東京喰種:re[azalea] (にっちもさっちも)
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黒巣:1

この作品が、私にとって人生初の小説執筆となります。
幼少期からまともに本を読んでこなかった末の文章力なので、本文については、どうか多めに見て頂ければ幸いです。

あと、今回はほとんど物語が動きませんので、あしからず。

あ、下手の横好きなりに絵を描きました。

【挿絵表示】



 

 

 

 

 

 ──『喰種(グール)』。

 

 人と同じ姿を持ちながら、人に在らざる者共

 

 群衆に紛れ、人を狩り、その血肉を貪る

 

 社会に紛れ込んだ別種の怪物達。

 

『CCG』はそんな喰種を討ち倒すべく組織された、人間による国家機関である。

 

 平和の使徒──『白鳩(ハト)』の蔑称で喰種達から恐れられる彼等は、今日も日々人類の為戦い続ける。

 

 どんな恐怖を前にしても揺るがない

 

 鋼の意志と、正義の心を胸に擁きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人の青年がいた。

 背の丈は決して低くないが、肩から上でがっくりと曲がった猫背が、ひと回り小柄な印象を観る人に与える。頭髪はまともに手を加えた跡もない、ボサボサの黒。

 着崩した黒のスーツ姿は、元々のスタイルが悪くないこともあり様になってはいるものの、寝不足と泣き疲れと二日酔いが同時に来たかのように、どんよりと澱んだ双眸が悪い意味で一番目立っていた。

 

「…………────志と、正義の心を胸に擁きながら……」

 

 東京都第一区。

 日本政府の重要機関が数多く置かれる街中に、一際目立つ荘厳なビルがあった。見上げれば首が痛くなるほどに高く、壁面には空の色をそのまま反射する全面ガラスが輝く。

 一種芸術作品の如く完成された設計でありながら、しかして観る者を萎縮させる、殺伐とした空気を放つ建物。

 CCG本局は、誰しもがそんな印象を抱く場所だった。

 時計の針が二本揃って頂点の数字を示すと、古鐘の音が青年の耳に入った。天下のCCGと言えど、働いているのは人間。お昼時を迎え、スーツ姿の局員達がゾロゾロと出入りするエントランスで、青年は大きく息を吐く。

 

「……ま、こんな感じでどうですかね」

 

「あらあらあら、 中々良さそうな文になったじゃないの! 助かったわ比企谷くん!」

 

 受付用のカウンターを挟み、青年に対面している妙齢の女性が朗らかに言う。

 比企谷と呼ばれた青年は、詰まらなそうな顔で──普段から大体そんな顔をしているが──あぁはい、どうも、と返した。

 

「いや、いいんですけど。そもそもなんで俺が新規社員募集の……宣伝? を考えさせられてるんすか」

 

「だって比企谷くん、いっつもエントランスのソファで本読みながら、他の班員さん待ってるじゃない。文章力ありそうだなぁと思って」

 

「……確かに苦手ではないですけど」

 

 文章力が無い、訳でも無い。と言うのが比企谷の自己評価だ。たとえ相手が幾つであっても、女性から褒められて嬉しくない男はいないだろう。

 しかし、タダ働きこそ比企谷が最も忌避すべき行いである。普段通りエントランスのソファで本を読んでいたところを捕まえられ、成り行きでCCG広報の事務を手伝ってしまった時点で、比企谷にとっては既に『負け』なのだ。

 多少は機嫌も悪くなる。

 

「さぁー、あとは佐々木くんの考えたやつと比企谷くんのでじっくり吟味するだけね!」

 

 その上、聞き捨てならない文言が耳に入った。

 

「え、いやちょっと……」

 

 名前も知らない受付の女性に、比企谷は思わず声を上げた。おい待て、まさかわざわざ考えてやった文面が不採用になる可能性があるとは、聞かされていない──口には出さずとも、濁った双眸を僅かに細めて抗議の意を示す。

 そんな比企谷の背後、職員達でごった返すエントランスを、真っ直ぐ受付カウンターまで歩いてくる男が一人。

 ぽん、と軽く肩を叩かれ、何事かと振り返った比企谷の眼前に、偉く特徴的な頭髪をした好青年が、人好きな笑みを浮かべていた。

 

「ふふん、君も中々やるようだね比企谷一等。でも同じ読書家として、僕も負けられないな!」

 

 サムズアップした佐々木琲世は、比企谷のあからさまに不機嫌な表情も意に介さず、軽快に言葉をかけた。

 頭頂部のみアジア系人種の黒色を残し、殆どが色素の抜け切った真っ白な癖っ毛。佐々木琲世の髪は、いつだって比企谷の脳内に胡麻プリンを思わせる。

 

「……お久しぶりっす。佐々木一等」

 

 一瞥した後、一礼。

 かなり荒い敬語表現で、比企谷は琲世に向き直った。

 

「別に敬語じゃなくていい、ってもう何回も言ってるんだけど……。とにかく久しぶり、比企谷君も」

 

 明るい笑顔が、困ったような笑顔に変わるが、比企谷に対して琲世も挨拶を返す。

 そのまま琲世は受付の女性にも短く挨拶すると、『少し話さないかい』と言いながら比企谷の前を歩き出した。

 確かに、待ち人が来るまであと二十分ほどあるな、と確認してから、比企谷も琲世の背を追って歩き始める。

 

Qs(クインクス)γ(ガンマ)班、今日は戸塚と一色の定期検診なんで、終わるの待ってたんすけど、もしかして佐々木さんのとこもですか」

 

 普段ならば、比企谷から他人に話しかけることは滅多に無い。日頃出入りするCCG局内でも、比企谷から話を切り出せるほどの『知り合い』は親指で数えられる程度だ。

 そういう意味では、比企谷にとって佐々木琲世と言う人間と過ごす時間は、有意義とは言わずとも非生産的な時間でも無かった。

 何より、現在の琲世と比企谷は、『日々似たような状況に置かれ、目下似たような悩みを抱えている』。

 

