あぁ、提督よ!―古今東西提督日記— (御手洗団子)
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だらしない提督とベルファスト 1

ルーム45の人たちに捧ぐ。


 雲一つない太陽が地平線の向こうを照らしていた。単色の世界に日の光が反射して海にグラデーションをかけていく。秋の到来を予感させる冷たい海風と程よく暖かい日光が混ざり合って過ごしやすい環境になっており、これがもう少し季節が過ぎると太陽の光さえも敵わない寒さが襲ってくる。

 港の周りには量産型のミニマム化された軍艦たちが出入りしており、時折カモメと合唱するかのように汽笛を鳴らして煙突から煙を出していた。

 そんな港の埠頭に一人の男が釣糸を垂らしながら、只々その船たちを見送っていた。彼の後ろには学校と戦艦が入るドックなどの軍事施設が合わさった奇妙な建物がそびえ立っている。

 それは重桜の言葉を借りると鎮守府、つまりは海軍提督府であった。居住区が学校になっているのはこの鎮守府の主力は量産型の戦艦ではなく、戦艦の力を持った少女達だからである。

 学校の他にも戦術教練科、売店、食堂など軍港と言うよりは海沿いの学校と言う方が適している部分もある。

 そして男はこの鎮守府の提督の一人なのであった。だが提督と呼ばれることは少なく専らここに住む人々からは階級である「中尉」と呼ばれていた。

 提督の役職に対して中尉と言う低すぎる階級は、今や提督が戦艦一隻の代表と言うことではなく、艦隊娘を管理及び率いる役職を指して呼ばれる言葉に変わっているからであった。いまや提督は何百何千と存在し、本来の意味で使われることはもはや有り得ない事であった。

 

 

 中尉は釣竿の横に置いているバケツの中を見て一つため息をついた、その中には海水しか入っていない。此処に釣り糸を吊らしてからずっとこのままであった。

 これは今日はボウズかな。中尉は頭を掻いてそのまま固いコンクリートの上に寝そべると暖かい日光が彼を包んで微睡の誘惑が彼の顎を撫でる。このまま寝てしまおうか、敵襲があってもここからだったら海からも近いのだし。

 中尉はそのまま軍人らしからぬ勤務態度でそのまま眠りの神に身を預けようとしていると、誰かがこちらに歩いてきている音がその耳に入ってきた。

 足音から軍靴ではなく、女性が履くようなヒールが付いている音である。つまりは上官ではないと判断した中尉はそのまま目を開けずに昼寝を決め込もうとそのまま目を開けずに狸根入りを決め込んでいく。

 

「ご主人様、お目覚めください。先ほどまで起きていたことは知っています」

 

 それは鈴を鳴らした様な耳触りの良い声であった。中尉がその声に体を跳ねて目を開けるとそこにはメイドの出で立ちをした一人の少女が立っていた。

 長身でグラマラスな体型に物静かな風貌であった少女は若若さに満ちた女性と言っても良いほどであったが中尉よりは年下である。名をベルファストといった。

 そのまま少女は中尉が目覚めるのを確認するとまず頭を下げて礼をしてから彼の近くへと歩み寄った。その動き全てが洗練されており、見惚れるくらいの上品さであった。実際に中尉も見とれていた節がある。

 

「執務室にいらっしゃいませんでしたので、探しに参りました」

 

「なにか用かな? 今日は特に演習の予定もなかったはずだけど……」

 

「ええ、存じ上げています」

 

「じゃあ何故?」

 

「お暇を持て余していたようなので」

 

「軍人が暇ということは良いことさ、だろう?」

 

「はい、しかしながら私が思いますに、ご主人様の机の上にある書類の山はご主人様に暇をお与えになっていないようですが」

 

「あれが兵站にかかわる仕事ならもちろんやってるさ」

 

 ベルファストの言葉に中尉は少しだけ目を逸らす。食糧、弾薬、戦術書、食堂の鍋、それらの申請書、または費用のずらりと並んだ紙の束が中尉の脳裏に浮かんだ。むろんそれが兵站にかかわることなら済ませているが、中尉の元に来るのは新しい食堂のメニュー、新食材の費用、嗜好品とも言えぬ玩具、穴の開いた鍋の修復依頼などおおよそ兵站と言うよりかは雑用と言った方が正しい書類ばかりであった。

 

「あんなのは事務方にでも投げ捨てておけばいいんだ、まったく」

 

「おっしゃるようですがご主人様、申し上げますとあなたがその『事務方』でございます」

 

「分かってるよ、分かってて言ったんだ。まったく提督とか指揮官とかの名前もいよいよ無用の長物となるかな、雑用係とか事務員とかほうがしっくりくるかもしれない」

 

「ご主人様の立場では仕方のないことだと」

 

 この世界は未知の生命体であるセイレーンに対抗するために作られた組織アズールレーンとその組織から分離、独立した組織レッドアクシズが対立しセイレーンをそっちのけでお互い血で血を洗う戦争を繰り返していた。

 アズールレーンにはユニオン、ロイヤル、東煌が、レッドアクシズには鉄血、重桜がそれぞれ所属し、陣営によってその軍の方向性及び戦闘教義(ドクトリン)は違い、戦力もまた大いに差があった。

 その中で中尉はそのアズールレーンに所属しているのだが、元々はレッドアクシズに所属していた重桜の提督でもあった。本人は重桜から逃げ出して亡命してきたと言っているが真実は定かではない。だがベルファストはそれ以上は進んで知りたいとは思っていなかった、誰がどうであれ忠誠を誓った主人には最後まで付き添う。というメイドの矜持からであった。

 なのでベルファストが分かっているのはその元重桜が故に殆どの提督と艦隊娘から腫れ物扱いされているということだけである。

 現に中尉は戦場から遠く離れた場所に配属され、基本的に艦隊を動かすことも許されていない。中尉から昇進できないのもそれが一つの理由であった。

 

「まぁ勝手に亡命してきて、収容所送りにならないだけマシなほうだと思うとするか。ベルファスト、君も早く他の仕官先を見つけた方が良い」

 

 不貞腐れたように言いながら中尉は立ち上がると自らの執務室へと歩き出した。その背はベルファストよりも若干小さい。

 ベルファストも中尉の言葉に「私もお手伝いをさせていただきます」とだけ言ってその背中に続いて行った。

 一見すると名のある領主とそのメイドであるが、実際は名ばかりの提督とその秘書艦。二人はこの鎮守府で名物の二人なのであった。

 

 

 

 ○

 

 

 

 一般に提督はその役職が大量生産されたことによってその名前の価値は大暴落しているのものの、個人的な執務室が与えられるほどの特権は有していた。

 人一人が使うには広い部屋に、広い机、無駄に大きい椅子に、大きい置物、それぞれの提督でその部屋は異なってくるが大体の司令官はそんなレイアウトで纏められる。

 執務室程の大きさの部屋を複数人で使う艦隊娘と比べたらそれは贅沢と言ってよいだろう。その代りその大きい机に毎日の如く様々な紙の束が置かれる破目になるが。

 だが中尉の執務室はその一般の提督の常識には当てはまらなかった。

 他の提督たちが使っている執務室の半分以下の面積の部屋に、小さな机が二つ小さく並んでおり、椅子も使い古してボロボロである。しかもその椅子は一つしかないので中尉はベルファストにその椅子を譲り自らはパイプ椅子に座っている。

 風で窓は揺れるし、隙間風も入ってくる。唯一マシな点と言えばベルファストが力を入れて掃除をしてくれたため部屋は清潔を保っており、何とか執務室として見られているだけである。

 

「『提督のセクハラが酷い』、憲兵隊。『新メニューが欲しい』、食堂。『好きな人に思いを……』? まったく、そんなことまで面倒見切れるか」

 

「トイレが詰まった、窓が割れた、空調が故障……流石ご主人様、信頼されていますね」

 

「皮肉かい?」

 

「はい」

 

 容赦ない答えに中尉が何も言えずに困った顔をすると、ベルファストは少しだけ笑みを浮かべた。時々彼女は身分なども関係なく中尉をからかってはその困った顔を見るのが趣味だった。

 だが、着任当初にベルファストからの「雑用でも立派な任務です」という言葉にしたがってどんなことでもやってきたことで、ある方面において中尉が信頼されているというのは事実であった。信頼と言っても「あいつに投げとけばいいか」みたいな、便利な借りる猫の手程度の信頼であったが。

 

「そういえば、君が私の所に着任してから結構長くなるんじゃないか?」

 

 思えば、ベルファストは中尉がアズールレーンに亡命してからの付き合いである。もうそろそろ一年になるだろうし、その時は何かお祝いをしても良いかも知れない、安い給料しか出ないのでほんの小さなお祝いしかできないが出費を抑えて貯めれば何とかなるだろう。

 

「そうですね、今日で丁度一年になります」

 

「そうか————は? 今日?」

 

「はい、今日です」

 

 しまった。中尉は冷静に頷くふりをしながら内心焦って壁にかけてあるカレンダーを見た。見ればカレンダーにはベルファストが付けたのであろうか大きな丸が今日の日付に付けられていた。

 どうやら自分だけが忘れていたことに気付くと中尉はさらに焦りを積もらせていく。この一年世話になりっぱなしだというのに、これ以上のだらしがない所を見せられない。ということで中尉は知ったかぶりをすることにした、今からでも街にあるレストランの予約は取れるだろうし、なにか気の利いた物だって用意できるはずだ。財布は空になるが背に腹は代えられなかった。

 

「あ、あぁ勿論分かっていたさ、レストランの予約だって取ってあるし……」

 

「そうですか、こちらも予約を取っていたのですが……」

 

「え、あ、取ってたの……?」

 

「はい、他の艦隊の皆様から教えてもらいました。御洒落で評判の良い所だったのですが……こちらはキャンセルいたします」

 

「いや! 私がキャンセルするよ。そこにしよう! いやそこが良い!」

 

「そうですか……ご主人様がそうおっしゃるなら」

 

「あぁそうしよう。じゃあ私はキャンセルの電話をしてくるから!」

 

 しめた。これなら後はプレゼントでも決めるだけだ、ベルファストが好みの……そう言えば彼女の私生活というのは除いたことが無かった。ああ、くそ、自分の甲斐性の無さには悲嘆にくれるしかない。

 中尉はそのまま慌てて部屋から飛び出していく、売店である。とりあえず気軽に話せる明石に女性の好みを聞いてそれから町の方へ繰り出すつもりである。余りに焦っていたので書類の山はそのまま置きっぱなしである。

 ベルファストはその慌てる様を笑いかけながら見送ると、中尉の分の書類を自らの机に乗せて処理し始める。

 

「完璧にダメ男ね」

 

