アマランサス~人でなしとろくでなしの学生生活~ (只の・A・カカシです)
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プロローグ
プロローグ


 天井が、壁が、そして床が、ガラガラと大きな音を立てて崩れる。

 「こっちへ!」

 一人の少年とポニーテールとショートヘアーの二人の少女は、その死の手から逃れようと必死に廊下を走っていた。

 「やり過ぎた!」

 「確かに!」

 どこか楽しそうに、少年とポニーテールの少女が叫ぶ。

 「貴方達、私を殺しに来たの!?」

 その二人とは対照的に、ショートヘアーの少女は鬼の形相で走っていた。

 「何で怒ってんの?ちゃんと助けたじゃんか!」

 少し頰を膨らませ、ポニーテールの少女は言い返す。

 「解放しただけを助けたとは言わないわ!」

 「アーハッハッハッ、ごめん!重油ならボヤ騒ぎ程度で済むと思ってたんだ!」

 この崩壊の切っ掛けを作った少年が大笑いし、釣られて共犯のポニーテールの少女も笑い出す。

 「笑ってる場合ではないわよ!」

 狂気じみている二人の精神に耐えかねて、ショートヘアーの少女が二人を怒鳴りつけた。

 「楽しい?」

 「二度とごめんよ!」

 角を曲がり、その先にあった階段を駆け上がる。

 しかし、ここにきて少年とポニーテールの少女は徐々にペースが落ち始め、ショートヘアーの少女と差が生まれ始める。

 「急ぎなさいよ!」

 「「先に行って!」」

 「待つつもりはありません!」

 ショートヘアーの少女はペースを上げる。その一方で二人のペースは更に落ち、両者の差は瞬く間に拡大していく。

 二人は、ショートヘアーの少女の背中が見える距離にはいようと頑張るものの、既に息切れしており階段を上るだけで精一杯。

 「駄目・・・かもね。」

 「・・・多分ね。」

 諦めたように二人は呟く。それでも歩みは止めず、出口を目指して移動を続けた。

 

 一心不乱に走り続けたショートヘアーの少女は、無事に脱出を果たした。

 安全な場所へ辿り着いた安堵と全力で走り続けた疲労から、倒れるように大地に仰向けで大の字になる。

 「はあ、はあ・・・助かった・・・。」

 短く速かった呼吸は徐々に落ち着きを取り戻す。ほどなくして、最低限の体力が回復したので少女は立ち上がった。

 遠巻きに出口を見てみるが、二人が出てくる気配がない。

 「あの馬鹿共・・・。」

 そう呟いた瞬間だった。大地が振動を始め、出口が土煙を吹き上げる。目の前にあった小高い丘には亀裂が走り、大小様々な鳥が一斉に飛び立った。

 「何だ・・・これは・・・。」

 信じられないことに丘は目に見えて陥没を始め、数分と経たず大きなくぼみへと様変わりしてしまう。

 呆気にとられるショートヘアーの少女。

 「・・・あいつらは!?」

 ふと我に返り、急ぎ出口へと戻る。

 「?何だ、あの明かりは?」

 ほこりが舞っていても分かる光度の明かりがついている。脱出の時にはなかったはずだと、更なる崩落の危険性があったが彼女は意を決し中へと入った。ほこりを吸わぬよう口に袖を当てているが、泥臭さまでは防ぎきれない。

 「嘘・・・だろ・・・。」

 近付くにつれ、彼女はその明かりの正体が人工的な明かりではないことに気づく。

 もう、廊下はもうどことも繋がってはいなかった。それは途中で寸断され、先端は断崖絶壁にせり出していた。

 「何で・・・・・何でなんだ!!」

 少女の悲痛な叫びだけが、廊下に虚しく反響した。




不定期更新ですがよろしくお願いします。

2019/04/01 小説家になろうへの投稿を開始しました。


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入学編
希望の新入生(1)


ゆっくりですが更新していきます。
気長によろしくお願いします。


 私の名前は九谷美夏(くたにみなつ)。ごく普通の女子中学生。

 でも、それも今日まで。私は中学校を卒業した。

 卒業式そのものは午前で終了していた。けれど、友達と話しながら帰ってきたこともあって帰宅したのは一四時半になってからだった。

 「あーあ、中学校も終わりか~。・・・何か寂しい。」

 私は自分の部屋に戻るや、ベッドに仰向けに寝転んだ。視界には見慣れた白い天井。

 ただそれだけだったのに、面倒くさいと思いながら行っていた中学校が恋しく感じられる。いざ終わって振り返ってみると、楽しいことが沢山あったと気が付いた。

 もっと楽しめばよかったのかなと思うと不意に目頭が熱くなり、慌てて目を擦って誤魔化す。

 「さて、準備準備!」

 もっとも、永遠の別れではないのだ。心に区切りをつけ、勢いをつけてベッドから起き上がった。

 この後、卒業式の打ち上げに友達とカラオケへ行く予定が入っている。そろそろ支度を始めないとみんなを待たせてしまうことになる。

 私は、お出かけ用の服を入れているクローゼットを開ける。

 「んー、どれにしよっかな。」

 少し悩んで、お気に入りの服をチョイスした。

 「・・・卒業祝いに新しいの買ってもらえるかな?」

 ふと思い返せば、昨年末からずっと高校入試の試験勉強に忙殺されて買い物に行く時間がなかった。これから春休みだし、おじいちゃんにおねだりすればいいか。

 制服を脱ぎ、それはハンガーに掛けて取り出した服に着替える。

 着替え終わると、財布や手鏡などを机の引き出しからショルダーバックに移す。

 「あ、コート出さなきゃ。」

 まだ三月。日が落ちれば途端に寒くなる。私は、これまたお気に入りの白のモッズコートを取り出してドアの横に掛けておく。これで忘れて出ることはないだろう。

 チラッと時計を見ると、時刻は一五時丁度を指していた。

 あと一〇分したら出よう。そう思った時だった。

 ピンポーンッと、ドアチャイムが来客を知らせる。

 体が少しばかり反応したが、『はーい』と一階にいたお母さんが小走りで対応に向かったため任せることにした。

 多分宅配物だから行かなくて大丈夫だろうと思い、ふと目についた漫画を本棚から一冊取り出す。

 〈あ、最新刊出たんだった。ついでに買ってこよっと。〉

 そんなことを考えながらパラパラとページをめくっていると、階段を駆け上がって来る音が聞こえたため何となく本を閉じた。

 それと同時にドアが開き、そこからお母さんが顔を覗かせる。

 「みっちゃん、お客さん。」

 「お客さん?誰?」

 家に誰かを招いた記憶がなかったため、私は首を傾げた。

 「じゃすた?とか言ってたけど。」

 「外人?」

 「いや、日本人二人だよ。スーツ着てたよ。」

 聞き覚えがない名前だった。まあ、見たら思い出すかも知れない。私はゆっくりとベッドから体を起こした。

 「リビングに通したけど・・・。」

 「リビングね。」

 出発の時間が迫って来ていたけど、せっかく訪ねて来てくれたお客さんに顔も見せないのは失礼と思ってリビングに向かう。

 「あ、こんにちは。」

 リビングのドアを開けると、二人の訪問者と目があったので挨拶をした。

 「「こんにちは。」」

 来訪者は二人とも女性で、両者スーツを着用していてどちらもショートヘアーだった。

 「失礼ですが、どこかでお会いしたことはありましたか?」

 顔を見ればとも思っていたが、見てもピンとこなかったので当たり障りのない訪ね方をする私。

 「いえ、初めてです。」

 「え、えーっと、どう言ったご用件でしょうか?」

 随分と感情を殺した話し方だけど、まさか宗教の勧誘?どちらも女性だし、相手を警戒させないためにそう言う手法をとるところがあるって友達が話していたような気がする。

 そう思った私は、少しばかり身構えた。

 「HSS(ハイパーエスエス)はご存じですか?」

 HSS。高性能宇宙服の略称で、確かカー何たらって言う特殊な物質に適正のある人だけが扱えるものだったはず。

 記憶に間違いがないのなら、だけど。

 「はい、名前だけなら?」

 疑ってかかっていた私は、あまりに予想外すぎる言葉に、少しだけ理解が追いつかず、疑問形で返してしまう。

 「どこで使うかはご存知ですか?」

 「宇宙・・・でしたよね?」

 この人達は何をしに来たのだろう。彼女らの発言の意図が分からず、私の頭はどんどん困惑する。

 「では、どのように動かすかご存知ですか?」

 「・・・え?」

 何かの企画なのか。そうであるなら演技の下手なお母さんは笑っているだろうと思いそちらを見ると、お母さんも私と同等かそれ以上に困惑を見せていた。

 「え・・・あのー、特殊な物体と適合できる人がどうとかっていうのは聞いたことがあります。」

 「その物体の名前は?」

 「すいません。知らないです。」

 質問が矢継ぎ早というのもあるが、ずっと無表情のままなので掴み所が無くやりにくい。

 それにしても、何故このような押し問答をしなければならないのか。時間がないことが、私に苛立ちを募らせる。

 時計を見ると、もう家を出ないと遅れてしまいそうな時間になっていた。

 自分からその話しを切り出すのははばかられたので、『急いでますよ』アピールをするべく、わざとらしく時計を見る。

 「お急ぎですか?」

 「ええ、少し。」

 しめしめ上手く行ったと、少なくとも次の言葉を聴くまでは思っていた。

 「では、単刀直入に申します。日本宇宙航空高等学校に入学していただきます。」

 「日本宇宙校区?」

 唐突な話題転換に耳がついていかず、思わず聞き返してしまう。

 「日本宇宙航空高等学校です。申し遅れましたが、私たちは日本宇宙飛行士養成機関、通称ジャスタの職員です。」

 そう言うと、来訪客二人はスーツの内ポケットから革製の財布のようなものを取り出し、その中から手のひらサイズの紙を抜き出して私に差し出した。

 「申し遅れました。私は、佐藤(さとう)と申します。」

 「草戸(くさど)と申します。」

 それは名刺入れだったようで、私は二人から差し出された名刺を受け取る。

 「・・・ジャパン、あすと・・・ろ?」

 一応、見ておくべきという思いから名刺を見た私は、そこに書かれていた英単語が読解できなかった。

 「Japan Astronaut Training Agencyと読みます。頭文字(イニシャル)を取って通称はJAsTA(ジャスタ)ですが、ご存知ないですか?」

 「いえ、聞いたことないです。」

 補足を入れる体を装ってバカにしてきている気がしたが、分からないものは仕方がない。私が正直に答えると、彼女らは少し渋い表情をした。

 「少し話を戻しますが、日本宇宙航空高等学校という名前は本当にご存じないですか?」

 しつこいなと思いながらも、私は首を縦に振って肯定を示す。

 「では、HSS(ハイパーエスエス)学園というのであればご存知でしょう。」

 「そっちは聞いた――」

 確信が持てず小さな声で返した・・・次の瞬間。私の脳裏に模試の会場で小耳にした会話が浮かんできて目を見開く。

 「!!Bランク大学までなら、試験会場に行きさえすれば入学させてもらえるって言う、あのHSS学園ですか!?」

 それは言ってはいけない言葉だったのか、即座に彼女らは眉間にしわを寄せる。

 「えぇ、不本意ながらそう言った評価を耳にします。」

 気まずい空気になってしまい、私は少し狼狽える。

 「え、えっとー、そんな学校の人が()()に何の用があるのですか?」

 とにかくその空気から抜け出したくて、私は半ば強引に話題を戻す。

 「先ほど申し上げたのですが・・・。」

 その表情には怒りと呆れの感情が加わり、一層気まずい雰囲気になる。

 「ご、ごめんなさい。あの、もう一度教えて頂けます・・・か?」

 私が謝ると、佐藤と名乗った方の女性が軽く溜息をついてから話し始めた。

 「日本宇宙航空高等学校、HSS学園に入学していただきます。」

 入学?誰が?いや、私しかいない。

 「あの、うち受験してないですよ?」

 「先ほどから気になるのですが、『うち』とは何ですか?」

 そこへ、草戸さんが割り込んできた。

 「あ、すいません。うちって言うのは私って意味です。」

 そう言えば『うち』も広島弁だった。高校入試の面接の練習で注意されたのに忘れてた。

 草戸さんは私の説明に二度ほど頷くと、何も言わず再び黙り込んだ。

 「それでは話を戻しますが、あなたの学力は日本宇宙航空高等学校の受験基準を満たしていません。」

 それにしても、彼女らの話し方も振る舞いも(かん)に障る。

 そりゃ私の学力は、秀才と呼べるレベルでは到底ない。でも、少なくとも人並みかそれ以上にはできている自信がある。それではHSS学園の入学試験の基準を満たさないのは事実かもしれないけれども、それを平然と言い切ってしまうのはどうだろうか。ひょっとして、この人は血が流れていないんじゃないのと私は思う。

 「ですが、少し事情がありまして。」

 そんな私の心情には気を配る素振りもなく、非常に面倒くさそうに佐藤さんは話を続ける。

 「あなたは、HSSを動かすために必要なコア・・・公式の略称では核と言うのですが、それと融合しています。」

 「私が?」

 そこで私は思った。この人達は、日本何とか養成機関という名を(かた)ってイタズラをしているんだ、と。

 だって、私はHSSなんて興味を持ったことは一度もないし、それを見たこともない。だから間違ってもそんなことはないはずだ。

 「うち、いまから卒業式の打ち上げがあるけー、もーいいじゃろ?」

 そう思うと、わざわざ丁寧に対応することもないだろうと、普段通りの話し方に切り換える。

 「あなた、自分の置かれている状況が分からないようですね。」

 「話しも聞かさんと、よー()うわ。」

 相手にするだけ無駄だ。私はそう吐き捨てて踵を返すと、リビングから出ようとした。

 そのとき、背後でバサッという重たい何かを落としたような音がする。

 「これで如何でしょう。」

 背中越しに掛けられた、今まで以上に抑揚のない声。その声自体には恐怖は感じないが、なぜか背筋に寒気が走る。

 「あなたの生年月日、産まれた病院、学歴、成績、なんならこれまで行った病院の記録も全てありますよ。」

 この人達は・・・いや、この人達は誰かの手駒か。感情を出したり消したりと全く安定感がないし。

 そう、裏で糸を引く彼女らの雇い主だ。それへの恐怖に、私は緊張して振り向くこともできない。

 「では、お話を始めましょうか。」

 ここは従った方が賢明と判断して、私は自覚できるほどぎこちない動きで椅子に座る。

 すると、何様のつもりか知らないが、草戸が私の母に座るように手で促す。母はそれに従って私の隣に腰掛けた。

 「先ほど言ったHSSの操縦者が融合している核、正式名称はご存じないでしょうが『カーススフィア』と言いますが、これは製造が難しいため数が限られます。正直、一つとして遊ばせておく余裕などないんですよ。」

 嫉妬、怒り、軽蔑。彼女らはそれを隠すどころか言葉に乗せて話す。うるさいと一言言いたいところだが、彼女らは馬鹿ではあるが頭は切れる。迂闊に発言をすれば揚げ足を取りに来ると分かっていたので、心を殺して話を聞く。

 「ですが、あなたに関しては不可抗力と言いますか。機密事項ですので事情の説明はできませんが、存在しないものとして扱っていました。」

 「脅すつもりはないんですけどね。最近、国際テロ組織がHSSの融合者を特定する装置を作ったようで・・・融合者が襲われるという被害が出ています。融合者は厳しい訓練を受けているので、今のところ負傷した者はいませんが。」

 佐藤に続けて、草戸が話を始めた。

 いずれにせよ、敢えて答えを言わないとはタチが悪い。

 心理的に揺さぶりに来ているのは確実・・・だけど、考えたくはないがテロ組織がいるというのは本当のことだろう。そうならば今まで知らぬ存ぜぬで通してきたのに、突然訪ねてきたというのも理解できる。

 だからといって、私は行くつもりはなかった。

 だってその学校へ行く友達はいないし、何より学力が違いすぎる。

 ニッコリ笑顔で断ろうとした、まさにその瞬間。

 「それって、娘にも危害が及ぶってことですか!?」

 そこまで黙っていた母が、不安になったのか唐突に話へ割り込んできた。

 「さあ?可能性の話ですから。」

 まるで他人事という態度を取ることで、母の不安を煽る草戸。性格が悪いったらありゃしない。

 「みっちゃん、行った方がいいんじゃない?」

 母の名誉のためにいうが、断じて騙されやすいわけではない。私のことになると見境がなくなるのだ。しかも、そういったときの判断は正解であることがほとんどだ。

 「いや、けど――」

 「大丈夫、みっちゃんなら頑張れる!」

 「何を?」

 「何でも!」

 私の考えていることを読んでいる訳ではないが、言い切るので反論しにくい。

 「みっちゃん。この人達の話を聞いて、HSS学園?に行った方がいいと、お母さんは思うよ。」

 三対一。この流れから、私の母を説得してこの二人組を追い返すのは私の話術では無理だ。

 「どうしてそう思うの?」

 たまらず問い返した。これまで母の言うことに特段反発したことはなかったが、不条理に従いたくはなかった。

 「それはだって・・・みっちゃん、仮に、このまま家にいてその悪い人達が押しかけて来たらどうするん?テロリストなら・・・話し合いは通じんよ?法も道徳も私達を守らないし、お母さんにもどうしようもない。お母さんにとって一番辛いのは、みっちゃんがいなくなることなんよ。」

 普段聞かないような、母の真摯な声だった。確かに母を傷つけたくはない。しかし、これから目の前の二人組、もしくはそのような人間を相手に生きていくことを思うと、心が軋むようだった。だが、

 「みっちゃん・・・?」

 遅かれ早かれこの生活が失われてしまうのなら、母が傷ついてしまう未来を・・・見たいとは思わなかった。

 「入学・・・します。」

 「では、手続きを始めます。」

 佐藤が準備をするためにカバンから書類を取り出している間、私はそっと携帯を取り出して友達に『打ち上げには行けなくなった。ごめん。』とメッセージを送った。



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希望の新入生(2)

