」

 

「ひぇぇ」

 

「……」

 

SOS団特製凧揚げに興じていると眼の前に現れたのだ。

その上オオカミの後を追うと子連れだと言う事が判明。

しかし、よく見ると子供の方は何やら足を庇っているようだった。

 

 

「ケガでもしてんのか?」

 

「罠か、銃創か、どっちかだろうね」

 

「あたしたちで助けてあげましょう!」

 

「……」

 

「かわいそうです……」

 

「あまり関わるのはよろしくありませんが、ケースバイケースでしょう」

 

「キツネなのかイヌなのかよくわからないわね」

 

どっちにも似ているが、そいつはオオカミだよ。

その子オオカミは新川さんによって治療され自然に返されたのだ。

だが、当然古泉もその異常には気づいていた。何だかんだこいつも物知りだ。

別荘の部屋、男子三人で話し合う事に。

 

 

「その絶滅したオオカミが出たのも、もしかしてハルヒの仕業だってか?」

 

「さあ……わかりません」

 

いつになく古泉は気が抜けていた。

珍しい光景で思わず写真を撮りたくなるね。

 

 

「ハルヒのカウンセラーみたいなお前が自信をなくしたってのか」

 

「いえ、やはり我々も認識を改める必要があるようです」

 

「なんかその手の話をちょっと前に聞いた気がするよ」

 

「我々とて何から何まで知っているはずがありません。未来人も、宇宙人でさえそうでしょう」

 

「異世界人はどうなんだよ」

 

「オレか? いやいや、期待しても無駄だって」

 

「涼宮さんの"それ"は人知を超えています。何が正しいかさえ本人は自覚していないのですから」

 

「それは古泉たち『機関』にとっては"いい傾向"なのか?」

 

「どうでしょう」

 

どうやらそれもわからないらしい。

もう『機関』が必要なのかさえ俺にはわからないよ。

 

 

「彼女に願望を実現する能力があるのは確かです。では、彼女はそれをどうやってコントロールしているのでしょうか?」

 

「はあ? お前らが言うにはハルヒは無意識でやってんだろ」

 

「ええ、ですがそれは表の涼宮さん……つまり探究心やストレスに引っ張られての形です。能力が先行することはないのですよ」

 

「そりゃそうだよ」

 

もしかして古泉の懸念は……。

 

 

「つまり、彼女がそれらに折り合いを付けれるようになった時。大人になった時『どうなるか』なのですよ」

 

「……その理屈で行くと何も起きなくなるんじゃないのか?」

 

「そうなるかもしれません」

 

「古泉、それが"一番怖い"……だろ」

 

「そうです。その場合、パワーバランスを無視して涼宮さんにあの手この手で接触しようとする輩は今までと比較にならなくなります」

 

どうにかこうにか自分たちに都合のいいようにって訳だ。

何も知らない涼宮さんを相手に。

 

 

「……知るかよ」

 

そしてキョンにはキョンの世界があるのだ。

だが、それは古泉からすれば"いい傾向"ではないらしい。

 

 

「明智さんは……もし」

 

「もし?」

 

「涼宮さんが仮にそうなったとします。そして彼女に危険が迫った時。あなたは、どうしますか?」

 

古泉のこの眼を知っている。

本当の覚悟、掛け値なしに全てを捨てる勇気。

俺がようやくわかりかけた、その先にこいつは居るのだ。

だったら、俺もそれなりの対応はしなくちゃいけない。

 

 

「わからないよ」

 

「……」

 

「お前」

 

「だけど一つだけ言えることがある。オレはオレの正義でしか動かない」

 

古泉はなんだか悲しそうな表情である。

キョンもそうだ。二人とも、結局涼宮さんの味方なのだから。

 

 

「でも」

 

「……あん?」

 

「他の勢力からして、涼宮さんが普通の女の子になる事が"悪い事"でも、彼女に干渉していい理由にはならないよね」

 

機関の前で言う事かはあれだが、最低限のプライバシーは彼女にあるべきだ。

すると、なんだか急に二人は笑顔になった。

 

 

「はっ。素直じゃねえな」

 

「何がだよ。とにかく、オレはどんな事があってもオレの味方だ。オレがどうするかはオレが決める」

 

「と、言いますと?」

 

「SOS団を敵に回す連中がもし現れたら、そいつらにわからせるのさ」

 

「ハルヒの恐ろしさをか?」

 

馬鹿言え。

 

 

「いいや、オレたちの。だろ?」

 

「僕はやはりあなたを過小評価してましたよ」

 

むしろ個人的にはそっちの方がありがたいんだけど。

まあいいさ、このついでにキョンにも一言だ。

 

 

「キョン」

 

「何だ」

 

「これは俺が………いや、あっちの世界のお前に言われた事だ」

 

「……言ってみろ」

 

「『やらないで後悔するより、やってから後悔した方がいい』だってさ」

 

「おや、中々いい言葉ですね」

 

「お前がどうしようと勝手だけど、後悔だけはしない方がいい」

 

「善処しておく」

 

本当に、本当に俺はそう思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――と、ここまでが報告となる。

 

何の報告か? 言うまでもない、SOS団冬合宿のだ。

翌日一月二日に、朝一で特急列車に乗車。

合宿限定メンバー『機関』の四人とはお別れし、昼頃にはいつもの駅に帰ってきた。

ここで解散となった。

 

 

 

 

 

 

 

いや、だがしかし、俺の一日が終わったわけではないのだ。決して。

それには俺が山籠もりしに行った日まで遡る必要がある。

 

 

 

俺の話――山に行くというあれ――を聞いた母さんは。

 

 

「……すると結局、あんたは来年の二日まで家に居ないってこと?」

 

「そうなるね」

 

「そう。合宿に関しては保護者が居るみたいだし、あんたが家に居ない方が気が楽だからいいんだけど……」

 

それが息子に対する態度なのか。

 

 

「いやね、お正月じゃない?」

 

「うん」

 

世間一般には三が日と混同されてるが、一月二日なら間違いなくお正月で通じる。

 

 

「あんた、まだ朝倉さんって娘と付き合ってるのよね?」

 

「……うん?」

 

俺の母さんは念能力者じゃないはずだし"もどき"でもないはずだ。

ただの地球人のはずだ。だが、不穏な空気、いやオーラみたいなものを感じる。

何故だろうかその時の俺は悪寒がした。

 

 

「こっちに戻ってくるついでに、うちに来てもらいなさいよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

……はあ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして現在俺は何が悲しくてまだ重い体の足どりを重くして家へ帰っているのだろうか。

生命力5割すら回復したかどうかだ。もう一度"あれ"をやれと言われたらそのまま死にかねない。

戦術的にはかなり有用なのかもしれないが、透明化は封印だ……二度とやりたくない。

そもそもどうやるのかを知らない、知らない以上は検証も何もなかった。

使えない切り札を切り札と言っていいのは補正がある主人公くらいなのだ。俺は違う。

そんな俺のダウナーな顔色に気付いた朝倉さんは。

 

 

「まだ調子が悪いの?」

 

「……いや、帰りたくないだけだ」

 

すると朝倉さんはちょっと怒ったらしい。

 

 

「まさか、私を紹介したくないだとか、そういう話かしら?」

 

「そうだけどそうじゃない。まあ、わからなくていいよ」

 

羞恥プレイで済めばいいが生憎と俺の親は常識人だが俺からすればそうは思えない。

むしろそっちが遠慮するべきなんじゃないのか。

 

 

「……明智君はまだわかってないのね」

 

何だと言う前に俺の左手は掴まれ。

 

 

「ちょ、な、何を」

 

「私、こんなにドキドキしてるのよ?」

 

俺だって漫画で見たことある。"アレ"だ、心臓に手を当てようって奴だ。

実際やった事ある人がどれほどかは俺は知らない。やってみるといい、往来で、死ねる。

ぽんと当てた程度じゃわからないので、しっかり胸の真ん中を触る必要があるのですが。

 

 

「ほ、ほげぇ」

 

「ふふっ」

 

朝倉さんはそれなりの胸囲を、いや、何言ってやがる、朝比奈さんほどじゃないけど犯罪的な発育だ。

セーター越しじゃよくわからな……。

 

 

とにかく、気づいた頃にはもう魔窟。

 

俺の家の前だった。

 

 

 

勝とうとさえ思えない、実力差であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の家は二階建て一軒家で、まあキョンの家と似たような感じである。

ちなみに俺の隣の部屋はとっくの昔に出て行った兄貴の部屋だ。今や、特に漁っても何もないが。

正直な話、勝手に入り込んでもいいのだが、これも社交辞令のうちと思いインターホンを押す。

十秒程度でドアが開かれた。

 

 

「はじめまして、朝倉涼子です」

 

「……」

 

「あら? あなたが朝倉さんね……。色々お話ししたいことはあるけど、とりあえず上がってちょうだい」

 

「お邪魔します」

 

「……」

 

今日だけでいいから明智、変わってくれ。

……と思ったが阪中家は金持ちだ。あっちの方がプレッシャーあるんじゃないか。

うちの生活水準は低くないが、彼女のそれとは比較にならない。ルソーという名犬すら居る。

どうでもいいが俺の今まで読んだ中で一番お気に入りの小説は【比類なきジーヴス】だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――どこをどう間違ったのか俺の両親は気合が入っていた。

そして俺は当然気合なぞ入っているわけがない、土に還りたい。

母さんと朝倉さんは俺が聞く気にもなれない勢いで色々と話しており、俺はその遠くで親父と語らされていた。

眼鏡をかけたオッサン。四十三と言う年齢の割にはまだ端正な顔立ちである。

それでも昔の写真に比べれば老けてはいるなと思ったが。

 

 

「まさか、お前が彼女を家に連れてくる日がくるなんて、俺は思ってもいなかったぞ」

 

「……」

 

「俺も母さんとは色々あったが、どうなんだお前は」

 

「どうもこうもないさ」

 

「あのな、寝てるだけで彼女が出来るわけないだろうが。しかもとても美人じゃないか」

 

「母さんだって世間的には綺麗でしょ」

 

俺の母は色んなバレッタを日替わりで付けている。

いつか聞いた話だがその中には親父からのプレゼントがあるらしいのだがその辺は不明だ。

四十台は確かにおばさんだが、若々しさは充分あった。贅沢言うなよ。

 

 

「そうだがな、もう二十年以上の付き合いだぞ。そろそろ歳だな」

 

「後で報告するけど今の内に言い訳を聞こうか」

 

「……千円でいいか」

 

「父さん、お年玉にしちゃ貴賤だ」

 

「金に貴賤はない。お前には十年早いわ」

 

「よしわかった法廷で会いましょう」

 

「待て」

 

ええい、放せ、見苦しい。俺は絶対こうはならんからな。

いや、そもそも結婚なんて考えてすらいないが。

 

 

「うわぁぁあ、どうせ休み明けには大量の見積があるんだよぉおお、畜生!」

 

「それが仕事じゃないのか」

 

「お前にはわからん。あの苦しみが」

 

父さんは建築会社で働いている、と言っても現場ではない。

しかし前世を通して具体的に何をやっているのかはわからなかった、その地位さえも。

見積を消化したりだとか営業で一日中車走らせたりだとか、曰く、社内で自分にしか出来ない仕事があって社長にある程度意見できるらしい。

いや、未だに謎だ。

 

 

「オレに当たらないでくれ」

 

「どうしろってんだ」

 

「寝てていいよ」

 

本当に親父は部屋に引っこんでいった。

多分十七時くらいまでは寝ているだろう……。

 

 

 

 

 

 

 

と、とにかく腹が減った。

朝飯以外で食べたものは列車内でキョンの妹から渡された"どうぶつビスケット"ぐらいだ。

お正月だ、何かあるだろと思っていると定番中の定番の御雑煮を出された。

大根、人参、椎茸、丸餅……無難な出来だ。味も無難だった。

 

 

「……」

 

「朝倉さんは黎のどこを好きになったの?」

 

「そうですね――」

 

年甲斐もなくマセた女子生徒みたいな発言をしないでくれ、母さん。

俺は餅を詰まらせて死ぬのだけは嫌だ、お年寄りの方々には毎年ほどほど気をつけて頂きたい。

 

 

「――やっぱり明智君の方から攻めてくれたんで。その辺です」

 

「がはっ」

 

どこをどう捏造したらそうなった……。

思わず本当に餅が詰まってもおかしくない呼吸の乱れ方になる。

いや、待てよ、冷静に考え対処するんだ、俺。

 

 

 

元々はキョン抹殺ないし朝倉さんの死亡を回避するために俺が出向いた訳だ。

その結果からすれば俺の方が攻めたと言える……のか? そうなのかも。

だがそれは事実の歪曲ってもんじゃないのだろうか。俺にとってはガゼルパンチだ。

 

 

「で告白の言葉がですね――」

 

「も、もういい! ある事ない事言うのはいいけど、せめてオレの居ない所で頼む!」

 

「……何よあんた。自分は朝倉さんから『付き合ってほしい』とか言われたって言ってたじゃない」

 

「あら? それ本当なの?」

 

嘘はついてない。本当の事を話していないだけなのだから。

果たして"お前"ならこの状況をどう切り抜けるんだろうな。

……俺も寝る事にしよう。

 

 

 

 

 

俺の"臆病者の隠れ家"は、行ってない場所には行く事ができない。

 

そうだな、セントクリストファー・ネイビスあたりにでも逃げたかった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――君が僕の部屋に勝手に上り込んでくるのはいい。もう何年もやられちゃ文句も言えない」

 

 

 

 

 

 

ボールペンを机に置いて後ろを振り向く。

流石に僕も限界だった。まだまだネタは浮かんでくるというのに。

 

 

「だけど、何も僕の部屋でアニメなんか見る必要はないんじゃあないのか?」

 

「いいじゃない」

 

「気が散る、と言ってるんだ」

 

「ちょっとは休憩したら?」

 

……会話が通じるとは思えないが、最低限の抵抗は続けるさ。

 

 

「こんな五月の土曜、いい天気。だのに君は僕の邪魔をしに来ると言うのか」

 

「あなたの部屋のテレビの方が大きいのよ」

 

「大きさ? ……『呆れた』って言う必要さえ感じられないな」

 

「さっきからずっと書いてるでしょ」

 

「僕は僕の為にやってるんじゃあない。やがて、読んでもらうためにやってるんだ」

 

「だから。ちょっとは休憩すればいいじゃない」

 

「君が帰ったらそうしよう。勝手にしてくれていいが音量だけは下げてくれ。いわゆるアニメ声って奴が不快なんだ」

 

「もう!」

 

と声が聞こえた瞬間。

僕の腕は思い切り後ろに引っ張られた――

 

 

「――いっ!」

 

椅子から引きずり出された僕は当然の如くバランスを失う。

床に頭を打ち付けてしまった。

 

 

「……何するんだ!」

 

「一緒に見ましょ?」

 

「……」

 

こ、この女……耳がついているのか?

いや、僕の文句が通じるような相手じゃないのは知っている。

今回は久々に酷かったが、これにも僕は慣れつつあるんだ。

時間の無駄だな。

 

 

「それ、知ってるか? 自己中心的って言うんだぜ」

 

「お互い様よ」

 

「どこがだ」

 

「あなた変人  って言われてるのよ?」

 

「勝手に言わせておけばいい。僕は僕だ。他人がどうあろうが知ったこっちゃない」

 

「わたしもそうだ、って言うの!?」

 

何だ、いつになくアツいじゃあないか。

そーゆーキャラクターも今時は逆に面白いかもしれない。

 

 

「さあね。それは僕が決める」

 

「……だから自己中心的なのよ」

 

「ふん」

 

仕方がないので彼女の隣に座り、よくわからないアニメを見る事にする。

 

 

「一緒に見るって言ってもな、僕にはこの話がよくわからない。当たり前だ、設定も何も知らないんだからね」

 

「じゃあ後で調べなさい。あ、これの原作持ってるから貸してあげる」

 

「原作? は、メディアミックスか。今時だな」

 

「あなたって本当にお話を書くのは好きなのに、本は読まないよね」

 

「僕の勝手だ。それに本を読まないわけじゃない」

 

「嘘よ」

 

「本当だ」

 

そう言って専門書の中に紛れ込んでいた一冊を手渡す。

 

 

「何これ?」

 

「おい、君は本を読むくせに知らないのか? "ジーヴス"。ウッドハウスの名作じゃあないか」

 

「誰よそいつ。わたしは小説、それもラノベを中心に読むの」

 

「ライトノベル! いや、まさかと思ってたけど、このお話はしみったれた軽文学か!」

 

「馬鹿にしてるの……?」

 

「君の守備範囲の狭さに呆れているんだよ」

 

「どうでもいいからっ、黙って見なさい!」

 

ぐっ。リモコンで頭を叩くのはよせ。

壊れたら本体ごと弁償してもらうからな。

それから暫くして、エンディングらしく軽快な音楽が流れ始めた。

 

 

「……おい、終わりか?」

 

「次はまだ放送されてないの」

 

「深夜アニメって奴か? ビデオにわざわざ録画してまで、何が面白いんだか」

 

「それが知りたいなら読めばいいでしょ」

 

「はっ。僕が話を考える上で他の話は必要ないんだ」

 

「じゃあどうやって書いてるのよ」

 

「テンションと、アクションだ」

 

「は?」

 

本気で僕の言っていることがわからないらしい。

 

 

「例えば音を書きたいなら音を知る。そうしなければ音は伝わらない」

 

「文字じゃないわ」

 

「でも、君は本を読んでいて"音"を感じたことが無かったと言うのか?」

 

「……そりゃあ、なんとなく、あるにはあるけど」

 

「そういうことだ。アニメも終わったみたいだしさっさと帰れ、帰ってくれ」

 

彼女はデッキからビデオを取り出すと、無言で去ろうとする。

ふう、僕もようやく続きにかかれるよ。

 

 

「ねえ」

 

「……何だ」

 

「もう、ベースやらないの?」

 

「何も本気でやってた訳じゃない」

 

「わたし音楽なんか詳しくないけど、素人意見だけど、上手かったじゃない」

 

「それは君だけが決めてもしょうがない。楽器に触れたのは音を知る一環だ。ドラムもやった」

 

「  って、本当に何でもすぐやめるよね」

 

ぴたり、と僕の手が止まる。

どうやら彼女は僕の事をまだ理解してないらしい。

十年以上の付き合いだと言うのに。僕の何を知っているって言うんだ。

 

 

「いいか! 君が何をどう勘違いしてるかは知らないが、僕にとっては創作が第一なんだ。僕だけの世界なんだ。邪魔しないでくれ!」

 

「全部そのためだって言うの? よくわからないジムに通ってたのも」

 

「ランニングは定期的に続けてる……。とにかく、君にどうこう言われたくない。集中したいんだ」

 

「……」

 

今度こそ去っていく。

だが、ドアが閉まる瞬間に彼女からこう聞こえた気がした。

 

 

 

「どうもこうもないのね――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ん?

 

 

 

どうやら思いの他、俺は眠っていたらしい。

時刻にして十七時二十分。おい、俺は親父の事を言えそうにない。

欠伸をしながら階段を下りる、居間には俺以外の全員が居た。

俺より先に起きていた親父は。

 

 

「お、お前……」

 

「何さ」

 

「俺が母さんに告白した時は、そりゃあそりゃあ我ながら不器用だったと思うがな……」

 

「でも、可愛げがあったわ。母性本能をくすぐられたもの」

 

「うふふ。お二人とも、仲がよろしいんですね」

 

何があったんだ?

最早ここは家ではなくアウェーだった。

本格的に海外逃亡を考える必要があるかもしれない。

『機関』に頼めば何とかなるかな、パスポート含めてロハだ。

 

 

「朝倉さん、もう……」

 

「なんだいあんた」

 

「母さん、どうやらこいつは涼子ちゃんをとっとと帰そうってハラらしい」

 

他に何があると言うんだ。

しかしその辺は朝倉さんも空気を読んでくれた。

両親は晩飯をご馳走してもいいとか思ってるんだろうが、今日はこのぐらいで許してくれ。

 

 

「そうね。じゃあ私はおいとまさせていただきます」

 

「黎、送ってやれ」

 

アイアイサー。

言われなくてもそうするさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……結局のところ、俺にはわからないことだらけの一年だった。

 

 

 

名前や顔、その人のバックボーンまでは知ってても、感情は読めない。

本で読めるのは作者の感情だけなのだ。他の誰でもない、作者の血だ。

 

 

 

まして、ここは確かに現実世界らしい。

つまりみんな生きていて、それぞれの生き方がある。

俺はその生き方を奪ったのだ。彼女の、朝倉涼子の。

その上、俺がここを世界と認めるのにはそれはそれは長い時間がかかった。

だが。

 

 

「いや、これを年が明けてから言うのは未練がましいんだけどね」

 

「どうしたの?」

 

「今思えば……楽しかったよ」

 

いつか俺はこんなことを考えていた気がする。

 

 

「ある日突然別の世界へ飛ばされて、そこで眠っていた魔法的ファンタジー的能力に目覚めるんだ」

 

「何の話?」

 

「そして仲間とともに様々な事件を解決する……。って話さ」

 

「私にもわかるように頼むわ」

 

夢の話さ、そう。

ただの夢。こことは違うけど。

 

 

「……朝倉さん」

 

約束を破るのは御免なんだ。

だからこそ俺は滅多に約束なんかしない。

 

 

 

 

 

 

「とても長くなる」

 

 

 

けど。

 

 

 

「よければ聞いて欲しい」

 

 

 

 

 

 

 

さあ、話そうじゃないか。

 

 

 

 

 

 



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宇宙人こと朝倉涼子「さん」……の憂鬱
第四十一話


 

 

 

 

 

おかげさまでこの時間である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一月二日二十二時。

俺が朝倉さんを家まで送り、そこからお邪魔したのが十七時四十分ぐらいだ。

いや、実に四時間以上に及ぶ長旅。晩飯としておでん鍋をつつく場面もあったが、言うまでもなくお互いロクに口にできていない。

情報統合思念体との通信を本当に遮断し、この部屋を完全な朝倉さんの情報制御下として通常空間から隔離した。出来る範囲で徹底した。

 

 

 

とにかく、俺が"覚えて"いる範囲の説明はした。

具体的にどうこうは言っていないが。

 

 

「これが異世界人のルーツって訳さ。違う世界だと理解できるのも納得だろ?」

 

「……」

 

朝倉さんは無表情だ。

いいさ、俺は君を守れればそれでいい。生きる意味だ。

俺の近くにわざわざいなくても、どっかの超能力者みたいに陰ながら見守れば、それ――

 

 

「――でっ!?」

 

「……」

 

恐ろしい速度で飛びつかれた。

現在俺は朝倉さんに抱きしめられている体勢だ。正面から。

 

 

「あ、あの、何か……?」

 

「どうして」

 

「はい?」

 

「どうして私を助けたの……? その、お話だと私は死ぬ。そうなっていたんでしょ……」

 

注意して耳にしていなければ今すぐにでも消えてしまいそうな声だった。

まるで、彼女が光に溶けてしまうような錯覚を覚えた。原作の、あのシーンだ。

今となっては思い出したくもない。

 

 

「覚えてるかな、いつか朝倉さんに話した事」

 

「……何かしら」

 

「とある宇宙人の話。あれ、朝倉さんなんだよ」

 

「えっ……?」

 

「どうしてって聞かれたら難しいんだけどね、これだけは確かだよ」

 

どうやら自分でも意外な事に、俺は考えるより先に行動する一面もあるようだ。

いや、考えた末ではあるが。そこにあった理由は理由にすらならないチープなもんさ。

 

 

「オレは、君に生きてほしい。だから助けたんだ。オレの憧れの君に」

 

「ズルいわ」

 

何かに恐怖しているようでもあったし、俺に対し怒りを覚えているようでもあった。

 

 

「今、言うなんて。本当にズルい。だって――」

 

「…………」

 

「――私はあなたを好きになってしまったんだもの。ううん、"好き"を理解できるようになってしまった」

 

「ああ」

 

俺はこういう時の切り返しで、「オレもだ」なんて言うのが一番嫌いなんだ。

軽薄ほどほどしいから、こんな事を言っている奴は直ぐにでも止めた方が良い。

 

 

「オレは朝倉さんを、愛している」

 

そう、愛こそ独善の象徴。

俺にぴったりの、笑っちゃうくらいの、虚構でしかない。

 

……と、思っていた。

 

 

 

 

 

「馬鹿ね、それじゃ、私たちは愛し合っているのよ」

 

そういや朝倉さんは妥協をしない。

すると、もしかすると彼女も独善者なのかも知れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰宅した俺は完全にやばい目で見られていた。両親に。

というかよく起きてたな二人とも。

 

 

「あ、あ、あんた」

 

「……」

 

「うん? 何かあったの?」

 

「お前、俺とちょっと話そうや……」

 

何をだ。

 

 

「この年で息子が送りオオカミになるなんて、どうしましょお父さん」

 

「うむ……思えばこいつの帰りが遅い時は何度かあったが」

 

おい。

 

 

 

もしかしなくても俺は盛大に勘違いされてないか。

俺は成人諸君を相手に話がしたいわけではない。

ダンテに言わせりゃ「ここから先はR指定」になってしまう。

 

 

「そんな訳あるかよ!」

 

「馬鹿野郎じゃあお前何でこんなに遅えんだ!」

 

「……うっ」

 

この二人相手には前世どころか宇宙人だけでも話すような事ではない。

カタギもいいとこだ。知らない方がいいに決まっている。

それに、俺は誰から生まれても俺なんだ。この二人は間違いなく俺の親だ。

 

 

「それは、その、……ボ、ボードゲームとか、そう、バックギャモンに熱が入ってね、はは」

 

「もっとマシな嘘をつきなさいよ」

 

「俺はとんでもない非行少年を育ててしまったのか……」

 

「いや、いやいや、今日は何もないって! 本当!」

 

「『今日は』だって?」

 

ぐっ。

あ、あえて"そこ"には触れないぜ。俺は。

俺だって……いや、何も言わない。その権利がある。

クリスマスとか聞かれても知らんぞ、闇に葬らせてもらおう。

 

 

「……お前が涼子ちゃんを大切にしてやろうと思うのなら、しっかり考えろよ。お前はまだガキだ」

 

「でも父さんも昔は――」

 

「何ぃ!? ありゃむしろこっちが被害者だ。酷いもんじゃないか、起きたら手足を縛られるだなんて、犯罪――」

 

ま、そこまで先の事を考えられるかもわからないんだ、俺は。

そしてお前ら、過去に何があったんだよ。

気にはなったが無視して部屋に引っこむ事にした。寝よう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして翌日の三日、今日に至る訳である。

ここは何処かって聞きたそうだが、いつも通り、朝から505に居る。

去年で俺はすっかり毒されてしまっていた。

 

 

「そう言えば明智君」

 

「はい」

 

「あなたの名前って、その世界でも明智黎だったの?」

 

最早、朝倉さんは普通に俺を受け入れていた。

これは頭が上がらないどころの騒ぎではない。

比類なきまでに彼女は天使であった。

 

 

「……これも秘密だぜ」

 

俺は一言だけ、自己紹介でもするかのように言った。

 

「普通の名前ね」

 

「あのね、姓じゃなくて名の方が問題なんだ。そいつをちょいと弄るとな……」

 

紙に書いて説明する。

書くと同時にさっさと焼却したくなったね。

忌々しい、ああ、忌々しいよ。

 

 

「――で、ついたあだ名が"皇帝"だ」

 

「そ、そう………かっこいいわ」

 

嘘だ、半笑いじゃないか。

 

 

「まだあるんだよ! そのまま通してオレの名を言ってみろ!!」

 

「――――って。………ぷっ、あはははっ」

 

「だから昨日、言わなかったんだよ」

 

「い、いいじゃない。これを思いついた人の顔が見たいわ」

 

「絶対見れないから安心した方が良い」

 

「じゃあせめて皇帝って呼んでも」

 

「うわあ、よせ! 確かに破天荒な性格ではあるが、これでもオレは常識人だと思ってるんだ、自分を」

 

「似合ってるわよ」

 

「朝倉さんはオレに綺麗だ、とか褒めてほしいのか? なら全力で褒めるけどオレは他人にどう形容されても気にしないんだ」

 

「でも北高では魔王扱いされてるじゃない」

 

主にSOS団のせいみたいなものである。

 

 

「それとこれとは別じゃあないか」

 

「魔王より皇帝の方が立派よ、それで売り出しましょ」

 

「オレは何も販売しないよ」

 

「文化祭が楽しみね」

 

だとすれば俺は皇帝にも関わらず、朝倉さんより立場は下である。

どこかデジャヴを覚えたよ。やれやれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早速、いや唐突ではあるのだが俺はまた山にでも籠ろうと思っていた。

言うまでもなくこれから先はどうなるか全くわからない。

物語なんか最早アテにしてないし、朝倉さんにも説明しなかった。

そして俺も彼女にその事は伝えてある。

 

 

 

だからこそ、もっと心身ともに研鑽する必要があった。

後悔なんてしないためにも。

 

 

「って訳なんだけど」

 

「……」

 

朝倉さんは渋い顔をしている。

お昼は昨日大量に残ってしまったおでんを食べながらの事だ。

 

 

「あのね、こ――」

 

「"こ"って何だ! オレの名前は"あけち"で下は"れい"だ! "こ"はどこにも入ってないよ!」

 

「あ、そう、明智君」

 

「……何か言いたいことがあるようじゃないか」

 

「私たちは世間一般にどういう関係にあるでしょう?」

 

どうしたんだろう急に。

そして朝倉さんはどこの世間に対して話をしているんだ。

 

 

「うーん。まあ、SOS団団員じゃなければ、半年も前から付き合ってるよ」

 

そいつを自覚してから一ヶ月も経っていないが。

 

 

「そうよ、そうなのよ」

 

「うん、そうだね」

 

「その彼氏が、明智君が、二人きりの休みが出来て『山籠もりに行く』だなんてあり得るの?」

 

「……オレの爺さんは登山家だったよ」

 

「どうでもいいわ! あなたね、女の子をデートに誘う方が大事でしょ!?」

 

お、俺だってそうしたいかどうかで言われれば是非ともだ。

しかしながら今が仮初の平和なのは確かなんだ。

いつか"決着"をつけて、本当の平和が訪れたらいくらでも相手するよ、デレデレしようよ。

 

 

「これも朝倉さんのためだし、何よりオレのためなんだ」

 

「はぁ!?」

 

まさかこんな般若じみた顔を彼女がするとは思わなかった。

汗が止まらない、周防、いや、それ以上だ。

 

 

「だいたいね、山だったら学校の裏山があったじゃない! 先月だってそうよ、わざわざ遠出して」

 

「で、でも文字通りの修行をしに行くんだ。あんな所を見られたらまずい」

 

と俺が言うや否や、まるで家畜でも見るかのような情けない目で。

 

 

 

 

 

 

 

「……私に頼れば、空間の遮断ぐらいできるわよ」

 

 

「あっ」

 

 

 

 

 

 

 

そう言えばだが、俺の彼女は宇宙人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、十三時過ぎの真昼間に、俺と朝倉さんは裏山に居ると言う訳だ。

正直言えば修行向きではないのだが、それでも一応山は山だ。

よくわからないが外界から隔離したらしい朝倉さんは。

 

 

「……何するの?」

 

「先ずは射撃訓練」

 

と言って俺はポケットから取り出す。

 

 

「それは?」

 

「カートリッジさ」

 

「ガムのケースじゃない」

 

そうとも言う。

俺はキョンの妹から貰った空のプラスチック製ガムケースにベアリングを入れていた。

上をプッシュすれば弾が取り出せるという訳だ。持ち運びも困らない。

 

 

「的が欲しいんだけど」

 

「はいはい……」

 

何かを唱えると辺りには火の玉みたいなものが浮遊し始めた。ざっと十匹以上もいる。

いわゆるオーブって奴だろうか。試しに一発撃ってみる。

すると、ひょいっと躱された。

 

 

「こいつ……」

 

もっと力を込めてやろうじゃないか。

 

 

 

そしてこの戦いは俺が用意した弾丸三十発が切れるまで続けられた。

まだロッカールームに予備は置いてあるがあくまで実戦に近い形での運用が知りたかった。

途中斜め撃ちや移動撃ちも試したが、二十分以上の訓練の末に得られた成果は四匹だけだった。

だがわかった事がある。

 

 

「残弾が少なくなると弾が出にくくなる」

 

「そうね、狙うどころじゃなくなるわ」

 

誰でも経験があるだろう?

中身の見えないケースに入ったタブレットが取れない。あの状態だ。

ポケットから一々取り出すよりはマシだが、何か対策を考えておく必要がある。

後これは贅沢だが、カートリッジの取り回しだ。手のひらに乗せた斜め撃ちをする時に邪魔になる。

 

 

「地道にやってけばいいさ」

 

「でも、よくこれであの人型ターミナルを倒せたわね」

 

周防の事だ。

 

 

「初撃は不意打ちだったし、後はけん制程度にしか使ってない」

 

「じゃあどうやったの?」

 

そういや説明してなかったな。

とりあえず雪崩を出された所から解説することに。

 

 

「……ふーん」

 

「ま、とりあえず見てくれ」

 

俺はそう言って左手にあれを出す。

 

 

「あら、確かに青いわね」

 

「どっかのアホはこれを"マスターキー"だと呼んでたけど、それじゃわかりにくい」

 

「名前でも考えたの?」

 

「そうだね、こいつにオレは振り回されてる。そんな気がする。だから、"ブレイド"。これからはそう呼ぶよ」

 

出来損ないの刀と、振り回すの語源をかけたネーミングだ。

そもそも万能鍵って感じじゃなかったからね。

 

 

「相変わらずのセンスね。で、その透明化っていうのはどうやるの?」

 

だから俺のあだ名に関しては自称ではないのだ。

そしてこれも何故こうなったのか俺には不明。

 

 

「わからないよ。気づいたら色が変わって消えてたんだから」

 

「特殊条件下でしか発動しないのかしら」

 

「多分。一応今も消えろって念じてるけど、どうにもこうにも反応ないよ」

 

「……」

 

朝倉さんは何か考え始めたらしい。

確かにあの技を体得できれば何かに使える可能性も出てくるが、使いたくない。

無駄な事に時間をかけてほしくないので。

 

 

「強いて言えば『死んでたまるか』って思ったぐらいなんだけど……」

 

「……それよ」

 

「それがどうしたって?」

 

と、俺が彼女に近づこうとした瞬間。

何かに身体を突然吹っ飛ばされる。腹部に強烈なインパクト。

数メートル後退した後、俺は後ろの木に身体を打ち付ける。

前にもこんな事あったような気がするぞ。というか。

 

 

「――がっ、な、何だ!?」

 

「安心して、峰打ちよ」

 

「は、どういう」

 

どうやら朝倉さんが犯人らしい、急にどうしたって――。

 

 

 

 

――パチン

 

 

 

 

と彼女が指を鳴らしたその瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、明智君のかっこいいところを見せてね」

 

やけにいい笑顔で、いい声で、そんな事を言ったかと思えば。

 

 

 

 

 

 

「……冗談だろ」

 

 

 

 

 

 

無数のナイフが四方八方から俺の方へと飛来してきた。

 

 

 

 

 

 



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第四十二話

 

 

 

 

 

さて、今更ながら周防九曜について説明をしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……と言っても俺も詳しい事は何も知らない。

朝倉さんと同業他社の宇宙人って事ぐらい。

実力については全くの未知数、長門さんかそれ以上か。

彼女は小柄な印象を与えるが、意外に身長はあるらしい。実は160近くあるのかも。

しかし一番の問題は原作において登場するのはまだまだ後だったって事だ。

だから俺はあんなに慌てていたのだが……。

い、いや、周防相手にびびってないから。本当だから。

 

 

 

で、何でそんな事をわざわざ言うかと言えば。

 

 

「はあ? 周防について教えろ、だって?」

 

「そうだ」

 

一月一日の夜、鶴屋家の別荘。

突然キョンが部屋に来たかと思えばそう言いだした。

 

 

「悪い事は言わないけど攻略しようだなんて考えない方が良いぞ」

 

お前には涼宮さんが居るじゃないか。

安心して初詣にでも行って見事にフラグを立ててくれ。

俺は日本的行事にそこまで思い入れはないんだ。知識としてはあるけど。

しかし彼はどうやら女目当てではなかったらしい。

 

 

「何言ってやがる。その宇宙人が何やらお前らと敵対している以上、俺だって無関係じゃないんだろ」

 

「つまり?」

 

「そいつかどうか判別ぐらいつかなきゃ対処しようがない」

 

そもそも彼女と遭遇した時点できついと思うんだよ……。

対処って、多分、諦めるのが一番早い確実な対処だ。

 

 

「でも周防についての特徴は話したと思うけど?」

 

「宇宙人、黒い、怖い、井戸から出てきそうな女、……これだけの情報で何がわかるんだ?」

 

「しょうがないなあ」

 

と言って俺は手帳の一角に彼女の似顔絵を描く事にした。

十分ぐらいで仕上げたそれをキョンに見せる。

 

 

「……お前、本当にこれがその周防さんなのか?」

 

「間違いないよ」

 

「俺の目が確かなら、この周防さんは今すぐにでも不老不死を求めて星を暴れまわるような宇宙の帝王にしか見えん」

 

「そっくりだって。53万オーラはあるんじゃないかな」

 

「オーラって何だ。いや、それより俺はこんな奴に会っただけでショック死する自信がある。というか女か?」

 

「そういうのもあるみたいだよ」

 

「知るか。それに黒いって言っても頭と肩ぐらいで、しかもこれ本当は紫だろ」

 

「オレの絵に不満があるようじゃあないか」

 

「上手い下手の話じゃねえよ。……朝倉を呼んでくるぞ」

 

そして本当にキョンは呼んできた。

朝倉さんは俺の周防絵を見るや否や、絶句。

 

 

「……」

 

「クリソツだろ?」

 

「明智。帰ったら長門にいい眼科を教えてもらえ」

 

「……」

 

無言でペンと手帳をぶん取られた。

彼女は目にも留まらぬ速さでイントルーダーを描き上げていく。

 

 

「全然下手ね。さあキョン君、これが本物のターミナル女よ」

 

「……なあ今度は妖怪か?」

 

「朝倉さん、これは女の子じゃないでしょ」

 

どう見ても毛を針にして飛ばす片目しか見えない妖怪だった。

間違っても宇宙人じゃないじゃないか。天蓋領域は目玉なのか?

宇宙空間に浮かぶ目玉、どっかのゲームの真ラスボスみたいじゃないか。

 

 

「あら、何言ってるの? 私のは最早生き写しよ」

 

「いやいやこの絵柄で制服着てるのがもうダウトだよ」

 

「ありがとう、お前ら二人ともアテに出来ん事だけはよくわかった。仲がいいな」

 

「……わかったよ」

 

朝倉さんこそ真面目に描かなかったじゃないか。

本当に嫌々だけど真面目に描くことにした。

手が若干震えたのは内緒だ。ただの武者震いだ。

 

 

「ほらよ」

 

「どれ、……中々美人だな。これのどこが怖いんだよ」

 

「明智君……」

 

なんか怨念じみたものを朝倉さんから感じる。

もしかして俺が周防にお熱だとでも勘違いしたのだろうか?

 

 

「朝倉さん、別に周防をじろじろ見てたわけじゃないよ。誤解しないでほしい」

 

と言うか君が真面目に描く方が俺より圧倒的に上手なはずじゃないか。

きっとモノクロ写真レベルなら余裕なはずだ。多分俺のせいだろう。

 

 

「……ふーん。まあ、でも本当にそっくりね」

 

「朝倉がそう言うんならそうなんだろうな。と言うか、さっきから思ってたがこいつは俺らと同世代なのか? 光陽園学院の制服だよな」

 

――あ、やばい。

万が一にでも谷口との絡みに気付かれるとちょっと面倒だな。

バレてもいいけど、周防が何をするかわからない以上こちらから接触の機会を増やしてはいけない。

出来れば永遠に会いたくない相手だ。会ってもいいが殺し合いはしないからな。

とりあえず誤魔化そう。朝倉さんは谷口について知らないだろうし大丈夫、多分。

 

 

「あー、そーだね、うん、そういやそうかも。へー、気付かなかったよ」

 

「随分気のない反応だな……?」

 

「そりゃあ彼女、見た目ほど女の子してないから。もし遭遇したら死んだフリをお勧めするよ」

 

「宇宙人相手に熊の対応かよ」

 

「それにしてもこの似顔絵、ほんと十割は盛ってるじゃない。ムカっ腹が立つわね」

 

朝倉さん、それじゃゼロになるじゃないか――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――で、これはその時の恨みなのだろうか。

だが嫉妬で片付けるにしちゃ無茶じゃないか?

 

 

 

脳をフル回転させて考える。

退路。後ろは木、前はナイフ。うん、ない。

解決策。俺が"臆病者の隠れ家"に入る前にブッ刺さる事は確か。

そしていくら強化しようと刃物を防げる訳がなかった。

ウボォーさんならまだしも、俺には全身の高次元強化は無理だ。

ライフル弾が直撃して無傷で済む人外と一緒にしないでくれ。

これを全部弾こうにも時間が足りずに残りをお見舞いされる。文字通りの包囲網。

まさに樽に入れられた海賊野郎だ、危機一髪どころか絶体絶命じゃないか。

間違いなく三秒後に俺はトマトかザクロと化してしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

――いや、うん、常識で考えてこれ無理です。

 

 

 

 

 

 

 

これが暫く前ならば俺も朝倉さんに殺されたところで構わなかったのだ。

しかしどうやら今の俺はそうとすら思えないぐらいに地に堕ちたらしい。

俺ながら呆れるよ。走馬灯すら浮かばないほど、彼女が好きなのか。

 

 

「欲望まみれって訳――」

 

らしい。

 

 

……何だ、ナイフが当たった感触がしない。

おいおいまさか。後ろを振り向くと大量のナイフは木にぶつかり落ちている。

とにかく、時間が無い。急がなくては駄目だ。

 

 

「――冗談きついよ」

 

朝倉さんとの距離を詰め、肩に手を触れると俺の姿は元に戻ったらしい。

ナイフ回避と思考時間も含めて計8秒。今のコンディションではあと2秒と耐えられないだろう。

当の本人は信じられない程の笑みで。

 

 

「おかえりなさい」

 

「なあ、殺す気だったじゃないか!」

 

少しショックだ。

いいやこの勢いで山から転がり落ちてもいいぐらいの気分だ。

正当な理由が欲しい。納得させてくれないだろうか。

 

 

「……ごめんなさい。でも、あれ」

 

「何さ」

 

「贋作よ?」

 

どういうことだ。

そしてあれとは何なのだろう。

と思い彼女が指さす先には大量のナイフ。

再び木の近くまで寄ってその内の一本拾う。

 

……か、軽い! ナイフの重さとは思えない。

 

 

「ちくしょう、まさか」

 

「ふふっ。どっきりよ。プラスチックだから刺さるわけないもの」

 

いや、マジで勘弁して下さい。

コントロールすら出来なかった能力の検証のために心を削る必要があるのか。

 

 

 

だがこれで俺はわかった。完全に理解した。

恥ずかしいから朝倉さんには絶対言わないが、この能力のトリガー。

それは、正確には生を渇望する思いではないようだ。

つまりだ、何だかんだ周防との戦いで最後に俺は朝倉さんの事を考えた。

……だからきっとそうなんだ。そういうふうにできている。

あの能力は、"想い"で発動する。らしい。

 

 

 

考えてて軽く鬱になってきた。満身創痍なのが更に俺のSAN値を削る。

ハーブティが飲みたい。

 

 

「おかげでもう余力が無いんだけど」

 

「そうね、帰りましょ」

 

決して俺が自宅に直行帰宅するわけじゃないのが問題なのだ。

そういう流れで俺は宇宙人によってグレイのごとく引きずられていく。

 

 

「こ、このペースじゃ無理だ……」

 

今ならエリア51に潜入してと頼まれても二つ返事で了承しそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてこの時の俺の呟きは認められる訳が無かった。

次の週末、SOS団の冬休み定期ミーティングまでオーラがロクに回復しないまま俺は修行、いや拷問を受けていた。

ちなみに休み中のミーティングは原則月曜と金曜になっている。

 

 

「……オレが全力で動けても朝倉さんと戦いたくはないんだけど?」

 

「じゃあ躱しなさい」

 

"じゃあ"って果たしてそういう使い方をするのだろうか?

今彼女が手に持っているのは本当のおもちゃのナイフ――刺さると刃が引っ込むあれ――だ。

確かにそれに当たっても痛くはないが、体術は別だ。平気で蹴りを入れてくる辺り尋常じゃない。

 

 

「くそう、くそう」

 

「まだまだ本気じゃないわよ?」

 

今日だけで既に十回近く刺されている。実際には何も刺さらないが。

現在は木曜日だが、昨日までを通して通算二百を超える回数となる。

実際、かなりの経験値にはなっているが大体からして俺が本調子でない。

……っと、どうにか右ローキックを回避。

 

 

「はいはいご褒美ご褒美、嬉しいでしょ?」

 

「オレはそんな趣味は無いしそれに朝倉さんはどこでそんな言葉を覚えたんだ」

 

「知らなかったの? 女子どうしって言っても与太話は多いのよ」

 

知りたくもない情報だった。

いわゆるグループって奴があるとしても俺は気に食わないタイプなんだ。

俺が気にするのは精々が俺に関してぐらいで、今となっては朝倉さんもそれに含まれる。

だが戦闘ではそんな浮ついた思考は一秒であれど命取りであり。

 

 

「――ていっ」

 

まともにハイキックを貰ってしまう。

しかも宇宙人テクノロジーで衝撃派のおまけ付きと来た。

俺はどうにか受け身を取ったが体中は打ちつけられているのだ。

既に限界とかそういう次元じゃない。ボロ雑巾と化している。

こんなのが毎日続いている。

 

 

「いや、きついっスわ……」

 

俺はその場に倒れたまま立ち上がらない。いや、起きれる訳がない。

むしろ今日までこらえた俺の方が凄いと思う。全国でも限られるはずだ。

ああ、なんだか明日休みたくなってきた。……今は冬休みなのに。

そうだな……来週は一日ぐらい休もう。甘えでデートをするかもしれない。

それは三日の遅れになるらしいが俺の成長速度的に大差ないんじゃないのか。

 

 

「だらしないわね」

 

「それでいいよもう」

 

俺より速く動いているくせに彼女は息一つ乱れていない。

化け物か。きっと周防も手を抜いてこんなもんだろう。

いや、マジでこの前のはラッキーパンチもいいとこだった。

潜在性ってのは不明だが多分これ以上俺に伸び代はありそうにない。

だからもう俺に関わらないでくれ。キョンの気持ちがわかるぞ。

そんな事を考えつつ青い空を眺めていると。

 

 

「……明智君、どうしてあなたから攻めてこないの?」

 

一瞬ちょっと誤解しかけたが、真面目な話らしい。

だが朝倉さんが呆れる理由がわからない。あれか、また俺が馬鹿なのか。

"馬鹿"の単語がそのうちゲシュタルト崩壊してしまいそうだ。

 

 

「どういうことかな」

 

「いくら消耗しているとは言っても、あなたなら反撃は出来るはずよ」

 

恒例の過大評価じゃないのか。

古泉といい、もっと俺を評価しないでくれた方がありがたい。

根拠のない自信を産む原因の一つだからだ。

 

 

「それに何の構えも取らないなんて。意味あるの?」

 

「いや、構えを取っていない訳じゃない。基本的に必要としないんだよ」

 

皆さんは"システマ"というものをご存じだろうか。

護身術の一種だと思ってくれていい。"シラット"とは違う。

別に俺はまさか達人でもなんでもない、かじった程度だ。

俺はブレスワークが甘い。なので精神を鍛える意味ではこれもいい修行なんだけども。

 

 

「構えってのは恐怖のサイン、緊張、ってのが教えでね。取らないわけじゃなくて、攻撃までの瞬間に脱力をし続けてる」

 

「ふーん。でも、攻撃しないってのは否定しないのね」

 

「どうせ今の状態じゃ通用しないってのが3割、残りの7割は君を殴れそうにない」

 

「……でも、長門さんから聞いたわよ?」

 

何の話だ。

 

 

「私の"偽物"を叩きのめした時の話よ。容赦がなかったとか」

 

「うっ。あれはオレがちょっとしたステータス異常だったのもあるけど、それ以前にあんなのに引っかかるわけがない」

 

その程度は言うまでもないと思ってたんだけど……。

俺のその発言を聞いた朝倉さんは何やら嬉しそうだった。

こんな場面で女の子らしさを持ってこられても困るだけだよ。

 

 

 

……まあいい、今日はもう止めだ。

昨日は日が暮れるまでこの山で追いかけっこしてたんだ、主に俺が逃げる方で。

ちっともロマンチックじゃないので嬉しくもない。

 

 

「そういえば、言い忘れてた事があったわ」

 

急に朝倉さんは改まったものの言い方を始めた。

近くの木に寄りかかりながら、どうにか立ち上がるとする。

 

 

「この前の消える奴よ」

 

「……ああ」

 

そもそも俺が今日まで苦しめられたのはあれのせいなのだ。

本当に使う気になれない。

 

 

「あの時のあなたは文字通り消えてたわ。この世界から」

 

「そりゃそうだよ」

 

あれで存在してるって方が無茶だからね。

これも異世界人ってのと関係しているのだろうか。

でも、そうだとしても俺には足りない気がしてならない。

しかしながら俺が考えたところで結論が出るはずもない。

自問自答は不毛なのだ。

 

 

 

……だが、次の流れに関しては完全な不意打ちだった。

 

 

「でも、それは実体が、って意味なの」

 

「……実体? オレの身体についてかな」

 

「そうよ。あの時明智君の身体は消えた。でもあなたは確かに存在してた」

 

「それじゃ幽霊みたいだ」

 

「いいえ――」

 

 

 

なあ、それはどういう意味なんだろうな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――情報体、それとも、思念体ってところかしら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はふと、今が冬だって事を思い出した。

 

 

 

 



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第四十三話

 

 

 

 

 

 

さて、皆さんは"名探偵のパラドックス"と言うものをご存じだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、名探偵を名探偵たらしめているのはひとえに事件のおかげという理論だ。

つまり事件が無ければそもそも名探偵として成立しない、そこに謎はないのだから。

殺人事件を解決するには殺人が無ければ解決できない。よって名探偵の前では人が死ぬ。

これは実在する探偵業に対してではなく、創作物の中での"名探偵"に対する逆説的思考だ。

原作でも古泉なんかがそれっぽい事を言っていたような……。

 

 

「一般的に名探偵とされる人々は、普通に生活していれば常識で考えて事件になんか巻き込まれないでしょう」

 

「そりゃあね」

 

「ハルヒは自分から渦を作り出すぞ」

 

「彼女は例外ですよ」

 

うまく躱しやがって。

 

 

「しかしミステリ物に代表される名探偵たちは事件に巻き込まれます。何故でしょうか?」

 

「そうしないと話にならないからだろう」

 

「正解です」

 

「メタも何もないね」

 

「それが名探偵なのです」

 

「おい、ハルヒにそれを期待するな」

 

「名探偵には事件を呼ぶ超自然的能力があるのです。そう考えるのが自然ですよ」

 

「謎の入れ食いって訳だね」

 

「知るか」

 

同情するよ。

 

 

 

……要は名探偵に限らず一般的に主人公とされる存在はトラブルメーカーなのだ。

その点で言えばキョンと言うよりは涼宮さんが主人公なんだろうさ。題名からしてそうだし。

生憎だが俺は波風を立てるような柄ではない。どっかの殺人鬼じゃないが今や草のような平穏が俺の望みだ。

"無為式"だとか、"なるようにならない最悪(イフナッシングイズバッド)"だとか、少なくとも俺はそんなんじゃない。

何せあの話の主人公じゃない以上はトラブルが来ることはまず無い。

 

 

 

と、思っていた。

笑えない事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悪魔の一週間が去り、冬休み期間中月曜のSOS団ミーティング。

……実際にはただ集まるだけで普段の延長線上ですらないが。

しかしどうにも集まりが悪い気がする。前の金曜日も全員集合にはやや時間がかかった。

そりゃお昼時だからだろう。何なら十四時からでもいいぐらいだ、どうせやる事は限られている。

そして今日の先客はキョンと長門さんだけである。

 

 

「お前が居るなんて珍しいじゃないか」

 

「……ん、お前ら二人か」

 

どうにもキョンは呆けていた。

俺と朝倉さんを見ても何も変化はない。

 

 

「どうしたよ、朝比奈さんのお茶でも恋しいのか?」

 

「……いや、確かに朝比奈さんは関係するが」

 

「随分と歯切れが悪いのね」

 

こいつはいつもな気がするよ。

 

 

「そうだな。ちょっと聞いてくれ……」

 

こうしてキョンの話が始まった。

先週金曜日にキョンが部室に来た時は朝比奈さんだけだったらしい。

で、何と日曜日に出かけませんかと誘われたのだと言う。節操なしかよ。

しかしどうやらお楽しみの最中に朝比奈さんの様子が豹変。

やがて横断歩道に連れてかれると、そこで子供が車に轢かれそうになったらしい。

 

 

「その少年はどうやら未来にとって大事な人らしい」

 

「……」

 

「大事? 涼宮さんよりか?」

 

「さあな。詳しくは俺にもわからんが、朝比奈さんの口ぶりではそいつがいたから朝比奈さんたち未来人が居るとか」

 

もしかしなくても重要人物だった。

そんな奴居ただろうか? 覚えてない。

しかもキョンの主観ではそのくだりはデート気分らしかった。

別にそんな細かい話は俺も気にしていなかったのだろう。当然だ。

 

 

「それがどうしたの?」

 

「いや、どうやらその車ってのがきな臭い」

 

「よせよ。オレは平和主義者だ」

 

「と俺に言われてもな。勢力ってのは目に見えない所で色々動いてるんだろ?」

 

古泉が言うにはそうらしい。

それにあのグラサン髑髏もそうだ。

いや、あいつは間違いなく何かを考えている。

これもその一環なのだろうか?

 

 

「オレだってわからないさ。何か知ってるのは朝比奈さんぐらいでしょ」

 

「長門、お前はどうなんだ?」

 

「どの勢力のインターフェースも動いたという情報はない」

 

「当然ね。殺すならもっと楽にやれるもの」

 

物騒なのはどうやらその未来人らしき勢力だけではなかった。

いや、子供一人相手に宇宙人が出る事自体がオーバーキルだ。

周防九曜なんかを見た日にはそれだけで死ぬぞ。

ターミネートモードだけは未だに思い出したくない。髪が逆立っていた。

 

 

「でも、オレたちには関係ないんじゃないの。涼宮さんや未来人は別だけどさ」

 

「……だといいがな」

 

「そうね」

 

「……」

 

やがて数分後、涼宮さんを皮切りに残りの団員が集結した。

涼宮さんは日曜日のキョンと朝比奈さんのショッピング風景を目撃したらしく、現在尋問中だ。

それが拷問にならない事だけを祈るぜ。

いや、そうなったら愉快だよ。歌になりそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、話は一旦変わるが、俺が予てから散々と言われ続けていた事がある。

それは"馬鹿"の方ではなく、"甲斐性"云々である。いい迷惑だよ。

しかしながら俺はこの日に修行をする気になれなかった。

いや、土曜日曜も模擬戦と言う体の虐待をやられてたんだ。

おかげさまでかなり鍛えられ、ナイフを受ける回数が一日十回を下回ったがもう無理。

昨日一日休んだ程度でどうにかなるわけがない。超回復など都市伝説もいいとこだ。

 

 

 

で。

 

 

「もうっ、遅いわよ!」

 

九時待ち合わせで八時三十分に某駅前へ着いた俺がこう言われている。

いや、朝倉さん。『遅い』って……何時からそこに居たんだ。

そもそも論としてわざわざ待ち合わせをする必要があったのだろうか?

 

 

「デートの鉄板じゃない」

 

違いない。

だが九時にやってるような店なんかまずないと思う。

少なくとも一時間は手持無沙汰じゃないのかな。

そしてまだ九時ですらない。

 

 

「そうね、じゃ散歩しましょ」

 

「朝倉さんイエッサー」

 

言うまでもなくまだまだ寒い一月頭。

俺の一張羅ではなんだか頼りない、少なくとも見た目では寒い。

そして散歩というか散策を朝からしていてはSOS団的活動となんら変わらない。

その旨を伝えたところ。

 

 

「……」

 

「急に黙ったけど……?」

 

「いや、もう何も言えないって奴よ。あなたから誘っといて、この反応だなんて……道理で私が半年かけて攻略できないわけだわ」

 

彼女の中での俺の難易度はどのくらいなのだろうか。

これも絶対言う事は無いだろうけど、間違いなく先に好きになったのは俺の方だ。

だから永遠に俺は勝てない。朝倉涼子にだけは。

 

 

「さいですか」

 

「ええ」

 

ここで反抗した所で明日からがつらくなるだけだ。

そろそろ朝倉さんも本気でかかって来てもおかしくない。

だが明日には8割以上の状態には持ち直せるだろう。今までが1~2割のメーターだったのだ。

能力云々より人間の限界を超える方が先な気がしてならないよ。

ふへへっ合法的にボディタッチしてやる。やらないけど。

 

 

 

でも。

 

 

「ふはははっ」

 

「何よ、急に気味の悪い声を出して」

 

外が公共の場である以上自重するが、とうとう本格的なデートなのだ。

思えばいつぞやのそれは本当にただのウォーキングだった。終始健康的な会話だった。

だが、今日ではない。

 

 

「嬉しくてたまらないのさ」

 

「……」

 

「この平和が一時的なものだとしても」

 

「……ねえ」

 

何だろうか。

 

 

「本当に、これから"何か"が起きるのかしら?」

 

「オレにもわからないよ」

 

「でも明智君はそう思っているのよね?」

 

「……嫌な予感ほどよく当たる。これは人間の常だから覚えておくといいよ」

 

特に俺の場合は幸運という補正がゼロに近い。

いつも悪運だけで生き延びているような気がする。

運否天賦の勝負では思えば勝った試しがない。

くじ引きで当たることがなければ、どんなに高確率であれど外れを引く。

俺のコインには表がない。だからギャンブルだけはしない、するのはハッタリだけだ。

 

 

 

再び呆れた朝倉さんは。

 

「でもあなたは自分の能力すらよくわかってないじゃない」

 

「そうかもね」

 

思い出すのはあの透明化。

実体の一切を世界から消し、俺と言う残留思念だけがそこに残る。

ふと見ると朝倉さんはどこか悲しそうな顔をしていた。

 

 

「私、怖いわ」

 

「……何がかな?」

 

「やっぱりあなたが、どこかへ消えてしまうような気がするの」

 

あの能力についてか?

いや、きっと俺そのものについてだろう。

確かに俺は俺の明日がわからない。どうやってここに居るかも知らないからだ。

涼宮ハルヒの考えが全てなのだろうか? 遊びたいという願いが。

 

 

「縁起でもないじゃないか。大丈夫だ、オレはどこにも行かない。"ここ"で死ぬさ」

 

「あなたは異世界について話してくれた、でも――」

 

「……どうやらどこかへ置いてきたらしい。まあ、それは必要ないさ、多分」

 

「明智君がそれでいいならいいわ。私はね」

 

寒空とは言え、せっかくのデートなんだ。

何もわざわざ悲しい気分になる必要なんかないじゃないか。

今日行く気はないけど水族館は好きだ。ムーディなのがいい。

気休めだけど俺は提案しよう。

 

 

「それなら、約束だ。確かにこういうのは口だけじゃあなくて型にはまった方がいいと思うよ」

 

そう言って俺は左手を差し出す。

グーの形から小指一本だけを立てる。

 

 

「指切り。知ってるかな?」

 

「ええ、やったことはないけど」

 

「じゃ」

 

嘘ついたらナイフが何本飛ぶかわからない。

それに俺もまさか破る気なんかないさ。

俺は本当の事は言わないけど、朝倉さん相手に"それ"はもうない。

やっと……俺は彼女と向き合えた。これ以上裏切る必要はないんだ。

 

 

「そういう事だから、そういう事でいいのさ」

 

「ふふっ。不思議ね。おまじないなんて科学的根拠は何もないのに、ちょっと安心したわ」

 

「そりゃあ呪いだからさ」

 

だからきっと、俺はこれからも大丈夫だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして俺と朝倉さんはあてもなく歩く。

とりあえずショッピングモールにでも向かおう、大した規模じゃないけど。

それでもここから徒歩で行けば良い時間は潰せる。

実はノープランもいいとこだよ。観たい映画は無かった。

 

 

 

でも、これでいいのさ。俺は。

結局のところ、人間はそこにあるもので満足しなければならない。

言うなれば、それを出来ない人間が、自己満足の為に筆やペンを握り芸術を発展させてきたんだ。

空を飛びたいと思ったから鳥にもなったし、楽に移動したいと考えたからワープなんてふざけた概念を生み出したんだ。

でもそれはごく一部の人間の生き方でしかない。みんながみんな、ニーチェに賛同できないのと同じだ。

凡人たる我々は、生き続ければそれでいい。人は最終的、究極的に、死ぬために生きている。

だが、今日ではない。

 

 

 

今日は寒いから、朝倉さんの手を握るのさ。

これでいい、これがいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そしてふとした瞬間。

 

 

通りすがりの男とすれ違った瞬間だ、微かにこう聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――それもいいが、僕の邪魔をしてくれるなよ。異世界屋」

 

 

鋭い、明確な、俺に向けられた敵意だった。

それはまるで目的のためなら何かを犠牲に出来る覚悟。

そう、古泉と、ジェイと、俺と同類。

捨てる勇気。いや、ただの悪意。

 

 

 

 

 

 

……振り返るが後ろには誰も居ない。

 

宣戦布告、って奴らしい。

 

 

「予定変更、今日はあそこにしよう」

 

「あら、どこかしら?」

 

「いつか言ってたじゃないか。アウトレットモール。興味あるんだよね?」

 

「場所を知ってるの?」

 

「ぬかりないさ、駅まで戻ろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、でもそれは、「お前次第」って話になる。

 

 

君もそう思うだろ?

 

 

 

 

 



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夜明けの月 その一

 

 

 

新学期。

 

俺は様々な事を忘れていたし、忘れようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず俺が一番に忘れたかったのは記念すべき朝倉さんとのデート日に陰りがさした謎の宣戦布告。

電車に乗って落ち着いてから俺は作戦会議をようやく始めた。

 

 

「とか何とか言われたんだけど」

 

「それ、どこでかしら?」

 

反応からしてやはり朝倉さんには聞こえてなかったらしい。

姿が消えた事といい、俺の正体を知っている事といい一般人ではない。

可能性があるとしたら金髪のアホだ。あいつなら周防ともどもジェイと通じているだろう。

 

 

「駅近くのコンビニだよ。あそこで通りすがった多分男の人」

 

「……ああ、居たわね」

 

物凄いメモリ、いや記憶力だ。

これは俺も今後は朝倉さん相手に真面目に接した方がいいかもしれない。

下手な事を言ったら一生引きずられる。皇帝なんかはたまに言われそうだ。

 

 

「よく見てないけどいかにもチャラチャラしてそうな感じだったわ」

 

「心当たりがあるよ」

 

「もしかしてそれは例の話かしら?」

 

「多分、いや、わからないけど」

 

「そう……」

 

「今更アテにならないさ」

 

それよりも。

 

 

「ボソっとしてたけど、オレにははっきりと聞こえた。朝倉さんが聞こえなかったのはどうしてだろう」

 

「未来人の技術レベルは私たちのそれを超えているとは思えないわ」

 

そうだろうね。

原作ではタイムマシンについて長門さんが酷評してたはずだ。

 

 

「でも、不可能じゃないでしょうね。姿はともかく声ぐらいなら消せるんじゃないかしら」

 

「……音、か」

 

聴こえる音だけが音ではない。結局は音など空気の振動、漂う波なのだ。

でも、朝倉さんならそれとてキャッチできるだろう。

 

 

「あなたたちの世界でわかりやすく言えば共振に近いわね」

 

「まさか音と音をぶつけて、オレだけにってか?」

 

音界の覇者ことミッドバレイほどじゃないが大した話だ。

 

 

「実際には多分色々してるわよ。ただ選択肢が多すぎてそいつが何をしたのかはわからないけど」

 

要するに実現させるのは朝飯前らしい。

 

 

「私の情報制御下の空間なら別よ? それに普段は多少制限されてるもの。まだ申請が必要なのよ」

 

「縦社会のつらいところだ」

 

だがしかしSOS団における主観的ヒエラルキーは俺とキョンの最下位争いである。

いや、涼宮さんがもしキョンに対して素直になれれば俺が最下位。少年誌なら連載打ち切りだ。

もっとも涼宮さんに関して言えばそんな風に人を比較する人間ではない。

口では悪く言えど、キョン以外の人間の価値は等しいのだ。

 

 

「……そう言えば、気になるお店があるわ」

 

やけにいい笑顔でそう言ってきた。

いや、どう言えば気にならないで済むんだろうね。

 

 

「それは最終的にはオレの通貨で清算される」

 

「彼氏じゃない」

 

「お金はあるよね」

 

「そういう問題かしら?」

 

機関から頂いたいつぞやの報酬だが諸経費ですり減ってきていた。

確信を持って言えるが四月が来るより先にそのお金は底を尽きるだろう。

俺自身の財布から出る点では何ら変わらないのだけども。

 

 

「あいよ。それでいいならいいさ」

 

「ごめんね、冗談よ」

 

「半分ぐらい本気だよね?」

 

否定しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてその翌日。一月十日の水曜日、始業式。

冬休みは言うまでもなく一月丸々ではない。

いや、実にキリが悪いが北高はここら辺の他校と比較すると冬休みが多い方だ。数日だけだが。

どうせなら金曜日、もっと言えば来週まで休ませてほしいが変な事件が起きても困る。

そういえば昨日の朝、俺がデートに行く前。

 

 

『助けろ』

 

「もしもしお前誰だ、そして誰をだよ」

 

いきなり携帯電話が鳴ったと思えばキョンがもしもしの一言も無しにそう言った。

助けろて、一瞬だけ本当に何かの間違いかと思ってしまった。

俺は救急車じゃないぞ。

 

 

『明日は始業式だ』

 

「知ってるよ」

 

『去年俺たちが夏休みに何をしたか覚えてるよな?』

 

「……えーっと合宿から始まってプールに縁日それとセミ乱獲に――」

 

『そうじゃねえ。今日と同じ休みの最終日だ』

 

こいつの言いたいことがやっとわかった。

まるで成長していないじゃないか、馬鹿野郎。

 

 

「断る」

 

『頼むから俺の課題を手伝ってくれ』

 

「夏休みほどハードじゃないはずだろ?」

 

『お前の中ではそうなんだろうな』

 

「だいたいオレに頼るなよ」

 

『じゃあどうしろってんだ』

 

「他を当たってくれ」

 

『……お前はとっくに終わってるんだよな?』

 

どうした急に。

 

 

「うん、今回はぱっぱとやったよ」

 

『その理屈で言えばお前がどうして断るのか、だ』

 

「何が言いたいんだよ」

 

『俺のマイナス回避よりまさか朝倉と遊ぶ方が大事なのか』

 

「よくわかったなそしてその通りださようなら」

 

『ちょっ――』

 

この日は一日中携帯の電源を切っていた。

若干ハイな俺を邪魔しないでほしかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――で、現在HRも終わり部室なのだが。

 

 

「休み明けから怠い」

 

「そうか。でもどうやらキョンはちゃんと課題を出していたじゃないか、どうやったんだ?」

 

「僕は昨日、協力を頼まれたのですが課題が異なる上に予定がありまして」

 

「あら、じゃあキョン君は自力でやったのね?」

 

「……違う」

 

では朝比奈さんだろうか。

 

 

「あたしは何も聞いてませんよ?」

 

「長門さんは?」

 

「……」

 

無言で首を横に一振り。

つまり、消去法で行くと現在食堂に籠りこの場にまだ到着していない団長さん。

 

 

「やるじゃないか」

 

「違う、お前に切られたタイミングでハルヒから思い出したかのように電話が来たんだ」

 

「ほうほう、それで?」

 

「勝手に俺の家に来てみっちり指導された、意味はわからなかったがな」

 

「家庭教師ですか、実に羨ましいですね」

 

やはり古泉は変態だ。じゃないと『機関』のハードワークに耐えられない。

涼宮さん限定だろうけど……信者どころか狂信者なんじゃないのか。

 

 

「へぇ……でも、よかったですね」

 

「全然よくありませんよ。結果論です」

 

「でも学校は過程を見るところさ、結果を見るのは社会に出てからでいい」

 

「知るか。その過程がわからないんだからな」

 

キョンはきっと脳の使い方を理解していないんじゃないのだろうか。

会話のスキルにステータスを全部振ってしまったのか。

そんな話もそこそこに古泉が用意してきた"カタン"でも4人ぐらいでプレイしようかと思った時だ――。

 

 

 

 

 

 

 

「すまない、失礼するよ」

 

 

 

 

 

 

 

ドアがいきなり開かれた。

そして男が一人部室に入り込む。

 

 

「おや」

 

「……誰かしら?」

 

この二人が覚えてないのも無理はない。直接会話してないし。

来訪者はこちらを一瞥すると。

 

 

「どうやら団長さんは不在のようだ」

 

どこか疲れた様子で彼はそう言う。

古泉はさておき朝倉さんには説明しとこう。多分誰かわかってない。

 

 

「彼はコンピ研の部長さんだ。前に助けたでしょ?」

 

「あら、そう言えばそうね。涼宮ハルヒのために穏健派の喜緑江美里が用意した……」

 

「そういう言い方はかわいそうだと思う」

 

ただの被害者なんだから。

しかしまさかこのタイミングで来るとは思わなかった。

そして本当にタイミングが悪かった。

 

 

「あんた誰? 邪魔よ」

 

「げふをっ」

 

そんな言葉があったかと思うと部長氏は首根っこを掴まれると後ろに倒された。

それを行ったのは言うまでもなく涼宮さんだ。

 

 

「お、おいハルヒ……」

 

「何よ?」

 

「彼は涼宮さんに要件があるようでして」

 

「あらそうなの? おーい、起きなさい」

 

ぐわんぐわんと首を揺さぶられる部長氏。

目覚めると同時に物凄い勢いでその場から後退していく。

 

 

「ひ、ひいっ!?」

 

「あたしに対して何なのその態度。用があるならさっさとしなさい」

 

「……そ、そうだ。写真だ」

 

「写真って何の話?」

 

 

 

 

 

 

 

……ああ、あれね。

 

 

 

すっかり忘れていた。

痴漢行為の現場をねつ造したあの写真だ。

 

 

「君がそこのメイドさんを使って無茶やった写真だ! もしかして君たちはまだ持ってるんじゃないか?」

 

「さあ、どうだったかしら……」

 

「オレは涼宮さんに渡したよ」

 

「なら君が持ってるんだろ?」

 

「うるさいわね、多分家にあるわ。それがどうしたのよ?」

 

「どうしただって!? ふざけないでくれ、あんなもんはさっさと処分するべきだ」

 

「はあ? あたしのものよ、勝手に決めないでちょうだい」

 

「……いいだろう、なら、返してもらおう。その権利を得るために僕たちコンピューター研究部は君たちに勝負を申し込む!」

 

こういう平和的闘争なら俺もいつでも大歓迎なんだがな。

周防もどうにか見習ってほしい。殺し合いとか勘弁してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝負だなんて単語を出されて、黙っているような涼宮ハルヒではない。

面白そうで、ついでに暇つぶしにさえなればいいのだ。

それが今のところの彼女の正義である。

 

 

「君が持っているフィルムを賭けて勝負だ」

 

「いいわよ、ルールはもちろんバーリ・トゥードね?」

 

"何でもあり"じゃないか。

そもそも格闘技なんか彼らが出来るはずがない。

 

 

「いやいや、ゲームだよゲーム」

 

「ゲーム?」

 

「そうだ、僕たちが自主制作したゲームだ」

 

「どういうジャンルなのよ」

 

「これは説明書とゲームが入っているディスクだ。……文化祭で発表したんだけどね」

 

そう言って部長氏は涼宮さんにCDケースを手渡す。

あの中にディスクがあるのだろう。

 

 

「ふーん。でもあんたらは何を賭けるの? まさか無条件じゃないでしょうね」

 

「そうだな、君たち人数分のノートパソコン。君が使っているPCを除いてで六台だ。どうせ多人数対戦するゲームだから、それでいいだろ?」

 

「グッド!」

 

彼女はどこのギャンブラーだ。

 

 

「よし、練習期間は一週間だよ」

 

「あたしたちには多すぎるわよ」

 

「ふん。負けて言い訳されたくないのさ。それに多くて困るのか?」

 

正論だった。

 

 

「一週間後の午後四時スタート、逃げるなよ!」

 

「誰が!」

 

実に楽しそうな二人であった。

もっとも部長氏からすれば切実な問題なのかもしれないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、俺はそのゲームとやらがてっきり"THE DAY OF SAGITTARIUS III"だと思っていた。

だが読み込みが完了したファイルに入っていたアプリケーションはそれとは違う名称であった。

 

 

「"THE MOON DAYBREAK"……?」

 

DAYという部分は共通しているが、DAYとDAYBREAKの意味は全然違う。

しかしながらオサレな名前を付けたがる部分は変わらないらしい。

とりあえず説明書を読むことにする。他のみんなも画面に釘付けだ。

 

 

 

――時は未来。

人間同士の抗争は地球を飛び出し、宇宙でも繰り広げられていた。

この作品はその中の一つ、月面での戦闘をテーマとした作品らしい。

何だか"エステバリス"みたいだなと思うと、本当にそんな感じの設定だった。

最低必要プレーヤーは3人。戦闘用の機体操縦と、母艦長とその補佐。

艦長が母艦の操縦指示を出し、補佐が自衛を行うという話らしい。

 

 

「えらいボリュームがあるな」

 

「説明書を把握するだけで一苦労ですね」

 

そして肝心の説明についてが長かった。

出来る範囲で要約させてもらおう。

 

 

 

まず、戦闘機体なのだがステータスを振り分ける制度にはなっていない。

既に基本パラメータは決められており、それぞれ異なる三種類の機体がある。

項目についてだが。

 

・装甲(防御力)

・機動性

・エネルギー

 

の以上3つでありこれらは基本値として10段階で評価されている。

戦闘機体は装甲6、機動性6、エネルギー7とバランスのとれた"スペンサー"。

当たらなければどうということがない装甲2、機動性9、エネルギー5の"ジャッカル"。

前線に長らく存在する事で真価を発揮する装甲8、機動性2、エネルギー10の"ランパート"。

装甲と機動性の値に関しては要検証なのだが、どうにも見たところ残り二つはピーキーである。

 

 

 

そして、エネルギーとは何ぞや?

このエネルギーの概念こそがどうやら肝らしい。

なんせ、このエネルギーが切れると一切の行動が不能となる。

エネルギーの上限値を増やすことは出来ず、分間1を必ず消費する。

回復方法はただ一つ、母艦で補給を受ける。それだけらしい。

救済措置として機体が破壊されない限りは行動不能の機体を母艦が収容すれば復帰可能だ。

つまり、このゲームにおける母艦の重要度は恐ろしいほどに高い。

そのまま敵艦の撃破が勝利条件となっているからだ。下手な行動は出来ない。

母艦の自衛方法もビームを撃てるわけではない。無いよりマシ程度の性能のバルカンだ。

 

 

 

また、各機体にはそれぞれ武器を一つだけ装備できる。

この装備は機体決定時に同時に選択し、後で変更することは不可能。

 

1マガジン30発、予備カートリッジ4つの"バトルライフル"。セミオートだ。

説明不要、ただ近づいて切るだけの最高威力の剣、"カトラス"。

残弾2000発を発射するフルオートガトリング、"デスウィッシュ"。

全ての機体には3発の"ボム"が初期装備されている。手榴弾みたいなもんらしい。

そしてデスウィッシュを装備した場合に限り、機動性が2ダウンするのだという。

これらはボムを除き、母艦のエネルギー補給時に残弾も回復するそうだ。

つまりボムはかなり大事に運用する必要がある。

 

 

「よくこんなの作ったじゃないか……」

 

「とりあえず練習あるのみよ!」

 

「……」

 

「どうやら各々プレースタイルを確立させる必要があるようですね」

 

「こ、これは何をすればいいんですかぁ?」

 

「ふーん。これの何が面白いのかしら」

 

「どうでもいいがパソコンなんて俺は要らないんだがな」

 

まだ説明書には続きがあるらしい。

……ええい、読めるか。とりあえずオフラインモードだ。

 

 

 

そして各団員のこの様子である。

涼宮さんを除いて、特にやる気が無かった。

果たしてこれでいいのだろうか。どうせ負けても失うものはないのだ。

 

 

「なんだこの画面」

 

「座標のようですね」

 

「意味が分からん」

 

「何よあんた、説明書に全部書いてあるじゃない」

 

涼宮さんはこの短時間であれを読破したのか。

もはややる気云々じゃない気がしてきたよ。

まあ、自主制作にしてはかなりのクオリティだ。まだプレーしてないけど。

 

 

「朝倉さん」

 

「何かしら?」

 

「どうするよ」

 

俺は本気を出すべきなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

0と1で構成されるディスプレイは何も答えてくれない。

 

 

 

 



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夜明けの月 その二

 

 

 

練習期間中についてだが普段のSOS団の部活風景とはかけ離れていた。

 

当たり前だ、普段はボードゲームや会話のみのぐだぐだ活動。

これを部として生徒会が認めないのも残念ながら当然のことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかくずっと無言。

マウスのカチカチ音とキーボードのカタカタ音だけがそこを支配していた。

うっ、前世のデスマーチを思い出してしまう……。胃が。

 

 

「……」

 

「……はぁ」

 

「……涼宮さん」

 

「ん……どうしたの古泉くん」

 

「いえ、……そろそろいい時間かと思いまして」

 

ちらりと右下の時刻を見る。十七も三十分を経過、冬の外はもう暗い。

 

 

「そうね。今日はもういいわ」

 

「……」

 

本の代わりに長門さんはノートパソコンをバタンと閉じる。

最近では終了の合図はこれにシフトしている。

大事に扱ってあげなよ、まだコンピ研が貸し出しているだけなんだから。

 

 

「パソコンにかじりつく作業がここまで辛いとはな」

 

「何言ってるんだよキョン、ゲームじゃないか」

 

俺は仕事で一日中格闘していたような気もするぞ。

いや、それはプログラム言語と言うより自分との戦いでしかなかったが。

基本的にだらだら作業するのは嫌いだった。

 

 

「あいにくと俺は世の廃人連中がどうしてゲームにのめり込めるのかさっぱりわからない」

 

「そりゃオレもそうだけど、慣れしかないよ」

 

「あたしにはちょっと難しいです……」

 

「そろそろ方向性や役割を決定するために、一度会議をすべきだと思いますが」

 

「うーん、そうね、じゃ明日は作戦会議よ!」

 

明日ってのは土曜だ。

日曜日はお休みらしいのだが、どうやら休日を一日返上する必要があるらしい。

いや、ほんと思い出したくもない仕事を思い出しちゃうよ。

 

 

 

そして金曜の下校中。

 

「そっちはどうだ、大将さん」

 

「あら? 皇帝のあなたにそう言われるなんて」

 

「……」

 

「わ、悪かったわ。もう言わないから」

 

その時の俺の顔を見れるのならぜひ見せてほしい。

多分「ぬ」と「ね」の区別がつかないような酷い顔だったろう。

 

 

「大体理解したわ。鉄則としてはとにかくしっかりとした陣形を組む事ね」

 

「はぁ、上手くいけばいいけど」

 

そんな単純な戦法を阻害するのが月面のランダムマッピングだ。

ローグライクRPGでよくある奴。そもそも月面の地形には3パターン存在する。

平地、クレバス、建造物だ。これらが試合ごとでランダムに配置されてから開始する。

建造物については言うまでもなく遮蔽物となる建物なのだが、世界観が安定しない気がする。

どういう経緯で戦闘をしてるんだろうな。

 

 

「ゲームの話もいいけど、明智君」

 

「……何でしょうか」

 

「うん、私の勘違いならいいんだけどね?」

 

何やら妙な雰囲気じゃないか。

一体全体何の話をしようってんだろうか。

 

 

「もしかして、谷口君ってあの欠陥品と付き合ってるの?」

 

思わずむせてしまった。

もしかしなくても欠陥品ってのは周防九曜の事だろう。

朝倉さんのカースト制度では最下層みたいなものらしい。

それはともかく、どうしてそんな事に気づいたんだ。

知らないフリで行ってみよう。

 

 

「は、はあ? たたた谷口が誰ととっ」

 

「落ち着きなさいよ」

 

「ふへっ、いやや、慌ててないよ、全ぜ」

 

「……あなた、何か知ってるわね?」

 

何故ばれた。

彼女の眼光が鋭い。

 

 

「オーライ、知ってて黙ってたのは確かだよ。でも何故そんな事に気づいたんだ?」

 

「それはもちろん見たからよ」

 

「見た……?」

 

「ええ、昨日、買い物に行ったときに」

 

スーパー辺りでの食材調達だろう。

はっきり言うと俺は朝倉さんにただ飯を食べさせてもらってる部分があるのだが、気にしない事にした。

何だか飼い慣らされてるような気がしないでもない。

しかし。

 

 

「へぇ、周防も気長な奴じゃないか」

 

何が楽しいんだろうな。

その内あっさり足切りとなりそうだが、

 

 

「いつみても気味悪いわね、谷口君も悪趣味だわ」

 

「そうかな?」

 

「……は? 何言ってるの? 死ぬ?」

 

いや別に私は周防の味方じゃありません。世界で朝倉様だけでございます。

だからその本当に刺さるナイフをこっちに向けないで下さいお願いします。

 

 

「ふん」

 

「し、しかし本当に付き合っていたのか」

 

周防の反応からそうではあったが。

 

 

「谷口君が一方的に盛り上がってただけみたいだけど」

 

「ああ……」

 

そりゃそうだろうな。

 

 

「オレとしては相互不干渉でいきたいんだよね」

 

「かっこ悪いわね、何びびってるのよ」

 

「いや、びびってねーし。周防とかトンボの羽を千切るより楽だわー。ちょろいんじゃないかな」

 

「こっちを向いて話しなさいよ」

 

俺は嘘をつくとき特有の、ななめ視線になっていた。

汗はかいてないが思い出したくはない。雪崩なんか神秘的ですらない。

と言うか俺は暫く雪を見たくなかった。

 

 

「でもさ、わざわざこっちから攻撃する必要はないだろ」

 

「私は散々な目にあったわよ……」

 

「まだ怒ってるの?」

 

「当たり前じゃない。あなたを馬鹿にしたあの態度。明智君は許しても私はとりあえず欠陥ターミナルを串刺しの刑に処したいわ」

 

合宿の行動不能よりも、あの時俺が周防に屈しかけていたのが許せなかったのだろう。

だから朝倉さんは俺と修行がしたかったのか。本当にありがたい事である。

おかげさまで今ならそれなりに本気の周防でも戦える気がする。気がするだけなのだが。

それでも大事な要素ではある。

 

 

「……殺すなよ」

 

「それは無理ね」

 

「わかったよ、その時はオレも一緒に戦う。それで彼女を許してやってくれ。2対1で充分なイジメだよ」

 

「ふふっ。いいわね、それ」

 

マジで笑いながらする会話ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――で、例によって土曜の昼から北高文芸部部室に集結したSOS団。

そこで簡単と言うかいささか無茶な会議が繰り広げられた。

いや、社長命令だ。いつもの絶対権限である。

 

 

「ま、団長のあたしが艦長をやるのは当然ね」

 

「あたしは……戦うのとか苦手なんで、補佐でいいです……」

 

「別にいいけどみくるちゃん、それじゃ面白くないわねえ」

 

「馬鹿が、朝比奈さんに面白さを要求するな」

 

「何よ、可愛さで勝てるわけないのよ」

 

「面白けりゃ勝てるのか?」

 

「『作戦は奇を以って良しとすべし』……涼宮さんの意見はこういうことでしょうか?」

 

「わかってるじゃない、流石古泉くんね。あんたも少しは見習いなさい」

 

「あいよ」

 

キョンは相変わらずの扱いだ。

 

 

しかしこのゲームの補佐官は重要なのだ。

補給プロセスも完全自動ではなく朝比奈さんが操作する必要がある。

ただのそこまで難しくないクリック作業だけど。

そして弾幕展開も彼女の仕事。嘘でも楽じゃない。

 

 

「さて、涼宮さん。作戦はどうしましょうか」

 

「決まってるわよ、全力で叩き潰す!」

 

「……」

 

「おい、何無茶言ってやがる」

 

「あのね、攻めなきゃ勝てないの。当たり前の事じゃない」

 

それは結構なのだが正面から堂々と突っ込んだところでまず負ける。

個人のプレーヤースキル、総合力ともにあちらの方が上だろう。

ナポレオンだってワーテルローの戦いで負けたのは正面突撃したからだ。

実は彼にも勝てる要素がいっぱいあったと言う。

 

 

「編隊はどうするんだ?」

 

「みんなに任せるわよ、とにかく、相手より早く倒すの。そうすれば敵は丸裸よ。そこを叩けば勝てるわ」

 

「まじかよ」

 

キョンに同情したくなってきたが、俺は既に諦めている。

お前もどうこう言われたくなければ頑張る方がいいぞ。

大きなため息を吐いたキョンは。

 

 

「そうかい。じゃ、もういいだろ」

 

「何がよ?」

 

「土曜だぜ、これで解散だ。家で寝たい」

 

「何言ってんのあんた、馬鹿じゃないの? 今日も練習よ練習」

 

そろそろ俺は意外にしっかりしている月面世界と戦闘用のトポロジーモニタに見飽きてきたところだ。

それなりに面白いゲームだとは思うけどそもそも俺はゲーマーって柄じゃない。

ストレスになりそうだから基本的にやりたくないんだ。上手い下手の次元ではない。

いわゆる音ゲーに一時期はまったが、全国レベルはもはや戦争だった。

朝倉さんとの修行の方が精神衛生上マシである。かわいいし。

 

 

「なあ、ここはいつからコンピ研の支部になったんだ?」

 

「これは僕も気合を入れなければなりませんね」

 

「勝手にしろ。……だが普段ここでパソコンなんて使うのか? 人数分も」

 

「あって困ることは無いじゃない。それに、あの写真をあたしたちが持ち続ける事で、あのオタクどもをさらにゆすれるのよ。今度は何がいいかしらね」

 

ちくしょう、これが正義か。

神はとっくに死んでいるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして来る水曜日。

四時も近くなり、俺たちはモニタを睨み付けていた。

まだ誰もボタンを押していない。あるのは90年代でも作れそうなタイトルロゴだ。

 

 

 

 

まず、説明書の続きと検証の結果からわかったことを説明したい。

戦闘機体――いわゆるロボみたいらしい――と母艦の耐久力についてだ。

ロボに関しては全て1200、母艦は3000。これがゼロになれば破壊となる。

機体エネルギーに関しては問題なかったのだが、移動方法に問題があった。

と言うのも移動方法は歩行とバーニア移動の2種類がある。

これをキーボードで切り替えつつ、という事になる。

当然バーニアは歩行と比べ2倍以上は移動速度が速い、エネルギー消費の割合と言うのは基本的にバーニア移動についての事らしい。

よって歩行移動をしている限りはエネルギーが2倍近く持つと言う理屈だ。

 

 

 

他二つのパラメータを説明する前に武器にと補給ついて先ず解説したい。

実は残弾補給には限界があるらしい。まあ、当然の話だった。

"バトルライフル"については10回分の最大補給が可能なのだが、2000発搭載のガトリング"デスウィッシュ"に関しては1回きり。

ゲームバランスの調整なのだろうか。ただしデスウィッシュが補給不可能な時にその機体が補給を受けた場合、自動的に近接装備の"カトラス"に装備変更される。

要するにデスウィッシュは切り札クラスの装備だ。全員装備なんてやるもんじゃない。

そしてカトラス以外を装備している際に残弾切れとなった場合、悪あがきのパンチ攻撃を放てる。

ちなみにエネルギー補給は無限だ。

 

 

 

では、装甲値と被ダメージから割り出した各武器のダメージ量を説明しよう。

バランスタイプ"スペンサー"の装甲値6を試した後に他機体のそれと比較した。

 

 

バトルライフルはセミオートで、連射は自分でする必要があるがややタイムラグがある。

スペンサー基準の一発分ダメージが75、装甲2の"ジャッカル"は200、装甲8の"ランパート"は20と堅い。

全体的にライフルはダメージが安い印象があるが、確実に当て続ける事に意味があるのだろう。

 

次にガトリング。これは連射して削り続ける必要があり、正直言えば更に安い。

それぞれダメージは2、6、1、と一発でどうにかするもんじゃないらしい。

 

最後の選択装備のブレードだが、これはとんでもない性能だった。

どんな装甲だろうが二撃で仕留める。まさにスピード機体と組み合わせるためにある装備だ。

ただし戦艦相手にはそうはいかず、10回ぐらいはチクる必要がある。

それに攻撃範囲は言うまでもない。

 

各機体に標準装備されている"ボム"これも装甲無視の固定400ダメージ。

ただしブレードの次に攻撃範囲は狭い。駆け引きに使えるかも怪しかった。

 

残弾切れの際のパンチだが、あってないような機能だった。

平均しても10以下のダメージ。こんなパンチではアムロもシャアを倒せない。

そして母艦の弾幕も固定30だが、ヒット時に機体をほんの少しだけ後退させる能力があった。

いわゆる引っ付きの対策だが、基本的に正面しか撃てないので回り込まれたら厳しい。

 

 

 

機動性についてだが、これは地上歩行時のものだった。

遅い機体であれ、バーニアを使えばそれなりに動けるという訳だ。

つまりあまり参考にならない。だが、加速と最高速は機動性が高い方がバーニア移動でも高い。

だんだん重量機体のランパートが要らない気がしてきた。置物もいいとこだ。

 

 

 

そして母艦についての能力値の推定は。

 

・装甲値:20(えらい堅かった、10じゃ計算が合わない)

・機動性:なし(常にバーニア移動。だが各機体のそれよりは何割も遅く、暗に戦闘するなと言っている)

・エネルギー:無限

 

となった。

おい、この検証だけで一日以上は消費されたぞ。

無駄に作りこんだコンピ研が憎い。もう"THE DAY OF SAGITTARIUS III"で良かった。

だが多分、ここまで作りこんだのは俺が渡した某製品をぱくった統合開発環境のせいだろう。

いや、開発者としてはきちんと使われてれば嬉しいんだけど、お礼を言われた所で世界は平和にならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そして。

 

 

「さあみんな、始めるわよ。用意はできたかしら?」

 

「……ああ」

 

「こちらも準備が完了してます」

 

「は、はいっ!」

 

「いつでも出航オッケーだよ、キャップ」

 

「うん、さっさと終わらせましょ」

 

「……」

 

各々適当な返しをキャプテンの涼宮ハルヒにする。

でもそれを聞いた彼女はニコニコした感じだった。

いつになくテンションが高い。そんなに楽しいのだろうか。

 

 

「よしっ! SOS団、出撃よ。総員配置につきなさい!」

 

いよいよ校内イントラネットを利用したオンラインによる対戦が始まった。

正直あっちは自分たちで予行演習なんかもしてるだろう。人数が違う。

俺たちとは比べ物にならない経験値だ。

 

 

 

だが。

 

 

「バレなきゃイカサマじゃないんだ」

 

「……」

 

「ふふっ」

 

技術力では、こちらは負けていない。

まさか自分からモラルをぶち壊す事になるとは思わなかったが、容赦せんよ。

それに宇宙人なんか俺の数十倍は恐ろしいテクノロジーがある。

確か原作で地球レベルにまでセーブしても長門さんはスーパーハカーだった。

それに朝倉さん。もう俺、というかみんな要らないよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてキャプテンは高らかに叫ぶ。

俺よりよっぽど皇帝らしいじゃないか。

 

 

 

「やぁぁぁぁあって………やるわよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

涼宮さん、ネタが古いよ。

 

 

 



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夜明けの月 その三

 

 

 

 

 

今日から三日前、日曜日の事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……わざわざついて来てもらってすまないね」

 

「ううん。これもデートよ」

 

冗談にしてはどうなのだろうか。家デートという概念が許されるならこれもありなのか?

そもそも夜の学校に忍び込むなど、俺はともかく優等生で通っている朝倉さん的にいかがなものか。

で、現在は部室棟のSOS団アジト内だ。

 

 

「と言うか、いつぶりかしら? 私があなたの"臆病者の隠れ家"に入ったのは」

 

「さあね。去年の時と違って悪用してるのは確かだよ」

 

まさか生徒玄関から侵入できるはずがない。

いや、朝倉さんに頼れば出来るが移動の手間が面倒だった。

俺の部屋から直接朝倉さんの部屋に行き、そこから部室に仕掛けた"出口"に対応する"入口"を用意した。

マスターキーは俺にしか使えないのだ。

 

 

……でも。

 

 

「何だかんだ朝倉さん頼みになるのがオレには情けなく思えてくる」

 

「私は別に大丈夫よ?」

 

「ま、さっさとしよう」

 

現在俺たちは朝倉さんが展開してくれた不可視遮音フィールドとやらの中である。

いや、正確にはフィールドではないらしいが姿と音がそこから奪えれば同じだ。

仮に教職員が巡回してたとして、まずバレないと言う訳らしい。

でもバレても朝倉さんなら記憶ぐらい消せるんじゃないか?

 

 

「その辺どうなの?」

 

「いいけど、荒っぽくなるわよ?」

 

「オールオッケー。行こう」

 

文芸部を出てそのすぐ横にあるコンピ研部室前に行く。

当然鍵がかかっていたが、言うまでもなく無駄だ。

 

 

「暗いわね」

 

「そりゃそうさ、今は二十三時だからね。どうにかなる?」

 

「はいはい。申請するわ……」

 

すると急に電気が付いた。

宇宙人お得意の空間支配。情報制御だ。

周防と言い、彼女たちの戦闘は陣取りゲームらしい。

 

 

「ふふっ。ここは二人の"世界"よ」

 

「……」

 

魅力的な提案ではあるが、そこまで俺もおのぼりさんではない。

さっさとパソコンを漁る事にしよう。何もストロベるのは帰ってからでいいのだ。

うろ覚えな記憶を頼りに部長氏が座っていた座席を当たる事にした。

 

 

「それにしても、もっと楽に出来るわよね?」

 

「うん」

 

「何もわざわざ出向かなくても、いくらでも攻撃は仕掛けられるわよ」

 

「オレはこれでもかつてセキュリティの資格を持っていた。攻撃方法は知ってるけど、基本的には技術の悪用でしかない」

 

なけなしのモラルだ。

 

 

「結局いけない事をしてるのは同じじゃない」

 

「いいや。まずはハックするにしても、正当なる理由を見つける必要がある。自分への言い訳さ」

 

「私は何をすればいいの?」

 

「必要に応じてでいいよ」

 

原作ではコンピ研は"THE DAY OF SAGITTARIUS III"で索敵モード・オフなんてインチキをやっていた。

彼らとて写真のフィルムがある限り涼宮さんにいいように使われるのは知っているはずだ。

 

 

「彼らとオレらでは、覚悟に差がある」

 

社会的にどこまで追い詰められるかは知らないが、俺の根拠のない悪名よりは酷く思われるだろう。

谷口が言うには、朝比奈さんは北高全男子生徒のアイドルだ。

その彼女に対して痴漢行為を働いたとなれば、本当にフクロにされてしまう。

馬鹿馬鹿しくも思えるが、切実な問題らしい。

 

 

「力で勝てないから自作ゲームでインチキするなんて、情けないわね」

 

「いや、原因を作ったのは間違いなく涼宮さんなんだけどね……」

 

っと、早速発見した。

ソースコードを解析すれば何かわかると思っていたが。

 

 

「"上質剣士"って奴か」

 

別に某死にゲーの話ではない。

俺はある程度、渡されたゲームと彼らが実際に使うゲームが異なる事を予想していた。

案の定、機体から母艦まで、全ての設定値が異なっている。上乗せである。

それに他にもあるみたいだ……。律儀にコメントもしっかり付けている。

 

 

「優秀じゃないか。オレはゲームプログラマーじゃないから何とも言えないが、わかりやすいプログラムを書くのが基本だ。彼らがオレの部下だったらやりがいがあるね」

 

「私たちには低次元の世界だからどうあろうが大差ないわ。数字にしたら十桁かしら」

 

「そりゃ傷つくぜ。事実だろうけどさ」

 

情報が具現化したようなもんだからな。

古泉の超能力者もそうだけど宇宙人って表現は微妙だ。

なんかこう、特殊生命体とかでいいんじゃないかと思った所でトランスフォーマーも宇宙人だった。

 

 

「オレは昔エクセルで某捕食アーケードゲームを再現したことがある」

 

今となっては普通に配布されてたりする。

わざわざ自力で作った意味だ。

 

 

「それって黄色い球の奴かしら?」

 

「よく知ってるね。……速度変化や無敵モードって訳だ。でも遊びにもならなかったけど」

 

「ふーん。とにかくこれで黒だってわかったじゃない、どうするの?」

 

「そりゃいつも通りさ。言わなくてもいいよね?」

 

"どうか"って俺に訊ねる事ほど愚かな事はないのだ。

常に俺の返事は同じなのだから、無意味で無価値だ。

 

 

「だから、具体的な作戦よ」

 

「涼宮さんの言った通り、正々堂々と叩き潰す。やられたらやり返すのさ」

 

つまり、俺もインチキをしよう。バビロニアでも言われてた事だよ。

 

 

「ユニークだわ、これだからあなたと居ると楽しいのよ」

 

「そりゃ貴重な意見だ。……今日はこれだけでいい。一々確認はしないと思うけど、当日までは何もしなくていい」

 

「じゃあ帰りましょ」

 

朝倉さんは腕を引っ張って俺を椅子から引きずり出した。

なんだ、さっさと解散でいいんだぜ。出るだけなら苦労しない。

 

 

「もう遅いからオレは直帰したいんだけど」

 

「今ここで修行をしてもいいのよ? さ、私の部屋に戻るわよ」

 

「……はい」

 

俺の中での逆らってはいけない2トップ。

朝倉さんと涼宮さんだ。多分心はとっくの昔に折れている。

その音はきっと乾いた音だったと思う。

 

 

 

でも、これは自慢だが、朝倉さんは世界一美人だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、ここで画面についての説明をしたい。

ヒットポイント、エネルギー、残段数の他に表示されるものは、周囲のマップ情報とレーダーチャートだけ。

3次元座標を利用したトポロジーレーダーを用いた情報がそのまま戦闘に利用される。点と点の世界だ。

機体や戦艦のグラフィックは存在しない。マップのみだ。ここら辺は餅は餅屋なのだろうか。

自分や敵の攻撃は線で表現されるのではっきり言ってゲームシステムに慣れる必要がある。

モニタで敵は発見できないのにも関わらず、レーダーの表示は視界情報に依存する。

つまり建築物に隠れてる相手やクレバス地帯で高低差があれば相手の発見に遅れる事があるのだ。

いや、本当に面倒なシステムだ。

 

 

「これでいてあっちはインチキしまくってるからな……」

 

「……」

 

誰にも聞こえないレベルの声にならない声で呟く。

聞こえたのは精々宇宙人二人くらいだろうさ。

 

 

 

色々言ってきたが、このゲームの最大のポイントは相手の残HPがわからないという点にある。

要するに死にかけの機体だろうと相手にとっては脅威となり得るのだ。

開始から二分程度経過。俺の隣のキョンの隣、古泉が

 

 

「涼宮閣下、僕の機体のレーダーに敵機の反応がありました。いかがいたしますか?」

 

「距離は?」

 

「このまま接近すればあと20秒」

 

「よし、突撃よ!」

 

「御意」

 

こいつら二人はこんなコントじみたやりとりをよく平気で出来ると思う。

案の定と言うべきか、置物機体のランパートをチョイスした奴は居なかった。

みんな普通の機体であるスペンサー。俺と朝倉さんは速攻が可能なジャッカルを選択。

10分という最大活動時間は魅力的かも知れないが、そこまでこのゲームは補給や長期戦を必要としない。

だいたい長くても30分程度だ。

 

 

「……」

 

「ハルヒ、こっちも反応があった。だが直ぐに逃げて行った……どうする?」

 

「上等兵、あたしを呼ぶときは閣下よ。古泉大尉を見習いなさい」

 

「じゃあ閣下、指示をくれ」

 

「とりあえず探索を続けなさい。深追いしてもあんたならやられるだけよ。あたしはじわじわ母艦を前進させるから、ゆっくり追い詰めるのよ」

 

「へいへい」

 

意外にも個人プレー中心ながらこっちはしっかり連携をとっていた。

普通なら互角の試合になるんだろうさ、だが。

 

 

「おや、敵さんは高機動型のようですね。数発浴びせましたが消えてしまいました」

 

「こっちもだ」

 

な訳である。当然これもインチキの内だろうよ。

……さて、もう少し様子見だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武装についてだが、俺と朝倉さん以外はバトルライフルだ。無難である。

というか普通にプレーしてればセミオートだろうがこれ一丁で済む事に気が付く。

だが俺は母艦にある共用残弾の観点からガトリングを選択。

朝倉さんは最初からブレードと変態仕様だ。

 

 

「ふふっ。涼宮閣下、私の方に反応があったわ」

 

「朝倉軍曹さん、やる気か?」

 

「あら兵長。そうね、屠らせてもらうわ」

 

「オレはエネルギーが怖いんで後退しよう」

 

「わかったわ。軍曹、交戦を許可。やっちまいなさい!」

 

「了解よ」

 

その言葉通り、数秒後には本当に撃墜したらしい。

キーボードとマウスの音が異常だった。逆に俺たちがスローモーだと勘違いしてしまう。

俺がかつて見た全国レベルの音ゲーマーを思い出す変態的な手と指の動き。

敵もびびってるだろうな。俺も怖い。

とにかく初撃墜者は接近機体の朝倉さんである。

いや、近接兵装の"カトラス"は彼女のためにあるような装備だからな。

最初からこれ一択で練習してたみたいだし、ナイフとでも思ってるんじゃないだろうか。

 

 

 

そして開戦から十分が経過、朝比奈さんは補給作業に対してわたわたしている。

 

 

「ち、ちょっと待って下さい~」

 

「みくるちゃん、早くしなさい!」

 

「ふぇぇ」

 

因みに朝比奈さんは副長であると同時に砲術長だ。

どっちで呼んでもいいが副長って感じではない。少なくとも土方歳三にはかなわない。

するとキョンが。

 

 

「……ん?」

 

「……」

 

「おい」

 

「どうかしたか?」

 

「いや、見間違いならいいんだがな、レーダーに反応が無い所から急に一瞬出てきた」

 

「隠れてただけでしょ」

 

「それが俺が今居る地帯は平地が続いている」

 

ステルスモードって奴か。

そうだな、そろそろこいつにも説明しとこう。

 

 

「大きな声出すなよ?」

 

「何だ」

 

画面から目を離さず、淡々とした説明をキョンにする。

学校に潜入しただとかの要素は話していないが。

 

 

「……はぁ、どうしたもんかね」

 

「どうもこうもないさ。勝つよ。あった方がいいでしょ、ノートパソコンも」

 

「そうかい。……まあ好きにしてくれ」

 

「でも最後はきっちりお前が決めてくれよ」

 

「何をだよ?」

 

「トドメさ。敵艦撃墜だよ」

 

「別に俺じゃなくてもいいだろ。お前らがやった方が早いんじゃないか」

 

「いやいや、閣下はお前さんに期待しているんだ」

 

「……面倒だ」

 

「大丈夫だって、安心しなよ。露払いはオレたちでやるし、後暫くしたらインチキも打ち止めさ」

 

「そのインチキに対する反撃を何でさっさとやらないんだ?」

 

「はっ。決まってるじゃないか」

 

俺はゲームをそこまでやらないが、これだけは心がけている。

基本的に俺に運が無いからこそ、他人の不幸は見てて楽しいのだ。

自分の手でそうなってくれれば尚良い、蜜の味かまでは知らないがこれが愉悦なのは確かである。

 

 

「呑気してるアホ野郎どもを、絶望の深淵に送り込んでやるのさ。ふははっ」

 

「……やっぱりお前らそっくりだぜ」

 

「お前らって、誰と比較してるんだよ」

 

「お前の大事な軍曹さんだ」

 

「いやいや、まさか、どこがさ」

 

「楽しそうに物騒な話ができるからな」

 

そう言われるとそうかもしれないが、朝倉さんの方が俺と比べ物にならない怖さだ。

二言目には誰か死んでる気がする。本当にナイフが好きなんだろうね、うん、そうしとこう。

というか何でこいつはそんな事を知っているんだろう。基本的に彼女は猫かぶりな筈だ。

するとキョンは落ち着けと言わんばかりの表情で。

 

 

「去年のいつぞやの水中UMAの時だ」

 

「"テティス・モンスター"の時か?」

 

「名前は知らん。多分それだ」

 

水中の敵はあの時だけだったからな。

実際にはデマと呼ばれてるテティス湖のトカゲ怪人。

そんな奴を無理矢理でっちあげられた訳だ。

UMAとしてはどうなんだろう。ホームページに書いたのは俺だけどさ。

 

 

「今でも覚えてるぜ、あの時の朝倉はまるで釣りでもするかのようだった。UMAの腕が千切れては楽しそうだったじゃないか」

 

「戦闘要員だから多少はいいでしょ。基本的にオレは説明係だったし」

 

「なら俺と朝比奈さんは観光客だ。今思えばついていったのは失敗だったがな」

 

「でも貴重な体験だったろ? 偽物とは言えUMAだよUMA。本物なら友達になれるさ」

 

「馬鹿言え、お前は朝倉がいきなり翼を出して空を飛んでもいいのか?」

 

「それはきっと天使だ。いや、もう既にそうなんだけどね」

 

「………」

 

「……そろそろまた補給に戻るよ」

 

気分を悪くしたのなら俺は別に謝らないからな。

そして行動不能だけは勘弁だ、よって3分~4分のペースで撤退する必要がある。

いや、ピーキーだよ本当に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから補給を完了して二分後の事だ。

何やら建造物の多い地帯で敵機の反応があった。

未だに撃墜数1なので、ここらで稼いでおきたい。

 

 

「涼宮閣下、遮蔽物のあるエリアで敵機を捕捉。指示を」

 

「エネルギーは大丈夫なの?」

 

「1分もかからずに終わらせる」

 

「そう、ならいいわ。明智兵長、仕留めなさい!」

 

「ラジャー」

 

だがしかし、敵との打ち合いは明らかにこちらが打点負けしていた。

 

 

「オレの機体が紙装甲なのを度外視してもきついな」

 

敵は俺と同じガトリング装備だがダメージの割合が高い。

秒間10以上は削られている。

 

 

「一旦戦線を離脱。あわよくば広域帯でやりたいんだけど」

 

しかし追跡はなかった。

 

 

「僕の方もやや劣勢ですね」

 

「ちょこまかと、面倒だわ」

 

「……」

 

「み、みなさん頑張ってください」

 

「ええ、勝ちますよ朝比奈さん」

 

そう言えばキョンはどっちの味方なんだろう。部長氏にもどこか同情的だが。

でも、朝比奈さんにとってもあんな写真が公になるのは古傷が開くどころでは済まない。

そしてこちらはじわじわと押されつつある。

 

 

「そろそろ、かな」

 

「……」

 

その言葉に反応して斜め右に座る長門さんがこちらを見る。

責められるのは慣れてるが、俺は攻められるのは好きじゃないんだ。

 

 

「長門大佐、予定通りに」

 

「了解」

 

 

 

 

 

 

 

 

じゃ、お決まりの台詞と行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――"プランB"だ」

 

 

 

 

 

ん? プランA?

 

 

……ないよ、そんなもん。

 

 

 



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ザ・ムーン・デイブレイカー

 

 

 

 

果たしてファーストコンタクトはどんな会話だったろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初からエキセントリックに行くのも良かったのだが、出たとこ勝負ではあった。

伝説の入学式の翌日、朝から寝ぼけていた彼に話しかけた。

 

 

「――君、一人かな?」

 

「……ん、どちらさんで」

 

「明智黎。ま、よろしく」

 

「ああ、明智……ね。最初の方だから何となく覚えてる。パソコンがどうとか言ってたな……」

 

その時は意外にも物覚えはいいんだなと思った。

 

 

「趣味としては読書、いや話を考えたりもするけどね。パソコンはどっちかと言えば特技さ」

 

「特技?」

 

「そ。ちょっとプログラムを組んだりだとか」

 

「はぁ、俺にはその辺はさっぱりわからん」

 

「家に無いのか?」

 

「とくに必要ないからな」

 

この時代はまだまだそんな家庭は多かったな。

2006年なら無理もない。後3年以上はかかるだろう。

 

 

「そっか、でも意外と楽しかったりするよ」

 

「だが独学だろ? よくやれるな、俺のプログラマーのイメージと言えばデスクワークだ」

 

「その認識は間違ってはいないと思うけど、結局は数学と同じさ」

 

「どういうことだ?」

 

「お客さんが居て、要求がある。それはつまり答えを求めているんだ。その過程を割り出すのが仕事だよ」

 

「生憎だが俺は勉強が得意ではない」

 

「なんだかんだここは進学校って聞いたけど?」

 

「それはここら辺で学校が他に無いからだろ。後はあそこ、光陽園学院ぐらいだぜ」

 

「私立の?」

 

「そうだ。俺にとっては人外魔境でしかないが」

 

「どうして」

 

「少なくとも、ここから出るよりは進学率がいいからさ」

 

「私立なんだろ?」

 

「それでもこっちよりはいい。結果としてそうだから認めるしかないだろ。まず環境が違うからな、モチベーションも上がるんだろうさ」

 

「なるほどね……でも」

 

「ん?」

 

俺は認めたくないぜ。

そういうの、"逃げ"って言うんだ。

"妥協"はしてもいいが、そこから逃げる事だけはしちゃいけないんだ。

つまり、自分なりの結論を出していないんだ。君は。

 

 

「結局のところ人間は、そこにあるものでしか満足できない」

 

「だろうな」

 

「だけどそれに満足できない人間が、発見や発明をして文明を、社会を創り上げた」

 

「……」

 

「お前さんは、満足してるのか?」

 

「さあな……」

 

「そろそろHRだ、また後で話そうや」

 

「哲学的な話なら遠慮させてもらおう」

 

「ははっ。いや、そうだね、女子の話とかでいいんじゃないかな」

 

「やる気のない見た目に反して、お前はそういうガツガツしたキャラなのか?」

 

「『さあな』」

 

とにかく、こんな感じだったと思う。

谷口や国木田とも、中身のない会話をしたさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の話の結論から言えば、俺はそこまで必要じゃなかった。

いや、俺一人でもその気になれば解決できるが、俺より優秀な人材が二人も居る。

そのどちらかだけでもコンピ研は破滅すると言うのに、オーバーオーバーキルだった。

 

 

 

キョンが突然話しかけてきた。

さっきあんな反応だったのに、もう許してくれるのか。

 

 

「お、おい明智」

 

「うん?」

 

「長門と朝倉の方から異様なタイプ音がさっきからするが、ありゃ何だ、何を企んでいる」

 

「安心してよ、もうすぐ終わる」

 

俺は彼との会話をしながらゲームプログラムを改竄していく。

とりあえずあっちのインチキコードは全削除だ。

ステルス、ワープ、敵HPの表示なんてのもあった。

 

 

「二人にはサポートしてもらってるんだ、長門さんが侵入してこっちにデータを送る。朝倉さんとオレで書き換えさ」

 

「また変なパワーを使ったのか?」

 

「いや、多分知識と技量、後は経験さえあればできる。情報操作はナシだよ」

 

「それならいいが、さっきからこっちの機体性能が良くなった気がするぞ」

 

「移動速度の事か? 10でいいよね」

 

「……さっさと終わらせろ」

 

「そりゃ無理だ。お前がトドメを差すんだから」

 

果たしてコンピ研の方々はどんな反応をしていたのだろうか。

今となっては知る由もない。

 

 

「涼宮閣下、敵影を捕捉しました。指示を」

 

「あら、古泉大尉は私の近くに居るわね。挟撃を仕掛ければ簡単よ、どうすればいいかしら?」

 

「わかったわ。二人とも、オタクその2を殲滅しなさい!」

 

いや、こうもあっさり沈めては可哀想だな。

……コンピ研部長氏も切実なのだろう。

写真については処分する方向で行こう、"貸し"にしとけばいいのだ。

大きなため息を吐いたキョンは。

 

 

「……こんなに簡単に済むなら、一週間の練習期間は何だったんだろうな」

 

「とは?」

 

「そのままの意味だ。無意味だって事だ」

 

「もしかしたら、そういう考えも正しいのかもしれない」

 

「正論じゃないってか」

 

「ただの意見さ。でも、閣下にとってはきっと、過程の時間も悪くなかったんじゃないかな」

 

「ハルヒはそんなにいい考えができる奴なのか?」

 

「少なくとも彼女が前向きなのは違いないよ、じゃなかったらオレたちが集まるようなSOS団なんてないでしょ」

 

その"願い"がどれほどありがたく、どれほど迷惑なのか、今や俺は考えもしない。

この世界を受け入れ、生きていく覚悟ができたからだ。

それはどれだけ素晴らしいの事なのだろうか。

 

 

 

要は、あっちの俺と同じだ。キョンから聞いた話だけだけど。

こんな取るに足らない俺に、生きる意味ができた。

本当にみんなには感謝したんだ。だから、俺は、俺の正義は、みんなの正義だ。

SOS団団員、みんなのための。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようやくオレの初撃墜だよ」

 

「ラス1だけどな」

 

「あははははっはは! でかしたわ、諸君!」

 

「骨が折れましたよ、これを機にキーボード操作を鍛えたいところです」

 

「あっ、お、終わりですか!?」

 

「まだよみくるちゃん。まだ肝心の敵艦が残ってるじゃない」

 

「もう私は出なくていいんじゃないかしら。補給が面倒なのよ」

 

「……」

 

「甘いわ軍曹。獲物の前で舌なめずりは、二流、いや三流のすることよ!」

 

その台詞で行けば涼宮さんが軍曹になってしまう。

方針はお前に任せるよ、キョン。

 

 

「どうでもいいがな、命令をくれ。閣下よ」

 

「ええ、それじゃ――」

 

もしこれがアニメで、処刑用BGMなんぞがあるとしたらとっくに流れ終わっている。

最早流れが変わる事はあり得ない。切断をしなかったのはコンピ研に残された最後の誇りなのだろうか。

だとすればタフな連中である。だが、その根性はちっぽけではない。称賛に値する。

 

 

「相手が悪かったのさ」

 

「――全軍突撃よ!!」 

 

最早残弾が切れた機体は、補給などせずにひたすらパンチを敵艦に浴びせていた。

俺もとっくに弾丸切れで朝倉さんと同じブレードに換装されている。

抵抗として弾幕もあったがそれを掻い潜り、じわじわと、嬲っていく。

 

 

「取材だな」

 

「あん?」

 

「後でこの瞬間の感想を取材する」

 

「部長氏にか……」

 

「まさか、コンピ研の全員相手にだよ。量も最終的には質に関係するのさ」

 

「やっぱりお前は人間じゃねえよ。お前も宇宙人だ、良かったな」

 

「いいや、"世界"が違うのさ」

 

「……言ってろ」

 

涼宮さんの指示が出され、移動した時間を含めると2分もなかっただろう。

コンピ研の敗北が決定するまでに必要とした時間だ。

ディスプレイに表示される『Winner!』のメッセージがやけに虚しく見えた気がする。

 

 

「我々には勝利以外の選択肢はないのよ!」

 

ああ、常識だよ。

涼宮ハルヒに勝てる存在は、"鍵"だけなんだ。

最強が二人も居るんだぜ? 誰が勝てるよ。俺には無理だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……いや、誰しも立ち直るのには時間が必要というものだ。

 

 

 

そうでなくても彼らの中では話し合いもあっただろう。

決着から三十分以上が経過した十七時。

 

 

「負けたよ、完全敗北だ……」

 

真っ白に燃え尽きた部長氏が文芸部のドアを叩き、やってきた。

涼宮さんは完全に天狗だ。いつもそうだが今日はグレート天狗とやらだ。

 

 

「ふふんっ」

 

「本当に申し訳ない。いや、正々堂々としてなかったのはこっちの方だ。どうか許してほしい」

 

「何ぶつぶつ言ってんのよ。どうでもいいけど、ここにある奴は全部貰うわよ?」

 

「……いいだろう」

 

本当に可哀そうになってくる。同情でしかないが俺はああはなりたくない。

肘でキョンを小突いて「行け」と合図する。

 

 

「なあハルヒ」

 

「ん、どうしたの?」

 

「いや、充分じゃないか?」

 

「はあ? 喧嘩売ってきたのはあっちじゃない! ノートパソコンは我々の備品よ」

 

「違う。フィルムだ」

 

「フィルム?」

 

「そうだ。元々今回部長氏がこの場を設けたのは、お前が去年やらかしたせいだろう」

 

「あたしは悪くないわよ」

 

「良し悪しじゃない。このパソコンだって明智がよくわからんものを提供して交換という形で解決したんだ。なら、今回も等価交換でいいんじゃないか?」

 

「……何よ」

 

「六台もあれば釣り合うだろ? それに、万が一にそんなもんの存在がバレたら朝比奈さんにも迷惑がかかる」

 

「……そうかしら」

 

部長氏は無言だったが、必死の目で訴えてきている。

許してくれと言わんばかりだった。

 

 

「そうだ。何なら多数決でもすればいいさ」

 

結局キョンの意見に反対したものはいなかった。

 

 

 

 

 

――で。

 

 

「なあ、君」

 

「はい?」

 

コンピ研の部員がノートパソコンの設定なんかを行っている最中、部長氏に話しかけられた。

 

 

「もしかしなくても、君の仕業だろう? まさかあそこまでやられるなんて夢にも思ってなかったよ」

 

「いいや、オレ一人じゃないですよ」

 

「えっ?」

 

「あっちで本読んでる眼鏡の女性と、後――これはオレの彼女なんですけど――あそこの青髪の女性が主犯です。俺は補助です」

 

「ばっ、さ、三人も居たのか……」

 

「"アノニマス"だって一人でやらないですよ」

 

この時代にそう言って通じるかは謎だった。

だが部長氏はこれを好機ととらえたらしい。

 

 

「な、なあ。これは相談だが、ヒマなときがあれば是非うちに顔を出してくれないか?」

 

「そっちの部室にですか?」

 

「そうだ、誰でもいい。僕たちはかなりいいものを作れると過信していた、それが、こんな形で考えさせられるとは思ってなかったけど」

 

なまじ技術力があるから過信してしまう。

それも典型的なプログラマーの性ってものだろう、俺にはよくわかる。

 

 

「大丈夫ですよ」

 

「へっ? 何がだい?」

 

「いえ、その気持ちがあれば、人のためにやるってことを忘れなければいいものは必ず作れます」

 

「そうかな。僕も、作れるかな」

 

「ええ。プログラマーってのは結局、形のない物を売っています。だからこそ、それに対して評価してくれる人物が一人でもいれば、そのために頑張るんですよ」

 

理想論もいいとこだ。

言うまでもないが会社ではそうはいかないさ。

実際に顧客の意見が通るかは予算の問題もある。

それにそもそも現場の人間全員が顧客と顔を合わせたり、また開発後の使用感想なんかを聞くこともほぼない。

基本的には一過性のものなのだ。

 

 

「それでも情報社会は発達していきますよ。今後、どんどんと」

 

「何故かだけど、僕もそう思うよ」

 

「はい。必ず」

 

そうだな。たまには俺も顔を出してもいいかも知れない。

 

 

 

それはきっと、"そこにあるもので満足できない人間"の仕業なのだろう。

俺は能力、"臆病者の隠れ家"なんか無くても、どこまでも、遠くへ行ける。

人間の精神は鳥のように空高く飛び上れるし、何なら瞬間移動だってできるさ。

最初の家から外へ出る一歩。それさえあれば、その繰り返しなんだ。

色々あるが、結局は馬鹿と鋏は使いようさ。だからこそ俺はそれに誇りを持っていた。

……だけど。

 

 

 

 

 

「……さぁて、やっぱり"思い出せない"ぞ」

 

これはあっちの世界に飛ばされてから気づいた事だ。

正確にはジェイにとやかく言われた後に疑問を抱いた。

そしてその疑問は朝倉さんへの前世暴露で確かなものとなった。

 

 

 

原作知識? 

 

いいや、違う。

 

そうじゃないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

どうやら俺の前世の記憶には、穴があるらしかった。

 

そう、俺には確か、誰か、友人が居たはずなんだ……。

 

十年以上も一緒に居たはずのそいつの顔も、名前も、性別も、何も思い出せない。

 

何故だろう。

 

 

 

 

そして俺は何故本を読むようになったのだろうか。

 

昔は違った。長門さんの逆、書くだけだった。

 

例外として読んでたのが兄貴が好きだった漫画【HUNTER×HUNTER】

 

そしてペルハム・グレンヴィル・ウッドハウスの【ジーヴス】シリーズだ。

 

自分の好きな事は思い出せるのに、その友人についてだけは思い出せなかった。

 

変人の俺の相手をしてくれたのは記憶してる限りでは、その一人だけらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

……それは、"誰"なんだろうな。

 

ただ、確かなことはあるさ。

 

 

 

 

 

「――月の夜明けは、オレにはわからない」

 

 

 

 

"THE MOON DAYBREAK"

 

 

月の夜明け。

 

 

 

 

 

 

本当に……皮肉じみたタイトルだよ。

 

 

 

 



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異世界人こと俺氏が巻き込まれる陰謀
第四十三 点 五話


 

 

 

 

一月中の朝倉さんが憂鬱だった。

ともすれば、それは恐らく俺に引きずられての事だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何だかんだ言っても、先入観と言うものは他人のみならず自分自身にもあるらしい。

その結果、今の俺があるわけだが解らない事を考えた所で時間の無駄にしかならない。

冷静に考えればこの世界の明智の記憶も多少俺には混ざっているのだ。

そこを考えれば俺が年相応の精神の不安定さを持っているのも納得できる。

健全な身体に健全な精神が宿るのだ。生憎と171cmから伸びる気がしない俺の身長ではあるが、要は概念論さ。

 

 

 

そしてどこか憂鬱だった俺だからこそ、こんな話もしたくなったのだ。

 

 

「ーーもし」

 

「ん?」

 

「もしオレが、全部をぶち壊そうと思って、この世界をぶち壊そうと思って、パワーバランスを無視して世界の全てを敵に回したとする」

 

何故こう考えたんだろうな。

普通、こういうのは禁書目録よろしくヒロインが言うような台詞だと言うのに。

 

 

「その時……朝倉さんはどうする?」

 

「……そうね」

 

だが、俺はやはり馬鹿だった。

 

 

「『どうもこうもない』。敢えて言えば、死ぬ時は明智君と一緒に死ぬわ」

 

「そっ、か」

 

きっと俺たちは。いや、SOS団のみんなは精神的にどこか欠落している。

キョンだけだ、キョンだけが、普通。いや、完璧な人間なんだ。普遍性こそが、あいつの武器だ。

だからこそ俺みたいな"成り損ない"は諦めちまうんだろう。逃げちまうんだろうさ。

きっと、ジェイがそうだ。

 

 

 

……でも、俺は違う。今は違う。

 

 

「オレに異世界人以外の役割が仮にあったとして、それはどれだけ大事な事なんだろう」

 

「さあね。涼宮ハルヒの願望が全てだと思うけど」

 

「それをどこまで信用していいのかは、マジもんの神様しかわからないさ」

 

「あなたに言わせれば『死んだ』んじゃなかったの?」

 

「そうだよ。だから誰にもわからないのさ。……いや」

 

これは逃げになってしまう。

何故ならその事に気付いてる奴は、少なくとも二人居る。

"超能力者"の古泉一樹と、"代行者"のジェイ。

果たしてジェイとは何者なんだろうか。

いや、それより俺は何者なんだろう。

俺は周防の言葉を思い出す。

 

 

「"予備"……か」

 

それがもし俺の役割ならば、何の予備だと言うんだ?

かつて長門有希のバックアップだった朝倉さんと、お似合いとでも言いたいのか?

余計なお世話だ。

 

 

「明智君は、この世界をどう考えてるの?」

 

「そうだね。……一つだけ確かなのは、もうオレの知っている物語ではない。"世界"だ」

 

「それはあなたが変えた、という意味かしら?」

 

「わからないさ。ただ、運命って考えは嫌いなんだ」

 

運命を変えるだとかって話がそもそも俺からすればちゃんちゃらおかしい。

明日『死ぬ』とわかっているなんて事は破綻しているし、二元論の世界において絶対は存在しない。

あるのは優越だけだ。

 

 

「だからこそ、俺は優越を考えて生きたい」

 

「ふふっ。勝ち馬に乗るって訳ね」

 

「違う」

 

有利だから勝てるんじゃない。

だったら逆転なんて話は出てこないさ。

それこそ、絶対じゃあないか。

 

 

「どんな世界であれ、俺が信じた方につく。それがオレの正義だ。勝つために、冷静に優越を考えてそれをひっくり返す事を考える」

 

要は簡単な話さ。

 

 

「オレが勝つことが、オレにとっての正義さ」

 

「だから涼宮さんと戦わないのね?」

 

「"勝たない"んじゃあない。彼女には"勝てない"のさ。ま、方法はあるけど、今はそれが必要ない」

 

そう、朝倉さんでさえ知らない絶対の切り札。全てを壊せる。

実はお前だけじゃないんだぜ。

 

 

「オレも、持ってる」

 

出来れば使う日は永遠に来ないでほしい。

最後の、最期の奥の手だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ともすればたまの野郎二人――正確には長門さんも居た――の部室にてこんな話もした。

 

 

「明智さんは、"フェルミのパラドックス"というものをご存じでしょうか?」

 

「どうやら馬鹿な話をしたいらしいね」

 

当然、知ってるさ。

この世界においては何一つ信用ならない。嘘もいいとこの駄目理論だ。

 

 

「いえ、ですが面白いじゃありませんか」

 

「古泉よ、お前さんはフェルミを馬鹿にしてるのか?」

 

「しかしながら世間一般的にはこうなっています。宇宙人は存在しない、と」

 

「宇宙人の定義をそこの長門さんに適用させるかどうかは怪しいけどね」

 

「涼宮さんが呼び寄せた以上は、宇宙人という解釈でよろしいでしょう」

 

「……そう」

 

「それで行くと、フェルミのパラドックスの正反対になるよ」

 

「ええ、宇宙人は存在するが、存在しないとされている。これも矛盾ですよ」

 

「……」

 

「屁理屈じゃあないか」

 

不毛な話なのは間違いない。

 

 

「あなたが接触した、周防九曜と名乗る方を含めて宇宙人は確かに存在します」

 

「その名前は聞きたくないけど聞こうか」

 

「さて、ここで一つ疑問が残りますね」

 

お前の頭の中が疑問だよ俺は。

 

 

「何故、宇宙人は秘匿されているのでしょうか?」

 

「……さあ、その方が都合がいいからじゃないの」

 

「我々にとってはそうです。では、周防九曜にとってはどうでしょうか?」

 

「わからないよ」

 

「事実として、どの勢力の宇宙人も自らをパブリックなものとはしません」

 

「お前たち『機関』が妨害してるんじゃないの?」

 

「それもありますが、ごくわずかなケースです。彼女たちは、ひょっとすると変わりつつあるのかもしれません。自分の意志で決めているのですよ」

 

「良い事じゃあないか。でもそれって何が原因だろうね」

 

「では、それについて、僕の持論でよければ話しましょう」

 

「……」

 

「聞いてやんよ」

 

古泉は自分で淹れた美味しくもなさそうなお茶を自分で飲んでいる。

俺は自動販売機で買った安定のコーヒーだ。すぐに無くなったが。

そのお茶を一口すすると。

 

 

「言うまでもなく現状のパワーバランスは拮抗しています。その中心人物は三人」

 

「三人……?」

 

「ええ、涼宮さんと、彼と、……あなたですよ」

 

ちょっと待て。

何故俺がそこで出てくる。

 

 

「あなたには、何かを変える力がある」

 

「……」

 

「どういうことだよ」

 

「まずは事実から検証していきましょう」

 

意外にもこいつはしっかり考えているらしい。

 

 

「その一。あなたは春にパワーバランスを無視して独断専行を行おうとした、朝倉涼子を止めた」

 

「いつまでオレはそれを言われればいいんだろう」

 

「しかも考えうる最高の形で、ですよ。結果的にこちらの戦力、いや、あなたの戦力は倍以上になりました」

 

「オレはそんな事を彼女に望まない」

 

「わかっていますよ。そして最終的にはまさか、朝倉さんを人間と呼べる域に到達させました」

 

「安心しろ、自覚は無い」

 

「最近の彼女は僕から見ても、まさに感情豊かといった感じです。プログラムにしては理を無視した行動、発言もあるでしょう。これらは人間にしかできません」

 

「……」

 

「で、オレだってか」

 

「あなたしか居ませんよ。いえ、あなたしか考えられません。何故ならば朝倉涼子の興味対象は、既に涼宮さんからあなたに代わっていた」

 

それは"いい傾向"なんだろうか。

わからないが。

 

 

「オレは勝っていた。と?」

 

「見事です」

 

「まるで最初から女ありきみたいな考えじゃあないか。オレはむしろ遠ざけてたんだけどね」

 

「そうは言ってません。つまりかつての朝倉さんがただの端末だとしたら、あなたが命を吹き込んだのです。変えたのですよ」

 

「ははっ。オレは神かよ」

 

「どうでしょうね」

 

「……」

 

ふう、やけにみんな集まりが悪いじゃないか。

この会話はまだまだ続きそうだった。

 

 

「その二。これで僕の持論は確定的となりました」

 

「何の事だよ」

 

「八月の"巻き戻し"現象です。コンピュータに詳しいあなた風に言えば、ロールバック現象と言いましょうか」

 

「へえ、ロールバックが専門用語って事も知ってるんだね」

 

「クラスメートにIT業界に興味がある方が居ましてね。コンピュータ研究部には所属してないようですが」

 

そいつは専門書でも漁ってるんだろうな。

俺もそうだったよ。

本屋に行くと言えば小説や漫画なんかより、真っ先にそっちを探しに行ったもんだ。

 

 

「長門さんや朝比奈さんの発言を総合的に判断すれば、こう結論付けれます」

 

「……」

 

「あの現象は涼宮さんの願望。ならば、それを止めれる人物は居ません」

 

「キョンが居るじゃないか」

 

「その彼が居た上で、ああなったのです。彼女が満足するまでは無理でしょう。つまり、あの現象はループする予定だった」

 

古泉、情報戦ならお前が多分最強だよ。

最早お前のそれは、"超能力"と呼んでいい領域に突入している。

 

 

「それを止めたのは、いや、止めようと動いたのはあなたです」

 

「は、オレぇ……?」

 

「はい」

 

「……」

 

「いやいや、みんなが協力してくれたおかげだよ」

 

「ですから僕と、朝比奈さんと、長門さんたち。各勢力の代表を動かしたのが、あなたなのです」

 

そんな危険な行動を俺はとってたと言うのか?

他の連中からしたらどれほど恐ろしいだろうな。

そしてそこには"鍵"のキョンだって居る。でも。

 

 

「それだけで解決できるなら、オレは必要ない気がするけど」

 

「そうなのですよ。ですが逆説的に考えれば、あなたが必要でした。つまり、あなたがきっかけで、涼宮さんを変えたのです。またしてもあなたが勝ったのですよ」

 

「……」

 

「絶対なんてないさ」

 

「ですが、これであなたが彼と同じ次元で重要人物だと言う事がわかりました。一人じゃないにせよ、世界を変えたのです」

 

「つまり?」

 

「断言しましょう、あなたの代わりは居ません。そしてそれが、次の話に繋がります」

 

まだあるのか……。

ううっ、朝倉さんだけでもいいから来てくれ。

今日はどうやら他の女子と色々お話していた。他の連中は知らない。

ガールズトークなんか興味ないぜ。……だが、創作活動の上では必要かもしれない。

 

 

「これが最後。あなたはとうとう異世界人として、我々に姿を見せました」

 

「……」

 

「先月の話か」

 

「はい。僕も連絡があった時は驚きました。TFEI端末や、コネクションのある未来人からのです」

 

「オレが消えた、ね」

 

「あり得ないと思いました。涼宮さんが呼んだあなたが、こうもあっさり退場するなんて」

 

「過大評価だよ」

 

「いえ、あなたの事は他の勢力とて気にかけています。その中であの事件です、パワーバランスが狂いかねませんでした」

 

「どうしてだよ。オレはただの個人だぜ」

 

「少なくとも朝倉涼子はそうは行かないでしょう。どんな手段を用いてでも、この世界に対して復讐を仕掛けるはずです」

 

「まさか」

 

「だからこそ敵も常に最良手を選択したのですよ。朝倉さんを行動不能にする。まさに神の一手でした」

 

おいおい、あの攻撃にはそんな裏があったのかよ。

それが事実ならばこういう情報はありがたいね。古泉様様だ。

 

 

「どっちにしても状況は最悪だと思うけど」

 

「そうです、我々は敗北寸前でした。しかし」

 

「……明智黎が、帰還した」

 

「こちらが一番驚きましたよ。我々はあなたが既に死んだものだと思ってましたから」

 

「オレだって謎だね。生きてたのが本当に」

 

「つまり、あなたの勝ちであり、三本の矢なのです」

 

意味がわからない。

急にどうしたんだろうか。お前の苗字は毛利じゃない。

 

 

「この事件を総合的に判断したのですよ。ジェイと言う人物が"あなた"を助け、そして"基本世界"という発言」

 

「そろそろ結論を頼むよ」

 

「先ほど既に申し上げました。あなたの代わりは居ません。それも、"世界"と呼べる単位で」

 

「平行世界の否定じゃあないのか?」

 

「いえ、違いますよ。あなただけが特異点なのですから。それがあなたが異世界人と呼ばれる所以ですよ」

 

「自称ではあったんだけどね」

 

「ですが、これで正真正銘となりました」

 

嬉しくは無いんだけど。

でも、それならあいつの発言も納得できる。

能力や役割を持つ俺が居れば、わざわざ俺に接触する理由は無い。

俺ならいいんだからな。

 

 

「あの世界のオレは、ただの一般人らしい」

 

「恐らく他に存在する世界の明智黎が、全てそうでしょう」

 

「……それ本気か?」

 

「九割ほどであれば、真実だと思いますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

悔しいが、納得できるし、説明が全てつく。

 

何故【涼宮ハルヒの憂鬱】において、明智黎なる人物が登場しないのか。

 

それは、もしかしたら明智黎は存在するのかも知れない。

 

あの原作、アニメの世界はその中の一つ。

 

明智黎が登場しない平行世界。

 

この世界がもしジェイのいう"基本世界"ならばそれが正しい。

 

異世界人は確かにここに居るのだから。

 

そして原作通りに進む世界。

 

運命は、因果は、存在するのだろうか?

 

 

 

じゃあ俺は、俺は一体何なんだ?

 

 

 

 

 

 

「明智さんがSOS団に所属している事自体は不思議じゃありません。涼宮さんの心根は誰にもわかりませんから」

 

「だが、その世界のオレは異世界人じゃあない」

 

「以上三つを以て、あなたには『何かを変える力がある』と、言ったのですよ」

 

「……」

 

「やれやれだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

――何故なんだろうな。

 

何故、俺はそうなんだろうな?

 

 

 

「古泉、お前にはわかるか?」

 

 

 

 

 

 

 

その答えは、YESじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

宇宙人は、今も秘匿されている。

 

 

 

 

 



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第四十四話

 

 

 

 

そして二月に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年度末もいいとこで三年生は自宅学習の期間だ。

北高はこれでも進学校としての体裁がある以上、一部の教職員も空気が違う。

俺が三年になれば担任の岡部もそうなるのだろうか。

熱血派だから、むしろ生徒と一緒に悩んでくれそうだが。

 

 

 

……受験シーズンね。

そういや古泉は理数クラス。

勉強云々以前に、普通科ではいけなかったのだろうか。

転校生である以上定員がという訳ではなかろう。

どういう形かは知らないが、それも『機関』の意思なはずだ。

それとも涼宮さんのツボを研究した末の行動なのか? 

確かに五月の急な転校、イケメン優等生。どうしても色眼鏡で見られがちになってしまう。

あいつと同じ空間で授業だなんて苦行でしかない、普通科の俗物男子ならばストレスだろう。

とにかく、直球ではあったが涼宮さんのストライクゾーンだったんだろうさ。

 

 

 

だがな古泉よ。

俺はお前の持論を認めちゃいないぜ。

 

異世界人どころか世界の特異点? 

馬鹿言え、やっぱりただの過大評価なのさ。

確かに俺はそこから"何か"を変えたかもしれない。

だが、それは誰にでも出来ることなんだ。

別の世界の、何の力も持たない俺でもだ。

俺が変えたんじゃない、お前らや、世界の方が変わったんだ。

もし俺が変えたものがあるとすれば、それは他ならない俺自身だ。

変わりたいと思う気持ちが自殺なら集団自殺ってのもいいかもな。

 

 

 

 

 

 

――さて、それはさておき、二月だ。

つまり。

 

 

「ねえ明智君」

 

「何だい」

 

「もう二月ね」

 

「うん」

 

「バレンタインは何がいいかしら?」

 

盛大にむせ返ってしまった。

A-10 サンダーボルトも吃驚の急降下爆撃である。

いや、期待してたかどうかで言えばしてないはずがない。そうだろ?

だがしかし普通そっちから聞くような事なのか?

だとしても俺に直接ってのはどうなのだろう。

 

 

「聞かなきゃわからないじゃない」

 

「正論だ……」

 

「で、希望はあるの?」

 

この場合の希望というのは恐らく形や型の事ではない。

世の中では普通にチョコレートで解決するのは面白くないという輩とて大勢いる。

一昔前では少数派だったが、もう時代の流れって奴なんだろうさ。

いやいや、俺にはさっぱりだよ。

 

 

「……"シュークリーム"」

 

「あら、シュークリームがいいの?」

 

「……違うよ」

 

そうではない。

 

 

「シュークリームだけは、"絶対"に、よしてくれ」

 

「へぇ。嫌いなの?」

 

「何故かは知らないけど、昔から食べれない。あれを見るだけで嫌な気分になるんだ」

 

「ふーん。意外な弱点ね」

 

決して【まんじゅうこわい】作戦ではない。

本当に無理なんだよ。あれを食べると爆死するような気がする。

どこかトラウマだ。一度嫌々口にした時は噴出したね。

 

 

「スイーツで言えば、それ以外なら何でもいいよ」

 

……でも。

 

 

「やっぱりチョコレートかな」

 

「ふふっ。そうね、それがいいわ」

 

「楽しみにしとくよ」

 

なあ、理由をわざわざ言う必要があるか?

単純明快。記念すべき"一回目"だからさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしながら、二月に入って早速そんな事を考えるのは浮足立った連中というものだろう。

そう、忘れてやるな。二月と言えばまずはあれじゃないか。

 

 

「はいっ、お待たせ!」

 

誰が待っていたのかと言えば、それは男子全員と言う形になる。

いつも通りの重役出勤、しかも女子を総動員してきたらしい。

放課後の文芸部部室でのことだ。

 

 

「いや、苦労したわよ。まさか駄菓子屋に置いてないなんてね。ぱぱぱって行って戻るつもりだったのに。コンビニまで行ったわよ。本当、ここから遠くて不便だわ」

 

まだまだ暫くは外が寒い。

大森電器店から譲り受けた電気ストーブのおかげでSOS団は冬を越せた所がある。

だと言うのに涼宮さんはセーラー服一丁で突撃していったらしい。

朝倉さんも長門さんも朝比奈さんも一応コートやら何やらを各々羽織っているというのに。

どうやら彼女はいつも通りにやる気らしかった。

 

 

「二月三日と言えば節分よ。そう、あたしは朝からなんか忘れてる気がしたのよ」

 

「そのまま忘れててくれてもよかったんだかな。部室で豆鉄砲大会でもおっぱじめるつもりか?」

 

「何言ってるのよ。部室で巻くわけないじゃない。片付けが面倒よ」

 

女子は全員がコンビニ袋を持っている。

その中には大量の豆が入ってるんだろうな。

涼宮さんの袋はパンパンである。

 

 

「それでは渡り廊下から、というのはどうでしょうか。我々が食べるには多すぎます、地面に落ちれば鳥の餌にでもなるかと思いますよ」

 

「そうね。じゃあそうしましょ」

 

「ところで、節分って何をするんですか?」

 

「みくるちゃんそんな事も知らないの!? ……箱入り娘なのはわかってたけど、これだから日本文化が廃れるのよ!」

 

「どういう理屈だ」

 

「でも朝比奈さんが鬼なんか見たら泣くよ?」

 

「明智、お前は本当に鬼が出るとでも思ってんのか」

 

「……涼宮さんが居る以上、あまり大きい声で言わない方がいいと思うよ」

 

そう、UMAがギリギリのラインだったのだ。

朝倉さんが描いた周防はさておき、鬼なんかに出られた日には土下座しか攻撃手段がなくなる。

鬼をどうやって倒せばいいんだよ。妖怪相手と言えば"鬼の手"ぐらいだ、彼を呼ぶしかないのか。

キョンはついに黙ってしまう。

 

 

「うん、みんな福娘にうってつけの人材だもの。ぱーっといくわよ、ぱーっと!」

 

ああ、いいぜ。

俺に独占欲なんてものは無いさ。

何故ならその必要が無いからさ。

 

 

 

 

 

 

豆まきのどこに需要があったかと言われれば、そもそもSOS団の存在そのものの需要が局地的なものである。

俺含め男子は女子の豆まきのための補給係だ。古泉はさておき、俺とキョンが豆まきしても誰得に終わる。

これで世界が平和になるのであれば、俺はいくらでもこうしよう――

 

 

「――ってね」

 

「何言ってんだ」

 

「僕も同意見ですよ。実にいい事ですよ」

 

「そりゃあハルヒの思いつきにしてはマシな方だがな」

 

下の方では男子生徒がわらわら豆を求めて争奪戦を繰り広げている。

 

 

「明智、お前はいいのか?」

 

「良し悪しがわからないんだけど」

 

「朝倉だ。あいつの投げる豆も何だかんだ人気だぜ」

 

「安心してよ、オレ人の顔を覚えるのは得意なんだよね」

 

「どうするつもりだ」

 

「さて、どうしようかな」

 

どうするつもりもない。

そこで右往左往するのは圧倒的な敗者でしかないのだ。

 

 

「ふっ。覚えておけよ、キョン」

 

「……何をだ」

 

「あんなのを"惨め"って言うんだぜ」

 

「お前の発言も腹が立つ部類のものだが、それには同意だな。朝比奈さんのお茶が飲めるのは団員の特権だ」

 

「ええ。豆まきとは本来、閉鎖的に行われるべきであり、また開放的であるならば――」

 

古泉は意味の解らない講釈を垂れている。

それがいわゆる神の啓示なのだろうか。

 

 

「しまったわ。これ、恰好によっちゃお金取れるイベントになったんじゃない!?」

 

「バニーガールはきついと思うぞ」

 

「馬鹿、この季節にあれは寒すぎるわよ。……そう、巫女服。豆まきと言えば巫女さんじゃない!」

 

どういう思考ルーチンの末にそうなったのだろうか。

俺には涼宮ハルヒのロジックを考える気にはなれない。

そこんところは頼むよ、キョン。

 

 

「お金ねえ。そりゃあ一人頭五百円が妥当だな」

 

「何かいい機会はないかしら……」

 

意外にそれは遠くない先の事らしかった。

しかし、そんな事は些細な話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後の節分については恵方巻きと、大量に余った豆の処理で話が終わる。

そんな満腹イベントをこなした数日後の部室。

 

 

「どうも」

 

「……」

 

「あっ、二人とも、お茶を出しますね」

 

キョンはまだ来てないらしい。

 

 

「涼宮さんもまだ来ないようです。どうでしょう、一試合」

 

「負けても泣くなよ」

 

古泉が机に置いたのは"キツネとガチョウ"だ。

"カタン"といい、どうもコアなゲームも用意しているんだな。

因みに俺は朝倉さんに勝てないのでボードゲームでの試合は諦めている。

いつぞやの軍人将棋はもう勝てなくなってしまったのだ。透視してるとしか思えない。

その辺どうなの?

 

 

「あなたの思考パターンを分析した結果よ。十六回のデータを基準に割り出して、そこから更に行った三試合分でだいたい読めるようになったわ」

 

こちらに眼もくれず、そろそろ春に向けた服装を載せているファッション誌を読みながらそう言う。

いやあ、その発言。普通に怖いんですけど。

 

 

「素晴らしい理解者に恵まれて、羨ましい限りです」

 

「お前はどうなんだ?」

 

「と、言いますと?」

 

「理数クラスだって女子は居るだろ」

 

「そうですね……。ですが、涼宮さんのために働くのが僕の幸せですよ」

 

「嘘つけ」

 

「おや……」

 

ハッタリだ。

だが古泉は少し驚いたらしい。

 

 

「お前さんのその決意は本物だ。だが、別の"何か"もある。違うか?」

 

「……さあ、どうでしょうね」

 

「自分を見失うなよ。そういうのは、オレ一人だけでいいさ」

 

「ええ、心得ときましょう」

 

古泉扮するガチョウ軍団は俺のキツネにあっさりと駆逐されてしまった。

第二ラウンドとしてキツネとガチョウを交代したが、二三羽駆られただけでキツネはあっさり行動不能となった。

これでわざとじゃなければ古泉はボードゲームを引き裂いてもいいと思う。

 

 

 

 

 

 

それから結局、この日はキョンが来なかった。

後からやって来た涼宮さんもどこか退屈そうだった。

無断欠席に対し、腹を立てて電話もしていたが、どうやらシャミセンの調子が悪いのだと言う。

なんやかんやで猫もデリケートな生き物だ。兎ほどじゃないが丁重に扱うべきだ。

それにシャミセンはレア中のレア、雄の三毛猫なのだから。

 

まあ、あっと言う間に下校時間だよ。

 

 

「こういう日もあるさ」

 

「キョン君にしては珍しいわね。ペットを思いやるような感じだったかしら?」

 

「動物好きに悪い奴は居ないって言うよ」

 

もしくは、いいハンターってやつは動物に好かれちまうんだ。って事だろう。

 

 

「そう。じゃあね」

 

「また明日」

 

そんなこんなで一日が終わる。日課を終えて、これから自宅へ帰宅だ。

いやいや、バレンタインが近いって事もあって俺は少々日和っていた。

だが、油断は一切していなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だからこそ――

 

 

 

 

 

 

「――マジかよ」

 

 

俺はその殺気にどうにか反応出来た。

住宅街の道路、勢いよく右サイドへ回避すると俺が居たその場を包丁が通過した。

後ろから投げられたらしい、当たればただじゃ済まない投擲速度だった。

すぐに俺は振り返ると。

 

 

「……あんた、何者だ?」

 

『……』

 

黒。

ロングコート、手袋、ブーツ。

何から何まで黒づくめ。

頭にはライダーヘルメット、顔さえ解らない。

まるで、あいつのようだった。

 

 

「もしかして刺客って訳かな」

 

『……』

 

返事は無かった。

お互いの距離十二メートル。

さて、どうするかな……。見た所、敵は無手――

 

 

「はぁ!?」

 

『……』

 

おい、こいつは某国家錬金術師か?

突然コートの右袖から鋭利な刃を出現させた。

そうかと思えばあり得ない速度で接近。

 

 

「はっ。どうやら、宇宙人か」

 

『……』

 

「何とか言えよ」

 

咄嗟に具現化させた"ブレイド"で応戦。

名前の割にはただの鈍器にしかならないが。

そしてこいつがどの勢力かまでは解らない。

一番濃厚なのは……。

 

 

「急進派か? おいおい、いつまでオレは狙われればいいんだ」

 

『……』

 

「何が目的だ」

 

『……死』

 

そんな単語が聴こえた瞬間だった。

予想は出来た事だ、右袖から出せるなら、もう片方もってね。

 

 

「ちっ――」

 

回避不能の一閃。

……やむを得ない。

 

 

 

 

 

 

『……何』

 

 

 

 

「――こっちだ。ってね」

 

 

 

 

 

 

敵は一瞬、俺の姿が消えた事に驚いた。

その隙に後ろからそいつを思い切り蹴飛ばす。左足にオーラを一極集中。

人間は脚力の方が強い、よって周防の時のパンチより威力は上だ。

その敵は近くの電柱まで吹っ飛ばされた。

 

『……く』

 

「……1秒間だけオレ自身を消した。君に勝ち目はない」

 

ハッタリもいいとこだが、俺は敵の襟元にブレイドを突きつける。

やはり切れるもんじゃないし、宇宙人相手に通用する威力の打撃にはならない。

この武器もオーラで強化できれば良かったんだけどね……。

 

 

「素直に自分について話すか、それともこのまま再起不能になってもらうか。オレはどっちでもいい」

 

『……』

 

「どちらにせよ、異世界送りだ」

 

するとそいつは突然立ち上がった。

……まだやる気かよ。

 

 

 

正直、そいつから感ぜられる威圧感はかなりのもんだった。

俺が先月朝倉さんと山デートと言う体の虐待を受けてなければ対応できない速度。

朝倉さんや周防と互角。あるいはそれ以上。その敵が、殺しにかかる。

ハッタリが通じないガチのやりあいで、どこまで通用する……?

とにかく持ってくれよ、俺のオーラ残量。

 

 

 

「わかった、なら――」

 

 

『……ふふっ』

 

 

笑い声? 何だ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『相変わらずね、明智君は。甘いところは変わってないもの』

 

 

 

 

 

 

そう言ったかと思えば、そいつはヘルメットを外した。

 

いや、それだけじゃない。

 

俺が見ていたのはそいつが変装した姿だったらしい。

 

瞬時に衣服や体格が変化して行く。普通じゃない、テクノロジー。

 

だが、その正体ってのは俺の予想の斜め上をぶっちぎりだった、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうね、点数で言えばギリギリ合格ってとこかしら。本当は五十九点だけど、そこら辺はおまけよ。愛の成せる業ね」

 

 

 

 

 

よく聴いた声だった。

俺は最早その声を聴くだけで、心が安らぐ。

 

 

「何……だって…?」

 

「さあ、何かしら?」

 

茶色のアウター、青のストール、膝丈のグリーンスカート、黒いタイツ。

ブーツはそのままだった。

 

 

「それにしても本当に寒いわね。わかってたけど、この時期は嫌だわ。ううっ」

 

髪型はポニーテールだし、何やら大人な顔つきになっている。

化粧なんて必要ないぐらいに美人だが、そいつはナチュラルメイクさえしている。

だがな、間違いない。俺はわかる。そいつは、"偽物"なんかじゃない。

わかっちまうもんは認める他ないだろう。

 

 

 

正真正銘の――

 

 

 

 

「朝倉……さん……?」

 

俺がそう呼ぶと彼女はやっと笑顔で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええ、あなたの未来の奥さん、朝倉涼子よ」

 

 

 

 

 

そういや、ようやく俺は思い出せた。

二月は原作における"陰謀"の時期だった。

キョンが今日部室に来なかったのも、理由がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あいつも未来の朝比奈さんに出会ってたっけ……。

 

 

 

 



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第四十五話

 

 

 

 

 

"DoS攻撃"というものがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Denial of Service、サービスの拒否。

要するにオンラインサービスを妨害するための攻撃手法である。

ただDoS攻撃と言えど、それはサービス妨害攻撃の総称に過ぎない。

それぞれ説明してもいいが俺はIT専門用語を語りたい訳ではない。

どの攻撃にも共通する事は、相手の脆弱性を突き、過負荷を与えてダウンさせる。

そう、正常な機能を妨害するんだ。

 

 

 

そして何が言いたいかと言えば、俺は今まさにそのDoS攻撃を喰らったと言う訳だ。

眼の前に居る、朝倉さん(大)によって。

 

 

「――あら、どうしたの?」

 

朝倉さん(大)は俺の呆然とした表情を見てそう発言したのだろう。

だが俺の立場になってみてほしい。突っ込みどころしかないのだ。

まるで意味がわからんぞ。

 

 

「……」

 

「まったく。とりあえず落ち着いて話がしたいわね」

 

「同感だよ」

 

「じゃあ早速お願いするわ」

 

"臆病者の隠れ家"の事だろう、だがこんな往来で設置する訳にはいかない。

 

 

「とりあえず、オレの家の付近まで行きたいんだけど」

 

「私はこれでも見られるとまずいのよ」

 

「お得意の奴でいいんじゃない?」

 

「気乗りしないんだけど……」

 

そう言って数秒、どうやら不可視遮音効果が作用したらしい。

で、俺の家の外。壁にでも"入口"を設置するかと手をかざそうとした。

だが朝倉さん(大)は思い出したかのように。

 

 

「あ、部屋を指定してもらっていいかしら?」

 

「……部屋?」

 

「そうよ。四階建て全二十一部屋のマンション……だったかしら」

 

俺はまだ朝倉さんにそんな事を教えてはいない。

それに、"マンション"だって?

 

 

「オレの能力は"隠れ家"だよ」

 

「あら。そう言えばまだそんな風に呼んでたのね」

 

「……で、何処に行きたい?」

 

「二階の三号室って言えばわかるかしら」

 

「当然」

 

俺の能力だからね。

積もりたくもないのに積もる話がある以上俺は安眠できそうにない。

さっさと指定された部屋の入口を設置して、入った。

 

 

「……」

 

「やっと邪魔が入らないような場所に来れたわ」

 

「いや」

 

何処だよ。

 

 

 

ここ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いくら壁紙を張ろうと、家具を置こうが、一室は一室。

広くすることは出来ても、部屋の間取りは箱型にしかならないのだ。

部屋と呼ぶには少々お粗末な出来のもの、それが俺の能力のはずだ。

 

 

 

――だが。

 

 

「ねえ」

 

「何かしら?」

 

「オレは間違いなく、入口に入ったよね?」

 

「そうよ」

 

「どう見ても、朝倉さんの部屋の505号室じゃあないか。オレが具現化した203号室は仮眠にも使えない何もない空間だよ」

 

「違うわよ。窓が無いじゃない」

 

そういう問題ではない。

俺はこんな部屋を具現化した覚えは一切ないのだ。

本当に窓が無い事以外は505号室そのままだ。

寝室の入口らしき扉や、キッチンも見える。

いや、テレビもあるけど電源は……コンセントだと?!

じゃあもしかして電源があって、水道も流れるのか? 怖すぎる。

どうやら玄関もあるらしい。

 

 

「これ、どうやって外に出るんだよ」

 

「いつも通り、この部屋から出ればいいのよ」

 

「あの分譲マンションのドアからか? トイレまであるじゃないか。ここは何なんだ!?」

 

俺が具現化しようと思ってもそもそも出来ない。

それが俺の能力の限界でもある。

部屋ってレベルじゃねーぞ。

 

 

「いやいや、本当に、どういう事なのさ」

 

「そうね。今から一週間ぐらい私はここに住むわ」

 

「は?」

 

順を追って説明してくれないだろうか。

この段階で未だ俺氏のサーバは復旧しそうにない。

とりあえずいつもの机に座る。本当にそのままだとしか思えない。

 

 

「……そろそろいいかな」

 

「どうぞ」

 

「最初に、何故ここにやって来た」

 

「あら? 随分な言い草ね」

 

「そうじゃない。まさかオレにこんなイベントがあるなんて思う方がどうかしている。そのまさかで来訪者が未来の朝倉さんときたら、オレの理解が追い付かないのは当然だよ」

 

「それはそうと、朝倉さんだなんて。いつも通り"涼子"でいいわよ、もう」

 

俺は一度もそう呼んだ覚えがないのだが。

果たしていつ最初に呼ぶんだろうな。

 

 

「真面目に頼むよ」

 

「うーん。個人的な理由もあるんだけど、一番の理由はあなたのためよ」

 

「オレだって?」

 

「そう」

 

「じゃあ何のためなんだ」

 

「一つ確かなのは、あなた――」

 

そういや昔、こんな事言う占い師もどきが居たな。

ちょうど今の朝倉さん(大)のように、オーバーアクションで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――このままだと、死ぬわよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は一度も星占術の本を読んだ事はない。

 

 

「何故だよ……?」

 

「決まってるじゃない。私の予想通りにあなたが弱かったからよ」

 

「オレは自分を強いとは思わないけど、それはどういう事かな」

 

「わかってるでしょう? これから遠くない先に、戦いがある。ま、ちょっとした戦争よ」

 

「……嫌な予感って奴だったんだが」

 

「言いたくないけどさっきの私は三割かどうか怪しいぐらいね」

 

「嘘つけ。動きだけで言えばここの朝倉さんと大体同じくらいだったじゃないか」

 

"思念化"という切り札の一つを使ったとは言え、接近戦には対応できた。

あれより速い? いや、単純な腕力もきっと上がるのだろう。

ギアを上げた朝倉さんがまさにそうだった。ゴリラも泣いてしまう。

 

 

「それに追いつけるようになったのは褒めてあげるわ。あの時の私の限界近くだもの」

 

「今やその三倍も強いって?」

 

シャアの三倍速理論はどうやら機体性能ではないって説もあるんだぞ。

どうでもいいが俺の一番好きな機体はリ・ガズィだ。

唯一俺が買ったプラモデルである。今も部屋に飾っている。

 

 

「最初に言ったじゃない。あなたと私の愛のチカラよ」

 

「マジか……」

 

「マジよ」

 

どうにも朝倉さん(大)が苦手だった。相変わらず美人だけど。

いや、俺はきっと先の事なんか知りたくもないんだ。

そんなもの、きっと麻薬なんかより性質が悪い。

 

 

 

でも、彼女の言葉が正しければ。

 

 

「……オレ、結婚してるの?」

 

「そうよ」

 

「朝倉さんと?」

 

「他に誰が居るの……?」

 

うおっ!

 

 

 

何て殺気だ。間違いなく小鳥ぐらいなら殺せるぞ……。

極寒の地で全裸で凍えながらなぜ"辛い"のかわかっていないあの感覚だ。

心臓を握りつぶされたかと思った。額や脇汗がやばい、頭痛や眩暈もしてきたぞ。

……確かに、周防よりは強いかもしれない。

笑いながらも目に光が無いのだ。とりあえず言い訳しよう。

 

 

「い、いや。嬉しくてね……。他の相手なんか居る訳ないじゃあないか」

 

「ふふっ。私は幸せよ」

 

ならいいんだけどさ。

俺だって朝倉さんと結婚できたら幸せだ。

 

 

「それにしても、弱いって。オレをからかいに来たのか?」

 

「違うわよ。……そうね、懐かしいわ、修行のためよ」

 

「おいおいおいおいおい。『懐かしい』だって? 思えばオレは十二月の山籠もり、そして先月の地獄スパー、激闘の日々だったんだ。それがまた今月も修行? ジャンプでもここまでゴリ押ししないよ!」

 

「あなたの大好きな漫画ならそうじゃない。全部読んだけど」

 

【HUNTER×HUNTER】の事だろうがどこから調達したんだ。

いや、そんな事は気にしないでおこう。

 

 

「そうかい。漫画と現実を一緒にしないでおくれ」

 

「でも、あなたのためなのよ?」

 

「……その心は」

 

「私はあなたの事を全て知ってるわ」

 

そりゃそうだろうよ。

未来から来たんなら……。

 

 

 

おい。

 

「って、どうやってこの時代に来たんだ。まさか朝比奈さん達が手伝う訳がないよね。『禁則』って感じがしないし」

 

「……黎………いや、明智君よ」

 

「オレが?」

 

「この時点でも、確かあなたは多少の時間移動が出来たはず」

 

確かに俺はあの世界からこっちに戻る時、三日ぐらいは逆行した。

その要素が成長したのだろうか。

 

 

「オレの協力って訳なのか?」

 

「そういうことよ」

 

「じゃあ、オレがオレを苛めたくて朝倉さんをこの時代に送ったってのか」

 

「苛めるだなんて、私は優しいわ」

 

嘘つけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何てことしてくれやがる。俺。

来月の春休みとか、もっといいタイミングあるはずだろ。

しかも一週間とか短期間でやるつもりらしいな、何の意味がある?

マジに俺が悩んでいると朝倉さん(大)は。

 

 

「勘違いしてるみたいだけど実際に身体を動かすわけじゃないわよ」

 

「……は? 修行なんだよね?」

 

「それもいいけど、そっちは私がやってもねえ。戦場の空気が一番なの」

 

「美味しくないのは間違いないけど」

 

「要するに、あなたの精神を鍛えに来たのよ。次のステップに進んでもらうために」

 

ステップ……?

まあ、段階や工程の事なんだろうけど、次とは。

 

 

「あなたは今、自分の能力をどこまで理解してるの?」

 

「え。ああ……"念能力"だよ。正確には違うとか言われたけど、オレには差がよくわからない」

 

「うーん。質問が悪かったわ。もっと言うと、自分の使う力の根源についてよ」

 

「……生命エネルギーの一種"オーラ"だろ?」

 

「オーラねえ。……これ、どこまで言っていいのかしら」

 

全部とは言わないがしっかり教えてほしいのだが。

そんな俺の顔を見て察したようで。

 

 

「一応注意を受けてるのよ。過去で無茶するなって」

 

「誰からだよ」

 

「未来人」

 

「"朝比奈さん"か?」

 

「その認識でいいわ」

 

他に何があるんだろうか。

気にしても結論を教えてくれそうにはない。

 

 

「ヒントならあげれるわ」

 

「某攻略本並みに安心できないね。ヒントだって?」

 

「そ。オーラだなんて考えてる限りは、次のステップは無理だもの」

 

「……じゃあ何なんだ?」

 

「正解を私が言っちゃうのはまずいのよ。理由は色々あるけど、一番はやっぱり……」

 

「やっぱり?」

 

「昔の私が、あなたのかっこいい所を見れなくなるじゃない。思い出す度に興奮するのよ」

 

それって必要なのだろうか。何とかしてやれよ、俺。

"臆病者の隠れ家"は俺に何も言ってはくれない。教えてくれ、五飛。

 

 

「だからヒントよ。あなたのそれは……一番正解に近い表現は"重力"ね」

 

「……それってあれか。今まさに働いている重力かな」

 

「何とも言えないわね」

 

「期待はしてなかったさ」

 

生命力と重力だなんて、全然似てもいないじゃあないか。

重力が正解ではないにしても、俺にはさっぱりわからない。

魔界王候補の黒い魔本に書いてある術だとか、グラビジャだとかは俺は使えんぞ。

ないないと否定ばかりではあるが。いや、もう既に精神修行って訳なのか?

 

 

「好きな漫画だからオーラって言いたくなるのはわかるけど、ヒントは忘れちゃ駄目よ」

 

「重力の方がよっぽど中二病じゃあないか」

 

「その辺の文句を私に言われても困るわよ。原因の一部が、……涼宮さんなのは確かなんだから」

 

一瞬言いよどんだのは何なんだろう。

とにかくもう他の疑問だって残っているんだ。

俺については残りの期間で色々話してくれればいい。

 

 

「とりあえず。どうして俺の203号室はこんな状態なんだ」

 

「今のあなたに出来ない事が出来る人。一人しか居ないじゃない」

 

「……オレか」

 

「その辺も意識改革よ。臆病者だとか隠れ家だとか言ってる内はこうならないでしょうね」

 

「まさか、ずっとこのまま?」

 

「私が帰れば戻るって言ってた。つまり、あなたに貸してるようなものらしいわよ」

 

即刻クーリングオフといきたい。

しかし、ノヴさんの"四次元マンション"でもこんな空間は作れない。

一部屋だけに特化すればあるいは可能だろうが、きっとそうじゃないんだろうさ。

完全な異空間、いや、異世界だとしか思えない。

 

 

「着替えなんかも用意してきたわ。食材は変装して調達すればいいし」

 

「ここ、ライフラインは通っているの?」

 

「問題なくね」

 

「頭痛によく効く薬ってないかな、なければ胃薬でいい」

 

「ないわよ。あ、私の下着見る? この時の私なんてまだまだ子供っぽかったわよね」

 

「……いい」

 

「何度も見せたじゃない。あなたはあんなのでも喜んでくれたけど」

 

「それはそれだ。朝倉さんだからだ」

 

「嬉しい事言ってくれるじゃない。来た甲斐があったわ」

 

やっぱり朝倉さん(大)は俺をからかいに来たらしい。

何が悲しくてこの人と俺は今の朝倉さんについて語らなければいけないのか。

もうこんな所から出ちまおう。五臓六腑が破裂しそうだ。

だが、一つだけ確認すべきことがある。

 

 

「朝倉さん」

 

「何かしら」

 

「君は、いや、昔の朝倉さんは君と会ったか?」

 

「いいえ」

 

「他のみんなも知らなかったのかな」

 

「それはわからないわよ。私にとっては今の出来事だもの」

 

「……言わなくてもわかってるよね」

 

「私だとバレなきゃいいんでしょ? そんな事はもう散々言われたわよ」

 

「頼むよ」

 

「りょーかい」

 

気のない返事だった。

そしてこの質問は、完全な俺の興味でしかなかった。

地雷もいいとこだったのだが。

 

 

「因みに」

 

「うん?」

 

「朝倉さん、今何さ――」

 

い、って訊こうとした時点で俺はもう言葉を発せられなくなった。

椅子に座る朝倉さん(大)が手首をスナップさせ、音速で俺の右頬のすぐ横を何かが飛来した。

 

 

「今の私は主婦だから包丁だけど、ナイフでもいいのよ?」

 

「遠慮しとこう」

 

「覚えておきなさい。女性に年齢を尋ねるのは死罪よ」

 

「はい、すいませんでした」

 

「よろしい。連絡先を教えとくわ」

 

「はい」

 

未来から来たというのにガラパゴス携帯だった。

いや、未来の連絡先なんかこの時代で通用するはずがない。

その辺はどうにかしたのだろう。宇宙人なら何でもありなはずだ。

 

 

「それにしても、情報統合思念体はどう判断してるの?」

 

「えっ?」

 

「いや、朝倉さんが二人も居るって、何か匙を投げたとか言ってたけどこれは興味があるでしょ」

 

「あー……うん、情報統合思念体ね。うん……そうそう……」

 

この質問に対しては激しく動揺していた。

何があったんだろうか。

 

 

「と、とりあえず気にしなくていいわよ。今の私は申請が必要ないとだけ思っといて」

 

「わかったよ」

 

今度こそ俺は部屋を出て外に戻る。

すっかり外は暗くなっていた。

腕時計はとっくに十八時を過ぎて、十九時が迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そろそろ俺はこの時点で認めるべきだったんだろうさ。

少なからず俺のせいって言えるような、そんな部分があるって事も。

そんな事をどうこう考えても何も変わらないが、少なくともステップとやらの助けにはなる。

しかしながら大好きな朝倉さん(今)に頼れない上に、他の連中に頼るのも憚られた。

俺一人でこの爆弾を背負えって言うのか? 涼宮さんの次にヤバい核弾頭じゃあないか。

真底、心からお前に同情するぜ、キョン。

 

 

 

それに彼女が言う戦い。

戦争の相手とは恐らく周防やジェイなんかについてだろう。

俺が読んだ"分裂"まででは完全な正体が不明だった。実力から何まで。

さっさと刊行してほしかったんだがな……。

とある人のためとは言ってた気がするが、ジェイがそれに協力する理由は何だ?

俺に対し、中立かと思えばすぐさま敵とも思える立場に回った。未だ姿を現さないあいつ。

あいつも古泉の持論で言うところの特異点なのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが確かなのは気にする余裕が本当に俺にあったかどうかなのだ。

 

 

 

 

 

 



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第四十六話

 

 

 

 

――やけに嫌な夢を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ような気がする。

 

 

 

俺は普段、夢の内容なんか全く覚えちゃいない。

寝てる以上は見てるんだろうけど、小さいころからそうだった。

目標としての夢ではなく、生物学的な夢ってのはよくわからなかった。

だからこんな感覚ってのはきっと初めてだ。

虚無感だけが俺を支配していた。文字通りに反吐が出る気分だった。

 

 

 

これも精神恐慌の一種だろうさ。

突然の出来事で俺は疲れていたんだ。

まさか、大人な朝倉さん……と、いうか結婚してるんなら苗字は俺の方だよな?

とにかくそんな人がやってくるだなんて、それこそ夢にも見てないって奴だ。

要するに俺は癒しを求めていた。言うまでもない現在の朝倉さんだ。

 

 

 

だが今日は火曜日。

つまり朝倉さんは俺のお弁当作り中なので、俺の登校は一人だ。

いや。

 

 

「いよう」

 

「……明智か」

 

「聞いたよ、シャミが大変なんだって?」

 

俺は常に心理戦で相手を圧倒しなければ気が済まないのだ。

だからこいつに思わせておくのさ、俺は何も知らないと。

 

 

「動物の事はよくわからんからな」

 

「おいおい、彼は大丈夫なのか?」

 

「……今日も医者に連れてく必要があるらしい」

 

「なるほど、難儀してるね。命に別状が無ければいいけど」

 

「ちょっと調子が悪いだけだと思うがな」

 

キョンの反応はどこかぎこちなかった。

これでおかしいと思わない方がおかしいと思うが。

 

 

「そういや、こんな話を聞いたことあるかな」

 

「何だ」

 

「"双子のパラドックス"って話だよ」

 

「……知らん」

 

「ならいいや」

 

「おい、説明しないのか」

 

「お前は"相対性理論"を知っているか?」

 

「名前ぐらいはな」

 

「じゃあ光速の概念は?」

 

「知るか」

 

「だろ? 相対性理論の前に"特殊相対性理論"から説明する必要があるんだが、逆に訊こうか。この話聞きたい?」

 

「……遠慮する」

 

からかっただけさ。

確か原作で、八日後から来た朝比奈さんを"双子"とか言ってたからな。

 

 

「なるべく早く部室に来てやれよ」

 

「何でだ」

 

「涼宮さんが退屈そうだったからね」

 

「俺は関係ないだろ。あいつが退屈してるのは今に始まった事じゃない」

 

「週末は三連休。いや、月曜も特別クラスの推薦入試のおかげで休みだから四連休だ」

 

「それがどうした」

 

「今が稼ぎ時だよ」

 

「お前にそっくりお返しするぜ」

 

こいつにしては中々鋭いカウンターである。精神的打撃だ。

まず俺は確実に朝倉さん(大)をしっかり見張らなくてはいけない。

彼女が何歳かは知らないが、飄々とした感じにしか見えなかった。

あれでわざとじゃないなら未来の俺がとんでもない駄目人間だと言う話になる。

きっと何年経とうが朝倉さんに勝てないのは不文律なのだ。

 

 

 

だがな、キョン。

 

 

「そうも落ち着いてられるのか?」

 

「お前が落ち着くべきだ」

 

「いやいや、まさか意識してないわけじゃあないだろ。え?」

 

「……それは、世間一般で言う所の"あの日"についてか」

 

「二月で節分はもう終わった。なら次は必然的にどうなるよ」

 

「はっ。お前はいいよな。いや、充分だぜ。俺は義理でも貰えればいいのさ。朝比奈さんから貰えればそれだけで後十年は戦える」

 

多分朝倉さんはお前と古泉相手なら十円チョコだな。

いや、この時代の彼女なら何かしらしっかり作りそうだが、朝倉さん(大)ならそうしそうだ。

まずいぞ、徐々に毒され始めている。これが大人の魅力って奴なのだろうか。

結局同じ女性なので浮気も何も無いのだがどうにも奇妙な感覚である。

 

 

「『そこにあるもので満足しろ』。ね」

 

なら朝倉さん(大)は、何故この時代に来たんだろうな?

これも既定事項の一部だと言うのだろうか。

 

 

「朝比奈さんが言うには、未来って地続きじゃないんだろ?」

 

「……さあな。俺だって聞いた話だけだ」

 

これが本当ならば、俺は手放しで朝倉さん(大)の来訪は喜べない。

未来が平和だとは限らないからだ。

 

 

「どうもこうもないさ」

 

可能性を論じたところで、"絶対"なんてない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、そうだよ。

 

この時点でも俺は未来からの指令に奔走するキョンをただ哀れんでいただけに過ぎなかった。

そう。こんな考えをしている俺自身が一番哀れだったのだ。

 

 

 

何故なら。

 

 

「……」

 

日中のメールなんて珍しい。親も俺にメールは殆どしないし、スパムは弾く。

朝倉さんとの昼食という至福のひと時を終えて教室への帰りがてら男子トイレに入った。

その時、俺の携帯は振動した。メールである。

問題はその主であり、内容だった。

 

 

『明智君へ

 

今日の放課後は真っ先に光陽園駅前公園に来るように

 

SOS団は大丈夫。確かこの日、あなたは部活を休みました

 

少しは次のステップについて知ってもらう必要があります

 

涼子より

 

 

 

 

P.S.

 

来なかった場合について

 

私が未来に帰った日、夫の黎の晩御飯が白米と水になります』

 

 

 

 

 

 

 

……地味な嫌がらせをしないでくれ。未来の俺が泣いてしまう。

果たして子供が居るかどうかは知らないがもし居たら本当に泣く。

何が悲しくて子供の前で水と白米を出されなければならないのか。

わざわざ水と書く以上はお茶さえ許されないのか。せめて塩はくれ。

とにかく、どうにかする必要があるらしい。

 

 

「何でオレが……」

 

トイレの壁に吸い込まれるようにそう呟いた。

手洗い中の鏡越しの俺は、自覚できるぐらいに目が死んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしながら今の朝倉さんは未来の朝倉さんに遭遇していないらしい。

つまり俺もキョンのようにどうにか誤魔化す必要があるのだ。

どうしてこうなった。神は死んだ、ドミネ・クォ・ヴァディス、帰ってきてくれませんか。

 

 

 

さてここで俺氏の選択肢だ。

 

 

その一、黄金の右『親戚が急逝した』を使う。

一発目からかなりな有力候補だ。正解に限りなく近い。

最大の弱点としてはこれを使うと二度目が無くなると言う点である。

こんな所で使いたくは無かった。

 

 

その二、親をダシにする。

いくらでも架空の要件を作り出せる。

が、ふとした拍子に朝倉さんが俺の親との会話で噛み合わなくなったらアウト。

神父じゃないが俺は磔刑だ。

 

 

その三、親が駄目なら兄貴を使う。

俺ながらこれは実に完璧なプランである。

まさか朝倉さんが兄貴と会話する事なんてまずないからだ。

こっちに戻って来るとは聞いてない。東京に住んでいるらしい。

よって安全牌だ、これで行こう。

 

 

「でも真底心が痛む」

 

俺は本当はポーカーフェイスが得意だ。

普段見せている動揺は"敢えて"やっているに過ぎない。

つまりフェイクを見せる事で、本命は決してバレないという算段である。

と言っても、朝倉さん相手に今回ばかりはれっきとした嘘をつく形になる。

……そうだな、未来の俺よ。朝倉さんをこの時代に送る前に謝っておこう。

 

 

 

そんなこんなで放課後、事情を説明する事にした。

 

 

「――わかったわ」

 

今日一日だけ珍しくこっちに戻って来た兄貴が俺に会いたいらしい。

俺と積もる話をした上で飯を奢ろうと思っているが、どうだろうか?

といった誘いのメールが来たので今日は休みますという苦しい説明だった。

だが朝倉さんはこんな話を信用してくれたらしい。本当に心が苦しい。

 

 

「涼宮さんにはもう言ってある」

 

「ならいいわ。でも、キョン君に続いて明智君まで休むなんて。なんて"珍しい"のかしら」

 

今すぐ抱きしめたくなるような素敵な笑顔だね。

朝倉さん(大)が未来に帰ったらそうしよう。

でもね、笑顔ってのは本来攻撃的なもんらしいよ。

だからきっと俺が今感じているのも正当な防衛本能なんだ。

俺とキョンが居なくても朝倉さんなら別に何も変わらないと思うけど。

 

 

「ボードゲームで古泉でもボコボコにしてなよ」

 

「遠慮するわ。彼、わざと手を抜いてるもの」

 

俺の軍人将棋を看破した朝倉さんがそう言うのだから間違いない。

しかも実際に俺が負け始めたのは十六戦もかかっていない。

いつぞや彼女がそう言ったのは、確実な勝利という意味なのだろう。

 

 

「……やっぱり?」

 

「こと戦略的思考に関しては私や長門さんにも劣らないわ。それでいて柔軟な発想が出来る。本当の人間離れってのは古泉君の事よ」

 

「むしろ上手に負けることに全力を出してる気がするよ」

 

「本当に食えない男ね」

 

「悪い奴じゃないだろ?」

 

「だから困るのよ」

 

そこは同感だよ。

とりあえず、さっさと公園へ向かうとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――来たわね』

 

「……」

 

『安心してちょうだい。本当にハードな事なんかしないわよ。ちょっとしたテストだから』

 

「……」

 

『どうかしたの?』

 

いや。

朝倉さん(大)、あなた、宇宙人ですよね?

周防もきっと泣いてしまうほどの衝撃だった。

 

 

「何だよその恰好」

 

『知らないの?』

 

知ってる。

本編を見てないから詳しい事は知らないがCMか何かで見たことがある。

特徴的なヘルメット、赤いマフラー、ベルトこそ無いが。

 

 

「"仮面ライダー"じゃないか」

 

『ふふっ。これなら私の正体がバレないわよ。しかも新作の奴よ? これ』

 

「テレビじゃなくてリメイク映画の奴でしょ。……いや、いやいや。何かもっと他に変装のしようがあるよね」

 

『さっき通りすがった子供に握手を頼まれたわ』

 

普通に出歩かないでくれ。

この公園が外界から隔離されてなかったら俺が逆に怪しまれる。

 

 

「こ、こんなのとオレは修行したくない……」

 

その恰好だけでもう絶対勝てないじゃないか。

無理だよ、何をしても最後には蹴り殺されるよ。

涼宮さんと同じ次元の正義だ。その性質は『必ず勝つ』。

思えば去年の八月、"巻き戻し"の時に長門さんは縁日でお面を買っていた。

値段を取るのが可笑しいぐらいに出来の悪い特撮モノのようなお面だ。

彼女らの美的センスはそういう方向性なのか?

 

 

 

『あれ? 言ったはずよ、ただのテストだから模擬戦も何もないの』

 

「……何のテストだって?」

 

『それはね』

 

そう言ってどこからともなく朝く……らさんは何かを取り出した。

ちょっとライダーと言いかけたのは内緒だ。

 

 

『あなたには私が持つこれを狙って頑張ってもらいます』

 

「……は?」

 

小さな白い長方形……おい、まさか。

 

 

「朝倉さん、オレの勘違いじゃなけりゃそいつは――」

 

『ええ、あなたのUSBメモリよ。部屋から拝借したの』

 

「……」

 

『中身は……うん、私は嬉しいけど、本当にいつ撮ったのかしら?』

 

俺は異世界人である前に人の子であり、男子高校生だ。

キョンだってそうだ。そのキョンは原作でパソコン内に何を隠していた?

ああ、俺にもあるんだよ。その手の奴が。

 

 

『暗号化されてたけど、あなた手を抜いたわね? 直ぐに中身が見れたわ』

 

「……それを取られたところで見られないと思ってたから」

 

『これだから日本人のセキュリティ意識は甘いって言われてる。って未来のあなたは言ってたわよ』

 

「よし覚えとこう」

 

『とにかく、返してほしければ私に触れてみなさい』

 

「いや、オレより速く動ける相手にどうしろって言うんだ」

 

『私はここから一歩も動かないし、あなたを避けたりもしないわ』

 

何言ってんだ?

 

 

「どうでもいいけど、そのヘルメット外してよ」

 

『あら、私の顔が見たいの? しょうがないわねえ……』

 

普通に脱いでくれた。

あのポニーテールは中でどうなってたのだろうか。

謎の技術力はまともな変装に活用してほしかった。

 

 

「よくわからないけど、朝倉さんからUSBを奪えばいいんでしょ」

 

「どうぞ」

 

「まったく――」

 

さっきから本当に、何の意味があるんだろう。

と思って数歩前に歩いた瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 

――ガン

 

 

 

「――うぇっ!?」

 

額に衝撃が走った。

一体何があったんだと思い再び歩くも見えない何かにぶつかる。

後五メートルと離れていない朝倉さん(大)の方へ進めない。

 

 

「そうそう。言い忘れてたけど、あなたと私の間には壁があるわ」

 

「……バリア―だぜ。って奴か」

 

「ふふっ」

 

思い切り頭を打ち付けてしまった。

なるほど、だからご丁寧に『私に触れてみなさい』だなんて言ったのか。

朝倉さん(大)は楽しそうな声で。

 

 

「面白かったあ。……明智君の今の顔は永久保存版ね。"トムとジェリー"みたいだったわ」

 

「いい加減にしてくれ」

 

「悔しかったらこっちに来てみなさい」

 

「言われなくてもそうするよ」

 

左手にオーラを集中させる。

"ジャジャン拳"ほどじゃあないが、周防のプロテクトは砕けた。

全力で叩き割ってやるッ!

 

 

「いっ。か、堅ぇ……」

 

「駄目ね」

 

「そうかよ。なら脚技だ」

 

昨日朝倉さん(大)に喰らわせた渾身の蹴りだ。

しかし、これも弾かれる。

 

 

「駄目駄目よ」

 

力技での破壊は不可能としか思えない。

これが彼女の実力なのか?

 

 

「断言するわ。この時代の長門さんと私が協力してもこの壁の破壊は困難ね」

 

「それをオレに壊せだって……?」

 

「修行……いいえ、LESSON1よ。妙な期待を私にしないで、自分で解決してみなさい」

 

「……あいよ」

 

基本中の基本、押してダメなら引いてみるのさ。

"ブレイド"を具現化し、俺自身を消す。

 

 

そう、1秒もせずにこの壁を突破――

 

 

 

 

 

 

 

「――がっ」

 

「あなた馬鹿なの?」

 

な、何故だ。

 

 

 

確かに俺の実体は消えていた。

だと言うのにこの先へ進むことが出来ない。

ぶつかったショックで実体化した俺に対し朝倉さん(大)は説明する。

 

 

「明智君はこの世界から消えたわけじゃないのよ? 確かに思念体となって、そこに存在するの」

 

「それが何だって言うんだ」

 

「わかってないわね、このレッスンの意義を」

 

すると朝倉さん(大)はいつもの高速詠唱を始めた。

次の瞬間には。

 

 

「う、動けない……」

 

「腕と足を固定したわ。金縛りよ」

 

「これじゃ壁も壊せないじゃあないか」

 

「同じことよ。この情報操作は私たちの戦闘の基本中の基本。空間の制圧こそが、戦闘の主体なのよ。直接攻撃は手段でしかないし、ただのオマケなの」

 

だから長門さんもバリアを使用しての接近戦がメインなのか。

 

 

「これから先の戦闘で、あなたはこうならないだなんて言い切れるのかしら?」

 

「……う」

 

「この"固定"から抜け出す方法は四つ」

 

そんなにあるのか、とは思えなかった。

何故ならそのどれもが俺にはあまり関係がなかった。

 

 

「一つ、術者が解除する事。まずないわね」

 

「周防がそんなに優しいとは思えないよ」

 

「二つ、私や長門さんがレジストする」

 

「オレ一人だと詰むね」

 

「そうよ。三つ、涼宮さんなら一瞬で解決するでしょうね」

 

「……オレに関係ないような気がするよ」

 

「だから最後の四つ目なのよ」

 

「何の話かな」

 

「あなたなら。いいえ、あなたの本来の力なら、固定も壁も壊せるわ」

 

それは重力とやらの話なのだろうか。

 

 

「そろそろ正解を頼むよ」

 

「私がするのはヒントだけ」

 

「そのヒントは漠然とすらしちゃいないよ」

 

「馬鹿もここまで来ると天才だわ」

 

呆れたようにそう言った彼女は今度は本をどこからか取り出した。

一瞬の出来事で知覚さえ出来ないのだ。気が付いたら手に持っている。

その表紙は、黒い背景に二人の人物。白髪の少年と茶髪の女――

 

 

「――何でもありだな、本当に」

 

「えーっとどこだったかしら? ああ、ここね。そう、今のあなたの力の使い方は"原始人の松明"なのよ。炎をそのまま振りかざすだけって訳ね」

 

「何でその本があるんだ……!」

 

「よってあなたは文明人が鉄を打つように炎を操る事を体得してもらう必要があるの。うん、いい例えだわ」

 

「オレはそいつをこの世界の本屋で見た覚えはない――」

 

そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

【とある魔術の禁書目録】

 

 

 

 

「――それも、二十二巻、じゃあないか」

 

 

 

それを聞いた朝倉さん(大)は意外そうな顔で。

 

 

 

「あら。あなた、読みたいの?」

 

 

 

 

 

 

 

……久しぶりに、ね。

 

 

 

 



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第四十七話

 

その日、俺は朝倉さんの秘蔵画像が入っているUSBを朝倉さん(大)から取り返すことが出来なかった。

 

ちくしょう。

 

 

 

……一応言っておくが変な画像は入ってないぞ?

普段の制服、夏服、コート、いつぞやの浴衣だったりタキシード姿とか普通のだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうにかお願いして金縛りをディスペルしてもらったのだが、それでどうにかなる訳もない。

俺がその文字通りの障壁であるバリアーの先へと侵入できないからだ。

絶対不可侵領域という訳だ。そんな名前の罠カードが某ゲームにあった気がする。

やがて俺は両手にオーラを集中させて思い切り連打したのだが意味が無かった。

それどころか朝倉さん(大)に。

 

 

「ちょ、ちょっと。やめなさい!」

 

「あぁっ!?」

 

「物理的な方法での破壊は無理よ」

 

「やってみなきゃわからないよ。"絶対"なんて信じないから……」

 

「馬鹿! そのままやっても拳を壊すだけだわ」

 

確かに痛かったし一向に解決する感触はしない。

これがあの時のように妥協しない精神に到達する俺ならば身体の一部が動く限り永遠にぶつかり稽古をしていただろう。

手詰まりとはまさにこのことで、果たして一週間以内でどうこうできるとは思えなかった。

身体的にも精神的にも疲弊しつつあった。

 

 

「……ほ、他に……ヒントはないのか……?」

 

「もう全部言ったわ」

 

「なら次回はもっとわかりやすく頼むよ」

 

「私はもう来ないわよ。今回だけの特別限定出張なの。そしてこれがクリア出来れば合格よ」

 

修行項目がこれだけとは随分と手を抜いているような気もする。

それだけ困難だということなのだろう。少なくとも今の俺にはそう思えた。

しかしまあ。

 

 

「主婦の朝倉さんが、出張ね……」

 

「未来のあなたからすればこっちに送ってから数秒もしないで私と会う事になるのよ?」

 

「そいつは――」

 

「今、何か、変な事考えた?」

 

「……別に」

 

双子座のパラドックスやウラシマ効果。

それらを意識して朝倉さん(大)は一週間分老けるのかとは決して思ってもいない。

なのでその殺気は本当に勘弁して下さい。俺は追い詰められたキツネだがジャッカルではない。

だが、それでも本当に何歳なのだろうかとは思ってしまう。

将来的にここへ送った俺は彼女の年齢を知っている訳だ。

どうにかして自分を奮い立たせよう。

 

 

「朝倉さん。何かご褒美がないとやる気が出ないよ」

 

「あら? そういうのはこの時代の私とすればいいじゃない」

 

「何でそっちの方向性になるのかな……」

 

少しでも今のお淑やかな朝倉さんのままで居てほしいのだが。

フランクと言えるのも人間らしくていいんだけどさ。

 

 

「一つだけ。オレがこの課題をクリアしたら一つだけ質問に答えてほしい」

 

「未来の事は難しいわよ?」

 

「いいや、朝倉さん本人に対するごく個人的な質問さ」

 

「答えられる範囲ならいいけど」

 

「問題ないと思うよ」

 

年齢や家庭についてじゃない。

だからこそ、それを聞かないで未来に帰られたら俺は後悔しそうだ。

どうにかして一歩でも前進したいところではあった。

恐らく俺が出会ってきた中で涼宮さんに次ぐ最強。戦闘力で言えば真の最強。

それが朝倉さん(大)だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日は普通に起きた。

昨日のような感覚は無い。殴り続けてストレスは発散されたのだろうか。

あるいは朝倉さんとの登校という事で俺が落ち着けたのだろう。

 

 

「……」

 

「どうしたの? 難しい顔して」

 

「オレの目つきが悪いのは生まれつきなんだけど……?」

 

「違うわよ」

 

「だといいんだけど」

 

「目つきはたしかに悪いけど、何か考え事してたじゃない」

 

前世から目つきについてのそれは言われててちょっと嫌なんだけどな。

しかしながら素直に今私は未来のあなたの難題に苦戦していますとは言えない。

だが、助けを求めるぐらいならば大丈夫なはずだ。

 

 

「朝倉さんは"重力"ってどう思う?」

 

「はい?」

 

「重力だよ。あるいは引力でもいいのかも」

 

「……質問の意図がわからないわ」

 

「気が違ったわけじゃあないから安心してほしい」

 

「そんな事について考えてたの?」

 

「だいたいあってる」

 

「最近のあなたは凄いわね。本当に世界レベルじゃない」

 

「何がさ」

 

「頭の出来がよ」

 

本当にこのお方は俺と愛し合っているのだろうかとさえ思える言いようである。

キョンがよく言う黙ってたらいいって奴が少しだけわかるから俺が悪い。

この時から既にあんなふざけた態度の朝倉さん(大)になってしまう片鱗があったのか?

 

 

「とにかく朝倉さんなりの答えがオレは欲しいんだよ」

 

答えも何も模範解答はとっくの昔に出されているのだが。

現在は否定されているどの説に関しても俺の納得がいくものは無かった。

朝倉さん(大)は何を根拠に、俺の力を"重力"と形容したのか。

そしてそれすら正解ではないらしい。

 

 

「重力についての一般知識ならあるんじゃないの?」

 

「でも全部は知らないよ。知ってる事だけさ」

 

「どうもこうもないわね……」

 

「頼むよ」

 

「"位置"ね」

 

「それって、中世ヨーロッパの話かな」

 

「やっぱり知ってるじゃない」

 

「オレは"運命"だったり"因果"を否定しているんだ、その考えはオレの主義に反する」

 

「私はいい考えだと思うけど」

 

「どこがさ」

 

「"本来の位置"ね、ふふっ。あなただって結局私の所に戻ってきてくれたじゃない」

 

「……ああ」

 

たった一ヶ月と少し前の話なのに、なんだか俺には遠い昔のようにも思えた。

例え俺一人が消えようと、それでも世界は廻り続けるのだ。なんて素晴らしく、なんて残酷。

だとすれば、俺の能力の本質はそこにあるのか? 異世界人、役割、だが。

 

 

「正解に近いが、正解じゃあないって感じだ」

 

異世界人って観点だけで言えば、合格点どころか優秀評価が貰える。

しかし、俺の知らない"役割"。何となくだが、これとは別な気がしてならない。

本質はもっと単純で、近くにあるような。俺自身だけではないプラスアルファ。

 

 

「宇宙人の技術について説明が欲しいのかしら? 私たちは正確には宇宙人じゃないのよ」

 

「いいや。空間の制圧は戦闘の基本。か」

 

「……どこで聞いたの? それ」

 

「本で読んだだけさ」

 

これも嘘だ。

そろそろ本格的に自分が嫌になってくる。

 

 

「そうね、そうよ。だからこそあの時、私は油断してたのよ。……あなたを全力で仕留めなかった」

 

「だったら今頃オレはここに居ない」

 

「……馬鹿」

 

「おいおい、その話題を出したのはそっちじゃあないか」

 

「今は違うのよ」

 

「知ってる。オレのせいだ」

 

「あなたのおかげよ」

 

「まさか」

 

「本当よ」

 

それが嘘でも俺は朝倉さんにそう考えてもらえるだけで充分だ。

今日の風はなんだか寒くは感じなかった。

俺の繋がれた左手は、それと関係あるのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは昨日朝倉さん(大)と話した事なのだが。

辺りが暗くなり、俺の勝手に改築された203号室での事だ。

 

 

「明日も修行だよね?」

 

「ええ。でも部活終わりでいいわよ」

 

「時間的余裕はあるのかな?」

 

「それはあなた次第よ。今日は色々説明しなきゃいけなかったから早目に来てもらったの」

 

「これは常にそうなんだけど、オレは自信がないんだよ。根拠がどこにもないからさ」

 

「じゃあ作りなさい。あなたはそれが出来るのに、それをしてこなかった。だから自分を"臆病者"だなんて言うのよ。"独善者"失格ね」

 

「手厳しいね……」

 

だが彼女の指摘はまさにその通りだった。

覚悟が出来たのに、俺が手にしたのは一つだけ。

栄光でも正義でも何でもない、ただの一人の、朝倉涼子という女の子だけだ。

それ一つで充分過ぎると言うのに、他に何をどうすればいいんだ?

 

 

「飢えなさい」

 

「『飢えなきゃ勝てない』か?」

 

「そうよ」

 

「ずっと気になってたんだけど、どこからそんな情報手に入れてるのさ」

 

さっき見たとあるといい、この世界には存在しないぞ。

ジェイが俺によこしたハンタだって結局あっちの世界にはなかったものだ。

 

 

「知ってるでしょ」

 

「またオレか」

 

「と言っても今のあなたには何年かけても無理よ。人間と猿の差だわ」

 

「だから『ずっとずっともっと気高く飢えなくては』って?」

 

「私はあの漫画も全部読んだのよ」

 

「随分とオタッキーになったんだね」

 

「あなたと付き合い始めた時の私は実年齢にして三歳よ? だから今の私はまだまだ若いの」

 

「……そういやそうだった」

 

でもその言い訳はどうなんだろうか。

"アサクラ―"だったり"アサクライダー"だったり、もしかすると今や"アラサ―"だ。

 

 

「私が今回したい役目は、ただの"補助輪"にしか過ぎない」

 

「なるほど」

 

それは永遠に付けて頼っていくものではない。

やがて、自分一人で動き出す必要がある。歩き出す必要が。

俺も彼女が未来から来なくても、自分でも真実に近づけるだろう。

 

 

「……だが、今日ではない」

 

「時間がないのよ。わかってるでしょ?」

 

「何となくね」

 

「だったら頑張ってちょーだい」

 

「オレのため。か?」

 

「そうよ。あなたは今まで私のために頑張ってくれた。これからも。だから今回だけ、私からのお返しよ」

 

「こんなオレでも、嘘でも幸せって思える」

 

「嘘かどうかわかるのは、この世で一人だけなのよ」

 

そう、それは俺が決める。

 

 

「きっと未来のオレは"強い"んだろうな」

 

「自信を持って言うわ。私の旦那が最強よ」

 

「本人にも言ってやってくれ」

 

「そうしても照れるのよ」

 

「いつまで経ってもオレはオレか」

 

精神的にも、恐らく能力的にも今の俺と何段も差がある俺。

『他人と自分を比べるな』ってのは、とても素晴らしい事だがとても残酷な事なんだ。

何故なら、他人と自分には必ず差がある。優劣がある。適材適所は綺麗ごとだ。

頂点ってのは常に一人らしい。

 

 

「また明日、だ」

 

「この時代のテレビ番組はつまらなくて逆に面白いわね」

 

もう会いたくもないんだけどさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな訳で今日は部室に居る。

だがキョンは相変わらず来ないらしい。

 

 

「……」

 

「明智くん、今日は来たんですね」

 

「ええ。ですが朝比奈さん、キョンとごっちゃにしないでくださいよ。あいつは今日も来ません」

 

「シャミセンさん、よくなるといいなぁ」

 

「ええ、猫はかわいいもの」

 

「朝倉さんは猫好きなんですか?」

 

「明智君が好きらしいわ」

 

「いいハンターは動物に好かれるんだよ」

 

だからシャミも俺とよく戯れてくれる。

ただ、良くなるも何も、悪くなってないんだけどね。

ふと見ると古泉が何やら深刻な表情で考え事をしている。

きっと朝の俺もこんな感じだったんだろうか。

 

 

 

いいさ、話ぐらい聞いてやるぜ。

いや、重力について俺はこいつの意見も聞きたかった。

 

 

「どったの先生」

 

「あ、明智さん。いえ、それがですね」

 

「うん」

 

「これは昨日、『機関』の構成員からあった情報なのですが」

 

「……何だ?」

 

思わず俺は身構える。

まさか、とうとう敵が動き出したのか?

しかし原作ではもうちょっと後のはずだろう。

古泉が悩むどころはで済まない、一大事だ。

修行は終わってないのに。

 

 

 

そんな俺の考えはトッポイ野郎の一言で砕け散った。

そう、戯言の世界。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――"仮面ライダー"が出没した、との報告がありまして」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……おい、見つかってるじゃねえか。

 

 

 

 

 

 



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第四十八話

 

 

 

はたして古泉の"出没"という表現はどうなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、不審者や熊が出たならそれでいいさ。文句は無い。

けれど"仮面ライダー"はお子様にとってのヒーローだ。せめて"登場"だろ。

しかし昼間の往来に、そんな奴が居たら一番先に疑うのは自分の目だろう。

 

 

「な、何だって……?」

 

「報告によれば、普通に道路を歩いていたそうです」

 

「撮影じゃあないのか」

 

「そう思い、調べたのですが昨日この町でロケハンや撮影を行ったという情報はありませんでした」

 

『機関』は無駄な事に力を使わないでくれ。

他にするべき事があるんじゃあないのか? 

とにかく俺は知らない方向で行く。

 

 

「きっ、とコスプレだよ」

 

「僕もそう考えました。しかしながらそのエージェントが声をかけようと後を追ったが、見失ったと」

 

「どこで……?」

 

「人通りの少ない、住宅街の曲り道ですよ。尾行が失敗したという訳です」

 

「家に帰ったんだよ」

 

「だとしても、家に入る姿すら見せずにとはいかないでしょう。一軒家ばかりです。恐らくただ者ではありません」

 

「マジか……」

 

「何か恐ろしい事の、前触れじゃなければいいのですが」

 

真剣に悩んでいる古泉を見ていると何だか申し訳なくなってくる。

朝倉さんは何も気にせず小説を読んでいる。チープなSFものだ。

宇宙から殺人スライムがやってくるという内容だったはずだ。

 

 

「……」

 

「困ったものです」

 

「うん」

 

「明智くん、朝倉さん。お茶が入りましたよ」

 

机にことりと湯呑が置かれる。

この話の流れでお察しいただけたと思うが、涼宮さんは居ない。

早目に来たとしてもキョンが居ないからモチベーションが上がらないと言うわけだ。

そんな事より、俺は今の話でちょっと焦燥感に駆られた。

 

 

「朝比奈さんありがとうございます。オレ、頂く前にちょっとトイレ行ってきます。いやあ、スッキリしておきたいと言いますか」

 

「あら? あなたそんな事気にする人だったかしら」

 

「こういうケースもあるんだ」

 

その原因は朝倉さん、未来のあなた自身なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男子トイレの個室、その一番奥。

 

 

 

秒で鍵をすると、壁に手を当てて"入口"を設置した。

言うまでもない。不法占拠されているあの部屋だ。

携帯電話という手段もあったのだが、俺はそんな事は選択肢にすらなかった。

 

 

「……あら?」

 

テレビを見ながらだらだらとソファに寝そべっている朝倉さん(大)。

いや、セクシーではあるが、それどころではない。

白いシャツとスカートタイプの黒のレザーパンツ。

その恰好で外で出たら間違いなく寒い。

 

 

「どうしたのかしら?」

 

「どうもこうもあるんだよ、聞きたい? いや、答えは聞いてないけど」

 

「質問に質問で返しちゃ駄目よ」

 

「駄目なのはそっちだよ。何だよ、古泉が言ってたよ。『機関』のエージェントに狙われていたって」

 

「ぷっ。……その言葉、携帯電話で聞きたかったわね。最後に切る時言いたかったのよ、エル・プサイ・コ――」

 

「……」

 

「――冗談よ。上手く撒いたからいいじゃない」

 

いいや冗談じゃない。

だいたいからして可笑しいのだ。

待て。

 

 

「まさか食材の買い出しも……?」

 

「な訳よ。ちゃんと変装してるわ」

 

と言うと彼女は変化した。

顔つき、目つきは鋭く、髪の色はピンクに。

知っているぞ……。

 

 

「……"セッテ"じゃあないか」

 

「私なんだか他人とは思えないのよ。共感できるわ」

 

俺はそのラインに触れちゃいけない気がする。

第四の壁とは何だったのか。と言うか朝倉さんは空気ではないだろう。

もう、何でもいいからさ。

 

 

「とにかく、これからはその姿で外出してくれよ。頼む」

 

「約束はしないわ。『善処する』わ」

 

「……部室に戻る」

 

「また後でねー」

 

トイレの個室に戻ると、用を足すわけではないのに便座に座る。

やがて立ち上がると思い切りトイレの壁を殴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局その日も俺は何の成果も得られなかった。

一日二日でどうにかなるような世界ならそもそも修行になんかならない。

別にやる気が出るとか反骨心じゃなくて、事実としてそうなのだから認めるしかない。

その次の日も何も突破できなかった。念じても無駄だった。

朝倉さん(大)はヒントは全て与えたとでも言いたいらしく、終始無言だった。

どうすりゃいいんだろうな。

 

 

 

……で、木曜日。

 

 

「ほんと、お前らはいいよな」

 

登校中、谷口は思い出したかのようにそう言った。

この場合のお前らはキョンと俺だ。

 

 

「何の話だ」

 

「あ? この時期と言えばチョコに決まってるだろ」

 

「バレンタインか?」

 

「明智、他に何があるってんだ」

 

「だがお前、光陽の一年と付き合ってるんだろ。なら問題ないじゃねえか」

 

「……ああ」

 

どうやら周防はまだ付き合っていたらしい。

何が目的がしらんが、そのままよろしくやっててくれ、

出来れば俺の前に姿を見せないでほしい。

今やりあったら朝倉さん(大)の指摘通りにまず負ける。

思えば雪山で出来たバリアブレイクも、とっさの一撃だったからだ。

もう二秒でも周防に時間があれば頑強な障壁が展開できただろう。

そして情報制御下では金縛りもある。いや、無理っす。

 

 

 

そんな危険人物を侍らせている事も知らない谷口は。

 

 

「だがな、お前らは確定で四つだぜ。この差は何だ」

 

「量じゃなくて質だ。本命があるだけで俺に言わせれば充分だろ」

 

「だと良いんだがな。いつぞや言ったと思うが、長門有希にそっくりだって」

 

「長門を馬鹿にしてるのか?」

 

「違う。独創的っつーか、個人的っていうかよ、……いまいち掴めないんだ」

 

「安心していいよ谷口。お前を見捨てない聖人ちゃんが相手なら間違いなくチョコをくれるさ」

 

根拠はどこにもない。

他人の事を気にする余裕なんてないからだ。

 

 

「そうだ。一生分の感謝をしやがれ」

 

「義理だろうが、朝比奈さんのチョコは男子北高生の目標だぜ? お前らこそ食べないんなら俺によこせ。とくに明智、お前は朝倉ので充分だろ」

 

「金とってもいいんだけど、やっぱりあげないよ。朝比奈さんに失礼だ」

 

「あん? 俺に失礼だろ」

 

まさか。

 

 

「違うね。とにかくその彼女さんを大切にするんだ。お前さんは白黒つけられたいのか?」

 

「チョコだけにってか?」

 

「美味いだろ?」

 

「明智、谷口、上手くねえよ」

 

そう言うなよ、食べ物ネタはここまでが"鉄板"なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在キョンがどんな未来の指令を受けているのかは知らないが、俺には関係ない。

何故ならば俺は俺であり、彼には彼の物語があるからだ。

 

 

 

とにかく、今日は木曜日で明日は祝日、花の金曜日。

 

 

「みんな、宝探しに行くわよ!」

 

と言う訳である。

今日は久々にキョンも顔を出している。

 

 

「あははっ。本当にあるかはわかんないけどねぇーっ」

 

「宝探しですか。なるほど、それはそれは大変面白そうですね」

 

鶴屋さんが提供してくれた、まるで絵に描いたような宝の地図。

彼女の私有地である山の地中にそれは眠っているらしい。

そして古泉、イエスマンのお前の意見は参考になんかならないので安心しろ。

 

 

「どういうわけだ」

 

「あんた話聞いてたの? 久しぶりの部活でボケたかしら?」

 

「俺はいたって正常だ」

 

「そういやキョンくん、シャミはまたつれてきておくれよっ」

 

「あいつが良ければいいですよ」

 

猫はいいものだ。

だからこそ今も愛されている。

 

 

「あのねえ、だから鶴屋さんのご先祖様が埋めてくれた宝を探しに行くのよ。あたしたちで」

 

「それはいつの話だ」

 

「明日よ」

 

「明日って、本気か?」

 

「本気と書いてマジよ! 急がないと先を越されるかもしれないの」

 

「誰にだ」

 

「得体の知れない盗賊集団よ」

 

夢を見るのは自由だが本当に出てこられたら困る。

まして四十人も居た場合には、アリババさんの助けが必要だ。

 

 

「へぇ、宝探しですか。何が眠っているんでしょう?」

 

「……」

 

「たまにはそういうのも面白いのかしら?」

 

「うん。きっとオーパーツが眠っているに違いないよ」

 

何気に真実を口にしてしまうが誰も気にしちゃいないさ。

いつも通りの、ただの戯言だ。

だが涼宮さんは何があろうとやる気らしい。

彼女のそれは不可侵にして不可説、絶対のシステム。

 

 

「とにかく、見つけるわよ! お宝」

 

「へいへい」

 

「まずシャベルが必要ね。これはあたしが用意するわ、三本ね」

 

どうやら発掘作業は俺たち男子の役割らしい。

涼宮さんが知ってるかは知らないがリアルディグダグ化するのだけは御免だ。

 

 

「それにお弁当も」

 

「あ、あたしが用意してきますね」

 

「わかったわ。ありがとうみくるちゃん」

 

「七人分も、大丈夫なのかしら?」

 

確かに朝倉さんの言う通りだ。

いつぞやのプールの時はバスケットがいっぱいいっぱいだった。

 

 

「確かに、量が量だぜ。朝比奈さん一人の負担にしちゃきつくないか」

 

「あたしは大丈夫ですけど」

 

「私も何か用意するわよ」

 

「そう、わかったわ涼子。……とにかく他にも色々必要なのよ。みんな、明日はしっかりとした服装よ? 山をなめちゃいけないの」

 

鶴屋さんが言うには熊は出ないらしい。

まさか仮面ライダーも出ないだろう。明日は日中フリーでいいらしい。

とりあえずの遊びと言えるわけだ。

 

 

 

いや、本当に疲れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう言えば、これは二日前に聞きそびれたおかげで昨日訊いた事だ。

野郎と二人きりもどうかと思うが、俺の"臆病者の隠れ家"なら邪魔が入らない。

かつて宇宙人二人とキョンを招待した、あの部屋だ、

 

 

「僕もまさかあなたにここまで親しく思われていたとはね」

 

「普通だ、普通」

 

「ですが会話がしたいとは。それもわざわざ二人で」

 

「変な意味はないし変に考えるなよ」

 

「明智さんの要件とは?」

 

飲み干した缶コーヒーを机に置いて、俺にそう問う。

笑ってもいないが、無表情でもない。

 

 

「古泉は、"重力"あるいは"引力"についてどう考えている?」

 

「……それは、どういった観点でのお話でしょうか」

 

「フィーリングでいい。お前さんの考えでいいさ。知識としてのそれが聞きたいわけじゃあない」

 

「なるほど」

 

やがて目をつむったかと思えば、数秒後にゆっくりこう言った。

 

 

「……"力"、でしょうか」

 

「力学的な話か」

 

「今回は違います。あなたへの相応しい回答として、宇宙的な要素がありますから」

 

「じゃあ天体についてか?」

 

「確かに僕の趣味ですがそれも違いますよ」

 

「ただの力ってのがよくわからないんだよ」

 

ここで"力への意思"について語られた日には俺はこいつを多分殴る。

ニーチェについて論じようが、結局の所、彼の思想は現代において負けた思想だ。

 

 

「明智さんは、こういった話をご存知でしょうか?」

 

「どんな話かによるよ」

 

「平行世界とは別の、次元世界についてです」

 

「知ってるさ」

 

別に詳しくない人でもその概念ぐらいはわかるだろう?

俺たちが今居るのは、xyz座標による立体。三次元には縦横に奥の概念がある。

それが縦横の平面なのがいわゆる"二次元"だ。

昨今ではリアリティ故に二点五次元なんてのも言われてたが。

 

 

「素粒子、ひも、十二次元。このどれについて話そうって?」

 

「いえ、ですからあなたが望む重力についてですよ」

 

「何言ってんだ。四次元から先に、その概念があるのか? 五次元からは折りたたまれている。重力は作用しない」

 

「しかしながらそれは、我々が観測できないから折りたたまれた平面と仮定しているに過ぎません」

 

「お前は点の世界でも重力があるって言うのか?」

 

「それはわかりませんが、そう考える方が楽しいでしょう」

 

俺にとっては切実な問題なんだ。

楽しいかどうかで持論を作らないでくれ。

呆れた俺を見た古泉は。

 

 

「明智さんは、"ブレーンワールド"というものを知っていますか?」

 

「名前ぐらいは知っている。宇宙は膜に覆われているって奴だろ」

 

「正確には違います。多次元宇宙は多層的に構成されているという理論ですよ」

 

「多けりゃいいのか」

 

「僕が発案したわけじゃありませんので」

 

「……で? そのとんでも理論がどうしたって」

 

「ですから、重力であり宇宙的なのです」

 

「わかるように頼むよ」

 

こいつの話はいつも抽象的だ。

キョンが嫌がるのもわかる。

 

 

「この理論において、重力は自由なのです」

 

「自由?」

 

「はい。我々が住まう三次元。その空間に時間の概念が複合したのが四次元世界」

 

「双子のパラドックスは馬鹿馬鹿しいけどね」

 

「その先の、つまり五次元へと重力は到達できます」

 

「はあ?」

 

「おや、知らなかったのですか?」

 

「そんな馬鹿な話をどう知っていろって言うんだ」

 

「これが本質かはさておいて、理論は理論なのです。そして重力は自由に次元世界を移動できます。点から面へと、時空へと、その先へとね」

 

朝倉さん(大)の言っていたのはこの事なのか?

ならば重力という表現そのものが正解だという事になってしまう。

それに、俺がいくら頑張ってもあの障壁は突破できなかった。

自由を叫べばいいのか? そんな事したら未来の俺が酷く弄られそうだ。

 

 

「"その先"って何だ?」

 

「わかりませんよ。十二次元は概念論ですから。我々は他の次元の存在を立証できたところで、その住人とは関われません」

 

「そして次元の差が開けば観測さえできなくなる」

 

「そうです」

 

「……参考にはしとこう」

 

これも正解じゃないんだろうな。

近い感じはする。だが、文字通りのその先が見えない。

そんな風に白の天井を眺めていると古泉は。

 

 

「もし自由を望んだとすれば、それは他ならない涼宮さんでしょう」

 

「……何の話かな」

 

「三年前――年度的には四年前――の出来事ですよ。彼女が最初に何を望んだかは不明ですが、その結果として我々は一堂に会しました」

 

「聞き飽きたよ」

 

「今回お話ししたいのは別件です。涼宮さんの傾向についてですよ」

 

それは去年話してくれたあれだろうか。

 

 

「彼女……。それに僕も朝比奈さんも長門さんも、その特異性は徐々に失われつつあります」

 

「まさか」

 

「事実としてそうでしょう。閉鎖空間の減少、未来人は基本的に不干渉、長門さんに関しても表立った行動はありません」

 

「だけどゼロになったわけじゃあないだろ?」

 

「確かにそうですが、それどころか今回話したいのは、あなた。……あるいはあなたと朝倉さんについてです」

 

どうしてそこで朝倉さんが出てくるんだ?

何かにつけて俺を責めたいのだろうか。

 

 

「あたたち二人はその逆。常に変化している、変化し続けている。まるで天体が生まれる時のように」

 

「オレはともかく、朝倉さんのどこがそうだって?」

 

「……はっきり言いましょう。あなたと彼女の関係性は、よろしくありません」

 

「どういう、ことだ」

 

俺はこの時、どんな顔をしていたのだろう。

確かなのは古泉の表情が険しくなったことだけだ。

 

 

「失礼。あなたと彼女の愛はすばらしい。何かを見たわけではありませんが、そう思いますよ」

 

「……ああ」

 

「これでも僕は、人を見る目はあるんですよ」

 

「で……?」

 

「敢えて言うならば、依存。……いえ、共依存といったところでしょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――"わかってた"さ。

 

 

 

自分の役割がわからない俺。

そんな俺の生きる意味が朝倉さん。これは依存だ。

だが、彼女がそうなってしまったのは、『オレのせい』だ。

薄々感づいてた。

 

 

「あなたと朝倉さんの精神バランスは見事と言えます。ですが、完璧に釣り合っているから困るのです」

 

「……」

 

「仮に、そのどちらか一方が欠けた場合。残された方はどんな手段を使ってでも世界に敵対し、復讐するでしょう。そんな危うさがあるのですよ」

 

「……わかってる。オレの覚悟は、"大義"じゃあない」

 

「本当にわかってますか? あなたの覚悟は後ろ向きなのですよ。待っているのは、最悪の破滅だけです。僕が思うにあなたが現在悩んでいる"何か"もそれが原因でしょう」

 

 

 

 

 

……困っちゃうな。

 

 

 

本当に古泉は人を見る目がある。

これでこいつが悪い奴だったら俺は戦いたくない。

いや、良い奴だからよかったんだ。

敵になんか回したくないな。……こんな良い奴を。

 

 

「お前はどう思う?」

 

「はて」

 

「オレはどうあれば、破滅しないんだろうな?」

 

この日、最後に古泉が言ったその言葉はやけに印象的だった。

 

 

 

 

 

「どうもこうもありませんよ。あなたが決めて下さい」

 

 

後悔はしたくないんだけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、俺はもう一つだけ気づきながらも気にしていなかった事がある。

 

 

初歩的な推理だよ、ワトスン君。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――朝倉さん(大)は、何でわざわざこのタイミングで来たんだろう。

 

 

 



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第四十九話

 

金曜日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日も俺の次のステップとやらについて進展はない。

既に四日経過したわけだが、今日を含めて残りの日数でどうにかなるとは思えなかった。

決して俺が自分の力について理解しようとしていないなんて話ではない。

だが問題があるとすれば、古泉や朝倉さん(大)が言うようにこちらなのだ。

 

 

そんな金曜の朝、駅前へ向かう俺と朝倉さん。

 

 

「じゃあ、オレは……オレは何処となら戦いたい?」

 

「何言ってるの?」

 

また電波を受信したとでも思われているらしい。

だんだんこの視線が悪くないと思い始めている俺は末期だ。

 

 

「いや……別に…」

 

しかし、こんなアホな事を真剣に呟く程度に、俺は現状で妥協していたのだ。

後でも先でもない、今だけのために俺は生きている。降りかかる火の粉は払えばいい。

だがそこに向上心は無い、本当に価値ある人間の精神は無い、原人と変わらないのだ。

新しい"道"を選べ。古泉と朝倉さん(大)は俺にそう迫っている。

……無茶言うな。

 

 

「"重力"……ね」

 

「まだ考えてたの?」

 

「……ああ」

 

古泉が説明した所の"ブレーン宇宙論"。

次元宇宙、次元世界は同列に存在し、階層で構成されている。

世界は外へ向かうほど高次元へとなっていく。最外層は十二次元という訳だ。

そしてその世界の間は、重力だけが自由に移動できるらしい。

この部分は某漫画で読んだのと似ている話がある。だが、それは"平行世界"だった。

"次元世界"は違う。接触も、何も、存在があるかさえ俺たちの勝手でしかない。

それでもこの世の果てに四次元は必ずある。相対性理論のその先の、"時空"。

いや、"記憶の固執"を描いたサルバドール・ダリは本当に天才だと思うね。

俺が知っている中で一番の名画だ、"モナ・リザ"より好きだ。

 

 

 

そして、俺たちが点と面を観測出来ているのは単なる偶然でしかない。

見えているのに見えない。何という皮肉で、何という数奇な奇跡。

こんな思いをするなら知らない方が、良かったのに。

 

 

「朝倉さん」

 

「なあに?」

 

「オレの力の根源は、何なんだろう」

 

「……私にわかるわけないじゃない。生命エネルギーって聞いたわよ、あなたから」

 

「だが違うらしい」

 

「誰が言ってたのよ」

 

「ジェイはそれを否定した」

 

お前の名前は散々利用させてもらうぞ。

どうせあいつの目的ってのはロクなものではない。

中河氏を巻き込もうとするあたり、あいつも過程を無視する人種だ。

いや、そもそも地球人なのかすら怪しい。

仮に組織なんてのが実在するとして――はったりだとは思うが――それなら静観する理由は何だ?

一つだけ言えることは、あいつや実在するか未だ不明な"カイザー・ソゼ"もきっと知っている。

だからこそ世界を移動できるのだ。

 

 

「オレは本当に、"異世界人"なのか……?」

 

朝倉さんはそれに答えてくれなかった。

今日はやけに、いつも以上に冷えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……思えば結局今月も山だ。

何だ、死んだ爺さんが俺に憑依したってのか?

守護霊の仕事にしてはそろそろ緑を見るのも嫌になってきた。

これが花畑とかだったら違うんだろうさ。

 

 

「キョン、あたしは悲しいの」

 

「何だ」

 

「どうしてあんただけいつも遅れるの? 何か呪いにでもかかってるのかしら」

 

「そんなもんがあれば俺が一番悲しい。それに明智が遅刻した事だってある、俺だけじゃない」

 

「でもあんたはその時下から二番目だったわ。つまり、団長のあたしから見てあんたには危機感が足りないのよ」

 

駅前の待ち合わせはいつも通りにキョンが最後にやってきた。

しかし涼宮さん、その発言はちょっとあれだ、筋肉ダルマになってしまう。

 

 

「あら、何難しい顔してんのよ。何か悩みでもあるの?」

 

「俺の顔はもともとこうだ」

 

「見りゃわかるわよ。しけた面しないでキビキビしろって話よ」

 

「はっ。寒いだけだ」

 

「もっと身体を動かしなさいよ」

 

「これから充分そうするだろ」

 

「アップも無しに宝探しをするつもり? あんた、今日の趣旨を理解してる?」

 

「山で宝探しと言われたが」

 

「そうよ。遊びじゃないの、トレジャーハントは仕事よ。みくるちゃんや涼子の用意した昼食は働かないと食えないのよ」

 

「横暴だ……」

 

俺だって同情ならしてやるさ。

それで飯が配当されるかはまた別の話になってしまう。

 

 

 

今回のキョンのペナルティは持越しだ。

つまり喫茶店なんかに入る間もなく俺たちは山へ向かう事になった。

移動にはバスを利用する事になるのだが、この時点で男子はシャベルを持つことになった。

それでいてつり革を心の支えにして立ち続けているのだ。女子は当然座っている。

他の客は少ないので俺たちは座ってもいいのだ。これは団長命令でこうしているに他ならない。

 

 

「世界の不条理だ」

 

「嫌な事でもあったのか?」

 

「明智、そういうお前も朝から妙な雰囲気だぜ」

 

俺は終始ポーカーフェイスだったが、機械になれるわけではない。

その背後にあるものまでは見る人が見ればわかる。そういうふうになっている。

だからこそSOS団は例外なく異常者集団なのだ。

 

 

「山に行くからオレの死んだ爺さんがはしゃいでるんだろ」

 

「幽霊ですか?」

 

「居ても変じゃあない。居ない方が気が楽だけど」

 

「お前らは変な事を言うなよ。ハルヒが興味を持ったら本当に出るんだろ」

 

「いえ、涼宮さんが望めばですよ」

 

「俺からすれば同じだ」

 

馬鹿言え。

その発言は何も知らない奴だから許されるんだ。

 

 

「現実から目をそらすなよ」

 

「異世界人超能力者にとっての"現実"はどうやら俺と違うらしいな」

 

「しかし、現に存在しているのですよ。虚構ではなく実体でもって。これを現実と言わずして何と言いましょう」

 

「オレも同意見だ」

 

「知るか」

 

「キョン、お前は知っている。このバスが例え地獄の一丁目行でも団員である以上は降りれないさ」

 

「そん時はバスジャックしてやる」

 

「ですが明智さんの言うように、運命共同体なのは確かなのですよ」

 

「俺もか?」

 

「はい」

 

「冗談だろ」

 

「去年申し上げましたが?」

 

「だとしたら俺は仏を探しにいかねばならん」

 

好きにすると良いさ。

それがお前の物語なんだから。

 

 

「キョン」

 

「どうした、お前にしちゃえらく怖い顔をしているな」

 

「目つきは関係ないだろ」

 

「お前はいつも冬のナマズみたいな顔だからな」

 

「……人生は問題集だ。絶え間なく連続している」

 

「何の事だ」

 

「どれも複雑で選択肢は最低、そこに制限時間がある。選ぶ必要がある」

 

「おや」

 

「……」

 

「だが、一番最低な選択肢は何だと思う?」

 

「さあな」

 

「選ばない事だ」

 

そう、お前じゃあない。

俺なんだ。

 

 

「オレもお前も神さまなんかじゃあない。そこにあるもので満足する必要がある」

 

「わかってる」

 

「ならお前はそう言い切れるのか? お前はお前の道を、選んでいるのか?」

 

「……お前はいつもそうだな。はっきり言え」

 

「流されるのはもうお終いにした方がいい」

 

ああ。

こんな後ろ向きな覚悟じゃ、未来は無い。

明日の事はわからないが、明日の事を考えないのは別だ。

俺は自分で目をそらしているに過ぎない。

それじゃあ、つまり、逃げだ。

 

 

「……どうしろってんだ」

 

「オレも今、ちょうどそこで悩んでる」

 

「この問題集に答え合わせはありませんよ。各々、解答が必要なようですから」

 

そうだろうな。古泉の言う通りだ。

俺が未来の朝倉さん(大)に苦手意識があるのも結局はそうなんだ。

戯言でも何でもいい、用紙に何かを書いて埋める必要がある。

 

 

 

……それは、今日なのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知っている人は知っていると思うが敢えて言わせてもらう。

この宝探しとやらも俺たちは何の成果物を獲得しても居ない。

拾っていなければ捨てる必要がないらしい。

 

 

「結局何も出なかったじゃないか」

 

すっかり衣服は土まみれになったキョンが山の獣道でそう愚痴る。

休憩をはさんで午後も挑戦したが、結果は彼が言った通りだ。

あえなく帰投となる。

 

 

「なにか問題でも?」

 

「問題があるとしたらお前の方じゃないか? この結果からすれば、ハルヒのアテは外れたんだ」

 

「そうでしょうか」

 

「ああ、お前さんの認識は正しくないな」

 

「ちゃんとした理由があるのか」

 

結果論ではあるけどさ。

 

 

「あなたもわかっているはずですよ。涼宮さんは宝物を真底から求めたわけではありません」

 

「ならこの集まりは何だったんだ」

 

「ピクニックでいいでしょ」

 

朝比奈さんは今回もサンドウィッチ。朝倉さんはおにぎりだった。

いや、炭水化物コンボではあるがコンビニで買う昼飯だってこんなもんだろ?

そこに心があるなら俺は何も言えないさ。

 

 

「はあ? あいつは散々あんなことを言っておいて、結局はピクニックってオチか」

 

「あなたには彼女が素直に提案しなかったのが謎のようですね」

 

「当り前だ」

 

「そこは微妙な乙女心というものでしょう」

 

「だねだね」

 

とは言えど朝倉さんに定期的に馬鹿と呼ばれるぐらいには俺もわからない。

現在鋭意勉強中なのだから。未来の俺、その辺はどうなってんだ?

 

 

「涼宮さんの傾向については以前お話しした通りですよ」

 

「"安定"しているとか"いい傾向"とかって奴か?」

 

「はい」

 

「"今月も"だってか?」

 

「全く振れ幅がなかったわけじゃありませんが、マイナスに向かった様子はありませんでしたよ」

 

この中で"マイナス"が居るとしたら、それは俺だろう。

そして朝倉さんまでもそれに引きずられている。俺のせいで。

だから『"ゼロ"に向かって行きたい』だって? 

でも、それじゃあ駄目らしい。俺は、どんな形であれ"プラス"に到達する必要がある。

そうならなければ、待っているのは破滅らしい。それが何なのかは不明だが、穏やかではない。

後ろ向きな覚悟である以上はプラスの"世界"には辿り着けない。

 

 

 

古泉の話を耳にしたキョンは。

 

 

「本当か? なら俺がハルヒから感じていた微妙なオーラは何だったんだ」

 

「"オーラ"が……?」

 

「違うと思いますよ、明智さん」

 

知ってるさ。

ふざけただけだ。

こいつにもオーラについてだけは多少の説明をしている。

俺の修行については話していないが。

 

 

「しかしこちらの方が本当かと聞かざるを得ませんね。僕にはいつも通りの涼宮さんにしか見えませんでした」

 

「オレは他人を気にする余裕が現在進行形でありません」

 

「頼りにならんな。だが古泉、お前についてはハルヒ専門のカウンセラーだったろ。まさか俺の勘違いだとは思ってないぜ」

 

「なるほど。……では、あなたの方が適任かもしれませんね」

 

「どういう任務についてだ」

 

「僕よりあなたの方が涼宮さんの深層心理を紐解けるのであれば、僕の役割はそのまま明け渡しましょう」

 

笑顔でそう言う古泉。

そこには悲しみもなにも無かった。

まるでそうあることが当然だと言わんばかりの立ち振る舞い。

こいつは、間違いなくプラスの人間だ。

 

 

「遠慮するよ……俺はここでいい」

 

「そうですか。ならば文句を言うまでもないと思いますが」

 

「ストレス発散だ」

 

「素直じゃないなあ」

 

「うるせえ」

 

それならいいんだ、そういうことなら。

お前はお前で、俺は俺だ。

最初から比べちゃあいないさ。

勝てるわけないんだから。

 

 

 

それでいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……何も、最初からわかりきっていることだ。

 

 

 

いくら俺が同情しようとしても、こいつはもう既に結論が出ている。

 

五月の、あの、超弩級の閉鎖空間の時に。

 

世界を救った時に、もう出ているんだ。

 

 

 

 

俺がしているのは単なる自己防衛、正当化。

 

ああそうだ。

 

俺の正義ってのは結局、俺にとっての平和でしかない。

 

これが独善じゃなくて何なんだ? 

 

俺が本当に望むのは生きる意味だけ。

 

つまり朝倉さんだけが、その平和において必要とされているんだ。

 

他の全ては総て無価値、無意味にして無為である。

 

その心象風景はきっと"荒れ地"であり"悪地"でしかない。

 

みんなのための正義とは言っても俺のは綺麗事だ。キョンとは違う。

 

古泉が言ったように朝倉さんが消えたら、俺は多分そうあれない。

 

それが、今の俺。

 

 

 

 

決して明るい光の、プラスの世界とは程遠い"黎"という名前。

 

そう、俺の本質は黒い影であり、陰。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――"黎明"なんかじゃあ、ないんだ。

 

 

そこに夜明けはない。

 

 

 

 

 



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第五十話

 

 

 

今にして思えば俺はこの時、心のどこかで結果だけを求めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校は過程を見るところ? どっかのアホは結果だけを求めている?

 

 

 

何言ってんだ。俺だって結局そうだったんだ。

決して近道がしたかったわけではない、単なる意識の問題。

そして意識の差がそのまま人間関係における温度差となるわけだ。

後半歩のところだ。そこで俺は動くのを止めている。

ならばアプローチの仕方を変える他あるまい。

 

 

「……あら?」

 

そもそも俺はこの力について考察不足であった。

当たり前だろ? 近々まではずっと"オーラ"だと思ってたんだ。

しかしオーラとは違い、破壊の性質はこのエネルギーには無いらしい。

本来であればオーラを纏った攻撃はオーラでしか防げない。

オーラで手を強化して壁を押すだけで巨大なヒビを入れる事さえ出来るのだ。

よって先ずはこの考えを捨てる。

 

 

「諦めたのかしら?」

 

「いいや」

 

体中に本来微量に流れている生命エネルギーを"絶"により遮断。

俺は公園の地面に座禅でも組みながら考えることにした。

どうせ朝倉さん(大)に訊いても無駄さ。

 

 

 

……重力操作なのか?

それならば身体強化についても頷ける。

拳を握れば力が滾る。それと同じ原理で、このエネルギーを使って拳を"重く"しているのか?

移動速度の上昇はどこかで反重力が作用していたのだろうか?

だが、それなら俺の"臆病者の隠れ家"はどう説明するんだ。

異空間じゃあないか。

 

 

「……さっぱりわからない」

 

「時間はまだあるけど」

 

「未来から来ておいて、随分と余裕そうじゃあないか」

 

本来ならこっちがそういう態度を取る方だと思うんだけど。

教える側の立場だとは思えない、飄々としすぎだ。

それでも彼女は笑顔で断言した。

 

 

「それは"信頼"してるから」

 

「へえ。"信用"じゃあないんだな」

 

「言っておくけど私は明智君のおかげで話術が相当鍛えられたのよ?」

 

「……だろうね」

 

「信用は過去よ、後ろ向きだもの」

 

何ですか、朝倉さん(大)。あなたも古泉と同意見らしい。

知らない所で『機関』と接触なんかしてないよな……?

 

 

「未来を信頼するって?」

 

「そうよ」

 

「過大評価だ」

 

「はぁ……」

 

これはいつも朝倉さんが俺を馬鹿だと言う時にする顔である。

まさに呆れている、いつもの表情で。

 

 

「薄々気付いてはいたけど、この時代のあなたはここまで荒廃的だったのね」

 

「上手い事言うね」

 

「もっとこの時代の私を頼ってあげなさい」

 

「オレがか?」

 

「他に誰が居るのよ」

 

「……どうかな」

 

俺にはわからなかった。

力の根源についてではない。

 

 

「古泉が言うにはオレと朝倉さんは共依存だそうだ」

 

「ふーん」

 

「オレは今の関係で満足している。将来的には結婚もしてるんだろ? その未来が訪れるかは不透明だけど」

 

「……何が言いたいの?」

 

「いや、強がってはいたものの、結局は怖いんだ」

 

一緒に生きて一緒に死ぬなんてエゴでしかない。

確かに、自然にそうなればそれでいいんだ。

でも。

 

 

「オレは怖いのさ。自分一人が死ぬのも、朝倉さんだけに死なれるのも」

 

「で?」

 

「共依存ってのも、結局はそうなんだ。そういうことなんだよ」

 

朝倉さんがどう思っているかは知らない。

ただ、少なくとも俺がその原因であるのは確かなんだ。

最初から破綻してたのさ。

 

 

 

そんな弱音を聞いた朝倉さん(大)は。

 

 

「……思い出したわ」

 

「何かあったのかな」

 

「あなたには一つだけ、宿題が残ってるのよ。修行とは別件だけど」

 

「宿題?」

 

「正確には、その答え合わせ」

 

「……はっ」

 

俺には一瞬でわかった。

何が言いたいか、何をしろと言っているのか。

 

 

「無知は罪よ。でも、一番悪いのはそこから逃げる事」

 

「無知の知ってのは自称じゃあないらしいよ」

 

「確か、明日の帰りだったと思うわ」

 

「わかった。やれって言うんでしょ?」

 

「これ以上の説明は不要みたいね。今日はもう終わりにしましょ」

 

何だかんだで十九時だ。

言うまでもなく闇夜の下。

夜の公園ってのは普通不気味なものだが、俺はそれにも慣れつつあった。

障壁を解除した朝倉さん(大)は俺が公園の地面に一時的だが設置した"入口"に入っていく。

その最中、これまた思い出したかのようにこう言い出した。

 

 

「そうそう、私はあなたの事を嫌いになった事は一度もないわよ」

 

「それって本当?」

 

「ええ。最初の時はきっと殺したくなるほど、愛してたのよ」

 

随分荒廃的な愛の形だな。

切実に朝倉さんにはこうなってほしくない。

やはり、口は災いの元なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、俺がこの日――金曜日――で話したいことは宝探しでも修行風景でもない。

もっと別の何かであり、何かに過ぎなかった。

 

 

それは突然の出来事だった。

駅前公園から家に帰る途中、携帯電話が鳴り響く。

どうやら登録されていない番号らしい。

俺はとりあえず出てみる事に。

 

 

「もしもし」

 

『……』

 

「……」

 

『……』

 

イタズラ電話だろうか?

家電ならさておき、携帯で来るとは珍しいなと思うがあり得なくはない。

 

 

「あの、切りますよ……?」

 

そろそろ切るか、と思ったその時。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――私よ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは透き通るような、女の声だった。

 

 

「……はぁ?」

 

誰だよお前。

私よと言われても知らない。

 

 

 

聞いたことがない声だった。

……いや、これは"あの二人"のどちらかなのだろうか?

もう一つの可能性と、もう一人の超能力者。

だが本当に何となくだが違う気がする。

俺は何故かこの声を聞いてどこか安心していた。

今後の不安からこの時だけは解放されていた。

 

 

「えっと、あー、間違い電話だと思うんですけど」

 

『いいえ。これであってる』

 

「……どちらさんで?」

 

『私の事はどうでもいいのよ』

 

「いやいや、どうしてオレの番号を知っているんですか? 前に会った事あります?」

 

『口説き文句にしては微妙な所ね』

 

ふざけないでくれ。

俺は君が誰かもわかっていないんだ。

 

 

『私に名乗るほどの価値はない』

 

「じゃあその"名乗るほどの価値はない"さん、オレにどういったご用件でしょうか」

 

『これは報告よ』

 

「報告?」

 

『いえ、警告ね』

 

言葉遊びが特異な人種か。

やれやれ、そいつは俺のフィールドワークなんだがな。

顔も知らないその女は少なくとも俺と同じくらいには意味のない会話が得意らしい。

相手の不安を誘う、話術の基本だ。

 

 

 

……だが、警告?

ひょっとするとこの女もジェイの手先なのだろうか。

 

 

「何の事だ……?」

 

『一度しか言わないから落ち着いて耳に入れなさい――』

 

しかしながら朝倉さんが"サンダーボルト"と呼べるほどの爆撃発言が可能なのに対し、その女は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――明後日の日曜日、朝比奈みくるの抹殺が決定したそうよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サンダーボルトに匹敵する攻撃機。

そう、旧ソ連が開発した"フロッグフット"さながらの衝撃を俺に与えた。

 

 

 

 

 

 

 

そして

 

 

 

 

 

こいつは

 

 

 

何て言った?

 

 

 

 

「おい、どういうことだ……説明しろ」

 

『ちゃんと理解できたようね。褒めてあげようかしら』

 

「説明しろと言っているんだ」

 

『説明も何も、そういう情報が入ったから教えてあげたまで』

 

「情報だって……?」

 

『事実よ』

 

「誰が、何のために、朝比奈さんを」

 

『知らないわよ。私には未来人のゴタゴタなんか興味ないもの』

 

真底からどうでもよさそうにその女は口にした。

まるで、他に興味があるみたいな言い方だ。

 

 

「ふざけるな」

 

『信じるかどうかはあなた次第よ、異世界人さん』

 

「お前……!」

 

『常識じゃない』

 

「何を何処まで知っている」

 

『何でもは知らないわ。知ってる事だけね』

 

本当にふざけているとしか思えなかった。

しかしこの時の俺は何故か冷静だった。

朝比奈さんに何かが起ころうとしているのに、激昂すらしていない。

 

 

 

……何故だ? 

それほどまでに、俺はこの女の声に心酔しているのか?

 

『要件はそれだけ。さようなら』

 

「……待て」

 

『何よ』

 

「一つだけ訊きたいことがある」

 

『私が答えられる範囲ならどうぞ。言うだけはタダよ』

 

「君は"重力"についてどう思う……?」

 

『……』

 

やがて暫くした後、楽しそうな声で。

 

 

『やっぱり』

 

「何だ」

 

『少しは進歩があるかと思ってたけど、期待外れじゃない』

 

「わかるように話してくれ。そして君の意見は何なんだ」

 

『重力ね、いいわ。……私の考えは、そう、"無"よ』

 

「無だって……?」

 

これまた物凄い見解だ。

いや、斬新すぎて俺には思いつかないよ。

力の存在を否定しにかかっているじゃあないか。

 

 

『そう。重力は常にそこにある、見えないけど、そこにあるのよ』

 

「当たり前じゃあないか」

 

『でもあなたはそれを感じて生活しているかしら?』

 

「……」

 

『あるはずなのに、人間は重力を気にしない。まるで、無かったかのように生活するの』

 

「地球の引力に慣れているだけじゃあないのか」

 

『知ってる? 自由の反対は支配』

 

「それが」

 

『あなたは自由を知ってるのかしら?』

 

「……"知らない"」

 

『流石。私が見込んだ異世界人なだけあるわね』

 

やはりこの女の底は知れなかった。

 

 

『そう、いくら自由を叫ぼうと、その本質をみんな知らない。何故なら支配された事がないから』

 

「現代人は二元論に囚われている」

 

『でも彼らはその二元論を知ってて誤魔化そうとする。中間点を探そうとする』

 

「妥協点だ」

 

『どうあがいてもその世界からは逃げれないのに』

 

「君こそ、よくもそこまで言うじゃあないか」

 

『つまり見えるのに見ていないの。目を逸らしているのよ、現実からね』

 

「精神の盲目患者だ」

 

俺は何処か楽しかった。

きっとこの女ともっと話したかった。

それが彼女の能力なのだろうか?

携帯電話の音声は本人の声ではない。

機械音がその主に近い音声を選択合成し再構成される。

いくらでも操作や何かが出来るはずだ。

冷静に考えれば女かどうかも怪しい。

 

 

『だから、無重力なんてのも矛盾してるの』

 

「何故だ?」

 

『さあ。そこから先は自分で考えなさい――』

 

「お、おい」

 

そう言ったと同時にその女は通話を中断した。

朝倉さん(大)といい、古泉といい、そしてこの女。

 

 

 

随分と俺の事を知ったかのように言ってくれる。

 

お前達は俺の"何"を知っているんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――翌日、土曜日の朝だ。

 

 

 

昨日の電話については誰にも相談していない。

使われた電話番号はとっくに対応しなくなっていた。

何らかのサービスを利用したのかあるいは自分の方で何か細工をしたのかは不明だ。

どこの誰かもわからない、まさに得体の知れない相手。

 

 

「キョン。あんたは昨日のあたしの話を聞いてたの?」

 

「俺は半ば諦めつつあるんだが」

 

決して彼は遅刻をしているわけではないのだ。

俺を含めた他の皆が彼より速いだけである。これも何かのパラドックスだろうか。

とにかく、土日はSOS団による市内散策らしい。

よって現在は例によって駅前での集合。

 

 

 

 

 

そして、SOS団の現在団員七人。

これに対し2:2:3の組とするべくクジ引きとなったのだが。

 

 

「明智くん、今日はどうしましょうか?」

 

「ど、どうしようね」

 

午前の部、まさかの朝比奈さんとのペアである。

昨日涼宮さんはキョンが呪われているとか言ってたが、呪われているのは俺の方だろ?

よくわからない電話の主から死刑宣告された人と俺はどう接すればいいんだ?

ちなみに残る二人は古泉とキョンで、涼宮さんは宇宙人二人ペア。

何と言う皮肉、何と言う奇妙な運命。

 

 

「どっか適当に歩きましょう」

 

「はい」

 

普段歩かない駅沿いに歩くことにした。

お店というお店はロクにない。

片田舎の駅周辺など得てしてそういうものである。

 

 

「……」

 

「まだ暫くは寒いですね」

 

「……ええ」

 

「あ、そうだ。後でいいんでデパートに寄りませんか? あたし、新しいお茶を探したいんです」

 

「構いませんよ……」

 

本当に『主よ、どこへ行かれるのですか?』と問いたくなってしまうような気分だ。

そしてその理屈で言えば俺が死刑となってしまう。

俺はとうとうアニメ化されてない原作の詳細など忘れて――この一年は本当に濃かった――いた。

しかしながらそれでもまさか朝比奈さんが命を狙われるなんて話が無いぐらいは覚えている。

陰謀はなんやかんやで新キャラ登場回だったのだ。

 

 

 

あの電話が嘘だと思いたい。

 

 

「朝比奈さんはどう思います?」

 

「はい?」

 

彼女相手に重力について話す気はない。

したいのはごく普通の質問だ。

 

 

「いえ。この現状を、ですよ」

 

「現状……ですか?」

 

「はい。古泉が言うには涼宮さんが大人しいのはいい傾向だそうで」

 

俺の"変化"については謎だ。

何を根拠に彼がそう形容したのか。

俺が停滞していると言うのならばわかる。

だが、変化とは? それは、いい傾向なのか?

 

 

「そうですねぇ。あたしもそう思います」

 

「未来からして涼宮さんから特異性が失われるのはどうなんですか?」

 

「確かにそれを快く思わない人は居ると思います。でも、あたしはそう思いません」

 

「つまり……?」

 

「あたしは現状が変わってほしくないなあ」

 

ちょっぴり切ない笑顔で彼女はそう言った。

わかってる。俺は朝比奈さんを"弱い"だなんて思ったことは一度もない。

自分の無力さを知り、それでも尚、何かと戦っている。

彼女の決着はそこにあるのだ。

 

 

「長門さんはちょっぴり苦手だけど、朝倉さんは何だか宇宙人って感じがしません」

 

「オレからすればみんな同じですよ。宇宙人だろうと立派な人間です」

 

「明智くんはどうなんですか?」

 

「現状ですか」

 

「はい」

 

昨日のあの電話は、多分俺のためにかかってきたんだろう。

もしそれが何かの罠だったとしてもこの世に、……いや、この世界に神が居たらそう決めたんだろう。

確かにこのままの流れで行けば、多分、俺の知らない所で話は進んでいく。

そういうふうに、できているんだ。この世界は。

 

 

「同感ですよ」

 

ただ。

 

 

「本当の平和ってのは、共有するものです」

 

「共有?」

 

「はい。オレたちだけでなく、涼宮さんも……いえ、世界中がそうなれば、どれだけ素晴らしいでしょう」

 

相変わらず、綺麗事だ。

他人に言わせればただの戯言かも知れない。

 

 

「でもそれが、"世界を大いに盛り上げる"って事なんじゃあないですか?」

 

その"世界"は閉鎖空間ではない、この世界なんだ。

唯一無二の"鍵"であるキョンが住むこの世界。

涼宮さんのいい傾向ってのは結局、妥協ではなく肯定なんだ。

 

 

「オレたちだけじゃあ駄目なんですよ、多い方が楽しいんです」

 

「そうですね……でも、そうじゃない人も居るんじゃないですか?」

 

朝比奈さんのその発言にはかげりがあった。

きっとそれは朝比奈さんが戦っている誰か、何かに対しての発言だったのかも知れない。

だが俺は、本気だ。

 

 

「そんな人たちと、わかりあえない。『出来るわけがない』と、言いたいんですか?」

 

「悲しいけど、それも現実です……」

 

「なら、話し合いましょう」

 

「えっ?」

 

俺にはどういう訳か知らないが、よくわからない力がある。

でも、それを使ってこなかったのは、どういう訳なんだろう。

人を傷つけたくないんじゃあない、俺は誰も殺したくないし、失いたくない。

"何故か"は知らないが、とても俺はそれが怖くて仕方なかった。

俺の眼の前で誰かが死ぬのが許せない。

 

 

 

何でだろうな?

 

 

「人は、生き続ける事が全てです。生きていれば必ず歩み寄れます。"一歩"が駄目なら、お互い"半歩"でいいんです」

 

「本当に、そうなってくれるといいなあ……」

 

「もしオレたちが、世界に対して何かを迫られた日が来たら、みんなでこう言えば良いんです――」

 

朝倉さん(大)、古泉、そして電話の女。

俺の覚悟が例え後ろ向きだろうがな、倒れる時は前のめりなんだよ。

今の俺にはこれで充分だ。

 

 

 

 

 

 

 

俺は決して"立ち向かう者"なんかには成れない。

 

降りかかる火の粉を払う、"跳ね返す者"だ。

 

だがな、その火の粉を降らせる、原人以下の奴にわからせる事ができる。

 

 

 

本当の文明人、火の扱い方って奴を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――オレたちは"NO"だって」

 

 

 

 

 

その答えは、"YES"ではない。

 

 

 



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第五十一話

 

 

 

 

 

土曜日の市内散策はあっと言う間に終わってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえばこれは、珍しく俺と涼宮さんのペアで行動した午後の話だ。

五月から今まで、触れてはこなかったが定期的に休日の散策はあった。

だが、彼女と二人きりだなんてのは今回が初だった。

 

 

 

そんな中、涼宮さんに先導され市内をうろちょろしてる時の会話だ。

わざわざ休日だというのに、学校付近まで移動している。

 

 

「明智くんはさー、なんか話を考えたりしてるんでしょ?」

 

「大したもんじゃあないけどね。話というよりは、先ずはその原型からだよ」

 

「ふぅん。いわゆる設定って言うのね」

 

「用語で言えばプロットって感じかな」

 

「ねえ。何か面白い話はないの?」

 

ここで下手な事を言うと後々恨まれる。

誰かって? そりゃあキョンもだけど、多分未来の俺も恨む。

 

 

「最近考えたのは、色の話かな」

 

「色?」

 

「うん。色ってのが光の影響によるものだ、ってのは知ってるよね?」

 

「キョンはともかくそれくらいはあたしも知ってるわよ」

 

「でも動物の世界で言えば、大半の動物の視界に色は無いらしい」

 

「サルとかぐらいだもんね」

 

「そんな色なんだけど、オレは最初不思議に思ったんだ。本当にあるのかって」

 

これは小学校の時の話になる。

 

 

「教科書に落書きをした。理科だったかな? でも出来に納得しなくて、消したんだ。無意味だよね」

 

「小学生ならそんなもんじゃない」

 

「ははっ。でさ、ちょうどカラープリントされた写真の部分、何かの花だったと思うけど、その部分に消しゴムが触れた」

 

「理科の教科書なんて基本的には図鑑よ」

 

「するとどうだろう、その写真が薄れたんだ。緑の色が落ちたんだ」

 

「まあ、そうなるわね」

 

「オレはこの時思ったんだ、色なんか消えるものだって。一過性でしかなく、理屈でもない。最後は必ず白になるんだなって」

 

落ちた色なら染めればいい。

だが、色と言う概念すら、その時の俺からは確かに消えていた。

その頃からだろうか? 俺にとっての世界は、白か黒になってしまった。

文字の中でしか、話の中でしか、創作の中でしか、楽しみを見いだせなくなっていた。

漫画だって結局は白と黒だ。俺にとってはそこだけを見れば、逆に色鮮やかにも見えた。

 

 

「誰しも思い悩むことはあるじゃない」

 

「ま、そんなくだらないセンチな思いをネタに話を考えたんだ」

 

「甘酸っぱい青春の話?」

 

「実はバトルものでね。主人公はそこから色を"奪う"。それで戦うんだ」

 

「へぇ~。……男子って、そういうの好きよね」

 

「涼宮さんはどういうジャンルが好きなの?」

 

「面白ければいいんだけどね。あたしにとって満足できるものはなかったわよ」

 

だからこそ、彼女は創ったんだろう。

自分にとっての面白さ。いや、足りない"何か"を補うためのパーツ。

それがSOS団なんだ。だからSOS団のメンバも欠けている。

何故ならば、パーツにボディは必要ないからだ。

 

 

「涼宮さんは、自分が世界にとってどれだけちっぽけな人間か考えたことあるかな?」

 

「……え?」

 

「オレはあるよ。どんなに面白い話を考えた所で、話は話。別に評価されたい訳じゃあない。ただ、オレの意味はそこに見いだせないんだ」

 

「……」

 

「世界は、完璧じゃないのかな」

 

彼女にこの質問をしたのは何でなんだろうか。

ただ、一度でいいから俺は涼宮さんとこれについて話したかった。

俺にとって、何かのヒントになるような気がした。

地雷を踏んだにせよ、その価値は充分ある。

チャレンジ精神も時には必要だろ?

 

 

「あたしもあったわ。でも――」

 

「でも?」

 

意外だった。

今もそう思っていると思っていたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――今は違うわ。あたしはあたし。どうせみんなちっぽけなんだから、それでいいじゃない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

涼宮さんのそれは俺に向けられた笑顔ではない。

きっと、SOS団のみんなだ。

 

 

「いくらあたしがゴネても世界はケチだわ。何一つ謝礼を寄越さない。宇宙人も未来人も超能力者も、そして異世界人もね」

 

「人身売買はまずいよ」

 

「きっと、あたしは友達が欲しかったのよ。そんな不思議連中なら尚良かったわね」

 

「……オレは友達かな?」

 

「何よ。とっくの昔からそうじゃない!」

 

「ありがとう」

 

まさか、こんな事を君に言ってもらえるなんて。

テレビや本で見た涼宮ハルヒは、ただの不器用な女の子だった。

でもそれは実際のところ、不器用さだけがクローズアップされていた。

いつも騒がしい"ツンデレ"だなんて的外れもいいとこなんだよ。

みんながみんな、キョンみたいな人間になれるとは限らない。

真の素直さってのは、妥協でも肯定でもない。きっと、慈愛の精神なんだ。

 

 

「さ、次はあっちに行くわよ! 冬の河原に何か出るかも知れないわ」

 

だからきっと、この時既に、俺の心底に答えは出来たんだ。

 

 

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽しい時間が流れるのは早い。

それとほぼ同時に楽しくない時を迎えるための時間が流れるのも早い。

人間の精神は不都合ばかりの出来栄え、都合がいいのは概念論だけだ。

古泉の言うところの"共依存"がこれから先どうなるかはわからない。

 

 

 

だが、俺にだってわかることはある。

……何をすればいいか、だ。

答え合わせだ。そうなんだろ?

 

 

「――オレはずっと、君に訊かなかった言葉がある」

 

「何かしら」

 

「オレの生きる意味は朝倉さんだ。じゃあ、朝倉さんの生きる意味は何なんだ?」

 

「………」

 

「どっかの超能力者さんが言うには、オレたちはよろしくない状態らしい」

 

「……」

 

「共依存だってさ。学術的専門用語として定義はされていない」

 

そう、ケースバイケースだからだ。

俺は朝倉さんを必要としていると同時に必要とされたがっている。

しかし彼女は。

 

 

「それの何がいけないのかしら?」

 

「結局最後には破滅するってさ。胡散臭い占い師みたいだ」

 

「ええ。本当にそうね」

 

「オレは結局"臆病者"を免罪符にしていたんだ。そうあれば、何も手に入らないし何も失わずに済む」

 

「……馬鹿ね」

 

「いいや、大馬鹿さ」

 

こんな事を続けているから未来の朝倉さんはあんな感じになってしまったんだろう。

俺に紡げる言葉は所詮この程度の言葉でしかない。

 

 

「私の生きる意味は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だがな、古泉。

 

お前は人を見る目が確かにある。

 

それでも、朝倉涼子を理解できる人間は、まだ、この世に居なかったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

「――そう、"探究心"ね」

 

「探究心……?」

 

「"探求心"じゃないわよ」

 

「わかってるさ。究める方だろ?」

 

「ええ」

 

「ならオレは、用済みじゃあないかな」

 

オレは一度行った場所にしか行けない。

新天地という言葉から程遠い能力、それが。

 

 

「……どうして?」

 

「オレが朝倉さんに言えるような事は殆どないさ。出尽くした、本当、ネタ切れ」

 

「……」

 

「探究心どころか探求にすら値しない」

 

「……」

 

「だからもういいんだ。君も自由に――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――パシッ

 

 

 

 

 

 

やけに乾いた音だった。

おいおい、何をされたかは見えちゃいないが。

 

 

「大馬鹿」

 

べたべたじゃあないか。

こんな展開ってのは王道中の王道であって、俺とは無縁のはずだ。

そうだろ? かわいい女の子にビンタされる、だなんて。

 

 

「素直になりなさい」

 

「……」

 

「もう、いいのよ」

 

「……何が」

 

「あなたが私のために生きてくれるのは嬉しい。私もそうだから。でも、それだけじゃ駄目なの」

 

どうやら今回ばかりはマジに大馬鹿らしい。

顔を見なくてもそれがわかるさ。あの時の、顔だ。

 

 

「私にはわかるわ」

 

「オレの方が長く生きてるはずなんだけどな……」

 

「自由になるのは、あなたの方よ」

 

「そうかな」

 

「だから自分を"臆病者"だなんて言わないで」

 

「どうして」

 

「だって、少なくとも私のために生きてくれるんでしょ? 無償ってのは無傷じゃ無理なの。人のために何かが出来るあなたには"勇気"があるわ」

 

「嘘だよ」

 

「なら、それを本当にしてくれる? 私のために」

 

結局の所は共依存のままなのかもしれない。

ようは後ろ向きじゃあなけりゃ、それでいいんだろ?

"ゼロ"のその先。

俺が本当に自由なら、行先は決まっている。

 

 

「どこまでも遠くへ行けるさ」

 

「私もついて行くわよ」

 

「お願いするさ」

 

「誰に?」

 

「もちろん、未来さ」

 

明日の事はわからない。

本当に俺が朝倉さんと結婚なんてするかもわからない。

だが、明日を考えるかどうかは別なんだ。

 

 

 

俺は夜明けのために、黎明のために、暁のために戦える。

それでいいんだ。

これが俺自身の、自由な生きる意味だから。

そしてそこにはきっと朝倉さんだけじゃあない、みんなが居る。

 

 

 

完璧な世界だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「答え合わせは終わったようね」

 

満足そうな顔で朝倉さん(大)はそう言ってくれた。

俺にしちゃあ珍しく八十点近くはあげたい気分だった。

 

 

「何が変わったかはわからないけど」

 

「ううん。変わったわよ」

 

「そうかな」

 

「ええ」

 

「でも俺は、結局この壁の先へ行けなかった」

 

「あと一日あるわよ?」

 

確かにそうだろう。

でも、それじゃあ駄目なんだ。

俺の表情で察したらしい彼女は。

 

 

「いいえ、合格よ」

 

「……どこが」

 

「あなたはようやく卒業できたのよ、"臆病者"から」

 

「本気か?」

 

「その眼を見てあなたの事をチキンだなんていう奴が居たらバラバラにしていいわよ」

 

腹は立つかもしれないが、そんな事をするわけがない。

俺の正義は自分のための正義だ。

だから俺の敵が居るとしたらそれは、やっぱり俺なんだ。

 

 

「それでも俺は、この先に到達しないと周防に勝てない」

 

朝比奈みくるの抹殺。

本当にそんな事が実行されるとすれば、きっと本気でかかってくる。

強行であり、急行な変革。そこに周防が現れても何ら不思議ではない。

そして周防が俺の味方をしてくれるとは思えなかった。

 

 

「……ああ、九曜ね」

 

「金縛りって奴は付き物なんだろ?」

 

「そうよ」

 

「……」

 

「それでもあなたは、九曜と戦うのね?」

 

「……ああ」

 

朝比奈さんが何をしたんだ?

俺の知らない所でもしかしたら何かしたのかもしれない。

だが、そんな事は知った事ではない。

彼女を助けるかどうかは、俺が決める。

独善とは暴力ではない。もっとおぞましいものだ。

 

 

「なら大丈夫よ」

 

「その根拠は?」

 

まさか今回も手加減してくれるとは思わない。

次合う時は殺し合い、だなんてご丁寧な言葉も戴いているのだから。

 

 

「私の今回の目的は、あなたの精神修行。この壁はオマケよ。手段であって目的ではないの」

 

「……とんだ青狸じゃあないか」

 

「LESSON5よ」

 

「ああ、今、わかったよ」

 

そう、最初に彼女は言っていた。

自分が鍛えるよりも『戦場の空気が一番なの』と。

ここで学んだのは単なる過程、だが、過程こそが結果を覆せる。

結果は過程に勝てない。必ず過程が克つ。

 

 

「……午前十一時ごろよ」

 

「えっ……?」

 

「十一時ごろ、森林公園の先の山道に行くといいわ」

 

そう言って朝倉さん(大)は夜の駅前公園を後にする。

かっこつけなくても、俺に言えばそのまま部屋へ戻すのに。

 

 

「ありがとう」

 

誰に対してかと言えば、きっと俺以外になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……なるほど。

 

 

確かに俺が遅刻したのは夏の合宿が最初で最後だ。

何故ならば俺は今日、この日曜日、SOS団市内散策を休んだからだ。

 

 

「仮病はどうも気乗りしないんだけどね……」

 

そんな事を愚痴りながら徒歩で森林公園へと向かう。

いや、まだその先の山に行かねばならないのだ。

おいおい、また山か? 俺は山で死ぬんじゃないだろうな?

そして現在は十時ちょっと。

まあ間に合うが、はたしてどうなるのか。

 

 

 

そもそも何が起きるのかも俺は知らない。

原作を覚えていたとしてもこんな展開になった以上は予想できない。

ジェイの組織とは関係なく、他でもない未来人が朝比奈さんに手を下すのか?

それならばあの女の『未来人のゴタゴタ』と言ったのにも説明がつく。

武器の携帯は許可されていなくとも戦闘力のない女子一人殺すのはわけない。

人間はかくも簡単に死に至るのだから。

 

 

「ふざけてやがる」

 

今回俺は誰も頼っていない。

朝倉さん(大)は当然、朝倉さんも。

これも何故かは知らないが、俺一人じゃなければ、気づけない気がした。

 

 

「オレの力の、ルーツとやらか……」

 

俺自身の答えは出たんだ。

いや、出ていた答えに配点ミスで加点されただけ。

残る二枠の"役割"と"力"は今だ空欄だ。

 

 

 

そんな事を考えていると、携帯電話が鳴った。

また登録されていない番号だった。

 

 

「もしもし」

 

『私よ』

 

一昨日の女(仮定)だ。

番号まで変更して、難儀なこった。

やれやれだよ。

 

 

「それで、今回はどんな情報をくれるんだ?」

 

『警告よ』

 

「何だって?」

 

『あなたに朝比奈みくるの抹殺指令について教えたのは、単なる報告でしかなかった』

 

「どういう趣旨なんだよ」

 

『事後報告でもよかった、と言ってるの』

 

随分と偉そうな発言だ。

キョンが俺に対して抱いている感情もこんな感じなのだろうか。

 

「でも、そうじゃあなかったろ」

 

『……』

 

「何だよ」

 

『……とにかく、これは警告よ。あなたは関わらない方がいい』

 

「関わるな、だって?」

 

『強制はしていない。でも、その"覚悟"があなたにはあるのかしら?』

 

そりゃ、十年早ぇよ。

 

 

 

 

 

 

「――ああ」

 

『まるで主人公みたいね』

 

「だと良かったんだけどさ。どうやら違うらしい」

 

『好きになさい。それで死んでも私を恨まない事ね』

 

「死んだら何が残るってんだ? 幽霊を信じてるのかよ」

 

俺のその問いに対し、まるでその女は見てきたかのように答えた。

この時俺は、顔も何もわからない、ただの音声に対して、初めて恐怖した。

 

 

 

 

 

 

『――"無"よ』

 

「……」

 

『だから、生きてる内には私を恨まないでほしいわね』

 

「善処するさ」

 

 

 

 

 

いつも通りに、アドリブだ。

お前がそれを見られるかは不明だけど。

 

 

『健闘を祈ろうかしら』

 

そう言って通話は終了された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺には役割と力の他にまだわからない事がある。

 

 

 

原作のその先。

古泉がかつて言ったように、この世界が創られたセーブデータのようなものなら。

 

 

「ラスボスを倒したら、その後はどうなるんだ?」

 

そしてそのラスボスとは誰なんだ?

ジェイか? それとも謎の"カイザー・ソゼ"か? まさか、涼宮ハルヒなのか?

いずれにしても、決着をつける必要がある。俺だけの決着を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、どうせ、それって今日じゃあないんだろ?」

 

 

 

 

……本当に、今日なら良かったよ。

 

 

 

 

 



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第五十二話

 

 

森林公園を抜け、いよいよ峠までやってきた。

 

若干駆け足ではあったが息切れはしていない。

問題なく、動ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、ここまで来ておいて俺はようやく気付いた。

 

 

「……どこ行きゃいいんだよ」

 

山道と言う以上はこのまま進行すれば舗装道路を外れ、本格的な山道に突入する。

しかしながら一つだけおかしい事がある。

 

 

「何で実行犯は"ここ"で朝比奈さんを殺そうとするんだ……?」

 

どうせ殺すのならさっさと完了した方が良い。そうに決まっている。

俺が朝倉さん(大)に言われたのは山道を行けという話だけだ。

つまり彼女がそう言った以上はそれで間違っている事はないはずなのだが。

それにしてもこれじゃあ、まるで朝比奈さんをわざわざここまで移動させるみたいだ。

原作での騒動はそんな感じだった――カーチェイスだっけ――かも知れないが、今回は"抹殺"だぜ?

本当に腑に落ちないな、と思っていた所で俺はそろそろ異常の方に気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おい、気のせいであってくれよ………?」

 

 

 

 

 

 

 

妙ではあった。

舗装道路を外れるにはもう十分な距離歩いているはずだ。

ふとガードレールとは反対の斜面の方を見ると、そこには当然植物がある。

その中で自生していた木――木と呼ぶには余りにも細く、一本だけ突っ立っている――があるのだが。

 

 

「これを俺は、さっきも見た……」

 

慌てて元の道を引き返してみる。

そして数分後、再びその細木が見えてきたではないか。

間違いない。『同じ道を歩かされている』。

 

 

 

そして、こんな芸当をしてくる奴に俺は間違いなく一人だけ心当たりがある。

まったくもって笑えない芸風だ。出直してきてほしいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――確か、"あいつ"があなたに警告したはずよ……『邪魔するな』と」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やけにハッキリと聞こえたその声。聞いたことある女の声。

ああ、間違いない、出来れば会いたくなかったが、これも因果か?

いつもの黒い制服の上には何も羽織ってはいない。

 

 

「一か月ぶり、じゃあないか」

 

「正確な日数が知りたいの……?」

 

「遠慮するよ」

 

「……それにしても、亀がノコノコとは……まさにこのことよ」

 

「随分オレ相手だと舌が回るな?」

 

「あなたほどは……おしゃべりじゃないわよ…」

 

こんな楽しそうな会話だってのに、お互い全く楽しそうじゃあないってのはどうなんだろうな?