 ふと、一人の少女がため息をつきながら入ってきた。名をエイジャックス、他の提督の指揮下にある戦艦娘の一人である。つまり他の提督が帰ってきたということであり勝手に町に出る司令官が見つかって咎められていないだろうかとベルファストは少しだけ心配する。

 

「あら、エイジャックス様いつからそこに?」

 

「記念日の下りから」

 

 ベルファストに比べてエイジャックスは年下に見えるがベルファストは誰にでも丁寧な口調と佇まいで接していた。メイドとはそういうものだと認識している。

 

「記念日は忘れる、見え見えの嘘はつく、おまけにがさつで、だらしないし、お金もすっからかん。私の子豚だったら教育しなおしだわ」

 

 エイジャックスの提督への嗜虐趣味には艦隊全員があまり気にしていない、というか知るのが怖かった。

 

「もしかしてダメ男に仕えるのが趣味なタイプだったり?」

 

「確かにご主人様の矯正もメイドの務めではありますが、私にそういった趣味はございません」

 

「良く分からないわね、じゃああの提督のどこが良い訳?」

 

「貴方が御自身の提督をお慕いしている理由と同じです」

 

 ベルファストの言葉にエイジャックスが少しだけ頬を染める。ベルファストには余り理解できなかったが日々小悪魔的に提督をいじめて嗜虐感に浸るエイジャックスにも提督を想う気持ちがあるらしかった。あまりその提督には表に出さないのが可哀そうでもあったが。

 そのままベルファストは書類にペンを走らせながら、ふと窓の外に映った売店に走る提督を見てまた笑みを漏らす。

 

「つまりは、惚れた弱み。という物です」

 

 

 

 続く。




一番初めだということで、あまり起承転結のない内容です。
ルームでの会話をしているうちに書くことになった小説で、これからもお題を貰っていくごとに書いて行きたいと思っています。


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だらしない提督とベルファスト 2

 未確認生物セイレーンが初めて撃破され、その技術が解析されていくと同時にこの海ではある技術革新が起こった。

 戦艦少女たちの誕生である。全ての陣営がアズールレーンで共同戦線を張り技術を共有していた時代、ユニオンの技術者たちがそのセイレーンのデットコピーを誕生させ、ロイヤルがそれを解析してアーキタイプを仕上げると、鉄血が量産化を進めて、重桜がその技術をオカルトを組み込み更に昇華させた。

 この戦艦少女は戦艦の記憶を持ちながら、鉄の塊ではなく、生きた人間として柔軟性のある思考を獲得し、戦艦の攻撃力を持ちながらそれ以上の速さで移動することが可能な高軌道戦闘を可能にした。

 それにより大陸横断弾道ミサイルなどのミサイル群はもはや無用の長物になった、その高速戦闘によってミサイルは容易には当たらなくなり、戦艦少女のシールドはその熱量を容易に防ぎ、シールドの応用によって都市部はミサイルが飛んできても民家の一つも傷つけられずに終わった。

 そもそもセイレーンにさえ効果が無かったのだからその衰退は目に見えていたのだが、戦艦少女の誕生によって一気に荒廃にへと追いやられたと言ってもいい。戦艦少女、もといそのシールドに守られている拠点を傷つけられるのは戦艦少女の攻撃だけだと分かると、各陣営は戦艦少女に全ての資金をつぎ込み進化させていった。

 その進化の過程で最も注目すべきは兵器たちの前時代化及び縮小化であった。戦艦少女たちが戦闘に当たるにあたって、現代の超長距離戦闘はミサイルの無力化によって空も飛べず、頼みの主砲もそれほどセイレーンにダメージを与えられ無かったのだ。

 その中で見直されたのが大鑑巨砲時代に見られた、口径の大きく長い砲塔たちであった。その破壊力はシールドを容易く破壊し、セイレーンにも効果的であったのだ。

 それを搭載するにあたって、威力は小さくならずに砲塔だけを小さくする技術も開発されると、魚雷にも応用され、前時代的海戦略構想の逆戻りに拍車がかかった。

 戦艦少女たちをサポートする護衛艦、昔の戦艦をそのまま縮小化し食糧配達、支援砲撃、囮、自爆特攻を無人で行う船たちが生まれイージス艦の時代が終わりを告げると、戦術も縮小され、一艦隊あたりの戦闘可能地域も縮小されたことで、海は陸の様な大勢の兵士が跋扈する戦場となったのだった。

先々代ロイヤル代表クイーン・エリザベスはこれを「縮小化された戦争(ミニマム・ウォー)」と呼んだ。

 そうして戦争は劇的に変化した。少女が平原で馬をかける様に水上を駆け抜け、他の者達がそれに続く。それは戦争が発展していく内に失われた、戦場のロマンチズムの復活、ノブレス・オブリージュの復活さえも意味しているかのようだった。

 ただその中で変わらないのは、そこで命を落とす兵士の数だけであった。

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 

 

「おい、そこの。そこのガラスがまだ汚れているぞ、しっかり掃除せんか!」

 

「は、はい……」

 

 その日中尉はガラス磨きをしていた。ユニオン製のガラスクリーナを使って新聞紙でせっせと磨いていく。自分の顔を移すほどの輝きを取り戻したガラスを見るとなんだか誇らしくなってくる。もう軍人なんかやめて清掃業者で働いた方が良いんじゃないだろうか、くそう、自分で分かるこれは自棄だ。

 なぜか? と問われると理由は一つ、これが上官の命令だからである。軍において上官の命令は神の次に絶対なのである。

 だからと言って、一提督が——そのブランドの価値が著しく低下したとしても―掃除に顎で使われてはいけないはずである、まず部下に示しがつかない。

 が、この中尉は提督と呼ばれるには艦隊は持っておらず、部下もベルファストと呼ばれる戦艦少女ただ一人であった。そしてその部下も日々着用しているメイド服に似つかわしくガラス拭きに勤しんでいる。しかも中尉とは比べ物にならないぐらいの出来であり、ベルファストが磨いたガラスと比べると中尉のはまるで砂で磨いたような出来である。

 

「流石はベルファスト君、磨いた窓がなんとも新品の様ではないか。執務室の廊下も滑る様にピカピカだったし、やはり君に任せて正解だったよ。そこの不出来な男も見習ったらどうだね?」

 

 そういうのは、この基地での最高権力者であった、階級は大佐でありでっぷりと腹に乗った脂が目立つ男である。そのセクハラと階級を笠に着る態度は艦隊少女おろか提督からも評判は良くない。提督たちのコネクションだけで成り上がった様な男であり、この戦場から遠く離れた補給基地に着任できたのもそのコネのおかげとも言われている。

 

「お褒めの言葉、恐縮でございます」

 

「右に同じく」

 

「貴様は褒めとらんわ! ……こほん、それでどうだね、この後食事でも? 今日は大将閣下が視察に来る日でもある、君の事を紹介しても良いが……」

 

 ほらきた。と中尉は思った。何を考えているのか良く分かる目をしている、ここまで分かりやすいのも一種の才能だろう。これでよく戦艦少女達から訴えられなかったものである。

 人間の手によって作られた命である艦隊少女たちでも権利は認められている。その命が生まれた時から宿命づけられている命がけの戦闘という義務を果たしているから当然のことであった。

 もし彼女たちの人権もとい艦権を非道に破る者がいれば無慈悲に軍はその輩に鉄槌を下すであろう。無慈悲というのは脅しではない、艦隊少女たちの権利は各陣営の立法機関が軍に全てを委託している。元々が人間に作られた人間の様な者というのは複雑であり元々の法律では図りにくい所があるので、法律上は「兵器」として扱うしかなくそれらの扱いは軍に任すしかない。おおよそいつまで続くか分からないこの戦争が終わるまでは。

 なので、陣営によっては―鉄血の様な厳格な軍人たちが集う所では―本当にその身が海に沈む。軍では行方不明、または事故死として扱われ軍の外に情報が漏れることが無い。

 そんなことはこのアズールレーンでは聞いたことがないが、それでも厳罰に処されるのでそれを知りながらああいうセクハラが出来る大佐と言うのはある意味豪胆な人物なのかもしれない。

 

「申し訳ございません、今日は先約がございまして……またの機会にお願いいたします」

 

「そんな、先約と言ってもそこの男とサンドイッチでも食べるだけだろう? いつもそんなばかりを食べていると君の折角の美貌が台無しになる」

 

「先約は、先約ですので」

 

「だ、だがねぇ……大将閣下も……」

 

「申し訳ございません」

 

 そのままお辞儀をするベルファスト、その仕草も洗練されており美しい。後ろから同じく掃除に励んでいた戦艦少女たちの含み笑いも聞こえ始めたので大佐は何も言えず、代わりに中尉に「窓がまた汚れているぞ」と強い語気で言いつけながら大股で執務室へと歩いていった。

 大佐の姿が消えた後、わっと周りから艦隊少女たちがベルファストに集まっていく。中尉には目にもくれないので足が当たったり体が当たったりで痛い。

 

「さっすが、ベルファストカッコいいー!」

 

「あのオヤジの顔見たらすっきりしちゃった」

 

「いえ、先約があるのは本当ですので」

 

「ここの提督って戦闘が滅多にないからいっつも雑用とかさせるし、あの大佐に至ってはセクハラも多しであんまり良い環境じゃないわよね。今日大将さん来るんだしお願いして前線に行こうかしら?」

 

 やれ、戦うために生まれてきたとしても平穏を望んでも良いだろうに。中尉は心の中で漏らした。彼女たちには彼女たちの矜持があるのは理解しているが、中尉にはどうにもセイレーンと言う全人類の共通の敵がいるのに、同じ人間同士で戦わなければいけないこの状況に一種ばかりか多種にわたる疑問を持っていた。

 無論そんな疑問を持っても、戦争が終わるわけではないが……

 

「そう言えば知ってる? 今日の視察。只の視察じゃないみたいよ」一人の少女がベルファストを中心とした輪の中で発言した。

 

「どういう事? 視察が来るたびにこんなにピカピカにするのはいつもの事でしょう?」

 

「気付かない? 入ってくる量産型の数が多いし輸送船だけじゃなくて戦艦型がこの周りにいくつも停泊してる、まるで前線基地みたいに」

 

「ここは、戦闘とは縁のない補給基地では?」ベルファストも興味を持ったらしく同僚に言葉を促す。

 

 戦闘の主戦力が戦艦から戦艦少女に変わるにあたって問題となったのが兵糧であった。戦艦の場合はその大きさから航海時の食料はその戦艦の中に貯蔵することが出来た。

 だが、戦艦少女の場合はそれが出来ない、何日分の食料を背負っていくことは不可能であるし、高速戦闘の場合邪魔になる。

 なので遠征などの場合は量産型補給艦を同行させることが主流であったが、真っ先に補給艦を狙われる様になるとそれも上手く行かなくなった。

 それで生まれたのが海上中継基地である、海上に展開されたそれは補給基地から輸送された物資を貯蔵し、またさらにその中継基地から前線の基地へと補給していく役割を持っていった。

