小麦粉のソーマ (中枢美食機関)
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小麦粉の幸平

 

「おあがりよ!」

 

 薙切えりなは、差し出された料理に絶句した。

 

「君、これは何?」

「何って、『たまごかけご飯』じゃないっすか、薙切試験管どの?」

 

 卵料理というお題に対し、幸平創真が作り上げたのは炊きたてほかほかのご飯に生卵を乗せたごく一般的な『たまごかけご飯』であった。

 

「──ふざけないで!! やはり底辺の料理人ね。舌切って死になさい」

「待てよ……もちろんただの『たまごかけご飯』じゃねーよ。俺が作ったのは──

 

 ──『「化ける」たまごかけご飯』だ!」

 

 えりなは目を見開いた。それはどこからどう見ても、ただの『たまごかけご飯』だ。庶民的且つ底辺的なそのご飯を、えりなは料理とは呼ばない。そして食べ物とも呼ばず、それは彼女にとって庶民の『餌』でしかない。

 

「まあ、一口でいいから食ってみろよ」

 

 ただ──創真の顔がやけに自身に満ちあふれ、そして語幹が有無を言わせないものであったのに丸め込まれる。

 

「一口だけ、味見してさしあげます……」

 

 箸で取り、口へ運ぶ。えりなは咀嚼した瞬間、露骨に不快な顔をする。

 対して創真は口角を上げた。

 

「……不味い。これはまるでゲロをドブ川で煮詰めた味。君は生卵を殻を割らずに丸飲みして死ぬべきよ。さよなら」

「おっと、薙切試験管どの! 『化ける』のはこれからっすよ!」

「何を……うんっ!?」

 

 そのとき、ふいにえりなの身体が跳ねた。

 胸がざわつく。なんだろう、なぜだか──この『たまごかけご飯』が、無性に食べたい。

 

 えりなの箸が、『たまごかけご飯』へ伸びる。

 

「おっと、一口だけじゃなかったけぇ?」

「くっ」

「美味しいって認めるなら、食わせてやるけどよぉ」

 

 意地悪く笑みを浮かべる創真。ただ苛立たしいだけの顔を前に、えりなは歯噛む。

 

 こんな男の、こんな料理に屈するなんて。

 

 衝動に抗う。しかし、身体は『たまごかけご飯』を求めた。

 

 葛藤すること数秒。

 

「美味しい……わよ!」

 

 肯定してしまえば、その皿を食したいという思いが爆発した。

 えりなは人の目も気にせず一気に掻き込む。

 

「これが、ゆきひらの料理だ!」

 

「え、えりな様!? くっ、貴様! 一体どんな調理法を……!」

 

 えりなの秘書、新戸緋沙子が創真に問う。いや、問いただす。

 

「言ったろ? ただのたまごかけご飯じゃない、()()()たまごかけご飯だって。俺は普通のたまごかけご飯に、()()調()()()を入れたんだ!」

 

 創真はそれを見せつける。

 

「それは──小麦粉!?」

「そうだ!! それもただの小麦粉じゃない、幸平特製、魔法の小麦粉だ!!」

 

 ──お食事所ゆきひら、裏ノ裏メニュー其の五八。化けるたまごかけご飯!!

 

「化けるのは──薙切えりな、食べたアンタ自身だけどな!」

 

「しゅごくおいしぃのぉ……あへぇ……」

「えりな様ーーっ!!」

 

「お粗末!!」

 

 ──幸平創真、遠月茶寮料理學園、高等部編入試験、合格!!

 

   *

 

 四月。遠月茶寮料理學園の始業式が行われていた。

 対象は一年生。代表の薙切えりなが壇上に立ち、そして学園総帥の薙切仙左衛門が激励を飛ばす。

 

 そしてその場を継いだのは、高等部編入生代表、幸平創真。

 

「この学園のことは正直──踏み台としか思ってないっす。

 思いがけず編入することになったんすけど、客の前に立ったこともない連中はもちろん、裏の舞台も知らない連中に負ける気はないっす」

 

 挑戦的な演説に、会場全体が創真を敵と認識した。

 

   *

 

 入学して最初の実習授業、幸平創真は田所恵とペアを組まされていた。

 

 お題は牛肉の煮込み。

 ぎこちない恵ではあったが特段問題もなく料理をしていたものの、創真の入学式の演説を根に持った生徒によって料理を台無しにされてしまう。

 