久しぶりに更新しました!
前作の時はもっとペースが速かったんですが・・・最近時間がないということでは説明できないほど書けません。
何でなんでしょうか・・・。


 「じゃあ・・・行ってくるね。」

 時刻は一九時を回ったところ。

 「体には気を付けるんよ。」

 お母さんは寂しさと不安が入り交じった顔をしていた。

 「急いで下さい。」

 HSS学園の関係者が無駄に急かしてくるが、彼女ら曰く『本来であったならもう半年は早かった』そうだ。

 でも、私が少しでも長くここで生活できるよう配慮して今日まで延ばしてくれたのなら、この後の打ち上げくらいまでは誤差の範囲ではないのだろうか。

 考えていても始まらないのは分かっているが、後ろ髪を引かれる思いで私は踵を返す。

 「おっ、みっちゃん!」

 そのとき、名前を呼ばれて顔を上げる。そこには幼なじみがいた。

 「あ、(とも)君」

 彼の名前は松木知則(まつきとものり)。家が隣同士なので、小さい頃はいつも一緒に遊んでいた。

 「どしたの?」

 彼は私の横に立つ草戸を見るや、少し声のトーンを落とした。

 「ちょっとの間、遠くの学校へ行くことになったんよ。詳しいことは長くなるから、今度話すね。でも、ちゃんと帰ってくるよ。」

 私は知君にむだな気遣いをさせぬよう、そして自分に暗示を掛けるためにも笑顔を作る。けれど、表情が引き攣っているのは自分でも理解できた。

 「そう・・・。頑張ってね、応援してるよ。」

 彼は佐藤と草戸を一度ずつ見て何かを察知したような顔をしたが、いつもの表情に戻るとグッドサインを作って私にそう言ってくれた。

 「うん、行ってくるね。」

 私は彼女らの乗ってきた高級そうなセダンのトランクに最後の荷物を入れて、それから後部座席に収まった。

 エンジンが始動し車が発進する。外を見ると、知君とお母さんが手を振ってくれている。

 途端に目頭が熱くなり涙が溢れた。泣いていると知られたくなかったから、声は押し殺した。

 「ボーイフレンドですか?」

 そんな私を気遣う素振りもなく草戸が口を開く。

 「そう思ったことはないです。」

 それに対して、私は努めて平静を装った。

 「安心しました。恋愛にうつつを抜かして成績を落とす生徒が一定数いるので。・・・全く、下らない。」

 草戸が最後にこぼした一言を、私の耳は聞き逃さない。

 「あなたも、そうならないように注意しなさい。」

 草戸、佐藤ともに、この類の話をしそうにない性格であることはおおよそ見当が付いていた。だが、彼女らは寒気がするほどに偏った思考をしていた。

 それからしばらくの間、話し掛けられることはなく車は走り続ける。

 徐々に家は少なくなり、山を切り通して作られた道を進んでいるときのことだった。

 「あっ!」

 繁みの中からアナグマのような動物が一匹、車の前へと飛び出して来る。

 私は思わず声が出た。ところが、運転している草戸は、声はおろかハンドルを切るとかブレーキを踏むといった動作をすることなくそれを跳ね飛ばした。しかも跳ね飛ばしたあと、再び左側のタイヤでひくというおまけを付けて。

 グニャっという嫌な感触が、後部座席に座る私のお尻へ伝わってくる。

 〈・・・戦闘ロボットみたい。〉

 動物が出てきてからひくまでの間、先ほどまで二人に見え隠れしていた感情や心の揺らぎが途端に消えて無くなった。

 そんな経験をしたことがない私でも分かるほど、特に運転をしている草戸の変化は車の挙動へ出ていた。

 〈何なのこの人達・・・。〉

 それまでとはまた違うベクトルの不安が、私の心へと芽生え始めていた。

 

 それから三〇分ほど後のこと。何か巨大な物体が飛んでいると思い外を見る。

 空港が見えた。

 車が止まる。草戸が窓を開けて、外にいた人へ何かを提示した。

 「どうぞ」と言われ、車は再び走り出す。

 そこでふと、どこへ向かうのかをまだ聞いていなかったことを思い出す。普通ならあり得ないが、あまりに急な展開だったせいで気が回っていなかった。

 「あの、どこへ行くん・・・!?」

 車が停車したので目的地を聞こうと少し前へ体を乗り出したとき。私は、私の乗っている車がどこにいるのか気が付いた。

 何と、飛行機のすぐ後ろへ止まっているではないか。それも、かなり大きな飛行機だ。

 私は驚きのあまり言葉を失い、口をパクパクさせる。

 近付いてきた人に草戸が何かを提示する。それを確認すると、その人は走って飛行機の方へと向かう。

 その人が飛行機の中へ消えて一〇秒と経たず、飛行機に変化が生じた。何と、胴体の一部がパカッと開いたのだ。

 そんな飛行機あるの!?私は目が飛び出るのではないかというほどに目を見開く。

 そんなことはお構いなしと飛行機は変形を続け、あれよあれよという間に車が乗り入れられるようスロープが展開された。

 合図が出されると車は前進して飛行機へと乗り込み、合図で停車してエンジンを止める。

 草戸と佐藤は車から降りたが、私はいろんな事に驚きすぎて体が硬直していた。

 「降りて。離陸するから、輸送機の座席に移動して。」

 少しして、私が降りてきていないことに気が付いた佐藤がドアを開けてそう呼びかけてきた。

 「あ、す、すいません。」

 大慌てでシートベルトを外して、私は車から降りる。

 飛行機の中は天井が高く壁などにも化粧板はなくて、何というか倉庫のような見た目をしていた。

 「座って。」

 案内されるまま、壁に直接取り付けられている折り畳み式の椅子に腰かけてシートベルトを着ける。

 すでにエンジンは動いていたようで、それの完了と同時に飛行機は動き始めた。

 

 それからしばらくしてシートベルトを外していいといわれて、椅子に座っていても暇なので私は機内を当てもなく歩き回っていた。歩き回るといっても機内には仕切りなどがほとんどなく見晴らしはいいので、正直歩き回る意味はない。

 ふと、窓から外を覗いてみる。窓は小さく外を見ることには向いていない。もっとも、見えたところで外は暗いから分からないだろうけど。

 そのとき、ふいに私はあることを思い出し佐藤のところへ行く。

 「あの、今どこに向かってるんですか?」

 むしろ今までなぜそれに気が付かなかったのか。自分でも不思議なくらい、そのことをド忘れしていた。

 「日本宇宙航空高等学校です。」

 知っていて当然という口調で佐藤が返してきたが、そこは分かっている。

 「いや、それの場所はどこですか?」

 「知らないんですか?」

 「すいません。知らないです。」

 知っているのなら、わざわざ聞かない。少し頭に血が上ったが、私は言おうとした言葉を飲み込んで冷静に振舞った。

 彼女は面倒くさそうに「はぁ・・・」とわざとらしくため息をついたのち「馬毛島です」と言った。

 「知らないでしょうから教えてあげます。種子島の横にある島です。種子島はわかりますよね?」

 「ええっと・・・・・ロケットを打ち上げるところがある・・・ところでしたっけ?」

 「はい、種子島宇宙セ――」

 「えぇーッ!?」

 私は、思わず声を大にして驚いてしまった。

 「鹿児島じゃないですか!!」

 「そうですけど、何か?」

 私が突然大きな声を出したものだから、準備ができていなかった佐藤は私がいる側の耳を抑えながら不機嫌そうに言い返してくる。

 「聞いてないです!そんなに遠くにあるなんて!!」

 知らずについてきた私も大概アレなのだろうけど、教えてくれていればこんなに驚くことはなかったはずだ。

 いや、知っていれば私が拒むことを見越して、わざと教えてくれなかったのかもしれない。

 「あなたの勉強不足です。」

 何か言ってやろうとも思ったのだが、もしかしたら家には二度と帰ることができないのかなという思いが湧いてきて、虚脱状態になった私は少し離れた席に腰かけた。

 

 

 

 ふと目覚めると、夜中の三時だった。あの後のことは、よくは覚えていない。

 けれどひと眠りしたおかげか、精神状態は落ち着いていた。

 ベッドから起き上がり頭の中を整理してみる。思い出したのは、ここが宿泊施設ではない何かの施設の一室ということ。怪しい組織の施設ではないというだけは、何となくだけど分かる。

 立ち上がり、部屋のドアを開けて廊下に出てみる。非常灯が幾つか点いているだけでうす暗い。

 怖いもの見たさに一歩踏み出してみる、と。

 〈ッツ、眩しい。〉

 照明がパッと灯った。暗い場所になれた私の目には、照明の明かりは刺激が強い。

 もっとも一〇秒もしないうちに目は慣れるけど。

 天井を見てみると、数か所でチカチカと赤い光が点滅していた。どうも廊下の照明は人感センサー式だったみたい。

 廊下は清潔感のある・・・というよりは殺風景と言ったほうが正しいか、絵や窓といった装飾品はおろか、壁もよく見れば白ペンキでコンクリートを塗装してあるだけだった。

 〈少し散策してみよっと。〉

 何となくそんな気分になった。

 先ほどまではショックだったのに今は平気なあたり存外、私は知らない土地に行くのが平気なのかもしれない。

 もしくは、ただ開き直っただけかもしれないけど。

 しかし、そんな軽い気持ちで散策を始めたせいなのか、十数分後、立ち入り禁止の札を見落として防犯装置を作動させてしまい、慌てて部屋へと駆け戻ることとなる。

 幸いにも私は防犯カメラの死角を移動していたようで、単なる機械の誤作動として処理されお咎めを受けることはなかった。



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希望の新入生(3)

たったの五行に数日使う。これって、如何なものか・・・。


 次の日は、朝から検査に次ぐ検査だった。何でも「専用の宇宙服を作るのに必要」ということらしい。

 特に身体測定はそれを作るのに必須ということで、身長・体重の測定に加えて3Dスキャンなどを複数回行ったために一時間以上も要した。

 それから遅めの昼食を摂って午後の検査に臨む。一発目は『適合率』というものを調べるものだった。

 それはHSSを動かすためのコア、正式名称は『カーススフィア』というものが人体と融合すのだが、どの程度馴染んでいるかを調べる検査らしい。この率が高い人ほどコア本体の能力を引き出せる傾向にあるのだと、教えてくれた人は言っていた。

 検査時の注意を聞いた後、私は測定を行うために直径が一メートルほどの円筒型の部屋へと案内される。

 「この足マークの上に立っていて下さい。」

 指示されて下を見ると、白い床に赤い黒の足マークが描かれていた。

 「こんな感じですか?」

 「はい、そのままでいて下さい。」

 バタンとドアが閉じられる。ドアには窓があり、外の様子は見ることができた。

 そのままでと言われていたが、私は検査が始まるまでの間に上を見上げる。天井付近に私が余裕で通れるほど大きな輪があった。

 しばらくして、その輪が動き出したので慌てて顔を戻す。

 一五秒ほど掛けて輪は天井から地面まで降下する。そこで五秒ほど止まった後、また十五秒ほどかけて天井へと戻っていく。

 『言い忘れてました。二回撮るので、まだ動かないで下さい。』

 マイクを使ってそれを告げてくる。すぐに輪が降りてきて、輪は一度目と全く同じ動きをした。

 「終わりです。動いていいですよ。」

 ドアが開けられる。私は少し上を見て、輪が当たる一にないことを確認してから動き始めた。

 「では、次の検査は三階に降りて――」

 検査は、まだ半分の項目しか終わっていない。パッと見る限り、大半の検査で内容が重複している気がしてならない。もしそうなら数カ所でできそうな検査だと思うのだけれど、多分素人の考えというものなのだろう。

 軽く息を吐き、私は案内をしてくれている人について部屋を後にした。

 

 

-*・A・*-

 

 

 四月まで残り二週間を切った週末。

 とある検査室は、今日も白衣を着た検査員達が忙しそうに作業を行っていた。

 「あれ?おっかしいなぁ?」

 その中の一人、パソコンを使って作業をしていた男は眉間に皺を寄せ、両手でゆっくりと前髪をかき上げる。

 「どうしました。」

 近くで作業をしていてそれを聞いた女が振り返って声をかけた。

 「この適合率の検査結果。おかしいんですよ。」

 女はおもむろに男の方へと移動し、「どれかしら」といいながら男のパソコンの画面を見つめる。

 「・・・確かに変ね。」

 そこに表示されている、のっぺりとしたレントゲン写真のような画像を見るや、それまでは少し眠たそうに話していた女の声色が急にやる気モードのそれに変わった。

 「見たことありますか?」

 「かなり痩せ体型の人がこんな感じになるとか聞いたことはあるけど・・・。」

 適合率の測定方法は、対象者に特殊な電磁波を当て、どの程度の反応を示すかで測定する。それには、輪っか状の装置を使用して頭の天辺からつま先までを検査するのだが、装置の構造上、細身の人は電磁波が当たる面積が小さくおかしな結果になることがあった。

 もっとも、その場合ならちょっとした処理で正しい値に辿り着くことができる。

 「いや、違うわ。検査のミスは・・・ないみたいだし、見たことが無い反応ね。」

 それはつまり、この結果はその通りではなかったということ。

 彼女がそれへ気が付くのに、さほど時間はかからなかった。この解析結果は、彼女自身の知っているいずれのものとも異なる特徴を持っている。

 女は男が広げていた検査記録の中から素早く目的のものを見つけ出すと、手に取って目を通す。

 「身長は同年代の女子と比べて高め、体重はほぼ平均。身体機能も正常。コアはEA31-007-5。いわく付きではないし・・・。」

 まれにハズレのコアがあり、反応がほとんど出ないこともある。しかし今回のものは今までに実績のあるコアであるし、何よりハズレのコアはもっと違う反応を示すと彼女は頭を悩ませる。

 「装置の不調とかでしょうか?」

 男は思いつきで尋ねてみた。

 「いいえ、装置も測定も不備はないわ。ここを見て。」

 即座にそれを否定すると、彼女は画面に表示されている微かな線を指差す。

 「これは?」

 「検査のときに着る服には金属線が織り込まれているの。測定が上手くできているかの目安に使うためにね。」

 その説明に、男は「初めて知りました」と感心する。

 「知らなくて当然よ。ここ十年、測定は失敗していないの。私だって、これを見るまで存在を忘れていたわ。」

 しばらく考え込んだ二人だったが、不思議な検査結果の扱い方に揃って首を傾げるのだった。

 

 

 

 週が明けて水曜日。

 「――ということです。以上のことを総合的に判断した結果、本来の半分しか存在していないという結論に至りました。」

 明るい色調の壁紙が張られた会議室。そこに集まった一〇人に対し、一人の白衣を着た男が報告を行っていた。

 「では、コアを他人と半分ずつ共有している。そう言う解釈でいいのだな?」

 「はい。前代未聞ですが、極めてその可能性が高いです。」

 「フム・・・。して、残りについて、どの程度の目星が?」

 「全くもって検討がつきません。」

 やや腹回りが太めの男の質問に、報告者はキッパリと言い切る。

 「と、なると。」

 「接点を持つ人物を手当たり次第・・・ですか。」

 少し面倒くさそうな口調で、二人の女性が呟く。それに触発されて、次々に意見が上がる。

 「どれだけ時間をかける気だ?」

 「見当がつかない以上、仕方のない手段かと。」

 「新しく作るほうが余程建設的だ。」

 「確かに、半分ずつを共有しているのなら、サンプルとしては絶対に確保すべきだ。」

 「はっ、何を言うかと思えば。彼女は能力を辛うじて使えるレベルのものだったんだろう?少なくない労力をかけてまで見つけ出す価値があるとは思えんな。我々は道化ではない。」

 各々の立場からの意見が飛び交い、会議は雑然としたものになる。

 「個人が発言するな!」

 かに思われたが、恰幅のいいほぼ白髪の男の一声に落ち着きを取り戻す。

 「今回の問題、見つけてしまった以上は遅かれ早かれ解決せねばならん。その役目が偶然、我々に回ってきただけだ。後藤検査主任、記録は?」

 「はい、指示の通りに処置いたしました。」

 その回答に軽くうなずくと、男は視線を戻して話を続ける。

 「見て見ぬふりをすることは、我らには許されぬ。」

 かくいうこの男も捜索には反対だった。だが捜索を行うことは彼よりも更に上の人間達により決定されているため逆らいようがない。

 それに今回は発見までの経緯を各部署に説明するための会議であり、する・しないの意見自体をぶつけること自体お門違いのことであった。

 「広報部は早急に検査対象者の抽出、検査部は直ちに移動測定車を該当の地域に展開させること。セキュリティー室、情報の拡散を極力抑えろ。細かな連絡は追って行う。入学式までには何としても間に合わせろとのことだ。解散。」

 

 それから二日後。特別に結成された捜索チームは、巡回の健康診断の医師や占い師などに扮して現地入りした。

 しかし、デタラメな結果を出せば不必要な疑いを掛けられる。特に健康診断チームの中には本物の医者も入れられており、対象者以外に行った健康診断などは正当な結果を出していた。

 急ごしらえの捜索チームではあったが、彼らは四日間で対象者とその他を含めた四〇〇人以上に対して検査を行った。

 しかし期待していた結果は、検査を行った誰からも得ることができなかった。

 

 「見つからなかっただと!?」

 日本宇宙航空高等学校が二日後に入学式を控えたこの日。とある部屋に、白髪の男の大声が響いた。

 「申し訳ございません。」

 「あ・・・すまん。これっぽっちも怒ってない。」

 バツが悪そうに白髪の男は謝った。

 「ただ、あれだけの数で当たらなかったのが驚きでな・・・。」

 今月の頭はエイプリルフール。男は、部下が自分を驚かせるために時間差口撃を仕掛けてきていると思っていたため、必要以上に驚いてしまった。

 左手に持った報告書を見つめながら、男は右手を顎に添えて考える。

 検査に出向いた地域の人口は一二〇〇人ほど。単純計算で、三人に一人は検査したと言うことになる。

 「成果なし・・・そうか、ご苦労であった。」

 男は部下を下がらせる。

 「何で俺がこんな思いを・・・。」

 そして一人になると苦々しくぼやく。誰がこんな面倒事に『GOサイン』を出してくれたのか、と。

 確かにHSSのコアには遊ばせておく余裕などない。

 しかしと、彼は事の発端となった彼女に行った能力試験を思い出す。

 彼女は、コアが本来持ちうる能力の一割も発揮させられなかった。そうならば片割れも能力が制限されている確率はとても高い。

 〈中止を嘆願するか・・・いや、もはや手遅れか。〉

 捜査を開始してしまった手前、抑えようとも情報は時間とともに広がっていく。マスコミに知れる前に発見しなければ、貴重なコアの扱いがずさんすぎるという批判を浴びることは明白だ。

 時間が圧倒的に足りていない。こんな短期間で片が付く問題なら、そもそも問題にすらなっていなかったことだろう。

 男は背もたれに身を預けると、フーッと息を吐いて何もない天井を見つめるのだった。




2020/5/19 一部修正しました


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希望の新入生(4)

安心して下さい、失踪はしていませんよ。
気が付けば、前回の投稿から10ヶ月も開いていました(汗


 「・・・ん?」

 その日の夜、検査員の雨ヶ谷(あまがや)が私物の忘れ物を取りに職場へと戻ると照明がついたままになっていた。

 年に数回ほど消し忘れをすることがあるので、彼は特に不審に思うことなくICカードをかざして解錠。ドアを開けて入室した。

 〈誰か居る?!〉

 中に入りドアを閉めた途端、布のようなものが擦れるような音が聞こえて彼は思わず屈む。

 〈泥棒か?〉

 普通の思考なら安全を優先して逃げるとか応援を呼ぶとかするところなのだが、動揺のために状況確認を優先した彼は四つん這いの状態で恐る恐る前進する。

 浅く速くなる呼吸を抑えながら、彼はゆっくりと棚の影から顔だけを覗かせる。

 〈いる!!・・・あ。〉

 そこには白衣を着た男がいて、そいつはパソコンの前に座っていた。そして雨ヶ谷は、その姿が後輩の広元(ひろもと)のものであると気が付き、「ふーっ」っと大きな息を吐き立ち上がる。