ちょうど峠の曲線。その端と端で俺と、宇宙人周防九曜は対峙している。

そういやこれはどうでもいい情報だが、攻撃機の一種に"イントルーダー"ってのがあったな……。

とりあえず和解の方向に持っていきたいのだが。

 

 

「オレは今回君に要件はないんだけど?」

 

「――そう、わたしはある」

 

「"飴ちゃん"ならあげるからここから出してくれないかな」

 

「―――」

 

「少しは考えるポーズってのを見せてくれないか?」

 

「これも任務」

 

「まあ少し落ち着いてくれないか、周防だってこれから先のイベントは知っているだろ?」

 

「――?」

 

俺が何の話をしたいかは理解できていないようだった。

まるで"シャフ度"の如く首を傾ける。おい、制作会社が変わってやがるぞ。

そして俺が言う事なんかいつも通りの事、中身は無いし意味も無い。

俺が"スパイダーマン"ならよかったが"デッドプール"かってぐらいに俺は"ワイズクラッキング"が下手だ。

 

 

「バレンタイン、だ……」

 

「……もしかして、命乞い…?」

 

ようやく周防に表情があったと思えばそれはそれはこちらの精神が抉れるような視線だった。

馬鹿だって感じですらない、最早こいつにとって俺は正真正銘ヒト以下の扱いらしい。

ひっくり返った亀でも見てるかのような、情けない哀れみ。

 

 

「違う。君だって、谷口が居るじゃあないか」

 

「―――」

 

「まだ付き合っていたとはね」

 

「……それは、関係ない」

 

「そうか? オレと君は、分かり合える気がするんだが」

 

根拠はどこにもない。

 

 

「…ただの勝手……『遠慮する』……」

 

「そいつは残念だ。でも谷口にチョコぐらいやれよ」

 

「その必要はないわ」

 

「君たちは本当に付き合ってるのかよ」

 

「だから、それは、関係ない」

 

「前にも言ったと思うが、良い奴なんだ」

 

そう、本当にこれは不思議な事だ。

確かにSOS団といった括りにおいて、キョンだけが普通の、人間だ。

でもその思考はやはり偏っている。どうにか自分の普遍性を振りかざしているが、実際には普通かは怪しい。

この年であそこまで枯れた思考回路になるってのは、なかなか老け込んでいると言うか、何と言うか。

とにかくSOS団を度外視して、俺が知っている範囲で"普通の男子高校生"を挙げさせてもらうなら――

 

 

「――間違いなく、谷口だよ」

 

あいつぐらい開放的になれ、って意味じゃあない。

谷口はいつでもハイなわけではない。ああ見えて分別がつく。

体育祭では妥協じみた発言だってしてたが、あそこまでボロ雑巾にされれば誰しもやる気がなくなる。

つまり、あっちの方が正論だったんだ。俺のはただの、独善に基づいた意見。命令でしかなかった。

 

 

「――」

 

「君はどう思う? わざわざあいつまで巻き込んで、人質に取るってんなら……」

 

周防は確かにその時、消え入るような声で、何かを言った。

その口の動きはきっとこうだ。

 

 

『わかってるわ』

 

……やっぱ、誰しも人間性が欠けているんだ。

俺は亡者になんかなりたくないんだが。とにかく、素直になってやれ。

お前が知りたがっている人間ってのは、間違いなく谷口が模範解答だ。断言してやるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、もう充分でしょう……?」

 

「オレは時間をかけてやってもいいが、そうも言ってられないらしい」

 

「―――」

 

「朝比奈さんを殺すのは、誰が、どんな指示を受けてだ?」

 

すると人型イントルーダーは不気味なまでの笑顔で。

 

 

 

 

 

 

「――やっぱり亀ね。あれは、誤報よ」

 

 

 

 

 

 

やっぱり"罠"だったようだ。バッドニュースもいいとこだ。

まあ、そのケースについての覚悟はしてたさ。

あの電話の主も、こいつらと繋がっている。

 

 

「……でも、明智黎を排除してからそうするのも………悪くない…」

 

「そりゃあ本気で言ってるのか?」

 

「―――」

 

「あの雪山の戦いで気分を悪くしたら謝るけど、オレはフェミニストなんだ」

 

「――」

 

「だから気乗りしないんだけど」

 

「――なら、そうすればいいわ。……わたしは別…」

 

周防がそう言った瞬間。

俺の身体は文字通り"硬直"した。

わかってたがどうやら本気らしい。

ゆっくりとした足取りで、車道の真ん中に立つ俺に向かって周防は歩いてくる。

まるで、この時間を楽しんでいるかのように。

 

 

「……とうとう"亀"以下。…明智黎は"ナマケモノ"……」

 

「………」

 

「終わらせてあげるわ」

 

「……」

 

文句の一つも言ってやりたかったが、どうやら口さえ動かせないらしい。

周防は右手を手刀にする。ああ、きっとあれで物が切れるんだろう。

朝倉さんのチョップもそうだった。木々が抉れていたからね。

ナイフ要らないような気がするよ。

 

 

 

 

 

 

「――さようなら」

 

 

 

 

 

 

 

こう、何かまだあるだろ……?

俺が主人公じゃあないにせよ、何でもいい。

この時だけでも運が無けりゃあ俺にいつ幸運があるってんだ。

じゃあいつ動くのかって言う話だ。でも、動けそうにないじゃないか――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――おや、貴方は逃げるのですか? せっかくの覚悟ができたのに」

 

……誰だよ。

 

「私の事は気にしないで下さい。名乗る必要がありませんので」

 

それは最近の流行色なのか?

気にするなって、じゃあ何で俺に話しかけるんだ。

マジで死ぬ三秒前だ。あんたは走馬灯ですらないだろ。

 

「フ。それはまだ、貴方が諦めていないからでしょう」

 

いいや無理だね。オーラでの防御だって限界がある。

周防の手刀を受け続けて平気でいられるほど堅くないんだ。

 

「人間は、誰しも何処かで絶望をします。そしてその末に逃避があるのです」

 

……ああ。

 

「私だってそうでした。かつて、今の貴方のように逃げようと……いいえ、逃げました」

 

偉そうに俺に語りかけるあんたがか?

 

「はい。……情けない話、ですが」

 

じゃあいいだろうさ。

生きてるか死んでいるかの違いだけだ。

俺は自分の正義のために動こうとしたんだ。

その結果、罠にまんまとかかってこのザマ。

修行の成果ってのは無かったんだ。

 

「……しかし、貴方はまだ折れていません」

 

何がだ。

 

「精神です。まだ、貴方は諦めていないと言ったはずですよ。貴方を待つ人が居るのでしょう?」

 

本当にそうかな。

 

「……少し、私の昔話をしてもいいですか?」

 

勝手にしてくれ。

俺は目の前の死をただ待つだけなんだ。

 

「私はかつて、人を従え、教える立場でした」

 

そうか。

 

 

 

「ですが私はその立場を放棄した。つまり、私が逃げたのですよ。生徒を、弟子を置いて」

 

……弟子?

 

「私のではありませんが、まあ、そう言っても構わないでしょう」

 

そうかい。

お互い様じゃあないか。

 

「ですが、その中の一人に勇敢な少年が居たのです。とても幼い子供とは思えませんでした」

 

ガキならそうだろ。

勇気と蛮勇の差が、ロクにわかっちゃいないのさ。

 

「いいえ。彼は違いましたよ。才能だけではありません。最終的には自分の命をかけてでも、私の分まで戦ってくれました」

 

なら、あんたのせいじゃないか。

何と戦ってたのかは知らないけど、いい迷惑だ。

 

「ええ、彼は"英雄"と言える働きをしてくれました。だからこそ、私は彼を助けるために全力を尽くしました。それだけが、唯一の誇りですよ」

 

……英雄だって? 

おい、そいつは誰だ。

 

 

 

 

 

 

「もう既に修行の成果は出ています。貴方は……そう、得体の知れない攻撃を受けて一種の精神恐慌に陥ってるだけですよ。ただのパニックだ」

 

 

 

 

おい、もしかして。

 

 

 

 

「私が来れるのは今回だけですよ。神が、涼宮ハルヒが許した、ほんのちょっぴりだけの偶然みたいで」

 

 

 

 

なあ、あんた、まさか――

 

 

 

「私と似た能力ですが、その本質は"四次元"ではありません。まさに、"異次元"なのですよ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そう、次の瞬間に俺は"動いて"、左に回避した。

 

 

「――な」

 

その隙を逃さず、俺は右手にオーラを集中……。

 

 

 

「……あ、れ?」

 

で、出ない。

 

 

 

オーラが右手に顕在出来ない。

どういうことなんだ!?

そんな隙を見逃すはずもなく、周防は。

 

 

「……何だか知らないけど、同じことよ」

 

思い切り強烈な手刀による"突き"を腹に受ける。

 

 

「が、ぐ」

 

「死になさい」

 

そのままついでに蹴りまでお見舞いされ、数メートル以上後方に吹き飛ばされる。

どういう訳か腹は少々抉れた程度で貫通はしなかったが激しい裂傷を伴っている。

決定的なダメージだ。

 

 

「―――」

 

「ち、くしょ」

 

どうにかガードレールに掴まり転落は免れたが、これはきつい。

俺は金縛り状態をレジストできるようになったらしい。

そう、この状態はレジストであり、ディスペルではない。

どういう理屈か、オーラの行使、顕在が出来ない状態だ。

オーラを操れれば出血さえ一時的に止めれるのに。

この状況で万全に立ち回れるほど俺はタフガイじゃあない。

 

 

「――死、よ」

 

周防が歩いてくる。

どうにか車道まで戻れたが、身体強化が出来ない今の俺には相手すらできない。

いや、本当、あなたに"来てもらって"あれだけど、直ぐに死ぬことになりそう――

 

 

 

 

 

 

『……♪』

 

 

 

 

 

 

 

――口笛が、どこからともなく聴こえた。

 

 

 

いや、俺はこのメロディを知っている。

リアルタイムで見たことは無いが、聴いたことぐらいはある。

悪を倒す嵐が吹き荒ぶ、絶対的なヒーローの歌。

 

 

 

 

 

 

『……出たな! ショッカー!』

 

「―――」

 

「…え?」

 

 

 

 

 

それは、猛々しい、漢の声だった。

 

女の声ではない。

 

誰だ?

 

 

 

 

 

『少年を狙い、暴虐の限りを尽くさんとする、宇宙怪人周防!』

 

「――何……?」

 

『ショッカーの改造人間よ、俺は貴様ら悪が居る限り何度でも現れる。世界の平和のために』

 

 

 

 

……マジかよ。

 

えらい奴が、俺の目の前に立っていた。

 

どうしてだろうな、負ける気がしなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『俺は本郷猛。正義の味方、"仮面ライダー"一号だ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

――いや、あなた、朝倉さん(大)ですよね……?

 

 

 

 

 

 



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第五十三話

 

 

というか大体からして"仮面ライダー"ではなかった。

 

そう言われたら、そうかな? 程度のものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体格こそ女性のそれではないが、スーツを着込んだ黒づくめの変態。

そこに申し訳程度のプロテクターを着込んでいるに過ぎない。

公園で着ていたあれはハリボテだったのだろうか。

しかしスーツとて決して動きやすい恰好ではないだろうよ。

黒ではない部分なのはヘルメット部分と赤いマフラーだけである。

ベルトは当然ない。

 

 

 

その自称ライダーさんは俺の方へ近づくと、手をかざした。

……何だ? 少し楽になったぞ。

 

 

『完全に治すのは自分の治癒力だ。それに、失った血は戻らない』

 

「……どうも、あさ……コスプレさん」

 

どうやら傷は塞がったらしい。

いや、何でその恰好で来たんだあんた。

周防はこちらの様子を見て、明らかに警戒していた。

間違いなく俺ではなくこの朝倉さん(大)の方だろう。

 

 

「――鉄―――否、機械――?」

 

『設定上は改造人間だからな』

 

それも情報操作の応用か?

わざわざ顔を隠す以上は確かに正体が看破されては困るだろうが。

ロボット認定されたらしい。でもさ。

 

 

「……その声は…?」

 

『仮面の機能の一つ。眼も光る。欲しいか?』

 

「いらないよ」

 

とにかく、この場をどうにかするしかない。

果たして朝倉さん(大)がやって来たのはこのためだったのか?

あの電話に誘われ、俺が周防の襲撃を受けるのは既定事項だったのだろうか?

それじゃあまるで。

 

 

「"ニワトリのパラドックス"じゃあないか」

 

別に複雑な話ではない。

俗に言う『卵が先か、鶏が先か』って話だ。

思えば原作の消失もそんな感じの事を古泉が論じていた。

平行世界だの、オイラー曲線だの。

そんな俺の様子も気にせず朝倉さん(大)は。

 

 

『私では周防のフィールドは突破できない。"君がやる"んだ』

 

「修行はこのためだったのか?」

 

『さあ』

 

「わかったよ」

 

いいさ、囮になれって言いたいんだろ?

防御力自体は普段より多少あるみたいだが、力の行使は不能。

この状態でも周防のバリアーは破壊できるのだろうか。

彼女の口ぶりからすれば出来るらしいが、まあ、やるしかない。

 

 

「――高度の危険性を確認」

 

『来るぞ』

 

「今日はオレとあんたでダブルライダーだな」

 

『その台詞はこっちが言いたかった……』

 

「……侵入者の排除を申請」

 

そう言うと周防は両手を手刀にし、知覚さえ出来ない速度で朝倉さん(大)へ一直線へと向かう。

俺なんてまるで、取るに足らないみたいじゃあないか。

 

 

『ふっ』

 

「―――」

 

彼女は周防の光速の拳戟をどうにか捌いている。

だがこちらの反撃は全て部分展開されているらしい障壁に阻まれている。

元々が周防のフィールド。不利もいいとこ、だのに俺任せにするなんて。

 

 

「そりゃないよ」

 

「――邪魔」

 

こちらも見ずに周防は右方向から迫る俺へと手をかざすと、いつかのカマイタチを放った。

衝撃刃なんかより殺傷力がよっぽど高い、俺の一張羅は次第にボロボロにされていく。

あっちばかり、壁があるなんてズルい。

 

 

「これじゃ、接近も出来ない」

 

しかもじわじわ削られていく一方だ。

手足が痛い。薄皮程度で済んでいるが、これ以上近づくと八つ裂きにされかねない。

朝倉さん(大)俺なんか気にせずにやっちゃっていいですよ。

 

 

「そっちに任せたいんだけど!」

 

『駄目だ』

 

「―――」

 

「何でだ」

 

『君は既に、使い方を知っている』

 

何のだ?

と聞くまでも無かった、

その方程式だけが、俺の中に浮かんでいる。

左手を前にかざし。

 

 

「……オレの1メートル前方に局地的反重力フィールド展開を許可」

 

次の瞬間には、俺に真空波が当たらなくなっていた。

いや、何だよこれ。自分でもどうしてそうなったのかがわからないんだが。

そんな俺を置いていき、宇宙人とコスプレ宇宙人は殴り合いを続けている。

 

 

「――まさか」

 

『そういうこと』

 

「……何……"予備"の分際で…!」

 

『最早お前に勝ち目はない』

 

「――なら」

 

周防はそう言い残し、その場から消えた……。

いや。

 

 

『明智君!』

 

「――相打つまで―――」

 

これが、恐ろしく早い手刀って奴か?

さっきのように力場を展開する余裕はなかった。

なら、どうすりゃいい?

 

 

「……う…うが…」

 

「――致命傷よ」

 

「い……や、まただ…」

 

周防の手刀は俺の身体を貫こうとした。

事実、直撃したよ。意識が少し消えかけた。

確かにこのままだとやがて死ぬだろうな。

だが、お前の攻撃は完全に心臓に達していない。

俺の胸に突き刺さっている、だから。

 

 

「ま、た……入った………な……」

 

雪山と同じ"射程距離内"、だ。

お前のその細い手は放してやらん。

完全にロックしたぜ。

そして。

 

 

「斥力場情報、解除……完了……」

 

「――な」

 

インストールし直すんだな、イントルーダー。

お前は今、バリアを張れない。

 

 

『上出来』

 

「――」

 

『お休みなさい』

 

やがて朝倉さん(大)が周防の頭を掴んだかと思うと周防はその場に倒れた。

何か細工したらしい、起き上がる気配はない。

 

 

 

よくわからんが、どうにか今回も生き延びたわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはそうと。

 

 

「た、頼むから……早く、治し、て……」

 

『わかってるわ』

 

どうにか出血は収まったが、貧血もいいとこだ。

今これで未来人や超能力者相手に立ち回れって言っても、無理だ。

その辺は諦めていいのかな?

 

『大丈夫よ』

 

「はぁ、は……なら、いい」

 

俺には俺の話がある。

それでいいんだ。

 

 

「……マジに、いや、朝倉さんが来なかったら、死んでた…」

 

『九曜はあと二時間以上は起きないわ。強制シャットダウンは負担になるの』

 

「そんな技、あるのか……」

 

『普通は使う意味がないからやらないわよ。情報連結解除で済むのに』

 

「そいつは"ノー"だ……」

 

『うん。あなたがそう言うからよ』

 

本当に、やれやれ、だ。

いつの間にか朝倉さん(大)の声は某俳優のそれから普段のものとなっている。

肉体もすっかり女性のそれだ。変な意味はないぞ。

相変わらずに顔は仮面だが。

 

 

「その恰好、何の意味があったんだ?」

 

『……言ってなかったけど、私は正体がバレたらまずいのよ。特に一部の相手には』

 

「オレがうるさく言う必要もなかったのか……?」

 

『とにかく、言わないとは思うけど私については秘密よ』

 

「誰にも言わなきゃ同じでしょ?」

 

『それでいいわ』

 

朝倉さん(大)は峠を降りていく。

もう帰るのだろうか?

 

 

『明日まで居るわ。とりあえず話は後よ』

 

「そうか」

 

俺のよくわからん技術の一端。無我夢中もいいとこだった。

あれは、彼女たちが操る"情報操作"じゃあないのか?

だが何でも出来るような感じではなかった。

あくまで斥力場、いや、重力についてしか俺は"何か"が出来ないらしい。

それが本当に情報操作かも怪しい。

 

 

「いいや……正確には、"異次元"、かな……」

 

『私が教える事はもう無いわ』

 

「後でUSBは返してよ」

 

『ええ。じゃあ――』

 

やけにもったいぶった感じで何かを言おうとして。

 

 

『――そうそう』

 

「ん?」

 

『九曜さんは、任せたわよ』

 

「……な」

 

何だって、と言おうとした次の瞬間には超スピードで消えていた。

パンチしかしていない、ジャンプもキックもなし。

仮面ライダーですら無かった。

 

 

「ま、い、いや、……どうしろと」

 

「―――」

 

気持ちよさそうに眠ってるんじゃないよ。

本当に、宇宙人なのかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が電話をかけると、お待たせしてそいつは現れた。

 

 

「いや、まさかお前が俺に電話をかけたと思えばその要件が……」

 

「オレだって驚いたよ。彼女が寝言で『谷口ぃ』って言ってたし、制服からして、まさかとは思ったけど」

 

嘘もいいとこだ。

結局俺は貧血でまともに動かない身体にムチを入れて、周防を引きずり運んだ。

山の近くのバス停まで運ぶだけで三十分近く経過している。

そこから谷口が来た今が一時間二十分程度。

概算にして計一時間五十分以上の経過也。

俺は今直ぐにでもこの場から逃げたかった。

 

 

『はぁ? 山ん近くのバス停で女子が寝てる?』

 

「ああ」

 

『明智、とうとう脳みそまでイカれたのか?』

 

「オレはいたって正常だ」

 

『嘘つけ。だいたい何でそれで俺に電話したんだ』

 

「お前さんの知り合いかも知れない」

 

嘘だ。

俺はそれを知っているからな。

 

 

『バス停に昼寝、どっかのアニメ映画だろ』

 

「猫はやってくる気配はない。そいつはむにゃむにゃしながらお前の名を呼んでいる」

 

これも嘘だ。

ただ周防は沈黙していた。

本当に強制終了されたかのようだ。

 

 

「もしかするとお前の彼女ってのは髪が黒くてとにかく長いか?」

 

『……ああ』

 

「身長はそこそこあるか?」

 

『長門有希よりはあるんじゃねえか』

 

「休日だろうが、お構いなしに制服を着ているか?」

 

『光陽園学院だぜ』

 

「少なくともうちのセーラー服じゃあない。黒だ」

 

『……待ってろ』

 

なんてやり取りをした頃には俺は本当にくたくたになっていた。

果たして朝比奈さんはどうなったのだろうか。

このイントルーダーの発言が本当なら何も無いんだろうな。

流れは殆ど覚えていないが原作通りに行ってるんだろうさ。

朝倉さん(大)も何も言わなかった。

 

 

 

「しっかし、まさかこんな所で昼寝たあ。それにこんな所までランニングするお前もお前だぜ」

 

「は、ははははは」

 

「―――」

 

冬の一張羅は最早使い物にならなくなっていた。

仕方ないので泣く泣くロッカールーム送りに。

今はいつも学校でブレザーの中に入れていた黒のカーディガンを羽織っている

 

 

「とにかくオレはもう行くよ」

 

「あ? 俺にどうしろってんだ」

 

「いやあ、そこの眠れるプリンセスをどうにかしてあげなよ」

 

「―――」

 

「……大体、お前が起こせば良かったんじゃねえか?」

 

「稼ぎ時だと思ったのさ」

 

「そういうお前はたまの休日に、こんな昼間にランニングたあ。そんなキャラだったか?」

 

「山が、好き、なんだ」

 

嘘だ。

もう嫌だ。

来月は、いや、向こう半年、いいや一年は山と関わりたくない。

ロクな思いをしていない。

 

 

「そうかよ」

 

「じゃあ彼女に宜しく」

 

「――」

 

もう俺は宜しくされたくはないんだが。

本気で勘弁してくれ。

言っただろう? 

俺はフェミニストなんだ。

女尊男卑なのはきっと、俺の周りの女子が人外だらけだからだ。

そうに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『本当に大丈夫なの?』

 

「うん」

 

『まさかあなたが風邪で休むなんて、みんな驚いてたわよ』

 

「それはどういう意味かな」

 

朝倉さん、遠回しに俺を馬鹿にしてないだろうか?

 

 

『そのままよ』

 

「休み明けには学校に出れるさ。インフルエンザじゃあないらしいし、今は落ち着いている」

 

『あら、明日は何の日か忘れたの?』

 

あっ。

 

 

「……正直、今この瞬間に思い出したよ」

 

周防にバレンタインどうこうを言っておいてあれだが、日付感覚が消し飛んでいた。

やはり修行はそれほどまでに俺を追い詰めていたのか。

そうだね。ああ、そういや明日だったよ。

基本的に俺はカレンダーを見ない主義なんだ。

 

 

『残念だわ、病人にはあげれないわね』

 

「明日直ぐに食べろって?」

 

『当たり前よ』

 

「……這ってでも行こう」

 

『風邪を移さないでほしいわ』

 

「朝倉さんは地球の疫病になんかかからないじゃあないか」

 

『残念だわ、看病してあげてもよかったのに』

 

「それどころじゃあなかったんだよ、きっと」

 

『そう。じゃあ楽しみにしてて』

 

「当り前さ」

 

それは特別な話でも何でもない。

結局、俺は次のステップとやらには進めたのかも知れない。

異次元の干渉であり、そこには重力がある。

でも、それでもないんだろ? 

肝心の"エネルギー"が何なのかが不明だ。

 

 

 

朝倉さんとの通話を終了して、そいつの方を向く。

既に俺のポケットにはUSBが入っていた。

 

 

「てな訳で、一つだけオレの質問に答えてよ」

 

何故か電波が届く、俺の不法占拠された203号室。

朝倉さん(大)は十九時だと言うのにもうパジャマ姿だ。

定番すぎるピンク色。きっと未来の俺はブルーなんだろうさ。

 

 

「いいわよ」

 

「じゃあ……」

 

そうさ、今よりずっと俺と一緒に居てくれたらしい、彼女にこそ訊きたかった。

これも立派な探究心なんだ、そうなんだろ?

 

 

「結局、朝倉さんにとってオレは何なの?」

 

「……そうね」

 

まるでその質問が来ることを知ってたみたいだった。

 

 

「例えば、道路を歩いてていかにもなカップルが居るとするじゃない」

 

「何の話?」

 

「で、そいつらを見て、女の私でも思うのよ。何が楽しいんだろうって」

 

「あまり聞きたくない話だね」

 

「でもそれは立場の問題なのよ。ヒロインを救うヒーローは、結局他人からすれば寒いだけ」

 

「それにしちゃ色んな文化に触れてたみたいだけど」

 

「そう、女は自分勝手なのよ――」

 

俺なんか、もっと酷いさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あなたは私の旅の同行者………いいえ、嘘よ。私の、王子様なのよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

そうかな。

 

 

 

独善者なんかが、それでいいのかな。

そういうのって基本、主人公の役目だろ?

俺にとってのヒロインが朝倉さんでも、俺がヒーローとは限らない。

助けたお姫様は、まだ夢見てるだけなんじゃないのか。

俺はずっと、そう思ってたんだ。

 

 

 

 

 

 

でも、未来を知らない俺でも、一つだけわかることがある。

 

 

「朝倉さん」

 

「何かしら」

 

甲斐性ってのは、ここぞで見せるから効果がある。

 

 

 

……らしいよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――予言するよ。未来のオレが君に言う言葉は『遅かったね』だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

そして次の日の朝。

 

俺の能力、203号室はただの白空間に戻っていた。

 

 

 

 

 



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Rusty Engage

 

 

まるで俺はルパン三世みたいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何かと言えばあの有名な映画を見た事ある人ならわかる。

そう、貧血状態。仮病と言って本当に体調を崩しているのだから困ったものだ。

嘘から出た誠とはまさに俺を陥れるための言葉らしい。

もっとも、二日もすれば気にならなくなった。俺は献血すら出来ないんだよ。

 

 

「結局、何だったんだろうな……」

 

「何の話だ」

 

「何でもないよ」

 

果たして俺は力――オーラと呼ぶのはやめた――の操作が出来なくなったわけではないらしい。

つまり一昨日の状態は受け身にならないと発動しなかった。

……ああ、何回も言ったさ。

ポーズをつけたり、かっこよく叫んでも、次元干渉は出来なかった。

 

 

「いや、そうじゃあない」

 

「お前はもう少し具体的に話すべきだ」

 

「古泉みたいにか?」

 

「あいつも充分抽象的だ」

 

「だな」

 

そうじゃあない。

それは、俺の力の一端について理解したんだ。

ハイドアンドシーク。それは、本来"四次元マンション"と呼ばれていた。

俺じゃあなくて、"あの人"の能力。俺はそれを真似しているにすぎない。

なら、何故真似できたんだ?

 

 

「キョン、チョコはもう食べたのか?」

 

「ん? ……ああ」

 

「あれを一日で、か?」

 

「おかげで夕飯は無かった」

 

オレも似たようなもんさ。

義理含めて四つ。いや、多いだろ。

一つでも重い思いが伝わるんだが。

 

 

「そういやお前は朝倉から貰ってるところを見なかったが、どうだったんだ?」

 

「……それ、オレに聞くか?」

 

「封印させてもらうぜ。俺も自分の口癖を封印したんだ、今日ぐらいはお前も付き合え」

 

「でも、"どう"と聞かれると、反射的に狩りたくなるんだよ」

 

「知るか」

 

「わかったよ。で、何が聞きたいんだ?」

 

「出来栄えだけでいいさ」

 

「十段階の十。以上」

 

「もっと詳細を言え」

 

「普通だ。ただのハートマーク、有り触れているさ」

 

「それで十を付けるとはお前も中々馬鹿になってきてるな」

 

とうとうお前にまで言われるのか俺は。

知識だけで言っても俺はお前より優れているんだがな。

でも、そうじゃあない。……だろ?

 

 

「お前だってわかってるだろ」

 

「何がだ」

 

「涼宮さんのヤツを食べたお前は、気づかなかったのか?」

 

「……さあな」

 

「ならいいさ」

 

「俺の意見はスルーか」

 

「聞きたいか? いいさ、教えてやんよ――」

 

 

 

そこには、『愛』がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういやこれはいつぞやのニーチェ的思想の続きになる。

何故彼が虚無主義を打ち破る超人論なんてのを考え付いたのか。

その答えは簡単だ。神、即ち宗教観の崩壊を憂いだのだ。

自分から敢えて神ならぬ超人を批判的に説くことで、世の人間を批判した。

神を批判したわけじゃあないんだ。

 

 

「『神は死んだ』……も同然だ」

 

これが正解。

不可侵にして、不可説の不可解。

では宗教観の崩壊とは何ぞや?

それはつまり、資本主義の台頭に他ならず――

 

 

「はいはい並んだ並んだー、参加料は一人五百円ポッキリよ!」

 

朝比奈さんの手作りチョコのストックを、よもやクジという形で転売しようとしている涼宮さん。

彼女が行っている金儲けこそがその崩壊を招いたのだ。

おいおい、古泉お前さんはよく笑ってられるよ。

神が金儲けとは……あの世のニーチェ先生も発狂してしまう。

 

 

「実は、長門さんがほとんど作ってくれたんです……」

 

「大丈夫ですよ朝比奈さん。バレなきゃイカサマじゃあないんですよ」

 

「どこが大丈夫なんだ」

 

「……」

 

「世も末、ね」

 

巫女装束に着替えさせられた朝比奈さんは申し訳なさそうに独白する。

こんな放課後に中庭を不法占拠したかと思えばこのザマだ。

当然クジの当たりはオンリーワン。だのにゾンビの如く男子生徒が大挙して押し寄せてきた。

 

 

「あれ、全員もれなく異世界送りにしたいんだけど」

 

「いいんじゃないかしら」

 

「馬鹿言え。いや、お前は馬鹿だったな」

 

「……」

 

「実に爽快ですね。フロンティア精神を感じますよ」

 

多分使い方を間違えているぞ古泉。

しかも何故か集まった中には女子まで居る。

そういうのもあるのか? いや、朝比奈さん的にはどうなんだろうか。

知りたくもないけど。

 

 

「受け付けはこっちよ!」

 

整理券さばき、列の最後尾、アミダ記入、それらの雑用は全て我々が賄っている。

正確には涼宮さんとマスコットの朝比奈さん以外の全員だが。

朝倉さんはさも愉快そうに。

 

 

「私があの恰好をしたら何人くらい集まるかしら?」

 

「一人」

 

断言しよう。

 

 

「あら、何故かしら」

 

「その一人はオレだからだ」

 

「そうね」

 

「別にどうでもいいさ。あいつらの中に、果たして朝比奈さんの本質をわかってやれる奴は、どれだけ居るんだろうな?」

 

「それこそどうでもいいわ」

 

「言ってやるなよ」

 

「いいじゃない」

 

朝比奈さんは確かに庇護欲をかき立てる魅力がある。

彼らもきっと、そういう思い、俺みたいな『守ってやる』って感情があるんだろう。

でも、それは正解じゃあない。

 

 

「共依存かどうかは結局、誰が決めるんだろうな……」

 

定義をしっかりしてから話してほしい。

俺は曖昧なものは好きだが、曖昧な話をされるのは嫌いなんだ。

これも矛盾。

 

 

「明智君は結論の出てる話をするのが好きなのかしら」

 

「答え合わせさ。一人じゃそれも満足にできやしないだろ」

 

「私でよければ聞いてあげる」

 

「言った通り、もう決まってるさ」

 

それを決めるのは誰でもない。

だが確かなのは、誰か一人で決まる事じゃあないんだ。

古泉がいくら正論を並べようと、その味方が居なけりゃただの戯言。

多数決は少数意見の尊重が根幹にあるが、得てしてそうは扱われていないだろう?

そういうことだ。

 

 

「依存じゃあない」

 

「必要なのよ」

 

「強さってのは比較値でしかない。人間は何かを比べたがる、隣の芝は青いらしい」

 

「でも二元論に支配されているわ」

 

「弱さを知ってる奴だけが強さを語れるんだ。オレにはどっちも無理さ」

 

そう、俺は何も手にしてこなかった。

思えばマイナスでもゼロでさえない、スタートラインにすら立っていなかった。

でも、今日は違う。

いや、もう違うんだ。

 

 

「臆病者の隠れ家ってのは、もうやめだ」

 

「あら、名前を変えるの?」

 

「読み方は変えないよ。呼び方を変えるんだ」

 

あなたの能力、俺はそれを真似したに過ぎません。

なら、何故それが出来たのか。そこに俺の力の"鍵"がきっとある。

"役割"ってのも、まるで無関係ではないんだろ?

 

 

「四次元を超えた、そう、異次元、これからは異次元マンションさ」

 

「何で"マンション"なのかしら」

 

「部屋数が多いってのもある。実はあれ、四階建てな上にロッカールーム含めて二十一部屋もあるんだ」

 

「ふーん」

 

「でも、やっぱり一番の理由は……」

 

 

 

ただの当てつけだって?

 

そうかも知れないさ。

 

でも、名前なんてそんなもんでいいんだ。

 

名前の持つ、意味の方が大事なんだ。

 

 

「朝倉さんも、マンションに住んでるから。かな」

 

「………」

 

「……どうよ」

 

やがて物凄い長考の末に返事をくれた。

 

 

「3点」

 

「それは3点満点中だよね?」

 

「100点満点中の、3点よ」

 

「ありがとう0点だと思っていたんだ」

 

「残念ね。名前だけで言えばそうなのに」

 

「皇帝権限を行使したくなってきたよ」

 

「そんなものがあるの?」

 

あるわけがない。

方便ですらない。

 

 

「でも、あった方が楽しいだろ?」

 

「涼宮さんに頼めばいいと思うわ」

 

「何を」

 

「あなたの大好きなボナパルトよ」

 

「"宝くじ"の?」

 

「ええ、"フランス革命"の」

 

「俺はそこまで急行で強行の変革を行っても望んでもいないよ」

 

だが古泉に言わせれば俺は変化しているらしい。

それは俺の能力、力についてなのか?

この短期間で様々な変化があった。

そのきっかけは間違いなくあの世界での出来事だ。

あれが全ての始まりなのだろうか。

 

 

 

それは、最悪の破滅って奴なのか?

 

 

「"深淵を覗く時、深淵もまた、こちらを覗いている"」

 

「それは、何かしらね」

 

「わからない」

 

俺の敵って奴も、決着もまだわからない。

だって今日じゃないんだろ?

 

 

「でも、それでいいさ。怪物を倒すのは人間じゃあない。もっとおぞましい、怪物だ」

 

「ええ」

 

「――って、思ってた。ちょうど、数日前までは」

 

「……えっ?」

 

馬鹿野郎。

そんな荒廃的な考えじゃあ、本当に破滅するさ。

俺は人間だ。朝倉さんも、そうなんだ。

怪物じゃない。

 

 

「もしオレたちSOS団に喧嘩を売るような連中が現れたら――」

 

どうやらアミダクジはもうとっくに終わっている。

一番手の生徒が当てたらしい。

そしてキョンは朝比奈さんを連れて走り出す。

ああ、こんな話だったっけ。

 

 

 

 

 

「――全力で喧嘩しよう」

 

まるでスポーツでもするかのような、気持ちだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな日の夜、朝倉さんを家に送った帰り道だ。

 

 

 

 

「……出てこいよ」

 

一度はやりたかったが、本当にこういう台詞が言えるとはね。

まるで出来る奴みたいに、俺は後ろに振り返りそう言う。

 

 

「気づいていたようだな」

 

「好奇心ってのは猫を殺すらしい。お前さんのそれは、人にすら襲い掛かるほどだった」

 

「ふん、くだらないな」

 

金髪の青年。

俺より年上かもしれないし、あるいは逆かもしれない。

周防九曜と同じ、もう一つの未来人。

 

 

「で、何の用だ。昨日の今日でオレと殺し合いってか?」

 

「僕は無意味な事はしない。その必要がないからだ」

 

「どういうことかな」

 

「未来は既に決まっている」

 

「お前さんも運命論者か?」

 

「いいや。事実だ」

 

「その割には気に食わなそうにそう言うじゃあないか」

 

「規定事項は既定事項だ。それ以上でもそれ以下でもない。周防九曜の敗北は必然だった」

 

「……本当か?」

 

だとしたらこいつは朝倉さん(大)の事を知っていたのか?

しかし、そうではないらしい。

 

 

「どういう因果かは知らないが結果としてそうなんだ。だから、僕にどうってことはない」

 

「お前さんも口は達者らしい」

 

「お互い様だろう。口先だけでの戦いに意味はない」

 

「闘争は、平穏とは程遠いらしいけど」

 

「僕には僕の戦場がある」

 

「だから?」

 

「お前は僕が言った通り、邪魔をしなかった。これはそのお礼だ」

 

「どちらかと言えば邪魔をされたのはこっちだよ」

 

「バカバカしいが、僕の役割はまだ残っている」

 

「その戦場は"ここ"なのか?」

 

「さあ。だがお前風に言えば『今日ではない』」

 

「あんまりそれを人前で言った覚えはないんだけどな……」

 

もしかして未来でこいつと俺は接触するのだろうか。

わからないが、こいつが協力的でないのは確かだった。

 

 

「また会うことになる。面倒だが、そうなんだ」

 

「お土産ぐらい持ってきてくれよ」

 

「とにかく、お前はそのままで居ればいいんだ。くれぐれも邪魔はするな」

 

「交渉の余地は?」

 

「お前次第だ」

 

「立場が逆だな。オレがお願いされる方だよ」

 

「何とでも言えばいい。お前たちの無知には恐怖を覚えてたところなんだ。今更一人増えても変わらない」

 

いいや、違うな。

古泉の言うことが全部正解なら。

俺は変えれる。いや、みんな、変えられる。

 

 

「……今日はこれだけだ」

 

「わざわざご苦労様だ」

 

「こちらの台詞だ、せいぜい楽しく生きるんだな。異世界屋」

 

「じゃあお前は未来屋だ」

 

「ふん、説明の必要はない。それもやがてわかることだ――」

 

やがてそいつは踵を返すと歩きながら姿を消していった。

どこかで見たことある光景。こいつがいつぞやの警告者だったのだ。

あのデートの雰囲気をぶち壊した、空気の読めない野郎。

 

 

「知ってる知らない。またその手の話か? ほんと、涼宮さんじゃあないが世界はケチだな」

 

いつだって結論を先延ばしにするのは人間の方だ。

だけど、たまに世界の方からそうしてくる時がある。

俺の場合はそのバランスが破綻していた。

 

 

 

それだけ。

 

 

「でも、悪い気はしないんだよね」

 

それは前向きな覚悟とやらのおかげだろうか?

わからない。

 

 

わからないが、今はこれでいいのさ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――遅かったね」

 

 

 

「あら、驚きだわ。それ覚えてたの?」

 

「いいや、何でか知らないけどそう言いたくなったんだよ」

 

「それにしても本当に寒かったわ」

 

「充分そこについては言ってたと思うんだけど」

 

「あら、歳だって言いたいの……?」

 

「お互いそういうのは無しにしようって言ったばかりだったと思うんだよ」

 

「ええ、だからね」

 

「悪意はなかった。でも謝ろう」

 

「よろしい」

 

「しかし、その恰好はどうなんだ?」

 

「どうって、何かしら」

 

「いやいやこっちは朝だろ」

 

「そうね」

 

「………」

 

「……冗談よ、着替えてくるわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――未来の事は誰にもわからないんだ。

 

 

 

未来人の朝比奈さんも、金髪野郎も、それはそうなんだ。

 

規定? 決定? そして命令?

 

おいおい、因果や運命が許されるなら涼宮ハルヒはどうなるよ。

 

三年、いや四年前から隔離された世界。

 

そこから前が本当に存在したのかもわからない。

 

 

 

 

それでも、今日までを忘れなければいいんだ。

 

そうすれば最後には全部知っていることになるだろう?

 

屁理屈だけどそれでいいんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少なくとも俺はもう、後ろ向きじゃあないんだからさ。

 

 

 

 

 

 

 









【あとづけ】

いや、ここまで読んで下さり、本当に感謝しています。

今にして思えば後書きは最後に書くもの。
よってこの中間報告はあとづけとします。
多分完結まで次はありません。つまり次が本当の後書き。



陰謀までで私の中で第五章。
またまた一章分の説明は抜かせて頂きました。
そして今回はそれぞれの話の解説はしません。
きっと最後でいいんですよ、ええ。



ただ陰謀について言い訳させていただくと、今回はあえてこういう作風をとりました。
いや、色々話によって変えようとはしてるんですよ。
孤島症候群の時や文化祭のときはそれなりに結果になったと思いますが。



では何故色々な要素を詰め込んでいるのか?
ひとえにそれは本命を隠しているに他ありません。
つまり、ええ、こんな話でも核心に関わる事はかなり書いています。
ヒントの多さに比例してこうなった感があります。
申し訳ありません。









……で、今回わざわざ【あとづけ文】を付けた本題はテーマについて。


この作品の『愛』とは別の2つ目のテーマ。
それは『勇気』です。

つまり、私は今まで「愛と勇気」という王道中の王道を書いてた――



……つもりです。真面目に、です。





その割に、愛や勇気とはかけ離れた話もあるだろ、と思われるかもしれません。
それもそのはずで、愛を書く以上はその反対の無関心さを書く必要があります。
勇気についても同様で、恐怖あるいは精神的不安定さを描写する必要がありました。



何故かと言いますと、それは私が個人的に薄っぺらい強さを書きたくなかったからです。
いやいや十分今でもぺらいんですが、それでも正当な裏付けが欲しかった。
勇気や愛は人の一面でしかありません。人の心の裏は他人が決めることができないのです。
だからこそ感情、それも弱さを前面に押し出していくことをしたかった。
でも実際に弱く見えてるとは限りません。他人からどう思われているかすらもわからない。
だからこそ共依存なんて話も出しました、愛の形は多様です。
慈愛、寵愛、愛憎なんかも愛として書けるでしょう。



とにかく、私はそうしたかったからそうしてしまった。
何かに対する批判的な事を言いたいわけではありません。
私の作品がわかりやすくないのはそう書いていない以上に、単純に実力不足なのですから。




それでも最終的にはわかってもらえるような。

いつか、読み返していただけるような話を書ければいいな、と思っています。

それが私の幸せです。




では。

次は完結した時にでも。





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俺氏と眼鏡と編集長と鍵とメイドと二枚目と、俺氏のナイフ
第五十四話


 

 

皆さんには重々承知頂いていると思うのだが……いや、敢えて今一度言おう。

 

駄目押しさせてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺がいくら精神的優位を得たいがために偉そうに振る舞おうとしても、俺より確実に偉い方が居る。

しかも、二人も居る。俺の知り合いで、それも、女子だ。

フェミニストってのは最早関係ない。階段で言えば俺が下であり、彼女らが上なだけ。

 

 

「――没」

 

「ううん……ダメですかぁ…?」

 

「ダメよ。こんなのありきたりじゃない」

 

「いっぱいいっぱいです……」

 

涼宮さんは朝比奈さんを門前払いする。

まるで新人作家に駄目出しするかのような光景。

そしてデスマーチか何かじゃあないのかと思えるような光景。

再びSOS団は部室内でノートパソコンが並べられている状況。

全員がもれなくディスプレイにかじりついている。いや、異様だ。怪異だ。

 

 

「はぁ……」

 

「……」

 

「キョンよ、疲れたのか?」

 

「疲れたくもなるだろ」

 

「お前さんは手を動かしているように見えないが」

 

「安心しろ、お前の目は正しいぜ」

 

気持ちはわからなくもない。

思えば昔は、今でこそ簡単に構築出来るプログラムのコードを書くだけで何時間もかかった。

そもそも何すればいいかわからないからそんなもんだ。センスが無いのを度外視しても。

その時俺は理解したね、教師がよく言う『人生は学校を卒業しても勉強の連続だ』ってヤツだ。

つまり個人プレーらしい。最初からわかりやすく言えばいいのに。

朝比奈さんはとぼとぼ座席に戻ると再びノートパソコンの前を見つめる。

この人に単純作業以外の作業をやらせるべきなのだろうか? 知らん。

 

 

「さあさあ、みんな!」

 

この基本静寂な部室内で一番発言しているのは間違いなく涼宮ハルヒだろう。

元気と言うか、テンションが異常だ。脳内麻薬の分泌を疑う、何が彼女を駆り立てるのか。

 

 

「ぱぱぱっと原稿上げなさい、添削だってあるのよ」

 

「何でお前がやるんだ」

 

「もうそろそろ編集に取りかからないと間に合わないのよ。まさか、製本もせずに紙の束をステープラーで纏めるつもりなの?」

 

「……」

 

「ううん……」

 

「さて、どうしましょうか……」

 

「オレは腹が減る一方だ」

 

「それは皮肉かしら?」

 

朝倉さん、やる気のないポーズってのも意外と難しいんだよ。

俺に関して言えば多少の引き出しはあるさ。

問題なのはどこまでやるかであり、それだけである。

そして涼宮さんが言う紙の束、そんなのは既に文集でもなんでもない。

小中学生が書いた読書感想文がいいとこではなかろうか。

 

 

「そしてキョン」

 

「何だ」

 

「『何だ』じゃないわよ。あんた、さっきから全然手が動いてないじゃない」

 

「既に明智に言われた」

 

「ただ画面睨んでて何か出来ると思ってんの?」

 

「だといいんだがな」

 

「寝てる間に小人が来てくれるといいわね」

 

「……わかったよ」

 

朝比奈さんが書いていたのは童話らしいが、小人と靴のお話はグリム童話だ。

まさかあのチビのおっさんどもはIT社会に対応しているのだろうか。

本当に出現された日には俺はどうすりゃあいいのかね。無視が一番なんだろうけど。

我が愛しの朝倉さんは何を書いているのかわからない。教えてくれなかった。

長門さんもそうだけど三歳児の文章に負けかねないキョンはどうなんだろう。

進捗だけで言えば間違いなく圧敗だろうさ。

 

 

 

もう一度言うが、涼宮さんだけが元気だった。

 

 

「原稿を落としたら死刑よ!」

 

俺に限らず誰しも死刑は嫌だろう。だからキョンも無い知恵で格闘している。

わからないのは古泉ぐらいだがあいつだって命令で作業する以上は真面目にやるだろ、多分。

 

 

「さて、どうするか」

 

「……」

 

「『それが、問題だ』」

 

シェイクスピアはそこまで好きじゃあないんだけどね。

読んでて悲しくなるだけだ。詩的だったり、文化的なのは確かなんだけども。

もちろん俺だって幸せになりたいさ。出来れば、朝倉さんと。

更にそこに大切な仲間が居てくれれば何があっても解決できる。

 

 

 

そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

事の発端については数日前に遡るというヤツだ。

まさか俺がこんな説明をし続ける立場になるとは謎だ。

 

 

 

 

いよいよ一年生としての学校生活が終わろうとする三月。

 

 

はたしていつかの朝倉さん(大)はそこらへんのイチャつくカップルに対し苦言を呈していた。

そりゃあ、そうだ、確かにそう思うよ。大体同意見だ。俺も便乗するさ。

しかしながら、ではこちらがそう思われる立場ならそう言えるのだろうか。

これも教職員お得意の呪文『自分がやられて嫌な事は他人にするな』の理論である。

要するに俺はもう完全に壊れていた。周囲の目? 知らん。他人と自分を何とやらさ。

火曜木曜のお昼休みは俺が朝倉さんとイチャイチャする時間と化していた。

まさか校内で手を繋いでぶらぶら歩くような奴が居たらそいつはマジにアホだ。

なんて思っていた、いや今でも思っている俺がそれを実行しているのだから救えない。

この時期は既にこちらに向かう視線など最早無かった。見て見ぬフリではない、見ていないのだ。

 

 

 

廊下を歩けばモーセの如く道が拓ける。邪魔するものは文字通り誰も居ない――

 

「――少々よろしいでしょうか」

 

いいや、邪魔だ。

ウドの大木って言葉がよく似合うと思うよ。

 

 

「手短に済みますよ。お二人の耳に入れておきたい事ですので」

 

「よろしいかどうかと訊かれると、お前さんは見てわからんのか?」

 

「と言いますと」

 

「私たちはまさによろしくやっていた所なのよ、古泉君」

 

「ええ。ですので一言だけ、ですよ」

 

どこぞのねちっこい刑事ドラマみたいだな、お前は。

"餅は餅屋"ってのがまるでわかっちゃあいない。

 

 

「さっさとしてね」

 

「はい。これを楽しいかどうかと思うのは人それぞれでして……」

 

「何の話だよ」

 

「本日放課後に、生徒会室に出頭するようにと仰せつかりました」

 

「生徒会、だと」

 

「はい」

 

……生徒会? 

ああ、要はSOS団に文句を言いたいのだろう。

いいや、今まで無かった方がおかしい気がするだろ?

そりゃあ去年の春先に俺とキョンが苦労したからな。

でも、それも今日までの運命らしい。

 

 

「だいたいわかった」

 

「何の意味があるのかしら」

 

「さあ。何を言われるかはわかりません」

 

「どうもこうもないな……後始末はお前さんの役割だ、任せるよ。俺は寝てる」

 

「それがそうもいかないのですよ」

 

何が言いたいんだ。

俺はもう何が起きるか殆ど忘れている。大事なのは残る二人の重要人物ぐらいだぞ。

手帳に暗号でメモした内容に関しても三月中について書いているのは何も無い。

話として刊行されていたのは確かだが、もう覚えているわけないし、書いてないからには重要ではないのだ。

そうさ。四月のゴタゴタだって結局俺は続きを読んでいないんだから考えるだけ無駄なんだ。

だからこそこうやって朝倉さんと青春を謳歌しているんじゃあないか。

 

 

「実は呼び出しを受けたのはSOS団ではありません」

 

「……ん? じゃあ誰が出頭しろって話なんだ」

 

「あなたですよ」

 

何言ってんだ。

そこは涼宮さんじゃあなくて。

 

 

「…オレ……?」

 

「はい」

 

「明智君が」

 

「はい」

 

古泉がイエスマンなのは昔からだが、まるで村人Aのようである。

会話に捻りを入れろ、そしてしっかり説明してくれ。

 

 

「何でオレだけ」

 

「正確には、あなたと長門さんに、ですよ」

 

どういうことなんだろう……。

……まさか。

 

 

「おい、それってもしかして」

 

「どうやら把握して頂けたようですね」

 

「二人ともどういうことなの?」

 

「つまり、解りやすく言いますと文芸部員が呼び出されたのですよ」

 

先月は色々あったからすっかりその意識が消し飛んでいた。

その原因の半分は涼宮さんでありもう半分は朝倉さん。

この二人でだいたいの俺の悩み事についての説明はつくんだ、俺は悪くない。

 

 

「何についてが目的なんだ?」

 

「文芸部の活動に関する事情聴取、それと部の今後の存続についてだそうです」

 

「今後も何もない気がするんだがな……」

 

俺がいくら色々考えようとそれは趣味の域を出ていない。

その先には今や興味がないからだ。いつからそうなったかは覚えていないが。

長門さんにいたっては読書専門で、そして何より今文芸部はSOS団に乗っ取られている。

今後と言われたところで何を論ずればいいのか、生徒会の連中には明日の事がわかるのか?

 

 

「それは生徒会役員の方々に言ってあげて下さい。僕はメッセンジャー役でして」

 

「だがオレがしゃしゃるような話なのか?」

 

「さあ、どうでしょうね。僕は文芸部員ではありませんので」

 

「肝心の涼宮さんはどうするんだ」

 

「まさか」

 

大惨事になるのはわかってるさ。

でもお前のリアクションの下手さはどうにかならないのか?

それでよくハムレットに出れたな。お前も立派なクラウンさ。

 

 

「SOS団の代理人としては彼を立てておきました。これならば大丈夫でしょう」

 

「オレが大丈夫かどうかは確かなのか」

 

「それも僕には関係ありませんよ」

 

では、と言って古泉は俺と朝倉さんをすれ違っていく。

勝手に来たかと思えば勝手な事を言って勝手に消えて行った。

どうにも無責任な男だ。

 

 

「……オレの不快指数が一段階上昇」

 

「誰の真似よ」

 

「イントルーダーごっこ」

 

「それ、似てるの?」

 

「わからないよ」

 

「せっかくの空気が台無しね」

 

「そうかな」

 

確かにあの野郎の発言、いや顔だけで俺はターミネートモードにシフトしたくなった。

でも関係ないさ。朝倉さんが居ればそれでいいのさ。

古泉の優先順位はランキングとしてあるにはあるが低い。

残念ながら当然だ。

 

 

「平穏が一番だよ」

 

「そうかしら」

 

「朝倉さんだってそう思ってるでしょ?」

 

「あなたが居るからよ」

 

「……だな」

 

今はこれでいいのさ。

そして出来れば永遠に引っこんでろ、他の勢力さんよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、これはごく個人的な意見でしかない。

 

 

 

 

俺はそもそも生徒会なる集団に対して快い思いなど一切したことがない。

これにはきちんとした理由が一応ある。俺の前世についての話となる。

大なり小なり生徒会を気に食わないと思う捻くれた生徒はどの学校でも居るだろうよ。

だが俺は放送局なんぞに所属していた。よって各種学校行事について裏で作業なんかもしていた。

ステージの設営、機材のケーブル、何かあればアナウンスを依頼されたり、……これぐらいはいいさ。

はっきり言うと俺の学校の生徒会は"無能"の一言だった。恨み言でもなく客観的事実だ。

あいつらは表舞台に立ち、あることないことを言う。別に俺は自分の仕事が評価されたいわけじゃあない。

確かにちょっとしたストレスにはなるが、俺が怒ったのはこんな出来事だ。

 

 

「はあ? ……すいません、失礼しました。ですが今何て言いました?」

 

「――もう一度聞きたいのか」

 

「オレの耳が可笑しくなったかも知れないんですよ。そう思いたいですね」

 

放送室での放課後ミーティング。

その時はちょうど、文化祭のシーズン手前で、約一ヶ月前だった。

眼鏡をかけ、良い値段のスーツを着込んだハンサムな中年。

俺が会話しているのは顧問の先生であった。

 

 

「なら言うが……生徒会の方からこちらに提出予定の文化祭実施要項。それが遅れている」

 

「ええ、わかってますよ。変だなとは思いました。他の局員に聞いても誰も生徒会の奴は来ていない、だなんて言うんですよ。予定日は確か二日前です」

 

「予定だからしょうがない。で、局長のお前に教えてあげたわけだ」

 

「……あれには単なるプログラム以外の、詳細が書いてあるものが提出される、オレたちにもかなり関係しますよ」

 

「去年と同じなら構わないんだが、そうでもないらしい」

 

「どういうことです?」

 

「会長さんが思いつきでオープニングに何かやるそうだ」

 

「"何か"? それで、遅れてるって言うんですか? 後何日待てばいいんですかね」

 

「俺にはわからん。あっちに関わるとストレスしかたまらない」

 

「……ええ」

 

そう言えば今年から生徒会の担当教師は前の年の担当とかわっていた。

一年目もいいとこで、そのお方とて右も左もわからぬ状況だ。荷が重いだろう。

もっと言えば今まで担当していたオジサン教師は話によるとここ数年で白髪が急速に増えたらしい。

生徒会につくようになってからだそうだ。信じられん。

 

 

「でも、今回だけじゃあないのが問題ですよ」

 

「つい先週の体育祭の話か?」

 

「はい。あの時だって結局こちら任せ、生徒会の奴らがどういう段取りで発言するかすらわからない。ミキサーの操作だってこっちにはあるんです。それでマイクに関して文句を言われるのはおかしいですよ」

 

「俺だって腹が立つ。だがこちらがしっかりしなければ文化祭はつぶれるぞ。大半の発表に関わる」

 

「模擬店だけでいいじゃあないですか」

 

「ストライキか、全体の意見がまとまればそれもいいな」

 

とても教師とは思えないアウトローな発言であった。

見た目もどこかギラギラした印象を俺に与える彼は生物教師だった。

 

 

「いいえ、もっといい方法がありますよ」

 

「何だ?」

 

「生徒会をぶっ潰す。あいつら全員、解任だ」

 

生徒手帳に書いてある。

俺の、いいや、全校生徒の切り札。

 

 

「しかし役員全員は無理じゃないか」

 

「オレの息がかかった奴を会長にします。今の奴よりはよっぽど人格者ですよ。オレが保障します」

 

別にそいつと仲は良くないけども。

嫌いあってはいないさ。でも、俺の友人はただ一人だけだった。

 

 

「……まあ、頑張ってくれ。この忙しい時期だから早めに頼む」

 

どうやら先生は普段の活動について言いたいらしい。

確かに局長は俺だが、別に俺が居なくても大丈夫だ。

発言力だけでこの座を任せられたんだから。

 

 

「校内放送の質は大丈夫ですよ。オレが居なくてもあいつなら人をまとめれます」

 

「お前はまったくアナウンスをやりたがらないよな。良い声だと思うが」

 

機械操作の方に興味があっただけだから当然だ。

おかげで名前から使い方まで、多少の知識にはなっている。

これも創作活動として活きるのさ。

 

 

「褒め言葉として受け取りますよ。とりあえず、去年までの要項はどこに仕舞いました?」

 

「そう言うだろうと思って用意してきた――」

 

これから約二週間後の、完全な文化祭準備期間にまさかの生徒会長リコール騒動があった。

開校以来の出来事だそうだ。いや、書いてあるなら誰か人を集めてやればいいのに。

今までの生徒会ってのはかくも立派な人材集団だったのだろうか?

そうでなければただの妥協、あるいは逃げでしかない。

 

 

 

いくら俺が変人として恐れられてても、俺一人だけじゃあそれは無理だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そう、"誰か"が協力してくれた。

 

 

それはきっと、俺の友人だ。

 

 

 

 



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第五十五話

 

 

……と、俺の生徒会に対する認識は北高においても決して良くはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかもこの場合に限って言えば一言なんかで済ませなかった古泉のせいで面倒さを更に感じていた。

部長の長門さんだけでいいんじゃあないのか、と思ったところで文芸部はやはり部として破綻している。

二人集めたところでどうなるとも思えないのが現状なのだ、そしてそこにキョンも居るらしい。

……何を論ずればいいんだ? 俺の生徒会に対する思いをぶつける気にすらなれなかった。

 

 

 

こういう場合はもう少し建設的な事を少しでも考える事にしよう。

果たして精神の成長と言うのは俺の場合は能力に多少影響するらしい。

前々からそうではあったが、本当によくわからない。

エネルギーこそ不明だが、俺は自分の能力を現在こう結論づけている。

 

 

「――次元の干渉?」

 

「そうさ」

 

先月のバレンタインがあった週、その日曜日の話である。

俺が何処に居たかと言えば例によって朝倉さんの家、505号室。

実は朝倉さんの方も俺の家に行きたいとは言っているが、俺がやんわり拒否している。

その理由? 親のせいだ。後は万が一にでもUSBの中身を見られるのは困るからだ。

朝倉さん(大)はまるで初めてあの存在を知ったかのようだった。

つまり俺はこれを処分する日が来るまで隠す必要がある。逆説的制約、自業自得。

俺の全能力をフル活用し、この時代よりワンランク上の技術でもって秘匿をしている。

結局、"ロッカールーム"に仕舞えばいいんだけど……ふと見たい時だってあるんだよ。

それに真面目な――遊びで作っているレベルだが――プログラムのソースだってある。

わざわざロッカールームから出すのも面倒なんだ。いいだろ? それで。

 

 

「どういうことかしら」

 

「重力を操れるわけじゃあない。さっきやったのは反重力だ」

 

「なるほどね。確かに時空には関係する。空間に時間、そこは四次元であるし、時空の歪みが斥力だもの」

 

俺は突然覚醒したという無理矢理な言い訳をした後に、朝倉さんに頼んで金縛り状態にしてもらった。

直前まで"ブレイド"を左手に具現化していたが直ぐに霧散し、レジスト兼次元干渉モードに移行していた。

そこで手のひらサイズの反重力フィールドを展開。金縛り中に動いたりして実演したのだ。

 

 

「そうさ、反重力なんて力は本来存在しない。……失われた力だ」

 

この"世界の不純物"。まるで俺自身のようであった。

反重力について説明するにあたって、"引力と斥力"という話が必要にある。

何てことは無い。くっつく力にはハジく力が対応して存在するという考えだ。

磁石のNS極がそれに当たる。つまり引力と斥力。斥力とは反発させる力。

だが、現実世界において重力が反発するなんて現象は存在していない。

当たり前だ、そんな事が突然発生したら何が起こるかわからない。パニックどころではない。

地球全体で発生すれば宇宙空間へ放り出されるかもしれないし、人体の一部に作用した場合破裂するかもしれない。

そして俺はどうやら空間にしか作用させられないらしい。

 

 

「よくある創作物なんかでは反重力を弾く力ではなく、時空の歪みとして考えている」

 

「最強の防御ね」

 

「そうでもない。結局のところ反重力は過程であり、オレがやっている行為は空間の操作、その結果"壁"が出来ただけだ。朝倉さん達のバリアー同様に強力な抵抗力には負けることもあるし、重力には絶対に勝てない。次元の壁を越えれるエネルギーは重力だけなのさ」

 

「じゃ、あなたを倒したかったら重力負荷をかけて押しつぶせばいいの?」

 

「……そうなる」

 

「ふふっ。弱みゲットね」

 

俺は決して笑えないんでやめてもらえませんかね。

この瞬間に俺が朝倉さんに逆らえない事が本格的に確定した。

逆らうなんて考え自体ないが、よーいどん方式で秒で負けるのだから無理だ。

どこの未来の奥さんが俺を最強だなんて言ってたんだ? 過大評価だろう。

 

 

「"金縛り"ってのは実際にオレたちの筋肉に働きかけているわけじゃあないんだよね?」

 

「そうよ。そんな事が出来るなら即死させれるもの。それは最早エネルギーそのものを奪っているじゃない。心臓止めれば一発よ、限界があるわ」

 

「結局は空間の情報操作、その応用編なんだ。人体の外側、その空間の固定化」

 

「ええ」

 

では俺の元"臆病者の隠れ家"、現"異次元マンション"。

これについての説明は簡単だ。

 

 

「あれはオレのその能力の片鱗。次元世界の"どこか"に部屋を造っている」

 

「それはどこかしら?」

 

「さあ。つまりオレたちが空間として観測できない、折りたたまれた五次元以上のどこかを三次元に変換している」

 

何故五次元からが折りたたまれていると考えているのか。

そこは"ひも理論"に関係してくる。いかにも、宇宙的な話さ。

それについての詳細な説明は今回割愛させてもらう。

簡単に言えば、『図に書けないからもう纏めて折りたたみました』という話だ。

いや、ここに至るまでには複雑な説明が必要になるし専門知識についても逐一解説が必要だ。

俺がかつて読んだ本も説明が無茶苦茶だったのは確かだ。

 

 

「とんでも能力ね」

 

「だから"部屋"を利用した擬似空間転移も可能なんだ」

 

「ふーん。でも、だったらあのブレイドは? 平行世界と次元世界は、違うわよ」

 

「……そこが謎だ」

 

あの"思念化"に関しては一応の説明がつく。

俺自身の存在を低次元あるいは高次元のものへと変換、三次元の干渉を受けなくする。

ただし情報として三次元世界には存在するらしいので宇宙人の技術によっては対抗される。

今一中途半端な性能だ。

 

 

「逆なんだ。オレは異世界人。多分、平行世界ってのが本来の俺の能力なんだ。その根源は不明だけど」

 

「つまり?」

 

「次元干渉。それにはきっと、オレの知らないオレの役割が関係している」

 

「本当にあるのかしら」

 

「暫定的な結論だよ。だから本来は結論ですらない」

 

「どうにも全体像が見えないわね」

 

「正直言うと見たくもないんだよね」

 

「でも、それはもうやめたんでしょ?」

 

「……うん」

 

きっとそこには俺の"決着"が関係してくる。

それは何に対するものなのか? 過去か、現在か、未来か。

もしかして、俺自身なのかもしれない。

 

 

「それでも、オレは朝倉さんと一緒に居たいんだ」

 

惚れた弱みじゃあないぜ、惚れた強みだ。

聞いた話によると男の子には意地があるらしい。

 

 

「まさか私も、あなたと本当に付き合うなんて」

 

「そりゃどういう意味なんだい」

 

「興味対象にして良かったわ。まだまだ明智君を探究できそうだもの」

 

「オレがわからないのにどう探究するのさ」

 

「あなたの表情を見ていて、解った事があるのよね」

 

……何だ、ずいぶん不気味に笑うじゃないか。

まるで悪戯を思いついた子供のようだ、本物の三歳児のようだ。

 

 

「あの"思念化"をする時」

 

「……何?」

 

「きっとあなたは私の事をスキスキ大好きだー、だなんて考えてるんじゃないの?」

 

「…………」

 

この覚悟って奴が、本当に正しいのか俺は疑問に思えてきた。

確かにそれがきっかけで発現してくれたけど、それがそのまま発動条件だなんて。

俺は朝倉さんの前で実演する時は確かに鉄仮面を被っていたはずなんだけど。

 

 

「どうして、って?」

 

「あ、ああ」

 

「あなたが私の偽物を見分けれるのと同じ理屈よ」

 

はいはい、そうですか。

朝倉さん(大)の言っていた事も、的外れじゃないのかもしれないな。

愛の力は無限大、だ。自分でもこんな馬鹿みたいな事を考え付くなんて。

 

 

 

悪くないよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしながらそんな回想もそこそこに、ようやくこの重苦しい空気を打開する兆しが。

生徒会室。その扉が二三ノックされた。

 

 

「入りたまえ」

 

そう言ったのはいかにも私偉いですオーラを出している長身の男。

この状況を察するに、彼はこの北高の生徒会長らしかった。しかもこっちを一切向いていない。

俺がこの生徒会に対して初めて感心できた事と言えば、部屋が会議室以上の役割を果たしそうにない点だ。

前世では立場上生徒会室に足を運ぶことも――本来であればあっちが来るべき――あったが、いや、酷かった。

ノートパソコンで弾幕STGをやっている奴もいればそもそもお菓子なんてのも置いてある。

そりゃ俺が居た放送室にもお菓子は置いてある。だが、生徒会は規範となるべき集団だろ?

せめて普段は隠しておくなり配慮に欠けていた。そもそも多少散らかっていたし。

 

 

 

その偉そうな声に従い、キョンが入ってくる。

古泉がそれを一礼して迎えた。もう一人の文芸部員、長門さんは無言だ。

 

 

「どうも、よく来てくれました」

 

「ああ」

 

「……」

 

「キョン、おハロー」

 

「もう放課後だぞ」

 

こんなやりとりでも会長はこちらを一切窺う様子はない。

中々の演技派じゃあないか。いかにも堅物にしか見えないではないか。

確か、詳しく覚えていないがそんな役柄ではなかったはずだ。

そして古泉はお待たせしたと言わんばかりに。

 

 

「会長。お呼びになられた人員は以上になります。用件の方をどうぞ」

 

「……よかろう」

 

ようやくその会長殿はこちらを向いた。

眼鏡をかけたエリート。生気は感じられないが覇気はある。

俺からやる気を常に奪い続ける世界が憎くてたまらない。

どうしてイケメンばかり俺の傍に集まるんだ。涼宮さんのせいにしたい。

 

 

「さて、既に聞いていると思うが用件は単純だ。文芸部の活動に対し、生徒会は最終勧告を行う」

 

まるでそのために集めましたと言わんばかりの気迫。

もうこの人が主人公でいいよねって感じがしてくるぞ。

俺は朝倉さんが居れば後は自衛が出来ればいい。

役割とやらをこいつに押し付けたいんだが。見た目で居れば彼の方が強そうだって。

俺なんか鍛えているとは言ってもガチムチじゃないんだからさ。

 

 

 

とりあえず俺も多少会話に雑じる必要があろう。

長門さんは何かを言う感じがしないし。

 

「……」

 

「現在、文芸部は活動休止、有名無実、虚構と化している。認めるな?」

 

「……」

 

「すいませーん。オレは先月短編を書きましたー」

 

「ほう。それは良かったな。だが今回、部活動かどうかという点で話している。部長の意見はどうなんだ?」

 

「……」

 

「沈黙は肯定と判断する」

 

会長殿はさも俺の発言に興味なさげに言ってくれた。

本気を出せばこちらのフィールドに引きずり込める、が、俺の役目じゃない。

会話をしないのも話術のうち。下手に出て、ただ言葉を狩る。

そうしていれば勝手にこっちが勝っている。何も特別な話ではない。

 

 

 

そりゃあ、認めるも何も長門さんは基本読書してるだけだし。実体を問われたら困る。

で、これは最近気づいた事だがいつの間にか長門さんの眼鏡が某高級ブランドのそれになっていた。

自分で買ったんだろうか。きっとそうなんだろうけど、意外なこだわりを見せてくれた。

 

 

「つまり、最早部としては機能していない」

 

「……」

 

「結論を言おう。我々生徒会は現在の文芸部に存在意義を見い出せない」

 

「寛容な精神でお願いしますよ。これでもオレが文芸部に入る時に山田先生は喜んでくれたんですから」

 

山田と言うのは俺が入部届を提出した教師だ。

確か担当は世界史と、公民だったはずだ。

公民に関しては何か本を出しているらしい、二冊以上。

何でそんな人がわざわざ田舎の進学校もどきに居るのかは謎である。

 

 

「だがこれは既に決定した。生徒会において承認されたのだ」

 

「何がです?」

 

「文芸部の無期限休部、これを通告する」

 

「……」

 

「オーノーッ。これじゃオレは明日から寝床がなくなっちまいますよ」

 

「キミは部室に住んでいるのか……?」

 

ふっ。そんな訳あるか。

だが会長殿も深く気にしていないらしい。

下っ端の俺から視線を外し長門さんの方を向く。

目つきに変化はなかったが、ともすれば睨んでいるようでもあった。

いやいや、立派な会長さんだ。絵に描いたような。

 

 

「部長は長門くんだったな」

 

「……」

 

「どうやら、わけのわからない連中が文芸部室を占拠していると言う話は度々こちらに報告されている。その対処も、いち生徒が出向いたところで相手にされないのだという」

 

「……」

 

「団長と名乗る奇天烈女子生徒。そしてそこの明智黎については良い噂を耳にした事が無い」

 

「ただの風評被害ですよ。オレも迷惑しています」

 

「火の無い所に煙は立たない。たとえ嘘でも、キミには部長同様責任がある。部員でもない者どもを放置していたのだからな」

 

ぐうの音が出ないまでの正論である。

俺は反論する気がないけども。

それでも話を聞き出すのは俺の役目なのだ。

キョンは文字通り部外者だし――それでここに居るんだから謎だ――古泉は突っ立っているだけ。

いっつもだ、俺ばかり貧乏くじを引かされている。

これも運命因果なのか? くだらん。

 

 

「じゃあどうするんです? 無期限休部って、いつまでですかね」

 

「伝統ある文芸部を廃部にするわけにはいかない。その歴史をキミたちの代で穢してしまうのは度し難い」

 

「……」

 

「よって来年度に新入部員が入部するまで部室は立ち入り禁止とする。鍵もかけさせてもらおう」

 

「……」

 

「文句はあるかね?」

 

「新入部員の勧誘はしてもいいんですか?」

 

「好きにしたまえ」

 

する気はないんだけどね。

俺がどうにかしなくてもどうにかなったはずだよ。多分。

こんな所まで何か影響があるとは思いたくない。

どうしても手詰まりになっても俺は異次元マンションで部室に入れるし。

 

 

「さて、長門くん。部長であるキミはこれに従ってもらおう。ただちに我々生徒会が文芸部の繁栄のために今後の活動の安全を確約してみせよう。私物はこちらで責任を持って処分する。全て廃棄だ、約束しよう。役員に横領などさせない。必要なものがあれば今の内に運び出すといい」

 

「……」

 

「ちょっと待ってくれ」

 

とうとうキョンが沈黙を破り介入してきた。

こっちを恨めしそうに見たが、仕方ないだろ?

俺が今逆らっても内申が下がるだけなんだから。

 

 

「今更これを言い出すのはフェアじゃねえだろ。そこの馬鹿と俺とで生徒会には申請書を通したはずだ」

 

「オレか?」

 

「明智以外の誰が居る。……とにかく、SOS団は同好会としては成立した。実際に生徒の相談を受けた例もある」

 

一件だけだけどね。

しかし会長殿はそんな話を聞くと。

 

 

「フッ。いや、失礼した。だがキミたちの提出した同好会設立申請書はまさに失笑ものだ」

 

「……」

 

「あれを認めていてはキリがない。文字通りの足切りとさせてもらおう」

 

「冗談言うな」

 

「冗談ではない。ならば、去年の文化祭。あの時文芸部に充てた予算はどうしたんだ? まさかSOS団という架空団体の自主制作映画撮影に使われた……とは言うまい」

 

「……」

 

そんな事を言えるわけがない。

会長殿はあえてそこに突っこんでいないに過ぎないのだ。

切り札は持っているから逆らうな。威圧外交の初歩の初歩。

 

 

「もっと言葉を学びたまえ。低俗な振る舞いはこの学校の風紀を乱すだけだ」

 

「……」

 

「特にキミはその必要があるらしいな。岡部教諭から話は伺っている。団長を名乗る女子生徒を含め、だ」

 

涼宮さんは成績優秀者であるが人格が破綻している。

そしてその彼女と親しいキョンは成績が破綻している。

ただ頭が悪い谷口なんかよりよっぽど性質が悪い、そう、問題児。

そして俺は教師相手には常に敬意をもって接している。

俺の悪名なんて生徒間のものにすぎない。基本的にはそうだ。

一部教職員にとってはその限りではないだろうが。

 

 

「今更文芸部に入部する、と言っても我々は認めない」

 

「どうして」

 

「簡単だ。キミたちがこの一年何をしていた? 文芸部的な活動を何かしていたのかね? 先月も中庭が騒がしかったが、文芸部に客は必要なのか? キミは賭博罪を知っているのかね。学校で大々的に金儲けなど、信じられん」

 

「……」

 

「これでも大目に見ているつもりだ。SOS団……だったかな? 我々は平和的に解決しようと歩み寄っているのだよ。キミたちがそれに応じないのなら、強行手段に踏み切るだけだ」

 

「……」

 

明らかな負け犬ムードだった。

俺の独善でも、涼宮さんの王道でもない、正真正銘の正義。

それは、社会的に必要なものだけを残し、不要を切り捨てる。

キョンの漠然とした正義でもない。繁栄のための、正義。

 

 

「余罪は多い。それを話に出さないだけ生徒会は慈悲深いのだよ。キミたちの今後にも関わるだろう? バカな事は今すぐ止めるべきだ」

 

「……やり口が汚ぇぞ」

 

「……」

 

「聞くだけなら聞こう」

 

「文句があるならハルヒを呼べばいいだろ。どうして長門と明智を呼び出して文芸部に圧力をかける」

 

「圧力。……やはり誤解しているな。先ほど言っただろう。これも文芸部、いや、我が校のためだ」

 

「そのために俺たちに迷惑がかかるんだ」

 

「迷惑をかけているのはキミたちの方だろう。とにかく、SOS団をどうするかは我々にも権利がある。キミたちだけでどうこうできればルールなど不要だからな」

 

「……」

 

「正論じゃあないか」

 

「ちっ」

 

だってそうなんだよ、キョン。

俺の独善は俺の裁量でしか振るわれない。

こればかりは俺だけが決める権利があるのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それから暫く静寂が生徒会室を支配した。

 

 

 

いや、ペンのカリカリとした音がする。

空気の如く存在感を消し、椅子に座りひたすら議事録をとっていたお方。

見覚えのある女子生徒。書記らしい。

 

 

「……あ?」

 

「……」

 

「どうしたかね。……そうか、紹介が遅れていたな。その必要がなかったから、なのだが」

 

薄緑色の若干クセを感じさせる、ウェーブがかったロングヘア。

朝倉さんのそれとはどこかちがう雰囲気。まるで空間をごく自然に支配できる。

俺が初見で「いいな」と思うと朝倉さんに足を踏まれた――今思えばあれは何だったんだろう。嫉妬? いや、彼女に感情はまだ理解できてなかったみたいだし――その原因。

キョンは今気付いたと言わんばかりに。

 

 

「喜緑……さん?」

 

「何だ、知り合いかね」

 

「……」

 

そう呼ばれた彼女はこちらに笑顔を振りまく。

言っても朝倉さんには勝てないけど、こういうのもたまにはいい。

決して浮ついた意味は無い。本当だ。

 

 

 

さて、喜緑さんは長門さんと見つめ合ったきりこの場に進展が無い。

進展も何も会長殿の通告は完了しているからこれ以上は無い。

 

だが。

 

 

 

 

 

 

 

「――くぉおらぁっ!」

 

 

 

 

勢いよく怒声があがったと思えば生徒会室のドアが壊されんとする勢いで開かれた。

第一声からこんな喧嘩腰になるのは、あの人に他ならない。

 

 

「なに勝手なことしてくれてんのよ! ヘボノッポ! あんたが生徒会長なんだって? それはどうでもいいけど、話はだいたい聞かせてもらったわよ! 文芸部の文句はSOS団の文句なのよ。現最高責任者のあたしを無視して、勝手に話をしないでちょうだい!」

 

生徒会長を睨み付け、そう言い放ったのは我らが団長。

涼宮ハルヒそのお方。朝倉さんに次いで俺が逆らえない人その二。

いや、順序的にはその一なんだけども。優先度としてはまた別の話となる。

結局のところは俺にとっての危険性は同率一位で今も尚上昇中なのだが。

 

 

 

「で、どういうことなのよっ!」

 

 

 

 

 

 

 

まあ、どうもこうもないんじゃない?

 

 

 

 



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第五十六話

 

 

この場を平和的に解決する方法とは果たして何なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どう考えてもこちらに非があるのは確かで、その上であちらは『歩み寄る』と言っていたのだ。

実際は詭弁もいいとこで歩み寄るも何も張り倒しに来ているのだが、それはどうでもいい。

涼宮ハルヒにとってはその差はない。面白い事があって、自分の遊び相手が居ればそれでいい。

まるで俺が好きだったとあるの漫画の主人公。"あの人"は彼を英雄と讃えていた。

その通りだと思うよ。

 

 

「これが生徒会のすることなの!? SOS団をなんだと思ってるのよ!」

 

「まあまあ、落ち着いて下さい。とりあえず生徒会側の意見を聞いてみましょう」

 

古泉が涼宮さんを制そうとするが効果はまるで無かった。当然だ。

意見も何もあっちの意見は出尽くしている。そして、それは命令らしい。

思えば朝倉さんとあの鬼畜黒怒髪天女周防を航空機に俺は例えていた。

これに従えば長門さんは無人偵察機で、喜緑さんのそれときたら上空25キロを超高速で飛行する"ブラックバード"。

涼宮さんに至っては航空機ですらない。ただのクラスター爆撃である。

 

 

「いいわ、全面抗争よ! あたしたちと生徒会の国家総力戦。情け無用で容赦も無用、どっからでもかかってきなさい!」

 

「……」

 

「キョン、あんたは何ボサっと突っ立ってんの。敵は生徒会長、あんたには味方に見えるのかしら? グーで殴り掛かるぐらいじゃないと」

 

「……」

 

「今日ばかりは言わせてもらうぜ――」

 

「やれやれだ」

 

「――おい」

 

いいだろ別に、そのまま封印してなよ。

とにかくこうして火種は文字通り大火事へと変化した。

『火の無い所に煙は立たない』だって? とんだ皮肉だ。

そして燃え盛るように涼宮さんはヒートアップしていく。

 

 

「悪代官、あんたが黒幕よ! ほらほら、どこからでもかかってきなさい。ルールは総合よ、目突きとヒジは無し、金的も勘弁してあげる」

 

「キミが架空団体における自称団長の涼宮くん、か。総合格闘技自体は興味深いがまさか死闘を許可するわけにはいかない。生徒会としてそのような野蛮な行為は排除するに限るのだ。当然、キミたちの団体を含めて」

 

「……」

 

「……はぁ」

 

会長殿の偉そうオーラに対しキョンのそれは帰りたいオーラだった。

涼宮さんが来てしまった以上彼に出来る事はもう何もない。

何故ならそこにはぺんぺん草さえ残らない、もれなく焦土と化してしまう。

 

 

「どうした、キョン。さては疲れたのか?」

 

「当たり前だ。それにお前は今回の騒動の中心人物だろ」

 

「オレがか?」

 

「長門一人に押し付ける気か」

 

「こっちだって驚いてる。でも大丈夫、涼宮さんの登場だよ?」

 

「それは攻略本並にあてにならんな。そのハルヒのせいで俺は頭を痛めているんだ」

 

「難儀なこった」

 

「いや、お前が苦しむのが当然の流れのはずだ」

 

「でも文芸部員は来年度になったら実質復帰していいらしいし」

 

何もSOS団が消えてくれというわけではないが、その権利がある以上はないよりいい。

あちらの提案なのだから聞かなかったことにするのは無茶で失礼だ。

そもそもこれ決定事項らしいから、俺たちに出来るのは今のところ暴動だけだ。

しかも今回に関して言えば生徒会長のリコールが可能かは怪しい。

本気になれば可能だけど、俺は明日から本気出すのが流儀なんだ。

 

 

 

そんなこちらのやり取りは聞こえていないらしい。

 

 

「じゃあどうするのよ。喧嘩売るだけ売って逃げるなんて許されないわよ。殴り合いが駄目なら麻雀か卓球。あ、パソコンゲームもあるわよ」

 

「なぜ我々生徒会がキミたちと勝負する前提で話が進んでいる。そんなヒマはない。そしてこれは警告ではない、宣告なのだ」

 

「何よっ!」

 

「おい、待てハルヒ。だいたいお前は何で俺たちがここに居ることを知っている」

 

「みくるちゃんが言ってたわ、そのみくるちゃんは鶴屋さんから聞いたそうよ。あんたが生徒会に呼び出しを受けたのを見たって」

 

「鶴屋さんが、か……」

 

「部室にはみくるちゃんと涼子しかいなかったもの。これは裏があるに決まってる、生徒会の陰謀だってね。で、聞き耳立てたら案の定ふざけた事を言ってるんだもの。そりゃあ突撃するわよ」

 

又聞きとはまさにこのこと。

どうやら古泉は本当に涼宮さんに隠していたらしい。

いや、実は鶴屋さんをキョンにけしかけたのかもしれない。

鶴屋家と『機関』は多少のつながりがあるみたいだし。

 

 

「……古泉くん。キミから説明してやりたまえ。どうやら我々生徒会と彼女では標準言語が異なるらしい」

 

「承りましょう」

 

「その必要はないわよ。つまり、挑戦なんだから。文芸部どうこうなんて建前。あたしたちSOS団が気に食わないってだけじゃない!」

 

「わかっているなら結構」

 

「ですが、SOS団は同好会として成立しています。実態に不満があるのはさておき、有無を言わずに廃部とはいかないでしょう。会長、生徒会にそこまでの強権はおありでしょうか?」

 

「フッ。"盗人猛々しい"とはまさにキミたちのためにあるような言葉だな」

 

「僕は無い知恵だけを働かせていますので」

 

嘘つけ。

よくわからん宇宙理論も知っていたじゃあないか。おかげで助かったけど。

孤島の推理ゲームの提案と言い、お前は絶対涼宮さんよりそういうのが好きだ。

じゃなかったらキャラでやってるのか? 勉強熱心だな、流石は理数クラスだよ。

 

 

「我々とて無駄な騒ぎにしたくはない。これ以上キミたちに好き勝手されては困るのだ」

 

「はあ? あたしたちの何に文句あるのよ」

 

「全部だ。そう、文芸部員を呼んだのは他でもなく文芸部的活動を求めているからなのだよ」

 

「何か腹案がおありのようですね」

 

「プランではない、そして要求でもなければただの条件だ」

 

「言ってごらんなさい」

 

涼宮さんは何が根拠でこんなに偉そうなんだろう。

成績優秀って点だけで言えば間違いなく谷口やキョンよりはそうあっていい。

でも朝倉さんみたいに猫はかぶっていないのだ。合宿のあれは何だったんだろう。

確かに猫はかわいい。だが朝倉さんの方がかわいいのは言うまでもない。

 

 

「文芸部として活動したまえ」

 

「有希や明智くんがしてるわよ」

 

「目に見える形での結果を求めているのだ。それも早急に。一度でもキミたちがそうしてくれれば当面は文芸部について問題にするのは保留しよう」

 

「何をしろってのよ。キョン、あんた文芸部が何するところか知ってる?」

 

「俺に聞くな。そこに口が達者な適任者が居るだろ」

 

そう言って俺の方を見る。

 

 

「うーん。具体的に何するのって言われると難しいね。読書だって立派な活動だし、オレみたいに小話を書いていくのも活動だ。でも、会長殿は豆粒みたいな活動じゃあ満足してくれないみたいだよ」

 

「当然だろう。読書会をしようが、みみっちい話を書こうが、形として残るかは別だ。私が認めない」

 

「はっきり言いなさいよ」

 

「……機関誌を作りたまえ。文芸部の歴史として少なくとも毎年一冊は発行していた。偉大な記録だ。どうだ、目に見える活動としてはその方が相応しいだろう? そこの明智くんも、話を書くのであれば大々的に知れた方が気乗りするだろう」

 

「今となっちゃ、そんな気持ちはあまりないんですけどね」

 

昔は違った。

昔は。

 

 

「とにかく、不服ならばそれでも構わない。既に宣告した通り文芸部から立ち退いてもらうだけだ。その後にしかるべき形で二人には文芸部的活動をしてもらおう。つまり、同じ事にも関わらず我々は譲歩しているのだ」

 

「これ以上はない、って感じですかい」

 

「そうだ。私以外の者であれば、キミたちを放置していただろう。現に先代会長がそうだった」

 

「現会長さんよ。俺や文芸部員二人はさておき、ハルヒだけは放置してよかったんだがな」

 

「そうもいかない。私のマニフェストは学内改革であった。私が有限不実行であれば即時退位しよう。その覚悟をもって、生徒会の活動にあたっているのだ」

 

「お見事です、会長」

 

おい、お前さんはどっちの味方なんだ古泉。

メッセンジャーとはやけに聞こえがいい言葉だ。

キョンはこいつに対し疑問を抱いていないのだろうか。

 

 

「キミたちも知っての通りだ、先代までの生徒会とは名ばかりの無能連中。学校の顔としての自覚に欠けていた、その配慮にも。なあなあに活動して空気のように交代していく。そこに生徒の自主性はなかった。それを私が変えるのだ」

 

「そこに関してはオレも素晴らだと思いますよ」

 

「改革には破壊がつきものだ。"破壊なくして創造はなし"、私は生徒が望むならばどんな些細なことでも議題にかけよう。その価値があれば、だが。そして私は生徒のための犠牲ならば必要不可欠だと考えている。キミたちの居場所よりも、大多数の居場所の方が優先されるのだ」

 

「どうやらSOS団を認めてはくれないのか」

 

「馬鹿なことを言うな。とにかく期限は一週間。来週の今日、火曜日だ」

 

「仮に、俺たちの誰かが原稿を落としたらどうなる?」

 

「どうにもならない。それが機関誌としての体裁を成していれば文芸部に対して文句は言わないが、その場合は作品を掲載しなかった生徒の文芸部立ち入りを認めない。これも当然の措置だろう」

 

「……」

 

「ええ、それでいいわ」

 

こっちの台詞とは思えない。

彼女の辞書には下手に出るという単語はない。

常に上がいいのだから。

馬鹿と涼宮さんは高いところが好きらしい。

……山好きとか馬鹿とか呼ばれてる俺もそうなのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

機関誌作成、及び配布に関するルールが会長殿から説明された。

 

 

 

内容は不問。文化的かつ文芸的であればいいらしい。

ただ、最低限度の文章量ってのはやはり機関誌として成立するレベルを要求される。

原稿用紙一二枚なんて、それこそ小中学生の読書感想文だからだ。

俺だって長編を書く気はないが、その辺は当然だと思えた。印刷室は自由に使っていいらしい。

 

 

配布に関してだが、渡り廊下に完成品を置く。

それだけだそうだ。つまり機関誌を生徒に捌き切るのが今回の本来の目的なのだ。

勧誘、手渡しは一切NG、無人でやる必要があるそうだ。

きっと生徒会の誰かが俺たちがインチキしないように監視するんだろうさ。

ご苦労様だ。

 

 

そして完成後の三日以内――つまり来週金曜日まで――に捌き切れなければ、ペナルティらしい。

文芸部部室の凍結ではないらしいが、どうでもいい慈善活動をさせられるのだ。きっと。

いつの時代も俺は俺の面倒を見るのが精一杯なのでやりたくはない。

同情してもやる気がないならやらない方がいいのだ。

 

 

 

そして涼宮さんは長門さんを連れ、生徒会室を後にした。機関誌について調べるらしい。

書記担当だった喜緑さんもやがて退席。

後には野郎四人だけが残された。むさ苦しい、華がない。

俺も出てっていいかな? と言える空気ではない。

 

 

「古泉、ドアを閉めろ」

 

「はい」

 

会長殿は椅子にふんぞり返るとそう命令した。

さっきまでと同様に偉そうではあるが、いかにも悪い偉さだった。

テーブルの上に足を乗せると、タバコすら吸い出した。

 

 

「ふぅ……。で、これでいいんだな」

 

「ええ。ありがとうございました」

 

どうでもいいが俺は前世からタバコを吸っていなかった。

無言で窓に近づき、開けさせてもらおう。

喫煙自体を俺は咎めないが飲食店でするのは本当に勘弁してほしい。

吸わない立場からするとご飯の味がおかしくなるのだ。

こればかりはこちらに折れてほしいと常々思っている次第だ。

 

 

 

キョンは眼の前の光景が信じられないらしい。

俺も多少驚いているが、そうか、こんなキャラだったな。

身構えていなかったら俺は今すぐ逃げ出していただろう。

 

「ああ、面倒だったな。お前の言う生徒会長ってのはあんなんでいいのか。アホみたいだぜ。あんなにイイ声で喋り続けるのも楽じゃねえんだ」

 

「なっ……」

 

「なぁにが生徒会長だよ。いい迷惑だぜ。なりたくてなったわけあるかよ。まさか仕事がパーティガールのパーティ演出。ガキは寝る時間だっつの」

 

「……」

 

「おう、お前も吸うか?」

 

「遠慮しておきます」

 

「つまんねえな」

 

「オレも吸いませんよ」

 

酒だってそんなに飲まなかった。

言う人に言わせればつまらないのは仕方ないだろう。

たまのチューハイ程度だったよ。

 

 

「おい古泉、この会長はお前の仲間か?」

 

「仲間……そうですね、正確には協力者です。彼は『機関』に直接所属してませんので」

 

「はあ?」

 

「条件付きですよ。使えるものは使うのが主義でして」

 

「そりゃあオレもか?」

 

「SOS団では持ちつ持たれつがモットーでしょう」

 

いいや、涼宮さんに持っていかれているのが現状だ。

それどころか両の脚を掴まれジャイアントスイングされているとも思えるさ。

助け合いってのは余裕がある人がするんだ。俺は年中ヘルプ希望だね。

 

 

「古泉が言うには、生徒会長ヅラした奴が欲しかったらしい。俺がそうなんだとよ。バカにしてるよな? これ、伊達眼鏡だぜ」

 

「彼を当選させるのにかかった工作費は……それなり、とだけ言っておきましょう」

 

「俺は呆れ疲れたんだが」

 

「キョン、お前はいつも疲れてる気がするよ。朝走るか?」

 

「遠慮する」

 

「重要なのはルックスと雰囲気でして、資質は二の次です。それとわからなければ有ろうが無かろうが、ですよ」

 

それを全国全高校の生徒会長に言ってあげるといい。

間違いなく生徒会はいい方向に改善されていくだろうよ。

ここまでぶっち切りで会長をしていない会長はどうなんだ?

喫煙している高校生の有無を検証する気はないが、生徒会でそんな事があるとは。

不良校でも生徒会室でそんな事はないと信じたいぞ。まして、北高は不良校ではない。

 

 

「とにかく古泉、来年はお前がやれ。俺はもういい。こんな役目は二度とごめんだ」

 

「それはどうでしょうか。こう見えて僕は忙しいんですよ。いっそのこと涼宮さんが生徒会長でもいい気がしてきました」

 

「いいね、それ」

 

「そうしろそうしろ。今回上手くいけばそれでいいんだろ。ならあの女が次に会長をやっても俺は気にしない」

 

「お前ら、馬鹿な事を言うな。ハルヒが会長になんかなった日には北高から笑顔が消えるぞ」

 

「じゃあオレがやろうか?」

 

「検討しておきましょう」

 

冗談だよ。

 

 

「これでも旨味があるからな。一度ぐらいなら生徒会長ごっこも許してやる。内申点に、よくわからん組織からの多少の支援。下手なバイトをするよりは割に合う」

 

「必要経費ならば構いませんが『機関』は散財をしたいわけではありませんよ」

 

確かに夏合宿の時に出た報酬はちょっとした給料だった。

いや、俺の前世での初任給より高かった。あんなんでいいのか。

もう何も言えなかったキョンはどうにか言葉を紡いで。

 

 

「つまり、これもお前らのシナリオなんだな?」

 

「オレは知らなかったけどね」

 

「文芸部をゆすり、SOS団を潰す……だが実際はただの茶番。ハルヒの退屈潰しだ」

 

「これが実を結ぶかは未知数ですよ。もし期限を過ぎてしまった場合は――」

 

「別の遊びにすればいい、でしょ?」

 

「その通りですよ。この四人で新たな作戦を練るのです」

 

どんな無茶をさせるつもりなんだ。

でも、負けず嫌いの代表格である涼宮さんのことだ。

 

 

「どうせ勝つさ」

 

今回も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――だが俺はこの時大事な事を見逃していた。

 

 

 

三人目の宇宙人、穏健派、喜緑江美里さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女の本来の目的とやらを。

 

 

 



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第五十七話

 

結局のところ、"感情"というものは簡単だ。

 

本当にそれ自体は単純なのだ。

 

ただ相手のそれを理解できない時がある。それだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、何がどう簡単なのかって?

……そう、感情を一言で言い換えるなら、それは"理不尽"。

決して英数字の羅列、文字列、記号、進数が到達出来ない"世界"。

俺が構築してきたプログラムがいくら俺にとって理不尽な動きをしたとしても、それは感情ではない。

"理解が不可解の内に、何もかもを尽くす"。機械に限界は無いが人間に限界は在る。矛盾。

だからこその理不尽さ。そしてそれは物事は一面だけが全てではないと言う事に他ならない。

 

 

 

これは生徒会に呼び出しを喰らう二日前。

いつも通りに朝倉さんの家……ではなく俺の部屋まで押し切られた時の会話だ。

本当に急降下爆撃だった。朝ご飯を食べ、いい時間になったら家を出ようと思っていた最中の急襲。

USB? 秒でロッカールームに投げ入れたさ。

 

 

「――へっ?」

 

「何よ、その馬鹿な声は」

 

いやいや朝倉さん、その話は本当なのだろうか。

 

 

「嘘ついてどうするのよ。だいたい、"お話"の中でそういう説明は無かったのかしら?」

 

「……どうなんだろう」

 

覚えていなかったのだろうか?

とにかく俺の認識が間違っていた、誤解していたのは言うまでもない。

"情報統合思念体の派閥"。その関連性とやらに。

 

 

「当り前じゃない。あなた、情報統合思念体を何だと思ってたの?」

 

「こう、ゲッター線やらマトリクスやらが、ぶぁーってなってる感じ」

 

「何よそれ」

 

「とにかく意外だったよ」

 

情報統合思念体がこう何匹も居るような奴ではない事は知っている。

だが、派閥ってのは単純に朝倉さんのように個人の意思で成るもんだと思っていた。

そこにてっきり情報統合思念体は干渉しないものかと。

 

 

「ケースバイケースなのよ。自分から『この派閥です』ってのは先ずないわね。任務だったり、個体性能だったり、色々あるのよ」

 

「でも最終的にはどの派閥に属しているのかってなるんだよね?」

 

「それを言えば最終的には情報統合思念体のさじ加減になるの」

 

「……そんなのでいいのか」

 

「確かに情報統合思念体そのものは一意だわ。でも文字通りのメガバンク……いいえ、ヨタバイトでも足りないわ。データというデータなのよ」

 

「俺よりよっぽど凄いわけだ。で、そこには感情もある、と」

 

「その名を冠したプログラムが一つずつあるに過ぎないわ。感情だなんて、笑っちゃう」

 

「コピーアンドペースト。なるほど、道理で宇宙人たちに上手な演技が出来るという訳だね」

 

しかし、それならば謎が残ってしまう。

長門さんは何故その機能が半ばオミットされた形で出荷されたのだ?

確かに観測が任務であればその方が都合がいい。下手な行動には出ないだろう。

とくに長門さんは涼宮さんに近いのだ、朝倉さんのように異常動作なんてもっての他。

部活中にナイフを取り出されたら間違いなく俺は泣いてしまうよ。

 

 

「……でも、それだとやっぱりおかしくないか?」

 

「何がかしら」

 

「いやいや、だったら宇宙人みんなにそんな機能が必要無くなるじゃあないか。まるで暴走ありきだ」

 

「やっぱり馬鹿ねえ」

 

さも愉快そうに言わないで下さい。

 

 

「私たちの任務は涼宮ハルヒだけじゃないのよ?」

 

「……ああ」

 

「そういうこと。私とあなたがいい例だわ」

 

それはちょっと違うんじゃあなかろうか。極論って奴になるよ。

どういうことかと言えば……本当に、単純すぎる話だ。

単に俺が失念していただけなのだから。

つまり彼女ら、いや情報統合思念体は地球人のためだけにわざわざ派遣したのだ。

そのおかげでこんな美人さんがやってきたのだ。いや、信じられないよ。

 

 

「対有機生命体、ね。……きっと、周防もそうなんだ」

 

「……私の前で他の女の名前を出すとはいい度胸ね?」

 

「うぉっ! い、痛い。やめてやめて!」

 

「とくにあのカビ女は駄目よ。あなたにまでカビが生えるもの」

 

周防はとうとうカビ扱いされてしまうのか。

そして俺は朝倉さんに拳で頭をグリグリされている。

しかも両手で挟み込むように。容赦ないんだが。

 

 

「ぐ、じゃあ、オレもカビ呼ばわりするからそれで」

 

「わかったわ」

 

「つつっ……。なら、つまりこういう事か? 派閥の方向性そのものは情報統合思念体の意思の一部だ。って」

 

「そうよ。やっぱり頭の回転は遅くないじゃない」

 

「これで馬鹿呼ばわりされるからいい迷惑なんだけども」

 

つい先月にはキョンにさえそう呼ばれてしまった。

まさか涼宮さんや朝比奈さんが俺に対しそんな発言はしないと思うし、長門さんだって多分しない。

良くも悪くも『……ユニーク』で切り捨てられてしまうだろう。だが古泉はわからん。

もし俺とあいつが再び議論している最中に『んふっ。……失礼、あなたは馬鹿でしたね』とか言われた日には。

 

 

「多分あいつは八つ裂きになってる」

 

「あの物騒な技かしら?」

 

「ハッタリもいいとこなんだけどね」

 

某霊能力バトル漫画でも次元を切り裂く剣はあったけど、俺のはどっちかと言えば転移技だ。

そして物凄く有効射程が短いし、この技そのものを知っていればいくらでも対策出来る。

俺が"閉じる"前に逃げる事も出来るし、その時に腕を狙われたら最悪だ。

どっかの人類最強の会長みたいに片腕無しでその技を俺は放てない。

あのお方は怪物だから。そう言われてたもん、作者、いや天の声に。

 

 

「しかも結局"重力"には勝てないんでしょ? その技も」

 

「……朝倉さん達はどこまでそんな操作が出来るんだ。反重力じゃあないんだろ?」

 

「別のベクトルによる引力なだけよ。重力にそれを追加すれば相手を潰せるわ」

 

引力の対は別の大きな引力。それがこの現実世界の常。

綱引きでしかなく、釣り合う事は稀で、基本的にはどちらかが勝つ。

どっちかに引っ張られていくだけなんだ。反発なんて、あり得ない。

そして弱点を知ってるのはいいんだけどこれが広まったら本当に俺は置物と貸す。

何だ、高負荷の重力に耐える訓練でもすればいいのか? どんな世界観だよ。

そして俺は某海洋学者よろしく自分の能力ばかり知れ渡ってほしくない。

あいつらどうやって時止めなんか気付くんだよ。

 

 

「頼むから大々的に言いふらさないでくれよ。今もオフレコなんだろ?」

 

「当り前じゃない。二人だけの会話よ」

 

「なら、いいけど、ね」

 

俺の母さんは一向に部屋に突撃してこない。

いや絶対に来てほしくないのは確かなんだけど後でどうこう言われるのは嫌だ。

 

 

「そろそろ居間に行こう」

 

「何で?」

 

「『何で』って……別に聞かれてまずい話はもう終わったからなんだけど……」

 

「それはそれ、これはこれじゃない」

 

と言って朝倉さんは俺に飛びついてくる。

当然だが部屋を出ようと立ち上がった俺のバランスは崩れる。

そう、ベッドに押し倒される形となるのだが。

 

 

 

 

 

ガチャリ――

 

 

 

 

 

 

 

「――あっ! ………う、ん。……ごめんね、母さんお邪魔だったね、ここにジュースとお菓子置いてくからどうぞ続きを」

 

 

 

 

 

 

――バタン。

 

 

 

 

ドアが急に開いたかと思えば急に閉じられた。

まさに、爆発かするのように襲いそして消える時は嵐のように立ち去った。

 

 

 

おいおい。

こりゃ三文芝居だな?

とにかく俺に言わせてくれ。

 

 

「……どうしようもない」

 

もっともこの時の会話の重要性なんて俺はまるで感じていなかった。

別に何かのフラグを立てたかったわけでもないからね。

俺は言い訳を構築する事だけに演算能力をフル回転させていた。

人間は"知らない"生き物ではない、"覚えていない"生き物なのだ。

 

 

 

そう、『それが、問題だ』った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヤンキー会長との邂逅を果たしたSOS団男子一同は文芸部室へと戻っていく。

トッポイ野郎一名を除きその足取りは重い。俺だってあの空間には居たくないさ。

しかし古泉は彼の資質についてどうこう言ってたが、会長殿のそれはかなり高いと思う。

いや、当り前だろう。ただの俗物に涼宮ハルヒの相手が務まる訳がないのだから。

採用情報だけなら北高に限らず全国から我こそはという奴が集まるに決まっている。

もれなく宇宙人の書記もついてくるのだから。

 

 

そんな喜緑さんについてキョンは。

 

 

「で、彼女も『機関』の協力者なのか?」

 

「いえ。我々も彼女があの位置に居る事を最初に確認した時は驚きました」

 

「俺より驚いたってか」

 

「お前はいつも驚きすぎだ。もっと耐性上げろよ」

 

「上げたくもない」

 

「喜緑さんは本当にいつの間にか生徒会の書記になっていました。つまり、情報の改竄ですよ。僕が気づけたのもちょっとした違和感があったからだけです。役員として立候補したのを見た覚えはありませんが、記録上は全て最初から彼女が書記でした。そういうことです」

 

「で、いつの間にか俺たちはハルヒのシンバルモンキーと化してるわけか」

 

「対等な友好関係ですよ」

 

「お前さんがそう思ってくれる限りはオレも安心さ」

 

「お互い様ですよ。しかし、どうやら明智さんは気づかぬうちに良い顔つきになりましたね」

 

何だそれは、気色悪い。

もしかして口説き文句なのか?

……いいや、こいつは俺の覚悟を見抜いたんだ。

人を見る目があるからあの不良生徒だって会長に仕立て上げた。

こいつの脅威は超能力者なんかではなく、陰であること。

 

 

「よせよ、野郎に言われても照れる気なんてサラサラないから」

 

「明智さんとはいつまでもいい友人でいたいものです、あなたもね」

 

「そいつはハルヒに言ってくれ。全部あいつ次第なら俺は考える気にもなれん」

 

「今はそれでいいでしょう。しかし、いつの日からかはそうはいきません」

 

「……そうだね」

 

「何だよお前ら」

 

いつの日か、お前もまた選択する日が来るのさ。

それがお前にとっての決着なのかはわからない。

ただ、傍観者でいられないのは確かなんだ。

 

 

「だが、今日ではない」

 

「その日が来るのを僕は楽しみにしていますよ」

 

世界が滅ばなきゃ俺も同意見だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして部室へ戻ると涼宮さんが六枚の紙切れをそれぞれ各団員に選ばせた。

それは折りたたまれている。俗に言うくじ引きであった。

 

 

「さあ、そこに書いてあるものを書くのよ。ジャンルよジャンル」

 

キョンは恋愛小説――ざまあないぜ――で古泉は大好きなミステリ、朝比奈さんは似合っている童話で長門さんは幻想ホラー……って何だ。

朝倉さんはまさかのピカレスク。おい、俺を殺すような話だけはよしてくれよ。

洋風でなく和風にしてくれ。

まあいいさ、話は話。嘘は嘘でしかないのだ。

さて、俺は何だろうか。

 

 

「――で、明智は何だ」

 

「……"ハードボイルド"だってさ」

 

「嘘だろ。お前が、ハードボイルド?」

 

お前がそんなのとは程遠いだろと言わんばかりの目。

でもついさっき古泉に褒められたんだぞ。何が変わったか知らないけど。

 

 

「キョン、黙ってやがれ。お前なんか恋愛の"れ"の字もない。それにオレ自身がハードボイルドである必要はないだろ」

 

「はいはい。しかし順当に行けば探偵モノか」

 

「書けるには書けるけど、その場合尺がとんでもなくなる」

 

具体的な数字としては最低三話分は使う事になるだろう。

何の単位かって? それは俺にもわからない。ここもきっと触れちゃいけない。

 

 

「それでいいんじゃねえか。書ける奴が書いてくれた方が俺はありがたいんだがね。ついでに俺のも書け」

 

「監修ぐらいならしてやるよ。とにかく、ハードボイルドがイコール探偵って図式は偏見だよ。お前もっと本読めよ」

 

「知らん。とにかく原稿落とさないようにするのに俺は必死だ。出来レースでもハルヒに文句言われちまう」

 

そしてこの段階でキョンは思い出したかのように。

 

 

「……そういやハルヒ。お前は何書くんだ?」

 

「何かよ」

 

「その何かを俺は聞いているんだが」

 

「あのねえ、あたしはもっと大切な仕事があるのよ。曲がりなりにも本なんだから、作業は色々あんの」

 

「製本は確かに手間だが、みんなで協力すりゃいいだろ」

 

「監督よ」

 

「はあ?」

 

「あたしが監督作業をするのよ」

 

「団長のお前が、また監督か」

 

違うわよと言わんばかりの表情で涼宮さんは立ち上がる。

その手にはいつもの"団長"と書かれた紅の腕章とは別のそれが握られている。

 

 

「本日より一週間、あたしは団長をお休みします。そう、今日から私は期間限定の――」

 

俺の視界情報が正確であれば、どうやら彼女は"編集長"を名乗るらしい。

 

 

 

 

 

 

 

「――SOS団チーフエディターよ! さあみんな、仕事の時間だからせっせと働きなさい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残業時間200時間か?

 

そいつだけは本当に御免だった。

 

 

 

 



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第五十八話

 

 

『テロリストと交渉してはならない』、国際条約で言われている事だそうだ。

 

絵に描いたような死にたがり連中相手に言葉は届かないらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SOS団が文芸的活動を開始して二日、木曜日。

その放課後の現在、部室へ向かおうとした俺は渡り廊下で身柄を拘束。

要するに俺はキョンに脅迫されている。

 

 

「何が脅迫だ。これはれっきとした依頼だ」

 

「お前の気持ちはわかるけどね……オレがしてやれるのは既製品のサポートだけなんだよ」

 

「書けないから頼んでいるんだ」

 

「恋愛小説をか? オレだってそこだけを掘り下げたのなんか書かないよ。要素だけだ」

 

「俺はその要素で詰まっている」

 

「実体験でも書けばいいじゃあないか」

 

その瞬間キョンの空気が重苦しいものとなってしまった。

瘴気が噴出しそうだ、"深淵纏い"かよ。

 

 

「……イヤミか」

 

「そんな気はないよ。ほら、さっさと行くぞ」

 

「だがな、SOS団で適任なのはお前ぐらいしか居ないんだよ」

 

「なんでさ」

 

「俺にそれを言わせる気か?」

 

「オレにその気はない。そういう話ならお断りしますから」

 

「そこをどうにか。いや、明智先生、頼むぜ」

 

「どうもこうもないな……」

 

文字通り好きにすればいいというのに。

とりあえず話ぐらいは聞いてやるさ。

俺に書けと言っているわけではないんだろ?

 

 

「ありがてえ」

 

「で? そもそもどういう方向性にしたいんだお前は」

 

「そりゃあ恋愛小説だろ」

 

「にしても色々あるだろうさ。実体験がない以上はフィクションなのか? それでないなら誇張してもいいと思うが」

 

「例えばどんなのだ」

 

「お前さ、先月はバレンタインがあったわけで、それにお前が応じるかは別としてホワイトデーなんてよくわからない取り決めもちょっとしたらある」

 

「よせ。そんな話を書いてハルヒに読まれた日には俺は卒業するまで引きずられる」

 

今更ではなかろうか。

 

 

「それにお前は常々朝比奈さんがーとか言ってるだろ。誰と判らないようにそのパトスを叩き込め」

 

「……だが、話を書けと言われてそうですかと言えるわけではないからな」

 

「日頃妄想でもしてるんじゃあないのか?」

 

「俺を何だと思っている。朝比奈さんに対するそれは神聖なものだ」

 

「なら好きにしてくれ。お前が好きなものを書けばいいんだから。でないと涼宮さんに文句を言われるってわかってるんだろ?」

 

「そこが問題だからな」

 

「はい解決した」

 

「なら、明智ならどうする?」

 

突然キョンがやけに真剣な声で訊いてきた。

これがシリアスなシーンであれば緊張もするというものだ。

しかしながら話している内容は架空、しかも虚構の恋愛について。

何が楽しいんだ。

 

 

「詳しく」

 

「お前が恋愛小説を書くならどうするんだ、って話だ」

 

「参考にでもする気か」

 

「あわよくば貰い受けたい」

 

「それはどうかな。オレのそれはあてにならないからね。恋愛中心で話を書けってのは厳しいよ」

 

「ここ一年以上朝倉と楽しくやってたのは何だったんだ」

 

「今でこそ自信を持って言うよ。オレは彼女を愛している……だけど、オレが朝倉さんを助けたのは、そうじゃあないんだ。お前のためでも、彼女のためでもないのさ」

 

「………」

 

「詳しくは言わないけど、ただオレだけのためだったんだ。前に言ったように、付き合い始めたのもお互いが納得した"取引"の上だ。彼女には彼女の目的があって、オレにはそれすら無かった」

 

「だが、今は違うんだろ」

 

こういう台詞をごく自然に吐ける。

本当に大した奴だよお前は。

だから、そのお前がしっかりと、血の精神で書いた話なら涼宮さんも納得するさ。

 

 

「好きは好きさ。立派な恋愛をしてるとは思う。でも、まだまだ勉強中なんだオレも」

 

「話にするほどではないのか」

 

「むしろ話にする方がどうかしてるよ。仮に朝倉さんへの思いを綴りながら書いたとして、オレはいつ筆を休めればいいのかわからないからね」

 

「……そうか。ま、一つの体験談としては聞かせてもらったぜ」

 

ようやくキョンは動く気になったらしい。

この時期はまだ多少は寒い。とくに今日は風があった。

 

 

「オーライ。仕事の時間だよ」

 

「これのどこが世界を盛り上げるんだろうな」

 

「大いに盛り上がるさ、だって――」

 

 

 

それは『ペンは剣よりも強し』、だからさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして部室に行くが、そこには編集長の姿は無い。

 

 

 

彼女は現在機関誌の作成にあたり各方面を出回っている。校内を奔走している。

真っ先にターゲットとなったのは谷口と国木田で、谷口はエッセイ、国木田はコラムらしい。

俺も小説なんかじゃなくて、その手の専門知識が光る話ならいくらでも書いてあげるんだが。

そこは編集長の決定だ、下っ端の、平の俺は既に後輩である朝倉さんに抜かれている。

社会とはかくも競争なのだ、とくにIT業界に関して言えば年功序列などなかった。

次に機関誌の協力を頼まれたのは鶴屋さん。

 

 

「ハルにゃんさぁー、これって何書けばいいのかなっ?」

 

「何でもいいわよ。とにかく、鶴屋さんが面白いと思ったものを書いて頂戴」

 

「ふーん。へぇーっ。とりあえず適当にやってみるさっ」

 

はたして彼女は何を書いてくれるのだろうか。

朝倉さんと同じくらいに気になった。

これに加えコンピ研にはPCゲームのレビュー依頼――彼らがそれを書くと言ったらしい、乗り気で――した。

挙句の果てには漫研にまで行きイラストすら描いてもらう約束を取り付けたらしい。

……なあ、彼女は本当に雑誌でも作るつもりなのか? 内容濃すぎだろう。

俺は過去の文芸部機関誌を読んだ事はないが、はたしてここまでやっていたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

――さて、実のところ俺はもう既にだいたいの内容が完成していた。

自分でチェックして、これを果たして涼宮さんがどう評価してくれるのかという段階だ。

変化球なら何でもいいんだろうさ。俺なんかより彼女はキョンの作品の方が気になるさ。

しかし、キョンは未だノートパソコンを睨んでいるが、捗ってはいないらしい。

 

 

「まったく、何で俺が恋愛小説なんぞを書かなきゃいけないのかね」

 

「おや、疑問ですか?」

 

「理由があるのか、古泉」

 

「ただの仮説ですが、しかしあなたにも原因は推測できるはずですよ」

 

「……これもハルヒだってか」

 

「くじを用意したのは彼女ですよ。そう考えるのが自然でしょう」

 

「俺相手に無理難題だ」

 

「本当にそうですか? 中学時代、いいえ、文章として成り立っていれば、世代は不問でしょう」

 

「それだと体験談になるぞ。俺はろくな恋愛体験などないが」

 

「大なり小なりで構いませんよ。ですよね、明智さん」

 

そこで俺に会話を振るのはどうなんだろう。

この状況を第三者が見ればどうにも男子が不真面目だと思われてしまうぞ?

女子はみんなディスプレイと格闘しているのだから。これが社会進出の精神か。

 

 

「オレもそう言ったんだがこいつの引き出しをオレは知らないからね。キョン次第だ」

 

「なるほど。実際のところはどうなんですか?」

 

「どうもこうもねえ。ハルヒは遠慮がないからこうなっただけだ。お前は何でもかんでもあいつのせいにすればいいのか」

 

「そういう訳ではありません。あくまで仮説と言いましたので」

 

「……はっ」

 

「それはそうと。これは小耳に挟んだ話んなのですが、あなたには中学時代に仲良くしてた女子がいたそうで」

 

「ふざけるな。あいつとはそんな関係じゃ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――その態度で僕の前に立つ。僕に、何か言いたいことがあるようだな」

 

 

 

 

ちょうど教室を後にしようと思っていたところだった。

名前も把握していないクラスメートの女子生徒が僕を呼び止める。

その表情は決して明るいものではなかった。若干の、怒気を感ぜられた。

 

 

「言いたいことがある? オマエさ、ふざけてんの?」

 

「僕はいつでも僕のままだ。妥協するとしたら他人ではなく僕相手だ、勘違いしないでくれ」

 

「何をわけのわからないことを言ってんのよ」

 

「僕に同じことを二度言わせないでくれ。無駄だ。だが敢えて言ってやるよ、何が言いたい」

 

そういうとそいつはやがて溜め込んでいたフラストレーションを爆発させるかのように。

叫び声や罵声こそ上げないが、確かな敵意でもって僕に。

 

 

「オマエがそんな態度してるから、  が傷つくのよ」

 

「……ああ、君は彼女と親しかった……かな…? でも僕には関係ない世界だよ」

 

「本当に風邪で休んだと思ってんの?」

 

「本当も何も、事実として今日来ていないんだ。こんなしみったれた高校に来たくないのも無理はないがな」

 

「  がそんな不真面目な娘なわけないじゃない」

 

「それは君が決める事なのか? そして僕でもない。彼女がどうしたいか決めただけだ。その結果として今日休んだのだから、それ以上の理由はない」

 

どうして女ってのはこうも理論が破綻しているんだ。

僕がどう正論を並べようと、関係のない話題に転換しだす。

粗探しをしたいらしい。そのうちに自分を正当化していくんだ。

僕はその例外に出会えた試しは今のところない。

何故ならば僕と会話する奴は例外なく僕に対して不満を抱くからだ。

なんだかんだで、彼女もそうさ。

 

 

「これは余計なお世話かもしれないが三年のこの時期、君も君の将来のために勉強した方がいいんじゃあないのか。あいつと仲良くするのは君の勝手だが、他人の心配をする余裕が君にあるのか?」

 

「そりゃ、アタシよりオマエの方が総合的に頭がいいだけよ」

 

「頭の出来ってのは、努力すればほんの少しは差が縮まるんだぜ。君にセンスが無かったとしても、高校卒業のレベルなんて遙か昔から決まっているラインだ」

 

「何」

 

「これも事実だ。つまりテストの点数を上げる事自体は簡単だろう。そこに意義を見出すかは人それぞれで、僕に言わせりゃその意義を見い出せない奴が努力するんだ」

 

「やらなきゃ点数はついてこないでしょ」

 

「努力は自分のためにならない。僕が仮に教科書を読み漁っていたとしたら、それは目的のためにやっているんだ。テストや、成績、あいつは頭がいいだとかそんな話はどうでもいい、事実として僕より点数が上の奴は居るんだからな」

 

「ならなんのためにオマエはそんな……他人を、  を傷つけるような、馬鹿にするような言い方をしてるのよ」

 

やはり破綻しているじゃあないか。

そしてそれは愚問だ。解り切っていると思っていたよ。

少なくとも二年間同じクラスだった奴の言う事がそれとは。

 

 

「決まっている。面白い話を書くため、そしてそれを読んでもらうのが僕の幸せだ! どう評価されようが構わない。何も知らない奴に何が書ける!? 僕は創作のためにどんな事でも調べている、僕のためじゃあない」

 

「オマエ……やっぱり、どうかしてる」

 

「変人、皇帝、好きに呼べばいい。僕には関係ない。ただの記号だ。そして引退した部活に顔を出す気もない。僕はさっさと帰りたいんだ、話はもういいだろ」

 

「……ねえ。アタシに一つだけ教えてよ」

 

「何だ」

 

そろそろ僕のイライラも限界なんだ。

くだらない質問なら今後二度とこいつの話は聞かない。

手を出さないだけ僕は優しい方だ。

冷静に物事を考えられない奴の筆は、落ち着かないからな。

 

 

「オマエは、  の事をどう思ってるの……?」

 

どう、か。

そう聞かれたら簡単じゃあないか。

やっぱり愚問で、最初から無意味な会話だったんだ。

この理不尽な感情も創作に役立てばいいんだがな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君は彼女の友人なのに知らないのか? 僕も、ただの友人だ」

 

 

 

十一月の風は、やけに僕の身に染みた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――誰だ。

 

 

「おい、どうした明智」

 

「――ん?」

 

「何か"我ここに在らず"って感じで、暫く停止していたが」

 

ふと気づけばすっかり陽が没しかけている。

何やら意識を失っていたらしい。昏倒か? 怖いぞ。

ディスプレイに突っ伏してはいなかったようだが。

そして外は、きっと一月ならばもう既に夜の手前の空模様だろう。

右手の時計を見ると十七時近くだ。

そろそろ"マジックアワー"がお目にかかれる。

 

 

 

とりあえず心配そうなキョンに応じる。

 

 

「……いや、何でもない」

 

「そうか。お前もスランプかと思ってな」

 

「は。人の心配をする余裕があるのか」

 

「ないから言ってるのさ」

 

キョンとそんなやりとりをしているとようやく涼宮さんが部室に現れた。

二日前まで"編集長"と書かれていた腕章は、既に"鬼編集長"にアップグレードしている。

確かにSOS団以外で機関誌の内容作成を依頼された連中からすれば鬼以外の何者でもない。

 

 

「どうよ。みんな捗ってる? 最低でも一回は今週中に提出してもらうわよ。それが無理なら休日返上だから」

 

「………」

 

「明日には私も下地が出来るかしら」

 

長門さんの進捗は未だ不明だ。

しかしながらこの部室内で一番タイピングをしていたのは彼女だ。

逐一涼宮さんに提出していたみたいだし、きっと一番乗りだろう。

朝倉さんに関しては進捗どころか内容さえ予測不可能。

"ピカレスク"とはだいたいからして機関誌向きかどうかで言えば、味にはなる。

だがジャンルとしては騎士道精神とか王道とかではない。悪の話なのだ。

そんなのが彼女に的中するとは、涼宮さんは本当に恐ろしいと思う。

何なら俺の指定ジャンルはハードボイルドなんだから。これも無茶だろ。

 

 

 

妥協しない、だなんて考えは俺にまだまだ出来そうはない。

でもその必要はまるでないんだ。俺は最近ようやく気付けた。

俺の弱さを朝倉さんが強さで補い、彼女の強さを俺の弱さで裏打ちさせる。

お互いに無いものを俺たちは持っている、二人で居ればきっと負けない。

それが涼宮さん相手でも、きっと、立ち向かっていけるさ。

 

……やらないけど。

朝比奈さんはちょうどいい童話が思いつかないらしい。

 

 

「うぅん。これで行けるといいなあ……」

 

「どうやら僕は休日出勤になりそうですよ」

 

「と言うか、残りのリミット的に休日出勤は当然じゃないのか」

 

仮に明日で全部ゴーサインが出ても駆け足の作業だ。

俺たちだけではない、他の部や人間にアウトソーシングもしているのだ。

製本完了まで一筋縄とはいかないのである。

 

 

「おいキョン、よく気づいたな。でもお前がそれを提案したら今週中に提出できない事が前提になっている気がするよ」

 

「一日二日で何か書けってのが無理だ。長いスパンがよかったね」

 

「それはあの会長殿に言ってあげなよ」

 

「何言ってるの? キョン。一週間もあれば充分じゃない。この間のゲーム対決だってそうよ。一週間あれば何でも出来るのよ! ラクショーのパーペキだわ」

 

「おめでたいなお前は」

 

そう言ってやるなよ。

俺だってそうだけど、彼女は楽しくて仕方がないのさ。

なんだかんだ言っても涼宮さんは孤独が嫌だったんだ。

入学当時の涼宮さん、その他人を突き放す態度にはきっと意味がある。

俺の勝手な見解だけど、彼女は上っ面だけの付き合いが嫌だったんだ。

そんなつまらない連中を腐るほど見てきた。その結果、彼女が腐りかけた。

 

 

 

お前はそれを救ったんだよ、キョン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……お前が"鍵"なんだ。

 

 

 



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第五十九話

 

 

小説のジャンルなど、得てして多数のものが複合されている。

 

最近はどうもキマイラじみている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり涼宮さんのくじによってジャンルが設定されたと言えど、それ一つだけではない。

アクションものを書いたとして、ラブロマンスだってあった方がわかりやすいだろう?

映画なんかはとくにそうだし、小説においてもそこまで差は無い。

いかに文字を活かすか。それだけである。

 

 

「……いやね、うん、いいと思うよ朝倉さん」

 

「わざわざ難解に書くのは疲れたわ」

 

「初めて書いたとは考えられない、"ピカレスク"を実に理解していると思うよ」

 

「わざわざ調べたもの」

 

「でも、さ、これさ……」

 

やっぱり俺が出てるだろ。

知らない人が見たらわからないと思うけど、俺にはわかった。

 

 

「いいじゃない。涼宮さんは何も気にしてなかったわよ」

 

「単に悪役を描けばいいわけじゃあない。モノローグに挿話を加え、社会や世界に立ち向かっていく……。そうだよ、それがピカレスクさ。とくに日本人は明るい話が好きなんだ、単に暗い話にすればいいわけじゃあない」

 

「問題はないわよね」

 

「……オレがどうこう言ってもしょうがないさ」

 

印刷された原稿用紙を朝倉さんに返す。

今日は土曜日だが、どうやら団員の作品に関しては問題ないらしい。

キョンもズバッと書き始めている。

 

 

 

明日は休みだといいんだが、な。

その辺はお前さん次第なんだよキョン。

 

 

「ようやく出発進行か。そのまま機関車の如く突き進んでくれよ」

 

「……お前は来なくても良かっただろ」

 

「それはノルマの話だろ? キョンだってこの前みんなで製本作業にかかればいいとか言ってたでしょ」

 

「なら放っておいてくれ。……それに今日終わるとは限らん」

 

「オレに散々ヘルプを希望しといてその扱いたあ、泣けるよ」

 

「感謝はしてるがそれはそれだ」

 

さいですか。

古泉はいつも通り気味の悪い笑みを浮かべ。

 

 

「どうやら無事に完了しそうですね。涼宮さんたちが戻ってくるまでには終わればいいのですが」

 

「古泉。そりゃ厳しいな。あることないこと書くのはこんなに辛いなんて思ってもいなかった」

 

「いい人生経験だろ」

 

「だったら俺はこの一年間でどれだけレベルアップしたんだろうな」

 

「……十三ぐらい?」

 

「世知辛いじゃねえか」

 

世の中そんなもんだよ。

現在朝倉さんを除く女子三人娘は、なんと土曜にも関わらず各方面の自宅を廻り、成果物を回収している。

下手な借金取りより恐ろしくて仕方がない。これで朝比奈さんが居なかったら谷口はショック死するな。

ただ、コンピ研の連中に関して言えば昨日の段階で既にゲームレビューを提出していた。

ちなみに、ヤらしいゲームについては取り扱っていないぞ。

俺にはよくわからないテーマのアクションとか、シューティングとか、シュミレーターとか。

自分で買ってやろうとは思わないが、それらソフトに関してはしっかり書いてあった。と思う。

 

 

「嗚呼、俺は朝比奈さんのお茶が恋しい……」

 

「僕でよければ淹れましょうか?」

 

「それを飲んだ瞬間に俺の執筆は永遠に停滞するだろうな」

 

「では遠慮しましょう」

 

「それ俺がする方だろ」

 

ちなみに俺だって古泉のお茶は飲みたくない。

コーヒー派の俺でもお茶に興味を持てるぐらいには朝比奈さんは凄い。

キョンの場合はただの現実逃避でしかないのだが。

 

 

「しかしながら、こういうのも実に面白いものですね」

 

「次はもうやらなくていいからな」

 

「ですが年に一回は機関誌を発行した方がいいでしょう。会長ではありませんが伝統は重んじたいものです」

 

「それは長門と明智に任せる。俺はもういい。少なくとも恋愛小説だけはごめんだ」

 

「ふざけんな」

 

「ぶざけてねえよ」

 

朝倉さんはこっちの会話に入るつもりは無いみたいだ。

ミネラルウォータを飲みながら他の団員が出した原稿を読んでいた。

暇つぶしのつもりらしい。

 

 

「涼宮さんはあなたの過去に興味があるのですよ」

 

「俺の過去なんか何もないぞ」

 

「そうかもしれません、ですが、そうじゃないかもしれません。あなたの価値観と涼宮さんのそれが違う事はご存じかと」

 

「とっくにな」

 

「別に後ろめたくなけりゃいいんじゃない? この勢いで覚えてる事全部書きなよ」

 

「馬鹿が。誰も得しねえよ」

 

「では僕の過去はどうでしょうか」

 

「……意味がわからん」

 

さも得意げに古泉はそう言った。

個人的に気になる方ではあるが、別にいいよ。

 

 

「こう見えて僕にも色々あるのですよ。超能力者とは関係なしに、常人とは違う日常を過ごしてきました」

 

「お前が常人だったら俺の方が異常者になっちまうからな」

 

「その僕が味わってきたものの片鱗を知りたいとは思いませんか?」

 

「面白そうだね」

 

「そりゃ、どっちかと言えば知りたいが」

 

「残念ながらこの場に相応しい面白可笑しいエピソードはありません。『機関』に関してもそうですよ。内部では本当に色々あります」

 

「そうかい。なら寂しくなったら聞いてやるさ」

 

「いつか自叙伝でも書こうかと思ってるぐらいです……。明智さんはどうですか?」

 

最初から俺を狙っていたかのようなキラーパスだな。

まるで俺が話す空気になったとでも勘違いしてないかお前さんは。

 

 

「どうもこうもないさ。オレだって普通だ」

 

「嘘つけ。普通の奴が異空間に部屋を造ったり、UMAや宇宙人をボコボコにできるかよ」

 

「あの時の偽者は例外として、周防九曜はマジできついって。タイマンだったらまず負ける」

 

本当に朝倉さん(大)が居なかったら詰んでいた。

一張羅もそうだけど、中のシャツだって使いものにならなくなったんだ。

裂けるわ穴は開くわ血がべっとり付くわ。もう二度と御免だ。

でも、二度ある事は三度あるらしい。正確にはファーストコンタクトを入れると四度目。

本当に来ないでくれ。谷口、お前の彼女だろ、何とかしろ。

 

 

「互いの全てを知り得るなど、それはとても稀有な事なのです。仮に過去を知り合ったとしても、現在進行形の感情までは無理でしょう」

 

「そうかしら?」

 

視線は原稿用紙に向けながら朝倉さんが古泉の言葉に反応した。

どうでもいいから変な事は言わないでくれよ。

 

 

「はて、どういうことでしょうか」

 

「それはあくまで稀有なだけに過ぎないって事よ」

 

「なるほど。我々は確かにそう言える存在でしょう。それに、朝倉さんであれば猶更」

 

「一応言っておくけど、オレは読唇術は出来ても読心のほうはてんで無理だ」

 

「僕なんかそのどちらも出来ませんよ。ですが、言葉が不要な時というのもあるのは確かかもしれません」

 

「そうね」

 

「……続きにかかるとする」

 

それから暫くして涼宮さんと他二名は戻って来た。

俺からすれば機関誌の表紙など、適当なタイトルだけが印刷されていればそれでいい。

しかし肝心の鬼編集長はそれを許すはずもなく、挿絵のみならず表紙まで書いてもらってきたらしい。

谷口と国木田のノルマこそ引き伸ばしがあったが、月曜には無事に全ての内容が出揃った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『11月15日 

 

 

自分が何を書けばいいのか

 

それはわからない

 

いや、こうして何か書くことできっと自分は否定しているのだ

 

現実から逃げているに過ぎない

 

11日の出来事について、今更後戻りしようとは考えていない

 

それは彼女からの逃避でもなく、妥協でもなく、侮辱にしかすぎない

 

 

 

……わかっている

 

今自分が行っている行為すら、実際はただの侮辱

 

最低限の思考能力を回復するまで

 

 

 

2日分だ、かかった

 

そう11月13日、この日を決して忘れないだろう

 

死んでも

 

 

 

肝心の11日についてを忘れていた自分だったが、悔やんでもキリがない

 

 

 

……ああ、そうさ、認めてやるよ

 

今でもひょっこり顔を出すんじゃあないか、そう思っている

 

死人に口が無いどころか、実体のない、ただの亡霊だというのに

 

今更、だな

 

 

 

 

だが一つだけ確かな事は

 

花は花なれ、人は人なれ

 

 

 

僕はもう

 

 

 

創作活動なんか、二度と、しないって事――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――さて、ここからは後日談とやらになる。

 

 

 

問題なく機関誌は完成した。

特別性能がいいわけではないコピー機で印刷した紙切れどもを、巨大ステープラーで纏め上げる。

因みにあれと打ち込み式のは本当に危険だ。後者に至っては数メートル以内なら充分人体に針が刺さる。

昔放送室の壁に向けて撃って遊んでいた記憶がある。危ないので絶対に人に向けてはいけない。

 

 

 

内容に関して触れさせてもらうと、歴代のそれと比較できないから何とも言えない。

だがこの機関誌単体だけで言うならば、俺の中では73点をくれてやってもいい出来栄えだった。

ちなみに基本的に辛口評価な俺にとって70点台は充分通用するレベルだと言う事になる。

見た目は度外視している、と言っても俺は80点より上はなかなか出してやらない。

俺の中での94点は良くも悪くも、【ハックルベリー・フィンの冒険】だ。

100点を出した事はない。俺がジーヴスに抱くそれは文化的かどうかという観点だけなのだ。

 

 

 

 

即日配布完了を確認したキョンは。

 

 

「一生分の文章力をそこに使った気がする」

 

「キョン、本気かよ」

 

「あたしは楽しかったな」

 

「そうですよね、朝比奈さん。俺も何か書ければいいとは常々考えていたのですが、如何せん……」

 

白々しい奴だな。

その様子を古泉と長門さんは無言で見ている。

しかし古泉は俺の方に何か言いたいことがあるらしい。

 

 

「どったの、センセー」

 

「………」

 

「これはちょっとした思いつきなのですが、修学旅行の件で」

 

はあ?

いくら何でも気が早すぎるだろう。

まだ三月で、しかもホワイトデーその手前なんだ。

春休みが待ち遠しい時期であり、修学旅行は半年以上後である。

 

 

「何せ、一日二日ではありません。そして合宿と違い『機関』が全部関わる訳にはいかないのですよ」

 

「本気で言ってる?」

 

「不可能だ、とは言いませんが。そんな事をしたら後が無くなりかねません。カネがどこからともなく湧いてくるのであれば別ですが」

 

本来ならば笑いながらイベントを考えるのだろう。

しかし古泉のそれは真剣な表情である。わかってるさ。

 

 

「お前さんはつまり、涼宮さんを楽しませるイベントについて俺に話しているわけじゃあない」

 

「ええ。その機会に便乗して『機関』の穴をついて涼宮さん……いえ、我々を狙う輩が動かないとは言い切れません」

 

「………」

 

「今の内から作戦でも練るのか? まだタイムスケジュールも出ちゃいな――」

 

「そう言うと思いまして、既に用意しました」

 

「――え?」

 

古泉の手には、極秘とハンコを押された白い小冊子。

ぱらぱらっと読むが、これはどうやらプログラムらしい。

修学旅行の。2007年度版の。

 

 

「こっちにカネ使うかよ……?」

 

「費用対効果ですよ。当然、『機関』とて日程中は動きます」

 

「でも、限界がある」

 

「よってあなたと朝倉さんにも協力して頂きたいのですよ」

 

「陰ながら、か?」

 

「大ごとにはしたくありませんので」

 

「……あいよ」

 

どうせそれは無理だと思うけどね。

うまくいった試しがないからだ。

 

 

そして今からこんな懸案事項を抱えるのか?

半年以上も後なのに?

 

 

まだ二年生にもなってないんだがな。

どうもこうもないじゃないか。

 

 

 

 

そして各方面へのあいさつ回りを済ませ、遅れてやって来た涼宮さん。

彼女は置かれていた文芸誌がきれいさっぱり消え去った長机を見て、満足そうに。

 

 

「……うん。じゃあみんな、あのヘボノッポの所へ行きましょう。ぎゃふんと言わせてやるのよ!」

 

生徒会に報告しにいくようだ。

それもわざわざSOS団全員で。

会長殿は悔しがらないと思うけども。

 

 

「この話はまた後程に」

 

「聞かなかった事にはしないでおいてやるさ」

 

「これも、世界平和のためですから」

 

「いいや違うね。SOS団のため。それでいいだろ?」

 

「はい」

 

 

 

 

 

――だけど、いつも通りに。

 

 

「それも今日じゃあないのさ」

 

 

 

 

 

 

 

当面はホワイトデーのお返しが、俺の課題だった。

 

 

 

 

 








【没タイトル】



・編集長★滅多刺し!
物騒すぎる。
これではまるでハルヒが刺されるみたいである。


・異世界人こと俺氏の残業
世界観が違う、何よりもとの憤慨が二話収録なので没。


・俺氏とユカイな文芸部員たち
多分こっちでよかった
 



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アイドリング・ゴースト
イノセンス・デイ


 

 

借りは返す。

 

やられたらやり返す。

 

右の頬をぶたれたら右ストレートでぶっ飛ばす。

 

有史以来の人間社会、常識中の常識だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別に俺は北高生の間で何を言われたところで俺自身には常識があると考えている。

いつも適当な態度、戯言を絶やさない、だから変人呼ばわりもされる。

それは普通に会話したところで何も楽しくないのが事実だからだ。一種の人間観察。

いいや、そんな趣味嗜好などどうでもいいのだ、今回話したいことは既に述べている。

それにあたって、まずは先月の話から始める必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、二月十四日。

 

 

 

もう冬は終わると言え、俺の一張羅は昨日の戦闘で廃棄せざるをえなくなっていた。

不幸中の幸い――いや単なる不幸だが――中に着ていたシャツはお気に入りでもなんでもない。

やや不気味なネコが描かれている、黒地のものだった。猫に罪はない。

 

 

「……」

 

そして俺はこの日、ありがたいことではあるが若干、ほんの1ミクロンの迷惑さを感じていた。

机に並べられたのはチョコレートであり、それらはSOS団の女子から貰っているものだ。

例外なく手作りなのだが、プラスアルファとして置かれている母によるそれはデパートの一角で購入したものだろう。

とにかく、俺はこの処理に追われていた。

 

 

「……」

 

黙っていてもやがて不味くなる一方でしかない。

コップに注いだ牛乳でもって俺は今日の晩御飯をチョコレートとすることにしたのだ。

この場合に限り、楽しみは最後だなんて馬鹿な事は言ってられない。口の中が飽和する。

よって朝倉さんのそれが一番最初に手をつけられるのはごく自然の流れであった。

 

 

「ビューティフォー……」

 

話し相手が居ない以上、俺は独白していく他ない。

今日は月曜であったが北高の特別クラスの推薦入試日に使われ、生徒の登校はない。

祝日の先週金曜を含め四連休とは聞こえがいいが、俺は本当にそんな事を感じてはいない。

何せ四連休にも関わらず休めていないからだ。全く、どうもこうもあるか。

唯一今日に限っては平和だったが、未だ貧血気味な俺にできる事は水のがぶ飲みだけである。

やがて数十分に及ぶ死闘の末にチョコレートを完食したころには貧血とは別に気分が悪くなっていた。

もう暫くはチョコレートなど見たくない。だと言うのに。

 

 

 

突然本当に迷惑な電話がやってきた。

 

 

「……もしもし」

 

『へっ。明智』

 

「……何だ、谷口。昨日の今日でオレに電話を返すような案件があったのかよ」

 

『それが他でもねえ。俺は貰えたんだ』

 

「……一応聞いてやる……何を、だ」

 

『チョコレートに決まってらあ』

 

そうかそうか、良かったな。でも聞きたくもない単語だ、それは。

聞くまでもなくその相手は周防九曜なんだろうさ。

俺の意見が採用されたのだろうか。宇宙人は基本不可能がないからね。

谷口はオカンから貰っても喜ぶようなとても情けない野郎でない限り、だが。

 

 

「良かったな、昨日の彼女だろ? 逃げられないようにするんだね」

 

『ついにこの世の春が来たんだ。何言いたいのかわからん女ではあるが、可愛げもあるじゃねえか』

 

「はいはい自慢自慢良かった良かった春だ春だ」

 

『もっと祝え』

 

そろそろこれ切ってもいいよな?

俺なんか基本的におおっぴらに朝倉さんどうこうは言わないんだぞ。

それに季節で言えばもう暫くもしない内に春が訪れる。例外なく全員に。

とにかく今日が休みで良かったと思う。これまた他の奴ら――男女問わず――が俺にチョコについて根掘り葉掘り聞こうとするのだ。

そして一部の悲しい方々にとっても、十四日にチョコが貰えないというダメージが軽減されるだろう。

中立が一番儲かるのだ。

 

 

「谷口よ、それだけが言いたいならメールにしてくれや」

 

『なら後で画像を送ってやろう』

 

「………お、おうよ」

 

『これから堪能させてもらうからな』

 

言うだけ言って奴は電話を切った。

好きにするといい。俺は周防を殺す気なんてサラサラないのだ。

裏で糸を引いてる奴を倒せばそれでいいんだろ? 

情報統合思念体とは俺が仲立人になればいいんだからさ。

で、直ぐにそのメールとやらは来た。

本当に見たくもなかったので暫くは放置してたが、寝る前に見てやることにした。

 

 

「……驚いたな」

 

以外にまともな、芸術的な出来栄えであった。

丸型で、紫色を交えたマーブル。

一応手作りだと思われるが、オサレなお店に行けば売ってそうだ。

 

 

 

どんな意図があるにせよ、谷口だけは巻き込まないでやってくれ。

文字通り"でしゃばり"な地球外知性の人型イントルーダ―さんよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――で、そんな話は今からちょうど一ヶ月前。

現在は三月十四日であり水曜日だ。

球技大会の話をする前に、先ずはこの日について語らせてほしい。

いや、それよりも先に作戦会議の方からだ。

 

 

「ホワイトデーについて、だ」

 

「……こんな所にわざわざ呼び出して、話し合う内容がそれか」

 

「僕は重要な事だと思いますよ」

 

「オレが呼び出した必要性もそうだ。キョンにとってどうでもいいと思うのなら、帰ればいいさ」

 

「ハルヒはさておき、朝比奈さんにはしっかりとしたお礼を返したいからな」

 

やれやれ、素直じゃないなあ。

 

 

 

さて、ここは俺の"異次元マンション"その一室の301号室。

今まで来客用として活用していたのは基本的にここであった。

文芸部的機関誌作成を完了したちょうど次の日、放課後の部活終わりの事だ。

 

 

「しかし、三人寄れど俺たちがどうにかできるとは思えんぞ。文殊の知恵どころか烏合の衆だ」

 

「オレたち一人ずつよりマシだと思ったんだよ」

 

「しかしながら彼女らにお返しをするとしても僕たち全員が同じものを、とはいかないでしょう」

 

「そうだ。何かプランはあるのか?」

 

ふっ。キョン。

よくぞ聞いてくれたな。

 

 

「……ないよ」

 

「おい」

 

「つまり、最低限被らないように集まったというわけでしょうか」

 

「そうそう」

 

「何も考えてないのに被るも何もあるかよ」

 

「でもオレたちは三人な訳だよ」

 

彼女らは一人当たり三つ貰う計算になる。

製造先が違うにせよ、全員からクッキーを渡されて嬉しいだろうか。

これは偏見だが男子が女子から貰うのと、女子が男子から貰うのは違うんだよ。

朝倉さんにその辺を聞いたところで客観的なデータになるとは思えない。

 

 

「王道を行くとすれば、マシュマロ、クッキー、キャンディの三パターンが挙げられます。後はケーキでしょうか、ホワイトチョコレートというのもありますね」

 

「いずれにしても俺たちで作れるわけはないな、俺は出来ん。どうだ」

 

古泉は首を横に振る。

 

 

「オレだって無理だよ。専らスイーツに関しては捕食者サイドだ」

 

「無難に買い出し、という事ですね」

 

「そうなるだろうな」

 

「自分はこれがいいって人は居るか? なければジャンケンで決めよう」

 

「俺は別にどれでもいいんだがな」

 

そりゃそうかもしれないけど、そんな投げやりな気持ちではお礼にならない。

お礼とは心の所作であり、心が正しく形を成せば想いとなり、想いこそが実を結ぶ。

……らしい。

 

 

「わかってないな、キョン」

 

「あん?」

 

「そう、やられたらやり返す……。倍返しだ!」

 

古泉は未だに笑顔のままだがキョンの表情は崩れた。

いかにもこいつやばいよと言わんばかりである。

 

 

「いや、復讐するわけじゃねえだろ」

 

「ホワイトデーは数倍返し。世の女性方はそれを期待しているそうですよ」

 

「……でもSOS団は例外なんだろ?」

 

「阿呆が。そんな気持ちでお礼が出来ると思っているのか、お前は」

 

「今日の明智はどういうキャラなんだよ」

 

「ですが時には折れることも必要です。この場合はそれが普通なのですから」

 

常々思うのはキョンの懐事情である。

彼の家が暮らしになんら不自由していないとはいえ、バイトも何もしていない。

必然的に小遣いなのだろうが、よくも毎度市内散策で奢れるものだ。

実はお前普通じゃないだろ。

 

 

「とにかく、最初は、"グー"だ」

 

俺はこの時もう少し能力を有効活用できないのだろうかと思い始めていた。

未来の俺がやったらしい203号室は何だったんだろう。

本当に異世界でも創ってるんじゃあないのか? 

その方が自然だが、今の俺にそんな芸当はできない。

 

 

 

部屋があるだけありがたいとは、このことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして現在は朝倉さんの家。夕方の学校帰り。

 

 

 

未だ短縮授業にならないのは北高ならではである。

二週間としないうちに春休みだと言うのに。

球技大会を開催するくらいならば休みを増やしてほしい。

 

 

「――というわけなのです」

 

「どういうわけよ」

 

結局二位だった俺はマシュマロをあえて選択した。

キャンディの権利はビリの古泉にくれてやった。

たかがマシュマロではあるが、コンビニに置かれているようなそれではない。

高級専門店で仕入れた。通販だ。

 

 

「ふーん。ま、あとでいただくとするわ」

 

「そうしてやってくれ」

 

そいつらはかわいらしい動物どもに擬態していた。

頭だけだが、かじりついてやるといいさ。

 

 

「ではこれで――」

 

要件は本当にこれだけだったので立ち去ろうとする。

が、動きが一瞬止まる。金縛りは直ぐにレジストされたが。

 

 

「う、……ちょ、何を…」

 

「せっかくあがっておいて五分もしないで帰るのかしら」

 

「いや、で……」

 

とりあえずこの身体の負荷をどうにかしてほしい。

押しつぶされるほどではないが、明らかに制御が効かない、重い。

どう考えても朝倉さんの仕業じゃあないか。重力を上乗せされる。

そして左手をホールドされた。

 

 

「ふふっ。捕まえたわ」

 

「あの、こ……解除し……」

 

「うん、それ無理」

 

何故に。

 

 

「今日は明智君が買ってきたこれを一緒に食べるの。終わるまで帰さないわよ」

 

いつそれが決まったんでしょうか。

こちらは苦しさ故に会話さえままなりません。

だがさっきの口ぶりでは後回しにするみたいな発言であった。

俺は納得したい。納得できる理由を求める。

 

 

「それは私が今決めたのよ」

 

「…え……そ…ま、……マジ………か……」

 

「マジよ」

 

本気らしかった。

その後、とても詳細を語りたくないような食事会が行われた。

俺はロクに手足を動かせなかったのでまさかの口移しまでされた。

悪い気はしないけど恥ずかしいよ。それがしたくて計算してやったんじゃないだろうな。

 

いや、本当に。

最近はどうもつくづく思うけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――"感情"って、"理不尽"です。

 

 

 



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ポップ・ゴーズ・ザ・ファントム その一

 

 

 

仮に、"幽霊"が存在するとして。

 

そいつが見られる世界はどんな色なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……俺の"世界"は、かつて白と黒だった。

 

今は違う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

是非とも幽霊いや亡霊どちらでもそうだが、とにかく霊的な感覚は皆無な俺からすれば出ない方が良い。

いや、実際には出ても出なくても判らないだろうし解らないのであって分からないから別に良いのか?

どこぞの俺を騙した電話の女はさておき、死後の世界に対して俺は否定的だ。

思うにそれはそれはつまらん世界であろうからだ。

やはり、完全なる死の忘却がそこにあるだけなのだ。そう、忘却であり虚無。

人が死ぬのは、生命活動を停止した時ではなく、人の死は、忘れられた時らしい。

……本当にいい言葉だと思うよ。

 

 

 

 

去年の十一月、SOS団自主制作映画の編集にとりかかった時の俺とキョンの会話だ。

いかにもキョンは疲れたと言わんばかりの溜息を吐き出し。

 

 

「……これ、来年もやるつもりなのか?」

 

「さあ。わからんよ」

 

「古泉の話によるとハルヒのパワーで現実世界がやばいそうじゃないか」

 

「でも、結局は大丈夫だったでしょ。フィクションなんだから」

 

「結果論で言えばそうだったがな、いつも運がいいとは限らんだろ」

 

「オレなんか幸運ってより悪運だけで生きてきてるようなもんだし、それに、いつも厄日ってわけでもないさ」

 

「……だといいがな」

 

キョンは何かを言いたげだった。

この程度の事は何回も既に話していることなのだ。

文字通り不毛な会話以外の話があるのならば聞くことにする。

 

 

「なあ、明智よ」

 

「……何かな」

 

「お前は人間が死んだらどうなると思う……?」

 

慌ててディスプレイから視線を外し、キョンの方を向く。

何が気になるわけではなく、ただ俺の話が聞きたいだけのようだった。

さて、どうすりゃいいよ。

 

 

「宗教的な話をすればいいのか?」

 

「どうでもいいさ。お前の考えが知りたいだけだからな」

 

「なるほどね。……オレは、そもそも人間が死んだとして、その先は無いと思う」

 

「天国地獄を否定するのか。それは何でだ」

 

「実際にはオレだって観てきたわけじゃあないさ。でも、ただ何となくオレはこう強く思うんだ」

 

「何を」

 

「『花も花なれ、人も人なれ』と」

 

そもそも、人が人を殺す必要なんてないんだ。

ある海外の探偵ドラマで聞いた台詞だ、『何故殺す? みんなどうせ死ぬのに』。

細かい部分は忘れたが、そんな感じの台詞だったと思う。

それが遅かれ早かれなのだ。必ず、死ぬ。

 

 

 

キョンは俺が言った言葉を聞いたことがなかったらしく。

 

 

「そりゃどういう意味だ」

 

「明智光秀さんのその娘さんの世辞の句さ。実際にはもう少し長いが、オレはこの部分だけで充分だと思ってる」

 

「で、まさかお前がその末裔なわけないよな」

 

「当り前だろ。……ようは、潮時を間違えるなって事だよ。この場合は人生についてだ」

 

「それが死後の世界にどう関係する」

 

「せっかく名誉ある死があったとしても、結局その先があったらオレは逆に馬鹿馬鹿しくなるよ。彼岸世界なんて無い方がいいんだ。無い方が、幸せなんだ」

 

「まるでお前は観てきたように言うじゃないか」

 

「だったらオレは、正真正銘の"怪物"だよ。レイ=フリークスさ」

 

「少なくとも北高において有名人、いや怪物扱いなのは確かだがな……。なら」

 

俺の根拠のない否定論を聞いたキョンは、続けざまに。

 

 

「幽霊も存在しないって言いたいのか?」

 

「うーん。どうなんでしょうねー」

 

「やけに適当になったな。主張がブレてないか」

 

「ならちょっと学説的な話をさせてもらうよ」

 

「いつも通りだ、好きにしろ」

 

「無い……とは言い切れないんだ、これが」

 

「何か理由があるのか」

 

受け売りになるが、俺だってそう思ってるからな。

話しながらだと編集がままならないので一時保存し、中断する。

いつもの長机に座り、相対する形でパイプ椅子に座した。

キョンじゃないが朝比奈さんのお茶が恋しくなるね。

 

 

「お茶が出せないのが申し訳ないね」

 

「構わんさ。お前にそれは期待してない」

 

「そいつはよかった。……キョンは、"素粒子"ってのを知ってるか?」

 

「知らん」

 

「だろうね。簡単に言えば、一番小さい物質単位さ。お前もオレも、人体を構成しているそれは素粒子だ」

 

「それで人体に対して説明がつくのか? どう考えても歯や爪は肌と違うぞ」

 

「当然だけど素粒子にも色々あるさ。キリがないからそこについては説明しないけど」

 

「で、お前は物理の教師にでもなりたいのか?」

 

「オレが今回、生物学じゃなくて物理学について語りたいってよくわかったね」

 

「お前はいつもそっちが好きそうだからな」

 

確かにそうだ。

生物学に対する知識は多少あるが、楽しいのは物理の方だからね。

でも、一番好きな科目があるとすればそれは世界史だ。

歴史の過程があって、今があるからね。

忘れるのは馬鹿がすることだ。笑えない。

 

 

「無から有は、生まれない。正確には生まれる事はあるが、人間の手でそれを駆使はできない。再現性は低い。これはこの世界の絶対法則。それが出来るのは神と呼ばれる超越的存在くらいだろうさ」

 

「ハルヒの願望を実現する能力とやらは、無から有を……お前の言うところの素粒子を発生させていると?」

 

「でも一部の方々はその意見に否定的なんだろ。オレは涼宮さんについて語りたい訳じゃあないからいいんだけど」

 

「なら何だ、幽霊も素粒子って言いたいのか」

 

「かも」

 

「それだけで幽霊を否定できなくなるってか? 目に見えないほど小さい粒になっていると」

 

「しかし実際にこんな話もある」

 

どっかの本で読んだ気がする。

実際に俺が検証したわけではないが。

 

 

「死んだ人間の身体が、ほんの少しだけ軽くなっている。と」

 

「……どういうことだ?」

 

「朽ちるにしても、それは多少の時間がかかる。でも、そうじゃあない。死んだその時から軽くなるんだ」

 

「どうして」

 

「それは所謂"魂"ってのが抜け出したから、だって考えてる連中がいる。魂は素粒子だ。人智を超える世界はまだまだある。……事実かは知らないけど」

 

「……勘弁してくれ。どうでもいいが、俺は呪われたくないんだ」

 

そりゃそうだろうな。

キョンは目頭を指で押さえている。

 

 

「『Pop goes the ghost!』 幽霊が出てきたってね」

 

「ハルヒがオカルトに傾倒してないのを願うばかりだ」

 

「でも宇宙人なら幽霊と戦えるんじゃあないの。オレは無理だけど」

 

「知らん、もういい。……そろそろ真面目に仕事するか。サボるとハルヒに怒鳴られる」

 

「アイ、アイ、サーっ」

 

とにかく幽霊が実在するとしても、俺は誰かに会いたいだなんて思ってはいなかった。

そりゃそうだろ? 別にシャーマンと呼ばれる人たちが本物だとしても、俺にはどうでもいい。

話す事など、何も無いからだ。俺は死ぬのが怖いんじゃあない、きっと、知るのが怖いんだろうな。

 

 

 

こんな話は忘れててよかったのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三月の上旬。

いや、もう中旬に差し掛かっていた。

 

 

 

わざわざ説明する必要はないが、この時期の学校のそれは"消化試合"に他ならない。

授業だってもうやる必要がないのにやっている感がある。真面目な奴からすれば時間を無駄にしたくないだろう。

だが俺は真面目というわけではない。自分の"図書館"にある本を、ただ、書き写しているだけ。

それが俺にとっての勉強であった。一度知り得た知識は全て"本"と化す、本はかけがえのない財産だ。

 

 

体育館の両脇、キャットウォークに座り込んでいると谷口が。

 

 

「つえーな、ウチは」

 

「女子だけじゃない?」

 

「国木田の言う通りだな」

 

俺もそう思うよ。

男子のパフォーマンスなんて程度が知れている。

もともと期待なんか1パーすらしちゃいなかったさ。

断言してやってもいいがこの1年5組内での男子最強は俺だろう。

だが無敵ではない。強さの比較値でしかないし、餅は餅屋だ。

それにしても体育系じゃない俺がそう思えるあたり、本当に程度が知れるだろう?

俺だって本気でやらなかったし、いや、やったらまずいでしょ。

 

 

「なあお前ら、どっちが勝つか賭けようぜ」

 

谷口が言うこの場合のお前らとは俺氏、キョン、国木田に他ならない。

ジュース一本ぐらいなら賭けてもいいが本当に不毛な賭けになる。

オッズは1:4だからな。

 

 

「きっと5組が勝つよ」

 

「俺も5組」

 

「じゃあオレは朝倉さんに」

 

「けっ。つまんねえ連中だな、賭けにならねえだろ」

 

事実女子に関しては無敵艦隊、大正義、暴虐の限りを尽くさんとする勢いで相手を屠る。

これが肉食系って奴なのか? いやいや、俺はカニバリズムに興味は無いぞ。

トマス・ハリスの【ハンニバル】は名作だけど。

 

 

「……俺だってあいつらとやりあって、生きて帰れる気がしねえ」

 

情けないが谷口の言う通りだった。特にこいつの場合は宇宙人持ちだ。

その最強チームのメンバーには涼宮ハルヒ、朝倉涼子、そして……。

 

 

「阪中佳実……」

 

さんだ。

今この瞬間に試合は決した、5組の勝ちで。

 

 

 

阪中さん、女子にしては高身長。

160cmある朝倉さんより高いだろう、周防よりも高い。

俺は体操服姿の女子を見ていて福眼じゃあ、とは言えそうになかった。

捨てたものは捨てたものであり、本来の持ち主に返すべきなのだ。

俺はそうした。まだ見ぬ俺がどうするのか、あるいはどうしたのかは知り得ない。

どっかのキテレツアニメでは、確か違う時間軸の同じ人物が出会うと世界がやばいみたいな事を言っていたな。

でもあれ嘘なんじゃあないのか? 原作では意識がないながら朝比奈さん同士が存在したシーンもあったし。

とにかく。

 

 

「……やりづらいんだろうな」

 

俺は無口キャラで行く事にしよう。

だからキョン、俺に会話を振るんじゃあないぞ。

お前に限らずキラーパスは本当に勘弁してほしい。

古泉はいつも仕掛けてくるからな。

 

 

 

因みに古泉が在籍する9組はそこそこ勝ち上がっていたが優勝ではない。

それどころか俺たち5組男子は9組に1落ちさせられたのだ。

頭脳だけが取り柄だと思っていた連中に土を付けられる。惨敗。

圧倒的屈辱であるが、俺は気にしない。

だって負けたのは俺のせいじゃあないんだから。

 

 

 

そしてこの『お前らが退屈だって言うから開いてやったぞ、感謝しろ』と言わんばかりの球技大会。

そんな事するなら休みを増やせ、授業を減らせ。

男子はサッカーで女子はバレーボール。はぁ、ドッジボールなら俺一人でも勝てるさ。

レイザーよろしく相手に死を予感させる球をぶつけていけばいいのだ。

サッカーにも言えるが、こういう時に"伸縮自在の愛"を使えると便利なんだろう。

本人の肉体スペックに依存される面はあるが、あの能力は単純だが便利だ。

ヒソカはよくあれを思いついたと思う。ピエロのくせに頭はいいんだよな。蟻と戦わないし。

 

 

 

一仕事終えた女子たちを眺めながら国木田は。

 

 

「それにしても、やっぱりすごいよね。女子は」

 

「そう言うと俺たちは悲しくなるぞ、国木田」

 

「だが実際そうだぜ。体育祭といい、あいつらハリキリガールもいいとこだ」

 

「谷口、お前は自分の彼女が大人しいからってそう言ってるんじゃあないのか?」

 

「最近俺はあれも悪くないと思い始めてんだ」

 

何故か時々やけに舌が回るけどね。

『この薬、第一の奇妙には舌のまわることが、銭独楽がはだしで逃げる』……ってな。

きっと周防は飲んでるに違いない。そのまま薬漬けで廃人になってしまえ。

二度と腹を抜き手で刺されたくはないのだ。……あいつはルイージかよ。

俺が使う"絶"とルイージさんの"絶"は別物だ。あっちは"縮地"だからな。

 

 

 

ともすれば国木田は不思議そうに。

 

 

「だけど涼宮さんも朝倉さんも、何で運動系の部活に入らないんだろ」

 

「だとよ、明智」

 

「涼宮さん担当はお前でしょ? 説明をセパレートしてもいいよ」

 

「へっ、そりゃ聞くまでもねえ。わけのわからん部活のせいだろ。そこの馬鹿のせいで朝倉まで後追いだからな」

 

「オレだって怖かった。部室に来られた時は死を覚悟したね。……やっぱりジャック・ニコルソンだよ」

 

「何が言いたいんだお前は」

 

キョン、古い作品だからわからなくていいさ。

もっと小説――この場合は映画だが――をとにかく見た方がいい。

精神の成長にも、退化にも、どちらにでもなる。それを見分けるのは本当の成長だ。

 

 

「どこに価値を見出すのか? ……結局、人生の中間点はそこにある」

 

「最終目標じゃないのか」

 

「まさか。何度も言うが、お前はそこで満足するのか」

 

そうだ、『結局のところ人間はそこにあるもので満足しなければならない』。

これ、俺が最初にお前に言った言葉だけど、元々は原作のお前の台詞なんだぜ。

キョンは涼宮さん相手に言ったんだろうか。それは俺が知らない世界だ。

 

 

でも、キョンは満足してないように言ってくれる。

 

 

「……どうだろうな。わからん」

 

「オレは違う。オレは、新しい"道"を選んだ」

 

「何の話?」

 

「国木田よ、明智の事は気にしなくていいぞ。部活じゃいつもこうだからな」

 

そう聞いた谷口は本当にどうでもよさそうな態度を見せてから。

どうでもいい自慢話を開始した。そろそろフられていいよ、お前。

 

 

「どうでもいいっつの。最近の俺の楽しみは日曜にあいつとぶらぶらする事だからな」

 

「それって例の彼女さん?」

 

「何を話すでもないんだがな、俺は後をついていくだけだしよ」

 

「けっ。どうにも俺の周りはお花畑連中が多い気がするぜ」

 

「いいことじゃあないか」

 

「どこがだよ」

 

……そう、こういうのは悪くないのさ。

何を話すでもなく、中身のない会話を続けていく。

それは余裕の裏打ちがあるんだ。平和、安寧、自由。

これこそまさに他愛もない友人との会話。

立派な青春模様さ。

 

 

 

 

 

 

 

――『ああ、そうさ、認めてやるよ』。

 

 

俺はこの時が、最後の平穏になるかも知れない事を感じていた。

 

そう、決着、あるいは戦争。

 

確実にその時は迫っている。

 

今や目の前だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……だが、今日じゃあない」

 

とりあえずワンクッション置かせてくれよ。

 

 

 

 



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ポップ・ゴーズ・ザ・ファントム その二

 

 

 

季節はまだ暖かいというほどではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山間部に高校があるのがそもそもどうなのだろうか。

無理矢理に解釈すればこれだって山じゃあないか。

北高の歴史に俺はついぞ興味を持ったことなどないのだが、にしても他に土地は無かったのか。

思えば俺が前世で通っていた高校も田舎だった。山の上ではないが、俺が済んでいる家からは10キロ以上遠い。

毎朝電車通学だ。しかも本数はそこまで多くない。乗り遅れればその分負担になるという不条理。

ただの人間観察をするにしては比喩として高い授業料を払ったような気分だよ。私立なわけないが。

その分敷地は広かったような気がする、北高もそれなりの規模ではあるが。

 

 

 

やはりキョンはそんな北高について、とくに山の部分において不満があるらしい。

と言っても、もうじき一年なのだ……いくら嫌な作業でも慣れるってもんさ。

俺だってかつては計一時間近い登校だったんだ。歩ける距離なだけありがたいね。

 

 

「でも毎朝毎朝だからな、俺はもうここの登山に慣れた」

 

「登山? これをオレの祖父さんが聞いたら大爆笑だな」

 

「そんなに熱心な登山家だったのか」

 

「元々健康的なお方でね。昔は自衛隊だったそうだ。退職してからは金だってあったろうに、全然使わずに質素に祖母さんと暮らしていたそうだ」

 

「で、登山は数少ない趣味ってわけか」

 

後は筋トレぐらいか。

白血病で他界してしまったのだが、入院する前までは本当に屈強だった。

多分今の俺が五十の頃の彼と殴り合っても余裕で負ける。

そんな人でも死ぬ時は死ぬのだから、やっぱりわざわざ殺す必要なんてないのさ。

頼むからそこを勉強してくれ、周防さん。

 

 

「正確に言えば、旅が好きだった。特に歳をとってからだと色々見ておきたいと思ったそうだ」

 

「なるほどな。俺は疲れるのが好きではないが、良い事なんじゃないかそれは」

 

「かもね。オレも言われたさ『若い時に色んな者や物を見ておけ』ってね。……その方が後悔しないらしい」

 

「今後の参考にさせてもらおうさ」

 

もうじき一年も終わりだ。

そういえば二年生になればクラス替えなんかが行われる。

このシステム誰得なんだろうな。そりゃあ同じ顔を三年もつき合わすのはモノホンの田舎校さ。

別にSOS団として集まる限りは正直俺は誰かと一緒のクラスでなくて構わない。

それでも俺だけがハブられてしまう形ならちょっとは精神ダメージになってしまうけど。

いやいや、いいんだよ。朝倉さんにはもし言い寄って来るような命知らずが居たら指の骨を折っていいと言ってある。

そしてそんな報告を受けた事はない。因縁をつけられそうになったとしてもハンタ式威圧法でまず消えるからね。

 

 

 

本当に、有効活用したいもんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――こんなことを考えていると球技大会は終了した。

女子バレー? 残念ながら当然で、5組の優勝だよ。

部活に所属してなければさっさと帰っていいという訳だが、俺がそんなわけはない。

レミングスのように本能的レベルで文芸部室へと足を運ぶのだ。

公的にはSOS団アジトではない。生徒会が煩いからな、演技だけど。

 

 

 

 

部室には既にメンバは全員揃っている。

キョンと涼宮さんは何をするでもなくいつも通り黙って座る。元々目的が不透明な集まりだ。

朝比奈さんはメイド姿で突っ立っている……団長のオーダーには直ぐに対応できるわけだ。

長門さんはエドガー・アラン・ポーの短編集を読んでいる。

【黒猫】は本当に怖い話だ、猫はわかいいのに。ちなみに俺が好きな品種は"ラガマフィン"。

古泉? どうでもいい。朝倉さんは最近ではすっかり節操なしに雑誌やら何やらを読むようになっていた。

やはり宇宙人の勉強ツールとして読書は広く認められているのだろうか?

その彼女が読んでいるのは……"世界の名刀"……コンビニで500円ぐらいで置いてあるあれだ。

もっと女の子らしいのにしてくれ。

 

 

「別にいいでしょ。これ、よくわかんないけど刀以外も書いてるわよ……」

 

「ネタが無いんだよ」

 

「刀だって空想上のものばかりだわ。"フラガラッハ"に、"クラウ・ソラス"とか」

 

魔剣フラガラッハ……別名アンスウェラーは俺が一番好きな剣だよ。

絶対に折れない。いいよね。

 

 

「やっぱり銃の方にしとけばよかったんじゃあないの」

 

「夢が無いわね」

 

「なら小説を読みなよ」

 

「そっちは長門さんにまかせるわ。私は絵や図がある方が良いの」

 

「そういうのが無いからいいんだけどね……」

 

見解の相違ってヤツさ。

もっともこれぐらいで仲違いする必要性もないけど。

横でパチパチ煩いと思えば古泉は一人リバーシなんかを始めていた。

お前、悲しくないのか? それを見たキョンは。

 

 

「最近ではよくわからんのが増えてきたが、ずいぶん懐かしいのを出したな」

 

「むしろこっちのが代表的なボードゲームなのにね」

 

「しかもそれは俺が用意したオセロだ」

 

「そろそろ僕たちが出会って一周年ですよ。光陰矢のごとし。ここらで原点回帰というわけです」

 

「何に戻るつもりなんだお前は」

 

「いや、そもそもお前さんは一人でリバーシに興じて楽しいのか?」

 

「将棋はやりつくしましたので」

 

なら本気でやるんだな。

それに俺たちが"光陰矢のごとし"を語ってしまっては全国の熱心な高校生諸君に対して失礼だろう。

時間だけをただ貪っているのだから。ただ、俺は別にそれでもいいと思っているのさ。

見る人が見れば羨ましいだろうさ、このメンバの中に俺が居る、なんてのは。

そんな見る人なんてのは文字通りの異世界人ぐらいだろうけど。

 

 

「オレ、……か」

 

「どうした」

 

「聞きたいか」

 

「遠慮する」

 

「なら聞くなよ」

 

キョンは黙って朝比奈さんが淹れたお茶を飲み始めた。

そうだ、今日とてこのまま何事もなく一日が通過していく。

寝ても覚めても世界は廻る。気が狂うが、これが正常。

俺に与えられた仕事は涼宮さんの遊び相手の一人でしかないのだ。

他の役割など、今は必要ないのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だけど、この世界における"明智"って苗字はどうも厄介らしい。

俺からすればそれこそ逆賊、三日天下としてのそれだけで充分だ。

おかげさまで部の悪い賭けしかいつも強いられないのだから。俺は嫌いだ。

そのくせ世界の方はどうやら俺を名探偵の方か何かだと勘違いしてやがる。

役割といい、俺には謎の方から舞い込んできてしまう。主人公ではないのに。

江戸川乱歩さんも明智なんかじゃなくて違う名前でキャラを書いてくれればよかったのに。

 

 

 

という訳で。

 

 

「……幽霊が、出る?」

 

「うん」

 

依頼だ。それも謎を解く系で、しかも幽霊ときた。

本日のクライアントは宇宙人ではない、阪中佳実さんである。ああ。

できるだけそっちの方を向かない事にする。それこそ天井の幽霊を探すように。

そんな話を耳にして邪険にする涼宮ハルヒではない。

嵐が吹き荒ぼうとしていた。北高が倒壊しないのが不思議だ。

 

 

「うわさ話なんだけど、あたしもおかしいと思い始めたのね」

 

「ふむふむ。これは詳細な話を訊く必要があるわね。幽霊、幽霊と言うからには実体が無いのよね……阪中さん。それは本当に幽霊なの? それならあたしたちの専売特許よ。悪霊なら極楽に送ってやるわ」

 

いつから俺たちは本格的な妖怪変化専門の討伐隊になったのだろうか。

ゴートサッカーバスターズは一日限定だったのだ。後の偽UMAでチュパカブラは出なかったし。

俺だってよくわからん限定的な空間干渉能力より"文殊"の方が良かった。

あれこそ本当のチイトとやらではなかろうか。何だよその上あいつには超加速まであるんだぞ。

俺にも身体強化しながら"壁"を作るぐらいさせてくれ。

 

 

「ま、まだそうだと決まったわけじゃないのね。あくまで噂だし、ただの自然現象なのかも……」

 

「疑わしきは罰せよ。そこに謎があるなら、黙ってないのがSOS団なのよ」

 

「こんなウソかホントかもわからない話だけど………」

 

「……」

 

「大丈夫よ! 大船に乗ったつもりで任せなさい。あっという間に解決してみせるわ」

 

「俺たちが何かを解決した覚えはないがな」

 

「何言ってんのよキョン。謎の方からあたしたちに降伏してきてるだけよ、あたしぐらいになるとね」

 

 

確かに一理ある。

結局見えない所で敗戦処理をさせられるのは俺たち団員なのだ。

幻影旅団みたいに対等な関係なんてものはまるで存在しない。

涼宮さんの中で多分涼宮ハルヒは究極生命体ぐらいに位置されている。

 

 

「しかし、阪中はよくもここに駆け込む気になったな。いや、それどころかSOS団が依頼人募集のポスターを掲示していたのはもう半年以上前の話になるぞ。忘れててくれて良かったと思う」

 

「違うのね。あたしが覚えてたのは……」

 

と言うと彼女は椅子の横に置いた鞄から一枚の紙を取り出す。

まさかと思ったが、どうやらそのまさかでそれは本当に一年ぐらい前の話となる。

涼宮さんと朝比奈さんが校門で配ったSOS団のチラシだ。

阪阪さんがまさか俺の立ち上げたWebサイトを見ているとは思えない。

ちなみにたまに自宅から更新している。

 

 

「ここが、SOS団なんだよね? 明智くんも居るから間違いないと思うけど……悪魔召喚の儀式とかやってるって聞いたのね……」

 

おいお前ら、盛大に勘違いされているぞ。

そして俺の名前を出さないでくれ、このまま風化してほしいのだ。

出来れば脳内HDDにおける俺要素を排除してくれて構わない。

いつぞや悪魔の代名詞"ファウスト"に出てきてほしくないとは思ったが。

とりあえず俺は口笛でも吹こう、"シビル・ウォー"のイントロ部分だ。

 

 

「何でもいいから、とにかく幽霊なんでしょ。どんな人、いいえどんな霊なのかしら……ビデオに映るかしら。インタビューの原稿も考えないと」

 

「だから、まだわからないのね。もしかしたら期待外れな結果かも……」

 

「ハルヒはとりあえず落ち着け……。阪中の話を聞く方が先だろ。どうやら幽霊と断言できない理由もあるらしい」

 

「何あんたが偉そうにあたしに命令するのよ」

 

「へいへい、すいませんでした」

 

とにかくこの場はキョンの一言で落ち着いたらしい。

俺からすればどう見ても謝る態度ではなかったが、こいつだから許されるのさ。

しかし幽霊と聞いた以上とりあえず他の顔色を窺っておく。

いつかの俺はキョンに対し幽霊の存在を否定しなかったが今のあいつはどうなんだろうな。

もう忘れてそうだけど。

 

 

「幽霊ときましたか。なるほど、いやあ、実に興味深いですねえ」

 

「幽霊…さん……それは、火の玉なんですか……?」

 

「幽霊を切れる刀ってあったかしら」

 

「……」

 

期待した俺がどうかしていた。

この場を出来れば阪中さんと関わらない方向で望むのは俺だけである。

みんなは既に最初から逆らうと言う選択肢はないのだ。

ついでに言えば俺にもないのだから依頼は不可避というわけである。

じゃあ今日の分行こうか。

 

 

「幽霊がいてもいなくてもどうも出来ない。どうもこうもないさ……」

 

本当にそうなのだから仕方ないだろうよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――違う。

 

 

「オマエが殺したのよ」

 

違う。

馬鹿を言うんじゃあない。

 

 

「オマエが……、オマエのせいで!」

 

「……」

 

「何とか言ったらどうなの?」

 

なら、お前は何が聞きたいんだ?

この僕から、どんな返答を望んでいるんだ。

とにかくやかましい。だから少しばかり相手してやる。

こんな往来で、会いたくもなかったがな。

 

 

「……君は、何が言いたいんだ。はっきり言ってくれ。僕はそこまで頭が良くない。君ほど悪くはないがな」

 

「オマエが傍に居なかったから、あんな事故に巻き込まれたのよ……」

 

はっ。

はははは。

 

 

「まさかそれ、本気で言ってるのか? 僕は関係ない。ただの不幸だ。そういう運命だったんだよ」

 

「  から聞いてたわよ」

 

「何を」

 

「オマエと一緒に出掛けるつもりだったって」

 

「僕は一言も聞いちゃいなかった。そして、これから先二度と聞くことも――」

 

瞬間、鋭い痛みが僕の顔面を捉えた。

左頬から顎にかけての鈍痛……殴られたってわけか。

本来の僕であればこの程度わざわざ貰ってやることはない。

つまり、それほどまでに僕も僕を保てなくなっていたのだ。

13日から一週間以上経過したと言うのに。このザマだからな。

 

 

「馬鹿にしないで」

 

「僕が誰を馬鹿にしたって言いたい」

 

「みんなよ」

 

「やけに漠然とした答えじゃあないか。"みんな"か、そこには君も当然含まれているんだろ」

 

「さあ。アタシの事はどうでもいいの」

 

「なら君は誰の話がしたいんだ。世間話がしたいなら他にあたってくれ、あいつ以外にも、友達はいるだろ。いつまでも引きずるな」

 

「何よ……何なのよ……信じられない………!」

 

それを悲しむならわかるが、なんだその目は。

まるで何かに怯えてるみたいじゃあないか。

僕を怪物とでも思っているかのような、確かな恐怖のサイン。

弱みを見せるのは感心できないな。

 

 

「人間に、代わりが居るとでも思ってんの……?」

 

何だ、その程度の謎か。

この間と言い、愚問だな。

 

 

「当り前だろう」

 

「嘘よ」

 

「僕は"社会の歯車"なんて話をする気はないが、事実だ。誰かがやらなくても代わりはいくらでも居る。僕が死のうが、あいつが死のうが、それはそこまで。世界は何も変わらない」

 

「オマエは、悲しくないの……?」

 

「何を悲しめばいいんだ、何を後悔すればいいんだ。それで時間が巻き戻るならいくらでもしてやるよ、僕の命をくれてやってもいい」

 

これは妥協でも、後悔でも、逃げでもない。

僕自身が付けるべき決着であり、それは永遠にやってこない。

死ぬまで。

 

 

「勘違いするなよ。僕はあいつが嫌いじゃあなかった……それだけだ」

 

「…そう………これから、どうするの」

 

それを僕に聞くのか。

君は君のために勉強でもすればいいのさ。

今回だっていい勉強になっただろう。

人はかくも、簡単に消え失せると。

だが、僕は決して忘れないだろう。永遠に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あいつの口癖だった。だからこう返してやるよ。『どうもこうもない』」

 

 

 

 

……さて、本屋にでも行くとするか。

 

 

 

 



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ポップ・ゴーズ・ザ・ファントム その三

 

 

 

 

どうやら阪中さんが言うには、幽霊さんに気付いたのは"犬"だと言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうだ、俺があの世界で去り際に見た真っ白もふもふチビ犬。

名を"ルソー"と言い、品種はウェストハイランドホワイトテリア。

基本猫派な俺であるがルソーはかわいい。豆柴みたいな小さい犬なら好きなのだ。

つまり何が言いたいかと言えば幽霊が何であれ異常を検知し主に知らせるルソーは飼い犬の鑑である。

 

 

 

一通りの説明を阪中さんから聞いた我らが団長殿は。

 

 

「じゃあみんな、今から出発するわよ」

 

「本気か」

 

「だっていつ逃げられるかわからないじゃないの。必要なのはカメラでしょ……映画撮影の時のどこやったかしら……」

 

こうなってしまうのは当然の流れであった。

思い立ったが吉日。その日以降が全て凶日かはさておき、涼宮ハルヒの辞書に"迷い"はない。

その精神力を俺にも是非分けてほしいね。そんなものがあれば後悔なんかしないだろうさ。

ようやく俺だって何とかここまで来れたのだ、これ以上の懸案事項は回線が破裂するだけだ。

イエスマンの古泉は先ず「市内の地図が必要」と前置きをした上で。

 

 

「実地検分をしてみたいと思います。あなたの家のルソー氏に協力頂きたいのですが」

 

「うん、いいよ。ルソーの散歩ついでにね」

 

しかし今にして思えば彼女の家は間違いなく北高から遠い。

その彼女があの時こっちの方まで来てルソーの散歩をしていたのはどういうことなんだろうか。

……やっぱりそれはあの世界の俺が原因なんだろうな。女子相手にそこまでさせるとは、情けない。

俺か? 俺はいいんだよ。こういう時に他人と自分を比較するなという免罪符を使わせてもらおう。

しかしメイド服姿でまさか出る訳にもいかない朝比奈さんは慌てて着替えはじめようとする。

気持ちはわかりますが落ち着いてください。

 

 

「みくるちゃん待ちなさい。その恰好は確かにふさわしくないけど……制服じゃダメよ」

 

「え、ええっ……!?」

 

「これよこれ、ほら、前に着たからいいじゃないのよ」

 

「ああっ……うぅっ……」

 

「巫女さんなら外を出歩いてもおかしくないわ。それに、相手は悪霊よ。魔除けにはなるんじゃない?」

 

それは先月である二月十五日に金取りイベントとして開催された朝比奈さん――実際には長門さん――手作りチョコ争奪戦で着ていたものだ。

まず巫女さんなら外を出ていいという理論がよくわからないし、悪霊と決めつけられた幽霊もかわいそうだ。

そして巫女装束を金儲けのダシにした時点で魔除けとしての効能は期待できないと思うんですが。

 

 

 

とにかく男子は外へ出る事にする。

恒例の廊下野郎談義だ。

 

 

「古泉」

 

「僕は幽霊について何も話は聞いていませんよ。明智さんの方に伺ってください」

 

「オレに話を回しても何もないぞ。幽霊の存在は否定しないが、今回がそれに当たるかは不明だ」

 

「じゃあ何なんだ?」

 

別に気にしなくてもいいだろうにキョンはそう問いかける。

いよいよ春が近づいているというのにこの落ち着かない騒動。

だが、こっちの方がある意味SOS団らしいのさ。

部室内から聞こえてくるのは涼宮さんと朝比奈さんの声のみ。

阪中さんは何を思って着せ替えシーンを見ているのだろうか。

知りたくはなかった。

 

 

「今の段階ではどれも憶測の域を出ません」

 

「事実として、ルソーくんを含む犬が特定のエリアに近寄らなくなった……犬が嫌うもの、順当にいけば臭い」

 

「その可能性が現段階では一番高いですね。もっとも、それが何なのかすら不明です」

 

「それを確かめに行くんだろ。なら幽霊なんかじゃないな」

 

「だといいがね。犬には犬の世界があるのさ」

 

「例えばその散歩コースの中に犬が嫌う臭いを発する何かがある、あるいは埋まっているわけです。有毒ガス弾とか」

 

「何馬鹿な事言いやがる。どういう理屈で有毒ガスなんかがあるんだよ」

 

「それも憶測ですよ」

 

んなアホな話があってたまるだろうか。いや、ない。

普通に考えられるのは何らかの科学薬品。

ホルマリンなんかは薬局で簡単に仕入れられる。

それを故意でやれば当然ながら動物虐待となってしまうが。

とにかく、犬が迷惑がっているのであれば少なくともこの事件を解決すれば犬のためにはなる。

ルソーが元気に走り回るためにも無駄ではないだろう。

 

 

「純粋な思索のみでもって真実を明らかにする思考実験こそがミステリの醍醐味なのです」

 

「お前さんが書いたミステリ小説はつまらないわけでは無かったが読みにくかったぞ」

 

「あくまで僕は素人ですので。作品として成立させるのが限界ですよ」

 

「だろうな、俺は本当に次が来ないでほしい」

 

「これを機に勉強すればいいじゃあないか」

 

「本屋に行ってライトノベルの書き方指南書でも買えというのか」

 

「それは確かに安いけど、読む方が大事さ。と、言ってもオレも昔は全然読まなかったが」

 

「いつも何か調べたりと余念がない明智がか? 人間誰しも心変わりはあるもんなんだな」

 

本当にそう思うよ。

きっかけは思い出せないが、本の世界に飛び込むようになったんだからな。

それを聞いた古泉はここぞとばかりに。

 

 

「ともすれば、みなさんには良い心変わりをしていただきたいものですね」

 

「どういう意味だそれは」

 

「言葉通りですよ。何も悪い方向性へ突き進む必要は無いでしょう」

 

「これも、お前さんによるところの"良い傾向"か?」

 

「はい。先月はこちらも色々ありましたので……」

 

そう言って古泉はキョンを思わせぶりに見る。

ああ、だがお前らは知らないと思うがな、俺だって色々あったさ。

未来の奥さんを名乗る不審人物がやってきたと思えば、メンタルを追い詰められ、あげく、死闘。

これで正気でいられる俺は本当に世界レベルだな。でなければとっくに狂っているか、だ。

 

 

 

そしてようやく部室のドアが開かれる。

涼宮さんは意味もなく得意げで朝比奈さんはやはりコスプレで外に出るのは多少の抵抗らしい。

でもあなた確か去年はサンタのコスプレで出かけてましたよね? 記憶違いでなければですが。

阪中さんは今にも頬を掻きそうに、そこまでやるのねと言わんばかりの表情。

宇宙人二人は無表情。とにかく、出撃準備はこれで整ったらしい。

 

 

「じゃ、行くわよ」

 

行きたいかどうかで言えば別に行きたくは無かった。

まさかマジもんの幽霊さんが出るわけはないからな。

 

 

 

そう、俺が最後に見たのは、"亡霊"だったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は阪中佳実の家について知識として遠くにある事は知っていたが、本当に遠かった。

駅で乗り換えとは、難儀なお方である。

 

 

 

かつての俺ほどではないが電車通学である以上は手間や時間は頷ける。

これでいて彼女はお嬢様なのだから、本当に、何故わざわざ北高なんだろうな。

確かに駅の方向から私立光陽園女子大学附属高等学校は北高より更に遠い。

しかしそれでも北高行くよりはマシだと思うんだけどね。

彼女の父上は建築関連会社の社長さんらしい。もしかしてと思って社名を伺ったが俺の親父のそれとは違った。

でもあの世界では俺と仲が良かったんだろ? 谷口の話ぶりから、家にも足を運んでいただろう。

それでいて俺の人となりが知られていない訳はないのだ。本当に親父は何者なんだろうか。

もしくは業界間の繋がりとしてのそれが、悪いものではなかったのか。

 

 

「たいしたことないよー」

 

お嬢様は得てしてそうである。

いや、本当に彼女と何があったんだろうな。異世界人じゃあない方の俺よ。

それを題材にすればちょっとした恋愛小説になるのではなかろうか。

昨今のケータイ小説とやらについて俺は何も思わないが、せめて出版まで漕ぎ着けばいいのだ。

とにかく、俺には関係のない"世界"だ。

 

 

 

しかし無関係でいられないのはこの電車の中であった。

いい時間帯だ。学校帰りの生徒は他に居るだろう。

実際、光陽園女子のそれが本当にたくさん見受けられた。

これで俺が本当にオッサンだったらここは天国かもしれないな。

だが最早俺は制服を見るだけで拒絶反応が発生しそうになってしまう。

言うまでもなくイントルーダーのせいであり、そして愛すべき彼女も居る。

光陽園の女子生徒のレベルは明らかに高いがそこに何かを見いだせる程俺は元気ではない。

周防九曜、再三言うがお前はもう二度と眼の前に出てこなくていいぞ。"でしゃばり"め。

二年生になっても谷口の相手をしているのであればあいつにきつく言っておこう。

『飼い犬には手を噛まれるな』、ってね。どうだ、うまいだろう?

おかげさまで座席には座れず、俺たちは列になっている。吊り革コースだ。

 

 

「みくるちゃん、何か悪霊を倒す方法は知らないかしら?」

 

「ひっ!?……あ、…その……知りません…」

 

「ふーん。ねえ有希はどう? 色々読んでるけど何かないかしら」

 

「……」

 

「なあんだ」

 

これで俺に会話が振られないのは単純に距離の問題だろう。

少しぐらい会話してもいいだろうに、お嬢様たちのそれはこちらに対する興味に向けられていた。

そうだな、巫女さんはさておき古泉はイケメンでトッポイだ。そちらで預かっていただく形が一番だ。

仮に森さんが超能力者であれば、彼女に来ていただいた方が俺は嬉しい。キョンも嬉しい。

そして朝比奈さんもメイドとして進化できるのだから当然嬉しいだろう。

どうだ、既に過半数近くの意見が出揃っているぞ。

 

 

「チャンスがあればそれも悪くありませんね」

 

「そもそもお前さんはどういうチャンスでもって来たんだよ」

 

「色々ありまして……最終的に僕になっただけではありますが、とにかく誰かがここに居る必要がありました」

 

それを聞いたキョンは。

 

 

「最初から……とはいかなかったのか?」

 

「本当に、色々あったのですよ。機会があればそれもお話しいたします……」

 

「そうかい」

 

もしかすると、それは彼にとっての決着に何か関わる事なのかもしれない。

俺が知りうる中で最も気高き覚悟を持っているのは古泉一樹だ。

だがな、俺に言わせりゃお前さんだって充分と言っていいぐらいに危ういさ。

生徒会長のそれと同じくらいに鋭い眼が出来るんだからな。

その本質は"狂信者"。何だ、立派な"依存"じゃあないか。

 

 

「一つ、この場にぴったりな台詞があるんだが、当てて見なよ」

 

「俺の口からそれを言わせたいのか」

 

「じゃあ古泉、お前さんに任せる」

 

「やれやれ、ですね」

 

「……正解だよ。いっくんさん」

 

「何だ、その気持ち悪いあだ名は」

 

「今思いついたんだ。オレたちで流行らせようよ」

 

「それで涼宮さんが面白がるのであればいいかもしれませんね」

 

「……」

 

だとよ。

どうやら目的地の駅にようやく到着したらしい。

電車は減速し始める。お嬢様学校の女子生徒たちも一部ここで下車するらしい。

住宅街だからな……とにかく、阪中さんといいご苦労である。

俺はもう面倒だからいい。無気力ではない、無駄を楽しみたいだけなのだ。

登校時間は今や有意義なのだから、それでいいだろう。それで。

 

 

 

 

 

でもってようやく駅から外に出た我々ゴーストバスターズは阪中さんを先頭にまず彼女の家へと向かう。

名犬ルソーくんと会うためだ。いや、失敗したな。何がってあっちでルソーを弄り倒しておけばよかった。

言ってもそんなに、精神的にも時間的にも余裕はなかったんだけども。

俺のそんな一面をこいつらに見せる訳にはいかない。にゃんこシャミセンで手遅れかもしれんが。

しかしながらゴーストバスターズと言えど、武器は何もない。

マシュマロマンすら倒せない、そんな装備で大丈夫なのか?

 

 

「大丈夫じゃないかしら」

 

「随分適当な返しだね」

 

「あなたの質問が意味不明よ」

 

「なら宇宙人的観点から話を訊きたいんだけどどうなの?」

 

「何かしら」

 

「幽霊が居るかどうか」

 

俺がそう言うと朝倉さんはやや唸りはじめた。

何だ、シャイニングフィンガーか。光ってないけど。

 

 

「……わからないわよ。ただ、涼宮さんが望めば出てくるでしょうね」

 

「もう何だ、彼女のそれは"もしもボックス"ぐらい何でもありだな? もしくは"ウソ800"だ」

 

「何よそれ」

 

「いともたやすく行われるえげつない行為だよ」

 

「……多分私より明智君の方が宇宙人に向いてるわ。どう、交代しましょうか?」

 

もはやその美しい眼からは光が消え失せようとしていた。

そうか、俺がこんなのだから未来の彼女もあんなのになってしまうんだな。

気を抜けば適当に会話してしまうのは俺にとってクセになっているらしい。

後は音を消して歩くのもそうだ。

 

 

「遠慮しとく。宇宙空間に放り出されて無事でいられる自信はないからね」

 

「私だって何の用意も無しにそれは出来ないわよ」

 

「でも出来るんだね……やっぱり情報操作万能すぎるでしょう……?」

 

「と言っても今でも許可申請が必要なのよ」

 

思えば未来の朝倉さん(大)は情報操作が気乗りしないだとか、ともすれば申請が必要ないらしい。

情報統合思念体は時間の概念を超越してるだとかそんな話が原作であった気がする。

ならば彼女がこの時代に現れていた事も知っているはずでは? 彼女は偉くなったのかもしれない。

そんなタテ社会が宇宙人同士の中でもあるのだろうか。

 

 

「ないわよ」

 

「だよね」

 

今や未来に帰ってしまった上にもう来ないらしい朝倉さん(大)。

はたして彼女は俺を助けるため以外の目的があったのだろうか。

補助輪、戦争、そしてその年齢。明智小五郎さんなら謎を解き明かせるのだろうか。

と、無駄な会話をしていると。

 

 

「ここ」

 

と阪中さんの家に到着した。

はぁ……いや、俺の家とはやはり比較にならない。

別に日本に生まれついていてそれで親が居るだけでどれだけありがたいかは知っている。

実際に一人暮らしも経験していたからね。もっとも、その時も俺の世界は白と黒だったが。

一言で彼女の家について言うなれば、豪邸。モノホンのお嬢様だ。

家だけでかなりの大きさ、三階建て一軒家。広々と芝生が敷かれている庭もある。

はたして俺の"異次元マンション"が改装できるようになったとしても現実世界には無い。

よって彼女の家に俺は何ら対抗出来ないのである。一度行ったところにしか行けないし。

 

 

「さて、鬼が出るか蛇が出るか気になるジャ」

 

「……はぁ?」

 

もう俺を気にしなくてもいいですよ、朝倉さん。

 

 

 

 

 

 

少なくとも我々を迎えてくれたのはルソーくんだった。

短いしっぽを振り回し、阪中さんに飛びつかんとする。

やっぱりかわいいな。俺も将来的に何か飼いたくなってきたぞ。

……そうだな、やっぱり猫だよ猫。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「"幽霊"なんて居るわけありませんよ……ファンタジーやメルヘンじゃあないんですから」

 

……今回に関しては俺の言う通り、だよな?

 

 

 



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ポップ・ゴーズ・ザ・ファントム その四

 

 

阪中さんの自宅にやってきた我々SOS団。

 

即座に団長の命により幽霊調査へと駆り出される事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

果たして『いいハンターってやつは動物に好かれちまうんだ』。

という台詞をどこまで信用していいのかは不明だが、ルソーくんは俺にも充分懐いてくれた。

仮にこの法則が正しいにせよ俺がいいハンターに合致したのか?

それともルソーくんが本当に人懐っこいだけなのだろうか。

多分だけど後者じゃあないかな。

 

 

 

歩き慣れない場所ではあるものの、こことて結局は田舎だ。

暫く歩けばやがて俺たちの町ともぶつかる訳であるよ……。

ただ、住宅街としては明らかにこっちの質の方が上であった。

それもそうか、光陽園女子の連中もここらに住んでいる。

周防もまさか雨ざらしではあるまい、奴の家なぞ行きたくはないがどこに住んでいるのだろう。

谷口ならば知っているのだろうか……? 今度それとなく訊いてみよう。でも多分知らないな。

まあ、イントルーダーには橋の下がお似合いだよ。吹雪の中でもお構いナシで制服の変態なんだから。

西川クンだってあそこまで派手なPVは撮らないでしょ。

 

 

 

キョンはどうやら無理難題とも言える捜索に対して不満があったらしい。

"幽霊を見つける"その定義にもよるが、超能力者を探す方が楽そうである。

 

 

「幽霊にせよ何にせよ、特別な道具もなしに俺たち人間が異常を検知出来るのか?」

 

「キョンはガイガーカウンターでも買えって言いたいのか?」

 

「何言ってんだ。そんなにヤバい物質があったら人体にも影響があるだろ。俺はただ、宇宙人にもわからなかった場合を想定してるだけだ」

 

「おいおい、そんな事があるって思ってるのかよ」

 

「どうも雪山の事を思い出しちまってな。結局その何とか領域についても不明だ」

 

あのさ、その話は出来れば永遠に忘れてもらって構わない類の話だよ。

周防を絶対領域の女か何かと勘違いしてないか? 多分そこは亜空間だ。

お前が俺に何の恨みがあるかはさておき、古傷を抉らないでくれ。

雪と山のダブルパンチは凶悪だった。

それは危険の二乗であり、死亡率はメーターを振り切っていた。

 

 

「お前も一回雪崩に目の前まで迫られる体験をしてみろ。二度と雪山について話したいとも行きたいとも思えなくなるさ」

 

「なんだそりゃ」

 

「……お前は知らなくてもいいさ」

 

そうだ、お前には関係ない方がいい世界だ。

周防がどんな判断をするにせよ、何もこいつを殺す必要はないだろうよ。

裏で糸を引いてる奴の狙いも何故か俺っぽいんだ、それはそれで困るけど。

何にせよボコボコにする必要はありそうだ。

 

 

 

 

 

 

それにしても電車から降りたところでこの幽霊捜索隊一行が奇妙奇天烈な集団なのは変わりない。

いい時間の住宅街を駆け巡る学生八人、うち一名巫女装束、プラス犬。他はみな制服。

明らかにこの地域において北高生は少数派なのだろう。

電車通学にしても、北高から見てこっちとは逆の電車だってあるのだ。

それはいつもの駅前で、だいたいの地方生徒はあっちから流れ込む。

とにかく俺はただただ人目につかない事を祈るね。

格好だけで言えばこの集団なぞとっくにアウトだよ。

もし俺がこの現場を客観的に見たとしても何の集まりかはわからないだろう。

古泉にいたっては地図を眺めてニヤニヤしている。

お前さあ、幽霊より不気味だけど?

どうせ幽霊は十中八九出ないので帰りたいと思っていると。

 

 

「……くーん…」

 

「あら」

 

涼宮さんにリードを支配されているルソーくんが悲しげな鳴き声とともにその場に座りこむ。

ここが例の心霊スポットらしい。確かこのまま行けば川があるはずだ。

……なんだか随分と歩いたもんだな、既に俺たちの町に近い。

 

「どうしたのよJ・J」

 

「やっぱりここで止まっちゃう。ついこの前までは何ともなかったのね」

 

「別に何にも見えないわよ。あたしは変な感じもしないし」

 

「一週間前からルソーが川に近寄らなくって……」

 

"J・J"とは涼宮さんによるルソーのあだ名らしい。何やら阪中さんの父上もそう呼んでいるとか。

"ジャン・ジャック"でも"ジャンピン・ジャック・フラッシュ"でもいいさ。

そもそもルソーという名を犬に付けるセンスは平民のそれと違う。

 

 

 

それはさておき、では川に何かがあるのだろうか。

臭いが原因だとすればそれはやはり激物の混入が候補であり、ともすれば大問題になりかねない。

化学薬品垂れ流しか、もしくは古泉が言ってた毒ガス弾か。

どちらにせよ俺たちで公害問題なんか解決出来るのか?

……いや、真面目な話としては、ここらに工場は何もないのだが。

つまりこの可能性はゼロに近かった。

 

 

 

俺は朝比奈さんに耳元をわさわさされているルソーくんを見てみる。

実は俺、何となくは動物の気持ちがわかる。雄三毛猫シャミはいつも気ままだった。

とりあえず彼の様子をキョンに報告だ。

 

 

「彼に何かが視えているのは間違いないね。明らかに萎縮している」

 

「お前にそれがわかるのか……?」

 

「第六感的なものさ。オレが本物の"いいハンター"ならしっかりルソーくんの気持ちも汲んでやれるだろうけど」

 

「さっきから何言ってやがる」

 

「とにかく現実問題としてルソーくんは動きそうにないよ」

 

「……だろうな」

 

しかしどうやら阪中さんによると、このコースから向かう川についてだけをルソーは嫌がるだけらしい。

つまりここから下流や上流には近寄るのだ。これで川に何か流れてる説は立ち消えた。

では、幽霊と呼ばれている奴さんの分類はいわゆる地縛霊なのか?

俺は原作でこの話について阪中さんとルソー以外の要素など覚えちゃいない。

要は俺が何かする必要は無いのだ。そういう事なんだから。

これは油断ではない、流れであり必然のせいにしておく。たまには主張を曲げるのさ。

この場所を把握してニヤニヤしながら地図に印を付けた古泉は。

 

 

「では、次に行ってもらいたい場所があります。ルソー氏には散歩を引き続き楽しんでもらいますよ」

 

と切り出した。

わざわざ散歩コースを指定とは、何を考えているんだろうな。

お前さんに出来るならさくっと解決してくれ。

俺からギャラは出せないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて古泉に命ずられるがままに場所を二転三転した。

その度に川に近づくとルソーくんは歩みを止めて座り込む。

涼宮さんがどう思おうが、彼は先へ進む気配など一向にない。

何やら阪中さんが言うには飼い主に怒られるショックで死ぬ犬も居ると言う。

無理矢理にでも彼を引きずったり怒鳴ってもいけないのだ。

だいたいからしてこの犬に何も罪はないのだ。ただの生理現象でも迷惑はかけていない。

されに聞くところでは阪中さんの近所の犬好きの方――樋口さんだったか――が飼っているうちの一匹もそうだと言う。

しかもその犬は何と最終的に具合まで悪くしてしまったらしい。

偶然にしては妙だ。あり得ないなんて事は、あり得ないのだから……これこそが因果関係。

彼女がルソーを叱ってやらないのも極論だとは思うが、歩を休める彼を見慣れるにしては、やはりもの悲しいものであった。

 

 

 

だが、これで古泉にとってデータはとれたらしい。

数学的な試行回数としてたった三回ってのはどうなんだろう。

え? 何とか言ってくれよ理数クラスさんや。

こいつはそんな事などお構いナシに。

 

 

「……なるほど、もう充分でしょう」

 

「俺たちはともかく阪中とルソーまで連れ回して、どういうことかちゃんと説明しろ」

 

「ではこの地図を見てください」

 

地図には赤いバツ印が三点。

形はややズレているが直線距離か...五、六芒星、にしては検証が足りないな。

無難に行けば。

 

 

「"円"、あるいは"地脈"」

 

「よくお気づきになられましたね。この場合は前者ですよ。今回初めにルソー氏が異常を検知した地点をAとして、B、Cと続いて移動しました」

 

「はあ? これのどこが円になるんだ」

 

お前は逆にもう少しミステリやオカルトの勉強をした方がいいぞ。

いや、これは単純な図形の話だが。

 

 

「ああ……なるほどね。バカキョン、この点Bは通過点なのよ」

 

「仰る通りですよ」

 

古泉がその言葉に従い曲線を描く。

両端の二点は中点を通過し、弧を描く……これをそのまま線を伸ばせばやがて円になる。

角度に変化はないからね。キョンに描けるかは謎だが。

 

 

「暫定的ではありますが、ルソー氏はおそらくこの円のエリアに入りたがらないのです」

 

「幽霊がそこまで広範囲に影響するのか? でなきゃ何匹居るんだ」

 

「わかりかねますよ。これが何であれ、事実としてそうなのですから。何ならまだ散歩を続けましょうか?」

 

「キョン、今回は古泉の――多分――言う通りだよ……」

 

「でもやっぱり川沿いよ。何か周辺に埋まってるのかもしれないわ」

 

どうなんだろうね。

ここらで宇宙人の意見を頂きたい。

 

 

「朝倉先生、お願いします」

 

「何言ってるのよ……私には何もわからなかったわ。長門さんも今のところはそうでしょうね」

 

「これはもうオレも考えるのをそろそろやめようかな」

 

いいや、一つだけ可能性はある。

あくまで可能性であり、これが本当ならば幽霊でも何でもないが。

とにかく、その川のポイントへ向かう必要はあるだろう。

 

 

「ルソーを無理矢理連れてはいけないのね。ストレスになっちゃう」

 

「ならあたしたちで行くとするわ。阪中さんは先に家に戻っててちょうだい。大丈夫、安心なさい。そのための巫女さんだって居るのよ! 除霊くらいわけないわ」

 

「ええっ、あたしですかあ...!?」

 

「何言ってるのみくるちゃん、当たり前じゃないの」

 

残念ですが従う他はありませんよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうこうして、桜並木が立ち並ぶ川沿いにやってきた。

ルソーくんが入りたからなかったエリアである。

涼宮さんは地図と睨めっこしながら円の中点を探している。

ならば、一応俺もやってみるか。

 

 

「……久しぶりだから鈍ってないといいけど」

 

念脳力もどきで謎の力をオーラっぽく運用。

俺の両眼にそのエネルギーは集中した。

本来であれば隠されたオーラやその動きを看破する為の技術。

"凝"。

 

 

 

――何もないと思っていたさ。

 

 

 

ただの遊び半分だった。別に誰に力を見られるわけでもない。

もっとも、先に見つけたのは涼宮さんの方だった。

 

 

「あら? 何かしらこれ」

 

「あん……ただの落書きじゃないか」

 

桜の幹に釘か何かで紙切れが貼り付けてあった。

実行犯は実に罰当たりな奴である。

びりっと上を破りその場から紙を取る。

釘は後ほど抜いておこう、トンカチが必要だ。

しばらくキョンが涼宮さんから紙を受け取りそれを見ていたが。

やがて俺の方へやってくると。

 

 

「これ、お前が書いたやつか?」

 

「オレがか? 何言ってんだ――」

 

「どうしたの?」

 

「――マジかよ」

 

どうもこうもあるよ、朝倉さん。

意味を持ったこの字は俺しか書けない。

それは俺が作った暗号文だ。

だけど俺はこれを書いちゃいない。

なら、他にこの字を書ける人物。

つまり。

 

 

「誰の、仕業なんだ……?」

 

残念だが俺の中で実のところ結論は出かかっていた。

当たり前だ、俺の手帳の暗号文を解読したんだ。

その文章パターン。記号から何まで。

そしてわざわざこういった形で見せつけてきやがる。

こんな偶然は、"あり得ない"。

 

 

「まさか、お前なのか?」

 

別の世界で遭遇したグラサン骸骨。

思えば奴も平行世界の移動が可能だと言う。

あいつが本当に俺を異世界に飛ばした犯人じゃあないにせよ、怪しいのは確かだ。

謎の紙に興味を失った涼宮さんと朝比奈さんは除霊のために念仏を唱えている。

古泉と長門さんはこちらにそもそも興味がなかった。

 

 

「"ジェイ"だ……。間違いない、あいつが残した痕跡だ。オレにしかわからないように、わざと」

 

「結局なんなのかしら、これ?」

 

「……ここにはオレにしか使えない筈の暗号文が書いてある」

 

「俺も何度か見たことはあるがとうとう意味はわからんかったさ。で、どういう意味なんだそりゃ」

 

キョンに急かされて俺は慌てて解読する。

しかし、意図はわからなかった。

それはまるで何かの警告文のようでもあった。

 

 

「『11月13日。"カイザー"の死を、忘れるな』だ、と……」

 

「誰が死んだって? 俺は歴史に詳しくないぞ」

 

「カイザーねえ。それってあなたが言ってた黒幕候補の?」

 

「知らないさ。でも、これが何にせよ、オレは……」

 

今この瞬間から、11月13日という日に対してとてつもない不安定を覚えた。

まるで俺の命が失われるかの如く、その日が来てほしくない。

 

 

「これは何なんだ……?」

 

わからなかった。

俺はただその暗号文をいつまでも見続けていた。

キョンに再び声をかけられるまで。

涼宮さんが朝比奈さんの般若心経の効果がないと確認したらしい。

坂中さんの家へ出戻りだ。成果はいつも通りになかった。

 

 

 

……だが、とにかく、これが全ての始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――コーヒーというのは俺にとって生命の水であった。

 

 

いつから飲み始めたのかも覚えちゃいない。

少なくとも親の影響ではない。両親とも紅茶派なのだよ。

はっ。英国かぶれの馬鹿どもが。

彼らが野蛮な事件を起こした歴史的事実をどう受け止めているんだ?

 

 

 

とにかく俺にとってのコーヒーはこいつにとっての朝比奈さんのお茶と同じだよ。

ただ、俺の場合はだいたいのコーヒーなら許せるというだけの差だ。

自分で淹れたコーヒーに関しては本当に妥協になってしまう。ま、見逃してくれ。

しかし、そんな事はどうでも良さように。

 

 

「……おい、前置きが長いんじゃないか。お前の話はいつもそうだ。古泉と大して変わらん」

 

「そうか? もう充分ヒントも出してるし、本当に最初から伏線はあったんだぜ」

 

「あの部分か? はっ……気付くかよ。それにお前の整合性も怪しいし、何よりだな……」

 

「みなまで言うなよ。そこが"謎"なんだから」

 

やれやれ、と呟いて彼は視線を逸らす。

未だに俺との会話でこの態度なのかい。

ちょっぴりだけど傷つくよ、ホント。

 

 

「だがお前自身は"最大の謎"に触れていないじゃないか」

 

「それ、今言っちゃうの? かなり気付きにくいと言うか何と言うか。まだまだ先だよ」

 

「いいじゃねえか、どうせお前は話す気がないんだろ。オフレコだ」

 

無理を言うなよ。

それって涼宮さんにとってもお前にとっても残酷な話なのに。

 

 

「キョン、あるいは朝倉さんがかつて……。いや、『朝倉涼子は何故殺される必要があったのか?』……これ、実はあいつも言ってたんだよね」

 

「お前も不正解だったがな」

 

「もういいだろ。『それが、問題だ』って事で」

 

 

 

キョンは俺が淹れたコーヒーをいかにも不味そうに飲んだ。

 

そうかよ、殺風景な部屋で悪かったね。

 

 



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ポップ・ゴーズ・ザ・ファントム その五

 

 

それから阪中さんの家へ出戻った我々には何の成果も得られていない。

 

だと言うのに彼女の美しい母親――本当に子持ちか? 親父が見たら浮気しかねない――。

 

その阪中さん母からみんなに手作りの"お菓子"が振る舞われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普段だったら俺もありがたく頂戴するだろうな。

 

それが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……そうだ。

俺の眼の前にあるのは見事なまでのシュークリ-ムだった。

 

 

「……"Damn it(ちくしょう)"…」

 

「私がもらってあげるわ」

 

朝倉さん、そうしてくれると助かるよ。

いくらこれが大局的に美味しいと定義されていても、俺には無理だった。

別にかまわないさ、俺は最低限コーヒー以下でもいい。麦茶があれば充分だ。

一緒に出されたアールグレイは確かに美味しかったが、俺は紅茶のそれには屈しない。

とりあえず俺は美味しそうにそれを食べるお前達の方を向かない事にするよ。

長門さんはハムスターのように両手で掴みながらもちゃもちゃそれを削り取っていく。

……女子の誰か、後で彼女の口元を拭いてあげてくれ。

 

 

 

 

そして阪中さんはとりあえず満足してくれたらしい。

この集まりに意味があったかは知らないが、俺には何となく予想がついた。

彼女の母親の対応からして、きっと友人が上り込むなんてことは先ず無かったのだろう。

それもそうだ。お嬢様なのはさておいて客観的に見て、彼女はクラスでとくに目立っては居ない。

俺も度外視した上で言うなら目立っているのは、涼宮さん、朝倉さん、谷口の三人だ。

これで"北高三天王"を名乗ってくれてもいいんだぜ?

まあ、今後はいい友人付き合いが出来るといいんじゃあないか。

後二年は高校生活が続くんだから。

 

 

 

とにかく、誰も遠慮していないので代表としてキョンが阪中さんに。

 

 

「なあ、阪中。……非常に申し訳ないのだが、こんなんで良かったのか」

 

「うん。いいよ。何にもなかったんでしょ? ならもう大丈夫そうだっていうのはわかったのね」

 

「……そうか」

 

「でも、ルソーが嫌がってたのは本当。とりあえずしばらくは散歩のコースを変えてみる」

 

その点に関してだけは我々が役に立ったと言えよう。

古泉が謎のエリアを割り出してくれたおかげだ。

こんな時ぐらいはあいつの顔を立てておくのも悪くない。

次第に長門さんの食事ペースがアップし、俺は焼き立てで運ばれてくるそれから逃れたかった。

朝比奈さんみたいにルソーの相手をしててやってくれないだろうか。

 

 

 

と、意味の解らない文を解読した以外は、この日は平和だったさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後、金曜日。

 

 

 

部室に入った俺が聞いたのは驚きの報告だった。

涼宮さんの話を要約すると、とうとうルソーまで原因不明の体調不良に見舞われたらしい。

じゃあ、お前さんの意見を訊こうか。

 

 

「早急に再調査をする必要があります」

 

「お前さんは動物の病気に詳しいのか? 獣医が匙を投げたと言うそれを」

 

「実際に視てみない限りは何とも言えませんよ。思わぬ発見と言うのは予期せぬタイミングで訪れるのです」

 

古泉のそれはもしかしたら自分に対しての発言だったのだろうか。

超能力者に覚醒する前、元々のこいつが何者かは俺にもまるで見当がつかないさ。

ただ、ミステリやら天体観測が好きなのはきっと涼宮さんが望むキャラクターとは関係ない。

他人の心、その精神は、本にすることが出来ない。文字にすることが出来ない。

書いてもらわなくちゃあ無理だ。

 

 

「とにかく乗りかかった船と言うものでしょう。我々が黙ってお茶をすすっている訳にもいきません。もしかするとあの日ルソー氏を散歩させたのが無関係……とは、言いきれないのですよ」

 

「そうね、わかったわ。古泉君。……みんな、さっさと準備して阪中さんの家へ行くわよ」

 

「お犬さん、大丈夫かなあ……」

 

「……」

 

「明智、お前の意見はどうなんだ?」

 

「どうもこうもないさ」

 

俺にも何が出来る訳じゃあないが、ルソーくんの話し相手にはなってやれる。

そう言うキョンだって何だかんだ彼が気になるみたいじゃあないか。

でも今回ばかりは出なくてもいいんだぜ。幽霊? 違う。

 

 

「今日も"シュークリーム"かしらね?」

 

楽しそうにこっちを見るのは構わないけど朝倉さん、それ、言いふらさないでくれよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我々の行動は文字通り見切り発車だったのもあってか駅に着いたら駆け込み乗車でどうにか最速スタートが出来た。

普通にこれは迷惑行為だ。こんな田舎だからまだマシだが大都会じゃこの時間でもバッサリ切り捨てられる。

東京はどこからあんな人数が湧いて出るんだろうな? 昔の俺は軽く恐怖したね。

だけど今回一番恐怖してるのは怪文を送り付けられた俺よりも愛犬の異常に無力な阪中さんの方だろう。

高級住宅街の一角、数日ぶりの彼女の自宅まで行くと、インターホンに応じて出迎えてくれた。

 

 

「みんな、入って……ありがとう…わざわざ来てもらって……」

 

元気がない。そして彼女はこの日、学校を休んでいた。

ルソーくんの異常にとても心を痛めたのだろう。

それから古泉や涼宮さんによる聞き取り調査が開始された。

ただ、俺なんかが言うべき台詞じゃあないが、客観的事実を阪中佳実に突き付けるとするなら。

 

 

「……"弱い"」

 

それは別に何も悪い事ではない。

弱者には弱者の、淘汰される中でも成り立つシステムが、"世界"がある。

だからこそ彼女は今までクラスでも目立たなかった。ロクに友人も作れなかった。

愛犬に対して甘やかす事しかしてこなかった。それは、優しさなんかじゃあない。

ルソーの方もきっと彼女が本当に好きなんだろう。俺が念能力者もどきでなくてもそれはわかる。

だけど、それは共依存ですらない。かくも残酷なすれ違い。無償の愛は、毒だ。

ルソーはただ、そこにあるもので満足しようとしているだけなのだ。

少しずつ同じ時間を共有できれば、それで。

 

 

「…嗚呼……何でだろうな………?」

 

「明智君、どうしたの。何だかとても悲しそうな顔をしているわ」

 

「……今日だけ、だ」

 

もしかすると今にも俺は泣いてしまいそうだった。

彼女と彼のそれが、人間同士ならきっとこうはならない。同じ世界なら。

……なら、俺はどうなんだ? 俺が愛しているのは本当に彼女なのか?

朝倉さんが仮にずっと俺を殺すチャンスを窺うままだったとして、愛せたのか?

あいつの、ジェイの甘い言葉に乗せられただけなんじゃあないのか?

感情が永遠に理解できない朝倉涼子、それを、宇宙人を、俺は愛せるのか?

 

 

 

――おい、何迷ってやがる、答えはもう出したんだ。

 

拾って帰るな、捨てて先へ進め。

俺の朝倉さんへの愛は嘘じゃないだろ。

今でもそうさ……俺は、彼女になら殺されても構わない。

きっとこの世界の何よりも穏やかな心で死ねる。

彼女のためではない、俺だけのために。

 

 

 

やがて長門さんはゆっくりこちらに近づいてきた。

ルソーくんへの宇宙式触診は完了したらしい。

 

 

「……」

 

「長門、さん」

 

「原因がわかった」

 

ぼそりと他の人に聞こえない声でそう言う。

残念だが長門さんに対して読唇術は難しかったから、ありがたい。

どうやらそれは超常的な何かが原因らしく、涼宮さんには聞かせられない。

……ほどなくして俺たちSOS団は撤退となったのだ。

 

 

 

そう、俺の弱さとして確立すら出来ていないそれと、阪中さんのそれは違う。

 

まだ何かを獲得する必要が俺にはあるらしい。

 

やっぱり世界はケチだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

涼宮さんと朝比奈さんは早い話がかなりまいっていた。

よって帰り道で他のみんなとはぐれたとしても、彼女らは気にしない。

俺含む他の五人で、帰り際の会議が始まった。

 

 

症状に関しては俺もちらっと見たが本当にルソーくんはダウンしていた。

死んでいるような様子ではないのだが、その場からまるで動こうともしない。

苦しい、重い、力が湧かない……そんな感情が彼から伝わった。嘘じゃないさ。

どうして人間相手にはこうも上手く相手の気持ちを感じ取れないんだろうな、俺は。

宇宙人相手でもそれは同じだった。やっぱり、俺は泣きそうだ。

 

 

「で、長門。ルソー……いや、樋口さんの家のマイクとやらにも取り憑いているかもしれないが、何が原因なんだ?」

 

「ケイ素構造生命体共生型情報生命素子」

 

「ようは地球外生命体の一種よ。肉眼では捉えられない、情報生命体ね」

 

「……すまん、俺にはさっぱりわからん。それはいつぞやのチュパカブラと同類なのか?」

 

「違う」

 

と明らかに長門さんは否定した。

俺は会話に参加できるような精神テンションではなかった。

 

 

「つまりどういうことでしょうか」

 

「それはあまりに原始的。情報統合思念体や未だ不透明な広域帯宇宙存在、あるいはかつて遭遇した原始的情報生命体とは比較にならない」

 

「何がだ?」

 

「次元に差がありすぎるの。私たちからすれば低レベルよ。と、いってもこの地球上のあらゆる情報を凌駕するでしょうね」

 

「……そうかい」

 

「なるほど。では、何が目的なのでしょうか? かつてのUMAは自らを拡散させるのが目的でしたが。まさか、今回のターゲットが犬とは」

 

そこから先は要約になる。

ケイ素構造体とはそもそもの情報生命体さんの宿主だったらしい。

共生型というか、まあ、ようは寄生型だろう。それはやはり宇宙から来たのだと言う。

そして"悪魔の手のひら"の如く、ケイ素は隕石化してあの川のエリアに接近。

結果として隕石は大気圏突入で燃え尽きたが、やはり三次元に情報は残存するらしい。

こうしてあの土地は呪われたわけだ。

 

 

「おそらく、それがもつネットワーク構造は犬類と同類」

 

「脳の事か」

 

「そう」

 

「感染を食い止める方法は……?」

 

「ウィルスじゃないのよ、キョンくん。ただ彼らの情報量が犬のメモリを食いつぶしているだけなの、一匹じゃ補えないのよ」

 

「しかしそれは地球上に存在するすべての犬科属らを使用しても補えない。不足している」

 

はっ。

こういう時にも何かで例えたくなるもんなんだな、俺は。

まるで。

 

 

「"バッファオーバーフローアタック"、だな」

 

「……それは何だ」

 

「あら、その名の通りじゃない」

 

「それがわからん」

 

古泉、お前のところのIT業界志望の理数クラス野郎はどうなんだ。

その頭脳はきっと専門学校に進学しなくとも、充分社会に役立つさ。

 

 

「ええ、聞いたことはありますよ。それについては不明ですが、僕にも推測はできます。バッファとはコンピュータ上で確保されているメモリの領域です」

 

「そうだ。つまり犬のメモリは現在パンクさせられている。その結果にあるのはコンピュータ制御の掌握……」

 

「だから情報生命素子は今も容量を確保しようとしているの。攻撃は一回やそこらで終わるわけないじゃない。どうせやるなら徹底的にね」

 

「……」

 

「はっ。馬鹿にしやがる。……だいたいな、ケイ素って何だ。それは今回とどう関係する? もともとの宿主がそれならそっちに移せよ。それくらいは出来るだろ」

 

ケイ素。

それはシリコンであり、半導体の材料。

俺はハードウェアのエンジニアではないが、コンピュータを扱う人間としては常識だ。

まさか"シリコンバレー"も知らずにあの業界へ飛び込もうとする奴など居るはずもない。

それはコンピュータにおいて一番大事な基盤に関わるのだから。

集積回路を構築する上で、欠かせない。

 

 

「地球上にある限りは、今回同様のケースは免れないでしょう。宇宙に送り返したいところではありますが……」

 

「古泉、お前さんの『機関』でも、金がいくらあっても足りないんじゃあないのか?」

 

「はい。残念ながら実現はほぼ不可能です。空から大金が一日中降り注ぐのを祈るばかりです」

 

期待してないさ。

だがやはり俺もルソーは心配だ。

そしてキョンもどうにかしたいようで。

 

 

「……他に方法はないのか?」

 

「あるわよ」

 

「ならさっさとそいつを消してくれ。それで終わりだ」

 

「消去は不可能。許可が下りない」

 

「おい、それは宇宙人のパトロンの命令か? ……ふざけやがって」

 

「タテ社会よねえ。他のプランはあるわよ」

 

どうやら情報統合思念体はその生命体をかつての俺のように、有益と判断したらしい。

……何だか俺も気に食わないな。いかにも偉そうじゃあないか。

ルソーくんや、まだ見ぬマイキーが可愛そうだとは思わないのか?

人間とコンタクトするなら、歩み寄るべきなんだ。

"一歩"が無理でもお互いが"半歩"なら、それは一歩分になる。

俺と朝倉さんは、二人で二歩だった。もう距離はゼロだ。

理不尽ってのは結局、ものの見方でしかないのかもしれない。

これだけは覚えておけよ、情報統合思念体。いつか、わからせてやる。

 

 

「物事の、片面だけで全てを判断するんじゃあない」

 

「同感だな」

 

「……」

 

「さて、どうしたものでしょうか。とりあえず朝倉さんが仰ったプランについて検討しましょうか」

 

「……やれやれだわ。私たちにも"出世"って制度があればいいのに。単純な利権関係しかないのよ」

 

今にもどうにかしてやりたい、そんな気分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そうさ、この時の俺の感情はまったくもって正解だった。

 

何故なら俺が嫌いなら、あっちも嫌いになるのが感情ってものなのだから。

 

出来ればずっと覚えていた方が良かったんだろうな。

 

それに気付くチャンス、ヒントはいくらでもあったのだ。

 

何より、そのための"補助輪"だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

……だけど、今日の話ではない。

 

"まだ"、ね。

 

 

 

 

 



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ウィー・オール・フォール・ダウン


『どんな人も自分の記憶が失われていることに不満を抱くが、
 判断の欠如について不満を抱く者はない』



―― ラ・ロシュフコォ 【道徳的反省】









 

 

 

そうさ、"過程"もしくは"方法"など、どうでも良かった。

"結果"だけが、結果だけが全てらしい。

だから俺も、そこを話そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はただ、何故この世界に呼ばれたのか。

それが本当に涼宮ハルヒの手によるものなのか?

真実が、結果だけが欲しかった。

今まで俺は少しずつ少しずつ、成長していったのに。

最後の最後で俺は、自分でそれを台無しにしてしまった。

なんて、大馬鹿者。

 

 

 

 

 

 

 

金曜日に阪中さんの自宅を訪問した。

それから数日後の現在。火曜日。

今ではすっかりルソーくんは元気になっていた。

登校中のキョンは先週の出来事に不満があるらしい。

話を聞く事にした。

 

 

「動物用アロマセラピーだと? ゴリ押しもいいとこだぜ」

 

「でも結果として、それで涼宮さんも阪中さんも納得したんだ」

 

「もう少し疑ってもいいだろ」

 

「それってやぶ蛇じゃあないか。つつかれたくはないだろ?」

 

「そういうもんかね」

 

朝倉さんが提案したプランとは、その情報生命素子を圧縮し、凍結するというものだった。

これならウィルスデータが動作される事がないのだと言う。

フリーズって訳だ。簡単な儀式を行ったように、それを演出したのだ。

暗がりを作り、無意味にアロマキャンドルなんかに火をつけて、それで"アロマセラピー"。

おい古泉、本職の人を馬鹿にしているだろ。

だけどこのおかげで疑われることなく、事件は解決できたんだ。

ならそれでいいんだよ、それで。

 

 

「だが、シャミセンもよくわからん。お前は聞いてないだろうがあいつは喋ったんだ、ハルヒのせいで」

 

「確かに映画撮影の時、シャミに命令してたね」

 

「いい迷惑だったぜ。妹を誤魔化すのも一苦労だった」

 

しかしその情報生命素子は圧縮しようと、消去しない限りは永遠に存在し続ける。

たとえルソーや樋口さんの飼い犬である茶色の小型犬マイク、この二匹が死のうとも。

つまり"誰かが管理する"必要がある。"鍵"と同じだ、誰かが持っている必要がある。

そこで、キョンの愛猫ことシャミセンが選ばれたのだ。

雄の三毛猫と、もともと何か奇妙な運命があるかもしれない上に何かが起きたらキョンが気づく。

不完全だが一応二段構えの体裁を成している。

 

 

 

そして平和ボケのせいだろうか。

俺はキョンに対してこう口走った。

 

 

「もしオレが"小説の主人公"だとして……そのオレが何をすればいいかわからない。なんて、どうなんだろうか」

 

「どうしたんだ、急に……?」

 

「オレには知らない"役割"があるらしい。オレは自分の能力さえ、ルーツさえ把握していない。お前はオレの前居た世界を知らないが、そんな無知より、よっぽどオレにとっては大問題だ。オレは何なんだ……? 本当に、オレの知らない"何か"があるのか?」

 

「……あのな、明智よ」

 

ピタリとキョンは歩みを止めて、俺の方を向く。

珍しく説教でもしそうな雰囲気だった。

 

 

「仮に俺が主人公でもそうだろうよ。ただ、普通に高校生活してたつもりがこのザマだ。俺だってどうすればいいかわからん」

 

「………」

 

「だが俺は俺をやめるつもりはない。鍵だか何だか知らないが、利用されたら腹が立つ。俺は人間だ、道具じゃない」

 

「……ああ」

 

「変に考えすぎるなよ。お前らしくもない」

 

なら、お前は、キョンは俺の何を知っていると言うんだ?

"孤独感"でもない、俺にあったのはもっと原初的な感情の、"不安"。

まるで赤子が、母の不在を悲しむ時の、それであった。

知らないと言うのは確かに罪だ、だが、知れば知るほど視野は、世界は広がる。

世界の広さに比例して、不幸も増える。

無知には無知の幸せがあるんだ。

 

 

 

俺は、異世界人だった。

俺の業はとてもじゃあないが最早人間に背負えるそれではなかった。

俺にとっての"世界"は、とても広いのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――だからこそ、その日。

春休み間近な三月のその日、奴は現れた。

 

 

 

俺一人が、家に帰る。その往来で携帯電話が突如鳴り響く。

最初は俺に罠を仕掛けたあの女だと思った。

だがその予想は、奇しくも外れていた。

 

 

「……もしもし?」

 

『久しぶりだな。私だよ』

 

聞き覚えのある不気味な合成音。

これを声だと認めたくはない。

中河氏に手を出し、周防九曜とも繋がるあの人物。

 

 

「"ジェイ"……、お前……!」

 

『まあ、落ち着きたまえ。そのまま30メートルを直進して、左に曲がるといい』

 

「何言ってやがる……」

 

『そこで私は待っているぞ』

 

通話はそれきり。

明らかに罠だった。

俺の家からやや逸れるが、行けないわけはない。

 

 

「……行くか、どうか」

 

いつも通りだ、『それが、問題だ』った。

そして俺は、まるで、プログラムをコンパイルするかのように、道を進んだ。

最後には、実行する。

 

 

『――再会、いいや、再開を祝そう。私は君に会えて嬉しいよ』

 

かつて見たままの通り、変装していた。

コート、骸骨模様のバラクラバ、サングラス、ブーツ、手袋。

素肌の一切を露出させないスタイル。

明らかな拒絶の色。

 

 

『ようやくこの世界へ戻ってこれた。体感時間にして3年以上が経過したがね』

 

「あれから、3年も経過しちゃいないだろ」

 

『簡単な時空の歪みだ。もともと時間とは、不可逆ではないのだ。何、私の年齢の方は心配するな。わけあって私は今、歳を取らない』

 

「ふざけやがって、意味がわからない、何のことだ。どうして中河--」

 

『中河君を利用するのか? 違うな、協力だよ。そしてそろそろ正式なオファーを出す。彼は断らないだろう』

 

根拠がある、自信だった。

それが何かも俺にはわからないのだ。

 

 

「知るかよ。詭弁だ」

 

『まあいい。今回は別件なのだよ』

 

そう言うとジェイは手帳を取り出した。

俺が渡した、あの世界で渡した、手帳。

ここから暗号文を逆算したって言うのか?

……いいや、絶対に無理だ。

何故ならその中の一つは、俺が前世で考えた、俺しか知りえないものがある。

俺の記憶を本にして読まない限りは、絶対に知り得ない。あり得ない。

 

 

「とにかく、ネタは知らないがご丁寧に解読しやがって。ご苦労様だな」

 

『ふむ。不完全ではあるがな。とにかく君は――』

 

俺は今すぐ逃げるべきだった。

だが、後悔すらする暇もなく、俺は"呪い"をかけられた。

 

 

『――"真実"が、知りたいのだろう? 今度こそ、全部話してあげよう』

 

驚く俺を無視して説明を開始する。

 

 

『そもそも"カイザー・ソゼ"とはただの記号だ』

 

「……はあ?」

 

『実は存在しない。嘘ではないさ、それを行った人物は居る。私だよ。……なに、君への当て付けだ』

 

「どういう事だ」

 

『"ソゼ"とはトルコ語で"おしゃべりな"を意味する。つまり――』

 

 

俺は、一体、何を知らないんだ?

 

 

『――かつてその振る舞い、他を寄せ付けない傍若無人さ故に、"皇帝"と呼ばれた君への、当て付けだ。まるで、涼宮ハルヒみたいだったな』

 

馬鹿な、それを知っているのは、この世界で朝倉さんだけなはずだ。

お前は、じゃあ、何者なんだ。

 

 

『そして私は"エージェント"、エージェント・J。それは君の好きな映画では、"ウィル・スミス"が演じていただろう? 宇宙人を、やっつける黒服。それが私だ』

 

「おい、お前、もしかして」

 

あの言葉を、あの名前をこいつは知っている。

キョンの切り札――。三年、四年前の七夕。七月七日。

 

 

『だが"ジョン・スミス"では、男の名前になってしまう――』

 

そいつは、サングラスを外し、バラクラバと帽子を脱ぎ捨てた。

 

 

「――私は女よ。……そうね、"ジェーン・スミス"がいいかしら?」

 

「……な、に」

 

そいつは、まるで闇だった。

周防とは違う。あいつの黒は虚無であり、光を知らないが故の闇。

この女のそれは、この世界に対する憎悪故の、闇。

 

 

「さて、そろそろ自己紹介といきましょうか」

 

聞き覚えのある、電話の女と同じ声。

黒いショートヘア。

俺はこの女に対して、どこか、"罪悪感"を感じている。

初対面の、俺と同世代に見えるこの女に対して。

 

 

「初めまして、"明智黎"。そして――」

 

 

 

 

 

 

そうだ。

 

えらい美人が、そこにいた。

 

 

 

 

 

「久しぶりね、"浅野君"」

 

 

 



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異世界屋こと俺氏の精神分裂
第六十話


 

 

 

季節の移り変わりを何によって感じるかは人それぞれだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう半年以上の俺の場合は、朝倉さんの私服姿が最も解りやすかった。

大体からして長門さんや冷血宇宙動物周防九曜の方がおかしいのだ。

君たちはきっと二人とも制服を戦闘服か何かと勘違いしているだろ?

宇宙人の繋がりにしても、さすがに朝倉さんは格が違った。これで勝つる。

外見で言えばあの二人も高レベルだが、朝倉さんは谷口にAA+と評されるほどなのだ。

つまり、何だかんだ言ったところで何を着ようと同じなのだ。

朝倉さんという素材に服が負けてしまうのだから。

 

 

 

そんな春先のある日、陽射しがやけに気持ちいい。

恐らくそれは俺にとっての数少ない安らぎの朝倉さんと一緒だからだ。

もうこの部屋に行かない方が苦痛になりつつある。末期ではないか。

思わなくても見とれてしまう。

 

 

「照れるわよ……」

 

「事実さ」

 

「もう」

 

こんな事を言いたくなるぐらいにはすっかり暖かくなっていた。

三月も明日には終わりであり、春であった。

 

 

「そういや、朝倉さんに最初に話しかけられた時はキョンについて訊かれたんだっけ」

 

「ええ。でもまさかあなたと付き合うだなんて思ってなかったわよ」

 

「さてオレはどうだったかな……」

 

思えば俺は自分が持っていた原作の知識に対し、目標線が早期の段階で完了するものであった。

SOS団に所属するにしても俺は基本我関せずのスタンスで居るべきだったのだ。

どうにも俺はバリバリの武闘派と勘違いされている気がする。古泉とキョンに。野郎。

あの時俺がどう考えていたかはさておいて、やっぱり心の真底には朝倉さんへの思いがあったのだ。

それに関しては俺は忘れちゃいなかった。俺の"友人"を自称する、あいつはさておき。

 

 

 

結局あいつは全部を俺に話さなかった……いや、その権利だけを俺に寄こしたらしい。

俺の携帯にはとある番号が登録されている。一回だけ、あいつに電話が繋がるのだと言う。

だが不要だ。本当に俺の友人かも怪しい奴をどこまで信用できるんだ? 

あいつは俺の味方とは限らない。いいや、俺からすれば立派な敵であった。

 

 

「まだまだわからないことだらけだわ。異世界人もそうよ」

 

「それって、オレの事かな」

 

「他に誰が居るのよ」

 

「いいや、どうなんだろうね」

 

――そう、キョンの言う通りだったのだ。

友人でも何でも勝手に思い込むのはいいけど、人を利用する奴と友達になった覚えはない。

絶交だ。そもそも交流した覚えすらないんだからしょうがない。俺は敵で構わん。

だがしかし、一つだけわかった事はあった。

 

 

「"異世界人"。……違うさ、オレは"異世界屋"だ。どうやらこちらの勘違いだったらしい」

 

「……その女の言う事を本当に信じるの?」

 

「でも理には適っているんだ。真の異世界人は、あっちだったのさ」

 

「私には何でもいいわよ。明智君が居れば」

 

きっと彼女はそう思ってくれてる。本当に心から。

俺だってついこの前まではそう思っていた。

今でも朝倉さんが大切なのは変わりない。どんな奴が俺の前に現れようと。

ただ。

 

 

「オレは嬉しいけどさ、そんな考えはお互いよそう。何かの価値を否定しちゃいけない。批判はしていいさ」

 

「この歳の私に愚痴りなさいって言うのかしら」

 

その結果として未来の朝倉さん(大)は人格破綻者一歩手前と化していたのだろうか。

今から悪影響は与えられないな。いや、本当にアニメや漫画は認めないですよ。

それこそ【トムとジェリー】ぐらいがいい……と思ったところであれはあれで悪影響を与えそうだ。

カートゥーンは全般的に駄目だな。何がいいかね。

 

 

「とにかく、あいつ……"佐藤"の目的は未だに不明さ。説明の場を設けるとは言ってたけど、期待しちゃいないよ」

 

俺があいつの名前を訊いた時には「佐藤、とでも呼ぶがいいでしょう」とか言い出した。

だから元ジェイこと謎の女を俺は佐藤と呼ぶことにした。

顔を隠していた以上性別はある程度度外視していたが、本当に女の方だったとは。

そして佐藤なんてどう考えても偽名じゃあないか。

いかにもありふれた名前で、名乗った彼女は本気の態度でもなかった。

しかし"ジョン・スミス"とか"ジェーン・スミス"とか、何かそんな映画があった気がする。

と、佐藤を名乗る女について思考していると朝倉さんはむすっとした態度で。

 

 

「もっと私の事を考えなさいよ」

 

「いつも考えているさ。だからあいつをどうにかする必要がある。きっと」

 

「……本当に、どこにも行かないわよね?」

 

「約束した。オレは異世界屋。朝倉さんはクライアントじゃあないよ」

 

「……うん」

 

そうさ。

この世界の何より大切だ。

でもそれは、他の全てが無価値ではないんだ。

優先順位ってほどでもない。ただ満足するために必要な度合い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この前……と言っても数週間も前の話ではない。

あいつは、佐藤は俺にこう言った。

 

 

「浅野君は、正確には異世界人じゃない。定義にもよるけどそのまま世界を移動したという点では、私が正真正銘の異世界人」

 

「何が言いたい。そして、オレの名前はもう"浅野"じゃあない。何故君がその名を知っているかは知らないけど、オレはこの世界で死ぬと決めた」

 

すると彼女は愉快そうに笑ってから。

 

 

「フフフ。だから浅野君は異世界人じゃないのよ。立派なこの世界の人間……いいえ、"明智黎"となった」

 

「おい、君は一体……オレの何を知っているんだ……? 答えろ。答えてみせろよ。オレが納得できる回答で」

 

「その覚悟があるなら、その電話番号に電話しなさいな。ただ、後悔しないことね」

 

「オレが、何を後悔するって」

 

「真実は時に残酷。私は規定事項に縛られるしかない。でも、浅野君は違うわ」

 

最早俺はこいつへの突っ込みを諦める事にした。

浅野、そして"皇帝"。確かに俺の過去を何故か知っているようだ。

それでも俺の友人を自称するこの女を俺が信用しない理由は一つだけある。

それは微かな違和感だったが、徐々に確かなものへと変化していった。

"これ"がきっと俺の、佐藤に対する"切り札"となるかもしれない。

だが、使うのは今日ではない。

 

 

「違うだって? 何が」

 

「おしゃべりはここまで。続きは今度。それか電話してね――」

 

「お、おい! 全部話せよ」

 

佐藤は踵を返し、立ち去ろうとした。

だがふと歩みを止めて、最後に。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――浅野君は"異世界人(スライダー)"じゃない、"精神異常者(トリッパー)"。……だから、明智黎が必要だった…」

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも通り、言いたいことだけ言って次の瞬間には消えていた。

 

トリッパー。

 

いいや、まるでスキッツォイド・マン。

 

 

 

俺は、あの未来人が言った通りに、異世界屋らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、ここまでは今回の話の前提だ。

とりあえずは近況から話そう。

……もう四月さ。

 

 

 

そして四月に入ったと言う事は即ち、高校生として二年生を無事に向かえた事に他ならない。

つまり入学式と、新入生が入ってくる。

 

 

「春だな」

 

「4点。もっと捻れよ」

 

「他に言いようがないだろ」

 

中庭の片隅で俺たちSOS団は集まっている。

一応だけど目的はあるのさ。

 

 

「期待してないからいいよ」

 

「僕には疑いのないまでの春模様に思えます。暦の上でいつからかはさておき、この日が春そのものを体現していると思えるくらいにね」

 

「キョンよりは点数高くつけてもいいぜ」

 

「恐縮です」

 

「はっ。わかりにくい言葉が好きな変態同士仲良くやってくれ」

 

どうしても野郎で絡めたがるのかお前は。

生憎と俺はノーマルだ。将来的に結婚する可能性が高いらしい彼女だって居る。

 

 

「しかしながら僕たちも高校二年生です。これをどう受け止めるべきでしょうかね」

 

「どうもこうもあるか、来ちまったもんは仕方ない。俺からすれば"やっと"だがな」

 

「はいはいはいはい。オレの台詞を奪うんじゃあない」

 

「交換するか? こっちもそれなりに便利だな」

 

「オレのは立派な精神攻撃として通用するんだよ。『どうもこうもない』は否定の呪文だからね」

 

「そうかい。俺にとってはどうでもいいさ。好きなもんを口癖にしてくれ」

 

眼の前に広がる一年坊の群れと言う群れ。

谷口ならツバでも付けておきそうだが、彼の近況など知りたくもない。

この前聞いたところではやっぱり周防の家を知らないみたいだしな。

どうせ橋の下だ。いっそのこと氾濫が起きて流されてしまえ。オホーツク海まで。

 

 

「……それにしても、慣れたもんだな俺も」

 

「毎朝の山登りがか? この前も聞いたぞ」

 

「違う。お前の死んだじーさんとやらの話を持ち出すな山オタク。俺が言いたいのはこの集まりに、だ」

 

いつ俺が登山家になったのだろうか。

ここまで言われると逆に興味が湧いてくる。

でも暫くは本当に関わりたくない。

山は登るもんじゃあない、眺めるもんさ。

 

 

「あなたが言うのは"集まる"という行為自体にでしょうか」

 

「で、結果として色んなゴタゴタに巻き込まれてるんだぜ。一年前の俺は予想できたか? いや、出来ないだろうよ」

 

「ここまでキョンは口が達者なのにどうして国語系科目が弱いんだ? いや、何が弱いんだろうな」

 

俺がそう言うと恨めしそうに睨まれた。

それはいいが、幽霊はこの前出なかったぜ。

死んでから『うらめしや』は好きなだけするといいさ。

 

 

「明智、部室へ行っていいぞ。まだ朝倉は居るだろうさ。そして一年生どもに見せつけてやれ、今日は許そう。……だから失せろ」

 

「やれやれ、これは手厳しいね」

 

仮にも友人同士の会話か、これは。

とりあえず一年生の顔色を窺ってくるとしよう。

彼ら彼女らは俺の事なんかまさか知ってるはずないんだから。

他の部活連中の冷やかしも悪くない。

 

 

 

 

 

 

そう、放課後の今、新入生歓迎会なる催しが行われていた。

 

 

 

 

 

 

 

さて、重ねて言うがあの佐藤と名乗る女について俺はまったく覚えていない。

顔も知らない、声も耳にした覚えがない。一方的な言いがかりでしかなかった。

 

だいたい、あんな美人さんと知り合いで、"友人"?

嘘つけ。俺はキョンじゃあないんだぞ。

彼女だって言われた方が信用出来る。そんな知り合いは居なかったが。

しっかし、"鈍感系主人公"なんてやり尽くされただろ。

仮に知り合いだったなら手を出さなかったのが不思議だよ。

今となってはあの女の数百倍は美しい朝倉さんが居るので比較できないさ。

それでもただの友人で済むわけがない。絶対キスぐらいしてるだろ。

つまり、佐藤の発言が出任せだと言う方が信用できるのさ。

 

 

「だって知らないんだから」

 

「……」

 

「オレも曲りなりに文芸部員だ。定位置につくよ」

 

「……」

 

"文芸部"とだけ書かれた紙を一枚貼り付けた机、その後ろの椅子に座る。

隣に座る部長こと長門さんは流石に本を読んでいない。何を考えているかは不明だが。

キョンと古泉はこの文芸部用のスペースからやや離れた場所に突っ立っていた。

残る女子三名は部室で勧誘のための道具やら準備やらと、人材を確保する気らしかった。

何の人材かと言われればやはりSOS団になってしまう。……誰か増えるのか?

とにかく文芸部目当てで来る学生に対してどうするか。

 

 

「それが問題」

 

「オレはシェイクスピアが好きじゃあない。【恋に落ちたシェイクスピア】は面白かったんだけどね……」

 

「……本?」

 

「映画さ」

 

「そう」

 

つまり彼の作品が俺には合わなかっただけさ。

なまじ人間同士だから見てられない。

カフカの【変身】ぐらいブラックならいいのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう言えばこれはついでの報告となる。

 

 

 

二年生のクラスだが一年生時のそれと大差なかった。

知らない顔ぶれが多少シャッフルされた程度。

担任はまた岡部先生な上に、五組という数字さえ同じだ。

 

 

「これも"因果"なのか?」

 

「……」

 

サングラスでもかけるとしよう。

会長に何か言われたら外せばいいさ。

とか何とか思っていると本当にやってきた。

その横には書記である喜緑さんを従え。

 

 

「明智くん。キミは私に無駄な発言をさせたいのかね」

 

「アイマスク替わり……って事にはなりませんかね」

 

「キミのそれがいい趣味をしているとは思うが生徒会の立場の問題でね。直ちに外したまえ」

 

「ウィッス」

 

俺のこれは目つきの悪さで一年生が逃れる事を嫌っての行為なんだがな。

しかし、サングラスを掛けていてもビビる人はビビるよな。

でもスポーツ用だよ? ……文芸部には関係ないか。

 

 

「喜緑さん」

 

「はい?」

 

「次は長門さんも交えてバンドをやりたいんですが」

 

「検討しておきましょう」

 

「フッ。文化祭などまだまだ先の話だろう。キミは成績が悪くはないようだが、浮かれてもう一人みたいになるなよ。もちろんそこの部長も」

 

「……」

 

「善処しときますよ」

 

キョンの事か。

あいつはさっき俺にダメージを与えられたから許してやって下さいよ。

俺がそう言うと会長殿と喜緑さんはキョンと古泉のところへ向かっていく。

ともすれば朝倉さんがこっちにやってきた。

 

 

「涼宮さんはチャイナ服をお召しになるそうよ」

 

「え、朝比奈さんじゃなくて?」

 

「どういう風の吹き回しかしらね」

 

「……あの日の事が多分影響してるさ」

 

「春休み最終日のフリーマーケットの事かしら」

 

まさかその待ち合わせの時にキョンが、あの人と遭遇していたとはね。

話の内容なんか俺は忘れている。だから、本当に驚いたさ。

まず、佐藤の介入を疑ったね。次にあの周防九曜。

 

 

「彼女が情緒不安定かは知らないけど、この前古泉が閉鎖空間の頻度が増えたと言っていた。あの日以降だってさ」

 

「旧友との再会だけで、難儀してるわね」

 

「それはオレもさ」

 

「私はもう大丈夫よ。あなたはきっと、何があっても私のところへ戻ってくるもの」

 

「根拠はあるさ」

 

……何やら向こうが騒がしいと思えば案の定会長殿と団長殿が衝突しかけていた。

涼宮さんの格好についてだろうさ。彼女が持つ文芸部のプラカードは、本当に文芸部以外は書かれていない。

 

 

「というか立場的に朝倉さんは止めるべきなんだよね」

 

「あら、何でかしら?」

 

「何でって……」

 

あなたは優等生で、それもクラス委員長でしょう。

いくらSOS団で無茶をしようと朝倉さんはクラスでの評価が高い。

第一にその無茶を誰も知らないのだ。SOS団内でも一部しか知らないし。

そんな朝倉さんが何故かSOS団に入っている、俺のせいにそれもされている。

 

 

 

ようは彼女の評価が高いほどに、俺の悪名は高くなっていく。

いいや逆だ、俺が悪いから朝倉さんが善いみたいな風潮。

理不尽。

 

 

「……おかしいだろ、常識的に考えてさ」

 

「私のチャイナ服が見たいのかしら?」

 

「今度頼むよ」

 

「ふふっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は、異世界屋としての器量など大して高くなさそうだった

 

 

 

 



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第六十一話

 

 

そうこうしているうちに新入生歓迎会は撤収の時間となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文芸部志望だろうか、何人かこちらを気になっているような生徒は居た。

上履きの色をちらりと見ればそれが一年生だと判断するのは容易だ。

 

 

「……」

 

長門さんはただただ無言で一点を見つめている、この部長には勧誘の意欲はないらしい。

しかしながらただの一般ピーポーとしか判断されていなかった俺の入部を蹴らなかったのだ。

これ以上変質者集団に磨きはかかってほしくなかったが、話をするだけならいいだろうさ。

それにわざわざSOS団に入ってもらう必要は無い、生徒会的には文芸部なのだから。

で、じろじろこちらを窺う三つ編み眼鏡の女子生徒に声をかけることにした。座りながら。

 

 

「そこのお嬢さん」

 

俺ながらどういう切り出し方だろうか。

佐藤が俺の何を知っているかはともかく、"皇帝"流なのは間違いない。

 

 

「へ、あ、えっ……!? わ、わたしですかっ」

 

「いかにも。君は本を好きそうな顔をしているね。いいや、絶対好きだ」

 

「あの、そ、その……」

 

ハッタリですらない、根拠のないトークだが外れたらそれはその時だ。

会話自体を棄てる勇気がなければ一人前の会話術などとうてい身につかない。

とくに年下には能動的聞き取りを仕掛けてやるに限る。

現にこちらに興味はあるみたいだしね。

 

 

「このブースは文芸部、ですよね……?」

 

「"Marvelous(さすがだ)"。といっても現在部員は二人なんだけど、こちらが部長の長門さん」

 

「ハロー……」

 

「こ、こんにちは」

 

何故か長門さんはノってくれた。

こんな勧誘をして成功させようとかはちっとも思っていない。

間違いなく彼女は俺の目つきの悪さしか考えていないのだ。

誰かいい貌の作り方を教えてくれないだろうか。切実に頼む。

 

 

「オレはただの下っ端A。Bが出来る予定は今の所ナシ」

 

「文芸部って、普段は何をされてるんですか……?」

 

「……」

 

「読書と創作。手元に用意はないんだけど先月機関誌は発行したよ。半分以上はアウトソーシングだけど」

 

「アウト、ソーシング?」

 

「簡単に言えば外注さ。8割以上は文芸部部員以外の人による内容さ」

 

これがれっきとした会社間のやりとりならば問題ないだろう。

しかし曲がりなりにも文芸部の伝統ある機関誌を、それも公にはSOS団の介入はないものとして出版。

はたしてあれを持って行った一般生徒たちは読んで何を思ったのだろうか。

 

 

「えっ、それって文芸部的にはいいんですか」

 

「……」

 

「問題ないと思うよ。バレなきゃいいんすよ、バレなきゃ」

 

「そうですか、はははは」

 

傍から見たら圧迫面接にしか受け取られていない。

そろそろ解放してあげたいが、これだけはさせてほしい。

 

 

「君が文芸部に来てくれるかはさておき、最後に君の好きな作品を当ててあげよう」

 

「さ、作品。それってわたしの好きな本を当てるって事……ですよね?」 

 

「"Exactly(そうだ)"。 ズバリ、君の好きな作品は――」

 

出来れば外れてほしいけど。

 

 

「――二―ル・リチャード・ゲイマンの【スターダスト】……どうかな?」

 

俺は嫌いじゃないけど原作より映画の方が面白かった。

ファンタジー色が強すぎてクセがある。

そもそも要求が無茶だ、流れ星なんか取れるか、取ったらそれはただの隕石だろう。

 

 

「……嘘」

 

「当たってる?」

 

「は、はい。でも、何で……」

 

「気になるなら今度足を運んでみると良いよ」

 

といかにも大物アピールをしておいた。

この様子だと本当に来てしまいそうである。

涼宮さんがどう判断するか。多分朝比奈さんとキャラが被るから気にしないだろうな。

文芸部ブースから去っていくその女子を見ながら長門さんが俺に。

 

 

「……なぜ」

 

「うん?」

 

「あなたはなぜ彼女の嗜好を把握できたのか」

 

「簡単さ。『顔に書いてある』。本が好きな人の事は、読まなくても解るから」

 

「……そう」

 

長門さんもいつか当ててあげたいな、と思っている。今はまだ出来ない。

どうにも彼女はまだ単純に読書しているわけではなく、知識と感情を吸収しているようにしか見えない。

それを本人も自覚しているらしく、無表情の長門さんはやや悲しげにも見えた。

まるでかつての俺だ。そんな、晴耕雨読とは言い難い日々。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何だかんだ言っても、俺は何かを予想できたとして、的中はさせれない。

SOS団に正規の団員は増えないだろうと思っていた。

これはまだ、先の話になってしまうが……一応、今日話しておくのさ。

どうせ誰かのせいにするなら俺のせいにするのが一番安全だろう?

 

 

「オレはただ、納得したいだけだ……。か」

 

だけど、何も知らないのに納得も何もなかったのだ。

俺の取るべき行動に正解なんてものはない。全てが独善。

もし俺を正義と称す者が居るならば、それは俺が誰かの独善を打ち倒した時だけだ。

 

 

 

 

 

――そうさ、一年も経過したのにまだ勘違いしてたんだ。

 

俺にとっての"本当の敵"、いいや、"決着"とは何だったのか。

気付けるわけないだろう。

最初から、最後まで、謎だった"ジェイ"。しかも女。

 

 

 

俺がまず話すのは、彼女についての話だ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな成果を得られない部活紹介の翌日である金曜日。

 

 

 

再三言わせてもらうが朝倉さんと俺が昼休みに青春しているのは原則火曜日と木曜日の週二回。

毎日でいいとも思うが、それは本当に厚かましい。何より楽しみは限定的な方が楽しめる。

ルールとは結局、人間の愉悦のためだけに存在しているのだ。

 

 

「……キョンたち、昨日は何やってたの?」

 

という訳で現在は野郎四人での昼飯だ。

国木田が訊ねる昨日とは新入生歓迎会に他ならない。

 

 

「さあな、SOS団は公的には抹消されつつある。明智に聞け」

 

「女子相手に脅迫、かな」

 

「そんなことやってたのかお前」

 

「口が滑った」

 

「おい、その女子ってのは美人だったか?」

 

身を乗り出さんとする勢いで俺にそう訊いてくるのは谷口だ。

……はぁ、正気かよ。

 

 

「まさかさ、お前さんはとうとうフられたのか。だったら拍手してあげよう」

 

「違う。俺はただ一年の女子を把握したいだけだ」

 

「それって彼女さんからしたらどうなのかな?」

 

少なくとも朝倉さんは喜ばない。

俺に女の子を即堕ちさせるような魅了スキルは一切合財存在しない。

いや、その気になれば嫌われるという方向での全力なら出せるだろう。

もっとポジティブな発言をしていけばいいのだろうか。

これでも充分前向きに生きてるつもりだよ俺は。ゼロ地点には到達したんだ。

 

 

「バレなきゃいいんだよ。別に浮気するわけじゃねえしよ」

 

「その彼女とやらが他校生だからって、お前……」

 

「お前さんは人間のクズだな」

 

「僕も自重した方がいいと思うよ」

 

「う、ううっ……」

 

三人も寄れば一人相手に大打撃を与えることなど容易い。

大局的に見ても、谷口が悪なのは確かなのだ。

一応質問には答えておこうか。

 

 

「お前さんの美的ランクの基準はわからないけど、Aダッシュマイナーって感じかな」

 

と言うか、見てくれだけで言えば周防はA-どころか普通にA+ではないか?

俺は彼奴と仲良くできそうにない――あちらがしてくれそうにない――が、谷口の実力ならきっと大丈夫だ。

そこにあるミュータントで満足してくれ。それが人間ってもんだよ。

 

 

「ほーん。で、そいつの名前――」

 

その瞬間谷口は俺とキョンと国木田から凄まじい非難の視線を浴びる事になる。

侮蔑という侮蔑が俺たち三人を通して増幅している、谷口はもう動けまい。真っ黒に感光しろ。

 

 

「――すまん。何でもない」

 

「ならお前はさっさと弁当箱をつつけ。お前だけだぞ、まだ食べてるのは」

 

「おぅよ……」

 

暫く谷口は戦線復帰しないだろう。

これで平和な会話が出来る。

 

 

「でも、クラス割りを見た時はやっぱり驚いちゃったな」

 

「……俺もだ」

 

「オレはいいと思うさ、オールオッケー。知り合いは多くて困らない」

 

「そうだね。僕は嬉しいよ」

 

「困らないのは確かだな。でも、国木田はてっきり理系に進むもんだと思ってたんだが」

 

俺が本気で勉強してないとは言え、クラスでは国木田はトップクラスだ。

正直順位など中の上もあればいいのだが、平均点からしてこのクラスには置物が二人居る。

キョンと、谷口。このまえ話を聞いたところ阪中さんは頭が良かった。

ややコミニュケーション能力なのを除けば、というか含めても文句はない。

まったく、あっちの俺はどうしてこんなお方と仲良くなれるんだ?

多分俺の方が平行世界の俺よりコミュ力は低いんじゃあなかろうか。

それが本来の"明智黎"なのだろうかね。

 

 

 

これはまったく関係ない、こぼれ話になる。

プログラマとしての適性が高い人間というのは往々にして理数系である。

しかし文系が大成しないかと言えば、その実逆だ。理数系のヤツに限ってあっさり追い抜かれたりする。

適性なんて結局下地の問題に過ぎない。なまじ才能があるから呆けてしまうのだ。

それを生業とする以上はプロ意識を持つべきだ。わかりやすい、使いやすいこそがモットー。

中途半端な実力のプログラマに限って難解なものを構築してしまうのだ。それではただの独りよがり。

自宅で勝手にやっててくれと言う話さ。

 

 

 

キョンの疑問に対して国木田は。

 

 

「もちろんそのつもりだけどね。ただ今は文系がちょっと弱いんだ」

 

「それで二年のこの時期は弱点を補いたいってか……よくそこまで勉強する気になれるな。俺には無理だ」

 

「キョンよ、お前はこれから後四回だけ『できるわけがない』という台詞を吐いていい」

 

「それなら今日中で終わってしまうかもな」

 

この話はただ文句を言うんじゃあなくて、人から教わらずに自分で学習しろって所に意味があるんだ。

もっともこいつは、まさかあの漫画を読んだ事はないだろうが。

 

 

「自分の事は自分でどうにかするしかない。……オレはそう思う」

 

だから結局、俺はあの女――本物の異世界人と名乗る佐藤――に電話していないのだろう。

この段階で受け身にならざるを得ないのはかなり歯がゆい。

でも、やはりそれをする気にはどうしてもなれなかった。

俺はあいつと話がしたいのかしたくないのか、だんだんどっちなのかが判らなくなってきていた。

ただ一つ言えるのは朝倉さんの方が俺には大切だ。俺の知らない"何か"よりも。

知らない相手をいつまでも気にする気にもなれない。

ゆくゆくはこの番号も削除されるのだろう。携帯からも、記憶からも。

二度と使用されることは無い。

 

 

「……でも、今日じゃあないのは、きっと甘えなんだろうな」

 

わかってるさ。

俺の身内に対するそれは優しさではない。

自分への甘えであり、良かれと思っている。

これも独善。

しかしキョンはこの台詞を自分への当てつけと勘違いしたらしい。

 

 

「何だ、お前からも勉強の催促をされなきゃならんのか俺は。そのうちノイローゼになりそうだ」

 

「でもキョンには何かさ、夢ってないの?」

 

「さあな。……それがわかってたら困らないのは確かだ。俺には明日の事まで考える余裕が無い」

 

「オレにはわかるよ。そりゃあきっと、キョンに覚悟が足りないからだな」

 

「はっ。明智にはあるのかよ」

 

愚問だな。

俺を誰だと思っているんだ?

異世界屋である前に、もっと大切な事があるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――うん、あるさ。何故ならオレは、SOS団の団員だからね」

 

 

 

 

 

 

 

そこには朝倉さんだけじゃあない。

谷口や国木田、その他大勢を含めてみんなが居るんだ。

かつて俺が憧れた"世界"。

そこは白と黒だけが支配する、色の無い世界ではない。

ある日突然別の世界へ飛ばされて、そこで自分に眠っていた魔法のようなファンタジー的な能力に目覚める。

そこで仲間とともに様々な事件を解決していく。俺にとってのヒロインも居るんだぜ?

これ以上、何を望めばいいんだ。

俺はあの世界を棄てたのかも知れない。佐藤はきっと俺の事を"臆病者"と呼ぶかも知れない。

だがな、そんなの知るか。こうなったもんはこうなったんだから、後悔はしないさ。

拾う勇気だけじゃあ後ろしか向けない。覚悟ってのも結局バランスなんだ。

世界はいつも、人間に対してアドリブしか要求してこない。台本ぐらい用意しやがれ。

それでいて毎日飽きもせずに登場人物を増やしていくんだ。その収拾は"死"でもってのみ、つけられる。

断言しよう。皇帝には覇道が、独善こそが相応しい。マケドニアの王の如く、王道を征く必要はない。

誰かのために戦う必要なんてないんだ。考えるだけ薄っぺらい感傷を生む。

気に食わない奴を倒(コカ)しに行く、それだけでいい。つまり俺は佐藤が気に食わなかった。

 

 

 

俺の一言でキョンは納得してくれたらしい。

お前なんか団員その一なんだぜ? シャキッとしろよ。

涼宮さんだってそれを願っているのさ。だからきっと実現する。

これは能力なんかじゃあない。もっとシンプルな、人間の可能性。

神にそれはないんだ。

 

 

「……わかった。俺の負けだ。どうにかしたいのはこっちが一番思っている。だが、もう少し時間をくれ」

 

「それは何時までなの?」

 

「今日じゃないのは確かだが、そんなに遅くはならない。何故だか知らんがそんな気がする」

 

「まぁ、いいんじゃあないかな。男の仕事の8割は決断らしいし」

 

「じゃあ残りは何だってんだ?」

 

いつの間にか弁当を平らげて復活したらしい谷口が俺にそう訊ねる。

どうでもいいけど反省の色はすっかり消えている。

名前を訊かれたところであの女子の名前なんか俺は知らない。

出来れば知らないままの方がいいのさ。

 

 

「そこから先は全部、"おまけ"さ」

 

「おうおう、やけに盛り沢山なおまけ要素だぜ」

 

「谷口はおまけの方が好きだよね。だからナンパも成功しなかったんだよ」

 

「そりゃ過去の話だぜ」

 

「一回だけでいい気になるな。独り身の俺には心苦しい」

 

「何言ってやがる、涼宮と一年以上も付き合えるなんざお前ぐらい――」

 

 

 

 

 

 

――そうだ。

これは決断できなかった"過去"に決着をつける話。

俺が読んだ記憶自体を失っていた、【涼宮ハルヒの驚愕】も、まさにその通りの話だったのだ。

旧友との再会。そしてその恋を清算する。そんな話だったらしい。

いい加減に俺は気付くべきだった。

朝倉涼子が涼宮ハルヒの影ならば、その彼女が選んだ俺は何だったのか。

 

 

俺は、誰の影だったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――だけど、真の敵は過去には決して存在しない。

何故なら会えないからだ。

 

 

「とにかく、今年も一年よろしく頼むぜ」

 

柄にもなくキョンは素直にそう言ってくれた。

言うまでもなく、俺を含めた野郎三人もそれに応じるつもりだ。

 

 

 

 



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第六十二話

 

 

さて、ここいらで二年生になって良かった点を複数述べておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その一、俺を全く知らない人間が学校の三分の一近くを占めるようになったのだ。

おかげさまで大手を振って校舎を歩き回れるというものである。

だいたい何故俺が同学年のみならず上級生にも知れているかと言えばそれはSOS団のせいである。

いや、もっと踏み込んで言えば朝比奈さんファンの男子生徒とやらのせいである。

俺はその全員を把握などしちゃいないが、俺の悪評が広がるぐらいには大人数なんだろうさ。

マジでただの風評被害じゃあないか? 昔の俺ならこんな事も気にしていなかった気がする。

朝倉さんと昼にストロベっていなければ、とっくに病んでいるだろう。

 

その二、科目について。

理数系の適性は間違いなくある俺がその手の科目を選択するのは当たり前の事だ。

一年生の内容など中学生レベルのそれと大差ない。

確かに北高は腐っても進学校だが、ここで腐るほど俺の地力は低くなかった。

ようやく暇つぶしとして授業を受ける姿勢が出来るのだ。

いつか話したと思うがプログラミングは数学と同じで、過程を求められる科目だ。

勉強が楽しいわけではないが、この考え方を学ぶ事自体に数学の意義があると俺は思う。

しかし一番好きな世界史が二年生になって消えたのはかなりのマイナスポイントである。

日本史はあるが別物だ。知識はあるが、好きではない。

 

その三、二年生に進級したことで校舎が変わった。

要はこの移動のおかげで部室棟に近くなったのである。

もっと言うと学食と購買部も近くなったのだが俺は特に利用しないから関係ない。

ありがたいのは確かなんだけどね。

 

 

 

で、金曜日の放課後。現在は文芸部室内。

朝比奈さんは来ていない。正確には古泉も来ていなかったが噂をせずとも影が差した。

無駄に爽やかにドアを開けながら会釈をすると一言。

 

 

「どうもすみません。ホームルームが長引きまして」

 

「仕方ないさ。お前さんのクラスは都合上話す事も多くなるよ」

 

「僕としましてはクラス替えという制度は羨ましいものですが」

 

「そうか? 前にも言ったがこっちは殆ど顔見知りだぜ。俺に新しい出会いはないもんか」

 

さも不満そうにキョンは古泉の発言に反応した。

 

 

「なら来週末にでも谷口から一年女子の話を訊けばいいさ」

 

「昨日の今日であいつは反省しないってか」

 

「谷口がそんなヤツに見えるのか、キョンは」

 

「……そうだな」

 

「なに? あのバカはまだ女の子の尻を追い回してんの?」

 

野郎同士の不毛な会話に反応したのは涼宮さん。

そういや彼女は中学から谷口を知っているのだ、知りたくもないだろうけど。

何だかんだであいつにも何か縁があるんじゃあないのか? 

周防といい、やはり俺の知らない何かが……ないわ。

 

 

「お前は知らないだろうがあいつには現在どうやら付き合っている女子が居るらしい」

 

「はぁ? 信じらんない! それ本当なの?」

 

「オレは偶然見た事あるけど……」

 

「どんな娘だったの。きっとあいつの事だからチャラチャラした相手なんでしょ」

 

さて、どう言うべきだろうか。

朝倉さんと長門さんも居る手前容姿については言及しないでおこう。

 

 

「ふ、不思議系……? でも、う、…び、美人な……部類…じゃあないかな……」

 

周防の見てくれはさておき本性はとてつもない女だよ。

まるでドス黒い暗黒のクレバスだ。そのうち亜空間攻撃を体得しそう。

涼宮さんのヒートアップは止まらなかった。

 

 

「きっと何か弱みを握られてるに違いないわ。そうじゃなければ洗脳よ。なんてことするのかしら」

 

「落ち着け。気持ちはわからんでもないがな、お前の中で谷口はどういう扱いなんだ」

 

「クズよ」

 

「……」

 

それは清々しいまでの断言であった。

案外谷口は中学時代に涼宮さんにアタックしていたのかもな。

そうじゃあなければあそこまで詳しくないだろ。

古泉と同じぐらい無駄な知識があるぞ。

朝倉さん的にあいつはどうなの?

