この黄金の獣に祝福を! (ニャロー)
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プロローグ
色々とオリジナル設定が組み込まれているので、注意してください。
1942年6月4日。
その日、ブロフカ市立病院にて一人の患者の命の灯火が消えかかろうとしていた。
真っ白なベッドの上で力なく横たわっている一人の男。名前はラインハルト。フルネームはラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ。
第三帝国国家保安本部長官にして、人々から『黄金の獣』と謳われた人物。それがこの男だ。
そんな男が何故死にかけているのか。その答えは今から一週間前の日に起きた事件にある。
一週間前の5月27日。自宅から勤務先へとオープンカーの車に乗って向かっていた途中、ラインハルトは突如として現れた何者かに爆弾を投げ込まれたのだ。
爆弾は車の横で爆発し、その破片は車の右側のフェンダーを破壊。車に乗っていたラインハルトの体には車体からの破片や繊維が突き刺さった。
幸いにも病院が近かった為に一時的に一命は取り止めたが、感染症による衰弱によって容態は日に日に悪化していく。
そして、6月4日の今日。遂にラインハルトは運命の日を迎えることとなったのだ。
無論、それは誰もが知っている訳では無いが、少なくとも当の本人には自分が今日死ぬという確信のようなものを感じていた。
まるで、ずっと前からこうなることを
「これが……私の
人体の黄金比とも称された美しき顔を憂鬱げに歪ませるラインハルト。
己の最期がこんな情けないものだとは、とでも言いたげな顔だが、しかしそこには何処と無く安堵しているように見えた。
「結局、この『飢え』と『渇き』を満たすことは最後まで出来なかったか」
数年前から感じるようになった二つの感情。『飢え』と『渇き』。
この二つの感情を強く感じるようになった当初は、どうしようもないもどかしさに苛まされていたが、今は違う。
「『飽いていればいい、飢えていればよいのだ』」
かつてとある者に告げた言葉を再び呟き、ラインハルトは少しだけ微笑んだ。
「所詮私はただの人。いずれ死ぬのは分かりきっていたのだ。ならば、空虚な幻想に身を委ね生を冒涜するなど以ての外でしかない」
生きる場所の何を飲み、何を喰らおうと足りぬ。だが、それでよいのだ。
現実に存在し、生に真摯であること。それこそが人としてあるべき姿。
『飢え』や『渇き』を満たす為にそのことを蔑ろにすれば、もはやそれは人では無い。ただの一匹の獣だ。
「私は人として死ぬ。神でも悪魔でもない、ただのラインハルト・ハイドリヒとしてここで死ぬのだ」
自分に言い聞かせるように呟き、ラインハルトは静かに瞼を下ろす。
あと数分もしない内に自分は死ぬ。迫り来る死の気配に、恐怖は一切感じない。
この国の行く末を見れぬことや、民を守ることが出来なくなること等々、心残りは幾らかあるが、それは後の者達を信じて託すしかない。
「
その言葉を最後に、ラインハルト・ハイドリヒは息を引き取った。
……だが、彼の物語はまだ終わらない。
黄金の獣が覇道に目覚めることは無く、一人の人間として死んだことで彼の物語は終わったかのように見えた。
しかしそれは、あくまで一時的な終わり。小説で例えるならば物語の第一章が終わったに過ぎない。
故に、これから始まるのは第二章。人として死んだ黄金の獣の続き。
さてはて────
「ようこそ、死後の世界へ!」
「……なんだと?」
いったいどのような物語になるのか。皆々様どうかご期待あれ。
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7年前の世界から
2話
大変だったぜ……(白目)
気が付くと其処は数日の内に見慣れた病院の個室ではなく、暗闇に閉ざされた空間の中であり、目の前には大理石で出来た椅子。そしてベッドの上で寝ていた筈の自分は簡素な作りをした木の椅子に座っている。
服装も病人が着る病衣ではなく、いつも仕事で着ていた仕事着を身に纏っていることに気付き、常に冷静沈着であるラインハルトにも現時点で起きている現象に少なからず驚きを隠せないでいた。
「いったい何が……」
この場所はいったい何なのか。どうして自分はこの服を身に付けているのか。そもそも、死んだ筈の自分が何故生きているのか。
次から次へと湯水のように沸き上がる疑問の数々。それらを解消すべく、現状で分かっている情報の整理から始めようとしたその時、不意にラインハルトは背後からカツン、カツンという音が聞こえると同時に何者かの気配を感じ取った。
「誰だ」
顔を後ろへと向けるラインハルト。その視線の先には一人の女が立って居た。
透明な水のように清んだ美しい水色の髪。世にもそうは居ないと確信して言える美貌。出るところは出て引っ込むところは引っ込んだメリハリのある身体。
その太股までしか無いスカートなどにより、その女性からは妖艶な雰囲気が感じられ、もしも誘惑されようものなら並み居る男達では抵抗することも出来ずに誘惑に乗ってしまうだろう。
しかし、ラインハルトは並み居る男などでは断じて無い。事実、その女性を目にした所で彼は何も感じておらず、ただ静かに女性の一挙手一投足を観察している。
『女はしょせん駄菓子にすぎん』。政界の闇に揉まれ、ある種の悟りに近い考えを本気でしているラインハルトにとって、その女性が如何に魅力的であろうと関係無いのだ。
ともあれ、そうしてラインハルトの前に現れた女性はラインハルトの横を通り抜け、大理石で出来た椅子に座ると次にこう言った。
「ラインハルト・ハイドリヒさん、ようこそ死後の世界へ!私の名はアクア。ドイツにおいて若くして死んだ人間を導く女神です」
自らを女神と名乗った女性。明らかに頭が可笑しいとしか思えない自己紹介だが、ラインハルトは目の前に居る女性が少なくとも人ではないと感じていた。
彼女から感じられる人のようで人ではない気配。強いて言うなら神の気配か。
これと似たような気配をずっと前から
「ほう、ここが死後の世界か。何ともまぁ殺風景な世界だ。てっきり死後の世界はヴァルハラのような場所だと思っていたのだがな」
「あぁそれ、よく勘違いしてる人多いのよね。死んだらヴァルハラに行けるだとか。天国ならともかく、そんな場所ある訳無いのに」
「無いのか」
「えぇ、無いわね」
【悲報】ヴァルハラ存在せず。もしも信心深い者達がそれを聞こうものなら発狂して嘆きそうなものだが、ラインハルトにとってそんなことはどうでもよかった。
「それで、卿のような麗しい女神が、ただの凡人にすぎないこの私を何処へ導くつもりだ?」
「よくぞ聞いてくれました!」
そう言うと、アクアは大理石の椅子から立ち上がりラインハルトの直ぐ目の前まで近寄る。
「今あなたには三つの選択肢があります。ゼロから新しい人生を歩むか、天国的な所に行ってお爺ちゃんみたいな暮らしをするか、異世界に転生して魔王の軍勢と戦うか。この三つよ」
「待て」
話の途中までは黙って聞いていたラインハルトだったが、最後の三つ目に関しては声を出さずにはいられなかった。
「異世界?それに魔王の軍勢だと?」
「えぇ、そうよ」
メルヘン小説にでも出てきそうな単語を告げられ、僅かに困惑するラインハルト。そんな彼の疑問を解消する為、アクアは異世界についての説明をした。
曰く、その世界は魔王の軍勢によって人々の平和が脅かされている。
曰く、そんな世界だから皆生まれ変わるのを拒否し、人が減る一方。
曰く、だから他の世界で死んだ人を肉体と記憶を保持したまま送っている。
以上のことがアクアの話した説明であった。
「卿が何を言っているのかは理解した。しかし、そのような世界に戦う力も持たない者達が送られた所で直ぐに死ぬのではないか?」
「確かにその通りよ。だから、特別サービスとして何か一つだけ好きな『もの』を持っていける権利をあげているの。強力な武器だったり、とんでもない才能だったりとかね」
「なるほど」
何か一つだけ好きな『もの』。それは察するに、『もの』ならば文字通り何でもいいということなのだろう。
「どうどう?どれを選ぶかちゃんと決めた?」
「あぁ、無論だとも」
当然、ラインハルトが選ぶのはただ一つ────
「ゼロから新しい人生を歩ませてもらおう」
「そうよね、当然異世界に……って、え?」
答えを聞いた直後、目を見開いて石のように固まってしまったアクア。それをラインハルトは不思議そうに見つめる。
「どうした?早く新しい人生を歩ませてくれ」
「えっ、ちょ、はぁ!?何で!?私の説明聞いてなかったの!?普通異世界に行くのを選ぶでしょ!?」
石化状態から解除されると同時、アクアは心底驚愕した表情でラインハルトに詰め寄った。
彼女の中ではてっきりラインハルトが異世界に行くのを選ぶとばかり思い込んでいたので、その驚きは何倍以上にも大きかった。
「ちゃんと聞いていたとも。その上で、私は新しい人生を選ぶ」
「何で何で何で!?魔王の軍勢と戦えるのよ!?勇者になったりも出来るし、そもそも好きな『もの』を持っていけるから内容次第じゃチート無双とかも出来るのよ!?それなのに何で選ばないの!?」
「決まっている。そんなものには何の魅力も感じないからだ」
魔王の軍勢と戦える?勇者になれる?あぁ、結構。それはとても心が踊るような話だろう。
特別な力を持った自分が悪い奴等を根刮ぎ薙ぎ倒し、果てには世界を救う。イメージするだけでも楽しいだろう。
だがしかし────それに何の意味がある?
