君の瞳のその奥に (楠富 つかさ)
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第1話 いつかの夜と今の私
「恵玲奈、また私以外の女のこと考えているでしょう?」
真っ暗な部屋に二人、抱き寄せた彼女の瞳が真っ直ぐに私を捉える。彼女の猫のような眼に写った私は……どこか自分でないような風に思えた。
「……ごめん」
その謝罪は目の前の彼女にか、自身にか、はたまた……。
「いいよ。いっぱい甘えさせてくれたらね」
そう言って口づけを交わす。甘く柔らかな彼女の唇に触れると、私の心の奥にあるもやもやも少し晴れていく気がして……夢中で彼女をむさぼった。
「んちゅ、ちゅぱ……あぅ、ん」
膨らみの乏しい身体を重ねているとじわじわと身体が熱を帯びていく。それでもどこか寂しくて、私たちは一線を越えられない……。もどかしくてもどかしくて仕方が無い。私は彼女に彼女ではない別の人物を重ね、それでも好きだと行ってくれる彼女が、私の寂しさを見透かしているようで……。
「もっと、甘えさせて?」
求められれば求められる程に自分が惨めに思えて……だからこそ、この温もりを離したくない。
「んちゅ、ちゅぱ、ずちゅぅ……」
この温もりを離してしまえば、私はきっと彼女に甘えて……いや、依存してしまうだろう。彼女の幸せを崩すわけにはいかない。だから私は目の前の彼女に彼女を重ね、愛そうとすることで自分を保っているのだろう。
「まだあの女のことを考えているの? ダメだよ。今は私と恵玲奈だけの世界なんだから……そうでしょう?」
そうだとも……だからもっと、甘えて欲しい。私を私たらしめて欲しい。
夏休みも終盤といった八月半ば。私はクラスメイトが住む寮の一室で、忙しさのあまりに手つかずになっていた宿題をやっていた。
「うわっと、もうこんな時間。ごめんね叶美、宿題見てもらっちゃって」
「ううん。気にしないで」
彼女が住むのは学業や課外活動で優秀な成績を修めた者が集まる菊花寮。一人部屋だが二人部屋よりやや広く、私と部屋の主である叶美、そして彼女の“二人のカノジョ”が居てもちょっと狭い程度にしか感じない。
「紅葉ちゃんとかおりちゃんもごめんね。叶美との時間邪魔しちゃって」
「いえいえ。中等部時代のお姉さまの話を聞けて楽しかったですから」
「きにしなくてへーき。えれなちゃん、わたしのなかまだからね!」
「十四歳に胸元を見られて仲間意識を持たれるのは流石に泣いちゃうよ?」
叶美の二人のカノジョ、中三ながら落ち着きと艶やかさを持つ和風美少女の城咲紅葉ちゃんと、中二ながら童女の心と笑みを持つロリ系美少女の北川かおりちゃんだ。紆余曲折あって三人で恋人といううらやま……希有な関係にある彼女らと私は、こうして時折会って話をすることがある。さて、お仕事行かなきゃだね。
「取材先、どこなの?」
「菊花寮の部屋だからすぐそこだよ。じゃ、Adios señorita」
スペイン語混じりで別れを告げる私の名前は西恵玲奈。新聞部と放送部を掛け持つ報道系女子だ。生徒から話を聞いてインタビュー記事を書くのも仕事の一環というわけで、取材を受ける生徒の住む部屋へ向かうのです。
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第2話 君の話を聞かせて
彼女の部屋は叶美の部屋からも近い。ひょっとしたら二人は顔見知りかもしれないなと思いつつ、ドアをノックして返答を待つ。
「……はい、どうぞ」
落ち着いたアルトボイスで返答がきた。少し間があったような気はしたが気にしてもしかたない。取り敢えず入ると、部屋はいたってシンプルだった。それもそうか、彼女はまだ菊花寮に入ったばかりなのだから。寮のシステムとして、3月の春休みと8月の夏休みのタイミングで寮の部屋割を変更するのだが、桜花寮に関しては双方が変えたいと申し出ない限り、卒業、退寮、転寮によってのみ起こる。菊花寮への選出も同じ時期に行われ、文芸コンクールで賞を取った彼女が菊花寮にやってきたわけだ。今頃、桜花寮では部屋割の変更が行われているかもしれないね。もしくはしばしの一人部屋を満喫しているか。
「さて、自己紹介させてもらおうかな。私は西恵玲奈。高等部2年で新聞部の所属だよ。というわけで、取材させてもらうね。須川美海さん」
須川美海、この部屋の主である高等部1年の女の子。私より少し背が高いがそれでも平均ほどだろうか。肩にかかるかかからないかといった長さの髪は黒く、日焼けと縁遠そうな白い肌との対比が綺麗だ。雰囲気を動物に例えるならば猫だろう。クールな瞳にしなやかな四肢、こちらの動きに意識を張っているのがよく分かる。
「……座りますか?」
「あぁ、ありがとね」
「……飲み物、持ってきます」
「おぉおぉ、ありがとありがと」
部屋に備え付けの勉強机とセットになっている椅子に腰掛けると、須川さんがお盆に飲み物の入ったコップを二つ載せて戻ってきた。
「……麦茶、どうぞ」
「麦茶、好きなの?」
どことなく緊張した面持ちなのでそれをほぐそうと質問する。こくりと頷いた彼女は、自分の分である麦茶を少し飲んでベッドに腰掛けた。コップは床に置かれたお盆の上。まだローテーブルとかチェストはないのだ。
「そう言えば、どうして制服なの?」
今、彼女が来ているのは水色のブラウスとグレーのスカート。ネクタイもグレーベースのものを着用している。ちなみに私は私服の半袖シャツとサロペットのズボンだ。……子供っぽいのは否めない。
「……取材だと聞いたので。正装をと思いまして」
なるほど、真面目で純粋っぽいね。彼女がどんな私服を着るか少し気になるかも。新聞部や放送部以外の後輩と出かけることなんてないから彼女の私服を見る機会はないんだろうなぁ。
「……その、取材まだですか?」
「もう始める? うーん、じゃあ、始めちゃおうか」
もうちょっと打ち解けたかったんだけどねぇ。先方からそう言われては始めるほかないよね。気持ちを切り替えて、メモ帳と愛用のペンを取り出した。
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第3話 インタビューと約束
「須川さんは今回入選した詩をどのように思い付いたのですか?」
頭を取材モードに切り換えて口調も丁寧にする。
「私は普段から詩を書いているのですが……今回の詩は先日読んだ小説に影響された部分もあるかしら。
……人の道、曖昧だけど必要不可欠なものを表現に込めるのが好きね」
最後、ほんの少しだけ笑みを浮かべて話してくれた彼女。写真を撮るスキルが私にあったら、今の瞬間は確実にシャッターチャンスだった。脳裏によぎった後悔を頭から追い出して取材を続ける。
「なるほど、奥深いテーマですね。今回の詩に影響した小説の作家さんとはどなたなのですか?」
文芸部と言えばこれまでにも何人か取材してきたけれど、本格的に小説を書いているという人は少なめで、どちらかと言えば彼女のように賞も多い詩や俳句・短歌といった韻文をメインにしている人ばかりだった。