 したがって中継基地たちに補給を行う補給基地には大量の物資が送られてくる物資で溢れかえり、やはりそこから物資を横流しする輩も出てくるので、物は流通し人は増え町が栄えてくる。

 中尉が在籍している基地もまた補給基地であり、少女が言った通り敵が前線を突破し何重にもある中継基地を潰してこない限り突如とした現れるセイレーン以外との戦闘は望んでもあり得なかった。

 

「だから、可笑しいのよ。大将が此処に来るといってもここまで守りを固くする必要ないわ。もしかしたらすごいVIPか元帥かくるのかも!」

 

「きゃー! 良いわね、元帥直属の秘書艦なんて憧れるわね!」

 

「あの、皆もうそろそろ掃除に戻ってはどうかな……?」

 

 そろそろうるさくなってきた少女たちに中尉が恐る恐る言葉をかけるが、少女たちは軍帽の代わりにタオルを巻いて、軍服の代わりにエプロンをつけている提督をちらりと見てまたこそこそと喋りはじめる。

 

「ベルファストさん、もうそろそろ提督も変え時じゃありません?」

 

「あちら、軍からVIPじゃなくてVUP待遇を受けている人ですよ?」

 

「V.U.P……?」

 

「ベリー・ウザい・パーソンです」

 

「聞こえてるんだけど……」

 

 完全に見下されている中尉であるが、言い返せる実績も自信もないので只々困った顔をするしかない。それの顔を見てベルファストは雪山に咲く花のように静謐な美しさを思わせる小さな笑みを浮かべた。ベルファストは中尉が困った顔見るのが好きな一面がある。

 

「笑い事じゃなくて、ベルファストはそもそも前線で活躍していた一人なのでしょう? 良い待遇の提督から引く手あまたのはずだが」

 

 それは真実であった。ベルファストはおそらくこの補給基地の誰よりも戦歴が長く、実力もまたそれに値するものを持っている。中尉とも海戦の際お互い顔を見ることは無かったが、指揮する者される者の違いはあることながら殺し合っている仲でもあった。

 

「皆様のお言葉は有り難いのですが、私にも好みと言うものがございますので……あぁ、昼食の用意をしなければならないので失礼します」

 

 そういうと、ベルファストはバケツを持ってその場を後にする。

 少女たちの視線が全て中尉にいくので、慌てて自分も余所に行こうと立ち上がるがその際にバケツをこぼしてしまい、他の少女達から叱られながら雑巾で廊下を拭いていく。

 その様は提督と言うよりも、用務員の方が似合う。それもとびっきり使えない用務員。

 

「ベルファストさんってもしかしてダメ男が好きとか?」

 

 そんな中尉を見ながら他の少女たちは口にした。まったくもって男女の仲というもの海の底のように不可解な世界であった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「それで、今回来ると思われる謎の訪問者に心当たりはあるのかい?」

 

「いいえ、私には」

 

 数刻後、中尉とベルファストは鎮守府にある食堂の中ではなく屋上で昼食を取っていた。食堂の中は周りの視線がきつく、執務室は狭くて落ち着いて食事ができない。それで二人は明石から屋上の鍵を「調達」して、ひっそりと侵入していたのである。

 それに、ここからだったら軍港も見えて、今日来るお偉いさんの姿もこっそり覗くことも出来る。

 

「もしも元帥閣下が来るとしてだ……」中尉は広げられたシートに置かれたサンドイッチを一かじりして怪訝な顔をした。「これ、何を挟んだ?」

 

「ウメのペーストです」

 

「梅……?」

 

「重桜ではポピュラーな果実らしいのですが……これはそれを干して……」

 

「知ってる、私が聞きたいのは何故これをパンに挟んだんだ?」

 

「中々手に入れるのに苦労しました。これは東煌産の物ですが、ご主人様には馴染みのある味なのでは?」

 

 この世には完璧な人間と言うのは存在せず艦隊少女もまたそれは同じである。ベルファストの場合は料理であった。

 彼女の料理の腕は中尉をして「独創的」だと言わしめる腕であり、糧食にマイナス方向に定評があるロイヤル陣営を代表出来るほどの腕前であった。

 の割に彼女は中々の料理好きであり、料理と言うには抽象表現主義の画家が描いた絵をそのまま三次元に取り出した様な物体を中尉に振る舞うのを趣味としていた。

 その中でも唯一マシな料理がサンドイッチなのだが、今回は梅という侵略者がその平穏を奪っていた。

 

「いや、私は重桜では食事は殆ど合成食糧で済ましていたからね。あまりこういう物は食べたことは無かった……君が来るまでは」

 

「合成……?」

 

「ここで言うカロリーバーみたいなものでね、あれ一本で一日戦えるが売りだった。まぁ味は皆無だったからおかげで初めて濃い味の料理に慣れるのに苦労することになったけど」

 

「なるほど……だからご主人様が初めて私の料理を食べた時に盛大に嘔吐されたわけですね」

 

 それはまた別の理由があるのだがその言葉を喉の奥に飲み込みながら中尉はただ困った顔をした。それ見てベルファストは少しだけ微笑む。

 おおよそこの陣営に亡命してから中尉の生活はベルファストによってさまざまな彩りを加えられていた。当初は少々眩しすぎると思っていたが、今になってになってはそれが心地よいし、彼女が作る料理は好きだった。……少々独創的ではあるが。

 

 

 そうしていると、大佐とその秘書艦が軍港へと歩いていくのが見えた。遠くの海にはいくつかの量産型の戦艦と幾人かの戦艦少女が見えた。

 

「どれ、お客人が到着の様だ」

 

 そう言って中尉は腰を上げて興味津々に海を注視してると、その船たちが近づいてくるたびにその顔がどんどん険しくなってくる。

 

「ご主人様……?」

 

 滅多にしない主人の顔にベルファストも注意の横に立つと、その普通の人間よりも強化されている視力にはおおよそ信じられない光景が移っていた。

 

「なぜ、アドミラル・ヒッパー級の重巡が此処に……!?」

 

 それは此処にあるはずのない、いるはずのない軍艦がそこあったからである。

 アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦三番艦プリンツ・オイゲン。自分たちと敵対してるはずの鉄血陣営の、その戦艦少女と量産型が堂々とこの基地へと入ってきていた。横にユニオンの軍艦を添えて。

 

 

 

 

 

 

 軍港には大佐だけではなく、物見人として様々な人間が集まっていた。その中には敵艦に仰天して慌ててとび出してきた提督や戦艦少女も含んでいる。

 敵艦の砲塔はこちらに向けられていないし、敵意もなく手を振っているので攻撃する気はないが、相手が不振な行動をすれば何時でもその引き金を引けるようにしている。

 しばらくすると鉄血の戦艦がそのまま軍港へと入港し、タラップが繋がるとそこから二人の男が降りてくる。鉄血の軍服を着用しておりどうやら本当に敵陣営の人間らしい。

 一人は岩が擬人化したようないかつい顔をした男で体もまた岩のように隆々としており軍人らしい軍人である。

 もう一人はその男とは全ての意味で対照的な男であった、まるで美の女神がその手で彫琢したような美形であり、金色の髪とエメラルド色の瞳が光を反射して煌く様であった。見ていた艦隊少女たちも思わず敵国である男に黄色い声を送っている。

 ついでその横に着港した戦艦から降りてきた老いた大将には誰も目を向けなかった。

 大佐はその三人を確認すると長い人付き合いで獲得した「人懐っこい笑顔」を張り付けながら駆け寄ってくる。

 

「いやぁ、長旅ご苦労様でした。お疲れでしょう、ささ、こちらへ。粗末なものですがレストランでの昼食をご用意しております!」

 

「御苦労大佐、さあこちらに……」

 

「了解しました、プリンツ!」美形の男が港で艤装を外しているプリンツ・オイゲンへと呼びかける。その美形に恥じぬ美声であった。

 

「およびかしら、少将?」

 

 銀色の髪をなびかせてプリンツが美形の男へと向かう。黒を基調とした服と銀色の髪はお互いの美しさを高め、小悪魔的な童顔とそれと正反対な肉体は提督たちの目を奪うには十分であり、二人並ぶとおとぎ話の王子様と王女様のようである。

 

「私は大将閣下と共にこれから談合に向かう。君には自由時間が与えられるが、個々の人々に迷惑はかけないように」

 

「あら、護衛は要らないのかしら。もし談合先で撃たれても知らないわよ? 私も撃たれるかも」

 

「不要だ、私達は法で守られている。君ももしもの時は戦闘を許可する」

 

「ヤヴォール、コンタアドミラール♪ まぁ、こんな所私一人でもぶっ潰せるけど……」

 

 その言葉に何人かのエースたちが自尊心を傷つけられた顔をする。戦闘が無い区域でも過酷な訓練で鍛えられている彼女たちは、いざとなれば彼女を捻る潰せるぐらいの自信があり、いざと言う時は防御と要となる少女達であった。

 

「行ってらっしゃいのキスは御入り用かしら?」

 

「冗談はよしてくれ。私の事は知っているはずだが」

 

「少将、早くしろ」

 

 これまたイメージ通りの獣が唸るような声で鉄血の大将が少将を呼ぶと、彼は優雅に金の髪なびかせながら大将の元に駆け寄っていく。プリンツはそのまま大佐を加えた四人が車で町の方に行くのを見送ると、敵意を加えられた視線を艶かしく口角を上げて応えると「そう言えばお昼まだだったわね」とそのまま少女たちに道を譲らせながら目についた食堂に足を運んで行った。

 

 

 

 

「なぜ鉄血の軍人が此処に……」

 

 その光景を食堂の屋上から眺めていた二人もまた驚きに包まれていた。

 ベルファストは、鉄血の軍人とユニオンの軍人が仲良く握手するという有り得ない光景が未だに何を意味するのか掴み兼ねており、珍しく困惑した声を出して中尉に意見を求める。

 

「ご主人様、これは一体……」

 

「さあね、私にも分からない。あちらさんも亡命してくるというなら良いんだが……それよりも……」

 

 一方中尉はその二人には興味を示さなかった。驚いたのは鉄血の軍人にではなく、その軍人に護衛として付いてきていたプリンツ・オイゲンの方であった。目立つ銀色の髪とあの顔には大いに見覚えがあったからである。

