浜風は提督に甘えたい (青ヤギ)
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浜風は提督に甘えたい

 見た目のせいで損をしている。

 

 そう感じた経験が皆さんにもあるでしょうか?

 

 お話し好きで友達がたくさん欲しい。

 でも顔が怖いせいで人から避けられてしまっているとか。

 

 熱中できる趣味がある。

 でも「似合わない」「イメージと違う」と笑われるのがいやで、他人には秘密にせざるをえないとか。

 

 ほんとうは周りの人とそんなに出来は変わらない。

 でも雰囲気がしっかり者に見えるせいで必要以上に期待を寄せられて、頼られてしまうとか。

 

 世渡りのうまい人は、それらを魅力的なギャップにしていくのでしょう。

 でもそんな器用なマネができるのなら、そもそも自分の外見に悩んだりしません。

 本当の自分を見せることが恥ずかしい。ありのままの自分を知られたら、幻滅されてしまうかもしれない。

 だいたいの人は、そんな後ろ向きの想像がつき纏って行動を起こせないものです。

 

 けれど一方で、そんな自分を閉じ込める殻を破りたいと思う。

 周りの評判など気にせず、自分の本心を打ち明けられたら、どんなに楽になるか。

 

 

 

 ……そう考えていながら、結局『私』は今日も本音を秘め隠している。

 隠し続けていたら、もっと悪循環を生むだけだと、わかっているにも関わらず。

 

 

 でも、やっぱり言えません。

 

 

 私こと『浜風』にとって、秘密を明かすことは、あまりにも……

 

──────

 

 艦娘とは、軍艦の魂を宿した特殊な存在である。

 見た目は総じて美しい女性たちだが、その秘めたる力は超常のもの。

 人類と海の平和をおびやかす『深海棲艦』に唯一対抗できる戦力である。

 

 しかし、戦いの場から離れれば艦娘たちも普通の人間とそう違いはない。

 

 特に軍艦としては小規模な『駆逐艦』の艦娘。

 彼女たちは、見た目どおり幼い少女だ。甘味の味に喜び、仲の良い姉妹たちとはしゃぐ姿は、見ていて微笑ましいものである。

 一般児童が通う小学校に紛れ込んでも、恐らく違和感はないだろう。

 

 しかし、何事も例外はある。

 小学生らしからぬ小学生が現実にいるのと同じように、駆逐艦でありながら駆逐艦らしからぬ艦娘もいる。

 

 その艦娘は現在、ひとつの注目を集めていた。

 

 

 ──『駆逐艦の皆さんにアンケート! ずばり、いちばん大人っぽい駆逐艦はだれ!?』

 

 

「ん~。戦艦の人たちにも負けないくらい、しっかりした子はたくさんいますけど。

 でも全体的に大人っていう意味なら、浜風さんですね。真面目でいつも落ち着いていらっしゃいますし。それに……あ、あのプロポーションにはやっぱり憧れちゃいます。いまだに同じ駆逐艦とは思えないです。はい」《ブリザード1番艦さん》

 

「浜風マジぱない! なんぞあの胸部装甲!? うちの潮だって負けてないけどあれはガチな規格外ですぞ!」《メシウマラビットさん》

 

「体型の良さだけなら白露型とか秋月型とか、あと姉妹の浦風みたいに他にもいるけど、精神的に大人びてるっていうなら、やっぱり浜風なんじゃない?」《月に叢雲花に風さん》

 

「浜風ね。戦艦や一航戦相手でも堂々と意見できる気骨があるし。どんなことにも手を抜かないところとか、いつも感心してるわ。……まったく、クズ司令官も見習ってほしいものね」《礼号組のお母さん》

 

「もちろん浜風さんです! あんなに綺麗でしかもお仕事もできて、料理もお上手で、ほんとうに憧れちゃいます! アゲアゲです!」《小さな体に大きな魚雷さん》

 

「レディよ! 浜風さんこそ一人前のレディだわ! 暁もいつか絶対にあんな風になるんだから!」《一人前のレディ()さん》

 

「みんな浜風って言うけど真のイッチバーンは私! スタイルだって負けてない! ……なんで呆れた目で見るの!?」《真の1番艦()さん》

 

「夕雲姉さんだって負けていませんよ! あ、でも手作りクッキーおいしかったです! ありがとうございます!」《グルグルクラウドさん》

 

「浜風な~。あいつが駆逐艦って知ったときは『世の中不平等や』って渇いた笑いしか出えへんかったなぁ。アハハハ~……って、なんで駆逐艦相手のアンケートでウチが答えとんねん! オイこら待たんかい青葉ァ!」《平たい胸族さん》

 

──────

 

 鎮守府が夕暮れ色に染まりだした時刻。

 執務の息抜きがてらに用意した一枚の新聞を、提督は興味深げに読んでいた。

 

(へえ。浜風は人気者なんだな)

 

 見出しには、

『直撃! いま人気の艦娘たち! (編集:青葉)』

 と書かれている。

 

 各艦種で人気を集めている艦娘が列挙された内容らしい。

 

 戦艦では大和。

 空母では加賀。

 重巡では鈴谷。

 軽巡では由良。

 

 等々、親しみやすかったり、憧れの対象になりやすい艦娘がランクインしている。

 その中で、浜風の票数は総合的に見てもダントツであった。

 駆逐艦の数が多いこともあるが、それでも圧倒的な人気ぶりと言えよう。

 

 青葉の作る新聞は興味深い。

 新聞といっても学校新聞レベルの出来ではあるが。

 しかし鎮守府の実情を把握できるツールとして重宝している。

 

(提督だからって、鎮守府のすべてを把握できるわけじゃないからな)

 

 最初の頃は何でも記事にしてしまう青葉のパパラッチぶりには注意を呼びかけていた。

 

 だが、部下の『生の声』というのは貴重だ。知らずのうちに蔓延(はびこ)る、組織の問題点を改善するきっかけになったりする。

 特に上官相手には口にできない不満などは、即解消すべき案件だ。

 

 やれ設備が悪いだの、日用品をもっと充実させてほしいだの、一日のスケジュールを見直してほしいだの、『赤城盛り定食』を早急に用意しろだの……

 

 細かいことではあるが、そうした環境整備をしていくことで部下のモチベーションは向上する。

 信頼関係を築く上でも、重要なことだ。

 心無い上司ならば「我慢しろ」と無慈悲なことを言うのだろうが、この提督はできるだけ希望を叶えるタイプであった。

 おかげで、数ある鎮守府の中でもこの鎮守府は住み心地がいいと評判である。

 

 そのようにして、青葉の取材には何度か助けられたことが多い。以降、青葉には好きにやらせている。

 勝手にネタにされて憤慨していた艦娘たちも、いつのまにか毎回記事を楽しみにするようになっていた。

 

 今回もまた有難い情報を得た。

 どの艦娘がカリスマ的人気を誇っているのか。誰が信頼され、慕われているのか、ひと目でわかる。

 今後、重要な戦いが訪れたとき、ここに列挙されている艦娘を旗艦にすれば、艦隊の士気が向上するかもしれない。

 

 こういった面で、青葉の書く記事は役に立つのだった。

 ……現在の状況も含めて。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「えーっと……よかったな浜風。駆逐艦の皆にこれだけ慕われていて、お前も鼻が高いだろ?」

 

 司令室では常に、秘書艦の艦娘と二人でいる。

 そして本日の秘書艦は、(くだん)の浜風であった。

 

 黙々と書類仕事に打ち込んでいるその姿は、なるほど、評判のとおり大人びている。

 前髪の隙間から覗く左目は理知的な色合いが宿っており、幼さを感じさせない。

 表情にも駆逐艦特有のあどけなさはなく、すでに淑女特有の気品に溢れている。

 ちょっとした所作だけでも、色香めいたものすら感じさせる。

 そしてなによりも強烈な印象を残す見事な──見事すぎるプロポーションは、決してアンバランスなものとは思わせない。

 そのスタイルにふさわしい、成熟した女性の雰囲気が、彼女にはある。

 

 駆逐艦たちの憧れを一身に受けるのも頷ける。

 

 とはいえ、浜風とて駆逐艦。

 精神的にまだまだ未熟と分類される、駆逐艦なのだ。

 今回のようなランキングで注目を浴びようものなら、多少なりとも浮かれたり、恥ずかしがったり等、感情的になったりするものではないだろうか。

 

 これが仮に一番だったのが夕立であれば「ぽい~! やったぽ~い!」と素直に喜ぶであろうし、

 霞ならば「バ、バッカじゃないの!?」と照れ隠しで怒ったり、

 如月であれば「あら、光栄なこと♪」と得意顔になるだろう。

 

 そんな、いかにも幼い少女らしい反応が容易に想像できる。

 

 浜風も、そういった駆逐艦相応の反応を見せるのではないかと、内心期待したのだが……

 

「別に。興味ありません」

 

 返事は素っ気ないものだった。表情の変化は、微塵もない。

 

「……そ、そうか」

 

「ええ」

 

「……」

 

「……」

 

 会話は途切れた。

 

「提督。息抜きが済んだようなら、そろそろ執務を再開していただけると助かるのですが」

 

「う、うむ。すまない」

 

 処理すべき書類はまだまだ残っている。

 浜風ばかりに任せるわけにもいかないので、小休憩から仕事に戻る。

 

 ペンが走る音。

 印を押すささやかな音。

 司令室は瞬く間に質素な物音だけに支配される。

 

(……気まずい)

 

 他の艦娘が秘書艦ならば、こういうとき軽い雑談をまじえるところだが。

 しかし、浜風との間には、その雑談すら起こることがない。

 

 真面目な性格ゆえ、無駄口を叩く暇があるならやるべきことに集中する。浜風がそういうタイプであることはわかっている。

 しかし先ほどのやり取りでもわかるとおり、彼女には常に見えない壁がある。

 あの青葉ですら、唯一本心を聞き出せない相手。

 現に先ほどのように話をふっても、会話に花が咲いたためしがない。

 

