矢澤にことのキャンパスライフ! (ゆいろう)
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矢澤にことのキャンパスライフ!
1話


 

 

 ――春。それは出会いの季節。

 

 

 

 

 今年も桜前線に異常はなく、ここ東京の桜も既に満開を迎えていた。短い時間の中で強く咲き誇る桃色の花弁を見ていると、自ずと気が引き締められる。

 そんな春の象徴が左右に立ち並ぶ舗道を、初めてのスーツに袖を通し、ヘッドホンから流れる音楽を聴きながら俺――音坂譜也(おとさかしんや)は歩いていた。

 

 

 一浪した末にやっとのこと合格した東京の私立大学。今日はその入学式だ。

 

 

 大学へ向かう道すがら、同じ方向に歩いていく人がチラホラと見受けられる。緊張した面持ちの人、友人と談笑している人、期待に胸を膨らませている人、他にも様々な表情をした人がスーツを着こなし歩いている。

 自分はどんな顔をしているのだろう。緊張しているのだろうか。それともこれから始まる大学生活(キャンパスライフ)に期待を膨らませ、キラキラした顔をしているのだろうか。大学に着いたらトイレの鏡で確認しよう。

 

 

 そんな事を考えながら歩いていると、急に体の左側から衝撃がした。その衝撃に思わずふらついてしまう。おそらく後ろから走ってきた人がぶつかって来たのだろう。ヘッドホンで耳を塞いでいたせいで、後ろからの足音に気が付かなかった。

 

 ヘッドホンを外して首に引っかけ、ぶつかった人に目を向ける。

 

 レディーススーツに身を包んだ、大学生にしてはやや小さめの体。艶やかな黒髪をリボンで結んだツインテール。そんな容姿もあって目の前の女性がどう見ても大学生に見えない。大学生というより中学生、女性というより少女といった感じだ。

 

 

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 

 

 兎にも角にも、目の前で倒れこむ見た目中学生少女が心配なので声をかける。ツインテ中学生はヨロヨロと立ち上がり、のぞき込む俺の顔を見て一言。

 

 

 

「あんた、どこ見て歩いてんのよ!」

 

 

 

 そう吐き捨てて少女は大学のある方に一目散に走って行った。

 なんだよ、人が折角心配してやったのにあの言葉はないだろう。まるで当たり屋じゃないか。

 

 

 大学の入学式の朝から嫌な目に遭った。大学生活はまだ始まってすらいないのに、当たり屋中学生(多分1コ下)に遭遇するとか……。俺の大学生活、これからどうなるんだろう。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 大学内のホールにて行われている入学式は滞りなく進んでいった。強いて滞った点を挙げるなら学長の話がやたらと長い。朝早くから起きている俺からすると眠気がマッハだった。

 いやだってさぁ、偉い人の話って無駄に長くて退屈じゃない? 高校生の頃も校長や教頭の話なんてものは眠たくて仕方がなかった。

 

 

 退屈だった入学式も終わりが近づいてきた。今はサークルの紹介時間となっていて、その代表者が壇上に立って自分たちのサークルの魅力を言葉で伝えている。ダンス部や吹奏楽部などの文科系サークルは、壇上でパフォーマンスを披露したりした。

 

 

 その中で俺が目当てにしていたサークルは軽音部だった。高校から音楽を始めた俺からすると、この大学の軽音部はかなり気になっている。

 その軽音部は代表者の部活紹介だけで終わってしまったが、アットホームで明るい雰囲気だとその代表者は言っていた。

 

 

 サークル紹介もいよいよ最後を迎えた。まだ紹介されていないサークル、それは――

 

 

 

 

 

『最後のサークルはアイドル部です。歌って頂くのは今年の"アイドル特待生"であるこの人! それではよろしくお願いします!』

 

 

 

 

 

 アイドル特待生。アイドル最盛期とも言われている昨今において、大学側が新たに作り出した制度だ。そのほとんどが高校生の時にスクールアイドルとして実績を残していて、プロのアイドルを目指している。

 

 

 壇上に現れたのは、煌びやかな衣装に身を包んだ黒髪ツインテールの一人の少女。俺はその人物に見覚えがあった。あれは……さっきぶつかった当たり屋中学生……!

 

 

 

 

 

「にっこにっこにー! この大学の"キャンパスアイドル"。矢澤にこにこ〜」

 

 

 

 

 

 当たり屋少女の名前は『矢澤にこにこ』と言うようだ、ヘンな名前。

 矢澤の登場に周りの奴らは盛り上がっている。その反応からすると彼女はかなりの有名人なようだ。しかし俺はアイドルとしての彼女を何も知らない。知っているのは、彼女がさっき俺とぶつかった当たり屋ツインテ中学生少女『矢澤にこにこ』という事だけ。

 

 

 矢澤が言った『キャンパスアイドル』というのは、大学生のアマチュアアイドルの事。高校生がスクールアイドルなのに対し、いつしか大学生のアイドルを『キャンパスアイドル』と呼ぶようになっていた。

 そういった事情はある程度知っている俺だが、アマチュアアイドルの中身については何も知らない。曲を聴いたりライブを見たりするのも、全てプロのものだからだ。

 

 

 

 

「今から歌うのは去年まで私がいたスクールアイドル、μ’s(ミューズ)の曲にこっ。みんな、楽しんでいってにこっ! それでは聴いてください。

 

 

 

 

 

 ――――START:DASH!!」

 

 

 

 

 周囲からワッと歓声があがる。男女問わずほとんどの人が立ち上がって興奮した様子だ。彼ら彼女らの反応を見るに、この曲も相当有名な曲だと窺える。

 

 

 イントロが流れ出す。ピアノ音で奏でられるそれは、始まりを告げる鐘のようで。

 

 

 矢澤が歌い出す。クセのある可愛らしい歌声が、一つ一つ歌詞をなぞっていく。

 

 

 

 ――産毛だった小鳥たちも大きくなり、やがて大空に羽ばたいていく。

 

 

 

 それはまるで、これから始まる大学生活の中で自分達が成長していくんだと言い聞かされてるような気がした。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「ありがとうございました!」

 

 

 たった1曲、時間にしておよそ4分ほどの短いライブが終わった。ステージの中央に立つ矢澤は肩で息をしながら、満足げな笑顔を浮かべて手を振っている。

 彼女の見せたライブに俺はいつの間にやら立ち上がっていて、言葉を失っていた。これでもかという程に『矢澤にこにこ』というアイドルを魅せつけられ、気が付けば心を鷲掴みにされていた。

 熱い何かが全身を駆け巡っていく。それが感動だと理解するのにいささか時間がかかってしまった。

 

 

 彼女に魅せられ初めて聴く曲、初めて見るダンス、初めて体験した感覚、初めて感動したアイドル。今目の前で行われた矢澤のパフォーマンスに、俺の初めてはことごとく奪われていった。

 

 

 脳裏にはさっきまでのライブの様子がチラつき、曲と彼女の歌声が耳にこびり付いて離れない。俺はもうすっかり『矢澤にこにこ』のファンになっていた。

 

 

 何なんだよアイツ……俺にぶつかってきたただの当たり屋ツインテ中学生少女かと思ったら、実はアイドルで。ライブに魅せられてファンになっちまうとか……本当に当たり屋みたいじゃないか。

 

 

 

 

 

 4月の上旬。柔らかい日差しが降り注ぎ、満開の桜の香りが漂う中、目の前に突如現れたアイドルは知らず知らずのうちに俺の心を鷲掴みにしていった。

 

 

 

 

 

 彼女と出会ったことで、これから俺の人生は大きく変わることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――春。それは出会いの季節。

 

 

 



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2話

 

 

 入学式とその後のサークル紹介が終了となり、今日の行事は全て終了したことになる。しかし終わったからといって今すぐに帰ろうとする新入生は少ない。

 俺達新入生がホールから出ると、そこには血眼になって新入生を取り込もうとするサークルの先輩達が待ち受けていた。必死になってビラを配るその姿には狂気すら感じてしまう。

 

 

 鬼の勧誘活動をなんとか掻い潜る。そこから人の流れに沿って歩みを進めると広場のような場所に出てきた。そこでは各サークルが長机を並べてサークルの紹介や勧誘をしていた。

 

 

 その中に軽音部のブースを見つける。そこに向かって歩いていると、ホールの方向から馬鹿デカい歓声が聞こえてきた。

 何事かと思って視線を向けると、ホールの入口からスーツ姿の『矢澤にこにこ』が出てくるところで、彼女は大勢の人達に囲まれていた。

 

 

「にこちゃーん!」

「こっち向いてー!」

「握手してください!」

「サイン書いて!」

「にっこにっこにーやって!」

 

 

 矢澤を取り囲む人達はそれぞれ好き放題な要求をする。あれだけの人達が出待ちをするなんてすごいな、まるで芸能人みたいだ。

 

 

 

「みんなごめんね~。にこ、これから用事があってすぐ行かなくちゃいけないの~」

 

 

 

 そう言って人混みを掻い潜っていく当たり屋中学生。笑顔を絶やさず出待ちにも対応するそのプロ根性に感服だ。それとも、あれが彼女の本当の姿なのだろうか。

 いや、俺は騙されないぞ。俺にぶつかった時のアイツは口が悪かった。自分からぶつかっておいて『どこ見て歩いてんのよ!』なんて言う奴だからな。まさに当たり屋。金を請求されなかっただけマシである。

 

 

 そんな出来事もあったりしたが、俺は矢澤にどうしても伝えたい事があった。ぶつかった事に対する謝罪の要求ではない。

 

 

 

 

 彼女が見せた感動的なライブ。そのライブに俺は感動した。ただ一言、ライブを見せてくれた礼を言いたいが為。

 

 

 

 

 そうと決めた俺は軽音部の勧誘から抜け出して、一人帰ろうとする矢澤の後を追うため駆け出した。おそらく中学校以来の全力疾走。

 こんなに夢中になれる何かが彼女のライブにはあったという事。

 

 

 

 矢澤の背中が見えてくる。ぶつかった時以来の至近距離。

 

 

 

 

 

「――あのっ、矢澤にこにこさん!」

 

 

 

 

 

 

 その小さな背中に向かって声をかける。俺の声が届いたのか矢澤はその場で立ち止まり、ゆっくりと振り返った。

 

 

 

「にこにこじゃないわよ!」

 

 

 

「じゃあ……当たり屋中学生?」

「中学生じゃないわよ! それに当たり屋って何なの!?」

「いや、今朝ぶつかってきたじゃん」

「ああ、あれアンタだったの。……全く何よ矢澤にこにこって、失礼ね。にこの名前は矢澤にこよ、ちゃんと覚えなさい! それで何? にこ忙しいんだけど」

 

 

 名前を間違えられて矢澤は憤る。ええ、俺ずっと勘違いしてたの? いや仕方ないだろ、さっきのライブで自分の事を『矢澤にこにこ~』って言ってたんだから。

『矢澤にこ』だな、よし覚えた。

 

 

 矢澤にこの低く気怠そうな声、めんどくさそうに眉をひそめた顔。ああやっぱり、こっちが彼女の本性だったんだ。伊達に当たり屋をしていないという事か。

 出待ちの人達との対応の差に変な感動を覚えつつ、俺は彼女に想いを伝えようと1歩前に踏み出した。

 

 

 

「わ、悪い。えっと、あのっ。さっきのライブ、すごい感動した。ありがとう」

 

 

 

 ライブをしていた張本人を前に目を合わせられずアスファルトに転がる小石を見つめながら言ってしまう。しかも緊張してかなり短い言葉になってしまった。

 本当はもっと伝えたい事があったのに、上手く伝えられなかった自分が恥ずかしい。

 

 

 何はともあれ俺の一方通行な想いを伝える事は出来た。緊張が少しだけ解けた俺は、視線を上げて目の前の彼女を見る。

 

 

 俺の言葉を聞いた矢澤は、何とも言えない複雑な表情を浮かべていた。喜びでも悲しみでもないそんな顔を彼女がする事に驚く。そして、俺はその表情に見覚えがあった。

 

 

 悔しさ、自分への怒り。今彼女に付きまとっている感情はそういう類のものだ。なぜならそういう時、俺も似たような顔をしているから。

 

 

 

 

「アンタもどうせアレなんでしょ。私が元μ’s(ミューズ)だから近づいて来たんでしょ? そういうの、やめてよね」

 

 

 

 

 矢澤は小さい声だがハッキリと拒絶の言葉を口にする。ライブでも言っていた『μ’s』という言葉。おそらく高校時代に彼女が在籍していたスクールアイドルなんだろうけど、生憎と俺はその存在を知らない。

 

 

 だから、思っていた事がつい口を滑ってしまった。

 

 

「μ’sって何? 石鹸?」

「はぁ!? アンタμ’sを知らないの!?」

「ああ、全くと言っていい程知らない。君の口ぶりから君がやっていたスクールアイドルの名前って事は想像できるけど」

「じゃあアンタは、にこが元μ’sって事を知らないで近づいて来たの!?」

「そういう事になるな」

 

 

 そんなにμ’sの元メンバーというのは知名度が高いのか。全く知らない俺って、もしかして流行に乗り遅れてる?

 

 

「嬉しいけど、なんか腹立つわね。アンタ、にこのファンならμ’sの事ちゃんと勉強しておきなさい!」

「アッ、ハイ」

「いい? ちゃんと勉強するのよ、ネットに動画があるはずだから全部見るのよ!」

「お、おう……」

 

 

 有無を言わせない剣幕で、矢澤は人差し指で俺を指してそう言った。言いたいことを言って満足したのか、矢澤は足早にその場を去っていった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 その後、広場でやっているサークル勧誘に戻る気になれず、俺はそのまま帰宅した。

 大学から徒歩で5分程度の場所に建つ小さなアパート。家賃も都内の中ではそこそこ安く、田舎から上京して来た身としてはこの上ない物件だった。

 

 

 スーツから部屋着に着替え、合格祝いに新しく買ってもらったデスクトップパソコンを立ち上げる。そしてとある動画投稿サイトを開く。目的は矢澤が言っていたμ’sの動画を見るためだ。

 

 

 μ’sで検索をかけると様々な動画がヒットした。正直ありすぎてどれから見ればいいのか分からない。

 とりあえず、一番上に出てきた『START:DASH!!』という動画を見てみよう。

 

 

 再生ボタンをクリックし、動画が始まる。聴いたことのあるイントロ。

 これは……矢澤が今日のライブで使用した曲だ。そして舞台上で踊りだす3人の女の子、その中に矢澤の姿は無かった。

 

 

 あれ? μ’sって矢澤がいたグループじゃないの?

 

 

 疑問を抱いたまま『START:DASH!!』の動画を見終えて、次は『これからのsomeday』という動画を再生する。

 

 

 踊っているのは7人の女の子、その中に矢澤にこの姿もあった。

 

 

 それ以降に見た動画からは更に2人の女の子が加わって、矢澤を含めた9人が映っていた。

 

 

 

 

 

 9人の女神――――

 

 

 

 

 

 

 

「……μ’s。矢澤のいたスクールアイドル」

 

 

 

 μ’sの輪の中にいる彼女は、今日見せたライブの何倍も、強く光り輝いていた。

 

 

 

  



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3話

 

 

 寝坊したぁぁぁぁ!!

 

 

 ヤバい! 今日は大学の講義が一限目からあるのに何故かセットした目覚まし時計が鳴らず、授業開始まであと5分という時間に目を覚ましてしまった!!

 

 

 とりあえず顔を洗って軽く歯を磨き、服を着替えて準備完了! 要した時間はたったの2分。ってあと3分しかねぇ!!

 

 

 俺は家を出るとダッシュで大学に向かった。

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……間に合った」

 

 

 

 教室の前。俺は膝に手を付きながら荒れた息を整えていた。ハァハァと肩で息をしながら中に入っていくのもカッコ悪い。男ならクールに入っていきたいものだ。

 

 その場で何度か深呼吸をする。よし、だいぶ落ち着いた。

 

 

 俺は後ろの扉を開けてクールに教室内へと入っていく。教室は既に講義を受ける学生で埋め尽くされていて、俺が扉を開けた音に反応したのか大半の人が視線を俺に向けていた。

 やべぇ……超恥ずかしい。全然クールじゃねえ。

 

 

 講義の準備を始めている教授も遅れて入ってきた俺を睨むように見つめている。いつまでも立っているわけにはいかないので、どこか空いている席がないか見渡す。

 後ろの席は人気なようで埋まっている。真ん中の方も満席になっていて空いているのは前の方の席だけだった。

 

 

 仕方なしに前の席に向かって歩いていく。すると、一番前の席に見覚えのある顔を見つけた。

 

 

 

 矢澤にこ。

 

 

 

 大学の『キャンパスアイドル』にして、入学式の日に俺にぶつかってきた当たり屋中学生だ。人気スクールアイドルμ’sの元メンバーだった彼女の学内での人気は凄まじい。

 にもかかわらず、彼女の隣は空席になっていた。ああ、畏れ多くて隣になんか座れないという事か。

 

 

 俺は矢澤のいる席の方へと歩いていき、

 

 

 

「隣、座っていいか?」

 

 

 

 自分に声をかけられたと気付いた矢澤は、顔を上げて俺を一瞥する。

 

 

 

「どうぞっ」

 

 

 

 矢澤は甘々しい声色でそう言った。周りに大勢の人がいるからアイドルモードの声で言ったのだと思うが、コイツはもっと杜撰(ずさん)な対応を俺にする奴だ。

 いきなり人にぶつかってくる当たり屋だし、ライブの礼を言うために声をかけた時とはかなり口調が違っている。

 

 

「あ、ありがとう」

 

 

 その変わりように戦慄しながら、俺は椅子を1つ開けて彼女の右隣に腰を下ろす。すると講義が始まって、教授が講義の概要をスライドを使って説明し始めた。

 

 

 つんつん、と突然左腕に何かに突かれた感触がする。見ると、左隣に座る矢澤がペンで俺の腕を突いていた。

 

 

「なに?」

 

 

 周囲に聞こえないよう声をなるべく小さくして矢澤に聞く。すると矢澤はノートを取り出してそこに何やら文字を書いていく。書き終わるとそれを俺に見えるよう丁度俺たちの間に置いてきた。

 

 

『何でにこの隣に座るわけ?』

 

 

 これは……筆談!? まさか大学生にもなって講義中に筆談をするとは思わなかったぞ。

 とりあえず、矢澤が書いた文字の下に俺も文字を書いていく。

 

 

『空いてたから』

『そう』

 

 

 俺の書いた事に対する矢澤の返答はそっけないものだった。これで終わらすのは悔しいので今度は俺から話題を振る。

 

 

『μ’sの動画見た』

『どうだった? にこ凄かったでしょ?』

『入学式のライブより凄かった』

『腹立つんだけど! でも実際そう思うわよね、にこだってそれは感じてるわ』

『……自覚あるんだ』

『当然よ、にこを甘く見ないで』

『なあ、μ’sって何で解散したの?』

 

 

 

 他愛のないやり取りが続いていたが、俺のその質問に矢澤が答える事はなく、筆談はそこで終了となった。

 

 

 

 

 μ’sの解散。それは彼女にとって触れられたくない話題だったのだろう。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 大学生になって初めての休日。雲一つない快晴となったこの日、俺は電車に揺られていた。昼頃に目を覚まして太陽を浴びるとぽかぽか陽気が心地良くて、どこか出かけようと思い俺は電車で少し遠出をしていた。

 

 

 大学の最寄駅から電車に乗ることおよそ2時間。ようやく目的の駅に到着して電車を降りる。改札を出て少し歩いていくと、ようやく目的の場所に到着した。

 

 目の前に広がる壮大な青、緩やかに吹き付ける潮風、微かに聞こえる波の音。

 

 

 そう。

 

 

 

「海だぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!」

 

 

 

 海にやって来た!

 

 

 俺以外誰一人として姿が見えない浜辺の景色に、まるで世界に自分一人だけしかいないように感じる。

 

 

 浜辺の近くにはバイパスが通っていて、その高架下には階段状になった場所がある。その一段目に腰を下ろして誰もいない浜辺を眺める。

 そうする事で気分を落ち着かせて、俺はバッグからノートとシャーペンを取り出す。ノートを開き、一度深く目を閉じる。よし、準備完了。

 

 

 思いついた単語や文字をそこに書き連ねていく。

 

 

 ここで一つ自己紹介。俺の趣味は曲づくりだ。小さい頃から音楽が好きだった俺は、様々な楽器に触れて毎日を過ごしていた。

 やがて自分でも曲を作りたいという思いが強くなっていき、高校生の頃から自分で曲を作ってネットの動画投稿サイトに投稿したりしていた。

 

 

 まあ曲作りに夢中になる余り勉強が疎かになってしまい、大学受験に一度失敗したのだけれど。さすがに浪人している身で曲を作るわけにはいかず、1年間は曲を作らず真剣に勉強に取り組んだ。

 その結果晴れて都内の大学に合格。そして自粛していた曲作りをこうして再開している。

 

 

 今書いているのは新曲の歌詞。浮かんだフレーズを書いては消し、書いては消しを繰り返す。

 

 

 一朝一夕で歌詞が出来上がるものでは無いのだけれど、今日はどうにも調子が出ない。これは長丁場になりそうだ。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 それから歌詞を考える事およそ2時間。気が付けば太陽はとっくに傾いていて、空は綺麗なオレンジに染まっていた。

 その色が海面に反射して映っていて、薄暗い中でキラキラと輝いている。

 

 

 それほどの時間が経っているにもかかわらず歌詞の進捗状況は悪く、ノートの殆どが真っ白なままだ。

 

 

 1年間も歌詞を書いていなかったから、勘を取り戻せていないのかもしれない。曲作りに夢中になっていたあの頃のように、スラスラと文字が浮かばない。

 

 

 ならば、勘を取り戻すまで同じ事を繰り返すのみ。決意を新たにペンを握りしめたその時。

 

 

 

 

 目の前の砂浜に向かって歩く、一つの小さな人影が見えた。

 

 

 

 やや小さめなその体。特徴的なツインテール。あれは――――

 

 

 

 

「……矢澤」

 

 

 

 

 俺と同じ大学に通うキャンパスアイドル、矢澤にこ。

 

 

 彼女が昨年開かれた『ラブライブ!』で優勝した伝説のスクールアイドルグループ――μ’sのメンバーだったという事を、俺は先日μ’sについて調べていた時に初めて知った。

 

 

 μ’sは矢澤の他に8人のメンバーがいたのだが、その8人の名前まで覚える気が俺には無かった。

 俺が興味を持ったのは矢澤にこというアイドルだったから、その他のメンバーには関心が持てなかった。

 

 

 μ’sの動画を見ている時も、矢澤にしか目がいかなかった程の入れ上げっぷり。あれ、なんか俺ストーカーっぽくね? いや、動画を見ろって言ったの矢澤だし。

 

 

 自分が矢澤のストーカーなのではないかという疑惑に若干肩を落としながら、それでも俺は砂浜を歩いていく矢澤に視線を向けてしまう。

 

 

 

 歩みを進めていき、波打ち際で立ち止まる矢澤。

 

 

 

 

 ――――そして。

 

 

 

 

 

 

「アイドルになりたーーーーいっ!!」

 

 

 

 

 

 

 叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 



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4話

 

 

「アイドルになりたーーーーいっ!!」

 

 

 

 

 

 誰もいない砂浜で、矢澤は叫んだ。

 

 

 アイドルになりたいって、キミは大人気のキャンパスアイドルじゃないか。

 

 

 分からない。何故彼女が大声でそう叫ぶのかが。ただ単純にプロのアイドルになりたいだけかもしれないが。

 それでも俺は分からない。彼女が何を思いアイドルになりたいと願うのか。

 

 

 ただ一つだけ、俺にも分かる事がある。

 

 

 

 

 それは、矢澤が本気だという事。

 

 

 

 

 本気でそう思っている。本気でアイドルになりたいと、叫んでいる。

 現状に満足する事なく、より高みを目指す。その心からの言葉は、俺の心を激しく揺らした。

 

 

 

「はぁ、はぁ。あぁ、スッキリした」

 

 

 

 叫び終わった矢澤は、波打ち際でくるりと振り返り、この場を後にしようと一歩踏み出そうとする。

 

 

 が、一歩目を出したところでその歩みを止めた。

 

 

 

「あ、アンタ……何でここにいるのよ」

 

 

 

 俺と矢澤の視線が、バッチリと合った。

 

 

 

「……やあ」

 

 

 とりあえず挨拶をしておく。何事も挨拶は大事だからな。

 

 

 

 すると矢澤は、高架下にいる俺の元へと走ってやって来て――

 

 

 

 

「よいしょぉぉぉぉ!!」

 

 

 

 

 俺は投げ飛ばされた。

 

 

 服を両手で掴まれて、背負い投げのように見事に投げられた。

 

 

「いってぇ……」

 

 

 服に付いた砂を払いながら立ち上がる。

 自分よりも小さい女の子に容赦無く投げ飛ばされるとか……情けねえ。

 

 

 俺は投げ飛ばした張本人をキッと睨みつける。

 

 

「いきなり何すんだよ! 服が砂まみれじゃねぇか!」

 

 

 立ち上がって服に付いた砂を払い落としながら、いきなり俺を投げ飛ばす柔道家矢澤に文句を言う。

 

 

「聞こえたわよね?」

「な、なんのことやら」

 

 

 俺の言葉を無視してそう問いかける矢澤。無視された事に俺はとぼけてみせる。実際はハッキリと聞こえていたが。

 

 

「とぼけないで!」

「はい聞こえました」

 

 

 矢澤は俺の嘘をあっさりと見抜く。そりゃあ、あれだけ大声で叫んでいれば聞こえる。

 

 

 

「忘れなさい! さっき聞いた事、今すぐ忘れなさい!」

 

 

 

 矢澤は鬼の形相で忘れろと命じた。

 その顔には怒り、焦り、羞恥が入り混じっている。

 

 

 アイドルになりたいと彼女は言った。

 

 入学したばかりなのにキャンパスアイドルとして人気を得ている彼女が、心からそう叫んだ。

 それにはきっと、彼女なりの理由があるに違いない。単純にプロになりたいという事ではない、もっと別の何かが。

 

 

 

 

 ――だから俺は。

 

 

 

 

「忘れない。というか、忘れられない」

 

 

「なっ!?」

 

 

 

 嫌がらせとかそういうのではなく、俺は本心でそう言った。

 

 

「なんでよ! 忘れなさいよ!」

「嫌だ、忘れない」

「いいから! とっとと忘れなさい!」

「無理だよ。忘れられない」

 

 

 終わりの見えないやり取りに矢澤は苛ついたように頭を抱える。

 

 

「そもそもアイドルになりたいってどういう事なんだ? あれだけ人気があるのに」

 

 

 単純な疑問。今まで思っていたそれを彼女に聞く。

 

 

「い、言うわけないでしょ!」

「なんでさ、君と俺の間柄じゃないか」

「どんな間柄よ!?」

「えーっと……入学式の日にぶつかった」

「それただの被害者と加害者よね!? しかもにこが加害者じゃない!」

「じゃあ……講義中にこっそり筆談した」

「アンタが急に隣に座ってくるからでしょ!」

「でも君から始めたよね?」

「それは確かにそうだけど……ああもう! さっきから何なのよアンタ!!」

 

 

 何って、さっき言ったじゃないか。

 

 

 

「俺は君が何故、アイドルになりたいなんて叫んだのか。それが知りたい」

 

 

 

 彼女の目をまっすぐに見て俺は言う。矢澤はひたすら向けられる俺の視線に耐えられず目を逸らした。

 

 

「いいわよ! そんなに知りたいなら教えてあげるわよ! 言っとくけど誰にも言っちゃダメだからね!」

 

 

 矢澤はとうとう痺れを切らした。彼女の言葉に俺は頷いて、次の言葉を待つ。

 

 

 

 

「――ただ単純に、今のにこは自分の事を胸を張ってアイドルとは呼べない。それだけよ」

「……どういう事?」

 

 

 張る胸が無いだろ、という言葉は今必要ないだろう。

 

 

 矢澤は続ける。

 

 

 

「今にこが人気なのは、にこがμ’sの元メンバーだから。それはにこ自身の人気じゃない」

 

 

 

 μ’sの元メンバー。それが今の矢澤人気に繋がっているという事だった。

 

 

 

「人気があるなら、それで良いんじゃないのか?」

 

 

 

 アイドルは何より人気がある事が大事だと思う。そういう意味で、彼女の言っている事は矛盾していた。

 

 

 

「今はね。でもそれに頼って、いつまでも一人でμ’sの曲を踊っていれば、ファンは飽きてくるわ」

「それは――」

「みんなμ’sの曲を聴きに来ているのよ。矢澤にこを見に来たんじゃなくて、終わったはずのμ'sを求めている。ステージに立ったら分かるの」

 

 

 

 その言葉に、俺は否定できなかった。最初μ’sを知らなかった俺は、入学式のライブの盛り上がりは矢澤自身が作り上げたものだと感じていた。

 けれど。彼女に言われてμ’sを知り、それを踏まえて今の言葉を聞くと、嫌でもそう思ってしまった。

 

 

 彼女は誰にも見られていない。ステージに立って歓声を浴びながら、彼女はずっと孤独を感じていたのだろう。

 

 

 

 だから矢澤は、ここで叫んだ。

 

 

 

 アイドルになりたいと。

 

 

 

 

「――でもね」

 

 

 

 

 視線が合う。

 

 

 

 

 

 

 

 

「μ’sを知らないアンタに、にこのライブで感動したって言われて……嬉しかったわ。だから、ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 アイドルに礼を言われた。よくある社交辞令のようなものではなく、本心からの言葉。

 

 

 

 

 彼女にとって、俺の言葉が救いのようなものになっていたと言うのなら、これほど嬉しい事はない。

 

 

 あの時、彼女に伝えておいて本当に良かった。

 

 

 

 

 ただ、俺だけじゃダメなんだ。

 もっと沢山の人に彼女は見てもらうべきなんだ。μ’sの元メンバーではなく、矢澤にこ本人を。

 

 

 

 

 その為に俺は――

 

 

 

 

 

 

「だったら、俺が君の曲を作る」

 

 

 

 

 

 

 これが、君の為に俺が出来る事。

 

 

 

 

「……アンタ、曲作れるの?」

「聴いてみるか?」

 

 

 

 矢澤は小さく頷く。

 

 

 

 

 俺と矢澤は高架下の階段に隣り合って腰掛ける。バッグの中から音楽プレーヤーとヘッドホンを取り出して、それを渡す。

 

 

 矢澤はヘッドホンを付けた。俺は音楽プレーヤーを操作して、自作の曲を再生する。

 

 

 曲が流れ始めると、矢澤は黙り込んで真剣に曲に聴き入った。

 

 

 

 

 

 およそ4分間の曲が終わると、矢澤はヘッドホンを外して俺を見た。

 

 

 

「なかなか良い曲ね」

「ありがとう。それで、どうする?」

 

 

 

 

 判断はあくまで、彼女に委ねる。

 

 

 暫く考え込んで、矢澤は――

 

 

 

 

「いいわ。アンタににこの曲を作らせてあげる」

「随分と上から目線な物言いだな。分かった、君の為に作らせてもらいますよ」

 

 

 

 

 契約成立。

 

 俺は彼女の為に曲を作る。

 

 

 

「ねえ。その“君”って呼ぶのやめてくれない?」

「わかったよ、矢澤」

「矢澤もダメよ。にこの事はにこって呼ぶこと、いいわね?」

「はいはい。――にこ」

「よろしい」

 

 

 名前で呼ばれて彼女――にこは満足そうな笑みを浮かべた。

 

 

 

「それで、アンタの名前は?」

 

 

 

 そういえば、まだ名乗っていなかった。

 

 

 

 

音坂譜也(おとさかしんや)だ」

 

 

 

 

「そう。じゃあ譜也、これからよろしくね」

「ああ、よろしく」

 

 

 

 

 

 

 夕焼け空の下。

 

 

 

 

 

 俺と彼女は握手を交わした。

 

 



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5話

 

 

 矢澤にこに曲を作ると約束して数日が立った。

 

 

 にこの為に作る曲。つまりそれはアイドルソングになるわけだが、俺は今までアイドルソングを作った事がない。

 何とかして彼女を大勢の人に見てもらおうとして、曲を作るなんて大口を叩いてはみたけど、今のところどうすればいいのか全くもって分からない。

 

 

 精々、無数にあるアイドルソングを片っ端から聴いて勉強しているぐらいだ。

 

 

 ヘッドホンから流れるどこのアイドルなのかも知らない曲を聴きながら、俺はこれから一限目の講義が行われる教室へと向かっている。

 この前のように遅刻ギリギリに到着するのは避けて、時間に余裕を持って。

 

 

 教室に辿り着く。腕時計で時間を確認すると、まだ講義が始まるまで20分も余裕があった。

 教室にいるのは数人だけで、講義を受ける学生はほとんど来ていない。

 

 

 窓側の後ろの方の席に座る。

 

 

 窓から射し込む朝日が心地よく、まだ完全には覚醒していない体に眠気となって容赦無く降り注ぐ。

 

 

 講義開始までまだ20分も時間がある。

 

 

 講義が始まるまで寝ようと決意し、ヘッドホンから流れるどこかのアイドルソングを子守唄に、俺は短い眠りに就こうと机に上体を預けた。

 

 

 

 

 

 それからどれ程の時間が経っただろうか。誰かが俺の肩を揺さぶって、俺を起こそうとしていた。

 いい感じに眠れそうだったのに……いったいどこのどいつだ。

 

 

「ちょっと譜也、起きなさい」

 

 

 ヘッドホン越しに誰かが何か言っているが、音楽が流れていてよく聴こえない。

 

 

「ちょっと、起きなさいってば」

 

 

 右肩をゆさゆさと揺らされる。やめてくれ、俺はまだ眠っていたいんだ……。

 

 

 すると、付けていたヘッドホンが突然外された。そこで俺は目を開けて、ヘッドホンを外した犯人を見た。

 

 

「やっと起きたわね」

 

 

 矢澤にこ。

 

 俺が曲を作ると約束したキャンパスアイドル。

 

 

 腕時計を見る。まだ講義が始まるまで10分もの時間があったけど、仕方なく俺は体を起こした。

 

 教室では教授が講義の準備をしていて、学生もちらほらと集まってきている。

 

 

「……なんだよ。まだ講義始まらないじゃないか」

「曲出来た?」

 

 

 こっちの話を聞きやしない。

 

 

「そんなすぐに出来るわけないだろ」

「なによ。にこの為に曲作ってくれるって言ったくせに」

「作るとは言ったけど、そんな一瞬で出来るものじゃないんだよ。それにアイドルソングなんて作った事ないし」

「アイドルソング作った事ないの!? それでよくあんな大口を叩いたわね。でもそれは真姫ちゃんも同じよ」

「……真姫ちゃん?」

 

 

 知らないその名前に俺は首を傾げる。

 

 

「μ'sの元メンバーよ、今は高校二年生。アンタ、μ'sの事調べたんじゃないの?」

「メンバーの名前まで覚えてねえよ。にこは別だけど」

「そ、そう。まぁアイドルの曲を作った事が無かった真姫ちゃんも作れたんだから、譜也も作れるわよ。期待してるからね」

「……そうだな。頑張るわ」

 

 

 俺がそう言ったところで、教授が喋り出して講義が始まった。

 

 

 睡眠を邪魔されて今まで意識していなかったが、にこは俺の隣の席に平然と座り、ノートをとって講義を受けている。

 

 

 こうして見るといたって普通の大学生に見える彼女だけれど、アイドル特待生としてキャンパスアイドルやってるんだよなぁ。

 

 

「なによ、ジロジロ見て」

「……別に、何もないよ」

「講義に集中しなさい。あと、曲もちゃんと作るのよ」

 

 

 どっちだよ……。

 

 

 

 

 それっきり、にこは前を向いて講義に集中していた。俺は教授の話を聞いてノートをとりつつ、曲の事を考えながら講義を受けた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 昼休み。

 俺は大学の食堂で一人ランチタイムと洒落込んでいた。大学に入って未だ友達が出来ていないので、何をするにしても基本一人でいる事が多い。

 

 

 今日の講義もにこが俺の隣に座っていたけど、にことは友人というよりかは、ビジネスパートナーといった関係だ。

 アイドルになりたいと願う彼女の為に曲を作る俺。そこに友情なんて存在しないし、そもそも出会ってからまだ1週間程しか経っていない。

 

 

 というわけで今日も一人飯。あぁ……学食のカツ丼は美味いなぁ。

 

 

 俺が一人でカツ丼を堪能していると、背後から複数の女性の会話が聞こえてきた。

 

 

「あっ、にこちゃんだー!」

「ねぇねぇ、お昼一緒に食べない?」

 

 

 気になって後ろを振り向くと、二人の女性に矢澤にこが話しかけられていた。

 

 

「いいですよーっ」

「本当!!」

「にこちゃんありがとー!」

 

 

 にこはアイドルモード(俺命名)の甘ったるい声で女性達の誘いを受ける。見た所、女性達はにこのファンのようだ。

 

 

 にこと女性二人は俺の後ろのテーブルに座った。

 

 

「ねぇねぇ、アイドル部って部員どれ位いるの?」

 

 

 女性の一人がにこに質問をする。

 アイドル部とはにこの所属するサークル。そこに所属してアイドル活動をしている人達は、一般的ににキャンパスアイドルと呼ばれている。にこもその内の一人だ。

 

 

「んー、20人位にこっ」

「グループはどれ位あるのー?」

 

 

 アイドル部の中にも、いくつかのアイドルグループが存在している。軽音部にバンドが複数あるのと同じだ。

 

 

「今は5つあるにこっ」

「にこちゃんは何ていうグループに入ってるのー?」

「にこは今、ソロで活動してるにこっ」

「ソロなんだ。なんかもったいないね」

「そうだよー、大学でもμ'sみたいなグループでやって欲しいなー」

 

 

 μ's。

 

 

 その言葉で女性達が矢澤にこではなくμ'sを望んでいる事が分かる。

 やはりにこが言っていた通り、矢澤にこ本人を見ている人はいない。

 

 

「……」

「にこちゃん?」

「どうしたのー?」

 

 

 後ろにいるのでにこの表情は見えない。きっと彼女は今、悔しさを押し殺しているのだろう。

 

 

「μ'sはあのメンバーだったからμ'sだったにこっ。だからにこは、今度はソロで頑張るにこっ」

「そうなんだー」

「頑張ってね。応援してるよー!」

 

 

 なんと心のこもって無い応援だろうか。あー、カツ丼美味いなー。

 

 

「あ、にこちゃんのお弁当可愛いー!」

「本当だ、可愛いー!」

「自分で作ってるのー?」

 

 

 これが俗に言う『可愛いって言う私可愛い』ってやつか。初めて聞いた。

 

 

 それにしても、にこは学食ではなく弁当なのか。

 

 

「そうにこっ。にこが作ったお弁当にこっ」

 

 

 しかも自分で作っているときた。最近のアイドルは料理も出来るのか……って、それはアイドル関係無いか。

 

 

「えーすごーい!」

「にこちゃん可愛いー!」

「ねぇねぇ、にこちゃんって一人暮らし?」

「にこは実家から通ってるにこっ」

「そうなんだー。どこに住んでるの?」

「アキバの近くにこっ」

「アキバ! アイドルっぽい!」

「そうだねー! アイドルっぽいー!」

 

 

 アキバに住んでいる事がアイドルっぽいってどういう事だよ。頭の悪い会話に俺の頭が痛くなってくるわ。

 

 

 思いも寄らぬ所でにこの実家情報を手に入れてしまったが、重要なのはそこでは無い。

 

 

 

 秋葉原――通称、アキバ。

 

 

 

 にこと会話している女性達がアイドルっぽいと称したように、そこはオタク文化の聖地でもある。もちろんアイドル関連の店も数多くあると耳にしている。

 秋葉原に行けばアイドルソングについて何かヒントが得られるかもしれない。

 

 

 

 そうだ、アキバに行こう。

 

 

 

 というわけで俺は週末の休み、秋葉原に行こうと決意した。

 

 



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6話

 

 

 休日。にこの実家情報からヒントを得た俺は、秋葉原に行こうと今日を迎えた。

 

 テレビを点けると朝の情報番組がやっている。その音を聞き流しながら、俺は寝巻きから外出用の服装に着替える。

 

 

『続いては、本日の星座占いのコーナーです!』

 

 

 テレビから聞こえたアナウンサーの声に、俺はふと視線をテレビに移す。

 普段はこういう星座占いなんて信じないんだけど、今日はなんとなく耳に入り、目を向けてしまった。

 

 

 11位から順に星座占いの結果が発表されていく。2位まで発表されて、俺の星座はまだ出ていない。

 ちなみに俺の誕生日は4月28日。おうし座だ。

 

 

 やがて残ったのは1位と12位だけになった。自分の星座が残っているだけあってなんだがドキドキしている。

 

 

『12位はふたご座のアナタ。外出すると不運に遭うかもしれません』

 

 

「おっ。じゃあおうし座は1位か」

 

 

 おうし座が言われなかった事で、この番組での星座占いで俺は1位となった。ちょっぴり嬉しい。たまには星座占いも悪くないかもしれんな。

 

 

 しかしふたご座の人。外出すると不運に遭うとか可哀想すぎるだろ。今日は外に出るなってか。

 

 

『そんなふたご座のアナタにオススメのアイテムがこちら。タロットカードです! これを持って外出すれば不運は免れるかも』

 

 

 タロットカードとか、そんな物持ってる人いないだろ。これは巧妙なタロットカードのステマかな。

 

 

『そして1位はおうし座のアナタ。今日は素敵な出会いがあるでしょう!』

 

 

 

「素敵な出会いねえ……」

 

 

 俺が曲を作ると約束したキャンパスアイドル――矢澤にことの出会いは素敵とは程遠かった。むしろその真逆。

 いきなり彼女が俺にぶつかってきて、何故か俺が文句を言われるという出会いだった。

 

 

 しかし今ではにことビジネスパートナーのような関係になったというのだから不思議なものだ。ただ、出会い方はもう少し素敵な方が良かった。

 

 

 

 

 準備を終えてテレビを消す。

 

 

 にこの為に作る曲のヒントを得る為に。ついでに素敵な出会いとやらを期待して、俺は秋葉原へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 電車で1時間かけて秋葉原にやって来た。今日も今日とて良い天気に見舞われており、絶好のお出かけ日和となっていた。

 

 

 秋葉原駅の改札を通り抜け初めてやって来た秋葉原の街に、心が浮つき自然と足取りも軽くなっていた。

 

 

 

 だからなのか。俺、音坂譜也は――

 

 

 

 

 

「……迷った」

 

 

 

 

 

 道に迷っていた。絶賛迷子中である。大学生にもなって道に迷うとか恥ずかしいったらありゃしない。

 

 

 駅を出ると、あまりの人混みに耐えられず少し道を外したのがいけなかった。

 細い路地に入ってしまい、曲がり角に来ると適当に曲がる。それを繰り返していたら、どっちが秋葉原の方向か分からなくなってしまった。

 

 

 立ち止まっていても秋葉原には辿り着けない。そう思って俺は知らない道をひたすら歩き続けていた。

 

 

 誰か人を見つける事が出来ればその人に道を尋ねようと思っているのだが、これまで歩いてきて人とすれ違う事は無かった。

 

 

 閑静な住宅街をまっすぐに歩いていく。

 

 

 すると、遠く前の方からこちらに向かって歩いている人の姿が見えた。遠目からなのでよく見えないが、おそらく女性だ。

 よかった、やっと人に会えた。気分は第一村人発見といった感じ。ここ都会だけど。

 

 

 ホッと一息つく。その人に秋葉原までの道のりを尋ねようと、俺の足は心なしかその歩みを速めいった。

 

 

 信号のない交差点。そこで俺は一旦立ち止まった。正面から歩いてくる女性も交差点の手前まで来ている。

 

 

 スマホを片手に眺めながら歩く女性は交差点に差しかかり、そのまま立ち止まらずに交差点を渡ろうとした。

 

 

 

 

 キィィイイイイッッ!!!

 

 

 車のブレーキ音が突如として鳴り響く。

 

 

 横から交差点に進入しようとする一台の車が、目の前の女性に迫っていた。

 

 

 

「…………えっ」

 

 

 

 女性は横に視線を向け、自分に迫って来る車を見つめて動こうとしない。いや、恐怖で体が動けなくなってしまったのか。

 

 

 

 

「――危ないッ!!」

 

 

 

 

 俺は咄嗟に交差点に飛び込んで、女性を助けようと駆け出す。

 

 車が止まる気配は無く。すぐそこまで迫って来ていた。

 

 

 間に合えッ!!

 

 

 タックルするように女性の体に飛びつき、勢いそのままに交差点の向こう側に飛び込んだ。

 

 女性の体を庇うように体を捻り、アスファルトに俺は女性を抱えながら背中から倒れこむ。

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、間に合った」

 

 

 間一髪で女性が轢かれるのを防ぐ事が出来た。

 

 

「す、スピリチュアルやん……?」

「おい、大丈夫か?」

 

 

 訳が分からないことを呟く女性に問う。

 

 

「だ、大丈夫です。ありがとうございます」

 

 

 僅かに体を震わせながら女性は答える。よっぽど怖かったのだろう。

 

 

「そうか、良かった」

「あ、あの……」

「ん?」

 

 

 女性は顔を赤くしながら、俺の目をじっと見つめて意味ありげな視線を送ってくる。

 

 ……近い。

 若干緑がかった大きな瞳が、すぐ近くにあった。

 

 

「この体勢のままやと、ちょっと恥ずかしいかなぁ」

 

 

 言われて俺はようやく気が付いた。彼女を助ける時に抱きかかえて倒れこんでいる現状。俺と女性の体は密着と言っていい状態にあった。

 そういえばさっきから何か柔らかい感触が……。

 

 

「わ、悪い」

 

 

 見ず知らずの男と密着しているのは女性も嫌だろう。俺は女性の背中に回していた腕を離した。

 

 

「あ、ありがとう」

 

 

 女性は立ち上がって俺に向かって手を差し伸べてきた。俺はその手を取って起き上がる。

 

 

 そこで初めて俺は女性の姿を見る。

 

 

 まだ20代前半、もしくは成人前かもしれない顔立ち。紫がかった長い髪は肩の辺りで可愛らしい髪留めで結ばれている。

 そしてどうしても目についてしまうのが彼女の胸。一言で言うとデカイ。果物で例えるならメロンである。

 

 メロンの事は一旦置いといて。

 女性は全体的に落ち着いた雰囲気を保っていて、包容力のありそうな印象だ。

 

 

 なんだかどこかで見た事のある人なんだけど、うまく思い出せない。

 

 

 

「あのっ、助けてくれて本当にありがとうございます!」

 

 

 腰を直角に曲げて女性は俺にお礼を言ってきた。

 真っ直ぐに向けられる感謝の言葉に、俺はどう答えればいいのか戸惑ってしまう。

 

 

「いや、無事で何よりだよ」

 

 

 無難にそう答える。これが無難なのかは甚だ疑問ではあるが、変に恩着せがましくするよりはマシだろう。

 

 

「あの、お名前を聞いてもいいですか?」

 

 

 女性は縋るような目で俺に問いかける。まあ言って困るような事でもないし、ここは素直に答えよう。

 

 

「音坂譜也です」

「音坂さん。さっきはウチのこと助けてくれて本当にありがとうございます」

「いいって、そんな大したことしてないし。それより敬語をやめてほしいかな。多分キミの方が年上だろうからむず痒くて」

 

 

 おそらく年上の女性に敬語で話されるのは何だか背中が痒くなる。

 

 

「そう、ですか。じゃあ敬語はナシにするね。それとウチの名前は東條希(とうじょうのぞみ)。今は18歳よ」

 

 

 東條希さんね。

 

 ……って18歳!?

 嘘だろ年下なのかよ。年上だとばかり思ってたわ。

 

 

 

「あの音坂君っ! 助けてくれたお礼に、ウチに何かさせてほしいな。ウチに出来る事なら何でもするよ」

 

 

 ん? 今何でもって。

 

 それじゃあ――

 

 

 

 

 

「秋葉原への道を教えて下さい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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7話

 

 

 秋葉原への道を教えて欲しい。

 そう言った俺に対し東條はこう答えた。

 

 

「ウチもアキバに向かう途中やったから、折角やし一緒に行こうや」

 

 

 彼女にとっても迷惑だろうと最初は断っていた俺だったが一歩も退かない姿勢を見せる東條に、俺は最終的に折れてしまった。

 

 

 そして現在。俺は東條と並んで秋葉原までの道を歩いていた。

 俺が今まで歩いてきた道を辿っていく。どうやら俺はさっきまで秋葉原とは真逆の方向に歩いていたらしい。

 

 

 自分の方向音痴っぷりに恥ずかしさを覚えながらも、ゆっくりと隣を歩く東條に歩幅を合わせながら歩いていく。

 

 

「音坂君は、今いくつなん?」

「俺? 19歳だけど」

 

 

 秋葉原を目指して歩きながら、ふと東條が俺に質問をぶつけてきた。

 

 

「ウチの1つ上やね。じゃあ大学二年生?」

「いや、一年浪人したから一年生」

「そうなんや。じゃあウチと同じやね」

「東條も大学一年生なんだ。年上だと思ってた」

「もう……こないだまでウチ高校生やったんよ?」

 

 

 そんな他愛もない会話をしながらゆっくりと歩みを進める。

 

 

「音坂君は大学どこなん?」

「〇〇大学。ここから少し離れた所の」

「あそこなんや! ウチの友達もそこ通ってるんよ!」

「じゃあどこかですれ違ってるかもな。そう言う東條はどこの大学なんだ?」

「ウチ? すぐそこの△△大学よ」

「ああ、あそこね。良い所じゃないか」

 

 

 なんか、お互いの情報を聞き出している会話になってるな。まあ別にいいんだけど、初対面の女性とこういう会話をするのはお見合いのようで少し照れくさい。お見合いした事ないけど。

 

 

 そういえば。にことはこんな会話した事なかったな。あいつ多分俺の事同い年だと思ってるだろうな、舐めた態度とられてるし。

 

 

「あ、そろそろ着くよ」

 

 

 東條がそう告げる。もうすぐ秋葉原に着くようだ。

 

 人の多い通りに出る。

 そこからまた少し歩いていくと、ふと前方から声がした。

 

 

 

「希っ!!」

 

 

 

 前から駆け足でやって来たのは、金髪をポニーテールに結んだスタイルのいい女性。

 透き通るように白い肌とブルーの瞳。外国人……いや、ハーフかな。まるでモデルみたい綺麗な人だ。

 

 しかしこの人も東條と一緒でどこか見覚えがあるのだが……ダメだ、思い出せない。

 

 

「あ、エリチ。お待たせ」

「もう30分も遅刻よ。何かあったのかと心配したじゃない!」

「あはは、待たせてゴメンな」

 

 

 どうやら東條とエリチさんは友人同士で、待ち合わせをしていたようだ。

 東條が遅れて心配するエリチさん。いやー、いい友情だなぁ。

 

 

「あら? 希、そちらの男性は? ま、まさかボーイフレンドじゃないでしょうね!?」

「そんなんじゃないってば。彼は音坂君。ウチが車に轢かれそうになった所を助けてくれたんやで」

「車に轢かれそうになった!? 希、大丈夫だったの!?」

「うん、音坂君が助けてくれたって言ったやろ?」

「は、ハラショー……」

 

 

 何やら訳が分からない言葉を呟いてエリチさんは俺の顔をマジマジと見つめる。

 

 

「えっと、音坂君でいいかしら。希を助けてくれてありがとう。ハラショーよ」

「いえいえ。……ハラショー?」

「エリチはお婆さんがロシア人のクォーターなんよ。ハラショーはロシア語で素晴らしいって意味」

「そ、そうなんだ」

 

 

 クォーターのエリチさん。なんだか不思議な人だ。

 

 

「私は絢瀬絵里(あやせえり)。希とは高校からの親友なの」

「あ、どうも。音坂譜也です」

 

 

 絢瀬絵里。東條にはエリチと呼ばれている。

 よし、覚えた。

 

 

「音坂君はどうしてアキバに来たん?」

「いや……ちょっとアイドルについて勉強しようと思って」

 

 

 東條の質問に、俺は少し躊躇ったが正直に答える。

 美人な二人にアイドルオタクと思われるのは中々キツいものがあるけど、偶然東條を助けただけで明日からは会う事はないだろう。

 

 

「それやったら、ウチらがアキバを案内してあげるよ!」

「え、いいのか?」

「もちろん! 音坂君には助けてもらった恩があるからね。エリチもそれでいい?」

「構わないわ。希の恩人だから、しっかりエスコートしてあげないとね!」

 

 

 正直、迷子になっていた所をここまで連れてきてくれただけで十分助かっている。

 でも折角だからここは東條と絢瀬にアキバを案内してもらうとしよう。また道に迷うかもしれないし。

 

 

「それじゃあ、お願いします」

「決まりやね。どこから行こっか?」

「アイドルの勉強といったら、やっぱりあそこじゃないかしら」

「そうやね。じゃあ行こっか」

 

 

 そう言って東條と絢瀬は歩き始めた。2人に置いていかれないように、俺は慌ててその後を付いて行く。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

「着いたわ。ここよ」

 

 

 アキバの街を東條と絢瀬という美女2人と並んで歩いていくと、とある場所に辿り着いて、絢瀬は誇らしげな顔をして言った。

 

 

 道中、やけにすれ違う通行人からチラチラと見られていたが、おそらく嫉妬か羨望の視線のどちらかだったのだろう。

 東條と絢瀬みたいな美女2人を連れて歩いている男がいれば、気に食わないのは当然といっていい。俺だって他人が美女と歩いていたら気に食わない。

 

 

 そんな周囲の羨望や嫉妬といった視線を浴びて、いつか刺されるんじゃないかとヒヤヒヤしながらやって来たとある店。乱雑に並べられた商品が店の外まで溢れていて、正直言ってあまり中に入りたくない。

 

 

「ここのアイドルショップは、スクールアイドルを専門に扱っているのよ。さあ、入りましょう」

 

 

 店の外観に呆気にとられていた俺に、絢瀬はそう説明してアイドルショップの中に入っていく。

 

 

「こんな所で立ってても仕方ないし、店の中入ろう」

 

 

 更には東條も俺を促す。

 本気で入りたくないのだけど、わざわざ案内してもらっておいてそう言うのは不義理にも程がある。

 

 

「ああ、そうだな。入るか」

 

 

 先に入っていった絢瀬を追うように店の中へと入っていく。

 店内にはスクールアイドルと思われる人の写真や、プリントが施されたグッズの数々が所狭しと並べられていた。

 

 

 絢瀬は店の一角で立ち止まって、キョロキョロと店内を見渡していた。

 

 

「ここも、変わってないわね」

「そうやね。みんなと来た時もこんな感じやった」

 

 

 どこか遠くを見つめながら2人はそっと呟いた。まるで過去を懐かしんでいるような、そんな目をしている。

 頻繁に秋葉原に来ているであろう彼女達のそんな表情を、俺は不思議に思いながらジッと眺めていた。

 

 

 その事に気が付いて慌てて絢瀬と東條から視線を逸らす。見ている事に気付かれたら恥ずかしいなんてものじゃない。

 

 

 しかし、そうして逸らした視線の先が悪かった。

 

 

 目に飛び込んできたのは一枚の写真。

 

 

「これは……」

 

 

 その写真を手にとる。

 写っているのは、9人の少女達。

 

 

 

「――μ’s」

 

 

 

 つい最近知った、既に解散したスクールアイドル。

 

 

 写真の中には同じ大学のキャンパスアイドル、矢澤にこも写っている。

 

 

 そこには今一緒にいる東條と絢瀬の姿もあった。

 ……なるほど。2人に感じていた既視感の正体はこれだったのか。

 

 

 

 東條希と絢瀬絵里。

 

 2人は矢澤にこと同じ、スクールアイドルμ’sの元メンバーだった。

 

 

 2人共どこかで見た事があると思っていたが、それはμ’sの動画だったとは。完全に失念していた。

 

 

「音坂君、何見てるん?」

 

 

 東條が背後からひょっこり顔を出す。

 

 

「あっ……ウチらの写真。エリチエリチ、音坂君μ’sの写真見てるよ」

「あら、懐かしいわね」

 

 

 絢瀬もやって来て、俺の横に立つ。美人の2人に挟まれて変な緊張が走るが、それよりも今は驚きの方が大きく俺を支配していた。

 

 

「2人共、μ’sの元メンバーだったんだな」

「そうなんよ。もしかして気づいてなかったん?」

「ああ。動画では見たことあったんだけど、思い出せなかった」

「そういえば音坂君の行ってる大学に、にこっちいてるやろ?」

「そうなの!? ハラショー、にこは元気にしてるかしら」

「ああ、元気にアイドルしてるぞ」

「よかった。アイドル特待生の話もらって、にこっちはウチらと違う大学を選んだから」

 

 

 そういえば東條と秋葉原まで歩いている時、大学の話になったな。

 その時に東條の友達が俺と同じ大学に通っていると言っていたけど、あれはにこの事だったのか。

 

 

「その様子だと、音坂君はにこと親しいのかしら」

「親しいかどうかは分からないけど、一応にこの曲を作るって約束したからな。今日はそれで勉強がてらアキバまで来たんだ」

「音坂君、曲作れるんやね。それやったらにこっちと親しいやん」

「そうか?」

 

 

 東條はそう言うけど、自分ではよく分からない。俺はにこの事、ほとんど知らないのだから。にこもまた、俺の事なんて知らないだろう。

 知っているのは、にこがアイドルを目指しているという事。逆ににこは俺について、曲を作っている人ぐらいの認識だろう。

 

 まあ、出会ってまだ一月も経っていない互いの認識なんてこんなものだと思うけど。

 

 

「……にこっちの曲を作るなんて、よっぽど信頼されてるんやね」

 

 

 東條は俺を見て微笑みながらも、まるで独り言のようにそう言った。

 

 それはアイドルに対する未練なのか。頑張っている友人に思いを馳せているのか。もっと違う別の何かなのか。

 

 

 不思議な人だ。

 

 

 柔和な雰囲気を漂わせているのに、どこか秘匿的というか、ミステリアスさを東條からは感じてしまう。

 

 

「あれ、エリチがおらんね」

 

 

 キョロキョロと周囲を見渡す東條。その言葉で俺も視線を巡らせてみるが、絢瀬の姿はどこにも無かった。

 

 

 もしかして迷子になったのか!?