Qs(クインクス)α(アルファ)班の検診は六月君だけだね。瓜江君と不知君は『例の件』をそれぞれ単独で捜査中、才子ちゃんは自宅警備」

 

 言い切ると、琲世は引き攣った笑みを浮かべた。気のせいかもしれないが、比企谷の目には、琲世の瞳の端に汗とも涙ともとれない煌めきが見えた。

 

「他人事っすけど、佐々木さんも大変ですね」

 

 また最近、班内で揉め事でもあったのか──と、雑に予想しながら、比企谷も相槌を返す。

 

「いや他人事じゃないでしょ。君の班も中々に粒揃いだって聞くけど?」

 

 否。琲世の言う通り、断じて他人事では無い。

 

「………………そんなことないです」

 

「苦虫噛み潰したみたいな顔して言われても説得力ないよ」

 

 比企谷は大きく溜息を吐くと、それまで頭の片隅に追いやっていた問題を思い出す。心なしか頭痛がしてきた。

 

「なんというかまぁ、我が強かったり、逆に積極性が無かったり、うちの班は両極端なイメージっす」

 

『うちの班』──自分が言った言葉で、比企谷の脳裏に『四人』の人物の顔がよぎる。どいつもこいつも、全くもって忌々しい──手のかかる『部下』達だ。

 

「お互い気苦労が絶えないねぇ……」

 

 まるで老人のような口ぶりの琲世が、うんうんと頷きながら、比企谷の背中を叩いた。琲世の顔は、まさに『同じ悩み』を抱える者を心の底から労わる慈愛に満ちていた。

 

「よし、ここはひとつ人生の先輩が昼食を奢ってしんぜよう。僕も六月君が検診終わるまで暇だし……比企谷君カレーは好き?」

 

 暫くして息を吹き返した琲世が、少し大きくなった声で言う。丁度二人が歩いていたのは、CCG本局の東スペース。社員の食事のために各大手食品企業が出店している有名チェーン店が並ぶ通路だった。

 比企谷の鼻に、ツンとするスパイスの香りが入ってきた。

 

「人並みに好きですけど……いいんですか?」

 

『いいんですか?』の言葉に込められた意味を、二人の脇を通り過ぎていく一般社員達は理解できないだろう。

 最も、比企谷にだって、本当の意味で理解できることでも無かった。佐々木琲世──彼が一体、どんな世界で生きているのか。人間の味覚嗅覚を持たない彼に、比企谷の──人間の食欲をそそる芳香が、どのように感じられるのか。

 想像もしたく無い。きっと彼には、飲食店が立ち並ぶ通路など地獄となんら変わらないのだ。

 

「細かいことは気にしない! ほら行こ」

 

 晴れない表情のまま、比企谷は琲世の後について、本格インドカレーの店舗に足を踏み入れた。本来大した体格差も無いはずの琲世の背中が、比企谷にはどこか普段より小さく見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戸塚彩加は、病院が苦手だった。

 白い内装は、いつだって赤色を際立たせる。

 消毒液の匂いは、生傷を連想させる。

 闘争と、誰かの命の危機を連想させる。

 故に、昼下がりの暖かな陽射しが、渡り廊下のガラス窓からすっと差し込み、眩いほどの白を反射する病院内を観ても、特に気持ちが安らぐことは無い。

 

「お待たせしました、戸塚先輩」

 

 ぱたぱたと、廊下を小走りで往く少女。

 肩まで伸ばした亜麻色の髪がふわりとそよいで、顔にはやんわりとした笑み。世間一般の基準においてもかなり美形の面貌は、綺麗と云うよりは可愛い、と形容するのが相応しいだろう。

 名前を呼ばれた戸塚は、一色いろはをにこやかに迎えた。

 

「ううん。そんなに待ってないよ、いろはちゃん」

 

 そう言って小さく手を振る戸塚は、性別こそ男性であるが、よもや間近で見ても女性と間違える者も多々いるであろう中性的な姿をしている。

 色素が薄く灰色がかった短髪は、これまた男性とは思えないほどキューティクル抜群で、天井の蛍光灯の光をきらきらと反射していた。

 一色は、長椅子の戸塚が座る位置から人一人分のスペースを空けて腰を下ろし、ぷぅとわざとらしく頬を膨らませて見せる。

 

「もぉ、何かにつけて採血採血って。そりゃあそんなに血を抜かれたら身体に異常も発生するってもんですよ!」

 

「しょうがないよ。いくらCCGの新技術って言っても、まだ探り探りだと思うし」

 

 諭すような口調。

 相変わらず可愛らしい仕草を自然にやってのけるなぁ、と思いはしても口にはせず、戸塚は曖昧にはにかんだ。

 

「連中が何を怖がってるって、要は私達が制御不能の喰種擬きになっちゃうことですよね。ならQs全員の首に爆弾でも巻き付けて、スイッチを管理させればいいんじゃないですか?」

 

「そ、それは画期的というか、猟奇的というか……」

 

 一つ下の後輩の、意外にも今後ありえそうな話に若干身震いしていると、廊下の奥からこちらに手を振る人影が目に入った。

 

「戸塚君、いろはちゃん」

 

 声が聞こえてよく目を凝らすと、そこには候補生時代から戸塚がよく知る顔がある。浅黒い肌に、体格は良くなくとも利発そうな顔立ちの青年だ。

 

「あれ、六月先輩おひさですー」

 

 六月透。

 戸塚にとっての同期。一色にとっての一年先輩。

 そして、同プログラムに参加するチームメイトだ。

 

「二人も検診? 日付が被るの珍しいね」

 

「うん。今終わったとこだけど」

 

「そっか、俺も今終わったんだ。今日のQsα班の検診は俺一人だったよ」

 