 中尉は顔を青ざめるとベルファストの方へ顔を向け、もう一度食堂の方へ近づいてくるプリンツオイゲンを見ると、勢いよく立ち上がり上着を羽織っていく。

 

「ご主人様? 如何なさいました?」

 

「いや、その……なんだ……今日までの書類を思い出してね。早く処理しなければ……」

 

「それは全て今日私が終わらせましたが?」

 

「本当にあったのか! 助かった……じゃなくて、その……そう、ちょっと催してしまって」

 

「十五分前に行ったばかりでは?」

 

「うっ、その……とりあえず私は隠れ……用事があるから誰も執務室に通さないでくれ。頼む」

 

「あの、隠れたいのならば……ご主人様?」

 

 隠れるのならばこの屋上にいればよいのではありませんかという声も聴かずに、そのまま中尉は屋上を後にしていた。遠くで誰かが階段を転げ落ちる音と数人の悲鳴が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

「ハイ、突然だけれどザワークラフトってあるかしら? あとゆでたソーセージとビールが有れば良いのだけれど」

 

「あ、あのう……貴方敵……」

 

 その日の食堂は騒然としていた。いきなり敵国の印を携えた少女が、食堂に来たかと思えば注文をし始めたからである。食堂で働いている戦艦少女はどうすればよいのか分からず只々困惑するのみである。

 

「あるの? ないの?」

 

「あのう、食券にあるものしか……」

 

「へぇ、どれどれ……フィッシュ&チップスって何?」

 

「あ、あのえーっと……」

 

「って、私こっちの通貨持ってなかったわね……なんだ食べられないじゃない」

 

 マイペースで進めていくプリンツは食券を買おうとポケットに手を入れてから思い出す。共通通貨でも作ってくれればいいのに、面倒な。

 そうやって心の中で悪態をついていると、プリンツが入ってきた入り口とは別方向、厨房や屋上へと続く道が続く廊下方で大きな物音が響いた。皿の割れる音と誰かの声と言い誰かと誰かがぶつかったらしい。続けて叱りつける声も聞こえてくる。

 

「中尉! 目は付いていらっしゃるのですか! あぁもう見てください服がこんなに……!」

 

 なるほど、弛んだ艦隊少女が少女なら提督も阿呆提督だ。しかも中尉とはアズールレーンも人材不足と見える。これは本当に私だけでやれるかもしれない。

 プリンツが鼻で笑い、空腹を誤魔化しながら食堂を後にしようと踵を返した。何処か両替できるところでもあればよいのだけれど。

 

「す、すまない。必ず弁償はする、クリーニング代も払う。だからちょっと今は先を急がせてくれないかい?」男の声にプリンツの足が止まった。廊下の向こうへと信じられない物を聞いたような顔をして目を向ける。

 

「そんなこと言って逃げようとしたって無駄です! もう、掃除も手伝ってもらいますから!」

 

 プリンツの足が廊下の方向へと向いた。数人の少女が不審に思って止めに入るが、それを難なく躱し、掴まれた手を捻じって投げ飛ばし、自らの強さを艤装なし証明させながら廊下のドアを開けて男の後ろ姿を確認すると、一つ呼吸をして声をかける。男はぶつかった少女の対応に必死でプリンツには気付いていていない。

 

「アドミラル!!」

 

 その声で男は————中尉は身をすくませる。そしてそのままプリンツを一瞥もせずにそのまま元の場所に戻ろうとする様に廊下を走り階段を駆け上がっていく。

 

「させるか!」

 

 だがプリンツの行動も早い、その美しくも健脚であるその足で一気に中尉に追い付くと、その襟首を捕まえて引っ張りそのまま壁へと叩きつける。

 

「————っ!」

 

 肺の空気が全てが吐き出されるような衝撃に、中尉は呻き声を上げることも出来ずそのままプリンツから拘束され、そのままなすすべもなく拘束されていく。軍隊式のコマンドサンボ、その関節技であった。

 ぶつかった少女が突然の出来事に呆気にとられるが、助けを求めに食堂へと飛び出していく。

 

「誰かと思えば……何時地獄から戻ってきてたわけ? 死んだ人間に会えるなんて」プリンツの目は怒りというよりは驚きと興奮で燃えていた。

 

「重桜には地獄の窯の蓋が開く時期があってね……いたたたたた!?」

 

「ふ・ざ・け・な・い・で。シャイセ……死んでなかったの? じゃああの親王も?」

 

「私が答えると思うか?」

 

「その解答はイエスと同義よバカ」

 

「え? 本当に?」

 

 改めて中尉は自分は舌戦もダメダメな事を思い知らさせる。ここまでくれば情けないを通り越して自嘲気味な笑いまで出てくる。

 

「この場で笑うなんて、流石ね。やっぱり想定内だった? これも作戦のうち?」

 

「いや、その普通に笑ってただけ……」

 

「誤魔化しても無駄」

 

 その笑みを完全に誤解しているプリンツは拘束を解いたと思うと、そのまま中尉を押し倒してマウントを取る。美少女が自分の上に乗っているのに提督にはこのまま顔をボコボコにされるイメージしか湧いてこない。

 

「ここで、何をしているわけ? 潜入? スパイ? そもそも何て死んだとされている親王の部下が此処にいるわけ? 加賀は?」

 

「質問はなるべくひとつずつしてくれないか?」

 

「死んだ人間がひょっこり出てきたらこうにもなる。というか、何よその恰好、まるで清掃員……それに貴方の階級中尉? 冗談でしょう?」

 

「此処には私を過大評価する人間はいないようでね」

 

 その中尉の言葉にプリンツは少し微笑むと、そのまま中尉の体に寝そべっていく。中尉の体に柔らかい感触が包み、何だか心地よいが、彼女が今何を考えているか分かっている中尉にとっては「この前よりか太ったな」とかそんな失礼極まる感想しか出てこない。乙女心とか男女の空気とかこの男にはまるで関心がなくデリカシーという言葉もない。

 

「この前よりふとぶべっ」そして口にしてプリンツから殴られる。鼻から一筋の血が垂れてきた。

 

「乙女にそんなこと言ったら死・ぬ・わ・よ♪」

 

「ずびばぜん」

 

「よろしい。それじゃあ親王の居場所だけど……」

 

 そうして物理的に骨抜きした中尉に、重要な事を聞き出そうとしたプリンツであるが、それは大勢の足音と何かの道具がすれる音で邪魔をさせる。

 何かと二人が階段の下を見てみると、それは先ほど助けを呼んで行った少女であった。後ろには援軍も駆けつけており、手には不審者を捕まえるための網などをそれぞれ持ち寄っている。

 せめて、効果はないといえど銃や殺傷武器を持ってくるべきだろうとプリンツは逆に心配してしまった。こんなギャップは味わいたくない。

 

「皆さんこっちです! こっちで中尉が敵艦から襲われてキャー! 違う意味で襲われてるー!」

 

「おのれ鼻血を垂らしよって、提督の風上にもおけんスケベが!」

 

「中尉サイテー!!」

 

「あの、何故私の評価が下がっているんだい? これどっからどう見ても私が被害者だよね……?」

 

「うるさーい! この浮気者!」

 

「あら、ケッコンしてたの?」

 

「いや、今のところはまだ……あ”」そこで中尉はある一人の少女の事を思い出した。

 

 カツンと上から降りてくる足音が聞こえた。その音は廊下に響くごとにどんどんと大きくなってくる、それに気づいたのはプリンツと中尉だけであった。そして上から降りてくる人物に見当が付いたのは中尉だけである。

 どんどん中尉の顔が青ざめていく。それが鼻血の流しすぎて貧血を起こしているわけではないのはプリンツにも分かるが理由が分からないので首を傾げるばかりだがその答えはすぐに降りてきた。

 

「ベルファストさんにあやま……あ”」下から見上げていた少女たちが声を上げた。

 

「一体どうしたって……あら?」ふと顔を上げたプリンツがその少女と目を合わせた。

 

「あのぅ、これはそのぅ……」予測がついていた中尉が目を逸らした。

 

「ごきげんよう、プリンツ・オイゲン様」そして階段を下りてきた少女が、————ベルファストがプリンツに笑顔で挨拶をした。

 

 中尉を挟んで両者の目が一寸も反られずに見つめ合う。それは女性同士の修羅場と言うより、肉食獣の雄が雌を巡って戦う時の様な目をしていた。

 それに、中尉だけが分かることであったが、ベルファストは怒っていた。

 

 

 3に続く。

 

 




続き、今回は中二満載の設定をこれでもかと詰めてみました。
この話はそのまま3に続きます。
45の人たちに感謝を。


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だらしない提督とベルファスト 3

ちょっとだけ変なシリアスが入ってます。


 レッドアクシズ所属陣営、重桜。彼らは自身達の事を皇国とも表現するこの陣営は他の陣営と比べてその本拠地、つまりこの惑星に存在している数少ない大陸陸部分は細長く面積はそれほど広くはない。

 ロイヤルのように小さな大陸から他に存在していた小さな陣営をまとめ上げて一つの強大な軍隊とした名を上げた陣営とは違い、重桜は海に囲まれた島国であるので一つの貿易国として長い間その名前が表舞台に上がることは無かった。

 その陣営が四大陣営に数えられる強大な国家になったのは、その優れた交易能力と独自発展した兵器技術、それと裏舞台で暗躍し、セイレーンとまで取引をしたおかげとも言われているが、それは誰にも分かっていっていない。分かるのはセイレーンが登場してからその名が多くの所で見られるようになったということだけである。

 その中でロイヤルと重桜の重桜の共通点は、一人の女王が代表として国を治める国王寄りの立憲君主制を取っていたということで、ロイヤルはこれをクイーン、重王は皇王と称している。

 重桜の代表である皇王と血縁のある者は親王と呼び、生まれた時から持つ特権階級によって常人よりも富を約束されていたが、国を率いる者として率先して戦場へと赴く義務もまた持ちあわされていた。

 特に生まれることが少ない男子は皆必ず指揮官としての技能。つまり戦艦少女を扱う才能を持ち合わせていたので、幼少のころから教育を受けその手を血で濡らす運命を決定づけられる。

 なので男子である親王はまだ齢二十を超えないまま提督になっている者達も少なくない、これは他の陣営と比べて珍しい部分でもあった。

 

 

 ○

 

 

 

「これ、意外と、というか外見通り脂っこかったわね……」

 

 賑わいの声が聞こえる食堂の中で、敵陣営であるプリンツが手に着いた油を艶かしく舐め取る。テーブルにはフィッシュ&チップスの包み紙が転がっており、中尉から無理矢理奢らせていたものだった。