 浜風がこの鎮守府に着任してから随分と経つ。

 それなりに長い付き合いであるはずなのだが……いまだにこの艦娘との距離感を掴めないでいる。

 深刻な軋轢とまでは言わない。上官と部下としての関係だけ見れば『良好』に違いない。

 

 ただ、気心知れた仲かと聞かれたら、自信を持って解答できない。

 

 提督に心を開かない艦娘は、これまでにも何人かはいた。

 その艦娘とすら、いまでは差異はあれど打ち解けているというのに──この浜風に至っては、まだまだ、わからないことのほうが多い。

 

 あまり褒められたことではない。

 人類の希望たる艦娘を束ねる者として、各艦の心根を理解していないというのは。

 戦場に立つ彼女たちの命を預かる以上、一人ひとりの志を知り、尊ぶのは当然のこと。

 絆とはそうして芽生える。

 心理的に繋がりのない者同士が、いったいどうして手と手を取り合って、この戦いを勝ち抜くことができるだろうか。

 

 ……最も浜風の場合、それで作戦や執務で支障をきたしたことがないというのが、どうも歯痒いところである。

 むしろ、彼女はよくやってくれている。充分過ぎるほどに。

 戦闘はもちろん、こうして秘書艦の仕事に関しても彼女は優秀だった。

 恐らく、この鎮守府で一番効率的にこなせている艦娘と言える。

 気詰まりな空気になるとわかっていながら、よく浜風に秘書艦を任すのは、そういった面が理由だった。

 

 ……浜風自身が、秘書艦を希望する頻度が多いこともあるが。

 

 浜風の秘書艦歴は長い。

 よほど実直なのか。あるいは艦娘としての使命感に駆られているのか。浜風は常に提督の身近で鎮守府の現状を知り、そして最前線に立とうとする。

 戦闘能力が秀でた艦娘は他にいくらでもいるが、浜風の貢献度は、その主力艦の面々にも負けていない。

 数多くの駆逐艦たちが、浜風に尊敬の念を向ける最大の所以(ゆえん)はそこであろう。

 特殊な固有能力がなくとも、やり方と意気込み次第で如何様にも活躍はできる。

 浜風はそれを証明している。

 

 以上のことから、浜風と過ごす時間は、実は他の艦娘と比べて長い。

 にも関わらず、心の距離が縮まらないのは、いったいどういうことだろうか。

 

(うまく話せない俺が原因なのだろうが)

 

 もともと提督は、人づきあいが上手いわけではない。

 訓練生時代の友人もごく限られた人数しかいなかったし、そのほとんどは戦死してしまっている。

 軍事とかけ離れたやり取りを久方ぶりにしたのは、鎮守府に着任してからだ。はじめの頃は個性的な艦娘たちとの触れ合いに戸惑ったものである。

 

 提督である以上は艦娘たちと他人行儀になるわけにもいかない。なにより艦隊の規範は提督の行動で決まる。

 ゆえに苦手なりにコミュニケーションを図っているし、幸い親睦の深い艦娘をそこそこ作ることはできた。

 

 しかし浜風のように内面が読めない相手は、完全にお手上げである。

 これが金剛、満潮、扶桑、ポーラのように『喜怒哀楽』がわかりやすい艦娘であれば、まだまだやりようはあるのだが。

 

「ふう……」

 

 考え事をしていると肩が凝る。

 首をコキコキと鳴らし、片腕を回す。

 

(まあ、()()()()()()相手に無理を強いるわけにもいくまい)

 

 現時点でもうまく行っているというのなら、別段これ以上浜風と親密になる必要はないのかもしれない。

 そう思いながら身体のしこりをほぐしていると、

 

「提督。肩をお揉みいたしましょうか?」

 

「え?」

 

 珍しいことに、浜風から声をかけてきた。

 その内容にも驚く。

 

「私でよろしければ、凝りをほぐしてさしあげますが」

 

「あ、ああ。じゃあ、お願いしようかな」

 

 咄嗟のことで戸惑ったものの、せっかくの厚意なので頷くことにした。

 まさか浜風が進んでこんなことをしてくれるとは。

 

「失礼します」

 

 浜風が背後に回り、そっと肩に手を添える。

 

 ふわっとした少女特有の香り。思いのほか華奢な柔手。

 それらを身近に感じて不覚にも困惑するが、曲がりなりにも軍人としての理性で平常心を取り戻す。

 

「痛いようであれば言ってください」

 

 別の意味でも強張った肩の凝り。

 浜風はそれを、適度な加減でほぐしていく。

 

(おう、これはなかなか)

 

 想像以上に心地いい。

 こういう場面でも浜風は優秀ぶりを発揮するようだった。

 

 あまりにも気持ちがいいので、自然とリラックスした気分になっていく。

 

「提督、いかがでしょうか?」

 

「ああ、いい感じだ。もうちょっと強くしてもいいぞ?」

 

「はい。では」

 

 浜風が「んしょ」と力を込める。

 体重をかけて力んだため、前のめりの形になる。

 すると……

 

 

 

 

 

 むにゅうううん。

 としか形容のしようがない柔い物体が、後頭部にあてがわれた。

 

「……」

 

 この世のものとは思えないほど、弾力に富んだもの。

 いったい何を詰め込めばこんなにパンパンに膨らむのか。そう圧巻するほどの巨大な双球が、むにゅむにゅと提督の頭に密着している。

 ふたつの膨らみが何であるか、つとめて意識しまいとしても、悲しき男のサガが、その正体を告げている。

 

 恐らく、数多くの駆逐艦たちが憧れている象徴。

 ちょっと前のめりになっただけで、頭に乗かかるほどのボリューム。

 世の男性がこの場にいれば、涙を流して羨むに違いない

 

 浜風の特大バストを、いま、ゼロ距離で体感できているこの提督を。

 

「んしょ。んっ、んっ」

 

 浜風は肩もみに集中している。

 自分の胸が提督の頭に当たっていることを、特に意識していない様子だ。

 浜風にとって胸が何かに当たることは、日常茶飯事なのかもしれない。

 確かに、生活に支障をきたすのではないかと思われるほどのサイズなのだ。いちいち気にしてもいられないという可能性はある。

 そもそも特殊な生まれである艦娘のほとんどが、性的なことに対して無知ということもあるが。

 しかし、それにしたって……

 

「んっ、んぅ、んっ」

 

 あまりにも無頓着。

 あまりにも無防備。

 どんな男もケダモノに変えてしまうほどの凶器を押し付けておきながら、浜風はあくまで肩もみに専念している。

 

「んっ、あっ、んぅ……」

 

 力を込めるのに合わせて漏れる吐息すら、なにやら危うい雰囲気を醸し出す。

 

「提督、いかが、ですか? 気持ちいい、ですか?」

 

 マッサージを続けながら浜風が問いかけてくる。

 思わず「最高である。二重の意味で」と口が滑りそうになった、そのとき、

 

 

「っ!?」

 

 

 横から、刺すように鋭い気配を感じた。

 頭の中で鳴り出す警報。

 瞬く間に、提督は正気を取り戻した。

 

「……浜風、もういいぞ。充分だ」

 

「ん……そうですか」

 

 肩もみをやめるよう告げると、浜風はまた書類仕事に戻った。

 先ほどと同じように黙々とペンを走らせる。

 

 胸が接触したことで、気にした様子はやはりない。

 ならば、こちらから追及をするのは野暮というものだろう。

 過剰に意識している自分のほうが、ふしだらな感情を持っていると告げるようなものだ。

 それは、非常にまずい。

 

 いま、()()に監視されている状況では、特に。

 

 提督は視線を横に向ける。

 家具の隙間から、こちらを睨みつける小さな存在がいる。

 

 やはり、いた。

 見た目はセーラー服を纏った少女。しかし人間の娘よりも極端に小さな存在。

 

 人は彼女たちを、『妖精』と呼ぶ。

 

 建造、装備の運用、索敵に至るまで、鎮守府を支える縁の下の力持ち。

 そして、提督の素質を持つ人間を見抜く存在でもある。

 提督になるための最低条件は、妖精の姿を見られるか否か。

 艦隊を運用する上で、そして艦娘の上官となる上でも、欠かせない大切な味方である。

 

 ……しかし、いま提督に眼光を向けている妖精は、決して味方などではない。

 いや、()()()()からすれば、心強い味方なのだろうが。

 

 見た目は若葉マークのついた帽子を被ったおさげの少女。

 そして最も特徴的なのが、一匹の猫を手で吊るしていること。

 本来ならば愛らしいはずのふたつの目は、おぞましい気迫を湛えて提督を射抜いている。

 その瞳は、こう語っている。

 

 ──艦娘にふしだらなことしたら、承知せんぞ?