「今回は少し暗いお話を読んだの。作家さんはたしか黒渕素実ね。普段は……若い男女の群像劇を読むことが多いかしら。恋愛には発展せず感情を深く掘り下げていくような感じで。影響された作家さんだと……そうね、横戸美智彦や松本洋太郎かしら。詩人であれば……大畑章雄や四倉三代も好きね」
……知らない名前だ。取材する上で幅広い知識が必要になるのね。小説も読もう、うん。作家さんの話しをする彼女は最初に感じた取っつきづらさは薄らいで、年相応の可愛らしい女の子に思えた。
「詩よりも世界が膨らんだ時は小説にするわ。普段読んでいる作品は恋愛未満な関係を描くことが多いから私は恋愛小説を書くようにしているわ」
須川さんの書く恋愛小説……どんな作風なのかしら。恋愛小説は書き手との距離感って人によるって以前聞いたことがあるからなぁ。
「では小説についても質問させてもらいますね。恋愛小説とのことですが、舞台はどちらですか?」
「……学校ですね。あの、私は詩をメインに書いているので小説の話は必要ないんじゃ……?」
あはは……言われてみればそうかも。でもまぁ、個人的にも気になるし。なんて理由は言わないけれど。
「取材するにあたって須川さんの詩は全て拝読しました。その中に少ないですがとても女の子らしい恋愛をテーマにした詩もありましたので、そちらに関しても気になるのですよ」
「上っ面っぽい理由ですね……。まぁいいですけど」
うぅん……鋭いなぁ。まぁ、聞かせてくれるみたいだからいいか。女の子だもんね、恋愛について知りたい語りたいってあるだろうし。
「須川さんは百合ってどう思います?」
「……はぁ? いきなり花の話ですか?」
なるほど。知らないんだ。まぁ……そういう人もいるよね。周りへの関心も高くなさそうだし……。美人さんだからなぁ。ファンクラブとかありそうなのに。ちなみに、叶美にもファンクラブがある。立ち上げたのは私だが。他にも生徒会元会長、元副会長、現会長、あと剣道部の太刀花さんや私のルームメイトの恵にもファンクラブが存在する。っと、ファンクラブのことはどうでもよくて。
「あぁえっと、花の話ではなくてですね、星花にいると女の子同士のカップルを目にすることが時折あるかと思いますが、そういう恋愛のあり方をどう思いますか? ということです」
私が説明を終えると須川さんは少しだけ考えてから口を開いた。
「私自身、恋愛経験はありませんので一般論のように聞こえそうですが、一度相手を好きになってしまえば相手の年齢、性別、国籍、宗教……その他諸々、どうでもいいと感じるのではないかしら」
「なかなか情熱的な考えですね」
「……そうかしら? もっとも私は、誰かに好かれるようなタイプには思えませんけどね。……ふぅ、もういいかしら? 人と話すのは不慣れなので疲れました」
どこかで言葉をしくじったかも……なんだか表情が暗くなってきちゃった。潮時だろうね。ここで引き下がっても相手にしてもらえなさそうだし。
「はい、取材協力ありがとうございました。夏休み明けに配布される増刊号にて記事が載りますので楽しみにしていてくださいね。では、お疲れ様でした」
そう言って私が部屋を立ち去ろうとすると……
「……西先輩」
「ん?」
須川さんに後ろから声をかけられた。
「……また、お話ししてくれますか?」
「もちろん。貴女が望むなら、ね。Adios」
須川美海、彼女をより深く知りたいと思ったのは新聞部あるいは放送部に所属しているからか……はたまた私自身が理由なのか。不思議な充足感を抱きながら私は菊花寮を後にした。
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第4話 金髪女神との邂逅
「さてさて、原稿書かないと」
インタビューの内容をまとめて記事にするのが新聞部のお仕事。原稿を書くためのパソコンは旧校舎にある新聞部の部室に設置されている。寮から行くととても遠いのだが、まぁ致し方ない。歩きながら文章をまとめてみようと考えていると……。
「おや、あの金髪……」
自然な金色にあの素晴らしいスタイル、そして制服にトートバッグを肩にかけているだけで絵になる存在感……高等部一年のエヴァンジェリン・ノースフィールドちゃんじゃないか。私も二ヶ月くらい前に取材をさせてもらった時に
「Yeah Elena, it's been a long time ago! I missed you. Here, let's hug you?」
百合談義の結果かなり意気投合してこうして会う度に情熱的なハグをする仲なのだ。キスをせがまれることも多々あるけれど流石に遠慮している。あと、洋風な名前のせいか英語で声をかけられることがある。
「英語で声かけられても全部は理解出来ないって言ったでしょ? ハグは分かったけど」
流石にネイティブのナチュラルなクイーンズイングリッシュを英検すら取ったことない一般的な高校生が理解するのは難しいって。一応はちゃんと勉強してるし酷く不得意でもないけれど。
「そうでしたわ。エレナ相手だとついつい」
「あと、私こう見えて先輩なんだよねぇ」
私はエヴァちゃんより身長もおっぱいも小さいけれどさ。学年は一個上なわけだし、少しくらい敬って欲しいわけよ。
「それもそうでしたわね。日本人は先輩に対して礼儀正しくしなければって恋葉も言ってましたわ」
このはちゃん……ああ、ルームメイトの娘か。ちょくちょくエヴァちゃんの話題に上がるのだが、私は会ったことない。部活には所属してないらしく特に目立つ部分もないため知らない部分が多い。そういえば、エヴァちゃんに聞きたいことがあったんだった。
「漫研で作ったアンソロが生徒会の検閲で不可くらったって本当?」
臨海及び林間学校のごたごたでちょっと裏を取るのが遅れているネタなのだが、生徒会が漫研の作品を星花祭で頒布するなと命じたらしい。その辺をせっかくだし当人から聞いてみよう。
「oh その件ですか。はい、事実ですわ。渾身の出来だったのですが……」
「そっかあ。残念だったね。エヴァちゃんの描く絵は私も好きだから。……まぁ内容はともかく、ね」
ちょっとしょんぼりとしたように見えたエヴァちゃんは一瞬で表情を明るいものへ変えた。
「でも大丈夫です。生徒会の人たち全員が読んで下さったということは、多くの人に読んでもらうという目標は達成できたということですから!」
彼女の金髪と同じくらいの煌めきが溢れる笑顔に、私もつい笑顔になる。
「困っているとすれば在庫ですわね。エレナ……先輩も一冊どうぞ。そういえば先輩って桜花寮でしたかしら?」
一冊手渡された冊子の表紙はむつみ合う二人の女の子。前回のは確かノーパンだったからパンツを二人ともちゃんと穿いているだけ成長はしているのか……ただ陰影なのか色の濃淡なのか、その……クロッチにあたる部分だけ濃く塗られてるのは……ねぇ。
「まさかルームメイトにも渡せと」
「はい、そういうことです。よろしくお願いしますね、セ・ン・パ・イ♡」
まぁ後輩の頼みを断るというのも野暮だし、せっかくなのだから二冊受け取ってあげよう。
「そう言えばお金は? いいの?」
そう聞きつつ私も自前のトートに百合アンソロを収める。夏休みの課題が見えなくなる位置に入れた。現実逃避ではない……というか財布……どこだ?