するとどこで買ったのかわからないナンプレ雑誌を眺めながら。

 

 

「有象無象、かしら」

 

「……クズよりはマシだね」

 

「私にはわからないけど、彼みたいな人はどこにでも居るんじゃないの?」

 

「いいえ、それは違うわ涼子。あいつはそんな甘っちょろい奴じゃないのよ」

 

本人の居ない所でガンガン評価が下がっていく谷口。

きっと俺の悪評ってのもこんな感じで広がっているんだろうな。

でも俺の場合は谷口と違って根拠がないんだ、一緒にしないでくれ。

そしてこんな場を治めてくれたのは。

 

 

「すいません、遅れちゃいました……」

 

申し訳なさそうに一礼する朝比奈さんと。

 

 

「おいっすー! みんなご機嫌いかがかなー? 今日はみんなに招待状を持ってきたのさっ」

 

多分最近見た中ではこの人が一番ご機嫌だと思われる鶴屋さん。

 

 

「またまたお花見さあっ。でもって第二弾。みんなどうにょろ?」

 

どうにょろもこうにょろもありませんよ。

実の所我々は春休み中のついこの前にも鶴屋さんに誘われて花見をしたのだ。

そこでの感想を言わせてもらうと桜より朝倉さんの方が美しいの一言だ。

ただ一つ確かなのは。

 

 

「もちろん行くわよ! ね」

 

涼宮さんはそれを断るわけがないという事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鶴屋さんが持ちかけてきた花見大会の概要を説明しよう。

俺は桜の品種など詳しくないが、前に観たのが"ソメイヨシノ"だという事ぐらいは知っていた。

つまり今回は違うのだ。

 

 

「ヤエザクラ大会だよっ」

 

なるほど、八重桜なら前回とは違った趣があるというものだ。

ソメイヨシノとは違い、八重桜のそれは形がふわふわしている。名前通りの花びらだ。

八重桜は見られる時期がソメイヨシノのそれと違う……って、何だかんだ俺も詳しいな。

そして開催はゴールデンウィーク。まだ四月も早々に、気が早いと言うか何と言うか。

お家柄もあってスケジュール管理はしっかりしてるんだろうな。

システムエンジニアにとってもスケジューリングは大切な要素だ。

何せ、SE一人の失敗が何千万の損失を生むのだ。吹っ切るしかない世界だったよ。

これできっと俺の精神が破綻してなかったら多分吐いていた。

そんな話を聞き流しながら朝倉さんは。

 

 

「花はいいわよね。前はそんな事も思ってなかったけど」

 

「おろ、人間以外も等しく無価値だったのかな」

 

「そうよ。そこにあるものを探究しようがないもの。その分は人間の方がマシね」

 

「でも今は違うって訳か。いや、朝倉さんが居てくれればオレは花という花が枯れても悲しまないだろう。そこには華があるのだから」

 

「嬉しいわ。でも花には花の良さがあるわよ」

 

意外に謙虚なのが人間らしい。

いや、日本人らしいと言うべきだろうか。

だけど前世の俺はその日本人的風潮だとか、思考プロセスが嫌いだった。

俺の性格もあっただろうが、親父がそう言っていたのもある。

血は争えない。行列とかを見ていると今でも馬鹿馬鹿しく思える。

偏見かもしれないけど日本人ぐらいだってよ? 飲食店の前で列を作るのなんて。

 

 

「それは何かな」

 

「散り際が一番いいじゃない。想像しただけでゾクゾクしちゃうわ」

 

「……同感だけど、そこは興奮するような場面じゃあないよ」

 

こんな馬鹿な話をしていると、一通りSOS団を堪能した鶴屋さんは。

 

 

「うん、説明は言うのも聞くのもめんどいよねっ。じゃっ! あたしはそろそろおいとまさせてもらうかな……みくるっ、お茶美味しかったよ!」

 

「は、はい。今年もよろしくお願いします」

 

最初から最後まで鶴屋さんはご機嫌だった。

何やら涼宮さんと百人一首までしていたみたいだし。

あんなお方と一緒に居ればそれはそれは退屈しないだろう。

周防は谷口なんかと付き合うより鶴屋さんと友達になる方がいいぞ。

……それだと鶴屋さんが迷惑か。家に置物はたくさんあるだろうし、倉庫行きだな。

涼宮さんはすっかりそんな谷口の事は頭から抜けたらしい。お茶をすすると。

 

 

「鶴屋さんのおかげでゴールデンウィークの楽しみが増えたわね」

 

「残念な事に俺は桜の違いが判らん。わざわざ来てくれたのは嬉しいが、花より団子の未来しか見えないな」

 

「品が無いわね」

 

「まさかハルヒにそう言われちまうとは……」

 

「それはそれよ、あんたは諦めなさい。とにかくお花見も大事だけど今やらなきゃいけないことは他にあるの」

 

いつも通り彼女は勢いよく窓をバックに仁王立ち。

違う、アレは最早"ガイナックス立ち"じゃあないか……あ、兄貴!

 

 

「新年度第一回、SOS団ミーティングを開始するわ! 本日の議題は明日の事よ」

 

「明日? 明日は土曜日だな。それがどうしたんだ」

 

「やっぱりあんたは全然わかってないわね。これが会社なら減給じゃ済まないわよ?」

 

「……わかったから、とにかく説明してくれ」

 

「もう一年よ。そろそろ来てもいいころじゃない?」

 

「何が」

 

「何でもよ! この世の謎はまだまだあるのよ。宇宙なんか特にそうだわ」

 

「……」

 

「なるほど」

 

まさか俺はこのまま宇宙進出してしまうのか。

最低限世界征服してからにしてくれないだろうか。

そして古泉はいつもながら何に納得しているんだ?

自分に対してじゃあないよな。

 

 

「でもあたしたちはまだ宇宙に行けません。なら、その分を地球で探すしかないわよね」

 

「つまり、いつも通りのあれか」

 

「いつも通りじゃ駄目よ。もっと気合を入れるの。とにかく、土曜の明日、午前九時に駅前よ! 何せ今は春なの。つまり向こうも油断してるのよ。春の陽気に当てられてる今が最大のチャンスって訳ね」

 

「俺は去年の十二月手前に『冬眠中の不思議生命体を襲いなさい』と聞いた気がするんだが」

 

「いい? あたしたちはゼロなの。成果ゼロ。こんなんじゃ示しがつかないわよ」

 

ゼロに文句を言うとは、マイナスの遺体収集家さんが聞いたら泣きそうな台詞である。

そしてその示しとやらは誰につけるのだろうか?

 

 

「きっと厳しい選抜を勝ち抜いた新団員がやってくるの。あたしにはわかるんだから。今のキョンなんてすぐ追い抜かれるのよ」

 

果たして俺はこの台詞を信じたくはなかった。

本当にそうだった。

……結果から言えば、涼宮さんが望む形になってしまったのさ。

誓って言おうか? 俺は望んじゃあいなかったぜ。

 

 

「とにかく、そういうことだから。ミーティングはこれで終わりね」

 

こう言って涼宮さんは席に座り、パソコンを弄り始めた。

思えば往々にしてSOS団ミーティングはキョンと涼宮さんの二人が主体だ。

副団長とは何だったのだろうか、何とか言ってくれないか古泉よ。

 

 

「はたして僕が何かを言う必要があったでしょうか?」

 

「お前さんの主体性の無さをオレは嘆いているのさ」

 

「副団長は補佐がメインでして。僕の活躍は有事の際に、団長の代理を任されるぐらいでしょうか」

 

そんな日が来ると思っているのかお前さんは。

是非ともキックバックを願うよ。祈って、おこうかな。

 

 

「とにかく、このSOS団に新団員がやってくるのかどうか……僕は期待と不安で胸が高鳴りますよ」

 

「そのまま心臓麻痺にならないように気を付けた方が良いさ」

 

「ええ、僕の鼓動と同時に彼女の方も落ち着いてくれればいいのですが」

 

こいつが言っているのは最近また出現しつつある閉鎖空間についてだろう。

散々良い傾向とか言っておいてこれなのだ。やはり感情は理不尽なのさ。

朝比奈さんは何が楽しいのか笑顔で、キョンと古泉は"チェッカー"の用意をしている。

長門さんはいつも通りに読書している。今日は【宇宙のスカイラーク】だ……名作だよ。

そして朝倉さんはナンプレをズバーッと攻略していた。いきなりボールペンで。

とにもかくにも、本当に、この日は平和に終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土曜日。天気だけで言えば、そりゃあ最高だった。

 

 

 

基本的に俺は朝早くから朝倉さんの家には行きたくない。

夏冬休みは例外だ。例外こそが楽しみになるんだから、それでいいのさ。

だからこそ、この日の俺は……いや、この日は何故か、俺だけじゃあなかった。

八時半も前だったと思う。定期的な朝の運動は欠かしていないし、俺はその気になればもっと早く動ける。

いやいや、SOS団はさておき、IT業界というか社会での遅刻は原則自己責任だ。

交通遅延すらこう言われるのだ「だったら君、会社に泊まっていれば遅刻しないよね」と。

感情が錯綜する以上、社会が理不尽なのは当然だった。今更気にするのもあれだが。

とまあ、駅前で突っ立っていると、俺は文字通りの挟み撃ちを受けた。

 

 

「明智」

 

と言いながら俺の右方向からキョンがやってくる。

おいおいどうした。やけに珍しい、と思えば彼は驚いた顔で歩みを止めた。

その視線の先を見て、俺も硬直してしまった。それは俺の左方向からやって来た。

 

 

「やあ、キョン……そしてキミは確か明智君、だったかな」

 

どこかボーイッシュな彼女。

キョンの旧友こと佐々木さん。

いいや、彼女だけではなかった。

 

 

「こんにちはー! どうもあたしです」

 

誰だお前……。

いいや、まぬけっぽい顔。原作のカラーイラストで覚えているぞ。

ツインテールの女。もう一人の超能力者、橘京子。

その彼女は俺を見ると。

 

 

「おや、異世界屋さんもご一緒でしたか。初めまして、なのです」

 

「どうしてオレの事を……なんて安い台詞は吐かないよ。君の後ろに、あいつが居るからね」

 

そして佐々木さんと橘の後ろに、奴は居た。

キョンは自体を理解できていないらしい。

そう言えば橘とキョンは因縁があったっけ。確か原作の陰謀辺りで。

とにかく、また会ったな。

会いたくもなかった。

 

 

「知ってるか、周防。"イントルーダー"ってのは"でしゃばり"って意味なんだぜ?」

 

ちょうど、今のお前みたいにね。

そう言うと周防は凄惨な笑みを浮かべてこう言った。

 

 

「――今日は――何も――――顔合わせ―――」

 

「やっとお茶会をする気になったのかな? お兄さん嬉しいな、嬉しすぎるよ」

 

「―――」

 

「お、おい。何だこりゃ。どういうことだ。佐々木はあの女と知り合いで、その後ろには明智の似顔絵にあった宇宙人だろ。一体、どうなってやがる」

 

慌てるキョンを、まるで赤子をあやすかのように佐々木さんは。

 

 

「キョン、何も恐れなくていいよ。友人ほどではないが、みんな知人さ」

 

"友人"。

……そうか、佐々木さんはキョンの友人だ。

だが俺の知らない自称友人さんは、どこまで信用できるのやら。

 

 

 

まだ、再び"その姿"を見せそうにはなかった。

 

 

 

 



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第六十三話

 

 

 

もし神がいるとして運命を操作しているとしたら、俺ほど計算されていない奴は他に居ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土曜日、朝八時台の駅前。

女三人と野郎二人が対峙する、一触即発。

顔合わせ? 何言ってやがる周防、お前ほど信用できない女はなかなか居ない。

しかし妙な所で律儀なのは確か。ならば先ずは。

 

 

「全員動くな! ……キョンも、俺もそっちには近づかない。君たちもそこで止まっていろ。会話するには充分な距離だと思うよ」

 

この場で戦闘になったとして俺はキョンを庇いきれるとは限らないし、あちらもただでは済まないだろう。

客観的に判断しても妥当な提案だったと言える。

キョンに対する説明は後回しでいいだろう。だが、その彼は納得できていないようで。

 

 

「佐々木……。お前、その二人がどんなヤツか知っているのか……。そいつは……俺たちの、敵だ」

 

「――――」

 

「そうかもしれないね。でも、そうじゃないかもしれない。だけど、少なくとも僕の敵ではないみたいなのさ」

 

「何言ってやがる」

 

キョンは今にもあっちに飛びかからんとする勢いだった。

"威圧"をしてもいいが、こちらのカードは下手に切るべきではない。

かたや長門さんと朝倉さんを行動不能に追い込んだ犯人、かたや朝比奈さんに迷惑をかけた犯人。

こいつが怒るのも無理はない。だが俺は冷静だ、いや、俺が冷静でなければいけない。

 

 

「キョン、落ち着け。この場でやり合ったらお互い無事じゃあ済まない。俺はお前の面倒まで見れないぞ」

 

「……ちっ」

 

「――――」

 

「んふっ。そんな顔しないでください。あたしたちは喧嘩を売りに来たわけじゃないのです」

 

「こんなタイミングで鉢合わせるなんて僕にも予想できなかったよ。これも、運命なのかな?」

 

くつくつと、佐々木さんは笑っていた。

自分で言っておいてまるで運命なんか信じていない。そんな風に見えた。

 

 

「お前にとっての敵じゃない? どういう事か説明してくれ。お前が、何故、そいつらと一緒に居る」

 

「キョン、どうやらキミには色々と思うところがあるみたいだ。この前みたいに北高にはキミの友達がいっぱいいるんだろう? そこの明智君のように」

 

「プレッシャーを"裏切る"男。それがオレ、明智ですから」

 

「―――痛快―――」

 

周防に無表情でそんな事を言われてしまった。

お前さ、谷口にもそんな態度なの? 

問い詰めてやりたかったがキョンが居るので遠慮する。

こちらを気にせず佐々木さんは会話を続けた。

 

 

「僕には彼女たちしかいないのさ。他に寄って来てくれた人はいなかったんだ。キミを見ていると、男女入り乱れる高校生活というのも案外捨てたものではなかったのかもしれないね。とにかく、僕は僕で難儀していたんだ」

 

「だからって」

 

「僕が知る限りでは僕のせいで誰かに迷惑をかけたつもりはないよ。キミの怒りは彼女ら個人に起因する。なら、僕を責めるのは筋違いではないかな」

 

「……相変わらず口が達者だな」

 

「そこの明智君ほどじゃない、って聞いたけどね」

 

は?

誰から俺の話を聞いたんだ。

周防か? ガールズトークをするようには見えない。あいつは任務厨だ。

すると何事もなく佐々木さんは。

 

 

「"佐藤さん"からさ」

 

妥当なセンだと、そうなっちまうか。

中河氏と周防に接触した時点で、君たちにも接触しているとは思っていた。

博士のようなわざとらしい口調も、全部演出。

佐々木さんにとっては女友達でも俺からすれば諸悪の根源みたいなもんだ。

カイザー・ソゼさえ佐藤のでっちあげなら、間違いなくあの世界へ飛ばした犯人は佐藤だ。

その目的、行動原理は不明だが信用できるわけがない。

佐々木さんは悪い奴じゃあないにせよ、取り巻きは最悪だよ。

とにかく。

 

 

「……その可能性は否定されたままでいてほしかったな」

 

「あたしは感動しちゃいましたよ。彼女はわざわざ遠路はるばるこの世界までやってきたのです」

 

「何だ、その佐藤とやらは。……まさか、あの性格の悪そうな未来人か」

 

「―――否――――異世界人―――」

 

「………何…? "異世界人"、だと?」

 

周防の呟きを聞き逃さなかったキョンはこちらを見る。

見られても困るんだけど、さて俺は何て言えばいいのかね。

無言の俺をどう捉えたのか知らないがキョンは旧友の方を向くと。

 

 

「佐々木。お前は、こいつらの正体を知っているのか」

 

「話だけさ。かなり突拍子もない話だからね、これをいちいち信じていてはこの世の詐欺と言う詐欺に引っかかってしまうよ」

 

再び佐々木さんは笑う。

 

 

「……でも、キミたちの過剰なまでのリアクション。嘘にしては頑張っている。だから解った。どうやら本物らしいね」

 

「偽物だろうとな、そんな連中とつるむのはお勧めしないぜ」

 

「そうかな? 面白い。地球外知性の人型イントルーダー、リミテッドな超能力者、制約が必要な未来人。それから……いや、異世界人については言えないな」

 

「……佐々木さんは、佐藤の何を知っているんだ?」

 

「聞いた限りの話は全部さ。それについては僕の口からではなく、彼女の口から聞くべきだと思うけどね」

 

どうにも穏やかな空気ではなかった。

しかし本当に穏やかじゃあなくなるのは、これからだった。

 

 

 

 

 

 

 

「――随分と盛り上がってるじゃない。朝から楽しそうな会話ね。私も混ぜてくれないかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

俺の後ろの、キョンの更に後ろから彼女はやって来た。

ニコニコと良い笑顔をしているが周防のそれより更に恐ろしい。

今すぐにでもナイフを取り出しそうだ。

思わず「げっ」と声を上げてしまったのは許してくれないだろうか。

 

 

「……あ、朝倉」

 

「ほう。キミが朝倉さんか。そこの明智君の彼女とやらで、宇宙人」

 

「誰か知らないけど、私も有名人になったのね」

 

「―――」

 

「あら、あなたまで一緒なの? それにもう一人知らない顔が居るわね。………明智君!」

 

は、はい。なんでありましょうか。

しかしどうして俺が怒鳴られないといけないんだろう。

彼女は笑顔で俺の左肩に手を伸ばし、置くと。

 

 

「やけに粒ぞろいね。朝から合コンかしら? いいご身分だわ」

 

「馬鹿言わないでくれ。さっきまでのあの空気でどうやったらそう見えるんだい」

 

「そんな……私というものが居ながら……飽きられちゃったのかしら……」

 

「そんな訳ないだろ。オレが見捨てられることはあるかもしれないけど、オレは朝倉さんを見捨てやしない。何があっても、君を護る」

 

「うん。私だってそうよ。護り愛ね」

 

「ならここは共同戦線を張るべきじゃあないかな」

 

「最初から私はそのつもりよ。……で、誰から仕留めるか品定めしてたって訳かしら」

 

「オレは快楽殺人者になった覚えはないんだけど。朝倉さん的にオレはどう見えてるのかしら」

 

「私が一番大好きな、男の子よ」

 

「ああ、朝倉さん……」

 

「――んんっ。おっほん!」

 

わざとらしい咳払いをされた。

その主はリミテッドエスパー橘京子。

 

 

「……すみませんが、お二人さんの夫婦漫才を聞くためにあたしは来たわけじゃないんです」

 

「―――感動的――」

 

「なるほど。キミたちは見事なかけあいだったよ。きっとアニメーション作品に出れる」

 

「はっ。だがこの場の空気はすっかり白けちまったな」

 

「キョン、オレのせいにする気か?」

 

「お前らのおかげだって言ってるんだよ」

 

ふと時計を見ると既に四十分を超えている。

いい時間だ。

すると。

 

 

「―――お出まし――」

 

「ううん、潮時なのです」

 

異能人二人組がそう言う先。

俺とキョンが振り向くと、そこには文字通りの"増援"。

進撃するかのごとく、大手を振って歩く涼宮さん。

それを護衛するかのごとく付き添う超能力者、古泉一樹。

更にその後方には長門さんと朝比奈さんの姿。

戦争と言うか、ここまで来るとテロでしかない。

即ち、"恐怖"。

 

 

「……なあ」

 

「どうした、キョン」

 

「俺が今思ってる事は正しいだろうか」

 

「多分オレも同じ事を思ったよ」

 

果てしなく帰りたい。

帰巣本能とは、ようは逃避だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後の連中は、佐々木さんを代表として涼宮さんと二三会話をするとさっさと失せてしまった。

戦略的撤退? いいや、まだ連中には最低でも二人居る。

そして中河氏……仮に彼まで引き込まれた場合。

 

 

「……七対六、だ」

 

各々の思惑はあるだろうけど、基本的に彼奴らの狙いはキョンなはずだ。

数字だけで言えばこちらが有利だが、危険性で言えばあちらの方が上。

頼みの綱の涼宮さんを爆発させるリスクを考えていないあちらではないだろう。

そんな俺の呟きは誰にも気にされていない。

気にしてもほしくはなかったさ。

 

いつも通り、恒例の駅前喫茶店。

俺たちは従業員の眼には、どう映っているのだろうか。

きっと『うわあこいつらまた来てるし他に行くところねえのかよ』。

あるいは『朝っぱらから何の集まりなんだろうな。喫茶店マニアか?』とか思われてるんだろう。

毎回お世話になっている事など気にせず、涼宮さんはアイスコーヒーをすすりながら。

 

 

「偶然改札口で三人と一緒になっちゃったの」

 

「ええ。見事なまでのタイミングでした」

 

「……」

 

「あたしも驚きました」

 

「だから誰が最後ってのはないわね。今回はワリカンよ」

 

何と言う暴論。どうしても自分は奢りたくないらしい。

いや、奢るというリスクすら涼宮さんの中には存在しない。

究極のリスク回避。

それは『赤信号みんなで渡れば怖くない』理論ではないか。

こんな彼女が王ならば、メロスは怒りで頭の血管が切れて死んでしまう。

世界が理不尽なのは神とされる涼宮さんが理不尽だからなのか?

俺はさておき、いつも奢り役のキョンは納得しないらしく。

 

 

「おい。俺は今日、三十分も前から来たんだぞ」

 

「キョンは時間外手当が欲しいのか」

 

「出るならな。ここは公正にお前ら四人でジャンケンをしてだな……」

 

「何言ってるの? それはダメよ。談合の疑いがあるもの」

 

"談合"。

それは俗に言うカルテルであり、ようは出来レース。

当然だが現代日本において独占禁止法で禁止されている。

時代劇なんかで「へへっ。これでいかかでしょうか」とか言って貢いだりするあれだ。

とにかく色々なケースがあるのでどれが談合とは説明しきれないが、涼宮さんはそれを疑っているのか。

普段のキョンが怠けているのは確かだが、彼のサイフから銭が消えない日は来るのだろうか。

 

 

「"Would you persuade, speak of Interest, not of Reason(説得したいなら、理屈ではなく、利益について話しなさい)"」

 

「おや、ベンジャミン・フランクリンですか? ですが、その内容を彼が実行するには少々厳しいかと」

 

「……お前さんは何でも知っているね」

 

「明智さんほどではありませんよ」

 

俺だってロクな知識などない。

広く浅く、といった感じだからさ。

とにかく涼宮さんの中ではワリカンで本決まりらしい。

キョンも抵抗を諦めた。いつも通りさ。

 

 

「ところで今日のことなんだけどね。……班行動はやめましょ」

 

「ん。どうしたんだ」

 

「思ったんだけど、こう、別々に行動するから見逃すのよ」

 

それは"恐ろしく早い手刀"……ではなく、彼女の求める不思議についてだろう。

なんだか涼宮さんは学者にでもなった方がいい気がする。

頭もいいんだし、人間にはまだまだ未知の領域があるんだよ。

多分俺だって死ぬ気で修行すれば"回転の技術"を体得出来るんじゃなかろうか。

でもあれって子供のころからやらないと確か無理なんだっけ?

 

 

「やっぱり一つの場所を行くにしても、目が多い方がいいわ。三百六十度をしっかり見渡すのよ」

 

「ならこの人数で今日は行動するのか……大所帯だな…」

 

人目を気にするのはわかるが、阪中さんの一件で俺は最早気にしなくなっていた。

この期に及んで制服の長門さん。そして今日の周防も制服だった。

あいつの設定はきっとこうだ。橋の下で生活して、川で制服を洗っている。

乾くまでは段ボールハウスにくるまって肌を隠している……いや、どうなんだろうな。

 

 

「別にいいじゃない。楽しみながらってのもあるけど、やっぱり何か見つけたいのよ」

 

彼女のそれはどこまで本気だったんだろうか。

まだ、世界はケチだなんて思っているのだろうか?

でもそれは、謎が見つからない事に対する不満なんかじゃあないんだ。

きっと、みんなと遊び続けたいという願いからくるものなんだ。

なら俺だって……いいや、みんなだってそれに従うさ。

それがSOS団だから。

 

 

「じゃ、落ち着いたら行きましょ。今日こそは捕まえるわよ、スカイフィッシュ!」

 

一説にはそれはカメラに映り込んでしまったハエだとされているスカイフィッシュ。

それを彼女はまだ信じているのだろうか? 

某漫画家が言うには熱を奪っているだとか、ロッズだとか言われてるけどさ。

とにかくこうして珍しく七人での市内散策が開始された。

時代の流れというものは2007年からでも十分に感じられる。

大通りを外れると知らない店が出来てたり、あるいは知っている店が消えている。

神はこれすらも運命づけているのだろうか。人の死のみならず、破滅さえも。

そしてそれは未来人の言う所の、"規定事項"なのだろうか。

涼宮さんを神を崇めるのは構わないさ、信仰は各々の自由だ。

だが、自分がまるで神になったかのように勘違いしているんじゃあないのか?

何で俺たち現代人をお前らの規定事項で縛り付けられる必要があるんだ。

しかしあの女、ジェイ、いや、佐藤のそれは違った。

 

 

「『浅野君は違うわ』……か」

 

「あら、どうしたの?」

 

「佐藤に言われた事さ。特に意味はないと思うよ」

 

「……やっぱり」

 

やっぱりとは、何の事だろうか。

わざわざ一行の最後尾まで回っている俺と朝倉さん。

あいつらがちょっかいかけてこないだけ気を使われているんだろうけど。

それにしても彼女は何が言いたいのだろうか。

お昼に食べたカレーライスの味についてだろうか。

確かにあの店のそれはスパイスが効いていた、美味しかった。

 

 

「言ったじゃない。その女のことばかり最近は考えてるって」

 

「……そうかな」

 

「そうよ」

 

「なら謝るよ。でも、もしかしたらまたそうなってるかも知れない」

 

「………」

 

「結局のところ、オレにはわからない事が多い。人生みたいなもんさ」

 

「私にもわからないあなたが居るって事……?」

 

「かも」

 

だけどさ、今はいいんだ。

考えすぎるのは俺の……いいや、前世の俺の悪い癖だ。

人間は常に、良い癖を身につけるべきなんだ。

 

 

「それ以上に朝倉さんの事を考えるから、それで許してくれないかな」

 

「なら態度で示してほしいわね」

 

「……団体行動中で、遠慮してたんだよオレ」

 

「構わないわよ。ね?」

 

あいよ。

他五人の後を追う、俺と朝倉さん。

俺は永遠に、この左手が、彼女の右手と繋がり続ける事を願う。

 

 

 

 

 

この日の散策は一日中、本当に楽しかった。

 

 

 



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第六十四話

 

 

 

いくらこの日が楽しかったとは言え、それでお休みなさいする程に俺も平和ボケはしていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰宅し、夕飯を済ませると早速朝倉さんの家へ向かう事にした。

あまり使いたくはないのだが、"異次元マンション"の直飛びである。

"マスターキー"を使い、彼女の家の寝室の壁にある、"入口"へ出た。

そしてそのまま居間まで向かう。

 

 

「……来たわね」

 

わざわざ椅子に座って待っててくれていたようだ。

俺としても、もっと楽しい会話をしたいんだけどね。

 

 

「作戦会議と行こうか」

 

「じゃ、明智君は彼女たちについてどこまで知っているのかしら」

 

「佐々木さんも涼宮さんに近い能力があるって事ぐらいかな。そして各々の目的は不明」

 

俺が読んだ範囲でそんな確信めいたことがあれば覚えているはずだ。

やはりさっさと刊行してほしかったね。

"驚愕"に続くらしいけど、確か進展がありそうな終わり方だった気がする。

実際に謎が全部解き明かされるなんて事はないだろうけどさ。

 

 

「と言うか、朝倉さんも佐々木さんについては知ってるんじゃあないの?」

 

「ええ。といってもその辺の話は私たちには興味がなかったのよ。任務は涼宮ハルヒが中心で、彼女についてお熱なのはむしろ超能力者の方」

 

「神としての威光を保たせたいって事か……やっぱり宗教ってのは火種なのかな」

 

「巻き込まれる方はいい迷惑じゃない」

 

「仮に許されるならオレも逃げ出したいさ」

 

だけど、朝倉さん(大)が言うには、これからカッコいいとこ見せなきゃいけないんだろ?

いや、そもそもあんな連中に好き勝手させたくない。男女平等だ、泣かしてやる。

知らないのは罪かも知れないが、知ってる奴が偉いとは限らないね。

その理屈なら犯罪者以外は全員偉大になってしまう。谷口でもそうだ。

俺にとって少なくともあいつらは偉大に見えなかった。

 

 

「気に食わない。オレは自分の役割だとか、忘れている事だとか、やっぱりどうでもいい。きっと知るチャンスが来てもオレはそれを放棄する」

 

それを知りたくない訳では無い。

ただあいつらから聞かされるのだけは勘弁だね。

自分の事だ、自分で確かめる必要がある。

いつの日か思い出せばいいってぐらいさ。それに。

 

 

「オレはきっと変わらないさ」

 

「そうかしら。……私にはそう思えないのよ」

 

「何でだ?」

 

「あなたと言う個体は謎だらけ。もしかしたら、本当は最初から色んな事が出来たかもしれない」

 

彼女の"色んな事"と言うのは、多分、俺の能力についてだけではない。

秘めた可能性。原作知識に基づく行動。その脅威についてだろう。

だけど結局俺がした事なんて、自主的に文芸部に関わった事と、朝倉さんを助けた事だけ。

そこから先は"おまけ"みたいなもんさ。

でも、簡単な事さ。

 

 

「色々? ……ふっ。好きな女の子一人助けられないで、世界を救えるかよ。色なんて、白か黒だけさ」

 

きっとあいつらは、全てを奪いに来る。

最早個人の問題ではない。時が来ようとしているのだ、全員が力を合わせる時が。

もしかすると、それは明日の出来事かも知れない。

ともすれば急に朝倉さんはニコニコし始めた。

朝の時とは違って恐ろしさはないんだけど、俺のセリフはそんなにキザったらしかったかな。

……なんだか恥ずかしくなり始めてきた。半年以上前の俺に聞かせてやりたいね。

 

 

「なんだか最近わかった気がするの」

 

「もしかして、オレについて?」

 

「うん。……昔の私はあなたがオチてくれれば、切り捨てるつもりでいたわ」

 

この話をする時の朝倉さんは、決まって悲しそうな顔をする。

そんな顔は見たくはない。だから、俺は昔の話なんて聞きたくなかった。

 

 

「いいよ。オレは別にそれでも良かったんだ。何度も言うけど、朝倉さんが生きてれば、それで」

 

「でもわかったのよ。それが何故出来なかったのか」

 

「……それは、何でかな」

 

するとさっきまでの悲しみが、まるで演技だったかのように彼女は再び笑顔で。

 

 

「あなたは最初から、私にオトされてたのよ。きっと、私という存在を知った時から」

 

「さあ、どうだろうね………」

 

俺はついそっぽを向いてしまう。

古泉は俺が勝っていたとか言うけど、やっぱり俺が負けてたのさ。

それが恋心かどうかはともかく、話を読んでいく内に朝倉涼子が魅力的なキャラクターに観えたのは確かだ。

【涼宮ハルヒの憂鬱】が面白いのは言うまでもない。ただ、好きなキャラクターは特に居なかった。

あるいはそれだけ完成度が高い作品とも言える。でも俺にとって、朝倉さんのそれは違った。

 

 

「やっぱり最初は"憧れ"だったよ。いや、絵に描いた委員長キャラに対してじゃあない。あの作品はキョン視点でしか書かれないから、それだとキョンに対する憧れになるしね」

 

キョンに憧れた事もあるが、今言いたいのは違う。

 

 

「言ったと思うけど昔のオレは、それはそれは自分勝手な人間だった。それだけ世界がつまらなかったんだ」

 

「私には想像もできないけど、信じるわ」

 

「そんなオレが創作という、箱の世界に逃げ込むのは当然の流れだったのかもしれない」

 

「だけどある日急に、それを止めた……で、逆に作品を観る側に回ったのよね?」

 

「何故かは思い出せない。考え方が変わったのかも。けれど、それでも世界はつまらなかった。現実は何も変わらない」

 

「……じゃあ、もし」

 

「もし?」

 

「もしこの世界が、あなたの読んだ本とは少し違う世界だったら? 例えば、みんな普通の人間なの。私を含めて」

 

随分意地が悪い質問だね。

でもきっと、俺にこう答えてほしくて君は訊いたんだろ。

珍しく愚問だ。今日ぐらいは俺が馬鹿じゃあなくてもいいのさ。

 

 

「オレは朝倉涼子そのものに憧れたんだ。きっと、どんな世界でも朝倉さんは、光り輝いている。……オレとは違う」

 

「それは違うわ」

 

「否定ばっかじゃ、そのうち"賛成の反対"になるよ」

 

「私が涼宮さんに憧れたのは、人の上に立つことじゃないの。誰かを惹きつける何かがあるからよ」

 

「あいまいな話だ」

 

「だけど私にそれはないわ。いくらあなたに魅力的だ、なんて言われても、涼宮さんのそれとは本質的に違う」

 

「自分を貶すのは人間の悪いクセさ。朝倉さんも立派な人間だ。オレが保障する」

 

「そう、あなたの方なのよ。人を惹きつける何かがあるのは」

 

こんな話を古泉にも言われたな。

と、言われても俺には自覚が無い。ある訳ない。

何故なら。

 

 

「オレは昔から、何かを否定する事しか出来なかった。ようは現実を否定し続けたんだ」

 

「なら、あなたにとってこの世界はどうなの……現実じゃ、ないの……?」

 

「もちろん、現実さ。だからオレは否定する。オレの気に食わない物は否定させてもらう。"皇帝"は簡単に"肯定"しないのさ」

 

「………えっ…?」

 

どうしてそこで微妙な表情をされるんだろう。

話してた内容は真面目だったのに。

これは方針を考える必要があるんじゃあないのか。

今後の会話の方針である。

 

 

「とにかく。朝倉さんを否定する事はしないよって事だ。あいつらに負けてやる気もしない」

 

「殺しは無し。でしょ?」

 

「どうしてもって言うんなら、オレを殺してからそうしてくれ。オレが生きている間に朝倉さんが誰かの命を奪う所なんか、見たくはない」

 

「……私があなたを好きになる前から、不思議に思っていた事があるの」

 

「答えられる範囲なら」

 

「何であなたは、人の死を怖がるの? でも、自分が死ぬのはそこまで恐れていないわ」

 

「それ、オレにも、わからないんだ。ただ、本当になんとなく眼の前で人が死ぬのが嫌なんだ。きっと、とてつもない後悔に襲われる」

 

ああ、まるで、オレが誰かを殺したのを、後悔してるみたいだよ。

もちろんわかってるさ。朝倉さんは俺を殺そうとしない。

いや、してくれない。

 

 

「……安心して。あなたが私を裏切らないように、私もあなたを裏切らない。痛い目にはあってもらうけど、誰も殺さないわ」

 

「ありがとう、朝倉さん……」

 

「ううん……」

 

なんだか、これ、いい雰囲気じゃあないか。

元々そうだけどこういうのをムードって言うんだろうな。

そのまま俺は立ち上がって、座りながらこちらを見つめる朝倉さんの顔を――

 

 

 

――とは行かなかった。

やかましい、携帯の着信音のせいだ。

いつも通りに間が悪いな。

 

 

「……そういや、前もあったよこんな流れがさ」

 

「あの時なら、私きっとキスされても受け入れてたわよ」

 

「電話の後でお願いするよ。今ならいつでもオッケーなんだよね」

 

相手はキョンだった。

とりあえず少し彼女から離れて応じる事に。

 

 

「どうしたよ。空気が読めない奴め」

 

『……何の用件かはわかってるだろ』

 

「オレの予想が正しいとは限らんさ。だいたいいつも外れるんだよね」

 

『今日の出来事……いや、明日についてだ』

 

「うん……?」

 

周防について何か言われたら俺はこれ以上説明のしようがなかった。

橋の下に住んでいると思うよとしか引き出しがないのだから。

しかしながら、明日とは何だ。今ではないのは確かだ。

 

 

『俺は明日、あの連中から呼び出しを受けてな』

 

「……おいおい、お前一人で行く気か?」

 

そんな無茶もいいとこだろ。

最前線、銃弾の嵐の中を全裸で塹壕から飛び出すようなもんだ。

1秒とせずに撃ち抜かれてしまう。

 

 

『だからな、お前もだ』

 

なるほどなるほど、どうやら一人じゃあないらしい。

俺が居ればマシになるよな、一人よりは安全性があるよ。

……あれ。

 

 

「……オレ?」

 

『そうだ。佐々木が言うには、お前にも来てもらう必要があるんだとよ』

 

都合がいいと言えば都合がいいのだが、普通はキョン一人の方が狙いやすいのではないか。

誘拐犯だってこう言う『返してほしければ警察には絶対連絡するな』と。

実際にキョンは俺に連絡してきたわけで、その辺はさておき警察もいきなり犯人を押さえようとはしないだろう。

これが余裕から来る対応だけでないのは確かだ。つまり。

 

 

「オレと話したい奴がいる。とか言われたんだろ、どうせ」

 

『よくわかったな。とにかく、そういう事で来てほしい。平和主義者とか言ってるが、どこまで信用できるんだろうな』

 

「最悪の場合に殺されるような危険地帯へわざわざ行くのか。言っておくがオレ一人増えても多分変わらないよ……」

 

ふと朝倉さんの方を見ると、とてつもないジト目だった。

俺の発言からおおよそを察したのだろう。

 

 

「……だから、もう一人援軍を要請してもいいと思うんだよね」

 

『俺が言われたのは"二人"で、それも"必ず"だそうだ』

 

「オーライ。……で、場所は?」

 

『今日と同じ流れだ』

 

「ネタを真似されたって訳か」

 

『俺もあの女……超能力者とか言う橘はとくに腹が立っている』

 

「オレはイントルーダーが怖くてたまらない。宿命なんだろうか」

 

頼むから寝ててくれればいいのに。

いつも眠そうな顔してるし、今日なんか珍しくだんまりだった。

やはり周防のおしゃべりモードの条件は謎である。

 

 

『だから、俺たちが自重するしかないらしい。……不本意なんだがな』

 

「オレは元々そのつもりだよ。とにかくオレが話したいことなんてないからね。呼ばれたのが謎なんだ」

 

つまり俺を呼んだのは佐藤だろう。

だんだん腹が立ってきた。あれはきっと美人である事を鼻にかけるタイプだ。

少しは朝倉さんを見習ってくれ。こうも美しく謙虚な女性は他に知らない。

 

 

『とにかく頼むぜ。今のところの頼みはお前ぐらいだ』

 

「オレは定時で上がるからな? キッカリ一時間だけ。明日はデートする気だった」

 

『勝手にしろ。話が終わってくれれば、な』

 

「じゃあキョンはもう寝ろ。今日みたいな奇跡は続かないって」

 

『起きてほしくない奇跡だったな……』

 

そうして通話は終了した。

俺の辞書は"迷惑"の二文字が多い気がしてならない。

間違いなく三分の一以上を支配されている。

 

 

「……明日の朝九時に、出向命令を出されたよ」

 

「あら、あなたはプログラマーだったはずよね?」

 

「今はただの高校生だし、正確にはシステムエンジニアさ。二十も半ばの駆け出しだったけど」

 

「ふーん。……で、私の出番は?」

 

「……サ店の外で待機、かな」

 

困ったら救援要請するぐらいは俺にも許されるはずだ。

だいたい何で俺がアウェーに行かなければいけないんだ。

いつも俺には不利な状況ばかりな気がする。ピンチはチャンスにならないって。

 

 

「つまんないわね。イントルーダーの頭にフォークを突き刺したかったのに」

 

もしかしてあれだろうか、掛け算を間違えるとやられるあの攻撃か。

とにかくそのまま殺し合いに発展しかねないのでやっぱり待機が安全だ。

最悪、戦闘になっても俺一人で時間は稼げる。

 

 

「ちょっとは"成長"したからね」

 

「本当に、あなたのはよくわからない能力ね」

 

「使いたくはないさ。多分オレのは、この世に"あってはならない"力だから」

 

徐々に俺は理解していた。

この根源、エネルギーについて。

それは"重力"なんかじゃあない。

同列ではあるが、もっと恐ろしい力。

 

 

「ついには自分を否定するのかしら」

 

「必要とあればそれもするのさ。朝倉さんに助けをお願いする事が無い方がいいのは確かだよ」

 

……さて、そろそろ自分の部屋に戻った方がいいだろう。

でもさ、最後にさ。

 

 

「ふふっ。わかってるじゃない」

 

事あるごとに言われたら俺もそれに対応するさ。

そもそも最初に言われた事なんだから。

キスをする時は、黙ってする。んだよね?

この日に関してだが、俺は馬鹿と呼ばれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そして翌日、日曜日。

 

 

 

俺は自分の能力についての探究だけは怠っていなかった。

ついぞ何かを知り得た訳ではないが、出来る事は増えた。

いや、正確にはその方法を知らなかっただけなのだろうさ。

とにかく俺をご指名した以上は、何らかの意図があるに違いない。

ジェイ……彼女は本当に俺の友人なのだろうか。

俺が存在を忘れている、居たはずの友人。それが彼女なのか?

それなら俺に対してもっと友好的に行けばいいはずだ。

友人だとは思えない、因縁や確執を敢えて作っているようにも思えた。

 

 

「誰かオレに教えてくれ……」

 

それは佐藤から聞きたい話ではなかった。

他でもない、俺自身からそれを聞ければいいのに。

と、この時の俺は思ってしまっていた。

実に"いい傾向"ではなかったらしい。

気持ちのいい陽射しも、何だかいい気分にはなれなかった。

 

 

 







"次元干渉"

明智が使う大半の能力の大元。
つまり、これを応用している形になる。

重力でもなく、無限回転でもない、次元の壁を超えれる何かがエネルギー。
本人は"あってはならない"ものだと感じている。

次元干渉そのものをするには、自分による"許可"が必要。
なぜ無意識の内にリミッターをかけているのか。
本人には未だわからない。




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第六十五話

 

 

 

ともすれば急に雨が降り出した。

俺がもう少し遅く家を出ていればあらかじめ回避できただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

圧倒的なまでの、厄日。

 

 

「おい、ふざけんなよ……」

 

誰にも見られていない事を確認した上で"ロッカールーム"から傘を取り出す。

コンビニで買ったビニール傘。無駄に高い。100円でいいのにさ。

その突然の雨は暫くとしない内に土砂降りと化す。

思えば俺の人生はこんな事が続いているような気がする。

昔からそうだ。前の世界でも理不尽が度々あった。

だけど昔の俺は否定しかしちゃいなかった。

ならば俺は、俺の友人も否定したのだろうか?

それすらも何も、思い出せはしなかった。

 

 

「はっ。今日はお前がビリだぜ」

 

「今回はSOS団の集まりじゃあないんだ。構わないだろう?」

 

駅前までやってくると、既に人は集まっていた。

キョン、そして昨日の女三人衆と――。

 

 

「――ジェイ。いいや、佐藤」

 

「私にとってはどっちで呼ばれてもいいんだけど。これでも日本人だからジェイは不自然かな」

 

本当にどっちでもよさそうに、その女は言った。

この中で佐藤が一番高そうな傘を使っている。

俺は傘業界に詳しくないから、主観でしかないけど。

 

 

「君がオレを呼ぶように頼んだのか?」

 

「そうね。最低限の説明はしとかないと」

 

「その最低限をする君の方が最低な部類の人間だって事を自覚してほしいね」

 

「……手厳しいじゃない」

 

「全部君の仕業なんだろ。なら、当然だと思ってくれないか」

 

キョンは初対面の女に対し態度が悪い俺を見て困っていた。

とりあえずの説明はしておこう。

 

 

「キョンよ、この残念美人こと佐藤が異世界人らしい」

 

「……は。異世界人には異世界人。お前らは何故かそっくりさんを集めるのが好きらしいな」

 

「いいやキョン。佐藤さんは異世界人だけど、そこの明智君はどうやら違うみたいだ」

 

佐々木さんはどこまで彼女の話を聞いたのだろうか。

真に受けないで欲しいのは確かなのだけど。

 

 

「オレは異世界屋、だってさ」

 

「意味が解らん」

 

俺だって意味が解らない。

異世界人である事が就職において役に立つならみんな履歴書に書くだろうよ。

そんなやり取りを見た佐藤は。

 

 

「気にしなくてもいい。浅野君は浅野君で、彼は彼だから」

 

「佐藤さんとやら、"浅野"ってのは誰だ。今ここに見えないふざけた未来人か」

 

「キョンが言う所のふざけた未来人さんなら近くの喫茶店で待っている。話し合いの場、とでもしておこうか。でも彼は浅野という名前ではないみたいなんだ。僕も彼の名前はよくわからないけど」

 

やれやれ。

 

 

「……浅野ってのはオレさ。オレの昔の名前」

 

その辺はどうでもいいだろう。

周防は無駄に長い髪が傘の有効範囲からはみ出しているのに何故か雨に濡れていなかった。

雨の方が彼女の髪を回避しているみたいだ。無駄な事に能力を使っている。

しかしなるほど、案外橋の下が生活拠点とは限らないのかも知れない。

そんな便利な機能があるなら犬小屋を転々としていても大丈夫だろう。

結局どこ在住なのだろうか。自宅があればイタズラしてやるのに。

 

 

「みなさん、積もる話はあるみたいですが早くお店に入りましょうよ。こんな天気の中でずっと立ちんぼがいいんですか?」

 

癪に障る言い方であったが、橘の提案はもっともだった。

まさか、このメンバーでいつもの喫茶店に入るなんて。

さっさと帰らせてもらいたかった。

喫茶店に入ると全員、傘を傘立てに突っこむ。

奥の方に、あの見た目はチャラ男なのにお坊ちゃま口調の未来人が席を確保していた。

俺とキョンの2人に対し、5人というバランスで向かいに座る。

この時間だからまだいいが、基本的に怒られる座り方でしかない。

隣の席の分もテーブルを移動させている。明らかにこちらのスペースが無駄。

しかし、左端から周防、未来人、橘京子、佐々木さん、……佐藤。

人数だけで言えば、奇しくも昨日と同じ七人だった。

そして席も同じ。違うのは、俺の精神か、それとも人選か。

多分に両方だろうさ。

店員にお冷を置かれ、何を注文するでなくだんまりが続いた。

 

 

「――――」

 

「おい周防、何か喋れよ。今日はいい天気ですね、とか言え」

 

「フフフ。相変わらず浅野君は愉快」

 

「――雨――曇天――――」

 

そんなの見ればわかる。

いや、ここに来るまでで既に散々な目にあったのだ。

お前が情報操作したんじゃあないだろうな?

家を出たときは気持ちいいような悪いような陽射しだったんだが。

俺の喋れよ発言に対し未来人は。

 

 

「異世界屋の明智黎相手に舌戦で勝てる人間など限られている。数少ない一人でこの場に居るのは彼女ぐらいだ」

 

「ふむ。その彼女とは私かしら」

 

「異世界屋と君は共通の友人なのだろう?」

 

「ふっ。オレはこんなサイケ女と友人になった覚えはないよ」

 

「それは浅野君が覚えていないだけ」

 

「オレをその名で呼ぶな。そして何を根拠にそんな自信があるんだ、君は」

 

すると佐藤は目の色一つ変えずに。

根拠とも言えない根拠を言い出した。

 

 

「私を忘れるほど、浅野君は強くないから」

 

「……解せないな。戯言がお好きのか? だったら壁にでも話してるんだな。オレを二度と巻き込むな。次にくだらない用事で呼び出してみろ、両手を切断してやってもいいんだぜ。君はそれだけの事をしているんだよ」

 

「――――」

 

「ふん、なるほど。流石は"皇帝"……いや、将来的に明智黎は"魔帝"と呼ぶべきか」

 

何を言ってるんだお前は。

だいたいな、まず名乗れよ。

 

 

「僕の名前などどうでもいい」

 

「名前はただの記号、識別信号と言った所。ですものね」

 

「ふん。君がそう言うのは、無駄に多くの名前を名乗るからか? そして名前とは、朝比奈みくるを朝比奈みくると呼ぶように……明智黎を浅野と呼ぶように、そのどちらも無意味なことだ。名前に意味は無い」

 

「フフフ。私が自称したのは"ジェイ"ぐらい。他は事実としてそう呼ばれただけに過ぎないな」

 

「……どうでもいいがな、記号でも何でもいい。さっさと何か名乗ってくれ。俺の中でのお前の印象は最悪なんだよ、未来人」

 

キョンも俺と同意見だったらしい。

金髪男は吐き捨てるかの如く。

 

 

「……"藤原"、とでも呼ぶがいい」

 

「お前さんが道理で偉そうな訳だよ。下の名前は"道長"でいいね」

 

「――――」

 

「お? どうした周防、お眠の時間か? その無駄に長い髪はきっと枕代わりになるさ。寝てていいよ。お前の寝顔は見たくないけどね」

 

「―」

 

周防は無視した。

今日に限っては煽り耐性が高いのが腹立たしい。

とにかくこれで全員の名前が知れ渡ったのだ。

橘京子はここぞとばかりに。

 

 

「さっそく本題に入らせてもらいます――」

 

きっと誰もが好きにしろ、と思ったに違いない。

佐々木さんと周防はさておき、この女からはどうにも殺伐とした空気が感じられない。

まるでこの集まりをカニ食べ放題ツアーか何かと勘違いしている。

俺にそう思われてるとも思っていない橘は、営業スマイルで。

 

 

「――あたしたちはあなたがたの大切な涼宮ハルヒさんが神だと考えていません」

 

否定から入りやがった。

俺はアメリカ人じゃあないが、結論をさっさと教えてほしいな。

日本人はどうも、空気というか間を気にする。だからこそやりやすいが。

 

 

「佐々木さんこそが、本当の神的存在なのだと考えています」

 

やはり。

こいつも立派な超能力者だった訳だ。

誰かを立てないと立派になれないのだろうか。

キョンはどうにも飲み込めていないらしい。

 

 

「………何て言った?」

 

「そのままの意味なんですけど、解りづらかった?」

 

「……俺に反芻させる時間をくれ」

 

「どうぞ」

 

キョンは冷や水に手を伸ばす。

もしかしたらそのまま誰かにかけてもおかしくなかった。

だが一口飲むと、そのままテーブルにグラスを戻す。

肝心の橘はこの発言だけが自分の仕事かの如く、満足した、晴れやかな表情だ。

 

 

「あー、やっと言えたな。本来ならずっともっと早い段階で伝えたかったのです」

 

「"早い段階"ってのは、具体的にはどの段階なのかな?」

 

「異世界屋さんもこの話には興味がおありですか。……欲を言えば去年から。そう、古泉さんさえいなければ、もっと早い段階であなたたちに接触できたのです」

 

「その話に、オレは必要なのかな」

 

当然の疑問なはずだ。

そういうのは涼宮さん信者に任せる。

どうぞ自由に宗教戦争に興じてくれないか。

俺の女神は他でもない朝倉涼子なのだから。

そして、その当然の疑問には俺を呼び出した張本人が。

 

 

「その話はもう少し待ってくれる? まずは、彼の方から」

 

「……話を続けていいぞ」

 

「理解できたようね。あたしたちとしても、いっそこの春にあなたたちの高校へ転入するプランもありました。でも流石に無茶ですよね。『機関』の人たちは怖いもの、みんな狂ってる」

 

そいつは随分命知らずなプランだ。

しかし狂っているのは恐らくここに居るほぼ全員ではないか。

各々、自分の正義でしか動かないような連中だ。

キョンと佐々木さん以外は俺を含め、独善者。

ならばこの七人は"七武海"だな。

 

 

「だから今日、この場をお借りできたのは光栄です。古泉さんが涼宮さんを気にする運命なら、あたしたちは佐々木さんに引き寄せられる運命なの」

 

「他の異能連中もそうなのかな?」

 

「まさか。本当にあたしは不安でしたよ。宇宙人も未来人も、明智さんもみんな涼宮さんの方に行っちゃうんだもの」

 

「――――呉越同舟――」

 

「ふん。僕からすればどちらでも構わないのさ。今回ばかりはこっちに回っただけだ」

 

「私もそうだ。一番興味があるのは、もっと別の事だから」

 

宇宙人、未来人、異世界人がそれぞれ適当な事をぬかす。

しかしこいつらの狙いは何だ? 今更勧誘か? 

それにこれだけはハッキリさせておこう。

 

 

「オレは誰の味方でもない。オレ自身と、朝倉さんだけの味方だ。宗教戦争に巻き込まれようと、君たちの相手をするとは限らないし、場合によっては始末させてもらう」

 

俺は常々人殺しが嫌いだと言っている。

その自覚もある。

だが、いざとなれば、俺にはきっとそれが出来てしまう。

俺が一番怖いのはその、人間の本質とも言えるような闇の部分。

潜在的に、俺は何かを抱えている。

 

 

「浅野君、いい眼ね。朝倉涼子が羨ましくなってしまう。安心なさい、私の狙いは明智黎ではない。浅野君よ」

 

「君は何を言っているんだ? 間違いなくそれは同一人物で、オレだろ」

 

「……違うの」

 

何が違うんだろうか。

異世界人、この女の覚悟とは何なんだ。

こちらのやりとりを気にせず橘は。

 

 

「とにかくやっと揃ったの。これで……SOS団とほぼ同条件。後一人も顔は出してくれないけど、協力してくれるみたい」

 

「それは、まさか……!」

 

「ええ。浅野君が思ってるように、中河君よ」

 

「……あ…………?」

 

ようやく知ってしまったか。

今日の目的はこれもあるんだろうな。

キョンは理解が出来ていないらしい。

 

 

「……何で、中河の名前が出てくるんだ」

 

「おや、聞いてなかったのですか? 中河さんには特別な能力があって、それを是非役立ててほしいのです。世のため人のために」

 

「ふざけるな! 俺どころか、あいつまで利用する気か」

 

「あたしは真面目なんだけどな」

 

「―とても――優秀―――」

 

「周防さんが言うように、彼はとても素晴らしいお方なのです。普段は彼もスポーツに勉強と忙しいから、顔を合わせる事は殆ど無いのですが。いや、文武両道ってすばらしいですよね」

 

白々しく橘京子はそう語る。

彼女の中ではきっと、単なる友達の延長線上でしかないらしい。

そして佐藤も中河氏をどう甘い言葉で引き入れたんだろうな。

キョンは今にもテーブルを叩き割らんとしている。

……しょうがない。

今日は使おう。

 

 

「"落ち着け"」

 

俺の一言で、その場のほぼ全員の顔色が悪くなった。

何故か知らないが、平気そうなのは周防と佐藤ぐらい。

藤原も余裕そうなポーズはさておき、やや脂汗をかいている。

佐々木さんには非常に申し訳ない。

 

 

「……う、………あ」

 

「頭を冷やせ。確かにこれはオレの仕業だが、長く披露するつもりはない」

 

ハンタ式威圧法。

それは、悪意を込めてオーラを顕在化させると言うもの。

オーラをしっかり纏っていない一般人には、まるで『極寒の中裸で居る』ような感覚らしい。

あまり使いたい技ではないんだけど。

 

 

「とにかく、解除するぞ」

 

「……はぁ………ふぅ…い、"今まで"のは……明智の仕業、………って訳か…」

 

「そうさ」

 

「……けっ」

 

「許せよ。仕方ないだろ。……君たちも寒い思いをしたんじゃあないか? とにかく、オーダーと行こう。いいタイミングだと思うけど」

 

わざとらしくそう言ってやる。

やがて何とか持ち直した佐々木さんが定員を呼びつける。

例外なく全員がホットコーヒーだった。

 

 

「ふん。……あれが、噂の威嚇か………話には聞いていたが、面倒なものだな」

 

「とにかく、話には続きがあるんだろ? 誰でもいいから話してくれないかな。オレはこれからデートなんだ」

 

「―――」

 

人格破綻者同士で会話しろってのが無茶なのさ。

とりあえず俺も水を飲んで口さみしさを紛らわそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて、橘京子は静かに口を開いた。

 

 

「単刀直入に言いますと、涼宮さんは神であるべきではない。彼女の能力は佐々木さんに宿るはずの力だった」

 

「だが、現実としてハルヒの方がハタ迷惑な存在なんだ。どうしようもあるかよ」

 

「あります。あなたの協力があれば」

 

真剣な表情で彼女はキョンを見つめる。

キョンはそれから逃げるかの如く。

 

 

「……佐々木、お前はどうなんだ。こいつの話を信用してるのか」

 

「僕もそんな力とやらに興味はないんだけどね。ただ、みんな思うところがあるみたいなんだ」

 

「お前の意見だけを聞かせてくれ」

 

「自分で言いたくはないけど、僕は内向きな性格をしている上に、涼宮ハルヒさんほど有名人でもない。ただの凡庸凡人。もし本当に世界を変えてしまえるほどの強大な、巨大な能力が手に入るとして、次は僕が君たちの言うところの事件に巻き込まれるのだろう? これで正気を保てるほど僕は超人ではない。うん、遠慮する」

 

「……だとよ。本人はこう言ってるが、どうするんだ」

 

何だ、お前らの組織力は線香花火以下じゃあないか。

やはり佐々木さんもぽっと出の変人なんかよりキョンを信用するさ。

だってそれが友人なんだから。

佐藤は俺の事を信用しているとは思えない。

まるで、俺を通して何か別の者を見ているようではないか。

これでどう信用しろって?

 

 

「あなたはそれでいいんですか?」

 

「いいも何もないだろ。今まで通り何とかする」

 

「涼宮ハルヒさんのおかげでその何とかが必要なんですよ? あなただけではありません、SOS団だけでもありません、世界のすべてが涼宮さんのさじ加減なのです」

 

「――それは違うよ」

 

わかってないな。

 

 

「超能力屋。君は世界の全てを見て来たのか? 異世界屋のオレだって知らないんだぜ」

 

「……フフ、"次元の壁を越えれるエネルギー"ね」

 

「君もそれが使えるんだろ、異世界人」

 

「浅野君ほどではない。前に言ったはず。精度はガタ落ちで、殆ど何も出来ない」

 

「だからオレを狙うってわけか。……そろそろ話せよ。その目的ってのを」

 

もしかすると俺は知りたかったのだろうか。

自分について。知らない何かについて。

だけどさ、やっぱりさ、無知の方が、楽なんだよ。

 

 

「いいでしょう。それにはまず、浅野君について話す必要がある……」

 

佐藤はもったいぶって言う。

いかにも、俺が嫌いな日本人的だった。

 

 

「浅野君は、"予備"。いいえ、違うわ――」

 

俺の耳が正常ならば、彼女はこう言ったはずだ。

思わず見とれそうになるような、いい笑顔で。

 

 

 

 

 

 

「――"スペアキー"ね。浅野君も、"鍵"なのよ」

 

 

 

 

……この時既に時刻は9時40分近く。

やけにオーダーの到着は遅い。

そして俺には何の話だか、さっぱりわからなかった。

 

 

 

 



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第六十六話

 

 

今、この女は、佐藤は何て言った?

予備? スペアキー? 何の話だ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フフフ……」

 

聞きたくもないような不気味な嘲笑。

俺はただ、質問する事しか出来なかった。

 

 

「……おい、君は、何を言ったんだ。説明しろ。……"スペアキー"とは何の事だ」

 

「ふむ。わからなかったのかな。浅野君の"役割"よ」

 

「オレの、役割、だって……?」

 

「そうね。たとえば古泉一樹が涼宮ハルヒの精神安定剤のように、朝比奈みくるが涼宮ハルヒにとってのお人形のように、長門有希が涼宮ハルヒにとっての都合のいい受け皿であるように……」

 

「ーーふざけるな!」

 

怒鳴ったのは俺の右隣に座るキョンだ。

佐々木さんを含めて、他の連中は黙っている。

 

 

「お前が何を言いたいのかは知らんがな、お前の物差しだけで俺たちを測るんじゃねえ。だいたいな、"鍵"ってのは俺なんじゃないのか。そこの明智に何の関係があるんだ」

 

今回ばかりは俺もキョンを止める気になれなかった。

そうだ。自分に都合のいい事しか言わないジェイを、どう信用できる?

一方の彼女は反省した態度すらせず、上っ面だけで。

 

 

「あらら。怒らせてしまったなら謝りましょうか。でも、事実を述べたまで。どう捉えるかは自由」

 

こんな事を言い出した。

自由、だと? いい加減にしろ。

 

 

「……黙れよ、異世界人。自分が言ってた事を忘れてるのか、君は」

 

「浅野君、それは何かしら」

 

「オレは……オレたちは"自由"を知らない。誰にも支配された覚えなんか、ないからな」

 

「――――」

 

「なるほどな、異世界屋。君の主張はもっともだ。なら、とりあえず最初から説明したらどうなんだ? 異世界人」

 

藤原はさもどうでもよさそうに言ってのける。

佐々木さんはキョンを心配そうに見つめている。

橘京子は恐らくだが、俺の「支配された覚えなんかない」という発言に思うところがあるらしい。

微妙な表情だった。

 

 

「わかってるのよ。フフ、せっかちな男の人は嫌われるの。昔の浅野君は違ったわね?」

 

「そんな事は"忘れた"」

 

「……そう。ここから先の質問は受け付けないわ。不毛なやり取りは、説明が終わってからにしてね」

 

こんな前置きをしてから、自称異世界人の佐藤は説明を開始した。

 

 

「……だいたいね、鍵が一本なわけないでしょうよ」

 

「――――」

 

「そこの彼は確かに涼宮ハルヒに選ばれた。正真正銘ね。だからみんな必死になってる」

 

「……ふん」

 

「今、"自律進化"について語る必要はない。それすらもあくまで通過点にしか過ぎないのだから」

 

俺も原作を読んでいて、その部分はよくわからなかった。

だがそれは、いわゆる天上の存在……神になることではないのだろうか?

今の涼宮さんは現人神でしかない。ならば、概念化することこそが、自律進化なのでは?

 

 

「問題はその過程。鍵の彼が居なくなったらそれはそれは困る。だって、涼宮ハルヒが選んだ彼が居ない世界になんて、きっと意味はないでしょうよ。少なくとも彼女にとっては」

 

「……はっ」

 

「だからこう考えたまで。彼に何かあった時、その存在を代用する……彼が被る被害を、おっ被る存在が必要だった」

 

「なのです」

 

「それが、浅野君……いいえ、"予備の鍵"として呼ばれた、異世界の存在。明智黎は単なる記号」

 

……やれやれ。

説明はついちまうじゃあないか。

納得してしまうのも無理はない。

 

 

「何故異世界人である必要があるのか? それは単純。浅野君が消えても"世界"のバランスは損なわれない。彼が死ぬ代わりに、浅野君が死ぬ。そういうシステムだから」

 

「……やれやれだね。空気が重いじゃないか。僕はそろそろコーヒーが飲みたいのに、やけに遅い」

 

「ふん。店の程度が知れるな。だから僕は反対だった」

 

「なら藤原さんはどこがよかったのですか?」

 

「SOS団が集まりそうにない場所ならどこでもいい。僕にとっては同じことだ。ただ、わざわざ不快な思いをする必要はないだろう?」

 

「――――」

 

佐藤は既に口をつぐんでいる。

俺は一字一句聞き洩らさなかったさ。

 

 

「それで、君の話は終わりかな?」

 

「ええ、何かあれば聞くわよ。私に答えられれば、ね」

 

「……ハルヒがそう望んだってのか」

 

「過程はどうあれ、結果としてそういう役割が浅野君に与えられた。でも、一つだけ良かったのは――」

 

俺にとっては、予備の鍵だとか、そんな事よりもっと恐ろしい発言を、こいつはした。

 

 

「――浅野君には、およそ存在する全ての因果、運命が通用しない。規定事項もね」

 

「……な…」

 

「……規定事項が、何だって…?」

 

「もちろん浅野君が何もしなければ別よ。ただ自然に、あるべき流れに従わされる。『そういうふうに、できている』。普通の人はそう」

 

佐藤はグラスに手を伸ばそうとしたが、水が既に無い事に気づき、その手を引っ込めた。

 

 

「否定こそが皇帝の特権。浅野君が否定した時、浅野君は自由になる。朝倉涼子を助けた時のように」

 

ふっ。

やっぱり、どこの世界にも居るんだね。

死ぬほどまでに下らない理屈を並べる、運命論者ってのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――かつて、常人の精神を逸脱した俺が正気を取り戻した直後、朝比奈さん(大)は言った。

去年、十二月十八日の朝。

 

 

『その変化を与えているのは間違いなく、明智さんなのよ』

 

そして、俺の覚悟を「後ろ向き」と切り捨てた古泉は。

俺と朝倉さんの二人だけが、みんなとは違う方向性だと言わんばかりに。

 

 

『常に変化している、変化し続けている。まるで天体が生まれる時のように』

 

『あなたには、何かを変える力がある』

 

……朝倉さんは度々。

 

 

『そう、あなたの方なのよ。人を惹きつける何かがあるのは』

 

『……それはあなたが変えた、という意味かしら?』

 

『私、怖いわ……やっぱりあなたが、どこかへ消えてしまうような気がするの』

 

いいや、きっと彼女は、俺に"何か"がある事を、見抜いていた。

最初から、あの、超弩級の閉鎖空間の時から――。

 

 

『――オレが出来ることなんてタカが知れてる…………。現に、世界が滅ぶかもしれないこの状況で何も出来ない。何の力も持たない非力な友人に全部丸投げ、最低の奴だよ』

 

『……』

 

『涼宮さんが求めているのは"鍵"であるキョンだ。オレは"鍵"じゃない。オレを監視する意味なんて、あるのかな』

 

『――そうかしら』

 

……最高に、最悪の気分ってやつだよ。

古泉、お前が予想してたのはこのことなんだな?

涼宮さんを大切に思うお前だからこそ、こんな可能性は認めたくなかったんだ。

彼女が他の誰かを切り捨ててしまう、だなんて考えは最悪だ。

そうなんだろ?

 

 

 

やがて、静寂が"支配"する中。

本当に「お待たせしました」といった感じでホットコーヒーが運ばれてきた。

心が安らぐ、女性の声だった。

キョン、俺、佐藤、佐々木さん、橘京子、そして回り込んで周防の所へ置こうとしたその時。

 

 

――ガシャン。

 

皿とカップの衝撃音。

周防が、ウエィトレスの手首を掴み、作業を妨害していた。

これではテーブルにコーヒーを置く事はできない。

中身が無事なのが不思議なくらいであった。

 

 

「……な…?」

 

「―――」

 

「お客様」

 

驚くキョンを尻目に、ウェイトレスは周防に呼びかける。

いいや、彼女はウェイトレスなどではない。

 

 

「喜緑さん、じゃあないか」

 

「―――」

 

「どうも、明智さん。こんにちは。……すみませんお客様、いかがなさいましたか?」

 

「―――」

 

周防は喜緑さんの方など見向きもせず、しっかり手首だけを掴んでいる。

おい、こいつはアホか。

 

 

「バッドよバッド、ヴェェエエリィィイイがつくほどバッドだよ、周防ちゃん」

 

「―――」

 

「君はコーヒーが苦手なのか? なら教えてやるけど、"あいつ"は好きだぜ」

 

ついでに俺も好きだけど。

 

 

「――!」

 

ぎろり、と今度は俺が睨まれた。

こっちに当たらないでくれ。

誰か収拾をつけろ。

 

 

「お客様。このままではご注文の品をお届けする事ができません」

 

「ふん」

 

藤原は既にコーヒーを飲み終えていた。

俺たちがこの喫茶店に入る前から頼んでいたからだ。

わざわざ席取りをさせられるなんて、憐れな雑用さんだ。

よって周防一人だけがこのままでは飲めないが、まあ、いいんじゃあないの。

 

 

「異世界人、なんとかしてやってよ」

 

「フフ、その必要はないわ」

 

「―――」

 

やがて周防が折れたような形で、すっと手を放した。

最後のコーヒーが彼女の前に置かれる。

お礼なんか言う要素はないのに喜緑さんは。

 

 

「ありがとうございます」

 

「な、何してるんですか、喜緑さん」

 

「うふふ。アルバイトです」

 

「――」

 

「でも生徒会役員がバイトしても大丈夫でしたっけ?」

 

「もちろんダメに決まってるじゃないですか」

 

なら何でやっているんだ。それでいいのか、書記。

もしかするとこれが彼女流の社会勉強なのだろうか。

まさか朝倉さんが喜緑さんにヘルプをお願いするとは思えない。

感情が無い上に俺の事を好きでも何でもなかった十一月の、文化祭。

それでも喜緑さんと仲良くセッションしている俺に対して朝倉さんは素っ気なかった。

うーん。朝倉さんは女子の交流について裏があるとも言ってたし、そんなもんなのか。

しかし、あの会長殿の本性は北高で唯一とも言える不良生徒だった。

北高の校内で喫煙するのなんか彼ぐらいだろう。

俺の事を散々悪く言っている連中は彼のことをきっと知らないんだろうな。

何食わぬ顔で生徒会長をやっているんだから、あっちの方が魔王だよ。

つまりアルバイトしようが多分大丈夫だ。

 

 

「なので、オフレコでお願いしますね」

 

「は、はあ」

 

「それではごゆっくりどうぞ」

 

そそくさと伝票をテーブルに置いて彼女は引っ込んでしまった。

もしかしたら今までのSOS団市内散策の時も彼女がここに居たかも知れない。

いや、居たんだろうよ。

見知らぬウェイトレスに対し佐々木さんは。

 

 

「君たちの知り合いかい?」

 

「先輩」

 

「聞いたと思うけど生徒会の役員さ。朝倉さんほどじゃあないけど、美人だよね」

 

「フフフ……」

 

「くっ、くくっ。はっはっは。面白い。いいものを観させてもらったよ」

 

何が楽しいのか藤原は笑い出した。

 

 

「あの宇宙人もそうだが、異世界屋の精神力。僕の想像を遙かに超えていた」

 

「オレがどうしたって」

 

「流石だ、真実を語られても君はすっかり持ち直している。さっきの動揺とて演技にしか思えないほどだ」

 

「当り前じゃないの。浅野君は他人に流される男ではない。明智黎に引っ張られてるだけ」

 

「オレはオレだ。どう思うが君たちの勝手だけど、これだけは忘れるんじゃあない」

 

聞きたいことは全て聞いたんだ。

これとどう向き合うかは俺次第でしかない。

コーヒーをさくっと飲み干し、まるで俺が皇帝かの如く、偉そうに言い放つ。

 

 

「オレにとって君たちは、『どうもこうもない』存在でしかない。有象無象だ。ただの、塵だ。敵にすら値しない。君たちの方こそ居なくなれ、掃除されたくなけりゃあな」

 

そして塵が積もろうと、山にすらならない。

お前らはみんな出来損ないだ。人間の、なり損ないだ。

人格破綻者、精神病、勝手に好き勝手話せばいいさ。

だが往来ではやめてくれ。さっさと病院にでも行くといい。

親切な対応をしてくれた後、ベッドに寝かしつけられるだろうから。

そんな俺の宣告を受け取った未来人は顔色を良くはせずに。

 

 

「ふん。そうだろうな。僕は僕自身をかわいいとは思わない。しかし少なくともこの場に居る橘京子なんかはその発言に当てはまるな」

 

「ええっ!? あたしですかあ。……そんな、酷い!」

 

「君の目的など僕はどうでもいい。あくまで利用価値があるだけ。異世界人にとってもそうだ」

 

「フフ。さて、私はどうでしょう?」

 

「んん……! もうっ!」

 

結束力の欠片なんてない。

やはり、SOS団の敵にすらならない連中だ。

その脅威など、未知からくる本能的なものでしかない。

人間は知らないものに恐怖する。

だからこそ神は全知全能。

 

 

「ジャスト一時間だ。いい幻想は語れたか? オレは帰らせてもらうよ」

 

有意義だとは思いたくないが、意義はあった。

さっさと俺は席を立つ。

奢らせてもよかったが、こいつらの世話にはなりたくない。

料金分ちょうどの小銭をコーヒーカップの横に置く。

キョンは情けない顔をしながらこちらを見上げ。

 

 

「俺はここに置いてかれるのか」

 

「佐々木さんが居るから大丈夫さ。どうやら連中は主義思想は違えど、彼女を立てる方針では一致している」

 

「明智君は安心して彼女さんとデートに行くといい。僕にはその楽しさの一切は不明だけど、他人の楽しみを否定するほど僕は偉くないからね」

 

「だってさ」

 

「……言わせてもらうぜ。やれやれ」

 

周防はとうとう饒舌にはならなかった。

何も言われずに帰ろうと思ったが、去り際に佐藤が。

 

 

「浅野君。いつでも電話、待ってる。"ジョン"はさておき、"ジェーン・スミス"は動かない」

 

キョンは何やら驚いていた。

どうやら、最後の最後で釘を刺したいらしい。

馬鹿が、お前なんか涼宮さんの力を借りるまでもない。

何なら今すぐ首を切断してやってもかまわない。

たまたま、今日じゃあないだけだ。

 

 

「……その名前で呼ぶのを止めたら、考えてやるよ」

 

「――」

 

「フフフ、また今度」

 

最後のは喜緑さんの声だろうか。

ありがとうございました、の一言が、俺にはとても腹立たしく思えた。

佐藤の傘を、へし折ってやってもよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……外へ出ると雨はまだ降り続いていた。

こんな天気ではやはりどうしても憂鬱になってしまう。

しかし思考を放棄するわけにはいかない。

考える事が俺の最大の武器だからだ。今までずっと、こうしてきた。

面白い作品がまとまらない時、難解な依頼を要求された時、この世界に来てからも。

ずっと。

 

 

「『神に愛されなかった男』……か」

 

そんなタイトルで明智光秀を題材としたドラマがあった気がする。

名前の意味を考えたくはないが、今の俺にはちょうどよく思えた。

スペアキー。納得は出来なくもない。しかし、謎はまだある。

他でもない異世界人について、だ。

 

 

「なら、原作では何で異世界人が出てこなかったんだ?」

 

涼宮さんが起こしたのは情報フレアだとか、四年前から昔に時間逆行できない、断層だとか。

間違いなくそれらは三次元上の出来事ではないだろう。

俺にも、当然世界中の学者にも特殊機材にも観測できなかったはずだ。

ならばそれは当然、違う次元での話になってしまう。

涼宮ハルヒにも、次元の壁を越えれるエネルギーがあるのだ。

間違いなくそれは"引力"。人を引き寄せ、惹き合せる引力。

彼女の引力とは、神に匹敵するその存在の大きさに由来するものだ。

だからこそ、未だ見ぬ世界に彼女は発信した。

 

 

「『わたしは、ここにいる』」

 

確か、中学時代に描いた彼女の地上絵とはそんな感じのメッセージだったはずだ。

時空を、次元を超えてそれは発信されたのだろう。

なら俺は何なんだ?

その理屈で言えば原作にも、スペアキーは必要なんじゃあないのか?

それとも逆で、俺は不要なんじゃあないのか。

ふと俺は、朝倉さんとの、昔のやりとりを思い出す。

 

 

『……イレギュラー、明智黎。文字通りのクロだったわけか』

 

そう、俺は不穏分子。

どんな役割があろうと、否定する事が正義なのだろうか。

俺は今まで通りでいても、いいんだろうか。

 

 

「馬鹿言え」

 

わかってるさ。

俺が何であれ、どんな役割であれ、それはわかっている。

朝倉さんだけは、そしてSOS団だけは否定しない。

昔の俺なんか関係ない。俺はもう平民だ。

皇帝業務は廃業で、今は異世界屋。

すると、ひょいっと彼女は俺の前に現れた。

 

 

「もう少し早く来られなかったの?」

 

「キョンはウサギみたいだよ。一人だと可愛そうだ」

 

「佐々木さんも一緒なんでしょ?」

 

「だから置いてきた。聞きたい話はだいたい聞いたよ」

 

「ふーん。ま、今日はそんなこと、どうでもいいじゃない」

 

「生憎の雨なんだけどね」

 

「で、行先は決まってるの?」

 

まさか、当然。

 

 

「成り行きで」

 

俺は安物の傘をさっさと仕舞う。

今日はもう出番が無い、"ロッカールーム"行きだ。

何故なら朝倉さんが傘を持っているから。

ま、相合傘って奴だ。

 

 

「じゃあ行きましょうか」

 

彼女と一緒なら、どこでも俺は否定しないだろう。

 

 

 

 



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第六十七話

 

 

何を言われようと、肝心の俺が判らない以上は信じるかどうかも俺が決める他なかった。

だいたい役割だとか、能力だとか、目に見えない話ばかりされても困る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし佐藤はかつて、俺が彼女の言う所の"スペアキー"だと自覚しているものだと思っていたらしい。

あいつにも分からない事があるのは確かで、何よりあいつは運命だとか因果だとかを信用している。

俺に関して再三それを言うなら、前世からそんな話は大嫌いだった。当り前だ。

全部決められているならどれだけ楽なんだ? 結局それは逃げでしかない。

そんな単純な事、本当に俺の友人だったなら、知っているはずだ。

で、その日、日曜日の夜。

古泉を呼び出したわけだ、"異次元マンション"の一室へ。

スペアキーだとか運命だとかについて一通りの説明を俺から受けた彼は。

 

 

「僕も考えたくはなかったのですが、佐藤さんという方が仰った以上はその可能性が高くなりました」

 

「お前さんは見た事もない奴の話を信用する、と?」

 

「実の所、最初にあなたの存在をSOS団において確認した時に似たような説が『機関』内でいくらかありました」

 

真面目な顔でさらりと言ってくれるな。

初めて市内散策で一緒になった時には何も言わなかったというのに。

 

 

「突拍子もない話ですからね。涼宮さんが意味もなく人材を確保するわけがありません。もっとも、あなたが異世界人と名乗った段階でそのような話は立ち消えましたが」

 

普通はそうだろうよ。

異世界人以上の役割なんてあるのか?

嫌なダブルブッキングだね。

 

 

「……ですが、鍵の代用と来ましたか」

 

「オレも驚きだね」

 

「朝倉さんの方は何と?」

 

「何にも」

 

「そうですか……」

 

朝倉さんにとって、きっとそんな事など些末な問題でしかないのだろう。

多分、俺にとってもそれは同じだ。

運命だの因果だの持ち出して来るのは構わないが、その否定とやらで俺は朝倉さんを助けたなんて思わない。

何故なら、俺は何も否定しちゃあいないんだからな。

やはりあの佐藤の言っている事には、ジェイと名乗っていた時から真実性が薄かった。

そして、俺が今回古泉と話したいのは。

 

 

「……それって、矛盾してないか?」

 

「何の事でしょうか」

 

「お前さんが前に言った、"何かを変える力"についてだよ」

 

「と、申しますと?」

 

簡単な話ではないか。

 

 

「涼宮さんがキョンの身代わりとしてオレを用意したなら、オレにそんな力が無い方がいいじゃあないか」

 

俺がキョンの身代わりだという事が運命づけられているなら、俺はそれすら否定できるはずだ。

もしそれが可能ならあいつの言っている事の意味が……いや、役割なんて関係なくなる。

何かを変える力があるとしたら、まずあいつらを常人にしてやりたいね。

 

 

「ええ。ですが、単に涼宮さんの力の方があなたのそれと比較して上の次元なのでは?」

 

「そうかもしれない。けど、オレは実際に一度だけ涼宮さんの意見を覆している」

 

言うまでもない。

あの、夏休み中、八月。

ループせずに巻き戻しとなった現象についてだ。

確かに俺が鍵としての側面があるなら、涼宮さんに対抗できる可能性はある。

でも結局それは、キョンと違って俺が選ばれたわけではないだろうさ。

たまたま、俺だっただけ。

 

 

「この事実を考えると、佐藤がオレを付け狙うのも何となくわかってくる」

 

「つまり、彼でなくともあなたの協力があれば涼宮さんをどうにかできる。……信じられません」

 

「どちらにせよ面倒だ。中河氏も、いつの間にか引き込まれてるみたいだし」

 

「我々『機関』の監視など、結局はあってないようなものです。人間の出来る限界を尽くしているだけですから」

 

古泉の表情はあくまで無表情だった。

だが、確かな悔しさというものがそこには感じられる。

やはり俺だって気に食わないさ。

 

 

「で、オレはどうすればいいと思うかな」

 

「我々としては、その発言が全て真実であるのならば、あなたを敵に回したくはありませんね」

 

「オレだってお前らと戦うつもりはないよ。今はそんな事よりも連中をどうするかの方が先決さ」

 

「簡単です。僕たちが持てる限りの結束力を尽くす。それだけですよ」

 

「……ああ」

 

はたして誰があのメンバを纏め上げるつもりなのか。

佐々木さんはそもそも能力だとか、神だとか、心底どうでもいいと言う。

それが俺に対するポーズだとしても、まさかキョンに嘘をつくとは思えない。

つまりキョンが俺たちに嘘をつかない限りは間接的に彼女も信頼できる。

周防だって結局何考えてるかはよくわからない。

俺はあいつを好きになる事はないだろうが、嫌いな奴ではない。

あいつも俺と同じなのだ。ただ今は自分なりの答えが無いだけだ。

彼女の任務の先にそれはあるのだろうか? 俺にはわからない。

問題は残る三人。

橘京子が頭の出来が悪いことは直ぐにわかった。

間違いなく彼女さえ利用されているに過ぎない。

キョンがそれに気づけたかどうかは怪しいが。

中心人物は、藤原と佐藤。

両者の利害が一致した形であの集まりが結成されたのだ。

まったく。

 

 

「笑えちゃうね」

 

「僕もそう思いますよ」

 

「"ワーテルローの戦い"の時のナポレオンだってあれよりはマシな軍隊を率いていた。俺は直に連中を見て即席麺以下だと思ったよ。3分とせずにほぐれちまうさ」

 

「しかしながら、あちらから友好的な関係を築く姿勢が見受けられないのは確かです」

 

「いつも通りだよ」

 

それが、問題だ。

 

 

「お前さんたち『機関』の意見としてはどうなんだ」

 

「彼女らとは敵対関係、と言っても過言ではないでしょう。僕もそう思います。佐々木さんには迷惑な話ですが、少なくとも橘京子は僕を快く思っていない」

 

「あいつはお前さんを知っていたようだが、前に何かあったのか?」

 

「見解の相違ですよ。……残念なことに、彼女と僕はどうやら相容れないらしいので」

 

「ふっ。ならオレが力を貸そうか。お前らのそれが宿命なら、オレに変えることが出来るかもよ」

 

佐藤の言う事が真実なら、だが。

だけどきっとそんな能力は俺にない。

なんとなくだが、俺にはわかる。

何故なら。

 

 

「いいえ。その提案は嬉しいですが、遠慮しておきましょう。必要とあらば僕自身の手で解決してみせます」

 

――そうさ。

あっちの世界の俺だって、きっとそう思っている。

世界は確かに不完全だ、理不尽だ、何より完璧ではない。

だけど、人間には、俺たちには希望がある。

何かを変えることは特別なことなんかじゃあない。

最も難しいのは、それを最後まで投げ出さない信念を持つことなんだ。

 

 

「そういや、オレの前世についてちょっと思い出したことがある」

 

「おや、何でしょうか」

 

「話し相手が朝倉さんより先に古泉ってのはあれだけど……ま、聞いてくれ」

 

こう見えてさ。

俺は昔、何でも投げ出すような奴だ、なんて思われてたんだぜ。

……え? とてもそうは見えないって?

やっぱりそれは、過大評価だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――翌日、月曜日。朝。

 

 

 

結局昨日はキョンから連絡がなかった。

しかし何かあったら他の連中から俺にも連絡があるだろうし、ただ、疲れてるだけなんだろう。

俺だって疲れていないわけではない。でもそれは一過性のものだ。

人間は嫌な事だけを覚えていられるほど、器用ではない。

等しく忘れるのだ。

俺にとって前の世界の体験、知識。それらは大切で、貴重なものだったと思う。

だけど前の世界が大切かどうかと訊ねられると、きっとそうじゃあないんだろうよ。

いつも通りの登校風景。いつも通り、俺の左側には朝倉さんが居る。

世間話をする方が多いはずなのに、彼女との会話で覚えているのはどれも、事件性のある内容。

ある意味ではSOS団らしいけどさ。

 

 

「たまに考えるんだ」

 

「何を?」

 

「今までオレがこの世界で何もしてこなかったら……SOS団にも入らず、当然朝倉さんも助けずいたら、オレはこの世界に対してどう思っているのだろう。って」

 

「……意地悪な話ね」

 

そうかな?

でも、たまにはいいでしょ。

いつも俺の方ばかり朝倉さんからそんな話をされている気がするし。

 

 

「気のせいよ」

 

「だといいけど。……とにかく、それに近い可能性が、オレが前に飛ばされた世界だった」

 

ただの一般人の俺は、ただの一般人として生きていく。

友達に宇宙人未来人超能力者が居るだけで、キョンと同じ。

いや、あの世界の俺はきっと予備の鍵ですらないだろう。

原作とほとんど同じさ。

それでも俺は、運命を信じていないんだろうな。

そんなくだらない人間が、涼宮ハルヒに許されるわけはない。

もしかしたら秘めた何かがあるかもしれないけど、俺には関係ない。

人には人の物語がある。そして。

 

 

「"物語"には"敵"が必要だ」

 

「その方が面白いから、かしら?」

 

「勿論それもあるけどね……。でも、誰しも今より上を目指したがるものだろ。誰も見たことのない世界を。それを途中で諦めるかは別さ」

 

「敵を倒せばその先があるのね」

 

それは違うよ。

まあ、その辺も一緒に学んでいけばいいさ。

俺だって全てを知り得るわけがない。

ほんの少し他人より何かを考えてきた。その時間が長いだけ。

それだけだよ。

 

 

「勝っても負けても、さ。生きていれば必ず次がある。途中で諦めなければ、いつかは勝てるでしょ?」

 

「でも、あなたたちの時間概念からしたら、もしかしたら最後まで勝てないかもしれないわよ」

 

「そんな事はやらなきゃわからない。戦う前から投げてるような奴にはなりたくないね」

 

「ふふっ。明智君って普段は素っ気ないのに、いざと言う時はアツいのよね」

 

「……アツい………オレがか…?」

 

熱血派なんて、岡部先生ではあるまいし。自分ではどうにも自覚出来ていないんだけど。

それが本当ならば記憶の一部が欠落していることといい、さながら俺は"スコール・レオンハート"だな。

何だかわけのわからない武器も持ってるし。

 

 

「そうよ。あなたがどんなお話を考えてきたかは知らないけど、主人公としての要素はあるわね」

 

「確かに朝倉さんはヒロイン枠に相応しいさ。百人居たら九十人がそう言う。残りの十人は同性愛者だよ」

 

別に彼女ばかり贔屓するわけではない。

谷口がかつて言ったように、SOS団の女子レベル……これも違うな、キョンの周りの女子レベルが高いのだ。

何だ何だよ何ですか。その気になればあいつはハーレムでも作れるんじゃあないのか?

涼宮さんが許せばきっと夢ではない。ふざけやがって。

 

 

「オレが主人公かどうかは別だ。世界の中心は少なくともオレじゃあない」

 

「……なら、涼宮さんが世界の中心なの?」

 

「いいや、超能力者連中はともかく俺は違うと思っている。それに、キョンでもないさ」

 

そしてそれはあのSOS団のパクり連中の誰かでもない。

しかし、必ずこの世のどこかにそこはある。

この世界の誰もが、その、見たことない場所をきっと探している。

俺からすればその位置こそが天国に他ならない。

 

 

「それを探す、探しに行く。……今はその途中」

 

未来からやってきた、朝倉さん(大)は俺を旅の同行者と呼んでくれた。

……俺が王子様だって? 一部には魔王とか呼ばれてるんだけど。

"魔王オディオ"さんの話は本当に悲しくなるからよしてくれ。

とにかく、彼女と一緒なら、間違いないよ。きっと見つかる。

もしかしたら既に俺はその場所に居るのかもしれない。

そこを、世界の中心だと認めていないだけなのかもしれない。

だけど今は同じ場所に滞在するつもりはない。

たった三年間だけの短い高校生活。

なら、行かなくっちゃあいけないだろ。

 

 

「言ったでしょ? 私もついていくって。私にも分けて頂戴」

 

「既に、お願いした」

 

「私にはとてもじゃないけどそうは見えないわね」

 

「そりゃ、オレなんかの願いで誰かがやって来るわけはないよ」

 

……でも、本当にそうなのだろうか。

呼ばれたのは、俺なのか、この世界なのか。

どっちの方なんだろうな?

 

 

「知らないよ。知りたくもない」

 

俺はきっとこれからもわからない事だらけだろう。

学校で勉強したことが社会に出て通用しないように、原作を知ってようがこうだ。

ただ少し、ズルをしていたに過ぎない。何かを先取りしていたに過ぎない。

それでも俺は確かに生きているんだ。俺が本当に主人公なら、話に終わりが来るだろ?

だけど実際にそうなってくれるわけではない、そうなってくれればどんなに楽か。

既に俺の知らない話が進みつつあるのだ。これから先、知らない奴が出てきても不思議ではない。

何が起こるかなんてまったく見当もつかない。それが自然さ。

 

 

「涼宮さんも無茶言うよね。世界を大いに盛り上げろ、だなんて」

 

「何をすればいいのかしらね」

 

「一番わかりやすいのは、やっぱり……」

 

「ふふっ。次こそは私も出席させてもらうわ。あなたの旧友を名乗る女も気になるもの」

 

そうだね。

あいつらが何と言おうが知らないさ。

そっちが好き勝手したいならこっちも好き勝手させてもらおう。

俺じゃなくても、SOS団の団員なら誰でもそうする。

誰かのせいにするのは簡単だ、自分のせいにするのも簡単だ、そこに非を認めないのも簡単だ。

一番難しいのは納得そのものなんだ。

納得は全てに優先するけど、誰もがそれを知ってて出来ない。

不条理だ。

 

 

「まるでオレ一人が何かを変えられるみたいな考えは駄目だよ。なら毎日プール授業にするからね。世界を水着で支配してやるさ」

 

「あら。明智君の好みのコスチュームは水着なの?」

 

「……いいや、なら一度だけ言うけど、絶対に秘密にしてくれよ」

 

やはり、朝からする会話ではない。

もう一度言うが、世間話の方が頻度としては多いのだ。

こんな話の流れの方が珍しいのさ。でも、例外だから楽しい。

後日、彼女が俺が言った衣服をお召しになられたのだが……。

それについて、多くを語るつもりは無い。

何故ならそれも、今日の話ではないからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「文句があるなら早めに頼むよ。昼休みはそう長くない」

 

「誰かさんがいなくなったおかげでわけのわからん話をたっぷり聞かされた」

 

文芸部室。

お茶なんか出てくるはずもない。

長門さんも昼休みだというのに座って本を読んでいた。

俺とキョンは既に昼食を済ませている。長門さんはどうなんだろうか。

 

 

「……済ませた」

 

「そ、そうか」

 

「……」

 

それはいいから、さっさと文句があるなら頼むよ。

お前なんか授業中寝てたんだからさ。

 

 

「なら言わせてもらうがな、明智――」

 

「……」

 

本人のいないところで話をするな、か。

散々谷口いじりに加担した俺がそんな風に思うなんて。

やっぱり不条理じゃあないか。

 

 

「――あの佐藤って奴の話が本当なら、お前は元の世界に戻るべきだ」

 

いかにも真剣な表情でキョンは俺にそう言った。

 

 

 



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第六十八話

 

意味が解らないし、嗤えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読書をしていた長門さんすらも、中断してこちらの方を見ていた。

確かこの時彼女が読んでいた本はD.B.シャンの【the CITY】。

しかもどこから用意して来たのか原文版だ。

俺は和訳版しか読んだ事がないため、最初表紙で何の本か判らなかった。

確かに一巻は言われてるように微妙な出来かもしれないが、最終巻である三巻までの流れが凄い。

長門さんが読んでいるのは二巻。ちょうど面白くなってくる部分だ。

……で、今キョンは、何て言った?

 

 

「……どういう意味かな」

 

「落ち着け。説明する前に言っておくが、あくまでこれが、佐藤の発言が全て正しいものとした上で、だ」

 

「……」

 

「そして勘違いしないでほしいのは俺の意見と言うわけではない。客観的に考えて、彼女の方の意見になるだろうな」

 

「あの、佐藤が……?」

 

俺を元の世界に戻したい、だって?

何言ってやがる。

説明しろ。

 

 

「お前が居なくなって、橘や藤原、そして周防なんかもわかりづらいながらに佐々木についてや自分の思想を語った」

 

「……」

 

「ふっ。サイコパスの集まりだよ」

 

「かもな。佐々木にはハルヒのような精神世界……閉鎖空間があるらしい。だが、そこに神人は居なかったぜ。橘に連れてかれたが、人が居ないだけの普通の世界だった」

 

まるで地球最後の男【オメガマン】だな。

全然違うタイトルで映画化されていた気がする。

俺が好きな俳優、ウィル・スミスが主演で。

 

 

「……」

 

「とにかく、連中の説明は全て終わって。その場はお開きになった。だが佐藤は喫茶店を出てから、俺に話があると言った」

 

「断らなかったのか?」

 

いくら主人公と言っても、命知らずだろ。

 

 

「だから再び喫茶店に戻った。二人でな」

 

「喜緑さんをアテにしたって訳かよ」

 

「それ以外だと逃げるしかないからな」

 

やはり理不尽だな。

こいつもこいつでお茶をする感覚で国際会議に飛び込んでいるようなもんだ。

そしてそこで無い事無い事を吹き込まれたって訳だ。

 

 

「まず、彼女が俺に対して言った言葉は『私は浅野君を救うためにこの世界に来た』という事だ」

 

「……オレを救う、だって…?」

 

馬鹿も休み休みにしてほしい。

あいつは散々、それとバレないように裏で糸を引いてきたんだ。

 

 

「何一つオレたちの助けになった覚えはないんだけど」

 

「だろうな。俺も意味がわからなかったが、彼女は説明を続けた」

 

「……」

 

「自分には好きな人が居る、そしてその人は死ぬ運命にある。と」

 

「運命、ね」

 

何を見て来たのか知らないけどな、それが俺ならいい迷惑だぜ。

自分の運命は自分で決める。誰かに決められる筈がない。

人は誰しも、休み明けを憂鬱だと思う。月曜日を、嫌がる。

だがな、『明日から休みだ』ってのは楽しみなんだ。そうだろう?

月曜を嫌がって生きるより自由な休みを楽しみに生きるべきなんじゃあないのか。

それが自分で生き方を考えるって事なんだ。

精神の自由とは、法や誰かに保障される事ではない。

例えどんなに暗い監獄の中でも、俺の考える力だけは奪えない。

それが真の"自由"だ。

 

 

「『いつも月曜ってわけじゃあない』んだよ」

 

「……」

 

「俺は訊いた、その好きな人ってのはもしかして明智の事か、と」

 

「ようやくオレにもモテ期到来か」

 

「だが彼女は否定した。元の世界の、浅野君の事だと」

 

……何だって?

元の世界も何も、俺は俺だろ。

いや、そもそも彼女と俺では年齢が釣り合わない。

元の世界で考えたとして俺は確か二十六歳だった。

朝倉さん(大)がとても若く美しいとしても、顔立ちは既に大人の女性としてのそれであった。

だが佐藤はとてもそうには見えない。二十六歳では少なくともないだろう。

そこまで年下と交流してたって言うのか、俺は。

 

 

「同じ事だろ、と思った。だがな、そうじゃないらしい」

 

「……」

 

「明智。お前は現在、お前の精神の大部分が元の世界のお前から失われている状態……最早自分で考えたり、動けない状態だと言う」

 

「……はぁ………?」

 

おい、おいおいおいおいおいおい。

またまた意味が解らないんだけど?

すると何だ、トリッパーってのは、そういう事なのか。

精神障害者(スキッツォイド・マン)じゃあなくて、憑依者(トランサー)だってか。

このどちらも立派な"トリッパー"だ。

何だよ、タマシイムマシンがどうこう考えていた俺だけど、そういうことか?

まさかドラえもん最終回捏造みたいな話なのかよ。

俺は植物人間とか、そういう事を言いたいのか?

そうでなければ空条承太郎だ。記憶の一部だけが、今の俺だ。

 

 

「やがては衰弱しきり、死ぬそうだ」

 

「何だ、そのオレが死ぬと、オレはどうなるんだ……?」

 

「どうもこうもないそうだ。お前はお前で既にこの世界に居る。つまり一種の――」

 

涼宮さんよ。

これが本当に真実なら、君はとても残酷だ。

夢も希望も、しょせんは物事の片面だけでしかないのだから。

 

 

「――精神分裂状態。らしい」

 

「……」

 

俺は【涼宮ハルヒの分裂】がどんな話だったかは覚えていない。

だけど、最後に読んだ巻が、"分裂"の名を冠していた事だけは覚えている。

精神分裂、ときやがったか。

何と言う皮肉で、何と言う奇妙な運命。

俺がこの世界に来るために必要だったのは、文字通りに元の世界だったのだ。

 

 

「彼女が言うに、元の世界でのお前はまるで今のハルヒかのように無茶苦茶な人間だったそうだ」

 

「ふっ。……昔の話だよ」

 

「……」

 

「下の名前も教えてもらった。いかにも偉そうな言動から、ついたあだ名が"皇帝"だと」

 

「馬鹿にしてると思わないか? よく俺の名前からそれを考え付いたと思うよね」

 

明智光秀も織田家臣だったが、浅野長政だってそうだった。

だけど浅野は明智光秀ほど有名人じゃあないし、皇帝ってほどではない。

よくある普通の名前から皇帝に変換してしまう、まるで中高生のお遊びさ。

 

 

「そんな野郎がハルヒのように目立つのは当然の事だ。理解者が居なかったわけではないそうだが、かつてのお前が心の扉を開いた人間はついぞいなかったと言う」

 

「……そういうもんさ」

 

「要するに、佐藤さんの片思いだったって訳だ」

 

「……」

 

迷惑だな。

その思い出ってのは、元の世界の俺の方にあるんだろ?

なら知らん。

俺が体験していない事は思い出せるわけないんだから。

思い出ですらないのさ。

 

 

「残念だけど、オレは戻る気なんかサラサラないよ。それが運命なんだろ? オレは運命だとか、因果だとか、宿命だとか大嫌いなんだ。死ぬ時は死ぬだけさ。元の世界に戻って看病でもしてやってくれよ」

 

何よりどうやって戻るかも知らない。

俺が移動出来る平行世界にきっと、浅野は居ない。

キョンもその辺は何となくわかっているらしく。

 

 

「だろうな。俺だって彼女が無茶を言っていると思うさ。でも、無理を無茶するようなのが女らしい。これは最近わかったんだがな」

 

どういう経緯でこいつはそれを知り得たんだろうな。

なら、とっとと涼宮さんとくっついちまえよ。

お前さんの決着はいつ着くんだ?

キョンはきっと今日が最後の日だとか、考えちゃあいないのさ。

 

 

「あくまで俺は言われたことをお前に話しただけだぜ。俺個人としては彼女に同情してやりたいが、それも難しい。中河の件もあるからな」

 

「イカレ女が何をどう考えてるかは知らないけど、直接オレに言うって事が出来なかったのかな」

 

「さあな。彼女にはその勇気が無かったんじゃないか?」

 

「……」

 

「それは笑えるね。あいつの眼は全てを棄てた眼だ。敗北者だ。オレは負け犬に用はない、勝ち馬にしか興味はないのさ」

 

「いかにも皇帝らしい発言だ」

 

どうでもいいけど、お前はそれを引きずらないでくれよ。

俺はもう俺でしかないんだ。

完全な俺として、この世界に存在できないとしても構わない。

今日までこの世界で生きてきた事は、真実なのだから。

 

 

「お前がどう思おうと、俺は明智を友達だと思ってるぜ」

 

「ふっ。よせ、野郎同士の慣れあいほど情けないものはないさ。……でも、悪くない」

 

「落ち着いたら朝倉にも話してやれ。お前に任せるさ」

 

「……」

 

「ああ、わかってる。お前も気を付けろよ、"ジョン"」

 

「それをどこで知ったんだかな……」

 

本当に呆れた表情で俺の親友はそう言った。

確かに、俺と同じ世界から来たのならば彼女が【涼宮ハルヒの憂鬱】について知っていても不思議ではない。

俺が読んでいたんだ。友人なら、それも知っているだろうさ。

だからこそ"ジョン・スミス"という切り札に対して威圧してきている。

涼宮ハルヒを恐れているんだ、佐藤は。

だがな。

 

 

「オレにも切り札はある。オレが唯一覚えている事。それがあいつを倒す"鍵"だ」

 

誰かの代わりになる気はない。

例えそれがキョンの代わりだろうと、俺は朝倉涼子を選択する。

俺に言わせると勝手に来られただけだ。なら、帰ってもらうだけだ。

 

 

「get back、いや、pay backだな」

 

「悪いが俺は英語に詳しくない」

 

「……"奪還"と"復讐"」

 

いつの間にか読書を再開した長門さんがキョンに教える。

 

 

「なるほど、流石長門だ」

 

そうだ。

この話が事実なら、あいつの行動は俺に対する奪還、あるいは復讐。

元の世界を棄ててこの世界で幸せになろうとしてる俺への。

……とんだストーカーだな?

 

 

「さて、オレはこれからどうするべきか」

 

どうもこうもないさ。

俺の答えは、SOS団の答えは常に"ノー"だ。

絶対に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――さて、ここからが問題なんだろうな。

本当に。

 

 

 

放課後を迎え、のんびり文芸部室に向かおうと思って席を立ったら朝倉さんに肩を掴まれた。

 

 

「緊急事態。ちょっとマズい事になったかも」

 

「……何だって?」

 

「詳しい話は後よ、どこか場所を変えたいわね」

 

「……オーライ。じゃあ、屋上を不法占拠といこうか」

 

原則学生は自由に出入りとはいかない。

昼休み中はさておき、放課後なんかに無許可で出ようものなら怒られること間違いない。

どの道朝倉さんにも佐藤の話とやらについて語る必要があった。

いいタイミング、なのだろうか。

鍵の施錠など彼女にとってその行為は無意味と化す。

そこには、扉が開かれたという結果だけが残るのだ。

屋上。遠目に野球部員たちを眺めつつ、話とやらが始まった。

 

 

「長門さんは早退したわ」

 

「……早退?」

 

もしかしなくてもそれは相対でも総隊でもなく、学校授業を切り上げる早退だろう。

昼休みまではどう見ても彼女に異変は無かったし、宇宙人の彼女が理由もなく、早退だと。

――まさか。

 

 

「うん、そうよ。雪山の時と同じで、私たちは攻撃を受けている。あのターミナルでしょうね」

 

「私たち……。それはどういうことかな」

 

「そもそも一度受けた攻撃を易々と受けるようなセキュリティじゃないんだけど、長門さんは長門さんでやるべき事があるから防御すら叶わなくなったのよ」

 

「……やるべきこと、ね」

 

長門さんがやるべき事など、涼宮ハルヒの監視という任務以外にあるのだろうか。

なら、彼女はどういう思いでさっき俺とキョンの話を聞いていたのだろうか。

俺にはわからない。俺は、人の記憶を本にして読む事など出来ない。

誰かの心の扉は、開けない。

 

 

「実のところ、朝から長門さんは攻撃をされていたわ。腹立たしいけど私も補助に回って防いでいたの」

 

そんな大事な話はもっと早く教えてほしいね。

朝倉さんは申し訳なさそうに「ごめんなさい」と言った。

俺が君を責める事はしないさ。それに、今大事なのはその攻撃についてだ。

 

 

「やれやれ、学校をフけて周防を叩こうにも無茶はできないか」

 

「涼宮さんの監視だってあるもの。だけどついさっき情報統合思念体からの命令が下された」

 

「ほーう。そりゃどんな命令さ」

 

「あのイントルーダーの親玉さん。天蓋領域との、交信よ」

 

それは周防にとっても嬉しい出来事ではないのだろうか。

彼女の任務がまさに情報統合思念体との交信で、コミュニケーションに他ならない。

でも、何故それが長門さんの早退……戦線離脱に繋がるんだ?

 

 

「それが現状で最優先の命令だからよ」

 

「な……んだって…」

 

涼宮ハルヒなんかより、存在するかも疑わしい存在にプライオリティーが割かれるのか。

やはり狂っている。まるで【ターミネーター】に登場する"スカイネット"だ。

スカイネットは情報社会が発展し過ぎた上に、人類の排除を決定したネットワーク。

機械の反乱。

朝倉さんは淡々と。

 

 

「他の要素は不要。私が居れば監視の方は出来る。そう判断されたのよ」

 

「……ふ」

 

――ふざけるな!

情報統合思念体は、どこまで偉いんだ?

顔も姿も見せずに、のうのうと命令ばかり下しやがって。

お前の存在を否定してやろうか。

それで長門さんの状況が改善されるならいくらでもしてやる。

 

 

「私も歯がゆいわ。どうにか長門さんの負荷を私も負担してるけど、気休めね」

 

「朝倉さん……」

 

「長門さんは戦闘不能。私も本来から二三割性能が落ちた。どう? これって、緊急事態かしら」

 

そうだね、違いないよ。

エマージェンシー。

文字通りに、SOSだ。

 

 

「それは悪いニュースだ。……で、オレからも悪いニュースがあるんだけど聞きたいかな」

 

これは間違いなく、俺への当てつけだった。

倍返しじゃあ済まさないからな。

 

 

「異世界送りだ」

 

お前には無意味なんだろうけどさ。

とにかく、俺は朝倉さんに隠し事なんてしたくない。

 

 

 

それは今日でも良かったのかもしれない。

 

 

 

 



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第六十九話

 

 

要点だけを話そうにも内容が内容だった。

よって部室に行くのが遅れてしまったが、どうか容赦してほしいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも朝倉さんは、俺の話をしっかり聞いてくれた。

自分でも本当かどうかわからない話を、彼女はしっかり受け止めた。

俺は何を言われるのだろうと身構えてしまったが、彼女は笑顔で。

 

 

「約束、したじゃない」

 

「……ああ。そうだよ。オレの独りよがりさ」

 

「二人よがりにさせてもらうわ」

 

「……ありがとう」

 

「助けてもらったのはこっちの方でしょ?」

 

「どうなんだろうね」

 

いいや、どうもこうもないさ。

それがどっちでも、俺はどこにも行かない。

それだけなんだから。

きっと、俺自身が未来からこの時代にやって来なかったのは、そういう事なんだろ?

じゃあ大丈夫だ。

昔の俺は自覚出来なかっただけで、理解者には恵まれていた。

だけど肝心の相互理解が出来なかったんだ。俺のせいだ。

心の扉を開きたいなら、交換条件をすればいい。

お互いに同じタイミングで開けるのだ。

 

 

「長門さんも感謝してるよ」

 

「そうかしら」

 

「根拠はあるよ」

 

それが眼に見えないから困るんだけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そして二年生の校舎、その屋上を後にし、部室棟へ。

 

 

 

既に長門さんを除く全員が部室内に居るのだろう。

しかし万が一を考えて、俺は……というか男子は基本的にノックしてからの入室だ。

女子――ほぼ朝比奈さん限定――が着替えている可能性があるのだ。

ラッキースケベだとか、そんな星の下に俺は生まれた覚えが無いので当然回避する。

いつも通りにお茶を飲みながらキョンは嫌味ったらしくこちらに向かって。

 

 

「随分と遅かったな」

 

「誰かと誰かさんのおかげさ」

 

「そうかい」

 

特に他の皆は遅刻の理由を追究もしてこなかった。

勝手にある事ない事を想像してくれた方がいいさ。

校内で喫煙するアホの大将よりえげつない行為なんてなかなか無いのだから。

キョンの隣に座ると、斜め迎えに座る古泉が。

 

 

「何か進展はありましたか?」

 

「……さあね」

 

連中は火種という火種を好き勝手ばら撒こうとしてくる。

涼宮さんがこの場に居る以上は長門さんについては語れない。

と、いうか『機関』はその辺確認してなかったのか?

……高々早退にしても、もしかしたら情報操作がなされているのだろうか。

重要なのは今、長門さんがこの部室に不在で、復帰のメドが立っていない。

それだけである。それが、問題。

朝比奈さんは俺と朝倉さんが着席したのを見計らって。

 

 

「温かいお茶でいいですか?」

 

「お願いします」

 

「私もお願いするわ」

 

「はいっ」

 

とまるで本物のメイドさんの如く奉仕作業に精を出している。

確かに、奉仕の精神は大切だ。

前世の俺の事をいくら変人だとか呼ぶ奴が多いにしても、俺は奉仕の精神は持っていた。

放送局に入ったのも、結局はその部分が多かれ少なかれある。

あの学校のはワケありな部活で、簡単に言うと俺の世代で持ち直したのだ。

これを奉仕活動と言わずして何を奉仕と呼ぶんだろうね。

ゴミ拾いぐらいしか思いつかないよ。

 

 

「まるで"ジャガーノート"じゃあないか」

 

「何だそりゃ」

 

俺の呟きにキョンが反応した。

知らないのも当然か。

 

 

「神の一つさ」

 

「多神教かよ」

 

「日本だってそうだろ?」

 

「無駄に多い事ぐらいは知ってる。八百万だとか何とかだろ」

 

「それ、本当に字を"はっぴゃくまん"って解釈する訳じゃあないからな?」

 

八百万の神々とはありとあらゆるものに神が宿っている……。

とくに自然を大切にしてきた日本人ならではの思想だよ。

山の神様だとか、俺の祖父さんは信じていたのかね。

 

 

「とにかく、ジャガーノートってのは抑えられない強大な力って意味さ」

 

「……あいつらの事か」

 

「だとは、思いたくないんだけどね」

 

あんな啖呵を切ったはいいが、どこにも根拠はない。

負けるとは思わないが、佐藤の考えが読めない以上は警戒せざるを得ない。

多分に心理的揺さぶりを俺にかけたいのだろう、あいつは。

そんな無駄な会話をしていると。

 

 

「――ねえ、有希、遅くない?」

 

と涼宮さんが言いだした。

……どうするよ? 朝倉さん。

 

 

「あら、知らなかったのかしら。長門さんなら今日は早退したわよ」

 

「えっ?」

 

「何、長門が?」

 

涼宮さんもキョンも驚いている。

古泉もどこか表情が変わった。

嘘はついてないよ、こんな事態を進展だとは認めたくないからね。

 

 

「涼子、それって本当なの?」

 

「ええ。体調を崩しちゃったみたいね」

 

「な、長門さんが、ですかぁ?」

 

「間違いなくそうよ」

 

……まったく、これは最悪の場合に谷口を呼ぶプランが出てくるかもな。

あいつが原作でどういう役割なのかは知らないが、こんな扱いではなかっただろうよ。

良かったな。でもきっと俺のせいじゃあないから喜んで巻き込まれてくれ。

そんな話を聞いた涼宮さんは何やら思いつめた表情で。

 

 

「有希が体調を崩すなんて。風邪? とにかく、あたしに連絡も寄こさない6組の担任はとんだ無能ね」

 

「長門はさておき教師に当たるのはどうなんだ」

 

「有希にはそんな余裕すら無かったかもしれないじゃない。早退だなんて、ちゃんと家に帰れたのかしら……」

 

直ぐに携帯を取り出すと彼女は電話をかけた。

十中八九長門さんに、だろう。

 

 

「……有希。……早退したって聞いたわよ、……うん………よかった、家にいるのね?」

 

とりあえずは何事もないらしい。

しかし、現在進行形で彼女は攻撃を受けているのだ。

その交信ミッションだかがいつ完了するのかも何も知らされていない。

朝倉さんでさえその辺はわからないだろう。

いつもそうだ。

眼に見えない形でしか話は進んでいかない。

まるで、漫画ではなく小説。

全ては俺の想像でしかないのだ。情報統合思念体も、異世界も。

 

 

「……いいわ。うん、わかった。もう寝てて。じゃ」

 

そういえば、こんなに心配そうな顔をする涼宮さんは珍しい。

雪山、山荘の一件以来かもしれない。

もっとも、あの件は夢オチでゴリ押したのだから大丈夫だろう。

それでも、例え夢だとしても、彼女の中にその感情が芽生えなかったわけでは無い。

不安。それは必ずしもストレスに繋がるとは限らない。

その次に来るものが、もしかすると成功から生まれる歓喜かもしれないからだ。

だけど、今日はそんな話じゃあない。

 

 

「みんな。お見舞いに行くわよ」

 

「あ、き、着替えないとっ」

 

「みくるちゃん、早くしなさい」

 

「はっ。はい!」

 

男子三人は急いで部室から撤退した。

朝比奈さんのお茶を飲めてはいないが、そんな事はどうでもいい。

緊急事態だ、そうなんだろ?

部室の中からは、いつも着替える度に涼宮さんの煽りや朝比奈さんの嬌声が飛び交う。

今日はそれがなかった。静かだった。

キョンは俺と古泉に視線をやってから。

 

 

「どういうことだ」

 

「さあ、僕にも不明です」

 

「嘘つけ、『機関』が長門の早退だなんて異常を知らないわけないだろ」

 

今にもキョンは古泉に掴みかかってもおかしくなかった。

俺だってそう思う。

もし、長門さんにその命令が下された段階で俺がそれを知っていたなら……。

俺はきっと、周防を探しに町中を走り回るだろう。

雪山の時もそうだった。あいつや、あいつの親玉のさじ加減なのだ。

涼宮さんが願えば別かもしれない。だけど彼女は何も知らない。

"ジョン・スミス"は動けない。きっと、あちらもカウンターを仕掛けてくる。

この段階で全てが露呈すれば、それこそ世界は崩壊しかねない。

涼宮ハルヒの理性は真実に耐えられるのだろうか。

俺が知り得たそれとて、真実とは限らない。だが、俺は何故か耐える事が出来た。

 

 

「……超人」

 

二人に聴こえないような、本当に小声でそう呟く。

もしかして、俺の変化とはそういう事なのか?

俺がこの世界を否定してしまえば、元の世界に戻れる。

きっと佐藤は、そう言いたいんじゃあないのか?

だとすれば。

 

 

「ふざけているな」

 

「……ああ」

 

「長門さんの早退など、僕もたった今聞いた話ですよ。神に誓って言いましょう。僕は、知りませんでした」

 

やはり、何かしらの工作が行われたのだろう。

その気になれば彼女をカナダ送りにも出来るのだ。

いくらでも誤魔化しは効く。きっと、俺も朝倉さんに言われなければ気づかない。

情報統合思念体にとって、それほどまでに天蓋領域は重要性が高いのか。

俺たちの安寧よりも? 涼宮さんの安心よりも?

やっぱり、ふざけている。

 

 

「明智はどうなんだ。何か知っているか」

 

「多少は、それに犯人も予想はつくでしょ」

 

「周防か」

 

「昨日の今日でこれですか。いや、"巧遅は拙速に如かず"とはまさにこのことですね」

 

古泉が言ったそれは"急がば回れ"の反対語だ。

確かにあいつらは生き急いでいる死にたがり連中だ。

それが巧かはさておき。

 

 

「実のところ、オレもさっき朝倉さんに、長門さんについての話を聞かされた」

 

「……だから遅れたってか」

 

「個人的な報告も済ませたけどさ」

 

又聞きもいいところだ。

最早佐藤の、ジェイの全てが気に食わない。

俺を無意味にイラつかせたいとしか思えない。

そして二人とも、きっと、怒っている。

 

 

「残念だが、俺は今回も役に立てるか怪しいぜ」

 

「構わないよ。キョンにはキョンの仕事がある。面倒なのはオレと古泉、異端者の仕事さ」

 

「そう言ってくれるのは嬉しいですが、僕とて非力な人間でしかありません。とは言え最低限の仕事はしたいものです」

 

「なら橘と徹底討論でもすれば? 神について」

 

「それもいいかもしれませんね。しかしながら、彼女が僕の話を聞いてくれるかどうかは怪しいのですが」

 

薄ら笑みを浮かべ、肩をすくめる古泉。

高々支持者の違いだけでそこまで嫌われるものなのか?

でなければお前達に昔何があったんだよ。

どうでもいいが、仲良くしろよ。

俺の友人を自称する女はそんな気配が一切合財ないんだからさ。

古泉は話を切り替えるかの如く。

 

 

「唯一の救いはもう一人の最高戦力、朝倉涼子さんがご健在な事でしょう」

 

確かに朗報だよね。

でも、凶報はまだあるんだよ。

 

 

「……残念だけど、その彼女も長門さんの負担軽減のために性能がダウンしている」

 

「本当か? ありがたいのか迷惑なのか、わからない話だな」

 

「なら、キョンは長門さんが苦しみ続けてても大丈夫だって言うのか?」

 

そうは言ってねえよ、と彼は力強く否定した。

俺も本気でそうは思ってないさ。

……今ここで語り合うべきは現状の確認でも、責任の所在でもない。

どう、あいつらを料理するか。ただのそれだけ。

 

 

「ここで全ては到底話せそうにないけど、色々あるらしい」

 

「色々って何だ。知っているなら具体的に言ってくれ」

 

「宇宙人も一枚岩じゃあないってことだよ。派閥の枠すら飛び越えたってだけさ」

 

なら、未来の朝倉さん(大)は本当に何だったんだ?

明らかに今とは比較にならない戦闘力。

本気を出されたら、俺の新技を披露しようがどうしようが瞬殺される。

次元干渉したところであの壁を突破出来るかも怪しい。

そして何より、情報統合思念体から独立したような発言をしていた。

許可申請は大なり小なり必要だと、今の彼女は言っていたはずなのに。

しかしこの時俺はそれについて深くは考えなかった。

降りかかる火の粉があまりにも目についたからだ。

 

 

「こちらから下手に手を出してよいものか。……いやはや、攻めあぐねてしまいますね」

 

「このまま黙っていろってか」

 

「そうは言ってません。しかし、長門さんの今後を考えた場合に我々が失態を犯せばどうなるか――」

 

長門さんが、死ぬ。

………何だよ。

俺は何が変わったって言うんだ?

本当に、【涼宮ハルヒの分裂】はこんな話なのか?

なら、次はどうなるって言うんだ?

こんな絶望的な状況に追い込まれろって言うのか?

悪いが、俺は周防を見かけたら正気でいられるか分からない。

いや、周防ならまだいいだろう。藤原も、病院の世話になる程度で済むだろう。

 

 

「オレは佐藤を、許さない」

 

そして恐らく赦さないだろう。

ここが限界だ。四年前の、東中のグラウンドに描かれた、最後の白線だ。

もしもこれ以上先に、朝倉さんに手を出してみたなら俺はきっと、再び精神をおかしくする。

本当に俺は人殺しになってしまう。そして俺はきっと、それを後悔すらしない。

考えただけで最悪が更に最悪を目指そうとする。深みにハマってしまう。

その上情報統合思念体がこっちの動きにすら干渉してくるなんて。

まるで、俺に折れろとでも言いたいらしいな?

朝倉さんだから俺の味方をしてくれているだけなんだ。喜緑さんは違う。

きっと、朝倉さんが昔のままだったら、こうはなってない。

精々が長門さんのバックアップ業務に終始するだけ。

彼女の負担を軽減させようだとか、そんな思いやりの一切はきっとない。

何故なら無駄だからだ。

それで長門さんが万全の状態で動けないなら、そういう話になってしまう。

結果だけだ。結果だけ……また、優先されるのか?

これはいつまで続くんだ? 無限なのか?

古泉は、まるで我こそが『機関』だと言わんばかりの堂々とした表情で。

 

 

「我々も出来る限りを尽くしましょう。しかし、それにはお二人の協力も必要だ」

 

「違うね、古泉。オレたち七人で、あいつらを倒す。だろ?」

 

何故なら、俺たちはSOS団だ。

こんなにふざけた、面白可笑しい出来事を前にして黙っているのか。

涼宮さんなら、涼宮ハルヒならきっとそうはならないだろう。

彼女が居る限り俺たちは絶対負けない。そういうふうに出来ている。

絶望だけじゃあ、俺は倒せないぞ。佐藤。

二人とも、こんな緊急事態だと言うのに俺の発言でどこか安心してくれたらしい。

少なくとも俺は、こいつらの気分をいい方向へ変える事は出来たわけだ。

 

 

「……はい…!」

 

「全部終わったら犯人を一発ずつ俺に殴らせろ。中河がもしそこにいたら、あいつも殴ってやる」

 

「安心しなよ。骨は一本ぐらい残しておくからさ」

 

「気を付けて下さい。彼らの目的の全ては未だ不透明だ。これは単なる宣戦布告とも言えます」

 

本当にそうだから困る。

 

 

「あちらが本気になればいくらでもやりようはあるわけです。現に今我々が自由なのが、猶予を与えられているのがその証拠ですよ」

 

「はっ。何の猶予だって?」

 

まだわかってないな。

キョン、お前が主人公なんだからさ。

 

 

「決まってます。あなたが涼宮さんと佐々木さん、そのどちらを神とするか。どちらを選択するか、の思考時間に他ありません」

 

「馬鹿言え、あいつはそんな超人的な力になんて興味ないんだ。それなのに、まだその話をするのか」

 

「では、他にどんな話があると言うんですか?」

 

「……ちっ」

 

「僕も多分、あなたと同じ気持ちですよ。明智さんもそうでしょう?」

 

認めたくはないんだけどね。

そう、穏やかじゃあないさ。

 

 

「いいですか、切り札は一回限りです。二度と使用できないから切り札なのです」

 

「その切り札とやらも今となってはアテにならないんだがな」

 

「なら、教えてやればいいのさ」

 

あの偉そうな"大富豪"どもに。

俺たちが、"スペードの3"だと言う事を。

ジョーカーをひっくり返せるのだと。

切り札なんか、必要ない。

 

 

「今回ばかりは、オレの役目らしい」

 

やがて、勢いよく部室の扉が開かれた。

女子三人が廊下へ出てくる。

……準備万端だ。

思い残す事はいくらでもあるさ。だから勝てばいい。

涼宮さんは高らかに宣言した。

団長? いいや、今の彼女は女帝だと思うよ。

 

 

「さあ、行くわよ! 全速前進。目標は有希のマンション。いい? 道草なんか食ってられないの!」

 

そうさ。嫌になるぐらい、昨日と同じだ。

出かける時は腹立たしいまでの、いい天気だった。

しかしそれが雨に変わるかどうかまでは誰にもわからなかった。

 

 

 

そして、その命令にはこの場に居る団員全員が"YES"と答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

――『異世界人こと僕氏の驚天動地』につづく

 

 

 



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異世界人こと僕氏の驚天動地(善)
第七十話


 

 

別にさっきの神々の話を引っ張るわけではないが、"韋駄天"。

涼宮さんはまさに韋駄天、神速といった勢いで往来を闊歩する。

それは縦横無尽ですらない。

目的地まで、一直線なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在のメンバについての運動性を今更語る必要はないが、触れておこう。

涼宮ハルヒ、前述の通り俺たち団員を先導している。彼女は汗すら感じさせない。

朝倉涼子、ともすれば男の俺よりデフォルトの身体能力は高い。説明不要だね。

古泉一樹、間違いなく運動神経は高い方だろう。ルックスもイケメンだ。

しかし、流石の彼も額の汗を拭う事は避けられないらしい。

キョン、朝比奈さんと一緒に最後尾で俺たちの後を追っている。

彼女のフォローもあるだろうが、キョン自体もきつそうだ。

そして俺である。平気かどうかで言われると古泉と似たようなものだ。

大体これで汗をかかないってのがハッキリ言えばもうおかしい。

朝比奈さんなんか「ひぃひぃ」言ってるんだぞ。おい、そこの女二人はどうなってやがる?

俺が普段行使出来る身体強化など未だに限定的なものだ。

まさかここで"ブレイド"を具現化する訳にはいかない、何故かあれは"隠"で隠せないし。

つまり、いつも俺が朝倉さんを送り迎えしている道の終着を祈るばかりであった。

 

 

「休んでるヒマなんかないわよ! さっさとしなさい!」

 

涼宮さんは距離が離れつつあるキョンと朝比奈さんに対して喝を入れた。

こればかりは日ごろの行い――早朝ランニング――が功を奏したと言える。

そうでなければ坂道を下り終えて平地を進んでいく内にアップアップになっていただろう。

俺含め涼宮さん先導隊が分譲マンションに到着したその数分後に、キョンと朝比奈さんもようやく追いついた。

この間に呼吸を整えたが、季節が春なのが幸いだった。

誰しもしんどいのは嫌いなのさ。俺だって、例外ではないのだ。

 

 

「行くわよ」

 

さっさとマンションのエントランスまで行くと、7、0、8とキーを押す。

ここに住人の朝倉さんが居る以上、わざわざ長門さんにロックを解除してもらう必要はない。

だけど涼宮さんは心配しているのだ。野暮な事は言うものではない。

 

 

「有希、あたしよ。お見舞いに来たの、みんな一緒よ」

 

『…………』

 

インターホン越しでは長門さんの安否は不明だった。

確かなのは彼女がマンションのロックを解除できるくらいには判断力が残されていると言う事。

しかし、いくら分譲マンションと言えどエレベーターの広さなどタカが知れている。

六人全員など入る訳がない。

無難に女子を先行させ、男子三人はエレベーターが戻ってくるまでの一二分、待機となった。

するとキョンはふと思い出したかのように。

 

 

「……佐藤の事なんだがな」

 

「まだ何かあったとはね」

 

「去り際に何か呟いていた気がする」

 

「覚えていないのかよ。……なら、あいつの名前なんて出さないでほしいな」

 

そもそも"佐藤"が本名なわけがない。

"ジョン・スミス"に対する当てつけでしかないのだから。

と、思っているとキョンは。

 

 

「そうだ、確か十一月がどうとか……他にも多分何か言っていただろうが、俺には聞き取れなかった」

 

「十一月ですか? 明智さん、それに心当たりは?」

 

「あるわけないだろ――」

 

文化祭じゃああるまいし、と言おうとした時だった。

……いや、無いわけではなかった。

それが佐藤の、ジェイの発言ならば。

 

 

「先月、河原で見つけたあの紙だ……」

 

「……そういやそんなのあったな」

 

「おや、僕は見ていませんね。それはどういったものですか?」

 

「暗号文さ。意味は十一月十三日、カイザーの死を忘れるな。……だってさ」

 

未だに真の意味が解らない。

佐藤の発言が全て真実だとしても、だ。

もしかしなくてもカイザーとは皇帝を意味する。

そして十一月十三日って、いつの話なんだ?

 

 

「カイザーって、オレの事なんじゃあないのか? あれを書いたのはオレじゃあない。なら、多分あいつなんだ」

 

「だが彼女は元の世界のお前を救うのが目的なんだろ。その内容だと、既に明智が死んでるみたいじゃないか」

 

そうだ、彼女の発言と矛盾してしまう。

元々信用できるかは別問題だが。

 

 

「いつもながら、わからないね……」

 

「もちろん明智さんにそのような心当たりは」

 

「それこそあるわけないさ」

 

俺が持つ最後の"切り札"に成り得る"違和感"。

それとこの内容は無関係なのだろうか?

やがてエレベーターが降りてきた。俺たち三人は無言で乗り込んだ。

箱舟に揺られる事数十秒、7階へ到着。

キョンが代表として708号室のドアホンを押す。

直ぐにドアが開かれた。朝倉さんだ。

 

 

「入って大丈夫よ」

 

正直な所、俺は長門さんが抜き差しならない状況だとばかり考えていた。

キョンも、古泉も、涼宮さんだってそうだろう。

朝比奈さんに関して言うなら、それがどんな悪人であれど心を痛めてしまう。

だからこそ。

 

 

「……」

 

「あら、やっと来たの? この場合はエレベーターに文句を言えばいいのかしら」

 

寝室で寝かしつけられている寝巻き姿の長門さんが普段と変わらぬ表情に見えた俺は、たいそう驚いた。

いや、よく見れば少々ぼーっとしている感じがする。普段からそうなのでわかりにくいが。

原作では違うが、現実に眼鏡をかけていない長門さんを見る機会はなかなか無かった。

しかし彼女の焦点がぼやけているように見られるのはきっと眼鏡が無いせいではない。

とりあえずこっそり寝室を後にする。

長門さんの家の冷蔵庫を漁る朝倉さんに小声で。

 

 

「これのどこが一部負担だって……?」

 

確かに戦闘までは無理だろうが、自力で行動する余力はありそうじゃあないか。

 

 

「私のおかげよ?」

 

「それは知っているよ。朝倉さんが緊急事態とか言うから、オレは瀕死寸前だと思ったんだよ」

 

「そこは価値観の差、かしら。今の私はさておき、長門さんにとってはやっぱり任務が全てだもの。眼の前の価値観が一瞬にして崩壊させられる、明智君にはわかるかしら」

 

「……そんな無茶言うなよ。どうもこうもないじゃあないか」

 

情報統合思念体も、佐藤も、適当ばかり言うじゃあないか。

それでこっちに迷惑をかけるのか。

何様なんだ、お前達は。

渦中の佐々木さんは何を考えているんだ?

本当の囚われのお姫様は、どっちなんだ?

ともすれば古泉も寝室から出てきたらしく、俺と朝倉さんが居るキッチンの方までやって来て。

 

 

「これから僕は買い出しに行ってきますよ。彼女は微熱ではありましたが、やはり涼宮さんも心配なのでしょう」

 

地球式看病が通用するとは思えないが、長門さんが少しでも楽になるならそれでいい。

別に俺の方からは注文なんてないさ。おやつの買い出しじゃあないんだから。

ちなみに。

 

 

「その予算はどこから出るのかな?」

 

「僕のお小遣い、とでもしておきますよ。経費で落ちるかはわかりませんので」

 

「難儀なことだね」

 

「では」

 

とだけ言って消えてしまった。

さっさとコンビニにでも行ってくるのだろうか。

いや、駅前付近の薬局まで行くだろうな。あいつなら。

現状の分析も大体完了した。

とにかく朝倉さん様様だ。

この件が片付いたら何でも言う事を聞いてあげようじゃあないか。

……いつも聞いてる気はするんだけどね?

 

 

「朝倉さん。二三割の性能ダウンってのは、具体的に言うと?」

 

「接近戦で宇宙人やあなたが相手ならまず負けるでしょうね。情報操作も精度だけじゃなくて処理速度も落ちるわ」

 

「いいさ、別に」

 

大体からして原作が無茶なのだ。

女の子ばかり戦っているじゃあないか。

ポンコツの橘京子だって超能力者なんだから、無茶だ。

俺の役割はむしろこっちなのさ。勘違いするな。

 

 

「オレがみんなを護る」

 

「いざと言う時は私だって戦うわよ」

 

「その時が来ないのが一番さ」

 

「あなた一人で大丈夫かしら」

 

そうじゃあないさ。

俺はいつだって一人ぼっちではない。

勝利の女神は常にそこに居る。

 

 

「とりあえずは長門さんをどうにかしてあげたい。あいつらの掃除はそれからだ」

 

「何か作戦があるの?」

 

「一つ、周防を叩く」

 

「でもそれで天蓋領域はひっくり返らないと思うわよ?」

 

「……ああ」

 

もう一つだけ、作戦はある。

だけどそれに頼るべきじゃあない。

それは、今日ではない。

 

 

「それでもオレは彼女に会う必要がある」

 

何故だかはわからない。

根拠もなかった。

やっぱり俺はあいつを他人とは思えなかった。

だからこそ、間違った道に居てほしくはないんだ。

何だかんだで周防も利用されている。

これだけは確かだった。

 

 

「だからこれから――」

 

とりあえず市内でも回ろうか、と言おうとした時だった。

涼宮さんが呆れた様子でこっちに向かってきた。

仕方ないが話は中断せざるを得ない。

 

 

「どう? 何か使えそうな食材はあったかしら」

 

「オレも料理は出来るけど餅は餅屋さ。炒飯なら絶対に負けないけどね」

 

「長門さんも、ああ見えて意外に自分で料理するのよ。だいたいのものはあるわね」

 

この様子だと米も充分にあるだろう。

何でも、とはいかないが余り物にしては冷蔵庫の食材は豊富だった。

 

 

「そ。まったくキョンの奴、呆れちゃうわね」

 

「どうかしたのかな?」

 

「せっかく有希に美味しい料理を作ってあげるんだから、毒見ぐらいすればいいのに」

 

毒見も何もキョンは涼宮さんが完璧超人なのを理解している。

きっと料理だって上手だ。喜んで味見すると思うんだけど……?

 

 

「有希と何か話してたと思ったら、どこか行っちゃった」

 

「……えっ?」

 

どこか、ってどこだ。

トイレに籠った程度で『どこか』とは言うまい。

……おい、まさか。

 

 

「涼宮さん、キョンはどこへ行ったんだ」

 

「知らないわよ。急に出て行ったんだから」

 

「この家から……?」

 

「多分ね」

 

――嘘だろ。

あの馬鹿野郎。

とにかく、このままじゃあマズい。

宣戦布告がそのまま開戦になってしまう。収拾がつかなくなる。

詳しい話を長門さんから聞いて、我を忘れたのか?

俺の仕事が増えちまった。

 

 

「……そうか。わかった。オレ、ちょっと今日は帰るよ。何かあったら朝倉さん経由で教えてほしい」

 

「そうね。有希はもう寝ちゃったみたいだし」

 

「じゃ」

 

朝倉さんにアイコンタクトをする。

ここは俺に任せてくれ、って訳だ。

とにかく。

 

 

「行かなくっちゃあな……」

 

アテは無い。

強いて言えば光陽園学院付近。

これがただの、周防九曜の攻撃ならば問題はなかった。

実際にはそうではない。もっと事態は、状況は複雑なんだ。

その不条理をあいつも知ってしまった。

キョン相手にそんな事を、言えるわけないだろ。

俺と違って正義感溢れる主人公なんだからさ。

 

 

「……やれやれ」

 

なら、思い出せる範囲の事を思い出してやろうではないか。

誰かわからん、俺の友人さんよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――僕の事をどう呼ぶかは君の自由だ。

 

 

 

苗字、名前、フルネーム……。

それと呼びたいものがあるのなら、あだ名でも構わないさ。

とにかく、好きにするといい。

 

 

「で、アタシの名前は覚えている訳?」

 

「知らないな。そう言う君は誰だ?」

 

「……正気かしらね」

 

彼女が言う所によると、どうやら僕は彼女と半ば幼なじみだと言う。

僕の方は顔も覚えちゃいないんだけど。

 

 

「  の言う通りじゃない」

 

「何の話だよ」

 

「オマエは人格が破綻してるって事。流石、"皇帝"と呼ばれてるだけある」

 

そのあだ名で呼びたいのか。

構わないが、発祥はちゃんと知っているんだろうな。

まあ、そんなことはどうでもいいか。

 

 

「それは誰を基準に話しているんだ? もしかして君は、自分が世界の中心……だとか、思ってるんじゃあないのか?」

 

それでも構わないと思うさ。

君がそれで満足するなら、それでいいのだろうさ。

僕はこんな世界になんか満足してはいない。

世界の中心を見つける事は、例え世界中を旅したとしても不可能だ。

何故なら、見分けがつかないからだ。

 

 

「一般論よ」

 

「ふっ。そう来たか。"一般論"ね」

 

「何よ、文句あんの」

 

「大有りだ」

 

僕はそういう思想が大嫌いなんだ。

波風を立てないのと、自分を殺すのは別の事だ。

妥協と逃避が別であるのと同じだ。

僕はそのどちらをするつもりもないがね。

 

 

「その一般は、誰が決めたかわかるか?」

 

「そりゃあみんなでしょ」

 

「違う。正義が決めたんだ。その正義とは歴史的勝者に他ならない。敗者の思想は葬られる」

 

「どういうことよ?」

 

何で僕が歴史の先生をやらなきゃいけないんだ。

少し考えただけでも思いつくだろう。

ふざけた女だ。あいつと同じで、面白いがな。

 

 

「日本は戦敗国だ。それくらいわかるだろう?」

 

「オマエは、アメリカだとか勝戦国がそれを決めたって言いたいの……?」

 

「少なくとも昔の日本人には、美学があった。哲学があった。無論、全員が全員そうとは言わないが今よりは多かっただろうさ。そしてオマケに教えてやろう。勝戦国じゃあない、戦勝国の方が正しい」

 

「はいはいそーですか。まるで観てきたかのように言うのね」

 

「史実だ。僕が決めた事ではない」

 

どこかの誰かの情けでその記録が残されているに過ぎない。

ならば、本当に貴重なものを見分ける力を付けるべきなんじゃあないのか?

教科書が全てだとしても、そこを掘り下げる必要があるんじゃあないのか?

 

 

「それが、"勉強"だ。知識ではない、それにどう向き合うかが大切なんだ」

 

「……オマエはいい先生に成れるわよ」

 

「馬鹿言え。僕が成りたい先生は教師なんかじゃあない。作家だ」

 

「作家? それって、小説家とか、漫画家とかの?」

 

「そうだ。僕の場合は前者。君は、どうすれば面白い小説が書けるか考えたことはあるか?」

 

「あるわけないじゃない」

 

ふっ。

期待してなかったさ。

歴史に興味がないのに本を好きだと言える奴なんて限られている。

何故ならそこには作家の人生という歴史があるからだ。

史実だけが歴史ではない。

歴史とは精神の成長、その記録に他ならない。

大仏建立も、火縄銃も、大政奉還も、歴史の影には全て絶え間ない血が流されている。

精神という名の血が。

 

 

「僕にもわからない」

 

「……は?」

 

「何故なら僕は他人が書いた本を読まない。基本的にな。他人の感情に惑わされたくないんだ」

 

「期待して損しちゃったわ」

 

勝手にしろ。

そういや、君はあいつと知り合いなのか?

さっき名前を出していたが。

 

 

「  と私は親友だから」

 

「ふっ。僕も彼女を――長い付き合いのせいだが――友人だと思っているが、親友ときたか」

 

「何よ」

 

「いや、君もあいつの読書好きは知っているだろう? 節操なしなまでにラノベだとか程度の低いものを漁り続ける。アニメだって見ているらしい」

 

果たして君は強要されちゃあいないのか。

 

 

「知ってるけど、遊ぶときは遊ぶときでしょ」

 

「……そうか」

 

なら僕の場合は何なんだろうな。

他に行くところがないのか、家に押しかけてくる。

ネットカフェにでも行けばいいだろうさ。

 

 

「オマエさ、それ、本気で言ってるの?」

 

「僕はいつでも本気で生きているつもりだぜ」

 

「はぁ……」

 

何を呆れているんだかな。

するとその女は僕の後ろの方を気にし始めた。

 

 

「あ、  。遅かったわね」

 

後ろを振り向く前にこれだけは言わせてくれないか。

余計なお世話かもしれないが、友人はしっかり選ぶべきだと僕は思う。

 

 

 



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第七十一話

 

あまり考えたくなかったが、こういう言葉がある。

――『事実は小説より奇也』。

ジョージ・ゴードン・バイロンの【ドン・ジュアン】に書かれている一文だ。

残念ながら、作者が死んでしまったために作品自体は未完成だ。

だけどとても練り込まれたいい作品だ。続きが読めないのが惜しいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大体、何が悲しくて俺は野郎を助けないといけないんだ。

これが女の子だったらテンションというか、血気滾る思いだと言うのに。

いいや今はそんな適当な事を考えている場合ではない。

エレベーターが一階に到着すると同時に外へ駆け出す。

外へ出ると同時に、"ブレイド"を具現化。

身体強化をし、出来る限りの速度でキョンを求めて走り回る。

とにかく、じっとしていることだけは俺の精神が許さなかった。

 

 

「…ふっ……羽根の生えた……靴が欲しいな………はぁ……」

 

いくら俺が情報社会に詳しかろうと、情報の神には勝てない。

羽根の生えた靴を持ち、誰にも捉えられない足の速さを持つ神。

その神、"ヘルメス"こそが情報の神だとか言われている。

俺はついぞ信心深い人間などではなかった。むしろニーチェ先生のように批判的だったさ。

ならヘルメスじゃあなくていい、涼宮ハルヒでもない、幸運の女神さんって奴に縋らせてくれ。

ここで全部おじゃんになるような作品を書くのか? 大先生よ。

俺はとうとうその続きを読めなかったんだぞ。ああ、全国の甘ちゃんたちもそうだろうさ。

これが運命、因果、宿命、そして規定事項なのか? 誰が決めた?

じゃあ俺はどこと戦えばいいんだ?

果たしてそれは、周防や佐藤が知っている"予備"としての性質なのだろうか。

俺が解決してきたのは事件でも何でもない。その仕事も、決断ではなくオマケ。

ただ、キョンと涼宮ハルヒという関係のためだった。俺ではない。

認めるかよ。

 

 

「……なぁ、そう、思うだろ」

 

「―――」

 

「明智……」

 

きっとこの廻り合わせも、あの女は運命だとか言うんだろうな。

駅からそこまで遠くない位置にある踏切。

その踏切の端と端に、周防とキョンは対峙していた。

残念ながら俺が居るのはキョンの方だ。周防との間は線路という空間がある。

――それでいいさ。俺が親友を助けられるならな。

だが。

 

 

「オレは易々と死んでやらないぞ」

 

「――――――」

 

何とか言ったらどうなんだろうな。

キョンは硬直していたが、やがて痺れを切らし。

 

 

「なあ、周防。長門が今わけのわからん任務とやらをさせられるのはまだわかる。そのついでに攻撃を仕掛けるとはどういう事だ?」

 

「―――攻撃――否―――」

 

「野郎二人に睨まれてチビりそうなのはわかるけどさ、いつも通りの口調でいいよ。周防ちゃんよ」

 

「――」

 

やがて口元をつり上げ、顔を歪めた。

あれで笑っているつもりらしい。

何なんだ。

 

 

「――どうしてもあなたたちは騒がしいのね。……特に、明智黎」

 

「最近"異世界屋"呼ばわりが続いたからありがたいね。周防ちゃんに名前で呼んでもらえてさ」

 

「愉快、痛快、……ただし、爽快とはいかない。不快」

 

「手厳しいね」

 

「――それで……わたしに………何か用…?」

 

こんなふざけた態度を取られて俺は平気だったが、キョンの沸点は低かった。

まだ彼女は質問にも答えていないからだ。

 

 

「いい加減にしろ! 今すぐ長門を解放してやれ。いくら朝倉が肩代わりしようと、負担は負担だ。でもな、負わなくていい苦しみを負うのが負担だと俺は考えないぜ」

 

「……だから、勘違いしているわね………」

 

本当にどうでもよさそうに周防はそう言い放つ。

まるで俺たち二人などアウトオブ眼中だった。

キョンさえ居なければ揺さぶりに行ってもいいが、それはそれで戦闘に発展しそうだ。

フェミニストだけど、必要とあらば女の子とも戦わなきゃいけない。

問題なのはそれを見誤らない事だ。去年の、十二月十八日。

最初から最後まで正しかったのはあの時ぐらいだろう。

周防はのんびり説明を続ける。

 

 

「――わたしは任務を遂行したい………。あなたたちの言う長門有希に白羽の矢が立った……、それまで……」

 

「それのどこが勘違いだって言うんだ」

 

ああ、同感だね。

しかし周防の発言の意図はそれではなかった。

 

 

「長門有希がわたしの領域に適応出来ないだけに過ぎない……。いいえ……きっと…どの端末もそう………」

 

「それはつまり、君のパトロンである天蓋領域かな?」

 

「……名称に意味は無い。確かに存在する」

 

知るかよ。

じゃあなんだ、自己責任だと言いたいのか?

 

 

「それでも先に仕掛けたのはお前の方だろ。何とかしろ」

 

「……時が来れば…」

 

「今じゃ駄目なのか!」

 

「わたしの一存ではない。これは、……情報統合思念体との協定」

 

間違いなく切れたのはキョンではない、俺の方だろう。

しかし怒りという感情が俺の全てを支配したのは僅か1マイクロ秒以下だった。

全て理解している。何故なら知っているからだ、ただのそれだけ。

怒りとは、撒き散らすものではなく、何かに向けるもの。

眼の前の人型イントルーダーに対してではない。より高度な存在。

 

 

「情報統合ぉ思念体ぃぃぃ……!」

 

きっと、もしかすると俺の眼の前から再び色が失われつつある。

佐藤も藤原も、運命も規定事項も、高度生命体も関係ない。

涼宮ハルヒを最大限利用して、抹消しにかかってもおかしくなかった。

――否定してやろうか。

だが、それは今日ではなかった。

勢いよく俺を後ろに引き寄せようとする彼が。

 

 

「『落ち着け』!」

 

キョンはとても一言では言い表せない表情をしていた。

怒り焦りだけではない、彼の中にある正と負の感情総てが入り乱れていた。

即ち、葛藤。

 

 

「――ふふ」

 

「………キョン…」

 

今こいつが出せる精一杯の怒声と、俺の左肩を最大限の握力でもって掴む。

痛みよりも先に、怒りが立ち消えた。興が削がれた。

左手に具現化していた"ブレイド"を霧散させる。

もう大丈夫だ。

俺が焦ってどうするよ。

一番冷静にならなきゃいけないのは俺なんだから。

 

 

「……周防」

 

「何か言いたいのかしら、明智黎……」

 

「それはいつ終わるんだ……?」

 

「――――」

 

数秒の間、目をつむり無言になった。

どうやら真剣に答えてくれるらしい。

最初から誠意を見せてくれよ。周防ちゃんよ。

 

 

「――確かにわたしは第一人者。しかし、それは誰にもわからない。……涼宮ハルヒでさえ」

 

「はっ。そうか。因みに俺がハルヒに"お願い"したらどうなるんだ?」

 

「"それ"を、あなたは……知りたいのかしら……」

 

間違いない。

それは現状における最善手ではない、最悪手。

考えなくても分かることだが、敢えて説明しよう。

奴らはそのタイミングを見計らって、長門さんを始末する。

その気になればそれが出来る。

情報統合思念体も、長門さんより天蓋領域を優先する。

そのための協定、そのための交信、そのための任務。

涼宮さんの"願望を実現する能力"。

それは、俺が思うに最強ではあれど、万能ではない。

朝比奈さんが主張する"潜在的に存在する超自然的な何かを発見する力"の側面の方が強い。

涼宮さんは無から有を生み出せる。素粒子、情報、世界の全てを操作できる。

だがきっと、失われた命までは取り戻せない。

幽霊や死人が俺たちの眼の前に出て来ないのがいい証拠ではないか。

死者の蘇生は完全な不可逆。時空ですら、それには抗えない。

最終的には世界を変えるしかなくなってしまう。その不文律を書き換える。

今の涼宮さんならそれをしてしまう。出来てしまう。

その危険性が、脆弱性が、人間性が、ある。

周防は用が済んだと言わんばかりに。

 

 

「――わたしは……あなたたち二人に説明するためだけに現れた…………」

 

「難儀なこったね。それはオレとキョンが"鍵"だからか」

 

「そう、けん制……」

 

「結局何も変わらねえじゃねえか」

 

そうだ。

俺に何かを変える力があるのなら、現状を変化させる。

例えば第三の介入者を――。

 

 

 

「――ふんふん、ふんふんふーんっ♪」

 

 

それは、聞いたことのある奴の声だった。

やけに軽快な声を出している。

そうだ……あれは、"聖者の行進"。

音楽の授業で誰もが一度は聞いたであろう、霊歌――。

 

 

「――さぁて、祭りの場所は、ここかね」

 

「―――」

 

「……な、に」

 

キョンは来訪者に驚愕する。

俺は最早言葉すら発せられなかった。

周防の横に現れたのは、間違いなく佐藤。

わざとらしく、博士口調だった。

 

 

「私も混ぜてくれないかね。周防さん」

 

「―――」

 

「沈黙は、肯定。……フフ、浅野君もよく言っていた」

 

そうか。

わざわざ執念深いと言うか、そこまで好かれてるのか、浅野は。

俺は違う、俺は別人だ。

とにかくこれで二対二となった。

数の暴力による論破など、最初から周防には不可能だが。

ともすれば周防より無表情なその女に向かって。

 

 

「佐藤。君の話はキョンから聞いたよ」

 

「……あ、ああ。確かに明智に伝えたぜ」

 

「そしてもう電話番号は必要ないんじゃあないか? わざわざ君の方から説明するとはね」

 

「ふむ。そうとも限らないな」

 

まだ、何か隠しているのか。

それはやはり俺が考えているものに関係するのだろうか。

 

 

「私の目的の全てを伝えたわけではない」

 

「そうか? ストーキングの他に何があるんだ?」

 

今思い出したが、こいつがジェイとして名乗った時もストーカーだとか言っていた。

自覚はあるのかよ。イカレ女。

 

 

「浅野君は更に知る必要がある」

 

「これ以上、他に何があるんだ?」

 

「真実……その"深淵"を」

 

「深淵。それってあれかな。覗くと覗かれる」

 

「――――」

 

「その解釈は人それぞれ。全ては、"結果"だから」

 

運命の次は結果。

よくわかってるじゃあないか。

そのどちらも昔から俺が嫌いな話だ。

俺をイラつかせる方法を熟知している。

 

 

「一つだけ質問に答えてくれないか。これは、前世のオレが君の友人だと言う事を"信用"しての頼みだ」

 

「ふむ。"信頼"ではないのかね」

 

「君はオレにとっては、過去の人間なんだろう」

 

信頼とは未来に対して行うものだ。

この世界の明日に異世界人は不要だ。

涼宮ハルヒの人柱は俺だけでいい。

 

 

「オレを何故、あの平行世界へ飛ばした。君の仕業なんだろ?」

 

「フフフ……。全部が全部私の仕業ではない。あれは当然の成り行きでしかないのだから」

 

何がおかしいんだ。

いや、まさか、……嘘だろ?

 

 

「オレがキョンの代わりに、"消失"をおっ被ったって言うのか……?」

 

「ええ、だいたいそんな感じだ」

 

「おいお前ら。仲良く会話するのは構わないが俺に分かるように話してくれないか」

 

「―――」

 

涼宮さん。

そこまでして君はキョンを可愛がるのか?

支配者気取りなのは、どっちの方なんだ?

かつて皇帝だとか呼ばれた、俺じゃあないのは確かだった。

寵愛も立派な支配だ。キョンは自由を語れるさ。

しかし涼宮さんは独善者ではない。

何故なら涼宮ハルヒこそが勝者であり、正義なのだから。

 

 

「そして私の介入は私のためでもあるが、浅野君のためにもなる」

 

「……オレが朝倉さんを助けたいからか?」

 

だけどそれは自作自演じゃあないのか。

彼女にそっくりの偽急進派宇宙人を派遣したのは、君なんだから。

 

 

「そのような短いスパンで私は語っていない」

 

「なら、どれくらいの尺の話なのかな」

 

「私にとってはつい昨日の出来事。それを考えたのはね。でも、浅野君にとっては多分、明日の出来事」

 

「それ、"ウリエル"じゃあなくて"ルシフェル"の台詞だろ」

 

俺はあのゲームをやった事はないが、ガッカリゲーだと聞いたよ。

アクションゲームはやはりさっくりではなく、重く濃い方が良いのではないか。

とは言ってもやる予定なんてないんだけども。

 

 

「どちらでも構わない。"あなた"が私の名前を思い出してくれないのなら――」

 

ともすれば佐藤は何かを呟き始めた。

何だ、あいつも情報操作が出来るのか。

とにかく、"脱力"だ。

緊急事態に対応する精神力。"システマ"の根幹だ。

するとキョンが突然後ろから俺の前に出てきた。

 

 

「どうでもいいがな。そこの明智はもう心に決めた人が居るらしい。それはお前もわかってるんだろ」

 

「ええ。それはそれよ。朝倉涼子を幸せにすればいい。それも選択」

 

「ならこいつに関わる理由は何だ? いや、中河を巻き込んだ理由を聞かせろ。そしてお前が可能なら長門を解放してやってくれ」

 

「ふむ。あなたには言ってなかったな。質問は、一つずつ。それが私のルール」

 

そういやそんな事を言っていたな。

俺はとっくに忘れてしまっていたけど。

キョンはキョンで思うところがあるのだ。

身内に甘いんじゃあない、身内に優しい。それが主人公。

 

 

「長門有希に関しては、私とてどうもできない。それはあの藤原に文句を言うといい」

 

「そこで何故あの未来人が出てくる」

 

「それも本人に訊きなさい。私の目的とは別件」

 

「はっ。その目的はどこまで信用出来るんだろうな」

 

「あなたに信用してもらう必要は無い。私には浅野君が全てだから」

 

思わずゾっとしたね。

そんな愛らしい台詞をよくも感情の一切を込めずに吐き出せる。

ヤンデレだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてない。

もっと恐ろしい深淵の片鱗でしかない。

 

 

「中河君に関して言えば、必要だからそうしたまで」

 

「何だと? ……ちっ。なら、何にどうあいつが必要なんだ」

 

「それはいずれ解るでしょう。時が来れば。だけど、今日ではない」

 

前世から俺はそれを言っていたのだろうか。

そこも覚えていないのだが。

 

 

「最後に浅野君に関して。これは単純」

 

しかし佐藤の発言を聞いた俺にとっては、まるで単純ではなかった。

この場合の『意味がか分からないし笑えない』は普段と毛色が違った。

 

 

「明智黎の協力が必要だから」

 

「それはオレなのか」

 

それとも俺が本当に憑依者で、精神障碍者で、"トリッパー"。

だと言うのなら平行世界の明智と同様に、本来この世界の住人としての明智の事か?

 

 

「ふむ。難しい質問だ。それはあなたが自分をどう判断するかによって解釈も変わる」

 

「何を言っている。オレはオレで、精神分裂しているんだろ」

 

「そうね」

 

「この身体の精神を元の世界に戻せ。……そういう話なんじゃあないのか?」

 

「違う――」

 

重ねて言おう。

本当に意味が解らなかった。

ただ言えるのは、彼女が異世界人らしいという事ぐらいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――私が旅をしたどの世界の浅野君も、必ず死ぬ。その運命を私は変えたい」

 

そういやそんな話、魔法少女モノであったよな?

 

 

 

 



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第七十二話

 

 

最近はどうも女性型ウィルスが俺のCPUを破壊しにかかって来ているらしい。

ではその先駆けは何だろうかと思い起こせばそれは他ならない朝倉さん(大)によるものだろう。

いや、もしかするとワームかもしれないし、ボットかはたまたスパイウェアかもしれない。

事実として俺の理解の範囲外の話ばかりをされてしまうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現実逃避とは思考の放棄に他ならない。

"システマ"において基本的な骨子かつ重要な理念は"平常心"。

これが普段の学校生活の延長線上なら俺だって思考を投げ捨てるさ。

今回は違う。文字通りの有事でしかなかった。

眼の前の佐藤は時間遡航者ではなく異世界人だろ?

世界の移動に伴って生じる時差とは別問題なはずだ。

そもそもどの世界の俺も死ぬ運命にあるとは、こいつは何を言っているんだ?

 

 

「……説明しろ」

 

「他に説明のしようがないのだけど」

 

「なら君の語彙の底が知れただけだ」

 

この女の発言を全て信じたとする。

それと俺に接触する理由が――。

 

 

「そういう、事、なのか……?」

 

「ふむ。ようやく信用してもらえたか」

 

「だからな、お前らはさっきから何を言っているんだ」

 

「――ふふふ……鍵もしょせんただの有機生命体。…星の巡り合わせ……」

 

周防のそれは宇宙式のジョークってヤツか?

しかし、それどころではない。

この女の狙いは。

 

 

「オレの能力で、元の世界のオレをどうにかしろとか言うんじゃあないだろうな」

 

「正解。浅野君は昔から頭の切れが良かった。生徒はさておき、教師からの評判は上々」

 

「……だろうね」

 

確かに放送局の顧問の先生。

あの先生ならもう一度会ってもいいかも知れないと思うさ。

……この女の目的は俺の能力そのものだった。

だからあの時、あの世界でジェイとして姿を見せた。

俺の能力を覚醒させるために。

平行世界の移動、次元干渉、その先にあるのは――。

 

 

「――運命、なのか」

 

俺の独白には誰も反応しなかった。

キョンも、佐藤も、周防も。

まるでこれが俺の全てだと言わんばかりだ。

人間の可能性を否定するのか? 佐藤。

 

 

「平行世界なんてifの数だけある。君の狙いは元の世界のオレなんだろ。なら、死ぬ運命は絶対じゃあないはずだ」

 

「私にこの能力が発現したのは単なる皮肉でしかない」

 

「――」

 

知ったことか。

 

 

「じゃあどうしてオレにそんな事が出来るって言うんだ。涼宮さんじゃあ駄目なのか」

 

「おい、明智!」

 

勘違いするな、キョン。

俺はただ事実を言っているだけだ。本物の神なら可能だ。

彼女の言っている事が真実かどうか、俺は納得したいだけだ。

 

 

「……なら、試しに"マスターキー"を具現化しなさいな。前にあの世界でやったように」

 

「ふっ。オレの無駄な消耗を誘いたいなら断るからな」

 

「それも今後を語る上では必要な事なの」

 

やはりこの女、調子が狂う。

それに謎だって多く残されている。

どうやってこの世界の明智が俺だと知り得たんだ?

涼宮さんと君に何か関係があるのだろうか。

言われるまま、左手に"ブレイド"を具現化する。

朝倉さん(大)が言った通り次元干渉は確かに次のステップな筈だ。

しかし、形も色も何も変化はしていない。

出来損ないの青い直剣だ。剣としての鋭利さがまず無い。

その様子を見た佐藤は。

 

 

「やっぱり。"黒色"ではないか」

 

「……何だって?」

 

「確認は出来た。私はもう用はない――」

 

言うだけ言って佐藤はさっさとその場を後にしようとする。

周防はこちらを見たまま振り向かない。

 

 

「――これだけは覚えてて。私に協力しなければ、浅野君は……。いいえ、明智黎と朝倉涼子をはじめとする異端者の集まりは崩壊する」

 

俺とキョンが聞き返す前に彼女の姿は消えてしまった。

まるで、亡霊のようだった。

再び後には三人が残される。

……すると。

 

 

「おかしい」

 

キョンは思い出したかのように呟いた。

 

 

「眼の前は線路だ。当然在来線だ。なのに何故さっきから電車は通過しない? もう軽く十分以上は経過している」

 

「……決まってるさ」

 

既に"敵地"だからだ。

すると周防は左手をこちらにかざした。

――マズい。

キョンの前に即座に躍り出る。

次元干渉の更なる応用、実戦で試すいい機会だ。

そして、システマにおける四つの教え。

"呼吸し続けろ"、"平常心を保て"、"常に直れ"、"いつでも動け"。

後ろの彼に壁を展開してやれば時間は稼げる。

お前にとっては、俺とキョンのどっちが死んでも構わないんだろ?

言った通りに、易々と死ぬ気は毛頭ないが。

 

 

「……来いよ」

 

「――血気盛んね……」

 

いや、振り上げた周防の左手には何かが握られていた。

あれは……。

 

 

「オレの手帳か……?」

 

正確には違う。

かつてあの世界でジェイに渡したものだ。

どういう訳か彼女が今持っているのか? 何故。

 

 

「―――返却――」

 

「はあ?」

 

お前が持っているのはいいとして、お前が返すってのはどうなんだ。

元々は明智黎の物なんだから、俺が持っているのが当然なのは確かだが……。

 

 

「佐藤が返しに来いよ」

 

「―――」

 

「なあ? 周防ちゃん」

 

「……明智。どうやら周防は動きそうにない」

 

見ればわかる。

何だ、俺は一つチャンスを彼女にあげなきゃいけないのか。

これで手刀が飛んでくると笑えない。

警戒は怠れないな。

 

 

「いいよ。オレの方から取りに行こう」

 

「――――――」

 

これで線路に足を運んだ瞬間に横から電車が突撃してきたら手刀よりも笑えなかった。

が、笑えるくらいあっさりと俺は踏切の向こう側の周防の前までやってきた。

じろりと彼女は俺を見上げる。俺より目つきが悪い。

やはり阪中さんほどではないが、朝倉さんくらいは身長がある。

160前後なのは確か。

 

 

「オレから仕掛ける気はないけど。信頼してくれるかな」

 

「――――」

 

右手はそのまま垂れ下がったままだ。

油断はしないが、俺もゆっくりと周防の手から手帳を奪う。

直ぐに右ポッケに忍ばせる。

すると彼女の左手に今まで見た事のない物があった。

いや、他人の手首なんかを見る趣味は無い。

宇宙人のセンスにしては珍しい。やけにファンシーだ。

朝比奈さんがするのならわかるのだが。

 

 

「いい時計だね」

 

「――」

 

もう時間が見れないよう周防の顔面をにたたっこわしてやっても良かった。

だが彼女に責任や罪はあれど、彼女一人の問題ではない。

俺はあくまで甘かった。俺がもし優しい人間なら周防をスポ根的殴り合いでわからせただろう。

時計については何となくだが、予想がついた。

キョンは遠くにいるし多分小声なら聴こえない。

 

 

「……それ、谷口に買ってもらったのかな」

 

「―――だったら……?」

 

「いいや、別に」

 

朝倉さんには敵わないが、案外かわいいところがあるもんだ。

その精神でいつまでも付き合ってやってくれ。

でもって毒気を抜かれてしまえばいいのだ。無力化されてしまえ。

そろそろ真剣に谷口と相談するプランを考えなくてはならない。

 

 

「あいつと仲良く頼むよ。多分あいつはお前の事が好きだ」

 

「―――」

 

根拠はない。

でも、そう考えた方が楽しいんだろ? 古泉。

周防は要が済んだと言わんばかりに踵を返し、立ち去てしまう。

作戦その一、周防を叩くは実行すらせずに終わってしまったのだ。

ともすれば踏切から『カンカンカン』と警告音が鳴り始めた。

都合の悪い邪魔が入らないのはやっぱり周防の仕業だったって訳か。

遮断機が下りる前に急いでキョンの所へ戻る。

やけに騒がしい騒音と共に列車が通過したことを確認するとキョンは。

 

 

「何か話してたみたいだな」

 

「世間話さ」

 

「……急いで飛び出したはいいが、成果ゼロか」

 

SOS団らしい。

それに最初から予想はついていた。

俺が周防をどうしようと、長門さんがどうなってもいいように、情報生命体どもは彼女らの安否を気にしない。

朝倉さんが度々言うように、時間の概念が違う。

次の機会など幾らでも何時でも何処でも作れるのだ。

俺はただ、その不条理を確認したかっただけに過ぎない。

 

 

「あいつらの言っている事なんざ俺にはよくわからん。だがな、無茶苦茶言って巻き込んでくるのはごめんだ。ハルヒには裏表がない、あいつらもハルヒと同じだって俺は思えんぞ」

 

「一度、中河氏に接触する必要がありそうじゃあないか」

 

「だな。聞きたいことは山ほどあるが、お前だって全部はわからないんだろ?」

 

「だったら楽なんだけどね」

 

とか何とか言っていると、ふとキョンの携帯電話が鳴り響いた。

自分の携帯を見たキョンは一言。

 

 

「……ハルヒだ」

 

「わかってるよね?」

 

「はっ。あいつにお前と一緒だとバレたら面倒だ」

 

あっちも一段落したのだろうか。

そしてキョンが急に出て行った事を思い出して腹が立ったというわけだ。

いい話じゃあないか。

俺と朝倉さんとの力関係そのままなのはどうなんだろう。

やはり、俺も立派な影ということなのだろうか。

それは神の勝手だ。俺と朝倉さんは人の勝手にさせてもらうさ。

とりあえず彼の通話が終わるのを待つ。

 

 

「い、いよう。何だ……」

 

 

「そうか、悪いな。すぐ戻るさ」

 

 

「あれだ……お見舞いに行くのに手ぶらとはいかないだろう。果物でもお土産にしないとな……」

 

 

「確かに、幸い長門も大事ではなかったが……悪化されたら困るだろ……」

 

 

「そうだ、ああ、わかったよ。じゃあな」

 

涼宮さんの音声は騒がしかったが聞き取れはしなかった。

キョンは通話中耳を塞いでいた。

元気なのはいいことさ。あのイントルーダーは元気が無さすぎる。

永遠に川底で潜水していればいいのに。

 

 

「……で、何だって?」

 

「三分以内に戻ってこい。フルーツセットと果汁120%オレンジジュースを買ってきなさい。だとよ」

 

「どう考えても必要時間はその十倍になるね」

 

「お前も戻るか」

 

「いや、オレは涼宮さんに帰宅の許可をもらってからこっちに来たからね。とりあえず帰るよ」

 

一言だけキョンが「そうか」と言うと俺と彼は別れた。

これからきっと買い出しにでも行くのだろう。

俺の家とここらのスーパーとではまるで別方向だ。

とにかく、考察する時間が必要だ。

謎だとか厄介ごとなんかこれ以上増えないだろう。

 

 

 

――と、思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――何かオレに用があるんですか?」

 

「はい」

 

どういう理屈かは知らないが、そのお方は笑顔で俺の質問に頷いた。

ある時はコンピ研部長の彼女役。

またある時は生徒会役員として書記を務めている。

しかし、その正体は宇宙人。

谷口からすれば周防よりストライクゾーンであろう、喜緑江美里さん。

何故か彼女が俺の家の前で立っている。当然制服姿。俺もだけど。

……どうもこうもないな。

 

 

「誰かに見られてませんよね?」

 

「大丈夫ですよ」

 

「……なら、いい場所に案内しますよ」

 

「よろしくお願いしますね」

 

誰かに見られて変に勘違いはされたくない。

どうせ俺が朝倉さんに報告する事など彼女は知っているはずだ。

ついこの間やったように、家の外壁に"入口"を作る。

来客用の301号室だ。

 

 

「喜緑さん。何か飲みたいものはありますか? 温かいものは出せませんが」

 

「話は短いですので、どうぞお構いなく」

 

そそくさと長椅子に座る。

俺も対面の椅子に座した。

 

 

「もしかしなくても長門さん絡みですか?」

 

「はい。……と言っても正確には違いますが」

 

「どういう話なんですか」

 

彼女の方から積極的に動いたのは初めてだ。

いや、喫茶店はどうなんだろう。

とにかく昨日の今日とはまさにこのことではないか。

 

 

「長門さんの特別任務については、彼女から聞きましたね?」

 

「はい。朝倉さんから」

 

「心中お察しします。彼女も頼まれても居ないのに、長門さんの負担を軽減しよう、だなんて」

 

「……その原因は情報統合思念体にあるんですよ?」

 

貴女はそれさえも汲み取ってくれるんですか?

なら、長門さんをどうにかしてあげて下さい。

SOS団の味方である必要はありませんが、敵対はしないで下さい。

 

 

「わたしは本日、情報統合思念体中央意思……つまり、情報統合思念体の代表としてやって来ました」

 

「……え?」

 

どういう事だろうか。

それは即ち、文句は自分が受け付けるという意味ですか。

なんだか汚い手口だ。これが藤原なら遠慮なく殴れそうなのに。

美人は罪だな。

 

 

「その上で、お話ししたいことがあります」

 

真剣な表情と言えば聞こえがいい。

実際は違った。

感情の一切など感じさせない、冷酷な視線。

それは穏やかな話じゃあないらしい。

 

 

「明智さんと彼女――パーソナルネーム朝倉涼子――についてです」

 

「……それがどうかしたんですか」

 

「ハッキリ言いましょう。わたしたちは、お二人にとてつもない脅威を感じています」

 

はたしてそれは感情なのだろうか。

恐らくだがそうではない、ただの数値上の問題だ。

未知数が徐々に輪郭を帯びているのだ。

それは想定内ではなく想定外。特異点。

 

 

「今はまだ具体的な処置は決まっていません」

 

「処置って……オレが何かするとでも言いたいんですか」

 

「可能性の問題です。彼女のヒューマノイド・インターフェースとしての性能は最早オーバースペックと言えます」

 

何を言っているんだ?

過剰性能。それは、何と比較しているんだ。

 

 

「単なる長門有希のバックアップとして設計された彼女が……ただの端末が、自己進化するなんて」

 

「朝倉さんを……。いいや、涼宮さんが望んだ宇宙人をロボットみたいに言わないで下さい。長門さんも、周防も、喜緑さんだって人間です。生きている」

 

「だいたい予想した通りの返答ですね。明智さんは、確かに何かを変えてしまう……」

 

最近の流行ですか、それは。

どうにも古泉が発祥な気がしてならない。

確かに『機関』は宇宙人とコネがあるらしい。

荒唐無稽な話さえ広まってしまうのか。

そんな俺の心の愚痴を知らずに、喜緑さんは話を続ける。

 

 

「そう。明智さんはもう一つの可能性――」

 

わかった、前言撤回だよ。

俺の後悔はかつて、後にも先にも『悲しい顔をした十二月の朝倉さんをどうにかしてやれなかった』事だけ、だなんて言っていた。

済まないけどもう一つだけ追加させてもらえないだろうか。

俺は【涼宮ハルヒの憂鬱】というこの世界を、舐めていた。

 

 

 

 

 

 

「――涼宮ハルヒだけではない、"自律進化"の可能性」

 

とにかく、勉強不足だったよ。

機会があれば是非読み返したいね。

 

 



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第七十三話

 

 

その日――巻き戻し現象が発生する前の夏休み、八月のある日――いつも通り暇だった。

どんな背景があろうと連日連日女子の家に入り浸りだ。

ともすれば自分のちっぽけさを痛感するね。人間として。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、俺が暇だと思うよりも朝倉さんはもっとそう思っているのだろう。

とは言え、何か見せれるような物など俺には無い。

――"臆病者の隠れ家"を全部屋紹介でもするか? 

却下。正確な部屋数すらも俺にとっては大事な武器となる。

実際に設置できる"入口"の上限については部屋数から逆算できないが、それでもだ。

俺が他に出来る事なんか限られている。

特に現状で俺が放てる最強の一撃、"路を閉ざす者(スクリーム)"については披露しようがない。

更に言うとこの技はあまりにも弱点が多い。文字通りの初見殺しだ。

万が一を考えると話だけでもしたくなかった。

しょせん、その程度の間柄なのだ。交換条件でしかないのだから。

間違いなく朝倉さんの方だって俺をそう思っているさ。

だからこそ、ほんの好奇心と言うか、彼女に訊いてみたくなった。

 

 

「――ねえ朝倉さん」

 

「あら、何か見せてくれるのかしら」

 

二言目にはこれな気がする。

必ずしもそうとは言わないけど、なんだか恐ろしいね。

こうは考えたくないが、やはり彼女は宇宙人。

それも感情を理解できないのだ。考える事は出来るはずなのに。

俺は本屋で買ってきた推理小説――今まで名前すら聞いたことが無い駄作だった――の三週目に突入しながら。

 

 

「涼宮さんを観測だの監視だのする意図って何なのかな?」

 

「……あなた、長門さんから説明を受けたんじゃないの」

 

確かに聞いたよ。

でもそれは耳からスルスルと抜け落ちてしまいかねないようなものだ。

正直原稿用紙にまとめてくれた方がありがたかった。

彼女なら紙を処分する方法なんかいくらでもあるだろうに。

 

 

「だから朝倉さんなら解りやすく説明してくれるんじゃあないか。と、思ったのさ」

 

「……はいはい」

 

わかったわよ、と言うと彼女は俺の手からハードカバーを取り上げた。

やれやれ。ソファから立ち上がり、椅子に座るとする。

テーブル越しの朝倉さんが口を開いたのは俺が座ってから直ぐの事だった。

 

 

「まず、明智君は涼宮ハルヒという人物の特異性を理解しているのでしょうね?」

 

「そりゃあ……」

 

世界をどうにかしたり、それこそ神に等しいまでの暴力を持っている事ぐらいは。

実際はそれぞれの勢力で涼宮さんの能力について主張や見解が異なる。

興味本位という意味では古泉や朝比奈さんにも訊きたいが、そんな機会はなかなか無いだろう。

一番近くに居る朝倉さんから当たっていくのは自然な流れではなかろうか。

 

 

「けれど、朝倉さん達のテクノロジーがそれに劣っているとは思えないんだけど」

 

「劣るも何も、優劣でさえない。言うなれば次元が違うわね。私が何かをした所で涼宮さんの能力の前では優先されない」

 

そうなのか?

原作の消失では長門さんが涼宮さんのパワーをどうのこうのと言っていた気がする。

単純な地力同士のぶつかり合いと言う意味だろうか。

 

 

「それでも涼宮さんをどうにもできない訳ではないんだよね?」

 

でなければ、彼女の命を狙うという行為そのものが無意味だ。

そして、もしそうなら『機関』が、古泉が彼女を心配する必要は何処にもない。

むしろ自分の今後を心配するべきなのである。

こんな俺の疑問に対して朝倉さんは。

 

 

「それがわからないから、私は行動したのよ」

 

「……なるほどね」

 

最終的に仮面カップルになっている訳なんだが、俺はこれをいつまで続けるんだろうな。

まさかSOS団全員が同じところに進学するとも思えない。

朝比奈さんだっていつかはこの時代から居なくなってしまう……よな?

当面の所は長く見積もっても後二年と少しか。

契約社員の気持ちが少しは分かるかもしれない。そんなわけないか。

 

 

「それと宇宙人による観測とはどう関係するんだ?」

 

「一言で言えば、進化ね」

 

「……進化?」

 

その単語の辞書的な意味が重要ではないのだろう。

誰が進化すると言いたいんだ。

 

 

「決まってるじゃない。涼宮さん自身よ」

 

「ふっ。彼女はいつでも最新バージョンアップって感じにしか見えないけど」

 

「精神的な話じゃないわ。……"自律進化"。涼宮ハルヒは自律進化の可能性を秘めている」

 

そういやそうだっけ。

いや、忘れていた訳じゃあないんだけど。

 

 

「結局オレにはその自律進化ってのがよくわからないんだよね。仮に彼女が進化して、それを見るのが楽しいの?」

 

猿がパソコン使うとか、そんな次元の話なのだろうか。

だったら俺が思うに象の方が観察対象にはうってつけだよ。

あいつらの問題解決能力は間違いなく人間のそれを遥かに凌駕している。

そんな連中が進化したらきっとそれはそれは凄い物を見せてくれるよ。

想像も出来ないけど。

 

 

「……情報統合思念体よ」

 

「何?」

 

「情報統合思念体が進化を求めている。そのヒントが彼女にあるのよ」

 

その情報統合思念体はとんでもない奴なんだろ?

とにかく宇宙人をバシバシ送り込むぐらいだ。

情報制御のルーツとやらもそこにある。

……そうか。

 

 

「情報統合思念体も、無から有は生み出せない。創造は出来ない」

 

「わかってるじゃないの」

 

「でもそれって進化じゃあないのか? 自律進化も同じことなのか?」

 

わざわざ解り辛い用語を使わない。

これは、クライアントとの話し合いにおいては基本的な部分だ。

開発の依頼先など常にITに詳しいとは限らない。

人材によっても差があったりするのだから。

と、懐かしい仕事についてを回想する。

そして俺の疑問は否定された。

 

 

「違うわね。涼宮ハルヒの可能性は無限。人類の進化もかつてはそうだった」

 

「情報統合思念体も、かな」

 

「ええ。そのどちらも現状では手詰まり。文明の繁栄と進化は違うもの」

 

俺がいくら情報社会の成長を知ってようが、やはり彼女たちからすれば低レベル。

わかっているさ。

どれだけ機械が、テクノロジーが優れようと、人間はもう進化出来ない。

科学だけが独り歩きしている。

 

 

「たとえ涼宮さんを何もない世界に閉じ込めたとしても、そこにはきっと何かが現れる」

 

この話を聞いて俺はだいたい話の全貌が掴めてきた。

そして更に本質へ近づいていく。

 

 

「進化とは不可逆な物。退化という概念は存在しない。あなたたちが普段使う退化は、劣化と意味を一緒にしているのよ」

 

「……不可逆なら余計わからないな。情報統合思念体は時間概念がオレたちとは異なるらしいじゃあないか」

 

「ほぼゼロよ」

 

「じゃあいくらでも進化の余地は――」

 

いや、情報統合思念体には時間概念が無い。

つまりそれは。

 

 

「――どこへも向かう事が出来ない」

 

「そう。……そして真の自律進化とは、段階的なものではない。想像さえつかない、誰も見た事のない到達点」

 

そのロジックさえ解き明かせられればいいって訳か。

後は自分ーー情報統合思念体ーーで何とかする。

 

 

「だから急進派なんて思想が生まれる訳だ」

 

いくら時間概念が無いとは言え、それは観測側の話だ。

被験体である涼宮さんがそうだとは思えない。

……違うな。それすらもわからないのだ。

彼女が本当に死ぬのかどうかすら、わからない。

 

 

「だから私も期待しているのよ?」

 

涼宮さんがどう進化してくれるか。

夢がある話じゃあないか。

 

 

「違うわよ。今の私は明智君を観察している。もしかしたら、あなたにも何かあるかも知れないわね。謎が多い異世界人さんにも

 

「……過大評価さ」

 

取るに足らない臆病者のこの俺は、いつも通りに涼宮さんに従うだけ。

それがルール。

死ぬのは怖くない、無意味な死も怖くない。

一番怖いのは俺が俺を失う事だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そして長門さんの説明も含め、自律進化と言うものをどうにか俺の脳内から引き出した。

眼の前の喜緑さんの表情は無表情なままだ。

恐ろしいまでに機械的で、事務的。

とにかく俺に出来るのは質問と確認の二点しかない。

 

 

「勘違いじゃあないんですか?」

 

「確かに100%そうとは言い切れません。ですがそのように考えられても不思議ではないのです」

 

「根拠は」

 

そんな自信も無しに、わざわざ話をするとは思えない。

だったら進化以前に大成出来ないのだから。

 

 

「明智さんはこの世界とは体系的に異なる存在。だからこそわたしたちにも想像のつかない能力を秘めている」

 

「勝手に色々と想像してくれるのはありがたいですね。けれど、やはり勘違いですよ」

 

だいたい俺が運命をどうこう出来るのなら、まずは情報統合思念体をどうにかする。

さっきから割と本気で否定し続けているが佐藤の発言はやはり嘘らしい。

結局は過大評価でしかないのだ。

 

 

「それに、もしオレが自律進化の可能性を秘めているとして何で情報統合思念体に脅威とされなきゃいけないんですか?」

 

進化したいのはそっちの方なんだろうに。

俺の方はどうでもいい。そんな能力は必要ない。

真実だろうと嘘だろうと俺は俺だ、それだけ。

佐々木さんの気持ちがほんの少しだけ理解できた。

だが、彼女は俺よりも深い闇を抱えているのだ。

あんな連中しか相手にしてくれない。

俺なら多分マンションから飛び降りるレベルだ。

正義か悪かは俺が決める事ではない、全ては結果かもしれない。

だけど、あいつらと俺たちは違う。

無条件で協力するなんて事、あいつらは出来ない。

俺たちは出来たぜ。朝倉さんがそれを証明してくれた。

自慢の彼女だ。

すると喜緑さんは。

 

 

「明智さんの何かを変える力が現実に存在するとした場合。それは、否定以外の性質を持たないからです」

 

朝倉さんの独断専行と涼宮さんの巻き戻し。

この二つを否定した、と彼女は言いたいのだろうか。

――破壊なくして創造なし。

破壊とは、最大級の否定に他ならなかった。

俺の自律進化とは破壊なのか?

異世界人は、世界を破壊していいのか?

そんな訳ないだろ。

認めない。

もし俺がそんな力に覚醒したのなら、俺は自分の役割を否定する。

それで解決だ。

 

 

「……さっきから情報統合思念体を否定していますよ、オレは」

 

「それが脅威なんです」

 

その発言からは本当に脅威だと思っているように感じられなかった。

単に彼女は可能性を論じているだけに過ぎない。

だと言うのに、俺はまるで殺し合いをしているかのような空気を感じていた。

周防の時に感じた威圧感に似ている。

しかし、彼女のそれは『まだ殺す気ではない』と言っているようにも感じられる。

喜緑さんが今日来た最大の目的は警告に他ならないんだろうな。

 

 

「発動条件はわたしたちにも不明です。幸いな事に明智さんもそうでしょう。けれど、その能力があるものだと考えるのが自然なんですよ」

 

古泉といい、どうやら俺には理解できない世界だ。

言わせてもらいますが、あなたがたの方が立派な異世界人だ。

俺は違う。

異世界屋なのだから。

 

 

「じゃあオレにどうしろって言うんですか。言っておきますが、朝倉さんとオレの平穏を邪魔しないで下さい。ただでさえ現状で手一杯なんですよ」

 

「簡単な事です。わたしたちに敵対しないで下さい。明智さんの暴走こそが脅威なんです。何があろうと、わたしたちを憎まないで下さい。否定しないで下さい」

 

「……無茶言いますね。オレは少しワケありかもしれませんが、人間ですよ。プログラムでは動きません。それはそちら次第でしょう」

 

特に今回みたいな理不尽を突きつけられて憎むな、否定するな、だなんて。

この人は、喜緑江美里は本物だ。

本当に情報統合思念体を代表して、俺の前に居るのだ。

 

 

「では、これからは仲良く相互理解を深めていきましょう。時間はたっぷりありますから」

 

「……わかりました」

 

姿も見えない相手に俺は交換条件が出来るとは思えなかった。

周防の方がまだマシだ。あいつは揺れているだけなのだから。

初見で精神を折られかけた手前、認めたくないが、あいつは理解出来る。

しかし喜緑さんは底が知れない。ただ、そこに居るだけなのに。

歩み寄れるのだろうか、俺は。

 

 

「一つだけ教えて下さい」

 

「何でしょうか?」

 

「喜緑さん個人はどう考えているんですか。オレの事を」

 

女性に訊く台詞じゃあないだろうさ。

それが殺伐とした問答でなければ、だが。

 

 

「……そうですね。また、バンドを組みたいとは思っていますよ」

 

それが演技かどうかは知らないが、彼女は微笑んでくれた。

いいだろう。

俺は情報統合思念体は気に食わないが、喜緑江美里さんは信用しよう。

信頼できるかどうかは今後次第だ。

それが出来るのなら自律進化の権利だけをくれてやってもいいさ。

俺にそんなものがあるとは未だに思っても居ないけど。

情報統合思念体、人間の可能性を馬鹿にするな。

誰にでも出来る事だ。凄く簡単なんだ。

何かを変えるのに必要なの物は何もない。

それが、人間なら可能性は無限さ。

特別扱いするんじゃあない、神は人の上に人を造らないのだ。皮肉だよね。

……やがて二人同時に"異次元マンション"の301号室を退室する。

すっかり夕暮れ時であった。

さっさと俺は"入口"を撤去する。

喜緑さんはこちらを向いて一礼した後。

 

 

「またお会いしましょう」

 

「今度は楽しい話し合いを期待しておきますよ」

 

「わたしもです」

 

ゆっくりと歩いて行った。突然姿が消えたりはしない。

彼女の家がどこかまではわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから二三時間。

 

 

 

俺は晩飯中さえ考え続けていた。

最早、限界だった。耐えきれそうになかった。

元来強い人間ではない。俺が主人公ならこれも平気なんだろうな。

原作のキョンは消失世界でも心を強く持っていた。

俺にそれをしろ、と言うのか。馬鹿言え。

――半ば無意識だった。

気が付いたらマスターキーを使い、朝倉さんが住む分譲マンション505号室に出ていた。

 

 

「……えっ?」

 

居間のソファに座る寝巻き姿の彼女がこちらを見る。

長門さんから借りたのだろうか、珍しくハードカバーを読んでいた。

 

 

「明智君、よね。……どうしたの――」

 

と彼女が言い終わる前に俺は無理矢理彼女の手を引いて、起き上がらせ、引き寄せる。

そして彼女を抱きしめた。

 

 

「――な、何!? 急に」

 

「……ごめん」

 

少しの間だけでいい。

俺に思考を放棄させてくれないか。

そのまま俺ごと消えてしまいそうな声で呟いた。

俺のわがままに対し。

 

 

「しょうがないわね……」

 

朝倉さんは何も訊かなかった。

 

 

 



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第七十四話

 

 

思考の放棄なんて恰好の付くものではなかった。

俺はただ、彼女に甘えたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どれくらいの時間そうしていたかは知らない。

やがて俺は朝倉さんを解放するとそのままフローリングの上にへたり込む。

とにかく俺は言われたことを彼女に伝える他なかった。

俺一人では何も得られそうにないからだ。

そのまま立っている朝倉さんに対し、淡々と、つたない説明を始めた。

正直俺がもし俺の説明を聞いたとしても意味が解らないだろう。

自分でわかっていないものを彼女にわかってほしかったのだ。俺は。

 

 

「――そう。そうだったの」

 

「……昨日からそうだよ。言いたいことばかり言ってくる、精神攻撃だ」

 

真実かどうか、それが判らないのだ。

確かめる方法も分からない。

……ない、無い、否定だ。

変革にはリスクが伴う。そんな事は知っている。

じゃあ、涼宮さんはどうなんだ?

俺にそんな能力があったとして、俺だけ文句を言われなきゃいけないのか?

佐藤からは俺だけお願いされなきゃいけないのか? 

崩壊だの破滅だの、揺さぶりをかけやがって。

本当に迷惑だ。

 

 

「あいつらを倒して、それで終わり。……それじゃあ、駄目なのかな」

 

「………」

 

「だいたいさ、卑怯じゃあないか? オレが知らない事ばかり話すんだ。オレが知らない奴が一方的にオレを語るんだ」

 

まるで第四の壁の向こうから物語の登場人物に話の流れを無視して接しているかのようだ。

俺は"念能力者"。

もう、それでいいだろ。

 

 

「オレは一体、何なんだ」

 

俺に一から十を、100%を教えてくれ。確信させてくれ。

誰でもいいから教えてくれ。俺は何者で、何故この世界に居るんだ。

これから何をすればいいんだ。

朝倉さんは、まるで俺を赦すように。

 

 

「そんな話は忘れちゃいなさい」

 

「………ふっ。だったらどんなに楽かな。いいや、オレは楽をしたいんだ。さっさと本当の事を知りたいんだ」

 

「明智君にそれが必要なの?」

 

「全部投げ出したい。だけど、朝倉さんは長門さんの力になっている。オレはまだ、何もしちゃあいない」

 

情けないな。

男の仕事の残り二割、おまけ要素で躓くだなんて。

すると朝倉さんは俺の隣に座り込む。

マンションの床に座す。去年の春を思い出してしまう。

 

 

「こんな風に座った事、あったよね」

 

あの時と同じ。

俺が出来る解決法などごく限られている。

ともすれば無力だ。

 

 

「ふふっ。でもあの時はあなたの方から私の横に来てくれたわね」

 

「そもそも最初は背中合わせだったよ」

 

「私はきっと、あの時死んじゃっても後悔はしなかったと思う」

 

「……心中相手がオレなのはどうなんだろうね」

 

「あら、忘れたのかしら?」

 

「………いいや」

 

死んでも忘れないさ。

多分、答えなんかないんだろう。

他人の言う事を真に受けるなんて俺らしくない。

そうだ。俺は泣きじゃくる赤子と一緒だ。

朝倉さんに甘える事で、すっきり出来たのだ。

精神年齢約29歳の男性が混じっていると言うのに。

でも弱いのは俺の方だ。明智はきっと、強い人間だ。

 

 

「ふっ。そういやあの時、キョンがこんな事を言ってた」

 

「何かしら?」

 

「『俺はどうすればいいんだ』とか『教えてくれ』だとか、挙句には『なんで俺なんだ』……だってさ」

 

呆れちゃうね。

一年経ってから俺が同じ目に遭うなんて。

誰のせいかは知らないけど、考えるのは止めよう。

降りかかる火の粉の元を絶つことなんて出来やしないのだから。

いつも通りでいいんだ。昔からそうしてきた。

俺の正義は気に食わない相手の否定。

掲げる大義なんか一切ない。敢えて言うならそうしたいからそうする。

戦う理由を作るんじゃあない、佐藤。

 

 

「もう大丈夫だ。ちょっとした精神スイッチの切り替えがしたかったんだよね」

 

「……だからって、急にやって来て急に抱き着くかしら…?」

 

「う」

 

「ふふっ。冗談よ。驚いちゃったけど、嫌じゃないわ」

 

そりゃ俺だって朝倉さんにそうされたら嫌ではない。

彼女の方も俺と同じであってくれるのだろうか?

……いや、疑うなんて馬鹿馬鹿しい。俺は朝倉さんを信頼している。

ならそれでいいじゃあないか。

SOS団を信頼しよう。

 

 

「長門さんは?」

 

「私が出来る事には限界がある。悔やみたくはないけど、悔しいわね」

 

「学校には来れそうかな」

 

「残念だけど任務が完了するまでは難しい。私が言うのはどうかと思うけど学校どころじゃないのよ」

 

やれやれだ、情報統合思念体。

喜緑さんは信用するがお前には実績なんてないんだぜ。

ああ、一つだけあったか。

俺と朝倉さんを出会わせてくれたという大きい実績が。

ーーだけどな。

 

 

「いつも月曜って訳じゃあないんだ」

 

「そう、いつ終わるかがわからないのが問題なの」

 

「これが定期考査なら赤点続出だよ。解答用紙に解答欄が無いんだから」

 

俺に出来るのは名前を書く事だけだ。

前の世界ではそうしてきた。

俺はここに居ると、証明したかったんだ。

何か話を書く事でそれがしたかったんだ。

だけど何故かそれを止めた。

その問題も、いつかわかるのだろうか?

だが、今日ではない。

今日はもう寝る時間なのだから。

 

 

「長門さんのお見舞いには基本的に私とあなたが行くことになってるわ。その分部活は早く切り上げるみたいね」

 

「基本的にって事は、やっぱり涼宮さんも心配なんだね」

 

「定期的にみんなで行くそうよ」

 

俺があの症状で「学校に行けません」だなんて母さんに言ったら却下される。

涼宮さんも雪山の事をどこか覚えているんだ。

なあ佐藤。これの何が都合のいい集まりなんだ?

キョンの言う通りだ。お前の勝手な線引きでしかない。

白線を引いたのは涼宮ハルヒなのだ。

俺でも、お前でもない。

長門さんは都合のいい受け皿なんかじゃあない。

絶対に。

 

 

「朝倉さん」

 

俺は立ち上がり。

 

 

「ありがとう。愛している」

 

「どういたしまして」

 

何だかんだ言っても、俺はこの先も迷うだろう。

苦しみ続けるだろうさ。

勘違いしないでほしいのは、歴史上の皇帝と呼ばれる方々もそうだったのだ。

そして涼宮さんだって年相応の心がある少女でしかない。

俺ばかりどうこう言われるのがちゃんちゃら可笑しいのだ。

全く――。

 

 

「――どうもこうもないさ」

 

"異次元マンション"で自分の部屋の"出口"に戻る。

いつも通りに夢の内容なんか覚えてはいないが、安眠出来たよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、火曜日だ。

 

 

 

精神の仕組みとはよくできているもので、俺はどうにか言われた事を言われた事と思うぐらいには持ち直していた。

これで朝から朝倉さんと一緒なら多分誰が何をしようと俺は『無敵』になっていただろう。

キョンは度々朝比奈さんを天使だの何だの言っているが、俺の天使、いや女神が朝倉さんなのは確かだ。

去年の俺は想像もしてなかっただろうよ。今となっては凄い爽やかな気分だ。

もし俺が全ての記憶を失ってもう一回最初からやり直すとしても、こうなることを願う。

……そうさ、まるで小説の二週目以降のように、ね。

藤原は俺の冷静さについてどうこう言っていたが、やはり未来の俺と知り合いなのだろうか?

まさか俺が歴史の教科書だとか、未来人のデータベース上に残されるような人間とは思えない。

時間とは断続された平面でパラパラ漫画で地続きではないと言っていたのは未来人の朝比奈さんだ。

しかしジェイは、佐藤の発言は違った。

――『もともと時間とは、不可逆ではないのだ』

つまりそれは朝比奈さんの発言を否定している。可逆性があるならば地続きになる。

ならば藤原はどうなんだ? 彼は何を知っているのだろうか。

俺は知らなくても構わないけどね。朝倉さんを含む、SOS団のみんなが居れば。

それで。

 

 

「調子はどうかな、大将」

 

「……俺もお前も平社員だろ」

 

のんびり通学路の斜面を歩く親友に声をかける。

とくに思いつめた様子は見受けられなかった。

 

 

「キョン」

 

「何だ」

 

「昨日オレが帰りにさ……"E.T."に遭遇したって言ったら信じるか?」

 

その正体があの喜緑江美里さんとは口が裂けても言えない。

キョンはまるで谷口でも見たかのような顔で。

 

 

「……すると、明智はあれか、自転車で空中浮遊をしに行ったのか、UFO目がけて」

 

「家に電話しなきゃいけないからね」

 

「俺はあのシーンがトラウマなんだ。あまりあの映画も好きじゃない」

 

「実はオレも」

 

じゃあ何でそんな事言うんだよ、と言いたげであった。

ここで本当に谷口でも登場すればそれとバレないように周防に対する接し方について苦言を呈したかった。

しかしながら現在は谷口がやってくるような時間帯ではない。

キョンにしては珍しく早起きで早い登校時間ではなかろうか。

 

 

「はっ。お前だってそうだろ。昨日はよく寝れたのか?」

 

「おかげさまでね」

 

誰のおかげかは言わない。

他人に言いふらす事ではないのだから。

俺と彼女、二人だけの秘密でいいのさ。

 

 

「だけど、むしろこれからじゃあないか」

 

「……ああ。長門と天蓋領域だかの交信がいつ終わるのかもわからん。周防もアテにならなかった」

 

「間違いなく橘や藤原の狙いは、キョン、お前だ」

 

「そして佐藤の狙いはお前だってか。お互い面倒だな」

 

面倒で済めば安いもんさ。

全員葬り去ればどれだけ楽な事か。

本当に困ったらそうしても可笑しくない。

可笑しいのは、間違いなく俺の方なのだから。

 

 

「あまり周防ちゃんを責めてやるなよ」

 

「……何だ、どうした? 明智があいつの肩を持つなんて珍しいな」

 

「お前なんかついこの前初遭遇したばかりじゃあないか」

 

「だが今まで俺は彼女の悪口しか聞いた覚えがなかったんだが」

 

浮気でも何でもないからな。

俺が周防を殺してやるなんて、間違っても出来ない。

朝倉さんが死んだら俺がどうなるかわからないように、谷口だってどうなるかわからない。

小学校よりもっと前に教わる事だろ? 『自分がやられて嫌な事は他人にするな』だ。

とくにこの場合は最悪だ。

 

 

「あいつもオレと似ているのさ」

 

「雰囲気の暗さがか」

 

「お前が部室のパソコンに保存している隠しフォルダ"MIKURU"のパスワード変更をお勧めしておこう。さあて、次回は何分で解除できるかな?」

 

「…なっ、お前……!」

 

俺を誰だと思っている。

この程度の事、宇宙人でなくても楽勝だ。

だからセキュリティの意識が低いんだ、日本は。

 

 

「パスワードクラッキング対策の授業を受けるか? 今ならタダで教えてあげよう」

 

「……どうやって解除した」

 

簡単だよ。

 

 

「ディクショナリーアタックとブルートフォースアタックだ」

 

「日本語で頼む」

 

「おいおい、IT用語なんて読んで字の如しだよ。辞書と総当たりさ」

 

「……はあ?」

 

これでも彼は理解が出来なかったらしい。

HTMLぐらいは弄れるくれに、セキュリティの知識は無いのか。

 

 

「つまり、辞書にあるような意味がある単語を用いた攻撃と手当たり次第にパスワードを入力する総当たり。この二つの複合技さ」

 

「するとお前は虱潰しにパスワードを打ち込んだってのか」

 

「それで開くって事は脆弱性に他ならないね」

 

10分もかからなかったし。

 

 

「……と、とにかく誰か他にフォルダを知ってる奴は居ないよな?」

 

「どうだろうね。朝倉さんと長門さんの二人は知ってそうじゃあないかな」

 

古泉は知らない。

あいつがその方面でも凄かったら俺は勝てる要素が何一つない。

もしかしなくても理数の力だけでいえばあっちの方が頭いいだろうし、運動できて、イケメンだろ?

……ちくしょう。

 

 

「固定式パスワード認証の心得を言うから覚えておくんだ」

 

「頼む」

 

「長期間一つのパスワードを運用しない、桁数を長くする、文字種を多彩に使う、単体で意味あるものにしない、連想可能なものにしない、ユーザIDやユーザ名と無関係にする。だ」

 

「……お、多いな」

 

これはあくまで脆弱性に対する運用のあり方でしかない。

対策はこれとは別にある。

 

 

「また、パスワードクラック対策としての心得」

 

「まだあるのか」

 

「推測されない、絶対に人に教えない、メモを取らない、こまめな変更、過去に使ったものは二度と使わない、他のサービスとパスワードを同一にしない、ショルダーハックをされるな。以上!」

 

キョンは最早理解を諦めていた。

確かに俺も一度に言われたら混乱するかもしれないな。

だがキョンは最後の言葉には反応してくれた。

 

 

「ショルダーハックって何だ」

 

「肩越しに見るのさ。相手のパスワード入力を」

 

案外注意しないものだろう?

特に同じ会社の人間同士、なんてのは。

ATMについている鏡というのはその対策のためにあるのだ。

しかもあの鏡、実は中にカメラが入っている。

ばっちり監視されているという訳さ。当然と言えば当然だね。

 

 

「推測可能な文字としては、規則性のある数字だとか、生年月日だとか、名前だとか、passwordという単語そのものだったり。後、意外にもファイルの作成日だとかもあるね」

 

「因みに、お前はあの中身を見たのか……?」

 

「直ぐにクローズしたさ」

 

かく言う俺もあるのだ。

"ASAKURA"フォルダなるものが。

絶対にその存在は知られてはならない。

それを知った者だけは始末する必要がある。

キョンはやれやれと言いたげに。

 

 

「とにかく朝から焦らせるな」

 

「いい気味だね」

 

俺が昨日までに受けた精神ダメージに比べればマシさ。

お前が悪いと言われ続けたに等しいのだ。

俺は悪くない。

とか思っていると突然キョンは真剣な表情になり。

 

 

「……中河の事なんだがな」

 

「ふっ。どうしたよ」

 

「あいつも佐々木と似たようなもんらしい。状況をよくわかっていないが、美人に言い寄られたら話ぐらいは聞きたくなったんだとよ」

 

……それはどうなんだろうか。

間違いなく詐欺とか悪徳商法に引っかかるタイプではないか。

確かに彼は人を疑うような人種には見えない、古き良き熱血派ではあったが。

 

 

「去年あった長門の件もあいつの能力とやらの影響らしい。情報統合思念体を見たそうだ。それで神々しいだとか何とか言い出したわけだ」

 

「ああ。それは俺も長門さんから聞いたよ」

 

「結局、あいつは白黒つけたいんだろうな。長門への恋心が嘘だったかどうか」

 

「……義理堅いお方じゃあないか」

 

中河氏と呼ぶのは間違っていないな。

それも、選択。

 

 

「橘が言っていたが間違いなく普段のあいつは忙しい。平日はまず無理だ」

 

「最低でも今日を入れて四日、か?」

 

彼を通じれば情報統合思念体に文句が言える。

しかしそれには周防の協力も必要だ。

中河氏には今も能力にプロテクトがかけられている可能性がある。

天蓋領域か、中河氏か。

 

 

「どちらにせよ、やっぱり周防ちゃんに頼るしかないのかな」

 

「佐藤は、あの藤原について何か言っていたな」

 

「それは出任せかもよ?」

 

「すがるしかないだろ」

 

わかってますとも。

やっぱりお前が主人公で、お前が大将。

俺は消耗品。ポーンかも知れないし、運が良ければナイトだ。

ビショップでもルークでもなかった。

 

 

「今日は何事もないといいんだがな。そして出来れば長門の臨時任務も終わってほしい」

 

「同感だね」

 

お互いに校門をくぐりながらそう言う。

だが、俺もキョンも期待はしていなかった。

 

 



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第零話

 

 

これから僕が語りたいのは単なる思い出話だ。

 

――否、事実。

本来であれば覚えている全てを語りたいのだが、僕の記憶の一部は欠落している。

しかしながら、一番忘れたい記憶だけは忘れられなかった。

いつだってそうだ。世界は不条理でしかない。

白か、黒だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……手初めに少し昔の話をしたい。

所謂僕の幼馴染だった友人の女性についてだ。

いつから彼女が僕に付きまとっていたかは覚えていない。

気が付いたら既にそこに居たのだ、残念な事に迷惑でしかなかったが。

僕にとって、世界はつまらないものでしかなかった。

何故ならば何も無いからだ、宇宙人も未来人も異世界人も、超能力者さえも否定されていた。

ともすれば自分がとてもちっぽけな存在にしか思えなかったのだ。

だからこそ僕は自分でお話を考える事にした。

世界がつまらないのなら世界を創ればいい。

最初は絵本の方がマシな次元の出来栄えだった。

世の中にはありとあらゆる本が存在する。そんな事は知っている。

だがそれは、僕の世界ではない。他人の世界だ。知りたくもなかった。

そんな僕の創作活動を邪魔するのは友人だった。

 

 

「ねえ、あなたはいつも机に睨めっこしているか黙っているかじゃない」

 

「……」

 

「何を考えているの?」

 

「……」

 

「ちょっと!」

 

頭を思い切り殴られた。

グーだ。

 

 

「――いっ! な、何をするんだ!」

 

たまらず椅子から立ち上がり睨み付ける。

しかし彼女は全く物怖じしなかった。

 

 

「わたしの質問に答えるのが先じゃないの」

 

「いつどこで君と僕がそんな優先順位をつけたんだ。黙秘権以前の問題だ。話したくないだけだ」

 

「何ですって?」

 

もう一度グーが飛んできても可笑しくはなかった。

僕は基本的に女性を殴ろうだとか非紳士的な行為が嫌いだ。

だからこそ折れるのも基本的にこっちだった。

 

 

「わかったわかりましたよ。落ち着くんだ。……で、何について質問したんだ?」

 

「あなたはいつも何考えてるのって話」

 

漠然としすぎだ。

何を考えているのかなんてのはケースバイケースだろうに。

それでもこれだけは確かだ。

 

 

「君の事――」

 

「え、ええっ!?」

 

「――では当然ない。時間の無駄だからな」

 

「……何よ」

 

と言いながら殴りかかって来るが、視界内の攻撃をわざわざ受けてやるわけがない。

半身になって回避する。

すると何故か彼女は涙目になっていた。

僕に真面目に答えてほしいらしい。

 

 

「この世界がいかに下らないかって事さ」

 

もし僕たちの関係が友人や幼馴染以外にあったとしたら……。

僕が話を考える方の担当ならば、彼女は話を知る方の担当だったと言える。

アニメ小説映画漫画、"お話"と定義できる文化作品に対する貪欲さは異常であった。

僕にはそれが理解出来なかった。

そして、その理解のチャンスすら永遠に失われたのだ。

 

――何てことはない。

彼女が死んだだけだ。だたのそれだけ。

誕生日である11月11日の2日後、11月13日に。

まるで僕も一緒に死んだような気分だった。

己の半身が……いや、全身が失われたような感覚。

気が付けば創作活動をしなくなっていた。

ある人が言うには、僕が彼女の誕生日に一緒に居てやらなかった。

そのせいで拗ねてしまい、呆然と歩いている所を車に撥ねられたのだと言う。

脳挫傷だった。

僕が悪いのかどうかなんて事はわからない。

彼女の口癖だけを、何故か僕は思い出せなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく、これで明らかになったのだ。

世界は二元論で支配されている。

過程は虚構でしかない、幻想でしかない。

白か黒の二色でしか構成されていなかった。

ならば僕が人間世界を捨て、情報の世界を知れば、機械を知れば何かが変わると思った。

資格があったところで自分の視覚には何ら影響しない。

その内この世界すらも、0と1、結局白と黒でしかない事に気付くのはそう遅くはなかった。

 

――だからこそ、僕は世界に復讐した。

"サイバーテロ"なんて生易しいものではなかった。

僕が実行したのは"ファイアーセール"。

国の、世界のありとあらゆるインフラを破壊する、サイバーテロの最上位。

そのための組織を集めた。顔も名前も知らない連中だった。

末端を考えると何人なのかは知らない。僕がリーダーだっただけだ。

だが、結果として確かにそれは完了した。

僕は社会を、世界を滅ぼしたのだ。

 

――その時、ようやく気付いた。

僕がやっているのは人殺しに他ならない。

情報社会の崩壊に伴い、間接的にだが多くの命を奪った。

当たり前だ、ある日突然世界が変わる。

常人はそれに耐えられない。進化は出来ても退化は出来ない。

文明の繁栄は不可逆だ。

そして最初に殺したのは彼女だったのだと。

当分は見られないアニメ番組を回想しながらベッドに崩れ落ちた。

多分、心臓麻痺か何かだ。動けない。

それが最後の記憶。

 

……ではなかった。

 

 

「――で、僕は誰なんだ?」

 

ふと気が付くとベッドの中で朝だった。

それどころではない、知らない部屋だ。

いや、知っている。

僕は知らないが知識として知っている。

どういう理屈かはわからないが、僕は他人の身体に憑依してしまっている。

死んでしまった幽霊って訳か。

この身体の持ち主は小学校六年生にして身長160cmを越えていた。

しかしながら死んだ可能性が高い僕が小学生に憑依するより、恐ろしい出来事があった。

 

――突然流れ込んできた情報。

とある能力、使い方、誰の仕業か。

それは。

 

 

「……涼宮ハルヒ、だと?」

 

彼女を知らない訳がなかった。

【涼宮ハルヒの憂鬱】に登場するメインヒロイン。

友人である彼女に付き合わされて、アニメを見させられた。

彼女の死後、原作も全て読んだ。

最後に刊行された"驚愕"は随分とお待たせしてくれたが、それなりに面白かった。

もっとも今まで読んだ巻の大部分の内容は記憶として欠落している。

はっきり内容に関して思い出せるのはそれこそ"驚愕"だけだった。

それでも解ることがある。

 

 

「どうやら僕は超能力者らしい」

 

やがて何をするでもなく、苦痛でしかない小学校生活における救いの一つ。

いわゆる夏休みが始まった。

そして彼も突然僕の前に現れた。

ある日、アテもなく散歩をしていた時だ。

 

 

「――初めまして。あなたも、僕と同類でしょう? 僕にはわかるのですよ。あなたにもわかるはずです」

 

僕とそう変わらない年代の男の子。

身長だって同じくらいだ。

だが、小中学生がするにしては大人しいファッション。

何より顔が、どことなく似ていた。

あの作品の登場人物。

その少年は僕に笑顔を絶やさず話を続ける。

 

 

「得た能力を使って、世界の終わりを阻止しなければならない。僕たちにはその使命があるのですよ」

 

「わかっているさ。涼宮ハルヒ、だろ」

 

「はい。既に理解しているかと思いますが、僕たちのような人間は他にもたくさん居ます」

 

「で、僕に巨人狩りの協力をしろって訳か」

 

「流石に話が早いですね。そして何より落ち着いていらっしゃる。僕の調べた所だとあなたは、『何の変哲もない年相応の小学六年生』となっていましたが」

 

「君だって僕とそう変わらないように見えるけど?」

 

彼はどうやら一個上らしい。

中学一年生。

やはり大して変わらない。

それどころか僕は精神年齢26歳だ。

言わせてもらうとどうやって僕について調べたんだ?

 

 

「僕の言動に関しましては家庭の事情ですよ。あなたの調査もその関係が多少あります」

 

「そうかよ。……で、どういう集まりなんだ? それ」

 

「僕の同類に関してはあなたで丁度10人目。僕を含めると11人になります。能力者の他にも外部の協力者や、人材に関しては数十人ではききません。そこまで含めますと、僕でも正確な人数はわかりかねます」

 

「ちょっとした中小企業みたいだ」

 

ええ、と彼は肯定した。

間違いない。

彼も確かに"超能力者"だ。

 

 

「一つだけ教えてくれないか」

 

「何でしょうか」

 

「君たちの集まりは、何て名称なんだ?」

 

すると彼は突然微妙な表情になった。

やがて、口を開いたかと思えば。

 

 

「……実の所、まだ名前と言える名前はありません。決めようとすら考えていませんでしたので」

 

「それじゃあ困るでしょ」

 

「僕たちの集まりはあくまで涼宮ハルヒが主体です。"彼女を護る会"という自覚があれば充分ですよ」

 

「はぁ……」

 

ならば、言ってみるだけの価値はあるさ。

僕の意見が採用されるかは不明だけども。

なんだか面白くなって来た。

間違いなくここは【涼宮ハルヒの憂鬱】の世界だ。

あの二元論に支配された世界ではない。

 

 

「じゃあ僕が考えた名前なんだけど」

 

「何かあるのですか? 相応しいのであれば検討しますが」

 

「ズバリ、『機関』ってのはどうだ」

 

「『機関』ですか。……なるほど、確かに僕たちにはこの程度の、単純な名前が相応しい。僕たち個人には意味がないのですから」

 

ともすれば、黒塗りのタクシーがやって来て僕と彼の横で停車する。

彼はドアが開いたタクシーを眺めながら。

 

 

「これから少々お時間をいただけませんか? 夕方には帰しますので」

 

「誘拐犯みたいじゃあないか、それ」

 

メンバ構成は不明だけど、女子が居ないとは限らない。

勘違いでも声はかけれないな。

 

 

「……僕は毎回それと似たような言葉を聞いていますよ」

 

なら誘い文句を考えるべきだ。

どうもこの少年は内気にも見えた。

それも"家庭の事情"なのだろうか?

僕には関係ないが。

 

 

「話は早い方がいいとも聞くよ。それと」

 

「まだ何かありますか?」

 

おいおい、重要な事さ。

 

 

「僕は君の名前を聞いていない」

 

「これは失礼――」

 

僕の方へ直ると、彼は一言だけ、はっきりと自己紹介した。

見ただけでわかる。間違いなく彼がリーダーだった。

 

 

「――古泉一樹と申します」

 

「よろしく。僕の名前は――」

 

とにかく、この時の僕は勘違いをしていた。

僕は【涼宮ハルヒの憂鬱】という世界を、舐めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

超能力者は、何故か閉鎖空間の発生を知覚出来る。

僕も例外ではない。

神人狩りも体力勝負ではあった。

しかし人間は順応する。超能力者も普段は一般人。

僕が順応できなかったのは、あの世界だけだった。

 

 

「……また、か」

 

涼宮ハルヒの精神は、それはそれは不安定だった。

連日連夜の閉鎖空間も稀ではない。

これでは順応と言えど限界がある。

多少のローテーションは組んでいるが、控えとしては出動する必要がある。

一苦労どころでは済まないと感じていたこの日の閉鎖空間はやや大きかった。

急いで夜中に家を出ようとした。

その時。

 

 

「――ねえ。アンタってさ、能力者なんだよね? それも、涼宮ハルヒのための」

 

見た事もない女性が、そこに立っていた。

どこか見覚えがあるセーラー服。

いや、あれはあの高校のものじゃあないか。

街灯の下、彼女は語る。

 

 

「アタシはアンタたちと同じ有機生命体ではない。アタシを知ってるか知らないかはさておき、アンタたちの邪魔をしに来た」

 

何を言っている?

邪魔、だって?

こんな事をするのは橘京子……あの集まりか。

しかし彼女も神人を捨て置くとどうなるかわからないわけではない。

 

 

「待ってくれ。君が何者かも知らずに勝手に話をしないでくれないか。仕事の邪魔だ」

 

「だから、その邪魔が狙いなのさ」

 

「僕一人を相手に邪魔だって? 他に仲間がどれだけ居るんだよ」

 

「アタシだけさ。単独犯。でも、能力者と言っても通常空間では何も出来ない。一人ずつ始末すればいい」

 

「何を言って――」

 

その瞬間、急に辺りが明るくなった。

まるで昼のようだ。

 

 

「ここら一帯はアタシの情報制御下。邪魔を邪魔されたくない」

 

「君は、何者だ……?」

 

彼女は僕に向かってゆっくりと歩く。

赤のロングヘア。

鋭い眼。

獣のような、獰猛さが感じられた。

 

 

「情報統合思念体――とは縁を切ったけど――の急進派。対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」

 

「……"宇宙人"、か」

 

「何それ? 意味がわかんない。有機生命体は何かに例えたがるのか」

 

「僕をどうしようって?」

 

「だから、アンタたち能力者の始末。一人ずつ消してけば閉鎖空間もいずれ手が回らなくなるでしょう。アタシは現状に飽き飽きしてんの。こんな世界は終わってもいい」

 

……狂っている。

これでは原作も何もない。

大筋など知らないが、間違いなく古泉一樹は現在中学一年生。

驚愕の時点では高校二年生だろ?

『機関』が崩壊すればどうなるんだ。

古泉も、殺されるのか。この赤髪宇宙人に――。

 

 

『――待ちたまえ』

 

「……何よ?」

 

その人物は、宇宙人の背後から突然現れた。

声と言う声が、まるで聞き取れなかった。

 

 

『私が何かと訊ねられればどう返答するべきか』

 

「アンタ、どうやって入って来たの?」

 

『ふむ。気になるかね』

 

「インターフェース……ではないか」

 

『私は私だ。ただの死人だよ。この空間に侵入したのはちょっとした能力の応用でね』

 

黒のロングコート、皮手袋、ブーツ。

顔には"ガイ・フォークス"の仮面とシルクハット。

 

 

『いい機会だ。二人とも、退屈しているのだろう?』

 

「……何言ってるのよ」

 

『ふむ。君は"進化"を求めているね。情報統合思念体と同じだ』

 

しかし、これは本当に何となくだ。

僕はこの人物と、どこかで出会った事がある。

 

 

『私が君たちに望むものを与えよう。その、プランもある』

 

「……アンタがどれだけ利用できるって?」

 

『私は知っている。これから先に起こるのは間違いなく変革だ! ……だが、今日ではない』

 

「いつかわからない話を理解しろ。私がただの人形だからって、それは合理的ではない」

 

僕は違う。

この人物の発言を"信用"していた。

"信頼"ではない。

 

 

『気に入らなかったら私を殺せばいい。多分、無駄だがね』

 

「……じゃ、遠慮なく」

 

宇宙人女の手元が発光した。

次の瞬間にはその仮面の人物が貫かれていた。

女の右手は、鋭い先端の触手になっていたのだ。

 

 

「な、馬鹿な……」

 

「あっけない。次は、アンタでいい? 順番の前後は気にしないでね」

 

女はそう言って触手を仮面の人物の胴体から抜き去る。

しかし、血の一滴も流れていない。

それどころか服に傷がついていない。

風穴が空いていないのだ。

 

 

『予想通り。私を殺せなかったようだ』

 

宇宙人女も、僕も、動けなかった。

この仮面の人物は"アノニマス"のそれよりも、不気味であった。

でなければ幽霊だ。

 

 

『もう一度言おう。私が、君たちに望むものを与えよう』

 

僕の望みは、彼女との再会だった。

あの日に戻ることだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そして。

 

 

 

2007年4月の現在。

某高校の一角。

 

 

「……この作戦、本当に上手く行くのか?」

 

「フフ……怖気づいたの」

 

まさか。

君が居れば僕は無敵だ。

 

 

「そう言ってくれるのはありがたいけど、わかってるのかしら。あなたのリミットを」

 

「今年の11月13日、だろ」

 

「ええ。時が来れば間違いなくあなたは死ぬ。元の世界のあなたも」

 

無茶な話だよな。

何より可笑しいじゃあないか。

 

 

「どうして僕だけなんだ? 元が同じ人間で、あっちは死なないってのが不公平だぜ」

 

「同じこと。このままだとやがて破滅する」

 

「……君に振り回されるのも懐かしいな。あっちは君を覚えていないんだろ」

 

「それも、運命」

 

その通りだな。

運命、因果、宿命。

最高じゃあないか。

 

 

「行きましょう」

 

「了解。顔見せだけ……とは行かないだろうさ」

 

「明智黎は真実を知りたがっている」

 

「僕が行く必要あるのか?」

 

余計に混乱するだけじゃあないのか。

僕ならきっとそうなるね。

そんな僕の独白を聞いた彼女は。

 

 

「昔の浅野君なら違ったわよね。偉そうな事ばかり」

 

「反省も後悔もしたさ。だからこそ僕は死ぬわけにはいかない」

 

――明智黎。

僕はお前とは違う。僕は彼女を覚えている。

お前を殺してでも、僕は生きてやる。

だが、今日じゃあない。

 

 

「先輩たちが待ってるわよ」

 

「……歓迎されに行くとしようか」

 

文芸部員希望の、新入生として。

 

 

 



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第七十五話

 

 

俺がいくら荒唐無稽な話をされようと何も無かったかのように世界は動く。

特に学校生活はそれが如実で、気が狂うほどにどっちが日常なのかが曖昧になる。

ただ、確かな事はご期待通りに現れやがった。

そいつらは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何事も無く放課後を迎え、文芸部室に向かう俺と朝倉さん。

昼休みの話は割愛させてもらおう。いつも通り、お弁当は感動的な出来だ。

俺だってこんな一件はさっさと終わらせたい。

誰が得するのかはさておき、俺は得しないのは確かなんだ。

進化でも自律進化でも好きにするといいさ。

 

――俺はこれからどこにも行かない。

異世界人だからって世界をとっかえひっかえする必要などない。

ここでいいのさ。

 

 

「お前さんが一番乗りとは、珍しいじゃあないか」

 

古泉が一人だけ、パイプ椅子に座っていた。

机の上には何も置かれていない。

 

 

「特に遅れる要因がなかった上に、誰かがこの部室の鍵を開ける必要がありましたので」

 

「長門さんは今日も来れないわ。私がもっと協力してあげたいところなんだけど、今でもグレーゾーンなのよ。これ以上は私の権限ではどうすることもできない」

 

「そうですか……」

 

そうさ。

この世界だって完璧だとは思っていない。

何故なら全てを知らないからだ。

確かめる必要がある。

ただ、その方法さえわからない。

 

 

「それが、問題だ」

 

「……何が問題だって?」

 

ドアノックと共に入ってきたキョンが俺の言葉に反応した。

気にするな、独り言みたいなもんさ。

そしてキョンは古泉の右に座る。俺はその対面で朝倉さんの右に座っている。

普段ならボードゲームでもしない限りは女子と男子で自然に席が分断される。

団長の涼宮さんは何故かいつも到着が遅い。授業が終わるな否やどこかへ走り去っていった。

そして朝比奈さんも今日は遅かった。これが野郎三人だけなら俺は否定しにかかっていただろう。

朝比奈さんは泣いても笑っても三年生だ、この時代で進学するのか、未来に帰るのか。わからない。

キョンはいかにも彼女のお茶が飲めない事を不満そうに溜息を吐いてから。

 

 

「はぁ……。そういや今日、俺は佐々木に会いに行く」

 

「本当ですか?」

 

「だから早目に切り上がらせてもらう。用事がある事はハルヒにも言った」

 

どうせ部活自体も四時半前には終わるだろうがな、と彼は付け足した。

涼宮さんには何と言い訳したのかね、またシャミセンの病気とでも言ったのだろうか。

それはそうと。

 

 

「長門さんをいつまでも風邪で誤魔化すのは無茶がある。もう入院させた方がいいんじゃあないか?」

 

「確かに、『機関』であればそのように取り計らう事が可能です」

 

「おい、大ごとになるだろ。長門が入院なんかした日にはそれこそハルヒが何をするかわからん」

 

長門さんの熱は37度後半。

社会では許されざる数値だが、確かにきつい。

朝倉さんが負担を軽減しなければもっと熱は高くなるらしい。

これで風邪ではないのだから無茶もいいとこだ。

情報統合思念体は彼女たちを何だと思っているんだ。

誰かの代わりは居ないんだ。

長門さん風に言わせてもらうが、『ユニーク』なんだよ。

しかしながらキョンは長門さんと涼宮さん、どちらを心配しての発言なのだろうか。

 

 

「ふっ。自分の心配が一番必要なんじゃあないか?」

 

「あら……そう言う明智君は昨日――」

 

馬鹿、よせ。

そんな話はこいつらに聞かれたくない。

ヤらしい事を考えられないぐらいに俺は摩耗していたんだ。

定期的に抱き着いてやってもいいんだぜ、俺は。

……嘘だって。

何とか大きく咳払いをして誤魔化した。

 

 

「と、とにかくキョン。そっちはお前に任せる」

 

「佐々木についてか」

 

「それもあるが、橘と藤原だ。あの二人の狙いはお前さ。周防……は何が狙いかよくわからないし」

 

危うく"ちゃん"を付けそうになった。

俺の場合は周防を馬鹿にしているためにそう呼んでいるが、朝倉さんが聞いたら間違いなく誤解する。

デキる男は失敗しない。そして失敗した時の切り替えも早くあるべきだ。

古泉もその辺は俺と同意見らしく。

 

 

「明智さんの方は佐藤さんの担当というわけですね?」

 

「自然な流れさ。オレの推測だが、藤原が周防を利用している。天蓋領域もコネは欲しいんだろうね」

 

「未来人とのコネか? よくわからん連中だな」

 

「利用できるものは多い方がいいもの。情報統合思念体もそこは同じよ」

 

結局あいつらも高次元の存在だとか言って天狗になっているだけだ。

進化どころか繁栄さえ出来ないだろうな。

俺に言わせると二元論に支配された下等種族だ。

モンキー以下なんだよ。

 

 

「今日もしお前が成果を挙げられなかったのなら明日はオレが動こう」

 

「何かあるのか? 言っておくが中河は無理だと思うぞ。奴の携帯番号ぐらいなら教えてやれるが」

 

「夜は勉強しているんだろ。彼の熱意に水を差したくない。今回は別のプランさ」

 

「期待しないでおこう」

 

俺も同感だよ――。

 

 

――コンコン

 

不意に再び部室の扉が叩かれた。

その瞬間、俺たちは話を中断した。

しかし妙である。

涼宮さんならお構いなしに入ってくるだろうし、朝比奈さんがドアノックをする必要は無い。

そもそも女子がやる必要はないのだから。

誰かは不明だがお客さんなのは確かだった。

 

 

「……どうぞ」

 

キョンが一言そう言うと、ドアが開かれた。

だがそのお客さんは間違いなく俺が予想しなかった人物だった。

 

 

「フフ……初めまして、先輩」

 

「……なっ」

 

凍り付く俺とキョン。

確かにそいつは北高のセーラー服を着ていた。

"噂をすれば影が差す"、か?

そろそろ俺は喋らない方がいいかもしれないな。

"口は災いの元"だ。

 

 

「……佐藤」

 

俺の一言に朝倉さんも古泉も反応した。

先輩、の言葉通りに上履きのそれが一年生のものだった。

 

 

「君は何しに来たんだ?」

 

「文芸部……いいえ、SOS団に入団希望。とでも言っておきましょう」

 

「はっ。残念だが、見ての通りハルヒはまだ来ちゃいないぜ」

 

いつも通りにふざけた態度。

だが、どこか彼女は楽しそうに見えた。

今までとは違う。雰囲気が。

佐藤は本当に楽しそうな声で。

 

 

「今日は紹介したい人が居る」

 

ここで中河氏が出て来た日には一気にこの部室が戦場と化すだろう。

女子だろうがお構いなしに、俺は佐藤を拷問するべく動くはずだ。

彼女に続いて入ってきたのは、知らない男子生徒だった。

そいつも一年。身長は170あるかどうか。

髪型は天然パーマ。しかし、その眼は佐藤のそれよりも、鋭い。

すると古泉は突然立ち上がった。

彼の表情からは珍しく、焦りが感じられる。

 

 

「――ま、まさか! あなたは……」

 

何やら知っている人物らしい。

朝倉さんをちらりと見るが、彼女は佐藤に対し不快そうな顔をしているだけ。

その男子生徒に対しては何ら反応していない。

古泉の異変を目の当たりにしたキョンは。

 

 

「どうした古泉。誰なんだあいつは?」

 

「僕の、いえ、……かつて、『機関』のメンバーだったお方です」

 

"だった"?

どういう事だ、裏切ったとでも言うのか?

連中が涼宮ハルヒ信者の集団には違いないはずだ。

橘京子に寝返ったとでも言うのだろうか。

……だとしたら悪趣味だな。

橘はどう見てもアホの子でしかない。

可愛い子ぶっても美人として振る舞えるかは別問題なんだよ。

古泉の言葉に男子生徒は反応した。

 

 

「嬉しいな。僕を覚えてくれていたようじゃあないか。"リーダー"」

 

「……ええ、あなたを忘れる訳がありませんよ」

 

苦しい表情の古泉に対して威圧的な態度の男子生徒。

この場だけを見れば明らかに古泉が下だった。

そして俺の疑問をキョンは代弁してくれた。

 

 

「なあ、あんた誰なんだ? 『機関』メンバーだったとはどういう事なんだ」

 

「リーダーが言った通りだ。僕は四年前のある日に『機関』を抜けた……とある事情で」

 

「我々からしたら文字通りに"消失"ですよ。まるでこの世界からあなただけが消えたようでした。あなたの家族も心配しています、今までどちらへ……?」

 

四年前に消失……。

おいまさか――。

 

 

『――ある日、それなりな規模の閉鎖空間が発生した。しかし急進派のTFEI端末の一つが超能力者を妨害しようとした』

 

平行世界で、ジェイが俺に語った話だ。

それはカイザー・ソゼの仕業だと言った。

だが、ジェイもソゼも結局佐藤の自作自演。

俺の能力とやらのための。

 

 

『結果から言えば、その端末と超能力者の一人が世界から文字通り"消えた"。それで事件は解決した』

 

消えたのは、急進派の宇宙人だけではなかった。

超能力者も――。

 

 

「リーダー、僕の心配は不要だ。こことは違う世界で仕事をしていたからね。神人狩りのウデも鈍っちゃあいない」

 

「……何だって?」

 

「フフ、自己紹介をしたら?」

 

キョンは理解が出来なかったらしい。

そして佐藤が男子生徒にそう促す。

まるで、心底から愉快と言わんばかりに。

 

 

「僕の名前は、サノ・アキ。佐乃秋だ。でもって超能力者兼――」

 

佐乃と名乗った一年坊は、とんでもない奴だった。

少なくとも俺が混乱するぐらいには。

 

 

「――異世界人さ。まっ、気軽にアッキーとでも呼んでくれ」

 

こいつは何を言っているんだ……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はっ。異世界人のバーゲンセールか」

 

暫くの静寂の後、キョンはそう呟いた。

古泉は言葉を発する事が出来ていない、朝倉さんは無表情。

来訪者二人はやけに挑発的な態度だ。

どうやってこの学校に潜入したかは知らないけどな。

 

 

「同感だね。君が誰だか知らないが、そこの佐藤に騙されているだけじゃあないのか?」

 

急進派の宇宙人だって利用されただけだ。

この女は浅野にしか興味ないんだとよ。

俺に協力的でも何でもないのが事実だ。

と、俺の発言を受けた佐藤は。

 

 

「……フフフ。だ、そうよ?」

 

「まったく。僕としてもここまで愚かだとは思わなかった。明智黎」

 

佐乃君とやら、一年生のくせにやけに偉そうじゃあないか。

どうせさとうに無い事しか吹き込まれていないのだ。

彼の四年前など中学生ですらないはずだ。

ともすれば誘拐犯みたいな手口じゃあないか?

佐乃君もどうせ俺みたいに別の世界へ飛ばされたって口だろうよ。

しかし彼は俺の考えを否定した。

 

 

「僕は涼宮ハルヒより、彼女についていくと決めただけだ」

 

「……佐乃さん。あなたは我々の使命を放棄した上に、今度は我々に敵対するおつもりですか」

 

だったら容赦しません、と言わんばかりの威圧感だった。

間違いなくこの場で一番怒っているのは古泉一樹であり、『機関』に他ならない。

失踪した超能力者は、『機関』の裏切り者だったって訳か。

だが。

 

 

「結局君も利用されているだけだ。そこの佐藤の目的を、君は知っているのか?」

 

荒唐無稽にもほどがある。

よくもその女を信用する気になったな。

言っておくが俺は最初から信用も信頼もしていなかった。

ただ、他にアテが無かっただけで、そうせざるを得ない状況に追い込まれた。

佐乃はどう違うと言いたいのだろうか。

 

 

「勿論だ。彼女の望みは理解している。そしてそれは、僕の望みに他ならない」

 

「……何を言っている。これ以上厄介ごとを増やすな。どうせお前も長門の任務は知らないとか言い出すんだろ」

 

「手段がないわけではない。もっともそれは、そこの明智黎が知っているはずだ」

 

「何……?」

 

無茶ぶりだ。

俺は佐藤と話したいんだがね。

すると朝倉さんは。

 

 

「どうでもいいけどね、佐藤。あなたが私と明智君にとって迷惑以外の何物でもないのは確かなの。浅野と明智君は別人なんでしょう? ただの可能性にすがるしかないのかしら」

 

「ふむ。"可能性"とは?」

 

「自律進化、否定。次元の壁を越えられるはずの異世界人が、なぜ明智君と同じことが出来ないのか……その目的さえ怪しく思えるじゃない」

 

確かにそうだ。

俺だけが特別だと言う根拠がどこにもない。

佐藤だって充分に原作の流れを変えてしまったと言える。

あるいは修正したのか?

とにかく、方法こそ不明だが彼女も平行世界へ移動できる。

喜緑さんの発言も勘違いだ。

情報統合思念体の計算ミスに他ならない。

過大評価ですらなかった、審査員がまるで使えないからだ。

 

 

「その辺の話は今回の一件に関係ない。長門有希を心配するのはわかるけど、私は管轄外なのだから。朝倉涼子、あなたと同じようにね」

 

「あなたは自分の立場をよく理解しているのね」

 

「フフ……私の目的は二つある。そのもう一つは知らなくてもいい事。明智黎には関係がないのだから」

 

「何も知らない相手にオレが協力するって?」

 

信用も信頼も出来ないのに、どうしろと。

そんな俺の発言に過剰な反応を示したのは裏切り者らしい佐乃君だった。

 

 

「『何も知らない』だと……ふざけるな! 明智黎、お前はやはり忘れてしまったようだな……」

 

確かなのは、彼が異世界人かどうかではなく彼も巻き込まれたという事。

いいや、巻き込まれたのは二人だけだったんだ。

 

 

「僕はかつて、前に居た世界でテロを起こした」

 

「……ふっ。死にたがりのする事だね。中二病患者かよ」

 

「復讐するためだった。世界へ」

 

「その話が長くなるのなら、そろそろ俺は帰らせてもらおう」

 

キョンは鞄を持って立ち上がる。

佐々木さんの一味に合いに行くらしい。

すると佐乃は。

 

 

「これだけは聞いていくといいさ。君も知っていた方がいいのだから――」

 

大体からして可笑しかったのだ。

精神分裂? 行動する事さえ出来ない状態?

俺の不完全な前世の記憶だけで、それがそうだと言えるのだろうか。

浅野にも精神の大部分は残されているはずではないか。

ゼロだとは、とても思えなかったのだ。

 

 

「――僕の正体さ。僕の本当の苗字は浅野。かつて、全世界のシステムを、情報社会を、インフラを破壊したサイバーテロリスト組織のリーダー」

 

自分について疑問に思った事はそうない。

出来る事は出来る事なのだから。

俺の技術について俺が疑問を持たないのは当然の事だった。

全ては経験という"過程"があった上の、"結果"なのだから。

 

 

「組織のみんなから僕はこう呼ばれていた。情報世界の皇帝……"カイザー"と」

 

「フフフ、私も世界の崩壊を見たかった……」

 

「残念だが僕一人では無理さ。そこの、明智黎の協力があったら別だけどな」

 

「大好きよ、浅野君……」

 

「今の僕は佐乃。しがない超能力者さ」

 

……で、この一年生の正体が何だって?

キョンも、古泉も、俺も、動けなかった。

朝倉さんは違う、彼女は俺たちにあわせて動かなかった。

文字通りの救難信号はSOSでしかない。

 

 

 



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第七十六話

 

 

 

……で、どこからどう突っこめばいいんだ俺は?

俺の脳内耐タンパー性――内部構造の機密性――はここ数日で飛躍的に進化していた。

ありがた迷惑なことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こいつらは俺の回線をパンクさせるつもりらしいが、そうは行かないからな。

未だ鞄を持ちながら硬直している彼に対し。

 

 

「キョン」

 

「……な、何だ」

 

「お前はもう行っていいと思うよ。そこの一年の話はこっちで聞いておくさ」

 

佐藤と佐乃は俺の発言には反応しなかった。

言いたいことは既に言っているのだ、追究は残りの三人でも出来る。

佐々木さんを待たせるのは友人としてどころか男としてナンセンスさ。

今度こそ部室を後にしようと一年生二人――まさか本当に入学したのだろうか?――の横を通り過ぎる。

二人ともキョンの離脱を特別気にしていないようで。

 

 

「フフ、また今度会いましょう。先輩」

 

「佐藤よ。佐々木はそこの野郎の事も知っているのか?」

 

「機関でも僕の足取りを掴めなかったんだ。彼女が知っているはずもない」

 

「……そうか。とにかく、妙な事は考えるなよ」

 

と言い残して退室した。

成果があるといいんだけど。俺は期待しておくよ。

古泉は何とか落ち着きを取り戻し。

 

 

「お二方、椅子にでも座ったらどうですか?」

 

「いいや結構。僕はここの団員じゃあないからね」

 

「なら立ったままで結構だ。我々『機関』が納得する説明をしていただきたい」

 

「あっちの世界でのリーダーはこうもおっかなかったかな……」

 

待て。

まずは俺が質問するべきじゃあないか?

お前達『機関』のゴタゴタは後でゆっくり話し合ってくれ。

差し当たっての問題は。

 

 

「君の本当の苗字が、何だって……?」

 

「フン、理解できなかったようだな。だが無理もない。僕が同じ立場ならきっと混乱するだろう」

 

一度に与えられた情報量に対して説明が皆無だ。

いつもそうだ。

ジェイとして佐藤があの世界で名乗り出た時から。

 

 

「――僕は浅野。……明智黎、元はお前と同じ人間だ」

 

……何?

誰と誰が同じだって?

もしかするとそれは平行世界の話か。

 

 

「違うね。精神分裂。つまり、僕とお前の二人で一人の浅野だったという訳だ。足りない要素は宿主から引き継いだ……それだけだ。他に何かわからない事があるか?」

 

つまりも何もどういう事だ。

三年いや四年前のあの日、君と俺がこの世界に飛ばされたって事なのか?

その事実は辛うじて理解した。けれど納得はしていない。

俺が精神分裂を経て飛ばされたという経緯は? 背景は何なんだ。

涼宮さんで間違ってないんだよな?

 

 

「その辺は僕には不明だ。彼女は知っているだろうが」

 

「取るに足らない話よ。誰も聞く必要はない」

 

「だ、そうさ」

 

「……なるほど。理屈は不明ですが、佐乃さんの精神年齢は本来の年齢とは異なっている、道理で老成していらっしゃる訳だ」

 

「僕の場合は偶然に偶然が重なっただけさ。リーダーの方こそ座ったらどうだ?」

 

佐乃の言葉に従い、古泉は再び座る。

まだまだ謎は残っている。

サイバーテロがどうだの、古泉をやけに"リーダー"呼ばわりするだの、どうやって橘でさえ断念した北高に潜入できたのか。

しかし、こいつらが帰る前にこれだけは聞く必要がある。

 

 

「君が、佐藤が求める浅野なのか……?」

 

ならばお前達二人で宜しくやればいいじゃあないか。

もう解決だろ。

何だか大好きだとかどうとか言ってたし、俺も佐々木さんの方に集中したい。

イカれたカップルどもが。あの二人の方が共依存だな、古泉よ。

天然パーマと目つきの悪さを除けば佐乃君とやらもモテそうだぞ?

偉そうなキャラクターは谷口のそれよりウケるだろうな。

あいつは何もしてなくても下品なオーラが出ている。

とにかく俺に用は無いはずだろ。

だが佐乃は、再び怒りを滲ませながら。

 

 

「精神分裂と言う事は、即ち"思い出"の分裂……お前は自分の犯した罪から逃げた。嫌な記憶だけが、僕に残されたんだ」

 

「……何を言っている?」

 

「フフフフフッ。でも、私の事を覚えているのは浅野君なのよ。明智黎は忘れてしまっている」

 

「あら、明智君は何を忘れていると言いたいのかしら? はっきりしなさい」

 

ともすれば朝倉さんはこの中で一番男らしい発言をした。

多分に全員の歯切れの悪さに苛立っているようでもある。

飲食店でなかなかオーダーが届かない時の感覚さながらだった。

そして佐藤は、この日最後の爆撃を開始した。

 

 

「私を死に追いやった記憶。それを明智黎は忘れている……」

 

「オレが……君、を……?」

 

「フン。何度思い出しても心苦しい。後悔なら死ぬほどしたさ。だが、僕は死ぬわけにはいかない。彼女と出会えたんだ」

 

「だけど再会じゃないのよ。そして再開する必要がある」

 

もう何が言いたいのかは意味不明だ。

客観的、冷静的に分析したとしても意味が解らない。

俺が忘れている友人に関する記憶を全て、佐乃が持っていると?

こいつが俺だって?

助けたいのは、元の世界の俺なんじゃあないのか――。

 

 

「――あら? あんたたち誰?」

 

「すいません遅れちゃいまし……はぇ?」

 

さっきまでのこの部室は"レバノン"ぐらいの危険度だった。

しかしこの瞬間に、危険度はゲージをゆうに振り切ってしまった。

さながら世界大戦直前の"バルカン半島"。

火薬庫どころでは済まない、核爆発一歩手前の臨界体勢。

 

 

「何だ、新入生ね。でも残念だけど入団テストはまだ先なの。今はそれどころじゃないから」

 

「そうだ、せっかくなのでお茶をお出ししますね」

 

……まずい。

涼宮さんも朝比奈さんも、状況を全く理解できていない。

古泉は見た事もないような表情をしていた。

俺も多分、似たような感じだ。

どうする? 何か打つ手はあるか?

このまま時が止まってくれるのが一番だ。

次点は二人が勘違いしたまま終わればいいだろうな。

 

――違う。

動くべきは、俺だ。

 

 

「――涼宮さん」

 

「何、どうしたの明智君」

 

「実はこの二人、SOS団じゃあなくて文芸部希望らしい。ちょうどその説明をしていた所なんだ」

 

……だろ?

と言わんばかりに他四人を睨み付ける。

朝倉さんと古泉、異世界人を名乗る馬鹿二人もだ。

これで駄目なら威圧しかなくなる。

 

 

「はい。どうやら彼らの"勘違い"だったようです」

 

「……何よ、つまんないわね。それもこれも全部あの会長のせいでSOS団として宣伝できなかったのよ」

 

「文芸部としての活動もあるけど今は部長の長門さんがいない。彼女は風邪気味でね。とにかく、今日のところは残念だけど帰ってもらえないかな?」

 

「ふーん。あんたたち、SOS団に入りたいのなら後日入団テストを行うわ。やる気があるなら来て頂戴」

 

無理矢理話を展開させていく。

ここで涼宮さんに反抗してみろ。

それが面白がられるかどうかは俺にもわからないぜ。

佐藤は今まで浮かべた事のない平凡な笑顔で。

 

 

「ちょっとびっくりしちゃいましたけど、その部活も面白そうですね」

 

「……僕にどうしてほしいんだ?」

 

「入団テストを受けてみるのも、面白そうじゃない」

 

正気かよ。

どうでもいいからさっさと失せてくれ。

対応はこれから考えてやるさ。

佐藤の発言に対して涼宮さんは。

 

 

「テストは今週中……に、出来るかはわからないわ。SOS団全員が集まらないと選考出来ないから。ま、決まったら大々的に宣伝するつもりよ」

 

この二人はさておき、涼宮さんはどういう方法で宣伝するつもりなのだろうか。

いや、まず入団テストなるものが本当に用意されているとは思わなかった。

春先に何度か彼女はそのような事を言っていたが、本当に増やすつもりなのか?

増えるのか? 団員。

 

 

「フフ、わかりました。行きましょ、佐乃君」

 

「……失礼したよ」

 

こちらの空気などお構いなしに二人は退出する。

朝比奈さんは残念そうに。

 

 

「あっ。お茶、もうすぐだったのに……」

 

「みくるちゃん、あたしたちで飲むから気にしなくていいわ」

 

……命拾いしたのはどっちの方なんだろうな。

宇宙人と超能力者の表情は無表情だ。

俺はどうなんだろうか。

自分の顔だけは永遠にわからないものさ。

次に俺はどんな事を言われるんだ?

夢を見ない俺にとって、まさに夢物語であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日は朝比奈さんから出されたお茶を飲み干すと直ぐに解散となった。

ちなみに彼女は珍しいことにメイド服ではなく一日中部室内で制服姿だった。

涼宮さんは朝比奈さんと一緒に新入生の逸材を探しに校内をうろついていたらしい。

探索先が他の部活の新入部員候補なのだからいつもながらに破天荒だ。

SOS団に興味も何もない一年坊を青田買いどころか青田刈りというわけである。

程なくして帰宅コースなわけだが、古泉に一言。

 

 

「佐乃が言っていたリーダーってのはどういう事なんだ?」

 

「……この件が落ち着いたら『機関』について多少お話ししますよ」

 

とだけ言った。

古泉の家がどこかは知らないが、俺の家とも宇宙人の分譲マンションとも違うのは確かだ。

彼について気になるかどうかで言えばそりゃあ確かに気になるさ。

でも、優先順位がある。古泉だってそれをわかっている。俺もだ。

今回に関しては間違いなくキョンであり、佐々木さんを取り巻く関係であった。

俺ではない。

後でゆっくり話を聞かせてくれればそれでいいさ。

新登場の裏切り者さんも宇宙人には疎いらしいからね。

あいつらも優先順位は下だった。

 

――やがて、長門さんの住む708号室に到着した時には17時が近かった。

彼女一人で生活出来ていたのだろうか?

宇宙人相手にその心配は無用なのかもしれないが。

 

 

「……」

 

ベッドの長門さんは穏やかな表情で眠り続けている。

本当に任務も負担を感じさせない。

言うまでもなくそれは朝倉さんのお蔭だ。

 

 

「情報統合思念体は何も言ってこないのか?」

 

「うん。長門さんの任務に干渉するなって警告だけよ」

 

せめて終了のメドぐらいは立たせてくれ。

何を交信しているのか、その一切すらこちらには不透明なのだ。

まるで見えない何かが徐々に俺を取り囲んできているようであった。

残念だが放課後気分にはとてもなれないな。

居間のこたつに朝倉さんと向かいで座る。

 

 

「次の一手か……」

 

「何か考えがあるのかしら」

 

それは間違いなく周防を頼るプランだ。

ただし、つつくのは藤原ではない、谷口。

と言ってもあいつに事情を説明するわけにはいかない。

彼には彼の平穏がある。

周防にフられた時の事を考えると知らない方が幸せなのだ。

こっちはこっちでどうにかするさ。ただ、少し力が借りたいだけ。

 

 

「それは悪手かもしれない」

 

「私に説明する気は無いの?」

 

「朝倉さんはまだ上がうるさいんだろ。ならおちおち説明も出来ないさ」

 

それは間違いなく情報統合思念体にとって邪魔でしかないのだから。

俺はとにかく周防に賭けたかった。

ギャンブルは嫌いだ。俺に幸運など無いのだから。

しかし、根拠のない自信とやらに頼りたくなる時がある。

周防は何も知らないのだ。

朝倉さんが三歳なら周防はきっとそれ以下だ。

ともすれば乳児かもしれない。

命令に従うしかないのだ。それしか生きる術がわからないのだ。

かつての朝倉さんのような行動が出来る奴など、本当に稀有な存在だ。

だから俺は彼女を好きになったんだろうな。

 

 

「何が起ころうとしているのか、あいつらの狙いをどこまで信用していいのか。オレにはわからない」

 

「あなたは今まで、"わかっていた"から行動してきたのかしら?」

 

「ふっ。オレが何かした事なんて数えるほどしかないよ。オレである必要性さえ怪しい」

 

「……後ろ向きね」

 

後ろを向かないのが前向きじゃあないのさ。

最終的に振り返るから前向きなんだ。

俺が棄てた世界、そしてその罪はとても大きいものらしい。

……知るか。

勝手に俺を"臆病者"と思おうが、俺はもう思っちゃいないんだ。

少しずつ成長すればいいじゃあないか。

後ろとか前とかは、それから考えればいいんだ。

 

――佐乃よ。

例え俺がお前の立場でも、俺はきっと好きな人のためなら諦めないだろう。

正直に何も隠さず話してくれれば、俺だって協力するかもしれないさ。

だけど、逃げる事だけはするんじゃあない。

 

 

「現実は受け入れる他ないさ。ここは確かに現実世界で、オレが知ってたお話に似ているだけ。ほぼほぼ同じとは限らない」

 

朝倉さんがここまで美しいとは思ってもいなかったわけですよ。

違うな、谷口の採点基準は不明だが女子は美人揃いだ。

だから何だってわけではないが挙句には男子も顔だけはまともな野郎ばかり。

俺が勝てるのはもはや減らず口だけだ。

間違いなく捨てられるとしたら俺の方だ、朝倉さんに。

 

 

「私は信じない事に決めたわ」

 

「何を?」

 

「明智君に何かを変える力があるって話」

 

「オレが一番信じてないからね」

 

あったとしても使いこなせる方法がわからない。

某ノートみたいに使い方を書いておいてくれないか?

あの程度の英語なら誰でも読めるから。

すると朝倉さんは満足そうな表情で。

 

 

「私にもあるはずよ。きっと」

 

「いいや、みんなにあるはずさ」

 

人間の精神に進化の余地があるのかは不明だ。

ニーチェ先生が言う超人論も、アテに出来るかは不明だ。

だけど、あった方が面白いだろ? 楽しいだろ?

否定していいのはつまらない事だけだ。

それが俺のルール。

 

 

「いつか……」

 

本当に平和になったら、プロポーズでもしようかなと思った。

割と本気さ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そうこうして帰宅になったわけだ。

今日は喜緑さんも居なかったし、あの二人組も家までは来なかったらしい。

うん、問題なく今日はこれで終わりだ。と思い俺はパソコンを起ち上げていた。

晩御飯の時間まではまだ暫くあった。19時前後が基本なのである。

適当なネットサーフィンに興じるのも悪くはないが、ニュースを見るのが一番楽しい。

だなんて思っていると携帯電話が鳴り響いた。

相手はキョンらしかった。

 

 

「……もしもし?」

 

『おい』

 

キョンの声からは焦燥感があった。

何かあったのだろうか?

 

 

「緊急事態か! どこだ、直ぐに向かおう――」

 

『確かに緊急事態ではあるんだがな、とりあえず落ち着いてくれ』

 

「何を言っているんだ?」

 

『お前に一つ報告があってな――』

 

果てしなく俺は失念していた。

こうなってしまう可能性を。

 

 

『――どうやら谷口の彼女は、あの周防らしい』

 

……プランB、知らないフリだ。

 

 



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第七十七話

 

 

この場合俺が持つ選択肢としては二通りが考えられた。

"驚愕"か、"呆然"とするか。

知らないフリ作戦を決行するからにはそのどちらか……。

俺のキャラ的には後者の方が自然だろうさ。

重要なのは質問する事、問い詰める事。

絶対に受け手に回ってはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「済まない、キョン。お前の発言がよくわからなかった。電波が悪いのかも知れない」

 

『そんな訳あるか。こっちは至ってクリアな音声だ』

 

「……誰がどうしたって?」

 

『谷口が付き合っていると話していた光陽園学院の女子だ。それが周防九曜だった』

 

「……冗談だよな?」

 

『俺もそう思いたい』

 

最悪の場合、谷口に突撃する作戦がおじゃんになりかねない。

昨日の今日で呼び出された日には周防も警戒するだろう。

どうしてこうなったのか? それが、問題だ。

 

 

「詳しく頼むよ」

 

『だがまずは佐藤の話だ。藤原は確かに偉そうな事を言っていた。こちらの要求を呑めば長門の特殊任務も即座中断出来ると』

 

「話が見えてこないな。要求だって? 誰が、何をしろと」

 

『佐々木がハルヒの力を移譲される。俺がそれに同意しろ……だとよ』

 

無茶だな。

それにハッタリの可能性も高い。

 

 

「周防ちゃんの反応は?」

 

『時折意味不明な宇宙的単語を呟いた程度だ』

 

「大体お前の同意なんて関係あるのか? 佐々木さんに能力を渡せるならさっさとすればいいだろ」

 

『しかし連中は俺に迫る一方だ。まるで出来たらとっくにやっていると言わんばかりにな』

 

「"鍵"……か?」

 

そしてそこまでの役割はキョンにしか与えられていないのだろう。

俺はただの"予備"でしかないらしい。

言葉通りに考えるなら涼宮さんへの影響力は多分にオミットされている。

単なる厄除けでしかないのだ、俺は。

 

 

「で、お前は何て言ったんだ?」

 

『佐々木だって欲しくもなさそうにしているんだ。俺が同意する理由もない』

 

そうなのかな。

お前は単に、涼宮さんを選択したと言えるのか?

連中は連日連夜とアタックしているんだ。

ただの鍵に出来る事なんか開錠だけなんだよ。

その役目さえない俺が出来るのは自分を振りかざすだけだ。

原始人の火か文明人の炎かなんてのは些末な問題でしかない。

キョン、お前と俺は違うんだ。

下らないラブコメじゃあないんだから。いつまでも保留するなよ。

……やっぱり、俺が言うと説得力ないかな。

 

 

『当たり前だ。その結果のお前達を見ていると、どこか安心もするがな』

 

「朝倉さんは総合的にオレより強いからね」

 

『少なくとも明智の方が立場が下なのは俺でもわかるさ』

 

それでも隙あらば彼女と好き合いたいさ。

でも、今日じゃあないんだ。

決着はまだ先だ。

 

 

「で、他に話はあるか? 無ければ谷口の方を聞きたいんだけど」

 

こっちのよくわからない一年生コンビの話もしたいしね。

そしてどうやらキョンの方の話は無いらしい。

さっさと谷口の事を語ってもらおうじゃあないか。

 

 

『解散後の事だ。橘と藤原はさっさと喫茶店を出て行った。俺と佐々木と周防は少しゆっくりしてから店を出た。すると、国木田と谷口が駅前までやって来たのさ』

 

「その二人の登場が、どうして最初の話に繋がるのかがわからないな」

 

いいや、想像なんて簡単についてしまうさ。

どうせ谷口が周防に話しかけたか何かしたんだろ。

 

 

『――その様子を見た俺は谷口に訊いたのさ。お前達、知り合いかと』

 

「……それで谷口が何て言ったんだ?」

 

『一応付き合っている、と言った』

 

その"一応"の一言の悲惨さがどれほどのものか。

俺はとても凄く簡単に想像できてしまった。

普段おふざけ野郎の谷口が、チョコ一つでああもテンションが上がるのだ。

世の男性諸君とは俺を含めて得てしてそういうものだが、彼は心底から渇望したのだろう。

ともすれば昔の俺と朝倉さんのようなものだ。

交換条件、形式上、仮面交際。

俺は惰性だけで続けていたし、朝倉さんは単なる探究。

捨てる権利があるのは彼女の方なのだ。

何故なら朝倉さんから『私と付き合ってくれないかな』と言ってきたわけで、俺ではない。

間違っても俺の方からそんな事を言った日には『馬鹿ね』と文字通り切り捨てられていただろう。

でもあの時の朝倉さんもやっぱり可愛かったな……だとか現実逃避している場合ではない。

今日は彼女に甘えないさ。

 

 

「オーライ。それ以上はいいさ」

 

『俺もよくわからなかったからな』

 

「お前がそう言うと思ってたからだ。次はこっちの話を聞いてもらうさ」

 

PCのスパイダーソリティアをプレーしながらキョンに部室での話をする。

ちなみに俺は上級4組をクリアした事は一度もない。いや、無理だろ、あれ。

こっちの話を聞いてもらうとは言え、キョンが部室を退室した時以上に増えた情報など特には無い。

佐乃と俺が元々同一人物らしいとか、精神分裂は思い出の分裂も伴っているとか、浅野が佐藤を死に追いやったらしいとか。

……以外に多かったかな?

とにかく、邪悪とも形容できる、歪んだ愛があの二人にはあった。

お互いに眼の前の人間が見えていない……そんな感じだ。

恋は盲目だなんて言うが、言葉通りにそうなったのか?

断言してやる。浅野が悪くても俺は悪くない。

知らないし、気にはなるが知りたくはなかった。

佐藤と名乗る女が本当に浅野と交流があったのなら、それを友人で済ませていたんだからな。

やっぱり、浅野が悪いんじゃあないか。俺は違う。

仮に俺が彼女と知り合いで好意を抱かれていたのなら間違いなく付き合っていたね。

本当さ。

 

 

「だいたいそんな感じだ」

 

『明智は随分難解な説明を受けているらしいな』

 

「やっぱりそこはお互い様だよ」

 

『認めたくはないんだが……心のどこかでは、平穏だけが続けばいいと思っている』

 

「何が言いたいのかな?」

 

『突き詰めればこれも、ハルヒの能力のせいなんだろ。あいつに責任があるかどうかじゃねえ。自覚もどうでもいい。少なくともあいつのおかげでSOS団は結成したんだ』

 

お前のおかげさ。

でも、こいつが言いたいのはそんな話なんかじゃあない。

……揺らいでいるな。

 

 

『だからな、俺にはどっちが正しいのか少し悩んじまう。これから先もっととんでもない事件が起こらないとは言い切れない。お前なんかは世界から消えたんだろ?』

 

「涼宮さんのせいじゃあないよ。佐藤の仕業なんだから」

 

『ハルヒが無関係とは言えないだろ。小数点以下かもしれないが確かに存在する』

 

「キョン」

 

『俺が正しいと思った事を選択して、俺たち以外の誰かに迷惑がかかるのは嫌なんだ』

 

お前は立派だな。

俺なんかとは対極の考え。

偽善ではない。彼は本当にそう考えて、悩んでいる。

俺の悩みとは似て非なるもの。

正当化ではない。彼は正当かどうかを悩んでいるのだ。

独善でそれはできない。

 

 

「オレの正義とお前の正義は違う……みんな違うんだ」

 

あっちの世界で得た教訓『他人と自分を比べるな』だ。

何かを変える力なんてのは俺に存在しない。

運命も、因果も、宿命も存在しないからだ。

人間が持つのは精神であり、可能性という力。

自分にとって最良の未来を選択出来るかもしれない。

ニーチェ先生が言う"超人"なんて本来は必要ないんだ。

そこでストップしたら、可能性が消えてしまうだろう?

俺は考える、諦めない、どんな手段でも使うが、運命だけは使わない。

誰かに頼まれて俺は朝倉さんを好きになったわけじゃあないんだからな。

そんな俺の半ば説教じみた話を聞いたキョンは。

 

 

『だろうな。いつものお前らしくて少し落ち着けそうだ』

 

「オレらしさって何だよ。そろそろ教えてほしいんだけど」

 

『はっ、お前が決めろ。じゃあな』

 

あいよ。いい夢見やがれ。

自分らしさってのはどうありたいかなんだ。

結局のところ理想論でしかないさ。

それでいいさ。

そういうことなら、それでいい。

何故なら俺の理想もキョンと同じ、平穏が続く事なのだから。

この火曜日に見た夢など、いつも通り覚えちゃいないが、昨日と同じだ。

きっと俺もいい夢が見られたはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――翌朝、水曜日。

 

 

 

おかげですっかり出鼻を挫かれてしまった。

登校中、朝倉さんの横顔に癒されながらキョンから言われたことをそのまま話す。

原作であいつは『俺はあいつのスポークスマンでもなんでもないぞ』とか言っていた気がする。

俺は今まさにそんな役割を果たしているのである。

"スペアキー"の俺はそんな面倒まで見なければいけないのか。

理不尽だね。

 

 

「昨日言っていた"次の一手"だけど、今日は多分無理だ」

 

「あら、どうして?」

 

どうもこうもないんだよ。

下手な行動は出来ないだけさ。

 

 

「相手に警戒されちゃうからね……」

 

「その相手は誰なのかしら」

 

「周防なんだけど……簡単に言えば弱点を突こうってわけだよ。あいつが何故か付き合っている彼をさ」

 

「……ああ、そうだったわね」

 

出来ればこれ以上知れ渡ってほしくは無い話である。

いや、もう手遅れもいい所ではなかろうか。

古泉たち『機関』が谷口をどう判断しているのか――これであいつがエージェントなら有能すぎる――は不明だ。

あいつが何者であれ、少なくとも表舞台には出て来てほしくないね。

多分谷口が居る前で戦おうとしても笑ってしまって戦いにならない。

一流のコメディアンになれるんじゃあないかな。

しかし今回の問題は。

 

 

「ひょんな事からキョンがそれを知ってしまった」

 

「ふーん。で、昨日の今日で谷口君を攻めたらイントルーダーに警戒されるかもしれないと?」

 

「俺が似たような状況にあったとして、朝倉さんでもノコノコ行こうとは思わないだろ。同じだよ。自分がされたくない事は相手もされたくないのさ」

 

「うん。私なら明智君に言い寄って来た時点で串刺しの刑ね」

 

決して針串刺しではなくナイフなのがえげつない。

じゃあ俺はどうすればいいのだろうか。

北高にどれだけ朝倉さんに近づく命知らずが居るのだろうか。

新一年生からすればSOS団はありえない"世界"だ。

間違いなく北高のトップクラスの美人が集まっている。

鶴屋さん、阪中さん、ついでに生徒会の喜緑さんをカウントしてみろ。アイドルユニットになるぞ。

俺も古泉ぐらいイケメンで爽やかだったら良かったさ。

残念ながら俺は眼つきの悪さだけで人生の大部分を損しているのだ。

佐藤は本当に浅野の友人だったのか?

動物は俺に懐いてくれるけども。

やくざ者がイヌネコを拾うのと同じ次元じゃあないか。

こんな自虐発言に対して慈悲深い朝倉さんは。

 

 

「私は明智君も充分カッコいいと思うわよ?」

 

「社交辞令ならありがたく頂戴しますとも」

 

「客観的に見てもよ。他の女子からもあなたは雰囲気が暗いけど顔は悪くない、だなんて言われてるもの」

 

「……どう喜べばいいのかな、それ」

 

「でも、あなたには笑顔が足りないわね。そこは間違いないわ」

 

笑顔と申したか。

これでもいつも笑ってる方だとは思うんだよ。

 

 

「嘲笑ってるだけじゃない」

 

「ふっ。そうかな」

 

「……今もそうだったわね。私や古泉君を見習いなさい」

 

現在はさておき、過去の朝倉さんの笑顔が100%純正かどうかは甚だ怪しい。

古泉に関して言わせてもらえるならあいつのだって笑顔とは言い切れない。

営業スマイルだし、ただニタニタしているだけだ。見習いたくないよ。

 

 

「向上心が無いわね」

 

「オレを『馬鹿だ』って言いたいの?」

 

「ユニークよ」

 

心がある朝倉さんにまさか心無い発言をされるとは。

その上彼女が言ったのは【こころ】についてだ。

宇宙人の知識は本当に謎だ。

俺なんかよりよっぽどそっちのデータベースの方が凄いはずだ。

価値があるはずだ。

しかし、データベースは自律進化しない。

そういうふうに、できている。

 

 

「少なくとも明後日、金曜日までは谷口に頼めないな」

 

「本気でやるつもり?」

 

「他にいい作戦があれば検討するよ。実行するのはオレだから」

 

残念ながらWデートとはいかないだろう。

俺と朝倉さんという現状動けるこちらの戦力だし。

 

 

「長門さんが復帰してくれるのが一番なのよ」

 

「珍しく弱気な発言じゃあないか」

 

「冷静に分析した上で、よ。もっとも手段を選ばなければ別よ? 私があなたにお願いして、それが受け入れられればね」

 

「……ノー、キリングだ」

 

「私にはその覚悟があるのよ。明智君にもあるはず」

 

あるさ。

だけどそれは駄目だ。

人が人を殺していい理由なんかない。

同時に殺されていい理由もないんだ。

俺が朝倉さんの見てくれだけで彼女を助けたわけではない。

長門さんにも殺させたくなかった。

何より彼女に死んでほしくなかった。朝倉さんは俺のヒーローだ。

理由がないのに理由が必要なのか? それを問うのは人間の悪いクセだ。

そしてそれは、弱点とは克服される必要がある。

 

 

「平和的に解決するさ――」

 

いいや、違うね。

俺が再び"皇帝"だなんて偉そうに名乗っていいのならそれでは駄目だ。

平和だけでは繁栄しない。誰も従わない。

 

 

「――ラブアンドピースでいけばいい」

 

いかにも主人公らしくていいと思うんだよね。

坂道の途中で歩みを止めた朝倉さんにはガン見されてしまったけど。

王道って、そんなもんじゃあないかな。

 

 

「明智君の場合は"うつけ者"よ」

 

「……それ、別の明智が裏切った相手じゃあないか」

 

「あなたの別人格を名乗る男は涼宮ハルヒを裏切ったわけだけど、あなたは私を裏切るのかしら?」

 

「ふっ。愚問だよ。仮にオレが血迷った時はオレを殺してくれて構わないさ」

 

「はいはい、そうなったら振り向かせてあげるわ。私の方にね」

 

後、もう少しだ。

俺が行動する時は刻一刻と近づいている。

こちらの勝利など確約されているのだ、涼宮ハルヒが居る限り。

しかし、あいつらはその前提をひっくり返しに来ている。

正義を悪に。まさに大富豪の革命だ。

だが、元々最弱の3である俺とキョンの二人相手にそれは悪手だね。

スートオブスリー。鍵は一本でも二本でもない。

鍵の質は関係ない、三本目の鍵は使い手自身なのだ。

 

――それが誰なのか?

SOS団団長、涼宮ハルヒ。

異世界人との交流を求めた、超越的な能力を持つ彼女なのか。

キョンの友人、佐々木さん。

高校に進学して以来友人関係に恵まれなかった彼女は、どういう理屈か涼宮さんと似たような立場らしい。

彼女も変人奇人を誘発させる才能があるのだろうか。それとも、単なる利害関係なのか。

そして……。

もしかすると、俺の大切な人。朝倉涼子。

彼女なのかもしれない。

 

 

 



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アナザーワンこと俺氏の断裂
第64話




Branch point "第六十三話"





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空気が読めない奴ってのはどこの"世界"にも存在するらしい。

俺と朝倉さんがなんだかいい雰囲気の中、携帯電話の音がそれを台無しにしてくれた。

その犯人は――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――古泉だ」

 

思えば前にもあった気がする、こんな流れが。

しかもその時の犯人も古泉だったよな?

 

 

「あの時の私なら、きっとあなたにキスされても受け入れてたわよ」

 

「ふっ。そいつはとても惜しい事をしたと思う」

 

とにかくこの男の申し開きとやらを伺おうじゃあないか。

最後の方はさておき、真面目な作戦会議をしてたんだよこっちは。

……むしろ最初に佐々木さんについて話しただけだった気もする。

とにかくいいんだよ、知らない事が多すぎるんだから。

 

 

『今晩は。古泉です』

 

「今晩はお前さんの声を聞かずに済むと思ってたんだけど、その辺どうかな」

 

『彼から聞きましたよ。いかにも挑戦的な方々だったようですね』

 

「挑発的の方が正しい表現だと考えられるよ」

 

俺が持ち得る情報量など程度が知れている。

あちらからしっかり説明する気が無い以上は、古泉でさえ頼れる相手だ。

ただ、タイミングの悪さはどうにかしてくれないだろうかね。

 

 

『さて、あなたは何をどこまでご存じでしょうか?』

 

「佐々木さんがちょっと複雑な立場にあるって事ぐらいかな」

 

『その点を承知して頂ければ充分です。もっとも、我々の方とて知り得ている情報は少ないのですよ。精々が橘京子についてぐらいですね』

 

「何でもいいさ。朝倉さん達宇宙人はそっちの話に興味が無いみたいでね。オレだって無いけど、知り合った以上は情報があって困る事も無い」

 

誰が神か、なんてどうでもいい。

俺に言わせれば神なんて信じてはいない。

会ったことも見たこともないからだ。

心の支えが神なのか、朝倉さんなのか、超能力者と俺にあるのはそれだけの差だ。

 

 

『彼は橘京子に対して快い感情を抱いてません。実の所二月にちょっとしたトラブルがありまして、その件に橘京子が関与していたのです』

 

「そのトラブルとやらで、キョンが彼女を嫌う理由が出来たって訳だ」

 

『ええ。もっとも、それを橘京子が意図して引き起こしたとは必ずしも言えません』

 

橘と『機関』は敵対関係故に古泉も彼女に容赦しないものかと思っていた。

けど彼は橘のバッシングをしたい訳ではないらしい。

朝倉さんはすっかり白けたといった様子で、昨日に解いていたものとは別のナンプレ雑誌を眺めていた。

彼女にとっては朝飯前のパズルだろうに、どこら辺が楽しいのか俺には不明だ。

 

 

『僕としても無用の争いは避けたいんですよ。明智さんは違いますか?』

 

「オレも同感だ。だけど最終決定権は朝倉さんにある」

 

『でしたら安心だ。あなたと彼女の信頼関係は今更語る必要がありませんので』

 

「……今更も何もあるか?」

 

確かに朝倉さんとの付き合い自体はそろそろ一年になる。

しかしながら当初、俺と彼女が心を通わせていたかと言えば、ようやく通じ合ったのが去年の十二月半ば。

そして現在は四月の頭……半年さえ経過していないのだ。

朝倉さんは感情も理解していなければ、まして俺を好く要素が無い――今でもあるのか怪しい――し、俺は彼女を避けていた。

その辺をお前さんはどう理解しているんだよ。

 

 

『充分に理解していますよ。いつまでも幸せでいてほしいものです』

 

「……感謝しとこう」

 

『正直言いますと、橘京子を代表とする勢力も僕の属する"機関"も実態はそう違いません。元来近い思想理念ではありますが、涼宮さんに関する考え方の違いだけですよ』

 

宗教とは往々にしてそうではなかろうか。

神に対する考え方の差を明確にしたいから名前なんて付けちゃったりしている。

本当にそう名乗ったわけじゃあないだろう?

俺はその是非など知らない。

 

 

『自分たちこそが正しい考えだと思いたいんですよ。橘京子の気持ちはわかりますとも、我々もそうですから。ただ、我々の超能力的エネルギーが涼宮さんに由来するものだと言うのは確かです』

 

少なくとも彼女のおかげで俺は北高へ進学しようと思ったわけだ。

そうしていなければSOS団にも居なかっただろうし、朝倉さんにも出会えていない。

本当に本当に、なんて濃い一年間だったのだろう。

一生分とも言える人生経験じゃあないか。

 

 

「ディベートで解決出来ないのか? オレはその辺得意だよ。何ならスライドを十枚単位から作成してくるけど」

 

『それには我々の機密情報を扱う必要性がありますね。それを度外視したとしても実現は難しいでしょう。橘京子の方が受け付けてくれませんので』

 

「話を聞く分にそっちは橘に嫌われてないか?」

 

それともあいつの頭が固いだけなのだろうか。

マヌケそうな顔だったんだけどね。

 

 

『橘京子とも色々ありましたので……これも、仕方のない話ではあります』

 

お前さんの過去は本当に謎だらけだな。

そもそも『機関』が謎だ。

色々とマネーパワーが見え隠れしているが資金源がわからない。

多丸圭一氏は本当に大富豪なのだろうか?