 

 と。

 

 そう。

 かの妖精は、鎮守府における不当な行いを取り締まる憲兵隊。それに所属する監視役だ。

 文字通り、提督に不審な行動がないか、常時監視しているのである。

 

 これは大本営の決まり。

 とある一件から、彼女はあちこちの鎮守府で偏在し、その役目をはたしている。

 

 

 ……話は少し前に遡る。

 

──────

 

 艦娘が人類の前に現れてから早数年。

 人間とは異なるも、しかし確固とした意思を持つ彼女たちと、どう向き合っていくべきなのか。

 それは、たびたび論争が繰り広げられる、人類にとっての議題のひとつであった。

 

 その最中で、『艦娘にも我々と同じように、人権を与えるべきだ』という主張が上がった。

 艦娘を不当に扱う、いわゆる『ブラック鎮守府』の増加が、その発言に力を加えた。

 

 当初は妖精が見えない人間でも提督を務めていた。

 大本営は深海棲艦の殲滅を優先することに躍起になっており、提督として素質ある人間ばかりを探す手間も余裕もなかった。

 人間性は考慮せず、ただ軍人として優秀な者だけを選抜した。

 それが悲劇の幕開けだった。

 いくら軍人として優秀でも、提督の素質のない者が着任した鎮守府は、必ずといって良いほど腐敗した。

 

 艦娘を本気で道具としか思わない鬼畜。

 艦娘を奴隷だと思い違いをして、虐待を加える腐れ外道。

 艦娘の目見麗しさに理性を失い、恥辱を味わわせた色欲魔。

 

 そんな非道な提督が次々と発生した。嘆かわしいどころの話ではない。

 人類の希望たる艦娘の、信頼を失いかねない暴虐である。

 愚か者どもの行いに大本営は然るべき制裁を加えた後、早急に対策を練った。

 妖精の力で提督の素質を持つ人材を探し出し、軍人として教育を行う。

 そうすることで、ようやく大本営は信頼足りえる提督たちを揃えることができたのだ。

 

 すべての提督の上位に立つ、司令長官は語る。

 

「我々人類にとって、艦娘は不可欠な存在である。

 彼女たち無くして、我々に生存の道はない。

 そのためにも、艦娘たちの信頼を失うわけにはいかないのだ」

 

 悪逆提督からの不当な扱いによって人間不信になった艦娘たちは、いまも傷ついた精神を癒すため、療養所に通い詰めている。

 

「ここに揃った君たちは、妖精によって認められた選ばれし存在だ。戦いのために必要な訓練も、君たちはみごと乗り越えた」

 

 その場に集った男たちの戦う理由は、それぞれ異なる。

 家族を失った者。故郷を滅ぼされた者。

 だが『深海棲艦を倒す』という最終的な目的は共通している。

 若者たちの瞳には、等しく、怒りと正義の火が灯っていた。

 そしてその日、彼らはようやく深海棲艦と戦う、提督としての資格を得たのである。

 

「おめでとう。もはや私から教えることはない。

 各々が艦娘たちと強き絆を結び、人類を勝利に導く英雄になると信じておる。だが……」

 

 それでも、消しきれない懸念は発生する。

 

「艦娘と信頼関係を結ぶことは、この戦いに勝利するためにも必要なことだ。

 しかし、ときにはその強すぎる信頼関係が(あだ)となることもある」

 

 たとえ提督の素質を持つ者でも、軍の期待どおりに活躍できるとは限らない。

 そのひとつとして……艦娘と恋愛関係を持った提督が、戦場を離れ、愛する艦娘と駆け落ちしてしまったケースだ。

 

「断っておくが、私は艦娘との恋愛に関しては否定する気はない。

 彼女たちの能力が感情の昂揚によって上昇することはすでに証明されている。

 その中でも、愛という感情は強力なチカラを発揮する。私自身、それは身をもって知っている」

 

 司令長官はそう言って、左手の薬指に嵌まった指輪を感慨深げに見つめる。

 彼自身、最愛の艦娘と結ばれ、凶悪な深海棲艦のボスたちを滅してきた傑物の一人だ。

 

「しかし、恋愛にかまけて本来の使命を忘れてもらっては困る。

 たしかに『ケッコンカッコカリ』という艦娘と仮初の婚儀を結ぶ、特別な改装は用意した。

 だからといって、鎮守府をあたかも嫁探しの場として認識されてはたまらん」

 

 提督の何名かはビクリと背筋を張る。

 そういう出会いを期待していた者が、少なからずいるということだ。

 

「何度も言うが艦娘との恋愛を否定する気はない。結ばれたあかつきには祝福もしよう。

 ……しかし恋愛とは清いものであるべきだと私は思う。淫らな感情から始まった関係など決して長続きなどしないし、報われることもないだろう。

 どうか君たちには、堅実で清い関係を艦娘たちと結んでくれることを期待する。

 ましてや……」

 

 それまで比較的穏やかだった司令長官の目に、厳かな鬼念が宿る。

 歴戦の猛者が放つ覇気に、一同は息を呑んだ。

 

「まさかとは思うが、幼い駆逐艦相手に、よこしまな感情をいだく倒錯者はここにはおるまいな?」

 

 場の空気を和ます冗談とも取れる発言。

 しかし、決してそれは冗談などではないのだった。

 

「知っての通り、近年、艦娘たちにも我々と同じく『人権』が与えられることとなった。

 老いることのない艦娘たちを人間扱いすべきかは、長らく議論されてきたが……」

 

 艦娘は歳を取らない。肉体の変化や、改装による多少の成長はあれど、老いることは決してない。

 実際、老翁である司令長官の妻は、いまだにその若さをたもっている。

 

「しかし、法による守護がなければ、彼女たちの尊厳を守ることはできない。

 以降、基本的人権はもちろん、成人年齢に属していないと判断された艦娘には、(一部の例外を除き)未成年と同様の法律が適用されることとなった。

 よくよく考えれば妥当な決まりであろう。だってそうではないか?

 無垢な駆逐艦たちがおぞましい仕打ちを受けながら、擁護できる法がないというのは。人間としてなんとも胸が痛むことだ。

 ゆえに……」

 

 司令長官が掌をかざす。

 その手の上には、猫をぶん回す妖精が睨みを利かせていた。

 

「君たちが提督として相応しくない行動を起こしかけた場合、この憲兵隊に所属する妖精が逐一その様子を監視する。

 そして……彼女が『事案』と判断した場合、憲兵隊が即出動する仕組みになっている。

 そのことを常々忘れぬことだ」

 

 誰もが蒼白となった。

 ある意味それは、男にとっての死刑宣告であった。

 

 この国では、合意の上であっても成人が未成年相手と深い関係になることは許されない。

 それが艦娘にも適用されるということは、ほとんどの艦娘との不埒な行為がアウトということになる。

 両者にそんな意図がなくとも、妖精自身が「()()()()()()()()()」と判断してしまえば、一発で終わりだ。

 そんなリスクを孕んだ生活を、年がら年中監視されるのだ。

 

 冷や汗をかく提督たちに、司令長官はにこりとイヤに優しい笑顔を浮かべる。

 

「そう怯えることはない。君たちが誠実に提督業に努めればいいだけの話だ。

 それに『ケッコンカッコカリ』さえすれば特例として艦娘と愛を育むことは許そう。

 ……もっとも、良識と常識で許される範囲でだがね」

 

 あくまでも清い恋愛を重視する司令長官。

 若者たちの年盛りの生理事情など念頭にもないこの傑物は、彼らが素晴らしい活躍をし、そして美しい出会いをすることをただ純粋に願って、笑顔で送り出す。

 

「では、諸君らの活躍に期待する」

 

──────

 

 正直「ふざけんな、このクソジジイ」と思った。

 確かに軍とは、もともとプライバシーなど考慮されない過酷な環境であるが。

 それにしたって、やりすぎである。

 

(まあ、長官の言うとおり変なマネをしなければ無害だけれども……)

 

 提督は幼い駆逐艦たちに甘えられることが多い。中には過剰に身体をくっつけてくる娘もいる。

 だからといって、さすがに幼い少女相手に欲情することはない。

 父親の心境で頭を撫でたり、膝の上に載せたりすることもあるが、そこに邪念がない限り、憲兵の妖精が現れることはない。

 

 ……しかし、浜風のような駆逐艦離れした駆逐艦となると、話は別である。

 先ほどのように、駆逐艦相手によろしくない感情が否応にも芽生えたとき、まるでレーダーで察知するように奴はやってくる。

 軍人として鍛えた理性すら崩壊し、一匹のケダモノと化した提督に断罪の狼煙を上げるために。

 両手に吊るされた猫は、まるで規則を破った提督を暗示しているようで、余計に恐怖を煽ってくる。

 いつしか提督たちの間で広まった彼女の名称は──『提督を滅ぼす終末の猫』。

 

「はあ……」

 

 艦娘にこのことは知らされていない。

 提督の誠実さや真摯さが、監視という抑止力によって偽装されたものだと思い込められてしまう可能性があるためだ。

 それでは、信頼関係は生まれない。

 

 もちろん、この提督は表面上の顔だけで艦娘と接したことは一度もない。

 淫らな感情から始まる関係が長続きしないように、外面だけの関係もまた長続きなどしない。

 艦娘に己の人物像を受け入れてもらうため、あるがままの姿を見せてきたつもりだ。

 ただ、男としての感情は切り捨てて。

 

 拷問に等しい人間離れした生活だが、結果としてそれで艦娘たちと良好な関係を築けたのだから、まあ万々歳というべきなのかもしれない。

 ……稀に意味ありげなアプローチを仕掛けてくる艦娘に対しては、危機感をいだいてしまうが。

 

(危機感か)

 

 そう意味では、浜風もまた要注意の対象といえる。

 

 誰が見ても駆逐艦とは思えない大人びた駆逐艦。

 それでも大本営にとっては、駆逐艦である以上、どんなに成熟していてもそれは法で守るべき対象。

 不埒な行いは決して許されない。

 

 だからこそ、さっきの肩もみは危なかった。

 通常ならば些細なハプニングとして済む話だが、この鎮守府ではその些細なことすら死への起爆剤になりかねない。

 

 浜風は駆逐艦。よこしまな感情を向けてはならない。

 理性では、それをわかっている。

 

 しかし、四六時中封じ込めているオスの一面がふとした拍子で目覚めない保証はどこにもない。

 浜風に苦手意識を持ってしまうのは、そんなリスクを警戒してのことからかもしれない。

 

「……」

 

 だが、それはこちらの事情。

 浜風には何の非もない。

 結論、提督自身が一介の大人として、堪えればいいだけの話なのだから。

 一方的に浜風を忌避するのは、あまりにも身勝手と言うものだ。

 