 煮込んでいた肉。その鍋に溢れんばかりの大量の塩が詰められていたのだ。

 

「な……! 何で……!? どどうしよう! この肉はもう使い物にならない! 残り30分、もうダメだー!」

 

「安心しな田所。この肉はまだ死んじゃいねー!!」

 

『!!』

 

 肉の惨状を見ていた周囲がざわつく。

 

 創真は肉を掘り出すと、皿に盛りつける。そして担当教師に差し出した。

 

「おあがりよ!」

 

 相手はローラン・シャペル。『笑わない料理人』の異名を持つ、多くの生徒を退学にする怠慢教師である。

 

「……君たちの組はアクシデントがあったはずだが……」

「そうっす! だからこれは『牛肉の塩煮込み』っす!」

 

 ローランは料理名に顔をしかめた。肉はまだ塩の白が表面についている。

 それは料理ではない。ただの破棄食材だ。

 

「……Eだ」

「退学……! 私の人生終わったべーー!!」

 

「まあまあ、食べもしないで判定すんのは早漏じゃないっすかね? 一口くらいお願いしますよっ!」

 

 創真は自信たっぷりにローランを見据える。その瞳には希望が宿っていた。

 

「創真くん……」

「よかろう。……まあ、食べなくとも結果は見えているがね」

 

 ローランが肉にフォークを当てる。硬い。そもそも煮込み時間が足りていない。ナイフで強引に切れば、中は赤いままだった。 

 

「Eだ。そして幸平創真くん、君はこれで除籍処分としよう」

「死んだべー!!」

 

「まあまあ。一口でいいんすよ。一口!!」

 

 根負けしたローランが肉を口に含む。

 

「しょっぱい。これは塩だな? 不味い。君はこの肉を煮込んだときの塩を全部飲んで死ぬべきだ」

 

 言い終えて、ローランは自身の異変に気づく。

 

「な、なんだ……こんなに不味いのに……手がとまらない!!」

 

「あれあれぇ、どおしたんすか、不味いものを進んで食べる必要なんかないっすよねぇ? つまりこの皿は美味しいってことですよねぇ?」

 

「ぐああ……認めたくない! だが、手が止まらん! いいだろう、幸平創真、Aをくれてやる! だからその肉をもっとよこせ!」

 

 肉を向ければ、ローランは夢中になって塩肉を貪った。

 

「そ、創真くん、一体何を──」

「いいぜ田所、教えてやる。俺が使ったのは──小麦粉だ!!」

 

 ──な、なんだってー!!?

 

 部屋中が驚愕を口にした。

 

「それも幸平特製、魔法の小麦粉!! 提出した肉についた白い粉は、塩だけじゃなかったんだ!!」

 

「うおおおお!! しょっぱい! だが! やめられない!」

 

 唸るローランの顔が、次第に緩んでいく。

 

「おい!見ろ! あの『笑わない料理人』ことローラン・シャペル先生が──!!」

 

 そして『笑わない料理人』は、だらしない笑みを浮かべた。

 

「あへぇ……」

 

「お粗末!!」

 

 こうして幸平創真は、最初の苦難を乗り越えたのだった。

 

   *

 

 初日を終えた幸平創真はこれから住むことになる寮へ向かった。

 

 そこで持ちかけられたのは入寮試験。ろくな食材もない状態で、管理責任者である大御堂ふみ緒を認めさせろというのだ。

 

 創真が目を付けたのは鯖缶。

 

「すいません、これこのまま食うんじゃダメすかね……?」

 

「本気で言ってるのかい? なら今日は野宿して野垂れ死ぬといい」

「……すんませんした」

 

「言っとくけど、まともな見た目じゃなきゃ食べてすらやらないからね!」

 

 創真は舌を打つ。

 不用意な発言がハードルを上げてしまった。

 

 そして創真が作ったのは鯖缶とご飯をまぜたもの、『ねこまんま』。

 

「おあがりよ!」

 

 創真は意気揚々と、高らかに告げた。

 

 ふみ緒は創真を睨むだけだった。

 

「……お前さんは今使った鯖缶の空き缶でも食って死ねばいい……!」

「いやいやいや。待ってくださいよぉ……! せめて一口! 一口だけ食べてくだせえっ!!」

 

「ダメだ! ほら出てった出てった!!」

 