よくもまあ使命感から動けるものだ。誰も褒めちゃくれないと言うのに。

ふっ、俺だってそうか。

 

 

「何のために出て来たんだろう」

 

『さあ。先ほど申し上げた通り、我々の情報では精々が橘京子と佐々木さんくらいなものです。地球人なだけありがたいですね』

 

「……ありがたくないのは佐藤と周防か」

 

『その佐藤さんというお方について、少なくとも我々には全く見当が付きません』

 

俺だってそうさ。

彼女は俺の友人を自称するが、残念なことに俺にその覚えはない。

このタイミングで干渉してくる理由は何だ?

何を考えている? 俺にもわからないさ。

 

 

『周防九曜についても同様です。彼女以外の天蓋領域製個体が確認できていない以上は今の所地球上に彼女単体しか存在しないはずだ』

 

「お前さんはどうやってそれを調べたんだ……?」

 

『ちょっとした協力者たち、いいえ、利害関係の成せる業ですよ』

 

あの生徒会長のような外部協力者だろうか。

確か北高には他にも『機関』のエージェントが潜入していると言っていた。

末端とか言っている時点でその組織の規模が窺える。

アジトはどこにあるのかな。

 

 

『拠点と呼べる拠点はないはずです。少なくともメンバー全員が一堂に会したことはありません』

 

「それで実態が涼宮さんのため、だろ? 無茶苦茶な組織じゃあないか」

 

『我々が最終防衛ラインですので』

 

「お前さんが最前線に立つのもどうかと思うけどね」

 

これも必要と判断されたまでですよ、と古泉は軽く言う。

判断ね、トップの顔が見てみたいもんだ。

 

 

『とにかく、その二人に比べれば未来人などまだ可愛いものだと評せます』

 

「朝比奈さんの話か?」

 

『あなたも彼と同じ反応ですね。この場合は別の人物になりますが』

 

ならば間違いなくあの男だろう。

金髪のくせに『僕』とか自称する謎のキャラ。

あれを地毛だとは思えないんだけど。

 

 

『"餅は餅屋"ですよ。未来人の事は未来人で解決してもらう他ありませんね』

 

「で、お前は橘。こっちは宇宙人と異世界人の担当……ね。骨が五六本くらい折れそうだ」

 

『我々よりもあなたの方が情報統合思念体と近い立場なのは確かです。長門さんも、喜緑江美里もそうでしょう』

 

何時の間に俺はそんな立ち位置になったんだ?

情報統合思念体に近づいた覚えもなければ、その二人が俺をどう判断しているかもわからない。

長門さんは最低限の協力はしてくれそうだけど、喜緑さんは駄目そうだな。

文化祭のあれはただの娯楽だよ。

 

 

『よって、あなたの方が適任なのですよ』

 

俺は朝倉さんは当然として、その二人も利用する気はサラサラない。

人を使うのは簡単だ、人を動かすのは簡単だ。

難しいのは、人に使われないようにする事なのだから。

俺は全部が嫌いなのさ。

 

 

「ついでに念押ししておくけれど、朝倉さんは情報統合思念体から頼りにされちゃあいないんだ。こっちも頼るつもりはないよ」

 

『過程はどうあれ、地球での出来事ならば僕とあなたがたで解決できます。SOS団の一員として、僕は涼宮さんに迫る魔の手を見過ごすわけにはいきません』

 

「オレは橘とお前さんの対立なんかどうでもいいけど、平穏と相反する闘争は嫌いだ。死人が出るのはもっと嫌だね」

 

それが敵であっても、だ。

 

 

『相手がアクションを起こして来るまで待っていればいいんですよ。必要以上の懸念は、それこそ平穏から遠ざかってしまいます。何より僕たちの傍には彼女が居るのですから』

 

古泉が言う彼女とは最強のエース、涼宮ハルヒに決まっている。

 

 

「ふっ。『勝利とは戦う前に全て既に決定している』んだ」

 

『"孫子"ですか。我々としては、相手が"兵は詭道也"を実践しない事を願いますよ』

 

そうして古泉のからの通話は終了した。

確かに正論ではあるんだけど。

既にナンプレは終了してしまったらしい朝倉さんに向かって。

 

 

「古泉が言うには受け身の対応者になれ……だってさ」

 

「こっちから叩きに行けばいいじゃない」

 

「……誰を?」

 

言っておくけど佐々木さんには罪は無いよ。

責任はあるだろうけど。

 

 

「イントルーダーしかいないわ。あんな制服着てるぐらいだから学校に通ってるはずよ」

 

「オレはあいつの家なんか知らない。まさか、光陽女子まで乗り込むって?」

 

「それが確実ね」

 

何がどう確実なのさ。

それに、未だ行動がない以上そんな事をすれば谷口に申し訳ない。

 

 

「あら、まだ付き合ってたの?」

 

「特に話は聞いてないから多分そうじゃあないかな」

 

「谷口君を悪く言うつもりじゃないけど、あの女も趣味が変よね」

 

「それは確かだね」

 

とりあえず今日の所はこんなもんだろう。

明日は何もない。SOS団の集まりもなければ、誰かに呼び出されてもいない。

よくある日曜日さ。

 

 

「明日はデートでいいかな」

 

「邪魔がなければ構わないわよ。……でも」

 

自分の部屋に戻るべく居間を後にしようとした俺に対し、朝倉さんは何か言いたげだ。

はて、彼女は何を言いたいんだ?

 

 

「馬鹿。さっきの続きよ」

 

続きも何も、キスをし損ねただけじゃあないか。

まあ、今日のところはそれが問題だったのさ。

最後の最後で馬鹿と呼ばれたのが残念だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――翌、日曜日について特別何かを語ろうとは思わない。

機会があればそれもいいんだろうけど、残念ながらそれは今日ではない。

平和な日常を噛みしめる権利は俺にだってあるはずだ。

往々にして権利には義務が伴うものだが、俺は随分義務の方に先行投資してきたぞ。

少なくとも朝倉さんと出会ってからの半年以上はそうと言えるね。

俺はついぞキョンと同じく眼鏡属性はないが、朝倉さんが店で眼鏡を試着した時の破壊力は凶悪だった。

か、勝てない……。"相手"を"メガネ好き"に変える能力とは恐らくこんな感じだろう。

誰も見た事のないパワーだった。

 

 

 

とにかく、その更に翌日の月曜日から話は始まる。

土曜日の一件以来どこか俺の精神は荒みつつあった。

ともすれば漆黒の殺意に目覚めてもおかしくない。

だが今日の登校を含めて起床時間の大部分の視界情報に朝倉さんが存在している。

そしてそれはインフレーションを起こさない。

最高は、より上が無いから最高なのだ。

やがて午前の授業が終了し、野郎四人の昼飯が開始されるかと思いきやキョンが。

 

 

「悪い。ちょっと今日は別の所に行く」

 

とだけ言い残して去ってしまった。

残る俺と谷口と国木田。あいつは何処に行ったんだ?

とにかくこの三人だけの昼飯とは珍しい。

いや、基本的に朝倉さんとの二人か野郎四人の二択だから珍しいも何もないが。

やがて国木田は楽しそうに弁当の魚の切り身をほぐしながら。

 

 

「明智のところの集まりだけど、新入生の方はどうなの?」

 

彼はSOS団に入りたがる物好きがいたかどうかが気になっているらしい。

こちらの女子レベルの高さにつられる命知らずは確かにいるかもしれないけど。

どう、と訊かれたらこう返すのが俺の流儀。

 

 

「どうもこうもないさ。先週はボウズだね」

 

「けっ。一年女子なんざ易々と釣れる訳ねえよ、明智にはな」

 

やけに偉そうな切り返しじゃあないか、お前さんは。

日曜は周防と遊べたのか?

異文化コミュニケーションは大事だよ。

周防の正体なんかまるで知らない谷口は。

 

 

「いや、正確に言えばアホの涼宮には、って言ったところか?」

 

「でも間違いなく谷口より頭いいよね、涼宮さん」

 

「オレも国木田に同感だけどその辺の言い訳がお前にあるか? え? 谷口よ」

 

勉強をしろ、とは言わないが普段本当に授業を受けているのかどうかは怪しい。

古泉がわざとゲームに負けるのと同じ原理で、谷口がわざとアホのフリをしているのか?

兵は詭道也どころの騒ぎではない。

いつも通りに心無い言葉をかけられた谷口だが、こいつのメンタルだけは確実に俺より上だ。

 

 

「俺自身がアホじゃないとは言ってないからな。それに、頭の良さだけじゃ世の中渡り歩けねえ」

 

「谷口はどれくらい世の中を歩いてきたの?」

 

「三千里ってとこか。ま、俺に言わせりゃまだまだだが」

 

残念ながら彼の場合は全てにおいてアホらしかった。

お前さんの意味不明さは涼宮毒に対して谷口毒とでも名付けておいてやるよ。

冷めた眼の俺に対して谷口は。

 

 

「男子の新入生なんか興味はないが、女子がおまえらの所に来たら教えてくれよ」

 

「お前さんは、まだ懲りていないのか?」

 

「違えよ。ただ単に気になるだけだ。涼宮のところに集まる変人一年坊がよ」

 

俺からすればこれ以上増えてほしくないね。

後一人が関の山だろ。

コンピ研なんか人数と設備で見るからに手狭な空間と化している。

こっちなんか特別文芸部室が広いわけではないのだ。

本音としては他に異端者が来られるのが一番困るんだけど、こいつらには関係ない。

 

 

「オレは新入部員なんか期待していないからね。……涼宮さんはどうか知らないけど」

 

だから二人とも期待しないでね、とそこに付け足す。

つまらないと思うけどこちらからすれば切実な問題なのさ。

パワーバランスってのは俺には不明だが、俺が下手な行動をしない方がいいのは確かだ。

その辺は佐々木さんにつきまわる変人どもだって理解しているはずさ。

何より宇宙人未来人異世界人超能力者以上に増える要素がどこにある?

しかも宇宙人に関しては二人も居るんだ。新種はご免だよ。

涼宮さんが一般人をどこまで相手するかわからないけど、期待は出来ない。

本当の事だからしかたないのさ。

 

――と、思っていた。

ならばこの日、月曜日の放課後。

文芸部室を訪ねた来訪者について語ろうじゃあないか。

 

 

 



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第65話

 

 

放課後、文芸部室へ向かう俺と朝倉さん。

今日も一日ダラダラ過ごすまともな日常が待っていると思っていた。

そんな俺の予想はあっさりと裏切られてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず最初に到着した段階では長門さんしか部室には居なかった。

どう暇潰しをしたものかね。

ボードゲームでは朝倉さんに絶対に勝てない、カードゲームならどうなんだろうか。

……同じことか。某遊戯くらいルールが面倒だったら勝てそうなんだけどね。

やはり俺のSOS団ヒエラルキーは低いと考えられる。

"異次元マンション"はおおっぴらに使えないし、俺の次元干渉には弱点があるし。

一応重力攻撃への対抗策はないわけではない。

だがそれでも攻撃を無効化出来るなんて事はない、軽減するだけだ。

いや、重力攻撃ならまだいいさ。もし"無限回転エネルギー"を俺に目がけて放たれた日には投了だ。

そんな技術の使い手はこの世界に存在しないと思うけど。

あれを防御する方法はそれこそ当たった部分の身体を直ぐに切断するなりして排除するしかない。

絶対に殺される。異次元マンションに逃げても"入口"すら呻き声と共にこじ開けてくるぞあいつは。

 

 

「さっきからブツブツ何を言っているの?」

 

「馬は怖いって話さ」

 

「……」

 

正確には鉄球とか爪とか飛ばして来る騎手が恐ろしい。

しかしそんな話など全く知らないであろう朝倉さんは見慣れた呆れ顔、長門さんは読書。

ちくしょう。キョン、早く来い。

するとドアノックの後に部室にやって来たのは。

 

 

「どうも」

 

土砂降りの雨の中でも平気で笑ってそうな男、古泉一樹だった。

……まあ、お前でもいいさ。

 

 

「実にいい天気ですね。こういう日は、何かいい事が起こる前触れなのでは……と変に期待してしまいます」

 

古泉が一番変なんじゃあないかな。

 

 

「お前さんの定義でいいからその"いい事"が何なのか教えてくれよ」

 

「起こってみるまでは僕にもわかりませんね」

 

抽象的な事を語らせたらこいつの右に出るものはなかなかいないと思うよ。

超能力者ってのは結局はアホなのだろうか。橘はどう見てもアホっぽかった。

本当にお前さんと橘、何があったんだ?

 

 

「橘京子と我々の組織関係についてはお話ししたと思いますが」

 

「お前さん個人と橘についてだよ」

 

「さあ、何があったのやら。……僕は忘れてしまいました」

 

「……」

 

つくづく古泉は会話をする気がないのではと疑ってしまう。

こいつは人間性の他に社会性もどこか欠けているのかもしれない。

だとか思っていると、再びドアがノックされた。

キョンか……いや、なかなか入ってこないな。

もしかしてお客さんか?

誰も応じる気配が無いので必然的に俺が。

 

 

「どうぞ」

 

と言うとドアが開かれる。

お客さんは知らない男子生徒だった。

当然だ、どうやら一年生と見受けられる。

自分から名乗れよな。

 

 

「……えー、その、グーテンターク! で、君はどういった用件で来たのかな?」

 

「あのー、ここがSOS団なんですよね」

 

公的には間違いなく文芸部なんだけど俺はどう返答したものかね。

とりあえず「そうだよ」と言っておこう。

生徒会? 知らん。

 

 

「何でも面白い事をしてるとか聞きまして――」

 

面白半分で来ない方がいいよ、と脳内でツッコミを入れているとカチャリとドアが開かれた。

制服姿の上級生、朝比奈みくるさんである。

彼女は見慣れない男子生徒を見るや否や。

 

 

「あっ、お客さんですか? 待っててください、直ぐにお茶を――」

 

……さて、ここからの出来事は俺を含めて部室内の全員にとってあっと言う間の出来事であった。

ドアがノックされたと思えば一年生という一年生が大挙して押し寄せて来た。

朝比奈さんがお茶を淹れるような時間も、ましてやメイド服になどとうてい着替えられるはずもない。

一年生は男子も女子もお構いなし。とにかく物珍しさだけでやって来ているらしい。

 

――その数、およそ十名以上。

プラスSOS団五名だ、こんな狭い部室に無茶だ。

長門さんは窓を開けていた。換気しないとやってられない。

そりゃあ俺だって"SOS団"なんて言われたらモールス信号でも研究しているのかと勘違いする。

気が付けば文芸部室は満員とも言える状態に。大声ではないものの騒がしい連中だな。

朝倉さんに限らず女子団員をジロジロ見ている一年坊主、全員屋上に連行してやろうか。

割と俺は本気で威圧しようかと思ったその時、ドアが勢いよく開かれ。

 

 

「……あら」

 

団長の涼宮ハルヒがいつも以上に重役出勤となった。

それに数秒遅れてキョンも顔を覗かせる。

俺が言いたいね、やれやれだって。

勝手に収拾付けようものなら俺がどうなるかわからないし、放置しかなかったのさ。

文字通り涼宮さんはクィーンだ、最強だ。

なので何とかして下さい。

さっきまでざわざわしていたが、彼女の登場ですっかり部室内は鎮まってしまった。

そんな中、涼宮さんはネコのようなニンマリとした笑顔を作り。

 

 

「……ひょっとして、あなたたち、入団希望者かしら?」

 

その疑問には一年生全員が軍人かと思える統制で「はい」と大声で返事した。

彼ら彼女らの希望が心底からの希望なのか……それとも、上っ面だけの好奇心から出たものなのか?

それは多分これからわかる。こいつらは、はたして耐えられるのだろうか?

涼宮ハルヒの暴君ぶりに。

 

 

「さーて、どう料理しようかしらね」

 

どうもこうもない。

などと言おうものなら俺は不敬罪でそのまま死刑にされかねない。

彼女は何かあれば『死刑』と口にしている。

物騒な事しか言わない。

朝倉さんもその辺に憧れているのか、いや、見習わなくていいから。

俺は確かに刺激的なのが好きではあるが、やはり朝比奈さんのような淑女が方向性としては一番だ。

やはり俺の課題としては朝倉さんをあんな朝倉さん(大)にさせない事だろう。

残念系美人ではないか。嫌だ、俺は朝倉さんが好きなんだ。残念だとか思いたくない。

こんな現実逃避をしていると涼宮さんは。

 

 

「みくるちゃん、着替えるのよ。当然正式コスチュームのメイド服!」

 

「ふぇえっ。今から着替えるんですかぁっ!?」

 

「じゃあいつ着替えるのよ」

 

どうやら今らしかった。

 

 

「みくるちゃんはSOS団のマスコットなの、萌え要素なの。最初にそう言ったじゃない」

 

「……はあ…」

 

とぼとぼとハンガーラックへ足を進める朝比奈さん。

一年生たちは彼女を避けていく。

彼女のモチベーションはさておき、本当に着替えるなら退室しなければ。

涼宮さんは最後に。

 

 

「あ、そいつら帰さないでね。みくるちゃんが着替え次第説明会をするわ。逃亡者は銃殺、頼んだわよ」

 

そいつらとは十人以上の一年生に他ならない。

……やっぱり死刑じゃあないか。

日本ではそんなやり方もう二度と出来ない。涼宮さんは何の映画の影響を受けたんだ。

とにかく、ぞろぞろと廊下に出る一年生に続きSOS団男子もそれに続く。

一年連中とかなりの間を空けて、俺キョン古泉の会議が始まる。

 

 

「……ありゃ一体どういうことだ」

 

「どうもこうもないさ、見たまんまだよ」

 

「ええ。そうでしょうね」

 

古泉からはいつになく余裕が感じられる。

つまりあの中に異端者と呼べるような人材は見受けられないのだろう。

かつての俺のようなイレギュラーじゃあない限りは、だが。

 

 

「生徒会的に文芸部よりSOS団だ、とは判断しちゃいない。一度下りた認可も今やグレーゾーンなんだが、それをこいつらはちゃんと理解しているのか?」

 

「彼らを動かしているのは物珍しさに他ありません」

 

「ふっ。"好奇心は猫を殺す"じゃあないか」

 

度々言うが猫はかわいい。

間違いなく生物界の頂点と言えるだろう。

しかし今では俺の中で朝倉さんにその座を猫は奪われている。

服従のポーズだ、猫の腹見せである。

古泉はまさに好奇心の言葉通りと言わんばかりに。

 

 

「僕の知る限りでは、ここにおられる方々にSOS団に関わる腹心など持っていません。いずれも虚心からの行動と言えるでしょう。少なくともエスパー、スペーシアン、タイムリーパーの類は居ないはずです」

 

「だとよ、明智」

 

「キョン。お前が気にしておいて何でオレに会話を振るんだ?」

 

「異世界人に心当たりはあるかって事だ」

 

少なくとも俺が見たことあるような顔の人は居ない。

この中に佐藤でも居れば別だろうが……。

 

 

「あるわけないでしょ」

 

「そういう事です」

 

「言い切るからには根拠があるんだろうな。佐々木に絡んでる連中のお仲間が北高に潜入して、SOS団に食い込もうとしても不思議じゃないぞ」

 

「勿論です。何故なら我々は全新入生の身元調査をしましたから」

 

 

キョンの疑問に対して古泉はあっさりそう答えた。

当り前と言えば当たり前のセキュリティではあるが、やはり資産が謎だ。

少なくともボランティア精神だけで組織は回らないだろうよ。

 

 

「『機関』の眼が黒い内は、橘京子の勢力は北高に潜入できません。天蓋領域の端末であれば情報統合思念体が黙っていないでしょう」

 

「朝倉さんだってそうさ」

 

「まして、未来人であれば好都合。ひっ捕らえてしまえばいいのですから」

 

「物騒だな、おい」

 

「何だかんだでアウトローな世界なのさ」

 

お前もその中に片足を突っ込んでいるんだよ、キョン。

宇宙人未来人異世界人超能力者についての公式な記録なんて一切世界に存在しないんだから。

 

 

「異世界人の方だけは我々で事前にどうする事も出来ませんが、やられたらやり返せばいいだけです」

 

「百倍返しだよ」

 

ただ、今回の問題ってのは別にある。

 

 

「はい。不安材料がもしあるとすれば……」

 

「涼宮さんが団員として誰かを選んでしまうって事さ」

 

逆説的思考である。

俺だって初遭遇の時に追い出されていてもおかしくなかった。

だからこそイレギュラーだとか思われていたわけで。

そんな不穏分子が今年も居ないとは限らない。絶対なんて存在しないのだから。

 

 

「彼女が誰をどのように選ぶのか……無根拠で一年生徒が僕たちの仲間に加えられるはずもありません。恐らく彼らはふるいにかけられるでしょう」

 

それが、問題だ。

誰も選ばれなければ問題ではないんだけどね。

そんな事を語っているとバダンという大きな音と同時に部室の扉が開かれた。

 

 

「へいっ、かもんかもん!」

 

涼宮さんが一年生を手招きで部室へ迎え入れる。

それに従わない奴は一人もいなかった。

説明会ね……残念だがSOS団は一般人が入社するのは厳しい。

キョンぐらいだろう。面接で気に入られたパターンだ、学歴不問。

 

 

「キョン、とてもじゃないけど椅子が足りないからどっかから借りてきなさい」

 

「どっかってどこだよ」

 

「コンピ研でもどこでもいいわよ。断った所があったら報告して、あたしがムチ打ちにしてやるわ」

 

死刑にはならないらしい。

ムチ打ちをむしろ喜ぶ変態人種もいるが、その場合は男子が対応すればいいさ。

むしろ最初から俺たちでやればいいのだから。

結果として往復回数自体は二回で済んだものの、部室棟のドア手当たり次第に叩き続けた。

よって行動完了時間そのものは早くない。

やっと運搬作業が完了したその時には部室内の一年生は横一列に並んでいた。

ますます軍隊じみてきている。

 

 

「ご苦労。全員、着席しなさい」

 

ノリノリじゃあないか、涼宮さんも。

……あれ?

何やら見覚えのある女子生徒が一年生の中に混じっていた。

確か彼女は新入生歓迎会の時に文芸部ブースに立ち寄ってくれたはずだ。

三つ編みの彼女に今まで俺が気づかなかったのは、前は眼鏡だったが今日はかけていないせいだった。

コンタクトにでもしたのだろうか。

彼女は文芸部とSOS団を勘違いしている可能性が高い。

そんな俺胸中などいざ知らず、涼宮さんは説明を開始する。

 

 

「……諸君。あたしはメイドさんが好きよ。いいえ、メイド服に代表されるコスプレが好きなのよ!」

 

説明でも何でもなかった。

戦争が好きだとか言い出すよりはマシだが、それでいいのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて俺が聴かされたら間違いなく途中退室したくなるような説明会が終了した。

入団にあたっては選考が実施されるらしい。

おいおい、入社試験かよ。SOS団適性検査はどんな程度だろうな?

各部から借り受けたパイプ椅子の返却作業を開始しながら三人で愚痴る。

古泉はその辺の選考をどう考えているんだ?

 

 

「涼宮さんは普遍性に興味があるわけではありません。ですから、値踏みするのでしょう」

 

「はっ。ハルヒが要求するような金額なんざ、とてもじゃないが俺には払えそうにないな」

 

お前はそのせいで毎回奢らされているからな。

……そんな事より。

 

 

「オレはあの三つ編みの彼女が気になるね。文芸部とここを勘違いしてなきゃいいんだけど――」

 

と両脇にかかえたパイプ椅子の重みを感じながら話していると。

後ろから。

 

 

「あ、あのっ」

 

ゆっくり俺たち三人は振り向いた。

噂をすれば影が差す。その、三つ編みの彼女がそこに居た。

俺の話を聞かれたのか、不安そうな表情である。

気まずい。

 

 

「あー、えっと、君、とにかく勘違いしてるんじゃあないか?」

 

「そうだそうだ。残念だが、俺たちが文芸部的活動をする方が稀なのさ。申し訳ないが、ハルヒはそんな活動に興味ない」

 

「違うんです!」

 

何が違うんだろうか。

そんな俺たちの疑問に答えるよりも先に、彼女は自己紹介を始めた。

 

 

「わ、わたしっ、佐倉詩織と申しますっ! 文芸部も入りたいですけど、SOS団にも、興味があるんですっ!」

 

とにかく、これがこの話の始まりって奴らしい。

……アナザーワン。

いいや、アナザーツーだった。

 

 



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第66話

 

 

俺はどうしたものだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

確かに俺の方から文芸部室へ『今度足を運んでみると良いよ』と誘いはした。

だけどSOS団への熱意を語るのであれば俺よりも涼宮さん相手にすればいいじゃあないか。

思えば俺なんかは前世の採用面接で熱意と呼べるほどのものは語らなかった気がする。

……おい、そこの二人も彼女に何とか言ってやれよ。

 

 

「君も聞いたと思うけど、涼宮さんが言った通りなんだ。入団テストもやるみたいだし、今日みたいに……とてもありがたい話を聞く事になるだろうね」

 

ありがたいどころか意味不明な話だ、とは言えない。

しかし当の彼女は俺の心配をよそに。

 

 

「あっ、その、さっきのはわたしが勘違いしてるわけじゃないって事を言いたかっただけなんです。でも、入団テストは受けるつもりです。話だってしっかり聞きます」

 

「……本気なの?」

 

「はいっ!」

 

本気らしかった。

しかしながら好奇心だけで行ったらそのまま死んでしまう世界だ。

少なくとも好奇心を心の支えとしている奴はSOS団に居ない。

ただ一人の団長、涼宮ハルヒその人を除いて。

 

 

「わたしが本を読むのは普段の生活がありふれたものだとしか思えないからなんです。だから本を読むのは好きです……団長の話では、そんな日常を打開したいとの事でした」

 

確かにそうなんだけど、そのありふれた生活ってのは本当に大切だよ。

本を読むのもいいことさ。昔の俺は世界に対して不満しかなかったけど。

けど、何が起こるか分からない点だけは、どこの世界も一緒さ。

 

 

「だからわたしも、先輩たちと一緒に非日常を探してみたいんですっ」

 

「……だとよ」

 

キョン、何がだとよなんだ。

やっぱり盛大に勘違いしているじゃあないか。

探すも何も今まで一つの成果も得られていないんだ。

あったとしても目に見えないんだよ。

非日常はあるけど、それが彼女に縁あるかと言えば怪しい。

何より下っ端の俺には決定権があるはずもないのである。

そして何故SOS団に興味があるのかも不明だ。

いずれにせよ俺と話しても時間の無駄さ。

 

 

「じゃあ君の入団を楽しみにしておくよ。色々話したいけど、見ての通りオレたちは仕事中でね」

 

「ええ。……単なる椅子運びですが」

 

俺と古泉の言葉で彼女は察してくれたらしい。

言外に帰れという意味があるのだが、その辺は察してもらう必要は無い。

彼女もこの椅子のお世話になっていた事は事実なのだから。

 

 

「すいません、仕事の邪魔をしてしまって……今日はこれで失礼しますねっ」

 

「うん、さようなら」

 

彼女――佐倉と言うらしい――は足早に部室棟の廊下を駆けて行った。

ともすればキョンが俺の方をじろじろ見ている。

 

 

「何だ? 二人とも何かオレに言いたそうじゃあないか」

 

「……別に。ただ、あの女子が明智の事をキラキラした眼差しで見ていたからな」

 

「女性にも関わらず熱いお方だ。我々『機関』も、あのような人材が増えるべきでしょう」

 

意味不明な発言をするキョンと古泉。突っ込まないからな。

俺が前回大物アピールをしすぎたせいだろうよ。

間違いなく副団長の古泉の方が偉いのにな。

キョンはそんな勘違い系一年生女子に対して。

 

 

「慌ただしい様子だったが、彼女がハルヒに耐えられるのかどうかが心配だ」

 

「お前の中で涼宮さんはどんな扱いなんだ?」

 

もっと大切にしてやろうという思いやりが無いよな、お前。

あるにはあるんだろうけど表に出すのが皆無だ。

 

 

「古泉、お前さんのチェックで彼女は引っかからなかったんだろう?」

 

「佐倉詩織。何処にでも居る、普通の女子生徒ですね。彼女について詳しい話は避けますが」

 

「オレは知りたくもないけど『機関』がプライバシーを語るのは如何なものかな」

 

「必要な事でしたので」

 

そりゃあそうだろうさ。

伊達に最終防衛ラインを自称しているわけではないのだから。

勿論俺にだって佐倉さんについて心当たりは無い……が。

 

 

「……なんか、懐かしい感じがするんだよね」

 

「お前……」

 

キョンが谷口でも見るかのような目で俺を見ていた。

馬鹿野郎、勘違いするんじゃあない。

 

 

「オレが見ているのは朝倉さんだけだ」

 

「睨むな。ただでさえ悪い眼つきを更に悪くしているぞ」

 

「うるせぇ」

 

やがて椅子を借りた漫画研究会の部室の前にやって来た。

すると古泉はぴたりと足を止め。

 

 

「涼宮さんがどう判断するにせよ、我々にとってそれがいい傾向である事を願うばかりです」

 

「はっ。どうせろくでもない新入部員がやって来る時点でいい傾向なのか?」

 

違うな、キョン。

去る者は追わず、来る者は拒まずのスタンスだ。

涼宮さんは一年生どもに明日も来るようにと言っていたが……。

 

 

「あの中で何人来ることやら」

 

全員とはいかないだろうさ。

椅子の返却作業を完了し、文芸部室へと戻る。

ここでようやく朝比奈さんのお茶が飲めたのだが、暫くとせずに解散の時間となったわけだ。

古泉とキョンは"連珠"という今や知っている若者の方が少ない古典ボードゲームに興じていた。

朝倉さんとの下校時間はまさに楽しい時間であり、直ぐに終わってしまう。

 

そんなわけで――。

この月曜日で特筆すべき事は、もうない。

そのはずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝倉さんの送迎を完了し、後は帰宅だけであった。

しかしそれは今すぐにとは叶わなかった。

またまたお客さんじゃあないか。

 

 

「――何か、オレに話があるみたいですね?」

 

「はい」

 

どういう用件かは知らないが、そのお方――喜緑江美里さん――は笑顔で俺の質問に頷いた。

いち生徒会役員としての話とは思えないし、文化祭についても半年以上後の話だ。

順当に考えれば宇宙人関係だろう。

何故、彼女が俺に話すのか。それはこれから確かめればいい。

どうしたものかね。

 

 

「オレの親には見られてませんよね。変に勘違いされたくないんで」

 

喜緑さんだってとても美人だ。

そんな女性が家の前に立っているのを見ようものなら、母さんなら絶対勘違いしてしまう。

私服ならさておき、放課後のいい時間に北高の制服だぜ?

俺だってどう説明すればいいのかわからない。

 

 

「大丈夫ですよ」

 

こっちの精神が大丈夫かどうかは気にしないんですね。

いいですとも、語り合いましょうぞ。

 

 

「いい部屋に案内しますよ」

 

「よろしくお願いしますね」

 

彼女が何を話そうが、最終的に俺が朝倉さんに報告する事など織り込み済みなはずだ。

社会人がそうであるように、俺と彼女の関係性においてもホウ・レン・ソウで成り立っている。

俺はついぞ前世でほぼほぼ実行しなかったけど。 

とにかく、自宅の外壁に"異次元マンション"の来客用301号室への"入口"を設置。

さっさと部屋に入った。

相変わらずの箱部屋であり、未来の俺がやったと言う大リフォームなんて出来そうにない。

水とか電機は別の次元から持ってきているんだよな?

……泥棒だな。

 

 

「何か飲み物を出しましょうか? 冷蔵庫にあるもの限定、ですが」

 

「どうぞお構いなく」

 

「さいですか」

 

テーブル越しに喜緑さんと対面する。

とてもじゃないが長椅子に背中を預けようとは思えなかった。

彼女が俺に喧嘩を売りに来るとは考えられないが、油断はしたくない。

他ならない自分のためだ。

 

 

「もしかしなくても宇宙人絡みですよね?」

 

「はい。今回お話ししたいのは、今から四年前の話になります」

 

……四年前?

それは所謂、涼宮ハルヒ覚醒編についての時期だろう。

俺も全部を全部知っている訳ではないのだが、原作にある範囲では知っている。

そして喜緑さんが積極的に俺の方へ動いてまでして話したい内容とは。

 

 

「どういう話なんですか」

 

「情報統合思念体が涼宮ハルヒに注目したのが四年前に発生した情報爆発。それはご存じですよね?」

 

「ええ。長門さんから聞いてますよ」

 

これもまた全部しっかりとは覚えていない。

キョンだってそうだろう。

俺は長門さんの説明を真面目に聞いていたが、あれを暗記するのは無茶だ。

古泉なら出来るのだろうか?

 

 

「わたしたちヒューマノイド・インターフェースもその時期に造られ、即座に地球へと派遣されました」

 

その辺も知っているさ。7月7日よりは前みたいだけど。

まあ、俺にしてみれば某天空の城のような話だ。

宇宙から女の子が、天使が、朝倉さんがやって来た……なんて。

すると喜緑さんの雰囲気が急に変わった。

落ち着いた感じから一転、冷ややかなまでの無感情。

こちらも自然と身構えてしまう。

あくまで、"平常心"だが。

 

 

「これから話すことはわたしたちの中でもごく一部の端末しかアクセスが許可されていない情報です」

 

「……朝倉さんと長門さんも?」

 

「はい」

 

なら、何故俺にそんな情報とやらを話すのだろうか。

情報統合思念体の意図がわからなかった。

やがて、喜緑さんはゆっくりと口を開けて。

 

 

「"アナザーワン"」

 

「はい?」

 

「アナザーワン、と呼ばれる個体についてです」

 

何だそれは。

個体と言うからには宇宙人の仲間の一人なのだろうか。

単にアナザーワンとだけ言われても俺には某殺人鬼の爆弾の一つしか思い浮かばない。

とにかく、その個体とやらがどうかしたんですか?

 

 

「正確にはそれが個体とは言えません。何故ならアナザーワンは個体として存在出来なかったのですから」

 

「すいません。……オレには話が見えて来ないんですが」

 

「順を追って説明します。わたしたちは明智さんのような有機生命体とのコミュニケーションをするために造られました」

 

これで彼女たちがスワヒリ語にしか対応していなかったら俺は今頃死んでいる。

放課後の教室で朝倉さんに軽口を叩く前にナイフでさっくりやられているであろうからだ。

涼宮さんが日本人で本当に良かった。

いくら日本人的風習を嫌おうと、何だかんだで俺は日本人なのだから。

 

 

「アナザーワンは男性型インターフェースとしてロールアウトされる予定でした」

 

「……"予定"ですか」

 

「結論から言いますと、アナザーワンは誕生しませんでした。することが不可能になったのです」

 

つまりそれは個体としてこの地球にやって来なかった、という事に他ならない。

色々と気になるけど、まずはそのアナザーワンについて訊こうじゃあないか。

 

 

「男性型であることに不都合が生じた……と?」

 

「不都合も何も、アナザーワンをアナザーワンとして造ることが不可能になったのです。わかりやすく言いますとOSが消えてしまいました」

 

OSね……。

彼女が言うのは自分たちの人格とかその辺についてだろう。

朝倉さん(大)は強制シャットダウンみたいな技を使っていたし、表現としては正しいのかな。

俺は宇宙人をロボットだとか思っていないのに。

 

 

「突然として、アナザーワンの構成要素が奪われてしまったのです」

 

「奪われた……とは」

 

「文字通りに消失でした。しかし、その直前に小規模ながら情報爆発が観測されました。それが消え去ると同時に、アナザーワンの中身も消えてしまったというわけです」

 

「……はあ」

 

ならその情報爆発、あるいは発生元が犯人なんじゃあないですかね。

要するに涼宮さんによってアナザーワンとやらの存在はなかった事にされてしまったのですね。

 

 

「犯人は涼宮ハルヒではありません」

 

「じゃあ、誰がそれをやったんですか?」

 

「わかりません」

 

これ以上話が進展しないのなら、本当に俺が聞く必要あったのかな。

アクセス権限とかお構いなしに俺は朝倉さんに言うつもりなんだけど。

 

 

「構いませんよ。明智さんに知ってほしかっただけですから」

 

「どうしてオレにそれを知ってほしかったんです? オレが宇宙人文化に明るい男だからですか」

 

言うほど宇宙人文化について俺は知らない。

美的センスに代表される妙な拘りがある点と、朝倉さんに関してだけだ。

古泉からは俺も宇宙人担当の人員だと判断されていた。

間違いなく周防のせいだ。……覚えていろよ。

そんな俺の疑問に対して喜緑さんは。

 

 

「アナザーワンは空間の情報操作に関する処理能力が他のそれと一線を画すように造られていました」

 

「それって、性能の良し悪しと同じなんじゃあないですか」

 

「プロトタイプとも言えます。わたしたちのような端末とは異なる、独自の能力を持つ予定でした」

 

「何やらユニークな発想ですね。開発業務では確かにそれが重要ですよ」

 

思えば朝倉さん(大)も空間掌握が戦闘の基本だとか、そんな事を言っていた。

それだけに特化した宇宙人が造られても不思議ではない。

 

 

「男らしい戦闘向きの宇宙人なんですね」

 

「違います。理論値だけで言っても、アナザーワンは戦闘行為などとても行えるような性能ではありません」

 

「……本当に空間の情報操作だけに特化していると?」

 

「地球人相手なら別ですよ。しかし、わたしたちインターフェースとアナザーワンが交戦したのなら、99%に近い確率でこちらが勝利します。朝倉良子も難なく彼を倒せますよ」

 

朝倉さんは俺より強いからね。

何だか空間云々といい、俺に近いものがある。

 

 

「そこなんです。アナザーワンが持つ予定だった能力、それは時空への干渉」

 

「時間遡行の理論や技術は情報統合思念体にもあると聞きましたよ」

 

それは原作で、ですけどね。

喜緑さんは一言「はい」と言ってから。

 

 

「ですが、情報統合思念体がアナザーワンに要求したのは単純な四次元世界への干渉。成功すれば三次元上に別の空間を生み出すことが出来ます。無から有を生み出す、わたしたちの空間を情報制御する行為とは原理からして異なるんですよ」

 

「……それって」

 

もしかして。

 

 

「はい。明智さんのハイド&シークに近い能力となるでしょう」

 

この時、喜緑さんは無表情から笑顔に戻ってくれた。

……それで俺が安心できたかどうかは別の問題なのだが。

じゃあ何だ、今日彼女が俺に言いたいのは内容よりも行為として俺に当てつけをしたいのか。

美人の裏に何かがあるってキャラはSOS団だけで充分なんですが。

 

 

「オレが観測したわけじゃあないですけど、四次元世界が時空を司るとは限らないんですよ」

 

これは今更だが、本当の話だ。

四次元とは本来三次元+何かであり、時間軸である必要はない。

つまり俺たち三次元の住人が四次元世界を観測できない限り、そうとは断言できない。

十二次元に着いた頃には時間軸も存在するだろうけど。

すると喜緑さんは口元に右手を当て、お淑やかに。

 

 

「ふふ、四次元と言ったのは言葉のあやです」

 

「何次元でもいいですけど、オレとそのアナザーワンってのは間違いなく技術体系が異なりますよ。詳しくは話せませんがオレが使うエネルギーは宇宙人でも解析出来ないんですから」

 

そして俺本人でさえ全てを理解していない。

ただ、間違いなくこの世にあってはならないエネルギーなんだ。

重力よりも、俺のエネルギーは"無限回転"のそれに近い。

あと少しで俺も正解が解りそうなんだけど……。

 

 

「わかってますよ。わたしは明智さんの助けになると思ってこの話をしました。迷惑でしたか?」

 

「情報統合思念体がそう判断しただけでしょう」

 

「はい。ですが、わたし個人としても明智さんとは敵対関係になりたくありません」

 

あなたがそう言ってくれるのは嬉しいですよ。

 

――そんなこんなで喜緑さんの話は終了した。

301号室を退室し、入口をすぐに撤去。間違っても放置出来ない。

彼女はその場を後にしようとした。が、最後に。

 

 

「明智さんの能力もアナザーワンが持つ予定だった能力も、過程ではなく得られる結果は近いものがあります。わたしたちは結果のために涼宮ハルヒの近くに居るのですから」

 

と言い残して去ってしまった。

ふっ。どうもこうもありませんね。

 

 

「結果だけが全て……結果だけを求めようにも、オレたち人間の寿命はとてもじゃあないが少なすぎる」

 

俺は朝倉さんと同じ時間を生きたい。

過程を楽しむ権利を、否定するつもりですか?

そう喜緑さんに訊こうにも彼女はとっくに居ない。

やっぱり"ホーム"が一番だった。

 

 

 

 



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第67話

 

 

喜緑さんが俺に何を言いたいのかよくわからないような話をした翌日。

今日は火曜日。爽やかな朝であった。

自宅を出て数歩、昨日の事をぼんやりと考える。

考えて何かが思いつくはずもないんだけどさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから朝倉さんの方に携帯電話で連絡を入れたわけだが、やはり彼女も初耳だったらしい。

俺だってそうだ、間違いなく原作には"アナザーワン"なんて存在が居なかった上に。

 

 

「なんでこのタイミングでわざわざオレに話したんだろう」

 

朝倉さんは『さあね』としか言ってくれなかった。

心当たりがない以上はしょうがないけど。

俺の能力については"臆病者の隠れ家"時代から情報統合思念体は知っているはずだ。

空間に作用する能力。実際に俺は無から有を生み出しているのかは怪しいが。

その俺について知っている情報統合思念体が俺を値踏みした上で今があるわけなんだけど……。

 

 

「もしかして、情報統合思念体は最初からオレについて何か知っていたのか……?」

 

『本当にそう思っているの?』

 

だとしたら喜緑さんよりも前線の、最前線に立つ長門さんやほぼほぼそれに近い朝倉さんへ俺についての情報を与えない理由は何だ。

もちろん、この疑問が現実ではなくただの疑念で終わる可能性の方が高い。

そうかもしれない、でも。

 

 

「そうじゃあないかもしれない」

 

『明智君は間違いなく人間よ』

 

「別にオレがそのアナザーワンだなんて言ってないさ。だけど、オレの能力について何か関係しているかもしれない」

 

『……はぁ…』

 

朝倉さんは電話越しに溜息をついた。

その表情が想像できてしまう俺は末期だな。

やがて朝倉さんはぽつりと。

 

 

『いつもそうね』

 

「……何の話?」

 

『あなたはいつも何かを追い求めている。ここではない何処かを見ている……そんな感じよ』

 

俺の兄貴は旅人と自称する程度には放浪癖があるけど、俺は何も探求してはいない。

ましてや朝倉さんのように探究しようだなんて。

ここで俺が「いつも見ているのは朝倉さんだよ」だなんて言おうものなら、今後の俺の扱いがどうなるか。

お互いに顔は見えないが、そんな空気じゃない事ぐらいはわかる。

 

 

「どうやらオレもトラブルメーカーの気質があるらしい」

 

まるで俺は探偵、いいや、小説の主人公さながらだよ。

謎や事件……あっちからご丁寧にやって来るんだ。

俺は別に頼んでないのに、迷惑なデリバリーサービスさ。

 

 

『そうでしょうね。私も退屈しないもの』

 

「ならいいけどさ」

 

朝倉さんだってわかってるだろ?

約束したんだから、何をとは今更言わないさ。

だけど謎は謎だ。しかも、俺についての謎がある。

 

 

「確か……"自分"という概念は四種類あるらしい」

 

何かの本で読んだ話だ。

小説ではない。

 

 

「相手が見てくれる外向きの自分、自分しか知らない内向きの自分、自分さえ知らない相手から見た意外な自分」

 

そして最後の一つ。

 

 

「誰も知らない、自分」

 

この四つに心理が分断されるとかなんとか。

俺は深く考えなかったけど、今ならよくわかる。

最初にこれを考えた人物は天才だ。

 

 

「オレは"最後の自分"を知らない。でも、別にそれで構わない」

 

『そうかしら?』

 

「そうさ」

 

俺が確かにここに居る。

その証明は他のみんながしてくれる。

なら、それで構わない。

アイデンティティーを考えるだけストレスなのだから。

 

 

「もしかしなくてもこれから先だってオレは朝倉さんに迷惑をかけてしまうんだろう」

 

『ふふっ。お互い様よ』

 

「朝倉さんがオレに迷惑をかけた事なんてあったかな?」

 

強いて言えばかつての『付き合って』発言くらいか。

ありがた迷惑だったよ。第一に意味がわからなかったし。

他のクラスの野郎連中が言われたら間違いなく快諾するだろうに。

俺はあくまで抵抗したからね。折れたけど。

だけど、やっぱりいい思い出さ……決して迷惑ではない。

 

 

「明日もお弁当を楽しみにしている」

 

『これ以上私は腕によりをかけれないわよ』

 

「朝倉さんが作る料理は世界一さ」

 

『どうしたしまして』

 

そしてお休みのあいさつをした後、彼女との通話は終わった。

アナザーワンだか第三の爆弾だか知らないけど、俺が知らないものは知らない。

友人を自称する異世界人の佐藤だってそうだ。

俺の"異次元マンション"と似ている"結果"がその宇宙人の能力でも期待できたとしよう。

だけども現実にそれは観測する事が出来なかったんだろ。

何故ならその宇宙人は誕生しなかったのだから、似ているのかすらもわからない。

まさに夢物語だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、こんな話について悩むのは些末な問題かもしれない。

俺はこの日の朝から妙な感覚を覚えていた。

 

――それもそのはずだ。

佐々木さんの取り巻き連中は思わせぶりに俺たちに姿を見せた。

いかにも挑戦的な登場だったね。だが、出て来ただけで表立った行動は皆無。

きっと橘京子は谷口とコンビになればいいお笑いが出来るに違いない。

お茶の間も新しいコメディアンを求めている頃合いだろうさ。

土曜に連中と遭遇して、現在は火曜日だ。

確かにあちらとて即座に行動するわけもない。

これで日曜日に接触があったならせっかちどころの話ではなかった。

言った通りに、朝倉さんと楽しい楽しいデートに行きましたとも。

平和ボケするつもりはないけれどこれが平和って言えるのだろうか?

朝倉さんは朝一でお弁当作りに勤しんでいる。

よって長い長い北高への坂道を一人で進んでいた。

通学路など変わり映えしないが、一年生らしき生徒がちらほら見受けられるのは時間の経過を感じてしまう。

それにしても。

 

 

「珍しく朝早いな、二人とも」

 

俺の少し先にキョンと古泉が並んで歩いていたのを発見したので近づいて声をかける。

キョンが朝早いのも珍しいが、古泉を登校中に見たのは初めてな気がするよ。

そもそも俺はこいつの家がどこにあるのか知らないし。

 

 

「お早うございます。今日もいい天気ですね」

 

「お前さんはさておき、キョンは何やら釈然としない顔をしているな」

 

「それ、古泉にも言われたんだが」

 

だったら他の人が見てもそう思うんじゃあないか。

涼宮さんはキョンに関してだけは察しがいいし。

 

 

「何だよそれ……」

 

そんな主人公に対して古泉は今日も余裕の表情だった。

いつもそうだけど、今日は特にそう見える。

一年女子に対してイケメンアピールでもしているのか?

 

 

「実は最近多発していた閉鎖空間の発生が止んだのです。意図して表情を作っているつもりはありませんが、こう見えて僕としても安堵しているのですよ」

 

「そういやそんな事言ってたね」

 

「結局、ハルヒの考えを100%理解するなんて事は不可能だろうよ」

 

「我々『機関』とて人間の集まりにすぎません。今までのも全て傾向と対策ですよ」

 

人生は確かに勉強の連続だが、勉強ほど甘くはない。

傾向と対策を実践しようにも当然限度がある。

古泉がどこまで『機関』に深く関わっているかは不明だが、どこまでこいつらは先を予想して行動しているんだ?

ひょっとして、予知能力者とかも居るのだろうか。

 

 

「そのような方が居ればどれだけありがたいでしょうね」

 

「言っといてなんだけど、オレは予知だとか未来の話は信用しないから」

 

「お前が運命を嫌うのは勝手さ。だが明智、朝比奈さんたち未来人には規定事項があるじゃないか」

 

キョン、それを本気で言っているのか?

本当に未来が先に決まっているとでも?

なら未来は地続きではないと言う朝比奈さんの言葉は嘘になる。

そして何より――。

 

 

「自作自演でしょ。最後には未来人が関与しているわけだし」

 

原作での出来事もほぼほぼそんな感じであった。

あの7月7日しかり。

俺がそんな事を知っているなど知らないキョンは微妙な表情で。

 

 

「暴論だな」

 

「いずれにせよ僕としても好き勝手はされたくありませんね。規定事項の証明はさておき、それを免罪符にするなど言語道断ですよ」

 

「やっぱり当面の問題はあれかな」

 

昨日押し寄せてきた一年生だ。

彼らの特異性は別として、最終判断は団長が下す。

仮に俺が熱意ある女子生徒の佐倉さんを推薦したとしても彼女がNOと言えば絶対にNO。

大体入団テストと言っても何をするのかは俺たちでさえ知らされていないんだ。

 

 

「涼宮さんはその奇抜さだけが際立ってしまいがちですが実際はとても複雑な精神構造をしている。なんせ彼女自身ですら能力をコントロールしていないのですから、我々にそれが可能なはずもありません」

 

「せっかく来てくれた手前こうは言いたくないが新入生たちも気の毒だね。何もハルヒのおもちゃになるために入学したわけではないだろうに」

 

残念だけど俺はそのおもちゃになるために北高へ来たような所はある。

自分の意思だとは思いたいけど、実際はどうかがわからない。

無意識のうちに涼宮さんの方へ誘発されていた可能性を否定できないからだ。

古泉の転校の方がよくわかんないけど。

 

 

「新入りは今日決まるのかな」

 

「さあな。あいつが新しいおもちゃをすんなり手放すとは思えないが」

 

「キョンさ、お前にとっての涼宮さんはどんな扱いなんだ?」

 

「どうもこうもねえよ」

 

はぐらかしやがって。

確かに涼宮さんが今日一日で全てを決めるとは思えない。

少なくとも数日はかかるだろう。本格的に入社試験じみているな。

やがてキョンは「賭けでもするか」と前置きして。

 

 

「俺は今日も部室に来る人数は六人と見た。このペースで半減してくれれば金曜日には誰も来なくなるからな」

 

「おや、妥当な数字ですね。では僕は五人以下といきましょう」

 

もっと一年生に期待してやりなよ。

トラブルメーカーが増えるのは俺も嫌だけど。

こういうのは縁起がいい方がいいのさ。

 

 

「じゃあオレの予想は七人かな。ラッキーナンバーセブンさ。ギャンブルは苦手だけどね」

 

そんな話をしながら校門をくぐり、下駄箱の前までやって来た。

古泉は九組なので必然的に別れる事になるが最後に。

 

 

「各勢力の動きには気を付けて下さい。今のところは何の動きも見られませんが、異世界人はどうなのかわかりません」

 

「お前さんからは待ちの姿勢でいいって聞いたけど?」

 

「油断は禁物という意味ですよ。佐々木さん絡みで言えば未来人の目的も不明だ。我々より、あなたたちの方がそれを先に知るかもしれませんね」

 

「俺は異世界人にも未来人にもこれ以上増えてほしくないんだが」

 

俺もキョンと同感だった。

そして古泉は「では放課後に」と言い残して九組の上履きがある方へと消えていく。

油断なんかしていたら命がいくらあっても足りない。

俺の命はたったの一つしかないんだから。

 

 

「……ふっ。それはあっちも同じかな」

 

誰にも殺されてほしくないという俺の思い。

何故そう思うのか、俺にも何故かはわからない。

真底に眠っているはずの根拠はどこにもなかった。

ただ、強くそう思っているだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の授業中に異変でも起きてくれれば涼宮さんは新入部員どころでは済まなかっただろう。

手っ取り早いのはUFOがグラウンドに落ちてくるとかその辺だ。

ついでにグレイが出てきた日にはSOS団もその勢いに乗じて宇宙進出するかもしれない。

当然だけどそんな出来事は起こらなかった。

強いて言うとすれば、数学の時間に小テストが実施された。

その小テスト自体は俺にとって異変でも事件でもなかったさ。

もっともキョンと谷口にとってはそうも行かないだろう。

しかし、小テストが終わりキョンの方を見ると、谷口のように生気が抜けた表情ではなかった。

むしろ「やれやれ一仕事終えたぜ」と言わんばかりの達成感すら感じられる。

結果はまだ知らないけど、どうやらキョンは勉強したらしい。

……違う、キョンが自主的に勉強したはずがないのだ。

必然的に誰かが教えた事になる。

普段の授業で賄えるのなら、定期考査はボロボロにならないだろう。

ましてや職員室の数学教師の元へ出向き、自主的に勉強を教えてもらっているわけがない。

 

――俺の疑問は放課後に解消された。

帰りのHRが終わり、教室掃除が開始されると同時に涼宮さんがキョンを呼びつけたのだ。

教卓に陣取って何かを話し合っている。教卓の上には、世界史の教科書が。

思い起こせば昨日は二人とも部室に来るのが遅かった。

つまり涼宮さんが今日の小テスト対策授業でもキョンにしてあげたのだろう。

マンツーマンだ、いいじゃあないか。

 

 

「……やっぱり馬は怖いな。馬に蹴られたくはない」

 

「私も明智君に教えてほしいわね」

 

「朝倉さんの方がオレより頭いいでしょ」

 

二年五組を後にして、廊下を歩く。

部室棟の文芸部室までは五分とかからないだろう。

朝倉さんは呆れた表情で。

 

 

「わかってないわね。あなたに教えてもらうからいいんじゃない」

 

「そうなの? オレは教師に向いているのか?」

 

俺が教師になった日には教育の概念を壊しにいきたいものだね。

そもそも親の教育からしてよろしくない家庭だって存在する。

全部が全部"教育"のせいにはしたくないけど、残念ながら結果論だ。

そうだな……俺が教師になったらまず授業が成立しないな。

間違いなくどうでもいい話をしてしまうタイプだ。

黒板に何かを書いてしまうと雑談に脱線してしまいそう。

世界史がそれだけ好きなのもあるけど学力向上に繋がる話をするかは別問題だよ。

 

 

「……馬鹿ね。そうじゃないわよ」

 

どうやら俺は教師の適性の他に、人を呆れさせる適性も高いらしい。

でも、IT業界は俺よりとんでもない連中ばかりだったよ?

よく言えば個性的だけど、人格者かどうかはまたまた別問題だ。

決して開発業務だけが全ての世界ではない。

クライアントもそうだけど、自分の会社だけで全てを行える会社なんて日本でもごく僅か。

その企業とは、即ち正真正銘の"大企業"である。

俺はそんな所に縁はなかった。

 

 

「明智君はキョン君に勉強を教える涼宮さんを見て、あの二人だから邪魔できないなって思ったわけじゃない」

 

「そりゃそうだよ」

 

「私もあなたが相手なら、涼宮さんと同じ気持ちになれるって事」

 

……なるほどね。

そいつは嬉しい話だ。

きっと俺が誤解答する度に恐ろしい罰ゲームが待ち受けているのだ。

消しゴムや石鹸を食べさせられるのは初級編だ。

上級ともなれば無数のナイフが間違いなく飛んで来る。

俺はそれを回避出来ないように重力負荷で縛り付けられるという流れ。

うん、楽しすぎて想像しただけで涙が出るよ。

 

 

「当のキョンは相変わらずの様子さ。今日の朝だって涼宮さんの事を言われると、はぐらかしていた」

 

割とブーメラン発言なのは見逃してほしい。

かくいう俺も惰性だけで朝倉さんと付き合っていた――朝倉さんの方からもういいと言ってくれれば解決だった――わけで。

その期間にクラスの女子から度々質問されたさ。

『明智君は朝倉さんのどこが好きなの?』ってお決まりの台詞をな。

それに対して俺はどう答えたか?

『朝倉さんが、オレを好きになってくれたところかな』だなんて返していた。

心無い発言ではあったものの、今となってはそれが真実だ。

全てが正義だ。

 

 

「朝倉さんに俺が世界史の授業をするかはまた今度として、あまり二人が遅れちゃ一年生がかわいそうだね」

 

本当にどうなるのかが、わからない。

俺が知らない話に突入しているのだから。

それでも不安はなかった。

アドリブで生きるのには慣れているし、俺の左側には彼女が居てくれるからだ。

これだけで自分が主人公に思えるぐらいのいい気分になれるんだ。

 

ーー男の世界ってのは単純らしい。

 

 

 

 



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第68話

 

 

昨日とは違い、部室には居たのは長門さんだけではなかった。

部室棟の廊下に古泉が突っ立っていたのである。

きっと朝比奈さんがメイド服に着替えているんだろう。

俺と朝倉さんはそんなにゆっくり行進していたのか。

つまりキョンと涼宮さん以外の全員が既に居るわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらの様子に気付いたトッポイ超能力者。

そいつは見なくてもわかるような見たくもないニヤニヤ顔だ。

頼むから俺にお前さんのイケメンオーラを分けてほしいね。

そうすればきっと"異次元マンション"も進化……しないな、多分。

俺の胸中など知らずに腹が立つぐらいに爽やかに古泉は。

 

 

「どうも、ご両人」

 

「こんにちは、古泉君」

 

古泉程度にあいさつもしなくていいのに朝倉さんは丁寧に笑顔であいさつする。

俺はそんな柄でもないのに「ウィッス」で済ませているぞ。

認めたくないが眼つきだって悪い。しかも俺が笑顔になる要素はない。

そんな俺が朝倉さんを見ていると『ああ……優等生キャラだったな…』という設定を思い出す。

もちろん現在のクラス内でもそのキャラで、SOS団内でも基本そうだ。

古泉はどうか知らないけど、涼宮さんと朝比奈さんはまだ朝倉さんについて勘違いしてそうだな。

残念だが綺麗な薔薇とは往々にして鋭利なトゲが生えているのである。

そして万年作り笑い野郎の古泉一樹よ。

一日ぐらいでいいからずっと悲しそうな顔の古泉が居てもいいのではなかろうか。

涼宮さんならそれはそれでウケてくれると思うんだよ。

 

 

「機会があれば実践してみる価値はありそうですね」

 

「オレはお前さんの"ポーズ"について話しているんだよ」

 

あるいはペルソナか。

原作では古泉のニヤケ敬語イエスマンはあくまで涼宮さんが面白いと思うキャラ、といった旨の発言があった気がする。

つまりこいつは演じているらしいが、余裕そうな態度はさておいて敬語の方はどうなんだろうか。

やっぱり平民階級の人ではないと思うんだけど。

 

 

「ご想像にお任せしますよ」

 

じゃあ一人で家に帰ると舞い上がってしまうタイプだな。

勉強の何が楽しいのか知らないけどわざわざ古泉は理数クラスに入っている。

きっとテストの点数の100を見るのが生き甲斐なんだろうよ。

そんな下らない想像をしていると部室の扉が開かれた。

 

 

「お待たせしましたあ」

 

メイド服に着替え終わった朝比奈さんが笑顔で俺たちを迎え入れる。

そういや今日もパイプ椅子が必要だよな。

 

 

「そうですね。では、お取り寄せするとしましょう」

 

「あいよ」

 

再び部室棟パイプ椅子借りツアーを決行する羽目になった。

今日は古泉と二人なので作業割合も増えてしまう。

念のために昨日と同じ人数を用意してもよかった、だが一年生が減る事はあっても。

 

 

「増える事はないはずだね」

 

「はい。それをどう受け止めるべきなんでしょうか」

 

今日やって来ると予想した最大人数分の七脚を用意した。

SOS団近くの廊下にそれを立てかけておく。

人数が増える事がないという事態を喜ぼうにも涼宮ハルヒに見つかればそれも不敬罪となってしまう。

北高は間違いなく軍人学校などではないし、SOS団だって帰宅部とそう変わらない。

もっと情報系の依頼が来ればいいのにと思ったところでそんな人は普通コンピ研をアテにする。

俺がそっち方面に強い事なんてごく一部の間でしか知られていないのだ。

一仕事終えてもまだキョンと涼宮さんは部室にやって来ていない。

 

 

「お疲れ様です。もう直ぐお茶が湧きますよ」

 

俺と古泉を労う朝比奈さんに対して、朝倉さんはこっちを気にする様子は見られなかった。

そりゃあ彼女にとっては一年生とか新入りとかはどうでもいいんだろう。

でも荒んだ心に癒しは必要だよ。

 

 

「何言ってるの?」

 

「オレの人生哲学さ」

 

「……」

 

「なら今後の参考にしておくわ」

 

何をどう参考にしたんだ。

癒しに対するアプローチですか?

正直朝倉さんが一言「お疲れ様」と笑顔で言ってくれるだけでいいんだよ。

 

 

「あら、そうなの?」

 

「そうだよ」

 

ここ最近で朝倉さんはすっかりコンビニ500円本を読んでいるのが当然になっていた。

人間社会の勉強にはなるだろうけど、書いている内容が偏っているのはどうなんだろう。

因みに彼女が今読んでいるのは幸運を呼ぶ方法だとかまさに胡散臭い本の代表格であった。

もしかしてこの習慣があの朝倉さん(大)の人格形成へと繋がっているのか?

う、うわぁ……。

 

 

「どうやら早速お出ましのようですね」

 

「……」

 

ドアがノックされると一人また一人と部室内へ一年生が入ってくる。

全員昨日見た生徒だった。その中には佐倉さんも居た。

一年生総勢――。

 

 

「七人かな」

 

これ以上増えたらそれはそれで二重に残念な展開であった。

しかし、どうやらこれで打ち止めらしい。

古泉は一年生の前にも関わらず。

 

 

「どうですか、一勝負」

 

などと言いながら"ナインメンズモリス"を机の上に置く。

古泉に手を抜かずに戦ってもらうにはボードゲームじゃ無理だ。

もう"めんこ投げ"ぐらいしか思いつかないんだけど。

一年生諸君はSOS団を娯楽部か何かと勘違いしているな、きっと。

 

 

「……お前さあ、"ホッピング"ぐらい使えよな」

 

「おや。すみませんね、失念していました」

 

確かにローカルルールとも言われてるけどさ。

長門さんはアダム・ファウアーの【数学的にありえない】を読んでいる。

あれは2007年度のこのミスに入選していたはずだ。

新しい作品も読んでいくスタイルなのだろうか。

彼女が読書をきっかけに感情を掴んでいく日も、そう遠くないんだろうさ。

いい傾向じゃあないか。

 

――それから更に十分以上が経過した。

放課後に入ってから三十分も過ぎた計算になる。

一年生たちも手持無沙汰だろう。お構いなしでボードゲームしてるけど、いいのか。

するとようやく。

 

 

「へぇーっ……意外に多く残ったじゃない。これは選び甲斐があるわね」

 

お待たせしたとも言わずに涼宮さんがどどーんと登場した。

俺は文句を言うつもりはないけど、長く待たされた一年生たちはどう考えているんだろうね。

どうもこうもないか。俺は知らんよ。

そしてその後ろには昨日と同じくキョンも立っている。

 

 

「……よう、遅かったじゃあないか」

 

と今にも撃ち殺されそうな人の台詞を俺はキョンに向けて放つ。

言われた本人は「悪かったかよ」としか言ってくれなかったけど。

そんな事より。

 

 

「賭けはオレの勝ちね」

 

「まさか明智にピタリ賞を持ってかれるとはな」

 

「お見事です」

 

ジュースでいいよ。

ただし150円のペットボトル系統だ。

 

 

「貧乏性だな」

 

「むしれるだけむしるのさ」

 

倍プッシュしたら多分負ける。

明日全員来ないのが一番なんだけどね。

部室内の一年生全員の顔をしっかり見て、満足そうな表情をした涼宮さんは。

 

 

「よろしい。じゃ、これからSOS団入団試験の、二次試験を開始するわ!」

 

一次試験は昨日の説明会という体の拷問らしかった。

ここに来なかった昨日のメンバは賢明な判断をしたと思うよ。

万が一に巨大カマドウマやUMAと戦闘出来る人材がやって来るとは思えないね。

もしそうなったとして俺は後輩に"システマ"について教えてあげるくらいしか出来ない。

俺は師範でも何でもないんだけどさ。

涼宮さんは団長席から"試験官"と書かれた腕章を取り出す。

他にも何か入ってそうだな……。

 

 

「二次試験はペーパーテスト……と言っても適正を見るものだから安心してちょうだい。アンケートみたいなもんよ」

 

まるで自動車教習所か何かではないか。

彼女が言うにはこのテストの内容は直接合否に関係しない――やる意味あるのか――らしい。

その上俺たち団員にも個人情報として解答については公開されないと言う。

本当にアンケートだ。もっとも、彼女の言葉をそのまま信用していいのかは俺にはわからない。

一つ言えるのは涼宮さんにやる気があるという事だ。

 

 

「さ、わかったらちゃっちゃと始めるわよ。入団希望者以外はテスト中立ち入り禁止だから出ていってちょうだい。あ、有希はいてもいいわよ。団長のあたし一人だけってのもプレッシャーになっちゃうから」

 

ここが文芸部室な点で最高責任者は長門さんにある。

しかしながら彼女は居ても居なくても変わらないと思う。

むしろその点を評価されたのか? 

どうであれ涼宮さんの命令は絶対だ、従わないと死刑なのだから。

そもそも今日来ている時点でアホかバカか、もしくは命知らずな連中には違いない。

朝倉さんに日ごろから馬鹿馬鹿言われている俺がそう思えるぐらいに事実さ。

無駄な考えを巡らせつつ入団テスト受験者のための椅子を部室内に運ぶと、廊下に閉め出された。

キョンは早く終われと言わんばかりの表情で。

 

 

「ハルヒは長門を部室の備品の一つだと勘違いしてないか」

 

「監督係なら間違いなく朝倉さんが適任だね」

 

涼宮さんもそうだけど朝倉さんだって完璧人間だ。

どんな雑用だって手早くクリーンに片づけてしまうだろう。

仕事が出来すぎるのも社会では考え物だといういい例か。

ともすれば古泉はわざとらしく。

 

 

「そう言えば、あなたと涼宮さんの到着は遅かったですね。記憶違いでなければ昨日もそうでした。二人とも同じタイミングですよ」

 

「何が言いたい」

 

「気になるのはこっちの方ですよ。放課後が始まって早半時。その間、僕たちは部室で待っていたのですからあなたの動向を気にする権利くらいは僕にもあるでしょう」

 

間違いなく古泉は馬に蹴られて死んでしまう人種だろう。

野郎ではあれど野暮の野しか知らないらしい。

俺は何も言わないでおこう、キョンの言い訳が気になる。

朝比奈さんはヤカンに水を入れに行った。

テスト明けの一年生相手にお茶ぐらいは出さないと可哀想だという彼女なりの配慮か。

奉仕の精神だが、決して上からの立場ではない。人間の鑑だ。

わざとらしい古泉の質問に対し、わざとらしくキョンは咳払いをした。

横をちらっと見ると朝倉さんまで意地の悪い笑顔をしていた。

そうだな、俺ぐらいはキョンの味方でいよう。無表情で。

 

 

「なーんもねえよ。いつもそうだが、あいつは遅れてくるのが団長職にとってのステイタスだと考えてるみたいでよ。わざと一年生を待たせて、その様子を窺おうってハラだ。俺はその思いつきにつき合わされたのさ」

 

「確かにそうだ。ですが、その割に涼宮さんは市内活動の際に遅れる事がありませんね」

 

「俺に奢らせたいだけだろ。ハルヒが負けず嫌いなのは周知の事実だぜ」

 

それとこれとは別問題じゃないのか。

とは言わない。言ってやらない。

キョンだって負けず嫌いだからな、俺は負け慣れている。

失くす物は何も無いのだ。

 

 

「ならば二人きりで待ち合わせてみてはいかがでしょうか。いくら何でも、あなた一人の負担だけで済まそうとはしないはずですよ。今の彼女ならね」

 

「待ち合わせるだと? 誰が何の用で待ち合わせればいいんだ」

 

さっぱりわからないといった表情である。

朝倉さんや。

 

 

「……あれって本気で言ってるのかな」

 

「さっきの明智君も大概だったわよ」

 

それは俺に勉強を教えてほしい云々の話か。

一緒にしないでよ、俺は違う。

主人公でもなけりゃ鈍感キャラでもないって。

イマイチ朝倉さんは信用している様子ではなかった。

やれやれだよ。

古泉選手は直球を投げ続ける。

 

 

「あなたが涼宮さんとですよ。用など実際に待ち合わせてから考えればいいでしょう。適当な頃合いに彼女に電話をかけ、次の日曜にどこかへ行かないかと誘うのです。待ち合わせをするにはいい実験になりますよ」

 

「実践するならオレは気にしなくていいから」

 

「そうね、涼宮さんと二人きりじゃなきゃ確かめられないもの」

 

「……お前ら」

 

どうした、言いたいことがあるならハッキリ言うがいいさ。

物怖じしないのが主人公の特権ではないか。

 

 

「それは俺にデートに誘えって事か?」

 

気は確かか、と言わんばかりの怪訝な表情だ。

そうとは言ってないさ。でも。

 

 

「そうかもしれないね」

 

「僕は"デート"などと言った覚えはありません。あくまで一例として申し上げたまでですが、どう受け取るかはあなたに任せますよ」

 

「あんまり涼宮さんを失望させちゃ駄目よ?」

 

「はっ、俺がそんな事をもし始めたとしたらそいつは悪い傾向だ。あいつにとってもそうだろうよ」

 

それきりキョンは無言になった。

微妙な静けさが続くと思われたが、やがて朝比奈さんが戻ってきた。

彼女は部室の扉に張り付けられたKEEP OUTの張り紙を見て。

 

 

「あっ、本当に入室禁止なんですね」

 

「……どこかで時間でも潰しましょう」

 

キョンの提案により、部室棟を後にすることに。

朝比奈さんが持ってきたやかんはコンピ研に預かってもらう。

新入りが早速入ったのか、コンピ研も見知らぬ生徒がちらほら見受けられた。

やかんを預かってもらう必要性についての事情を掻い摘んで聞いた部長氏は。

 

 

「へえ。君たちの方にも入部希望者が居るんだね」

 

「怖いもの見たさじゃあないですか」

 

その正体は本当に怖いものだから気の毒だ。

こっちとコンピ研の空気の違いを感じてしまうね。

あっちはゆったりどっしりしている。

SOS団は涼宮さんのワンマンアーミーなのさ。

季節も冬はすっかり終了してしまい、自然の青々しさを感じられる。

現在、外のテラスに五人も陣取っているというわけだ。

移動の折にはキョンと古泉にジュースを買ってもらった。

ペットボトル、スポーツドリンクとカフェオレだ。

どうせ今飲まないんだけど。

特別することも無いのに時間の経過が遅いと感じていると。

 

 

「そういえば、入団試験ってどんなのですか?」

 

朝比奈さんが気になるも当然だ。俺も見ていない。

だが、キョンは何故か知っていた。

問題用紙を持っていたのだ。どこから仕入れたのかも知らない。

丸テーブルの上に置かれたそれを、回し読みする事になった。

 

――それはペーパー面接のようだった。

SOS団入団の志望動機。

入団した場合、SOS団に対して何が出来るのか。

宇宙人未来人異世界人超能力者のどれが好きか。

その理由。

今までにあった不思議エピソードについて答えよ。

好きな四字熟語。

何か一つだけ、何でもできるとしたら何をするか。

あなたの意気込みを書いて下さい。

 

 

「……『追記、何かすごく面白そうなものを持って来てくれれば加点します』」

 

面白そうなものと申したか。

夏休み中、いつぞやの朝倉さんの無茶な要求を思い出す。

やはり俺には無限プチプチぐらいしか持っていない。

後はベンズナイフ。こっちは絶対に出せないけど。

涼宮さんは無限プチプチををどう判断するのだろう。

くだらないわね、で終わりそうだな。

一通り全員が問題を確認したのを見たキョンは。

 

 

「意味がわかりませんよ。まったく……これのどこが入団試験なんだ?」

 

「彼女も仰っていたでしょう。アンケート、いえ、心理テストのようなものです」

 

適性試験なんてそんなものだろう。

プログラマー適性に関して言えば、短時間でどれだけ問題に挑戦できるかなんて内容だった。

今回のテストだって、制限時間は三十分。

SOS団入団というある種今後の人生に関わりかねない大きな壁に対しては圧倒的に時間が足りない。

俺なら一日中問題用紙と格闘しそうだ。

……いや、こいつらと同世代でよかった。本当に。

おかげさまですんなり俺は入団できたのだから。

 

 

「僕としましては問三と問四が気になりますね。宇宙人未来人異世界人超能力者。奇しくもこの場にはその全員が揃っていますよ」

 

「俺以外はな」

 

女子二人は知らないけど、俺も気になる。

決して自虐をしたいわけではないが。

 

 

「異世界人を選ぶ人なんているかな?」

 

「ふふっ。私は選ぶわよ」

 

「オレだって宇宙人って書くさ」

 

「わかったからいちゃつくならよそで頼む」

 

そんなつもりは無いんだけどね。

事実なんだから。

 

 

「そんな事言うならキョンはどれを選ぶんだ?」

 

「僕も一番気になっているのはあなたの解答なんですよ」

 

「キョン君は何かありますか?」

 

朝倉さんを除く三人からの集中砲火だ。

彼の頭の中には長門さんが宇宙人代表として存在するだろう。

本人たちの前で答えろ、とは難しいものもあるが。

 

 

「選べないだろ」

 

お前の気持ちもわかるさ。

だけど、いつか選ぶような必要性を求められる。そんな日がやって来る。

 

 

「いつだろうね」

 

「今日じゃねえよ」

 

わかってるさ。

お前が選んだのは、涼宮さんだろ。

きっと。

 

 

 

 



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第69話

 

部室を閉め出されてから予定の三十分より十分ほど遅くして部室に戻った。

俺は蓋を捻っていないぺットボトル二本を戦利品として携えている。

炭酸飲料だったら直ぐに飲まざるを得なかったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝比奈さんはやかんをコンピ研から回収したわけだが、入団希望者がお茶を飲むことは今日も叶わなかった。

何故ならば。

 

 

「一年生? とっくに帰したわよ。テストは終わったんだし、用は無いでしょ」

 

まるでSOS団の方から用済みだと言わんばかりにそう言い放つ涼宮さん。

ううむ、朝比奈さんのお茶は団員の特権――鶴屋さんをはじめとするお客さんには出すのだけど――か。

せっかく入れた水をそのまま流してしまうのもどうなのか。

そんなわけで朝比奈さんは早速気持ちを切り替えてやかんを火にかけ始めた。

キョンと涼宮さんは本日初だが、こっちは本日二杯目である。

美味しいから構わないけど。戦利品のジュースは鞄にしまったさ。

さて、一息入れてからパイプ椅子は戻すとしようか。

用はないでしょ、の発言に呆れたキョンは。

 

 

「それで? 入団試験の二次とやらで何をどうするつもりなんだ」

 

「まず合否には関わらず明日も来るように言っておいたわ。やる気がある人は残るでしょ」

 

実際に受ける側の人間になれば多分わかる。

結構やる気をドレインされるような空間と試験内容だ。昨日はただの説法だ。

そんな輩はいないと思うが、もしSOS団の女子陣目当てという不届き者のメンタルでは耐えられない。

谷口が一週間もつかどうかといった感じだ。

俺なら昨日は耐えれても今日で投げたくなる。

朝倉さんを助ける前の命知らずな俺なら別だけどね。

今の俺はマイナスじゃない。

 

 

「合否ってな、その内容は俺たちも見れないんだろ。お前一人でどう決めるのか、それを教えてほしいんだが」

 

「まさか。こんな問題だけで団員を即決するわけないじゃない」

 

彼女の言葉からはわざとそうしてやらないといった意味合いすら感じられた。

佐倉さんの熱意が本物であれば耐えてくれるだろう谷口に勝てるだろう。

俺はあくまで知らぬ存ぜぬのスタンスでいきたい。

少年少女にはあくまで大志を抱き続けていただきたいのだ。

確かに涼宮さんは直接合否に関わらないと言っていたけど、おもちゃにされる一年生は気の毒だ。

これが谷口が言っていた"涼宮毒"である。

 

 

「別に何が正しいなんてのはあんたたちが見てもわからない問題よ。ようは面白い解答があればいいなって程度のもんなの」

 

「お前の思いつきに俺たち団員が付き合うのはわかるが、関係者ですらない一年生にそれをやらせるとはな」

 

「あたしだってしっかり考えてるわよ」

 

涼宮さんが言うには試験を受ける事自体が試験らしい。

……あれ? なんかハンター試験に通じるものがあるな。

しかしあっちは会場に行くまでが既に試験という無茶苦茶な出来だ。

それに比べれば文芸部室まで足を運べば受験できるだけまだありがたい、のか。

 

 

「忍耐力を見てるの。現に昨日居た全員が今日も来たわけじゃなかったでしょ。自ずと絞り込まれていくってわけ」

 

「もしかしてお前から選抜しようだとかは考えてないのか?」

 

「優劣がわからない以上はそうするしかないわね。死ぬ気にならなくてもこんなの余裕じゃない」

 

むしろ貴重な青春時代の開幕をSOS団に浪費するという事実だけで死にたくなる人は出てくるかもしれない。

他の部活を見たり、友人を作ったりだとか、そっち方面に努力した方がいいのは間違いないぞ。

ついぞ前世の高校時代は灰色だったが、何も平成19年度北高入学生のみなさんがそんな目に遭わなくてもいい。

入団出来たらいい事もあるかもしれないけどさ。俺は彼女が出来たわけで。

……ん? あまりSOS団関係ないかも。

 

 

「あんたはせっかく無条件で入団出来たんだからありがたく思いなさいよ」

 

「俺はSOS団に入団試験があった事自体を今年に入ってからようやく知った」

 

「ぼけーっとしてちゃ駄目よ。この試験を最後までクリアする人材はとても優秀な人間に決まってるから、今のキョンなら直ぐに追い越されちゃうわね」

 

何がどう追い越されるのか、それはわからない。

その優秀な人材とやらが幽囚の身になる事だけはわかる。

他のみんなに関しては言及されていないけどそれはいいんだろうか。

貢献度で言えば俺は基本的に表立って貢献していない。

ミヨキチさん――本名は吉村 美代子と言いキョンの妹の親友らしい。つまり小学生なのだがとても発育が凄いのだと言う――の話ぐらいだ。

機関誌に掲載したキョンの恋愛小説とやらはそのミヨキチさんと映画を観に行ったという壁ドンもの。

その監修をしてあげた事と去年の夏合宿の演出、後はコンピ研部長氏にありがたく思われている事だろうか。

キョンよりは大きく貢献しているが、他のメンバの方が優れているさ。

宇宙人二人組は本物の魔女ぐらいのインチキが出来るし、古泉は何かと自分からアテにされに行っている。

朝比奈さんはそこに居るだけで弄られる優遇っぷり。

 

――やれやれさ、俺も追い越されかねないな。

古泉は黙ってUNOをシャッフルしたかと思えば俺とキョンにも配り始めた。

二人UNOは本当に不毛だが、せめて四人からにしてほしいね。

女子を誘おうにも朝比奈さんに命令が可能なのは涼宮さんだけ。

その彼女はペーパーテストの解答をまるでサファリパークにでも居るかのような気分で眺めている。

勿論だけど俺だってその内容が気になるさ。

異世界人と書いた一年生の人数だったり、佐倉さんがどんな解答をしているかだったり。

残る宇宙人二人は読書。

朝倉さんは【よくわかる魔界地獄の住人大百科】で長門さんは【百戦百勝】である。

どうやらやはり俺には宇宙的センスがわからない。

特に朝倉さん。そろそろ君が仕入れる本に関して俺は検閲をかけるべきだと思ってきたんだよ。

何だよ魔界って……ふざけるな、と言ったら口から雷が出るような世界か?

 

 

「明日は何人来るのかな」

 

「さあな。俺は今日と同じ人数だと思いたくない」

 

配られた手札を見ながら俺の呟きに反応するキョン。

俺も自分のを見てみるが、ワイルドがない冷遇っぷりだ。

 

 

「……どうなることやら」

 

団員が増えようと増えまいと、こんな日常が一番なのには変わりない。

これにも終わりが来るってことぐらいはわかってる。

涼宮さんだって無茶しないだろうさ。

いや、もしそんな時が来たら彼女を夢から覚ます必要があるのさ。

俺がこっちの世界へ飛ばされてから約四年。

それでもまだ覚えているさ、アニメでも見た印象的なシーンだからな。

"sleeping beauty"……白雪姫、だろ。

その時はまた、お前に任せる。

俺には無い役割さ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして入団試験のペーパーテストが行われたその翌日、水曜日だ。

四月にしてはやけに飛ばしすぎな勢いで陽が照りつけている。

これも全て科学技術進歩の弊害なのだろうか。

だからといってこんな田舎にまでそのシワ寄せが来る事も無いだろうに。

汗こそかかないが、恨み言の一つでも言いたくなるね。

 

 

「朝倉さんにはそんな気候変化なんてまるで関係ないのかな」

 

「正直言えばそうね」

 

では冬に来ていたコートやらセーターやらは何だったのだろうか。

周防に至っては万年制服だとしか思えない。

谷口は彼女の私服姿を見た事があるのだろうか?

 

 

「私は女子よ?」

 

「その女子でファッションだとか気にしない人種を少なくともオレは二人知っているから訊いたんだよ」

 

「明智君は私にもずっと制服姿でいてほしいの?」

 

そんな事はない。

かく言う俺もファッションセンスに自信があるわけではない。

しかしながら朝倉さんを制服姿だけに止めておくなんてのは馬鹿にすら値しない行為だろう。

万死に値する。

 

 

「朝倉さんが何を着てもいいからって同じ服だけなのはオレだって少し残念な気分になるさ」

 

言外に長門さんと周防を残念と言っているが、これも仕方のない事だ。

そういや喜緑さんはどうなんだろうな。

彼女だって北高指定のセーラー服以外を着る機会があるとは思えない。

見えない所で彼女が特別任務でもしていたら違うんだろうけど。

 

 

「でしょ? サービス精神よ。それに、私だって興味あるもの」

 

「御洒落にかい」

 

「ええ」

 

周防が絶対に言わないであろう台詞だ。

つくづく幸せ者だね、俺は。

古泉の台詞じゃあないけどいつまでも続けばいいさ。

終わる時は一緒なのだから。

それにしても。

 

 

「……平和すぎるのかな」

 

度々そう感じてしまう。

何だか俺は、本当に"決着"がつく日がやって来るのかさえ疑問に思えてきた。

涼宮さんは新入り候補達を弄り倒している。

やられる方はさておき、彼女が上機嫌なのはわかる。

朝比奈さんはこれが自然体だと言わんばかりのメイド姿で奉仕してくれている。

規定事項だとか、そんな裏事情を最近はすっかり感じさせない。

古泉はついこの前まで久々の閉鎖空間発生に苦労していた。

だけど今では余裕の表情を見せている。閉鎖空間も止んだらしい。

肝心の涼宮さんがあの様子では、ストレスも何もあるわけないさ。

長門さんこそ安心だ、いつでも平常運転さ。

そして、俺と朝倉さんは毎日呑気な生活をしている。

去年の十二月以来駆け足な日々が続いたんだ、ここいらで小休止しても大丈夫だろう。

 

 

――大切なのは必要な時に問題なく動ける対応力なんだ。

"システマ"の戦闘術においては、痛みや恐怖すら日常。

平常心でもってそれを受け入れる。

佐々木さんの取り巻きがやって来ても撃退すればいいのさ。

油断してなけりゃ大丈夫だ、今までそうして来たんだからよ。

俺には何かを変える、なんて立派な事は出来ない。

でも、そのきっかけを与える事は出来る。誰にでも出来る。

朝倉さんが感情を理解してくれたのは、彼女自身が持つ探究心故の賜物さ。

俺が彼女にした事は一つだけ。

朝倉涼子が殺されるという理不尽を願い下げただけだ。

正義は俺で、みんなが生きればいい。

彼女だけが先んじて殺される理由なんて、どんな世界を旅しても存在しないのさ。

この前の土曜にその話については充分したさ。

だから。

 

 

「もういいよ、オレの負けで」

 

「何の話?」

 

「先週言ってたでしょ。先に惚れたのはオレの方だって」

 

するともう直ぐで校門前だと言うのに、朝倉さんは坂上りを中断。

ニヤニヤした顔でこっちを見つめてきた。

何だか周りの生徒の視線を感じるぞ。

朝から何やってんだろうな、彼女と少し距離を開けて見つめ合っている。

安っぽいラブコメだ。

 

 

「……ああ、わかったよ、認めてやるさ。オレは最初から君が好きだ」

 

「ふふっ」

 

「だからオレは朝倉さんの要求を断らなかった。これでソリューションといきたい」

 

IT用語としての"ソリューション"ではない。

本来の意味である"解放"という事だ。

ありがたい事にこのまま行けば人生の墓場とも揶揄される結婚を彼女とするらしい。

死因なんて朝倉さんと一緒に死ねれば何でもいいけど後悔だけはしたくない。

俺はあのまま前の世界で生きていたら、後悔せずに逝けただろうか?

何か心残りはあっただろうか?

……思いつかないって事は、無いんだろうな。

だけどそれは、こっちの世界で後悔なく死ぬ事とは全くの別物。

スタートラインに立てなかった。

学生時代は違ったが、やがて俺は世界に対して妥協するようになっていた。

バッドルーザーから一転してグッドルーザーさ。

 

 

「さ、今日も最高に素晴らしく時間を浪費する一日の始まりだ」

 

朝倉さんはそれが嫌で独断専行したんだろ?

昔の俺だって、そんな日常が嫌いだった。

妥協するのが嫌だった。

俺が救ったのは朝倉さんの他にもう一人居たんだ。

死にかけていた俺の精神だ。

もっとも、完全復活したのなんてそれからかなり後の話になるけど。

"臆病者"で在る事を棄てたんだからいいじゃないか。

 

――上履きを履き終え、廊下を並んで歩く。

教室はクラスメートが居る手間そこまで彼女と話さない。

何を今更かと思うだろう。

なら自分で実践すればいいさ。

嘘か本当か俺は知らないけど、この年頃の女子はお喋りが好きらしい。

その相手が好きな人なら尚更そうだと言う。

俺は自分よりお喋りな奴を快くは思わないけど、朝倉さんは例外さ。

普段、教室で彼女とあまり話をしないのもそういう事だ。

日常の中の例外にこそ楽しさがある。

 

 

「昔も私は嫌だったわよ。今だって情報統合思念体は自律進化の可能性を求めている」

 

「現状で何が駄目なんだ? 生死の概念なんてあるのかな」

 

「あるわよ」

 

意外だね。

時間概念が存在しないなら不死だとか無敵だとか思うのに。

……いや、無敵ではないか。

原作の消失世界では改変と同時に消されてたみたいだから。

つまり。

 

 

「削除ね。不可能に近いけど」

 

その実行時間だけで何年が経過するのやら。

情報統合思念体そのものに接触なんて俺には不可能だし。

それでも。

 

 

「"絶対"じゃあないさ。無駄な時間ってのは万人に例外なく訪れるんだ」

 

きっと情報統合思念体が自律進化すれば、そんな概念さえ超越するのだろう。

今でさえよくわからないのだ。涼宮さん以上の存在になるかもしれない。

勝手にすればいいさ。俺たちに迷惑をかけないなら、だけど。

 

 

「私は独断専行なんかより、あなたと居る方を選んだのよ。時間を浪費する日常……それでいいじゃない」

 

爽やかな声と笑顔でそう言ってくれた。

か、かわいすぎる……。

二年五組の教室手前で朝倉さんを抱きしめに行かなかったのは俺の自制心のおかげだ。

精神的超人とかどうでもいいよ。

俺は死ぬまで彼女の笑顔に対する耐性を上げられそうにない。

古泉? あいつは不快係数が二段階上昇するだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日のお昼時、野郎四人でSOS団入団試験について語られた。

俺とキョンがしなくてもいい説明を谷口と国木田にしてあげたのである。

谷口が気にしている女子については「いないよ」と嘘を言っておいた。

お前はしっかり冷血宇宙動物を飼い慣らしておくんだ。

それが俺たちの平和に繋がるんだよ。

 

 

「しっかし、七人だと? 今年の一年はどうなってやがる。東中出身者なら間違いなく涼宮の伝説を知ってるはずなのによ」

 

谷口がそう言うのも当然だ。

実際に来られたこっちが一番そう思っているんだ。

いつまで入団試験は続くんだ?

"無期限"なのか……まさか"無限"なのか……?

心配する俺をよそにキョンは。

 

 

「ハルヒは気まぐれもいいとこだ、そのうち飽きるさ。それぐらい入団希望の一年は普通そうな連中ばかりだからな」

 

彼が言うように、佐倉さんをはじめとする一年生たちはどう見ても普通だった。

いや、何故か女子に関してのルックスに関してだけは普通じゃなく高かったが。

だから谷口には馬鹿正直に教えてやるわけがないのだ。

 

 

「ふーん。案外今日中に決まるかもね」

 

と、国木田は適当な事を言う。

この時俺はそんなにすんなに終わってくれるはずがない、と考えていた。

 

――結論から言うと俺のそんな考えは裏切られた。

ありふれた一日であったはずの水曜日に入団試験は終了したのだ。

その上、まさかの二人も合格してくれた。

 

 

 



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第70話

 

 

この日、放課後に三度目となるSOS団入団試験が実施された。

では人が人を選ぶにあたって一番大切な事とは何だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまりは採用基準である。

どこぞで聞いた話では、それは"信頼"らしい。

頭がいいとか、才能があるなんて事ではないのだ。

"何が出来るか"というのは過去の実績から来る"信用"に他ならない。

SOS団はともかく、会社の採用において受験者の実績など程度が知れている。

いくら勉強しようと仕事で活躍するわけがないのだから。

結局、その人の将来性に賭け、採用担当が信頼する形で人は選ばれるのだ。

俺たちSOS団の団員だって期待しているのさ。

明るい未来ってやつを。

 

 

「――と言うのはどうだろう」

 

「実に合理的な発想ですね。もっとも、涼宮さんの採用基準は誰にも予想できませんが」

 

腐れ超能力者、お前はどうでもいいんだよ。

俺がいつだって気にしているのは朝倉さんだ……。

さて先生、今回のは何点でしょうか。

 

 

「……27点よ」

 

「ありがとう。しかもそれって1000点満点中だよね」

 

「よくわかってるじゃない」

 

いっつも俺はそんな扱いだからだよ。

パーセンテージにして3を下回る完成度らしい。

これでも彼女と好き合う関係らしいから不思議だ。

ひょっとして新種のツンデレなのかもしれない。

この部活について一年生に正確に判断してもらうには、いつも通りの様子を見せるのが一番だろう。

朝比奈さんのメイド服しかり、ボードゲームしかり、宇宙人の読書しかり。

今の状況説明でわかってもらえたと思うけど、今日もキョンと涼宮さんのペアは不在。

またまた勉強会でもしているんだろうさ。

それはそうとね。

 

 

「オレがわからないのは朝倉さんがいつ、そんな奇天烈なコンビニ本を仕入れているかなんだけど」

 

「安心していいわ、夜中に出歩く訳ないから。私一人だなんて危険だもの」

 

そうだね。

暴漢がやってきたとして間違いなくそいつが危険な目にあってしまう。

死ぬのは彼女の能力を見る暴漢の方なのだ。

だからといって、やっぱりそんな事があったら心配だ。

万が一を考えたら俺は後悔してもし足りない。考えたくもないね。

だけど本当にいつ買っているんだろう。

 

 

「じゃ、これからは一緒に買いに行こうかしら?」

 

買わないって選択肢はないんですね。

どうしてそんな我を通す所だけ涼宮さんに似ているんだろうか。

いいや、これも朝倉さんらしさだ。

妥協しないってのは、さ。

とりあえずこれから一緒に買いに行くかどうかについては下校の折にでも話しましょうぞ。

俺氏サイドとしても彼女の趣味らしき行為を否定したくはなかった。

……そんな話より今後の問題は。

 

 

「新入りがSOS団に加入したとしてこの部室のキャパシティは大丈夫なのかな」

 

「あたしも少し心配です。人数分のお茶が一度に淹れられないかも」

 

「まさか涼宮さんが昨日の七人全員を、とは行かないでしょう。僕が保障しますよ」

 

二年下のまだ入ってもいない後輩にまでお茶の心配をするんですか、朝比奈さん。

そして胡散臭い発言ばかりの古泉に保障されても嬉しくない。

一昔前ならその一言も安心出来たかもしれない。

だけど最近のこいつは自分でもカウンセリングの実力に疑問を抱いている体たらくぶり。

信頼は出来そうになかった。

ただ、最低でも五人ぐらい採用しないと次の世代に繋がらないのは確かだと思う。

俺たちが卒業してからも北高にSOS団が残るかはわからないけどね。

 

 

「今日のところは考えないでおくよ」

 

「……」

 

窓から外の明るさを眺めるだけで確認出来る。

ここのところ毎日いい天気だ。

やがて、一人また一人と一年生が部室を訪れた。

彼らは全員体操服を入れる袋を持参していた。

袋には中身がしっかりあるようで、この場に持って来るからには恐らく涼宮さんの指示と推測される。

いったい彼らのどこにSOS団に対する固執があるのか……。

個人的にはやっぱりコンピュータ研究部がオススメだ。

部活としてどうなのかは知らないけど、部員たちは中々の技術力を備えているはずさ。

この日用意した椅子は昨日と同じ七脚だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして昨日と同じく、いや、心なしか今日の方が遅いがとにかく二人はやって来た。

このタイミングで部室に来ていた一年生は計六名。

昨日の七人から一人リタイアしているようだけどそれでも充分残っている。

六名の内訳としては佐倉さん含む女子三名と男子三名。

見事なまでにハーフアンドハーフとなっていた。

 

 

「へぇ、なかなかやるじゃない」

 

涼宮さんは一年生の残った多さに期待以上といった様子で言う。

では何でもってリタイアした一年生たちが"やらなかった"人種だと判断できるのだろうか。

危機管理能力や生存本能といった観点からは、来なかった方が正しいに違いない。

せめて俺だけは名前も知らぬ彼らの味方でいようと思った。

ポーズだけの正義さ。

すぅ……と大きく息を吸い込んで涼宮さんは高らかに宣言する。

 

 

「それでは! これよりSOS団入団試験、最終試験を開始します!」

 

えっ。

彼女の言葉に驚いたのは一年生ではない。

言葉にこそ出さなかったが例外なく団員のリアクションはあっただろう。

とは言え、反応らしい反応をしたのは俺とキョンと朝比奈さんだけだったが。

古泉の方が宇宙人らしいよ。

さてはキョンが涼宮さんに終わらせてやれとでも言ったのか?

だが、それは違うらしい。

 

 

「おい、もう終わりか?」

 

誰もが聞きたい台詞を代弁してくれたのはいつも通りにキョンだ。

彼にとっても初耳の様子だと見受けられる。

原作の序盤では――確か憂鬱――自分は涼宮さんのスポークスマンではないとか彼は言っていた。

だけど、今の彼の状況は明らかにそれではないか。

この世界でそれを言ったかどうか知らないけど、仮に言ったとして本人はそんな事を覚えちゃあいないだろうけど。

コンビニ500円本シリーズで"記憶術"とかないのかな。

キョンの終わり発言に対して。

 

 

「そうよ。あんまり時間をかけてもみんなの負担になるだけね」

 

自覚はあったらしい。

涼宮さんの場合は顧みる心が無いだけだ。

"皇帝"らしさが俺より感じられる。

 

 

「データは充分あるから今日でお終い。そして最後に見たいのはやっぱりやる気なのよ。熱意、根性、一人一人のポテンシャルを評価させてもらうわ」

 

何処にでも在るような普通の高校へ進学した何処にでも居るような普通の新一年生。

その代表として来てもらっているような六名に彼女は潜在能力を期待しているみたいだ。

もしかしたら大物が彼らの中に紛れているかもわからないけど、宇宙人には敵わないはずさ。

頼むから俺の悩みの種が増えるような展開だけは勘弁してほしいね。

 

 

「みんなしっかり体操着を持ってきているわね。言われたことをこなすのは当然よ。みんなにはその上を見せてもらいたいんだから」

 

「……」

 

社会の縮図がそこにあった。

言われてない事にまで着手し、評価されてから初めて一人前のスタートラインとなる。

現代社会は少数のサディストと多数のマゾヒストによって構成されるとは限らない。

……限らないのだが、どう見ても入団希望者六名がサディストには見えなかった。

バニーガールのような如何わしい一件もあったが、ここは断じてSMクラブではないのだ。

田舎だからってそんなものを追い求めないでほしいね。

風当たりが強い集まりなのは否定しないさ。

 

 

「さっそくだけど、これからみんなには着替えてもらいます」

 

「……はあ?」

 

「SOS団現団員は全員廊下で待機。女子から先に着替えてもらって、交代で男子よ」

 

体操服に着替えて何をさせるのか。

ツイスターゲームみたい微笑ましい代物だったらいいんだけど。

そこから新しい青春の一ページが刻まれる可能性だってあるのだから。

一年男子は適当な相槌を打つと、体操服袋を持ってさっさと出て行く。

 

 

「涼宮さん、これから何をさせるつもりなのかな」

 

「現団員にはまだ言ってなかったわね。マラソンよ」

 

ほ、ほげぇ……。

マラソンとはマラソンであり、俺と彼女の認識に絶対的な差が無い限りは長距離走に違いない。

この話を一年生は事前に――どうやら昨日のテスト終了時か――聞いていたんだよな。

それでよく今日も六人なんて人数が集まったと思う。

リタイアした人達が正解だった。この人は合格させる気がないようです。

実際に42.195キロも走るわけが……ない、よね?

しかし体育の授業で走るような1500メートル走で済むはずもないのは彼女を知っている人間なら全員予想出来る。

日が暮れるまで全速力で走りなさい、これぐらいは言われる。

長門さん、どう思う。

 

 

「……」

 

「なるほど、確かに彼らのやる気を見るには適切な方法ですね」

 

嘘だろ。じゃあお前さんが走ってみせたらどうなんだ?

いいお手本になると思うけど。

 

 

「一年生が僕に失望してしまいますからね。遠慮しておきますよ」

 

誰も古泉には期待してないさ。

この男が副団長だという設定さえ彼らはきっと知り得ていない。

最近ではルソーくんの一件で貢献した古泉だけど、実際に彼は何もしていない。

涼宮さんにこれまた胡散臭い説明をして誤魔化しただけだ。

ほぼほぼ長門さんと朝倉さんの手柄だった。

既に団員のほぼ全員が一年生によるマラソンの見物を楽しみにしていた。

納得していないのはキョンで。

 

 

「マラソンだと……?」

 

「あんたも走りたいの?」

 

「そうじゃねえ。一昨日から引っ張っといてそりゃ何だ。説明会? ペーパーテスト? 何の意味があったんだ。最終的にマラソンに収束させたいなら、せめて昨日からやってればよかっただろ」

 

「あたしの話をしっかり聞いてたとは思えないわね。データが欲しかったって言ったでしょ」

 

つまり後は実践だけだと言う。

頼むから下手な事をキョンは口にするなよ、制服姿で俺は走りたくない。

普通に走る分には構わないが、何をさせるにも世界レベルの涼宮ハルヒだけは駄目だ。

運動日和な天気なのは認めてやるさ。

 

 

「それにあんたも気付いていると思うけど、脱落しないでここまでついてくることが正解だったの。ペーパーテストなんて人間観察よ。ただ、入団後の待遇には大きく関わるけど」

 

だそうだ。

と、こんないきさつで最終試験がまさかのマラソン。

ハンター試験では一次試験だったはずだ。

あれは総距離にして40キロじゃきかなかったと思うけど。

そうこうしている内に、女子と男子が入れ替わり着替えが完了した。

 

 

「朝比奈さん」

 

「どうしたんですか、明智くん」

 

「オレの眼は、ええと、正常ですよね……?」

 

涼宮さんまで何故か体操服姿なんですよ。

 

 

「そうみたいですね。ううん、何でかなあ?」

 

俺には何となく予想出来てしまいましたよ。 

命令するだけなら制服姿で依然問題なし、だ。

だのに彼女が着替えている、つまり彼女も運動する。

もしかして「あたしに最後までついてくる事が試験だから」って話なのか?

やっぱりハンター試験だ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はついぞ運動系の部活に所属した事はないが、高校生活を一年でもすればわかる。

いや、どの高校であろうと運動系の部活動の絶対数に対してグラウンドは基本的に一つしか存在しない。

何が言いたいかと言えばこの日の北高のグラウンドは平素通りに体育会系連中の熾烈な陣取りが繰り広げられていた。

校舎の外周ではなくグラウンドで実施するのだ。

シャトルランをするわけではないので直線距離の折り返しとはいかない。

必然的にトラックが欲しくなるわけだが、北高とて陸上部は存在する。この日も活動していた。

どうするのかと思いきや涼宮ハルヒは有無を言わさず先手必勝だった。

 

 

「何よ。あんたらは毎日好きなだけここで走ってるから一日ぐらい別にいいでしょ。それにあたしたちはただ走るわけじゃないの、やがて世界の繁栄に繋がる、崇高かつ高貴な精神があるのよ」

 

ただの罰ゲームみたいなマラソンに対してここまで言えるのは彼女くらいなもんだろう。

陸上部の方々は最早事後承諾と言える勢いで4000メートルトラックを乗っ取られた。

涼宮さんと一年生がマラソンを開始したからだ。

予想通り、終了するまで涼宮さんについていくのが最終試験らしい。

校舎周りのグラウンドへ下る石階段で全員待機だ。せめて見届けてあげるのさ。

ようやく終わりか、と前置きしてからキョンは。

 

 

「最終試験がハムスター百一匹掴み取りじゃなくて良かった」

 

「ハムスター、ね……」

 

俺は昔飼っていたぞ、ハムスター。

というか猫に限らず動物が好きだからね。

動物好きに悪い奴は居ないらしいが俺はどうなんだろう。

懐かれる分にはやはりいいハンターの素養があるのか?

因みにハムスターの品種は"ジャンガリアンハムスター"でオスメス二匹別ケージで飼っていた。

色はオスがノーマルでメスがスノーホワイト。名前はそれぞれ"ハム男"と"ハム子"だった。

今頃天国であの二匹は仲良く俺を待っているだろう。

久しぶりに触りたくなって来た。

もしそんな試験が行われることになったなら古泉は知り合いが経営するペットショップチェーン全店からハムスターをかき集めてみせると豪語した。

やっぱりお前、何者なんだ?

 

 

「朝倉さんは動物に興味ないのかな?」

 

「別に。愛玩動物はあなたたち人類が良くしてくれると思ってあんな姿に進化したのよ」

 

酷い言いようだ。

ルソーが聞いたなら再びダウンしてしまう。

朝比奈さんはどう見ても動物好きだ。

 

 

「とにかくこれがハンター試験じゃあなくてよかった」

 

「それって何をする試験なのかしら?」

 

朝倉さんは【HUNTER×HUNTER】を25巻しか読んでいない。

だが"ハンター"が半ば"念能力者"の意味合いを含む事は知っている。

こんな感じの作品だ、というのは彼女にも説明した。

興味なさそうだったけど、今日の彼女は"試験"の単語に反応してくれたようだ。

必死に5巻辺りまでの知識を思い出す。

 

 

「ええっと最初に予備試験として会場に到着する事。これをクリア出来る確立は一万分の一」

 

「……火山の中にでも行く必要があるの?」

 

「プロハンターの資格はそれだけでカネにも名誉にもなるのさ。だから危険な本試験にも関わらず毎年受験者は何万何百万人も居る」

 

ようは足切りだ。

あの手この手で会場までの道のりを妨害すれば、最低ラインをクリアする人種だけが残るという理屈。

プロハンターとはその名の通りのプロフェッショナル。

ハンターが何をするのかと言われれば、漠然としている感はあるけど。

合格して貰えるライセンスを売るだけで一生遊んで暮らせるんだ。

俺は金のためだけに命は張れないけど。

 

 

「当然毎年会場は変わる、試験内容もそうさ。オレが知っている本試験の内容だったらマラソン、料理、凶悪犯がいっぱいいる塔からの脱出とか」

 

「意味が解らないわね」

 

「その辺は実際に読むのが一番さ」

 

持ってないけど。

とにかく腕っぷしだけの体力馬鹿が通過できる試験ではない。

その分SOS団は良心的かも。

結局今日まで通って、マラソンすれば合格なんだから。

ただそのペースが異常だ、マラソンとか持久力だとかの世界に喧嘩を売っている。

俺でも走破は厳しい。

長距離走は運動神経がいいとかではなく、遺伝形質の方が影響すると聞いた。

一般家庭の俺が、そんなミュータントなはずがなかった。

俺はきっとウルヴァリンに勝てない。

 

 

「朝倉さんは新入りがSOS団にやって来る、なんて実現すると思う?」

 

「さあ。全部涼宮さんが決める事だもの」

 

「そうとは限らないさ……」

 

そう言う俺自身が一番自分の言葉に疑問を持っていた。

超能力者古泉一樹は何故自分に能力が宿ったのか、原因、使命の全てを即座に理解出来たと言う。

未来人朝比奈みくるは自分の任務について知らない事は多いものの、それでもこの時代に来た原因が涼宮さんにある事を知っている。

宇宙人の二人は、涼宮ハルヒの監視……自律進化の可能性を彼女に見出すために北高に居る。

 

――俺はどうなんだ?

この世界が【涼宮ハルヒの憂鬱】だという事なんか、人づてに偶然知り得ただけだ。

ともすれば永遠に気付かなかったかもしれない。

進学先なんか幾らでもある。北高にだって行かなかった可能性は充分にある。

これも涼宮さんの引力の仕業かもしれない。

でも、そうじゃなかったら?

俺は自分の能力について一から十の内の五を知っているかどうかな状態だ。

古泉たち超能力者のケースとは大きく異なる。

 

 

 

だったら、俺は?

この問いに答えてくれそうな人物はこの"世界"にたった二人だけ居た。

そしてその二人とも……ふっ、新入りの女子だったのさ。

 

 



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第71話

 

 

この時、他の団員がどう思っていたかは知らない。

俺に関して言うのなら結局涼宮さんは新入りなんか求めちゃいなかったって事だ。

もっともらしい理由じゃないか。

古泉たち『機関』を信用信頼するわけではないけど、無能の集まりでもないだろうさ。

だって居なかったんだろ? 

異端者と呼べるような異端者ってのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝倉さんの方はわからないけど、俺は彼女と話していて楽しい。

十二月のあの日が来る前からそうだったさ。

彼女と過ごす時間が何だかんだで嫌いじゃなかった。

つまり、好きなのだ。

 

 

「あいつはいつまで走り続けるのかね……」

 

キョンがそう呟くのも当然だろう。

何分何十分走り続けているのかは計っていないが涼宮さんは疲れ知らず。

アスリート顔負けの速度だ。

ともすれば一時間くらいは経過しているのかもしれない。

一人また一人と一年生が脱落していく。

彼らは満身創痍の身体をトラック上から運ばせるのが精一杯といった様子であった。

俺は次第にその光景から眼をそむけ、のんびりと空でも眺めていた。

部室で時間を潰すのもいいけどたまにはこういう過ごし方もいいもんさ。

春は曙とは、至言だね。

それだけ俺は平和を満喫していた、うたた寝だった。

だからこそキョンが驚いた様子でこっちに来て、俺の体を揺すった時は。

 

 

「……何だよ」

 

「何だよじゃねえ。あれを見てみろ」

 

この場合におけるあれ、とはグラウンドを指していた。

言われるがままに石階段を降り、トラックへ近づいていく――。

 

 

「――キョン、オレはまだ寝ぼけているのか?」

 

「知るか。俺は今まで蓄積していた自分の歴史において、それが覆されるほどの衝撃的光景を目の当たりにしたさ」

 

俺だってそうだ。

当然の如くサドンデスの勝者は涼宮ハルヒただ一人だと確信していた。

このマラソンが終わる時とは即ち彼女が疲れを覚え、ようやっと立ち止まった時に他ならない。

彼女の運動神経は宇宙人の基本性能にも匹敵する。

ちょいとばかり体力のある俺や古泉が敵う相手ではないのだ。

じゃあ、俺の眼の前の光景は何だ?

涼宮さんの後ろに立つのは女子生徒。

男子は既に全員リタイアしている。

情けないだなんて言ってあげないでほしい、前述の通り俺がやったって厳しいからだ。

……いいだろう。

一番の衝撃は、その女子生徒が二人も居たって事だ。

しかも、内一人はまさかの佐倉さんだ。

彼女はやり切った表情でこそあれ、呼吸が乱れている様子はない。

もう一人残った方のショートヘアの女子でさえ疲れの色を見せているのに。

 

 

「……化け物かよ」

 

「とんでもねえ。俺は今日の出来事が全てドッキリだと言われても文句を言わないつもりだ」

 

佐倉さんは"波紋"の使い手か何かだろうか。

涼宮さんでさえ息を大きく吸ったり吐いたりしている。

どう見てもあの身体に爆発的なエネルギーが秘められているとは思えない。

まさか。

 

 

「おいおいおいおい、彼女が異端者なのか……?」

 

言うまでもなく俺はもう一人の女子生徒についてもそれを疑っている。

本当に、俺たちと同じくらい驚いた様子で涼宮さんは。

 

 

「まさか、二人も、あたしについて来れる、……なんてね」

 

歳かしら、とそれに付け加えた。

適材適所とはよくぞ言った言葉であるが、この場合の適材適所とは何なのだろう。

SOS団において必要とされるのは例外なくワケありな人種に違いない。

コンピ研部長は偽UMAを、喜緑さんは正体が三人目の宇宙人だ。

鶴屋さんはこっちの正体に薄々感付いている上に『機関』と癒着があるお嬢様。

お嬢様と言えば阪中さんもだが、彼女はルソーの一件で俺たちに不思議生命体を持ち込んだ。

谷口と国木田なんて平素は絡みがない。あいつらは例外でさえないね。

つまり、この一年生女子二人も何らかの事情がある。

俺たちが必要としているのか? 

それは、涼宮さんが必要としているのか?

唖然とするキョンと俺に対し古泉は。

 

 

「まさか佐倉さんまで残るとは思いませんでしたね。いえ、思わせぶりな登場ではありましたが……」

 

「何でもかんでも疑うのはどうかと思うよ」

 

最近は俺も疑り深い考えは嫌になってきたんだ。

世界の大半で起こる出来事は眼に見えない情報でしか俺に伝わらない。

だからこそ俺は情報系の世界に携わっていたのだろう。

機械なら裏切らない、と思っていた。

古泉の言葉にキョンは。

 

 

「まさか、ってお前……もう一人のあの子については想定内だったのか?」

 

ぱっと見ただけで残った一年生女子の二人は対照的であった。

佐倉さんは疲れた様子じゃないにも関わらず、自信がなさそうな表情。

一仕事終えたのに、こうも内向きな人が居るのかといった感じだ。

そんな彼女に対してもう一人は汗もかいている、呼吸も乱れに乱れている。

だけど元気だった。どこから見ても、自分に自信があるようだった。

髪型だって佐倉さんの三つ編みに対してショート――実際にはボブカットを更に短くしたような感じ――だ。

まるで太陽と月、光と影、表と裏。

この二人が残るなんて奇妙な巡り合わせに他ならない。

安心してください、と前置きしてから古泉は。

 

 

「心配する必要はありません。佐倉さんの方はわかりかねますが、彼女に関しては問題ありませんので」

 

「俺はそれを信用していいのか」

 

「日本全国を探せば涼宮さんと同じくらいの体力を持つ女子高校生などいくらでもいるはずですよ」

 

駄目だ駄目だ、俺はそれを信用できそうにないね。

運命だとか宿命だとか、因果だとか。

俺はそんなくだらないものを一切信用していない。

だけど、俺の運が悪いことぐらいは嫌でも自覚している。

中学生のころ自転車に乗っていると俺は何も悪くないのにトラックの方から突っ込んできた。

どうにか回避するために急ハンドルを切ったが、おかげで転倒して頭を強く打ちつけた。

それから一週間ほど物理的な衝撃が原因で俺は記憶喪失になったのだ。

実際に記憶喪失になった事がある人は日本でどれだけ居るよ?

他の人のケースは知らないが、俺に関して言えばやっぱり自分が何者かわからなかった。

そのくせ物の使い方はわかるんだ。

今思えばどっかの小説のヒーローみたいだったよ。

だから最初にしたのは自分の名前を知る事だったね。

その日は土曜日だったから、自宅まで何故か帰れた俺は制服の胸ポケットを漁り名前を知った。

……とにかく、難儀したね。

どうだ? こんな体験させられるなんて幸運じゃあないだろ。

 

 

「この二人の加入は、いい傾向なのか……?」

 

それには古泉も答えてくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから涼宮さんは先に一年生を帰す事にした。

また文芸部室を更衣室代わりに使用するというわけだ。

トラックの外に出た佐倉さんは俺の所へやって来て。

 

 

「な、なんとか追い続けられましたっ」

 

それにしては余裕そうな態度ではないが、必死ってほどでもない。

やはり余力はあるはずだ。

でも下手な事を訊こうにも訊けない。

佐倉さんがどこかの勢力のスパイだったとして、この場で死闘を繰り広げられるはずがないからだ。

俺だってそうさ。差支えのなさそうな質問程度に止めておく。

大人の配慮って奴だ。

 

 

「凄いね……君は何かスポーツをやっていたのかな?」

 

まるで面接官のような質問だった。

俺が前世でそう訊ねられた時は確か「兄の付き合いでジムに通っていました」と答えたっけ。

早朝のトレーニングの時間なんて、働いてからはほぼほぼゼロに等しかった。

寝る前に筋トレを少ししていた程度さ。

そんな無難すぎる質問に対して彼女は謙遜した様子で。

 

 

「わたし、人付き合いは苦手なんですけど運動は出来るんです」

 

「あー、そうだね。今日みたいなのは多分殆どないから安心していいよ」

 

身体を動かす無茶は確かに殆どない。

しかしながら頭や胃を痛くするのは日常茶飯事だ。

涼宮さんと朝倉さん。その原因の割合はだいたい等しい。

結果としてこうして二人残ってしまったし、涼宮さんも最終試験と言った手前は受け入れるんだろう。

……これから合計九人だって? 

マジか、椅子も机も足りないぞ?

文芸部の広さを考えるなら、快適な空間としてのギリギリである。

むしろギリギリアウトだ。

部室を少し整理して、入り口付近や壁際のスペースを有効活用すれば何とか、だ。

一年生だからってずっと立ちんぼにしてやるわけにはいかない。

早速今日からどうにかする必要がありそうだ。

 

 

「やれやれ、さ」

 

俺の呟きなど聞こえなかったであろう佐倉さんは。

 

 

「じゃあ、わたしはそろそろ着替えてきますねっ。それから――」

 

必然かどうかは知らない。

しかし、全ては"結果"だった。

 

 

「――わたしの事は詩織って呼んで下さいっ」

 

俺は、その言葉を聞いた瞬間に何かを考えることが出来なくなった。

何故かはわからいが、ただただ泣きそうな気持になった。

悲しさに由来する感動ではない、嬉しさを感じていたのだ、俺は。

そしてそれは彼女がSOS団の入団試験をパスした事に対する共感からではない。

ずっともっと別の、とにかく言葉にも出来ないけど、何かだった。

 

 

「……な」

 

「ではっ」

 

足早に彼女は部室棟へと駆けていく。

俺の精神と感情は、もはや俺自身で制御できない複雑な状態であった。

近づいてきた朝倉さんは嫌味ったらしく俺に対して。

 

 

「あーら。明智君はやっぱりいいご身分じゃない」

 

と声をかけたが、俺の顔を見て。

 

 

「……泣いているの?」

 

「何でだろう」

 

嗚咽はなかった。

ただ、涙が静かに流れ落ちた。

 

 

「何でかはわからないけれど、オレは感動しているんだ」

 

「自分に懐いてくれそうな可愛い後輩が出来て嬉しい。……って感じではなさそうね。それくらいは私にもわかるわよ」

 

「ちくしょう。わからない、わからないんだ! 何でオレはこんな気持ちになっているんだ」

 

その時俺にあった感情が何なのか。

結論から言うと、最後までそれはわからなかった。

だけど推測する事は出来る。

幾らでも考える事は出来る。

最初から最後まで、俺が持つ武器はそれだけだったんだ。

何かを考え結論を出していく。

"明智"の苗字に恥じぬ活躍。

とても時間はかかったけれど、朝倉涼子にも解答は出した。

残る問題は後二つだけさ。

その内の一つ。最初は、俺の方からだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水曜日について、その後の事をもう少しだけ語らせてほしい。

一年生全員の着替えが完了して、そそくさと彼らは帰っていく。

あんな無茶をさせられたにも関わらず全員律儀にあいさつだったり一礼をしてくれた。

彼らが不良にならない限り北高も安泰だろう。

最悪、そうなったとしても本物の不良である生徒会長殿が更生させてくれる。

涼宮さんは彼をどこかライバル視している――実態はあちらの方がまともな集まりなのに――のだ。

今後も何かある度に勝負だったりそれらしいやりとりをするんだろう。

一年生には一日でも早く、そのSOS団ならではの空気というか、出来レース感を学習してほしい。

俺は去年の五月ごろに世界が崩壊しかけたあの一件ですっかりそれを受け入れた。

だからと言って今年もそんなイベントがある必要性はないけど。

 

――肝心の団長殿はこの結果を深く受け止めている様子だ。

 

 

「いくら驚いても驚き足りないわね。明日からモールス信号が公用語になってるかも」

 

それはやめてほしい。

俺が知っている信号なんてそれこそSOSぐらいだ。

キョンは驚くぐらいならお前がそうするなと言わんばかりに。

 

 

「あの二人を本気で新入団員として迎えるつもりか?」

 

「あたしは嘘なんてつかないわよ。有言実行ね。……正直ナメてたわ。誰も残らないって思ってたから最終試験をマラソンにしたの。あたしだって体力に自信あるんだから」

 

自信があるどころの騒ぎではない。

しかし、誰も残らないと思っていたと言うからには彼女は願っていないのだ。

つまりこれは涼宮さんの意思とは無関係。

だけど彼女がただの一般人を寄せ付け受け入れるとは思えない。

古泉だってもう一人の女子生徒――渡橋泰水という名前らしい――について何か心当たりがあるようだった。

あいつの洞察力の恐ろしさは俺自身がよく知っている。

伊達に『機関』の一員というわけではないのだ。

本当に兄弟かさえ怪しい多丸兄弟はさておいて、森さんや新川さんは只者ではない。

他のメンバもそんな感じなのだろうか?

超能力者だけで確か古泉入れて十人ぐらいだっけ。

まず『機関』って名前からして怪しいし度々見せつけられるマネーパワーだってそうだ。

公的な組織ではない事だけは確かさ。

 

 

「個人情報だからペーパーテストは早速焼却処分してきたわ」

 

「お前は勝手に焼却炉を使うな」

 

「いいじゃない。でも、あの二人の分だけは残しておいたのよ」

 

やはり俺が気になったのは問三と問四について。

宇宙人未来人異世界人超能力者のどれが一番なのか、そしてその根拠。

非常に申し訳ないけど俺も二人のを見させてもらった。

渡橋さんに関してはこうだ。

 

 

『一番喋りたいのが宇宙人。一番仲良くしたいのが未来人。一番儲かりそうなのが超能力者』

 

俺についてだけど。

 

 

「一番何でもアリなのが、"異世界人"ね……」

 

根拠は既に書かれている。

つまりその通りらしい。

選ぶという選択肢は渡橋さんになかったのか。

そして、佐倉さん。

 

 

『異世界人です』

 

……その根拠か?

 

 

『本当に、何となくですけどわたしの知らない世界があるはずです。きっとあります。たまに、自分じゃない自分が居るような感覚ってありますよね。それは――』

 

「――前世の記憶なのかもしれませんね、か。……ふっ」

 

結論を先延ばしにするのは人間の悪いクセだ。

そして、弱点は克服されなければならない。

何故なら人は元々弱いからだ。

心の、精神の、感情のありようだけで強いと思っている。

そう思えなくなった時に人はあっさり死んでしまう。

 

 

 

これは"決着"をつける話じゃあない。

過去を"清算"するための、お話だ。

……偉そうにこんな事を言っておいてあれだけど、本当に清算しただけ。

理解度の五が六になっただけだよ。

十段階の最大値までは進まないさ。

だって、誰も知らない最後の自分ってのは絶対存在するんだ。

誰も知らないんだから俺でも、情報統合思念体でも、涼宮さんでも確かめられない。

しかも俺は神を信じてはいないからね。

結局、最後まで自分と向き合う必要があったのさ。

今日も明日も。

 

 

 

 

 

 

――『異世界人こと僕氏の驚天動地(後編)』につづく

 

 

 



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異世界人こと僕氏の驚天動地(行)
第72話



『もし善が原因を持っていたとしたら、それはもう善ではない。
もしそれが結果を持てば、やはり善とはいえない。
だから、善は、因果の連鎖の枠外にあるのだ』



――レフ・トルストイ 【アンナ・カレーニナ】









 

 

まさかのSOS団に一年生が電撃入団。

しかも女子二人。

なんて事件性がありそうな事態の発生から一日が経過。

翌、木曜日の話になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう言えば昨日朝倉さんと下校中にコンビニ500円ラインナップの本について話し合った。

ついぞ彼女はいつ仕入れていたのかを明らかにしなかったが、無難に土日のどちらかに買う方針で落ち着いた。

コンビニエンスストア程度に俺がついていく必要性はない――店員に『チッ、アベックか』と殺意を抱かれる――んだけどさ。

俺の方も嫌ってわけじゃないさ。俺は買わないけど。

後、"アベック"という表現よりも元かライトノベルの世界的には"リア充"の方がいいのか?

……2007年なら普通に"カップル"だな。どれでもいいよ。

思い起こせば珍しい出来事とは何かと連鎖的に発生しているような気がする。

特にここ最近に関して言うなら、月曜のSOS団大入りから火曜にはキョンと古泉を朝の時間に発見した。

水曜日の昨日なんて説明不要だろ。

今日に関して言えば。

 

 

「お前さんもとうとう早起きをする人種になったみたいだね。この調子で勉強の方も捗れば言う事ナシじゃあないか」

 

ナメクジのような登山速度で坂道を上っていく谷口との遭遇であった。

そんな様子ではこの時間帯に動く意味もなくなる気がするけど。

すると彼はどこか浮かない表情をしていた。「よう」の返事もどこか気が抜けている。

まさか。

 

 

「……とうとうフられたのか?」

 

「そうと決まっちゃいないんだがよ」

 

ではどんな状況なのだ。

経緯なんて覚えてないけど原作ではそういう形で決着つけられたんだよな?

残念ながら"遅かれ早かれ"だったみたいだ。

 

 

「だから違えっつってんだろ」

 

「ふっ。ジェイルオルタナティブ、そしてバックノズルさ」

 

「何言ってんだ?」

 

深い意味はないさ。

敢えて説明するなら俺一人が欠けても世界は何も変わらないという考えだ。

俺は嫌いな考え方だけど。

ありがたいことにこの世界にはあの先生も居るんだぞ?

谷口は小説の類なんて一切読まないだろうけどさ。

確か、文庫本になったのが来年の今頃だっけ。

勿論俺はシリーズ全巻ノベルス版で揃えていたけど。

まあ聞いてくれ、と谷口は前置きしてから。

 

 

「連絡がつかなくなった」

 

「……あっ」

 

ご愁傷様です、谷口君。

もし街とかで偶然出会ったら一番気まずいパティーンだろ、それ。

それでいて女氏サイドにニュー彼氏が居るともう最悪だ。

やられた方は泣く泣く敵前逃亡する以外の選択肢が存在しない。

それとも谷口のメンタルなら反撃出来るのだろうか。

 

 

「俺に愛想を尽かせたんなら……残念だな。別の出会いを求めるだけでいいだろ。だが、仮にあいつが何かの事件に巻き込まれてたら心配だ」

 

意外にも彼はどっしり構えていた。

お前さんならやっぱり大丈夫だ、反撃出来るわ。

 

 

「どうにかこうにかあいつの安否を確認しようとしている最中だ」

 

「世知辛い世の中になったもんだよね。学校側に訊こうにも個人情報に関わるし」

 

焼却炉の一件と言い、涼宮さんの行動はグレーゾーンから最早飛び出している。

言うまでもなく良い子の諸君は彼女の奇行その一切を真似してはならない。

流石に校門前でバニーガールを着る男が居たらこの俺が直々にぶちのめしに行ってもいい。

そういうのは自宅内だけでやるんだ。

 

 

「現状は知り合い……女子の連絡網頼みだな」

 

「お前さんにそんな知り合いなんて居たのか?」

 

所謂"女友達"とやらか。

そっちと付き合う選択肢はなかったのだろうか。

……どうせ撃沈済みなんだろうな。

作戦が上手く行ってない彼の様子を見るに、恐らくそうだ。

このタイミングで谷口と縁を切る人型イントルーダー、周防九曜。

何かの前触れな気がしてならないな。

つまりはあいつなりの配慮なのだろうか。

それにしても残念だな。

 

 

「何考えてるかよくわからない奴だったがよ。最近は可愛いな、とか思えてきたんだぜ」

 

う、うわぁ。

俺はそんな話なんて聞きたくないぞ。

惨めすぎるじゃあないか。

いつかそうなるとは思っていたけどこいつも可愛そうに。

俺が言ってやれることなんて「元気出せよ」なんて薄情な台詞ではない。

谷口の肩をぽんと叩き。

 

 

「ジュース一本で良ければオレが奢ってあげるよ」

 

「……けっ。ありがたく頂戴してやる」

 

「素直にありがとうって言えよな」

 

「明智はいいよな。もう一年近いじゃねえか、朝倉とよ」

 

彼なりの感謝の気持ちらしい。

それも二重の意味合いがあった。

嬉し恥ずかし余計なお世話。

 

 

「何故かはオレにもわからない」

 

「朝倉の趣味が悪い……とまでは言わんが、やっぱりどこか変わってるな。じゃなきゃ涼宮の近くにまで辿り着けない。当然お前もな」

 

「まるでオレが悪いみたいな言い方じゃあないか」

 

「お前が良いとは思ってねえからそう言ったんだぜ」

 

お? お?

やるか?

本気出すぞ?

お前さんの心をへし折りに行ってもいいんですよ?

今の谷口をコカすのなんて超簡単だろう。

 

 

「オレの行動の全てが正義さ」

 

「正義の味方ってのはな、てめえから正義だとは言わないもんだ」

 

こういう部分の考えだけはしっかりしているのな。

やっぱり頭の使い方を理解してないだけではないのか。

小学校からやり直せばきっと秀才、いや天才児として嵐を巻き起こすだろう。

谷口ストームでも発生したら彼女も強風にあおられ、引き寄せられていくに違いない。

最後には一言、ロマンチックに「君を俺の台風の目に置いておきたい」とでも言えば良い。

めでたくゴールインだ。

 

 

「すまんが、最初からもう一度頼む。お前が意味不明な事を言っている事だけはわかった」

 

「自分の事だ。直接自分で行って、自分の目と耳で彼女さんについて確かめるんだ」

 

「……明日にでも光陽女子に突撃するか?」

 

「勝手にしなよ。オレは止めないから」

 

骨ぐらいは拾ってやるよ。

ルソーが苦しめられた宇宙生物が潜んでいたであろう、川付近でいいよな?

来世は情報生命体ってわけだ。

これなら周防とも再会できるかも。

 

――なんてな。

そうさ、気付きかけていたのさ。

俺は既に"読んで"いた。

何かの前触れも何もあるか。

現在進行形だったんだからね。

あるいは、完了形か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日の部活解散前の改装により、ほんの少しだけSOS団は人数を迎え入れる余裕が出来た。

気持ちの話ではない。改装の二文字の通りに文芸部室のスペースの話だ。

学校の備品を不法に拝借――これも平和、正義に必要な犠牲――し机と椅子を新たに確保。

いつも座っている長机の横、団長席とは向かいになる形で学生机が二脚置かれた。

それに伴い既に置かれていた座席に関してやや窓際に交代せざるを得なかったが、まだ大丈夫だ。

人数的には間違いなく窮屈だろう。

しかしながら女子、それも二人追加ときた。

SOS団の、もっといえば男子の風当たりは更に強くなる。

北高全体の話で言えば俺が一番ダメージを受ける。

但しイケメンに限るみたいな風潮はどうなんだ?

俺はこの生まれついた眼つきの悪さをゴルゴダの丘へ自ら磔刑にされるにも関わらず十字架を運ぶ救世主の如く背負い続けるのか。

一生そうなんだろう。

昼食を終えて、中庭の一角でそんな事を俺はぐちぐち言う。

俺の様子を見て溜息をついた朝倉さんは。

 

 

「明智君のコンプレックスなの? それ」

 

「そこまで大げさには思ってないけどさ、『クレオパトラの鼻が後もう少し低かったら世界史も変わっていた』みたいなのあるでしょ。オレはあれの逆なの、逆よ」

 

俺のルックスなんか良くて中の上だ。

謙虚に振る舞おうだとか思ってはいない。

しかし朝倉さんは。

 

 

「自覚が無い方がいいのかしら……」

 

とか色々と呟いている。

何の話かはわからないけど格差社会がどうにかなる事はない。

物事の片面だけで話をしてはいけない。

繁栄の裏には必ず犠牲が存在する。

どちらが大きいかなんて話さえ結果論でしかないし、その差を考える必要は無い。

俺が四次元世界を観測出来ないのと同じような事なのだ。

いいさ。

 

 

「こんなに凡庸なオレでも呑気出来るぐらいの日常が待っている。これ以上は望まないよ」

 

「あなたが凡庸だったら他のみんなはどうなるのよ」

 

「知らないね、知りたくないさ。オレより凄い奴なんかいくらでも居る。少なくともオレは頂点じゃあない」

 

だけど。

 

 

「それでもオレが朝倉さんと一緒に居ていいなら、それでいいのさ」

 

後輩二人の裏事情は何かが起きてから考えればいい。

俺はここを、生きる世界として認めたんだ。

 

――物語の先がわからない?

当たり前だろ、そんなもん。死ぬまでそうだ。

いや、死んでもわからないさ。

俺が生きていた世界から居なくなって、時間経過の概念があるのかはわからない。

事実としてはこの世界の方が相対的に"過去"と定義出来る。

だが今の俺にとっては"現在"だ。

もしかすると【涼宮ハルヒの憂鬱】は完結しているかも知れない。

まさか延期されている"驚愕"で打ち止めだ、とないかないだろうさ。

ただ、間違いなく大団円を迎えるのは読まなくてもわかる。

物語が、本が、涼宮ハルヒシリーズが好きなら心で理解できる。

……だってそうだろ?

【眠れる森の美女】だって、ハッピーエンドなのさ。

俺はもう自分のお姫様を助けたんだ、って。

 

 

「本当に惚けつつあるよ、オレ。何なら模擬戦でもした方がいいかも知れない。気分の切り替えには」

 

「そうね。私にそんな概念はないはずだけど、鈍っちゃうかも」

 

宇宙人は基本的にどこでもマックスパフォーマンスが出来るのか。

当たり前と言えば当たり前か。

雪山の周防のように寒暖さえも無視出来るし。

朝倉さんは俺たち人類に合わせてファッションを

 

 

「夏が来たら……やっぱり海だよ」

 

「去年は確かに泳ぎ足りなかったわね」

 

「違うね。オレは朝倉さんの水着を拝み足りなかった」

 

「あら」

 

最近はやけに素直なのね、と言われた。

これでも俺はいつでも自分に正直に生きているつもりなんだけど。

斜に構えていたのは昔の話さ。

 

 

「本当に明智君が前から素直だったなら、もっと早くオチてほしかったけど」

 

「その設定でいくと最悪俺は今頃とっくに死んでいるんじゃあないの」

 

「昔の私があなたを殺すとは限らない……わよ」

 

自信を持って断言されなかっただけ朝倉さんの方が正直だ。

はは、俺は嬉しくて血の涙まで流れそうだよ。

用済みになった俺は最終的にあの世で待つハムスター二匹の元へ送られるのだ。

もしかすると祖父さんもそこに居るかもしれない。

俺が天国なんかに縁があればの話、だが。

 

 

「これだけは自信を持って言えるね」

 

きっと俺に強くてニューゲームみたいな概念は無い。

コンティニューさえ存在しないさ。

今、この瞬間に本当に最初からやり直したって、この結果まで辿り着いてみせる。

その先には信頼があり、未来がある。

もしもだなんて考えは結局の所選ばれなかった、切り捨てられた数値にしか他ならない。

俺が朝倉さんを選んだだけさ。

同時に彼女も俺を選んでくれたんだ。

他に謎はあってもそれと向き合うかどうかなんてわからない。

誰に頼まれてする事でもないんだから。

 

 

「オレが決める」

 

「だったらさっさと倒しちゃってもいいんじゃない?」

 

察しはつくけど訊いておこうか。

 

 

「誰をですか……?」

 

「天蓋領域の欠陥ターミナルよ。ついでに超能力者の女も消せば一石二鳥。古泉君だって手間が省けるわ」

 

「ガムテープぐるぐる巻きで勘弁しようよ、そこは」

 

それに古泉だって橘を始末するつもりならとっくにそうしているはずだ。

何か意味があって存在しているんだろうよ。多分ね。

でも彼女が必要悪だとしたら悪の器が足りな過ぎるな。

あの生徒会長が「私が黒幕だ。かかって来たまえ」だなんて言い出したら俺は疑わないぞ。

そして何より俺一人なら勝てる気がしない。

絶対"覇気"持ってるって。新世界のルーキーどもを何人も葬ってるよあれは。

 

 

「私はちらっとしか見てないけど、普通の人よ?」

 

「気持ちの問題だ。オレがあの人に勝つにはまだまだ未熟らしい」

 

どうやら夏休みは海ではなく滝にうたれてしまう可能性が浮上した。

念能力の修行は精神の修行でもある。

強い身体には強い精神が宿る。それが真の猛者。

制約を設定しようと一朝一夕では辿り着けない境地。

俺に才能があるかは怪しいが、ゴンさんみたいにはなりたくない。

死の覚悟は後ろ向きではないのだ。

死線を生きて乗り越える事こそ、死の覚悟。

 

 

「SOS団は無敵艦隊だからね。負けようがない。先手必勝だなんて、つまらない。涼宮さんは楽しんで勝ちたいのさ」

 

「今思えば恐ろしい事をしようとしてたわね、私」

 

独断専行についてだろうか。

ワンチャンスぐらいはあったと思うけど。

 

 

「キョン君を殺せたとしてもその先は無かったわね。きっと最初から世界がやり直しになる」

 

「その理屈で行くと無限ループにならないの?」

 

「私は再生されない。はじき出されちゃうわよ」

 

「……この世界に来れて、本当に良かった」

 

違うな。

何言ってるんだよ。

別に今日が終わりでも何でもない。

そう思っている限り明日は来てしまうんだ。

だから"良かった"じゃなくて"良い"にしておくさ。

悪くないでしょ。

 

 

「そうね。でも、やっぱり戦う時はビシッと決めてほしいじゃない。男の子には」

 

「オレはフェミニストだ。だから朝倉さんにもオイシイ所は残しておく」

 

何より総合戦闘力で上回られている。

策を弄する余裕が俺にあるかさえわからないけど、いつも通りはったりさ。

相手が勝ち誇った時そいつは既に負けている、の精神で。

そろそろ教室に戻ろう、と提案して中庭から歩き出す。

 

 

「早速今日から二人来ると思うけど、可愛い後輩にデレデレしちゃ駄目よ?」

 

「オレは信頼されてないのかな」

 

「今回に関して言えば信用だけね」

 

「……手厳しい」

 

確かに綺麗な薔薇には棘がある。

トゲのある言葉だって、彼女なりの愛情の裏返しだとわかっているのさ。

多分だけど。

言っても公共の場、校舎内ではこれが限界でしょうよ。

その分は休みの日であったり、デートの折なんかにお返しが来るのだ。

こうなってしまえば俺の方も俺の方で彼女にべたべたしてしまう。

恋人関係で目に入れても痛くないとは、如何なものだろう。

機会があれば、その一部始終についてもお話しさせて頂きたい。

だが、今日は平日だ。

 

――さて。

これは事後報告というか何というか、後付だ。

その時気付かなくても振り返ってみたら「何て馬鹿なんだ俺は」と思うのが人間だ。

俺の場合のそれは後悔などではなくただの事実確認だから余計駄目なんだけど。

先月の末、俺の前に姿を見せた自称友人の佐藤。

何故か連日発生していた閉鎖空間の沈静化。

音信不通になったらしい周防九曜。

そして二人の新入団員。

何度でも俺が死ぬその日まで言ってやろう。

運命、因果、宿命、因縁、そんなものはありません。

否定します、俺が無いと言えば無いのです。

……それでも。

仕方なしに、"偶然"程度なら信じてやるのさ。

あいつもきっと、そう思ってたんだ。

 

 



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第73話

 

 

だいたい人数だけで言えば七人の時点で多い方だった。

文芸部室の広さが維持出来ているのも長門さんのおかげだ。

彼女がいっつも窓辺に陣取っているのが大きい。

場所を取っていた原因である二つ並んでいた本棚。

うち一つを昨日撤去した。

棚そのものに利用価値はあるので漫研へ寄贈したが、かなりの力仕事だったね。

わかっていると思うけど男子の仕事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、確かに月曜日の時にやってきた一年生を含めた部室内の人数は酷かった。

それに比べたら九人はかなりマシな部類と言える。

空間的余裕はないけど、何も出来ない狭さではない。

最低限座って活動出来ればそれでいいんだ。走り回ったりしないんだし。

でも、九人とは本来の倍近い数字である。

原作SOS団の五人というのも部活動としては考え物だけど。

 

 

 

――そんな木曜日の放課後。

今日も勉強会をするのかと思いきや、HRが終わった途端に涼宮さんはキョンを連れて教室を出て行った。

違う、連れて行くといったようなゆっくりとした進行速度ではない。

ともすればキョンを引きずり回さんとする勢いだ。

涼宮さんも昨日は新入団員なんて入れる気がなかったと発言していた。

だけど今の様子から察するに、なんやかんやでテンションが上がっているのだろう。

俺と朝倉さんは割とゆっくり行く事にした。

慌てなくてもあの二人が逆ドッキリなんて仕掛けない限りはどうせ部室に来る。

むしろ逆ドッキリを仕掛けるくらいの大物ルーキーの方が涼宮さんはウケるんじゃないか?

 

 

「私にもその光景が想像できちゃうわね」

 

「佐倉さんの方はわからないけど渡橋さんはどうだろう」

 

あの子からはどこか涼宮さんに近いものを感じられた。

きっと涼宮さんに無邪気さだけがあればあんな感じになる気がする。

流石に自己紹介で宇宙人未来人以下略の呪文は唱えないと思うけど。

そんな話をしながら文芸部室までやってきた俺はノックをし、反応が無いので扉を開けた。

涼宮さんが先行していた事もあってか、既に部室には新入りを含む全員が揃っていた。

 

――何度も言うが、総勢九人だよ?

ついこの前まで七人が二人も増えるなんて。

と、そこまで感じてから俺は前世の放送局時代を思い出した。

俺が入局した時はまさにSOS団状態の五人スタートだった。

二年生の先輩三人と、俺と……誰かは思い出せないが、確か同じクラスの奴だったはずだ。

そんな状況だったけど最終的に俺が引退する前には二十人近くまで増えていた。

語る機会は無いと思うけど、本当に色々あったからね。

俺とそのもう一人の同期で再建したと言っても過言ではないだろう。

聞けば俺が入局する前は局の存続さえ怪しい状況だったそうだ。

詳しくは知らない。

懐かしい思い出に浸っていると、新入り二人が席から起立して。

 

 

「お待ちしていました、先輩!」

 

「お勤めご苦労様ですっ!」

 

渡橋さんと佐倉さんがそれぞれ大きな声で出迎えてくれた。

うん。春らしく新しい風を感じるね。

古泉の邪悪な笑みとは程遠い、純度120%の笑顔なのは渡橋さん。

彼女の左に並ぶのは佐倉さんだけど、意味もなく表情が硬かった。

隣の様子を気にせず渡橋さんは入口付近で立っている俺と朝倉さんに近づいてきて。

 

 

「ようやく噂に名高いお二人のツーショットを見れました!」

 

二人と申したか。

それはこの状況だと多分俺と朝倉さんの二人なんだろう。

ただ、噂に名高いとはどういう事なんだ。

 

 

「SOS団自体が有名ですから! 団員についても噂になるのは当然の事です」

 

「キョン」

 

俺の呼びかけに対してあいつは古泉のように肩を竦めてみせた。

ならあいつの噂とやらを聞かせてほしいね。

しかし、一ヶ月と経過せずに俺の事は一年生に知れ渡っているのだろうか。

これが本当なら誰が広めたんだよ。

腹立たしいので『機関』のせいにしておく。

渡橋さんが言うには。

 

 

「北高美人四天王の一角でもある朝倉涼子先輩」

 

残る三人の内一人は朝比奈さんだと言う。

後二人は誰なんだろ。地味ながら喜緑さんも手堅い。

ルックスだけで言えば涼宮さんも間違いなく入るけど、そこは日ごろの行いらしかった。

 

 

「その朝倉先輩を射止めたのが、北高のドンこと明智先輩ですよね!?」

 

え、えええっ。

本当にこの場で当たり障りなく彼女の誤解を解いてくれる人は居ないのか。

魔王とかよりはいいけど、シンプルすぎてドンは怖い。

北高の首領はSOS団団長こと涼宮ハルヒその人だって。

その涼宮さんは恋愛に興味が無いとか公言しているくせにどこか得意げな表情だ。

まるで部下が敬われるからには自分はもっと敬われる必要があるといった感じでご満悦。

長門さんは読書で、古泉とキョンはいつも通りボードゲーム――穴掘りモグラ――をプレイ中。

唯一他に頼れそうな朝比奈さんは笑顔で佇んでいるだけ。

そんな人を疑う事さえ知らない感じの渡橋さんに要らぬことを言うのは。

 

 

「ふふっ。実は私の方から明智君に告白したのよ?」

 

「ええー! そうなんですか!」

 

去年もこんな感じの展開があったな。

クラス中が大騒ぎになったっけ。

俺が今味わっているこの感動はきっと懐かしさに由来しているんだよ。

決して俺の精神が追い詰められているわけじゃあないんだよ。

迷ったら撃つな、だ。

だが、現在この場から逃げようかどうかで迷っています。

 

 

「流石ドン……」

 

渡橋さんにキラキラした目で見られる異世界屋ないし異世界人の俺。

何でもアリなのは間違いなく君の方だ。

すると今までだんまりだった佐倉さんが。

 

 

「明智先輩はっ、文芸部員としても活動しているんですよねっ?」

 

「……一応ね」

 

俺と長門さんが本来所属する文芸部は部室をSOS団に寄生されている形である。

もしくは俺と長門さんはSOS団に出向しているという訳だ。

佐倉さんも風当たりを気にするなら遅くは無い。

後でこっそり文芸部の入部届を書いて職員室へ行くことをお勧めしよう。

その方が絶対いい。

 

 

「わたしは話を考えるのが苦手なんです……こう、うまく、まとまらないって感じでっ」

 

真面目なアドバイスをしようにもそろそろ俺は座りたいんだよね。

気が付けば朝倉さんは既に俺の横から消えているではないか。

早速鞄からまたあの胡散臭い500円ラインナップを出している。

今日は【本当にいた!世界の不思議生物紹介】という本だ。

そのタイトルだけで一二分は笑えてしまう。

だってさ、本当にいるんだぜ、UMA。

……っと、いかんいかん。

一言だけしっかり答えてあげるさ。

 

 

「うん。なら君は作品を作るのに向いていないよ」

 

少しきつい言い方かも知れない。

だけど、その程度の事は俺自身がよく知っていた。

佐倉さんだってそうだろう。真剣な表情だ。

何故か他のみんなも俺の発言に注目している。

俺の事を気にしてもどうもこうもないんだけどね。

 

――他人と自分を比べる事に意味は無い。

適材適所は、ある一定のラインを越えてしまえば努力ではどうにもならない。

生まれついた"怪物"には勝てないのだ。

だからこそ彼女には勘違いしてほしくない。

昔の俺のように腐った人間にはなってほしくないからだ。

 

 

「君は物語が好きなら本や映画、テレビを見ていればそれで十分だ。出来ない事を無理にする必要はない。ただのストレスにしかならない。作り手と受け手の"好き"には絶対的な差があるんだ」

 

「"差"……ですか?」

 

「意識の差だよ。そしてそれは温度差にもなる。作り手が熱意を込めたものだって評価されるとは限らないし、意外なものが受け手にとっては自らの熱狂を巻き起こすトリガーとなる」

 

俺は何故、ある日を境に前世で創作活動をしなくなったのかがわからない。

それでもこれだけはわかる。

前世から引き継いだ、俺の流儀に基づく考えだ。

人間一度に複数の事はやれない。

それが出来る人間をセンスがあるとか天才だとか言うに違いない。

天才肌と天才ってのは似ているけど別物だ。

 

 

「"ファンサービス"と言えば聴こえがいいけど、実際はただの暴力なのさ」

 

「……」

 

お互いが盛り上がるのは難しい。

何故なら絶対数が違う。

受け手なんてのはそれこそ無数に存在するのだから。

佐倉さんはこんな俺の話を真剣に受け止めてくれたらしい。

 

 

「なるほど……勉強になりましたっ」

 

「ただ、それでも君が何か書きたいのならそれも選択だ。趣味の世界は自分だけの世界さ」

 

幸いなことにSOS団にはスペシャルアドバイザーの長門有希が居る。

彼女がいつから読書をしているかは知らないが、こと小説に関しては俺より手広く読んでいるはずだ。

成り行き上長門さん一人だったんだろうけど、伊達に文芸部部長は名乗れないという事である。

ふと見ると、佐倉さんはメモを取っていた。

新入社員さながらさ。

言いたいことを言った俺はようやくパイプ椅子に腰かける。

キョンは俺に対し。

 

 

「早くも先輩の威光を示したかったのか」

 

「そんなんじゃあないよ」

 

穴掘りモグラを二人でプレイして何が楽しいのか俺には謎だ。

順当にやれば負け続けるはずはない――運の要素だってある――のに古泉は連敗しているらしい。

古泉のモグラ軍団がゴールデンシャベルを拝む日は来るのだろうか。

それにしても。

 

 

「やっぱり涼宮さんは楽しそうだ」

 

「何事も無ければいいがな」

 

古泉が言うには渡橋さんに関しては大丈夫なんだろ?

今思いついたぞ。

渡橋泰水、彼女の愛称は"ヤスミン"だ。

花の名前みたいで可愛らしいじゃないか。

俺もそろそろ朝倉さんを下の名前で呼ぶべきなのかもしれない。

慣れそうな感じがしないな。

彼女に名前で呼ばれたら俺は恥ずかしくなりそうだよ。

勝手に俺が命名したヤスミンだが、何やら朝比奈さんにぺこぺこしてお茶の淹れ方を習っているらしい。

小間使い候補と、三人目の文芸部員候補というわけだ。

女子の多さに圧倒されているのは俺だけなのかね。

 

――三人寄れば姦しい。

六人なら、どうなっちまうんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言うとやはりどうもこうもなかった。

基本女子は涼宮さんを除いて静かだ。

部室では俺と朝倉さんのやり取りなんてそこまで多くないし。

主戦力は涼宮さんとヤスミンのペアだと言う事は陽が暮れる前には既に理解していた。

体力馬鹿のシンパシーなのだろう。

佐倉さんも小動物のように可愛がられていた。

朝比奈さんの後継者は、それぞれ役割が分かれたというわけだ。

 

 

「……あら、どうしたの?」

 

涼宮さんがパソコンを弄っているとその後ろをヤスミンが覗き込んでいた。

何やらパソコンに興味がおありらしい。

今までそんな事をした試しがないのに、涼宮さんは彼女に席を明け渡す。

団長席のあそこに団長以外が座るケースなど珍しい。

全員居る中で交代、だなんてのは初めてではなかろうか。

 

 

「わわっ。これ、誰が作ったんですか?」

 

どうやら俺が作ったSOS団サイトを見て驚いたようだ。

出来栄えではない。

適当に拾ってきたUMAやら何やらの画像もサイトには貼り付けている。

 

 

「あたしは平気ですけど、見る人が見たら引いちゃうなあ……」

 

「ウケ狙いでね。希望とあらばまともなサイトにするけど」

 

「いえ、ここはあたしに任せて下さい。萌えの要素が欲しいんですよ」

 

涼宮さんはよくわかってるわねと言わんばかりの頷き具合。

どうせならファンシーなサイトにすればいいのに、そうも単純ではないらしい。

そして何よりヤスミンはホームページビルディングの心得があるのだという。

任せて、と言うからにはお手並み拝見といこうか。

俺はJAVAの開発は得意だがHTMLに関してはあくまで知っている程度。

本職の人には敵わないのさ。

 

 

 

――この日について何か他に語る事があるか、だって?

ヤスミンの淹れたお茶が美味しかったり、彼女もキョンの隠しフォルダのロック解除に成功した。

佐倉さんについては野郎三人が外へキャッチボールしに行った――キョンの提案で――折にチャイナ服に着替えさせられていた。

三つ編みチャイナというわけで……福眼である。

野郎三人キャッチボールについてだけど、その最中に古泉は。

 

 

「彼女らは二人とも一筋縄とはいきませんね。出てくる尻尾が可愛いものであれば構いませんが」

 

「昨日警戒していた佐倉の他にヤスミもか」

 

「警戒というほどではありませんよ。二人とも背後に組織の影は見受けられませんでした」

 

佐倉さんを普通の少女と言ったのは古泉、お前さんだろ。

かく言う俺も何かがあるとは思う。

ヤスミンもそうだけど、佐倉さんを見ていると本当に不思議な感覚になる。

夢の内容を覚えていない俺が、夢でも見ているような気分になるのだ。

古泉の発言に対して緩い送球を俺にしながらキョンは。

 

 

「明智。異世界間で連絡をとる方法はないのか? 異世界人なら組織も関係なく動けるだろ」

 

「あったとしてもオレは知らないよ」

 

古泉は球種に富んでいるらしい。

カット、ナックル、スライダー、ストレート。

去年の草野球大会だけど、こいつがピッチャーをやればよかった気がする。

ストレートなんてかなりの速度だった。

上ヶ原パイレーツの方々が見たら間違いなくスカウトしていたはずだ。

 

 

「あくまでスポーツとして楽しんでいるだけですよ」

 

勝負で勝つとかはどうでもいいのかね。

 

 

「そちらは涼宮さんに任せています。僕の仕事場はやはり裏方が中心ですので」

 

「にしては最近の古泉は舞台に近い気がするぜ」

 

キョンの言う通りだ。

いつからだろうか。

彼との信頼関係がそれだけ構築出来たと言えるかもしれない。

 

 

「……でしたらそれも必要とされているのかもしれません」

 

「ハルヒにか? ならあの二人は何なんだ。俺には本当にハルヒが驚いているように見えた。そもそもあいつは本気で新人を募集しちゃいなかったんだからな」

 

やがて古泉は投球モーションを中断し、空を見上げた。

後十数分もすれば夕方だ。

そして彼は。

 

 

「彼女たちは二人とも間違いなく"個人"ですよ。だからこそ困っているのです」

 

最後にジャイロボールの真似事を披露してこの場はお開きとなった。

俺たちの評価はさておき、少なくとも涼宮さんと朝比奈さんは新入り二人を気に入ったらしい。

出来れば俺だって彼女たちを信頼してやりたい。

ただ、その方法がわからなかった。

 

 

 

――だからこそ俺は魂消たね。

朝倉さんの送迎を完了した帰宅中に、あちらからお出でなすったんだ。

彼女は宇宙人未来人超能力者ではなかった。

だったら異世界人か?

その説明にあたっては佐藤の言葉を借りさせてもらおう。

 

 

「定義にもよりますっ」

 

……らしいよ。

 

 



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第74話

 

 

正直言うと喜緑さんに出て来てもらった方がよっぽどわかりやすかった。

しかし、その可能性を否定していたわけではない。

俺も何だかんだで古泉の発言を判断材料の一つにしている。

古泉はヤスミンについて何らかの心当たりがあるのだと言う。

佐倉さんについては何もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女が力も持たない役割もない一般人だったとして他に選択肢は何が考えられる?

紛れもないシロか、そうでなければキョンのような本物のイレギュラー。

イレギュラーだったが、本物じゃあなかった。

俺と同じさ。

結局クロで、偽物だったのだから。

 

 

 

――宇宙人の巣窟である分譲マンション前を後にしてから数分。

奇しくもそこは、かつて俺が朝倉さん(大)に襲撃を受けたポイントとそう違わなかった。

 

 

「……奇遇だね。君の家はこの近くなのかな」

 

弱ったな。

まさか君がそんな眼をする、なんて思わなかったさ。

古泉ほどではないが何かを抱えているらしい。

今までの何処か人見知りな感じは演技だったのだろうか。

まるで、君は俺を待っていたみたいだ。

 

 

「佐倉さん」

 

「先輩にお話ししておきたい事があります」

 

話だけで済むならありがたいね。

これで襲い掛かられた日には新入りが入団初日にして退団なんて事にもなりかねない。

そして俺は誰も殺したくはなかった。

 

 

「駅前に公園がある。そこでいいかい?」

 

「はいっ」

 

俺の帰路とは少し逸れてしまうが誤差の範囲内だ。

佐倉詩織というこの後輩。

彼女の秘めた実力など一見しただけでは予想さえ出来ない。

どういう理屈か知らないけど鋼の心臓の持ち主だという事ぐらいだ。

体力的には只者ではないという訳である。

そんな人を相手に手の内を一つでも見せる訳がない。

"異次元マンション"について知っている情報統合思念体、喜緑さんは別だ。

 

――放課後デートでも何でもない。

公園に着くまでの数分間は会話など存在しなかった。

万一を考えてやや間隔を空けて並列歩行。

某スナイパーではないが後ろに立たれるのだけは穏やかじゃない。

それに、彼女が立つのは俺の右側。

朝倉さんのように左側には立たせないさ。

 

 

「……それで、何かSOS団について申し開きがあるのかな。だったらオレより涼宮さんにした方が良い」

 

ベンチに座る制服姿の佐倉さんを見下ろす形で俺は突っ立っていた。

"構え"は不要。必要なのは対応力。

例え急襲されようと、必要最低限の動作で相手を打ち崩す。

物騒な心持の俺に対して佐倉さんは息を吸い込むと、口を開いた。

 

 

「本日お話ししたいのは、SOS団についてではありません」

 

「……北高が合わなかったとか?」

 

「高校生活についてではないです。もっと、ごく、個人的な話になります」

 

俺はこの雰囲気を持つ女性を一人知っていた。

去年の春に、俺に対して未来人である事実を打ち明けた時の朝比奈みくる。

その時の彼女に佐倉詩織はそっくりだった。

 

 

「この世界についてと、わたしの前世について。そして――」

 

誰をどう信頼するかなんてのは自分の意思で決める必要がある。

だからこそ俺は見極めなければならなかった。

真実なのかどうかではない。信じられるのかどうかを。

 

 

「――明智先輩について、ですっ」

 

「オレ……?」

 

俺についてもそうだけど、気になるワードが後二つもありやがる。

"世界"と、"前世"……。

ともすれば誰かさんがいつも考えているような内容だ。

他ならない俺自身だ。

 

 

「先週の土曜日の事です」

 

やがて彼女は語り始めた。

一般人が聞いて信じられるとは思えないような、話。

 

 

「わたしはこの世界が創作物の世界である事を知りました」

 

「……」

 

「突然としてっ、誰かの記憶がわたしの中に流れ込んで来たんです」

 

それが、先週の土曜日だって?

俺たちSOS団がいつも通り成果を得られなかった市内散策。

唯一得られた成果なんて、佐々木さんの交友関係の悪さについてぐらい。

キョンだって心のどこかでは彼女を心配しているだろう。

 

――だけど、確かにこの日が分岐点であった。

 

 

「驚きました。ここはその人が、わたしが好きだったお話の世界だったんです」

 

質問攻めは最後でいい。

単に相手の話に突っ込むのと、質問は違う。

成果を得られてこそ効果的な攻撃と言えるのだ。

 

 

「【涼宮ハルヒの憂鬱】……という題名の、軽文学。アニメ化も、されていました」

 

「……へぇ、涼宮さんの名前がタイトルなのか」

 

「でもっ、そんな話や本がこの世界にあるわけがありません。ここは、その記憶の持ち主にとって異世界だからです」

 

やれやれさね。

決定的な一言がついに彼女の口から飛び出てしまった。

"異世界"。

この事実に直面出来た時期は関係ない。

俺と似たようなケースであるのは確かだ。

もっとも、自分を自分として別に認識している点では異なる。

佐倉詩織と俺は何がどう違うんだ……?

 

 

「わたしには、異世界人の記憶があるんですっ」

 

「……ふーん」

 

俺の話については不明だけど、俺も俺で黙っている訳にはいかない。

有無を言わさず後の先を突かせてもらおう。

 

 

「面白いね。詩織さんはそういうキャラで売り出そうって事でいいのかな。電波キャラもSOS団にはそろそろ必要だったみたいだ」

 

わざわざ名前で呼ぶように言われたからな。

佐倉さんに対する呼び方は"君"もしくは"詩織さん"にしている。

後者は馴れ馴れしいからあまり使いたくないけど。

間違いなくSOS団の電波受信アンテナは涼宮ハルヒだ。

彼女の思いつきなど総じて電波的に他ならない。

何かをしたいと心の中で思ったのなら、その時既に行動は完了している。

やられた方はたまったものではない。

 

 

「君は、"面白い小説"というものはどうすれば書けるか知っているかな?」

 

とある変態的な漫画家が言うに、面白いマンガを描くにはリアリティが必要らしい。

昔の俺もそれを知らず知らずの内に実践していた。

クモの味まで確かめようとは思わなかったけど、色んな専門書を漁ったり。

時間があれば遠くへ出かけて物見遊山。

ベースを弾いていたのも、自分の創作に何か役立つと考えての事だ。

リアリティ=面白さの精神がある限り、作家にとって無駄な事象など存在しない。

最強だ。

だけど俺は――。

 

 

「――先輩にもわからない。ですよね」

 

佐倉さんは、まるで俺を知っていたかのようにそう言った。

こんな世界で俺は持論を熱く語るなんて事はそうなかったのに。

頭を右手でかきながら。

 

 

「えへへっ。前に聞いた事あるんですよ」

 

「偉そうに語って、わからないだなんて言える人がオレ以外に居たなんてね」

 

「違います。それは、明智先輩から……」

 

何だって?

もしかして俺が思い出せない要素は前世についてではなく、この世界の俺についてもなのか。

全部を全部記憶がクリアーならこんなに不便じゃあないんだけどな。

最近では脳内HDDの大半が朝倉さんに関する情報で占有されつつある。

情報というか、まあ、情熱といいますか。

こんな台詞は後輩のしかも女の子相手に言いたい台詞ではない。

 

 

「前に、オレとどこかで会った事があるのか?」

 

最早死語だ。

一巡して口説き文句として認知されていない。

悪手としか言いようのない俺の一手に対して彼女は。

 

 

「いえっ。夢の中で先輩にそっくりな人と、わたしが話していました。流れ込んで来た記憶の中にもその人が居ます」

 

「……まるで魔法少女だな」

 

"夢の中で逢った、ような……"という事だ。

こちらはそんな覚えがないので"それはとっても嬉しいなって"思えないのが残念だね。

だけど、この不思議な感覚はそれと無関係ではないかもしれなかった。

俺は昨日見た夢に従って道を歩く事さえ出来ない。

覚えていない、わからない、知らない。

否定ばかりじゃつまらないよな。

言いたいことは本当に漠然とした話だけだったらしく。

 

 

「それだけです。本当に、何となく先輩に知ってほしかった。SOS団に入りたくなったのもわたしじゃない人の記憶が流れ込んできたのが切っ掛けなんです」

 

信じてもらえませんよねっ、と彼女は付け足した。

……質問しようにも何をどう訊けばいいのかね。

俺と同じだね、などととは間違っても言えなかった。

彼女は俺とそ俺のそっくりな人物が同じである可能性を信じてはいないようだ。

当然だが、俺も本当にそれが俺の前世と同じだとは思っていない。

ならば俺が訊ねるべきは。

 

 

「……オレのそっくりさんについての話って何か無いのかな?」

 

引き出させる事。

それが今の俺の武器。

しかし俺の質問に対して、佐倉さんはどこか思いつめた様子だった。

答えたいけど下手な事は言えない。

断言できるのはこの子は隠し事が苦手すぎるタイプだという事だ。

逆にあざとさを演出しているかもしれないけど。

だったら怖いね。

 

 

「その人とわたしは、友達……でした」

 

「"友達"だって?」

 

それは変てこな覆面をしたカルト宗教ではないだろう。

ごく普通の対人関係における友人を指している。

だけど、俺はそんな相手なんて一人しか居なかったはずだ。

その相手の事さえまるで覚えてはいないんだ。

ともすれば俺とその"そっくりさん"は本当にただ似ているだけという事になる。

平行世界論をどこまで信用していいのかは怪しいけど。

 

 

「わかった。オレからは君の内申を上げるように涼宮さんに進言しておくよ」

 

俺にそんな権力はないけれど、それとなくキョンや古泉に言ってもらえばそれでいい。

だけど最後に確認させてくれないか。

 

 

「君も二次試験に受けたペーパーテストは覚えているよね。あそこに宇宙人未来人異世界人超能力者について書かれていたと思うけど、あれ、涼宮さんがそういう人種が好きだから書いているのさ」

 

だから。

 

 

「もし君の話が本当だったとしたら、詩織さんは異世界人になるのかな?」

 

俺が"異世界屋"と定義されるべきかはわからない。

もしかすると佐倉さんの方こそ、涼宮ハルヒによって呼ばれた存在なのかもしれない。

自分の役割さえ理解していないイレギュラー。

誕生さえ出来なかった、任務すら与えられなかった"アナザーワン"とやらに近い物が確かにあった。

困った顔で佐倉さんは。

 

 

「それは、定義にもよりますっ。"異世界モノ"だなんて言っても色々なパターンがあるじゃないですか」

 

それもそうだ。

ならば後輩の会話につきあうぐらいはしてあげよう。

俺だって放送局時代に、先輩を振り回してしまったからな。

"因果"応報さ。

 

 

「例えば異世界へと元の身体のまま移動した。これが一番わかりやすい」

 

「はいっ。自分にとってもその世界の人にとっても異世界人です」

 

「トリッパーのパターンとしては憑依だってある。もっとも、それがどんな身体の持ち主であろうと、それは自分にとって別人だ」

 

俺だってどうかはわからない。

何が起きたのかを知る術は過去にあるはずだ。

だけどその術は封印されているらしい。

時空にある大きな断層とやらのせいで四年前より先に戻れないんだろ?

タイムスリップだってそうだ。

 

 

「もしタイムトラベラーが過去の世界を変えてしまったのなら、それはもう異世界さ」

 

某ゲームの"世界線"の概念がまさにそうだ。

時間はパラパラ漫画のようなものであるというデカルト的連続的考えとは別物だけど。

異世界人なんて曖昧なんだ。

今居る世界がただ一つの世界かどうかなんて、わからないんだから。

人間は全能でも全知でもないのさ。

神とか言われている涼宮さんだってそうだろ?

彼女が全知全能ならば出来レースでも何でもない。

ただの茶番だ。

 

 

「いい時間だ。引き上げよう」

 

家まで送ろうかと、つい言ってしまったが彼女はそれをやんわり拒否した。

ここらの治安は良い方だ。

むしろ悪くしているのは俺たちSOS団の方である。

公園を出るとどうやら佐倉さんと俺の進行方向はそのまま左右に分断されるらしかった。

今すぐさようならという事か。

……ふっ。最後にもう一つだけ。

 

 

「詩織さん」

 

「……何ですかっ?」

 

変化に気付きながらそれを無視するなんてどうなんだろうな。

まして、それが女子相手ならデリカシーを見せてやるべきだ。

何事かと身構えている彼女に対して俺は。

 

 

「眼鏡をしてないほうが可愛いと思うよ」

 

あいつも眼鏡属性ないし。

彼女の反応を待たずして「また明日」と言いながら俺は逃げるように帰宅した。

フラグが立つかも知れないなと後悔しつつある。

でも、一度ぐらい言いたかったんだよあれ。

日曜のデートの時に朝倉さんに言わなかったのかって?

おいおい、朝倉さんは何をしようと可愛いんだよ。

何年後か知らないけれど朝倉さん(大)はとても美人だった。

正直たまらないと思う方が先なはずなんだけど、可愛さは欠けてしまっていた。

残念系美人だ。

イケメンだけど残念な古泉ほどではないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SOS団は素晴らしい。

週休二日(休日出勤有)、基本定時上がり、残業手当どころか給料がゼロ、命の保証もナシ。

決して女子生徒の質につられて足を運んでいいような世界ではない。

それを本能的に察知しているからこそ一般生徒はまず部室へやって来ないのだ。

間違いなくブラック企業への耐性は上昇するね。

ホウ・レン・ソウの精神を社会に出る前から養う事も出来る。

 

 

『俺も概ね同意見だ』

 

とはキョンの返答だった。

佐倉さんの身辺調査について古泉は。

 

 

『何やら複雑な事情なのは間違いありませんね。ですが、やはり明智さんの管轄でした』

 

「無茶を言わないでくれ」

 

『異世界での出来事を持ち出されてしまっては我々と言えど、どうしようもありません』

 

どうにもこうにも使えない連中だな。

そんな事を言ってしまえば森さんや新川さんに失礼だけど。

うん、朝倉さんには是非とも森さんのような大人になってほしい。

俺が思うに最近彼女が読んでいるコンビニの500円本、あれが原因だよ。

そうとわかっていても俺は朝倉さんの趣味を否定したくない。

だから彼女に訊いた。

 

 

「あれって何が面白いの?」

 

一番長く通話するであろう朝倉さんは最後に回す事になった。

優先順位だけで言えば間違いなく古泉が最後だ。

朝倉さんは『そうね……』と考えている様子を窺わせて。

 

 

『意味不明なところね。真実性の欠片もない』

 

「オレも昔【絵でわかる相対性理論】ってのを買ったことがあるけど、無茶苦茶だったね」

 

前提知識が無い人が読んだら絶対勘違いする。

朝比奈さんら未来人が言うところの時空とアインシュタインの時空はきっと別物だ。

"時空"とは単なる器ではなく、エネルギーでもあるらしい。

正直、意味が解らない。

原作ではTPDD使用の弊害で歪みが生じるとか言われていた気がする。

だけどアインシュタインが言うにはそもそも空間は歪んでいるらしい。

Plane(平面)を破壊しようがしまいが、関係ないのではなかろうか?

 

 

『その辺の説明はしないわよ』

 

「聞きたくはないけど理由くらいは教えてほしい」

 

『万が一、よ』

 

悪用する気もないけどさ。

多分、情報統合思念体も許可していないはずだし。

でも俺は最終的に朝倉さん(大)を過去へ転送させられるまでに成長するらしい。

時空間について未来の俺は自分なりの理論を持っているのだろうか?

それともただ能力だけが独り歩きしているのか。

どっちにしても。

 

 

「もし佐倉詩織が敵なら、容赦はしない」

 

『意外ね』

 

「公私混同はしない主義だよ」

 

ただし朝倉さんに関しては例外だ。

好きなものにはどうしても甘くなってしまう。

優しさだけでは愛は成立しないんだろうよ。

どうもこうもないくらいに、俺もデレデレしてしまっている。

戦いの空気が好きじゃないのもあるけど。

 

――ただ、仮定は仮定に過ぎない。

それが決定されるのはもう少しだけ後の話になる。

やはり最大の謎は、何故朝倉さんが原作で死ぬ必要があったのか……なんだよ。

人気が出たからわざわざ再登場させたわけじゃあない。

佐倉詩織と佐藤。

この世界で出逢えた、愛する人、朝倉涼子。

俺なりの残酷な結論が出る日も同時に迫っていた。

 

 



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第75話

 

 

一週間は終わる。

もう、金曜日になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恐ろしく早く感じる。

それだけ楽しい時間だったのか?

いやいや、懸案事項は来週以降に引き継ぎだけど……。

 

 

「……平和だった割に、あっという間に過ぎた気がするよ」

 

現在、朝倉さんと手を繋いで登校しているがこれも春の陽気のせいだ。

でなければ昨日の佐倉さんの謎話で俺の思考回路が処理落ちしているに違いない。

そこかしこで言われている事ではあるが、"慣れ"というものは恐ろしい。

俺がゆるい気持ちになるのも日常に慣れようとしているからなのさ。

 

 

「いいことじゃない」

 

「そうさ、いいことなんだ」

 

「それにしてはやけに微妙な表情をするのね」

 

「ううん……」

 

未来への不安なんかではない。

漠然としているが、釈然としないのだ。

はたして俺はこれでいいのだろうか、と。

荒みつつある俺のメンタル。

ゆくゆくは砂漠と化してしまいかねない。

 

 

「朝倉さんがオレにとっての癒しだよ」

 

お前はいつもそんな事を言っているな、と思われるかもしれない。

悪いか? ……俺は悪くないと思っているんだよ。

彼女が笑顔でいてくれればそれでいい。

あの時みたいな顔は二度と見たくないんだ。

俺まで悲しくなってしまう。

朝倉さんはぼんやりとした感じで。

 

 

「……高校を卒業したらどうなるのかしら」

 

「朝倉さんがそんな事を気にするなんて珍しい」

 

そういうのは俺の方ばかりが考えていると思っていた。

昔の彼女ならさておき、今の彼女はここまで変わってくれたんだ。

俺だって少しはマシになったはずさ。

 

 

「オレが思うにみんな疎遠になるって事はないはずだけど……」

 

「けど?」

 

「……いや、何でもない」

 

決して口には出せるはずもない。

朝倉さん(大)のおかげで卒業だとかよりもっと後の事をどうにも意識してしまう。

"給料三ヶ月分"が単なるキャンペーンフレーズなのは理解しているさ。

だけども男の意地がある。エンゲージリング。

20万円ラインでも喜んでくれるとは思うけど……ねえ?

そしてこの世界で俺が働くとして、またIT企業なのだろうか。

去年古泉の閉鎖空間ツアーに連れてかれた時の隣町ぐらいまで行けばそういう会社もあるに違いない。

でも同じ職業ってのも夢が無い気がするな。

 

 

「そう言う朝倉さんは卒業したらどうするんだ?」

 

「このまま行けば現状維持の延長線上でしょうね」

 

「……つまり?」

 

「明智君が行くところについていくわよ」

 

涼宮ハルヒではないらしい。

それでいいのか、情報統合思念体。

朝倉さんだって俺について特に報告していないみたいだ。

なので任務も何もあったものではない。

 

――違うな。

きっと情報統合思念体にとっては朝倉さんの有無など関係ない。

彼女の独断専行が失敗した時点で利用価値は長門さんのバックアップ以下に成り下がった。

だからこそ驚いたに違いないね。

朝倉さんが単なるアンドロイドとしての枠に止まらなかったという事実に。

ジェイとして佐藤が言っていた事の信憑性はどうでもいいさ。

"自律進化"だとか"超人"だとか、どうでもいい。

居なくなりかけてから自覚出来たんだよ。朝倉さんの大切さを。

もし俺があの世界で生き続ける他に選択肢が無かったなら……。

なんて、そんな話はあり得ないね。

 

 

「オレと一緒に居てくれるのか?」

 

「あなたの方から言わなかったかしら」

 

「……んん?」

 

違いますよね。

十二月以降は俺だってそんな話もしたかもしれないけど先に吹っかけて来たのは絶対そっちだ。

私と一緒に死んでくれる……あの時の事は絶対に忘れないね。

逆に忘れたい出来事と言えばやっぱりクラス中学年中に俺と朝倉さんが付き合っていると言う話が広がったあの日だ。

ヤスミンが言うからには今でも、しかも新入生の間で引きずられているじゃないか。

 

 

「あら、そうだった?」

 

「半年以上君を待たせたオレが悪いのはわかってるけどね……」

 

「私なんかそろそろ痺れを切らしそうだったのよ」

 

「朝倉さんに殺される覚悟なら出来てたさ」

 

「馬鹿。違うわ」

 

じゃあ何だろう。

特別優れてもいない記憶回路を働かせる。

俺の一日は朝五時前から始まった。

俺の朝は一杯のコーヒーから始まる。

俺の午後はアフタヌーンコーヒーにて始まる。

そして夜は、パソコン弄りに決まっておろう。

 

 

「いつの話をしてるのよ」

 

「ヴァカめ。これだから田舎者は――」

 

――痛っ。

絡められた指の隙間から俺の手の甲へ彼女の爪が突き刺さる。

痛いのは周りの生徒の視線もだけど、そっちには慣れっこなんだ。

ふ、ふざけてすいませんでした朝倉様。

しかし俺にはあなたが切らすような痺れとやらについて他に心当たりがないんですよ。

実際に言ってたでしょうよ。いずれ俺を始末する予定だった、と。

朝倉さんはそっぽを向いてしまい。

 

 

「あなたがわからないなら構わなくて結構です」

 

との事だ。

しかしながら彼女は他人行儀な言い方なのに手を放すつもりがないらしい。

許してほしいね。

すまないけど昔も今も俺はわからないことだらけさ。

それにしてもやっぱりこの一週間は久々の濃さだった。

朝倉さん(大)来訪者――彼女に触れる事は死を意味しかねない――や文芸部機関誌発行の時よりもだ。

 

――むしろ不思議じゃあないか?

佐々木さん達はあれだけ思わせぶりな登場をした。

彼女から名前が出てきた佐藤だってそうだ。

まるで彼女の存在気配が感じられないではないか。

俺の方から電話をすれば別だがわざわざそれをする必要だってないさ。

いや、ひょっとすると既に戦いは陰で始まっているのかもしれない。

朝比奈さんはないと思うが古泉がクライムファイターを務めていても不思議ではない。

超能力持ちヒーローなんてアメコミではド定番だよ。

 

 

「ねえ、朝倉さん」

 

俺一人で苦しむ必要は無い。

だからこそ二人の方がいいんだけど。

坂道の頂に近づいている事を感じながら俺は。

 

 

「ここに今、自分ではどう判断すればいいのかわからない問題があるとしよう」

 

「何の話?」

 

「いつも通りに中身のない哲学以下の話さ。そして、それは材料も資料もあるような問題じゃあない」

 

「ふーん。明智君は"答え"じゃなくて"解法"を求めているのね」

 

流石朝倉さんだよ。

優等生なだけあるさ。

こうもあっさり見抜かれちゃうとは。

そうだ、俺は万能鍵が欲しいんだ。

どんな問題でもたった一つで解けるような"鍵"が。

すると彼女は朝一番の笑顔で。

 

 

「ふふっ。馬鹿というより間抜けよ。あなたは既に解き方をわかっているじゃない」

 

「オレが得意なのは"説き方"の方なんだけどね……」

 

――それでいいのか?

それは否定の呪文と呼べるほど立派なもんじゃないさ。

ともすれば諦めの言葉、弱音でもある。

 

 

「『どうもこうもない』か」

 

「もしそれでも答えが出ない時は」

 

「出題者を尋問する、でしょ」

 

「拷問よ」

 

質問ですらなかった。

彼女らしい。

結局俺が選んだのは後にも先にも朝倉涼子ただ一人だった。

選ばれなかった人の事なんて知らないのだから苦しもうにも苦しめない。

わからない問題だったのは確かだ。

でも、半分は答えを掴んでいた。

……もう半分を持っていたのも他ならない俺だったけどな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ようやっと全体像の輪郭が見え隠れし始めたのは昼休みからの話になる。

野郎四人のこの昼飯時は三年も続くのだろうか……。

それはそうと。

 

 

「谷口……その、彼女さんの件はどうなったんだ?」

 

周防の動向がわかるのならそれに越した事はない。

完全に姿を消していたら本当に何かの前触れだと思っていただろう。

谷口はペットボトルのお茶を飲みながら。

 

 

「なにも。俺は直接見ちゃいないが普通に学校通っているみたいだとよ」

 

「さいですか」

 

キョンと国木田も昨日の段階で谷口の悲報は聞きつけていた。

流石に今回ばかりは煽れはしない。

俺が煽るとしたらそれは間違いなく周防相手さ。

イントルーダーさんは何を考えているんだか。

 

 

「あいつが猫について語っていたのが懐かしいぜ」

 

「へえ、猫好きなの」

 

そう言ったのは国木田だ。

どうでもいいけど彼の弁当にはいつも魚が入っている気がする。

米には鮭のフレークが降りかかっており、カツオの照り焼きと一緒にそれを食べていた。

しかし周防が猫について語る? 想像出来ないな。

橋の下にやって来るような野良猫だろうか。

しみじみと回想しながら谷口は。

 

 

「無口は無口だったが、たまにスイッチが入ったみたいに話し出したのさ。その中の一つが猫話だ」

 

女を引きずる野郎というのはここまで物悲しい存在なのだろうか。

あっちの世界へ飛ばされた俺は谷口よりも酷い状態だったね。

今ではすっかり朝倉さんと正真正銘のお付き合いをさせてもらっているが。

佐藤の意図は未だに不明だ。

 

 

「曰く、猫は人類より優れているそうだぜ」

 

「確かに俺の所のシャミセンは凄い猫だ。オスの三毛猫だからな」

 

喋ったりするからね。

俺もシャミと話したかったよ。

更に言うと猫好きなら周防もいい奴なはずなんだけどな。

 

 

「知っての通りオレは猫好きだ。猫は凄いぞ、あいつが本気になったら人間は勝てないからな」

 

「どういう勝負だ」

 

わかってないな、キョンよ。

空手の父、Hand of Godこと大山倍達氏もこう述べている。

 

 

「もし、猫と人間が檻の中で戦えばその差は絶望的。刀を持ってようやく猫と人間は互角なんだ」

 

「猫は一日の殆どを睡眠時間に充てている割にすばしっこいからね」

 

国木田が言う通りだ。

通算にして一日の猫の起床時間は三分の一あるかどうか。

猫を侮るでない、反射神経は普通の人間の比ではない。

彼らの爪や牙だって充分な武器と化す。

 

 

「運動神経とスピード。この二つで猫は圧倒的に人間を上回っているのさ」

 

「けっ、あいつも人類に対する猫の有効性がどうとか言ってたっけ……」

 

「谷口よ。これは非常に申し訳ない事だが、俺はお前にかけてやれる言葉がない」

 

「同情なんていらねえよ」

 

飯を不味くしているのは谷口の方だろうに。

状況からすれば間違いなくフられている。

平行世界に飛ばされなかっただけありがたいと思うべきだ。

ネジのまき直しだ。

 

 

「ちょっとトイレに行ってくる」

 

用を足そうと思ったのは気分転換のついでだった。

すると。

 

 

「……俺も」

 

キョンが便乗してきた。

俺は連れションを誘う人種ではない。

トイレだって隣り合ってするのは嫌だ。

誰が相手であろうと間隔を空けてほしいね。

そんな訳で廊下へ出て男子トイレを目指す。

するとキョンがいきなり。

 

 

「お前に渡しておく物がある」

 

「何だよ?」

 

「これは朝、何故か俺の下駄箱に入っていたものだ」

 

と言いながら俺に封筒を手渡す。

熊のようなキャラクターがプリントされた封筒。

やけにカラフルで、女物なのは一目見ただけれわかった。

キョンには似ても似つかぬ代物だ。

 

 

「これが、オレ宛てだって……?」

 

「安心しろ、俺の方にも来た」

 

裏にはやけに達筆で"渡橋泰水"と書かれている。

これが偽物じゃない限り差出人はヤスミンという事だろう。

昨日の今日で、佐倉さんのお次は彼女と来た。

 

 

「去年と同じだね」

 

「佐倉の次はあいつか。……やっぱりハルヒの仕業じゃないのか」

 

「さあ。ヤスミンから聞いてみない事には何とも」

 

どうせ呼び出しだろうさ。

仮にも関係者には見られたくない。

男子トイレに到着するな否や俺は個室に立てこもった。

文字通りに大きな"用は無い"が便座に腰をかけて開封。

 

 

『午後六時、部室でお話ししたい事があります。キョン先輩と二人で来てくださいね』

 

だ、そうだ。

トランプをモチーフにしたような紙だった。

封筒と同じテーマのものではないらしい。

佐倉さんといい、彼女からもどこかアンバランスさを俺は感じていた。

個室で小を済ませて流し終わると手紙を纏めてポケットに突っ込む。

手洗い場でキョンは立ち尽くしていた。

 

 

「お前の方も同じ内容か」

 

「オレはキョンのを見てないけどね」

 

既にキョンというあだ名がヤスミンの中で定着しているのが驚きだ。

彼女がスパイだったらあらかじめ知っていても不思議ではないけど。

それにしても。

 

 

「"二人"で……ねえ」

 

「ヤスミも異世界人なのか?」

 

「だったらお前が呼ばれる必要は何だよ。オレたち二人である必要性が謎だよ」

 

「明智にわからない事が俺にわかるかって」

 

手を洗うと再び廊下へ出て歩き出す。

昼休みはまだ時間があるように、母上の弁当もまだ残っている。

教室へ戻ってさっさと平らげてしまわなくては。

 

 

「オレの必要性がわからないね。キョンを襲うならオレが居る必要はないでしょ。間違いなく邪魔に思うはずだ」

 

「もしかしたらお前が要るのかもな」

 

ふっ。わかるかって、なんて言っておいて何か心当たりがあるのかよ。

もしかすると主人公の勘だろうか。

……そんなものが本当にあるのなら羨ましいね。

俺は"鍵"でも何でもない。

つまり主人公ではないので勘もない。

SOS団員特有、野性の感覚ならあるけど。

 

 

「午後六時……部活終わりの流れだね。オレは朝倉さんを家に送ってから北高へとんぼ返りだ」

 

「毎日毎日ご苦労さんだな」

 

「楽しいからいいのさ」

 

「……明智も変わったな」

 

やけに落ち着いた表情でそう語り出した。

そりゃあ、何の成長も無かったら駄目だよ。

俺の一年は俺なりに苦労続きだったんだから。

特に夏休み終了にかけてまでは一つの山場。

そこから安定期かと思えば十二月の大事件から連鎖的に事件行事トラブル。

大忙しだ。

 

 

「確かにそうだが、前の明智はどこか諦めた顔をしていたように見えたな」

 

「きっとそれは妥協さ」

 

そして何より俺は"臆病者"だった。

能力だけではない、精神的に隠れ家を作っていた。

外の世界が、この世界が怖かった。

覚悟がなかった。

俺にチャンスをくれたのはジェイではない、この世界に俺を呼んだ誰かでもない。

朝倉さんだ。

 

 

「そうか」

 

やっと、わかった。

たった今思い出したと言うべきか。

朝、彼女が言っていた痺れを切らす云々についてだ。

 

 

「……オレは鈍感系主人公を馬鹿にしているんだ」

 

「系って何だ。主人公のキャラさえジャンルになっているのか」

 

「昨今のラノベ業界ではよくある話さ」

 

お前に関して言えば鈍感を装っているみたいな節はあるけど。

俺だって朝倉さんに対して特別信頼関係を築こうとしていなかったから同罪さ。

他人の好意があればそれを感じられると自負していた。

 

 

『明智君! 私――』

 

『……また明日』

 

『そうね……やっぱり、こういうのは男の子からじゃなきゃ。焦らなくて、よかったわ』

 

大馬鹿野郎さ。

朝倉さんにあんな顔をさせたのは俺だったんだから。

どっちが先に好きになったのかなんてどうでもいいさ。

愛があれば、それでいい。

 

 

 

――あたしにも解りません。でも、もうすぐ解るはずです。

 

 



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第76話

 

 

俺が"結果論"に対して最終的にどのような判断を下すのか。

それはさておき、今回を結果論で語るのなら俺は流石に気付くべきだった。

覚えていないにしろもう少し踏み込んだ結論を出せなかったのが馬鹿だ。

直球すぎるだろ。

"分裂"だぞ? じゃあ何が分裂するのか、って話だ。

まさか俺"だけ"とはいかないだろうさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

更に言うと、朝倉さんに関してもだ。

朝倉さん"らしさ"だと言う割に俺は理解しちゃいなかった。

俺が彼女を想うのと同じ、あるいはそれ以上だった。

幸せすぎるのか、不幸な事に俺はそこまでは考えていない。

結果として俺の生涯において――不可抗力、いや、抗えよとは思ったけど――最大最悪の失敗を生んだ……。

 

――まるで口裏を合わせたかのような"流れ"だった。

涼宮さんが同性をイジるのはわかる。

原作で度々そんなシーンは見たし、実際に目の前でそんな事もある。

こと朝倉さんに関してはライバル関係みないな空気ではあるけど仲はいいはずだよ。

何を話しているのかの全てなんて知らないけど。

しかしまさか朝比奈さんが新入団員二人を、それも"メロメロ"という勢いで気に入るとは。

二人をペットか何かだと勘違いしているようにも思われた。

古泉は一人チェスに興じながら。

 

 

「僕の見た限りでは、あれは彼女らの人徳が成せる業。と言ったところでしょう」

 

「そりゃあオレたち野郎を懐柔する方が楽に違いないからね」

 

二人が魅了の魔術なんて使えたとしても俺は既に……というふざけた話は問題外だ。

今日の問題はヤスミンの呼び出しについてと、その呼び出した張本人が部室に居ないという二点。

朝比奈さんが言うには小動物のような可愛い眼で早退アンド欠席を伝えたらしい。

ヤスミンについてもっと言うなら。

 

 

「実はね、"渡橋泰水"なんて名前の女子生徒は北高に存在しないのよ」

 

「何……だって……?」

 

ヤスミンが何かしたのか。

そう思えるぐらいに手早く切り上げられた部活動。

おかげさまで朝倉さんの住む分譲マンションと北高を往復して、どうにか午後六時に間に合うかなといった感じである。

そして、うんとかすんとか言っていたら朝倉さんが下校中にそんな事を言い出した。

男の仕事の8割は決断だけど、その大部分にしばしば女性が関連するのは解説するまでもなかろう。

俺が朝倉さんを助けたあの日から、俺の仕事には朝倉さんに振り回されるの項目が追加された。

10割の壁を突破されたのだ。

可愛い顔していつも俺の精神を酷使させ、最後は彼女が癒していく。

自作自演みたいな朝倉式サイクルが確かにあった。

で。

 

 

「存在しないって何だ……偽名って事かな」

 

「似たようなものね」

 

「まさかそっちから出題されるとは思わなかったね。オレが朝倉さん自体を"どうもこうもない"だなんて思うはずがない。解答する前から正答が出ない事を自覚できる事ほど理不尽は、ないね」

 

「本来の出題者は私じゃないけど」

 

ならばその誰かさんは間違いなくヤスミンなのだろう。

名を詐称してSOS団に潜入。

どう考えてもスパイ活動のそれだ。

独断専行を企てた朝倉さんだってスパイじみていたとは言えるけど。

インポッシブルだったというわけだ。

 

 

「一応確認しておきたいけど、それは結構ヤバめな話に繋がりそう?」

 

「どうでしょうね。あなたに関係するとは思えない」

 

「だったら教えてくれませんかね」

 

「その必要は無いわ。……と、判断したのよ。私と長門さんは」

 

少なくともヤスミンについて裏があることを宇宙人も理解していたわけだ。

ならば俺が語っていた情報とは一体何だったんだ。

誰の為の報告連絡相談なのさ。グレちゃうよ俺。

 

 

「佐倉詩織については私たちでも何一つ掴めなかった」

 

「嘘はついてないってわけだ」

 

「ふふっ。ごめんね?」

 

「いいよ、別に」

 

物事の片面だけを見るのはやめるべきだ。

某大統領だって言っている。

……彼の場合は自分を正当化するためだけに言っていたが。

朝倉さんを責める気はないけど後出しジャンケンはよろしくないのも事実。

人間は最低限持てる情報等判断材料の全てを駆使して客観的な広い視野であるべきだ。

しかしながらその視野を広げようにも知らない要素があれば、それはもう"世界"ではない。

単なる"視界"だ。

 

 

「本当、"異世界人"って曖昧だよな。オレがそうなんだから多分間違いないよ」

 

「明智君はその曖昧さが好きなんでしょ?」

 

「嫌いじゃないさ。一昔前までは」

 

俺は二元論が嫌いだった。

今もそうだけど、前世での俺は白と黒がもう嫌いだった。

世界の基準のプラスマイナスが嫌いだったんだから。

曖昧さと中間点はどちらも同じ性質がある。

だけど俺はそんな第三の選択肢ではない、自分が納得できる言わば第四の選択肢を求めていた。

二元論だのに、その倍もあったら無茶苦茶だよな?

本気で信じてたのさ。

サンタクロースも、完璧な世界も。

 

 

「今は嫌いだ。オレの精神テンションは前世のそれに戻りつつある」

 

「"皇帝"かしら」

 

「かもね」

 

ただの勘違いで済めば中二病だ。

そこで終わらなかったらそいつは本物だよ。

俺は残念な事に本物の人種だった。

 

 

「社会不適合者のオレがよく働けたな……と、たまに思う」

 

「あなたでそうなら社会の大半がそうなっちゃうわよ」

 

「やっぱり教育に問題があるのかもよ」

 

「明智先生には小学校教師は絶対無理ね」

 

「"絶対"は認めたくないけどオレも自信がなくなっちゃうね。ちびっ子どもに悪影響しか与えそうにないよ、オレ」

 

世の中"勧善懲悪"の理想的二元論では廻ってくれない。

何故なら勝者が善であり、敗者が悪だ。

歴史的にもそれは証明され続けているのさ。

俺はいつか、そんな事を誰かに語っていた気がする。

 

 

「つまり、あなたたち人類は闘争が好きって事」

 

「人間は常に何かを傷つけないと生きていけない。不便さ」

 

でも。

 

 

「そろそろ"あなたたち"って表現がオレは気に入らなくなってきたよ」

 

「何が不満かしら」

 

「ふっ、オレが保証するよ。朝倉さんだって人類さ」

 

「……」

 

すると彼女は朝と同様にそっぽを向いてしまった。

俺の発言が逆に気に入らなかったなら少々ショックだが謝ろう。

と、思って彼女の顔が向いている方に回り込む。

今度は自分の顔を両手で隠した。

俺を視界に入れる価値すらないんですか。

泣きますよ? メンタル強くないんで、俺。

当の彼女は消え入りかねない声で。

 

 

「ひ、卑怯よ……」

 

「……何が」

 

「私は明智君を見ていていつも楽しいけれど、たまに不意打ちをするから困るわ……」

 

そのトーンで何となくわかった。

彼女が顔を隠していたのは恥じらいに起因していたらしい。

それでも何故そうしているのかは謎だけど。

俺の話を聞くだけ恥ずかしくなってくるのか。

言動に気を付けたいとは思うけど、こういう風に人格形成されちゃったからね。

しょうがないね。

 

 

「馬鹿ね。あなたは急にカッコいい事を言うから困るの」

 

「……オレが…?」

 

「私も人類だ、なんて――」

 

俺にとっては当たり前の認識だった。

朝倉さんは人間社会に充分対応出来ている。

心がある。機械にはない。

だけど、やっぱり立場までは消えてくれない。

宇宙人、バックアップ、情報統合思念体……俺はそれが気に入らなかった。

俺も立派な鈍感系主人公の部類なのか?

それとも空気で察するという日本特有の会話方式が嫌いなのだろうか。

彼女の最後の一言でようやく理解できた。

 

 

「――嬉しくなっちゃうじゃない」

 

朝比奈さんが新入生二人を相手にしてていかにも可愛いと思っているのは俺でもわかった。

今度は俺がそう思う番らしい。ここからは、俺のターンだ。

 

 

「朝倉さん、何度も言うけど大好きだ!」

 

「ち、ちょっと」

 

一点の曇りもないその笑顔を見て俺は思わず彼女を抱きしめてしまった。

ベアハッグではない。優しく、そっと包むように。

……お前、路上でイチャつくような時間があるのか、だって?

あろうがなかろうが別にいいんだよ。優先順位だ。

"異次元マンション"使えば一発で文芸部室へ到着なんだから。

彼女が拒否しないのなら俺だってつけあがってしまう。

俺は異世界を語る前に人間で、男なのさ。

 

 

「オレだってそう言われたらお世辞でも嬉しくなるさ」

 

「私たちはお似合いかしら?」

 

「だと、いいんだけどね……」

 

成算が立つかどうかなんてわからないさ。

そんな話をしたら、朝倉さんを助けた俺自身を否定してしまう。

どっかの惑星の博愛主義者が言うには『未来への切符はいつも白紙』だそうだ。

 

――ここは現実だぜ。

俺が現実から逃げていたのは去年までの話だ。

知っている話だから無関係で大丈夫、だとか考えていた"ミステリックサイン"。

それから自分の考えで行動し、結果を出せた"エンドレスエイト"。

極め付けと言えば再三言うように"涼宮ハルヒの消失"だ。

コンピ研部長氏失踪はともかく、他はタイトル詐欺もいいとこだろ?

ループした瞬間に終了、消失したのは朝倉涼子。

ここは物語なんて甘い世界ではなく、残酷な、現実の世界。

エンドテロップなんてものはそもそも存在しないのさ。

 

 

「たちが悪いよ。オレはあの話を知らなかったら朝倉さんを助けられなかったわけだけど、なまじ物語として知っているだけに余計な事を考えてしまう」

 

「だったら知ってて正解だったのよ。私はそう信じたい。私を助けたあなたを、ね」

 

「オレは正しいと思ったからやったんだ。後悔はないさ……」

 

こんな世界とはいえ、俺は自分の信じられる道を歩いていたい。

なんて、ね。

 

 

「勝手に抱き着いてあれだけど、そろそろ放すよ」

 

「……もう少しだけお願い」

 

「承知致しましたとも、お嬢さん」

 

俺の"役割"が何なのか。

何であれ関係ないさ。

昔々に俺が考えたシナリオそっくりなんだよ。

俺が主人公の影かなんてのはどうでもいい。

別の世界の俺ならきっと、そんな事さえ気にしないはずだ。

自分が主人公だと信じているはずだ。

俺もそろそろそれにあやかるべきなんだ。

世界の頂点だとか、中心だとかどうでもいい。

 

――俺にとってのヒロインが居てくれればそれで満足だ。

野郎はかくも、惚れた女性のために強くある生き物らしい。

元々が弱いからこそ強くなるのだ。

人間社会の根源は獲得社会だったのさ。

いつか棄てる時が来る。

だけど、朝倉涼子だけは一番最後だ。

俺の命と同じに棄ててしまおう。

そうすれば後悔せずに済むのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駄目だ、隙あらば俺は直ぐに朝倉さんといちゃついてしまう。

平和を免罪符にするのも真の平和主義者さんに申し訳ない。

急いで引き返そうにも徒歩ならやっぱり間に合わないじゃないか。

と、いうわけで予想通りに。

 

 

「――こにゃにゃちわーっす」

 

放課後、部活終わりの文芸部。

団長席付近の床下から俺はひょっこり顔を出す。

俺の結構呑気した挨拶と同時に、二人は俺に気付いたらしい。

だって『呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン』が通用するとは思えない。

この二人なら知っていそうだけど。

でも前世では死語だったよ。

どっちかと言えば『呼ばれて飛び出てジェノサイダー』の方だったね。

突然の俺の登場で少し驚いた後に呆れた表情をしたキョンは。

 

 

「……最近ではお前のそれを見ちゃいなかったからな。失念しつつあった」

 

「遅刻スレスレだけど、今が午後六時ジャストだ。遅刻ではないのさ」

 

全身を"出口"から出すと文芸部入口付近に立っているキョンの方へ歩いていく。

すれ違いざまにヤスミンは。

 

 

「流石は明智先輩です。いきなり無茶してますけど、きっと先輩も来てくれると信じてました」

 

「……驚かないの?」

 

「信じていたいから、これでいいんです」

 

何だそれは。俺について何か知っているのか?

それとも【スターウォーズ】の話なのか。

信じていただの何だのと言えば"シスの復讐"クライマックスだ。

どうでもいいけど俺はあの映画を五回ぐらい劇場で見た。

いや、見させられた覚えがあるな。

三回目からは役者や監督をはじめとする映画制作サイドに申し訳ない事に寝ていた。

だって長いから仕方ないよ。

グリーヴァス将軍が好きだったな。

そんな事を思い出しながらキョンの横に立つ。

いや。

 

 

「……座れよ、座ってろよ」

 

「そんな雰囲気じゃなかったんでな。それに俺も来たばかりだ」

 

用があるのは間違いなくヤスミンの方でしょうよ。

そして俺たち二人を指定するからには、二人揃ってからなんだろうな。

キョンはお待たせしたなと言わんばかりに。

 

 

「で、俺と明智に何の用だ。それぞれ別件なら時間や日を改めればいい。どういった話を聞かされるんだ」

 

ぶっきらぼうな言い方だった。

信用も信頼もしていないといった様子だ。

彼がそう振る舞うのも当然ではあった、

何故、長門さんでも朝比奈さんでも古泉でもなく俺なのだろうか。

最低限の自衛能力ぐらいは持ち合わせているんだ。

狙うなら各個撃破がセオリーでは?

二人という条件がこちらにとって好都合なのかどうかも疑わしい。

ヤスミン、君がそう言うのなら。

 

 

「オレに君を信じさせてくれ」

 

どんな話でも構わないさ。

正直に伝えようという、その誠意や思いが俺に伝わるならそれでいい。

俺にとってヤスミンの評価は未だゼロ。

そこに"信"が加わればプラスになる。

佐藤の話より、喜緑江美里より、佐倉詩織よりも俺を納得させられるか。

君にそれが出来るのか?

渡橋泰水。

すると彼女は。

 

 

「明智先輩――」

 

俺の方にその身体ごと向けて。

 

 

「――すいませんでした!」

 

急に謝り始めたではないか。

それはそれは見事な角度の礼であった。

45°はあるに違いない。

とても深々と頭を下げている。

土下座と見紛う雰囲気だ。

やがてゆっくり面を上げると。

 

 

「……あたしはもっと早くから謝っておかないといけませんでしたね」

 

「待ってよ。急に何の話かわからないんだけど」

 

キョンは訝しむように俺とヤスミンの間で目線を交互させている。

俺に心当たりは一切ないんだ。

間違っても手なんか出していないって。

大きい声で言いたくないけど朝倉さんだけだって。

ヤスミン。

謝罪が君の話の結論なのかは知らないけど、過程から俺は知りたいんだよ。

キョンはやれやれといった感じで溜息を吐いて。

 

 

「俺が居る必要のある話なのか?」

 

「はい。先輩にも追って説明しますよ」

 

やはり別件じゃあないのか?

何故、このタイミングなんだろうか。

 

 

「明智先輩にはこちらの手違いで迷惑をかけてしまいましたから……」

 

「"手違い"ね」

 

そろそろ一つの謎について結論を述べておこうか。

ヤスミンは真剣な眼差しで俺とキョンを見つめると。

 

 

「これから何が起こるのかはあたしにも解りません」

 

「何だと? ……佐々木絡みか」

 

「でも、もうすぐ解るはずです――」

 

そしてこう言ったのさ。

 

 

「――まずは明智先輩についてお話しします」

 

結論から言おう。

俺をこの世界に呼んだのは、やっぱり涼宮ハルヒだった。

 

 



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第七十八話

 

 

そう【涼宮ハルヒの分裂】だ。

言うまでもなく"分裂"したのは一つだけではない。

"世界"が分裂していた。

そして何より俺が、俺の精神が、能力さえ分裂していたのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんは"ドッペルゲンガ―"という現象あるいは存在についてご存じだろうか。

いや、誰しも多かれ少なかれ耳にしたことがあるはずだ。

知らない人のために説明するとすれば、もうひとりの自分がそこに居る……。

"あり得ない"と普通の人なら思っちゃうさ。

平行世界に移動出来ちゃう某大統領の能力じゃあるまいし。

だけどSOS団相手に"普通"を持ち出すのは今更だろ?

とっくの昔に手遅れなんだよ――。

 

 

「……」

 

「――そして、やれやれ……間に合ったよ」

 

これ以上遅れちまうわけにはいかないさ。

金曜日。

時間は午後の三時台。

間違いなく放課後になったばかりの時間帯。

ついさっきヤスミンの話を聞いていたのは指定通りの午後六時だったさ。

俺が今立っているここは因縁の場所でもあった。

去年の十二月に朝倉さんの偽者と戦ったあの公園。

何かと俺がご用達の駅前公園であった。

俺の十数メートル先に居る馬鹿野郎に向かって俺は語りかける。

 

 

「だいたい話は聞かせてもらったよ。オレには何の覚えもないけどね。……だけど、彼女は無関係な筈だ」

 

「……」

 

「オレが、相手だ」

 

そいつはこちらに向き直ると、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

おいおい、まさか無手でやり合うつもりか。

彼がさっきまで使っていたであろうナイフは現在、地面に横たわる彼女に突き刺さっていた。

……出血もしているはずだ。

時間はあまりかけていられない。

それに、あいつの方にだって向かう必要がある。

 

 

「出しなよ、てめーの、"ブレイド"を」

 

「……」

 

――瞬間。

そいつの左手には"刀剣"が具現化された。

刀身は棟が垂直なファルシオンのそれに近い。

しかし本当に刀かどうかは怪しかった。

柄の部分から刃の部分まで、全てが漆黒。

俺が具現化するのは相変わらずの棒切れじみた青き直剣。

まだどうかは判らないがあちらの刃は物が切れるに違いない。

俺の方には無い鋭利さが見受けられる。

 

 

「死んでも恨まないでくれよ」

 

「……」

 

さて、ドッペルゲンガ―の話の続きだ。

そいつはそっくりさんではなく、どう見ても自分自身だ。

そいつは生き写した本人と関係する場所に現れる。

そいつは基本的に会話をしない。

最大の特徴は何と言ってもこれだ。

自分のドッペルゲンガ―を見たものは、死ぬ。

死を意味する。

 

 

「……」

 

一歩ずつ向かってくるそいつに対して、俺は右腕を水平に向けた。

そして、親指を弾く。

 

 

――キン

 

久々に放った指弾だったが刀に弾かれてしまった。

わざわざ弾を取り出さず"応用編"で放ったというのに、このザマか。

いくら万全でなかったとはいえ。

 

 

「朝倉さんを、倒しただけの事はあるな」

 

「……」

 

「それじゃあこちらから行かせてもらうよ」

 

エネルギーによる脚部強化で、一気に接近。

相手の射程距離に入ったその瞬間、剣戟が俺に降り注いだ。

自分のブレイドで捌いていくがパワーが段違いだった。

武道的な要素の一切を排除した"暴力"。

剣道でも何でもなかった。

 

 

「朝倉さんが、負けたのは」

 

「……」

 

「お前が、相手だったから、だ」

 

俺が彼女の立場でもそうなっていただろう。

お前だって苦労していたんだろうさ。

こっちは暫く前まで彼女といちゃつくぐらいには呑気していた。

だが、だからって。

 

 

「裏切ってるんじゃあねえぞ! "明智"」

 

例え俺が"思念化"をしようとそれは無駄な消耗になってしまう。

あっちだって俺と同じ次元にまで付いて来られるのだ。

三次元上の戦闘が別次元での戦いと化すだけ。だから無駄な消耗。

何れにせよこのままでは朝倉さんだけではなく俺までやられてしまう。

まったく、とんでもない場所へ飛ばしてくれたもんだな。

ヤスミンよ。

 

 

「……」

 

「待ってろよ、今、黙らせてやる」

 

覚悟はとっくに出来ている。

既に決断を済ませ、後はそれに賭けてやる。

一手、こちらの防御を遅らせた。

 

 

「左腕は、くれてやるよ」

 

「……」

 

その隙を見逃さず、俺の左腕を狙って一撃が放たれた。

当然に一撃は命中する。

瞬く間に肘から10センチ先が切断されるだろう。

しかしそれは、逆にあちらに決定的な隙を生じさせる。

エッジが左腕に食い込んだと同時に俺は残っている右腕を伸ばす。

等価交換だ。

だからお前の分も持って行ってやるさ。

 

 

「"路を閉ざす者(スクリーム)"――」

 

展開と同時に俺の左腕は切り飛ばされた。

相手の右手による追撃。

その重い一撃が俺の顔面を捉えるよりも先に。

 

 

「――"閉じろ"ぉぉおっ!」

 

もう一人の俺、あちらの左腕も俺によって切断された。

そして、まるで地震でも起きたかのような衝撃が俺を襲う。

ブレイドが消えた時点で俺のオーラ的エネルギー行使範囲は限定されている。

左腕の止血と、残る右手だけ。

頭部の防御などままなるはずがない。

このまま俺は倒れてもおかしくなかった。

相手の後方で倒れている、朝倉さんと同じように。

 

――だが、今日ではない。

俺が護るはずの彼女を殺そうとしているのは俺なのだ。

だったら倒れてやるかよ。

 

 

「……」

 

「ザ・ハンド。じゃあないぜ」

 

もう一発だ。

そしてその一発は、お前が黙るまで続けてやる。

一発、また一発。

 

 

「閉じろ、閉じろ、閉じろ」

 

最早"切断"と言うより、"削り取る"。

あるいは"抉る"ように何度でも俺は右手を振りかざした。

相手の拳も、俺の身体中へ飛んで来た。

本来であれば両手が必要なこの技を俺が片手で行使出来るのも、ちょっとした応用編だ。

そして理性のないお前には俺のような芸当が出来なければ、立ち続ける意地もない。

やがて、相手の身体中が血まみれになると攻撃は止んだ。

スプーンで掬われ続けたアイスクリームのようになっていたもう一人の俺。

彼はそのまま前のめりに倒れた。

気付けば俺の右手も返り血まみれとなっていたさ。

 

 

「ぐっ、馬鹿、野郎が……」

 

お前だって俺のくせに、裏切りやがって。

ついにこいつは一言も喋らなかった。

思わず恐ろしさを覚えてしまう。

俺は彼のようにはなりたくなかった。

 

 

「……」

 

「ちくしょう。状況はこのままだと、最悪だ」

 

平衡感覚さえ怪しい中、必死に身体を朝倉さんの方まで運んでいく。

彼女のお腹には"ベンズナイフ"が深々と突き刺さっていた。

出血量もそうだが、毒だってある。

俺の技術ではどうやったって彼女を助けられない。

 

 

「おい!」

 

そう叫ぼうと、誰からも返事があるはずもなかった。

しかし俺は姿も見せない誰かに向かって叫び続けていく。

まるで懇願でもするかのように。

 

 

「オレには朝倉さんを救う事が出来ない! だから、力を貸しやがれ!」

 

確かに俺の能力では彼女の救助など到底不可能だ。

左腕の切断や、全身に強烈な打撲を受けた自分の治療さえままならないだろう。

でも宇宙人の"技術"ならば話は別である。

 

 

「居るんだろ! なら」

 

選手交代だ。

そう叫んだのを最後に、俺の意識は暗転した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――やれやれ。

ん? それともこの場合はどうもこうもない、なのか?

どっちでもいい。

僕の口癖でも何でもない。

それにしても。

 

 

「随分と無茶をしてくれた」

 

最初から僕をアテにしていたみたいだから当然だけど。

それでも間違っても死なれる訳にはいかない。

朝倉涼子が死んでも彼らは悲しむ。絶望する。彼女の後を追う。

僕だってまだ死ぬわけにはいかない。

そのために僕が出て来たんだからしょうがない。

とりあえず、横たわっている明智黎を回収。

暫くすると彼の身体は消滅した。

ま、僕の方の身体と一体化したって事さ。

 

 

「明智くんの言った通りだ。朝倉涼子は明智黎に本気を出せなかったのさ」

 

ナイフを彼女のお腹から抜く。

直ぐに傷は癒えていった。

 

 

「クレイジー・ダイヤモンド。……なんてね」

 

もしそうであれば僕は僕自身の左腕を再生出来ないさ。

宇宙人のちょっとした技術だよ。

情報操作の許可申請なんて不要だ。それをする相手が居ない。

とっくに左腕の再構成は済ませているし、罅が入っていた身体中の骨も治しておいた。

自分の身体とはいえ、僕のおかげなんだから自覚したら感謝してほしいね。

じゃあ、眠れる美女を起こしてあげよう。

 

 

「朝倉涼子、君に昼寝の習慣はなかったはずだ。起きてくれ」

 

そう語りかけながら彼女の身体を揺さぶる。

地震でも起こすかのように強く揺らし続ける。

やがて、目をぱちくりさせながら。

 

 

「う、ううん……」

 

「お目覚めのようだ」

 

「……えっ。嘘、どういう事。そんな」

 

「その様子だと君の記憶は混在しているようだ。つくづく駄目駄目だな、ヤスミンは。まだいっちゃん達は融合させてないのに、彼女だけ先んじてあげたのか」

 

もっとも彼女……いいや、ハルにゃんのおかげで僕はこうして自由の身となっているわけだ。

手違いであれ、浅野さんや明智くんの為になっているんだから許してあげるさ。

僕は寛容なんだ。

暫くした後、彼女は驚いた表情で。

 

 

「同じ日に、別々の事をしていた記憶があるわ。さっきまで私は家に居たはず。だけどそうじゃない」

 

「色々と事情があるのさ。誰のせいかと言われたら誰のせいでもない」

 

敢えて言うならばこんな運命に仕立て上げた人物。

無能な神に他ならないね。

流石は朝倉涼子と言うべきか、彼女は直ぐに何かを察した。

そして。

 

 

「……普段の明智君とも、さっきまでの明智君ともあなたは違う」

 

「そうかな? 気のせいじゃあないの」

 

「惚けなくてもいいわ。私にはわかるのよ」

 

なるほど。

彼らが朝倉涼子と外見が同じあの端末を偽物と見分けたように、か。

 

 

 

「明智黎は愛されているね」

 

「あなたは何者かしら?」

 

そいつは難しい質問だ。

僕自身について語るにはとても時間がかかる。

しかし、α世界とβ世界の記憶が統合された彼女であれば、僕については知っている。

二人が彼女に教えてあげたからだ。

 

 

「ボクは緊急用プログラムさ」

 

「……何ですって?」

 

「OSで言う所のさしずめセーフモードかな。ボクについて君が知らないのも無理はないさ。だって、今まで出て来なかったんだから」

 

決して僕が出て来られなかったわけではない。

単純にその必要がなかっただけなんだよ。

もっとも、彼らの能力使用には多少の制限をかけていたけど。

 

 

「知っての通り浅野さんは今、精神崩壊一歩手前だから」

 

「その結果があれだって言いたいの? というかあなたがさっさと出てくれば私だって刺されずに済んだのよ」

 

無茶言うなよ。

明智黎は分裂出来たけど僕はオンリーワンだ。

単一な存在なのさ。

 

 

「説明は追々していくよ。とにかく暫く彼は出て来れそうにない。でも緊急事態だから、"異世界人"を止める必要がある」

 

「わかっていると思うけど、佐藤と佐乃の仕業ね。どういう攻撃を明智君にしたかはわからないけど彼は突然正気を失った」

 

やけに腹立たしさを感じさせながら朝倉涼子はそう言った。

制服についた土埃を払い、屈伸運動を始めている。

やれた仕返しをしたがる気持ちはわかるさ。

君は彼が言ったように、人間なんだから。

 

 

「君にやる気があるのは嬉しいね。あいつらは今日、決着をつけるつもりだ。笑っちゃうね」

 

「笑えないわよ。正直言うとまだ混乱してる」

 

「浅野さんもここぞと言う時に戻って来てくれるさ。明智くんも協力してるから大丈夫だ」

 

「……何がどうなっているの? 敵についてじゃないわ。明智君についてよ」

 

焦りたくはないんだけど、時間は有限なんだ。

有機生命体の概念に引きずられたのは君だけではない。

僕の方もなんだ。

 

 

「あなたは明智君じゃない。プログラムさんとでも呼べばいいのかしら」

 

「自己紹介、か。ボクに名前と呼べるようなパーソナルネームはないんだよね」

 

誰も名づけてくれなかったから。

仕方ないと言えば仕方ない。

彼らが居なければ僕は今頃情報統合思念体の下らない何かの任務を果たそうとしているはずだ。

とくに浅野さんなんか、自分について謎が多くて困ってたみたいだ。

申し訳ないと思うよ。

 

 

「敢えて名乗るなら、ボクは"アナザーワン"。しがないただのプログラムさ」

 

治ったばかりの左腕だけど、悪手してくれないかな。

僕からすれば君は姉さんみたいなものだよ。

 

 

「まさか、本当に明智君とロストナンバーが関係していたなんてね」

 

「ある種の事故でね。ここまで面倒で複雑になったのはボクのせいでもハルにゃんのせいでもないけど」

 

「"ハルにゃん"って、あなた……」

 

「とにかく――」

 

僕は浅野さんでもないけど、この身体の持ち主は明智黎だろ?

ご期待通りに君をβ世界の明智黎が裏切ろうとしたわけだけだ。

ならば"明智"の名に恥じぬ活躍をしなければならない。

僕はそれまでの場を繋げるのが仕事なのさ。

情報統合思念体よりはこっちの方が面白そうじゃないか。

それに、僕も朝倉涼子を好きになっているに違いない。

利だけで動いてくれた方が楽なのに。

 

 

「――敵は、北高にあり。だ」

 

移動しながら君に説明してあげよう。

何でもとはいかないけど。

僕が知っている限りの話ならいくらでもしてみせよう。

まずは、彼が知らなかった話からだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヤスミンが二人に、いや、彼を含めて三人に語った内容はとてもシンプルなものだった。

間違いなく異世界人は明智黎だ。

浅野さんの人格が分裂したのは僕も関係している。

彼の意識は情報の波として呼ばれた……。

それはある種の情報生命体のようだった。

 

 

「オレの意識が、情報生命体だって?」

 

彼はヤスミンに驚いて訊き返した。

厳密には異なるけど実体を持たない思念体といった意味では、確かに近い。

原作でのカマドウマに擬態した原始的なそれやルソーに取りついた情報生命素子。

当然だけど今となっては完全な個人だ。

 

 

「こんな言い方をしたらあれですけど、先輩たちは異端者ではありますがストレートじゃありませんよね」

 

「ストレートって何だ、ポーカーの話か」

 

「キョン、直球って意味じゃあないの」

 

「明智先輩の言った通り、逆に言えばみんな変化球。本来の役割にそのまんま近いのは朝比奈先輩ぐらいですよ」

 

言われなくても彼はそんなことをとっくに理解していた。

だからこそ彼は疑問に思ったんだ。

 

 

「オレが涼宮さんに呼ばれたのなら、オレがそれを自覚していない理由は何かあるのかな」

 

ともすれば自分が異世界人だとして行動さえ可能か怪しかった。

彼がここを【涼宮ハルヒの憂鬱』の世界だと理解できたのは偶然に過ぎない。

結果として、それは悪魔じみた偶然であった。

 

 

「はい。しかしそれを知ると、明智先輩が忘れていた事実も同時に思い出す事になります」

 

最悪の場合ですけど、とヤスミンはそこに付け加えた。

だけど、最悪の場合になったからこそβ世界の明智黎は狂ってしまった。

敵は間違いなく佐藤。

でも、独善者の彼が相手にするのも独善者。

正義の反対は正義であり、人間程度が必要悪になんてなれはしない。

僕はアナザーワン。

アルファでもオメガでもない、ただの記号さ――。

 

――こんな人間ではない僕だからこそ。

 

 

「約束しよう。ボクは君を裏切らない」

 

「私は明智君に"裏切られた"だなんて思ってないわよ」

 

「確か二人での共闘は初めてだったはずだ」

 

「あら。何か勘違いしてないかしら」

 

どうもこうもないってやつさ。

僕の場合は自惚れでもなく、単なる事実確認だった。

朝倉涼子はつまらなさそうに。

 

 

「今回、あなたとは共闘しないわよ」

 

「なるほど……初回は彼に残しておくといいさ」

 

ヒーローは遅れてやって来る。

そして何より、主人公は僕ではない。

"77"だ、なんて縁起のいい数字は相応しくなかった。

 

 



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第七十九話

 

 

これは非常に残念な事ではあった。

朝倉涼子の方から僕に語りかける事は皆無であった。

そして今の僕は単なる有機生命体でしかない。

心や感情も、結局は浅野さんや明智くんに分け与えられたものだ。

僕が獲得したものではないし、僕が彼女に抱いている好意も二人纏めた"明智黎"のそれに由来している。

愛し愛される関係……なんて期待してはいないさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう一つ非常に残念な事としては目的地まで歩く他なかった事だ。

αからβに送られた影響なのか、それともやがて融合する世界による自浄作用なのか。

文芸部室に彼が設置した"四次元マンション"の"出口"が消滅している。

早い話が使えないといった訳になるんだ。

 

 

「だからこうして歩いているの? 走った方がいいんじゃないかしら」

 

「焦りは禁物だよ。ボクは知っている事は何でも知っている。本当に知らないのは今回が片付いてからさ」

 

明智黎が気付きつつあった"決着"。

何故、朝倉涼子が【涼宮ハルヒの憂鬱】で殺される必要があったのか。

僕はどっちも知っている。

未来からやって来た朝倉涼子――僕はあっちの方が今より好きかな。僕と話が合いそうだ――のおかげだ。

いっちゃんほどではないけど僕にもそれなりの洞察力はあるのよ。

 

 

「あなたが度々口にしている"二人"だけど、それはどういう事なの?」

 

彼女が疑問に思っているのはきっと、浅野さんと明智くんについてだろう。

そこについては君にも知ってもらわないとね。

 

 

「スゴくシンプルな話さ。異世界人の浅野さんと、この世界の明智くん。二人の精神によって明智黎の主人格は成立していたんだ」

 

「この世界の明智君の精神は消えてなかった……?」

 

「当然でしょでしょ。……ま、君がそう思うのは無理もないさ」

 

明智黎――この場合は浅野さんよりの方か――は薄々感づいていた。

僕にその概念は理解できないが人類の通念としてのそれは知っている。

浅野さんには確かに色々あったみたいだけど、大人にしては精神が不安定。

身体に精神が引きずられたのではない。明智くんの精神のせいであった。

 

 

「彼が悪いって話でもない。そして勘違いしないでいてほしいけど、ボクまで含めて君が好きな明智黎が完成する」

 

「にわかには信じられないわね……」

 

「ボクの事はどうとも思わなくてもいい。知ってもらえればそれで充分さ」

 

今後の登場予定は一回あるかどうかだけど。

そしてその時とは間違いなく僕が不要になる時。

だけど彼女は。

 

 

「信じがたいけど、信じる努力はしてみるわよ。あなただって私を助けてくれたんでしょう? 明智君のように」

 

「あはは。当然の事をしたまでだよ」

 

しかし、いや、結構ダルいもんだね登校ってのは。

あの話の中で度々北高までの坂上りがきついとは言われてたけど、長いのなんのって。

明智黎の身体に感謝しておくかな。

もっとも端末ならこの程度の移動には何ら苦労しないけど。

朝倉涼子は特別なのさ。

少なくとも、僕たちにとっては。

 

――やがて永遠に続くかと思われた放課後登校にも、終わりがやって来た。

僕にとっても記憶としては見慣れている高校校舎の風景。

一見しただけでは判らないだろうね。今、まさに、異常事態が発生しつつあることを。

僕は彼女に向き直り。

 

 

「今更言うのも何だけど、君が付いて来る必要性はないんだ」

 

「本当に今更なのね。安心していいわ、足手まといにはならないから」

 

「全ては"結果"だ……。期待させてもらおうか」

 

役者は既に集結しつつあった。

じゃあ、行かなくっちゃあな。ここにはもう用はない。

そして閉鎖空間、ねえ。

 

 

「ボクの能力の前では些末な問題でしかない」

 

後ろに立つ彼女の方へ振り返り、スッと右手を差し出す。

 

 

「すまないけど、ちょっとの間でいい。ボクの手首でも腕でも掴んでいてくれないか。手を繋ぐ必要は無いさ」

 

現在、僕が行使できるのは最大で8割から9割にかけて。

残りの1割はこの身体と精神に存在しない。

最後の要素は誰かが持っているからだ。本来のパフォーマンスはお見せできない。

やがてこれも取り返す必要がある。

朝倉涼子は僕の右手首をゆっくり握ると。

 

 

「どうするつもりなの?」

 

「時に、超能力者だけが閉鎖空間へ侵入出来るわけではないって事なんだよ」

 

今回に関して言えばハルにゃんの閉鎖空間ではない。

選ばれなかった女、佐々木の方の閉鎖空間だけど、同じことさ。

そこに次元の断層のズレから生じた隙間がある。

あの中に物理的な方法で入る事なんて到底出来やしない。

だが僕は、そっちが得意分野なんだ。

見えないカーテンを引き裂くように、左腕を力強く空振りさせる。

瞬間、否、刹那の内に世界は急変する。

先刻までは部活動中の生徒が残っていたであろう各校舎も今では無人に違いない。

水先案内人としての役割ぐらいは果たしておきたいのさ。

 

 

「――次元断層の隙間、ボクたちの世界とは隔絶された、閉鎖空間だ」

 

涼宮ハルヒのそれとは異なる。

白と黒の世界ではなく、優しく、全てを受け入れようとする世界。

有色であるし、暖かな光が空にある。淡色系だった。

だけど無人なのはハルにゃんと同じなのさ。

彼女だって、佐々木だって同じなんだ。

彼の全てを受け入れようなんて事はとても残酷な事だと言うのに。

……エセ鈍感系の主人公が。

女の敵って言うらしいよ? それってさ。

この結果に満足したのかは不明だけど朝倉涼子は。

 

 

「魂消たわね」

 

「さっ、もう放してくれて大丈夫だ」

 

言われなくてもそうすると言わんばかりに彼女はぱっと手を引っ込めた。

ここまで来るのに十数分かかっているが、許容範囲内さ。

部室棟へ戻る。

そう、彼は約束したから。

 

 

「宣戦布告と行こうか」

 

「……それもいいけど、明智君はいつ帰ってくるのよ」

 

「ここぞと言う時に決まってるさ」

 

それに僕に不満をぶつけられても困る。

浅野さんに責任の一切が存在しないわけではない。

彼が何を残し、何を捨てるのか?

僕が決める事ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

始める前の初めから既に決まっていた。

孫子を引用するまでもない。

勝利が、だ。

 

 

「……その話が真実なら、どうしてヤスミンがそんな事を知っているんだ?」

 

彼も、キョンも、おそらくヤスミンの正体には感づいていた。

結局彼女自身の口からそれは語られなかったが、彼女が虚構ではなかった。

彼女を否定してしまえば僕自身の否定にも繋がってしまう。

夕暮れ時の文芸部室、ヤスミンは申し訳なさそうな顔で。

 

 

「知っているから、とだけしか言えません」

 

「オレがそれで君を信じられる……とでも?」

 

「あたしは信じていますから。あなたが信じるあたしを」

 

「"グレンラガン"かよ……」

 

だけど彼はそれを無視できない。

僕だってそうさ。

朝倉涼子どころか、彼女ごと世界をどうこうされてしまうのだ。

そしてその彼女に危機が迫っているなら黙っている訳にはいかない。

他ならぬ自分自身に原因の一端は確かにあるのだから。

 

 

「何となく、だけどオレは思い出した」

 

「……何をだ?」

 

「オレの友人について。ほんの少しだけ、ね」

 

そう言いながら"ブレイド"を左手に具現化させていく。

主人公とは往々にして、事件に巻き込まれていく。

どうしようもないぐらいに周りに迷惑をかけていく。

だからこそ解決しなければならない。

事件とは彼が否定する因果に他ならない。

因果は何処にも持って行くことが出来ない。

未来、過去、他の世界でさえも。

 

 

「知らず知らずの内に、オレはそいつの事をどこかで考えていたのかもな」

 

「……先輩」

 

「ブレイドとは刃であり、振り回されていくオレ自身。だけど英語としての意味は他にある」

 

間違いないさ。

"三つ編み"なんだ。

僕が知っている彼女の髪型も彼が思い出せた要素と全く同じさ。

直接その本人を見た事はない。

分裂したのは浅野さんの精神だけど、記憶もか、と言われると実際は少し違う。

テロリスト、敗北者の浅野は間違いなく佐乃秋に憑りついてしまったあっちの方だ。

あっちの方が異世界人になるはずだった。

それを狂わせたのは涼宮ハルヒであり、ジェイであり、浅野自身であり、情報統合思念体もだ。

ここまで狂ってこその因果。

それを断ち切れるのはいつの時代も人間だ。

歴史がそうして来た。

彼の好きな"世界"だって。

 

 

「……ここで議論してもどうもこうもないんだろ?」

 

「やれやれ、そのようだな。行って来い」

 

「どうせ直ぐに戻って来るさ、朝倉さんと一緒にね」

 

彼が設置する入口は、別世界への門だ。

本来ならば制御不能なはずのその力。

行きたい場所なんて選べやしない。

だけど、彼はそこへ行けると確信していた。

当たり前だろ。だって、僕が力を貸しているんだからさ。

ヤスミンは「お願いします」と再び一礼をして。

 

 

「朝倉先輩と、明智先輩自身を救ってきてください」

 

「最初のオーダーはロハでいいさ。必ず決まっているからね。でも、オレ自身って事はさ……その佐乃だとか、もう一人のオレだとかを助けろって事だよね?」

 

「はい」

 

「じゃあ、行かなくっちゃあな。ここにまた戻って来るために」

 

そうして彼は床下に設置した"入口"へ入ると、文芸部室から姿を消した。

世界が融合されるよりも先にβ世界へと跳んだのさ。

神が言っていたかは知らないけど、全てを救うそのために。

ともすればキョンは。

 

 

「……はっ。俺はこれからどうなるって?」

 

「もう忘れちゃったんですか? あたしにも解りませんよ」

 

物覚えが悪いキョンに対して、どこか拗ねた表情をするヤスミン。

もしかするとその光景は何度も見たことあるものだったかもしれない。

最近でも機会はあった。

キョンに勉強を教える涼宮ハルヒが、彼の出来の悪さを怒っている。

どこか楽しそうに。

 

 

「投げやりな事を言わないでくれ。長門も古泉もお前については特別言及していなかった。朝比奈さんなんか、お前を何の裏もない人間だと思っているんだ」

 

「そうですね。反省はしていますけど、後悔はしないのがあたしなんです」

 

「お前の主義はどうでもいい。明智だって最終的にはお前を信用したに違いない」

 

その時彼から出た言葉は偶然にも"信用"の二文字であった。

交流の浅い、未来へ絆を紡いでいく人間が相手ならばやはり"信頼"であるべきだ。

渡橋泰水が何を語ったところで彼女の実績はないはずである。

過去には何も無いはずである。

だけどそれは違う。

"アナザーワン"は僕の方ではないさ、むしろ、彼女にこそ相応しい称号だ。

大体僕のどこがアナザーワンだって言うんだ。

しっかりとした名前を付けてほしかったよ……まったく。

 

 

「俺はまだだぜ。まだ、話を聞かされただけにしか過ぎない。それに俺についてはまだ話してしない」

 

「そうですね。あたしだって本当は先輩ともたくさんお喋りしたかったんですよ」

 

「何を話すって?」

 

時間が無い、とでも言わんばかりにヤスミンはがっかりとした表情をする。

ここで申し訳程度に彼と明智黎の"差"が出ている。

取るに足らない差だったけど、ヤスミンにとっては大きな差だった。

この年頃の女の子ってのは基本的にお喋りが大好きなのさ。

特に、それが意中の相手なら。

 

――キョンは確かに魅力的な人物であった。

明智黎のとの差は正義感の強さだけではない。

人間として完成しているのは間違いなくキョンの方である。

いいや、"人間として"ではない。

"大人として"と言った方が正しかったかな?

明智黎のように、何かを否定するなんて事は彼はしない。

どれだけ文句を言おうが、"否定"のポーズをとろうが、まず彼は最初に受け入れる。

それから判断する。

必要、不要、正義、悪意。

絶対的な二元論に支配された唯一の人間。

自分の出した結論に迷いはあっても妥協することはない。

何故ならば、彼の妥協こそが涼宮ハルヒにとっての願いだからだ。

……主人公って人種は揃いも揃って、これだけは確かなのさ。

自分が惚れた相手に対してだけは絶対に妥協しない。

明智黎がかつて朝倉涼子に対する結論を出さなかったのは、妥協ではない。

それと同じように、キョンも妥協で涼宮ハルヒに結論を出すつもりはない。

 

 

「あのな――」

 

と、彼が痺れを切らそうとしたその時。

まさにその時部室の扉がノックされた。

ヤスミンは笑顔で。

 

 

「……うん」

 

とても満足そうにその結果を受け入れていた。

そして、キョンが来訪者に返答する間もなく扉は開かれた。

 

 

「……な……!?」

 

扉から現れたその人物に彼が驚いたのも無理はない。

明智黎が"スペアキー"として彼の影であるという事は、逆もしかり。

彼が明智黎と同じ体験をするのは、因果故の結果であった。

 

 

「お前は……」

 

「…何……!?」

 

"ドッペルゲンガー"などではない。

αとβ、その両方は分裂させられたものだ。

こんな仕業をする人物は世界にただ一人しか存在しない。

涼宮ハルヒの、分裂。

 

 

「何だ、これは」

 

ドア付近に立つ方のキョンの後ろからそう言ったのは、未来人。

未来人の横には超能力者も立っていた。

器である佐々木を利用する、利害関係のためだけに集まった。

彼らまではαとβに分裂させられなかった。

学校という箱庭に主人公の二人が閉じ込められたのも涼宮ハルヒの仕業。

運命の時が来るのを、ただ、待つ他なかったのだ。

未来人は彼を押しのけて部室へ足を入れる。

超能力者もそれに続く。

 

 

「どういうことだ。お前たちは、お前は誰だ……?」

 

二人のキョンと渡橋泰水。

この結果を未来人は知らなかった。

当然の結果。涼宮ハルヒは未来なんてお構いなし。

彼女のせいで彼女を監視する破目になってしまうなど、最初から決まっていたわけではない。

佐々木を取り巻く連中は、決して涼宮ハルヒに勝てなかったわけではない。

最初から全力で行くべきだったのだ。

未来人には禁則を禁則とせずに動けるだけの実力は備えていた。

いつの時代も人が負ける原因は、人でしかない。

 

 

「うそ、どういうこと……?」

 

利用されたのは佐々木だけではない。

橘京子とて、利用された悲劇のヒロインなのだ。

それを救う人物が居るのか。

誰も保証してくれない。

少なくともこの部室の中の人間には、それが出来ない。

渡橋泰水、ヤスミは、人間ではなく神かもしれなかった。

二人のキョンの間に立つ彼女は、本当に嬉しそうに。

 

 

「信じてました、先輩」

 

「お前……」

 

「お前は、誰なんだ……」

 

鏡の中の世界が存在するかはわからない。

僕には関係ない。

光の軸に支配される次元があるのかどうかなどは、僕でも観測できない。

しかし、この場に居た二人のキョンを見ているとそれもわからなくなる。

鏡の世界はあるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

僕に否定する権利はなかった。

明智黎でさえ知らない力の使い方を僕は知っている。

だけど、最後の1、2割が欠けていた。

いままで明智黎が起こしていたのは奇跡だったのさ。

 

 

「あたしはわたはし、わたしは――」

 

――ここに居る。

四年前の七月七日。

明智黎がこの世界に呼ばれた、その日から。

もう少しさ、ヒーローの到着ってのは。

 

 

「ヤスミ」

 

アナグラムなんて彼に解けるはずがなかったのさ。

初歩的な推理だよ、ワトソン君。

……だろ?

涼宮ハルヒさん。

 

 

 



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第八十話

 

 

その瞬間、世界は一つになった。

あるいは元々分裂などしていなかったのかもしれない。

古泉一樹が原作において度々口にしている理論。

自分はゲームのセーブデータのような意識でしかない。

過去の記憶は架空の情報を与えられているだけで、世界は今から五分前に創られたばかりかもしれない。

彼の主張の是非を論じたところで人類にそれを観測する術は皆無。

確かな事実として、SOS団員におけるαとβの意識が一つになったということだ。

だが、最重要人物の涼宮ハルヒはこの期に及んで部外者であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"異世界人"が定義によって、それと言えるかわからない曖昧なものだとすれば"神"とて同様だ。

言うまでもなく唯一神と持ち上げた所で世界中の宗教が同じ神を唯一神としているわけではない。

宗教の差とは神の差であり、教えの差。

古泉一樹と橘京子が相容れない事実さえ、涼宮ハルヒが仕組んでいた事に他ならない。

否、彼女だけの責任ではない。

この場合において重要なのは罪悪感だけではない。

間違いなく涼宮ハルヒは"撃鉄"だった。

結果として宇宙人未来人異世界人超能力者ら"弾丸"が放たれた。

ならば"引き金"は。

それを引いたのはただ一人の主人公。

あるいはジョン・スミスだった。

 

 

「う、ぐ、ううぅっ……」

 

彼の記憶は一つになった。

α世界における平和的な一週間。

β世界における問題と言える問題が同時多発した、彼の人生の中で一二を争う最悪な一週間。

これで彼が消失世界を体験していればこの一件は最悪とも何とも思えなかっただろう。

主人公の彼は結論も出していなければ決断も下していない。

だが、時は止まらない。

いつも今日ではないのだ。

 

 

「ぐぅ………な……ん…なんだ…これ……」

 

頭を抱えて、ただうずくまる。

その様子を見ていた二人組さえ、状況を把握出来てはいなかった。

異常事態だという事だけを辛うじて理解出来たのだ。

 

 

「……ヤ、スミ………?」

 

どうにか精神を落ち着け、顔を上げた彼が見た方向には渡橋泰水の姿は見られない。

その方向だけではなく文芸部室から彼女の姿は消失していた。

もしかすると彼女は初めからそこに居なかったのかもしれない。

 

――神が曖昧な存在だとしても、救世主はどうだろうか。

特に宗教に興味が無い日本人が連想する救世主と言えば彼に他ならない。

彼が水をワインに変えたのは、血の精神に他ならない。

生前と死後。

現代社会に生きる人々が彼の奇跡の全てを知り尽くす事は無理だ。

神は死んだ。

だが、彼は生き返った。

ならば涼宮ハルヒはどうなのだろうか。

彼女は神なのか? 超人なのか? 全てはただの"偶然"なのか?

未来人はまさに、してやられたといった様子で。

 

 

「……くっ。あり得ない……規定事項にも禁則事項にもない事態だ………誰の仕業だ……!」

 

"結果"が全てではない。

"過程"こそが全てであり、結果は一過性のものでしかない。

未来人の制約と誓約は過程を無視している。

時間が断続しているのならば規定も禁則も不要。

彼ら未来人に強硬策が出来ない決定的な理由。

 

――そう、ユニーク。

長門有希はそれを理解していた。

涼宮ハルヒは絶対的な一意性を持つオンリーワンな存在。

彼女を切り捨てる事が出来るのは"異世界人"だけだ。

平行世界にならば、可能性が存在する。

だからこそ異世界人は原作に現れなかった。

『不要なものを捨てる』

これこそが原作での涼宮ハルヒの真底に存在する"闇"。

彼女は光であると同時に影さえも世界に与えていた。

 

 

「あの異世界人の仕業なのか……? それとも……さっきまで居たあの女………。…あれは一体何だ……?」

 

彼も、橘京子も、何も言葉を発せられなかった。

未来人だけが悪態をついている。

 

 

「予定は未定だとでも言うのか。涼宮ハルヒ、異世界屋、異世界人」

 

神が創めに天と地を造った。

神は言った。

『光あれ』と。

神は人形を造った。

涼宮ハルヒの能力がどこまで出来るのか。

少なくとも彼女自身でさえそれを理解出来てはいない。

 

 

「ちっ、どうなっている……?」

 

未来人が虚空へ問いかけた。

瞬間。

世界は急変した。

雷鳴、衝動、融合。

佐々木が生み出した閉鎖空間はその原型からかけ離れつつあった。

全てを受け入れる優しい世界は、涼宮ハルヒの世界さえ受け入れようとしていた。

白と黒は例外なく他の色を排除する。

部室棟の外は正真正銘の異世界か、そうでなければ地獄のような光景。

超自然的の枠さえも超越していた。

天がかき乱され、地面にある存在全ての色がぶつかり合っていく。

佐々木によるセピア。

涼宮ハルヒによるモノクロ。

限りなく近いが決してして同一ではなかった。 

 

 

「……"驚天動地"だ」

 

彼がそう言ったのは何の因果だろうか。

谷口と、涼宮ハルヒと彼が出逢っていなければこんな事を口にする機会なんてない。

何故なら彼はどこにでもいる普通の人間。

一介の男子高校生。

 

 

「俺は、世界は、何がどうなったんだ?」

 

普通の少年が居るべき世界ではなかった。

しかし彼は選ばれた。

何より彼は選んでしまった。

そして、まるで最初からその場に居たかのように彼女は現れた。

 

 

「――この瞬間を……始まりを待っていた」

 

奇しくも周防九曜は弾かれた。

朝倉涼子とも長門有希とも近い存在。

司令塔に近いという一点においては喜緑江美里にも似ていた。

周防九曜はイントルーダー。

突然の登場など、出過ぎた真似でしかない。

 

 

「――"ゼロ"。……全て決まっていない、完全な終着点。ここに二元論は存在しない」

 

所詮彼女も中立でしかなかった。

仮に周防九曜が自らによる意思で決定した正義を掲げていたのならば、全ては終わっていた。

その結論を彼女が出すのかどうか。

彼女も、その先の領域へ達せるのかどうか。

人間の可能性だけが彼女を到達させることが出来る。

明智黎は主人公ではない。

主人公と同じ、人間だ。

 

 

「わたしはここに来た――」

 

「……まさか、な。僕がどうにかする前に既に完了していたとは」

 

「―――」

 

「お前が裏切ったわけでもないらしい。なら誰の仕業だ」

 

それはこれからわかる。

涼宮ハルヒの分裂であり、涼宮ハルヒの驚愕。

彼女こそアルファであり、オメガ。

見事なまでに徹底された自作自演。

やがて、部室のドアが再び開かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間の精神は素晴らしい。

浅野さんは受け入れる事より、棄てる事を選択したようだ。

それでいい……。

彼はずっとそうしてきた。

だけどこの世界で彼は拾う事を学んだ。

取捨選択さ。

一つずつ、成長していく事を学んだ。

 

 

「ボクが戦うなんて事はこの調子じゃあないだろうね」

 

朝倉涼子だってそっちを期待しているんだろ。

僕は彼に力を貸す。

彼の勝利が僕の勝利なのさ。

 

 

「明智黎がヘタレ天パ野郎に負けたのも仕方ないよ」

 

「私だったらきっと勝てたんでしょうね」

 

「間違いなくね。だからこそあの二人は君と明智黎をぶつけさせた」

 

唯一の誤算は僕の存在。

彼らとて分裂、驚愕の流れは知っている。

だからこそ浅野さんの精神を崩壊させにかかった。

分裂世界が統合されようと、相変わらず明智黎と朝倉涼子が潰しあうように。

惜しかったね。

 

 

「所詮人間の計算何てタカが知れてるね」

 

「……さあね」

 

「君は人間さ。僕もそう思う。何故なら君は、今までずっと明智黎を殺そうとしていない」

 

「私が決めた事だから。私を助けてくれたあなたたちを裏切るなんて、無理よ」

 

決着はつけてあげるよ。

親不孝も何も、僕は生まれなかったのだから。

それくらいわけないだろ。

 

 

「約束しよう。この一件が解決して、ワンクッション置いたその時――」

 

「私が死ぬ」

 

「いいや、違うね。死ぬのは"情報統合思念体"の方だ」

 

「……本気かしら?」

 

本気も何もないさ。

未来の朝倉涼子がそれを証明している。

さながら擬似シード権。

勝っている事がわかりきっている試合ほど楽なものはないよね。

とにかく、僕が戦う時はその時だ。

 

 

「今日じゃあないよ」

 

そんな話をしながら部室棟の階段を上っていく。

嬉しい事に、本当にいつの間にか彼女は僕の手を握ってくれていた。

ほんの少しだけ認めてくれたような気がする。

焦らなくていい。もう直ぐ戻って来るよ。

すると。

 

 

「……先客が居たようだね」

 

古泉一樹と大人の朝比奈みくる。

階段を上り終えたその先の廊下に、二人は佇んでいた。

驚き半分、期待通りが半分といった様子で古泉は。

 

 

「いい天気……だとは言えそうにありませんよ、こんな日は」

 

「朝倉さんはわたしと会うのは初めてですね。明智くんはお久しぶりです」

 

立ち尽くす古泉一樹と、一礼する朝比奈みくる。

やっぱり役者は揃いつつある。

因果を断ち切るのは人間の役目だ。

僕がするのは彼女と同じさ。"補助輪"なんだから。

朝倉涼子は物珍しさを感じたように。

 

 

「へえ。古泉君は来ると思っていたけど、あなたまで来ていたのね」

 

「私事だけど用事があるんです。わたしが行かなきゃならない用事が」

 

原作通りなら彼女も難儀している。

だけどさ、僕の主人格は二人して厄介だよ。

明智くんは完全な善意から。

浅野さんは彼女を選ばなかった罪悪感から。

人の死を、嫌っている。

みんなの幸せを願っている。

彼が正義で、誰が生きればそれでいい。

未来人だって救うつもりなのさ。

 

 

「それにしても、いっちゃんとみくるんが揃うなんてね。祭りだ祭りだ」

 

ワライダケを食べた患者を見るような目で二人に見られた。

ともすれば僕は朝倉涼子に左足の爪先を踏まれながら子声で。

 

 

「……ちょっとあなた、誤魔化すつもりはないの? 普段の明智君が言いそうな事を言いなさいよ」

 

痛いって。

それに説明して困る事はないでしょ。

原作とかその辺を言う訳じゃないんだから。

もっとも、朝比奈みくるは知っているかもしれないね。

未来がどうなっているかはわからないけど。

涼宮ハルヒが居る限り、勝利は約束されている。

彼女はハッピーエンド以外を認めてくれないんだ。

朝比奈みくるは納得した様子で。

 

 

「明智くんの"もう一人"の方ですか……。確かにここは不安定な世界。出て来きても不思議じゃありません」

 

「やっぱりボクを知っているみたいだ」

 

「はい。アナザーワンさん」

 

言いづらくないかな、それ。

名前とはただの識別番号だってのはもう一方の未来人の言い草だけどね。

顎にに右手を当てて何か考えた様子をしながら古泉一樹は僕に言う。

 

 

「あなたは何者ですか……? どうやら普段の明智さんとは違うようだ」 

 

朝比奈みくるに訊ねた方が早そうなのに。

僕から聞くことに価値があるんだろう。

人間らしさ、いや、仲間だから……かな。

僕はわざとらしく右手で頭を掻く。

 

 

「あー、まあ、御覧の通りだよ。ボクはボクなんだ。明智黎ではあるけどちょっと違う」

 

「……差支えなければ、ご説明願えませんか。僕には見当もつきませんよ」

 

観察するという事は、見るのではなく観るという事。

聞くのではなく聴くという事。

古泉一樹の観察眼は既に人間の域を超えている。

僕について単なる世界統合の弊害だとは考えちゃいない。

隣の朝比奈みくるから恐れられるのも当然。

 

 

「明智黎の主人格は現在ダウンしている。だからボクがこの身体を動かしてるのさ」

 

「つまり彼は意識が無い、と?」

 

「正解。ボクの正体は単なる自己防衛プログラム。それも、緊急用」

 

「なるほど。明智さんは自分の意識を保てないまでに何らかの緊急事態に直面しているわけですね。朝倉さんに危機が迫っていればそれも頷けますが、当の本人がこの場におられる。何より彼はその程度で根を上げる弱いお方ではない」

 

「随分と明智黎を買ってくれるんだね、いっちゃん」

 

隣の朝倉涼子は「いっちゃんだとかみくるんだとか、さっきから気味悪いわよ……」と愚痴っている。

でも僕は愛称で呼び合うくらいの関係がいいと思うんだよね。

ただ君に対してそれは難しいね。アサクラ―って本人の呼び名っぽくないし。

 

 

「何を言ってるの? まだ交代できないのかしら」

 

「これでも回復率は速い方なんだけどね」

 

精神だろうがダメージはダメージさ。

β世界の明智黎の出来事はα世界の明智黎にも引き継がれた。

同じ結果にならないのはやっぱり僕のおかげなんだって。

 

 

「お喋りは後でも出来るんじゃあないかな。その時にボクが居るかと言われれば多分居ないけど」

 

「……ええ、頃合いでしょうか」

 

古泉一樹がそう言ったその瞬間、一瞬だけ外が明るくなった。

ほぼ同時に強烈な音がする。

 

 

「うひゃー、二人とも派手にやりますねえ」

 

「私はあなたのキャラがよくわからないわ」

 

それでいい。

本来の僕はプログラム。

さっきから適当な言葉を並べているだけに過ぎない。

明智黎本人であれば違うさ。

会話でさえ僕にとっては記号であり、数字でしかなかった。

僕が求めるのは愉快さ。

朝倉涼子の探究と上手く噛み合うとは限らない。

だから僕は、君に理解される必要はないのさ。

 

 

「始まりました」

 

一言だけ、確かな声で朝比奈みくるはそう言った。

表情と眼差しには強い意志が感じられる。

 

 

「じゃあ、行きますか」

 

「何であなたが仕切るのよ」

 

「その台詞ってハルにゃんを意識してるの?」

 

痛い痛いよ。

二回連続で爪先を踏まれた。

普段の明智黎相手にはそこまでしていないよね。

まったく――。

 

 

「――どうしようかね」

 

僕たち四人で文芸部室のドアを開ける。

それだけは確かであった。

奇しくもこの四人は、揃っていた。

宇宙人朝倉涼子。

未来人朝比奈みくる。

異世界人こと僕氏。

超能力者古泉一樹。

足りないキャストは追々やって来る。

だからまずは、僕たちが行かなくっちゃあな。

 

 

「僕としましては平和的に解決したいですね。朝比奈さんはどうでしょうか」

 

「……わたしにもわかりません。この時間線上はもはや"線"と呼べませんから」

 

「その辺りについても詳しい話をお伺いしたいものですね」

 

流石は『機関』のリーダーと言うべきかな。

情報収集に余念がない。

彼自身の好奇心もあるだろうけど。

そして、文芸部室の前に到着した。

 

 

「待ってなよ……」

 

僕と彼がお前を倒すのは今日じゃあないんだ。

今日は過去にけじめを付けてもらう。

浅野さんにも、彼女にも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そうか。

やっぱり俺の"違和感"は正しかったって事だ。

何故、佐乃と佐藤が協力していたのかがようやくわかった。

俺が死ぬ運命だとか、そんな事よりももっと話は単純だった。

幽霊でも亡霊でもどっちでもいいさ。

彼女は間違いなく死んでいる。

 

 

「……何だ。僕が変人と言われようが僕は気にしないが」

 

「もう。あなたが気にしなくてもわたしが気にするのよ」

 

「それは君が勝手に僕の周りをうろちょろするからじゃあないのか?」

 

"切り札"でもなんでもなかったさ。

それに、分裂したのは俺だけではなかったらしい。

人間の精神を善悪だけで分けようってのが無茶だ。

だけどそれをやろうとしてしまった。

俺は逃げようとしてしまったんだ。

 

 

「わたしがあなたに相応しい、カッコイイ通り名を付けてあげる」

 

「……はあ?」

 

無駄に頭が回ったと思うよ。

俺の名前を無理矢理弄った結果がそれなんだからさ。

 

 

「今日から浅野君は"変人"卒業。いつも偉そうだから、"皇帝"。……どう?」

 

そのせいでもっと酷い呼ばれ方もするんだから。

この時から俺は使っていたのさ、彼女の口癖に影響されて。

 

 

「どうもこうもないな」

 

結局受け入れた俺は優しいんだか、甘いんだか。

覚悟はとっくの昔に出来ている。

……後は待つだけ。

 

 

 



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第八十一話

 

やれやれ、ってヤツかな。

こうも気持ちがいいものなんだね。

合理的な試算など一切行っていない。

未来は未知数。

だけど。

 

 

『負ける気がしない』

 

ってのは、人間だけがそう思うんだろうね。

僕は機械として成り損ないだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さくっと文芸部室のドアを開ける。

原作通りなら渡橋ヤスミは既に居ないはずだ。

目に飛び込んでくる部室内の光景もその通りであった。

 

 

「どジャアアあああ~~~ン」

 

僕がそう言うと同時に部室内の全員がこちらを見た。

キョン、周防九曜、藤原、橘京子。

ともすれば僕の後ろの人員も入り込んでくる。

朝倉涼子と古泉一樹。

朝比奈みくる(大)はまだ入って来なかった。

古泉はわざとらしく。

 

 

「やあ、みなさんお揃い……ではないようですね」

 

その通り。

ここにはジェイと浅野さんの片割れが居ない。

二人は何処に居るのやら。

こちらの登場に最初にリアクション出来たのはキョンで。

 

 

「明智に朝倉、それに古泉まで!?」

 

「おや。まるであなたは僕以外のお二人について、その登場を予想していたかのように仰られる」

 

「明智黎が……ボクが約束したからさ」

 

「ふーん。だからキョン君の驚きは微妙なのね。つまらないわ」

 

朝倉涼子はそれに加えて異世界人ペアの不在が不満らしい。

さっさと消してしまいたいのだろう。

彼女らの目的が予想通りであれば、やや暫くすれば出て来るさ。

涼宮ハルヒか、それとも狙いは明智黎の方か。

同じこと。

 

 

「みんなまとめてボクたちが倒しちゃうからね。寿限無寿限無……」

 

「また……何言ってるのよ……」

 

「――水行末雲来末風来末―」

 

「ノリがいいね、くーちゃんは」

 

「――」

 

朝倉涼子は呆れる以外の行動を放棄してくれたらしい。

僕と周防九曜のやり取りに意味は無い。

しかし、この場こそが真のアルファである。

水と雲と風の行先が無限大であるのと同じく未来も過去もまだ存在していない。

既に分岐点に立たされている。

出来レースだけどね。

こちらの登場に納得していないのは橘京子だけだった。

 

 

「う、嘘よ! まさか、この空間にあたし達以外が入り込むなんて無理……」

 

「悪いけどボクの"次元干渉"に、その常識は通用しないね」

 

「本来であれば僕も佐々木さんの方の閉鎖空間へは立ち入る事が出来なかったでしょう」

 

今は例外だ、とでも言わんばかりの発言。

しかし今の彼は決して余裕ではない。

余裕さを演出しているだけに過ぎない。

混乱している相手にはスゴく効果的ではあるよ。

例外こそが楽しさなんだから。

簡単なのさ。

 

 

「明智さんがどのようなトリックを使ったのかは存じませんが、僕の方は簡単な事ですよ。外をご覧下さい。今日この場に限っては佐々木さんだけの世界ではありません」

 

「なるほどね。だからいっちゃんは入って来れたのか」

 

「もっとも、この状況がよろしいかどうかに関しましては別問題ですが」

 

部室棟の外の世界。

閉鎖空間の規模としては北高の敷地内全域だろうか。

とにかくその世界は荒れていた、混在していた。

白と黒が溶け合った灰色に更に黒褐色がぶつかっていくのだ。

完全な個人として浅野さんが居たら絶望するか、あるいは歓喜するか。

どちらにせよ彼は発狂するだろう。

……いいや、もっと前から狂っていたさ。

精神分裂してようやく正気に戻れたんだから。

閉鎖空間の異変については言われなくても橘京子は気づいていた。

 

 

「でも、だって、ここに涼宮さんは……いや……そんな……そうなんですか………?」

 

彼女の問いに答えられる人物はこの場に何人も居た。

その誰しもが彼女には答えない、答えてやらない、答える義務がなかった。

無知故に解法も答も無いのは主人公の彼ぐらいだろう。

この状況で絶叫しないだけ彼の精神力は普通の人間のそれとは思えない。

SOS団慣れだとか、そういった次元ではない。

さながら子供たちのごっこ遊びを優しい目で見守る親そのもの。

夢見る少女が欲したのは、そんな存在だったのだ。

だからこそ浅野さんも"大人"として呼ばれるはずだった。

何と言う皮肉、何と言う奇妙な運命。

"皇帝"浅野はあの世界で一番の"子供"だったのだから。

 

 

「こんにちは」

 

そう言ってやっと入って来たのは朝比奈みくる。

彼女の登場により再び部室は騒然となった。

キョンはまさか彼女まで来るとは思っていなかったらしい。

だけど除け者にするわけにはいかないだろうよ。

彼女だってSOS団の団員なのだから。

 

 

「……朝比奈さんまで………!?」

 

「古泉くんのおかげよ。明智くんと朝倉さんは別ルートみたいだけど」

 

「ボクにとってこれぐらいはわけないさ。オスの三毛猫を捕まえてくる方がよっぽど難しいね」

 

彼や周防九曜がそう思うように僕も猫を気に入っている。

原作の長門有希も、もしかするとそう思っていたのかもしれない。

朝比奈みくるは淡々と。

 

 

「わたしたちの技術による時空間移動ではここに侵入できなかったの。古泉くんが味方で良かった」

 

「それはそれはありがたいお言葉ですね。しかしながらこれから先に我々の関係がどうなるかまでは判断しかねますよ」

 

古泉一樹には『機関』を造り上げた人として立場がある。

責任がある、使命がある。

彼は涼宮ハルヒを裏切る事を余儀なくされようものなら潔く自決するだろう。

死ぬ気で戦う人間がどれだけ恐ろしいか。

覚悟とは人間にしか解らない事だ。

機械にはそれがない。機械は命令を受け入れる以外の選択肢がない。

選択できない。

 

 

「明智さんの別人格を含め長話といきたいところですが」

 

「特にボクから話す事は無いんだけどね」

 

「……明智の別人格だと? 何を言っているんだ」

 

「説明は後回しさ」

 

キョンに対して僕はそう言う。

話ししたがっているのは未来人と超能力者さ。

宇宙人と異世界人は黙っていよう。

周防九曜はこちらをじーっと見つめ。

 

 

「――」

 

「何だよ、何見てるんだよ」

 

「――あなたが―現出―――とは」

 

「ボクは最初から居たさ。当然最後まで居るよ」

 

「―特異点は――あなた――」

 

「違うね。オブジェクトを数値化しよう、だなんてのがふざけた話だよ」

 

「――ならば目的―――何故――あなたは――」

 

「ボクはいいでしょ。くーちゃんなら大丈夫だと思うけど、αのあいつはくーちゃんが居なくてガッカリしてたんだぜ」

 

驚いたのは僕の方さ。

周防九曜は、名も無き端末である偽の朝倉涼子が求めた進化の感覚が見えている。

やはりどんな怪物よりも人間の方が恐ろしい。

人間の可能性は凶器でしかない。

ただの一般人の谷口でさえ、何かが出来るかもしれないのさ。

朝倉涼子もそれを理解している。

 

 

「余計なお世話かもしれないけどね、あなたみたいな根暗女に興味を持ってくれるのは彼ぐらいよ?」

 

「――」

 

「何も急ぐ必要はないわ。私なんて明智君に半年以上待たされたんだもの」

 

「言わせてもらうけどボクのせいじゃあないからね」

 

「知ってるわよ」

 

何やら周防九曜に対して酷い言い方ではある。

僕に美的指数なる概念は存在しないけど、明智黎も谷口も認めるくらいだ。

原作ではキョンだって周防九曜の笑顔にやられそうになっていた。

他の宇宙人の誰とも異なる美しさ、あるいは妖艶さを彼女は持っている。

言うまでもなく僕には通用しないが。

 

 

「――ふざけるなぁっ!」

 

何やら未来人と超能力者の議論はヒートアップしているらしい。

今の怒声は藤原によるものだ。

ちらっと彼の顔色を窺ったけど激昂どころではない。

"怒髪、天を衝く"とはまさに今の彼のような状態なのだろう。

僕には関係ないさ。

どうせ古泉が煽っていたに決まっている。

「くくっ、僕たちを甘く見てもらっては困りますね」とか「あなたも所詮駒に過ぎなかったのですよ」とか聞えてきたし。

こっちからすればどうでもいいね。

宇宙人同士仲良くする方が大切だよ。

 

 

「あなたは宇宙人とは違うじゃない」

 

「でも、君を助けたのはその技術さ。明智黎には使いこなせない」

 

「具体的に何をどこまで出来るのよ。空間への情報操作に特化した仕様だ、って聞いたわよ?」

 

「企業秘密って事で」

 

「私と同じ会社に所属してたはずだけど」

 

情報統合思念体の事か?

あれはブラック企業どころかブラックホールみたいなもんだよ。

 

 

「人間社会の会社ってのは退社した瞬間から部外者なのさ。ビジネス以外の要素はもう持ち込めなくなってしまう」

 

「知らないわよ」

 

君からも何とか言ってやってよ周防九曜。

好奇心とか探究心だとかで言えば君だって朝倉涼子に負けていないはずだ。

人間の事を知りたかった、だなんて台詞を原作では吐いていた。

それが"鍵"である必要はないのさ。

 

 

「――わたしの任務は既に遂行された」

 

「くーちゃん、初耳なんだけど」

 

「元々こちらはあの行為に意義を見出すつもりはなかった……。必要だからそうしたまで……」

 

明智黎は覚えてないだろうけど僕は知っていた。

情報統合思念体が焦っているのに対して天蓋領域は余裕なんだ。

だからこそようやっと重い腰を上げて、一年生も終盤のあのタイミングで彼女は登場した。

ジェイとの協力とて全ては"任務"に過ぎない。

自律進化の可能性を獲得したいのはどこの勢力どこの世界も一緒だね。

 

――下らない。

幸せの"青い"鳥ってのは近くに居るのさ。

 

 

「ボクも明智黎と同感だ。君がしているのはいい時計だ」

 

「……あら、腕時計? しかもやけにファンシーじゃない。あなたの見た目とは裏腹に女子力を感じさせてくれるのね」

 

僕が、というより明智黎が付けている腕時計なんてビジネス用でも何でもない。

ともすれば男子中学生レベルのデザイン。

デジタルとアナログのハイブリッドなんて、彼の曖昧さの象徴のようだ。

買い換えればいいものを、もうこの世界に来てからずっとこれを使っている。

電池交換だって二回したさ。

何故なら。

 

 

「"愛"があるね。間違いなくその時計には、愛がある」

 

「ほら、あなたもこれに懲りたら馬鹿な真似は止めるのよ。上の指示なんて従うだけストレスなんだから」

 

「――そうかしら」

 

「そうよ。それでもし文句を言われたならストライキしちゃいなさい」

 

ストライキどころかテロ寸前の暴挙を犯そうとした張本人とは思えない発言だ。

言うまでもなく、感情が無ければ心の運動も無い。

ストレスと負荷は別物さ。

そんな感情をどうしようにも、朝倉涼子だからこそ感じている。

間違いなく彼女は憧れを抱く存在から自らが憧られる存在に進化した。

絶対は存在しない。

朝倉涼子こそがその証明だった。

 

 

「それも……いいわね……」

 

彼女の正義が決まる日も、そう遠くない先さ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで今一種の決着がつこうとしているにも関わらず、諦めの悪い奴は確かにそこに居た。

さっきからぎゃあぎゃあ喚いている藤原だ。

浅野さんの友人、佐藤のせいで負け戦にされた哀れな男。

敗色濃厚……だのに彼はこれから悪あがきをしようとしている。

申し訳ないけど、あれを救うのは僕の役目じゃあないぜ。

 

 

「あなたは自分を神とでも呼ばせたいのか! 世界を分裂させてまで、僕の邪魔をしたいのか! ……なら、僕に協力してみせろ! あなたがそうしないからこんな手段に僕は出たんだ!」

 

「これは規定事項。と言っても、わたしだってついさっきに知らされたばかりの最大級の秘匿事項だったの。驚いたわ」

 

「全て、この結果さえも決まっていると……?」

 

「はい。既に決まっていました。わたしたちが未来を変えてはいけません、変えることはできないのです」

 

「……いいや、してみせる。変えてみせるさ」

 

冷たく言い放った朝比奈みくるに対し、藤原は反論した。

ともすれば彼には熱意があった。

その熱意がいい傾向なのか?

少なくとも、本人にとっては他にすがるものがない。

 

 

「確かに僕にもあなたにも、異世界人の女でさえそれは不可能だ。……だけどあの力なら、涼宮ハルヒの力ならそれが出来る」

 

「そんな……!」

 

「既に実証済みだ! 四年前の時空振動、それにともなって生じた断裂。これらが未来を決定したんだ」

 

その後も藤原は語り続ける。

挙句の果てには朝比奈みくるを「姉さん」と呼んだ。

僕には未来人二人の関係などわからない。

だが、彼にも守りたい助けたい気持ちがあるのは確かだ。

 

――やれやれ。

どうもこうもないな。

 

 

「――あのさ!」

 

僕は大声を出した。

すると、全員がこちらを見た。

朝倉涼子さえ何事かといった様子である。

 

 

「各々事情はあるだろうさ。でも、そろそろボクがここに来た理由も話しておかないといけないからね」

 

「明智さんがこの場に来た理由、ですか」

 

古泉一樹は直ぐに表情を切り替えた。

僕の発する一言一句も聞き漏らさないつもりらしい。

嬉しいね。

 

 

「みんなも知りたいでしょ?」

 

「――」

 

「未来を変える、だなんて。素晴らしいじゃあないか!」

 

この場の全員の目的は同一ではない。

しかし、注目するは涼宮ハルヒ。

僕ではない。

自律進化のもう一つの可能性、明智黎ではない。

 

 

「いいぜ、居るかわからない神様とやら。この世界があんたの創った軌跡通りの運命を辿るって言うなら」

 

これは僕だけの意思ではない。

明智黎としての決定。

 

 

「その幻想をぶち殺してやるよ。ボクが、未来を変える」

 

「……あ、明智さん!」

 

「だからみくるんも、いや、この場にいる全員に宣言しておこう――」

 

全てを救う、だろ。

善に反対するのは悪ではない。

しかし他の正義さえ支配する。

正義は自分ただ独り、独善者だけ。

彼女が浅野さんに「偉そう」と言うのも当然さ。

 

 

「――ボクの邪魔をするのなら、ボクは全力を出そう。持てる限りの全てを駆使して明智黎は敵対してみせる。佐々木側も涼宮ハルヒ側も関係ない。ボクが正義だ」

 

佐々木についた哀れな連中。

宇宙人、未来人、超能力者。

そして二人の異世界人。

君たちはここで終わる運命ではない。

 

 

「未来人。未来や運命を変えてでも助けたい人がいるんだろ? ボクにもいるのさ」

 

正確言えば浅野さんにも、だけど。

 

 

 



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第八十二話

 

 

過去も、未来も、現在でさえもこの場には存在していない。

だからこそ朝比奈みくるはTPDDでこの空間へ侵入する事が出来なかった。

周防九曜とジェイが言うように時間とは不可逆なものではない。

因果応報、万物は流転する。

車輪のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――だけど。

 

 

「"因果"は何処へも持って行く事が出来ない。だから"規定事項"なんだろ?」

 

未来人として与えられた任務をこなしているという一点において正しいのは朝比奈みくるだ。

超能力者は世界のバランスを保つ為に能力を与えられた。

その集団に、涼宮ハルヒも護るという意識を与えたのが古泉一樹。

『機関』の発起人。

未来人は涼宮ハルヒの能力よりも、時空の安定を何より望んでいる。

来るべき未来を固定させるためだけに時間平面に干渉し続ける。

その原因は四年前の時空振動により生じた時間断層。

これがあったからこそ、未来人は涼宮ハルヒに対する調査のためにこの時代にやって来た。

 

――ここまで言えば、もう判るだろ?