 たとえ素っ気なくとも、たとえ内面がわからなくとも、浜風はこうして自分を助けてくれている。

 その事実に変わりはない。

 ならば、提督として感謝の気持ちを欠かしてはならない。

 

「浜風」

 

「……なんでしょう?」

 

「肩揉んでくれてありがとうな。だいぶ楽になったよ」

 

「……そうですか」

 

 いつもどおり、淡泊なやり取り。

 だがお互いのことを考えれば、この距離感が一番いいのかもしれない。

 

 そうである。

 もしも浜風が他の無邪気な駆逐艦たちのように、身体を密着させて甘えてくるような艦娘だったら……

 理性をたもてるか、わかったものではない。

 そう考えると、浜風が真面目でクールな娘でよかったと心から思う。

 

 なんたって、あの胸部装甲である。

 戦艦だって顔負けしそうな膨らみ。

 それで雪風や時津風みたく、じゃれついてこようものなら、それはもう大変なことに……

 

 再び鋭い視線を感じる。

 家具の隙間から、『終末の猫』が凄まじい眼力を発している。

 アカンで? 駆逐艦に手出したらアカンで? と。

 

 胃が軋む。

 この生活を始めてから、彼の胃腸が安らいだことはない。

 悲鳴を上げる腹を抑えながら、提督は視線で訴える。

 

 わかってますよ妖精さん。駆逐艦に手を出すわけがない。

 だから、そんなに睨まないでくれ、と。

 

 実際、理性を強く持ってさえいれば、浜風相手にそこまで警戒心をいだく必要はないのだ。

 

 ……彼女が、駆逐艦相応に、甘えてこない限りは。

 

 もっとも──

 

 

 

 

 

 

 

(そんなことは、絶対に起こりえないだろうけど)

 

 

 

 

 

 

 

 

──────

 

 私、浜風は提督に甘えたい。

 

 こんなことを打ち明けたら、やはり皆さんは意外に思うのでしょうか。

 『いちばん大人っぽい駆逐艦』だなんて、()()()()も甚だしい称号を戴いている私が、日々そんなことを考えているだなんて。

 

 でも。

 私だって、駆逐艦です。

 他の駆逐艦と同じように、提督に甘えてみたいと思うのです。

 

 それは、そんなにも、おかしいことでしょうか。

 

 

 私は、提督を尊敬しています。

 指揮官としてだけでなく、その人柄も含めて。

 いくつもの武勲を立てながら、決して偉ぶることなく、常に謙虚に次の作戦に心血を注ぐ姿勢は、いつも立派だと思っています。

 

 そしてなによりも、私たち艦娘のことを第一に考えてくださる。

 彼のその思いやりによって、私は一度救われたのです。

 

 

 

 鎮守府に着任した当初は、前世のように戦うことだけが自分の存在意義だと思っていました。

 だって、私たちはもともと兵器なのです。戦ってこそ、その真価を発揮するのです。

 敵を沈め、功績を残すことが艦娘にとっての(ほま)れであると、信じて疑いませんでした。

 

 ですが、そんな私に提督は言いました。

 

『もしも戦うことだけが艦娘の存在意義だと言うなら、お前たちはどうして人の姿を得たんだ? それこそ言葉を話す口も、感情も必要なかったはずだ。だがお前たちは、それを持った。その意味を、よく考えてみろ』

 

 はじめは提督の言っていることが理解できませんでした。

 ですが、私にとって掛け替えのない仲間である、第十七駆逐隊の面々。彼女たちと笑顔で再会できたとき、気づきました。

 

 いまの私たちは、笑うことができる。涙を流すことができる。

 溢れんばかりの思いを、言葉にして伝えることができるのだと。

 

 それが、どれだけ喜ばしいことなのか。

 

 以来、偏屈な考えは捨てました。

 現在では普通の人々と同じように、一年の行事や祭りにも、胸を弾ませて満喫することができています。

 谷風、浦風、磯風──大切な仲間たちと一緒に。

 

 ただ戦うことしか知らなかった私に、こうして幸せな時間を噛み締められる日が訪れるだなんて、軍艦時代では想像もできなかった奇跡です。

 

 そして、そんな日常をくれたのは、ほかならない提督なのです。

 だから、私は彼の恩に報いたい。彼にとっては些細なことだったとしても。

 積極的に秘書艦としてお傍に仕え、彼のお役に立てるよう努めてきました。

 提督に感謝されると、それだけで舞い上がるような心地になります。

 でも……

 

 

 

 

「えーっと……よかったな浜風。駆逐艦の皆にこれだけ慕われていて、お前も鼻が高いだろ?」

 

「別に。興味ありません」

 

 またやってしまった。

 せっかく提督が話しかけてくださったのに。恥ずかしさのあまり、にべもない態度で返答。

 ああ、提督が困った顔をされている。ごめんなさい、そんなつもりでは……。

 

 はあ。どうして私はいつもこうなのでしょう。

 

 周りの方々は、私を「駆逐艦なのに大人だ」とよく言います。

 けど誤解です。

 私はただ、口数が少ない、真面目しか取り柄のない……そして、素直になれない、可愛げのない、地味な女というだけなのです。

 ちゃんと自分の気持ちも伝えられない私は、逆に、とても子どもだと思います。

 そんな私からすれば、感情を素直に表現できる他の駆逐艦たちのほうが、ずっと眩しく映るし、立派に見えます。

 

 提督にじゃれついたり。

 提督にわがままを言ったり。

 提督に無邪気に甘えたり。

 そんなことができる皆を、いつもいつも羨ましいと思っています。

 

 でも私には恐れ多くて、そんなマネできません。

 それどころか。

 

「提督。息抜きが済んだようなら、そろそろ執務を再開していただけると助かるのですが」

 

「う、うむ。すまない」

 

 緊張のあまり、自分から話しかけようと思っても、こんな冷めた言葉しか出てこない。

 我ながら呆れてしまう。

 自分にもっと愛想があればどんなにいいだろう。

 提督はきっと、私のことをいまだに感情の起伏がない、暗い娘だと思っていることでしょう。

 

 ……でも提督。私、笑えるようになったんです。

 あなたの言葉のおかげで、いまの自分を受け入れることができているんです。

 うまく態度には出せないけれど、いまの生活はとても楽しいです。

 

 入浴を心地いいと思ったり、食べ物のおいしさに感激できるようになったり。

 艦娘になれたからこそ、たくさんの楽しみを知れました。

 

 特に秋祭り。あれは素晴らしいものです。

 チョコバナナ。りんごアメ。わたアメ。焼きトウモロコシ。イカ焼き。ぜひともまた味わいたいものです。

 じゅるり。

 

 ……あ、いけないいけない。

 仕事に集中しないと。提督に迷惑かけちゃう。

 

 ……おや? どうやら提督、肩が凝っている様子。

 ここは、浜風の出番ですね。

 

「提督。肩をお揉みいたしましょうか?」

 

 肩もみには自信があります。

 私自身よく肩が凝るほうなので、コツはしっかり掴んでいます。

 

 提督が快く受け入れてくれたので、私はやる気に満ちて彼の背中に回ります。

 

 ……とても広い背中です。

 思わず、その背中にしがみついてみたいな、と考えてしまいます。

 でも、やっぱり恥ずかしくてできません。

 なにより、そんなことをしたら提督に幻滅されてしまうかもしれない。

 彼の中ではきっと、私は堅実な秘書艦というイメージが強いはずですから。

 子どもっぽいところを見せたら、その信頼を失ってしまうかも。

 

 ……だけど、ちょっとだけ、くっつくぐらいなら許されるでしょうか。

 

 とか考えているうちに、私の胸部が提督の後頭部に密着してしまいました。

 無駄に大きいせいで、こんなことはしょっちゅうあります。

 まったく、本当にこの胸部には困ったものです。

 重いし、肩は凝るし、訓練や戦闘のときだって「邪魔だなぁ」と思ったことが何度あることか。

 

 でも、いまは少しだけ現金にも、「大きくてよかったかな」なんて思ってしまっています。

 頭に胸をくっつけているだけですが──これはこれで、なんだか提督に甘えられているような気がしますから。

 

 ……もうちょっと、密着しても平気かな?

 肩を揉みつつ、身体を提督のほうへ傾けます。

 

「ん……」

 

 提督の体温が身近に。

 少し、ドキドキします。

 

 雪風なら、こんなとき思いきり抱き着いたりして、提督によしよしと頭を撫でてもらえるのでしょう。

 

 もし私も、同じことをしてもらえたら……。

 

「……浜風、もういいぞ。充分だ」

 

 気づくと、提督は満足されたご様子。

 少し、残念です。もうちょっとだけ、くっついていたかったのですが。

 

「……」

 

 提督に甘えてみたい。

 その気持ちは日に日に強くなっていきます。

 

 最近までは、提督のお役に立てるのなら、それだけで満足でした。

 ですが、自分と同じ駆逐艦の子たちが、提督に甘えている姿を見てしまうと、胸の中がモヤモヤするようになりました。

 私だって駆逐艦なのに。

 どうして、あんな風に甘えることができないんだろう。と。

 

 私よりも上のはずの姉妹が頭を撫でられたり、お膝に乗っているところを見ると、余計にそう思ってしまいます。

 

 だけど……

 提督は、なんて思うでしょうか。

 私みたいな、駆逐艦らしくない駆逐艦が、提督に甘えてみたいなんて言ったら。

 

 やっぱり、驚かれるでしょうか。

 それとも、困らせてしまうでしょうか。

 ……きっとそうでしょうね。

 だって私、雪風みたいに愛嬌がないし、時津風みたいに素直じゃないし。

 なにより、こんな見た目だし。

 

 提督だって、もっと子どもらしくて、かわいらしい駆逐艦に甘えられたいでしょう。

 こんなカラダだけ大人な駆逐艦が甘えたところで、気持ち悪いだけです。

 

 いえ、それ以前に。

 提督に冷たい態度ばかり取っている私なんて、きっと嫌われて……

 

「浜風」

 

 え?