 その対面の席にはベルファストがただ礼儀正しく座ってその様子を見つめており、その後ろには戦艦少女達がおおよそ礼儀とは無縁の態度でプリンツに視線を送っていた。

 中尉は他の少女から別途プリンツとの関係について根掘り葉掘り聞かれており、今彼は尋問術の良いモルモットになっている所である。

 

「御馳走様、美味しくなかったわ」

 

「そうですか、お腹は膨れたようで結構です」

 

 口角を上げるプリンツと表情を一切変えないベルファスト。対照的な二人であったが、どちらとも相手が歴戦の兵士だということは直感的にも倫理的にも分かっていた。

 プリンツは戦場に置いて数少ない殺人の技術を芸術の一種にまで錯覚させることが出来る少女であったし、ベルファストもまた同じくその芸術的感性の持ち主であった。

 戦うために作られた少女達は、誰から許可を貰わずとも相手が仕掛けてくれば喜んで迎撃に当たり殺し合いに臨むであろう、それが強敵との戦い、彼女たちの奥底にある本能の一つだからだ。

 だがベルファストは戦うことが嫌いと言う提督にしては失格である自らの主人の願いから、プリンツは提督から禁止されており、あの男が指揮をするならばこちらには勝ち目がないという戦術眼からその本能を押さえている。それもまた有能な兵士の資格であった。

 

「それで、お腹は膨れたのですから、次はこちらの質問に答える約束では?」

 

「ええ、良いわよ。さっきの料理の味の分だけ答えてあげる」

 

 そういうとプリンツは手を組んで、質問を催促する。勿論プリンツが軍事機密にこたえることはありえなかったが、ベルファストにはそれよりもプリンツが主人と何の関係があるのかを知りたかった。主人が何者であろうと一度決めた相手には過去を詮索せず黙って使えるのがメイドとしての彼女の矜持であったが、今回ばかりはそうも言ってはいられない、自分はともかく他の少女たちに鉄血と内通しているのでないかという印象をもたれたらそれこそ事である。

 

「それでは、ご主人様とはどのような関係で?」

 

「ご主人様? アイツご主人様なんて言わせているの?」冗談でしょうと言いたげにプリンツが失笑した。

 

「私がそうお呼びしています。あの人は私にとって使えるべき主人ですので」

 

「はっ、犬が犬を飼ったか……まぁいいわ、あの人とは昔部隊が同じだったの。所謂秘書艦ね、貴方と同じ」

 

「秘書艦……? あの人は重桜の人間では?」

 

「重桜の部隊が支援任務の命を受けて鉄血領に来たときに、私達が配属されたの。別に珍しいことではないでしょう? 秘書艦になれたのは運が良かったけれど」

 

 確かに珍しいことではなかった、見知らぬ土地に転属される際にその海域に詳しい少女が配置されるのは一般的であったし、鉄血からしたら余所の提督たちを監視する役目もあったのかもしれない。

 

「その時に、ご主人様は部隊の中に?」

 

「そう、アイツの部隊は鉄血に来た中でも特に異様……いや、変人の集まりと言った方が正しいかしら? 提督七人編成で司令官は一人、他の部隊と違い秘書艦一人だけ連れて後は現地雇用の形を取っていて、たまたま私は秘書艦を重桜に置いてきたアドミラルの秘書兼旗艦として選ばれたわけ」

 

 少ないな、とベルファストは思った。提督が一度に戦闘指揮が出来るのは一艦隊が限度、つまり六人で編成された戦艦少女の部隊一組が限度である。無論指揮だけならそれの四倍、第四艦隊まで指揮が可能だが、その場合は戦闘は各個の状況判断にゆだねるしかない。しかしながら相手が提督が指揮する艦隊であった場合勝率は急激に下がっていく。

 これは高速戦闘に順応するために脳を酷使する提督、および司令官には破れぬ壁であり、どの陣営でも共通の事柄であった。

 なので、基本作戦に投入する提督の数は多ければ多いほど良い。なので何の支援任務かは知らないが、せめて提督は二十人からなる小隊規模は欲しい所であろう。

 同盟関係を結んでいるとはいえ閉鎖的で秘密主義の傾向的である重桜に鉄血が喜んで提督まで貸し与えるとは思えなかった。

 

「そこでは何の任務を?」

 

「あら、そこは軍の機密よ。答えないわ」

 

「拒否権があると思うか?」

 

 気の強い少女がプリンツを睨みつけるが、当のプリンツは意にも介さず不敵に微笑んで軽く受け流す。いつでもどうぞとでも言ってるようであった。

 

「貴様……!」

 

「では次に」そのプリンツに憤った少女が踏み出すのを、ベルファストは強い語気で次の質問に移ることでやめさせた。「ご主人様とはどのような関係でした?」

 

「質問、変わってないわよ。……あぁ、そういうこと」プリンツも質問の意図が分かると、挑発を止めてベルファストに向き直る。

 

 今日何度目かの視線の合わせ合いが続くが、それは先ほどまでの兵士の目とは違い感情の籠った目つきである。ここからは一兵士ではなく、一個人の女としての話らしい。ここに中尉がいたら、「やれ、戦場にいた方がマシだな」と軍帽替わりのエプロンを胸に押し当てることだろう。

 

「知りたい?」プリンツが指を咥えてベルファストを見る。

 

「是非」藍色の瞳がプリンツを捉える。静謐な光の中に赤色の感情の炎が一つ燃えていた。

 

 それは一つの戦いの始まりであった。

 

 

 

 ○

 

 

「あのー……もうそろそろ解放してくれてもいいんじゃないかい? 出来る限り話したと思うんだが……」

 

「駄目ですよ! まだまだ順番待ちの子がいるんですから! いやー、一回来てみたかったんですよね、刑事さんの服って!」

 

 中尉はうんざりしていた。まるで刑事ドラマの取調室の様な部屋でもうかれこれ何時間か拘束されっぱなしである。

 少女たちも楽しんでいるのか、刑事の恰好をしてくるわ、カツ丼ならぬ特大プリンを何杯も持ってくるわ、挙句の果てにプリン代は全て中尉持ちだと食べた後で言ってくるわで散々であった。

 全く、敵国の戦艦少女と知り合いと言うだけでなぜここまでされなければいけないのか、そもそも重桜から亡命してきたのだから敵国に知り合いがいても可笑しくは無いだろうに。

 

「失礼する」

 

 いい加減、適当な嘘でも作って自白してしまおうか。そんなことを中尉が思っていると、一人の少女が名ばかり尋問室に入ってきた。いずれも中尉で敏腕刑事ごっこと、または純情科ごっこをしてた少女よりも立場は上であり、あの大佐の秘書艦をしている少女でもあった。

 

「あ、どうかされましたか?」

 

「すまないが、人払いを頼む」

 

「はい、ですがまだ順番待ちが……すいません、すぐに」

 

 自分の先輩たちも中尉の尋問大会に参加するのかと思っていたのか、少しだけ反論するが、そうではない事を雰囲気から感じ取ると慌てて部屋から出て行った。

 残るは中尉と秘書艦たちだけになり、彼は彼女の自分を見る目からどうにも空気が今までの刑事ドラマではなく、軍隊ドラマに変わりつつあるのを感じた。それも場面は敵兵に捕まった兵士の拷問シーンと言ったところか。

 

「あの、交代ついでに僕もちょっと外に出して貰えないかな? いくらお遊びとはいえ亡命前の人の付き合いだけで何時間も椅子に座ったら腰が痛いのなんの」

 

「そうですか、中尉はデスクワークには慣れておられませんからね。しかしながらそれは致しかねます」

 

「何故だい?」

 

「先ほどプリンツ・オイゲンとベルファストの実弾無き砲撃戦がやっと終了しまして、お互い大破着底と言ったところでしょうか」

 

「それはそれは……」

 

 中尉はその場にいなかったことに持てるちっぽけな信仰心すべてを神に捧げた。普段物静かな二人の口撃戦のとなると最も世の中で恐ろしい出来事の一つにであるに違いない、実際の砲撃戦よりも数倍怖い。

 

「その口論は確かに恐ろしいものでありましたが、その前に中尉が以前鉄血での任務に従事していたことが話題に上がりまして」

 

「へぇ……」

 

「その話によると、貴女はあのプリンツ・オイゲンを秘書艦にしていた時期がありましたね?」

 

「あ、あぁ。そんなこともあったかな?」あの女いらぬ事を。中尉は普段口にしない口調で心の中で舌を打った。

 

「私は今はあの大佐の秘書艦をしていますが、負傷して前線を引く前は鉄血との戦いに従軍しておりました」

 

「そうなのかい? 全くそうは見えなかったが」これは嫌味でもなく本心から出た言葉であった。まったくそうは見えない、戦闘に慣れた兵士にしては隙があり過ぎて、ベルファストと比べると熟練兵と新兵までの差があるように見える。

 

「まぁ前線にいたのは新兵の頃で、すぐに負傷してしまって本国へと修理に還されたのですが……」

 

 なるほど、一応戦場を見た新兵と言うわけか。自嘲気味に話す少女を見て中尉は納得した。だが、それだけでも優秀ではあったのだろう、だからこうして後方勤務である大佐の秘書艦になっている。

 つまりは戦場が恐ろしいことを知っている。だが目の前の少女にはまた別の感情があることに中尉は気付いていた。

 

「私はその数カ月の中で私は鉄血の中に重桜の部隊を見ました」少女は続けた。「遭遇したのは一回限りでしたが、良く覚えています。鉄血の戦艦の中に重桜の戦艦がまぎれており、指揮艦は印をつけていました、重桜の動物が描かれた特別な紋章です」

 

 少女はいくらか緊張した面持ちであった。彼女は職務怠慢な大佐の職務一心に引き受けている身であり、その中で重桜に関する書類に目を通す機会も多くあった。

 その中で彼女の目を引いたのは親王の存在である。重桜で皇王の親族に付けられるこの名称は、海の上ではその名を聞くとき非常に人に恐怖を与える物に変わる。

 戦場に出ている親王たちは皆、恐れを知らず勇敢で優れた司令官として名を収めているのだ、敵に対する容赦のなさもまた、風聞として広がっていた。

 あの戦場で、同僚を殺し、上官を殺し、提督を殺した艦隊は親王の一人なのだと彼女はその時に気付いた少女は、興味本位、または一種の復讐心のために自分がであった親王について調べ上げた。。

 だが、当時燃え盛っていた彼女の復讐心は今や燻る小さな火になってしまっていた。それは自分が相対した親王、重桜で「狛犬」と呼ばれる動物の紋章(エンブレム)を使う、——皇位継承権の親族不明、名前不明―親王はすでに作戦中死亡していたからである。