「お金は結構ですわ。では、そろそろ部屋に戻りますわ。ごきげんよう」
そう言って立ち去るエヴァちゃん。相変わらず良い匂いするなぁ。クラクラしちゃうよ。これルームメイトの女の子、大丈夫かな? 色んな意味で。と、財布は……。
「……あ!」
須川さんの部屋か。ペンケースと間違えて出しちゃったのを思い出した。こりゃ思ってた以上に早い再会になっちゃったや。そんなことを思いつつ、私も寮へ向かうのだった。
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第5話 未知あるいは既知との遭遇
寮の前に着くと叶美が紅葉ちゃんとかおりちゃんを見送っているところだった。
「あれ? どうしたの?」
「ちょっと忘れ物しちゃって」
「わたしの部屋?」
「ううん、須川さんとこ」
叶美と短い会話を交わしながら玄関で靴を脱いでスリッパを履く。さっきまで取材していた須川さんの部屋へ進みノックをして返事を待つ。
「……どうかしましたか、西先輩」
不思議そうに目を細める須川さんに財布を忘れた旨を伝えると、部屋に通してくれた。おそらく備え付けの勉強机に置いてあるはず。そう思いながら須川さんに着いていくと、
「あぁ、あれで――――」
彼女が急に足を止めるものだからぶつかってしまった。あぅ、トート落としちゃった。
「……先輩? それって……」
須川さんの視線の先には――――私のトートから飛び出した、さっきエヴァちゃんに貰ったアンソロジーがあった。これは、どうしたらいいのだろうか。
「ええと、読む? マンガなんだけど」
「……え? あ、では、はい」
読むの!? さっきの取材でうかつに百合の話をしたのがマズかったかな。アンソロにめっちゃ百合の花描かれてるしタイトルにも百合ってついてるし。取り敢えずベッドに腰掛けて読み始めた彼女を横目に財布を回収した私も取り敢えずアンソロを読むことにした。五分ほどの時間が経っただろうか。なんだか、そう厚くない本なのに濃密な時間を過ごした気がする。
「……いい本ですね。高い画力と活き活きとしたコマ割り。マンガのことはあまり詳しくないですけど、作者の好きって気持ちが伝わってくるようです。もっとも、ストーリーはよく分かりませんでしたが」
概ね同意。絵は可愛いしコマ割りも突然四コマになったり一ページが一コマになったりと読者を翻弄する活き活きとしたものなんだけれど……全編通して女の子同士のキスが繰り広げられているだけに見える。ていうかこれ、ストーリー漫画じゃなくてルポ? 百合メイド喫茶って……噂くらいは聞いたことあるんだよなぁ。ていうかこれを涼しげな顔を保ったまま読めるってスゴいな須川さん。
「……これ、頂いてもいいですか?」
「へ!? あ、うん。どうぞ」
よほど気に入ったのかな……。ちょっと前まで百合を知らなかった彼女が? 目新しい物好きとか? というか、ゆっくりしてる場合じゃなかったや。
「私、部活に戻らなきゃだから帰るね。忘れ物ももうないね、じゃあね須川さん」
ばたばたと慌ただしく部屋を去る私を、須川さんは見送ってくれた。
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幕間 美海の気持ち
「なんだか不思議な人……だったな。どうして、こんなに……」
西先輩が去ったあと、不意にそんな言葉が口をついた。なんだか胸の内がぽかぽかするような気がする。そもそも、なかなか人と話すことのない私は、このインタビューを最初は断ろうと思っていた。
ただ、最初に取材申請に来た西先輩の礼儀正しい雰囲気につい引き受けてしまったのだ。いつもあんな感じなのかと思ったら今日の取材直前はやけにフランクな感じだったし……あれは、私の緊張をほぐそうとしていたのだろうか。
「そうだったら、悪いことしてしまったかしら」
取材をせかすようなことを言ってしまったのは少し反省すべきかもしれない。でも、取材に入ってからの西先輩はとても話しやすく感じた。話したいことを巧く引き出してくれるような感覚で、あんなに話したというのに疲れたような感じはない。
恋愛について聞かれて、つい恥ずかしくなって疲れたなんて言ってしまったけれど、やっぱりもっと話したい。それに、この本……。女の子同士のキスばかりが描かれていて、表紙に書かれたタイトルには西先輩が取材で話していた、花の名前としての意味とは異なる意味での百合の文字が。
裏には漫研の判が押してあって、一番上に高等部一年、エヴァンジェリン・ノースフィールドと印字されている。同級生で、イギリスからの留学生、金髪で美しい彼女の噂を何度か耳にしているし、廊下ですれ違ったことも何度かある。日本の文化を非常に愛しているとも聞いたが、これが日本の文化なはずはない。
ただ、この少女同士のキスにえもいわれぬ昂揚を覚えたのも事実だ。身体が熱くなって、少しだけクラクラするような……。西先輩がいたから努めて冷静な態度をとってはいたけれど、変なことを口走ってはいなかっただろうか。少し不安になる。もし、もしもあの本に描かれている二人が、私と西先輩だったら……。
「えっ?」
どうして、そんなことを考えるんだろう。この気持ちは……いや、そんなはずない。だって、まだほんの数回しか会ったことないのに。でも……この感情は、私が小説や詩に籠めていた感情……。不意に西先輩の顔が脳裏をちらつき、取材の時に発した自分の声がリフレインする。
――一度相手を好きになってしまえば相手の年齢、性別、国籍、宗教……その他諸々、どうでもいいと感じるのではないかしら――
同性の先輩に一目惚れ、したのかしら。私が……?
「もしかしてこれが……恋、なのかしら」
なろう版にはない書き下ろし追加エピソードだよ
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幕間2 後輩と妹
ここで少し新聞部の話をさせてもらいたい。新聞部は音楽系を除けば文化部の中でも比較的大きい四十二人体制の部活で、月に一度校内新聞を発行している。A3の紙を二枚使って八面の新聞だ。長期休み明けの増刊号ではその二倍になる。まさに今、その十六面もある大きな新聞を作るべく部員は奔走しているわけだ。とはいえこの校内新聞の全てを新聞部が作っているわけではない。文芸部や漫研には連載のお願いもしているし、図書館通信を兼ねている面もあるため図書課の先生や図書委員とも繋がりがある。園芸部の植物紹介やこの時期だと天文部の星の見方講座なんていう枠もある。各運動部のインターハイでの結果やそのインタビュー記事も載せる。私の主な担当は文芸部、漫研、イラスト部、掛け持ってる放送部、運動部は少なめで剣道部と陸上部だけ。新聞部員の全員が記者ではないから、五十以上ある部活のうち複数を担当しないと間に合わないのだ。そして記者役の部員はおおよそ高等部の生徒と中等部の生徒がコンビを組んで活動するようになっている。
「恵玲奈先輩!!」
ただし増刊号の時期は二人一組だと手が回らないため個別に動いてる。私が後輩で相棒の清水文佳と別れ個人で須川さんのインタビューに行っていたのもそれが理由だ。
「太刀花様と一対一でお話出来て私感激ですわ」
文佳ちゃんは中等部二年で良家のお嬢様らしいふんわりと上品さを漂わせる美少女である一方で、学園に三割いるとされる公言する程の生粋の百合娘だ。高身長の年上が好みらしく私は対象外だ。ほぼ同じ身長だし。……でも胸は中二のくせに私より……ぐすん。
「でもさ、太刀花さんってもう相手いるんでしょう?」
「それでも構いません。あぁいった剛毅な方ならきっと何人だって。ほんの少しの寵愛をいただければそれでいいのです。はぁ……恋しいです」
そこまで素直になれる彼女が少しだけ羨ましいと思っているのも事実だ。もし彼女みたいに素直になれたら……私も叶美の恋人になれたかな。ううん、叶美の恋人が私だけってことだってきっと……。私は女の子が好きってわけじゃなくて、叶美だから好きになったんだもん。紅葉ちゃんやかおりちゃんだって可愛いけど私だけだったら……。一番近くにいたつもり、なんだけどな……。このぽっかりと空いた心を須川さんなら……って何考えてんの私!