 

 

 いやいや、それは無いだろう。まだ狭い方の店内で迷子になるなんてあり得ない。

 

 

「あ、戻ってきた。エリチ、一人でどこ行ってたん?」

「ふふっ、これを探してたのよ!」

 

 

 戻って来るなり絢瀬は手に持っていた物を、自慢気に俺と東條に見せてきた。

 

 

「これは……μ’sとA-RISE(アライズ)のCDやね」

「その通りよ希! 音坂君は曲作りの勉強でアキバに来たのよね。ならこのCDを買えばバッチリよ!!」

「そ、そうか。ありがとう。ところでA-RISEって?」

 

 

 なぜかドヤ顔で言う絢瀬に少し戸惑ってしまう。

 そして出てきた『A-RISE』というワード。この店にCDが置かれてるって事はアイドルグループの名前なのかな?

 

 

「A-RISEとウチらμ’sはライバルみたいな関係やったんよ。第一回ラブライブはA-RISEが優勝。第二回はウチらμ’sが優勝したんやで」

「ライバル……なんか良いな、そういう関係」

 

 

 互いに競い合い、高め合う存在。ありふれたようで、なかなか得ることができないものだ。

 

 

「今A-RISEはプロのアイドルとして活躍しているのよ。だからきっと役に立つと思うわ。私達の曲は……にこの曲のどこかに、少しだけでもμ’sの何かを残してほしいっていう個人的な感情ね」

 

 

 

 優しげな顔をして絢瀬は言う。

 

 友人を思っているその表情は、まるで母親が我が子に向けるそれのように、優しさに満ち溢れていた。

 

 

「分かった、参考にさせてもらうよ」

 

 

 絢瀬が薦めてくれてCDを購入して、俺達はアイドルショップを後にした。

 

 

 



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8話

 

 

 アイドルショップを後にした俺達は、特に行き先を決めるわけでもなくただ秋葉原の街をぶらぶらと散策していた。

 

 

 歩いていてひしひしと感じるのが、通行人から向けられる嫉妬の篭った視線。

 アイドルショップに向かう途中でも俺に突き刺さるようにして向けられていたそれは、横を歩く二人――東條希と絢瀬絵里がかつてのスクールアイドル、μ’sの一員だった事が原因であることは明白だ。

 

 

 元人気スクールアイドルの二人に挟まれて歩いているあの男は一体誰なんだと。ある種そんな懐疑的な視線。

 

 

 気にしているのはどうやら俺だけのようで、東條と絢瀬はさっきから自分達に向けられる目を気にせずどこ吹く風といった様子で歩いている。

 

 

 人気者が故にそういった視線に慣れてしまったのか、単に鈍感なだけなのか。

 

 

 そんな事、俺の知るよしもないのだが。

 

 

「少し歩き疲れてきたわね。どこか店に入って休憩しない?」

 

 

 右側を歩く絢瀬がため息混じりに言った。

 

 

「確かに店を出てからずっと歩いているし、いいかもな」

「そうやね、ウチも賛成!」

 

 

 俺と東條もそれに賛同する。確かにずっと歩きっぱなしだったから、休憩するのには丁度いい頃合いなのかもしれない。

 

 

「そうだ、ことりがいる店に行かない?」

「ことり? それいいな、賛成」

 

 

 小鳥の囀りを聞きながら優雅に寛ぐことができる店かな? 想像すると雰囲気がよさそうな店だ。小鳥カフェ的な。

 

 

「音坂君はことりちゃん知ってるん?」

「ああ、好きだよ」

 

 

 スズメとかウグイスとか、小さくて愛くるしい姿がとても可愛い。ペットで飼うなら犬や猫より断然小鳥だ。

 しかし東條は小鳥のことをちゃん付けで呼ぶのか、少し変わってるな。

 

 

「へぇー……そうなんやね」

 

 

 東條が少し冷ややかな目で俺を見つめる。あれ、小鳥が好きってそんなに変な事なのだろうか……。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「お帰りなさいませご主人様、お嬢様!」

 

 

 東條と絢瀬に連れてこられた先は、何故だかメイドカフェだった。

 

 え、ここに小鳥いんの?

 どう見てもいなさそうなんだけど。

 

 

「ミナリンスキーさんはいるかしら?」

 

 

 出迎えてくれたメイドさんに、絢瀬は慣れたようにそう口にする。

 メイドさんは少々お待ちくださいと言って離れていった。

 

 

 しばらくすると、さっきの人とは違うメイドさんが俺達の元へやって来た。

 

 

「――絵里ちゃん、希ちゃん!」

 

 

 そのメイドは東條と絢瀬の姿を見るやいなや、トテトテと小走りでやって来て2人に抱きついた。呼び方から察すると、3人は知り合いなんだろう。

 

 

 グレーが強めの長い髪。白と黒のコントラストが美しいメイド服越しでもハッキリと分かるスタイルの良さ。

 そして何より特徴的なのは、脳をトロけさせるような甘い声。

 

 

 東條と絢瀬の名前を呼ぶ声を聞いただけで耳がふやけそうになる。

 

 

「久しぶりやね、ことりちゃん」

 

 

 え、ことり?

 

 

「そうね。ことりと会うのは卒業式以来かしら」

「絵里ちゃん、希ちゃん、会いたかったよ〜」

「もう、ことりったら。少し会わない間にすっかり甘えん坊になって」

 

 

 もしかして、メイドさんの名前が『ことり』と言うのだろうか。

 

 

 それにしてもこの『ことり』と呼ばれるメイドさん。彼女に対しても東條と絢瀬を見た時に覚えた既視感と似たようなものを感じる。

 

 

 きっと彼女も、μ’sの元メンバーなのだろう。そういえばさっきのアイドルショップで手に取っていた写真に写っていたような気がする。

 

 

「絵里ちゃん、希ちゃん。そっちの男の人は……もしかして絵里ちゃんか希ちゃんの彼氏さん!?」

 

 

 ことりと呼ばれる少女はハッと驚いた顔をして言う。

 

 

「違うでことりちゃん。彼は音坂君って言うて、ウチが事故に遭いそうなところを助けてくれた優しい人なんよ。それで音坂君、ことりちゃんはウチらと同じμ’sの元メンバーなんや」

「そうなんだ〜。彼氏だったらことり、ビックリだったよ。あ、音坂さん初めまして、南ことりって言います」

「どうも……音坂譜也です」

 

 

 メイドカフェの入口付近でお互いに自己紹介、こんな体験は人生で初めてだ。そもそもメイドカフェに来ること自体が初めてなんだけど。

 

 そしてやはりメイドさんはμ’sの元メンバーで、名前はことりだった。まあ名前で呼ぶのは恥ずかしいから南って呼ぶんだけど。

 

 

「音坂君は、ことりちゃんの事が好きなんやで」

「ちょっ、それ違っ!?」

 

 

 まさかさっきまで小鳥のいるカフェに行くと勘違いしていた事がここに来て裏目に出るとは……!

 しかし東條。もし仮に俺が勘違いしていないとして、好きだと言った事を本人に直接言うのはどうなの!?

 

 

「そうなんだ〜。ありがとうございますっ」

 

 

 ニッコリと笑顔で対応する南。俺知ってる、これ営業スマイルってやつだ。にこがよくやっている。

 

 

「違うんだって、話を聞いてくれ!」

 

 

 俺は3人に今まで勘違いしていた事を話す。

 

 すると――

 

 

「音坂君、それはいくらなんでも……」

「ひどすぎるんとちゃう?」

「鳥さんと間違えられていたなんて……ことりショックです」

「だから名前だと思わなかったんだって! μ’sの事もまだ全然知らないし!」

「そうなの?」

 

 

 μ’sを知らないという言葉に、南が反応する。

 

 

「ああ。東條と絢瀬も最初はμ’sの元メンバーだって分からなかったんだ」

「そっか〜。なら仕方ないのかな」

「そう思ってくれると助かる」

 

 

 この件はこのまま水に流してくれると非常にありがたい。

 

 

「うん。それじゃあ席に案内するね」

 

 

 ニッコリと微笑んで南は仕事モードに切り替える。

 

 

 店内の空いている座席へと案内される。休日の昼間とあって店内は八割方埋まっていて中々繁盛しているようだ。

 

 

 絢瀬と希が隣同士に座り、俺はどちらの前に座ろうか一瞬迷った末、東條の正面のイスに腰を下ろした。

 

 

 それぞれドリンクを注文して、南がそれを受け取る。

 

 

 他愛ない会話をしながらしばらく待っていると、注文したものが運ばれてきた。

 

 

「お待たせしました。こちらご注文の品になります」

 

 

 テーブルに置かれるグラス。それと一緒に頼んだ覚えのない食べ物まで置かれた。

 

 

「ことりちゃん、これ頼んでないよ?」

「それはことりからのサービス。2人に久しぶりに会えて嬉しかったし、音坂さんは希ちゃんを助けてくれたから」

「こんなサービスして大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。だってことりはミナリンスキーだから」

「それもそうね」

「ことりちゃん、ありがとうね」

「うん。じゃあことりはお仕事に戻るから」

「頑張ってね、ことり」

 

 

 そうして南は仕事に戻っていった。3人の会話には俺の入る余地がなく、μ’sというグループはメンバーの仲が相当良かったと推測できる。

 

 

 さっきいたアイドルショップでも東條と絢瀬はにこのことを心配していたし。

 

 

「μ’sの事、もっと知りたくなってきたな」

 

 

 無意識にそんな言葉が口から出てしまった。

 

 

 それを目の前に座る東條と絢瀬が聞き逃すはずがなく。

 

 

「ハラショー! いいわ、μ’sの事は私達が教えてあげる」

「そうやね。音坂君、何でもウチらに聞いてくれていいよ?」

 

 

 親切にそう言う2人。本当に、ただ無意識にそう言っただけなんて、2人の良心を前に言えるはずもなかった。

 

 

 どうしよう……正直何を聞いたらいいのか分からない。

 

 あ、そうだ。

 

 

「南って、μ’sでどんな感じだったんだ?」

 

 

 ついさっきまで接客してくれた南の存在を思い出し、彼女について聞いてみる。

 

 

「やっぱりことりの事が気になるのね」

「だから違うって! さっきまでそこにいたから聞いただけで他意はない!」

「ふふっ、冗談よ。少し希みたいにからかってみたかったの」

 

 

 上品な笑みを浮かべながら絢瀬は楽しそうにそう言う。

 希みたいにっていう事は、さっきのアレはからかわれていたって事だったのか!?

 

 

「どんな感じって言われてもなぁ……ことりちゃんはいつもあんな感じやったで」

「そうね。あと、ことりはμ’sの衣装を作ってくれたわね。夢はファッションデザイナーになる事だそうよ」

「衣装だって!?」

 

 

 その単語を耳にして、俺は思わず大きな声を上げてしまう。

 

 

 アイドルがステージに立つ上で欠かす事が出来ない衣装。曲が変わる毎に衣装も変えるのがもはや当たり前となっている。

 俺がにこに曲を作った場合、当然の事ながら衣装も新調しなくてはならない。

 

 

 入学式で見せたにこのライブ。歌ったのはμ’sの曲で、衣装も動画で見たものと同じだったはず。

 

 

 今のにこに、大学内で衣装を頼める当てがあるのだろうか。キャンパスアイドルとして人気を博しているにこだが、今まで関わってきた感じ大学内での友人は少ないと思う。

 

 

「……にこの衣装、南に頼めないかな?」

 

 

 もしかしたら既に衣装の当てはあるのかもしれない。余計な世話かもしれないが、それでも無かった場合の事を考えると南に頼んでおいた方がいいだろう。

 

 

「にこっちの衣装?」

「新しく曲を作るなら、それに合わせて衣装も合わせた方がいいと思うんだ」

「そうね。アイドルにとって衣装は重要だもの。きっとことりなら快く引き受けてくれると思うわ」

「そうやね。おーい、ことりちゃーん」

 

 

 東條が呼ぶと、南はそれに気付いてこちらにやって来た。

 

 

「どうしたの希ちゃん?」

「あ、ウチじゃなくて音坂君がことりちゃんに頼みたい事があるみたいなんよ」

「音坂さんが? 何ですか?」

 

 

 南は初対面の俺に対し嫌な顔一つせずに話を聞こうとする。少々恥ずかしいところはあるが、俺は思い切って話を切り出す。

 

 

「実は……南に衣装を作って欲しいんだ」

「…………音坂さんのですか?」

 

 

 的はずれな言葉が返ってきて俺は思わず呆れ返る。しかし、よくよく自分の言葉を思い返してみると、目的語が抜けていた事に気付く。

 

 

「俺の衣装な訳ないだろ……。俺じゃなくてにこ、矢澤にこの衣装を作って欲しいんだ」

 

 

 改めてそう説明する。南は俺の言葉を咀嚼するようにじっくりと考え込む。

 

 

「いいですけど。どうして音坂さんがにこちゃんの衣装を頼むんですか?」

 

 

 当然の疑問。そういえば南にはまだ言ってなかったっけ。

 

 

「にことは同じ大学なんだ。成り行きで俺がアイツの曲を作る事になったから、それで衣装が必要だと思って」

 

 

 新しい曲には新しい衣装が必要になる。スクールアイドルとして活躍し、その衣装を作っていた南なら分かってくれると思うのだけど……。

 

 

「分かりました。にこちゃんの衣装、ことりが作らせてもらいますね」

「ありがとう。曲が出来たら南にも聴いてほしいから、連絡先を教えてくれるか?」

「いいですよー」

 

 

 お互いにスマホを取り出して、連絡先を教え合う。

 

 

「よし、登録完了。よろしくな」

「はい、よろしくお願いしますね」

 

 

 連絡先を交換し終えたところで、南は再び仕事に戻っていった。

 

 これから彼女とは多く関わっていきそうだ。

 

 

「なあ音坂君」

 

 

 東條が俺を呼んだ。

 

 

「ウチらとも連絡先交換しない?」

「ああ、いいぞ」

 

 

 東條と絢瀬とも連絡先を交換する。

 

 

 初めて訪れた秋葉原。そのメイドカフェにて、にこの知り合いと連絡先の大交換会が行われていた。

 

 



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9話

 

 

 秋葉原を巡ってからおよそ一月もの歳月が流れた。早いもので4月が終わり、暦の上では5月に突入。

 桃色の桜はすっかりその色を変えていて、季節の変化を否応無く実感する。

 

 

 あれからにこに、南が衣装を作ってくれることを伝えると、どうして南を知っているのかと小一時間ほど問い詰めらた。

 秋葉原に行った日の出来事を説明すると、にこはそれで納得したのかそれ以上の事は追及してこなかった。

 

 

 肝心の衣装だが、どうやらにこも失念していたようで、南に作ってもらう事で結論が出た。

 

 

 

 それが終わると、俺は曲作りに専念した。

 大学とアパートをただ往復するだけの毎日。大学ではしっかり講義を受け、家に帰ると寝る間も惜しんで曲を作った。

 

 

 ゴールデンなウィークもあっという間に過ぎ去ってしまった。その時は大学が休みだったので、おかげでずっと家に篭って曲を作る羽目になってしまった。

 

 

 

 

 その甲斐あってか、遂に、とうとう、満を持して――

 

 

 

 

「出来たぁぁぁぁ!!」

 

 

 曲が完成した。

 

 

 時刻は夜の10時を少し過ぎたところ。完成した事をにこに報告しようと、スマホを操作していて気が付く。

 

 

 にこの連絡先を知らない。

 

 

 今まで俺からも彼女の方からも、連絡先を交換しようなんて話を持ち出した事が無かった。

 

 

 明日、大学で会うのだから、そこで直接伝えればいいだろう。

 

 

 そう結論付けて体の力を抜くと、途端に疲労感が押し寄せてきた。

 ずっと座りっぱなしで凝り固まった体を、両手を広げて大きく伸びをすることでリラックスさせる。

 

 

 そういえば、俺の誕生日もいつの間にか過ぎ去り、十代が終わって20歳(ハタチ)になってしまった。

 

 

 20歳というと、大人になる1つの目安である。選挙権が与えられる事は勿論、お酒を飲めるし、煙草だって吸うことが出来る。

 

 

 俺は冷蔵庫の中から缶ビールを1本持ってくる。自分の誕生日にコンビニで買ってきたものだ。

 

 

 缶を開けてコップに注ぎ、一気にそれを飲んでいく。疲労の溜まった体に染み渡っていくような感覚に、自然と飲むペースが早くなる。

 そうして飲んでいくと、缶が空になった。

 

 

 若干体が熱くなり、頭がボーッとする。

 

 やべえ、酔った。

 

 

 

 少し夜風に当たろうと思い、ベランダに出る。

 

 ひんやりと心地の良い風が吹き付ける。夜空を見上げるとキラキラと星が煌いていた。

 

 

 ポケットから煙草を1本取り出す。これも20歳になった日に、酒と一緒にコンビニで買ってきたものだ。

 

 

 フィルターを親指と人差し指で挟みギュッと力を入れて、そこにあるカプセルのようなものを潰す。

 

 煙草を咥え、ライターで先端に火を点ける。

 

 

 スッと息を吸い込むと、煙草の味とメンソールの香りが火照った体を落ち着かせる。

 

 

 肺に溜めた煙をフッと息を吐き出して外に出す。なんとなく、吐き出した紫煙を視線で追った。

 

 

 それは外の空気と混ざっていき、少しずつ見えなくなっていった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 翌日。この日の最後の講義の時間。後ろの方の席に座って、俺は教授が黒板に書いていく文字をノートに書き写していく。

 

 

 最前列の座席にはにこの姿が見える。アイドル特待生としてキャンパスアイドルをやっている彼女だが、真剣に講義を受けている。

 そんな彼女の姿を見ていると、俺も真面目に講義を受けなくてはと刺激を受ける。

 

 

 アイドルとして不真面目なところを見せない為に、そうしているのかどうかは分からないが。

 

 

 それでも何事にも真剣に取り組むその姿勢には好感が持てる。

 にこのそういう姿を見て、応援しようと思ってくれる人は少なからずいるはずだ。

 

 

 

 講義が終わる。

 

 

 ぞろぞろと人が出て行く中、にこはしばらく席から離れずにいた。

 

 

 人があらかた出て行った頃合いを見計らって、俺はにこの所へと行く。

 

 

「よう、お疲れさん」

 

 

 後ろから声をかける。にこはクルッと振り向いて俺の姿を目にした。

 

 

「なんだ、譜也か。お疲れ」

 

 

 社交辞令のようなやり取り。実際のところ俺とにこはビジネスパートナーのような関係だから、そんなやり取りにも違和感がない。

 

 

 にこはμ’sの曲とは違う新しいものを欲し、俺がにこの為に曲を作る。

 

 

 一見、にこだけが得をしているように見えるが、俺は曲を作る事自体が好きだし、アイドルソングは今まで作った事のないジャンルだったので勉強にもなった。

 

 

 

「そうだ。曲、出来たぞ」

 

 

 昨日完成したばかりの出来立てホヤホヤ。衣装を作ってくれる南にも報告しなくてはいけないけど、まず知らせるべき相手はにこだ。

 

 

「本当っ!? 早く聴かせなさいよ!」

 

 

 それを聞いたにこはググッと俺に迫って、服を掴んできた。心なしか目が血走っているような気がする。

 

 

「お、落ち着け。まずは俺から離れろ。ちゃんと聴かせてやるから」

 

 

 言われてにこは俺の服を掴んでいる事に気が付いたようで、パッと手を離して飛びのいた。にこの少し顔が赤くなっている、自分の行動を恥じているのだろうか。

 

 

 鞄からデータを入れておいた音楽プレーヤーを取り出そうと、ゴソゴソと鞄の中を漁る。

 

 

 しかし、いくら手探りで漁ってもそれらしきものが見つからない。

 

 

「ちょっと、早くしなさいよ!」

「だから待てって」

 

 

 よっぽど早く聴きたいのか、にこはウズウズしながら俺を急かしてくる。

 

 

 鞄の中を覗き込み、音楽プレーヤーを探す。

 

 

「あれ? ない……」

 

 

 おかしいな。いくら探しても音楽プレーヤーが見つからない。

 

 

「ねぇまだー?」

 

 

 あ、そうだ。今日の朝は音楽を聴かずに来たんだった。つまり、音楽プレーヤーは家に帰って置いたままという事。

 

 

「すまん。家に忘れたみたいだ」

「はぁ!? なんで忘れてこれるのよ!」

「いやぁ、申し訳ない」

「まったく、しっかりしてよね」

 

 

 そうは言うが忘れたものは仕方ない。少しでも早く聴きたい気持ちは分かるから、明日忘れずに持って来るとしよう。

 

 

「ねえ譜也。家に行けば聴けるのよね?」

「そうだな……ってお前まさか!」

 

 

 にこはニヤリと悪戯な笑みを浮かべる。これは……嫌な予感しかしない。というか、にこが何を考えているのか大方の予想はつく。

 

 

「譜也! アンタの家に行くから、さっさと曲を聴かせなさい!!」

 

 

 ……やっぱりそうなるか。

 

 今は部屋が散らかっているから正直言って来てほしくない。

 

 

 中学生みたいな体型をしているとはいえ、にこも分類上は女子大生だ。

 

 

 散らかってる家に女性を上げるのは躊躇うところがある。

 

 

「ほら行くわよ、さっさと案内しなさい!」

 

 

 どうやら俺に拒否権は無いようだ。

 

 にこは俺の服を掴んで家に案内するよう急かす。今の彼女は、早く曲を聴きたいという気持ちが強いのだろう。

 

 

「はぁ。分かったから服を引っ張るな」

 

 

 ため息を一つ吐く。

 

 

 俺は大人しくにこを家に案内するのだった。

 

 

 

 

 



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10話

 

 

「お邪魔しまーす」

 

 

 ドアを開けて、にこを家に招き入れる。邪魔するなら帰れと言いたいところだが、曲を聴くために来ているのでそう言うわけにもいかない。

 

 

 大学から歩いて5分程度の場所にある二階建ての小さなアパート。その二階に俺はこの春から一人暮らしをしている。

 

 

「散らかってるけど、あまり気にしないでくれると助かる」

 

 

 一言釘を刺しておく。あらかじめそう言っておく事で実際に見た時の衝撃を和らげたいところ。いや、マジで汚いから。

 

 

 コクリと頷いたにこを奥の部屋へと案内する。

 

 

「うわ……本当に散らかってるわね」

「だから気にしないくれと言っただろ」

 

 

 部屋の惨状を見たにこはあからさまに顔を歪めて呟いた。

 

 

 床に散乱している漫画や雑誌。あたこちに脱ぎ捨てられた衣類。こたつ机の上に置かれた物の数々。

 唯一無事な場所はというと、昨日まで作業をしていたパソコン机の上、大切なギター等の楽器が置かれた周辺の場所、就寝する為のベッドの上といった所。

 

 

 八畳程度の広さがあるスペースは、数々の物に所狭しと埋め尽くされていた。自分でもよくここまで掃除しなかったと思う。

 

 

「こんな惨状じゃ曲を聴くに聴けないじゃない。まずは部屋を片付けるわよ!」

「別にこのままでいいだろ。生活は出来るんだから」

「にこが嫌なのよ! ほらさっさと片付けましょ。にこも手伝ってあげるから」

 

 

 にこは長袖の服を肘の近くまで捲り、やる気満々な表情を見せる。なんでこんなに張り切ってるんだよ。

 

 

 ……仕方ない、やるか。

 

 

「はぁ。わかった、片付けるよ」

 

 

 にこも手伝ってくれるという事だし。

 

 幸い、見られて困るような物の類は置いていないはず。

 

 

「ちょっと譜也! なによこれ!?」

 

 

 一際大きな声を上げて、にこは俺に問い詰めてきた。その手に持っているのは、ビールの空き缶と煙草の箱。

 

 

「アンタまだ未成年でしょ! こんな事したら駄目じゃない!」

 

 

 心底怒っている口ぶりでにこは言う。やっぱり、俺の事を未成年だと思っているようだ。普通、大学一年生だったらまだ成人していないから、そう思うのも無理はない。

 

 

「いや、俺20歳だから」

「そんな見え見えの嘘ついたって駄目よ!」

「本当なんだって。ほら」

 

 

 俺はにこに、浪人時代に取った自動車の免許証を見せる。それを見てにこは目を大きくした。

 

 

「嘘っ!? アンタ年上だったの!?」

「ああ。言ってなかったっけ?」

「聞いてないわよ! ていうか車の免許も持ってるの!?」

「1年浪人したからな。その時に取ったんだ」

 

 

 へぇーとにこは感心した様子を見せる。しかし次の瞬間にはかぶりを振り、俺に向かって指をさした。

 

 

「それでもダメよ! 煙草なんて百害あって一利ないんだから!」

「お前は俺のオカンかよ……」

「なっ!? 誰がアンタのママですって!?」

「…………ママ?」

 

 

 にこの口から出たその言葉を、俺はそのまま繰り返した。

 

 

「――ッ! お母さん!!」

 

 

 にこは顔を赤くして言い直す。普段は母親の事をママと呼んでいるのだろうか。

 今まではしっかりしている印象を受けていたから、そうだとしたら意外である。

 

 

「さ、さあ! 部屋を掃除するわよ!」

 

 

 若干言葉に詰まりながら、 にこはそう催促して俺の部屋を片付けていく。

 自ら進んで掃除をしてくれる彼女を見ると、部屋の主である俺が黙って見ているわけにもいかず、仕方なく掃除を始めた。

 

 

 

 

 二人がかりで掃除をすると、散らかっていた部屋はものの30分程で見違えるほど綺麗になった。まさに劇的ビフォーアフター。

 

 

「ふぅ……だいぶ片付いたわね」

 

 

 額にかいた汗を腕で拭いながら、にこは満足気な表情を浮かべた。その姿はまるで一仕事終えた職人のようにも見える。

 

 

「ありがとう。おかげで随分綺麗になったよ。結構掃除するの得意なんだな」

「当然よ、にこの掃除スキルを舐めてもらっちゃ困るわ」

 

 

 ふふん。とにこは得意気に無い胸を張る。

 

 でも実際、彼女がいなければここまで片付けるのにあと一時間はかかっていただろうし、にこが手伝わなければ掃除なんてしていないと思う。

 

 

「それじゃあにこは帰るわね。これからは小まめに掃除しなさいよ」

「ああ。わざわざ掃除手伝ってくれてありがとうな」

 

 

 にこは踵を返して、部屋から出て行こうと一歩二歩と進んでいく。

 

 

 小さな背中が遠ざかっていく。

 本当、わざわざ俺の部屋を掃除しに来てくれたなんて、意外と良い奴だな。

 

 

 …………あれ?

 

 

 何か大事な事を忘れているような気がする。そもそも、にこは俺の部屋を掃除する為に来たんだっけ?

 

 違う、そうじゃない。何かきっかけがあった筈だ。

 

 

 あれは確か――

 

 

 

「お前、曲を聴きに来たんじゃないの?」

 

 

 小さな背中に言葉を投げかける。にこは帰ろうとする足をピタリと止め、ゆっくりと振り向いた。

 そして、足早に戻ってくる。

 

 

「そうよ、にこは曲を聴きに来たのよ! それをアンタは、にこに掃除だけ手伝わせて帰らそうとするなんて!」

「いや、お前が勝手に帰ろうとしたんだろ」

 

 

 俺にそう言われて、にこはグッと言葉に詰まる。

 

 

「いいから、さっさと曲を聴かせなさい!」

「はいはい、分かったよ」

 

 

 

 パソコンを起動させて、彼女の為に作った曲を再生した。

 

 

 いかにもアイドルらしい曲が部屋に響き渡る。今まで俺が作ってきた曲と同様に、音声合成ソフトを使って簡単なボーカルを参考になるよう入れてある。

 

 

「へぇ……ボーカルまで入ってるのね。なかなか良い歌詞じゃない」

 

 

 目を閉じ、耳を澄ませてにこは曲に聴き入っていた。真剣な表情を浮かべながら時々コクリと頷いて、一つ一つのメロディやフレーズを確かめている様子を見せる。

 

 

 

 曲の再生が終わった。

 にこは閉じていた目をゆっくりと開いて、真っ直ぐに俺を見つめる。

 

 

 俺もまた、にこの目を真っ直ぐ見つめる。この曲を聴いて彼女がどういった判断を下すのか。結果がどうあれ、俺はそれを真摯に受け止めるつもりだ。

 

 

 

 やがて、にこがゆっくりと口を開いた。

 

 

 

「いい曲ね。次のライブはこの曲を使うわ」

 

 

 優しげに微笑んでにこは言う。

 普段の少し荒っぽい口調とは違う、柔和で落ち着いた声色。

 

 

「――ありがとう」

 

 

 ごくありふれた感謝の言葉。

 

 大きくパッチリとした瞳で真っ直ぐに見つめられ、まるで吸い込まれるように目が離せない。

 

 

「……どういたしまして」

 

 

 ずっと見ていると何だか気恥ずかしくなって、俺は彼女から目を逸らす。

 

 

「そうだ、これ。ちゃんとCDに入れておいたから」

 

 

 曲を入れたCDをにこに渡す。

 

 

「ありがとう。明日からコーチと一緒に振り付け考えないと」

「ああ、頑張れよ」

「もちろんよ! 絶対にいいものにしてみせるんだから!」

 

 

 力強く拳を握りしめ、にこは宣言した。

 

 

 



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11話

 

 

 今日も今日とて全ての講義が終了。

 にこの曲を完成させ、ひとまずのやるべき事が無くなった俺は、大学の図書館にやって来ていた。

 

 

 音楽以外では本を読むことが好きで、何より静かで落ち着ける図書館は俺のお気に入りの場所である。

 本の中では物語のあるものが好きで、漫画やライトノベル、小説などを時間を見つけては読んでいる。

 

 

 ガラス張りの壁際、夕日が差し込む座席に陣取って小説を読む。

 静寂に包まれる館内に、ページを捲る音だけが微かに聞こえる。

 

 

 まさに至福のひと時。

 

 

 これで珈琲の一杯でも飲めれば最高なんだけど、ここの図書館は飲食禁止だった。

 

 

 時間も頃合い。

 読んでいた小説もちょうど区切りのいいところまで読み終えた。栞を挟み、カウンターで貸出の手続きをする。

 

 家に帰ってゆっくりと続きを読もう。

 そう思って図書館を後にする。

 

 

 完全に建物の外に出ると、少し冷たくなった空気が全身に浴びせられた。

 

 五月の下旬。昼間は暖かいが、日が落ちると途端に冷え込んでくる。

 

 

 さっさと家に帰ろうと思い歩いていくと、横の方から音楽が流れ、地面を蹴る小気味良い音が聞こえてきた。

 

 

 その方向に視線を向ける。

 

 

 ――矢澤にこ。

 

 

 図書館のガラス張りの壁を鏡代わりにして、にこは体を動かしていた。

 ステップを踏み、腕を伸ばし、体を捻り、回転させ、踊っていた。

 

 

 大きめのCDラジカセから曲が流れる。俺がにこに作った曲だ。

 

 

 肩を大きく見せる紅色のシャツ、その下からはグレーのタンクトップがのぞき見える。そして桃色の短いスカートを着こなしている。

 全体的に明るい服装で、にこはダンスの練習をしていた。

 

 

 俺は立ち止まり、練習をするにこを眺める。

 

 

 にこが動くたびに、夕陽に反射した汗がキラキラと光りながら飛び散っていく。

 

 

 ひらひらとスカートが揺れ、健康的な太ももに自然と目がいってしまう。

 ……って、何を見ているんだ俺は。

 

 

 視線を上げる。

 

 

 真剣な顔で踊るにこ。

 小さな体を目一杯使って踊るその姿に、思わず圧倒される。

 

 

 そんな彼女の一挙一動に、俺は気が付けば言葉を失っていた。

 

 

 

 

 CDラジカセから音楽が鳴り止んだ。

 ふうっとにこは一つ息を吐き、そして体を俺の方に向けた。

 

 

「……なにジロジロ見てんのよ。もしかしてストーカー?」

 

 

 ジトッとした疑いの眼差しを向けてくる。どうやら俺に見られていた事に気付いていたようだ。

 

 

 しかしストーカー発言には黙っているわけにはいかず、俺は慌てて弁明した。

 

 

「んなわけねぇだろ! 図書館から出てきたらたまたまお前がいたから、少し見ていただけだよ」

「……やっぱりストーカーじゃない」

「ねえ、俺の話聞いてた?」

「ふふ、冗談よ」

 

 

 疑いの眼差しがフッと消え去り、にこは笑みを浮かべた。

 彼女はCDカセットの近くに置いてあるスポーツドリンクのペットボトルを手に取り、それをゴクゴクと飲んでいく。

 

 

「にこのダンス、どうだった?」

 

 

 唐突にそう聞かれる。

 

 

「ダンスの事はよく分からん。けどまぁ、上手に踊れてたんじゃないのか?」

「なによ、ハッキリしないわね」

 

 

 にこは腰に手を当てて、困ったようにため息を吐いた。

 

 

「しょうがないわね……もう一回踊ってあげるから、しっかり見てなさいよ!」

 

 

 威勢良くにこは言って、ダンスの準備をする。

 俺はにこがよく見える位置、正面のやや斜めに移動した。

 

 

 すると、曲が流れ始める。

 俺自身が作った曲に合わせて、にこは踊り、そして歌い上げる。

 

 

 力強くもよく通る、女の子らしい可愛げのある歌声。

 それと同時に見せつけられる華やかな踊り。

 

 

 自分で作った曲にアイドル――矢澤にこの色が加えられて、単純に凄いとしか思えなくなっていた。

 

 彼女が踊り、歌う。

 それだけ。たったそれだけの事で、曲が全くの別物に思えてくる。

 

 

 俺は言葉を失い、ただ黙ってにこを見ているだけだった。

 

 

 

 

 曲が終わり、にこは最後の決めポーズをとる。

 あれだけのダンスをしながら歌っていたにもかかわらず、にこは涼しい顔をしていた。

 

 

「それで、どうだった? にこのダンス」

 

 

 額に少しだけ掻いた汗をタオルで拭いながら、にこは俺に尋ねた。

 

 

「凄かったよ。自分で作った曲なのに、全く違うものに思えるぐらいに」

 

 

 本当にそう思った。

 

 

 その言葉を聞いたにこは、何故か俺から顔をそっぽ向けた。

 

 

「当然よ! このスーパーアイドル、矢澤にこにかかれば、それぐらい造作もないわ!」

「そうだな。スーパーアイドルだな」

「なっ! うっさい譜也!!」

 

 

 にこは持っていたタオルを、思いっきり俺に投げつけた。

 

 しかし、離れていたためタオルは届かず、俺とにこの間にあえなく着地してしまう。

 

 

「もう! さっさと帰りなさい、練習の邪魔よ!」

 

 

 えぇ……自分から練習を見ろと言っておいて、その言い草はないだろう。

 けど、本当に練習の邪魔になっているのかもしれない。

 

 

 にこの方に少しだけ歩いていき、落ちたタオルを拾い上げる。

 

 

「そうだな。もう日も暮れそうだし、大人しく家に帰るわ」

 

 

 タオルをにこ目掛けて投げる。宙を舞うタオルを、にこは器用に掴み取った。

 

 

「練習、頑張れよ」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 家に帰って晩飯を作る。

 今日はパスタ。一人暮らしの身としては、パスタのように手軽に作れる料理は重宝している。

 

 

 茹でたパスタを皿に盛り、ミートソースをかけて完成。

 

 

「いただきます」

 

 

 テレビで適当なバラエティー番組を見ながら、作ったパスタを食べていく。

 

 うん。パスタだな。

 何の工夫もない、変哲なミートソースの味。

 

 

 ピーンポーン。

 

 

 バラエティー番組でお笑い芸人のトークに耳を傾けながらパスタを食べていると、インターホンが鳴った。

 

 

 また変な宗教の勧誘か何かかな。とりあえずこういう予定にない来客は無視だ。ああ、パスタうめぇ。

 

 

 ピーンポーン。ピーンポーン。

 

 

 再びインターホンが鳴る。今度は2回。

 ああもう、しつこいな。

 

 

 立ち上がって、玄関に向かう。扉を開けて、しつこくインターホンを鳴らす輩に文句の一つでも言ってやる。

 

 

「すいません。勧誘は結構なんで――」

 

 

 家の前にいたのは、よく知っている人物だった。

 

 

 そして、その人は勢いよく言い放つ。

 

 

 

 

 

「――ラブライブよ!」

 

 

 

 



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12話

 

 

「――ラブライブよ!」

 

 

 扉を開けて家の前に立っていた人物は、俺のよく知る人物だった。俺が大学に入ってから、最も関わったと言っていい人物。

 

 

 特徴的な黒のツインテールをしたそいつは、無い胸を張って威勢良くそう言った。

 

 

「すいません、矢澤ラブライブさんはお引き取り願えますか」

「誰が矢澤ラブライブよ! にこはそんなふざけた名前してないわよ!」

「いや、だって……」

 

 

 インターホンを押したらまず名前を名乗るというもの。

 それを開口一番に『ラブライブよ!』なんて言われたら、名前をラブライブに改名したと思うじゃないか。え、思わない?

 

 

「そんな事より、ラブライブよ! ラブライブが開催されるのよ!」

 

 

 興奮した様子でにこは何度もラブライブと口にする。

 

 

 なんだか、話が長くなりそうな予感。

 

 

「まあ落ち着け。とりあえず、上がってくか?」

「そうね。お邪魔するわ」

 

 

 にこは特に迷う様子もなく、俺の家にお邪魔する事を選択した。

 

 

 普通、女の子って男の部屋に上がる事にもう少し遠慮というか、抵抗感みたいなものがあるんじゃないのか?

 

 にこはそういった迷いを見せず、ズケズケと部屋に上がっていく。

 信頼されているのか、単に男として見られていないのか。まあ後者の場合、俺もにこの事を女として見てないからいいんだけど。

 

 

「それで、ラブライブが何だって?」

 

 

 にこを部屋に上げて、椅子に座らせたところで尋ねる。

 

 

「だから、ラブライブが開催されるのよ!」

「それはさっき聞いた。でもラブライブって、スクールアイドルの大会だろ。キャンパスアイドルは関係ないんじゃ」

 

 

 ラブライブ。

 一年前から始まったスクールアイドルの大会。

 

 

 以前、にこに言われてμ’sの事を調べるにあたって、ラブライブの事は嫌でも知る事となった。

 

 

 第二回ラブライブ。

 その優勝グループがμ’sなのだから。

 

 

「はぁ、アンタ馬鹿なの!? にこ達キャンパスアイドルも、今年からラブライブに出場できるようになったのよ!」

「そうなのか。良かったじゃん」

「なによ反応薄いわね! もっと喜びなさいよ!」

「いや、俺が出るわけじゃないし……」

 

 

 思ったより俺が食いつかない事に、にこはため息を吐いて肩を落とす。

 そして、ラブライブについて説明しだした。

 

 

 

 曰く、ラブライブに新たに大学生――キャンパスアイドル部門が設けられた。高校生――スクールアイドルとは別部門となる。

 あのアキバドームでおよそ3ヶ月後に開催され、それまでに各大学は1組の代表を決め、大学ナンバーワンアイドルを決めるという。

 

 

「各大学につき1組ってことは……うちはにこが代表になるのか?」

 

 

 にこはうちの大学で唯一、特待生としてキャンパスアイドルをしている。

 順当に考えると彼女が代表になるのが自然なことだが、にこは「アンタ馬鹿ぁ?」と言って話を続けた。

 

 

「何の審査も無しににこが代表に選ばれたら、他のキャンパスアイドルの人達が納得いくわけないでしょ」

「それもそうだな。つまり、大学で何らかの審査を行うって事か」

「そうよ。大学内でラブライブ出場者を決めるライブが2ヶ月後に開催されるわ」

 

 

 2ヶ月。準備期間として妥当かどうか俺には判断できないが、今日見たにこの練習からすると心配は無用だろう。

 

 

「そのライブが実質、ラブライブ出場をかけた予選というわけよ」

「それを知らせるために、わざわざ家に押し掛けてきたと」

「そうよ! 電話帳を探しても譜也の名前が見つからないから、こうしてにこが来てあげたのよ!」

「ああ、そういえば連絡先教えてなかったな」

「なんで今まで教えてくれなかったのよ! ああもう、良いから連絡先を教えなさい!」

 

 

 若干苛立ちを見せながらにこは言う。

 

 

 なぜ今まで連絡先を教えなかったというと、教えてくれと言われなかったからとしか言いようがないのだが。

 

 

 ひとまずそんな事は置いておき、お互いに連絡先を交換する。

 同じ大学で初めて連絡先を交換したのが彼女となったことに、改めて自分の交友関係の狭さを実感する。

 

 

 俺の連絡先を手に入れて、にこは可愛らしいデフォルメのされたスマホを見て、満足そうな顔を浮かべていた。

 

 

「これでやっと連絡がとれるようになったわね。いい? にこからの電話には1コール以内に出なさいよ!」

「そんな無茶な……」

 

 

 相変わらず無茶なことを言うにこに、俺は深くため息をついた。

 まあでも、彼女のこういった無茶ぶりは冗談であることが多いので、軽く聞き流していればオーケーだ。

 

 

 出会ってまだ四半期も経っていないけど、少しだけ、彼女のことが分かってきた気がする。

 

 

「それで、ここからが本題なんだけど……」

 

 

 にこは改まって言う。背筋をピンと伸ばし、真剣な眼差しで見つめられる。

 

 

「譜也。もう一曲、作ってほしいの」

 

 

 

 

「……は?」

 

 

 思わず耳を疑った。

 え、本気で言ってる?

 

 

「だから! 譜也にもう一曲、曲を作ってほしいのよ! お願い、この通りだから!」

 

 

 にこは顔の前で手を合わせて懇願する。

 

 今度ばかりは冗談ではない。彼女は本気で頼み込んでいる。

 

 

「一応、理由を聞いてもいいか?」

 

 

 ただ単純に、曲を作ってほしいという事ではないのは分かっている。

 でも、あまりにも唐突なその要求に、理由を求めずにはいられなかった。

 

 

「ラブライブ本戦では、違う曲を披露した方がいいと思うのよ」

 

 

 慎重に、言葉を選ぶようににこは口を開いた。

 ラブライブ本戦。そこでは今ある曲とは違う、別の曲を披露した方がいいという事。

 

 

 それはつまり――

 

 

「大学での予選ライブは、通過できる自信があるってことか?」

 

 

 その言葉を待っていたかのように、にこは得意げな顔で自信を覗かせた。

 

 

「当然よ! にこに掛かれば大学での予選ライブ通過なんて朝飯前よ!」

 

 

 無い胸を張ってにこは言う。

 自信満々なその表情。彼女は本気で、自分なら予選を勝ちあがれると信じているのだろう。

 

 

 だったら、俺は。

 

 

 

「……わかったよ」

 

 

 

 そう答えるしかない。

 

 

 ――にこの為に曲を作る。

 

 

 夕焼け空の下、海岸で交わした約束。

 その時から俺は、彼女の為に曲を作ると決めたのだから。

 

 

「譜也……ありがとう。絶対、ラブライブで優勝してみせるわ!」

 

 

 拳を握りしめ、にこは決意を固める。

 

 

「ああ。にこなら、優勝できるよ」

 

 

 根拠はない。他のキャンパスアイドルなんて見たこともない。

 

 

 だけど俺は、にこなら優勝できると信じて疑わなかった。

 俺には曲を作る事と、彼女を信じる事ぐらいしか出来ない。

 

 

 なら俺はにこを信じて、曲を作るしかない。

 

 



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13話

 

 

 私――矢澤にこが大学に入学して早くも2ヶ月もの月日が経とうとしていた。

 

 

 アイドル特待生として入学したにこに待ち受けていたのは、にこに群がってくるμ’sのファン達。

 キャンパスアイドルとして、ファンが付くのは嬉しい事だし、初めはにこも多くのファンに囲まれて浮ついていた。

 

 

 だけど、すぐに気づかされる。

 

 

 ファンが望んでいるのはμ’sのにこで――いや違う。彼ら彼女らはμ’sそのものを望んでいた。

 既に終わったμ’sの幻想を、ファンはひたすらに求め続けた。

 

 

 その気持ちは分からなくもない。にこだってアイドルが好きで、解散したアイドルの幻想を追い続ける事もある。

 今は自分が、その対象になっただけ。よくある事だと思う。

 

 

 だけど、にこにはそれが耐えられなかった。

 

 

 ライブをしても、道を歩いていて声をかけられる時も。みんな、μ’sの矢澤にこを見ていた。

 

 誰も、にこを見てくれはしない。

 

 

 

 

 そんな折に現れたのが、彼――音坂譜也だった。

 

 

 最初はにこの名前を間違えて何なのコイツなんて思ったけど、譜也は先入観無くにこに接してくれた。

 

 

 聞けばμ’sを知らないと言う。それでもにこのライブで感動したと言う譜也の目は真剣そのもので。

 だけど、μ’sを知らないという事に何故か腹が立って。譜也にμ’sについて勉強してこいなんて言ったっけ。

 

 

 

 そして、夕暮れ時の海岸。

 μ’sをお終いにすると決断して、みんなで泣いた、あの海岸。

 

 

 μ’sの矢澤にことしてでしか見てくれない人達に辟易していたにこは、やり場の無い感情を吐き出す為、思い出の地に降り立った。

 

 

 何故かそこには譜也がいて。

 

 にこが叫んだ内容を、バッチリと聞かれていた。

 

 

 にこに迫って問い詰めてきた譜也。

 半ば自暴自棄になりながら、にこは渦巻いていた胸中を彼に明かした。

 

 

 

 ――だったら、俺が君の曲を作る。

 

 

 

 返ってきたその言葉に、にこは心底驚いたのを今でも覚えている。

 

 

 実際、譜也の申し出はありがたかった。

 

 

 アイドル部。にこも所属しているこの部活は、他にも多くのキャンパスアイドルが属している。

 アイドル特待生はにこしかいなくて、他はアイドルを目指している者や、友達同士で仲良くやっている者がいる。

 

 

 アイドル部には専属のダンスコーチ、楽曲提供者がいる。

 

 

 ダンスコーチは、その名の通りダンスの基礎を教えたり振り付けを考えたりしてくれている。

 にこもコーチにダンスを教わっているので、このコーチの存在はありがたい。

 

 

 問題は、楽曲提供者。

 

 

 他のグループには楽曲を提供しているのだけど、にこだけはいつまで経っても楽曲を提供してもらえないでいた。

 一度問いただしてみると、どうやら大学側の方針で、にこはμ’sの曲をしていればいいから楽曲は提供しないと口を零した。

 

 

 その事実に、にこは憤慨した。

 

 

 本当のアイドルになりたくて――自分の実力だけで勝負したくてアイドル特待生の話を受け、キャンパスアイドルの道を選んだというのに、にこはそれすら出来ないのかと。

 にこはただ大学側にとって都合の良い、客寄せパンダのような存在なのかと。

 

 

 大人の勝手な都合。

 μ’sがアキバで行ったスクールアイドルによる一大イベントの時も、それに振り回されたりしたが、あの時はみんなで乗り越える事が出来た。

 

 

 でも今、にこは一人で戦っている。

 

 

 μ’sからはもう卒業した。一緒に戦ってくれる仲間はいない。

 

 

 だからにこは、μ’sを終わりにすると決めたあの場所に向かった。

 仲間との思い出が詰まったあの場所で想いを吐き出せば、自分の中で何か変わるかもしれない。そんな淡い希望を抱いて。

 

 

 そこで譜也に想いを聞かれて、彼が曲を作ってくれる事になった。曲を作ってくれる人が現れて、にこはようやくキャンパスアイドルとしてスタート地点に立つことができた。

 

 

 にこの名前を間違えたりして腹を立てる事もあるけど、譜也はきちんと曲を作ってくれた。

 

 

 出来た曲を実際に聴いてみて、にこは安心した。そこにはμ’sの曲に負けない程の魅力があった。

 譜也に海未や真姫ちゃん程の才能があると知って、少し驚かされたぐらいだ。

 

 

 それからはその曲に合った振り付けを、ダンスコーチと共に考える。

 コーチはにこの意見も取り入れてくれて、そして振り付けが出来上がった。

 

 

 あとは練習をしてダンスの完成度、歌の完成度を上げるだけ。

 

 

 今日も大学の図書館、そのガラス壁を鏡代わりにして、にこはダンスの練習をしていた。

 CDラジカセから流れる曲に合わせて、歌いながら踊っていく。

 

 

 まだまだ慣れない部分も多いけど、そこは反復練習あるのみ。華々しいイメージのあるアイドルだけど、地道な努力が身を結ぶのよ。

 

 

 

 曲が終わる。最初から通して踊りきったけど、まだまだ完成には程遠い。

 

 

 タオルで汗を拭い、カラカラになった喉をスポーツドリンクで潤す。

 

 

 およそ2ヶ月後に迫ったラブライブ予選。時間は十分にある。今は焦ってオーバーワークする事なく、少しずつ、地道にやっていくしかない。

 

 

「おっす。元気にやってるか?」

 

 

 背後から声がした。もはや聞き慣れた少し高い男の声。

 

 

「元気にやってるわよ。そういう譜也こそ、よくにこの練習見に来るわね。暇なの?」

 

 

 振り向きながら答えると、そこにいたのはやっぱり彼――音坂譜也。

 

 

「暇ってわけではないんだけどなぁ。そうそう、今日はにこに頼みがあって来たんだ」

「頼み? ならさっさと用件を言いなさい。にこは忙しいのよ」

 

 

 本当はそれほど忙しくないのだけど、にこはついついそう言ってしまう。

 

 

 華やかなイメージのアイドルは、こうした練習風景を目の当たりにされる事に抵抗感があると思う。少なくともにこはそう。

 

 ステージで笑顔を見せるために、アイドルは地道な努力を惜しまない。けどその努力は誰しもがしている事で、それを見せて私こんなに頑張ってるんですアピールをするのはアイドルの役割とは違う。

 

 

「えっと、踊ってるところの動画を撮らせてほしいんだけど」

「…………変態なの?」

「誰が変態か!」

 

 

 練習中に現れて何を言うのかと思えば、動画を撮らせてほしいときた。

 にこは警戒しつつ、譜也に疑いの眼差しを向ける。

 

 

 まぁ、からかってるだけなんだけど。

 

 

 彼の事だ。動画を撮る事はにこにとって必要な事なんだろう。

 

 

「そろそろ南に衣装を作ってもらおうと思ってな。昨日連絡をしたら、実際の曲と踊りがあった方が参考になるらしい」

「ああ、ことりが衣装作ってくれるんだったわね。それならそうと早く言いなさいよ」

「お前がいきなり変態とか言い出したんだろ……」

 

 

 譜也は呆れたように肩を落とした。

 

 

 反応がいちいち面白いから、ついつい譜也をからかってしまう。

 逆ににこがからかわれる事もよくある。からかわれると、凛や希にそうされたあの頃を懐かしく感じる。

 

 

「知らないわよ。ほら、動画撮るんでしょ? さっさと準備しなさい」

「あ、ああ。わかった」

 

 

 譜也はにこの正面――図書館のガラス壁に背を預けて立ち、スマホを横向きにして構える。

 

 

「いいぞ、準備オーケーだ」

「それじゃあやるわね。言っとくけど、一回しか踊らないからね! ちゃんと撮りなさいよ!」

「了解、ちゃんと撮るから安心しろ」

 

 

 準備が出来たことを確認して、にこはCDラジカセの再生ボタンを押す。急いで最初の立ち位置に戻って、踊る準備に入った。

 

 

 曲が流れ出す。

 にこはそれに合わせて歌い、踊るだけだ。

 

 

 譜也がことりに見せる為の動画を撮っている。

 

 やり直しの効かない一発勝負。

 見られているという緊張感を味わいながら、にこは本番のつもりで歌と踊りを披露していく。

 

 

 

 

 

 曲が終わって、にこは最後のポーズをとる。

 

 さっきまで何回も練習をしていたせいか、体力的にはギリギリだった。それでも、疲れを見せてはいけない。笑顔を見せて、踊りを終えた。

 

 

「……よし、オーケー。ありがとうな」

 

 

 そう言って譜也はスマホをポケットに仕舞う。それを見てにこは、張り詰めていた緊張の糸が解けて、その場にへたり込んだ。

 

 

「お、おい、大丈夫か!?」

「……平気よ。この程度で根を上げてるようじゃ、アイドルは務まらないわ」

 

 

 つい強がってしまう。

 本当はヘトヘトで、今すぐにでも家に帰ってベッドにダイブしたい気分だ。

 

 

「それより、動画。ちゃんと撮れたんでしょうね?」

「ああ、バッチリ撮れてるよ」

「そう。ことりにはいつ見せるの?」

「明日、大学が終わってから会う予定だ」

「明日か……にこは練習があるから、行けそうにないわね。譜也、ことりによろしく伝えておいてくれる?」

「了解。練習、程々に頑張ってな」

 

 

 程々に、か。

 

 にこが体力的に限界だという事を、譜也は見抜いていたのだろうか。

 

 

「それじゃあ俺は帰るわ。またな」

「はいはい、またね」

 

 

 そうして譜也はにこに背を向けて、立ち去っていった。

 

 

 もう練習出来る体力も残ってないし、にこも帰るとしよう。

 

 

 

 



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14話

 

 

 にこが踊っている姿を動画に撮ったその翌日。全ての講義が終わった後、俺は大学からいち早く立ち去って、駅に向かっていた。

 

 

 太陽がいい感じに西に傾いた午後4時頃。ヘッドホンから流れる音楽に耳を傾けながら歩いていく。

 

 

 10分ほど歩くと駅に着き、秋葉原までの切符を購入。程なくしてやって来た電車に乗る。

 

 

 昨日撮影したにこのダンス動画。それをμ’sの元メンバーの一人、南ことりに見せるため俺は秋葉原に向かっているのだが。

 

 南とは以前秋葉原のメイド喫茶で初めて知り合った。

 μ’sの衣装作りを担当していたとの事だったので、にこの衣装を作ってほしいと頼んだところ、南はそれを快諾してくれた。

 

 

 あの時は隣に東條と絢瀬という、こちらもμ’sの元メンバー2人がいた。

 彼女らとも初対面だったのだが、俺が東條を助けたという経緯があってか接しやすい雰囲気だった。

 

 

 今日は俺一人で南と会うという事で、少し……いや、かなり緊張している。

 

 

 東條や絢瀬にも言えることだが、南は以前スクールアイドルをしていただけあって、整った顔立ちと抜群のスタイルを持っている。

 それは巷に溢れかえっているプロのアイドルにも引けを取らない程に。

 

 

 そんな人物とこれから二人きりで会うとなると、緊張しない方がおかしい。

 

 

 そういえば。

 にこも一応、μ’sの元メンバーだったな。

 

 

 大学内で接する機会が多いから、にこについては緊張といった感情はあまり湧いてこない。それにお子様体型だし。

 

 

 いないにこを脳内で弄ることで、若干ではあるが緊張が解けたような気がする。

 こういう時にこは役に立つな。今度会ったらお礼を言っておこう。

 

 

 

 

 そんなこんなで電車に揺られる事およそ1時間。秋葉原に到着した。

 

 

 改札を抜ける。予定では、この辺りで南が待ってくれているはずだ。

 怪しまれないよう控えめにキョロキョロと周囲を見渡して、南の姿を探す。

 

 

 いた。

 

 

 少し離れた壁際。南はそこで退屈そうに腕時計を見つめながら、壁にもたれるように立っていた。

 それだけなら別に何の問題もないのだが……南さんよ。

 

 

 

 なぜ制服なんだ。

 

 

 

 いや、平日だし。南は高校生だから理解は出来るんだけど。

 

 

 今から制服JKと会うと思った途端、犯罪っぽくなってしまうのは気のせいだろうか。別にやましい事なんて何も無いのだけれど。

 

 

 こんな所で躊躇っていても仕方ないので、南の元に歩いて行く。

 

 

「あ、音坂さん!」

 

 

 俺の姿に気が付いて、南も俺の方に向かってきた。

 

 

「悪い。待たせたかな?」

「いえいえ。約束の時間には間に合っていますし、ことりもさっき来たところなんです」

 

 

 絶対嘘だ。さっきまで退屈そうに腕時計を見てたじゃないか。

 

 

 それに、何だよこのやり取り。付き合いたてのカップルでも今時こんな会話しないぞ。

 

 

「そうか。まあこんな所にいるのも何だし、早速行こうか」

「そうですね。行きましょうっ」

 

 

 南はニッコリと微笑んで、意気揚々と歩き出した。遅れないように俺は慌てて南に付いていく。

 

 

 行き先は南に任せているので、これからどこに行くのか俺は全く知らない。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 南に連れてこられた場所は、落ち着いた雰囲気が漂う小さなカフェだった。

 

 

 

 以前、絢瀬と東條に連れられて訪れた南の働いているメイド喫茶とは違う場所。

 所々にある観葉植物が、小洒落た内装と調和していて心地が良い。

 

 

 それにしても。女子高生の南が、こういう洒落たカフェを知っているとは驚きだ。女子高生ってこういう店を知っているのが普通なんだろうか。

 

 

 俺が高校生だった頃はオシャレなカフェとは入りづらいものだった。俺の場合は男子高生だけど。

 

 

 南は慣れた様子で何やら長ったらしい横文字の飲み物を注文し、落ち着いた雰囲気でその飲み物を飲んでいる。

 俺はメニューを見てもよく分からなかったので、とりあえずアイスコーヒーを注文し、慣れない場所に落ち着く事が出来ないまま、アイスコーヒーをちびちびと飲んでいた。

 

 

「あのっ」

 

 

 南の蕩けるような声がする。

 手に持っていたカップを置いて、俺は南に視線を向けた。

 

 

「そうだったな。動画見るか?」

 

 

 そう言ってスマホを取り出し、昨日撮ったにこの練習動画の画面した状態で南に手渡す。

 

 

「はいっ。ありがとうございます」

 

 

 スマホを受け撮った南は、画面をタップする。するとスマホからザワザワと雑音がしたのち、音楽が流れ出した。

 

 

 食い入るように画面を見つめる南。さっきまでのニコニコとした表情から一変、真剣な顔をしている。

 

 

 きっと今、どんな衣装を作ろうかと考えているのだろう。

 俺の作った曲、にこのダンス。それらを聴いて、視て、真剣に考えているに違いない。

 

 

 

 

 スマホから出ていた音が止み、南はゆっくりと顔を上げた。

 

 

「いい曲ですね。音坂さんが作ったんでしたっけ?」

「あ、ああ。そうだけど……」

 

 

 彼女から出た唐突な賛辞。まさか動画を見終わった第一声で曲を褒められるとは思わず、俺は言葉に詰まってしまう。

 

 

「にこちゃん、楽しそう」

 

 

 南は視線を落とし、動画の再生していない俺のスマホをじっと見つめる。そしてホッとしたような、安堵の微笑みを浮かべた。

 

 

「楽しそう?」

「うん。にこちゃん、すっごく楽しそうに歌って、踊ってる。やっぱりにこちゃんはアイドルが大好きなんだなって」

 

 

 優しげな表情で南はそう呟く。

 その言葉の端々から彼女はにこの事が大好きなんだと、ひしひしと伝わってくる。

 

 

 

「そして、音坂さんを信頼してるんだなって。動画を見て、そう感じました」

 

 

 

 続けて南はそう言った。

 

 

「信頼……か」

「はいっ。この曲、音坂さんがにこちゃんの為に作ったんですよね。にこちゃん、すっごく楽しそうに歌ってます。まるで私達、μ’sの時みたいに」

「……そうか。そう言ってくれるとにこも嬉しいと思うよ」

 

 

 信頼。

 曲を作ったというだけで、果たしてそう言い切れるのだろうか。南はそう言ったが、俺には実感が湧いてこない。

 

 

「あの、実は私……音坂さんの事、疑ってたんです」

「俺を疑ってた?」

 

 

 南は唐突にそう打ち明ける。

 

 

「音坂さんがにこちゃんの曲を作るとこの前聞いた時、正直半信半疑でした。この人ににこちゃんのお手伝いが出来るんだろうかって。アイドルが大好きなにこちゃんの邪魔をしていないかって」

 

 

 南の独白は、言われてみれば考えた事もなかった。

 曲作りに関しては自信があったし、それがにこの手助けになると疑った事もなかった。

 

 

「でも、今日動画を見せてもらって確信しました。音坂さんは一生懸命にこちゃんのお手伝いをしている。だってにこちゃん、とっても楽しそうだったから。だから……疑ったりしてごめんなさい」

 

 

 頭を垂らす南。

 彼女は、にこの事を大切に思っているからこそ、わざわざ胸中を明かしたのだと思う。でないと、張本人を前にして疑っていたなんて言ったりしない。

 

 

 可愛らしい見た目だけど、なかなか芯の強い子じゃないか。

 

 

「顔を上げてくれ。それに謝るような事でもないさ。南からすれば、当然の疑問だと思うから」

「音坂さん……ありがとうございます」

 

 

 南は顔を上げる。

 そして持っていたスマホを俺に返してきた。

 

 

「今は……少しだけ、音坂さんに嫉妬しています」

「……嫉妬?」

 

 

 冗談めかすように南は言う。笑顔を浮かべながら、優しい声色で。

 

 

「なんだか、にこちゃんが遠くに行ってしまったみたいで。そしてにこちゃんの隣にいるのが音坂さんだから……」

 

 

 にこが遠くに行ったようだと南は俯きながら言う。

 けど、それは――

 

 

「それは違うんじゃないか?」

「えっ?」

 

 

 南はハッと顔を上げた。

 

 

「にこはμ’sのみんなの事を大切に思ってる。高校生と大学生っていう違いはあるけど、そんなのは些細な事だろ。何より、にこは南に衣装を任せた。それは、信頼の証なんじゃないのかな」

 

 

 にこは本当にμ’sが大好きだ。口を開けばμ’s、μ’sと言ってくる。そろそら耳にタコができそうだ。

 

 

「でも私――私達、最近にこちゃんと会っていないから……寂しいんです」

「じゃあ、にこにたまには南達に顔を見せてやれって言っておいてやる」

 

 

 俺がそう言うと、南は「お願いします」と言って大きく頭を下げた。やっぱり女子高生が頭を下げている光景に慣れず、俺は南を制する。

 

 

 

「それと、動画のデータ。後で送っておくから。衣装、よろしく頼むな」

 

 

 

「はいっ!」

 

 



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15話

 

 

 秋葉原で南と会った日から1週間程が経った。

 

 

 カレンダーは一つ捲られ6月。

 月日が流れるのは早いもので、大学生になってもう2ヶ月。言い換えると、俺とにこが出会って2ヶ月という事。

 

 

 この言い換え、必要だったか?