「……、……いやぁ、冗談っすよ。まだ下拵えの途中でして……」

 

「下拵えを薦めたのかい?」

 

「……」

 

 無言のまま、創真はねこまんまをラップで包み丸める。それを鍋に入れ適当な調味料で煮込み──

 

「──完成!! これが幸平特製、鯖のつみれだ!! これなら文句ないっすよね!?」

 

「見た目だけは──いやつみれにご飯まざってるような」

「ご飯入りっす! さあさ、まず一口、おあがりよ!!」

 

 ふみ緒は渋々口へ運ぶ。

 

 そして、吐き出す。

 

「不味いっ!! なんだいこれは! お湯にみりんと醤油を入れて茹でただけだね!!? そして鯖臭い!! まるでお前さんの料理人としての腕前がそのまま出てるようだ!」

 

「辛辣っすねぇ……!」

 

 創真の額を冷や汗が伝う。

 

「こんなもの、料理じゃないよ! 幼稚園児の泥団子の方がマシ……! 今すぐここから消え……!?」

 

 そのとき、ふみ緒が胸を押さえた。

 

「アンタ、一体何を……」

「──ただのつみれじゃ、なかったんすよ……! これは醤油とみりんで煮込んだだけじゃない! 幸平特製の魔法の小麦粉も入ってるんだ!」

 

「魔法の小麦粉……うっ!?」

 

 呻いたふみ緒は、その後何かに取り憑かれたかのように泥団子以下のつみれを食らった。

 そして──

 

「あへえ……」

 

「お粗末!!」

 

 極星寮腕試し──合格!!

 

   *

 

 部屋が割り振られた幸平創真だったが、そこに現れたのは裸にエプロンをした青年だった。

 

「やあ編入生くん! おいで! 歓迎会だよ!!」

「歓ゲイ会……だと?」

 

 どこからどう見ても薬でもキメているであろうその人物の名は一色慧。

 

 慧に案内されたのは205号室。

 

 そこには同じ一年の吉野悠姫、伊武崎峻、丸井善二、田所恵、その他数名が集まっていた。

 

 行われるのは文字通り歓迎会だった。

 創真にコップが手渡され、濁りのある液体が注がれた。

 

「これは……酒!? まさか密造……」

「ただのお米から出来たジュースよ」

「ほらほら金色のお茶もあるぞー!」

 

 出てきた飲み物は酒とビール。彼らは未成年である。

 

 そこへ伊武崎が、煙を漂わせる。

 

「この煙は──タバコ!!?」

 

 完全に無法地帯であった。

 

 歓迎会が盛り上がる中、創真が厨房へ向かった。宴会ように、簡単なつまみを作る。

 もちろん隠し味は、小麦粉だ。

 

 歓迎会の中心では、裸にエプロンの明らかに正常ではない青年が踊っていた。

 

 

 ──これが後に伝説となる、玉の世代の極星寮である。

 

  *

 

 幸平創真は白い粉の扱いに長けた料理人だ。中学のときにはすでに裏の世界に足を踏み入れており、その技術があれば高校など行く意味がないと思っていた。

 父親が無理矢理に進めいなければ、そのまま実家を継いでいただろう。

 

 しかし──彼は、自身が住む寮で出会った人物を思い浮かべる。

 

 どれも、自分と同じようなポテンシャルを持っていた。

 

 そして管理責任者の大御堂ふみ緒。彼女もまた、一筋縄でいく相手ではなかった。ただ小麦粉を使えばいい、それが通用しなかった。

 ここにはそんな相手が沸くようにいるのだろう。

 

「そういうことかよ親父……!」

 

 創真は一人笑った。その学園で一番になることは、創真の料理を高めることになるだろうと。

 

 

 これが彼──『小麦粉の幸平』の覇道の始まりだった。

 

   *

 

 同時刻。同学園内で、彼らはいた。

 

 

 

 ある者は、准教授の下で、植物に水をやっていた。

 

 

 ある者は、科学に長けた者の下で研鑽する。

 

 

 ある者は、『神の舌』を持つ少女に付き従う。

 

 

 

 これは食の登竜門、遠月茶寮料理學園において、玉の世代と呼ばれた中でも特異な料理人の物語である。

 

 




※本作は煙草、酒、薬物の摂取を推進するものではありません。
 酒と煙草は二十歳から、薬物は未来永劫いかなる場合でも摂取しないでください。


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