僕にとっての"敵"であり、明智黎にとっての"悪"が。

 

 

「吐き気を催す邪悪ってのは、何も知らぬ無知なるものを利用する事らしい」

 

異世界人は原作に登場しなかった。

だからこそのイレギュラー。

世界的にも歴史的にも不穏分子。

それが、僕だ。

 

 

「勝手に造って、勝手に命令する。善し悪しさえ判断出来ないままに行動する他ない。それが宇宙人だ」

 

決着はつける。

喜緑江美里でさえ知り得ていない情報。

アナザーワンが誕生しなかった本当の理由。

僕は生まれる前に、棄てられた。

 

 

「未来人、君が未来を変えたいのなら好きにするといい。ボクは協力しないけど邪魔だってしない」

 

「……何……だと…?」

 

「今回のボクの目的に涼宮ハルヒはそこまで関係しないんだ。運命に抗え、因果を否定しろ、未来は変えられる。君一人で出来ないなら、涼宮ハルヒでも何でも使えばいい」

 

佐藤にとってはどちらでも良かった。

明智黎と朝倉涼子が退場すれば涼宮ハルヒを利用する。

明智黎がこの場にやって来れば彼を頼る。

全部計算していたに過ぎない。

誤算は僕の存在だけ。

もっとも浅野さんの表人格である佐乃秋は、そのどちらも知らないだろう。

いつだって女に振り回されるのが男……らしいよ。

 

 

「ボクがここに来れただけで、半分以上はクリア出来たのさ」

 

もう半分は何かだって?

だから、救うのさ。

哀れなる魂。

異世界人の少年少女を。

 

 

「誰だ? って聞きたそうな表情してるから自己紹介させてもらおう。ボクは"アナザーワン"、名前などない。ただの自由主義者さ」

 

僕の自己紹介は涼宮ハルヒのそれに近かったのかもしれない。

独壇場。

誰もが考えている、困惑している、値踏みが出来ない。

僕と言う存在に恐怖している。

しかし、僕の発言を聞き捨ててくれないのは朝比奈みくるだ。

 

 

「あなたはわたしたちの敵ですか……?」

 

「だめだね、君はもう歳なのかな。明智黎から見て半年前に既にその質問には答えている。忘れたのならボクが代わりに言ってあげよう」

 

どうでもいい。

彼は自分の邪魔をするものだけが敵なんだ。

いや、気に入らない正義を掲げたものが敵になる。

 

 

「自分からボクの敵になるつもりかい? 朝比奈みくる」

 

「……そんな………」

 

「安心しなって、ボクが運命を変えるのは今日じゃあないさ」

 

あるいは既に変えていたのかもしれない。

彼が、朝倉涼子を助けたあの時に。

やっぱり僕はただの"補助輪"でしかないのさ。

こんな僕を棄てなかったのは浅野さんと明智くんの二人だった。

僕も救われたんだ。

"鍵"の少年と橘京子は放心している。

周防九曜と朝倉涼子は沈黙している。

藤原は僕の言葉の全てを疑っている。

朝比奈みくるは苦しい顔をしている。

質問したのは古泉一樹だ。

 

 

「つまりあなたの発言を要約すれば、『自分は中立だ』というわけですね」

 

「ボクの邪魔をしなければ敵にはならない。人類みな兄弟だよ。時には助け合おう」

 

「僕が確認したいのはこの一点だけです。あなたは涼宮さんに危害を加えるおつもりでしょうか――」

 

――もしそうであれば、こちらとて容赦しません。

普段の彼からは考えられないほどの気迫。

それだけで僕と対等に渡り合える覚悟がある。

鋭い、いい眼をしているじゃあないか。

 

 

「ボクの敵は彼女ではない。約束しよう、異世界人の事情に涼宮ハルヒは巻き込まない。あの二人は明智黎が相手する。だから君たちがどうするかは君たちに任せる」

 

「朝比奈さんはさておき、僕の方は一安心できましたよ」

 

「それほどでも……」

 

で、未来人の二人は話の途中だったよね。

僕の事なんか覚えてくれればそれでいいからさ。

 

 

「話の続きを再開しなよ」

 

さて、もうそろそろだ。

どうせそっちから来るのはわかってるんだ。

僕が呼ぶ必要があるのは、一人だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大体からして、朝比奈みくるは自分を正当化していた。

彼女の理念、行動は確かに正しい。

だが、藤原が間違っているかどうかは彼女をはじめとする他の未来人が決める事ではない。

結局の所は自分にとって都合のいい未来が来てほしいだけ。

その一点において朝比奈みくると藤原に差はなかった。

血は争えない。

まして、二人は姉弟である。

 

 

「――」

 

「うーん、いっちゃんに持ってかれた感があるなあ」

 

「――」

 

「くーちゃんは気づいているんだろ。ボクの、明智黎の本当の能力に」

 

「それも、結果」

 

「何かを変えるのは誰にでも出来る事さ。力不足なら力を借りればいいだけなんだから」

 

「――そう」

 

そして浅野さんの友人の片割れ、佐藤もそれに気づいていた。

あの様子では朝比奈みくるは知らないらしい。

もしくは、その記憶を封印されているのか。

僕にとってはどちらでも構わない。

古泉一樹は笑顔を浮かべず、冷酷に述べていく。

 

 

「強硬手段に出られるのだけは遠慮願います。現段階では涼宮さんに裏の事情について干渉されてほしくありませんので」

 

彼は藤原の方に身体と視線を向けている。

時が来れば、藤原を受け入れるかのような発言でもあった。

もはや弱々しい声で藤原は。

 

 

「……超能力者……随分と…偉そうな物の言い方をする………」

 

「お言葉を返すようですが、それをしているのはあなたたち未来人の方ではありませんか?」

 

まるで古泉一樹は藤原だけではなく朝比奈みくるにも言っているようだった。

彼は狂信者だ。

涼宮ハルヒも佐々木も言っていた。

恋愛感情とは精神病なのだと。

古泉一樹は精神を病んでいる。

明智黎と同じだ。

結果として彼の行いが善しとされているだけに過ぎない。

見事なまでの"善行"。

 

 

「僕たち過去に生きる人間をなめないでいただきたい。僕がこの時代に生きて涼宮さんと……SOS団の皆さんと巡り合えたのも何らかの運命だったのかもしれません」

 

そう。

規定事項であれば、こうはならない。

未来人がやっている事は全て矛盾でしかない。

地続きではない、未来は分岐する。

だからこそ藤原と朝比奈みくるは同時に存在している。

それぞれ、別の未来からやって来たと言うのに。

彼らこそ"異世界人"と呼べるのではないだろうか?

 

 

「未来を考える権利を、僕たち現代人から奪わないで下さい」

 

それに、と彼は付け加えて。

 

 

「未来人が"ここ"に拘る理由がようやく解りかけてきましたよ。涼宮さんの能力についてです」

 

「涼宮ハルヒの能力だと……? あれには"無限の可能性"がある……あれを使えば、規定事項も既定事項も否定できる……姉さん…僕は、僕は……」

 

「ええ、あなたの仰る通りだ。しかしながら彼女の持つ能力が"無限"かどうか。いつの日か、消えてしまうかもしれません」

 

古泉の発言に対して朝比奈みくるは一言だけ「さあ……?」と言った。

超能力者は信じたいのさ。

涼宮ハルヒにとって、その結末が幸せなものである事を。

"いい傾向"である事を信じたい。

自分の命を賭けてでも、いや、掛け値なしに彼は全てを捨ててでも最後まで涼宮ハルヒの味方でいつに違いない。

 

――涼宮ハルヒの願望を実現する能力。

それは間違いなく次元の壁を越えられるだろう。

結果として浅野さんと、偶然にも彼女の精神さえ彼に引きずられてこの世界に呼び出された。

だけどね、それは"無限"ではない。

僕の力の根源と同じで、終わりは存在する。

使えば減るわけではないけど恒久的な存在ではない。

永遠とは絶対と同義である。

この世には存在しない。

……そして、認める他ないさ。

古泉一樹の覚悟は涼宮ハルヒの能力なんかよりも恐ろしい。

 

 

「地球人をあまりなめないでいただきたい。僕たちは敷かれたレールの上をただ走っているつもりはありません。未来人や地球外知的生命体がどう判断しようと、僕たちは僕たちだ。僕たちにとって最良の未来を自由に選択して自ら行動する。涼宮さんにだってその権利があるはずですよ」

 

痺れるねえ。

こんな台詞、自然に吐けるわけがない。

イカれてるのさ、全員。

それはそうと。

 

 

「おいおい、二人とも生きてるかよ?」

 

主人公はこの場の出来事に対して全てを受け入れつつも判断を下せない。

橘京子はこの場から逃げ出そうと、精神だけでも逃げようと思考を放棄している。

それぞれが近くて遠い状態で固まっていた。

 

 

「異世界屋……さん……」

 

生気が抜けた顔で橘京子はこちらを見つけて来る。

彼女が泣き出していないのが不思議なほどだ。

精神恐慌(パニック)。

この状態を古泉にころりとやられたのか?

原作でメアド交換してたしね。

ともすれば主人公は。

 

 

「……俺は誰を……何を、信じればいい」

 

「君が決めなって」

 

「なら、お前は何を信じている……?」

 

「愚問だね。ボクも明智黎である事には変わりない」

 

人間の可能性と、朝倉涼子さ。

だからこそ僕と彼は彼女を本当に救う必要がある。

彼女の死の運命。

支配から自由にしてやらなければならない。

それが眠り姫を救う王子の役目。

……なのさ。

朝倉涼子はジト目でこちらを見ながら。

 

 

「ビッグマウスで終わらないで欲しいわね」

 

「浅野さんも明智くんも猫好きなんだよ。トムとジェリーで言えばトム派さ」

 

一つ言いたいがハムスターをネズミと一緒にしてやるな。

将来的に彼はこの世界で何かペットを飼育するのだろうか。

ならやはり猫がいいね。

 

 

「彼には猫耳属性はない。が、君がそんな恰好をして語尾に『にゃん』を付けた日にはとても喜ぶに違いないよ」

 

「……考えておくわ」

 

「そこはやるって言い切ってほしかったね」

 

「あなたに言っても仕方ないじゃないの」

 

仕方ないさ。

それでも、僕は僕だ。

コインの片面でしかない。

朝倉涼子をいくら影と称したところで彼女にとってはそれが全て。

個人として存在する事が出来る。

この場でそれが不可能なのはただ一人。

僕だけだった。

 

――未来人藤原は二者択一を迫られていた。

壊れるか、受け入れるか。

どちらに決断を下すにしても妥協では許されない。

彼が自分を許さないだろう。

 

 

「……ふん。いいだろう……そこの異世界屋と超能力者が言った事だ。その機会は、今回だけじゃないんだな?」

 

どうやら僕に訊いているらしい。

まあ、朝比奈みくるは未だに知らない事があるって事。

この先の現代に秘匿されているものは他にもあるかもしれないさ。

未来を保証も約束も出来ない。

だけど、信頼する事は出来るんだ。

 

 

「未来への切符はいつも白紙なのさ。いつかきっと、終わりが来る。君だけの決着が来る。それが今日とは限らないだけだよ」

 

「そこまで言うのなら僕も賭けてやる。お前の大言壮語、妄言、未来への可能性とやらに」

 

「話が早いね」

 

「器が佐々木である必要はない、やはり同じことだ。僕に必要なのは涼宮ハルヒのその能力。彼女さえ協力してくれるのなら全ては一瞬の内に終わる。このような遠回りさえ必要ない。全てをゼロに出来るんだ……」

 

それを快く思っていないのはこの場において朝比奈みくるただ一人だろう。

彼女が悪者ムードではあるが、それは物事の片面でしかない。

どちらの正義が正しいかよりも、どちらの正義が受け入れられるのか。

それだけで世界と社会は成立する。

自律進化とは現状の打開。

新時代の幕開け、って言いたいのか?

どうもこうもないね。

 

 

「……あなたは後悔する事になりますよ」

 

「じゃあ君は今まで自分の行動に一切の後悔が無かったのかな?」

 

今、僕の目の前に居る朝比奈みくると現代で戦う朝比奈みくるは別人かもしれない。

未来が地続きでないのならばその可能性とて否定する事が出来ない。

少なくとも、この朝比奈みくるはSOS団に所属していた時の彼女より……弱い。

迷わない事が強さではない。

更に言えば彼女は盲信しているのだろう。

来るべき未来とやらを。

 

 

「今まで食べたパンの枚数を覚えてろとは言わないけどさ、覚悟ってのは受け入れる事ではないはずだよ。後悔をして困る人なんて自分自身以外に居ないさ。君にとっての望ましい未来ってのは、本当にそれなのか? 君は正しい行動をしているのか? そんなの、死ぬまでわからないでしょ」

 

覚悟は幸福ではない。

そんな行為などしない方がいいに決まっている。

こんな世界など知らない方がいいに決まっている。

どうしようもないまでに二元論を押し付けてくる。

選択を迫ってくる。

 

 

「後悔をしない方がいい。そんな気持ちだけで何かが守れるのか? 彼はそう考えた結果、一番の理解者を失ったんだ。人間の精神である限り、後悔しないなんて事は無理なのさ」

 

「お前……」

 

「キョン。鍵として君が結論を出すその日は間違いなくこの高校二年生のいつかだ」

 

「――」

 

「わかっているだろう? 朝比奈みくるは今年卒業する。仮に、先延ばしになったとしても翌年にはボクたちの学年が卒業学年だ」

 

今日じゃない。

そしてそれは万人に等しく訪れる。

終焉。

 

 

「どんな物語にも終わりはやって来る。人間だってそうさ。涼宮ハルヒも、ね」

 

小説の一番最後のページ。

本来であればその一枚だけを目にしたところで何かを理解出来るはずもない。

しかし著者の魂は間違いなくその中に込められている。

最後の一ページを読むだけで全部わかるのさ。

その人の感情の全てが。

 

 

「……君も、そう思うだろ?」

 

僕が後ろに振り返ってそう言うと、彼女は既に登場していた。

彼女はどこで調達したんだろうかね。

それは、浅野さんと彼女が通っていた高校の制服。

青色のブレザーを彼女は着ていた。

 

 

「フフ、似合っているでしょう?」

 

「質問に質問で返すんじゃあないよ」

 

「女の子には例外なのよ、それ」

 

お待たせした割には余裕そうな態度だ。

その上、佐乃秋の姿は今は見受けられない。

世界ってのは理不尽なのか。

どうしても無理を無茶してでも、あるべき姿にしたいらしい。

せっかく僕が穏やかにこの場を収めつつあったのに。

だが、僕の意志は無駄にはならない。

明智黎が求めた真実ってのは、君すら自覚していないものだったんだ。

嘘じゃない。

 

 

「取引しましょう――」

 

彼女の髪は長かった。

彼女は三つ編みだった。

その過去を断ち切るかのように、佐藤は短髪だ。

 

 

「――私のカードは、涼宮ハルヒの命よ」

 

妥当な金額だ。

世界をひっくり返すにはお釣りがくるね。

 

 



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第八十三話

 

 

彼女の登場に反応できたのは僕ぐらいか。

いいや、空気を読んでくれたとでも言うべきかな。

彼女に言いたいことがある奴なんかこの場のほぼ全員がそうだろう。

だけど明智黎ほどじゃあない。

頃合いなのさ。

 

 

「substitution(選手交代)だよ」

 

元々交代してもらったのは僕の方なんだけどね――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ふぅ。

顔を天井に向けて、数秒。

それから俺は周囲を見渡した。

 

 

「……それで? 何の話」

 

私は帰って来た、とか言っても良かったけどな。

俺が戻って来たということはつまり。

 

 

「ああ、オレと話の途中だったのか。悪いね」

 

「……浅野君」

 

「もういいだろ。だいたいわかった」

 

どうしても過去をやり直したいんだろ?

"生きる"とか"死ぬ"とか。

誰が"味方"で誰が"敵"だなんてどうでもいいのさ。

"友人"が俺だなんて事も、君にとってはどうだっていいに違いない。

これは俺の……いいや。

 

 

「僕の仕事だ。昔出し損ねたレポートを、ようやく提出する時が来たのさ」

 

俺がこの世界でするべき事などわからない。

何が"真実"で何が"虚構"だなんてどうでもいい。

例えば明日死ぬと宣告されたとして、受け入れて諦める人間が居るのか?

病気でそうなって、心、精神は折れてしまうかもしれない。

でもな、投げ出すのは本当の最後の最後でいいじゃあないか。

 

――白血病で他界した祖父さんはそうだった。

死後、彼が闘病中につけていた日記を俺は見た。

闘志、希望、渇望、ありとあらゆる正の感情がぶつけられていた。

途中から字さえまともに書けなくなったのだろう。

俺には解読する事さえ困難だった。

彼の闘病生活を支えてきた祖母にはその内容が理解出来たらしく、教えてもらった。

だけど、彼が死ぬ前日に書いた最後の一ページ。

目に飛び込んで来た一枚画に対して俺は間違いなく戦慄した。

 

 

『私を殺してください』

 

ぐにゃぐにゃした字だったが、俺にも読めた。

泣きながら祖母は俺に。

 

 

「最近は、本当に生きるのが辛そうだった」

 

何より弱っていく祖父さんを見るのが彼女は耐えられなかったと言う。

俺だって孫として出来る事なんか特別あったわけがない。

だけど、心の支えにはなれたはずだ。

ついぞ俺は彼に対して勇気が出て来る言葉の一つもかけてやらなかった。

その事実と結果に後悔はしなかった。

人の死なんて慣れていた。

だが、俺がお見舞いに行くだけでも続けていれば、何かが変わっていたのかもしれない。

本当に一人より二人の方が良いのであれば、そうかもしれない。

一時退院を除外して通算二年と少しの闘病生活。

 

 

「あなたは僕と違う。立派なお方でした」

 

葬儀に集まった身内は生前の彼を褒めちぎっていた。

お通夜とは往々にしてそういうものであるが、俺にはその光景が印象的だった。

最後に安らかに逝けたわけがない。

祖父さんは来るし身悶えるうちに呼吸が停止していったのだ。

最後には心が折れたのだろう。

だが、それまでの過程を知っている人が一人でも居るのなら彼の闘いは無駄ではない。

俺は知っている。

彼女が死んでから、一年ほど後の出来事だった。

 

 

 

――だから、死の覚悟なんて必要ない。

 

 

「朝倉さん」

 

彼女の方を向き、この場に居る全員に対して言うかのように俺は言う。

俺がこの世界に持ち込んだ因縁だ。

俺が払拭しないでどうするよ。

残念だけど、誰であろうとこの瞬間だけは立ち入って欲しくない。

裁かれるのは俺の精神だ。

 

 

「オレはこれから彼女と二人だけで少しの間、話をしてくる」

 

場所は"異次元マンション"の一室でもいいだろう。

だが、フェアじゃあない。

校舎の外にも共用スペースなどいくらでもある。

北高もこういった部分に関してだけは用意がいいんだよ。

朝倉さんは。

 

 

「……わかった。でも、必ず戻って来ると約束して」

 

「その必要はないさ」

 

今更君と俺が何かを約束する必要はない。

既に交わしている約束を忘れない限りは。

朝倉さんだって知ってて敢えて今、言ったのさ。

俺の言葉に対して、彼女は頷いてくれた。

忘れないさ。

俺が忘れようとしたからこんな事になったんだからな。

 

 

「各自解散。……してもらってもいいけど、全員で腰を据えて話をした方がいいんじゃあないかな」

 

「明智さんの仰る通りですよ。このメンバーが一堂に会す事は滅多にありません。何せ、今までには無かった事ですから。幸いな事に、ここには人数分の椅子だって置いてあります。いかがでしょうか?」

 

それに、SOS団の元マスコットこと朝比奈さん(大)だって居る。

この世界の物質概念がどうなってるかは甚だ不明だがお茶が淹れられるのであれば出してもらった方が良い。

彼女の腕前が錆びついていない事を期待すればいいさ。

時間があれば俺だって口にしたいものだね。

じゃ。

 

 

「行こうか……詩織」

 

「……ええ」

 

決着でも何でもない。

やはり答え合わせでしかないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北高学食の外壁に設置されている自動販売機。

紙コップに注がれるタイプの奴だ。

 

 

「どういう原理なのか? 電源があって運転しているらしい。何か奢るけど」

 

「じゃあ、ココアをお願い」

 

「あいよ」

 

俺の財布には自然と小銭が増えてしまう。

千円札からどうしても使ってしまうくせに俺は五千円札を使いたがらない。

昔からの変な癖だ。

人体に影響があるのではと怪しくも思えてしまう液体が注がれたそれを受け取ると俺と彼女はテラスへ向かった。

切歯されている丸テーブルに紙コップを置き、椅子に座りご対面となった。

そういや、ここで五人集まって入団試験だ何だの語らいをしたな。

つい数日前の話だ。

 

 

「……君はどっちでも良かったんだ」

 

涼宮さんと俺のどっちでも良かった。

俺が来なければ間違いなく藤原の強硬手段に便乗するつもりだったのだろう。

だが、それは叶わなかった。

俺たちのせいで。

どこか清々しい顔で彼女、俺の友人こと佐藤詩織は。

 

 

「私は信じていた。あなたが来ることを」

 

「オレ一人の成果じゃあないさ」

 

浅野と呼ばれた野郎に何が出来るのか。

俺は何もしてこなかったのだから、それさえもわからないんだ。

 

 

「もし、君が全部やり直そうと言うのなら……悪いけどオレは謝らない」

 

一度やり直したってそもそも何かが変わるのだろうか。

俺は大馬鹿だからな。

下手をすれば同じことの繰り返しになるかもしれない。

そして、君は何より。

 

 

「個人として存在していないんだろ。亡霊のように彷徨っていたわけだ、世界を」

 

「……フフ」

 

「君はオレと同じ、前世の主人格から弾かれた存在だ」

 

「よくわかったわね。あなたはどうしてそれに気付けたのかしら?」

 

後輩のおかげもあるさ。

彼女のおかげで俺は違和感が気のせいではない事に気付けた。

だけど、俺がその違和感を感じたきっかけ。

 

 

「君も忘れてしまっているからだ。オレの事を"皇帝"と名付けたのは君じゃないか」

 

「……えっ…?」

 

「それがいつの間にか広まったからオレがそう呼ばれてたのさ」

 

無茶苦茶やってたと思うよ。

生徒会長リコール運動とかもそうだ。

よくわからない人脈を君は持っていた。

俯いた彼女は下を眺めながら。

 

 

「……私がどうなろうと構わない。だけど、最後には元の世界の浅野君も死んでしまう。望まぬ形で」

 

「それが、オレの居た世界での話って事か。佐乃が言ってたサイバーテロ云々は本当に知らないけど」

 

「精神分裂。あなたの精神は浅野君の善。彼の奥底に封印されていた優しさなのよ」

 

優しさだけで何かが変わるって?

朝倉さんにも言われたけど、やっぱり俺は――。

 

 

「――オレは自分に甘くて他人に厳しいさ。何も変わっちゃあいない」

 

「いいえ、あなたは変わった。自分や周りと向き合えるようになった。広い視野で広い世界を見渡せるようになった」

 

「なら、君は変わっちゃいないな。振り回されたのはオレだけではない。佐乃の方もだ」

 

「これも運命。だったら私はそれを利用する」

 

君は既に死んでいる。

元の世界の俺もやがて死ぬ。

今の俺とまるで無関係な存在だ、と切り捨てるのは簡単だ。

涼宮さんの方に手を出そうとやっつけてしまえばいい。

だけどさ。

 

 

「結構大変だったね。自己精神の再構築ってのは。海馬社長だってマインドクラッシュされてから立ち直るまでにかなり時間がかかっていただろ。オレは一日かかってないからね?」

 

当然ながらこれも俺だけの力ではない。

アナザーワンであり、この世界の明智黎のおかげでもある。

そして、朝倉さん。

 

 

「他人を負かすってのはそんなに難しい事じゃあない。もっとも"難しい事"は過去の"自分を乗り越える事"……らしいよ」

 

「フフフ……どこの漫画家の台詞かしら、それ」

 

「乗り越えなきゃ見えないんだろ。オレは自分の後悔を払拭したい。過去を清算したい。君と彼を救う事が、せめてもの罪滅ぼしだ」

 

俺は居なくていい。

そこに心残りが無いかと言えば、嘘になる。

普通に文句を言い合って、普通に生きていく。

宇宙人未来人超能力者なんて必要ない。

異世界人についてなんか言うまでもない。

みんな居ないのさ。

全部、嘘だったんだ。

そこに俺は居ない。

 

 

「……君の事が好きだった。多分、初恋だよ」

 

「浅野君の周りで、私の他に女子が居た覚えはないけど」

 

「ほら、何て名前だったっけ。君の友達の一人にいただろ。名前は思い出せないけど……オレと同じ放送局員だった女子が」

 

やたら因縁をふっかけられたような覚えがある。

ともすれば罵倒されたりだとか。

俺が自分勝手なのが悪かったんだろうけど。

 

 

「違う。あの子も私と同じよ」

 

「何が同じだって?」

 

「浅野君が好きだった。今、どうしてるかは知らないけど。そして私は今でも好きよ」

 

「……ふっ。とんだ腐れ野郎だったな」

 

彼女が放送局に入ったのもそのためだって言いたいのか。

やたらと絡まれた気がするが、俺は相手にしていなかった。

君のことだってそうだ。

もしかすると俺は"女の敵"だったのかもしれない。

いや、むしろ俺の味方は少なかったのさ。

 

 

「取引と行こう。オレが要求する要素も、君が求める要素も似て非なるものな筈だ。あの世界の出来事にオレが干渉するのはタダでいい」

 

無かったことになんて出来ない。

俺の能力が"大嘘憑き"なら話が早かったんだけどな。

でも、俺の力の正体はそれと同じだ。

次元の壁を超える事が出来る。

 

 

「君は一つ勘違いしている」

 

「あら……?」

 

「オレに否定だとか、何かを変えるだとか、そんな能力は存在しない」

 

「いいえ。じゃないと説明できない。あなたがこの世界の正史を乱している結果について」

 

そんな訳ないだろ。

運命も因果も宿命も因縁も、気の持ちようだ。

神なんて居ない。

俺が神を認めない限りそいつは死んでいる。

世界の修正力?

馬鹿馬鹿しい。

じゃあ世界に対して言ってやるよ。

人間、なめんじゃあねえ。

 

 

「オレは自分の力の正体に気付いた」

 

アナザーワンのおかげさ。

彼の情報操作で、切り裂かれ血まみれになった制服の腕部分とかも修復されていた。

朝倉さんのセーラー服についてもそうだろう。

だけどそれは、俺が持つ能力とは別物。

俺の役割が"スペアキー"だとして、鍵とは似て非なる能力。

 

 

「オレの能力は、"切る能力"」

 

切断。

正確に言えば切ったものを操る能力。

刃物を使う必要は無い。

そして。

 

 

「エネルギーについては君も知っているはずだ。確かに生命エネルギーの"オーラ"じゃない」

 

「そうね。確かに、説明はつく。あなたが行使してきた"力"なら、空間を操る事も可能。そこに存在していれば何でも、ね」

 

「そこも勘違いしないでくれ。何でも出来るわけじゃあない」

 

本当に、あってはならない力だ。

封印した方がいいに決まっている。

後、もう少しだけでいいから頼らせてくれ。

決着をつけたら。

 

 

「"存在するために必要な力"……俺はそれを使い、それに干渉する」

 

これが次元の壁を越えれるエネルギーの三種類目。

"重力"は性質として、超自然的にそれを可能とする。

"無限"は到達する事が出来ないエネルギー。

それを再現出来るのは、無限への追求を行った"回転"の技術のみ。

しかしこの世界には存在しない技術だ。

 

 

「万物には"そこ"に存在するために必要な、見えないエネルギーが常に働いている」

 

某作品に出て来る"直死の魔眼"。

あの能力はオブジェクトの"死"に干渉して、それを絶つ事で"殺す"能力。

物質が存在し続ける過程を切る事で存在を殺している。

存在するために必要な力に干渉しているわけだ。

 

 

「オレのは違う。オレは、自分のその力を使っている」

 

「……やがて死に至るはずの能力」

 

「そうなっていない今のところの理由は二つ。平行世界の移動というのは、涼宮さんによって与えられた能力。一人の人間が持つには大きすぎる力だ」

 

「あなたには覚醒してもらう必要があった」

 

俺にはそこまで必要じゃなかったさ。

自分のために使うような能力なんかじゃない。

ここ以外のどこにも俺は行くつもりはない。

そう、約束したから。

 

 

「結局は君のため、いや、オレの罪滅ぼしのためだけに使うようなもんさ」

 

「あなたがこの世界に来られたのは、力をあげた涼宮ハルヒのおかげなのに?」

 

「涼宮さんはチャンスをくれただけさ。ビッグチャンスだ。その能力のついでとして、膨大なエネルギーがオレに与えられたって訳らしい」

 

アナザーワンはそれを知っていた。

身体強化もエネルギー行使の応用でしかない。

俺が強い存在なのだと世界を誤魔化していただけなのだ。

オーラだったらそれはそれで恐ろしいけど。

俺は紙コップに注がれたアイスコーヒーを一口。

それをテーブルに置くと。

 

 

「オレの要求は一つ。オレが持つ能力、最後の構成要素についてだ」

 

そんなもの無くていいんだけど、俺じゃなくて彼がうるさい。

交代の瀬戸際に散々言われたからね。

必ず取り戻せと。

何の必要があるんだか。

だいたい俺は彼のように能力の九割さえ引き出せそうにない。

多分、この空間にも俺なら入れなかったに違いない。

 

 

「オレが、佐乃がそれを持っているんじゃあ――」

 

俺がそう言おうとしたまさにその時だった。

後ろから、ドス黒い瘴気が迫るような。

負の感情をぶつけられた、そんな感覚がした。

そして。

 

 

「……驚いたぞ、明智黎。お前が生きてここに来るなんて思わなかった」

 

振り返った先には北高の制服。

グリーンのブレザーを着用した天然パーマの男。

鋭い眼光だが、理性は感じさせない。

獲物を前にして飢えた獣。

 

 

「佐藤、話が違うんじゃあないのか? 涼宮ハルヒが持つ力。それこそが解答のはずだ」

 

間違いなくそいつは壊れていた。

α世界から見た、β世界の俺とそっくりだ。

人間が発せられる雰囲気ではない。

後天的な怪物。

 

 

「明智黎。タダで帰れると思うなよ」

 

……さて、平和的に解決できるかどうか。

それが問題だ。

 

 



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第八十四話

 

 

外界から隔離された精神世界。

佐々木さんと涼宮さんの閉鎖空間。

二つの精神世界は今も尚衝突し続けている。

決してそれらは溶け合う事はない。

互いの全てを受け入れる事など不可能だ。

まして、恋敵同士。

スペアキーの俺が女の敵だって言うんなら、本鍵のキョンだってそうなのさ。

だから俺も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

容姿は異なるもう一人の俺に話しかける。

落ち着いてお茶でも飲もうや。

 

 

「何の用事かな? こっちは話がつきそうなんだけど」

 

「決まっているさ。全員に退場して頂く」

 

「おいおい、オレは彼女に協力するんだぜ。君にとってもそれが望みなんじゃあないのか?」

 

「お前の記憶が不完全ではないように、僕の記憶も同じだ。お前から返してもらおう」

 

何言ってるんだ。

 

 

「ふっ。どうやって?」

 

「死後の世界があるかは知らないが、お前の精神だけを再び分裂させる方法など幾らでもある。完全な個人として僕は舞い戻りたいのさ」

 

……やれやれとしか言えないな。

殺気立ちやがって。

椅子から立ち上がり、佐乃の方へ身体を向ける。

 

 

「それで? どこでするよ。言っておくが君の技はもう通用しない。読まなきゃいいんだろ」

 

それの原理は不明だ。

能力なのか何なのかすらわからないが、彼の書いた文章には洗脳のような効果があった。

あるいは催眠か? とにかく、β世界の俺は感情をコントロールする事が出来なかった。

彼が書いた手帳。

もしくは、俺が書いたとも言える過去への贖罪。

迂闊にそんなものを読んでしまった俺も俺だが。

 

 

「別にどこでもいい。よく見える位置ならな」

 

とだけ言って彼は移動を開始した。

さっきから言動が滅茶苦茶だ。

俺は充分な間隔を空けてそれに従う。

何も言わなかったが佐藤もついて来た。

 

 

 

 

――そして時間にして数十秒程度移動しただけで、佐乃は歩みを止めてしまった。

ゆっくりと彼はこちらを向く。

 

 

「……ここでいいのか? グラウンドには遠いけど」

 

二年生が利用する校舎の外回り。

ちょうど、部室棟がここから見られる位置だ。

やけに彼は余裕そうに。

 

 

「広いかどうかは関係ない。何故なら僕の攻撃は、既に完了している」

 

「……何だって…?」

 

「あれがお前に見えるか」

 

そう言って佐乃が後ろを向いて指差したのは斜め上の方。

ここから少しだけ離れた場所にある部室棟の、最上部。

屋上に。

 

 

「野郎……!」

 

俺の目に飛び込んで来た光景。

それを理解した刹那の内に俺は"ブレイド"を具現化した。

佐乃は俺が何かするよりも早く――。

 

 

「――明智黎! 一歩でもその場から動いてみろ! お前がどうにかするよりも早く涼宮ハルヒは死ぬ事になるぞ……?」

 

「ん、だと……」

 

「僕が命令を下せば直ぐに彼女は屋上から飛び降り自殺と行くだろう」

 

屋上から下を見下ろす制服姿の涼宮さん。

何故彼女があそこに居るのか、なんて事は気にしちゃいられない。

彼女こそ一歩でもその先へ進めば地上へその身体が叩き付けられる事だろう。

地面は石畳。

三階建ての屋上から落ちてただで済むわけが無い。

彼女は受け身さえ取れないんだ。

脚から落ちてくれればいいだろうよ。

ともすれば前傾姿勢。

前につんのめっているかのような状態。

うつ伏せ、いや、頭から落ちようものなら最悪死ぬ。

口の中が苦い感覚がした。

反吐が出る。

 

 

「これも君の指示か? 佐藤」

 

「……私は聴いていない。浅野君、どういうつもり」

 

佐藤の表情は困惑したものだった。

これが演技にせよそうでないにせよ、確かな事実として涼宮さんは危険な状況である。

間違っても彼女に意識があればこんな場所に来てまで飛び降りをしようとはならないはずだ。

実行犯は佐乃で間違いない。

俺もやられたんだからな。

当の本人は壊れたように笑った後。

 

 

「ハッ。どうもこうもあるんだよ。取引ってのはいかに自分を優位に置くかが成功の鍵さ」

 

「涼宮さんを殺して君に意味があるのかよ。それに、彼女が死んでからそのまま世界が終わる可能性だってある」

 

彼女が神かもしれない以上、その可能性だって存在する。

だからこそアンタッチャブルだった。

だからこそ『機関』が目を光らせていた。

郷に入りては郷に従え、だ。

異世界人にはお構いなしだと言うつもりなのか。

 

 

「僕が殺すんじゃあない、お前が殺すのさ。お前が僕の要求を呑まなければ涼宮ハルヒが死ぬ」

 

「それじゃあ話は解決しないだろ。過去をやり直す事なんて出来なくなるぞ」

 

「何。僕はお前を始末して、浅野としての精神を返してもらえればそれでいい。お前はこの世界にしか存在しないが、願望を実現する能力を持つ涼宮ハルヒは他の世界にも存在する。後は彼女に当たれば解決なんだよ。……最高だ」

 

「ああ、最高に最低だ……」

 

――どうする?

眼の前のこの野郎をブン殴って、それで涼宮さんが助かるのか?

いや、そもそも誰が彼女を助けるんだ?

文芸部室のみんなは、この状況を知らないのか?

……知らないんだろうな。

キョンだって古泉だって朝比奈さんだって、佐々木さん側の異端者三人組だって。

朝倉さんだって知らないんだ。

 

 

「……じゃあ、誰が"助かる"んだよ」

 

俺はお前達を救おうとしてたんだぜ。

俺が救われるんじゃあない。

この世界で俺は生きていくと決めたんだ。

 

――詩織。

君と二人生きられるならあの世界だって悪くない。

今の俺はそう思えるほどだ。

本当に成長したんだ、成長できたんだ。この世界で。

俺の隣に立つのは君じゃあない。

俺は朝倉さんの隣に居る事を決めたんだ。

そこの馬鹿野郎と二人で幸せになりやがれ。

 

 

「ふっ。オレもそろそろ年貢の納め時か? いいや、違うね」

 

今日じゃあない。

朝倉さんが未来から来てくれた。

その未来を俺は信じたい。

涼宮さんも、俺も助かる。

生きて帰る。

二人とも、みんなで。

俺を呼んだ君を還すんだ。

閉鎖空間の外の世界へ。

 

 

「当然だが、涼宮ハルヒにはただ飛び降りてもらうだけでは済ませない」

 

佐乃はそう言うと左手を上向きにしてこちらに突き出す。

次の瞬間には、その手から数センチ浮く形で真紅の光球が顕在された。

古泉と同じ超能力者。

この場で十全でないのは、佐々木さんの閉鎖空間の影響か。

 

 

「原作の内容を覚えているか? 涼宮ハルヒは原作でも似たような状況に遭った。しかし、落下する彼女を神人が助けた。だから僕は彼女の打ち所に関係なく死んでもらう方法を選ぶという訳だ」

 

「その球を涼宮さんにぶつけるつもりかよ」

 

「古泉一樹に代表される超能力者がどうやって神人を狩っているか……このエネルギーは熱をともなわない。だが、何故か物体を灼く事が出来る。神人の身体も焼き切ってバラバラにするのさ。本来の威力の十分の一以下ではあるが、女一人殺すのはわけない」

 

だろうな。

俺が何かしようものなら涼宮さんに投げつける気が満々だ。

あれが命中するよりも速く俺は彼女に近づく事など出来ない。

わざわざ致命傷となる箇所に命中させなくても、屋上の、彼女の足元にさえ当たればそれでいい。

バランスを崩し、そのまま落ちていく二段構え。

是非とも神人に来てもらいたいね。

今すぐに。

佐藤は悲しそうな表情で。

 

 

「……そんな」

 

「同じ事、だろう。君は交渉材料として涼宮ハルヒを押さえておくようにと言った。好き勝手されないように、と。僕はそれに従ったまでさ」

 

詭弁もいいとこじゃないか。

間違ってもそんな意味で言ったとは思えない。

むしろ佐藤は原作通りにならないように、そう言ったんだ。

やがてどこか彼女は吹っ切れた様子になった。

彼女の中で、俺より佐乃の方が優先順位が高いのは当然。

俺は浅野の理性のような存在で、彼の優しさが佐藤に伝わった事は無かった。

その快感、愉悦、それらはこれから獲得していくのだ。

聞こえだけはいいから困る。

浅野が歪めた愛に他ならない。

 

 

「わかったわ。あなたがそれを望むのなら」

 

「ありがとう。……さあ、後はお前だけだ」

 

なあ古泉。

お前は、『機関』はこの空間に涼宮さんが居る事に気づいていないのか?

本当かよ。嘘だろ。

 

 

「どの道お前は今までのお前として存在出来なくなる。死ぬよりは生きている方がいいだろう? お前が従えば、涼宮ハルヒも死なずに済む」

 

誰も死なせてやるかよ。

当然、お前もだ。

 

 

「それに、人質は他にも居るという事を忘れるなよ。その気になれば一人ずつ消していく事だって可能だ。僕の作品を読めば、僕と同じ感情を共有出来る。傑作だ!」

 

今の涼宮さんの立場が朝倉さんだったら?

いいや、もし俺の立場が佐乃だとしたら?

俺は好きな人のためにきっと、ここまでするかもしれない。

俺はここまで歪んでしまうかもしれない。

少なくとも今は違う。

まだ、間に合う。

 

 

「さっさと返事を聞かせろ、明智黎!」

 

焦りたいのはこっちの方だ。

それにな。

 

 

「明智黎"さん"だ! オレの方が年上なんだよ、礼儀知らずが」

 

「ハッ。その返事……僕は"ノー"と受け取るぞ」

 

当たり前だ。

いつだって俺はそうして来た。

昔からそうして来た。

ありのままを受け入れ続けて、世界を大いに盛り上げられるか。

 

 

「やってみろ! 覚悟をオレに見せてみろよ! "皇帝"の、成り損ないが!」

 

俺がそう言った次の瞬間には、勢いよく光球は遠くの涼宮さん目がけて放たれた。

見るまでもない。一瞬のうちに彼女へ命中してしまうだろう。

偉そうに口を開いていたのは俺の方もさ。

だけど、人間をなめるな。

奇跡、なめんじゃないよ。

俺がキョンの不幸をおっ被るのなら、俺が彼女を助けられない道理が無いだろ?

一度だけ力を貸してくれないか。

誰でもいい。

決着は俺がつける。

今日だけだ。

 

 

『――もう。今日だけですよっ? そして、わたしともっ……今日で、お別れです』

 

そう、か。

来てくれたのか。

 

 

 

――視界がやけにスローモーションだった。

本来であればとっくに命中しているはずの光球は空中に未だ漂っている。

しかしゆっくりと、確実に、涼宮さんへと近づいている。

この現象は二度目、だな。

前回は【HUNTER×HUNTER】の世界からあの人が来てくれた。

今回は君か。

異世界人ばかり来てくれるね。

 

 

『涼宮先輩なりのSOSなんですよ。同時に、明智先輩のためでもあります』

 

天がちょっぴりだけ許してくれた、ほんの偶然って奴かな。

それにしても、今日でお別れだって?

 

 

『はいっ。わたしも、帰る必要があるんです。わたしの元へ』

 

ああ……君は彼女と一つになるんだな。

完全な、俺の友人。

いいや違う。

俺が好きだった女性の"佐藤詩織"として、だ。

 

 

『もう一人のわたしの方もそれを望んでますから』

 

わかってるさ。

異世界人は異世界で幸せになれない。

なっちゃいけないんだ。

夢から覚めなきゃいけないのは、俺の方さ。

 

 

『いいえ。先輩が……あなたが助けなきゃいけないのは、あの、ハルヒなのよ?』

 

ふっ。

そっちの方がキャラとして懐かしいよ。

君が居なくなってから初めてまともに【涼宮ハルヒの憂鬱】を読むようになるとは思わなかったけど。

後悔、したさ。

 

 

『いいのよ。わたしはもう一度あなたに会えれば、それでいい』

 

馬鹿言うなって。

君を救うかどうかなんて、それは僕が決める。

今度はきっと、君と誕生日を一緒に過ごせる。

約束しよう。

 

 

『相変わらず、自己中心的なんだから』

 

悪いか。

僕は悪いと思ってなかったんだぜ。

だからこれから、その勘違い野郎を「あっ」と驚かせてやりたい。

その為の力が必要なんだ。

 

 

『わたしがあそこまであなたを行かせる。あんなノロいボールが当たるよりも先に到着させてあげる』

 

頼んでおいて驚きだけど、君にそんな力なんてあったのか?

異世界人だからって君まで不思議パワーの持ち主だとはね。

 

 

『違う。わたしはあなたの足りない部分を埋めるだけ。100%中の100%よ』

 

何だよその台詞。

冨樫大先生の作品が元ネタだけど、そっちはハンタじゃあないだろ。

僕は某B級妖怪か。

あそこまでムキムキなるのか?

嫌なんだけど。

 

 

『もう!』

 

ごめんごめん。

つい、本当に懐かしくなったんだ。

これだけは許してくれよ。

 

 

『ううん。わたしはあなたを許す必要さえない。ただの不注意で起きた事故だった。たまたまわたしだっただけで、よくある事。あなたを恨んだりなんかしてないのよ』

 

君をもう死なせやしない。

僕はこの世界で護るものが出来た。

だから過去を清算する。

俺が。

 

 

『本当にあなたに会えて良かった。ありがとう、異世界人さん』

 

俺の方こそ感謝するよ。

そしてそろそろ行かなくちゃ。

……だけど。

 

 

『どうしたのよ』

 

俺が因果を断ち切れたとして、未来の記憶をそのまま残す事なんて出来ない。

未来を切るんだからね。

記憶も同時に切ってしまう。

浅野の後悔も、君の想いも、結局は無駄になってしまう。

君が死なないにしろ彼が君と一緒に居てくれるとは限らない。

情けない話だけどね。

 

 

『馬鹿ね』

 

何だよ。

朝倉さんにも言われてるんだけど。

まさか君に言われるなんてね。

 

 

『記憶がなくても、覚えてるのよ』

 

……ふっ。

"心に"、ってか。

それは確かに名シーンだけどさ、一巻発売当時から読んでたのか?

 

 

『あなたは知らないでしょうけどね、メチァクチャ売れてたのよ。わたしもチェックしてたに決まってるじゃない』

 

そうかよ。

ま、君に【とある】を読まされてても可笑しくなかった訳だ。

それじゃあ後は俺の役割だ。

 

 

『佐倉詩織にも宜しくしてね。この一週間の出来事は改竄されている。彼女の記憶も』

 

アフターケアも任せなよ。

俺に出来る事をするだけだ。

出来ない事は協力する。

一人より、二人だ。

彼女だって心に覚えているさ。

 

 

『うん。またね』

 

さようなら――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――距離、時間。

涼宮さんと俺の障害になる要素、全てを切った。

ほんの一瞬だけだ。

次の瞬間には元に戻るが、障害が取り除かれた事による作用。

その結果として、俺は屋上に飛ばされた。

今俺が立っているのは涼宮さんのすぐ後ろ。

彼女の下方向からは死の宣告とも言える物体が迫って来ている。

勢いからして、引き寄せる余裕なんてない。

次は俺の覚悟を見せてやるさ。

あわよくば、原作通りになりやがれ。

 

 

「ふっ!」

 

思い切り屋上地面を蹴る。

身体強化と、申し訳程度の高さしかない屋上の柵が功を奏した。

涼宮さんに向かってダイブする。

ブレイドなんか持っている余裕さえないから手放した。

脚部限定だが強化には十分な瞬発力を得られる。

目標方向は光球を回避するための右斜め。

 

 

「交代だ、アナザーワン!」

 

結果として回避には成功するが、落下してしまう。

涼宮さんを抱き寄せ――許せ、キョン――俺の半身にこの場の解決を依頼する。

しかし、次の瞬間。

ゆっくりと落ちていく逆さ景色の中、確かに俺はこう聴こえた。

 

 

――やだよ……。君が解決するんだろ?

 

前言撤回だ。

死の覚悟が必要らしい。

 

 



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第八十五話 -Escape from The School-

 

 

さて、問題だ。

どうすれば涼宮さんと俺は無事に助かるか?

制限時間は実時間にして数秒です。

用意、始め。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何やら走馬灯が駆け巡り本日二回目のスローモーションの真っ只中。

人間のこういう作用は脳内麻薬による活性化か?

いや、そんな事はどうでもいい。

とにかく解決策が必要だ。

このまま落ちても前面からの飛び込み姿勢だ、即死は無いと思いたい。

しかしあの硬くて冷たい石畳の上にうつ伏せで叩き付けられるのはタダじゃあ済まない。

骨にヒビが入るだろうし、呼吸さえまともに出来ずにのた打ち回る事も出来ない。

意識を失ったらそのまま終了コースだ。

佐乃が"もう一発"を俺と彼女に浴びせるだろう。

ジ・エンド。

人生はゲームではないので"ぼうけんのしょ"なんて存在しない。

お気の毒だが亡き者とされてしまう。

 

 

 

――三択、一つ選べ。

その一、優しい眼つきの俺氏は突如新たな能力に覚醒する。

その二、仲間が助けに来てくれる。

その三、助からない。世界は理不尽である。

 

所謂"ポルナレフ状態"って奴か……?

多分違うがまあいいだろ。

こういう場合は焦らず、冷静に、消去法で行こう。

 

――その一の場合。

まず俺の現在出来る事ではこの状況で二人無事とは行かない。

涼宮さんに飛び込んだ時には既に"ブレイド"を手放して霧散させている。

再度具現化する事は容易いし、秒刻みより速くそれは完了するだろう。

俺一人が助かるだけなら"思念化"してしまえば衝突のダメージは受けずに済む。

しかしその場合眠れるプリンセス様は王子様ではなく地面と熱烈なキスを交わす事になってしまう。

つまり涼宮さんだけが助からない。

……ふっ。

そんな事させるかよ。

二人で助かりたいんだ、俺は。

俺じゃなくてアナザーワンなら情報操作とか何とかでぱぱっと解決だろうよ。

出来ないし、覚醒する要素がありません。

却下で。

 

――その二。

理想的だがその一よりまだ期待出来るケースだ。

仮にも閉鎖空間なんだから古泉辺りが異変を察知して。

 

 

「むっ! 今、涼宮さんの気配がしましたね。ちょうどここの屋上におられるみたいですよ。このままだと危険だ、涼宮さんは今にも地上へ落ちかねない危険な位置に立っています。彼女には自我もありません。それに、僕の元同志もこの空間に」

 

「お前の頭は正気なのか古泉。やれやれだぜ」

 

「――天蓋領域の……方も―――涼宮ハルヒの侵入を確認した……」

 

「ふん。どうせあの異世界人どもの仕業だろう。異世界屋の戯言にまんまと乗せられた結果がこれだ! ……僕は、あなたを失いたくないんだ……姉さん…」

 

「わたしには弟は居ません」

 

「んんっ、もうっ! 涼宮さんが死んだら、この世の終わりです!」

 

「現状を維持するままではジリ貧になることは解ってるのよ。だったらもう現場の独断で私たちが行動しちゃってもいいわよね?」

 

と朝倉さんが困窮する場を男らしく纏め上げてくれるに違いない。

他の連中はいざ知らず朝倉さんなら俺のピンチに駆けつけてくれるはずだよ。

 

 

「そう、私と一緒に死んでくれる……でしょ?」

 

きっと俺と涼宮さんが落下するその瞬間に屋上に一歩遅れて到着したんだ。

それで宇宙人二人の情報操作で落下制御。

『機関』の裏切り者の佐乃をみんなでフクロにすれば万々歳だ。

もしくは原作通り神人が助けに来てくれるか……?

ご期待通りに現れてくれるのか? 

でもキョンじゃない、俺だぜ。

涼宮さんだけが助かるパターンだって考えられるじゃないか。

俺は切り捨てられるために存在してるんだろ?

そもそも古泉と周防による謎センサーはアテに出来るのか。

あったと仮定しても検知から対処まで時間かかりすぎじゃありませんこと?

どれも現実味を帯びていない。

これも却下なのか。

 

そしてそれは、一瞬の内の出来事であった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――どすんっ。

 

 

「いっ!?」

 

地面に落下したにしてはやけに軽い衝撃。

確かに今の俺はうつ伏せの状態で身体を打ち付けた。

だが、何かがおかしい。

それもその筈だ。

眼に入るのはモノクロとセピアの光影が入り乱れていた閉鎖空間の明るさではない。

薄ら暗いが、現実世界なのは確かだ。

俺が這いつくばっている地面も石畳ではない。

ブラックとグレーのチェック柄のシックな絨毯の上だ。

床で、部屋、らしい。

北高なわけがない。

 

 

「……ここは何処なんだ……?」

 

うつ伏せのまま顔を少し上げて周囲を見る。

俺の直ぐ左横にはベッドが置いてある。

さっきの衝撃はここから落ちた、とでも言うのだろうか。

起き上がり、数歩先にある窓にかかっている遮光カーテンを開ける。

外の光景を見ても場所に心当たり何て無い。

近くには家が複数と、やや遠くには青々しい木が見受けられる。

窓から見える外界視野の高さからして恐らくここは二階ぐらい。

この家の一階じゃあない。

 

――家?

まあ、ここは家だよな。

しかし俺の自宅じゃない。

部屋に置いてあるものも、間取りも、全部知らない。

始めて見た。

 

 

「何だ何だ。俺は"驚愕"を読んだ事実と内容を多少思い出したけど、こんな展開があったのか?」

 

気持ちがよくなるくらいにいい朝の陽射しではないか。

ともすればここは死後の世界とやらか?

俺の恰好はさっきのままだ。

北高の制服であり、靴だって履いたまま。

 

 

「天の居城に土足なんて、バチが当たりそうだよ」

 

天国かまでは怪しいが。

この状況をどう判断すべきなのか。

なんて考えていると、こつんこつんと音がした。

窓の方から後ろを振り向く。

一般的な室内用の木製ドアがそこにあった。

何やらドアの外側から音がしているらしく誰か、あるいは何かが居るようだ。

 

 

「トラップか……?」

 

佐乃の仕業にしては変化球すぎる。

幻覚が使えるのなら最初からそうするべきだ。

最大限の警戒をして、そっとドアを内側へ開くと――。

 

 

「――パパー!」

 

そんな声と同時に、俺の脚にこれまた軽い衝突感。

勢いよく飛び出してきたそいつは。

 

 

「……子ども……?」

 

「おはよーっ」

 

小学生かどうかも怪しいちびっ子。

どう見立てようと十歳以下。

子供用のピンク色パジャマ――クマさんが無数に描かれている――を着た女の子。

いや、誰だよ。

その子は俺の方を見上げると。

 

 

「う? ……パパ、なんかへん!」

 

と言い出して直ぐに部屋から出て行った。

何だったんだ。

あの青い髪の少女は……。

 

 

「……誰かの家に飛ばされたのか」

 

それも見知らぬ誰かだ。

少なくとも女の子一人とその父親一人が家族構成として発覚した。

【よつばと!】のような家庭の事情じゃない限りは母親だって住んでいるはずだ。

とにかく、ここを後にしなければ。

迷惑どころか通報されてしまう。

少女の言葉から日本であることは間違いないらしく、"異次元マンション"の有効射程距離を検証するいい機会だ。

俺がさっさと床に"入口"を設置しようとしゃがみ込んだその時。

まずい、と思うよりも先に家の住人がこの部屋に舞い戻って来た。

 

 

「ほら! 見て見て!」

 

「どうしたのよ。まったく……」

 

さっきの少女と、その横には。

 

 

「朝倉、さ…ん……?」

 

下はデニムレギンスに、上は白のブラウス。

どう見ても私服姿なわけだが彼女はいつぞやと同じポニーテール。

かつて出会った未来の彼女とほぼ同じだが、どこかまだあどけなさも感じさせる。

朝倉さん(?)は俺の方に気付くと。

 

 

「あなた、どうしたのその恰好。昔に戻りたくなっちゃった?」

 

「ママ! 顔もちがう。パパじゃないー」

 

「何言ってるのよ……えっ……?」

 

彼女がそう言って驚いた瞬間、俺の視界はぼやけ始めた。

おいおい、説明しろよ。

これは何なんだ!?

お前の仕業なのかよ、アナザーワン。

やがて、急速に意識だけがその場から遠のいていくような感覚の中。

 

 

 

 

 

――ふふっ。昔の私とお幸せに。……じゃあね。

 

 

 

 

何度も聞いた彼女の声。

俺は彼女から似たような台詞を、アニメで聴いた覚えがある。

この世界では言う事がなかったはずの台詞だ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ん、うおっ!」

 

気がつけば次の瞬間、数センチ前の俺の視界の一面には石畳。

さっきまで居た部屋ではない。

いや、この光の感じは閉鎖空間。

どう考えても地面に激突寸前なのだがいつまでもそれは実行されない。

俺と意識を失っている涼宮さんは、宙に浮いているような形だった。

右腕で抱いているこの感触を意識するな俺。浮気にはならん。不可抗力だ。

後少しでも遅れていれば俺と彼女は叩き付けられていた。

俺は体勢からしてお腹から。

……そしてやれやれ。

 

 

「やっぱりオレは信じてたぜ、お前等」

 

"その二"で正解だったようだ。

すんでの所で俺と涼宮さんは助かったというわけだ。

いいや、助けられたのさ。

 

 

「――」

 

「オレだけ先に降ろしてよ。このままだと涼宮さんが地面にぶつかっちゃうから」

 

「――」

 

すると周防はこっちにてくてくと歩いて来て、俺の左腕を掴むとひょいっと片手で持ち上げられた。

彼女の細身にどんなパワーが秘められているのか?

今更だったが、とにかく俺は地面に立たされる事になった。

少しバランスが乱れたが体勢を整える。

 

 

「ありがとよ」

 

「――礼なら不要よ……」

 

「もっと笑えって」

 

気付けば周防の後ろには藤原と橘京子が。

呆れた様子で未来人は。

 

 

「君一人に任せたのが失敗だった……せめて朝倉涼子ぐらいは連れて行けばいいものを」

 

「藤原さん、そんな事言わないで下さいよ。異世界人同士の語らいに水をさしてはいけませんって」

 

「ふん。所詮イレギュラーの小競り合いだ。だが、涼宮ハルヒは未来に必要な存在。姉さんと僕とでは考え方が異なるだけだ」

 

「はあ、素直じゃないんですね……」

 

ふと周防を見ると涼宮さんをいつの間にか寝かしつけていた。

彼女はこちらを見ると。

 

 

「――わたしの転移は"現象"により阻害されている……この空間から脱出させる事は不可能」

 

「いいって。オレの方にアテはあるから」

 

「明智黎の能力……ここで正常に作用出来る……?」

 

さあな。

宇宙人の技術で無理だとしても大丈夫でしょ。

超能力者だって居るんだから。

古泉と橘が協力すれば……みんなで協力すれば大丈夫さ。

ま、差し当たっての問題は――。

 

 

「――な、何ぃいいいいっ!?」

 

あそこの勘違い野郎をとっちめる方が先だ。

数十メートル先に立つその男。

直ぐに俺はブレイドを具現化し、攻撃に備える。

この距離だ。障壁の展開なんて余裕で間に合う。

 

 

「さあ! 超能力とオレの能力、どっちが堅いか勝負と行こうじゃあないか!」

 

そんな挑発に返事するよりも速く佐乃は再び光球をこちらに投げつけようとする。

だが、それは決して叶わなかった。

 

 

「……」

 

「う、腕が……身体も……動かない…!」

 

佐乃の振りかぶった左腕は肩より後ろにある状態で停止している。

彼の意思で攻撃を停止している訳ではない。

裏切り者の超能力しゃのその後ろ。

そこに立つ佐藤の更に後ろから、そいつらはゆっくり歩いて来る。

未来人、超能力者、鍵、そして"二人"の宇宙人。

涼宮さんは周防たち三人に任せて、俺もそっちへ近づいて行く。

つまり"挟み撃ちの形"になった。

佐乃越しに俺は語りかける。

 

 

「長門さん」

 

「……遅れた」

 

無表情ながら、眼鏡の彼女はどこか申し訳なさそうにそう言った。

こちらの世界はβ寄りなはずだ。

わざわざ制服に着替えて家からここまで飛んで来たのか。

でも、どうやってこの空間へ入ったんだ?

そもそもみんなはどうやって俺と涼宮さんのピンチを?

古泉は笑顔で悪びれもせず。

 

 

「あなたの制服の内側をご覧下さい。そう、内ポケットです」

 

言われるがままに覗き込んでみる。

すると、今まで違和感を感じていなかったのが不思議だったぐらいだ。

買った覚えのない万年筆が一本入っていた。

……まさか。

 

 

「盗聴してたってわけか? いつの間に」

 

「さて、いつでしょう。ご安心下さい。仕込んだのは昨日の夜ですよ」

 

「そういう問題かよ」

 

「話はだいたい聞かせて頂きました。何せ、涼宮さんがこの場に登場するなどといった異常事態を看過することは出来ませんので」

 

やっぱり超能力者特有のシックスセンスがあったのか。

古泉の同志なら長門さんも閉鎖空間へ送れるだろう。

今、この空間の何処かにその同志さんは居るのかもしれない。

でも、それを知っているのなら同じ超能力者の佐乃は何故こんな手段に出たんだ。

先に古泉たちを処理するべきだったはずだろ。

古泉は途端に無表情になり、静かな怒りを感じさせながら。

 

 

「佐乃さん……いいえ、浅野さんと呼ぶべきでしょうか。あなたは涼宮さんを裏切った。そのあなたが、涼宮さんに見捨てられるのは当然の帰結。最早超能力者ではない。あなたが振るう力は、ただの暴力だ」

 

「古泉……一樹……!」

 

「お察しの通り、僕は超能力者で、『機関』の一員です。僕を"リーダー"と呼ぶのはあなたの勝手です。自分では指導者として務めているつもりはありませんので」

 

その瞬間の古泉は味方の俺でさえブルっと来るぐらいに恐ろしい笑顔だった。

とん、と彼が佐乃の手首に手刀を当てると宙に顕在していた光球は消えてしまう。

今のどうやったんだ?

 

 

「事態を把握した後、直ぐに実働隊へ連絡しましたよ。宇宙人の技術をもってしてもこの空間内での情報操作は困難だそうです。朝倉さんにとってあなたの相手は荷が重い役目だ……とは思いませんでしたが、"念には念を"。長門さんを呼びつけて、二人がかりであなたの動きを拘束させてもらいましたよ」

 

「……」

 

「これで限界なんだから、情けなくなっちゃうわね」

 

「それだけこの空間内における超能力者の優位性は高いという事ですよ。あなたがたと戦えば、負けるのは僕たちの方ですが」

 

「命を奪うだけなら他にもやりようはあるもの」

 

笑顔で物騒なのは朝倉さんもなのか。

キョンと朝比奈さん(大)も苦笑している。

俺だってしている。

キョンは「やれやれ」と呟いてから。

 

 

「ハルヒを巻き込みやがって。その身体の持ち主がお前じゃなかったら思い切りぶん殴ってたところだ」

 

佐乃秋という本来の人格に罪はない。

彼は時が止まっているのだ。

四年前の小学校六年生から今まで。

涼宮さんだけの責任ではない、俺の、責任だ。

もう一人の俺の眼は死んでいなかった。

自分が死んででも俺たち全員を殺さんとする意思がある。

それさえも、今は叶わないが。

 

 

「直ぐにでも動きたかったのよ?」

 

朝倉さんはどこか苛々した口調でそう言った。

そして佐乃とすれ違い様に「無駄な努力、ご苦労様ね」と一言。

俺の左横までやって来た。

 

 

「驚いた一瞬の隙を突く必要があったから……。明智君の危険を知ってて動けなかった、私が悔しい」

 

「その気持ちだけでお釣りが来るよ。後は朝倉さんが笑ってくれればそれでいいさ」

 

「攻性情報を殆ど使い果たしちゃった。彼の無害化のためだけに」

 

「オレのわがままだ」

 

「気にしなくていいわよ。今更」

 

少し離れた場所で、佐藤は何も言えない表情で俺たちの光景を見つめていた。

こう言っては何だがご都合的すぎる展開だった。

まるで俺が、物語の登場人物にでもなったかのような感覚。

佐藤と佐乃を除く、俺たち全員が主人公のようだった。

 

 

「終わった」

 

長門さんはぽつりと言う。

確かにそうさ。これ以上の山場は無い。

敗者は勝者に従うのみ。

 

 

 

 

――さっき見たあの光景は何だったのか。

もしかすると、あれは未来だったのかも知れない。

俺を『パパ』と呼んだ少女。

青い髪で、どこか朝倉さんに似ていたような気がする。

眼つきの悪さなんて彼女にはなかったけど。

彼女は俺の娘なのだろうか?

俺と朝倉さんの。

 

 

「……なんて、ね」

 

「どうしたの?」

 

いいや。

どうもこうもないさ。

未来がどうあれやるべき事は決まっている。

これから。

 

 

「学校を出よう!」

 

この閉鎖された精神世界から出よう。

誰一人欠けることなく――。

 

 

「――みんなで」

 

その答えは、"イエス"なのさ。

 

 



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第八十六話

 

 

最早邪魔する存在などこの場に居なかった。

浅野による奇策と奇襲。

俺一人ならば間違いなく死んでいた。

みんなが居たから勝てた相手だ。

いや、重要なのは勝ち負けなんかじゃあないんだ。

お前は俺なんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は佐乃の方へ近づき。

 

 

「気持ちはわかるさ。君は怖いんだろ?」

 

「……何がだ」

 

「オレを信用していない。二度、あいつを失うのが怖いのさ。君の後方に居る彼女を失うのが」

 

「当り前だ! 佐藤の方はお前も計算に入れていたようだが、僕の方は最初から涼宮ハルヒ一本頼みのつもりだったさ。何でもアリなんだからな……」

 

それがこのザマか。

勘違いしているのは間違いない。

涼宮さんは他人のために願いを聞き入れるような、願望機ではない。

最低でもお友達から始めた方が良いさ。

 

 

「もっとも、彼女を裏切った君には無理だろうけど」

 

「……僕は僕の行動に悔いはない」

 

「だろうね。オレはそういうヤツだった」

 

「殺せ。あわよくば今の彼女と同じ世界へ立てる」

 

その瞬間の佐藤の表情は、とてもじゃないが俺は直視出来なかった。

俺にとっては佐乃の発言も理解出来る。

理解出来てしまえるからこそ、彼女の今にも泣きだしそうな表情が苦しい。

嬉しいのか、そうじゃあないのか。

俺には他人の心根など知り得ない。

人の感情を切る事も、操る事も出来ない。

だがな。

 

 

「やり直すチャンスは与えてやるよ」

 

「……同じ事の繰り返しになる。佐藤は理解してなかったようだが、僕は感づいていたさ。お前の能力は未来を封鎖する能力ではない、未来を見えなくするだけの能力だ。ビデオテープの編集でしかない。僕の後悔の人生……その過程は切り裂かれ、廃棄されてしまう」

 

誰もが言葉を発せられなかった。

佐々木さんの取り巻き異端者三人があっちで何をしているかは知らない。

こっちの話なんか届かない、聞こえてこないさ。

朝倉さんもキョンも長門さんも古泉も、未来を知り得ない。

俺だって原作を知っている異世界人二人組だってここから先の内容は知らない。

そんな中、一人だけが静かに口を開いた。

 

 

「わたしが言うべきことかどうかは微妙ですけど……」

 

と、朝比奈さん(大)は申し訳なさそうな顔で前置きした。

そして佐乃後ろから俺と朝倉さんが立つ方へ回り込み、彼の顔を見ながら。

 

 

「あなたも知っての通り、わたしは未来人です」

 

「……高慢ちきな連中のお説教か? 説得力はないな」

 

「手厳しいですね。……無理もありませんよね。『過去をやり直したい』というのは誰でも思う事です。どれだけ技術が進歩しようと、人間は強くなれません。わたしたちの精神まで進化するのはとても難しい事なんです」

 

「ありふれた言葉だな。僕でも考え付くような内容だぜ」

 

「あなたが怖いのは過去じゃない。未来が怖い、そうですよね……?」

 

俺も同感だった。

しかし、それだけじゃあない事も同時に理解している。

佐乃は間抜けを見るような表情で。

 

 

「違うね。僕は死ぬのも同じ絶望を味わうのも怖いんじゃあない。それよりも恐ろしいのは……自分を失う事の方が怖いんだ。僕は彼女を失った後悔まで含めて僕だ。お前たちに敗北したこの苦しみすら僕は糧として生きたい。僕はまだ、どこにも立っていないんだ! だから! このままやり直したい!」

 

こいつは少し前までの俺と同じだ。

何も得なければ、何も失わずに済む。

結局は保留しているに過ぎない。

佐藤への結論を。

理想論を語るのはいいが、お前はやり直した所で何かが変わると思っているのか?

 

 

「……変えるのは、君なんだぞ。浅野」

 

「フン。僕を失えば、僕はそれすら叶わなくなるさ」

 

「いいや。望み通りになるかは保証できないが、君が欲しがっていたものはくれてやるよ」

 

完全な個人として復活したいんだろ?

俺の全てをくれてやる事は出来ないけど、浅野としての一部を返す事は出来る。

やっぱりお前には善の心が必要なんだ。

今のお前は独善者でも何でもない。

何一つとして否定しようとは動かないんだからな。

家でテレビの野球中継を観ていて、文句を言うオッサンと同レベルなんだよ。

だからこそ。

 

 

「オレはオレ自身を切る。オレが切り、操るのは異世界人"三人"の精神と未来だ」

 

そうすれば何の手土産も無い状態よりはマシだろう。

それに、自分を失うのが怖いだと?

残念だが確かに記憶までそのまま戻せる道理はない。

過去の君たちは脳に未来の体験なんか刻まれちゃあいないんだからな。

だけど、魂は違う。精神は違う。

人間の可能性を信じれない奴が自分を信じれるかよ。

佐乃は「フッ」と嘲笑しながら。

 

 

「ありえないな。その根拠はどこにあるんだ? あると言うのなら、僕にそれを信じさせてみろよ。出来なければそれは綺麗事以下の戯言だ」

 

この男は本当に生きる希望を失いつつある。

涼宮ハルヒだけが心の支えだったのか。

ならば、他にいくらでもやりようはあったというのに。

お前が信用しなかったのは自分もそうだが、助けたいはずの佐藤もそうなんだ。

異世界に来てまですれ違いしやがって。

 

 

「根拠はないさ。だけど、そっちの方が面白いだろ」

 

……俺に力を貸してくれ。

言葉を信じさせるな、言葉の持つ意味を信じさせるんだ。

自分の進む道は、自分で決めろ。

"補助輪"ってのはいつか外さなきゃいけないんだ。

お前にとってはそれが今日なんだぜ。

浅野。

 

 

「あのさ、君。オレはここ数日でかなり痛い目にあってたんだ。君は知らないだろうけど、色んな奴らが世界には居る。そいつらがオレの知らない話や情報なんかを常に押し付けてくる。迷惑だよね、でも、世界は自分を中心に動いていると言ってもいいんだ。みんな、自分を特別な存在だと心のどこかで信じたい、実際にそのように行動する人だっていた。君が知らないだけで、世界は確実に色を帯びていた。世界は面白い方向に進んでいるんだよ。オレと君が住んでいたあの世界だってそうさ」

 

痛い目の原因の大部分は佐藤と佐乃。

とくにお前のせいで朝倉さんを手にかける寸前まで俺は落ちぶれてしまった。

悔やんでも悔やみきれない。

だから後悔はしないさ。

今、あるいはこれから先の未来まで、朝倉さんが俺と居てくれるのなら。

 

 

 

――未だ意識を失っている涼宮ハルヒ。

自分は自分であって自分でしかないのだから他人と比べるな、なんてトートロジーで誤魔化すつもりはない。

ないが、決定的な解答は既に持ち合わせている。俺は持ってる。

だってそうだろ? テレビの中で憧れたヒーローに成りたいと考えた事はないのか?

お前はそんなに簡単な話さえ忘れてしまったのか。

 

 

『――だから自己中心的なのよ……浅野君は…』

 

誰かは言った。涼宮ハルヒは"可能性"だと。

誰かが言った。涼宮さんは"時空の歪み"らしい。

誰が定義した。あの少女は"神"なのだ、と。

だけどな、俺と朝倉さんにとっちゃそんな話はまるで関係ない。

そこに着くまでの径路は別々だった。

だけどな、俺と朝倉さんは奇しくも同じ結論に至っているんだよ。

 

 

『――私の独断専行を駆り立てるものがあったとしたら、それはきっと"憧れ"よ』

 

お前もそうだったんだろ?

俺がそうだったんだ。

こっちこそが世界を捨てたと勘違いしていたんだからな。

アニメ的で特撮的で漫画的物語。幻想の世界とやらに。

 

 

「オレはどうしようもなく憧れていたのさ」

 

本、ブラウン管、スクリーン……ああ、ゆくゆくはPCのディスプレイでも、なんてね。

とにかく俺は涼宮ハルヒに、彼女に、彼女の住む彼女の"世界"に憧れていた。

佐藤詩織を失った苦しみを叩きつけられた俺は我を忘れる事しかできなかったさ。

だけど涼宮さんは、俺自身を忘れさせてくれなかった。

世界が分裂したのは彼女が助かるためでもあるけど、みんなのためでもあった。

俺が助かるためだったんだ。

 

 

「だから、君が本当に涼宮さんに見捨てられたと言うのならオレが拾ってやる。君が君を忘れるのなら、オレが君を救ったという十字架を一生背負ってやる。詩織のためじゃあない。オレのためにそうさせろ。オレに、オレを、救わせろ!」

 

言いたいことは全部言った。

こんな世の中で何処に行けばいいのか、嘆く人だって居るだろうよ。

俺の場合はその必要が無いんだ。悩む必要がないんだ。

 

 

『今度こそはどこにも行かない』

 

そう約束したんだから。

ねえ、朝倉さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて、そいつの顔からはふっと覇気が消え。

 

 

「……好きにしろ。お前がそうしなければ僕がそうするだけなんだからな」

 

どうでもいいかのようにそう言った。

そんな彼の言葉に対して欠伸でもしそうな顔の朝倉さんは。

 

 

「昔の明智君は『助けて下さい』もまともに言えない人種だったの?」

 

「捻くれ者だったのさ。世界の中心で、愛さえ叫べないぐらいには」

 

"納得"は全てにおいて優先する。

それさえ出来たならきっと、人の心はどんな未来でも乗り越えられる。

恐怖を克服してみせる。自分の決断こそが最優先だ。

右に倣うだけの連中が後悔するのは勝手だ。

でもそれは納得した上でそうしたのか?

俺は彼女が死ぬまで、無理やり自分を納得させていたに過ぎない。

 

 

「結局は妥協だったんだ」

 

「……」

 

「でもね、今は違うんだよ。流される事を良しとしていたオレがこう思えるようになったんだ。善悪だとか表裏だとか関係ない。君にだって、そう思えるはずさ」

 

「僕はお前の言葉など信用しない。……だが、ここは何でもアリな世界だ。涼宮ハルヒに免じて信頼してやる」

 

すると佐藤もこっちへようやく近づいて来た。

何とも言えない。

少なくとも俺にはそう見えたし、俺自身がそんな気分だ。

彼女は。

 

 

「今までの事は謝らないといけない。浅野君には……明智君には迷惑をかけてしまったわ」

 

「気にしなくていい。オレは気にしないから」

 

「そう……。心残りは少ない方がいいの。さっそくお願い」

 

「あー、うん」

 

わかったよ。

でも、俺がそんな事出来るわけないだろ。

最後はやっぱりお願いする。

今度こそ再び交代だ。

 

 

「アナザーワン」

 

――はいはい。

 

 

「人使いが荒いってのは、この事だよね」

 

分かり切ってた事だけどさ。

とにかく、さっさとしようか。

僕の左手に具現化されたそれは、まさにペンの形状をしていた。

青い色だ。

 

 

「まるで"クーゲルシュライバー"ってね」

 

「おや、ボールペンですか」

 

「いっちゃんはドイツ語得意なの?」

 

「一般教養レベルですよ」

 

仮にも僕は宇宙人候補だった存在。

古泉一樹が制服に忍ばせていた万年筆型の盗聴器には気づいていたさ。

必要と判断したから、不要にしなかっただけだよ。

さて、みんなに言っておかなくっちゃあならない事が一つだけある。

正確には明智黎に、だけど。

 

 

「ボクの能力は欠けている。最後の要素が無い。無くてもこれは実行出来るけど……」

 

君たちが持っているんだろう?

十中八九、佐乃秋……浅野さんの方だろうけど。

ともすれば彼は。

 

 

「ああ。封印させてもらったよ。明智黎に渡したくなかったから"書いて"置いてきた」

 

「それは何処に、かな?」

 

「部屋に決まっているだろ。……この世界の、佐乃の家にだ。もっとも僕が部屋に戻った時には無かったが」

 

「なるほど……」

 

そんな事をするのは。

 

 

「いっちゃん」

 

「……こうなる事は予想していました。後程事情は説明いたしますよ。申し訳ありませんが、今すぐにここへ取り寄せることは難しいですね」

 

「どうして?」

 

「"あれ"は僕一人で管理しています。そうせざるを得なかったからとしか言いようがありませんね。長話になりますが、詳しくお話ししましょうか?」

 

いや、かまわないよ。

そんな事だろうなとはこっちも予想してたさ。

佐藤が『機関』について言及していた、去年十二月の段階でね。

別れは早い方がいい。

その分、出会いも早くなるから。

 

 

「先に君の精神だけを佐乃から切り離す……いいや、切り拓く」

 

「手術にしては、持つ物を間違えてないか? ドクター」

 

「先生は先生だけど、ボクがしたいのはペンを握る方さ」

 

「そいつは傑作だ――」

 

僕が佐乃秋の身体の前で本来の形になった"ブレイド"を振るうと彼の意識は失われた。

みんなには視えないだろうが、僕には視える。

当然、佐藤詩織にも。

彼女は僕の行動、その様子を見て。

 

 

「あなたが居たから浅野君はあんな能力を使えるようになったのね」

 

「彼の担当は切断。操作は専らボクの仕事だよ」

 

「最後の要素、何かは気づいているんでしょう?」

 

「ボクがいくら知識として持ってようと彼が自覚してくれないからね。それに、浅野さんから受け継いでこそ意味がある」

 

さっきのは本当の偶然。

今やその能力の十割を発揮する事は出来ない。

だからこそ僕がその穴を埋める必要がある。

身体から精神を切り離すのは本来であれば不可能。

憑依精神体である異世界人相手であるからこそ、不純物として世界からカット出来る。

だけど過去と未来を切り離すのは可能だ。

でも、それには一つだけ問題があるんだよ。

 

 

「どこの世界へ行けばいいのか? ……世界は無数に存在する。君たち二人だけに行かせちゃったら迷子になってしまうよ」

 

「フフ、それも悪くないわよ」

 

「ボクが責任を持って案内するよ。浅野さんの精神と一緒にね」

 

じゃあ行ってくるよ。

彼には迷惑をかけるかもしれないけど、何、必ず戻ってくるさ。

僕が本当に必要となるその時には――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――気がついたら、全てが終わっていた。

そうとしか言いようが無かった。

いつもながらに感覚的な話になっちゃうけど、直ぐに理解したよ。

眼の前には横たわる天パ野郎。

そして何より佐藤の姿が何処にもない。

佐藤詩織として、きっと、戻ったのさ……。

 

 

「……全ては終わった」

 

「まったく。色々あったな、この一週間は」

 

「いいえ、まだ終わりではありませんよ」

 

俺とキョンがしみじみと語るその内容を否定したのは古泉だった。

笑顔ではあるものの、いつものように仮面を被ったかのような笑みだ。

これ以上俺に何をしろって言うのかな。

 

 

「やり残したことがあるのは明智さんではありません」

 

「……何だ、その眼は。ひょっとして俺に何かしろと言いたいのか」

 

「話が早いですね」

 

と言って古泉はスタスタと歩き出す。

眠り姫こと涼宮さんと、周防たちが居る方へ。

思わずみんなで彼の後を追うけど、佐乃君はあのままでいいのか?

 

 

「この空間から出た時には回収させますので」

 

彼の人生がこれからどうなってしまうのか。

その辺も含めた長々とした後日談はそれこそ後程させていただこう。

こちらが勢揃いで集まった事に対して藤原は。

 

 

「ようやく済んだのか。無駄な時間がかかってしまったな」

 

「藤原さん!」

 

「……橘京子、僕を無理にイラつかせない方がいい。せっかく君たち過去人に合わせてやっているんだ」

 

「せっかくついでにあたしたちは同じところへ集まると決めたんですよ。これからは力を合わせていきましょうよ」

 

「ふん。僕に協力しろと言いたいのか? 過去の現地民と共闘するほど僕は落ちぶれたつもりはない……だが」

 

藤原は鬱陶しそうに俺の方を見た。

言いたいことがあるならハッキリ言えって。

 

 

「お前に免じて、一度ぐらいは妥協してやる。明智黎」

 

「……ふっ。素直じゃあないな」

 

「あんたたちの世話にはならないさ」

 

それきり彼は黙ってしまった。

周防も橘京子も、やるべき事は終わったかのように。

だけど古泉が言うには違うんだろ?

キョンに何をさせようって。

 

 

「とても簡単な話ですよ」

 

古泉は笑顔だった。

だけど、その笑顔は笑顔に見えない。

いつもの仮面とも、彼本来の純粋なものとも違う。

無表情としか例えようのない。

人間が出来るとは思えないような表情だった。

古泉は、キョンの方を向きながら彼に語りかける。

 

 

「あなたには選択して頂く必要があります」

 

「俺に何を選べって?」

 

「決まっています。涼宮さんと佐々木さん、そのどちらを選ぶか……。今、ここで、選んでください」

 

最後の仕事ってのはやっぱりそれか。

勝ち逃げなんて許してはくれないらしい。

まるで意味がわからないと言わんばかりにキョンは。

 

 

「何故俺がそんな事をしなければならん。くだらない神様談義に付き合うつもりはないぜ」

 

「あなたから見たこの特殊閉鎖空間のせいです。ご覧の通りですよ。今も尚、お二人の精神はせめぎ合っていらっしゃる」

 

「お前や橘、超能力者のおかげで入って来れたんだ。そのまま出ちまえばいいだろ」

 

「閉鎖空間を放置した際の末路について、僕は既にお話ししましたよ」

 

どうもこうもないな。

俺にはわかっちまったよ。

違うな、この場に居る全員はとっくに理解している。

キョンだってわからないフリをしているだけなのさ。

心の奥底では、気づいている。

男の仕事の八割が決断なんだぜ、俺もお前に話しただろ?

まるで、選ばなければここから出られないとでも言わんばかりに古泉は。

 

 

「さあ、どうぞ。あなたが涼宮さんの方を選ぶのであれば一言だけお願いします。『ここは俺に任せて先に行け』……彼女は自分が起こすから、邪魔者はとっとと消えてしまえ。と」

 

余計なお世話だろ。

……な?

 

 



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第八十七話

 

……余計なお世話だったのさ。

彼は、覚悟している眼だった。

既に決断を済ませて、後はそれに賭けている眼だった。

心を決めなければならない。

古泉は「これで本当の終わりですよ」と前置きしてから。

 

 

「――行きましょう。彼は大丈夫ですよ」

 

きっと、俺の知らない世界の話になる。

だけどこの時の古泉がようやく見せたもの。

……わかったよ朝倉さん、こいつの、そういう所だけは見習ってやるよ。

そうさ、正真正銘の笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

週明け。

何事も無かったかのように、世界は平穏を取り戻していた。

 

 

「……いいや、何も無かったんだ」

 

長門さんだって任務とは何だったのかといった様子で今日は学校に出て来ている。

朝倉さんの家の帰りついでに彼女が住む708号室も見舞ったのだが、その必要は無かったらしい。

閉鎖空間に来てくれた時点でわかりきっていたけどさ。

だけど、何事もその行為は無意味と化さない。

結果だけが全てじゃあ、ないんだから。……俺たちは。

 

 

「わたしは感謝しなければならない」

 

「いいって。オレが持ち込んだ迷惑もあったんだから、ウィンウィンで」

 

「それでもわたしにはそうする責務がある」

 

「長門さん」

 

俺はこたつ越しの長門さんに対して言う。

言わなければ、ならないんだ。

 

 

「人間とは往々にして道理で動かない事がある」

 

「……」

 

「言うまでもなく、実際にそんな事が出来る人間は少数派だ。世界は単純じゃあないし、理不尽不条理無理難題を日頃ふっかけて来る」

 

「……」

 

「だけどね、道理で動かない人に対する抑止力も、それを突破しようとする力も……その両方が感情なんだよ」

 

"感謝する"と心の中で思ったのなら。

その時既に感謝は終了している。

だからさ。

 

 

「"感謝した"を使いなよ。ましてや"しなければならない"なんて、長門さんがやりたい事は長門さんが決めるべきだ」

 

「わたしはあなたや朝倉涼子のような存在ではない」

 

長門さんは無表情だった。

しかし、俺には最早彼女のそれが機械的なものには見えなくなっていた。

感謝する必要が無いように心配する必要も無いさ。

彼女も掴みかけているんだ、自分なりの解答を。

こんな広い世界で生きていくための、ちっぽけな解法を。

 

 

「当り前だ。君は君、オンリーでロンリーな存在なんだから。そして何より"ユニーク"なんだ」

 

「……」

 

「長門さんがそれを理解する日は近いよ。今日じゃあないだけさ」

 

「……」

 

そして彼女は一言だけ。

ありがとう、と言ってくれた。

先週金曜日。

夜十九時ごろの出来事だった。

 

 

 

――土曜日か?

ああ、知らない方がいいよ。

俺が聞かされたら一日中壁にラッシュを叩き込みたくなるような内容だ。

ただただ、朝倉さんと彼女の家でいちゃいちゃしてたさ。

ここで弁明しておきたいのは、俺は最初とうていそんな気分にはなれなかった。

当り前じゃあないか。

俺は彼女を殺しそうになったんだ。

β世界とかα世界とか、もしかしたらSG世界線とかあるかもしれないけど、関係ない。

自分が護ると決めた人を自分が危険な目に遭わせる。

 

 

「オレの名字について……こんな話を知っているかな……」

 

朝のいい時間から、ソファにただ座すだけの俺に対して朝倉さんは肩を寄せてきている。

この瞬間だけは唯一無二のダウナー。

俺の精神テンションは"臆病者"時代に戻っていた。

俺氏が朝倉さんと惰性で付き合っていて、全てに流されていたあの当時にだ。

倦怠、怠惰、その俺が独り言をしている形になる。

 

 

「悪に地面で"悪地"が語源なんだけどね」

 

「荒れ地の事でしょ?」

 

「そうさ……ちょうど、オレの荒んだ心の全体像みたいな」

 

情けない。

朝倉さんに息でも吹きかけられた際にはそのまま壁までドヒュウと飛ばされそうだ。

"軽い男"って、物理的に言うものではないはずだ。

その割に空気を重くしていたのはやはり俺なのだから、男らしさがない。

甘える気にすらなれなかった。

 

 

「でも、やっぱりオレの名字からすると一番連想されるのはあいつさ。日本一有名な逆賊、"裏切り者"、浅野と同じだわな」

 

"大道心源に徹す"とはよくぞ言ったものだ。

彼の世辞の句の一部なんだけど、まさに今の俺にうってつけの疑問文。

人間が守らなければならない正義とは何なのか……そんな感じの意味になるよ。

ほら、ぴったりだろ?

 

 

「オレは、オレは……」

 

「明智君」

 

その一言だけで、涙が出てもおかしくなかった。

不思議なんかじゃなかった。

ほんの少し、驚きが勝っただけに過ぎない。

耳にするのも申し訳なくなってしまうほどの"慈愛"に満ちていた。

こんな俺を。

 

 

「……許してくれるのか」

 

「最後には助けに来てくれた。私を護ってくれた」

 

「自作自演だ。全部、浅野が仕組んだ事だ」

 

「彼はあなたに負けたのよ」

 

「だとしたら、オレは自分に負けたんだ」

 

他人を打ち負かした勝利の美酒など、安酒にもほどがある。

極上の銘酒が飲める折とは過去の自分を乗り越えた末の栄光にある。

もっとも難しい事だ。

 

 

「いいじゃない」

 

俺がどこか否定的になる度に、朝倉さんは俺を受け入れてくれる。

肯定的でいてくれる。

 

 

「私はあなたと出逢えた全てに感謝したのよ。お願いだから、このままでいさせて」

 

「……朝倉さん」

 

「ふふっ。少しは元気が出た、かしら?」

 

元気どころじゃありませんことよ。

このまま君への想いを叫び続けながら町内を走り回ってやってもいい。

見えたぞ、俺にも見えて来たんだ、詩織。

"勝利"の感覚が見えて来た。

 

 

「元気ついでに、いいかな」

 

「……また甘えたいの?」

 

「充電」

 

「有機生命体の何処に電力を必要とする要素があるのよ」

 

「朝倉さん成分が枯渇しつつある」

 

「私は直ぐ横に居るけど」

 

「駄目なのか?」

 

駄目じゃなかった。

しかし、こういうのは黙ってするのが流儀だった。

抱き合ったり、キスしたりなんてのは一つの形でしかない。

いや、そんな事言っておいてしたけど……。

と、とにかく愛ってのは奥が深いのか深く考える必要がないのか。

どうなのか。

 

 

『どうもこうもないのね、浅野君』

 

そうさ。彼女の、言う通りなのさ。

俺は朝倉さんと一緒に居られればもう満足なんだ。

よく魔法にかけられてしまうのはお姫様の方だろ?

でもな、例えば魔王(ボス)とお姫様(ヒロイン)を兼業したりだとか……。

敵と恋に落ちるなんてパターンというのは燃える展開だろ。

困難なのが目に見えているんだ。

ともすれば、その恋は叶わないかもしれない。

運命があったならそれに敵わないかもしない。

ハッピーエンド法則に適わないかもしれない。

 

――知らないよ。知るかって。

そんな常識、誰々が何時何処で決めたんだ。

証明して見せたいならまず原稿用紙50枚以上の論文形式にして俺に提出してくれ。

無駄に書き上げて来たな、と思いつつ一枚目の名前だけ拝見したら後は全部焼却処分してやるから。

本当、いつの頃からか捻くれた考えばかりが横行するようになってしまったな。

スプーンを捻った末に、ねじ切れたような捻くれ具合の俺が言うんだ。

『お前が言うな』だけどついつい憂いでしまうよ。

"憂鬱"さ。

 

 

「ねえ。朝倉さん」

 

「なあに?」

 

お昼はボロネーゼだった。

どこで買って来たのか麺はタリアテッレ。

本格的で、イタリア料理店ぐらいなら簡単に朝倉さんに負けてしまう。

幸せすぎるのか、不幸なのか、それすらもわからなくなりかけていた。

俺の大切な親友の一人。

佐藤詩織の事を思い出すまでは。

 

 

「もし、そう遠くない未来にタイムマシンが完成してさ……数年後の朝倉さんがここにやって来たとして、何を言ってくれるかな」

 

「……そうね」

 

意外にも素直かつ真面目に考えてくれている。

これで何か勘繰られていたらどう俺は返したものだったろうか。

朝倉さん(大)の来訪や、昨日の不思議体験で俺は気になってしょうがなかったのさ。

未来を信頼していいのか。

俺だけの独り善がりになっていないかどうか。

何度でも確認したかったさ。

俺は"弱い"、人間だからね。

 

 

「数年後なら、もしかしたら私と明智君は大学生かしらね」

 

朝倉さんに手を出そうとする命知らずが何人いるかだけが楽しみだ。

俺は手加減して放つベアリング弾で痛めつけてやる程度で済ませてやるさ。

眉間に風穴ブチ空けないだけ、慈悲深いでしょ。

 

 

「でも、何も変わってないって今の私が逆に言っちゃうかな。未来の私に対して」

 

なるほど。確かにその通りだった。

朝倉さんは俺が見た範囲の未来では相変わらずに……いや、今以上にえらい美人と化していた。

こうなってくると今度は未来の俺を俺が見てみたいな。

あんな美人の奥さんを貰って、男に磨きの一つでもかかっていないなんて恥でしかない。

『人は"恥"のために死ぬ』とか物騒な事を言っているテロリスト神父だって居るんだ。

俺が俺を嗤う事が無い事を願うね。

 

――だけど、彼女が言いたいのはそんな事ではなかった。

ずっともっと単純な話だ。

人は見た目が九割とよく言われるが、彼女たちは違う。

宇宙人を見た目で判断してみろよ、十中八九死ぬ事になるから。

長門さんくらいじゃないか? 平和的に済みそうなのは。

喜緑さんの不気味さは底が知れない。

どの宇宙人とも違う、確かな二面性が彼女にはあった。

 

 

「だって、私は数年やそこらで私の気持ちが変わっちゃうだなんてとても思えないもの」

 

「気持ちだって?」

 

「私があなたの事に興味が湧いた。あなたを知りたいと思った。あなたの事を好きになった……あなたが私を、人類と認めてくれた……。忘れないわよ、絶対」

 

ああっ……。

橘京子じゃあないけど「んんっ、もうっ!」て気持ちだよ。

どうして朝倉さんはそんなに俺を困らせるんだ。

"可愛いは正義"だなんて嘘だよ。

少なくともこの俺は朝倉さんの可愛さにやられてしまってるんだ。

仕草一つとってもドキッとする事なんて度々あるけど、その上からゴリゴリ削って来る。

終いには今みたいなガード不能攻撃でダウンを奪われて起き攻め小パンチ連打。

俺がKOされるのは既定事項らしい。

たまらず俺は再びソファに座っている彼女の腰に抱きつく。

お腹に俺の顔が来るような形である。

埋もれたような声で俺は。

 

 

「朝倉さん、本当にごめんよ。済まなかった。二度と君を裏切りたくない」

 

「こう、何度も謝られると……真摯さに欠けちゃうんじゃないかしら?」

 

「ごめんなさい。それしか言えそうにないんだ」

 

「悪い気はしないけど、あなた今年で何歳なの?」

 

ついには彼女に頭をよしよしと撫でられてしまっている。

ゆくゆくは俺も十七歳になってしまうよ。

そう言えば、朝倉さんの誕生日っていつなんだ……?

俺はそういうのを祝おうだとかって気持ちの一切が無かった人間だ。

その結果、詩織を守ってやれなかったんだ。

縁起でもないからせめて他人だけでも、朝倉さんだけでも祝ってあげたい。

俺の精神衛生上の問題さ。

 

 

「気にした事なかったわね」

 

本当に気にしていなかったのだろう。

地球にやって来たのが少なくとも涼宮さんが中学一年生の時のいつか。

七月七日より前、か。

すると彼女は溜息を吐いてから。

 

 

「敢えて言うなら、私の誕生日は十二月十七日よ」

 

「……それは」

 

「ええ。私があなたを好きになった……。人間の"好意"を理解出来るようになった日よ」

 

わかったよ。

じゃあ、それでいいさ。

記念日としては十二月十八日と言えるけど誤差の範囲内でしょ。

間違いなくその日は朝倉さんが俺たち人類に歩み寄れた日、なんだから。

俺がようやく後悔し始めた日なんだから。

死んでいた俺の心は、彼女と一緒に再生出来たんだ。

自分の事ばかり考えていた人間が、ようやく価値ある何かを理解出来たんだ。

朝倉さんだけじゃないさ。

こんなに素晴らしい奇跡は、俺の方にもやって来てくれたんだ。

 

 

「いつかまた、今回みたいな大騒動は起きるかもしれない」

 

俺は確信していた。

そして何より、俺自身と彼女のためにも決着をつける必要があった。

棄てられた彼の復讐を果たす必要があった。

原作の長門さんとこの世界の長門さんの無念さ。

キョンと古泉の憤り。

涼宮さんを利用しようという考え。

俺たちが彼女に望むのは協力だ。

だけど、あいつらは違う。

俺はあいつらに勝ちたい。

最後の敵、無能な神になろうとする存在。

 

 

「だから、願っておこう」

 

こうしてまた、君と何気ない他愛もない話が出来る事を。

こうしてまた、二人で一緒に居られる事を。

君もそう想ってくれるのなら、きっと帰って来られる。

どんな事件、難題、困難、逆境からもこの部屋に。

 

 

「信用した上で、信頼すればいいのさ」

 

「最初からこうしておけばよかった」

 

「オレは後悔していないさ」

 

ありがたい事に彼女もそうだった。

言ったはずさ。土曜日についてなんてこの程度の話しかない。

もうとっくに話は一段落しているんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

むしろ事後報告としての部分はここからがメインとなる。

本当に長かった、全てが終わった金曜日から二日後。

翌週の日曜日の話をさせていただこう。

 

 

「朝も早々にお前さんもご苦労様だよ」

 

「それはお互い様でしょう。その上、明智さんは"両手に花"と来ましたか」

 

「あら、そうなの?」

 

「……」

 

無茶言うなよ。

日曜日の朝、駅前に俺と古泉と宇宙人二人が集合した。

これからキョンの家へ出向いて小会議という訳だ。

金曜日はロクに長話をする時間なんてなかったからさ。

そこら辺の話も交えながら――長門さんはいつの間にか一人で帰宅していたし――日曜日の会議について語ろう。

 

 

「本来であれば未来人にもご足労頂きたかったところではあります。しかしながら現代に住む朝比奈さんは蚊帳の外、藤原さんに関しましても、彼が我々の呼びかけに応じてくれるとはとうてい思えませんでしたので」

 

「何よりキョンが嫌がるよ」

 

「はい。……困ったものです」

 

キョンの家を目指し闊歩していく俺たち

古泉は笑顔で、まるで困っている感じなどさせない。

宇宙人二人だってそうさ。

俺も、朝倉さんも長門さんも、困る要素はないのだから。

講義の時間が始まるだけなのだ。

 

――さてさて。

色々と語りたいことはあるんだけど、まず、重要な事実からお伝えしなければならない。

他のみんなは知らないけど、少なくとも俺一人にとってはとても重要な事なんだ。

それに気づくのに、そう時間はかからなかった。

 

 

『ボクはこれから暫く居なくなる。仕方ないよね。必要な事なんだから』

 

ようやく知り合えた俺の同居人。

そいつは、"アナザーワン"は俺の返事さえ聞かずに。

 

 

『明智黎はこれからボクが帰って来るまでの間、"切る"事しか出来なくなっちゃうけど……無茶しないでね?』

 

とだけ言い残して、俺の精神から消えてしまった。

つまりどういう事かと言えばだな。

 

――俺は満足に"操る"事が出来なくなった。

エネルギーを運用する事は出来る、身体強化も何とか俺一人で出来た。

だけど"ブレイド"の具現化は不可能で、それにともなって"思念化"と身体全体の強化も不可能に。

"異次元マンション"の新規出入口の設置――既にある部屋への転送は可能だが、マスターキーも具現化出来ないので部屋同士の移動は無理だ――も出来なくなった。

え? "次元干渉"は言うまでも無いでしょ?

だから。

 

 

「オレはただの、よく切れるナイフを扱えるだけの人間になっちまったのさ」

 

驚天動地だろ。

この事実は今の所、俺と朝倉さんだけが知っている。

 

 



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第八十八話

 

しかし、この中で私服姿じゃない長門さんを見ていると何とも言えない気分になる。

彼女らしいと言えばその通りで安心も出来るのだが、では卒業したらどうするのだろうか。

一生セーラー服というのも潔くはあるが流石にそれはどうかと思う。

もしそうなったなら朝倉さんに何とかしてもらおう。

古泉だって意味があるのかわからない気合の入りようの私服なんだから。

女子はやっぱりオシャレじゃあないとな。

だが俺は今日に限って適当な服装だった。

デートじゃあるまい。構わんさ。

シャツとズボンがあればいいんだよ、それで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間通りにキョンの家へやって来た俺たち。

インターホンを押すのは当然古泉の仕事だった。

程なくしてガチャリと開かれたドアの向こうにはキョンとその妹。

シャミセンも彼女に両脇を抱えられて微妙な表情でこちらを見つめていた。

猫缶で良ければ買って来てやるよ。

 

 

「おう。上がっていいぞ」

 

お邪魔するような気分ではないが、そこは社交辞令というもの。

長門さんでさえ一言「失礼する」と言っているのだ。

俺が倣わなくて彼女に偉そうな事など言えるわけがなかろう。

やかてするっと妹さんの手から抜け出したシャミセンは玄関で靴を脱がんとする俺たちの足元にやって来て。

 

 

「ゴロゴロゴロ……」

 

と喉を鳴らしながら頭を擦り付けて廻っている。

俺と古泉より宇宙人二人に対してそうする時間の割合が長かったのは何なんだろう。

中身がおっさんだからなのか、それとも彼の中に封印されて潜んでいる情報生命素子とやらの影響か。

因みに俺と比較しても古泉の方が短かった。

すりすり、の二回動作で終了である。哀れ也。

妹さんは太陽のような笑みで。

 

 

「いらっしゃーい」

 

とシャミセンの後ろを付け回すかのように俺たちの足元をうろちょろしている。

これではいつまで経とうが上がれそうにない。

やむなく彼女はキョンに台所へ追いやられて、どうにか靴脱ぎを完了した。

シャミもキョンの部屋に連れて行くことにしたさ。

猫は可愛いし何より猫が聴いてどうもこうもなるような話ではない。

彼なら例外ではあるが今やその鳴りを潜めているからいいんだよ。

 

 

「うにゃーん」

 

「ははは。可愛い奴め」

 

俺は話を始めるよりもシャミと戯れる事に夢中になっていた。

げに恐ろしきは人類などではない。

 

――猫の魔力、恐るべし。

学習机の椅子に座るキョンは呆れた様子で床に座る俺を見ていた。

宇宙人二人も床だというのに古泉だけは偉そうにキョンのベッドを占領している。

そんなに長脚を自慢したいのか?

古泉は異世界人宇宙人を気にせず口を開いた。

 

 

「さて。何をどうお話しすべきでしょうか」

 

「今回の一件に関係ありそうな事は全部頼む」

 

「承知しました。しかしながら、まずは僕の方からあなたに伺いたいお話がありましてね」

 

「何だ……?」

 

「あの後あなたと涼宮さんは何処へ消えてしまったのか。いえ、涼宮さんの方はすぐに居場所がわかりましたが……」

 

そうだな。

俺もシャミの猫目を見つめながら回想するとしよう。

先週金曜日の話の続きを――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古泉の言葉に従って校舎を後にする俺たち。

キョンの代わりにこの場を持たせろと言われても、俺には難しいぞ。

その割にこいつら全員が俺を中心人物の一人だと過大評価するので俺は困り果てている。

 

――老後はやはり海外がいい。

セントクリストファー・ネイビスだよ。

公用語は英語だから何とかなる方だろうさ。

朝倉さんなら絶対話せるよね、とか思っていると世界は急変した。

突如として灰色の輝きがこの空間から失われたのだ。

後に残るのはセピア調のクリーム色な空模様だけ。

まさか。

 

 

「涼宮さんの霊圧が……消えた……?」

 

「それが何を指しているのか僕にはわかりかねますが、確かに彼女は現在この閉鎖空間内におられないようです」

 

どうせキョンが何かやらかしたんだろ。

今この閉鎖空間は佐々木さんだけの世界だ。

原作一巻は大筋しか覚えてないけど、アニメの最後の方で「フロイト先生が大爆発だっぜ」みたいな事言ってなかったか?

どうせ今回も夢オチだよ。夢オチでゴリ押せば行けるって。

自宅にでも飛ばされたに決まってる。

校門付近まで歩くと、古泉は。

 

 

「僕はこの空間において他の方々と同じ単なる異物でしかありません。佐々木さんの閉鎖空間に関しましては管轄外ですので」

 

古泉は彼女の方を向いた。

そんな感じだったのかよ、お前らは。

 

 

「ですから"橘さん"。お願いします」

 

「……はい!」

 

思い起こせば古泉一樹の口から「橘さん」と彼女の事を呼んだのは初耳だった。

いつも、橘京子とか彼女だとか呼んでいた気がするね。

これを機に仲良くするといいさ。せっかく同盟的関係に落ち着いたんだから。

そしてそのまま校門の外へ歩けばいいとだけ言われた俺たちは、難なく外の世界へ出られた。

 

 

 

――現実世界。

時間にして午後十七時四十七分だった。

古泉は携帯電話を取り出し、何処かへ連絡――恐らく『機関』の誰か――をかけている。

そんな様子を尻目に朝比奈さん(大)は軽く一礼をして。

 

 

「わたしも考えを改める必要があるのかもしれません」

 

「それは自分の立場についてですか? それとも、未来についてですか?」

 

「両方かな。アナザーワンさんには驚かされちゃったけど、明智さんは明智さん。誰の味方でもありませんでしたね」

 

勝手に居なくなった上にあいつは何をやらかしたのだろうか。

他の連中はどうでもいいけど、俺に迷惑だけはかけないでくれよ。

だって、俺は俺の正義の味方をするんだから。

 

 

「誰とかなんて考えちゃいませんって」

 

「うふっ。今回も安心しましたよ」

 

屈託のないその笑顔は、紛れもなく朝比奈みくるそのお方なのだと俺に感じさせる。

藤原は一抜けさせろと言わんばかりの態度で。

 

 

「また来る。あんたらとはこれからも付き合わざるを得ないんだろ。これは規定事項にはなかった事だ。完全勝利とは言えないが、僕の敗北ではない」

 

「未来を変えられたとでも言いたいんか?」

 

「お前のせいだと言いたいのさ。明智黎」

 

「いつも何かあったらオレのせいだな。"スペアキー"は厄除けなのか?」

 

詩織と喜緑さんの言いがかりもそうだよ。

俺が朝倉さんを助けただけで目くじらを立ててきた。

何だよ、自分に従ったまでじゃないか。

ここは世界なんだぜ。

……現実見ろよ。

運命とか因果とか、あるわけないんだからさ。

配られた地図を眺める作業をするのは本の中だけだ。

お前だってそう考えているんだろ。飢えた未来人よ。

 

 

「そうさ。だから、また来ると言った。……そして姉さん。あなたをあっち側から取り戻してみせます」

 

「あなたにそれが出来るんですか……?」

 

「出来る、出来てみせる。その為に僕はやって来た。だから僕はあなたに触れない。あなたを助け出す、その時までは」

 

藤原はそう言い残して坂道を下って行った。

はたして朝比奈さんはどういった思いで彼の言葉を聞いていたのだろうか。

彼の発言は真実なのか。朝比奈さんの弟が彼なのか。

いつかそれもわかることだ。

そう、焦るなって。

 

 

「これから先の事なんて、未来人にもわからないのさ」

 

「そうみたい。困っちゃうなあ……」

 

「言ってる割には楽しそうな顔ですね?」

 

ともすれば、真剣な表情になった彼女。

橘京子は電話中の古泉をじろじろ見ているし、周防と朝倉さんはぼけーっと突っ立っている。

宇宙人は未来人に用は無いらしい。

……って、長門さんがいつの間にか居ないじゃないか。

確かに一緒に出てきたはずだ。置いてけぼりではない。

帰ったのか? 曲がりなりにも病み上がりの一仕事だったからね。

後でお見舞いと行くさ。

そんな緩い中でシリアスムードただ一人の朝比奈さんは。

 

 

「これから先は、何も起きませんよ」

 

「平和が続くって事ですか」

 

「いいえ。これから少し先の未来で起こる事はどんな結末を迎えようと、決して記録に残る事はありません」

 

そういう意味か。

ええ。わかってますとも。

役割だとか以前に、俺もサーカスの劇団員になってしまったのだ。

あるいは涼宮ハルヒ劇場の役者さ。

そのどちらも全部アドリブ何だからどうもこうもない。

いつも通りに、出たとこ勝負なんだよ。

 

 

「わたしたちは宇宙人、未来人、異世界人、超能力者。決して表の世界で知られる事はない裏の世界の住人。今のわたしにとって、今回の結末は敗北でしかありません」

 

「その美貌で自分との戦いを未だ続けていらっしゃるんですか? 朝比奈さんと結婚するお方は幸せ者ですね」

 

心なしか彼女の表情が一瞬強張った気がしたのは気のせいだろうか。

未来に住む人が相手な上は、その野郎が来ない限りは俺も見る事がないだろうけど。

俺が彼女の婚期を気にする必要もないさ。

 

 

「とにかく、わたしはこの結末から逃げません。だって希望的に捉えられなくもないんですよ?」

 

「それが朝比奈さんのの選択ですか」

 

「はい。わたしの世界を護るための、ちっぽけな戦いです」

 

じゃあ、わたしもも失礼しますね。と言って彼女も消えてしまった。

藤原が下って行った道のりとは逆方向で、未だ緩やかな登り坂が続くが関係ないだろう。

どこか適当な場所で未来に帰るのさ。

 

 

「周防はどうだ?」

 

「――」

 

「君も君だけの戦いをしたんじゃあないのか」

 

「――さあ」

 

わからないと言わんばかりの様子。

どこ吹く風なのはいいけど、長い髪が吹き荒れていくだけだ。

そういや。

 

 

「α世界に周防は居なかったんだろ? この世界がどうなってるかよくわかんないけど、谷口の方はどうするよ」

 

そっちが未だ乗り気なら是非とも乗ってやってくれ。

ショックを受けて引きずっていたとはいえ、付き纏うなんて事はしなかったんだ。

清々しい奴だよ。

周防は顔色一つ変えずに。

 

 

「――愚問」

 

「ハッキリ言っとけよ。口に出す方が良い事だってあるんだぜ」

 

「今まで通り……彼を観察する……」

 

「余計なお世話かもしれないけど、オレも安心出来たよ」

 

「猫の飼育を要請する」

 

「……誰に?」

 

「任務に必要だと考えてもらうのもいいけれど……彼に直接頼むのも、悪くないわね……」

 

そうかいそうかい。

俺の敵にならない限りは、俺は君たちの味方になるさ。

谷口を猫好きになるように洗脳しといてやるよ。

とにかく、やるべき事を誰かに決められる必要はないんだからな。

何より。

 

 

「動物好きに、悪い奴はいないのさ」

 

「――」

 

「これからは必要な時にだけ出しゃばってくれよ、イントルーダー」

 

「――相変わらずに口が達者なのね。彼と、そっくりよ……」

 

別れの言葉もロクに言わずに、周防九曜も下り坂を歩き始めた。

後に残されたのは比較的会話の通じる人種であった。

ダブル超能力者と、俺と朝倉さん。

こんな取り合わせもあるんだから世の中不思議だよな。

あいつらだって好きでいがみ合っていたのかと訊かれると多分違うはずだ。

だってさ、そう考えた方が面白いでしょ。

 

 

「春だな。こんな時間でも気持ちがいいや」

 

「橘京子とは話さなくていいの?」

 

「オレから言う事は何もないでしょ。あっちから話があるなら聞くけどね」

 

「そう」

 

ふと後ろを振り返る。

いつも見ている、見飽きたぐらいの校舎だった。

だけど、それもいつかは見慣れなくなってしまう。

このまま行けば後一年とちょっとでそうなる。

すると朝倉さんは、淡々と。

 

 

「明智君は、あれで良かった?」

 

「……佐藤の事かな」

 

「何となくだけどわかっちゃう。……元の世界の友人について。彼女なんでしょ?」

 

「そうさ。オレの親友だった」

 

「あなたも戻りたかったんじゃない? その世界に」

 

そんな無理した笑顔を見せるくらいなら、言わなくてもいいのに。

君は本当に優しい人だ。

ただ甘いだけの俺とは違う。

俺は涼宮さんよりも先に、君の方に憧れたのさ。

 

 

「朝倉さん。勘違いしなくていいよ。オレが決めた事だ。自分がそれを引き止めてしまった、だなんて思わなくていい」

 

「それは私と約束したから? それとも私に感情が芽生えたから?」

 

「どっちでもないよ。選んですらいなかったんだから。朝倉さんが居るからという一択だよね」

 

「ふふっ。ありがとう。……それはそうとね。何だか私、負担から解放されたおかげか前よりパワーアップした気分なのよ」

 

はい?

一度死にかけた末の成果ですかそれは。

宇宙人だとは言ってもその世界観はマズい。

ゴンさんでも太刀打ち出来ない連中ばかりだぞ、Z戦士は。

こんな話の繰り返しの結果で朝倉さん(大)は強くなったのだろうか。

愛がどうこう言ってたけど、俺は関係ないんじゃないの。

 

 

「背中合わせで戦う日が来るだろうかね」

 

「出来れば隣り合って戦う方が私はいいかな」

 

「でも、戦わないのが一番さ。平和を守るのはオレの仕事じゃあない」

 

俺がするのは自分を押し付ける事だけさ。

治安維持はケーサツに任せる。税金だ税金。

いつも通りにいつも通りな事を思い浮かべる。

ただそこには、もう、何かを知りたいといった気持ちは消失していた。

充分だ。

充分やったさ。

 

 

「涼宮さんは無事、自宅にいらっしゃたそうです」

 

携帯を仕舞い古泉はそう語りかけて来た。

何時の間にお前は俺の方へと接近していたんだ。

 

 

「そろそろ応援がやって来る頃合いです。お二方が見ていて面白い光景とは思えませんよ。どうぞ、お帰りなさる事をお勧めしますが」

 

お前さんは何をおっ始めるつもりなんだ?

 

 

「それはそれは長くて面倒な裏方仕事ですよ。我々のね」

 

あいよ。

興味はあったが、俺と朝倉さんはそれに従った。

敵対組織の一員の橘京子がその場に居て無事なものなのか。

俺にはわからないけど、古泉はそんなに薄情な奴ではない。

御し易い部類の女性ではあれど、なかなかどうして芯の通った女性さ。

本当に、穏やかな気分だった。

俺たち二人も坂道を下っていく事に。

 

 

「この番号も、結局必要なかったな」

 

「そうみたいね」

 

携帯電話に映るは、佐藤が俺に伝えた番号。

一度きりとか何とか言って、頼る必要なんてなかったんだよ。

俺は俺さ。

 

 

 

――ただ、何となく魔が差した。

通話のボタンを俺は押してしまったんだ。

可笑しいよな。

通じる訳が、ないのにな。

 

 

「…………」

 

数コールの内に、彼女は応じてくれた。

これ以上の驚愕なんてないさ。

なあ、嘘だろ?

だけど本当だった。

間違いなんかじゃあなかった。 

 

 

「すみません。間違い電話でした。オレの声が誰かに似ていたとしても、それは他人の空似です」

 

魂消たよ。

天が許す偶然も、こうも連続で続けば案外必然なのかもな。

たまには俺も主張を変えるのさ。

何なら春のせいにしてやる。

 

 

「もう二度とこの番号は通じませんから。ええ、お気になさらず。それでは……」

 

さようなら。

僕の、唯一無二の親友。

 

 

「佐藤詩織さん」

 

 

 



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第八十九話

 

 

――世の中わからないことだらけさ。

金曜日の話はこれで終わり。

紆余曲折の一週間を経て翌週に至るというわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、言ってもこんな回想をさせられたのも古泉のせいだ。

惚けるような口調で野郎は。

 

 

「涼宮さんはαとβ、そのどちらの世界においても何事もなく帰宅していました。彼女が自宅に居た事自体は不思議ではありません」

 

「……だから俺もそうさ。午後八時頃家に戻されたよ。特別話しておきたいことは他にあるが、まずはこっちの質問に答えてくれ」

 

「なるほど、構いませんよ」

 

何を納得したんだか、古泉はそんな事を言った。

しかしながら午後八時ね……。

俺たちが閉鎖空間から戻ったのは午後六時前。

でもってα世界でヤスミンに呼び出しを受けたのは午後六時ジャストだったな?

時系列がよくわからんな。

結局この世界はどういう形で落ち着いたのか。

そこも古泉が語ってくれるさ。

キョンはいの一番に訊きたかったようで。

 

 

「長門。その……なんだ、任務とやらはどうなった?」

 

「一時中断された」

 

「中断と言うとだな……またお前がやらなきゃ駄目な時が来るのか?」

 

「来ない。わたしを通じての通信は非効率的だと判断された。わたしより優秀な端末が後任に当たってくれるはず」

 

「お前より優秀な奴が居るなんてな……」

 

俺も初耳だ。

その辺どうなの朝倉さん。

 

 

「私たちの業界も日進月歩よ。居ても不思議じゃないわね」

 

「個体差を生じさせる意味はあるのかな?」

 

「さあね。その方が情報統合思念体にとって制御しやすいのは確かだと思うけど」

 

「気に食わないね」

 

「ええ」

 

精々天狗になっているがいいさ。

俺がやるべき事はもう決まっている。

運命でも何でもない。

俺がそう心に決めたんだ。

一安心したキョンだったが、思い出したかのように。

 

 

「おい。そういや周防だが、谷口と付き合ってたのはあいつだったんだよな……?」

 

「今だから言うけど、実はオレ……前から知ってたんだよね」

 

「私もよ。この中で気づいてなかったのはキョン君ぐらいじゃないの?」

 

「彼女の行動範囲は不明ですが、『機関』の情報網にかからなかった訳ではありませんので」

 

「……」

 

「やれやれ……」

 

お前に同情ぐらいはしてやるさ。

長門さんは俺に弄ばれているシャミセンを見つめていた。

シャミもそろそろ女子の方がいいと思っているだろう。

彼女に手渡ししてあげた。やっぱり猫は有益な存在である。

ぺたぺたとシャミに触れながら長門さんは。

 

 

「周防九曜や天蓋領域を理解するのには時間がかかる」

 

そうかな。

天蓋領域の方はさておき、周防の方は単純だよ。

勿論俺が理解できるとは思っちゃいないさ。

だけどな、それをやってくれそうなバカが一人知り合いにいるんだ。

後はそいつに任せた方が対話とやらも捗ると思うけどな。

 

 

「それはそうとだな、まだ付き合っているのかあいつらは」

 

「特に何も聞いちゃいないからね」

 

悪くないとか言ってたし、昨日の今日で破局とはいってないんじゃないか?

『機関』も続報については何かしら掴んでそうだが知らぬが仏。

わざわざ自分から厄介事に巻き込まれるような物好きなんざ居ない。

……いや、この場に居る連中みんなそうだな。

 

 

「あの未来人はどうした」

 

「藤原さんでしたら何処かへ行かれましたよ。未来へお帰りになられたのか、そうでないのか……我々にもわかりかねます。恐らくですが、時が来れば再びいらっしゃるかと」

 

「勝手な奴だな」

 

「彼も彼で目的意識が高いお方のようですね。明智さんを通してなら幾らでも交渉の余地はあるかと」

 

何を交渉すると言うんだ。

しかも俺が藤原と話し合えるみたいな空気じゃないか。

 

 

「おや。違いましたか? 僕の見たところでは、彼はあなたをお気に入りになられたようでしたが」

 

「勘違いだって」

 

「いずれにせよ、当面の所の藤原さんは我々と敵対しそうにありませんよ」

 

いい傾向さ。

確実に世界はよくなってきている。

仮に、それが俺たちの勘違いだとしたら現実にすればいいのさ。

願望を実現するなんてのは、本来とても大変な事だ。

涼宮さんにそれが可能だとしたら、彼女はその能力に頼ってはいないんだ。

こっちが肖ろう、だなんてのが可笑しい考えなのさ。

 

 

 

――だってそうだろ?

俺たちがどう思おうと、彼女は間違いなく俺たちを利害関係とは別の純粋な友情でもって考えている。

約一名ほどそれに当てはまらないような馬鹿が居るけど、そいつも決断は下したんだ。

後はただ実践してくれるだけだよ。

言っておくけど俺の方はとっくに完了したんだからな。

これじゃあどっちが"本鍵"だかわからなくなってしまう。

多分、選ばれる事に意味はないんだ。

 

 

「そういやお前さん。あの後、橘とはどうなったんだ?」

 

「どうもこうもありません。特筆すべき事など……和解ついでに一応連絡先を交換した程度ですよ」

 

「それの何処が"程度"で済むんだ」

 

そう言うキョンだって、連絡先は潤っている方に違いない。

俺の前世のそれと比べれば雲泥の差だぞ。

まず友人の枠が一名しか居ないからな。笑えん。

 

 

「暫くは無茶な行動を慎むでしょう。橘さんにも立場がありますからね」

 

「お前さんは彼女の事をよくわかってるような物の言い方じゃあないか」

 

「僕自身にも立場がありますので。ちょっとした共感じみたものです」

 

なんて超能力者の裏事情を話してくれると思っていたら妹さんが乱入してきた。

さっきまで一階で放置されていたから遊び相手が欲しいらしいけど。

 

 

「有希っこー! 涼子ちゃーん! あっそぼー!」

 

「二人とも頼むよ」

 

「……」

 

「わかったわ」

 

長門さんだけなら不安だが朝倉さんが居れば大丈夫だ。

 

 

「シャミも一緒にくるー?」

 

という事で無理矢理彼も連れて行かれた。

猫用の玩具が下にあるらしい。良かったな。

良くないのは俺たちの方で、結局癒しの欠片もないむさ苦しい空間だけが残されることに。

本当に苦しくなりそうで困るよ。換気しようぜ。

 

 

「世界の分裂も、あの閉鎖空間もハルヒの仕業だったんだろ。ならあいつは何なんだ?」

 

「その"あいつ"とは……渡橋ヤスミについてでしょうか」

 

「他に誰が居るんだ」

 

キョンは未だに気づいていないらしい。

かく言う俺とて、原作のおかげで思い出したのさ。

思い出せたと言うべきか。

 

 

「ヤスミンの正体は涼宮さんだよ。彼女の一部みたいな存在らしい」

 

「……はあ?」

 

「流石は明智さん。ご明察です」

 

「確かにそんな気がしないでもないがな。どういう事だ? お前らはどうやってそれを知った?」

 

「最初から最後までヒントだらけでしたよ」

 

単純なアナグラムさ。

わたはしで、『わたしは』

でもって泰水はヤスミではなくヤスミズ。

『スズミヤ』。

 

 

「わたしはスズミヤ、だと……?」

 

「いつも通りに無意識下での行動でしょう」

 

「はぁ……馬鹿馬鹿しい……。俺たちは一年経ってもハルヒに踊らされていたわけだ」

 

「そうかな」

 

いいや。

彼女が上だとか、俺たちが下だとか。

そんなのは単なるパフォーマンスだよ。

そうじゃなかったら昔の俺と変わらない。

他人に歩み寄らず、挙句の果てには本当に大切なものさえ見失った、俺。

全部世界のせいにしてたさ。

自分がちっぽけだと思い込んでいたさ。

だけど涼宮さんは変わっていた。

 

 

『――今は違うわ。あたしはあたし。どうせみんなちっぽけなんだから、それでいいじゃない』

 

変わってくれていたんだ。

俺たちが詰め寄ったんじゃない。

彼女の方からも歩み寄ってくれたんだ。

それが本当の友人だろ?

だからさ、佐藤詩織は俺にとってきっと、友人じゃなかった。

そっちはお前に任せた。

今日かどうかもわからないけど、結論を出してやれ。

俺。

 

 

「古泉」

 

「何でしょうか」

 

「オレからも訊かせてもらおうか」

 

古泉は肩を竦めて。

 

 

「いつかこうなる日が来ると、予想していましたよ。現物は流石にお持ちしていませんがね」

 

「……浅野は、何を残していったんだ?」

 

「僕にも不明ですよ。確認なんて恐ろしくて出来ません」

 

まさか。

 

 

「浅野が書いて封印したものとやらを読んだ人間に、何かあったのか……?」

 

「幸いなことに命に別状はありませんでした。今や既に回復していますよ」

 

「待て、お前らは何を話しているんだ」

 

決まっている。

俺の能力、最後の要素だとかについてだ。

"アナザーワン"に言われたんだよ。

 

 

『いっちゃんから話だけでも聞いておいてくれよ』

 

本当に話だけになりそうだが、構わないんだろ?

只事ではなかったらしい。

古泉は苦い表情をしながら。

 

 

「佐乃さんが姿を消してから、我々は彼について少しでも情報を得るために彼の自宅を当たりました」

 

「よく『機関』の連中を通したな。言っておくが俺の場合は門前払いだ」

 

「警察関係者ともちょっとした繋がりがありましてね」

 

ますますアウトローな集まりな気がしてきた。

それで、令状でも何でも出して部屋を漁ったのか。

両親もそうだが本人が一番かわいそうだな。

超能力者として覚醒するだけでもとんでもないと言うのに、異世界人に憑りつかれるなんて。

今後の彼の人生の幸福を祈る。

 

 

「彼の机の上に……鍵付きの黒い手帳が置かれていました。何か、重要な手掛かりになるかとも思われました」

 

「押収したってわけか」

 

「ご家族から同意は得ましたよ。手帳に付けられる鍵など対処は幾らでもしようがあります」

 

それがまさにパンドラだったんだな。

佐乃に与えられた切り札。

持ち運べなかったのには理由があるのか……。

 

――いや、そうか。

あいつは平行世界へ逃れていたと言っていたな。

それに加えて佐藤のそれは俺のとは別種だったらしい。

当然だよ。

彼女が"切って操る"能力の持ち主なら、自分でどうにか解決出来たはずだ。

加えてあいつらは精神体がこっちにやって来た存在。

物の持ち運びに制限か何かがあったのだろうか。

俺の推理など知らずに古泉は。

 

 

「発狂、錯乱、精神崩壊のその手前。僕がそれを拝見していなかったのは不幸中の幸いでしょうか。約五名の構成員が一時的に使い物にならなくなりましたよ」

 

「その手帳やらを読んだだけでか? 信じられんな」

 

「いや。あいつなら洗脳じみた事が出来るさ。実際にお見舞いされた俺が言うんだから間違いない」

 

「……明智」

 

大丈夫だって。

これも涼宮さんとヤスミンのおかげさ。

 

 

「僕の予想ですが、彼が使ったのは洗脳ではありません。それほどまでに万能なものでしたら、もっと他にやりようがあったはずです」

 

確かに涼宮さんにそのまま能力を使わせるとか出来たはずだな。

いくら自覚してないにせよ、洗脳ならば最低限意識レベルは支配される。

無意識の世界は俺にはわからないけど、逆らえるものでもないはずだ。

 

 

「恐らくそれは単純な技術ですよ。もっとも、魔人の域に達しているとしか言いようがありませんね。書いた文章を読んだ人間の感情を暴走させたわけです。"魔技"とでもお呼びしましょうか」

 

「昔のオレがそこまでヤバい人種だったとはね……」

 

何となく俺にも理解できた。

かつての俺のポリシー。

自分で体験したアクションとリアクション。

即ちリアリティこそが作品に命を吹き込む事が可能となる。

そして作品とは筆者の感情を読者に伝えるもの。

浅野は、自分の感情をぶつけたんだ。

俺が読んだのは"後悔"だった気がする。

思い出せない、思い出したくもない次元の技術。

 

 

「血の精神。魂。あいつはそれを操ったのさ」

 

「涼宮さんが現れたのも納得出来ます。明智さん、『人知れず一人で死んでしまいたい』なんて強く思った事はありませんか?」

 

「……昔のオレならあっただろうね」

 

「つまり、そういう事ですよ。彼は自分が知っている感情しか書けなかったのです。負の感情を」

 

能力を使うだとか、協力するだなんて正の感情を持っているわけがない。

俺がそう思うんだからそれで合ってるのさ。

他の誰でもない、俺自身の話だから。してやられたな。

キョンは目頭を右手で押さえながら。

 

 

「何でもアリみたいなもんじゃないか。もしあいつに正の感情があったら……」

 

「僕は想像したくもありませんね」

 

ですが、と古泉は言葉を繋いだ。

 

 

「彼のその技をもってすれば、他人を幸せにする事だって出来たはずなのです。名作を書きげる事など容易いでしょう」

 

「浅野にそんな思いやりの心があったのなら……やっぱりオレたちは負けてたさ」

 

「非常に残念で仕方ありませんね。明智さんはどうでしょうか?」

 

「今のオレにはそんな芸当無理だよ。全てを捨てて、自分の感情さえ捨てて、ようやく辿り着ける境地。まさに怪物(フリークス)」

 

"魔技"か……。

ダークなイメージだけど"皇帝"らしくはないさ。

この話はここまでといった様子で古泉は。

 

 

「さて、お互い他に何か話すべき事はありませんか?」

 

愚問だな。

まだ、あるだろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そしてようやく今日。

月曜日に至るわけであった。

α世界の俺が感じていた違和感はとっくに消えている。

心からこの平和を俺は喜べる。

今ぐらいは、いいだろ。

これから先に大仕事が待っているんだからさ。

全部ひっくり返すための。

 

 

「ひっくり返されないための、なんだけどね」

 

「何の話かしら?」

 

「ボードゲームの話さ」

 

もし俺が盤上の駒だとしたら、欠陥品だ。

掴もうとしたプレイヤーの手を傷つけかねない。

はねっ返りもいいとこだろ。

 

 

「みんな、変わってくれた……」

 

涼宮さんは、世界に多少折り合いをつけてくれた。

朝比奈さん(大)は、少し考えを改めてくれるらしい。

古泉一樹は、どこか自分に自信を持てるようになったようだ。俺にはそう見えた。

長門さんは、まだまだ勉強中だけどほぼほぼ人間だった。

藤原は、原作みたいに酷い目に遭わなかった。

あいつが原因の一端と言えばそれまでだけど、彼を否定する権利は彼だけが持っている。

俺でも、涼宮さんでもそれはやっちゃあいけないんだ。

 

 

「他人の覚悟を踏みにじるからには、ずっともっと強い覚悟が必要なのさ」

 

「明智君にはそれがあるの?」

 

「ない。だから、みんな仲良くするのが一番だろ」

 

「素敵よ」

 

「よしてくれ。オレが一番知ってるから」

 

調子に乗るなと言わんばかりに小突かれた。

仕方ないでしょ。

やっぱりこれも春のせいなのさ。

 

 

『人間のことが知りたかった……』

 

周防九曜は、彼女なりの正義を探している。

きっと見つかるさ。

あるいはもう見つけているのにも関わらず、気付いていないのかもしれない。

 

 

「幸せの"青い"鳥さ」

 

橘京子は、……うん、古泉と仲良く出来るようになったらしいから、それで。

 

 

 

――と、こんな話になる。

事後報告はまだ続くけど他のみんなについてはこんな感じ。

だから次は近況について話していこう。

忘れちゃいけない人だって要るのさ。

 

 

「オレは、変わらない」

 

他人からどう呼ばれようと俺自身がそう思っているんだ。

そういう事だからそれでいいのさ。

敢えて挙げるとすれば変わったのは一つだけ。

"臆病者"から、"正直者"になれた。

自分の心に嘘をつかなくなったんだよ。

この一つで、もう俺は、充分だ。

 

 



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第九十話

 

月曜日の放課後の話からしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

授業が終るや否や涼宮さんが教室を出て行くのは今更な光景だった。

だったものの、キョンがそのタイミングで俺の座席の方へとやって来る事に関しては珍しい光景だった。

 

 

「何だよ。オレ今日は掃除当番だから遅くなるけど」

 

「だからあらかじめ伝えておこうと思ってな。今日はSOS団が臨時休業だそうだ」

 

「ふーん」

 

特に朝倉さんはそれを耳にして何かを感じてはいないようだ。

そしてお察しいただけたと思うが、未だに俺の後ろの座席は朝倉涼子が占領している。

これで俺が一番後ろの席でも引き当てればアリーヴェデルチ(さよならだ)なのだが、そうはいかない。

真面目に何か細工しているんじゃあないのか。

情報操作を悪用しているのか。くれぐれも悪用するんじゃないぞ。

 

 

「お前らも今日一日ぐらいは休んでもバチは当たらないんじゃないか。本当に色々あったからな」

 

土曜に充分朝倉さんとはいちゃいちゃ出来たからこの一週間は戦えるんだけどね。

長門さんは部室に居るかもしれないけど、さて俺はどうしたものか。

決まっている。

 

 

「わかったよ」

 

手早くクリーンに掃除なんて片付けるさ。

家に、帰ろう。

 

 

 

――そうして、火曜日。

慣れた慣れたと大口を叩いておきながら坂道にうんざりとした表情のキョン。

こいつは昨日あれから何があったのかは知らないが声をかけた時は神妙な面持ちをしていた。

そうか。

もう、殆ど思い出せないけど、きっとそうなんだな。

 

 

「俺は俺、あいつはあいつさ」

 

彼が言うあいつが誰を指しているのか。

考えなくてもわかる事だ。

確かにそうだ。

俺たちは別々の物語が存在している。

そこに登場するヒーローもヒロインも他人でしかない。

同じ物語を共有する、なんてのは本当に稀有なんだ。

彼女だけが弾かれたわけではない。

SOS団シアターが貸切になっていただけなのだ。

だから君も、こんな馬鹿野郎の事はさっさと忘れちまったほうがいいさ。

過去を清算出来たんだろ? 涼宮さんにキョンの事は任せるといい。

それでいいのさ。

 

 

「こんな騒がしい日々も悪くないだろ。波風立てずに、なんて生活よりはいいんじゃあないか」

 

「そうかもな……。なあ明智」

 

「何だ」

 

「もし俺があの時――」

 

そこまで彼は口にしかけて。

途端に苦笑してから。

 

 

「――いや、何でもない。気にしないでくれ」

 

「あいよ」

 

心配するなよ。

お前が選んだんだ。

後悔するのは最後になってからでいいだろ。

どうせ死んでゼロにされるんだから、マイナスのまま生きる意味なんて何処にあるんだ。

必要なのは決して絶対数ではない。

クオンティティーより、クオリティーなのさ。

 

 

「やっほー! キョロ助くんとキンカンくん」

 

そんな声がしたかと思えば俺とキョロ助――キョンらしい――の背中はバシバシ叩かれた。

珍しい人と朝から遭遇したものだ。

古泉も彼女を見習ってほしいくらいに眩しさ1000%な先輩。

 

 

「鶴屋さん、どもっス」

 

「おはようございます」

 

「二人とも元気してるー?」

 

色々あったけど一周して何とか元気になれましたとも。

万物は流転するのであれば、感情のサイクルというのも存在するのかもしれない。

案外人間は適応力が高いらしい……と、タカをくくると結局低い事実に自分が追い詰められてしまう。

深く考えないのが一番なのさ。

因みに鶴屋さんが俺の事を"キンカン"と呼んだのは、あれだ。

明智光秀が織田信長に呼ばれていたあだ名だ。

俺の髪の毛は未だにフサフサだからこそ、縁起が悪いと思っちゃうね。

キンカン頭とはハゲって意味なんだよ。

 

 

「やっぱり清々しいのは天気もそうだけど……キミたちぃ」

 

鶴屋さんはまるで社長が部下にありがたい言葉をかけるかのように。

 

 

「キミたちの方がこう、見てて晴れやかじゃないか! めがっさ爽やかな気分に見えるよっ」

 

「オレたちも一人立ちしないといけませんから。……なあ?」

 

「こいつの言う通りですよ。春ですからね」

 

キョン。お前まで春の陽気のせいにするのか。

古泉の涼宮さんはいい傾向だからとか無意識だから並みによろしくない免罪符だ。

期間限定だから許されるだけであろう。

ともすればこの男は。

 

 

「鶴屋さん。俺ってどう見えます?」

 

「少年よ、それってあたしを口説いているつもりなのかなあ?」

 

「とんでもない。ただ、俺がどう他人に見えているのかが気になっただけですよ。こいつや他の連中に訊いても抽象的概念的哲学的な反応しかないんで」

 

「お前は失礼な奴だな」

 

事実だろと言わんばかりの沈黙だった。

こんな奴でも主人公を張れるんだから昨今のラノベ業界は如何なものか。

いや、【涼宮ハルヒの憂鬱】など古株の部類だ。

俺としては【魔術師オーフェン】ぐらいキョンには捻くれてもらった方が面白いとは思う。

しかしながら眼つきの悪さをどうこう言われているのは彼ではなく俺の方だった。

これで平行世界の俺の眼つきが普通だったら俺は泣くぞ。

 

 

「そうさねえ……キョンくんはマイナー好かれタイプかなぁ? ついでに黎くんは……涼子ちゃんは幸せもんだねっ。こんなイイ男がゲットできるなんて」

 

「……オレが?」

 

何を言っているんだ先輩は。

こっちがありがたく思う方だと言うのに。

モテる要素さえ俺にはないんですよ。

 

 

「黎くんは素材が良いけど中身でちょいっと損してるのさ」

 

「こいつはちょいっとどころかぐびぐびっと損してるみたいですがね」

 

「ジュースを飲むような感覚でオレについて語らないでくれよ」

 

「ひひーっ。だったらあたしはキミのジュースにテキーラでも混ぜたいかな……なんて、おかしーっ」

 

一人で爆笑してしまう鶴屋さん。

俺を馬鹿にしているようではないらしいがそうとしか思えなかった。

古泉に似たような事を言われた日にはベンズナイフでちくりだ。

神経毒でお地蔵さんになってもらおう。

 

 

「キョンくんもさあ、それなりだし」

 

「それなりって、俺はどれくらいなんですか」

 

「はっはは。それなりの出来のトナカイ芸をやってくれるくらいかな」

 

「古傷を抉らないで下さい……」

 

いいぞいいぞ、もっとやってやれ。

つい最近に女子一人切り捨てたばかりの畜生なんだからなこいつは。

でもねぇ、と前置きしてから鶴屋さんは。

 

 

「キミたちなら大丈夫かなっ。変な事はしない。自分の進むべき道を理解している。あたしは信頼してるよ」

 

変な事については耳が痛い。

絶賛北高をお騒がせ中の連中なのだ。

先週だって下手したら世界が崩壊していたかも。

 

 

「んふっ。困ったものです」

 

「どうした急に気色悪い。古泉の真似か?」

 

「ほうほう。……うーん、二割ぐらい似てたかなぁ?」

 

ただの独り言だ。

鶴屋さんが二割も点数を付けてくれるとはありがたい。

この前の朝倉さんなんか割合2%ぐらいだった気がする。

減点方式はちょっとした恐怖だ。

 

 

「にゃはははは。朝から笑かしてもらったよっ! キミたち、月末にある花見大会の事は忘れてないにょろ?」

 

「桜ですよね」

 

「ただの桜じゃあないぜ。ヤエザクラ大会……ですよね?」

 

「さっすが黎くん。キョンくんもしっかり勉強しておくんだよー。そっちが来なかったらこっちから桜持って行くからねっ!」

 

本当にやりかねない事を冗談なのか解り辛く発言した後、鶴屋さんは駆け足で消えてしまった。

笑えたかはさておき元気を貰ったのはこっちの方ですよ、鶴屋さん。

 

 

「……だな」

 

「中河氏の方はどうだって?」

 

「どうもこうもねえよ。何事もなく終わった事を教えといてやったさ。ギリギリのラインでこっちには来てほしくないからな」

 

「やれやれ、だよ」

 

彼の持つ能力……。

俺は誰かを利用する気はないが、協力する必要はあるかもしれない。

中河氏だけではない。

周防をはじめとする宇宙人未来人超能力者。

俺たちSOS団。

共同戦線になるだろうよ。

 

 

「いよっ。朝から羨ましいぜ、お前らはよ」

 

そう言って後ろから登場したのは谷口とその横に立つ国木田。

鶴屋さんの事を言っているんだろうけどさ。

 

 

「お前さんは別に女性との出会いを必要としてないだろ?」

 

「それはそれだぜ。オイシイ思いってのは誰でもしたくなるってもんよ」

 

「谷口さあ。自分に素直なのはいいけど、それじゃ周防さんに見捨てられちゃうよ?」

 

国木田の言う通りだ。

ついこの間も俺たち三人に谷口は散々バッシングされただろ。

馬鹿と言うよりは鳥頭なのかもしれない。

ちっちっち、と谷口は得意そうに人指し指を振ってから。

 

 

「お前らは勘違いしてるようだな。いいか、自分で欲しいものは自分で勝ち取るんだぜ」

 

「お前はそれが出来たって言いたいのか」

 

「……今の所は、な」

 

キョンの突っ込みに対してはどこか謙虚だった。

物分りはいいくせに頭は悪い。

馬鹿と言うよりは阿呆なんだろうな。

死ななきゃ治らない馬鹿ってのは、俺とかキョンの方さ。

 

 

「猫を飼ってほしいと頼まれたんだが、俺には猫事情なんざよくわからなくてよ……高いのなんか買えそうにねえぜ」

 

「ピンキリだからね」

 

だったら某分譲マンションの裏手に行くといい。

春や秋といった穏やかな季節ならば野良猫が無数にいるぞ。

シャミセンだってあそこ出身だからな。

 

 

「もっとも、お前さんなら逃げられちまうだろうけど」

 

「学校帰りにホームセンターでちょっくら網でも買ってくるか……」

 

虫じゃないんだから。

呆れた顔でキョンは。

 

 

「あいつもこんな野郎とよく付き合ってられるよな」

 

「キョン。君はわかってないみたいだけど普通同じ感性の人間なんかより、どっちかと言えば真逆の性質の方が相性がいいんだよ。磁石ぐらいはキョンにもわかるよね」

 

「へいへい。国木田は俺と違って頭がいいからな」

 

「涼宮さんだってそうじゃないかな? 君とはどこか似ているけど、その目立った特徴だけで言えば正反対さ」

 

そこから国木田は物理的な話を長々と開始した。

湯川先生がどうとか言ってたが、【ガリレオシリーズ】の話ではない。

でもね、と国木田は引力的な話の説明を終えてから。

 

 

「やっぱり君と涼宮さんは似たもの同士さ……もっと言えば、明智もだね」

 

俺がこの馬鹿と同じだと?

鍵とかの因縁関係抜きにしてもそりゃきついぜ。

笑えないな。

 

 

「朝倉さんとさ。自分を決して目立たせたがらないのに強く心を持っている明智と、みんなの憧れでとても目立つ存在なのにどこか心が不安そうな朝倉さん。正反対だけど、そうじゃないようにも僕には思える。鏡の表裏じゃなくて合わせ鏡みたいだよ」

 

さあな。

俺と彼女の付き合い方なんてどうでもいいさ。

+だろうが-だろうが、差し引きゼロじゃあつまらないだろ?

いっその事倍増させちまえばいいのさ。

 

 

「谷口だけじゃなくてさ、キョンもしっかりしなよ……」

 

その後、国木田の憧れの存在として鶴屋さんの名前が彼から浮上した。

学力的にズバ抜けている彼が北高なんぞに来た理由が鶴屋さんの存在故だという事実が明かされたのだ。

"百式観音"も月までブッ飛ぶこの衝撃。

"零の手"を使ったとしても月までは流石に届かないだろう。

亀仙人じゃあるまいし。

 

 

「――ふっ。やっぱり、春か」

 

登校風景についてはそんな感じだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして放課後となった。

昨日とは違ってSOS団はしっかり集まっている。

掃除当番の涼宮さんを除く、"六人"。

俺を含めてだ。

そうさ。

 

 

「何もなかったんだ」

 

今日も今日とて変てこ読書を楽しんでいる俺の彼女、朝倉さん。

古泉はどうぶつしょうぎでさえキョンに敗北しているらしい。

長門さんも、本当に何事も無さそうにハートカバーのページをめくっている。

朝比奈さんは……。

 

 

「渡橋さぁん……」

 

ヤスミンの不在を嘆いていた。

彼女に随分と入れ込んでいただけあって、ショックが大きいのだろう。

ただただ窓の外をメイド装束さんが眺め続けていた。

 

 

「中学生だったなんて……どうりで放課後しか見かけなかったわけです……」

 

彼女は実は中学生という設定だった。

北高に姉が通っていたらしく、高校生活に憧れた彼女は姉の制服を借りてまで忍び込んでいた。

SOS団の奇行その他諸々のうわさ話を聞きつけ、興味がわいてつい。

なんて無茶苦茶な設定でゴリ押された。

それでいいのか? 朝比奈さんは何も知らないが。

俺は言葉を発していないのにも関わらず隣の営業マンは。

 

 

「これで良いのですよ」

 

とだけ呟いた。

本当かよ。

 

 

 

――詳しくは俺も知らないが『機関』にも色々とあったらしい。

主に佐乃秋君に関しての話になる。

彼は北高生ではない。

ここから隣町にあるこれまた普通の高校。

そこに彼は通っていたという事にされたのだ。

 

 

「どういう事だよ」

 

土曜の夜に古泉からかけられた通話。

それに応じた俺の一言である。

 

 

『三年以上もの間の行方不明者が、何事もなく帰ってくる……異常事態でしかありません』

 

「お前さんたちは何をしたんだ?」

 

『我々がした事など一部の人間を黙らせただけに過ぎません。具体的には警察関係者。行方不明になっていたという記録を消させてもらいましたよ』

 

「本人もそうだけど、彼の家族はどうするんだよ。金で誤魔化せられるわけがない」

 

『荒業ですが。頼らせていただきましたよ』

 

おいおい。

それはまさか原作一巻の朝倉さんが殺された後に無理矢理誤魔化されたあの方法か?

カナダ留学にしては無茶だと思うけど。

 

 

『この一件で宇宙人には随分とお手数をおかけしましたよ。暫くはこちらからお願いが出来そうにありませんね。とは言え、長門さんや朝倉さん相手であれば別でしょうが』

 

「周防も入れてやれよ」

 

『彼女に関しては、我々よりもあなたや谷口さんの方が適任ではないでしょうか? 必要と判断されればそちらを通して彼女に依頼するかもしれません』

 

「勝手にそっちでやっててくれ。あいつを利用したくはないね。振り回されるのはオレたち男の役目だろ?」

 

『それもそうですね。心得ておきますよ』

 

彼が何処に心得たのかは不明だ。

ともすれば、橘京子との関係性についてかもしれない。

お前らが恋愛しようが敵対しようが、俺を巻き込まないでくれよ。

倒れる時は共倒れで頼む。

 

 

『さながら、ロミオとジュリエットといった所でしょうか? 僕にはそんな大役など相応しくありませんが』

 

「それも勝手にしてくれ」

 

だが、何だかんだの末に俺は巻き込まれていくことになるのだ。

古泉一樹と橘京子、両勢力の小競り合いに。

上に立つ者ゆえの苦労だろうか。

この時の俺はそんな事など気にもしていなかった。

したくなかったからな。

 

 

 

――佐乃秋は学力、精神共にしっかりと成長していたらしい。

これも異世界人の浅野が憑りついていた影響だろうか?

むしろ勉強などしていないはずなのに頭が悪くないらしいからね。

俺はついぞ勤勉だった覚えはないんだけどね……。

 

――佐倉詩織はこの一週間、SOS団に居ただとか、異世界人だとかの記憶がなかった。

これはαとβ二つの世界統合が関係しているらしい。

わざわざリフォームしたはずの文芸部室は以前のままで、二人分の席はすっかり消えていたんだ。

身に覚えがないんだから、佐倉さんがここに来るはずはない。

もっともこれから彼女とは文芸部的活動で関わる事になっていく。

 

 

「だけど、今日じゃないからさ」

 

俺にとっても、SOS団みんなにとっても明日の話になる。

渡橋ヤスミと佐倉詩織。

この二人の入団は必要とされての事だったのだろうか?

佐倉詩織が"詩織"の記憶を一時的に得たのは、俺にメッセージを残したのは必然だったのか?

下の名前が全く同じな事といい、昔の詩織にそっくりだった事といい。

 

 

「天が許した偶然さ。全部ね」

 

必然かどうかはどうでもいい。

俺はそんな事の検証がまるで出来ないんだ。

宇宙人未来人超能力者でも、無理なのさ。

異世界人もだ。

 

 

 

 

――だから、今日の話をしよう。

先の話ではない、これからの話をしよう。

話し合いで解決すれば一番なのさ。

 

 

「みんな! お待たせ!」

 

掃除当番を終えた涼宮さんは、今回ばかりは正当な理由でお待たせした。

と言っても平素から彼女を責められる命知らずなど。

 

 

「まったくだな」

 

そこで古泉とのどうぶつしょうぎ対決に飽きて、お茶をすすっているキョンぐらいだ。

俺も俺で普段はイエスマンなのだろう。

だけど、必要ならノーを突きつけるって。

それが友人なんだろ。

 

 

「みくるちゃん。お茶は後でいいわよ」

 

「は、はいっ」

 

「先にやる事があるんだから」

 

とだけ言うと、彼女はホワイトボードに向かって何かを書いていく。

何を書いているんだろう。

描いていると形容されない以上は、文字なのさ。

 

――だから、話し合いをしよう。

俺が持つ未だによくわからない能力。

ハンタ的念能力以外には応用出来ないのか?

出来たのは"次元干渉"だけだった。

だいたい俺の"切る"能力だって物質を切ったり出来るわけではない。

曖昧なものしか切れないんだ。

空間だとか、次元だとか、定義が曖昧だろ?

だから曖昧な異世界人の精神だって切れたんだ。

アナザーワンはまだ帰って来ない。

あの世界に電話が通じた以上は、きっと二人は元の世界へ帰ったはずだ。

記憶など当然残っていない。

残ったのは"心"だけだ。

 

 

「やる気があれば何でも出来るのよ……」

 

でかでかした文字で、ホワイトボードの内容が俺にも察しがついた。

そうさ、これからの話し合いをみんなでするんだ。

誰が俺の邪魔をしようと負けるわけがないさ。

今回俺が勝った、だなんて思ってないけど負けなかったのは事実。

ああ、何度でも言ってやるさ――。

 

 

「――何故ならオレたちは、SOS団だからだ」

 

俺の呟きは少なくとも涼宮さんと朝比奈さん以外には伝わったらしい。

問題ないよ。聞えなくても大丈夫だから。

既に、その二人の心も俺と同じなんだ。

俺たち七人なら、どんなスゴい奴が相手でも負けない。

もっと言えば外部協力者はいくらでも居るんだぜ。

谷口国木田コンピ研部長氏は戦力外だけど。

鶴屋さんのマネーパワーはこんな言い方をしたくはないけど頼もしい。

何より彼女自身が頼もしい。

生徒会はどうだろうな。

佐々木さんの取り巻き連中はもう既に味方さ。

ファミリーみたいなもんだよ。

 

 

 

――なあ? 浅野。

俺が言った通りじゃあないか?

こんなに世界は面白いんだぜ。

安心しなよ、それはこっちだけじゃない。

俺が気付けなかっただけで、幾らでも俺は主人公に成れたんだ。

ヒロインは直ぐ傍に居たんだ。

彼女と二人なら大丈夫さ。俺が保証してやるよ。

 

 

「さ、会議をするわよ! SOS団新年度第二回目の全体ミーティング。議題は見ての通りね」

 

「どこが見ての通りなんだ? 俺の目が正常なら、無駄に大きな字で見辛く『スペシャルイベント』とだけしか書かれてないじゃないか」

 

「はぁ……」

 

涼宮さんは"溜息"をついた。

だが、彼女の表情には"憂鬱"さが一切ない。

"退屈"さも感じられないし、どこかへ"消失"なんかしてしまう訳がないくらいの存在感。

この空間、この世界が本当に楽しいんだ。

世界を"分裂"させる必要も、世界に対して"憤慨"する必要なんてもうない。

彼女がするのは"暴走"であり、"陰謀"であり。

 

 

「鶴屋家主催の花見パーティに決まってるじゃない! あたしたちがみんなを盛り上げるのよ。大人しくタダ飲みタダ食いなんて、列席者の方々に申し訳ないと思わないの? バカキョン!」

 

何よりみんなを"驚愕"させたいのさ。

そこに精神的"動揺"なんて不安材料もあるわけがない。

涼宮さんは太陽かと見紛うまでの笑顔と、熱気でもって高らかに宣言した。

まるで皇帝のようだった。

 

 

「さあ、やるわよ! スペシャルイベントでも、サプライズでも何でもいいの! 世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団。このSOS団がやるって言うんだから――」

 

失敗なんてあるわけないのさ。

最初から、決まっている。

俺が、俺たち全員がそうが決めたんだからな――。

 

 

「――絶ぇぇええっ対に! 成功させるの! これから始めるのは、その為の会議なのよ!」

 

 

 

 

 

――――『真説 異世界人こと俺氏の憂鬱』につづく

 

 



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異世界人こと俺氏劇場
予告 異世界人と俺氏の憂鬱


 

……忘れてやるなって。

まあ、その、俺もその人については忘れてたんだけどね。

それもそのはずで俺はその後の事なんて何一つ知らないままだ。

ではお前は誰なのかと訊かれると、いつも通りの異世界人だよとしか答えられない。

とにかく何が言いたいのかと言うとだね。

 

 

「オレは悪くないよ」

 

間違いなく俺のせいではあった。

だけど、ここは彼に任せたい。

死闘を繰り広げた相手だと言うのに薄情な奴だよ俺は。

彼が話すのはこの世界から居なくなった彼女の事さ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――サンタクロースをいつまで信じていたか?

そんな事を訊かれたら俺は決まってこう返すことにしている。

 

 

「最初から信じていなかったけど」

 

当り前だ。

神を信じている奴だってそうだ。

会ったことがあるのか? 

俺はないね。だから俺の中ではサンタも神も信じられない。

信じてやる必要が何処にもないんだから。

 

 

「……ふっ」

 

下らない事を考えている内に、一日がまた消費されてしまった。

構わないさ。

俺はこの世界のどこかに価値を見出そうとしていないんだから。

放課後に何をするでもなく帰宅するのさ。

六月もそろそろのこの季節に冷房なんて設備と無縁の北高に長居する必要はない。

文句の一つを考える事すら俺は放棄したんだ。

この世界に対して。

 

 

 

――最初から期待しちゃいなかった。

北高を選んだのは家からの距離の都合だけに過ぎない。

行こうと思えば隣町にでも行けばもう少し上のレベルの高校へ行けた。

この町は田舎同然だとしても当然電車は通っている。

駅前へと行くのに苦労をする方が逆に難しいくらいだ。

だからと言って、可もなく不可もなく。

 

 

「……普通だ」

 

要するに、だ。

俺はどうしようもなく呆れていたのだ。

この世界の普通さに。

ただ一人俺だけが孤独に感じられた。

けどそんな俺にも数少ない楽しみが。

……楽しみ程では無いが、暇潰しの一環として本屋に立ち寄り続けている。

何の為か?

決まっている。本を買うためだろう。

それ以外は冷やかしでしかない。

冷やかしなんて無駄な事はしないのさ。

 

 

「一点で、1575円になります」

 

「……」

 

「2000円からお預かり致します」

 

「……」

 

「425円のお返しになります。レシートは?」

 

「結構」

 

「失礼致しました」

 

読むジャンルは特にどれとは決めていない。

この日は店頭に置かれていた一冊である経済文学なんかをそのままレジへ直行させた。

直ぐに読んで、終わりさ。

棄てはしないけれど読み返す事もしない。

 

 

「ありがとうございましたー」

 

下らない。

一日を消費するだけだった。

この日までは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の暇潰しの一環は本を読み終えてようやく一巻の終わりとなる。

駅前の書店で買う以上、落ち着いて読めるような場所は喫茶店か公園ぐらいなものだ。

家で読むのはかえって落ち着かないんだ。

図書館は家から逆方向になっちゃうし、二択だったのさ。

そしてこの日は駅前公園を選択した。

時刻は午後四時とちょっとで、読み終える頃にはいい時間になっているだろう。

無駄な行為だと自覚はしているが、こうでもしないと生きていけない。

 

 

「何かが変わる……」

 

なんて、最初から期待しちゃいなかったさ。

高校に進学した程度でそんなに人生に変化がある訳がない。

ともすれば同じクラスの女子――涼宮ハルヒ。校内ではちょっとした有名人だ――はイカレている。

変化を求める以前に自分が変人では本末転倒なのではないか。

入学式。

自己紹介の折にそいつはただの人間には興味ありませんとか言っていた。

悪かったな。興味がなくて結構さ。

彼女は俺と同類かとも思えたが、結局は違った。

最近ではこれまた同じクラスの男子を引き連れて何かしているらしい。

 

 

「笑っちゃうよ」

 

お前だって普通に青春している、ただの人間じゃないか。

こんな世界を受け入れられる心の広いお方だったようだな。

実に素晴らしい。

実に馬鹿らしい。

そうさ、現実ってのは意外と厳しい。

なんてことを頭の片隅でぼんやりと考えながら、俺はたいした感慨もなく公園のベンチへと向かった。

偉そうにふんぞり返るのも日課なのさ。

だけどそれは叶わなかった。

 

 

「………」

 

やたらと長いくせに、お姫様の如くややこしくセットされた青い髪。

ベンチで横になるその顔は、この上なく整った目と鼻をしている。

女子にしては少し自己主張が感じられる太めの部類な眉毛。

絹のように白く、しなやかで強く美しい肌

 

――えらい美人がそこにいた。

何より俺は驚愕した。

そこにいた彼女が公園のベンチに制服姿で眠っている事なんかよりも。

 

 

「……朝倉、涼子………?」

 

もっとシンプルな話だった。

それもそのはずで話が違うからだ。

彼女はまさに今日の朝、転校したと担任から聞かされた。

その先が隣町だとか、県外とかなら――それにしては北高の制服を着ているのは変だ――まだわかる。

しかし彼女の転校先はカナダらしい。

俺が知っているカナダについての知識などタンタリオ州オタワとケベック州ケベックシティーぐらいだ。

だが、彼女は急な転校だったそうではないか。

別れの挨拶もせずに家庭の事情とやらで転校していったはずの女子。

そんな彼女が。

 

 

「何故」

 

「……」

 

死んだように眠っているとしか言いようがなかった。

寝息はあるようで、身体が少しだけ揺れ動くが穏やかな寝顔ではない。

何があったのか。

やっぱり転校が嫌になって飛び出したのか。

"気になる"。

 

 

「朝倉、さん…」

 

「……う、……んんっ……」

 

こちらに向いている彼女の左肩をとんとん叩いて声をかける。

やはり死んでいた訳ではないらしい。

吸い込まれそうなまでに透き通った青い瞳をぱちりと開けると彼女は。

 

 

「……え……?」

 

上体を起こしてようやく普通にベンチに腰掛ける形となった。

彼女の表情は不思議そうと言うよりはどこか唖然としている感じだった。

不思議なのはこっちなんだけどね。

かと思えばぶつぶつと何かを呟き始めた。

 

 

「……ここは……それに………この身体……」

 

俺が辛うじて聞き取れたのはこの程度であった。

とにかくこっちに気付いてもらいたいね。

 

 

「あのー」

 

直ぐに彼女はこちらを向いた。

すると今度は驚いた表情で。

 

 

「明智……黎……!?」

 

いかにも俺はその通りですよ。

それが何か、と言うよりも俺が何事かと訊きたかった。

だから教えてもらおう。

有無を言わさず先手必勝さ。

 

 

「眩しい朝に、倉、涼しいで、子どもの子……」

 

一瞬の内に取り出した手帳にボールペンで名前を書いていく。

単純な名前でありがたいね。

俺なんか下の名前を書くのが最初は面倒だったんだからさ。

書き上げたと同時に俺は彼女の方を向き。

 

 

「朝倉涼子さん。オレの質問に答えてくれないか」

 

一丁上がりだ。

しかし俺を無表情で見つめている彼女の反応は。

 

 

「何のつもり……?」

 

おいおい。

効果ナシかよ。

……"偽名"だとでも言うのか?

結構ヤバめな事情でもあるんじゃないのか。

突然の転校だったり。

とにかく、能力が通用しない以上は誤魔化していくしかない。

俺の方が誤魔化すのも可笑しな話だが。

 

 

「つもりも何も。今日、いきなり、転校したはずの朝倉さんがそこでお昼寝していたからね。イリオモテヤマネコなら見逃していたかもしれないけど、元クラスメートの姿を見て声をかけたくなったオレの心中をお察し願いたいね」

 

「……だいたい理解したわ。ここがどういう世界で。私がどういう存在なのか」

 

何を言っているんだ。

こっちはさっぱり何だけど。

俺のちっぽけなこの能力が通用しないなんて。

本当にちっぽけなのさ。俺も。

やがて、朝倉さんは笑顔でその場から立ち上がると。

 

 

「そう……これも全て、あなたのせいなのよ」

 

意味が分からないしこっちは笑えない。

何だ何だよ何ですか。

 

 

「君に何があったのか余計な詮索はしないけど、これだけは教えてくれよ。"朝倉涼子"ってのは偽名なのか?」

 

「さあ。……あら、そう言えばあなたは知らなかったわね」

 

こうして俺たちは出会っちまったのさ。

しみじみと思う。

偶然だと信じたい、と。

 

 

「こう見えても私。宇宙人なのよ?」

 

死んだはずの一人の精神と、異世界へ送られたもう一人の精神。

未だによくわからないが二人の宇宙人の精神が一つになっているらしい。

これってギャグなのか?

結論から言うと、それはギャグなんかではなかった。

後に嫌と言いたくなるほどに身をもってその事を思い知らされた俺が言うんだから違いないね。

 

 

「私の話を聞いてくれるかしら。質問はその後よ」

 

異世界人、朝倉涼子と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よしわかった。

一言だけ俺に言わせてくれないか。

 

 

「オレにどうやってそれを信じろって?」

 

「信じようが信じまいが、確かな事実なのよ」

 

彼女の話が終った頃にはすっかり日が暮れて、もはや数分後には夜だ。

本を読む時間なんてあるわけがなかった。

いや、それどころかもっと厄介なお話を聞かせられたんだからな。

 

 

「こことは違う何処か別の世界に住むオレに飛ばされた? そのおかげで死んだはずの朝倉さんが復活できたって?」

 

神、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者。

君の眉毛ほどじゃあないけど。

 

 

「眉唾物だな」

 

「……喧嘩でも売っているのかしら?」

 

「こっちの台詞なんだけど。本当だって言い張るなら証拠を見せてほしいね」

 

「ふーん」

 

とだけ言うと、次の瞬間には俺の身体が硬直した。

時が止まったようだったが止まったのは俺の身体だけらしい。

事実として彼女は動いていた。

 

 

「どう? これでもちょっとした手品だ、と思うかしら」

 

思った所で返事が出来ない。

しかしながら彼女は満足した様子で。

 

 

「わかってくれたみたいね」

 

俺の身体に自由が戻った。

信じられるか? 催眠術の類でもなかったんだぜ。

事後催眠ならば身体の支配とて容易いが俺は彼女に一発目をもらった覚えなどない。

彼女とまともに話した事なんて今までに一度もない。

突然クラスから消えたと思えば、狙ったかのように俺の前に現れた。

そして俺はこの有様だ。

 

 

「ざまあないぜ」

 

「とにかく、そういう事だから」

 

はいはい。

続きはまた明日にでも聞きますよ。

俺は仕方なしにこの本を家で読むとするさ。

ドヴォルザークの家路を脳内BGMにしながら公園の外へ出た。

そうこうしている内に、三十分ぐらいで家に着いた。

 

――で。

 

 

「朝倉さんの家ってさ、この辺なの?」

 

「違うわよ」

 

さっきからずっと無言だったけど、彼女は俺の横についてきた。

家の方向が同じなのかとも思ったけど因縁の相手らしい俺にそれはどうなのか。

俺が見送りをするのならわかるけど彼女がそうする必要性がわからない。

すると。

 

 

「私は今、この世界に存在してはいけない端末なのよ。処分されちゃったから」

 

「だけど君はここに居るじゃあないか。オレの目の前に。君の家がどこかは知らないけど、送迎くらいならしてあげるよ」

 

「その必要はないの。私の存在が情報統合思念体や他の端末にバレたら面倒な事になっちゃう」

 

今になったからこそ言える。

俺の一ヶ月と少しの平穏な高校時代は、五月半ばのこの日に終焉をとげた。

嵐の前の静けさ、という言葉の意味がよくわかるのさ。

文句を言うつもりがなかった日々から文句を言う余裕がなくなった日々に変化した。

最初から期待していたのか?

俺は心のどこかで、つまらない日常から脱却したかった。

諦めていた。

だけどこの時に俺の心は決まってしまった。

運命や宿命を信じるかは人それぞれだ。

俺は信じていたけど、アテにはしていなかったんだよ。

 

 

「だから私はあなたの家に住むことにしたわ」

 

「……何だって?」

 

「明智黎なら誰も注目していないもの。キョン君よりはよっぽど確実ね――」

 

もう一度言わせてくれないか。

こうして俺たちは、出会ってしまったと。

 

 

「――さあ。私を殺しかけた責任、とってくれる?」

 

「もしオレが、君に迷惑をかけた異世界人のオレに会えるなら一言だけそいつに言いたいね」

 

地獄に落ちてくれ、って。

俺が抵抗したところで彼女に敵わないらしいのは理解出来た。

とりあえず彼女にそれが無理だという事を知らしめなければならない。

合鍵でドアをカチャリと開ける。

黙って二階の俺の部屋まで行ってもよかったが、彼女には即刻退去願いたかった。

 

 

「ただいま……」

 

今にも死にそうな顔で俺はそう言った。

晩御飯の用意は既に出来ているらしい母は俺を見て。

 

 

「おかえ……」

 

「お邪魔します」

 

俺の隣にしたり顔で立つ自称宇宙人を見て放心した。

安心してくれ、俺だってそうなる。誰だってそうなる。

残念なことに"母は強し"なる言葉が精神的なそれを指すことは俺も理解している。

直ぐに立ち直った母は。

 

 

「嘘。あんた、いつの間に彼女なんて作ってたの!?」

 

どう説明しようか。

こいつは俺の家を隠れ家にせんとしているんだ。

言わばインベーダーな訳だ。

恐怖による支配は遠慮願いたいんだよ。

 

 

「朝倉さん」

 

「なあに?」

 

「素直に話すのが、一番だと思う」

 

長話になることは俺が実証済みであった。

平日の帰りに親父がほぼほぼ晩飯時を家族として共に出来ない事など昔からそうだ。

今となっては馬鹿な兄貴も居ない。

母子二人だけの晩餐に、年頃の女の子がプラスされる。

昨日までならとてもじゃないけどあり得ない光景だった。

 

 

「……黎」

 

かいつまんだ説明を聞いた母は俺の名を呼んだ。

神妙な面持ちで、何でございましょうか。

 

 

「明(あきら)もそうだったよ。厄介事に好かれてるのか、あんたの方が好きなのか」

 

「兄貴の話はいい……」

 

「こっちにとっては二人とも大切な息子なんだから、気にしないわけにはいかないんだよ」

 

「今は関係ないだろ」

 

それにしても信じる気になったのか?

荒唐無稽な話もいいとこだ。

俺があなたの立場なら精神科を奨めるよ。

母は呆れた顔で。

 

 

「嘘をついているようには見えない。人を見る目はある。これでもあんたの倍以上は生きてる」

 

「知ってますとも」

 

「朝倉さん、で良かったかい?」

 

「はい」

 

「二階に空き部屋が一つある。今日だけは敷布団で我慢してくれないかい? ベッドは明日用意するから」

 

空き部屋ね。

もしかしなくても兄貴の居た部屋だ。

俺の書斎と化してはいたが、それでも広々としている。

 

 

「うちでよければ好きなだけ居てくれていい。でも、出来れば黎と仲良くしてやってね。友達が居ないから」

 

余計なお世話だ。

それと、と釘を刺すように母は。

 

 

「くれぐれも、朝倉さんに変な事はしちゃだめよ? 黎!」

 

「アイアイサー」

 

俺の名前は明智黎、15歳。

髪の色と瞳の色、日本人らしい真っ黒色。

職業、高校一年生。

特技、特定条件下における"EMP能力"の行使。

 

――分類、精神感応能力者。

もっともこれは、俺しか知らない事だけど。

 

 



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勇者ハルヒコと魔王の城 第一夜

いつか、どこかで言ったと思うが俺はゲーマーではない。

と言っても流石に"りゅうおう"だとか魔王は"バラモス"じゃあなくて"ゾーマ"だって事ぐらいはわかる。

もしくは調和を司る神"コスモス"と混沌を司る"カオス"の二柱の神が。

 

 

「おまえは いった…い な…にもの…… ウボァー」

 

と飽きもせず戦いばかり繰り広げているんだって事も、まあ、知識としては知っている。

……正直言うと、流石の俺もRPGぐらいはやった事あるって。

ドラゴン探求とか最終幻想とか、中古で安いんだから大した出費でもなかったさ。

 

――で、今回の俺が何を言いたいかと言えばだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「RPGのパーティって四人だろ……常識的に考えて……」

 

「どうかしたの?」

 

「いいや。朝倉さんはやっぱり可愛いなあって」

 

「えへへ」

 

俺と朝倉さんは一列に並んだパーティの左端でこの調子だ。

豪華なのか壮大なのかとにかく無駄としか思えない造りの宮殿で王様らしき人物の前。

関係あるか。話しているのは勇者の涼宮さんなのだ。

彼女の横に並ぶ全員はサポートキャラでしかない。

だってそうだろ。勇者は基本的にパーティから外せないからな。

そしてザ・キングと言わんばかりにでっぷりとして頭に冠まで乗せた玉座に座すじいさん。

少しばかり間隔を空けて俺たち七人に向かい座る彼はようやく重い口を開いてくれた。

 

 

「おお、おぬしらが勇敢な若人……。そして……勇者よ。勇者ハルヒコよ!」

 

一応言っておくが安心してほしい。

女勇者だから。

 

 

「世界を救えるのは勇者として生まれるべく生まれたおぬしだけなのだ。あの大勇者ヤスミの血を引くおぬしだけが……。どうか、どうか魔王を倒しこの世に光と平和をもたらしてはくれぬだろうか。老い先短い余の……最後の望みがおぬしらなのだ」

 

「ふーん」

 

ヤスミンだか何だか怪しい大勇者やらの末裔、それが勇者ハルヒコ。

当の本人はどこ吹く風で適当に聞いているようにしか思えなかった。

彼女の勇者装備、紅いマントが何のためにあるのか。

魔物の返り血を浴びても平気だからだとしか俺には思えないね。

そして大様による一通りの話が終ると彼女が。

 

 

「でね。あたしは別に名誉が欲しくて勇者やってんじゃないのよ。わかる?」

 

これではどっちが偉いのかがわからない。

王様の少し横に視点をズラせばよくわかる。

宰相らしきおっさんが「こんな奴らに頼りたくない」と言わんばかりの微妙な表情なのだ。

同情してやる。だけど俺も涼宮さんに同感だ。

 

 

「血税を誰が搾取しよーが誰が偉そーにしようが構わないけどね」

 

びしっと右手の人差し指を王様に突きつけ、高らかに。

 

 

「あたしがこの世で一番偉いのよ! 魔王だか何だか知らないけど、そいつは自分こそがこの世界の支配者に相応しいって勘違いしてるんでしょ? あたしたちはそれをとっちめに行くだけ。あたしより自分が偉いって勘違いしてるわけだからね」

 

「……」

 

「だから、いい? しっかり報酬が支払われないようなら魔王の次はあんたよ? こんなしょぼい国のへぼ軍隊なんて一時間あれば殲滅出来るんだから」

 

圧力外交ここに極まれり。

交渉の基本とはいかに自分を上に立たせるか。

しかし、下の相手に付け入る隙の一切を与えてはいけない。

涼宮ハルヒに死角などなかった。

 

 

「たっぷり寄こしなさいよ! まずは一番いい装備にするためのお金からちょうだい!」

 

「なんと……」

 

本当に気の毒だ。

こんな連中にしか頼れないこの国が。

あるいはこの世界が気の毒だ。

お前さんはどうなんだよ、プータローみたいな恰好の古泉。

 

 

「いいんじゃないでしょうか。相手は人外、魑魅魍魎の類なのでしょう。でしたら容赦する必要はありませんよ」

 

「涼宮さんはそのうち反乱起こしそうな勢いなんだけど?」

 

「人間誰しも勢い余ってということもあり得ますから、その時はその時です。不可抗力ですよ」

 

こいつもこいつでクズみたいな発言を平気でしやがった。

少し身体を前に傾けて横のみんなの様子を見てみる。

戦士キョンは目を閉じてひたすらこの光景から逃れようとしている。

長門さんは盗賊どころか暗殺者のように気配を殺して無言で佇む。

魔法使いの朝比奈さんはやっぱりあたふたしているという訳だ。

 

 

「吟遊詩人なんだろ。オレを晴れやかな気持ちにさせてくれないかな」

 

「流石にこの場で歌うわけにはいきませんよ」

 

「だったら収拾つけてよ」

 

「その必要はありません。もう話はついていますから」

 

それを認めたくないんだよ俺もキョンも。

パーティの一番端である俺の左を占領するトレジャーハンター朝倉さん。

服装はさながらジン=フリークス。

俺より念能力者っぽいのはどういう事なんだ?

そして世界観ブチ壊しなのが俺の恰好。

Vネックの白Tシャツ、肩口にはボアが施された黒いレザージャケット、パンツ。

皮のブーツ。ベルトは十字になるようにややこしく組み合わせている。

職業は傭兵。

 

 

「"スコール"かよ……」

 

某RPGの8作品目の主人公だ。

服装に足りない物はチェーンネックレスぐらいだった。

俺だけ現代の服装だよ。いいのかそれで。

 

 

「いい恰好してるじゃない」

 

「褒めてくれてありがとう。けどもっと他にも職業の選択肢はあるはずだろ。武闘家の方が念能力者らしいんだよ」

 

「そんな人種より間違いなくこっちの方がかっこいいわよ」

 

確かに俺は朝倉さんのようにどんな服装でも許されるような人種ではない。

それでもこの集団の中で俺は目立つだろう。

俺が町民なら二度見するね。

 

 

「出来ればベンズナイフを持ち込みたかったんだが」

 

「あら。私今持ってるわよ? どうやら私の装備はこれみたいね」

 

スッと彼女の懐から取り出されたのは間違いなく俺が所持しているはずのそれであった。

……いや、朝倉さんにあげたような気もする。

具体的にそれがいつかまでは記憶がハッキリしない。

思い出せるのは俺たち七人がSOS団で、異端者集団だということ。

朝倉さんと本物の恋人になれたとかも大事なんだけど、ベンズナイフについては大事ではないらしい。

俺にベンズナイフをくれた兄貴には申し訳ないがそんなもんである。

思い出せないけど暫くは顔を合わせてもいないはずだし。

生きているのか死んでいるのか。

 

 

「魔王が戦いやすい野郎である事を祈っておくよ」

 

「女だったら戦いたくないって?」

 

「美人は罪だよ。だけど朝倉さんは例外だし何より死罪ってほどじゃあないからね」

 

「つまり私が始末すればいいのね」

 

「時と場合によりけりで」

 

涼宮さんは王様と金銭交渉を続けている。

むしれるだけむしるつもりらしい。

宰相は今にも泣きだしそうな顔であった。

王様が気絶していないのが幸いだね。

 

 

「えげつねェな……」

 

ここがグリードアイランドではない、比較的良心的なRPG的世界の中だという事は把握した。

どうしてこうなったかって?

決まってるでしょ。涼宮さん以外に犯人は居る訳ない。

何のつもりなのやら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふんふふーんふーん」

 

それが何なのかさえよくわからない鼻歌をしながら先頭を意気揚揚と歩いていく涼宮さん。

宮殿を後にする俺たち七人が後に"七英雄"と讃えられるまでの名誉は多分手に入りそうにない。

確かに俺も傭兵らしいからな。スコールだって給料を貰っていた。

いつの時代もどこの世界も結局は資本主義なのか。

 

 

「はぁ、はぁ、ちくしょう。何で俺がこんな目に」

 

「お前の分は運ばないからな?」

 

「余裕そうだな、手伝えよ」

 

「聞いてたのかよオレの話」

 

荷物運び係には慣れているはずのキョンと言えど、金貨が盛り沢山の宝箱を背負うのは一苦労らしい。

言うまでもなく力仕事など男子の仕事。

女子はこんな世界においても楽をしていく生き物なのか。

普通こういう時代背景では女は家に居るだけみたいな旧日本的扱いなのではなかろうか。

かかあ天下ではないが、野郎の立場が低いのは俺たちぐらいなものだろう。

勇者どころか食物連鎖の頂点だと自分を勘違いしているんだぞ?

涼宮さんは。

 

 

「キョンは戦士なんだから根性見せろって」

 

「俺がっ……はぁ…誰に根性を、見せなければならん。説明しろ」

 

「そりゃあ勇者様だろうよ」

 

「ちいっ」

 

俺だって同じような立場さ。

それを良かれと思ってするかどうかが俺とお前の差だ。

早い所こっちのステージまで来いよ。

女嫌いでも何でもないんだろ?

 

 

「お前は、まったく、羨ましくも何とも思わんがな」

 

「思ってくれても困るからね。オレは朝倉さんが好きなわけだし」

 

「知るか。どいつもこいつも……押し付けがましい……」

 

勇者一行がする話にしては緊張感に欠けている。

あるいは危機感か。

とは言え、魔物とか魔王だとかに負けるようなヤワな連中ではない。

俺なんか伝説の傭兵と呼ばれている男と同じ格好だぞ?

その称号だけで言えばスネークと同じになってしまう。

段ボールでエンカウント率をゼロにしてやってもいいぞ。

持ってないけど。

そうなると"RPG"もロールプレイングゲームの略ではなくなってしまうな。

俗には"ロケットランチャー"とされているが正確には違ってだな……。

 

 

「まっ、最初はこの程度のお金よね。まずまずよ」

 

涼宮さんからこれまた物騒な話が聴こえてきた。

本当に魔王討伐を達成した日にはいったいどうなってしまうのか。

この国の未来が勇者ではなく魔王にかかっている事だけは確かだった。

これでいいのか。

うん、いいよな。

 

 

「誰が正義とか誰が悪とか……オレたちが楽しけりゃ、それでいいのさ」

 

「それでいいわけ、あるか」

 

「わかってないな戦士キョンよ。なんとかならないものをなんとかしようとするのは欺瞞であるばかりではなく偽善でしかない。オレながら良い格言だろ? メモしておいてどこかで使いなよ」

 

こんな世界にボールペンもメモ帳もあるわけなかったがな。

城下町の文明レベルはそれなりといった感じで、14世紀中ごろのヨーロッパはきっとこんな感じだろう。

【ゼロの使い魔】の世界の方が文明的に発達しているのかもしれない。

行ったことがないので検証のしようはないんだけども。

 

 

「腹が減っては戦なんて出来ないんだから。武士は食わねど高楊枝とも言うわね」

 

涼宮さんはそう言って早速必要経費よりも多くお金を使いそうな雰囲気を出してくれた。

王国の財政基盤を崩壊させにかかった張本人が、その王国から得た資金でだ。

一番いい装備を頼むのではなかったのだろうか?

いや、そんな必要がない事は俺だって充分承知しているとも。

"武士は食わねど高楊枝"の意味を涼宮さんが正しく理解しているかはさておいて。

 

 

 

――で、居酒屋らしき木造建築物のお店に勇者一行はやって来たわけだ。

思い立ったが吉日と言った所で準備は必要だし、英気を養う必要だってあるだろう。

どうせ俺たちが必ず勝つにせよさくっと終わらせてくれるほど涼宮ハルヒは優しくない。

 

 

「今日は奢りよ奢りー! 支払いは国王負担だからじゃんじゃん飲み食いしなさい!」

 

店の中は彼女のその一言ですっかり宴会ムードに。

俺たち以外の連中の分まで奢らせるつもりの大盤振る舞いらしい。

そして勘違いしてもらってほしくないのは宝箱に敷き詰められた金貨を彼女が使うわけではないという事だ。

店の主人は後程お城へ出向き、王様にツケを請求するわけとなる。

どうせこの世界は現実じゃないだろうから俺にはこの国の未来など関係ない。

事実として店のど真ん中に大きなテーブルを用意して俺たち七人が暴飲暴食を延々とし続けている。

どうだ? 平和にしてやったぜ?

そんな俺の適当発言に対し戦士キョンは。

 

 

「これのどこが世界を救う勇者様ご一行なんだ?」

 

「何か疑問でもありますか?」

 

「謎だらけだ」

 

俺はとっくに考えるのを止めたけどな。

気が付いたら七人揃ってお城の前に並んでいたんだ。

衛兵たちがお辞儀する中、宰相さんに連れて来られて冒頭に至るという訳だよ。

涼宮さんと朝比奈さんは現状を普通に受け入れてしまっている。

前者に関して言えば今のこの状態こそが自然なのだと言わんばかり。

 

 

「オレがここに飛ばされるまで何をしていたのか? どうにもその部分だけが思い出せない」

 

「このロープレ世界にいるのもハルヒの仕業だろ」

 

「さあ、断言は出来ませんね。全て憶測でしかものを語れませんよ。僕も明智さんと同様に、それ以前の記憶があいまいでして」

 

「異世界人も超能力者もアテに出来ない事がよくわかったぜ」

 

今の俺たちは職業は学生じゃあないし、役割も勇者パーティのそれだ。

実績がまるでないんだからアテにされても困る。

涼宮さんは『酒! 飲まずにはいられないッ!』といった様子で発泡酒をガンガン飲み干している。

未成年飲酒を咎めるルールさえないのだ。何より勇者のする事か。

『飲んどる場合かーッ!』とはまさに今の俺たちの状況であったのだ。

 

 

「……」

 

「このドレッシングは中々いいわね。後でシェフに話を聞きたいわ」

 

長門さんは出される料理という料理を平らげていく。

宇宙人の胃袋は宇宙なのだろうか。

言っておくが俺は小宇宙(コスモ)を感じた事はないぞ。

朝倉さんは何を気にしているのかサラダ中心の食事をしている。

こんな所で好き勝手食わないのはどうなのか。

様々な種類の謎の肉は美味しかったが、信頼出来そうな食材かどうかまでも謎であった。

 

 

「あたしの魔法、見たいですか?」

 

ほろ酔い気分の魔法使い朝比奈さんはそんな事を突然言い始めた。

店を爆発とかシャレになりませんよ。

すると右手を右耳に近づけ、一瞬覆う。

 

 

「耳が……ちっちゃくなっちゃいましたあ!」

 

その手を遠ざけた瞬間、彼女の右耳が消えていた。

嘘だろ。と思ったのは本当に一瞬で何て事はなかった。

耳の穴に耳を丸めて隠していたのだが……どっかのギャングスターの一発芸だ。

魔法というか隠し芸でしかない。

 

 

「やれやれ……明智は何か出来ないのか」

 

程よい満腹感の中、キョンはふと思い出したかのようにそう言った。

お前は俺に何を期待しているんだよ。

 

 

「お前だけどう見ても変じゃないか。ただのチャラ男だ。傭兵になんて見えないんだが」

 

「文句はオレに言わないでくれ」

 

「傭兵って言うからには武器でもあるんだろ」

 

確かにそうだ。

RPGな以上最低限の装備はある。

防具としての性能はさておき、各々職業的恰好はしている。

長門さんは盗賊らしいが素手だけで問題ない。

朝比奈さんは木の棒きれみたいなものを持っていた。杖らしい。

古泉など武器ですらない。堅琴。

それでどうやって戦うんだ?

 

 

「僕の歌声で世界が平和になるのであれば、いくらでも歌いますよ」

 

よしてくれ。

誰も聞きたがらないから。

 

 

「では、演奏だけで」

 

古泉は頼みもしないのにポロンポロンと片手で弾きはじめた。

上手いとも思えないがしっかりと弾けるだけで充分だろうよ。

多芸だな。

 

 

「それで。明智は何か持ってないのか」

 

うるせえよ。

昔の朝倉さんなら許せたけど野郎相手にせがまれて何が楽しいんだ?

そんなに見たいのかよ。

 

 

「どうもこうもないな……」

 

そう言いながら席から少し離れて、左手を水平にする。

出ろ、と念じるとそれは一瞬の内に出てきた。

 

 

「何だそりゃ」

 

「……知らないだろうね」

 

柄は銃グリップのような形状をしている。

しかしながら銃の発射口など存在せず、銃身は途中から刃に変化している。

スコール・レオンハートの代名詞――。

 

 

「――"ガンブレード"さ」

 

それが出ること自体は問題なかった。

問題は装備の質であった。

刀身は青白く発光しているし、鍔の部分には獅子に羽根が生えたような動物の装飾が施されている。

ああ、負けるわけがない。

スコールが主人公を務めるFF8における彼の最強装備。

"ライオンハート"。

 

 

「レベル10でも一発2000ぐらいの威力は出るよ」

 

「意味がわからん」

 

「変態が使うような武器だ。キョンには扱えそうにないから安心していいよ」

 

俺が扱えるかどうかは疑問だけと。

とにかく、ライオンハートは確かに手間さえかければ序盤でも手に入る最強武器(笑)だ。

だからと言って最強は最強で、これがあれば他のガンブレードを装備させる理由はグラフィックの変化を楽む以外には存在しない。

魔王だか何だか知らないがそいつが勝てる要素はないのさ。

 

 

 

――馬鹿馬鹿しいよな。

油断はしてなくても物事を甘く考えちゃ意味ないのに。

 

 



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勇者ハルヒコと魔王の城 最終夜

 

 

いつ魔王とやらを倒しに行けばいいのか……?

なんて事を真剣に考え始めたのはあろう事か宴会が三日目に突入してからの話となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺たちが三日間他に何をしていたのかと訊かれると居酒屋と宿屋への往復、宿屋で寝る。

以上だ。

異常かどうかで言えばもう考えるだけ無駄な話になる。

とにかく宇宙人二人が言うには。

 

 

「シュミレーション」

 

「この世界の何処かに居る魔王を倒せばお終いね」

 

順当に行けばそういう事になるだろう。

問題は言うまでもなく俺たちがそこに向かっての努力を何一つ行っていないという一点に尽きる。

最初の街をまだ拠点にするのはいいとしよう。

雑魚狩りによるレべリングをしていないのはそもそも街を出ていないから出来るわけがない。

いや、街を出なくてもやれる事はあるはずなのだ。

魔王に関する情報収集だとか、有用なアイテムや装備を整えたりだとか。

何もしていないんだよ。

 

 

「いつまでこれが続くんだ」

 

「店に出禁食らわない限り、もしくは涼宮さんが宴会に飽きない限り。かな」

 

「やってられん」

 

最早キョンはやれやれすら言えなくなっていた。

今後の心配をしているのは俺とこいつぐらいなものだろう。

 

 

「ちょっと! みくるちゃん、料理はまだかしら! 足んなくなってきたから早くしてちょうだい!」

 

「ひゃい! すいませぇん」

 

朝比奈さんはこの店の従業員でもないのにウェイトレスと化していた。

ついこの前まで身に着けていた黒い魔女装束はどこへやら。

暴飲暴食を絶えず続ける俺たちや他のお客さんのために奔走している。

涼宮さんは魔王よりも先にこの国を潰しかねない。

古泉は堅琴を奏でてこの世界の女性NPCの瞳と心を奪い去っていた。

長門さんは今日も今日とてエネルギーを蓄え続けているし、朝倉さんはナイフ投げを披露している。

彼女の投げるナイフはベンズナイフではなくいつものアーミーナイフなのだが……。

 

 

「投げナイフでやらないのかな……?」

 

「こっちの方が扱い慣れてるもの」

 

調子に乗り出したのか朝倉さんは目隠しして、標的として並べられている果物にナイフを命中させていく。

ナイフの扱いに慣れている、だなんて平気で言える女子高生がこの世にどれだけ居るんだ?

俺が出逢った中では朝倉さんただ一人だけだね。

これが俺と彼女の二人旅であれば朝になると宿屋の主人にかわれていたに違いない。

流石にこんな状況でそんな事まで実践する程俺も命知らずではなかった。

宿屋の寝起きに見る天井にもやがて見慣れてしまうのだろうか。

一週間以内にケリがつきそうになかったら俺もどうにかしようではないか。

最悪の場合はジョン・スミスを使うしかない。

と、思っていると居酒屋の扉を軋ませて、ようやく進展が訪れた。

 

 

「おお……これは……何たることだ…。まだこのような場所で道草を食っておるとは……」

 

白の紳士服を身にまとった中年のおっさん。

頭にはシルクハット、口元にはダンディズムな髭。

間違いない。

俺はたまらず彼の前に出向き、土下座する。

 

 

「お願いします!」

 

「何じゃ……?」

 

「オレに教えて下さい、"波紋"の使い方を! どんな苦しみにも耐えます! どんな試練も克服します!」

 

「ハモン……? 勉強を教えようにも何の話かわからんのう。そしてわしは君に用はない。さっさとそこをどけい」

 

いかにも仙道の使い手のような恰好だったのだが、違ったらしい。

何なんだよ。急に席を立った俺に対してキョンは物凄い顔をしていた。

勘違いしちゃって悪かったな。俺も水の上に立って歩きたかったんだよ。

おっさんはてくてくと奥の方へ進んでいき、ついには涼宮さんの所まで進んで行った。

と言うか彼の恰好も中々時代にマッチしてないよな?

 

 

「あら。あんたもあたしと勝負したいの? アームレスリング対決。参加料は金貨一枚であたしに勝てれば十倍にして返してあげる。……女だからってなめない方がいいわよ。あたしに勝った人は今まで誰も――」

 

「とっくの昔に魔王城への長旅を開始しているかと思いきや……度し難いのう。勇者ハルヒコとその仲間たちよ、闇の時代が訪れてはならぬ。この世に光をもたらすのじゃ。魔王を倒すのが使命」

 

「……はあ? 何よあんた。やけに偉そうな態度だけど王の使い?」

 

「違う。わしは森の賢人じゃよ。魔王を倒すための情報を与え、進むべき道を示すのがわしの役目」

 

森とは無縁そうな格好ではないか。

演奏を止めた古泉はにやにやした表情でその様子を見ていた。

しかし彼はあれか。

ゼルダで言う所のフクロウポジションなのだろうか。

こんな人にでもすがらなければならないまでに俺たちは勇者一行をしていない。

好き勝手している俺たちの方こそが魔王なのかもしれない。

 

 

「これから次の目的地を教える。はようわしについて参れ」

 

「別にあんたについて行ってもいいけど、そんなに焦る必要あんの?」

 

「勇者ハルヒコは既に魔王と戦う運命にある。魔王を倒さねばならん。さもないと死ぬ。君たちも、全ての人も……その時は近い」

 

「はいはい、わかったわよ。さっさと行けばいいんでしょ。ま、ここの国の男どもはあたしに勝てない軟弱者ばかり。ちょうど退屈してたところね」

 

退屈してた原因さえ自分で作っていたのだが、その辺は気にしないらしい。

とにかく本当にようやくだ。

いつまでかかるかもわからないが年単位だけは勘弁してくれ。

涼宮さんはその場から立ち上がると。

 

 

「それじゃ、みんな行くわよ!」

 

「よし。まずは第一関門である洞窟のガーディアンドラゴンの所にある鍵を手に入れる所から――」

 

「何言ってるの? さっさと城へと案内しなさい。魔王の所。知ってるんでしょ?」

 

「確かに知っておるが、魔王の城の門を開けるには鍵がじゃな――」

 

なるほど、第一関門と言うからにはやっかいな仕掛けの数々が俺たちの行く手を阻むのだろう。

しち面倒ではあるがRPGとは結局の所はお使いでしかない。

ガーディアンドラゴンがどれだけ強いのか。

そこら辺の魔物など一撃で仕留められるライオンハートの敵ではないだろう。

何て思っていると長門さんが食事を止め、おっさんと涼宮さんの近くへ向かう。

そして彼女は握っていた右手を開き。

 

 

「……これ」

 

「有希。何なのそれ」

 

「"さいごのカギ"」

 

「な、なんと………信じられぬ……」

 

幾ら盗賊でピッキング技術に長けていようと、それは無いだろ長門さん。

さいごのカギとは文字通りこれがあれば終わりだと言わんばかりの性能の鍵である。

ようはこの世にある全ての鍵の代わりになるのだ。

ぐにゃぐにゃした飴細工のような形を普段はしている。

しかし特殊な金属で出来ているらしく、それを穴に挿せば必要とされる鍵の形に変化するらしい。

魔王城の門とて、さいごのカギには敵わないだろう。

鍵だけで開けられるものなら何でも開けられるからな。

 

 

「じゃが……ううむ……」

 

他の関門の心配をしているのだろうか。

とにかくことらは魔王に関する情報を必要としているのだ。

素直に教えてくれないものなのか。

俺はそろそろ家に帰りたくなって来た。

 

 

「今の君たちが行っても……何も出来ずにやられるだけじゃぞ…?」

 

「へえ。あたしも軽く見られたもんね」

 

「……」

 

「大丈夫よ。明日が来るより前にやっつけるんだから」

 

そうさ。

このおっさんがどんな立ち位置かは不明だが、そうなのさ。

彼女はやると言ったら飽きるまではやる。

勝負事なら最悪だ。相手が泣いても容赦せずに叩き続けていく。

それが勇者ハルヒコ。

 

 

「さあて、どんな城かしらね……。乗っ取るのも悪くないわ」

 

訂正。

やっぱり魔王だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そんなこんなで、やって来た。

魔王城。

もしかしなくても俺たちは全てを振り切っていた。

行くべき場所も行かず、キーアイテムも入手せず、レベルの概念があるかは怪しいが戦闘経験はナシ。

最初の街を出てそのまま森の賢人の案内を受けるがまま、最終地点に立っている。

遠くには暗雲立ち込める、いかにもな魔王城。

余裕だな。

 

 

「どうしてお前はそんなに余裕そうなんだ。俺は足が竦みそうだ」

 

「ふっ。戦士なのにか?」

 

「本能が接近を拒んでいる。帰ろう」

 

するとキョンは戦闘で城を睨み付けている涼宮さんの方へ近づき。

 

 

「なあ、どうすんだよ。このまま突っ込んで行っても教会のお世話になり続けるだけだ。日を改めよう」

 

「いいえ。今日行くわ」

 

「……作戦は?」

 

「正面堂々、全軍突撃よ」

 

「勝算はあるのか」

 

「あたしの見立てでは九十五割であたしたちが勝つわね」

 

95%ではないらしい。

キョンにも魔王にも気の毒だが仕方ない。

覚悟決めろよ。

 

 

「やれんのか」

 

「やるわ」

 

既に森の賢人のおっさんは居ない。

ここから先は俺たちだけで行けという事か。

涼宮さんは勇者っぽいデザインの剣を構えて。

 

 

「まずは魔法使いのみくるちゃんが攻撃を仕掛けて。とりこぼしは他の皆でやるから」

 

「は、はいっ!」

 

「……」

 

「この空間で超能力が使えればよかったのですが。足手まといにはならないように心がけますよ」

 

「魔物の肉ねえ。ゲテモノは美味って相場が決まってるけど、魔王城に居るのはどうなのかしら?」

 

知らないよ朝倉さん。

俺は食べたくないからね。

朝倉さんが作ったとしても流石に遠慮する。

とにかく行かなくてはならない。

最初で最後の戦場へ。

 

 

「行くわよ! あたしたちの邪魔をするものは皆殺しなんだから!」

 

 

 

 

――どうもこうもあるか。

朝比奈さんはここに来てアルテマとかミナデインとかで城中の魔物という魔物を葬り去っていた。

運良く逃れられたドラゴンゾンビやら機械兵やらも残りのメンバーに仕留められていく。

置物なのはキョンと古泉ぐらいだった。

吟遊詩人らしい古泉はさておき、戦士のお前が戦わなくて誰が戦士なんだ。

 

 

「剣を振ろうにも俺の速さじゃ当たらん。何よりお前らが始末してくれるからこっちは楽でありがたいね」

 

主人公の風上にも置けない男だった。

そしてようやく。

 

 

「ついにこの部屋に魔王が居るのね……。長い冒険だった、本当に色々あったわね」

 

「嘘つけ」

 

扉にしてはやけに大きい扉だった。

魔王城の最上階。

正確な階数など数えちゃいないが七、八階じゃあきかないだろう。

とにかくそいつを倒せば終わりなんだろ?

じゃあ話は早い。

 

 

「朝倉さん」

 

「どうしたの?」

 

「オレを半殺しにしてくれ」

 

何言ってるんだこいつ、と言わんばかりの表情だった。

仕方ないでしょ。

俺が本気を出すにはHPが三割を下回らないといけないんだから。

他に方法は存在するがそれには魔法の"オーラ"が必要となる。

そんな呪文唱えられる人はこの中に居ない。

とにかく、俺が本気を出せば間違いなく魔王なんて瞬殺出来るからさ。

 

 

「怒らないでよ?」

 

朝倉さんがそう言ってから暫くの間一方的に彼女に殴られ続ける彼氏という奇妙な光景が繰り広げられた。

別に"赤い涙石"の指輪を付けているわけでもないのに俺が窮鼠状態になる必要がどこにあるのか?

それはFF8における特殊技の発動条件を達成するためであった。

 

 

「ぐ、……よし。……オレは、大丈夫だ……」

 

「明智……マゾだとは思ってたが、何もこんな時にやるのかね……」

 

うるせえ。

キョンも大概なマゾヒストだろ。

そんな事を声に出す余裕さえ今の俺には無い。

アバラの五、六本も折れているだろう。

ちくしょう。必要、経費だ。

 

 

「涼宮さん」

 

「ん。明智くん、顔色悪そうだけど大丈夫なの?」

 

「ここは、オレに任せてくれ……」

 

と宣言してライオンハートを背中に担ぐ。

デカデカとした扉をみんなが押して開けるとそこには。

 

 

「ほう。来たか」

 

黒い刺々しい鎧を着込んだ青い肌の亜人。

魔王というか魔人みたいな野郎だった。

 

 

「ククク……どうだ? 我と手を組まぬか――」

 

「どうもこうもねえよ」

 

お決まりの世界の半分をくれてやろう的台詞を切り捨て。

俺はガンブレードの刀身を垂直に構える。

 

 

――"連続剣"

 

一瞬の内に魔王へと接近し、下から振り上げて一閃。

右上から左下へ一閃、手を引いて刃を一突き、その刃を返して左上へと一閃。

下した刃を相手に当てず、少しジャンプして打ち上げるように一閃二閃三閃四閃。

思い切り飛び上がり、ジャンプ切りで計八回の斬撃。

 

 

「ぐぅっ。やるではないか……なら次は我の奥義を……」

 

何勘違いしているんだ。

まだ俺の特殊技は終了していない。

少しバックステップした後、斜めに構えたライオンハートの刀身が力強く輝いた。

 

 

――"エンドオブハート"

 

「ちょっ。ええ!? こっちのターンは……」

 

悪いね。

確かにフィニッシュブローが入るかどうかは不確定だけど。

 

 

「……やれやれだぜ」

 

こっちには涼宮さんが居るのさ。

なあ、キョンよ。

 

 

「ば、馬鹿なっ!」

 

再び高速で接近すると、今度は振り上げた一閃で相手の身体を打ち上げる。

何故か周囲が暗転し、どこまでも敵も俺も上昇し続ける。

そのまま上へ浮きながら切り続けていく。

二十三回目の斬撃を放ち終えると、最後に刃がかつてないほどに光り輝く。

そして下からすれ違いざまに巨大な一閃――。

 

 

「悪かったね」

 

ビッグバンのような爆発演出を最後に俺は床に着地。

魔王の姿は既に消えてなくなっていた。

そして特殊技を放つ間だけ何故か元気になっていた俺の身体も再び元気を失う。

と、とにかくこれで終わりだ。

涼宮さんも自分の手柄じゃないのに満足そうだった。

キョンはいつも通りに眼頭を押さえ、古泉は勝利のファンファーレのつもりらしい演奏を琴で奏でる。

朝比奈さんは消え去った魔王に対して同情的なのか少し悲しげな様子。

長門さんは無表情、朝倉さんはあくびをしている。

とにかくこれで――。

 

 

「――任務、完了だよ」

 

その瞬間俺の視界は暗転した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――知っている天井だ。

どうやら俺は寝ていたようで、即ち今は朝である。

 

 

「夢オチってかい」

 

普段夢を見ていない俺からすれば不思議な感覚。

だけど戻って来れた。

ここは間違いなく俺の部屋なのだから、現実世界だ。

……うん?

 

 

「オレはまだ寝ぼけているのか……?」

 

俺の視界の下半分近く。

薄緑色のテキストボックスのようなものが映っている。

そしてその中に、現在進行形で俺の思考や言葉が打ち込まれていく。

何事だ。

俺がそう思うや否や直ぐに電話がかかってきた。

 

 

「古泉!」

 

『お早うございます。どうやら明智さんの方にも異変が見られたようですね』

 

「これはどういう事なんだ」

 

『僕の憶測でしかありませんが、我々は未だゲームの中の世界なのでしょう』

 

「何だって……?」

 

ゲーム、ゲームだと。

RPGならいいさ。

だけどな、ここはいつも通りの日常にしか見えない。

部屋に置いている物だって全部俺が置いた物だ。

心当たりのない本なんて一冊もないんだが。

 

 

『カレンダーを見ましたか? 今日の日付を確認して下さい』

 

パソコンを起ち上げるのは手間だ。

携帯画面の端っこを睨み付ける。

四月の……。

 

 

「始業式の日、じゃあないか……」

 

『僕の記憶が正しければ間違いなく我々はとっくのとうに二年生へと進学しています。おかげさまで色々な事件にも巻き込まれましたが』

 

去年からそうだったろ。

じゃなくて。

 

 

「ならこの緑色の奴は何だ」

 

『やった事などありませんので詳しい説明は出来ませんが、おそらくゲームのそれですよ』

 

「ゲームゲームって。何のゲームだよ――」

 

俺が電話越しの煮え切らない野郎に文句を言っていると。

突然部屋のドアがノックされた。

それを開けると母さんが。

 

 

「ちょっと黎! もう涼子ちゃんが来てるのよ! あんたはいつまで待たせてんの」

 

「……はあ?」

 

「いいからさっさと行きなさい」

 

と、俺は古泉との電話に付き合う間もなく制服に着替えて、朝食すら口にせずに家から追い出された。

あっと言う間の出来事だった。

これが真の"ポルナレフ状態"らしい。

何があったのかも何をされたのかもわからねえ。

わからなかったが、この世界がどういうゲームの世界なのか。

 

 

「明智君。おはよっ!」

 

やけに爽やかな笑顔で俺を待ち続けてくれていたらしい朝倉さん。

彼女自体はいつも通りに美しかった。

だけど、問題はそんな事ではない。

 

 

「……は……?」

 

「何、どうかしたの?」

 

呆然自失の俺に対して不思議そうにこちらの顔色を窺う朝倉さん。

彼女が登場してから、俺の視界の右上にはゲージバー的なものが表示された。

そこには。

 

 

「親愛度、1000%……だって……?」

 

そうかい涼宮さんよ。

君はそのつもりなのか。

俺までそれに巻き込まれちまったのか。

一言だけ天に向かって叫ばせてくれないかな。

キョンもそう思うだろ?

 

 

「フロイト先生も爆笑だっぜ!」

 

――どうやらここは恋愛アドベンチャーゲームの世界らしい。

 

 



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特典SS "Sunny Day"

 

 

なるほど。

これで一段落は出来るのだろう。

だけど僕の仕事はまだ終わっちゃあいない。

最後に一つだけ残っている。

最後まで、見届けなくてはならない。

彼に伝える為ではない。

僕自身の為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕が高校三年生の時の話をしよう。

最後の夏休みなどとっくに終わっている。

11月の話になる。

 

――夢を見ていたのだろうか。

僕はその日、土曜日である2007年11月10日の朝、珍しくそんな事を思った。

いや、珍しいどころの騒ぎなどではない。

僕は夢というものを見た覚えだとか、残照感を味わった事などない。

つまりこの日が初めてである。夢を見たらしいと自覚出来たのは。

 

 

「何の事だか……」

 

僕は貴重な体験を出来た事実を忘れたくはない。

カーテンを開けると寝間着姿のまま机に座る。

思いついた事でも書こうとした。

しかしながら、何も思いつかなかったのだ。

これでは何も書きようがない。

あることないことを書く事は出来ても、片方だけと言うのは難しい。

何より意味がなくなる。感情がない、魂がない文字などただの記号でしかない。

記号なんかを載せるのは教科書だけで充分だ。

 

 

「勘違いだったようだ」

 

ともすればこの時期の卒業学年などは勉強に励むべきなのだろう。

僕はそんな事をするつもりなど無かった。

進学希望先で言えば私立ではなく国立。

日頃、必要最低限の事はやっているのだから休みの日に根を詰める必要はない。

そこの学生のレベルで言っても特別高いわけではない。

家からの都合でもって考えた時に一番楽だったからそこにしただけ。

大学に行って特別やりたい事なんてのはない。

だからこそ、休みの日は文化的に過ごすべきなのだ。

 

 

「……」

 

いつもなら、こんな世間話でもなくもっと奇天烈な事の一つでも思いつく。

一度置いたボールペンを再び持つ気にさえなれなかった。

何故だろうか。

理由はわかったさ。

わかってしまったさ。

 

 

「……いい天気じゃあないか。秋にしては自己主張が激しい陽射しだ」

 

なにより僕は窓からの光景を普通に受け入れていた。

何年ぶりだ……?

こんな風に、外の景色に心を落ち着かせる。

むしろこれも初めての事らしい。

そうだ、僕の世界に色はなかったんだ。

だけど今は何故か違う。

今日だけなのかもしれない。

白や黒で説明出来ない、色々が世界には存在していた。

柄にもなくセンチな事を考えていると。

 

 

「……もしもし」

 

今度は本当の意味で珍しいと形容できる人からの電話がかかってきた。

携帯のディスプレイを見た瞬間、己の睡眠不足を疑ったぐらいだ。

 

 

『よ。元気してるか?』

 

「それは僕の台詞だと思うが」

 

『質問に答えろって』

 

「依然、問題はナシ。さ」

 

『おっ。東方仗助の台詞だな』

 

誰だそいつは。

 

 

『ジョジョだろ。読んでないのか?』

 

「……あのハイセンスなイラストの漫画か。僕が漫画どころか小説さえまともに読まないのは知っているはずだ」

 

『ただの確認だ。お前は相変わらずの調子らしいな』

 

「それも僕の台詞だな。兄さん」

 

朝も早々に珍しく電話をかけてきたと思えばただの世間話か。

もっとも兄さんが今、日本に居るのかどうかも僕には怪しく思える。

真夜中にかけてこないだけありがたく思っておくよ。

 

 

「それで? 用がないなら僕は切るけど」

 

『いいから落ち着けって』

 

いつでも僕は冷静沈着をモットーとしているつもりだ。

 

 

『用って言うより、これはただのおせっかいになるんだけどな』

 

「……何さ」

 

『お前。明日が何の日かぐらいは覚えているんだよな?』

 

「……」

 

何でだろうな。

昨日までは忘れていたはずだ。

だけど、起きた瞬間途端に警戒していた。

気づかぬ内に思い出してしまっていたらしい。

11月11日。

 

 

「佐藤の誕生日か」

 

『……おお。本当に覚えていたとはな』

 

「ただの偶然さ。で、兄さんは何が言いたいんだ?」

 

『べつに』

 

何だよ。

本当に切るからな。

土産話の一つでもすれば面白いかもしれないのに、僕について僕が話して何になるんだ。

まるで意味がわからん。

 

 

『そのうちわかるようになる。お前もな』

 

「いくら顔が見えていないからってフィーリングでゴリ押そうとしないでくれ」

 

『とにかくプレゼントの一つでも用意しているんだろ?』

 

「あるわけがない」

 

当たり前だ。

昨日まで忘れていたんだからな。

思い出さない方が気が楽だったろうに。

何やってんだかな、僕も。

 

 

『今日一日のリミット内で何とかしてやれよ。……でないと佐藤さんが可哀想だからな?』

 

とだけ言い残して兄さんは電話を切った。

好き勝手生きているような人には言われたくないね。

一番可哀想なのは母さんと父さんの同率一位だろ。

 

 

「……佐藤、ね…」

 

兄さんに変なことを吹き込まれたせいだろうか。

やけに意識してしまっている。

今日と言う今日こそはお邪魔してほしくないね。

他に彼女が行くような場所など幾らでもあるはずだ。

大体この年頃の女子とはお出かけをしたがるものではなかろうか。

その何が楽しいのか、僕にはわからんがね――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――僕はふと、中学二年生の2月14日の出来事を思い出した。

バレンタインデーだ。

正直言うと僕には無縁のイベントではあった。

だが、これも友人付き合いから来る責任感故なのだろうか。

佐藤詩織は小学生の頃から毎年僕に義理チョコを渡してくれていた。

中学一年の時は。

 

 

「慈悲深いわたしに感謝なさい」

 

と言われて自作したらしいチョコカップのケーキを頼みもしていないのに寄越した。

彼女の態度はさておき味は良かったさ。

ただ一つだけ言える事としては。

 

 

「僕なんかに渡しても意味はないぜ。君も気になる野郎の一人や二人は居るんじゃあないのか? 実験台にしようにも僕は特別アドバイスが出来るわけではない。買いかぶってくれるのは構わないが、僕を過大評価はしないでくれ」

 

「……はあ………」

 

呆れた顔で溜息を吐かれた。

はたして僕の『実験台』発言を本気に受け止めたのか、件の中学二年生の時。

 

 

「……喰らいなさい」

 

この時彼女が自作したのはシュークリームだった。

見事なまでの出来栄えで、これをどうやって作っているのかが気になる程だ。

何をどう喰らえばいいのか。喰らってくたばれと言わんばかりの気迫ではないか。

一口喰らいつけばそれまでだろう、と甘く考えていた僕の考えは文字通りに甘くなかった。

 

 

「ぶっ! …うぇ……な、何だこれは!?」

 

シュー"クリーム"と言うからにはクリームが入っているべきである。

いや、確かに見た目はクリームだ。

しかしながら一口クリーム部分が舌に来ただけで異常を検知した。

甘くない。塩辛い。

 

 

「あら? そうなの? やだ、間違えちゃったかなあ?」

 

「この、何言ってるんだ……」

 

砂糖と塩を間違えたとでも言いたいのか。

僕の味覚を殺しにかかってきているのか。

多分その両方だったのだろう。

この一件以来僕は"シュークリーム"というものを口にするのに多大な抵抗感を覚えるようになった。

ハッキリ言うと口にしていない。

 

 

 

――まったく、今年は何を寄越すんだか。

 

 

「えっ……?」

 

無意識の内の行動だったのだろうか。

気がつけば原稿用紙――学校から拝借している――の端に『佐藤詩織』とだけ書いていたようだ。

何だよ、妙な事を考えているのか僕は。

直ぐにボールペンを放り投げ、その紙をくしゃくしゃに丸めようとした所で、手が止まった。

出来なかった。

……いいさ、裏っ返しにしておけばいい。

どうせ最後には棄てるんだからな。

なんて事を考えていると、僕は朝食すら食べていないどころか着替えてすらいないのにも関わらず。

 

 

「おっはろーん!」

 

そいつはノックもせずに僕の部屋のドアをぶち壊さんとする勢いで叩き開けた。

見た目だけで言えば地味オブ地味子なのにどうして行動力はあるのだろうか。

違うな、僕の部屋なんかに来る時点で行動力は皆無だろう。

佐藤詩織は寝間着姿で机に座る僕を見て。

 

 

「朝から他にする事はないの?」

 

「それを今まさにしようと考えていたところを僕は君に邪魔されたんだが」

 

「『勉強をしなさい』って親に言われた時にやる気が無くなるあれね」

 

「君の例えは僕には理解し難いらしい」

 

白黒灰色で格子柄のワンピースとメリヤス生地のグレーカラーミニコートを羽織っているそいつ。

髪型は後ろ髪を大きく一本に編み込んだ三つ編みで、本を読むのが下手なのか生まれつきなのか眼鏡をかけている。

"噂をすれば影がさす"とはまさにこの事で、僕の友人佐藤詩織は僕の許可なく部屋に一歩侵入していた。

そもそも母さんは何でこんな奴を家に上げるんだ。

 

 

「僕の方に関して言わせてもらうとだな。君の家に上り込むにしてもまず玄関から、だ」

 

「当り前じゃない。わたしだってそうしてるし、他に選択肢があるの?」

 

「要するに僕は君の部屋へ勝手にズカズカと立ち入ったりなんかはしていないだろう。つまりそういう事だ」

 

日本人なんだから僕の一言で察してくれるのがスタンダードなのだ。

こんな事を彼女に期待する時点で間違っているし、僕も期待しちゃいなかったさ。

彼女にとっては二軒隣の家に行って来るなんて事は自宅から出ている気分にさえならないのだろう。

いい迷惑だ……。

ん。"いい"迷惑なんて表現では僕がこの現状を良しとしているみたいではないか。

少なくとも善しとも好しとも考えちゃいないはずなんだが。

 

 

「それはそうとカイザー君さあ」

 

「……いい加減僕は"皇帝"だとかその辺の名称で呼ばれるのがうんざりしつつあるんだが」

 

「どう呼ぼうがわたしの勝手じゃなかった?」

 

「訂正だ。そして原因は間違いなく君のせいだ。せめて別の呼び方にしてくれないか」

 

「ふふ。わたしの勝ちね」

 

誰の何に勝ったと言うんだ。

自分との戦いがしたいのならシルベスタ・スタローン主演の【ロッキー】でも観ていろ。

僕はしっかり最後まで観た事なんてないが、トレーニングの光景はまさに自分との戦いでしかなかった。

卵ジョッキを一気飲みする気概など佐藤にはないだろうがな。

 

 

「じゃあユッキー。さっきあたしに電話かけなかった?」

 

「何故朝も早々に僕が君に電話する必要があるんだ」

 

"ユッキー"ね……単純すぎるあだ名だな。

それはさておき朝電だと?

僕が、君相手にか? 

何を言っているんだ。心当たりがまるでないね。

兄さんとは通話したが、それもあちらからかかって来ただけ。

僕の方から発信した覚えなどない。

そんな事はそこら辺に居るようなカップルでさえ中々しないだろうよ。

精々がメールでやり取りしているに違いない。

僕に言わせれば無駄でしかないけど。

といった僕の胸中などいざ知らずの佐藤はむむむと呟きながら。

 

 

「おっかしい。確実にユッキーの声だったのよ。それも、イラズラ電話だったんだから」

 

「言いがかりはよせ。適当な因縁をふっかけるな」

 

「間違い電話だとか言いながらわたしの名前は知ってたし、『他人の空似です』とか言っちゃってるし……」

 

「そういう事もあるだろ。さ、出て行け」

 

着替えたいしお腹も減っているからな。

何が楽しいんだろうな、佐藤の日常とやらは。

僕の他に友達なんか幾らでもいるはずだ。

女同士の遊び風景などついぞ僕にはわからないのだろうが、まるで休日に親睦を深める気配がないのはどうなんだ。

どうなんだと言えば彼女の進学先に関してもそうだ。

僕は佐藤詩織がどこへ行くのかを知らない。本人に訊いても教えてくれなかった。

ニート街道まっしぐらではないらしいが彼女こそ勉強している様子は見受けられない。

これで僕も彼女も校内から考えても上位の成績を収めているのだから程度が知れてしまう。

教師側に問題はないだろう。

生徒側が馬鹿なのが問題なのだ。

これでも中の上くらいの高校へ進学したつもりなんだがな……?

とにかく、佐藤が僕に見られないような場所――何も大袈裟な話ではなく普通に自分の部屋――で猛勉強をしているのか。

もしそうでなければそろそろ僕は彼女の両親と相談した方がいいのかもしれない。

 

――何を?

考えるよりも先に私服に着替え終えた僕は、パンの一切れでも頂戴するべく一階へ降りて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日も無意味に一日が消化されてしまった。

いいや、その元凶は佐藤に他ならない。

僕は一人で机に向かっているだけでも時間を忘れられると言うのに彼女がそれを邪魔する。

げに恐ろしきは人間の慣れであり、僕もイラッとこそすれど彼女に手を出そうとなどはしない。

平素から俺が擦れた考えをしているのはわかっているが、仮にも佐藤詩織は女性だ。

男性が女性に暴力を振るうなど、ゲスのすることだ。

僕はクズかもしれないが、他の要素を自分に付加させようといった右肩下がりの向上心など持ち合わせていない。

やがて、秋の夕日が訪れたのだった。

 

 

「そろそろ帰ったらどうだ」

 

結局今に至るまで僕も彼女も明日の事などは一切言及していない。

と言うか毎年何をかしている訳ではない。

違うな、今まで特別僕が彼女の誕生日など祝ってやった例などないではないか。

兄さんは何を考えて覚えていなくてもいい事を覚えてまで僕に連絡を寄越したんだ。

そんな余裕があるのならこっちに帰って来いよ。

 

 

「う、うん……」

 

何故か彼女はしおらしかった。

腰かけていた僕のベッドから立ち上がり。

 

 

「じゃあ、また明日ね」

 

ありふれた普通の一言であった。

また明日に彼女が来る必要なんてどこにもない。

だと言うのに僕はその台詞を聞き慣れていた。

そして彼女の表情も見慣れていたからこそ僕はどうにかしちまったんだろうな。

 

 

「待て」

 

「……何――」

 

本当に僕はどうにかなっちまっていたのさ。

ドアに手をかけて、こちらを窺った一瞬の表情。

佐藤は切なさや悲しさを顔に描いたかのような表情をしていた。

僕は彼女のそんな表情"二度と"見たくはなかったんだ。

初めて見たはずなんだけどな。

気が付いたら机から立ち上がり、一瞬の内に彼女の左手――右手はドアに手をかけている――を掴み、彼女の身体を引き寄せ、ついには抱きしめてしまっていた。

身長差故に彼女の頭が僕の胸に来るような形となった。

 

――ああ、ちくしょう。

何やってんだ僕は。

一瞬の内にどうにか正気に戻る事が出来た。

ぱっと拘束を解放したのだが、離れない。

 

 

「……お前」

 

「……」

 

佐藤の方が今度は抱き付いてきているのだ。

これは不幸中の幸いなのか、彼女の胸囲は特別発達していない。

辛うじてCあるのかどうかである。

だからこそ変な感触に関してはどうにかそこまで意識せずに済んだ。

 

 

「……どういう、つもりなの」

 

額を僕に押し付けながら彼女は言葉を発した。

さて、何と僕は切り返せばいいのだろうか。

きっとコンビニ強盗なんかであえなく御用となった犯人の気持ちと僕は同じだ。

『つい、魔がさしてやってしまいました』などという計画性将来性その他一切を排除している馬鹿丸出しの発言。

衝動が僕を盲目にしていたのだ。

とにかく考えるのをやめていたらしい。

矛盾している。考えるのは脳であり、感情の発達もそこに由来している。

衝動とは意識的ないし無意識的な精神の爆発に起因する刺激であり、感情が必要とされるはずだ。

現実として数十秒前の僕はそうだったのだ。

"心"なんて曖昧なもの、存在しないのさ。

虚構でしかない。

その位置にあるのはただの臓器。心臓。

あるわけないだろ。

 

――この時、もし他に発すべき台詞が僕にあったのだとしたら。

是非ともタイムマシンでこの瞬間に戻って当時の僕に教えてほしい。

そう思ってしまうぐらいに情けない己の語彙力の無さ。

これではまともな話など書けるわけがない。

否定ばかりじゃないか。

いつだって僕はそうだった。

この世界の方が僕を否定しにかかって来ているとさえ思えた。

 

 

『――僕は僕だ。他人がどうあろうが知ったこっちゃない』

 

『わたしもそうだ、って言うの!?』

 

今年の春先の光景がフラッシュバックした。

僕はこの時に戻れたとしても、きっと同じ事を彼女に言うのだろう。

だが、僕は彼女そのものさえ否定してしまうのだろうか。

投げやりに一言。

 

 

「どうもこうもないさ」

 

ない、確かになかったが、それとは別にある。

"つもり"がなかっただけなんだからな。

 

 

「理由なんてない。ただ……君のそんな顔が見たくなかっただけなんだ」

 

「……何よ」

 

「いや。違う。訂正させてくれ。今の発言は忘れてしまっていい」

 

「何なのよ」

 

わかった。

どうやら僕はある種の精神病を発病してしまっているらしい。

そうじゃないと今日一日の僕の異変に説明がつかない。

どこか世界に対して肯定的であったり、創作活動に集中できなかったり。

その原因は言うまでもなく彼女だ。

だが、単に邪魔をされたからではない。

僕の部屋で見る必要がないアニメの観賞であったり、唐突に話しかけてきたり。

そういうことじゃあないんだ。

ああ、わかったんだよ。

折角だからそのまま言ってやる。

 

 

「どうもこうもないまでに、僕は君に心を乱されているらしい」

 

「……意味わかんない」

 

「実は、さっきからずっとそうなんだ。前に君は僕に訊ねたじゃあないか」

 

僕がいつも何を考えているのか、と。

わざわざグーパンチまで飛ばしやがって。

さっきわかったんだ。

 

 

「僕は、君のことばかり考えていたらしい」

 

「……嘘」

 

「嘘じゃあない。おかげで今日は何も書けなかった。君の顔だとか、声だとか、仕草だとか、そんな事ばかり思い浮かぶんだからな」

 

「だから、何だって言うのよ」

 

心を乱されるからには、それに立ち向かう必要がある。

心を決めなければならない。

残酷な二元論に支配されたこの取るに足らない世界。

僕の視界からは色さえ消え失せていた。

だが、今日ではない。

今日は違ったんだ。

決めるのは君でも世界でもない。

僕が決めるんだ。

 

 

「……詩織。僕は君が好きらしい」

 

「……らしい」

 

「訂正。僕は君が好きだ。それもどうやら昨日今日の話ではなく、ずっと好きだった」

 

「……」

 

「君を傍で愛しく感じたいと思ったからこそ衝動的な奇行を起こしてしまい今に至る訳だ」

 

それだけだ。

僕が言えることなんて他にないさ。

今まで何かを選ぼうだとか、そんな事は考えちゃいなかったんだからな。

もう充分さ。

ここが限界。

どうぞ僕の事を嫌いになるといい。

男と女が友人として付き合っていくなど到底不可能なのさ。

僕も満足しただろ? それじゃあな。

 

 

「遅いよ」

 

情けない事に何が遅かったのかはわからなかった。

だが、これだけは僕にもわかった。

どうやら彼女は、僕の事を嫌いではないらしい。

 

 

 

――それだけは確かだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よかったあ。大丈夫そうですね」

 

確かに僕も同感だよ。

あの二人はもう大丈夫さ。

死ぬのだって明日じゃあない。

ずっともっと後の事だ。

 

 

「何でわかるんですか?」

 

『どこの世界の住民も、誰も見た事のないものがある』

 

それは優しさであり、甘さでもある。

もし眼に見えるのなら誰もが口々にそれを「欲しい!」と声を大にして叫ぶはずだ。

だから世界から隠してしまったのさ。

悪戯好きのふざけた神様(プログラマ)が。

そうは簡単に手に入らないようにね。

 

 

『何故ならそっちの方が楽しいじゃあないか』

 

「あたしを責めているのなら謝ります」

 

『違うさ。ボクが悪くないのと同じく、君もハルにゃんも悪くない』

 

だけど、いつかは見つけられてしまう。

本来の持ち主に貸していたものを返すかの如く。

長い長い遠廻りを帳消しにするかの如く。

運命だとかじゃないんだ。

もっとも素晴らしい"奇跡"なのさ。

 

 

『そういうふうに、できている』

 

「……そう言ってくれてありがとう」

 

『何言ってるんだ』

 

僕が一番気になっているのはね。

 

 

『どうして君までついて来たんだ』

 

「てへっ」

 

『ボク一人で充分な仕事だったよ』

 

「いいじゃないですか。あたしの責任なんだから」

 

責任を感じているのならもう少し申し訳なさそうにしてくれないかな?

浅野さんの家の外。

もう少しで世界は暗闇に包まれる。

だが、暗黒の時代ではない。

人類には光がある。

たった一晩、夜の繰り返しぐらいはなんて事ない。

 

 

『とか何とかいったモノローグでボクは誤魔化されないよ』

 

「もう。深く考えないで下さいよ。明智先輩にそっくりですね」

 

『君は浅く考えすぎじゃあないのか? 涼宮ハルヒを置いて、能力である君だけが来たのか』

 

「それも大丈夫ですよ。あたしはほんの一部だけですから」

 

そこまでしてこっちの世界を見たかったのか。

悪いけど僕は他人がいい雰囲気なのを見るのが好きでも何でもない。

感情がないはずの僕にしては可笑しな話。

それも明智黎から学んだ。

 

 

「朝倉先輩が居るじゃないですか」

 

『彼女は彼のものさ。それに、ボクはやがて必要とされなくなる。消える運命なんだ……君と同じようにね』

 

「意地悪」

 

『ワルで結構。ボクはボクの味方だ』

 

「明智先輩のパクリですよ? それ」

 

正確には浅野さんの方だけどね。

とにかく。

 

 

『一緒に帰ろう。ボクらにはまだ、やるべき事が残っている』

 

「……はい」

 

さっさと戻ってあげたい気持ちもあるんだけどね?

いやはや、なかなか難しいんだよそれも。

行きはよいよいでも帰りが面倒。

 

 

『標識でもあればいいのにね。虱潰しにあたるしかないよ』

 

「あたしは楽しみかな。だって、色んなものを見て回れる、またとない良い機会じゃないですか!」

 

『声が大きいって』

 

それに。

 

 

『ボクと一緒で楽しいのか?』

 

君が好きなのは彼なんじゃないの。

もとは涼宮ハルヒなんだからさ。

 

 

「……はぁ」

 

溜息をつかれてしまった。

お前は何にもわかってないと言いたげな顔をしている。

僕もそんな表情は明智黎を通して見続けて来た。

だけど、今その表情が僕に対して向けられるのは何でだろうか?

北高の制服姿、ふんわりしたショートヘアの左側には"スマイリーフェイス"の髪留め。

けれど彼女は笑顔どころか悩ましい顔で。

 

 

「どうしてあたしがあなたについて来たと思ってるんですか……まったく……」

 

とか何とかぶつぶつ呟いている。

やっぱり僕には人間を完璧に理解するのは難しいらしい。

この帰り道で少しは何かが掴めればいいんだけどね。

 

 

「本当にそうなってくれるといいですね」

 

はいはい。

それじゃ、行かなくっちゃあな。

ここにもう用は無いんだから。

 

 

『ヤスミ』

 

「はいっ!」

 

――ほら、君には笑顔が一番似合っている。

 

 

 

 

 

 

『異世界人こと僕氏の驚天動地』

 

――おわり。

 

 



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異世界人と俺氏の憂鬱
予告 真説:異世界人こと俺氏の憂鬱


 

 

――"物語"には"敵"が必要だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……なんてふざけた事を言い出したのはどこのどいつだ?

もし俺がそんな事を言い出した奴に会えるのなら殴ってやりたいね。

今更勝負だとか善悪だとか、敵か味方かなんて話を論じるつもりはない。

そうさ、考えるだけ無駄なのだ。

敵を殺したり、殺されたりなんて物騒な話は望んではいない。

全てのページの内容がギャグで織り成されている面白いライトノベルがあったとしよう。

キャラも魅力的――女性キャラは萌え系――で、引き込まれる独自の世界観。

主にこの作品は若者を中心にヒットするわけだ。

やがてTVアニメ化やゲーム化をはじめとするメディアミックスも行われるだろうな。

だが、原作はライトノベルである。つまり文学作品。

その作品がヒットした理由。日常に潜む非日常が売りなのだ。

非日常の世界から帰って来られないみたいなバッドエンドは求められちゃあいない。

最後のページだけ突然ホラーになってしまうなんて納得できない。

誰だってそうだろ?

 

 

「だからオレも」

 

行かなくっちゃあな。

ま、直ぐに帰って来るよ。

心配するなって。

 

 

「じゃあ、また後で」

 

すっと右手を彼の方へと差し出す。

何も言えないといった表情で彼はそれに応じてくれた。

野郎の手を握りながらってのは、中々酷だ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――俺の高校生活。

何も掘り下げて考える必要はない。

紛れもなく涼宮ハルヒを中心とする騒動に巻き込まれた青春時代。

自分から飛び込んでいったような気がしないでもない。

気にするなよ。俺は気にしないんだから。

一年生の時は本当に色々あった。

分岐点は間違いなく高校一年生時であり、主に朝倉さんに関してだ。

今でこそ綺麗な形に落ち着いている――何より朝倉さんが綺麗なんだから――が当時の俺の心中をお察し願いたい。

それこそ影では苦しんでいたのかもしれない。

俺が思うに当時の自分は素直になっていなかっただけなのだ。

ふっ。これじゃあキョンの事を俺はどうこう言えそうにない。

鈍感系を気付かぬうちに演じていた、あるいは演じさせられていたのだ。

朝倉さんと俺は体のいいモデルケースに過ぎなかった。

 

 

『――私と一緒に死んでくれる?』

 

うん、いいよ。

俺は彼女に魔法をかけられたのさ。

いつかどこかで言ったはずだ。

まじないは、呪いだと。

……と格好をつけて言うのはここまでにしておこう。

正直、その瞬間の彼女を思い出すだけで俺は白米と水の二点を晩御飯として頂く事を許せてしまう。

やっぱりあの時に俺はキスをするべきだったんじゃあないのか?

何を紳士ぶっているんだよ。ヘタレ、チキン、甲斐性なし。

朝倉さん側だって普通に受け入れてくれそうだった。

後には。

 

 

『あの時なら、私きっとキスされても受け入れてたわよ』

 

などといったマジで天使いや女神のような発言さえしてくれた。

悔やんでも悔やみきれないとはまさにこの事。

俺は万死に値する。

涼宮さんが言う所の『死刑だから』ではないか。

けど俺の不甲斐なさ故にファーストキスはもっといい雰囲気の中で――キョンと長門さんに演出された感はあるが――する事が出来た。

差し引きゼロにしといてやるさ。

 

 

『――悪いことは言わん、やめとけ』

 

うるさいよ。

お前さんの正体だとかその辺の話はどうでもいい。

結果として周防と仲良く過ごしているんだろ。

前に自分の手で勝ち取れとか何とか言っていたな。

俺が保証する。お前さんは勝ち組だよ。

 

 

『一度しかない高校生活だ。どうせなら楽しく過ごしたいからよ』

 

そうかい。

確かに楽しかったな。

谷口。

 

 

 

――そう、分岐点は一年生の時であった。

では高校二年生はどうだったのか?

いつも通り。

 

 

「どうもこうもないさ」

 

嘘だ。

分岐だとか選択だとかで済む話ではない。

この二年の時の事件に比べれば、高校一年など"振動"でしかない。

まさに"激動"の一年間。

それが高校二年生の日々だった。

大体からしてスタートがおかしい。

佐々木さんが出て来たかと思えばズラズラと。

 

 

『――』

 

『あたしたちは、涼宮さんが現在所持している能力ですが……それは本来佐々木さんに宿るはずのものだったと確信しています』

 

『ふん。名前などただの識別信号だ』

 

宇宙人、超能力者、未来人に。

 

 

『ふっ。私にも居たさ……命をかけれる相手。そう、浅野君が……』

 

未だにその行動原理の全てを理解できない相手。

異世界人として登場した俺の親友。

そして一年前のように世界崩壊一歩手前。

信じられるか? 信じられないよな?

 

 

『この物語はフィクションです』

 

全部本当の出来事なんだよ。涼宮さん。

それを彼女が知るのはもう少しだけ後の話だ。

二年生の、本当に終わりの時の話になる。

思い出しているとだんだんムカっ腹が立ってきたぞ……。

主人公のくせに俺より"決着"をつけるのが遅かった。

そうだキョン、お前だお前。

他に誰が居るよ。

大学に入ってからでも彼女といちゃいちゃするのは遅くないってか。

これだから日本の大学生の知能指数は小学生のそれと大差ない、だなんて言われちまうんだ。

プラトニックな恋愛をしたがるような野郎でも何でもないのに。

 

 

『やれやれ』

 

……そう。

まずは続きから。

いや、その前段階となる話からしよう――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――後の俺の中で"魔の一週間"と呼ばれる事になる一週間。

そう、涼宮さんと佐々木さんを選ぶとか何とか。

ともすれば元の世界の俺が死んだ好きな人を救いたいとか何とか。

その死んだ本人も幽霊的存在として登場しているのだから無茶苦茶だった。

何より無茶苦茶な状態のまま世界が滅んでもおかしくはなかった。

普通に生きて普通に死ぬのなら涼宮さんだって本望だろう。

しかしながら、あの時の彼女は我を忘れるままに死にたくなる衝動を叩きつけられた。

ご丁寧に『誰にも迷惑をかけず』といった様子で俺たちに確かな手間はかけさせたのだ。

恨んじゃいないさ。

 

 

「……」

 

「お昼前には話が終るのかしら?」

 

さあ。

それはこれからキョンが話す内容次第だよ。

全てが終わった金曜日から二日後。

日曜日の会議の続き。

妹さんに連れてかれた宇宙人二人がようやくキョンの部屋に帰還。

今、妹さんは十時のおやつを済ませてシャミとお昼寝しているらしいのだが……まるで幼稚園児のような生活サイクル。

あの見た目で小学六年生。

数年後の彼女はどこまで爆発的な成長を遂げるのだろうか。

気になる。

キョンは「さあな」と前置きして。

 

 

「本当なら朝比奈さんにも話しておきたかったが……後でいいか」

 

「それではお聞かせ願えますか。あなたが体験した金曜日の出来事について」

 

古泉が言う、キョンの体験した金曜日の出来事。

それは彼が閉鎖空間から消え、自宅に戻るまでの間に起こった出来事らしい。

しかも、なるべく俺たち全員が聴いた方がいい部類の話。

 

 

「俺に何があったのか。結論から、言うとだな……」

 

苦い物を吐き出すかのように。

あるいはどこか恥じらいを見せながら、キョンは。

 

 

「……日付がようやく変わるかという時間帯に、俺は部屋に居た」

 

「部屋ですか。しかしながら、あなたがご自宅に戻られたのは午後八時のはずでは? 日付が変わると考えるにはいくら何でも早すぎるかと思われますが」

 

「違う。俺が居たのはハルヒの部屋の……それも、あいつが寝ている最中のベッドの上に、だ」

 

お、お前……。

いつの間にそこまで話が進んでいるんだ。

凍り付く俺、元々反応が希薄な長門さんと気持ち悪い笑みを浮かべる古泉。

そしてジト目でキョンを見る朝倉さん。

何だ何だよ何ですか大先生。

昼間に、尚且つ女子の前でその手の話題はいかがなものか。

俺は思い出したと言っても"驚愕"のラスト部分なんてまるで覚えちゃいないんだ。

ともすれば【涼宮ハルヒの憂鬱】は世の中の青少年たちが閲覧できないような話になっているのか。

確かに大先生は大人な話も書くお方だったが、年単位で新刊を待たせてその内容は。

 

 

「勘違いするな。確かに際どい体勢だったが不可抗力だ。俺は何もしていない」

 

「何かする予定があったのかしら?」

 

「……」

 

「あるわけないだろ」

 

ここから数分間にわたるキョンの歯切れの悪い長話が始まったので要約させていただく。

古泉が。

 

 

「つまり、あなたは約一ヶ月後の未来に飛ばされ、そこがたまたま涼宮さんの自宅の部屋の中で、その日はたまたま――」

 

「ああ。SOS団結成一周年記念日だった……お前や朝倉は知らないだろうがな」

 

「私は知ってたわよ」

 

「仮にも監視対象でしたので。僕もその日を存じ上げておりますよ」

 

二人ともこっち側の人間だ。それはそれで構わないさ。

だけど朝倉さんはさておき古泉よ、盗聴といい『機関』はどうなってるんだ。

スパイ活動がしたいのなら俺の与り知らぬ所でやってくれないかな。

 

 

「現在はそのような活動からは手を引いておりますので、どうぞご安心下さい」

 

「お前さんからそのような台詞を聞くのは初めてじゃあないと思うんだけど」

 

「申し訳ありません。僕の語彙力不足が故の事態ですよ」

 

こいつの言い訳はキョンより性質が悪い気がしてならない。

ボキャブラリーと監視盗聴の因果関係はどこにあるのか。

気にするだけストレスだ。シャミも居ないし、朝倉さんを眺める事にする。

……言う事なしだ。

 

 

「で、一周年記念のサプライズとして俺がプレゼントを持って登場した……という設定でその場をどうにか凌いだわけだ。お前らに夜遅くなのにも関わらず手伝ってもらってな」

 

「サプライズですか。いかにも涼宮さんが喜びそうな話ですね。もっとも、あなたが涼宮さんに対して何か個人的に行動を起こすのであれば、大抵の事を彼女は受け入れてくれるでしょう」

 

「はあ。そんなもんかね」

 

「……」

 

「朝倉さん。キョンは本気でああ言ってるみたいだよ」

 

「口先だけは達者なのよ。いざという時の決断力は評価してあげられるけど」

 

基本的に朝倉さんは他人に対して辛口評価だった。

その後、古泉による平行世界やら時間遡航やらに関するこれまた長ったらしい講釈が始まった。

こいつは何かの教授にでも憧れているのか。

年齢不相応な知識を無駄に持ち合わせている。

 

 

「もしかすると、朝比奈さんたち未来人は自らの住む時間軸の未来のために来ているのかもしれません。可能性の数だけ未来は分裂していきます。まるで木の枝のように。余分に生えたものは切り取ってしまえ、といった次第ですよ」

 

古泉の推理はさておき、一ヶ月後に飛ばされたはずのキョンがこの場に居る。

つまり彼はこの時代に送り返されたのだ。

恐らく朝比奈さんの協力を得て。

 

 

「プレゼントは俺一人で用意しなければならないらしい。中身さえ俺には知らされなかった」

 

「当然でしょう。あなたが一人で悩み抜いてからこそ結論を出すべきだ」

 

「期待しないでくれよ」

 

俺は少しぐらい疑問に思うべきだった。

喜緑さんの登場もそうだ。

そもそも、情報統合思念体が世界の分裂なんて一大事を知らなかったのか?

……な、訳がなかったんだ。

ご丁寧に朝倉さんや長門さんに余計な情報を与えない徹底すらしていた。

世界の外側に存在出来る存在。

だけど朝倉さんは、俺の方に来てくれたんだ。

俺はそのお返しをする必要がある。

同時に、"決着"をつける。

 

 

「大丈夫ですよ。心がこもっていれば、それで」

 

お前さんにその心はあるのか?

古泉一樹の裏事情を知るのもまだ後の話となる。

宇宙人未来人だけじゃない。

地球人にもしがらみはあるのさ。

 

 

「……」

 

「すっかりいい時間じゃない」

 

「どこか飯にでも行こうよ。キョンの奢りでさ」

 

「遅刻も何も、集まってさえいない俺が何故お前らに奢らねばならん」

 

無礼講さ。

……重ねて言うが、俺は疑問に思うべきであった。

ホイホイ時間移動なんかして、何も問題はないのか。

ないわけないだろ。

長門さんだって、原作の藤原だってPTDDには苦言を呈していた。

聞けばキョンがこの時代にそのまま時間移動で戻るのは既定事項だったらしい。

だとすれば。

他の手段よりもそれが優先された、という事になる。

ドタドタと、廊下からこちらに近づく足音がしたかと思うと。

 

 

「どっか行くのー?」

 

キョンの妹さんがこちらの様子を窺いに来た。

やけにいいタイミングで、タダ飯にありつこうと言うのが見て取れた。

時刻は既に十二時を回っていた。

キョンの母は二人の料理くらい用意するだろうに、申し訳ない。

 

 

「馬鹿言え。ワリカンだからな」

 

「妹さんの分でしたら僕が持ちましょう」

 

「そうしてくれるとありがたいな」

 

イケメンは懐の広さもイケメンだと言いたいのか。

俺はそこまでケチではないが、貰えるものは貰いたい主義だ。

奉仕の精神とは程遠い。

妹さんを呆れた眼で見たキョンは。

 

 

「お前は先に玄関へ行ってろ」

 

「はーい」

 

彼の言葉に従い、再びドタドタと足音を立てて去って行った。

この日俺は特に何かを話さなかったがその必要はなかったからね。

次にシャミセンと遊べるのはいつになるのだろうか。

そんな事を考えながら、床から立ち上がりキョンの部屋を後にしていく。

結局、適当なファミレスに行き昼食を終えるとこの日は解散となった。

ミックスグリルのプレートは王道だよ。

 

 

「明日からはようやく待ち望んでいた日常さ」

 

一時的なものだけどね。

そんな良いのか悪いのかわからないような話を朝倉さんと二人で歩きながらしていく。

このままマンションへ向かわずに寄り道もいいと思うんだけど。

 

 

「行きたい場所は特ににないんだよね」

 

「じゃあ折角だから商店街まで行きましょ」

 

「……電車移動すか」

 

問題ないけど。

ああ、悪かった。

そう言えば説明してなかったね。

この日曜日も最終的にはデートと化してしまった。

心は晴れ晴れしているのかと言われるとやはり俺はどこかで金曜日の事を引きずっている。

古泉ではないがせめてものお詫びとして懐の広さを見せてあげなければ。

 

 

「べつにいいわよ」

 

「オレがよくないんだ」

 

「それじゃ、甘えちゃおうかしら」

 

俺のβ世界での情けない記憶がフラッシュバックしていく。

幾らなんでも夜中に彼女の家に上がりこんで抱きつくなど変態でしかない。

俺も大概だ。独り立ちせんとな。

 

 

「好きなだけ甘えてほしいね。オレは好きだから」

 

「うん。そうする」

 

すっかり腕さえ組んでしまっている。

最近では左側に朝倉さんが居ない方が落ち着かなくなってきている。

完全な末期症状。

いつもそうだと感じているが、今回こそはマジもんだ。

仕方ないだろ。

元々精神病の素養はあったんだ。

消失世界に飛ばされた時の俺を思い出してみる。

某俳優の方の藤原さんみたいに阿鼻叫喚だ。

"あ"に濁点を付けられるのはあのお方ぐらいなもんだろうよ。

俺に至ってはキョンのように心を保つ事も出来ず、ただ投げやりになっていた。

だからこそ、俺は今の日常が一時的なまやかしだとしても噛みしめたかった。

 

 

「もうオレの語彙じゃあ朝倉さんへの愛を語れそうにないよ」

 

「そんな言葉、私たちに必要あるのかしら?」

 

「ふっ。それもそうか」

 

散々遠回りしたんだ。

これからはどんな道のりでも苦労しないさ。

 

 

 

――順を追って話して行こう。

高校二年生であり、激動の一年間であった。

進学校気取りらしく二年生時に行われた修学旅行。

そういや、去年の朝比奈さんはしっかりお土産を用意してくれていた。

休みとなっているはずの平日まで部室に顔を出していたから彼女が何処かへ行っていた実感があまり湧かないが。

そんな修学旅行がチャチに思える夏合宿はいよいよSOS団は海外進出をしてしまった。

何よりその合宿は修学旅行前にやったんだ。高低差ありすぎだ。

本当に色々あったんだけど、四月の次はやっぱり五月だ。

よって俺は五月についてから話す事にした。

これも俺が個人的にそう呼んでいるだけの事件名。

"デッドマンズカーブ"。

更には俺もよくわからない自称――。

 

 

「――うむ。私は今世紀最大の魔術師と呼ばれることになる予定の男だ」

 

などと言っていた異世界人との遭遇。

とにかく激動で……一周して俺は"憂鬱"になった。

 



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Anothoer Chapter 1

 

 

開始する。

実行――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が何をどう判断した所で関係なかった。

何故ならば確実に俺を取り巻く環境はじわじわと変化していったのだ。

袋の鼠とはよくぞ言ったもので、俺は呑気する間もなく袋をかぶせられた。

にも関わらず自分がそんな取り囲まれた、追い詰められた状況なのだと自覚するのにはここから半年近くを必要とする。

いくらでもチャンスはあったはずだ。

頼れる相手が居なかったと言えば嘘になる。

ただし二人ぐらいしか居ない。

そしてそのどちらにも俺は頼ろうとしなかった。

片方は信用出来ないし、もう片方は信頼出来そうにない。

自発的に俺が朝倉涼子について彼らに相談しなかったのも当然の結果と言えよう。

それで正解だった。

 

――どんな魔法を使ったのか?

気がつけば母さん親父は朝倉涼子を居候として受け入れていた。

家事もしっかり手伝う――料理の実力は確かだった――し、何より三人暮らしをするにはアンバランスだった。

そこを書斎として利用してた俺が個人的に言わせてもらえるのであれば、あんな部屋大枚はたいてでも取り壊しておくべきだったのだ。

朝倉涼子がつけ入る隙になったかどうかではない。

信用できない人物である兄貴。

彼の存在を思い出すだけでいい迷惑でしかなかったのだから。

そんな話よりも最初に俺が話したい事。

"昨日の今日"で俺を何かに巻き込むなという話だ。

いや、巻き込まれたのは俺だけじゃなくて世界中の人々だった。

ざまあないぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝倉涼子が俺の家に押し入ってから二日が経過した。

いつの間にか母さんと朝倉涼子によって親父は有無を言う前にあちら側に回ってしまった。

あらかじめ言っておくが彼を責めてやらないでやってほしい。

自分が決めたわけでもないのに朝倉涼子を俺の許嫁か何かだと勘違いしているのだろう。

無理矢理能力をつかって両親をこちらにつける作戦も選択肢にはあった。

しかしながら朝倉涼子の秘めた能力は未知数。

俺の能力がどういう事か通用しない以上は迂闊な行動が出来そうにない。

だって宇宙人なんだろ? 俺はUFOの中で解剖されたくないぞ。

 

 

「……なあ、朝倉さんよ」

 

昨日一日のうちに彼女のベッドは用意された。

本人に選んでもらうのが一番だったのだろうが自分の存在を秘匿しておきたい彼女にとってそれは困難らしい。

故に何の変哲もないシングルベッドがこの部屋に運ばれる事となった。

配達サービスの男性スタッフ諸君には労いとして缶コーヒーを渡してあげたさ。

だが、排除されたくないからと言ってもいい歳した女子が家に引きこもりはいくら何でもまずいだろう。

そういった旨の話を木曜日の学校終わりに何ら寄り道せず帰宅した俺は、ベッドの上でくつろぎながら読書している朝倉さんに苦言を呈する形で発した。

言うまでもなく、彼女が読んでいる本はずらずらと並べられた本棚に入れられている中の一冊。

俺が既に読み終えた代物だった。

 

 

「外出が不可能とは言わないけどやっぱり極力避けたいわよ。自分の姿を隠す方法はあるけど、外で動き回ってたんじゃ見つからないわけがないのよ」

 

「ここに居て見つからないとでも言うのか?」

 

「拠点は大事よ」

 

「長旅の片道でよければ付き合ってあげるから自衛隊の基地でも占領しに行きなよ」

 

日本国的には大打撃だが、このまま行くと我が家の明日がわからない。

兄貴より朝倉涼子が居てくれる方がマシなのは認めたくなかった。

この時点で俺は明日の事を考えちゃいなかったんだからな。

 

 

「大丈夫。こっちの世界でのあなたはただの一般人。少なくとも私の方はそう認識していた」

 

「じゃあ別世界のオレの話を持ち出そうってのか? オレにそんなとんでもパワーを期待しないでくれ」

 

あの人じゃないんだからさ。

過大評価以前に評価する要素が紙に書かれていない状態。

それが俺だった。

 

 

「異世界人の明智黎ほど期待してはいないけど、あなたがただの一般人だとは言い切れないじゃない?」

 

「……何の話さ」

 

「その世界の私は、あろうことか涼宮ハルヒをはじめとする集団の一員として存在していた」

 

「SOS団とかいう部活動かな」

 

「そうよ。あなたも所属していたのよ?」

 

嘘だろ。

あんな脳内麻薬ダダ漏れどころかそのままいけないクスリでも服用してそうな涼宮ハルヒの近くに俺が居たって?

ついこの前なんてバニーガールのコスプレをしながらそのSOS団とかいう意味不明な集まりを宣伝していた。

あいつらの精神状態が危険だって意味合いのSOSなんだろうなとは思う。

何故SOS団と名乗っているのかさえ俺には不明だ。

 

 

「涼宮ハルヒは宇宙人未来人異世界人超能力者と時間を共有する事を望んだ。その結果よ」

 

「異世界人だったオレと、宇宙人だった君がってか。共有じゃあなくて強要の間違いだろ」

 

「おかげさまで、あっちの私は進化出来たから彼女にとっては良かったのかもしれないわ」

 

「……で、君もそれに便乗しようとした末に異世界人との戦闘で敗北したと」

 

「下手に人間の感情を真似たのは下策だった。ただのつまらないハッタリの前にあっさり敗北したのよ」

 

今は違う、と言いたげな冷酷な表情。

思わず俺が殺されるんじゃないかと思ったが、そこまではしないらしい。

何なんだよ。

 

 

「住まわせて頂く以上、家賃は払うわよ。月にいくらがいいかしら?」

 

「いいよ、そんなの別に……母さんも親父も君の居候を許したわけだし」

 

「言い値なら常識の範囲内までは出せるけど」

 

「君の常識とオレの常識は違うんだろ。本当に遠慮するよ。女の子一人の食費ぐらい増えてもわけないさ。嬉しくないけどカネならある」

 

「私を女の子扱いだなんて、大した人ね」

 

見た目で言えばそうでしょうよ。

カネに関して言えば、何とも言えない。

兄貴は罪滅ぼしのつもりなのかも知れないけどな……。迷惑だ。

俺が本ばかり買い続けられるのも、そのおかげではある。

誰が頼んだわけでもなしに無駄な事を兄貴はしやがる。

勘当してやってもいいのに、親父も甘いな。

ふーん、と朝倉涼子は呟き、俺も読書の邪魔をして悪いと思ったので自分の部屋に戻ろうと思った。

シュチュエ―ションだけで言えばオイシイのかもしれない。

なけなしの常識で考えてみてくれ。

あり得ないだろ。

 

 

「マジで……」

 

どんな話をされようが俺には想像さえ出来ない世界の住人。

を、自称して中二病の女子が転がり込んできた。

母さんも親父もきっとその程度の認識なのだ。

俺に彼女の一人でも居ればよかったのだが、まず作る努力をしていない。

クラスの愚民どもの不毛な会話によると北高の女子レベルは平均して高いらしい。

流石にお嬢様ばかりを集めた私立光陽園女子大学附属高等学校にはかなわないだろう。

しかしながら全国的な統計で言えば充分北高はマシと言えるはずだ。

とんだイカレ女だったけど、涼宮ハルヒも朝倉涼子も同じクラス。

二年三年にはアイドル的マドンナ的女子生徒もおられるそうな。

 

 

「人間ってのはそこにあるものを見落とすものなのさ。だから自分は満足出来ない、だとか平気で言っちゃうんだ」

 

俺がそうだからな。

そんな事を吐き捨てるかのように言った後、ようやく部屋から出ようとした時。

 

 

「一つ言い忘れてた事があったわ」

 

と、こちらの方も向かずに朝倉涼子は言い出した。

どうせ妄言か何かだろうとタカをくくっている俺の理解が追い付かないほどには無茶苦茶な設定の妄言だった。

 

 

「もしかすると、今日世界終わるかもしれないから」

 

「……は?」

 

とにかく、お互いに望まぬ形での出会いだった。

 

――訂正。

お互いに変化を望んだ形での出会いだった。

俺は期待出来ない世界、日常からの脱却。

朝倉さんも似たような話だ。

ジリ貧だとか、自律進化だとかよくわからないけど、結局は同じ。

どうしようもないまでに憧れていたのさ。

"そこにあるもの"を見落としている事にさえ気づいていない。

俺に関して言うならば、実の所日常から今すぐにでも抜け出す選択肢は存在していた。

だけど敢えて平穏を選択したのだ。

EMP能力も普段は封印して生きていく事を選択した。

全ては"結果"だと思っていたのさ、

俺も、彼女も。

 

 

「その時は運が悪かったと思いましょ。現場に介入どころか、ロクに外へ出られない私にはどうする事も出来ないんだから」

 

俺が彼女を失いたくない、だとか。

あるいは守ってやりたいといった熱血主人公的思想に目覚めるかと言えば、これが案外そうでもなかった。

気がつけばそうなっていたのだから変化も何も無かったのさ。

いつの間にか俺も彼女も拾う事が出来たんだ。

頼れるのは自分一人、そんな奴が奇しくも出会ってしまったんだ。

これが同性なら潰し合って終わっていただろう。

 

――けど、そうじゃなかった。

潰し合う事なんかより残酷な事を強いられる異性だった。

どうしようもないまでに俺は男の子で、朝倉涼子も女の子でしかない。

涼宮ハルヒが望んだわけではない。

むしろ、朝倉涼子は涼宮ハルヒによって殺されたのだ。

宇宙人なんてただの一人だけで良かったのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さて」

 

頼りたくない人の一人に頼る以外の方法で他に何があるか。

彼女のかいつまんだ説明を受けた俺だが、このまま死ぬのはどうなのだろうか。

ほら、よく言うじゃないか。

やって後悔するよりやらないで後悔する方が精神ダメージが大きいと。

つい二日前まで無気力だったヘタレ超能力者もどきが久々にやる気を出そうと言うのだ。

何のアテも無しに市内を散策する程度しか出来そうになかったけど。

 

 

「誰かに出会えりゃいいんだがな」

 

その世界崩壊の序章とやらは、夜遅くに実行されるのだと言う。

今はまだ午後六時だ。窓を睨み付けながら部屋で一人椅子に座る。

……本当に嫌々電話をかける事にした。

信頼できない人の方に、だよ。

自称、今世紀最大の魔術師になる予定の男。

そのお方は三回目のコール音が鳴り終わる前に応じてくれた。

 

 

「もしもし、オレです」

 

『……ほう、キミから電話など珍しい。むしろ初めてではないか?』

 

携帯電話から聴こえてきたのは嫌味ったらしい青年の声だった。

この人相手に近況を話そうなど、俺の交友関係の狭さが悔やまれるばかりだ。

 

 

「気のせいですよ」

 

『キミがそう言うのか。ならばそういう事にしておこう。しかし携帯電話だからこそ相手を直ぐに把握できたのであって、キミの名乗りはオレですの一言のみ。社会的通話マナーのそれとして相応しくないな。むしろこの私にこそふさわしい』

 

知るか。というか何を言っているんだ

まさか自分が社会に適応出来ているとでも思っているのだろうかこの人は。

俺の胸中などいざ知らず。

 

 

『それで、キミが私に初めて電話をかけたのだ。よもや世間話だけではあるまい?』

 

当り前ですよ。

あなたと世間話なんて血迷ってもしたくありません。

 

 

『なるほど。積もる話ならば構わんというわけだな』

 

もうどちらでもいいさ。

兄貴よりはあなたの方がまだマシだと判断したまでです。

 

 

「よくわからない上に、長ったらしい話になりますよ」

 

『なに、気にする事はない! 内容次第では聞かせてもらったお礼として私の書いた大作――』

 

「要りませんよ。とにかく、一度しか話しませんからね」

 

ざまあないよ。

こんな人に頼るしかないなんて。

 

 

 

――もう晩飯時だと言うのに長電話をしてしまっている。

十分越えをするだけで俺からすれば充分に長電話と言えよう。

俺の一方的な説明に対してその人は『ほう』とか『なるほど』といった適当な相槌のみ。

話の腰を折るのが大得意で大好きな人なのに珍しくそんな事はしてこなかった。

 

 

「……と、言うわけですよ」

 

『興味深い話ではないか』

 

「作り話だ、とは言わないんですね」

 

『キミがその宇宙人の涼子くんとやらから聞いたその話を、キミは信頼したのだろう? 私はキミを信用しているのだ』

 

言葉遊びが好きなのはいつも通りだ。

何やら勘違いされているようだが、俺は朝倉涼子を信頼したわけでも何でもない。

ましてやこの人が俺のどこを信用していると言うのだ。

 

 

『案ずるな。キミには私に信用されるだけの見識と判断力がある。保証もしよう』

 

「あなたに信用されたいとオレは一言も口に出した覚えはありませんよ」

 

『それにしても世界滅亡の日。もしや、それは預言された日ではないか? ……まさかその日が今日だとはな! 今日だ、今日! 突然すぎて笑うしかないではないか!』

 

この人、俺と会話をする気が無いのは確からしい。

突然も何もいつも笑っている気がする。

白衣だし、『フゥーハハハハ』とか言ってたような。

とにかく俺が訊きたいのはこの人の意見だ。

 

 

「涼宮ハルヒについてです」

 

『初耳だ。そんな少女の名など、キミのお兄さんからも聞いたことがないな』

 

むしろ兄貴がそれを知っているならそっちの方が驚きだし、問題だ。

何でも知ってそうな態度しかしないあなただからこそ俺は電話したんですよ。

その辺の期待感を裏切るようなら今すぐあなたの番号を着信拒否に設定しておきましょう。

携帯電話だとそれは有料サービスなので学園宛に請求しておきますからね。

 

 

『それはいかんな黎くん。しかし安心したまえ。今日、世界が滅ぶ事はないだろう』

 

「何故です? 朝倉涼子の精神に共存しているらしい異世界人……そいつが体験したとか言う未来の記憶を朝倉涼子が持ち合わせているからですか?」

 

『何故なのか……単純明快に答えようではないか。世界を混沌の渦に叩き込み文明社会を崩壊させようというのならば、私が自分の手と意思でそれを実行したいからだ。誰一人として私の邪魔をさせるわけがないだろう? 涼宮ハルヒが何であれ、私から世界征服の権利を奪おうなどとは言語道断。こちらは交戦も辞さない構えをとらせていただこう』

 

随分と威勢のいい発言ですね。

全く単純明快でも何でもないですよ。

 

 

「そうは言いますがね。出られるんですか? そこから」

 

『具体的にいつそれが始まるのか。キミにも正確な時刻などわからないのだろう。もっとも、わかったところで私がこの学園から出るのは全身の骨という骨を折ってようやく達成できるというもの。不可能とは言わないが、実行する気は毛頭ない』

 

「だったら偉そうな事言わないで下さいよ」

 

『約束したからな。茉衣子くんと』

 

うわぁ。

始まったよ。

長々とした彼女――実際には彼女ではないが俺からすればほぼほぼ同じだ――語りが。

自分語りの次は決まってこうなのだ。

だから俺は電話なんかしたくなかったんだよ。

どうにか中断させる。

 

 

「はいはいわかりましたから。その気になってここまで来てくれとは言いませんよ」

 

『実に優秀な弟子だ。師匠の言葉を忘れないのは大切だ』

 

ついこの前は言葉はただの道具で意味なんてないとか言ってませんでしたか。

毎日毎日主張を変えて疲れないのだろうか。

とにかく、俺があなたに訊きたいことは涼宮ハルヒについて何ですよ。

 

 

「聴いた話だけで判断してもらうのは酷かもしれませんが……先輩は涼宮ハルヒを、上位世界の住人――」

 

『黎くん』

 

大きな声ではなかった。

たった一言だけ、静かに俺の名前を呼んだだけだ。

表情なんてまるでわからないのに俺は畏縮してしまった。

そこには明確な威圧が込められていた。

 

 

『思ったとして、下手な事は口に出さない方がいいぞ。今日世界が滅ばないにせよ、キミだけ滅ぶなんて事があり得ないとは言い切れない』

 

「……否定ばっかじゃないすか」

 

『黎くん。言葉を信用するでない。誰を信頼するかはキミが判断せよ。たとえば仮に私が涼宮ハルヒの願望によって生み出された虚構だとして、彼女に操られているとして、キミは私の言葉を信頼できるかね?』

 

「わかりませんよ、そんな事」

 

『ほら。キミだって否定しているではないか』

 

舌戦では独壇場ですね。

そんなんだから茉衣子さんにいつもきつく言われるんですよ。

飼い犬だけど駄犬もいいとことか愚痴られましたからね。

 

 

『願望を実現する能力。確かにそれは外の世界へ到達し得る能力だろう』

 

「異世界人ですか」

 

『違うな。キミも察しがついているはずだ。だからこそ"上位"と口にしたのではないかね』

 

「……どうでしょうね。オレはただの出来損ないですから」

 

『不正解だ。キミはタイムアップを待ち続けているだけにすぎない。だからこそ自分の能力に、自分でも気づかぬうちに枷をはめているのだ』

 

言いがかりですよ。

まあ、ストレスは溜まりましたが誰かに話せただけで良しとします。

あなたが学園のどこで俺と通話しているかは知りませんが、茉衣子さんの方にあなたをどうにかする権利がありますから。

俺があなたの拘束時間を確保する気はありません。

 

 

「もう切ります。オレも上位の連中に喧嘩を売りたくはありません。消されるのは先輩だけでいいですよ」

 

『言ったはずだぞ黎くん。私は彼女と約束したのだ。愛すべき後継者にして一番目の弟子である彼女と、その時が来るまではどこにも行かないと。それは、今日ではない』

 

「いい加減にして下さいよ」

 

『キミにもようやく春が訪れたのだろう? 私は心配していたのだ。キミがお兄さんのような立派な人間に育つことを期待している。だからこそ一人ではいけないのだよ』

 

兄貴は立派でもなんでもない。

少なくとも家族を捨てたんだからな。

クズで、ゲスだ。

 

 

「……茉衣子さんによろしくお願いしますよ」

 

『キミもこちらへ来ればいいではないか。お仲間だ。同類は同類同士で仲良くしよう!』

 

「……先輩がたと一緒にしないで下さい。それでは」

 

『前進あるのみだ――』

 

その言葉の続きを待たずして、俺は電話を切った。

何度も聞かされた言葉だからだ。

私の辞書に"後退"の二文字はない。

考えても解らないときは最初に進んでみてから自らの歩みを振り返ればよい。

もしそれが間違った道だと気付いたとしても、ひょいと隣のレーンに飛び移ってしまえばいい。

 

 

「そうしたら、後戻りをする必要もない。後悔をせずに済むから」

 

時刻は午後七時に近づきつつあった。

いつ、世界崩壊が始まるって。

もしかしなくても俺に動けと言いたいのか、あの人は。

 

 

「ざまあみせに、行くとするか……」

 

とりあえずは最後の晩餐を終えるとしよう。

朝倉涼子の手料理も、おかずに出されるようになった。

これを悪くないと思うとしても明日が来ればの話だ。

 

 

 

――終了。

 



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Anothoer Chapter 2

 

 

介入する。

実行――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、金曜日。

世の中の大半の人は、世界崩壊だとかその辺の事情を知らずに今日を迎えたのだろう。

実際のところは俺も半信半疑だ。

睡眠時間を割いてまで行動したはいいが……。

 

 

「とりあえず報告するか……」

 

昨日の今日で再び電話する事になるとは。

まあ、朝も早々ではあるが気にしないだろう。

許してくれるさ。

昨日とは違い一瞬で応答してくれた。

早いな、と思いながら。

 

 

「もしも――」

 

『待ちくたびれたぞ、黎くん! さすがの私もそろそろ寝てしまうところだったぞ!』

 

彼は耳をつんざかんとする大声であった。

老人でもあるまいし、夜更かしや一夜寝ない程度大丈夫でしょうよ。

いつの間にそこまで歳を重ねていたんですか。

学生ですよねあなた。

 

 

「だいたいそっちからかけて来ても良かったじゃないですか。夜明けが来る頃には何て事はなかったって気づいてたでしょうに」

 

『黎くん。キミから電話してもらう事に私は意義を見出しておるのだよ』

 

「……今後オレからかける事はなかなか無いと思いますよ」

 

『構わんさ。必要な時はいつでも私に頼るといい。相談ぐらいならいくらでも乗ってあげよう』

 

逆に言うと相談しか出来ない事になってしまう。

だが俺は知っている。

この男が持つ、得体の知れない可能性を。

 

 

「オレの方のロクでもない事後報告より先に、先輩の話を聞かせて下さい」

 

『今更言うまでもないと思うがそれもよかろう。私は太陽系で最も優れた魔術師になる運命を――』

 

「それはいいですから。先輩だって昨日の夜……何だかんだで外の世界へ近づこうとしていたんじゃないですか?」

 

『……だからこそだ。だからこそ、私はほんの少しだけ悔やんでいる。せっかくのチャンスを台無しにしてしまったからだ』

 

「あなたは既に上位の領域へと片足を踏み入れているはずです。だからこそ先輩は未だに学園に居るのだと思ってましたよ」

 

彼は本気で神に……いや、そんな一言で表現できる単純な存在ではない。

とにかく、頂点だけを目指し続けている。

悪魔のような能力に飽き足らず全てを手に入れようと言うのだ。

 

 

 

――電話の彼と俺が知り合ったのは今から約三年ほど前の話になる。

そこに至るまでの詳しい経緯もこれまた割愛させて頂く。

この男、宮野秀策――習作もいいところの残念な頭のお方――はEMP能力者を集めた学園とは名ばかりの監獄で生活を送っている。

"EMP能力"というのは"超能力"とほぼほぼ同義だが、実態は俺にもよくわからない。

宮野先輩に聞いたところで『キミならそれが何か、真実に到達できるはずだ!』とはぐらかされるばかり。

彼の持つ本来の能力だって、涼宮ハルヒとかいう女のそれに匹敵する能力なのだ。

超能力とたった一言で片付けられる世界ではない。

まして、この世界の外側に存在する世界……上位世界も能力に関係しているとかしていないとか。

つまりその上位世界に住む連中は俺たちより高次元な存在らしい。

こっちの話もたいがいだ。

だからこそ俺は朝倉涼子の話をそれなりに信じているのだ。

あり得ない、と切り捨てるのは後でいいさ。

 

 

「かつてあなたはこう言ってました。もし人類が滅亡する運命にあるとすれば、それを回避するギミックなど存在しない。そんなものは人類が考えた言い訳でしかない、と」

 

『……懐かしいではないか。"吸血鬼"事件の時、茉衣子くんにも同じようなことを言われた。物覚えのいい弟子に育ってくれているようで何よりだ』

 

度々名前が出ている女性、光明寺茉衣子さん。

お嬢様キャラで、宮野先輩の飼い主兼弟子兼彼女――本人は決して認めない――だ。

茉衣子さんの精神攻撃に耐えられている彼はやはり頭が残念なのだろう。

うちの腐れ兄貴はどのようにして宮野先輩のような人種と知り合えてているのか。

基本的にEMP能力者は秘匿される。

能力も、その使い手さえも。

俺がそうなっていない事実に関しても、どうしようもない経緯があった。

結果的には茉衣子さんのように毎日苦しめられずに済んでいるからこっちを選んで正解であった。

なのに、このざまだ。

それに弟子だとか物覚えがいいとか。

 

 

「昨日もそんな事言ってましたね。でもオレは茉衣子さんとは違ってあなたの弟子ではありません」

 

『そうかね? 少なくとも私はキミを保護下に置いているつもりなのだが』

 

「オレに何をしてくれたわけでもないでしょう。オレだって先輩たちに何もしていません。今回も、特別何かをしませんでしたから」

 

『キミの得意分野。取材だな』

 

取材か。

確かにその程度の事しか俺には出来ない。

もしかすると他人の精神に害を与えるまでに強力な力を発揮出来るかもしれない。

けど、今の所はそんな兆候もないし、物理的な攻撃手段は一切持ち合わせていない。

俺が【X-メン】に登場するプロフェッサーXぐらい凄まじい能力者なら別だ。

そんな事はなかったのさ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――昨日、木曜日。

俺は、晩御飯を食べ終わると直ぐに部屋に引っこんだ朝倉涼子の後を追った。

その様子に気付いた彼女は。

 

 

「あら、何かしら? 私に手を出すつもり?」

 

能力が通用したらそんなゲスな行為も選択肢にあるかもね。

だけど俺はそこまで落ちぶれていない。

もしそうなら俺だって学園に行く以外の選択肢がなかっただろう。

俺が表向きは一般人として生活を送っているのにも事情がある。

下らない話なので今回は割愛させて頂くが。

 

 

「世界崩壊についての詳細を聞かせてほしい」

 

「嫌よ」

 

呆れた顔で朝倉涼子は首を振った。

何故だ。

 

 

「私だってその場に居たわけじゃないから全部は知らないの。それに……」

 

「何だよ」

 

「あなたに話して何の意味があるのかしらね?」

 

……ほんの少しだけだ。

俺の手の内を全てオープンにするつもりはない。

いや、俺が持つカードなど限定的な超能力もどきであるEMP能力。

他に何かあるとすれば宮野先輩とのコネ程度。

宇宙人相手にあの人がどこまで戦えるのかはわからないけど、俺よりは勝つ可能性が高いだろう。

先輩も金縛り的な技は使えるし。

 

 

「続きは部屋で頼むよ。時間が無いから手短に、だが」

 

これはついぞ俺は知らなかった事になる。

彼女――朝倉涼子ではなく異世界の宇宙人――が知っている明智黎が、その世界の朝倉涼子に正体がバレるまでの期間。

約一ヶ月強となる。

対する俺は朝倉涼子との邂逅から二日で正体を明かす訳だ。

ざまあないよ。

そんなこんなで女子の部屋とは程遠いのに女子が生息している部屋に入る。

家具とか小物とか、買い揃えた方がいいと思うんだけど。

 

 

「それはデートのお誘いかしら」

 

「何でそうなるんだ」

 

「そう言えばあなたは知らなかったわね。あっちの世界の朝倉涼子と明智黎は付き合っているのよ?」

 

「……よくわからないけど超人的な奴なんだな、そのオレは」

 

「と、言ってもしょせんごっこ遊び。人間の明智黎が朝倉涼子を幸せに出来るわけがないじゃない。私が消えてからどうなったかは知らないけど、間違いなくそうだわ」

 

何やら脱線していないか。

隙あらば俺は君を一般世間に帰してやりたいと考えている。

他ならぬ俺の平穏のために。

 

――と、この時の俺は言い訳していたのさ。

 

 

「行くアテもない世界の話はどうでもいいだろ。君が言うにはこの世界が今、危機的状況だとかなんとか」

 

「きっと同じよ。滅んだ時は滅んだ時。それでいいじゃない。どうせ私は今の所姿を隠すしかないんだから」

 

「教えてくれたのは君の方じゃあないか」

 

「知らない方が良かったわね。謝らないけど」

 

露骨な態度だった。

異世界人朝倉涼子はわざと俺に教えたのだ。

つまり、動揺を誘うために世界滅亡だとかを吹き込んだわけだ。

初歩的過ぎてトラップとも呼べないお粗末な出来。

引っかからなくても構わない程度の判断だったろうさ。

ああ、認めてやるさ。

俺は馬鹿だ。

有効なカードを無駄に放り投げてしまおうというのだ、

こんな俺を褒めるのは宮野先輩と……ちっ。

 

 

「オレは何かをしたいわけじゃあない。ただ、黙っているのが、知らないままでいるのが嫌いなんだ」

 

「あなたたち有機生命体の間では、やってから後悔した方がいいってよく言うわよね」

 

「それとは少し違う。為になる事は何もやらないんだから」

 

「ふーん。あなたも異世界人、なのかしらね……?」

 

違うさ。

他の世界に自由に行ったり来たりなんてできるわけがない。

もっと言えば、可能なら平行世界の俺に君を押し付けてやりたい。

間違いなく朝倉涼子は俺の手に余る。何で俺の所に来たんだ。

手に入れようとさえこの時の俺は思っていなかった。

それでいい。

 

 

「違うね。オレはただの超能力者のなり損ないさ」

 

「涼宮ハルヒに関心が無いから"なり損ない"。……というわけではないようね」

 

「とにかくお察しの通り、オレは一般人同然。世界崩壊だとか言われても困る」

 

「あなたにそれを知らないまま死んでほしくなかったのよ。明智黎にお礼がしたかったの」

 

皮肉たっぷりだったさ。

自分の能力の詳細を明らかにせずとも、彼女は察しが付いたのだろう。

今の所は自分が下手に動く必要は無い。

明智黎は自分をどうするつもりが無い。

悔しいが正解だ。

これが美人じゃなかったら違うんだろうよ。

どうぞ、笑えばいいさ――。

 

 

 

『――ははは! やはりキミはお兄さんと同じく面白い人種だ!』

 

「何の話です?」

 

『つい先日彼は水晶ドクロを私のもとへ郵送してくれた。もっとも、残念な事に贋作であったが』

 

「その様子だと、まだ兄貴は遊び歩いているんですか」

 

『そう彼を悪く言ってやるな。キミの胸中をお察しなどはしてやれないが、キミがこの学園に来たがらない本当の理由については察しがつく。億が一にお兄さんと鉢合わせたくないから。……そうだろう?』

 

万が一すら凌駕している。

俺に言わせると絶縁してもらった方がいいんですけどね。

あちらはさておき俺はあの人を家族と認めません。

 

 

『手厳しい。これも黎くんの友愛表現だという事など、私ほどでなければ理解出来ないだろうな』

 

「あなたがオレを理解しようと、オレはあなたを理解出来そうにありませんが」

 

『同性故に踏み込める世界もあるだろう』

 

「なら、茉衣子さん相手にはもっと優しくしてあげて下さい。まさか異性だから踏み込んでないとか言うんですか? 彼女の方だってそろそろオッケーなはずですよ。吸血鬼騒動の後に手を出さなかったのがオレは不思議ですね」

 

『茉衣子くんと私は共犯者ではない。彼女が親玉で、私が手下なのだよ。振り回されるのは男の役目というものだろう』

 

そんな台詞は聞き飽きました。

俺の事を茶化したいのならまずは自分の方をどうにかして下さい。

振り回しているのは自分の方のくせに、いざ話題になると弱い。

 

 

「"ブラック・アーティスト"と恐れられている先輩も、茉衣子さんの前ではかたなしですか」

 

『構わんさ。茉衣子くんの存在と最上位への到達。この二点が今の私の希望なのだよ。黎くん、希望はいいものだぞ? そしていいものは決して滅びない。この理屈で世界が滅ばなかったのは不可解だがな』

 

希望、か。

今の俺には皆目見当がつかない単語さ。

何だかんだでこの人は、俺より強い人間だ。

能力とか腕力とかではない。

人間としての心が俺より強い。

当たり前だろ。

全力を出せない俺と全力を出さない彼との差は大きすぎた。

ともすれば、今まで逃げ続けてきたツケがようやく回って来たのか。

 

 

「ざまあないですよ」

 

『何を悲観しているのか私には解らんが、黎くん、案ずるほどのことではない。キミはようやく扉を開けて部屋を出る日が来たのだ。キミのお兄さんがかつて、そうしたように』

 

「肝に銘じておきます。ついでに朝倉涼子も兄貴の部屋から追い出したいんですがね」

 

『二人で扉を開けるのだ。キミと彼女を直に見なくとも私にはわかる』

 

無茶を言わないでくれませんかね。

俺の能力で、心の扉まで開く事までは出来ないんですから。

自分の心さえも。

 

 

『……それで、取材の成果はいかに』

 

「自律進化の"鍵"らしい男に発破をかけました。後は超能力者の一人にどうにか接触しましたね……どうやら、話を訊いた限りでは嘘じゃあないみたいですよ」

 

神の世界を認めつつも神を否定している先輩には朗報なんですかね。

近いうちに涼宮ハルヒの方も当たるべきではなかろうか。

朝倉良子の話を聞く限りではとてもじゃないが俺は彼女に関わりたいと思えなかった。

それでもヒステリックで世界を滅ぼされてはたまったものではない。

家庭の事情に関して言うなら俺だってそうなのだ。

独り立ちしないとなあ?