「先輩? 顔を赤くなされてどうなさったのですか?」
「ううん、何でもないって。文佳ちゃんだって少し赤いよ? やっぱり暑いもんね」
「そうですわね。夏休み中はクーラーがかかってませんし、でも私は太刀花様に会えて昂揚しておりますわ」
窓の向こうの青空に目をやりながら、はたと妹のことが気になった。
「星玲奈はどう? 元気してた?」
西星玲奈は私の妹で文佳ちゃんと同じ中等部二年で寮も同じ部屋だ。剣道部で頑張っている自慢の妹。夏の大会は三回戦で負けちゃったけど頑張りの成果はちゃんと現れていたと思う。
「せれちゃん今日も頑張ってましたよ。太刀花様も褒めていらっしゃいました」
運動部は夏の大会で代替わりだ。今の剣道部は太刀花さんが主将をやっている。主将に褒めてもらえるなんてやっぱりうちの妹はすごいや。
「さーて私も妹に負けないよう頑張ってお仕事しますか!」
「そうですね、私もこの高揚感を忘れないうちに原稿を仕上げてしまいたいですわ」
仕事に集中して雑念を追い払いたい、そんなことも少しだけ思いながら部室へと足を運んでいた。
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第6話 巡り合わせ
40日ほどの夏休みが終わった九月一日、全校生徒は行動に集まり始業式に参加している。理事長の話はビジネスに少し絡めた分かりやすく聴いていて苦にならない程に短くまとまったものだった。その後、教頭先生から各部や個人の表彰なんかが行われ、最後に校歌を斉唱して終わった。教室へ戻ると、やはりどこか浮かれた雰囲気が教室を支配していた。それもそうだろう、夏休みの間には臨海林間学校や部活の合宿や星花祭の準備も行われており、想い人との距離が大いに縮まったり、恋仲になったりした人も多くいるだろうから。特に高校二年なんて前にも叶美に言ったけれど恋の季節だ。高等部からの入学であっても一年の時間を経て積み重ねた想いが……みたいな、ね。翻って私は……いやぁ、やんなっちゃうね。
「恵玲奈? どうかしたの?」
「ううん。なんでもないよ」
叶美、どこか自信なさげで隠れ美少女の代表格的存在だった君が今は眩しくてしょうがないよ。立場が人を変えるとはよく言われるけれど、年下の女の子二人から愛されて君は……随分と大人びた魅力を放つようになったよね……。本人に言うことはまぁないだろうけれど、ますます惚れちゃいそうだよ。ほんとに。
「何かあったら言ってね。力になるから」
叶美に頼るのはちょっと難しい相談だろうなぁって、そんなことを思っているうちに二学期初日は過ぎていった。配布された校内新聞の増刊号をトートに押し込んで、教室を出ると珍しい人に声をかけられた。
「西さん、少しいいかしら?」
「え、赤石さん? いいけど、何?」
赤石燐、去年のクラスメイトで今年も授業で時折同じ教室になることもあるが、そこまで仲良いわけでもない。夏になる少し前からどこか角が取れて取っつきやすくなったが理由はおそらく恋。叶美が前に中学生から声をかけられているのを見たらしい。そんな赤石さんに言われるがまま食堂にやってきたのだが、座るといきなり
「かつてローマの哲学者フェルロック・マーシャルソートはその著書『フィロソフィアの紙片』にて「目に見えるものに手が届かないのならば、見えない障害を排除し損なっている」と記しているわ。至極当然のことよね」
「えっと……どゆこと?」
柔らかく微笑む赤石さんの表情に魅せられてつい聴いてしまったが、何のことだかさっぱり分からない。
「後輩がね、貴女のことを知りたがっているのよ。どこか辛そうな目をしていう貴女のことをね……」
須川さん、か。同じ文芸部に所属している二人。赤石さんは相談しやすい先輩ってわけだ。女の子同士の恋が成就しているから、か……。
「赤石さんはさ、どうやって彼女と付き合うようになったの? 年の差もそこそこあるし、考えなかったの?」
高二と中学生だと叶美と紅葉ちゃんかおりちゃんと同じだけど、どうにも赤石さんのお相手は中学一年生らしい。学年色を叶美が見てるからまず間違いないはず。
「私は……彼女から猛烈にアプローチを受けたから。そういえば響はどうして私のことを好きなんだろう? 考えてもみなかったわね。理由なんてどうでもいいわ。フェルロックと同時代を生きた天文学者のサーディラ・オーフェンはその手記に――――」
「あぁ、そういうのはもういいから! 頭痛くなっちゃうから!」
そもそもフェルロックもサーディラも誰だか知らないし。赤石さんのこういう性格は知っていても難しいって。
「じゃあ、私は帰りますね」
「いえ、帰るのは私の方ね。そうでしょう?」
「え?」
「……西先輩、ご無沙汰してます」
赤石さんの視線の先に、須川さんが立っていた。ごきげんようと言って立ち去る赤石さんを、憎らしいと思ったのがどうしてか、自分には分からなかった。
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第7話 揺れ動く心/探究心と真心
麦茶のペットボトルと豆乳の紙パックが置かれたテーブルを挟んで、私と須川さんが向かい合って座っている。私から声をかけようにも言葉が見付からず、あわあわしていると須川さんが口を開いた。
「すみません、私から声をかけたかったのですが、どうしていいか分からなくて。赤石
先輩に頼ったんです。私、どうしても西先輩のこと、知りたいんです」
真摯なその瞳にあらがうことが出来なかった。私自身、叶美への想いを誰かに相談したかったんだと思う。新聞部や放送部の友達に相談したらきっと心配をかけるし仕事にも響く。ルームメイトもきっと、私以上に抱え込んじゃいそうな性格だから心配をかけたくない。だからってクラスの友達は……恋愛相談が出来るくらいに仲がいいのはほんとに叶美くらいで……だからきっと、須川さんとの出会いは運命なのかもしれない。
「私には好きな人がいるの。髪が綺麗で、ちょっと垂れ目で、笑うとすごく可愛くて、良い匂いがするの。スタイルも良くてさ、抱きしめると柔らかくて暖かくてドキドキしちゃってさ、恋だって気付いたのはいつだったっけかな……。もう分かんないくらい前なのかも」
静かに聞いてくれる須川さんに、私は話し続ける。今年になって叶美に彼女が出来たこと。しかも二人、年下の女の子だったこと。二人ともタイプは別々だけど、私にないものを持っていて、そんな彼女らと付き合うようになって叶美も眩いほどに綺麗になったこと。祝ってあげたいけど、自分が叶美の隣にいないことが悔しいこと、恨みたいのに紅葉ちゃんもかおりちゃんも凄くいい女の子で、そんなことできないこと。二人のことを自慢げに語る叶美の笑顔がほんとにキラキラしていて……そんな叶美にますます心を揺さぶられること。全部、全部話した。心のモヤは晴れなくて、叶美への想いが膨らんで自分の心を押しつぶすような
不安感に迫られて……もう、つらいの。
「先輩」
私の耳に届いた声はとても澄んでいた。私の心と正反対で……でも、染みるようだった。