 

「……なんでしょう」

 

 いきなり名前を呼ばれて内心ドキリ。

 動揺を悟られないように鉄面皮を装っていると、

 

「肩揉んでくれてありがとうな。だいぶ楽になったよ」

 

 提督が、そうお礼を言ってくれました。

 とても、優しい笑顔で。

 

「……そうですか」

 

 返事はいつものようにドライな私でしたが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……えへ。

 えへへへ。

 提督に、褒められました。

 ニヤケそうになる顔を必死に引き締めます。

 

 ズルイです。

 いつもそう不意打ちでこっちが喜ぶようなことを自然に言うんですから、この人は。

 

 つい、抱きつきたくなってしまうじゃないですか。

 恥ずかしいから、できませんけど。

 

 ……でも。

 

 でもいつかは、こんな気持ちを素直に表現できるようになれたら、いいなと思います。

 感情を知らなかった私に、声をかけていただいた、あのときの感謝も含めて。

 

 そして、我がままを言っても許されるのなら、一度でいいから、

 

 いっぱい、甘えてみたいです。

 

 

 そんな日が来るかは、正直わからないけれど……

 

 

 提督。そのときは、お膝に乗せてもらったり、頭を撫でてもらっても、いいですか?

 

 

 

 

──────

 

 ケッコンカッコカリをしていない艦娘に、ましてや幼い艦娘にふしだらなことをしたら最後。

 法の裁きを受ける鎮守府。

 そんな一種の監獄の中で、見た目は重巡、中身は駆逐艦。身も心もアンバンランスな艦娘が、提督に無邪気に甘えたいと考えている。

 

 そんな危機が迫っていることも露知らず。

 今日も提督は憲兵の恐怖に震えながら深海棲艦と戦うという、二重の意味で過酷な生活を送っている。

 

 彼の心と胃が臨終を迎えるのも、そう遠くはないかもしれない。

 




 この提督は胃が弱っているので、萩風ちゃんが作るお腹に優しい健康料理をしょっちゅう食べさせてもらっています。
 ただし、これまた発育の良い駆逐艦に「あ~ん♪」してもらったり、看病してもらったりと危険なイベントが起きるので、結局胃にダメージを受ける模様。


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浜風は提督に素直になりたい

 ■前回までのあらすじ

 幼い駆逐艦でありながら見た目も中身も大人と評判の浜風。
 しかし実際は彼女も他の駆逐艦と同じく、提督に甘えてみたいと思っている、カラダが大人なだけの子どもだった。

 一方、人類の希望たる艦娘の身を守るため、大本営は妖精さんによる監視を徹底させていた。
 幼い艦娘にふしだらなことをしたら最後、即行で憲兵に連行される鎮守府。
 そんな環境で提督は、事あるごとに起きるハプニングに胃を痛めながら、今日も海の平和を守るため戦うのであった。

 駆逐艦のくせにやたらと発育のいい浜風が、隙あらば甘えてみようと、考えていることも知らずに。




 提督は覚えていらっしゃらないと思うけど、私こと浜風は一度彼に頭を撫でてもらったことがある。

 

 艦娘の存在意義が戦うことだけじゃない。それを提督に気づかせてもらってからすぐのこと。

 人の身で生きる上で、大切なことを教えてくれた提督の恩に報いるため、今後もますます精進していこうと、私は躍起になっていました。

 

 そういうときほど失敗をおかしてしまうものです。それも致命的な。

 

『申し訳ございません! 私が不甲斐ないあまりにっ!』

 

 いつものように海域攻略の作戦に加わっていた私は、あと一歩で敵の本拠地に辿り着けるところで、相手戦艦の砲撃を喰らい大破してしまいました。

 私ひとりが致命傷を負ったために途中で艦隊を撤退させてしまったのです。これほど情けない失態もありません。

 

 入渠することすら惜しんで、私はボロボロの姿のまま、真っ直ぐに提督に頭を下げにいきました。

 

 惨めな恰好を尊敬する相手にさらすなど、この上ない屈辱。だからこそ自分に与える罰としました。

 そして提督自らの手で、それ以上の罰を与えてほしかったのです。

 

『どのような仕打ちも甘受いたします。ですから、もう一度私にチャンスを……』

 

 しかし提督は責めるでもなく、私の頭にポンと軽く手を置きました。

 そして、こうおっしゃいました。

 

 

 

『よく我慢した。そして、よく無事に帰ってきた』

 

 

 

 それだけ口にして、彼は私の頭をわしゃわしゃと不器用に撫でました。

 あとは何を言うでもなく、私に背を向けて、窓の外を眺めていました。

 

 たったの二言。

 でも、その短い言葉だけでも、提督の言いたいことは伝わりました。

 

 悔しい思いを押し殺して、よく撤退する勇気を出せたな、と。

 早まった真似をすることなく、よく無事に帰還できたな、と。

 

 多くは語らず、そう言葉少なめに私を励ましてくれたのでした。

 

 提督は、轟沈する危険を冒してまで海域攻略することを良しとしません。

 温厚な彼が怒るとしたら、自分の身を大事にせず、進んで使い捨ての道具になろうとする、そんな浅はかな考えに対してだけでしょう。

 

 だから、本来なら責められるべき私を、彼は褒めるのです。

 無事に鎮守府に帰ってくるという、当たり前の約束事を守ったから。

 

『早く入渠して傷を治してこい。ちゃんと治れば……また行けるんだからな』

 

 生還さえすれば、いくらでもチャンスはある。

 焦るな、自分を責めるな、と言葉裏に、彼の思いやりが込められていました。

 

 

 次はがんばろう。

 自己嫌悪の気持ちはいつのまにか消えていました。

 そんな暇があるのなら、一秒でも早くこの人の優しさに応えなければと思ったのです。

 自然とそう思わせてくれるチカラを、提督は与えてくれる。

 

 提督の大きな背中を、ますます大きく感じた。そんな日でした。

 

 

 そして。

 頭の上に乗せてもらった、大きく、暖かな手。

 あの感触が、いまでも忘れられない。

 

 もっと欲しい。と、そんな欲張りなことを考えてしまうのです。

 

──────

 

 私が所属する鎮守府は、数ある鎮守府の中でもストレスとは無縁の環境と言われています。

 というのも、提督が日々、私たち艦娘の悩みに真剣に向き合ってくれるからです。

 

『どうしても我慢できないことや、仲間内にも明かしにくいことは、遠慮なく相談するように。何事も一人で抱え込み過ぎるのは良くない。戦闘だけでなく、生活にも支障が出るんだからな』

 

 もっともな意見です。

 提督のこの方針のおかげで、日常生活で起こりがちな数々の不満は、深刻化する前に解消されていると言っていいでしょう。

 一方で、軍艦時代からのトラウマをかかえる艦娘の何人かが救われています。

 

 夜戦に恐怖を覚えていた、妹の萩風がその代表例です。

 詳しいことは知りませんが、夜を克服するために、提督が付きっ切りでいろいろやってくれたらしいです。

 おかげで夜間でも明るい一面を見せるようになった萩風。

 いまでは何かと提督に健康料理を振る舞って、恩返しとばかりに彼に尽くしています。

 

 

 

 海域攻略はもちろん、けどそれ以上に私たち艦娘のことを考えてくださる優しい提督。

 そんな提督に対して、いまだに素直になれないでいる艦娘は、余程のひねくれ者に違いありません。

 

 つまり、浜風(わたし)のことです。

 

「はあ……」

 

 時刻はマルロクマルマル、早朝。

 今日も秘書艦として司令室に向かいながら、私は溜め息を吐く。

 

 昨日もまた、提督に無愛想な態度を取ってしまいました。

 

 ほんとうは、もっと愛想よくしたいのですが、どうしても緊張から本心とは真逆の言葉が出てしまうのです。

 

 たとえば……

 

 

 ──提督、それぐらいの仕事なら浜風が代わりにやっておきますから。あまり根を詰めすぎないでくださいね?

 

 

 という感じのことを言いたかったのですが、実際に口から出てきたのは……

 

 

 ──提督、効率よくやればスグに済む仕事に、そんなに時間をかけないでください。

 

 

 ポンコツですか。

 エキサイト翻訳並みのポンコツぶりですか。私のおバカ。

 

 いやはや。

 提督の役に立ちたいと意気込んでおきながら、なんでこんな可愛げのない秘書艦ができあがってしまったのでしょう。

 

 

 駆逐艦なのに、見た目も中身も大人びていて、しっかり者と言われている私。

 でも実際は、他の駆逐艦と同じように子どもっぽい娘なのです。

 いろんなことを頑張っているのは、ひとえに尊敬する提督の期待に応えたいから。ただその一心でやっているだけで、他の駆逐艦の皆さんと、そんなに変わらないんです。

 

 

 だから駆逐艦の皆さんが提督に甘えているように、私だって思いきり甘えてみたいんです。

 

 そう思っているのに、肝心なところでダメな私。

 

 でも今日こそは……

 

「よし」

 

 今日こそは、もう少し素直になってみよう。

 そして、勇気を出して、自分の本心を打ち明けてみよう。

 

 いつまでもこんな調子じゃ、優しい提督でもさすがに私に愛想を尽かして、秘書艦から外してしまうかもしれません。

 

 そんなのは、イヤです。

 私は、もっと提督のお役に立ちたいんです。

 浜風はすごい、浜風は偉いって、たくさん、たくさん褒めてほしいんです。

 

 そしてあわよくば、あの日みたいに頭を撫でてもらったり……

 

 

 

 かあっと熱くなる顔をブンブンと振って、平常心を取り戻します。

 