 

 

 とまぁ6月に突入したわけだが。ここ数日、怪しい空模様が続いている。

 曇天が続き、時折雨が降ってくる毎日は、こっちの気分まで落ち込ませる。

 

 

 雨が好きだという人は農家の皆さんぐらいで、大学生という身分の俺にとっては、恵みの雨とは決して言えない。

 ここ最近の俺は、水を表す色のような気分で過ごす事が多くなっていた。

 

 

 やる気が出ない。

 学生の本分である勉強にしても、にこに頼まれたラブライブ本戦用の曲作りにしても。

 

 

 6月に入った途端に訪れる五月病。それはもう六月病と言うべきなんじゃないだろうか。

 

 

 絶賛六月病の俺に追い討ちをかけるかの如く、大学のスケジュールに組み込まれている悪夢のような行事があった。

 

 

 そう、中間テスト。

 

 

 大学生に限らず、テストというものは全ての学生に嫌われているんじゃないかと思う。

 かくいう俺も、高校生の頃はテストが大嫌いだった。ろくに勉強をせず、音楽に打ち込んでいた。

 

 

 その結果、大学受験に失敗。

 1年の浪人をする事となったのだが。

 

 

 浪人の末、合格した大学でアイドルを目指す少女――矢澤にこと出会った。

 

 

 2ヶ月。

 にこに振り回されることが多かった2ヶ月だが、それなりに充実している日々だった。

 

 

 

 

 そんな事を考えながら、俺はベッドの上でゴロゴロしていた。

 

 

 大学の講義が終わって即帰宅。

 勉強しようと思っていたのだがやる気が出ず、こうしてベッドでゴロゴロしながら考え事をしているという訳だ。

 

 

 ――ゴロゴロ。

 

 

「おおっ」

 

 

 外で雷鳴が轟いた。

 決して、俺がベッドでゴロゴロしていた擬音ではない。いや、実際ゴロゴロしてるんだけど。

 

 

 そういえば、今朝は晴れていたから洗濯物を干していたんだった。

 

 

 ベッドから起き上がり、ベランダに出て干していた洗濯物を慌てて取り込む。

 

 

 洗濯物を全て取り込み終えると同時に、空からポツポツと雨が降ってきた。

 

 

「ふーっ、間一髪だったな」

 

 

 この様子だと、これからかなり降ってきそうだ。早いうちに取り込んでおいて大正解。

 

 

「……一服するか」

 

 

 折角ベランダに出たので、本格的に降り出す前に煙草を1本吸っておこう。

 

 

 机に置いてある煙草の箱とライターを持って、再びベランダに出る。

 

 

 黒色のボックスから1本取り出し、フィルター部分のカプセルをプチっと潰す。

 口に咥えてライターで火をつけスッと煙を吸い込むと、煙草の味とともにメンソールの香りが漂う。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 肺まで吸い込んだ煙を吐き出す。

 あぁ、落ち着く。

 

 

 その間にも雨は段々強まっていく。庇の下にいるので濡れることはないが、こうも強く降られると良い気分ではない。

 

 

 再び煙を吸う。ツンと鼻をつくようなメンソールが妙に馴染んで心地良い。

 

 

「……はぁ」

 

 

 ため息と一緒に煙を吐き出す。

 フィルターに届くまで吸い尽くした煙草を灰皿で揉み消し、俺は部屋の中へと戻った。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 それから特にやることもなかったので、仕方なく部屋でテスト勉強をしていた。

 

 

 英語のテキストを机の上に広げ、講義を受けた範囲を復習していく。

 英語は得意な分野である。曲を作る時に英語の歌詞を入れたいが為に、中学の頃から単語を中心に覚えてきた。

 

 

 得意とは言ってもテストでは何が起こるか分からない。こうして復習しておいて損はないはずだ。

 

 

 ルーズリーフにカリカリとペンを走らせる。さっき一服した事で、心なしか集中できている気がする。

 

 

 いい感じに集中し始めたそんな時。

 

 

 

 ピーンポーン、ピーンポーン。

 

 

 

 インターホンが鳴った。

 誰だよ……折角集中していたのに。

 

 

 居留守を決め込もうか迷ったが、インターホンは何度もしつこく鳴る。

 仕方なく腰を上げて、俺は玄関に向かいドアを開けた。

 

 

「はーい、どちら様ですか?」

 

 

 そこには――

 

 

「譜也! 傘貸して、傘! あとタオル!」

 

 

 髪から服から、何から何までずぶ濡れになった矢澤にこが立っていた。

 

 

「おいにこ! お前ずぶ濡れじゃねえか!」

「分かってるわよ! それよりさっさとタオルを貸しなさい!」

 

 

 なんでこんな上から目線なんだよ。貸してほしいならそれなりの態度をだな……まぁいいや。言ったところで改めないだろうし、にこの上から目線はいつもの事だし。

 

 

「分かった分かった。貸してやるから、ちょっとそこで待ってろ」

「さっさと持って来なさいよ! 風邪引いたらどうすんのよ!」

 

 

 知らねぇよ。馬鹿は風邪引かないって言うから大丈夫だろ、多分。

 にこが馬鹿なのか賢いのかは知らない。講義は前の方の席で真面目に受けてるけど、普段の言動が馬鹿っぽいから多分馬鹿だろう。

 

 

 一度玄関から部屋に戻って、バスタオルを持ってずぶ濡れのにこの待つ玄関に戻る。

 

 

「ほら、タオル」

「さんきゅ。まったく……朝は晴れてたから傘を持たずに来たのに。帰り道に降るんじゃないわよ」

 

 

 そう愚痴を零しつつ、受け取ったバスタオルでにこは濡れた顔や髪を勢いよく乱暴に拭いていく。

 

 

「譜也、何してたの?」

 

 

 トレードマークのツインテールを解き、真っ直ぐに下された髪の毛を拭きながら、にこは俺にそう尋ねてきた。

 

 

「勉強だよ」

「勉強? 譜也が?」

 

 

 む、何だか馬鹿にされた気がする。

 

 

「そうだよ悪いか。来週からテスト始まるだろ。その勉強だよ」

「…………あっ」

 

 

 髪を拭いていたにこの手がピタリと止まった。

 

 

「まさか……忘れてたんじゃないだろうな」

「わ、忘れてなんかないわよ! にこに掛かればテストなんて余裕なんだから!」

「へぇ、そうなんだ。ふーん……」

「な、なによ! 信じてないわね!」

「いやいや、俺はにこを信じてるよ」

「アンタねぇ……!」

 

 

 からかわれていると知ったのか、にこはキッと睨みをきかせる。

 にこはこうした反応が面白いから、ついついからかってしまいがちだ。

 

 

「ちなみに、何の勉強してたの?」

「英語。一発目のテストだからな」

「げっ……それって本当!?」

 

 

 それを聞いたにこはあからさまに狼狽え、視線を宙に泳がせた。

 やっぱり馬鹿だコイツ。

 

 

「本当だよ。テストのスケジュールが掲示板に貼り出されてただろ。見てないのか?」

「見てないわよそんなの!」

 

 

 やっぱりテストがある事、忘れてたんじゃないか。それに勉強ができるというのも嘘だろう。

 勉強ができる人は、きちんとテストの日を把握しているものだと思う。

 

 

「譜也って、英語できるの?」

「まぁ、得意な方ではあるけど……」

 

 

 そう答えると、にこはバスタオルを頭に被せた状態で、手を顎に当てて考え込む仕草を見せる。

 

 

「お願い譜也! にこにテストの勉強を教えて!」

 

 

 にこに手を掴まれて懇願される。

 おい手を掴むな。まだ濡れてるじゃないか。

 

 

「別にいいけど……いつだ? 明日か?」

 

 

 とりあえずにこの手を振りほどいて、逆にいつやるのか提案してみる。

 さっきまで張っていた見栄を捨てて頼んできたという事は、本気で教えてほしいのだろう。

 

 

「今からよ!」

「はぁ!?」

 

 

 今からって、冗談だろ。冗談だよな?

 しかし、にこの目は本気だ。

 

 

「今からってお前、まだ濡れてるじゃねぇか」

「じゃあシャワー貸しなさい!」

「じゃあって! どういう思考回路したらそうなるんだよ! それに着替えは!?」

 

 

 相変わらず突飛な発想をするにこに、そう言わずにはいられなかった。

 

 

 するとにこはその場で180度クルッと回って、背負っていた鞄を俺に見せてきた。

 

 

「着替えなら鞄の中に練習着があるわ。さっきまで練習していたから少し汗臭いかもしれないけど、無いよりはマシよ。それにさっきからビショビショで気持ち悪いのよ!」

「あるのかよ……」

 

 

 正直、このまま傘だけ貸して追い返したいところなんだが……。

 

 

「というわけだから、シャワー借りるわよ。どこ?」

 

 

 こういう風に、どうせ押し切られるに決まってる。なら最初から抵抗はしない。

 

 

「はぁ……そこだよ」

 

 

 ワンルームのアパートだ。玄関から入ってすぐの場所に浴室がある。

 

 

「じゃあ借りるわね。ほら、さっさと部屋に戻りなさい! 言っとくけど、覗くんじゃないわよ!」

「覗かねぇよ……」

 

 

 落胆しながら部屋に戻って、そこの扉を閉める。

 

 

 まったく。一度こうだと決めたら、決して曲げないんだから。

 

 

 はぁ……一服しよ。

 

 

 



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16話

 

 

 俺の家ににこが突然押しかけた。

 現在、彼女は俺の家でシャワーを浴びて濡れた体を温めている。

 

 

 ……どうしてこうなった。

 

 

 いや、単に俺が断らなかっただけなんだけど。

 一度決めた事は曲げようとしない性格のにこ。そうなると俺が妥協するしかなかった。

 

 

「はぁ……」

 

 

 ため息と共に紫煙を吐き出す。

 にこが浴室に消えてからベランダに出てタバコを吸い始め、かれこれこれで3本目。

 

 

 部屋と浴室は多少離れているとはいえ、同じ空間でにこがシャワーを浴びていると居心地が良くない。

 色々と気になって仕方がないし、下手すると変な想像をしかねない。

 

 

 こうしてベランダに出ることで、窓を挟んで部屋とは隔離された事になる。

 ベランダでにこを待っている間は何もできないので、こうして煙草を吸っているというわけだ。

 

 

「はぁ……」

 

 

 肺まで深く吸い込んだ紫煙を吐き出す。メンソールの香りが乱れそうな心を落ち着かせるようだ。

 

 

 まったく。俺の役割はにこの曲を作る事であって、決して身の回りの世話をすることでも、勉強を教える事でもない。

 ましてはシャワーを貸すなんて……本当、どうしてこうなった。

 

 

 土砂降りの雨が降り続く。

 アスファルトに打ちつける雨音をBGMに、右手に持った煙草を吸い込む。

 

 

「ふーっ」

 

 

 紫煙を吐き出し、灰皿に灰を落とす。

 

 

「譜也ー! あがったわよー!」

 

 

 部屋の中からにこの声が聞こえた。

 煙草を灰皿に押し付け火を消して、俺は部屋の中に戻った。

 

 

「ちょっと、どこ行ってたのよ!」

 

 

 いつもの練習着に着替えたにこ。

 着替えがあるというのは本当だったみたいだ。

 

 

「どこって、ベランダに出てたんだよ」

「ベランダ? なんでそんなとこ……って臭っ! さては煙草吸ってたわね」

「……いいだろ別に」

 

 

 にこがシャワーを浴びている間、部屋にいるのはどうにも居心地が悪かったんだから。

 

 

「よくないわよ! 煙草なんて吸っても体を悪くするだけなのよ!」

「別にいいだろ、俺の体なんだから。にこが気にする事じゃない」

 

 

 俺がそう言うと、にこは不服そうな顔をしながらため息を一つ吐いた。

 

 

「まぁいいわ。それよりドライヤー貸して。髪乾かしたいのよ」

「そこにあるから、お好きにどうぞ」

「そう。ありがと」

 

 

 ドライヤーがある場所を指差す。

 にこはドライヤーを手に取り、髪を乾かし始めた。

 

 

「ていうかにこ。お前、もう少し警戒とかした方がいいんじゃないのか?」

「警戒? 何に?」

 

 

 いつものツインテールとは違い下ろした髪を温風に靡かせながら、素っ頓狂な表情をするにこ。

 こいつ……何の事がまるっきり分かっちゃいない。

 

 

「いいか。俺は男でお前は女。そういう事にもう少し危機感を持てと言ってるんだ」

 

 

 するとにこは合点がいったように「あぁ」と言った。

 

 

「何、警戒してほしいの?」

 

 

 にこはニヤニヤと意味ありげな視線を俺に向けてくる。

 ダメだこいつ、全然分かってない。

 

 

「そうじゃなくてだな……俺だから良かったものの、そんなホイホイと男の家に上がるなって話。ましてやシャワーを借りるなんて」

 

 

 ていうか俺、なんでにこの保護者みたいな説教してるんだろう。

 

 

「そんな事分かってるわよ。他の男の家になんて、そう易々と上がるわけないでしょ。譜也だから、にこは信頼してるってわけ」

「にこ……」

 

 

 そうか。お前は俺を信頼して。

 

 

「だって、譜也ってヘタレでしょ?」

「誰がヘタレか!?」

 

 

 信頼って、俺がヘタレだから襲ってこないだろうっていう事ですかにこさん。

 

 

「ヘタレじゃない。俺は中学生体型には興味がないだけだ」

「アンタ……最っ低ね」

 

 

 一段と低い声でにこはそう言い、侮蔑の目で俺を見てくる。おいやめろ、それは人に向けていい目じゃない。

 

 

「言っとけ。ほら、勉強始めるぞ」

 

 

 髪を乾かし終えたにこは、こたつ机の俺の横に腰を下ろす。

 

 

 英語のテキストを広げ、それぞれ問題を解いていく。特に会話も無く、ペンを走らせる音とテキストを捲る音だけがする。

 

 

 問題を解いていくと時々、横から視線を感じる。横目で見ると、にこがチラチラと俺の様子を窺っているようだ。

 テキストと俺を交互に見つめる。その間、右手に持つペンは止まったままだった。

 

 

「どうした、分からないところでもあったか?」

「ば、バッカじゃないの! にこに解けない問題なんてないんだから!」

「そうか」

 

 

 止めていたペンを再び走らせ、問題をスラスラと解いていく。

 

 

 なるべく自力で解いた方が理解が深まると思っているので、助けを求められない限り俺は手助けをしない。

 

 

 その間もにこは、俺とテキストを交互に見つめていた。

 

 

「変な意地張ってないで、素直に教えて下さいって言ったらどうなんだ?」

「だ、誰がアンタなんかに……!」

「分からない所があるんだろ、どこだよ」

「くっ……譜也のくせに」

 

 

 悔しそうに唇を噛みながらも、それからのにこはここが分からないと素直に言うようになった。

 

 

 俺はそこをにこに教える。一人で勉強するのも悪くないが、折角二人いるんだから協力した方がいいに決まっている。

 

 

 それから1時間程にこに教えながらの勉強をして、キリのいい所まで終える事ができた。

 

 

「そうだ、にこ」

「なによ急に、どうしたの」

 

 

 すっかり勉強の手が止まった俺は、ある事をふと思い出した。

 

 

「南が寂しがってたぞ。最近会ってないそうじゃないか」

 

 

 先日、にこの衣装を作ってもらう為、秋葉原で南と落ち合った。

 その時、南から零れた一言。

 

 

「ことりが?」

「あぁ、たまには顔を見せてやれ」

 

 

 俺がしている事は、余計なお節介なのかもしれない。それでも、南の気持ちは伝えるべきだと思った。

 

 

 俺に嫉妬しているとまで言った南。よっぽどにこの事が好きなんだと思う。

 

 

 小さくて可愛らしい見た目のにこだけど、意外としっかりしていて頼りになりそうだ。μ’sの後輩からは慕われているのだろう。

 

 

「そうね。テストが終わったら、みんなのところに行って顔を見せてあげるわ」

「うん、それがいいよ」

 

 

 深々と、懐かしむようににこは呟いた。

 思い出に浸っているのだろうか、後ろ手をついて天井を見上げている。

 

 

「さて、そろそろ帰ろうかしら」

 

 

 そう言ってにこは立ち上がる。

 

 

「今日はありがとう、助かったわ」

「どういたしまして、俺もおかけで勉強が捗ったよ」

 

 

 ずぶ濡れになって急に来て、シャワーを貸せなんて言った時はどうしたものかと思ったけど。

 

 

 立ち上がって帰ろうとするにこを、玄関までついて行き見送る。

 

 

「ねぇ、明日も勉強教えてくれる?」

「あぁ、いいぞ。ほら、傘」

 

 

 ビニール傘をにこに手渡す。

 もともと傘を借りに来たのに、成り行きで今まで勉強をしていた。

 

 

 外はまだ雨が降っている、傘は必須だ。

 

 

「ありがと、じゃあ、また明日ね」

「あぁ、また明日」

 

 

 そう言ってにこは帰っていった。

 

 

 さて、もう少しだけ勉強するとしようか。

 



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17話

 

 

「譜也!」

 

 

 教室を出ようとしたところ、後ろからにこに呼び止められた。その場で足を止めて振り返る。

 

 

「なんだ、テストは出来たのか?」

「バッチリよ!」

 

 

 小さくガッツポーズをしてにこが答える。

 今日は中間テストの最終日、今のテストを最後に全てのテストが終了した。

 

 

「アンタ、この後暇よね? ちょっと付き合いなさい」

「何でいちいち上から目線なんだよ。まぁ暇だけど」

 

 

 よっぽどテストの出来に自信があるのか、にこはいつも以上に上から物を言ってくる。

 

 

 まったく、誰のお陰だと思ってるんだ。今日まで全ての教科の勉強を俺の家でやって来たというのに。

 

 

「暇なのね、今暇って言ったわよね! じゃあさっさと行くわよ、にこに付いてきなさい!」

 

 

 にこは俺の服をグイグイと引っ張り連行しようとする。

 おいやめろ、そんな楽しそうな顔で人の服を引っ張るな。

 

 

「分かった分かった。行くからまず手を離せ、服が伸びてしまう」

「あ、ごめん」

 

 

 そう指摘してやるとにこはパッと服を掴んでいた手を離した。

 

 

「ほら行くわよ! さっさと歩く!」

「行くって、どこにだよ……」

「それは、着いてからのお楽しみよ!」

 

 

 そう言ってどんどん先に進んでいくにこは、やっぱり楽しそうな表情をしていて、どこか浮かれているようにも見える。

 

 

「遅い! 置いてくわよ!」

「おいにこ、待てって!」

 

 

 駆け足でにこに追いつく。

 すると鼻歌が聞こえてきた。にこのやつ、これは相当浮かれているな。

 

 

 にこが鼻歌で奏でているのは、俺が作った曲だった。

 ……やばい、嬉しいんだけど。

 

 

「……何よ、ニヤニヤして、気持ち悪い」

 

 

 怪訝な目をしてにこは俺を見る。どうやら俺はニヤニヤしていたらしい。

 

 

「お前もニヤニヤしてたけどな」

「嘘っ!?」

「本当だって。鼻歌も歌ってたし」

「うわ……全然気付かなかったわ」

 

 

 気付かなかったって、無意識に鼻歌で俺が作った曲を歌っていたというのか。

 やばい、ますます嬉しくなってきた。自然と口角がつり上がってしまう、抑えないと。

 

 

「もう譜也! さっさと行くわよ!」

 

 

 しびれを切らしたように言って、にこは足早に教室から出て行こうとする。

 どこに行くのか全くもって検討つかないが、付いて行かないと煩いんだろうなぁ。

 

 

 俺はにこの後ろを付いて行くように教室を後にした。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 大学を出た俺とにこは、その後電車に乗って移動した。

 電車の中でもにこは終始浮ついている様子で、やっぱり楽しそうな顔をしていた。

 

 

 そんなにこを時々横目で見ながら電車に揺られ、着いた先は秋葉原。

 

 

 大学から秋葉原までは電車で1時間程かかるのだが、最近の俺はよく秋葉原に行く事が多い気がする。

 大学に入学してからこれで3度目だったと思う。アキバ好き過ぎかよ。

 

 

 そういえば、にこと秋葉原に来るのは初めてだ。

 

 1度目は俺一人で来たところで東條と絢瀬、南と出会った。

 2度目はにこが練習で踊っている動画を南に渡すため。

 

 そして今日はにこと。

 

 

「なあ、アキバのどこに行くんだ?」

 

 

 堪らずにこにそう聞いた。

 するとにこは満面の笑みを浮かべながら、人差し指を口元に当てて、

 

 

「内緒よ」

 

 

 うわぁ、似合わねえ。

 しかし決して口には出さない。何をされるか分からないから。

 

 

 しかし、内緒か。秋葉原で電車を降りたという事は、目的地は近くにあるのだろう。

 

 

 そういえば、にこの家って秋葉原だったよな。

 まさか行き先って、にこの家!?

 

 

 なるほど。それなら今日の異様な浮かれ具合にも納得がいく……いや、出来ないだろ。

 

 

 しかし、行き先が本当ににこの家だとすると、どうして俺を連れ込むのだろう。

 まさか、今まで募っていた俺に対する鬱憤を晴らそうとしてるんじゃ……。

 

 

 出会った時は名前を間違えたし、事あるごとにイジってきたし、他にも色々エトセトラ。

 やばい、俺は今から復讐されるのか。

 

 

「なあにこ、俺帰っていい?」

「はぁ!? 何言ってんのよ、ダメに決まってるでしょ!」

「……だよな」

 

 

 そうだ、逃げるなんて良くない。

 俺が今までしてきた事の報いは、受けなくてはいけないんだ。覚悟を決めろ、音坂譜也!

 

 

 パチン!

 両手で頬を叩いて決意を固める。

 

 

「……アンタ、何やってるのよ」

「気合いを入れてたんだ」

「あっそ」

 

 

 にこは大きな目を細めて、冷ややかな視線を俺に向けてきた。くっ、報復は既に始まっているというわけか。

 

 

 決して屈服しないという決意のもと、俺は前を歩くにこの後を付いて行く。

 

 

 それから歩くこと10分、ついににこが足を止めた。

 

 

「着いたわ、ここよ」

「でけぇ、ここがにこの家なのか……」

 

 

 そのあまりの大きさに俺が関心していた。

 入口には立派な門があり、そこからやや距離のあるところに建物がある。まるで学校みたいだ。

 

 

「はぁ!? アンタほんと馬鹿ね。にこの家じゃなくて学校よ、音ノ木坂!」

「えっ、学校!?」

 

 

 確かに、門のところにある立派なプレートには『国立音ノ木坂学院』と書かれてあった。

 

 

「音ノ木坂、この字面どこかで見た気が……あっ、俺の苗字か、音坂」

「なにバカな事言ってるのよ。去年までにこが通っていた高校よ」

「あぁ、それだ!」

 

 

 μ’sの事について調べていた時に音ノ木坂って文字を見た気がする。

 

 

 音ノ木坂学院。

 ここが、にこが通っていた学校。

 

 

「ちなみにここ、女子校だから」

「女子校!? 俺が来て大丈夫なのか?」

「大丈夫よ、ちゃんと話は通してあるから」

 

 

 にこは大丈夫というが俺は心配で仕方がない。

 まさか女子校に入る事が出来るなんて夢にも思わなかったが。

 

 

 

「にこちゃーん!!」

 

 

 

 校門の向こうから声がした。

 明るくて元気一杯な、そんな印象を受ける声だ。

 

 

 視線を向けると、橙色の人影がもの凄いスピードでやって来て、隣のにこに勢いよく抱き付いた。

 

 

「本当ににこちゃんだー! 久しぶりだね!」

「ちょっ、離れなさいってば穂乃果! 暑苦しいのよ!」

「えへへー、にこちゃーん」

「……まったく、しょうがないわね」

 

 

 にこに抱き付いて離れない、穂乃果と呼ばれた少女。なんだか背景に百合の花が咲いてそうな光景だ。

 

 

 そんな光景に場違いさを感じていると、再び校門の方から2つの人影がやって来た。

 

 

「穂乃果。貴方は生徒会長なんですから、もう少し落ち着いて下さい」

「まぁまぁ海未ちゃん。これが穂乃果ちゃんなんだから、仕方ないよ」

「ことり、ですが……」

 

 

 一人は知っている顔――南ことりで、もう一人は知らない顔だった。

 

 

 青みがかった艶のある黒髪ロングのいで立ちは、まさに大和撫子といった雰囲気を纏っている。

 

 

「にこちゃん、久しぶりだね」

「お久しぶりです、にこ。大学はどうですか?」

 

 

 南と大和撫子さんがにこに話しかけるが、にこは依然としてもみくちゃにされていて答えられないでいた。

 

 

「音坂さんも、来てくれてありがとうございます」

 

 

 にこから反応がないと分かるやいなや、南が俺に話しかけてきた。

 

 

「まあ、にこに無理やり連れてこられたんだけどな。ここに来るって事も知らなかったし」

「そ、そうだったんですか。でも、音坂さんがにこちゃんに言ってくれたんですよね」

「いいや、俺は何も」

 

 

 俺がにこに言ったのは南が会いたがっているという事だけ。嘘は言ってないはず。

 それに南も、にこが自らの意志で会いに来た方が嬉しいだろう。

 

 

「あの、ことり。そちらの男性はどなたですか?」

 

 

 大和撫子さんが俺を指さして南に尋ねた。この子と未だににこに抱き着いている子とは初対面だしな。

 それに、女子校にいきなり見ず知らずの男が来れば、戸惑うのも仕方がないと思う。

 

 

「ああー、男の人だー!」

 

 

 にこに抱き付いていて子が今更俺に気づいた様子で、トコトコと俺の前にやって来る。

 

 

 にこは……抱き付かれ疲れてグテッとしている。放っておこう。

 

 

「穂乃果ちゃん、海未ちゃん。この人は音坂譜也さんって言ってね――」

 

 

 南が2人に俺の事を紹介していく。目の前でそれを聞くのはむず痒いような感覚だったが、南の説明を聞いて早々に2人とも納得してくれた様子だ。

 

 

「音坂さん初めまして! 私は高坂穂乃果(こうさかほのか)って言います!」

「は、初めまして、園田海未(そのだうみ)と申します」

 

 

 自己紹介タイム。

 俺も倣って簡単に自己紹介をする。

 

 

「初めまして、音坂譜也です。2人ともよろしく」

「音坂さんはにこに曲を作っているのですね、すごいです」

「いやまあ、成り行きっていうか」

 

 

 大和撫子さん改め園田にそう言われて思わず照れる。こういう真っ直ぐな言葉にはとことん弱い。

 

 

「それじゃあにこちゃん、音坂さん。案内するね!」

 

 

 元気一杯といって感じで高坂が言う。

 にこもいつの間にか起き上がって復活していた。

 

 

「にこちゃんと音坂さんは、これを首からかけてね」

 

 

 そう言って南から渡された『来校者』と記されたカードのようなもの。

 

 

「それじゃあ行こうか! みんなにこちゃんを待ってるんだよ!」

 

 

 高坂がそう言って先導し、俺は音ノ木坂学院へと案内されていく。

 

 

 

 



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18話

 

 

 高坂、南、園田、そしてにこの4人に囲まれて俺は音ノ木坂学院の校舎内を歩いていた。

 今現在は放課後という事もあって残っている生徒の数は少ないが、それでも少なからず生徒は残っていた。

 

 

 来校者カードをぶら下げて歩いている音ノ木坂学院は、女子校である。

 そこを見知らぬ男が歩いていると、さてどうなるでしょう?

 

 

 答えはジロジロ見られる。

 すれ違う女生徒からの、まるで珍獣でも目撃したかのような視線が痛い。

 

 

 俺の目の前を歩いているにこ、南、園田、高坂。4人は思い出話に花を咲かせているのだろう、和気あいあいと楽しそうに談笑しながら廊下を慣れた様子で歩いていく。

 そんな彼女たちの後ろをなるべく目立たないように、存在感を無くすように俺は付いて行っている。

 

 

 今日は人の後を付いて行くのが多い日だな。

 なんて他愛もないことを考えていると、前を歩くにこ達の足が止まった。

 

 

「……懐かしいわね、卒業してまだ3ヶ月しか経ってないのに」

 

 

 感慨深げににこは呟く。

 ここはにこが3年間通った高校。今ここに立ってそう呟いたにこは、まるで大切な思い出を一つ一つ確認しているかのようだ。

 

 

 にこ達が立ち止まっているのは一つの扉の前。見るとそこには『アイドル研究部』と書かれていた。

 

 

 もしかすると……いや、もしかしなくてもここはにこが所属し、μ’sとして活動した部活動、その部室なんだろう。

 

 

「にこちゃんと音坂さんはここで待ってて! みんなを驚かせたいんだ!」

「いいわねそれ! じゃあにこと譜也はここで待ってるわ!」

 

 

 橙髪の高坂が言う。そしてにこがそれを二つ返事で承った。

 

 

 今日は全体的にテンション高めのにこだが、やはり母校に帰って来たという事で浮かれているのだろう。気持ちはよく分かる。けど俺は校舎内を歩くと突き刺さる視線に心労がマッハなんだ。

 

 

「何しんどそうな顔してんのよ、シャキッとしなさいシャキッと!」

「……そういうにこは楽しそうだな」

「当ったり前でしょ! これからみんなと会えるんだから!」

「そのみんなって言うのは、μ’sのメンバーか?」

「そうよ。この扉の向こうにみんないると思うとワクワクするわよね! あ、でも希と絵里はいないんだったわね」

 

 

 ワクワクするわよねって、同意を求められても困るんだが。

 

 

 確かμ’sは9人のメンバーだったはず。そのうちの一人は言わずもがな今俺の隣にいる矢澤にこ。

 

 

 そのにこと同級生なのが東條希と絢瀬絵里。

 2人ともにこと同じく卒業しているため今日はいないだろうが、それ以前に俺は東條と絢瀬とは顔見知りだ。

 

 

 東條と絢瀬と会った日に同じくして出会ったのが南ことり。

 μ’sの衣装を作っていたという彼女に、俺はにこの衣装作成を依頼し、南はそれを快く引き受けてくれた。

 

 

 そしてさっき校門前で出会ったのが南と同級生だという高坂穂乃果と園田海未。

 何でも南を含め3人は幼なじみで、この学校の生徒会だという事をさっき案内されている中の会話で出てきた。

 

 

 ここまで俺が出会ったμ’sのメンバーは6人。となると、扉の向こう側にいるのは未だ出会っていない3人のメンバーという事になる。

 

 

 ガチャリ。

 扉が静かな音立てて内側から開かれた。

 

 

「2人とも、入っていいよ」

 

 

 南がひっそりと小さな声でそう言う。

 ていうか何だよ、このクラスに転校生がやって来ましたみたいなノリは。

 

 

「ほら、行くわよ」

 

 

 にこが先導して部屋の中へと入っていく。俺もにこの後ろを付いて行くように、部屋の中へと入る。

 

 

「あっ、にこちゃんにゃー!」

「にこちゃん……久しぶり」

「まったく、来るなら連絡しなさいよね」

「にこさん、お久しぶりです」

「ハラショー! 本物のにこさんだ!」

「みんな久しぶりね、元気にしてた?」

 

 

 そこにいる女の子たちが、口々ににこを歓迎する。にこはその輪の中に加わって、それぞれから熱い歓迎を受けていた。

 

 

 そして、そこにはいないと思っていたはずの人たちもいた。

 

 

「あ、にこっちやん。久しぶりやね」

「にこ、卒業式以来ね。それに音坂君もいるじゃない、ハラショー!」

「希、絵里……そうね、久しぶり。そういえばアンタ達とことりは譜也の事知ってるのよね」

「ああ、アキバでの事聞いたんや。やっぱり仲良いんやね」

「誰がよ! 別に仲良くなんてないわよ!」

 

 

 その様子をただ見守る俺。こうしてしばらく会ってない友人と再会するのは、いいものだなぁとつくづく思う。

 何だか俺も、地元の友人に会いたくなってきた。

 

 

「ねぇにこちゃん、そっちの男の人は誰なんだにゃ?」

 

 

 女の子の中の一人、オレンジ色の短髪をした子がにこに聞く。なかなか特徴的な語尾をしている子だ。

 

 

「ふっふっふ……」

 

 

 にこは腰に手を当て、よくぞ聞いてくれましたという感じで不敵に笑う。まるでどこぞの悪役のようだ。

 

 

 南とその幼馴染の高坂と園田、そして絢瀬と東條は既に俺の事は知っている。

 

 

 知らないのは、にこの周りを取り囲む5人の女の子。

 彼女たちは、いかにも興味深々といった様子でにこの言葉を今か今かと待っている。

 

 

 そんな彼女たちの期待に応えるべく、にこは堂々と言い放った。

 

 

 

 

「彼は――にこのパートナーよ!!」

 

 

 

 

『え、ええぇぇええええええ!!!』

 

 

 にこの発言には俺を知らない5人だけではなく、知っている人たちまで驚きの声を上げた。

 

 

 おい、なんでそんなに驚く。にこは何も間違った事は言ってないだろう。

 

 

「に、にこちゃん大人だにゃ〜」

「はわわわわ……!」

「ちょっとにこちゃん、どういう事なのよ!」

「にこさん……凄いです! さすが大学生ですね!」

「ハ、ハラショー……!」

「にこちゃん……大人になったんだね!」

「にこは魅力的な女性ですからね」

「そ、そうだったんだー。ことり、知らなかったなー……」

「さっきは仲良くないなんて言ってたけど、やっぱりそういう事だったのね」

「ちょ、にこっち、それホンマなん?」

 

 

 各々がにこの発言に反応を見せる。しかし、彼女たちが言っている事が俺にはよく理解出来ない。

 それは、にこも同じだったようで――

 

 

「え、ちょっ、何、どういう事?」

 

 

 堪らずにこが聞く。すると、おっとりした印象の茶髪の女の子がそれに答えた。

 

 

「だってパートナーって、そういう事だよね?」

 

 

 パートナー。さっき言ったにこの言葉。

 それは何も間違ってはいない。俺はにこの曲を作る協力者。パートナーと称するのも納得できる。

 

 

 しかし、問題は彼女たちの反応。

 全員が全員同じような反応をして、大人になったという者もいた。

 

 

 ここまで来ると、流石に理解できた。

 どうやら彼女たちは盛大な勘違いをしているようだ。

 

 

 にこを見ると、ハッとした表情をして、次いで顔を真っ赤に染めた。あぁ、どうやらにこも気付いたみたいだ。

 

 

「ち、違うわよ! 誰があんな奴なんかと……! そうじゃなくて、譜也はにこの曲を作ってくれてるの! そういう意味でパートナーって言っただけなのよ!」

 

 

 慌ててにこはそう弁明する。実際、本当に曲を作っているだけで、彼女たちが思うような恋愛関係はこれっぽっちもない。

 

 

 それはきっとにこも同じだろう。そうでないとノコノコと俺の家に入ってきたりなんかしないだろうし。

 

 

「まったく……それならそうと早く言ってよね」

真姫(まき)ちゃん達が早とちりしただけでしょ」

「パートナーとだけ言われれば、誰だって勘違いするわよ」

「そ、それもそうね……」

 

 

 あぁ、やっぱり勘違いしてしまうものなのか。そして今にこと話している赤髪の女の子は真姫っていうのか。おそらく下の名前だろう。

 

 

「ってか、希と絵里はなんでいるのよ?」

「あら、私たちがいたらダメだったかしら?」

「そうは言ってないでしょ。ただ単純に、なんでいるのかって思っただけよ」

 

 

 まぁ絢瀬も東條も、卒業生なんだからここにいる事は大して不思議ではない。おそらくにこと同じで後輩の顔を見に来たんだろう。

 

 

「それはな、真姫ちゃんと海未ちゃん、ことりちゃんに頼みがあって来たんよ」

「真姫ちゃんと海未とことり?」

「ええ、にこも出るんでしょう? 大学生のラブライブ」

「そうね。……ってまさか!」

 

 

 大袈裟に驚くにこ。

 そして次の瞬間、東條は思いもよらぬ宣言をした。

 

 

 

 

 

「――ウチとエリチも、ラブライブに出場する事にしたんよ」

 

 

 



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19話

 

 

「――ウチとエリチも、ラブライブに出場する事にしたんよ」

 

 

 

 

 東條が言ったその言葉に、俺は驚きを隠せなかった。どうやらにこも同じなようで、大きく目を見開いて絶句している。

 

 

 絢瀬と東條、2人はにこと同じくμ’sの元メンバー。その2人がラブライブに出場するという事は、にこにとっては強力なライバルの出現にと言えるだろう。

 

 

「え、何で!? アンタ達、大学ではアイドルは続けないって言ってたじゃない!」

 

 

 噛み付くようににこが吠える。

 確かに、以前秋葉原で出会った時も2人はアイドルをしているとは言ってなかった。というか、その手の話をしていない。

 

 

 にこの言った通り、絢瀬と東條が大学でアイドルを続けないと言ったとすると、何故今になってラブライブに出場しようと思ったのか気になるところだ。

 そんな俺の疑問を汲み取ってはいないだろうが、絢瀬が答えてくれた。

 

 

「それがね、希が急にラブライブに出たいって言い出したのよ」

「ちょっ、エリチ! それは言わんといてって言ってるやん!」

「まあまあ、別に隠す事でもないじゃない」

「もう……意地悪なんやから」

「なんだ、そういう事だったのね」

 

 

 照れ隠しをするように東條はポツリと呟いた。と同時に、チラッと俺の方を見てきた。

 

 

 ……なんだろう、今の視線は。

 

 

「そう。それで、海未に作詞、真姫に作曲、ことりに衣装を作ってもらおうと思って今日ここにやって来たというわけなのよ」

「ああ、なるほど。納得したわ」

 

 

 にこが納得したように、今の絢瀬の説明には俺もなるほどと納得した。

 

 

「いいなぁ、にこも真姫ちゃんに曲作ってもらいたかったなぁ」

「おいにこ、俺泣くぞ」

「嘘々、冗談よ」

 

 

 俺の曲じゃ満足出来ないと言われたように感じで思わずツッコんでしまうが、にこは笑いながら冗談だと言って舌を見せる。

 よかった、本気だったらマジで泣いていた。

 

 

「でも、言ってくれれば作ってあげたのに。そうよね、海未?」

「そうですね。にこの曲となれば喜んで作詞します」

「え、本当!? 今からでも間に合う?」

「はい。でもにこには、音坂さんがいるようですので、私達の出る幕は無さそうですね」

「そうね。ちょっと妬いちゃうかも」

 

 

 そういえば以前、南にも同じような事を言われたな。

 

 

 μ’sという繋がりを持つ彼女達にとっては、俺という存在は完全に部外者でしかない。

 にこの曲を作る俺に嫉妬するというところに、彼女達の繋がりの深さをつくづく感じさせられる。

 

 

「そういえばその、えっと……音坂さん? 自己紹介をまだしてなかったにゃ! 凛の名前は星空凛(ほしぞらりん)って言います。よろしくにゃ!」

 

 

 あぁ、そういえば自己紹介をまだしていなかったっけ。する暇が無かったのもあるが、いいタイミングなのでここでしておこう。

 

 

「初めまして、音坂譜也です。にことは同じ大学で、にこの曲を作ってます。よろしく」

「よろしくお願いしますにゃ!」

「わ、私は小泉花陽(こいずみはなよ)って言います――」

 

 

 そこからはまだ自己紹介していない人達の自己紹介タイムとなった。

 

 

 今現在2年生なのが星空凛、小泉花陽、西木野(にしきの)真姫の3人。彼女達もμ’sの元メンバーだった。

 

 

 そして1年生の高坂雪穂(ゆきほ)と絢瀬亜里沙(ありさ)

 名前で分かるように雪穂は高坂――穂乃果の妹で、亜里沙は絢瀬――絵里の妹との事だった。

 

 

 苗字で呼ぶと紛らわしいので両姉妹の事は下の名前で呼ぶ事になったのだが、そこからどうしてか全員の事を名前で呼ぶという流れに話は進んだ。

 

 

 結局それを断る事が出来ず、()()()()()()()()()()()()()()()。嫌だもう、恥ずかしいのに。

 

 

 その流れで全員が俺の事を名前で呼ぶという話になり、もうどうにでもなれと思いつい了承してしまった。

 女子高生の集団意見って怖い。

 

 

「そうだにこちゃん。頼まれてた衣装、作ってきたよ」

「本当!? 流石ことりね、仕事が早いわ!」

「今日にこちゃんが来るって聞いてたから、頑張って仕上げたの」

 

 

 南――いや、ことりは部屋の中にハンガーで吊るしてあった衣装を持ってきてにこに手渡した。

 

 

「可っ愛いー! イメージ通りよ!」

「えへへ。ありがとう、にこちゃん」

 

 

 にこが衣装を自身の身体に当てて、鏡でその姿を見る。

 にこの言う通りことりの作った衣装は可愛くて、曲のイメージにもピッタリだった。

 

 

「早速着てみるわね!」

 

 

 そう言ってにこは着ていた私服に手を伸ばす。

 

 

「ちょっ、にこっち!」

「ん、何よ?」

「音坂く――譜也君おるんやで」

「あっ……」

 

 

 上に着ていた服に手をかけ、腹部の肌色が少し見えたところでにこは手を止めて固まった。

 

 

「何でアンタがいるのよー! さっさと出て行きなさいよー!」

 

 

 お前が連れてきたんだろうがー!

 

 

 ……理不尽だ。そう思いつつ、俺はトボトボと部屋から出て行った。

 

 

 何なんだよ、もう。

 いきなりにこに付いて来いと言われて辿り着いた先は音ノ木坂学院で、今さっき何でいるんだと言われる始末。

 

 

 ……はぁ。

 タバコでも吸おうと思ってポケットに手を伸ばしたが、ここが高校の校舎内だという事を思い出して踏みとどまる。

 

 

 

 

 しばらく部室の外の壁にもたれ掛かって待っていた。部屋の中からはワイワイと楽しそうな声が聞こえてくる。

 

 

 元々俺は部外者なんだから寂しいなんて思ってないけど、10分程待っても声が掛からないので、もしかしたら忘れられてるんじゃないかと不安になる。

 

 

 すると、部屋の扉がガチャリと音を立て開かれた。そして何故か、全員が揃って出てきている。

 

 

「どうしたんだ? みんな出てきたけど」

「折角全員揃ってるんだから、久しぶりにμ’sで踊らないかって話になったのよ」

「ああ、そういう事」

 

 

 俺の疑問ににこが答えてくれた。

 μ’sのメンバーは全部で9人。卒業したにこ、絵里、希がいる今、全員が揃っている。

 

 

 ――昔の仲間ともう一度踊りたい。

 

 

 なんか良いな、そういうの。ささやかな同窓会みたいな感じで。

 

 

「さぁ屋上に行くわよ、付いて来なさい!」

 

 

 にこ達の後を付いて行くようにして、屋上へと向かって行った。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

「屋上! 久しぶりだわー!」

「せやね。みんなでここで、練習した」

「まだ1年前なのに、随分と懐かしいわね」

 

 

 屋上にやって来るなり、大学生組の3人がそれぞれ感慨深げに言葉を漏らした。

 

 

 ここで練習したという希の言葉。さっきの“アイドル研究部”もそうだけど、この学校には沢山の思い出が詰まっているのだろう。

 母校とは、そういう場所なんだろう。

 

 

 俺も2年前までいた母校を思い出すが、あまり大した思い出がなかった。

 登校して授業が終わるとすぐ帰宅し、自作の曲を作っては動画サイトにアップする日々の繰り返しだった。

 

 

 にこ達を見ていると、もっと高校時代に出来る事があったんじゃないかと思ってしまう。

 けどそれは、考えても仕方のない事。

 

 

 ブンブンとかぶりを振って、さっきまで考えていた事を消し飛ばす。よし、気分転換完了。

 

 

 俺がそんな事をしている間、彼女達はワイワイと思い出話に花を咲かせていた。

 

 

「それじゃあ、みんなで踊ろう!」

 

 

 思い出話に満足したのか、穂乃果が先頭に立ってそう言う。

 他の元メンバーもそれに賛同しているようで。何となく、穂乃果がリーダー的存在だったのだろうなと思った。

 

 

「雪穂と亜里沙ちゃんは見てるだけになってゴメンね」

 

 

 バツが悪そうに穂乃果は言う。

 1年生でμ’sのメンバーでは無かった雪穂と亜里沙だけど、穂乃果の言葉にブンブンと首を横に振った。

 

 

「いえ、むしろμ’sのダンスをこんな近くで見られるなんて、光栄です!」

「そうだよお姉ちゃん。気にしないで」

 

 

 亜里沙はキラキラと目を輝かせてそう言い、雪穂は姉を気遣うしっかりとした妹といった感じだ。

 

 

「譜也さんも、見てるだけになるけどいいですか?」

「いいよ、全然。むしろ見てみたいって思ってるから」

 

 

 男でダンスの教養もない俺が参加するのは無理だろうし、見てみたいっていうのも偽らざる本心だ。

 

 

 にこが居たというスクールアイドル――μ’s。

 動画では何度も見た事があるけど、生で見るのはこれが初めてだ。内心、とても楽しみにしている。

 

 

「そうだ、アレもやろうよ! いつものやつ!」

「いいわね! ナイスよ穂乃果!」

 

 

 穂乃果の曖昧な提案に、にこが大袈裟に反応する。他の人も“アレ”が何なのか理解しているようだ。

 

 

「雪穂、悪いけど音楽お願いね」

「うん、分かってる」

 

 

 穂乃果の頼みに雪穂が頷く。雪穂は屋上に来る時にCDラジカセを持ってきていた。

 

 

 やがて自然と、誰が指示するわけでもなく、彼女達は輪になった。

 

 

 そして――

 

 

 

「それじゃあいくよ! ――1!」

「2!」

「3!」

「4!」

「5!」

「6!」

「7!」

「8!」

「9!」

 

 

『μ’s、ミュージック――スタート!!』

 

 

 綺麗に揃った掛け声をすると、彼女達はそれぞれの配置に着く。準備が終わったのを見て、雪穂がラジカセの再生ボタンを押した。

 

 

 

 優しくも力強さも感じるピアノのイントロ。

 それだけで俺は曲名が分かった。

 

 

 

 ――START:DASH。

 

 

 

 にこが大学の入学式の日に披露した曲で、俺はそれに一瞬にして魅了させられた。

 

 

 数々のμ’sの曲を聴いた中でも、俺が最も好きな曲はこれだった。この曲だけはもう、数え切れないほど聴いている。

 

 

 それを今、目の前でμ’sが歌って踊っている。

 

 

 今この瞬間、μ’sが復活している。

 それをこんなに間近で見られるなんて、こんなに贅沢な事は無いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 曲が終わった。

 彼女達――μ’sは最後のポーズをとる。

 

 

 気が付けば、俺は自然と拍手を送っていた。同じく見ていた雪穂と亜里沙も、俺より大きな拍手を送っている。

 

 

「すごいすごい! やっぱりμ’sはすごいね、雪穂!」

「そうだね。私達の憧れだもん」

 

 

 自己紹介で聞いたのだが、雪穂と亜里沙は2人でスクールアイドルを結成している。

 自分達の姉がそのメンバーだったのだから、その分憧れも強いのだろう。

 

 

『イェーイ!』

 

 

 μ’sのメンバー達が、それぞれ一人一人とハイタッチをする。まるで喜びを共有するように、新しい思い出を刻み込むかのように。

 

 

 にこは、満面の笑みを浮かべていた。

 

 

 それだけで、彼女にとってμ’sがどれだけ大切な物なのかを思い知る。今までの言動からもその事は充分伺えたけど、今の表情はまた一段と輝いている。

 

 

 にこが最後に、希と絵里とハイタッチをする。

 

 

 パチンと乾いた音が響いた後、にこは力強く宣言した。

 

 

 

「ラブライブ、負けないわよ! にこは絶対に大学の予選を勝ち抜いて本戦に進むから、アンタ達も本戦まで来なさいよ!」

 

 

 

 宣戦布告。

 今までは同じグループだった仲間が、戦友(ライバル)となる。

 

 

 

「もちろん、そのつもりよ!」

「せやね、ウチらも負けへんよ!」

 

 

 



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20話

 

 

 音ノ木坂学院を訪れてから、早くも1ヶ月の時間が経過した。

 

 

 屋上でささやかに行われた1日限りのμ’sの復活。

 そのライブを目の当たりにして、ラブライブ本戦で使用する曲作りに、より一層のやる気が出てきた。

 

 

 その時に伝えられた、絵里と希もラブライブに出場するという事実。

 それを聞かされたにこは彼女達と本戦で共演すべく、この1ヶ月間、より練習に熱を注いでいた。

 

 

 ことりに作ってもらった衣装にも袖を通し、大学予選に向けての調整は順調と言っていいだろう。

 

 

 一方の俺も、ことりの作った衣装を見て新曲のアイデアが浮かび上がった。

 

 

 絵里と希の衣装も作っていることりの忙しさも考慮して、にこは予選と本戦で同じ衣装を使用する事を決めた。

 だから、新曲は衣装に合ったものを作らないといけない。

 

 

 ことりの作った衣装は本当に出来が良く、新曲のアイデアがポンポン浮かんでくる。

 おかげで俺の曲作りも順調に進んでいた。

 

 

 その間にも月日は止まる事無く、一日一日と過ぎ去っていく。

 

 

 時間が待ってくれることは無い。

 限られた時間の中で、やるべき事をこなしていく。

 

 

 俺は、新曲の曲作りを。

 

 にこは、ライブに向けた練習を。

 

 

 時間と共に積み重なる成果が無駄になる事はないと、俺は信じている。

 だから俺もにこも、ただひたすら前を向いてやるしかないのだ。

 

 

 

 

 

 そんな時間を積み重ねて、遂に今日。

 

 

 ラブライブ出場がかかった、大学での予選ライブが開催される。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 7月中旬の休日。

 俺は曲作りを一旦中断して、休日の大学にやって来た。

 

 

 今日はラブライブ予選当日。

 休日であるにもかかわらず、大学構内は大勢の人でごった返していた。

 

 

 雲ひとつ無い晴天。

 7月に突入した事ですっかり夏らしい気候となった、端的に言うと暑い。

 

 

 しかし、そんな暑さにも負けない程、予選ライブは熱気に包まれていた。

 

 

 予選ライブとは言っても、ライブである以上は興行の要素が強い。

 もちろんライブをするキャンパスアイドル達は真剣なのだが、やっぱり見に来てくれた観客を楽しませようとしている。

 

 

『さて、次がいよいよ最後の出演者です! 皆さんご存知のスクールアイドル、μ’sの元メンバー――矢澤にこちゃんです!』

 

 

 司会の人が興奮気味にそう言うと、会場は今日一番の盛り上がりを見せる。

 黄色い歓声が飛び交い、全員がにこの登場を待ち望んでいるようだ。

 

 

 そして舞台袖から、にこが姿を見せた。

 

 

 歓声がより一層大きくなる。

 やはりμ’sの元メンバーというだけあって、にこの人気は他のキャンパスアイドルに比べて飛び抜けている。

 

 

「にっこにっこにー!」

 

 

 にこはそのセリフに合わせてポーズをとる。

 入学式の日に見たライブでもしていた一連の動作は、にこの代名詞のようなものなのだろう。

 

 

「今日歌う曲は、ラブライブの為に()()()作ってもらった新曲にこっ! みんな、楽しんでくれると嬉しいにこっ!」

 

 

 新曲。

 にこの口から出た言葉に観客たちはざわめき出す。

 

 

 その喧騒から取り残されるように俺は、にこの言葉に考えを巡らせていた。

 

 

 友人と、にこは言った。

 本心からの言葉なのか、それとも建前なのかは俺の知るところではない。

 

 

 それでも、友人という言葉が妙に腑に落ちた。

 

 

 今までは曲を作るだけの協力者だと割り切っていた部分が大きかった。

 けれど、家で一緒に勉強したり、にこの母校に連れて行かされたり、にこの友人達と知り合ったりした。

 

 

 それはもう、友人と呼べる関係ではないか。

 

 

 自分の中で納得出来たところで、ステージからイントロが流れ出し、現実に引き戻される。

 

 

 観客達は、初めて耳にするそのメロディに期待と戸惑いを浮かべている。

 

 

 俺にとっては何度も何度も聴いた曲だから、これからにこが披露するステージを楽しむだけだ。

 

 

 果たして受け入れられるのだろうかという不安もあるが、俺はにこを信じている。

 あれだけ練習してきて、自分のアイドル像をしっかりと持っているにこだ。心配なんて必要ない。

 

 

 

 

 にこが踊り、そして歌い出すと、観客達は徐々にそのパフォーマンスに魅了されていく。

 

 

 俺はその様子を、客席の一番後ろからただひたすら眺めていた。

 

 

 

 このステージは、にこが初めてμ’s以外の曲を使って披露するステージだ。

 

 

 

 

 今ステージに立っているのは、元μ’sの矢澤にこじゃない。

 

 

 

 

 

 一人のキャンパスアイドル――矢澤にこだ。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

「お疲れ様、良いライブだったよ」

「そうね、観客の反応も上々だったわ」

 

 

 ライブが終わり、俺の部屋でささやかな打ち上げが開かれていた。

 

 

 ライブ終了後、握手やらサインやらをひたすら求められたにこを待ち続け、ようやくファンから解放されたにこに俺から打ち上げをしないかと誘ったのだ。

 

 

 にこも誘いに乗っかり、こうして俺の部屋で打ち上げが行われている。

 

 

 机の上にはスーパーで買ってきた飲食物がずらりと並んでいて、それを二人で囲んでいる。

 

 

「それじゃあ改めて……ライブお疲れ様、乾杯!」

「乾杯ー!」

 

 

 飲み物が入ったグラスを合わせる。

 成人済みの俺はビールを飲み、未成年のにこはジュースを勢いよく飲み干していく。

 

 

「ぷはぁ……っ! アンタだけお酒飲めるなんてズルくない?」

「俺はもう成人してるからな、悔しかったら早く歳をとれ」

「歳はとりたくないけど、お酒は飲んでみたいわね」

「お前、酒に強そうだよな」

「そう? そんな事初めて言われたわ」

 

 

 そんな会話をしながら、にこは空になったグラスにジュースを注いで、スナック菓子に手を伸ばす。

 

 

 こうした時間を過ごしていると、にこがライブの時に言った“友人”という関係が更にしっくりくる。

 

 

「譜也……何ニヤけてんのよ。気持ち悪いんだけど」

「えっ、俺ニヤけてた? うわっ、恥ずかしっ」

「否定しない!? アンタますます気持ち悪くなってるわよ!」

「はいはい、俺は気持ち悪いですよー」

 

 

 いくらイジりと分かっていても、気持ち悪いを連呼されると流石に傷つく。

 俺のハートはガラスなんだぞ。

 

 

 この嫌な気分を振り払おうと、俺はグラスのビールを一気に飲み干していく。

 

 

「ちょっと、一気飲みは良くないわよ!」

 

 

 にこが慌てて止めようとするが、俺は空になったグラスにビールを注ぎ、またまたそれを一気飲みする。

 

 

「うるせー、お前が気持ち悪い気持ち悪いって言うからだな……」

「あぁもう! にこが悪かったから、一気飲みは……ってもう全部飲んでる!?」

「……」

「譜也?」

「……気持ち悪い」

 

 

 

 

 

 

 翌朝、激しい頭痛と共に目覚めた俺は、昨日にこのライブを見終わってからの出来事がよく思い出せなかった。

 何か思い出せないかとスマホを開くと、にこから一通のメッセージが届いていた。

 

 

『酒は飲んでも飲まれるな』

 



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21話

 

 

 大学でのラブライブ予選から数日が経ち、7月も中旬を迎えた。

 

 

 ライブの翌日には結果が発表され、うちの大学からラブライブ本選に出場するのは、矢澤にことなった。

 にこが選ばれるのは、正直言って当然の結果であったと言えるだろう。

 

 

 他のキャンパスアイドル達も精一杯検討していたが、観客が一番盛り上がっていたのがにこの出番の時だった。

 客観的に見て、ラブライブ本選に出場するのはにこで決定的だった。

 

 

 

 

 めでたく、にこのラブライブ本戦出場が決まってから数日後の今日。

 

 

 俺は家でラブライブ本戦で使用する曲作りに追われていた。

 

 

 ラブライブまであと1ヶ月と少し。

 しかし、最後の最後で曲作りは難航していた。

 

 

「ダメだ……少し休憩しよう」

 

 

 パソコンの画面をそのままに、俺は椅子から立ち上がってベランダに出る。

 

 

 煙草を一本取り出し、それを加えてライターで火をつける。

 すうっと煙を肺まで満たすと、それと同時にメンソールの清涼感が気管を通っていく。

 

 

 溜めていた煙を吐き出す。さっきまでの切迫感が、幾分か和らいだように感じた。

 それでも、その先へ進むことが出来ない。

 

 

「はぁ……」

 

 

 さっきより深く煙を吸い込み、溜め息と共に紫煙を吐き出す。

 大気中に揺蕩う紫煙の行方を、ただ意味もなくジッと目で追ってしまう。

 

 

 煙草を一本吸い終えて部屋に戻る。

 さて、曲作りを再開しようかと思っていると、机の上に置いていたスマホが震えていた。

 

 

 しばらくマナーモードのバイブレーションが震えていた事から、それが電話の着信であると知り、慌ててスマホを手に取った。

 

 

 東條希。

 

 

 電話を掛けて来た相手は、にこの友人である彼女だった。

 

 

 何の用だろう?