「私に、恋を教えてください。貴女の恋心を、総て、全て私に向けてください」
それは愛の告白だった。
「赤石先輩じゃないですけど、小説の一文を引用させてもらいますね。楠奏絵が書いた短編集の冒頭に『失恋を引き摺ったまま誰かに好意を寄せられたとき、その瞳に映るのは誰ですか?』という文があるんです。まさにこの状況に一致しますよね。だから、私を見てください。恵玲奈先輩」
その真剣な眼差しで見つめられ、その真剣な声で名前を呼ばれ、私の心は大いに揺れた。思わず頷きそうになった。でも違うんだ……彼女は叶美の代わりじゃない。彼女を私の中で叶美の代わりにしてはいけない。彼女の恋心を踏みにじってはならない……だから、断らなくては……。
「ごめん……。私は、叶美が好きだから。君を好きになったら、ダメなの。君を傷つけちゃうから……。ごめん」
逃げ出したかった。否、逃げ出していた。彼女に背を向けて、食堂を後にしようとした。
「先輩! 私、待ってますから。文化祭の時、もう一回伝えますから!」
出会ってから短い関係だが、それでも分かる。大きな声を出すなんて彼女らしくない。それでも、私に告げる彼女の想いがひしひしと伝わってきて、ますます私はどうしていいか分からなくなってしまった。
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第8話 衝動と抱擁
「恵玲奈!」
寮に戻ろうとした都合、菊花寮の前を通った。そしたら、叶美に声をかけられた。
「泣きそうな顔してどうしたの!?」
叶美に手を引かれ部屋に招かれた。どうしても抗えなかった。今、叶美に会いたくなかったのに。でもどこか会いたくて……。
「叶美、私……今ね」
さっき起きたことをゆっくりだけど叶美に伝え始めた。自分でもどうしてそうしたかったのかは分からないけれど、須川さんに告白されたことを叶美に言うのは少し抵抗があった。それでも全部伝えた。
「叶美のこと好きじゃなかったら受け入れていたんだろうね、私」
「わたしは、誰かを好きになる気持ちを紅葉ちゃんとかおりちゃんから教わった。恵玲
奈はわたしのこと、どうして好きになったの?」
……それ、叶美が聞いちゃうの? そっか。まぁ、さっき須川さんに言ったから言っちゃおうか。全部、全部伝えてから一呼吸つく。
「叶美、お願いがあるの」
もし、叶美を好きじゃなかったら……。須川さんの気持ちを素直にうけ入れられるだろうか……。
「私をめちゃくちゃにして。叶美のこと、嫌いに……好きじゃなくなるくらい、無理矢理、強引に……犯して?」
叶美を悲しませるかもしれない。でもそれで、叶美が私のことを嫌ってくれたら……私も叶身のことを……。
「恵玲奈、無理だよ……」
かぶりを振る叶美。やっぱり、無理だよね……。
「わたし、してもらう側だから、その……」
そっか。叶美がネコなんだ。年下二人に奉仕してもらう叶美か、妄想だけで興奮しちゃうね。自分が生唾を飲み込む音がいやに大きく聞こえた。
「叶美」
「え、恵玲奈……」
叶美を押し倒して馬乗りになる。彼女の温もりを直に感じながら叶美のネクタイをしゅるりと解く。ボタンを外すと、淡い水色のブラに包まれた柔らかな双丘を目の当たりにする。フロントホックのそれを外すと叶美の匂いをより強く感じた。
「恵玲奈……」
抵抗しない叶美を無理矢理犯して私の心はどうなるんだろう。心臓がバクバクと煩いほどに音を立てる。身体が熱くて、呼吸が速まる。無理矢理にでも犯したいのか、傷つけたくないのか、中途半端な力で手を叶美の胸へ伸ばす。
「いいよ、おいで」
そっと、私の背中に叶美の手が回される。抱き寄せられ、叶美の胸に顔を埋めるような体勢になる。暖かくて、柔らかくて、甘い匂いに包まれて、自然と……涙がこぼれた。
「もし、わたしのことを滅茶苦茶にして恵玲奈の心が晴れるなら、わたしは恵玲奈の全部を受け入れるよ。でもね、恵玲奈がもっと苦しむならわたしは拒まないといけないの。恵玲奈は……どうしたいの?」
「叶美に嫌われたくない……叶美のこと好きでいたい。なのに、須川さんに告白されて嬉しかった。彼女なら……私のことを求めてくれるって……そんな気がして……」
「ごめんね、わたしがもっと早く恵玲奈の気持ちに気付いてあげられたら……」
「謝んないで。それだけは……言って欲しくなかった。……ごめん」
私だって何度も思ったよ。二年生になる前に叶美に告白していたらって……何度も何度も。でも、ダメなんだ……叶美が恋心に気付いたのはあの二人だったから。あの二人じゃなきゃ叶美は恋しないと思ったから……。
「ごめんね、叶美。私、部屋に戻るよ。恵にも心配かけちゃうし」
着衣が乱れたままの叶美に背を向けて、立ち去ろうとする私。
「恵玲奈、わたしは須川さんのこと全く知らないけど……恵玲奈のことを好きになるくらいだもん。素敵な人なのは分かるよ。だから……」
「うん、ありがとう」
叶美が言わんとすることは少しだけ分かった。少しだけ気持ちが軽くなったけど、結局自分自身がどうしたいかはまだ見えないままだった。
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第9話 ルームメイトとの日常
うだうだと考えているうちに一週間近くが経っていた。
「今日も相変わらず辛気くさい顔してやがりますねー。昨日はちっとマシだったってのに。豆乳クッキーでも食べて元気出すですよ」
寮ではわりといつも通り振る舞ってるつもりだったけど、心配性のルームメイトには見破られていたらしい。まぁ、高等部になってからずっと同室だからか。
「バストが1センチ小さくなったでありますか?」
「違うわ!」
恵は私の失恋を知ってはいるけれど、今の気持ちは全然知らない。須川さんから昨日も声をかけられたが、校内新聞の記事の感想を少しといった程度の世間話に過ぎなかった。あとは少しだけ、寂しい胸元の話しで盛り上がるとまではいかないが悩みを共有できたことか。
「胸の薄さは悔やまれるばかりだよ、お互いに」
軽口を叩きつつも少しだけ恵に後ろめたい気持ちが湧く。今、恵はその多重人格から校内でも有名な十京ちゃんのことを気にかけている。恋の一歩手前なのか踏み込んだ後なのか、恵自身でも分からない部分があるようで、相談……とも言えないような軽口を交わしたばかりなのだ。何かと極端な一面のある恵のことだ、心配や不安もあって頼ってくれなんて言ってはみたが……今の自分の頼りなさは自分が一番分かっている。
「そう言えばさ、茶道部って星花祭どうすんの? 例年通り体験会?」
「そうなりますねー。そっちもいつも通りですかい?」
何だかんだ来週末に控えた星花祭、学校最大のイベントとも言える代物で、各クラスの出し物と各部活動の出し物がある他、有志団体によるバンドや楽器演奏なんかもある。クラスの出し物は部活動に参加している人たちのことも考えて軽めにしていいと例年言われており、クラスで決めた研究テーマのレポートを展示(なんて言うと堅く思われそうだが流行のファッションやスイーツが研究テーマになることが多い)をしたり、朗読劇というか紙芝居をやったりするクラスが多い。商業科や服飾科はもう少し真面目な内容や展示になるが。あとは委員長次第だがクラス単位でカフェやお化け屋敷といった定番っぽい企画も出来る。