 戸塚にとって、六月はQs部隊の中でも話し易い相手だった。幼い頃から中性的な出で立ちを周囲に茶化されることが多かったため、内向的な人格形成をしてしまったことも災いし、候補生時代から友人は数える程しかいなかったが、まさかCCG入局から気の置けない友人が何人もできるなど、本人も想像だにしていなかっただろう。例えそれがなんでもない会話でも、戸塚はQsの面々との日常がとても好きだった。

 

「六月君はこれからどうするの?」

 

 そう問うた顔は、自然に穏やかな笑みを作っていた。六月は一瞬、戸塚のその表情によく分からない動悸を覚えて、一拍返答が遅れてしまう。

 

「あ、先生──いや佐々木一等も本部召集かけられてて、今本局に来てるはずなんだ。これから俺も合流して一緒に『トルソー』の聴き込みに行くけど、良かったら二人も来る?」

 

『トルソー』と言う言葉に、戸塚の笑顔は僅かに陰った。それは、現在Qs班が一丸となって追っている──いや、一丸とはなっていないかも知れないが──危険度A指定の喰種だ。近年、都心広域で点々と被害が確認されており、恐らく特定の喰い場を持っていない珍しいタイプとされている。

 

「そうだね、あんまりQs班同士で手柄の取り合いとかしたくないし、ご一緒させてもらおうかな」

 

 少し考えてから、戸塚は曖昧に笑う。分かった、と答えた六月も、戸塚と似たような種類の笑みを浮かべた。

 しかし対照的に、二人を横目に眺めていた一色の目付きは、怪訝に細められていた。

 

「手柄の取り合いのならもう手遅れじゃないですか?」

 

 戸塚と六月が、声のした方を見る。

 一色は、二人の視線が自分に向いたことを確認してから、先刻から片手間に操作していた携帯端末の画面を見せ付けた。そこには、『川崎せんぱい』の文字と、既に今朝から三回以上連絡した履歴があった。

 

「今日もうちの川崎先輩は単独捜査中ですけど」

 

 私の番号は多分着拒ですねー、と本心を窺わせない棒読みの声が、やけに深刻に戸塚達の心に刺さった。

 

「……うちの瓜江君と不知君も今日は単独捜査だ」

 

 六月も苦々しく顔を歪める。

 

「……今頃現場で鉢合わせて揉めてたりして」

 

 いや、きっとそうに違いない。戸塚は第六感的な確信を持っていた。『人間とは往往にして、悪い事象についての予言ばかりことごとく当てる生き物なんだよ』、とは、プロのぼっちこと戸塚の上司がいつか語って聞かせてくれた言葉だ。

 どうしたのもか、と途方にくれる六月と戸塚。

 そんなことは素知らぬ顔で、端末を弄り始めた一色。

 どんよりと流れ始めた嫌な沈黙を裂いたのは、三人の誰でもない人物だった。

 

「それならウチの隼人が向かったから大丈夫だし」

 

 三浦優美子。

 Qs班の面々には言わずと知れた“女王様”。

 目に優しい程度に輝く金髪を、左右のもみあげの一房にだけくるりと巻いた三浦は、力の抜けた立ち姿だった。それでも思わず六月と戸塚は、その場から半身体を引かせる。

 日頃から、高圧的な態度と自分本位な言動が目立つ三浦を、Qs気弱勢こと六月と戸塚は若干苦手としていたのであった。

 

「……も、もしかして三浦さんも定期検診?」

 

 引きつった笑みで、六月が問うた。

 

「……別に。あーしは指導者が来て欲しいって言うから来てあげてるだけよ」

 

 そう答えて、髪をふわりと撫で付ける。

 しかしその表情には、件の険悪な雰囲気が滲み始めた。これはマズい質問だったか、と六月は内心焦りだすが、新たにカットインしてきたのは、一色が可愛らしく溢した小さな笑いだった──それも、飛びっきり相手を嘲るような。

 

「何を偉そうに。要は雪ノ下先輩の付き人として利用されてるだけでしょう。毎日お疲れ様でーす」

 

「……あ、なんか言った? 一色三等」

 

「いいえ別に? それより、こんな所うろうろしてるとご主人様に怒られるんじゃないですかぁ、三浦三等」

 

 “あざとい子”こと一色。

 “女王様”こと三浦。

 当然の如く相性は最悪であった。それこそ、Qsγ班指導者の比企谷か、Qsβ班隊長の葉山がいない場では、この手の小競り合いがほぼ100%の確率で起こる程度には。

 状況の早期収束と己の胃痛を抑えるため、六月は戸塚とアイコンタクトで連携を取り、まぁまぁまぁ、と無理矢理二人の間に割って入った。

 それでも、六月の肩越しに互いを睨み合うのを辞めない姿を見ると、続いて戸塚も、青い顔をしながら適当な話題で気を逸らそうと試みる。

 

「と、ともかく葉山君が向かったなら安心だ。僕らも早く『トルソー』捜査しに行かないと!」

 

 一拍。

 二拍。

 僅かな沈黙の後、先にメンチを切り離したのは一色だった。

 

「そういえば先輩遅いですねぇ。もう私も戸塚先輩も検診終わってるのに」

 

 いつもの甘ったるい調子に戻った一色を見て、今度は三浦も、ようやく視線をよそに逸らした。と同時に、かなり大きな舌打ちが聞こえた気がしたが、六月と戸塚はそこに敢えて触れるほどの勇気を持ち合わせていなかった。

 

「……う、うーん、きっと何か立て込んでるんじゃないかなぁ」

 

 おざなりな返答をしながら、戸塚は何処にいるかも分からない指導者の、気怠げな顔を思い浮かべた。

 ────比企谷さん、今日もQsは元気です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 賑やかな大通り。

 街を行く人々の声、車道を走る車のエンジン音、様々な音色が綯い交ぜになって、“生活の喧騒”は今日も奏でられる。無力だが、愛すべき人々の命を感じさせるその音を、自分達はこれからも護っていくのだ──とは、いつか聴いた不毛な上官(ゴマプリン頭)の言。

 瓜江久生にとって、そんなものは路傍の石よりも取るに足らないモノであった。

 