 「ビックリさせるな、お前かよ。」

 「んあぁ?!・・・ビックリした、雨ヶ谷さんか。」

 睡魔に襲われていたのか、声を掛けるや椅子が跳ねるほどの勢いで振り向く。

 「こんな時間まで何してるんだ?」

 彼は机に手をついて、後輩が操作していたパソコンの画面をのぞき込む。

 「・・・これって、この間のやつか?」

 そこに表示されているものを見るや、彼の表情は仕事モードになる。

 「えぇ。気になったことがありまして。・・・これを見てください。」

 彼は表示していた画像の横へ、タッチパネルの画面を操作して最小化していたウィンドウを最大化した。

 「こいつはノイズ観測機のデータだな?」

 それは融合者の適合率を調べるとき、宇宙線や電波などの外因によって結果が狂ってしまった場合に、このデータを使って適合率の結果に補正を入れるもの。

 「そうです。何か気が付きませんか?」

 「何か気が付きませんかって言われてもなぁ。そもそも補正を入れるためのデータだろ?見て何かわかるのか?」

 「いえ、これを見ても何も分からないと思います。でも何を観測した数値化なのかは分かりますよね。例えばこれはハイブリッド自動車、これは鉄道、ラジオ電波、携帯回線・・・。で、わかるやつらをまとめて削除すると・・・見覚えないですか?」

 「・・・・・いや、無いな。」

 考えてみたものの、やはり答えは思い付かないようで雨ケ谷は諦める。

 「ですよねぇ。私も見覚えがないんですよ。」

 なんだそれは。虚を突かれガクッとよろめく。

 「じゃあ、それは何のためにしてるんだ?まさかそれは言い訳で、本当はプライベートの作業をしていたわけじゃないだろうな?」

 見られてはマズいことをしていたから、誤魔化すために作業をしている振りをしたのではないのか。そんな風に勘ぐってしまう。

 「職場のパソコンでプライベートのことはしたくないです。特にここのパソコン、扱ってる内容の割りにセキュリティーが甘いですから気持ち悪いですし。」

 「確かに。それは俺も同意する。」

 広元は再びパソコンを操作すると、とあるファイルを開いた。

 「そいつは(くだん)の被験者のデータか?」

 雨ヶ谷はファイルの名称から、瞬時に誰のデータか気づいた。

 「はい、その通りです。ご覧になってますか?」

 「見たけど・・・これといった特徴はなかったように記憶しているが・・・。」

 やはり気が付いたのは自分だけだ。彼は自信を持って説明を始めた。

 「言い方は悪いですけど、暇だったのでこのデータを解析してたんです。そしたら見たことのない波形が捕らえられていたんです。」

 彼は先ほどと同じ操作をして、データから余計な箇所を取り除く。

 そうして現れた波形と、最初から広元が開いていた画像を雨ヶ谷は見比べる。

 「んー・・・確かに似てるな。」

 「似てるんじゃないんです。全く同じなんです!」

 もし少しでも違いがあったのなら、絶対に見つけられなかった。広元はそう言い切る。

 普段は大人しい後輩の見せた本気。雨ヶ谷は根拠が気になる。

 「・・・それが正しかったとして、誰から検出されたデータなんだ?」

 「分かりません。」

 「分からない?」

 データには被験者の情報が記載されているのだから、特定は容易に行える。にもかかわらず分からないというのは、どういう理由なのか理解できない。

 「じゃあなんだ?機械を止め忘れて回してたら偶然記録されたとか、そんな理由か?」

 「流石です。まさにその通りだそうです。」

 納得がいかない雨ヶ谷は首を傾げながら「そんなことあるか?」と呟くと、「あるみたいですよ」と広元は素早く応じる。

 「データが随分と多いなって思って聞いたんです。そしたら『ノイズ観測機は電源投入時に狂うから電源が切れなかった』って。ここに設置している時は補助機器があるから電源の入り切りは問題ないけど、補助機器が、どっちが本当の本体だって言いたくなるほど大きいって言ってました。」

 「微妙に納得しがたいけど・・・。仮にこのデータが正確に観測できたものだとして見当は付けられるのか?」

 「四日のうち三日で観測されるので間違いなく本当です。」

 広元は、シレッと先輩の言葉を訂正しながら返事をする。

 「記録はほとんど決まった時間で、それに朝と晩の二度観測されている日も一日あったので通勤か通学か。間違いなくこの機械が設置された場所の近くを通っています。周辺の防犯カメラの映像から割り出せると思います。」

 自分の考えは言い切った。広元は先輩の反応を窺う。

 「・・・着眼点は面白いな。係長に相談してごらんよ。明日から手が離せない仕事にかかるから手伝えないけど、調査する価値は十分にあると思う。ま、何にしても今日は遅いから切り上げて帰れよ。明日に響くぞ。」

 そう言い残すと、雨ヶ谷は忘れ物を取りに来たことなどすっかり忘れて手ぶらで帰っていった。

 因みにその忘れ物とは携帯端末で、それにセットされていた目覚ましにより、報告書の作成途中で寝落ちをした広元は翌朝叩き起こされた。

 そして雨ヶ谷はというと、別に朝に弱いタイプではないのでいつも通りの時間に出勤してきたのだった。

 

 

-*・A・*-

 

 

 生まれ育った家を出てから一カ月近くが経った。今は学校の寮で生活をしている。

 最初の頃は一人暮らしのような雰囲気で少し楽しかったけれど、次第に一人のさみしさの方が強くなってきた。

 原因は新学期に向け、徐々に寮に人が増えてきたこと。

 この学園の寮は三人一部屋が基本で、各部屋に一・二・三年が一人ずつになるように割り当てがされる・・・のだけれど、私は一人部屋だった。

 聞いたところによると、合格発表のあとに私の入学・・・と言うかねじ込みが決まり、人数が中途半端になったせいらしい。

 まわりの部屋からは声がするのに、私は一人。

 これから同じ学び舎でやっていくのだからと、いくらか知り合いは作っておこうとはした。

 けれど日本宇宙航空高等学校という名前からするイメージとは裏腹に、生徒のほぼ全てがいわゆる裕福な家庭の生まれのように見えた。高飛車な人は今のところ見ていないにしても、何となく話し掛けづらさを感じる。

 だからというわけではないが、来た頃は散歩とかランニングとかしていたけれど、それも徐々に減ってここ一週間は引き籠もっている。

 〈あ~ぁ、嫌だなぁ。〉

 そして何より、私を嫌な気分にさせているのは、明日に迫った入学式。

 何とかその気分を紛らわせようと早く布団に入ったものの中々寝付けない。

 時間だけが過ぎていく。窓から見える他の棟の寮では電気が少しずつ消えて、私のいる棟でも時折聞こえていた笑い声が静まり夜更けを告げる。

 

 〈あ~・・・眠たい。〉

 結局寝付いたのは何時だっただろうか。少なくとも一時は記憶にある。

 現在、入学式のまっただ中。暇を持て余して、私はこっそりと会場を見回してみる。

 前々から分かっていたことではあるけど、生徒のみならずの教職員まで一〇〇%が女子というのには改めて驚かされる。

 この学校は女子校ではない。ちゃんと男子生徒も募集をしている、れっきとした共学なのだから尚更だ。

 そうは言ったところで、私がここを辞められるわけではない。

 住めば都という諺があるように、特殊な環境ではあるけれど気が付けば馴染んでいるだろうと自分に言い聞かせた。

 

 

 

 「九谷さん、少しよろしいですか?」

 なんていう私の思いは、翌週の頭にいきなり打ち砕かれた。

 「な、何?」

 もの凄い剣幕で私に詰め寄ってきたのは、クラス委員長の若狭さんだった。

 何かしでかした記憶がないので、なんでここまで彼女が怒っているのか私には全く検討がつかない。

 「何ですか!あの点数は!!」

 「あの点数?」

 理解が追いつかない私がそう聞き返すと、若狭さんは頭に手を当てわざとらしく深い溜息をついた。

 「とぼけて逃げるおつもりですか?今まではそれで通り抜けてこられたのでしょうけど、私の目は誤魔化せなくってよ!」

 本当に分からない私はオドオドして、隣の席の子に助けを求めようとして目をやる。けれど、その子は申し訳なさそうに手を合わせて「ごめん」とやると、私から視線を切ってしまった。

 それでようやく、私が本当に分かっていないことを理解したのだろうか。さらに彼女の怒りはヒートアップした。

 「えぇ、いいですわ。教えて差し上げます。先週のテストの点数です!」

 「テストの?」

 赤点をギリギリ回避するような、そんな低レベルな点数は取っていないつもりだ。

 「えぇ、そうです。私ビックリしましたわ。この学校は、一年生のクラス分けは成績で決まっていると聞いてました。勿論、一組が優秀な生徒が集められているのです。ところがテストの平均点、一組は一位ではなかったのですよ!」

 なんで平均点なのに私だけを狙い撃ちなのだろうか。

 「えっとー、平均点って何点だったっけ?」

 「九四点です。まさか確認されていないのですか?!」

 「あ、あー・・・そうじゃったね。・・・って九四?!」

 一〇〇点満点のテストでこんな平均点で出る。普通じゃない。

 迂闊に点数を聞いたのは間違いだった。

 「その反応を見る限り、どうやらご存じなかったようですわね。」

 マズい。逆鱗に触れた。声のトーンの変化でそれが分かった。

 「私、気になって聞いてみましたの。」

 若狭さんはブレザーの内ポケットから紙を取り出し私に差し出した。。受け取った私はそれを広げて見て驚いた。そこには、にわかに信じがたいことに私を除く1組全員の点が書かれていた。それも午前の授業で返されたばかりのテスト結果が。

 「聞いたって・・・まさか、全員に?」

 私は『本当はそんなことしてないよね?』と、彼女の性格からしてあり得ない冗談の可能性を、わらにもすがる思いで聞いてみた。

 けれど――

 「ええ、その通りです。」

 当然のことですが何かと言わんばかりに答えられてしまった。

 「まったく、参りましたわ。食堂で1組の生徒を捜して回るのがどんなに大変だったか。」

頭に手をやり、やれやれと言った表情で更に続ける。

 「いいですか?あなたを除いた平均点は九七点。これを九五.五点にまで下げようとしたら、あなたは50点しか取れていない計算になるのです!どうなのですか?!」

 私を除いたら九五点超え!信じられない。

 「ご、ご名答です。」

 急に自分の点数が惨めに思えてきた。

 それにしても、先生でもそこまで厳しくはない。クラスメイトは怯えて、お手洗い(お花摘み)に行こうとした生徒さえも席に戻り勉強を始める。

 「良くこの学校に受かりましたわね!」

 その一言に、私はつい言い返してしまった。

 「ごめん、うち受験してないんよ。」

 刹那、若狭さんに集中していた視線が驚きをもって私に向き変わる。

 一瞬で静まり返った1組の教室。

 しまったと思ったのは後の祭り。若狭さんは、バンッと私の机を叩いた。

 「そうでしたか。噂には聞いていましたが、あなたがその融合者様ですか。」

 クラスメイトの視線には、先ほどとは別の感情が籠もっていた。

 「私も融合者ですが・・・あなたにはどうにもその覚悟はないようですわね。」

 次は何を言われるのか。私はビクビクしていると、若狭さんは踵を返して自分の席に向かって行った。何でだろうと思っていると、授業開始のチャイムが鳴る。

 これからこんな生活が続くのか。そう思うと心が重くて仕方がなかった。



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希望の新入生(5)

 週が変わって月曜日、広元は六人乗りのトラックの前席中央に座っていた。

 時刻はもうすぐ昼だというのに、彼のお腹は全く空く気配がない。

 「緊張するか?」

 それを察知して、助手席に座る所長が声をかけてくる。

 「そ、そうですね。」

 「なあに、大丈夫さ。」

 本来であれば、この様な仕事に所長が出てくる必要はない。だが前回以上に特殊な作業となるため、所長自らが出張っていた。

 「今回は画面と睨めっこするのが作業みたいなものだからな。緊張するような作業はないぞ。」

 所長は彼のことを気遣って声をかけたつもりだったが、原因には当てはまらない言葉であった。

 「ハハハッ・・・。わかりました。」

 しかし広元は、所長の心遣いを無下にはできないと愛想笑いを返す。

 彼の緊張の原因は、冗談や手抜きをして書いたわけではないが、監視カメラの映像を調べればすぐにわかると思いながら作成した報告書が、ここまで大掛かりな捜索に発展してしまったことだ。

 もっとも、こうなると誰も予期していなかった。まさかこの周辺には防犯カメラがほとんどなく、唯一の頼みの綱であった駅の監視カメラに至ってはトラブルでデータが物理的に消えてしまっているなどとは。

 『まもなく料金所です。』

 再び会話が途切れたところでナビがルートを告げる。

 インターで高速を降りた後、しばらく山間の国道を走る。点在していた民家も、数分も走れば密度が上がってきて、マンションなども現れた。

 「さあ、もうすぐ着くぞ。」

 トラックは右折をして、駅に隣接した施設の駐車場に止まる。

 広元はトラックから降りてあたりを見回す。四方を山に囲まれた地形だ。

 丁度、貨物列車が駅を通過していく。駅の時計台をみると正午を指していた。

 「君が見つけた反応は、この建物でキャッチされた。」

 「なるほど、ここで・・・。」

 広元は勝手な思い込みで、人が多い場所だから今まで見つからずにいたのだと思っていた。それだけに、実際の現地をみて少しばかりつまらなさそうな顔をする。

 「そう言えば、他の場所でも検査をしたって聞いたんですけど、それもこの街なんですか?」

 「そうだけど・・・。どうして?」

 「他の場所で取ったデータが見当たらなかったもので・・・。あ、ノイズ観測機のデータです。それが少し気になってまして。」

 近場なら、

 「あー、あれ。機械が置けなかったんだよ。正直、ここでも隠せるギリギリだったしなぁ。」

 尻すぼみなる所長の言葉。広元は聞いてしまったことに対して申し訳なさを覚える。

 「よし、ここで話をしていても時間が勿体ないから、さっさと設置をして観測を始めよう。うまくいけば今日で終われるぞ!」

 

 

 

 「――って言ってから四日経ちましたね。」

 パソコンの前で疲れた顔をした広元はそうこぼす。殆どの時間を画面と睨めっこをして過ごし、そして何の手がかりも掴めないのだから『元気でいろ』という方が無理だ。

 「うーん・・・。もうちょっと何かあってもいい筈なんだけどな。」

 そしてそれは、所長も同様だった。

 「前回と変わったことと言えば・・・何か思い付くか?」

 「違うことですか?・・・いずれも平日でしたし、違うところは特にないように思います。」

 その時、出入り口の扉が開いた。

 「ん?何の話しですか?」

 入って来たのはお手洗いに行っていた研究員だった。

 「反応が出ないのは何でなのかなって。条件はそんなに変わってない筈なんですけど。」

 広元が説明すると、彼は「なるほど」と言って立ったまま黙り込む。

 「例の融合者は学生なんですよね?だとすると、片割れも学生の可能性はないですかね?」

 「「?」」

 それに何の関係があるのか。広元と所長が揃って首を傾げると、彼は説明を始めた。

 「あのデータを取ったのって三月末じゃないですか。学生は春休みの期間中ですよね。だったらここを通る時間帯が変わったって可能性もありませんか?」

 「あー、確かに!」

 「んー、そうだな。考えてみなかったが、大いにその可能性はあり得る。」

 何か希望が見えてきた気がする。

 と、広元が画面に視線を落として黙り込んだ。

 「思い切って駅の中でやってみますか?」

 「いやいや、それは駄目でしょ。」

 彼の提案はにべもなく却下された。

 

 自体が急転したのは、翌日の昼前のことだった。

 「あれ?ここおかしいな・・・。」

 データの整理をしていた広元は、不自然に乱れている箇所を見つける。

 どうしてそうなったのか。やることがなく暇だったので、彼はデータの修復に取りかかる。

 解析してみると、そのデータはノイズの発生源が一直線上にあったようで、綺麗に分離するのに時間がかかる。

 「これ・・・何だこれ?・・・・・あぁ?!」

 ふと、見知った波形がその中に紛れていることに気が付く。広元は、一歩間違えば貴重な痕跡を消してしまうところだったことに冷や汗と大声が出た。

 「どうした?何があった。」

 その声に反応して所長が寄ってきた。

 「こ、ここ見て下さい!!」

 そう言って彼は画面を指差す。

 「昨夜の二〇時過ぎに反応が出てるんです!」

 「二〇時!?」

 三月末の時の記録で、そこまで遅い時間に記録が出たことはない。故に、その時間は宿に帰って休んでいた。

 「カメラを確認してみよう!」

 二人は大慌てで別のパソコンの前に移動して、目の前の道路に向けて設置しているカメラの映像の確認を行う。

 「この時間からか。」

 記録の二分前から映像を再生し、誰が通っていたか調べようとした。

 そして再生を初めてから四分が経過した。

 「あれ?誰も通ってないですね。」

 「何故だ?反応があったのに・・・。」

 彼らの期待をあざ笑うかのように、そこには何も写ってはいなかった。

 彼らはカメラの時間がずれているのではという思いから、ノイズ観測機が記録した電車のノイズの時間と、映像に写っていた電車の通過時間を照らし合わせてみる。

 だが残念なことに、それはしっかりと合っていた。

 「でも、今もこの近くを通っていることは分かりましたね。」

 「うん。大きな進歩だ。」

 時間割を変更して、掛かるのを待つ。そしてチャンスは、当日の夜、すぐに到来した。

 『ピ、ピ、ピ、ピ、ピ――』

 「で、で、出てます!」

 特定のノイズを記録したときに鳴るようにセットしていたブザーが鳴ったので画面で確認すると、間違いなく目的のノイズが出ていた。

 「外だ!外を見ろ!」

 所長が窓際にいた研究員に指示を出す。

 「二人・・・いや、三人います!!」

 「三人?!くそっ!今日に限って!!」

 二人が愚痴をこぼす横で、広元はノイズの強度を監視する。

 「今、マックス出ました!」

 「二人のどっちだ!?」

 三人のうち二人が彼の真正面にいる。殆ど同じ距離だから、どちらがターゲットなのか迷ってしまう。

 「広元くん!ここで強度を見ていてくれ!小川くんは私とあの二人を呼び止めに行くぞ!」

 二人は部屋から飛び出して外へ向かう。

 だが彼らの本業はデスクワーク。普段それ程運動をしない彼らは、走る速さは遅くないものの持久力が乏しい。

 「すいません!そこの方!待って下さい!」

 「はい、何でしょう?」

 故に追いついたとき、彼らは完全に息切れを起こしていた。

 「す、すいまゲホッ!!・・・ちょ、ちょっと待って・・・下さい。」

 止まってくれたことに安堵して、二人は手を膝について肩で大きく息をする。

 その必死な姿に同情してくれたのか、呼び止めた二人ともが「大丈夫ですよ」と快く承諾してくれた。

 「お忙しいところ申し訳ないのですが、伺いたいことがありまして。」

 あまり待たせると申し訳ないので、所長は痩せ我慢をして話を切り出す。

 「昨夜のこの時間に、この近くを通られましたか?」

 「昨夜ですか?そもそも昨日は家から出てないですね。」

 こちらは空振り。となると、もう一人が当たりか。」

 「昨夜のこの時間ですよね?通りましたよ。」

 これがあの少女の片割れを持っている。所長は心拍数の上昇を感じる。

 ところが。

 「あ、昨日か。すいません、昨日は残業がなかったのでここを通ったのは一七時くらいでした。」

 その瞬間、彼らは完全に読みを外したことを悟る。

 〈〈しまった!その前か!〉〉

 「何かあったんですか?」

 二人が顔を見合わせたことを不思議に思ったのか、片方の女性が尋ねてくる。

 「えーっとですね。・・・実は昨日のこの時間に自転車の盗難事件がありまして。目撃者がいないか聞き込みをしているんです。ちなみにですが、自転車を見て回っている不審者とかって見かけませんでしたか?」