「わたしんとこのクラス企画はあれや、紙芝居にちょっと寸劇を実際にやる桃太郎。剣道部の太刀花氏にどうしても桃太郎コスをさせたいって言いよる子がいてね」
「なんか分かる気がする。生徒会長は?」
「江川さんなら鬼の総大将でいやがりますよ。わたしは午前の部でナレーションですねー。昼過ぎからはお茶を点てないといけないんでね」
部活単位の動きもあるから当日は結構忙しくなる。部を掛け持つ私なんかは更にだ。
「なるほどー。こっちは至ってシンプルに展示ものだよ。ワッフルの歴史と流行について。何故ワッフルかはもう忘れた」
何せ決めたのは夏休み前だからね。その時の発案者が無性にワッフルが食べたかったかもしれない。
「星花祭、なんだか楽しみになりつついやがりますよ」
「そうだねー。私はまぁ、直前までまた取材で忙しくなりそうだけど」
そんな話をしながら、ゆっくりと時間は過ぎていった。
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第10話 覚悟と瓦解とそれから萌芽
星花祭まで残すところ数日。夏休み明けの熱気が冷めていく代わりに今度は星花祭へ向けて熱気が高まってきた。夏休み中に出来た彼女と過ごす最初の一大イベントなのだから、浮かれるのも当然だろう。あるいは、夏は機を逃してしまったけれど星花祭はチャンス! って思っている人もいるだろう。まぁ、それとは全く関係なく純粋に校内のお祭りを楽しみたい人もいるのだろうが。なにせ星花女子の百合娘率はせいぜい三割。まぁ公言してないだけでもう少しいるだろうけど。事実私も、公言していない一部の人間なのだから。
「では先輩、私は奉納剣舞をされる剣道部に取材してきますね」
「うん。星玲奈によろしく」
「はい!」
文佳ちゃんを見送ってから私は部室を出て文芸部の部室へ足を向けた。正直言って私から須川さんに会うのは抵抗がある。だから文佳ちゃんに行ってもらおうとも考えたけれど、私も覚悟を決めた。星花祭で再び告白してくるであろう彼女と、今は普通の先輩後輩の接し方をしているけれど、こんな中途半端な状態じゃダメだと思った。恵を見ていて、あるいは叶美のことを想えば、そう考えるのも当然なのかな。
「失礼します。新聞部の西です」
須川さんはもう部室にいた。話したい気持ちを必死に抑えて、部長さんとお仕事の話をする。文芸部は毎年、部員の小説を一冊の冊子にまとめて販売している。その冊子のテーマやざっくりとしたあらすじなんかを聞いて宣伝広告のようなものを作る。星花祭のパンフレットを作るのは生徒会と新聞部なのだ。重要なお仕事だ。あらかた話し終わると、須川さんに声をかけた。
「少しだけ時間もらえる?」
須川さんを部室から連れ出してはす向かいにある旧校舎職員室に入った。給湯設備と冷蔵庫だけ残っているので共用と書かれたペットボトルから紙コップに麦茶を注いだ。喉に張り付くこわばりを麦茶で押し流す。
「あのさ、私……やっぱり須川さんの気持ちに応えられないよ。このままじゃ君をひどく傷つけてしまう。そうならないうちに……浅いうちに私から離れた方がいい。君にはもっと、男性でも女性でも……いい人が見付かるから」
何度も何度も考えたけれど、私はやっぱり叶美が好きで愛している。でも彼女の隣にはいられないから……それならずっと一人でいればいい。道連れなんていらない。あってはならないって。
「……何度だって言います。私は貴女が好き。欲しい。先輩に貰った本、毎晩のように読み返しています。私と貴女だったらどれだけ幸せかって、何度も。あの胸の高鳴りを私に直截教えて欲しいの。恵玲奈先輩……貴女に」
感情の熱を帯びる彼女の声に、私は他人事のように恋は人をかくも変えるのかなんて考えていた。それでも、彼女に呼びかけられて自分のことなんだと思うと、私は絞り出すように告げた。
「ダメだよ……私には、好きな人がいるから。振り向いてもらえないのは分かってるけど、それでも私は……」
「そんなことどうでもいいんです。私の世界に貴女が必要です」
きっぱりと言い切った彼女の声は、凜然とした意思が籠もっていて……私は何故かくらくらしてしまった。
「少し待っていてください。見せたいものがあります」
部室に戻った彼女はすぐに戻ってきた。手に持っていたのは、原稿用紙だった。
「私が貴女を想って手ずから書いた一万字の小説……ラブレターです」
差し出された原稿用紙を受け取って、読み始める。意外と丸く可愛らしい字を書く彼女の文章は、愚直なまでに感情がこもっていた。
『あの人から渡された本を見て、なぜか熱くなった体。
緊張と混乱で必死に平静を装っていたけれど、自分が何を口走ったか全く覚えていない。変な人だと想われていなければいいけれど……』
『女性同士でキスするのって、どういう感じなんだろう。漫画の中で唇を重ねてる二人を、私とあの人に置き換えようとして、……ただ、頭が真っ白になるだけ』
『まだ、私は全然知らない。誰かを恋するということも、彼女のことも。
気づいてしまった気持ちは、まぎれもない『恋』そのもの。先輩。もっと、あなたの事が知りたい。誰かに恋するってこと、あなたから教えてほしい。貴女からの好きを独り占めしたい』
明示されていないけれど、私と須川さんの物語だった。
彼女の想いが私の心を揺さぶって、なのに包み込むような優しさで。私のちっぽけな覚悟をきれいさっぱり壊してしまった。私はやっぱり……誰かに愛されたかったんだ。
「……須川さん。私、わたしぃ……」
ぼやける視界の中、須川さんが私を抱きしめてくれた。その温もりを私はずっと忘れない。
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第11話 恵玲奈の感情/美海の決意
「そろそろ落ち着きましたか?」
どれだけ泣いていたんだろう。涙もすっかり乾いた頃には、空がほんのり赤くなっていた。
「ごめんね、私の方がお姉さんなのに」
「いいですよ、別に。……あ、だったら私のこと名前で呼んでもらえますか? 美海って、呼んで欲しいです」
「うん、じゃあ改めてよろしく、美海」
「はい! 恵玲奈先輩」
夕日に照らされた彼女の笑顔が大人びていて、先輩って呼ばれることが少しだけこそばゆかった。
「美海もさ、私のこと恵玲奈って呼んでよ。敬語使われると距離感じちゃうでしょ?」
きっと、彼女を近くに感じたいから。対等でいたいから、そんなことを言ったんだろう。
「ええ、そうするね。恵玲奈」
……私の初めての恋人、か。
「星花祭、一緒に回ろうね。約束だから」
初めて会った時、どこか冷たい印象を受けた彼女だけれど、本当は私と同じで、誰かに愛されたかっただけなんだろうなぁ。だからこそ、愛の全てを向けられない自分が嫌になる。確かに今は叶美よりも美海が好き。でも……100%じゃない。