 自分と同じ誰かの復讐者の手にかかったか、それともただ自分より強い司令官に負けたのかは分からなかったが、遺体も海に沈みまた親王の親衛隊たちもまた共に運命を共にしたと言われており、それを見たとき、少女は戦う意味も消えうせて後方勤務の提督に仕え続けることを覚えている。そしてそのまま何年もの月日が流れていた。

 しかし今、自分の目の前に死んだはずの人間が座っている。燻った炎が再度燃え上がるには十分であった。

 

「貴方はあの親王なのですか?」少女の目の奥に一つの炎が灯った。死んだ人間が生き返るなんてばかばかしいにも程があるが、確かめられずにはいられなかった。

 

「止めておいた方が良いよ、まだ処女なんだろう?」だが、その殺意を向けられても中尉はただいつもの様に困った笑いを向けるだけであった。

 

「初めてではありません。セイレーンを何度も沈めました」

 

「違うよ秘書艦殿。同胞を殺すことと化け物を殺すことは全くもって違うことだ」中尉は椅子に背中を預けると続ける「それは狩りと殺人ぐらいに違いがある、セイレーンの奴らは何度殺しても嫌悪感は湧きはするが、罪悪感なんて湧きはしない。だが、人となると別だ、意外と慣れるのに時間がかかるよ?」

 

「殺したのは戦艦少女達です! 貴方達はただ後ろから命令するだけでしょう! 」

 

「まぁ、そうなんだがね。だが命令したのは私だ、彼女たちがやってきた殺戮行為は全て命令した司令官の責任となる。それは君たちの国でも同じだと思っていたが」

 

「質問に、答えてください」

 

 彼女の額には汗が浮かんでいた。彼女の手の中にあるであろう護身用の小型拳銃の撃鉄が下ろされ、腕を目の前の中尉に向けるだけで小さな弾丸は大きな威力を持って彼の頭を容易に砕くだろう。

 流石に、このままでは地獄に送り返させられるかな。と考えた中尉はとりあえず白状していい部分だけ白状することにした。この手の精神状態のときはは本当にやりかねない、そしてやった後で自責の念に駆られ次に銃を向けるのは自分の頭ということにもなりかねない。

 中尉は閻魔大王から読まれる罪状が増えることは避けたかった。なによりベルファストが悲しむ。

 

「すまない、僕は孤児だ」

 

 なのでただそれだけの真実を相手に伝えることにした。

 

「……そうですか」

 

 その一言で十分だった、皇王の血族である親王が孤児であるはずがない。

 少女もそれで十分だったのか、撃鉄を上げると、溜息をもらしていく。それは無念の現れというより安堵から出る息であった。

 

「では、なぜあのプリンツ・オイゲンが秘書艦に?」

 

「監視役みたいなものさ、確かに親王殿下の部隊にいたのは事実だが、そこでも私は雑用係でね。特に海戦にも出て行かなかったし武勲も立てられず散々プリンツからいじめられた物だ」

 

「そ、そうですか……」

 

 そう言って中尉が不器用に笑うと、不思議と部屋の空気が緩んだような気がした。と、いうよりか中尉があっちでも雑用係と知って少女が何ともいなくなっている。

 タイミング良く、扉からノック音が聞こえベルファストが中に入ってくる。何故か所々メイド服がボロボロになっており、髪も乱れている。

 

「ご主人様、鉄血側の提督たちの会談が終了したようです……お邪魔をいたしましたか?」

 

「いや、丁度済んだところだ」中尉は立ち上がろうとして、ふと体の異常に気付いた。腰に力が入らない、腰が抜けている。

 

「……ご主人様?」

 

「いや、何でもないよ。すぐに、よっ、ふっ……!」中尉は震える腰を何とかあげようとしながら自らの小胆を怨みに恨んだ。まったく、どうにも恰好が付けれらないのはなぜだ忌々しい。秘書艦の顔が痛い。

 

 それから三十分後にベルファストに介抱されながら中尉は部屋を出ることが出来た。

 結局のところ大佐の秘書艦はプリンツとの関係も、中尉が過去も何も知ることは出来なかった、ただ少しだけ親王ならず親衛隊も皆死んでいるはずなのに何故中尉が生きているのか不思議に思ったが、ただの雑用係だから作戦には参加していなかったのだろうと、すぐに頭から消してしまっていた。

 それは中尉にとって情けない姿を晒してまで勝ち取った唯一の戦果であった。

 

 

 

 ○

 

 

 

 

「しかし、君らしくない恰好をしていたが、プリンツとは何があったんだい?」

 

「お知りになられたいですか?」

 

「……いや、遠慮しておくよ」

 

 日も傾き、太陽が海へと沈もうとしている頃、二人はまた食堂の屋上へと足を運んでいた。

 今中尉は、どんな枕よりも柔らかく暖かいもの、ベルファストの膝にその頭を沈めている。花の香りが中尉の鼻をくすぐるたびにそのまま意識を深い海の底まで沈ませて眠ろうかなと考えているが、それをベルファスとの会話でなんとか抑えている状態であった。

 ふと、中尉がベルファストの顔を見ると、その豊満な双丘の向こうで何か言いたげな顔をしていたので、さりげなく聞くことにしてみる。

 

「……どうかしたのかい」

 

「いえ……」

 

 またプリンツが要らない事を言ったかな? 言いよどむベルファストを見て中尉は思った。

 少女たちから無理矢理連れていかれた後中尉はプリンツの姿を見ていなかった。おそらくあの見ているこっちがいやなるぐらいの美形と、花崗岩の擬人化の様な提督達が謎の内談を済ませたからであろう。しかし、気になるのは内談の内容だ、やれ、レッドアクシズとアズールレーンとの休戦なら願ったりかなったりなんだが。

 

「どうせプリンツが君を煽るためにあることないこと言ったんだろう? 気になるのなら応えられる範囲なら応えるよ」

 

「いえ、メイドとしてはご主人様の過去を聴くのは私の矜持に反します」

 

「じゃあ、今だけは只の男と女だということにしよう。それならいいだろう?」

 

「膝枕をしている女性とされている男性が只の男と女ですか?」

 

 膝枕をさせてきたのは君からだと言いたいが、どうにも口から出てこない中尉は只々困った顔をした。

 ベルファストはその顔を見て少しばかり微笑むと——ベルファストは中尉の困った顔を見るのが好きなのであった―覚悟を決めたのか深呼吸して提督と向き合った。

 大佐の秘書艦みたいに、部隊の事を聞かれたらどうしようかと今更ながら中尉は心配になるが、今更なしとは言えないし、ベルファストには嘘も何も通じない。その時は洗いざらい喋るしかないだろう、しかし喋ったら最後絶対に嫌われることは間違いない。くそ、恰好つけなければ良かった。

 

「……があるのは本当ですか?」

 

「ごめん、なんだって?」上手く聞き取れなかった中尉が聞き返す。

 

「その、黒子です」

 

「黒子? それは誰にでもあるものだろう?」

 

 実際に戦艦少女にも付いているのもので、プリンツはその胸の横に、ベルファストは小さく耳の後ろについていた。中尉には顔に目立つような黒子は存在しないが、それでもベルファストが遠慮がちに聴いてくる類のものでもなかった。

 

「いえ、そのご主人様の————に、です」

 

「はぁ!?」

 

 自分でもそんなところに黒子が存在していることを知らなかった中尉は思わず服に手をかけるが、すんでのところで止めにする。膝の上から見るベルファストの視線に気付いたからである。

 プリンツはメイドの時とは違い、可愛らしく年相応に眉を寄せながら中尉を見ていた。かなりの不機嫌である。

 

「やはりプリンツ様の言ったことは本当でしたか……」

 

「な、何を……?」

 

「プリンツ様は、ご主人様の体にある全ての黒子の位置を知っていると」

 

「な、な、なぁ……!?」中尉は増々不機嫌になっていくベルファストを見て慌てて膝枕から飛び起きる。プリンツめ、とんでもない爆弾を落として行きやがった!

 

 体の黒子の位置を知っているということは、つまりは男女の関係においてそういうことなのだが、中尉はプリンツとそんな肉体関係を結んだことは一度もなかった。つまりはブラフなのであるが、こういった嘘は例えそれが嘘だと分かっても後を引くものである。つまり非人道兵器並に無差別に男女の仲を壊しにかかる言葉の一つをプリンツは放ったのである。

 あの女らしいと中尉はつくづく思った。プリンツ・オイゲンは人があたふたする姿を見るのが好きだという変な性格をしている、今頃この現状を想像しては一人で指を咥えながら笑っていることであろう。まったく迷惑甚だしい!

 

「で、出鱈目だ。私のそんなところに黒子は無いし、彼女とはそんな関係にはなったことは……やれやれ、本当に浮気している男の良い訳みたいじゃないか……」

 

「本当ですか?」疑わしげな目で中尉を見て続けた「ご主人様が知らなかっただけでは?」

 

「本当だって! 君は主人の言葉を疑うのかい?」

 

「今は、只の男と女ですから」

 

 そう言われると、中尉は何も言い返せない。こう言った会話ではベルファストは中尉の数歩先をいっており、中尉に勝ち目はなかった。

 

「とにかく、私の言っていることは本当だ。その、肉体関係どころか男女関係もなかった、知っているだろう? 私はこういうのに疎いんだ、その、なんだ、君が初めてなんだよ、いろいろと」

 

「……」照れくさそうに頭を掻く中尉を見て、ベルファストは何かスイッチが入ったようであった。入れてはいけない部類の物であるのは確かである。

 

「証明できるものはないが、と、とにかく!」

 

「いえ、証明できるものなら一つあります」

 

 ベルファストは中尉が慌てふためく姿を見ながら、一つ笑みを浮かべ始める。それがプリンツが悪いことを考えている時の笑みと重なり、中尉は本当は似た者同士ではないかと勘繰り始める。

 

「なんだい、もしやプリンツを連れてきて違うと証言しろとでもいうのかい?」

 

「違います」笑みを深くしながらベルファストは答えた。

 

「じゃあどうしろと?」

 

「実際に確認すればいいのです」

 

「な、何を……?」不安げに中尉が答えた。

 

「黒子をです」

 

 そうベルファストが言った瞬間、彼女を見ていたはずの中尉の視界は一気に茜色の空へと移動した。続いてベルファストの顔が中尉の目の前に移動してくる。なんてことは無い、ベルファストに押し倒されたのだ。美しい銀色の髪が夕日に照らされ輝かんばかりの美しさを見せる。

 そのままベルファストは前にプリンツがやったように、中尉の体に寝そべると、そのシャツのボタンを外していく。

 突然の奇襲に中尉は只々見つめる事しかできなかったが、自分のベルトの留め金が外れる音を聴いて、慌てて意識を元に戻す。

 

「な!? あぁ、馬鹿か君は! こ、ここは食堂の屋上だぞ!?」

 