(昼夜も無くやかましい街だな、クソ)

 

 見た目は、スーツと“特殊な素材で作られた”トレンチコートを着こなす精悍な青年の姿。その実、中身は昇進欲求と自尊心がガチガチに塗り固められどうにもならない。

 しかし、どうにも手に負えないことに──瓜江は、とにかく優秀な男ではあった。

 

「どちらまで?」

 

 通りを眺めて、適当なタクシーに手を挙げて停める。それ自体は年端のいかない子供でもできる動作──評するべきは、“捜索対象をタクシー運転手に絞ったこと”だ。

 

「喰種対策局までお願いします」

 

 一応のエチケットとして、瓜江はそれまで着けていた無音のイヤフォンを片耳だけ外しながら乗車した。はい、と短い返事が聞こえて、初老の運転手が料金メーターを入れる。

 突如現れた人影が、タクシーをぐらりと揺らしたのは、その時だった。

 

「……見つけたぞ、瓜江」

 

 後部座席に乗る瓜江は、後部ドアを閉まらせないよう手で押さえつける姿勢の葉山隼人を、じっと睨み付けた。葉山の左手には、ゴツゴツと重苦しい形のアタッシュケースが握られている。

 

「葉山か、どうした?(チッ、追いつかれたのか)」

 

 ほとんど金に近い茶髪と、タレントのように端正な顔つき。今は、額には大粒の汗を光らせている。葉山は瓜江の視線を正面から受け止めて、口を開いた。

 

「どうした、じゃない。よりにもよって班長が単独で行動するなんて、明らかにおかしいだろう」

 

「……喰種対策法にも、CCG内規定にも、単独での操作を禁ずる文言は存在しない。俺の行いの何がおかしいと?(大体お前も班長だろうが、何故一人でここにいる)」

 

「違う、おかしいのは規則上の話じゃあない。多数の人間を導く立場にある責任者として、君の行動は間違っているんだ」

 

「……(…相変わらずウザいな)」

 

 “煩わしい”と、瓜江はわざわざ言って聞かせずとも分かるほどに、眉を顰めてみせた。暫く、所在無さげに口を噤んだタクシー運転手をよそに、瓜江と葉山は睨み合った。互いに一歩も引くつもりは無いし、相手の言い分を聞くつもりもなかった。

 

「すいません、もう一人乗れますか?」

 

「……はぁ?()」

 

「……え?」

 

 しかし、一転。

 なんでもないような素振りで、するりと助手席ドアから入って来た車内に侵入した人影に、二人の視線は同時に奪われた。

 

「お前は……(川崎)」

 

 パンツルックのスーツ姿に包まれた、すらりと長い手脚。親から貰った折角の美人顔を常日頃からむすっと顰め、他人を寄せ付け難い雰囲気を放つ女。

 川崎沙希。

 そこに居たのは、Qsγ班の隊長を担う若き捜査官であった。

 

 

 

 

 





戦闘パートは次回以降になると思いますが、今からちょお憂鬱です……書けないよ戦闘なんて……勘弁してよ。


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韋駄:2

重厚な文が書きたいワケではないんです。
ただラノベみたいな感じで、スッと読める文が書けるようになれたらいいなぁとは思います。





 車内の料金メーターが稼働し始めてから、すでに数分が経過していた。味気ない鼠色の空の下を、黄色いタクシーは進む。街には、他の車両もさほど見かけられず、交通の便は比較的良かった。

 

「で、このタクシーはどこ向かってんの?」

 

 川崎沙希は、いつだって不機嫌である。

 そう思われても仕方がない程には、対人コミュニケーション能力に難があった。眉間に若干のシワを寄せ、声色は一般的な女性のモノよりも低め──ここまでがデフォルト。

 よって、本人にとってはさしたる意の無い、ただの質問の言葉は、川崎自身も想定外の敵意と苛立ちの念を内包して瓜江の耳に届いた。

 

「(黙れ、早く降りろ)……喰種対策局だ」

 

 しかし、瓜江久生はその程度で怖気付かない。

 まだ正式に入局してから日は浅いが、彼もまた一介の喰種捜査官である。日常的に死と隣り合わせなのだから、人間相手の些細な小競り合いなど、わざわざ真面目に取り合うほどの気概は持ち合わせていなかった。

 

「それより川崎三等、何故当然のような顔をして、君までもがこの車に乗っている」

 

「……別に。アンタが手柄を総取りしたら、困る人間がいるってだけ」

 

「それは大変だな。(川崎沙希……確か、家族を養うためにQs施術に立候補したとか。貧乏人が俺の昇進を邪魔しやがって)」

 

 素っ気ない川崎を見て、瓜江はQs部隊の班長に就任した際に目を通した、隊員のプロフィールを思い出した。

 そして、小さく舌打ち。

 

(煩わしい凡愚共め)

 

 頭から滲み出た苛立ちを、そのまま脳内にだけ吐き出す。

 後部座席で横並びに座る瓜江と川崎。

 重心はそれぞれ限界まで端に寄せ、狭い車内で互いの体が強い斥力を生み出しているかのようだ。

 

「今、雪ノ下一等と佐々木一等に連絡した。比企谷一等は……携帯をシャトーに忘れたらしい。今は偶々、佐々木一等と一緒に居たようだが」

 

 二人をよそに、助手席で先刻から何やら話し込んでいた葉山隼人が、胸ポケットに携帯端末をしまった。

 葉山の言葉に、瓜江は僅かに眉を痙攣させ、川崎は興味無いと言わんばかりに車窓から外の街をぼんやりと眺め続ける。

 

「……あっそ」

 

 言葉で反応を返したのは川崎のみ。

 瓜江は、ポーカーフェイスの裏から滲み出した、葉山への負の念を隠しきれないまま沈黙。

 

「なんだその態度は。当然だろ、こうして俺が君達を見つけた以上、報告はするさ」

 

 葉山の吐いた溜息は、膝に抱えた鈍色のアタッシュケースの表面を僅かに曇らせた。

 