 「あんまりここに来ないから、分からんねぇ。」

 「うちも特には。」

 「あーなるほど・・・。すいません、お忙しいところありがとうございました。。暗いですからお気をつけてお帰りください。

 二人は軽く頭を下げて踵を返す。

 「二人とも違うみたいですね。」

 周囲に人影のないことを確認して、耳打ちする程度の声で所長に話しかける。

 「だな。となると、前を歩いていたあっちか?」

 距離的に違う気がするものの、どういう理屈で見つかる日とそうでない日の違いが出ているかわからないので手当たり次第に調べてみるしかない。彼らは速足で部屋へと戻った。



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希望の新入生(6)

 「おかえりなさい。どうでし・・・。」

 部屋に残り状態監視を行っていた広元は、戻ってきた先輩たちの表情と醸し出す雰囲気からうまくいかなかったことを察した。

 「二人とも外れだった。どうやらその前を歩いていた奴の可能性が高い。」

 手短に答えて、彼は録画映像の確認のため椅子に直行する。

 「ところで反応はどうなった。」

 手の空いた所長は、広元に記録状況を尋ねた。

 「消えました。指向性が高いのかな・・・。一気に出て一気に消えました。」

 「だとすると、距離はあまり関係ないということか?」

 所長は広元の横に移動して、彼のパソコンの画面をのぞき込む。

 「やはり前を歩いていた方か。」

 ほどなくして小川は、映像の中から目的の人物を探し出した。

 彼はパソコンを操作して映像の中から一コマを切り出し、画像を鮮明にする処理を実行する。

 「ん?これ・・・男?」

 鮮明になった画像に写っていたのは、頭が丸刈り頭の人物で見るからに男だった。体格からしても男だろう。

 「じゃあ、こいつも違うのか・・・。」

 しかし彼らの反応が渋かった。それは現在において、カーススフィアと融合している一〇〇%が女性だからだ。

 そして『現在において女性が一〇〇%』という裏には、『現在におけるまでに存在した男性融合者の末路』が絡んでいる。カーススフィアと融合した男性は体のあらゆる組織が異常な活動を始めたり、全身に内出血を生じたりして九割が半日以内に、最長でも一週間で死に至るのだ。つまり、男性は融合した時点で長く生きられないと歴史が証明している。

 「いえ、可能性はあります。」

 調査は振出しに戻った。諦めムードになったとき、すっくと立ちあがった広元が先輩と上司に向けてそう言い切った。

 「この調査をしなければならなくなった大本を辿れば、カーススフィア(コア)を本来の半分しか持っていないという先例のないことが起きたからですよね。既に先例がないことが起きているのなら、男性の融合者は生存できないと結論付けるのは時期尚早ではないでしょうか。」

 先例に捕らわれないのは柔軟な発想のできる若い脳があるからか、あるいは失敗をまだ経験していないから恐れを知らないからなのか。

 「うん、広元君の言うことにも一理あるな。」

 もしこの判断を研究所に仰いでいたのなら一蹴されていたことだろう。それ程に突拍子もない案だ。

 しかし、わらにもすがる思いでいる彼らに取ってみれば、この上ない妙案に聞こえていた。

 「この制服と一致する学校を調べてみます。」

 「よろしく頼む。」

 小川は画像をパソコンに読み込ませ検索をかける。

 数秒で検索結果が表示される。

 「この高校のようですね。」

 所長は小川の席に移動して画面を見る。

 「そのようだな。」

 検索結果とカメラの映像とを見比べてみて、間違いのないことをその目で確認して所長は数度頷く。

 「だがもう一度、様子を見よう。ここで下手をして我々が何をしているか知られたら、全てが水の泡となる。」

 この先での失敗は致命的になる。確証を得るべく念には念を入れることにした。

 

 そして土曜日。その日は朝五時から捜索を開始した。

 追跡に掛かる時間を短縮するために、正面入口だけでなくその反対側にある非常口からも出られるようにしている。更にローテーションを組み、常に誰かが飛び出していける態勢も整えている。

 これでいつ来ても対処できる。

 午前中は、ノイズ観測機にもカメラでにもターゲットは捕捉されなかった。

 そのまま午後もただ時間は過ぎ、一六時を回る。

 ここから勝負の時間帯だ。常に二人で飛び出せる態勢を取り、その時を待つ。

 やがてその時はやって来た。

 「来た!!」

 ノイズ観測機が、ターゲットが近くにいることをブザーで知らせる。

 所長は窓から外を見た。昨日と同じ位置、そして同じ頭髪の男子高校生が歩いていた。

 何より幸運なのは、彼以外に誰も姿のないこと。

 「いくぞ!!」

 確信を持って所長が指示を飛ばす。昨日の体たらくが嘘のように、彼らの動きは素早かった。

 まず広元が部屋から飛び出し、続いて所長が後を追う。

 上履きのまま非常口から飛び出し、施設と道路との境界線に設置されているフェンスゲートを開けて道路に出る。

 「は、速いッ!!」

 外に出たとき、そいつは六〇メートル先の丁字路を右に曲がり建物の影に消えていく。

 昨日にいたってはその背中すら拝めなかったので大幅な進歩ではあるが、急がなければ見失ってしまう。二人は己の限界速度で走る。

 若い広元は、所長よりも速く走れた。そして先に丁字路に到達して右に曲がる。

 ターゲットは国道をくぐる通路の階段を降りていた。

 あれだけ全力で走ったはずなのに、距離は半分ほどにしか縮まっていない。

 どれだけ歩くのが速いのか。

 ターゲットの姿が消える。そのタイミングで、なんとも上手い具合に国道の信号が変わる。広元は走る速度を緩めず信号に向かう。

 〈み、短い!〉

 青になったと思ったらすぐに歩行者信号の点滅が始まる。

 間に合うとかいうレベルのタイミングではなかったが、それでもターゲットが上がってくる前に渡り切った。

 「ハァ、ハァ・・・・・あれ?」

 ところが、である。あれだけの速さで歩いていた割に上がってこない。

 「あの、すいませ・・・えっ?!」

 ようやく上がってきたと思って声をかければ、それは所長だった

 「ん?来ていないか?」

 「き、消えた?」

 今まで追いかけていたあれは幻だったのか。

 彼らはあたりを見回すも、歩いている人の姿は見つけられない。

 道路はどの方向にも見晴らしがいいので見失うはずなどない。

 所長はよもやと思い、国道と直行して流れている水路に目をやる。幅は四メートルほどあるが、実際に水が流れている場所の幅は三〇センチにも満たないU字溝。後の場所はコンクリで舗装されているので歩く分は全く問題ない。

 「いや、ここは流石に・・・あっ!あれじゃないか?」

 そのまさかだった。

 「確かに服が同じですね!」

 気付かれている風ではないが、完全に翻弄されている。

 急いで追いかけなければ。そう思って駆けだしたが、数十メートル先で道路と水路とは平行でなくなっており、更には降りられそうな場所もぱっと見で見当たらない。

 これは水路沿いに追わなければ見失ってしまう。

 彼らは「なんでそっちに行くかな」と、もっともな文句を垂れつつ、国道をくぐる通路の階段を下りる。通路の構造はいわゆるトンネルではなく、橋の下を通る構造になっており、水路の一部を僅かにかさ上げして手すりを付けることで通路に仕立てた簡素なつくり。

 彼らは、手すりを必死の思いで乗り越えて水路脇に降りる。

 駆け足で進むと、幸運なことに高校生の姿はそこにあった。

 これなら道路からでも声掛けができたな。そう思った次の瞬間。

 彼はコンクリの護岸に向け軽く助走をつけると、ヒョイッと道路の方へ上って行った。

 なんだ、そこに上り下りできる場所があるのか。苦労して柵を超えて損をした。

 そう思いつつ彼を追いかけ、駆け足で向かった二人は愕然とした。

 「いや・・・これ上がれるか?」

 そこには高さ一メートル八〇センチほどはある、まっ平らなコンクリート製の護岸が垂直に立っていた。

 これを上るのは、自分たちの運動神経では何時間かかっても無理だ。

 「これで間違いはない。明日、必ず確保する。」

 「ですね。これだけ揃っていれば確実に行けます。」

 今日のところは振り切られてしまったが、写真もあるので勝ったに等しい。

 妙に強気になった二人だったが、その後、登れそうな場所を求めてしばしさまようことになった。



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希望の新入生(7)

 日曜日の朝、五時。彼らは交通量調査のスタッフに扮し、駅の改札の出口に張り付いていた。

 「必ず来る。」

 小さく声に出した所長。その横で、広元が欠伸(あくび)を一つする。

 「朝は苦手か?」

 軽く笑いながら所長は話し掛けてくる。

 「得意ではないですけど・・・、昨日が遅かったので。」

 ターゲットには振り切られてしまったが目星はついたので機材の引き上げを決定し、昨夜は遅くまで片付けをしていた。

 「はっはっは。若いうちは何しても眠たいよな。昔は私もそうだったよ。」

 時折、目を擦って眠気と格闘する広元に所長は声をかけた。

 「しかし・・・人が来ませんね。」

 「まあ、日曜日だからな。」

 始発電車が到着するまで、あと一〇分ちょっと。小川が暇そうに伸びをする。

 「高校生ですよね。普通のお客さんが来ないのに高校生が来ますかね?」

 「分からない。分からないけど、待ってみなくちゃ分からない。」

 いきなり会えるなどという期待は、所長もしていない。けれど、可能性があるのでこうして張り付いている。

 「もうちょっと人通りがあっても・・・って、あ。来た。」

 などという会話を交わした直後だった。

 昨日見かけたカバンと同じカバンを持った高校生が左手側からやってきた。

 「・・・二人居ますね。」

 「右のデカい方がそうか?」

 遠目には似ているように見えたが、近付いて来ると顔が全く違っていた。

 「・・・違いましたね。」

 「まあ、来たのが反対側からだしな。」

 余程のことがない限り、ターゲットは自分たちの右側から来るはずだ。駅周辺の道を地図で調べ、その結論に至った。

 そして始発到着まで五分を切ったときに、またしても左側から同じ制服とカバンの高校生が歩いてきた。

 しかし今度は遠めに見てもターゲットではないとわかり、三人は興味を失う。

 その後は誰も通ることなく、始発電車がヘッドライトを煌々と輝かせホームに滑り込んできた。

 「始発は無しですかね。」

 「そうみたいだな。三人来たから来ると思ったんだけど・・・。」

 「遅刻したか、通学のグループが違うのか。」

 「分からんな。ただ、制服は間違いなく同じだったぞ。」

 小川と所長が話をし、広元がまたあくびをした。

 不意に彼らの前を、右側からほとんど足音もなく人影が駆け抜ける。

 「いや、このタイミング邪魔に合わな・・・って、あらッ?!」

 それはほとんど減速することなく自動改札を通って、瞬く間にホームへと駆け下りていく。

 そいつの格好は、先ほどの学生と同じカバンに制服。

 北方向も、予測していた右方向からだ。

 声に出して驚く暇もなく、大慌てで三人は駆けだす。自動改札が警音を慣らしながらゲートを閉めるが、彼らはそれを強行突破して後を追う。

 ほとんど時間差はなかったはずだが、ホームにたどり着いた時には電車は動き出していた。

 車掌の少し申し訳なさそうな表情とともに、電車の最後部が三人の前を過ぎる。

 姿は見えないが、乗り遅れた可能性もある。そう思ってホームを探してみたが人影はどこにも見当たらない。

 「・・・行くぞ。」

 集まった直後、所長がそう呟く。

 「行くって、どこへですか?」

 「あの制服の学校だ。」

 「えっ、でも学校に乗り込んだら騒ぎが多くなりませんか?」

 「なるだろうな。けど、人の口に戸は立てられぬっていうだろ。狙い撃ちで外しても、結局、我々の行動は広まる。」

 「うーん、言われたらそうかもですけど・・・。」

 所長の意見に小川は今ひとつ納得できない様子。

 と、広元が所長に援護射撃をした。

 「観測機を片付けたんで、どの道やり直しは利かないですもんね。」

 

 所長自らレンタカーを運転し、カーナビの案内に従い目的の学校付近に到着したのは六時一五分。

 カーナビが案内を終了する。丁度、路肩にゼブラゾーンがあり、他車の邪魔にならないのでそこへ停車する。

 三人は車から降り、正門を見に行く。それは開いていた。

 「部活動の試合でもあるんですかね?」

 広元がそう言うと同時に、ターゲットの物と同じ制服とカバンの生徒が一人、登校してくる。

 日曜日の、しかもこんな早朝に登校とは随分と部活動の熱心な学校だなと三人は思う。

 「取り敢えず中に入ってみるか。」

 一日でもっとも寒い時間帯。さすがに零度を下回ることはないにしろ、ここに立ちっぱなしは辛い。それにターゲットを待ち伏せのために学校の正門の正面を行ったり来たりしていては行動が不審者そのものだ。

 三人は車に戻り、そして車ごと学校内に移動。ターゲットを車内で待つことにする。

 「そう言えばですけど、あの生徒は通った後って可能性はないですかね?」

 「それは、あるかもな。」

 それから三人ほど登校してきたが、いずれもターゲットではなかった。

 「聞きに行ってみますか?」

 未だ行動を見せない先輩にしびれを切らし、広元が口を開いた。

 「聞くと言ったって、どうやって聞くかがな・・・。」

 所長は困った顔をする。小川もまた同様だった。

 そんな先輩に、広元は首を右へ傾げる。

 「いや、何のために顔をカメラで記録したんですか?」

 「「・・・あ。」」

 二人は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。自分達で見るために撮っていたので、人に見せるという発想を持っていなかった。

 所長はばつが悪いのか、おもむろに姿勢を正してから車を発進させる。

 生徒が進んでいった場所をたどり、敷地の奥に進んでみる。

 進行方向左に校舎を見ながら進む。

 ほどなくして部室棟らしき建物が車のヘッドライトに照らし出される。

 人影も見えたのでそこへ向けて進む。

 やがて校舎の陰から体育館が姿を現す。

 そのまま前進を続け体育館前に到達するという時、所長は車を止めた。所長はそのまま直進しようとしたが、地面にバドミントンのコートのような線が引かれているのが目に入ったからだった。

 どうしようかな。所長は車を止められそうな場所を探して周囲を見回して、体育館と校舎との間隔が意外と広いことに気が付く。

 両者の間隔は一〇メートルほどあり、そこには駐車枠のような物が引かれていた。

 あまり奥まで行っても仕方がない。所長は一番近い駐車枠に車を止める。

 三人は車を降りて辺りを見回す。人の影はない。

 「おはようございます!」

 「「「!!!」」」

 作戦会議をしようと三人で向かい合ったとき、大きな声で挨拶をされる。

 驚きつつそちらに目を向けてみると人が歩いて近付いてきていた。

 不意を突かれたのでターゲットかと色めき立つが、身長が違ったので軽く肩を落とす。

 もっとも、暗いので生徒かどうかの判別もできない。

 その人は彼らの方に向け歩いてくる。

 「すいません、お尋ねしたいことがあるんですが!」

 挨拶をしてくれたので自分達に声を掛けに来てくれたのかと思ったが、スルーっと前を通り過ぎていったので所長は慌てて呼び止める。

 「え?・・・あ、はい、何ですか?」

 その人は方向転換して、彼らの方へ近付いて来る。

 声もやや高く、体格からしても学生のように見える。だが探しているのは学生なので、むしろ好都合と尋ねてみる。

 「朝早くから申し訳ないのですが、人探しをしていまして。この人って分かりますか?」

 所長は広元からタブレット端末を受け取り、その生徒に見せる。

 「あのー、僕新入生で顔が分からないので、ちょっと先輩を呼んできてもいいですか?」

 「お願いします。」

 彼は駆け足で部室棟の方へと向かっていき、体育館の陰に消える。

 ほどなく、体育館の陰から人が現れ向かってくる。身長が先ほどより大きく見えるので、別の生徒のようだ。

 「おはようございます!」

 声が違ったので違う生徒だと分かる。その生徒もまた、三人の姿を見て挨拶をしてきた。

 今までこれほどに挨拶をされたことがなかったので三人は戸惑う。

 「お待たせしました。えーっと・・・どの人ですかね?」

 最初の生徒は、どうやら軽く話をしてくれていたようだ。

 気が利くなと感謝しつつ、所長は「この方なのですが」と言いながらその男子生徒に写真を見せる。

 写真を見るや、彼は「えっ」と声を漏らした。

 「これは・・・これは僕ぅーですね。」

 「あ、あなたです・・・え?」



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希望の新入生(8)