戦うだけなら元の世界でも出来たこと。特別な力なんて無くとも、人は強く在れる。
神様に頭を下げ、摩訶不思議な力を授けて貰って、そんな自分は強くて格好いい等と、呆れて物も言えん。
「私は未来永劫何処にでも居るようなただの人間でいい。否、ただの人間でなければならないのだ」
それがラインハルト・ハイドリヒの抱く覚悟。もしくは矜持である。
しかし、アクアからしてみればそんなのはどうでもいいことであった。
「お願い異世界に行くのを選んで!あと一人で今月のノルマ達成なの!もう残業したくないから異世界に行くのを選んでよぉぉぉぉぉ!!」
泣きじゃくりながらアクアはラインハルトに縋りついた。
「卿、いきなりどうしたというのだ」
「びぇぇぇぇぇぇん!!」
突然の大泣きにラインハルトが若干狼狽しながら聞くも、アクアは泣くばかりで答えようとしない。
困ったことになったとラインハルトは内心でため息を吐く。いくら女の誘惑などに耐性があっても、男である以上ラインハルトと言えど女の涙には弱いのだ。
「……分かった。異世界に行くのを選ぶ」
「ぐすっ……本当?」
「あぁ、ただし二つ条件付きだ」
涙を止める為、渋々異世界に行くのを選んだラインハルト。しかし、無条件で行くつもりは毛頭無かった。
「まず一つ目、私は魔王の軍勢と争うつもりは毛頭無い。よって、卿が望むような勇者だとかには決してならん」
「それは別にいいわ。私達はリソース不足をどうにかする為に異世界人を送っているだけだから。魔王倒すとか、そこまでのことは正直期待して無いから」
一つ目の条件は容易く飲んだアクア。しかし、問題は二つ目の条件だった。
「二つ目……の前に、卿は先程異世界に行く際に何でも一つ好きな『もの』を持っていける権利をあげていると言ったな。それは本当か?」
「?えぇ、本当だけど?」
「ならば、二つ目の条件はその権利の放棄。この身一つで異世界へと送ってくれ」
「……はあああああああああ!!??」
権利の放棄という余りにも突拍子ない発言にアクアは再び驚き、驚きのあまり思わず叫んでしまった。
「アンタ本気で言ってんの!?異世界には魔王の軍勢の他にも恐ろしいモンスターなんかがウヨウヨしてるのよ!?それなのに権利を放棄するって正気なの!?」
「あぁ、勿論だとも」
迷いなく即答したラインハルトにアクアは絶句する。
「……あぁもういいや。どっちの条件も飲むからさっさと行きなさい」
驚き疲れたのか、現代で言う所の就活に疲れたフリーターのような顔をしたアクアがそう言うと、ラインハルトの足下に幾何学模様の陣が現れた。
「ふむ、これは?」
「魔法陣。これからアンタを異世界に送るから、その魔法陣から出ないようにしてね」
最初に使っていた敬語は何処へやら。めんどくさそうに手をヒラヒラと振っているアクアを見て、ラインハルトは苦笑を浮かべた。
暫くすると、椅子に座っていたラインハルトの身体が宙へと浮かび上がり、徐々に上へと昇っていく。
「さらばだ、女神アクア。またいつか会おう」
「もう二度と会いたくないわよ!!」
その会話を最後に、ラインハルトはこの空間から姿を消した。
「あぁ~終わった終わった。これで今月のノルマも達成……って、何この紙?私宛?え~と何々……何も与えずに死者を異世界へ転生させたことにより、天界規定を破ったと見なし水の女神アクアを日本担当へと異動させる……って、えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
ラインハルトが消えた後の空間にアクアの叫びが響き渡ったが、それを聞いた者は誰も居なかった。
***
晴れ渡る青空。大きく輝く太陽。中世ヨーロッパ時代に似た建物が並んだ街並み。剣やら盾やらと物騒な者を持った人々。
これが異世界かと、ラインハルトは目の前の光景を見て息を漏らす。
それは決して失望したから出た息ではない。むしろその逆、ラインハルトは一目見てこの世界を気に入った。
味のある建物の数々。人々に溢れる純粋な笑顔。そしてなにより澄んだ空気が美味い。
戦争中であったが為に、民衆の顔から笑顔が消え、排気ガスで充満していた祖国のことを思い出した分、余計この世界が気に入ったのだ。
「あぁ、私は今────生きている」
死んだ筈の自分が生きているというのは些か可笑しいが、胸の内を駆け巡るこの感情は正しく生きている証。
この時、この場所、この世界で生きている。改めてそのことをラインハルトは実感した。
「さて、感傷に浸るのも程々にせねばな」
思考を切り替え、これからどうするべきか考える。
今の自分は地位も、金も、身分を明かす物も持たない流浪人。それどころか、この世界のことについて詳しくは何も知らないのだから、生まれたばかりの新生児と大して変わらない。
とすれば、まず第一にやるべきことは金や住む所、あとこの世界での身分など生活する上で必要な物の確保。
第二にやるべきことはこの世界での一般常識や法律などの知識を得ること。
かなり大雑把だが当分の目標を決定したラインハルトは、とりあえず何かしらの情報を得るべく付近に居る人々に話し掛けようとした。
しかし、その瞬間だった。
「なぁいいじゃんかよぉ。俺と一緒に遊ぼうぜぇ?」
「くっ!離せ!!」
直ぐ真横にある裏路地から一組の男女の声が聞こえてきて、ラインハルトがそちらに目を向けてみれば、そこには腰に剣を差した男が金髪でポニーテールの少女の両手首を掴んで民家の壁へと押し付けている光景があった。
「強姦紛い、か」
そう呟き、ラインハルトは路地裏へと入っていく。
自分には関係ないことだと見て見ぬフリをする選択肢もあるにはあったのだが、ラインハルトはその選択肢を取らなかった。
彼の正義心がそうさせたのか、それとも単なる気紛れか。はたまたどちらでも無いのか。
それは本人にしか分からないが、ともかくラインハルトは動いた。
「そこの強姦魔」
「あぁ!?誰が強姦魔だって……ひぃ!?」
男の後ろから声を掛け、強姦魔と呼ばれたことに怒った男が振り返りラインハルトを見た瞬間、男の顔が恐怖に歪んだ。
身長が2メートルぐらいはある大男のイケメンが、無表情のまま虫でも見るかのような目でこちらを威圧するように見下ろしているのだから、誰だって恐がりもするだろう。
「その手を離して失せたまえ。今ならば命までは取らん」
「あっ、お、チッ!」
ラインハルトから発せられる威圧に屈し、男は少女の手を離すと舌打ちをして何処かへと歩き去っていった。
その後ろ姿を見送った後、ラインハルトは壁に凭れ掛かっている少女に声を掛けた。
「怪我はないか?
少しだけ微笑みながら手を差し出せば、少女は顔を伏せたまま無言でラインハルトの手を取って立ち上がる。
「どうかしたかね?やはり何処か怪我でもしたか」
立ち上がったままずっと無言で顔を伏せている少女。何処か見えない所に怪我でもしたのかと思い、ラインハルトが再び声を掛けた直後、少女がバッと顔を上げた。
頬はトマトのように紅潮しており、ラインハルトと同じ碧い瞳は潤んでいる。
男に強引に襲われそうになったという恐怖が消え去り、安堵したことによって涙腺が緩んだか、とラインハルトは思っていたのだが、それは間違いだと直ぐに気付く。
その少女はただ────
「さっきの目……すごくイィ」
性に興奮してるだけの雌でしかなかったのだから。
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3話
「ヒャッハー!獣殿に壁ドンからの顎クイとか俺得だぜぇぇぇぇ!」
~書き終えた後の自分~
「何書いてんだろ俺……(白目)」
いやぁ、深夜テンションって怖いですね……(しみじみ)
今回の話で「こんなの獣殿じゃないわ!ただの色魔よ!」と言われ、そのまま低評価を入れられるのは目に見えていますが、さっさと獣殿を無双させたいのでこのまま行きますごめんなさい!(土下座)
「すまない!もう一度だけ、たった一度だけでいい!先程あの男に向けたのと同じような感じで、私を見下ろしてはくれないか!?」
Q.強姦魔から助けた筈の少女が発情した雌犬のような表情になっています。どう接しますか?