「……あぁ、そうだな。よろしく頼んだ(告げ口しやがって)」

 

 瓜江の建前全開の言葉を最後に、車内には水を打ったような静けさが戻った。葉山は運転席に座る初老のドライバーを横目に見て、『殺伐としていて申し訳ない』、と表情でのみ謝罪を入れた。

 

(さて、とまぁこんな感じで“いつも通り”を装ったはいいが、どうしたものか。ここに居たのがQsβ班員なら話は早いが……生憎俺達三人は、Qs全体でも上位に入るほどに馬が合わない組み合わせだしな)

 

 そう、“気付いている”。

 彼等がQsたる所以の一つ──喰種に近い五感能力が、既に三人に核心にも近い“或る疑惑”を芽生えさせていた。

 頭を回転させながら、葉山はスーツの襟元──ネクタイを少し緩める。何も、車内が暑いわけでは無い。猛暑は過ぎ去り、街行く人も日に日に厚着の姿が目立つ頃だ。葉山の“ソレ”は、Qsにのみ伝え、全員が共有している明確な“合図”である。

 後部座席の二人は、それぞれ他所に視線を向けているフリをしながらも、その“合図”を見逃さなかった。

 

『標的喰種の可能性高:対策はQs総隊長(瓜江久生)に委任』

 

 三人の視線が交わることは無い。しかし、絶え間無い静寂の中で、瓜江だけが僅かに双眸を鋭く細めた。

 

「い、いやぁ、喰種対策局に用事だなんて、もしかしてこれから事情聴取とかですか? 大変ですねぇ」

 

 ついに沈黙に耐えかねたのか、ドライバーが口を開く。なんでもない世話話を客にふるのは、職業柄お手の物である。

 

「えぇ、つい最近友人が喰種に殺されてしまいまして。悲しむ暇もないですよ」

 

 答えたのは瓜江だった。

 ドライバーからしたら、それは意外に感じた。葉山、瓜江、川崎のやり取りを最初から聴く側に徹して居た彼は、おおよそ三人の性格やパワーバランスに察しをつけていた。

 察しをつけた上で、答えてくれるのはきっと、社交的でリーダーシップのある、助手席の葉山という青年だと想定していたからである。

 思わず、ドライバーの顔が呆けたまま固まる。

 

「……そう行くのか。分かった」

 

 ドライバーの横顔を覗き見て、葉山は呟いた。

 

「……私達の学友でした」

 

 間を空けず、今度は川崎が話を繋いだ。

 葉山は、自分の出した合図が問題なく班員に伝わっていたことに若干安堵した。馬が合わないと自覚していたが、どうにも性格上と仕事上とでは別の話かも知れない。

 折角切り出した話題が、思わぬ地雷だったと悟った運転手の勢いは、瞬く間に萎んでいった。

 

「そ、それはなんと言うか。申し訳ありません、余計な事を……」

 

「いえ、気にしてません」

 

 瓜江の声はわざとらしい棒読み。

 当然である。瓜江を始め、車内に居るQs班員の誰一人、昨今死んだ友人など存在しないのだ。全てはブラフであり、相手の尻尾を掴む撒き餌であり、“強行”への秒読みであった。

 ふと、瓜江は運転手がぎゅっと握ったままのハンドルの横に、運転手のプロフィールと所属が記載されたプラカードを見つけた。そこには本名や経歴はともかく、生年月日や趣味など至極どうでもいい情報までが見て取れる。

 

「……お菓子作りですか、男性にしては珍しい趣味ですね」

 

 瓜江は、適当に目に入った単語を取り上げて、どうでもいい与太話を振る。

 

「えぇ、これが結構楽しいんですよ。最近はシュークリームにハマっていましてね、焼き上がった時にふんわり香ってくる甘い匂いが、こりゃあまた堪らないんです!」

 

「……へぇ(死ぬほど興味ねぇ)」

 

 瓜江が謀ったのはタイミングであった。それはQsのでも、運転手のでも、本題を切り出すためのものでも無い。単に、タクシーとその周囲の物理的環境を整えるためである。

 強硬手段を取るにあたって好ましい環境とは則ち──人通りが少なく、ある程度の広さがある場所である必要がある。

 最早吐き気を催すほど退屈な会話。

 川崎も普段に増して眉間にしわを寄せ続け、葉山はにこにこと貼り付けたような笑みを浮かべては、時々適当な相槌を打つ。

 そんな苦行が、いったい何分続いただろうか。タクシーはついに、人気がなく薄暗いトンネルに差し掛かった。

 ──“来た”、と。誰が口にするでもなく、ただQs達の背筋に小さな電流が走った。

 

「運転手さん、ここで結構です」

 

 冷ややかに、瓜江が運転手に切り出す。

 

「え、いやしかし、まだ対策局からはかなり遠いですし……トンネル内なので……」

 

 しどろもどろになるものの、人が良いのか、運転手はトンネル内でタクシーをゆっくりと減速させ始める。それでも、完全に停止させるつもりは無い様子だった。瓜江は小さく舌打ちすると、後部座席から運転手の腕を掴もうとして──左隣に座る女が、運転席の背もたれを思い切り蹴りつけた。

 

「ひいっ⁉︎」

 

 ボゴッ! と鈍く篭った音がして、運転手は恐怖に思わず肩を竦めた。

 

「確かに、“堪らない”だろうね。鼻が捩れるほど臭かったでしょ?」

 

 怯え、脂汗をかく運転手へ、川崎は追い立てるように言葉を投げつけた。普段は温厚な葉山も、助手席から据わった目つきで運転手をジッと見つめるだけ。瓜江は運転席と助手席の間から体を乗り出して、手に持った皮の手帳を開いて見せる。記されていたのは、両翼を大きく広げ飛翔する白鳩のエンブレム。

 

「喰種捜査官です。僕ら普通より鼻が利くんで、三人共とっくに気付いてますよ……車内の血の匂い」

 