 「僕ですね。」

 驚いて硬直していたのを聞き取れなかったと感じたのか、その生徒はゆっくりハッキリと口にする。

 三人は頭だけを動かして、画面の光に照らされる彼のかを見る。確かに、画面の中と同じ顔がそこにあった。

 「「「えぇ!?」」」

 硬直が解けた三人は驚いて大きな声を出す。

 これまで探しに探しあげて、ようやく尻尾を掴んだと思ったら逃げられるを繰り返していたため、こんなにコロッと出てこられると心の準備が間に合わない。

 「え、あぁ・・・えーっと。」

 この後に及んで、どう切り出すか迷ってしまう。

 まごつく三人を見て、彼は少し首を傾げた。

 しかし、ここで遠回しの言い方をしても意味がない。所長は自分たちの所属を告げる。

 「私達は日本宇宙飛行士養成機関の者です。」

 「・・・HSS学園の関係者ですか?」

 「「「!?」」」

 開口一番にそれが返ってくるとは想像していなかった。

 まるで自分たちのことを見透かされているような気がして、彼らは落ち着きを失う。

 「あれ?違いましたか?」

 「い、いえ!まさしくその通りなのですが、どうしてそう思われたんですか?」

 「どうしてって言われても・・・先月も、いらっしゃっていたのではないですか?」

 「え?来たことなんかあったかな?」

 「所長、我々じゃなくて別部署じゃないんですか?」

 何を思ってか悩み始めた所長に、広元は咄嗟に助言をする。

 「あ、あー、そうだ。我々の話じゃないよな。あははは・・・。」

 何とか笑ってごまかそうという魂胆が隠しきれていない。そのせいもあって、三人は男子生徒に警戒心を持たれる。

 「ちなみにですが、その話はどこで聞かれましたか?」

 「どこでってことはないです。近所じゃもう全員知っている話ですから。」

 「そうでしたか・・・。」

 これと言った内容のある会話ではないのに、所長は心の動揺はスーッと小さくなる。

 すると、こんなに遠回しに話をしても全く意味のないことに気が付いた。

 「実は私たちがここに来たのは、あることを調べていまして。広元君、あの装置を出してくれ。」

 所長の指示を受けた広元は車のトランクを開け、それを取り出す。

 「取り敢えず、この装置の金属線を握っていただきたいのですが。」

 彼が取り出した装置は、ただの四角い箱と言った方が早い見た目で、不自然に生えている金属線が余計に装置らしさを打ち消している。

 この装置は、この捜索のためだけに急ピッチで開発された、被測定者にカーススフィアの反応のある・ないを調べる判定機。故に、唯一付いているメーターには、メモリが適当に刻まれていた。

 「これを・・・ですか?」

 警戒しつつも、男子生徒は彼らの言葉に応じて金属線を握る。

 緊張した面持ちで、三人はメーターを見守る。

 彼らが受けた使い方の説明では、結果が出るのに早くても一〇秒は掛かると聞かされた。

 ここまで来て、もしも反応が出ないようなことがあったのなら。一〇秒という時間が三人にはこれまでに経験したことがないほど長いものに感じられ、よからぬ結果が脳裏をよぎる。彼もまた、空振りではないのか、と。

 「あ!!」

 自信がなくなり始めたとき、メーターの針がふわりと動いた。

 広元は思わず声を漏らし、そして先輩たちにメーターを見せた。

 三人は互いの顔を見あう。

 所長はすぐに姿勢を正すと、軽く咳ばらいをして話始める。

 「松木さん、今からするのはまじめな話です。よく聞いてください。あなたはカーススフィアと融合しています。」

 「カーススフィア?」

 ピンとこないのか、彼は首を傾げる。

 「えーっとですね。カーススフィアとは一部の宇宙飛行士に与えられ――」

 「あぁー、はいはい。思い出しました。アレですか。」

 本当に理解しているか疑わしいところではあるが、確認している暇はない。

 「あれです。あなたはそれと融合しています。」

 「僕が、ですか?いやー、そりゃあり得ないでしょう。見たこともないですし。第一、男ですし。」

 いや、思いのほかしっかりと認識しているな。所長は言葉に困る。

 「まぁ、普通はそうなんですけど・・・。」

 「この方はご存知ですか?」

 それをじれったく感じた広元が、はがきサイズの紙を松木に見せる。

 「・・・それを聞いてどうするんですか?」

 急に声のトーンが変わった。何を見せたのかと焦り、所長は広元の手からそれを取って表を見る。それは一人の少女が写った写真だった。

 「説明をしろ、先に。」

 余計な警戒心を抱かせてどうすると言いつつ、所長はその写真を再度松木に見せる。

 「実は彼女のことについてですが、カーススフィアを半分しか持っていないのです。これはあり得ないことで、我々は何度も見直しをしましたが事実です。で、本題ですが、どうやら残りの半分は松木さんと融合しているようなのです。先ほどの検査でも、あたりがありました。」

 所長が話し終えると、彼は顎に右手を当てて考え始める。

 「あの、松木さん?」

 所長が名前を呼ぶも反応がない。

 突然、彼は右手を三人の前に突き出した。彼は手に何も持っていないことを見せるようにひらひらとさせた後、手を軽く握って拳を作る。

 一〇秒ほどして、彼はその手を開いた。彼の手のひらの上には、消しゴムが一つあった。

 何故ここで手品の披露を。三人が頭に「?」を浮かべていると、彼はおもむろな口調で話し始める。

 「ひょっとして、これってカーススフィアの能力なんでしょうか。」

 次の瞬間、消しゴムは手のひらに吸い込まれるように消えていく。

 「「「!?」」」

 逆にこれを何だと思っていたんだ。そう問いただしたいところではあったが、間違いないと断言できる証拠が得られたので彼の確保が先決だ。

 「間違いなくカーススフィアによる能力です!」

 高揚する三人とは打って変わって、松木は合点がいったような、そんな表情で自身の手を見つめている。

 「それで松木さん。本題の方に入りますが、日本宇宙航空高等学校へ入学・・・じゃないな、転校してもらいます。」

 何を言われたのか理解できないのか、しばらく彼は固まる。

 「・・・え?それは僕が、ですか?」

 「そうです。」

 彼は信じられないとでも言いたげな表情を浮かべた。それはどちらかと言うと、悪い意味の方で。

 「あのー、あんまり頭良くないんで、自身がないんですけど。」

 「あぁ。そこらへんは大丈夫です。」

 ピクッと彼の眉が動く。

 「それは、実験動物的な意味ですか?」

 ギクリ。彼を探し始めた理由の一つを、その本人が鋭く突いてきた。三人は、嫌な汗が噴き出す。

 ここで彼を説得できず、事情が世間に広まるとややこしいことになる。頭をフル回転させて、穏便にすませる方法をひねり出そうとする。

 「そうなんですか?」

 だめだ思いつかない。所長はあきらめて、素直に答える。

 「その通りです。」

 「分かりました。行きます。」

 「ですよね・・・?」

 作戦が甘かった。後悔する三人は、しかし彼の言葉に理解が追い付かない。

 「え?何と?」

 「いや、僕が転校しないと困るんですよね?行きますよ。」

 この流れでどうしてそうなるのか。所長はたまらず尋ねる。

 「いろんな実験とかに参加させられるかもしれないですよ?」

 所長は、自分が先ほどと逆さまのことを言っていると分かってはいたが、言わずにはいられなかった。

 「流石に倫理に触れることまではしないですよね?」

 それはまあ、するわけがない。所長は首を縦に振る。

 「だったら別に、自動進級が付いてくるようなものですし。僕としては断る理由はないです。」

 世の中、何が琴線に触れるのか分からないものだ。結果から言えば、うまくいった。うまくいったけど、所長は面白くなかった。

 「それで、僕はどうすればいいんですか?」

 しかし、そこは仕事と割り切って対処する。

 「手続きがあるので、我々に同行してください。」

 「今からですか?」

 「今すぐで。」

 「分かりました。ちょっと荷物を取りに行ってくるので待っていてください。」

 どうぞというと、彼はダッシュで体育館の陰に消えていく。

 そのまま待っている方がいいのだろうが、ずっと立っていただけなので体が冷えてきた。寒さに耐えかねて、三人は車の中に退避する。

 五分ほどして、車の窓がノックされた。

 「お待たせしました。」

 外から彼が呼びかけてくる。

 広元が車から降りて、松木のカバンを積むためにトランクを開ける。

 「それでは、保護者の方に話をしたいので、自宅の方に案内してください。」

 「分かりました。取り敢えず、正門を右に出てください。」

 全員がシートベルトを締めていることを確認して、車は動き出した。



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希望の新入生(9)

 入学してから一週間半が経った。

 〈あ・・・また朝が来た。〉

 起きて、私が最初に思ったことがそれだ。実を言うと、それは日を追うごとに強いものになっている。

 〈あー、もー・・・。帰りたい・・・。〉

 学校生活に馴染めないとか、そんな理由ではない。

 私の心が重い原因。それはひとえに、若狭さんのせいだ。

 別に意地悪をされているなんてことはない。

 事の発端は、入学直後の学力テストだ。そのテストでは、私の点数が低かったせいで、一組の点数は学年トップになれなかった。

 若狭さんにとっては、それが何よりの屈辱だったらしい。彼女が私を退学させる方法まで考えているなんて話しも噂に聞いた。

 もっとも私自身、この学校に望んで入ったわけではないので、思ってはいけないのだろうけど地元に帰られるものなら帰りたい。

 しかしその場合、数が限られているカーススフィアと融合している私の命の保証はされかねるので、ここにいることが何よりの安全である。

 やや話しがずれてしまったけど、要するに私は、この学校を去ることはできないし、しない方が良い。

 不服そうではあったけど、そのことは若狭さんも知っている。そんな私がいる状態で、どうやって平均点を上げるか。

 解決策は至って簡単。私に勉強をさせる、それだけだ。

 その勉強を教えてくれる時間が、放課後なら少しはマシだっただろう。けど、彼女は部活動に入っているので、放課後は時間が取りづらい。

 安定して時間が取れる時間帯。それは朝だ。

 私の地元の友達が通う学校は、未だに朝練をする時代遅れな学校らしいけど、この学校には少なくともそういった習慣はない。

 彼女は、平日は言うまでもなく土日は一切関係なくやって来る。それもキッチリ朝の六時半に。お陰で、規則正しい生活はできているけど。

 「やっほー、久しぶり。」

 〈あー辛い。起きたくない。寝たい・・・?〉

 頭が起ききらない。ぼやーっとして考えが纏まらない。

 「もしもーし。」

 何か声が聞こえた気がして、私は頭を持ち上げる。

 「後ろ、後ろ。」

 苦笑いでもしているような口調で、また声が聞こえてくる。上げていた頭を一度ベッドに埋めて、そして深呼吸を行う。

 おもむろに起き上がりベッドの上でアヒル座りをする。更に一息ついて、それから体を一八〇度回して後ろを向く。

 目の焦点が定まらず、部屋の景色がぼやける。

 〈ん?何で声がするの?〉

 この学校の寮は、基本的に一部屋に三人が生活している。

 しかし急遽入学の決まった私は、人数が合わなかったために三人部屋を一人で使っている。

 つまり、声を掛けられることはあり得ない。

 「目が覚めた?」

 目の前で、誰かが私に手を振る。

 「えぇっ?!」

 その人物の輪郭をハッキリと捉えた。私は驚き大声を上げる。

 「・・・あれ?」

 と言う夢を見たようだ。目の前には、天井の石膏ボードと灯りのついていない照明。

 手を伸ばして、枕元の目覚まし時計を探る。

 「あー・・・六時前。」

 珍しく、目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。

 あと十分もしないうちに、若狭さんが勉強を教えるために起こしに来る。

 でも私は起き上がらない。彼女に「起きろ!」と言わせるのが、私にできる数少ない抵抗だから。

 それに週初めくらいはのんびりと・・・。

 

 「!!」

 感覚としては一分と経っていない。にもかかわらず、私は体に電気が走ったように飛び起きた。

 〈しまった!今日は野外活動に出発する日だから若狭さん来ないんだった!〉

 枕元に投げていた時計に目をやる。七時半の集合時間まで、あと十数分しかない。

 ベッドの片づけもすっ飛ばして洗面所に向かい、身だしなみを整える。

 荷物は金曜日に預けてあるので、制服に着替えると鍵だけ持って飛び出す。

 集合場所のグランドに向けて、猛然と走る。

 グラウンドが見えてきた。同時に、同級生達が体育座りをしているのが見える。

 時計を見る。必死の思いで走ったことが幸いし、無事、遅刻せずに到着した。と言っても、残り一分を切っているけど。

 一人の生徒から睨み付けられている気がしたが、私は気が付いていない振りをしてスッと列に入る。

 「では、これから野外活動に出発します。一組から順番に――」

 時間になったので、先生が話を始める。しかし必死で走ったことが災いし、呼吸が整わない私はそれどころではない。

 やっと先生の話を聞けるぐらいに呼吸が整った頃には、話しはほとんど終わりだったようで、間もなく全員が立ち上がった。

 前の人が歩き出す。私はそれについて歩く。

 一列に並んで歩くこと一〇分。私達は桟橋に到着した。

 そこには船が一隻待機していて、先生の先導でそれに乗り込んでいく。

 最初に乗り込んだ私達一組は、指示されたエリアの席に座り他のクラスが乗り込むのを待った。

 

 それから時間は進んで、今の時刻は午前一一時半。船からバスに乗り換えて、私達は野外活動をする施設に到着。

 入所式を済ませ、まずは部屋に荷物を運んだ。

 

 

-*・A・*-

 

 

 一六時半。日本宇宙航空高等学校の生徒達は三時間にわたるボート訓練を終え、ヘトヘトの状態で宿舎に戻ってきた。

 行きは元気いっぱいだった彼女たちも、さすがに口数が少ない。

 生徒達は、それぞれの部屋に重い足取りで戻っていく。

 「手、痛ぁい。」

 これは、とある一室でのこと。ドアが閉まるなり生徒の一人がそう漏らす。

 「セノミンも?私は皮むけちゃった。」

 「うわー、痛そー。」

 互いの傷を見せ合い、二人は少しばかり盛り上がる。

 「ねーねー。そろそろ準備しないと、夕べの集いに遅れるよ。」

 それを見ていた別の生徒が声を掛ける。

 余程のマイペースでもない限り、しおりに書かれている時間に遅れる時間ではない。

 にもかかわらず、声を掛けた理由。それは、一組の生徒である彼女たちにとっての集合時間は、クラス委員長の若狭さんが指定したものだからだ。

 もしも、その時間に遅れてしまったなら。どれ程小言を聞かされるか、分かったもではない。それが怖くて、彼女たちは互いに声を掛け合っていた。

 「なんで、勝手に時間指定するんだろ。」

 「それ。面倒くさいんだよね、あの子。」

 「分かるー。あの子、自分が完璧超人ってことを理解してないから、押しつけてくるんだよね。」

 文句を垂れつつも、彼女には頭脳でも力でも逆らえないので、嫌々ではあるが支度を急ぐ。

 「先行くね。」

 「りょ。」

 赤信号皆で渡れば怖くないは、彼女の前では通用しない。見捨てるわけではなく、準備ができた順に部屋から出て行った。

 

 「遅い!一〇分前には集合を完了しろと言っただろ!」

 他クラスの生徒の姿もまばらな広場に、若狭亜紀の怒声が響いた。

 両者は同級生なのだが、その間には超えがたい壁がある。

 「着替えて、身だしなみを整えるだけでどれだけ時間を掛けている!」

 雷を落とされた生徒は、三〇秒と遅れたわけではない。にもかかわらず、こっぴどく叱られていた。

 遠巻きにそれを見ていた他クラスの生徒達は、あまりの厳しさに自分が怒られている訳でも無いのに背筋が伸びる。同時に、彼女が自身と同じクラスでなくてよかったと安堵の表情も浮かべていた。

 結局、彼女の説教は先生が止めるまで続いたのだった。

 

 

-*・A・*-

 

 

 少し時間は巻き戻って、一五時を回ったときのこと。白色のコンパクトカーが、日本宇宙航空高等学校が野外活動をしている施設の正面に到着した。

 「到着しましたよ。」

 車の運転手は、助手席で寝ていた男子を起こす。

 「ん?もう到着ですか・・・。お世話になりました。・・・・・あー、まだ眠た。」

 彼は手を軽く握って、ぐーっと前に突き出し伸びをする。それからシートベルトを外し、ゆっくりとした動きで車から降りる。

 彼は車の後ろに回ると、ラゲッジルームから大きめのエナメルバックを一つ取り出して右肩に掛ける。

 「では、私はこれで帰ります。後のことは、建物の中に先生がいるはずなのでそっちに聞いて下さい。」

 「分かりました。ありがとうございました。」

 彼は、運転してくれた人に軽く頭を下げる。

 車を見送ってから、彼は建物の中に入っていった。



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希望の新入生(10)

 「起立!」

 一七時。夕べの集いが始まる。

 号令に合わせ、体育座りで待機していた生徒が一斉に立ち上がる。

 「姿勢を正して。・・・一同礼!」

 それなりに統率の取れた礼ができるのは、生徒たちが優秀だからか、はたまた号令をかけている生徒の威圧感がそうさせているのか。

 「みなさん、こんばんは。」

 「「「こんばんは。」」」

 少し声の大きさに不満があったのか、彼女は眉をひそめたが継続する。

 「四月一六日、月曜日の夕べのつどいを始めます。司会は一年一組の若狭亜紀です。よろしくお願いします。」

 彼女が軽く頭を下げる。慣例に従って、パチパチパチと拍手が送られた。

 「国旗、所旗、校旗の降納を行います。姿勢を正して、掲揚台に注目しましょう。」

 全員の動きが止まったことを確認して、旗係は旗を降ろし始める。

 「旗係のみなさん、お疲れ様でした。」

 旗係が旗を畳んでいる間にも、夕べの集いは進行する。

 「全員、正面を向いて、腰をおろしてください。」

 今度は掲揚台へ向き直る動きが気に入らなかったのか、彼女の声に苛立ちが籠もる。

 「・・・自然の家から連絡をお願いします。」

 司会の若狭が、職員にマイクを手渡す。

 「みなさんこんばんは。」

 「「「こんばんは。」」」

 その返事には、いい意味で緊張が抜けていた。

 数分ほどで職員の話が終わり、若狭のもとへとマイクが戻る。

 再び、雰囲気が硬くなる。

 「ちょっと待って。」

 そこへ先生が声をかけて、マイクを受け取った。

 「皆さんに一点、お知らせがあります。」

 そう言ったのち、先生が手招きをする。

 少しぎこちない動きで、その人物は前に出てきた。

 「転校生を紹介します。今日から、皆さんと一緒に勉強する松木君です。自己紹介をどうぞ。」

 「え、もう喋るんですか?」

 驚いて先生に尋ねた彼の声をマイクが拾う。だがその声は、入学して間もない時期にもかかわらず転校生が来たことに驚いた生徒達の話し声に掻き消される。

 「えーっと・・・何て言えば良いんだ?」

 首を縦に振った先生を見て、彼は渋々と言った感じでマイクを受け取った。

 「えー、今日から一緒に勉強をさせてもらいます、松木知則と言います。えー・・・・・っと・・・分からないことだらけですが、頑張りますのでよろしくお願いします。」

 松木が話し終える。広場はシーンと静まりかえっていた。

 その光景に、彼は「何かマズいことを言ったか」と必死に自分の発言思い返す。

 「「「えええぇっ!?」」」

 それは、嵐の前の静けさだった。

 たまらず松木と先生が耳を塞ぐ。

 しかし、その後は続かなかった。

 皆が口をパクパクとさせている間に、先生は松木を下がらせる。

 「連絡は以上で終わりです。」

 それを言って、先生は若狭にマイクを返す。

 「ありがとうございました。」

 流石はと言うべきか。若狭には、松木の登場前後で一切の動揺がない。

 「全員立ってください。・・・これで夕べのつどいを終わります。一同礼。」

 彼女の号令にピッタリと合った動きで、生徒達が行動する。けれども、誰もが無意識の内に行動していた。

 「クラスごとに解散してください。」

 思考停止状態のまま歩き始める一組の生徒。

 「じゃあ、松木君。取り敢えず、先生についてきて下さい。」

 「分かりました。」

 先生が松木に指示を出し、彼はそれに従い他の生徒達よりも少し前を歩く。

 「これって、ドッキリとかじゃないよね?」

 「転校生って、うちの学校って受け入れてるの?」

 「集いの前に見かけたんだけど、まさか転校生だったとわね~。」

 ようやく思考が再起動したのか。彼女たちは松木を見ながら、小声でうわさ話を始める。

 先生の誘導で、松木が彼女たちとは違う方向の宿舎へ行ってしまうと、声のボリュームは大きくなった。

 