A.接したくない。
「…………」
一瞬、何かよく分からない言葉のやりとりが脳裏に浮かんだような気がしたが、恐らく気のせいだろう。
「卿、頭でも打ったのか?」
「あぁ、イィ!その変な物でも見るかのような眼差し、すごくイィぞ!」
言外に『お前の言動は可笑しい』という意味を込めてラインハルトはそう伝えていたのだが、少女にとってそれはむしろ逆効果でしかなかった。
「さぁ、もっとだ!もっと私を蔑んでくれ!」
鼻息を荒くして詰め寄ってくる少女。
これまで多種多様の女を見てきたラインハルトであっても、少女のような自分から蔑まれるのを求めるタイプの女性は初めての経験だった。
どう対応すればいいか。ラインハルトは少女への接し方を考える。
少女のようなタイプの女性は確かに初めてだが、それに似たタイプの女性ならばラインハルトは何人か相手にしたことがある。
その経験を元に少女への接し方を思考すること数秒。何をどうすべきか決めた後、早速行動へと移した。
「ほう、そんなに蔑まれたいのか?」
「あぁ!勿論だとも!」
期待で瞳を爛々と輝かせ、今か今かと待ちわびている少女。
そんな少女の背後。民家の壁へとラインハルトは右手を押し付け、顔をグイッと少女へ近付ける。
「本当によいのだな?」
「うぇぁ!?」
如何に思考回路が可笑しいとは言っても、所詮はまだ年端も行かない少女。
突然の展開に驚き、奇声を発しながら今度は違う意味で頬が赤くなった少女は、それを隠すようにして顔を下げようとしたが、しかしそれは出来なかった。
何故なら、ラインハルトの左手が少女の顎をクイッと上げて掴んでおり、顔を逸らさせないように固定していたからだ。
「答えよ。卿は私にどうされたいのだ?」
絶対に逃がさないと告げている獣の如き鋭い眼光を向けられ、少女は────
「わ、わらひをメチャクチャにしてくらひゃい!!」
「あぁ、いいだろう」
己の願望を口に出し、ラインハルトはそれを受け入れた。
……数分後。
「ダメぇ……もう立てないぃぃ……」
そこには数々の言葉攻めによって足腰を完全に砕かれた少女と、何処までも晴れ渡る青空を遠い目で眺めているラインハルトの姿があった。
***
「改めまして、先程は危ない所を助けていただきありがとうございました。ラインハルト殿」
「別に礼など要らんよ、ダクネス嬢」
場所は変わってとある騒がしい飲食店の中。あの後、ラインハルトはダクネスと名乗った少女と共に裏路地から移動し、今はテーブルを挟んで向かい合わせになって椅子に座っていた。
「私はただ、婦女子が襲われているのを黙って見ていられなかったから手を出しただけに過ぎんよ」
「それでも、私が貴方に救われたのは紛れもない事実。感謝をしない理由にはなりません」
頭を深く下げ、感謝の意を伝えてくるダクネス。その様子からは先程までのような変な雰囲気は一欠片も感じられなかった。
「そうか。ならば、勝手にするがいい」
「えぇ、そうさせてもらいます」
そう言って年相応の笑顔を見せるダクネス。今この時だけを見ればまともな風に思えるのだが、ラインハルトの頭には先程見てしまったダクネスの姿が色濃く残っているせいで、まともな部類の人間だとは全く思えなかった。
「それはそうと、先程は失礼をした。落ち着かせる為だったとは言え、卿に心無い言葉を多く浴びせてしまった」
「い、いえ!むしろご褒美ですからお気になさらずこれからもどんどん私に心無い言葉を浴びせてください!」
まともとはいったい何だったのか。早口でそう言い、また頬を紅潮させて興奮し始めたダクネスに、ラインハルトは先程の自分の行動は軽率だったことを改めて認識した。
興奮した女性を落ち着かせる方法。それは相手の欲求を可能な限り全て受け入れてやること。ラインハルトは今までそう思っていたのだが、例外もあるということを今日学んだ。
「卿のような可憐な乙女に、先のようなことはもうせぬよ」
「はぅ!まさかの放置プレイ!?いやしかし、それはそれで……」
駄目だ、話が全く通じない。
いったいどのような育て方をすればこのような変態を産み出せるのか、一回でいいから親の顔を見てみたいと、ラインハルトは少しだけそう思った。
「にしても、卿に会えたのは本当に運が良かった。まさか観光しに来た初日に持ち物を全て盗まれるとは思ってもいなかった故、困り果てていたのだよ」
「それは本当に災難でしたね。仕事を辞め、遠い異国からこんな田舎の街まで遠路遥々やって来たというのに」
このままではまたさっきの繰り返しになってしまう。そう直感的に察したラインハルトが咄嗟に話題を変えると、ダクネスは悲し気な表情を浮かべた。
実はこの店へと移動する前、ラインハルトは自分のこれまでの来歴を全てでっち上げ、それをダクネスに教えていたのだ。
でっち上げる必要など無いのではないか?と思われるかもしれないが、考えても見てほしい。
よく知らない人物から『自分は女神に転生させてもらって異世界からやって来ました』などと言ってくる光景を。どう考えても怪しいとしか思えない。
そこで、ラインハルトは以下の来歴を作り上げた。
『自分はこれまで海を越えた先の異国に住んでいたのだが、勤めていた仕事を辞めたのを機に世界中の観光名所巡りをしており、この街には休息がてらに寄った。少し休めば直ぐにでも次の観光名所に行くつもりだったが、ふと目を離した隙に持っていた荷物を何者かに盗まれ、所持金も身分を証明する物も全て無くなり困っていた。ちなみにこの服装は仕事の名残であり、気に入っているから今も着ている』
これがラインハルトが即興で考えた来歴。『異世界からやって来ました』と言うよりかはマシだが、それでも普通に考えれば怪しさは充分にある。
だというのに、ダクネスはその来歴を全て真に受け、ラインハルトに心の底から同情したのだ。
二人が飲食店に来たのもそれが理由。助けてもらったお礼兼お金を持っていないラインハルトへの手助けという、感謝の気持ちとお節介の気持ちに後押しされたダクネスによって連れてこられたのだ。
「この街の治安は悪くない方だと思っていたのですが……まさかそのような事件が起きているとは。何としてもその盗人は捕まえなければ!」
心を義憤の炎で燃え上がらせ、決意ある眼差しをしながらそう豪語するダクネスだが、その表情は何かを期待しているかのように緩みきっている。
まだ出会って数時間も経っていない間柄ではあるが、ラインハルトにはダクネスの考えていることについてある程度察しがついていた。
(捕まえようとして返り討ちに遭い、あわよくばそのまま屈辱を与えられたい、か……理解不能だ)
普通の人間では決して理解出来ない変態の思考回路に呆れを抱きつつ、ラインハルトは咳払いをしてダクネスの意識を戻し、自分の方へと向けさせた。
「盗人を捕まえるのは良いが、荷物が返ってくるまで私は宿に泊まることは疎か、食べ物を一つ買うことすら出来ん。そこでだ、卿には悪いが何か仕事を紹介してくれるような場所と、身分を証明する為の物を発行してくれる場所を教えてはくれないだろうか」
「それは勿論構いませんが……仕事の紹介……身分証の発行……」
年下の少女にいい歳をした大人の男が聞くような内容ではないが、ラインハルトが恥を忍んでそう言うと、ダクネスは目を閉じて一人でウンウンと唸り始めた。
そうして暫くすると、何かを閃いたのか閉じていた目をカッと見開いた。
「冒険者ギルドに登録なされてはどうでしょうか」
「……冒険者ギルドか」
まだこの世界に来たばかりである為、ラインハルトは冒険者ギルドという存在すら知らないのだが、設定上では今の自分は世界中の観光名所巡りをしていることになっている。
もしも冒険者ギルドがこの世界にとって当たり前の存在ならば、知らないというのは可笑しいことになってしまう。
疑われる可能性は少しでも減らした方が都合が良い。そう判断したラインハルトは知っているフリをすることにした。
「えぇ、冒険者ギルドならば幾つもの仕事の紹介がされてますし、身分も冒険者カードで証明出来ますので」
「確かにそうだが、こちらの方での手続きの仕方は?私が居た国では面倒な書類を書かされたりしていたが」
「そうなんですか?アクセルの街にある冒険者ギルドでは専用の装置に手をかざすだけで登録出来るので、面倒なことは特に無いと思います」
表情を全く崩さずに、然り気無く嘘をついて情報を入手する。
流石は国家保安本部長官まで上り詰めた男とでも言うべきか、そのやり方はやけに手慣れていた。
「ただ、登録する際に登録料として1000エリス掛かるので、その点はラインハルト殿が居た国とは違うかもしれません」