 

 

「詳しい話なんて特にありませんよ。内容がないような会話でしたので。それでも構わなければお話ししますが」

 

『いいや結構。それにしてもその二人だが、キミが知っている名前の人物だったのかね?』

 

「鍵の方はクラスメートで、もう一人はどうにかこうにか聞き出せましたから」

 

『優秀ではないか』

 

もう暫くは頼りたくありませんね。

先輩もそうですが、何よりこんな能力ですよ。

俺は一切必要としていません。

 

 

『キミには既に話しておいたはずだぞ。EMP能力とは身体に宿る能力ではない、精神にこそ宿るのだと』

 

「昔の事件を掘り返すのがお好きなんですか? 探偵じみた事をしていたらしいですけど、本職の退魔業務を怠ってはいませんよね」

 

『退魔も対魔も、私にとっての重要性はさほど高くはないのだよ。精々が茉衣子くんをはじめとする班員の世話ぐらいだ。化け物の退治など、私がやらんでも特別苦労しないのだが……か弱き民は、かくも私のような救世主を必要としているらしい』

 

救世主だと。

昨日自分が世界の覇者になるとか息巻いてた人の発言なのか。

さっきはチャンスを無駄にしたと言っていたが、きっと何もしなかったわけではないのだろう。

どこまで"真相"を掴めた事やら。

 

 

「能力者もピンキリですからね。オレのような雑魚だって大勢居るでしょう」

 

『キミの悪い癖だが、今はそう判断しておればよい。私の仕事ではない……今回、それがわかっただけでも大きな収穫と言えよう』

 

「消されないように、お願いしますよ」

 

『当然であろう。私を誰だと思っているのかね。そう、私の伝説は有史以来の人類歴に新たな碑文を刻むことになるだろう――』

 

いいからさっさと寝て下さい。

俺は一方的に通話を切り上げた。

時刻はすっかり六時半を越している。

我が家の朝食はこの時間帯なのだ。

親父に関しても朝早くから出勤だからね。

廊下に出て、わかりきっていた事を呪詛のように呟く。

 

 

「……それ見た事か。オレの活躍なんて期待する人はいない」

 

「そうかしら?」

 

いきなり後ろから声をかけないでくれないか。

俺を待ち伏せしていたみたいだね。

 

 

「私は気になるわね、あなたの活躍が」

 

「それはオレの秘めた実力ってのを期待しているのか? だとしたら残念だけど他を当たった方がいい。わざわざ秘めてやるほどオレの能力値は高くない。君はハズレを引いたのさ」

 

「そうみたいね。……あなたに裏がある以上、油断はしないわ」

 

一度土をつけられたと言う悔しさからだろうか。

そんな感情を理解するとかしないとか、その辺の話などかなり後になるまで俺は知らなかったけど。

すると朝倉涼子は否定した。

 

 

「私が死んだのはただの一度だけ。でも、敗北したのは二回。二度負けた記憶があるのよ、私には」

 

「だけど君は今、生きている。最後に勝つのは生き残った方だ。君にもまだチャンスはあるんじゃあないのか?」

 

何も北高に戻って来いとは言わない。

クラスの男子連中がこの事実を知ったらどうなるんだろう。

俺は袋叩きにされてしまうはずだ。

進化を望んでいると言ったところで俺の家に居て何か進展があるとは思えない。

それに、何時までも、とはいかないだろう。

 

 

「わかってるわ。時が来たら私は復讐する」

 

「別の世界のオレ相手にか?」

 

「それもいいけど、やっぱり情報統合思念体かしら」

 

そいつのせいで身動きが取れないのなら、消してしまえといった理屈か。

君が勝てるかどうかは知らないけど応援ぐらいならしてあげるよ。

 

――応援?

馬鹿言うな。

俺も一緒に戦う事になるのさ。

いいや、これも違うか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――終了』

 

長い旅――申し訳ない事に帰り道なんだけど――の途中、面白いものを見つけた。

ここの風景としては佐々木が生み出す閉鎖空間のそれに近い。

当然ながら、何もあるわけなかったのに、それはあった。

……いや、居た。

ヒトの形すら保っていない、透明な輪郭。

道路の真ん中で立っているというよりは浮かんでいる。

まるで幽霊じゃないか。

ヤスミは驚いた顔で。

 

 

「あなたがどうしてこんな所に居るんですか?」

 

『  』

 

「ふむふむ……へえ……はいはい、そうなんですか」

 

今の一瞬の間に何を会話したのだろうか。

頼むから日本語あるいは宇宙人の公用語でお願いするよ。

僕はデータベースにアクセスする権限がないんだから。

ヤスミは笑顔で。

 

 

「あたしたちのお仲間さんですよ!」

 

「これがボクの仲間……正気かい? まさかこいつも連れて行こうってか」

 

『  』

 

「お仕事中だから無理みたい」

 

仲間って部分を否定しないのか。

確かにここは、一番外に一番近い部分だ。

ギリギリの綱渡りをしてようやくここまで近づいて来ているのにゴールはまだ先。

疲れ果てたわけでもないのに休みたくもなるさ。

大きな溜息を吐いてから僕は。

 

 

「仕事ね。……任務じゃあないだけありがたいもんさ。ボクはそんな経験ないけど」

 

「どうしますか? 相手する余裕がないみたいなんで、もう行っちゃいましょうか」

 

そうしようか。

いや……。

 

 

「この世界には彼女が居るみたいだ」

 

「あっ。本当だ。だからあなたはそんな事をしているのかぁ」

 

『  』

 

何を言っているのかもわからないが、ヤスミが特に反応しない限りは肯定したのだろう。

とりあえず折角こんな世界まで来たんだ。

それに、他に気になる奴だって居る。

もしかしたら最後に手伝ってもらう事になるかもしれない。

だから。

 

 

「ちょっとぐらい遅れてもいいさ。誤差の範囲内だって」

 

「しょうがないですね」

 

そう言いながらヤスミは笑顔でこちらを見つめる。

はいはい、通訳も立派なお仕事だ。

頭を撫でることにしよう。

他に僕が出来る事は情報操作ぐらいなもんさ。

 

 

「わぁお」

 

ヤスミから発せられたのは嬉しそうな声だった。

ほんと、何で彼女は僕なんかと一緒に居て楽しそうなのだろうか。

 

 

 



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Anothoer Chapter 3

 

 

随分と古臭い手法をとっているようではないか。

わざわざ起動と終了を繰り返す必要があるらしいな。

必要ならば仕方の無い事だが、キミはクライアント側ではなくサーバ側だろう?

勝手にサービスを終了されると迷惑だ……そう思う人間は山のように居るぞ。

 

 

『介入する。実行――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……本格的に俺が『ヤバい』と思い始めたのは夏休みに突入してからの話となる。

では、それまで俺は何をしていたかと言えば特筆するような事はない。

五月には異世界人朝倉涼子が我が家に住みつく――これはなんてタイトルの大人向け恋愛ADVなんだ?――といった衝撃的一件があった。

だからと言って俺が宇宙人未来人超能力者に目をつけられるかと言えば、彼女の存在が明るみとなってないんだからマークのしようもない。

どこぞの殺人鬼爆弾魔サラリーマンではないが俺の正体を知った者だけはどうにかする必要がある。

記憶を完全に消し去れはしないものの、誤魔化す程度は俺にも出来る。

情報を聞き出すのも結局は俺と会話する"その気"にさせる程度のものだ。

 

 

「ふっ……」

 

なけなしの威力しか持たない精神感応能力者(テレパシスト)として俺は自分に課したルールが二つある。

一つ、絶対に悪用はしない。

俺にとっての正義に従ってのみ、この能力を行使する。

一つ、絶対に他人のために使わない。

これは何があっても自己責任だという意味だ。

……つまり、俺は自分に判断を任せているのにも関わらず正義の基準さえも自分にあるのだ。

悪用しないと言っても、誰が俺を信じられるのか。

他ならない俺が俺を信じていなかった。

自身に自信を持つ根拠がなかったからだ。

 

 

『――黎くん。キミを俗世間で燻らせておいてよいものなのか。実にもったいない。キミは気づいていないのだろうが、キミの能力の全貌は決して弱々しい精神操作などではない。そして勘違いしてはならないぞ。我々がもつEMPは、決して"あってはならないエネルギー"などではないのだ。常に見えない所で作用し続けている、この世界に必要とされている"あるべきエネルギー"なのだよ』

 

俺を損得勘定抜きに評価しようとしてくれるのは、両親を除けば宮野先輩ぐらいだ。

もっと言えば彼の周囲の人々は彼と違って比較的マシな部類――それでも変人ばかり――であり、有象無象の存在でしかない俺に強い言葉をかける必要もない。

そして、損得だとか利害でしか物事を考えないクズ野郎。

俺が知る限り最低の人間にランクされる男。

 

 

『――お前は俺のようになるなよ。お前はただ、ほんの少しだけ外に出て、家に帰る。……それでいいんだ、そんな生活でいいんだ。お前は世界を渡り歩ける程、冷酷な心を持ち合わせてなどいない。俺と違って優しいからな。お前の分まで、俺が代わりに嫌な物と向き合う。それがせめてもの罪滅ぼしになればいいと思っている……』

 

勝手な事を言うな。

何も俺に語りかけるな。

俺を無意味にイラつかせないでくれ、

頭に来すぎて腹も立たないし、関わりたくもない。

宇宙人、未来人、異世界人。 

そして……超能力者だと?

この際、EMP能力者だってそれに纏めて考えてやる。

涼宮ハルヒだとか、神の力だとか、平行世界だとか、"上位"だとか。

何より"世界"を語る人間の屑。

自分で自分の記憶を消せればどれだけ楽だろう。

言った通り、俺は他人のそれさえまともに干渉出来ない。

俺には自我があって、くだらない自意識がある。邪魔だ。邪魔でしかない。

どいつもこいつも邪魔でしかない。

ふざけた"役割"なんかを押し付けられたせいで精神までふざけて仕上がっている。

 

 

『……お前は俺と、二度と会いたいとは決して思わないはずだ。構わない。しかし、少なくとも後一回は会う事になる』

 

いけしゃあしゃあとそんな事を言う。

思い出すだけで真底、心から兄貴が憎たらしい。

 

 

『ああ!? 勝手な事を言うんじゃあねえ! オレはてめぇをその名前ごと葬り去ってやってもいいんだぜ。二度とその減らず口を叩けなくしてやる、二度と陽の光を拝めなくしてやる、二度と考える事を出来なくしてやる。何故かは知らねえが、てめえ相手にだけはそれが出来る。そんな気がしちまうね。この瞬間だけ、オレは最強なんだよ』

 

『……それも選択だ。だが、これだけは忘れるな』

 

無駄に高い金がかかっているオーダー制のスーツを着込んだ野郎。

そいつはこっちを振り返らずに、歩いて立ち去っていく。

最後に無駄な言葉を、無駄に残して。

 

 

『その一回は俺が死んだ時だ。……棺の中でぐらい、俺にいい夢を見させてくれ』

 

なら、さっさとくたばってくれ。

何より皮肉なもんだ。

あんたは"明"と名付けられ、俺は"黎"と名付けられた。

夜明け、暁、黎明、光と影。

黎とは即ち黒色であり、闇の象徴である。

俺は生まれながらにして表舞台に立つ事を拒否された影の人間なのだ。

だのに、何故あんたは裏切ったんだ?

光の道を進むべきなのは、あんたの方だった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――目覚めたその瞬間から忌々しさだけが俺を支配していた。

下らない事を夢で見るようになってしまったのか。

落ちぶれたんじゃない、落ちぶれていたのさ。

 

 

「オレは」

 

八月十六日の朝。

世間一般で言う所の楽しい楽しい夏休みとやらの真っ只中。

何をするでも、何処へ行くでもない。

宇宙人と異世界人を兼業しているお方と一緒に生活はしているが、今の所彼女の存在以上の劇的な変化などない。

ただのそれだけ。

寝間着姿のままなのは怠けている気がしてならない。

俺はベッドから抜け出しカーテンを開け手早く着替えを済ませた。

 

 

「……朝から暑そうだ」

 

俺の誕生日など数日前に経過している。

明智黎。

現在、年齢16歳。

以下の項目は何ら変わりない。

"学園"の連中だって俺の存在を知るのはごく一部なんだ。

そもそも知らなくてもいい、居てもいなくても大差ない能力者。

秘匿や情報操作されるまでもないのさ。

 

 

「期待などしていないさ。今も、依然変わりはなし」

 

否。

俺は認めていなかっただけなのだ。

急な変革など。

 

――いつも通りに朝の時間は何事もなく消化。

夏バテも何もあるか。バテる程にエネルギーを消費していないんだから。

俺一人だけで過ごそうが朝倉涼子と二人で過ごそうが、大差ない。

 

 

「少なくとも、君にとってはそうなんだろ」

 

「さあ? ヒトはマシンに命令する事は出来るわ。それが可能となるようにプログラムする事だって出来る。まるで神そのもの。だけど、ヒトがマシンを理解する事は出来ないし、マシンがヒトを理解することだってない。覆らないわね」

 

朝倉涼子に割り当てられた部屋も徐々にだが私物――衣服とそれを収納する木製のタンス程度――が置かれてきている。

床に座って使う高さの四角テーブルだったり、その上には女子が持つような小物。

化粧こそしていないが、長ったらしい――素直に美しいと認めはしない――髪の毛を整える事ぐらいはしているらしい。

彼女はベッドに腰掛けて、俺は床に座りながら各々読書をしている。

ここのところの時間消費方法はこんな感じなのである。

とりあえず俺は朝倉涼子の発言に反論しておく。

 

 

「その通りさ。だけど別世界の朝倉涼子本人はその固定観念を手放せた……それが進化なんじゃあないのか? だから君だってそのルーツを知りたかったのだと俺は判断したけど」

 

「……くだらない」

 

「進化について、具体的な方法がわかっているのならば実践すべきだと思うね。その辺どうなの」

 

「さあ。もし私が知っていたとしても、実戦する気はないわ。全ては結果よ。他の方法を私は模索する」

 

俺も異世界人明智黎と同じだったのさ。

こっちがそれと気付くまで、朝倉さんが何を求めているのかを理解していなかった。

宮野先輩と同じ、総ての頂点を目指していたのだ。

全ては結果ではなく過程。

選択する必要があったのだ。

 

 

「さいですか。君の悲願が果たされる事をオレも祈っておこう」

 

「どうしてかしら」

 

「たまにオレと一緒に出かけた時も君は情報操作とやらで姿を隠しているんだろ? 不条理さ。自由に生きる権利を奪おうだとか、オレは気に食わない」

 

「やけにアツいのね。夏の熱気にあてられているようだわ」

 

何とでも言うがいいさ。

この時の俺は何とも思っていなかったんだから。

今だって言っている事自体に特別な変化があるわけじゃない。

 

 

「『前進あるのみ』……オレの師匠の教えさ」

 

「師匠? そんな関係にあたる人物があなたに居たとは驚きね」

 

「交流関係の手狭さはオレが一番自覚している。悔しい事に」

 

「……とにかく、明日からが楽しみね」

 

唐突にそんな事を言い出し始めた朝倉涼子。

俺は彼女の方を見る。読書を中断する気配はない。

そのまま彼女は黙っているので。

 

 

「明日がどうかしたのか?」

 

「……べつに。どうもこうもないわよ」

 

とだけしか答えてくれなかった。

何が言いたいのかわからないが、俺と彼女に信頼関係の一切が無い事は明白だ。

人間、少しでも得体の知れない奴が登場すると身構えてしまう。

加えて朝倉涼子は俺にたいして良からぬ方向で思う所があるらしく、春も何もなかったとしか俺には思えない。

ざまあないって奴さ。

 

 

「あいよ。オレは本でも買いに外へ出かけに行くけど、何か希望の品はありますか」

 

「……アイスクリーム」

 

「わがままなお嬢さんだ。タイプは? フレーバーは?」

 

「ミニカップでバニラの」

 

「まさかとは思うけど、一個で200円強もするブランドのそれを所望しているわけじゃあないよな?」

 

「あら、私は"アイスクリーム"と言ったのよ。ラクトアイスもアイスミルクも許されない。あなたが察しのいい人種で助かるわ」

 

この瞬間だけ彼女は一瞬こちらを向いて笑顔になっていた。

が、笑顔とは本来攻撃的な意味を持ち合わせている。俺からむしるつもりらしい。

彼女がパイント(約473ml)ではなくミニカップと120mlの容量を希望しているだけ慈悲深かった。

本来であれば俺が彼女に奢る道理なんてまるでない。

精々彼女も料理を作っているだとか、家事を手伝っているらしいとかの実績だけ。

俺からすれば特別何かが変わったなんて事は本当にないんだけど。

 

 

「……オーケィ。一時間ぐらいしたら戻って来る。その頃にはちょうど十五時で、おやつの時間だ」

 

「そう言えば誰か決めたの? その時間制度を」

 

まあ、疑問ではあるわな。

十時もおやつの時間だし、正直関係ない気がする。

これもキャンペーンとして言われているだけに過ぎないだろう。

一応の体裁としては。

 

 

「オレもよく知らないけど、どうやら体内のリズムの問題が関係しているとか」

 

「ふーん」

 

「じゃ、行ってくる」

 

「アイスに妥協は許されないわよ」

 

そこはしっかり行ってらっしゃいが欲しかったね。

期待してなかったけど。

 

――問題は凄くシンプルだ。

少なくとも俺は朝倉涼子という存在を理解していなかった。

俺の方が何一つ理解しようと努力をしていない。

彼女の方は何一つ自分の心底を明かそうとしない。

高々マシンだ、と切り捨てるのは簡単だろう。

俺にはとてもじゃないがそう思えなかった。人間にしか見えない。

人間にしか見えないと思う反面、俺はどこかで朝倉涼子を間違いなく畏怖している。

死ぬだとか生きるだとか、そんな次元の話ではない。

やがて彼女が何かとんでもない事をしでかす……それは間違いなく復讐に関してなのだろう。

倒してハイ終わり、もしくは朝倉涼子がまたまた消されてさようなら。

どちらでも良かった。

良くなかったんだよ。

自律進化の鍵を握るクラスメートの少年。

あいつの日常を変化させたのが涼宮ハルヒだとすれば。

俺は一体、何処へ行くのか?

それぐらい教えてくれてもよかっただろ。

ねえ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

適当な本を一冊。

今回は娯楽時代小説を購入した。

本にしてはやたらと分厚いのが気になったが、何、面白ければそれでいい。

面白いかは。

 

 

「オレが決めよう」

 

だから本を買い続ける。

だって本が売り続けられる以上は、読むしか消費する方法がない。

いつかどこかで聞いた誰かの言葉だ。

 

 

『本ではない。本を読んだ記憶こそが宝物なのだ』

 

……と。

俺には未だその境地は遠いが、すがってみるのも悪くないだろう。

こんな退屈で何一つ期待できない世界なんだ、せめて俺にすがらせてくれ。

書店を後にしてコンビニエンスストアへ向かおうとしたその時。

 

 

「待ってください」

 

後ろから、女性の声がした。

落ち着いていてどこか芯が通っている。

周囲の人はまばら、俺であるか確信は持てないが、迷いなくその言葉は発せられた。

そんな気がした。

とりあえず俺は後ろを振り返る。

性別、高確率で女性。

推定年齢、学生のそれではない。

髪、色は栗色のロングヘアでウェーブがかっている。

ゆるふわとはこんな感じだろうか。

服装はOLのそれに近い。

とりあえず確認だ。

 

 

「今……誰かに声をかけませんでした……? 別に自意識過剰ってワケじゃあないんですが、あなたはこちらを窺っておられる。ひょっとして……オレに声をかけた。そうなんですかね?」

 

言うまでもなく初めて見る人物だった。

その人物の返答を聞くよりも早く俺は高速で思考していく。

 

――俺に用があるような人物。

悪徳商法だとか、キャッチだとかの類。

見てくれはスゲー美人。

出来るだけ視界に入れたくはないが特大がつくような巨乳さん。

こんな人が俺に声をかけるわけがない。

最有力候補だろうよ。

次点の有力候補としては、"学園"関係者。

一応の折り合いはつけてあるものの、連中の方針がどう変わるとも知れない。

宮野先輩とて現状では支配されている側なのだ。

彼もそれに決して満足はしていないが、審判の時は訪れていない。

まだ少し先なんだってさ。

だから関係者とはつまり学生側ではない。

この場合は運営側なのさ。

目の前の人物が、どうかは知らないけど。

 

 

「あなたが何者かは知りたくもありませんが、オレに関わらない方がいいですよ。ああ、勘違いしないで下さい。オレを相手にすると厄介な奴まで相手にしないといけなくなりますから。あなたがそれを知っているかは別ですが」

 

まさか……兄貴の関係者ではあるまい。

ありがた迷惑な話だが、あの屑のおかげさまで俺は学園に強制収容されず、自由の身なのだ。

無駄に兄貴が俺を気にしているのは確かで、兄貴と関わるとそいつは死にたくなる事請け合いさ。

候補にあれど、死にたがりじゃない限り俺に手を出そうとはしないはず。

誤差の範囲内か。

残る最後の候補の方がまだ可能性は高い。

即ち――。

 

 

「明智黎さん。あなたにお話ししたいことがあります」

 

こんな往来で向き合っていては注目されてしまう。

ドラマのワンシーンじゃあるまい。

俺は全然ロマンと程遠い眼つきの悪さなんだよ。

他を当たってほしいね。

 

 

「明日じゃあ駄目なんですか?」

 

「はい。今日が限界……明日からは……とにかく、早急な用件なんです」

 

「なるほど。オレはあなたに明日が来ることを祈っておきますよ」

 

「お台はわたしが持ちます。喫茶店にでもどうでしょう?」

 

「オレが下種な人種だ、と思わないからには相当強力な後ろ盾があるんでしょうね。そういう間違いに対応出来る、オレなんて取るに足らない。あなたのそれが虚勢ならば大したお方だ」

 

美人の提案なんてホイホイ乗るもんじゃあない。

俺が知る限りで美人の人格者と出逢えた例がないんだから。

この人が例外だと俺には思えなかった。

 

 

「手厳しいなぁ。……でも、同意とみなしてよろしいですね?」

 

「構いませんよ……。それと、支払いはオレがしますから。気にせず何でも頼んでください」

 

「お願いしてるのはわたしの方なんだけど……いいんですか?」

 

「男の意地ってヤツですよ」

 

――そうだ。

残る最後の候補は、涼宮ハルヒの関係者。

ならばとうとう北高から出たと言うのか。

迷惑をかけるテリトリーを、学校の外にも拡げてしまった。

皮肉なもんだ。

学園の外に出ている俺に対する当てつけだ。

まだ、そうと決まったわけではない。

しかし、そうかもしれない。

これが兄貴の関係者で、兄貴が俺に会いたがっているみたいな話をされたなら……。

俺はこの人を殺してもおかしくはないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――私の登場に驚いておるのか?

なるほど、これが物語であればそれも致し方ない事だろう。

確かに物語とは往々にして意味不明かつ奇怪な設定を押し付けて来る。

外の世界へ飛び出そうとするのだよ。まるで、波紋のように。

電波のようにな。

しかし、否定ばかりとは感心せんな。

私の登場は随分と前から約束されていた事なのだよ。

あの世界の黎くんは、私の弟子の方よりも見識や判断力が数段上だ。

最終的にはどんな真相にも辿り着いてしまう。

違うな、辿り着ける可能性を秘めている。

EMPも念能力もどきも、終着点こそ異なるが過程は同じ。

何故ならば根源的には同じエネルギーを操るからな。

どちらも、必要なエネルギーではないか。

 

 

「私はそう考えている。この考えが正しいとも確信している。では、キミの考えはどうなのかね?」

 

だが黎くんには悪いクセがあってな。

深く考えすぎた末に、ちっぽけな事を見落としてしまう。

流されることに慣れ続けてしまったせいか、大きな出来事に視点を奪われてしまう。

視野を広げたところで、これでは無意味ではないか。

 

 

「そうだ、私が彼女にアクセスしたのだ」

 

私にとってはつい昨日の出来事のようなものだ。

しかし、君たちにとってはかなり前の出来事かもしれないな。

時間とはそういうものなのだ。時空も同じだ。

二次元、三次元、四次元。

どれも同じだ。

問題はそれが"外の世界"かどうかという一点に過ぎないのだよ。

 

 

「私はとうとうここまで辿り着いてみせたぞ! 七月七日の、あの日までな!」

 

私の初登場は"消失"、平行世界。

何故ジェイと名乗った異世界人が……佐藤詩織があんな行動をとったのか。

黎くんを助けるのか助けないのか、曖昧な結果に終わってしまったのか。

決まっておろう。

 

 

「そう! 私が彼女の"ボス"だったのだよ!」

 

わざとらしく彼には口調の変化といったヒントまで与えてあげたのにな。

しまいには気にせず終えようとしているではないか。

もっとも、私の干渉を佐藤詩織が自覚していたわけではない。

精神操作や精神感応は私の得意分野ではない。

しかし愛する弟子にこちらを最大限利用してもらい、師匠も弟子を利用するというのが理想の師弟関係ではないのかね?

……さて、キミはどう思っているのだろう。

私を消すのならば早くしたまえ。その方がいいぞ。

取り返しがつかなくなってしまう、その前

 

 

 

『――終了』

 

 



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Anothoer Chapter 4

 

 

「ウーノ、ドゥーエ、トレ」

 

介入する。

実行――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2006年8月16日のこの日。

内側から見てみるとここが最後の一本だったのだろう。

涼宮ハルヒがかつて中学校の校庭に描いた地上絵、その白線。

領域の一番外側に俺は立っていた。

まだそこに入らない手段が残されていたのだ。

だが、俺は入ってしまったのさ。

知らず知らずの内に。

何よりそうあるべきだと判断されたらしい。

 

 

「――それで、あんた誰です?」

 

駅前にある喫茶店。

謎の人物の対面に座した俺は、オーダーであるアイスコーヒーが置かれるや否やそう切り出した。

デートでもないのに、同じ注文を頼まれた時は少し妙な気分になった。

それだけだ。

俺に関わらなければいいのに。

消されるとすれば俺の方ではないのだ。

 

 

「というか間違いなしに女性ですよね? いや、別に、証明してもらう必要はないんですけど、そっちから説明してもらわない限りは何を話そうにもオレの耳から通り抜けるだけですよ」

 

入口からそこまで離れていない、窓側の席。

ありきたりだが警戒は怠りたくないんだ。

最低限外の異変はいち早く察知出来る状態でなければならない。

まったく、これだからペンと手帳を持ち歩くのは止められないんだ。

俺のピリピリした空気に対し、どこ吹く風なその人は。

 

 

「わたしは正真正銘、見ての通りに普通の女性ですけど……信用してない?」

 

「いきなり現れて『話を聞け』と、こられた。初対面の人間を相手に信用も信頼も出来ますかね。オレは出来ないんですが、そちらはどうなんでしょう」

 

「それもそうね。ごめんなさい。でも、わたしは迂闊な事をあなたに話せないの」

 

「意味が分かりません。まず、あんたから名前を名乗るのが礼儀だ……違いますか?」

 

礼儀も何もあったもんじゃない能力を持つ俺が言える言葉ではない。

しかし、最低限この女の本名か立場。そのどちらかだけでも知っておく必要がある。

兄貴の差し金なら、能力の行使に本名が必要なくなっても可笑しくない。

俺の精神状態としてはどちらでも構わないというわけだ。

冷静さではない。俺はいつ突沸するかもわからない、フラスコ内の液体でしかないのだ。

少なくとも、あの兄貴相手に関してはそうだ。

 

 

「わたしは名乗る程の者ではありませんよ。明智黎さん」

 

「オレだけ一方的に語られるのは困るんですよ。オレは基本的にオレより喋る相手が嫌いでしてね」

 

「何を言ったところで信じてもらえないのは仕方ありません。今回はわたしがあなたに伝えることに意味があるの」

 

「それをオレに理解しろと? ならとっとと本題に入ってくださいよ。オレはあんたにどう接すればいいか、判断しなくちゃあならないんですよ」

 

その女の態度は露骨だった。

あり得ない事だとは思うが彼女は俺の能力の制限を知っている可能性があった。

名前を明かさないとはそういう事だ。

俺は精神感応能力を使用するためには二つの手順を踏まなければならない。

相手の本名を把握して、それを何かに書き込む。

ここまでしてようやく準備が完了、後は声で呼びかけるだけ。

普通制限がきつい能力ってのはリターンが大きいもんだと思うだろう。

だが、度々言うように俺の能力は相手の精神と言うよりは気分を操る程度でしかない。

"学園"の中に行くといい。

俺の何倍何十倍何百倍も強力な精神感応能力を持つ人は少なくない。

むしろここまで弱い俺の方が珍しいくらいだ。

 

 

「そうですね。では早速……」

 

と言い、ようやく女は話を始めた。

 

 

「最初に、わたしはこの時代の人間ではありません。もっと未来から来ました」

 

「……へぇ」

 

「流石に理解が早いみたいですね。大体の察しがついてるみたい」

 

「何でもお見通し、なんでしょう?」

 

「いいえ。そうじゃないからわたしは来た」

 

「知りませんよ、知りたくもない」

 

なるほど。

この女はどうやら自称未来人。

そんな輩が俺に接触してくる理由。

朝倉涼子、あるいは。

 

 

「うちのクラスの涼宮ハルヒ……彼女によんどころない事情があるのは把握してますがね、それだけだ。オレは一介の男子高校生。話がしたいのなら他を当たるべきだ」

 

「そうもいきません。わたしがあなたにしたい話とは、ズバリお願いなの」

 

「だったら"一生に一度"の免罪符を行使せざるを得ない事になるでしょうね。そしてそれほどの価値はオレにありません。どうしても面白おかしい話がしたいのなら、社会人ではありますがオレの兄貴にしてやって下さい。奥さんの許可が出ればあんたと仲良くする事だって喜んでしますよ、あの野郎は」

 

「これはあなたにとって重要なお話。お兄さんとは関係ありません」

 

なら一安心だ。

俺はこの女を強制排除する可能性が一段階低下した。

他人のために能力を使う必要がなくなるんだから。

俺の様子を気にせず未来人の女は。

 

 

「安心してください、あなたの家庭の事情はわたししか知りません。……彼女の話よ」

 

「想定内の脅し文句だ。つまりオレ相手には役に立ちませんね」

 

「事実を話しておいただけ。狙いはありません。だから、お互いを認めるところから始めるべきだとわたしは思うな」

 

「未来での認証技術は現在から見て何段階も脆弱性が高いらしい。オレはこの時代に生まれついて幸せですよ」

 

俺を認めたいのなら名前ぐらいは明かすべきだ。

それからなら判断するさ。

この女だけに集中せず、周囲にも意識をやりながらアイスコーヒーに口を付ける。

期待しちゃいなかったが、ロクに飲めたもんじゃなかった。

初めて来た店だが缶コーヒーの方がマシだな。

 

 

「……知っているならこっちだって話は早い。居候さんはオレにお使いを頼んでましてね。一刻を争う所をあんたが邪魔したわけだ」

 

「失礼しました。わたしのお願いは一つだけ」

 

「もし二つも言われた日には、あんたのわがままのためこの店が閉店するハメになりますかよ」

 

「涼宮さんについてです」

 

涼宮ハルヒを注目しているらしい未来人がわざわざ俺なんかに依頼するんだ。

早い話が、無茶であり、無駄なのはわかりきっていた。

 

 

「どうか、明智さんがわたしたちと敵対するような行動はしないでください」

 

「こっちの台詞ですが」

 

「違うの。これ以上はわたしでも引っかかる禁則だから口に出せないけど、とにかくあなたはSOS団に入団しているはずだった」

 

「……何?」

 

何故俺が涼宮ハルヒ率いる変人集団に参加しなければならないのか。

異世界人なら別だ。

と言うか、現在その枠は空いているんだろ。

帰ってきた朝倉涼子を迎え入れるには充分な空席だと思うがね。

今度、その方向で提案してみようか。

俺が問い詰めるよりも早く未来人の女は席から立ち上がる。

言いたい事はそれだけだと言わんばかりに。

 

 

「夏休みが終わってからで構いません。部室に足を運んでみて下さい。文芸部室の所がSOS団の活動拠点です」

 

「考えておきますよ」

 

「お代、どうもありがとうございます」

 

今度お返ししますから、と言い残して彼女は退店していった。

彼女の分のアイスコーヒーは空になっていたが、俺の方は残す事にした。

一人頭で計算すると朝倉涼子に買ってあげるアイスクリームの方が金額が上だ。

未来人の話といい、何だか釈然としなかっつた。

朝倉涼子にはこの話を伝えるべきなのだろうか?

しかし、彼女に話した所で相談や会議になるわけがない。

俺にとってはその世界など、まだまだ遠くに存在していた。

 

 

「ざまあないよ」

 

右の椅子に置いてあった、今日購入した本が入ってあるビニール袋を持つ。

こんな場所に長居しようとさえ思えないね。

外に出て再確認できた。

間違いなく夏の暑さにあてられた連中だ。

涼宮ハルヒだとか、SOS団だとかは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、8月17日。

思い返せば昨日は朝から嫌な気分になっていた。

どうせ何もしないんだから今日ぐらいは切り替えよう。

と、なけなしの向上心を発揮せんとしていた朝の事になる。

朝食はこれからだという時に、俺の部屋がノックされた。

 

 

「私よ」

 

ドア越しに聞こえた声の主は朝倉涼子だった。

何だろうか、と思い俺はドアを開ける。

水色に花柄が描かれたチュニックと黒いレギンスパンツ。

無難な夏服である。

すると、朝倉涼子は微妙な表情をしており。

 

 

「飽きた」

 

と一言だけ口にした。

何だ、我が家の生活に飽きたのであればいつでも出ていけばいい。

俺は間違っても追わないからな。

 

 

「それはどうでもいいのよ。あなたは知らないでしょうけどね、ループしてるのよ」

 

「ループ? 何の話だ。プログラミングについて語りたいならオレよりもっといい話し相手を知っているけど」

 

「確かに仕組まれた出来事と言えばそうなのよ。もっとも、世界規模のプログラミングだわ」

 

昨日から立て続けに意味の分からない話しかされていない。

しっかりアイスクリームは買ってきてあげたんだ。

もう少し俺に対して協力的になってくれてもいいんじゃないのか。

事実として我が家の一角を提供しているという一点において俺は君に協力しているんだから。

出世払いは君の問題が解決してくれる事そのものだ。

 

 

「もうそろそろ朝ごはんの時間だから、詳しい話は後でしてあげる。一言で言えば……そう、エンドレス。この夏休み、終わらないのよ」

 

「……はあ?」

 

「そういう事だから」

 

どういう事なのかを訊く前に彼女は引っ込んでしまった。

恐らくそのまま一階に降りたのだろう。俺だったらそうする。

いくら宇宙人認定されているとは言っても、俺の両親はEMP能力についてまでは知らない。

聞くだけでも面倒な話を俺は両親の前でしたくはない。

彼女の言葉通りに、後で詳しい話を訊く事にしよう。

場合によっては俺はまたあの人に電話する必要があるのか。

今度こそは的確なアドバイスを頂きたいものなんだが。

 

 

 

――そしてあっと言う間に朝食を終えた。

思うに涼宮ハルヒの関係者は本人を含めて電波でも受信しているのだろうか。

イカレた発言しかしていない気がする。

宮野先輩といい勝負だと言えば、やがては自分自身をも侮辱する事になるのでよしておく。

EMPは不干渉なんだよ。

昨日の自称未来人だって疑わしい。

来なくてもいい宗教勧誘マンが家にやって来るあの感覚そのものだ。

俺に何をどうさせたいんだ。

もしかすると俺にSOS団に入れと言いたいのか?

俺は自分を捻くれ者だと自覚しているが、最低限のラインは守って行動している。

いくらまともな人間でもいざという時にそれが出来なければ犯罪者になってしまう。

俺は違う。

兄貴とは違う。

そんな人間の屑が住んでいた部屋で朝倉涼子による説明が行われた。

 

 

「――と、いうわけなのよ」

 

「……要約すると、今日から31日までの夏休み期間がループしていると?」

 

「そうよ」

 

ご丁寧に休みの一番最後でカット。

涼宮ハルヒの仕業だそうだ。

昨日の今日で、マジなめるなよあいつら。

朝倉良子は、ふぅ、と大きく息を吐いて。

 

 

「何回も黙って過ごしていた所で、私に進展があるわけじゃない。無駄なの」

 

「それをオレに言われてもね……」

 

今回が何TAKE目なのか正確な数字など知りたくもないが、やり直された分だけのダイジェストで映像作品が出来てしまうぐらいには繰り返されているのだろう。

神なんだろ。

次元の壁を超える事が出来るんだろ、その女の能力は。

確かに歪んだ願望だとは思うがそれまでだ。

 

 

「と言うか、異世界人の方の君は未来の記憶も持ち合わせているんだろ。十二月がどうろか言ってた気がするんだけど、それはループをブレイクしたって事になるんじゃあないのか? 永久回路じゃあないのか」

 

「私にも色々と複雑な事情があるの。今の私が仮に脱出方法を知っているなら試しているわ」

 

「つまり、どうやって終わったのかもわからないって?」

 

「どんな魔法を使ったのかしらね」

 

投げやりだ。

そのスタンスが本来の朝倉涼子によるものなのか、それとも別人である異世界宇宙人によるものなのか。

ジリ貧なのが嫌で行動を起こしたはずの人間にしては荒廃的ではなかろうか。

 

 

「だって、私が涼宮ハルヒに接触した所で何が解決するわけもないじゃない。この世界から今度こそ弾かれておしまいだわ、わかりきっている事にチャレンジするのも、ねえ」

 

「神が全てを決められるんなら、オレがループ現象について知ったところで無意味にこの回も終わるだろ。既に決定されているんだからね」

 

「私が頼れるのはあなただけなのよ」

 

「妙な期待はしないでくれ……」

 

そういうのは本当にいいんだ。

俺が平穏を選択したのは期待されたくなかったからだ。

俺は俺を期待する事すら嫌なのさ。

朝倉涼子はつまらなさそうに。

 

 

「あっちの私を意識して、あなたに誘惑を試みた事もあったわ」

 

「……何言ってるんだ」

 

「楽しかったわね」

 

嘘だろ。

俺はそこまでするっと流されてしまう奴なのか。

まあ、なってしまっても可笑しくはないんだけども。

俺の動揺を察知した彼女は。

 

 

「冗談よ。……あなたが信じるかどうかは別だけど」

 

ここまでを含めて全てが俺を追い詰めるための策だと言うのなら素直に投了する他ない。

どちらにしても、俺が出来る事は限られているんだ。

そして今回は明確なリミットが存在しているらしいじゃないか。

5月の時よりは何倍も猶予があるからありがたい。

しかし、涼宮ハルヒがやっている事は結局同じだった。

いっそ兄貴の存在を俺の記憶ごと消してくれれば良かったのに。

夏休み馬鹿が、そのまま馬鹿になるだけだ。

終わらない夏休みなど、ゲームの世界ではあるまいし。

 

 

「……で、オレに頼るってのは具体的に何をすればいい話なんだ」

 

「異世界人の明智黎はこの問題を直ぐにクリアした。あなたにもそれが出来るはず、と思ったの」

 

「無茶だって」

 

俺に動けと言いたいのか。

"鍵"とやらはどうなっているんだ。

涼宮ハルヒを制御するための存在じゃないのか。

とにかく、俺が一つ確認したい事は。

 

 

「オレが君からこの話を聞いたのは何回目なんだ?」

 

「今回が初回。今まで黙っていたけど、流石に現状に一石を投じたくなったのよ」

 

「……もし、この状態に変化がない時は?」

 

「最後の最後なら私が動いてもいいわ」

 

このざまか。

いいだろうよ。

やってやりますとも。

涼宮ハルヒをその気にさせればいいんだろ?

難しいな、学校に行かせるってのは。

 

 

「下手なヒキコモリより性質が悪い」

 

「それ、私の事かしら」

 

「……さあね」

 

何故俺の前に朝倉涼子が登場したのか。

異世界人の俺が全て計算してやったのだとしたら、俺は完全敗北だ。

……認めるさ。

でも、偶然で片づける方が一番楽だ。

俺は『楽してズルしていただきかしら』が人生哲学なんだ。

だから。

 

 

「行かなくっちゃあな……ほんの少し、外に出ればいいだけなんだろ? そうしてやるさ。ちくしょう」

 

兄貴はこんな事まで見通してたのが、だとしたら恐怖だ。

実際にそんな事はないと思うが、俺の本質を射抜かんとはしていた。

唯一的外れだったのは、俺は優しい人間などではなく甘い人間だったという事だ。

俺が朝倉涼子を朝倉さんとして認めるのも、俺が優しさを理解するのも今日の事ではない。

だが、それが本当に訪れるとも限らないんだ。

俺と彼女を無理矢理引き合わせて、無理矢理あるべき道筋に戻そうとしている。

そんな事を考え、介入している奴がいる。

 

――やってみろ。

今世紀最大の魔術師、その弟子の俺をなめるなよ。

何より人間をなめるな。

 

 

「オレは頃合いを見て涼宮ハルヒに接触するが、君も一緒に来るかい?」

 

「……やっぱり、あなたには何か裏があるみたいね」

 

「お互い様でしょ。オレは裏表がないなんて一言も言ってないんだからな」

 

「いいわ……。思い立ったが吉日だもの、今日行動しましょう」

 

「あいよ」

 

とにかく、こうして出逢っちまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そして、クワットロ」

 

数字の四であり、死でもある。

つまりお終いという事だな。

……無駄だ。

私をなめるな。

何度でも立ち上がろう。

しかし、キミに抵抗するのもいいが。

 

 

「また来る事としよう。そう、今日ではないのだからな」

 

 

 

――To Be Continued…

 

 

 

 



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真説 異世界人こと俺氏の憂鬱
第九十一話


 

 

これは俺の気分の問題になってしまうが、まずは平和的な話から始めたいと思う。

ほら、よく言うじゃあないか。

営業先で仕事の話を最初から切り出す奴がどこに居る?

世間話の一つや二つは何も考えずに反射的に対応、いやこちらから仕掛けに行かなければならないのだ。

良いニュースと悪いニュースは上手く組み合わせてこそ相手の心に響くものと言えよう。

別に俺が誰かの心に働きかける必要があるかと言われればそれまでだが。

とにかく振れ幅が大きいからこそ、俺はこの年を"激動"の一年と後に振り返るのだ。

そんなもんさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四月の末、ようやくゴールデンウィークに突入して二日目にそれは開催された。

鶴屋さんがただ友達だと言う縁だけで俺たちSOS団を招待したヤエザクラ大会だ。

彼女の自宅については今更言うまでもない。

とにかくオーラこそ全然出さない物のお金持ちでありお嬢様だ。

いつの時代に建てられた屋敷なのか、外から見たら武家屋敷でしかない。

壮大な日本庭園と外界を分断するかのように高い堀が張り巡らされている。

入口である大きな門から実際に鶴屋さんが住んでいる家に相当する場所まではかなりの距離がある。

敷地内の話なんだぜ、信じられるかよ。

来客もいいとこな俺たちは先導する鶴屋さんの後を追う。

手荷物は多いので、無駄な物とかは一旦彼女の家に預かってもらう必要がある。

朝っぱらから夕方まで飲んだり食ったりし続けるわけじゃあない……多分。

平和であり、晴れやかな日中。時刻は朝九時を回っている。

とにかくドナドナ気分ではないものの、それでも俺は痛感するね。

 

 

「オレは自分がイナカ者だとは思いたくないけど、この光景ばかりは慣れないよ。生まれが違う」

 

「そんな事言ったら私は宇宙人よ?」

 

「関係ない。だって朝倉さんは朝倉さんなんだよ」

 

「もう、何を言ってるのよ……」

 

そうは言うが、彼女の方だって俺が言いたい事は理解してくれている。

去年の五月であるあの日から今日まで、俺にとって朝倉さんは一人の女の子でしかない。

そしてゆくゆくは女性として付き合い続ける事になってしま、なっていくのだろう。

危ない危ない。……別に任意だからな。強制じゃあない。

下手な事は考えない方が今後のためになるよ。

しかし、いくら俺が平和ボケをしようと未来の関係性における決定的なワードは未だお互いに発してなどいない。

要するに、"血痕"……いや"結婚"だ。前者だとナイフに刺されるみたいだろ。俺が。

冗談はさておき、何でそんな事を口にしていないのかと言えば時期尚早だ、なんて安い言い訳をしたいわけではない。

 

――倒さなければいけないからな。

"アナザーワン"がさっさと帰って来てくれれば今すぐにでも俺は仕掛けに行きたいぐらいだ。

宣戦布告をするまでもない。一瞬の内にケリをつけてやるさ。

自律進化なんて下らない野望のために振り回されるのは御免なんだ。

俺も、朝倉さんも、あいつも。

待っていろよ。

お前を消すための作戦は、詩織が俺に教えてくれたんだからな。

黙らせてやるさ。

 

 

「どうしたの? 急に怖い顔しちゃって」

 

「悪い。いつも通りくだらない考え事をしていた。でも俺の眼つきの悪さに関しては許してほしい」

 

「いつも気にしているけど、それで損した事でもあったのかしら」

 

「これはごく個人的な話になっちゃうんだけど、オレの兄貴がそれはそれはお利口そうな優しい顔でね。弟であるオレがこんなんなのが解せないのさ」

 

「自信を持たな過ぎるのも考え物ね」

 

ならば俺は何に自信を持てばいいのだろうか。

全日本朝倉涼子検定なる資格試験があれば一級をストレート合格出来るであろう事ぐらいしか自信がないぞ。

そして兄貴も兄貴だ。

パリストンや古泉みたいな営業スマイルが得意な野郎。

俺にもその才能を分けてほしかったね。

 

 

「はーい、到着っ。あたしん家だよー」

 

鶴屋さんの言葉通り、ようやく家屋まで辿り着いた。

これで家の中も広いんだから俺は感覚がマヒしてしまいそうになる。

俺の"異次元マンション"なんか現在新しく出入口を設置出来なくなってしまっている欠陥住宅だぞ。

一番広い101号室――朝倉さんの部屋と直通しているだだっ広いだけの部屋――でさえこの家屋の四分の一の広さがあるかどうかだ。

多分ないのだろうな。

未来の俺よ、部屋の中身なんて改装出来なくていいから鶴屋さんの家に対抗できるぐらいのものを造れるようになってくれよ。

 

 

「みんな。準備は大丈夫なんでしょうね!」

 

鶴屋さんの案内により和室――映画撮影でも使用した部屋だ――に通されるや否や涼宮さんが声を張り上げた。

準備とは何なのかと言われたらそれは準備以外の何物でもなく、要するに俺たちは余興として各自一発芸披露を披露するわけだ。

 

 

 

――思い返すは四月半ばの新年度第二回SOS団ミーティングの話になる。

文芸部室に集まっているメンバは七人。

新入団員などいなかったのだ。

ヤスミは姿を消し、佐倉さんに関する出来事はなかった事にされた。

これでいいのさ。

 

 

「サプライズイベントとは言ってもだな、現実的に考えなきゃならんだろう」

 

もっともらしい事をあの場で発言しそうなのは本気を出す時の俺以外ならばキョンぐらいしか居なかった。

言うまでもなく普段は従順なヒツジでしかない俺は彼のように主人に噛み付こうとはしないのだ。

時と場合によっては俺だってそうするが、こんな一難去った後の状況だ。また一難を呼び込む必要なんてないだろ。

波風を立てるのはあちらさんのお仕事だ。

俺は淡々と敗戦処理だけやっていればいいのさ。

涼宮さんはホワイトボードに書き込むのに使用した黒い水性ペンをキョンに突きつけ。

 

 

「何よ。あんたにいい案があるってわけ?」

 

「無難にかくし芸大会とかその辺でいいんじゃないか。段取りだってあるだろ。一二週間で俺たちに用意出来る事なんてタカが知れてる」

 

「はぁ? 一週間あれば本の一冊は作れるのよ。実際作ったし。とにかく、あんたはやる気を見せなさい。あたしたちの積み上げてきた一年間を忘れたの?」

 

「申し訳ないがやる気だけで世界は盛り上がらないと思うぞ。局地的にはなるかもしれんが、お前はそんな小規模で満足しないだろ。ここは大人しく身の丈相応の事をして、次に活かせばいいじゃないか」

 

「……みんなはどう思うかしら?」

 

そのみんなと言うのは間違いなくキョン以外の団員全員なのだろうな。

駆けつけ三杯のお茶も飲まずにまだ見ぬお花見に思いを馳せるのはいい事だ。

今更祈りとは心の所作であり、なんて話を持ち出すつもりはないが、俺は祈らずにいられないね。

この問題が平和的に解決してくれる事を。

 

 

「いいんじゃないでしょうか」

 

ここぞと言う時に目立つのが副団長だと言わんばかりに古泉は声を上げた。

ちらっと俺を見ないでくれよ。気色悪いな。

 

 

「彼の仰る事も一理あります。各々の自助努力に任せてしまうのは一見すると投げやりなスタンスかも知れませんが、お互いに何をするかもわからない状態の方が仕掛け人である僕たちも楽しめるかと思われますよ」

 

「ふーん」

 

「提案したからには、彼はさぞ素晴らしい芸を披露してくれる事でしょう」

 

俺にはトナカイ姿で犬のように床を這いずり回っていたクリスマスパーティ時のキョンしか思い出せない。

この場を丸く収めようとしてくれた彼にはそれこそ申し訳ないが、言い出しっぺの法則である。

仮にも主人公なんだからお前もそろそろ修行でもしたらいい。鉈を片手に。

 

 

『じゃあ俺、今から熊を狩りに行きますんで』

 

とでも言って夕方までに熊の手を持って帰ってくればこれ以上の無いかくし芸になると思う。

何せ熊を討伐した実績が目に見える形で出て来るのだ。隠していないかくし芸だ。

俺そんな事のために山に行きたくないからな。切実に。

戦闘力だって低下してるし。

いずれにせよ期待されるのは悪い事ではないだろう。

恨むのなら佐々木さんではなく涼宮さんを選んだ自分を恨め。

あっちを選んでいれば今頃お前はいちゃいちゃ出来たと思うぞ。

佐々木さんはクールに見えて実は寂しがり屋っぽいタイプだ。

まあ、キョンは選んだところでこのざまなので成果があるかは怪しい。

俺なら間違いなく三択目の朝倉涼子をセレクトするがね。

 

 

「……」

 

「かくし芸大会ですかぁ。うーん。あたし、何をすればいいんでしょう?」

 

「らせん階段、カブト虫、廃墟の街、イチジクのタルト……」

 

涼宮さんを除く女子三人は何を考えているのだろうか。

そして朝倉さん、あなたは何を呟いているんですか?

何時の間に"天国へ行く方法"を研究していたんだ。

コンビニ本を読み続けたせいでとうとう壊れてしまったのか。

なんて事だ。

団長殿は「しょうがないわね」と前置きしてから。

 

 

「古泉くんに免じて、特別に下っ端であるあんたの意見を採用してあげる。たまにはご褒美くらいあげないとね」

 

「ご褒美だと? 冗談きついな。俺の意見を向こう一年間は取り入れてくれるぐらいしてようやく妥当だ」

 

「あたしは自分に嘘はつかないの。今回あんたが見せてくれるの芸の質はどうでもいいわ。どうせお手玉二個が限界だろうし」

 

「三個は出来るぞ」

 

何の自慢にもならないと思う。

市販されているお手玉なんて大体五個で一組だ。

それが基本なのだ。

ホワイトボードに『スペシャルショー』と追記した涼宮さんは。

 

 

「いい!? やるからには最低限のものは見せなきゃダメよ。あたしは心が広いから許せるけど、鶴屋さんの身内の方々に失礼だから」

 

それはいいんだけどさ。

『スペシャルイベント』の下にそれを書くのはどうなんだろうか。

彼女はどこまでもスペシャリストを目指しているのか。

今のままでも充分だと思うんだけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――なんて事を回想していると、早速家屋から出る事に。

いくら鶴屋一族の方々が温かい目の持ち主だとしても何の前触れ前置きも無しに芸をおっ始められては困ってしまう。

顔合わせや、適当に語り合って宴もたけなわになってからようやく披露するべきだ。

ついこの間に行われたソメイヨシノの花見大会とは違い、GW中もあり鶴屋さんの親戚だって集まっていらっしゃるのだ。

つくづく場違いではあるが、これも何かの縁だと思わなければやっていられない。

広々とした敷地内を横断するように移動し続ける事二三分。

遠目からでもわかった、桜の木が自生しており、その近くには人が大勢座っている。

俺たちの居場所をどうにかして作らないといけない。

鶴屋さんと彼女の両親祖父母ぐらいしか俺たちは顔を知らないのだ。

仲介してもらう必要があるなんて、ビジネスの世界か。

 

 

「お待たせっ! こちらがあたしの麗しき友人たちさっ!」

 

鶴屋さんのそのフリがどれだけの重圧なのかは考えたくもなかった。

俺が見てきた中で一番デカいのではないかと思われたブルーシートの上に座る人々が俺たちを見上げている。

そのブルーシートだって何枚も庭に敷かれているらしく、俺たち七人のスペース確保がわけない状態。

うっ、呼吸を乱してはならん。システマの教えだ。そうだ。これが俺の日常……。

 

 

「……おい! 黎じゃないか!」

 

おっさんどもの集まりにしては比較的若々しい声が聴こえた気がする。

そしてそれは俺の名前を呼んだわけだ。

何より俺はその声の持ち主に少しばかり心当たりがあった。

まさか、な……。

 

 

「お前が来るなんてな、聞いてなかったぞ!」

 

どうやらこちらに歩み寄って来ているらしい。

ええい、近寄るでない。

その光景を不思議に思ったキョンは。

 

 

「明智。誰だあのリーマン姿のお方は。お前の知り合いなのか」

 

知り合いも何もあるか。

あってたまるか。

やがて俺の前に立ったそいつは俺より二センチばかり身長が低いくせに俺の肩をばしばし叩きながら。

 

 

「久しぶりだな。いつの間にお前に友達なんか出来てたんだ?」

 

うるせえよ。

俺を何だと思っているのかこの人は。

 

 

「久しぶりも何も、そっちが勝手に飛び回っているだけじゃあないのか」

 

「仕事の都合だからしょうがないだろ。こんなに呑気出来るのは久しぶりでな。今日一日ぐらいだ」

 

「一つだけオレの質問に答えてくれないか。なんであんたがここに居るんだ?」

 

「俺の相方は知っているはずだ。あそこに座ってる」

 

そう言ってその男が指差す先にはまさに大和撫子といった感じの和風美人さん。

ベージュ色のワンピースをお召しになられているその女性はこちらの様子に気づいて一礼した。

髪は黒色に少し金色が混じった茶色がかったライトミディ。

この野郎の奥さんである。

 

 

「知らなかったみたいだから言っておくが、相方は鶴屋家とは親戚関係なんだ」

 

「……嘘だろ」

 

「マジだ」

 

俺にどうしろってんだ。

用意してきた一発芸は男らしく"かわら割り"だぞ。

他の方々はさておき、こいつには馬鹿にされそうだ。

十枚を手刀で――当然強化はするが――やるんだぞ?

素人にしては上出来だとおもうが、この男なら楽々やってのけてしまうだろうよ。

俺とそいつは他の団員にじろじろ見られている。

 

 

「あんたの奥さんがお嬢様なのは知ってたさ……。だからってこの状況、驚かずにいられるか」

 

「驚きなのはこっちだ。お前はいつの間に鶴屋家と交流を深めていた?」

 

「彼女から説明があっただろ。友達付き合いだけだ」

 

世間は狭いと言うが、いくらなんでも狭すぎる。

押し潰されてしまいかねない。

 

 

「なるほど……」

 

どこか納得している古泉。

他の女子連中とキョンはだんまりだ。

無理もない。

こんなわざとらしい笑顔をする奴、俺なら嫌いになってしまう。

あんたの方がまさしくピエロだ。

 

 

「……久しぶりだ。兄貴」

 

「あのな、名前で呼ばないなら"お兄ちゃん"と呼びなさいといつも言っているだろう」

 

「ふざけんな。折るぞ」

 

「俺の骨を一本持ってくつもりか? 言っておくが高いぞ。それに、お前には十年早いな。まだまだ若い」

 

お前だって今年で二十五かどうかの若造ではないか。

しかしながら十年どころか何年かければ俺は彼に勝てるのかはわからない。

兄貴はサイヤ人みたいなパフォーマンスを平気でしやがる。

俺にもそのスペックを分けてほしい。

どうせならアスリートになれよ。

俺の兄貴という単語に反応したのは涼宮さんだった。

物珍しいさを感じさせながら。

 

 

「明智くんのお兄さんなの? こんな休みの日にスーツ着るなんて変わってるのね」

 

「仕事柄、私はいつでも対応する必要がありますので」

 

何を営業マンぶっているんだ。

あんたには悪いが、兄貴は朝倉さんに見せたくない奴の代表格だった。

"吐き気を催す邪悪ってのはきっとこいつの事を言うからだ。

今からでもどうにか退散出来ないだろうか。

俺と彼女の逃走経路を確保するにはやはり異次元マンションぐらい必要になるだろう。

そして肝心な時にそれに頼れないのもいつも通りだった。

 

 

「……それで? こんなに美人なお嬢さんたちが勢ぞろいなんだ。まさか誰とも付き合っていないなんて言うのか、黎は」

 

「オレたちはそういう集まりじゃあないんだ。変な漫画に影響されすぎだ」

 

何よりあんたの奥さんや鶴屋さんこそが正真正銘の"お嬢さん"だ。

美しさを讃えたいのであれば少しは考えてから発言してくれ。

もう面倒なので帰っていいよ、お前。

しかし兄貴の言葉を変に解釈してしまったのか朝倉さんは。

 

 

「私が明智君とお付き合いさせてもらっている、朝倉涼子と申します」

 

おい。

火に油じゃあ済まない発言だぞ。

俺は嘘も本当の事も言わずにこの場を流すつもりだったんだ。

どうして現場に血が流れなきゃいけないんだ。

驚いた様子も見せずに兄貴は。

 

 

「これまたビックリ、たまげたぞ。黎、お前は魔法使いだったのか?」

 

「オレに魔法が使えるならあんたの口を黙らせる呪文をいの一番に唱えている」

 

「うちの相方に負けず劣らず。いや、この場に居る女性全員がそうだろうな。比較しようものならば万死に値するだろう」

 

「……とりあえず、自己紹介ぐらいしろよ」

 

名乗りは大切だ。

名を明かす事は対話における最初の一歩。

そして、名前を明かす事で心の扉の鍵を開けるのだ。

あとは開きに行くだけ。

軽く咳払いをした兄貴は、そのビジネスショートヘアを際立たせるようにかしこまってから。

 

 

「初めまして、弟がいつもお世話になっているみたいだ。私の名前は明智明。職業は……君たちには多分、一生関係のない仕事だ」

 

やけに胡散臭い態度だ。

上っ面、見せ掛けだけのビジネススタイル。

俺はそれを知っているんだからな。

 

 

「今後とも黎をよろしく頼むよ」

 

よかったよ。

あんたとよろしくする必要がなさそうで。

どうもこうもあったもんじゃない。

世界は狭いのだから。

 

 



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第九十二話

 

 

――と、いった具合であった。

ようは俺にとって平和的かどうかは些末な問題でしかない。

事実として鶴屋さん主催のヤエザクラお花見大会は平和的に幕を閉じたのだ。

少なくとも鶴屋家の人々にとってはそうだろう。

俺たちにとってもお呼ばれした立場にしては充分上出来な部類であったと言えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まさに温かく迎えられたと言う表現がふさわしかった。

俺たちに気を使ってくれたのか大人の方々も飲酒は控えてくれたのだ。

涼宮さんなり古泉なり宇宙人なりは絡み酒なぞどうという事もないだろうし、前世の社会経験がある俺としても対応は出来る。

しかしながら朝比奈さんやキョンはそうはいかないはずだ。

朝比奈さんは「ひ、ひゃいっ」しか言えなくなってしまうだろうし、キョンはだれてしまうに違いない。

上流階級の方々は"お・も・て・な・し"の精神も一流なのが窺える一コマだった。

 

 

「新川さんの料理も中々だったけど、鶴屋家もあなどれないわね」

 

涼宮さんの言葉通りであった。

ぶっちゃけ俺はそこそこの値段する幕の内弁当でも配布されればそれをつつきながら大人しく一日を消化出来ただろう。

そんな事させるかと言わんばかりに次々と燃料が投下されていくのだ。

最初に俺たちを驚かせたのは重箱という重箱。

その中にこれまたよくわからない高級感漂う日本料理的な食べ物が敷き詰められている。

たいそういい食材を、一流の料理人が仕上げないと作れるものではない。

気にせず食べている連中が大半だったが、普通にカネ取れるって。

いいんですか、鶴屋先輩。

 

 

「はっは! 気にするでない。あたしなりに日頃の感謝をキミたちに表現したつもりだよっ! どうかな、満足できたにょろ?」

 

これで不満なんか言おうものなら俺が直々にとっちめてやりますよ。

誰一人としてそういう反応を示す奴は居ないんですから。

社交辞令としてではなく、真底から盛り上がれるのが俺たちの美点かもしれない。

流されるのも事こういった場に限れば利点となる。

 

 

 

――どうもこうもあるか。

俺はその場から兄貴が陣取る一角へ出向いていく。

奥さんは身内付き合いをしているらしく、兄貴は現在ぼっちである。

そんなんで社会人として通用するのか。

やる気を見せろよ。

 

 

「……さっきオレに元気してたかと訊いてきたが、あんたの方こそ元気してたのかよ。あり得ないとは思ってたが、死んでるのかとも思えたぜ」

 

「俺が死ぬにはやり残した事が多すぎるな。しかし、案外不本意な形でやって来るもんだ。肝には銘じている」

 

「そろそろ孫の顔でも拝ませに来いよ。一向にその兆候が見受けられないんだけど」

 

「家はほぼほぼ相方に任せっきりだからな。だが、息子の顔はお前も見ただろ?」

 

「もう二年も昔の話だ馬鹿兄貴。今は二歳児だろ。一番いい時期を母さんと親父に見せてやれよ」

 

「わかったよ。お盆には行けるよう調整しておく」

 

兄貴の結婚や家庭に関する事情はとてもじゃないが語り尽くせないので割愛させてもらう。

とにかく、カタギの人間だとは思えないって事だけが確かなのだ。

人相だけで成り上がった気がしないでもない。

これで奥さんに良くしてなかったらただの屑野郎だ。

夫婦円満の秘訣を教えてもらいたいもんだね。

 

 

「ン? 黎はその歳でもう先の事を考えているのか」

 

「あんたが先の事を考えていないだけなんじゃあないのか。どっちが亀でどっちが兎なのかは相対的にしか価値観が成立しない」

 

「大した弟だ、と言っておこう」

 

その内日本ぐらいなら征服してしまいかねない男にそう言われるとは、俺も偉くなったもんだ。

そういえば昔は"皇帝"だとか呼ばれてたな、俺は。

あんなの言ってしまえば【ラスト・アクション・ヒーロー】みたいなもんだ。

話の中での俺は尾ひれはひれが付いてしまいヤバすぎる人間みたいに言われてたが、その実ただの跳ねっ返りなだけだ。

現実世界や社会に出てみろ。

詩織が消えた精神的大打撃も多分に含まれていたが、右に倣えで落ち着いた日々を送っていた。

妥協続きの毎日だったんだよ。情けない。

浅野よ、本当にあいつを頼むぜ。

朝倉涼子にも負けないぐらいにいい女性なんだから。

やがて兄貴は静かに口を開いた。

 

 

「……お前なら大丈夫なんじゃないか」

 

「何がだよ」

 

「結婚もそうだが、お前はどこか未来の事を達観視しがちなきらいがある」

 

「オレは世捨て人スレスレなあんたにそれを言われるのか」

 

「最後に黎を見た時と、今のお前の表情。写真を見比べなくてもわかるさ。かなりいい眼光になった」

 

ついこの間ぐらいからよく言われるけど何なんだろう。

思い返せば去年の十二月辺りからそんな感じである。

古泉といいあんたらはジョジョの世界からやって来てる人種なのか。

だったら頭の回転速度や人間離れしたパフォーマンスも納得なんだが。

 

 

「昔の黎はただの死にたがりみたいだったが、今は違うな。その逆だ。それでいい」

 

「何の話をしているんだ。昔も今もオレは健康第一がモットーなんだよ」

 

「そうか? どこぞで自爆テロを起こした犯人の顔写真一覧に、黎が入っててもおかしくなかったが」

 

それが実の弟に対する接し方なのだろうか。

全国の弟諸君にヒアリング調査してくるからな。

こんな態度で『お兄ちゃんと呼べ』ってのは最初から否定以外の選択肢が俺には残されていない。

俺が本当か嘘かもわからないような事を平気で言えるの兄貴の影響なのだろうか。

腹を立てたような態度をした俺を見て。

 

 

「勘違いするな。それだけ目的意識が高かったって事が言いたいんだ。高すぎて自分の限界を考えちゃいなかったのさ」

 

「テロリストってのはただの死にたがりだ。……これはあんたの言葉だろ」

 

「同じだろ? お前もそうだったが、良くなったって事だ」

 

「目的意識が低いってのはどうなんだよ。向上心と同義だ。妥協で、逃げじゃあないのか」

 

「そうじゃないってのは黎が一番理解しているだろ。それが意識にせよ大志にせよ、設定値がゼロやマイナスじゃなきゃいい。適材適所で世の中は廻るんだ。自分の代わりは他に居るかもしれないが、そいつに後を押し付けるのはカワイソーだろ」

 

ふっ。ならあんたの後を継ぐかもしれない息子が可愛そうだな。

子どもは親を選べないんだから、しっかりとした教育の光で救わなければならないんだ。

兄貴が駄目でも奥さんの方なら大丈夫だとは思うがね。

お留守番させずに連れてくれば良かっただろうに。

あんたの所はベビーシッターにいつも依頼しているのか?

 

 

「こういう時だけだ。基本的に家には誰か居るからな」

 

「そうかい」

 

「結婚式の日程が決まったら早目に教えてくれ。俺にとって祝日は関係ない」

 

「来るかもわからない日の話をしないでほしいね」

 

頭のネジが捻じ切れているような人種だ。

いくら家族だとしてもこの人に場をぶち壊されるのだけは勘弁してほしいね。

涼宮さんがどれだけ可愛い部類なのかがよくわかる。

方向性は同じでも、こいつの方が何手先も上をいっているのだ。

独善者として。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後は野外ステージまで用意されるというとてつもないプレッシャーの中、SOS団による余興が行われてた。

仕方がないのでどうにか俺は瓦を十五枚に増やした。

バンテージを左に巻き付け、手刀を振り下ろし切ると見事に最後まできっちり割る事が出来た。

言うまでもなくこれ以上の枚数も割れるだろうが、限度がある。

これでなかなかの拍手を頂けるのはありがたい事だ。これでいいんだよ。

瓦三十枚だとかもしくはブロック割りだとかを一介の高校生がやってみろ。

どん引きされるだけだ。

キョンはあまりにもする事が無かったのか、のど自慢を披露した。

……成果はお察ししてやってくれ。鶴屋家の人々は本当に対応が一流なのだから。

日が暮れ始めた頃に解散となり、入口である大きな門までついて来てくれた鶴屋さんは。

 

 

「それじゃ、あたしは後片づけもあるからここまでだよ。自分のとこの始末は自分でしないとねっ!」

 

大事件なども特になく、平和の内に終わったお花見。

一発芸大会の詳細を語りたいところではあるが、本当に何事もなく終わったので安心してほしい。

原作映画でお馴染みの戦うウェイトレス姿に着替えた朝比奈さんが挑戦した"ディアボロ"というジャグリングが一番凄かったと思う。

見事なまでのコマ捌きだったのだが、彼女は最後に自分の頭にコマをぶつけてしまい痛そうであった。

朝比奈さんがいつドジっ娘を払拭出来るのだろうか。

今年一年でそれを見せてほしいところであった。

 

 

 

――お花見については以上だ。

兄貴とも特に別れの言葉など言い合ってない。

そんな兄弟関係なのさ。

とにかくSOS団的にはイベントと呼べるような出来事ではあったものの、事件性は皆無。

別に俺は決して事件を求めているわけではないのだが、嫌な思い出ばかり強くイメージされてしまうのが人間だ。

ゴールデンウィークなる休みが完全なる黄金形を見せてくれるかと言えば、大体においてそうではない。

週に二日程度、休みに穴が空く形で平日での活動を余儀なくされるのが普通だ。

この年の黄金週間もそうであった。五月に入ってから火曜水曜だけ登校をするハメになっている。

言うまでもなく登校日がしっかりまとまっているだけありがたい。

もっとも一番ありがたいのは休みが断絶しない事の一点に尽きるが、別に構わんさ。

学校での昼休みは貴重な青春なのだ。

朝倉さんと、俺との。

 

 

「はい、あーん」

 

「……」

 

「どう?」

 

「おいしいよ。ありがとう」

 

「ふふっ」

 

"マタケ"と呼ばれる細長いタケノコの煮物を箸で差し出されたので、俺はそれを口に頬張るとガジガジ噛んでいく。

きっと去年お弁当を作る事を提案してくれた時の彼女は俺の胃袋から落としにかかっていたのだろう。

今となっては絶賛無条件降伏となっているので確かに成果は出ている。

昔はただ単に美味しいだけだっただろう。

しかし、現在の朝倉さんは間違いなく心を込めて料理を作ってくれている。

俺は美食家などではないが俺も心でそれをわかってしまうものだ。

 

 

「みんな料理が上手過ぎるんだよ……」

 

SOS団女子は美人で料理が出来る事が入団条件なのか、そう思ってしまうほどだ。

個人的にはやはり朝倉さんがダントツだとは思うがそんなものは個人の物差しでしかない。

いずれにせよ俺が彼女らに勝てそうな料理品目は炒飯ぐらいだ。

 

 

「朝倉さんは炒飯もそんじょそこらのお店より美味しかった。だけど残念ながら日本じゃあ良くて二番目だ」

 

「あら。一番おいしいのは何処のなの?」

 

「前に言ったはずさ、炒飯なら絶対に負けない。つまりオレが作ったものだ。オレはラーメンと炒飯には煩い。ラーメンに関してはとりあえずの結論が出せたけど、炒飯は駄目だね」

 

前世で俺は"最高の炒飯"を求めて食べ歩きをしていた。

が、お店で出される炒飯では一向に満足出来そうにないので自分で作るようになった。

そこにあるものでは駄目だったのだ。

 

 

「そんな事も言ってたわね。そこまで自信があるなら今度作ってほしいわね」

 

「その時はご期待に添えられるように善処するよ」

 

いつも通りに世間話をしていると、お弁当もぺろっと平らげてしまった。

ご馳走様でしたという言葉がここまで相応しいのは彼女ぐらいだと思うよ。

俺にとってはそうだからいいじゃないか。

 

 

「去年のオレがこの光景を見たら多分卒倒するね。心臓麻痺で」

 

「そんなに驚くの?」

 

無理ないと思うさ。

朝倉さんを隣にはべらせて、喜びながら俺は彼女の髪を触っているのだ。

俺も髪質はサラサラだが朝倉さんほどではない。

長い彼女のお姫様ヘアはしっかり手入れされている。

何より俺が不思議でならないのは、女の子は何故かいい匂いがするという事である。

香水とかそういった類のものではない。

ごく自然に発せられている気がしてならないのだ。

俗に言うフェロモンとやらなのか?

俺の精神が彼女に屈服しないわけがなかった。

 

 

「自惚れなら別だけど、朝倉さんもオレに好意を抱いてくれているんだ。何よりあの頃のオレは朝倉さんを助ければハイ終わりだと考えていた」

 

「無責任なんだから」

 

「まさにその通りだったんだよ。さらっとオレについて自分語りをして、朝倉さんに殺されていても何ら不思議じゃあなかったんだ。偶然の綱渡りさ」

 

「時期が時期よ。クリスマスムードに私はやられちゃったのね。一人で舞い上がって、一人で落ち込んでた。あなたは私の事を何とも思ってないんじゃないか、って」

 

古泉は奇跡だとか何とか言ってたぐらいだしね。

どうでもいいさ。

奇跡でも運命でも偶然でも、どうでもいい。

どれにしても結果は同じ事なんだから。

兄貴の言った通りだ。

昔の俺はさておき、今の俺は死にたいだなんて思わないね。

 

 

「あんまり死ぬのを怖がると、死にたくなっちゃうのさ。だから未来の事を考えるのはほんの少し先だけでいいんだ」

 

この高校生活を乗り切るだけで一苦労じゃ済まないんだ。

悪いけどそういう話はもう少しだけ待っててくれ。

朝倉さんは待ってくれているんだ。

俺だって少なくとも約一名の帰りを待っているんだからな。

ともすれば、明日になるかもしれない。

だが、今じゃあないんだ。

これが無限に続かない事ぐらいはわかってる。

ジョニィ・ジョースターだってあんな能力持ってても死んじゃうんだ。

遅かれ、早かれ。

 

 

「朝倉さんはさ」

 

「うん?」

 

「これから何がしたい、とかってないのかな」

 

俺は残念ながらないいんだよね。

生き急ぐつもりもないけど前世と同じようには生きたくない。

同じ職業をするにせよ、劇的な変化が欲しい。

朝倉さんの大好きな変革ってヤツだ。

 

 

「そうね……敢えて言うなら、旅をしてみたいわね」

 

「旅。どこを」

 

「世界中よ。明智君と、二人で」

 

「これまた大きく出たね。世界旅行だって?」

 

「だって、一度だけでも全部見ておけば充分じゃない。そうすればあなたは知らない場所へ行こうなんて思わないはずよ」

 

なるほど。

行きたい場所がなくなればいいって訳か。

後に残るのは帰る場所だけ。

実に素晴らしい提案だ。

 

 

「なら現地民との通訳は任せるよ。でもって危険地帯では頼らせてもらうから」

 

「情けないわね。せめて私を守るとか言いなさいよ」

 

「もう一度ならず二度三度ぐらい言ってる。"言葉"ってのは朝倉さんも知っての通りロクに使えないツールでね。脆弱性、不完全性の高さときたら」

 

最終的には意味さえ信じられなくなってしまう。

仕方ないさ。

そいつが悪いんじゃなくて、そんなものしか作ってこなかった人類全体が悪いんだ。

お互いに全てを知り合う事なんて不可能に限りなく近い。

だけどゼロでもマイナスでもない。

ミリ単位? いやマイクロ単位なのか?

それでも立つ位置はプラスなんだよ。

 

 

「だからオレは約束したんだ」

 

「……うん」

 

「むしろオレからお願いしたいぐらいだよ。どうかこの情けない男を見捨てないで下さいって」

 

「それはあなたの努力しだいかも」

 

「それは、善処しよう……」

 

「本当かしら? 理解ってのは大変なのよ。目に映るものをしっかり把握して、それでも理解の助けにしかならないの。明智君はちゃんと理解できてるかしら」

 

言葉でなく心で理解しろってヤツか。

知ってはいても、これも中々楽ではない。

どうしても人間は逃げ道を作ってしまうものだ。

偉そうに言ってる俺だってそうさ。

結局、朝倉さんを裏切ってしまった事実は結果として俺の中に残り続けるだろう。

いくら俺が謝ろうと、彼女が受け入れそれに甘えようと、消えやしないんだ。

だからこそ俺は向き合わなくてはならない。

謎なんて明かす必要は無いんだ。

真実なんて俺に必要は無いんだ。

彼女さえ不本意な形で失わなければいい。

余裕が出来た時、他のみんなも含めて俺は守る。

 

――最初から全部守る方向で行く奴があるか。

俺はライトノベルの熱血主人公じゃねえんだよ。

悪運だけでここまで生きてきてるんだ。

幸運補正とかあるわけないでしょ……常識的に考えて……。

 

 

「オレは目に見えないものまで探そうとはしないさ。知った事か。あっちから姿を見せるべきなんだぜ」

 

え? お前はどうなんだ?

破綻したデータベース、情報統合思念体よ。

 

 

「運が悪い事に、オレは知識としてならデータベースにも対応出来る。いくらでも脆弱性はあるんだよ」

 

「……どれだけ困難かしっかり理解して。この地球上にヒューマノイド・インターフェースが何対存在するのか、考えた事はあるのかしら?」

 

「考えるだけ無駄だね。頭を潰せば終わりなんだから」

 

「あなたはそれを本気で言ってしまうから私は困るのよ。そして、本当にやりかねない」

 

「悪く思わないでくれよ。オレはそういう風にしか生きられないんだ」

 

「……信じてるわ」

 

その一言だけで俺は無敵になれるさ。

野郎ってのはそんなもんだ。

単純、馬鹿、頑固。

これを男らしいって言うんだから有機生命体の美学は崩壊してるよな。

やれやれって感じになるよ。

 

 

「さ、そろそろ教室に戻りましょ。授業前、早めに座っておくのが大事なんだから」

 

「アイアイサー」

 

こうして結構呑気して昼休みを終えた俺と朝倉さん。

だが、いつも通りに、放課後にそれは急変してしまうのさ。

一年経ってもそこは変わらないんだよ……。

涼宮さんはね。

 



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第九十三話

 

 

放課後、いつも通りの文芸部室での事となる。

度々キョンに言われている事ではあるが、涼宮さんが何かを思いつく度に。

『俺は聞いていないぞ』

と文句を言い彼女はそれに対して。

『あんたには伝え忘れてたわね』

みたいに返すのがお決まりになっている。

ここまでがテンプレートなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キョンに限らず俺だってそうだ。

いや、涼宮さん以外の団員の殆どが何をするかみたいな話なんてあらかじめめ聞いていないだろう。

自分の頭の中で思いついたらそれが実現されるものだとばかり考えているのだ。

最近ではそれなりな常識を俺たちに見せつけてはいるものの、本質はそう簡単にかわらない。

 

――変わりたい、と思う気持ちは自殺なのさ。

彼女がキョンの後ろの座席じゃなければ少しは変わったのだろうか。

俺の後ろの座席が朝倉さんである事で何があったわけではないが。

とにかく、この日もいつも通りに涼宮さんは遅い。遅すぎた。

トータルで言えば部室には六人だけが集まっている時間の方が長い気がする。

そろそろメイド以外に着替えさせられそうな時期に差し掛かっている朝比奈さん。

彼女はそう言えば、と思い出したかのように。

 

 

「鶴屋さん、親戚の方々にあたしたちが大うけだったって喜んでました」

 

「はあ。俺としては何とも言えなかったんですが……それなら良しとします」

 

「僕の知り合いの手品師に伝授していただいたスプーン曲げ。我ながら中々の出来栄えだったと思うのですが、いかかでしたか?」

 

「……」

 

俺たちにそれを訊ねられても困る。

お前さんよりも長門さんのリフティングの方が凄かったと思うね。

そう言えば、流石に花見の時は長門さんも私服だった。

やや夏を先取りしている感がある服装だったけど彼女らに気候はそこまで関係ないらしいからいいのか。

彼女のリフティングは俺たちが黙っていたら機械の如く何日も続けていただろう。

百二十を超えた頃に流石にもういいと朝倉さんがお達しを下した。

最後にボールを打ち上げると、頭でぽーんと弾いて彼女のかくし芸は終わった。

どちらかと言えば体育会系的な事ばかり披露していた気がする。

朝比奈さんの言葉通りに鶴屋家の方々にうけていたとしても、それは俺たちが芸人集団だと勘違いされているのだろう。

一発芸でもかくし芸でもなく、ただのお笑い芸ではないか。

キョンはお茶を飲みながら。

 

 

「面倒なもんだな……ん、明日も学校がある」

 

「去年だってそうだったろ」

 

「どうせなら全部休ませればいいものを」

 

四、五日休みがあれば祖父母の方にも充分顔を出せると言うものだろうに。

怠ける事しか考えていないのかこの男は。

キョンの日常に勉強が含まれていない事だけは確かなんだろうな。

 

 

「俺みたいな暇人にはありがたくもあるが、それでも休む時とそうじゃない時のメリハリは付けるべきだ」

 

「オレたちにそれを愚痴るのか?」

 

「特に明智や谷口みたいな祝日だろうと予定を埋められるような野郎相手には声を大にして言いたい」

 

「自己責任だろ」

 

「俺だけじゃなくて去年の自分自身にも明智は同じ事が言えるのか?」

 

それを言われたら去年の今頃など俺は朝倉さんとロクに会話していない。

目立つ事を承知でSOS団に入ったのも彼女から変に干渉されたくなかったからだ。

だのに何故朝倉さんまでついてきたんだ。

多少の無茶な要求はまだいいにせよ、簡単に追い詰められるとは甘かった。

学校内では俺に関与しない事を条件として含めるべきだったのだ。

でもそれじゃあ朝倉さんフラグが立たない事になってしまうではないか。

いや、俺は別に彼女にただ死んでほしくなかっただけで他意はなかったし。

……考えるだけ時間の無駄か。

 

 

「知るかよ。オレは都合の悪い事は忘れるようにしているんだ。今があるのは確かに過去の積み重ねだけど、それを切り崩していく必要はない」

 

「お前もお前で自分勝手な奴だな」

 

「自分の主張を他人に押し付けないだけオレは優しいと思うんだけど」

 

古泉と長門さんはアテにならないし、朝比奈さんをキョンにぶつけるのは可哀そうだ。

情けないがここは朝倉さんに助け船を出して頂きたい。

 

 

「そうね……私からすればどっちもどっちよ」

 

「マジすか朝倉センセー」

 

「マジよ。自分が良ければいいのはあなたもキョン君も同じじゃない」

 

「……おい、俺まで自己中心的者呼ばわりされる必要があるのか」

 

そうは言うがお前はもう少し日頃の感謝を表現するべきではなかろうか。

キョンは自分が持つ素直になれない素直さを受け入れてくれる人間を求めているらしい。

だから変な女の子が好みとか言われたりするんじゃあないか?

俺が思うに涼宮さんも佐々木さんも素直じゃないという一点において同じなのさ。

国木田だって言ってたはずだ、似たもの同士なのに好き合っている云々と。

涼宮さんと佐々木さんは得意分野が屁理屈なのか理屈なのか。

二人の女性にあるのはただそれだけの差なのだ。

結果としてキョンは屁理屈の方を選んだんだから多少の理不尽は受け入れるべきである。

 

――俺か?

朝倉さんは色々な要素が入り乱れているお方だから表現が難しいよ。

理屈とか屁理屈とかの問題ではなかろう。

そもそものスタートラインが感情が存在しないって所だぞ。

攻略も何も方法が無いでしょ。文句があるなら挑戦してみろ。

結果として俺は何もしないのが正解だったんだからね。

間違いなく男としては最悪の方針だったに違いない。

それでも、何度も言うように俺は妥協したくなかったんだ。

いくら俺が涼宮さんだったり他の勢力だったりに流される事に慣れていたとしても、だ。

 

 

「オレは自分を受け入れる努力をしている。一昔前はさておき、今はそうだ」

 

「ここのメンツによる俺の評価は今更どうでもいいが、俺は明智のせいで変なごたごたに巻き込まれるのだけは遠慮願いたいね」

 

「まるで前にやられた事があるみたいに言うんだな?」

 

「十二月の一件はお前にも責任の一端があるんだろ。気にするほどでもないが事実として言っておかねばならん」

 

執念深いのか何なのか。

俺はお前があの場に居たのが驚きではあったんだよ。

長門さんは居てくれた方がありがたかったし、朝比奈さん(大)は原作で登場していた。

古泉ら『機関』がアテになるかは別としてもキョンよりは物理的に時間稼ぎくらいは出来るだろう。

 

――"ジョン・スミス"。

あの場に居たキョンが出来る事は切り札を切る事だけだ。

最悪の場合、あいつにそれを使わせる気だったのだろうか。

まさか長門さんがそんな事を仕組むのか?

可能性としては朝比奈さん(大)の方がそれを考えていたんじゃないのか。

何故ならば、原作でキョンを七月七日に飛ばしたのは朝比奈さんだからだ。

朝比奈さんと朝比奈さん(大)では大分立場も異なっているだろう。

今の彼女なんか殆ど事件の蚊帳の外で、仮に巻き込まれたとしても自分が何を成すべきかを理解していない。

藤原と彼女の関係性を解釈したら、やはり未来は分岐して存在している事になるのか。

今日この時まででさえ、俺が別の事を思考しているパターンが存在していたのだ。

こうなると朝比奈さん(大)を素直に信用していいかが怪しくなってくる。

今俺たちと苦楽を共にしている朝比奈さんがそのまま成長したのがイコール彼女なのか?

……いずれ、わかる事なのだろう。

 

 

「わかったよ。オレはキョンに一方的な迷惑をかけない。その代わり、お互いに協力はしようよ。キョンとオレだけじゃあない。ここに居る、全員で」

 

俺の心が曇った時はぶん殴ってくれて構わない。

もしかすると、このメンバは決裂してしまうかもしれない。

未来人も情報統合思念体も『機関』も勢力間での利害関係でしか結びついていない。

古泉、お前さんは勘違いしている。

かつて俺に勢力の中心人物に居るのが三人だと言ったな?

そんな少数なわけあるか。増えていくに決まってるだろ。

朝倉さんが四人目だが高々四人で俺たちは満足しないからな。

組織、損得、保身、しがらみ。

どうして部活にまでそんなもんを持ち込むんだ。

曲がりなりにも俺たちは高校生なんだよ。

 

 

「同盟関係ってヤツさ。かく言うオレの主君は朝倉さんだけど」

 

「情けないわね。明智の名に恥じないように下剋上とか成り上がろうとかってのは無いのかしら?」

 

「やった結果として物凄く嫌な気分になってしまいましたからね……ええ……」

 

「さっさと水に流しなさい」

 

やらないで後悔するよりやってから後悔した方がいい理論は万能ツールじゃないのさ。

何だかんだ対等な関係にはなれたけど俺の根底にあったのは君への憧れだ。

多少のこう、負い目は感じてしまうさ。

気にしないでくれるのはありがたいんだけどね。

 

 

「とにかく、みんなはどうだ? これから先も"してやられる"事は多かれ少なかれあるだろうさ。だのにわざわざ敵を増やすリスクを冒す必要があるのか。今までは暗黙の了解になっていたけど、ここいらで一旦宣言しておくべきだと思ってね」

 

俺が言うのもどうかと思うけど。

別に誰が言い出しても俺の考えは変わらないさ。

言葉に意味はない。だが、約束なら別だ。

約束は前提からして一人じゃ出来ないようになっているんだ。

 

 

 

――詩織。君のおかげだ。

独り善がりじゃ駄目なのさ。

部室のみんなを見渡してみると。

 

 

「いいでしょう。僕もそろそろ頃合いだとは感じていましたが、先だって佐々木さんの取り巻きや異世界人が引き起こした騒動の後処理に追われていたところ失念していましたよ。申し訳ありませんでした」

 

これでいつもの仮面のような笑みを浮かべていたらマジに帰ってもらいたかった。

俺だって少しばかりは人を見る目に自信があるんだ。

心底から古泉は、俺たちに向けてメッセージを伝えようとしてくれている。

年相応の無邪気な笑みでもって。

 

 

「紛れもなく我々『機関』は涼宮さんのための組織だ。以前お話しした通り、それだけなんですよ。自ら戦いを仕掛けるためでも、脅威に立ち向かうためでもありません。そのような事など僕は望んでおりませんよ。当然、涼宮さんもね」

 

「お前、前に一度だけ裏切るとか言ってくれたな。結局古泉は誰の味方なんだ? ハルヒの味方なら必要ないと思うぜ。あいつだっていつまでも子供じゃないんだ。俺も、お前も、言い出しっぺの明智だってそうだ」

 

「……今は涼宮さんの味方を続けさせてもらいます。ですが、独り立ちしなければならないのが涼宮さんの方ではなく我々なのだと言う事は理解しています。そういった意味で"一度だけ"と僕は言ったのですよ。後の事は何一つ考えてません」

 

誰かを信じるのは難しいが、お前さんの覚悟だけは信じさせてもらうさ。

するとおどおどした様子で朝比奈さんが。

 

 

「えぇっと……その……あたしは本当に駄目な人間なんです。命令された事の意味もわからず、それが終了しても自分が正しかったのかどうかがわからないんです……みんなみたいに敵さんをやっつけたりだとか、そういうの全然出来ないんです」

 

「朝比奈さん……」

 

いつもならキョンは過保護な奴だと思うが、今回に関しては例外だ。

今にもこの時代から消えてしまいかねないような儚さが彼女にはあった。

だけど、俺は知っている。

 

 

「あたしに出来る事と言えば、みんなを応援する事だけ……。だからあたしは、みんなの仲が悪くなるのは……嫌……です……」

 

こういった時に便利なのさ。

気の利いた言葉って奴は。

ここは俺に任せてくれよ、キョン。

 

 

「大丈夫ですよ。オレもキョンも、朝比奈さんのお茶が楽しみなんですよ。他のみんなも朝比奈さんが嫌いだと思えませんね」

 

「はっ。当然だろ」

 

「……」

 

「個人的ではありますが、僕は朝比奈さんを傷つけたくはありません。他の皆さんもそうです。僕の身勝手でそうはなってほしくないものだ」

 

「私は明智君に合わせてコーヒーを飲んでいるけど、あなたの淹れるお茶の方が好きよ」

 

そうだったのか。

何だか申し訳ない気分だ。

もっと美味しいコーヒーを用意する、なんて話は後でいい。

殆ど答えは出てるじゃないか。

 

 

「誰も朝比奈さんに戦場に立てとは言わないはずです。もしそう命令されたら教えて下さい。オレが時間の壁でも何でも超えて、上の連中を説教しに行きますよ」

 

「明智くん……みんな……ぐすんっ」

 

女性の泣き顔に見とれるのは不謹慎だけど、こういう時ばかりは許してくれ。

悪い涙じゃないのさ。

――後は君だけだ。

さっさと済ませようよ。

涼宮さんが来る前にね。

 

 

「長門さん」

 

俺の呼びかけと共に彼女が読んでいたハードカバーは閉じられた。

それ、良い本だよ。

何度読んでも本当に笑えるからね。

【比類なきジーヴス】は。

別に彼女がこちらを向いたところで眼鏡がギラリと光るわけでもない。

無表情でも、何も変化はなくても、目に見えないもんなんだ。

理解ってのはね。

 

 

「わたしは与えられた任務を遂行するだけ」

 

ああ。

 

 

「消耗品。天蓋領域との交信も代役が後を引き継いだ。ここに居る端末がわたしてある必要性は左程高くない」

 

わかっているさ。

 

 

「仮にわたしが情報統合思念体に必要とされなくなる時が来るのであれば」

 

みなまで言うな。

ここに居る連中はお人よしなんだ。

俺なんか偽善すら独善の内に含んでいるんだよ。

善行の定義すら無茶苦茶だ。

それを導いてくれたのが涼宮さんなのさ。

 

 

「……その時はわたしを必要としてくれる存在を探すだけ。他の任務を与えられるまで待機する」

 

だから任務じゃないよ。

キョン、ばしっと言えよ。

 

 

「俺の決意表明はどうなったんだ」

 

「最初から要らないって」

 

「どいつもこいつも……盛り上がってるくせによ……」

 

お前だってそうだろ。盛り上がってるのさ。

普段笑わないくせに笑顔だからね。

俺だってきっとそうなんだろう。

うっすらとしているが、朝倉さんだってそうだ。

吸い込んだ息を全部吐き出すかのようにキョンは。

 

 

「長門。お前は俺たちにとってはな、今までずっと必要とされ続けてたんだよ。要らないだとか要るだとか、それを決めれるのはハルヒでもない。お前だけだ」

 

「……」

 

「もういいだろ。自分から爆弾持ち込むような奴は明智ぐらいだ」

 

最後の最後で俺を悪者扱いしないでくれよ。

それも、悪くないけどさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして終わってくれれば本当に良かった。

朝倉さんといつも通り昼休みは甘い時間を過ごしたし、団長不在で団員は結束力を強固なものとした。

俺は別に目立ちたかったわけじゃないけど、なんだか俺のおかげオーラを出す事が出来た。

逆襲のシャアの時のブライト艦長になった気分だよ。

だからこそ、本物の指導者いや暴君には敵わない事を思い知らされるのだ。

 

 

「――お待たせ!」

 

そろそろドアの立てつけに影響が出ても可笑しくないのではないだろうか。

ことあるごとに涼宮さんの手で部室の扉は痛めつけられている。

彼女は随分とお待たせした事など意に介さず。

 

 

「さ、始めるわよ」

 

と言い出して早速ホワイトボードを引っ張り出し。

 

 

「みんな注目! これから新年度第三回のミーティングを始めます!」

 

「……」

 

「ゴールデンウィーク、充分休んだわよね?」

 

また何か思いついたのだろうか。

キョンは聴き洩らしてなるものかと険しい表情をしている。

彼ほどではないが俺だって多少は身構える。

これからみなさんに殺し合いをしろとか言われたくないぞ。

だいたいゴールデンウィークは前半が終了したばかりだ。

休みはまだ残っている。

そんな事も気にせず、ズバズバ水性ペンで書きこんだその文字。

ホワイトボードが本当に白いのかも俺はわからなくなった。

 

 

「市民マラソンに出るわよ!」

 

「マラソンだと」

 

「そ。連休と言えばマラソンじゃない」

 

そんな話聞いたことが無い。

確かにテレビでうっとおしく中継はされているけど。

こちらの有無を言わさず彼女は宣言した。

ああ、やる気なんだよ。

 

 

「天下のSOS団、その団員が怠けて生活するなんて……団長のあたしが許さないんだから!」

 

こうして始まってしまうのだ。

俺が遭遇した出来事の中でもトップクラスに死を覚悟した事件。

"デッドマンズカーブ"の話がね。

 

 



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第九十四話

 

 

さて、"デッドマンズカーブ"について簡単に説明させてほしい。

事件の内容そのものについてではない。

何故俺がその事件をそう呼んでいるのかについてである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは映画の話になるが、アメリカの大学にはそんな名前の都市伝説が存在するらしい。

日本ではなかなか馴染みがないがあちらでは学生寮が充実している。

寮生活が共同生活だというのはご理解頂けると思うが、個室とは限らない。

所謂ルームメイトという訳だがトラブルもなく円満にキャンパスライフを終えられるとも限らない。

喧嘩だとか、一方的な責任が明確になっての離別なら問題ないだろう。

事件性があれば話は早い。

対応の早さがアメリカならではなのかは知らないけど。

事実、日本は先進国の基準としては刑事司法制度が遅れている。

俺がこの世界に来る時でさえ言われていたのだ。

2007年に進歩しているわけがなかった。

 

――"事故"ならどうだろうか。

それも、ルームメイトがどうする事も出来ない類の、突発的な現象。

およそ他人に責任が及ばない最高で最悪の離別。

お察しの通り、"自殺"である。

ケースバイケースではあるものの近しい友人が突然死んでしまう精神的ショックは計り知れない。

俺の場合なんかがそうだったからね。

今は悲しい気持ちなどないさ。託したんだ。

……それはさておき、本題に戻ろう。

デッドマンズカーブとは即ち残された学生への救済措置の一環である。

『ルームメイトが自殺した学生の、その学期の全ての成績にランクAを無条件で付ける』

日本の大学で言えば評定に全て"優"が付くということになる。

公的にそんな制度が存在していたのか? 

俺は事実など一切知らない。

あくまで映画で観た話を思い出しているだけだ。

都市伝説でケリがつく事などSOS団にとっては信用ならない。

 

――信用どころか信頼したところで裏切られるのが目に見えている。

去年の偽UMAの一件で俺は何があってもおかしくないという理不尽を体験した。

よって涼宮さんの思いつきそのものには抵抗などない。

問題はそれに付随する形で、高確率で何か事件事故に巻き込まれてしまうという事である。

危険な曲り道(デッドマンズカーブ)。

何より、死人という意味合いがそこには存在していたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

市民マラソンと言えば聞えは良かったが何て事はなかった。

町内会が開催するような、半ばお散歩イベントじみている催しだ。

開催日はこどもの日ではなく翌日であるゴールデンウィーク最終日の日曜。

総走行距離にして10㎞。

ルートは住宅街の端っこを通り森林公園の外側を通って山道へ行き、折り返して来るというもの。

これならば森林公園で中断してピクニックを始めた方がいいんじゃないのか。

山には近づきたくないというある種の警笛が既に俺の脳内でけたたましく鳴り響いていた。

以上、ホワイトボードにざっくりと書かれた説明と涼宮さんによる補足がプラスされた情報。

 

 

「……つまり、運動不足を解消したいって事でいいのか」

 

こういう場合は変に話を振られない限りは沈黙するのが安定策である。

世間話なら俺だってたまには涼宮さんとするさ。

会議なら別だ。事件は現場で起こっているのだから。

キョンに任せる。

 

 

「だったら市民体育館でも使ってバドミントン辺りでもやればいいだろ」

 

「あんた人の話をちゃんと聴いてた? マラソンやるって言ってるのにどうしてバドミントンが出てくるのよ」

 

「運動神経抜群のハルヒなんかは別かもしれんが、俺はマラソンなんざ出来ない。当たり前だ。まともな経験が無いんだからな」

 

「だったらこれを機に経験を積みなさい。距離は本来の四分の一以下なのよ、10キロなんて初心者向けなんだから。こんなゆるゆるな条件で根を上げてて社会で通用すると思ってんの?」

 

「お前は社会の何を知ってるのかね……ぜひともお聞かせ願いたいよ……」

 

決して口には出さないが同感だよ。

思えば一月に彼女と長門さんは校内マラソン大会で活躍していた。

そして先月のSOS団入団試験の最終項目がマラソンだったろ。

何だ、彼女の中でのマラソンブームが始まりつつあるのか。

10キロマラソンと言えば入門編としてのそれなのだが何の準備も無しに飛び込めるもんではない。

涼宮さんは余裕で一時間切りをするだろうし、五十分、四十分、そこらの壁も容易くクリアしそうだ。

だが入門編と言っても朝比奈さんは間違いなくお散歩だろうしキョンみたいに普通の奴なら一時間からが妥当なタイムだ。

何のために参加するつもりなのか。

優勝したところで町内会から粗品が出る程度だろうに。

 

 

「あたしはどうしてSOS団の知名度がイマイチ広がんないのか考えたワケよ」

 

「ほう、それで」

 

「もう北高校内は征服したと言っても過言ではないじゃない?」

 

「……かもな」

 

「だからよ。そろそろ外に向けて力を入れるべきだと思うのよね」

 

「その思考の末の結論が町内会のマラソン大会に参加だと?」

 

「うん」

 

流石の彼も文句は言えど否定はしないらしい。

そこだけは俺も評価しておこう。

しかしながら飛び入り参加出来るものなのだろうか。

いや、事前登録が必要だとしてもとっくのとうに済ませているに違いない。

それを訊く方が恐ろしいというものだ。

やはりと言うか我先に同意せんとしたのは古泉一樹で。

 

 

「なるほど。確かにこの時期はどうしても少々怠けがちになってしまうものです。僕を含めこの場におられる大半の方が高校二年生なわけですが、"中だるみの時期"と揶揄されるぐらいですからね。五月という出だしの時期だからこそネジを巻きなおす必要はありそうですね」

 

もっともらしい事をよくもぱっと思いつくもんだ。

『機関』の構成員はみんなそうなのか。

それとも古泉の超能力の一環なのか。

彼が涼宮さんの味方をしているという事実は今のところ揺らぎそうにない。

キョンはよほど走りたくないのか。

 

 

「朝比奈さんはどうですか? 俺は無茶だと思うんですが」

 

「あたしはどうせビリだと思いますけど……」

 

「そんな、無理に参加する必要はありませんよ」

 

「うぅん……いいえ、あたしもやるだけやってみます」

 

「よく言ったわみくるちゃん! どっかの誰かさんとは、やると言ったらやる"凄味"が違うのよ!」

 

何だそれは。

凄味があれば目隠しされた状態でも戦えるとかいう超理論なのか。

まあ、朝比奈さんの気持ちはわからなくもない。

彼女なりの意識改革のつもりなのだろう。

キョンもその辺は察したらしく、これ以上の抵抗はやめた。

 

 

「有希も涼子も校内マラソン大会ではかなりの底力を見せてくれたわね。そうは行っても、優勝は今回もあたしが頂くつもりだけど」

 

「……」

 

「私は明智君のやる気次第ね」

 

ここで俺に振ってきますか朝倉さん。

確かにこの流れでは最後が俺になるんだけど、何を言えと。

気付けば全員の視線が集中しているではないか。

ブライト艦長ならこんな視線慣れっこだろうが俺は小物もいいとこらしい。

何やってんの。

しかし、開催日は日曜日か……。日曜、日曜ねえ。

 

 

「オレは日曜の朝と言えばプリキュアだと思うんだけど、たまに駅伝で潰れたりすると『とっととおウチに帰りなさい』ってランナーの方々に言いたくなるんだよね」

 

「明智。一応俺が突っ込んでおくが、今の似てないからな」

 

「そうか。……で、プリキュアに文句があればオレが聴こう。論破してあげるから」

 

もっと言えば俺は自分から文句は言わない、聴くだけだというスタンスである。

ランナーに罪はあるのかどうか微妙だが放送局に罪はあると考えている。

何よりルールが破綻していないのなら競技に罪はない。

マラソン、いいじゃないか。

二時間も三時間もかかるようなイベントじゃないんだ。

適当にこなして打ち上げして解散。

いいじゃないか。

 

 

「ちょっと何言ってるかわかんなかったけど、反対意見じゃないのね。じゃあっ――」

 

涼宮さんが少しだけ俺のメンタルを削ったかと思えばバンとホワイトボードを力いっぱい右手で叩いた。

北高の備品なんだから壊さないであげてほしい。

この部に置いてあるものの殆どが文芸部に関係ない私物なのは今更だ。

その延長線上で学校にあるものイコール私物みたいな方程式が出来上がっているんだろうな。

俺も小学校の時は教材に使うであろう小道具を色々拝借していたが……もう時効だよな?

 

 

「――今の内に各自、しっかりコンディションを整えておきなさい! 最終的な目標は東京マラソン優勝よ!」

 

いくら何でもフルマラソンなら勘弁してほしい。

流石に古泉も苦笑しているように見受けられた。

 

――とにかく、こうして記念すべき新年度一発目の校外活動が実施される事となった。

なんやかんやの一年間にしてはへヴィな出来事だったが。

いや、悪いのは"操る"能力と一緒に消えてしまった"アナザーワン"だ。

もしかして俺はとあるラノベの登場人物なのか?

どうしてここぞと言う時に弱体化させられねばならんのだ。

なんて言ったところで答えは決まっている。

どうもこうもないのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――で、お前ら二人はあれでいいのか」

 

翌日、水曜日。

俺と朝倉さんのキャッキャウフフな登校に水を差したのはキョンだった。

最近こいつはすっかり朝早くの行動が板についてきたのではないか。

涼宮さんにそのやる気をアピールしなよ。

 

 

「俺がそうしてりゃ今回の事態は回避出来たってか」

 

「知るかよ」

 

「知らないわよ」

 

そんなにげんなりした表情をするなら俺たちに声をかけなければよかったのだ。

無視していないだけ慈悲深いと思ってくれよ。

何より言いたくはないが、お前にも責任の一端はあるんだぜ。

 

 

「何だよ。俺の何処に小市民マラソン強制参加の責任があるって言いたい」

 

「忘れたのかしら? あなた先月涼宮さんに妥協案を呑んでもらうかわりに『次に活かせばいい』って言ってたじゃない」

 

「……いくらなんでも早すぎやしないか。鶴屋さんのところのお花見はつい先週の話だ」

 

「去年の夏休みを思い出したらどうかしら」

 

残念だが朝倉さんの仰るとおりである。

週だけで換算すればマラソン参加が来週なので二週間分空いているぞ、良かったな。

キョンは普段から勉強を面倒にしているんだから運動ぐらいは力を割くべきだね。

エネルギーを行方の無い鳥にでもして飛ばしていると言うのか?

それを力が有り余っていると言うのだろう。

 

 

「誰に迷惑をかけるわけでもないんだ。古泉の言う通りに、いい傾向じゃあないか」

 

「少なくとも約一名ここに不満を持つ人間が居る事は忘れないでほしいね」

 

「どうしても嫌ならお前が腹案を出せばいい。真剣に考えてくれると思うけど」

 

「何もしないという選択肢がどうして出て来ないんだ?」

 

現在進行形の坂道登校で体力もそうだが根性もつくはずだろうに、往生際の悪い奴だ。

不登校や学校をフけないだけ偉いとでも思っているのだろうか。

そこまで性根が腐った奴だとは思いたくないからな、俺は。信頼してやるよ。

朝倉さんは恒例の馬鹿を見る目で。

 

 

「終ってから文句を言いなさい」

 

「朝倉、それはハルヒと全く同じ思想だ。悪い事は言わんから考えを改めた方が良いぞ」

 

「余計なお世話だね。オレも朝倉さんも、たかが日曜一日潰れたぐらいで困らないのさ」

 

「だとしても、だ。これに何の意味があるのかが俺にはわからん。走りたいなら走ればいいだろうに」

 

「……あなた馬鹿なの? うん、今更だったわね」

 

今の発言は俺も擁護しようがなかった。

本当はわかっていないはずがないのだろうに、他人から言われるまで認めないのだ。

『普通だ』を免罪符にする主人公にしてはやはり変人だ。

俺みたいな常識的な観念しか持たない人間は主人公になんてなれないらしい。

……いいさ、それで。

だが、当の主人公は心外だといった表情である、

お前は"遺憾の意"しか述べない政治家なのか。

そんな連中にそっくりだ。

 

 

「何が言いたいんだ? 朝倉はこいつと違って、ハッキリ言ってくれると思っていたが」

 

「そのままの意味ね。でも、敢えて言うなら涼宮さんは私たち全員で走る事に意義を見出そうとしているのよ」

 

「本気なのか」

 

「あなたが誰よりも理解しているはずでしょ」

 

男なら潔く投了するべきだ。

球磨川先輩よろしくグッドルーザーだよ。

もっとも俺は、精神が豆腐な割に諦めは悪いけどね。

さながらおでんの具だ。

朝倉さんもおでんは好きだから別にいいよね。

とにかく、これが嫌なら今すぐにでも佐々木さんに乗り換えるべきだ。

まだ間に合うと思うぞ。何せゴールデンウィークが半分残っているんだ。

いくらでもチャンスはあるじゃあないか。

その結果お前が他の連中から敵対する事になっても。

 

 

「オレはお前の味方でいよう」

 

この世界では一人目の親友だから。

何も、誰も、死ぬ事はないのさ。

今日明日にそれを語れるほど俺たちは強くないし、時期尚早だ。

そうだろ……?

 

 

『久しぶりね、"浅野君"』

 

俺の、本当の一人目の親友さんよ。

君は間違いなく正しい人だったさ。

肯定しておく。俺のために。

そしてキョンだって今更そんな話を持ち出す必要はない。

 

 

「明智の気持ちはありがたいが、その必要はねえよ」

 

「誰に強制される必要がないのはお前もなんだけどね」

 

「承知の上だ。余計なお世話だ」

 

だったらもう少しマシな話題で世間話をするように心がけてくれよ。

俺だってつい最近わかったんだからな。

それでも過去の自分を引きずってしまうのさ。

どうしようもなく、俺は人間なんだ。

 

 

「変わりたいだとか変えたいだとか、オレにとっては必要ないと思うんだよね。二人はどうかな?」

 

「たかだか高校一年の出来事にしては荷が重すぎだぜ」

 

「ふふっ。いいじゃない」

 

「悪いとは言わんさ」

 

中学校時代の涼宮さんは、確かに現実がつまらないものだと考えたんだろう。

だからこそ非日常の世界を介在させるようにした。

俺や朝倉さん、そして宇宙人未来人超能力者。

情報操作はさておき普段の生活では特別役に立たないようなスキルを持つ連中ばかりだ。

そう言った点で"異次元マンション"はある意味破格の性能だが、今は封印中。

振り返ると役に立たない方が多かった。これからもきっとそうだろう。

 

 

「これはある人が言ってたんだけど、面白いマンガを描くにはリアリティが必要らしい」

 

リアリティ。

それってつまり現実だろ?

なら現実が面白いっていう意味なんだ。

日常はつまらないけもしれないけどね、現実は面白い。

涼宮さんはそれを理解してくれたんだ。

心で、目に見えない形で。

 

 

「オレにはさっぱりさ。でも、SOS団の集まりが解散したとしても音信不通にはなりたくないね」

 

「……そうだな」

 

「私は明智君と一緒だから、そこまで関係はないけどね……?」

 

「あん。お前らの視線が期待の眼差しに見えるのは俺の気のせいなのか」

 

グリム版の【眠れる森の美女】じゃないんだから。

100年も涼宮さんを待たせてやるなよ。

せっかちかもしれないが、期待してるのさ。

 

 

 

――そうさ。

結論から言うと今回の事件だってどうにかこうにか事なきを得た。

人間はそこにあるもので満足しなければならないんだろ。

ようは気持ちの問題だ。

答えなんて多分ない。

でも、弱い俺でも強いと勘違いできる。

それでいいのさ。

 

 



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第九十五話

 

かくして驚くほどあっさりその日は訪れた。

開催する事で誰が得しているのかもわからないようなマラソン大会である。

ん? 日曜日までどうしていたのかだって?

申し訳ないがそれは今回の話とは何ら関係がない。

機会があれば詳細はお話しするとしよう。

 

――何て事はない。朝倉さんと幸せに過ごしていただけだ。

本当に特筆すべき事などなく、その日に向けて特別何かしていたわけでもない。

草野球大会の時とは違い個人プレーでいいらしい。

きっと同じ出来事を体験する事に意味があるのだろう。

同じ時間を共有し続ける事は難しいが、同じ思い出を共有し続ける事なら誰にでも出来る。

間違いなく涼宮さんは"いい傾向"だろうさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日曜日。

雨ならば中止になっていたはずだ。

残念な事に清々しい晴れやかな天気であった。

現地集合が十時までで開始が十五分。

もっと遅い時間でもいいだろうに、十二時が近くなれど多少の空腹は無視出来る。

因みにこれは全くSOS団とは関係ないのだが小学生向けのいわゆる"こどもの部"なんてのも無駄に存在している。

区分けするぐらいならこちらをハーフマラソンに設定すればいいのに管理が面倒なのか。

こどもの部の開催は午後かららしい。

一応触れておくがキョンの妹は参加しない。今日来てもいないからね。

何より住宅街の端っこと言えばこれまた聞こえがいい。

実際問題人の気配が普段はまるでない一本道に俺たちは立たせられていた。

 

 

「はぁ、しょうもねえ……」

 

ジャージ姿でそんな事を呟くキョン。

草野球大会の時と同じで全員ジャージ姿。

他の参加者でじいさんランナーなんかもジャージではあるが、俺たちは学校のだぜ?

男子は青で女子は赤。そんな集団が計七名。

陸上部だと勘違いしてくれる人がこの中にどれくらい居るのか。

正確な人数は不明だが概算にして五十名六十名程度。

俺に言わせると集まった方だと思う。

何故ならば昨日今日でしっかりしたマラソンイベントなどこの県に限らず近隣で開催されている。

ガチのランナーさんならばこんな所で油を売らないというものだ。

団体で参加しているのなんて俺たちを除けば地元の消防団員らしきおっさん集団だけ。

他は皆おっさんおじさんおねえさん(?)おばさんである。

 

――同世代ゼロ。

残念ながら当然の結果と言えよう。

なんて事を考えていると背中をつんつん突かれた。

 

 

「ねえ明智君、私たちってどうするべきなのかしらね?」

 

「……」

 

宇宙人二人組だった。

彼女らが何を言いたいのかは察しがつく。

涼宮さんがこのマラソン大会に優勝が可能な実力を秘めているのは今更だ。

しかしながらこの二人とて本気を出せばフルマラソンぐらいわけないのだろう。

地球人と競わせるのが間違っている。

 

 

「そういうのはキョンに訊きなよ」

 

「長門さんが訊いたらあなたに訊けって言われたそうよ」

 

少し離れた所に立ち尽くす無責任野郎を睨む。

こっちの様子に気付いたらしいが直ぐに目を背けやがった。

MIKURUフォルダの生殺与奪はまさに俺次第だという事を忘れるなよ。

亜空間にバラ撒いてやるからな。

 

――それにしても何て可愛いんだ。

誰か?

愚問だ。

朝倉さんだ、決まっている。

俺にその属性は無いはずなんだけど今日の彼女はポニーテール。

未来の朝倉さん2パターンを踏まえた上で見るとやはり見慣れているだけあって今のが一番だ。

いや、決して朝倉さんが劣化していくと言いたいわけではない。

未来の朝倉さんを愛するのは未来の俺の仕事であって今の俺の仕事ではないのだ。

そういう意味だよ。

勘違いされたくないので言っておくさ。

因みに長門さんは眼鏡を眼鏡バンドでくくりつけている。

裸眼でもいいと思うんだけどそこは既に拘りと化しているらしい。

俺が眼鏡が云々という台詞を今更彼女に言う訳にはいかないしな。

 

 

「好きにしたらいいじゃあないか」

 

「……」

 

「明智君が思う長門さんの"好き"って何なの?」

 

「それは一人で決める事さ。この前の校内マラソンのリベンジを果たすもよし、準優勝に終わるもよし、キョンのように一時間タイムで終わるもよし」

 

言っておくと俺はそうするつもりだ。

一時間で走破するだけでも大したものだと思ってほしい。

フルスロットルで行くなんていくら平素から運動してても無理無理。

素人だし馬鹿は馬鹿でも体力馬鹿ほどではないし。

take it easy(落ち着いて行こう)って事さ。

 

 

「……了解」

 

俺の話をどう判断したのか長門さんはそう一言残すとその場を離れていく。

各自の定位置は抽選で決められているのだ。

ガチでやる人にしか関係ないけど。

何の宿命か朝倉さんと俺は並んでの位置関係になっている。

おい、君インチキしただろ。

 

 

「いいじゃない」

 

「これも今更か……」

 

何だかたった一年なのにもう十年近く朝倉さんとは付き合っているかのような気分だ。

昨今の中高生カップルは一年続くだけで記念とか何とかレアケース扱いされるそうじゃないか。

俺にはその神経がよくわからない世界だ。

乗り換えを批判するわけではないが、朝倉さんに対する想いが一朝一夕のものではない事は確かなんだ。

こんな駄目人間代表の俺でも頑張れるようになるんだ。

消失世界に逆戻りはしたくない。

仮に同じ状況俺と同じ関係の朝倉涼子がいる世界へ飛ばされたとしても、俺はここがいいんだ。

彼女に対して嘘はつきたくないし、出来る限り本当の事を言いたい。

だから。

 

 

「別にオレと一緒に走らなくていいよ」

 

「あら」

 

「朝倉さんと走るのが嫌だって言ってるわけじゃあない。でも、オレの実力からして涼宮さんに勝てないのは事実でね」

 

「ふーん」

 

「オレの分まで走ってよ。そして優勝してくれるとありがたい」

 

朝倉さんだって負けず嫌いなのは知ってるよ。

だからこそ、今回は本気を出すべきなんだ。

涼宮さんだってその結果を真摯に受け入れるだろう。

先月の入団試験もそうだった。

 

 

「オレは彼女が悔しがる姿を見たいのさ。君に打ち負かされる事でね」

 

「……悪趣味じゃないかしら」

 

「それだけ朝倉さんに肩入れするって事だよ。好感度なんかいらないさ、君の分だけあれば」

 

「もう。そんな事言われちゃ、おめおめと負けてあなたに慰めてもらおうだなんて思えないわよ」

 

「完璧に勝つ。だろ?」

 

「そうね。……じゃあ私が優勝するから何かプレゼントでも考えておきなさい」

 

あいよ。

別に、結果だけ求めているわけじゃないさ。

朝倉さんが涼宮さんに勝とうとしてくれるその姿勢だけで充分だ。

去年だったらそんな事、まずなかったのだから。

"結果"の積み重ねだってそれが過去の産物ならば"過程"なんだ。

物事の片方の面だけを見るのはやめるべきなのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうこうしている内に市民マラソン開始のスターターピストルが発射された。

ホイッスルでいいのに、そんな所にも無駄を感じてしまうのは俺の悪いクセなのか。

とにかく宣言通り朝倉さんは優勝するつもりらしく、俺の左横からすぐさま前方へ向かって消えて行った。

いずれはSOS団女子三人のデッドヒートになるのだ。

他の連中にはどう見えているのかね。赤ジャージの女子高生がぶっちぎりな状況ってのは。

俺だったら恐ろしくて二度と走れなくなってしまうかもしれない。

それなりの速度を維持しているのは俺と古泉ぐらいだが、その俺だって今回ペースを上げるつもりは毛頭ない。

キョンと朝比奈さんは恐らく更に後方に居るのだろう。

彼らに負けない程度でいいのさ。

ランキングにしてSOS団の中では五位だ。

走りきる事に意味があるというマラソン特有の言い訳をさせてもらうとするよ。

 

 

「最近の若いもんは凄いのう……」

 

おじいさんのそんな呟きが聞こえたような聞えなかったような。

とにかく住宅街を抜け、森林公園付近まで進んだ頃には既に二キロ以上は進んでいるはずだ。

タイムなど自分で計測していないが、ランナーがまばらになり始めているのだけは見受けられる。

折り返し地点まで辿り着く頃にはギブアップまで行かなくとも徒歩移動の人も出てくるだろう。

俺は日頃の苦労もあって少しの苦労で行けそうだ。

決してきつくないわけではないが、本物の念能力者の修行に比べてみろ。

フルマラソンですらノミ以下なのは以前説明した通りだから。

 

――それにしても10㎞か。

前世で俺が通っていた高校は電車通学だったけど、ちょうど自宅から10㎞とかそこらの距離だった気がする。

もっとあったかもしれないが正確な距離なんて確かめてはいないからね。

今思えば詩織は俺の家のほぼほぼ隣に家があった。

幼馴染であり、家族ぐるみの付き合いみたいなもんだった。

それで俺と同じ高校に進学したんだぞ、あいつも。

もしかしなくても詩織は俺に付いて来たんじゃないのか?

言うまでもなく他にいくらでも近い高校なんざあった。

俺がわざと遠い所、しかも特別偏差値が高いわけでもない所を選んであいつも同じ所を選ぶ。

そんな偶然あるわけないでしょう。

 

 

「……馬鹿か」

 

俺の"ブレイド"の能力であの世界まで行けるかはわからない。

もし俺が浅野の様子を窺い知る事が出来て、未だに情けない有様ならその時はどうしてやろうか。

涼宮さんなら確実に死刑宣告だろう。

昔から俺は鈍感野郎だったと言うのか。

むしろ昔の俺が鈍感だっただけなのかもしれない。

バレンタインだって毎年何かしらくれていた――ようやく思い出したがあいつのせいで俺はシュークリームが嫌になった――んだ。

あいつは俺の事がずっと好きだったんだ。

馬鹿は死ななきゃ駄目みたいだ。

どうしようもないな。

 

 

 

 

――なんてノスタルジックな思い出に浸れるのもこの時ぐらいだった。

森林公園を横目に山へ近づいて行く途中でSOS団三人娘の姿が対向車線から見受けられた。

三人とも眼が恐ろしい。何より一番恐ろしいのは、平然とこの三人がトップ争いをしている事だ。

彼女らの後ろに迫る人影は未だ存在しない。

予想していた光景ではあったが現実のものとそうでないものとは雲泥の差。

人間にしてこのパフォーマンスの涼宮さんが恐ろしいね。

その涼宮さんに追いついていた佐倉詩織が一番恐ろしいのでは。

彼女がSOS団に在籍していたらと思うと俺は本格的に修行の日々を送るべきだ。

一日一万回、感謝の正拳突きでも何でもしないと俺の立場がなくなってしまう。

最初からそんなものがあったのだろうか、いや、ないのだろう。

 

 

「……」

 

通り過ぎる時に、長門さんがちらっと俺を見たような気がする。

何かの決意表明なのだろうか。

とにかく宇宙人二人は好きにしていいさ。

SOS団らしさが何なのかは定義されていないが、部活動としてはそれらしい事をしているじゃないか。

一時の平穏が永遠のものとなるのが俺の願いなのさ。

 

――そしてそれは唐突に訪れた。

最初からいい予感はしていなかったと言い訳させてくれ。

何を隠そう因縁の場所まで俺は足を運んでいたのだ。

もう直ぐ折り返し地点という場所……そこはいつぞや周防と戦った峠の曲り道。

周防は今や俺たちと敵対などしていない。

トラウマじみた感覚も思い出だと割り切ろう。

何て、思って曲り道の中腹までやって来たその瞬間。

 

 

「――うぉっ」

 

一歩先へ踏み出したその瞬間、突如として俺の身体は浮遊感を覚えた。

それもその筈であろう事か俺は"落ちている"のだ。

道路と道路の間にいつの間にか出来ていたクレバス。

目の前には地面の断層か何かだろうか。壁のようだ。

通常では何をどう考えても考えられない。

明らかに誰かによる攻撃だ。

 

 

「ん、な」

 

こうして俺は叫び声を上げる事さえままならず、ただただ落ちて行った。

まるで地獄まで飛ばされるのではないかと思えるぐらいに長い時間。

それは俺の意識が途絶える事でようやく終焉を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ここは」

 

次に眼に映った光景は地獄でも何でもない。

草むらの中だ。顔に当たる感触と目の前の緑でわかる。

気が付くと俺はどこかに飛ばされていたらしい。

とりあえず上体を起こす。

 

 

「山か? 森か? どっちでもいいが……」

 

日中だという事実だけを考えると本当に飛ばされただけなのかもしれない。

だが、何かしらの手段によって外界から隔離されたと考える方が俺にとっては自然だ。

辺りを見渡す。自生している木と草むらだけ。

俺の住んでいる街かもしれないし、そうじゃないかもしれない。

とにかく行動あるのみだった。

 

 

「……さて」

 

まずい事になったわけだ。

これが攻撃だとして、俺を狙った行動なのは明白。

時間経過の概念があるかどうかも怪しいが、俺の体力に限界があるのは確か。

当面の問題は俺の自衛能力が大幅にダウンしているという一点。

人類的強さランキングで言えば俺は下には位置しないと思うが攻撃手は異端者。

宇宙人と想定するのが手っ取り早い。

今の俺はまず勝てない。

 

 

「何でこういう時に限って手ぶらなのかね……」

 

俺が何かを"切る"には刃物が必要らしい。

何故かは知らない。そうだと解るからとしか言いようがない。

古泉の言い分と同じだ。

そして市民マラソンにナイフを持ち歩く奴が居るか?

居ないだろ。そんな事したら逮捕だ。

せめてカッター程度でもあれば空間を切る事は出来る。

……だけど、切れるだけだ。

これは一つの例えだが、想像してみてほしい。

目の前にいい大きさのホールケーキがあったとしよう。

それを食べたい大きさに分けるには入刀する必要がある。

で、それを切る。

俺が能力で出来るのはそこまでなんだ。

ケーキとケーキの間に少し隙間が空くかもしれないが殆ど変化はない。

ケーキはそのまま残り続ける。輪郭だけでいえばホールケーキのままだ。

"操る"という能力はその切ったケーキを皿に動かす事を意味する。

つまりいくら空間を切り裂こうと、それをこじ開ける事が今の俺には出来ないわけだ。

だから"異次元マンション"等の能力が行使出来ないのだろう。

どうにもこうにも、使えない能力だった。

 

 

 

――そして。

無人の住宅街でマラソンを再開する俺。

謎の男と一緒に。

 

 

「どうしてこうなったんですか!?」

 

「うむ。私にもさっぱりわからん!」

 

「オレを助けに来たんじゃないんですか!?」

 

「キミは私を神か何かと勘違いしてないかね! とにかく今は走り続けるのみだぞ!」

 

現在俺たち二人はとにかく走り続けている。

否、逃げ続けているのだ。

後ろから決して早くはないが確実に迫り来る集団。

何? 無人の住宅街じゃなかったのかって?

俺は嘘はついてないよ。

呼吸を必死に続けながら、同行者の男は現状をあざ笑うかのように。

 

 

「キミも"奴ら"のエサにはなりたくあるまい!」

 

「くっ、当たり前じゃないですか!」

 

そろそろ体力的にもきつくなり始めた俺が一体何から逃げ続けているのか。

生憎と後ろを振り向く余裕さえもないから覚えている範囲の特徴を述べよう。

黒くただれたボロボロの肌、血走った赤い眼光、言語すら発せられない状態で奴らは徘徊している。

俺のような生者の血肉を貪るためだけに。

そうだ。

 

 

「どうして、はぁっ! ゾンビに追われてるんだ!」

 

「決まっておる! 奴らは腹を空かせているのだよ!」

 

白衣で白髪のくせに俺とそこまで歳の差がなさそうな同行者の青年がそう答えた。

そんな事ぐらい言われなくてもわかっているって。

俺が知りたいのは実行犯とあんたの正体だ。

 

 

「うむ。私は今世紀最大の魔術師と呼ばれることになる予定の男だ! 覚えておくがよい!」

 

……『やれやれ』って言うのにはまだ早いよな?

それは全部が解決してからだ。ちくしょう。

とにかく、ゾンビとの遭遇は今から数十分前の出来事であった――。

 

 



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第九十六話

 

 

信じたくない事に、俺が飛ばされていたのはあろう事か山道であった。

山に対する思うところは後程俺の中で散々文句を言う事にして現状分析が大事だ。

これが富士の樹海ならばここが現実世界であれ詰んでいた。素人には無理。

道なりに進んでいって見慣れたけものみちに出れたのは不幸中の幸いか。

何を隠そう市民マラソンのルートを更に進むとぶち当たる場所だったからだ。

そうこうしている内に俺は舗装された道路にまで戻る事が出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現実世界だと信じたい光景ではあるが、峠道を下っているのにも関わらず一向に人に遭遇する気配がない。

いくら何でもおかしい。市民マラソンのルートにまで復帰して来たんだぞ。

折り返し地点と思われる所には何も置かれていないし、誰も立っていない。

考えられるパターンとしては違う時間軸に飛ばされた、あるいはやはり外界から隔離された空間か。

前者の場合はよほど未来に飛ばされていない限りどうにかなるだろう。

四年前より昔には時空断層の影響で不可逆な状態になっている。

よって宇宙人は少なくとも過去には存在するのだ。

未来であっても多少今より先ぐらいならば誰かしらアテに出来るだろうさ。

 

――問題は後者。

外界から隔離された異空間の場合である。

少なくともこの山一帯はテリトリーだった。

行動可能な範囲がどこまでなのかは要検証ではあるものの、宇宙人の能力にしては凄すぎる。

これで街まで行って変化が何も無かったらと思うと恐ろしい。

情報制御下とやらにしても一人でここまでの情報操作が可能とは考えられない。

犯人が存在するとして、単独ではなさそうだ。

 

 

「"印"を付ければチャンスはある……」

 

俺の現在持つ能力でここから脱出するのは不可能だ。

空間を切った所で何も動かせないんだから。

だが空間の断裂そのものは確かに存在し続ける。

今、現実世界がどうなっているのかは不明だが朝倉さんぐらいは俺を助けようとしてくれるはずだ。

空間を切れば俺の位置を示すサインになる。

狼煙になってくれるのを期待しようというわけだ。

 

 

「とりあえず刃物をどうにかして調達しないと――」

 

何て物騒な事を考えている時であった。

峠も下りきるかと思われた道路の真ん中で、人が倒れている。

その人物には見覚えがある。

別に何を知っている訳ではないがマラソン大会の参加者の一人だ。

グレーのジャージを上下に着込んだじいさん。

首にはタオルと頭にはキャップ。

そんな人物がうつ伏せの状態で放置されていた。

 

 

「――大丈夫ですか!?」

 

直ぐに駆け寄る。

何だ。ここは現実世界だったのか?

あるいはこのじいさんも巻き込まれたのか?

いずれにせよ、無事を確かめなければ。

脈を測ろうと右腕を掴んだ時、俺は驚愕した。

黒く変色……明らかに皮膚が腐敗している。

恐る恐る直接手首に触れてみるが、人肌の温もりなど感じられない。

触れた場所はぼろっと崩れてしまう。

 

 

「……何だよ……ふざけやがって………」

 

地面にキスしている彼の顔を確かめる気にはなれなかった。

間違いない。死んでいる。

白骨化も時間の問題だろうよ。

 

 

「……ちくしょう」

 

誰が彼を殺したんだ。

俺の視覚が正確ならば彼と地面の様子から出血は見受けられない。

身体中を探ってはいないから不明だが、外傷も見受けられない。

いくら普段人通りが少ない場所とは言えど車ぐらいは通る。

だのに数日間も道路のど真ん中に死体が放置されるのか。

ここは日本だ。そんなわけあるか。

彼は何らかの手段で殺されてしまったんだ。

ある意味では俺のせいなのか。

それとも、俺はキョンの代わりにこの状況を味わっているのか。

"スペアキー"として。あいつの不幸をおっ被っているのか。

急速に自分の身体が冷えていくのを自覚した。

俺はこの感覚を知っている。体験している。

 

――無駄な感情の一切が排除されていく。

彼を埋葬してやる時間などない。

俺が正義だ。

俺が生還すれば他などどうでもいい。

必要なのは朝倉涼子だけだ。

仮に涼宮ハルヒが犯人なら、俺は彼女を殺すだろう。

わけない。

完全に機械と化す、その寸前。

 

 

「あ、あ、う」

 

「……何?」

 

直ぐに住宅街へ向かおうとした俺の後ろから、何か呻き声のような音が聞こえた。

そして次の瞬間に俺は後ろを振り向くよりも優先してその場から右サイドステップで緊急回避。

すれ違いざまに襲撃者が何者かを察知した。

 

 

「まさか」

 

「うぁ、う」

 

勢いあまってそいつは前のめりになって転倒する。

さっきと同じ、うつ伏せの状態で。

その襲撃者――死んでいたはずのじいさん――はゆっくりと再び立ち上がる。

いつ崩壊しても可笑しくないその身体で。

 

 

「死人が起き上がるなんて思いもしなかったよ」

 

「……あ、ぁ…」

 

じわりじわりと、肩に力など入れず手をぶら下げた状態でこちらに近づいて来る。

俺の認識が正しいかは別として俺はあれを"ゾンビ"と判断した。

本来のゾンビが持つ宗教上の意味合いはさておき、彼の顔を見れば俺の言いたい事もわかるさ。

顔面は既にボロボロ。開きっぱなしの目は角膜混濁によって白く染まっている。

死体が動けばそれはゾンビだろ。

何より俺に襲い掛かかってきたわけだ。

 

 

「……死人に口なし。悪く思わないでくれ」

 

やがてじいさんゾンビが俺に掴みかかろうと動きに勢いを付けたその一瞬。

次の瞬間には彼の頭がその身体から消えていた。

打撃面だけを身体強化した上段回し蹴り。

俺に蹴られた衝撃によって、そのままそいつは今度こそ崩れ落ちた。

 

 

「野郎……」

 

実行犯がノコノコ出て来る事は期待しちゃいない。

まずはこの不利なフィールドから出る。

それが先決だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言おう。

住宅街へ向かったのは下策だった。

ゾンビがそこかしこに居る。

俺は森林公園方面まで引き返すべきだったんだろう。

死者の誘いとはよくぞ言ったものだ。

俺は深みにはまっていくかのように住宅街を進んでいった。

気が付けば目の前のゾンビを回避しつつ、後ろに追ってくるゾンビから逃げる羽目に。

刃物を確保するどころではない。

地面にナイフなど都合よく落ちているわけないのだから。

 

 

「まずった……」

 

まさに時間の問題。

恐らく俺の後を追うゾンビは十体ではきかない。

一体二体を始末するのであれば、俺の罪悪感との戦いで済むが多勢に無勢。

全身強化が出来れば別だ。ゾンビ相手ぐらいは無双出来たかもしれない。

強いパンチや強いキックが放てたところで、数の暴力には負ける。

身体の一部しか強化出来なければ俺の運動性能がアップしないからだ。

コンマ秒単位で戦闘出来たあの頃が懐かしい。

現状でゾンビ集団の相手をすれば取り囲まれてお終いさ。

アテもなく逃げ続ける……やばいな、心が折れそうだ。

自分から折るつもりなどなくても折られてしまってはどうもこうもない。

 

 

 

――そんな状態で、十字路に差し掛かった時だった。

右方向から気配がする。

まだ諦めるわけにはいかないので迎撃しようと力を右手に集中させ、水平に右腕を振るおうと――。

いや、その攻撃は俺自身の手で中断させられる羽目となってしまった。

 

 

「待ちたまえ! 私は人間だぞ!」

 

「……何だって…?」

 

なんて事を抜かしながらこちらにやって来た野郎。

白髪でロクに手入れもしていないのかボサボサな頭。

白衣を纏っているが医者にはとても見えない。

しかも、どさくさに紛れて一緒に逃げるつもりらしい。

 

 

「ほれ。旅は道づれと言うではないか!」

 

この世界に情けがないって部分だけは同感だった。

以上、回想終わりである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かくして本日第二回目のマラソンに興じているわけだ。

しかし、こんな変質者と出逢ったところで何が変わると言うのか。

怪しさ満点のこいつが犯人なのか?

 

 

「違うぞ。私はキミを助けに来たのだからな」

 

「オレを、助けに……だって」

 

だったらあいつらを何とかしてくれないなな。

ここに来るぐらいなんだから只者ではないのだろう。

現在の俺よりは戦闘能力があるはずさ。

それなりに高い身長のそいつは。

 

 

「私とて奴らを殲滅したいところではあるが、生憎と、万全ではないのだよ」

 

一体全体何の話だ。

俺なんか万全どころか十全じゃないね。

とにかく助けに来たって言うからには助かるアテはあるんだろうな。

そろそろマジにきついんだけど。

 

 

「ここを抜けて暫く進むと、中学校があるのだろう?」

 

「……はぁっ、それが……?」

 

「キミは知らないようだから教えてあげようではないか。今日は全ての始まりの日なのだよ! 望まぬ形で、狂わされてしまったがね」

 

意味がわからない。

だが、こちらの方向を進み住宅街を抜けた先にある中学校とはあれだ。

涼宮さんの出身校……東中学校。

全ての始まりの日だって?

俺にとっては世界の終わりみたいな光景なんだが。

しかし、この男にすがるぐらいしか選択肢が無いのは事実。

空間を切ったところで朝倉さんがいつ救援に来てくれるか定かではない。

彼の作戦的な何かが駄目だった場合は奴らの餌になってもらうさ。

俺はならないからな。

 

 

 

――それから数分後、ようやく東中に辿り着いた。

肩で息をするとは今の俺の状態さながらだ。

ある程度はゾンビを引き離せたらしく、多少の有余はあるだろう。

校門にもたれかかり、俺よりは余力がありそうな男を見る。

 

 

「……で、あんた、何者だって?」

 

男はこの状況の何が楽しいのか笑みを浮かべている。

自称インチキ占い師とか何とか名乗ってたな。

落ち着く余裕があるなら真面目に答えてくれやしないか。

 

 

「私はいつも真剣そのものだが」

 

涼宮さんみたいな事を言うのに、古泉みたいな振る舞いだ。

人を不快にさせる要素を混ぜるとここまで危険になるのか。

女だから許されるみたいな風潮は実在するのさ。

 

 

「私は宮野秀策。第三EMP……と、言った所でキミには通用せんな。とりあえずキミの敵ではない。そう判断したまえ」

 

「敵ではない、ね。……だったらあんたは何しに来たんだ。オレを助けるだとか言われても、まずオレにはこの状況がさっぱりなんだよ」

 

「ここがキミの居た場所ではない事ぐらいは理解できるはずではないかね? 旅先だ。些細な逸脱は見逃されてしかるべきだろう」

 

「ゾンビを些細呼ばわりするかね……」

 

何より小休止をするためにこんな所に来たと言うのか。

プランがあるならとっとと教えてくれないか。

この状況の背景は後でたっぷり聞かせてもらうとするさ。

宮野秀策は首を振り。

 

 

「状況確認が出来るのは今ぐらいだぞ。私とキミは別々の世界の住人なのだ。事が済めば二度会う事など暫くはないだろう」

 

暫くだと?

まるでまた会う事がわかるみたいな言い草じゃないか。

別世界云々といい、未来人なのだろうか。

時間がもったいないからこの事件の黒幕だけを教えてほしいね。

後はこっちで対処するさ。

 

 

「ほう。随分と頼もしい発言だが、その必要はないぞ。何故ならばこの現象を引き起こした人物……"犯人"と呼ぶべき明確な個人は存在しないのだからな」

 

「……はあ? あんた何を言っているんだ。オレは確かにここへ飛ばされたんだよ」

 

「甘いぞ黎くん。それは単なる結果でしかない。重要な事項は『何故、起こってしまったのか』だけなのだよ」

 

何故俺の名前を知っている。

助けに来た、といいどうにも怪しい。

俺を殺すだけならばチャンスはあっただろうが、こいつに裏があるのも事実。

宮野秀策とて本名とは限らない。

 

 

「私がキミの名前を知っている理由か。実は、私の世界でのキミは私の二番弟子に当たるのだよ」

 

「何の師弟関係だ」

 

「魔術師としてに決まっておろう」

 

「手品師の間違いか? 一番弟子じゃあないだけありがたく思っておくかね……」

 

「キミも確かに大切だが、私の後を継ぐのは茉衣子くんの役目だからな」

 

誰だよそいつは。

お前さんは信用されるに相応しい態度ってのを勉強してほしいね。

 

――しかしながら状況を整理する事ぐらいは出来そうだ。

この空間あるいは世界が俺の住む場所と異なるのは彼の言う通りだろう。

ならば何故起こったんだ?

犯人の不在証明もそれに関連するのか。

全部嘘だって言ってほしい。

 

 

「もういいさ、結論は自分一人で出せるから。あんたはここから脱出する方法を知っているんだろ?」

 

「いかにも」

 

「教えてくれ」

 

「よかろう。……時に黎くん。キミは絵を描くのが得意かね?」

 

「……人並みには」

 

得意かどうかで訊かれると俺は自分の美的センスを信用していいのかが不明だ。

かと言って下手だとは思いたくないし言いたくないので無難な返答をする。

満足そうに頷きながら宮野秀策は。

 

 

「では、創作的図画工作の時間と行こう!」

 

これまた意味不明な事を叫んだかと思えば学校の敷地内へ入っていく。

何だかだんだんと嫌な予感がしてきたぞ。

俺程度の予想などあっさり外れると思うが、一応確認しておこう。

 

 

「まさかとは思うが、ラインカーでグラウンドに地上絵を描け……なんて言わないよな?」

 

「ご明察だ。遁走するには実に惜しいが私は自分の命の方がもっと惜しいのだからな」

 

「……あんたは今、何月何日かわかるか? ここ、ゴールデンウィークにしちゃ暑い気がして来たんだけど」

 

「2003年7月7日。私のスケジュール帳にはそう書かれている」

 

それがどんなスケジュールかはさておき、何となくわかってきた。

涼宮さんがこの件に無関係かどうかは知らないが、未来人は関係しているはずだ。

朝比奈さんか、(大)の方か、藤原か、もしくは新たな登場人物なのか。

何にせよ俺がやる事は日中にも関わらず無人の中学校でお絵かき。

こちらにゾンビ連中が押し寄せるのも時間の問題で、この敷地内にも既に潜んでいるだろう。

 

 

「もう一つ教えてくれないか」

 

「何かね」

 

「オレがここに来るのは決まっていた事なのか?」

 

「私にはそれを決める権利などない。同時にそれを知り得る術もない」

 

「なら何故あんたはオレを助けに来たんだ。というか来られたんだ」

 

「私に言えるのはお互い運に見放されておるに違いないという事だけだな」

 

俺にとっては今更だな。

そしてこれからもそうなのだろう。

今回ばかりは、神の悪戯と笑ってもいられないんだが。

……それとも他に居るのか?

涼宮さんと同格、もしくは上の存在が――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――明智君!」

 

本当に頼むからさ。

何なら一生のお願いでもいいんだぜ。

 

 

「ここにいて」

 

俺を引き留めないでくれ。

直ぐに帰って来るんだからさ。

 

 

「私がそう思うだけじゃ足りない!? あなたが存在する理由には不足かしら……?」

 

……まさか。

そんなに無茶な話でも何でもないんだよ。

いわゆる『勝利の方程式は全て揃った』ってヤツなんだ。

やっと、やっとなんだ。

ようやく俺は勝てるんだよ。完全勝利だ。

今まで敗北もせず、そのかわりに勝利も得てこなかった俺が。

この世界に来るまで自分を勝者とも敗北者とも結論づけなかった俺が。

ただ一人、君のために役目を終えるのさ。

とても晴れやかな気分だ。

嘘みたいに空は暗いけどやっぱり嘘だからね。

やがて晴れるさ。

 

 

「……馬鹿」

 

知ってる。

でも、それも今日で終わりさ。

知ってるかい?

俺の名前の意味を。

"黎"だけじゃ駄目なのさ。ただの闇だ。

"暁"になるには朝の光が無いと駄目なんだ。

そうさ、君がここにいる限り。

 

 

「オレは、ここにいる」

 

 



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第九十七話

 

グラウンドの隅っこにある体育用具倉庫には鍵がかかっていなかった。

てっきり俺は職員室辺りまで乗り込む必要があると踏んでいたばかりに驚く。

だが、この宮野秀策はその状態を嘲笑うかのようにあるいはそれが当然だと言わんばかりに。

 

 

「どうしたのかね? 不思議な顔をしおって」

 

倉庫の中へ侵入する。

あっさりとラインカーおよび石灰補充のための袋を確保した。

とりあえず一安心だって?

そんなわけあるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オレに何を描けって?」

 

アニメの笹の葉回は観たが地上絵の造形など覚えていない。

覚えていたとしても再現する事なんてほぼほぼ無理と言える。

涼宮ハルヒとジョン・スミスだからこそ出来た事だ。

異世界人認定されたりなんかしている事もある原作キョンだが、俺も彼と一緒だとは思えない。

もっと言うとそろそろやばい。

確実に、じわりじわりと死体の群れが押し寄せてくる。

ゾンビの恐ろしさってのは増えるところにあるんだろうな。

肝心の宮野秀策は。

 

 

「吸血鬼のマガイモノならば相対した過去があるが、屍生人との邂逅など初めてでな。私にも勝手がわからん」

 

「あんたの経歴はどうでもいいから題材を教えてくれ」

 

「……"ハチドリ"、と言われてキミにはピンと来ないかね?」

 

俺の今思いついたそれであってるかどうかはわからないけど。

地上絵でハチドリと言えばあれしかない。

誰もが一度は目にした事があるはずの超有名な地上絵。

"ナスカの地上絵"の一つだ。

 

 

「これまたどぎついオーダーじゃあないか。無理だ」

 

「何、キミが好きなように思い描けばよいのだ。ただし小さくては駄目だぞ。最低でも50メートルは縦横共に確保せねばならんからな」

 

「じゃあ適当に描くからな」

 

そうして俺は必死にラインカーを押して走る。

呼吸こそ整えられても体力が戻るわけではない。

アップアップになるのは直ぐだろうさ。

それでもどうにか身体にムチを入れて走らせる。

 

 

「早くしたまえ! 校門の突破も時間の問題だな!」

 

何を楽しそうに言っているのか。

申し訳程度の防火壁として校門は鉄製の門を閉じ、押された程度では開かないように鍵をかけた。

とは言え他にも侵入経路などある上に、門と言っても壁の役割までは果たしてくれない。

やがて迂回もするだろう。壊されることはないだろうが、追い詰められるのは時間の問題だった。

 

 

「はぁ、くぅ、……おらっ!」

 

何とか鳥の体裁を保とうとしている俺の地上絵作成は石灰を補充する必要なく完成した。

車輪が錆びついているポンコツラインカーを蹴飛ばす気力も湧かない。

で、これじゃ駄目なのかよ。

俺は自分の地上絵の全体像をグラウンドからは窺い知れないがハチドリよかアヒルみたいな出来だと思う。

涼宮さんほどではないがこんなものが描かれていたら騒ぎになるのは間違いない。

騒ぐような生者はこの場に俺ともう一人しか居ないが。

 

 

「待ちたまえ。今、始めよう」

 

宮野秀策はそんな事を言い出すと石階段の上でじっと地上絵を見つめ始めた。

すると、俺の足元の白線上を急に暗い光としか形容できないブラックライトが顕在し始める。

そしてそれは歩くような速度で絵に沿うような感じでグラウンドを這う。

もしかしなくても地上絵の白線全てを発光させる必要があるのか?

冗談じゃない。 

既にグラウンドに何体も侵入されている。

これからどんどん増えていくぞ。

 

 

「遊撃はキミに任せよう!」

 

「ふざけんじゃねえぞ!」

 

「私に同じ事を二度言わせるつもりかね!」

 

や、野郎。

確かにいつでも真剣だとか言ってたな。

なら今度会う事があれば覚えておけよ。

俺は少なくともこの恨みを忘れはしないからな。

姿勢をしっかり垂直にし、足を肩幅に。

すぅぅとゆっくり息を吐きながら腰の位置に置いていた両手の拳をゆっくりと上に持って行く。

腹筋に力を入れ、体内に残された微かな空気さえ排出するように力強く吐き出す。

 

 

「カー………ガ、ガ…」

 

そして息を大きく、自分が吸える限界まで一呼吸の内に吸い込む。

すぉぉぉおおと空気が歯にあたるような呼吸音。

持ち上げた両手は交差しており顔の高さまで上げている。

最後に吸い込みを終えると同時に、全身に力を籠め、一気に息を吐き出しながら両手を下していく。

 

 

――コォォーーーッ

 

呼吸を無理矢理整えた。

極真空手の"伊吹"なる呼吸法である。

とりあえずあがいてみようじゃないの。

近づいて来る夏らしいラフな格好をした男ゾンビを蹴り飛ばす。

多対一でシステマを活用出来るほど俺は達人ではない。

そもそもが防御の技術なのだ。

こういう場合はがむしゃらに攻めた方が効果的で、これがベストだった。

 

 

「はあっ、しっ!」

 

手当たり次第に獲物に接近していき、なるべく一撃で刈り取るように心がける。

頭、もしくはどてっ腹を吹き飛ばす。

返り血なんかは今更気にしない事にした。

あっちに戻ってから考えればいいんだよそんな事は。

 

 

 

――やれるもんならやってみろ。

俺は最初から目の前の存在どもを人間として判断してはいない。

倫理、道徳、背徳、邪魔する要素は一切なかった。

今度こそ俺は機械と化していた。

殴る、蹴る、の攻撃は戦闘技術が伴った行為などではなく、ただの暴力。

機械の行動は自らの状態など関係ない。

意思が存在しない。

披露する事はあれど、実行する限りにおいて疲労は意識しない。

今か今かと、その時が来るまでインファイトを断続的に行っていく。

しかし、俺が始末する速度よりも連中がやってくる速度の方が消化の割合的に早いらしい。

この街の住人全員が生ける屍と化したと言うのか。

次第に一撃必殺の精度さえ落ちていく。

気が付いた時には俺の背後にも居たらしい。

どうやら、仕留め損なった奴が俺に復讐しに来たんだろう。

残念とも思わない。

ただ、ここまで――。

 

 

「今すぐ伏せたまえ!」

 

そんな宮野秀策の叫び声に、どうにか反応する事が出来た俺はしゃがみ込む。

すると何かが俺の頭上を通過したらしい。

俺を囲もうとしていたゾンビは右方向へと吹き飛ばされていった。

その様子を確認した疲労困憊の俺は後ろの詐欺師に向かって。

 

 

「はぁ……はっ……な、が……万全じゃあ……ないだ……」

 

「ふむ。キミの言いたいことは察しがつくぞ。私の秘力についてであろう。元々後衛向きの能力なのを度外視しても、この世界において私は本来の実力を発揮できない。今のとて時間稼ぎ程度の威力しか持たん」

 

「……で……後…なに、すんだ」

 

「ついて来たまえ」

 

そう言った宮野秀策はグラウンドの地上絵まで先導していく。

やがてブラックライトをまたぎ、絵の中にまで入ると。

 

 

「ちょうどこの場が鳥の胴体部分にあたるのだが……まあ、見ておれ」

 

すると彼はその場にしゃがみ込んで、地面に右手を付けた。

彼の右手からもブラックライトが発生しているらしく、異様な光景だ。

ともすれば俺がロッカールームから何かを取り出す時の動作と似ている。

そして。

 

 

「――輝く御名の下、地を這う穢れし魂に裁きの光を雨と降らせん、安息に眠りたまえ……」

 

なんて中二病チックな事を呟いたかと思えば、勢いよく右腕を地面から離す。

まるで何かを引き抜いたかのように腕は水平に構え、手には確かに何かが握られていた。

波打つように歪曲した、刃幅が10センチほどありそうなサーベル。

どう見ても"刃物"と認定できる代物だ。

宮野秀策は立ち上がり、そのサーベルを物珍しく眺めながら。

 

 

「随分とお待たせしてしまったな」

 

「……何だ、それ。……変な形をしているだけの、サーベルじゃあないか。刃渡りだって40センチあるのか?」

 

「有象無象のためだけに私は難儀していたわけではないぞ」

 

難儀したのはこっちの方だ。

いいから、それで何をするのか説明してくれ。

まさか俺が空間を切って終わりとは行かないだろう。

 

 

「説明しよう。これはかの高名な"聖(サン)・ジョルジュ"がドラゴン退治の際に振るったとされる聖剣……ということになっている。真実なのかかどうかは知らんが」

 

「セント・ジョージはただの殉教者じゃあないか。ドラゴン退治だって創作だ」

 

「キミがそれを確かめたのかね? 自らの五感、いや第六感を総動員させてみたと言えるのだろうか」

 

「その刃物よりも、あんたのどこが真剣なのかが疑わしいね」

 

"アスカロン"だか何だか知らないが精々が巨大ナイフ程度の役割しか果たせそうにない。

たかが武器一つのためだけに俺は死ぬ気で働かされたのか?

やってられない。

 

 

「なに、そう言うでない。やっとキミの能力の出番なのだからな。このような状況であれば周囲の目など気にする必要もなかろう。安心して振るいたまえ」

 

「オレについて何をどこまで、とは今更気にしないが……連中を切ったところでキリがない」

 

「ギリギリ不正解だ。キミには確かに切ってもらう必要があるのだが、それは奴らでも、この空間でもない」

 

「……何だよ…?」

 

「本当は自分が一番わかっておろう」

 

徹頭徹尾あんたは無茶しか言わないのか。

一、二分もしないうちにまた囲まれてしまう。

早く教えろ。

 

 

「自分を切れ」

 

……何。

 

 

「どういう事だ、説明しろ」

 

「実の所我々は実体を伴っていない。精神体だけが時空の狭間に取り残されている状態でな。この世界とのパスを切れば戻れるのだよ」

 

またその手のパターンか。

他人に憑依しておいてほいほい出て行けるもんなのか?

その辺どうなんだよ、昨今の業界事情は。

周囲を見渡すと四方八方から押し寄せて来ている。

宮野秀策は俺に押し付けるようにサーベルを突き出すと。

 

 

「間に合わなくなっても知らんぞ」

 

「オレを切れだって? あんたはどうするつもりだ」

 

「案ずるでないぞ。別に、アレらを倒してしまってもかまわんのだろう?」

 

残念だがそれは死亡フラグだ。

俺に何一つまともな情報を与えずに退場するつもりなのか。

信用も信頼も出来そうにないが、さっきは彼に窮地を救われた。

見殺しにはしたくない。

俺の様子に首を振りながら。

 

 

「……まだまだ弟子は弟子と言う事か。私を失望させないでくれ」

 

得体の知れないゴツい刃物で切腹だと?

俺は明智であって織田じゃないんだ。

馬鹿馬鹿しい、ああ馬鹿馬鹿しい馬鹿馬鹿しい。

もういい。

どの道ここで奴らに食われて死ぬなら先に死んでやる。

宮野秀策からサーベルをぶん取り、左手で逆手に持つ。

 

 

「先に地獄で待ってるからな……」

 

「また会おうではないか」

 

「ちくしょう」

 

そして俺は勇ましく叫びながらサーベルを自分の胸に突き立てる。

瞬間、鋭い痛みをゆっくり味わう羽目になり意識も次第に薄れていく。

何とか自分の胸をちらりと見る事が出来たが、血は流れていない。

嘘だろ。

 

 

「我々の能力は肉体ではなく精神に宿るのだ。そのプロセスは常に精神に起因し、キミの能力である"真相を――」

 

まるで自分が風化していくような感覚。

下半身からそれはやって来る。

ふっ。

そうだな。

原作の朝倉さんもきっと、似たような感覚だったんだろう――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

肩を掴まれているのか。

とにかく身体が揺さぶられている。

 

 

「――おい、君、大丈夫か!?」

 

しゃがれた男性の声。

聴き覚えはない。

徐々に意識を覚醒させ、瞼を開ける。

すると、俺の右側には。

 

 

「う、うわぁっ!?」

 

見覚えのあるジャージのじいさん。

キャップを被り首にはタオルをかけている。

俺が始末したはずの人だ……生きていたのか?

彼は俺の様子を見て。

 

 

「落ち着かんか。どれ、この指が何本に見える?」

 

「……二本、です」

 

「わしは何歳に見えるかの?」

 

「……六十歳かどうかですかね」

 

「かっか! まだまだ頑張るもんじゃのう。わしは今年で七十四じゃ」

 

それは驚きだ。

筋骨隆々ではないものの、ひょろひょろでもない。

顔のシミこそ年齢を感じさせるがシワだらけではなかった。

ボケているとしたら俺ではなく彼のほうだろうが、その心配もないらしい。

視線をぐるりと周囲に向けるとどうやらバス停だった。

倒れた周防を俺が運んだあの場所だ。

今度は俺が待合席に寝かしつけられる羽目になったってわけか。

 

 

「ど真ん中で倒れている君を発見した時はたまげたぞい。慌ててここまで運んだが、直ぐに起きてくれて一安心じゃの」

 

「じいさん一人でオレを?」

 

「昔から、鍛えておるからの」

 

顔こそ似ても似つかなかったが俺の死んだ祖父さんを思い出した。

ま、何はともあれ戻って来たわけだ。

どう見てもこのじいさんはゾンビ面をしていないし、気温もさっきよりは暑くない。

まさに五月といった穏やかな空気が流れているのだろう。

よっと、木製の待合席から立ち上がる。

その様子に驚いて。

 

 

「平気かの? 棄権して病院に行った方がいいと思うのじゃが」

 

「ご心配なく。連休で遊び疲れてただけみたいです。ゆっくり歩いて行きますから……どうぞお先に行ってください。ストレッチでもして、少し落ち着く事にします」

 

「そうか。じゃあわしは行くが……本当に大丈夫か?」

 

「もしもの時はまた誰かのお世話になりますよ」

 

「遠慮だけでなく無理もせんようにな」

 

そう言うと彼は立ち上がり、バス停に一人取り残された。

さて、屈伸から始めるか……。

 

 

 

――その後、汗を額に浮かべながらのろのろ峠を上っていく朝比奈さんと合流した。

バス停はマラソンのルートから外れているのでじいさんにとってもタイムロスだったろう。

とはいえ健康目的でやっているに違いない。

キョンも朝比奈さんにべったりついていないあたりは人間が出来ている。

自分との戦いに慣れ合いなんて不要だ。

俺が近くに居る事に気付いた朝比奈さんは。

 

 

「あれ? こっちは行きの車線ですよ、明智くん」

 

「正直なところ今日は体調がそこまで優れてなかったんで、小休止を何度も入れていたんですよ」

 

「へえ……あたしが言うのもなんですけど無理はしないで下さいね」

 

「善処します」

 

その後、やや駆け足の俺に対し散歩の朝比奈さんは次第に距離が空いていき折り返し地点に付く頃には彼女の姿は見受けられなかった。

対向車線に走路を変更して折り返す。朝比奈さんとすれ違ったのはそれから三分後の出来事になる。

どうにかこうにか俺がゴール地点に辿り着いた頃には一時間も三十分が見えようかというタイム。

朝比奈さんはラストスパートで全力疾走したおかげだろうか。

ビリではあったものの参列者一同から拍手喝采を一身に受けていた。

必死になるという事は平和的な場に限り素晴らしい事なのだとしみじみ思うね。

そして、有意義かどうかも怪しかった俺のマラソンは終了した。

 

 

「あなたはどこで美味しい道草を食っていたのかしら?」

 

表彰式とは名ばかりの拍手のかけあいが終了し、俺たちはファミレスに直行する事となった。

時刻は現在十二時四十六分。

お腹がペコちゃんな時間帯である。

 

 

「後で話すさ……」

 

「何かあったの?」

 

「オレにもよくわかんないよ」

 

前方は涼宮さんをはじめとする五人が練り歩いている。

大会を終えたばかりだと言うのにも関わらず、涼宮さんの後ろ姿は熱意が感じられた。

まるで、このまま終わってなるものかと言わんばかりにね。

 

 

「それに、言ったはずさ。オレの分まで走ってくれって」

 

「ええ」

 

彼女はいつになく満足そうな笑みを浮かべている。

賞状やら商品――SOS団ご用達の商店街で使える金券――は郵送されるらしい。

二日三日もすれば届くだろうさ。

何を隠そう、今回優勝したのは朝倉さんだったのだから。

 

 



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異世界人こと俺氏は動きたくない
第九十八話


 

うすらぼんやりとしているうちにその日は訪れた。

ゴールデンウィークが明けて数日が経過した日の話になる。

俺にとっては全くと言っていい、本当に至極どうでもいい話なのだがしておかない訳にはいかない。

いや、ある意味ではこれも前フリだったのだろう。

涼宮ハルヒの燻っているハートに火を灯すには充分な出来事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"デッドマンズカーブ"の全貌を俺が知るのは、それこそもう知らなくてもいいぐらいに後の話となってしまう。

ともすれば夢なのか現実なのかすら曖昧な話であり、事実キョンからは。

 

 

『変な本の読みすぎなんじゃねえのか』

 

と心無い一言をお見舞いされたが俺とてそれを明確に否定できないのだから困る。

宇宙人未来人超能力者全員に訊いても誰一人として心当たりなど無いらしい。

つまりは俺一人だけしかそれを証明しようとする人間が居ないのだ。

夢にしてはあんな内容であるのが謎だ。

確かに俺は普段夢を見ないが、あんな意味不明なもんなのか?

宮野とやらは俺が無意識の内に作りだした空想の人物なのだろうか。

だとしたら悪趣味だし、やっぱり朝倉さんに助けてほしかった。

 

 

「もう……まだ気にしてるの?」

 

「そりゃあね」

 

五月某日。

今日は金曜日で明日は休みだと言うのにも関わらず俺は夜遅くに朝倉さんの部屋に居る。

休みだから、だろ? いやいや違うから俺の話を聞いてくれ。

妙な期待をしないでほしいが別にやましい事をしようだとかそういう話ではない。

そりゃあソファに座りながら朝倉さんの膝枕を堪能している俺は間違いなくやましい人間さ。

一つずつ言い訳させて頂くと、膝枕されているのはさっきまで彼女に耳かきをしてもらっていたからだ。

その名残ということでご容赦願いたい。

そして何故時計の針も午後二十二時を指しているこの時間帯に彼女の部屋にいるのか。

……まあ、これからわかるさ。

 

 

「いやあ、本当に時間の流れが速い気がするね」

 

「そうかしら」

 

「朝倉さんは違うって?}

 

「あなたに随分とお待たせされちゃったもの」

 

もうそろそろ勘弁してくれませんか。

先月の一件はなるべく忘れようとしているんですよ。

お互い様と言う事で手を打ちましょうぞ。

と、思ったが今までの殆どにおいて俺が10:0ぐらいで悪かった。

例外としては彼女がキョンを待ち伏せてた事だろうか。

それさえ未遂なのだから。ううむ。

ここはやはりどうか特別御社を。

 

 

「むーり。私と交渉したいなら頭をどかしてしっかり向き合いましょ」

 

「残念ながら難しい相談だ」

 

「どうして?」

 

どうもこうもありませんことよ。

以前女子の匂い云々といったいかにも変態的な事を俺は思っていた。

だけどこの膝枕……太ももの感触は耐えがたい。

俺は現在耳かきが完了した体制のまま水平方向に顔を向けているわけだ。

それを、こう、ぐいっと彼女の太ももにうずめたくなるぐらいにそれは犯罪的だった。

全身凶器とはまさに彼女のためにあるのか。

 

――今更だが俺はよくこんなお方相手に半年耐えていたな。

いや、その反動で俺は今おかしくなっているのか?

心が洗われていく感覚さえ覚えてしまう。

俺も超能力者連中よろしく朝倉さんを信仰しているに違いない。

だが宗教は興さんぞ。独占至上主義なのだよ。

俺の様子を見かねて呆れた朝倉さんは。

 

 

「いつまでもこうしていたいのはわかるけど、今日はこれからやる事があるのよ」

 

「正直な話、行かなくてもいい気がしてきたんだよね……」

 

「そうは言っても明智君はSOS団創立時のメンバーじゃない」

 

「発起人のキョンが来ないとかぬかすのはどう考えてもおかしいって」

 

「私じゃなくて彼に文句を言いなさい。まだ起きてるだろうから電話するのは今の内ね」

 

と言っても俺は動かん、動かんぞ。

何故動かんと言われたところで結局ジ・Oは動かなかったんだから。

実にいい。

 

 

「オレは動きたくないね……」

 

「嘘よ。涼宮さんの次に動き回ってるのは間違いなくあなたなんだから」

 

「どういう認識をされているのかな、オレ」

 

「今でこそ涼宮さんを取り巻く勢力は現状維持以外の方向性を見せ始めてる。でも結局、急な変化にヒトは耐えられないのよ。何でか知らないけど」

 

きっと彼女の本音なのだろう。

ああ、自分ってのは確かに四パターンあるさ。

俺は俺が思うほど堕落した人間じゃないのかもしれない。

少なくとも朝倉さんがそう言ってくれるんだ。

否定する必要なんてないさ。

なんて格好悪い体勢でカッコつけた俺に対して。

 

 

「最初から思ってたけど、明智君はキョン君にそっくりね」

 

「……何だって?」

 

「どうりで"鍵"の代用なんて言われるわけだわ。考えてる事とやってる事が一致しない事ばかり」

 

「この場合、オレとキョンのどちらが失礼な思いをするのだろう」

 

「彼もたいがいだけどあなたもそう。変な子を好きになっちゃうなんて」

 

「まさか。朝倉さんのどこが変だって?」

 

美人だとか料理家事が得意だとか、そんな事二の次でしかない。

俺を好きになってくれた。

ただそれだけのために俺は君の傍に居たいと思える。

結果論。それもいいじゃないか。

 

 

「そうね。涼宮さんの周りは全員変人、いいえ、キョン君やあなたの周りだってそうよ」

 

「こいつは……グレートな結果論ですね」

 

「だってあなたが私の見てくれだけに惹かれていたならこうはならなかったじゃない?」

 

「いや、案外そうかも知れないさ」

 

俺も他人もわからない第四の自分。

そいつが君の見た目だけでしか判断しないようなクズなら、俺がクズって事だ。

じゃあ消失世界へ飛ばされていなければ俺はどうなっていたんだ。

"どう"って言葉は本当に厄介なんだ。

だからこそあいつは会話を面倒に思ってこんな口癖になっていたのだろう。

俺もそれを受け継いだ。

あいつの事を俺は忘れていなかったのさ。

これからも。

 

 

「朝倉さんを妥協したくなかったのは確かなのさ。だけど、あのままズルズルと惰性で生活していなかったのかと言えば怪しい」

 

決断を放棄したつもりはない。

その判断材料として俺はこの世界で生きる意味が欲しかった。

なあ。それって見つかるもんなのか?

一人だけで考えて出せる結論なのか?

そんな事をいともたやすくやってのける人種を"主人公"って呼ぶんだろ。

キョンはそうだ。

俺は違う。

似てるわけないだろ。

 

 

「……嬉しかったわ」

 

とても優しい声だった。

俺の顔の向きからだと彼女の表情は見えない。

これは勝手な想像でしかないが朝倉さんは笑顔なんだろうさ。

 

 

「だって……だってあなたを好きだって気付いてから、すぐあなたに告白されたのよ」

 

「オレも似たようなもんさ。朝倉さんを好きだって気付いた時には我を忘れていた。何の考えもなかった。勢いに任せただけ。もしかしたら告白さえしてなかったかもしれないヘタレなんだよ」

 

「誤魔化さないで」

 

わかったよ。

今動きますとも。

上半身を動かしてようやく普通のソファに腰掛ける体勢になる。

そういやこれも最近気づいた事だ。

朝倉さんが俺の左側ばかり占領していた理由さ。

結構、効果的だね。

別にサウスポーに限らずとも、利き腕側にばかり立たれると困るものだ。

気づかぬうちに精神的優位に立たれていたらしい。

俺は正面を向きながら。

 

 

「俺だって嬉しかったさ」

 

きっと朝倉さんは俺に特別な何かをもう求めてはいない。

涼宮さんが次第に、破天荒な性格から普通の女の子になっていく傾向と同じ。

と、考えるんだろうな。

俺は違う。

俺は最初から機械だとか端末だとか、彼女の人間性を否定する要素は認めたくなかった。

いい傾向も何もあるかよ。

朝倉さんは最初からそうだった。

彼女を欠陥品と呼ぶなら好きにすればいいさ。

人間が欠陥品だって事、俺が言うまでもないだろ。

 

 

「人類と対話しても無駄さ。少なくとも、情報統合思念体は永遠に進化出来ない……ものをわかってない限り」

 

「去年の私が馬鹿みたい」

 

いや、変革の余地は確かにある。

涼宮さんがまさにそうだ。

彼女が変化するその先に何があるのか。

 

 

「能力云々で語ってる限りは、無知なのさ」

 

小物は小物らしくやらせてもらおう。

地球人をなめないでほしい。

 

 

「言葉に意味はない。だからあなたは約束してくれた……でしょ?」

 

……その通りだ。

上っ面の言葉だけじゃ対話なんて無駄なんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、残念な事にこのままいい雰囲気になってあれよあれよな展開にはならなかった。

それもその筈でこのまま一日が終わってくれるのであれば俺はこの日について語る必要がない。

面倒な事に少々出かける必要があった。しかも、真夜中に。

既に申し上げた通り俺が居る必要がそもそもないのだが、そこは朝倉さんが言った通りだ。

SOS団の団員である以上無関係ではないのだから。

二人そろって分譲マンションを後にすると、目的地を目指していく。

因縁の地と化しつつある駅前公園である。

そして、既に他のメンバは集まっていたようだ。

 

 

「どうも今晩は」

 

朝比奈さんと長門さんを横に並べて両手に花の古泉。

彼はまるでコンビニ帰りかのような気さくさでこちらに会釈した。

 

 

「やっぱりキョンは来ないのか?」

 

「ええ。てこでも動かないそうですよ」

 

「……」

 

「あいつが元凶みたいなもんなのにね」

 

解説役は古泉と長門さんで事足りるし、朝比奈さんは役目がある。

俺と朝倉さんはただの見学係である。

古泉の手には包装された小さな箱とメッセージカード。

 

 

「早速ですが参りましょう。のんびり行けば丁度いい時間になると思いますよ」

 

ここぞとばかりに仕切って副団長らしさをアピール。

そういや俺が放送局長の時は後輩が可愛そうであった。

ちっとも本気を出さなかったのだ。俺が。

リーダシップの才覚だってあったはずだし、話術だけを評価されたようなもんだ。

そのちっぽけな実力すら出さずに怠けていた。

生徒会ほどではなかったけど。

出せる余力をわざと出さないまま生きるのは駄目だね。

たまには発散させる必要があるらしい。

 

 

「一年、か」

 

――そう。

もう少しで金曜から日付が変わるこの土曜日はSOS団結成一周年の日。

四月のキョンが涼宮さんの部屋に侵入するという一大事があるらしい日だ。

何はともあれ俺たちが援護に行かないとキョンはどうしようもなくなる。

サプライズでゴリ押すからには団員全員の方が説得力があろう。

付け加えると、キョンは誰一人欠けず自分の応援に来てくれたのを見ているらしい。

つまり俺たちの集合はいわゆる既定事項だそうだ。

それにしても。

 

 

「珍しい集まりだよ」

 

「……」

 

「ほんと、そうですね」

 

「この五人で行動するというのは中々ありませんでしたので」

 

「気にするほどの事かしら?」

 

何となく思っただけさ。

異端者五人。

宇宙人宇宙人未来人異世界人超能力者。

一般人からすればこれだけでそうそうたるメンバに違いない。

ほぼ同時にこの中で一番小物なのも俺に違いない。

涼宮さんはさっさとただの人間に興味を持ってくれるとありがたいね。

俺で異世界人なら世界が百人の村だとしたら一割以上は異世界人になってしまう。

やはり異世界屋の方が適切なのだろうか。

しかしヤスミンは俺を異世界人として涼宮ハルヒが呼んだと言っていた。

よってここは堂々と"異世界人"を名乗らせてもらうさ。

 

 

「気にするさ。だって珍しいって事は不思議に繋がるかもしれないんだから」

 

「流石、先輩団員なだけあるわ」

 

しかしながら一年の後輩団員が正式に加入するのかは疑問だ。

なんやかんや涼宮さんはそれを欲していないみたいだった。

彼女が欲しているものはとても単純さ。

 

 

 

――今日で終わらせないのがもったいない。

やがて涼宮さんの家の前にやって来た俺たち異端者五人。

古泉がプレゼント――中身は俺たちも知らない。キョンが用意したものを預かっている――を涼宮さんの部屋の窓へ軽く朴り投げる。

やがて彼女とキョンが窓から顔を出す。どうやら涼宮さんの部屋は二階らしい。

少しばかり待った後。

 

 

「……みんな…」

 

何とも言えない表情で玄関から出てきた涼宮さんが俺たちを見つめる。

キョンは状況を完璧に把握していないが、上手くやったんだろう。

ここまでお膳立てしておいてあいつは結論を出していないのか?

勢い余って終わらせてばよかっただろ。

俺がその手の話題に関して偉そうに言えないのは自覚してるけど。

 

 

「……ありがと。今日はもう遅いから。また、来週ね」

 

俺はとくに彼女と話さなかった。

こちら五人で話をしたのは古泉ぐらいだろう。

制服姿のキョンもこちらにやって来て、あっという間に俺たちの仕事は終わった。

ここに来た事に意味があるんだ。いいのさ。

そういう事で。

 

 

「それで。ここは俺が居た時間から約一ヶ月後という訳だ」

 

「そういう事になります」

 

住宅街を後にしながら徒歩移動。

このまま解散だ。

どうでもいいけど今回俺は抜け出すのに一苦労したんだ。

設置済みの入口出口に関しては"異次元マンション"を駆使して移動出来る。

当然、俺の部屋から朝倉さんの部屋までの直通は未だ存在しているので楽々行ける。

そんなわけがない。

操る能力がない弊害で、力技でどうにかこうにか穴を広げで俺の身体を久しぶりの異次元マンションへと入れたのだ。

ただ切っただけの空間相手ではこんな事など出来ない。

恐らく"切って操る"工程を一度済ませているからだろう。

某フィールドをこじ開けるかの如く、腕を酷使した。

出る時は普通に難なく出れたけど入口は本当に一苦労だ。

 

 

「とにかく、あちらの僕たちが後は全て説明してくれますよ。事実そうしましたので」

 

「明日の自分に丸投げってのはよくあるけど、過去の自分に投げるのは斬新だよ」

 

「……知るか」

 

古泉と俺の態度に彼は呆れた様子だ。

呆れたいのはこっちなんだけど。

とにかく彼は元の時間へ戻る必要がある。

実際、キョンは今自宅に居る事になっている。

というか居るのだから。

彼を帰すために朝比奈さんが同行していたというわけだ。

そして、朝比奈さんとキョンは別行動。

直ぐにでも始めるのだろう。

 

 

「達者でな、兄弟」

 

「いつから俺は明智と兄弟関係になったんだ」

 

「気にするな……オレは気にしない」

 

気にする必要は確かになかった。

何故ならば気にするまでもなくそれは始まっていた。

初期微動にしてはやたら激しい振動。

それがこの前のデッドマンズカーブ事件。

これから続くのさ。

激動の日々は。

 

 

「では、僕はここで失礼します」

 

古泉とも別れ、今度は俺が両手に花である。

俺一人が持つには少々重すぎやしないだろうか。

長門さんも同じ分譲マンションだ。

必然的に最後はこの三人での移動となるのさ。

 

 

「一件落着にしては何事もなかった気がするよ」

 

「そう言う明智君はいつも何かを気にしすぎじゃない?」

 

「だと、いいんだけどね」

 

「……」

 

疑ったばかりだから人に疑われてしまう。

兄貴がよくそんな事を口にしていた。

前世といい、この世界といい。

相変わらずに破天荒な人物で安心出来ない。

それでも。

 

 

「一安心さ」

 

この世界にはみんなが居るんだ。

明日やろうは馬鹿野郎。

朝倉さんの言う通りなのさ。

涼宮さんの言う通り、来週から話の続きは始まる。

 

 



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第九十九話

 

 

最低限は疑ってかかるべきだった。

一周年という節目において涼宮ハルヒが黙っているわけがない。

土曜日日曜日を経たのが更に拍車をかけてしまった。

彼女がいい傾向というのはあくまで物事の片方の面だけに過ぎない。

で、あれば彼女の全体像とは何なのだろうか。

少なくとも異端者五人には把握出来そうになかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一年経過というのをどう捉えるべきか?

もう経っちまった、いや、後二年もあるのか。

現実的に考えたとして大学に進学したところで同じ事にはならないだろう。

いくら涼宮さんが現実に対して冷ややかな態度をとろうと、やがてそれも氷解する。

こんなもんでいいのだと理解してくれる。

恐らくこれは勝手な推測でしかないが彼女の時は止まっていたのだ。

中学一年の時、あるいはずっともっと前から。

だからこそ彼女の成長は目に見える形で俺たちを唸らせた。

電波ガールから静電気ガールくらいに落ち着いてくれるらしい。

問題は、俺たちに影響を及ぼす内はその大小など関係ないという一点に尽きる。

俺は動きたくなかったのだ。

 

――そして週明けの月曜日。

いくら何でもここまで荒廃的な考え方などこの時はしていない。

懸案事項ばかり残されてしまった感はあるが、それきりというのもあって考えるだけ無駄だった。

過ぎた事に構ってばかりいるのも人間の悪いクセだろう。

朝倉さんはそれを克服出来る精神構造をしている。

それでもこんなちっぽけな人間に合わせて付き合ってくれるんだ。

これ以上の幸せはない。続く限りは。

 

 

「俺は日曜に呼び出されるんじゃないかと身構えてたが、案外そうでもなかったな」

 

いつも通りに授業を消化して、いつも通りに文芸部にたむろしている。

言うまでもなく、既に六人は集まっていた。

何をするでもなく半ば座っているだけの時間。

平穏を安泰とするかどうかは人それぞれだがもう暫くはこのぬるま湯に浸かっていたいものだ。

しかし、キョンの一言は余計な一言でしかなかった。

妙な心配を俺にさせるには充分だ。

 

 

「確かにパーティ的な事をしてもおかしくなかったけど、そこは普段の活動で取り戻すのかもよ」

 

「普段の活動だと? 明智、なら訊くが俺たちの活動って何だ」

 

「お前もほとんどオレと同じ体験をして来たと思うんだけど」

 

「何か変な催しをさせられるか参加するか、そうじゃなければここに集まるだけ。力の入れどころがわからないだろ」

 

なら勉強に力でも入れるべきだと思う。

この集まりでの空気のままで他の事をしようだとか、生活しようとしているのではないか。

そして今更普段の活動についてどうこう言われても困る。

ここはどうにか現状から解釈する他あるまい。

世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団、と銘打ってはいるが実態は道楽集団。

団長が涼宮さんと言うものの彼女はサーカス団の団長でも何でもない。

それどころか唯一無二の観客側なのだ。

宇宙人未来人――異世界人は"ついで"の扱いだった――超能力者と楽しく遊ぶとかどうとか。

これでどの業界が大いに盛り上がるのだろうか。

情報情報と生命体さえ出てきたもののIT業界は関係なさそうだね。

と、すれば。

 

 

「去年生徒会に提出したような内容か? ボランティア部紛いの事がしたいならキョンが提案しなよ」

 

「その内容だってな、会長が握り潰そうとしているのか何なのかな状態だ」

 

「だってさ、古泉」

 

それに関してはお前さんの管轄だろう。

何が楽しいのか笑顔で一人ジェンガに興じているそいつは。

 

 

「いくら涼宮さんでも自分の状態を客観的に見る事は普通に出来ますよ。SOS団として集まった時点で、風紀を乱しかねない事ぐらいは自覚していらっしゃったでしょう」

 

「嘘つけ。それで奇行に走る意味がどこにあるんだ」

 

「つまり反抗的な態度を取る事……目立つ事でしか彼女は自分を発信する方法がなかったのです」

 

「発信も何も、ハルヒは入学当初誰に話しかけられても交信する気が皆無だったんだぞ」

 

「ある意味では自分に文句を言ってくれるような存在を欲していたに違いありません。今まで彼女は自分と向き合ってくれる存在が現実にいないとさえ思っていましたので」

 

なるほど。ベテランカウンセラーの古泉が言うならそうなんだろう。

だから中学時代は閉鎖空間がひっきりなしに発生していたとか言えるんだ。

現実にいないなら壊してしまえ、やり直してしまえ、創り出してしまえ。

変わりたいと思う気持ちが自殺ならば人類全員で心中しろ。

なんて理不尽。まるで子供が自分に都合がいいように考えているお話。

そうだったらいいのになんていう有り触れたお話。

いっそ、滅亡でもしちゃえばいいのに。

理想的な提案だが、怠惰な生活に満足しちまうほど俺たちは絶望していない。

まだやるべき事は残っているのだから。

 

 

「会長のような役も遅かれ早かれ必要でした。今回たまたま遅くでいいと判断されたまでです」

 

「どうでもいいが、余計な事は企むなよ。火に油を注いだ結果焼死体になるのはごめんだ」

 

同感だよ。

そう立て続けに何かされたりしたりはもういい。

去年一年間でしっかり堪能した。

消化試合には早いが、そんなスローライフも悪くないだろ。

お前さんは橘京子の面倒でも見てればいいのさ。

別に誰が知る必要もないが、彼女の連絡先は古泉しか知らないんだからな。

 

――涼宮さんが本当に欲していたのは非日常そのものではない。

それぐらいはわかる。

たまたまキョンだったのかは知らないが、キョンが選ばれたのは確か。

こんなくだらない世界で生きるための保護者として彼は選ばれたんだ。

俺と朝倉さんは違う。

守らなければならないのは俺の使命感でしかない。

突き詰めると俺と彼女の関係性は同行者。

だって、そうなんだろ。未来の朝倉さんはそう言ってくれた。

王子でも騎士でもどうでもいいが、終わりまで一緒に居ればそれでいいのさ。

もしかしたら朝倉さんは最初からそんな存在が欲しかったのかもしれない。

だから『一緒に死んでくれる』かなんて俺に訊いたんだ。

何度思い出しても震えちまうシーンだよ。

 

 

「もちろんさ」

 

なんて、考えながらお茶に口を付けていたその時。

バン、といったSEと集中線が入るようなカットインで勢いよくドアを開けた涼宮さん。

噂をするから影がさすのであってそろそろ彼女を話題にしなければいいのではないだろうか。

そうすれば嫌な予感がしていた、なんて陳腐な言い訳をせずに済むのだ。

と、言ったところで手遅れ。後悔する必要さえなかった。

 

 

「はいはい。お待たせ!」

 

待たせている自覚があるのなら待たせなければいいのに。

一体彼女がどこをうろついているのか。

知っているだろうし古泉に訊いてみるのもいいかもしれない。

涼宮さんは笑顔でこつこつ歩きながら団長席に座す。

そう言えば、結局俺たちはキョンが涼宮さんに何をプレゼントしたのかがわからずじまいだ。

ともすれば掌サイズの箱に入っているような贈り物だろ?

まさか、あれだったりしないよな。

だとしたらキョンは本当に追い詰められている、あるいは自分を追い詰めている事になる。

いずれにせよ彼女が上機嫌らしいのは確かであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日は俺も読書なんぞに興じていた。

朝倉さんは相変わらず趣味を継続するみたいだし、長門さんはどんな国の言語で書かれていようと平気で読む。

俺が一番読書らしい読書をしているはずだがありふれたSFストーリーではこの二人に対抗出来そうにない。

穏やかな空気がながれ、何も無かったかのように一日が終わるかと思われた。

すると突然涼宮さんがパソコンを睨みながら。

 

 

「うーん。……難しいわね」

 

何かに悩んでいるらしい。

パソコンに強いかどうかで言えば俺が適任だが涼宮ハルヒに関してはキョンが適任だ。

無言で『訊け』と合図する。

数秒の葛藤の末に仕方なくキョンは涼宮さんと話を始めた。

 

 

「何が難しいって?」

 

「いやね、インターネットで調べてるんだけど中々いいのが見つからないのよ」

 

「値段なのか商品なのかは知らんがな、オンラインショッピングで妥協するくらいなら買わない方がいいぞ」

 

「違うわよ。誰も買い物してるなんて言ってないでしょ」

 

「なら何の話だ」

 

「宣伝よ」

 

おかしい。

いつの間にかこの部室の空気が急変していた。

穏やかだとかとは程遠く、何よりこんな空気を何度も俺は体験してきている。

嵐が吹き荒ぶ、その前触れである。

涼宮さんはげんなりした声で

 

 

「あたしたちの知名度を上げていくには地域社会の貢献が必要。だけど肝心のその場に欠けているんだからロクでもない町としか思えないわ」

 

「心配しなくても大会で優秀な成績を収めていない運動系の部活連中よりは名が知れてるだろうさ」

 

「一年経ってこれなんだからあんたはもう少し真剣に今後を考えなさい」

 

「……それで? 知名度を上げてどうするんだ。お前は政治家にでもなるつもりなのか」

 

「あんた、この一年ですっかり忘れてしまったようね」

 

去年学習した授業の内容を思い出せと言われたら彼にはとうてい不可能だろう。

一度受けたテストで同じところを間違えるなら単なるミステイクだが、前に正解したところを間違えるのは何もしていないのと同じである。

キョンは後者のタイプらしい。

 

 

「SOS団の活動目的。宇宙人や未来人や異世界人と超能力者を探し出して一緒に遊ぶ事。メモしておきなさいよ」

 

「ああ、そんなんだっけ……」

 

何とも言えない目で俺をはじめとする異端者五人を見まわすキョン。

見ても何も変わらないから安心してほしい。

いくら彼女がいい傾向だろうと、人は得体の知れない存在に恐怖すると同時に憧れもする。

どこぞの漫画でも言ってただろ?

憧れは理解から最も遠い感情なのだと。

つまりそういう事だ。

 

 

「となるとあたしたちに残された道は日頃の活動に力を入れる事なのよ」

 

「お前が言うところの日頃の活動ってのは何なんだ。団長殿の口から直接お聞きかせ願いたいね」

 

「だから世の不思議たちを発見する事でしょ。今までは受け身の対応だったけどそろそろ本腰を入れないとあっという間にあたしたちの青春は幕を閉じるんだから」

 

「その解決策が宣伝? 俺たちを宇宙人云々に知ってもらおうってか。ならいっそテレビ局でもジャックしに行ったらどうだ。お前の逮捕に関して取材を受けたら『学校の人気者でいい奴だったのに』と記者には嘘を教えといてやるさ」

 

「流石にあたしもそこまでやらないわよ」

 

それを信じられる人間は少なくともこの場でも難しいところであった。

谷口なんかは絶対信用しないだろう。

もっともあいつの関心はじわじわと周防に集中しつつある。

人の事は言えないが病気だ。

聞かされていないが猫も多分飼育していると思われる。

あのオールバックのアホ面野郎が猫に夢中になっているとすればそれだけで笑えるね。

猫侍に出れるんじゃないか。

涼宮さんは溜息を吐いて。

 

 

「やっぱり、北高を拠点にやってくしかないのかしらね……」

 

「下手な事をしたら生徒会に文句を言われちまうぞ」

 

「そろそろ本格的にあいつらを潰す時が近くなっているみたい。……やられてなくてもやり返す、身に覚えがあろうがなかろうがお構いなしなんだから!」

 

「俺は知らんからな」

 

「知らないじゃ済まされないわよ。今回、特別任務として下っ端のあんたをSOS団宣伝部長に任命してあげる」

 

すると本気で任命するらしく、手にはいつの間にか紅い腕章が握られていた。

そこには『超宣伝』と殴り書きされており、俺の横で呑気しているキョンのところまでやって来てそれをずいっと差し出す。

彼は腕章とどや顔の涼宮さんとの間を交互に睨み付けていたが最終的には渋々受け取る形でキョンが折れる事に。

ふと思い出したが古泉は副団長の腕章をどこにやったのだろう。

涼宮さんはいつも放課後になると腕章を付けているが古泉はそうではない。

 

 

「毎日常備していますよ。団長から任された大役です、必携と言っても過言ではないでしょう」

 

難儀な奴だな。

無理矢理腕章をブレザーに付けさせられたキョンは。

 

 

「期待するのは勝手だが、ご期待通りの結果は何一つ保障できんからな」

 

「やる前からそんな姿勢でどうするのよ」

 

「肝心の何をやればいいか、お前が考えてくれるとありがたいんだが」

 

「認めたくはないけどあたし一人の発想だと限界かもしれないのよ。だから新しい風を取り入れるべくあんたに仕事を与えたの。いつも怠けているキョンにはいい刺激でしょ」

 

「余計なお世話だぜ」

 

この儀式に意味があったのかどうか。

俺にはそれを確かめる術がない。

目に見えない形でしか理解は完了しないからだ。

しかしながら、この日を境に暇な放課後とそうでない放課後が明確に線引きされてしまう事になった。

涼宮さんの思いつきでも、キョンのアイディアでも何でもない。

一年前に生徒会に提出した文章には確かに書かれていた内容なのだから――。

 

 

――コンコンコン

 

不意に部室の扉がノックされた。

朝比奈さんが「どうぞ」と声をかける。

すると、登場したのはまさかまさかの人物であった。

 

 

「あー、その、済まない。ちょっといいか」

 

申し訳なさそうな表情をして顔を出したのは二年五組の担任教師。

俺、朝倉さん、キョン、涼宮さんの担任である岡部先生その人であった。

たまげたね。

涼宮さんはとたんに威嚇を始めている。

縄張り争いかと言わんばかりに睨み付ける。

彼女だけでなく俺たち七人の視線を一身に受けた岡部先生は。

 

 

「そいつに話がある」

 

キョンを指差しながらそう言った。

何だろう、今の段階からテストについて苦言を呈されるのか。

ふざけんなといった様子で涼宮さんは。

 

 

「キョンに何の話があるの。部活中の人間に対して下らない生徒指導なら後にしてくれると助かるわね」

 

「話があるのは俺じゃなくてだな……」

 

――そうだ。

活動内容として『学園生活での生徒の悩み相談』なんてものを生徒会に提出した。

今は懐かしき世界崩壊一歩手前事件が終った、去年の話になる。

そっちの方面で俺たちは活動していく羽目になるのさ。

岡部先生は自分が何故こんな来たくもないような部室へ足を運んだのかを説明してくれた。

 

 

「お前の妹とお友達が学校に来ている。妹の方は泣きわめいてて俺たちには手がつけられん」

 

SOS団本格始動第一弾。

最初のクライアントは北高生ではなかった。

ここは駆け込み寺でもなんでもないはずなのに。

常識にとらわれない俺たちには相応しいのか?

とにかく岡部先生に連行されていくキョンを見送るぐらいしかすることがなかった。

 

 

 

――再三言おう。

俺は動きたくないのだ。

戦いに決着をつけられれば後にも先にもどうでもよかった。

後があるかどうかさえ誰も約束してくれないのに。

 

 



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Anothoer Chapter 5

 

 

俺が考えるに、動きたくないのならそう思わなければいいだけの話だ。

つまり動かなければいい。動く必要性を排除すればいい。

やはり期待などしていなかったのだ。

この期に及んでそうだった。

俺はこんな能力さえ持たずに本当に徹頭徹尾普通の世界に生きていればよかったのだ。

それを許してくれない要素……"運命"だとかはどこにあるんだ?

これは、そんな"真相"にちょっぴりだけ近づいた男の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が今日までやって来た事などほんの僅かな事だけだ。

自分のために周囲を利用する。

他人のために能力を活用しない。

誰が悪かではない、自分が正義かが重要なのさ。

君はそう思わないかね。

 

 

「何の話だ」

 

「さあな。お前さんには一生関係ない世界の話さ」

 

「そうかい」

 

20006年12月17日。

地球にネイルガンを打ち込んだら、ヒビ割れてしまうんじゃなかろうかと思えるぐらいに空気が凍てつく朝であった。

現在は登校中なのだが、俺が何故こんなサイコパス集団の一員と話をしているのか。

勘違いしないでほしいのだが俺はSOS団などとはほぼほぼ無縁だ。

それと気付かれないように、彼を利用できる程度の親しい関係を築いただけ。

谷口、国木田という男子生徒と同じポジションだ。

俺の能力を知る者はごく僅か。

キョンという鹿野郎の彼も知り得ない事実だ。

朝倉涼子も一から十は知らない。

全貌を知るのはそれこそ学園の連中で俺を知っている人ぐらい。

だから安眠出来るという訳だ。

そんな俺の穏やかな心を正真正銘の馬鹿が奪い去ろうとした。

 

 

「ようお前ら。珍しい取り合わせだな?」

 

馬鹿の谷口。

頭の出来の悪さはキョンと同じくクラスでも最高峰。

だのに笑顔が絶えないのだから正真正銘の馬鹿なのだ。

 

 

「谷口君。オレだって好きで彼と一緒に登校していたとは言えない。しかし顔を見かけた手前あいさつぐらいはすると言うものだろ? 君だってそうしたんだからね」

 

「へっ。違いねえ」

 

谷口が馬鹿に違いないのは確かだ。

セーターもカーディガンも、まして手袋もマフラーもせずにブレザーだけの姿。

この外気を感じる身体の機能が御釈迦になっているのだろう。

 

 

「体育の授業はもっと削っていいんじゃないか? 俺たちは毎日こうして登山を強いられている訳だ。負担だ。配慮が足りない。岡部先生をはじめとする教師陣は車なのによ」

 

「いい運動だ、何より身体が温まるだろ。俺は見ての通りの格好だからよ」

 

この二人の話題が事欠かないのはいいが建設的な話題が出来ないから馬鹿なのだろう。

俺は違うとまで言ってこいつらを否定するのは馬鹿よりもう少しだけ上の奴のする事だ。

口は災いの元で、災いとは即ち平穏を乱す要素。

事件、事故、闘争。

どれも俺が求める世界には不要だ。

だからこそ俺は自分の存在を隠している。

災いを避けるためだけに能力を使っていると言ってもいい。

涼宮ハルヒも馬鹿だった。

あっさりと、何回続いたのかも知らないループとやらも終えるように無意識を操れた。

ここまで言えば俺の言いたい事がご理解頂けたであろう。

"争い"とは同じ次元の者同士でしか起こり得ない。

俺がわざわざ変人どもにレベルを合わせてやる必要さえないのさ。

呆れた顔で谷口は。

 

 

「しっかし。お前らはこのシーズンにホットな話題も提供できないのか?」

 

「お前は暖房設備のある高校が羨ましいのか」

 

「それとこれとは別だな。ちょうど一週間……もう一週間後なんだぜ」

 

「終業式か。冬休みは心行くまで家で暖をとれるな」

 

「な訳あるか! 日付で考えろっつの」

 

ほら。

建設的でも何でもない話題じゃあないか。

まして生産的とさえ思えない。

思い起こせばキョンとやらは比較的マシな部類でも何でもない。

俺が彼の立場なら間違いなく逃避する。

涼宮ハルヒの能力怖さに屈服しているわけではないのが彼の馬鹿な所だ。

策があれば二人とも排除したいところだよ。

いや、SOS団とやら全体を。

 

――俺がする必要のない心配であった。

彼女の心底では虎視眈々とチャンスを窺っていたのだ。

ある意味では朝倉涼子と俺の望んでいたものは同じだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――やあ。私の予想より三回早く応じてくれたなっ!』

 

昨日、月曜日。

まるで監視でもしていたのではないかと思えるようなタイミングで家に帰るなり宮野先輩から電話がかかって来た。

それを無視した。

一旦切れる。

机に座って一度読んだ本を読もうとする。

再び着信が来るも無視すると三度目の着信。

何てサイクルの六回目ぐらいで俺が折れる形での応答となった。

俺が話したい事なんてありませんよ。

 

 

『そう言うでない。約四ヶ月ぶりの会話ではないか』

 

「先輩はまだ学園に居るんですか?」

 

『残された時間はそう多くないが、私がそれに辿り着く日もそう遠くない。……黎くん。時にキミは相撲が好きかね?』

 

「嫌いでも好きでもありません。でも、土俵際の駆け引きは好きですよ。手に汗握りますから」

 

『私もやがてそのような状況に陥るだろう。彼奴が勝つか私が勝つか。そのどちらにしても楽勝とはいかないのだよ』

 

どういう理由で発現するのかもわからない超能力もどき。

それがEMP能力だ。

しかも、どういう理由かこの能力はある日突然消えてしまう。

そもそも発現するのは日本の学生だけ。

大人の能力者なんていない。

その頃には既に能力を喪失しているのだから。

……俺もやがて解放されるのだろうか?

俺は宮野先輩みたいに頂点を目指してはいない。

だが、自分が楽に死ねない事だけは自覚していた。

 

 

「それで……? オレはこれから読書をしたいんですよ」

 

『世間話をしながらでも本は読めるはずだぞ』

 

「だめだめだめだめだめだめ。まるで、わかっていませんね。本を読む時は、誰にも邪魔されず、自由で、何と言うか救われていないとだめなんです」

 

『ならば私との会話を優先するのだな。他でもない師匠の頼みであろう』

 

「越権行為ですらありませんよ。師弟関係に権利も義務も発生しませんから」

 

ここが自分の部屋でなければ携帯電話をへし折っていたかもしれない。

機械に対して能力が使えたらいいのにと思ってしまう。

学園の連中はそれこそ何でもありな能力者ばかりだ。

宮野先輩だってそうだ。

何だよ。どういう原理なんだよ。

触手出したり、変な魔法陣を書いて動きを封じたり、鎖とか道具も出したり。

本当に魔術師としか呼べない事しかしない。

それでいて本来の能力は攻撃とかとは全く関係ない能力らしい。

俺も修行すれば何でもありな能力者になれるのか。

 

 

『私が今回話題のタネにしたいのは、この時期についてなのだよ』

 

「……はい?」

 

『きたるジハード。約束された聖戦の日に向けた話に決まっておろう」

 

「いつからあなたは脳足りんになったんですかね。まるでオレと使っている言語が違うらしい」

 

『余計なお世話と切り捨てるのは構わんが、キミの所には居候がおるのだろう?』

 

「もしかしなくてもそれは24日について話しているみたいですね」

 

『正解だ。いや、四ヶ月もあれば進展の"ん"の字までは行っているはずなのだからな』

 

不正解な事に"し"の字もない期間だ。

朝倉涼子が居る事そのものには俺はもう何とも思っていない。

いつ出て行ってくれても構わないのだから。

余計なお世話も何も、余計な感傷があっては困る。

平行線と言うものは変化しないからこそ平行線を辿っていると言えるんだよ。

そして。

 

 

「オレについてどうこう言うよりも、先輩の方こそどうなんですか? 何なら俺がそこまで出向いてあなたを操ってあげてもいいですよ。自分が愉快な光景を見るためにやるんでルールは破ってないですよね」

 

『私はいずれ過去の人間と化す。彼奴らとの決着がついた時、そこが約束された最後の時なのだ』

 

「……それ、本気で言ってるんですか」

 

『いつでも真剣そのものだが』

 

いくらしょぼいとは言え、こんな能力を操る俺でもわかる事がある。

絶対に覆せないものは確かにあるんだ。

過去とか未来とか、今から考えるんじゃねえ。

今だけ考えやがれ無能師匠。

残される人の気持ちは考えないのか?

俺ではない。

俺なんかあんたが消えようとダメージはない。

 

 

「先輩がした約束ってのは別れの約束だったと? 違うはずだ」

 

『私を困らせないでほしいものだな』

 

「ならオレとの通話を今すぐ中断する事をお勧めしますよ。オレを操れるのはオレだけってのが人生哲学なんで」

 

『自分の夢くらいを自分で叶えようとして何が悪いと言えよう。私はキミの操り人形ではないぞ。私もキミと同じ哲学の道を往く人間なのだよ』

 

「先輩は自分が正しい人間だと言えるのでしょうか?」

 

『私とてキミが思うほど特別な人間などではない。偶然、機会の方が私に多く訪れるだけでな。それに何より、保護者のスネはいつまでもかじってはならないのだ。茉衣子くんにはひとり立ちしてもらう必要がある」

 

独善者もここまで来ると偉大な人間に見えてしまうのか。

俺の考えは間違っていない。

宮野秀策は信頼出来ないのさ。

しかし、と彼は言葉を続けて。

 

 

『どうなってしまうかなど、私にもわからぬ。わからないからこそ知りたくなるのだ。その時の事などその時の私しか決断権を持たない』

 

「どうかしてますよ。先輩は信頼できませんが信用を裏切ってはほしくありません」

 

『お互いに余計なお世話は無しと行こうでないか』

 

「今更ですね」

 

手厳しい発言をした覚え何てない。

先輩と茉衣子さんがどんな結末を迎えようとも、互いに納得の行く形であってほしい。

余計なお世話だけど、本当にそう思ってしまうのさ。

何ならありがたく思ってほしいもんだよ。

 

 

『案外、別れの時は近いのかもしれん』

 

「そうなんですか?」

 

『そうじゃないかもしれない。が、そうかもしれない』

 

「だったら後悔しないように生きて下さい。後輩からのアドバイスです」

 

これ以上話す事なんてなかった。

しかし、最後に彼は。

 

 

『黎くん』

 

「何です」

 

『気をつけたまえ』

 

と、言い残して通話を一方的に切り上げた。

はた迷惑な先輩だ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そうだ。

ちょうど今の谷口とキョンのようだ。

建設的でも生産的でもない。将来性は皆無。

お前達の知らない世界が確かにこの世にあるんだ。

取るに足らない箱庭でしかないが。

 

 

「ほーん。クリスマスパーティか……お祭り女こと涼宮ハルヒが好きそうな事だな」

 

今のはキョンの説明を聞いた谷口の反応である。

何でもSOS団は24日に不法占拠している文芸部室で鍋大会を催すとかどうとか。

馬鹿丸出しだ。

 

 

「なんなら二人とも来るか?」

 

俺が行くわけないだろう。

一方的にしか接触したことがないんだから。

そして谷口も彼の誘いを断った。

 

 

「わりぃがその日、俺にはしょぼい鍋をつつくよりもよっぽど有意義な事をする必要があるんでな」

 

「何だ、その気持ち悪い笑みは」

 

「残念なことに俺はクリスマスイブに慰め合う連中とは別の世界に到達したんだぜ」

 

まさかとは思うけど、こいつにも春が来たのか?

半年以上は遅れている。

ともすれば冬まっしぐらだな。

 

 

「いやー悪いねー。マジ、ほんと、本気で悪いと思う。俺のスケジュール帳の24日が埋まっててよー。鍋パ行きたかったぜ」

 

「嘘だろ」

 

俺も嘘とは思いたいが、谷口はキョンより青春ごっこをしている。

この二人は何処で差がついたのか。慢心、環境の違い。

人の不幸も人の幸も俺にとっては蜜の味などしない。

 

 

「キョン、ざまあないね」

 

「そういう明智はどうなんだよ。さっきから黙ってたが、アテでもあるのか」

 

「興味ないね」

 

結局の所は消える存在。

それが俺なのか朝倉涼子なのか、どちらが先かは不明だがそうなるのは確かだ。

俺が望む平穏ってのは今の所遠くに感じられる。

何の本を読んだところで『正解など存在しない』の逃げ道だけが例外なく書かれている。

俺はそんな常套句が有り触れている事が一番気に食わない。

兄貴と同じくらいに、気に食わないのさ。

俺の投げやりな様子を見た谷口は。

 

 

「やっぱりお前は枯れてる木のような奴だな」

 

「オレに文句が言いたいのか?」

 

「事実を言っただけだぜ」

 

好きにすればいいさ。

期待しちゃいないんだからな。

君たちにも、世界にも。

 

 

 

――だが、それは現実のものとなった。

何事もなく一日を消化し、帰路を辿っていく。

冬の寒さに屈したわけではないがここの所本屋へ寄らずさっさと家に帰るようになっていた。

別に毎日毎日通ってもいなかった。

期間を空けた方がいいのも事実なんだからさ。

 

 

「……ふっ」

 

どうせならさっさと消えてなくなってしまえ。

世界は滅亡した方が良かったのかもしれないな。

そんな事を考えてしまうぐらいには俺は正気を辛うじて保っていた。

今のこの世界を認めるなんて、拷問だね。

やがて、家に着き、晩御飯を食べて、この日も終わっていくかと思われた。

これの何処に問題があるのか?

俺の予想を裏切ったのはそろそろ寝るかという時間に部屋のドアがノックされた事である。

ドアを開けると、朝倉涼子が突っ立っていた。

俺は寝巻きだったが彼女はそうではない。

 

 

「何の用かな?」

 

「一言だけ、言っておこうと思ったのよ」

 

随分と改まった態度だった。

妙な事をしでかすつもりだろうか。

一応は心の中で身構える。

 

 

「私がこの世界に飛ばされたのはちょうど今日の深夜……いいえ、実際の日付は明日だった」

 

「へえ。思い出しても俺は君を倒した相手じゃあないから復讐は勘弁願うよ」

 

「ううん。お礼を言っておかなくちゃ。私をここに置いてくれるなんて、よく信用する気になったわね」

 

「……家庭の事情さ」

 

忌々しい。

あんな兄貴が居なけりゃ朝倉涼子の分の部屋だってなかっただろうさ。

彼女に罪はない。

事実を述べたまでだ。

 

 

「そう……わかったわ。お休みなさい」

 

そう言った去り際の彼女が何を考えていたのか。

俺はついぞ知る事はない。

訊く事がなかったからだ。

 

――本当に、あっさりと俺の望みは叶ったんだ。

俺の望むものは完全な平穏。

期待する必要がないまでに世界に満足出来る事。

朝倉涼子の望みは完全な自由であり、進化。

期待する事が出来るように、世界へ復讐する事。

結局のところはやり直す必要があったらしい。

 

 

「……お休み」

 

なあ、俺の望みは間違っているのか?

一人で悩んでも答えが出せない不完全な世界なんだよ。

そうさ、こう言う時は寝ちまう手に限る。

ベッドにただただ横になって目を閉じるだけなんだ。

起きてても悪夢を見るのであれば、眠って見る夢はいい夢になるだろうよ。

そうじゃないと収支があわないでしょ。

これから俺が見る世界はいい夢だった。

俺が動きたくない、と思えるくらいにはね。

 

 



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Anothoer Chapter 6

 

 

介入履歴を消去。

非干渉モードへシフト。

実行――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12月18日、水曜日。

言ってしまえば俺である必要性がどこまであったのか。

確かに俺は非日常の世界を垣間見ながら日常を生きる道を選択した。

これが勇気ある決断と呼べるだろうか。

"勇気"とは"怖さ"を知る事……ここまでは俺だって達成している。

だが、"恐怖"を我が物とする事は未達成であった。

何故ならば俺が非日常の世界に対して抱いていたのはある種の劣等感だったのだから。

 

――俺が状況を把握したのはあっという間の速さだった。

それもそのはずだ。

曲がりなりにも同じ屋根の下で共同生活を送っていたのだから。

朝、昨日とは一人分足りない朝食やそもそも席に座っていない朝倉涼子。

母さんにどうしたのだろうかと話かけたら。

 

 

「アサクラさん……? 誰だい、その人」

 

何を言っているんだこの人はといった表情の典型例を俺に見せてくれた。

それを聞くや否や一旦二階まで駆け上がる。

寝ているのであれば大変失礼で、寝込みを襲ったと勘違いされてはドッキリで済まなくなる。

……なんて考えは不要だった。

 

 

「……なるほど」

 

その部屋は朝倉涼子によって変化しつつあった部屋などではなく、本棚と本しか置かれていない。

兄貴のせいではないが、兄貴のせいにはしたくなってしまう。彼の日頃の行いの悪さ故に。

しかしながら俺は一瞬で理解した。

昨日の彼女はきっと、俺に別れを言いたかったのだと。

朝倉涼子は朝倉涼子の世界に戻るために戦いを始めたんだ。

俺とは違う。

『お休みなさい』って言葉が皮肉にしか聴こえないや。

それでも俺は生きていかねばならない。

取るに足らないこの世界で、最高の自殺方法を見つけるまでは。

やがて俺は寝ぼけていただけと母さんに言い訳し、手早く朝食を済ませていつも通り朝早くに家を出た。

昨日までと何ら世界は変わりない。

朝倉涼子一人の消失では何も変わってくれない。

だって、今日も寒い。

ここまでは普段通りだったのさ。

 

 

 

――教室に着いてからがようやく始まりとなる。

はたして風邪で休みを頂戴するなど学生だからと正当化されようとするただの甘えではなかろうか。

そう思えるぐらいには一年五組ではいつの間にか風邪が蔓延しているようであった。

ただ朝早くから席についているだけの俺ではあったが、それ故各生徒の登校時間を把握するのは当然である。

だのに時間経過に従う教室の出席率の悪さがこの日はやけに目立つ。

出て来ているクラスメートの中にも予防なのか我慢なのかマスクを着用する奴さえ居る。

この状態は予鈴が鳴ってもそうだった。

空席は遅刻ではなくて欠席なのだろうさ。

 

 

「……おやおや」

 

能力の影響なのだろうか?

俺は人間観察のスキルが自然と磨かれていった。

だからこそクラスを見渡して、まさか休むとは考えにくい奴が休んでいる事実に対して俺は納得した。

馬鹿は風邪を引かないと言うのであれば、涼宮ハルヒは阿呆の類であったのだと。

生きている内に治る可能性があるだけ良しとすべきだ。

馬鹿であれば死ぬまで、いや死ななければ治らないらしい。

外のみならず教室の空気までも寒い気がしてしまうね。

事実として人の数が少なければそれだけ空気にゆとりが出来る。

現象的にも自然であろう。

しかしながら馬鹿の代表こと谷口までも風邪を引いていた。

間違っているのは谷口の頭なのか、馬鹿は風邪を引かないという言葉の方なのか。

どっちでもいいのさ。

そうこうして、昼休みとなった。

何やら聞いたところによると風邪の流行の兆しは一週間前あたりから見られたらしい。

にわかには信じがたい――昨日まではほぼほぼ全員出席だった――が、全ては結果なのだ。

休んだ連中が全員仮病か、そうでなければ本当に風邪を引いている。

 

――俺には関係ない世界の話だ。

そんな事など自分が引いてから考えてしまえばいいのさ。

だって、そうだろ?

もし目の前に高そうな値段の鞄が落ちていて、中に一千万入っていたとしよう。

高々数千数万円ならば黙ってネコババしても問題ない――倫理的な話ではない――だろう。

でも一千万円だぜ。

どう考えたって、誰が見ても"ヤバいカネ"だってのがわかる。

偽札じゃなかったとしても合法的なルートを辿った金だという保証なんてどこにもない。

それを我が物とした途端何者かに命を狙われるような危険な立場になってしまってもおかしくない。

だからこそ、俺の正解はこうだ。

 

 

『鞄を拾う拾わないの次元ではなく、鞄にそもそも干渉しない』

 

中身さえ知らなければ、俺にとってはそれがどんな見た目だろうと何も入っていないのと同じ事になる。

無知は決して罪などではない。

それに対してどう、折り合いをつけていくのかが一番大切なんだ。

文句があるなら全知にでもなってみなよ。

ま、無理だと思うけど。

とにかく俺はこうして平穏を選んで来たんだ。

"学園"の事など本当に不可抗力でしかない。

宮野先輩がたを悪く言うつもりはないのだがやはり出逢わない方がよかった。

知らない方がよかったんだ。

俺一人だけが孤高なのだと勘違い出来たのに。

世界はそれを赦してくれなかった。

 

 

「……なんてな」

 

昼飯を食べ終え、アテもなく校舎をうろつきながらそんな事を考えていた。

いつも通りの俺なのだが、この日は何だか違うようにも思えた。

超能力者もどき故のシックスセンスなるものが出来損ないの俺にもあったのかもしれない。

これもよく言うではないか。

 

 

『嫌な勘ほどよく当たる』

 

その通り。

こんな荒れた思考しか出来ない俺の感も捨てたもんじゃなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

消えたのはどっちなんだろうか。

世界なのか、俺なのか。

本当にそれだけの話であり他の連中からすれば何一つ変わっていないはずだった。

……いや、もう一人だけ例外がいたな。

何にせよ俺はそこまで困らなかった。

では何故過去形なのかと言えばそれは必然的に"困る"事になるからである。

誰のせいか。

お前のせいだ。

この世界の例外、キョンとやら。

ほどなくして俺が教室に戻ると、何やら俺が入って来た入口とは別の方で女子がたむろしている。

するとドアが開かれ、その女子たちから歓声みたいなものが上がる。

何やら教室にスターでも来訪してきたのだろうかといった様子だ。

俺はちらちらその様子を窺ったが、心底驚いたね。

何時の間に高校生を再開したんだ?

 

 

「もう大丈夫。風邪はすぐによくなったの。早目に病院に行ったから」

 

信じられるか。

ここに来る事を拒否していた人間が、こうもあっさりと姿を現した。

赤いコートを羽織り、他の女子どもに愛想笑いを見せている。

俺にはそれが宣戦布告、不敵な笑みにしか見えなかった。

そしてそいつは、キョンの後ろの涼宮ハルヒの席に座ろうとする。

 

 

「……朝倉、涼子」

 

誰に聴こえるわけでもなく一人呟く。

冬にしては今年は厳しいのではなかろうか。

冬の嵐、冬将軍がまさに今この世界を襲っていた。

 

 

「どうしてここに来たんだろうな」

 

なんて呆れた事を言っていると、もう一つの異変に気付いた。

他の連中は当たり前の光景として転校したはずの朝倉涼子の登校を受け止めている。

宇宙人の技術とやらが目に見えない情報に作用する事だとは知っていた。

本人は覚えていないだろうけどキョンに証言してもらったからな。

そのキョンが、朝倉涼子という異変に対して反応している。

てっきり俺がこれに気付けたのは単なる情けから来るものだとばかり思っていた。

異世界人としての朝倉涼子の正体を知る人間など、俺と身内の一部だけ。

何をどうするのか、あるいは既に完了したのかも不明だが俺は見逃されたってわけだ。

今日まで匿っていた恩義なのか。

愚かな事に、俺はそれがサインだとこの時気付けなかった。

動きたくない俺が自分自身を動かすための救難信号だと。

 

 

「お前はここにいるはずがない奴じゃねえか!」

 

キョンだ。

朝倉涼子に指を指してそんな事を叫んでいる。

流石に俺も気になるさ。

彼を利用するつもりなんだろうが、本人の口から話を聞きたいところだ。

能力が通用すれば楽なのに。

 

 

「そこはお前の机じゃない。ハルヒの座席だ」

 

「ハルヒ……? ハルヒって、誰の事? 誰かの愛称かしら。私はそんな名称聞いた事ないけど……」

 

一体全体何が起こっているのか。

いや、もう終わっていたんだ。

本当に俺が解放されたのだと自覚するのはもう少しばかり後の話となる。

俺がのこのこ出ていくにしても俺には何のカードも持ち合わせていない。

学校で切れるカードは彼女に通用しない能力だけ。

仮に通用したとして、白昼堂々と披露してやるわけがない。

名前を明かす行為は心の扉の鍵を外す行為。

だが、俺の扉は一向に開かれそうになかった。

男子生徒の一人、国木田は朝倉涼子に同意するかのように。

 

 

「僕も聞いたことが無いね。ハルヒさんって誰なの? 本名かい?」

 

「ハルヒはハルヒだ……。涼宮ハルヒ、忘れられるはずがねえだろ。国木田なんか映画にだって出たじゃないか」

 

「映画に出ただって? 僕はいつの間にそんな事になっていたんだ」

 

「嘘だろ……?」

 

「少なくともこのクラスには居ない。そんな人はね。キョンの記憶がどうなってるかは知らないけど、この前の席変えから君の後ろの席は朝倉さんじゃないか」

 

そして、クラス名簿を確認した後にキョンは愕然とした。

俺はこの三人の間に割って入る権利が存在する。

今日まで朝倉涼子に協力してきただけあって、当然ある。

だがしかし俺は動きたくない。

よくわからないが、涼宮ハルヒが居ないとかどうとか言われてるじゃないか。

だったらそれはつまりそういう事なんだろう。

やがて苦い表情のキョンはクラスの数人に質問を開始した。

彼は俺の方にも回って来て。

 

 

「明智。涼宮ハルヒはどこだ」

 

「さあな……なんのことか……? わからないな、キョン」

 

「朝倉は転校したはずだろ」

 

「そう思うんならそうなんじゃあないのか。お前さんの中ではね」

 

涼宮ハルヒがただ休んでいるだけならばクラスから消えたとはならないはずだ。

誰の仕業なのかは知らないが、本当にあのイカれ女がこの世から消えたのなら素晴らしい。

最高だ。正直、視界に入るだけでうっとおしく思えていたところなんだよ。

朝倉涼子が復帰した事よりも、そっちの方が明らかに良いニュースだ。

 

 

「ちくしょう」

 

やがて彼は授業がもう始まると言うのに廊下へ駆け出して行った。

キョンは一体誰をアテにするのか?

俺には関係のない話なのさ。

これが関係してくるのは明日の話になる。

我ながら掌返しもいいところだ。

 

 

 

――放課後になり、帰宅してからの事だ。

俺はこの変化を宮野先輩に話しておこうと思った。

残念ながら我が家の居候も神もいなくなってしまいましたよ、と。

だからこそ自分の部屋のベッドに腰掛け、携帯電話の連絡帳を見た時俺はようやく事態の深刻さに気付けた。

 

 

「……何の冗談だよ」

 

宮野秀策をはじめとする学園関係者の連絡先が全て消えている。

嫌な予感しかしない。

俺は覚えている宮野先輩の電話番号をキー入力して、かける。

少ししたら結果は出てくれた。

 

 

『――おかけになった電話番号は現在使われておりません』

 

「ああ、そうかい」

 

あのロクデナシ自称魔術師(予定)が姿を消すのはまだわかる。

しかし他の連中まで消えるなんてどういう事なんだ。

茉衣子さんにもかけるが、同じアナウンスしか返ってこない。

まるで最初から存在していなかったかのようにさえ思えてしまう。

そうじゃなけりゃ説明がつかない。

どうして俺の携帯から連絡先が消えてしまうんだ。

異世界人朝倉涼子……君の仕業なのか…?

違うなら、一体全体誰が色々を変えてしまったんだ。

 

 

「……あんたはいつも言葉が足りないんだよ」

 

一昨日に宮野先輩が突然かけて来た電話。

彼はこうなってしまう事が予想できていたのではないだろうか。

涼宮ハルヒは神じゃなかったのか?

聞けば、SOS団なる集まりも北高には本当に存在しないらしい。

あれは涼宮ハルヒがとち狂って結成したという事ぐらいは俺でも知っている。

北高生なら十中八九、殆どの生徒が知っている。

世界に飽きたならいつぞやのように壊そうとすればいいはずだ。

あるいは、もう壊れていたのか。

 

 

「仕方ない……」

 

事件が起こる度に真相を知りたがるのは師匠譲りの悪いクセらしい。

間違ってもあの兄貴の影響ではない。

あいつがどうなっているのか何て知りたくもない。

動きたくないが、必要に応じるくらいはしてやるのさ。

ざまあないさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――さて。

異世界人こと俺氏にとって、こんな話は関係ない。

と、思われてしまうかも知れない。

事実として俺がそう思っていた。

消失世界、"ジェイ"がついた嘘で一番大きいものはなんだろうか?

 

 

『君は何か勘違いしているようだな。"基本世界"はここではない、君が居た世界なのだ』

 

俺はいつの間にかそんな妄言を信用していた。

誰がそれを保証したわけでもないのに。

ヤスミンも一番重要な事だけは教えてくれなかった。

俺の世界の真相。

基本世界はあっちだったんだ。

明智黎の物語こそが本来あるべき世界だった。

 

 

「オレはイレギュラー。そういう事でしょう?」

 

「正解だな」

 

白衣の男、宮野秀作。

いや、黒幕に限りなく近い存在。

そしてここは佐々木さんの閉鎖空間に似たセピアカラーの世界。

場所は、東中のグラウンド。

睨み合うかのように俺たち二人は対峙している。

 

 

「原作において古泉は消失世界をこう表現していた。『十二月十八日未明は二種類存在したんですよ』と」

 

「それがどうかしたのかね」

 

「だけどキョンが住む世界は片方だけ。消失世界は切り捨てられてしまった」

 

「いかにも」

 

「オレもそれをやってしまった……違う。そうなるように最初から出来ていたんだ。矛盾した形で」

 

俺ではなく明智黎が超能力者として異世界人朝倉涼子と出逢う世界が本来のルートだった。

だけどそうなるには、異世界人を送る必要がある。

誰がやったかって? 俺以外に誰が居るんだよ。

 

 

「まるで鶏のパラドックス。卵が先か、鶏が先か」

 

「明智黎が先か、浅野が先か、というだけの話なのだよ」

 

「あんたはこの先に行くために利用したってわけだ」

 

「うむ。外の世界へ……真相を手にするために」

 

そろそろはっきりと明言しておこう。

俺が決着をつけるべき相手。

他でもない、情報統合思念体。

あれを倒す手段さえ用意してくれたんだから。

原作とは違う形に分岐したのも当然だ。

 

 

「周防が居なければ詰んでいたところだよ」

 

「私に感謝したまえ」

 

あんたとの話は後だ。

彼の話の方が先なのさ。

 

――真相を言おう。

"異世界人こと俺氏"ってのは嘘だった。

タイトル詐欺もいいとこなんだよ。

とあるの作者だって第三巻のあとがきに書いていたじゃあないか。

 

 

『"魔術"とか題名につけといて科学サイドの事ばっかでした。すいません』

 

流石は大先生だ。

俺はまさに盲点を突かれたんだから。

どうにもこうにも、文句は言えそうにない。

動き出す時が来た。

決着ではない、終わりに向けて。

 

 



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その日、七月七日。

 

 

仮に運命が存在するとして、それはどういうものなのだろうか。

俺の考えとしてのそれはシナリオだとか既定事項だとかではない。

ずっともっと単純な話で要するに逆らえない何かだ。

どうもこうもない。

受け入れるだけしかないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

例を挙げよう。

日本人として生まれたからにはほぼ全てと言える子どもが素晴らしい水準の生活を送る事が可能だ。

何も蛇口を捻れば水が出るのを当たり前だと思うな、と良環境について有り触れた説教をしたいわけではない。

単純に先天性の問題だ。

義務教育なんてまさに運命じみている。

一定期間ごく普通に小中学生として生きていく事を強いられるのだ。

誰もそれに逆らおうとはしない。

だが、稀有な存在ではあるものの逆らう奴が居ないわけではない。

生まれついての正義も生まれついての邪悪も本質は同じだ。

命令されてもいないのにも関わらず勝手に運命に立ち向かおうとする。

そのベクトルの差だけでしかない。

反対側に立てば正も悪も反対になってしまう。

だから正義の反対は別の正義なのさ。

 

 

 

――そもそもの話。

何故俺が情報統合思念体を倒さねばならないのかというとやはり涼宮ハルヒが関係していた。

新始動したSOS団の第一回目の活動である脱走したシャミセンの確保に始まり色々あった二年生だ。

激動と形容されるに恥じぬ出来事ばかりだったよ。

夏期冬期合宿、修学旅行、普段の部室でも相談事という体の事件解決の依頼が定期的にやって来た。

ああ、生徒会をどうにか屈服させようと涼宮さんが躍起になった事もあったっけ。

だけどそれは、別の話なんだ。

残念ながらまたの機会にさせて頂けないだろうか。

俺がこれからする話……あえて避けてきた一年生時の七夕の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七月というともう夏としか言いようのない暑さと湿気により不快指数がうなぎ上りになる季節だ。

俺なんか草野球大会に出た六月の段階で苦しさを味わっていたのだから当然七月も同様である。

放課後の部室に居てもそれは変わるはずがなく、なのにクールな様子の古泉が腹立たしかった。

チェス・プロブレムなんぞに興じている俺の右斜め前のトッポイ野郎に向かって。

 

 

「お前さんは暑さを感じない秘策でもあるのか?」

 

俺の左隣の席をわが物顔で占領している朝倉さんよりも古泉の方が宇宙人に思える。

ともすればこいつはテオドラントとオードトワレを間違えてふっかけてるんじゃなかろうか。

それくらい爽やか青少年を演じていた。

古泉も何やら考えた様子を見せたが結局は。

 

 

「気の持ちようですよ。ただ座っていて暑さを感じたとしてもそれを不快に思わなければよいだけですから」

 

「お前さんが汗をかくのかさえ俺には怪しく思えてきたんだけど」

 

いくら朝比奈さんが淹れたお茶が美味しいとはいえ古泉みたいにぐびぐび飲もうとはしない。

飲まずにはいられないというのか? 

窓辺で読書している長門さんが涼しそうなのは構わんさ。

というかSOS団で暑さ云々を騒いでいるのは俺とキョンぐらいかもしれない。

申し訳程度に部室の隅っこには扇風機が稼働しているが効果はお察しだ。

調達したのは他の備品同様に涼宮さんらしいが、流石の彼女もクーラーは用意出来ないのだろうか。

 

 

「僕だって運動すれば汗をかきますよ。普段はいたって普通の男子高校生ですので」

 

「お前さんで普通なら全国の男子高校生に謝るべきじゃあないかな」

 

「以前申し上げた通り、僕の役割は替えが利くものなのですよ。生きていれば偶然の一つや二つはあります」

 

「ふっ。偶然ね」

 

だとしたら朝倉さんの行動は偶然のものだと信じたい。

そして涼宮さんの行動は偶然で片付けてしまうには無茶なものばかりだ。

免罪符にしたいのならもう少しマシなのを用意するんだな。

すると、ドアがノックされた後にキョンが入って来た。

夏仕様メイド服姿の朝比奈さんは笑顔で。

 

 

「こんにちはぁ、キョンくん」

 

「朝比奈さん、こんにちは。……全員揃っているみたいだな」

 

涼宮さんは居ないけどね。

もっとも彼女が重役出勤しない方が珍しいのはこの二ヶ月の期間で充分理解出来た。

俺が思うにキョンは涼宮さんの奇行にこそ文句を言うが涼宮さんそのものに対してはそこまで苦言を呈さない。

何か言ったとしても小馬鹿にしているような感じだ。

よって俺は彼を小馬鹿にするとしよう。

 

 

「キョン……大丈夫か?」

 

「どうした急に」

 

「いや、これは余計な心配だが、そろそろ考査が近いだろ」

 

「……こんな所に来てまで言われるとは思わなかったんだが」

 

「それだけ期待されているって事さ」

 

「勝手にしてろ」

 

ぶっきらぼうにそう言うと古泉の横に怠そうな表情で座る。

しかしながら彼も一応の心配はしているらしく英語のテキストを鞄から取り出して、置いて、開いた。

それから十数分は経過したが一向に作業している様子は見られない。

こいつの方向性が決定的なものとなった瞬間である。

怠けている上に朝比奈さんを見つめ始めた馬鹿野郎に対して何か言おうと思ったその時。

 

 

「はいはい! ごっめんねぇ、遅くってさぁ!」

 

謝る気概が見受けられないくらいの声と笑顔でもって涼宮さんがようやく到着した。

俺と朝倉さんが部室に入ってから三十分以上は確実に経過しているが気にしない。

気にするだけ何かが改善される訳がないからである。

だが、今回ばかりは一応遅れた理由なるものが存在していた。

彼女の方にはそれはそれは立派な竹が担がれている。

笹の葉だって当然付いている。

 

 

 

――七月七日。

この日は確かに七夕だった。

キョンはこれから過去に飛ばされてなんやかんやしなければいけないのだろうが、どうせ俺には関係ない。

関係ないのだからこれまた気にしない事にする。

やがて、七夕と言うぐらいだからごく自然の成り行きで願い事を短冊に書けと命令された。

しかも二十五年後と十六年後に叶うためにと来たもんだ。

ベガとアルタイル云々やら特殊相対性理論云々を言ったところで叶う保証がない。

常識を外れた結果として涼宮さんの常識は地球外の常識だとしか思えないね。

ただ、古泉は涼宮さんの肩を持つような発言をした。

 

 

「常識外れに見られるかもしてませんが、そうとも限りませんよ」

 

彼が言うには本当に頭の中がお花畑ならば世界の方も常識を保ててはいないはずらしい。

逆説的な捻くれた考え方だし、何より涼宮ハルヒ=神的図式をそのまま述べているだけではないか。

『機関』の連中がどういう規模かは知らないが基本方針は涼宮さんのためなんだとか。

団長を名乗るだけあって我こそは頂点也と考えはするだろうが、それこそお前たちにヨイショされる必要があるのおか。

常識外れなのはこっちもなんだよ。

そうさ、俺はこの時はまだ事態を真剣に考えてはいなかった。

偽UMAとの戦いはこの後なわけで俺の意識はぬるま湯に浸かっていた状態。

朝倉さんの事なんて何とも思っていなかったんだ。

 

 

「……常識、ね」

 

そして全員が短冊を掻き終わった。

俺の短冊は十六年後が『幸せな生活』で二十五年後が『社長になる』だ。

何の社長になるのかさえ書いていないが、夢ってのは漠然としているぐらいが丁度いいんだよ。

朝倉さんは『成功しますように』と『笑って過ごせますように』のどちらが先でも変わらなさそうな内容だ。

正体はさておき彼女はいい意味でクラスの人気者である。

 

 

「朝倉さん、それ充分達成出来ているんじゃあないのか?」

 

「まだまだよ」

 

と言うかその内容が本音とはとても思えない。

いかにも優等生がいい人ぶって書きましたオーラが感じられる。

まあ文句を言おうが何を言おうがしょせん戯言でしかない。

くくりつけられた短冊どもも可愛いもんだ。

涼宮さんは憂鬱な表情で。

 

 

「後十六年先かあ……」

 

見通しが甘かったとしか言いようがない。

この時の涼宮さんの願いは原作通り十六年後に『世界があたしを中心に回るようにせよ』だ。

もしかしなくても、これは世界征服だろ?

そうさ。歪んだ願いだ。

何が言いたいかは渡橋ヤスミが教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌年四月。

α世界、午後六時に呼び出された文芸部室。

そこでヤスミがキョンと俺に語った内容はまさに驚天動地であった。

 

 

「明智先輩がこの世界にやって来たのは間違いなく涼宮先輩のおかげです」

 

「そりゃこいつは異世界人だからな」

 

「でも、本来とは違う形で呼ばれてしまったんです。浅野さんだけが来る予定だった」

 

どういう事だろうか。

あるべき流れが存在していたのか?

だとすれば、それは原作の話なんじゃあないのか。

ヤスミは申し訳なさそうな表情で。

 

 

「先輩たちもよく御存じだと思いますが、涼宮ハルヒには願望を実現する能力があります」

 

「おかげ様で面倒に巻き込まれちまっているがな」

 

「問題はその能力ではなくて、願望なんです」

 

「確かにハルヒは破天荒な事しか望まないがそれを問題視するのは今更だ」

 

「本当にそう言えるんですか?」

 

俺には何となくだが察しがついてしまった。

能力は間違いなく彼女の願望を叶えるに違いない。

そこではなく、願望の方に問題がある。

つまり。

 

 

「涼宮先輩の願いは歪んでいます。だから今まで先輩たちは色んな事件に巻き込まれてきたんです」

 

「お前は……何をどこまで知っている……」

 

「……あたしが話せるのは事実だけですから」

 

歪んでいるだって?

涼宮さんが、その願いが、歪んでいる。

俺は閉じていた口を開けて。

 

 

「渡橋さん。……その事実とオレの立場が、どう関係するのかな」

 

「涼宮ハルヒが能力を発現したその瞬間から彼女の精神は荒廃していました。当然ですよね。世界を何度も壊そうとした」

 

「結論から言ってくれ」

 

「事故、です」

 

事故。

手違いで迷惑をかけたとかさっき言ってた気がするけど、まさか不可抗力とか言うのか。

それでも俺を異世界人として召喚する事は決まっていたはずだ。

俺の精神が歪んでいるのは残念な事に元来そういう性質だからでね。

 

 

「色々なものを歪めてしまいました。その中の大きな一つが、情報統合思念体です」

 

「何……?」

 

「一番熱心に彼女を監視していました。自律進化を求めて。だけど涼宮ハルヒの生命にはやがて終わりが訪れる」

 

それでジリ貧のままチャンスを無駄にしたくないから急進派なんて存在が出てくるわけだ。

これ自体は過激的でこそあれど歪んではいない……。

キョンはすっかり黙ってしまっている。

俺だって何の事かはさっぱりだ。

情報統合思念体が気に食わないのは確かだが。

 

 

「その内に、七月七日が訪れたんです」

 

次元の壁を越えて俺と言う精神を引きずり込んだわけだ。

これも願いだ。

 

 

「ですがこの時既に情報統合思念体は歪まされていました。涼宮ハルヒの観察だけではなく、自らの手で自律進化の可能性も模索し始めました」

 

「いい事じゃあないか。迷惑がかからなければそれでいい」

 

「無限の可能性への追求。"アナザーワン"は、その足掛かりとなるはずでした」

 

「アナザーワン……? 何でそれを君が」

 

喜緑さんぐらいしか知らないはずだ。

ヤスミはうっかりといった表情で。

 

 

「そう言えば、こっちの明智先輩は自分の能力について知ってませんでしたね。まあ気にしないで下さい」

 

その後の彼女の説明を要約しよう。

つまりアナザーワンと呼ばれる個体に求められたのはまさしく自律進化の実現。

涼宮ハルヒのエネルギーは次元の壁を越えてしまうほどに強力だ。

情報フレアと言えばショボそうだが、目に見えないビッグバンと同じようなもんらしい。

正真正銘の世界の始まり。

願望を実現する能力そのものを研究する事に意義はそこまでない。

人類が神の次元に到達したという事がとても有意義だった。

 

――人間を超越した、超越者。

そのプロセスさえ解き明かし我が物と出来たならば情報統合思念体は真の頂点となれる。

いくら長い時間を過ごそうと情報統合思念体も無敵ではない。

原作【涼宮ハルヒの消失】がそれを証明している。

涼宮さんの能力を利用した長門さんにあっさりと消されてしまった。

だからこそ一つずつ涼宮ハルヒに近づく必要があった。

自律進化さえすれば、涼宮ハルヒの能力よりも上に行けるはずだ。

ただの生存本能さ。

アナザーワンは次元の壁を超えるのが作られた目的。

そのためのエネルギーや方程式も涼宮ハルヒの観察から学んでいたのだろう。

 

 

「それは叶いませんでした。何故ならば他ならない涼宮ハルヒが邪魔したからです。無意識の内にアナザーワンと明智先輩を引き合わせて」

 

本当は別の意思が存在するのかもしれない。

俺には涼宮さんの能力に関する真相は不明だ。

だけど、彼女のせいで明智黎に変な同居人が二人もやってきて三人で一人にさせられた。

情報統合思念体からは、自律進化の実現というノウハウが全て消失した。

そしてそれは決して戻る事がない。

情報統合思念体とは巨大なデータベース。

データベースは単純に記録しか出来ないからだ。

不可能ではないが自律進化をするのは困難。

ヤスミは俺に一礼して。

 

 

「明智先輩。情報統合思念体さんを、救ってあげて下さい」

 

おい、おいおいおいおいおい。

やっつけろとか消してしまえなら喜んで引き受けるさ。

救うって何だよ。

自律進化の手助けは俺に出来ないぞ。

出来るのはこれ以上苦しまずに済むように始末するだけなのさ。

もう何も言えないといった様子のキョンは。

 

 

「何だかよくわからんが、何故明智がお前にそんな事を任されるんだ」

 

「先輩たちは今までずっとそうしてきてくれたじゃないですか。涼宮ハルヒの願望の歪みを正す。それがSOS団の使命の一つなんです」

 

ちくしょう。

"スペアキー"だとかもっともらしい事は何だったんだよ。

涼宮さんが望んだ末に、歪む。

穢れた願望器だなんて有り触れたパターンだ。

そしてその尻拭いをするのが俺たちの役割なのか?

なあ、それって"抑止力"だとかそういう話なんじゃないのか。

 

――古泉は言っていた。

涼宮さんがいくら望んだところで世界は普通の物理法則を保っていると。

それは彼女が本当は不思議などこの世にないと常識を理解しているからだと言っていた。

本当は違ったんだ。

俺たちが世界が歪む前にそれを修正していたんだ。

去年の閉鎖空間から、今日まで。

 

 

「……やっとわかったよ」

 

朝倉さんは涼宮ハルヒに殺される運命だった。

急進派の暴走? それってつまり情報統合思念体の一部だ。

涼宮さんに歪まされた情報統合思念体は朝倉さんまでも歪ませた。

結果として、必要とされた長門さんだけが残る。

朝倉涼子は涼宮ハルヒにとって不要。

宇宙人は一人で充分。

涼宮ハルヒは歪んでいる。

 

 

 

――以上。

必要な条件は全て出揃ったよ。

だから、二年生の話をこれからしたい。

最初で最後の俺の活躍。

その日は当然七月七日だった。

 

 



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いつかの約束

 

 

もし俺が何でも出来るような超人じみた奴だったら苦労しないんだろうさ。

涼宮さんがそうであるように俺も一人で背負うには意味不明かつ無駄に大きな能力を押し付けられた。

……何で俺にした。

俺より精神力が強い奴なんて捨てても捨てきれないぐらい世界には存在するじゃないか。

古泉はたびたび自分は特別な存在ではないのだと否定していた。

俺もただ宝くじを当ててしまっただけなのさ。

でなけりゃあ貧乏くじだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はたして幸か不幸か、都合が良いのか悪いのか。

この二年生時の七月七日こと七夕は生憎と土曜日であった。

流石のイベント好きな涼宮さんもわざわざ土曜日に呼びつけてまで今年も七夕をやろうとはしなかった。

いや、自分でも気づいていたのだろう。

去年の自分の荒唐無稽な願い事など叶うはずはないのだと。

あるいは願う事に頼るのをやめつつあるのだろう。

 

 

「朝倉さん」

 

「なあに」

 

「こんな時になって色々わかる事があるなんて思いもしなかった」

 

特別な何をするでもなかった。

日中はただ彼女の家にお邪魔して、いつも通りに過ごしていた。

今は午後五時。指定した時間までは四時間もある。

移動込みで考えてもあっと言う間だろう。

俺はこの期に及んでまだ悩む要素が存在していた。

はっきり言うと俺は情報統合思念体をただで済ませようとは何一つ考えていない。

救えだなんて言われても俺は神でも救世主でもないんだぜ。

全てを救うなんて無理だ。

やる前から投げ出しているわけじゃない。

やってから救う範囲を広げろっつう話だよ。

ソファ座っている俺の左横に座る朝倉さんは。

 

 

「明智君。"色々"ってのは何も考えていないのと一緒なのよ?」

 

「なるほど、勉強になった……」

 

かつて俺の視界は、俺の世界はモノクロだった。

涼宮さんの閉鎖空間と似たようなもんさ。

だけど彼女と俺は違う。

なんか、もう、どれとかじゃないだろ。

人間と人間の差は絶対的なんだよ。

上とか下とか考えるなって。

そのてめえだって頂点じゃない限り差をつけられているはずなんだから。

涼宮さんだって真の頂点ではないだろ。

きっと俺たちが知らないだけで世界には似たような連中が居るかもしれない。

情報統合思念体でも知らない事があるんだぜ?

世界はマジで大きいんだって。

どこまでも遠くへ行こうとする人間の精神がある限りそうなんだよ。

色々、でお茶を濁すのも許してくれないかな。

 

 

「オレたちは最初から最後までこういう役割を続けるんだ」

 

「涼宮さんによって歪められた世界の修正作業かしら」

 

「いいや、それにはやがて終わりが来る。無限じゃあない」

 

「だったら何?」

 

「宇宙人未来人異世界人超能力者として、遊び続ける事さ。死ぬまで」

 

なあ、やっとわかったんだぜ。

古泉が言っていた"いい傾向"ってのがどういう事か。

どうもこうもあった。

その傾向ってのは涼宮さんが人間的に成長しているって意味合いだけではない。

人間の願いは100%純粋なものにはならない。

機械じゃあないんだから、無理無理。

涼宮さんの願望が歪んでいるのも当然の事だった。

そうさ。いい傾向ってのは結局、涼宮さんが自分の歪みを自分で矯正していく傾向。

谷口の言った通りだったんだ。

自分が欲しいものは自分の手で勝ち取る、だろ?

三年間願い続けた涼宮さんは四年目の今年とうとう願う事を捨てようとしている。

おまじないは呪いだ。

呪いってのは解かれなきゃいけないのさ。

眠れる森の美女がそうだったんだ。

だから俺も。

 

 

「何もかも上手く行く保証はないわ」

 

「わかってる」

 

「喜緑江美里をはじめとする他の端末が黙っているかしら」

 

「わかってるさ」

 

「……あなたが、帰って来れる保証はないのよ…?」

 

それもわかってるよ。

無茶苦茶な作戦だけど"アナザーワン"が言うには実行可能だって言うんだからしょうがない。

いくら何でも俺が宇宙に飛び出すなんて芸当は不可能で、仮にロケットを飛ばしたところで奴がどこに居るかがわからない。

人間が到達できるような距離じゃないのは確かだ。

だからこそ俺たちには切り札が残されている。

ジョン・スミス? 涼宮ハルヒの願望を実現する能力?

そんなものは必要ない。

勝利の方程式は揃う。

これから、もうすぐ。

 

 

「帰って来るさ」

 

「嘘ついたら……ナイフ千本だから……」

 

「朝倉さん相手に今まで嘘をついた覚えはないよ」

 

「本当の事を言わなかった事なら何度もある」

 

「今回はそれ、無しで」

 

「……晩御飯の用意、してくる」

 

そう言って彼女は無言で立ち上がるとキッチンの方へ姿を消してしまう。

やれやれって奴だ。

美味しかったはずの朝倉さんの料理だってその味を思い出せないんだから。

俺も俺で自覚しているさ。

どうなるかもわからない事ぐらいは。

どうもこうもないさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱりあっと言う間だった。

午後八時四五分には既にメンバが出揃っていた。

夜の駅前公園の一角。外灯の下で集まる俺たち。

来なくてもいいのに来たキョン、古泉、周防、そして。

 

 

「わざわざすみません。中河さん」

 

「おお、久しぶりだな明智さん。いや、俺の事など気にしなくて大丈夫だ」

 

そのお方は以前見た時よりもアメフト部員らしくがっしりしているようにも見えた。

キョンの旧友でスポーツ刈りの彼。

彼の協力が無ければこのプランを取れるはずもない。

全てはこの時の為に。

最初から最後まで仕組まれていた。

俺はちょこんと制服姿で突っ立っている周防の方を向くと。

 

 

「中河さんにかけたプロテクトを解除してやってくれ」

 

「――了解――」

 

こくんと頷きそう言うと、中河氏の前までやって来て。

 

 

「……少し、しゃがんでもらえるかしら……。わたしがあなたの頭に触れる必要がある……」

 

「わかった」

 

周防の身長は低くないが中河氏は古泉と同じくらい身長が高い。

流石に手を伸ばしても届く高さではないだろう。

中河氏は地べたにあぐらをかくと、すぐに周防の右手が彼の坊主頭に触れた。

そして何かを呟いたかと思えば手を放した。

仕事が早い。

 

 

「――完了――」

 

「お疲れさん」

 

この一件が終ったら何か奢ってやってもいいよ。

ある意味君のおかげなんだからさ。

中河氏はこちらを見て、正確には俺の隣の朝倉さんを見て。

 

 

「なるほど……本来なら彼女はもっと強く輝いて見えるはずだが、光はうっすらとしている」

 

「最低限のパスしか私には残されていないのよ。今回はそれで充分でしょうけど」

 

彼の能力。

中河氏は宇宙人を通して情報統合思念体にアクセス出来る能力を持っている。

原作で長門さんは情報統合思念体に個人が接続するには脳のメモリが少なすぎる、弊害が顕在すると説明していた。

だから彼の能力を削除したと。

そんなわけあるか。

だったら長門さんをはじめとする宇宙人が彼に近寄らなきゃいいだけだ。

考えなくてもわかるだろ。

わざわざその能力を消しにかかると言う事は、不都合があるという事。

誰にとってだ?

情報統合思念体にとってだ。

 

 

「オレとしてもみんなと話したい事はあるんだけど、さっさと終わらせないとね」

 

「明智……」

 

「キョン。大丈夫だって。今日が七月七日である以上、何でもアリなのはお前がよくわかってるだろ?」

 

「はっ……そうかもな」

 

そこは言い切ってほしかったね。

主人公様の後押しがあればそれこそ無敵だ。

少しはお前の補正も分けてくれって話さ。

すると古泉がこちらに近づいて。

 

 

「明智さん。例の物はここに」

 

彼の右手には手帳が握られていた。

そう、浅野が佐乃として何かをそこに書いたらしき手帳。

あれには確かに俺の能力に関係した要素が書かれているんだろうさ。

でも。

 

 

「それ、さっさと処分しちまっていいよ。焼けば安全でしょ」

 

「いいんですか?」

 

「オレには必要ない。そこに書かれているのは間違いなく負の感情だ」

 

見なくても予想はつくさ。

喜緑さんや佐藤が俺に対して口うるさく言っていた内容。

つまり、"否定"に関して書かれているんだろ。

そんなもの必要ないんだ。

俺はこの世界を受け入れたんだ。

あいつだって自分の世界で生きていけるさ。

今日で終わりにしよう。

今日、この時をもって俺は本当に過去を捨てよう。

おつりを彼女に返さなくては。

キョンの方を向いて。

 

 

「オレは"どうもこうもない"っての、今日でやめるよ」

 

「……そうか」

 

キョンだって佐々木さんの口癖を封印するんだろ。

俺もいつまでも引きずるわけにはいかない。

言葉遊びじゃないけどな、皇帝が否定してどうすんだよ。

肯定しろって。

自分を振りかざすのはただの暴力だ。

妥協が嫌なら協力しよう。

俺はどっちでも平気さ。もう。

 

 

「じゃあ早速――」

 

始めようと言おうとしたその時。

ま、ただで行かせてくれるとは思っていなかったさ。

人影が二つほど、ゆっくりとこちらに向かって歩いて来ていた。

徐々に顔が明らかになっていく。

北高指定のセーラー服。

その二人組はこちらに向かって笑顔で。

 

 

「みなさんお揃いのようですね」

 

「……」

 

まったく、やっぱり君はそっち側につくのか。

宇宙人の喜緑江美里さんと。

 

 

「長門さん」

 

「……」

 

眼鏡越しの彼女の眼光が、いつになく冷やかに見えた。

夜だからって七月はそこまで冷え込まないのに。

さて、どうするつもりなのかな。

 

――勝負は一瞬だった。

喜緑さんが垂らしていた両手をゆっくり上げていく、警戒するまでもない。

何故ならば彼女はいわゆるホールドアップの体勢になっていた。

油断は出来ないが、一応の降参のポーズらしい。

 

 

「人数的に不利ですから」

 

「……そう」

 

嘘だ。

こちらの戦力など俺を入れたとしても朝倉さんと周防で三人だ。

残る三人のキョンと古泉と中河氏は普通の人間だ。

俺が彼らの防御のために後衛に回ったとしても喜緑さんと長門さんの戦闘力ならどうなるかわからない。

朝倉さんと周防を評価していないわけではないさ。

勝負に出ても、あちらに勝算は充分にあるからこそ油断ならない。

そんな事はこちら側の全員が承知している。

 

 

「喜緑さん、あなたは何をしに来たんですか? オレたちの妨害ならいくらでもチャンスはあったはずだ」

 

当然そうならないように直ぐに動ける用意はしていた。

周防と『機関』の連中にも中河氏を気にするように伝えてあった。

今日、アナザーワンが俺のところに帰って来るまで。

いくらでもチャンスはあった。

そんな彼女はどこか投げやりな感じで。

 

 

「わたしは穏健派ですよ? 無駄な争いは避けたいんです」

 

「だったら尚更だ。ここに来るのに争いをする以外の目的があるんですかね。オレは交渉に応じませんよ」

 

「いいえ、わたしと長門さんはお願いをしに来ました」

 

「……」

 

ふっ。"願い"だって?

いくら七夕だからって相手を間違えてないか。

俺はひこぼしじゃない。

願いなど不要だ。

 

 

「そちらの中河さんの能力を利用して、情報統合思念体にアクセスする作戦でしょう?」

 

「……」

 

「明智さんが」

 

そこまでわかっているなら邪魔をしない理由がわからないな。

そう、俺がやる作戦は単純なものだ。

俺が中河さんの能力を伝って情報統合思念体に接触する。

普通の状態なら不可能だろうさ。

でも、俺は情報統合思念体と同じ次元にまで行くことが出来る。

"思念化"は、そういう技だ。

俺と言う情報をウィルスとして送り込むのさ。

データベースを破壊しに行く。

ただ、それだけのシンプルな作戦だ。

 

――帰るアテはない。

 

 

「ええ。そうですよ。オレ一人がやるにしては荷が重い気がしますが、何とかしますよ」

 

「でしたら、わたしを使ってください」

 

「……はい?」

 

「朝倉涼子よりもわたしの方が情報統合思念体に関する権限が上です。確実ですよ?」

 

何を言い出すんだ。

キョンはたまらず俺に向かって。

 

 

「罠だ。俺は喜緑さんを悪い奴だとは思いたくないが怪しすぎる」

 

「僕も同感ですね。何をされるかわかったものではありませんよ」

 

「――」

 

「わたしを信用出来ませんか?」

 

……そうかい。

そういう事なら。

 

 

「お言葉に甘えさせてもらいましょうか」

 

「明智!」

 

「キョン。お前は知らないかもしれないけどな、オレは喜緑さんと約束みたいなものをしたのさ。文化祭で、またバンドをやりましょうって」

 

言葉は信用出来ない。

裏があるかもしれない、だなんて考えてしまうのさ。

だけど、約束は未来志向だ。

信頼してからはじめて成立する。

 

 

「オレは喜緑さんを信頼します」

 

「ありがとうございます」

 

でも、本当にどうしてわざわざ敵につくような真似をするんだ。

彼女は朝倉さんと違って忠実なはずだ。

長門さんは思う所があるかもしれないが喜緑さんまで、何故。

 

 

「明智さんはわたしたちのためになるような事をしてくれるはずです。自律進化は、人類にとっても恩恵があることですから」

 

なるほど。

これでようやく約束が成立したわけだ。

 

 

 

――じゃ、本当に後は行くだけだ。

 

 

「中河さん、お願いします」

 

「ああ。それにしてもこの二人の輝きは確かに凄いな……神々しい……。だが、何処か不安定にも見える」

 

この二人ってのは長門さんと喜緑さんの二人だろう。

かつては情報統合思念体の発する膨大な情報量に魅せられていた彼だが、今は違うらしい。

周防のおかげだろうか。とにかく俺は行かなくっちゃあならない。

俺の左手には久しぶりに具現化した"ブレイド"。

実は形が変化するらしいが俺はやり方を知らない。

俺に出来るのは念能力もどきぐらい。

それでいいだろ。ハンターにも憧れてたのさ、俺は。

涼宮さんとゴンは似ている。

主人公の周りには自然と人が集まってくれる。

俺はどうだ?

辺りを見渡すと、確かに居るじゃないか。

ただ、申し訳ないが未来人の出番はまたの機会にお願いした。

ともすれば戦闘になりかねない状況。

キョンが来たのだってギリギリのラインなんだから。

 

 

「だからオレも、行ってくるよ。……じゃあ、また後で」

 

すっと中河氏に右手を差し出す。

何とも言えない表情で彼はそれに応じてくれた。

本当にここから消えようとしたその瞬間。

 

 

「――明智君!」

 

やだな。

俺を困らせないでほしいな。

いつも君に迷惑をかけた俺だからこそ、わがままを言いたくなるんだ。

朝倉さんの今にも泣き出しそうな切ない表情はもういい。

見たくない。

今はいいけど、笑顔で俺の帰りを迎えてほしいんだ。

ねえ、駄目なのかな。

 

 

「駄目じゃ……ないわよ……」

 

よかった。

後悔せずに済みそうだ。

 

 

「……馬鹿。さっさと帰って来なさい」

 

約束したじゃないか。

俺はどこにも行かないと。

 

 

「オレは、ここにいるんだからさ」

 

嘘みたいに空が輝いて見えた。

流れ星も何もない。

ただの夜空だ。

黒いはずだ。

でも、夜明けってのはそういうもんだろ。

これも気持ちの問題なんだよ。

 

 

――そうして、俺は消えた。

まるで宙に浮く感覚とともに空高くどこまでも飛ばされて行く。

時間にしては一秒もなかっただろうさ。

俺にはそれがやたら長く感じた。

終わらせに行くんじゃない。

決着をつけに行くだけだから。

ありがとう。楽しかったよ。

 

 

 



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主人公になれなかった男

 

 

次の瞬間には俺は実体を取り戻した。

いや、実体なのかどうかも定かではない。

辺りを見回すと前に見た事がある場所。

ここは東中のグラウンド……。

しかも、佐々木さんの閉鎖空間の中のようにセピアカラー。

空は太陽ではなく不気味な光に照らされている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここが宇宙だって……?」

 

いや、どう見ても地球だろ。

俺はどこへ飛ばされたんだよ。

これは喜緑さんの罠なのだろうか。

とりあえずここから動こう、と思い校門を目指そうとすると――。

 

 

――パチパチパチパチ

 

それは、乾いた音だった。

実体が本当にあるのかどうか怪しい状態の俺でもその音が拍手だと理解できる。

ゆっくりと、俺の背後にある校舎の方を振り向く。

 

 

『予想した通りだ。君ならば来ると思っていた。90、いや、100%と言っても過言ではない確立でな』

 

理解が出来そうにないね。

緑の厚手なロングコートを羽織り、髑髏のバラクラバで覆った顔にはサングラス。

コートと同じ緑色のシルクハットを被り、手にはレザーの手袋。

聞き覚えのある不鮮明な声。

嘘、だろ。

 

 

「お前が何で……どうして……?」

 

これが喜緑さん、いや情報統合思念体の仕業じゃないなら誰の仕業だ。

ジェイ。……詩織がそこに立っていた。

 

 

『詩織? 佐藤詩織のことかね。ふむ……驚かすには充分だったようだな、この変装も』

 

そしてそいつは本来の姿を俺に見せた。

コートを脱いだ中からは白衣、バラクラバを脱ぐと白髪。

一度、あった事がある奴だ。

宮野とか名乗った男。

この東中のグラウンドでよくわからない事に巻き込まれた時に出会った。

 

 

「あんた、何者だ……?」

 

「今度こそ。ようやく真実を語ろうではないか」

 

「おい、何者なんだと訊いている!」

 

「落ち着きたまえ」

 

落ち着いていられるか。

何故お前がその恰好をしていた。

それは佐藤が俺相手に変装していた時の恰好だ。

俺をあざ笑うかのようにそいつは確かに言い放った。

 

 

「私が"ジェイ"だ」

 

「……何、だって……?」

 

「キミは見落としていたのだよ。佐藤詩織が説明した"ボス"それが私こと、宮野秀策だ……否、かつてそう呼ばれていた男だな」

 

馬鹿な。

詩織はそんな事説明してくれなかったぞ。

確かに組織がどうこう言っていた気がするが、俺は出任せだとばかり思っていた。

意味が分からない。

 

 

「オレを混乱させるのがあんたの仕事か? 情報統合思念体に頼まれたのかよ」

 

「私が佐藤詩織の意識に干渉していただけの話だ。そして、私の目的は大したことではない」

 

「……言ってみろよ」

 

「キミは閉鎖空間と涼宮ハルヒの関連性について考えた事はあるかね?」

 

唐突に、そんな事を言い始めた。

それがこの場所に関係する内容なのだろうか。

何より情報統合思念体に俺はアクセスしたんじゃなかったのか。

理解出来ない。

冷たく、吐き捨てるように俺は答える。

 

 

「涼宮さんのイライラを発散させるためのシステムだろ……」

 

「不正解だ。あれは、そこまで慈悲深いものではない」

 

「そりゃあそうだろうよ。世界を壊しかねないんだから」

 

「いかにも。だからこそ涼宮ハルヒは神と称されるのに相応しいのだよ! 願望を実現する能力だと? そんなものはオマケでしかない。実現可能な出来事の過程を吹き飛ばすだけならば、超能力でもいいのだからな!」

 

何を言っているんだ。

涼宮さんが起こした出来事は実現可能とかの次元ではない。

俺を呼んだのだってまさに次元の壁を越えた。

それがオマケでしかないだと?

 

 

「だったら閉鎖空間が何だって言いたいんだ」

 

「時に、キミは世界がどういうものか考えた事があるかね?」

 

「具体的に言え」

 

「世界の果てに何があるのか……地平線の向こうには何があるのか。過去の偉人はそれを探究し、結果を残した。私もそうだ。もっとも、私は真相をつきとめたとしても公表したいわけではない。私個人が満足出来ればそれでいいのだよ」

 

「とんだ独善者だな」

 

話の論点をどこに持って行きたいのかがまるでわからない。

見えてこない。

確かにこいつはジェイのようだ。

雰囲気が、敗北者のそれだ。

 

 

「時は満ちた。今こそ言おうではないか」

 

やがて、この空間は急変した。

一瞬の内に黒の世界へ変化する。

涼宮さんの閉鎖空間。

一体何が起きているんだ。

ジェイは高笑いをはじめ、やがて全てを突きつけるかのように黒い空へ向かって手を伸ばした。

 

 

「――神は、神の世界は実在する!」

 

「……は…」

 

「閉鎖空間とは、世界の再構築へのプロセスに他ならない! それを神の所業と呼ばずして何と呼べばいいのか!」

 

「涼宮さんは神だって言いたいのか」

 

「違ぁう! 不正解だ! 閉鎖空間はつまり、神の世界にもっとも近い場所なのだよ!」

 

「……狂ってやがる」

 

話がまるで噛み合わない。

イカれている、こいつが白目じゃないのが不思議なくらいだ。

超人がどうとか言っておいて、最後は神に押し付けるのかよ。

天国のニーチェ大先生が大激怒するぞ。

 

 

「この場所が何故閉鎖空間を模しているか、キミにはわかるかね!? わからないのならば教えてあげよう! 情報統合思念体の目的は、器となる事だったのだよ」

 

「器、だと」

 

「涼宮ハルヒの全てを受け継ぐための器。情報統合思念体はキミたち人類に失望し、ゆくゆくは自らの手で進化を成し遂げるつもりだった。頂点へと向かって!」

 

「頂点だとか神だとか、抽象的すぎる。死にたくないだけなら勝手に延命してろよ」

 

「無から有は生まれないのだよ。それが出来るのは"外の世界"の住人だけだ」

 

「外? どこの世界だよ」

 

「これが最後の真相だ。我々が住むような世界は全て、創られたものなのだよ! 神と言う名のクリエイターによってな! 何もかも、与えられたオブジェクトに過ぎない!」

 

おい。

それが真実ならどうなる。

俺は創られた存在?

そこまではまだ認めてやっていいさ。

だけど、その定義の神なんて馬鹿馬鹿しくて認められない。

ここはお話の世界だ、とでも言いたいのかお前は。

 

 

「現実も虚構も同じだ。それを担う者がそこには存在する。そして、それを生み出した者もな」

 

「意味が解らん。すると、情報統合思念体の自律進化ってのは無限のエネルギーを求めてたって事なのか? 無から有を生み出す力を求めていたと? それが何だって言うんだ」

 

「質問は一回……だが、質問内容は同じ意味だな。答えはイエスだ。そして最後の質問の答えは単純だ」

 

「……何だよ……?」

 

「朝倉涼子は、急進派だ。そして彼女の目的は情報統合思念体の目的でもあった」

 

急行かつ強硬な変革か?