 そう疑問に思いながらも、俺は通話開始のボタンを押した。

 

 

『あ、やっと出た。音坂君で合ってるよね? ウチ、東條希』

「ああ、合ってるよ。それで、いきなり電話なんてどうしたんだ?」

 

 

 希とは連絡先を交換した。だからお互いの電話帳にはお互いの名前で登録されている筈だ。

 それをわざわざ確認するという事は、緊張しているのだろうか?

 さっきから希の声が、いつもより上ずってる気がしないでもない。

 

 

 彼女とは実際に二度会っているけど、電話で話すのはこれが初めてだ。

 

 

『あ、うん。音坂君、明日って何か予定ある?』

「明日……無いけど」

『本当っ!?』

 

 

 予定が無いことを正直に言うと、希は声を一層大きくした。

 電話口でそんな大きな声を出さないでくれ、耳がキーンとなっている。

 

 

『じゃあ、明日ウチとアキバに行けへん? あ、エリチもおるよ』

 

 

 一拍置いて、希からそんな誘いを受ける。

 

 

 希と絵里と三人で秋葉原。

 そんな状況を想像してみると、自然と彼女達と出会った日の事を思い出す。

 

 

 浮かび上がった記憶を一旦隅に追いやって、明日の事を考える。

 

 

 お誘い自体は、まぁありがたい。

 それに丁度曲作りに行き詰まっているところだし、気分転換にもなるだろう。

 

 

「あぁ、構わないよ」

『本当!? じゃあ明日、アキバに来てな。詳しい事はメールで伝えるから』

「オーケー」

『あ、分かってるとは思うけど、にこっちには内緒にしといてな。それじゃあ、また明日』

「え、あ、うん。また明日」

 

 

 用件だけを端的に言われて、電話は切られた。

 

 

 にこには内緒にしてほしいと希は言ったけど、一体どういう意図があっての事なんだろうか。

 分かってるとは思うけどと言ったって、俺には何の事だかさっぱり分からない。

 

 

 でもまぁ、そう言われたからには、にこには伝えない方がいいのだろう。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 そして迎えた翌日。

 前日にメールで伝えられた場所に、指定された時間よりやや早く到着する。

 

 

 そこにはもう既に、希と絵里が到着していた。

 

 

「悪い、お待たせ」

 

 

 待たせた詫びを含めて声をかけると、二人が俺の姿に気がついた。

 

 

「ウチらも今来たところよ」

「そうよ。それに音坂君も時間より早く来てるじゃない」

 

 

 そうは言っても、女性を待たせてしまったという事実に変わりはない。

 けど二人は全く気にしていない様子でいるから、俺もなるべく気にしない方が二人に気を遣わせないで済むだろう。

 

 

「そういえば、にこっちはラブライブ出場決まったって聞いたよ。おめでとう」

 

 

 何の前触れもなく、希がその話題を切り出した。

 

 

「ありがとう。にこから聞いたのか?」

「そうよ、にこから電話が掛かってきたの」

「またにこっちと同じステージに立てるなんて、夢みたいで素敵やん」

 

 

 また、と希は言った。

 

 

 希と絵里は二人でコンビを組み、キャンパスアイドルとしてラブライブ出場を目指している。

 それは一月程前、音ノ木坂学院に行った時に聞いたものだ。

 

 

 だとすると、彼女達も。

 

 

 

「二人も、ラブライブ出場が決まったのか?」

 

 

 

 にこと同じステージに立てるという事は、そういう事なんだろう。

 

 

 

「ええ、そうよ」

「まさか出場できるなんて、思ってなかったけどな」

 

 

 

 絵里と希はそれを肯定した。

 

 

 やはり彼女達も、ラブライブ出場を決めていた。

 μ’sの元メンバーである彼女達なら、ラブライブ出場はある意味当然の結果と捉えていいだろう。

 

 

 それはにこにも同じ事が言えるが、彼女達が再び同じステージに立つというのは、μ’sのファンならこれ程嬉しい事は無い。

 

 

 同じメンバーとしてではなく、ライバルとして出場するという違いはあるけど。

 

 

「すると今日は、わざわざその事を伝える為に俺を呼んだのか?」

「ううん、音坂君を呼んだんはそれとは別」

 

 

 俺の疑問を、希は首を横に振って否定する。

 そうだと思って言ってみたけど、どうやら違ったみたいだ。

 

 

「音坂君には、私と希の買い物に付き合ってほしいの」

 

 

 買い物、英語で言うとショッピング。

 まぁ早い話、荷物持ちがほしいという事だろう。

 

 

「買い物って、何を買うんだ?」

 

 

 一応そう尋ねる。重い物を持たされる状況に備えて覚悟はしておかないと。

 

 

 すると希は、キョトンと不思議そうな顔をして。

 

 

「あれ、音坂君知らないん?」

「知らないって……そりゃあ、何を買うか聞いてないし」

 

 

 メールにも、今日買い物に行くとは書かれて無かった。俺は今日の事に関しては何も知らされてない。

 

 

 全く訳が分からず困惑していると、絵里が話に割って入ってきた。

 

 

「えっと、そういう事じゃなくてね音坂君。もうすぐにこの誕生日だって知らないの?」

 

 

 

 

「……へ?」

 

 

 思いもよらない絵里の言葉に、俺の口から間の抜けた声が出てしまった。

 

 

 

 

「だから、にこの誕生日プレゼントを買いに行くのよ」

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 7月22日。

 この日がにこの誕生日だと、希と絵里から聞かされた。

 

 

 今日からあと一週間程で迎えるにこの誕生日に贈るプレゼントを、二人は買いに来たのであった。

 

 

 昨日の電話で希が言っていた“にこには内緒”という言葉の真意が、今ようやく理解出来た。

 誕生日プレゼントを買いに行くのに、それを本人に知られるのを避ける為だ。

 

 

 もっとも、俺はにこの誕生日プレゼントを買いに行くなんて知らなかったので、あまり意味はなさなかったが。

 

 

 そんな訳で俺達はにこの誕生日プレゼントを選ぶ為に、とある雑貨店にやって来ていた。

 

 

「なぁエリチ、これにこっちに似合いそうやない?」

「そうかしら、私はこっちの方がにこが喜ぶと思うけど」

 

 

 希と絵里の女性二人は、それぞれにこのプレゼントを選別しながら互いの意見を交換しあっていた。

 

 

 目についた物を手に取っては、にこに似合いそうだの何だのと言ってプレゼント選びを楽しんでいる。

 

 

 知らない間柄では無いとはいえ、女性二人の空間には居づらい。

 俺は二人からは少し離れた場所で、にこに贈るプレゼントを探していた。

 

 

 もうすぐにこの誕生日だと知り、折角プレゼントを買う予定の希と絵里に付いて来たのだから、俺もここでプレゼントを選ぼうという魂胆だ。

 

 

「なぁ音坂君、これどうかな? にこっちに似合うと思うんやけど」

「違うわ希、にこはこっちの方が喜ぶって言ってるじゃない」

 

 

 気が付けば二人が俺のところにやって来て、それぞれ選んだ物を持って俺に意見を求めてきた。

 

 

 希はオシャレなポーチ。

 絵里は美容グッズ。

 

 

「俺に聞かれても分からないんだけど……」

「でも大学生になってから、にこっちと一緒にいる時間は音坂君が一番多いやん?」

 

 

 まぁ俺とにこは同じ大学で、希と絵里とは違う大学だからな。

 大学生になってからにこと共にした時間でいえば、俺の方が多いのも当然だろう。

 

 

「それはそうだけど、今までにこと過ごした時間は君達の方が多いだろ? それに俺よりにこの事を知ってるだろうし」

 

 

 俺の目から見て、μ’sのメンバーはとても仲が良いように映る。

 一月前にこに連れられて訪れた音ノ木坂での一幕を見て、俺はそのように感じた。

 

 

 μ’sは解散して、にこ、希、絵里の三人は大学生になった。それでも、彼女達は固い絆で結ばれている。

 

 

「君達から贈られる誕生日プレゼントなら、それだけで嬉しいと思うよ」

 

 

 希と絵里から誕生日プレゼントを貰い、大喜びするにこの姿が容易に想像できる。

 

 

 

 俺の言葉を聞いて、希と絵里は再びプレゼント選びに戻っていった。

 

 

 遠目からその様子を見ていると、二人共真剣な表情をしてプレゼントを選んでいる。

 

 プレゼントならそれだけで嬉しいだろうと俺は言ったけど、それでも尚にこへ良いプレゼントをしたいという想いが現れている。

 

 

 大丈夫。

 彼女達があれだけ真剣に吟味して選んだ物なら、きっとにこは喜ぶだろう。

 

 

「さて、俺もにこの誕プレを探さないと」

 

 

 気を取り直してプレゼント選びを再開する。

 

 

 それから店内を歩き回って見ていくと、一つのモノの前で足が止まった。

 

 

 その場でしばらく考え込み、そして結論を出した。

 

 

 手に取ったのは、淡い水色のリボン。

 

 

 確かにこは、いつも赤色のリボンでツインテールを結っていた。

 対照的な色の物は最初どうかと思ったが、それよりも俺は個人的な感情を優先させてしまった。

 

 

 水色のリボンをレジに持って行き、プレゼント用の包装をしてもらった上で購入する。

 

 

 

 

 それからしばらく店の外で待っていると、希と絵里もにこへのプレゼントを購入し、店の外に出てきた。

 

 

「ごめん、お待たせ」

「全然待ってないから、気にしなくていいよ」

 

 

 まるで今日の待ち合わせの時のようで、思わず笑みが溢れてしまう。あの時とは立場が逆ではあるけど。

 

 

「そうだ音坂君。にこの誕生日、にこの家でみんなで誕生日パーティーをするのだけど、よかったら来ないかしら?」

 

 

 絵里からそんな誘いを受ける。みんなと言うのは、μ’sのメンバーの事なんだろう。

 

 

「いいのか? 俺が行っても」

「多分大丈夫よ。それに音坂君も来るとにこも喜ぶと思うわ!」

「じゃあ音坂君が来るのはにこっちには内緒にしない? サプライズって感じで!」

「ハラショー! 最高だわ希!」

 

 

 俺が入る余地も無くトントン拍子に話が進んでいく。

 まだ行くとは一言も言ってないんだけど。

 

 

「それじゃあ音坂君。7月22日、アキバに来てな。ウチとエリチで迎えに行くから」

「あ、あぁ……分かった」

 

 

 今更やっぱり行かないなんて言える雰囲気ではなく、俺はその誘いを受けた。

 

 

 女性ばかりの空間に居るのはあまり居心地が良くないのだが、にこの誕生日なんだから折角なら祝ってやりたい。

 

 

 それよりも、にこの家って事は……にこの家族もいるって事だよな。

 

 

 にこの家族構成は聞いた事が無いので知らない。

 女性ばかりの空間にいるより、にこの家族と顔を合わせる事の方が緊張するのは必然だ。

 

 

 

 ――7月22日、か。

 

 それまでには、曲を完成させないといけないな。

 

 



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22話

 

 

 大学の期末テストも終了し、夏休みに入った。

 

 

 テスト期間はにこが家にやって来て一緒に勉強して、俺とにこは二人で力合わせてテストを乗り切った。

 

 

 俺がにこに勉強を教える事が殆どだったので、恩恵を受けるのは主ににこであるのだが。

 

 

 真面目に講義には出ているにこであるが、勉強は全くと言っていい程出来ない。要は馬鹿なのである。

 

 講義を真面目に受けているのもアイドルとしてのイメージ戦略だとか言っていたが、果たして効果はあるのだろうか。

 

 

 

 

 そんな風にテストを乗り切って夏休みに突入し、今日は7月22日。

 

 

 

 矢澤にこの誕生日。

 

 

 

 にこの誕生日会に内緒で呼ばれた俺は、希と絵里と合流すべく秋葉原にやって来ていた。

 

 

 にこの後輩であるμ’sの元メンバー達も来るのだが、彼女達はまだ学校があるらしく、誕生日会は夜に開かれる。

 

 

 日が傾き辺りがオレンジに染まる時間帯、秋葉原駅の近くで俺は希と絵里を待っていた。

 

 

 先日、にこの誕生日プレゼントを買う為に彼女達と待ち合わせた時は、恥ずかしながら希と絵里を待たせてしまった。

 

 

 流石に二度も女の子を待たせるのは男としてどうかと思うので、今日は早めに家を出たのだ。

 

 

「あ、音坂君!」

 

 

 到着してから五分程待っていると、希が俺を呼ぶ声がした。

 その方向を見ると、小走りでこちらに向かってくる希。その隣には絵里がいる。

 

 

「ごめん……待ったやんな?」

「いいや、今来たところ」

 

 

 そんな定番のやり取りになってしまうが、本当に俺も五分前に着いたばかりだ。

 

 

「ふふっ」

 

 

 俺と希から少し離れたところに立つ絵里から、笑みが零れた。

 

 

「エリチ、何笑ってるん?」

「ふふっ……さっきの希と音坂君のやり取り、昨日読んだ漫画のデートシーンにあったんだもの。ハラショーよ」

「もうエリチ、からかわんといてよ……」

 

 

 俺だって、さっきのやり取りが使い古されている事ぐらい分かっている。

 

 でも、自然と口から出てしまったんだから仕方ないだろう?

 

 

 それに、零れ出た言葉を取り消す事は出来ない。

 

 

「デートじゃなくて、今日はにこの誕生日パーティーだろ?」

「そ、そうやんね! みんな待ってるやろうし、早く行こ!」

 

 

 にこの家を俺は知らない。

 だからこうして、希と絵里と待ち合わせて一緒に行く事となっている。

 

 

 にこ本人に直接訊こうにも、今日の俺はにこに内緒で呼ばれている。

 所謂サプライズと言うやつだ。

 

 

 ……改めて考えてみると、すごく迷惑なんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

「……何でアンタがいんのよ」

 

 

 にこの住むマンションに着き、そのまま家の中に入るやいなや、にこは目を大きくして予想外の来客に驚いているようだった。

 

 

 ひとまずサプライズは大成功となったが、さっきからにこが目を細めて俺を睨み付けてくる。

 

 

 確かに、何も言わないで来たのは悪かったけど、希と絵里に内緒と言われて来たのだから仕方ないだろう。

 

 

 さっきからにこの視線が突き刺さり、早くも帰りたくなってきた。

 

 

「いいじゃんにこちゃん! 大勢の方が楽しいよ!」

「そうよ、にこ。私達も黙ってたのは悪かったけど、そんな風にいつまでも拗ねていたら音坂君が可哀想じゃない」

 

 

 穂乃果と絵里が助け舟を出してくれる。

 二人の言い分に、にこはグッと言いたい事を飲み込んだように顔を歪めた。

 

 

「にこ、俺も黙って悪かった。頼むから機嫌を直してくれよ」

「べっ、別に機嫌が悪いとかじゃないわよ! ただ何も言わずに来たからビックリしただけ! 次に来る時はちゃんと言いなさいよ!」

「ああ、分かった」

 

 

 次に来る機会が果たしてあるのかは分からないが、その時はきちんと伝えるつもりだ。

 

 

 にこの家には、既に全員が揃っている。

 

 

 μ’sの元メンバーである九人、その後輩の雪穂と亜里沙。その女の子だらけの中に不思議といる俺。

 

 

「みんな、今日はにこの為に来てくれてありがとうね」

 

 

 にこの母親が、ホールケーキを運びながらやって来た。

 四児の母とは思えない程に若々しく、二十代後半と言われても信じてしまいそうな美貌を保っている。

 

 

「ケーキにゃ!」

「こら凛、はしゃがないの!」

 

 

 運ばれてきたケーキに目を輝かせる凛。それをにこが呆れながらも注意する。

 

 

 にこには、歳の離れた妹弟(きょうだい)が三人いる。その事実を今日ここに来て初めて知った。

 

 

「ああもう虎太郎、まだ食べちゃダメなの。こころとここあも、いい?」

 

 

 ケーキに手を伸ばそうとしていた弟の虎太郎くんに、にこは姉として注意をする。

 その姿はお姉ちゃんそのもので、にこの妙にしっかりとした性格の所以が垣間見えた気がした。

 

 

「それにしても……にこがボーイフレンドを連れて来るなんて、ママは嬉しいわ」

「ち、違うわよ! 譜也はそういうのじゃないの!」

「あら、そうなの?」

「譜也は友達で、にこの曲を作ってくれてるの!」

 

 

 にこの言葉を聞いたにこの母は、にこと俺を交互に見比べてはニヤニヤと意味深な笑みを浮かべる。

 

 

 そして俺の前まで歩いてきて、

 

 

「譜也君。ワガママな娘だけど、アイドルを目指す気持ちは本物なの。だからにこの事、よろしくね」

 

 

 真っ直ぐに見つめられ、釘を刺すようにそう言われる。

 

 

 母親にそう言われてしまっては、俺の答えはもう決まっていた。

 

 

「はい、それはもう。僕の曲で、にこをラブライブで優勝させてみせます」

 

 

 そう宣言する。

 数秒間、微妙な静寂が矢澤家の中に訪れた。

 

 

 ああ、やってしまった。

 そう思った直後に、その場の空気が揺れた。

 

 

「あらあら、頼もしいわね。譜也君になら安心してにこを任せられるわ」

 

 

 にこの母の言葉は別の意味合いが含まれていそうだけど、きっと気のせいだろう。

 

 

「あら、私達の前でそれを言うの?」

 

 

 不敵な笑みを浮かべながら、絵里は挑発するように言う。

 

 

「ウチらの曲は真姫ちゃんが作ってくれたからな、にこっちには負けないで」

「そうね。にこちゃんには悪いけど、今回は希と絵里を応援するわ」

「ふんっ、そんなの真姫ちゃんの好きにすればいいじゃない」

 

 

 希、絵里、真姫の三者とにこの間で、バチバチと火花が散る。

 その様子を他の人達は困惑したり興奮したりと様々な表情を見せながら眺めていた。

 

 

 この状況をどうやって収集をつけようかと考えていると――

 

 

「おなか、すいたー」

 

 

 虎太郎くんの気の抜けるような声が、良い中和剤となって溶け込んでいく。

 

 

「そうね。今日はにこの誕生日パーティーで来たのだから、こういうのは止めにしましょう」

 

 

 思いがけない展開で、さっきまでのピリッとした空気は消え去った。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

『ハッピーバースデー、にこちゃん!』

 

 

 ハッピーバースデーの歌をみんなで歌い、にこがロウソクの火を消すと拍手が沸き起こる。

 先程までとは違った温かな空気に包まれていた。

 

 

「みんな……ありがとうっ!!」

 

 

 祝福され、にこは飛びっきりの笑顔で喜ぶ。

 

 

 切り分けられたホールケーキを、にこは談笑しながら美味しそうに食べていた。

 

 

「そうだ、にこちゃんにプレゼントがあるの」

 

 

 最初にそう切り出したのは、大人しそうな印象の花陽だった。

 

 

「にこちゃん、お誕生日おめでとう!」

「花陽……ありがとう、大好きよ!」

 

 

 花陽から包装されたプレゼントを受け取り、にこは花陽と抱擁を交わした。

 その目には、薄っすらと涙を浮かべているようにも見える。

 

 

「かよちんずるいにゃー! にこちゃん、凛からもプレゼント!」

「凛……ありがとう!」

 

 

 凛からもプレゼントを受け取り、抱擁を交わす。凛と抱き合うにこの姿は、まるで大切な家族を見守っているようだ。

 

 

 その後、他の人達からも一人一人プレゼントを受け取り、にこはその度に熱い抱擁を交わした。

 

 

 やはりにこは、みんなから愛されている。

 その事を改めて確認できた一幕だった。

 

 

「ほら、次は音坂君の番やで」

 

 

 希にそう言われる。

 すると、全員の視線が一斉に俺を捉えた。

 

 

「誕生日おめでとう、にこ」

 

 

 プレゼントを差し出す

 にこは目を大きくして驚いていて、なかなか受け取ろうとしない。

 

 

 早く受け取ってくれ、恥ずかしい。

 

 

「譜也……ありがとう! 開けていい?」

「好きにすればいいだろ」

 

 

 にこはプレゼントを受け取ると、丁寧に包装を開け、プレゼントの中身を見た。

 

 

「青色のリボン……アンタにしては中々気の利いたプレゼントね」

 

 

 俺のプレゼント――青色のリボンを見てにこはからかうように言った。

 

 

 そして、今髪を結んでいるリボンを解き、受け取ったリボンを着けた。

 

 

「にこちゃん、可愛いー!」

「ハラショーです、にこ先輩!」

「お似合いです、お姉様!」

 

 

 ことり、亜里沙、こころちゃんが新しいリボンを着けたにこの姿に反応する。

 褒められたにこは満更でもない表情で、プレゼントを渡して良かったと思えた。

 

 

「あっ、そうだ」

 

 

 にこにもう一つ、渡す物があるんだった。

 

 

「これ、新曲が完成したから」

 

 

 一枚のCDをにこに渡す。

 

 

 にこの誕生日である今日、折角だから渡そうと思い寝る間も惜しんで作り上げたのだ。

 

 

「新曲!? やっと出来たのね!」

 

 

 にこは今日一番の驚きを見せる。

 

 

「ああ、ラブライブで披露する曲だ」

 

 

 ラブライブと聞いて、希と絵里が僅かに表情を変えた。

 

 

 今までは仲間だったが、今回は敵同士。意識せずにはいられないのだろう。

 

 

「そうだ」

 

 

 今日、俺がにこに一番伝えたい事を思い出した。

 

 

「本番では、プレゼントしたリボンを着けて欲しいんだ」

 

 

 プレゼントを購入する時には、新曲はある程度まで出来ていた。

 しかし、あと一歩のところで行き詰まっていた。

 

 

 にこの誕生日プレゼントを選んでいた時に見つけた青色のリボンが、新曲のイメージに合うと思ったのだ。

 だから俺はそれをにこに誕生日プレゼントとして渡した。

 

 

 それは、単に押し付けているだけなのかもしれない。

 

 

「そうね、曲を聴いてから考えるわ」

 

 

 にこの返答は、予想通りだった。

 

 

 アイドルに対しては一切の妥協を許さない。そこに私情を挟んだりは決してしない。

 

 

「ああ、そうしてくれ」

 

 

 ただの楽曲提供者が、アイドルに注文を付けるなんて烏滸がましいのかもしれない。

 

 

 それでも俺は、少しでもにこの力になりたいと思っている。

 

 

 



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23話

 

 

 東京、アキバドーム。

 

 

 今日ここで、いよいよ。

 

 

 ――ラブライブが、開催される。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 8月の中旬。

 夏の暑さに後押しされるように、アキバドーム周辺は熱気に包まれていた。

 

 

 アイドルファンが待ちに待ちわびた第三回ラブライブ。その大学生部門――キャンパスアイドルの頂点を決める催しが、いよいよ開幕を迎えようとしていた。

 

 

 出場グループの中には、俺が楽曲を提供している矢澤にこ。そして、にこの友人である希と絵里が『のぞえり』というグループ名で登場する。

 

 

 にこの誕生日から三週間余りの時が経った。

 その間、にこは夏休みに突入した大学構内で練習に励んでいた。

 

 

 誕生日に渡した新曲。

 それを今日という日に向けて、ひたすらに汗を流していた。

 

 

 俺も時折練習を見に行っては、にこを茶化したりしたものだ。

 そんな俺をにこは迷惑そうな態度を取りながらも、楽しそうな表情で迎えてくれた。

 

 

 そんな時間を思い出しながら、俺はライブの開始時間よりも早くアキバドームにやって来ていた。

 にこにライブ前、控え室に来るように言われたのだ。

 

 

 俺の持つ入場券も、にこから貰った招待券というやつだ。俺の他にも希と絵里の二人と共に、音ノ木坂の後輩達を招待したらしい。

 

 

 ドーム内。

 警備員に招待券を見せ、関係者以外立ち入り禁止の通路を歩いていく。

 

 

 初めて訪れる場所に加え、関係者以外立ち入り禁止という文句が相乗して、緊張しながら通路を歩いていく。

 

 

 静寂の中に、俺の踏む足音だけが反響する。

 まるで知らない土地で迷子になったような不安感に駆られる。

 

 

 しばらく歩いていくと、控え室が並ぶ空間にやって来た。

 その中の一つに『矢澤にこ様』という貼り紙がされた扉を見つける。

 

 

 にこを様付けしてるのが何だかおかしくて軽く笑い声を零してしまう。

 しかしそのおかげで、さっきまでの緊張が和らいだ。

 

 

 俺よりこの扉の奥にいるにこの方が、何倍も緊張しているに違いない。

 そう思うと、今度は緊張が完全に消え去った。

 

 

 扉の前に立ち、一つ深呼吸をして、

 

 

 コンコンコン。

 

 

 ノックをするが、返事が無い。

 

 

「まだ来てないのか?」

 

 

 いや、にこに限ってそんな事は無いだろう。

 普段はいい加減なところもあるにこだが、アイドルに関する事には真剣そのもの。遅刻なんてあり得ないだろう。

 

 

 そう思ってドアノブを回すと、案の定ガチャリと音がする。

 

 

「失礼します」

 

 

 一応挨拶をして中に入っていく。

 

 

「にこー、来たぞー……お?」

 

 

 目に飛び込んで来たのは、綺麗な肌色だった。

 

 

 普段は二つに結んでいる髪を下ろしたいつもとは違う印象。下着だけを着用していて、今まさにことりの作った衣装に着替えようとしているのは、矢澤にこ。

 

 

「な、ななな何でアンタがいんのよ!?」

「何でって、お前が控え室に来いって言ったんだろ」

「それは、そうだったわね……」

 

 

 にこが視線を宙に泳がす。

 さては俺を呼んだ事、すっかり忘れていたな。

 

 

「ていうかさ、着替え中に見えるんだけど……」

「わ、分かってるならさっさと出て行きなさいよー!!」

「わ、悪いすぐに出る!」

 

 

 にこが俺目掛けて色々な物を投げつける中俺は慌てて部屋から出て、扉を閉めることで飛んでくる物を防ぎきる。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 小さくため息を吐き、扉にもたれかかる。

 

 

 よくよく考えると、ノックの返事が無いのに部屋に入ったのは完全に俺が悪い。

 

 

 にこの下着姿を見る事になったが、中学生体型に欲情する程俺はロリコンじゃない。

 それでもにこの気持ちを考えると、悪い事をしてしまったと申し訳なくなる。

 

 

 しばらく反省しながら待っていると、内側から扉が開かれた。

 

 

「……勝手に入って悪かった」

 

 

 にこの目を見て頭を下げる。

 にこは嫌がっていたし、わざとではないとしても謝るのは当然だ。

 

 

「……入っていいわよ」

「お、おう」

 

 

 目を細めて睨んでくるにこにたじろぎながら、言われた通り部屋の中へ入る。

 控え室の中に入るが、さっきから気まずい雰囲気が漂っている。にこと二人でいてこんなに居心地が悪いと思うのはこれが初めてだ。

 

 

 でも、それを作ったのは俺が原因なわけで。

 

 

「にこもアンタを呼んだの忘れてたし、今回は許してあげるわ」

「お、おう。ありがとう、ございます」

「言っとくけど、次は無いからね!」

 

 

 にこに念押しされ、俺は次からはノックの返事があった後に扉を開けようと固く誓った。当たり前の事だけど。

 

 

「……」

 

 

 にこの姿を見る。

 以前にも見たことりの作った衣装に身を包み、メイクもばっちり決まっている。

 

 

 さっきまで下ろされていた黒髪は、いつものツインテールに結ばれていた。

 

 

 俺が誕生日にプレゼントした、青色のリボンを使って。

 

 

「リボン、使ってくれたんだな」

「あぁこれ? 折角アンタがプレゼントしてくれたんだし、何よりにこも曲に合ってると思ったからね」

 

 

 饒舌にそう語るにこ。

 

 

 俺のプレゼントしたものを使ってくれている。その事実だけで俺は胸にこみ上げてくるものがあった。

 

 

「まぁ、気に入ってくれたようで何よりだ」

「アンタにしては、中々良いセンスよ」

 

 

 滅多に出ないにこからの真っ直ぐな褒め言葉、ありがたく受け取っておこう。

 

 

「そういえば順番、一番最初だな」

 

 

 ライブの登場順。

 にこはトップバッターだった。

 

 

「ふん、にこに相応しい役目ね」

 

 

 不遜な態度。緊張とかしてないのだろうか。

 聞こうかと迷ったが、ここで緊張してるのかと聞いて変に意識させてしまっては良くないと思い踏みとどまる。

 

 

「のぞえりはトリだったな」

「良いじゃない、にこで始まり希と絵里が締めくくる――最高のライブにしてあげるわ!」

 

 

 希と絵里はトリ――一番最後となっている。

 正直かなり作為が働いてると思うような構成だが、やはりアイドルというのは強運なのだろうか。

 

 

「その様子なら安心だな、頑張れよ」

「当然よ! 初っ端から会場を盛り上げてみせるわ!」

 

 

 拳を握り締め、自信満々といった表情でにこは言う。

 

 

 勝つとか負けるとか、そういう事よりも会場を盛り上げるという言葉が何ともにこらしくて安心する。

 

 

「それじゃあ、俺はそろそろ行くわ」

 

 

 そう言って部屋を出ようとする。

 

 

 すると――

 

 

「――譜也!」

 

 

 背後からにこに呼び止められ、足を止める。

 振り返って、にこを見る。

 

 

「……ううん、やっぱり何でもないわ」

「何だよ、気になるじゃないか」

 

 

 わざわざ呼び止めたのだから、何でもないなんて事はないだろう。

 

 

「じゃあ、ライブが終わってから言うわ」

「おう、分かった。じゃあ、客席で見てるから」

 

 

 そんなやり取りを終えて、俺はにこの控え室を後にした。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 にこの控え室を出て、俺は指定された客席へと向かった。

 

 

 にこから貰った招待券だけあって、ステージからかなり近く見やすい場所だ。

 

 

 ステージはアキバドームの後方、野球のバックスクリーン近くに設置されていた。

 そこから扇状に広がっていくように客席がある。正直かなりの人数が収容出来るだろう。

 

 

 アマチュアアイドルのライブに随分と大掛かりなステージが用意されたと思うが、今やそれだけ“ラブライブ!”は国民的行事となっている。

 

 

 座席に腰掛け、改めてステージを見る。

 

 

 賑やかな装飾が施された広大な舞台上。これからここでキャンパスアイドル達が――にこがライブをする。

 

 

 身近な人がこの上に立つ事を想像すると、中々に壮観で胸に込み上げてくるものがある。

 

 

「あ、譜也さん!」

 

 

 一際高い声がした。

 振り向くとそこにはことりを含め音ノ木坂のアイドル研究部が勢揃いだった。

 

 

「譜也さん、こんにちは!」

「あぁ、こんにちは、ことり」

 

 

 ペコリと頭を下げ挨拶をすることり。それに倣って俺も反射的に会釈をする。

 

 

「もうすぐ始まりますね、にこちゃんの出番!」

「そうだな、何だか俺まで緊張してきた」

 

 

 そんな会話をしながら、ことりは俺の隣に座る。他の人達もそれぞれ自由に座席に腰掛けた。

 

 

 まぁこの中だとことりと一番交流があるから、隣に彼女が座ってくれたのは助かる。

 

 

 ドーム内は既に満員で、観客達はライブが始まるのを今か今かと待ちわびているような様子でいた。

 

 

「みんな、先輩のライブを見に来たんだな」

「勿論ですよ! みんなにこちゃんと絵里ちゃん、希ちゃんの事が大好きですから!」

 

 

 胸を張ってことりは答える。

 迷いの無い言葉に、真っ直ぐな瞳。

 

 

「本当、愛されてるよなぁ」

 

 

 こんなに多くの後輩に慕われて、にこも嬉しいだろう。

 にこはああ見えて世話好きというか、面倒見のいい性格をしているから、ことり達が慕う気持ちはとても良く分かる。

 

 

「譜也さん、そろそろ始まりますよ!」

 

 

 ことりが言ったその瞬間、場内の照明が暗転した。

 

 

 

 

 キャンパスアイドル達のラブライブ。

 

 

 

 

 その開幕を告げるブザーが、騒つくドーム内に響き渡った。

 

 

 



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24話

 

 

 ラブライブの幕開けを告げるブザーがアキバドームに鳴り響く。

 観客達は拍手と共に歓声を上げ、ドーム内が沸き立った。

 

 

『ただいまより、第三回ラブライブ。そのキャンパスアイドル部門を開催致します』

 

 

 司会のアナウンスが流れ、拍手と歓声が更に大きくなる。

 

 

『最初の出演者は、あの伝説のスクールアイドル――μ’sの元メンバーの一人、矢澤にこさんです!』

 

 

 アナウンスを合図ににこが現れ、ステージの中央に立つ。

 にこの登場に、ドーム内はこれまでで一番の盛り上がりを見せた。

 

 

 大きなステージに、その小さな身体でにこは立っている。

 

 

 何だか、今はその姿がいつも以上に大きく見えた。

 

 

「みんなー! にっこにっこにー!」

『にっこにっこにー!』

 

 

 コールアンドレスポンス。

 にこの呼びかけに今ここにいる観客達が応える。

 

 

 チラッと横を見ると、ことり達アイドル研究部も大声で、とても楽しそうな顔をしてにこの呼びかけに応えていた。

 

 

 俺だけが応えていなくて恥ずかしくなってくるが、応えたら応えたでそれ以上に恥ずかしくなるだろう。

 

 

 前説を続けるにこ。

 観客達はにこの言葉に耳を傾けていて、ドーム内ににこの声が響き渡る。

 

 

「今日は楽しんでいってほしいにこっ!」

 

 

 最後にそういって、にこは位置に着いた。

 

 

 会場が静寂に包まれる。

 

 

 俺はステージに一人で立つにこを、息を呑んで見守る。

 

 

 そして――

 

 

 音楽が流れ出すと同時に、にこが踊り出した。

 

 

 大歓声が沸き起こると同時に、それまで暗かったドーム内が輝き出した。

 

 

 一瞬だけにこから目を離して後ろを振り向くと、無数のサイリウムが様々な色で光っている。

 

 

 隣のことり達も、それぞれサイリウムを楽しげに振っていて、にこを応援しているように見えた。

 

 

「あれ? 譜也さん、サイリウム持ってないんですか?」

「あ、あぁ、買うの忘れてた」

 

 

 俺の視線に気付いたのか、ことりは俺を見ると手にサイリウムが無い事を不思議そうに尋ねた。

 

 

 ライブ前、にこに呼ばれていた事に気を取られすぎて、サイリウムの存在をすっかり忘れていた。

 

 

「じゃあ、ことりのを貸してあげます!」

 

 

 そう言ってことりは、両手に一本ずつ持っていたサイリウムを、一本差し出してきた。

 受け取るのを少し躊躇ったが、ここはことりの好意を素直に受け取る事にした。

 

 

「ありがとう」

「いえいえ、譜也さんも楽しみましょう!」

 

 

 ことりはそう言うと再びステージに視線を戻し、楽しそうにサイリウムを振り出した。

 

 

 にこも“楽しんで”と言っていた。

 

 

 俺もステージに視線を向け、ことりからもらったサイリウムを音楽に合わせて振っていく。

 

 

 ことりの作った可愛らしい衣装に身を包み、俺の作った曲を踊るにこ。

 その表情はとても楽しそうだ。

 

 

 前奏が終わり、にこが歌い出す。

 ドームはより一層大きな歓声に包まれた。

 

 

 俺の作った曲を、にこが歌い踊る。

 

 

 それに観客達が盛り上がる。

 

 

 今この瞬間、俺はにこの力になれていたのだと改めて実感した。

 

 

 ステージ上で華麗に舞い、観客達を楽しませようと歌うにこ。

 

 

 

 

 その姿は、まさに見る者を魅了する存在――アイドルだった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 ライブもいよいよ最終盤。

 

 

 にこのライブを皮切りに、他のキャンパスアイドル達も次々とライブを披露していった。

 

 

 ドーム内の盛り上がりは最高潮。

 

 

 そして次が、今日最後のライブ。

 

 

 ラブライブ。

 キャンパスアイドル達の祭典を締めくくるべく現れたのは――

 

 

『最後の出演者は、東條希さんと絢瀬絵里さん――のぞえりのお二人です!』

 

 

 希と絵里。

 二人がステージ上に姿を見せ、ドーム内は今日一番の盛り上がりを見せた。

 

 

「皆さん、こんにちはー!」

 

 

 絵里の問いかけに、観客達は大きな歓声で応える。

 

 

 今日のこれまでのライブで一番の盛り上がりを見せていたのはにこだったが、彼女達の登場にはにこと同じ程盛り上がりっていた。

 

 

「ウチらで最後やけど、みんな楽しんでいってねー!」

 

 

 いよいよ、今日最後のステージ。

 

 

 にこで始まり、希と絵里が締めくくるラブライブ。

 

 

 偶然にしては出来過ぎた演出だ。

 

 

「今日披露する曲は、μ’sで共に過ごした仲間が作ってくれた曲です!」

 

 

 絵里の口から出た“μ’s”という言葉に、ドーム内が熱気に包まれた。

 

 

「それでは、聴いて下さい――」

 

 

 

 

 

「「――硝子の花園」」

 

 

 

 

 

 希と絵里が同時に言う。

 

 

 曲が流れ出し、観客達の盛り上がりは最高潮を迎えた。

 

 

 ステージで踊りながら、二人の歌声は絶妙なハーモニーを奏でている。

 

 

 踊りでも、希と絵里は見事な掛け合いを見せていた。

 

 

 挑発的で煽情的な二人の掛け合いに、俺の視線はステージに釘付けとなっていた。

 

 

 

 そして悔しいけど、曲が素晴らしく良い。

 

 

 

 歌詞とメロディーが、二人のパフォーマンスをより際立たせている。

 

 

 チラッと横を見る。

 ことりの向こう側、そこにいる二人の少女。

 

 

 

 園田海未、西木野真姫。

 

 二人とも楽しそうに、両手に持つサイリウムを振っている。

 

 

 

 この二人の少女が、この曲――“硝子の花園”を作り上げた。

 

 

 悔しいが、俺には作れない曲だ。

 

 

 そんな曲を作った二人を見ていると、尊敬と羨望が複雑に入り混じったような感情になる。

 

 

 

「「ありがとうございましたー!」」

 

 

 

 曲が終わった。

 

 

 希と絵里のライブが終わり、キャンパスアイドル達のラブライブが幕を閉じる。

 

 

 

 

 ステージ上に立つ希と絵里に、客席からは大きな拍手が送られていた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 ラブライブから数日後。

 

 

 あと数日で夏休みが終わり、もうすぐ大学が始まろうかという時期になった。

 

 

 今日は生憎の雨。おかげで蒸し暑い。

 

 

 夏休みの昼間ではあるが、雨が降っているので俺はどこにも出かけずにいた。

 

 

 今はベランダに出て煙草を一服している。

 

 

「はぁ……」

 

 

 雨模様の空にため息を吐きながら、肺に溜まった紫煙を吐き出した。

 

 

 メンソールの清涼感が、蒸し暑さを少しだけ和らげてくれる。

 

 

 一本吸い終えると部屋の中に戻り、ベランダへと繋がる窓をしっかりと閉める。

 

 

「……結果、今日発表だったな」

 

 

 煙草を吸ってスッキリしたのか、そんな事をふと思い出した。

 

 

 デスクトップパソコンを立ち上げ、目当てのサイトを検索する。

 

 

 探し当てたサイトを開き、目的のページへと進む。

 

 

「……」

 

 

 そこに書かれていた文字に、マウスを動かす手が止まった。

 

 

 俺はしばらくの間、言葉が出なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラブライブ!

 

 

 キャンパスアイドル部門

 

 

 優勝

 

 

 

 

 のぞえり(絢瀬絵里・東條希)

 

 

 

 

 



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25話

 

 

 ラブライブの優勝は希と絵里だった。

 

 

 その結果をパソコンで見ていた俺は、しばらくの間頭が真っ白になっていた。

 

 ようやく我に返る。

 何かの間違いだろうと思い、マウスを操作してページをスクロールしていく。

 

 

 すると、そこにあったのは――

 

 

 

 

 準優勝、矢澤にこ。

 

 

 

 

 にこは、優勝出来なかった。

 

 

 その事実だけが容赦なく胸を突き刺していく。

 

 

 

 あれほど一生懸命練習していたのに。

 あれほどファンを大切にしているのに。

 あれほどアイドルに対して真摯なのに。

 

 

 

 ――あれほど、アイドルになりたいと願っているのに。

 

 

 どうして、にこが優勝じゃないんだ。

 

 

 準優勝という結果も素晴らしい、誇れるものだ。

 

 

 でも、にこは準優勝じゃダメなんだ。

 

 

 

 忘れもしない。

 四月、俺とにこが出会ってしばらく経った日の事。

 

 

 日の暮れかかった、高架近くの海岸。

 

 

 そこでにこは、自身の心情を吐露した。

 

 

 自身の目指す理想像と、周囲が矢澤にこに求める虚像。そのギャップに、にこは苦しんでいた。

 

 

 そんなにこの助けになりたいと思い、俺は曲を作ると申し出た。

 俺が曲を作る事で、にこの悩みが解決できるかどうかは分からなかった。

 

 

 それでも、にこは俺が曲を作る事を受け入れ、自身の抱える悩みを克服しようとした。

 

 

 μ’sの元メンバー矢澤にこではなく、アイドル矢澤にこになる為に。

 

 

 しかし、にこは優勝を逃した。

 

 

 ラブライブで優勝していれば、にこの目指す理想像になれるかどうかは分からないが、少なくとも自信にはなっただろう。

 

 

 

 ラブライブ優勝を逃したにこ。

 今彼女がどうしているのか、無性に心配になった。

 

 

 スマートフォンを手に取る。

 連絡先から矢澤にこを探し、俺は電話をかけた。

 

 

 長いコール音。

 締め切った窓の向こうから聞こえる雨音が、やけに大きく感じた。

 

 

 コール音が終わり、通話が繋がった。

 

 

『……なによ』

 

 

 不機嫌を隠そうとしないにこの声。

 

 

「あ、いや、ラブライブの結果……見たか?」

 

 

 そう尋ねると、にこはあからさまに大きくため息を吐いた。

 

 

『見たわよ。希と絵里に負けて準優勝……』

「……」

 

 

 自虐気味にそう言うにこに、俺は気の利いた言葉の一つも言えず黙り込んでしまった。

 

 

「そ、そういえば、ライブが終わったら俺に言いたい事があったんじゃないのか?」

 

 

 ライブ前、にこにそう言われていたのを思い出した。

 ライブが終わった後は興奮のあまり、にこのところに行くのをすっかり忘れていた。

 

 

 その事を思い出し、にこに尋ねる。

 

 

『ああ、そんな事もあったわね』

「それで、何なんだよ?」

『……忘れたわ』

 

 

 一瞬の間を挟んで、にこはそう答えた。

 

 

 声を聞く限り、にこは今嘘を吐いたと思う。

 本当は何を言うかも覚えているのだろう。

 

 

 けど嘘を吐いたという事は、それ以上追求してほしくないのだろう。

 

 

 なら俺は、にこの言葉を信じるとする。

 

 

『――ごめんね、譜也』

 

 

 唐突に、にこが謝ってきた。

 

 いきなりすぎるその言葉に、訳が分からず頭がこんがらがる。

 

 

「何でにこが謝るんだよ。優勝出来なかった事なら気にするなよ、また次があるさ」

『そうね、ありがとう』

 

 

 そう言葉を紡いでにこを励まそうとするが、返ってきたのは素っ気ない言葉だった。

 

 

 

『今回負けた原因は、ハッキリしてるわ』

 

 

 

 また唐突に、にこはそう話題を切り出す。

 どこか冷めた口調で、にこはキッパリそう言い切った。

 

 

 何故にこが優勝できなかったか。

 その要因は、俺もハッキリと分かっていた。

 

 

 のぞえりの二人と、にこの違い。

 

 

 ――それは、楽曲にある。

 

 

 にこの曲は俺一人が、のぞえりの曲はμ’sの楽曲を手掛けていた園田海未と西木野真姫が。

 

 

 ライブで海未と真姫が作った曲を聴いた時、俺は二人の才能に嫉妬した。

 

 

 俺の持っていないものを、海未と真姫は持っている。

 

 

 ――曲の時点で、雌雄は決していた。

 

 

「……そうだな」

 

 

 完全に俺の力不足。

 にこのパフォーマンスは、素人目に見ても希と絵里の二人には負けていなかった。

 

 

『やっぱり譜也も、分かっていたのね』

「……あぁ」

 

 

 にこも感じ取ったのだろう。

 

 

 俺の曲は、μ’sの曲と比べてまだまだ劣っていると。

 

 

『譜也、――――――――』

「えっ? 今なんて……」

 

 

 最後に何を言ったのか上手く聞き取れなくて、俺はにこに聞き返す。

 

 

『もう切るわね。それじゃあ』

 

 

 しかしにこは答えてくれず、一方的に電話を切られた。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 その後もモヤモヤとした気分のまま、部屋でボーッとその日を過ごしていた。

 

 

 にこが電話で最後に言った言葉。

 聞き取れなかったその言葉が何だったのか、気になって仕方ない。

 

 

 思考を巡らすが、にこが何と言ったのか全く分からないでいた。

 

 

「何なんだよ……」

 

 

 結局分からずじまい。

 

 

 そうやってあれこれ考えていると、スマートフォンから着信音が鳴り響いた。

 

 

 にこからの着信だと思い、俺は直ぐさまスマホを手に取ったが、画面に映る文字は予想とは違っていた。

 

 

 南ことり。

 

 

 にこじゃない事に少し落胆したが、このまま出ないわけにもいかないので、俺は電話に出る。

 

 

「もしもし?」

『あ、譜也さん、こんにちは!』

「あぁ、こんにちは。どうしたんだ?」

 

 

 俺は早速、ことりから要件を聞こうとする。

 

 

『譜也さん、ラブライブの結果見ましたか?』

「……あぁ、見たよ」

 

 

 今はあまり思い出したくないが、聞かれては正直に答えるしかない。

 

 

『にこちゃん、残念でしたね……』

「……そうだな」

 

 

 ことりは、にこの衣装を手掛けてくれた。

 

 

 希と絵里の衣装もことりは作ったから、心境は俺以上に複雑なのかもしれない。

 

 

『それでですね。次の土曜日、優勝した希ちゃんと絵里ちゃんのお祝いをみんなでするんですけど、譜也さんもどうですか?』

 

 

 おそらくこれが本題だろう。

 

 

「……にこも来るのか?」

『はい、さっきにこちゃんにも伝えました』

 

 

 にこも来ると聞いて、ひとまず安心した。

 

 

 負けた事は悔しいだろうけど、希と絵里は同じμ’sの元メンバー。

 

 

 きっとにこも、そこまで落ち込んではいないだろう。

 その日には、気持ちの切り替えも出来ている筈だ。

 

 

「分かった、行くよ」

『本当ですか!? ありがとうございます!』

 

 

 何故か異様に喜ぶことり。

 俺が行く事が、そんなに喜ぶような事なのか?