「むっ……」
ダクネスの口調からして、エリスというのが恐らくこの世界で使われている通貨だというのは何となく察したが、今のラインハルトの所持金は当然0である。
「ダクネス嬢。分かってはいると思うが、今の私には払える金が無いのだが」
「あぁ、その点はご心配なく。ラインハルト殿の登録料は私が代わりに出しますので」
事も無げに言ったダクネスの言葉に、ラインハルトは一瞬だけ己の耳を疑い、次にダクネスへ不審を孕んだ目を向けた。
いくら危ない所を助けてもらったからとはいえ、ここまで尽くされてしまうと流石に何か裏があるのではないかと疑ってしまうのも当然だろう。
「それも卿の言う『礼』か?」
「え?……あぁ、なるほど」
ラインハルトの言葉にダクネスは一度だけ首を傾げたが、自分に向けられている不審の目に気付くと納得したかのような声を出した。
「これは別にお礼ではありません。エリス教徒の一人として、ただ単に困っている人を助けたいと思っただけですので」
裏の思惑など断じて無いとばかりに明るい笑顔を浮かべるダクネス。
職業柄故か、その笑顔を見てもラインハルトは疑いの心を捨て去ることは出来なかったが、少なくともダクネスのことはある程度信用出来るだろうとは思えた。
「それに、今ここで恩を売っておけばラインハルト殿とまた会う口実になりますからね!」
折角の信用が急転直下する勢いで無くなった。やはり女という生き物は何処か信用し切れないらしい。
頭を抱えたくなる衝動を抑え込みながら、ラインハルトはため息を吐いてダクネスに手を差し出した。
「色々と世話になるぞ、ダクネス嬢」
「えぇ、お任せください」
ダクネスはラインハルトの差し出した手を取って握手を交わした後、急に席を立ち上がる。
「昼からだとギルドは人で混みますから、先に登録を終わらせてから昼食を取りませんか?」
「了解した」
冒険者ギルドという物を全く知らない以上、ラインハルトに断るという選択肢は無かった。
「それでは、案内してくれ」
「はい、こちらです」
ラインハルトが立ち上がってそう告げた後、嫌な顔一つせずに了承したダクネスは直ぐに歩き始める────店の奥へと向かって。
「ここが受付です」
「…………」
歩き始めてから数分もせずに辿り着いた先には、数人の武器や鎧を装備した人々が列をなして受付と書かれた窓口に並んでいる光景があった。
「……ダクネス嬢、確か登録するには冒険者ギルドに行く必要があったな?」
「えぇ、そうですよ?」
「では、ここが冒険者ギルドなのか?」
「はい、ここがそうです」
「…………」
本日何度目かも分からぬ完全な閉口。ラインハルトは最早ため息すら出せなかった。
これは勝手なイメージではあるが、ラインハルトは冒険者ギルドと聞いた時、城とは往かずともさぞ立派な建物の中にあるのだろうと思っていた。
いや、今居る建物が決して立派ではないと思っている訳ではないが、それでもまさか冒険者ギルドと飲食店が同じ場所にあるとは思いもしない訳で。
つまるところ、何を言いたいかと言えば。
「これが……異世界か」
今居る世界と死ぬ前に居た世界とのギャップ。ラインハルトはまだそれに慣れていなかった。
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4話
↓
現在のお気に入り件数:400件超え
20件ぐらい減るかなって思ってたのに、5倍以上お気に入り件数が増えていて、しかも評価バーが赤くなってるってどういうことだってばよ……(困惑)
えっと、こんな小説でも皆様が楽しんでくれているなら嬉しいです。これからも頑張りますので、引き続き楽しんでいってください!
「次の方どうぞー」
異世界とのギャップに戦慄しながら列に並ぶこと十数分。ようやくラインハルト達の番が回ってきた。
「こんにちは。本日はどういったご用件でしょうか?」
そう言って微笑む金髪の受付嬢。その態度は正しく役人そのものなのだが、着ている服装はかなり際どい。
肩から胸の上部にまで掛けて肌を大胆に露出しており、魅惑の谷間がこれでもかと言わんばかりに見えてしまっている。
まるで娼婦か何かが着るような服装だが、彼女は恥ずかしくないのだろうか。
ラインハルトが受付嬢の服装について無駄に気にしている間に、ダクネスが前に出て受付嬢と話始めた。
「私の隣に居る彼の冒険者登録をお願いしたい」
「分かりました。では、登録手数料として1000エリス頂きますね」
「あぁ」
懐から数枚の硬貨を取り出し、ダクネスは受付嬢へと渡す。
「はい、確かに。では次に冒険者カードの作成へと……」
「その前に少しいいだろうか」
ダクネスから硬貨を受け取り、受付嬢が何処からともなく一枚のカードを取り出してきた時、受付嬢の服装から思考を切り替えたラインハルトが待ったの声を掛けた。
「はい?どうなされましたか?」
「いや何、実は私は遠い異国から来た身でな。私が居た国の方にあった冒険者とこちらの方の冒険者の仕事やその他諸々について違いが無いか確認したい。面倒かもしれんが、説明を頼む」
何の不都合も起きずにサクサクと登録作業が進むのは良いことだが、ラインハルトは冒険者というものをまだ詳しく理解していない。
ダクネスに聞けば答えてくれそうではあるが、個人に聞くより役所に勤めている者に聞いた方がより正確に教えてくれるだろう。
適当に理由を並べてラインハルトがそう言うと、ハッとした表情になった受付嬢は慌てて頭を下げた。
「す、すみません!最近の人達はだいたい冒険者について知っているので、つい説明を飛ばしてしまいました!」
「謝らずともよい。きちんと説明をしてくれるならそれで充分だ」
「は、はい!」
慌てふためきながらも、受付嬢は冒険者についての説明をし始める。
「まず、冒険者というのはですね────」
そうして、説明を受けること凡そ十分。長かった受付嬢の説明を要約すると、以下の三つになる。
・冒険者とは主にギルドから出される依頼を請け負ってモンスターなどの人に害をなすものを退治することで報酬をもらう職業を指す。
・冒険者としてギルドに登録された場合、ギルドから冒険者カードという身分証明書の代わりになる物を渡される(なお、偽造は出来ない為もしも紛失したらギルドにて再発行しなければならない)。
・冒険者は自己責任。例え死んだとしてもギルドは一切責任を負わない。
他にもレベルやら職業やらステータスやらと、色々分かったことはあるが全て挙げるとなると非常に面倒なので今回は省略する。
「以上で説明を終わりますが、何か質問などはありますでしょうか?」
「いや、大丈夫だ。時間を取らせてしまい申し訳ない」
「いえいえ!私がまだ新人なばっかりに起きてしまった不手際ですので、謝るのは私の方ですよ!」
ラインハルトが軽く頭を下げれば、受付嬢も再び頭を下げる。
二人して頭を下げている光景は何とも奇怪に見え、ダクネスは少し噴き出しそうになるのを堪えて咳払いをする。
「んんっ……それで、冒険者カードは何時になったら作るのだ?」
「そうでしたっ!で、では、こちらの水晶に手をかざしてください」
そう言って、受付嬢は窓口から直ぐ真横の位置にある奇妙な装置を手で示した。
受付嬢に言われた通りに装置の水晶がある部分にラインハルトが手をかざすと、装置は動き出して先端の針の部分から直線の細長い青色の光が発射され、台に置かれていた冒険者カードに文字と数字を描き始める。
そして暫く経つと装置から光は消え、完成された一枚の冒険者カードがそこにあった。
「不備が無いか確認しますね。えっと、名前はラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ様ですね。ステータスの方は……なぁっ!?」
完成されたラインハルトの冒険者カードを台から手に取り、何か不備は無いかと確認していた受付嬢が驚きの声を上げた。
あまりにも大きすぎた声にギルドの内に居た人々は何事かと目を向けてくるが、ラインハルトは勿論ダクネスにも分からない。
いったいどうしたというのか。ラインハルトが声を掛けようとした瞬間、受付嬢は急に立ち上がり叫んだ。
「何ですかこのステータスは!?幸運を除いた全ての能力の値が平均能力値よりも大幅どころか圧倒的と言えるぐらい上回っていて、しかも上級職を含めた全ての職業に適性あり!?こんなの普通じゃありえません!!」
「「「「はぁ!!??」」」」
正に前代未聞。受付嬢の声が建物中に響き渡り、ダクネス含むそれを聞いた冒険者達が受付嬢同様に驚きの声を上げた。