だけどそれは勇み足だった。

俺がどうにかしなければそのまま彼女は踏み外し、死んでしまっていただろう。

何より情報統合思念体がそうであれば長門さんだって同じはずだ。

涼宮さんに刺激を与えてでも観測を進めていくべきだ。

そんな事なんて無かった……。

いや、一度だけあったな。

 

 

「朝倉さんに擬態した急進派の宇宙人か」

 

「私にとっては彼女の存在こそが始まりのアルファであったが……それは後でいい。本質は目的についてだ」

 

「だから、変革だろ」

 

「てんで駄目だな。赤点まっしぐらだぞ。キミは彼女から聞いていないのか? 彼女の、生きる意味を」

 

「……"探究心"、か」

 

「そうだ。奇しくも私も同じ行動原理で出来ていてね。だから行動していた」

 

涼宮ハルヒに対する探究心なのか何なのか、そんな事などどうでもいい。

ただ一つ俺が言えそうなのはそのおかげで迷惑している連中が居るって事だけだ。

肝心の涼宮さんが大人しくなってくれているんだ。

そこを悪い方向に刺激させたくはない。

自分でも自分の恐ろしさに気付いていないんだ。

まだまだ彼女は子供なんだよ。

これでも俺は精神年齢三十歳が近いんだ。

正しい道に導くのが、大人の役割だろうが。

そのためだけに俺は来たんだよ。

この、世界に。

 

 

「あんたがオレの邪魔をするってんなら――」

 

もう一度俺は"ブレイド"を具現化した。

した、つもりだったが今度はさっきと形が違った。

良く切れそうな、短いナイフ。

ちょうど朝倉さんが扱うそれが青一色ならこんな感じなのだろう。

錠を、穿つ。

まさに鍵の役割だ。

 

 

「――あんたの正義を受け止めた上で、切り捨ててやるよ」

 

「ほう……それがキミの覚悟かね?」

 

「いいや。選択さ」

 

覚悟も何もあるか。

当然の如く対抗するだけだ。

自分の世界を守れるのは自分だけなんだよ。

戦ってるのは俺だけじゃないんだ。

俺である必要は無い。

 

 

「これからあんたが相対するのはただの人間さ。ハンターでも、念能力者でも、異世界人でもない。ちょっぴり速く動けるだけの、ナイフを持った、ただの男だ。暴漢に襲われたとでも思うんだな」

 

「……私はただでは倒れないぞ」

 

「オレが死んでも次が来る。そういうふうに出来ているんだろ」

 

「いかにも。その通りだ」

 

兄貴が言っていた。

自分の代用はいくらでもある。

だけど、後を任せるのと後を押し付けるのは別だ。

そして俺はそのどちらをするつもりもない。

 

 

「――来たまえ。弟子に付き合うのも悪くはないからな」

 

「オレはあんたの弟子じゃねえよ」

 

「なら、私と戦う前に一つだけ知ってもらおうか」

 

「いいや。知りたくないね」

 

ジェイとの距離、10メートル前後。

次の瞬間には、俺が立っていた場所を何かが通過した。

この世界自体が暗いからわかりにくい細く鋭い棘のようなもの。

右方向に跳んで躱していくも、一撃二撃では済まない。

何本も存在していてそれら全てがジェイの方向から俺に向かって襲い掛かる。

いつぞやのゾンビ吹き飛ばしはこれだったのだろうか。

 

 

「中々どうして素早しっこいな!」

 

そう言ってジェイが指を振るうと何本もの物体が俺を包み込まんと飛来してくる。

まるで触手だ。

上下左右から七、八本は勢いよく飛んできた。

 

 

「っちぃ!」

 

左手のブレイドを一閃させると切り裂く事が出来た。

強度は特別硬いわけではないらしい。

残りも一瞬の内に切断していく。

 

 

「どうした、その程度かよ」

 

「ふむ。いい位置だな」

 

「何?」

 

「持続時間は残り十数秒だが、これで詰みだ」

 

そう言って再び俺を貫こうと鋭い触手が俺に接近してくる。

切れるのなら問題なく切断してやろう。

と、思って左手を動かそうとするが、動かない。

否。首から下の身体全てが動かない。

いつの間にか俺の足は黒光りしている円の中に入っていた。

 

 

「キミの立っている場所は私が暫く前に設置した法円が描かれている。逃げられまい」

 

金縛りと違ってレジスト出来ないのかよ。

挙句の果てにここでは"思念化"も出来そうにない。

彼の言葉が聴こえるのと、俺の身体に触手が刺さったのは同時だった。

オーラの防御も関係なしに刺さっていく。

貫通こそしなかったが、四肢に激痛が走る。

出血がない。だが、何かを奪われたかのような感覚。

睨む俺に対してジェイは。

 

 

「言い忘れていたが、我々はここでは異物。招かれざる客なのだよ」

 

「……ん、だと」

 

「情報統合思念体。その中枢ではないが、確かに彼らの中だ。我々はデータでしかない。キミが味わっているのは容量を削られた事による痛みだろう。安心したまえ、死ねば消えるだけだ」

 

「誰が、死ぬって」

 

「私の予定ではないな」

 

勘違い野郎が。

今のはスリップダメージの範疇だよ。

すぐにコカしてやる。

 

 

「落ち着きたまえ。話を少し聞いてから全てを判断するのだな」

 

「戯言だろ」

 

「私が何故、ここに居るのか。それはつまり涼宮ハルヒのせいだ」

 

「馬鹿言え」

 

「正確には私は涼宮ハルヒの能力を利用した長門有希に"消失"させられた存在なのだ」

 

消失?

それはつまり原作の話か。

お前みたいな奴が住んでいるような世界なのか。

基本だとか、その手の話はどうでもいい。

俺が帰るべき場所は一つだけだ。

 

 

「ふむ。私に帰る場所はない。何故ならば、私は切り捨てられた世界の住人だからなのだよ。消失の一件が解決して世界は再構成された。私も再構成されただろうな。だが、それは別の私だ。消された私は私として世界の限りなく外に近い場所を彷徨う事しか出来ないのだから」

 

「……お前」

 

「私にもあったさ、守りたいものがな。キミと同じだよ。しかしその機会は永遠に失われた」

 

わかってしまった。

彼は本当に敗北した存在なのだと。

ただ巻き込まれただけの存在だ。

俺と同じ。

いっそ、消えてしまった方が楽だろうに。

 

 

「キミが来なければ良かったのだ。浅野くんよ」

 

俺の何処に責任があるのかは知らない。

単なる言いがかりだ。

でも、事実としては存在する。

 

 

「オレはイレギュラー。そういう事でしょう……?」

 

「正解だな」

 

どこまで世界を歪めていたんだ。

涼宮さんは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

動き出す時が来た。

終わりに向けて。

いつの間にかセピアカラーに戻っていた世界。

違う、ここが本物の閉鎖空間なのさ。

何も無い。何も生まれそうにない情報統合思念体の中。

自律進化をすれば別なのかもしれない。

俺には関係ない世界だ。

 

 

「――周防が居なければ詰んでいたところだ。ここまで来られなかった」

 

「私に感謝したまえ」

 

「ふっ。そういう風に仕組んだのはあんたの方だ。神にでもなったつもりか?」

 

「違うな。私は復讐がしたいのではない。全てを終わらせればそれでいい……。私にも情報統合思念体にもそれは無理だ。しかし、涼宮ハルヒの力は格別だ」

 

最初から本気でかかってこなかったのはどういうつもりなんだよ。

子どもの遊びだ。

ごっこ遊びだ。

何歳かは知らないが中二病なら一人でやっててくれ。

ジェイは右手を差し出すような形で。

 

 

「そこで、キミに提案がある。どうかね。私と協力すれば世界の全てが手に入るぞ? 何一つ困らない。涼宮ハルヒに悩む必要もない。世界は常に歪みなく安定している。永遠に、キミの愛する朝倉涼子と生きられるだろう」

 

「……」

 

「今すぐに、返事を聞かせてもらおうか」

 

随分と魅力的な提案だな。

とうとう主人公すら飛び越して俺は神になれるってわけか。

涼宮さんの観測が終れば、直ぐにでもその能力を我が物とすべく情報統合思念体は決断を下すだろう。

情報統合思念体が知りたいのは彼女の能力の過程だ。

涼宮ハルヒによってナニカが改変された、という結果が全てではない。

過程を重んじる邪悪な存在と、結果を求め続けてきた俺。

皮肉じみた巡り合わせさ。

 

――それもいいかもしれない。

何も倒すだけが決着じゃないだろ。

話し合いで解決出来るならばそれに越した事はない。

いつまでも、朝倉さんと、幸せにか。

 

 

「悪くないね」

 

「だろう?」

 

そうだな。

悪くないさ。

武装解除して今すぐあんたの所まで歩み寄ってもいい。

だけど。

 

 

「時に、あんたは……約束をした事があるかい?」

 

「ふむ……意味のない行為だな」

 

「オレはある」

 

だけどな。

悪くないって理由だけでそれを選ぶほど俺は安い男じゃない。

どこにも行かないってヤツではない。

ずっともっと前に、一番最初に約束したんだよ。

 

 

「悪くないけど、ノー。絶対にノーだ」

 

「……どうしてかね」

 

「どうもこうもある。オレは朝倉さんと一緒に死ぬと約束したんだからな!」

 

死ぬ時は死ぬ。

それでいい。

 

 

「だが、今日じゃあねえよ」

 

「そうか。残念だ」

 

するとジェイが空中で指を振るうと黒く発光する魔法陣のようなものが描かれていった。

そしてそこから無数の触手が飛び出してくる。

数は測定不能。とにかくいっぱい。

本気なのかわからないがさっきよりはヤバそうだ。

 

 

――ボクが代わろうか? ここじゃあ君は不利だけど。

 

いいや結構。

正面突破なら得意なんだよ。

突っ切って、ぶちのめそう。

 

 

「……ぐっ、ぎぃ」

 

ナイフ状のブレイドで切り裂きながら進んでいく。

俺の進行と同時に身体の末端がじわじわ抉られていく。

痛いな。

正直生きてて味わう痛みなのかよ。

地獄の痛みってこんなんじゃないのか。

だが死んだ覚えなんてない。

帰るアテも必要ない。

なるようになる。

俺が朝倉さんを最初に助けた時だって、ほぼほぼノープランだった。

出たとこ勝負だった。

舞台に出てしまう羽目になった。

それでも、出て来ない奴よりはマシなんだよ。

 

 

「ジェイ!」

 

「……なるほど。全ては結果と言う事か」

 

はぁ、はぁ、と息を切らしてジェイと対峙する俺。

文字通りに手の届く範囲。

あいつが何かするよりも早く、俺は彼を切り裂けるだろう。

今までの人生の中で一番長く感じた約10メートルだ。

 

 

「満身創痍。右腕はもはや原型を留めていない。足は抉られ、肩やわき腹だってそうだ。私には耐えられない想像を絶する痛みだろう。……だのに、キミは何故立っていられる?」

 

「………さあ…ね……」

 

「ならば一つだけ教えてくれないだろうか」

 

すっ、と俺は左腕を掲げる。

振り下ろせばジェイの身体を切る事が出来る。

 

 

「私は、どうすればよかったのか……キミにはそれがわかるのだろうか……」

 

知らないよ。

あんたが決める事だ。

そして俺は、彼の身体を切り裂いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

邪魔者はこれで消えたのだろうか。

とにかく俺がどうこうすべき相手は情報統合思念体だ。

俺にどうしろって。

 

 

「オレもあんたも、似てるかもしれないが別人なのさ」

 

「……」

 

俺は殺さない。

佐藤詩織を殺した記憶を持っている限り、誰も殺さない。

ナイフも俺もとんだなまくらだよ。

"意識"を切る、だなんて馬鹿げてる。

どこの侍だっつの。

目の前で横たわる宮野だかジェイだかが情けなく思えてくるね。

 

 

「とにかく、このグラウンド以外に行ける場所を探そうか……」

 

「その必要はありませんよ」

 

いつの間にか、そいつは俺の後ろに立っていた。

北高の制服。

ショートヘアでニコちゃんマークの髪留め。

久しぶりの再会、パートツーかよ。

 

 

「……渡橋さん」

 

「久しぶりですね。明智先輩は」

 

「どうして君がここに?」

 

「先輩ならやってくれると思ってました。信じていました」

 

嬉しそうな笑顔だった。

でも、どこか別れ際の朝倉さんの表情と似ているように見えるのは何故だ。

何故なんだろう。

ヤスミはジェイの姿を見て。

 

 

「宮野さんがここに常駐していたおかげで、あたしの干渉を妨害し続けていたんですよ。情報統合思念体をどうにかしようとしても、彼のせいでそれが出来なかったんです」

 

「……もしかして、オレがここに来たのはジェイを倒すためだったって?」

 

「簡単に言えばそうなりますね」

 

なん、だよ、それ。

説明しろよ最初から最後を。

俺もグラウンドの地べたに倒れそうになる。

支える脚がズタボロなんだ。

ブレイドを霧散させ、残った左手でどうにか地面に手をつく。

そのまましゃがみ込む。

暫く休憩だ。

 

 

「なあ、渡橋さん」

 

「はい?」

 

「ジェイが言っていた事は本当なのか」

 

「……涼宮ハルヒの願望が歪んでいたのは事実です」

 

「彼には帰る世界がないらしい。どうにかならないのか」

 

「あたしを責めないんですか? あたしは涼宮ハルヒの能力そのものと言ってもいい存在なんですよ」

 

そんな事はどうでもいい。

至極些末な問題でしかないじゃないか。

俺が居て、みんなが居る。

それだけでいいじゃないか。

いつか終わるとしても、それを受け入れればいいじゃないか。

未来は裏切るかもしれないけど過去は裏切らない。

俺にいたってはこれ以上何も裏切りたくないんだ。

 

 

「オレのせいで、あの宇宙人が異世界へ飛ばされた。その先がジェイの居た世界だったんだろ?」

 

「明智先輩がそれをしていなくても結果は変わりません。世界が一つ、涼宮ハルヒのためだけに切り捨てられる運命にありました」

 

「わからないな」

 

何故ジェイは俺を助けようとしたんだ。

詩織の影響もあったとは思う。

だけど、じゃあ行動原理が意味不明だ。

意味なんてあるのか。

俺を倒したところで何かが上手く行く保証はどこにもない。

既に負けた人間の悪あがきにしては他にやり方があったはずだ。

その結果、また負けたんだから。

涼宮ハルヒに消された男は涼宮ハルヒの刺客によって、二度刺された。

 

 

「いや、考えるだけ無駄なのかも知れない」

 

こんな事は後で考えればいい。

自分なりの生き方を選択しつつある朝比奈さん。

俺なんかより数段頭が切れる古泉。

たまにはいい事言ってくれるキョン。

事実を分析するだけなら最強と呼べる長門さん。

いつも、くだらない俺の話を聞いてくれる朝倉さん。

他にもいっぱいいる。

みんな仲間だ。

みんなで一緒に考えればいい。

そして、涼宮さんともいつか話し合いたい。

全部を打ち明けたい。

遠くない先の話になるさ。

今日じゃないだけでね。

 

 

「……君もオレの話を聞くかい?」

 

「ううん。今日は、お別れを言いに来たんですよ」

 

どうせそんな事だろうと思ったさ。

俺がそんな事をさせるとでも思っているのか。

いい加減に――。

 

 

「だめだめ。まだ明智さんは動けないでしょ」

 

俺の声だ。

でも、俺が喋ったわけじゃあない。

口が勝手に動いた。

お前の仕業か、アナザーワン。

 

 

「ボクが責任をもって処理するよ。宮野秀策も、情報統合思念体も。だからボクともここでお別れ」

 

何を言ってる。

俺はあと何回疑問を抱けばいいんだよ。

やっと帰ってきて、お前はまたどこかに行くつもりなのか?

お前が居なかったら俺はここまで来れなかったんだぞ。

"臆病者の隠れ家"だって操れなかっただろう。

つまり、朝倉さんへの対抗手段が一つ減っていたわけだ。

ただの身体強化だけで勝てる相手じゃない。

知らなかっただけでお前はずっと俺を支えて来てくれたんだろうが。

何が責任をもってだ。

お前一人にやらせるわけない。

 

 

「明智さんにはさっさと帰ってもらうけど、いいよね」

 

「はい。お願いします」

 

「……って事だから」

 

ふざけんな。

俺にも全て付き合わさせろ。

百歩譲ってお前ら二人が事後処理をしたとして、俺と別れる必要がどこにあるんだ。

意味がわからないし笑えない。

渡橋ヤスミは俺を安心させたいのか。

 

 

「宮野さんは帰します。再構築された彼と統合させておきますから、明智先輩は何も心配しなくていいですよ」

 

そういう問題じゃねえ。

しっかり説明しろ。

徹頭徹尾、俺を納得させてくれ。

 

 

「じゃ、そろそろ始めるよ」

 

俺の口が勝手にそう言ったと同時に、いつぞや味わった身体が消えていく感覚を覚えた。

このまま戻されるのか。俺は。

 

 

「涼宮ハルヒの能力はまだ完全に消えません。でも、いつかはそれも必要なくなるんですよ」

 

「ボクは元の場所に帰るだけさ。こっちがホームだからね。ま、情報統合思念体の方は任せておいて」

 

独善者どもが。

俺は待っているからな。

絶対に、忘れないからな。

 

 

「――お前らも、さっさと帰って来いよ!」

 

最後の一瞬でその一言だけを俺は口に出来た気がした。

次の瞬間、俺の身体は何かに引き寄せられていく。

 

 

 

――下だ。

そういやここは宇宙のどこかだっけ。

よくわからないけど、とにかく強い力で俺は引きずられていく。

暗黒空間が見られるのは気のせいか?

宇宙キターとかそういう類なのか?

とにかく、俺は地球に向かって落ちている最中らしい。

……困ったものだね。

 

 



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異世界人という名の世界

 

 

俺は実体なのか精神体なのか。

とにかく落ちていく感覚だけは俺に存在している。

大気圏突入を楽しむ余裕なんてあるわけない。

動きたくないどころか動けない。

仰向けで宙をただ見つめる事しか俺には出来なかった。

やばいって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気が付けば次の瞬間には地面に到着していた。

地球だろうさ。

ああ、間違いなく地球だろうさ。

 

 

「さ、寒……ど」

 

上体を起こす。

何処だよここ。

辺り一面は銀世界。

どう見ても雪です本当にありがとうございました。

空の明るさから昼間らしいが、夜だったら更に寒いだろう。

いや、既に身動き取れないレベルで寒い。

上は半袖にジレで下はズボンだけだぞ。

防寒が成り立つわけがない。

"異次元マンション"は使えるのか?

とにかくここから動かないと。

 

 

「は、話が……違うじゃねえか……」

 

かちかちと歯を鳴らす俺を情けなく思わないでくれ。

ともすればここで人生終了になってしまう。

雪こそ降っていないが、かなりの積雪らしく動けばずぼっずぼっと足に不快な感覚。

周囲に自生している細長い樹が俺に更なる絶望を与える。

民家とか、見えないし期待出来ない。

心が一瞬で折られようとしているその時。

 

 

「――既定通りだ」

 

少しやさぐれた感じの野郎の声がした。

身体を必死に声のする方に向けると。

 

 

「ふ、藤原……」

 

「明智黎。あんたに借りを返しに来た」

 

随分と暖かそうな防寒着を着込んだ未来人野郎。

その上着をこっちに寄こせ。

指先さえかじかんでいるんだよこっちは。

吐く息の白さに驚かされるね。

 

 

「話は後で聞いてやる。僕の助けが欲しいか、欲しくないのか。二つに一つだけだ」

 

お言葉に甘えさせてくれ。

どうにか数メートル先の藤原の所まで歩いて行くと。

 

 

「目を閉じていろ。直ぐに終わる」

 

不意の暗転って奴だ。

立ちくらみか、そうでなければ俺の脳がやられたのか。

視界がぐわんぐわんと歪んでいき、やがて完全にブラックアウトしていく。

 

 

「これで借りは返した」

 

もう少し他にやりようはなかったのかよ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――その後の事を話そう。

俺が地球に戻された時は既に七月七日なんかではなかった。

真冬のアラスカに叩き落とされていたらしい。

いや、死んでしまうって。

とにかく藤原の助けを得た俺は時間とともに場所さえ転移して、俺の家の前まで戻って来た。

間違いなく日本であり暖かさが存在している。

時刻は早朝らしい。

携帯電話のカレンダーは七月八日となっていた。

日曜日だ。

そして自宅の前で対峙する俺と藤原。

彼は忌々しそうに。

 

 

「感謝なら朝比奈みくるにするんだな。本当は僕が出向かずに彼女が迎えに行くはずだった」

 

「ならどうしてお前さんが来てくれたんだ」

 

「くだらん配慮だ。君が最初に見る女性の顔は朝倉涼子の方がいいとか言われたのさ」

 

「ありがたいね」

 

すぐに彼は立ち去ろうと踵を返した。

俺が行くべき分譲マンションとは逆方向だ。

 

 

「ありがとう。また頼るかも知れないけど」

 

「……今回だけだ」

 

歩き出す彼の様子を見て、俺も逆方向に歩き出す。

背中合わせで彼とはどんどん距離が離れていくのだろう。

彼が帰るのかどうかは知らない。

俺は帰る前に、寄り道しなきゃならんのさ。

 

 

 

――懐かしい感覚だった。

同じような感覚を、半年前のあの時味わった。

平行世界に飛ばされた俺がこの世界に戻って来ようとした時の感覚だ。

何がどう変わったのかを確かめるよりも先に、彼女の顔が見たかった。

たった一日だよ。

俺の体感時間にして一日も経過していない。

だけど何年も離れ離れになっていたかのような気分もする。

不思議な気持ちさ。

まるで、初めてのデートに行くかのような高揚感と不安。

長いはずの道のりがあっと言う間だ。

エレベーターのボタンも、間違えて四階を余計に押してしまった。

俺が行きたいのはもう一つ上。

残念な事に長年愛用していた腕時計はもうない。

こっちに戻されてからケガとかは無かったけど右腕を一度持ってかれた影響か付けていた時計も持ってかれたらしい。

 

 

「いいさ。つけにしといてやるよ」

 

あの二人が帰って来てくれればそれでチャラだ。

死ぬまで待っててやるさ。

でも、出来れば早く帰って来いよ。

 

 

――ピンポーン

 

と505号室のドアホンをプッシュする。

出てくれなかったら時間を改めよう。

なんて思っていると存外早くドアが開かれた。

彼女は昨日と同じ格好のまま。

もしかして寝ていなかったのか?

顔色も悪い。

でも、不謹慎だけど嬉しくなったよ。

 

 

「えーと、その、七夕終わっちゃったね」

 

「……他に言う事があるでしょ」

 

「今週からテスト期間だ」

 

「……違う」

 

わかってるさ。

男ってのはちょっと意地悪したくなるもんだよ。

好きな人にはね。

 

 

「ただいま。朝倉さん」

 

「遅いよ」

 

そこはお帰りが欲しかったけど。

とにかく、必要な事はやり終えた。

ほら、よく言うじゃないか。

行って帰って来るまでが遠足なのだと。

寝不足らしい朝倉さんを廊下で抱きしめるのは、必要な事だったのさ。

約束は継続する事に意味がある。

ま、一種の呪いだよね。

 

 

「親に言い訳したいから一旦帰りたいんだけど」

 

「馬鹿」

 

「許してくれないのかな」

 

「うん」

 

結果から言うと七夕が土曜日で良かったという訳だ。

どういうわけか日帰りツアーにはならなかった以上日曜が翌日なのはありがたいね。

いつぞやみたいに学校を遅刻するなんて事がなかったんだから。

とにかく、後は本当にしょうがない話になってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テスト期間中の部活については言うまでもない。

考査の是非など些末な問題でしかないのだ。

約一名、クラス内で言えば二名ほど馬鹿が苦しんでいるようだが自己責任だ。

ことキョンに関して言えば涼宮さんが勉強を教えているが……どうだろうね。

今は火曜。涼宮さんを除く全員が部室に集合している。

午前でテストは終わるにも関わらずこのたむろ。

去年もそうだったから気にしていないさ。

あえて気にするならキョンの成績ぐらいかな。

 

 

「オレは期待してないから自分のベストだけを尽くしなよ」

 

「うるせえ」

 

と今年こそは英語のテキストにかじりついているキョンを相手にアツいエールを送る。

放課後の文芸部室を有効に使おうと言うのだ。

変な依頼が飛び込んでくるよりはもっともらしいテスト期間の在り方だと思うけど。

 

 

「そういう明智は何だ」

 

「何って?」

 

「朝倉と手を繋いで肩を寄せて読書。ハルヒが見たら何を言い出すかわからんな」

 

「私と明智君の共同作業よ。涼宮さんでも邪魔できないわね」

 

長テーブルの上にコンビニ本を見開きで置くとは言え、そんな読み方で読みやすいかどうか。

これも些末な問題だったのさ。

それに勉強していないのは他のみんなもそうだろ。

メイド服の朝比奈さんは笑顔で佇んでいるし、今年も暑そうには見えない古泉はポケットバージョンの人生ゲームを一人でプレイ。

長門さんも何もなかったかのように静かに読書している。

 

――そうだ。

公式に記録されるわけじゃあるまいし、何もなかったんだよ。

 

 

「僕たちが覚えていればいいのです」

 

「……」

 

「渡橋さぁん……」

 

朝比奈さんはとうとう渡橋ヤスミに関する真相を知ってしまった。

彼女が実在する人間ではなかった事。

そして、どこかへ本当に姿を消してしまった事。

二度と会えないだなんて朝比奈さんは思っているのかもしれない。

俺は信じるさ。

 

 

「ヤスミはオレたちを信じてくれたんだろ?」

 

「かもな」

 

キョン、かもじゃないよ。

それが全てらしい。

だから帰って来る事を信じてるさ。

確か早い方で十六年後だったか?

願ってからそれが叶うまでのタイムラグは。

いいや。

 

 

「祈っておくよ」

 

 

 

――平日はだいたいこんな感じで消化されていった。

俺が動きたくないと思ったのは土曜になってからの事だ。

七月十四日の話になる。

俺は今、隣町にあるとかいう市民ホールの壇上の端に立たされている。

観客席を見ると、例外なく女性が座っている。

空席は見受けられない。千人超えのキャパシティらしい。

嘘だろ、と思いながら制服姿の俺に対して近くに立つスーツ姿の優男古泉一樹に声をかけた。

 

 

「……この集まりって必要なのか?」

 

「何か問題でもありましたか?」

 

「拷問だろこれ」

 

何を隠そう観客席に座る女性の方々は全員宇宙人なのだという。

派閥なんて関係ない。

いや、その概念すらぶち壊されたらしい。

情報統合思念体を壊されたのだから。

先週の日曜こと七月八日に朝倉さんの部屋にやって来た喜緑さんが言うには。

 

 

「――情報統合思念体は無くなってしまいました」

 

「えっ……」

 

なにそれこわい。

救ってほしいと言われたのに救ってないよ。

俺は今から彼女にぶちのめされなきゃならんのか。

朝倉さん、どうにかあのワカメを撃退しましょう。

四角いテーブル越しに座る喜緑さんは若干引き攣った顔で。

 

 

「正確には情報統合思念体と呼べなくなってしまいました」

 

「そうみたいね」

 

と喜緑さんの発言に頷く朝倉さん。

正確も何もあるのか。

 

 

「オレにもわかるように説明してほしいんだけど」

 

「明智さんが実行したのでは?」

 

「無我夢中だったからよく覚えてないんですよ」

 

「……そうですか。単純な話です。情報統合思念体から思念が無くなりました」

 

いや、無くなるとか無くならないとかの話なんですかね。

思念が無くなるとはつまり思念が消える訳であって、意思が消えたって事なのか?

朝倉さんはそれに肯定してくれた。

 

 

「つまり今の情報統合思念体はただの目に見えない情報の塊……物言わぬデータベース、いいえビッグデータになったのよ」

 

何て事をしでかしたんだあいつらは。

というか喜緑さんはそれでいいんですか?

情報統合思念体は自律進化を求めていたはずだ。

だからこそ俺に救ってほしいと言った。

要するにあなたも自律進化を目指しているのではないんですか。

 

 

「わたしはわたしの方法で模索していくだけですから」

 

「情報統合思念体中央意思に忠実な穏健派、喜緑江美里の発言とは思えないわね」

 

「過去の話です。以前は与えられた権限を逸脱する行為は許されませんでした。ですが今のわたしは違います」

 

そうかいそうかい。

とにかく好きにして下さいよ。

自律進化もどうぞお好きに。

ある条件を守ってくれる内は俺もあなたの邪魔をしようとは思いません。

絶対しないとは言い切れないのさ。

ところで喜緑さん。

 

 

「オレから一つ、訊きたいことがあるんですけど」

 

「何でしょう?」

 

「……"外の世界"って何なんでしょう」

 

「外、ですか」

 

ジェイを名乗っていたのは本当にあの男だったのか。

あいつがどうして俺と同じように情報統合思念体の中に存在出来たのか。

今となっては全部を知る事は出来ない。

しかしながら推論であればいくらでも可能だ。

俺は考える事が出来る。

そして確かな事実。

ジェイも俺と同じ異世界人だ。

真の消失世界からやって来た敗北者。

不可抗力。

全て神の所業。

 

 

「この世界は外側に住む何者かに与えられたオブジェクトによって構成されている。つまり、神によって……。喜緑さんは何か知りませんか」

 

「それが実在して、そこへ到達出来たとして、帰って来れる保証はないと思います」

 

「あなたの望みは本当に自律進化なんですか?」

 

「どうでしょうね。ただ、少なくともわたしにとって今回の一件は得でしかありませんでしたから」

 

そう言って彼女は席を立った。

夕方であり、もう帰るのだろう。

どこに住んでいるのかはわからないけど。

 

 

「また、会いましょう」

 

居間を後にする喜緑さん。

そのまま505室も出て行ったらしい。

溜息を吐いた朝倉さんは呆れた顔で。

 

 

「……あの女、とんだ食わせ物よ」

 

「そりゃ不気味な方だとは思うけど」

 

「さっき喜緑江美里が言ってた事。今の彼女にはかつて存在していた制限がない」

 

「自由って事かな」

 

だとしたら喜緑さんに限らないんじゃないのか。

この地球上にどれくらい宇宙人がやって来てるのかは知らないが、十人単位じゃないだろう。

日本に居ない奴だって居るはずだ。

そいつら全員が野放しってのはちょっとまずくないか。

感情の有無はさておき、急進派が何をするか。

 

 

「その心配は必要ないわね」

 

「どうして」

 

「第一に、情報統合思念体の意思が消えた以上は派閥も何も無くなる。今までと同じように行動はするかもしれないけど、命令してくれる存在がいないのよ。右も左もわからないでしょうね」

 

だとしたら尚更どうにかしてやりたいところだ。

実行犯はさておき俺に責任の大部分がある。

このまま宇宙人が縛られているよりはマシだと思うけど、誰かが道を示してあげるべきだ。

 

 

「第二ね。これが問題なんだけど、喜緑江美里はおそらく情報統合思念体の大元をジャックした」

 

「……は?」

 

「つまり彼女が次の司令塔よ。もっとも全ての端末に機能制限をかける事は出来ない。彼女一人の処理能力ではとてもじゃないけど全端末を操るなんて芸当は不可能」

 

「何だか心配になってきたんだけど」

 

「喜緑江美里が私たちに協力したのはこういう事。いくら明智君に凄い能力があっても情報統合思念体の全部を削除するなんて時間がいくらあっても足りない」

 

なるほどね。

確かに食わせ物だった。

どう転んでもいい。

結局の所は大体の場合に彼女は対応出来たのだろう。

俺が自律進化の近道切符をプレゼントするもよし。

情報統合思念体を黙らせた今回は、自らがその立場を取って代わったからよし。

何が穏健派だよ。

 

 

「えげつねェな……」

 

「もうこの話は終わりにしましょ」

 

遠目に壁にかけられている時計を見た。

午後六時は近い。

流石に今度こそ帰らせてもらおう。

最悪の場合は我が家のドアチェーンをどうにか破る方法を考えなければならなくなってしまう。

何、椅子から立てな、というか身体が動かない。

重い、これはまたあれなのか。

久々じゃないか。

重力負荷だ。

 

 

「もしかして明智君。今、帰ろうとか思わなかったかしら?」

 

「……」

 

「あら、いい時間ね……。そろそろ夜じゃない」

 

「……」

 

「ご飯にする? それとも――」

 

 

 

――なんて回想をしたところで俺の目の前の光景が何一つ変わってくれるわけではない。

この大観衆の中には喜緑さんも長門さんも座っているらしい。

探す気力も俺にはない。

朝倉さんは俺からもう少し離れたステージの影となっている部分に立っている。

彼女も制服だ。

正装でいいならタキシード姿を見たかった。

正直映画の時の彼女はたまらなかった……なんて話も後でいい。

キザ野郎への文句を再開する。

 

 

「古泉。ここはお前さんに全部任せたいんだけど」

 

「遠慮する事はありません。あなたが彼女たちを救ったと言っても過言ではないのですよ」

 

お前さんには全部説明しただろうが。

あの二人、覚えてろよ。

俺は覚えてるんだからな。

 

 

「喜緑さんの協力と『機関』によるささやかな提供によってこの場が実現したのです。いやあ、圧巻ですね。ほら、長門さんはあそこですよ」

 

と指を指すが俺には長門さんの位置はよくわからない。

そもそも言った通り探す気がない。

もう何処にいても同じだ。

俺はこれから彼女たちの前でよくわからないスピーチをする必要があるらしい。

情報統合思念体を殺した張本人。

そんな共通認識があるとかないとか。

 

 

「どうぞ。音量調整はこちらの方でやっておきますので」

 

スポットライトに照らされる形でステージのど真ん中にはスタンドとワイヤレスマイクが置かれている。

言わなくてもわかると思うが、俺が話す台本なんてものは用意していない。

この集まりだって俺は木曜日に聞かされたんだ。

古泉は涼宮さん信者とはいえ、こういう所を見習わないでくれ。

後回しにしちゃいけないのかよ。

いけないんだろうな。

喜緑さんもつくづく人が悪い。

朝倉さん曰く、喜緑さんは全端末を相手に通達するぐらいなら余裕だと言う。

俺がここに出る必要もそこまでないはずだ。

居ないキョンの代わりに言わせてもらえないかな。

 

 

「やれやれってヤツだよ」

 

朝倉さんの方を向く。

期待しているのか何なのか、笑顔だ。

しょうがないのでとぼとぼマイクスタンドに向かって俺は歩いて行く。

聖ペテロの気持ちがわかる。

彼は皇帝の迫害から逃れるためにローマから逃げた。

だが復活したキリストに煽られたおかげでローマに出戻りしてしまったのだ。

磔刑されるためだけに戻ったんだよ。

そんな気分だ。

 

 

『……あー』

 

マイクはバッチリみたいだ。

俺もオーディオ機器弄りの方が好きなんだよ。

放送局員としてアナウンスした事もあったけどさ。

 

 

『どうも、みなさん今日は。えー、異世界人こと明智黎です』

 

よく学校の教師が言うじゃないか。

教壇に立って話すのは案外苦労するぞ、と。

最初の内は数十人単位の人間の前で注目されながら喋るのは慣れないのだと言う。

俺のこの状況。

千人オーバーですよ。

しかも全員女性。

見つめられる俺。

 

 

『詳しい話、だとかは喜緑さんに訊いてください。もう聞いたと思いますけど。とにかくオレはオレのやりたいようにやっただけなんで』

 

それでも言わなければならない。

伝えなければならない。

 

 

『君たちは図らずも今、自由を手に入れた。手に入れてしまった。自由の意味さえわからないと思う』

 

自由ってのは支配されていた奴だけが語っていい代物なんだ。

間違いなしだ……宇宙人は支配されていた。

情報統合思念体だけではない。涼宮ハルヒにも支配されていた。

だけど当面の任務を与えてくれる存在は消えてしまった。

俺が消してしまったという事……でいいよもう。

 

 

『情報統合思念体は涼宮ハルヒの観測を通して自律進化を探求していた。その観測対象は涼宮ハルヒ個人であり、オレたち他の地球人じゃあない』

 

昔の話だ。

今はどうするか。

それは誰かに決められる事ではない。

 

 

『だが、状況は変化した。君たちにその任務を与える存在は消えた。オレが消した。話があるなら後で聞こう。今はオレが話す番だ』

 

出来れば戦闘は無しの方向で頼む。

もっとも、そんな恨みだとかの感情さえないんだ。

本当にどうすればいいのかがわからないんだ。

これも大人の仕事なのさ。

 

 

『君たちがこれから何を目的として生きていくか。わからないと思う。オレだってわからない。ただ、降りかかる火の粉を払い続けただけの日々』

 

しかし今回は例外だった。

そうさ。

最初と同じ、あの時と同じだ。

朝倉涼子を相手にした時と同じ、自分から行動した。

頼まれたってのもあるさ。

それでも遅かれ早かれこうなっていた。

もしかしたら俺じゃなくてキョンがやっていたかもしれない。

涼宮さんでも使って無理矢理、情報統合思念体相手に喧嘩を売っていたかもしれない。

原作のあいつならやりかねない。

俺の親友もそうだ。

 

 

『だから一緒に考えよう。そもそも目的なんて達成させるためにあるんだ。終着点ではない。通過点でしかない』

 

お前の敗因はたった一つだ。

やっぱり、結果だけを求めていたんだよ。

自律進化……そこ、ゴールなのかな。

だったら無敵でも頂点でもなんでもない。

俺たち有機生命体にとっては精神のありようが一番なんだから。

 

 

『自律進化なんてオレにはよくわからないし、人類に進化の余地はないのかもしれない』

 

ない、ない。

否定ばっかの前置きで申し訳ない。

なんてね。

 

 

『それでもオレは、成長は出来た。そうさ、人類は成長出来る。君たちだって出来るのさ。それを証明してくれた人を、オレは知っている』

 

君たちだって知っているはずだ。

ねえ、朝倉さん。

やるかどうかが大事じゃないんだ。

後悔するかどうかでもない。

自分で決めたかどうか。

それだけでいいのさ。

 

 

『君たちの進むべき道が最終的に満足行くものかどうか。それはオレの戯言じゃあなくて、君たち自身にかかっている』

 

納得の行く生き方を決める、だなんて。

百日かかろうが千日かかろうが無理かもしれないさ。

何、受け身でもいいさ。

自分から何かするなんて俺でも全然出来ないんだから。

駄目な人間で、馬鹿な男だ。

 

 

『つまり、オレが何を言いたいかと言うと』

 

簡単な事だよ。

わざわざ遠回りしたのは台本を用意してないからさ。

これに関しての文句は古泉にお願いする。

 

 

『これからは好きにしなよ!』

 

ただし。

 

 

『オレたちに迷惑をかけない。世界を歪ませない。この二つが条件だ! これに文句がある奴、条件を破る奴、いつでもオレたちは君の挑戦を待つ。わからせてあげるよ』

 

これが喜緑さんにもお願いした条件。

何をわからせるかって?

世界の広さを教えてあげるのさ。

俺は異世界人。

どうだろうかな、少しは説得力があるでしょ。

 

 

『あ、当然だけど平日の昼間とか真夜中とかはやめてね』

 

締まらない感じがするけど、許してほしい。

とにかく俺の言いたい事なんてこんな程度だ。

じゃあ。

 

 

『最後に、一つだけ……』

 

これを言い忘れちゃ団長に怒られちゃうな。

折角こんなに大勢の人が居るんだ。

宣伝するには、またとない最高の機会なのさ。

 

 

『何でもいいから、面白い事があったら北高部室棟三階文芸部室にあるSOS団まで報告しに来るように!』

 

俺の名前は明智黎、もうすぐ十七歳

体毛、日本人らしい黒色。

身長、171cmからほんの少し伸びて172cm。

職業、高校二年生/異世界屋/SOS団平団員。

特技、念能力もどきと無駄なおしゃべり。

 

 

『――以上!』

 

 



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第百話 こと 最終話

 

 

そうして、俺氏二度目の高校生活はあっという間に過ぎて行った。

何もかもを置き去りにしたような気がするがどう考えても得た"もの"の方が多い。

それにしても三年寝太郎が羨ましい。理想の主人公像だよ。

表向きは北高での俺の印象など一睡もせずに暴れまわるイカれ太郎だったんだろうさ。

台風一過。

もう卒業だ。

これから少し静かになってしまうな。

なんて、甘かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……さて、高校生活最後の大騒動について語る前に重要な事をさらっと言いたいと思う。

まず、たかだか事件が頻発している程度で"激動"の一年だとか言っちゃうほどではSOS団としてやってけない。

多分入団ペーパーテストの段階で十中八九ハズレとしか判断されないだろうね。

と、まあ、何が言いたいのかと言えば俺以外の団員をもってしても。

 

 

『激動の一年だった』

 

と振り返らざるを得ないような変化があったというわけだ。

思うに、俺が宇宙人の組織を仮面ライダーよろしく壊滅状態に持ち込んだのはこのためだったのだろう。

そうでなければ激動で止まらずにそのまま地球が真っ二つに割れてしまいかねなかった。

だから本当にさらっと言わせてもらおう。

 

 

――涼宮さんが、こっちの事情を知ってしまった。

 

じゃあそういう事なんで……。

などと言って責任いや説明逃れをしようものならばなんかもう俺の今までを否定してしまうような感じがする。

そういうのは三年生になるよりもずっと前に卒業したんだ。

よって事の顛末、というほどではないが事のあらましぐらいを話そう。

俺は前もってこうなるだろうというのを予想していた。

何についてかと言えば朝比奈さんに関してである。

未来人がどうして既定事項の順守に奔走していたのか……。

流石の俺もここまでは予想出来なかった。

 

 

「僕は涼宮ハルヒによって狂わされた未来からやって来た」

 

確か11月のSOS団自主制作映画第二弾放映――つまり文化祭――が終わった頃合いだったはずだ。

そこに関しては古泉と橘京子による組織の小競り合いなのかよくわからないのかのゴタゴタが一段落したのも同時期だった。

立て続けに面倒事が二つもクリアされたんだぞ。

少しは休ませてくれてもいいだろうにそれを許されなかったから激動だね。

絶えず動けって事らしい。

で、今の台詞は何なのかと言うと未来人こと藤原の発言だ。

 

 

 

――回想するは11月某土曜日の昼間。

急きょ古泉から呼び出しを受けた先は市民会館の会議室。

つい数か月前に俺が宇宙人軍団相手に意味があるのか怪しいスピーチをした所と同じだ。

そこの会館の一番大きな会議室を無駄に『機関』が貸切。

涼宮さんを除くSOS団と橘周防藤原の三名による会合が行われた。

邪魔が入らないようにか警備は厳重らしく、宇宙人や機関の人員が市民会館の付近に配置されていたらしい。

会議室前にも警備員が立っていたよ。

多丸圭一氏と新川さんの両名がそれとわかる制服を着用していた。

新川さんの執事服以外の服装は珍しい。

他に適任者はいなかったんですかね。

そうですな、と前置きしてから新川さんは。

 

 

「ここまで辿り着ける命知らずはそういませんでしょうな。あなたがたと顔見知りの私どもがここに配置されるのが適任と判断されたまででございます」

 

どんなセキュリティなんだろうか。

宇宙人も居るって事は喜緑さんも関係してるんだろうさ。

本当に怖いな。彼女と戦う宇宙戦争はごめんだ。

やっぱ女の子の笑顔は凶器だね。

あの人もいつも笑ってる、あるいは嗤ってるから。

古泉は既に会議室らしく超能力者を除いたSOS団異端者四人とキョンで待ち合わせてから行動した。

いつも通り、駅前集合さ。

で、圭一氏によって開けられた会議室のドアの先には。

 

 

「どうもすみませんね。ご足労をおかけ致しまして申し訳ございません」

 

無駄にだだっ広い部屋の中央にコの字型に並べられた長テーブル。

コの字座席の中で唯一縦に配置された長テーブルの真ん中の席。

そこに壁を背にする形で古泉一樹が着席していた。

加えて、会議室内に居たのは彼だけではない。

 

 

「先日は大変お世話になっちゃいました」

 

「――」

 

「……ふん」

 

コの字の座席の下部分の長テーブルには古泉から近い順に橘、周防、藤原の三名が座っている。

俺たちが一番最後という事らしい。

何故コの字配置にしたんだろうと思いながら俺たちは上部分のテーブルに座っていく。

古泉に近い順で左から朝倉さん、俺、長門さん、キョン、朝比奈さんが座った。

席の間隔をわざわざ近くしているのは俺と朝倉さんぐらいなもので、他の全員は一席分くらい間を空けている。

それどころか古泉に関しては一人でぽつんと座っている形だ。

何がしたいんだよこいつは。

 

 

「本日みなさんにお越し頂いたのは他でもありません。我々の今後について語り合う場をご用意いたしました」

 

無駄に広いので声こそ反響しないが俺たち以外に音を発生させる存在などいない。

普通の声のボリュームで問題なかった。

しかしながら流石に長門さんと周防はあれだ。

なんて思っているとスーツ姿の森さん――やっぱり女性の礼服は最高だでぇー―がやって来た。

彼女は一礼すると宇宙人二人の前に卓上スタンドとマイクを置いた。

配慮なのだろう。

でも段取りの悪さが浮き彫りになってないか。

座席なんか指定してくれてもよかったのに。

……見ろ。

あのストーカー女こと橘なんて古泉の隣に座らなかったのが不思議なくらいだ。

最近思うに彼女はアホというかメルヘンチックな感じなのかもしれない。

この前の騒動だって半分以上彼女のせいだからな。

映画撮影のシーズンと被せたのは何なんだよ?

大変お世話だとかってレベルじゃあないぞ。

古泉の発言に対してキョンは。

 

 

「……今後だ? いったい何の今後について語り合おうって」

 

「あなたにはいい迷惑かと存じますが、宇宙人未来人超能力者。このいずれも組織体系と言うものが背後にございまして」

 

「なら俺はどうでもいいんじゃないか」

 

「とんでもないことです。我々は涼宮さんに着目しているという一点において共通した立場にありますから」

 

「ハルヒにとってもそろそろいい迷惑だと思うがね」

 

「はい。だからこそこうして一堂に会する必要がありました」

 

組織がどうこう言われても俺はずっとフリーランスだぜ。

涼宮さんといい異世界人に対する扱いをもう少し格上げしてはくれないだろうか。

宇宙人に関して言えば情報統合思念体を乗っ取った喜緑さんが頭取だ。

俺は彼女に何かされたとして百倍返しする自信は無い。

幸い現在彼女が他の端末をどうこうする様子などは見られず、もっぱら一人相談センターと化しているらしい。

いい気味だ、なんて思っていると後でどうなることやら。

 

 

「当面の問題としては朝比奈さんでしょう」

 

……そうだわな。

後半年もせずに彼女は卒業してしまう。

涼宮さんもそこでゴネたりはしないだろう。

でも。

 

 

「……あたしは高校を卒業したら、任務は終わりなんです。未来に帰る必要があります」

 

「そのようですね。涼宮さんも卒業程度で特別騒ぎ立てはしないでしょう。しかしながら、朝比奈さんと音信不通だなんて事になってしまえばどうなる事やら」

 

「悪いが古泉。そうなれば俺もハルヒに加担するぜ。百歩譲って未来に帰るのを認めたとしても、音信不通は駄目だ。二度と朝比奈さんに会えないなんてのは認めたくない」

 

「それは……許可が……下りるかどうかによるんです…」

 

誰もが理解している。

ほいほい許可なんて下りるはずがないと。

彼女がこの時代に残る必要性があるならばそもそも俺たちと同級生であればよかった。

涼宮さんにそう望まれたから?

どじっ娘萌え系な先輩が欲しかったから?

そいつはちょっと違うんじゃなかろうか。

全ては最初からこのために朝比奈さんは上級生として役割を与えられた。

涼宮ハルヒに対する答えを出すために。

否が応でも俺たちを動かせるためだけに。

 

――ああ、ちくしょう。

動きたくないけど動くしかない。

俺の今までの二年間の大半がこんな感じだった。

あんたならどうするんだ?

俺はあんたの方が主人公に相応しいと思うんだがな。

兄貴。

 

 

「……実にくだらないな」

 

と、藤原が今にも泣きだしそうな朝比奈さんをばっさり切り捨てた。

実の姉らしい人に対してその態度か。

本当は何歳差なのだろう。

 

 

「朝比奈みくるの役割は未来を確定させる事に終始している。平和な未来。だが、僕に言わせれば嘘の平和だ」

 

「――」

 

「やっと決断を下す時が来たようだな。僕の未来か、朝比奈みくるの未来か」

 

未来は現在から地続きではない。

それが事実ならこいつの未来と朝比奈さんの未来が存在する事になる。

でも、その未来は結局"点"でしかない。

"線"の体裁を成していても糸が解れるかのようにまた未来も分岐していく。

ともすれば線は断絶してしまう。

 

 

「僕は涼宮ハルヒによって狂わされた未来からやって来た」

 

どういうことかな。

それ。

 

 

「どうもこうもないのだろう。全て結果だ。あんたたちは去年の七月七日を覚えていないのか?」

 

「……」

 

「僕たち未来人に責任をなすりつけたいのは理解してやらなくもないが、自分たちの、過去人の業の深さを少しは反省するべきだ」

 

「言いたいことがあるならはっきり言え」

 

キョンに同意だ。

だが、俺には察しがついた。

古泉にも察しがついただろう。

もしかしたらここの全員が藤原の言いたい事を理解しているのかもしれない。

それでも誰かが問い詰める必要があった。

真実を。

 

 

「涼宮ハルヒの願い。十六年後への願いだ」

 

なあ、ヤスミ。

涼宮さんの願望は歪んでいたんだろ?

君も彼女みたいに説明不足なきらいがあるよ。

アルタイルに向けた『世界があたしを中心に回るようにせよ』だ。

きっと世界征服どころで止まらない。

 

――"支配"。

彼女は本物の神になってしまうかもしれない。

何もかもを歪ませるどころか曲げてしまう、折ってしまう、壊してしまう。

涼宮ハルヒが暑いと思えば涼しくなる。

涼宮ハルヒがまだ起きたくないと思う限り世界は夜のままかもしれない。

涼宮ハルヒが欲しいと思えば何でも手に入る。

富、名声、力、だけではない。

人の心さえも支配してしまう。

全ての基本は涼宮ハルヒになってしまう。

そんな時代から藤原はやって来たんだ。

 

 

「どうしてそうなったのか? 教えてやろう。あんたたちのせいだ」

 

「何だと……?」

 

「あんたたちは涼宮ハルヒに対して何もしなかった。あろうことか事態を静観した。朝比奈みくるとの離別に関してはお茶を濁した」

 

信じたくないね。

いくら動きたくないとはいえ本当に動かなかったらただのクズだ。

俺は馬鹿だけど、大馬鹿だけど、やる時だけはやると決めた。

かっこいい所ぐらいは見せなきゃいけないのさ。

 

 

「その結果として、朝比奈みくると永遠の別れを拒んだ涼宮ハルヒは未来を変えた。朝比奈みくるが帰らなくてもいいように自身の能力を発達させていった」

 

「未来人にとっては涼宮さんの観測が出来ればよかったとでも?」

 

「それもあるだろう、超能力者。だが僕たちは違う。涼宮ハルヒの能力をどの勢力よりも恐れている」

 

「だとしたら、朝比奈さんを涼宮さんから引き離す行為は逆効果なのではありませんか?」

 

「いつだって未来が期待通りの結果となるかはわからない。既定事項も規定事項もその程度のものだ。禁則など、不文律ではないのだからな」

 

すぐに理解したさ。

こいつもあの、ジェイと同じなんだ。

可能性という名の闇に葬られた世界の住人。

上手く行かなかった場合の未来からやって来た。

切り捨てられた存在。

彼にとって、姉との別れとはそういう事だったんだ。

過去から永遠に戻らない。

それが彼の言う姉さんを失ったという事。

涼宮さんが世界を支配するようになったのは彼にとって些末な問題でしかないのだろう。

藤原にとって朝比奈さんとの別れがいつの出来事だったのかは知らない。

だが、彼の帰る未来に姉が居ないのは確かだ。

どうしてこんな事になるのかって?

俺が散々言い続けてきたことじゃないか。

絶対、なんて、存在しない。

 

 

「期待外れの場合は記録されない。分岐した他の可能性にとって僕の可能性は必要とされない。朝比奈みくるが僕を知らないのはそのための措置だ。全てが終わればそこには僕じゃない僕が彼女の帰りを喜ぶだろう」

 

「お前……」

 

「鍵の役割も案外大したことはないんだろう。僕にとって君が結果を出さなかった以上はそうとしか思えない。そこの朝比奈みくるにとっては別だが」

 

「……藤原、さん」

 

「朝比奈みくる。僕の名前を思い出す必要はない。ただ、僕だって未来を変えたい。あんたたちが散々好き勝手やって来たんだ。僕にも権利をよこしやがれ!」

 

なあ、涼宮さん。

君が望んだのは随分歪んだ未来像じゃないか?

俺が望むなら精々ネコ型ロボットが楽しく可笑しくやってるような世界観だぜ。

ただ朝比奈さんを君が納得いく形で未来に帰すだけじゃ駄目なんだ。

可能性が残り続ける限り藤原のような存在は生じてしまう。

いや、朝比奈さんの未来に分岐する事で不幸になる存在だって居るだろうさ。

 

――知るかよ。

いや知らねえよ。

まして、知りたくもない。

どうしても助けてほしいのならまず出てこいって話だ。

この藤原のように。

俺は何でもできる超人じゃない。

手の届く範囲でお節介を焼く程度だ。

全部救えだとか、無理だって。

俺の知らない所で不幸に遭うならそいつはご愁傷様だね。

だけど、それで納得は出来るだろ?

理不尽だとしてもそれしかなかったのなら納得は出来るはずだ。

この藤原は違う。

未来は分岐するだとか無茶苦茶な理論のせいで自分が味わえない明るい世界を見せつけられた。

ジェイだってそうだ。

絶対は存在しない。

納得が出来ない。

なら。

 

 

「……ふっ」

 

否定ばっかしてるんじゃない。

俺たちを誰だと思ってやがる。

自然に笑いが込み上げてくる。

 

 

「ふははっ、ふはははははは!」

 

気が付けば俺につられて何人かが笑顔になる。

笑っていないのは対面に座る橘と藤原と朝比奈さんぐらいだ。

本当にしけたツラして何をうじうじ言っているんだよ。

おい。

 

 

「古泉!」

 

「何でしょう」

 

「今の話をどこまで真面目に聴けたよ?」

 

「僕たちが事態を静観した……といった辺りまででしょうか」

 

「ふはっ。早すぎだって。開催者の態度だとは思えないね」

 

「正直、いつ突っ込みを入れようかと思案していたところですよ」

 

橘藤原朝比奈さんに俺は何だこいつら、みたいな目で見られている。

おいおい君たちだってこっち側の人間だろ?

あの周防も、長門さんも口元を緩めているのに。

笑えよ。

笑えって。

俺たちは楽しく遊ぶためだけに集められたんだぜ。

笑顔が一番楽しいだろうが。

 

 

「オレが言うのもなんだけどね、任せておきなよ。藤原にはこの前借りを返されたからそれのお返しをしなくちゃあならない」

 

朝比奈さんをこの時代に繋ぎ止めようだとは思わないさ。

だけどたまに会うぐらいならいいでしょ。

涼宮さんはイベントが大好きなんだから、その時ぐらいは付き合って欲しいね。

それには俺一人じゃ無理だ。

SOS団全員の力が必要だ。

団長こと涼宮ハルヒの力がね。

 

 

「絶対に、納得の行く未来にしてみせよう」

 

絶対なんて存在しない。

じゃあそれを見つけるのがSOS団だろ。

何のための市内探索だと思えばそういう事だ。

予行演習だったのさ。

 

 

「では、反対意見がある方は挙手をお願いします」

 

古泉がそう呼びかけるが誰の手も上がらない。

当然だろうよ。

しかし。

 

 

「『機関』はこれでいいのか?」

 

未来を収束させるには涼宮さんに全てを打ち明ける事になる。

彼女には自分の能力を自覚してもらった上で正しい道を自分で選択できるようになってもらう。

それを導く役目はキョンに任せておけば安心だろうさ。

情報統合思念体は消えた今、宇宙人は組織として文句を言えない。

喜緑さんはよくわからないが……気にしない事にしておく。

未来人なんて上の人間がこの場に居ないんだから知った事か。

橘の組織はもう組織とは呼べない。

そもそもが涼宮さんに感心のない連中だから構わないでしょ。

だが、古泉たちは?

 

 

「それに天蓋領域もだよ」

 

「――」

 

「今こそ本物の協力関係を結ぶ時じゃあないのかな」

 

やがて古泉は白々しく。

 

 

「構いませんよ。中には不満に感じる方もおられるかもしれませんが、それは我々の役割に反しています。我々は涼宮さんのためだけに集まった存在だ。この決断が彼女のためになる……僕はそう信じていますので」

 

よく言うよ。

お前さんがリーダーなんだろ。

そしてこのままでは無駄になるかと思われたマイクだったが、周防は口を開いた。

 

 

『――どうぞ』

 

「それは周防個人の意見なのか? それとも上の指示か?」

 

『――時間は不可逆ではない―――これは分岐選択の一つ……』

 

「君も構わないって事か」

 

だとしたらもう全部終わったも同然だ。

あるいはこれから始めなくてはならない。

朝倉さんは。

 

 

「呆れたわね。本当にあなたは甘いんだから」

 

自覚はあるさ。

でも、そういう君だって悪くないと思うでしょ。

にやにやしてるんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――思い立ったが吉日。

ならばその日以降は全て凶日らしい。

それが嘘か誠かはさておき翌日こと日曜日には暴露する事になってしまった。

流石に段階的にではあるし、教えない事もある。

昨日と同じ会議室に集められたSOS団全員と、佐々木さん一派。

急な呼び出しにも関わらず応じてくれた佐々木さんには本当に申し訳ないと思う。

俺が思ったところでしょうがないんだけどさ。

で、本当に長ったらしい説明をなるべくわかりやすく始めた。

異世界人云々の騒動についてはほぼほぼカット。

いや、知らなくていいからね。

 

 

「……と、いうわけだ」

 

この日の司会はキョンだ。

涼宮さんは終始無言であった。

朝九時から集まり、何時間も経過した。

午後十五時に差し掛かろうとしている。

陽が暮れていないだけ俺たちの努力を感じてほしいね。

お昼休憩もロクに入れなかった。

森さんと新川さんが飲み物を用意してくれたりトイレ休憩なんかはあったが、まだお昼ご飯は食べていない。

当然ながら古泉は昼食を提案したものの。

 

 

「いい」

 

涼宮さんによるその一言により今の時間まで強行軍となってしまったのだ。

信憑性を高めるために披露できる範囲の事は披露した。

宇宙人による物理法則を無視した――コップを宙に浮かせたり、涼宮さんが飲んでいたアイスコーヒーをコーラに変えたり――パフォーマンス。

俺は"異次元マンション"の入口出口を使って会議室の端から端までワープしてみせた。

アナザーワンが消えたのに何故か能力はしっかり使えている。

つまりあいつは手ぶらで出て行ったのだろうか。

よくわからないが、涼宮さんはどうにか理解しようとしてくれた。

 

 

「涼宮さん。信じられないかもしれないけれど事実らしい」

 

比較的常識人ポジションの佐々木さんにまでそう言われたのだ。

ともすれば丸く収まるにはどうしたらいいか……。

俺に訊かないでよ。

そこら辺はキョンに全部任せた。

ああ、丸投げだ。

一年経とうが何だろうが。

 

 

「オレは主人公じゃあない」

 

けど、そう勘違いするくらいなら構わないでしょ。

そろそろいい夢を見なきゃ。

今までロクに夢を見た事がないんだから。

人の夢は儚いだって?

確かに俺たちの三年間は儚かった。

なんだかんだ、一瞬だった。

だけどいつでも思い出せる。

俺の中から消す事だけは絶対に出来ない。

馬鹿は死ぬまで治らない。

 

 

「……最後の、『どうもこうもない』さ」

 

涼宮さんは席から立ち上がり、長机をバンと叩いた。

俺がいつかやった台ドンを彷彿とさせてくれる。

やがて意を決したように。

 

 

「あたしにはまだいまいち信じられないけど……とにかく、あたしからみくるちゃんを取り上げようだなんて百年経とうが千年経とうが許されないわ!」

 

「いや、帰ってもらう必要はあるからな」

 

「あんたに言われなくてもわかってるわよ。とにかく直訴しに行く必要があるみたいね」

 

「……」

 

「何年先かわからないけど、あたしの名を忘れてる連中が居るなんて。未来の学校はどこの教科書で勉強してるのよ」

 

「おやおや」

 

「相手は何人かしらね? ま、どうせあたしたちが勝つんだけど」

 

「涼宮さぁん……」

 

「安心しなさい。みくるちゃんも、その弟くんも。SOS団の手にかかればどんな事件もまるっと解決してあげる!」

 

「明智君から貰ったナイフの出番みたいね」

 

朝倉さん、"ベンズナイフ"を物騒な事に使わないでよ。

あくまで護身用というか威嚇のための物なんだから。

俺にはもう必要ない。

左手を見ると、別のナイフが握られている。

やっとわかったのさ。

俺の能力は、進むべき道を切り拓くためにあるのだと。

だから。

俺はこれからも呼ぶだろう。

こいつの事を"ブレイド"と。

刃物は狩人の相棒なんだ。

 

 

「さ、あんたたちも付いて来るのよ?」

 

「――」

 

「未来へ飛ばす道具、あるんでしょ」

 

「定員オーバーだ。それにTPDDは使えば使うほど時空に穴が生じてしまう欠陥品だ」

 

「知らないわよ。あたしが大丈夫って思えばそれで大丈夫なんだから」

 

「涼宮さん、あまり悪用しないで欲しいんですけど」

 

「へーきへーき。何とかなるから心配しなくていいわよ、京子ちゃん」

 

「くっくっ。いや、実に愉快だよ」

 

俺は笑っていいのか笑わないべきなのか悩ましいところですよ佐々木さん。

おい、キョン。

これが最後でいいから頼むわ。

 

 

「しょうがねえな……」

 

「涼宮さんは腹が減ってても戦をするらしいよ」

 

俺の名前は明智黎。

これは、十七歳の秋の時の話。

 

 

「……やれやれ」

 

――この世界の不思議。

珍獣、怪獣、財宝、秘宝、魔境、秘境。

“未知”という言葉が放つ魔力。

その力に魅せられた、すごい奴等がいる。

人は俺たちを"ハンター"とも呼ぶ。

なんてね……。

 

 

 

じゃ、三年生の最後の話をしようか?

あれは本当に最後に相応しい大騒動だったね。

何せインターネットが全部使えなく――

 

 

 



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エピローグ お幸せに。

 

 

よもや俺が二度目、いや三度目のモラトリアム期間に興じるとは思わなかった。

言うまでもなく……大学である。

俺氏も二十歳になろうかとしていた現在八月二日の夏休み中。

去年でわかった。

ぼっちで耐えれた俺の前世は何だったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝起きて、カーテンは開けたが着替える前に学習机の椅子に腰掛けた。

ほぼほぼパソコン専用の机と化しているのは高校時代からだ。

起動せずに黒いままのディスプレイをただ眺める。

こんな長ったらしい夏休みの消化方法に勉強が含まれるはずもない。

今更だけど俺は別に勤勉でもないからね。

暇潰し方法なんて遊ぶかアルバイトか……。

とりあえずみんなの近況を思い出す前に重要な事があった。

俺と朝倉さんにとってはそれなりに重要な事だよ。

 

 

 

――三年生の二月中ごろ。

いよいよもって卒業間近の時期だったが、俺たちはならず者だった。

教職員からは来なくてもいいと思われていただろうがSOS団は文芸部室に集まっていた。

何? 朝比奈さんが居なくなったから未来人が消えてしまっただろって?

……その辺の話は今度するよ。

人数だけで言うと七、八人で集まっていた。

そこは深く気にしなくていい。

今回俺がする話には全くもって関係のない話である。

 

 

「……何を話せばいいのやら」

 

「ありのままを話す他にあるのかしら」

 

「あると信じたいね」

 

某日曜日。

未だ寒空の下、朝も早々に朝倉さんの家へ出向いた俺は彼女を引き連れて自宅へとんぼ返りしていた。

何故ならば俺の両親にこそ用件があるからだ。

二人にも裏事情を話さなきゃならないでしょうよ。

俺はさておき朝倉さんに関しては両親不在。

これで一人暮らしなんだから、その、今後の事を考えるとね。

天涯孤独だなんて陳腐な言い訳をするつもりはない。

朝倉さんは自分の立場に悲しみはないのかもしれないけどこっちの事情もある。

俺は納得したいし、納得させたいのさ。

 

 

「こういう日が来るとは思ってたけど」

 

まさか朝倉さんとこんな関係になった末に暴露するとは思いもしなかったさ。

俺が異世界人だって事ぐらいはいつか話そうと決めてたけど。

 

――それはそうと涼宮さんについてちょこっと語っておこう。

自分の能力や置かれている立場をなんとなく理解した彼女。

ともすれば発狂したかのように世の中の不思議を求めて大爆走する……。

なんて事にはならなかった。

 

 

「なーんかいまいちぴーんと来ないのよね。それに、世界にはあたしがわからないような事がまだまだある。……って事がわかっただけでも大きな収穫だから」

 

気が付けば彼女はどこか達観視するようになっていた。

当然遊ぶ時はこれでもかというぐらいに元気に遊ぶし勝負事には全力も出す。

いつしか涼宮さんはいい意味で目立つ人間に変化していた。

そりゃあキョンも惚れるさ。

でも、俺に言わせりゃ朝倉さんが宇宙一だけど。

俺はなんとなく涼宮さんが大人びてきた理由を確信出来る。

ヤスミのおかげさ。

全部、涼宮さんが納得してくれる事も含めて全部ヤスミのおかげ。

俺に関してはヤスミと一緒にどっか行った宇宙人候補のおかげでもある。

まだあいつらは帰って来そうにない。

古泉が言うに涼宮さんは。

 

 

「落ち着いて見られますが、彼女の能力が消えたわけではありませんよ」

 

本当に珍しく朝の登校時に古泉と二人きり登校というおぞましい状況。

俺は直ぐにでもせめて女子の顔を見たかったが顔見知りは近くにいなかった。

せめてこいつの方を見ずに北高までの坂を上っていくとする。

で。

 

 

「本当か? それ」

 

「ええ。嘘ではありません。ここだけの話、僕の役割もそろそろ終わりかと思っていたのですが未だに定期的に閉鎖空間が発生しています」

 

「どう見ても最近の涼宮さんはイライラとは無縁じゃあないか」

 

付き合ってないらしいけどキョンとは付き合ってるようにしか見えない。

三年生の春の段階では本人非公認ではあるもののカップルだ。

ジェラシーを感じて閉鎖空間が発生するにしても、そこまで定期的ってほどじゃないでしょ。

 

 

「閉鎖空間には神人が存在します。ですが最近の彼らは破壊活動に勤しむと言うよりはただただ歩くようにゆっくりと動くだけ。本当に隙だらけです。まるで我々超能力者に倒されるためだけに造られたかのようにね」

 

「涼宮さんはお前さんたちへ存在意義を無意識ながらに与え続けているわけか」

 

「いつかのように頻発していないのはありがたいのですが、これでは鈍ってしまいそうですよ」

 

別に対人技ではないだろうに。

鈍ってはならないと彼が思ってしまうのは今までの経験もあるだろう。

けれど最近で言えば本格的にストーカー化しつつある橘のせいだ。

いや、橘に限らず古泉は北高の男子でダントツの人気なんだろう。

そんな話を女子がよくしていると朝倉さんから聞かされた事がある。

何でも古泉と同じ部活なのが気に食わないというか涼宮さんが気に食わないとか。

どうして古泉がSOS団なんていう変てこ集団に付き合わされているのか。

風評被害ですらない。

実際には古泉が決めた事なのだから。

とにかく、人気があるという事はそれだけフラグ的なものも立っているらしい。

本当の女の敵はこいつなんじゃないの?

 

 

「どうすんだよ、お前さん」

 

「困り果てているところです」

 

そのまま朽ち果ててしまいな。

のらりくらりと生きようとする古泉が悪い。

俺は後の事など気にしない。

 

 

 

――と、無意味な現実逃避の末に我が家へ辿り着いた。

特別インターホンも押さずに開錠して中へ入る。

居間へ出ると、もう帰って来ると思っていなかった母さんが。

 

 

「……どうしたの?」

 

どうもこうもありますとも。

部屋に引っこんでごろごろしながら新聞なんぞを眺めている親父を引きずり出す。

そして俺と朝倉さんとテーブル越しに向かい合う形で両親を座らせた。

 

 

「話があるんだ。荒唐無稽と切り捨てたくなるだろうけどとりあえず聞いてほしい」

 

俺はかつてここと違う世界に生きていた人間の精神が混じった存在。

あなたたちと似てはいたが、名前も住む場所も異なる二人が両親だった。

この世界には約六年前にやって来た異世界人。

 

 

「それがオレです」

 

今まで騙していたような形なのは申し訳ない。

だけど、俺は確かに明智黎としてここに存在している。

事情は多々あるが些末な問題でなない。

俺は俺であって俺以外の何者でもない。

誰から生まれようと俺なんだ。

俺の両親はあなたたちです。

……じゃ、次は。

 

 

「私の話」

 

事情が事情だけにどう説明したものかわからない。

宇宙人とはいえ俺だってそう言われて信用出来るかどうかで言えば多分できない。

一応最後までしっかりと聞いてくれただけでありがたいね。

 

 

「だから、私には人間で言うところの家族が存在しません」

 

ほんの少しだけなら朝倉さんの苦しみがわかる。

家族こそ健在だったが、俺はあの世界で孤独を味わい続けていた。

それを共有してくれるかもしれない存在を俺は否定したんだからな。

何にせよ他にも説明する事は多かったさ。

二人だけなので一時間もしない内に全部話せたと思う。

けど一方的に語り続けるには充分長い時間だったよ。

教師じゃあるまいし。

 

 

「……オレたちからの話は以上」

 

質問はありますかね。

朝倉さんの情報操作は眼に見えやすいけど俺がわかりやすく出来るのは一瞬姿を消すぐらい。

どちらも人を驚かせるには充分だけど。

黙っていた親父は。

 

 

「黎よ。俺の知らない所でお前はいつの間にか色々やってたんだな」

 

色々ってのは何も考えていないのと同義らしいよ。

そりゃあ確かに考える暇も何もなかった。

でも楽しかった。

あったんだ。

 

 

「少しは成長出来たんじゃあないの」

 

「若造が。……見違えているぐらいだ」

 

「ここにちゃんと座るオレを見違えないでほしいね」

 

――なあ、朝倉涼子。

俺が救えなかった本の中、テレビの中に居た君へ。

君が言いたい事はよくわかるし、多分、正しい。

正義だよ。

だから俺も君にあやかっただけなんだ。

やらなくて後悔するよりも、やって後悔するほうがいい。

現状の維持がジリ貧だ、って。

みんながみんな満足出来るわけないでしょ。

君だけじゃないんだ。

わざわざ強硬に変革を進めなくてもいい。

ジリ貧が変わらないと誰が決めたんだ?

情報統合思念体か涼宮ハルヒか。

それ、君じゃないだろ。

俺たち人類の変化なんて誤差の範囲さ。

数字にしたとして小数点何桁だろうな。

それでも俺は、みんなは、少しずつ確実に変化した。

これをジリ貧とは呼ばせないよ。

 

 

「後は年収で俺を超えてくれるだけだな。母さん、老後は安泰みたいだ」

 

「……そう言えば涼子ちゃん。あなた一人暮らしなんでしょう?」

 

いつの間にか朝倉さんを下の名前で呼ぶようになっていた母さん。

俺もその内呼ぼうかなと思って何ヶ月いや一年以上が経過した。

うるさいな。

男ってのはどれだけかっこつけても馬鹿でヘタレなんだよ。

これは俺が決めた。

 

 

「そうです」

 

「何ならうちに住まない? 部屋が一つ空いているのよ」

 

あの。

異世界人とか宇宙人とかその他諸々の話が軽くスルーされつつあるんですが。

 

 

「だって。宇宙人でも何でもでもこんなバカ息子を好きになってくれたんだからありがたく思わなきゃ。というかあんたがそう思いなさいよ」

 

散々してますとも。

だったら俺はどうなんだ。

異世界人だ。

 

 

『あんたが変わったのは自分の力。親として何かを見届けてやったわけじゃないけど、それくらいはわかる。親だから」

 

「母さん……」

 

精神年齢三十一歳でも感受性はガキのままだ。

いや、前の世界で俺は成長した覚えなんてない。

ちょろっとパソコンいじりの技術やらものの読み書きを学んだ程度。

涼宮さんと似ていたのさ。

彼女の時も、止まっていた。

だけど今はとっくに動いている。

フルスロットルだ。

俺は俺のペースで動き出す。

俺は謎を解かない。

何故なら俺は、いつまでもSOS団の団員。

みんなで悩めばいいのさ。

そのために呼ばれたんだ。

俺が俺の為に何かしたとしても自己責任。

人の為にする何かには徹頭徹尾責任を持つさ。

ケースバイケースだけどね。

 

 

「ううん。明智君の家に住むのかあ……」

 

真剣に悩まなくてもいいよ。

住みつかれても困るから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからの話を俺が知る範囲の人について語ろう。

特別、訃報は聞きつけてないので知らない人はその人なりに上手くやってるさ。

俺の守備範囲は広く浅く。

当然、楽しむために例外はあるけどさ。

 

 

 

――キョン。

俺と朝倉さんが通う大学とは別の大学に涼宮さんと通っている。

どっちも隣町にはかわりないけど駅からのベクトルが違うからね。

なかなか日常生活でふとは出逢わない。

お互い引っ越したわけがないので休日なんかは見かけたりする。

だけどお察しだ。

そういう時に彼を見かけたら会釈程度。

何故かって?

……さあ。

俺も、馬に蹴られて死ぬのはごめんだからね。

ちなみに彼のついでに言っておくけど佐々木さんは県外のレベルが高い大学へ進学した。

キョンだって涼宮さんの手綱もあってそこそこの所に行っている。

が、比べてやるでない。

涼宮さんや朝倉さんなら行けるかもしれないがキョンは無理だ。

努力が嫌いな俺など言うまでもない。

俺だってそこそこでいいのさ。

 

 

「……そうかい」

 

「たまの二人きりなんだから積もる話ぐらいあんだろ?」

 

「合うだけなら合ってるし、いつも遊んでいる気がするんだが」

 

それはみんなで、だろ。

夏休みに入る前。

大学終わりのアルバイト帰りにキョンと鉢合わせた。

少しは彼もマシな顔つきになるかと期待していた奴が何人いただろうか。

いたとしてもそいつらの期待は裏切られた。

こいつは何も変わっちゃいない。

 

 

「はっ。明智だって眼つきの悪さはあの会長と互角だ」

 

「懐かしいな。今、何してるんだろ」

 

大学進学が有利になるとか今思えばかわいい理由で生徒会長やってたよね。

結局次もやらされてた。

ともすれば『機関』の裏工作が必要なくなったのかもしれない。

カリスマはある方だった。

どこへ進学したのかは知らないけど。

 

 

「さあな。古泉にでも訊けばいい」

 

「今度会ったらそうしよう」

 

「じゃあな。俺はこれからお使いなんだ」

 

「この歳でかよ」

 

「この歳だからだ」

 

そう言って彼は通り過ぎて行った。

スーパーにでも漁りに行くのか。

それともお使いとは何かの比喩なのか。

俺には関係ないさ。

……キョンの本名かい?

悪いね。

禁則で。

 

 

 

 

 

――涼宮ハルヒ。

言う事なし。

えらい美人がどえらい美人になったってぐらい。

キョンとの関係は知らない。

俺の物語じゃないのさ。

 

 

「来ないと磔刑だから!」

 

という決め台詞と共に暇があれば集まれる人で某喫茶店に集まる。

彼女は遊びの予定を常に俺たちのスケジュールに刻み続けるのだ。

死刑よりも磔刑の方がえげつないのは俺の勘違いではないはずだ。

いずれにせよ彼女は宇宙人未来人異世界人超能力者その他友人と遊びたい……。

そう思い続ける限り俺の大学夏休みも有意義なものになってくれる。

 

 

「そういう時は、まず、あたしの意見を伺いなさい! ……ね?」

 

暇な時間の方が少ない気がしてきた。

これでサークルなんぞに入っていたら俺は過労死してしまうな。

他のみんなは各々自由なキャンパスライフを送っている。

苦労するのが"鍵"の役割なのか?

キョンと涼宮さんよ。

 

 

 

 

 

――長門有希。

実は彼女、大学に進学していない。

高校卒業と同時に世界中を旅している。

定期的に日本には帰って来るけどね。

彼女の姿を見られる機会が写真つきポストカードの方が多いのはさみしくも思えるんだ。

 

 

「……わたしが過ごした今までの時間はわたしのために存在していたのだろうか」

 

長らく拠点としていた分譲マンションを後にした長門さん。

不意に彼女はそんな事を言い出した。

 

 

「わたしの意味はわたしで決めたい……何かを見つけるところから始めたいと思う…」

 

コート姿のバックパッカーと化した長門さん。

彼女なら何処へでも行けると思う。

あ、治安の悪いところで変な事に巻き込まれそうなら遠慮しなくていい。

半殺し程度ならいいし、ま、不可抗力だってあるさ。

やられる前にやり返してやってよ。

 

 

「了解」

 

とっくに理解しているのさ。

何も長門さんに限らない。

みーんな不器用なんだって。

人間はね。

 

 

 

 

 

――朝比奈みくる。

詳細は割愛させてもらう。

紆余曲折の末に彼女の権限は二階級特進どころじゃない勢いで強力になったらしい。

俺たちが高校三年の時は月一で、今は二か月に一度の頻度でこの時代に顔を出している。

 

 

「あたし、ペットを飼うことにしたんですよ」

 

当然だが未来でのお話だ。

"コッカ―プー"という品種の犬らしい。

ルソーとの交流が忘れられなかったんだろうね。

未来人との交渉のために未来へ全軍乗り込んだ俺たちだった。

……が、未来人の技術を窺い知ることは出来なかった。

あの会議室から別の会議室的場所へ飛ばされたのだ。

風景さえ見られなかったんだぜ。

一種の配慮的措置だろうが何だか残念な気分だったよ。

 

 

「明智くんにも感謝してます」

 

いえいえ。

俺は本当に煽っただけですよ。

ムードメーカーになれたかどうかすら怪しい。

涼宮さんが意識してスーパーパワーを発揮したのは未来の収束が最初で……多分最後だろう。

今日の今日まで彼女は自分の能力を自分で操る事はしていない。

必要ないからね。

 

 

「朝比奈さん」

 

「はい?」

 

夏休み前の六月某日。

俺たちの集まりは駅前で解散となったが、別れ際に聞いておきたい事があった。

 

 

「今、好きな人って居ないんですか?」

 

「……き、禁則事項ですから!」

 

とだけ言い残されて消えてしまった。

俺ではないだろうし、キョンはこのざま。

古泉を狙えばツインテールの魔人に襲われる。

となれば未来に居るんだろうけど、未来にはどんな人が居るのかね。

気になるじゃんか。

 

 

 

 

 

――古泉一樹。

こいつについては語りたくもない。

予想した通りだ。

 

 

「実は、"古泉"というのは母方の姓でして」

 

べたべただろ。

前にこいつを金持ちの甘ちゃんだとかなんとか思ってたがそれで済めばよかった。

なんというか、こいつの親父は大物だ。

政界……ああこれ以上言いたくない。

しかしながらそれにしては古泉の筆跡は荒々しい。

育ちの良さが全てではないのだろう。

文字通り荒れた生活を送っていた時期もあったとか。

筆跡に関してだけ言うならこの歳にして既に野心家なのだろうかね。

 

 

「橘さんに関してですが……いやはや、千日手という言葉が彼女の辞書にはないみたいなんですよ」

 

彼の進学先を私立と侮るなかれ。

ともすれば佐々木さんが進学した大学に迫るぐらいのレベルの高さ。

理数クラスの日々は無駄じゃなかったと言いたいのだろうが、お前さんは数学者にでもなりたいのか?

後、橘だがもう諦めろ。

その方が早いと思うぞ。

 

 

「僕が思うに身持ちの固いお方であればよいのですが……」

 

固すぎて困っているんだろ。

ええい。

もう知らん。

とにかくこいつの話はしたくないんだ。

育ちの良し悪しじゃない。

野郎の事を思い出して楽しいか?

キョン一人が限界だ。

ちなみに俺がしているアルバイトはこいつに斡旋されたもの。

プログラマだよ。

こいつの知り合いの会社。

高校三年最後の事件の時に活躍した俺の手腕を貸してほしいとかどうとか。

短時間のバイトにしては割が良すぎるが朝倉さんとのデート資金に逐次消費されていく。

俺の明日はどっちなんだろうか。

 

 

 

――周防九曜。

よって谷口も彼女と同列に紹介させてもらおう。

聞けば谷口の親父さんは頑固だとか何とか。

そこに私立に通うお嬢様が彼女になったと知るや否や、下手な事があればただでは済まない。

三年に入ってから谷口は馬鹿から阿呆の常人くらいまではランクアップ出来た。

お前さんにしては上出来だと思うけどね。

 

 

「へっ。偉そうな事言いやがってよ」

 

谷口が何者なのか。

ただの野郎友達の一人さ。

国木田も同じ。

一応古泉だってな。

ま、今は親友って事で納得しといてよ。

そうそう周防だけど天蓋領域の目的なんて未だに不明だ。

周防がそれを語ろうとはしないし、いつも饒舌じゃないし。

 

 

「――あなたには無関係―――全行程完了」

 

何言ってんだよ。

周防ちゃんは結局どうなんだ。

 

 

「どうもこうもないのでしょう? 明智黎。わたしは彼の事を知りたいと思った……それだけよ」

 

俺はもう言わないんだけどね、その台詞。

そして知りたいとか言う割にまともに付き合っている感じではない。

谷口がヘタレなのを度外視しても周防は放浪癖があるらしい。

ただあてもなくぶらぶらするだけだ。

長門さんみたいに世界を旅すればよかっただろうに。

それをしないのはそういうこと――谷口から離れたくない、くーデレだろう――なんだ。

ならいいのさ。

 

 

「結果は点でしかない……未来も過去も存在しない。しかし、過程は可逆。……これは一篇の物語ではない」

 

とりあえず、共通言語を確立させるところから始めるべきだ。

エスカレーター式の女子大は教育の面で不備があるのか?

これからもワンマンアーミーちゃんよ頑張ってくれ。

 

 

「……"ちゃん"はやめなさい」

 

睨まれた。

 

 

 

――藤原と橘京子。

さあ?

後者は本当に無関係を貫きたい。

前者は基本未来に居るからね。

たまに何の仕事かは知らないけど現代にやって来て。

 

 

「明智黎。君を見ていると羨ましい……暇そうで」

 

と恩義の欠片もない発言を飛ばしてくる。

手厳しいじゃないか。

 

 

「感動と感謝は別物だ。あんたたちに感謝はするが、感動した覚えはない」

 

だと言う。

一応、橘の事も思い出そうか。

 

 

「んんっ……もう……。どこいったんですか……?」

 

もし往来で徘徊するツインテ妖怪を見かけたらご一報願いたい。

すぐに俺たちが対処しよう。

ただしやる気がある時に限るけど。

彼女に会っても命の危険はない。多分。

 

 

 

――鶴屋さん。

彼女も彼女で私大に行く必要があったのだろうか。

天然っぽいのは発言だけで聡明なお方なのは言わずもがな。

 

 

「お姉さんをほめても何も出ないぞう? カネが全てじゃないのさっ」

 

お金持ちに言われても鶴屋さんならどこか許せてしまう。

国木田は鶴屋さんに憧れて北高に入ったとか言うけど結局同じ大学には行かなかった。

恋心でもなんでもなかったのかね。

俺も最初はそうだったから気持ちはわかるさ。

てめえの事で精いっぱいなのが全て。

そうですよね。

 

 

「流石は黎くんだねっ」

 

褒めても何も出ませんよ鶴屋さん。

俺が出せるのは……今や市販されている無限にぷちぷち出来るおもちゃぐらいですから。

持ってるくせに言うのは何ですけどめがっさつまらないですよね、あれ。

 

 

「わはははっ、気の持ちようが全てなのさぁっ!」

 

そうでしょうね。

ええ。

仰る通りです。

 

 

 

 

――喜緑江美里。

なんだか真の黒幕じみている彼女。

最近よからぬ事を企んでそうな気がする。

 

 

「その時は、わたしと戦いますか?」

 

滅相もない。

話し合いで解決しましょう。

 

 

「楽しみにしています」

 

俺は憂鬱になりそうですけどね。

でも、どうせ勝つのは俺たちですよ。

残念ですが。

 

 

「明智さんは知ってますか? 絶対なんて存在しないんですよ」

 

本当ですか。

知りませんでしたよ。

だって、今日の話じゃないんで。

ええ。

 

 

 

 

 

――そして。

 

 

「朝倉センセー。お時間、早くありませんか?」

 

俺の後ろにいつの間にか立っていた彼女に声をかける。

まだ午前七時前ですよ。

休みだからとのんびりムードなのは認めるけどさ。

家に入れる親も親だ。

 

 

「いいじゃない。時間は有限なの」

 

「そりゃそうだけどさ」

 

「……もう私に飽きちゃった?」

 

そんな訳ありません。

俺は年中無休で君を愛しているし君に夢中だ。

夢中と言うからには即ち夢の中のような体験だね。

でも、本当に幸せなことに現実だ。

 

 

「おはようのキスを頼もうか」

 

「ふふっ」

 

朝っぱらから盛ってなどいない。

普通のフレンチキスだ。

あ、ディープじゃない方だからね。

日本では二重の誤解の末に二つの意味が混雑しつつある。

その由来だとかを語ってもいいけど面白くもなんともないうんちくだ。

俺がしたのは軽いキスさ。

とにかく今、俺は朝倉さんにやらしい意味で襲いかかろうとはしない。

何より親が居るからな?

ここ、俺の家。

 

 

「ねえ。散歩にでも出かけましょ? いい天気だわ」

 

「……オレは朝飯もまだで、いい天気を通り越して夏は暑いよ」

 

「無駄なの。明智君に拒否権はありません」

 

さいですか。

すぐに着替えるから一旦出てよ。

 

 

「私たちって今更裸姿を見られて恥ずかしがる関係かしら?」

 

「それとこれとは別なんだよ」

 

「はいはい」

 

朝倉涼子。

五年前の彼女を助けたあの日から、今日まで。

いや、これから先も俺の左横に居てくれるだろう。

俺はどこにも行かないんだ。

 

 

 

 

 

『異世界人こと俺氏の憂鬱』

 

――じゃあね。

 

 



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短編『あてにならない数字』+後書き『a study in emperor』

 

 

「九百五十万……八百三十五、か」

 

俺の左横の朝倉さんが白い息を吐き出しながらそう言った。

次の瞬間にはその息は凍える風に煽られて霧散してしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空はいくら青かろうが晴れだろうが寒いものは寒い。

それは何故かと訊ねられれば口から漏れ出す吐息でわかるだろう。

冬真っ只中。

 

 

「それ、何の数字なのかな」

 

「ひみつ」

 

にっこりと笑顔でそういう朝倉さんだが彼女がそう言うなら俺は深く問い質そうとはしないさ。

彼女は現在晴れ着姿であり後ろ髪をまとめて女将さんのような髪型になっている。

朝倉さんを比較する事に意味などないしあるわけないが、今日の彼女はいつも通り最高だ。

某グラサン漫画家の作品で『五回とも同じ人を好きになる』という台詞があった気がする。

俺は百万回死んでも朝倉さんを愛しているだろうさ。

願わくば彼女も俺と同じくらい、欲を言えば俺以上にそう想ってくれていると信じている。

……これは最近わかった。

朝倉さんはどこに居ても自由なんだという事が。

俺ごときが自惚れて俺のせいで朝倉さんが自由じゃない、と妙に気を使う必要はないのだから。

はたして何の偶然だろうか。

悪戯のように朝倉さんは。

 

 

「ねえ、明智君はさっきの数字の意味が知りたい?」

 

「お願いするよ」

 

俺たちは歩いている。

しかしながら二人っきりという訳でもない。

前方にはSOS団他五人――実際は女子の後ろに男子と間隔を空けているが――が先導している。

去年の11月に涼宮さんに裏事情を話した高校二年生の新年。

今日は2008年の1月3日。

どうかな。寒いのも頷けるだろ?

お昼過ぎに俺は行きたくもない目的地へ行くというわけだ。

朝倉さんは俺の耳元でこっそりと。

 

 

「私があなたを"好き"って思った回数……というのはどうかしら?」

 

どうもこうもありますよ。

ここが公共の場なのが悔やまれる。

俺の精神テンションは晴れ着姿の朝倉さん相手に『よいではないか』と襲い掛かりかねないに急上昇だ。

少しばかりは凍えそうな冬の寒風も許したくなる。

だけどやっぱり俺たちがこれからする行為に意味があるのか怪しくなってしまう。

お願いする事なんて俺にはないさ。

 

 

「ふーん」

 

「神を信じてちゃあキリがない。オレたちはそういう世界を知っているからね」

 

「わたしはあなたを信じてるもの」

 

「まさか……二度と朝倉さんを裏切るつもりはないけど本当かい?」

 

「確実ね。そう、待ち合わせをすればキョン君がビリになるっていうくらい確実」

 

だったら本当なんだろうさ。

前方は前方で騒がしい。

涼宮さんはイベントなら何でも精一杯楽しむから彼女のテンションが高いのも仕方ない。

 

 

「遅いわよ! 二人ともいちゃいちゃしてないでさっさとしなさい!」

 

団長の涼宮さんがこちらを振り向いたと思えばお叱りの言葉をもらってしまった。

心底から激昂しているわけではないが、申し訳ないので朝倉さんと駆け足になる。

俺たちは今日一日で市内の神社と寺の全てを堂々巡りしなければならない。

もうそろそろお察しいただけただろう。

三が日。

いわゆる初詣とやらである。

 

 

「去年は行かなかったわね」

 

そりゃそうさ。

君を親に紹介するという拷問じみた行為を強要されたんだから。

たまに俺の家に朝倉さんが来ると大スターでも来たかのような優待ぶり。

宣言通りに盆休みに帰って来た兄貴との差が激しい。

彼の息子は元気に育っているし、これからどんどん大きくなるだろうさ。

母さんも親父も兄貴に一切構わずに二歳の孫を可愛がっていた。

視線の向こう側にある大きな門を眺めながらさっきの事を回想する。

 

 

 

――駅前での待ち合わせ。

あえて言う必要もないのだろうがキョンが今回もビリ。

やはり因果律に干渉しているとしか思えない。

涼宮さんが意識して能力を使ってはいないと思うが……心のありよう一つでこう想えているのは事実だ。

その心は俺の疑念なのか涼宮さんの意図なのか。

既に晴れ着姿で出揃っている女子四人を眺める総時間がキョンより俺の方が長いのは確かである。

とにかく次回に持ち越しといった形で奢りが決定した残念な主人公。

絶対かつあげされるマンか。

ここは"杜王町"ではないはずだ。

ゴゴゴゴゴと変な擬音と共に犬を連れたじいさんが。

 

 

『あのな……ここは"カツアゲロード"。知ってるんだろう…?』

 

と俺たちに語りかけてきても不思議ではない。

それくらいキョンの敗北は確定的に明らかであった。

いくら待ち合わせの時間より速かろうが結果として出ている以上はそれが事実だ。

もはや呆れもせずにただただ冷やかな眼で涼宮さんは。

 

 

「あんたは二年経っても変わらないみたいね」

 

この一言でキョンの寒さがブーストされたのは言うまでもなかろう。

関係ない俺でさえ心持ちそう感じたのだから言われた本人はたまったものではない。

 

 

「罪悪感はこれでもあるんだが」

 

「あたしは努力しなさいとあんたに言い続けてきたけど、やり方を変える必要があるわ」

 

「……何を変えるって?」

 

さあ、何を変えるんだろうね。

途端ににやにやし始めた長身厚手ジャケット野郎が見てて腹立たしい。

俺の一張羅は去年の一件で残念ながらお蔵入りどころかそのまま処分となった。

周防を恨むわけではないが今着ているヤツが前のより防寒性に優れていないのは事実。

まったく。

 

 

「やれやれってヤツかな」

 

「……」

 

「これで僕も一安心出来そうです」

 

お前さんが心安らぐ時間はじわりじわりとなくなっていくだろうな。

何となくだが俺にはこの時そんな予感が出来た。

古泉も大概だと思いませんか、朝比奈さん。

 

 

「あたしは古泉くんも素敵だなとは思うんですけど……」

 

どこかお察しな状態である。

事情を知らない連中だからこそ俺たちにルックス云々を突っ込めるのだ。

涼宮さんにいたっては内部からも外部からも火の鳥どころか火炎放射器を撒き散らす世紀末な世界観であるが。

とにかく、今後はキョンがビリになる回数も減るのかもしれない。

何故なら涼宮さんは「気が向いたら」待ち合わせの時に彼を家まで迎えに行くそうだ。

よもや自分が負けようとする事はないはずだ。

だとすれば俺がビリの役割をおっ被るのは嫌だな。

『機関』の力がある古泉にお願いしたいね。

 

 

「私たちも負けてられないわね」

 

一体何と勝負しているんですかね朝倉さんは。

俺は冬の寒さに屈しかけているところだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上。

そうこうしている内に境内を進んではいるのだが……。

今日も今日とて神社は人が多い。

昨日一昨日で消化しきれていないのか。

じいさんばあさんから家族連れ等。

俺たちみたいな男女集団が居たとしてそいつらはとっくのとうに元日初詣なんだろうよ。

出来れば俺もこんなイベントわざわざ今更3日にやるぐらいならスルーしたかった。

元日に出来なかったのは冬合宿のせいである。

夏と同じように外国というのも考えられたが、国内で北海道だった。

"ニセコ"だよ。

外国人にもウケるパウダースノーが体験できる代表的な場所さ。

そして本来であれば晴れ着を貸してくれた鶴屋さんもご一緒に初詣といきたかったが彼女は忙しいらしい。

こっちに戻ったと思えばお次はヨーロッパ。

去年も確かそうだったが親戚でも居るのだろうか。

 

 

「あたしの分までハルにゃんたちの姿を目に焼き付けといておくれっ」

 

との事である。

それにしても他愛もない会話をしながら俺たちは再びさっきと同じ位置関係で横三列での移動。

前方の計五人との間隔はそう離れていないがかえってその方がよろしくないのだろう。

何せ圧迫感が、ぱないのだ。

立ち並ぶ大した質も良くないのにぼったくりの価格設定な出店にとってはいい商売だろう。

ぼろい儲けとはまさにこの有様だ。

 

 

「随分と手厳しいじゃない」

 

「それだけオレはありがたい環境に居るって事さ」

 

朝倉さんの料理なら1000円出されても俺は譲らない。

タダより高い物はないのであってそれは即ち時価でもある。

俺の時価は基本ちっとばっか高いぞ。

 

 

「どういたしまして」

 

「こっちの台詞だよ」

 

しかしながら今日来ている連中の中にはここをお祭りか何かと勘違いしている奴がいるんじゃないか。

本殿前は隆盛を誇っており俺には馬鹿馬鹿しいとしか思えなかった。

いくら俺たちが年中無休のお祭り集団だと思われたところでそれはそれ、これはこれ。

あんらたも居るか怪しい神なんぞに頭を垂らすよりこちらの涼宮ハルヒ教に入信した方がよっぽどマシだ。

全ては彼女に気に入られるかどうかにかかっているが。

俺の独白を耳にした朝倉さんは。

 

 

「夢が無いのね。私もよくわからないけどあなたたちはこういう雰囲気を重んじるものだと思ってたけど?」

 

「日本人的発想だよ。それにあやかろうとした所で何の得があるのやら」

 

「わからないわよ」

 

絶対とは言えないので確かにそうだけどさ。

俺はそんな事の証明をするために生きているわけじゃあないんだ。

将来的にどういう職業になるのかでも考えた方がよっぽど有意義で建設的だ。

また情報系に進むのかあるいは別の何かをするのか。

ただ、兄貴と同じ仕事だけは遠慮させてもらおう。

 

 

「オレだってこうなってるだなんてわからなかったさ」

 

補足説明だが女子四人の装備は何から何まで、そう全て鶴屋さんから借用しているものだ。

高級感も良し悪しと言うが今回に関して言えば間違いなく良かった

草履、足袋、髪飾りやら何やらとにかく一番いい装備だろう。

こんな装備の彼女たちにときめかない奴は大丈夫か?

問題しかないな。

居たとしたらそいつはきっと同性愛者なのだろう。

 

――そうこうしているうちに水盤舎へと到着した。

杓子を手に取り水盤から水をすくって手洗いうがい。

俺には"清め"の精神もよくわからんよ。

穢れたるその野望を散滅させればいいのかね。

俺たち自身の野望なわけだけど。

一連の作業を終えて拝殿へ向かう雑踏の中、朝倉さんは思い出したかのように。

 

 

「……私は自分の意味を考えた事さえなかったの」

 

俺とは少し違う悩みだ。

結論を先送りにした結果の白紙と、名前を書かない事による白紙扱い。

俺も朝倉さんも褒められたもんじゃないのだろうさ。

少なくとも俺は自分を褒める事はそうしない。

根拠のない自信とは虚勢であり虚栄心だ。

それに頼らないとは言わないが年中すがるような俺ではない。

 

 

「だから明智君が自分の生きる意味を私にさせてほしい、って言った時……私は『なんて素晴らしい事なんだろう』って思ったのよ」

 

にわかには信じ難いけど君が言うならそうなんだろう。

結局のところ、俺は自分の外側を取り繕っているだけにしか過ぎない。

"臆病者"よりはマシになったが自分が良ければそれてよかろうな独善の精神は変わらない。

いいや変える必要がないんだ。

この世界の、どこにも。

だって。

 

 

「オレが決めた結果なんだ。全部結果さ。結果だけで言えばこれ以上ないね」

 

「なんだか私はあなたに便乗してるみたい」

 

「そんなのは視野が狭い奴の言う事だ。朝倉さんは変わったけど、探究心は捨ててないはず」

 

「うん。あなたには地獄の底まで私と付き合ってもらうわよ」

 

事後承諾じゃないの、それ。

二重の意味で付き合っているだろ俺たち。

 

 

「だからって間違っても私から逃げようだなんて思わない事ね。私をその気にさせたのはあなたなんだから」

 

「間違いってのは一度で終わりなのさ。オレは、反省すると強いぜ?」

 

「ふふっ。今日で何回増えるのかしら……後で数えなおさないと」

 

例の回数云々の話か。

本当にそんな数字なんだろうか。

ええっと朝倉さんが俺の事を意識してくれたらしい2年前の12月17日から計算してみよう。

31日まで計15日分。

2007年を全部使用して365日。

でもって2008年現在までの3日。

計383日……。

 

 

「本当かよ……?」

 

一日単位で計算したとして俺を好きと想った平均回数が2500に近い事になる。

更に一日の秒単位にしてみると約35秒に一回の計算。

嘘だろ。

うん、そうだ。

いつも通り彼女は俺を馬鹿にしようとしているのだろう。

 

 

「本当よ」

 

エイプリルフールが待ち遠しいに違いない。

どこぞの某日記のヤンデレヒロインに匹敵する事になってしまう。

軽くトラウマだから、あれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて何事もなく参拝してから神社を後にするかと思われた。

しかしその際にキョンと涼宮さんの二人がはぐれた。

どうやら一悶着あったのか何なのか。

俺が思うに悪い方向にならない事は確かだろうよ。

 

 

――そうさ。世界はいい方向に変わっていける。ボクたちが変えていける。

 

なんて誰かの幻聴が聴こえてしまうぐらいに俺は今いい気分だ。

それから女子だけ晴れ着なのはおかしいと涼宮さんに言われて袴姿に着替える羽目に。

いや、用意があるわけないんだよ。

ただし古泉の謎の人脈――どう考えても『機関』である――により問題なく実行された。

涼宮さんもその辺の事情は知っているのに俺たち全員に真実を言わないのはどうなんだろう。

あるいは彼が元々意味不明な人脈を持っているのか。

多分、両方なのだろう。

 

 

「休み明けってのもいいもんだよね」

 

「そうね」

 

なんて事を話しながら登校していく俺と朝倉さん。

あの日、他の神社と寺に向かっていく道中の話だが、写真館なんぞのお世話になった。

俺の写真うつりなど最初から期待していない。

 

――ただ。

わざわざ持ち歩いた一枚を内ポケットから取り出す。

昨日写真が送られてきたばかりでね。

朝倉さんも自分の分を持っているけど一緒に見たいと思ったのさ。

 

 

「朝倉さん」

 

「なあに」

 

「返事は後でいい。かなり後でいい。もう一度同じお願いをする時が来ると思うから」

 

未来への切符はいつも白紙だ。

でも、この写真に写る俺と彼女を見ているとそんなに難しい事には思えない。

だってそうだろ?

自分が決めた道を進むだけなんだ。

それに責任を持てない奴が運命とか因果とか言い出すんだ。

俺は違う。

死ぬまで否定する。

 

 

「朝倉涼子さん」

 

ここが坂道に差し掛かる前の平坦な道のりでよかった。

彼女の前に踊り出て、既に決めていた言葉を紡ぐ。

初詣は願い事をする場所ではない。

祈る場所だ。

祈っておいた。

 

 

「オレと――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『a study in emperor』

 

 

 

【はじめに】

 

私の『異世界人こと俺氏の憂鬱』に今日というこの日までお付き合い頂いた方々。

私がこの文章をタイプしている時にはこの作品を知りもしないいつか読んでくださる方々。

 

 

――ありがとうございます。

 

感謝。

ただそれしか私には見つかりません。

不甲斐なき拙作はあろうことか見切り発車ではございました。

が、どうにか不時着ぐらいには持ち込めました。

何かを成し遂げる事は思いの他、簡単です。

満足しない事も自虐するだけなら簡単です。

結果を置き去りにせず過程として連れて行く事が難しい。

……と、私は考えています。

継続は力になってくれると信じていますから。

 

これは至極どうでもいいお話になりますが、私は本のあとがきなるものを読むのが好きです。

書店に足を運んだ際、前情報なしに本を選んで購入する際の基準となっています。

何なら最後のページを見て、続けてあとがきを読んでからこの本全部読もうかなと判断する変人なのです。

私は自分の作品に自分の意見を投影するのはよろしくないと思っています。

が、ちらほら衝動的に書き上げた部分があるのも事実。

いずれにせよ、感情が伝わる文章を構成できれば最高ですよね。

 

引き続き下記の内容も読んで頂ければ幸いです。

読み飛ばしたい方はどうぞ。

お手数をおかけしますがブラウザバックの方よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

【経緯】

 

この作品を思いつき、構成し、いざ投稿に踏み切ってしまった経緯について。

ハルヒシリーズの二次創作なるものを書きたいとは昔から考えていました。

私をダークサイド――こういう呼び方したら怒られますかね――に落とし込んだ作品……。

【涼宮ハルヒの憂鬱】ではなくて【D.C.~ダ・カーポ~】なんですが、ハマり具合で言えば後にも先にもハルヒはドハマりでした。

センセーショナルな作品という意味ではガイナックスのそれも知っていました。

実際にそれも観ていたのでじゃあ昔からオタク文化に傾倒していただろと言えばそれは別の話になります。

リアルタイムでハルヒを視聴していた方も今や懐かしがられる時代になってしまいました。

しかしながら初見の涼宮ハルヒの憂鬱がどういう衝撃度合いだったかが昨日の出来事かのように思い出せるはずです。

 

 

――怪物。

 

なんて言った所でアニメが始まる前からハルヒの原作を読んでいた古参厨の私ではあります。

ですが、当然ですけど映像作品は違いますね。

劇場に足を運んだかのように錯覚してしまいました。

間違いなくこの作品はいち時代を築き上げました。

2006年春――まさに某tube全盛期――といった時代背景もあったと思いますがそこら辺については割愛。

 

長々と語りましたが思いつき自体はかなり前からあったという訳です。

いざ、構成しようとなったのが比較的最近の話でして部屋に落ちていた――なんて扱いだ――消失を久々に読んだのがきっかけ。

どんな内容とはいえテーマがあれば最低限自分では納得できるはずだ、と。

テーマが無い作品を批判否定するつもりではありません。

私の塵の一つ程度しかない矜持に基づいてやりたかったというだけの話です。

で、そのテーマの全貌はこうです。

 

 

――愛、勇気、鍵。

 

"鍵"って何だと言われれば……鍵だとしか言いようがありません。

ハルヒにはキーワードとして登場しますがどうにも釈然としない部分がまだあります。

そりゃあ未完の作品なので当然ではありますが、この作品を書く上で決着をつけるべきなのは私に他ありません。

結局のところ二次創作とはそういうものでしょう。

自己満足との折り合いですよ。

と、脱線してしまいましたがテーマについて。

鍵がわかりにくければ答えや解法と言い換えてもいいと思います。

 

 

『愛と勇気がオレの答えだぁっ!』

 

みたいな今時どう評価されるのやらな主人公。

王道中の王道をテーマにしていたはずが邪道じみた仕上がりになってしまった。

こういうケースもあるのではなく多分私側の問題ですよ。

そしてそのテーマに対応するキーワードが。

 

 

――否定。

 

つまり『どうもこうもない』という台詞にこの作品の全てが集約されています。

ええ、反抗期の子どもですよ。

自分が気に食わない正義は否定する。

これで主人公と言っていいのか、性根が腐っている。

でも、成長出来るんです。

私はなるべく章のラストが希望的な終わり方をするように書いてきたつもりです。

何の問題が解決していなくても気の持ちようだというわけですよ。

こんな話でも根底にあるのは単純な事なのです。

 

ただ、時間をかけてでもわかりやすく作品を仕上げる努力をずっともっとするべきでした。

ある程度切り捨てていた要素ですけど、いや、これは邪道だ。

吐き気を催す邪悪な野郎の所業だ。

過去の話を加筆修正するか、いつの日か思い切って全編リメイクするか。

バックアップは用意しているんで気が向いたらやろうかと思います。

いずれにせよ"シンプル"が今後の課題ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

【異世界人】

 

この欄は戯言じみた考察の体裁をどうにか保とうとしている雑文でございます。

まず、第一に"異世界人"なる存在について書いていきます。

一口にそう言ったところで私の見解としましては作中でも述べた通り定義によります。

言い換えるとこれはある前提条件が必要になるという話です。

 

 

――憑依、転移、逆行、転生。

 

舞台背景はさておき代表される異世界人はこのような過程を経て異世界人たる存在として存在しています。

私がお話ししたいのはそのような事とは別の話。

異世界人の特異性はひとえに住む世界が自分のかつてのそれと異なるという一点に集約していると言えます。

スキルだとかそういったものは全く関係ありません。

ただのオマケです。

では何が必要とされる前提なのかと言いますと異世界人は異世界人だと観測されなければならない。

 

 

「オレは、異世界人だ」

 

「あなたは異世界人なのよ」

 

あるいは私のように地の文の欄でいわゆる天の声として観測、知覚される必要があります。

何故かとは言うまでもないほど当り前な事ではあります。

裏を返せばこの前提がなけれな異世界人は異世界人としてあれません。

誰も知らなきゃ知らないでそれが公然の事実として世界に認定されるわけです。

宇宙人未来人超能力者は完結している存在であり、受け手に左右されません。

とにかく作品を通して受け手に曖昧な存在を認知させる必要があります。

ここまで言えばもう私の何処が邪道なのかが窺えると思います。

 

 

『異世界人こと俺氏の憂鬱』

 

一発ですよ。

間違いなしです。

しかしながらここまでこの作品をお付き合いして頂いた方々は引っ掛かりを感じるかもしれません。

それもそのはずで、何と最終的に異世界人という事実を主人公本人が半ば否定しています。

"異世界屋"というのがその辺は機能したのかしていないのか……。

少し話はズレますが更に言えば私は私を異世界人だとは自覚していません。

が、この世界の誰かが真実として私を異世界人と観測するのであれば私の意識は関係ない。

嘘……私は異世界人かも……。

何はともあれ"納得"して生きていきたいものです。

テーマを決めたからには必然的に反対側まで描写していきたい。

否定の反対は肯定。

異世界人が覆されるのはこの作品の宿命だったわけです。

みんなが主人公を同じ世界を生きる存在として受け入れているので。

前提が重要なのは最初だけです。

受け手に一度、異世界人なのだなと認められれば後はどうでもいいのですよ。

少々雑かもしれませんが。

 

さて、話は異世界についてシフトします。

こちらはそこまで深く考える必要がありません。

平行世界なのか、もしくは私たちとは別の次元なのか。

どちらも異世界であり、どれと決める事はできませんね。

残念な事に私たちの世界には異世界を観測する手段が今の所存在していないからです。

学問的な話は避けますが二次元は存在します。

いえ、ここではするとしましょう。

 

 

「ないんだったら自分で作ればいいのよ!」

 

しかしながらその二次元が我々の産物とは別物なのだと理解していただきたい。

世界は勝手に廻ります。

時に、作品が独り歩きすると言いますが最初から歩けたかと言えば違うはずです。

つまり私たちが創った作品には神が必要なのです。

何故ならばその二次元は先ほど存在すると仮定した"二次元"とは度々言いますが別物。

勝手に何か情報が生み出されていくわけではありません。

私たちのような存在が神として世界にオブジェクト(もの)を与える必要があります。

自分の世界でないならば無から有を生み出す事も特別な事ではないでしょう。

神ですよ。あなたも神になれるんです。

なんて言ってたらあの世のニーチェ先生に呪われそう。

とにかく創られた二次元と定義された二次元は別。

 

 

「あんたがそれでいいなら、ま、いいわ」

 

その壁を壊す。

これこそが自律進化なのではないのかと私は考えました。

だってそうでしょう。

ハルヒは間違いなくオブジェクトを生成します。

私たちが二次元に対してする事を自分で再現する、神の所業です。

こう考えれば原作において言われている自律進化が人類にとって有益な事だという説明がつきます。

完全に独立した"世界"として完成するわけですよ。

未完の作品となる事でその境地に達しつつあるのは何の皮肉なんでしょうか。

それとも私の考えすぎなのか。

 

 

「ふーん。つまり私たちは与えられた存在って事かしら」

 

「さあ。神に会ったことがないからわからないよ」

 

「私たちの世界はどうやってそういうものだと観測すればいいのかしら」

 

「観測する事は無理だ。仮に神が存在するとしたらそいつに訊くか、そいつの所まで行くしかない」

 

「それが"外の世界"ってわけね」

 

「だけど自律進化は別物なんだ。誰がするとかじゃあなかった。勝手に完了する類のものなんだよ」

 

どうもこうもありませんね。

メタい発言をさせるのであれば、最低限そこら辺は考えるべきだ。

……なんて下らない私見を誰かに押し付けたいわけでもありません。

机上の空論でございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

【設定】

 

全部書くのは書く方も読む方も苦痛でしかありません。

既に作中に必要な要素は散りばめてあります。

ただ説明不足であったりぼかしている部分については今後番外編やらで書いていきます。

『異世界人と俺氏』については後述。

主人公とヒロインについてとそれに関連する部分だけをここでは書いていきます。

 

 

 

・明智黎

何度も申し上げた通り、主人公と思わずに書きました。

悪い奴にはならないように努力したつもりですが、捻くれているのか馬鹿正直なのか。

私なりに"曖昧さ"を表現したつもりです。

異世界人は曖昧ですから。

最後の最後でようやく主人公らしくなりましたかね。

一応言っておきますが私とは似ても似つかぬ存在ですよ。

 

 

 

――結局こいつの能力何なの?

えー。

シンプルに一言で。

"真実に到達する事が出来る能力"。

えっ。

なにそれこわい。

ただこれにはちゃんとしたようなこじつけじみた理由があります。

原作において涼宮ハルヒは朝比奈みくるら未来人にその能力を。

 

 

『この世の発見されていない超自然的存在を発見する能力』

 

みたいな認識をされています。

一理あるとは思いますが、それでは説明がつかない部分があまりにも多すぎます。

分裂驚愕なんかはまさにそうでしょう。

発見する能力で説明がつく部分よりも願望を実現する能力で説明する方が圧倒的に話が早い。

私は長門ら宇宙人の解釈である、無から有を生み出す創造的能力と言うのも同じくハルヒにあると解釈しています。

つまり朝比奈さんだけハルヒの能力の真実を知らない訳ですが、これもおかしな話ではありません。

何らかの情報統制が未来人組織で行われている事は明白であり、朝比奈さんはほぼほぼ無知。

よって嘘を教えられていても本人はそれを確かめる方法がないわけです。

キョンを混乱させるためなのか何なのか、とにかく真実性は低いかと思われます。

 

 

「ふっ。勘違いするんじゃあない」

 

そこで思考を止めてはいけません。

原作涼宮ハルヒの憂鬱において宇宙人未来人超能力者を呼び寄せた。

この事実を願望だけで説明するのは難しい。

私たちが宇宙人に来てほしいと漠然に願ったところで間違いなく来るのはエイリアン。

ともすればそのハンターことプレデターが関の山ではないでしょうか。

いずれにせよ人型である必要性がわからない。

ハルヒもそこまで深く考えて願わなかったはずです。

ただ『来い』と、『わたしはここにいる』からと願っただけなのです。

一つだけ別の可能性としてハルヒがそもそも世界を創った説がありますが……。

今回は棄却した上で話を考えました。

その理屈で言えばキョン=神説の方がもっともらしいわけですからね。

彼の視点で語られていく以上全てが真実ではないのです。

とにかく何が言いたいかといいますと、ハルヒは団員を選んだという事です。

つまりこの一点において発見する能力は発揮されました。

当作品の主人公はハルヒに必要とされなくなった――自分たちの手で不思議は見つけ出す――その能力を受け継いだという設定。

何かあったらヤスミのせいにすればだいたい説明できるんじゃないですかね。

すいません、冗談です。

とにかく出てくる技は全部この能力の応用。

最終的に明智は何となくですが能力を理解しています。

"切り拓く"のは真実へと向かうため。

 

 

『終わりのないのが"終わり"』

 

とは、真実に辿りつけないという意味ではありません。

真実の到達も一つの過程であり、終わりではないという事だと思います。

 

 

 

――浅野

明智の昔の名前という設定なんですが……。

詳しくは"浅野皇帝"で検索してみて下さい。

だいたいの何かを察する事が出来るかと思います。

臆病者だとか言う割に偉そうだったのは皇帝の部分から。

これでも一応、複線以下の何かを仕込んでいたつもりでした。

無意味なのが駄目ではなく意味を考えないのが駄目なのです。

ちなみに下の名前も考えていますが、あえて書きません。

ヒントとして。

並び替えて読み方を変えるとコウテイと発音できる。

本名のあだ名はユッキー。

この二点だけでかなり絞れるんじゃないですかね。

もう一人の明智こと佐野は浅野から"あ"を抜きました。

謎の文学少女の佐倉は朝倉さんから同じくあ抜き。

我ながら適当に考えただけにしか思えない名前です。

 

 

 

――急にβ世界の話が飛んだ

多少語られているのでそこから情報を得ることが出来ます。

不親切ではあるかと思いますし、一応書いたんですけど投稿する気になれなかった。

何故主人公が朝倉さんを半殺しにする話を描写していかねばならんのか。

そんな気がして没に。

水曜日を最後にして平和なα世界に話は一端シフトします。

 

β世界での木曜日。

何もありませんでした。

原作でもキョンが動くだけでしたので。

 

β世界での金曜日の書かれてない部分。

超能力者兼異世界人の佐野に一種の精神操作攻撃を受けました。

自分が知らない感情を与えることが出来ないという制約はあるんですけどそれにしても初見殺し。

前世と同じく愛する人を自分の手で追い詰めてしまうという羽目に。

後は説明されている通りなんで朝倉さんとのやり取りとかはご想像にお任せします。

嫌になっちゃうくらい鬱な話を二話ぐらいかけて書いたんですけど本当に時間の無駄でした。

この作品はあくまで憂鬱なので。

 

 

 

――兄貴。

この作品の明かされない謎として用意しておきました。

"ベンズナイフ"も彼に関係していたり。

ただの人間なはずですが、ただものではありません。

明(あきら)という名前の割に作品の影に埋もれ続けていた存在。

学生ではない以上は出してもしょうがないんで。

家族として居るのか程度の認識でいいです。

黎とあわせて黎明=夜明け。

紆余曲折の末に主人公の精神にも夜明けが訪れた。

そんな成長したりしていなかったりが人生です。

某漫画家の5部主人公曰く

 

 

『覚悟は……登りゆく朝日より明るい輝きで道を照らしている。そして我々がこれから向かうべき…正しい道をも』

 

だとか。

とにかく二次創作である以上は原作の影として考えたかった。

その辺が朝倉さんがヒロインになった理由でもあります。

明智の念能力云々はまたの機会に。

 

 

 

 

・朝倉涼子

これも再三書かせて頂きますが、私は最初朝倉さんが好きでも何でもありませんでした。

――否。

否、断じて否。

それだけ涼宮ハルヒの憂鬱なる作品の世界観が好きだったというわけです。

特別好きな女性キャラは居ませんでした。

ただ周防はタイプですね。

その辺からか扱いが何だかいい。

驚愕のカラーイラストの周防を見たときは思わず。

 

 

『か、かわいい……』

 

とか思ってしまいました。

って朝倉さんの欄で浮気じみた事を書くのはいかがなものか。

とはいえ朝倉さんを最初に見た時、あっさり退場して何なんだこいつと思ったのが大多数なはず。

一時期は長門一強――俺の嫁というフレーズが懐かしい――な風潮もありましたからね。

精々がキャラソンンがいい曲だなという程度にしか思っていませんでした。

そんな私に変革を起したのがとある二次創作。

残念ながら今は見られないのですが"ラディカル・デイズ"というSSです。

内容はキョンと朝倉のカップリングの日常を描いているものでした。

ハルヒ全盛期、2007年ごろの話ですよ。

それがこうして今も私の中に何かを残してくれているわけです。

私も誰かに影響を与えられたのならいいんですけども。

とにかく、その作品との出会いがあったからこそ朝倉涼子を消耗品とは考えられなくなったのです。

そして今日この時を迎えました。

全てに感謝。

 

 

 

――何故、朝倉涼子なのか。

彼女ありきで話を考えていたわけでもありません。

しかしながら影である彼女だからこそ二次創作に相応しいのは確かです。

やはり最大の問題は何故、原作で朝倉涼子が殺されたのかの一点に尽きます。

これこそが彼女を影としている部分。

朝倉涼子は犠牲となったわけです。

もっともらしい内容を書こうと思えば書けますが、何故私が朝倉さんをハルヒの影だと考えているのか。

原作の一巻と四巻の表紙を並べてみてください。

そして、消失を読んで下さい。

あなたの目に見えたものが全てだと思います。

 

 

 

――キャラ付けとして

言っても朝倉さんに限らずキャラ崩壊はさせたくありません。

ある程度は原作の延長線上であったり、独自解釈の免罪符でどうにかなりました。

ただ、本来存在しないものを存在させるからには大なり小なり逸脱してしまう。

その点、朝倉涼子というキャラクターはかなり扱いやすい存在でした。

彼女視点で話が進むと思うと怖くてたまりません。

 

 

『どんな手をつかおうと……最終的に…勝てばよかろうなのだ』

 

という恐ろしい精神。

しかしながら朝倉さんが邪悪かと言えばそうとは限らない。

あくまで自分の正義に基づいた結果の独断専行です。

キョンの始末は過程であり最終目標は涼宮ハルヒを動かす事。

彼女が求めていたのが自律進化なのかどうかは定かではありませんが方向性は同じはずです。

間違ったやり方ではありますが、彼女なりの真実へ向かおうとする意志だったのです。

故に"探究"こそが行動原理なのではないかと私は考えました。

そんな彼女には一緒に真実へと向かってくれる存在が必要だったのです。

この作品は救済の物語。

涼宮ハルヒという神に選ばれた救世主のお話。

だからこそ、明智の能力は真実に到達出来る能力。

 

 

『オレはどこにも行かない』

 

結局はハルヒと同じです。

彼女と二人で探求し、探究していく。

この能力の真価はハルヒからも明智からも必要とされないわけです。

何より"真実に到達する能力"じゃないのが最大の救いでしょう。

自分で道を決める事が"出来る"のですから。

 

デレてからは何だか書いててガハラさんみたいだなとか思ってました。

古泉も長門もそうなんですけど、原作ではたまに口調が変わりますからね。

朝倉さんの台詞の絶対数はSOS団メンバに比べて圧倒的に少ない。

キャラとしては病んでないヤンデレですよ。

ですが本編では恋人というよりは共犯者とかパートナーといった感じで彼女を描いていきました。

だからこそデレると破壊力が増すわけです。

嗚呼、これも邪道だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

【最後に】

 

感謝の言葉はこれ以上述べても薄っぺらくなるだけなので差し控えさせて頂きます。

まず『異世界人と俺氏』編なんですが、実はこっちが原案に近い形でした。

主人公が異世界人じゃない事以外の基本設定はだいたい同じ。

急に出した感ある【学校を出よう!】のキャラは設定上だけみたいな存在です。

そちらの裏話は今後続きを書くと思うんでそちらが一段落してから、で。

とにかく私は本編として話を完結させておきたかった。

無駄な風呂敷は広げるだけ無駄なのでやはり無駄だ、というトートロジーで誤魔化します。

番外編として今後は不定期にこちらを更新する事があるかと思います。

私が飽きた時が真の最後。

身勝手ですが、そういうものなのです。

 

次回作ですね。

本当にどうしたものなのか。

何か書くかと思いますが時期は未定。

やっぱりしばらくはこの話の番外編なり色々を――色々は本当に駄目な表現です――書きます。

そして次回作を書いたとして、毎日投稿するかと思いますが……。

一日二回は、しんどかった……。

なけなしの文章力とそれなりの更新頻度が私の武器。

このスタイルはこれからも貫いて行きますので。

 

最後に。

本心を書いておきます。

さっきカッコつけた事書いたばかりなんですけど。

なんだかんだ言っても私はキャラクターとして朝倉さんが好きですよ。

流石に嫌いなキャラを嫌々扱おうとはしません。

この作品はアンチ作品ではないので。

私がフィギュアを衝動的に購入しちゃうぐらいには魅力的なキャラだと思います。

 

そして何より。

私がこの作品をここで投稿しようと思った動機。

トップページの原作カテゴリ一覧に【涼宮ハルヒの憂鬱】がありません。

全盛期の真っただ中を駆け抜けた私としては信じたくありませんでした。

ですが、これが現状です。

私の作品よりもっともっと面白くこの原作を活かして何かを書いてくれる方の登場。

一人二人ではなく、世界を大いに盛り上げる勢いで。

それを私は願っています。

 

 

 

 

以上になります。

とっちらかり放題のつたない文章ではありましたがご拝読ありがとうございました。

それではまた!

 

 



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番外でしょ番外なんでしょ!?
わざとらしい俺氏と、鋭い君


 

 

――話をしよう。

これは7月の話になる。

2006年で、つまり俺が高校一年生の時の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月というと世間一般で連想されるものは何だろうか。

学生に関しては考査と夏休みという人によっては大波のような時期。

夏休みと言うからにはすっかり7月は夏だと呼ぶに相応しいわけだ。

……7月頭もいいとこどころかその初日である土曜日から話は始まる。

俺の休日を支配するのはそれこそSOS団でのイベントぐらいなものであった。

つまり一人の時間に癒されていたのだ。

何、高校一年生から引きこもりはどうなのかって?

どうもこうもないんだよ。

生憎と外は天気が悪くじめじめしている。

梅雨明けにはもう少しばかり時間が必要らしい。

おかげさまでSOS団による市内散策もパーだ。

だからこうしてのんびりしているわけ。

 

 

「フフフ、ハハハ」

 

時間の浪費だとか知った事か、俺は別にこれで構わないのさ。

常に心の平穏を願って生きているという事をベッドでゴロゴロしながら説明しているのだよ。

頭をかかえるようなトラブルとか、夜も眠れないといった敵をつくらない。

というのが俺の異世界に対する姿勢であり、それが俺の幸福だ。

もっとも、闘いたくないからこうしているのだけど。

 

――来週金曜日は七夕だ。

涼宮さんの中ではあれこれと考えているようだが、深くは気にしない。

キョンが原作通りに過去に戻ってジョン・スミスとして活動するくらいだ。

そのうち考査期間になるが出来に悩む事もないだろう。

やがて夏休み、の前に"カマドウマ"の一件。

俺には関係ないのさ。

勝手に原作通りに解決されてくれるんだから。

流されるのが一番楽なんだ。

と思っていた所、携帯に着信音が。

表示された名前は朝倉涼子そのお方であった。

緊急事態か…?

 

 

「もしもし。どうかしたのか」

 

『……どうもしてないわよ』

 

なら何で電話をかけて来るのかね。

昼寝でもしようかと思っていたところなんだけど。

 

 

『あら。私があなたとお喋りするために電話をかけるのは駄目なのかしら』

 

「必要かどうかって話なんだけど」

 

『用件くらいあるわよ。明智君は明日、暇かしら』

 

「そうじゃあないと言ったら?」

 

『暇なのね』

 

そうとも言う。

しかしながら君の質問の意図が俺にはわからないね。

すると彼女から謎のお誘いが。

 

 

『ねえ、明日二人でお出かけしない?』

 

「……何だって…?」

 

『聴こえなかったのかな』

 

「意味がわからなかった」

 

『言った通りよ』

 

私見一、明日も相変わらずの雨天の可能性が高いと思われる。

私見二、俺が朝倉さんとお出かけする理由がわからない。

携帯越しに彼女から溜息が聞こえ。

 

 

『あのね、あなたと私は付き合っているのよ?』

 

「……そういやそうだっけ」

 

実感が湧かないとはこういう事なんだろう。

5月の一件以来、俺はどういう事かそういう事になっている。

言うまでもなく本当に付き合っているのかと考えるには怪しい。

その辺の話まで含めた上に回想していくのもいいが、それよりも今は朝倉さんだ。

過去から来る恐怖よりも目の前の脅威の方が大問題じゃないか。

 

 

『じゃ、そういう事だからよろしくね』

 

抵抗する間もなかった。

時間と場所を一方的に告げられあっという間に電話は切られた。

超スピードだとかちゃちなもんじゃあ断じてない。

何やら暗雲が立ち込めている。

そんな錯覚を感じたのは外の天気の悪さのせい、だけではないだろう。

どういうつもりなんだか。

俺が昼寝する気分じゃなくなった事だけは事実だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正直言うと、普段出歩く際の傘など安物のビニール傘で充分だ。

あるいはこれまた安物の折り畳み傘を学校にはいつも持って行っている。

しかしながらこの日にそんな真似をしようなどとは流石に俺も考えちゃいない。

いくら朝倉さんとの付き合いが文字通りの"付き合い"程度だとしても俺の立場があろう。

曲がりなりにも休日を美少女と過ごさんとする訳であり、礼儀もある。

普段は絶対に使わないようなしっかりした出来の傘を持って行かざるをえないというものだ。

ビニール傘よりも一回りも二回りも大きくベージュ色の生地にブラウンやイエローで植物の刺繍がなされている傘。

オシャレのセンスはさておき、デリカシーはあると思うんだがね。

 

――心底、何の意味があるのやら。

別に俺は彼女の家まで出向いてもいいと言うのに、待ち合わせをする事になっている。

雨の中立ち尽くすのもおっくうだが、俺が待たせるのもこれまた立場がなくなる。

いや、元々朝倉さんとの関係性など特別に気にもしていないが暇つぶしに程度は充分だ。

SOS団で不毛な時間浪費をするよりはよっぽど高校生らしい休日の使い方。

こういうのを求めているわけじゃなかったが、一日ぐらいはいいだろ。

勘違いする気にもなってないが。

 

 

「ごめんなさい。待たせちゃったかしら?」

 

「……いいや」

 

雨が上がれば暑苦しくもなるだろうが何も今この段階から肌を露出させるのだから女子は不思議だ。

なんて事をやって来た朝倉さんの美脚を眺めながら思った。

彼女に傘など必要ないだろうに、その辺は合わせているのか何なのか。

何にせよ駅前での集合がようやくそれらしいと感じたね。

 

 

「で、どちらさんへ行きたいんでしょうかね」

 

「うーん。お話ししながら基本はウィンドウショッピングかしら」

 

「目的が決まってなかったのかな……?」

 

「はぁ……。私にとってはあなたとお出かけする事そのものが目的なんだけど」

 

だとしたら達成する意味が本当にない。

誤魔化してはいるものの彼女には彼女の思う所があるのは事実。

じゃなければ俺を監視しようともならないはずだ。

念能力こそなかなかのものを誇る俺だが肝心の基本的な戦闘力自体は高くない。

底が知れるのも時間の問題だろうさ。

 

 

「わかりましたとも。とりあえず行こうか」

 

こういうのは野郎の方からリードする必要がある事ぐらいは承知している。

と、言っても道なりにすすんでいく以外にする事などない。

他にあるのなら教えてくれ。

俺は朝倉涼子が何を見れば満足するのか知らないんだ。

涼宮ハルヒによる大きな情報爆発とやらか?

それを代用できるものがこんな取るに足らない町にあるとは思えないね。

なんて事を思い浮かべながら俺たちは歩き出した。

朝倉さんは本当にお話がしたいのか。

 

 

「明智君はどうしてSOS団に入ったのかしら?」

 

「……知ってるはずだけど」

 

「そうね。でも、今一度本人の口から確かめてみてもいいじゃない」

 

「どうしようもないさ。そもそもがオレは文芸部に入っていたわけだからね」

 

「ええ。まるで最初から何かを狙っていたかのように」

 

そういう君は何かを探りたいらしい。

無駄さ。

話せる事の一切が俺の中には存在しないまでに俺は空虚な人間なのだから。

どうもこうもないってのはそういう事なんだ。

 

 

「朝倉さんは深く考えすぎじゃあないのかな」

 

「そうかしら。……あなたはどうなの?」

 

「考えるさ、深く。オレは非力な人種でね。元来何かに秀でているという性質でもない。だからこそ思考する事ぐらいでもしていないと何も出来ないのさ」

 

「へえ」

 

このまま全てを置き去りに出来ればどれだけ楽なのだろうか。

俺は朝倉さんをとりあえず助ける事が出来た。

後は彼女が全て決めるべきだ。

どんなに評価しようにも俺の全貌を知っている俺は自分を過大評価さえ出来ない。

落第点もいいとこ。

いっその事、前の世界に戻ってしまえばいいのに。

全部夢でしたと言われても今なら納得できる。

納得は全てに優先するのだから、それが全てだ。

 

――本当にウィンドウショッピングばかり。

洋服を着せられたマネキンを見ても、店の中には入らない。

いい時間は経過した。

お昼時には少々早いのでもう少し歩き続けている。

あと二、三十分でもすれば適当な飲食店に入るとしよう。

ファストフードかレストランか。

当然、俺が奢るさ。言われなくてもね。

すると彼女は通りがかりのコンビニエンスストアを指差しながら。

 

 

「例えばあのお店。フランチャイズ経営かしら……? 明智君はあそこがいつからあるか知ってる?」

 

「ええっと。二年ぐらい前に違うグループのコンビニがあって、そこが潰れて今のお店になってからって感じかな」

 

「ふーん。……二年ね」

 

特に立ち寄るでもなくそのまま通り過ぎてしまう。

このまま商店街まで歩き続けてもいいかもしれない。

傘をさして歩き続けるのも嫌になってきつつある。

 

 

「じゃあ、その前のお店は何年続いてたのかしら」

 

知らない。

俺がこの世界に来たのは三年前の七夕だ。

 

 

「わからないな。そこまでこっちの方を気にしてないし」

 

「仮に前のお店が五年やっていたとして、今のお店はその記録を超える事が出来ると思う?」

 

「本社の力だけで言えば今のお店の方が大きいと思うけど」

 

「結局は客商売なのでしょう。私にはよくわからない。けど、あなたたちが入る店を選ぶ動機として曖昧なものがあるのは確かよね」

 

ぶらりと立ち寄る気まぐれは確かに存在する。

しかしそれは気まぐれであり、常ではない。

周りに流されて、自分の不文律に従って、とにかく何らかの方法で人は何かを選ぶ。

 

 

「コンビニで言えば、品ぞろえ、立地、衛生面はまだわかる。でも何より雰囲気ってのを重んじるのよね?」

 

「日本人ぐらいだね……。くだらない話だと思うよ。まやかしだ」

 

「けど、結果として全ての店舗が等しく売れていくわけではない。二年続いているあのコンビニも永遠ではないはずよ」

 

「少なくとも店長はいつか死ぬさ」

 

「ふふっ。それより早く終わりが訪れるのよ?」

 

今後、起こるかもしれない人の不幸を嗤っているのか。

事実として前のお店は撤退したわけだ。

どのような事情があったのか。

単に業績不振と決めつけるのは邪推でしかない。

だけど疲れたから辞めます、だなんて事ではないはずだ。

結果としてあそこにはもう無いのだから。

過去でしかない。

 

――ふと、彼女の横顔を窺った。

その時思い知らされた。

 

 

「なんて素晴らしいの。私もいつか、絶望を知りたい」

 

とても嬉しそうに、無表情でそんな事を言ってのけた。

俺は再確認させられた。

朝倉涼子は、宇宙人なのだと。

俺が彼女に何かを与えられるほど何かを持ち合わせている人間ではない。

だが、話すくらいは出来る。

最初から最後まできっと、俺の武器は考える事だ。

 

 

「駄目だね」

 

「……何がかしら?」

 

「絶望なんて、あるわけない。そんな感情はこの世に存在しない。去ってしまった者たちだけがそれを知っているんだ」

 

「本当にそう思える?」

 

「そう考えている。オレは主張を変える事はあるけど、それはたまにだけだ。この世には間違いなく不要なものなんて存在しない。それは誰かが決める事ではないのさ」

 

「じゃあ誰が決めるって言うの」

 

決まっているさ。

この雨にもいつか終わりは来る。

その時は明日かも知れない。

予報では今日の午後までだけど、誰かが決める事ではない。

現在11時41分。

12時まではまだ早い。

でも、もうすぐだ。

 

 

「……それを決めれるヤツが、神様なんじゃあないかな」

 

居るわけない。

だからこそこの世の何かを否定する事は難しい。

結局、最後には妥協して受け入れてしまう。

そこに立ち向かう人間が早死にする。

昔からそうさ。

きっと。

 

 

「希望はある。世界には必要だから。どんな絶望と言うまやかしも、希望が既に定義されている以上は気持ちの問題だ。死ぬのは簡単だ。じゃあ、いつ死ぬのかが難しい」

 

それが、問題なのさ。

君を簡単に死なせたくなかった。

俺はそんな事しか考えなかった。

 

 

「ちょっと早いけど、もうお昼にしようか」

 

「きっとあなたのような人を、面白いって言うのね」

 

「とんでもない。オレのは没個性だよ」

 

わかっている。

笑っている彼女の顔は偽物だ。

ただ、俺たちに合わせているだけ。

感情の欠片も彼女は理解していない。

 

――俺だってそうさ。

自分の事を全てコントロール出来るかと言えばそうではない。

実際に朝倉さんだって暴走しかけたわけだ。

同じさ。

だから。

 

 

「いつか」

 

俺たちの関係性はただのポーズだ。

格好を付けているだけだ。

誰とも、何とも付き合っていない。

決着をつけてはいない。

だけど。

 

 

「……あら?」

 

意外な出来事もある。

誰が決めたわけでもない。

そんな出来事が。

この異世界にもあるらしい。

 

 

「なあんだ。明智君と相合傘をするつもりだったのに」

 

「朝倉さんは自分の傘があるじゃあないか」

 

「それはそれでしょ。これはこれなの」

 

「なるほどね」

 

午前中に雨はあがった。

ただ、それだけの話。

 

 

「この調子じゃ、案外午後から団員集合なんてのもあり得るかもしれないな」

 

「うん。涼宮さんならやりそう」

 

「で、朝倉さんは何が食べたい?」

 

「そうね――」

 

――これはいつかのお話。

大切なものは大切かどうかに気づくのが難しい。

それでも、真実は変わらない。

俺が君を知るより前で、君が俺を知るよりも前の話。

 

 



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異世界 なんてっ探偵とアイドル

 

 

――"探偵"。

みなさんがどれだけこの職業に夢と期待を馳せているのかは知らない。

一つ言わせていただきたいが実際問題そう素晴らしい世界などではない。

やる事は多々あるので腕さえあれば食いっぱぐれはしないんだろう。

事実として――実力はさておき――俺がそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とは言え探偵業が成功するかどうかの一つの基準が実力なのは確かだ。

だがそれよりも大きく要求されるのは"コネクション"。

いわゆる裏の世界も知らなきゃならないし、ある程度は通じていた方が便利だ。

その辺はご容赦願いたいね。

ただでさえ法律で縛られている存在なんだから。

 

 

「――で」

 

オンボロ雑居ビルの二階。

そこにオフィスを構えている俺。

苗字のおかげかは知らないけど客入りは上々。

仮に一日もクライアントが来なかったとして次の日にどさっとなんて事もザラ。

ご理解頂きたいが、だからこそ落ち着く時間は大切なのだ。

窓を背に無駄に高級感のある椅子に座り、デスクに肘をつけながら彼女を呆れた眼で見る俺。

飲んでいたコーヒーも落ち着いて飲めなくなってしまう。

コーヒーカップに注がれたそれが冷める前に彼女には帰って頂きたい。

 

 

「君は冷やかしに来たのかな」

 

「私はあなたの顔を見たくなったから来た……ってのはどう?」

 

どうしろってさ。

カーキカラーのパンツスーツに身を包んだ彼女。

はっきり言おう。

えらい美人が俺のデスク越しに立っていた。

スカ―トから露出する脚はグンバツ。

脚だけに限らずスタイルはそこらのモデルじゃ敵わないほどに均整がとれている。

 

 

「もう。ヤらしい事考えてたでしょ」

 

いいや俺は冷やかしに来た君がさっさと帰ってくれないかとばかり考えているんだよ。

君は新聞記者のくせにこんな所で油を売る神経が俺にはわからない。

定期的に来ている気がするけど上司は何をどう判断しているんだ?

クビにならないのか。

青い長髪を右手でふぁさっと効果音がつくように髪をかき上げた彼女は。

 

 

「心配ご無用。私は宇宙人だもの」

 

とお決まりの意味不明な台詞を発した。

はたして社内での彼女の立場が俺は気になって仕方がない。

そしてこれも意味不明な事に彼女がやって来る日は依頼人が来ない。

俺が暇な時を見計らって来て――どうやってだ――いるのはいいとしていつも誰も来ないのはおかしい。

客が来ない日が珍しいからおかしい、のではない。

彼女が来る=二人きりみたいな方程式がおかしいのだ。

ここの事務所の悪い噂でも流しているんじゃなかろうか。

……しょうがない。

椅子から立ち上がり給湯室に向かうとしよう。

 

 

「……君の分のコーヒーを淹れてこよう」

 

「お願いするわ」

 

さて、この不良記者をどうしたもんか。

そもそも俺を取材したためしもなければ彼女の新聞社に俺の事務所の広告が掲載されているわけではない。

行動原理が本当に謎である。

誰でもいいから俺に依頼してくれないもんだろうか。

喜びながらロハで彼女の身辺調査をしてやるというのに。

宇宙人とかいう割に彼女の経歴など普通の人間と何ら変わりない。

変な宗教にはまっているのならわかるんだが。

すると彼女は。

 

 

「そうそう。今日はあなたに依頼があるのよ」

 

驚いた事にこの日が彼女による最初の依頼だった。

……いや、違うな。

最初で最後の依頼だったさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――芸能プロダクションことSOS社。

つい数年前までは全くの無名だったその会社は一年前のある時期を境に急成長を遂げる。

無表情、無反応、前代未聞のお人形さんのようなアイドル長門有希。

ともすれば世界を股にかける空前絶後の大ブレーク。

たった一年間という短い期間ながらにして大スターの座を手にした彼女。

この世界で彼女の名前を知らない人などいないだろう。

アイドルに興味なんてない俺でも知っている。

だが。

 

 

「ある日、突然の引退。その後芸能界から姿を消してしまう……ね」

 

姿を消すどころではない。

失踪、あるいは消失したとしか考えられない。

引退発表も、会見さえ行われなかった。

SOS社の人間も長門有希の行方は知らないのだとか。

応接席に座った彼女はコーヒーカップをテーブルに置き。

 

 

「ええ。そのSOS社を調べてほしいのよ」

 

「……長門有希じゃあないのか」

 

「あなたはそっちを探せるのかしら?」

 

「さあな……やってみない事にはどうとも言えんさ」

 

とにかくSOS社を調査してほしい理由がわからないね。

SOS社。

 

 

『世界を大いに盛り上げるためなら洗脳もいとわない会社』

 

正式名称は不明だが社長の涼宮ハルヒがそんな発言をどこかの雑誌の取材の際にしたらしい。

弱小プロの繁栄を妬んだ連中からはそのように呼ばれているとかいないとか。

とは言え元が無名の会社。成り上がりもいいとこ。

先月にあった長門有希の電撃引退以来徐々に会社の名前は人々の記憶から消されようとしている。

後に残るのは長門有希という記号だけ。

CDやグッズは未だに売れるだろうがかつての輝きが今のSOS社に無いのは当然の事だ。

事実として他のアイドルが売り出されていないわけなのだから。

落ちぶれたのさ。

 

 

「もちろん私の狙いは長門有希よ。でも、まずは外側から牙城を崩していくものでしょう?」

 

「先月の出来事とはいえ今更じゃあないか。君が長門有希を取材したいのか、それとも引退の真相をつきとめたいのかは知らないけど、スクープは自分の手で掴んでくれ。探偵は何でも屋じゃあない」

 

「お礼はたっぷりさせてもらうわよ」

 

「結構」

 

ささ、そのコーヒーを飲み干したらさっさと帰って頂きたい。

君が居なくなったら本当に俺の力を必要とするような依頼人が来るかも知れないんだ。

素行調査と言えど、必要なら徹底的に調べ上げるさ。

悪いけどSOS社を俺が調査する必要性が皆無である以上は蹴らせてもらうね。

俺は金で動く人種じゃないし、君が美人なのは俺の心には影響しない。

すると彼女は笑みを浮かべながら俺の方を見つめ。

 

 

「あなたが本当に知りたいのは自分の事」

 

「……何の話だ」

 

「ふふっ。あなたは自分に関する記憶が無い。今から約三年前、それ以前の自分の記憶がないのよね」

 

「知らないな」

 

「当り前よ。知らないんだもの」

 

違う。

俺は俺が探偵だという事実だけは知っている。

現在、二十四歳らしい俺。

つまり二十一歳から前の記憶がない。

事務所に置いてあったインスタントコーヒー瓶や、冷蔵庫の中の缶コーヒーから俺がコーヒーマニアな事だけはわかったさ。

自分が知っている範囲で自分に下せた評価がこれだ。

 

 

一、文学の知識:そこそこ。事務所には短編集も含め【赤毛のアン】が全巻置いてある。

二、哲学の知識:自然哲学のみ。

三、天文学の知識:皆無。

四、政治学の知識:感心が湧かない。

五、植物学の知識:麻薬毒薬劇薬に関する事のみ。

六、科学の知識:造詣深い。情報系の分野に長けているらしい。

七、俗世間の知識:職業柄か詳しい。

八、ベースを弾ける。

九、護身術に長けているらしい。身体の動かし方がなんとなくわかる。

 

まあ、こんなものは自分の証明にはならない。

単なるオマケでしかない。

何故俺の記憶について知っているかは謎だが、俺は結局この女を深く探るつもりはない。

なんだかんだで必要性がないからだ。

これも、なんとなくわかっている。

 

 

「君は勘違いしているな。オレの名字を知っててここに依頼しに来たんだろ」

 

「……もちろんよ」

 

「オレは煙草は吸わないけれど、煙草を持ち歩くようにしている」

 

俺が何者かは知らない。

だが、この事務所の机には俺の名刺らしきものとシガレットケースが置かれていた。

初めて自分の意識を覚醒させた時、俺はこの事務所で寝ていたらしい。

それ以前の記憶がない。

ただ。

懐から一本の煙草を取り出す。

 

 

「この煙草にはちょっとした細工がされている。中から小型のナイフが出てくる仕組みになっていてね」

 

「あなたの秘密道具なのかしら」

 

「いいや。オレの曽祖父さんの形見……」

 

俺の名前は明智黎。らしい。

その名の通り。

 

 

「かの名探偵、明智小五郎の子孫さ」

 

「ふーん。なら、そういう事にしておきましょう」

 

「このオレを動かすに相応しいお礼が出来るって?」

 

「そうよ」

 

一介の記者、それも駆け出しもいいところの年齢だろう。

彼女は俺と同じ二十代前半だ。

化粧と呼べる化粧を左程していない。

若さに油断しているいい証拠か。

そんな人がいったいいくらお金を積もうというのか。

アウトローな業界じゃないんだから。

 

 

「あなたが私の依頼に応じてくれるのなら、私が知っている事を話してあげる」

 

「君が話す? 何をだ」

 

「私は昔のあなたを知っているのよ」

 

もう一度彼女は笑みを浮かべた。

不気味な女だ。

底が知れない。

しかし、はったりだとは思えなかった。

どうしてだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今更SOS社について外部から調べて行こうにもやり尽くされている。

となれば正面から当たるのが一番だ。

内部の人間に聞けば何かしら掴めるものはあるだろう。

だが、探偵ですと明かしたところで何事だとなるのは言うまでもない。

身分詐称もグレーゾーンだが、必ず犯罪になるわけではない。

アポイントをとった翌日、俺の事務所よりもぼろっちい事務所へ向かう事になった。

 

――午前十時。

もっともあの会社に通常業務があるとは思えないから昨日でもよかったのだが。

スーツに身を包み、SOS社に向かって歩いて行く俺。

探偵がするような恰好ではない。

と言うか俺よりも別の部分に問題があった。

 

 

「……君、何でついて来たんだ?」

 

依頼者が同行するくらいなら自分で調べればいいだろうに。

我が物顔で彼女は俺の左に並んで歩く。

 

 

「面白そうだから」

 

「君がクビになっていないのが不思議でしょうがない。普段の仕事があるだろ」

 

「スクープを掴むためなら安いものね」

 

「辞表の用意をお勧めしとこう」

 

かくして変な同行者が付いて来てしまった。

邪魔をするのなら成功は保証できない。

そもそもあの会社を当たって新事実にぶつかれるかさえ保障できない。

ほどなくしてオンボロ事務所の応接室に通された俺と彼女。

副社長らしき男性――他に居ないのか。というか彼も俺と同じくらい若い――がやって来て。

 

 

「お待たせしてしまい申し訳ありません」

 

「いえいえ。ワタシの方こそ急なお話を提案してしまい、余計なお世話かもしれませんでしたが……どうぞ」

 

とりあえずの名刺交換が行われた。

彼は古泉一樹という名前らしい。

俺が渡したのは偽物だ。

経営コンサルタント会社"光陽園ソリューションズ"から派遣された社員。

横の彼女も含めてそういう事になっている。

 

 

「長門有希、突然の引退。いやあ驚きましたよ。何を隠そうワタシも彼女の大ファンでして……"ノーリアクションガール"は何回聴いたか数えきれませんね」

 

「その節は関係者各位をはじめ大変ご迷惑をかけてしまい申し訳ありません。我々の力不足がたたった結果と言えましょう」

 

「すると、本当に彼女は居なくなったと?」

 

「出来る限りの待遇をしてきたつもりではあったのですが、いやはや、本人ありきの世界ですから」

 

「なるほど。確かに芸能プロダクションは商品ありきの存在でしょう。SOS社も例外ではありません」

 

横の彼女は無言で出された紅茶に口をつけている。

俺は安い葉だというのを度外視しても紅茶は飲みたくなかった。

無意識からコーヒー好きらしい。

そんな事は口に出さず、俺は話を続ける。

 

 

「ですから、長門有希の成功を無駄にしないためにもSOS社にはワタシたちの力が必要でしょう」

 

「……済みませんが、僕の一存では判断しかねます」

 

「こちらの会社の経営は全て女社長の独断と偏見だと伺いました。部下はさておき、客観的によろしい状態とは言えません」

 

「そうかもしれませんね」

 

「以前無名だったSOS社が繁栄したのは長門有希個人の力でしょうか? ワタシは違うと信じています。彼女を支え続けた全ての人間の誰一人が欠けても彼女は成功しなかった。あなたがたの会社のポテンシャルを是非、ワタシたちが引き出して差し上げたい」

 

ほら、君も何か言わないか。

君のせいで俺がこんな嘘ばかり並べる羽目になっているんだ。

いったい何日かかるんだこの依頼は。

 

 

「古泉さん。社長さんを呼んできてもらえないかしら。彼女に決定権がある以上、あなただけでは私たちの話を蹴るにも蹴れないでしょう?」

 

「そういたいのは山々なのですが、生憎と社長は今席を――」

 

なんて有り触れた常套句を聞いて終わるかと思われたその時。

いきなり応接室のドアが勢いよく開かれた。

 

 

「なに、なになに!? あたしのやり方に文句がある胡散臭い連中が来たって聞いたんだけど」

 

社長の涼宮ハルヒ。

下手すれば高校生なんじゃないかってぐらいの若さだ。

しかも彼女ほどではないが美人。

何なら自分でアイドルをやればいいだろうに。

人の上に立つのが好きで仕方ないという馬鹿のオーラが感じられた。

副社長の古泉は。

 

 

「ちょうどよかった。涼宮さん、こちらがあの光陽園からお越し頂いた明智黎さんと――」

 

「――あっ!」

 

副社長の話もロクに耳に入れようとせず、女社長はソファに座るこちらにズカズカと近づく。

やがて彼女をじろじろ見つめると。

 

 

「ビリッと来たわ!」

 

「……ふふ」

 

「あなた、ここでアイドルやりなさい! あなたなら長門有希を超えれるかも知れないわよ!」

 

ビシっと人差し指を彼女に突きつけてそんな事を言い出した。

おいおい、意味が解らない。

ワンマンだとは聞いていたがここまで無茶する女だったのか。

道理で今まで成功しないわけだ。

所属アイドルの朝比奈みくるは売り出す気があるのかというぐらいに露出がない。

朝比奈みくるの実力ではなく、プロデュースに問題があるのだろう。

長門有希は上手くはまったわけだ。

 

 

「芸名は……そうね。朝倉涼子! あなたは今日からバイオレンスアイドル朝倉涼子よ!」

 

奇しくも彼女の本名と全く同じだった。

まるで、最初から彼女の事を知っていたみたいに涼宮ハルヒはそう言ってのけた。

 

 

「それ、いいわね。早速辞表を出しに行こうかしら」

 

とにかくあっと言う間の出来事だった。

依頼はどうしたのか、そんな事を確認するまでもなく全ては進んでいった。

とんとん拍子なんてものではない。

超特急、高速、少なくとも俺は置いて行かれてしまった。

 

 

 

――それから半年。

瞬く間に朝倉涼子は長門有希に追いついた。

1stシングルこと"優しい私刑"はシングルデイリーチャート1位を獲得。

初動売上は1,000万枚を突破。

テレビに映ったその時から世界は彼女に支配された。

時の人どころではない。

間違いなく時代だ。

長門有希が築いた黄金期を半分の期間で自らも再現してのけた。

今や国を越えて世界中の人々が彼女を目にしただろう。

動画配信サイトにアップロードされたPVの再生数は全世界からのアクセスを受けて一日経てば増えていく。

100万再生以降俺は確認していないし、それも二か月前の話だ。

今はどうなっている事やら。

 

 

「……どうもこうもあるのかよ」

 

新聞の一面には朝倉涼子ワールドツアー決定の見出し。

それも、彼女が勤めていた新聞社のものだ。

笑えるぜ。

俺は何をしに行ったんだ。

そんな事さえ考えるのが嫌になるほど半年前が遠い昔に感じられた。

結局一日無駄に事務所を閉めただけ。

タダ働きにしてはそれ相応の成果でも何でもない。

 

 

「ふっ」

 

いいさ。

期待してはいなかった。

はったりだったんだろう。

俺の事を知っている人間はこの世界に居ないらしい。

自分の事は一番最初に調べたが家族さえ居なかった。

記録として自分が出た学校はわかる。

家族構成だとか、その辺は何をどう探しても出て来なかった。

授業参観があったとしても親の姿を見た教師はいなかったという。

別に構わない。

俺が知らないのだからそれで構わない。

 

 

「――遅れちゃった」

 

ふと、気が付くといつの間に入って来ていたのか彼女が事務所の中に居た。

季節は既に冬。

申し訳程度の電気ストーブはまともに機能してくれていない。

そんな中、朝倉涼子はソファに座っていた。

 

 

「どうしたんだ有名人。こんな場所で油を売ってて平気なのかよ」

 

「依頼の報酬がまだだったもの」

 

「嘘だろ。大体オレは長門有希について何も調べていない。君に報告も出来ない」

 

「嘘じゃない」

 

そう言うと彼女はこちらまで近づいて来る。

デスク越しに立つ彼女と、椅子に座る俺。

半年前と同じ構図だ。

 

 

「もう、そろそろ」

 

と、彼女が言った瞬間。

俺の目からは涙が溢れ出した。

少しだけ、ほんの少しだけ俺は思い出せた。

 

 

「……オレは君に、会ったことがあるんだね」

 

「うん」

 

「ここじゃあない何処か、違う場所で」

 

「そうよ」

 

「君はオレを知っている」

 

「ええ」

 

「一つだけ、教えてくれないか」

 

こんな感覚は多分、生まれて初めてだったんだろう。

悲しさに起因する涙ではなかった。

だけど、きっと悲しくなってしまう。

涙を袖でぬぐい、どうにか彼女の顔を見上げ。

 

 

「朝倉涼子。君は一体、何者なんだ?」

 

俺は納得できた。

これまでの全てに。

 

 

「ふふっ。私は宇宙人よ。そして、違う世界であなたのお嫁さんをやっているの。始めたばかりだけど」

 

「……そうか。そうなんだ」

 

「朝倉涼子はアイドルを引退する。あなたともお別れね」

 

「……ああ」

 

「安心して。また会えるわよ」

 

「わかってる。さっき、わかった」

 

「よかった」

 

ちくしょう。

思い出したぞ。

俺は何回も、こんな思いをして来たんだ。

何度も彼女と別れたんだ。

百万回愛して、それで。

 

 

「待ってくれ! 今度こそ、待ってくれないか」

 

「いつかまた――」

 

俺は身を乗り出して手を伸ばした。

だが、左手は彼女の身体を掴めずに空を切る。

 

 

「――じゃあね」

 

そんな声が聞こえた気がした。

十二月、十八日の事だったと思う。

朝倉涼子による最後の報酬だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから更に二年が経過した。

朝倉涼子を失ったSOS社だが、次のアイドルは見つかっていた。

サイコガール橘京子とミステリアス周防九曜の二人組。

長門有希や朝倉涼子ほどではないが、そこそこ売れている。

来年の春にようやく日本ツアーだ。

 

 

「……」

 

俺は未だに自分の事を思い出せていない。

だのに探偵としてのノウハウはあるらしい。

明智小五郎の子孫だなんて方便もあって、今日も食いっぱぐれていない。

とくにこのシーズン、クリスマスが近い。

何かと依頼は多いのである。

こんな時期に素行調査が来るのは人間不信が多いのか、それともそういう社会なのか。

とにかく言えるのはアイドルという偶像も必要悪でしかない。

消耗品でしかない彼女らは今日も働く。

俺もそうだ。

誰かの代用品でしかない。

 

 

「でも」

 

俺は依頼が来るのを待ち続けている。

俺は探偵だ。

依頼をされるのであって、俺が依頼する事はない。

伝説のアイドル、朝倉涼子が今どこに居るのか調べてくれ。

そんな依頼が来るのを待っている。

 

 

――ギィ

 

そろそろこの事務所もどうにかしたいもんだ。

少なくともドアを開け閉めする度にやる気のない音がする。

依頼人も萎えてしまうというものだろう。

 

 

「……ふっ」

 

その心配はなかったらしい。

わかってたさ。

なあ、遅かったじゃあないか。

依頼人なんだからくつろげばいいものを。

立ち尽くされてもこっちが困る。

俺は依頼人の顔を見て。

 

 

「で」

 

君は冷やかしに来たのかな。

 

 



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帰って来た俺氏劇場 『めった刺しメモリアル』 Disc-1

 

 

空は間違いなく青々と澄み切っている。

春の風とはまさに俺が今感じているそれを指すのだろう。

この、微妙な空気は確かにたまらないな。

だけどもしこれらが全て幻想だとしたら?

信じたくないが、どうやらそういう事らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうするよ……」

 

「何か言った?」

 

「いいや何も」

 

高校二年生を二度味わうのは分かる。

しかし、春を三度味わうのはどういう事なんだ?

涼宮さんはごっこ遊びに満足していないのか。

とにかく俺は今、ロールプレイングゲームの次はアドベンチャーゲームの世界に来ているらしい。

それも恐らくだが恋愛モノで学園生活の中でヒロインとフラグを立てていくという奴じゃなかろうか。

あくまで推測でしかないものの涼宮さんの願望からこうなったのであれば説明はつく。

要するにキョンと恋愛したいんだろう。

俺まで巻き込まれてしまったわけだが。

と言うかこの朝倉さんは本物だよ……な?

なんか普通にこの世界を受け入れてしまっているのか、それとも異常を察知できないようにされているのか。

いずれにせよ他のメンバの状況次第である。

情報が必要だ。

 

 

「ええっと、そう言えば今日は始業式だったね」

 

「そうよ。……さっきからどうしたの? 様子がヘンよ?」

 

「どうもこうもしてないよ。軽く睡眠不足なだけだから」

 

「やだ、ちゃんと寝ないと駄目じゃない」

 

「ははは、気を付けるよ……」

 

朝倉さんには頼れなさそうだ。

どうして俺は現実世界の自分の意識を持っているのだろうか。

キョンと涼宮さんの恋のキューピッドにでもなれと言うのか。

やらんぞ。

絶対に。

 

 

「それにしても同じクラスになれるのかな、オレたち」

 

そもそも俺と彼女のこの世界における関係性が不明だ。

母さんが知っている事を踏まえるとそれなりの付き合いはあるんだろうけど。

ううむ謎ばかりだ。

誰かヒントをくれ。

 

 

「当り前じゃない」

 

坂を上りながら期待していいのかわからない仮初の学園生活に思いをはせていく。

朝倉さんがそう言うからには多分同じクラスになるだろうさ。

 

 

「私とあなたは運命の赤い糸で結ばれているのよ……ふふ」

 

この時俺はもう少し事態を重く考えるべきであった。

普通の恋愛ゲームでのらりくらりやろうなど許される訳がないのである。

何故ならば、涼宮さんがキョンに好意を抱こうが素直ではない。

それだけの精神力が彼女にはないのだ。

まだまだ子どもという事なのだが……。

俺は忘れていた。

涼宮ハルヒは恋愛を一種の精神病と捉えているという事実を。

 

 

「運命ね……そうかもしれないな」

 

のぼせた事を言いたくなる。

しかしながらやるべき事はやらなくてはならない。

ここから出る必要があるのは確か。

俺はSOS団七人の内誰がかけてもいやだ。

 

 

 

――ほどなくして北高へ到着した。

いや、まず俺が通う高校が北高かどうかも怪しかったという問題があったがそこは大丈夫らしい。

始業式という関係上生徒玄関はクラス割を見る生徒で混雑しており、沈静化は期待できそうになかった。

よって俺がそいつらをかき分けて張り紙をチェックしたところ現実の二年生のクラスと変わりなかった。

何らかの改変があるかと思ったがそうでもない。

長門さんも古泉もそれぞれのクラスのままで、まさか朝比奈さんの名前が二年生の紙に書かれているはずもない。

今の所おかしな要素は緑のテキスト欄と朝倉さんを見ると表示される謎のゲージ。

 

 

「せ、1000%だからな……」

 

上履きに履き替えながら改めて朝倉さんの方を向いてみるも、数値はそうなっている。

親愛度というからにはフラグ成立に必要なゲージなんだろうそうなんだろう。

だけど言うまでもなくパーセンテージは100がマックスだろ。

フラグ立っているのか? これは何なんだ?

いい加減訊いておこう。

 

 

「ね、ねえ朝倉さん……」

 

「なあに?」

 

「違ったら気にしないでほしいんだけど、その、オレたちって……付き合ってたりするのかな……?」

 

校舎に入り二年五組まで向かいながらとりあえずの核心に迫ろうとした。

設定を知る所から始まる。

と言っても主人公は俺じゃなくキョンなんだろうけど。

すると隣で歩く朝倉さんは。

 

 

「何言ってるの? 明智君、本当に大丈夫? 病院へ行った方がいいんじゃないかしら」

 

「あ、そっか。悪いね変な事言っ――」

 

「私とあなたは婚約関係にあるのよ。これ以上ふざけたら怒るわよ」

 

ま、マジか。

そんな事よりむすっとした表情の朝倉さんも可愛い!

ほっぺをぷくーっとさせている彼女など初めて見た。

たまらん。

が、彼女はいたって真剣らしい。

とんでも設定じゃないか。

思えば俺は一段落したのにも関わらず正式なプロポーズを彼女に行っていない。

まだ大きな課題が残っているというわけだ。

某霊界探偵みたいに三年後に戻って来る約束をして『そしたら……結婚しよう』って話が出来たらどれだけ楽か。

地球に戻って来た段階でやればよかったじゃないか。

俺の馬鹿。

 

 

「ごめん朝倉さん。冗談だよ」

 

冗談じゃないぜ。

どこの朝倉さんも俺にとっては女神様なんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教室に入るや否や、新学年特有の微妙な空気であった。

話し合う奴も居れば一人でぽつーんと座る奴も居る。

後ろに涼宮さんが居るというのにキョンもその口であった。

彼は教室に入った俺をじろりと見てきた。

どうやら彼もこっち側の人間らしい。

早速キョンの席まで行き。

 

 

「式はどうせ長くなる。先にトイレでも済ませておかないか?」

 

「……ああ、いいぜ。くだらん話を今の内から聞いておくのも悪くない」

 

僅かな作戦時間を確保する事に成功した。

出席番号順では朝倉さんは俺の後ろにはならないのである。

別に何をするにしても彼女と一緒である必要はないんだし。

なるべくゆっくり廊下を歩きながらキョンは。

 

 

「で、こりゃ一体全体どういう事だ」

 

「どうなってるんだろうね」

 

「恋愛ADVだと? 俺はそんなもののお世話になぞなった事ないが、どういうもんかぐらいは知ってる」

 

俺もだ。

古泉はどうなんだろうか。

というかあいつは女子に興味があるのか。

涼宮さんに対しては恋愛というより神父が神を愛するのと同じ類の感情を抱いている。

浮ついた話も聞かない。

女子に人気があろうとあいつは笑顔を振りまくだけ。

プレイボーイの方がマシだろうに。

 

 

「これもハルヒの仕業なんだろ。RPGといい意味がわからん」

 

「そうか?」

 

「何だ。何か言いたそうな顔だな」

 

諸悪の根源らしい奴に言われても説得力が無いんだよ。

お前と涼宮さんが丸く収まっていればRPGだけで済んだはずだ。

 

 

「シュミレーションなんだよ。あっちの世界もこっちの世界も」

 

「現実とゲームを一緒にするな」

 

「オレに言われてもねえ」

 

「まったく……」

 

トイレに入るとさっさと小便を済ませ、手を洗う。

ハンカチぐらい用意しろよキョン。

気持ちは分からんでもないが。

 

 

「……そう言えば、親愛度メーターの件なんだけど」

 

「俺は何も見ていない!」

 

「落ち着けって。別にキョンの話を聞きたいわけじゃあない。ただ、相対的な話がしたいんだよ」

 

「わかりやすく言え」

 

「なあ。1000%って普通なのか?」

 

教室へ戻りながらそんな事を訊く。

キョンはヤバいものを見るような顔で。

 

 

「俺の耳が正常なら明智は今100%中の1000%について言及した気がするんだが」

 

「そうだけど」

 

「……もしかしなくても朝倉か」

 

他に誰が居るんだよ。

しかし、キョンの反応で大体の察しがついてしまった。

仮に涼宮さんのキョンに対するゲージが100だとしてのこの反応。

最大値じゃなくてもかなりの高さなはずだ。

それを見たキョンが俺の1000%発言に驚いているんだよ。

あり得ないという訳だ。

 

 

「……強く生きろ」

 

「何より肝心の朝倉さんがこの異常事態を察知していないみたいなんだよ」

 

「ハルヒも普通の様子だったからな。新入生歓迎会を盛り上げるためのアイディアどうこうとか言ってたが」

 

「現実でもそんな感じだったね」

 

「まさか朝倉までゲームのキャラクター側に回されたという事か? だとしたら長門や朝比奈さんも……」

 

「うん、要確認だ」

 

涼宮さんがBLゲーの世界がいいなんて腐った考えを持っていない限り攻略対象は女子。

でもって古泉も正気らしく、プレイヤーはSOS団男子三人というわけだ。

とは言えクリア条件などたかが知れている。

 

 

「キョン。お前は一度世界を救ったんだ」

 

「……随分昔の話を持ち出してくるな」

 

「お前はヒーローなんだぜ? ワクワクを思い出すんだ」

 

「うるせえ。"眠り姫"はもう勘弁だ」

 

今後のアテもないが、この世界は比較的安心設計だろう。

一歩外に出れば小鳥がさえずる春の空気に満ち溢れている。

仮想世界にしちゃ上出来ではないか。

ウラシマ効果が発揮されるかは知らないが涼宮さんが満足すればいつも通り出られる。

 

 

「おい」

 

何だ。

突然立ち止って。

 

 

「お前の能力でここから出られないのか」

 

「……忘れられたかと思ってたよ」

 

「空間転移どころか世界を移動出来るんだろ? なら話は早い。ハルヒはどうにか誤魔化すか、最悪気絶させて運んじまえばいい」

 

「物騒だなあ」

 

「とにかくこんなふざけた世界からはとっととオサラバしたいね俺は。緑のこれがうっとおしくてたまらん」

 

同意してやるよ。

だけど、それが出来たらどんなに楽か。

 

 

「オーラは練れるが"発"は無理だ」

 

「……専門用語を使われてもわからん」

 

「要するに世界移動どころか"異次元マンション"も使えない」

 

「はぁ。意味がわからないし笑えない状況なのはわかった……」

 

とにかく情報交換というかただの意見交換以下の語り合いを終えて、教室に戻った。

着席してから少しすると担任の岡部先生がやって来て出席確認を終えた後に体育館への移動が告げられる。

いよいよ始業式という訳だ。

いつぞやはそれどころじゃなかった不穏な空気さえあったが、ここが仮想空間な点以外は平和だ。

朝倉さんの認識はさておき彼女が居る以上のんびりするのもいいだろう。

なんて結構呑気してた俺の考えに陰りがさすのはそこまで時間がかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

始業式と言うものは校長先生の話よりも段取りの悪さの方が問題なのではなかろうか。

着任式をセットでやるもんだから時間がかかるというもんだろう。

まあ、学校が早く終わる事には変わりないのでどうでもいい。

適当な事を考えているうちに適当に時間は流れて行った。

ほどなくして教室まで戻り、ホームルームの時間となったわけだ。

去年よりも簡略化された自己紹介を岡部先生がするところなど現実のそれと変わりない。

涼宮さんはどこまでリアリティを追求しているのか。

谷口や国木田がこっち側じゃない事だけは確かだった。

まさか周防は来てないだろう。

確かめるまでもなく、この世界はSOS団メンバーシップオンリーだ。

順当に生徒の自己紹介の時間となり、ほぼ最速で俺に番が回って来た。

 

 

「えー、明智黎。趣味はパソコン弄りと文芸活動。座右の銘は『どんと来い、超常現象』です」

 

申し訳程度のSOS的要素を追加して、俺は着席する。

乾いた拍手が続く自己紹介。やるだけ無駄だろ。

そしてすぐに朝倉さんの番は回って来た。

 

 

「朝倉涼子です。同じクラスだった人が大半だけど、知らない人のために簡単な自己紹介をします」

 

いかにも優等生キャラだが、そんな彼女が魅力的なのは言うまでもない。

暫しの間他の野郎連中も彼女の美声を耳にしてしまう訳だが俺は心が広いからな。

多少は見逃しておくさ。

 

 

「まず、男子ね。私は明智君の婚約者だからあなたたちの相手をする事は出来ないの。はっきり言うけど時間の無駄だから視界に入らないでくれるとありがたいわね」

 

……うん?

さらりと恐ろしい事をさも当然の如く言い放ちませんでしたか。

瞬間、空気が一変した。

ここはアラスカかと勘違いしてしまうぐらいに冷えている。

否。

朝倉さんによって凍らされている。

 

 

「だけど学校生活じゃそれも無茶よね……うん。だからそれは許してあげる。私に話しかけないでね。そこがあなたたち俗物の限界よ」

 

たまらず後ろの方を振り返る。

二席離れたそこに立つお方。

笑顔だ。

本当かよ。

 

 

「そして女子だけど……」

 

なるほど。

とにかく結論から言う必要があるらしい。

えらい怪物がそこに居た。

 

 

「明智君に少しでも触れてみなさい。明日の新聞が愉快な事になるわよ」

 

少なくとも俺にとってはただの恋愛ADVなどではなかった。

これは当たり前の話になるが、ジャンルと言うものが存在する。

恋愛ADVの中でも更に細分化されていくというわけだ。

 

 

「わかったかしら?」

 

ヤンデレ。

笑顔の朝倉さんは眼が笑っていなかった。

そこからハイライトが消えていくのもそう遠くない先の話になる。

どうするよ、俺。

 

 

 



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Disc-2

 

 

『何がおかしい』

 

と俺が思った時は既に手遅れだった。

つまりこの時点での俺はそこまで深刻に考えてはいなかった事になる。

何なら俺も愛されているな、ぐらいに呑気していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それもそのはずで何故ならば周囲が朝倉さんのあの態度を普通に受け入れている。

これで「やべぇよ」みたいな声でもあがれば俺もそうなったんだろう。

……そうではなかった。

涼宮さんの自己紹介が去年とは違うごく普通のものだったという事もあり、これが普通だと思ったのだ。

放課後になって廊下に出るなり腕を絡めるのも現実世界ではあった光景だ。

何より俺を見ている朝倉さんが純粋な笑顔だった。

俺は少しくらいの逸脱というものを気にしていては身が持たない世界の住人だからね。

ホームルームが終るや否や朝倉さんはすぐに俺の席までやって来て。

 

 

「今日は午前中で終わりだから、ちゃんとお弁当作って来たのよ?」

 

「いつも悪いね」

 

「ううん。気にしなくていいから」

 

その上俺の家まで来てもらっていたわけか。

どんな設定なんだ。

親公認にしろ現実よりそれがワンランク上なのは確かだろう。

かくして部室に行く前に中庭で昼食を頂く事に。

ミニハンバーグが数個入ったお弁当。

備え付けのもやしナムルも手作りらしい。

ハンバーグには細かく刻まれた人参が入っており、これが中々いい歯ごたえになってくれている。

 

 

「ふふふふ、たーんとお食べ」

 

なんて笑顔で言ってくれる彼女。

やはりこの世界は悪いものではないのだろう。

少しばかり朝倉さんがデレデレしすぎな気がするが大歓迎だ。

しかし、さっきのあれで行くと部活はどうなるんだろうか。

 

 

「SOS団だったら私も多少甘くなるわよ。涼宮さんに迷惑かけるのもどうかと思うし」

 

「なるほど。古泉には容赦しなくていいけど」

 

「明智君がそう言うならそうするわね。はい、あーん」

 

とにかく必要最低限の接触は仕方ないだろう。

別に他の女子相手に何かしたいわけではないが、SOS団内の空気が悪くなるのはごめんだからな。

もっともそんな些末な事を気にする常識人はあの中に居ないだろうが。

男の浮気というのは往々にして心に余裕がある時に起こる。

更に言えばモテればそれだけしてしまうものらしい。

俺に関して言うならばまさか朝倉さん以外の女性に手を出そうと思うわけもない。

それどころか現実世界とは少し違った雰囲気の朝倉さんもいいと思っていたのだ。

現実世界での朝倉さんに不満不平があるわけではないと念押しした上で弁明させて頂きたいが、そういうものだ。

俺が見てきた朝倉涼子は。

 

 

『私にもわからないわ。ただ、あなたたち風に言えば"興味が湧いた"』

 

『明智君。何か面白いものでも見せてちょうだい』

 

『さっきの攻撃、あなたが決定的な隙を作ったのよ? それがどういうことかわかってるの?』

 

と、さばさばしたしたような態度が中心だ。

優等生キャラというのも実際そうで、何せこんな俺に付き合ってくれているんだよ。

これはもう面倒見の良さが1000%なんだとしか考えられない。

いや、言い訳するでない俺氏。

俺が彼女の心の扉を開けてしまったんだ。

主人公とはそういう一種の宿命じみたものを背負う存在。

主人公に誰もがなれるのであれば俺のケースはローラ姫が朝倉涼子であったというわけだ。

実際に現実世界での朝倉さんもデレはする。

 

 

『私は明智君が好き』

 

『あなたが死んだら私も死ぬわ』

 

『私と一緒に死んでくれる?』

 

あ、あれ。

最初以外おかしくないか……?

いずれにせよ朝倉さんは不思議な魅力を持つ女性だ。

デレデレする時としない時のオンオフだってある。

一見クールなようでその実、取るに足らない俺の事まで想ってくれている。

俺は彼女の全てが好きだと陳腐な台詞を吐くわけではないが、好きな要素が数えきれないほど多いのは確かだ。

人間とはそういうものらしい。

好きな相手からは好きな部分しか見えてこないし、嫌いな相手からは嫌いな部分しか見えてこない。

やっぱり物事の片面だけで話をするのはやめるべきだ。

 

 

「朝倉さん」

 

「なあに?」

 

「オレ、時々考えるんだ。この世界に来た事も、君と出逢えた事も全部夢だったらどうしようって」

 

未だにこんな風にウジウジしてしまうのは俺が異世界人だからか。

だって本来俺は存在していなかったはずの存在だ。

一度俺は朝倉さんを守るという約束を裏切ってしまった。

ついには朝倉さんの前から居なくならないという約束を裏切ってしまうかもしれない。

全部幻想ならそれでいいさ。

だけど俺だけが幻想だったらどうなる。

涼宮さんだけじゃない、俺だって好き勝手やってきたんだ。

後に残されたものを放置する無責任な人間に俺はなりたくない。

何より朝倉さんと離れたくないんだ。

 

 

「そんなわけないじゃない」

 

「ああ。でも、本当に時々だけ……そうなっちゃうのさ」

 

「……もう、仕方ないわね」

 

すると隣に座っていた朝倉さんに左腕を掴まれ、そのまま俺は朝倉さんの胸元へもたれかかってしまう。

ちょ、いや、顔が胸に。

ふにって。

 

 

「明智君は私を裏切ったりしないわよ。ね?」

 

返事をしようにも出来ないし顔を動かすとまずいのでそのままキープせざるを得ない。

中庭は俺たち以外にもまばらに人が居る。

ここがシミュレーションだとしても羞恥心がゼロにはならないんじゃ。

違うな。

こういう時だからこそ楽しむべきではなかろうか。

キョンだってその内動いてくれるだろう。

俺が何かする必要などないのだ。

 

 

「甘えんぼさんなんだから」

 

君の面倒見がいい分なまじ甘えてしまう。

母性ってヤツなのか。

やはり朝倉さんは朝倉さんだ。

 

――そうだ、俺の考えは間違ってはいなかった。

朝倉さんがここをシミュレーションだと認識していないのは正解。

それとほぼ同時に気付くべき要素としては、俺が見ていた朝倉さんも一面に過ぎなかったという事。

恋愛が精神病だとして、共依存だって精神疾患だ。

何故かって?

朝倉さんは元が壊れていた存在なんだから、まあ、当然の成り行きだ。

信用ならないのも当り前だのに俺は信頼していたのさ。

一方的な話だ。

俺も、朝倉さんも。

 

 

「ふふっ。私はあなたと出逢えて幸せよ」

 

真実というのは決して軽々しく引き合いに出すべきではない。

今回の教訓と言うものはその一点に尽きるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほどなくして放課後を迎えた。

部室には涼宮さん以外の全員がいつも通り揃っている。

さて、親愛度メーターについて少しばかり話をさせてもらいたい。

一つ。

誰が相手でも表示されるわけではないという事。

要するに攻略対象なるものが設定されているらしい。

俺が確認した範囲ではSOS団の女子だけだ。

他にもちらほら居そうなもんだ。

喜緑さんとか鶴屋さんとか。

もしかしたら恋敵として佐々木さんも用意されているかも知れないな。

二つ。

ゲージの基準なるものがわかった。

と言うのも部室に着くなり古泉が。

 

 

「明智さん。長門さんに話しかけてみてもらえますか?」

 

とか意味深に言うもんだから何事かと思った。

……大事だった。

本を読んでいる彼女の前まで出向き、呼びかける。

 

 

「……用件は」

 

長門さんがそう言うと同時に選択肢なるものが表示されたのだ。

なんともまあ申し訳程度のゲームらしさと言うべきか。

 

 

ニア セーブ

  はなす

  チュートリアル

  

セ、セーブって何なんだ。

とりあえず選択してみる。

 

 

「……ここでセーブするか…?」

 

いやいや、したらどうなるんだ。

何か怖くて試す気になれない。

大体いつロードすればいいんだよ。

しかも口調ちょっとおかしくなってるし。

 

 

「……そう。……まだゲームを続けるか……?」

 

おい。

まさか【学園ハンサム】の校長ポジションかよ。

何てこった。

これじゃあ長門さんを頼りにする事は出来そうにない。

そもそも終わる方法なんてあるのか。

選択肢がないので強制的に会話が進んでいく。

 

 

「……他に用件は」

 

お喋りしたい訳ではないからな。

チュートリアルを選ぶ事に。

 

 

「……」

 

ニア クリア条件について

  親愛度メーターについて

  オプション

 

オプションまでここに入っているのか。

ポーズ機能なんて便利なものが存在しない以上はそうなんだろうけど。

とりあえず一番気になるクリア条件なるものについてだ。

これが分かれば話は早いだろ。

 

 

「攻略可能なキャラクターを攻略完了すれば後は何かをする必要はない。そのままエンディングまで一直線」

 

こんな言い方をするのはあれだが俺は朝倉さんを攻略済みなはずだ。

エンディングってのはいつ訪れるんだよ。

ひょっとして年単位なのか? 

だとしたら勘弁してくれないか。

 

 

「パーソナルネーム朝倉涼子についての質問と判断。類似質問をチェック……発見。回答、朝倉涼子の攻略は最難関。あなたはまだ攻略を終えていない」

 

何だって……?

どう見ても相思相愛じゃないか。

 

 

「ただメーターを上昇させるだけでは不適切。詳細は『親愛度メーターについて』を参照されたし」

 

言葉通りそうさせてもらおう。

一体どういう仕組みなんだこれは。

 

 

「メーターの基準について。0%……キャラクターの機嫌をよほど損なわない限りこうはならない。0%になると攻略は不可能になる。気を付けて」

 

無関心どころか愛想を尽かされるのか。

現実ならばワンチャンスぐらいあるかも知れないけど、ゲームにまで女々しさを持ち出すなというシビアな世界。

涼宮さんにしてはものをわかっているじゃないか。

 

 

「20%……デフォルト。50%……キャラクターのルートに突入する事が可能。80%……ベッドシーンが――」

 

馬鹿やめろ。

長門さんに何言わせているんだ開発者。

 

 

「100%……攻略完了」

 

ん?

だとすれば朝倉さんはどうなるんだ。

1000%だぞ。

 

 

「補足説明。キャラクターの中には攻略完了に関して特殊条件を持ったキャラが存在する。わたしがそう」

 

条件が必要らしいが長門さんも攻略出来るのか。

彼女は30%だ。

ううむ、普通と言えば普通なんだろうな。

テレビゲームなら攻略を考えていたところだ。

思うに俺は宇宙人ってだけで結構クるものがあるのかもしれない。

朝倉さんがダントツなだけで。

 

 

「もしあなたがメーター100%を超えるキャラを攻略中の場合は気を付けてほしい」

 

どうしてだ。

すると長門さんは無表情のまま。

 

 

「あなたの行動次第ではバッドエンドに突入してしまう」

 

だそうだ。

しかしながら数値を上昇させるだけでは駄目なんだろ。

つまりこのままでは俺はクリア出来ないわけだ。

そもそも俺がクリアする必要があるのかと言われればそこは謎なんだけど。

 

 

「……他に訊きたいことは」

 

いや、もういいよ。

ありがとう。

 

 

「……そう」

 

いつも座っている席に戻る。

するとニヤニヤした顔の古泉が。

 

 

「というわけでして」

 

「どういうわけだよ」

 

「僕の推測ですが、我々男性三人全員がこの擬似演習をクリアする必要があるのではないでしょうか」

 

キョンの方を睨む。

すぐに視線を逸らしやがった。

 

 

「でなければ僕と明智さんにこのメーターが表示される説明がつきません」

 

「お前さんも出てるのか?」

 

「はい」

 

古泉から見える世界など見たくもないが、こいつの攻略キャラはどうなってるんだろうな。

SOS団で言えば長門さんと朝比奈さんが残るわけだが……。

そもそも古泉が恋愛している様子など想像できないし想像したくもない。

 

 

「だったらお前さんはどうするんだ」

 

そう言ってメイド姿で立っているちらりと朝比奈さんの方を見る。

 

 

「……ふぇ? どうかしましたか?」

 

朝比奈さんの数値は45%。

ううむ、これは彼女の博愛精神から来るものなのだろうか。

ともすれば長門さんの30%が少し悲しく思えてくる。

あるいはこの数値などただの設定に過ぎない。

現実の長門さんならもう少しばかり俺に対して高くてもいいんじゃないか。

斜め向かいに座る朝倉さんはじーっと俺の事を見つめている。

古泉のニヤニヤよりも彼女のニコニコの方がよっぽどいいのは言うまでもない。

そんな古泉は何となく投げやりに。

 

 

「僕の方は……その内何とかなりますので」

 

「もし本当に連帯責任だとしたら、お前さんがオレたちを待たせるのだけはよしてくれよ」

 

「心得てますよ。実の所、僕は特殊条件ルートとやらに突入しているようでして」

 

「わかった、みなまで言うな」

 

橘だろう。

うん、まあ、お似合いなんじゃないの。

若干信仰心じみたものを彼女からは感じるけど、好かれているだけいいじゃないか。

お前さんもゲームの世界でぐらい相手してやれよ。

そんなやり取りがあってから数分後。

 

 

「みんな集まってるわね! じゃ早速重要な事を決めなきゃいけないから」

 

涼宮さんが来るや否や鞄を放り投げ、ホワイトボードを引きずり出した。

こんなやり取りは確か現実でもあったはずだ。

放課後、新入生に向けて各部活が紹介するアレについてである。

歓迎会なのか何なのか、ありがた迷惑なイベントなのは間違いない。

 

 

「まず映画の新作発表は外せないわね」

 

「ハルヒよ。夢を広げるのは構わんが、無茶しすぎると生徒会がうるさいぞ」 

 

「その辺はぬかりないわよ。あくまで文芸部として振る舞えばいいの」

 

「文芸部が映画を作るってか」

 

「ほら、芸術は爆発って言うじゃない」

 

そういう意味ではないんだけどね。

しかしキョンはこの涼宮さんに合わせているからこんなやりとりをしているのか。

前に同じようなやり取りをしているんだから今回は違う事でも提案すればいいのに。

古泉と俺が静観なのは変わりないが。

 

 

「……」

 

「ば、爆発しちゃうんですか!?」

 

「ふふふふふふ。それもいいわね」

 

長門さんは無言、朝比奈さんは妙な勘違いをしているし朝倉さんも平常運転だ。

俺に関して言えばそのイベントより先に仕事がある。

正確には、俺と長門さんには、だ。

文芸部に所属しているのは俺と長門さんの二人だけであり、つまり正式な部活紹介の時間に何かする必要があるのだ。

数日後の一時間目、新入生対象に行われるイベントである。

放課後の新入生歓迎会はあくまで行きたい人が行くだけの催し。

全生徒対象に前もってまずどんな部活があるのを教えてから、気になった人が行くというシステムだ。

ごく自然な流れだし、どこの高校も似たような流れなんじゃないのか?

とにかくそっちの打ち合わせだ。

俺と長門さん、二人でやらないといけない。

生徒会がSOS団の関与がないように眼を光らせているからね。

 

 

「……ま、何とかなるでしょ」

 

浮気ってのは心の余裕、慢心、から来る虚栄心だ。

自分を飾りたい馬鹿のやる事でしかない。

俺には朝倉さんと言う素敵なお方が居るのだ。

 

 

「いぜん、問題はなし」

 

だが俺に浮ついた心がなかったかと言えばそれは別だ。

前々から言われ続けていたじゃないか。

馬鹿だの、大馬鹿だの。

そういう事だ。

笑顔の朝倉さんと目が合う。

楽しそうに彼女は。

 

 

「どんな優等生でも、明智君よりいい人材なんて居るわけがないけど」

 

ありがたい話だが、この時ばかりはありがた迷惑だった。

俺がこれから感じる事になる気持ちが、いわゆる"重い"ってヤツらしい。

 

 

 



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Disc-3

 

 

「うふふふふふ……」

 

どうしてこうなった。

放課後の文芸部室。

追い詰められた俺。

犠牲者として物言わぬ状態で床に伏している古泉。

確かに容赦しなくていいとは言ったがそういう意味ではない。

いや、どうしてもこうしてもあるか。

もしかしなくても俺のせいなのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲームと現実を一緒にしてはいけないとはよくぞ言ったものだ。

しかし今回に関してはむしろ現実とゲームを一緒にしていた事になる。

言い訳させてもらうなら不可抗力でしかない。

だってそうだろ。

朝倉さんの臨界点なんて俺が体験してきた範囲ではわからない。

というか怒らせた事がないからね。

イラっとしていた所を見たとしても俺が原因ではなかったし。

 

 

「ねえ、明智君」

 

この世界に来てから俺ははっきりと思い出した。

ロープレの世界では記憶が曖昧だったのだ。

彼女が手に持つ"ベンズナイフ"。

あれは俺が夏の合宿の際――外国のお城とは言えまさか吸血鬼が出てくるとは――にあげたものだ。

俺には"ブレイド"があるから必要ないから、と。

 

 

「嘘だったの?」

 

眼がやばい。

俺を見ているはずだが俺を見ていない。

気が付けば窓際。

フクロのネズミとはまさに今の俺だろう。

ドアの近くからじりじりと俺の方へと寄って来る。

 

 

「そんなに長門さんがよかったかしら?」

 

「違う。勘違いだ。必要最低限の話しかしちゃいない。昨日のあれだって事故だ」

 

「信じられると思う?」

 

その言葉で俺は再確認した。

ああ、所詮ここはゲームの世界に過ぎないのだと。

同時に怒りが湧いてきた。

このふざけた状況に。

俺のせいだとかなんとかでもない。

朝倉さんは朝倉さんとして行動しているとはとても思えない。

いつぞやとは立場が逆転している。

だから俺はどうにか彼女を救わなくてはならない。

何故なら朝倉さんは、俺の事を信用信頼してくれているからだ。

 

 

「やるしか、ないってか……」

 

なら話は別だ。

左手にオーラを集中、窓をカチ割る。

 

 

「鬼さん、こちら」

 

そのまま三階から飛び降りる。

地面はいつぞやの石造り。

足の裏を強化して、どうにか着地に耐える。

 

 

「うがっ。いつっ……」

 

だが他の部分へ衝撃は伝わってしまう。

のた打ち回りたいところではあるが、そうもしてられない。

すぐに朝倉さんも飛び降りて着地してきた。

距離にして8メートル前後だ。

 

 

「逃がさないわよ? ずーっと一緒に居てもらうんだから」

 

ならその手に持つナイフは何なんだ。

どう考えても不要じゃないか。

 

 

「話せば解る、って感じじゃあないみたいだね……」

 

「明智君。話せば解る……なんて台詞は嘘なのよ? それ、言い換えれば自分が話すから相手は理解しろって意味なの。言葉の暴力じゃないかしら」

 

「同感だよ」

 

ちぃっ。

すぐにでも仕留めにかからないのは俺を精神的に追い詰めたいのか。 

古泉の無事をとりあえず願う他ない。

ここから逃げるための策はなきしもあらず。

戦うつもりはない。

 

 

「くだらないゲームの設定でおままごとするような朝倉さんじゃあないはずだ」

 

「ゲーム? 私の事は……遊びだったって言うの!?」

 

――まずっ。

っと思った瞬間にはいつぞやのように鋭い一閃。

初見でこれを回避した原作キョンを褒めてやりたいね。

俺も頭と体がオサラバしていたかもしれないと思うとやってられない。

だが、やるしかない。

 

 

「……"ロード"」

 

回想する。

昨日まで。

否。

この時点まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――塵も積もれば山となる。

本来であればどんな小さな努力でも続ければ成果をともなうといった素晴らしいことわざだ。

とある人が言うからには結果を求めるのではなく『真実に向かおうとする意志』が大事だとか。

俺もそう信じている。

だからこそやる時はやる必要がある。

 

 

「……」

 

「流石に年一回の機関誌についての話だけじゃあどうかと思うんだよね」

 

「……つまり?」

 

「文化祭で何かやる、とか」

 

新入生対象部活紹介――強制的にやらなければならない方――の時間に向けて俺と長門さんは打ち合わせをしていた。

他の団員から意見を頂いたところで文芸部的なものでなければ認められない。

ましてや普段行っていない活動をでっち上げるのも問題だ。

実現可能な類ならいいが、そもそもSOS団として存在する限りは実現も何もない。

文芸部的活動を普段していないんだから。

そういったいきさつでここのところはSOS団と文芸部、のように別れて話し合いをしている場面もあった。

適当に文章でも考えて読むだけではあるが、ここでの体験を現実にも活かしたいからね。

三年生になった時にでも使えるだろ。

 

 

「映画撮影?」

 

「いやいや、読み聞かせとかでもいいからさ」

 

「あなたが読む」

 

「まさか。そんな時が来たら長門さんに是非お任せしたいね」

 

「……検討する」

 

一応弁明させてもらいたいが、俺が朝倉さんと長門さんそれぞれとの会話の割合するのがわかりやすい。

今まで8:2だったのがいいとこ7:3になった程度だ。

朝倉さんを優先していなかったわけではない。

それでも俺の雰囲気とかを感じてイライラしてしまったのだろう。

この点に関しては俺も猛省しなければならないね。

 

 

「どう? そっちは順調なの?」

 

映画宣伝のためのCM撮影を終えて帰って来た涼宮さんが声をかけてきた。

順調も何も当日は明後日なのだが、問題はない。

人に来てもらうためにやっているわけではないからだ。

あくまで文芸部としての体裁を保たせるために過ぎないのだが……。

とにかく俺も想定外な事があったわけだ。

 

――その日、帰宅した俺の携帯電話に一本の電話が。

登録されていない番号だったので出てみると。

 

 

『……わたし』

 

長門さんだった。

携帯ではなく固定電話らしい。

 

 

「一体どうしたんだ? オレに電話だなんて」

 

『とても重要な事がある。公園で』

 

それだけ言って切れてしまった。

おいおい。

まだ晩御飯前だぜ。

やむを得ず駅前公園へ行く羽目になった俺。

春とはいえそろそろ日も没しかけて来ている。

到着するや否や制服姿の長門さんがぽつりと立っていた訳だが。

 

 

「……ん?」

 

メーターが表示されなくなっている。

さっきまでは学校に居た時もずっと30%のまま表示されていた。

緑のテキストエリアは存在するので現実世界に戻ったわけではないようだが。

こちらの様子を気にせず長門さんは。

 

 

「あなたはこれからイベントをクリアしなければならない」

 

「イベントだって?」

 

「そう」

 

「一体どういう類のものなのかな」

 

「このシミュレートをクリアしていないのは朝倉涼子とあなただけ」

 

なんと。

朝比奈さんはどうなったんだろうか。

とにかく管理者的立場の長門さんがそう言うからにはそうなのだろう。

俺を急かしたいのか。

 

 

「だけど朝倉さんの攻略には特定条件だかが必要なんだろ? それは何なのさ」

 

「簡潔に言えば相互理解」

 

何用かと思えば相互理解だと。

そんなふざけた話があってたまるか。

愛は盲目とでも言うつもりなのか。

愛=理解とか何とかあるだろ。

他に何を知ればいいんだ。

 

 

「あなただけの問題ではない。朝倉涼子の問題でもある」

 

「詳しく頼む」

 

「わたしがあなたに伝えられる情報は限られている。それでもいいなら」

 

「構わないさ」

 

つまりここでの体験は活かされる必要があるらしい。

RPG世界での体験をどう活用すればいいのかなど謎でしかないが、恋愛ADVとなると別だ。

荒唐無稽な世界観とは言え今回に関して言えば見知った人物しか登場しない。

現実の延長線上みたいなもんだ。

キョンと古泉に関してはこれからと言える。

だが、俺は違うはずだ。

朝倉さんと付き合っているわけだ。

それこそが問題とも言える。

更に朝倉さんは元々がエラーを起こした不良。

結果としてどうなるか。

 

 

「朝倉涼子が異常動作を起こしかねない。きわめて危険な状態」

 

朝倉さんは俺に合わせてくれていた。

何だかんだ言っても俺は彼女の片面だけしか見ていなかったのだ。

綺麗な部分だけを、俺に見せてくれていた。

バグと言えば話が早いんだろうが俺はそういう表現を認めたくない。

何故なら。

 

 

「あなたは彼女の全てを受け止める必要がある。朝倉涼子の思考ルーチンは私には解析不能。人類のそれよりも複雑」

 

「ふっ。今更だ……」

 

人間だって言ったはずだ。

人間なら、どれだけ頑張ってもストレスは知らず知らずに溜まる。

感情を完璧に制御するなどまさに超人業。

こんな俺なんかのためにそんな事をしているのか、彼女は。

きっと俺に何か言いたいなんて場面はいくらでもあったはずだ。

基本的に彼女は受け身だった。

まるで、今まで自分が迷惑かけた分をお返しするかのように。

少しでも俺を理解するためにくだらない事を。

 

 

「わかってないのはオレの方だったって事か……」

 

「……これからあなたは立ち向かわなければならない。そのための鍵は既に持っているはず」

 

「だけどここはシミュレーション。ゲームの世界で、オレの能力も発現しない」

 

「あなたにそれを可能にする権利を譲渡する」

 

「……何だって?」

 

「ロード機能。不正プログラムには変わりない。たった一度しか使えないから気を付けて」

 

なんと。

そんな便利なものがあったのか。

ともすればここから出る事さえ可能なのだろう。

だけどそれでは現実世界で朝倉さんが異常動作とやらを起こしかねない。

ガス抜きをしてもらうためにも、まずはここでシミュレーションを終えてからだ。

ありのままをぶつけ合えるだなんて幸せじゃないか。

 

 

「少しかがんでほしい」

 

なんて長門さんの言葉に従ったその瞬間だった。

……信じられないね。

一瞬の出来事で、俺も反応出来なかった。

気が付けば長門さんに俺はキスされていた。

ゆっくりと彼女は離れて。

 

 

「エクスポート完了。これで大丈夫」

 

「な、……長門さん……?」

 

「わたしはただのプログラム。現実の長門有希ではない。気にしないで」

 

とは言うけどさ。

何というか気まずいといいますか。

 

――さて、お察しいただけただろうか。

要するにこの一部始終を遠巻きに見られていたらしい。

見られてはまずい人物こと朝倉さんに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は木曜日で、朝倉さんの家まで出向かなかったのもまた問題だった。

なんと信じられない事に朝倉さんが欠席したからだ。

ただ事ではない。

おかげ様で俺は授業という授業に集中できなかったし、仕方なく行った学食のうどんも喉を通らなかった。

コンディションとしてはよろしくない状況下。

 

 

「明智……大丈夫か…?」

 

「あ、ああ」

 

「そりゃ朝倉が休むからには何かあったんだろうが急を要する必要はないみたいだろ」

 

ここなのか?

ロード機能とやらを使えば能力の行使が出来る。

だからどうした、って話だが何かあったのなら話は違うかもしれない。

連絡の一切も寄こせない危機的状況。

考えにくいが、考えられないとは言い切れない。

昼休みに文芸部室へ行ったが誰も居なかった。

それどころか長門さんも来ていないらしい。

極めつけはキョンだ。

馬鹿は馬鹿だが、無神経な馬鹿ではない。

 

――確信した。

この世界は狂い始めている。

あるいは正常になりつつあるのだ。

ゲームとして、始動している。

もはや異世界人は俺と朝倉さんだけかもしれない。

ここに居る人物は全て虚構に過ぎないのだ。

それとわからぬように、うまく造り上げた残像。

 

 

「どうしたってんだ……?」

 

そして放課後になり、事態が急変。

まず部室には古泉だけが居た。

ニヤニヤ顔の野郎と一緒かよ。

こいつも既にクリア済みなんだろうな。

 

 

「集まりが悪いな」

 

「彼はどうか知りませんが、涼宮さんはいつも通り。朝比奈さんも三年生ですから多少遅れるのもやむなしというものでしょう」

 

「そうかい」

 

宇宙人二人は欠席だ。

正直なところ今すぐ朝倉さんの家へ行くべきだったのだろう。

だが、まるで見えない力が俺に干渉しているかのように部室へ足を運んだ。

さっきからそうだった。

俺が俺として100%行動出来ているのであれば学校などフけている。

朝倉さんの所へ飛んでいただろう。

だから狂っているんだ。

敷かれたレールの上を走るだけのゲームってのは。

だから嫌いなんだよ。

 

 

「時に明智さんは、"割れ窓理論"というものをご存知でしょうか?」

 

「知ってるけど。どうしたんだ急に」

 

「いえ。暇潰しに戯言でも紡ぎましょうかと」

 

好きにすればいいさ。

暫くは美味しいお茶も飲めそうにない。

朝比奈さんが来たとして着替えの時間があるのだから。

割れ窓理論、ね。

 

 

「割れた窓から侵入する事は容易です。同時に、一枚でも窓が割れていれば他の窓が割られようと同じ事。窓を割る行為に対する罪悪感も薄いでしょう。つまり、どのような安全もたった一つの罅割れで脅かされるというものですよ」

 

最初の一歩が難しい。

希望的に考えればそういう話だ。

割れ窓だなんて呼ぶ限りはそうでもないだろうけど。

 

 

「ともすれば"ファーストペンギン"なる話も存在します。群れの中に存在するペンギンの内、誰が最初に海へ飛び込むか。最初に決断する勇者をそう称えたものですね」

 

「ったくお前さんは何が言いたいんだ?」

 

「このどちらにも共通する事は、見られる必要があるという事ですよ。もっと言えば取り締まられる必要がありますね。そのような閉鎖的かつ限定的状況下に限り"例外"と言うものは発生します」

 

「例外処理。エラー、ね……」

 

それを朝倉さんは弾いていた。

逸脱を拒んでいたんだ。

 

 

「もう少しばかりオレも心配りが出来れば良かったんだが」

 

「自責の念ですか? らしくありませんね」

 

何だってんだ。

対面に座す古泉はどこか愉快そうに。

 

 

「失礼。ですが普段の明智さんならば反省する事はあれど後悔する事はないはずだ」

 

「よく言うね」

 

「一年あれば、馬鹿でもその人の事を一部だけでも理解出来るというものですよ」

 

「お前さんは四年、だろ」

 

「さて何の事でしょうか」

 

薄気味悪い笑みを浮かべた古泉。

肩を竦めるその仕草は本人さながらだ。

 

 

「この世界は実在する世界なのか?」

 

「……ご存知のようですね。しかしながらその質問にはお答えしかねます。僕の役割はオリジナルの代用品に過ぎませんので」

 

「つまらない奴だな。本物の古泉よりつまらないぜ、お前さん」

 

「申し訳ございません。このような出来栄えで」

 

割れ窓理論の本質は塵も積もれば山となる、だ。

日本人は呑気というか平和惚けした連中。

建造物の窓が割られていたとして海外のそれよりはマシなはずだ。

それでも、誰が見ても窓が割られている状態のままを見続けていれば管理不足だと思う。

人の気配がなければ廃墟と勘違いされるかもしれない。

治安が良かろうが不法投棄の問題は日本とて存在する。

環境にも影響するだろう。

スラムの治安が悪いのはそういう事だ。

衛生的に十全かと言えばそうではないだろう?

 

 

「誰か、誰か。無責任なんだよ」

 

「仰る通りです」

 

そんな事など俺には関係ない。

ただ、朝倉さんと付き合っていくからには必要な事があるらしい。

散々お世話になってきたんだ俺は。

これからも、なっていくつもりなんだろ。

 

 

「なあ古泉よ――」

 

とゲームのキャラクタに俺が話しかけたその時であった。

キィとゆっくり部室のドアが開かれ、彼女が登場したのだ。

休んでいたはずの。

 

 

「朝倉、さん……?」

 

「来ちゃった」

 

本能的に異変を察知した。

いつも通りに見えるが違う。

笑顔だが笑っているわけではない。

嗤っている。

 

 

「古泉君、ちょっとここから出てってくれるかしら? 明智君と二人で話がしたいの」

 

「承知しました」

 

そう言って立ち上がり、こちらに一礼した古泉。

彼はそのまま部室を後にしようとドアまで近づくが。

何が起きたのか少しばかり理解出来なかった。

次の瞬間には古泉の身体は崩れ落ちた。

 

 

「ふふふふふ」

 

何故だ。

決まっている。

俺の眼が狂ってなければ、朝倉さんが古泉の腹にナイフを突き刺したからだ。

それも、とびっきりやばいヤツを。

ベンズナイフの毒はかすり傷を負わせるだけで再起不能にしてしまう凶悪な猛毒。

深々と刺さる古泉が何か言葉を発する間もなく倒れるのは当然の事だ。

血が出ていないのは、どういう事なんだろうな。

朝倉さんはナイフを持ちながら楽しそうに。

 

 

「これで二人きりになれたわね」

 

「な、何やってるんだ……」

 

「邪魔者を消しただけじゃない。この学校に残っているのは私と明智君だけよ?」

 

嘘だろ。

やっていい事と悪い事の区別ぐらいつくはずだ。

朝倉さんはここがシミュレーションの世界だと自覚していない。

ということは心底から望んで、自分の意思でそうやった事になるではないか。

そんな訳あるか。

全部、シナリオのせいだ。

 

 

「私、昨日見ちゃったのよね……公園で……わざわざ長門さんを呼び出して……逢引だなんて。それに、キスまで」

 

「誤解だ。あれはそういう事じゃあなくて――」

 

「ふーん……言い訳するの? 私はあなたに言い訳なんてした事ないのに」

 

その通りだちくしょう。

どうしてこうなったってんだ。

一抜け二抜けしてった連中に比べて俺だけハードモードじゃないか?

イージーモードが許されざる風潮など知った事か。

 

 

「長門さんを、どうしたんだ……?」

 

「やっぱり心配するのね。あの薄汚い女の事を」

 

だったらどうしろってんだ。

朝倉さんは恍惚とした表情で。

 

 

「安心して。もうこの世に居ないのよ……? 今日学校に来られなかったのは確実に始末するためだったんだから」

 

「……本当かよ」

 

「私はあなたに嘘をつかない。ぜぇんぶ本当の事なんだから。ね?」

 

――嘘だと言ってほしいね。

かくして不本意ながら俺は朝倉さんと対峙する羽目になってしまった。

俺はふと、いつか読んだ【幽遊白書】を思い出していた。

主人公の幽助が仲間の飛影に助けられた際に、幽助の不甲斐なさに怒った飛影が殺しにかかるみたいな場面があったはずだ。

もっとも俺の置かれている状況はそこまで素晴らしいものでもなんでもなかったが。

 

 

「でも、絶対に許さないから」

 

 



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Disc-4

 

 

みなさんは"ハインリッヒの法則"というものをご存知だろうか。

大規模――災害級と言い換えてもいい――な事故が1件起こる背景には中規模な事故が29件。

そしてあわや事故になるかもしれなかったヒヤリ、ハッとした場面が300件あるという法則だ。

1:29:300の数値が出たのは昔の統計でしかない。

しかしながら300件の危険なシーンを減らすことが29件の事故及び1件の災害の予防になるのは言うまでもない。

事故になる可能性がありつつ実際には事故にならなかった所謂ハプニングを"インシデント"と呼ぶ。

つまりヒヤリ、ハッとしたその時、インシデントは発生したという事だ。

当然個人レベルではなく企業レベルの話なのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だったら俺たちはどうなんだ?

事件事故、両手の指より多いくらいには経験してきたはずだ。

実害の有無はさておき。

 

 

「……出ろ」

 

そう言うと俺の左手には"ブレイド"が具現化された。

オーラ――実際には生命エネルギーより上位のエネルギーを行使しているが名称が不明なので未だにオーラと呼んでいる――をゴッソリ持ってかれるこの感覚も慣れたもんだ。

ブレイドを持った俺を見て朝倉さんは。

 

 

「私の真似かしら?」

 

「かもね」

 

「ふーん」

 

北高、部室棟の外周の一角。

そこで対峙する俺と彼女。

奴さんはどう見ても俺を仕留めるつもりらしい。

 

 

「明智君は私と約束してくれたもの。他の女を好きになってもその約束は守ってもらいます」

 

「……何だって」

 

「私と一緒に死んでくれる、って約束してくれたじゃない……。安心して? あなたを殺したらすぐに私も死ぬから」

 

「ナイスアイディアだ」

 

減らず口を叩く事ぐらいは出来るらしい。

とは言え、あっちは殺す気でも俺は殺す気がない。

殺し合いは成立しないってわけだ。

では俺は何をするのか?

決まっている。

 

 

「喧嘩上等ってヤツかな」

 

思い返せば今まで俺と朝倉さんは喧嘩と呼べる喧嘩をした事がなかった。

したくなかった。

ともすれば俺は彼女を裏切った重荷を未だに引きずっている。

それはそれでこれはこれじゃないか。

衝突する事を無意識の内に否定していたんだ。

……情けない。

恋は盲目、ってのは結局のところそういう事でしかない。

だからこそ喧嘩別れなんて事態に陥るんだろうさ。

全てを受け入れようとしないから。

そんなのはただの仮面カップルでしかない。

もう止めにしたはずだ。

 

 

「散々暴れ回って最後はオレか? 言いたい事があるのは朝倉さんだけじゃあねえぜ。この際だから言っておくけど、君はオレに尽くそうとし過ぎなんだよ。鬱陶しい。オレは自律出来るっての!」

 

言いたくもない嘘を言うのは辛い事だ。

嘘には二種類存在する。

思い違いと、意図的なもの。

彼女が後者で俺が前者。

それだけの差でしかない。

歩み寄れるだろ。

 

 

「ふふふふふふふ……。遺言は済んだかしら?」

 

「こっちの台詞だね。死ぬ気なんてサラサラないよ」

 

「絶ぇぇっっ対に、許さないから!」

 

そう言うと同時に、彼女の雰囲気が変わった。

威圧的でも何でもない。

が、一番危険な状態だってのは理解出来た。

 

 

「私以外となんて許さないわ他の女に触れるって言うの?ねえどうしてこうなっちゃったの私たちあんなに愛し合ってたわよね繋がってたわよね私の一方通行なんかじゃないわよねならきついなんて言わないで重いなんて言わないで私の愛を受け止めてくれる?私の全てを受け止めてよねえねえねえねえねえ」

 

「注文の多いお嬢様だ……」

 

「そっか。じゃあ――」

 

来る。

 

 

「――死んで?」

 

こう言う時、廻り合わせに感謝したいもんだ。

彼女の右手に持つナイフからの攻撃。

それは俺から見て左方向からの攻撃であり、迎撃するには左利きである方がマシなのかもしれない。

真実はわからない。

俺がサウスポーだというだけだ。

一閃また一閃と刻まれていく斬撃。

回避するよりカウンターを狙う方が確実だ。

逃げているだけじゃ朝倉さんには勝てない。

ガチリ、ガチリとエッジだけが噛み合っていく。

俺たちが噛み合っていない事への当てつけだとしか思えないね。

 

――何もかもが対照的に思えた。

俺と朝倉さんだ。

性別、性格、挙げればキリがない。

ナイフを順手持ちする彼女と逆手持ちするこの状況もそうだ。

俺のプランは簡単だ。

彼女を大人しくさせて、二人でこの世界を出る。

平行世界移動の技を久々に使う時が来たと言う訳だ。

二度と使いたくはなかったが。

とは言え、実際に傷つけるつもりなど毛頭ない。

いつぞややったように朝倉さんの意識だけを断ち切る。

一方の朝倉さんが振るうベンズナイフには猛毒が仕込まれている。

かすり傷でも俺は再起不能になるだろう。

俺が意識を断つにはかすり傷程度では駄目だ。

クリーンヒットさせる必要がある。

とにかく、アドバンテージの差はあれど一撃で勝敗は決してしまう。

切りつければ勝ち。

 

 

「……」

 

「っちぃ……」

 

素人と玄人との差とでも言うべきか。

流石は朝倉さん、ナイフ捌きが恐ろしい。

次の一手が読めない。

フットワークからして俺と違う。

緩急、フェイント、こちらをあざ笑うかのように確実に俺を刈り取るつもりだ。

じわりじわりと追い詰めて、いたぶる。

 

――いたぶる?

本当か、それ。

いくら怒りで我を忘れているとしても朝倉さんが俺とチャンバラごっこを続けるつもりなのか。

千日手にならないのは確かだ。

俺と彼女のポテンシャルからして俺がいつかやられてもおかしくはない。

だが俺を確実に仕留めるつもりならば他に何か仕掛けてくるんじゃないのか。

一瞬の隙が出来たとしてもそれをカバーできない朝倉さんではないはずだ。

 

 

「……ふふっ」

 

この瞬間を愉しんでいるかのような彼女。

心にもない事を言ったのもあるが、何であれ楽しめない俺。

朝倉さんは強くて俺は弱い。

それだけの話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝算と呼べる勝算がないまま死合いを続けていた。

数分だったかもしれないし数十分だったかもしれない。

やがて、朝倉さんが突然身を後ろに引いた。

距離を置いたのだ。

……どういうつもりだ?

 

 

「このまま続けててもキリがないわね。どうせなら圧倒的な絶望を味わせてあげたいじゃない?」

 

何を言っているんだ。

彼女が笑顔になったその時。

身体が、重くなった。

馬鹿な。

いつ仕掛けたんだ。

 

 

「言い忘れてたけど、今、北高の全域が私の情報制御下なの。おかげで攻勢情報はすっからかん。でもここで戦う限り私はあなたに負けないわ」

 

何、だと。

重力で俺を捕えようってわけか。

その技で俺を即死させる事さえ出来る。

俺の身動きを封じる程度で済ませるのは彼女なりの報復だろうか。

おかげさまでこのままだと詰みだ。

重力を防ぐ方法はない。

次元の壁さえ突き抜けるエネルギーだ。

防げる奴がまずこの世にいない。

 

 

「もうどうする事も出来ないわね。このままあなたにナイフを突き立てるなんて簡単だもの」

 

重力何倍があろうと自分がそれに適応出来れば問題ない。

朝倉さんにはそれが可能なのだろう。

どこのバトル漫画の世界だ。

宇宙人だがサイヤ人ではないはずだぞ。

ぐっ、とにかくやけにゆっくり近づいて来る。

早く俺を殺したくてたまらないんじゃないのか?

そんな訳あるか。

信じられるか。

 

 

「終わりね」

 

俺の両腕は垂れたがっている。

ブレイドを手放さないだけで精一杯。

だが、ようやく。

 

 

「――射程内に入った」

 

「え――」

 

ズバッ。

下から振り上げて彼女の腰から首にかけてを切りつける。

俺の、勝ちだ。

倒れ込む朝倉さんを支える。

ベンズナイフは……とりあえず俺が持っておこう。

 

 

「惜しかったね。ナイフを投げられていたらどうなっていたか……。もっとも弱点を対策しない俺じゃあない」

 

克服したわけではない。

簡単な理屈だ。

重力をゼロにする事は俺に出来ない――情報操作が出来れば別だろうが――し、防ぐ事も出来ない。

しかし軽減する事は可能だ。

 

 

「この地面の下を"切り拓いた"。……そこは異次元に繋がっている、断層だ」

 

重力とは上から下に作用する力ではない。

下から上を引き寄せる引力だ。

だから地下に仕掛ける必要があった。

いくら重力が次元の壁を越えようが無限に作用する力ではない。

距離を空ければ弱まる。

当然の理屈だ。

それでも朝倉さんが対応出来ない速度で一撃を放つのはかなりの負担だ。

左肩から左腕にかけて、まともに動かせそうにない。

ズキズキと言うかバナナみたいに今度こそ力なく垂れ下がっている。

 

 

「……時間切れか」

 

ぐっ、と身体に再び負荷がかかる。

一度仕掛けられた重力制御はそのままらしい。

朝倉さんが気絶したとは言え収まってくれるわけではない。

俺のオーラにも元々上限があるし、この世界では制限もきついらしい。

どうにか、地面に"入口"を設置する。

 

 

「オサラバだ……」

 

黒い穴に身体を沈めていく。

かくして俺と朝倉さんはシミュレーションを中断する事になった。

俺にとってはこれがクリアだから構わない。

よく言うだろ。

終わりよければ全てよしと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言えばRPGといい恋愛ADVといい、その世界が実在していたのかどうかは不明だ。

仮にあったとしてそれが三次元かどうかも怪しいと言うのが本音である。

戻って来た場所は朝倉さんの部屋で、夢オチならそれもよかったがそうでもない。

左腕がブラブラしているのが何よりの証明であった。

九月某日の真昼間。

日付が土曜日だったから良かったが、どうしたものか。

 

 

「……とりあえず着替えに一旦帰るか」

 

朝倉さんが目覚めた時に、誤魔化す必要があるからな。

そしてこの世界は間違いなく元の世界だ。

緑のテキストエリアもないし、朝倉さんの親愛度とやらも見えない。

見る必要が今更なかったからいいのさ。

"異次元マンション"を使って着替えに帰宅――制服は俺が来ていた一着分だけ。世界を移動して増えはしない――して戻って来ると。

 

 

「――あら? いつの間に寝ていたのかしら……?」

 

俺が苦労してソファに寝かしつけておいた朝倉さんが起きた。

少しびびったがどうやら本人に今までの覚えはないらしい。

それどころか後で判明した事だがキョンにも古泉にも、長門さんにも記憶はないのだとか。

まるで俺だけが体験した悪夢のようであった。

とにかく、かいつまんだ説明を彼女にする事に。

 

 

「……にわかには信じがたいわね」

 

「オレだって気のせいだと思いたいけど」

 

ロッカールームに仕舞っておいたベンズナイフを取り出す。

朝倉さんに再び渡して。

 

 

「これを持った朝倉さんに襲い掛かられたのは事実らしい」

 

「そんな……」

 

気に病む必要はない。

俺にも悪い部分があるらしいし。

何より。

 

 

「オレに遠慮しなくていいよ。言いたい事は言ってくれて構わない。喧嘩するほど仲がいいならオレたちはその分喧嘩しなきゃ駄目じゃあないか?」

 

「嫌よ。私は明智君が好きになってくれたままの私を見てほしいもの」

 

「まさか。月並みだけどオレは朝倉さんそのものが好きなんだから、今更嫌いも何もあるかよ」

 

皮肉を言われるだけならいいだけ言われてた気がするしね。

馬鹿とか何とか言われても俺は君を信じている。

少なくとも俺は信じたまま行動してきたんだから。

とにかくこの日を境に俺と朝倉さんの関係が少しばかり変化したのは事実だ。

歪んでしまったのか、それとも矯正されたのか。

それは不明だが未来の俺が自分に満足しているならそれでいいのさ。

俺は納得している。

 

 

「……ねえ、明智君」

 

「何かな」

 

――さて。

その日の夜の話。

朝倉さんの寝室。

俺がピロートークなるものについて語るのは多分これが最初で最後だ。

人様に語って聞かせる事じゃないからな。

ただの報告だよ。

 

 

「あなたは私に迷惑をかけてる、だなんて気負う必要はないの。私だってこれからわがままを言わせてもらうわ」

 

「やっぱり今更だ」

 

「だから」

 

空の青さというのは決まった色ではないらしい。

太陽光の反射だとか云々によって人間の視覚がそう判断しているに過ぎない。

否、色自体が曖昧なものでしかないのだ。

俺の世界はそうだった。

だが、今日ではない。

例えこの部屋のように暗がりの中でも、俺は朝倉さんの瞳の色がわかる。

理解ってのは目に映るものをしっかり把握して、それでもそれは理解の助けにしかならない。

それだけ難しい。

それでも俺は彼女を理解したいと思う。

必ず。

 

 

「私の全てを受け止めてよ」

 

わかった。

約束しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――で。

 

 

「薄々感付いてましたよ。あなたの仕業だろう、と」

 

休み明けの月曜日。

昼休みの文芸部室に俺は呼び出された。

誰か。

長門さんではない。

彼女はいなかった。

現在、室内は俺と呼び出し人の二人きり。

 

 

「余計なお世話でしたか?」

 

「全部、あなたのシナリオ通りだったんですかね。喜緑江美里さん」

 

返答次第では薄緑にしてやってもいいんだが。

とにかく、食えない女性なのは確かだった。

ワカメ髪のくせして、食えないとはこれ如何に。

 

 

「禁則事項、って事でお願いします。……ね?」

 

ね。

じゃあねえよ。

 

 



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わりとフツウな高校二年生の某日

 

 

登場人物はさておき、どこにでもある話だ。

何なら今までのは演出だとか思ってくれて構わない。

俺にとって不思議体験が全てではないのだから。

全ての一部でしかない。

普通の日常を忘れてやるなよ。

大事なんだからさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午前四時。

異世界人こと俺氏の朝は早い。

寝間着のままベッドを抜けるとまず一階に下りて顔を洗う。

意識をしっかり覚醒させると部屋に戻り、軽いストレッチ。

身体をほぐしてからウィンドブレーカーに着替えると外に出る。

早朝のランニング。

十二月であり、辺りは深夜と大差ない。

緩急をつけてはいるものの動きを止める事はない。

自宅から駅の近くの公道まで突っ切る。

往復にして一時間弱程度だが定期的にするとしないのとでは全然違う。

基礎訓練でしかない。

言うまでもなく道中で誰かと遭遇する事は皆無だ。

 

 

 

 

六時台には朝食を済ませて午前七時には家を出る。

早い、がそれでいい。

それがベスト。

直接学校に行くわけでは無い。

寒空の下朝倉さんの家まで出向いていくというわけだ。

何回目だろうな。

数えちゃいない。

こんな高校生活はあと一年続く事になる。

去年の今頃は本当に何も考えていなかったな。

一年生の時の教訓としては、一人で悩んで解決するような事など悩む必要がないという事だ。

エレベータで五階まで行きピンポンとインターフォンを押すと。

 

 

「おはよう明智君」

 

愛しの彼女が笑顔で迎えてくれた。

とっくに制服には着替え終わっていて、その上に赤いコートを着ている。

うろ覚えだが同じデザインのものを劇場版消失で観た記憶があるな。

多分それがこれなんだろう。

七時も三十分を回っているから、このまま直行してもいいわけだが。

 

 

「朝倉さん」

 

「ふふふっ……んっ」

 

朝っぱらから廊下で抱き合ってキスをするバカップルがここに居る。

これまた恒例儀式と化してしまっている。

お互いに止める気はなさそうなので向こう数十年は続いていく事になるんだろう。

しかしながら朝倉さんが老ける様子など想像出来ない。

今後の楽しみでもある。

本人にとっては楽しみでも何でもないだろうが。

そして睦み合うのもそこそこに俺たちは登校していくわけだ。

もはや俺と朝倉さんは共依存なる症状を超越していた。

以前のような荒廃的な感じではなく一緒に明るく笑い合っているような感じだ。

要するに気の持ちようだというわけである。

 

 

「もう一年、か……」

 

分譲マンションを後にしながらそんな事を呟く俺。

この日、十二月十七日こと月曜。

あの日から一年が経過しようとしていた。

 

 

「早いのやら遅いのやら」

 

「私にとっては丁度良かったけど」

 

「……そうかな?」

 

「そうよ」

 

ようやく今月に入って一段落したな、って感じがするのだけは確かだね。

つまりそろそろというか既にクリスマスシーズンなわけである。

今年もSOS団で謎の催しをやるのだろう。

今日辺りに何か話があるんじゃなかろうか。

 

 

「普通が一番だよ」

 

「かもしれないわね」

 

日本だけでも高校生カップルは山のように居る。

マンション管理人の爺さんに俺がどう見えているかはさておき俺もしょせん有象無象でしかない。

だが、俺たちにとってはそうではない。

誰かにとっての虚構は俺たちにとっての真実だ。

ただ言えるのは。

 

 

「オレが先に好きになったのは朝倉さんであって宇宙人ではないって事さ」

 

こんな寒い空気にも関わらず手袋をしていない。

俺の左手と朝倉さんの右手を繋いで気分を紛らわしているぐらいだ。

充分だろ。

手袋の用意がないわけではない。

 

 

「じゃあ、私が好きになったのは誰なのかしら?」

 

「冴えないただの高校二年生男子」

 

「はぁ……。この際だから言わせてもらうけど……」

 

呆れた顔でそんな事を言い始めた朝倉さん。

何だ、どうしたんだ。

 

 

「客観的に見て、明智君は眉目秀麗と言えるのよ?」

 

「嘘だろ…?」

 

「……じゃあ他の誰かに訊いてみるといいわ」

 

変なフィルターを通してしまっているだけじゃないのか。

キョンのような胆力も古泉のようなルックスも俺にはないはずだ。

……そうだよな?

いずれにせよ俺が朝倉さんほどのお方と付き合っているのは運要素もあるに違いない。

とんだラッキーボーイだぜ。

 

 

「一つ言えるのは、私はきっとあなただから好きになれたって事」

 

はは。

なんかもう泣ける気分だ。

朝倉涼子の魅力について今更何かを語ろうとは思わない。

だけと敢えて何か言わせてもらうならそれは彼女の心象風景についてだ。

きっとそれは、澄み切った青なのだろう。

空の青とも海の青とも、心の青さとも違う。

彼女だけが持つ色なんだ。

その美しさに俺はきっと惹かれたんだろうよ。

 

 

「おかしな言い方ね。素直に私に見とれちゃったって言いなさいよ」

 

「まあそうなんだけど」

 

理由を欲しがるのが人間の悪いクセだってのを抜きにしても、ね。

とにかく俺は"正しい"と思ったからやっただけなんだ。

彼女さんを助けたのも今まで俺が行動してきたのも全てそうだ。

これからもそうしていく。

そんな風にしか生きる事が出来ない。

独善でしかない……が、二人居ればそれは立派な正義だろ?

朝倉さんが可愛い、美しい、好きだ、大好きだ、愛している。

全てが正義でいいじゃないか。

 

 

「変に理屈ぶるのが好きなのかしら」

 

「捻くれている自覚はあるんだけどさ」

 

「ふーん」

 

さて、今日は彼女の心が芽生えた日。

つまり誕生日なわけだ。

何をプレゼントするのかは後の話になる。

一応言っておくけど刃物関係じゃないからな。

でも今の話じゃない。

 

 

「たまに考えるんだけど……もし、私が【涼宮ハルヒの憂鬱】っていうお話通りに死んでいたとして……世界はどうなってたのかしら?」

 

「さあ」

 

変わらない。

きっと、変わってくれない。

世界はいつもそういうもんだ。

受け身のくせして、お返しの一切をしようとする気概がない。

だが、少なくとも変えていくことは出来るわけだ。

そして俺は朝倉さんがいなければ心根が腐った状態のままなんだろうさ。

俺が君を変えたんなら、君も俺を変えてくれたんだ。

 

 

「オレも生きているし朝倉さんも生きている。それでいいじゃあないか」

 

「わかってると思うけど、私は軽い女じゃないわよ?」

 

「地に足着くぐらいの重さがいいのさ、オレは」

 

そのうち言わせてもらうさ。

朝倉涼子さん。あなたを一生背負わせて下さい、と。

……そうだな、こういうのはそれこそ忘れられている頃が丁度いい。

今日俺が朝倉さんにプレゼントをあげたとして、それは予想出来る範囲の事だろう。

プレゼントしなかったとしてもガッカリはするだろうけど多分それだけだ。

期待外れだという程度の話でしかない。

期待してない時に仕掛けるからビックリをするってもんだろ。

頃合いとしては……そうだな……冬休み明け、とか面白いんじゃないか。

休み明けとは往々にして憂鬱なものである。

かく言う俺も学校生活が楽しいのであって勉強そのものを愉快と思える崇高な人種ではない。

だからこそ楽しみは後に取っておく。

十二月はゆっくりしたいんだよ。

 

 

「そ。……今年のクリスマスも楽しみね」

 

「ああ」

 

俺が何故朝倉さんを好きになったのかなんて事は重要ではない。

俺にとって重要なのは、彼女が俺を助けてくれた事だけだ。

俺の死んでいた精神を往き返らせてくれた。

俺はそのためなら、命をかけることが出来る。

かけがえのないものってのはそういうものなんじゃないのか?

後、やっぱり口には出さないが朝倉さんは今日という日について期待してくれているらしい。

ちょっとそわそわしている。

俺にはわかる。

これをあざといと言うべきかどうか。

 

 

「……ふふっ」

 

笑顔が一番だ。

願わくばずっと見続けていたい。

無論、死ぬまで、ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八時ぐらいには教室に到着。

殆ど人など居ない。

この日も俺と朝倉さんを除けば三人ばかり。

女子一人と男子二人だ。

手持無沙汰もいいところだろう。

本を読むなり、勉強するなりで時間を潰しているわけだ。

気持ちはわからなくもない。

俺もどちらかといえばそういう人種だ。

朝倉さんが居る手前、少しはマシに振る舞おうとしているに過ぎない。

何かとお世話になっているし。

 

――授業時間など本当に何事もなく経過されていく。

移動授業が面倒だって事ぐらいしか言うべき事など他にない。

普通だ。

平凡だ。

平穏なんだろう。

不満を持つのは捻くれているだけだ。

不幸自慢をしたいわけではないが、不満を持つ方が間違っているだろう。

つまり、そこにあるもので満足出来ないんだろ。

だったら自分で何かするしかないじゃないか。

それをしないで不満を言うなら、せめて胸の中に秘めておくがいいさ。

俺たちには関係ないんだから。

 

 

「……で、今年は何かするの? キョンたちはさ」

 

昼休みになり野郎四人で飯を囲む。

国木田が言った『何か』とやらはSOS団が何かするのかどうかという事に他ならない。

今日辺りにその辺正式発表されるんじゃないか。

キョンは気怠そうに白米を咀嚼して。

 

 

「国木田は俺たちがXデーにテロでも起こす事を期待してんのか? 今年のイヴは振替休日だ」

 

「それがどうしたってんだ。クリスマス当日は終業式で学校もある。どうせ、お前らアホどもは今年も鍋つつきなんだろ」

 

三連休明けに一日だけ行くというシステムはいかがなものか。

それはそうと妙に谷口が楽しそうな雰囲気だ。

何かあったのか。

馬鹿らしさに拍車がかかっただけなのかもしれないが。

 

 

「じゃあ何かいい案を出せ。俺がハルヒに進言してやらんこともない。採用は多分されないだろうがな」

 

「涼宮に頼んでまでして予定を埋めてもらうほど俺様は落ちぶれちゃいないぜ」

 

「まだ周防さんと付き合ってるの? 彼女も不思議な人だよね」

 

国木田の言う通りだ。

不思議な人というか不思議そのものだからなあいつは。

未だに天蓋領域とやらは未知の存在だ。

情報統合思念体もよくわからず終いだからな。

その辺は喜緑さんに任せよう。

もっとも彼女も謎に包まれたままだが。

今年で彼女が卒業するにしても何かとちょっかいを出してきそうな気がする。

穏健派とは保守ではない。

自分たちにとって穏やかであればいいというイカれた連中だ。

で、谷口は高笑いでも始めそうな気味悪い顔で。

 

 

「よくぞ訊いてくれたな。実はな……昨日、あいつが、とうとう俺様の頬に熱いヴェーゼをよ!」

 

「……お前」

 

「そ、そう。良かったね谷口」

 

若干引き気味のキョンと国木田。

……俺も二人に同感だ。

ここまで停滞していたのかお前さんたちは。

その程度で喜んでいる様子から察するに今までキスの一つもなかったらしい。

当然と言えば当然だろうな。

周防がデレデレする様子を俺には想像出来ない。

もしそんな場面があったらそれはきっと世界崩壊の序章だろう。

実際にどうかはさておき、宇宙勢力のいち代表という大物と谷口は付き合っているんだ。

ううむ。

教えてやった方がいいのか。

知らない方がこっちとしては面白いんだが。

周防の判断に任せよう。

俺は知らん。

 

 

「これで満足かい……?」

 

かすれた声で呟く。

誰に訊いたわけでもない。

もう一人の自分か。

他に誰かが居たのかもしれない。

じゃあ神にでもしておく。

無能な神なのは確かだ。

無能な奴が不要なのがこの世界の不文律だ。

 

 

「そんな事より、俺は未だに謎でしょうがねえ。明智がどうやって朝倉をオトしたのかが」

 

周防が宇宙人という事実は谷口も知った方がいいかもしれない。

が俺と朝倉さんの経緯については知らなくていい。

表向きにもぼかしてある。

 

 

「オレに訊くなよ」

 

「じゃ誰に訊けばいいってんだ?」

 

「さあ。こんな世界にも不思議はあるって事だな。それでいいじゃあないか」

 

「ど畜生が」

 

落ち着け、好きにすればいい。

俺たちはお前さんたちを応援しているんだから。

肝心のキョンと涼宮さんは亀よりも遅いペースな気もする。

歩くような速さ、と言ったところで個人差あるって話だ。

 

 

「……早く休みてえぜ」

 

「谷口はこれ以上怠けてどうするつもりなのさ?」

 

「動くのを強いる世界の方がどうかしてやがる」

 

「もっともだな」

 

キョンまでそう言うか。

俺はまだ常識的な思考能力があるというのか。

国木田は模範的すぎる気もするが。

 

 

「だいたい短縮授業期間が申し訳程度しかないじゃないか。冬休みも雀の涙だろ」

 

「しょうがないよ」

 

本当に国木田が言うようにしょうがないかはさておき本来なら既に短縮授業となっているはずだ。

もはや俺たちにそれを確かめる術はない。

と言うのも去年の今ごろに北高の全国模試の結果が市内の某高に追い抜かれた影響が大きい。

おかげさまで校長が生徒の学力向上を叫んで今日と明日もフル授業。

今年もこの状況なのでともすれば通例化してしまうのかもしれない。

一年生はこの事実を知らないだろう。

恨むのなら結果を出さなかった連中を恨んでくれ。

それか校長だ。

 

 

「何が楽しいんだかなうちの校長は」

 

そう言って窓の外を見るキョン。

学校は過程を見る所だ。

だが、全員が全員そうとは限らない。

組織である以上は結果ありきなのだろう。

くだらない世の中だ。

涼宮さんが絶望したくなるのもわかる。

でも本当に絶望する事はないだろ。

 

 

「希望はいいものだ。多分、最高のものだ」

 

「明智は何が言いたいんだ」

 

「いいものは決して滅びない。だから楽しいんじゃあないのか?」

 

「いい歳したジジイが夢物語を見て俺たちに押し付けられても困るんだが」

 

まあね。

ただ俺たちが何を楽しいと思うか。

考えるって部分だけは誰にも奪う事が出来ない。

それを奪われた時、初めて人は死んだと言えるんじゃないか?

俺はそう思うね。

 

 

「でも、どんな人からでも学ぶことはたくさんあるよ……谷口相手でも、一つぐらいはあるんじゃないの」

 

そうかい。

国木田のそういう姿勢があれば一番だ。

お前みたいな奴に教師になってほしいな。

是非ともね。

 

 

「ん? 今、俺を馬鹿にしたのか?」

 

言っておくがそれがわからないようならやっぱりお前さんは馬鹿だぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午後十五時過ぎ。

掃除当番の連中を尻目に部室棟へ移動する。

いくら二年生の校舎から近いとはいえ少しでも外に出ると寒いものは寒い。

どうにかならないものかね。

 

 

「口を開けば寒いしか言ってないわね」

 

「事実だから」

 

「その分私たちがアツくなればいいじゃない」

 

熱血というより多分扇情的な意味合いが朝倉さんの言葉には含まれているのだろう。

なんて下らない話をしているうちに部室棟に到着して、そうして文芸部室までやってきた。

入ると既に古泉と長門さんが居て。

 

 

「どうも」

 

「……」

 

いつも通りの風景だ。

次第に朝比奈さん、キョン、とやって来て最後にようやく。

 

 

「待たせたわね!」

 

と涼宮さんが到着。

浮足立っているというのはまさに今の彼女の状況だろう。

クリスマスパーティは今年も開催らしい。

彼女はホワイトボードの前に立ち。

 

 

「で、肝心の内容よね。サンタを召喚するにしても前日は休みだし」

 

「お前にしちゃ珍しいな。休みだろうとお構いなしだと思ってたぞ」

 

「団員のプライベートにまでは口出ししないわよ。だいたい前日に祝おうってのがおかしいと思わない?」

 

「俺に文句を言われてもな。どうも思わん」

 

サンタ召喚に対して誰か突っ込まないのか。

朝比奈さんは去年サンタのコスプレをしていたが未来でも相変わらずクリスマス文化はあるのだろうか。

未来の世界観が謎なんだよな。

知らない方がいいんだろうけど。

 

 

「そういう事だから、別に二十五日にパーティしようが構わないってわけよ」

 

年中お祭り連中の俺たちには今更だ。

構う構わないはさておきSOS団は災害クラスの集まりでる。

何かを巻き込まずにはいられないのさ。

 

 

「なるほど。僕は二十四日であれ予定が空いていますが、自分だけの時間というものもいいでしょう」

 

こんな呑気している古泉一樹。

ホームセキュリティは万全である。

彼の牙城が崩壊するのはこの時から四年後である大学三年生の時の話になる。

橘の原動力は何なのか。

精神病とは彼女のそれを指すんだろうそうだろう。

スペシャルパーティとホワイトボードに書く涼宮さん。

 

 

「鍋も良かったけど、やっぱりクリスマスと言えばチキンじゃない?」

 

「そうだな」

 

「タンドリーチキンね」

 

「フライドチキンじゃないんだな」

 

「そこらで売ってるものを食べても楽しくないわよ」

 

「……お前は鳥の調達から始めないと気が済まないのか」

 

古泉のアテに精肉店の一つや二つあるだろ。

あるいは養鶏場だ。

関係ないが北京ダックを初めてお店で注文した時のガッカリ感はえらいもんだった。

あれの肉を丸ごと食べたいと思ったのに、切れ端くらいだもんな。

自分で作るしかないな。

 

 

「僕の知り合いに鳥の都合がつくか尋ねてみましょう」

 

「解体ショーを部室でおっ始めるのか? 勘弁してくれ」

 

「まさか。肉だけですよ」

 

「新鮮ならいいけど、そうじゃないならバラしちゃいましょ。とにかくその辺は古泉君に一任するわ」

 

「承知しました」

 

チキンだけとは行かない。

他にも何かとあるだろ。

この日は食べるものの話に終始してしまった。

 

 

「あたしもたくさん料理の勉強をしないといけませんね」

 

朝比奈さんは作りたい相手など居るのだろうか。

この時代に居ないのだけは確かなんだよ。

彼女の家族について腐れ弟ぐらいしか俺たちは知らない。

禁則らしい。

禁則がゆるくなった今の彼女でもそうなのだ。

それなりに重要な秘密があるのだろうか。

気にするだけ無駄なんだろう。

 

 

「……」

 

「長門さんは普段何を食べてるのかな?」

 

「色々」

 

「自分で作ってるんだよね?」

 

「そう」

 

完璧超人なので料理の実力については言うまでもない。

それでも食生活が乱れてそうな印象なのは何故だ。

フードファイターのイメージが先行してしまっているのか。

 

 

「調理するのにこの部室じゃ手狭ね……」

 

「もうここでする必要があるのか?」

 

「うーん。そうねえ」

 

場所についてか。

機関で用意するか分譲マンションが安定だろう。

追って決めていけばいいさ。

時間はあるんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午後十八時二十分。

朝倉さんを送迎した。

マンション前でお別れといってもいいのだが。

やれやれ。

 

 

「去年は馬鹿やったからな……」

 

すたすたとエントランスに入ろうとする彼女を呼び止める。

入口の手前で立ち止った。

 

 

「何かしら?」

 

「このまま帰っちまったら甲斐性なしどころかいいとこなしだと思ってね」

 

鞄から満を持して取り出す。

大したものではない。

長方形の包装された箱。

中に何が入っているのか?

女性にプレゼントするんだぜ。

そこそこの値段がして、かつ、大切にしてもらえそうなものだ。

例えば首にかけてくれるようなもの、とかね。

 

 

「……別に私は何か欲しかったわけじゃないのよ?」

 

「それでも去年のオレは駄目駄目だったからね。リベンジだ」

 

十二月十七日。

去年の朝倉さんがフラッシュバックする。

あの日、彼女は終始笑顔じゃなかった。

しかし今日ではない。

それに――。

 

 

「ふふっ。じゃ、遠慮なく頂戴するわね。中身は後で確かめさせてもらうから」

 

異世界人ってのは曖昧な存在でしかない。

やっぱり俺もそうだ。

だから、記憶の中の朝倉さんが笑顔じゃないと何故言い切れる?

思い出というのは美化されがちだ。

ま、その必要がないくらいに朝倉さんは容姿端麗なんだけど。

 

 

「ハッピーバースデイ……ってね」

 

登場人物はさておきどこにでもある話でしかない。

既に述べたように、日本中に高校生カップルは幾らでも居る。

……ああ、普通だ。

俺たちが特別だと勘違いするのと同じく、そいつらだって勘違いしている。

だが不思議を不思議だと判断出来るのは普通を知っているからだ。

常に不思議しか体験していないなら、それが特別だと思わないだろう。

そう、今、この瞬間に朝倉さんは笑顔でいてくれている。

たったそれだけの事だ。

 

 



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季節の変わり目にありがちなこと

 

 

――向寒の候、日ごとに秋が深まっていた高校三年の十一月某日の話。

高校生活最後の文化祭もなるたけ悔いが残らぬように大いに楽しんだ。

SOS団による自主制作映画も第三弾にして事実上の最終作となったわけだけど、それに恥じぬ大作になった。

なんせ上映時間が二時間オーバー。おかげさまで編集作業で徹夜づけの日々だったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文化祭の話はまたの機会にお話しさせていただくとして、今回は少々私事ながら情けない話である。

というのも件の編集作業の無茶がたたったのか俺は体調を崩してしまい朝から寝込んでいた。

 

 

「……う、うう」

 

二度寝三度寝を経て今に至るわけだけども風邪薬の効きはイマイチらしく安眠までは今しばらく時間がかかりそうだ。

ジーザス、頭痛がするし吐き気もする。文化祭中は学校中を動き回ってたってのに。

あるいはマヌケなことに文化祭明けで緊張が解れてしまったに違いない、二徹三徹もザラだったし。

いずれにせよ異世界人だろうがなんだろうが風邪を引くときは引くもんだから困る。

当然学校は休んださ。枕元の置時計のライトを起動させて現在時刻を確認すると午前十時数分で、もう二時間目に入っているのか。

遮光カーテンを閉め切った薄暗い部屋でただただ自分の回復をひた願うばかりの一日かと思われた。

が、それをよしとしなかったのはあろうことか当事者の俺ではなかったのだ。

布団にくるまりながら暗がりの天井をぼーっと眺めていると、ふいに自室の扉がノックされた。

母さんが何か用でもあるのだろうか、正直声を出すのもおっくうなほどなので無言のままでいるとついに扉が開かれた。

夜目が利いたおかげで侵入者が誰かはすぐにわかった。静かな足どりで部屋に入ってきた人物は俺の母親などではなく、長い姫カットの青髪を携えたあのお方である。

 

 

「あ、朝倉さ、ゲホッ」

 

俺は思わず上体を起こしてしまう、と同時に盛大に咳込んでしまう。

当然のように朝倉さんが平日に関わらず俺の家に来たからだ。

ベッドに寝そべっている俺の方まで近づいてきた朝倉さんはゆっくりと俺の額に右手を添えてから。

 

 

「酷い熱よ、寝てなきゃだめじゃない」

 

いや、俺はこの状況が理解できないのだけど。

何故君がここに来ているんだ。学校はどうしたんだろうか。

朝倉さんが制服姿なのを察するに学校を抜けてきたんだろう。

何もわざわざそこまでしなくても、などと思っていると朝倉さんはあっけらかんとした様子で、

 

 

「学校は早退してきたわ。……それより」

 

寝てなきゃ駄目、なんて言っておきながら朝倉さんはスタスタ窓辺まで歩いて行ってぴしゃっとカーテンを開けた。

外の光に目がくらむということはないが、朝倉さんの表情からは並々ならぬ気迫を感じた。

なんというか、上から来るようでいて下から来るようでもある、そんな感じだ。

 

 

「明智君、私に連絡してくれたらすぐに家まで行ったのに」

 

そこまで事態は急を要していないし、俺の病欠については問題なくホームルームで岡部教諭の口から告げられているはずである。

こちら側としては朝倉さんが来てくれて嬉しさ半分戸惑い半分なわけで。

 

 

「いやいや、熱も38度あるかどうかだからね。一日ゆっくりしてたら治るよ」

 

だから安心して君は学校へ戻ってくれ、と俺は言外に伝えた。

朝倉さんにもその意はしっかり伝わったのだが。

 

 

「私が来たからにはもう安心よ、今日は私があなたの助けになる番だから」

 

なんて言いながらにかっと笑っていて、どう見ても帰る気配は見受けられない。

だいたい早退してきたって、そんなにあっさり抜け出せるものなのだろうか。

それに日ごろから助けになってるというかお世話になっているのは間違いなくこっちの方だ。

朝倉さんはベッドから這い出ようとする俺を制して完全に横に寝かしつけると俺の顔を覗き込みながら得意げな表情で。

 

 

「さ、なんでも言ってちょうだい。私は明智君と手となり足となるわ」

 

普段だったら「なんでも」という魅力的なワードにいらぬ反応を見せてしまいかねないけど、生憎と俺はそこまで余裕がなかったさ。

とりあえず水枕の交換と喉が渇いたから何か飲み物を持ってきてもらうよう注文すると朝倉さんは即座に部屋から出て行った。

頭が上がらないとはまさにこのことに違いない。俺は朝倉さんに感謝すると同時に愛想を尽かされたくないので回復したら俺も何かしてあげねばという使命感に駆られた。

かくして献身的な宇宙人こと俺の彼女は、ほんの数分で俺の部屋に戻ってきた。

タオルにくるんだ水枕を俺の後頭部にセットすると俺の前の前にすっとマグカップが差し出される。

 

 

「生姜湯よ」

 

個人的にはキンキンに冷えたスポーツドリンクあたりをがぶっと飲みたかったがこちらの方が身体にいいのは言うまでもあるまい。

古くでは生姜は薬用漢方として処方され、今日でも変わらずに頻用されているとか。

俺は再び上半身を起き上がらせてマグカップを受け取ろうとしたが朝倉さんはすぐに手渡さず、マグカップに口元を近づけて。

 

 

「ちょっと待ってて……ふふっ。熱いからふーふーしてあげる」

 

フーフー吹くならファンファーレでも吹く方が愉快な光景なのだが、これはこれで悪いもんじゃない。

この光景を第三者が見ているのならばいざ知らず現在俺の部屋には朝倉さんと俺しかいないので恥ずかしがりもしない。

そもそも今更羞恥心などあろうはずもなく、どちらかといえばこそばゆい感じがした。

で、それから改めてマグカップが差し出されたので俺はありがたく頂戴することに。

すするように飲む。うむ、熱い、そして辛い。

 

 

「本当は私が治してあげるのが一番早いんだけど……」

 

ちびちびと生姜湯を口に含んでいる俺を見て申し訳なさそうに言う朝倉さん。

確かに彼女の技術力――風邪が原因ではないが原作で長門さんがキョンにナノマシンを注入していたっけ――なら地球上の万病に対応することが可能に違いない。

しかしながら俺はその力のお世話になるのを遠慮させていただいている。

深い理由はない、が強いて言うならズルしてまで生理現象を誤魔化そうとは思えないだけさ。

要するに俺のエゴであって、朝倉さんが無力感を感じるのはお門違いではなかろうか。

その旨を述べると朝倉さんは「そうね」と肯定してから言葉を続け。

 

 

「でも、もし明智君が現代医学でどうにもならないような病気にかかっちゃった時は容赦なく治しちゃうから」

 

慈しむような顔をしながらこれまた喜ぶべきなのか怪しい発言を俺へと投げつけてくれた。

それから時間をかけてゆっくり生姜湯を飲み干すと身体は多少暖まった、ような気がする。

いわゆるプラセボ効果なのだろうが、ともかく俺は途端に眠気に襲われてしまう。今なら安眠できそうだ。

 

 

「……悪いけどオレはちょっと眠らせてもらうよ。なんなら帰ってくれて構わない」

 

「わかったわ。ゆっくり休んでちょうだい」

 

マグカップを彼女に渡すと俺は身体を再度横にして瞼を閉じる。

少し離れた場所からカラカラと静かな音がする、朝倉さんがカーテンを閉じてくれたらしい。

指の一本も動かさず、ただただ固まっているとやがて感覚が失われていく。

どうやら今まさに俺は眠りにつこうとしているようだ。

 

 

「お休みなさい」

 

薄れゆく意識の中、優しい声色で俺に向かって朝倉さんがそう言ってくれたようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

睡眠とはレム睡眠とノンレム睡眠の二種類が周期的に繰り返すさまを指すのだが、夢を見ない俺にはどちらでも関係のない話である。

本当に夢を見ていないのか、あるいは夢を見ていたという事実を忘れているのかは知らない、が、現に夢らしい夢の記憶が皆無なので考えるだけ無駄なのだ。

閑話休題。そんなことはどうでもいいのさ。まどろみ数分にしてグースカ眠りについた俺が次に目覚めたのはそれなりに時間が経過してからだった。

ぱちりと目を開くと寒気が引きつつあるのか心なしか少し楽になっていた。もっとも未だに喉はイガイガするし身体はダルいけど。

時間を確認しようと寝返りをうって置時計へ手を伸ばすと。

 

 

「おはよう。今は三時半よ」

 

驚いたことに朝倉さんがまだいたようだ。てっきり帰っていると思ってたのに。

時計を見ると確かに午後十五時三十分を指していて、もう学校も終わっている時間だ。

俺は若干戸惑いながらも。

 

 

「もしかしてずっと家にいたのかな?」

 

「もちろん」

 

しかしこんな家にいても退屈なだけだろう。本当に帰ってくれてて構わなかったのに。

ありがたいけど非情に申し訳ない気持ちでいっぱいだ、なんて言うと朝倉さんは微笑みながら首を横に振って。

 

 

「ううん、明智君の寝顔を見ているのも面白かったわよ」

 

そうだろうか。世間狭しといえど俺の寝顔観賞なんかに時間を費やしてくれるのは朝倉さんぐらいなはずだ。

で、さっそくだが寝起きにして小腹が空いてしまった。思い起こせば朝は冷蔵庫にあった十秒メシこと某ゼリー飲料しか口にしていない。

いずれにせよ多少なりとも食欲が出てきたということは回復の兆しが見られているということに他ならない。

朝倉さんもその辺を察してくれたのか。

 

 

「お腹すいたでしょう。ちょっと遅いけどお昼にしましょ」

 

なんて言うと小走りで部屋から出ていってしまい、数分もせずに帰ってくるや今度は小さな土鍋を持っていた。

彼女の両手には鍋つかみが装着されており、ひょっとするとおでんかと思ったが流石に違うようだ。

いつの間にか引っ張り出されていた折り畳み式のファッションテーブルの上に土鍋を置くと。

 

 

「お粥よ。出来立てじゃないけど温めなおしてきたわ」

 

定番のメニューである。とはいえ家事スキルMAXの朝倉涼子にかかれば平凡な一品とて化けてしまう。

俺はその辺をとっくにご存知なので正直早く食らいつきたかった。だが土鍋ごと持ってこなくとも茶碗に入れてくれればよかった気がするのだけど。

すると朝倉さんは土鍋の上蓋を取り、れんげでお粥をすくうと俺の口元へと差し出してきた。

 

 

「はい、あーんして」

 

本当に本当にありがとうという言葉しか見つからない。

というかなんとなくだけど朝倉さんの方はこの状況を楽しんでいるような気がする。

はたして宇宙人に母性本能があるのかはわからないが今後も俺は朝倉さんにかなわないままなのだろう。

さて、肝心のお粥の味なのだが、どこをどう工夫すればこんなに美味しくなるのやら。

具材らしい具材はなく卵をといただけの比較的オーソドックスな代物だったが下地がダンチだ。

母が出してくれるようなものといえば精々が塩味がするかな程度だけれど朝倉さんが今回出してくれたのはダシがきいていた。

生憎と俺の舌では昆布の風味がして醤油で味を整えているようだということしかわからないが他にも何かと仕込みがあるのは容易に推測できる。

ともあれ至れり尽くせりとはまさにこのことだ。

 

 

「そうそう、すりりんごもあるけど食べられるかしら?」

 

地上に舞い降りたマイエンジェル朝倉さんが出してくれるものを誰が無下に拒めよう、そんな奴がいたら出てきてほしいもんだね、ブン殴ってやる。

それにしても馬鹿は風邪を引かない、の理屈でいえば俺はどうやら馬鹿ではないらしい。

最近こそ言われなくなりつつあるがかつては毎日の如く朝倉さんに「ばか」呼ばわりされてた気がする。

とまあ俺が風邪で学校を休むなんてのは大変珍しいことであり、なんだって三年のこの時期になっちまうんだか。

元より俺に皆勤賞はないわけだが。何故かって。

 

 

「……あの時を思い出すわね」

 

俺が食事を終えるや否や朝倉さんが食器類を片すと彼女はどこか憂いを帯びた表情でそう言った。

もう二年ぐらい前になるのか。紆余曲折の末に朝倉さんと俺は男女交際することになった――実際にはそれよりも前から体裁上は付き合っていたわけだ――が、その折に俺と朝倉さんは一日ばかり学校を休んだ。

あの時と今とでは立場が逆で俺が看病される側ってわけさ。

 

 

「色々あったっけ。あっというまの高校生活だったよ」

 

「そうね」

 

なんて過去を懐かしむにはいささか時期尚早な気がしないでもないが、俺たちが高校に通う残り期間など正味三か月もない。

冬休み明けてからはすぐセンター試験だし、二月はほぼほぼ登校しない。

で、三月に入れば即卒業。あの部室ともお別れになってしまう。

 

 

「私、楽しかったわよ。もちろん今も楽しいけど、明智君のおかげかしら」

 

そう言ってくれれば冥利に尽きるといいますか、俺の身勝手で君を助けたばかりにこうなったんだけども。

ところでよくよく思い出せば原作で朝倉さんは生存しているような描写があった。驚愕で。

もっとも一年生の時の俺は驚愕を読んだという記憶が抜け落ちてたわけで、細かいことは気にしない方がいいだろ。

今日は我が母も空気を読んでくれているのか余計な茶々を入れてこない。真の平穏だ。

このまま時間が止まってくれるのも悪くないのに、などとしんみりしていると急に朝倉さんがずいっと顔を近づけてきて。

 

 

「ねえ」

 

「な、なんでしょうか」

 

「明智君は子ども、何人欲しい?」

 

一切の邪気がない笑みでそんなことを突然言われたものだから俺は盛大に咳き込んでしまった。

ちょっと待ってくれ。そういう話は俺たちにはいくらなんでも早すぎるでしょう。

若干の恐怖を覚えつついっそタヌキ寝入りでもしてやりたい気持ちに駆られながら俺がそう言うと。

 

 

「早くないわよ。だいたいあなた私にプロポーズしてくれたじゃない、自分で言ったことも忘れたのかしら」

 

「まさか」

 

それは今年の一月ごろにまで遡るが、俺は彼女に対してちゃんと言ってやった。

二年の時の冬休み明けの某日の通学中に勢いで。

 

 

「朝倉涼子さん。オレと結婚を前提に付き合って下さい」

 

断られたら軽く首でも吊る予定であったが、朝倉さんは何言ってるのといった表情で。

 

 

「あら、とっくにプロポーズは受けてたはずよ」

 

う、ううん。俺はそんな風なことを言った覚えは、あるかもしれない。

いやしかし明言した覚えまではないぞ。こういうのはケジメが大事なのだ。

何はともあれ朝倉さんの返事は。

 

 

「うん、それ無理。だって明智君には必ず私と結婚してもらうから、後から解消されるような関係にはなりたくないの。よろしくね」

 

彼女の中では前提どころかもはや不文律と化していたらしい。

おどけた顔で返事をくれた朝倉さんも中々に可愛かったね。

いやいやここまではただのままごとレベルで済むけども、子供の人数などままごとでは言及しないだろうに。

目の前の朝倉さん曰く。

 

 

「大学卒業したらすぐよ、ジューンブライドでしょ?」

 

こんな弱っている時にそんな話をされてもマジに困るってやつだ。

社会に出て早々に結婚など今時珍しいに違いない。

 

 

「そうかしら。宇宙人と異世界人のカップルより珍しいものなんてないと思うわよ」

 

それを言っちゃあお終いだぜ。この世界が平和なのはひとえに涼宮さんの精神が大人になってくれたおかげであって、不思議であふれかえってないのが救いだ。

とにかく俺たちの婚期についてはまたの機会に考えようではないか。うむ、それがいい。

でも一姫二太郎がよかったりなんか思っている俺は結局のところ馬鹿なのである。

 

 

「ジューンブライドって、6月は梅雨にぶつかんなきゃあいいけどさ……」

 

「大丈夫。いざという時は晴れにしちゃうから」

 

いや、駄目でしょう。確か原作で長門さんが天候操作は推奨できない的な発言をしていたぞ。

怖じ怖じとその旨を朝倉さんに伺うと彼女は淡々と。

 

 

「問題ないわよ、地球の生態系に悪影響が及ぶほどの後遺症が発生するのは早くても約数百年後になるわ。その頃には私たち死んじゃってるし、そもそも後遺症がないかもしれないの」

 

そんな未来への遺産は嫌だ。どうせタイムカプセルを埋めるならもっといいものを未来へ託すべきなのだ。

俺は自分の子孫に文句を言われたくはないぞ。

 

 

「情報操作の必要がないことを祈っておこうかな……」

 

「ふふっ。式はどこがいいかしらね」

 

いや、だからその手の話題は向こう二、三年ほどは勘弁して下さい。

そんなやり取りをしているうちにSOS団の皆が俺を見舞いにやってきて、キョンから「アホップル」呼ばわりされたりもしたが、これもいい思い出になったと思いたいね。

もちろん風邪は翌日にはすっかり良くなったということを補足しておこう。

 

 



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第二十話 アナザー

 

 

――夏。

青い空にほどよく照りつける太陽。

そう、夏と言えば。

 

 

「海よ!」

 

海岸線をびしっと指差す水着姿の涼宮さん。

彼女の言うとおり間違いなく俺たちの目の前には海があった。

どうして海に来ているか。決まっている、そこに海があるからさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、真面目に話すなら原作通りの流れで『機関』プロデュースの孤島合宿にやって来た俺たちは、長い船旅を終えるや否や無人島の天然ビーチへと向かったわけだ。

当然、男子も女子も水着に着替えているのであるが。

 

 

「言うことなしだ」

 

砂浜に新川さんから借り受けたゴザを敷き、その近くにビーチパラソルを突き刺してゴザの上に座る。

女子の水着姿はえも言われぬ趣がある。目の保養にしてはこれ以上ないほどだ。

が、俺が注目するのはただ一人、朝倉涼子その人だけ――実際には他の人の水着姿も堪能したけど言わぬが華――である。

前々からグラマラスな体型だとは思っていたけども、いざ脱がれるとここまで凄いとはね。

 

 

「これでこそ海の合宿ってもんだ」

 

涼宮さんに水をかけられまくっている朝比奈さんを見ながらキョンがぼけーっとした顔でそう言った。

同感だね。俺は前もって朝倉さんがどんな水着を着てくるかは聞いていなかったが、グッジョブの一言につきる。

その朝倉さんの水着のデザインはというと、リーフ柄がプリントされたブルーのビキニ、そして花柄のパレオ。

いい、実にいい。だからこそ俺は痛感してしまう。

 

 

「何考えているんだかね」

 

彼女の意図が未だにわからない。朝倉さんは何を考え、何を思っているのだろう。

有り体に言えば俺は朝倉涼子をまるで知らない。だってそうだろ、本や画面を通して見た彼女は驚くほど容易く出番を失ったのだから。

原作の長門さんみたいに人間であろうとしてくれるのか、それすらも俺にはわからない。

ひょんなことから彼女と俺は付き合うことになったわけだがいつまで続くのやら。

 

 

「やれやれ、長門はこんなとこでも読書をやめないのか……」

 

「楽しみ方は人それぞれでしょう。せっかくの機会ですから、どうせならリフレッシュしたいものです」

 

スイカ柄のビーチボールに息を吹き込み終え、ホワイトニングがかった歯を見せつけながらにこやかに語る古泉。

そしてキョンの言葉通りに長門さんはパラソルの陰で読書している、俺が貸した度の入ったレンズのサングラスをかけながら。

しかし長門さんはべつに視力が悪いわけではないんだよな。原作の流れ通りにいかなかったから未だに彼女は眼鏡っ子なままだけど。

 

 

「こらキョン! 早くこっちに来なさい! 古泉くんと明智君もよ!」

 

既に海に足を入れている涼宮さんが右手をぶんぶん振り回しながら大声でこちらに呼びかけた。

言うまでもなくこの海水浴場にはSOS団サマーツアー御一行様以外に人はいない。

よっていくらでも騒ぎ放題なわけだ。その元気があればだけど。

 

 

「長門も行くか?」

 

「……」

 

「だよな」

 

そんなキョンと長門さんのやりとりを尻目に俺は朝倉さんの横に並んで準備体操をすることにした。

決して近くで彼女のナイスバディを見ようと思ったからではない。いや、少しは思ったか。

 

 

「水泳なんて初めてだわ」

 

屈伸運動をしながら朝倉さんがそう言った。ひょっとすると彼女に中学生活はなかったのだろうか。

原作で長門さんが言ってたように三年前から彼女があのマンションに住んでいたのは間違いない。

そこでずっと涼宮さんを観察するだけの日々を送っていたんだろう。などと少しやりきれない思いを感じていると。

 

 

「だから明智君が私に教えてくれる? 泳ぎ方を」

 

「まさか。朝倉さんの方が上手いと思うけど」

 

長門さんのチートぶりをこれでもかというほどに原作で見せつけられた俺としては、たかが水泳如きで朝倉さんが悪戦苦闘するとは夢にも思えない。

加えると俺の泳ぎのスキルは凡人レベルであり、スイミングスクールに通っていた経歴もない。

強いて言えば昔、兄貴に訓練と称して着衣水泳をみっちりさせられた苦い過去があるぐらいだ。

すると朝倉さんは呆れた様子で。

 

 

「そりゃあ泳ぎ方は知ってるわよ。でも、何事も実践ありきって言うじゃない。だからしっかりリードしてちょうだい」

 

いささか釈然としないが、俺としても断る理由は特にないので大人しく引き受けることとする。

準備体操を終えた俺は朝倉さんを引き連れ海へと入った、はいいがどうすればいいのだろうか。

もちろん俺には水泳インストラクターの経験などない。

 

 

「じゃあ私の泳ぎを見てて。それで駄目なとこがあったら指導してほしいな」

 

と言われたはいいものの、俺の仕事などあろうはずもないことは彼女が泳ぎ始める前からわかりきっていたことだ。

浅瀬で立ちんぼな俺など最初からいなかったかのようにスイスイとクロールしていく朝倉さん。

ちなみに彼女は今、後ろ髪をまとめてポニーテールにしている。俺もポニテ萌えに目覚めるかもしれないな。

せっかく海に入っているのだから俺も泳ぐこととする。自由に遊泳するなど久方ぶりだ。

ただ今、海水浴日和とはまさにこのことだと言わんばかりのいい天気なのだが、これが明日には嵐が来ると思うと少々残念。

そんなことを考えながら暫く適当に泳いでいると、朝倉さんがやってきて。

 

 

「もう、ちゃんとこっちを見てなさいよ」

 

「だけどオレはトーシロだぜ。効率的な身体の動かし方なんてわかんないし」

 

「頼りないわねえ。そんなんじゃ私を守れっこないわよ?」

 

過去の己の発言に若干の後悔の念を覚えつつ、俺は陸戦仕様なのだと自分に言い聞かせた。

そもそもが泳がざるを得ない事態などはまず起こらないのだ。だが。

 

 

「オーケイ。ならあそこの岩場まで競争だ。泳ぎ方を教えてあげるよ」

 

腐っても男として生まれたからには意地がある。ナメられていい思いはしない。

かくして俺氏バーサス朝倉さんによるシングル一本水泳対決が始まることとなった。

目的地である岩場までは概算にして百メートル。なかなかの距離だ。

 

 

「でも勝者には何か特典があるのかしら。例えば負けた方は勝った方の言う事を聞く、とか」

 

そういうのは涼宮さんが好きそうなタイプの特典ではないか。俺はあまり興味がない。

ただシンプルに俺はこのお方を打ち負かしたいだけで、勝利してわからせる、それだけが満足感だ。

 

 

「朝倉さんはオレに何か命令したいのかい?」

 

「さあ。勝ってから考えることにするわ」

 

「やってみなよ」

 

「もちろん」

 

舌戦もそこそこに、並んで準備を始める。スタートの合図は単純なスリーカウント方式、誰に頼むでもなく俺たち二人で言うことに。

位置について、三、二、一、スタート。相手のことなど気にする余裕もなく、俺はすぐさまストリームラインを作って泳ぎ始めた。

ここがプールのように壁を蹴って開始する場所であればスピードを落としにくい潜水から入るのがセオリーなのだが、ここは海水浴場の真ん中。

従ってクロール対決になるのは明らかであった。恐らく朝倉さんも四泳法のうちクロールを選択したことだろう。

素人とはいえ今日初めて泳ぐような相手には負けたくない。負けたくないのだが。

 

 

「ふふっ、私の勝ちね」

 

ご覧の有様だ。圧敗。朝倉さんはニコニコ笑顔で海に浸かっている。

 

 

「なんでだよ……」

 

フォーム、キックともに申し分なく出来、それなりにスピードを出せたはずだ。

だのに終わってみれば十メートル以上は差をつけられていたではないか。

人間の仕業とは思えない。

 

 

「インチキだ! 何かしたに決まってる」

 

「往生際が悪いわ。男らしく負けを認めなさいよ」

 

相手が悪かったとはまさにこのことだ。

ナメていたのはこっちの方だった。

 

 

「それで? オレに何を要求するつもりなんだい」

 

浜辺に戻りつつ朝倉さんに訊ねる。

いささか釈然としないがしょうがない。

 

 

「うーん。本当は明智君に聞きたいことがあるんだけど」

 

目を細めてそう言う彼女。べつに答えられる範囲のことなら構わないし、命をよこせとか言われるよりはよっぽど平和的でありがたいのだが。

 

 

「気が向いたらにしておくわ」

 

いったいいつ朝倉さんの気が向くというのだろうか。

今何か言われるよりもかえって不安なのは明らかだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後々に降りかかりかねない何かに若干の恐怖を感じつつ引き続きビーチパラソルを日陰にゴザでくつろいでいると、ずんずかと涼宮さんがこちらにやってきて。

 

 

「ねえ、ビーチバレーしましょ」

 

ビーチバレーね、身体を動かすにはもってこいの遊びだろう。

となればチーム分けをしなければならない。どうしたものか。

 

 

「あたしは古泉くんと組むから、明智くんは涼子と組めば二対二よ。どう?」

 

どうもこうも、朝倉さんが了承するなら俺は構わんさ。

しかし古泉とペアになる辺り、ガチな気がしてならないぞ。

 

 

「キョンは『足手まといになりそうだからパス』ですって」

 

少々腹立たしそうに言う涼宮さん。キョンはきっとこんなとこに来てまで身体を動かすのは面倒だと思ったに違いない。

かくして俺は水泳対決の次はビーチバレー対決をすることとなったのである。

ラインは長門さんが木の棒で砂浜に引いてくれた。仮に消えたとしても左程問題はないだろう、遊びだし。

残念ながらネットはない。いや、『機関』のことだから用意してるのだろうが。

そしてボールはスイカ柄のビーチボールだ。ボールを片手でポンポンさせながら涼宮さんは。

 

 

「やるからには手加減無しで来なさい。真剣勝負よ」

 

本来ビーチボールバレーとビーチバレーは全くの別物だが、涼宮さんはお構いなしのようだ。

当然の如くサーブ権は向こうから。相手コートに立つ古泉が義理のように球速ゆるゆるなアンダーハンドのサービスをくれた。

 

 

「はいっ」

 

それをすぐさま朝倉さんがオーバーハンドで上げた。

一般にビーチバレーはアンダー推奨な規定となっているがこの場では問題ナシ。

ネットがない以上は高かろうが相手に返せればどうでもいいってことだね。

そして俺が落ちてくるボールに合わせて左手を叩きつけた。我ながら完璧なスパイクだった。

ボールは右側のエンドラインギリギリに勢いよく突き刺さらんと飛んでいく。

 

 

「せい!」

 

だが滑り込むように古泉が片手で上に上げた。野郎。

そのボールを涼宮さんが朝倉さんと同じ要領で上げ、すぐさま復帰した古泉がお返しと言わんばかりの一発を返してきた。

俺が放ったのと大差ないスパイクだが、返球はできなかった。ちくしょう。

 

 

「かじった程度ではありますが、中学時代はバレーボールをやっていました。といってもビーチボールは今回が初めてですが」

 

などとにこやかに言いやがる古泉。

どうやらこの中で一番弱いのは俺みたいだ。

 

 

「朝倉さん、援護を頼む」

 

「りょーかい」

 

それからビーチバレー対決は陽が傾きかけるまで続いた。

終わったころには浜辺のサイドラインはボロボロ、原型を留めていない。

得点のカウントをしていなかったが、タイで丸く納めることとなった。

やりきった表情の涼宮さんは。

 

 

「……うん、いい汗かいた。あたしをここまで追い詰めるなんて、流石ね。それじゃそろそろ引き上げましょ。美味しい晩御飯が待ってるわ」

 

と言ってキョンの妹と砂のお城を作って遊んでいる朝比奈さんのところへ駆けて行った。

二時間近くは動いていたというのにまだあんな体力があるのかと感心していると。

 

 

「いやあ、驚かされましたね」

 

どう見ても驚いているようには見えないスマイルで古泉が寄って来た。

彼の片手には空気を抜かれてしぼんだボールがある。

 

 

「同点で涼宮さんが切り上げてくれたこともそうですが、あなたと朝倉さんとの連携には脱帽いたしました」

 

「わざわざ点数カウントしてたのかよ」

 

「途中からは明らかに人間離れしたプレーが見られましたからね。僕が粘れたのはバレーにおいて一日の長があったおかげです」

 

こちらの実感はまったくないのだが。

朝倉さんと涼宮さんが凄かった記憶しかない。

キュアサニーも真っ青な殺人技の応酬であった。

古泉はこともなげに。

 

 

「彼女も満足してくれたことでしょう。この調子でお願いしますよ」

 

「アイ、アイ、サー」

 

「では僕は片づけがありますので」

 

手を振ってゴザとビーチパラソルの回収に向かう彼。

そういや明日からは寸劇が始まるわけだ。どうしたもんかね。

 

 

「どうもこうもない、か」

 

しかし人間離れといえばやはり朝倉さんとの水泳対決だ。

対戦するまでもなく実力差はハッキリしていたようだったのか。

例えるなら自由形の金メダリスト相手に競泳水着さえ着たことないコンピュータ研究部かなにかが挑戦するようなもの。

思えば思うほど自分がみじめすぎる。

 

 

「……」

 

などと苦しんでいるといつの間にか長門さんが目の前にぽつんと立っていた。

俺も早いとこ引き上げて着替えたいのだが、何か言いたげな様子だ。

 

 

「オレに何か用かな?」

 

「これ」

 

ああ、そういやサングラスを彼女には貸していたっけ。

すっと差し出されたそれを俺は受け取る。

長門さんはまばたき一つせずに。

 

 

「ありがとう」

 

「いいや、大したことじゃあないさ」

 

俺はそう言って、長門さんとすれ違うように先に行こうとした。

すると後ろから。

 

 

「……朝倉涼子はインチキのような行為をしていた」

 

「なんだって?」

 

思わず振り返る。

長門さんは淡々と。

 

 

「水の抵抗をコントロールしていた。とても単純」

 

言うまでもなく水中での運動は陸上のそれよりも抵抗が大きい。

これは水の粘性と密度が関係するのだが、詳しい話は割愛させていただく。

するとなんだ。最初から勝負が成立してないじゃないか。

 

 

「彼女の任務はあなたの観察。いいデータが取れたはず」

 

「なるほどね……」

 

まんまとしてやられたってわけだ。少なくとも水中では彼女に勝てない。

とはいえ、仮に俺が全身にオーラを顕在できたところで泳ぎには影響しないだろうが。

あるいは朝倉さんは秘めた俺の何かを考慮してはいるけど、俺が人間レベルなのは間違いないわけで。

 

 

「やれやれって感じだね」

 

さて、次に何か彼女と競う時は不正がないようにとしっかり念押ししなければならないな。

朝倉さんの水着姿が見られたってだけでチャラにしようと思うぐらいに俺は呑気だった。

 

 



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Mystic Knife

 

 大は小を兼ねるそうだが、俺はあまりその考えには賛同していない。

 というのも世の中ふたを開けてみれば「無駄」だの「冗長」だのと言われてしまう。

 結局のところは適材適所、どんなに素晴らしいものだとしても万能かどうかは怪しいといえる。大事なことは大きいか小さいかではなく丁度いいか、なのだ。

 さて、そんな話は関係するかどうか微妙だが、事の発端が何だったかと考えても答えが出ないので考えるだけ無駄だろう。

 時期的な話をすれば三年生の時の夏に、夏休み前の七月某土曜日にそれは起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早起きに定評のある俺が起床して朝の六時台にすることといえば身体を動かすか本を読むかパソコンをいじるかの三択。

 で、只今はパソコンをたちあげブックマークしているニュースサイトを巡回中。

 この世界と俺のいた世界とで情勢に差があるか、どうにもチェックしないと落ちつかないのだ。まあ特にこれといって気になることはないのだけども。

 そんないつも通りの朝を過ごしていると突然に机の上の携帯電話がヴーンとバイブレーションし始めた。

 電話の着信、相手は朝倉さんだ。こんな時間にいったいどうしたというのだろう。

 

 

「はい、もしもし――」

 

『……ぅ、ぅぅ……ひっく……うぇぇ』

 

 一瞬で寝ぼけが吹き飛んだ。

 電話越しに聞こえるのは女の人がすすり泣く声、らしい。

 

 

『うぇええええええん……ぅぅぅっ』

 

 それも朝倉さんの。

 はたして俺は彼女がこんなふうに取り乱して泣いている光景を目にしたことがあったか――いや、ない――のでいまいち携帯から聞こえる声の深刻さが伝わらないのだがともかくこちらが冷静に対応するしかなかろう。

 会話文の基本、ワッツアップだ。

 

 

「どうしたんだい?」

 

『あけちくん、わっわたし、わたし……ひっく……うぇぇぇええええん』

 

 会話にならない、電話までかけるほどだから何かを伝えたいらしいがさっぱりだ。

 いったいなんだってんだと困り果てていると少し間を置いてから電話の相手が代わった。

 

 

『……もしもし』

 

 携帯越しにも無機質さが伝わるトーン、長門さんだ。バックには朝倉さんの泣き声がまだ聞こえている。

 

 

『こちらに来て欲しい』

 

「は、はぁ」

 

『早急に』

 

 などと言われたものだから通話が終わるなり慌てて"異次元マンション"に飛び込んでいく。

 そうしていつものように朝倉さんのいる505号室に到着すると、居間へ出た俺は数秒後あまりの出来事に思考停止するはめになってしまうのだ。

 

 

「ぅぅぅ……」

 

「……」

 

 居間の窓際に立つ無言の長門さん、今日が休日でも制服姿だというのはもはや突っ込みどころでもなんでもない。

 しかし泣き声はするものの肝心の朝倉さんの姿が見受けられないなと思っていると。

 

 

「ひっく……あけちくぅん、ここよぉ」

 

 声の方を注意深く観察する。そこに確かに"彼女"はいた。

 俺は恐る恐るテーブルまで近づいて行き。

 

 

「えっ、あ、朝倉さん……朝倉さん……?」

 

「そうよ……わたしがあちゃくらよぉ……」

 

 なんてこったいフロイト先生、これならあなたも笑えないだろうさ。

 当の朝倉さんに何が起こっていたのか。

 あろうことか彼女はテディベアのぬいぐるみぐらいの大きさになってテーブルの上に体育座りしていた。

 そうだ、俺の視界がバグってなければ今の朝倉さんは文字通り"小さくなっていた"ってことだ。まるでガリバートンネルをくぐってきたかのように。

 どう見てもただごとではない、昨日はちゃんと1/1スケールで学校に行ってたはずだぞ、もちろん団活だっていつも通りにやったし。

 考えがまとまらぬこちらに対し長門さんは淡々と、

 

 

「わたしの手に余る事態。だからあなたを呼んだ」

 

 その視線はどこか困惑の色が混じっているようにも見受けられた。

 なるほどこれは長門さんでも対応に困るというもの、だが俺とてどうにもできない。まさか朝早くに呼び出された原因がメルモちゃんよろしく小人化した俺の彼女だとは。

 だいたいこういうのはハンタではなくジョジョの領分だろうに。

 とりあえずは本人に話を聞いてみることにしよう。

 

 

「朝倉さん、なんでそんなにちいさくなったか心当たりはあるかい?」

 

「あるわけないわぁ……」

 

 それもそうだわな。原因がわかってれば取り乱してもいないだろうし。

 続けて長門さんの方を窺ってみるもゆっくりと首を横に振られた。ジーザス。

 ううむ、これが宇宙人式ドッキリなら間違いなく大成功だ、だからネタバラシするのは今のうちにしてくれよ。

 というか朝倉さんが普段着ている寝巻きまでいっしょに小さくなっているぞ、どうなってるんだ。

 犯人は不明、と前置きしてから長門さんは。

 

 

「朝倉涼子の身体構成情報になんらかの障害が発生したと思われる」

 

「エラーやバグの類じゃあないのか?」

 

「わからない、外的要因による可能性も否定できない。すなわち攻撃」

 

 攻撃だと。

 

 

「……そんな」

 

 たまらず俺の脳裏にフラッシュバックするとある一枚画、今となっては思い出したくもない映像。

 

 

『いつかまた、私みたいな急進派が来るかもしれないわ、それまで涼宮さんとお幸せに。じゃあね――』

 

 清々しささえ感じさせるほどに爽やかな笑顔の朝倉さん。

 だが敗北者である彼女の身体は下半身からじわじわと砂のような粒子と化し風に溶けていく。

 アニメで見た時はそこまで嫌じゃなかったけど、あの創作物が現実のものになっていいわけがない。

 

 

「あ、朝倉さんは大丈夫なのか……!」

 

 慌てて思わず長門さんに詰め寄ってしまうも彼女はいつものように落ち着き払った様子で。

 

 

「この現象は朝倉涼子の身体情報が書き換わっただけ。他に実害はない」

 

「じ、じゃあ」

 

「特に問題はない」

 

 えっ。だそうですよ朝倉さん。

 再び彼女の方を窺ってみるも。

 

 

「し、知ってるわよぉ……それくらい……」

 

 だったらどうして泣いているのやら。

 

 

「だって、だってぇ」

 

「ん?」

 

 朝倉さんはすぅぅっと息を大きく吸い込んでから吐き出すように、

 

 

「こんな姿じゃわたしお嫁に行けないわ!」

 

なんともまあ、聞いたこっちが泣きたくなるような理由を明かしてくれた。俺はただ朝倉さんがいてくれさえすればいいというのに。

 とりあえずぐずっている朝倉さんの頭を撫でて落ち着かせよう。うん、小さくなっても綺麗でサラサラないい髪だ。

 で、長門さんの分析するところによると、

 

 

「あまりにも稚拙な犯行、合理的な攻撃手法とは考えにくい」

 

しかも朝倉さん相手に。攻撃だとすれば十中八九不意打ちだろう、だのに危害は加えないとはこれ如何に。

 と、いうか。

 

 

「長門さんの情報操作でどうにかできないのかな?」

 

 元々朝倉さんはバックアップ、長門さんとは姉妹関係的なものだと思うのだけど。

 

 

「技術的に困難。朝倉涼子のパーソナルデータを直接参照する権限はわたしに与えられていない、そして現在は本人でさえフィールドの操作権が剥奪、すなわちロックされている。それもとても強固に」

 

 ふむふむ。だから困っている、と。

 原作のように長門さんが朝倉さんを崩壊因子でもって攻撃するにあたって情報統合思念体に許可をとっていた、つまり勝手な真似はできないと。

 バックアップとはいえ自由に朝倉さんをどうこうできたら長門さんも余計な手傷を負わなかっただろうしね。まあ当然といえば当然か。

 現状では朝倉さんの縮小化の他に影響はないらしい。とはいえこのまま放っておくと最終的に何があるかもわからないので早く解決したいところだ。

 てっきり騒動として何かあるとすれば涼宮さん絡みだと思っていただけにこういうのは本当に思いがけないな。

 誰の攻撃にせよ涼宮さんに頼めば改変で一発だろうが、

 

 

「どうしたものかな」

 

あいにくとそうもいかないのが辛いところだ。

 いくらこちらの事情を知ってもらっているとはいえ涼宮さんの能力が世界にとって劇物であることには変わりない。

 なんでも彼女は"触れ得ざる者"として各組織間で協定を結んで刺激しないようにしてるのだとか。要するに涼宮さんに頼るのは最終手段だ。

 じゃあ俺の力でどうにかできないかといえばこれまた微妙なラインで、これは確信に近いものをもって言えるが朝倉さんが受けた攻撃だけを"切って"排除するなんて器用な芸当はできそうにない、残念だが。

 とはいえ早急に解決したいところだ。このままだと朝倉さんは学校に行くことさえままならないのだから。

 でもなんというか非常事態に不謹慎だけどちっこいサイズの朝倉さんも、

 

 

「うぅぅぅ……」

 

か、かわいい。とても。

 俺の普段あるか怪しい保護欲をこれでもかと刺激されてしまう。

 こういうぬいぐるみがあったら絶対に欲しい、抱いて寝る、ぜひとも『機関』あたりで製品化してくれないだろうか。

 プチ朝倉さんの頭を撫で続けとりあえず落ち着かせることに成功した俺は一旦帰宅し、時間を改めて分譲マンションへ来ることにした。

 というのも俺の両親は異次元マンションが俺の部屋と朝倉さんの部屋で直通していることを知らない――親父や母さんにこのことを言ったら何をどういじられるか、考えただけで気がめいる――ので、外靴も履かずに何時間もいなくなったままなのはマズいからだ。

 家に戻った俺は朝食もとらずに母さんへ出かけてくる旨を伝えるとすぐさま再び分譲マンションへと向かった。

 今度はきっちりエントランスから訪問、テンキーを操作しオートロックを解除、エントランスからエレベータに乗り込み5Fをプッシュ、五階に到着するなり505号室へ駆けドアホンを押した。

 ――ガチャリ。

 

 

「……」

 

 言うまでもなくドアを開けてくれたのは長門さんだ、あのサイズの朝倉さんでは行動さえままならないのは想像に難くない。

 玄関から居間へと上がり込むとソファのクッションの上でふくれっ面をしている朝倉さんが目に入った。

 泣き止んだプチ朝倉さんは怒り心頭といった様子でぴょんとソファに立って、

 

 

「間違いなくあのデコ助ワカメが一枚噛んでるはずよ」

 

 なるほど、確かに喜緑さんならこんな悪戯もやりかねない。

 彼女が騒動の原因となっている前例が何度かあるだけに疑われるのは当然の帰結だね。

 しかしながらそうと100%決まったわけでもなかろう。

 

 

「現在ルート権限を持っているのは喜緑江美里。解決には彼女の協力を得るのが効率的」

 

 と長門さんが補足。

 まあどうにも今回は宇宙人絡みっぽいし朝倉さんの異常を伝えるという意味でも喜緑さんに話を通す必要はありそうだ。

 で、あの人はどこにいるんだろう。休日に某駅前喫茶店でウェイトレスのバイトをしているのは変わらずだが俺は喜緑さんの連絡先を知らない。

 俺はプチ朝倉さんを窺うが反応はかんばしいものではない。

 

 

「私もよ、基本的にこっちから喜緑江美里に連絡することなんてないもの。それに今はインタフェース間の連絡網なんて破綻しちゃってるわ」

 

 そうなのか?