「静かになされれば、誰も来ることはございません」ベルファストの顔は夕日に照らされ、赤くなっていたが、おそらくそれだけが原因ではないのは誰が見ても分かることである「ですからお静かに……」

 

「い、いやそういう問題じゃないだろう!? ま、待ってくれ、主人を襲うメイドが何処にいる!? メイドの矜持はどこに————!?」中尉はそれ以上の言葉をベルファストの唇によって塞がれた。生暖かいものが中尉の唇をこじ開けて口内に侵入し蹂躙を始める。

 

「今は、只の女と男だと。旦那様がそう言われましたので」主人の唇をじっくりと堪能した後、息を少しばかり乱しながらベルファストは言い放った。

 

 ムードもへったくれもない、というかそもそもこういうのは男がやるものではないのか。無理矢理女性に唇を奪われるなど、男子の生き方としてあって良いのか。中尉の脳裏にこんな状況でも喜びそうな男が浮かんだが、すぐにかき消した。あんな男と一緒になるのは断じて御免だ。

 色んな考えが頭の中で浮かび弾けていくがそれらは口から出ることもなく、流石の中尉も「あ、阿呆……!」と顔を真っ赤にして子供の様な悪口しか出すことが出来ない。

 それを見てさらにベルファストは燃え上った。夕日よりも眩しい光をその眼に宿して、獲物を前にした肉食獣のように舌なめずりをすると自らも衣服をずらしていく。

 最上級の白磁の様な肌が露わになり、いやでも中尉はそこに注目してしまう。自分の中の野獣が今にも脳の指揮権をよこせと檻と叩いているが、中尉もまた提督であり、一軍人が幾ら女性から誘われたと言ってその場の感情に流されてはいけない。部下に示しがつかない、部下はベルファスト一人であったが。

 

「よ、よし、ならば命令だベルファスト。君も軍に所属する少女であるなら上官の命令は絶対のはずだ」命令での強制はあまり中尉の好みではなかったが、この際は仕方ない。このまま食堂の屋上で致して男のプライドをずたずたにされるぐらいなら、たとえ意気地なしと呼ばれようが命令することに罪悪感は無い。

 

「拒否いたします」

 

「なにぃ!?」

 

 だがベルファストのはそんな物知るかと言う様に拒否してきた。流石にそれは軍の規律を乱すので、中尉も黙ってはいられない。元々はファッション以外お堅いことで有名である重桜の提督だったのだ。

 

「そ、それは軍の在り方を否定するぞ。君も軍人と言うことを忘れては……」

 

「ご主人様こそお忘れですか?」

 

「な、何を……」

 

「ご主人様は中尉、私は女王陛下からヴィクトリア十字戦姫章を賜っており、少佐相当の軍事的地位を与えられています」

 

「な”っ……」彼はベルファストが何と言おうとしているのか察して、リンゴのように赤くなる。

 

「なので、さぁ、ご堪能ください。これは命令です。……ほうここにも黒子が……」

 

「堪能するのは君のほうじゃな――」

 

 一人の男の叫び声が響き渡り、虚しくプツンと途絶えた。

 

 

 ○

 

 

「……?」

 

「どうかしたか?」

 

「いえ、何か叫び声が聞こえなかった?」

 

 軍艦たちが停泊している軍港で、ふとプリンツが顔を上げた。

 彼女の提督たちは密談も終了して、自分たちの拠点に変えるために物資の補給を行っていた。これも全てこの基地の大佐の厚意で全てあちらの基地の負担で出してくれており、プリンツは「今後とも御贔屓に」と媚びへつらう顔で自分たちに言ってきたこの基地の大佐の顔見て、軍人じゃなくて商売人の方が向いているのではないかと軽蔑ついでに思ったぐらいである。

 

「私は何も聞こえなかったが……そういえば、その恰好はどうしたんだ?」見る人すべてがため息をつく様な美形少将がそのプリンツの破れた服とぼさぼさの髪の毛を見て言った。

 

「知りたい?」

 

「いや、問題を起こしてなければ良い」

 

 船の上では火山岩が擬人化を果たした様な大将が只沈んでいく夕日を見つめていた、もう一人の提督が傍に立つと、それは崖に咲いた花の様な趣になった。

 彼らが敵国の奥に来てまで内談した理由をプリンツは教えてもらっていなかった。別に知ろうとも思わない、彼女はただ戦って戦ってこの胸の内にある欲求を解消できればそれでよかった。

 そう思うとあのメイドは自分の相手に足る少女であった。弁論だけではなく腕っぷしもあり、おそらく自分と同程度に修羅場を潜ってきている、残念なのは自分が支えている提督がどのような司令官か気付いていない事である。おそらくこちらの提督二人が同時に攻撃しても、あの男が指揮をするというのならこの基地は堕ちまい。

 なのでそこだけが残念なのだ、プリンツはあのメイドに自分が支えている男がどんな外道だったか教えてやろうと何度も思ったが、そうなればあの男に角が生える。戦わず死ぬのは御免である。

 

「詰め込み終了いたしました!」軍港の補給担当が少将に向かって報告した。敵国だから流石に敬礼は無い。

 

「感謝いたします」少将は男が見たら何もかもが嫌になる様な笑顔で、——実際補給担当の男は溜息をついた―応えると隣の大将へと報告する。

 

「脱鋲」

 

 大将が唸るような声でそういうと、船は少しずつ動き出して海へと向かっていく。見ると少将目当ての少女たちが最後に一目見ようと隠れてその様子を観察していた。

 

「これで、計画は一歩進行しましたね」

 

 船の甲板で少将が感情を込めた声で大将に言った。只大将は頷く。

 プリンツは艤装を付けるとそのまま海に飛び出し、船の横で表情を滑る様に艦のとなりで並進していき振り向いてあの基地の中にいるであろう男とメイドに挨拶をした。

 

「また会いましょう、出来れば次は戦場で」

 

 その数か月後、この基地に鉄血陣営の鎮守府が増設されるのは、この時点では大将と少将しか知らない事であった。

 

 

 4に続く。

 

 




アズールレーンって皆司令官呼びなんですね……どうしよう……

とりあえず、ネタをくれるルームの人々達に感謝を。
ウェールズちゃん強くてかわいい、好き。


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中年提督とエルドリッジ 1

 

 カーテンからこぼれた朝日で、男は目を覚ました。

 体を起こして、窓から港を見てみると、縮小化された軍艦たちが汽笛を鳴らしながら出入港している所が見えた。何時もの光景であり、こちらが戦争に勝つか負けないかしない限り続いていくであろう景色であった。

 男は窓から反射した自分の顔を見る、今年三十四になるこの男は未だに全盛期の頃の面影を残していた。屈強な体つきと精悍な顔つきに鋭い目つきは狼を思わせるようであったが、一方で重桜の人間に良く見られる黒い髪と黒い眼は年を重ねるごとに落ち着いた大人というイメージに一役買っており、女性からは包容力のある男性として見られている。

 男は、髭が濃くなってきたかな。と漏らすと、ベットから足を下ろして近くにあった煙草に火をつけた。紫煙が緩やかに部屋に霧散し、空気へと溶け込んでいく。

 

「……もう朝なの?」彼の一人用のベットでモゾモゾと一人の女性が毛布の中から男に声をかけた。その体には一糸も纏われておらず、背中には艤装装着用の端子が埋め込まれており、彼女が戦艦少女だと示していた。

 

「いいや、まだ寝てていい」そういう男も全裸であった。男は下着だけ履くと、そのまま部屋のキッチンへと向かった。昨日飲んだ酒がまだ残っており、それが金づちとなって男の頭を叩いていく。

 

 男は冷蔵庫から水を取り出して一飲みすると、そのまま卵やらベーコンやらを取り出してフライパンに火をかけた。ついでに二本目の煙草にも火をつける。

 しばらくすると、フライパンの中にベーコンが乗せられて肉の焼ける音が鳴りだした。続いて黄色い太陽が二つ落とされて、綺麗な丸型に整えられていく。

 それから数分して半熟になった目玉焼きを皿に移すと、それにベーコンと野菜を添えて、ベーコンを焼いている間にパンを入れていたトースターから良い匂いになったそれを取り出して、その皿にその横にバターとジャムを置いて出来上がり。彼が良く作る朝食の一つであった。勿論二人分。

 

「ゆうべはおたのしみ。だったようだな」

 

 部屋の入り口から皮肉の混じった口調の男の声が聞こえた。海軍の制服を着ており、首には少佐を示す階級章が付けられている。男に比べると若く、その碧眼はまだくすんでもいない新品の宝石の様であった。

 

「別に夕べだけじゃありませんがね、何か用ですか少佐?」男は敬礼もせずに、皿を二つ持ちながら声をかけた。

 

「私の方が上官なんだから敬礼でもしたらどうだね大尉?」少佐はその態度に眉をひそめる。

 

 少佐は大尉と呼ばれた男よりも十三歳程度年下であったが、その年と比べると彼の階級は高い。それは彼の生まれが関係していたし彼自身が有能である印でもあった。

 それは彼自身自分が周りから期待されている人間だということを自覚できる理由でもあった。期待によるプレッシャーもあったが、自分より年が上の人間が自分の下に仕えるということに一種の優越感があったし、自分に媚を売る人間がいるというのは一種の快感でもあった。

 だが目の前の大尉は違った、まるで少佐をまだ幼い子供の様な態度で接し敬うという態度が全く感じられずそれが彼の自尊心に傷をつけるのだった。

 

「これは失礼、手が塞がってしまっているもので」

 

 そう言って大尉と呼ばれた男は不敵な笑みを漏らすので、少佐は増々苛立ちを増したようである。

 だが、上官として喚き散らすという行為は沽券に係わるので代わりに大きく鼻息を一つ吐くと手に持っていた一枚の書類を叩きつける様に机に置いた。

 見ると書類には「秘書艦登用願」と書かれていた。つまりは何処かの艦隊少女が大尉に秘書艦の立候補したことになるのだが、それに疑問を抱いたのは誰でもない大尉である。

 基本的に提督、司令官を補佐し、不在の時上司の代わりに指揮を執ることもある秘書艦は基本的には提督たちの指名制となっている。大体は提督たちが第一に信用する少女を指名するのだが、稀に秘書艦の登用に前向きではない提督や、立候補させ当番制にする司令官もある。

 その為に秘書艦を少女の方から申請するための「秘書艦登用願」なのだが、直前に記したような秘書艦の登用をしない司令官にはそれは有無を言わせない上からの強制的な人事異動命令でもあるのだ。

 

「私に秘書艦が?」

 

「先日の会議で決まった事なんだがね、重桜からの逃亡者とはいえ秘書艦の一人も付けなければ司令官は及び提督とも言えないだろう。君も秘書艦がいなくて苦労しているだろうしな」