 一七時半。夕食のため、クラスごとに並び食堂へと向かう生徒達。

 昼食の時は一組が先頭だったが、夕食時は順番が逆で、一組が最後。そしてその最後尾には、松木の姿があった。

 食堂の入り口で、順番待ちのために立ち止まる度に、チラチラと見られるので松木は居辛さを感じる。

 ビュッフェ形式を採用している食堂。入口でお盆を持って中へ入り列が崩れると、仲のいいもの同士が近づいてうわさ話の声が大きくなる。

 ようやく一組の最後尾、松木が食堂の入口に到達する。

 彼がお盆を持って食堂に入る。賑やかだった食堂が水を打ったように静まりかえる。

 誰も直視はしていないが、明らかに松木の方へと意識が向いている。それは本人にも届いていた。

 と、そんなことなどお構いなしの足取りで、生徒の一人が近づいていく。

 「え?アレって九谷さん?」

 「嘘?!あの子ってそんなに積極的だった?!」

 もう声をかけるのか。何かを勘違いした生徒達は、更に意識して見てない振りを装いつつ二人の様子を窺う。

 松木が近寄ってきた人物に気が付いて、少し目を大きくする。

 「何で来たん?」

 彼女の、松木に対しての第一声はそれだった。

 声が聞こえた人はすぐに、聞こえなかった人は又聞きをしてよろめく。

 「あれ?逆に何でおるん?」

 まるで知り合いのような・・・いや、知り合いでも、かなりしたくしなければ交わされないような砕けた話し方。

 大半は、食事のことなど忘れて聞き耳を立てる。

 「いや、まあ。知り合いがおる思わんかったけ、ありがたいのはありがたいけど・・・?」

 「ありがたいのは分かったけど・・・何でここにきたん。」

 「なんで来たいれても・・・何やらいう・・・何やらじゃいけんわ。えーっと、何とかスクエアー?何とかが・・・あれ?何だっけ・・・。まあいいや。それをどうも持っとるようなんよ。」

 「え?知君が?」

 「うん、俺が。」

 「えー?そんなことある?授業で、不可能って習った気がしたけど・・・。」

 二人の会話を聞いていた者は、先生を含め誰一人として内容を理解できていなかった。

 しかし、この二人の間だけでは間違いなく通じ合っている。

 「それなんよね。よう分からんのよ。ま、でも、俺らより偉い人たちが調べてそう言うんじゃけ、間違いないじゃろ。」

 「それもそうか。ま、美夏も知り合いが来たけ心強いよ。」

 今の会話の中のどこに、納得できる説明があったのか。話を聞いていた生徒達には、全くもって理解が及ばない。

 そうしているうちに、二人は歩き出す。

 食べ物の好みは違うようで、料理を取る間だけは離れていた。

 それでも、取り終わるタイミングはほとんど同時。二人は、人の少ない食堂の奥の方へと向かい、長机に向かい合わせに座った。

 「いただきます」と言って、二人が箸を持つ。

 「変わったことあった?」

 一口目を食べるよりも早く、九谷が尋ねる。

 考えている間に、松木は味噌汁を飲む。

 「んー、変わったことね・・・。」

 「特にないないかなぁ・・・。」

 「二カ月くらいじゃないか。」

 他愛もない話をする二人。そこへ、一つの影が近づいて行く。

 「失礼するぞ。」

 突然、九谷の二席隣に一人の生徒が座った。

 彼女の声を聴くや、九谷がわずかに表情をこわばらせる。

 「失礼するなら帰ってくれ。」

 その表情の変化に松木が気付いたかは定かでないが、間髪を入れずにそう言い返した。

 「「「!!」」」

 相手はあの若狭だぞ。初対面だからといって、彼女が許容するとは思えない。固唾をのんで生徒たちが見守る。

 「そうか。なら、邪魔する。」

 「邪魔すると思ってんなら来るな。」

 間に挟まれた九谷は、彼の言動に冷や汗を流す。

 若狭の表情を窺う。ムッとしていた。

 「・・・ならば、何といえばよろしいのですか?座らせてください、でしょうか?」

 「なしてそがーに・・・何で、そんなに両極端な言い回し?『ここいいですか?』とかさ。って言うか、別に指定席じゃないんだから座りたきゃ座ればいいじゃん。」

 もっともここに座ると決めていた若狭は、何と言われても座るつもりでいたので、「座ればいいじゃん」の一言を彼が口にするやすぐに座った。



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希望の新入生(11)

 「あぁ、あったね!あれ、そんなに前だったんじゃ。」

 地元の話しで盛り上がる九谷と松木。その近くで、若狭は黙々と夕食を摂っていた。

 「そう言や、いくちゃんって結局どこ行ったん?」

 「え?いくちゃん?県北の私立の学校に行ったよ。週末とか、たまーに帰ってきとるよ。」

 「あ、そうなんじゃ。道理で見んなぁと思うたんよ。」

 当然、話をしながら食べる二人よりも早く若狭の皿は空になる。

 ところが彼女は、おかわりを取りに行くわけでも、食器を返すわけでもなくただ座り続ける。

 それから一五分ほどが経ち、二人の皿の上の料理があらかたなくなった。

 「松木と言ったか。」

 二人の会話が止まった一瞬を突いて、若狭が声をかけた。

 「へい?そうだけど?」

 突然話し掛けられ、松木は少し驚いた顔をする。

 「お前は、どうしてここに来た。」

 「どうして来たか?来いって言われたから。」

 間を置くことなく松木は返した。

 「それじゃ答えになってない。キチンと説明してくれ。」

 「そう言われてもなぁ・・・俺もよくわかってないし。」

 「では、こう聞こう。いつ、どこで、誰からここに来るように指示された?」

 まるで尋問をするような問いかけに眉をひそめつつも、松木は丁寧に返す。

 「昨日の朝ね、部活の試合で他校に行くから、その準備を学校でしてたんだ。そしたら急に研究員?の人が来て、何とかっていうのと融合してるから転校してくださいって指示されて。それで今日、ここに来た。」

 若狭は無言で松木を見つめる。その目は、明らかに話の続きを求めている目だった。

 「それで?」

 「それで?」

 それ以上に説明のしようがないので弱り果て、意味を聞くために若狭の言葉をオウム返しする。

 「バカにしてらっしゃいます?」

 彼女の口調が明らかに変わった。

 気の弱い生徒は、それだけで背筋がピーンと伸びる。

 けれども彼は臆さず・・・いや、この場合は無神経というべきか、ずかずかと踏み込んでいく。

 「バカにするなら、最初から相手にしないよ。っつか、そこまで知りたいなら自分で調べたら?」

 彼はめんどうくさそうに、顔の前で右手を払う。

 「よろしいです。ただし、嘘偽りがあったら承知しませんからね。」

 「へーい、どうぞ。気のすむまで調べてきてください。」

 キッと松木を睨み付けてから、若狭はずんずんと足音を立てて去って行く。

 「さながらクレーマーだな、ありゃ。」

 その背中を見ながら、松木がポツリと呟く。

 「そうじゃけど・・・いや、逆によう言い返したね。」

 「一言多いのが取り柄みたいなものじゃけね。」

 「えー?」

 それを長所と捉えてもいいのだろうか。九谷は呆れ笑いをしながらも、取り敢えず今回はプラスに働いたから良しとした。

 「そう言や次って何時から?しおり貰うてないんよ。」

 「次?えっとね、えーっと一九時二〇分から。」

 「二〇分。ありがと。」

 松木は何気なく時計を見て、そして少し間をおいて腰が浮くほど飛び上がって驚く。

 「ありゃ?!もう一九時一五分じゃん!」

 慌てて振り返って見ると、食堂の密集度は随分と減っていた。

 「・・・集合場所ここ?」

 「いや、違う場所。」

 見れば、九谷は冷や汗を流している。

 「行こ!」

 九谷は椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がる。松木もその慌て振りに釣られて立ち上がり、二人は食器を返却口に置くと駆け足で食道を後にした。

 

 二人が集合場所の体育館に到着したとき、既に一組の生徒は揃っていた。

 「遅刻だ!」

 どうやって間に合わせたのやら。そこに若狭の姿はあった。

 食堂を出た時間にそこまでの差はないはずなので、まさか瞬間移動でもしたのだろうかと松木は考える。

 「申し訳ない。」

 それはそれとして、遅れてしまったのは迷惑を掛けていると松木は謝る。

 「さっきと違って随分と素直じゃないか。言い訳があるなら聞いてやろう。」

 それが琴線に触れたのだろうか、彼女は少し態度を軟化させた。

 「言い訳・・・ね。しおりをね、もらってないんよ。で、えー、時間が分からん。」

 「知らないことは守れないな。ひとまず私のしおりを貸してやる。」

 「あ。これはご丁寧に、どうも・・・?」

 意外なまでに寛容な態度。てっきり「時間ぐらい周囲に聞け」と言われるだろうと思っていたため一瞬だけ硬直したが、すぐに再起動して両手で受け取った。

 「で?何故あなたは遅れたのですか?言いましたよね。一〇分前には集合を完了させるようにと。」

 若狭は、間髪を入れず態度を一転。表情を険しいものにして九谷に詰め寄る。

 「えっと、ごめんなさい。」

 「ごめんなさい?私は理由を聞いているのですが?」

 九谷が叱られている横に立っていた松木は、ふと視界に立って歩いている生徒がいることに気が付いた。

 〈あれ・・・他のクラスは今から集まる?〉

 九谷から遅れそうだと言うことを聞いて、それだけが頭の中にあって気が付かなかったが、他のクラスの生徒はまばらにしか集まっていない。

 松木はそーっと、先ほど若狭からもらったしおりを開いてスケジュールを見る。

 「いいです?私はあなたを――」

 「ちょい質問いい?」

 松木は若狭の説教を遮った。

 「集合時間、一九時半になってるよね。まだ五分以上あるけど、どっちが正しい?」

 「あぁ、そうでした。あなたにはまだ伝えていなかったですね。一組は、時間に余裕を持って行動するために一〇分前集合です。」

 それを聞いた時、松木はチラリとクラスメイトの方を見た。

 「なるほど。で、それは、誰が決めたの?」

 「私だ。」

 〈やっぱり。〉

 クラスメイトのほとんどが恨みの籠った視線を若狭に向けていたことから、松木は彼女が独断で決めているのではないかと疑っていた。

 同時に、それを求めるだけではここまで恨まれることもないはずだとも松木は思っていた。

 「それで?早く集まって何をするん?」

 「何をするも。言ったはずだ。時間に余裕を持って動くための訓練だと。」

 しかし、そのまさかが当たっていたことに松木は動きを止めた。

 「おどりゃバカか?」

 ピクリと若狭の眉が動いた。彼女の性格を良く知る一組の生徒達は、巻き添えを食らうことに恐怖し震え上がる。だからといって二人の間に割って入り止めるのは、更にリスクを上げかねないので見守ることしかできない。

 「今、何とおっしゃいました?」

 「バカか言ったんよ。」

 そんな同級生のことなどお構いなし。松木はゆっくりハッキリと言い直す。

 若狭の表情が、みるみるうちに険しいものへと変化していく。

 「何もしないのに一〇分前集合?」

 「私、申し上げませんでした?時間に余裕を持つためだと。」

 「それは聞いたよ。大事さ。でも、他人の時間を奪ってまで達成するほどの目的か?」

 「二四時間あるうちの、たったの一〇分。それが守れないお方が、社会に出てルールを守れるのですか?それにあなたはご存じないでしょうけれど、一組は学年で最も優秀な生徒の集まるクラスなのです。そこの生徒が遅れたら、メンツが立ちませんわ。」

 メンツを気にして遅れないようにする。総意なら問題ないが、個人の意見であるならつまらない理由だ。

 「クラスメイトは、あんたの駒じゃないんだが?」

 「駒?時間も守れない駒は必要ありませんわ。」

 「へえ?そう言う割に、あなたは法律を守ってない気がするけど?」

 「?」

 「強要罪に当たるんじゃない?」

 何を言っているんだとでも言いたげな表情をされ、彼はそう言う。

 一〇分程度の拘束で、それに誰も抗議をしていないのに強要罪というのは言いがかりにもほどがある。

 松木もそれは承知の上。真の目的は、敢えて反論させることで幼なじみから標的を逸らそうと考えていた。

 ところがそれは松木の思惑を外れ、厳格な性格の若狭には大きな牽制となった。

 「みんなの表情、見てよ。納得してるように見える?」

 松木に言われるまま、彼女は整列しているクラスメイトに目を向ける。反撃を恐れてかそっぽを向いている者もいるが、その他はおおむね友好的ではない視線を彼女に向けていた。

 「なるほど。」

 若狭は、少し落ち着いた口調でそれだけ言って黙り込む。

 〈・・・あれ?〉

 困ったのは松木だ。まさかこんな展開になるとは予想しておらず、沈黙に居心地の悪さを感じる。

 クラスメイトから松木に「どうするのこの空気」という視線が集まる。

 「ま、まあ?あんま深く気にしないでね。」

 しかし焦っている松木がそれに気が付くことはなく、焼け石に水の一言を残すと、九谷を連れてそそくさと一組の列の最後尾へと並んだ。

 一組の気まずい空気にさらされてか、気が付けば他のクラスも集合場所に来ていた生徒だけでひとまずは整列を完了させていた。

 「はーい、時間になりました。私語をやめ・・・・・えっ?どうしたの?」

 やがて集合時間になり、体育館に入ってきた学年主任の先生。

 普段であれば私語を止めるのに苦心するので静かなのはありがたいことの筈なのだが、誰も話していないのとはまた違った空気に飲み込まれる。

 「え、えーっと、これから団体移動の練習を行いますね。・・・・・じゃ、じゃあ、クラスごとに分かれて始めます。・・・・・えー、どうぞ動いて下さい?」

 その日の練習は、誰も私語をすることが無かったので順調と言えば順調に進んだが、全員の動きが極めてぎこちないものだったのは言うまでもない。




投稿の間隔が開いてしまいましたが、これからも続けていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。


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希望の新入生(12)

 二一時を回った頃。宿泊棟の廊下へ、人目を避けて非常口から三つの人影が侵入した。

 三人はスパイのようにかがみながら進んでいたが、廊下の照明は十分な明るさがあり遮蔽物も一切ないので大した効果がない。むしろ目立ってさえいた。

 「この部屋に入ったように見えたんだけど・・・。」

 やがて一行はとある部屋の前で足を止め、壁に張り付くようにして扉の隙間から部屋の中を覗き見る。

 「いる?」

 「うーん、電気はついてるけど・・・。」

 しかし扉の隙間からでは上手く見えない。作戦を切り換え、今度は扉に耳を当ててみるが物音も聞こえてこない。

 「どうする?」

 「でも電気がついてるんでしょ?突入しようよ。」

 他の部屋は灯りさえついておらず、この部屋であることに間違いはない。三人は確信を持った。

 「決まり。」

 意を決し、扉を開ける。

 ところが部屋の中に人はいなかった。それどころか荷物も置かれていない。

 慌てて部屋の中に踏み入り、くまなく見回してみる。

 「きゃ?!」

 突然、一人が何者かに肩を掴まれ悲鳴を上げた。それを聞いた二人も反射で振り返り、そして顔を青くする。

 「ここは立ち入り禁止です。何をしてるんですか!」

 そこにいたのは生徒指導の先生だった。

 「え?あ、あれー?部屋を間違えちゃった?」

 慌てて誤魔化しを試みるが、生徒指導の先生からしてみれば王道の嘘。それに言い方も下手だった。

 「はいはい。言い訳はいいから、ついてきなさい。」

 「「「はぁーい・・・。」」」

 思い切った行動をする割りに素直な生徒。しょんぼりとする彼女らを、先生は教員の部屋に連行するのだった。

 

 ということがあった、ちょうど同じ時間。松木と九谷は、宿泊棟から少し離れた場所のベンチに腰掛け話をしていた。

 「――とかもあったり。」

 「それはクラス委員長の範囲を逸脱しとるね。」

 「まあ何でもやってくれるから、痛し痒しではあるんよね。あ、でも悪い人ではないんよ。完璧主義なだけで。」

 気兼ねなく話せる相手ができて、九谷は溜まっていた話を一気に吐き出していた。

 「完璧主義は間違いないけど・・・。それにしても、あんな言いがかりを真に受けるかなぁ?」

 「それは美夏も思う。普通、あれは『あっそ。』で終わりだよね。」

 「あっそどころか『はぁ?』言われてお終いよ、ほんま。」

 話が途切れたタイミングで、松木は右手に持っていた紙コップから水を飲んだ。

 九谷は、そこでふと宿泊棟の方を見る。

 「?あれ?あそこって、知君の部屋があるとこだっけ?」

 「えー、たぁーぶんそう。」

 見れば四人が松木の宿泊する棟から出てきた。

 「まさか覗きとか?」

 「そんなわけないじゃん。俺の部屋なんか見てどうするんよ。散歩でしょ。」

 笑いながら松木が返す。

 「分からんよ。この学校、男女共学だけど女子しかいないもん。」

 「んー、だったら物好きもいるかもなぁ・・・。」

 松木はコップの水をこぼさないように上手いこと腕組みをして、そして何かを思い出して腕組みを解き左手で膝を叩いた。

 「しまった、荷物を取りに行っとらんわ。」

 「どこに?」

 「本館の部屋。こっち来てすぐに手続きとか何やらで時間食って、こっちに来る時間がなかったからそのまま集会に行ったんだよ。」

 残っていた水を飲み干すと、松木は立ち上がる。

 「ちょっと取ってくる。」

 「ついて行こ。」

 待っていてもやることがないと、九谷も立ち上がった。

 「そういえば、着替えないのにお風呂どうしたん?」

 「本館のシャワー室を使った(つこうた)よ。」

 なるほど。道理でその時間帯には噂が一切立っていなかったわけだと納得する。

 「・・・って、よく見たら薄着じゃん。寒くないん?」

 「寒いよ。耐えられんほどじゃないってだけで。」

 「上着、着てきたら?」

 「ない。」

 松木の性格からして、こういった場面では「失敗した」とか準備不足の後悔をするのだが、今は一切それがなかった。それをよく知るだけに、九谷はいぶかしむ。

 「何で?」

 「何でって、時間がありゃ準備できたよ。愚痴になるけど、昨日の朝、急に「来てくれ」って言われて。もう部活に行っとったし、家に帰って親に説明して手続して準備して、出たのが昼前。それから新幹線でこっちに来て一六時前で、船で渡って検査して泊まって今朝結果を聞いて、それから制服の採寸だとか何とかやって昼過ぎの便で鹿児島へ渡って車に乗って、ここについたのが一五時。正直、アドレナリンが出てとるけーか今は何とかなっとるど、明日の朝目覚ましで起きられるかどうか・・・。」