「恵玲奈、聞いてる? 星花祭、約束だよ」
目の前の彼女との身長差は、叶美を目の前にした時よりも少なくて、唇も背伸びしなくたって届きそう。
「……? キス、したいの?」
「え、あ、ま……まだ早いって。出よっか」
少しだけしどろもどろになりながらも、旧校舎の職員室を出る。……出て、私はどこへ行くつもりなんだろう。あぁ、部室だ。広告……作らなきゃだし。
「恵玲奈……。まだ、いろいろと話したいことがあるの。部屋に来て、いい?」
「うん。分かった。8時頃に行くから」
寮で食事や入浴を済ませた私は菊花寮にある美海の部屋を訪れた。出迎えてくれた美海は、シンプルなルームウェアに身を包んでいた。
「恵玲奈。私、貴女が好きだった人を見ておきたいの。いいかしら?」
「え、叶美に会うの?」
「ええ。貴女の好きが全部欲しいから、その人について知っておきたいの。恵玲奈を知るきっかけにもなるし」
美海の言葉は理路整然としているような感じがして、どうにも反対しづらい。確かに菊花寮で近いけど……叶美と美海を会わせるのはちょっと抵抗がるというか、まだ自分の中での立ち位置が確定していないというか……。あぁでも、いっそ確定させるために必要なのかもしれないね。
「分かった。叶美も菊花寮に住んでるしひょっとしたら見たことくらいあるんじゃないかな。行こっか」
美海の部屋を出て階段を降りてすたすたと歩くと、叶美の部屋がある。軽くノックをしても返事がない。お風呂か……それか二人の所に行ってるか。でも部屋の広さを考えれば二人を招くことが多いだろう。ひょっとして……。ドアに耳を押しつけると、すごく小さいけれど、叶美のなまめかしい声が聞こえてきた。……理解しているつもりだけど、これはこれでショックが大きいね。自分が好きだった相手が他の女の子と愛し合ってるって。
「恵玲奈、平気?」
そう尋ねる美海は少しだけ申し訳なさそうな表情をしていた。美海がそんな表情しなくたっていいのに。美海だけを見ていたら、こんな気持ちにはならなかったわけだし。そんなことを思っていると、叶美の部屋の扉が少しだけ開いた。
「あ、えれなちゃんだ。ごめんね、今……その、ね?」
姿を見せたのはかおりちゃんだった。とはいえ、ドアの隙間から顔を覘かせているだけなのだが。おそらく何も着ていないんだろう。
「ごめんね、楽しんでね」
そう言って私が立ち去ろうとしたのに、美海はそうしなかった。部屋のドアを引いて、かおりちゃんをどかしてずけずけと入っていってしまったのだ。
「美海!? 美海!!」
慌てて追いかける。何をするつもりなのかさっぱり分からない。
「美海、待って、何するつもり!?」
「恵玲奈はそこにいて」
奥の部屋まで行くと美海は真っ暗な部屋の灯りをすぐに点けた。そこには、裸で抱き合う叶美と紅葉ちゃんがいた。
「水藤叶美先輩ですね」
「……美海、そっちは紅葉ちゃん」
美海が間違えるのも仕方ない。別に叶美が子供っぽいわけじゃなくて、紅葉ちゃんの色香が尋常じゃないだけ。しかも、こんな状況じゃね。
「……水藤叶美先輩」
「う、うん。わたしが叶美です」
タオルケットで身体を隠しながら応える叶美。もろもろ心臓に悪くて背中を向けたら、全裸のかおりちゃんがいたが、妹と大差ないと思うと平気だった。
「水藤先輩、恵玲奈は私の恋人です。どんなに貴女への気持ちが残っていてもそれが事実です。……私は貴女みたにお淑やかでもなければスタイルだって見劣りする。つり目ですし、笑顔も苦手です。それでも、恵玲奈への気持ちだけは負けません。絶対に、恵玲奈を幸せにしますから」
泣きそうになる私の頭をかおりちゃんが撫でてくれた。
「行こう、恵玲奈」
手を握って部屋を後にする。こんなに愛されているんだもの。きっと、美海が私の好きを独り占めするのは……もうすぐなのかもしれない。
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第12話 星花祭デート
美海と付き合うようになって数日。星花女子学園は一年に一度の文化祭、星花祭を迎えていた。美海と付き合うことはまだ恵に伝えていない。彼女の恋路が成就してからでいい、私はそう思っている。妹や後輩にもまだ伝えていない。知ってるのは、叶美と紅葉ちゃんとかおりちゃんくらい。……赤石さんも知ってるだろうなぁ。
「恵玲奈、行くわよ」
でもきっと、今日の姿を見ればほとんどの人が私と美海が付き合ってるって分かるだろう。恋人つなぎにした手に少しだけ力を込めて、美海の温もりを味わう。
「人が多いと大変ね。恵玲奈、手を離しちゃダメだからね」
「分かってるって。私の方がお姉さんだもん。大丈夫」
星花祭では隣の市にある星花系列の大学、その付属小からも人がやってくる。だから校内発表と言えど人は多い。一般開放される明日はもっと人で賑わうことだろう。
「そうだ、美海はどこ行きたい? お姉さんが案内しちゃうよ」
「……そうね、人が多いところよりも静かな場所の方がいいわ」
そう言われるだろうと思って予めどこへ行こうか考えてあったのだよ。校舎2階は文化部の展示が多いからわりと静かなのだ。中等部も高等部も一年生は大がかりな展示をしないから人もそこまで多くない。美海のクラスも空の宮市の歴史について簡単にまとめたものを展示しているくらいだし。というわけで、各部の成果物を見て回る。美術部、書道部、写真部、華道部、手芸部といった部活が選択教室や会議室を使って展示を行っている。まぁ、すぐそばに生徒会室……今は星花祭実行委員本部があるから少し忙しいような印象はあるけれど。
「美術部は毎年大会議室を借りてるの。これ、かおりちゃんの絵だね。相変わらず独創的っていうか……人によって評価が大きく割れそうだよね」
かおりちゃんの絵は上手だと思うけどクセが強い。その辺がコンクールにも影響していて上位に入選はしないみたい。だから桜花寮にいるとも言えるんだけれど。
「あ、この猫……美海に少し似てるかも」
「……ん? どれ?」
かおりちゃんが描いた動物の絵や、他の部員が描いた様々な絵を見ながら大会議室を一周し廊下に出る。出口正面の小会議室は手芸部がアイドル研究会と合同で展示を行っている。服飾科の生徒が多い部活とはいえ、授業とは別にこれだけの作品を作っていると思うと凄い。そして彼女らが作ったアイドル衣装をばっちり着こなすアイ研の面々も凄い。おそらく彼女らも衣装作りには深く関わっているんだろうなぁ。まさしく一点物の似合いっぷりだ。
「美海はああいうの着ないの? 似合いそうだけど」
「あ、あぁいうのは恵玲奈の方が似合うわよ。可愛いし」
端から見ればイチャイチャしてるだけにしか聞こえないであろう会話をしながら、ぬいぐるみやフェルト細工といった展示品も見て小会議室を出る。その隣の選択教室Aには文芸部、イラスト部、漫研といった創作系の部活が一緒くたにされている。ニュースくらいでしか見たことないけど、コミケの一角のような空間だ。