 落ち着きなさい、浜風。

 露骨に下心をむき出しにするのは、よくありません。

 

 今日のところはまず、もうちょっと柔らかい態度で接して、とにかく気まずい空気をなくしていくところから、始めていきましょう。

 いつのまにか私と提督の間にできてしまった見えない壁のようなもの──まあ主に私が原因なんですが──まずはそれを取り払うべきです。

 

 司令室の扉の前に到着。

 

 朝の秘書艦のお仕事は、まず総員起こし。これはすでに済ませています。

 

 次に提督の朝食のご用意です。

 先に直接「和食がいいか、洋食がいいか」と提督に尋ねてから、私が直々に調理をします。

 

 いつもなら事務的なやり取りで終わってしまいますが……今回はもっと詳しくメニューのリクエストなどを聞いてみましょう。

 

 女性としては、やっぱり、その……手作り料理で喜んでほしいですし。

 

「すぅ……」

 

 まずは深呼吸。

 そして笑顔を浮かべます。

 この間読んだ本によれば、笑顔さえ浮かべていれば、たいていのことは上手くいくそうです。

 起床後、鏡の前で何度も練習したので、不自然な笑みではないはず。

 

 いざ。

 

「提督、おはようございます。今朝の朝食はいかがいたし……」

 

 ましょうか、と尋ねる口が止まります。

 

 せっかく作った笑顔が凍りつくような光景が、目の前に広がっていました。

 

 

 

「ぽいぽい♪ 提督さんっ、夕立と一緒に朝のお散歩行こ♪」

 

「ゆ、夕立、わかったから、もうちょっと離れてくれ」

 

「やっ! 提督さん最近ぜんぜん夕立に構ってくれなかったから、いまだけ独り占めにしちゃうっぽい! むっぎゅう~♪」

 

「しょうがないな夕立は……よしよし。ほら、これでいいか?」

 

「ダメ~! もっと思いやり込めて撫でてほしいっぽい!」

 

「はいはい。こうか?」

 

「んふ~♪ 提督さんのナデナデ好き~♪」

 

 扉を開けた先には、提督と夕立さんが椅子の上でイチャイチャしていました。

 はい、椅子の上で、です。

 夕立さん、提督のお膝の上に乗って頬をスリスリさせたり、ぎゅうぎゅうと抱きついています。

 

 白露型四番艦の夕立さんと言えば、不知火姉さんに次ぐ“最強の駆逐艦”と呼ばれるほどの実力者。

 そんな彼女も提督の前では、まるでワンコのようになって、全力で甘えていらっしゃいます。

 提督も苦笑いを浮かべつつも、満更でもなさそうな顔で夕立さんの頭を撫でていらっしゃいます。

 

 あらあら、朝から仲のよろしいことですね。

 

 思わず見ているこっちまで、ほほ笑ましくなってしまいますね。

 

 でも、おかしいですね。

 夕立さんも私と同じで駆逐艦のわりに大人びた見た目をしているというのに、この扱いの差はなんなのでしょうか。

 

 やはりアレですか。小動物のような可愛らしさが駆逐艦には求められるのですか?

 

 私もワンコみたいになれと?

 

 そうすれば私も提督に撫でてもらえるのですか?

 

 教えてくださいよ、ねえ。

 

 

 

 というかお二人とも。

 私が入室したのも気づかずに、何をいつまでもイチャイチャ、イチャイチャと……

 

 

 

「うぉっほん!」

 

 咳払いひとつ。

 ようやく私の存在に気づくお二人

 

「あっ、浜風ちゃんだ♪ おはようっぽい♪」

 

 はい、おはようございます。

 提督の時間に水を差したにも関わらず、夕立さんはホワンとした笑顔で挨拶してくれました。

 あいかわらず邪気のないかたですね。

 思わず無視を決め込まれた怒りも引っ込んでしまいます。

 

「は、浜風。いたのか?」

 

 ただし提督。あなたのその言い方にはプッツンです。

 

 笑顔?

 とっくに怒り顔に変わっていますよ。

 

「一応ノックはしましたよ。夕立さんとお楽しみだったようなので、聞こえてなかったようですが」

 

 皮肉交じりのことを言って提督を責める私。あいかわらず可愛げがない。

 

 でも提督も提督です。

 こっちの気も知らないで朝から夕立さんと仲良さげにして。

 デレデレなんかしちゃって。

 私と一緒にいるときは、あんな顔しないくせに。

 

 ……まあ、素直じゃない私と違って、夕立さんは感情をストレートに表現するかたですから、対応に差が出るのはしょうがないとは思っていますけど。

 でも、だからって……提督のバカ。

 

 というか何ですか提督。

 人が怒っている横で、物陰に向かってオロオロなんかして。

 誤解ですよと言わんばかりに手を左右に振って。言い訳する相手間違えていませんか?

 

 もう、本当にこの人は……

 

「提督。本日も予定がたくさんあるのですから、朝からちゃんと気を引き締めてください」

 

 今朝は穏やかに接しようと思った気持ちもどこへやら。

 言いようのない不満を正論という理論武装で固めて、提督に八つ当たりしてやります。

 

「あと夕立さんもです。()()()()()()()()()()()、提督も朝から忙しいんです。あまり迷惑をかけないよう自粛をですね……」

 

 これついでに、夕立さんに対しては注意を喚起。

 

 別に妬みでこんな姑みたいなこと、言ってるわけじゃありませんよ?

 何で私も夕立さんみたいに直球で甘えられないのかな、なんて考えていませんから。

 違いますから。

 羨ましくないもん。

 

「ぽい~。ねえ浜風ちゃん?」

 

「なんですか夕立さん。話はまだ途中……って近っ!」

 

 いつのまにか顔を間近に近づけて、ジッと私のことを見つめている夕立さん。

 西洋人形のように整った綺麗な顔立ち。ルビーのように赤い瞳に迫られて、思わずドキっとしてしまいます。

 

「な、なんでしょうか夕立さん」

 

 私が尋ねると、夕立さんはキョトンとかわいらしく小首を傾げながら、

 

「もしかして……浜風ちゃんも提督さんに甘えたいっぽい?」

 

「……はい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……はいいいっ!?

 

 ちょ、ちょ、ちょっと夕立さん!

 なんて爆弾発言を投下してくれてるんですか!?

 よ、よりによって提督の前で!

 

「ななな、なに訳の分からないことをおっしゃってるんですか夕立さん!?」

 

「う~ん。もしかしたらヤキモチ妬いてるのかなって思ったんだけど。違ったっぽい?」

 

 なんということ。勘づかれています!

 

 歴戦の猛者としての直感か。

 あるいはワンコっぽい夕立さんのワンコ的本能によるものか。

 私がこれまで秘め隠していた感情を、いともたやすく看破するなんて。

 

 夕立さん──恐ろしい艦娘っ!

 

「え? そうなの浜風?」

 

 ……なんですか提督、その『もし本当だったら困るんだけど』みたいな微妙な反応は。

 私に甘えられるのが、そんなに迷惑だって言うんですか?

 気味悪いって言うんですか?

 

 ……ああ、そう。そうですか。

 

 ブチっと、私の中で何かが切れました。

 

「……なに言ってるんですか。私がそんなこと考えるわけ、ないじゃないですか。変な思い上がりしないでください提督」

 

「そ、そうだよな。すまん」

 

 私の発言を微塵も疑わず信じ込む提督。そんな彼の反応に、より一層黒い感情が沸々と燃え上がります。

 

 

 

 ……ふんだ。もう提督なんて知りません。

 

 せいぜい夕立さんと仲良くイチャイチャしてればいいんです。

 

「朝食のメニューを聞きに来たのですが……どうやら今朝は予定が悪いようですね。どうぞ、存分に夕立さんと散歩してきてください」

 

 可愛げのある駆逐艦しか贔屓にしない提督になんか、ご飯作ってあげません。

 

 作ってあげないもん。

 

 ヅカヅカと足音を立てて司令室から退室します。

 

「え? お、おい浜風。さすがに朝食抜きは俺も辛いぞ」

 

「わざわざ秘書艦が用意したものを食べる必要もないじゃないですか。その辺で勝手に召し上がってきてください」

 

 まあ、どうしても私が作った朝食じゃないとダメだと言うのなら考え直さないでもないですが。

 

「わぁい! じゃあ提督さん! 久しぶりに一緒に間宮さん行くっぽい!」

 

「はあ~今日はしょうがないか。すごく混むし、金剛たちとかが飛びついてくるから正直行きづらいんだが……」

 

 ……切り替え早いですね。

 もうちょっと、惜しんだっていいんじゃないですか?

 私の朝食、食べたくないんですか?

 

 後ろ髪を引かれる思いでチラっと振り向いてみます。

 

「提督さん。夕立がアーンって食べさせてあげるね♪」

 

「恥ずかしいからやめてくだされ」

 

 人前でイチャつくのやめてくだされ。

 

「……」

 

 退室しておきながら立ち止まっているのも不自然なので、そのまま無言で司令室から離れる私。

 

 とぼとぼと歩きながら、先ほどの自分をふり返ります。

 一人きりになると、途端に冷静になって、自分のしたことがハッキリと頭に甦ってくるものです。

 

 

 

 あれ、おかしいな。

 

 今日こそは私、提督相手に素直になろうと思ってたのに、なんで、あんなこと言っちゃったんだろう。

 思い返せば思い返すほど、やってること、ぜんぶが逆効果のような……。

 

「……っ! ~~ぅっ!」

 

 声にならないような唸り声をあげて廊下を疾走する私。

 規則違反ですが、知ったこっちゃねーです。

 このまま朝日に向かって走り続けたい気分です。

 

「おう浜風じゃん! おはようさん!」

 

 谷風!