 瞬間、瓜江、葉山、川崎は同時に、右側から体を押し潰すような遠心力を感じた。タイヤが引き裂けんばかりに甲高な音を上げ、アスファルトと擦れ合う。運転手がハンドルを切り、車体が対向車線に飛び出したのだ。

 ついさっきまで緩やかだった車速も、アクセルを全開で踏み込まれたおかげで、一気に爆発的な加速をして見せる。

 

「なっ⁉︎」

 

 葉山は、フロントガラス越しに見た外の風景が、猛烈な勢いで左から右へスライドしたのを確認し、思わず目を剥いた。

 そして、運転手に怪しまれないよう敢えてしっかりとシートベルトをしていたことが災いしたと気付く。車外に脱出するまでの動き──ドアを開け、外に飛び出すという二つで事足りるはずの動作に、どうしても更に一手間が加わってしまう。

 一瞬の焦りが本来の判断力を鈍らせ、結果的に葉山が車外に脱出したのは一番最後。

 

「……ッ(仕掛けて来たか)」

 

 後部座席左側に座っていた瓜江は、スムーズにドアを開け身体を外に投げ出すと、受け身をとって道路に難なく着地。

 

「ちっ!」

 

 瓜江に続き、川崎は遠心力に敢えて身を任せ、瓜江が開けたドアから弾かれる様に外に飛び出し、道路脇のガードレールに身体を激突させて無理矢理勢を殺した。

 運転手ただ一人が残されたタクシーは、三人の視線の先で、トンネル内の壁に衝突。ドカンと豪快な音と、乾いた破砕音が反響し、そのまま静かになった。

 

 

 

 

「……布陣とか敷いとく?」

 

 しかし、その場に居る捜査官の誰一人、“終わった”とは考えなかった。当然、喰種の耐久性と再生力を知っていれば、たかが車の事故程度で絶命したとは考えられない。

 川崎が、強く打ち付けた背中の骨の具合を探る様に、ぐるぐると肩を回しながら放った言葉に、瓜江はフン、と鼻を鳴らす。

 

「生憎俺達は全員所属班が違う。合同訓練もまだ経験が浅い……付け焼き刃の布陣など敷く意味もない。(つーか俺一人で十分なんだよ。お前らは適当にシネ)」

 

 タクシーは、壁に激突したまま動く気配が無かった。ぐしゃりと潰れたボンネットから、薄く煙が上がっているのが、瓜江の目には遠くからでも見えた。

 葉山は、間一髪の脱出で全身についた埃をはたき落としながら立ち上がり、右手に持ったアタッシュケースに損傷が無いか調べた。

 

「それにしても、まさか本当に『トルソー』か……ついに捉えたのか⁉︎」

 

 表面に多少の傷が付いてはいるものの、問題なく稼働するであろうことを確認してから、葉山も他の二人に倣ってタクシーの方を見たが、──意図的に気配を殺し、ゆっくりと歩んで葉山の背後に着いた瓜江に、気付いた素ぶりは無い。

 戦闘は、タクシーから上がる煙を掻き分け、音もなく飛び出した赤黒い“鞭”が口火を切った。

 ──『赫子』だ。三人がその“鞭”を視認し、わざわざ言語化するまでもなく行動を開始する。ドライバーの喰種が振るった赫子は、タクシーから瓜江達までの間に横たわる20m近い距離を、うねりながら高速で向かってきた。

 葉山、川崎はその初撃を“回避”することを選択。腰を落とし、利き手ではない方の腕で頭部を防御する態勢を取る。

 対して、瓜江は一人前傾姿勢で大きく利き足を踏み出し──傍に居た葉山の襟を掴んで、肉薄してくる赫子と自分の体の直線上に引き摺り出した。

 

「⁉︎ 瓜江ッおまッッ」

 

 予想外過ぎる班長の動きに、葉山には対処する暇も無かった。瓜江の狙い通り、赫子は勢い良く葉山の腹部を貫き、破いて、動きを止める。

 

「がっ……ふ‼︎」

 

 苦悶の表情。口の端から溢れる粘ついた赤色。

 瓜江は葉山を一瞥し、「そのまま赫子を抑えつけろ」と耳打ちしてから、喰種に向かって真っ直ぐと、アスファルトを力強く蹴り出した。

 一歩、二歩と、踏み出す毎に加速していく。

 

「アンタねぇ……」

 

 “流石に私でも引く”と言わんばかりの呆れ顔で、川崎は瓜江のすぐ後ろを追従した。

 

「大丈夫だ。あの程度で死にはしない(出来れば死んで欲しいが)」

 

「……だと良いけど」

 

 足を回転させながら、瓜江はいつの間にか葉山の手から強奪したアタッシュケースに手を掛けた。グリップに取り付けられたスイッチを親指で押し込むと、キリキリと音を立ててアタッシュケースが開き始め──『クインケ』の展開が始まった。

 

「いやぁぁぁしかし白鳩も最近は人員不足なんですかぁ。こんなガキ共が捜査官だなんてねえ!」

 

 白煙の中から飛び出した運転手は嗤う。両目をギラギラとした赫眼に変えて、血に塗れた老顔を残忍に歪ませた姿は、まさに食人鬼そのものである。それでも、瓜江と川崎は怖気付いた様子もなく、ただ冷静に運転手に向かって行った。

 しかし。

 瓜江がアタッシュケースからクインケを引き抜こうとした瞬間、辛うじて視界の端に過ぎった“何か”に気付く。赤黒い粘膜のような表皮、細長い縄のようなフォルムをしならせ、空を裂き、瓜江の頭部めがけてソレは殺到した。

 

「(二本目の赫子か!)まぐっ⁉︎」

 

 人体の可動域限界まで上半身を仰け反らせて、回避を試みるが、それでも足りない。加えて、直前まで全力疾走で前進していたこともあり、体の勢いを殺しきれないままでは、まともな身のこなしもできなかった。