まるで化け物でも見るかのような目を一気に向けられることとなったラインハルトだが、そんな視線を一切気にせずに受付嬢から自分の冒険者カードを受け取る。
「ふむ……何か不備があった訳では無いのだな?」
「不備は無いですけど明らかに異常ですよ!!」
「不備が無いならよい。後は職業を決めて終わりだったな?」
「えっ?そうですけど……って、いやいやいや!自分のことなのに何でそんなに冷静何ですか!?」
ヒステリック気味に叫ぶ受付嬢。しかし、ラインハルトは特に驚いたりすることなく冷静沈着のまま。
如何に自分のステータスが凄いと言われた所で、まだ異世界の常識に染まりきっていないラインハルトからしてみれば「ふーん、そうなんだ。で?」という感じでしかなかったのだ。
「たかだかステータスの値が高いというだけで、何をそんなに驚く?ステータスが高くとも、それを活かせなければ何の意味も無い。重要なのはステータスではなく、その者が冒険者となった後。冒険者となりて何を為すのか。何を魅せるのか。何を遺すのか。それこそが重要だとは思わんかね?」
「その、えっと……えぇ?」
ラインハルトにそう問い掛けられ、受付嬢は困惑した表情を浮かべているが、それは全くもって普通の反応である。
ラインハルトはステータスをどうでもいいような物のように扱っているが、冒険者にとってステータスは決してどうでもいい物ではない。
むしろその逆、冒険者はステータスこそが重要なのだ。
例えばの話、モンスターの討伐依頼を冒険者に出すとしよう。その場合、どんな冒険者に依頼を受けて欲しいかと言えば決まって強い冒険者に受けて欲しいと思うのは当然だろう。
依頼を達成してほしいのだから強い冒険者を求めるのは当たり前。では、強い冒険者と弱い冒険者を見分けるのはいったい何処の部分になるのか。
容姿か?性格か?それとも着けている装備か?いいや、そんな物では断じてない。
強い冒険者と弱い冒険者を見分ける簡単な方法。それは冒険者カードを見ること。即ち、その人のステータスを見るに外ならない。
強い冒険者ならステータスは高い。弱い冒険者ならステータスは低い。それがこの世界での当たり前。
つまるところ、冒険者にとってステータスとは一種の商売道具なのだ。どうでもいい筈なんて無い。
しかし、ラインハルトが言ったことも間違いではない。
いくらステータスが高くとも、それを活かせなければ意味が無いというのは全くの事実。ステータスが高い=強い冒険者とは限らないのだ。
だがそれではステータスが信用できず、強い冒険者かどうかの見分けがつかなくなってしまう。
そこで、決まって人が次に見るのは冒険者の経歴。つまりその冒険者がこれまで何を為してきたのかを見るのだ。
強いモンスターを数多く倒していたりすればちゃんとそのことが冒険者カードに書かれており、もしも何も書かれていなければそれはまだモンスターを一匹も倒したことが無いということを指す。
倒してきたモンスターの数や種類、それらを見ることによって強い冒険者かどうかを見分ける。
ステータスと経歴。その二つこそが冒険者にとって重要なのだ。
ただ、この世界の人々にとっては大抵がステータスで見分けたりするのでステータスの方に重さを傾けてしまい、逆に異世界からやって来たラインハルトにとってはステータスよりも経歴の方に重さを傾けてしまっている。
本来ならば釣り合っている筈の天秤がどちらか一方へと傾いてしまっている状態。それ故に起きる価値観の違い。
今、受付嬢が困惑しているのはそれが原因だった。
「と、とりあえず冒険者カード作成の続きをしましょうか」
「それもそうだな」
思考を断崖の果てへとぶん投げ、叫び疲れた受付嬢はもうさっさと休みたいと思い始めていたが、ラインハルトはその様子に気付くことなく冒険者カードに描かれた職業一覧を眺める。
「ふむ……多いな」
冒険者カードをタッチしては表示を変え、またタッチしては表示を変えるという動作を何度も繰り返すが、一向に終わりが見えてこない。
段々作業染みてきて面倒になってきたラインハルトだが、ふとある職業を見て指を止めた。
「『冒険者』?」
「あっ、ダメです!」
冒険者なのに職業も冒険者とはこれ如何に。興味を持ったラインハルトが声に出して呟けば、疲れた表情をしていた受付嬢が決起迫る様子で窓口から身を乗り出してきた。
その際、彼女の胸が窓口のカウンターに乗せられ、餅のようになっているのを数人の男性冒険者達が凝視しているのだが、実にどうでもいいことである。
「その職業はダメです!ラインハルト様ならば『冒険者』よりも他の職業、特に上級職にした方が絶対にいいです!むしろそうするべきです!!」
「卿、何をそんなに慌てているのだ?」
「いや、それはラインハルト殿が『冒険者』になるのを止める為だろう」
早口で必死になって説得してくる受付嬢を不思議に思っていると、今まで無言で事態を見守っていたダクネスが口を挟んできた。
「ラインハルト殿が居た国ではどうなのかは知りませんが、少なくともこの国において『冒険者』という職業は最弱の職業なんです。他の職業の持つ全てのスキルを自由に習得することができるとはいえ、スキルポイントの消費量は多い、技の完成度は本職より劣る、そもそもスキルを覚える為に他の者から教わらなければならない、と簡単に挙げるだけでもこれ程のデメリットがあるのです。ギルドからすれば、ラインハルト殿程の高ステータス持ちを即戦力にならない『冒険者』にさせてしまうというのは何億の金を溝に捨てるのと同じこと。だから止めるんです」
「なるほど、理解した」
全てのスキルを習得できるという言葉には惹かれたが、ダクネスの説明と首を縦に何度も振って同意している受付嬢を見て、ラインハルトは『冒険者』になるのを止める。
そしてまた職業欄をタッチする作業に戻る訳だが、正直に言ってラインハルトはもう面倒になっていた。
「卿、何かお勧めの職業は無いのか?」
「お勧めですか?特にありませんが、そうですね……強いて言うならラインハルト様の戦い方をイメージして選んでみては如何でしょうか?」
「戦い方?」
「はい。冒険者である以上、モンスターとは必ず戦うことになります。ですから、自分の戦い方をイメージして剣を使うならソードマスター、魔法を使うならアークウィザードという風に」
「ふむ……」
受付嬢に言われ、自分の戦い方をイメージしようとした時、ラインハルトは何とも奇妙なイメージを幻視する。
ラインハルトが見たもの、それはもう一人の自分だ。
黄金に輝く槍を携え、無表情ではなく微笑みを浮かべ、碧眼ではなく黄金の瞳に髪を長く伸ばしているもう一人の
その姿を見た時、ラインハルトは直感的に忌避を感じた。
あれは、
「ラインハルト殿?どうなされました?」
「ッ…………」
ダクネスに声を掛けられ、ラインハルトは我に返る。
さっきのイメージは何だったのか。その答えはラインハルトにも分からない。
ただ、少なくともありえてはならない未来の一つを見たような気がした。
「いや、何でもない」
「そうですか?何やら顔色が悪いような……」
「心配せずとも大丈夫だ。それよりそろそろ職業を決めよう」
心配そうに見つめてくるダクネスから視線を外し、ラインハルトは再び職業一覧を眺め、そして決める。
「私はこの『ストライカー』とやらにする」
「『ストライカー』ですか……上級職とはいえ、かなり珍しい職業を選びましたね」
拳や脚による打撃系統の攻撃スキルが揃った『ストライカー』をラインハルトが選ぶと、受付嬢はホッと安堵のため息を吐いた。
「それでは、以上で冒険者登録の方を終わらせていただきます。貴方様にどうか素晴らしき冒険者ライフがあらんことを!」
「あぁ、激励感謝する」
受付嬢からの激励を受け、ラインハルトとダクネスは窓口から離れた。
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5話
投稿が遅れてしまい申し訳ありません。リアルで色々ありましたので投稿すのが遅れてしまいました。
もしかしたら今後もこういうことがあるかもしれませんが、どうか暖かい眼差しで許してください(土下座)
それと、知人から色々と突っ込まれたので、先に今の設定をある程度公開しておきます。
・今は原作から7年前
・ダクネスの年齢をweb版に変更
・ダクネスはクルセイダーではなく初期職業の冒険者
・クリスの顔は傷一つ無く美しい
皆様を混乱させるような書き方をしてしまい申し訳ありませんでした!