 前方に数少ない気心知れた存在が私に手を振っている。

 

「今日も秘書艦かい? あいかわらず提督思いな奴だねぇ……って、おいおい何で泣いてんだい?」

 

 私にとって頼もしい仲間にして親友の一人。

 彼女の屈託のない笑顔を見た途端、いろいろ制御できない感情が溢れてきました。

 

 甘える相手、もう谷風でいいや。

 

「谷風ェェエエ!」

 

 “谷”風という名に恥じない、その真っ平らな胸に思いきり飛びつく私。

 

「うおおおっ!? な、なんだい! どうしたってんだい浜風!?」

 

「谷風! 何も言わず胸を貸して!」

 

「いや、貸せるほどの胸なんて谷風さんにはねーっちゅうか、浜風にはもう充分あるじゃねーか……って、鼻水!? 鼻水つけんなオイ!」

 

 谷風を始め第十七駆逐隊の面々には見せられるのに、提督の前ではやっぱり見せられない素の私。

 今日こそは、そんな私を知ってもらおうと思ったのに……

 

 なんで、なんで余計に、悪い雰囲気になっちゃうの!?

 

「私の……おバカアアア!」

 

「谷風さんの服汚すんじゃないよっおバカアアアア!」

 

 

 

 ああ。

 いったい、いつになったら私は提督に素直に甘えられるのでしょうか。

 

 

──────

 

 

「ふう。今日も疲れた」

 

 ひと仕事を終えて、提督は伸びをする。

 

 結局あの後、浜風が司令室に顔を出すことはなかった。

 仕方ないので今日ばかりは秘書艦経験のある艦娘に執務を手伝ってもらい、何とかギリギリ、ノルマを達成したところであった。

 

 それらの疲労はもちろんのこと、しかし一番こたえたのは今朝の一件である。

 

(朝から夕立を相手にするのは厳しかったな……)

 

 幼い艦娘にふしだらなことをしてはならないこの鎮守府で、発育の良い駆逐艦が無邪気に甘えてくるのは、提督にとって脅威だ。

 懐いてくれるのは大変嬉しいが、その分、理性を働かせるのにひと苦労である。

 

 ただでさえ夕立は美人揃いの艦娘たちの中でもひと際麗しく、カラダの発育も立派なのだ。それでいて中身は、改装前と同じく純真無垢なままだというのだから、タチが悪い。

 抱き着いてくるたび、むにゅむにゅと当たるアレやコレやで、本当に大変であった。

 

(それに加えて、浜風の件もあったしな)

 

 浜風が無愛想で不機嫌そうなのはいつものことだが、今回のように露骨に怒り出し、尚且つ秘書艦の仕事を放りだすのは珍しい。

 謝らなければ、とは思っているのだが、正直のところ原因がわからない。

 なにぶん物陰から自分を監視していた妖精さん相手にずっと神経を使っていたので、落ち度があったとしても思い出せそうにない。

 

 しかし、何もあそこまで怒ることもないと思うのだが……。

 

(あいかわらず浜風の考えていることはわからないな)

 

 最初に会った頃の浜風とは、少なくともここまで気まずくなるような関係ではなかった。

 真面目なのは変わらずだが、今と比べると、かなり従順なタイプだったように思う。

 

 ……というより、天然だった、というべきか。

 

 なにせ大破しても入渠しないまま、あられもない姿で司令室にやってくるような娘だったのだ。

 あのときほど、焦った瞬間もないだろう。

 

 表面上は平静としていた提督だが、内心では浜風の凶悪な半裸を前にして今にも理性が吹っ飛びそうだった。

 鼻から噴出しかけていた血液を気合いで押し留めた自分を褒めてやりたい。

 

 そのときの浜風は心身ともに、そうとう傷ついていたので、励ましの言葉を送ったとは思うのだが、正直あまり記憶にない。

 横から向けられる妖精さんの眼力が恐ろしくて、いろいろとヤケクソだったのだ。

 目のやり場に困るので、窓の外をずっと見つめていたことだけは覚えている。

 

 

 

 思えば、あの一件から浜風の態度がよそよそしくなっていったような気がする。

 自覚がないだけで、浜風の気分を害するようなことを、無神経にしてしまっているのかもしれない。

 

(やっぱり、一度、真剣に話し合うしかないか)

 

 萩風の夜への恐怖症を付きっ切りで治したように、根本的な問題は自ら踏み込んでいって解決するほかないのだ。

 そうすることで、いままで知りえなかった艦娘の一面を知るキッカケになったりもする。

 

 

 

 そこでふと、今日夕立が口にしたことを思い返す。

 

『もしかして……浜風ちゃんも提督さんに甘えたいっぽい?』

 

 もしもの可能性。

 まさかあの浜風が、夕立の言うとおりヤキモチを妬いて怒ったという場合は……

 

(いや、さすがにそれはないだろ)

 

 あのクールビューティーの浜風が、実は提督である自分に甘えたいと思っているだなんて……それこそ、まさかだろう。

 浜風本人だって否定していたし、提督自身も、そんな浜風など微塵も想像できない。

 

 というか、想像してしまったら危険である。

 

 一度は拝んでしまった、浜風のあられもない姿。それは、いまでも生々しく脳裏に蘇ってくるほど、強烈な印象として焼きついている。

 あれほどのプロポーションを誇った駆逐艦が、それこそ夕立のように遠慮なしに甘えてきたとしたら。

 そんなもの、想像しただけで健全な男としてはもういろいろと耐えられな……

 

 

 なに破廉恥なこと考えとんじゃワレ、と言わんばかりな妖精さんの眼力が、物陰の隙間から向けられる。

 夜遅くだろうと、憲兵所属の妖精さんは絶好調である。

 よこしまな想像さえ許さない正義の視線を前に「すみません、もう考えません」と提督は即行で頭を下げた。

 

 

 今日もキリキリと痛む胃を労りながら、提督は思う。

 

 ああ。

 いったい、いつになったら自分はこの過酷な生活から解放されるのだろうか。

 

 もちろん深海棲艦すべてを倒すまでやで、と妖精さんが律儀に応える。

 

 一日でもいいから癒しのひとときが欲しいと、むせび泣く提督であった。

 



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浜風は秘書艦を続けたい

 やってしまった。

 

 先日起こした、自分の不手際を冷静にふりかえって、冷や汗をかく。

 

 

 私とあろうものが、まさか秘書艦の仕事を放り出してしまうなんて!

 

 

 その原因が、夕立さんと仲良さげにしている提督に苛立ったという、まことに身勝手な不満。

 弁護のしようがない。

 

 どどど、どうしよう。

 提督、怒ってるかな? 朝食も作ってあげられなかったし。

 

 いえ、穏やかな彼が怒ることなんて、滅多にないのですが。

 それでも今回ばかりは、さすがにあの人も私に呆れてしまったかも……

 

 と、とにかく謝らなければ。

 この一件のせいで、もしかしたら秘書艦から外されるなんてこともありえます。

 

 そんなの……

 

 イヤです!

 

 秘書艦の座は誰にも譲りません!

 

 提督と合法的に一緒にいられる時間が減っちゃうじゃないですか!

 

 

 

 

 

「お。浜風、ちょうどよかった」

 

「提督!」

 

 司令室に向かう途中で提督と鉢合わせました。

 

 私はすぐさま頭を下げます。

 

「あ、あの提督! 先日は秘書艦の仕事を無断で放棄してしまい、申し訳ございませんでした!」

 

「ああ、そのことか。いや、気にするな」

 

 思いのほか、提督は穏やかな顔を浮かべています。

 

 こ、この様子だと怒ってはいないのかな?

 

 よ、よかったぁ。

 ひと安心です。

 

 さすがは提督。

 なんと、お心の広い。

 秘書艦としてあるまじきことをした私を、こうも簡単に許してくださるなんて。

 

 感動のあまり、抱き着きたくなってしまうじゃないですか。

 まぁ、できないんですけどね! 恥ずかしくて!

 

 ……コホン。

 

 とにかく。

 今日は立派に秘書艦を務めて、提督のお役に立たなくては!

 

「提督。本日は、先日の分を含めた執務をこなすつもりですので、どうか、お任せを……」

 

「ああ、実は、その秘書艦の件で浜風に話があってだな」

 

「はい! この浜風に、なんなりとお申し付けください!」

 

 尊敬する提督のためならば、浜風はどんな過酷な任務も引き受ける覚悟です。

 

 そして……

 

 今日こそは頑張ったご褒美に、頭をナデナデしてもらうのです!

 

 さあ提督!

 浜風に何でもおっしゃってください!

 

 

 

「しばらくの間、秘書艦やらなくていいぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……あれ、おかしいな。

 目の前が(かす)んで、よく見えない。

 

──────

 

 

 

「それで、浜風はあんなに泣いているわけか?」

 

「そういうわけ」

 

 磯風の問いに、谷風が飄々と答える。

 

 

 

 ここは第十七駆逐隊の寮部屋。

 浜風を含め、磯風、谷風、浦風の四名が生活を共にしている一室である。

 

 数分前、磯風がいつものように演習を終えて自室に戻ってみると、

 

「ぐしゅっ。うぅぅっ。浦風ぇ」

 

「おう、よしよし。浜風は泣き虫さんじゃね~」

 

 という具合に、浜風が幼児のように泣きながら、浦風に慰められているではないか。

 

 いったい、どうしたというのか。

 とうぜん不審に思った磯風は、いまさっき谷風から事情を聞いたところであった。

 

 その内容に、磯風は呆れの溜め息を吐く。

 

「何事かと思えば……秘書艦から外された? まったく、それぐらいで泣く奴があるか」

 

 この面子の中でも、ひと際軍人気質である磯風。

 そんな彼女にとって、いまの浜風は目に余る体たらくぶりだ。

 歴戦の第十七駆逐隊として、あるまじき狼狽ぶり。

 

 ここは戦友として、または姉として、厳しく言わねばなるまい。

 

「情けないぞ浜風。その程度のことで心を乱すとは。普段の精神鍛錬が足りていないのではないか?」

 

「私にとっては『その程度のこと』じゃないの!」

 

「ぬっ!?」

 

 浜風に物凄い気迫で言い返され、磯風は思わず、ビクっと腰を引いた。

 

「いいですか磯風! 秘書艦というのは艦娘の代表! 提督にとって必要不可欠なパートナー! すなわち、提督にとって特別な存在です!