 一瞬の逡巡の末、瓜江は右手に持った展開しかけのクインケを、迫る赫子の先端に無理矢理叩きつけた。そのままでは瓜江のこめかみを射抜く軌道だった赫子は、わずかに起動を逸らし──右胸にずぶりと沈んだ。

 

「げははははは! 二匹目ぇ!」

 

 血を吐き、瓜江の全身からだらりと力が抜ける。その感触を、運転手は赫子越しに生々しく感じ取った。“殺した、確実に”。そこには最早疑いの余地すらなく、自信と余裕に満ちた顔で残された川崎に眼を向ける。すると、さっきまでとまるで変わらない速度のまま──むしろ、更に加速しながら自分に突っ込んでくる女の姿があるではないか。

 

「な、なんで眉一つ動かさねぇ⁉︎ 仲間が死んでんだぞ⁉︎」

 

 思わぬ展開。

 思わぬ焦燥。

 

「別に仲間じゃない……それに」

 

 しかし、川崎の返答に運転手は更に混乱することになった。

 

「誰が死んだって?」

 

「……はっ⁉︎」

 

 ここにきてようやく、運転手はある異変に気付いて、鋭く息を呑んだ。遠くの獲物を射抜いたままになっていた赫子が、いつの間にか地面に杭で打ち付けられていたかのように、思い通りに動かせない。

 

「行けッ川崎さん!」

 

「川崎ッ!(クソッ俺の獲物が!)」

 

 赫子は、殺したはずの青年二人が、それぞれ一本ずつ素手で押さえつけていた──貫かれた胴体などまるで意に介さず、傷口から迸る鮮血をそのままにして、である。

 当然それは、ただの人間にかなう芸当ではなかった。人を超える耐久力で致命傷を堪え、人を超える膂力で喰種の赫子に抗う。比喩でも何でもない、それは正に喰種の領域にある性能だ。

 その証明に、葉山と瓜江の左眼は、いつの間にやら薄っすらと赤黒い輝きを放っていた。運転手の両眼と同じ“赫眼”が発現しているのだ。

 

「尾赫か……好都合」

 

 不敵に笑う川崎の背中のスーツを内側から破り、赤黒い棘が突き出した。右肩甲骨の辺りから生えたソレは、まごう事なき赫子──Qsが体に内蔵する『クインケ』である。

 

「ひっ……ヒィィィィ‼︎」

 

 戦慄の悲鳴をあげる運転手に、川崎は赫子から瞬時に生成した五つの杭を一斉に掃射した。二本が葉山を貫いた赫子、もう二本が瓜江を貫いた赫子、それぞれを根元から千切り飛ばし、残す一本が運転手の鳩尾を穿つ。

 

「げぼォ⁉︎」

 

 体に突き立った杭の推進力で、運転手は後方に吹っ飛んだ。二回、三回と地面にバウンドして、地面を転がった後、体は身動きが取れないほどのダメージを受け、ピクピクと小刻みに痙攣しだす。

 それでも、残されたなけなしの力で、運転手は地面を這った。

 

「……お、おいどうなってんだ、早く来い‼︎」

 

 ギョロギョロとしきりに周囲を見回しては、うわ言のように何かを叫ぶ。その時には既に、怪訝な顔を浮かべながら近寄ってくる川崎と、ボロボロ空中で溶け消えた赫子にようやく解放された葉山、瓜江も、運転手に向かってゆっくりと歩み寄っていた。

 

「そんなバカな……違う……段取りと違うじゃねぇか……」

 

 血と一緒にぼそりと吐き出されたその言葉を最後に、運転手は気を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やってくれたな瓜江。……おかげで服に大穴が空いたぞ」

 

 葉山は、とっくに塞がって今は一滴の血も流れていない腹部の傷穴を撫でた。どうせ二度と着ないだろうと思い、スーツの袖で口元に付いた血も拭っておく。

 

「新品が欲しいなら経費で落とせ(お前の服なぞ知ったことか)」

 

 そう言う瓜江のコートの右胸にも、葉山のソレと全く同じ形、同じ大きさの穴が空いていた。両者の視線は交わらない──葉山は瓜江を糾弾する視線を浴びせているが、瓜江はまるで取り合うつもりもなく明後日の方向を眺めていた。

 

「で、この喰種の討伐報酬は私が貰うんでいいよね?」

 

 三人の中で唯一、今回の戦闘で大したダメージを負っていない川崎にも、赫子が内側から突き破ったスーツの穴が背中にある。何も知らない一般人が三人を見たなら、一体何があったのかとさぞ心配する事だろう。

 

「いいや。今回の戦闘は俺や葉山二等の支援があったからこそ迅速に対応できた。それを君一人の手柄とするのは如何なモノだろうか(馬鹿が……タダではやらんぞ、俺の功績を!)」

 

「……でも、トドメを刺したのは私。最高功労者も私だと思うんだけど」

 

 エゴとエゴのぶつかり合い。

 Qs班員にとって、瓜江と川崎の衝突は日常茶飯事である。かたや“己の昇進”、かたや“家族の扶養”、互いが譲れない大義名分を掲げて、日々功績を奪い合っていた。

 葉山の気持ちとしては、やはり川崎の言い分の方が人間的に美しいと思うし、支援してあげたくなる。しかし、こうも常日頃からギスギスされると流石にうんざりする、というものだ。

 

「もういいでしょ、今回は私で」

 

「……どうかな。葉山二等にも聞いてみよう」

 

「お前ら、毎日毎日飽きないなぁ……」

 

 もはや、そんな言葉しかでない。

 葉山はがっくりと肩を落とした。

 

「おーい!」

 

 不意に、遠くから聞こえる声を拾って、三人が一斉に顔を上げた。初めて聞く声では無い。ここ最近は毎日顔を合わせている上官の声だ。

 

「あら、もしかしたら捜査官の死体が三つ上がるかと思っていたけれど、存外無事だったようね」

 