 

 

『詳しい事はメールで送りますね!』

 

 

 最後にことりは「失礼します」と言って、電話が切られた。

 

 

 

 希と絵里の祝勝会。

 

 そこでにこに、電話であの時に何と言ったのか聞けるだろうか。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 ついさっき、譜也から掛かってきた電話。

 

 

 その時の会話を、私――矢澤にこは思い出していた。

 

 

 

「今回負けた原因は、ハッキリしてるわ」

 

 

 

 あの時、私は譜也にそう言った。

 

 

 ――敗因は、私自身にある。

 

 

 譜也の作った曲はとっても良かった。

 真姫ちゃんが希と絵里に作った曲とは、また違った魅力が譜也の曲にはあった。

 

 

 その譜也の曲を活かしきれなかった、私の実力不足。

 

 

 今思えば、私は何て中途半端な気持ちでラブライブに臨んでいたのだろう。

 

 

 四月の、譜也と出会ってしばらく経った日。

 μ’sの解散を決めたあの浜辺で、私は胸に渦巻いていたモヤモヤを思いっきり吐き出した。

 

 

 それを聞いていたのが、譜也。

 

 

 それから譜也が私の曲を作ってくれると言い、私はそれをありがたく受け入れた。

 

 

 μ’sの元メンバーとしての私を、ファンは期待していた。

 けど私が目指したものは違った。

 

 

 μ’sのみんなと過ごして成長した矢澤にことして、一からスタートを切りたかった。

 

 

 だから譜也の申し出は、私が新しい一歩を踏み出す絶好のチャンス。

 

 

 

 今回、譜也の曲は悪くなかった。

 

 

 問題は、私の心構え。

 

 

 μ’sという大きなグループから羽ばたき、私は新しく生まれ変わろうとした。

 

 

 しかし、私にとってμ’sの存在は大きすぎた。

 

 

 譜也が作ってくれた曲は、所々μ’sの曲に似ていて、それが心地良かった。

 ことりが作ってくれた衣装も、ことりらしい可愛いものだった。

 

 

 私はまだ心のどこかで、μ’sに縋っていたのかもしれない。

 

 

 それでは、私はいつまで経ってもμ’sの元メンバーとしてしか見られない。一人の矢澤にこというアイドルとして、見てくれない。

 

 

 ――今回負けた原因は、ハッキリしてるわ。

 

 

 敗因は、私自身の弱さ。

 

 

『そうだな』

 

 

 電話口で私が言った言葉を、譜也は肯定した。

 

 

「やっぱり譜也も、分かってたのね」

『……あぁ』

 

 

 やっぱり譜也も、にこの弱さを見抜いていた。

 

 

 これでは、私の為に曲を作ってくれた彼に申し訳が立たない。

 私の為に時間をかけてくれた彼に、何と謝罪すればいいのだろう。

 

 

 ――分からない。

 

 

 ただ一つ、言える事がある。

 

 

 こんな弱い私の為に、譜也はこれ以上時間を費やすべきではない。

 

 

 

 

 ライブ後に譜也に伝えたかった言葉。

 譜也は忘れていたのか私の元にやって来なかったが、今思うと来てくれなくて良かったと思う。

 

 

 私は今から、彼に伝えたかった事を言う。

 

 

 

 意味は全く違うけど。

 

 

 

「譜也、――今までありがとう」

『えっ? 今なんて……』

 

 

 

 最後の最後で躊躇ってしまい、声が小さくなってしまった。

 譜也は聞き取れなかったみたいだ。

 

 

 別れの言葉は、一度きりで充分だろう。

 

 

 

 

「もう切るわね、それじゃあ」

 

 

 

 

 

 

 さようなら、譜也。

 

 

 

 

 

 今までありがとう。

 

 

 

 

 



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26話

 

 

 土曜日。

 今日は希と絵里のラブライブ優勝を祝うため、ささやかな打ち上げが開かれる。

 

 

 参加するのは音ノ木坂のアイドル研究部メンバー達。主役の希と絵里。

 そして、ラブライブで惜しくも優勝を逃した――矢澤にこ。

 ことりからはそう伝えられている。

 

 

 昼過ぎに秋葉原の駅でことりと落ち合い、今日の打ち上げが開かれる目的地へと連れて行かれる。

 その時の俺は打ち上げをどこでやるのか知らされていなく、どこに連れて行かれるのかと不安になりながらことりと歩いていた。

 

 

 目的地を知らずにどこかへ連れて行かれるのは、にこに連れられて初めて音ノ木坂学院を訪れた時を思い出す。

 

 

 だから俺は不安になりながらも、音ノ木坂のアイドル研究部の部室に行くのだろうと思っていた。

 

 

 しかし、ことりに連れられて辿り着いた先は――

 

 

「……でっけぇ」

 

 

 超が付くほどの大豪邸。

 一体どんなお金持ちが住んでいるのか。

 

 

「あの、ことりさん。ここは……?」

 

 

 あまりの大きさに、ついつい敬語で聞いてしまった。

 もしかして、ことりの家だったりして。

 

 

「ここはですね……真姫ちゃんの家です!」

「真姫……ああ、あの子か」

 

 

 言われてすぐには顔が思い出せなかったが、何とか想像の中で顔と名前を一致させる事が出来た。

 

 

 西木野真姫(にしきのまき)

 燃えるような赤髪で、気の強そうなツリ目が印象に残っている。少し高飛車でツンツンしてそうな女の子。

 

 

「譜也さん、入りましょうっ。みんなもう来てるみたいです」

「ああ、そうだな」

 

 

 俺とことりは、西木野邸へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

「あっ、来た来た! ことりちゃーん! 譜也さーん!」

 

 

 ことりと雑談しながら広大な屋敷の中を歩いていき、リビングらしき場所にやって来ると、俺達を見つけた穂乃果が声を上げてブンブンと手を振った。

 

 

「えっ!? 譜也君も呼んでたん!?」

 

 

 そう声を上げて驚いたのは希だった。

 

 

「えへへ、希ちゃんと絵里ちゃんには内緒で呼んじゃった。ダメだったかな……?」

「ううん、嬉しいよ。ありがとうなことりちゃん」

「私も譜也が来て驚いたわ。これは、ことりに一本取られたわね」

 

 

 嬉しそうに言う希と、感心したように呟く絵里。

 俺は彼女達のもとへと歩み寄り。

 

 

「希、絵里、優勝おめでとう」

「うん、ありがとう譜也君!」

「ありがとう、譜也」

 

 

 にこは負けてしまったけど、ここは素直に二人を称える。

 

 

「さて、これで全員揃ったわね」

 

 

 場所を提供している真姫が、腕組みをしながら言った。

 

 

「そうですね、にこが来れなくて残念ですが」

 

 

 真姫の隣にいた海未が、表情を曇らせながらそう呟く。

 

 

 いや、待ってくれ。にこが来れない……?

 そういえば、この場に来てからにこの姿を見ていない。

 

 

「えっ、にこ来れないのか?」

「ええ、どうやら風邪を引いたみたいで……」

「そ、そうか、ありがとう」

 

 

 俺の質問に答えてくれた海未に礼を言う。

 

 

「ええっ!? にこ先輩、風邪引いちゃったんですか!?」

「うん亜里沙、心配だね」

 

 

 大きく驚き、心配そうに言う亜里沙。それに雪穂も同意した。

 

 

 しかし、にこが風邪だと?

 何とかは風邪引かないっていうあの言葉は嘘だったのか?

 

 

 冗談はほどほどにして、にこが風邪を引いた。

 亜里沙と雪穂が言うように、心配だ。

 

 

「にこちゃん、ラブライブで頑張ったから疲れが溜まってたんだと思います」

 

 

 そう俺に声をかけたのは、大人しそうな印象の花陽だった。

 

 

「きっとかよちんの言う通りにゃ! にこちゃんの事だからすぐに元気になると思うし、心配いらないよ!」

 

 

 花陽に続いて活発そうな凛が、猫語を巧みに駆使して俺に言葉をかける。

 

 

「うん、そうだな。二人ともありがとう」

 

 

 おそらく花陽と凛の言う通りだろう。

 

 

 にこは今まで一人で頑張ってきた。

 あの小さな身体で必死に練習をしてきたのだ、やはり疲れはあったのだろう。

 

 

「譜也君は本当ににこっちの事が心配なんやね。妬けるなぁ……」

「だから、俺とにこはそういうんじゃないって」

「ホンマに? そうは見えないんやけどなぁ」

「本当だって、前にも言っただろ」

「そ、そうやね、ごめんな譜也君」

「あ、いや、謝られても困るんだけど……」

 

 

 疑いの眼差しで俺をからかってきた希に、ついつい素っ気無い言葉を返してしまう。

 それを怒っていると勘違いしたのか、平謝りする希に困惑した。

 

 

「希と譜也もイチャついてないで、そろそろ始めるわよ」

「なっ……! ちょっと真姫ちゃん!」

「どこがイチャついてるんだよ……」

「はいはい、始めるわよ。グラス持って」

 

 

 俺と希の反論を華麗にスルーして、真姫はグラスを持つように言った。

 グラスなんて持っていない俺は、グラスを探そうとオロオロと周囲を見渡す。

 

 

「譜也さん、これどうぞっ」

 

 

 するとことりが両手に飲み物が入ったグラスを持って来て、その片方を俺に差し出した。

 

 

「ことり、ありがとう」

 

 

 ことりからグラスを受け取る。

 

 

「みんな準備出来たようね。それじゃあ……希、絵里、ラブライブ優勝おめでとう!」

 

 

 真姫の言葉に合わせて全員が希と絵里に「おめでとう!」と揃えて言った。

 

 

「ハラショー! ありがとうみんな!」

「うん、ありがとうな!」

 

 

 全員からの祝福を受け、希と絵里は顔を綻ばせる。

 

 

「希と絵里のラブライブ優勝を祝して――乾杯っ!」

『乾杯ーっ!』

 

 

 グラスを掲げながら、全員で乾杯を言う。

 希と絵里を音ノ木坂の後輩達が囲んでいき、口々に二人を祝福する。

 

 

 俺はその様子を少し離れた場所で眺めていた。

 後輩達に囲まれて楽しそうに談笑している希と絵里を見て、彼女達も愛されているなあと感じる。

 

 

 それと同時に、この場ににこが居ないという事に違和感と寂しさを感じてしまう。

 

 

 でも、にこが今この場にいたとして、みんなのように笑顔でいられるのだろうか。

 この前電話した時の様子からして、笑顔でいられるという保証は無い。

 

 

 ――もし。

 もしも、ラブライブで優勝していたのがにこだったら、きっとあの輪の中心にいるのはにこだった。

 

 

 にこを優勝させる事が出来なかった自分の力の無さに、やるせなくなる。

 

 

 俺の作った曲は、にこの魅力を上手く引き出せていなかった。

 希と絵里が披露した曲――『硝子の花園』は、二人の魅力を最大限に活かしていた。

 

 

 にこの敗因はそこにあると、俺は分析している。

 

 

「譜也君? 難しい顔してどうしたん?」

 

 

 希の声で、現実に引き戻される。

 

 

「あ、ああ、ちょっと考え事」

「そう……ほら料理来たよ、食べよ食べよ」

 

 

 テーブルを見ると、そこには見るからに高級そうな料理が並んでいた。

 みんな椅子に座り、それぞれ料理に舌鼓を打っている。

 

 

「……そうだな」

 

 

 希と一緒に、みんなが座る食卓へと移動する。

 

 

 それから、みんなで食事に舌鼓を打っている時だった。

 希が、思い出したように言葉を放った。

 

 

「そうや、みんな聞いて聞いて。ウチとエリチな、プロに誘われてん」

 

 

 一瞬の静寂。

 俺を含めて、その言葉を飲み込むのに時間がかかった。

 

 

『ええぇぇぇぇぇぇ!?』

 

 

 そして、この場にいる全員が一斉に驚いた。

 

 

「希ちゃんと絵里ちゃん、プロになっちゃうの!?」

 

 

 穂乃果が机に身を乗り上げる勢いで尋ねる。

 

 

「ならないわよ。その話はきちんと断ったわ」

「そうなんだ〜」

「でも、何で断ったの?」

 

 

 ホッと胸をなで下ろす穂乃果の後に、真姫が尋ねた。

 その質問に、希が答える。

 

 

「ウチらはプロになりたくてラブライブに出たわけじゃないからなぁ。またにこっちと一緒にライブがしたかっただけなんよ」

「ふーん、そうだったのね」

 

 

 その理由を聞いた真姫の反応は素っ気なかった。

 

 

 にこと一緒にライブがしたかった。

 それだけの理由でラブライブに出場し、優勝してしまう希と絵里は凄いのだろう。

 

 

 そして、二人に曲を作った真姫と海未も。

 

 

 やはり、自分の力の無さを痛感してしまう。

 

 

「この話はここまで! 今日はみんなといっぱい楽しむで!」

 

 

 希が話を無理やり切り上げた。

 

 

 それからは、彼女達と談笑したりしながら、楽しい時間が続いた。

 

 

 

 

 ただ一つ。

 この場ににこが居ない違和感だけが、俺は終始拭えないでいた。

 

 

 

 



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27話

 

 夕方になると打ち上げが終了し、俺は西木野邸を後にした。

 

 

 俺は今、コンビニの喫煙所で今日初めての一服をしていた。

 さすがに他人の家で煙草を吸う訳にはいかず、今日一日ずっと我慢していたのだ。

 

 

 紫煙を吐きながら、考えるのは今日来なかったにこの事。

 さっきまでの打ち上げを、にこは風邪を引いて欠席していた。

 

 

 にこのいない場で音ノ木坂アイドル研究部のメンバーと会うのは、ラブライブの日を含めて今日で二度目。

 ラブライブの時はみんなライブに夢中だったが、今日はそういう訳にもいかない。

 

 

 今日いたメンバーの中で俺がまともに喋れるのは希、絵里、ことりの三人ぐらいで、他のメンバーとは何度か顔を合わせただけだった。

 向こうも気を遣って何度か俺に話しかけてくれたが、俺が年上という事もあってやはりどこか遠慮しているように見えた。

 

 

 居心地が悪かったという訳ではないが、にこがいれば、もう少し居心地が良かったのしれない。

 

 

 ふうっと紫煙を吐き出して、思考を一旦リセットする。

 

 

 実を言うと、これからにこのお見舞いに行こうかどうか迷っていた。

 今日の集まりに来れなかったほどだ、体調はあまり良くないのだろう。

 

 

 にこを自分に置き換えて想像してみる。

 浮かび上がったのは、高熱でうなされながら、一人っきりの部屋で寝込んでいる自分。

 

 

 やばい……想像しただけで孤独感が一気に押し寄せてきた。

 

 

 考えるのをやめ、煙草の火を消して灰皿へと放り込む。

 

 

「行くか、お見舞い」

 

 

 そう決意すると、俺は若干足早になりながら、コンビニの中へと入った。

 店員の元気な声に迎えられながら、何かお見舞いに良さそうな品はないかと店内を歩いていく。

 

 

 とりあえず定番であるスポーツドリンクとのど飴をカゴに入れる。

 他にも何かいいものが無いかと探していると、とあるものが置いてあった。

 

 

「リンゴか……」

 

 

 俺がまだ小さい頃、風邪を引いて熱を出した時、母にリンゴを剥いてもらった。

 

 

 ふと、そんな幼き日の記憶が蘇ってきた。

 

 

「……買っていくか」

 

 

 リンゴを一つカゴに入れて、レジに向かい会計を済ませる。

 

 

 俺はコンビニを後にして、にこの家へと向かった。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 にこの住むマンションに着き、エレベーターで上がっていく。

 

 

 一人でにこの家を訪ねるのは初めてだ。

 エレベーターが目的の階に近づくにつれ、緊張も高まっていく。

 

 

 エレベーターが止まり、扉が開く。

 

 

 にこの家の前まで歩いていき、インターホンを押した。

 

 

 すると中から、慌ただしい足音が聞こえてきた。

 

 

 ガチャリと音がして、ドアが開くとそこには、

 

 

「あ、お兄さんだ! こんにちは!」

 

 

 にこをそのまま一回り小さくしたような女の子――にこの妹、矢澤こころちゃん。

 

 

「こんにちは、こころちゃん。にこが風邪を引いたって聞いたんだけど、様子はどう?」

「えっ? お姉さまなら――」

 

 

 こころちゃんが次の言葉を紡ごうとしたその時、家の中からドタバタと足音が聞こえてきた。

 

 

「ちょっ、虎太郎! 待ちなさい!」

「やだー」

 

 

 玄関に向かって走ってくる虎太郎君と、それを追いかけるにこの姿が。

 

 

 にこの様子は、いかにも元気そうで。

 

 

「あっ、譜也! 虎太郎捕まえて!」

「あ、ああ……」

 

 

 にこにそう言われて、俺は反射的に玄関まで走ってきた虎太郎君を抱きかかえて捕まえる。

 

 

「ありがとう譜也! そのまま中に入ってきて」

「お、お邪魔します」

 

 

 虎太郎君を抱きかかえたまま、俺はにこの家の中へと入っていく。

 

 

 すると、俺の腕の中にいる虎太郎君が容赦ない一言を放った。

 

 

「くさい……」

 

 

 その言葉を聞いたにこが、血相を変えてつめ寄って来た。

 

 

「譜也、今すぐ虎太郎を放しなさい」

 

 

 言われてすぐさま虎太郎君を放す。

 俺の腕から解放された虎太郎君は足早に家の中へと消えて行った。

 

 

 にこは虎太郎君が家の中に戻ったのを確認すると、俺に近づいてきてクンクンと鼻で臭いを嗅いできた。

 

 

「ちょっ、何だよいきなり」

「黙ってなさい」

「……はい」

 

 

 言葉を発するのを禁じられ、俺は大人しくにこに臭いを嗅がれる。

 

 

「譜也……アンタ、さっき煙草吸ったでしょ」

「……悪い、帰るわ」

「帰らなくていいから、ちょっとそこで待ってなさい」

 

 

 帰ると言う俺の意思を無視して、にこは奥へと消えていく。

 

 

 待ってろと言われてので大人しく待っていると、にこは手に何かを持って戻って来た。

 よく見ると、それは消臭剤だ。

 

 

「ちょっとジッとしててよね」

 

 

 そう言うとにこは俺に消臭剤を向け、シュッシュと吹きかけてくる。

 

 

「ちょっ、にこ、やめろって!」

「うるさいわね! 煙草なんか吸う譜也が悪いんでしょ! にこだけなら気にしないけど、ウチには妹達もいるんだから!」

「わ、悪かったって!」

「よし、これで大丈夫ね!」

「大丈夫じゃねえ……」

 

 

 主に俺の心が。

 俺をまるで悪臭みたいに消臭剤を遠慮なく向けやがって。

 

 

「上がっていいわよ」

「……お邪魔します」

 

 

 家の中を進んでいき、リビングまでやって来る。

 

 

「譜也は妹達と遊んでて。にこは夕飯を作らないといけないから」

「わかった」

 

 

 さっきの出来事の手前、にこの頼みは断れない。

 

 

「譜也、その袋は何なの?」

 

 

 するとにこが俺の手に持つビニール袋に気が付いたようだ。

 俺もにこの家にやって来てから、その存在をすっかり忘れていた。

 

 

「風邪引いたって聞いたから、お見舞いに色々買って来たんだよ。ほら」

 

 

 袋ごとにこに渡すと、にこはバツが悪そうにしながらも受け取った。

 

 

 きっと、にこは風邪を引いていないのだろう。

 実際に会ってみると、何となくだけど分かる。

 

 

 でも、きっと何か事情があるのだろうと思い、俺は何も聞かない事にした。

 

 

「せっかくだから、譜也も夕飯食べていきなさい。ハンバーグよ?」

 

 

 突然、にこからそんな提案をされる。

 

 

「いいのか?」

「わざわざお見舞いに来てくれたからね。その代わり、妹達の相手をお願い」

「わかった。そういえば、お母さんはいないのか?」

 

 

 せっかくなので、夕飯を御馳走になることにした。

 

 

 それと同時に、にこの母親の姿が見えないのを疑問に思っていたので、にこに尋ねる。

 

 

「ママなら仕事で、今日は夜遅くまで帰ってこないわ」

「それじゃあにこは夕飯作るから、妹達と遊んでて」

 

 

 そう言ってにこはキッチンに向かい、エプロンをして料理を始める。

 

 

 俺はにこに言われたように、料理が出来るまでにこの妹達と遊ぶのであった。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 夕飯のハンバーグを御馳走になり、食後に俺の買ってきたリンゴを食べると、にこの妹達は仲良く風呂に入って行った。

 

 

 食卓には俺とにこの二人きり。

 二人で食器を洗い終えた後、俺たちは食卓に向かい合って座っていた。

 

 

 何でも、にこが話したい事があるそうだ。

 しかし、にこは中々口を開かない。

 

 

 そしてようやく、にこが重たい口を開いた。

 

 

「まずは、今日の打ち上げに行かなくてごめんなさい。分かってるとは思うけど、風邪っていうのは嘘よ」

 

 

 薄々感づいてはいたが、やはり風邪を引いたというのは嘘だったようだ。

 

 

「どうして嘘吐いてまで来なかったんだ?」

 

 

 それだけが、どうしても分からない。

 

 

 これまでにこと過ごしてきて分かるのは、彼女はこういう嘘を吐く人間ではないという事。

 

 

「妹達の面倒を見るため……っていうのは建前ね。本音を言うと、行きたくなかったのよ」

「行きたくなかった? どうして?」

 

 

 理由を更に追求しようとすると、にこは一瞬躊躇いながらも、口を開いた。

 

 

「にこは、アイドルになりたい。だから、μ’sの事は忘れるべきなのよ」

 

 

 発想が飛躍しすぎていて、到底理解できなかった。

 

 

 でも、そう語るにこの表情は思い詰めているほど真剣で。

 

 

「……どうしてそう思うんだ?」

 

 

 だからまずは、そう思う根拠を聞くしかなかった。

 

 

「……希と絵里に負けたのは、にこの中にまだμ’sの力を借りたいっていう甘えがあったからだと思うの。だから、みんなのいる場所に行きたくなかった」

 

 

 真っ直ぐに俺の目を捉え、にこは言う。

 

 

 希と絵里に負けた要因を、にこはそのように考えていた。

 

 

 でも、それは――

 

 

「それは違う。にこが負けたのは、俺の曲がダメだったからだ」

 

 

 俺は素人だからアイドルの事はよく分からないが、ラブライブで見せたにこのパフォーマンスは、希と絵里に比べても負けてはいなかった。

 身内贔屓かもしれないが、にこが上だったとすら思っている。

 

 

 だから、負けた要因があったとすれば、それは曲を作った人の違いしかない。

 

 

「違う! 譜也の曲は、希たちの曲と同じ位良かった! 負けたのは、にこ自身の弱さが原因なの! 未だμ’sに頼っていたいっていう、にこの弱さが……!」

 

「……μ’sに頼るのはダメな事なのか?」

 

「そうよ! にこはμ’sのにこじゃない、一人の矢澤にことしてアイドルになりたいの! だから――!」

 

 

 悲痛なほどに思いを吐露するにこ。

 

 

 思えば、最初からそうだった。

 にこは最初から、μ’sの矢澤にこではなく、一人の矢澤にことしてアイドルになる事を望んでいた。

 

 

 

「だから、譜也。もうにこの為に曲を作らなくていいわ」

 

 

 

 あまりにも唐突すぎる言葉に、俺は開いた口が塞がらなかった。

 

 

「どうして、どうしてそうなるんだよ……!」

 

 

 理不尽すぎる言葉。

 俺の都合を無視して一人でそう決めつけるにこに、気が付けば怒りが沸いていた。

 

 

「もうにこの為に、曲を作る時間を割かなくていいって言ってるの。これ以上アンタの時間を、にこが奪うのは良くないから」

 

「そんな事ない! 俺は、俺がやりたいからにこの曲を――」

 

「譜也と過ごした時間は楽しかったわ。でもこれ以上一緒にいると、その楽しさに甘えてしまいそうなの。そうしたらにこは、また弱くなってしまうわ」

 

 

 弱くなってしまう。

 にこは強くなりたい――アイドルになりたいと強く願っているのだ。

 

 

 これ以上俺といると、アイドルになれない。

 

 

 にこがそう思っているなら――

 

 

 

 

「――本当に、それでいいんだな?」

 

 

 

 

 にこの答えは――

 

 

 

 

「ええ、今までありがとう」

 

 

 

 

 躊躇いを見せず、にこはそう答えた。

 

 

 

 

「……分かった。夕飯、ご馳走様。……じゃあな」

 

 

 

 

 最後にそう言って、俺はにこの家を後にした。

 

 

 

 

 



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28話

 

 

 夏休みが明け、大学は後期の講義へと突入した。

 

 

 教授が前で弁を取る、いつもの講義風景。

 板書された文字を、俺はノートに書き留めていく。

 

 

 前期までと大差ない景色だが、変わった事がある。

 

 

 前期までは隣で一緒に講義を受けていた、矢澤にこ。

 今、俺たちは離れた席に座って講義を受けている。

 

 

 理由は明白。

 夏休みが明ける前に、にこの家を訪れた時の事が原因だ。

 

 

 にこが風邪を引いたと聞いて、俺はにこの家を訪れた。

 しかし、実際に会ってみるとにこは至っていつも通りに元気だった。

 

 

 どうして嘘を吐いたんだとにこに聞いていくと、段々と話がラブライブに負けた原因へと移り変わっていった。

 

 

 そして、にこは――

 

 

 

『もうにこの為に曲を作らなくていいわ』

 

 

 

 冷たく告げた。

 

 

 アイドルになりたいと強く願うにこ。

 それは、μ’sの矢澤にことしてではなく、一人の矢澤にことして。

 

 

 その思いの強さを改めて痛感した。

 

 

 一度目は、四月。

 まだ大学に入学して間もない頃。

 

 

 高架沿いにある海岸。

 夕陽の射す浜辺でにこの思いを聞き、俺は彼女に曲を作ることを約束した。

 

 

 そして、今回。

 つい先日、にこの家。

 

 

 改めてその思いの強さを聞き、にこの方からもう曲を作らなくていいと告げられた。

 

 

 

『これ以上一緒にいると、その楽しさに甘えてしまいそうなの。そうしたらにこは、また弱くなってしまうわ』

 

 

 

 弱くなってしまう。

 

 

 にこは、その小さな身体で強くあることを望み、高みを目指している。

 

 

 そんな姿が、俺には眩しくて。

 

 

『本当に、それでいいんだな?』

 

 

 売り言葉に買い言葉ではないが、俺はついそう言ってしまった。

 

 

 にこの答えは肯定。

 つまり今のにこには、俺の曲は必要とされていない。

 

 

 今思うと、そんなにこの眩しさから、目を逸らしてしまったのかもしれない。

 

 

 そんな後悔が募っていく。

 

 

 脳内にかかった(もや)を振り払うように、俺はブンブンとかぶりを振って、目の前で行われている講義に集中した。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 大学祭、というイベントがある。

 

 

 俺の通う大学でも、大学祭の開催まであと一ヶ月というところまで迫ってきていた。

 

 

 サークル等の団体が出店をキャンパス内に構え、その他にも様々なイベントが行われるという印象だ。

 

 

 どこのサークルにも所属していない俺は、大学祭の準備に追われることなく、いつもと大差ない日々を送っていた。

 

 

 しかし、サークルに所属している者は大学祭の準備に追われていた。

 

 

 ダンス部はダンスの練習を。軽音部は各バンドごとに練習を。

 

 

 そして、アイドル部はグループごとにライブの練習に取り組んでいた。

 

 

 

 夕方、図書館の前。

 今日の講義が全て終わった時間に、ガラス張りの壁を鏡代わりにして、矢澤にこはライブで踊るダンスの練習をしていた。

 

 

 未だ残暑が続くこの時期、にこは汗を流しながら聴き覚えのある曲に合わせて踊っている。

 

 

 帰宅しようと構内を歩いていた俺は、練習をするにこの姿を見つけて足を止めた。

 

 

 にこが踊っているのは、μ’sの曲――あれは確か『No brand girls』という曲だ。

 

 

 

 なぜ、μ’sの曲なんだ。

 

 

 μ’sの矢澤にこではなく、一人の矢澤にことしてアイドルになりたいと望むにこ。

 だからこそ俺が曲を作ると申し出て、以前までにこは俺の曲を使用していた。

 

 

 今はもう作らなくていいと言われ、俺はにこの曲を作っていない。

 

 

 てっきり、にこは新しい楽曲提供者を見つけて、その曲を使うものだと思っていた。

 

 

 だからこそ、今にこがμ’sの曲を踊っている事が分からない。

 

 

「おい、にこ」

 

 

 我慢できずに、踊っている最中のにこに声をかける。

 

 

 しかしにこは踊りを中断しない。

 聞こえている筈なのに、にこは俺を無視している。

 

 

「おい、にこってば!」

 

 

 二度目の呼びかけ。そこでにこは踊りを中断し、身体を俺の方に向けた。

 

 

「……なに?」

 

 

 練習を中断されたからか、にこの口調にはやや棘が感じられる。

 

 

「どうしてμ’sの曲を練習してるんだよ。もうμ’sに頼るのはやめたんじゃなかったのか?」

 

 

 俺にもう曲を作らなくていいと言ったあの日、にこはμ’sに頼るのはダメだとも言っていた。

 それが、ラブライブで希と絵里に負けたにこが出した結論。

 

 

 μ’sの矢澤にこではない、一人の矢澤にことして見てほしい。

 そう強く願うにこだからこそ、今μ’sの曲を練習している意図が読めないでいた。

 

 

「大学祭まであと一ヶ月しかないのよ。今から部の作曲者にお願いしても間に合わない。だからμ’sの曲を練習してるってわけ」

 

 

 どこか素っ気無くにこは答える。

 

 

 それは、今は我慢してμ’sの曲を練習しているという事なのか。

 

 

 だったら――

 

 

「だったら、俺の曲を使ってくれてもいいだろ?」

 

 

 なにもμ’sにこだわる必要はない。

 

 

 一人の矢澤にことしてアイドルを目指すのであれば、μ’sの曲より俺の曲の方を使った方が都合がいいはずだ。

 

 

 しかし、にこの答えは。

 

 

「それはダメよ。にこのワガママに、これ以上譜也の時間を使わせるわけにはいかないわ」

「俺は、そんなこと気にしない」

「譜也が良くてもにこが納得できないのよ、こうでもしないと」

 

 

 にこ自身が納得できない。

 そう言われてしまっては、俺は何も言い返せない。

 

 

 元々、にこの曲を作ろうかと提案したのは俺の方だった。

 その提案をにこは承諾し、今までのにことの関係が続いてきたのだ。

 

 

 にこは、一人のキャンパスアイドル。

 

 俺は、にこの楽曲提供者。

 

 

 にこが必要としていたから、俺はにこに曲を作った。

 

 

 それが必要ないとなれば、俺とにこの関係が終わる。

 ただ、それだけの事なのだ。

 

 

「前にも話したでしょ、もう譜也には曲を作ってもらわない。それがにこの答えよ」

 

 

 意固地になっているのか、それとも本当にそう思っているのかは分からない。

 

 

 でも、にこがそう言う以上、俺にはどうする事もできない。

 

 

「分かったならさっさと帰りなさい。練習の邪魔よ」

 

 

 にこにそう言われて、俺は踵を返して歩き出す。

 

 

 すると、にこが練習を再開する気配が背中越しに伝わってくる。

 

 

 

 ふと、足を止めて後ろを振り向く。

 

 

 音楽に合わせてダンスの練習をするにこの後ろ姿。

 それと共に、ガラス張りの壁に反射して、正面から見たにこの姿が映し出される。

 

 

 必死になってダンスの練習をするにこの表情は、文字通り必死だった。

 一人の矢澤にことして見てもらうため、にこはその小さな身体で一生懸命頑張っている。

 

 

 でも、そこには楽しいという感情が見えてこない。むしろ辛そうに練習しているようにすら見える。

 以前のにこは、練習をしている時は心の底から楽しんでいるように見えた。

 

 

 あえて楽しむという行為を切り離しているのか、それとも自然と楽しめていないのか、俺には知る由もない。

 そもそも楽しんで踊ることが正しいのか、間違っているのかすらも、素人である俺には分からない。

 

 

 ただ一つ、言えることがあるとすれば。

 

 

 それは、辛そうに踊っているにこを見ていられない。

 

 

 

 

 俺はにこから目を背けて、足早にその場から離れて行った。

 

 

 

 



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29話

 

 

 夏休みが明けてから、一月ほどの時間が経った。

 

 

 にこと最後に会話をしたのが、およそ一ヶ月前。

 図書館の前で練習しているにこを見かけ、話しかけたのが最後だった。

 

 

 あれからにこは毎日のように、大学祭に向けてμ’sの曲を練習していた。

 

 

 にこはもう、俺の作った曲を使わない。

 そんな決意のもとに、にこは練習に励んでいた。

 

 

 最後に会話したその日にハッキリと拒絶されて以来、俺はにこに話しかけられないでいた。

 にこが練習している姿は見かけるのだが、なんて声をかけたらいいのか分からず、見ている事しかできなかった。

 

 

 μ’sの曲を練習しているにこは、以前のように楽しそうな表情は浮かべていなくて。

 どこか、苦しんでいるように見えた。

 

 

 そんなにこの力になりたい。

 何とかしてあげたいという思いになりながらも、俺には何もしてあげることが出来なかった。

 

 

 にこの曲を作っていない俺は、なんて無力なんだ。

 そんな自分に腹が立つ。

 

 

 

 

 そんな時間が一ヶ月ほど続き、迎えた大学祭当日。

 

 

 俺は大学にやって来て、大学祭を楽しんでいた。

 

 

 大学祭には、ここの学生だけでなく、外部からもたくさんの人がやって来ていた。

 

 

 人々がそれぞれの会話をしていて、賑やかな雰囲気。

 様々なサークルが出店を構え、客引きの声が飛び交う。

 

 

 大学祭は盛り上がっていた。

 

 

 トントン。

 

 

 ボーッと立っていると、後ろから優しく肩を叩かれた。

 

 

 振り向くとそこには、帽子を深く被りサングラスをかけた、二人の女性がいた。

 一人は紫がかった長髪、もう一人は日本人離れした金髪。

 

 

 見るからに怪しい人物であるが、俺はその二人を知っている。

 

 

「……なにしてんの? 希、絵里」

「あ、やっぱり分かる?」

 

 

 サングラスをズラして、希がチラッと目を覗かせる。そして悪戯っぽく笑ってみせた。

 

 

「学祭に来たのよ。にこのライブもあるみたいだし」

「いや、それは分かるんだけど……その格好は?」

「変装よ。ラブライブで優勝してから、色んな人に声をかけられるようになったから。これで目立たずに済むわね」

「いや、余計目立ってると思うけど」

 

 

 そう言うと、絵里はガックリと肩を落とした。

 

 

 いやまぁ、少しは希と絵里だと気付かれずに済むかもしれないけど、その格好だと余計に目立つのは明らかだ。

 

 

「ふふっ、こうやって変装してると、ニューヨークから帰ってきた時を思い出すやん?」

「そうね、あの時はみんなでサングラスをつけて変装したのよね」

「あの時の盛り上がりに比べると、今のウチらなんて大したことないよなぁ」

 

 

 希と絵里が懐かしそうに話す。

 内容から察すると、二人がまだμ’sにいた頃の話だろうか。

 

 

「あ、そろそろにこっちのライブ始まりそうやで!」

「本当だわ! ほら譜也、ボサッとしてないで行くわよ!」

 

 

 希と絵里は、屋外に設置されたステージに向かって走り出していく。

 

 

「ああ、今行く」

 

 

 俺は走っていく二人の後ろを、ついて行くのであった。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 屋外ステージは、かなりの盛り上がりを見せていた。

 客席に集まった学生たちの熱気に包み込まれている。

 

 

「次、にこっちの番やね」

 

 

 隣に立つ希が、期待しているといった様子で呟く。

 

 

「……そうだな」

 

 

 そんな希とは対照的に、俺の中には不安しかなかった。

 

 

 今日を迎えるまでに遠目から見ていた、にこの練習風景。

 苦しそうに、まるで自信の不安を振り払うかのように追い込んでいるにこを見ていると、今日のライブが成功するかどうか、不安で仕方がない。

 

 

「譜也君……? 難しい顔してどうしたん?」

 

 

 希が心配そうに俺を見つめてくる。

 

 

「あ、いや、何でもない」

 

 

 そう言って俺は取り繕う。

 いけない。心配されるほど顔に出ていたようだ。

 

 

「ほら二人とも、そろそろにこのライブが始まるわよ!」

 

 

 絵里の声で、俺と希は互いにステージに目を向ける。

 

 

 言葉はいらない。

 

 

 にこがステージに現れ、観客達の盛り上がりは最高潮。

 

 

 曲前のMCは無い。

 ステージの中央ににこが立ち、早くも曲が始まろうとしている。

 

 

 静寂が訪れる。

 

 

 刹那。

 イントロが流れ出し、世界が揺れた。

 

 

 そう形容しても過言ではない盛り上がりよう。

 それだけ、観客たちは熱狂していた。

 

 

 流れ出した曲は――『No brand girls』

 

 

 μ’sの曲の中でも有名な曲で、アップテンポな曲調と観客も参加できる構成は、ライブ向きと言っていい。

 

 

 イントロから、観客たちはコールをして盛り上がっていた。

 

 

 にこも観客を煽り、もっともっと盛り上がりを欲した。

 

 

 まだまだ、これ位の盛り上がりじゃ足りない。

 そう言っているように、にこはもっと声を欲しがる。

 

 

「なあ、譜也君!」

 

 

 ライブの大音量に負けないように、希が大声で俺を呼ぶ。

 隣にいるにもかかわらず、ライブの音に掻き消されそうだったが、何とか聞き取れて希の方を向く。

 

 

「なんで、譜也君の曲じゃないん!?」

 

 

 単純な疑問なんだろうが、声を張っているので責められているように感じる。

 

 

 希と絵里がにこと覇を競ったラブライブでは、にこの曲は俺が作っていた。

 それが今では、俺の曲ではなくμ’sの曲でライブをしている。

 

 

 そこに疑問を抱くのは、俺がにこに曲を作っていた事実を知っている希からすれば、当然のものだろう。

 

 

「もう作らなくていいって言われたんだよ!」

 

 

 ライブの盛り上がりに負けないよう、俺も声を大きく張って言う。

 

 

「えっ……?」

 

 

 聞こえなかったのだろうか。

 もう一度、されに声を大きくして希に向かって言う。

 

 

「だから、にこに曲はもう作らなくていいって言われたんだよ!」

「そう、なんや……」

 

 

 歓声に掻き消されて、希の言葉は聞き取れなかった。

 だが、希が何だか複雑な表情をしているのは分かる。

 

 

 俺に同情しているのか、にこの行動が意外だったのか。

 希が何を思っているのか、俺には分からない。

 

 

 何にせよ、俺はそんな希に、どう言葉を続けていいのか分からなかった。

 

 

 希から視線を外し、ステージに目を向ける。

 

 

 懸命にダンスをするにこが、それに合わせて歌い上げる。

 

 

 観客は盛り上がっていて、ライブは成功のように思えるが――

 

 

「にこ……なんだか楽しくなさそう」

「うん。ウチも、そう思う」

 

 

 大きな歓声の中、二人の呟きはどうしてかハッキリと聞き取れた。

 

 

 やっぱり、希と絵里から見ても、そう見えるのか。

 

 

 いや、二人の方がにこと過ごしてきた時間は長い。

 きっと彼女達のほうが、俺以上に感じ取っているのだろう。

 

 

 ステージで華麗に踊る、にこの苦しみを。

 

 

 

 曲が終わり、観客達は歓声と拍手をにこに送った。

 

 

 ステージ上のにこはその拍手と歓声に、笑顔で手を振って応えている。

 

 

「なあ、譜也君」

 

 

 希に呼ばれ、横を向く。

 真剣な表情をして、希は俺をまっすぐ見つめていた。

 

 

 その隣にいる絵里も、希と同じような顔をしている。

 

 

「にこっちを、助けてあげて」

 

 

 放たれたのは、そんなお願いだった。

 

 

「助けるって……」

 

 

 俺はもう、にこに必要とされていない。

 それなのにどうやって、助けろというのだ。

 

 

「私からもお願い、譜也。さっきのにこを見ていたら、残念だけど、μ’sの曲より譜也の曲の方が良いのは明らかよ」

 

 

 絵里が、真剣な眼差しで俺にそう訴える。

 

 

「だから俺は、もう作らなくていいってにこに――」

「――そんなの、勝手に作ってにこに渡せばいいじゃない」

 

 

 無茶なことを絵里は言う。

 しかし、無茶と分かっていながらも、その言葉は何故かスッと胸に溶け込んだ。

 

 

「譜也君は、どうしたいん?」

 

 

 希にそう問われる。

 

 

 単純な問い。

 俺自身が何をしたいのか。

 

 

 俺は――

 

 

「にこっちの曲を作りたい。そんな顔してるで」

 

 

 希の言葉にハッとする。

 

 

 希の言う通りだった。

 

 

 俺は――

 

 

「――俺は、にこの曲を作りたい。にこが本当のアイドルになる、その手助けをしたい」

 

 

 この気持ちは、あの時から変わっていなかった。

 

 

 高架沿いの海岸、その砂浜で交わした約束。

 

 

 

 

『だったら、俺が君の曲を作る』

 

『いいわ。アンタににこの曲を作らせてあげる』

 

 

 

 

 あの時の俺の気持ちは、今も何一つ変わっていない。

 

 

 理想と現実のギャップに苦しむアイドルの、力になりたい。

 

 彼女が望むアイドルになるための、手助けをしたい。

 

 

 

「だったらこれから、どうするか決まってるやん?」

 

 

 

 希と絵里は、ホッと嬉しそうな表情に変わっていた。

 

 

 彼女達に向かって、自分自身に向かって、俺は言う。

 

 

 

 

「ああ。にこの曲を作って、アイツを納得させてやる」

 

 

 思い立ったが吉日。

 さっそく曲を作ろうと、俺は踵を返して走り出す。

 

 

 何歩か踏み出したところで、一つ忘れていた事を思い出した。

 

 

「ありがとうな、希! 絵里!」

 

 

 精一杯の感謝を伝えようと、声を大きくして言う。

 

 

 二人がいなければ、またにこに曲を作ろうなんて考えもしなかった。

 

 

 

「ふふっ、どういたしまして」

「頑張るんやで、譜也君!」

 

 

 

 希と絵里。

 

 

 二人に感謝して、俺は自宅に向かって走り出した。

 

 

 

 



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30話

 

 

 もう一度、にこの為に曲を作る。

 

 

 そう決意した俺は、再び曲作りに取り組んだ。

 

 

 未だにことは関係が解消された状態が続いているけど、そんなのは関係ない。

 

 

 今、にこは苦しんでいる。

 ラブライブに負けた事で、過剰なまでの責任を感じている。

 

 

 にこなりに考えて、俺からの楽曲提供を受けないという選択をとったのだろう。

 

 

 これ以上、俺の時間を奪うわけにはいかない。にこはそう理由付けた。

 

 

 にこがそう言うならと、俺はにこの提案を受け入れ、関係は解消されたが。

 

 

 それからのにこは、今まで以上に苦しんでいる。それは出会った当初よりも、よっぽど酷いものだった。

 

 

 そんなにこを、このまま黙って見ているだけなんて、まっぴらごめんだ。

 

 

 大学祭の日。

 にこのライブを希と絵里と共に見た。

 

 

 にこが大好きであるはずのμ’sの曲を踊っているというのに、にこの表情はどこか釈然としなかった。

 

 

 その時、希と絵里に頼まれた。

 

 

 

『にこっちを、助けてあげて』

 

 

 

 初めは、にこにもう曲を作らなくていいと言われていたので、どうすればいいのか分からなかった。

 

 

 苦しんでいるにこに何もしてあげられない無力な自分が、もどかしかった。

 

 

 そんな折、希が俺に問うた。

 

 

 

『譜也君は、どうしたいん?』

 

 

 

 答えは簡単だった。

 

 

 

 ――にこの曲を作りたい。にこが本当のアイドルになる、その手助けをしたい。

 

 

 

 希と絵里の助言もあり、俺は再びにこの曲を作る決意をした。

 

 

 にこが俺の曲は要らないと言おうが、関係ない。その時は、にこが折れるまで曲を作り続けるまでだ。

 

 

 そう決意して、曲を作っているのだが……。

 

 

 

 

 

「ダメだ、全く進まねぇ……」

 

 

 曲作りは難航していた。

 

 

 今まで作っていたような、そんな曲ではダメ。それだとにこを納得させることなんて出来ない。

 

 

 何かを変えないといけない。そんな思いが俺の中に強く渦巻いていた。

 

 

 にこだって、変わろうともがき苦しんでいる。

 

 

 そんなにこの苦しみが伝染したかのように、これから作ろうとする曲の方向性というものが、全く見えないでいた。

 

 

 音楽に答えはない。

 正解か不正解かどうかなんて、そう易々と判断できるものではない。

 

 

 それでも、今のままではダメなんだということは、ハッキリと分かる。

 

 

「……ダメだ、休憩」

 

 

 作曲作業を行っていたパソコンの前から離れ、移動する。部屋に置いてあるアコースティックギターを手に取り、音を奏でていく。

 

 

 既存の曲はなぞらない。即興で、感情の赴くままにコードを進行させるだけの時間。

 

 

 こうして何か新曲に使えそうなメロディーを探っていく。しかし、そう簡単に見つかるものでもない。

 

 

 部屋にただ、ギターの旋律だけが響き渡る。

 

 

 弦を弾きながら、俺はとある手段を実行に移すべきかどうか、考えていた。

 

 

 それは果たして俺を――ひいてはにこを、出口の見えない迷路から、抜け出す術となり得るのだろうか。

 

 

 分からない。

 教えを乞うことによって、何かが劇的に変わるかどうかなんて。

 

 

 けれども。このまま停滞したままでは、きっと時間がかかりすぎる。

 

 

 現状維持のままでいいのか。

 

 いや、違うだろ。

 

 このままではにこの力になれない。

 

 だったら、どうするべきか。

 

 

 自問自答を繰り返す。

 俺自身が、何をしたいのか。

 

 

 にこを、このまま放っておくわけにはいかない。

 

 

 なら何をするべきなのか、答えは簡単だった。

 

 

 このまま俺一人だけで作曲を続けていては、埒があかない。いつまで経っても、迷路から抜け出せない。

 

 

 気がつけば、ギターを弾く手は止まっていた。

 

 

 スマホを手に取り、電話帳を開く。予め連絡しておこうと思ったのだが、連絡先に()()()の名前は無かった。

 

 

「あれ、連絡先交換してなかったっけ……」

 

 

 連絡先を知っている彼女に用件を伝えてもらう事もできたが、こういう事はなるべく本人に直接伝えたかった。

 

 

 大学の時間割を見る。

 明日は午前の講義だけしか履修していなくて、丁度よかった。

 

 

「……行くか、明日」

 

 

 そう決意する。

 いきなり訪ねると迷惑かもしれないが、今の俺には彼女達の力が必要だった。迷惑かけるのを承知で訪ねるしかない。

 

 

 そうと決めると、俺は再びギターを手に取り、音を奏でた。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 翌日。

 

 

 昼には大学の講義が終わった俺は、夕方の電車に乗って秋葉原にやって来た。

 

 

 夕方。高校でいうと放課後にあたる。

 

 

 少し早めに目的地に到着し、通行する人達に目を配らせる。その人達に会うためには、こうして待っているしかなかった。

 時折訝しげな視線が通行人から送られてくるが、何とか耐え抜いてやり過ごした。

 

 

 しばらくの間、そうして通報されない事を祈りながら待ち続けていると、目的の人達の姿が遠目に映った。

 

 

 彼女達の中の一人が俺に気づき、駆け寄ってくる。

 

 

「譜也さん、こんにちは。こんな所でどうしたんですか?」

 

 

 南ことりはペコリと俺に挨拶をして、ここにいる俺に疑問をぶつけてきた。

 

 

「いや……君達にちょっと話があって来たんだけど……」

「そうなんですか? それなら連絡してくれればよかったのに。わざわざ校門の前で待たなくても」

 

 

 そう。ことりの言うように、俺はずっと彼女達が現れるのを、音ノ木坂学院の校門前で待ち続けていた。

 

 

「あ、譜也さん! こんにちは!」

 

 

 ことりに続いて穂乃果が俺のところにやって来た。元気よく挨拶をする彼女を見ていると、何だかこっちまで元気をもらえるような気がする。

 

 

「こんにちは。他のみんなも、こんにちは。ラブライブの打ち上げ以来だね」

 

 

 穂乃果とことりの後ろには、他のアイドル研究部の面々が揃っていた。彼女達に向かって、俺は挨拶をする。

 

 

「それで、私達に話って……何ですか?」

 

 

 先ほど言った言葉をことりが拾い上げる。

 

 

 これだけの人の前で言うつもりはなかったのだけれども、一度決めた事だ。覚悟を決めて言うしかない。

 

 

「えっと、みんなにっていうより、海未と真姫に話があるんだ」

「私と真姫に、ですか?」

「なによ、話があるならさっさと言ってよね」

 

 

 海未はまさか自分に話があるとは思わなかったように驚き、真姫は面倒くさそうな態度で話を急かしてきた。

 

 

 二人を直視する。

 覚悟は出来た。あとは言葉にするだけ。

 

 

 話があるというより、これはただのお願いだ。

 

 

 ワガママで自分勝手な、ただのお願い。

 

 

 二人がそれを聞き入れてくれるかどうかは分からない。というか、断られる確率の方が高いと思っている。

 

 

 でも、言葉にしないと何も始まらない。

 

 

 俺は二人に頭を下げる。そして――

 

 

 

 

「海未、真姫。俺に曲を……μ’sの曲の作り方を、教えて下さい!」

 

 

 

 

 変わるための言葉を、口にした。

 

 

 

 



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31話

 

 

「お、お邪魔します……」

 

 

 真姫と海未に曲作りを教えてほしいと頼んだ俺は、真姫の家にやって来ていた。

 

 

「前に来た時も思ってたんだけど、そんなに畏まらなくていいわよ」

「こんなデカい家に入るのに、畏るなっていう方が無理だろ……」

「ふふっ、真姫の家は大きいですからね」

 

 

 真姫と海未に頼んだ曲作りを教えてほしいという話は、その場であっさりと了承された。

 二人にとって殆どメリットが無いような話を呆気なく快諾された事には、思わず面を食らってしまった。

 

 

 そして早速、教えを受けるために真姫の家にやって来ている。これ程とんとん拍子に事が進んでいて、俺自身とても驚いている。

 

 

 真姫の部屋に通される。気心知れた仲なんだろう、海未は慣れた様子で中へと入っていくが、俺は部屋の前で数瞬ばかり躊躇っていた。

 

 

「なにボサッとしてるのよ、早く入ってきなさい」

「あ、ああ。お邪魔します……」

 

 

 真姫に急かされて部屋の中へと入っていく。

 女子の自室に入る事すら片手で数える程しか経験していないのに、いかにもお嬢様の部屋に招かれるなんて、緊張しないはずがない。

 

 

 部屋の中へと入ったはいいが、どうにも居場所が見つけられず、俺は隅っこの方で黙って突っ立っているしかなかった。

 

 

 真姫は椅子に座り、デスクに置かれた赤色のノートパソコンを立ち上げている。その横に海未が立ち、真姫と何やら笑顔で談笑している。

 

 

「作曲を教えてほしいのよね? どうして私と海未に教えてもらおうと思ったの?」

 

 

 クルッと椅子を器用に回転させて、真姫は俺に向き直って問いかけてくる。

 

 

 話すのは少しばかり躊躇われるが、これを理解してもらわない事には話が前に進まない。

 俺は真姫と海未に、にこの現状について説明をした。

 

 

 その話を二人は深く頷きつつ、時折表情を曇らせながら、最後まで聞いてくれた。

 

 

「にこちゃん……」

「そのような状況に、にこが……」

 

 

 にこの現状を聞いて、二人は複雑な表情になる。

 

 

「ああ。だから俺がもう一度、にこに曲を作ってやらなくちゃいけない。でも今までの俺では、何も変わらないと思う。だから二人に教えてほしいんだ。どうしたらμ’sの曲に近いものを作れるのか。頼む、教えてくれ!」

 

 

 深々と頭を下げ、真姫と海未にもう一度きちんとお願いする。

 

 

「それって、私達がにこちゃんの曲を作るのはダメなの?」

 

 

 真姫の口から、核心を突く言葉が飛び出した。確かに、真姫の言う通りだった。

 彼女達がにこの曲を作っても、何も問題はない。むしろ、その方がにこにとっても良いのかもしれない。

 

 

 俺は何も言い返す事ができず、ただ黙って視線を落とす事しかできなかった。

 

 

「譜也さん、そんなに落ち込まないで下さい。今の真姫の言葉は、冗談ですから」

「……え、冗談?」

「ええ。ですよね、真姫?」

「まさか本気にするとは思わなかったわ。ごめんなさい」

 

 

 いたずらっぽく微笑む真姫。その言葉に、俺はホッと胸を撫で下ろした。

 

 

「譜也さんがにこに曲を作ってあげたいという気持ちは、今までの反応で分かっていますから」

 

 

 あっさりと俺の心境を、海未に読み取られる。そこまであからさまな態度をとっていた事を気付かされ、今更ながら恥ずかしさを覚えた。

 

 

「そういう事よ。それじゃあ、早速始めましょうか。まずは、譜也の作った曲をしっかり聴いてみるわね」

「よろしく頼む」

 

 

 真姫はノートパソコンで動画サイトを開いて、一つの動画を再生させた。それは、ラブライブでにこが踊っているライブ映像。

 

 

 歓声が入り混じっている音声の中から、真姫と海未は真剣な表情で曲を聴きとろうとしている。

 今の段階では、俺は二人のその様子を見ているしかできなかった。

 

 

 動画を何度も再生していく中で、真姫と海未は紙に何やらメモを取っていた。

 

 

 やがて動画の再生を終えて、二人は何やらコソコソと俺に聞こえないように会話をし始めた。

 

 

 そして結論が出たのか、二人は俺に向き直る。俺に向かって、海未が口を開いた。

 

 

「譜也さん、すいません。まだ少し時間がかかりそうなので、また土曜日ここに来てもらってもいいですか?」

「ああ、分かった。二人とも、よろしく頼む」

 

 

 時間がかかるのは仕方がない。何より俺は二人にお願いしている立場だ。早く何とかしたいという気持ちはあるが、焦ったって仕方がない。

 

 

「それと、これから連絡を取りやすくするために、良かったら連絡先を交換しませんか?」

 

 

 海未からの提案。今日アポ無しで二人を訪ねるために音ノ木坂の前で待っていたのは、二人の連絡先を知らなかったという事もある。

 

 

「俺の方こそ、海未と真姫の連絡先を知っていられると助かる」

 

 

 それから俺達は互いの連絡先を交換し、俺は真姫の家をあとにした。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 土曜日。約束通り俺は真姫の家にやって来た。チャイムを鳴らすと真姫と海未に出迎えられ、そのまま真姫の部屋へと通された。

 

 

 俺は正座をして、海未と真姫の言葉を待っていた。先日から今日に至るまで、二人は俺の曲を聴いてくれて、それぞれ感じた事を言ってくれるのだろう。

 

 

「まずは私から。譜也さんの曲……歌詞なんですが、メッセージ性が強いと思いました」

 

 

 先陣を切ったのは海未だった。曲を聴いて、歌詞に対して彼女なりに思った事なのだろう。

 そして海未の指摘したそれは、見事的中していた。流石はμ’sで作詞を担当している海未だと、感心する。

 

 

「そうだな。作詞する時、そこを意識している」

 

 

 海未の言葉を肯定する。それを聞いて、海未は先ほどの言葉に続けて言った。

 

 

「そうでしたか。これは私の考えなのですが……この歌詞だと、にこの良さを上手く引き出せていない。そう思いました」

「にこの良さ……」

 

 

 海未の指摘を素直に受け止める。今まで作ってきた曲が歌詞にメッセージ性を持たせるものだったから、彼女の指摘は目から鱗だった。

 

 

「その、希と絵里に頼まれて作詞した曲は、そういう風にして歌詞を書いたので」

「そうか……うん、確かに海未の言う通りだ」

 

 

 新しい考え方を発見できた。それだけで、彼女に教えを受けて正解だったと思える。

 

 

「次は私ね」

「ああ、遠慮なく言ってくれ」

 

 

 そう言わなくても遠慮なく言ってきそうな印象の真姫だが、あえてそう念押しする。

 

 

「と言っても、作曲について私が口出しできる事なんて殆ど無いわ」

「えっ?」

 

 

 なんとなくボロクソに叩かれる想像をしていたので、あまりにも呆気ない言葉に思わず面食らった。

 

 

「譜也の場合、たぶん歌詞を先に考えてから、それに合うように作曲をしていると思うの。だから歌詞が変われば、自然と曲調も変わってくるはずよ」

 

 

 真姫の言う通りだった。曲の作り方、作詞をしてから音を探していく作業に移るので、作曲については真姫の意見が正しいのかもしれない。

 

 

「そうだけど、それでももっとこう……何かないかなぁ」

 

 

 ただ、今の作曲技量に自分自身、納得しきてれいないところがある。だからμ’sの作曲担当――西木野真姫に意見を求めたのだ。

 

 

「それなら、まずは海未のアドバイスをもとに、歌詞を書いてきて」

「歌詞を?」

「そう。歌詞が出来たら、その歌詞をもとに一緒に作曲してあげるわ。と言っても、私が出来るのは意見を出すぐらいだけれど」

 

 

 真姫から出たのは、そんな提案だった。これは、作曲に真姫の――μ’sの色を取り入れるいい機会だと思う。

 

 

 今までやってきた曲作りは、孤独との戦いだった。他人に意見を求める事なく、全て一人でやってきた。

 曲作りに限らず創作者というのは、そういうものだと思っていた。全て一人でこなしてこそ、一人前だと思い込んでいた。

 

 

 だけど今、その考えはあっけなく打ち砕かれた。

 

 

 いや、今じゃない。

 

 

 

 彼女達に曲作りを教えてほしいと。

 

 自分の曲の中にμ’sを取り入れようと。

 

 にこの為に、俺にできる事は何だってしようと。

 

 

 

 そう思った時点で、俺の考えは変わり始めていたのだ。

 

 

 

 全ては、大学の入学式に出会った、一人のアイドルのため。

 

 

 

 偶然再会した高架沿いの海岸。そこで密かに苦しんでいた思いを明かした、彼女のため。

 

 

 

 俺が一瞬にしてファンになったキャンパスアイドル――矢澤にこのため。

 

 

 

「分かった。海未のアドバイスを参考にして、歌詞を書いてみる」

 

 

 力強く、そう言う。決意は既にできている。

 

 

「譜也さん。その作詞、よければ私にも手伝わせてくれませんか?」

「……いいのか?」

 

 

 すると海未が、そう申し出てきた。俺としては海未の申し出は有難いのだけれど……。

 

 

「はい。私自身、少しでもにこの力になりたいので」

 

 

 迷いのない澄んだ瞳でそう言い切る海未。

 きっとにこの現状を聞いて、彼女なりに思うところがあるのだろう。

 

 

「そうか……うん。こちらこそ、海未に手伝ってもらえると助かる」

 

 

 何にしても、海未の力を借りる事ができるのは有難い。むしろ俺の方からお願いしたいぐらいだった。

 

 

 俺はその申し出を、迷う事なく了承した。

 

 

 



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32話

 

 

 海未と真姫の協力を得て曲作りを始めてから、およそ二週間が経った。今日も今日とて真姫の家にお邪魔し、海未も含めて三人で作業を行っている。

 

 