「ところでラインハルト殿。どうして『ストライカー』を選んだのですか?」
冒険者登録も無事に終わり、遅めの昼食を食べていた時、向かいに座っていたダクネスがラインハルトに声を掛けた。
「どうして、とは?」
「いえ、貴方のステータスなら他の上級職にだって就けた筈。それこそ、冒険者の花形である『ソードマスター』にもなれた。なのに、どうして拳や脚による打撃スキルしかない『ストライカー』を選んだのか。その理由を教えて貰えればと」
先の出来事を始まりからずっと見ていたダクネスは、そのことをずっと疑問に思っていた。
普通の者ならば、上級職になるとしたらメジャーな物を選択するのは当たり前のことだが、ラインハルトはそれをしなかった。
『ストライカー』を選んだ理由。ダクネスには一向にその理由が分からなかった。
「理由か……」
「言いにくいことであれば無理に聞きはしませんが?」
「いや、別に言いにくいという程複雑な理由ではない」
ダクネスの疑問に答えるか否か。数瞬だけ考え、特に話しても問題ないと判断したラインハルトはダクネスの疑問に答えることにした。
「金が無いというのも大きな理由ではあるが、それとは他にもう一つだけ理由がある」
「それは?」
興味津々で聞いてくるダクネスに、ラインハルトは少し間を空けてから答えた。
「……私はなダクネス嬢、剣で戦うどころか剣を振ることさえ出来ぬ凡愚なのだ」
「剣を振れない?まさか、ラインハルト殿も私のような性癖をお持ちに!?」
「断じて否だ」
同類でも見つけたかのようにキラキラとした目で見つめてくるダクネスをラインハルトは一言で切り捨てた。
「そうだな……言葉にするより実際に見てもらった方が早いか」
そう言うや否や、ラインハルトは飯を食べる際に脱いでいた外套からボタンを一つ千切り、それをそのままダクネスへと差し向ける。
「ダクネス嬢、このボタンを強く握ってみてくれ」
「?別に構いませんが……」
ラインハルトからボタンを受け取り、ダクネスは言われるがまま右手でボタンを強く握る。
しかし、そんなことをした所でボタンが突然消えたりする訳もなく、ダクネスの手には依然として普通のボタンがあった。
「これにいったい何の意味が?」
「意味は充分あるとも」
この無駄な行為の意味とは何か。その真意に気付くことが出来ず疑問で首を傾げるダクネスからラインハルトはボタンを受け取る。
「ダクネス嬢、卿は今このボタンを強く握ったが、ボタンには特に変化が無かったな?」
「えぇ、しかしそれは普通のことでは?ボタンを強く握った所で何か起きるわけでも無いですし」
「あぁ、普通はそうだ。だが……」
そこで言葉を区切り、ラインハルトは人差し指と親指で挟んで持っているボタンをダクネスの前に掲げる。
そして、次の瞬間────
「私が力を込めれば、こうなる」
特に強く力を入れた様子も無いのに、ラインハルトが持っていたボタンが突如として粉々に砕け、テーブルの上にその残骸が四散した。
「な!?」
「これが、私が剣を振れない理由だ」
ボタンが砕けて驚くダクネスを他所に、ラインハルトは淡々と理由を話し始める。
「私が力を込めた物は何であれ壊れてしまう。触れることや持つことは出来るが、力を込めるということだけは決して出来ない。故に、剣での戦闘を常とする『ソードマスター』にはなれんのだ」
剣を振るということは、少なからず力を込める必要があるということ。
しかし、力を込めるだけで物が壊れてしまう以上、ラインハルトは『ソードマスター』を含めた武器を使って戦う職業には就くことが出来なかったのだ。
「……なら、『アークウィザード』や『アークプリースト』のような魔法職は?魔法を使うだけなら力を込める必要は無い筈ですが……」
「生憎だが、私はこれまで魔法というものを録に使ったことがない。やろうと思えば出来んことも無いかもしれないが、まだ冒険者になったばかりで慣れてない物を主戦力にすることは些か不安が残る」
録にどころか全く使ったことがないというのが正解なのだが、そこは黙っておく。
ともかく、ラインハルトの言い分も充分に理解できるものであり、ダクネスはなるほどと頷いた。
「そして消去法で残ったのが『ストライカー』、ということですか」
「然り」
剣を振れず、魔法はまだ不明瞭な部分が多くて不安。そんなラインハルトにとって、拳や脚による攻撃スキルしかない『ストライカー』は正に天職と呼べるものだった。
何せ、魔法やスキルを使うよりも殴ったり蹴ったりする方が遥かに分かりやすいからだ。
「昔は剣を満足に振ることが出来ていたが、少し前から私の身体はこんな風になってしまってな。今では録に力を込めて物を持つことさえ出来ない」
これは本当のことであり、事実ラインハルトは前の世界でフェンシングの代表選手としてアムステルダム五輪に出たことがある。
しかし、ある日を境に剣を持てなくなってしまってからは、誰かに口頭でフェンシングの技術を教えることはあっても剣を持って実戦をするということが一度も無かった。
「医者の話では私の脳に何かしらの原因があるかもしれないと言っていたが、それも定かではない」
何故こんな身体になってしまったのか。原因はいったい何なのか。それらの答えは未だに分からない。
握れば全てが砕けてしまう。それは普通の人間では決してありえないこと。ならば、自分はもう普通の人間ではなくなってしまったのではないかと思えてしまう。
自分は間違いなく人間だ。しかし、普通の枠から外れている人間なのではないかと考えたことは幾度もある。
その度に自分はただの凡人でしかないと、自分自身に言い聞かせてきた。
「笑ってくれダクネス嬢、自分の身体を一番分かっている筈の自分でさえ全てを把握しきれていないのだ。正に無知蒙昧としか言い様がない」
無表情だった顔を崩し、自嘲するかのような微笑みを浮かべるラインハルト。それを見て、ダクネスは半ば確信めいた直感のようなものを感じていた。
本人は無自覚なのかもしれないが、ラインハルトは自分の身体の能力が常人から離れているが為に、自分が既に普通の人間ではなくなっていると勘違いしている。
ラインハルト・ハイドリヒはちゃんとした一人の人間だ。しかし、普通の人間では無い。
ラインハルトの中には少なくともそのような気持ちがあり、それによってラインハルトは普通の人間という言葉に少なからず執着しているようにダクネスは感じた。
本当にそうだという確信は無い。けれど、ダクネスはあえて口に出した。
「別にいいではありませんか。自分の身体に何があるのか把握しきれている人間なんてそうはいません。ラインハルト殿は他の人よりも力が強いというだけで、後は私達と同じ普通の人ではないでしょうか?」
"貴方は普通の人間だ"と、"私達と同じなんだ"と、想いを言葉にしてラインハルトに告げる。
出会って半日も経ってないくせして何を言ってるんだと思われるかもしれないが、それでもダクネスは何かをラインハルトに伝えなければならないと思ったのだ。
ダクネスの言葉を聞いたラインハルトは暫し目を瞬かせ、次第に自嘲とは違う微笑みを浮かべた。
「……卿の言う通りかもしれんな」
安堵したかのように、安らかな微笑みを浮かべるラインハルト。
その様子に、ダクネスは何も言わず嬉しそうな笑顔を浮かべて頷いた。
***
和やかに会話をしながら昼食を食べ終えた後、ラインハルトとダクネスの二人は仕事の依頼が貼られているギルドの掲示板までやって来た。
「さて、ラインハルト殿。どれを選びますか?」
「そうだな……」
モンスター討伐から始まり、ギルドの中にある酒場の料理人代行や土木工事の手伝い等々、多種多様に貼られている依頼の数々を眺めていた時、ふとラインハルトはあることに気付いた。
「ところでダクネス嬢、卿はいつまで私と一緒に居るつもりだ?」
「え?」
お前はいきなり何を言ってるんだと言わんばかりに不思議そうな顔をしているダクネスに、ラインハルトは僅かにため息を吐いた。
「私はこれから依頼を受けるつもりだが、卿はどうするつもりだ?まさか、冒険者でない者と一緒に依頼を受ける訳にもいくまい」
ラインハルトの頭の中では、ここでダクネスと別れる未来が描かれていたのだが、しかし運命と言うのは何処までも思い通りにいかないもので。