 

「お気遣いは有り難いんですがね、自分が此処で苦労することはデスクワークでも訓練でもなく一晩のお相手探しだけでしてね。秘書艦が居なくても十分やって行けてますよ」

 

 これは真実であった。彼の教育者としての一面と、デスクワークの処理能力の高さは彼の顔よりも評判が良い。

 大尉がこの補給基地に来てから、基地内部の作業効率、訓練効率は書類上どころか目に見えるほどに高くなり、補給物資の分配などは彼が一日いないと三日分の予定が遅れるとまで言われていた。

 ————少佐が風邪を引くと一艦隊が熱を出すが、大尉が風邪を引くと基地全体が寝込んでしまう。という言葉はこの基地では誰もが知る笑えない笑い話である

 

「秘書艦が来るとかえって効率が落ちますよ、私は一人がやり易いんです。それにそれにもう一つ理由がありましてね」

 

「何だ?」

 

「私が誰かを秘書艦にすると、特別扱いされたと言ってやきもちを焼く女が出てきては困ります。私は同じ女性を二夜連続抱くことはしないんでね」少佐の眉がさらに潜まるのも気にせずに大尉は続けた「一日間隔を置くのであったら別ですが」

 

「これは会議で決まったことだ大尉。君に出来ることは素直にこの秘書艦を登用することだ」目の前の男のせいで歳不相応な皺が刻まれそうな少佐は否応なしにそう告げた。

 

「素直なんて言葉は少佐ぐらいの年に置いてきてしまったものでね、私みたいな年になると捻くれることしか出来なくなってしまうんです」

 

「覚えておこう。それでは今日の10:00(ひとまるまるまる)時に着任報告に君の執務室に来るだろうから覚えておくように」

 

 そのまま少佐は大尉の肯定も否定も聴かずにそのまま背を向けると「ちゃんと服をきるように」と付け加えてからそのまま部屋から出て行ってしまった。

 ある意味大尉に言うことを聞かせるにはこの一方的に命令して話を聞かずにその場を去る、という行為は一番有効な手であったので、自分の減らず口を自覚している大尉は溜息をつきながら朝食をベットで寝ぼけている昨日の相手へ持っていくことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 大尉の執務室は他の提督たちと比べて資料室と言っても良いような作りになっている。洒落た家具などの代わりに本棚が壁に沿って並んでおり、その中にはこの基地に関する資料が詰っており、その真ん中に一つだけ置かれている机には何時も山の様な書類が置かれ、その横にただ一つの色添えとして花が何本か日替わりに花瓶に入れられているだけである。

 その中で大尉は日々山のように送られてくる資料を整理し、中継基地への補給物資を配分し、商人から取引した嗜好品などから出た支出の計算、少女たちの委託管理など全ての報告書を処理して書きとめる。

 大尉の事を只の女好きだと思っている少女たちはこの部屋に来ると必ずと言っていいほどそのギャップに驚き、その仕事ぶりにさらに驚嘆することになる。もっとも女性が彼の執務室に来ると手を止めて口説きに来るので―花瓶に入っている花もそのため―その仕事ぶりを見れることは少ないのだが。

 

 だが今日の大尉は休憩中に吸うはずの煙草を既に五本満喫していた。

 理由は今日来る秘書艦志望の少女であった。どうやって静かにお帰りいただくか、それだけが大尉の脳内を巡っており、煙草でも吸わないと職務に集中できない。

 そう言いながらも業務はすでに一山は終わらせており、他の提督たちと比べるとずいぶんと速い。

 大尉が時計を見ると十時近くを指しており、もうそろそろ例の秘書艦が来るころである。

 写真もなくプロフィールには何も記載されていない秘書艦登用願いには上層部の否応なしに自分へ秘書艦を登用させようとする思惑が伝わってくる。せめて、スタイルの良い美人ならいいが、果たして軽巡に多い青い果実達が来たらどうしたものか、熟れてない果実を食べるのは自分の趣味に合わない。

 

「失礼いたします」

 

 そうしているうちに、ドアから声が聞こえた。どうやら件の秘書艦が来たらしい。

 大尉はそのまま「どうぞ」と返事をすると、ドアが開き一人の少女が入ってくる。長身で髪の長い美人である。

 

「……君が秘書艦願いを?」

 

 だが、大尉の声には少しの困惑が混じっていた。確かに大尉の眼鏡にかなう美人であったが、その少女は朝に来た少佐の秘書艦であったからである。

 

「いいえ、私はこの子の案内を頼まれただけでして、残念でしたね?」少し口元を緩ませながら、その少女は大尉にウィンクする。

 

「いいや、今度また付き合ってもらうさ。それで秘書艦殿はどこに?」大尉もウィンクを返しながら、肝心の秘書艦を聞いた。せめて彼女ぐらいに優秀ならば文句も出辛いんだが。

 

「私のすぐ横にいます。ほら、入ってらっしゃい」

 

 その声に反応して、一つの影が部屋に入ってくる。美しい金髪にルビーのように煌く優美な緋色の瞳、健康的なふともも、海に浮かぶ氷山を思わせる様な佇まいと顔立ちは彼女の冷静さを具現化したようであった。

 

「冗談だろ?」思わず、大尉は声を出した。呆れと困惑と怒りが混じっている。そこには一つの好意的感情表現も混じってはいなかった。

 

「いえ、まぎれもなくこの子です。お気持ちはお察ししますが」大尉が何を感じているのか分かる少女は苦笑いをするだけであった。

 

 大尉の反応も無理はなかった。部屋に入ってきた少女は紛れもなく少女を下回った幼子であったからだ。真の意味で少女である。

 戦艦少女たちは時に幼い姿で生まれてくることがある、駆逐艦に多く見られるそれは一般的に未成熟体と呼ばれ、そのほとんどが軍学校で訓練を受けながら育っていく。

 未成熟体から育てた方が結果的には優れた戦闘能力を持つことが通説であったが、その分コストは何十倍、何百倍にも膨れ上がるので、実際に未成熟体を意図的に作り上げて育てていくという方法はロイヤルでも年に数艦しか取られていない。

 その上で目の前の未成熟体の少女は戦闘可能な年齢にも達していないように見えた。戦場に出せばすぐに沈んでしまうのではないか。

 

「駆逐艦か?」

 

「はい、名前はエルドリッジと言います。ほら、着任の挨拶をなさい」

 

「…………」

 

 引っ込み思案なのか、エルドリッジと呼ばれた少女は目の前の提督を値踏みするようにじっくりとみると、何を思ったのか大尉に向かって手招きした。

 

「……?」

 

「こらエルドリッジ、何をしているのです」

 

 困惑するのは大人二人であり、ずっと手招きをしてくるので仕方なく大尉が席を立ってエルドリッジの方へを近づいていく。

 

「————とぅ」その時であった。大尉が近づいたと見るやエルドリッジの頭から飛び出している一房の髪の毛―一般的にアホ毛という―が提督の方を指し、エルドリッジは素早く駆け寄って提督の懐へとダイブをした。まるで魚雷である。

 

「うぐふぅ!」

 

 ボディーに強烈な一発を食らった大尉は思わずそのまま体をくの字に曲げた。そのまま倒れ込まなかったのは、流石と言うべきであるが、胃液が出そうになるのを必死で抑えなければならなかった。

 

「司令官、エルドリッジ、着任した」その声は顔の期待に裏切らず静かで美しい声であった。

 

「こら、エルドリッジ! そんな着任挨拶がありますか!」

 

 慌てた少佐の秘書艦がエルドリッジを大尉から引き離そうとするが、エルドリッジはそのまま提督の体に引っ付いたまま離れない。そのまま秘書艦も引っ張るのでいつ間にかエルドリッジは渓谷にかかった橋のように宙ぶらりんになってしまう。

 

「こら、手を離しなさい!」

 

「や」

 

「や、じゃなくて!」

 

「おいおい、今離したら二人ともあぶないぞ」大尉はため息をつきながら大人の対応で二人を落ち着かせようとするが、吐き気のせいであまり声が出せない。

 

「いいから離しなさい、エルドリッジ!」

 

「や!」

 

 強めの口調が彼女を驚かせたのか、エルドリッジが目を閉じて少しばかり大きな声を上げたとたん、彼女の身に不思議なことが起こった。

 アホ毛が意志を持っているかのようにうねうねと動き出した後、飛びださんばかりに天井を指すとそこから火花が走り、一瞬彼女の姿が青白い光に包まれると、それが電流となって放出された。

 

「うぐぐぐぐっ!」

 

「きゃああああああ!?」

 

 それはまるで稲妻だった。

 無論それは激しいショックとなって二人に襲いかかり、頭の隅からつま先天辺まで電流が走り思わず秘書艦は手を離してしまう。

 

「は、はららららら……はっ、た、大尉!」あまりの衝撃に舌までしびれたが、すぐに目の前の光景を見て我を取り戻す、エルドリッジが掴んでいる提督にはまだ電流が流れたままであった。大尉の体には青い稲妻が走り、煙が出ているようにも見える。

 

「う、ぐぐぐっ、え、エルドリッジ!」電気ショックに、固まった体を何とか動かし、エルドリッジに顔を上げさせた。このままでは本当に電気ショックで死にかける羽目になる。こんな時だからだろうか、エルドリッジの緋色の瞳が宝石の様に美しい。

 

「……あ」

 

 エルドリッジの目が大尉の瞳を捉えると、彼女も何が起こったのか察したのかエルドリッジを覆った電気は消えたようであった。アホ毛もそのままだらんと力を無くした様に垂れ下がり、大尉だけがショックの余韻で震えるのみになる。

 

「……ごめんなさい」少し申し訳なさそうにエルドリッジが謝ると、アホ毛もまた謝る様に上下に動いた。どうやら怒られると思っているらしい。

 

「……次からは」だが大尉の顔には怒りの顔は無かった。どちらかと言うとエルドリッジを心配しているような顔である「……気を付ける様に」

 

 そう言って大尉は床に倒れ込むと、そのまま遠のいていく意識に身を委ねてそのまま目を閉じた。遠くで大佐の秘書艦が慌てて叫ぶ声が聞こえ、いろいろと問いただしたくなるが今はそんな余裕もない。

 おそらく目覚めるのは次の朝だろう、明日から大変なことになる。大尉はいっそこのまま起きませんように儚い願いをこめながら意識を手放した。

 

 これが大尉とエルドリッジのファーストコンタクトであり、同時にワーストコンタクトでもあった。

 

 

 

2に続く。

 

 

 

 




新しい提督とエルドリッジのお話。
始めなので、短いです。

45の人たちに感謝をこめて。


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