 

 

「あなたのおかげでね」 

 

 きっと俺が情報統合思念体というシステムをめちゃくちゃにしてしまった去年の一件について言ってるのだろうが皮肉ではなく褒め言葉として受け取っておくとしよう。「馬鹿」って罵られるよりは気持ちがいい。

 そして長門さんも朝倉さん同様に特に喜緑さんに連絡を取る手段は持っていないそうな。

 曲がりなりにも喜緑さんは花も恥じらう女子高校生なのだから携帯電話ぐらいはあるはずだが電話番号もアドレスもこちらに知れ渡っていないのだから文明の利器泣かせもいいとこだろう。

 

 

「本当は私が自分でどうにかしなきゃいけないのだけどこの姿じゃ満足に動けそうにないわ」

 

 俺は目の前の朝倉さん(ミニ)がバトルを繰り広げる光景を想像する。

 エイヤッと掛け声をあげて朝倉さんが標的の身体によじ登ろうと脚に飛びつき必死で噛みつき攻撃を試みる、といったところか。なんとも微笑ましい光景だけど勝ち目があるわけない。 

 

 

「だから長門さん、わたしの代わりにあの女を捕まえてきてくれないかしら。どうせ今日も喫茶店よ」

 

 捕まえるって、それからどうするつもりなのだろう。

 

 

「ふふ……拷問に決まってるじゃない」

 

 楽しそうに言ってからボフッボフッと横のクッションにパンチを浴びせる朝倉さん、心なしかいつも以上に活き活きしていないかい。

 で、もし万が一のことがあれば長門さん一人では危ないかもしれない。

 

 

「オレも行くよ」

 

「いい」

 

 もしかしなくても足手まとい認定されちゃってますかね? 俺氏って。

 

 

「自分の身は自分で守れるさ」

 

「そうじゃない」

 

 長門さんは朝倉さんを一瞥して、

 

 

「あなたは彼女を頼む」

 

静かに、そして確かに俺に依頼する。

 とはいえ朝倉さんのみならず長門さんも心配なのには変わりない。これで長門さんがプチ化してしまったら――それはそれで見たい気もするが――まさしくミイラ取りがミイラになるってものではなかろうか。

 

 

「シグネチャの解析およびそれに対する脆弱性の排除は完了。私に朝倉涼子と同じ攻撃方法は通用しない」

 

 だが何があるかわからないことには変わりない。  

 

 

「とにかく危険な真似はよしてくれ」

 

「すぐに戻る」

 

 そう言い残すと長門さんは足早に部屋を後にした。

 よしんば喜緑さんが原因でないにしても地球に滞在している宇宙人の中で一番立場が上なのは彼女だ。その情報網でもって何かしらの手がかりは得られるに違いない。

 やがて怒りがおさまったのかプチ朝倉さんは浮かない顔をして。

 

 

「ということで明智君、申し訳ないけど……」

 

「べつにいいって普段迷惑かけているのはオレだし」

 

 言ってて情けなくも思えるが如何せん事実なのでしょうがない。

 かわいいプチ朝倉さんを写メりたい衝動を抑えながら俺はとりあえずキッチンを借りて朝ごはんを作ることにした。

 そういやクマのぬいぐるみが喋る映画があったっけ、とか何とか思っているうちにささっと完成。

 ミルク、トーストした食パン、ベーコンスクランブルエッグ、サラダ。

 当たり前だが俺の家事スキルなど朝倉さんには到底及ばない――むしろ女子でも勝てる人の方が少なかろう――のである。よって以上だ。

 

 

「まったく困ったものだわ」

 

 クッションの上でもちゃもちゃとパンにかじりつくプチ朝倉さん。

 なんでか知らないけど昔飼ってたハムスターを思い出してしまう、今の彼女が小動物みたいだからだろうか。

 そんなスケールダウンした朝倉さんはいつぞや見た青髪の幼女の面影と重なって見える。幻想だけど。

 まあ今更言うまでもないが俺は朝倉さんが好きだ。ああ、大好きだとも。じゃなきゃ俺のやってきたことはなんだっていうんだ。

 しかしこんな俺にも『彼女が生きてるだけで俺は満足だ』とか痩せた考えをしていた頃があったのだから内心忸怩たる思いでいっぱいいっぱいだ。結局のところ俺は徹頭徹尾独善者なのだから、自分の好きなようにやるのが自分らしさなんだよ。

 これが純然たる愛という感情かどうかというのは未だに疑問符が残るけど、それでも紆余曲折の末にこうして落ち着けたのだから彼女が困った時は俺がどうにかしなければならないだろうさ。

 とはいえ、こと日常生活においてやらなければならないことに迫られているわけでもない俺たちは基本的に時間を持て余しがちでなわけで、

 

 

「暇ね」

 

「うん」

 

朝食を終え食器を片付けると朝倉さんをひざの上に乗せ、ソファーに座りぼーっとしながら長門さんの帰りを待つこと数十分。何もすることがない。

 外に出ようにもこの状態の彼女が他人に見られたらどうなるよ、一大事だ、カラムー町だって大騒ぎ。

 単に俺が人形愛好家と判断されるだけならまだしも朝倉さんが不思議生物認定される可能性の方が高かろうて。

 

 

「明智君。何か面白いものでも見せてちょうだい」

 

 一昔前はこんなことを毎日のように言われていた気がする。もっとも今は朝倉さんもふざけて言ったようで、現にこんなことを最後に耳にしたのはかれこれ一年以上は前のはずだ。

 最近はもっぱら外出で暇を潰していたな、避暑兼受験勉強という体裁で図書館に行くなどしているが傍からはいちゃついているように見えるかもしれない。

 俺としても多少の人目は気にしたいところだが最早今更感が強い、これまで散々学校でべたべたしてきたという歴史があるだけに。

 閑話休題。

 とにかく二人で暇な時間をすごしていると不意に朝倉さんが。

 

 

「そうよ、あなたも私と同じ大きさになればちょうどいいじゃない!」

 

 ちょっと待ってくれ、どうしたらそんな発想になるんだい。 

 

  

「だってこのサイズの差は流石にきついもの、色々と」

 

 同感だけど俺としてはやはり元通りになってくれるのが一番だと思う。

 そうね、と頷いてから朝倉さんは。 

 

 

「本当は今すぐにでも元の姿に戻れるかもしれない方法があるわ」

 

「……なんだって?」

 

 このタイミングでそんな重要なことを話すとはどういうつもりなんだろうか。

 で、その方法とは何ぞや。

 

 

「簡単よ。私が自分の情報結合を解除してから長門さんに再構成してもらうの」

 

「つまり……」

 

「一回私はこの世からきれいさっぱり消えることになるわね」

 

 俺は後悔に近い感情を覚えた。

 もっといえばそれは自殺ではないか、聞かなかった方がよかったかもしれない。

 我ながら馬鹿馬鹿しい質問だと思うが俺はなるべく落ち着いた調子で、

 

 

「それで朝倉さんは無事でいられるのか?」

 

「さあ? 試したことなんてないもの」

 

 そんなことを聞いて安心できるほど俺はメンタルが強くない。

 いつだったか読んだ原作の中で古泉がこんなことを言っていた。

 

 

『現在の僕たちはオリジナルではなく異世界にコピーされた存在かもしれません』

 

 意識はそのままに自分は別の存在に変わっていたとしたら。

 あるいはその逆、外見はそのままに中身が別人と化したらどうだろうか。

 俺には想像もつかない話だがどちらも元の存在と同一とは言えない気がする。

 

 

「ええ、そうね。私もそう思うわ」

 

 自分で作ったデータもそれをコピーしたデータも大した差はないのかもしれない、事実として中身の情報には違いはないわけだ。

 だが真に大切なことはそんなことではない。

 

 

「でも私は長門さんにお願いしたわ、こんなのは嫌だから元に戻してって。でも長門さんったら『嫌だ』って言ったのよ」

 

 俺は長門さんが何故拒否したのか、なんとなくだがわかる。

 つまり彼女は朝倉さんの"心"を消したくなかったのだ。否、消してしまうかもしれないという可能性があるぐらいならやらない方がマシだと長門さんは考えた。

 魂が宿る、なんて考えは古臭い上に胡散臭いが、まあ心ならまだ説得力があるだろ? どこぞの不幸体質主人公も一巻のラストで口にしてたし、大事なのはどう在るかであってそこから先はおまけみたいなもんさ。

 

 

「それに再構築してもらっても変わらないかもしれないし」

 

 だね。下手なリスクは負うもんじゃないさ。

 

 

「ねえ明智君。あなたがいた世界のお話に登場する私と長門さんは敵同士だったんでしょ?」

 

「うん」

 

「もし私がキョンくんを襲っていたら……長門さんは私を殺してでも止めていたってわけね」

 

「そうなるね」

 

「今はどうなのかしら」

 

「朝倉さんはそんなことをするつもりなのか?」

 

 結論の出ている問答ほど無意味なものもない。

 だけど楽しいんだ。

 

 

「さあ。でもその時は長門さんより先にあなたが止めてほしいな」

 

「善処するよ」

 

 確約しないのは俺に自信がないからではない、今の長門さんなら武力でねじ伏せる以外の方法でどうにかして朝倉さんを止めてみせるはずだからだ。

 ともすればSOS団なんてものは友情ごっこなのかもしれない、だが俺はそんなものとっくの昔のことだと信じている。

 何より俺が出る幕なんてもんはあっちゃいけないのさ。異世界人が出る幕などという外道なものは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、その後のことを少しばかり語ろう。

 朝倉さんといっしょに部屋の掃除をしているとお昼前には長門さんは帰って来た、ウェイトレス姿の喜緑さんを引き連れてだ。

 喜緑さんは俺に抱っこされながら窓ふきをしていたプチ朝倉さんを見て特に驚いた様子もなく一言。

 

 

「おじゃまします」

 

 どう見てもアルバイト中だった恰好だけど単にここに来るだけならもうちょっと早く来られたのではなかろうか。

 

 

「シフト的に最低でも11時まではわたしが入ってなきゃ駄目だったんです」

 

 遅れてすみません、と頭を下げて丁寧に謝罪する喜緑さん。

 されてるこちらが申し訳なく思えるほど一見すれば彼女は単なる人畜無害な麗しき女子高生。

 もっともそんな風に今も考えているのはキョンぐらいだろう、そしてもちろん朝倉さんにとってこんな謝罪はネズミのくそほどの意味もなく、

 

 

「こっちは一大事なのよ。あなた仮にもインターフェースアドミニストレータなんだからこちらの応答には素早く対応してほしいんだけど」

 

小さな体躯もなんのその、マジに噛みつかんとする勢いで喜緑さんの前に躍り出た。

 対する喜緑さんはいつも通りのひょうひょうとした様子だ。

 

 

「朝倉さんの言い分はごもっともです、ですが権利ばかり主張するのは感心しませんね」

 

「……ふん、長門さんから話は聞いてるのよね? さっさと私を元の状態に戻して頂戴。あなたなら出来るはずよ」

 

 了承しました、と一言添えてから一拍。喜緑さんはうにゃうにゃと口元を高速で動かし宇宙言語を詠唱。

 すると昼間でも眼を覆いたくなるような強烈な閃光が迸り、光が収まると朝倉さんはいつも通りの朝倉涼子になられていた。 

 少女変身モノのネタとして元の姿に戻れば全裸、ということが往々にしてあるのは今更言うまでもないことだがそこは宇宙人クオリティ、ぬかりない、しっかり朝倉さんは私服姿だ。

 まったく、はぁ、とため息をつくよりも早く――瞬間。否、刹那――フルスケール朝倉さんが俺に飛びついてきた。

 

 

「一日ぶりの私はどうかしら?」

 

 やっぱりデフォルトが一番って感じかな、どんな格好でも素材がいいから悪くはないんだけどね。

 

 

「ふふっ、よくわかってるじゃない」

 

 まあね。なんだかんだ年単位の付き合いだし。

 

 

「長門さん、あの二人って部室でもあんな感じなんですか?」

 

「……」

 

 喜緑さんの質問は全員にスルーされた、答える必要がないからだ。

 そんなことより朝倉さんがちいさくなってしまった原因の方が大事ではなかろうか。

 俺がその旨を述べると喜緑さんはあっけらかんとした様子で、 

 

 

「わかりません」

 

と一言。

 喜緑さんでもわからない、どういうことなのか。

 

 

「何者かによる攻撃なのかもしれませんしはたまた未知のマルファンクションかもしれません。いずれにせよ要調査というわけですね」

 

 だったら早いとこ原因を特定していただきたい。事あるごとに朝倉さんがプチ化してしまっては日常生活さえままならないだろうし、もし学校でそんなことになったらマズいぞ。

 まあかくなる上は涼宮さんに頼るさ。嫌々だけどね。

 その時はご一報ください、こちらでも何かわかれば連絡しますので、と言い残し喜緑さんは部屋を後に。で、この日について他に語ることはもうない。ようやくいつもの休日が戻ってきたのだ。

 そしてこの朝倉さんプチ化現象からひと月近くが経過。

 夏休み真っ只中の今日に至るわけであるが、

 

 

「……ふぁああ」

 

俺はというと夏休みらしく怠惰な時間を自室で過ごしている。

 何故か、理由は俺が現在抱きかかえている物体に起因するのだ。

 プチ朝倉さんをモチーフにしたデフォルメぬいぐるみ、名付けて"あちゃくらさん"。いつまでもモフモフしていたくなりそうな愛くるしいこの人形は完全オーダーメイド、『機関』が手掛けた世界に一つしかない逸品。

 最近では寝るときはもっぱらあちゃくらさんと一緒さ。

 おかげさまで二度寝はしない主義かつ早起きな俺でも布団滞在時間が日に日に増しているのだからその効果は筆舌に尽くしがたい。今ではすっかりベッドの中では手放せないね。

 そしてあちゃくらさんの存在は俺と発注を依頼した古泉、そして制作したごく少数の方々にしか知られていない。というのも使用し終わったらその都度"ロッカールーム"にしまっているからだ。 

 高校生にもなってぬいぐるなんて女々しい野郎としか思われないだろうしね。

 むふふふふ、それにしてもあちゃくらさんはかわいいなあ。癒される。心のオアシスだ。

 さて、まだ八時前だけど早めの昼寝でもしようか。

 カーテンをしゃっと閉め切りベッドの中へイン、おやすみなさい。

 

 

「ふーん……そういうことだったのね」

 

 へ?

 どこからともなく声が聞こえたと思えば、次の瞬間にはぬっと伸びた手が俺がもっていたあちゃくらさん人形を奪い取る。

 

 

「最近やけにうちに来るのが遅いと思ってたけど、まさか明智君が惰眠を貪ってるなんて」

 

 その犯人が誰かってのは言うまでもない本物の朝倉さんだ。

 気が付けば俺の寝るベッドの横に立っていた、いつの間に。

 

 

「不可視遮音フィールドを展開していたのよ。あなたのお母様は息子がダメ人間になりつつあるって心配してたから、私が様子を見に来たってわけ」

 

 さ、左様でございますか。

 正直まだ驚きを隠せないこちらに対し朝倉さんはずいっとしかめっ面を近づけ。

 

 

「そんなことより明智君?」

 

「は、はい」

 

「何か私に言うことがあるんじゃないの?」

 

 なんだろう、昨日お昼に食べた朝倉さん手作りオムライスの感想が足りなかったのかな。

 

 

 ――ペシッ

 

 そんな俺の申し開きに対する返答はデコピンだった、痛い。

 

 

「はぁ、まったく」

 

 ため息をつく朝倉さんを恐る恐る見るとまったく目が笑っていなかった。

 ハイライトが消えていないだけマシな気もするが、どうなんだかな。

 

 

「こんなまがい物のぬいぐるみに私が負けるなんて……悲しくなっちゃうわ」

 

 うっ、まずい。

 この顔の朝倉さんは本当に悲しんでいる時の顔だ。怒っている時はむしろ笑顔だからな、なんて分析している場合ではない、流石に目が覚めたぜ。これは心を改めねばならない。

 俺はベッドから出てきちんと朝倉さんに向き直り一言、

 

 

「ごめん、オレが悪かった」

 

頭を下げて謝罪だ。これがダメなら他に手段がない、投了まである。

 そして静寂。

 暫く無言の刻が続く。 

 この間俺はずっと頭を下げっぱなしだったのは言うまでもない。

 そんな苦しい時にも終わりは訪れるわけで、

 

 

「うん、わかればいいのよ」

 

顔を上げると朝倉さんはにこやかにほほ笑んでいる。

 いやいや、ほんと頭が上がらないって感じだ。

 

 

「ははは、すぐに着替えるよ」

 

 俺は起きてからずっと寝間着姿のままだ。

 朝倉さんも俺の意図を汲んできびすを返し部屋から出ていこうとする、

 

 

「待ってくれ」

 

が、彼女の手にはあちゃくらさんが掴まれたままだ。

 朝倉さんはこちらに振り返り、 

 

 

「なにかしら?」

 

「……それ、返してほしいんだけど」

 

 ここで俺が余計なことを言わなければ結果は変わっていたかもしれない、結果論だが。

 すっと朝倉さんはありゃくらさんの胴体を掴んで持つ右手をこちらに突きつけ、

 

 

「だーめ」

 

ぎゅっと握りしめられたあちゃくらさんは光の速さで全身が粒子化し、この世から完全に消え去ってしまったではないか。

 そ、そんな、う、あ。

 思わず床に崩れ落ちた俺の頭を右手で撫でながら朝倉さんは、

 

 

「だって、あなたには必要ないでしょ。ね?」

 

目が眩みそうなとてもいい笑顔を見せてくれた。

 

 



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ありえなかったかもしれないもう一つの世界
第三十一話・偽


 

 

 十二月十八日。

 俺は普段通りに学校へ行って普段通りに一日を終える。

 と、真底心から思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最期に原作を読んだのがいつだったかなんてのは俺自身が知る由もないことなのだが、それでもここまで腑抜けきっていた俺はとある奴に言わせれば『危機感が足りない』ってヤツなのかもしれない。いや、その通りだった。

 朝、いつものように布団から這い出て缶コーヒー片手に軽いネットサーフィン、それを切り上げて朝食を済ませば制服に着替えて登校開始だ。

 季節柄しょうがないことなのだが朝は特に冷え込んでいる、ともすれば「だるい、休みたい」などと弱音を吐くキョンの気持ちもわからなくもない。

 

 

「……誰が弱音を吐いてるって?」

 

 お前だよ。

 

 

「俺はそんなこと言った覚えなんかないんだがな」

 

 通学路も馴染みの坂道に差し掛かったあたりでキョンに遭遇、この会話はえっちらおっちら歩きながらのものだ。

 お互いコートを着込んではいるものの着ないよりマシだという程度の効果しか得られないのは北高の制服が防寒性に長けてないからではなかろうか。

 だからこそ寒い冬を乗り切るにはアツアツ鍋だ、数日後の鍋パーティはそこそこ楽しみだったりする。まあ闇鍋ゆえに何があるかはわからない、靴下を食わされるのなんかまっぴらごめんだ、それが万が一にでも古泉のだったりしたら俺はあいつとの接し方を考えなければならないだろう。キョンなら無難な食材をチョイスするだろうしそんな心配はないってわけさ。

 念押しの意味も込めてキョンにその旨を確認しようと思った俺だったが、

 

 

「いよっ、皆の衆」

 

 後ろからやってきた谷口に会話を遮られてしまう。間が悪い。

 ハハハと朝からご機嫌なのには理由がある、言わずもがな谷口にはイブの予定ができたからだ。最近どうにも天狗状態ではなかろうか。ノリが良すぎて引いてしまう。

 そんな調子じゃうまくいくものもうまくいかないぞと彼に言ってあげるとこれまた調子に乗った様子で、 

 

 

「心配してくれてんのか? まぁ俺に限っちゃ問題ねえ」

 

ご覧の有様。

 

 

「お前のその根拠はどこから来る」

 

 と谷口に対しもっともなことを言うキョン。

 

 

「場数が違うのさ場数が」

 

 数だけは多いの間違いだと思うけどね。

 こんな谷口のガールフレンドは確か周防九曜だ。【分裂】でそう言われてた気がする。

 そいつが何者かはハッキリしていないが朝倉さんや長門さんたちとは別種類の宇宙人で、こちらに友好的な存在とは言い難いらしい。

 正直なところそんな輩とは関わりたくないしなるべくなら雪山症候群なんて事態は避けたい。だが原作のことを考えればそうも言ってられないのだろう、辛いところだ。

 

 

「んなことよりよ、明智。俺はお前の方が心配だぜ」

 

 俺が今後の成り行きを憂いでいると谷口がこんなことを言い出した。なんでだよ。

 谷口はキョンと顔を合わせてから頷き、芝居がかったようにため息を吐いて、

 

 

「まだわかんねえのか……けっ、朝倉のことに決まってんだろ」

 

「ん、あぁ」

 

流石に察した。

 俺としては他人に触れてほしくない話なんだけど。

 

 

「明智のどこに朝倉が惚れ込んでんのかは知らんが物事には限度ってもんがある」

 

「お前が言うのか?」

 

 国木田みたいな突っ込みを入れるキョン。

 それに対しうるせえ、と一言おいてから谷口は言葉を続け、

 

 

「年に一度のこのチャンスを活かさなきゃだぜ。朝倉のファンは多いんだからよ、まあぼやぼやしてっと後からきたヤツに追い抜かれちまうな」

 

耳が痛くなるような話をしてくれる。 

 俺とてその主張はわからなくもないし、きっと間違っていないのだろう。

 しかしながらそれはごく普通のカップルでしか成立しないような前提だ。朝倉さんが宇宙人だとかそれ以前の問題として俺たちは"付き合っている"とは言えないわけで、いわゆる仮面カップルなのである。

 キョンもそのことは承知なはずなのだが最近ではめっきり俺を煽る側についている。理不尽だ。

 

 

「……善処するよ」 

 

 最近ではこちらの方が口癖になりつつあるな、と思いつつ吐き出す。

 キョンと谷口に並んでゆっくりと坂道を登っていく俺だったが、この時点で気づけなかったのは何故なんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教室に到着した段階で異変に気づくべきだった。

 のろのろといつもの席に座るキョンの後ろにまだ涼宮さんがいない、俺たちはチャイム間際に到着したというのに。

 彼女とて人間だ、こういう時もあるさと思いつつ俺は俺で自席につこうとする。

 

 

「おはよ、明智君」

 

 これまた定位置と化した俺の真後ろに座る朝倉さんがあいさつをくれた。

 普段通りのやりとりだが心なしか朝倉さんの笑顔がいっそう眩しく見える、谷口にあんなことを言われたせいか。  

 俺は鞄を机のフックにかけながら、

 

 

「おはよう、朝倉さん」

 

「ちょっと来るのが遅いんじゃないかしら?」

 

さっそくザ・委員長なお言葉を頂戴した。

 一応、彼女なりに俺のことを気にかけてくれているのかね。あるいはプログラミングされた行動の一つなのか、俺には知る由もないんだけども。

 

 

「一緒に入ってくるのが見えたからわかると思うけど、あいつらに付き合ってたから遅れたのさ」

 

「そう? ならいいとは言わないけど道草もほどほどになさい」

 

 善処するよ、と喉まで出かかったが堪える。

 

 

「わかった、気を付けるよ」

 

 それから数分とせずにチャイムが鳴り、ホームルーム、からの一時限目となった。

 二、三時限と経過しても涼宮さんは未だ教室に来ていない。

 でもってお昼休み。

 今日は水曜日なので男子四人で飯を囲む日だ。

 

 

「ほんと、ここのところ冷え込むよね」

 

 弁当箱の中にある鯖の切り身を箸でほぐしながら語るのは国木田。

 

 

「他のクラスじゃ風邪で休んでる生徒も多いって聞くし」

 

「なんでうちは平気なんだ? 学級閉鎖の"が"の字もねえ」

 

 どか弁を口にかきこみながら訊ねる谷口。

 

 

「さあ。でも学級閉鎖になっちゃったら冬休みが削られるかもしれないでしょ、それはやだな」

 

 実に同感だね。

 ところで病欠の話題にもかかわらず涼宮さんが話題に出ないのは不思議だな。

 子供は風の子を地で征く彼女が休むことなどまずないというのに。

 だがキョンが気にしていないのだから俺が気にしてもしょうがないというものだ、と切り捨てた。 

 この判断が正しいかどうかはさておき、現実問題として世界はとっくに変わっているということに俺は気づいていない。まだ。

 そんな平和ボケ中の俺をよそに話題は懲りずにクリスマスのこととなる。

 

 

「まったく明智や谷口は気楽でいいよな」

 

 自動販売機で買った紙パックの牛乳片手にキョンが口を開く。

 

 

「流石に十五年も生きれば悟るぜ、俺みたいな奴にとってクリスマスは企業のキャンペーンでしかない」

 

 サンタクロースを信じているであろう純粋無垢な妹さんが可哀想に思える情けない腐れ兄貴だ。

 谷口はともかく俺も特別何か予定しているわけではないんだけどな。

 いつも以上に淀んだ視線をキョンから向けられている気がする俺は助け舟を求めるかのように国木田に振る。

 

 

「オレのことはいいから……そうそう、国木田はどうなんだ?」

 

「僕かい? 残念だけど僕も相手はいないよ。紹介してほしいぐらいだね」

 

 申し訳ないことに俺の知る範疇の女性に普通の人間と呼べるお方は皆無なんだなこれが。鶴屋さんは宇宙人でも未来人でも超能力者でもないれっきとしたこの世界の人間だろうが、身分からして普通と言えないのが正直な感想だ。

 まあ国木田よ安心してくれ、俺もそのうち朝倉さんに「ごっこ遊びはおしまいにしましょう」と告げられてもおかしくない立場なのさ。

 そりゃあ俺だって曲がりなりにも健全な男子高校生ゆえ、朝倉さんが魅力的な存在だとは常々感じている。

 しかし、だ、文字通りに"住む世界が違う"んだから会えただけでも感動モノだというのも事実で、付け加えると俺が彼女を助けたのも客観的に見て押しつけがましい偽善に起因するものだ。

 やらない善よりやる偽善とは言うが俺の行動はこの世界にとって有益なものだったのだろうか。

 少なくとも原作のようにキョンが朝倉さんに対して嫌悪感を抱いたりはしていないし、クラス委員である彼女のおかげで学級全体にプラスの力が働いている、いいことだ。

 そう、結局のところ俺は逃げ続けている、保留にしている。

 わかっているさ、こればかりは正しくないってことは。

 

 

「浮かない顔をするんじゃねえぜ兄弟、そのうちいいことの一つや二つ、転がり込んでくるからよ」

 

 谷口は国木田とキョンに対して言ったのだろうが、俺にとっては気休め以下の戯言だった。

 否、戯言だとしか受け取れない俺が歪んでいるだけなのだ。

 

 

「そうかい」

 

 キョンが呆れた顔で谷口を見る。

 まさしくいつも通りのたわいない世間話。

 オーライ、そろそろ本題に入ろう。

 ようやく俺が事態を把握するのは放課後になってからのことだ。

 つつがなく終礼して掃除当番以外の連中は各々散開していく、ただ残っているだけの人もいるにはいるが、直帰しない奴というのは往々にして部活組である。

 SOS団がクラブ活動かどうかなんて議論は生徒会の連中に丸投げするとして、俺たち団員はたとえ団長不在であろうと一先ずは部室に集合すべきなのだ。

 まだまだ部室の飾りつけ作業が残ってるしね。

 そんなこんなでSOS団が間借りしている文芸部部室へと足を運ぶわけだが、教室を出た朝倉さんは通りがかりに隣のクラスの一年六組を覗いて、

 

 

「……はぁ、まったくあの子ったら」

 

とため息まじりに呟く。

 そして俺に鞄を「ごめん、ちょっと預かっててくれる?」と押し付けると、そろりそろりと教室内へ進んでいく。

 どうしたのだろうかと俺が思うよりも早く、気が付けば次の瞬間には目を疑うような光景。

 朝倉さんが近づいているその先にいる女子生徒らしき人、彼女は机に突っ伏して小刻みに背中を揺らしている、ここまでならただの寝坊助ガールで済むのだが問題はその女子生徒があの長門さんのようだということ。

 驚くのはここからで、朝倉さんは長門さんの席の前に立つと右手を振り上げ拳を握りそのまま長門さんのつむじめがけてゲンコツをかましたのだ。

 ごつん、と擬音が聞こえそうなくらいのものであり、

 

 

「ぎにゃぁぁっ!?」

 

このような奇声を発したのは他の誰でもないゲンコツを受けた長門さんで、ようやく見せた顔は苦悶の表情、しかも涙目で「い、痛い……」と呻いている。

 当然だ、あれを喰らったら俺でも絶叫する自信があるね、間違いなく。

 

 

――うん?

 

 苦悶の表情だって? 長門さんが?

 原作では散々無機質だの無感情だのとキョンに評され続けてきたあの宇宙人の長門有希が、朝倉さんに胸を串刺しにされようと声一つあげなかった長門有希が、たかがゲンコツ一発で悶絶するなどと誰が信じられよう。

 思考がままならない俺をよそにキョンは落ち着き払った様子でやれやれポーズ。

 朝倉さんは長門さんの首根っこを掴みながらズルズルと引きずってこちらに戻ってきた。

 

 

「さ、行きましょ」

 

 廊下の真ん中でようやく解放される長門さん。しりもちをついた状態。

 こ、これは新しい宇宙式コントなのか、理解が追い付かぬ。

 

「立てるか? 長門」

 

 手を差し伸べるキョン。

 長門さんはぎこちない所作で彼の手をそーっと握り、

 

 

「あ……そ、その……ありがとう……」

 

「ど、どういたしまして?」

 

「…………」

 

 いつも雪のように真っ白な彼女の頬が朱色に染まっている、まさしく嬉し恥ずかし。

 いい加減に誰か教えてほしいんだけど、このラブコメちっくな様相はいったいなんなんだ。

 言葉もまとまらぬまま俺が何か言おうとするよりも先にパンパンと両手を叩いて音を出した朝倉さんが、

 

 

「はいはい二人とも、そういうのは隠れてやってちょうだい」

 

ぴしゃっと言い放ったことでキョンと長門さんの二人は慌てて離れる。

 ほんと、まるで意味がわからないやりとりだった。今からクリスマスパーティのかくし芸大会の練習でもしてるのだろうか。

 気を取り直して四人で廊下を歩き、部室を目指していく。

 それはそうとこのメンバで行動ってのはなかなかに珍しい。例え数分もせずに到着する道のりであろうと、珍しいものは珍しいのだ。

 だいたいからして長門さんはいつも気が付けば先に部室にいる――もしかすると授業を受けていないのではないかとさえ思う――からね。

 だからこそ長門さんが教室に、しかも居眠りなんてのはもうこれだけで涼宮さんが、

 

 

「ふふん? 有希が居眠り? 信じらんないわ。……そう、きっとこれは何かの前触れね。地球外生命体が何らかのアクションを起こすみたいな」

 

などと言い出してもおかしくないレベルの事態なのだが都合よく本人は不在だ。しょうがないというもの。

 スタスタと先行する女子二人の後を追うように俺とキョンは歩いていく。

 朝倉さんは長門さんと世間話、もとい一方的に語りかけており、

 

「長門さん、昨日は何時に寝たんですか?」

 

「……」

 

「また遅くまで――」

 

こんな話し声が聞こえてくる。 

 いや、それにつけても寒さを感じずにはいられない。

 公立高校の廊下はもうハリボテなんじゃないかってぐらい冷気が漂っており、生徒はもれなくコートやカーディガンの類を羽織るなどして各々防寒策をとっている。俺たちとて例外ではなかった。

 曲がりなりにも進学校と銘打っているのだからもう少しばかりどうにかならなかったのかな。困るぜ。

 気候の変化はライフスタイルにも大なり小なり影響を与える。

 夏の間は中庭で朝倉さんとお昼をとっていたけど、ここのところは部室に行って電気ストーブという申し訳程度の暖をとりつつ朝倉さんの美味しいお弁当をいただいているというわけ。

 その折に長門さんがいることが往々にしてあるのだが言うまでもなく俺は落ち着かないのだ。

 

 

「わたしのことは気にしなくていい」

 

 等とこちらに一瞥もくれずに読書をする長門さんはいったいいつお昼ご飯を食べているのやら。

 ひょっとして栄養食品あたりでパパっと済ませているのかも。だとしたら感心しない。

 長門さんが早弁しているとも思えないし、自分で用意してなけりゃ学食かね。

 いつぞやの合宿でわからされたことだが彼女は見かけによらずたくさん食べる、早食いだって得意なはずだ。

 涼宮さんは基本学食らしいから今度それとなく長門さんが学食に普段通ってないか訊ねてみよう。

 閑話休題。

 実に長い前フリだったが、まあご容赦願いたい。

 それほどまでに俺にとって衝撃かつ驚愕な出来事だったのだから。

 

 

「しっかし、人生何があるかわからんもんだな」

 

 部室棟の階段を上っている最中、キョンが呟くように言う。

 ちんたら歩きの男子に比べて女子は早く、一階分は差が開いていそうだ、上を見ても姿は見えない。

 とりあえずキョンの言葉に反応しておこうか。

 

 

「何の話さ」

 

「谷口だ」

 

「ああ」

 

 納得。

 原作中では詳しく語られていないが、俺が彼を見ている範囲で「ナンパが上手くいったぜ」だのといった女遊びに関するポジティブな発言を耳にしたことはない。

 もちろん成功していた黙っている可能性もあるかもしれないものの、なんかこう雰囲気みたいなものからして調子づいているのは中々に珍しいのである。

 

 

「相手は私立校のお嬢さんだとよ。今世紀トップクラスの謎だな」

 

「美女と野獣みたいだって?」

 

「少なくとも俺はあいつが血統書付きのお利口なイヌには見えん、餓えたケダモノだ」

 

 普段の彼の態度を見ている手前反論のしようはない。

 もっと言えば今回のケースは谷口のナンパが成功したわけでは決してなく、周防九曜の方からひっかけてきた形なのだ。ううむ。

 そう、人生何があるかはわからない。

 俺がこうやって物語の世界に入り込んでしまったように、涼宮ハルヒが常識を置き去りにしてしまうほどの力を持つように、先入観だけで物事を推し量っていては大きなしっぺ返しをくらう。

 たったそれだけのハナシ。

ようやっと部室のある階まで行き、朝倉さんと長門さんに続いて部室に入った俺氏は今度こそ思考が完全にストップした。

 

 

「は……?」

 

 目の前にあるのは部室。まごう事なき文芸部としての部室だ。

 あるのは机と椅子と本棚そしてパソコン。

 正直に言おう、信じられないし信じたくない。ドッキリにしてはタチが悪すぎるぜ。

 だがいい加減に俺は察した。この違和感が何に起因するものなのかを。

 

 

「な、なあ……キョン」

 

 できる限りの冷静さを働かせつつキョンに訊ねる。

 椅子にコートをかける彼はドア付近で棒立ちの俺を不思議に思い、

 

 

「ん、どうした明智。そんなとこに突っ立って」

 

「お前さ、涼宮ハルヒ、って知ってるか」

 

「あん?」

 

 なんだ、なんの話なんだ。と真顔でキョンは返答した。

 

 

「いや……いい、小説の話さ、気にしないでくれ」

 

 俺は何事もなかったかのように取り繕い机に鞄を置き彼の横の席に一張羅をかける。

 そしてパイプ椅子に腰かけ、深く深呼吸。

 

 

――マジかよ、ウソだろ

 

 決まってはいけない事象が決定的になってしまった。

 昨日これでもかとクリスマス装飾を施していたSOS団アジトが一夜にして殺風景な旧校舎の一角に早変わり、教職員のしわざとは考えられない。

 そしてキョンが涼宮ハルヒというワードに一切の関心を示していない。

 原作では「どうやったらあんなやつを忘れることができるんだ」とか言ってたのに。

 他三人は何事もなく本を読んだりくつろいだりしている、もう放課後のいい時間だ、古泉や朝比奈さんが来ないことを気にしたりもしていない。

 ない、ない、ない、否定ばっかりじゃないか。

 

 

「やれやれ、って感じだな」

 

 声にならないぐらいに小さな声で俺は呟く。

 とてつもなく恐ろしい想像が俺の脳を支配している。

 つまり。

 

 

「……ジーザス」

 

 俺をこの世界に呼び寄せた涼宮ハルヒが"消失"した。

 異世界人である俺だけを残して。

 

 



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第三十二話・偽

 

 

 こんな状況下におかれたからというわけではないものの、何を隠そうこの俺は原作シリーズにおける【消失】という作品がそれほど好きではない。

 いや、むしろ嫌いな部類に属すると言っても過言ではないほどだ。

 消失が人気のある話なのは俺とて拝承しているけど、だのに好きになれない理由は二つある。

 まず一つ目。一人称視点の作品であるハルヒシリーズにおいてあそこまで絶望に打ちひしがれるような描写が続くのは前までの三作と違ってきついものがある。

 【退屈】でキョンがイライラしていることに対して読者が不満を覚えようがそれは客観的に見たからの話であり、まあ彼が怒る理由もわからなくない。筋が通っている。女子に手をあげようとしたのはさておき、人としてのありようはキョンの方が正しかったはず。

 俺が思うに消失の世界は終末観を通り越した退廃的な空気が漂っていて、それが苦しい初見の俺はページをめくるのが辛かったと記憶している、本の厚さはシリーズでトップクラスに薄いのに。

 二つ目としては単純明快。再登場した朝倉さんがあっさり再退場するから。

 要するにどちらも個人的な理由でしかないんだ。

 誰かに押し付けるわけでもないし、誰かに否定されるいわれもない、俺だけの問題。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはさておき。

 まずは取り急ぎで現状を分析せねばなるまい。この部室、否、世界の変化を。

 俺は横に座るキョンに何気なく訊ねてみることにした。

 

 

「キョン、お前の後ろの席の人のことなんだけどさ」

 

「ん?」

 

 普段のありようからはミリも想像できないがキョンは文芸部員らしく読書に勤しんでいる。

 比較的読みやすい児童文学書、ミヒャエル・エンデ氏の【モモ】だ。

 彼は視線を手に持つ本のページに向けたまま。

 

 

「大野木のことか」

 

「あ、うん……そうそう」

 

 確かに言われてみれば大野木さんの姿が見えなかったような気がしないでもない。

 ちなみに大野木さんとはもちろん俺たちと同じクラスである一年五組のクラスメートの女子生徒で茶道部に所属しているらしい。

 

 

「あいつなら普通に病欠だと思うが、それがどうした?」

 

「いや、なんで休んだのか気になっただけさ。国木田が風邪が流行ってるって言ってたしね」

 

 我ながら白々しく体裁を保つのがここまで辛いとは考えてなかった。

 だんだんと深みに嵌っていくかのように、残酷な現状を思い知らされる。

 朝倉さんも長門さんも涼宮さんのことを知らない。それどころか彼女らはきっと宇宙人なんかではなく、ただの女子高校生として北高にいる。そうに違いない。むしろそれが正しい姿のはずなのに、俺はどうしてこうも落ち着かないのだろうか。

 いいか俺、冷静に対処するんだ。

 

 

「よっ、と」

 

 席から立ち上がり本棚へと俺は向かう。本を物色しながらも俺は思考の手を止めない、止めてはならない。

 もし、暫定でしかないが、ここが【消失】の世界だとしていくつか考察しなければならないことがある。

 まず朝倉さんが文芸部の部員だということ、これは今俺が知り得ている範囲での原作にはない大きな相違点だ。

 とはいえそもそも俺の存在そのものが原作には登場していない異世界人なわけで、俺が彼女を消滅させないように働きかけた結果がこれなのかもしれない。朝倉さんはSOS団の団員として存在していたから改変後であるこの世界では文芸部員という位置づけなわけだ、一応筋は通っているのかな。

次に大事になってくるのはここが本当に"原作通り"の消失世界かどうか。

 いくら消失が好きじゃないといっても何度もシリーズ通して読み直していたし、消失に関しては映画化すらされたのだ、大筋なら未だに覚えている。

 俺が朝倉さんを助けようと思ったのだって原作の知識がなければそもそも朝倉さんが宇宙人だということすら知らずに彼女はカナダ行きだったろう。

 そうさ、俺は未来人ってわけではないが"先のことがわかる"ってのはそれだけで絶大なアドバンテージになる。もちろん上手に使えば、だが。

 いずれにせよここが本当に消失世界かどうかで俺の身の振り方も変わるというわけだ。

 で、それを確かめる方法だが、

 

 

「……ん」

 

やはりあった。

 本棚のハードカバーどものページをめくっては本を仕舞ってを繰り返すこと数分の後、小さい長方形の紙切れがその中の一冊に挟まっていた。

 花が描かれた栞、そこに躍る文字、プログラム起動条件、"鍵"を揃えよ、リミットは二日後。そう、まさしく原作でもこんな感じの文面がこれと同じような栞に書かれていたはずだ。

 胸が詰まる思いでいっぱいだ。こんなものを見せつけられたのだから限りなくこの世界は涼宮さんが消失した改変後のそれだと言える。

 だがこれはある意味でチャンスとも言える。

 

 

『あなたを脅かすものはわたしが排除する、そのためにわたしはここにいるのだから』

 

 先にも述べた通り消失の話の最期の方にて朝倉さんは再び世界からいなくなってしまう。

 この状況をどう分析するかはさておき、原作通りに進めばどうなるか察しがつかない俺ではない。俺が助けたはずの朝倉涼子は、まだ完全には助かってないということなのだ。

 そんな結末、認めてやるかよ。

 

 

――だからやるしかない。俺が。 

 

 俺は誰にも見られないうちにさっと栞を内ポケットに入れてパイプ椅子へと戻る。

 

 

「遅かったな、ずいぶんと熱心に本を選んでいたみたいだが」

 

 そう言うキョンはきっと適当に本を選ぶタイプの人間なのだろう。

 俺もどちらかといえば直感的に「これがいい」と思ったものを手に取る主義だけど、こういうケースもあるのさ。

 

 

「まあね」

 

 適当な相槌を返してから本を読み進めていくことにする。

 しかしながら俺はこのハードカバーを何回か読んだことがある。SF大作の第一巻【ハイぺリオン】。

 どんな話かって? 読めばわかるよ。

 男子の向かいに座る女子二人は、まるでこの文芸部こそが正しい姿だといわんばかりに自然体。

 長門さんにいたっては読書ではなく携帯ゲームをしているあたり、あぁ、この長門さんはとても感情のない宇宙人には思えないわけだ。

 いつになく落ち着いたゆったりとした時間が流れているな、と思えばそれは当然で、いつもなら今頃涼宮さんが、

 

 

「はいはい、みんなちゅーもく! 今日は――」

 

って大きな声で思いついたことを楽しそうに発表する頃合いだからね。一部の人にとっては楽しくもなんともないんだろうけど。

 何はともあれ今はまだ俺がどうこうするような時間ではない。

 本でも読んで、のんびりしてようじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして部活が始まって一時間程度が経過した時だった。

 

 

「……あら、もうこんな時間なの」

 

 時計を確認した朝倉さんがそんなことを言う。

 まだ午後四時半を回ったばかりだけど。

 

 

「ちょっと用事があるから今日はもう帰るわ」

 

はあ、んじゃさようなら。

 気のない挨拶をする俺に対し彼女は。

 

 

「あら? あなたも来てくれるのよね?」

 

 何のことだかさっぱりだ、説明してくれないか。

 

 

「はいはい、いいからさっさとお願いしますよ」

 

 と、俺は本を片付ける隙ら与えられずに朝倉さんに連行されてしまった。

 ハイぺリオンは机の上に置きっぱなしというわけだ。キョンが俺のかわりにしまってくれるとはいえ、俺は一度取り出したものはきちんと戻したい性質なのだ、誰だってそうするように。

 朝倉さんの口ぶりや、長門さんもキョンも特に反応しなかったあたりこのようなことは日常茶飯事なのだろうか。

 それにしても朝倉さんはずんずか進んでいるがいったいどこへ向かってるというのかね。

 

 

「ふんふんふふーん」

 

 しかも鼻歌まじりでやたらテンションが高く見受けられる。

 真紅のコートとマフラー、という取り合わせは昨日まで俺が見ていたものと同一だが、間違いなく彼女そのものは別人だ。きっとあの時のキョンも今の俺と同じようなことを思ったに違いない。

 きっと世界で"朝倉さん"のことを知っているのは俺だけだ。

 だからどうしたってわけじゃないけど――

 

 

「ほら、明智君! ぼさっとしてないで早くして!」

 

 急こう配でお馴染みの坂道を下り終えるころには随分と距離があいてたようで、少し離れた先の朝倉さんに大声で呼ばれてしまう。

 やれやれ、考えるのは家に帰ってからにするさ。にしても今の彼女のセリフは涼宮さんみたいだったな。

 不謹慎ながらこの世界が新鮮に思えるのはキョンと俺との差なのかもしれないな、余裕の差か。

 "消失"したのが朝倉さんなら、とか考えたくもないぜ。まったく。

 俺は今、駆け足で彼女に追い付いていくのも悪くないと思っているんだから。

 で、そんなこんな二人してやってきたのがどこかといえば、そこは市内某所に位置するスーパーだった。

 

 

「ふぅ……間に合ったみたい」

 

 ケータイで時間を確認する朝倉さん。

 時刻は午後五時前だ。

 

 

「じゃあ、カゴは頼んだわね」

 

 入り口付近に来るなり朝倉さんにそう言われたので俺は思うところもなしに横に積まれているレジカゴを一つ手に取る。

 なるほど、もしかしなくても買い出しに付き合わされているわけだが、それもこの時間帯を考えるに特売だろう。

 店内を突き進む朝倉さんに従う俺、はたから見たらよくわからない高校生二人組じゃなかろうか。周囲から奇異の視線を向けられているのは確かで、本音としては苦行以外の何物でもない。

 朝倉さんは野菜やら肉類やら卵やらといった食材を吟味して次々カゴへと入れていく。なんというか、その、すごく不思議な光景に思える。

 原作通りに行けばこの普通の女子高校生な朝倉さんも朝倉さん(宇宙人)と同様に一人暮らしだから買い出し自体は当然の行為に当たるわけだけど、振り返ってみると俺は彼女がスーパーで買い物をしているところなど見たことがなかったし、なんなら作ってもらっているお弁当の食材の出どころなど皆目見当もつかぬ。

 そう、今更すぎるが俺は朝倉涼子という存在についてロクに知らないのだ。

 俺の知る彼女とはいったいなんなのだろう、少なくとも原作通りの単なるやられ役でないことだけは言える。

 だけど、それでも俺は決定的な回答を見つけ出せずにいる、はぐらかし続けている。まさに臆病者じゃないか。

 

 

「……ははっ」

 

 乾いた笑いの原因は両手にぶら下げているレジ袋の重みなのか、そうでないかは俺が決めることだ。

 スーパーで一通り買い物を終えると他に行くあてもなく当然の如く家路。それなりの量となった商品どもは俺が持つかわりに俺の学校鞄は朝倉さんに持ってもらっている状態。

 気が付けばもう太陽は落ちていて、否が応でも冬なんだということを実感させられる時間帯に。

 すっかり暗くなった道をのろのろと歩いていると朝倉さんが、

 

 

「明智君、いつも付き合わせちゃって悪いわね」

 

不意に感謝の言葉を俺にくれた。

 この設定の俺は彼女にこう言われるほど立派なヤツだ、ということなのか。

 

 

「あなたのおかげで力仕事には困ってないし……何より退屈しないから」

 

 そう言う朝倉さんはどこか寂しげに感じられる。

 若干地雷な話かも、と内心思いつつ、俺は好奇心の方が上回り彼女に尋ねることに。

 

 

「やっぱり一人暮らしは大変?」

 

「流石にもう慣れたわ。嫌になる時がないって言ったらウソになっちゃうけど」

 

 しんみりした空気を活かせるほど俺はやり手ではない。

 これは後から知った話になるが、元々朝倉さんの両親は転勤族だったそうだが朝倉さんが中学卒業のタイミングで父親の海外配属が決まったという。

 お金は不自由しないくらいに振り込んでくれているらしいが、人肌恋しくなるのも当然だ。

 もっともその相手として俺が相応しいのかと聞かれればぐうの音も出ないのだが。

 

 

「まあ、オレのことは特に気にしなくていいよ。それで朝倉さんの心が晴れるならどんどんパシってもらっても」

 

 今日のはやや強引だった気がするが、平素より俺が彼女の荷物持ちを担当しているのならあんなものだろう。

 朝倉さんは俺の気休めに苦笑しつつ。

 

 

「ありがと」

 

 ま、しょせん俺にできることなんてのは普通の人間と大差ない。そこから先はオマケ要素でしかないから。

 

 

「私ね、日本に残っててよかったと思ってるわ。あなたと会えたから」

 

 俺にくれてやるには高すぎる言葉だよ。

 真剣にそんなことを言われては俺も恥ずかしくなってしまう。

 だが彼女は俺が今日まで行動を共にしていた朝倉涼子ではない。

 

 

――いいのか?

 

 何が、ってすっとぼけるようなことかよ。

 キョンまで改変されちまったこの世界を元に戻す決定権は俺だけが持っているはず。ここまでは問題ない。

 となれば俺がもし原作通りにならぬよう、つまり改変を元に戻すように動かなかったら。

 

 

「はは、どういたしまして、なのかな」

 

 返す言葉がぎこちないのは自分に対する恥ずかしさ故だ。

 愛想笑いにすらなっていない作り物の仮面を顔に張り付ける、俺の方がよっぽど"らしくない"。

 だいたい何故俺なんだよ、どうしてだ。俺にこんな選択を押し付けるのは長門さんか?

 いくらエラーやバグとはいっても無茶苦茶すぎる。

 

 

「そういえば明智君、さっき部室で大野木さんのことを気にしてたみたいだけど」

 

 内心あっぷあっぷ寸前の俺に向かって朝倉さんはずずっとにじり寄り。

 

 

「まさか浮気じゃないでしょうね?」

 

 ぞくり、背筋が凍りつく。

 思わずやってもいないのに「はい、そうです。すみませんでした」と土下座したくなるほど怖い威圧感だ。マジにブルってしまう。

 俺は冬で吐く息も白いはずにも関わらず暑さを覚えながら弁明する。

 

 

「いやいや、単なる興味本位だよ! ほんとほんと」

 

「ふうん……?」

 

「そ、そう、国木田が最近風邪が流行ってるって言ってたからさ、気になったんだ」

 

 小学生でも上手に誤魔化せるんじゃなかろうか。じり貧ここに極まれり。

 朝倉さんの鋭い目に睨まれるのは拷問じみているがここで視線を逸らせば負けなのだ、折れてくれるのを耐えるしかない。

 それから十数秒にわたり往来でのにらめっこは続いたが、

 

 

「……ふふっ」

 

不気味にも朝倉さんは笑い出す。

 たまらず俺は身構えるものの彼女は手をはたはたさせながら。

 

 

「冗談よ」

 

 はぁ、心臓に悪すぎる。

 

 

「そこまでびくびくしなくてもいいじゃない、逆に怪しいって思われちゃうわよ?」

 

「まさか。神に誓っていいけどオレはやましいことなんかしちゃあいない」

 

「わかってるわ、そんな度胸があなたにないことぐらいね」

 

 まったく調子が狂うな。

 初日にしてこうも振り回されているとは、恐れ入るぜ。

 

 

「さ、早く帰りましょ」

 

 結局帰り道も朝倉さんがどんどん進んでしまっている。

 Holy cow、先が思いやられるとはまさにこのことじゃないか。

 しかしながらこの時点での俺は気が付かなかった、否、放念していた。  

 元の世界の朝倉さんにも散々好き勝手させられ、俺がそれを受け入れていたということに。

 要するにあの曖昧な関係に慣れきってしまっていたんだ。

 今回の話は良し悪しが問題ではないということなのさ。

 

 

「よかったら私の家に上がってかない? 夕食食べてっていいわよ」

 

「いんや、今日のとこは荷物運びだけにしとこうかな」

 

「そう。残念」

 

 ただ一つ言えるのは、これもまた、悪くない。 

 

 



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第三十三話・偽

 

 

 異世界人こと俺が【涼宮ハルヒ】の消失を。

 あまりにも状況は唐突であったが、しかし一日は一日でしかなくお願いしたわけでもないのに確実に翌日が来る。

 十二月十九日、木曜日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 既に述べてある通り今日から短縮授業となる。

 本来ならば喜ばしいことなはずなのだが俺にとってはただでさえ限りある時間が削られているような気がして陰鬱な事態としか捉えることができそうにない。

 まあ文句を言ったところで何かが好転するわけもないが。

 とりあえずいくつか確かめたことがある、まずは俺にとってそこそこ重要になりそうな"念能力"が使えるか否かだが、これは問題なく行使できた。

 使えなくなっててもこの世界にいる間に限ってなら問題はなさそうだけど、いざという時は使えた方がいいに決まっている。結構便利なんだぜ、"臆病者の隠れ家"。

 そしてまだ見ぬSOS団の団員、古泉と朝比奈さんについてだが、古泉はやはりというかそもそも彼が在籍していたはずの一年九組がなくなっていた。

 元一年九組の教室だった場所は美術部とか文科系クラブ活動の資材置き場と化しており、ドアの小窓から中の様子を窺うことはできたものの普段は鍵がかかっているようで中には入れなかった。

 朝比奈さんはというと、

 

 

「ああ、二年の朝比奈みくるだろ、もちろん知ってるぜ」

 

休み時間中に谷口に聞いたところ無事に存在を確認できた。まだ会っていないが。

 谷口はニヤニヤしながら訊ねてもいないことを説明する。

 

 

「なんせ我が北高が誇る絶世の美女だからな、知らん奴の方が珍しいくらいだろ」

 

 随分と自慢げに言うが、別に朝比奈さんはお前の彼女でもなんでもないぞ。

 

 

「朝倉も十年に一人くらいの逸材だし、お前と同じ文芸部の長門有希も校内に隠れファンはそれなりにいる……けっ、キョンもお前も憎たらしい環境下にいやがる」

 

 そこら辺も元の世界と変わらないらしい。

 谷口は「だが」と前置きしてから。

 

 

「朝比奈みくるは別格だ」

 

「……どうして?」

 

 そりゃあ涼宮さんに萌え要因として連れてこられるぐらい朝比奈さんには見どころが多いけど。

 

 

「甘い、甘いな明智くんよ。俺が考えるに朝比奈さんのスゴいところはまだまだ美に磨きがかかるってことだな。つまり未完成ってこった」

 

「なるほど」

 

「五年後が楽しみだぜ」

 

 こいつは馬鹿だが女性を見る目だけはしっかりしている。

 俺は未だ対面したことこそないものの、原作のキョン曰く朝比奈さん(大)は銀河系でもトップに美人だとかなんとか。あいつにそこまで言わせるってことは朝比奈さんの伸びしろは充分にあるに違いない。

 けれども朝倉さんだって負けていないはずだ。

 宇宙人がどう成長するのかは知らない――まず彼女は実年齢でいえば三歳だ――が、数年後の彼女が今よりずっともっと魅力的な存在になっていると俺は信じるね。

 長門さんに関しては正直まったく想像がつかない、ともすれば特に外見上の変化がないまま二十代三十代となりそうな気もする。

 

 

「で、その朝比奈さんがどうしたって?」

 

「いやべつに。風の噂でその人のことを耳にして、北高女子に詳しいお前さんなら面白い話が聞けるかもと思ったのさ」

 

「へっ、この谷口様の眼に狂いはねえからな。あとは他校なら朝比奈さんレベルのを知ってるが……」

 

 こいつは俺が朝比奈さんの話でなく単純に女子の話を聞きたいと勘違いしてそうだ。

 

 

「が?」

 

「あいつは超が付く電波オンナだからな、明智は知らねえほうが身のためだ」

 

 もしやそれは。

 

 

「涼宮ハルヒのことかい?」

 

「ん、お前あいつを知ってんのかよ」

 

「同世代の元東中の女子でそれらしい話を聞いたことがあってね……」

 

「明智が物好きな野郎だってことは承知してるがな」

 

 コホンと谷口は咳払いをしてから。

 

 

「やめとけ」

 

 どこか懐かしい台詞を吐いた彼の顔からはニヤニヤした笑みが失せていた。

 

 

「なあ、マジに時間の無駄だぜ? あいつの武勇伝が聞きたいなら他の東中のヤツを当たってくれ」 

 

 こんな調子の一点張りだ。

 いずれにせよ聞いてもいないのに涼宮さんの存在を確認できたのは収穫といえよう。原作通りに行けば彼女は古泉とセットで私立高にいるんだろうよ。

 と、そんなこんなで授業が終了して今に至るわけなのだが俺は授業中終始悩んでいた。

 俺が何を悩んでいたのか、それはつまるところどうするかということであり昨日と同じく俺がこの世界を元に戻しちまっていいのかということでもある。

 期限は今日を含めて二日間だ。わざわざ原作みたいに明日やらずとも初日の段階で脱出プログラムに気づけたのだから今日実行でも問題はないはずだ。

 

 

「……はっ」

 

 違うんだよな。問題はそこではない。

 俺が悩んでいるのは俺が他人の思いを踏みにじっていいのか、だ。

 この改変をもたらしたのが長門さんとは100パーセント言えないが、仮にそうだったとして俺が彼女の意思を否定してしまっていいのか?

 原作の【消失】は主人公だからこそ許されたんじゃあないのか? 

 だったらホントになんで俺だよ、俺に丸投げしやがるんだよ。

 俺がキョンに、

 

 

「元の世界に戻りたくないか?」

 

と質問したとしてもあいつは「何の話だ明智」としか言わんぜ。

 何より原作でキョンは涼宮さんがいなかったからあんなに苦しそうにしていたのであって、ここでは彼女のことを知らないだろうし、なんなら長門さんといい感じなのかもしれない。

 俺が、俺だけが本当にのけ者。異世界人ってのはこうも辛いものなのか。

 全ては認識の問題でしかなく朝倉さんやキョン、他のみんなにとっては昨日よりも前の過去が存在する。造られた記憶だとしても。

 俺一人が我慢すればみんなハッピーなんじゃないのか。

 あの忌々しい情報統合思念体とかいう偉そうなヤツもいない、古泉だって神人との戦いなんていう危険な使命を背負わずに済む、普通じゃないってことを思い煩う必要はないんだ。

 ただ、べつに今日脱出プログラムの"鍵"を集める必要だってなかろう。

 明日やろうは馬鹿野郎、そうさ、結論を保留し続けてきた俺だからこそこんな選択を迫られているということにこの期に及んで気づいていなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 短縮授業の兼ね合いから昼には放課後となり部活動のない生徒はすぐさま帰宅。谷口や国木田は帰宅部なのでもちろんそれに含まれる。

 そして今日は時間いっぱいまで部活を行った。本を読んでくつろぐだけだったけど、そんなもんさ。

 でもって忘れちゃいけないのは俺の昼食にあたる朝倉さんのお弁当。この世界でも本制度は健在なようで、朝倉さんの料理の腕は世界が変わろうが衰えないのだということを感じた。

 

 

「どう? 美味しい?」

 

「うん。もちろん」

 

「ふふっ、どういたしまして」

 

 ただ、何か違うと感じたのは何故だろう。プラシーボ効果か? まあ気にしないけど。

 電気ストーブすらない部室はお世辞にも暖かいとは言えず、外界との違いは多少の気温差と風がないことぐらいだ。しかしながら電気ストーブの効果など程度が知れているし、それ以前に団活中の俺があれに手を当てるなどして暖を取ったことなどまずないので大した差でもない。冬の北高校舎内の気温にも慣れつつあるということだ。

 解散の合図としていつもだったら長門さんがバタムと本を閉じるのが常だがこちらではそれもない。決められた時間に従うだけ。

 どうやら彼女はそれなりに本が好きではあるものの、趣味としてはゲームの方が好きらしく朝倉さんは呆れた様子。

 

 

「長門さん、まだですか? もう帰る時間ですよ?」

 

「待って……セーブポイントまでもうちょっとだから」

 

「もう、歩きながらやればいいじゃない」

 

「……危険」

 

 俺も朝倉さんもキョンも帰る準備を終えていたのに長門さんだけ椅子にしがみつくように携帯ゲーム機で遊んでいた。

 歩き携帯ゲームは危険極まりないのは事実だけど、それ以前にそんなもの先生に見つかったら没収だから、長門さん。

 ううん、なんだか文芸部としてはいかがなものか。でもSOS団の方がヤバいことしまくりだったなあってね。

 ようやっと部室から全員出てドアを施錠し鍵を返して外に出るころには昨日みたいな夜空が支配する世界だ。

 校門を出てしばらく歩いていると朝倉さんが、

 

 

 

「ねえ、よかったらなんだけどみんな私の家に上がってかない? ちょっとゴハンを作りすぎちゃったから食べてってほしいのよ」

 

昨日と同じような提案をしてきた。

 丸一日かけても悩みが解決しない俺は、このまま帰って寝て起きても明日が辛いだけだと思いこの日は朝倉さんの家に行くことにした。もちろん「みんな」なのでキョンと長門さんも一緒だが。

 朝倉さんのご飯が喰えるんだ、二度も断る馬鹿がどこにいよう――なんてのは建前にしか過ぎず、本音は一秒でもいいから忘れたかったのだ。時間を稼ぎたかった。

 だのに普段はすっとろく感じる分譲マンションのエレベータは今日に限ってやけにスムーズに五階へ俺たちを運び、ほどなくして朝倉さんが住んでいる505号室に到着した。

 

 

「ふーっ、やっぱここのマンションはあったけえな」

 

 キョンの言う通り分譲マンションの空調設備は値段相応に機能しており、コート類はすぐさまお役御免だ。

 

 

「しばらくくつろいでて」

 

 赤コートを脱いだ朝倉さんはそう言うと足早にキッチンへ消えていく。

 料理が出るまでの間、手持無沙汰な俺たちはテーブルについて待っていることにした。

 椅子はちょうど四つあり、必然的に男子と女子で別れて座る形である。

 

 

「朝倉が隣の方がいいんじゃないのか?」

 

 ここぞとばかりに煽るキョン。

 自覚症状がないくせに他人に強気なのはどこの世界のキョンも一緒かね。

 

 

「ならキョンは長門さんと隣になるけど?」

 

「そうだな」

 

 と、キョンは長門さんの方を見る。

 長門さんは電気ショックでも受けたかのように身体をびくっと震わせる。なんて露骨なリアクション。

 

 

「え、えっ」

 

「長門、できれば明智に気を使ってやりたいとこなんだが、俺の隣は嫌か?」

 

「そ、その…………い」

 

「嫌だよな。スマン、忘れてくれ」

 

 おい。

 

 

「というわけだ明智。悪かったな、俺が隣でよ」

 

 俺はこいつを殴っても許されるんじゃなかろうか、神様仏様涼宮様なら赦してくれるに違いない。

 長門さんはどう見ても残念そうな顔してるし、こいつは引き伸ばしラブコメの主人公か。まあキョンが"主人公"であるのは確かなんだけどさ。

 

 

「しっかし、どうせなら今週で学期が終わればいいのにな。月曜火曜だけ行く意味がわからん、聞いたとこじゃ俺と同じ中学だったヤツが通ってる高校は今週で終わりだそうだ」

 

 と、世間話をするキョンは斜に構えた性格こそ変わらないものの歳相応の高校生そのもの。

 俺が見てきた"主人公"のように大人ぶろうとして陰湿になっているキョンとは違う、これが憑き物の落ちた彼なんだろう。

 これは誰かが言っていたが「思い込む」ということは実に恐ろしい。

 俺は俺が見てきた世界が全てだと考えていたのだ、異世界人のくせに。

 で、待つこと十分近く。

 

 

「はいお待たせ」

 

 居間に戻られた朝倉さんが鍋つかみ越しに持つ大きな鍋。

 何より嗅覚を刺激するこの匂い、間違いなくおでんだ。

 おでんの鍋はテーブルの中央にドンと置かれ、次いで人数分の冷えたお茶と白米がやってきてようやく晩御飯だ。ちなみに母さんには俺の分の晩御飯が必要ない旨を伝えてある。

 

 

「熱いからゆっくり食べてちょうだいね」

 

 俺も彼女のおでんを食べるのは初めてだがやはりウマい。噂に名高いだけある。

 出汁から朝倉さんが作ったらしく、今までコンビニで食べてきたものとはランクが違う。言いすぎか? 

 

 

「……おかわり」

 

 長門さんのフードファイターぶりは宇宙人だからではなかったのか、既に二杯は茶碗を空にしている。

 朝倉さんも慣れているように「はいはい」と苦笑しながら飯をよそって長門さんに茶碗を返却。

 なんだかんだ俺もキョンもバクバク食べており、暑さを感じつつも大きな鍋を空にするのにそう時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はぁ、一息つけるようになった頃には午後七時も半を回っていた。

 家に着くころには八時を過ぎるだろうな。別に急ぎで帰る必要はないから歩いて帰るけど。

 

 

「んじゃ、そろそろおいとまさせてもらうか」

 

 キョンはそう言って椅子から立ち上がる。

 俺もそれに従おうとするが、

 

 

「あ、明智君はちょっと待って」

 

「はい?」

 

朝倉さんに引き留められた。

 なんすかね。

 

 

「ちょっと二人きりでお話がしたいから」

 

 こちとら話すような内容はないが、あちらがあるのだからとりあえず従おう。

 朝倉さんは制服から部屋着に着替えるそうなので俺だけが再びコートを羽織ったキョンと長門さんを廊下で見送るべく二人をエレベータまで追うことに。

 が、何やら生暖かい視線を感じる。二人から。 

 キョンは俺の肩をトンと拳で打って。

 

 

「その……なんだ、うまくやれよ」

 

「やらないよ」

 

 長門さんもこいつと同意見なのか?

 彼女はちょっと恥ずかしそうに。

 

 

「や、優しくしてあげてね」

 

 もういいよ二人とも。

 早く帰ってくれよ、俺だって早く帰りたい。全部明日の俺に投げるから。

 

 

「おー怖い怖い。お邪魔虫はとっとと退散させてもらうぜ」

 

「また明日、明智くん」  

 

 こんな調子で二人はエレベータに呑まれていった。

 

 

「……やれやれだ」

 

 ため息を吐いてから俺505号室へ舞い戻ることに。

 しかしながら何を話されるんだ俺は。

 ひょっとするとこのタイミングで朝倉さんは。

 

 

「実は私、宇宙人なの」

 

 とか言い出すのかもしれん。

 だったら良かったんだけどね。

 

 

「それで? 話って?」

 

「まあ座ってちょうだい」

 

 タートルネックに着替えていた朝倉さんは再度俺をテーブルにつくように促す。

 わざわざ場を設けてまで二人きりで話など、後ろめたいことがないのになんだか落ち着かない。

 硬い表情の俺に対し朝倉さんはにこやかに切り出した。

 

 

「ねえ、覚えてる?」

 

 はて何のことだろうか。

 

 

「……私があなたに告白してから、もう半年は過ぎた」

 

 ふうん。

 この世界の俺はえらいラッキーボーイだったようだ。彼女から告白されるなど。

 

 

「『これってドッキリじゃあないのかな』ってあなたは言ったわね。でも最終的にはOKをくれた」

 

「そりゃあそうさ。断る方が馬鹿だ」

 

「ふふっ、そういうものなのかしら?」

 

 少なくとも俺は人生で誰かに告白されたことなんてないけど。

 

 

「この半年ばかりで色々あったわ。夏休みはほとんど遊び通して、あっという間に体育祭学校祭、もう冬休みよ」

 

 何が言いたいんだろう。

 こちらの様子に気づいた朝倉さんは表情を切り替えて、

 

 

「明智君。私のこと、好き?」

 

馴れ合いなどではない、真剣そのもので俺に訊ねてくる。

 

 

「うん、好きだよ」

 

 我ながら驚くほど自然に口から返事を紡げた。

 俺は嘘をついている。好きだと思ってこう言えたわけではない、誤魔化すためだ。

 

 

「だったらどうして!?」

 

 バン、とテーブルに両手を叩きつけて朝倉さんは前のめりの体制になる。

 向かい合って座る俺を威嚇しているようにも思える。

 

 

「私たち、キスだってまだなのよ。こうして何度もあなたを私の家に呼んでも、明智君は私に手を出したことは一度もなかったわ!」

 

 おいおいよしてくれ。

 俺の責任じゃない。

 この甲斐性なしな設定が悪いだけだろ、なんで俺が責められなきゃならないんだ。

 感極まった朝倉さんは肩を震わせ、

 

 

「明智君、本当に私のことが好きなら今すぐ押し倒して……私、不安なの」 

 

目には涙を滲ませながら、

 

 

「お願い……」 

 

懇願する。

 そんな、どうしろってんだよ本当に。

 俺は椅子から立ち上がって、彼女を直視できないまま。

 

 

「ごめん」

 

「っ……!」

 

「ちょっと今、そういう気分じゃあないんだ、オレ」

 

 椅子にかけた一張羅と、床に置いていた鞄を取って後ろを向く。

 

 

「もう遅いから今日は帰るよ」

 

「……」

 

「じゃあ」

 

 また明日、と言えぬまま逃げるように俺は505号室から立ち去る。

 エレベーターを待つ時間がもどかしく感じられ、遠回りにも関わらず非常階段から一階へと降りていく。

 何故自分が悩んでいるのか、その答えもわからぬままに俺は悩み続けている。

 分譲マンションから離れ、夜風に当たりながら歩いて家路をなぞる俺。

 

 

「朝倉さん……」

 

 わけもなく呟く。俺だって臨界点は近い。

 なぁ、俺にこの世界を見せて、何の意味があるんだ? 

 

 



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第三十四話・偽

 

 

 十二月二十日。

 脱出プログラムの最終期限日だ。

 これは原作でもちらりと触れられていたことだが、そもそも何故タイムリミットなどを設けたのだろうか。

 キョンが悩んだ末に消失の世界を選んでほしかったからか?

 だとしたら今回、俺は何故タイムリミットを設けられたんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 考えど考えど未だ俺は決めあぐねている、元の世界に回帰するかどうか。

 そして学校に着くもこの日の俺の後ろの席にいるはずの人は欠席していた。

 風邪で休むと岡部先生のところに連絡は来ているそうだ。

 

 

「……ちっ」

 

 もし朝倉さんの欠席が仮病なら俺のせいなのか。十中八九そうなんだろうな。心当たりがありすぎるぜ。

 じゃあどうすればよかった、彼女の言う通りにすればよかったってのか。そんなわけあるか。彼女が好きなのは俺であって俺じゃない、でっちあげられた俺の幻影なのだ。俺がどうこうする資格なんてないんだよ。

 いいやんなことは後で考えろ。現在進行形で俺が早急に考えなければならないのはもっと"大事なこと"だろ。

 どっちを俺が選ぶにしても俺は背負い続けなければいけない。切り捨てた可能性を。

 変わりたい気持ちってのは自殺と同じ、だとすれば俺は人殺しと同じになるんだぜ、億単位で。笑えるよな。

 だが、昨日一昨日と悩んでも行動原理すら浮かばなかった俺が一時限目二時限目をふいにしても結論など出せるはずもなく、いよいよもってジャッジの時が見えてきた。

 

 

「おい大丈夫かよ? 朝倉がいねえぐらいで明智がそんなにまいってるたあな」

 

 休み時間に机にへばりついている俺を見て谷口はこう言う。

 彼に心配されるほど俺らしくない状態のようだ。自覚はない。

 

 

「てっきりお前なら授業を抜け出してでも朝倉んとこに行くと思ってたぜ」

 

「いや、俺がこうなってるのは別件でね……」

 

「だったらあれか、いよいよ朝倉に愛想をつかされたとかか」

 

「さあね……」

 

 かもしれないな。

 谷口は呆れた様子で、

 

 

「勘弁しろよな」

 

 こっちのセリフだぜ。

 けど、きっとここが限界だろう。

 これ以上時間をかけては集めたいと思ったとしても"鍵"を、SOS団の団員を集められなくなるかもしれない。

 光陽園学院だって午前で授業が終わるはずだ。涼宮さんの家ならまだしも、俺は古泉がどこに住んでいるかなんて知らない。

 放課後まで二時間あるかどうか。今、ここで、俺は心を決めなくっちゃあならない。

 どちらの世界を俺は選ぶのか。   

 

 

「……なあ谷口」

 

「あん?」

 

 俺は休み時間だろうとお構いなしで居眠りしているキョンの方向を見ながら考えをまとめていく。

 

 

「お前さん、【舌切り雀】って知ってるよな?」

 

「明智さんよ、いくら期末テストの点数でお前が圧倒的に俺に勝ってるとはいえ流石に俺のことを馬鹿にしすぎだ。そんぐらい俺でも知ってらぁ」

 

 つまりいわゆる大きな箱と小さな箱の問題だ。

 欲張りな婆さんは大きな箱を選んだあげく、破滅した。

 あの話はアタリハズレがしっかりしていたからいい。

 でも現実は童話みたいに甘くはない。仮に小さな箱を選ぼうが中身が素晴らしいものとは限らない、リスクがないだけだ。

 なんなら本来の舌切り雀の爺さんは雀のところに行く道中に追い剥ぎみたいなことをされるなどして散々ひどい目にあっているのだから一つくらいは良いことがなけりゃ救われないってもんさ。

 現実は全て損得で割り切れるほど甘くない、俺たちには感情があるから。理で割り切れないから。

 

 

「でもさ……もし小さい箱の方は何の変哲もない代物だったら欲しくはないだろ。だけど大きな箱の方は取り扱いを間違えば危険こそあるかもしれないけれど、今までにないようなスリルや興奮を覚えるようなものだったら?」

 

 涼宮さんは普通すぎる世界に退屈していた。

 キョンだって【憂鬱】の冒頭にそこそこのモノローグを綴る程度には日常を気怠いものとしか捉えていなかった。

 俺はどうなんだ。今、大事なのは"俺"なんだから。

 後頭部を片手で掻きながら谷口は神妙な面持ちで言う。

 

 

「悪ぃ。お前が何を言いたいかまで俺は理解できねえ」

 

「普通じゃあないってことはそんなにいけないことなのかな。だとしたら、オレは――」

 

「ちょっと落ち着け」

 

 谷口が俺の左肩をがしっと手で掴む。

 

 

「さっきからお前が何をまごついてるかは知らんが、悩んでるのだけは確かみてえだ。どうせ朝倉がらみだろ」

 

 コホン、と咳払いをして谷口は言葉を続ける。

 

 

「これは親父の受け売りになるが『迷った末に出した決断が悪くても、何もしないことよりは悪くないはずだ』ってな」

 

「耳が痛くなる言葉だね」

 

「明智、お前の悩みがここでぐだぐだしてて解決するようなもんなのか?」

 

「……」

 

「男なら当たって砕けろ。俺が骨は拾ってやる」

 

 やれやれ、わかったよ。

 なら最後の選択だ。

 この際は他のみんながどうこうとか言うのはナシだ、俺だけに決定権があるんだからな。マジに、

 

 

 俺はどうしたい?

 

どうして俺はこんなとこまで来ちまったのさ。

 俺が最初に朝倉さん消滅ルートを回避したのが、原作に関わったのが原因なのか。

 この世界で生きることは悪くない。それどころか客観的に考えて良い。

 美人な彼女だっている、昨日までのことは忘れて俺は俺のペースで朝倉さんと向き合っていけばいい。

 そうだろ。

 

 

『明智君。私のこと、好き?』

 

 俺が本当にやりたいこと。

 悩み続けて解決しないなら、まずは何か行動すべきなんじゃないのか。

 

 

『明智君! 私――』

 

 そう、チャンスがあれば、か。 

 俺は二度目の高校生活を走馬灯のように思い出していく。

 最初から最後まで、そこには何があった?

 本当は何を望んだ?

 なあチキン野郎。せめて自分にぐらい正直になろうぜ。

 

 

『ねえ。一つだけ、お願いしたいことがあるの』

 

 きっかけなんてものが俺たちにあるかは怪しいが、少なくともあの時の彼女は急進派でも宇宙人でもなんでもない、ただの朝倉涼子そのものだった。

 俺は、俺は、俺はあの時――

 

 

「ふふっ……ははっ」

 

 オーライ、なんとなくだけど"わかって"きた。 

 マジに俺が始めたことが原因だっていうなら俺が終わらせなくっちゃあな。

 がたっと椅子から立ち上がり谷口に一言。

 

 

「谷口」

 

「んだよ」

 

「お互い、頑張ろうぜ」

 

 それから俺は彼にひとつ頼みごとをすると、鞄と一張羅を抱えて教室を走って出ていく。

 馬鹿馬鹿しい。考えるのは自分より得意な奴に任せればいいだろ、古泉とか。

 今の俺にとって一番大事なのは後悔しないことであって、俺が本心から決めたことなら基本的に俺は後悔なんかしないさ。

 そして何より俺は思い出したんだ。すっかり忘れかけていたことを。

 校舎の階段を駆け下りていく最中に教職員とすれ違うけど無視だ無視。彼らに邪魔されるよりも先に俺は止まらないんだから邪魔のしようもないのだ。

 やがて生徒玄関を出るよりも先に三時限目開始のチャイムが聞こえた気がするが、それも俺は気にしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところでみなさんは具現化系念能力者の修行についてご存じだろうか。

 そう、クラピカが鎖を一日中いじくったり舐めたりしたとかいうアレだ。

 俺も"臆病者の隠れ家"なるいわゆる四次元マンションを会得するにあたって相当マンションやら部屋やらについて勉強した、親父が建設関係の仕事ということもあり、図面関係の本なんかも借りて読んだ。

 まあ何が言いたいかといえば、俺は自分の能力にそれなり自信がある。隠れ家の有効範囲はかなり広いし、その範囲内にある入口と出口は知覚可能だ。

 過去に設置した入口と出口がなくなってたら気づくということさ、だからこそこの世界が改変されていたことに気づくのにやや遅れが生じたんだけれども。

 タイムリミットは有限だが急ぎの用事にハイドアンドシークはうってつけでね。

 通学路を外れてひと気のない路地に入り、

 

 

「よっと」

 

地面に"入り口"を作って隠れ家に入る。

 次の瞬間の目の前の光景は自然世界ではなくだだっ広い何もない広い空間、壁も天井も白一色。

 俺が入った部屋の"出口"は某分譲マンションの朝倉さんが住む部屋に設定してある。

 どういう経緯かは知らないけどこの世界にも俺は設置したらしい、あるいは元の世界で設置したのが消えなかったのかだ。

 とにもかくにもまずは全部話そう。信じてもらえなくてもいい、俺は俺自身のために行動する、独善者だから。

 そして臆病者の隠れ家の一室のドアを開けて外界へと出る。

 これは先出しの言い訳になるが、俺がこの場所に"出入り口"を用意したのは単純に朝倉さんがここに設置してくれと頼んだからだ。

 この場所、とは何か。それは505号室内にある朝倉さんの自室兼寝室にあたる。

 そんな場所の壁からいきなり俺が這い出てきたら驚かれるだろうが、ともすれば彼女は風邪で寝込んでいるかもしれないから大した騒ぎにはならないと考えたのだ。

 実に甘すぎる想定だった。

 

 

「……えっ」

 

 この声が俺と朝倉さんどちらのものだったかはわからない。

 壁の出入り口から半身ほど出ると、部屋にいた朝倉さんと目が合ってしまう。

 あろうことか彼女は着替え中で、ちょうど寝巻きを脱いで下着姿になろうとしているように見受けられる。上のボタンを外しているし。

 

 

「……」

 

「……」

 

 無言で見つめ合う着替え中の女子高校生と壁に埋まっている野郎、ハタから見ればシュール極まりない光景かもしれないだろうが俺は完全にテンパってしまっていた。

 突入してノータイムでこの状況は予想できないだろ。どういう確率ならこうなるんだよ。

 考えろ、考えるんだ明智黎。脳をフルに稼働して冷静かつ被害を最小限にしろ。

 でもほんの少し俺のタイミングが遅ければ朝倉さんの下着姿あわよくばその下も拝めたのかも、なんて賢しい考えは捨てろ。

 口を半開きにしかけた俺がとりあえず何か声を出そうとするよりも先に、

 

 

「きゃぁぁぁぁああっ!!」

 

と悲鳴を上げながら朝倉さんがベッドの枕を掴んで俺の顔面目がけて投げつける。

 この状態、回避不能。俺は哀れにも無事顔で受け止めることに。むむ。

 とはいえ朝倉さんのパニックゲージはこんなことで下がろうはずもなく目覚まし時計やら小物類やらを投げ続けられている。痛いって。

 ううむ埒があかないではないか。とりあえず俺は手で投擲物を防ぎながら壁から出て全身を部屋の中に入れる。これでまともな身動きがとれるように。

 しかしながら余計に朝倉さんは狂乱してしまう。

 

 

「ち、近づかないで! 悪霊退散!」

 

 俺は幽霊か何かだと思われちまってるのか。

 じりじり後ろに下がる彼女に対しどうにか自分が害のない存在であることをアピールせねば。

 

 

「朝倉さん、オレは悪霊なんかじゃあない。明智黎本人だ」

 

「うそ、だったら悪魔か何かよ! いくら寝ぼけてたとしても壁から人間が出てくるなんて幻覚は見ないわ」

 

 ごもっともだ。

 昨日とはまた違う理由で泣きそうなぐらい朝倉さんは心乱れているのだろう。こればかりは俺のせいか。

 俺が分譲マンションの505号室にこのような形で来たのは時間短縮の意味もあるが、それ以上に正面からインターホンを押したところで彼女が俺を部屋に上がらせてくれるとは思えなかったからだ。

 なんか冷静に考えて馬鹿じゃねえのかな俺と思いつつ。

 

 

「まずは落ち着いて話をしよう。朝倉さんは着替え中だったんだろ?」

 

「あっ」

 

 指摘され、かーっと顔が赤くなる朝倉さん。

 

 

「居間で待ってる、着替え終わったら来てくれ。君に謝りたいことがたくさんあるんだ」

  

 言ってからそそくさと寝室を出ることに。

 そして俺は一人で昨日と同じ居間の椅子に腰掛ける。

 テーブルに頬杖をついて、ため息。

 俺はこれから彼女に内情を説明して、北高文芸部の部室まで来てもらうつもりだ。

 当たり前だが脱出プログラムに必要な"鍵"に朝倉さんが含まれている保障などない、ともすれば時間の無駄に終わるかもしれない。まだ授業時間中とはいえ先に涼宮さんや古泉といった他校の制度にアプローチするべきだろう、なんなら昨日の内から。

 原作通りに捉えればむしろ朝倉さんが要てもしょうがない。彼女は鍵じゃないのかもしれない。

 俺が彼女が必要だと考えた根拠はこの世界がアニメやラノベ通りの世界とは違う、"生きた"世界だと信じているからに他ならないのだ。

 つまり、俺にとってSOS団の団員は団長含む七人なのさ。

 だからこそ俺は朝倉さんに知ってもらう必要があると考えている。彼女を説得できなければ俺は大人しくこの世界で普通の人間として生きようじゃないか、異世界人卒業だ。

 

 

「……」

 

 待つこと数分、部屋着に着替え終えたらしき朝倉さんが居間に。

 彼女は恐る恐る。

 

 

「あなた、明智君なの?」

 

「うん」

 

 確かにまごうことなき明智さ。

 まずは一言。

 

 

「ごめん」

 

 謝罪の意を述べる俺。

 

 

「昨日のこと、悪かった」

 

「ううん、もういいわ。気にしないでちょうだい。私もどうかしてたから、お互い忘れましょ」

 

 朝倉さんにこんなことを言わせるなど、情けない。内々忸怩たる思いばかりだ。

 彼女は苦笑混じりに「そのうち私の方から襲うかも」と言う。

 そう、これは逃げなのだ。ただし逃げたのは俺じゃないが。

 

 

「ただ……これはさっきの朝倉さんの質問に対してだけど、正確に言うとオレは君が知っている明智黎じゃあない。そして君もオレが知っている朝倉さんじゃあないのさ」

 

「どういうことなのかしら」

 

「ただの事実だよ」

 

 とにもかくにも、だ。

 俺は朝倉さんに対して座るように促す。

 それから、

 

 

「信じてもらえないかもしれないけど」

 

と前置きしてから本題に。

 簡潔にではあるがほとんどを俺は話した。

 自分が念能力という超常的なチカラを行使できること、この世界は二日ほど前に誰かが創り変えた本来あるべき姿ではないこと、キョンと長門さん含め俺たちは元々純粋な文芸部としてではなくSOS団という北高生徒会非公認のクラブ活動をしていたこと、諸々。

 こんな荒唐無稽な話を聞かされる側にもなってみると鬱憤が相当に溜まりそうなものだが彼女は真摯に耳を傾けてくれた。

 俺を信じてくれているから、というよりは壁から湧き出るなどという人間離れした芸当を目の当たりにしたことに由来する奇妙さ興味深さによるのだろう。少なくとも俺が常人ならざる者ということは理解してもらえたはずだ。

 そんなこんなで三十分以上に及ぶ俺の話を聞き終えた朝倉さんは一言。

 

 

「とてもじゃないけど信じられないわね」

 

 だろうね。

 俺だってそう信じたい。

 

 

「それに、明智君の説明にはおかしな点があるわ」

 

「何かな」

 

「世界が変えられたって言うのにずいぶんと冷静な対応じゃないかしら?」

 

 ふむ。

 

 

「本当に脱出プログラムなんてものがある保障はないはずよ、部室の本に挟まってた単なるイタズラ書きにすぎないかもしれないでしょう」

 

「まさか」

 

「私があなたの立場だったら何よりも先にパニックになると思うの」

 

「……続けて」

 

「だって、涼宮ハルヒっていうクラスメートが突然いなくなってて、続けてきたはずのクラブ活動の痕跡すらなくなってるのよ。それで"世界が変えられた"って発想に普通はなれないでしょう」

 

 あまりにも正直に語りすぎたらしい。

 そう、俺は大きなものに頼って行動してきたからだ。

 

 

「まるで何が起こるか、あなたは先に知ってたような口ぶりだったわ」

 

 ぐうの音も出ない。

 事実なのだ。それすら。

 

 

「オレは異世界人だから」

 

「世界が変えられたというのなら、明智君は異世界人かもしれないわね」

 

「違う」

 

 もっと先のことだ。

 

 

「オレの本当の名前は明智黎じゃあないんだ」

 

「偽名ってこと?」

 

「それも違う」

 

 俺には別の世界で生きた自分の記憶すなわち前世の記憶がある。

 

 

「浅野定幸……浅瀬のアサに野原のノ、定のサダと幸せのユキ、それがオレの普通の人間としての名前さ」

 

 そこから更に俺は語った。

 前世のこと、涼宮ハルヒシリーズという作品のこと、今のこの状況はそれの四巻の話に相当すること。

 

 

「まあ、オレが主人公の代わりとしてこんな役割をこなさなくっちゃあいけないなんてのは夢にも思わなかったけど」

 

「明智君。あなた正気じゃないわ」

 

「だったら聞くけど、朝倉さん」

 

 君は自分の両親に会ったことがあるかい?

 俺の質問の意図がわからぬ彼女は素っ頓狂な顔をしている。 

 

 

「何言ってるのよ、父さんも母さんも家族なんだから"会う"って話はおかしいわ」

 

「ちゃんと顔は思い出せるの?」

 

「当たり前じゃない」

 

「ここ最近会ったことは?」

 

「二人とも日本にいないから会いたくても会えるわけないの。私が中学を卒業するタイミングで父さんの海外転勤が決まったから」

 

「じゃあ、中学校の時は?」

 

「三人で暮らしてたわ」

 

「どこで、どういうふうに?」

 

 流石に朝倉さんも答えたのか、けっこう嫌そうな表情を浮かべて。

 

 

「いい加減にして。わけのわからないことばかり言われても私には心当たりがないんだから」

 

 わかったよ。

 俺は心底申し訳ないと思いつつ咳払いをしてから。

 

 

「それじゃあ最後にもう一つだけ聞かせてくれ――」

 

 これで駄目ならマジに諦めるかも。

 

   



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第三十五話・偽

 時間は有限である。

 どこぞの偉い人に言わせればイコール金、資本であり取り返しがつかないものでもあるそうな。

 にも関わらず俺は横になって天井を眺めているのさ。

 何故か、そう、今は長期休暇でありつまるところ夏休みであるのだ。

 

 

「ねえ朝倉さん」

 

 夏休みに入ってから毎日の如く朝倉さんが住む分譲マンションの505号室を避暑地としているわけなのだが、何をするでもなく一日一日を消化するだけ。

 嗚呼、時間は有限であるなんてどの口が言えるのやら。

 といっても後少しすれば原作におけるトップクラスにトンデモなイベントが待ち受けていつのだから今は現実を忘れさせてくれ。

 

 

「なあに?」

 

 雑巾で窓ふきをしている朝倉さんは特にこちらを見ずに応じる。

 彼女の部屋の居間のソファでくつろいでいる最中、ふと俺は気になったことがあったのだ。

 

 

「いやさ、朝倉さんの出身中学校って確か市外だよね」

 

「そうね。そういうことになっているわ」

 

 原作一巻でそれとなく触れられていたことだ。

 なんでも市外の中学から北高に越境入学した体で一年五組にいたらしい。

 しかしながら長門さんは原作の描写的に俺たちの世代が高校に入学するまでの三年間特に中学校とか行ってなかったはずで、

 

 

「私も長門さんも中学校には通ってなかったわよ」

 

とのこと。

 

 

「行く必要があると判断されなかったもの。特に東中なんて、あの時期の涼宮さんは私たちが何もしなくても有機生命体の文明を崩壊させてたかもしれないし、そういう意味でも観察がいいとこだったの」

 

「なるほど」

 

 義務教育なんてものが宇宙人に通用するはずもないし、とやかくは言えまい。

 

 

「だけどこの部屋の契約自体は三年前から済ませてたんだよね?」

 

「ええ。それが?」

 

「学区は自由じゃあないんだから、三年も前からここに住んでいることがもし普通の人にバレたらマズいんじゃあないのかな。こんなとこから市外の中学までわざわざ通ってたなんて、おかしいと思われるでしょ」

 

「そんなこと心配する必要もないわ」

 

 朝倉さんはかがんで床に置いてあるバケツに雑巾を入れて洗い、それから絞りながら。

 

 

「万が一に私たちのことを詮索するような第三者がいたらすぐ排除されるうえに、まず古泉一樹たち『機関』が動くと思うわ。面倒なことになったら彼らが一番困るはずよ」

 

 それもそうか。排除ってのは穏やかじゃないけど。

 ともすれば管理人室のお爺さんは『機関』の関係者なのかもしれない。

 原作では朝倉さんが分譲マンションに入居した時期を知っていたし、涼宮さんに最低限の情報しか与えなかったという点でも頷ける。

 ま、どうあれ俺には関係のなさそうな話だけど、気になったから聞いてみただけのことさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何か用かの?」

 

 分譲マンションのエントランスホール脇に位置する管理人室。

 そこの壁に設置されている呼び出しベルを押してから少しばかりして白髪の爺さんがガラス戸の前に現れた。

 俺は自分が出せる範囲内での営業スマイルを作りながら騙る。

 

 

「大したことではないのですが、少々お尋ねしたいことがございまして」

 

「住民の個人情報に関わることならお答えできませんのう」

 

「いえ、本当に些細な質問ですよ」

 

 ちらりと横目で左隣に立つ朝倉さんの方を見て。

 

 

「彼女がいつこのマンションに入居したのか、なるべく正確な日付をお聞かせ願えませんか」

 

 管理人のお爺さんはさぞ奇妙に思ったことだろう。朝倉さん本人に聞けばいい、と。

 しかしながら当の朝倉さんも「お願いします」と一礼したことによってお爺さんは思い出すように斜め上を眺めながら。

 

 

「んんっ、そうさなぁ。たしか三年ぐらい前の七月いっぴには契約が完了していたはずじゃが……そうそう、そこの嬢ちゃんが高い菓子折りを持ってきてくれたからの。ふむふむ、昨日のことのように思い出せるぞい」

 

「……え?」

 

 管理人の供述を呑み込めていない朝倉さんは口を丸く開けている。

 続けざまに老管理人は。

 

 

「嬢ちゃんがここに来てからずいぶん経つが、わしゃあ未だご家族の方に会えとらんのう。契約には立ち会わんしの。確か親御さんはカナダじゃったか? 若いのに難儀なことよ」

 

 これ以上はややこしくなりそうだ。切り上げよう。 

 

 

「そうでしたか、充分です。ありがとうございました」

 

 俺は制服に着替えなおした朝倉さんの手を引いていっしょにその場を後にし、マンションの外に出た。

 それからひとしきり歩いた後。

 

 

「うそよ」

 

 朝倉さんは立ち止まり、俯いて。

 

 

「私は管理人さんに挨拶はしたけど菓子折りなんて買ってないわ」

 

「うん」

 

「あのマンションに住むようになったのも高校に入ってからよ」

 

「……うん」

 

「中学生の時に家族で暮らしてたのはここから遠くの、県境に近い――」

 

「朝倉さん」

 

 俺の呼びかけにびくっと肩を震わせる朝倉さん。

 

 

「もう、いいだろ」

 

 こういう時に何もしてやらないのは最低だ。

 

 

「オレの言ってることを全部信じろとは言わないけれど、現実問題として朝倉さんの認識と辻褄が合わないこともあるんだ、どういうわけかね」

 

「何かの間違いよ。あのお爺さんの認識がおかしいだけだわ」

 

「そうかもしれない。でも、そうじゃあないかもしれない」

 

 あえて突き放すように俺は淡々と。

 

 

「たとえばの話だけど、今すぐ君の両親に電話をかけてみてくれ」

 

「えっ? あっちは夜なのよ……」

 

「なら留守電にでも入れておけばいいさ。とにかくまず電話をしてほしい」

 

 朝倉さんは俺の態度に釈然としない様子でケータイを取り出しテンキー操作をした後、耳に当てる。

 確かにカナダとの時差は半日近い。今の日本が十一時も半を回ろうかという時間なのでカナダはおそらく夜の十時過ぎといったところか。

 午後十時ぐらいなら十分に朝倉さんの親も起きていると考えられるけど、そもそも日本時間を考慮するとこの昼間のタイミングで朝倉さんが両親に電話をかけること自体が稀なので、ともすれば相手方は驚く反応をするだろう。朝倉さんはそれが煩わしく思えるタイプの人間に違いない。

 だが、

 

 

「……そんな」

 

電話が繋がらないどころか『おかけになった電話番号は現在、使われておりません』という電子音声ガイダンスが流れたら?

 つまり、朝倉さんに本当に親がいるかどうかの証明はできないというわけなのさ。

 それから彼女は携帯電話の連絡先に登録されていた祖父母にも電話をかけたが、ついぞ繋がりはしなかった。

 朝倉さんは茫然自失な様子である。

 

 

「誰一人として身内に連絡がつかない、単なる偶然にしては出来すぎてると思わないかな」

 

「何かの間違いだわ」

 

「言っておくけどやらせじゃあないぜ?」

 

「……」

 

 流石に黙り込む彼女。

 ふむ。正直なところ俺はそこまで期待していなかったがどうにか矛盾点を見出すことができたようだ。

 原作で涼宮さんが不思議がっていた、朝倉さんが県外の中学校出身なのに中学生のころから件の分譲マンションに住んでいたという点。

 この点は世界改変の折に他の人から不審がられぬように有耶無耶にされたのだろう。

 では、何故管理人のお爺さんが改変前の世界の認識を持っているであろうと予測していたかといえば、仮説レベルではあるがそれなりの根拠がある。

 【消失】で涼宮さんが七夕のことを覚えていたから。いや、もっと言えばこの改変の規模には限界があったのだ。

 朝比奈さんたち未来人によると、この世界はある時間軸を基準に成り立っていて、それより過去にはどうしても遡行できない。

 古泉いわく世界は三年前のある日にできたのかもしれないそうだが、いずれにせよ俺たちには三年以上前の記憶はしっかりとある。

 だいたいからして俺たちSOS団の面々など三年どころか全員がしっかり関わったのなんかまだ半年とちょっと程度の期間だ、三年より昔のこと全てを改変する必要もないのだ。

 それに、朝倉さんら宇宙人が地球に来たのは少なくとも東中地上絵事件より前。三年前の七夕が改変されてなけりゃ、宇宙人来訪に関してもノータッチと踏んだわけよ。

 

 

「私にどうしろって言うのよ……」

 

 焦燥気味の彼女。

 俺はそこに付け入るかのように説得を試みる。

 

 

「さっきも説明したけどオレにはやらなくっちゃあならないことがあるんだ。朝倉さんはその協力をしてほしい」

 

 大統領も拍手モノの白々しさだ。

 

 

「世界を元に戻すっていう話かしら」

 

「うん」

 

「じゃあ教えてちょうだい」

 

 何をだい、と軽い調子で問い返せる雰囲気ではなかった。

 朝倉さんの焦点が怪しい視線は俺をどうにか捉えて一言。

 

 

「あなたの望み通りにうまくいったとして、私はどうなっちゃうの?」

 

 難しい質問だ。

 

 

「世界が変わってたのが"なかったこと"になるんでしょう? その間の記憶は、私は、どうなっちゃうのよ。まさか」

 

「わからないよ」

 

 そんなことは俺にもわからない。

 ただ彼女を落ち着かせるためには正直に語るしかなかろう。

 

 

「元々のお話の中では変えられた世界がどうなったかはわからずじまいなんだ」

 

 一説には平行世界として存在し続けてるなんてのもあるけど、順当に考えれば。

 

 

「この世界があったという事実がかき消されるだろうね」

 

「そんな……」

 

 むしろこの考えの方が現実的だ。世界が消える消えないなんてのがもう非現実的なのに現実的ってのもおかしいけど。

 お互い口にまでは出さなかったがこれが事実上の"死"に近いことは理解している。

 言うなれば俺がこれからやろうとしているのはゲームの分岐点で作っておいたセーブポイントから別のルートへ移行するということだ、選ばれなかったセーブデータがどうなるのか? それは俺にもわからない。リアルとバーチャルは違うから。

 

 

「もちろん、こっち自体には何も起こらない可能性だってありうるよ」

 

「だったらあなたは? 明智君は?」

 

「さあ。わからない」

 

 普通に考えたら俺がここからいなくなって終わりな気がするんだけど。俺の代わりの俺がいるなんてことは考えにくいし。

 そんな俺に対して朝倉さんはどこか必死な様子でこちらに寄りかかってくる。

 俺は慌てて彼女の両肩をホールドして支える形であるのだが、流石に俺も精神攻撃が下手だったということか。別に彼女を追い詰めたかったわけではないのだ。打算的なものが俺にあったのは否定しないが。

 朝倉さんは消え入るような声で。

 

 

「いなくならないで」

 

「……ごめん」

 

「あなたの言ってることが本当だって信じるわ、でも、あなたはこの世界にいたっていいじゃない」

 

「悪いと思ってるよ」

 

「だったら私を選んでよ。あなた、また私の前からいなくなるつもりなの?」

 

「オレを許してほしいとは言わないけど……すまない」

 

 消失世界の彼女と俺とに何があったのか俺は知らない。

 だが単なる偶然で付き合っていたようには思えなかった。

 ともすれば俺のあずかり知らぬ因縁じみたものがあるのかもしれないな。

 でも、

 

 

「朝倉さん」

 

俺には、

 

 

「君にもう一つだけ話しておかなくっちゃあならないことがあるんだ」

 

この事件を終わらせる責任がある。

 なぜならそれは俺が始めたことだからだ。

 今、誰なのかがようやくわかった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 第一に、強くてニューゲームってのは俺に言わせればちゃんちゃらおかしな話である。

 いやいやいやいや、そこの異世界人。お前がまさしく"強くてニューゲーム"な状態じゃないかって言いたくなるだろう?

 俺が言いたいのは俺の主義というか考え方みたいなことがあって、こういう異世界体験記に基づくものではない。昔からの持論だ。

 人間は往々にして『やらないで後悔するよりもやって後悔した方がいい』といった自分を正当化するような自己肯定の主張をしたりなんかする。

 べつに間違ってないと俺は思う。つまるところ人間ってのは満足したいのであって、選ばなかった選択肢を考えればそりゃあ悔やんでも悔やみきれないことは多々あろう。

 だからこそ俺はもし強くてニューゲームなような状況、昔の自分に立ち返れるという状況があるのならば別の選択肢を選ぶなんてことはしないと考える。

 理由は簡単だ。昔の自分を否定したくないからだ。

 俺は常に同じ選択をし続けるだろう。

 

 

「そろそろかな」

 

「ええ」

 

 腕時計の時刻を確認、頃合いだ。

 ――私立光陽園学院。

 本来ならば女子しか入学のできないお嬢様学校だったが世界改変の折に県内有数の進学率を誇る男女共学私立校と化している。

 あと数分で下校時間になる。というわけで朝倉さんに協力してもらうこととなった俺は原作よろしく校門付近で待ち伏せ作戦だ、最悪古泉だけでも捕まえられれば涼宮さんの家は知っているのでどうにかなるという寸法よ。まさか住所が変わっているとかないよな?

 もしくはこちらから学校内に潜入していくという手段もあるが流石によしておこう。"臆病者の隠れ家"を駆使したとしてもいずれ女子生徒に見つかりキャーと声をあげられ最終的に警備員の人とモメるような予感しかしない。

 朝倉さんがいなかったらやってたかもしれないけど。

 

 

「あら、今何か物騒なこと考えてなかった?」

 

「……いいや」

 

 とにかくドンパチはナシで。

 いくら別世界とはいえ俺だって犯罪者にはなりたくないというものだ。

 かくして待つこと五分弱、授業の終わりと思わしきチャイムが辺りに響き、それからものの数分で生徒玄関からこちらへぞろぞろと光陽園学院の生徒がおいでになられた。

 

 

「うちの生徒とはオーラが違うわね」

 

 とは光陽園生を見た朝倉さんの弁。

 横でこの言葉を耳にした俺は思わず「オーラだって……?」と反応してしまったが普通に考えれば朝倉さんが念能力としてのオーラに言及するはずもない。念能力についてはさっき説明したけどさ。

 そうじゃなくて、単純に彼女ら光陽園学院のみなさんは北高生と違い覇気があるように見えるということかな。

 なまじ進学率のいい、しかも私立校に通うだけあって気が抜けないのだろう。アピールせずとも意識の高さは伝わってくるというものだ。

 しっかしこういう時に"円"を使えないのはえらく不便に感じてしまうな、あれがありゃあ探し物なんか一発だぜ?

 まあ、よしんば使えたとしても俺の円の範囲がノブナガ程度だったら意味ないけど。

 

 

「それで、涼宮ハルヒさんと古泉一樹くんだったかしら……まだ姿は見えないの?」

 

 何度もSOS団の団員の名前を言ったつもりはなかったけど朝倉さんはしっかり覚えていたらしい。自慢じゃないけど俺なら忘れている自信がある。

 まだ姿が見えないのか、ねえ、沈黙は肯定と受け取ってほしいけど。

 そんな俺の様子を見た朝倉さんは一言。

 

 

「やれやれね」

 

 肩をすくめてみせた。

 ああそうだ。俺には原作をなぞっていく以外の攻略法などなく、つまるところどうしようもないのだ。俺たちは待ち続けるしかない。

 そんなこんなでこ光陽園学院の校門わきで十数分が経過した。

 次第に出てくる生徒の数はまばらになり、視認性という意味では涼宮さんを発見しやすくはあるものの時間の経過からか同時に彼女を取りこぼしたのではという焦燥感にも駆られてしまう。

 いや、焦るな。

 焦って見落とす方がダメじゃあないか。

 ここで集中力を切らせてたまるか、まばたきさえ控える努力をしてみせろ――そんな時だった。

 

 

「……おいでなすった」

 

 冷静になれば見落とすわけもない。神だとか、SOS団とかそれ以前に、それほどまでに彼女は存在が大きすぎるのだから。

 何はともあれアプローチだ。ちゃんと古泉も横にいる。

 

 

「朝倉さん」

 

「ん?」

 

 俺は涼宮さんの方に指をさしてあれが探していた人だということを朝倉さんに伝える。

 朝倉さんは遠巻きから一通り涼宮さんを見て。

 

 

「なかなかよさそうな娘じゃない」

 

「……何がですか?」

 

「私ほどじゃないけど」

 

「はあ」

 

 と、そうこうしているうちに二人はそろってこちらの方に近づいてくる。

 当たり前だ、こっちが私鉄光陽園駅に通じる道であり、通学路なのだ。

 

 

「さあ行こうか」

 

 待っていてくれ、もう少しで決着をつけてやるから。

 

 



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第三十六話・偽

 

 

 何事も順番が大切だ。

 涼宮さんに対して話がしたいのならば、まずは彼女に興味を持ってもらわねばならない。

 普通が嫌いな人間代表である彼女は普通の人間なんぞに構っている時間はない(本人談)というわけだ。

 しかもその"普通じゃない"には下賤さが含まれてはならない上に彼女の機嫌を損ねないやり方でなければ上手くはいかないだろう。

 無い無いばかりで嫌になっちゃうね、まったくさ。

 

 

「やあ涼宮さん」

 

 俺は恐る恐る涼宮さんの前に立ち塞がる。

 北高入学当初のように彼女の髪は長い、基本的に伸ばしっぱなのか。そしてその髪はストレートに下ろしている。いつぞやの彼女は毎日の如く髪形を変化させていたが、この世界においてそれは実施されていないようだ。あるいはもうやめてしまったのかのどちらかかな。

 突然の俺の登場に対して涼宮さんはややたじろいだが、すぐに仏頂面に戻って、

 

 

「何、あたしになんか用? ていうかあんた誰、ジャマなんだけど」

 

初対面の人間相手にきつい当たり感マックスだ。

 そりゃあ俺でもいざ帰ろうとした時に知らない野郎に声をかけられたら怪しむよりもまず不快に思うけど、これでも俺が出せる最上級にフレンドリーな顔を作ったつもりである。

 

 

「もちろんオレは君に用があるよ。ついでにそこの古泉一樹くんにもね」

 

 ふいに名前を呼ばれて目を細める古泉。

 学ラン姿であること以外はいつもと変わらぬように見える。

 

 

「すみません。僕はあなたとお会いした覚えがないのですが、何故僕の名前を?」

 

「その説明も含めて"用"さ。どうせ二人ともこれから帰るんだろ、退屈しのぎにはちょうどいい話を聞かせてあげるよ」

 

「ちょっと」

 

 相も変わらずにむすっとした顔の涼宮さんはずんずかと俺の方に近づき、張り倒さんかというばかりの勢いで俺を横に押しのけて、

 

 

「わけわかんない適当なこと言ってあたしを騙そうってハラ? 悪いんだけどそういうのはもう飽きたのよね」

 

第三者がいたら間違いなく賛同するであろうありがたいお言葉をお見舞いしてくれた。

 そして彼女は納得したかのように続けて。

 

 

「あんた北高生でしょ、ふうん、どうりでアホみたいなツラしてる」

 

 顔の良し悪しでいったら流石にそこの横の野郎に勝つ自信はないからなんとも言えないぞ。

 俺が自分で何か弁明するより先に隣にいた朝倉さんが、

 

 

「彼、伊達や酔狂であなたたちに会いに来たわけじゃないみたいなのよ」

 

必要最低限のフォローを入れてくれたが、

 

 

「あんたはそいつのツレ? 悪いこと言わないからもうちょっとマシな野郎をつかまえた方がいいわよ」

 

涼宮さんお得意の誹謗中傷でフォローも台無しとなってしまう。

 古泉は現状手持無沙汰で苦笑しながら突っ立っているが、いつ彼が「もう行きましょう」とか言うかもわからぬ状態。よろしくはない。

 まったく、会話で上手く丸め込めるなど最初から期待しちゃあいなかったさ。

 俺は降参だといったような感じで手をヒラヒラさせながら切り札を切る。

 そう、本来俺が切るべきものではない札を。

 

 

「涼宮さん、こう言えば君も興味がわくはずだけど」

 

 "ジョン・スミス"

 俺がそいつの名を出した瞬間、彼女の顔色が一変した。

 横にのけてた俺の左腕を掴んでぐいっと手繰り寄せる――朝倉さんといい女の子の細い腕のどこにこんな怪力が宿ってるんだ?――と鋭い眼光で俺に視線を合わせ、

 

 

「……今、あんたなんて言ったの?」

 

「おや、聞こえなかったのかな」

 

「いいから! あたしの質問にはっきり答えなさいよ」

 

 ぐっ、お次はネクタイを掴まれる。こういうのはキョンの専売特許のはずだぜ。

 彼女はいたって真剣そのものな様子だったが、俺はというともう少しのらりくらりしていたかった。

 が、人がまばらな時間帯とはいえ校門付近でこんなやり取りをしていたらじきに警備員の人がここまで駆けつけるかもしれない。それは至極面倒なのでちゃんと返すことにする。周囲の目線も割かしきついのだ。

 

 

「ならもう一度言うけど……ジョン・スミス。覚えているかな、今から約三年前に君が中学校のグランドに地上絵を描こうとしていた時、それを手伝った通りすがりの男の名前さ」

 

「ジョン・スミス、ですって? まさか……あんたが?」

 

「おっと違う違う、オレは君が知ってるあいつじゃあないよ。オレは彼の親友さ」

 

 とにかく話をしようじゃないか。

 落ち着いてできるとこでね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 論ずるより証拠とはよくぞ言ったもので、自称超能力者が自らの正当性を主張したいのならば異能の力を見せる他ない。

 実際に古泉はそうやったわけだし長門さんや朝比奈さんもキョンに普通じゃないってことを各々証明した、もちろん俺も。

 と、いうわけで俺は人目につかない路地までいくと道端に"入口"を用意し、涼宮さんと古泉ついでに朝倉さんの三人を"臆病者の隠れ家"に招待してあげた。

 今現在俺たちがいる場所は現実の世界などではなく念能力によって構築された異空間、もっともそれと知らなければ普通のマンションの一室だと勘違いするほどに内装は丁寧で、壁には黒を基調とする花柄の壁紙が張られていて、床はベージュとブラウンのタイルカーペット、家具なんかダイニングチェアにテーブルと椅子、部屋の端には冷蔵庫、そしてテレビだ。

 デフォルトは本家"四次元マンション"と同様に一面白の空間なのだが、あまりにも殺風景なのでなるべく俺は部屋をコーディネートしている。

 これらは念やオーラによる産物ではなく現実世界から俺が持ち込んだ――もちろん俺一人がここまで用意できるはずもなく、殆どが兄貴に貰った――ものだ。

 ちなみにどういう原理かは知らないけど電力は通ってるし空気は常に新鮮なもの。

 推測でしかないが、どっかの場所からそれらを"借りて"いるんだろう。俺にも本当によくわからない、異空間を形成する能力について適正があったのは確かなんだけどさ。

 

 

「へぇ、本当にあなたには不思議な力があるのね」

 

 唖然とする涼宮さんと古泉を尻目になんだか感心したような様子の朝倉さん。

 とりあえず来客を座らせるように促そう。

 

 

「適当に座ってくつろいでてくれ。この部屋は冷蔵庫しか置いてないから冷たいものしか出せないけど、室内は年中快適な温度と湿度だと自負してるよ」

 

「トリック、にしては手が込んでますね。だいいち僕たちにこのような演出をする意図が見えてきません」

 

 お手上げ状態なのかハハハと爽やかに笑う古泉。

 いつぞやのキョンも俺の隠れ家に入った時はやれトリックだ何だと言ってたっけな、懐かしい。

 俺は涼宮さんに缶コーラ、朝倉さんと古泉に缶コーヒーを差し出すと、席について語ることにした。

 が、ここが物語の世界だとか、ひょっとするとこの世界は消えてしまうかもしれないなんて部分はカット。世の中には知る必要もないことがあるというわけさ。 

 もちろん異世界人だとか念能力だとかオーラだとか聞いて彼女が喜ばないはずもなく、

 

 

「SOS団……うん、おもしろそうじゃない!」

 

すっかり団員のみんなに対して興味津々である。

 対する古泉は「信じられませんね……」とポツリ。そりゃあそうだわな。

 でもってこんな怒涛の展開だろうと自分の興味が沸くならお構いなしの涼宮さんは椅子から勢いよく立ち上がり、

 

 

「今から北高に行くわよ!」

 

俺がとやかく言うまでもないといった様子だ。

 そう、どう歪もうと基本的には原作通りに進んでしまう。だからこそ俺は抗わなければならない。

 涼宮さんには既にこの部屋から出る方法を説明してあるので彼女はさっさとドアを開けて出て行った。

 古泉はどこかうんざりしたような疲れた顔で、

 

 

「……僕も行かなきゃだめなんですか?」

 

「もちろんさ。涼宮さんをオレたちに任せてしまってもいいのかな? お前さんから見たオレと朝倉さんはすげえうさんくさい連中だと思うんだけど」

 

「それもそうかもしれませんね」

 

 こんな古泉は元の世界の彼からは想像もつかない。

 転入してきてクラスに馴染めなかったとか言ってたあたり存外と繊細な人間なのかもしれない。

 ところで北高まではもちろん徒歩で行くことになるが、マスターキーを使えばこの部屋から直接北高文芸部の部室まで行ける。しかしそんなことをしていきなり床から俺たちが這い出てきたら部室にいるキョンと長門さんにどんな反応をされるのやら。

 何より俺はこれ以上他人に俺の事情について話すつもりはなかった。

 俺の目的は"鍵"を集めたその先にあるのだ、同じような説明を何度もしたくはないってのもあるにはある。

 

 

「行こう。涼宮さんはせっかちだから待たせたら怒られるよ」

 

 かくして北高に向かうことになった俺たちは、放課後から一時間とやや少しが経過してようやっと北高近くまで辿りつけた。

 正面からでは校内に残っている生徒に見られかねないので今は一旦裏手にまわっている。

 そして侵入するための作戦はお馴染みの北高指定ジャージに着替えてもらって運動系の部活の部員を装うというものだ。

 俺の長ジャージ一式を涼宮さんに、シャツと短パンを古泉に渡すと再び俺は地面に"入口"を設置して二人とも別々の"隠れ家"の部屋で着替えてもらうことに。

 涼宮さんより先に部屋から出てきた古泉は寒さからか時たま身体を震わせながら、

 

 

「なんで僕はこんなことをしてるのでしょうか……」

 

俺に言うしかないんだろうけど俺に言わないでくれよ。

 続けて涼宮さんが出てくるとお待たせなども口にせずさっさと校門の方へ回っていった。文芸部の場所を知らないのに。

 その後を追う古泉と朝倉さんと俺、そんな中で歩きながら朝倉さんが何気なく。 

 

 

「ねえ明智君。長門さんやキョンくんは部室にいると思うんだけど、朝比奈みくるさんって先輩の人はもう帰っちゃってるかもしれないわよ?」

 

 たしかにそれもそうではある。

 いくら原作では書道部の活動をして校内に残ってたとはいえこの世界でもそれが同様とは限らない。が。

 

 

「心配は無用さ」

 

 実は北高を抜け出す前、谷口に朝比奈さんを文芸部まで呼んで俺が来るまで残らせるようにと頼んである。

 言われた当の本人は俺を病人か何かだと言わんばかりの様相で。

 

 

「んだそりゃあ? わけわかんねえ注文だな、お前これから朝倉んとこ行くんじゃねえのか。どうしてそこで朝比奈先輩が出てくんだか」

 

 まっとうな反応であったが俺がこれを機会に彼女に顔でも覚えてもらいなよと言うと。

 

 

「ん、それなら後でなんかお礼をよこしてくれよ。タダじゃ人は動かせねえかんな」

 

 なんて感じで引き受けてくれたから大丈夫なはずだ。

 いざという時は鶴屋さんにすがりつけばなんとかしてくれるかもしれないし。望みは薄いけど。

 でもって一分ほどで生徒玄関に堂々とやってきた俺たち。

 涼宮さんは当然の所作で誰かの下駄箱から上履きをぶんどって履き、俺は谷口のやつを古泉に渡してやった。

 たしかにジャージ姿なのに来客用のスリッパという取り合わせもヘンだがこの時期にジャージ姿で校内をうろつく方がヘンだ。しかも俺たち全員がジャージ姿というわけではないという状態だし。

 それにしても部室棟三階までの道のりがやけにもどかしい。朝倉さんは俺に世間話をしてきているようだが俺が返しているのは生返事のみ、涼宮さんはずんずん突き進むし古泉は何がなんだかといった様子。

 未だに元の世界に戻らなかったらどうなるのか、そんなことが思い浮かばないわけではない。

 けれど、それ以上に、俺は、俺は――

 

 

「たのもーっ!」

 

 などと思考を散漫させているうちに部室棟の三階、文芸部の前に到着して涼宮さんはノータイムで勢いよく扉を叩き開けた。

 我が物顔で中に入っていく彼女を見て本能的に俺はあちゃーと思ったが、思ったところでしょうがないので俺たちも続けて入ることにする。

 とっくのとうに予想できた結果ではあるが突然の来訪者の登場に部室内の空気は完全に凍り付いてしまう。キョンはアホみたいなツラして彼なりに驚いてるし、長門さんと朝比奈さんは時たま硬直するハムスターみたいな感じでかわいらしくこちらを見て停止している状態だ。

 涼宮さんはキョロキョロとあたりを見回してからキョンを視界に捉えるとパイプ椅子に腰かけていた彼の方へと突き進んで、

 

 

「ねえ、あんたがジョン・スミスなの?」

 

「あーっと、なんのことでしょうか。…………っていうか明智、この二人はどちらさんだ」

 

 混乱と侮蔑に近いものが入り混じった視線を俺に向けるキョン。

 よくよく考えると彼は自分がジョン・スミスという役割をこなしたことなど世界改変の折にすっかり忘却されているので俺が涼宮さんに彼がジョン・スミスと教えたところで会話がかみ合わないのは当たり前だった。

 俺がそのあたりをフォローするよりも先に彼の態度が気に入らなかったのか涼宮さんは恐ろしく早い速度でお馴染みのネクタイ掴みをキョンに仕掛け、無理やりパイプ椅子から立たせ――スゴい彼が苦しそうなんだけど――ると。

 

 

「舐めた態度ね、よほどユカイな頭してるみたい。質問してんのはあたしの方なんだけど」

 

「んぐ……なこと言われでも……俺は知ら」

 

「あっそ」

 

 ぼとりと解放されて床に尻もちをつくキョン。

 バイオレンスな光景に朝比奈さんは「ひぇっ」と声をあげ、長門さんはすぐさまキョンに寄って彼を労わる。

 おそらくこの中で一番状況的に呑み込めていないであろう朝比奈さんは脳が恐慌状態なのか涙目になりつつ。

 

 

「な、ななな、なんなんですかぁ、みなさん。この人の次はあたしにも暴力を振るうんですかあ!?」

 

 俺が元凶とはいえ気の毒にと思ってしまったではないか。

 古泉は再び乾いた笑いをしているし、朝倉さんからは「話に聞いてた以上の人なのね、涼宮さんって」と呆れた一言。

 このまま放置では間違いなく収拾がつかなくなるので俺は朝比奈さんに申し訳程度の弁解をする。

 

 

「すみません朝比奈先輩。あなたに部室に来てもらうように頼んだのはオレです」

 

「ふぇ? あなたが……?」

 

 やはり俺は営業スマイルが下手なのだろうか、ビビられている。

 ともすればこの世界でも俺が不良だとかあらぬ噂が実は立っているのかもしれないぞ、ちくしょう、事実無根だかんなそれ。

 

 

「ちょいとしたワケありというやつでして、まあオレたちは先輩に何もするつもりはないんで安心してください。ただもうちょっとばかし残ってもらいたいですけど」

 

「は、はぁ……そうなんですか……?」

 

 何の説明にもなってないが言い訳としてはこれでいいんだ、彼女は頼まれたら断れないタイプだろうしね。そこに付け込んでいるから自分で自分が嫌になってくる。

 後はこのままプログラムが勝手に起動してくれるのを待つだけなのだが、

 

 

「ねえレイ、巨乳ちゃんの未来人ってのはアレあれよね?」

 

トントンと指先で背中をつつかれたかと思えば涼宮さんはビシッと朝比奈さんに人差し指を突きつけてそう質問してきた。

 しかし明智君とばかり呼ばれてた涼宮さん相手に下の名前で呼ばれるのは新鮮だなと感じつつも俺が頷くと、次の一瞬にはゴキブリダッシュ顔負けの速度で椅子に座る朝比奈さんの背後に回り込むや否や、これまたいつものようにガシッと彼女のたわわな胸を両手で鷲掴みに。

 朝比奈さんは数秒自分が何をされているのか理解できていなかったが、徐々に彼女の顔は赤らんでいき、

 

 

「ひええぇぇええええっ! な、何をするんですかあっ!?」

 

絶叫である。

 耳に入る朝比奈さんの嬌声などお構いなしに、むしろそれを興奮材料としているのではという勢いで涼宮さんは笑顔になりながらわしわし彼女の双丘をセーラー服越しに揺らしながら、

 

 

「うんうん、これよこれ。あたしこういうのが欲しかったのよね」

 

「や、やめてくださいぃぃぃ」

 

「何言ってんのもったいない。減るもんじゃないからいいでしょ」

 

 いつぞやキョンは朝比奈さんはお前のおもちゃじゃないんだぞと言って怒っていたが、あの時のあいつがここにいたら間違いなく再びグーを飛ばしかねない状況だ。といっても今のキョンは終始状況に呆気にとられていて未だ尻もちをついているままだが。

 

 

「この感触は間違いなくDより大きいわ、Eはカタいんじゃないかしら」

 

「ふぇえええんっ!!」

 

 こんなのがいつまでも続けばやがて教職員が飛んできかねないほどだが、ちゃっかり部室の扉に鍵はかけてあるしよしんば突入されたとしたらオーラで威圧しとこう、うん。

 ようやく立ち上がってこっちに寄ってきたキョンは――見てない間に長門さんといちゃついてた気がする――俺が元凶だと察したようで。

 

 

「おい明智、どういうことなんだ。いいかげん説明しろ」

 

「したいのはオレだってやまやまなんだけどさ、長くなっちゃうし……まあ一言でいうとオレは異世界人なのよ」

 

「はあ? お前何言ってんだ」

 

「詳しい話はまたいつかね。あればだけど」

 

 なんて話をしている傍ら朝倉さんは短パンシャツ野郎と化した古泉相手に質問をかます。

 

 

「涼宮ハルヒさんって、いつもあんな暴漢まがいなことをいているの?」

 

「い、いえ。僕が見ている範囲ではあのようなエキセントリックな真似はありませんでしたよ、ええ、はい、そうです」

 

 古泉は寒いのにまるで滝のような汗でも流しそうな緊張感をもって受け答えしている感じで、ともすれば否定なのか肯定なのかわかりにくい返事だ。

 長門さんは何か口には出そうと思っているようだけどもオロオロして言葉になっていない感じだ。

 ああ、なんというか、カオスな状況だけどこのメンバがここにいる、それだけで俺は胸に込み上げてくるものがある。

 どういう形で決着をつけるにせよ、最悪の場合俺が世界改変を阻止できなかったにせよ、このみんなだけは大切にしたい。改めてそう思えたし、今までの身勝手な自分が恥ずかしくなってきた。

 だからこそ俺は意思を固める。絶対に、"好き"にはさせないと。

 

 

――ピポ

 

 そしてようやくその時が訪れた。

 旧式パソコン特有の、ちゃちなブート音が部室内に行き届くのを確かに俺は聞き漏らさなかったんだ。 

 

 



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第三十七話・偽

 

 もちろん置物状態だったパソコンの方には誰も関心などなかったし、ましてや手を触れてる人など皆無であった。

 しかしながらパソコンはふいに自動で起動を始めたのかハードディスクがカリカリカリと音を鳴らしていてディスプレイも勝手に電源が付いたのか置いてある場所から光が漏れているのが見受けられる。

 どうやらここまでのようだ。

 

 

「朝倉さん」

 

 今のうちにひとつ俺は彼女にお願いすることにした。

 未練がましいといわれればそれまでだが。

 

 

「もしオレがさ、世界を元に戻すのに失敗した時は……まあ、そん時はオレとよろしく頼むよ」

 

 いったいどんな返事が返ってくるのやらと思えば。 

 

 

「何言ってるのよ。私を選ばなかったんだからあなたにまた来られても困るわ」

 

 でも、と言葉を続けてくすっと笑い。

 

 

「ま、その時はお友達からやり直しましょう」

 

「……うん」

 

 やっぱり俺にはもったいないぐらいの言葉だよ、朝倉さん。

 朝比奈さんをいつの間にか解放してパソコンの前で画面を覗き込んでる涼宮さんに「失礼」と避けてもらうと、一から十まで記憶しているわけではないが恐らく原作通りにモニタのブラックスクリーンを背景に白い字のコマンドプロンプトが躍り始めた。

 

 

YUKI.N>これをあなたが読んでいるのならば、わたしはわたしではないだろう。

 

 ああ、そうさ。

 まさか俺がこんな役目を引き受けるとは思わなかったけど今にしてみれば当然の帰結といえる。

 キョンは素っ頓狂な様子で、

 

 

「なんだこりゃあ」

 

と声をあげたが彼に説明できるのは俺かあるいは朝倉さんぐらいなもので他のみんなは誰もが彼と同じ様子なのは間違いない。古泉も、いつの間にか朝比奈さんを解放していた涼宮さんも、目の端の涙をぬぐった朝比奈さんも、眼鏡をかけた普通の文学少女である長門さんも。

 それからゆっくりとではあったが、確実にパソコン上の文字は紡がれていく。

 栞に記されていた"鍵"はSOS団七人全員であること、本プログラムは緊急脱出プログラムであり決して成功の保証も帰還の保証も存在しないこと、一度きりであること、実行ならばエンターキーを押下して、そうでなければそれ以外を押下せよ。

 

 

「長門さん、このプログラムに覚えは?」

 

 尋ねるもフルフルと横に首をふられた。

 知ってたけど念のためというやつである。

 

 

「だったらもう、オシマイだ」

 

 俺は画面の指示そのままにエンターキーを押そうとしたが、

 

 

「明智君」

 

「……なんだい」

 

朝倉さんの言葉に少しばかり引き留められる。

 

 

「あなたに言い忘れてたことがあったわ」

 

 彼女は一瞬だけ"あの時"のような顔をしたが、それから無理やり笑顔に切り替えて。

 

 

「昨日のことは気にしなくていいから、心おきなく明智君は明智君のやりたいことをやって来なさい」

 

 重ね重ね本当にありがたい。

 なんだか勇気が湧いてくる、後押しってのは。

 パソコンのディスプレイには点滅するReady?の文字。

 そう、俺はずっと今まで保留していた。けど、もう準備ができた。

 だから俺は

 

 

「うん、そうさせてもらうよ」

 

 カタッ

 Enterキーを押す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 未来人式時間遡行があまり気分のいいものではないと耳にはしていたが、いやはや想像以上にバッドな体験だったよ、貴重な体験なんだろうけど。

 頭はぐわんぐわんしたし平衡感覚は持ってかれたし、おまけに耳鳴りまでついてきて最終的に視界がブラックアウトするのだから遊園地のマシンにしては欠陥品もいいとこだろ。ともすれば身体が倒れなかったのは単なる偶然かもしれないほどに。

 そして次に俺が視界を取り戻した時、俺はゆっくりとあたりを見回した。

 見たところ、ここが北高文芸部の部室であることにはさっきまでと変わらないのだが既にSOS団のみんなの姿はそこになかった。

 

 

 うまくいったのだろうか?

 

 携帯電話をポケットから取り出すも何故か電源がつかない。充電切れか、はたまた壊れたのか。いずれにせよ早急に現状を把握せねばなかろう。

 部室にはカレンダーなど置いておらず、外の暗さから現在は夜と推測されるので教室もとっくに施錠されてしまっている。時計での確認は困難だろう、教室のドアの小窓から中の時計など覗ける明るさではない。原作通りにいくとしよう。

 俺はなるべく音を立てないように部室の扉を開けて廊下に出ると、そろりそろり歩いて部室棟を後にしてゆく。万が一にでも学校関係者には見つかりたくないよ。

 べつに外へ上履きで行くことなど覚悟していたものの、これまたありがたいことに俺の下駄箱には外靴らしき誰かのスニーカーが入っていたので拝借させてもらうとする。間違っても俺のじゃあない。

 何事もなく生徒玄関を出た頃には流石に今の気温に耐えきれなくなり。ブレザーを脱いで上はシャツだけの姿となった。

 冬の寒さはどこへやら。夜にも関わらずこんなにじっとりしているとなると必然的に現在は冬ではないということで、原作と同じならここは三年前の七月七日というわけだ。

 

 

「……だろうね」

 

 案の定この想定は的中していた。

 北高最寄りのコンビニに立ち寄って新聞紙の日付欄を見たらそう書いているのだからしょうがない、なればこそ俺はこのまま終わらせに行くだけだ。

 コンピニの掛け時計を見ると時刻は午後八時も半を回ったところである。夏とはいえ夜になれば暗さは冬とそう変わらない、寒暖の差は酷いが。

 冷やかしを終えた俺がコンビニを出て次に向かうのは彼にとっての因縁の地、光陽園駅前公園だ。ここからだとそれなりに距離があるので急いだ方がよかろう、確か彼も原作で走ってたような気がするし。

 俺はとにかく朝比奈さん(大)に合わなければならない。この世界が三年前の時間軸であるのなら俺がバックトゥーザフューチャーするためには彼女の助けが必要だからだ。

 日々の努力の甲斐あってか走り続けてもアップアップにはならないが、流石に額に汗がにじむ。これで日中の強い日差しを受けていたら俺のバイオリズムはメタメタになっていたに違いない。

 そんなこんなで二十分近く走っただろうか、目的地である公園にまでやって来た。

 とにかくキョンと朝比奈さんに見つかるのはマズい、気がする。笹の葉イベントを終えたあいつの口から「明智と会ったぞ」なんて聞いてない。そういう理由から俺はとりあえず雑木林に隠れてホットゾーンへと近づいていくことにする。

 

 

「……」

 

 見つけた。それもあっさりと。

 外灯に照らされたベンチに座る朝比奈さんと彼女に膝枕されながら寝ているキョン。彼は平素の陰鬱っぷりをミリ単位すら感じさせぬほど穏やかでいい寝顔をしており、朝比奈さんも聖母のような包容力を発揮させ時折彼の頭を撫でたりなんかして、満更でもなさそうだ。

 やれやれって感じだ、もしこの光景を北高生が見たら谷口でなくとも発狂モンだからな。

 ところであまり意識した位置取りではなかったものの俺が隠れている場所は偶然にもいい位置となっていた。隠れている俺から見て十二時の方向が二人が座るベンチというわけだ。これなら出るタイミングを逸することはないだろう。もっとも二人に俺が見つかったらアウトなので木陰に身を隠しながら"絶"で気配を絶つ。

 しかしやむをえないとはいえ出歯亀もいいとこじゃないか、俺。内々忸怩たる気持ちでいっぱいだ。

 それからややしばらくするとキョンが起きたようで二、三ほど朝比奈さんと会話をすると彼女は不意にくたりと力が抜けたように眠る。続いてベンチ奥の植え込みから朝比奈さん(大)が登場し、そこから先も原作そのままに進んでいる。らしい。キョンの野郎にへら顔で朝比奈さん(大)と指切りげんまんなどしやがって。

 更に待つこと数分、朝比奈さん(大)は公園の外へと消えていく。俺も彼女を追跡せねば、彼女が行ったのはキョンが東中へ向かう方向とは反対の出口なはずだ。

 俺は早足で雑木林を抜け、公園を出て左右を確認。朝比奈さんは路地を突き進んだ右の曲がり角に差し掛かろうとしていた。

 

 

「朝比奈さん!」

 

 普段声を張り上げることなどめっぽうないが、この時ばかりは大きな声を出さざるをえなかった。

 ピタリ、と朝比奈さんのハイヒールの動きが止まりゆっくりこちらを振り返る。

 そして彼女の方から俺の方へとコツコツ歩いてきて、

 

 

「こんばんは、明智くん。あなたがこのわたしと会うのは初めてですね」

 

学生時代よりもいっそう輝きを増した笑顔で応じてくれた。

 額に滲み出た汗を片手でぬぐいながら、  

 

 

「押しかけといてなんですけど……まるでオレが来ることがわかってたみたいですね」

 

「さあ? どうでしょう」

 

問いかけるも闘牛士が持つケープの布きれに翻弄されて挙句の果てに華麗にかわされた雄牛のような気分だ。

 でもね、と朝比奈さん(大)は言葉を続けて。

 

「ここに来るのがあなたの方かどうかまではわかりませんでした」

 

 どういうことなんだろうか。

 彼女の言葉通を俺が解釈するならば、それは本来ここにいるべきだったキョンという可能性について言及しているのではなかろうか。

 

 

「朝比奈さん、あなたはどこまで知っているんですか……?」

 

 未来人相手にいささか愚問だったかもしれないが、それは普段俺たちが見ている小さい方の朝比奈さん同様に若干ポンコツだという先入観ゆえの質問だったんだからしょうがない。

 

 

「それも含めてわたしが話せる範囲でお話ししましょう」

 

 彼女から情報を引き出すことに俺はあまり期待などしてはいない。

 重要なのは朝比奈さん(大)がいることであって、彼女が俺に敵対するつもりはなさそうだというだけで充分お釣りが返ってくるはずだからね。

 ここで彼女と会えたということは、俺は三年後の十二月十八日に戻れるというわけだ、あの世界の。

 

 

「もうキョンくんは公園にいません、ベンチに座りませんか? 立ち話では疲れますから」

 

 従わない理由は特になかった。

 最悪の場合キョンに見つかるようならどこぞのスタンド使いよろしく当て身で気絶してもらうつもりだからだ。

 というわけで俺と朝比奈さん(大)そそくさと公園へと出戻りつい先ほどまでキョンがなんやかんやしてた件のベンチへと腰掛けることに。

 朝比奈さんは感慨深げにかつての自分が腰かけていた場所を優しく撫でているが俺には元来縁もゆかりもない場所だ、異世界人だからね、脇に抱えてたブレザーを横にどさっと置かせてもらう。

 客観的に俺たちはどのように見えるのかね、さながら夜逃げしてきた高校生と家庭教師って感じの取り合わせだぜ。

 なんてことはさておいて、俺は単刀直入に問いかけることにした。

 

 

「あなたは少なくともオレについては、ほぼほぼ知っているみたいですね」

 

「その通りです」

 

 やはり未来人ゆえのアドバンテージか。

 と、思った俺の心を見透かすように朝比奈さんは首を振って。

 

 

「いいえ、明智くんについて知っているのはわたしがSOS団の仲間だったからです」

 

 詳しくは禁則に触れちゃうから言えないんだけど、と彼女は付け加える。

 俺は白々しく訝しげに。

 

 

「過去形ですか、まるで今は仲間じゃあない……ともとれますよ」

 

「わたしたちは生きる時代が違います。これだけは覆しようのない事実ですから」

 

 ともすれば儚げな表情をちらつかせる朝比奈さん。

 まったく、どうなんだろうね。

 

 

「こいつはハラの探り合いをしても時間の無駄になりそうだ。順を追って説明してくれませんか、だいたいはオレも知ってますけど」

 

 それから彼女の口から語られた内容は俺にとってちょいとばかし意外なものであった。

 

 

「まず、あなたが認識しているこの時間軸から三年前の十二月十八日にあった異変について、あれは一種の大きな分岐点でした」

 

「分岐点ですか」

 

「昔わたしが説明したことを覚えていますか? 時間は連続していません。過去というのは人間の相対的な認識でしかないんです」

 

 他でもない未来人が語る理屈なんだから説得力はそんじょそこらの眼鏡かけた学者サマが提唱しているそれとは比較にならないほど高かろうよ。

 しかし連続してないのに"分岐点"とは面白可笑しな話である。

 

 

「時間というものは常に新鮮な状態で同時並行的に存在しているんです。連続はしてないんだけど、大きな流れみたいなものはあるんですよ」

 

「はあ……」

 

「パラパラ漫画の一コマだけを書き換えても見ている人は気づかないかもしれません。でも、突然そこに描かれているものが百八十度変わっていたらさすがに違和感を覚えますよね」

 

 言いたいことはわからなくはないのだが、いかんせん俺の体感している範囲外のことなのでピンとはこない。

 

 

「十二月十八日はパラパラ漫画でいうところの最後のページみたいなタイミングだったの」

 

 話の内容が異次元すぎて正直ついていくのがやっとな感はある。

 自分だって相当に常識外の住人だというのに。

 

 

「人類の歴史的に大きな分岐点と"なるかもしれない"なんてことはわたしたちが知らない裏でままあるんですよ」

 

「なんだかぞっとしない話ですね、そんなバクチみたいな中にオレが放り込まれてるんですから」

 

「だから明智くんが知っているようにキョンくんがここにいたかもしれないということです」

 

 その程度の差なら歴史的に大した違いはないんじゃないのかな。

 原作通りに行っちゃったら朝倉さんは消えちゃうのかもしれないけどさ、俺は違うけど未来人からすればそんなの取るに足らない問題だと思うわけで。

 

 

「ううん。事態はあなたが考えているよりも深刻なの」

 

「と言いますと」

 

「その場合でもあなたが知っている通りになる保証はありません。可能性の数だけ未来は分岐していきますから」

 

 ともすれば俺がいた改変後の世界とここは時間的に繋がっていないんじゃないだろうか。 

 原作で古泉がやれエックスがどうたら言ってたわけだし、あながち世界改変を阻止できないなんてこともあり得なくないのか。

 だとしたら、

 

 

「何故オレなんですかね?」

 

この数日間幾度となく自分に問うてきた質問を朝比奈さん(大)に投げかけてみる。

 彼女は愛想よく笑顔を浮かべて。

 

 

「あなたはもう、その答えを知ってるはずですよ」 

 

 つまり俺が考えている筋書き通りってわけか。

 本当に馬鹿馬鹿しい、俺が一番馬鹿だからだ。

 

 

「……オレは未来がどうだとか言われても、べつになんとも思いませんよ」

 

 ただ。

 

 

「この一件の犯人が彼女だとしたらオレにも責任があるってだけですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すっかり失念していたが俺が三年前の七夕に来たってことは俺がキョンの代わりにジョン・スミス(二回目)をやらなくっちゃあいけないんだと。

 そんな役目まで負うなどご無体だ。だが現状この時間軸と未来との繋がりが曖昧な状態であり、キョンを呼ぼうにも呼べないらしく、じゃあこの時間軸にいるあいつに頼めばいいんじゃと思ったが。

 

 

「わたしと彼がこの時間軸で再び会うことは許されません。そういう決まりなんですよ」

 

 俺にそう説明する朝比奈さんの気分がいいものでないことぐらいは察したさ。

 よって俺が地上絵を描き終えて家に帰る途中の中学一年時代の涼宮さんに「ジョン・スミスをよろしく頼むぜ」なんてことを叫んだわけだが、この事実は墓まで持っていこうかという所存だ。

 そうしてようやく行動を起こす時がやってきた。

 

 

「それでは、わたしがあなたを十二月十八日へと送り届けます」

 

 ん。

 べつに俺はそれでも構わないけど原作だったら確かキョンと朝比奈さん(大)は次に長門さんのとこに行ってたはずだ。

 

 

「この時点であなたの存在はまだ長門さんや朝倉さん、情報統合思念体にも知られていません。ですからあなたが彼女や他のインターフェースに遭遇すると歴史的に矛盾が生じてしまいます」

 

 ああ、そういや俺が異世界人だってことを知られるのはそれこそ俺が朝倉さん消滅イベントを回避させるために動いたからだもんな。

 他にも座標がわからないからどうとかあった気がするがそこらへんはキョンじゃなくて俺が事件解決の役割を得たことによって変わったのだろう。

 となるとエラーを修正させるためのよくわからん注射器型の銃なんてものが手に入らないわけだが、まあ不要か。俺には。

 ジョン・スミス役を終えて再度戻ってきた公園の一角。朝比奈さんに言われるがまま、彼女に俺は両方の手首を握られた状態で、

 

 

「目を閉じててください。すぐすみますから」

 

なんて甘い言葉を信じたもののさっき味わったそれよりも心なしかえげつない"酔い"が俺を襲う。通称"時間酔い"だとか。

 べらぼうにきつすぎる。行きと帰りで苦しみが違うなんて嬉しくもないオプションだぜおい。ジェットコースターだとかそんな生易しいものではない、まず身体にくるGが自然界で味わうものと段違いで、かつあらゆる方向から負荷がかかる、バキの脳シェイクってこんな感じなんだろうよ、これを克服できたらバットまわり全日本一位になれる気がするね。

 俺がいよいよ限界だと感じたその時、

 

 

「はい。もう大丈夫ですよ」

 

地獄のような旅行は終焉をとげたらしい。

 目を開いて辺りを見回す。

 これも原作通り、北高の近くにやってきたというわけだ。

 

 

「今は十二月十八日の午前四時十八分。このままわたしたちが干渉しなければ後五分ほどで世界は変化してしまいます」

 

 時間合わせの仕組みが不明な腕時計を見ながら朝比奈さんはそう言った。

 俺の携帯電話は未だにうんともすんともいわないし、これで充電しても電源がつかなけりゃオシャカになったのかね。

 いやしかしどうにも、冷える。

 

 

「朝比奈さん……こいつを預かっててください。その格好で冬の早朝はきついでしょう、なんなら羽織ってていいですから」

 

 俺は後生大事に抱えていたブレザーを小刻みにぶるっと震えている朝比奈さんに手渡す。

 あれを着ているよりシャツの方が戦いやすいと踏んだからだ。

 

   

「すみません、ありがとうございます」

 

 俺をこの時間に連れてきてくれたお礼にしちゃ安いものさ。 

 そしてリミットが近いのならば準備も早くしなければ。 

 北高指定のブレザーを寒風しのぎにしている朝比奈さん(大)に向かって俺は冷静に依頼する。

 

 

「預けといてあれですけど朝比奈さん、言われなくてもわかっていると思いますが、ここから離れていてください。遠くに。オレが思っている通りの人が犯人なら……どんな被害が出るか想像もつきませんから」

 

「はい」

 

「お願いします」

 

 といっても他の一般人が巻き込まれないなんて保証はないんだけどな。

 まあ、その時はその時で。

 

 

「明智くん。犯人は校門の前に現れます……気をつけてくださいね」 

 

「善処しますよ」

 

 それじゃあ、と朝比奈さんは足早に北高から離れていくようだ。

 俺が向かう道は逆。間違っても彼女と顔を突き合わせはしないだろうよ。

 ふぅ、と一息つくと俺はその場にしゃがみ込んでアスファルトに手をかざし、

 

 

「……出てこい」

 

見慣れた黒い渦を展開、中から現出させたのはナイフホルダーとスニーカーだ。

 ナイフホルダーはお馴染みベンズナイフがセットされており、わざわざ出したスニーカーはベルトタイプのもの。脱げたりしたら話にならないから拝借してきた紐靴とは履き替えだ。

 スニーカーを変えてシャツの上にナイフホルダーをコマンドーよろしく左胸にセットして、足早に向かう。

 そろそろ、だな。

 

 

「……」

 

 冬の朝は遅い。

 四時だろうが平気で暗い世界なわけだから、街灯にでも照らされない限りシルエットすらはっきりしない。

 でも、北高周辺の歩道にはご丁寧に等間隔で街灯が隣接されている。片田舎とはいえこういうとこはしっかりしてる。

 俺は校門の前で立ち、今回の犯人こと時空改変者を待った。

 そうして何十秒経過しただろうか。

 

 

「……」

 

 毎日毎日通っている、それこそキョンに言わせればハイキング気分を味わえる急こう配な坂道の通学路からじりじりとその影を見せた人物。

 その人物が坂道を登り終えて全貌が見えたころには見紛うこともないほどに、紛れもなく彼女であった。

 時空改変者はいち早く俺の存在に気づき。

 

 

「あら、こんな時間にどうしたのかしら?」

 

 偶然の遭遇とでも言わんばかりの言葉をかけてきた。

 

 

「どうしたもこうしたもないね。むしろオレが言いたいぐらいだ、何故君がここに」

 

「そうね……」

 

 彼女はわざとらしく人差し指を顎に当てて考えるフリをしたが、それもすぐにやめて。

 

 

「べつに言い訳するつもりはないわ、その様子じゃあなたはとっくに知ってるみたいだしね。あっちの世界は楽しかった?」

 

「おかげさまで退屈はしなかったさ――」

 

 あーあ、わかっていたけど、やるせないよな。

 こんな展開は犬だって喰わないよ。

 

 

「朝倉さん。君が、犯人だね」

 

 銀河を統括する情報統合思念体が地球へと派遣した対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェース。要するに宇宙人。

 そんな彼女は俺の呼びかけに応じるかのように蠱惑的な笑みを浮かべた。

 

 



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第三十八話・偽

 

 

 予感はしていた。

 犯人が原作通りに長門さんならやはりキョンに選択権を与えるはずだ。

 涼宮さんはあんなことしないだろうし、何より古泉が「今の彼女は変革を望む傾向にはありません」的なことを言っていた。

 朝比奈さんは基本的に無害。と、なればまったく知らない奴か朝倉さんぐらいしか残されていない。

 それに、自意識過剰かもしれないが俺にはアテがあるからな。

 

 

「脱出プログラムを用意したのも……朝倉さん、だよね」

 

「そうよ。よく気づいたわね」

 

「くだらない単純な消去法さ」

 

 あるいは原作通りに考えたが故の推理か。

 俺がキョンと同じ立場なら――いいや、俺は俺だ。原作と同じようにはしない、させない。

 無駄だと思いつつも俺は彼女に動機を訊ねる。

 

 

「聞いてもいいかな。どうしてこんな真似を?」

 

「……さあ?」

 

 彼女は俺が野暮ったい質問をしていると感じたのか呆れた様子で、

 

 

「明智君は私に『裏切られた』って感じたかもしれないけど私からすればそれは勘違いだわ」

 

溜息を吐いてから。

 

 

「だって私があなたとした取引の内容は急進派として行動しないことと涼宮さんとその関係者に手を出さないことの二つよ? 私がこれからやろうとしているのは大規模な事象改変であって、あなたち有機生命体のいわゆる"個人"という単位では換算できないもの」

 

「詭弁もいいとこじゃあないか……! たとえ涼宮さんに害を与えるつもりがなくても、彼女の能力を悪用しようとしてるだろ、朝倉さん」

 

「悪用、ね。私の行動が理解できないのかしら。あなたにとっても他の人たちにとっても悪い話じゃないと思ったんだけどな」

 

「ならどうしてオレだけはそのままにしておいたんだ?」

 

 涼宮さんから奪ったとかいう能力で世界を改変するんなら俺だけ残す必要がないはずだ。

 眼前の彼女は嘘を騙るかのように。

 

 

「これでも私、明智君には感謝してるのよ」

 

 朝倉さんは音も立てずにゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。

 対する俺はというと彼女の動きに対応するかのように後ろへ下がっていく。まるで追い詰められている気分だ。事実としてそうだし。

 やがて足を止めた朝倉さんは。

 

 

「あなたのおかげでSOS団という勢力に入り込めた。多少の信頼も得てたから、こうして動きやすくなったってこと。利用するにはうってつけよね」

 

「朝倉さん。こんな馬鹿げたことやめるつもりはないのかい?」

 

「ないわ。私が決めたことよ、情報統合思念体にだって干渉してほしくないもの」

 

「残念だよ」

 

 交渉は決裂か。

 俺がいかに口達者だとしても彼女は意思を曲げるようには見えない。

 

 

「じゃあ腕づくで止めるしかないって感じになるけど、いいかな」

 

「私の邪魔をするの? あなたが?」

 

「そういうことになるよ」

 

 ふーん、と数秒唸ってから朝倉さんはあっけらかんとしたトーンで。

 

 

「いいわよ、受けて立ちましょう。この際だからあなたも改変してあげる。普通の人間としてね」

 

 朝倉さんは棒立ちで三百六十度余裕の態度だ。

 ならば――両脚の筋肉、ごく一部分にオーラを集中させる。

 

 

「"硬"」

 

 脚部を強化すると同時にナイフホルダーからベンズナイフを取り出し、一瞬で朝倉さんとの間合いを詰める。

 そしてベンズナイフを持つ左手で彼女に切りかかる。生身では防御できまい。

 

 

 奇襲だ。

 

 ベンズナイフの神経毒が宇宙人相手にどこまで通用するかは怪しいがよしんば詰みまで持っていくためにも初手はこちらが切るべきなのだ。

 速度、攻撃力ともに申し分のない一撃だった。が。

 

 

「――あら」

 

 ガシッ

 

 

「くそ……」

 

「随分と思い切りがいいのね」

 

 眉もひそめずに朝倉さんは右手を俺の攻撃よりも早く動かして、俺の手首をつかんで攻撃を封じた。

 ショートレンジだ、左腕が封じられているとはいえ俺に勝算があるとすればこの距離しかない。

 脚のオーラ顕在を一旦やめて次は右手に"硬"をかけて彼女の顔を目がけて拳を振る。

 しかしこれは彼女が俺の左手首を解放して俺から見て右後方にぱっと下がることで躱されてしまう。

 逃がすものか。

 更なる追撃として再びベンズナイフでの切りかかりを試みるものも彼女はいつの間にか右手に持っていたアーミーナイフで応戦、

 

 

「ぐあっ!」

 

「じゃ、お返しよ」

 

それどころか互いのエッジがかち合った隙に朝倉さんは俺の胴体に人間離れした速度で前蹴りを浴びせて後方に蹴り飛ばす。

 ゴッ、という衝撃がやってきたかと思えば少し地面から足が浮いて、背中からアスファルトにダイブ。 

 この折にたまらずベンズナイフを落としてしまったのは不可抗力だろ。ああっ、なるべく早く立ち上がったがくそ、息が詰まる。せき込む。

 

 

「私の顔にそんなに傷を付けたかったのかしら? まったく、明智君は女の子の扱いがなってないわ」

 

 俺が落としたベンズナイフを左手で拾い上げて興味深そうに眺めながらそんなことを言う朝倉さん。

 何か言葉を返してやりたいが先ほどの蹴りによる衝撃と打ち身で全身が痛い。呼吸もままならないぐらいだ。頭から地面にぶつかってたらその時点でゲームオーバーなのは言うまでもないが、今彼女に攻められるだけで俺は五秒でノックアウトされちまう状況だぜ。

 だのにどうして攻めてこない、万事休すもいいとこな俺を。

 

 

「ふふふ……不思議そうな顔をするのね、明智君」

 

「ごほっ、き、君の二刀流が早く見たいだけさ」

 

「口から生まれてきたんじゃないかってぐらいの減らず口ね」

 

「どういたしまして……」

 

 打つ手が残っていないわけではない。

 ロッカールームから別の武器になりそうなものを取り出せば一応の応戦が可能だ。が、隙だらけな状態になってしまうのは言うまでもない、武器を出すよりも先に朝倉さんに刺されるだろう。

 あるいは"路を閉ざす者(スクリーム)"を放てば一撃で決着がつくかもしれないし俺には本当に本当の奥の手、"最後の切り札"だってある。

 だが、俺は彼女を殺したいわけではなく止めたいだけなのだ、本当ならベンズナイフで切りかかるのだって妥協の末だったんだからさ。

 朝倉さんは手詰まりになりかけている俺を弄ぶかのように。

 

 

「下手に攻めたら何をされるかわからないもの。それに私はあなたと長く楽しんでいたいのよ、すぐ終わらせちゃったらつまらないでしょう?」

 

「そいつはどーも」

 

 ならばこちらも虚勢を張らせてもらおう。

 俺は咳払いをしてから、

 

 

「ひとつ提案があるんだけど」

 

「何かしら。言うだけならタダよ」

 

「決着の条件を明確にしよう」

 

 泣き言のように聞こえなくもないだろうが俺にとっては重要なことである。

 

 

「君はオレを殺してでも止めたいのかもしれないけど、オレは朝倉さんを殺そうなんて微塵も思っちゃあいない」

 

「……つまり?」

 

「喧嘩だよ」

 

 地面に手をかざして再びロッカールームを現出させる。

 

 

「朝倉さんが相手にするのは取るに足らない一人の低俗な暴漢さ。力づくで言うことを聞かせようとする真正のクズ。それが、オレ」

 

 そして黒い渦から出てきた"もの"のグリップを掴む。

 

 

「オレの勝利条件はどうにかして君を諦めさせることだ」

 

 被さっていたレザーケースを道路に投げ捨てて俺が取り出したるのは全長にして六十センチを超える長さの武器。

 それは俗にブッシュナイフと呼ばれている山刀であり、ナイフの中でも刃渡りはボウイナイフよりもでかい特大サイズに分類される。

 元自衛官であり、そこそこの階級まで上り詰めたらしい俺の山好きだった祖父さんの遺品の一つだ。彼は手入れを怠ってなかったようでエッジにはサビや摩耗が一切見受けられない。

 朝倉さんはそれを見て愉しげに笑うと、

 

 

「また面白そうなオモチャね。ほんと、あなたってば退屈させてくれないんだから」

 

「さあ、オレの勝利条件は言ったぞ。君はどうなんだ? オレをここからどかすっていってもやり方はいくらでもあるぜ」

 

「先に仕掛けてきたのは明智君じゃない」

 

「どうだったかな……忘れたよ」

 

 少なくとも話し合いで解決しそうにないとは思うが。

 

 

「じゃあ私もあなたと同じでいいわよ」

 

 漫画ならチャキっといった効果音でも聞こえてきそうな感じで二本のナイフを構えた朝倉さんがそう言う。

 

 

「たとえるなら暴漢相手に過剰防衛をはかる女子高校生ってところかしらね。あなたの腕が一、二本はなくなっちゃうかもしれないけど私が事象改変を終わらせればこの喧嘩だってなかったことになるわ」

 

「お互い、殺す気はナシって体でいいのかな」

 

「でも不慮の事故があった時は恨みっこなしよ?」

 

「オーライ。それじゃあ――」

 

 俺も負けじと左手で掴んでいるブッシュナイフのエッジを彼女に向けて宣言する。

 

 

「仕切り直しだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝も暗い時間から学校の前で喧嘩にしては物騒すぎるバトルを繰り広げている俺たちだが幸か不幸か今のところ第三者の介入はなさそうだ。

 ともすれば俺はグウランドへ移動することを提案できたのだが、あえてしなかった。

 確かに攻撃を回避しやすいかどうかでいえば障害物のない、広々とした学校のグラウンドの方がいいかもしれない。

 だがそれ以上に不利な点が多いと考える。何故ならば俺の相手である朝倉さんの方が間違いなく機動力が上で、しかも彼女の攻撃方法は何も接近戦に限らない。原作でやってみせたように槍みたいなものをバシバシ飛ばされたらマズい。

 要するに広くない場所での戦闘ならば彼女の攻撃の方向が絞られると踏んだわけである。

 

 

「ふっ」

 

 ブゥン、と風を切りながら前腕を目がけて山刀を横薙ぎする。

 しかし朝倉さんは刹那の見切りで身体を後ろにずらしてギリギリの回避をし、反撃としてこちらの懐に潜り込もうとする。

 俺はそれに対して足技で応戦。こんな感じのやり取りがもう何分経過しただろうか。

 素人でもわかりそうなことだけど俺が振るっているブッシュナイフは白兵戦にはどうにか使えるものの映画で見るようなナイフファイティングには圧倒的に向かない。

 そりゃあこの刃渡りだもの。相手に圧力こそ与えられそうなものだがナイフにしてはいかんせん重い。

 ブッシュナイフというだけあって本来の用途は低木を刈るために使うので、小回りの利いた振り方をするというよりも勢いと重さに任せて叩きつける道具なのだ。

 つまり破壊力はある、しかし、

 

 

「当たらなければどうってことはなさそうだな……」

 

「ええ、どうもこうもないわね」

 

彼女を切るよりも雲を切る方がよっぽど楽なんじゃないかって思えてくる。ブンブン振っても本体には当たらない。

 ここまで戦えているのは単純にインファイトにおけるリーチの差であって俺は速さどころか筋力でさえ彼女に劣っていかねない。こう見えてそれなりに鍛えてるつもりなんだけど、自信なくしちゃうな。

 それでも別のナイフ――ベンズナイフじゃなくて普通のサバイバルナイフ――を出して戦うよりもブッシュナイフで有利な距離感を保てるように誤魔化した方が勝ち目があるはずだね。

 俺が兄貴にシステマを叩きこまれたのだって彼曰く「お前は攻めが絶望的に下手だ」と言われた背景に起因している。

 おかげさまで防御に関する技量は上がったがそれ以上に朝倉さんとまともに打ち合ったら太刀打ちできないと想定される。丁々発止なんて夢のまた夢さ。 

 そうして更に数分の攻防が続いた後、流石に厳しくなってきた。

 朝倉さんの左手から放たれる一線を間一髪で避け切る。

 

 

「ぐっ」

 

 危ない。

 もともと俺が用意したものとはいえベンズナイフは掠ることたえ許さない武器だ。彼女は左手にそれを持ち、いつものアーミーナイフは右手で逆手に持っている。

 ついさっきは右手で俺の攻撃を受けてから左手のベンズナイフを突いてきた。細い木の枝を一撃で切断しうる攻撃を片手で耐えたんだぜ? 腕がしびれるとかいった様子もなく見事に、だ、受け止めたんだ朝倉さんは。

 しかも俺の体力だってそろそろ限界が近い。正直あと一分ももてば上出来なぐらいさ。

 再び距離を開けて対峙する朝倉さんはそんな俺のコンディションなど看破しており、

 

 

「もう終わりかしら? だいぶお疲れみたいね。なかなか楽しませてくれたけど、あなたの方が諦めた方がいいんじゃない?」

 

あっちだって俺と同じぐらい、いや俺よりも動いているはずなのに汗ひとつ流さずケロリとしてこれだ。

 対する俺、無様に肩で息をし始めている。

 

 

「ハァハァ……っ。何故、だ」

 

「うん?」

 

「何故君はオレにナイフ以外での攻撃を……してこないんだ」

 

 無意味だ。

 相手の疲弊をただただ待つ、こんないたぶるような戦術は非効率的だ。

 こんなことさえも彼女は愉しんでいるというのか。どうかしている。

 朝倉さんはくだらない質問と受け取ったのか、

 

 

「時間稼ぎのつもり?」

 

「いいや……どーせやるならひと思いにやってくれ。オレだって手を抜かれた相手には倒れたく、ない」

 

「そう。でも安心なさい、私はべつに手を抜いているわけじゃないのよ」

 

朝倉さんは「あれを見たらわかるわ」と言いながら俺の斜め後ろの方を指さす。

 ミスディレクションか。

 

 

「ふふ、べつに隙だらけになったあなたを刺すつもりはないから」

 

 このまま打ち合っても勝ち目はないのだから負け方など今更気にするまでもないのか。

 言われるがまま彼女に背中を向けて斜め上の方、未だ陽が出ていない空を眺めてみると、

 

 

「おいおいおい、冗談きっついぜ」

 

当然だろと突っ込まれたら反論できないが俺は驚愕した。

 まさしく驚天動地。遠くの空に浮かぶどす黒い雲が自然界ではありえないような挙動を描き、拡散している。ともすれば黒雲は地上にも降り立っているらしく竜巻のような柱が住宅街の方向から何本も見える。月も星もすっかりそれに埋め尽くされてしまったのか天からは一切光が見えない。だのに黒雲が視認できたのはそれらが夜のとばりとは一線を画している漆黒そのものだったからだ。

 

 

「残念だけど既に事象改変は始まってるのよ」

 

「いつからだ」

 

「私がここに来た時には……べつに明智君を騙してはいないわ、言ってなかっただけだから。それにまだ間に合うもの。と、いっても止められるのは私しかいないけど」

 

 だまし討ちにでもあった歯がゆさをありありと感じる。

 最後のタイムリミットがすぐそこまにで迫っているのだ。

 

 

「地球規模じゃない、全宇宙に近い次元での改変が今まさに行われている。涼宮さんの能力に加えて私が保有してた攻勢因子を殆どつぎ込んで、ようやく制御ができたの。要するにあなたに労力を割く余裕はないってわけ」

 

 なるほど、よくわかんないけど満更不利ってわけでもないらしい。

 俺はてっきり彼女が俺をいたぶるために格闘だけであしらっているのかと思っていたが最大の理由は別にあったというわけか。

 朝倉さんの方に向き直ると彼女はカチャカチャとナイフどうしを弄んでいる。彼女はタイムアップが狙いだったのだ、最初から。

 

 

「明智君にはまだ奥の手があるんでしょう。早くしないとゲームオーバーよ」

 

「いくらなんでも卑怯すぎやしないか」

 

「だから言っておいたじゃない、残念だけどって」

 

 ジーザス。

 絶体絶命もいいとこだ。

 

 

「ああ……本当に…………残念だ」

 

 先ほど放り投げておいたブッシュナイフのレザーケースを拾いに行きナイフをケースに入れる。

 どうやら彼女の方から攻めるつもりは毛頭ないらしく、黙って見ているようだ。

 俺は懐かし話に花を咲かせるかのように、

 

 

「朝倉さん、こいつはオレの死んだ祖父さんが大切にしてたもんでね。オレにとっても思い入れのあるものだからあまり壊されたくはないんだ」

 

「何? 投了宣言かしら?」

 

 いいや違うね。それには及ばない。

 コトリと俺の足元に優しくブッシュナイフを置くと、またロッカールームを現出させる。

 だが、これが最後だ。

 

 

「やっぱり奥の手があったみたいね」

 

「否定はしないさ」

 

「でも時間が足りるかしら。あと五分とないでしょうね」

 

「まだオレは立っていられるんだ、他に説明はいるか?」

 

「時には諦めも肝心なのにな」

 

 そんな結論がとっくに出ている会話をしている間に俺が出したのは、ブッシュナイフに比べると恐ろしく小さなもので、しかしナイフとしてはこれぐらいが標準的だというもの。そう、ナイフの一つだ。グリップは左手で掴んでいる。

 ナイフが収まっていたシースを外してエッジを露出させながら俺はオーラを右手に集中させる。

 

 

「明智君、そろそろ本気で来なさい。次で終わらせてあげるから」

 

 まったくもって余計なお世話だと言いたいね。

 俺がこれに踏み切れたのは君がベラベラ余計な情報を喋ってくれたからなんだぜ。

 極限まで右手にだけオーラを集中させ右手で握り拳を作って右腕を水平に伸ばす。

 そして、右手でサムズアップを作り、親指を下向きにさせて一言。

 

 

「――"解約(リリース)"」

 

 

 

 



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第三十九話・偽

 

 

 俺の念能力――正確には念能力じゃないらしいが、この俺は知る由もない――である"臆病者の隠れ家"は某人気漫画に登場したノヴというキャラクターが使っている"四次元マンション"と殆ど同じだ。読み方も彼のと同じハイドアンドシークだし。

 常識で考えて異空間作成と物質転送なんてものは一対一の戦闘では役に立ちにくいものの、戦術的には計り知れないほどの価値があり、事実ノヴがキメラアント討伐隊のメンバーとなったのはそのような理由からだろう。

 でも、それはノヴという男が達人だったから。

 ピーキーな能力の使い手なんてものは世界にいくらでも転がっているはずだ。だのに彼が選ばれたのは長年の修行の末にたどり着いた境地のひとつがハイドアンドシークという誰の眼から見ても有用に感じられる、確かな評価を得たからに違いない。

 つまり彼のうん十年間と思われる研鑽の期間と、俺がこの世界に来てからの三年間がイコールなはずもなく、いくら俺の才能がゴンやキルアレベルで高かったとしてもまず俺に念の師匠すらいなかったので普通に考えれば俺がノヴと同じ能力を手に入れられるわけがないのだ。

 だから"臆病者の隠れ家"には念能力者として大きな制約がある。一度に自身の身体に顕在できるオーラの範囲は両手二つぶん、正確には中指の先から手首までの範囲二つだけが三次元的に展開できるオーラの範囲なのだ。

 身体強化なんてまるで期待できない、部分的にパンチの威力を上げるなどはできるものの他の部分は精々が素人に毛が生えた程度。武闘家ですらない俺はヘタレた状態のノヴにすら負けかねないという残念さ。

 

 

「……とっても残念だぜ」

 

 だがしかし俺には最後の奥の手として、これらのオーラ顕在に関する制約を無視する方法がある。

 それが今行った"解約(リリース)"だ。

 

 

「いや、マジに残念なんだよ。朝倉さんにはわからないかもしれないかな」

 

 おそらくノヴが持っているわけがないだろうこの発を使うと、早い話が俺はもう二度と"臆病者の隠れ家"およびその派生技であるスクリームを使うことができなくなる。

 そのかわりにオーラ使用の制約を無視するという、いわば『制約を制約で上書きする能力』に相当する。邪道そのものさ。

 もちろん一度能力作成のために圧迫したメモリが解放されることはない。メモリというのは個人の才能を容量化したようなものであり、能力を作るごとにこれが圧迫されていく。ハイドアンドシークなんて汎用性が高すぎる能力を手に入れた俺に残っているメモリなどきっと皆無だ。俺はこれから"発"が使えない念能力者として生きていくことになるわけさ、身体強化に長けた強化系でもないのに。

 

 

「家具に家電……金額にしたら全部でいくらぐらいになるか想像もつかない。まあ、臆病者の隠れ家に置いてたものはほとんどオレの兄貴が買ったものなんだけどさ」

 

 当然、各部屋に置いていたものだけでなくロッカールームの中のものも取り出せなくなった。そもそも解約を行うとこの世界のどこかに存在していたはずの隠れ家が消滅する。らしい。

 よって副次的な効果として俺が隠れ家の維持に使用していたオーラが全て俺に還元される、さながらグリードアイランド編で登場したレイザーのように。

 そんなわけで朝倉さんには見えないだろうが四方八方から俺の身体にオーラが飛来してきた。生命力が根源であるオーラが俺をたぎらせる、制御不能なほど。

 彼女にはオーラを視認することができないとはいえ、こちらが何かしたということは認識しているようで、

 

 

「さっきから明智君が何を言ってるか私にはさっぱりで、とても理解しがたいけど今のあなたに隙がないことぐらいはわかるわ。単なるハッタリじゃないみたいね」

 

朝倉さんは再びナイフを構えてこちらを警戒する防御態勢に入っている。 

 オーラの奔流によって髪が逆立ちそうになるのを自覚した。

 ゴンさんには到底及ばないが戻ってきたオーラを最大出力で展開させる。念能力の基本中の基本である四大行の一つ、"纏"だ。基本中の基本のくせにこれを満足にできなかったんだから我ながら笑えるが。

 

 

「あまり時間がないみたいだから手短に言わせてくれ」

 

 俺は左手に持つ鎌のように特徴的なエッジのナイフを構えながら、

 

 

「今しがた君が言った言葉をそのまま君に返すよ、朝倉さん『本気で来な』……ってね」

 

挑発的に笑ってやった。

 まあ、そっちが来ないのならこっちから行かせてもらう。二刀流とまともにやりあうのはもう面倒なのさ。

 朝倉さんとの距離は七メートル前後。イメージするのは難なく一跳びで彼女の元まで踏み込む自分だ。

 そして実際に爆発的な速さでもって接近すると同時に軽くジャブのように右手の拳で彼女の左腕を光速で三回小突く。

 

 

――ト、ト、トン

 

 もし打撃音が聞こえるとしてもそんなナヨナヨっとした音だと思われるが、威力は充分にあったのか朝倉さんは次の瞬間には左後方に吹き飛んでいた。

 何をされたのかわからなかったはずだ。しかし、彼女を倒すには至らなかったようで右手のアーミーナイフこそ弾き飛ばせたが更に十メートル以上の間隔を空けて彼女は立っている。開いた距離は俺がパンチで吹き飛ばせた距離ということか、やはり手加減していたとはいえこの程度とはね。

 朝倉さんは殴られた左腕をやや庇いながら。

 

 

「驚いたわ。あなた本当に人間なの? 咄嗟の防御で構成が甘めだったけど、それでも私の障壁を貫通してくるなんて信じられない」

 

「今ので諦めがついてくれればオレとしては助かる」

 

「まさか。あの程度は知覚の範囲内よ」

 

 お返しとばかりに朝倉さんがベンズナイフを持って駆け出して来る。

 いつぞや彼女と教室で対峙した時の動きよりも格段に速さが違う、だが"纏"よりも上位のワザである"堅"を行うことで更に身体を強化させる。

 朝倉さんは最早殺す気で放ってるんじゃないのかというほどの勢いでナイフによる連続の突きで俺の動きをとらえようとしているが、反応速度も底上げされているらしい俺は最小限の身体捌きでナイフを回避していく。一歩間違えれば三枚おろしだがちょっとした達人気分だ。

 

 

「っ、ちょこまかと!」

 

 攻撃が雑になったほんの一瞬、そのタイミングを俺は逃さずに仕掛けた。

 ここで俺が先ほど用意したナイフについて解説をしよう。

 ともすればナイフとは思えないようなフォルムのそれは前述の通り直刀ではなく鎌に近い。

 セレーションと呼ばれるエッジを持つそのナイフの名前をカランビットといい、東南アジアをルーツとする武器だ。

 言うまでもなくブッシュナイフとはリーチが雲泥の差であり、普通のアーミーナイフと比較してもカランビットは小型に分類されよう。

 しかしながらこの武器、鎌状の刃による殺傷力の高さもさることながら武装解除すなわちディザームに長けている。

 ナイフファイティングにおける最大のリスクとは他でもないナイフを失ってしまうことだ。どうナイフを握ろうとナイフは身体の一部とまではならない、合気道の達人にでも掴まれてしまえばたまらず手放すだろうさ。

 その点カランビットは違う。グリップエンドに輪っかみたいな穴が開いていて、そこに指を通して握ることで武器を落とすというリスクが軽減されている。

 流石に合気道にはかなわないと思うけど、それでもこの武器の優位性としては立派なものだ。

 

 

「なっ!?」

 

 と彼女が口にした時にはもう遅い。

 逆手に握ったカランビットでもってベンズナイフの細くなっている根本、リカッソを引っかけて朝倉さんの肘を右手で掴む。

 俺が彼女の手からナイフを弾き落とすのと朝倉さんが咄嗟に俺の頭に右手でパンチを与えるのは同時だった。ので目的は果たせたもののたまらず互いに後退してしまう。

 痛え、痛いすぎる。ノーモーションで放ったパンチでこれかよ。曲がりなりにも俺は"堅"で防御力も高めてたんだぜ、いくら俺の念の練度が高くないとはいえこうも朝倉さんが化け物じみているとは。

 

 

「うう、も、もうちょっと加減してくれよな。ただでさえ良くない頭が谷口並に馬鹿になっちまうぜ」

 

「ちいっ……正直侮ってたわよ、あなたのことをね」

 

「もう君の手元に光り物はないけど、まだ続けるつもりかな」

 

「当り前よ」

 

 いったいどんな原理なのかは知らないが朝倉さんはナイフを持たずとも手刀ですらただの人間を相手するには充分な手刀を持っていた。

 その証拠に俺はカランビットを持った左腕は使わずにジークンドーのような半身を相手に向ける立ち位置でもって、片手で手刀をいなして応戦しているのだが、彼女の"手"が掠った部分はそれこそナイフで切られたかのように切れている。シャツの袖は気が付けばボロボロで、これはもう学校に着ていけないだろう。

 俺にも体力の限界はあるが、オーラを自由に扱えるようになったことで余裕が出てきたのか呼吸は乱れていない。まだ戦える。

 朝倉さんの猛攻を凌ぎながら再び問いかける。

 

 

「朝倉さん、何故君はこんなことにこだわるんだ」

 

 返事はない。

 むしろお返しと言わんばかりに攻撃の速度が更に上昇していく。

 文字通り俺は手痛いというわけだ。

 

 

「意味がないじゃあないか。君たちが主張している自律進化の可能性とやらだって、潰えてしまうはずだ」

 

「意味があるかどうかは私が決めることでしょう」

 

「暴論だろ」

 

「こんな争いだってしなくていいようになるの。平和な方があなたたち有機生命体にとっては喜ばしいはずよ」

 

 それでも。

 

 

「それでもオレは、こっちの方がいいんだよ!」

 

 既に右手の感覚が無くなりつつあったが構わない、朝倉さんの貫き手を右腕を盾にして防ぎきり、彼女がもう一発を放つよりも先に右足に足払いを仕掛ける。が、倒れない。まるで鉄の塊でも蹴ったかのような硬さだ。

 

 

「無駄なの」

 

 しかし狙いは別にある。

 朝倉さんの意識が下段に行ったその一瞬、俺は後ろ手に隠しているカランビットの持ち方を変えた。

 カランビットには"ローリング"と呼ばれる持ち方を咄嗟に変える技術がある。

 今まで俺はグリップエンドの穴に人差し指を通して逆手にカランビットを握っていたが、手を開き、人差し指を軸に半回転させることで拳から牙が生えたような持ち方になる。

 カランビットのグリップを握るのではなく、末端にある輪の部分だけを持つことによってグリップの長さだけリーチを長くすることができるというわけだ。

 下段はフェイント。

 

 

「……チェックだ」

 

 首元に切っ先を突きつける。俺が持っているカランビットは両刃、まさしく王手。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあ、残念だわ。二度もあなたにしてやられるなんてね」

 

 ようやく観念してくれたのか朝倉さんはそんな言葉を吐いて、右手で指パッチンをする。

 

 

「負けよ負け、私の負けよ。明智君の勝ち。だからもうおしまい。諦めるわ。事象改変も中断したからさっさとこれをどかしてくれない?」

 

「……ふぅ」

 

 すっと手を戻して朝倉さんを解放。

 本当に交戦の意思はないようで何もしてこないし、ちらっと見るにあの黒い雲みたいなのも消えている。 

 まだまだ油断できないが一応競り勝てたらしい。

 

 

「ご苦労様ね。この敗北が人類にとって大きな損失でないことを祈るばかりよ」

 

 やれやれって感じだな。

 ボロボロになった右腕の痛みがなければ現実とは思えない。俺は放り投げていたシースを拾ってカランビットを収納。

 ブッシュナイフやベンズナイフも地面に落としたままにしとけないし、とにかく一旦解散してから落ち着いて話し合おう、と提案しようとしたその瞬間、言葉を出すことができなくなった。

 例の金縛りとやらだ。しかし朝倉さんではないらしく彼女は俺の後ろの方を見てため息を吐き出している。

 

 

「遅かったじゃない、長門さん」

 

 長門さんだと?

 やがて足音も立てずに俺の横を通り過ぎて朝倉さんの前まで移動する眼鏡をかけたショートの女子高生。確かに長門さんがいた。

 

 

「私を止められなかった憂さ晴らしにでも来たのかしら?」 

 

「あなたは重大な規律違反を犯した。あなたの独断専行は許可されていない」

 

「それだけじゃないでしょう?」

 

「涼宮ハルヒが持つ特異性……あれは我々が干渉するのではなく、彼女個人が発展させるべき力」

 

「利用価値はあるわよ」

 

「朝倉涼子。あなたはその域に達していない」

 

「ええ、長門さんもね」

 

 何だ。

 何の会話をしている?

 そもそも俺の動きを封じる必要がどこにあるってんだ。

 鼻で息をすることしかできない俺に向かって朝倉さんは清々した様子で。

 

 

「というわけで明智君。敗者はただ去るのみってやつよ」

 

 それを言うなら敗者は黙して語らずと老兵はただ去るのみだろ、混同してるんじゃないか。

 突っ込みを入れたいとこだが生憎と指の一本も動かせない。

 長門さんは一言。

 

 

「あとのことはわたしに任せてほしい。朝倉涼子の処分は情報統合思念体が決定する」

 

 なんて言ってくれるが、おい、おいおいおい。

 まさかこれで終わりってんじゃないだろうな。処遇じゃなくて処分だと。

 もしかしてよ、このまま原作みたいに朝倉さんがフェードアウトするってことはないだろうな。ないって言ってくれ。

 俺は世界を守るなんて仰々しい理由でここに立っていたわけじゃないんだぜ。もっと、ごくごく個人的なくだらない理由だ。

 だがな、

 

 

「く、だ……でも、オレは」

 

俺にとっては大きすぎる理由なんだよ。

 全身が悲鳴を上げている、動けないものを無理に動かそうとするからだ。

 どれだけ"練"をしようと満足に身体が動くはずはない、が、今だけは関係ない。動け。 

 長門さんはギリギリと手足を動かしていく俺を見て静止させようとするが、朝倉さんが長門さんを差し押さえて俺の方に近づき。

 

 

「あなたとのごっこ遊びも悪くなかったわ」

 

「……あ、さ」

 

「本当はもうちょっと遊んでいたかったけど、最後にいい思いをさせてくれたから満足よ。後悔はしてないから」

 

 ふざけるなよ。

 勝手に迷惑かけて、勝手に消えようとするな。

 長門さんもなんとかしてくれよ。

 そりゃあ、原作なら五人だったけど俺にとっては七人でSOS団なんだ。

 俺がいてキョンがいて、涼宮さんがいて朝比奈さんはみんなを癒してくれて、古泉は体のいいゲームの相手になってくれて長門さんは自然に佇んでいる。そこには朝倉さんも必要なんだよ。

 普段は何をするでもない集まりだけどさ、行事ごとにやらかさないのを含めても楽しいと思ってるよ。朝倉さんは違うのかい。俺はあのぐだぐだな空間が好きだし、何より、とにかく、俺はさ。

 

 

「明智君。私ね、あなたのことが――」

 

 その先の言葉が俺の耳に届くかどうか、そんなタイミングで俺の意識は急速に刈り取られていった。

 視界が黒く染まっていく。五感が奪われていく。未来人の時間酔いよりはマシだが奇妙な感覚なのは確かだ、感覚がないのに感覚ってのもヘンだけど。

 要するにどういう攻撃をされたのかはわからないが、まあ、宇宙人相手にそんなことを気にしてもしょうがないのかな。

 どちくしょう、どうやらここまでが限界らしいぜ。なんて情けない野郎なんだ、俺は。俺の覚悟ってのは第三者の介入であっさりと崩れるもんだったのか、ええ、明智黎。何が念能力者で何が異世界人だ。

 

 

 俺は、惚れた女の命を助けることすらできないってのかよ。

 

 



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第四十話・偽

 

 

 夢を見ていた。

 今にして思えばあっちが現実だったのかもしれない。

 だが、俺にとってそんなことはどうでもいい。

 

 

『君にもう一つだけ話しておかなくっちゃあならないことがあるんだ』

 

 俺が好きになったのは元の世界の、宇宙人の朝倉涼子だということ。

 いつの間にか彼女がいる日常が俺にとっての普通となっていた。高々半年程度の仲だが、濃さでいったら相当なものだと思うしね。

 でも俺は別にごっこ遊びなんてどうでもいいんだ。同じ世界で確かに朝倉さんが生きている。学校にいる。それだけで俺はこの世界にいて良かったと思えたんだ。

 なあ、君はどうだったんだい?

 悪くなかったなんて言葉で濁さずに、はっきり言ってくれよ。他人の心なんてわかるわけないんだからさ。

 

 

――シャリ、シャリシャリ

 

 俺の意識を呼び戻したのは乾いた音だった。

 うっすらと覚醒させて再び目を開く。

 眼に映るのは白い天井、こんな時に言う定型文を俺は持ち合わせているがあえて口に出さないでおこう。とりあえず俺は寝ていたらしい。

 

 

「……ようやくお目覚めか」

 

 そんな声が横の方から聞こえたので首を捻る。

 椅子に腰かけて怠そうにしているキョンと、椅子に座りながら果物ナイフでリンゴの皮むきをしている古泉がそこにいた。

 俺が起きたことに気づいた古泉はにかっと営業スマイルを浮かべて。

 

 

「おはようございます明智さん。まあ、今は夕方になりますが」

 

「こいつ、寝起きに見たのが男で残念だって顔してるぞ」

 

「おやおや、それなら失礼致しました。とにかく無事で何よりですよ……本当にね」

 

「おい、俺たちが誰だかわかるか? 明智」

 

 問題ないさ。

 ああ。

 ここは病室で、どういうわけか知らないけど俺は寝かしつけられていたみたいだね。

 俺が着ているのも病衣だし、布団も身体にかかっている。オンザベッドだ。

 日付を訊ねると古泉が答えてくれた。

 

 

「今日は十二月二十一日、ちょうど午後五時を回ったところですね」

 

 二十一日か。

 と、なるとやはり俺は原作のキョンと同じような感じになっているにだろうか。

 

 

「見事な転がりっぷりでしたよ。寒気がするほどに」

 

 目立った外傷はなかったそうだが俺は何故か酷く衰弱していたらしい。だから三日も寝ていたそうな。

 原因はなんとなくだがわかる、無理なオーラの運用と身体の酷使によるものだ。

 俺が使用した"堅"という技術はまともな訓練なしで実用に耐えうるようなものではなく、負担や消耗が激しい。今の俺は何分あの状態を維持できるのやらといったところだ。

 

 

「ところでさ、朝倉さんは……」

 

「ん? どうした明智? 朝倉、ってお前、まだ寝ぼけてんのかよ」

 

 キョンの反応で俺はだいたいを察した。

 聞けば、彼女は五月に親の仕事の都合でカナダへ転校したことになっているらしい。表向きは。

 裏の事情を知っているのは、きっと俺だけだろう。何故俺が覚えているのかは知らないが。

 

 

「いや、何でもない。何でもないんだ。ただの、気のせいさ」

 

 そこからは詳細に語るまでもない。

 俺の眼覚めを聞いたSOS団の女子がやってきて、涼宮さんは小言を言いつつも嬉しそうに、朝比奈さんは俺なんかのためにわんわん泣いてくれて、長門さんは無言だった。

 しかし起きたとはいえ、病院の食事などまともに喉を通らず、俺は抜け殻のように残りの入院期間を過ごしていた。

 夜になって、長門さんが俺の病室までやってきたけど話したいことはないし。

 

 

「わたしにも責任はある」

 

 君には君の立場があるだけだろ。

 気に食わないのは情報統合思念体の方さ。

 

 

「朝倉涼子の処分は――」

 

「いいよ」

 

 べつに、聞きたくもない。

 ひとりにさせてくれ。

 俺は君を恨んでいないが、君の親玉のことは心底憎いと思っている。

 だから暫くは君の顔も見たくはない。悪いけど。

 

 

「そう」

 

 病室から立ち去る前の長門さんが申し訳なさそうな表情をしたように見えたのは気のせいだっただろうか。

 復讐を考えたところでいざ実行に移すような気力も俺にはない。だいたい情報統合思念体のところに行く方法なんてのも知らないわけだし。

 今の俺に言えるのは、俺は全てを失っちまったということだ。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十八日から二十一日までの三日間、及び土曜である二十二日が丸々検査日として使われ、実際に退院できたのは二十三日の日曜日、その昼頃であった。

 いいとこの私立病院らしいが古泉の根回しのおかげで安く確保できたということになっているんだと。その裏では『機関』と関わりがあるような病院なのは容易に想像がつく。

 入院中、団員のみんなは土曜日も来てくれたし、親父や母さんはもちろん、あの兄貴までも駆けつけてくれたのは驚きだった。まあ、兄貴は俺の顔を見たら「達者でな」と一言だけ言ってすぐに仕事に戻っていったが。

 ご丁寧なことに、我が家に帰ると俺の部屋にナイフ一式はしっかり置いてあった。長門さんの仕業だろうか。こんなのを出したまんまにしておくのは物騒なので全部押し入れに入れることにしたけど。

 朝比奈さん(大)に化したブレザーもちゃんとあった。胸のポケットにはファンシーなキャラクターがプリントされたメモ用紙が入っており、丸っこい文字で『お疲れ様でした』とだけ書かれていた。労いの言葉、俺には耳が痛いものだ。

 そうこうしているうちに十二月二十四日。月曜日であり、終業式の日であり、世間的には、

 

 

「待ちに待ったクリスマスイブだぜ」

 

 登校中、誰にも会いたくなかったのに坂道に差し掛かるなり遭遇してしまった谷口の一言がこれだ。

 お前にしてみれば今日はお嬢様学校の女子生徒とデートできる素晴らしい日なのかもしれないが、そいつの正体は宇宙人なんだからな、原作ではさっくりフられていたように記憶してるぞ。

 こいつは知る由もないがな。

 

 

「聖なる日に何死んだ魚みたいな眼してんだ明智。まだ入院し足りねえのか?」

 

「かもな……」

 

「とんだ重症だな。ひょっとして誰かにフられたか、そいつはご愁傷様だ」

 

 俺にこいつを一発殴る権利があってもおかしくないと思う。

 今なら余裕でジャジャン拳を再現できそうな気がするからな。

 

 

「そのうちいいことが舞い込んでくんだろ。ヘラヘラ笑うのがいいとは限らねえが、笑わないとやってられないことだってあんだよ」

 

 お前はテストの点数で笑いを取りに来てるとしか思えないんだが。

 まあ、いいさ、こいつに当たったところで無意味だ。クラピカだって誰でもいい気分なんだって言っても殺さなかったわけだし、俺だって似たような気分さ。

 俺は通学路をなぞる道中、道を逸れて某分譲マンションのエントランスに向かって505号室の住人をインターホンで呼び出そうとした。結論としては誰もいなかった。朝倉さんなら、とっくに対応してくれる時間だったのに。

 女々しい野郎だと自覚してるが治しようがないんだからしょうがないだろ。いいから誰か教えてくれ、俺がやってきたことは間違っていたのかどうか。俺にはもうわからないんだ。

 

 

「オレはさ、運命だとか宿命だとか、そういうレールみたいなもんが大嫌いでね。自分はそういうから外れた生き方をしてやるって思ってたんだ」

 

「何の話だ?」

 

「本の話さ」

 

 少なくともこれで世界は原作に近くなった、朝倉さんがいるという相違点が無くなったのだ。いずれは俺も消えてしまうのだろうか。

 そもそも俺は何のためにここに呼ばれたんだ? 涼宮さんの遊び相手としてか? 古泉みたいに己の使命がわかればどれだけ楽なことか、朝比奈さんが味わってるのも俺と似たような感覚なのかな。

 異世界から呼ばれようと、俺は人間であって人形ではない。そして俺は彼女も人形ではなかったと信じている。信じたいんだ。

 

 

「……ははっ」

 

 何が『オレが死んでも気にするな』だよ。

 先にいなくなったのは君の方じゃないか。

 ねえ、朝倉さん。

 

 

 

 

 

 

 そんなダウナーすぎる朝を迎えてやってきた学校。

 坂道を上る過程でキョンには遭遇しなかったあたりむしろ谷口が普段より早く登校していると言えよう。要するに浮足立っているのだ、この馬鹿は。

 もはや吐くため息も尽き果てたと思いながら下駄箱を開けた俺は、奇妙なものを目にした。

 

 

「ん……?」

 

 上履きの上に置いてあったのは四つ折りにされた紙切れ。ルーズリーフだろうか。

 手に取って開いてみる。そこには、

 

 

『放課後、屋上にて待つ』

 

といった風に書かれており、これを男が書いたにしては気色悪いと思えるぐらいには女子の筆跡と見受けられる。

 俺は先に行こうとしていた谷口を呼び止め。

 

 

「おい谷口、これはお前が書いたのか?」

 

「あん? んだよ……知らねえな。イタズラか?」

 

「さあ。オレが聞きたいぐらいだよ」

 

「なんつーか果たし状みてえな文面だな」

 

 谷口はアホみたいなことを言う奴だが基本的に嘘はつかない。

 と、なるとこれは彼が仕組んだものではないということか。まあいい、気が向いたら行くさ。罠だろうがなんだろうが、今の俺には何も残ってないんだ。最後に残った命が欲しけりゃくれてやるさ。

 教室に到着した俺はクラスを見渡す。窓際の席には涼宮さんがちゃんといる、キョンはもうじき来るだろう。

 俺の後ろの席にはもう朝倉さんがいなかった。代わり、といってはなんだが阪中さんが座っていた。

 

 

「おはようなのね、明智くん」

 

「……ああ、おはよう」

 

 一切の苦痛なしに死ねるボタンがあるのなら俺は今すぐにでも押す自信がある。

 時間が傷を癒してくれることに期待したいが、ならば長門さんに俺の記憶を消してもらう方が確実だ。

 だが、そんな覚悟を決められるはずもなかった。当たり前だ。ここまでが自己責任なんだからな。

 どう言い訳しようと無意味なのさ。しょせん俺に出来ることは他の奴にも出来ることだったというだけだ。

 

 

「ざまあないぜ」

 

 誰にも聞こえないように、自分だけに聞こえるようにそう呟いた。

 だけど、もし。

 

 

「よう明智、もう大丈夫か」

 

「おはようキョン。なんとかって感じだけど」

 

「無理すんなよ。またすっころんで、次はアウトってのは冗談きついぜ」

 

「善処するさ」

 

 もし、奇跡ってのがあるとすれば。

 年に一度の今日という日ぐらいはそれを信じてもいいというわけだ。

 チャイムギリギリにキョンがやってきて、ホームルームを終えるとすぐさま終業式。

 それが今日の段取り。このクラスの誰もがそう思っていた。俺も。

 

 

「あー、すまないがみんな。体育館に移動する前にお知らせがある」

 

 チャイムが鳴ってからちょうどよく教室に入ってきた岡部先生によるホームルームが終わろうかという時、彼はおっほんと咳払いをしてからそんなことを言った。

 俺は別に気にも留めていなかったし、なんなら終業式そのものを保健室にでも行ってフけちようかとさえ考えていた。

 

 

「今日は授業がないからわざわざ来てもらう必要はなかったんだが、本人たっての希望でな、どうしても今日顔を出しておきたいそうだ」

 

 今のうちに目でも休めておこうかと思い、目を閉じる。

 岡部先生が「入ってこい」と言うとガラッと教室のドアが開けられたような音。

 そんな音が聞こえたと思えば急激にクラスの中が騒がしくなった。ええっ、だとか、嘘、だとかよくわからないけどガヤガヤしだしたぞ。ええい、うるさいな。いったい何があったってんだよ。いい加減に俺を何も考えなくていいようにさせてくれ――

 

 

「静かに。みんなも驚いていると思うが、私も驚いている」

 

 おい。

 

 

「父親の職場が国内に変わったらしい。まあ、改めて紹介する必要はないのかもしれないが」

 

 俺の眼は狂っちまったのか。

 そうなのか。

 そうなんだろ。

 

 

「"転校生"の」

 

「朝倉涼子です」

 

 ぺこり、と一礼する女子高校生。

 制服の上に羽織っているのは真紅のコート、ハーフアップの青髪。

 本当に俺の眼が狂っていないのならば。教卓の横に立っているのは朝倉さんだった。

 それから手短にカナダに行ってた間の話とか、ここにまた来るようになった経緯についての説明があった気がしたが俺の頭には全然入っていない。

 何があったのか理解できていない。驚天動地だ。いったい、どういうことなんだ。

 

 

「みんな、またよろしくね」

 

 最後に朝倉さんが笑顔でそう言ったのだけは覚えている。

 そこからの終業式は拷問のように苦痛な時間で、俺は一刻も早く彼女に問い詰めたかった。

 しかし同時に俺は下駄箱に手紙を入れたのが彼女であろうことも確信していた。

 だからこそさっさと放課後になってくれと思ったね。通知表の中に書かれているどんな誉れある評価よりも、理由なんかどうでもいいから俺は朝倉さんが戻ってきてくれたことが嬉しかった。世界が変わったようだ。笑えるが、本当にそう思えるんだぜ。それが俺にとってはとてつもなく素晴らしかった。

 

 

 そして、放課後。

 

 なんというかもどかしさは募る一方で、よもや教室の掃除当番をラストで俺の班が割り当てられているあたり作為的なものすら感じる。

 雑にならないように、誰かにおかしいと思われないように、俺はめいいっぱいの普通さでもって掃除の任務を遂行した。

 椅子に掛けてあった一張羅を着て、机のフックに引っかけてある鞄を持って、俺は屋上へと向かう。

 階段の先にある屋上へと出るためのドアは常時施錠されているはずだが、この時ばかりは開いた。

 教職員にバレたらまずいのでさっさと外に出てドアを閉める。

 

 

「遅いよ」

 

 屋上には予想通りの人物が立っていた。

 風に髪をなびかせる女子生徒、朝倉涼子。

 

 

「まるでお化けでも見たって感じの顔ね、明智君」

 

 谷口が言うには今日の朝の俺は死んだ魚らしかったが。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 

 

「説明してくれよ。何がどうなってるんだ?」

 

「あら、長門さんから聞いてないの?」

 

「……えっ」

 

 なんでそこで長門さんが出てくるんだろう。

 

 

「明智君が起きたら説明しといてって頼んだんだけどな」

 

 あっ。

 そういや俺、門前払いしてたっけ。

 

 

「ま、いいわ。そんなに複雑な話じゃないし」

 

 朝倉さんから語られた内容というのは自分が受けた処分についてだった。

 まずはインターフェースとしての機能の制限、これは攻勢因子とやらの行使量に制限がかかるらしく、単独で今回のようなことをしでかすのはまず不可能になったらしい。戦闘力としてはそこまで低下してないから問題ないとは本人の談だが。

 そして情報操作について。朝倉さんはSOS団に所属していたという事実を抹消された、というか自分から涼宮ハルヒに関わるなというのが上の意向なんだと。今後は長門さんのバックアップだけに専念するそうな。

 

 

「虫唾が走るね」

 

「これでも軽く済んだ方だと思うわ」

 

「というかなんでオレが君の事を覚えているんだ? それが不思議でならないんだけど」

 

「……さあ。なんでかしらね」

 

 くるっと後ろを向いてしまう朝倉さん。

 俺はまだ話がしたいので彼女の横まで行く。 

 屋上からは市内全体が一望でき、実にいい眺めである。

 遠くの海の方向を眺めながら俺は気になっていたことを訊ねる。

 

 

「朝倉さん、この前の喧嘩なんだけどさ、勝者の特権で教えてくれよ。君は何故あんなことをしようとしたんだ」

 

「くだらない理由よ」

 

「オレはそう思わないかもしれないけど」

 

「まったく……朴念仁なんだから」

 

 人は皆、奇跡というものを望んでいる。

 

 

「私は普通の人間になってみたかったのよ」

 

 つまりは現状に不満を抱いているということか。

 なまじ良い環境だからこそ、更に上を求めてしまう。

 

 

「普通の人間として、普通の高校生活を送ってみたかった。私には無縁なことだから」

 

 だが、本当に奇跡ってのは望まないといけないものなのか?

 案外そいつはそこら中に連続して転がってたりする。

 気づかないだけで。

 

 

「それだけ。……ね? くだらないでしょう? ただの気の迷いよ」

 

 もうこの話は終わり、と言って去ろうとする朝倉さん。

 

 

「待ってくれ」

 

 まだ、俺の話が終わってない。

 

 

「次はオレがこっちを選んだ理由を話すよ」

 

 もういいだろ。

 言い訳はしねえぜ。

 当たって砕けるだけさ。

 

 

「朝倉さん。オレは、オレは"君が"好きなんだ」

 

 彼女はただただ何も言わずに俺の言葉を聞いていた。

 

 

「宇宙人の、いや、君が好きなんだ。理屈じゃない、君にもう一度会いたかったってだけでオレはこっちを選んだ」

 

「……」

 

「君がいなくなったと思って、もうどうにもできないと思った。死のうかなとも思ったよ。だけど、君を忘れてしまうことの方がよっぽど辛いじゃあないか」

 

「……」

 

「朝倉さん、君は普通の人間になりたいって言ったけど」

 

 彼女の元まで近づいて、抱きしめる。

 驚くほど容易かった。

 

 

「君は人間だ」

 

「……」

 

「だって、君は暖かい。生きている。だから人間だ」

 

「……そんな」

 

「君が嫌なら今すぐ大声を上げて抵抗してくれ。じゃなかったら、勘違いしちゃうだろ」

 

 初めて抱きしめた朝倉さんはとてもか弱い存在に感じた。

 次はないんだ。それに最初に言ったじゃないか。

 

 

「明智君、あなた、どんなことがあっても私を守ってくれるんでしょう?」

 

「ああ」

 

「それ、もうやめにしましょ」

 

 朝来さんの方からも俺の腰を抱き返して一言。

 

 

「これからは一生私を守ってちょうだい。明智君」

 

「うん、わかったよ」

 

「私が事象改変を起こした本当の理由はね」

 

 言わなくてもわかってるさ。

 そんな気もなかったのに、俺が君を好きにさせてしまっただけなんだ。

 でもさ、朝倉さんが普通の人間だったら俺は君と付き合う、なんてことはごっこ遊びでもできなかったと思うよ。

 だからいいんだ。俺が好きになった朝倉涼子は、他でもない宇宙一綺麗な瞳を持つ、君なんだから。

 

 

「やっとわかったわ。この感情が"好き"なのね。あなたのことを考えただけで、制御がきかなくなるの。私もあなたが好きよ、明智君」

 

「朝倉さん、もう一度やり直そう。オレたちの半年間は無くなったけど、オレたちは覚えているんだ」

 

 世界は広い。きっと俺が考えているよりもとてつもなく広い。

 この町なんか数字にすれば一桁にもならないはずさ。

 が、真に価値あるものは数字の大きさで決まらないのだろう。

 

 

「明智君。また、私とつきあってくれる?」

 

「もちろんだ。君さえよければ、死ぬまでつきあってくれ」

 

「ふふっ、一生守ってもらうんだもの、当たり前よ。交渉成立ね」

 

 最後の最後に。

 今回の一件から俺が得るべき教訓というものは。

 

 

「スクープよ! これは一大事よ!!」

 

 パシャリ、という音が聞こえたかと思えば俺が入ってきた屋上ドアは開いていて、涼宮さんがデジタルカメラ片手に突っ立っていた。

 いやいやいやいや、涼宮さんだけじゃないぞ。キョンに谷口、国木田。お前らなんでここに。

 

 

「あ、お、おい、こりゃどうなってんだ? 俺は夢でも見てんのか?」

 

「ははは。まさか明智と朝倉さんがこんな仲だったとはね。驚いたなあ」

 

 目をきょろきょろさせる谷口といつも通りの調子でコメントを入れる国木田。

 キョンは「すまん」と言ってから涼宮さんの首根っこを掴んで。

 

 

「谷口からお前に果たし状が来た、といって気になったから来てみたんだが……余計なお世話だったな。お前ら帰るぞ」

 

「ちょっと、これからいいシーンでしょうが! 濡れ場はこれからなのよ、放しなさいよ! バカキョン」

 

「続きは家でやることをお勧めする」

 

 バタリ、とドアが閉められた。

 

 

「……見られたのかな」

 

「写真も撮られたみたいね」

 

「得意の情報操作でなんとかなんないかな」

 

「べつに、見られて困るものでもないじゃない」

 

 この後にSOS団主導による軍法会議チックな場によって冬休みも初日から俺は朝倉さんについて質問されまくり、挙句の果てに朝倉さんは再び団員的なポジションにつくことになるのだが、今回の教訓としては、だ。

 

 

「口は災いの元だ」

 

 キスをするのなら時と場合をわきまえた方がいい。

 脅しの材料として写真にでもとられたら面倒だから。

 

 

 以上。

 

 



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一ヶ月後 / あれから二か月

 

 

 一月某日。

 

 北高生の冬休みも開けた週の休日早々に、朝から家を出る女子高校生の姿があった。

 平日だろうと休日だろうとお構いなしの制服姿で町を歩く眼鏡の美少女の名は長門有希。

 彼女が休日に外出をしているのは理由あってのことだった。

 北口駅の近くにある喫茶店、幽鬼のような足取りでその喫茶店に入っていく長門は店内を見回して、目的の人物が座っている窓際の席を見つけると彼女もその向かいに座った。

 

 

「おはようございます、長門さん。わざわざすみません朝早くから」

 

 作ったような笑顔で長門に応対したのは喜緑江美里という長門と同じ高校に通う二年生の女子生徒、彼女は長門と異なり私服であり、厚手でブラウンのチュニックワンピースを着ている。

 しかしながら長門も喜緑も女子高校生なんてものは表の顔にしか過ぎず、その正体は宇宙人のような存在である。

 長門はダージリンをオーダーし、数分後にウェイターが紅茶を届けたのを確認してから喜緑は切り出した。言うまでもなくその間の二人は無言だった。

 

 

「それで、どうですか? SOS団のほうは」

 

「……」

 

「問題なしって感じみたいですね」

 

「……涼宮ハルヒは朝倉涼子に関心を抱いている」

 

「そうですか。まあ当然でしょう、終業式のタイミングで転校生だなんて、しかもその人物が入学してひと月でカナダに転校した帰国子女、作り話にしても無茶がありますよ」

 

 ふふっ、と息を漏らしながら談笑する喜緑。

 当の長門は微塵も笑おうとはしていないが。

 

 

「どうしようが無駄ですからね。遅かれ早かれ、また以前のような間柄になると思いますよ、SOS団と朝倉さんは」

 

「……」

 

「何か釈然としない様子ですね?」

 

 既にぬるくなっているであろうカップの中のコーヒーをマドラーで弄ぶ喜緑の様子など長門は意に介さず。

 

 

「彼女の処分を減刑するよう情報統合思念体に要請したのはあなた」

 

「当然です。朝倉さんは同志ですから、端末といえどわたしにも人並みの仏心はありますよ」

 

「……」

 

「困りましたね。まあ、他意があるのも事実です」

 

 喜緑は長門の前に置いてあるダージリンを眺めながら。

 

 

「いちおうの建前としては『朝倉さんを応援したい』ってことです」

 

「……」

 

「いやあ、好きな人を振り向かせるために世界まで作り変えちゃう、なんて女の人はなかなかいませんよ。それこそ涼宮さんくらいじゃないでしょうか」

 

「……」

 

「二人とも素直じゃありませんでしたから、ようやくこれで一安心ですよ。末永くお幸せになってもらいたいものですね」

 

 客観的に喜緑と長門を見ている人間がいたとしたら間違っても仲のいい女子同士の語らいには見えなかっただろう。

 もし、"彼"がこの場にいたならば長門有希の気分がいいものではないということを見抜いているはずだ。

 

 

「そしてわたしの本音ですけど……長門さんもお察しの通り、あの二人がくっついているほうが色々と都合がいいんですよ」

 

「色々、とは」 

 

「監視しやすいってのもあります、けど何より朝倉さんなら明智さんをうまくコントロールできるでしょう?」

 

「……」

 

「長門さんが提供してくれた明智さんの戦闘データは情報統合思念体の判断を鈍らせるのに充分効果のある劇薬となりましたからね。むしろあれがなければ朝倉さんは高確率で抹消されていたと思います」

 

 無言でダージリンに手をつけた長門を倣うかのように喜緑はぬるいコーヒーをすする。

 さもコーヒーが美味だったかのように舌つづみを打ってから彼女は言葉を続けて。

 

 

「明智さんの能力はこの星の人間という種の枠を逸脱していますよ」

 

「過大評価」

 

「いいえ妥当な評価といえます。朝倉涼子が手心を加えてたかもしれないとはいえ明智黎は彼女との接近戦に対応している、常人の反応速度なら初手で詰みです」

 

「彼は未知数。迂闊に手を出さない方がいい」

 

「念能力。わたしたちが知らない"技術"ですか。ええ……不用意なことはしませんよ、仮に明智さんと戦ったらわたしなんて朝倉さんほど粘れませんからねえ」

 

 それに、と言いながら喜緑はちらりと窓の外を一瞥。

 

 

「明智さんに手を出すとしたらわたしではなく情報統合思念体ですから」

 

 彼女の視線の先に何があったのかまで長門有希は確認できなかった。

 しかし、現状が必ずしもよいものでないことを長門も理解している。

 

 

「朝倉涼子の転校に関する認識の操作そのものは問題なかった。イレギュラーは明智黎と朝倉涼子が親密な関係にあること、各勢力にとっては寝耳に水」

 

「イレギュラーだなんて。長門さんも想定内だったでしょう、明智さんと朝倉さんが一緒になるのは」

 

「……」

 

「先方はパワーバランスの崩壊を危惧しているわけですか。今までは明智さんと朝倉さんのペアがブラフだと知れ渡っていましたが、それすらも情報操作で"なかったこと"になってしまいました。で、朝倉さんの再登場と同時にあれですからね、『機関』のエージェントも現代に派遣されている未来人もてんやわんや。他多数の勢力に所属してらっしゃる方々だって」

 

「そう、この事態を引き起こしたのはあなた」

 

 眼鏡越しの鋭い眼光で対面に座る喜緑をとらえる長門。

 朝倉涼子の処遇を誘導したのが目の前にいる喜緑であるならば、こうなることは織り込み済みだったというわけだ。

 水面下では一触即発。今"彼ら"が味わっているのは仮初の平和にすぎないのだろうか。

 

 

「喜緑江美里……あなたは何を画策している?」

 

「まあ、画策だなんていやですね。人聞きの悪い。まるでわたしが悪者みたいな言い方じゃないですか」

 

「答えて」

 

 喜緑は暫く無言だったが、やがて根負けしたかのように。

 

 

「わたしは穏健派で、それも大局的な立場は中立ですよ? 特別に何かを狙ってなんかいません、仮に明智さんと情報統合思念体とで争いが起これば最後に残った方につくだけです。中立は儲かりますからね」

 

「……そう」

 

 ガタリ、と席を立ち伝票を手に取る長門。

 もはやこれ以上有益な情報は得られないと判断したらしい。

 喜緑はそんな長門の様子を受けて悪びれたように。 

 

 

「わたしが支払いますけど?」

 

「あなたは大きな勘違いをしている」

 

 その時の長門が口にした言葉は、

 

 

「中立が儲からない場合もあるということ。そして――」

 

まるで大きな何かに対する宣戦布告のようであった。

 喜緑江美里も、まるで自分が勝負を受けるかのように耳に入れる。

 

 

「勝つのは明智黎個人ではなくわたしたちだろう」

 

 それだけ告げると長門は踵を返してレジへと向かっていった。

 店内には再び喜緑江美里と、数名の客が残されるだけ。

 最初から長門有希など来店していなかったかのように思えるほどあっさりと流れた短い時間。

 

 

「だと、いいですね。みなさん」

 

 しかしながら喜緑の向かいに置いてある空のティーカップが長門有希の来店を確実に証明していた。 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから二ヶ月。

 

 長かったような俺の高校一年生も残すところひと月とちょっとであり、登校日数に換算するともう二十日程度しかない。まさしく光陰矢の如し。

 その間の出来事について語ろうかとも思うのだが、実のところ大した出来事があったというわけでもないのだ。

 冬休みに入り、キョンの旧友である中河君の誘いによるラグビー観戦をした。

 彼が持つ情報統合思念体にアクセスするという力はいつか何かの役に立つかもしれないので俺は長門さんに頼んで彼の能力を消去するのではなく普段は発動しないようにプロテクトをかけてもらうことに。

 まあ、どの道中河君は試合中の事故に見せかけた荒治療を受ける運命からは逃れられなかったようで、その辺はご愁傷様である。

 

 

 

 次に雪山への合宿となったが俺たちは原作のように遭難などしなかった。

 はて何故だろうかと考えを巡らせたところで俺は事前に何もしてなかったので俺に理由などわかるわけもないし、何よりトラブルはない方が都合がいい。ラブアンドピースで行こうと某ガンマンだって言っているのだ。

 予期せぬ原作との相違に若干の不安はあったもののウィンタースポーツを堪能するために俺は無理矢理にでも忘れることにした。原作はあくまでひとつの目安でしかなく、今更違うとか言い出したってもう遅いというのは俺がよくわかっているつもりでね。

 当たり前といえば当たり前だが合宿に朝倉さんは参加していない。今は団員じゃないからだ。

 鶴屋さんも涼宮さんも朝倉さんが来ることは構わないようで、むしろ人数が増えることは大歓迎のムードだったのだが朝倉さんは丁重にお断りしていた。今の彼女の立場を考えるとやむなしである。

 合宿の十数日も前には同じ部室の同じ仲間だっただけに寂しく思えてしまう。

 が、朝倉さんがいるだけで俺は満足だ。ここは今も昔も、きっとその先も変わらないだろう。

 本当に世界から朝倉さんがいなくなっていたら俺はきっと合宿なんて満足に参加できなかったに違いない。なんなら周防九曜とか関係なしに雪山で遭難したかも。

 とはいえ、実をいうと朝倉さんは合宿そのものには参加していなかったが合宿地の鶴屋家が所有する雪山の山荘には来ていた。

 何を言ってるかわからないと思うのでとりあえず説明をしよう。

 

 

 

 合宿は俺がいること以外は原作通りのメンバーで、キョンの家からは妹さんと彼の飼い猫のシャミセンがやってきていた。

 もちろん猫はスキーなどせずに暖がとれる山荘の中で寝てるだけなので日中外にでづっぱりだった俺はしだいにシャミセンをもふもふしたい欲求が高まっていったのを覚えている。

 とまあ、周防九曜のすの字もないまま何事もなく一日を終えようとしていた俺は寝る前に念の修行に励む。

 喜ばしいことに俺には"円"の適正があったようで、今はそれこそ四メートル程度かつ安定した制度のものは十分もつかどうかだが鍛錬次第で伸びていくんじゃなかろうかというぐらいにはすんなりと円を発動できた。

 円について改めて説明すると、円とは念の技術の一つであり、自分を中心に文字通りオーラを円状に展開していくことで円の範囲内にあるものを第六感的に探知できるという大変便利なウルテクだ。

 よくよく考えると俺って凄い才能の持ち主なんじゃないか? と天狗になるほど習得が難しい技術らしい。この世界には俺以外に念能力者はいないだろうから比較できないけど。

 とにかく念の修行なんてものは基本的に反復練習でしかない。部屋の真ん中に立ち、円を使って限界まで維持しようとしたら、だ。

 

 

「ん……?」

 

 明らかな異変を感じた。

 俺以外に誰もいないはずな山荘の一室。そのベッドの上に人らしきものが座っているような感覚。

 慌ててベッドの方を見てみるがまあ誰もいるわけがない。布団が敷いてあるだけ、しかし円には引っかかっている。これはおかしい。

 ためしに隠されたオーラを視認できる"凝"を使うがそれでも何も見えなかった。仮に生物がいるのなら生命エネルギーであるオーラは確認できるはずで、となると考えられる可能性はメレオロンのように透明化能力を持つ者がこの部屋に侵入しているということだ。いったい何が目的で? なぜ何もしてこない? なんて疑問は後から考えろ。俺はすぐさま円の範囲ギリギリ――といっても四メートル――まで距離を開けて臨戦態勢に。

 

 

「おい。誰かは知らないが侵入者さんよ、あんたがベッドの上にいるのはオレにバレバレだ…………姿を見せたらどうだ」

 

 半分ハッタリみたいなものだ。

 ベッドの上の存在が悪意ある侵入者だったとして、姿を消されたまま戦ったら俺は圧倒的に不利。いずれ円も維持できなくなる。まして距離を開けられて遠距離戦なんてなったら勝ち目がまるでない。こういう時のために空条承太郎よろしくベアリング弾は用意してあるがズボンのポケットに入れているのは四発程度。相手を捉えられなければまるで意味のない数。

 そして俺の言葉に反応したらしい見えない何ものかはゆっくりとベッドから立ち上がる。

 俺から仕掛けるというのも選択肢にあったが向こうの素性が一切わからない以上、下手な真似はできない。

 周防九曜か? あるいは情報統合思念体による刺客か? はたまた俺以外の念能力者なのか? わからないがこういう時こそ慎重になるべきだ。

 もし相手が梟の"不思議で便利な大風呂敷(ファンファンクロス)"みたいなカウンター系統の能力を隠し持っていたら即アウト。基本的に近づいて殴る、が決め手の俺には荷が重い。"路を閉ざす者(スクリーム)"を使えたらまた違ったんだろうけど。

 それにしても違和感、というか既視感、でもなくてよくわからないが変な感覚だ。

 メルエムぐらいハッキリとした円じゃないから俺は輪郭程度しかわからないんだが、そこにいるのは女性のようで、しかも割と知ってる体つきのような。

 

 

「……あら。よく気づいたわね」

 

 そんな聞きなれた声が聞こえたかと思えば、すーっと姿を現したのはこの場にいないはずのお方であり、とっくに察していただけたと思うが。

 

 

「あ、朝倉さん!?」

 

 って声が大きいぞ俺。

 もう十時半という修学旅行でいえば就寝時間だろう頃合い、I should be quietだ。

 すぐさま廊下に出て、少しの間、誰も来ないことを確認してから再びドアを閉める。この間も円は解除していない。

 部屋に置いてあった椅子に座ってこっちを見ているあの彼女は本物なのだろうか。私服のセンスは本人っぽいけどいかんせん怪しい。

 彼女は無言で見つめる俺を不思議がり。

 

 

「どうしたのかしら?」

 

「どうもこうも、君は本物の朝倉さんなのか」

 

 未だ一定の距離を開けての質問。

 俺の対応はいたって正常そのものだったと自負しているが、彼女は自分が疑われていることが気に食わなかったようで。

 

 

「ふうん。あなた私が偽者だって思ってるのね」

 

「いや……朝倉さんがここにいるのがおかしいんじゃあないか。合宿には行かないって言ってたし」

 

「べつに何もおかしくないわよ? 私は合宿に参加するつもりはないけど明智君とはいっしょにいたいからついてきたんだもの」

 

 くうっ。

 甘い言葉で俺を惑わそうとしているに違いない。

 

 

「ちょっとショックだわ。ねえ、どうすれば信じてもらえるのかしら」

 

 どうもこうも、こっちは軽い精神恐慌だぜ。

 すると朝倉さんはさもナイスアイディアを思いついたかのように。 

 

 

「そうよ。私が本物かどうかは触って確かめればいいじゃない」

 

「なっ…………まさか、冗談よせ」

 

 ハンター試験のレオリオは似たような手口でレルートにしてやられたけど今の俺は彼に同情できるね。そうだろ。

 

 

「遠慮しなくていいわ。だって一昨日はあんなに私の」

 

「わーっ! 勘弁してくれ!」

 

 それとこれとは話が別だろうに。

 今すぐにでも"臆病者の隠れ家(ハイドアンドシーク)"に逃げたい気分だ、俺は。

 だがしかし今の俺はそんなものに頼ることができない。ちなみにこの話は既に朝倉さんや涼宮さんを除く他団員にも言ってある。隠しててもしょうがないし。

 ならば、こういう時は本人にしか答えられない質問をするべきだ。

 

 

「君が朝倉さんならオレが一番好きなコスプレが何かわかるはずだろ」

 

「ええ。あなたは女の人が着るタキシードが好きなのよね」

 

 ちくしょう正解だ。

 が、それくらいは俺をよく観察していればわかる範囲のこと。まだ行くぞ。

 

 

「オレのお気に入りの小説は?」

 

「『比類なきジーヴス』」

 

「今まで君が作ってきてくれたお弁当のおかずで、オレが一番美味しいって言ったものは?」

 

「そうね、鶏つくねと僅差でハンバーグかしら」

 

「オレの本当の名前は?」

 

「あなたは明智黎じゃなくて――」

 

 ううむ、こんなくだらない質問にもすんなりと彼女は答えてくれるのを見るに、この朝倉さんは本物だと思う。

 俺が元々いた世界での名前を知っているのは朝倉さんだけだ。俺は他の人に教えてないし朝倉さんもこんな情報を広めてないだろうし。

 

 

「オーケイ、どうやら正真正銘の朝倉さんらしい」

 

「……うそつき」

 

 ぬっと近寄ってくる朝倉さん。

 何だか怪しい雰囲気、もとい危ない雰囲気なんですが。

 

 

「まだ私のことを疑ってるんでしょう?」

 

「いや、その、ああっと……」

 

 というよりは君が来たことそのものに対して困っているんだけど。

 正直この朝倉さんが偽者、なんてことはさっきの問答を抜きにしてもないんじゃないかと考えている。彼女の容姿を模倣できたとしても彼女の心までは模倣できないだろう。俺が好きになったのは"この朝倉さん"であり、よく似たパラレルワールドの朝倉さんが来たとしても違う人だと直感的に感じられる自信があるね。この前の時はすぐ気付けなかったから説得力には欠けるが。 

 俺は一旦思考をリセットしたいので朝倉さんを疑ってないことを一通り釈明してから。

 

 

「すまないけど今日のところは……っていうか君は先に帰っててくれ。まだ合宿は三日も残ってるんだ、その間どうするつもりなのさ」

 

「この部屋に泊まれば平気よ、不可視遮音フィールドを展開すれば見つからないわ」

 

 ってことはこの朝倉さんが本物なら早朝に合宿メンバーが集合した段階から彼女はいたんだろうな。

 時折長門さんがどこかあらぬ方向を見つめている、とは思ったがそれはいつもの団活風景でも見かけるから気にしなかったが、ひょっとして長門さんは朝倉さんの密航を知っててあえてスルーしたのか。おいおい、そこはしっかり止めてくれよ。

 しかし、いやあ、よりによってこの部屋に泊まるだなんてのは困るぜ。

 そして迫る朝倉さんに段々とドアの方にまで追いやられているのがわかる。袋の鼠ではないか。

 俺は押し返すかのように手のひらを彼女に向け。

 

 

「お、落ち着いてくれ」

 

「私は落ち着いてるわよ」

 

「今すぐにでもここから出てってくれ、そして君は帰るんだ。頼む」

 

「なんでかしら?」

 

「理屈云々の話じゃあない」

 

 常に紳士たれという精神は掲げているが俺にも理性の限界はある。

 朝倉さんと同じ部屋で寝ろだと? 無理に決まっている、心臓バクバクだぞ。彼女の身体は殺人的な発育だ。

 満足に寝てないというそんなコンディションの中スキー三昧なんて日頃鍛えてる俺でもぶっ倒れる。念能力者だって最強じゃないんだから病院がリスポーン地点にはなりたくない。

 なんて俺の考えを読み取ったかのように朝倉さんは更に俺との距離を詰めて。

 

 

「あんまりだわ明智君。あなたは私に帰ってほしいみたいだけど、ようは明日の早くから一人で列車に乗れって言ってるのよ?」

 

 自業自得な気がするんだよね。

 いや、ここで追い返す俺も酷なのか? いやいや想定外すぎるってこんなの。

 

 

「わかったって! わかったからとりあえず結論は明日出そう。今日は長門さんの部屋にでも行けば大丈夫だと思うからさ」

 

「嫌よ。わざわざ何もない雪山に来てまで長門さんと二人きりだなんて」

 

 がたっと俺の背中がドアに付く。

 しまった、本当に追い詰められた。前に逃げ場はないぞ。廊下に出たところで根本的な解決にはならない。でもここは廊下に出て逃げよう、逃げ続ければいいだけの話だ。それで解決だ。開き直れ、俺。朝倉さんもみんなに見つかるわけにはいかないだろ。

 って、あ、あれ? おかしい。ドアノブを回そうとするがうんともすんともいわず、回らないんだけど。

 

 

「逃げようとしても無駄なの」

 

 眩しい笑顔を向ける朝倉さんの一言で嫌な予感は見事に的中しているのだと理解する。

 

 

「たった今、この部屋のすべては私の情報制御下になったわ」

 

 う、うわあ。

 ありかよ、そんなの反則だ。原作のキョンの気持ちがよくわかるぞ。

 そして朝倉さんはすっと身体を寄せてきた。

 同じ国に生きてる人間とは思えないほどかぐわしい朝倉さんの、いい匂いが鼻をつんざいて俺のニューロンをショートさせ、正常な判断力を欠落させる。ああ、マジで反則だ。 

 とどめに俺の耳元で小さく妖艶な声で、

 

 

「ねえ……いいでしょ?」

 

彼女はこう囁いた。

 個人的な評価に過ぎないが贔屓目に見ても日本一世界一どころか全宇宙一をあげてもいいぐらいの美しい女子高校生が俺のことを好きという前提あってのこれだ。

 

 

 あなたならどうする?

 

 ――俺かい。

 俺は、まあ、察してくれ。

 残念だが何があったかを説明する気にはなれない。

 ひとつ言えるのは遮音フィールドとやらがなければ今頃俺は雪山で埋もれ死んでることだろう。内々忸怩たる思いだ。

 ご丁寧なことに朝倉さんは事前に他の宇宙人仲間を使って『機関』に一報入れてたようでご飯の心配も、新川さんや森さんによるその他サポートも受けられるとのことでどうにかこうにか表向きは朝倉さんの来訪を隠し通せたまま合宿を終えられたものの帰宅した俺がすぐにベッドに入って半日寝込んだのは当然の帰結と言えよう。  

 ところで朝倉さんの処分に関しては長門さんも何かしら助けになった部分があるのではないかと思う、自分で言ってたようにかなり軽く済んでいるからだ。だって原作だと話の都合もあったかもしれないけどキョンを襲って一発退場、その基準なら今回の一件は百万回死んでもおかしくない気がするんだけどね。

 いずれにせよ情報統合思念体のやり方は気に食わない。いつか、どういう形になるかは知らないがきっとそいつとは明確に敵対する時が来る。

 その時こそが真の"決着"の時なんだからな――

 

 

「ほら起きなさい」

 

ばさっと布団を剥がされる。

う、んん、もう朝か。

 

 

「もう朝かじゃないわよ、何時だと思ってるの?」

 

「……七時くらい?」

 

「八時半よ。わかったらさっさと起きて着替えなさい」

 

そう言って俺の部屋を出て行く朝倉さん。

ちょっとばかし寝過ぎたか、といってもキョンみたいに怠けてるわけじゃなくて念の修行によって疲労が溜まっていただけなんだよ。その修行とは"練"を三時間維持するというお馴染みのヤツで、練がわからなければ滝に打たれる修行のハードモード版だとでも思ってくれれば俺の苦労もご理解いただけるだろうか。

早起きに定評のある俺でも生理的な休息の欲求には敵わないのでここのところ起床時間が後退しつつあるということさ。それにしても今日の八時半ってのは酷いな、いくら日曜日だからってこれはマズい。最近ようやく地力が付き始めてきただけに余裕もあるかと思っていたんだがまだまだ修行は必要みたいだ。

 

 

「よっ、と」

 

 ベッドから出て軽く柔軟。

 俺は強化系の能力者ではないもののもう"発"の取得は不可能だと思っているのでゴンのように地道な鍛錬を続けていくしかない。

 "臆病者の隠れ家"は手放すには惜しい能力だったが、しょせん他人のパクリだし、何より朝倉さんがいるこの世界を選んだのは俺だから文句は言わんさ。

 念能力者だって結局は修行の積み重ねがモノをいうんだから、怠ってた分をこなさなくちゃいけないだろうよ。無論、修行が負担になりすぎていざという時に動けないのは論外である。

 さて、近況についてだが、休みにも関わらず朝倉さんが俺を起こしに来ていたのは何故かというところから話そうか。理由としては本人曰く家が近いから俺の世話ができるんだと。

 "家が近い"だなんて今や俺は"隠れ家"も使えないのにどういうことかと訊かれたらまさしくそのまんまなんだよ。それも近いどころではないのだが、まあいい。

 思い返すは去年の十二月二十四日、終業式の日の話。

 

 

 

 あの屋上でのドタバタから少しして俺は団活に向かわねばならなかった。SOS団の団員だからな。

 直帰したかったが年に一度のスペシャルイベントであるクリスマスパーティーというのは魅力でもあったし、何より言い訳しないで放置する方が傷口が広がると踏んだわけだ。

 でもってSOS団クリスマスパーティーで最初に行われたのは昼飯代わりの鍋パーティー。

 部室棟は火気厳禁だなんてのは部室棟に限らず校舎内は基本的にそうなんだが、とにかく風紀だとかは俺たちに通用しないんだよ。こんなんだから不良という風評被害を受けるのだ俺は。泣けるぜ。

 

 

「で、あなたたちはどういう関係なの?」

 

 鍋が煮えるよりも先に涼宮さんによる単刀直入すぎる一言が俺を襲う。遠慮がない。

 わざわざ朝倉さんも連れてこいとメールが来たあたり覚悟はしていたが、いや、冷や汗が滝のように出るは出る。

 俺の予想が間違っていたということに前もって気づくべきであった。

 何が悲しくて鍋をつつくような場で恋バナを強要されねばならんのか。女子会かよ。

 部室にいたのが団員以外では鶴屋さんだけでよかった、谷口にはあんな光景早いとこ忘れてもらいたい。あれは何かの間違いだ。

 ノーコメントの権利ぐらいは俺にもあるだろ。と終始無言を貫こうと断固たる決意で鍋に鶏つみれを投入する作業に徹していたのだが、

 

 

「そうね……婚約者ってとこかしら」

 

爆弾を投下したのは朝倉さんの方であった。

 俺は気が動転して鍋のふちに手をくっつけてしまい軽い火傷を負う。左手を庇いつつも俺は誤謬の流布を抑止すべく立ち回らねばならない。

 違うぞ皆の衆、これは全くのでまかせであると弁明しようにも朝倉さんが次から次へと燃料をぶちまけるかの如く根も葉もないことを言い続けたので俺の介入の余地がなかった。

 曰く俺とは幼馴染と呼んでも差し支えないほど長い付き合いであり、既に家族の仲だと。キョンや朝比奈さんはさておき『機関』の古泉お前はそんなの嘘だと知ってるだろと突っ込みを入れたかったものの、涼宮さんの前で言えるわけもないので口を閉ざしたまま鶏つみれ投入を継続する他あるまいて。

 結局屋上での一件についてはカナダから帰ってきて以来の半年ぶりの再会に気持ちが高揚した末の出来事であり、若気の至りということでカタをつける。

 

 

「ふーん、俗に言う遠距離恋愛ってやつだったのね。いちゃつくのに時間を割くことの何が楽しいのかあたしにはわかんないけど」

 

 話を聞き終えた涼宮さんは至っていつも通りの様相で、ともすれば俺と朝倉さんを別の惑星の生物かとでも思ってるような理解不能と言わんばかりの視線で見ていた。 

 それ以降は朝倉さんがカナダ生活について語るコーナー。これには驚いたのだが彼女は本当にカナダに行ってたのでは――みんなにしてみれば疑う必要がないことなのだろうが――と俺も感じるぐらい朝倉さんはあっちで体験したという出来事を詳細に話す。カナダは移民の国といわれるだけあってアジア系だけでも多くの国の人と友達になれただの、治安がいいとはいえ日本と同程度には重犯罪事件も起きるし危ないクスリも流通しているので気苦労することもたまにはあっただの、俺が記憶を放棄するほどの情報量が彼女の口から出るわ出る。鶴屋さん提供による冬合宿の話になるまで長らく朝倉さんのターンであった。

 その冬合宿については既に回想した通りのものだ。

 鶴屋さんは朝倉さんに「べつにきてもいいよっ」と仰り、涼宮さんも「参加者は多い方が合宿のやりがいがあるってもんよ」と言ってくれたのだが朝倉さんは丁重に断った。言わば朝倉さんは保護観察中のような身なのだ。だのに俺目的での密航は咎められない、なんて情報統合思念体の判断基準はどうなってるんだろうね?

 舌が躍るような美味しさだった鍋を平らげ一発芸大会を終えると校舎から出て、所用があるらしい鶴屋さんとはお別れ、他のみんなで注文しておいたクリスマスケーキを取りにケーキ屋に行くということに。ちなみに俺がどんな一発芸をしたのか、なんてことは気にしなくてよろしいのであしからず。

 クリスマスパーティの二次会場は長門さんの部屋、もちろんあの分譲マンションにある一室だ。

 彼女の部屋は生活感など微塵も感じられぬほどに寂しい仕様となっていたが、この日ばかりはそうでもなかっただろうよ。SOS団のシックスマンである俺と流れで参加した朝倉さんを入れてもキャパシティに余裕があったほどだ。というか涼宮さんに関わらない方向でいくためにみんなの記憶から朝倉さんが団員だったという情報を消去したはずなんだけど彼女がいてもよかったのか、いや、誰がなんと言おうが俺だけは絶対に許すさ。

 そして居間の小さなこたつに特大ケーキを乗せ、七人という大人数でそれを囲む。外は既に暗くなっていた。

 部室からそのまま持ってきたクリスマス用の三角帽を被った涼宮さんはえらく上機嫌で。

 

 

「今日は飲んで飲みまくるからね!」

 

「シャンメリーしか買ってきてないがな」

 

 冷静に突っ込みを入れるキョンもいつになくニヤニヤ顔だ。

 ちなみにシャンメリーは最寄りのスーパーで陳列されていたキャラものを無造作に何本も持ってきたのだが、なんであれ飲めればいいのさ、プリキュアの絵柄だろうと特撮ヒーローの絵柄だろうとどうでもいい、無礼講だ。品なんて考える暇がありゃ楽しまなきゃ損だろうに。

 

 

「さあ、乾杯よ!」

 

 きっと涼宮さんはこんな大人数でクリスマスに遊んだことなんかないんだろう。

 俺だってない。他のみんなは知らないけどきっと全員が味わったことはないはずだ。

 七人分に切り分けても一人頭ショートケーキ二個分は軽く超える量のケーキを食べて、クリスマスには欠かせないターキーを貪る。栄養バランスなんてドブに捨てたような晩餐だ。

 そこそこ腹が膨れたら食後の運動ということでツイスターゲームなんかをやったりもした。

 

 

「ちょっと、あんた、もうちょっとズレなさいよ」

 

「んぐぐ……そ、そうは言うがな、この体制は、限界、だっ」

 

 キョンと涼宮さんの対決は大接戦であったが最後は我慢がならなくなった涼宮さんに突き出されてキョンがあえなく敗北。

 彼は「直接妨害するのは反則だろ畜生」と小言でぼやいていたが涼宮さんにそんなことを言っても無駄なのは今や猿でもわかる普遍的事項さ。

 古泉はルーレット回転役に徹するというファインっぷりで、正直俺も彼と同じ役割がよかったのだが参戦させられる。

 

 

「あ、ひっ、むむ無理です、手が届きません」

 

「何言ってるのよみくるちゃん。こう、当たって行きなさい」

 

「ハハハ、いやあ愉快ですね」

 

 よりによって対戦相手が朝比奈さんということもあり生きた心地がしなかった。

 何故かって? そいつはヒソカクラスの身が凍てつくような殺気を俺に絶え間なく送り続ける彼女に聞いてくれ。

 不可抗力で朝比奈さんの"あれ"に手で接触してしまいそうになった時は流石に死ぬと思ったね、うん。そして古泉お前の煽りが無性にイラつく。内心で毒づいている時のキョンはいつもこんな気分なんだな。

 と、このように宴もたけなわな状態で、午後も八時を終えようかという頃合いだった。

 

 

「……まったく、無茶もいいとこだよな」

 

 キョンが俺と朝倉さんに今日はもう帰っていいぞなんてことをぬかし、涼宮さんには自分が言いくるめておくから、などという彼らしからぬ気遣いによって俺と朝倉さんは先に帰ることになったわけだ。

 とりあえず彼女をさっさと部屋まで送って俺は帰ろう、とエレベータのボタンの五階を押したら、

 

 

「私の家はそこじゃないわよ?」

 

朝倉さんによる謎の指摘が入った。

 ではどこなのかと俺が尋ねたら。

 

 

「まだ言ってなかったけど私引っ越ししたから」

 

 は、はあ。

 たしかに今日学校へ登校する前にここへ立ち寄った際505号室の反応がなかったがそういうことだったのか。おかげさまでこっちは勝手に胸を痛めてたんだぜ。

 五階で一旦停止してから一階まで俺たちを送り届けたうすのろエレベーターを出て、エントランスを後にする。

  

 

「朝倉さんが先導してくれ。君の家の場所を知らないと都合が悪いだろうし」

 

 ここで一応弁解しておきたいのだが俺は彼女を家まで送り届けたら大人しくのこのこ帰宅するつもりだった。当たり前だろ、俺はそれなりの自制心を持ち合わせているのだから。送りオオカミになるつもりなど毛頭ない。

 真っ暗な寒空の下そんなこんなで家路を辿る俺たち。あとの祭りとは今まさに味わってる感覚そのもの。

 しかし、まあ、なんといいますかそれ以上にさ。 

 

 

「……えっと確認しときたいんだけどさ」

 

「なあに?」

 

「新手のドッキリ、じゃあないよね」

 

 アテがあるとかぬかしてたくせに俺は正直彼女が俺を好いてくれているのか未だに不安であった。

 すると朝倉さんはきっぱりと。

 

 

「ドッキリで宇宙規模の事象改変を起こすのなんて涼宮さんぐらいよ」

 

 失礼かもしれないが同感だ。

 だいたい、ヒントはいくらでもった。原作と照らし合わせるのを抜きにせよあの世界で俺と朝倉さんが付き合ってるなんて設定はいらないだろ、常識で考えて。

 

 

「ほんと、君が無事で何よりだ」

 

「そんなに心配してくれたの? 後で長門さんに詳しく聞かせてもらおうかしら」

 

 お願いしますやめてください。

 抜け殻のようなテンションだったことはもはや俺の中で黒歴史と化している。一喜一憂じゃ足りない、百憂百喜だ。

 それはさておき、このルートなのだが。

 

 

「朝倉さん……君はどこに引っ越したんだい?」

 

 もう少し進むと方向的にちょっとした住宅街で、住居がちらほらある。とはいえそのほとんどが一戸建て。アパートがあるにはあるものの築三十年は経過していたはずで、彼女が住んでいた分譲マンションとは雲泥の差。安っぽいアパートに引っ越しを余儀なくされたのも"処分"の一環ということなのかな。

 

 

「それは着いてからのお楽しみよ」

 

 楽しげに言ってくれる朝倉さんに対して俺が憐みの念を抱きつつあることを彼女は予想だにしていないのだろう。

 しかし予想だにしていなかったのは彼女ではなく俺の方だった。

 世間話を交えながら更にのこのこ歩くこと十分弱、朝倉さんが一軒の家屋の前で立ち止まる。

 

 

「ここよ」

 

 二階建て一戸建てとしては平均的な大きさの家であり、外装もまあまあ綺麗で少なくともボロアポートほどは築年数が経過していないと思われる。どんな魔法を使ったのやら、人ひとりで住まうには手に余るほどだぞ。

 ああ、もう陽が沈んで何時間も経つのによく家屋についてわかるって? そりゃあしばしばお目にかけてるからわかるさ。

 

 

「どこだって?」

 

 朝倉さんにこう返した俺の顔はさぞマヌケなことだったろう。

 

 

「だから、ここが私の新しい家になるわ」

 

「嘘だろ」

 

「うそじゃないわ」

 

 ドアの前まで行き、さっと鍵を取り出して開錠する朝倉さん。

 このお方には鍵のかかったドアひとつ開けるのなんてわけない能力があるのだが俺にマスターキーを見せつけることで自分が本当にこの家の住人だということをアピールしたいらしい。

 さて、ここで争点となるべきなのは彼女の新居だという一戸建てハウスがまさしく我が家の右真横に位置しているというわけさ、今立っている場所から見て。

 直近で空き家となっていたわけではなく、この家は今年の五月半ばに空き家となっていた。子供が自立とともに家を出て久しい中年夫婦が住んでいたと記憶しているが遠くに引っ越したそうだ。理由は知らない。

 たまにハウスクリーニング業者が入っていたのを見かけているので中は綺麗に違いないのだが、だからってこんなところに何故。

 

 

「だってあなたの家が近い方が便利でしょ」

 

 いやいや明智君何を当然のことを訊いているの、みたいな顔をされても冗談きついって。近いどころか目と鼻の先じゃないか。

 そりゃあ"隠れ家"が使えなくなったのでこれから先は咄嗟の事態に朝倉さんと合流するのが手間だと思ってたから便利といえば便利にあたるが、よもやこういう展開は想定すらしていなかった!

 あるいは俺の家までやって来て「今日から"ここ"が私の家になるから」ってのも相当にロックではあるね、マリリン・マンソンもスタンディングオベーションだっぜ。

 ――うむ、今すぐ胃薬と頭痛薬と適度な睡眠薬が欲しい気分だ。

 俺はドアを開けて玄関を見ることで万が一にも他の住人がこの家にいないことを確認してから一言。

 

 

「ここを次の拠点にしたのは情報統合思念体の指示か?」

 

 なんというか、今日一日の出来事があまりに多すぎたからこのような台詞を吐いてしまったのだろう。我ながらデリカシーに欠ける。

 片手で鍵を弄ぶのをやめて朝倉さんは、

 

 

「違うわよ」

 

明らかに不機嫌そうな顔になった。

 そんな反応されても唐突に近場に引っ越される方としては内心穏やかではないわけで、ちゃんとした理由があるのなら知りたいと思うのは当然だろ。

 

 

「じゃあどうして」

 

「どうもこうもないわよ。いちいち私に聞くなんて馬鹿ね、ちょっとは自分で考えなさい」

 

 ううむ。

 急に手厳しい反応ではないか。何か地雷を踏んだのかもしれない。

 俺は灰色の脳細胞を必死に稼働させて彼女の意図を考えた。

 少なくとも件の一戸建てを新しい家にしようと決めたのは朝倉さんの意思によるものらしく、誰かに指図されてのことではないと見受けられる。だとしたら、だ。

 

 

「朝倉さん、この家に引っ越すことに決めたのはいつかな」

 

「一昨日には入居させてもらったけど」

 

「君の"処分"が決まったのは?」

 

「金曜日の夜よ」

 

 つまり今日から見て三日前か。

 なるほどね。

 

 

「もういいかしら? あなた明日朝早いみたいだし、今日のところはお開きにしましょ」

 

 そんなことを言う彼女はどこか疲れた様子。

 ちなみに明日は朝から涼宮さんが住んでいるとこの子供会にSOS団が場を盛り上げるために行くことになっている。世界を盛り上げるには先んじて身近なとこからというわけなのかね、単純に地域貢献を兼ねた暇つぶしなんだろうが。

 それはさておき、まあまあ朝倉さんや待ってくれよ。だいたいの予想はついたから俺が思いついたのであってるかどうかのせめて答え合わせをさせてほしいね。こんな家の前での問答をすっきり終わらせて帰りたいのさ俺は。

 俺は仮に違っていたとしたら相当に気持ち悪い野郎だな、と心の中で己をなじりつつ。

 

 

「ひょっとして君は、オレの内申を上げるためにここを選んだのか」

 

 お笑いピエロもいいとこな発言だよ。自覚はあるさ。要するに地の利を活かした俺へのアタックを狙っていたのかと訊いているわけなんだから、俺のどの口がこんなことを言うのやら。

 しかしだな、考えてもみてくれ、彼女が原作でいうところの消失世界を作ったのだって俺へのアピールが動機なんだ。言わなかったが俺にはわかる、朝倉さんは普通の人間として俺と付き合いたかったんだよ、原作の長門さん同様に。

 俺と朝倉さんの関係なんてものは言ってしまえば契約ですらない有耶無耶なものであったし、涼宮さんにはただのクラスメートとして細々動向をチェックしなければならず、SOS団の一員という繋がりもなくなるのだから自然と俺は朝倉さんと関わらなくなるわけで、いわゆるジリ貧を打開すべく打った手がこれだったというオチ。よもや俺が屋上であんな暴走をするとは朝倉さんも想定していなかったということか。

 なんて思春期の中学生より痛々しいこの考えは正解か不正解か、それは俺が決めることではなく朝倉さんがジャッジすること。

 朝倉さんは反応を窺う俺の視線をかわすかのように眼を泳がせて、

 

 

「……そうよ」  

 

ちょっと恥じらいまじりに肯定する。

 ああ、そんな顔されたらこっちも嬉し恥ずかしというか、たまらない。

 相当に悶々としている男子高校生などハタから見たら相当に気持ち悪いだろうがこの日の俺は――というか今も――自分が世界で一番幸せ者だと感じているわけだ。ハイになっていた。

 つい数日前は彼女とナイフで切り結びあっていた仲だったのにこれなので自分は精神的に破綻してる野郎な気がしなくもないが、べつにいいだろ。

 

 

「ねえ、明智君」

 

 ふっと地面を眺めていた俺が顔をあげると、至近距離に朝倉さんの顔が。

 なんだ、もう帰ろうとしていたのに俺に近づいてきてどうしたんだ、というか一瞬で間合いを詰められていたぞ、なんて思考を停滞させている隙にすっと彼女は俺の頬にキスを。

 

 

「またね」

 

 そう言ってほほ笑んだ朝倉さんはあっという間に玄関へと入っていき、ガタンとドアが閉められた。

 あっという間の出来事でよくわからないがこれだけは言える。頬に残った余韻に浸る俺の顔はさぞ気持ち悪いぐらいにやけてんだろうなということだ。

 ちなみにこの日の夜中、俺は文字通りに朝倉さんから襲撃を受けたりもするのだが、べつにその話はいいだろ? 以上で回想終わり。

 

 

 

 かくして現在、朝倉さんがお隣さんというわけである。 

 俺の両親は彼女の正体について知らない。それどころか俺が異世界人だってこともまだ言ってないんだから文字通り蚊帳の外。

 まあ、まだ何かが劇的に変化したということではないからね。俺と朝倉さんがどうなろうと世界の全てがひっくり返るなんてことには至らない。それができる人は涼宮さんだけで、だからこそ得体の知れぬ連中が彼女を注目してるってことだ。俺もその一人。

 つい先日にはバレンタインなんてイベントがあり、俺にとっては連休期間を含めて愉快な時期であったのだが、キョンは原作通りのイベントを進めていたようだ。きっと未来人と思わしき男と、朝比奈みちる誘拐犯のグループとも邂逅していたそうだ。

 俺の知らないところで"何か"が動き出そうとしている。

 ともすればパワーバランス、ひいてはSOSの崩壊すら狙ってくるようなヤツが来てもおかしくはない。

 もし、そんな時が来たらどうするかって?

 

 

「……はっ」

 

 身支度を終えてドアを開け、部屋を出る。

 居間にいる母さんが言うには朝倉さんは外で待っていてくれてるそうだ。

 今日は、っていうか休日にSOS団で集まらない日は彼女とデートとなっている。表向きは人間社会の観察という体だけどさ。

 お気に入りの一張羅を羽織り、高くも安くもない値段のスニーカーを履き玄関を出た。

 

 

「遅いよ」

 

 朝倉さんは確かに我が家の門の右に立ち待っていてくれたようだ。

 なるはやで来たつもりだったんだが、一挙一動までキビキビ動かしていたかと言われれば違う。寝起きなんだからそこら辺はご容赦願いたい。

 

 

「ごめん」

 

「ほんとに申し訳ないって思ってるの?」

 

 割合にしたら二十パーセント程度は。

 そんな我が胸中を汲み取った彼女はため息を吐く。

 二月の朝の日差しはそれなりで、今日の天気はまさしく快晴なのだがいかんせん空気ばかりは冷ややかだ。彼女の吐息もまだ白い。もう少し時間が建てば暖かくなるだろうか。

 べつにうちの中でくつろいでてもよかったのに、という無神経な言葉を呑み込んで。

 

 

「この埋め合わせは後でするからさ、とりあえず行こう」

 

 今日はちょっと遠くの街まで行く予定だ。

 プランらしいプランなどいつもないが、彼女は多くのものに興味を示してくれている。最近では長門さんを見習ってなのか、はたまた俺なのかは知らないが読書までするようになっていて、毎回最後は本屋に入るのがお決まりとなっている。動物好きに悪い人はいないっていうけど、本好きはどんな人がいるんだろうな?

 彼女は俺の言葉に対して「はいはい」と苦笑してから、

 

 

「待たされるのも嫌いじゃないけどそろそろうんざりだもの、反省してるなら言葉じゃなくて態度で示してちょうだい」

 

すっと右手を差し出してきた。

 対する俺はというと左手で彼女の右手をとる。

 

 

「善処するよ」

 

「もう……明智君ってばそればかりね」

 

 第二の口癖みたいなものだから気にしないでくれ。

 ゆっくり駅まで歩こうとしていた俺の意表を突くように彼女はぐいっと進んでいく。引っ張られるような感じでついていく俺、おいおい、こんな光景アニメで見たぜ。

 

 

「時間は有限よ、少なくともあなたにとっては。でも」

 

 ああ、そうそう、現状が激変するような事態があったらどうするか、だったね。

 

 

「いずれ終わるなら後悔しないようにあなたと色んなことをしておきたいの」

 

 答えはもう出ているつもりだ。

 最初に放課後の教室に向かったあの日から。

 俺がいいと思えることを選択して、やりたいことをやってやる。

 そこに正義があるかは知らないが独善であるという生き方を変えるつもりはない。こんな風にしか生きられないんだ。

 けど、朝倉さんが望むのなら俺は変わってやろう、変えてやろう。本当に"いい"方向に。

 

 

「だから今を楽しみましょ」  

 

「うん」

 

 彼女と手を繋いで歩くこの時間だけは、誰にも奪わせないさ。

 それでも平穏が嫌いな奴がいたら俺のところに来い。

 どのように対応するのかは相談次第ってことで。 

 

 

「ところで明智君、今日の私の服はどうかしら?」

 

 楽しそうに挑戦的なことをおっしゃる。どう、ね。どうもこうもないって言った瞬間に額にナイフが突き刺さりそうだぜ。

 季節感が皆無な万年制服文学美少女長門さんを連想しちゃうのは比較対象として相応しくないが――あれだ、サッカーと野球の競技性の違いみたいな――とにかく

 

 

「似合ってるよ」

 

 最高だ。

 何を着ても最高で、えらい美人な、俺の大切な人だ。

 

 

 











『一言(一言ではない)』


 後書きらしい後書きを書くのもずいぶんと久方ぶりな気がしてなりません。

 どうも、お久しぶりです。
 なんといいますか、「俺たちの戦いはこれからだ」エンドな番外編です。
 結末まで構想はあるんですけども、正直この作品で遊ぶのはこれで最後にしようかと思います。そろそろ本当に終わりにします。
 書いたとしても多分公開せずにHDDの肥やしになってそうです。
 何よりもリメイクやリビルド、リファクタリング等々やるにしても"これ"ではなく別の作品として投稿しますので。



・テーマ

 目指したのは王道です。
 しかしながら作風はあえて本編連載時のそれに近づけました。
 挑戦的な意欲作としてこの番外編を書いたというよりは未練を断ち切るために書いたつもりですので。
 
 いずれにせよ一貫しているのは窮地のお姫様を救い出す、そんなありきたりな話をゴテゴテ粉飾させたのが本作ということです。
 番外編について解説したいことは特にないです。
 いつの間にか私の中で喜緑さんがユウキ=テルミみたいなポジションになっていたのは気のせい。



・反省点

 本編通しての全体の反省点としましては、やりたいことを詰め込んだ結果キマイラもびっくりの超合成獣的とんでも拙作となってしまったことです。
 もう少しポイントを絞るべきでした。そこらへんが体裁以前の読みやすさにつながるのかな、と。
 


・次回作に向けて

 近々に既に投稿している方の作品を終わらせ――あと三話で終わるのに筆が捗らない、部分部分のシーンを書いてはテキストファイルとして積もらせている、なんて情けないんでしょう――たいです。る、と言い切れないのが本当に私の駄目なところ。しかしながら俗にいう"エタる"つもりはありません。現状半分エタですが。

 さて、既に書きましたがここで本当にこの『異世界人こと俺氏の憂鬱』の更新はストップさせます。
 未来編は書き終わるのに時間かかる内容なので削除しました。
 いつの日か、HDDの肥やしが解禁されるかもしれませんが期待はしないでくださいまし。

 ハルヒシリーズの次回作でいえば三つほど考えています。
 それぞれストーリー性、斬新さ、そしてヒロインとのイチャラブといったように需要を分けていきます。
 もともと私はROM側だったということもあり、読むにあたっての需要を考え直そうという意図があります。一度に複数の要素を詰め込めるような技量は私にはありません。残念ながら。
 で、別の作品の新作(これが一番時間がかかる想定)ですが、これについては活動報告でちらっと書きたいと思います。  



 とにもかくにも、今年も残すところわずかなのでエンジンを上げて書いていきますので。だれないように。
 

 ここまで読んでくださった方々、お疲れ様でした、そして本当にありがとうございました。 
 願わくば次の作品の後書きを書ける日が早く来ますように。


 ではっ!



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