「あぁ、それなら大丈夫です。私も冒険者ですので」
「……なに?」
さも当然とばかりにそう答えたダクネスに、ラインハルトは思わず疑惑の声を出した。
見た目15歳の少女が、自らは冒険者だと言っているのだ。疑うなと言う方が無理な話である。
「冒険者カードは?」
「勿論持っています」
俄には信じられない為、冒険者カードの有無を確かめてみれば、ダクネスは懐からラインハルトが先程受け取ったのと同じ冒険者カードを取り出した。
「これで信じてもらえましたか?」
「……あぁ、卿が冒険者であることは間違いないようだな」
冒険者カードを出されてしまっては疑うことは出来ない。ラインハルトはダクネスが冒険者であることを一応信じることにしたが、それに伴い気になることが一つだけある。
「ならば、装備はどうしたのだ?」
見たところ剣や鎧などの武器を一切着けていないダクネスの姿にラインハルトは疑問を抱いた。
通常、冒険者というのは誰であれ何かしらの装備を肌身離さず一つや二つは着けている。
だと言うのに、装備を一切着けていないというのはどういうことか。ラインハルトはそこが気になったのだ。
「装備ですか?一応剣と鎧を持ってはいますが、それを着けるのはまだまだ先の話ですので、今は何も無いですね」
「……卿は何を言っている?」
剣と鎧を持っているのに着けないという意味不明なことを言っているダクネスにラインハルトは困惑するしかなかった。
「装備があるのならば着けた方がいいのではないかね?」
「分かってない!ラインハルト殿は分かってないです!」
ラインハルトが思ったことをつい口に出した瞬間、ダクネスはダンッ!と強く床を蹴って一歩ラインハルトに詰め寄る。
この時点でラインハルトは踏んではならない地雷を踏んでしまったことを察していた。
「いいですかラインハルト殿、確かに女騎士屈辱プレイは私の望む理想そのものですが今の私はつい少し前に冒険者になったばかりの駆け出し。今の時点から騎士となって誰かから屈辱プレイして貰えるのはかなり喜ばしいことですがそれでは後の楽しみが減ってしまうことになってしまうのです。ですから、今は基本職の『冒険者』として私が喜べるようなプレイを見つけ出し、然る後に『ナイト』へと転職して女騎士屈辱プレイを楽しむのが重要なのです!」
案の定、頬を紅潮させキラキラとした瞳をしながら口早に己の欲望をさらけ出すダクネス。
それを偶然にも聞いてしまった周りに居た他の冒険者達はドン引きした様子でそそくさとラインハルトとダクネスの近くから離れていく。
出来ることなら自分もそうやってこの場から離れたいとラインハルトは切実にそう思えたが、ダクネスが簡単に逃がしてくれるとは思えない。
さて、どうするべきか。また言葉で攻めて落ち着かせてもいいがまた精神を削られるのは勘弁したいことであり、物理的に黙らそうにもダクネスにとってはそれでさえご褒美になるだろう。
欲望を垂れ流すダクネスの言葉を全て聞き流しながらラインハルトが方法を考えている、その時だった。
「あれ、ダクネスじゃん。そんなところで何してるの?」
不意にそんな声が聞こえ、ラインハルトが反射的に声が聞こえてきた方に顔を向けると、そこには一人の少女が立っていた。
歳はダクネスと同じぐらいか。腰にナイフを差していることから冒険者であることは伺えるが、可愛らしい顔や見るからに健康的な身体には何の傷も無く、露出が少し激しいことを除けば印象としては短い銀色の髪と相俟って明るく活発そうな普通の少女のように見えた。
「ん?おぉ!クリスじゃないか!」
ダクネスとその少女は知り合いなのだろう。欲望を吐き続けていた口を閉ざし、クリスと呼んだ少女にダクネスは向かい合う。
「やっほーダクネス。それで、こんなところで何してたの?」
「丁度いい。クリス、お前に紹介したい人が居るんだ」
「ふ~ん。それで、紹介したい人って?」
「あぁ、こちらに居るラインハルト殿なのだが……」
そうやってラインハルトの方に顔を向けた時、ダクネスはようやく気付いた。
つい先程まで一緒に居た筈のラインハルトの姿が無くなっていることに。
「……あれ?」
「何処にも居ないみたいだけど?」
いつの間に居なくなっていたのか。ダクネスがキョロキョロと辺りを見渡しても、ラインハルトの姿は既に何処にも無かった。
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6話
とりあえず次回は別視点で書こうと思いますが、更新日は不定ですごめんなさいorz
本人曰く、ラインハルト・ハイドリヒという男は与えられた役目をこなすだけの無能でしかない。
何処にでも居る凡百の一人だと、ラインハルト自身はそう思っている。
しかし、それはあくまで自己評価。他人からしてみれば、ラインハルト・ハイドリヒという男は決して無能などではなく、むしろ有能すぎた。
ラインハルトが冒険者となってから一週間。これまでに受けた依頼の様子を見れば、その異常性がはっきりと見えてくるだろう。
ケース1。風邪で休んだ料理人の代わりとしてギルドに付属しているレストランの厨房に入った時。
「アンタの料理の腕前を見てから何の仕事を任せるか決めたい。一度俺がこれに書かれているレシピの手本を見せるから、その後はそこにある食材を使って同じものを作ってくれ」
料理長からそう言われて渡された数々の食材とレシピが記された一枚の紙。
ラインハルトはこれまで料理など全くしたことが無かったが、レシピがあるならそれ通りに作ればいいと思い、料理長の手本を見た後にさっそく準備へ取り掛かった。
料理無経験であったが為に包丁捌きはたどたどしく、食材を取るのに少しだけ時間が掛かったりはしたものの、それは最初の方まで。慣れてくれば包丁捌きも上手くなり、食材を取るのも速くなった。
そうして出来上がったラインハルト作の料理。料理長の動きを真似たおかげで素人にしてはまずまずの出来映えになっただろうとラインハルト本人はそう思っていたが、料理長は違っていた。
ラインハルトの料理が出来た時、そしてその料理を一口食べた時、料理長ははっきりとした戦慄を覚えた。
何故なら、ラインハルトが作った料理は料理長が作った料理と寸分違わない見た目をしており、香りも味も食感も完璧に再現されていたのだから。
レシピ通りとは言え、録に料理もしたことが無い素人が何十年も料理の道を生きてきた人物と全く同じ物を作ったのだ。冗談か悪い夢としか思えない。
「よ、よし、アンタの仕事は俺の補佐だ。俺が指示を出すから、アンタはそれ通りに動いてくれ」
これまで培ってきたプライドが砕けそうになるのを必死に耐えながら、料理長はラインハルトが厨房に立つことを認めた。
そして、料理人代行として本格的に働き出してから僅かのこと。ラインハルトはまたしても料理長を戦慄させる。
料理長から出される指示をラインハルトは忠実にこなすのだが、その速度と精密さが時を進める毎に増していくのだ。
一番忙しい時間帯である昼飯時になる頃には、既にラインハルト一人で厨房のほとんどを回せる程になっていた。
それによって他の料理人達は手持ち無沙汰になってしまい、皿洗いぐらいしかすることが無くて誰もが困惑しているのを他所に、仕事が終わるまでずっと一人で厨房を回し続けたラインハルトに向けて料理長は思わず「アンタ本当に人間なのか!?」と叫んだ。
ケース2。アクセルの街の外で土木作業をした時。
「邪魔な岩の撤去。それがテメェの役目だ」
そう言って棟梁からピッケルを渡されたが、ラインハルトは棟梁に待ったの声を掛けた。
ピッケルは折れてしまう可能性が高いという旨を伝えるも、戯れ言と判断した棟梁はそれを無視して他の作業場所へと移動してしまった。
聞く耳を持たない棟梁に諦め、仕方なくラインハルトがかなりの手加減をしてピッケルを振ってみれば、案の定岩と共に粉々に砕け散った。
これでは仕事にならないと判断し、どうするべきかと思考すること数秒。ふとあることを閃いたラインハルトは懐から冒険者カードを取り出す。
そして、何故か大量にあった初期ポイントを使って『ストライカー』のスキルを全て習得する。