 今日、俺は新曲の歌詞を完成させてきた。今は真姫と海未にそれぞれ見てもらっている。μ’sの曲を手掛けた二人に見てもらうって、よくよく考えればかなり贅沢な事なんじゃないだろうか。

 だけど、二人に協力してもらってまで、俺はにこの曲を作らなければならない。

 

 

「……うん。いいんじゃない?」

 

 

 まず、真姫が俺の書いた歌詞の感想を口にした。そう言われて、ひとまずホッとする。

 

 

「私も、いいと思います」

 

 

 海未からも同じような意見がもらえる。しかし、海未は穏やかな表情に少しばかり真剣さを持たせて、更に言葉を続けた。

 

 

「ですが、表現に少し疑問に思うところがありました。参考程度ですが、私なら――」

 

 

 海未は赤のボールペンを手に取り、歌詞が書かれた紙に校正を入れていく。

 俺は海未に近寄り、どのように歌詞が変わっていくのかを真剣に見つめる。

 

 

 すると、それまでスラスラと動いていた海未の手が突然ピタリとその動きを止めた。

 

 

「あの、少し近いです……」

「あっ、悪い」

 

 

 海未の書く文字に気が付けば視線が釘付けになっていて、思っていたより顔を近づけてしまっていた。それを海未に指摘され、パッと顔を離す。

 

 

「まったく……にこちゃんがいるのに、海未にヘラヘラしたらダメじゃない」

 

 

 からかうような、呆れているような。そんな口調で真姫は俺に向かって言った。

 

 

 いや待て、その口ぶりだとまるで俺とにこが付き合ってるみたいじゃないか。以前、ここでラブライブの打ち上げをした時に、それは否定したはずだ。

 

 

「いや、俺とにこは付き合ってないって。それは前にも言っただろ」

 

 

 改めてもう一度否定しておく。俺とにこが付き合うなんてあり得ない。

 

 

 俺とにこの関係は、楽曲提供者とキャンパスアイドル。それ以上でも以下でもない。

 まして、にこはキャンパスアイドルだ。アイドルといえば恋愛禁止が鉄則。本気でアイドルを目指しているにこが、それを破ってまで俺のことを好きになるなんて、絶対に無い。

 

 

 だけど真姫は、そんな俺の言葉を無視するかのように続けた。

 

 

「ならさっさと付き合っちゃいなさいよ。じゃないと希が可哀想じゃない」

「真姫」

 

 

 真姫の言葉を、海未が語気を強めて制するように咎めた。注意された真姫は、海未のことを気にしていないのか澄ました顔をしていた。

 

 

 いや。そんな事はどうでもよくて。真姫の言葉の意味が分からず、俺は混乱していた。

 

 

「希? どうしてそこで希の名前が出てくるんだ?」

「はぁ……分からないの? 希はたぶん、譜也のこと好きよ」

 

 

 そう答える真姫。ますます訳が分からなくなる。

 

 

「あはは、そんな、嘘だろ?」

「たぶん本当よ」

 

 

 嘘だと聞いても真姫は肯定する。

 

 

 助けを求めるように俺は海未を見た。すると海未は若干下を向きながら、絞り出すように呟いた。

 

 

「……おそらく真姫の言う通りです。少なくとも私と真姫はそう思ってます」

 

 

 求めていた言葉とは違うものが、海未から返ってきた。

 

 

 希が俺のことを好き。

 

 

 仮に。もし仮にそうだと仮定しよう。

 その事は素直に嬉しい。今まで彼女がいなかった俺からすれば、手放しに喜んでいいはずの出来事だ。

 

 

 だけど、どうすればいいのか分からない。

 

 

 二人からその事を聞かされても、それが事実だとは限らない。仮にそうだとしても、付き合うとか想像もできない。

 

 

 まず何より、俺自身の気持ちがよく理解できない。

 

 

「希の好意を受け取るか受け取らないのか、ハッキリさせなさい。私、アンタみたいな優柔不断なタイプを見てると腹立つのよ」

「真姫、言いすぎです」

 

 

 ハッキリさせろと真姫は言う。それを海未が咎める。ハッキリさせろと言われても、誰かと付き合う自分が想像できない。

 ましてやそれが希かにこかだなんて、非現実的だ。彼女達はキャンパスアイドルなのだから。

 

 

「あとはことりも、アンタのこと慕ってるみたいね。それが好きっていう感情なのかは分からないけど」

「真姫……!」

 

 

 今の海未の声には、明らかな怒りの感情が篭っていた。

 

 

 しかし、それよりも真姫の発言の方が俺には問題だった。

 

 

 ことりが何かと俺を慕ってくれているのは薄々気づいていた。だけどそれが、真姫の言うように恋愛的な好意から来ているものなのかは、俺にも分からない。

 

 

 希とことり。二人の魅力的な女の子から好意を寄せられているかもしれない。

 その事が俺を混乱させる。全くもってどうすればいいのか、見当もつかない。

 

 

「……悪かったわ。さあ、気を取り直して曲作りを進めましょ」

 

 

 真姫が頭を下げたことによってその場は落ち着いた。だけど俺の頭の中は落ち着きを取り戻せないままだった。

 

 

 その後の今日の曲作りの間、俺はずっと上の空だった。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 夕方になり、今日の曲作りはお開きとなった。

 真姫の家をあとにして、俺は駅に向かって歩みを進めていた。

 

 

 歩きながら考えるのは、希のこと。真姫に言われたその可能性に、俺は答えの無い難問を解いているような気分でいた。

 

 

 考える。考えるのだけれど、決して答えは出ない。

 本当は分かっている。これは正答の無いものなんだと。だけど、答えを探さずにはいられない。

 

 

 どれだけ歩いただろうか。気がつけば駅の近くまでやって来ていた。

 

 

 頭の中は正答を求めグルグルと彷徨いながらも、足はまっすぐに駅の方向へと運んでいく。

 

 

 意識はほとんど思考の中へと置き去りにしている。道行く人たちにぶつからないよう、少しだけ外に意識を残して。

 

 

 だからだろうか。

 

 

 俺に近づいてくるその人影に、気づけなかった。

 

 

 今まさに考えていたその人の存在に、気づかなかった。

 

 

「譜也君」

 

 

 ポンポン、と背後から肩を二度叩かれる。そこで俺はようやく足を止め、思考を完全に外側へと向けた。

 

 

 振り返る。そこにいたのは――

 

 

「希……」

 

 

 東條希。俺が今まさに考えていたその人。

 

 

「こんばんは。こんなところで会うなんて奇遇やね」

「こんばんは……。そうだな、奇遇だな」

 

 

 実際には本当にただの偶然なんだろうけど、俺にはこの邂逅が偶然とは思えなかった。

 

 

 たった今まで希のことを考えていたのだ。

 まるで神様に仕組まれたかのような、そんな巡り合わせ。

 

 

「譜也君がアキバにいるなんて珍しいやん。何か用事とか?」

「ああ、真姫の家に行ってたんだ。今はその帰り」

「真姫ちゃんの?」

「曲作りが難航してるから、少し協力してもらってるんだ」

「へえー、そうなんや」

 

 

 何でもない世間話。

 目の前にいる希は、真姫と海未が言ったように本当に俺のことが好きなのだろうか。

 

 

「あ、じゃあもしかして今から暇やったりする?」

「まあ。あとは家に帰るだけだったし」

「そうなんや! じゃあ、よかったら……」

 

 

 希はそこで一旦言葉を切る。

 

 

 そして、

 

 

「今からウチと一緒に、ごはん食べにいかへん?」

 

 

 



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33話

 

 

 駅前で希と偶然出会い、夕食に誘われた。

 

 

 真姫と海未に言われた、希が俺に好意を持ているかもしれないという事。

 その事があって俺は希の提案に数秒ほど悩んだが、ここは夕食を共にした方がいいだろうという結論に至った。

 

 

 希の誘いに乗り、俺たちは駅のすぐ近くにあるファミレスにやって来た。ファミレスには何度も来た事があるが、女の子と二人でというのは初めてで少し緊張してしまう。それが自分の事を好きかもしれないという女の子なら尚更だ。

 

 

 ファミレスに入ると奥の方の禁煙席に通された。俺と希は軽くお互いの近況報告を交えながら、メニューを眺めて注文する料理を決めていく。

 

 

「譜也君、注文決まった?」

「ああ、この明太子のパスタにしようと思う」

「ふふっ、ウチと一緒やね。あ、すいませーん」

 

 

 嬉しそうに笑いながら、希は近くにいた店員を呼んで注文をする。

 注文を受け取った店員が去っていくと、再び希が俺に話を振ってきた。

 

 

「真姫ちゃんの家で作ってる曲って、やっぱりにこっちの?」

「ああ。希と絵里に言われて再びにこの曲作りを始めたんだけど、どうにも上手くいかなくて。それで真姫と海未に協力してもらってるんだ」

 

 

 俺が再びにこのために曲を作ろうと思えたのは、希と絵里のおかげだ。二人には感謝している。

 

 

 二人が俺ににこを何とかしてほしいと言った事は、言うなれば敵に塩を送るような形になるのだけど、彼女達からすればにこは敵ではなく仲間なのだろう。

 

 

「良かった。譜也君、前より活き活きしてる」

「俺が……?」

 

 

 にこの事ではなく俺について話す希。前より活き活きしてるというその言葉に、俺は頭にハテナを浮かべた。

 

 

「うん。学園祭の時の譜也君は、何だか辛そうだったから」

 

 

 そう……なのだろうか。

 いや、おそらく希の言う通りなのだろう。

 

 

 にこに曲を作らなくていいと言われ、その事を不本意ながら了承した。

 

 

 自分から切り離しておいて辛そうで苦しそうなにこを目の当たりにして、俺は何も出来ない事が苦しかったのかもしれない。

 

 

「確かにそうかもな……ありがとう、希」

「いえいえ、どういたしまして」

 

 

 希は笑顔を見せて素直に俺からの感謝の言葉を受け取る。

 

 

 丁度そのタイミングで注文した料理が運ばれてきて、会話が一旦中断された。

 

 

「パスタ美味しそうやん! 譜也君、食べよ食べよ」

「そうだな。いただきます」

「いただきまーす」

 

 

 俺も希もお腹が空いていたのか、しばらくは先程とは違う軽い会話をしながらパスタを食べていく。

 

 

「ん〜〜美味しい」

「値段の割になかなかイケるな、これ」

 

 

 そんな感想を言い合いながら箸……もといフォークは進んでいく。

 

 

 

 そしてお互いに半分ほどお皿を空けた頃だろうか。

 

 

 希が手を止めて真っ直ぐに俺を見ていた。

 

 

 俺は手を回してパスタをフォークに巻きつけながらも、その視線を怪訝に思っていた。

 

 

 すると希は数秒ほど目を閉じたのちに、決心したように目を開けてその事を口に出した。

 

 

「なあ、譜也君。ウチが譜也君のこと好きやって言ったら驚く?」

「あ、ああ……」

 

 

 突然のその問いに、パスタをフォークで巻いていた俺の手が止まる。

 

 

「あれ? あんまり驚かないんやね」

「いや……驚いてるよ」

 

 

 それはもう、言葉が出ないほどに驚いた。

 真姫と海未が言っていた事。希が俺を好きだという事が見事に的中していたのだから。

 

 

 希の口からその言葉が出てきて、想像ではなく現実の出来事となっている。

 

 

「そうなん? まあもう一度言うね。ウチは譜也君のことが好き」

「……」

「譜也君、ウチと付き合ってください」

 

 

 希は真っ直ぐに俺を見て言う。

 その言葉に、俺は何と返したらいいのだろう。

 

 

 希は魅力的な女性だ。

 だけど、俺は彼女についてあまりにも知らなさすぎる。

 

 

「……って、急に言われても困るよね」

「え、いや……」

 

 

 そうじゃないと言おうとしても、今まで何も言葉が出てこなかった事実が、俺にそう言わせなかった。

 

 

「ううん、分かってる。だから今はまだ、返事はしなくてええよ。でも、考えておいてね」

「……分かった、考えておく」

 

 

 希の返事はしなくていいという言葉を、ここは素直に受け取っておく。

 

 

 ただ単に後回しにしただけなのかもしれないが、今の曖昧な状態で返事をするのも失礼な気がする。

 

 

 それに、今は恋愛よりもにこの曲を完成させる方が先決だ。全てが片付いて落ち着いたら、改めて希の告白に返事をしよう。

 

 

「ごめんな、ついつい告白しちゃって。あ、パスタ冷めちゃうやん、食べよ食べよ」

 

 

 何とも形容しがたい微妙な空気が流れつつも、希はパスタを口に運んでいく。

 

 

「……なあ、一つ聞いていいか?」

「ん?」

 

 

 一つ気になる事があったので、希に尋ねてみる。

 

 

「どうして、今俺に告白したんだ?」

 

 

 希が俺のことが好きだという事は分かった。なぜ好きになったのか、今は聞かない。

 それより、どうして今このタイミングなのか。

 

 

「……カードがな、ウチにそう告げたんや」

「カード?」

「ああ、譜也君に言うのは初めてやったね。ウチ占いが趣味でな、タロットカードにそう出てたんよ」

 

 

 占いが趣味。

 

 それは、今まで知らなかった希の新しい一面。

 

 

「――っていうのは冗談で」

「えっ?」

 

 

 占いの結果じゃないのか。だとすると、それは……。

 

 

「本当は、今日言うつもりなんてなかった。譜也君とは偶然会っただけやし、にこっちの事で大変なこの時期に、言うつもりはなかった。でも――」

 

 

 一旦言葉を区切り、深呼吸をする希。

 

 

 そして、言葉の続きを口にした。

 

 

 

「でも、後悔したくなかった。気持ちを伝えないままモヤモヤしてるなら、気持ちをハッキリ伝えた方がいいんじゃないかって。これは占いの結果なんかじゃなく、私の意志」

 

 

 

 自分の意志で、希は俺に告白した。

 

 

 だから、俺も中途半端ではいられない。

 

 

 返事は今のところどうなるか分からないけど、真剣に考えて答えなくてはならない。

 

 

「分かった、言ってくれてありがとう」

 

 

 だからまずは、今取り組んでいるにこの新曲。

 

 

 にこがもう一度輝きを取り戻すことができるように、それを完成させなければならない。

 

 

 考えるのはそれからだ。

 

 

 しっかりと考えて結論を出した上で、希の告白に返事をしよう。

 

 

 



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34話

 

 

 希から告白されたあの日から一ヶ月ほどの時間が経った。

 

 

 太陽が姿を見せる時間が少なくなっていき、すっかり紅葉の似合う季節となっている。

 

 

 この一ヶ月間、俺は真姫と海未と一緒ににこの曲作りを進めた。

 曲作りは二人のアドバイスもあり、順調に完成へと近づいていった。

 

 

 曲を作る時間は無我夢中で考える事は少なかったが、それ以外の時間は希の事を考える時間が多くなった。

 

 

 希とメッセージアプリでやり取りする事も増えた。するのは何でもない日常会話で、送ってくるのは大体希の方からだ。

 

 

 

 

 そんな風に希とのやり取りも行いつつ曲作りの方も進めていき。

 

 

 

 

 そして、にこに捧げる曲が完成した。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 今日も私は一人、ガラス張りの図書館の壁を鏡代わりにして練習をしていた。

 踊るのはμ’sの曲。高校生の時に散々練習した曲を、一人でも踊れるように工夫しながら練習をしている。

 

 

 練習を繰り返すたびに、焦燥感が加速度的に増していった。

 

 

 踊れば踊るほど、段々下手になっている事を肌で感じる。μ’sの皆と踊っていたあの時より成長している筈なのに、今の私はあの頃の私に遠く及ばない。

 あの頃の私を取り戻そうと必死に練習を繰り返しても、その度に下手になっている事を痛感する。

 

 

 胸に芽生えるのは怒りの感情。

 こんな筈じゃないと苛立ち、孤独な自分に嫌気がさす。

 

 

 そう、私は孤独と闘っていた。

 自ら選んだ孤独に苦しんでいる。

 

 

 脳裏に浮かぶのは、私に曲を作ってくれていた一人の男性。入学式の日に私の前に現れた、高架沿いの海岸で私に手を差し伸べてくれた彼。

 だらしない生活を送っていて頼りない彼だけど、作る曲は素敵だった。

 

 

 以前は私の練習中に姿を見せる事が多かったけど、最近めっきり現れなくなった。

 当然だ、私から彼を拒絶したのだから。

 

 

 なのに、そうなのに。

 

 

 私は心のどこかで、彼がまた来てくれることを望んでいた。

 自分で拒絶したはずの彼の姿を、望んでいた。

 

 

 私にぽっかりと空いた孤独という穴を、埋めてくれそうな気がするから。

 

 

 だけど、それは望んではいけない事。

 私はアイドルだ。みんなに笑顔を与えるアイドルが、助けを求めるなんて。

 

 

 そうやって私は溢れそうになる感情に蓋をする。なるべく考えないように半ば自暴自棄になりながら、私は今日も練習をしていた。

 

 

 背後から、足音が聞こえた。ゆっくりと私の方に近付いてきて、やがて音が聞こえなくなった。

 

 

「よう」

 

 

 声が聞こえた。私の背中に向けられた声。

 

 

 後ろを振り向かずとも、その声の主が誰なのか私は瞬時に理解した。理解させられた。

 

 

「なによ。にこは今練習中なの、邪魔しないでくれる?」

 

 

 身体を動かし続けながら、振り向かずに私は答える。

 

 

「新曲が出来たんだ。お前の新曲だ、聴いてくれ」

 

 

 ぴくっと身体が無条件に反応する。動きが止まりそうになったけど、私はそのまま練習を続けた。

 

 

「頼んでない、帰って」

「俺と、真姫と海未の三人で作ったんだ。以前よりμ’sの曲らしくなった。聴いてくれ」

「……お願い、帰って」

「帰らない。なあ、にこ」

「帰って……」

「お前、今楽しいか?」

「――ッ!? 帰れって言ってるでしょ! バカ譜也!!」

 

 

 引き下がらない譜也に、私は遂に痺れを切らして練習を中断し後ろを振り向いた。

 

 

 そこに立っていた譜也は、良い表情をしていた。そして私と目が合うと、小さく微笑んだ。

 

 

「よう、久しぶり」

 

 

 まるで久方ぶりの再会を喜ぶように。私にされた仕打ちが無かったかのように、譜也はごく普通に私に声をかけた。

 

 

「……何の用?」

「いや、言っただろ。新曲が出来たんだ、聴いてくれよ」

「イヤよ、帰って。前にも言ったでしょ、もう私に曲を作らないでって」

 

 

 ラブライブで希と絵里に負けて優勝を逃した私は、譜也にそう言った。

 これ以上彼の時間を私が奪ってしまうのは、譜也に迷惑をかけるだけだと思ったから。

 

 

「ああ、言われた」

「なら! どうして!?」

「俺がにこの曲を作りたいから……じゃダメか?」

「……」

 

 

 なによ、なによそれ。

 

 

 これ以上私を苦しませないでよ。

 

 

 ああ、今理解した。

 私は苦しかったんだ。苦しい事から目を背けて、逃げていたんだ。

 

 

 譜也を遠ざけたのは、彼の為なんかじゃない。私が苦しみたくなかっただけ。

 傍にいる譜也にまた迷惑をかけてしまうんじゃないかと。その事で私が苦しい思いをする事から、逃げただけだった。

 

 

 でも。

 

 

 それが分かったところで、今更引き返せない。

 

 

「譜也の曲は、もう必要ないから」

「にこがそう思っていても、俺にはにこが――アイドルの矢澤にこが必要なんだ」

「なら、ファンとして黙って見てなさい」

「無理だ」

「何でよ!?」

 

 

 決して食い下がろうとしない譜也。そんな彼に、段々と苛立ちが募っていく。

 

 

 やめてよ。

 

 これ以上私の心を揺らさないで。

 

 

「約束しただろ?」

「約束……?」

「俺が曲を作るって。にこが望んだ理想のアイドルになれるように」

 

 

 覚えている。忘れた事なんて一度もない。

 

 

「それは……でも! もう譜也の曲はいらないって言ったでしょ! それなのに、今更何なのよ!」

「今更か……なあ、にこ」

「今のお前は、お前が望んだ理想のアイドル――矢澤にこに近づけたのか?」

「…………」

 

 

 何も言い返せない。

 譜也がいなくなってからの醜態は、私自身が一番理解していた。

 

 

 だけど、今更もとに戻ろうなんて――

 

 

「だから、俺が曲を作る。お前が望む、理想のアイドルになれるように」

 

 

 やめてよ。

 

 

 やめてよね。

 

 

 私に優しくしないでよ。

 

 

 そんなに優しくされると――

 

 

「……曲」

「えっ」

「あとで聴くから、頂戴」

「ああ、もちろん」

 

 

 譜也から曲の入ったCDを受け取る。

 そのCDは、普通のものより少し重たいような気がした。

 

 

「アンタにまた曲を作ってもらうかどうかは、聴いてから判断するから」

「それで構わない。じゃあな」

 

 

 私のわがままを譜也はあっさりと受け入れると、踵を返して去って行った。

 

 

 遠ざかっていく譜也の背中を、私は見えなくなるまで見送った。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 家に帰って、譜也に貰った曲を聴く。

 

 

 今まで聴いてきた譜也の曲とは、少しだけ変化があった。

 

 

 以前のものより、よく耳に馴染んでいる。どこか懐かしさを感じさせる曲だった。

 

 

 真姫ちゃんと海未に手伝ってもらったと譜也は言っていた。

 確かに、少しμ’sの曲に似ている。

 

 

 

 

「アンタの魔法、届いたわよ」

 

 

 

 

 この日、私は理想のアイドルになるための正しい選択をした。

 

 

 そして、私の理想とは反する一つの感情を自覚した。

 

 

 

 



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35話

 

 

 にこに完成した曲を渡したその日の夜に、スマホのメッセージアプリでにこからのメッセージが届いた。

 

 

『いい曲だったわ、ありがとう』

 

『また次のラブライブもよろしく』

 

 

 短く簡素なメッセージ。だけどそれだけで、にこの伝えたい事は十二分に伝わった。

 

 

 また俺が、にこに曲を作ることを許されたのだ。正直今回断られていたとしても引き下がるつもりはなかったので、一発で受け入れてくれて何よりだった。

 

 

 そして、俺が曲を作っている間に次のラブライブの開催が決定していた。

 

 

 時期は予選が12月、予選後に行われる本選が年が明けた後の1月となっている。予選の形式等は前回と同じ、各大学にて代表のキャンパスアイドルを決める事となっている。

 

 

 それに向けて、また曲を作って欲しいとにこは言った。

 

 

 およそ一月後に開催される予選ライブでは、俺がついさっきにこに渡した曲を使うだろう。

 

 

 つまり、本大会に向けてもう一曲作らなければならない。

 一曲作ってからまださほど時間は経っていないが、今の俺からは創作意欲が溢れて止まらなかった。

 

 

 にこの返事を聞く前から勝手に新曲は作っていたのだが、にこからの返事を受け取った今となっては躊躇いなく曲作りに打ち込める。

 

 

 しかし、時間はもう深夜。

 曲作りを中断して、今日の所は大人しく眠りについた。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 朝起きて大学へと向かう。

 今回にこの為に作った新曲をヘッドホンで聴きながら、大学への道を歩いていく。

 

 

 曲が三度ほどリピートしたところで、大学にたどり着きそのまま一限目の講義が行われる部屋へと向かう。

 

 

 たどり着いた講義室。いつもより早く家を出たせいか、席に着いている人はまだ少ない。

 

 

 だけどその中に、見慣れた黒髪ツインテールの姿を見つけた。俺は一直線に彼女のもとへと向かい、椅子を一つ空けた席に立つ。

 

 

「おはよう、にこ」

「譜也……おはよう」

 

 

 挨拶をすると、矢澤にこは普通に挨拶をいつも通り返してきた。曲を作らなくていいと言われ、お互いに離れていた以前のように。

 

 

「隣、いいか?」

「いいか……って、もう座ってるじゃない。勝手にすれば」

「じゃあ、遠慮なく」

 

 

 そこで俺は腰を下ろして、一マス空けたような状態でにこの隣に座った。

 

 

 隣のにこに視線を向けると、偶然にこも俺に視線を向けていた。

 するとにこは俺と目が合った事に気付き、何故かパッと反射的に目を逸らした。

 

 

「おい、なんで目を逸らす」

「な、なんだっていいじゃない」

「まあ、いいけどさ……」

 

 

 視線を逸らされた事に若干傷つきながらも、なるべく気にしない方向で考える。

 

 

 もしかしたら、一度曲を作らなくていいと言った手前、もう一度俺に曲を作ってもらう事に罪悪感を感じているのかもしれない。

 

 

「なあ、もしかして悪い事したとか思ってる?」

「はぁ? 何が……ああそういう事ね。別に、悪いとか全然これっぽっちも思ってないわ。しつこく曲を聴いてくれって言ってきたのは譜也の方なんだし」

 

 

 清々しいまでににこは悪いとは思ってないと言う。確かにその通りなんだけど、そこまで堂々と言われると、そう思っていて欲しくなかったと思っていた感情を返してくれと口にしたくなる。

 

 

 しかしにこはそこで「でも……」と言って言葉を区切り、続けた。

 

 

「まあ、感謝はしてるわ。やっぱり私には譜也の曲が必要なんだって、気付かせてくれたから」

「……そうか、ありがとな」

 

 

 そう思ってくれていた事に、素直に礼を言う。

 

 

 にこが本当に俺の曲を必要ないと思っていなくて、本当に良かった。

 

 

「あーあー! 今の無し! 嘘だから、忘れなさい!」

「はいはい」

「“はい”は一回でいいでしょ!」

「ほら、教授来たぞ。静かにしろ」

「うっ……後で覚えてなさいよ」

 

 

 にこに鋭い目で睨まれて、視線を逸らす。

 

 

 講義室には教授がやって来たのと同時に、学生もちらほらと席に着いていた。

 

 

 講義が始まる時間になり、俺はラブライブ以前のように、にこの隣で講義を受けた。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 今日の講義が全て終わると、俺はいち早く大学をあとにした。

 にこの練習を見ていこうかとも思ったが、それよりも先にやるべき事があった。

 

 

 自宅ではなく駅まで歩いて向かい、タイミングよくやって来た電車に乗る。

 

 

 一時間ほど電車に揺られてやって来たのは、秋葉原。

 改札を通り抜けると、そこには俺が呼び出していた人物が待っていた。

 

 

「あ、譜也さん! こんにちは!」

「こんにちは、時間取らせて悪いな。ことり」

 

 

 南ことり。

 彼女に会いに来たのは言うまでもなく、にこの衣装を頼むためだ。

 

 

「いえ、全然大丈夫ですよ」

「そうか。それじゃあ行こうか」

「はい!」

 

 

 ことりと秋葉原の街を歩いていき、やって来たのは前にことりに衣装を頼んだ時にも訪れた喫茶店。

 

 

 俺はコーヒー、ことりは紅茶を注文し、それが運ばれて来て早速本題に入る。

 

 

「これ、今回にこに作った曲。この衣装を頼みたいんだ」

 

 

 曲の入った音楽プレイヤーをことりに渡す。ことりは俺から差し出された音楽プレイヤーをまじまじと見つめ。

 

 

「分かりました、にこちゃんの曲ですよね?」

 

 

 曲も聴かぬまま、あっさりと了承した。

 

 

「……いや、聴いてから決めなくていいのか?」

「はい」

 

 

 とびっきりの笑顔を見せてことりは答える。正直、何とも予想外な展開だ。

 

 

「じゃあ、よろしく頼む」

「はい、任せてください!」

 

 

 以上で、今日秋葉原にやって来た目的が達成された。いやいや、早すぎるだろ。

 

 

 そういえば。

 

 真姫の家で曲作りをしていた時に、ことりも俺の事が好きかもしれないと真姫が言っていた事を思い出した。

 

 

 こんな事、本人に聞くのはどうなのかと思うが……希の事も考えなくてはいけないし、ややこしくなる前にハッキリさせておいた方がいいのではないか。

 

 

「なあ、ことり。正直言って俺の事どう思ってる?」

 

 

 あえて遠回しに、そう尋ねてみる。

 

 

 ことりはキョトンと首を傾げる。そして笑顔を見せて。

 

 

「譜也さんのことですか? 好きですよ?」

 

 

 ……結果はなんと、真姫の言っていた通りだった。まさか今までモテた事なんて一度もなかった俺がこんな事になるなんて。

 なんとも言えない表情を俺はしていただろう。

 

 

 すると、ことりがハッと表情を変えて慌てて言葉を紡いだ。

 

 

「あっ、好きってそういう恋愛的な意味じゃなくて、人としてって事です! ことりは、にこちゃんの為に頑張ってる譜也さんが好きって事です」

 

 

 弁明するように言うことりの言葉は、恋愛的な好きではない。ラブではなくライクだというものだった。

 

 

「にこの為に、頑張っている俺?」

 

 

 にこの為と言うより、俺がやりたいからにこに曲を作っているのだけど。ことりから見れば、俺はそういう風に映っているようだ。

 

 

「はいっ! 誰かの為に一生懸命頑張れる人って、素敵だと思うんです! だからことりは、譜也さんのこと応援してますよ!」

「そっか……ありがとうな、ことり」

 

 

 応援していると言われて嬉しくない筈がない。今作っている新曲も、ことりの言葉でより頑張ろうと決意が膨らんだ。

 

 

 そうだ、新曲。

 

 目の前のことりを見つめる。

 

 

 衣装を作るのが好きで、にこの衣装製作を快く引き受けてくれることり。彼女の言葉を借りるなら彼女もまた、誰かの為に一生懸命頑張れる人なんだろう。

 

 

 本人は自分がやりたいからやっているだけなんだけど、周りの人が見ればそれは誰かの為に頑張っているという事で。

 

 

 俺とことりは、似た者同士なのかもしれない。

 

 

「……そうだことり。もう一つ頼みを聞いてくれないか?」

「何ですか?」

 

 

 だから、ダメで元々ではあるがもう一つ依頼をしてみる。

 

 

「さっきの衣装とは別に、にこに一番似合うと思う、とびっきり可愛い衣装を作ってくれないか? さっき頼んだのは次のラブライブの予選で使って、今頼んでいるのは本大会で使いたいんだ」

 

 

 今作っているにこの新曲。その衣装を今ここで、ことりに頼んでいる。

 

 

「わあ、素敵です! もう曲は出来てるんですか?」

「いや、今作ってる途中だ。だけど――」

 

 

 まだ曲は完成していない。にこは俺が新曲を作っている事を知らない。

 

 

 だけど、にこを真のアイドルにする為に、俺は。

 

 

「本大会までに、にこにピッタリな最高の曲を作ってみせる!」

 

 

 そこまで言って、俺はことりを見る。

 

 

 胸の前で両手を握り、キラキラと目を輝かせていることりは、身を乗り出して口を開いた。

 

 

 

「分かりました! ことり、にこちゃんに似合うとびっきり可愛い衣装、作ります!」

 

 

 

 

 



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36話

 

 

 季節はすっかり冬となり、肌を突き刺すような寒さに身体を震わせる日々が続いた。

 

 

 今年ももう最後の月に突入し、少しばかり早いが来年はどんな出来事が待っているのだろうと、期待に身を寄せていた。

 

 

 新曲の制作もいよいよ最後の大詰めを迎え、作っている俺自身完成が待ち遠しい。

 

 

 一旦曲作りを中断し、疲れていた身体をグーっと伸ばす。

 

 

 椅子から立ち上がり、休憩がてら一服しようとベランダへと出る。

 

 

「寒っ」

 

 

 時刻はもうすぐ深夜を回ろうとしており、この時間の冬の寒さが身に染みわたる。

 

 

 ポケットから煙草を一本取り出し、口に咥えてライターで火をつける。

 すぅっと息を吸い込むと、肺が満たされる感覚が訪れる。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 息を吐き出す。

 口から吐き出された紫煙を眺めながら、その先の夜空を見つめた。

 

 

 暗いキャンバスの上に、冬の星達がキラキラと眩い輝きを放っている。

 

 

 星座はあまり詳しくは知らないけど、それでも一つ知っている有名なものを見つけた。

 

 

「オリオン座か」

 

 

 砂時計のようなその特徴的な形は、星座に疎い俺でも知っているほどに有名な冬の星座の代表格。

 

 

「明日はラブライブ予選……」

 

 

 ふうっと吸い込んだ煙を吐き出しながら、独り言を呟く。

 

 

 そう、明日はいよいよラブライブの予選。前回同様、大学でのライブが開催される。

 

 

 あれからにこは俺の作った新しい曲の練習に、今まで以上に頑張って取り組んでいた。

 時々練習を見に行っては、にこは邪魔だと言って追い返そうとしたけど、言うのは最初の一度きりでそれ以上は何も言ってこないのが通例となっていた。

 

 

 そうやってにこは今日まで練習を積み重ねてきた。

 

 

 そして俺は、新曲作りに取り組んでいた。

 

 

 明日は、にこが再挑戦(リベンジ)の機会を得るための再出発(リスタート)のライブ。

 

 

 にこが己の理想とするアイドルになるために踏み出す、新しい第一歩だ。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 翌日。いよいよ大学でのラブライブ予選が開催されようとしていた。

 

 

 平日という事で、全ての講義が終わった後にライブが行われる。

 

 

 本日最後の講義が終わり、隣に座っていたにこが立ち上がりライブの準備に向かおうとする。

 

 

「にこ」

 

 

 その背中を呼び止める。にこは背を向けたまま立ち止まった。

 

 

「ライブ、しっかり楽しめよ」

 

 

 俺とにこが疎遠になっていた期間。学園祭でライブを行っていたにこは、少なくとも楽しめていなかった。

 

 

 だから俺はにこにそう声をかけた。

 お節介かもしれないけど、これが俺にできる予選ライブ前最後の行動だった。

 

 

「任せなさい! 思いっきり楽しんでくるわ!」

 

 

 にこはくるりと振り返って、拳を握りしめながら持ち前の笑顔でそう答えた。

 

 

「じゃあ、行ってくるわね」

「ああ、応援してるから」

 

 

 最後にそんなやり取りを交わして、にこはライブの準備のため講義室を出て行った。

 

 

 ライブが行われるのは、屋外に設営された野外ステージ。講義室を出た俺はそこに向かい、少し離れた後ろの方からステージを眺める。

 

 

 ラブライブの予選とあって、学生だけでなく外部から来た人の姿もちらほらと見受けられる。

 

 

 子供連れの家族。他大学の学生。仕事帰りのサラリーマン。他にも様々な人が、このライブ会場に姿を見せていた。

 

 

 時間の経過と共に太陽は沈み、辺りが暗くなると同時に寒さも増していった。

 

 

 ライブ会場は気が付けば多くの人で溢れかえっていて、その人達はコートに身を包みながらも、寒さに身を震わせていた。

 俺もコートを着込み、マフラーで首元も防寒している。

 

 

 今はこれだけ寒くても、ライブが始まればキャンパスアイドル達がすぐに俺達を暖めてくれるだろう。

 

 

 アイドル達のライブは、そういった熱気を発生させる事を俺は知っている。

 

 

 

 

 会場から、大きな歓声が上がった。

 

 

 ステージには、四人の女性キャンパスアイドルグループ。

 

 

 いよいよ、ライブが開幕する。

 

 

 

 

 ステージから流れる音楽。アイドル達の歌声。魅力的なダンス。

 それらが観客達の歓声と入り混じり、会場は熱気に包まれる。

 

 

 ライブは今までの寒さを感じさせない程、派手な盛り上がりを見せていた。

 

 

 ステージを照らすスポットライトがアイドル達を一際輝かせる。

 ステージを取り囲むように輝く色鮮やかなイルミネーションは、この日の為に設置されたもの。

 

 

 ライブは、前回とは比べものにならないほど盛り上がっていた。

 

 

 そして。

 

 

 観客達の歓声が、今日一番大きなものとなる。

 

 

 先程までステージに立っていたアイドルのライブが終わり、次にステージ現れたキャンパスアイドル。

 

 

 矢澤にこ。

 

 

「みんなー! にっこにっこにー!」

『にっこにっこにー!』

 

 

 観客達がにこの声に応える。もはや恒例となったその呼びかけは、にこが持つ魅力となっていた。

 

 

「今日は寒い中来てくれてありがとう! この寒さを吹き飛ばすぐらいの、熱くて楽しいライブにするわよー!」

 

 

 観客達の歓声は未だ大きくなり続ける。この観客達のほとんどが、μ’sから矢澤にこというアイドルを知った人達だろう。

 

 

 だけど、それでいい。

 

 

 μ’sは矢澤にこを知ってもらう一つのきっかけで。μ’sがあったからこそ、今の矢澤にこというキャンパスアイドルが存在しているのだから。

 

 

「今から歌うのは、私の()()()()が作ってくれた新曲です!」

 

 

 大切な人、とにこは言う。

 

 

 前回のラブライブ予選では“友達”だった。

 

 そして今回は“大切な人”。

 

 

 その言葉が意味するものを、この時の俺はまだ理解していなくて。

 

 

 

「それでは楽しんでいって下さい!

 

 ――『まほうつかいはじめました!』」

 

 

 

 真姫と海未に協力して作った、俺達の新曲。

 

 

 俺一人では絶対に生み出すことの出来なかった、にこだけの曲。

 

 

 にこの笑顔は、魔法だ。

 

 歌を聴いた者を、ダンスを見た者を、矢澤にこというアイドルがファンを笑顔にする魔法。

 

 

 観客達は今までで最高の盛り上がりを見せている。それは、前回の予選ライブ以上だ。

 

 

 そんなライブの様子を最後列から俺は見ている。アイドルに近い前の列もいいが、こうして後ろから見た方が全体がよく見える。

 

 

 それに、今ステージで歌って踊るアイドルは、いつも俺の近くにいるのだから。

 

 

 だから今日のライブは、こうして後ろから眺めていよう。

 

 

 

 

「ありがとうございました!」

 

 

 ライブが終わり、観客達から拍手と歓声が飛び交う。

 

 

 ライブが終わった後のにこは、とびきりの笑顔を見せていた。

 

 



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37話

 

 

 大学でのラブライブ予選から、早くも一週間ほどの時間が経った。

 

 

 予選ライブの結果、前回に引き続きにこが本大会へと進むことが決まった。

 

 

 ライブで最も観客から歓声を受けていたのがにこで、最も盛り上がっていたのもにこのライブの時だった。

 にこがラブライブ本選へと出場するのは、当然ともいえる結果だった。

 

 

 今は日曜日の夜。

 特に何も予定が無い俺は、この休みをフルに活用して曲作りを進めていた。

 

 

 昨日から続けている新曲作りもいよいよ終盤に差しかかり、今はラストスパートの真っ最中。

 

 

 イメージは出来ている。

 にこにピッタリの、誰しもが笑顔になれるようなとびきり可愛い曲。

 

 

 ポチポチとマウスでパソコンの画面に映る楽曲ソフトを操作していく。

 

 

 暖房を付けていない部屋で寒さに打ち震えながら、最後の仕上げへと突入する。

 

 

 音を打ち込んでは再生する。イメージと違っていたら変更する。この繰り返し。

 

 

 それから三十分ほど作業を続けていき。

 

 

 そして遂に。

 

 

 

 

「出来たーーーー!!」

 

 

 新曲が完成した。

 

 

 確認のため、完成した曲を流す。

 

 

 ヘッドホンから流れる音楽に耳を傾けながら、おかしいところは無いか何度もチェックする。

 

 

「よし……大丈夫だ」

 

 

 問題ない。

 ようやく、にこの新曲が完成した。

 

 

 来月、アキバドームで開催されるラブライブでにこはこの曲を歌う。その事を想像すると胸が躍った。

 

 

 喜びに打ちひしがれていると、スマホが突然着信を告げた。

 

 

 画面に表示されるのは『にこ』の二文字。

 

 

 スマホを手に取り、電話に出る。

 

 

「もしもし」

『あ、譜也? まだ起きてる?』

「寝てたら電話に出ないだろ。それで、何の用だ?」

 

 

 いちいち起きてるか確認するにこに呆れながら、こんな夜遅くにわざわざ電話をしてきた用件を尋ねる。

 

 

『今日ことりから衣装が届いたんだけど、何か知ってる? ことりに聞いたらアンタに聞けって言うのよ』

 

 

 おそらく、ことりに頼んでいた新曲の衣装だろう。もう完成したのか。

 ことりの仕事の早さに感心しつつ、ついさっき新曲が完成したタイミングの良さに驚く。

 

 

「ああ。それ、新曲の衣装だよ」

『そう新曲の……って新曲!?』

 

 

 にこのノリツッコミ的な反応の良さに思わず笑ってしまう。アイドルもそうだけど、お笑い芸人の才能もにこにはありそうだ。

 

 

「ああ。ちなみに曲もついさっき出来たぞ」

『え、うそ、ほんとに? 頼んでもないのに?』

「嘘ついてどうする……」

『本当なのね! ちょっと今すぐ聴かせなさいよ!』

 

 

 電話越しに新曲を聴かせろと要求するにこ。いち早く聴きたい気持ちは分かるが、いくらなんでも早急すぎる。

 

 

「まあ落ち着け。明日大学で聴かせてやるから」

『本当ね!? 嘘ついたら承知しないわよ!』

「だから嘘じゃないって。明日ちゃんと持っていくから」

『絶対よ、絶対だからね! 約束よ!』

 

 

 声を荒げて興奮しているのが電話越しに伝わってくる。きっと電話の向こうのにこは今、身を乗り出しているに違いない。

 

 

「分かってるよ。それじゃあ切るぞ」

『いい、絶対に新曲聴かせるのよ! それじゃあ、おやすみ』

「おやすみ」

 

 

 最後まで俺に念を押して、にこは電話を切った。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 翌朝。ヘッドホンから流れるにこの新曲を聴きながら、大学に向かって歩いていく。

 

 

 この新曲は、今まで作ってきた中で最高の出来になったと自負している。

 

 

 およそ三ヶ月前、曲作りが滞っていた俺は真姫と海未の二人を訪ね、曲作りのアドバイスを求めた。

 何の連絡もせず現れた俺に、二人は親身になって協力してくれた。

 

 

 そして真姫と海未の協力のもと出来た曲が、『まほうつかいはじめました!』。ラブライブ予選でにこが歌った曲だ。

 

 

 この曲は真姫と海未がいなければ、完成しなかっただろう。

 

 

 そして、二人に受けたアドバイスを活かして俺一人で作り上げたのが、今ヘッドホンから流れている新曲だ。

 

 

 この曲もまた、真姫と海未の協力がなければ出来なかったものだろう。

 

 

 二人の凄さを改めて感じつつ感謝しながら歩いていると、大学にたどり着いた。

 

 

 そのまま真っ直ぐ建物へと向かい、講義室を目指して歩いていく。

 

 

 講義室の前まで辿り着き、扉を開け中へと入っていく。この時間なら多分アイツも来ている事だろう。

 

 

 

「譜也!」

 

 

 

 講義室に入るやいなや俺の名を呼ぶ声がした。ヘッドホン越しでもハッキリと聞こえた事から、相当な声量だったと思う。

 

 

 声の主はもちろん、矢澤にこ。

 

 

「なんだよ、朝からうるさい……」

 

 

 歩きながら新曲を流していたヘッドホンを外して、にこの隣の席につく。

 

 

「新曲、早く新曲を聴かせなさい!」

「分かったから、落ち着けって」

 

 

 今さっきまでその新曲を聴いていたヘッドホンをにこに差し出す。にこは乱暴にヘッドホンを奪い取るようにして、耳にかけた。

 

 

 俺は音楽プレイヤーを操作して、頭から曲を再生させる。

 

 

 しばらくの間、にこは曲を聴いていた。

 時折身体を揺らしてリズムを取り、フンフンとハミングで口ずさみながら、楽しんで曲を聴いている様子だった。

 

 

 そして曲が終わるとにこはヘッドホンを外して、目をキラキラと輝かせていた。

 

 

「良い……良いじゃない! 今までで一番良い感じよ! まさににこにピッタリの曲ね!」

「そうか、気に入ってもらえたようで何よりだ」

 

 

 曲を聴いたにこの感想は、嬉しいものだった。

 

 

 にこにピッタリの曲。それを目指して曲を作ったので、間違っていなかったのだと自信がついた。

 

 

「今日からさっそくこの曲を練習して、ラブライブで披露するわ! あ、CDに入ってるのとかある?」

「あるぞ、今日から練習するだろうと思って作ってきたやつが」

 

 

 バッグから新曲のみを収録したCDの入ったケースを取り出し、それをにこに渡す。

 今言ったように、にこが練習に使うと言い出すと思い、あらかじめ準備しておいたのだ。

 

 

「気が効くわね、ありがとう」

「どういたしまして。練習、頑張れよ」

「もちろん!」

 

 

 CDの入ったケースを受け取ったにこは、嬉しそうに笑みを浮かべている。

 

 

 そんなにこを見ていると、本当に新曲を作って良かったと思える。

 

 

 俺がにこに曲を作らなくていいと言われて疎遠になっていた時期は、にこに笑顔が無かった。

 だからこそ、今こうして普通に笑っているにこを見ると何だか安心できる。

 

 

 俺のやってきた事は間違いじゃなかったのだと、そう思える。

 

 

「はい静かに、始めるぞ」

 

 

 いつの間にか教授がやって来ていて、講義の開始を告げた。

 

 

 隣にいたにこから視線を外し、前を向いて講義を受ける体勢をとる。

 

 

 

 

 それからは真面目に講義を受けようとしたのだけれど、どうにも隣のにこが気になって集中出来なかった。今までこんな事は無かったのに。

 

 

 その原因がよく分からず、今日一日はモヤモヤした気持ちで俺は過ごした。

 

 



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38話

 

 

 新曲が完成してから、二週間ほどの時間が経った。

 日に日に寒さは増していく一方であり、部屋には炬燵(こたつ)がつけられ、俺はその中で身体を温めながら夕方の情報番組をテレビで見ていた。

 

 

 大学は冬休みに突入したばかりで、今はこうしてのんびりと休日を満喫している。

 

 

 新曲も作り終えてひと段落した俺が考えるのは、希の事。

 

 

 希に告白されてから、もう二ヶ月以上の月日が経っていた。これまでは新曲作りで忙しくて考える暇がなかったが、今ようやく落ち着いて考える事が出来ている。

 

 

 スマホで何度もメッセージのやり取りはこれまでもしていたのだけど、直接会った事は告白されたあの日以来一度もない。

 

 

 今日の俺は暇を持て余していたので希と会ってみようかとも思ったが、今日という日に会うのは違うと思い、こうして家に一人でいる。

 告白の返事もまだ決めていないのに、会いに行って変な期待をさせるのも気の毒だと思ったから。

 

 

 

 今日は、12月24日。

 

 

 そう、クリスマスイブだ。

 

 

 

 イブもあと六時間ほどしかないのだけど、俺はこうして一人で過ごす事を選んだ。恋人がいないクリスマスを迎えるのは慣れている。

 

 

 ピーンポーン。

 

 そんな事を考えて悲しみに暮れつつもテレビを見ていると、ふいにインターホンが鳴った。

 

 

 わざわざクリスマスイブに誰か来る予定はないし、訪ねてくる人物もいないと思っていた。

 

 

 クリスマスだし、宗教の勧誘だろうか。そう思いながらも立ち上がって玄関まで向かう。

 

 

 覗き穴からインターホンを鳴らした人物を確認しようとすると、誰の姿もなかった。

 

 

 宗教の勧誘なら居留守を決め込もうと思っていただけに、誰の姿も映ってないのは不思議に思った。

 

 

 一体どういう事だろうとドアを開けると、そこにいたのは――

 

 

「わっ!? 急に開けないでよ、ビックリするじゃない……」

 

 

 見慣れた黒髪ツインテール、矢澤にこ。

 

 

 なるほど、誰もいないと思ったのはにこの背が小さくて見えなかったからだったのか。

 

 

 いやそうじゃなくて。

 

 

「お前……なんでいるんだ?」

 

 

 なぜ家の前ににこがいるのか。なぜ俺の家のインターホンを押したのか、ますます疑問が膨らむ。

 

 

「なんでって、譜也に会いに来たのよ。そんな事も分からないの? 馬鹿ね」

「いや、会いに来た理由が知りたいんだけど……」

 

 

 馬鹿呼ばわりされた事は一旦置いといて、わざわざ訪ねてきた理由を聞き出す。それもクリスマスイブという日に。

 

 

「理由を聞かれると……アンタ、今日はどうせ予定ないでしょ?」

「まあ……ないけど」

 

 

 心底馬鹿にされている気がするが、実際予定が無いので何も言い返せない。

 

 

「にこも予定ないから、遊びに来てあげたってわけよ」

 

 

 なるほど、つまり。

 

 

「クリスマスイブを一緒に過ごす恋人がいなくて寂しいから、俺のところに来たと」

「はぁ? やっぱり譜也は馬鹿ね。アイドルのにこは恋愛禁止なの、恋人と過ごすなんて最初から頭にないの」

 

 

 やはり俺の事を馬鹿だと言ってくるにこだけど、言っている事はもっともだ。

 

 

 今のご時世、アイドルの恋愛はご法度。

 まだプロのアイドルではないにこだけど、ファンを悲しませないように恋愛禁止を貫いているのだろう。

 

 

 まったく、大したアイドル根性だ。

 

 

 しかし、当然疑問は浮かぶわけで。

 

 

「でも、どうして俺のところに来たんだ? 家族とか、μ’sのみんなと過ごせばいいだろ」

 

 

 そう、わざわざ俺のところに来る理由が分からない。家族やμ’sのみんなと過ごした方がにこも楽しい筈だろうに。

 

 

「だ、か、ら! さっきも言ったじゃない。イブを一人で過ごす寂しい譜也に、にこが付き合ってあげるって。にこの優しさに感謝する事ね!」

 

 

 何だか釈然としないが、そういう事にしておこう。

 

 

「はいはい、ありがとうございます矢澤にこ様」

「むっ、馬鹿にしてるでしょ?」

「してないしてない」

 

 

 さっきまで散々人の事を馬鹿呼ばわりしておいて、どの口が言うか。

 

 

「そんな訳で出かけるから、準備しなさい」

「出かけるって、どこにだよ?」

 

 

 急に出かけると言い出すにこに、どこに行くのか尋ねる。聞かれたにこは待ってましたとばかりに無い胸を張り、俺の問いに答えた。

 

 

「クリスマスといえば、パーティーでしょ?」

「えっ、パーティー行くの?」

「馬鹿ね、譜也の家でするのよ!」

「え、ここで?」

「そう! だから――買い出しに行くわよ!」

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 にこと二人で近所のスーパーまで、二人だけのクリスマスパーティーの買い出しに行き、重たい荷物を持って家に帰ってきた。

 

 

 買ったものは鍋をしたいというにこの要望で鍋の食材。他にはホールケーキ、チキン、ジュース、俺が飲む用の酒。残念ながらにこはまだ未成年なので酒は飲めない。

 

 

 鍋の食材をにこと二人で狭い台所に並んで切っていき、それを炬燵まで持って行く。そしてそれらを、カセットコンロに火をつけて出汁を入れておいた鍋の中に入れる。

 

 

 一人暮らしをする時に持ってきたけど今まで一度も使った事の無かったカセットコンロが、今日初めて役に立った。

 

 

 食材に火が通ると俺とにこは鍋をつつきながら、クリスマス特番の歌番組をテレビで見ていた。

 

 

「なかなか美味しいわね。流石にこが作ったって感じ?」

「そうだな。鍋だから食材切っただけなんだけど」

「うるさいわね、にこが切ったって事が鍋を美味しくさせるのよ」

「あーはいそうですか」

 

 

 意味の分からない事を言うにこをあしらいながらも、鍋をつついていく。

 

 

 寒い冬に炬燵に入りながら鍋を囲むのも、存外悪くない。

 

 

 俺はスーパーで買ったビールを飲みながら、にこはジュースを飲みながら、途中で買ってきたチキンを出してそれも食べ進めていく。

 

 

 そうして二人で駄弁りながら食べていくと、買った時は多いかなと思っていた鍋があっという間に空っぽになった。

 

 

「あー食べた食べた、お腹一杯だわ」

「おいにこ、だらしないぞ。アイドルなんだからもっと恥じらいを持ってだな……」

「別にいいじゃない、ここにはにこと譜也しかいないんだから」

「それでいいのか……」

 

 

 アイドルらしくない姿を見せるにこに呆れながらも、にこがそれでいいと言っているので無理矢理納得する事にした。

 

 

「いいのよ。それより、ケーキ食べるわよ!」

「さっきお腹一杯だって言ってたのに?」

「分かってないわね。甘い物は別腹なの!」

 

 

 ケーキを要求するにこ。二人で鍋などの片付けてをしながら炬燵の上を空ける。

 炬燵の上が綺麗になると俺は冷蔵庫で冷やしていたホールケーキを持ってきた。

 

 

 台所から包丁を持ってきたにこが、ホールケーキを丁寧に切り分けていく。食べるのは俺とにこの二人だけど、にこは食べやすいように八当分にケーキを切り分けた。

 

 

「美味しそうねー!」

「ああ、早く食べようぜ」

「待ちなさい! 折角なんだから、クリスマスソングでも歌うわよ!」

「まあ、悪くないな」

 

 

 そんなにこの提案に賛同し、俺は部屋の隅に置いていたアコースティックギターを手に取る。

 

 

「いいわね! 演奏付きなんて最高っ!」

 

 

 それを見てにこはグッと親指を立てて喜びを表現する。

 

 

「それで、何歌うんだ?」

「そうね……『赤鼻のトナカイ』なんてどう?」

「ああ、いいぞ」

「準備はいい? 歌うわよ。――せーの!」

 

 

 合図と同時ににこが『赤鼻のトナカイ』を歌い始め、それに合わせて俺はギターを弾きながら一緒に歌っていく。

 

 

 ギターの音色とにこの歌声、それに合わせて俺はハモりながら歌っていく。たくさんの音が部屋の中に溢れ返って心地良い。

 

 

 今ここでは、二人だけの小さなクリスマスライブが開かれている。

 

 

 誰にも邪魔されない、俺とにこだけのライブ。

 

 

 『赤鼻のトナカイ』を歌い終えた後も、俺たちは他にも様々なクリスマスソングを二人で歌った。

 

 

 

 

 突然押しかけて来たにこと過ごしたクリスマスイブ。

 

 

 

 

 それは、とても幸せな時間で。

 

 

 

 

 この瞬間がずっと続けばいいのにと、願わずにはいられなかった。

 

 

 

 



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39話

 

 

 12月31日、大晦日。

 今年もいよいよ最後の日を迎え、あと少しに迫った新しい年に俺は期待に胸が高鳴っていた。

 

 

 時刻は既に夜の23時を回り、あと一時間もしないうちに今年が終わろうとしている。

 そんな時間に俺は電車に乗っていた。

 

 

 向かう先は秋葉原。

 みんなで初詣に行こうとにこに誘われ、今こうして電車で秋葉原に向かっている。

 

 

 この時間に秋葉原に向かうと帰りの電車はおそらく運行していない。もし終電を逃した時にはネットカフェにでも泊まるつもりだ。

 

 

 そんなこんなで秋葉原に到着。時刻はもうすぐ0時になろうとしていて、新年はすぐ近くまでやってきていた。

 

 

 改札を抜けると、にこの姿を見つける。

 待っているにこの元へと近づいていくと、にこも俺の姿に気がついた。

 

 

「よう」

「あ、譜也。時間通りね。さっそく行くわよ」

 

 

 会話もそこそこに俺とにこは他の皆、μ’sの元メンバー達が待っている場所へと向かい歩いていく。

 

 

「そういえば、どこの神社に行くんだ?」

 

 

 道中、ふとそんな事が気になってにこに尋ねる。

 

 

「あれ、言ってなかった? 神田明神(かんだみょうじん)ってところよ」

「神田明神? 聞いた事ないな」

「まあ、そこまで有名じゃないからね。神田明神は、私達μ’sにとって特別な場所なの」

「へえ、そうなのか」

「そ。去年もμ’sのみんなで神田明神で初詣したのよ」

 

 

 その時の事を思い出しているのだろうか、隣を歩くにこの顔が笑顔で綻んでいる。

 

 

「みんな神田明神の階段前で待っているわ。早くみんなと合流するわよ」

 

 

 神田明神という場所を目指し、俺たちは他愛のない会話をしながら歩いていった。

 

 

 

 

 神田明神に近づいていくにつれ、人の姿が多くなっていった。にこはあまり有名じゃないと言っていたが、なかなかどうして人が多い。

 

 

 同じ方向に向かって歩いている人達は、きっと地元の人達なんだろう。

 わざわざ遠くから足を運ぶことは無くとも、地元の人は近くにある神田明神を初詣の場所に選ぶのだと思われる。

 

 

「もうすぐ着くわよ」

 

 

 にこの言葉で、神田明神に近づいている事が分かる。

 

 

 それから歩みを進めていくと、見知った人達の姿を見つけた。

 

 

「あ、にこちゃんにゃ!」

「譜也さんもいるよ、凛ちゃん」

 

 

 凛と花陽の声に出迎えられ待っていたμ’sの元メンバー達、プラス雪穂と亜里沙と合流する。

 

 

「譜也君、こんばんは」

「希か、こんばんは。振袖似合ってるな」

「ふふっ、ありがとう」

 

 

 声をかけてきた振袖姿の希と挨拶を交わす。紫色の鮮やかな振袖に身を包んだ希に、普段とはまた違う印象を受けた。

 

 

 希の他には絵里と真姫が振袖を着ていた。絵里は淡い青の振袖を、真紀は派手な赤の振袖をそれぞれ着こなしている。

 

 

 になみに言うと、にこは普通の私服である。

 

 

「よし、みんな揃ったね! それじゃあ初詣に出発進行ー!」

「待ちなさい穂乃果。その前に、言うべき事があるでしょう?」

「言うべき事?」

「穂乃果ちゃん、時計見て」

 

 

 ことりに促されて穂乃果はスマホで時間を確認する。気になって俺も時間を見てみると、時計はちょうど0時を示していた。

 

 

「あ、そうだね! じゃあみんなで一緒に言おっか!」

 

 

 穂乃果の言葉にそれぞれ首を縦に振る。

 

 

「それじゃあいくよ! ――せーのっ!」

 

 

 

 

『あけましておめでとう!』

 

 

 

 

 

 

 新年の挨拶を行った俺達は、その足で神田明神の境内へと向かい歩き出した。

 

 

 境内に向かうには、長い石の階段を上っていかなくてはならない。

 にこ曰く、この階段――通称『男坂』にて、μ’sの時にトレーニングをしていたという。

 

 

 男坂を登りきって境内へとやって来る。そこは初詣に訪れた人で賑わっていた。

 

 

「さあ、初詣するわよ!」

 

 

 相変わらず俺の隣にいるにこが気合を入れてそう言う。気合を入れているのはおそらく、今年も良い一年にしたいという気持ちの表れだろう。

 

 

 たくさんの人混みの流れに任せるようにして神殿へと進んでいく。

 

 

 他のみんなは若さ故かどんどん先へと進んでいっており、俺とにこはみんなから随分と離されてしまった。

 

 

「みんなとだいぶ離れてしまったわね……譜也、早くみんなに追いつくわよ!」

 

 

 そう言ってにこは先を急ごうとする。

 

 

「あ、おいにこ!」

 

 

 気が付けば俺は、先走ろうとするにこの手を掴んでいた。

 

 

「きゃっ! ちょっ、アンタなに手握ってるのよ!」

「あ、悪い。でもほら、にこと(はぐ)れたら俺は道とか分からないんだし……」

「はぁ……しょうがないわね。このままゆっくり初詣を済ませましょう」

 

 

 にこは若干肩を落としながらも、渋々といった様子で俺の言葉を受け入れてくれた。

 μ’sのみんなと一緒に出来なくなってしまった事は申し訳ないけど、にこがいないと俺が困るのは間違いない。

 

 

 

 

 それからはゆっくりと進む人の流れに身を任せながら、俺とにこは会話も無いまま神殿に辿り着くのを待った。

 

 

 その間、俺の手はずっとにこの手と繋がれていて。

 

 

 きっと、恥ずかしかったのだろう。

 

 

 心なしか顔が熱くて。それを紛らわそうとにこに話しかけようにも、上手く言葉が出てこない。

 

 

 にこも何故か黙ったままで、顔を少しだけ俺から背けている。

 

 

 だけど、俺たちは逸れないように手を繋いでいる。

 

 

 にこの手は小さくて、柔らかい。

 

 

 繋いでいる手が熱い。鼓動が普段より早くなっているのが分かる。

 それは人混みの中にいる緊張からか、にこと手を繋いでいる事に対する恥ずかしさからか。それとも、もっと別の何かなのか。

 

 

 互いに手を繋いだまま、俺とにこはようやく神殿へと辿り着いた。

 

 

 そこでにこの手が俺から離れる。

 

 

 にこの手が離れる事に、少し寂しさを感じたのは何故だろうか。

 

 

「ほら譜也、ぼーっとしてないでお参りするわよ」

「あ、ああ。悪い……」

 

 

 神殿に設けられた鐘を鳴らす。

 賽銭を投げ入れて、二礼二拍手。

 

 

 そして一礼。ここで願い事を念じる。

 

 

 俺の願い事……何だろうか。

 

 

 欲しい楽器や音楽編集のソフトはあるのだけど、そういう事を願うのは何か違う気がする。

 

 

 なら無病息災?