 随分と要約して話したのだが、それでも話が終わるまでに本館へと向かう廊下の三分の一を歩いた。

 足取りや仕草に疲れは見えないが、言われてみればどことなく色つやが悪い。

 「けど、みっちゃんがおってよかった。知らん土地じゃし、男子はおらんし。どうしようか思うたよ。」

 「それは美夏も思う。女子ばっかりってのも何か疲れるんよね。それに、ここって頭のいい人ばっかりでさ。テストで平均点九〇台ってどう?」

 「・・・マジで?」

 「大マジ。ちなみにうちの点数は聞かないで。」

 あまりにハイレベルな次元の話に言葉を失う松木。

 やがて本館に到着すると階段を上がり、目的の部屋で荷物を回収した。

 「うわ、ホンマ少ないね。」

 「着替えとタオルと、敢えて言えば筆記用具しか入ってなかったら、こんなもんでしょ。」

 松木がカバンを肩にかけると、二人は宿泊棟の方へと戻っていった。

 

 

 

 翌朝。

 起きられないかもと言っていた松木だったが、慣れない環境で緊張があったからか起床時間よりも早く目が覚めた。

 二度寝しようと布団に潜ったが、やけに目が冴えており寝付けない。

 仕方なく起き上がり、ひとまず寝間着からジャージに着替えた。

 荷物がないので片付けも準備もすることがなく、着替えが終わるとすることがない。

 部屋の中でボーっとしていても暇なので、往来が増える前にと集合時間まで三〇分以上もあるのに朝の集いの広場へと向かう。

 道中に誰ともすれ違っていないのだから、広場には誰もいない。

 ただ待っているのには少し肌寒いので松木は近くをランニングすることにした。

 気の向くままに五分ほど走り、広場に戻ってきた。

 まだたっぷりと時間はある。が、寒さを感じない程度には体が温まったのでランニングをやめ、どこか腰掛けられそうな場所を探す。掲揚台の近くに最適な場所を見つけるが、気合いが入っている人に見られそうだなと思い少し離れた場所へ移動する。

 そこで腰かけるのに丁度いい花壇を見つけた。

 植えられていたツゲの木を背もたれにしてリラックスできる姿勢を取る。

 目を閉じ鳥の声や、草木を撫でる風のささやきに耳を傾ける。

 その中に、近づいてくる足音が一つ混じったのはすぐのことだった。

 松木は音のしてきた方の目を開けてそちらを見る。

 〈自分に厳しくできるから、人に厳しくする度胸がある、か。〉

 足音の主は若狭だった。

 彼女が集合のために広場へ来たわけでないことは、その足取りが明白にしていた。

 松木に気が付かなかったのか、若狭は彼の前を素通りする。

 健康維持のランニングではなく、更なる高みへ行くための走り込み。その速さたるや、アスリートを彷彿とさせるものがあった。

 瞬く間に姿は小さくなり、そして見えなくなる。

 急に自分が情けなく感じられ、松木は体を起こす。

 〈あのペースじゃ、すぐに追いつかれるしなぁ。〉

 そう言い訳を思いつくと、松木は再び体を植え込みに預ける。

 〈っつか、ほんと速い。〉

 遥か彼方に若狭の姿が見えた。見えなくなった位置からの直線距離でも随分とあるはずなので、実際にはもっと走っている。

 しかし自身の走力が低いということは自覚していたので、敗北感も劣等感もこれといって覚えていなかった。

 若狭が再び松木の前を通り過ぎる。息が上がるとか、疲れが出ている様子はない。

 三週目。

 〈え?まだ上がるの?!〉

 今までのはウォームアップだったのか、走る速さは更に上がっていた。

 見えなくなったと思ったら、すぐに戻ってくる。四周、五周と周回数が増えてもペースは落ちない。

 それは七周目が始まるという時。近づいてきた足音が急に減速する。

 そして、ぼんやりと正面を見ていた松木の前に若狭が立ち止まった。

 「おはようございます。」

 じっと見つめられたので、松木はとりあえず挨拶をした。

 「いつからそこにいた。」

 あれだけ走って、ほとんど息が上がっていない。松木は驚きつつも、取り敢えず質問に答えることにした。

 「七周前からかな。」

 「最初からいた、と?」

 「七周ならね。」

 こんな姿勢は失礼かなと、松木は体を起こす。

 「随分と早く来たのだな。てっきりギリギリに来るものだと思っていたが。」

 嫌味が込められていることは分かったが、それは前日のことがあるからだと松木は気にしない。

 「集合時間にはうるさい方だよ、俺は。他人にそれをやらすのが嫌なだけでさ。」

 一つ伸びをして松木は立ち上がる。

 「・・・・・えっとー、まあ、そいうことなんで、よろしく。」

 話すネタが思いつかなかったので、松木は強引に話を終わらせ立ち去ろうとした。

 「あぁ、それと。お前が見つかった経緯を調べさせてもらった。」

 足を止めた本題はこちらだな。松木は立ち去るのをやめた。

 「面白いことなかったでしょ、調べたって。」

 「確かに言った通りだった。」

 納得してもらえたな。

 「だからだ。」

 そう思って油断したところへ、若狭が声のトーンを落として続ける。

 「なぜ宇宙に接点のないお前がカーススフィアと融合している。」

 「なぜって言われても・・・。俺が聞きたいよ。それは。」

 知らないものを聞かれても答えられない。困り果てた表情を浮かべる松木。

 「そうか。何か手掛かり的なものはないのか?」

 前日に引き続いてのことだったためか、若狭はすんなりと彼の言葉を信じた。

 「敢えて言うとすれば、これかなぁ・・・。」

 松木は、手のひらに消しゴムを出したり消したりを繰り返して見せる。

 「物心ついた時にはできてたし、周りからも手品上手だねって言われてたからそう思ってたんだよ。これいつだったかな・・・。小学校?いや幼稚園・・・あたりかな。何かがあったなら、そこより前だね。」

 ジーッと松木の手の上の消しゴムを眺める若狭。彼女は、松木に聞きたいことがたくさんあったが、彼に自覚がなかったのであればどう掘り下げようとも無意味なことだと諦めた。

 「経歴などどうでもいい。九谷にも言ったが、これだけは忘れるな。それを持っている以上、宇宙飛行士になる。お前の意思は関係ない。」

 すぐに踵を返すと、若狭は広場の方へと歩いて行った。

 宿泊棟の方向を見れば、第一陣が朝の集いのために出てきていた。

 松木はすぐには移動しない。彼は九谷が出てくるまで離れた場所で待ち、彼女が出てきてから集合場所に近付いていった。



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希望の新入生(13)

気が付けば、以前の投稿から一年以上が経過・・・。
もう少し、更新頻度を上げなければと、思っても書く速度が上がらない・・・。


 時刻は午前九時一五分。

 一年一組の生徒たちは、日程二日目の一つ目の活動である登山について、インストラクターからレクチャーをうけていた。

 現在、一組がいるのは登山道入り口の広場なのだが、そこに他のクラスの姿はない。

 厳密に言えば四組はいる。しかし四組は入山を始めており、半分と残っていない。

 原因は一組が出遅れたから・・・ではない。というより、それは学級委員長の若狭が意地でも阻止する。コース内に難所が設けられており、通行できる人数の上限が低いので時間をずらしながら入山せざるを得ないのだ。

 ちなみに順番は活動ごとに入れ替わっており、登山活動の先頭は二組で、一組は最後である。

 

 「それでは出発します。」

 九時半になった。広場に体育座りで待機していた一組の生徒は立ち上がる。

 「では、一班から順番に進んでください。」

 一組の人数は三二人。このコースの難所は、その人数でも渋滞になってしまう。そのため班ごとに分かれて出発する。

 出席番号順で半は分けられていて、一組の第一陣となる一班の六人が歩き出す。待機場所から数十メートル離れた場所にある、『登山道入り口』と書かれたアーチ型看板を一班がくぐる。

 みんなでの登山だからなのか、インドア派の生徒は登山がどんなものかを知らないためなのか、全体の雰囲気は明るかった。

 

 

 

 「チョー暑い・・・。」

 「もう帰りた~い。」

 太陽が真上に来て気温が上がってきた。上がったと言っても普通に生活を送る上では適温と言われる気温なのだが、二時間も通しで歩いている生徒にとっては十分に高く、多くの班でペースが落ちていた。

 「ここで昼休憩です。」

 広くはないが、三〇人程度が休憩するには充分な広さのある場所。一足先にそこへ到着していたインストラクターは、生徒が到着する度に呼びかける。

 「やった~、休める。」

 「もう、ここがゴールでよくない?」

 到着直後にへたり込む者は少なからずいたが、家庭教育がしっかりした者が多い学校の特色もあり、レジャーシートを敷いたり折り畳みの椅子に座ったりと、地面に直接座っている者はかなり少数。

 「ここで昼休憩を取ります。」

 また一班、休憩場所へと到着した。

 

 「これで全員が到着しましたか?」

 ガイドは手元のカウンターを見る。全員が揃っていれば数字は三二であるべきなのだが、二四となっている。現状で最後の班の到着からは二〇分以上経過しているため、どこかで数え間違いをしてしまったかと疑う。

 「まだ一班、来ていないですね・・・。えっと、あれ?」

 その隣で、名簿を持ってチェックを行っていた先生が首を傾げた。

 「若狭班(六班)が来ていない。まさか、もっと先に行っちゃった?」

 「お言葉ですが、彼女たちより先に出発した我々は追い越されましたか?」

 「そうですね・・・。」

 若狭がいる班ならば、最後尾で出発しながら先頭を追い越していても何ら不思議ではないと一組の担任は思ったが、言われてみればその通りである。

 それから更に二〇分以上経過したが、一向に現れる気配がない。

 「遅い人がいると時間がかかることもありますが・・・。」

 「若狭がいる班ですから、遅い人がいても二班くらいは追い越していても不思議じゃないです。それが、こんなに来ないなんて・・・。」

 「随分と買われているようですが、一人へ肩入れするのは危険ですよ。」

 ガイドは、種類は違えども教える立場の者として忠告する

 「そうなんですけどね。あはは。でも彼女、本当に優秀なので、この状況が心配と言いますか・・・。」

 先生の言い分を、肩入れではなく信用していることをアピールしたいのだろうなと受け取る。ただ入学から一月と経っていないのに、それ程までに思わせるなら相当に優秀な生徒であることもまた事実と、ガイドは気持ちを切り換えた。

 「念のため捜索の応援を要請します。休憩時間が終わっても来なければ、今いる生徒たちだけで出発しましょう。」

 「置いて行くんですか?!」

 先生が動揺していては生徒たちが不安になってしまうと、ガイドは落ち着くように促した。

 「気持ちは分かりますが、仮に私たちが引き返して事故に巻き込まれたらどうしますか?ミイラ取りがミイラになったのでは意味がありません。他の生徒を守るためにも、ここは我慢して下さい。」

 

 結局、昼休憩の間に六班が姿を見せることはなかった。

 一部の生徒からは心配の声も上がったが、不安を広げないために六班は先行したことにされた。

 一三時。生徒たちが登山を再開する。出発時は一班からの出発だったが、各班の速さが分かっているので順序を入れ替え、速い班が先発する。速い班から出れば、後発が追い越しをする可能性が減り、間隔を詰めて出発ができる。

 最後の班が再出発した。六班の二の舞を作らないために、先頭の班にガイドが、最後尾の班に担任の先生が付いて歩いた。

 

 再出発から一時間が経過した時のこと。先頭の班に帯同していたガイドの携帯電話に着信があった。ポケットからそれを取りだし、相手を見るとガイド仲間からの電話だった。

 先頭班と、見える距離で追従してくる二番手班との中間付近まで後退し、電話に出る。

 「はい、もしもし。・・・そうですか。」〈どこに行ったの?!〉

 出てすぐに伝えられたのは、「発見に至らず」と言うことだった。表には出さないもののガイドは酷く動揺する。

 「こちらは一切。・・・はい、今のところ正常です。」

 状況報告をして、通話を終了する。それをポケットに戻してから、深呼吸を数度行って心を落ち着かせる。

 不安から来る動悸は止まらない。それでも平生(へいぜい)を装って、一班に合流するべく歩く速度を上げる。

 〈六人が纏めて消えたとなると、事故?それとも事件?いいえ。六人もいたら、事故でも事件でも、跡形もなく消え去るなんて、そんなこと・・・?〉

 そんなことを考えていると、携帯へ再度着信のあることに気が付く。

 何か伝え忘れでもあったのだろうか。そう思った彼女は、特に掛けてきた相手を確認することもなく電話に出た。

 「もしもし。」

 『もしもし。自然の家、事務室ですが。』

 「・・・はい?」

 故に、想像していたものとは違う声に、彼女はしばし固まった。

 

 

-*・山本・*-

 

 

 私たちは、スタータ地点と一組の昼休憩場所との間の、スタート地点側から測って四割ほどの地点を歩いているらしい。「らしい」と言うのは、九谷と松木君がそう言うやり取りをしているのを聞いただけで、私にはサッパリだから。

 お腹が空いたなと思い時計を見る。時刻は一二を過ぎていた。

 早急に追いつかなければいけないのだが、逆に私たちは昼休憩の場所から少しずつ遠ざかっていた。

 理由は単純なこと。六班はコースを逆走しているからだ。

 別に、ふざけて逆走しているわけではない。

 三〇分ほど前のことだった。コース内の要注意箇所にされている個所を通行中、班員の一人・・・と言うか私なのだけど、足を踏み外してしまった。その時、若狭さんが超人的反射神経で助けてくれたところまではよかったのだが、身代わりにでもなったように彼女が足首を負傷してしまった。傍目には怪我をする要因は見当たらなかったのだけど・・・。

 本人も、それほど大事ではないと思っていたらしく、少し休めば痛みが引くと言い張っていた。けれど時間が経っても痛みが引く様子もなく、そればかりか足首部分から下の腫れが酷くなっていた。

 そんな状態でも若狭さんは頑なに歩こうとしていたので、九谷と松木君が二人掛かりで『山を舐めるな!』と説得して、歩くのを諦めさせた。

 とまあ普通なら、その後は引き返すか救援を呼ぶかと言う話になるはずなのだけど、こともあろうに九谷と松木君は若狭さんを介助しながら進もうとし始めた。

 すかさず残りの五人で「それこそ山を舐めているでしょ!」と、五対三の多数決で止めて現在に至る。

 若狭さんが怪我を負ってしまった原因は、私たち全員にある。彼女は普段、細かいことまで求めてきて目障りに感じることも多いが、今回に関していえば非はない。

 あれは出発してから二〇分が経過した頃だっただろうか。本人のプライバシーのために名前を『Yさん』とする・・・いや、私を含めて六班には五人の『Y』がいるのだけど、その一人が急な腹痛に見舞われた。

 仕方のないことだけど、私たちは一度通過したキャンプ施設まで引き返しYさんの回復を待った。ただでさえ最後尾の出発で時間に余裕が無かったのに、そこで更に時間を消費してしまった。

 遅れが大幅なものなら、いっそ諦めて遅れたまま歩いたかもしれない。だが絶妙に取り返せそうな遅れだったため、遅れの原因となったYさんが張り切りすぎて、釣られて全員が・・・いや、頭文字が『Y』ではない三人は余裕たっぷりだったけど、頭文字『Y』の五人衆にとっては許容を超えた速さだった。

 とまあ、その結果が前述の事態を引き起こしてしまったわけだけど・・・。

 「どこへ行くつもりだ?」

 若狭さん、九谷、松木君の後ろを歩いていたので気が付かなかったが、私たちは分かれ道に差し掛かっていた。

 私には分からなかったのだけど、続けて「右から来たぞ」と言ったということは、九谷か松木君が左にでも進もうとしたのだろう。もっとも私は、どっちから来たかなんて覚えていない。

 「大丈夫。左の道の方が歩きやすいんよ。」

 それにしても、あの若狭さんを相手に堂々とものが言えるのは凄い。編入してきたばかりなので、彼女の性格を知らない可能性を否定はできないが、少なくとも私は、入学初日から若狭さん相手にはビビりっぱなしである。

 「これ見て。」

 ポケットの中から、松木君が折りたたまれた紙を取り出した。彼はそれを広げ、若狭さんに見せる。

 「左手(こっち)が、僕たちのコースで、右手(こっち)が低学年向けのコース。この二つは基本別の道だけど、ところどころタブっとって・・・ほら、そこの木。両方の写真にあるでしょ。まあ遠回りにはなるけど、この状態で、あのつり橋はちょっとね。」

 彼の手にある地図を、そっとのぞき込んで見る。コースの概略図のあることは分かったが、要所の写真が掲載されているだけで、私にはサッパリ理解できない。

 何れにしても私に出来ることは、詳しい人の足を引っ張らないように付いていくこと。

 その後、自然の家に着くまでに通った道は、往路に比べて随分と歩きやすいように整備されていた。三人の判断は最適解だったということになる。

 その代償として、引率の人達に混乱をもたらしていたのだが、あの時の私達にそこまで考える余裕は無かった。



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希望の新入生(14)

 一七時。一組の先頭を歩いていた班は、登山活動のゴールである自然の家に帰着した。

 「お疲れー!」

 その班員を、ゴールで出迎えた生徒がいた。

 「わ、本当に先に進んでた!」

 一組の六班だった。

 「???」

 しかし先に進んでいることにされているとは知る由もない六班は、いきなりそう言われて頭の上に『?』マークを浮かべる。

 「大変だったでしょ、最後尾から全部追い抜いてさ。よくついて行けたね!」

 「ついていく???」

 内容を理解できていないというのに、話が先に先に進んでいく。

 「あ!帰ってる!」

 オマケに、そうやって話を進めるは先頭の班だけではない。後続で帰ってきた班までもが同じように話し始める。

 しかし六班の生徒は、話の内容を尋ねることは出来なかった。それは六班の生徒が話し始めようとしたタイミングを見ていたかのように、後続の班がゴールしてきたからだった。

 

 

-*・A・*-

 

 