こういう誰でもお手軽に強くなれるというのはラインハルト的にはあまり気に入らなかったが、郷に入っては郷に従えという言葉があるように、この世界では当たり前となっているスキルを試してみることにしたのだ。
スキルを習得した後、汗拭き用にと用意されていたタオルを何枚か両手に厚く巻き付け、拳に通る痛みが無くなったのを何度か確認してからラインハルトはさっき習得したばかりのスキルを使って岩を殴ってみた。
するとどうだろうか。岩はまるで大砲で爆撃されたかのように見事に木っ端微塵となり、後には小さくなった大量の石ころが地面に落ちているだけ。
拳での破壊が可能という事実に気付くや否や、ラインハルトは習得したスキルを次々と実際に試していく。
邪魔な岩を撤去出来ると同時に、使ったこともないスキルを試せるという正に一石二鳥。
ゴロゴロと転がっている岩を殴ったり蹴ったりして次々と破壊していくラインハルトを、周りで作業していた他の作業者達はドン引きした目で見ていた。
ケース3。辞めた従業員の代わりとして宿屋に入った時。
「貴方には受付係としてカウンターに入ってもらいます」
宿屋の女将から渡された従業員の制服に着替えた後、ラインハルトはそう言われた。
「微笑みを浮かべてお客様に対応すること。特に難しいことでも無いので問題は起きないと思いますが、何かあれば直ぐにこのベルを鳴らしてください。私は今から料理の仕込みがありますので対応出来ませんが、代わりにそこの主人が対応してくれますので」
女将はカウンターに置かれている銀のベルを指差し、直ぐに慌ただしく奥の厨房へと去っていった。
「まっ、気楽にやってくれや。案内とかは俺や他の従業員がやるから、お前さんはお客様に迷惑を掛けないようにしてくれりゃいいさ」
女将が去った後に残された宿屋の主人は人が良さそうな笑みを浮かべてラインハルトの肩を叩いた。
しかし、この時宿屋の主人はラインハルトのことを確実に侮りすぎていた。
ラインハルトが宿屋の受付係として働くこと凡そ一時間。宿屋はこれまでにない程の人で賑わっていた。
「ねぇねぇお兄さん、この後って時間ある?」
「よければ私達とお茶でもしませんか?」
「あっ!ずっるーい!それ私達の方が先に提案したのに!」
女性、女性、女性、見渡す限りに女性一色。ラインハルトが居なければ女の園かと錯覚してしまう程の女性客が宿屋に詰め寄っていた。
彼女達が何故宿屋に詰め寄っているのかと言えば、原因は勿論ラインハルトである。
忘れては困るが、ラインハルトの容姿は人体の黄金比と称される程に美しい。
基本的に無表情である為、多くの人はラインハルトのことを美しいと感じるよりも怖いと感じてしまうのだが、今のラインハルトは仕事とは言え常に爽やかな微笑みを浮かべている。
しかも普段から使っている何処か天上人じみた口調は完全に丁寧で紳士的なものへと変わり、誰に対しても気さくに対応している。
簡潔に言葉にするなら纏う雰囲気を変えただけ。だが、たったそれだけのことで、ラインハルトはアクセルの街に居る数多の女性達を虜にしてしまったのだ。
そして、女性の噂話というのは広まるのが早い物。宿屋に人生で一度見れるかどうかのイケメンが居ると噂が流れれば、それを確かめに何人もの女性が宿屋に向かう。
そして、実際にラインハルトを見て、一目で心を奪われた女性達が少しでもラインハルトと話したくてカウンターに詰め寄ったり、カウンターの近くにあるテーブルに座ってラインハルトと個人的に話せるチャンスを狙うようになる。
だが、待ってるだけでは腹が空く。そこで女性客達は料理を望むようになる。
その結果、宿屋は多くの女性達で溢れかえり、料理を作る女将や主人だけでなくそれを運ぶ従業員達は大忙し。
もはや宿屋ではなく料理屋として機能し始め、それはラインハルトの仕事の時間が終わるまでずっと続いた。
この他にもラインハルトは様々な仕事に手を出し、その度に予想以上の成果を出す。
そして、ラインハルトが冒険者となってから僅か一週間。ラインハルトの懐には依頼の報酬金だけでなく多額のお礼金まで入っていた。
その数、凡そ200万エリス。
「……冒険者とはこんなに儲かるのか」
元の世界と比べて、たった一週間真面目に働いただけでこんな金額を稼げるこの世界にラインハルトは戦慄したが、それは勿論違う。
一流の冒険者ならともかく、まだ駆け出しの冒険者では日に数万エリス稼ぐのが限界で、普通ならこんなにも稼ぐことは出来ない。
駆け出し冒険者が一週間で200万エリスもの大金を稼ぐのは不可能に近い。だからこそ、それを成し遂げてしまったラインハルトは正に異常だった。
「凄いものだな、この世界は」
しかしながら、自分を無能だと思い込み、周りが凄いと勘違いしているラインハルトにはそれが気付けない。
そしてそれを指摘する人物も居ないせいで、現地点でラインハルトの勘違いが解かれることは無かった。
「それはともかく、これをどうするか……」
200万エリスという大金を手に入れたラインハルトは、その使い道について考える。
食費や泊まっている宿の宿代として幾らか引き、また幾らかは貯金するとはいえ、それでも100万以上のエリスは確実に残る。
当初の目標であった金を稼ぐ方法や住む所、身分証明となる物の確保は完了し、この一週間で仕事の合間にこの世界での常識などの知識もギルドにある書物や人から聞いたりして既に粗方覚えている。
さて、本格的に金の使い道が無くて困っていると、ラインハルトの前に一人の冒険者が通り過ぎた。
「チクショウ、また武器屋に行かなきゃいけねーのか。めんどくさい……」
ぶつぶつと文句を垂れ流し、刀身が半ばから折れている片手剣を抱えている冒険者を見て、ラインハルトはあることに気付く。
「そう言えば、武器が無かったな」
冒険者であるにも関わらず、自分は装備を何一つとして着けていないことにラインハルトは思い至った。
『ストライカー』というもはや全身が一種の武器と化した職業に就いてはいるものの、いつまでも素手のままというのは些か心細い。
ギルドの書物で知り得たことではあるが、世の中には幽霊や精霊と言った魔法攻撃は効いても物理攻撃は無効なモンスターが多く居るらしく、ずっと素手に頼っていてはいつか手痛いしっぺ返しを食らうことになるだろう。
「となると、必要となるのは魔法攻撃がそれ単体で可能な武器か」
杖のように魔法の威力を高める物ではなく、それ自体が魔法攻撃となるような武器。それがラインハルトに必要な物だった。
どうしてそんな物を必要とするかと言えば、原因は『ストライカー』のスキルにある。
残念なことに『ストライカー』のスキルには─────魔法攻撃が可能なものが無い。
つまり、『ソードマスター』のように剣に魔力を纏わせるだとか、『アークウィザード』のように魔法を杖からぶっ放す、ということが『ストライカー』には一切出来なかったのだ。
拳に魔力を纏わせることが出来れば、物理攻撃無効な相手にも有効打を打ち込めるのだが、そういったスキルが無い以上は諦めるしかない。
どうしても魔法を使う必要があるならば転職することも吝かでは無いが、折角就いた職業なのだ。転職するにはまだ早いだろう。
「……モンスターと戦ったことも無いというのに、我ながら随分と偉そうなことだ」
自嘲しつつ言葉を溢した後、ラインハルトは意識を切り換える。
武器を買うなら武器屋に行くのが当たり前だが、ラインハルトの欲してる武器が普通の武器屋に置かれているとは考え難いし、そもそも剣や杖ではラインハルトの力に耐えられないだろう。
そうなると、行くべき場所は自然と絞られ、最終的にラインハルトはとある一件の店に目星をつけた。
ラインハルトは行ったことは無いが、人伝に聞いた話によるとその店は女性が一人で経営しており、世にも奇妙な道具が沢山売られているらしい。
他にも、その店主は特大の巨乳だとか、男性経験は無いらしいだとか、ぽわぽわとしていて見てて和むだとか、全て店主についてのどうでもいい話しか無かったが、ラインハルトは奇妙な道具という点に自身の望む物があるかもしれないと予測を立てていた。
「では、早速向かうとしよう」
そうして、ラインハルトは歩き出した─────『ウィズ魔道具店』に向かって。
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