 学業成就?

 それとも恋愛成就?

 

 

 ……どれも違う気がする。

 

 

 なかなか願い事が浮かばない俺は、隣で礼をしながら願い事をしているにこを見る。

 

 

 にこは何を願っているのだろうか。

 意外と、家内安全とかだったりして。

 

 

 ああ、そうだ。

 

 

 自分の願い事が無いなら、俺はにこの為に願おう。そう思い目を深く閉じて、願いを思いに込める。

 

 

 

 

 ――にこがアイドルになれますように。

 

 

 

 

 そう願った時、俺の中にストンと落ちてきた一つの感情があった。

 

 

 

 

 にこの為に曲を作りたくて。

 

 にこと過ごしたクリスマスイブは楽しくて。

 

 にこと繋いだ手は熱くて。

 

 にこの隣にいると胸がドキドキとして。

 

 

 

 

 

 

 ――俺はにこの事が好きだ。

 

 

 その感情に、今ようやく気が付いた。

 

 

 

 

 

 

「いつまで願い事してんのよ」

 

 

 その声で、俺は現実へと引き戻される。

 

 

「あ、ああ。悪い今終わった」

 

 

 好きだと自覚してしまったからか、にこの顔を直視できない。

 

 

 上手く話せているだろうか。身だしなみは変じゃないだろうか。そんな下らない事に気を取られてしまう。

 

 

「終わったらならさっさとどくわよ、後ろの人達に迷惑でしょ」

「ああ……悪い」

「本当にもう……しっかりしなさいよね。ほら行くわよ、穂乃果達も待ってるんだから」

 

 

 にこは呆れながらも、神殿から立ち去ろうと俺の手を握って歩き出していく。

 

 

 にこに引かれるようにして歩いていく俺は、にこと繋がれた手を真っ直ぐに見つめた。

 

 

 

 やっぱり、繋がれた手は熱くて。

 

 

 

 

 その原因は、恋だった。

 

 

 

 



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40話

 

 

 新年を迎えて一週間近くの時間が経った。

 

 

 新しい年が始まり、期待に胸を膨らませている人も多い事だろう。

 

 

 そんな中俺は、去年の一年間を振り返っていた。

 

 

 一浪の末に今の大学に合格。

 その入学式で行われた一人のキャンパスアイドルのライブに、俺は魅了された。

 

 

 ステージで華麗に舞い楽しそうに笑顔で歌い上げる彼女の姿に、俺はこの時すでに恋に落ちたのかもしれない。

 

 

 そんな彼女が悩んでいる事を偶然知ってしまった俺は、彼女に曲を作る事になった。

 

 

 彼女の曲を作り、彼女と一緒に過ごす時間は楽しかった。

 

 

 途中、疎遠になってしまった事があったけど、何とか乗り越えて元の関係に戻った。いや、俺達は以前より強い絆で結ばれたと言っていいかもしれない。

 

 

 そして、ついこの間。

 

 

 彼女――矢澤にこと行った初詣の時。

 

 

 俺はにこが好きだと自覚した。

 

 

 

 

 そして今日。

 

 

 

 

 にこが出場する大舞台。

 

 

 

 

 ラブライブ本選が幕を開ける。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 東京の名所の一つとも言える場所、アキバドーム。今日ここに、多くの人が足を運んでいる。

 

 

 いよいよ今日はラブライブ本選。アイドル達のライブを楽しもうと、ドーム内は既に満員の観客で埋め尽くされていた。

 

 

 そんな中俺は、前回のラブライブの時と同じように招待券をにこから貰っているので、ステージに近い座席を確保している。

 

 

 ライブは後ろから眺めているのが好きだけど、今日はそれを忘れて全力で楽しむとしよう。

 

 

「あ、譜也さん!」

 

 

 後ろから声がする。

 

 

 振り向くと、ことり達音ノ木坂のメンバーが勢揃いだった。

 

 

「こんにちは! ドームの中暖かいですね〜」

「こんにちは、ことり。多分空調が効いてるんだと思う。それに、ライブが始まったらもっと暑くなると思うぞ」

「そうですね〜。あっそうだ譜也さん、今回はサイリウム忘れてないですか?」

「大丈夫、バッチリ買ってきたよ」

 

 

 前回はサイリウムを買い忘れてことりに借りたからな。今回は忘れずに買っておいた。

 買ってきたサイリウムを見せると、ことりは満足そうに微笑んだ。

 

 

 その後ろから、別の人物に声をかけられる。

 

 

「こんにちは、譜也さん。久しぶりですね」

「あれからもう一曲作ったんでしょ? 私と海未の力が役に立ったようね」

 

 

 海未と真姫。

 曲作りが難航きていた俺に、色々と協力してくれた二人だ。

 

 

「ああ、海未と真姫のおかげだ。ありがとう」

「にこちゃんがどんな曲を歌うのか、楽しみにしてるわ」

「二人は今回も、希と絵里の曲を作ったのか?」

「はい、私達の曲も楽しみにしていてください」

「ああ、もちろん」

 

 

 やはりこの二人は今回も希と絵里の曲を作っていた。

 前回のラブライブで俺とにこは、海未と真姫が手がけた曲を歌った希と絵里に負けた。今回も同じような状況。違うのは、俺とにこが成長したという事。

 

 

「そういえば譜也、プログラムは見た?」

「ああ、見たぞ」

 

 

 真姫の問いに俺は答える。

 今回のラブライブのプログラム――キャンパスアイドル達の出演する順番。

 

 

 

「驚きました。前回に続き希と絵里が最後、そして今回はその前ににこですから」

 

 

 それは、海未が説明してくれた通りの順番となっていた。

 

 

 のぞえりが一番最後、そのひとつ前ににこがライブをする。

 前回はにこが一番最初でのぞえりが最後だったが、今回はにことのぞえりが並ぶ順番となっている。

 

 

 μ’sの元メンバーが最後に二組。偶然にしては出来すぎているように感じる。

 

 

「あっ、そろそろ始まるよ!」

 

 

 ことりのその言葉で俺達はステージに目を向け、それぞれ座席に腰掛ける。

 

 

 

 

 ラブライブ――キャンパスアイドル達の祭典が、いよいよ開幕する。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 ラブライブが幕を開けて早くも数時間。

 数々のキャンパスアイドルによるライブにより、ドーム内はかなりの盛り上がりを見せていた。

 

 

 ラブライブも終盤を迎えようとしている。

 

 

 次はいよいよ、にこのライブだった。

 

 

 会場は既に暖まっている。

 

 

 ドーム内にワッと歓声が沸き起こった。

 

 

 ステージ上に、にこが現れたのだ。

 

 

「みんなー! にっこにっこにー!」

 

 

 にこがお決まりのポーズとともに、観席に向かって呼びかける。

 観客達がそれに応えるのも、お決まりの流れであった。

 

 

 

「今日のライブでは、にこの頼れる友人がとっても可愛い曲とこの衣装を作ってくれたわ!」

 

 

 

 ことりの作った衣装――ピンクが主体となったそのドレスは、にこによく似合っていた。

 

 

 

 

「今日のにこは世界で一番可愛いアイドルだから、みんな楽しんでいってねー!」

 

 

 

 

 そして、俺が作った曲をにこは今から歌い踊る。

 

 

 

 

「それじゃあ行くわよー!

 

 

 

 ――『にこぷり女子道』!!」

 

 

 

 

 曲が始まると同時ににこは歌い、そして踊る。

 

 

 ステージ上のにこは笑顔で歌いながら、華麗に踊っていた。

 

 

 観客達から一斉に歓声が沸き起こる。

 

 

 ライブは今日一番の盛り上がり。

 

 

 それは、にこがμ’sの元メンバーだからなのかもしれない。

 

 

 だけど、俺はそれでいいと思う。

 

 

 矢澤にこというアイドルを観客達は知っているのだから。

 

 

 今のにこは、μ’sの矢澤にことしてではなく、一人のアイドル矢澤にことしてステージで歌い踊っている。

 

 

 観客達は盛り上がり、にこのライブを楽しんでいる。

 

 

 μ’sの矢澤にこのライブではなく、キャンパスアイドル矢澤にこのライブを。

 

 

 大きなスクリーンに映し出されるにこは、とびきりの笑顔を見せていた。

 

 

 ライブ中、客席はずっと今日一番の盛り上がりだった。

 

 

 その状況を作り出したのは、間違いなくにこ自身によるものだった。

 

 

 

 

「――にこっ!」

 

 

 

 

 曲が終わる。

 

 

 観客達は、にこに惜しみない声援と拍手を送っていた。

 

 

 

「ありがとうございましたー!」

 

 

 

 俺もにこに拍手を送る。

 

 

 

 

 ――誇っていいぞ、にこ。

 

 

 もう誰も、お前の事をμ’sの矢澤にこだなんて思っていない。

 

 

 今は一人の立派なアイドル、矢澤にこだ。

 

 

 

 

 

 

 大きな拍手を送られながら、にこはステージから観客に手を振って去っていった。そして入れ替わるようにして、希と絵里がステージに姿を現した。

 

 

 希と絵里の登場に、客席からはにこの時と同じ――いや、それ以上の歓声が沸き起こる。

 

 

 それもそのはず。

 希と絵里の二人――のぞえりは、前回大会の優勝グループなのだから。

 

 

「みなさん! 今日はラブライブを観に来てくれてありがとうございます!」

「前回と同じでウチらが最後やけど、最後まで楽しんでいってなー!」

 

 

 絵里と希の呼びかけに、観客達は歓声で応える。

 

 

「今日披露する曲も、μ’sで過ごしたメンバーに作ってもらいました!」

「それじゃあ、最後まで盛り上がっていくでー!」

 

 

 

 

「「――『Anemone heart』!!」

 

 

 

 

 曲のイントロが流れると同時に、希と絵里がステージ上を舞っていく。

 

 

 歌い出し、二人の歌声がハーモニーを奏でる。

 

 

 二人は息の合ったダンスを踊りながら、まずは絵里が歌う。次にが歌い、そして二人同時に歌う。

 見事なコンビネーションに、観客達は盛り上がっていた。

 

 

 俺は息を呑みながら、その光景をただじっと見つめていた。

 

 

 洗練された二人の掛け合いに見とれそうになった俺は、大きくかぶりを振った。

 

 

 大丈夫、にこだって負けていない。

 

 

 決して身内贔屓ではない。

 客観的に観客の反応を見ても、にことのぞえりの盛り上がりはほぼ互角だ。

 

 

 

「「ありがとうございましたー!」」

 

 

 

 のぞえりのライブが終わる。客席からは惜しみない声援と拍手が二人に送られていた。

 

 

 希と絵里は観客達に手を振りながら、ステージを去っていく。

 

 

 二人が完全にステージ上から退場した後も、ドーム内は拍手と歓声に包まれていた。

 

 

 

 

 これにてラブライブの全演目が終了した。

 

 

 

 

 

 勝利の女神は誰に微笑むのか。

 

 

 

 

 

 

 それがにこである事を俺は信じている。

 

 

 

 

 



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41話

 

 

 ラブライブが終わった翌日。

 未だにライブの興奮が冷めやらぬまま、俺は昨日に引き続き秋葉原にやって来ていた。

 

 

 秋葉原の街を歩いていると、すれ違う人々は昨日のラブライブの話題で盛り上がっていた。

 その中でも多く耳にしたのが、にことのぞえりの話題。三人ともμ’sの元メンバーということで知名度が高く、どちらが優勝したのかという話が頻繁に聞こえてきた。

 

 

 結果は数日後にラブライブの公式サイトにて発表される。それまでは優勝予想で盛り上がるのだろう。

 

 

 正直なところ、優勝はにこかのぞえりの二組に絞られているだろう。

 

 

 のぞえりとにこのライブは、どちらとも最高の盛り上がりを見せていた。のぞえりの連続優勝か、にこの初優勝か、どちらに転んでもおかしくない。

 

 

 個人的には、にこに優勝してほしいが。

 

 

 俺自身も、道行く人と同じく優勝予想なんてしながら秋葉原を歩いていく。

 

 

 しばらく歩いていき、目的の喫茶店まで辿り着いた。

 扉を開けて店内を見渡すと、既に呼び出していた人物が奥の席に座ってカップを傾けていた。

 

 

「悪い、待たせた」

 

 

 そこに向かい、待たせた事を詫びる。

 

 

 その人はカップに向けていた顔を上げて、俺の姿を確認した。

 

 

「いや、ウチもさっき来たところやで」

 

 

 東條希。

 

 

 ラブライブの翌日でありながら、俺がこの喫茶店に呼び出した人物。

 

 

「いつまで立ってるん? ほら座り」

「ああ、そうだな」

 

 

 ボーッとしていて立ったままだった俺は、希の一言で向かいの椅子に座る。

 

 

「あのさ、今日は――」

「譜也君、なにか注文したら?」

「あ、そうだな。すいません、ホットコーヒーひとつ」

 

 

 店に入ってから何も注文していなかった事を指摘され、店員さんにホットコーヒーを注文する。

 

 

 今日は希に話さなくてはならない事があり、この喫茶店に希を呼び出した。

 

 

 さっきの俺はいきなり本題に入ろうとしたのだが、おそらく焦っていたのだろう。

 

 

 コーヒーが運ばれてきて、一口啜る。

 

 

 そんな間を挟むことによって、俺は幾分か冷静さを取り戻した。

 

 

「希、今日は来てくれてありがとう。ラブライブお疲れ様」

 

 

 まずは希を労う。きっと希はラブライブ翌日で疲れているだろう。にもかかわらず俺の誘いを受けてくれたのだ、感謝しなくてはならない。

 

 

「ありがとう。ウチどうやった?」

「素晴らしいライブだったよ、感動した」

「そっか、嬉しいな」

 

 

 希と絵里のライブは、前回以上の盛り上がりを見せた。ステージを華麗に舞いながらドーム内に響く二人の歌声に、鳥肌が立ったのを覚えている。

 

 

「ウチな、最初は大学でもアイドルを続ける気はなかったんよ」

「え?」

 

 

 唐突にそう告げる希。

 

 

 

「でも、車に轢かれそうやったウチを助けてくれた譜也君に出会った。王子様みたいにウチを助けてくれた譜也君を好きになった」

 

 

 

 初めて秋葉原に来た時に俺が希を助けた事を、希はそんな風に思っていた。

 

 

 

「譜也君がにこっちの曲を作ってると聞いて、ウチももう一回アイドルになったら譜也君に見てもらえると思ったの。でも一人やと心細いから、エリチに無理言って二人でアイドルを始めた」

 

 

 

 俺に、見てもらうため……?

 

 

 

「それが、ウチが大学でもアイドルを続けた理由」

 

 

 

 希がキャンパスアイドルになった理由。

 

 

 それを聞いて、俺は激しく困惑した。

 

 

 俺が希を助けたから、希は俺のことを好きになって。それが理由でアイドルを始めたと言う。

 

 

 そんな事、そんな事を聞かされてたら、今日言うつもりだった言葉が言えないじゃないか。

 

 

「それで、譜也君の話って何なん?」

「……」

「って、大体分かってるけどね。ウチの告白に対する返事やろ?」

 

 

 ハッと俯いていた顔を上げて希を見る。

 

 

 希は笑顔でいながら、その裏では泣いているように見えた。

 

 

 どこまで分かっているんだ、この人は。

 

 

 希にそんな顔をさせたままではいけない。感情を押し殺して無理をさせてはいけない。

 

 

 俺は意を決して、今日ここに希を呼び出したその理由を口にした。

 

 

「希、俺は……にこの事が好きだ。多分ずっと前から好きだったんだけど、この前やっと気が付いた。だから――俺は、希の気持には応えられない、ごめん」

 

 

 にこの事が好き。初詣の時にようやく気が付いたその感情。

 

 

 だから、希の想いに応える事ができなかった。

 

 

「そっか……うん、何となくやけど、断られると思ってた」

 

 

 あくまでも表面上では希は笑顔を浮かべている。けどその言葉には悲しみが篭っていて。そんな表情をさせているのは、俺なのだ。

 

 

「ごめん……」

「謝るのは、無しにしよ。ウチは譜也君に告白して、後悔してないから」

「……ああ」

 

 

 俺は希をフったのだ。フラれてなお、希は俺に優しい言葉をかけてくれる。

 それはきっと偽りではなく、希の本心なのだろう。

 

 

 どこまでも優しくて他人思いなのが、東條希という女の子だ。少なくとも俺はそう感じた。

 

 

「でもそっかぁ、残念やなぁ……」

 

 

 ポツリとそう呟きながら、天井を見上げる希。そんな彼女に、俺は言葉をかける事ができなかった。

 

 

「うん、大丈夫」

「希……」

 

 

 希は明らかに無理をしている。無理にでも明るく振舞っていて、作り笑いを浮かべている。

 

 

「なあ譜也君。最後に、ウチのお願い一つだけ聞いてくれる?」

 

 

 最後に一つ。

 

 希はそう言った。

 

 

「ああ、俺に出来る事なら、何でもする」

 

 

 希に無理をさせているのは俺だ。

 だから俺には、彼女の最後のお願いというものを引き受ける責任がある。

 

 

 

 希は言葉を探すように目を閉じる。

 

 

 

 数秒すると希は目を開き、言った。

 

 

 

 

「にこっちはウチの大事な親友やから、絶対に幸せにしてあげてな」

 

 

 

 

 それは自分の為でなく、にこの為の言葉で。

 

 

 

 最後のお願いは、にこの為のもの。

 

 

 

 自分より他人を思う、最後まで希らしい言葉だった。

 

 

 

 

 だから俺は応えなくてはならない。

 

 

 

 

「ああ。絶対、幸せにする」

 

 

 

 

 



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42話

 

 

 希の告白を断ってから数日が経った。

 

 

 俺はにこの事が好き。

 その事をハッキリと希に告げると、最後にこう言われた。

 

 

『にこっちはウチの大事な親友やから、絶対に幸せにしてあげてな』

 

 

 告白を断った俺に対して希に言われた言葉。

 

 

 どこまでも優しくて他人を思う希から言われたその一言を、俺は重く受け止めなければならない。

 

 

 にこを幸せとは何なのかを考える。

 

 

 まず第一に思い浮かぶのは、にこが自身の理想とするアイドルになる事。それがにこの夢であり、にこにとっての幸せだろう。

 

 

 その為に俺は、曲を作ればいい。

 

 

 今までもそうやって、にこに協力してきたのだから。

 

 

 そんな決意を胸に秘めながら、俺は部屋のパソコンの前に緊張しながら座っていた。

 緊張している理由は他でもない、ラブライブの結果発表があと少しで行われるから。

 

 

 優勝はおそらく、にこかのぞえりのどちらかだろう。それ程までに二組のライブはかつてない盛り上がりを見せていた。

 

 

 時刻は昼過ぎ。

 結果発表の時間が、刻一刻と迫っている。

 

 

 緊張から喉が渇く。何か飲み物を取ってこようかと考えたが、結果発表はあと少しなのでその場に留まった。

 

 

 そして。

 

 

「きた!」

 

 

 結果発表がされる予定の時間を迎えた。

 

 

 あらかじめ開いておいたウェブサイトを更新して、結果を待ち構える。

 

 

 アクセスが多いのか更新には時間がかかり、なかなか更新されない事に焦りが募っていく。

 

 

 そして、ウェブサイトが更新された。

 

 

 ラブライブ結果発表と書かれたリンクをクリックして、また別のページに飛ぶ。

 

 

 そのページをスクロールしていく。

 

 

 早く見たいという気持ちと、もしにこが優勝できていなかったらという怖さから、スクロールをゆっくりと進めていく。

 

 

 ここで足踏みしていても仕方ない。そう思って一気にページを下へスクロールさせた。

 

 

 そこには――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラブライブ!

 

 

 キャンパスアイドル部門

 

 

 優勝

 

 

 

 

 矢澤にこ

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 何度も瞬きをする。

 

 ページをもう一度更新してみる。

 

 スクロールさせて再び見る。

 

 

 

 そこに映っていたのは、矢澤にこの四文字。

 

 

 

 頬を(つね)る。

 

 頬が痛い。

 

 夢じゃない――

 

 

 

「夢じゃ、ない……?」

 

 

 目の前に映し出されるそれは、紛れもない現実だった。

 

 

「――っしゃあああああああああ!!」

 

 

 気が付けば俺は、柄にもなく部屋の中で一人叫んでいた。

 

 

 優勝したのだ。

 

 

 にこが、矢澤にこが、ラブライブで。

 

 

「そうだ、電話!」

 

 

 俺は慌ててスマホを手にとり、にこに電話をかける。

 

 

 いち早くおめでとうと伝えたい。そしてにこと喜びを分かち合いたい、その一心で。

 

 

 しかし、耳に届くのはツーツーという機械音。

 

 

「通話中か……」

 

 

 他の誰か、おそらく元μ’sの誰かに先を越されたのだろう。にこにおめでとうと言うのは一番最初にしたかったので、少し残念だ。

 

 

「また後でかければいいか」

 

 

 そう思い再びパソコンの画面を見つめる。

 

 

 優勝、矢澤にこ。

 

 

 その文字列を見るだけで嬉しくなる。

 

 

「そうだ」

 

 

 記念に写真を撮っておこうと思い、スマホのカメラを起動させる。

 

 

 パシャリとシャッターを切る音がして、撮れた写真を確認する。写真は綺麗に撮れていて、今度はスマホに映るそれをジッと見つめた。

 

 

 すると、スマホから着信音が響いた。

 

 

 急な事にスマホを落としそうになったが、何とかキャッチする。

 

 

 画面には、にこの二文字。

 

 

 通話ボタンを押し、電話に出る。

 

 

「もしもし?」

『あ、譜也? 今電話大丈夫?』

 

 

 電話越しに聞こえるにこの声。

 わざわざ大丈夫か確認するあたりが彼女らしい。

 

 

「大丈夫じゃなかったら電話に出てないって。それより、ラブライブの結果見たか?」

『ええ、見たわ』

 

 

 どこか淡々としているにこの声。正直、優勝したのだからもっと喜んでいるのかと思っていたが、意外とドライなところがあるようだ。

 

 

「そうか。にこ、優勝おめでとう」

『ありがとう』

 

 

 やはり、にこの声は淡々としている。というよりも、どこか元気がないように思えた。

 

 

「どうした? なんか元気なくないか?」

『そう? いつもこんな感じじゃない?』

「いや、絶対元気ないって。何かあったか?」

『別に……何もないわ』

 

 

 何もないとにこは言うが、本当に何もないとは思えなかった。

 

 

「何もないって本当かよ」

『ねえ譜也』

 

 

 俺の言葉を無視して、にこは俺の名前を呼んだ。

 

 

『今から会えない? 会って直接話したいの』

 

 

 突然の誘い。

 

 あまりにも突然すぎて驚いたし、何よりにこの口からそんな言葉が出てくる事に驚いた。

 

 

「ああ、分かった。俺がそっちに行けばいいか?」

『そうね……いや、私がアンタの家に行くわ』

「分かった、待ってる」

 

 

 そんな約束をして、電話は切られた。

 

 

 にこの口調から察すると、ただ世間話をしたいという訳ではなさそうだ。

 

 

 きっと何か、大事な話があるのだろう。

 

 

 もしかすると、前回のラブライブ直後のように、曲を作らなくていいと言われるのかもしれない。

 

 

 もちろん、俺の考えすぎかもしれない。

 

 

 どちらにせよ、大事な話があるのは間違いないだろう。

 

 

 何を言われても大丈夫なように心構えだけはきちんとして、俺は部屋でにこを待った。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 一時間ほどにこを待っていると、インターホンが鳴った。玄関に向かいドアを開けると、そこにいたのはやはりにこだった。

 

 

「ごめんね、急に会いたいなんて……」

「いいって。それより寒いだろ、早く中に入れって」

「そうね。お邪魔します」

 

 

 にこを家の中へと招き入れる。

 

 

 やはり今日のにこはいつものような元気がない。ラブライブに優勝したのだから、俺みたいにもっと浮かれていてもおかしくないのに。

 

 

「何か飲むか?」

「そうね……ホットココア」

「了解」

 

 

 炬燵に入ったにこにそう尋ねる。

 

 

 クリスマスイブにもにこは俺の家に来たので、何が置いてあるのかは大体知っている。

 

 

 台所でリクエストのココアを二人分作り、炬燵のある部屋へと持っていく。

 

 

「ほい、ホットココア」

「ありがと」

 

 

 俺からココアを入れたマグカップを受け取ると、にこはそれに一口だけ口をつけた。

 

 

「それで、話って何なんだ?」

 

 

 俺も炬燵に入り、にこに尋ねる。

 

 

 にこは持っていたマグカップを置いて下を向く。

 

 

 そして、顔を上げた。

 

 

 

「譜也。にこね――」

 

 

 

 一拍置く。

 

 

 そして――

 

 

 

 

 

「――プロに誘われたわ」

 

 

 

 

 



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43話

 

 

「――プロに誘われたわ」

 

 

 

 

 真剣な表情で、にこはそう言う。

 

 

 プロへの誘い。

 それは、にこの夢を叶えるもの。

 

 

 そういえば、前回優勝した希と絵里もプロに誘われたと言っていた。二人は断ったようだけど、ラブライブ優勝者はプロに誘われる決まりでもあるのだろうか。

 

 

 何にせよ、これでにこの夢が叶ったのだ。

 

 

「良かったじゃないか、おめでとう」

 

 

 そう言葉にした時、何故だか胸がチクリとした。だけど痛みは小さすぎて、すぐに消え去った。

 

 

「まだ話は終わってないの、最後まで聞いて」

 

 

 素直に祝福するが、にこは依然として険しい表情を保っていた。

 

 

 まだ話は終わってないと言うので、俺は黙ってにこの言葉を待つ。

 

 

「正直言うと、迷ってるの」

「……迷ってる?」

 

 

 その言葉の意味が理解できずに、俺はにこに聞き返した。

 

 

「そう、にこはプロになる事を迷ってる。だからその話は、一旦保留にしてもらってるの」

 

 

 ……驚いた。

 

 

 にこはプロのアイドルを目指していた。

 

 

 キャンパスアイドルとして周囲とのギャップに苦しみ、自身の理想とするアイドルを目指していたにこ。プロになるという事は、にこが望んだアイドルになれるという事だ。

 

 

 チャンスが目の前にあるというのに、にこは迷っていると言う。

 

 

「どうしてだ?」

 

 

 あれだけ望んでいたものが目の前にあるというのに掴もうとしない。その理由を知りたいと思った。

 

 

「プロになったら、プロの楽曲提供者がつくみたいなの。つまりプロになったら、アンタの曲はもう歌えないのよ」

「……」

 

 

 そんな。

 

 そんな理由で、にこは迷ってるというのか。

 

 

「プロになれるのはもちろん嬉しい、昔からの夢だったから。……でもね。その夢と天秤にかけるぐらいに、にこは譜也の曲を歌いたいって思ってる」

 

 

 

 

 

「ねえ譜也。にこはどうすればいいと思う?」

 

 

 

 

 にこの言葉は、嬉しいものだった。

 

 

 アイドルになる夢と比較されるほど、俺の曲を歌いたいとにこは思ってくれている。

 それは彼女に曲を作ってきた俺にとって、最大級の賛辞だった。

 

 

 今までにこの曲を作ってきて、本当に良かったと思う。

 

 

 ――だから、俺はその言葉が聞けただけで満足だった。

 

 

 

「俺は、にこにはプロになってほしい。昔からの夢なんだから、俺のことは気にしないで夢の舞台で輝いてほしい」

 

 

 

 また胸がチクリとした。

 だけど、気にしていられない。

 

 

 もともと、にこが望むアイドルになるために協力していた曲作りだ。

 

 

 だから、にこがプロになる事こそが俺達の終着点。いずれこうなる事は、最初から分かっている事だった。

 

 

 ――にこの事は好きだ。

 

 

 だけどにこはアイドルで、俺は曲作りしか取り柄のない一般人。

 

 

 この恋が叶わない事は明白だ。

 

 

 ふと、希に言われた言葉を思い出す。

 

 

『にこっちはウチの大事な親友やから、絶対に幸せにしてあげてな』

 

 

 俺はそれに幸せにすると答えた。

 

 

 

 にこの幸せとは何だろう?

 

 それはアイドルになる事だと即答する。

 

 

 

 俺はにこの事が好きで、にこと結ばれたいと思っている。だけどそれは俺の幸せであり、にこの幸せとは限らない。

 

 

 そもそも、にこが俺の事を好きになる筈がない。にこのアイドルに対するプロ意識は相当なものだから。

 

 

 

 にこを見る。

 

 

 にこは肩を震わせながら下を向いている。

 

 

 するとにこはいきなり、両手を勢いよく炬燵机に叩きつけた。

 

 

 

「――ッ! なんでアンタは、そんな簡単ににことの関係を終わらせられるのよ!」

 

 

 

 にこは叫んだ。その叫びは俺の鼓膜を通り抜け、胸に直接突き刺さる。

 

 

 にこの表情は、怒りと悲しみで出来ていた。

 

 

 だけど、何故にこがそんな顔をするのか、その理由が俺には分からない。

 

 

「なんでって……それがにこの夢なら、叶えればいいじゃないか。せっかくのチャンスなんだから」

「アンタねぇ……! もう少し……もう少しにこの気持ちを考えてくれてもいいじゃない!」

 

 

 気持ちを察しろと言われて、俺はつい頭に血が上ってしまった。

 

 

「そんなの分かるわけないだろ! 俺はお前じゃないんだから!」

 

 

 分からない。

 

 

 にこの気持ちが、にこが何を考えているのか分からない。

 

 

 プロのアイドルなればいいのに、どうして迷っているのか分からない。

 

 

 夢を叶えるチャンスが目の前にあるというのに、どうして掴もうとしないのか分からない。

 

 

 分からない。

 

 

「もういいわよ! アンタの事なんか綺麗サッパリ忘れて、プロになってやるわ!」

「だから、そうすればいいって言ってるだろ!」

 

 

 プロになればいいと言った俺に、どうしてにこは怒るのか分からない。

 

 

「アンタに相談したにこがバカだったわ! このバカ譜也!」

「バカはにこの方だろ! どうして夢を掴もうとしないんだよ!」

「何だっていいじゃない! あぁもう! アンタとは絶交よ! 二度とにこの前にその顔を見せないでよね!」

「そうかよ! 勝手にしろ!」

「――ッ! もう知らない! さようなら!」

 

 

 

 

 その言葉を最後に、にこは立ち上がって俺の家から出ていった。

 

 

 立ち去る時のにこの頬には、涙が伝っているように見えた。

 

 

 

 

 さっきまでにこがいた空間を見つめる。

 

 

 ポッカリと空いたその空間を見て、俺は自分の胸にも同じような穴がある感覚を認知した。

 

 

 穴が空いた胸を埋めようとしていたのは、痛みだった。

 にこと話していて少しずつ感じていた痛みが、今は隠しきれないほど大きくなっていた。

 

 

 ――ああ、そうか。

 

 

 俺は好きな人に想いを伝えられぬまま、別れる事を選んでしまったのか。

 

 

 後悔の二文字が押し寄せる。

 

 

 希は俺に想いを告げた。

 そういえば、俺に想いを告げた希はフられたけど告白して後悔はないと希は言っていた。

 

 

 その理由を、今の俺は痛いほどに思い知らされている。

 

 

 これほどまでに後悔するとは知らなかった。

 

 

 だが全ては、俺がにこにプロになる事を進めたから。

 

 

 今更にこを追いかけたところで、追いつけないだろう。それに、こんな喧嘩別れをしておいて、にこが取り合ってくれる筈がない。

 二度と顔をみせるなとも言われてしまった。

 

 

 

 

 だけど、後悔すると知っていたなら。

 

 

 

 

 せめて想いだけは、伝えておきたかった。

 

 

 

 



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44話

 

 

 にこが俺の家を出ていってから、どうやって過ごしていたのかよく覚えていない。

 

 

 にこの気持ちは考えても考えても分からないままだった。だけどにこは、俺に自身の気持ちを汲み取ってほしかったと言った。

 

 

 結局にこの気持ちというものの答えは出てこない。だけど、にこと口論になってしまった原因は俺にあるのだろう。

 

 

 後悔ばかりが募る。

 

 

 もっと気の利いた言葉を言うべきだったのだろうか。だとしたら、俺はにこに何と言えば良かったのだろう。

 

 

 考えても正答に辿り着けない。答えを導き出すには、にこの気持ちを理解する必要があるのだろう。

 

 

 そんな事を考えながら、気が付けば時刻は夕方になっていた。

 

 

 窓の外は少しずつ橙色に染まっていき、にこが去ってから随分と時間が経った事を実感する。

 

 

 進んだ時計の針を巻き戻す事はできない。

 

 

 どれだけ後悔しても、どれだけ戻りたいと願っても、時計の針は待ってくれない。

 

 

 それでも願ってしまう。

 

 

 今日のにことの時間をやり直したいと。

 

 

 正解は分からない、上手く出来る自身もない。だけど、今のまま離れ離れになる事だけは許せなかった。

 

 

 ふと、どこからか音が鳴り響いている事に気がつく。

 

 

 その音の正体を探す。

 

 

 それは、電話の着信音だった。

 

 

「――にこ!」

 

 

 にこからの着信だと断定した俺は、通話先を確認もせず慌てて電話に出た。

 

 

『もう、譜也君。ウチはにこっちやないで』

 

 

 電話口から聞こえてきたのは、にことは違う声だった。

 

 

 特徴的な関西弁。

 

 

「……希か」

 

 

 東條希だった。

 

 

『正解。電話かけてきたんがウチでごめんな』

「いや、それは……すまん」

 

 

 にこだと思って電話に出てしまい、希には失礼な事をしてしまった。

 

 

 よくよく考えてみれば、あの喧嘩別れをした後のにこが、俺に電話をかけてくる筈がない。

 

 

 それでも、淡い期待を抱かずにはいられなかった。ほんの僅かな可能性を期待せずには、いられなかった。

 

 

「それで、電話かけてきてどうしたんだ?」

『そうやなぁ……譜也君、ウチが電話してきた事に何か心当たりない?』

「何だよそれ。さっぱり分からない」

 

 

 希が俺に電話をする理由なんて、希にしか分からない筈だ。俺に心当たりなんて何一つない。

 

 

『――にこっちの事や』

 

 

 ドキリと心臓が跳ねる。

 

 

 にこの名前を聞いただけで、身体が反射的にそう反応した。

 

 

『にこっち、プロになるらしいやん。譜也君も聞いてるよね?』

「……ああ。さっき会って話をした」

『そうなんや。ウチはついさっきにこっちから電話で聞いてな』

 

 

 にこから電話があったのか。

 

 

 それもそうか。にこにとって希はμ’sで共に頑張ってきた仲間だ。プロになる報告はするに決まっている。きっと他のメンバー達にも、にこは伝えたのだろう。

 

 

『譜也君。にこっち、泣いてたで?』

「――ッ!?」

 

 

 にこが泣いていたと、希から聞かされる。

 

 

 やっぱり家を出ていく時、にこは泣いていた。

 

 

 そうさせたのが俺である事は明白だ。

 

 

「……そうか」

 

 

 きっと希はにこを泣かせた俺を責めるために電話をしてきたのだろう。

 

 

『譜也君、ウチは今譜也君に怒ってる』

 

 

 やっぱり、思った通りだった。

 

 

 だけど、俺に言い訳をする権利はない。

 

 

 にこを泣かせた罪を、受け入れるしかなかった。

 

 

『ウチと約束したよね? にこっちを幸せにするって』

 

 

 そう、約束した。

 

 

 数日前に希の告白を断ったあの日、希は俺に最後のお願いという形でにこの幸せを俺に願った。

 

 

 だけど。にこの幸せ、それは――

 

 

「それは、にこがプロのアイドルになる事が、にこにとって一番の幸せだろう。ずっと前からの夢なんだから。このままプロにならずに俺の作る曲を歌うより、プロの誘いを受けた方が幸せに決まってる」

 

 

 俺の作る曲を歌っている間、にこは幸せへと続く階段を上っている途中だ。

 

 一方プロになる事は、幸せのへと続く階段を登りきった事を意味する。

 

 

 どちらがにこにとって幸せかなんて、考えるまでもない。

 

 

『譜也君、それにこっちに言ったん?』

「ああ、言ったよ」

 

 

 それが、にこの幸せになるのだから。

 

 

 夢を叶えるチャンスがあるのなら、掴まなくてどうする。みすみす逃してしまえば、もう次は訪れないかもしれない。

 

 

 そんな言葉をにこにかけた。

 

 

 だけどにこは激昂し、涙を流して去っていった。

 

 

『――譜也君のバカ!』

 

 

 一際大きな叱責を希から浴びせられる。

 

 

「な、何だよ。俺が何か間違った事を言ったか?」

 

 

 間違っていない。

 

 間違っていない筈だ。

 

 

 俺はにこの幸せのため、にこの事を思ってプロになるよう進言した。

 

 

 その事が正しいと思っている。

 

 

 だけど、希は――

 

 

『間違いとか正解とか、ウチには分からない。でも、一つだけウチにも分かる事がある』

 

 

 希にも分かる事。

 

 

 それは、俺には分からない事なのだろうか。

 

 

『それは、譜也君が嘘をついてるって事』

 

 

 嘘ついていると希は言う。

 

 

 その矛先を俺は早合点していた。

 

 

「俺は、今希に言った事に嘘なんかついて――」

『ウチにやない、にこっちでもない。譜也君は、譜也君自身の気持ちに嘘をついてる』

 

 

 それが自分にも分かる事だと、希は俺が嘘をついていると、そう断言する。

 

 

「俺自身の、気持ち……?」

 

 

 俺自身の気持ち。それは明白だ。

 

 

 俺はにこの事が好き。

 

 

 その気持ちに嘘なんて――

 

 

 

 

 ――違う。

 

 

 

 

 にこと喧嘩別れして、後悔した。

 

 想いを伝えられずに、後悔した。

 

 もうにこと会う事すら叶わないのだと、後悔した。

 

 一緒にいられないのだと、後悔した。

 

 

 

 

 ――俺は、にこと一緒にいたいと願っている?

 

 ――にこが夢を叶えてプロになる事と同じ位、にこと一緒にいる事を願っている?

 

 

 

 

『にこっちのことを第一に考えて行動するのはカッコいいけど、自分の気持ちに嘘ついてまで、譜也君自身を犠牲にしてまで行動するのは、カッコ悪いで?』

「……」

 

 

 俺はにこの事を想うばかりに、自分の気持ちを押し殺してというのか。

 

 

 そうだとすると、何と醜くて滑稽なんだろう。

 

 

『それと、この前言った最後のお願い。ウチの言葉不足で上手く伝えられなかったみたいやから、もう一度言わせてな?』

 

 

 最後のお願い。

 

 俺にフラれた時のそれを、希は言い直した。

 

 

 

 

『――にこっちと一緒に、幸せになって』

 

 

 

 それは、俺とにこが同時に幸せになってほしいという願い。

 

 

 

 俺を好きだと言った女の子が。

 

 俺にフラれた女の子が。

 

 優しくて他人思いの魅力的な女の子が。

 

 

 

 

 俺に叶えてほしい、ただ一つの願い。

 

 

 

「希……」

『ウチの好きな男の子とウチの親友。二人の幸せを願うのは当然やん?』

 

 

 

 希は本当に魅力的な女性だ。

 

 

 俺がにこの知らない状況で希と出会っていたら、俺はきっと希の事を好きになっていただろう。

 

 

 だけど俺は、にこの事が好き。

 

 

『さてと。ウチから言ってあげられるのはここまで。あとは譜也君自身が、にこっちと一緒に幸せになる方法を考えてな』

「希……ありがとう」

 

 

 希には、いくら感謝しても足りないだろう。

 

 

 それ位、俺は希の言葉に救われた。

 

 

『ええって事よ。それじゃあ譜也君、頑張ってね』

「ああ。頑張って、にこと幸せになってみせる」

 

 

 電話が切られた。

 

 

 にこと一緒に幸せになってほしい。

 それは希から託された願いで、俺自身が最も叶えたいと願うものだった。

 

 

 

 それを叶えるためには何をするべきか。

 

 

 

 

 答えは決まっていた。

 

 

 

 

 正解か不正解かは分からないけど、それが俺にできる全てである事は変わらない。

 

 

 

 

 

 

 俺はスマホを操作し、にこに電話をかけた。

 

 

 

 

 

 

 



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45話

 

 

 希との電話で背中を押された俺は、すぐさま家を飛び出した。

 

 

 行き先は、にこのいる場所。

 

 

 正直なところ、にこがどこにいるのか全く見当もつかない。

 

 

 だけど俺は、この足を止めることなく走らなくてはならない。

 

 

 それが俺にできる精一杯なのだから。

 

 

 

 

 一応スマホでは、にこに電話をかけている。

 

 

 しかし、いくらコールが鳴ってもにこが電話に出る気配がない。これは本格的に嫌われたかな。

 

 

 もしそうなら、謝ろう。

 

 

 許されなくたっていいから、とにかく謝ろう。

 

 

 そしてせめて想いだけでも伝えよう。

 

 

 だから俺は、何としてでも見つけださなくてはならない。

 

 

 俺が好きになった女の子、矢澤にこを。

 

 

 

 

 ――俺はにこが好き。

 

 

 だからこそ、アイドルになるという夢を叶えてほしい。希に散々言われたあとだけど、その想いも揺るがない。

 

 

 にこがアイドルになって、俺がにこに想いを伝え、その上で二人とも幸せになる。

 

 

 これが最高のハッピーエンド。

 

 

 

 その方法を考えながら走り続け、俺は最初の目的地に辿り着こうとしていた。

 

 

 

 それは、俺達が通う大学。

 

 

 息を切らしながら、大学構内を駆けていく。そうして辿り着いた先は、図書館の前の広いスペース。

 

 

 ガラス張りの壁に、肩で息をする自分の姿が映し出される。

 

 

 ここは、にこが毎日のように練習に使っていた場所。

 

 

「くそっ! ここにはいないか……!」

 

 

 にこがいないと判断した俺は踵を返してすぐさま大学図書館をあとにする。

 

 

 にこのいそうな場所。

 

 

 連絡がつかない今、それをあてにしてにこを探すしかない。

 

 

 全力で走った俺は大学の最寄駅に辿り着く。一応周囲を見渡してみるが、にこらしき人の姿はない。

 

 

 俺は秋葉原までの切符を購入し、タイミングよくやって来た電車に乗った。

 

 

 座席に座り、全力で走りきった身体を休める。

 

 

 身体を休めている間、今度は頭を働かせる。

 

 

 第一の目的は、にこに会って想いを伝える事。ついさっきまで想いを伝えられずに後悔した、これだけは譲れない。

 

 

 次に、にこがプロのアイドルになる事。これはにこを納得させて、プロの誘いを受けるようにすればいい。

 

 

 最後に、これが一番難しいのだが。

 

 

 その二つを達成した上で、俺とにこが幸せになる事。これがかなりの難関だ。

 

 

 そのためにはどうするべきか、俺は電車に揺られながら考えた。

 

 

 

 

 

 

 気が付けば、秋葉原の駅に着いていた。

 

 

 電車を降りて駅を出る。

 

 

 秋葉原に着いた俺がまず最初に向かう先は決まっていた。

 

 

 走る、ただひたすら走る。

 

 

 通行人の目なんか気にしていられない。

 

 

 秋葉原の街を全力で駆け抜ける。

 

 

 そうして辿り着いたのは、とあるマンション。にこが住むマンションだ。

 

 

 にこの誕生日に一度だけ訪れた場所。

 

 

 マンションの中に入り、記憶を辿りながらにこの家へと向かっていく。

 

 

 記憶を頼りに辿り着いた家の前。そこに掲げられているのは、矢澤の二文字。

 

 

 どうやら、俺の記憶は間違っていなかったみたいだ。

 

 

 インターホンを押す。

 

 

 正直、ここににこがいる確率はかなり高い。

 

 

 扉の向こうから足音が聞こえてくる。

 

 

 にこが出てきたら、まずは謝ろう。

 

 

 そして、俺の想いを伝えよう。

 

 

 どうすれば幸せになれるのかは、その後で考えればいい。

 

 

 扉がガチャリと音を立てる。

 

 

 ギィッと重たい音を鳴らして扉が開かれる。

 

 

 そこには――

 

 

「どちら様ですか……あなたは、お姉さまのご友人のお兄さん!」

 

 

 俺を出迎えたのはにこの妹、こころちゃんだった。

 

 

「こんにちは、こころちゃん。にこ、家の中にいるかな?」

「ごめんなさい。お姉さまなら、お昼頃に出かけてまだ帰ってきていません」

「そうか……ありがとう」

 

 

 まだにこは帰ってきていない。

 

 

 かなり自信があっただけに、外れたショックは大きかった。

 

 

「突然押しかけてきてごめんね。ばいばい、こころちゃん」

「ばいばいですお兄さん!」

 

 

 こころちゃんに手を振り、俺はにこの家から立ち去った。

 

 

 どこだ? にこはどこにいる?

 

 

 にこが家にいなかった今、他に思い当たる場所なんて……。

 

 

「いや、もしかしたら……」

 

 

 あの場所にいるかもしれない。

 

 

 そう当たりをつけ、俺は再び走り出した。

 

 

 

 

 

 

 音ノ木坂学院の校門前は静かだった。

 

 

 学校はまだ冬休みの時期だ、生徒の姿は殆ど見受けられない。

 

 

 にこがいるかもしれないと思った俺は、ここ音ノ木坂学院の前までやって来た。

 しかし、部外者の俺が敷地内に入れる筈がない。以前来た時はにこが許可を取ってくれていたから入れた事を、すっかり失念していた。

 

 

 どうしたものかと思案していると、校門から二人の生徒が出てきた。

 時刻は普段なら放課後の時間帯。部活動で登校している生徒は、丁度下校する時間だった。

 

 

 俺はその二人に歩み寄り声をかける。二人が知り合いで助かった。

 

 

「雪穂! 亜里沙!」

 

 

 二人は足を止め、くるりと振り返る。

 

 

「譜也さん!? どうしたんですか?」

「すっごく汗掻いてます……」

 

 

 雪穂ちゃんに驚かれ、亜里沙ちゃんに心配される。しかし、自分の事なんて気にしていられない。

 

 

「二人とも、今日は部活?」

「はい! 私と雪穂の二人だけですけど」

 

 

 二人だけ。亜里沙ちゃんのその言葉で望みは薄くなったが、もしかしたらという事もある。

 

 

「それでさ、今日にこ来なかった?」

「にこ先輩? 来てないですよ」

 

 

 雪穂ちゃんが答える。

 そうか、やっぱりにこは音ノ木坂には来ていなかったか。

 

 

「分かった、ありがとう! いきなり声かけて悪かった!」

 

 

 雪穂ちゃんと亜里沙ちゃんに別れを告げ、俺は音ノ木坂学院をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 秋葉原の街でにこがいそうな場所。その最後の心当たりのある場所までやって来た。

 

 

 アキバドーム。

 

 

 ラブライブが開催され、にこがステージに立った場所である。

 

 

 夏に行われた一度目でにこは敗北し、つい最近の二度目でにこは優勝した。

 

 

 そんな、思い出の場所。

 

 

 当然ドーム内に入る事はできない。

 

 

 俺はゆっくりとドームの外周を歩いていた。隅々まで目を凝らして、にこの姿を探す。

 

 

 一周して、にこの姿は見つからなかった。

 

 

 どこか見落としがあるかもしれない。そう思ってドームをもう一周したけど、にこを見つける事は出来なかった。

 

 

「にこ……」

 

 

 どこにいるんだ、にこ。

 

 

 ダメ元で電話をかけてみるが、やはりにこは電話に出ない。

 

 

「くそ……!」

 

 

 もうにこがいそうな場所に心当たりが無い。

 

 

 完全に心が折れてしまった俺は、すっかり重たくなった足をゆっくり進めながら、駅へと歩き出した。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 電話に乗った俺は、家とは別の場所へと向かっていた。

 

 

 結局、にこを見つけられなかった。

 

 

 このまま家に帰るより、どこか遠くに行ってしまいたい気分だった。

 

 

 そんな俺が訪れたのは、とある砂浜。

 

 

 ここは、大切な思い出が詰まった場所。

 

 

 この砂浜は、春に作詞に訪れた俺が偶然にこと出会った場所。俺がにこに曲を作ると最初に約束をした場所。

 

 

 そんな、キラキラした思い出に浸りたかったのだろうか。俺は無意識のうちにこの砂浜までやって来た。

 

 

 高架下の階段になっている所に腰掛け、目の前に広がる海を眺める。

 

 

 黄昏に染まった空が、海を赤く照らしている。そんな幻想的な空間。

 

 

 そういえばあの時も、こんな夕焼け空だった。

 

 

 春ににこと出会った思い出に浸りながら、今度は砂浜一面をぐるりと見渡してみる。

 

 

 あの時と変わらず、人の姿は無い。

 

 

 あの時と違うのは、にこがいない事だけ。

 

 

 

 

 ――その筈だった。

 

 

 

 

 遠くの砂浜にぽつりと映る小さな人影。

 

 

 波打ち際に立っているその人物は、明らかに女性の服装だった。

 

 

 

 

 それだけでない。

 

 

 黒髪、ツインテール、今日目にしたその服装。

 

 

 

「にこ……?」

 

 

 

 立ち上がり、砂浜を踏みしめながら一歩、また一歩と近付いていく。

 

 

 ある程度歩いていくと、その姿が鮮明に映し出された。

 

 

 

「にこ……にこッ!」

 

 

 

 間違いなくにこだと思い、俺はその人に向かってにこの名を叫び、走り出した。

 

 

 その人がこちらを振り向く。

 

 

 

 

「し、んや……?」

 

 

 

 

 真っ赤に目を腫らした女の子。

 

 

 

 

 俺の好きな女の子。

 

 

 

 

 矢澤にこ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこにいたのは、にこだった。

 

 

 

 

 

 



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46話

 

 

「――にこッ!」

 

 

 俺は走った。砂浜の上を全力疾走でにこに近付いていく。

 

 

「来ないでッ!!」

 

 

 にこの悲痛な叫び。

 

 

 だけど俺は止まらずに、にこのもとへ走っていく。

 

 

「――ッ!?」

 

 

 するとにこは踵を返し、俺から逃げるように反対方向へと走り出した。

 

 

 しかし、女の子の脚力だ。

 いくら普段の練習で鍛えているからといっても、俺に敵うはずがない。

 

 

 少しずつ、少しずつ、にことの距離が縮まっていく。

 

 

 そして。

 

 

「にこッ!」

 

 

 逃げていたにこの手を、捕まえた。

 

 

「やめて! 離して!」

「離さない! 絶対に離さない!」

 

 

 手を掴まれたにこが暴れる。力ずくで俺の手を振りほどこうとするが、俺は絶対に離すまいとにこの手を強く握った。

 

 

 やっと、やっと掴んだチャンスなんだ。

 

 

 絶対に離してやるもんか。

 

 

「やめてよ! いや――ッ!」

「お、おい!? ちょっ、それは――」

「きゃあっ!」

 

 

 暴れることで必死に抵抗するにこが、砂浜に足をとられバランスを崩す。

 

 

 ここは海、浜辺の波打ち際。

 バランスを崩したにこが海の方に倒れていく。

 

 

 にこの手を強く握っていた俺も、にこに釣られて海の方に身体が傾いた。

 

 

 そして。

 

 

 激しい水の音と共に、俺達は海の中へと倒れた。

 

 

 

「ぷはっ……お、おいにこ、大丈夫か?」

 

 

 

 ずぶ濡れになった身体を起こして、にこの安否を確認する。

 

 

 繋いでいた手を引き寄せて、にこを起き上がらせた。起き上がったにこは、俺の手を振りほどく。

 

 

「はぁ、はぁ。アンタねぇ……何考えてんのよ!」

「……ごめん」

 

 

 明らかな怒気を孕んだにこの声。俺には謝ることしかできない。

 

 

「大体ねぇ、もうにこの前に顔を見せないでって言ったじゃない!」

「……ごめん」

「なんで……なんでアンタが、ここにいるのよ!」

「……ごめん。でも、一つだけにこに伝えたい事があるんだ、聞いてくれ」

 

 

 にこに伝えたい事がある。その為に俺はにこを探していたのだ。

 

 

 にこは俺から顔を逸らし、小さくポツリと呟いた。

 

 

 

「……嫌、聞きたくない」

 

 

 

 聞きたくない……か。これはどうやら、本格的に嫌われたのかもしれない。

 

 

 だけど。

 

 

 ここまで来て引き下がる訳にはいかない。

 

 

 

「そうか。なら俺は今から独り言を言う」

 

 

 

 にこが聞かないと言うのなら、俺はどんな屁理屈を並べてでもにこに伝える。

 

 

「……そう、勝手にすれば」

 

 

 呆れたようににこは言う。

 

 

 それでは、勝手にさせてもらうとしよう。

 

 

 

 

 

 

「――俺は、にこが好きだ」

 

 

 

 

 

 

「ッ!?」

 

 

 

 

 にこが俺の方を向いて、目を大きくした。

 

 

 構わず、俺は続ける。

 

 

 

 

「これからもずっと一緒にいたいと思ってる。俺はにこが好きだから。だから、さっかは無神経な事を言って悪かった」

「……」

 

 

 にこと一緒にいたいと思っていたのに、俺はその気持ちに気付かず、にこにアイドルになるよう言ってしまった。

 

 

 そして、後悔した。

 

 

 だから俺は後悔しないように、にこに想いを告げる。

 

 

 

 

「――矢澤にこさん、好きです。俺と付き合ってください」

 

 

 

 

 にこに手を差し伸べる。

 

 

 願うなら、その手をにこにとってほしい。

 

 

 

 

「……もう、遅いわよ」

 

 

 

 

 にこは俺の手をとってはくれず、下を向いてそうポツリと漏らした。

 

 

 

 

「遅い……遅いのよ! なんであの時言ってくれなかったのよ! そうすればにこは迷う事なくアンタの手をとったのに! もう遅いのよ! プロになる話、さっき受けちゃったじゃない!」

 

 

 

 

 にこは、泣いていた。

 

 

 海水で顔も髪もびしょ濡れだが、にこは明らかに泣いていた。

 

 

 

 

「あの時、アンタの家でそう言ってくれたら、プロの誘いなんか断ってたのに! にこはアンタといる事を選んだのに!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――にこもアンタの事、好きなのに!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ?」

 

 

 

 

 にこは、俺の事が好き?