 瓜江達に駆け寄って来る佐々木の後ろには、悠々と歩いて来る雪ノ下雪乃の姿もあった。二人ともアタッシュケースに格納したクインケを持っていることから、葉山の連絡には既に“戦闘があるかも知れない”旨が含まれていたのだろう、と瓜江は考えた。

 瓜江達三人の前に立った佐々木は、むんずと腕を組んで、普段の虫も殺さないような穏やかさしか知らない者からは明らかに無理をしていることが分かる、ぎこちない怒り顔を浮かべた。

 

「全く、葉山君の連絡があったからすぐに来れたけど、瓜江君と川崎さんは指導者に報告も無しに戦闘を行うなんて信じられないよ!」

 

「……申し訳ありませんでした」

 

 答えたのは葉山のみ。

 瓜江は外していたイヤホンを再び装着し、川崎はしれっとした表情で佐々木の視線を受け止めた。

 しばらく睨み合いが続いて、佐々木が次の言葉を切り出そうとした時、地面に伏したまま気絶しているはずの運転手の身体が、ぴくりと一度痙攣した。その場に居た全員がソレを見逃さず、一斉に動き出した──ただし、具体的な対処方法はバラバラである。

 

「トドメを刺します」

 

 川崎は冷たく呟き、赫子を生成しようとして、佐々木に制された。瓜江もまた、止められた川崎に代わり、運転手に赫子を突き立てようと踏み出したが、今度は雪ノ下がそれを制した。

 

「駄目だ。対策法で決められてるでしょ? 喰種を必要以上に傷付けない。彼はこのままコクリアに収容する」

 

 佐々木の珍しく低い声に、川崎は怯んだ様子を見せなかった。それでも上官の命令ではある。川崎は大人しく一歩引いて、右肩から力を抜いてから、くるりと踵を返して歩き去っていく。

 

「……対策法を守ってたら、東京完塞なんて永遠に叶わないと思いますけど」

 

 背中越しの言葉に、佐々木は喉まで出かかった言葉をぐっと堪え、俯くことしかできなかった。雪ノ下も、氷のように凍てつく無表情のまま、この場を去ろうとする川崎の背中をただ見送った。

 

「……わざわざ来てもらってゴメンね、雪ノ下さん」

 

 聞き分けのない部下をどうする事もできず、ただ己の不甲斐なさにほぼ半ベソをかきながら、佐々木は雪ノ下に向き直った。

 

「全くです。そもそも今回の件で私と比企ヶ谷君にまで呼び掛けをするなんて、援軍にしても過剰戦力だと思いますが」

 

「うっ、 お、仰る通りで。でも、部下にもしもの事があったらと思うと……」

 

 年上のはずの男に忠言をおくる女。腰を低くしてそれを受け取る男。瓜江は雪ノ下の背後に、吹き荒ぶ吹雪の幻視を見た。

 

(恐ろしいプレッシャーだ、雪ノ下雪乃……)

 

 思わず身震い。

 その間葉山はと言うと、雪ノ下の冷たい表情を遠くから眺めて、小さく苦笑いを浮かべていた。

 

「……まぁ、比企谷君(あの男)なら、“働かないに越したことは無い”と言ったのでしょうけど」

 

 雪ノ下がこめかみに指を当て、窶れた眼の同僚を思い浮かべると、取り敢えずそれまでの重い空気は場を去った。佐々木はほっと胸を撫で下ろし、瓜江も肩に入った力を緩める。

 葉山は、雪ノ下の呟きに“あぁ、そう言えば”と口にすると、佐々木と雪ノ下に声をかけた。

 

「ところで、比企谷一等は今何処に?」

 

「……えーと、それが、本局から一緒に向かってたんだけど、なんか別で緊急の出動命令が出たらしくて」

 

 佐々木が後ろ頭をかきながら、言いにくそうにしている。その後ろで、雪ノ下も小さく溜息をこぼしているのを、葉山は見逃さなかった。

 

(なんだ……比企谷に何があった?)

 

 口にはしない疑問が、葉山の胸中にもんもんと立ち込めた。Qs達がその時の真相を知るのは、この数時間後、夜間ブリーフィングの最中である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 辺りは薄暗かった。

 太陽は既に直上を大きく過ぎていたが、“陽が沈んできた”と称するほどの時間でも無い。薄暗いのは、そこが大きなビルとビルの狭間にある路地裏であるからだ。

 陰の中に、立っている人影が一つ。その周りには、地面に斃れ、わずかに痙攣する人型の影が三つ。

 

「な……んで、おれたちに、気付いた?」

 

 隙間風のようにか細い声でそう問うたのは、斃れた影の一つ。全身を黒い装束に包んだ中年の男であったが、体には至る所に切り傷が刻まれ、未だじんわりと血をこぼし続けていた。

 対して、立ち尽くす影は、窶れた双眸で男を見下ろしていた。右手には刃渡り1mほどの日本刀を持ち、胴と肩周りをベルトで固定したロングコートの表面には、赤いまだら模様が点々と散っている。

 

「優秀な上司のタレコミでな。まぁ、あの人も確信を持って俺を送ったワケじゃあないと思うが」

 

 わざわざ語ってやることでも無いけど、と言葉が続いたが、斃れた男がそれを最後まで聞くことは無かった。他の二つの斃れた影と同じく、それまで辛うじて保っていた意識を、ついに手放したからだ。

 

雪ノ下さん()に隠し事は出来ないってこった。……俺のプライバシーもその気になれば網羅されてそうで、怖くて夜も眠れないわ」

 

 刃にこびり付いた血を振り払ってから、窶れた双眸の男は日本刀を肩に担いだ。仰ぎ見た空は、まだまだ青い。

 

「……つーかなんで俺なんだよ。雪ノ下でも問題無かっただろ」

 

 ──比企谷八幡は、ひたすらに働きたくない男である。

 






Qs達の数が原作3倍ですからねぇ。
班員達は小出しにしないと丁寧に活躍を書かなくなっちゃうんですよねぇ………。




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