 「えっ、怪我した?!あの若狭が!?」

 夕食の時間。その情報を六班から伝えられた生徒が大いに驚く。彼女の性格をよく知る一組は、その言葉に反応し、その話をしている生徒の近くへと席の移動を始める。

 「何で何で?!」

 「足を滑らせた人が転ばれないようにと補助されたのですが・・・。その時にどうやら、足を痛められたようで。」

 「へー。あの若狭が。」

 意外な行動に思え、そう呟いた彼女に、「若狭さんは、面倒見はよろしいですわ」と訂正が行われる。

 「まあ、ちょっとやり過ぎという嫌いはありますけれど。」

 「ちょっとじゃなくて、()()()だよ。あれ。」

 そして更なる訂正が行われる。

 「ところで松木君は?」

 唯一の男子の姿を見た記憶がないとあたりを見回す。

 「・・・なんか密度が高くなった気が。」

 そこで初めて、周囲に一組が集結していることに気が付いた。

 あえて聞こえる大きさで言われた一言に、聞き耳を立てていたの者は肩をビクッとさせる。

 「彼は、若狭さんの付き添いで病院に向かわれました。」

 「付き添い?うわぁ、地獄・・・でもないか。救急の人がいるし。」

 自身がその立場ならと想像して、一瞬、嫌そうな表情になりかけた。

 「救急?あ、タクシーで向かわれました。」

 「?!ホントの地獄じゃん!!」

 あの後席に二人。想像しただけでも身の毛がよだつと、今度こそ嫌そうな表情をする。

 「それもそうだけどさ。気になならないの?あの二人だよ?大丈夫なの?」

 ふと疑問に思ったことを、盗み聞きをしていた内の一人が尋ねる。同じことを思っていた生徒が賛同するように頷く。

 「あー確かに。混ぜるな危険だよねー。」

 昨日のことを思い出しながら、先ほど賛同した生徒が再び頷く。

 ところが、六班の反応は真逆の物だった。

 「どうなんだろ?活動中は、少なくとも雰囲気は悪くなかったよ。」

 「えぇ。松木さんの意見を突っぱねるどころか、逆に聞いていましたし。」

 「「「?!」」」

 少しでも気に入らないことがあれば、自分の思い描くとおりに修正したがる若狭が、実際のところは別としても周囲にそう思わせる雰囲気を出す。それは一組にとって、衝撃以外の何物でもなかった。

 「だから、別の意味で混ぜるな危険かもね。」

 「ですわね。」

 一体、どれほど恐ろしいことが起きたのだろうか。二人の口ぶりが、それを物語る。

 「何があったの?」

 「何がって言うか、下山してる途中で松木君がわざとコースを外れてさ。私は分からなかったけど、若狭さんは直ぐに気が付いて指摘したら、松木君は『こっちのほうが歩きやすい』って言ったの。」

 「うわ、自殺行為。」

 「でしょ?ところが若狭さん、あっさり認めちゃったんだよ。」

 「「「はぁ?!」」」

 「いや、説明はしてたよ?」

 皆があまりも驚いたので、すかさず補足を行う。

 「だとしてもだよ!」

 「若狭でしょ?!」

 「信じられない!」

 心にとどめきれなかった驚きを吐き出していた時、突如、出入り口付近の席で緊張感が走った。

 「若狭を納得させる説め――」

 一名ほど空気を感じ取り損ねた者がいたが、近くにいたものが咄嗟に口をふさいだ。

 「「「ひぇっ・・・。」」」

 その光景を見た時、居合わせた者の多くが息をのんだ。食堂に入って来た若狭は、なんと車いすに乗っていたのだ。

 「え?骨折?」

 「それにしては、ギブスが細いような・・・。」

 右足に巻かれた包帯が痛々しさを醸し出す。いずれにしても車いすに乗っているということは、軽傷で済まなかったということ。

 「あれ?九谷?」

 松木は付き添いで行ったから車いすを押しているのは分かるが、なぜか九谷も一緒に入ってきた。

 一同は食堂を見回し、そして食堂に姿が見当たらないと記憶を掘り起こす。

 〈〈〈そう言えば・・・見てないような?〉〉〉

 しかし九谷の姿があったか否かについて、しっかりと記憶している者は皆無であった。

 「九谷も行ってたの?」

 「えぇ、介助するのにいた方が都合が良いとかで。」

 「えー?いらないんじゃない?」

 「アンタさ、白馬に乗った王子様とか想像してない?そいつら、どこからともなく湧いてきたイケメンじゃなくて、由緒正しい家の人だからね?」

 「若狭だし、いいじゃ・・・いや、松木君が嫌か。」

 日頃の鬱憤(うっぷん)を晴らすには丁度いいと思いかけたが、それは相手のことを考えなければの話。

 松木が編入してきたのは昨日のこと。ただでさえ環境に慣れていないのに、初対面の同級生の介助を単独でやれと言うのは酷な話。しかもそれが異性ともなればなおのことで、彼女は松木と自身の立場を真逆で考えて、そして納得する。

 などと話をしていると、突如、プラスチック容器が床に落ちる乾いた音が食堂に響いた。

 音は食堂の入り口付近から聞こえたので反射でそちらを見る。

 「ほいじゃけ言うたじゃないね!無理すなって。」

 そこには何と、松木の言葉に一切言い返さない若狭の姿があったので、皆仰天する。

 「え?落としたの若狭?」

 「しかないでしょ。あの状況。」

 「ひえー、命知らず。」

 そんな彼女たちの内診など知る由もない松木は、更に続ける。

 「気持ちは分かるけどさ、そうやって頑張られると、こっちの仕事が増えるんよ。じゃけ迷惑かけたくないんなら、今はジッと車いすに乗っといてくれんかね。」

 「・・・そうか。」

 今の若狭には覇気が感じられないというより、寧ろまな板の鯉と言った方がしっくりくるような状況だ。

 だが、彼女たちが何より信じられないのは、「そうか」と言った若狭が、その後に言葉を続けなかったこと。

 彼女が「そうか」と言うのは納得した場合ではなく、「お前の案は理解した」と言う場合で、その後にはもれなく「だが、○○でやった方が得策だ」が続く。

 それが無いということはかなりの異常事態なのだが、やはりそれについても知るはずもない松木は、何事もないように落ちた食器を拾い集める。

 「新しいの頼むわ。」

 「ええよ。」

 普段の若狭を知っている者で驚いていないのは九谷だけだが、それはどちらかと言えば親しいものが近くにいるから頼もしいと言った方が正しかった。

 松木は落ちた食器を返却口に、九谷は新しい食器を取りにそれぞれ向かう。

 「載せるよ?」

 移動距離の短かった九谷が先に戻ってきて、そして若狭の持っているトレーの上に食器を置いた。

 「ほいじゃ選ぼうか。」

 少し遅れて戻ってきた松木が車いすを押し料理のある所へと移動する。

 「これにしよ。」

 「俺のも頼む。若狭さんは?」

 「いらない。その右隣りのを取ってくれ」

 「了解!・・・このくらい?」

 「もう少し入れてくれ。」

 「「「わぉ・・・。」」」

 いざ回り始めると、若狭は意外なほどにおとなしくしている。生徒たちにしてみれば信じがたい光景ではあるものの、若狭は融通が利かないだけで決めたことは曲げない性格。身を委ねると決めただけで、若狭としては変わったことをしているわけではなかった。

 「・・・ところでさ、あの二人って付き合ってる?」

 驚きも収まり始めたころ、不意に誰かがそう言った。

 「何で?」

 「だって、息ピッタリじゃん。」

 料理は九谷が取り、食器は松木が持つ。特段変わった様子はない。

 「普通じゃない?」

 「アイコンタクトもなしに?」

 そう言われて見てみると、料理と皿の受け渡しに滞る瞬間がない。あまりにも自然な動作のうちに完了していたため、ほとんどの生徒は何も感じていなかった。

 「どう?一緒に班行動した人。」

 「え?ん-、そこまで見てる余裕はなかったな・・・。」

 「でも、あれは付き合ってるでしょ。」

 「あ、そういえば幼馴染とは言ってたよ。」

 「それで思い出した。呼び方が『知君』『みっちゃん』だった。」

 「きゃー、それ付き合ってるって言ってるよなもんじゃん!」

 女子たちの井戸端会議が盛り上がり始める。

 「昨日と食べとるものが一緒じゃないね!少しは(ちいとは)違うもんも食べんさいや!」

 それへ待ったをかけるように聞こえてきた松木の声。その口調に、皆の脳裏を昨日のことがよぎり、一瞬のうちに食堂は静まり返る。

 怖いもの見たさに多くが三人がいる方を見た。

 だが首を傾げる。言葉の割に、松木は笑っていたのだ。

 「調理師さんが悲しむで。」

 「体調管理のためだ。気にしないでくれ。」

 まあ若狭だし、そのくらいのこだわりはあって当然だと、皆がそう思った直後。

 「ふーん。ほんじゃ、こんにゃくを避けとる気がするのは何で?」

 松木の言葉に、わずかではあるものの若狭の肩がピクっとする。

 「いいや?」

 あまりにも小さい動きだったため、大半はそのことに気が付かなかった。だが直後の否定の仕方から、動揺していることは疑う余地もなかった。

 「あっそう。昨日は野菜の煮物食べとったのに、今日は通過したからさ。」

 「野菜の煮物?あったか?」

 そう言いながら、若狭は通ってきた方へと視線を向ける。

 「あったよ。ま、料理名がちょっと違ったけどさ。」

 「なるほど。」

 「・・・・・。」

 「何だ?」

 松木が何も言わずにじっと見る目てくるので、若狭は不快そうにそう尋ねる。

 「いや、取ってきてくれとは言わないんだなと思って。」

 『しまった!』と後悔しても、後の祭り。入れ替わったように若狭は固まった若狭を他所に、松木は移動を再開する。

 〈〈〈何者?!〉〉〉

 因みに、固まったのは盗み見していた生徒たちもだった。

 若狭に苦手な食べ物があったことは驚くべき事実だったが、昨日、今日の食事だけでそれを見抜いてしまう松木とは一体、どんな人物なのか。ひょっとしたら、若狭以上にやばいやつが来てしまったのではないだろうかと言う緊張が走る。

 「お!こんなところにあった!」

 「おいしい?」

 「うん、オススメ。若狭さん、騙された思って食べてみん?」

 「あ、あぁ。・・・入れてくれ。」

 「はいよー。」

 間もなく料理を取り終えた三人は、食堂の奥の、人気の少ないテーブルへ陣取る。

 三人が何を話すのか。生徒たちはそれが気になったものの、今更、席を移動するのは不自然と、やむなく様子をうかがうだけにとどめたのだった。



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希望の新入生(15)

 「まだこんな時間か。」

 二〇時丁度を指す体育館の時計を見上げながら、松木はボソリと言う。

 現在、日本宇宙航空高等学校の一年生たちは集団行動の研修としてダンスをしている。

 その最中だと言うのに、松木は暇を持て余していた。

 「・・・端っこだったら行けると思うんだけど。」

 理由は単純。練習には参加せず、壁際から見学しているからだ。

 「意気込みは認めるが、習うより慣れろの精神はやめろ。まだ不揃いであることは認めるが、それでも入学以来やっている。混ざるのは邪魔以前に危険だ。」

 もっとも、彼は独りぼっちではない。右隣りに、負傷のため車椅子に乗っている若狭がいた。

 「いや、まあ・・・そうだけど。」

 松木の反応が微妙なものだったのは、若狭の言葉が耳に痛かったから・・ではない。

 そもそも若狭は気付いていなかったが、松木は完全な素人ではない。付け焼き刃ではあるが、昨日、マンツーマンで指導を受けている。

 そして、そこで根本的な問題が露呈した。それはダンスの振り付けが、男子が躍ることなど想定されていないということ。

 中性的な顔の人物であったなら、あるいはずば抜けて踊りが上手であったなら、許容されていた可能性はある。

 残念ながら、彼にはどちらもなく、しかも容姿に関しては髪が短い(野球部の中では長い方だった)ことも相まって、「これは止めた方がいい」と言う判断が下された。

 性別や見た目で判断してはいけないと言っても、越えることのできない壁に阻まれた格好だ。

 「それはそうと、今日は何も言ってこないのだな。」

 「特に言いたいことないから。」

 「なるほど。」

 「ところで、こっちばっかり気にしてる右最前列は誰?」

 「住田!集中しろ!」

 松木の指摘に、若狭の鋭い視線がその方向を向く。間髪を入れずに喝が飛ぶ。

 気がつかれずにのぞき見できていると思い込んでいたその生徒は、身震いするほどに驚いた。そして、それを誤魔化そうと力んだものだから、周りと動きは合っているのに浮くという不可思議なダンスを踊りだす。

 「動きが硬い!よそに意識を向けるからそうなるんだ!・・・お前は不真面目なのか真面目なのか、よく分からん。」

 住田に動きの指摘をして、それから他に乱れがないかを見渡した後で、若狭は話の続きを口にする。

 「気分が乗れば真面目。そうでなかったら適当。」

 動きが揃っていなかったり集中していなかったりする者を、松木は鋭く見つけ出す。その協力ぶりは、昨日の対立がなかったようにさえ感じさせる。

 「気分屋と言うことか。」

 「そうだね。」

 「私の嫌いなタイプだ。」

 常に一定の調子を保つことを心情にしている若狭には、その代わりぶりが理解できない。にべもなく切って捨てると、彼女は再び口を閉ざす。

 「九谷との付き合いは長いのか?」

 かに思われた直後。松木がこの二四時間で感じていた、若狭と言う人物を覆すような質問が彼女の口より飛び出した。

 「・・・長いよ。みっちゃんが生まれて以来だから。」

 普段なら考えるまでもなく言えることなのだが、驚いていたために口の筋肉が上手く動かず、答えるまでに時間がかかってしまう。

 「お前も四月生まれなんだな。」

 「んにゃ、二月。」

 「そうだったか。」

 不自然な事実が、自然と会話へ混ざり込む。若狭を以てしても、そこに気付くまで幾ばくかの時間を要した。

 「待て、計算が合わん。」

 「?」

 何の計算か分からず、面食らう松木。

 「お前は今、二月と言ったな。九谷の誕生日は四月だ。九谷が生まれてではなく、お前が生まれて以降だろう。」

 その瞬間、松木は顔面の右側だけをしかめて「しまった」とでも言いたげな表情を見せた。

 「誰にも言わんでくれよ。俺、厳密には二年生なんよ。」

 二年生。その単語で若狭の眉間にしわが寄る。

 「どういうことだ。」

 「どういうことも何も、そのままだよ。ただ一学年上ですって言ったら、留年したみたいで浮きそうじゃない。」

 「そんなことはいい。どうして学年を偽って編入してきた。」

 「偽ったっとか言うな。人聞きの悪い。」

 少し不満をこぼして、それから松木は経緯を放し始める。

 「この学校って宇宙飛行士の養成学校じゃん。聞いたところによると進学校要素が強くなってるみたいだけど、それでも一年生で習う教科には他の学校にはない科目が複数ある訳よ。それを履修しながら、二年生の授業について行けってのは正直、無理。そりゃ若狭さん、あなたならできるかもしれんよ?でもね、俺の学力なんて、この学校の入試を受けても合格ラインに到底届かない程度でしかない。だから学年を一つ下げて編入した。それだけ。」

 一組の生徒たちの方を向いたまま話す松木の顔を、若狭はジーッと見つめる。

 「大変失礼いたしました。」

 それからかしこまって、若狭は謝罪の言葉を口にする。

 「よしてくれ。二カ月早く生まれただけだ。」

 それを言い終わるか否かと言うタイミング。松木は居心地悪そうに告げた。

 「・・・そうか?」

 「そうだ。」

 「わかった。」

 若狭が「そうだ」と言ったときは、まだ話が続くと言う合図に等しい。

 しかし、そんなことを知るよしもない松木にしてみれば、彼女に戸惑いがあるように感じていた。

 意図しなかったとは言え、発言の時間を与えなかったのは結果として正解だったが。

 「ということで・・・えーっと。じゃあ、みっちゃんとは八カ月違いと言うことで。」

 「二月生まれで行くなら一〇カ月違いだが?」

 「え?・・・あ!一年は一二カ月だった!」

 「大丈夫か?」

 「大丈夫だったら間違えてない。結構な頻度で、こんな大ポカをやらかすんだよなぁ・・・。」

 松木は面白くなさそうに首を傾げる。

 「集中力が足りないだけだ。」

 「それを言われると耳が痛い。後ろから二列目の左から二番目。」

 「藤川!足が合ってない!・・・その割には、よく見ている気がするな。」

 「人のミスは気が付くんだよなぁ。嫌んなるよ、自分の性格が。」

 そう言うと、ダランと下げていた腕を胸の前で組み、面白くなさそうな顔をして天井を見上げた。

 

 

-*・A・*-

 

 

 二一時過ぎ。一年生はダンスの練習を終えて、消灯時間までの自由時間に入っていた。

 「あー!疲れた!」

 一組の、ある班の一人。彼女は部屋に戻るなり床に大の字で寝そべり、割と大きめの声でそう言う。

 「分かる!昨日は、ここまできつくなかった!」

 皆、表情に出るほど疲れていた。違うのは、他の班員は床には座らず、二段ベッドの下の段の転落防止柵に腰かけていたくらい。

 「あー、もう!お風呂入った後に、こんなに運動させないでよ!」

 「ホント!腹立つ!」

 「見てるだけのくせして!」

 それでも、愚痴を言うだけの体力があるあたりは流石というべきか。

 「どうなんだろ?」

 愚痴の言い合いがヒートアップする。それに待ったをかけた者がいた。

 「いや、そのね。若狭もヤバいけど、今日に関しては松木君じゃないかなって思う。」

 若狭を擁護するようなタイミングになってしまったものだから、睨まれるように視線を向けられる。その圧に、彼女は少したじろいだ。

 「どの辺が?」

 指摘してきたのは若狭だけ。先生からの指導も今日はなかった。それにもかかわらず、そう思うには根拠がなければ納得できない。殺気の混じった声で、説明を要求される。

 「ど、どの辺って言うか、松木君の口が動いた直後に、若狭さんが急に視線を変えてたんだよね。」

 「住田(ハナちゃん)、あれ見過ぎや。ウチでも分かったもん。」

 「思い返すと、やり過ぎたなと思う。・・・じゃなくて!それは置いといて、指摘が入る前には必ず松木君が何か言ってたんだよ。」

 「となると、厄介な目が増えたってこと?」

 「それはどうかなぁ。昨日あれがあっての今日でしょ?」

 「昨日の敵は今日の友とも言うけど・・・。」

 昨日の対立を見ているだけに、班員たちには住田の言っていることが事実とは思えない。

 その一方で、若狭はケガのために他人を頼らなければならない状況とは言え、信じられないほど松木の言うことを聞いていた。一カ月にも満たない期間の中とは言え、皆が見たことがないほど大人しく、だ。

 「まさか、惚れた・・・とか?」

 「あれが他人を好きになる?」

 「「「ない。ぜぇったい、ない。」」」

 コイバナに花を咲かせていただけで、「男にうつつを抜かしている暇があるなら勉強をしろ」と言ってくるような人間が、誰かに興味を示すとは思えない。

 増して、あの性格。好きになられた方も気の毒だ。

 一体、若狭の心情に何の変化があったのか。班員たちは、それはそれで気になったものの、自由時間にまで彼女のことを考えるのも億劫だ。

 話題が別のことに変わるのに、さほど時間は要さなかった。



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