「か、叶美。どう、イラスト集の売れ行きは」
叶美とはちょっと気まずくもなったけど、同じクラスで顔も会わせるし全部話してその後に祝って貰った。……百合えっちについてあれこれ聞いたら怒られたのはここだけの話。美海のことリードしてあげたいし……やっぱり私も年頃だし。
「イラスト集の売れ行きは順調そのもの。最近はやっぱり小学生も買ってくれるからね。他もそんな感じだと思うよ。そうでしょう赤石さん?」
「そうね、部誌の売り上げ良好ね。そちらはどうかしら、金髪のお嬢さん」
「? 売り上げは好調ね。Oh Elena そちらはGirlfriendですか?」
星花祭を抜きにしても創作系の部活は部室と活動内容の距離が近いため交流があるようで、話がするすると進んでいく。
「貴女……確か一組のノースフィールドさんよね? 私は三組の須川美海。恵玲奈の恋人よ。貴女が、あの本を書いたのよね。その……感謝しておかないと。ありがとう」
あの本、そっか。エヴァちゃんに貰って美海に渡したあのアンソロが、美海が気持ちを確信する理由の一つになったんだよね。あと、エヴァちゃんと美海って同い年なんだよね。新聞部として色んな生徒の色んな情報を見聞きしているうちに基本的なものを忘れちゃうこと、あるよね。そんなことを思っていると、
「美海、羽目を外しすぎないようにね」
「Elena もう寂しくないですか?」
「かなみちゃーん、くれはちゃんとこ行こ?」
「エヴァちゃんここにいたと? あ、須川さんだ」
「燐、一緒に回る約束をすっぽかして何してんのよ」
「騒がしくなってきたわね。恵玲奈、出るわよ」
繋いだままの手を引かれ、選択教室Aを出る。エヴァちゃんが少し、気になるようなことを言っていた気がするんだけど……。
「Bは写真部の展示よね。こっちは静かでありがたいわ」
去年の星花祭から今年の星花祭までの一年間で撮られた写真の展示が行われていた。そこで静かに盛り上がっていたのは……。
「恵玲奈、これは……?」
「今年からやる企画みたいだね……。や、やる?」
「……恥ずかしいけど、いいかもしれないわね」
「え、ほんと?」
教室の壁にでかでかと描かれたハート。周りを彩るは白百合の花。これ、写真部の中にいるガチの方の発案なんだろうなぁ。
「カップル撮影、されますか?」
眼鏡をかけた三年生の人にぐいぐいと勧められ、ハートの前に立つ私と美海。
「はい、じゃあ撮りますね。後輩ちゃん先輩にちゅーしちゃって、はい撮ったぁ!」
勢いに流されるように私のほっぺにキスをした美海に、思わず私も顔が赤くなる。
「撮った写真は後日お渡ししますのでこちらの番号札に名前をお願いします。……はい、確かに。こちらの半券を来週中に写真部部室までお持ちください」
……どうにもこの先輩、カメラを持つと性格が変わるらしい。そんな先輩に一礼して選択教室Bを出る。まだまだ一緒に行きたい場所はあるし、時間もゆっくりある。手を繋いで、焦らず回ろうと思うんだ。
「美海、楽しい?」
「もちろん。貴女と一緒だもの、恵玲奈」
そう言ってもらえれば私もガイド冥利に……ううん、彼女冥利に尽きるかな。
「えへへ、ありがと。まだまだ回ろうね!」
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最終話 君の瞳のその奥に
楽しい時間はあっという間、なんてありふれた表現になっちゃうけれど、実際そういうものなんだと初めて理解出来た。二日間にわたる星花祭、当然仕事もあってずっと一緒というわけでもなかったけれど、美海との時間を共有出来て私は嬉しかった。後夜祭も二人でベンチに座って眺めて、踊ることはなかったけど私たちらしい時間の過ごし方だったと思う。後夜祭も全て終わって人が少しずつ帰り始めた時、
「部屋に来て。今日は……離れたくないから」
そっと呟いた美海に胸の高鳴りを抑えきれなかった。彼女の瞳をじっと見つめる。キスしたい、そう確かに思ったのに……美海に少しだけ叶美を重ねてしまい、力なく目をそらす。
「恵玲奈?」
二度目だ……。私は美海の恋人なのに。美海とキスしたいはずなのに……どうしても動けない。
「美海、こっち向いて」
言ってすぐだった。美海が唇を重ねて……ううん、押しつけてきたのは。思ってた以上に荒い口づけに混乱してしまった。
「恵玲奈、水藤先輩を重ねてもいい。目をそらされるよりもキスしてくれた方が嬉しい。いっぱいキスしよう? そのうち私のことしか考えられなくなるから」
そう微笑む彼女に手を引かれ、美海の部屋に向かった。
二人でシャワーを浴び、服を着るでもなくベッドに横たわった。間接照明だけで照らされた部屋で、机の上に置かれたポメラが目に付いた。小説を書くのに普段はあれを使ってるんだ。……小説を書く年下の女の子に、小説を読まされてドキドキしちゃって、結局は付き合うようになる。叶美と紅葉ちゃんみたいだ……。
「恵玲奈、また私以外の女のこと考えているでしょう?」
間接照明を消した美海が私を抱き寄せる。真っ暗な部屋に二人、抱き寄せた彼女の瞳が真っ直ぐに私を捉える。彼女の猫のような眼に写った私は……どこか自分でないような風に思えた。自分に叶美を重ねる日がくるとは思ってもみなかったけど。
「……ごめん」
その謝罪は美海へか、叶美へか、それとも自分にか。
「いいよ。いっぱい甘えさせてくれたらね」
そう言って口づけを交わす。さっきみたいな乱暴なものではなく、触れるだけの優しい口づけ。甘く柔らかな彼女の唇に触れると、私の心の奥にあるもやもやも少し晴れていく気がして……夢中で彼女をむさぼった。
「んちゅ、ちゅぱ……あぅ、ん」
膨らみの乏しい身体を重ねているとじわじわと身体が熱を帯びていく。それでもどこか寂しくて、私は一線を越えられない……。身体が美海を求めているのに、心がそれを許してくれない。もどかしくてもどかしくて仕方が無い。私は美海に叶美を重ね、それでも好きだと言ってくれる美海が、私の寂しさを見透かしているようで……。
「もっと、甘えさせて?」
美海に求められれば求められる程に自分が惨めに思えて……だからこそ、この温もりを離したくない。美海を失えば私には何も残らないのだから。
「んちゅ、ちゅぱ、ずちゅぅ……」
この温もりを離してしまえば、私はきっと叶美に甘えて……いや、依存してしまうだろう。彼女の幸せを崩すわけにはいかない。だから私は美海に彼女を重ね、愛そうとすることで自分を保っているのだろう。
「まだ水藤先輩のことを考えているの? ダメだよ。今は私と恵玲奈だけの世界なんだから……そうでしょう?」
そうだとも……だからもっと、甘えて欲しい。私を私たらしめて欲しい。
「美海……」
「恵玲奈」
いつか、君の瞳のその奥に本当の私を見いだすその日まで……ううん、その後もずっと側に居て欲しい。きっと君に、すべての愛を贈るから。
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