 

 

 

 

「好きなの! 譜也が好きなの! 譜也が作ってくれる曲が好き! 譜也と一緒にいると楽しいのよ! にこも譜也とずっと一緒にいたいって、そう思ってたわよ!」

 

 

 

 

 

 そんな……。

 

 

 じゃあ、あの時にこが怒った理由って。

 

 

 

 

「でも、もう一緒にはいられない。だってにこは、プロのアイドルになるから」

 

 

 

 

 俺と一緒にいたいと願っていたのに、プロになるよう俺が言ったから?

 

 

 だとすれば俺は、なんて大きな間違いを犯したんだ。

 

 

 俺が……俺のにこの為だと思い込んでいた言葉が、にこと一緒にいられるチャンスを失くしてしまった。

 

 

 

 

「だからもう、アンタと一緒にいる事どころか、会う事すらできないわ。にこはアンタが勧めてくれたプロのアイドルになる」

 

 

 

 

 俺の言葉があったから、にこはプロのアイドルになる。それはにこにとっての夢であり、俺自身も望んだ事だった。

 

 

 会えない事も覚悟していた。

 

 

 だけど、その未来を想像したくなかった。

 

 

 

 ――にこと一緒にいたい。

 

 

 

 その想いは、俺の想像を遥かに超えて強固だった。

 

 

 

 

「だからもう、アンタと会う事はないと思うわ。それじゃあ――さようなら、譜也」

 

 

 

 

 俺に背を向けてにこは歩き出す。

 

 

 差し伸べていた手を伸ばしても、届かない。

 

 

 

「待って! 待ってくれ、にこ!」

 

 

 

 呼びかけても、にこは止まらない。

 

 

 追いかけようとするが、足が思うように動かない。

 

 

 もうにこに会えなくなるなんて、そんなのは御免だった。だが全ては、俺の引き起こした事態。

 

 

 

「待って、にこ! ……にこッ!」

 

 

 

 考えろ。

 

 

 考えるんだ。

 

 

 プロになったにこと一緒にいられる方法を。

 

 

 

「――ッ!!」

 

 

 

 ある。

 

 

 これなら、にこと一緒にいる事ができる。

 

 

 時間はかかるけど、不確定要素も多いけれど、これしかない。

 

 

 

「にこッ!」

 

 

 

 さっきまで動かなかった足が動いた。

 

 

 海から上がり、にこのもとへ走る。

 

 

 

「待ってくれ、にこ!」

 

 

 

 にこは立ち止まってくれない。

 

 

 にことの距離が縮まらない。

 

 

 

 

「俺も、俺もプロに! プロのソングライターになる!」

 

 

 

 

 にこの足が止まった。

 

 

 俺は全力で走り、にこに追いつく。

 

 

 

 

「だから……だから、それまで待っててくれないか?」

 

 

 

 

 にこが振り向いて、俺と目が合う。

 

 

 

 

 

 

「本当に……? 本当に、プロのソングライターになる? プロになって、またにこに曲を作ってくれる?」

 

 

「ああ、絶対にプロになる。プロになって、またにこの曲を作る。時間はかかるかもしれない。でも、それでも待っててくれないか?」

 

 

「分かったわ、待っててあげる。だから、絶対にプロになって。約束よ」

 

 

「ああ、約束する」

 

 

 

 

 

 

 俺は絶対にプロのソングライターになる。

 

 

 再びにこに俺が作詞作曲した曲を歌ってもらう。

 

 

 そうすれば、今までのように一緒にいられるはずだ。

 

 

 

 

 

 

「――でも、言葉だけじゃ足りないわ」

 

 

「えっ?」

 

 

「にこが譜也を信じて待っていられるように、誓いを頂戴」

 

 

 

 

 

 

 にこが目を閉じる。

 

 

 何をするべきなのかは明白だった。

 

 

 

 

 にこに近づく。

 

 

 

 

 愛おしいその顔に、ゆっくりと接近する。

 

 

 

 

 そして俺達は。

 

 

 

 

 

 夕焼け空の下、誓いを交わした。

 

 

 

 

 

 



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最終話

 

 

 大学生になって、二度目の春を迎えた。

 

 

 春休みが終わって早くも二週間もの時間が経ち、鮮やかに咲いていた桜も今ではすっかりその影を潜めていた。

 

 

「ふぁぁ」

 

 

 自室で大学に行く準備をしていた俺は、眠気のあまりあくびを一つ漏らす。

 

 

 準備を終える。まだ家でゆっくりする時間はありそうだ。

 

 

 コーヒーを淹れてそれをチビチビと飲みながら、ここ二週間の大学を思い出す。

 

 

 大学が始まって二週間、にこは大学に姿を見せていない。

 

 

 それもその筈、にこはプロのアイドルとして活動していた。

 

 

 ラブライブで優勝したキャンパスアイドルという肩書きを引っさげ、にこは数々のテレビ番組に出演している。

 

 

 新人アイドル達のトーク番組、お笑い芸人主体のバラエティー番組、大物司会者のクイズ番組。そして、歌番組。

 

 

 歌番組でにこはプロの手がけた曲を歌っていた。その時のにこは楽しそうな顔をしていて、プロのアイドルという夢が叶って良かったと思う。

 

 

 その反面、にこに会えなくて寂しいという思いも強く持っていた。

 

 

 砂浜で誓いを交わしたあの日から、俺はにこと一度も会えないでいた。

 

 

 テレビでにこの姿を見る事ができるし、にこの出演する番組は全て録画しているので他所寂しさは紛れているが、それでもやっぱり実際に会いたいというのが本音だ。

 

 

 だけど、今は我慢の時。

 

 

 あの時にこに誓った言葉。プロのソングライターになるという事。

 

 

 俺は今それを叶えるため、曲作りに励んでいた。

 

 

 既に何曲かは完成させレコード会社に持ち込んでみたが、返事は良くなかった。

 

 

 その時は落ち込んだけど、翌日には新しい曲を作り始める。そしてまた出来た曲をレコード会社に持ち込む、その繰り返しの日々を過ごしていた。

 

 

 昨日も夜遅くまで曲を作っていた。おかげで少し寝不足である。

 

 

 眠気を解消しようとコーヒーを口につける。いつもより少し濃くいれたそれを飲むと、少し目が冴えた気がする。

 

 

 時計を見る。

 

 

 そろそろ大学へ向かわないといけない時間になっていた。

 

 

 

 

 ピーンポーン。

 

 

 

 

 インターホンが鳴った。

 

 

 こんな朝早くから訪ねてくるなんて、一体誰なんだ。というか、こんな朝から俺を訪ねてくる人物に心当たりがない。

 

 

 さては、変な宗教の勧誘だろうか。

 

 

 とりあえず大学へ行く準備を済ませて玄関へと向かう。

 

 

 ピーンポーン、ピーンポーン。

 

 

 インターホンがしきりに押される。

 

 

 靴を履き、玄関を開ける。

 

 

 

 

 そこには――

 

 

 

 

「――遅い!」

 

 

 

 

 小さな身体。

 

 

 黒髪ツインテール。

 

 

 聞き慣れた声。

 

 

 見慣れた顔。

 

 

 俺の好きな人。

 

 

 

 

「……にこ?」

 

 

 

 

 矢澤にこが、そこにいた。

 

 

 

 

「おはよう、譜也!」

 

 

 

 

 ここ最近はテレビでしか見てなかった笑顔。

 

 

 間違いない、にこだ。

 

 

 

「にこ、お前……どうしてここに?」

 

 

 

 プロのアイドルになったにこ。

 

 

 しばらく会えないと思っていたのに、今こうして目の前にいる。

 

 

 

「プロになっても、大学には籍を置いていいんだって。それで今日は仕事が入ってないから、大学に来たってわけ!」

 

 

 

 まるでイタズラが成功したようににこは笑みを浮かべる。

 

 

 よく見ると、にこは去年まで大学に来ていた時に身につけていたバッグを持っている。

 

 

「はは……なんだよそれ……しばらく会えないと思ってた」

「その辺は……にこの勘違いだったみたい」

 

 

 驚きと戸惑い。

 だけど、喜びの方が大きい。

 

 

 しばらく会えないと思っていた彼女に会えたのだから。

 

 

「それよりほら、早く大学に行くわよ! 急がないと遅刻しちゃうじゃない!」

「あ、ああ。行こうか」

 

 

 玄関を出てドアに鍵を掛ける。

 

 

 にこは少し先の方まで進んでいて、そこで俺を待っていた。

 

 

 

「ほら早く! 急がないと本当に遅刻しちゃうじゃない!」

「待てって、今行くから!」

 

 

 

 にこに向かって走り出す。

 

 

 にこに追いつき、肩を並べて大学へと向かう。

 

 

 

 しばらく会えないと思っていた。

 

 

 だけど今こうして隣ににこがいる。

 

 

 

 

 プロのアイドルになった、俺の好きな人。

 

 

 

 

「それで譜也、プロになるって約束は進んでるの?」

 

 

「ああ、何曲か作ってレコード会社に持ち込んだ。結果はダメだったけど、絶対にプロになってみせるさ」

 

 

 

 

 一緒にいられる時間は去年より少なくなるだろう。

 

 

 だけど、にこの仕事がない日は今みたいに一緒にいられる事ができる。

 

 

 

 

「そっか……頑張ってね、待ってるから」

 

 

 

 

 

 その日はきっと楽しい日になるだろう。

 

 

 

 

 

「ああ、待っててくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 これからも、少しはありそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 にこと一緒にいられる日々が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――矢澤にことのキャンパスライフが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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番外編
Only My Sunshine #1


番外編です。全4話


 

 

 四年間の大学生活を終え、俺――音坂譜也(おとさかしんや)はプロの音楽クリエイターになった。大学三年の頃からプロになって少しは活動していたが、卒業をしたことで活動を本格的にやっていくことにした。

 

 にこの方もプロのアイドルになってからはアイドル活動により力を入れていてる。多忙な時間を互いに過ごしていた俺たちは、会う時間も必然的に減っていき寂しさを覚えることもよくあった。

 

 それでも今の仕事を頑張ることが俺たちの将来のためになると信じて、会えない寂しさを感じながらも切磋琢磨する日々が続いていた。

 

 社会人として迎える仕事にも慣れてきた夏のある日。俺のもとに嬉しい誘いが舞い込んできた。

 

 

「今度の土日が休みだから、一緒にどこか旅行に行くわよ」

 

 

 電話口から聞こえたにこの誘い。こみあげてくる嬉しさを電話越しに悟られぬよう抑えながら、彼女の誘いに乗ったことをよく覚えている。

 

 それからどこに旅行に行くか、旅行先で何をしようかと考えることが多くなり、仕事が手につかない日もあった。

 

 お互いのラインで連絡を取り合って旅行の内容を詰めていき、おおよその予定を立て。

 

 そしてとうとう、にことの旅行当日を迎えた。

 

 

 

   ***

 

 

 

「ふぅー……やっと着いたわね」

 

 

 駅から降りて外に出ると気持ちの良い日差しが迎えてくれた。空は雲一つない快晴で、絶好の旅行日和と言えるだろう。

 

 

「なかなか良いな。空気が綺麗な感じがする」

 

「そうね、東京の空気とはやっぱり違うわね。んんーっ、気持ちいい」

 

 

 隣でにこがグーッと背伸びをしているが、残念ながら小さいまま。

 

 アイドルで有名人のにこは、正体がバレないように軽い変装をしている。ステージに立つときやテレビに出るときには決まってしているツインテールの髪は下ろしていて、普通のロングヘアーとなっている。

 

 ツバの長いオシャレなハットを深く被り、大きな黒縁の伊達メガネまでしている手の凝りようだ。この変装ならば彼女が矢澤にこであるとバレることはそうそうないだろう。

 

 

「譜也、とりあえず宿に行くわよ!」

 

「おお、そうだな」

 

 

 旅先で一体なにが待ち受けているのか、にことどんな時間を過ごせるのか。

 

 そんな期待に胸を膨らませながら、俺とにこの旅行は始まる。

 

 

 

 

 

 バスに乗ってこれからの予定を話ながら移動していると、あっという間に宿の前に到着した。目の前には立派な造りをした和風の建物があり、ここが今日俺たちが宿泊する旅館となっている。

 

 

「立派な旅館ね。譜也が予約したんだっけ?」

 

「そうだな。ネットで色々探した結果ここが一番良さそうだったから」

 

「やるじゃない。さあ入りましょうか」

 

 

 旅館の入口をくぐると、受付には一人の少女が立っていた。

 

 

「あっ、いらっしゃいませ!」

 

 

 少女が俺たちに気づくと、元気よく声をあげて俺たちの方に近づいてくる。

 

 この少女が従業員なのだろうか。見たところ高校生ぐらいにしか見えないんだけど。

 

 

「予約していた音坂ですけど」

 

「音坂様ですね。ようこそ十千万(とちまん)へ! さっそくお部屋の方にご案内いたします!」

 

 

 少女の勢いに押されるがまま俺たちは少女のあとをついていく。

 

 にこは旅館の中を物珍しそうにきょろきょろと見渡しているが、俺は旅館よりも仲居の少女が気になって仕方がない。バイトで働いているのだろうか。

 

 

「あの……失礼ですけど、学生ですか?」

 

「私ですか? はい、高校二年生です」

 

「ちょっと譜也、彼女が横にいるのになに女子高生口説いてんのよ」

 

「いや、口説いてないから。ちょっと気になっただけだよ」

 

「そう、ならいいわ」

 

 

 軽く殺意のこもったような視線を向けられて弁明するが、にこの機嫌を少し損ねてしまったようだ。あとでなんとかして機嫌を戻してもらわないと。

 

 

「ああ、そうですよね。私みたいな学生だと不安ですよね」

 

「いや、そんなことはないんだけど。きみはバイトか何か?」

 

「そんな感じですね。私、この家の子だからたまにこうしてお手伝いしてるんです」

 

「へえ、家の手伝いなんて偉いね」

 

「えへへ、ありがとうございます。あ、こちらが部屋になります」

 

 

 少女は照れたような笑みを浮かべながら、立ち止まった部屋の扉を開けて俺たちを中に案内してくれる。

 

 それを受けて部屋の中に足を踏み入れようとしたところ、足に何かが衝突したような痛みが走った。

 

 

「痛っ!? ……おいにこ、なんでいきなり蹴るんだよ!」

 

 

 若干目尻に涙が浮かびながらにこに抗議すると、にこは腕を組んだまま「ふんっ」と俺から顔を逸らした。

 

 

「譜也なんか女子高生とイチャイチャしていればいいじゃない」

 

 

 にこは冷たくそう吐き捨てて部屋の中にずけずけと進んで行く。

 

 そんな様子を目にしていた少女は、困ったような顔で俺に話しかけてきた。

 

 

「あの……私なにかマズいことしちゃいました?」

 

「いや、きみは何も悪くないよ。むしろ悪いのは俺というか」

 

「そうなんですね……。あの、ちゃんと仲直りしてくださいね。私にも出来ることがあれば手伝いますから!」

 

「ありがとう。気持ちは嬉しいけど、俺ひとりでなんとかするよ」

 

 

 にこが機嫌を損ねた原因はわかりきっている。俺がにこに全然構わずに少女のほうばかり相手にしていたからだ。

 

 それでもまさかこんな小さなことで機嫌が悪くなるとは思わなかったが、どうであれ彼女の機嫌を損ねてしまったのは男である俺に責任だ。

 

 部屋の中に入っていくと、にこはいじけたように膝を抱えている。俺がにこの方に近づいていっても、にこはその場から動こうとしない。

 

 少し恥ずかしいが、俺は膝をついてにこを後ろから軽く抱きしめるように腕を回した。

 

 

「にこ、悪かった。あまりお前に構ってやれなくて」

 

「……べつに、怒ってないわよ」

 

「いや、怒ってるだろ。悪かった」

 

「…………にこの方こそごめん、せっかくの旅行なのに」

 

「俺もお前との久しぶりの旅行で気が回ってなかった。これからはちゃんと、にこのこと大事にするから」

 

「……………………ばか」

 

 

 なに今の可愛すぎるんだけど。あまりにも可愛すぎてにこを抱きしめていた手につい力が入ってしまった。

 

 

「ちょっ譜也……痛い、痛いって、だめっ……」

 

 

 可愛い。可愛すぎる。可愛い。

 

 

「い……痛いって言ってるでしょうがーーーー!!」

 

 

 気がつけば顎にゴツンと衝撃が走っていた。視界が一瞬くらくらとするが、しばらくすると徐々にピントが合っていく。

 

 目の前には若干怒っている様子でにこが仁王立ちをしていた。

 

 

「いつまで抱きしめてんのよ! 痛いじゃない!」

 

「すまん……にこが可愛くてつい」

 

「も、もう……ほら観光行くわよ! いつまでも部屋にいるわけにはいかないでしょ!」

 

「お、おい引っ張るなよにこ!」

 

 

 ようやくいつもの調子を取り戻したにこに腕を引っ張られていく。

 

 部屋を出ようとして扉を開けると、すぐ目の前に先ほどの少女がいて危うくにことぶつかりそうになっっていた。

 

 

「わわっ! ……あ、仲直りできたんですね。良かったです!」

 

「そうね。さっきはアンタに対して失礼なことをしたわ、ごめんなさい」

 

「いえいえそんな、私はなにも気にしてないですから」

 

 

 目の前でにこが頭を下げている様子に少女は困った様子で慌てふためいている。年上の相手から頭を下げられているという状況に、どう対処すればいいのか分からないようだ。

 

 そんな状況がしばらく続いたあと、にこが顔を上げて少女に尋ねた。

 

 

「アンタ、名前は?」

 

「え、私ですか?」

 

「アンタ以外誰がいんのよ」

 

 

 呆れたように肩を落としてそう言うと、少女は元気よく自身の名を声にする。

 

 

 

 

「――――高海(たかみ)千歌(ちか)です!」

 

 

 

 

 少女は満面の笑顔を見せて、自身の名を名乗った。

 

 高海千歌というその少女の目はどこまでも前を見据えている。それはにこに初めて会った時と同じような目をしていて、四年前の春を少しだけ思い出し懐かしくなった。

 

 

「そう、千歌っていうのね。ねえ千歌、このあたりでオススメの観光スポットとか知ってる?」

 

「そうですね……淡島にあるダイビングショップで、ダイビングが体験できるのでオススメですよ!」

 

「ダイビング……いいわね。面白そうだしやってみたいわ! 譜也はどう?」

 

「ああ、俺もやってみたいかも」

 

 

 俺もダイビングの経験がないので、その提案には賛成だ。にこも乗り気なようだし、海の中の景色が見れるのだったら楽しそうだ。

 

 

「じゃあ決まりね。他にはどこかある?」

 

「あとは……お寺ですかね。昔からある有名なお寺らしいです!」

 

「じゃあそこにも行ってみようかしら。ありがとう、千歌」

 

「いえいえ、お役に立てて良かったです」

 

「それじゃあ譜也、まずはダイビングに行くわよ!」

 

「ちょ、だから引っ張るなって」

 

「行ってらっしゃいませー」

 

 

 にこは俺の手を引いて歩き出していく。千歌ちゃんはにこにこと笑顔で手を振りながら、旅館の入口に向かっていく俺たちを見送ろうとしていた。

 

 

「あ、ひとつ言い忘れてたわ」

 

 

 急に立ち止まったにこは、そう言って後ろに千歌ちゃんに振りかえった。

 

 

「さっきの非礼のお詫びってことでもうひとつ。アンタには特別に私の名前を教えてあげるわ。他の人には内緒だからね」

 

 

 得意げな笑みを浮かべたにこが、ニコニコと千歌ちゃんに向かって言い放つ。

 

 

 

 

「――――矢澤にこ! アイドルよ!」

 

 

 

 

 そう言い切ってにこはくるりと振り返り、旅館の入口をくぐっていった。俺もにこの後を慌てて追いかけていく。

 

 最後に旅館から出て行く間際に見た、千歌ちゃんの表情が印象的だった。

 

 考えるように顔を上に向けていた千歌ちゃんの表情が、少しずつ驚愕に染まっていったのだ。

 

 

 

 

 

「アイドル…………矢澤にこ…………えっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええええええええええええええええ!!!!」

 

 

 

 

 

 




#1初投稿 2018/01/01
 再投稿 2018/06/09

#2~4はこれが初投稿となります。


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Only My Sunshine #2

 

 俺は彼女である矢澤にこと内浦という場所に旅行でやって来ている。普段はビルが並び立つ東京を拠点にしている分、こういった自然豊かな場所は空気が綺麗なので気分が安らぐ。

 

 現在俺たちは旅館で出会った女子高生――高海千歌から聞いたダイビングができるという場所へ向かう船に乗っている。頬を撫でる気持ちいい潮風を味わいながらにこと他愛のない会話をしていると、船はあっという間に俺たちを目的地の島まで送り届けてくれた。

 

 船長さんにお礼を言って島に降り立ち、ダイビングショップを目指して歩みを進めて行く。

 

 

「楽しみね、ダイビング」

 

「そうだな。おっ、あれが店じゃないか?」

 

「そうね。ほら譜也、早く行くわよ!」

 

「ちょっ、急に走り出すなよ」

 

 

 しばらく歩いてダイビングショップらしき店が見えてくると、にこは一目散に走って行った。よほどダイビングを楽しみにしているのか。俺もにこを追いかけて走り出す。

 

 走り出したにこを追いかけていくと、にこは店から少し離れた場所で立ち止まっていた。ようやく追いつきにこの隣に立つと、にこはある一点を興味深そうに見つめている。

 

 店の前にある広々としたスペースに二人の少女がいた。青髪のポニーテールをした少女と、金髪の外国人っぽい見た目の少女。

 

 二人の少女は声でリズムを取りながら踊っている。

 

 俺はその光景を見て懐かしい気分になった。大学一年生のとき、にこが大学構内でダンスの練習をしていたあのときの光景を思い出したのだ。

 

 

「あの二人、スクールアイドルかしら?」

 

「多分そうなんじゃないか?」

 

「やっぱりそうよね。でもあの二人、どこか見覚えがあるのよねぇ」

 

「彼女たちがスクールアイドルなら、映像で見たことがあるとか?」

 

「たぶんそうね」

 

 

 短く言葉を交わしたにこは、二人の少女に熱のこもった視線を向けていた。プロのアイドルとして何か感じるものがあるのかもしれない。それが何なのかは分からないけれど、にこはとにかく二人に視線を向け続けていた。

 

 やがて二人の少女が最後のポーズをとって動きを止めた。息を切らしながらも満足気な良い表情をしている二人を見て、俺は自然と二人に拍手を送っていた。

 

 すると二人が一斉に俺たちのほうに顔を向けた。その顔が少し驚いたような表情をしているのを見て、俺は自分が拍手していることに気づいてすぐに手を止める。

 

 すると今度はにこが、その二人に向かって歩き始めていった。

 

 

「こんにちは。アンタたち、スクールアイドル?」

 

「ええ、そうですけど」

 

 

 青髪の少女が首を傾げながらにこの質問に答えた。二人とも突然話しかけられたことに困惑しているような表情をしている。

 

 プロのアイドルであり、スクールアイドルで伝説的なグループであるμ'sの元メンバーである矢澤にこに話しかけられていると知れば、二人の反応も違ったのかもしれない。しかしにこは今、俺と旅行中なので正体がバレないように変装している。旅館の千歌ちゃんにはお詫びとして正体を明かしたけれど。

 

 そんなふうに思っていると、にこは二人に向かってとんでもない発言をしていた。

 

 

「ふぅん……それにしては動きがぎこちなかったわね」

 

「ちょっ、に……お前なに言ってんだよ」

 

「譜也は黙ってて」

 

「…………はい」

 

 

 いきなり厳しい言葉を二人に浴びせたにこ。さすがに可哀想だと思って止めに入ったが、語気の強さに気圧されてしまった。

 

 しかしにこの言ったように、二人の動きに少しぎこちなさを感じたのは俺も同じだった。大学生のときに見ていたにこのダンスと比べてたらそう感じてしまう。でも俺の場合は他のアイドルのことをあまり知らなくて、にこが基準になってしまっているからそう感じただけなのかもしれない。

 

 だけどにこは二人にハッキリと言った。プロのにこが言うんだから、きっと間違ってはいないのだろう。

 

 そんなにこの言葉を受けて、今度は金髪の少女が話し始める。

 

 

「私たち三年生なんだけど、一年間スクールアイドルを辞めていて、ブランクがあるんです」

 

「だからブランクを取り戻そうと練習してるんです。でも、言われた通りまだまだ……」

 

「そうだったのね……キツイこと言って悪かったわ。でもまあ、ちゃんと分かってるなら心配ないわね」

 

 

 そう言ってにこは言葉を続ける。真剣な表情で二人に語りかけるその姿を、俺は隣で見守っていることにした。

 

 

「所々に良い動きもあったわ。あとは勘を取り戻すためにひたすら練習すれば、自然と良くなっていくわよ。頑張りなさい、応援してるわ」

 

 

 にこはしれっと真顔で二人を激励する。二人は驚いたように目を丸くさせて顔を見合わせていた。

 

 彼女たちからしてみれば、ついさっきまで厳しい言葉を投げかけていたのに急に応援していると言われれば、驚いても仕方のないことだろう。

 

 

「じゃあ私は行かせてもらうわ。譜也、行くわよ」

 

「おう。二人とも、頑張ってな」

 

 

 俺も二人に言葉をかけて、俺はにこのあとを追いかけていく。

 

 

「「ありがとうございました!」」

 

 

 声がして振り返ると、二人は頭を下げていた。彼女たちを見ていると、近い将来ステージで輝く未来が待っているような気がする。きっと素敵なスクールアイドルになるだろう。

 

 そんな予感を抱きながら、俺はにことダイビングショップに向かっていった。

 

 

 

   ***

 

 

 

「ダイビング、楽しかったわね」

 

「あぁ、海の中が透き通っていて景色が綺麗だった」

 

「そうね、またやってみようかしら」

 

「いいんじゃないか」

 

 

 目的のダイビングを終えて、俺たちは山道を歩いていた。今は宿屋の千歌ちゃんに教えてもらったもうひとつの場所、お寺に向かっているところだ。

 

 

「それにしても、結構登るわね……」

 

「汗もかいてきたし……宿に帰ったら温泉入りてえ」

 

「賛成。ほんと、この階段どれだけ長いのよ」

 

「もうすぐ着くだろ……たぶん」

 

 

 確証はなかったけれど、しばらく歩くと階段は終わりを迎え、開けた場所にたどり着いた。奥には寺が見えて、ようやくひと息つけそうだ。

 

 

「あれ? 誰かいるわね。お寺の人かしら」

 

「本当だ、ちょっと声かけてみるか」

 

 

 にこに言われて目を向けると寺の前にひとりの女性がいた。声をかけてみようと思い、にこと二人でその女性の方へと近づいていく。

 

 

「あのー、すいません」

 

「きゃっ! な、なによアンタたち! さてはこの堕天使ヨハネを狙う魔の刺客ねっ!」

 

 

 声をかけると、女性は驚いた声をあげて一歩後退して身構える素振りをみせた。

 

 それにしても彼女の言動、俺には分かる。あれは思春期特有の病気――中二病だ。そして彼女の言葉は的確に俺の心を抉っていく。

 

 

「なに意味不明なこと言ってんのよ。私たちはこのお寺を見にきたの、アンタこのお寺の人?」

 

「否。そして寺のずら丸は、この堕天使ヨハネの力を怖れて姿を隠している」

 

「お寺の人じゃないのね……って譜也どうしたの? 耳を塞いでうずくまってるけど」

 

「頼む、何も聞かないでくれ……」

 

「そう、わかったわ」

 

 

 確実に古傷を抉ってくる彼女の言葉。もはや抗う術は見当たらず、俺はその場で耳を塞ぐしかなかった。

 

 そうしていると、寺の方から微かに足音が聞こえてきた。足音はゆっくりとこちらに近づいていて、そして聞こえなくなった。

 

 

「善子ちゃん、来ていたなら読んでほしいずら」

 

「ずら丸!? ……って、善子じゃなくてヨハネ!」

 

 

 現れたのは落ち着いた雰囲気をした、茶髪の女の子だった。

 

 

「善子ちゃん、その人たちは?」

 

「あぁ、お寺を見にきたみたいよ」

 

「そうだったずら。ごめんなさい、善子ちゃんがご迷惑をおかけしました。何もないお寺ですけど、ゆっくり見ていってください」

 

 

 彼女はペコリとお辞儀をした。会話を聞く限り彼女はヨハネの知り合いで、そして常識人なのだろう。

 

 

「さあ善子ちゃん、今からランニングに行くずら! ラブライブに向けてマルたちに足りないのは体力! ランニングずら!」

 

「やだやだ、走りたくない! そうだずら丸、ランニングやめてゲームしましょ!」

 

「ランニングずら」

 

「うぅ……ずら丸の鬼ィ!」

 

 

 二人のそんなやり取りを俺とにこは傍観していた。どうやらヨハネはずら丸さんに頭が上がらないらしい。仲が良さそうで見ていて微笑ましい。

 

 すると、にこが彼女たち二人に話しかけた。

 

 

「もしかしてアンタたち、スクールアイドル?」

 

「ずら? はい、マルと善子ちゃんはスクールアイドルです」

 

「堕天使ヨハネよ!」

 

「善子ちゃんは黙っててほしいずら」

 

「……はい」

 

 

 ずら丸の厳しい一言にヨハネは意気消沈する。まるで俺とにこみたいだ。

 

 

「そうなのね。アンタたち、気に入ったわ。特に堕天使ヨハネ!」

 

「ふぇ?」

 

 

 にこにビシッと指をさされながら呼ばれて、ヨハネは気の抜けた表情になった。おそらく、あれが普段の彼女の顔なのだろう。

 

 

「アイドルにとって一番重要なのはキャラ作り。アンタはそれをよく分かっているわね!」

 

「違う……ヨハネはキャラじゃなくて本当にヨハネよ!」

 

「分かるわ。アイドルたるもの、ファンの前ではキャラを崩してはならない。ますます気に入ったわ!」

 

「うぅっ……ヨハネはヨハネなのに……」

 

 

 にこは上機嫌に熱く語る。ヨハネは落ち込んで膝を抱え、小さくそう呟いた。

 

 にこ自身、キャラ作りを大切にしてきたアイドルだ。普段のにことアイドルのスイッチが入ったにことでは、別人のように思えるほどに。

 

 だからにこは、ヨハネの振る舞いをキャラ作りと思ったのだろう。

 

 

「ちょっと、に……おい」

 

「なによ譜也。アンタもそう思うでしょ?」

 

「いや。ヨハネのあれはキャラ作りじゃなくて、一種の病気みたいなものなんだ」

 

「病気? そんな病気があるの?」

 

「まぁ……あるにはある」

 

 

 そこでまた中学生の頃を思い出してしまい、俺は強く言えなかった。ヨハネの気持ちが俺には痛いほど分かる。

 

 

「ふぅん、まぁいいわ。ヨハネ」

 

「……はい」

 

 

 納得したのかどうかは分からないけれど、にこは再びヨハネに話しかけた。ヨハネは先ほどのにこの言葉に参っているのか、弱々しい声で返事をした。

 

 

「アイドルだったら、そのキャラを貫きなさい。誰かにバカにされたり否定されることがあるかもしれないけど、アンタのその姿は魅力的よ。ヨハネが好きなファンだっているはず。私もその一人ね。だから負けそうになっても、自分を信じて貫き通しなさい。いいわね?」

 

 

 にこのその言葉は、まるでにこ自身がそういった経験をしてきたかのような言葉だった。俺と出会う前のスクールアイドル時代に、大学時代も俺の知らないところで、にこは否定の言葉をかけられてきたのかもしれない。

 

 それでもにこは自分を貫いてきた。アイドルにかける情熱と、アイドル矢澤にこを好きだと言ってくれるファンのために。そして自分のために。

 

 

「ふっ……つまり其方は堕天使ヨハネに仕える眷属というわけだな」

 

「眷属?」

 

「善子ちゃんのファンのことずら」

 

 

 疑問に思ったにこに横からずら丸が説明してくれた。

 

 

「なるほど。そうね、私はアンタの眷属よ」

 

「よかろう。ならば堕天使ヨハネの活躍、しかと見届けるがよい。ヨハネの力で偶像共が集う絢爛の舞台を漆黒の闇に染め上げてみせよう」

 

「楽しみにしてるわ」

 

 

 にこが右手を差し出し、ヨハネは得意気な顔でにことガッチリ握手を交わした。

 

 

「ヨハネ。アンタのスクールアイドルのグループ名を教えてくれる?」

 

「水の名を冠する女神――Aqours(アクア)よ」

 

「Aqoursね、覚えておくわ」

 

 

 にこも満足気な顔を浮かべて、二人は握手している手を自然と離した。

 

 Aqoursというスクールアイドルは初めて聞く名前だ。せっかくだから、俺もこれから注目して見ておこう。

 

 

「じゃあ善子ちゃん、ランニング行くずら」

 

「よかろうずら丸。舞台を闇に染める力を蓄えに行くぞ」

 

 

 そうしてヨハネとずら丸はその場から去って行った。

 

 その背中を見送りながら、俺はにこに話しかけた。

 

 

「あの二人、いいスクールアイドルになりそうだな」

 

「当然よ。にこの目に狂いはないわ」

 

「それは頼もしいな」

 

 

 にこが言うと説得力がある。プロのお墨付きだから、ヨハネとずら丸はスクールアイドルとして良いコンビになるだろう。

 

 

「じゃあ譜也、お寺見て回るわよ」

 

「おう」

 

 

 ヨハネとずら丸、そしてダイビングショップの前で出会った二人のスクールアイドルの活躍を願いながら、俺はにこと寺を見て回るのだった。

 

 

 



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Only My Sunshine #3

 

 

 お寺を見終えた俺たちは寺のあった山を下りて、宿に帰ろうと歩いていた。

 

 太陽は既に落ちかけている。夕日が歩道から見える海面を照らしていて、宝石が散りばめられたようにキラキラ光っている。

 

 そんな綺麗な景色を眺めながら歩いていると、にこが話しかけてきた。

 

 

「そうよ、思い出したわ」

 

「どうしたんだ?」

 

 

 にこは少し興奮気味に話しを続ける。

 

 

「Aqoursよ! 二年前のラブライブで、グループの一人が緊張して踊れなかったスクールアイドルがいたの。それがAqoursって名前だったのよ。映像で見たことがあるわ」

 

「ってことは、ヨハネとずら丸のどっちかが踊れなかったってことか?」

 

「違うわ、その時ヨハネはいなかった。そうじゃなくてダイビングショップの前にいたあの二人よ! どこか見覚えがあると思っていたけど、あの時のスクールアイドルだったのね」

 

「えっ……そうだったのか。だからブランクがあるって」

 

 

 ダイビングショップの前にいたあの二人を思い出す。彼女たち二人とも緊張しそうな性格には見えなかったけど、憧れの舞台の上なら緊張しても不思議ではないのだろうか。

 

 あの二人のどちらが緊張で踊れなかったのか少しだけ気になるところだけれど、さすがに聞くのは野暮だろう。もしかしたら、他にもメンバーがいたのかもしれないし。

 

 

「だったら、ダイビングショップ前の二人とヨハネとずら丸は同じグループってことになるのか」

 

「たぶんそうでしょうね」

 

 

 そんな会話をしながら宿を目指してにこと二人歩いていく。

 

 夕日に照らされた歩道には、前方からこちら方向に歩いている女性二人組を除けば、俺たち二人だけしかいない。

 

 木々が潮風に吹かれて揺れる音が心地良く、まるで絵本の中の一ページを切り取ったかのような空間。この場所に旅行に来て本当に良かった。

 

 

「なぁにこ、またここに旅行しに来ないか?」

 

「そうね、にこも同じことを考えていたわ」

 

 

 同じことを考えていたと言われて、年甲斐もなく嬉しく感じる。

 

 左手が自然とにこの手に伸びていき、にこの右手と繋ごうとした。

 

 そのときだった。

 

 

「にこ……?」

 

 

 背後からそんな声が聞こえて、とっさに左手を引っ込めた。視線だけ後ろに向けると、そこには先ほどまで前をこちらに向かって歩いていた女性二人組がそこにいた。

 

 にこに気を取られてすれ違っていたことに気づかなかった。二人の女性はその場で立ち止まり、まじまじとにこを観察している。

 

 俺はとんでもないミスをしてしまったのかもしれないと思った。背中から冷や汗が出ているのがわかる。

 

 

「おい、早く帰ろう」

 

「そ、そうね、帰るわよ」

 

 

 にこもミスに気づいているようで、少し焦った様子で帰ることに同意してくれた。これまで人のいる場面で「にこ」と名前を呼ばないよう気をつけていたのに、つい気を抜いてしまっていた。

 

 そうして前に足を踏み出そうとした、その時。

 

 

「お待ちください」

 

 

 後ろの女性から声がかかった。

 

 呼ばれたのに無視するわけにもいかず、足を止めておそるおそる振り返る。

 

 真っ直ぐな黒髪に切れ長の瞳をした女性と、赤髪ツインテールの、普段のにこのような髪型をした、大人しそうで小動物みたいな印象の女性の二人組。

 

 俺たちに声をかけたのは、黒髪ロングの女性の方だった。

 

 

「もしかして、アイドルの矢澤にこさんではないでしょうか?」

 

 

 女性はにこに向かって尋ねた。その問いは正しくて俺の隣にいるのは矢澤にこ本人なのだけれど、隣に俺がいる状態で正体を明かすわけにはいかない。

 

 今朝、宿の千歌には正体を明かしてしまったけれど、あれは例外だ。むやみやたらに正体を明かしていてはリスクが大きい。

 

 

「ごめんなさい、人違いです」

 

 

 にこが答える前に俺が答えておく。嘘をつくのは心苦しいけれど、今回に限っては仕方がない。

 

 

「そう……人違いでしたか。失礼しました」

 

「お姉ちゃん……」

 

 

 赤髪の女の子が明らかに気落ちする。ていうか姉妹だったのかこの二人、全然見えない。

 

 

「ほらルビィ落ち込まないの、お二人に失礼ですわよ。さあ、帰りますわよ」

 

「うん。帰ったら一緒にμ's(ミューズ)のDVD見よう?」

 

「そうですわね」

 

 

 そうして姉妹が踵を返し、立ち去ろうとした矢先。

 

 

「待ちなさい!」

 

 

 にこが去ろうとする姉妹を呼び止めた。

 

 まさかとは思ったけれど、そこから俺が口を挟む隙は存在しなかった。

 

 

「私が……矢澤にこよ!」

 

 

 高らかにそう宣言して、にこは変装用に被っていた帽子と眼鏡を外した。

 

 髪の毛はツインテールではないけれど、生まれ持った顔立ちは変えられない。変装を解いた今、見る人が見れば彼女が矢澤にこ本人だと分かるだろう。

 

 

「ほ、本当に、あの矢澤にこさんですの!?」

 

「でも、さっき人違いだって……」

 

 

 姉妹の二人ともまだ半信半疑といった様子。今ならまだ引き返せるが、にこはそれを選ばなかった。

 

 

「ごめんなさいね。でも安心して、私が正真正銘の矢澤にこよ。さっきはマネージャーが勝手に言ったことがから気にしないで、あとで叱っておくわ」

 

「マネージャーさん……?」

 

 

 赤髪の子が俺に視線を向けてくる。

 

 いきなりマネージャーという設定を振られどうしたものかとにこを見ると、マネージャーとして振る舞えとアイコンタクトを送られた。

 

 恋仲だとバレるよりかはマネージャーで押し通す方が遥かに懸命なのは明白なので、咄嗟のこととはいえ俺はマネージャーを演じることにする。

 

 

「はい、先ほどは申し訳ございませんでした。ですが矢澤がここに来ているのは、どうか他言なきようお願いします」

 

「なるほど、承知致しましたわ」

 

 

 どうやら上手くいったようで、ひとまず安心してため息をつく。

 

 だけど、にこはどうして正体を明かしたのだろう。やっぱりファンを大事にするアイドル精神みたいなものが働いたのだろうか。

 

 

「あ、あのっ、にこちゃん! サインください!」

 

「サインね、いいわよ」

 

「わ、わたくしもお願いしますわ!」

 

 

 姉妹はにこにノートを差し出しサインを要求する。にこは満面の笑顔でそれを受け取り、サインに応じていく。

 

 

「二人とも、名前はなんていうの?」

 

「黒澤ルビィっていいます!」

 

「黒澤ダイヤですわ!」

 

「ルビィちゃんとダイヤちゃんね。良い名前じゃないの……はい、書けたわ。どうぞ」

 

 

 にこは慣れた手つきでサインを書き終えた。受け取った二人は感極まった声をあげて、大変喜んでいる様子だった。

 

 その様子を見ていると、先ほど人違いだと言ったことが申し訳なく思えてきた。

 

 

「実は、その……ルビィとお姉ちゃんも、スクールアイドルなんです!」

 

「すごいじゃない。応援するわ、なんてグループなの?」

 

「はい! Aqoursって言います!」

 

 

 なんと、彼女たち二人もAqoursらしい。ダイビングショップの二人といいお寺のヨハネとずら丸といい、すごい偶然が重なるものだ。

 

 

「Aqoursって、ヨハネちゃんと同じグループ?」

 

「そうです! 善子ちゃんを知ってるんですか?」

 

「さっき偶然会ってね。もう一人はずら丸ちゃんだっけ? あとはダイビングショップにも二人いたわね」

 

「それ、花丸ちゃんです! ルビィのお友達!」

 

「ダイビングショップのお二人は、おそらく果南さんと鞠莉さんですわ」

 

「そうなのね、教えてくれてありがとう。じゃあ悪いけど、私はそろそろ行かないといけないから」

 

 

 そう言ってにこは立ち去ろうとする。

 

 

「サインありがとうございました! これからも頑張ってください!」

 

「ありがとう。ダイヤちゃんとルビィちゃんも、スクールアイドル頑張ってね。応援してるわ」

 

 

 にこは最後に姉妹と握手を交わした。

 

 それから俺とにこは姉妹と別れて、再び宿を目指して歩き出した。

 

 

 



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Only My Sunshine #4

 

 

 にこが黒澤さん姉妹にサインを終えたあと、程なくして俺たちは宿に戻ってきた。宿に帰ってきた俺たちはひとまず部屋に戻って荷物を置き、散策でかいた汗を流すため温泉に入ることにした。

 

 俺はあまり長風呂が得意ではないのだけれど、それでもこの日は疲れを癒すためいつもより長めに入っていた。さっぱりリフレッシュできて気持ちよく風呂から上がると、まだにこの姿はなかった。

 

 温泉から上がったあとはフロントの前にある待合スペースで落ち合うことになっていた。にこの姿がまだ見えないということは、おそらく未だ温泉に浸かっているのだろう。女性の風呂は男性より長いのが一般的だ。

 

 にこが上がってくるまで俺は待つことになる。待合スペースにある椅子に腰掛け、スマホでネットニュースなどを見てにこを待つことにする。ゆったりとした浴衣に身を包んでいるおかげか、自然とリラックスした時間を過ごせそうだ。

 

 そうやって時間を過ごして五分ほどが経った。未だにこの姿は見えず、俺とスマホのにらめっこは続いていた。

 

 そんな時、ふと耳に誰かが口ずさむメロディが入ってきた。ソプラノで奏でられる音の羅列は、違和感を抱えながら同じフレーズを繰り返していく。

 

 

「ふんふんふーん……なんか違う。ふんふふーん……これも違うわ……」

 

 

 そんな悩ましい声とハミング。音楽家としての癖が出てしまったのだろうか、俺はスマホに視線を向けたまま、無意識のうちにそれに答えていた。

 

 

「ふんふんふふーん」

 

「……ッ! そう、それよ!!」

 

「えっ?」

 

 

 そこで俺は近くにひとりの少女がいることに気づき、間の抜けた思わず声が出た。

 

 利発そうな桜色の少女は、やや興奮気味に俺のほうへズイッと顔を寄せてくる。

 

 

「あのっ!」

 

「は、はい。なんでしょうか……」

 

 

 その勢いに押されて少し後ずさる素振りを見せるが、少女は気にした様子もなく続ける。

 

 

「作曲を、教えてください!」

 

「…………はい?」

 

 

 

 

 

 それから呆気なく少女の勢いに負けた俺は、少女に連れられてひとつの部屋に案内された。その部屋には千歌ちゃんと、もうひとり知らない活発そうな少女がいた。

 

 活発そうな少女は千歌ちゃんの幼馴染で、渡辺曜ちゃんと言う。そして俺に声をかけてきた少女は、四月に千歌ちゃんの学校に転校してきた桜内梨子ちゃんと言うようだ。

 

 

「でもラッキーだったね梨子ちゃん、プロの人に教えてもらえるなんて」

 

「まさかプロの人だったなんて、知らなかったのよ……」

 

 

 梨子ちゃんに連れてこられた俺は、成り行きのまま彼女に作曲を教えている。

 

 互いの自己紹介をしたときにプロであることを伝えると、梨子ちゃんはさっきまでの勢いを失って途端に申し訳なさそうに委縮し始めた。

 

 

「ここはこの部分をいじれば、できると思うよ。やってみて」

 

「あ……ほんとだ。ありがとうございます」

 

 

 梨子ちゃんの前にはノートパソコンが置かれていて、俺はそれを横で見ながら彼女に教えている。教えていると言っても、俺がしているのはソフトの使い方や簡単なアドバイスぐらいだ。

 

 梨子ちゃんはまだ作曲を始めて三ヶ月ぐらいらしく、パソコンの作曲ソフトにもまだ慣れていないようだった。それでも何曲かは作り上げていて、聞かせてもらうとなかなかに良い曲だった。

 

 

「そういえば、作曲は趣味でしているのか?」

 

 

 ふとそんな疑問が浮かんで聞いてみると、曜ちゃんが話し始めた。

 

 

「趣味……と言えば、趣味なのかな?」

 

「スクールアイドルはやりたくて始めたから、趣味みたいなものかも」

 

 

 的を得ていない曜ちゃんの言葉に、千歌ちゃんが補足してくれる。しかしその中に、気になる言葉があった。

 

 

「スクールアイドル?」

 

「はい! 私たちスクールアイドルなんです!」

 

 

 千歌ちゃんは誇らしげな顔で言った。旅行で訪れたこの場所で、今日はやけにスクールアイドルに遭遇する。それも今まで出会ってきたスクールアイドル全員が、同じグループ名ときた。

 

 もしかしたら彼女たちもそうなんじゃないかと思い、おそるおそる尋ねてみる。

 

 

「そうなんだ。ちなみにグループ名は?」

 

「はい、私たちは――」

 

 

 千歌ちゃんが言葉の続きを紡ごうとした、その時。

 

 背後の扉が、大きな音を立てて乱暴に開かれた。

 

 

「――アンタねぇ……」

 

 

 俺が最もよく知る声がした。

 

 おそるおそる首を後ろに回していくと、そこには浴衣姿で仁王立ち、鬼の形相をこちらに向けている俺の彼女、矢澤にこがいた。

 

 

「私をほったらかしにして……なに女子高生とイチャイチャしてんのよーーーー!!」

 

 

 にこの平手が強烈な衝撃をもって頬に直撃した。

 

 

 

   ***

 

 

 

「へえー、アンタたちスクールアイドルなんだ」

 

 

 それからにこも参加して、千歌ちゃんたちと雑談を始めた。千歌ちゃんには今朝に正体を明かしているので、曜ちゃんと梨子ちゃんにも、にこは自分の素性を打ち明けた。

 

 最初は曜ちゃんと梨子ちゃんも驚き緊張している様子だったけれど、しばらく会話すると徐々に落ち着きを取り戻した。

 

 話は俺がにこにビンタされる前に戻った。俺の頬には季節外れの紅葉が鮮やかに咲いている。

 

 

「はい! Aqoursっていうグループです!」

 

 

 それを聞いた俺とにこは自然と顔を見合わせた。Aqoursといえば、今日出会ってきた人たちと同じグループだ。

 

 

「もしかして、ダイヤちゃんとルビィちゃんも同じグループ?」

 

「そうです。二人を知ってるんですか?」

 

「ここに帰る途中に会ってね。あとはヨハネと花丸ちゃんと……」

 

「果南さんと鞠莉さんだったかな? その人たちとも会ってるよ」

 

「すごい、私たちも入れたらメンバー全員ですよ!」

 

 

 曜ちゃんが食い気味に答える。しかしメンバー全員とたった一日で遭遇するとは、すごい偶然だ。

 

 今日出会った九人のスクールアイドル。いずれも個性溢れる少女たちだった。そういえば、にこのいたμ’sも九人のメンバーだった。

 

 もしかしたら、これは偶然ではないのかもしれない。そう考えてしまうほど、どこか運命じみたものを感じてしまう。

 

 

「あの、にこさん」

 

 

 千歌ちゃんが、何か聞きたそうな表情をしている。にこが続きを促すと、千歌ちゃんは話し始めた。

 

 自分たちの通う学校が廃校になるかもしれないということ。入学希望者を0から1に、1から10に増やしていって学校を存続させたいということ。

 

 かつてにこのいた音ノ木坂と酷似した境遇。そしてにこがスクールアイドルだったように、彼女たちもまたスクールアイドルなのだ。

 

 

「私たち、どうしたらμ’sみたいになれますか? どうしたらμ’sみたいに、学校を存続させられますか?」

 

 

 真剣な表情で千歌ちゃんはそう尋ねた。彼女にとってにこは同じ境遇を乗り越えた、いわば生きた教材のようなものなのだろう。

 

 その真っ直ぐな目からは、学校が大好きで、この場所が大好きで、だから守りたいという彼女の強い想いが感じ取れる。

 

 しばらく考えていたにこが、千歌ちゃんを直視した。

 

 

「まず最初に大事なこと。アンタたちはμ’sにはなれないわ」

 

「そう、ですよね……」

 

 

 千歌ちゃんが肩を落とす。聞いていた曜ちゃんと梨子ちゃんも同様に、暗い表情を浮かべていた。

 

 しかし、にこは容赦なく言葉を続ける。

 

 

「μ’sだけじゃなくて、どんなアイドルもそう。誰も、誰かにはなれないの。にこだって、μ’sの矢澤にこにはなれないんだから」

 

「……? にこさんは、μ’sじゃないんですか?」

 

 

 キョトンとした顔をする千歌ちゃん。にこの言っていることは彼女たちにとっては少し難しいのかもしれない。

 

 

「全然違うわ。μ’sのにこは、他のメンバーがいたから輝けたの。矢澤にこ一人だと、μ’sの矢澤にこにはなれなかった。昔それに気づかないで、辛い思いをしたから分かるわ」

 

 

 当時のことを思い出して胸が痛くなる。μ’sの幻影を追いかけていたにこは、見ていて辛かった。

 

 μ’sみたいになりたいと言った千歌ちゃんも、もしかしたら届かない理想に直面したとき、にこみたいになるかもしれない。

 

 にこなりに彼女たちのことを気にかけての言葉だったのだろう。

 

 

「それと、ひとつ聞いてもいい?」

 

 

 千歌ちゃんがコクリと頷く。

 

 その純粋な瞳に、にこは問いかけた。

 

 

 

「千歌は、どうしてスクールアイドルになったの?」

 

 

 

 単純な問いだった。千歌ちゃん自身がなぜスクールアイドルになったのか、なりたいと思ったのか。にこは今、その想いの根源を掘り起こそうとしている。

 

 

「……たい」

 

 

 ポツリと千歌ちゃんが呟く。小さくてよく聞き取れなかった。しかし次の瞬間、千歌ちゃんは勢いよく立ち上がった。

 

 

「――私、輝きたい! キラキラしたいんです!」

 

 

 それは抽象的な表現だった。だけど、彼女の真っ直ぐな想いがひしひしと伝わってくる。現に彼女の瞳は、キラキラと輝いている。

 

 良い答えだと思った。隣にいるにこの横顔をみると、どこか満足気な笑みを浮かべていた。

 

 

「良い理由じゃない。その気持ちがあるなら、どうすればいいかは自ずと見えてくるはずよ」

 

「ほえ?」

 

 

 さっきの眩しい顔はどこへやら、千歌ちゃんは間の抜けた表情を浮かべた。

 

 にこは若干呆れながらも、簡潔に伝えた。

 

 

「アンタだけの輝きを見つけなさいってことよ」

 

「私だけの、輝き……」

 

「そうよ」

 

 

 誰かになるんじゃない、なりたい自分になるんだ。おそらくにこはそう伝えたいのだろう。

 

 しかし全てを言葉で伝えると、千歌ちゃんのためにならない。最後は彼女自身が考えて答えを出さないと意味がない。にこは千歌ちゃんに、考えるきっかけを与えたのだ。

 

 

「じゃあ、私たちはそろそろ部屋に戻らせてもらうわ。ほら行くわよ譜也」

 

「おう。じゃあ三人とも、頑張れよ。応援してるぞ」

 

「私も応援してるわ」

 

 

 

 

 

 

  ***

 

 

 

「あれで良かったのか?」

 

「あれって何よ」

 

 

 束の間の休息を終えて東京に帰る新幹線の中、俺は隣に座るにこに尋ねた。しかし意図が伝わらなかったらしく、にこは少し不機嫌そうに顔を歪ませた。

 

 

「千歌ちゃんたちにしたアドバイス。もう少し分かりやすく伝えても良かったんじゃないか?」

 

 

 俺自身はあれぐらい考える余地を与えて良かったと思っているのだけれど、あえてそう聞いてみた。

 

 するとにこは、どこか確信めいた顔をしながら答えた。

 

 

「良いのよあれぐらいで。彼女たちなら大丈夫よ」

 

「へえ、結構自信あるんだな」

 

「まあね。知ってる? 実は私プロのアイドルなの」

 

「へえ……それは初耳だな」

 

 

 突如始まった謎のノリに乗っかってやると、なぜか横から黙って足を蹴られた。理不尽だ。

 

 抗議してやろうと思いにこに目をやると、にこは窓の外に視線を向けていた。窓の外からは、綺麗な富士山が見えている。

 

 

「にこも頑張らないといけないわね。自分だけの輝きを手に入れるために」

 

 

 車窓の向こう側をぼんやりと眺めながら、ポツリとにこは呟いた。

 

 彼女の目に、あの富士山はどのように映っているのか、少しだけ気になる。

 

 

「もう輝いてるんじゃないのか? プロのアイドルなんだから」

 

 

 俺は当然そうだと思った。プロのアイドルというのは、既に自分だけの輝きを持っている存在ではないのだろうか。

 

 そんな俺の疑問を、にこは軽くあしらうかのように嘲笑した。

 

 

「まさか……まだまだこれからよ」

 

 

 冗談で言っているようには見えない。にこは本気で、自分だけの輝きを持っていないと思っている。

 

 また高すぎる理想を持ったせいで、自分を見失うかもしれない。心配になって窓に映るにこの顔を覗き込んだ。しかし、にこの表情はどこか嬉しそうだった。

 

 それが何故なのか俺には分からないけれど、その顔は不思議と俺を不安を取り去っていった。きっと心配いらないだろう。

 

 すると、にこは俺に背を向けたままポツリと呟いた。

 

 

「だから、これからもよろしく頼むわよ」

 

 

 後ろからも見えるにこの耳はほんの少し赤くなっていて、窓に映る顔は照れくさそうだった。

 

 

「こちらこそ、これからもよろしくな」

 

 

 そう言った自分の顔が、窓に気持ちの悪い笑みを浮かべて映っている。

 

 すると窓越しに、にこと視線が合った。次の瞬間には、再びにこに黙って足を蹴られていた。

 

 

 



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