 その立場から外されるということは……『提督の特別』じゃなくなるってことなんですよ!? これが泣かずにいられますか!」

 

「お、おう……」

 

 目に涙をいっぱい溜めて、こう必死に捲し立てられると、さすがの磯風も言葉を失ってしまう。

 冗談でなく、今回のことは浜風にとってショックだったらしい。

 

 

 だが言われてみれば、浜風は、これまでの間ずっと秘書艦を務めてきたのだ。

 それだけ提督に頼りにされ、信頼されていた証拠である。

 

 ゆえに秘書艦の立場を喪失するというのは、浜風からすれば、親に見捨てられるにも等しい悲劇なのだった。

 

「うぅっ。ずっと、ずっとお傍で尽くしてきたのに……この仕打ちはあんまりです!」

 

 というより夫に見放された若妻と例えるべきか。

 

 浜風は「およよ」と泣きながら、

 

「あんなに(肩を揉んで)気持ちよくしてあげたのに!」

「溜まっていたもの(雑務とか)をスッキリさせてあげたのに!」

「提督に満足していただけるよう(秘書艦のお仕事)いっぱいお勉強したのに!」

 

 ──と、憲兵所属の妖精が聞けば、確実に誤解される危うげな愚痴を繰り返す。

 狙っているわけではなく、天然なぶんタチが悪い。

 

 

 浜風に普段の落ち着きや、冷静な振る舞いは、いまや微塵もない。

 仲間内だけに見せる、本来の浜風の姿が、そこにはあった。

 

「どうどう、落ち着き浜風~。もう、浜風はあいかわらず提督さんのことが好きなんじゃね~」

 

「ち、違います! べつに好きとかそういうんじゃなくて……ただ、その、悲しいんですよ!」

 

「ああ、すまんすまん。ほら、うちのお膝でよければ、いくらでも使ってエエからね~」

 

「うぅ……浦風ぇ~」

 

 浦風は慣れた調子で、浜風をあやす。

 

 

 

 駆逐艦の間でカリスマ的人気を誇る浜風の影に隠れがちだが、浦風もまた大人びた駆逐艦の一人である。

 

 というより、この中で最も大人びているのは、間違いなく浦風である。

 

 印象は大人っぽいが、その中身は甘えん坊の幼児である浜風。

 いっぽう浦風は、見た目だけに留まらず、内面からも混じりけのない母性が滲み出ている。

 

 実際、膝の上でエンエンと泣く浜風の頭を撫でるその姿の、なんと慈しみ深いことか。

 

 艦隊での活躍や目立ち方によっては、駆逐艦たちの憧れを一身に受けたのは、浦風だったことだろう。

 

 

 

「はぁ~。でもホント浜風って提督のことになると、おかしくなるよね~」

 

 ミニスカートだろうと関係なく胡坐をかいている江戸っ子気質の谷風が、苦笑まじりにそう言う。

 

 出撃や任務の場面では、いつだって頼りがいのある浜風。

 だが、提督が絡むと途端に面倒くさいことになる。

 優等生タイプほど感情的になると、手が付けられないほど厄介になるものだが、浜風は特にそれが顕著である。

 先日もそれで谷風の服が、涙や鼻水やらでグショグショにされたのだ。

 こんちくしょうめである。

 

 浜風がこうして()()()のも、もはや馴染み深い光景となった。

 そんな浜風を毎回慰めるのは、彼女の本性を唯一知っているこの第十七駆逐隊の面々なのだが……

 今回はなかなか、骨が折れそうである。

 

「いい加減に泣き止みなって浜風。べつに提督も意地悪で秘書艦から外したわけじゃないんだろ?」

 

「うっ……。そ、それは、そうなんだけど」

 

 そう。

 提督は何も浜風を見限って秘書艦の任から降ろしたわけではないのだ。

 

 話はこうだ。

 

『やっぱり一人の艦娘ばかりに秘書艦を任すのは良くないと思ってな。もし先日みたいに浜風がいない日に代理でこなせる艦娘がいないんじゃ、俺も困るし』

 

 ご尤もな話である。

 専門的な仕事をこなせる人材が、一人だけに偏っていたら組織は回らない。

 

『そういうわけで、これからは他の艦娘にも積極的に秘書艦の仕事を覚えてもらうことにしたよ』

 

 提督によれば、すでに何名かの艦娘が秘書艦をやりたいと希望しているそうだ。

 

『考えてみると、これまで浜風には秘書艦の仕事を任せっきりだったんだよな。いや、悪かった。この機会にゆっくりと休んでくれ』

 

 なんとも思いやり深い笑顔で、提督はそう言ったのだった。

 

 

 

「ほれ~。提督ぜんぜん酷くないじゃん。むしろ浜風のこと思いやって言ってくれたんだろ? 泣かすね~」

 

「確かに休息も任務のうちのひとつだ。ここは司令の厚意に甘えておけ、浜風」

 

「そうじゃね~。頑張り屋さんなのはエエけど、無理のし過ぎもいけんしなぁ」

 

「そゆこと~。たまにはパァッと羽休めすりゃいいのさ」

 

 浜風の日頃の働きぶりを知っている三人は、そう言って彼女を労おうとする。

 ……が、肝心の浜風は、

 

「やだ」

 

「「「はい?」」」

 

 駄々っ子のように首を振った。

 

「やだ。秘書艦やる」

 

「い、いや、だから秘書艦の仕事休めって言われたんだろ?」

 

「休まないもん」

 

 谷風の指摘に、浜風は耳を貸さない。

 

「お前な……司令の指示に従わないつもりか?」

 

「意地悪なこと言う提督の命令なんか知りません」

 

 磯風が説教しても、浜風は動じない。

 

「いや、意地悪やのうて、浜風に楽させるために親切でそう言うてくれたんじゃろ?」

 

「ぜんぜん親切じゃありません。むしろ余計なお世話です」

 

 浦風が諭しても、浜風は考えを曲げない。

 

「いいですか? 私にとって秘書艦とは休息よりもずっと有意義なものなのです」

 

 唐突に語りだす浜風を見て、三人は「どうする、この聞かん坊?」という具合に顔を見合わせた。

 構わず浜風は話を続ける。

 

「確かに秘書艦は楽な仕事ではありません。でも辛いと思ったことは一度もありません。

『いま自分はこうして提督のお役に立っている』──そう思えば、やる気がいくらでも満ち溢れてくるからです」

 

 うっとりと頬を桃色に染めながら、浜風はこれまでの日々を尊ぶように語る。

 

「本当はもっと提督とお喋りとかもしたいんですけど……でも、あの人と一緒の時間を過ごせるだけで、浜風は幸せなのです」

 

 豊かな胸の前できゅっと手を握りしめて、恍惚とする浜風。

 完全に自分の世界に入り込んでしまった。

 

 そのまま浜風は、秘書艦の仕事が自分にとって如何に幸福かを延々と話していく。

 あまりに話が長いので、他の三人は三時のおやつを食べ始めた。

 

「ああ、でも、やっぱりワガママを言えば、私も他の駆逐艦のように提督に甘えてみたい。

 『浜風はイイコだな』って、いっぱい褒めていただきたい……」

 

 終盤にさしかかる頃には演出に凝り始めたのか、窓から見える空に向かって語りかけていた。

 心なしか、浜風のビジュアルが古い少女漫画風になっているように、三人には見えた。

 瞳など、もうキラキラである。

 

「そうです。私が秘書艦を続けたい本当の理由……それは提督に、もっと私のことを知ってほしいから。

 ──そして心置きなく、提督に甘えてみたいと願ってやまないからなのです!」

 

「とか言って、結局一度も甘えられたことないじゃん」

 

 せんべいをバリバリ食べながら谷風が言った。

 少女漫画風の雰囲気は、せんべいの音で一気に弾け飛ばされた。

 

「だまらっしゃい! 次こそは素直に甘えてみせるんですよ!」

 

 夢見心地から正気に戻った浜風は、そう激昂する。

 

「しかし、毎度そうして『次こそは』と先延ばししている間にこうなったのではないか?」

 

 お茶を啜りつつ、磯風がズバリ言う。

 

「浦風! 谷風と磯風が意地悪なこと言う!」

 

 痛いところを突かれて浜風はまた泣き出した。

 縋りついてくる浜風を、浦風は苦笑を浮かべながらも、よしよしと受け止める。

 

「もう、ホンマに甘えん坊じゃね~浜風は~。ほら、お饅頭でも食べて元気出しぃ?」

 

「ショートケーキがいい……」

 

「「ワガママか!!」」

 

 マイペース過ぎる浜風に、さすがの谷風と磯風もブチギレた。

 

「ええ! そうですとも! どうせワガママですよ!」

 

 そして浜風は逆ギレした。

 

「だって私、駆逐艦ですもん! 艦娘の分類としては子どもですもん! 毎日まいにち提督に甘えたいと考えてるお子様なんですよ! いけませんか!?

 私が提督にいっぱい可愛がってもらいたいって思っちゃいけませんか!?」

 

 

 浜風が提督に甘えたがっている。

 その秘密を知っているのは、ここにいる第十七駆逐隊のメンバーだけである。

 気心知れた仲間だからこそ、浜風も恥を偲ぶことなく、こうして本音を明かせるのだ。

 

 ……しかし、その本音を聞いているのが、信頼している仲間たちだけとは限らない。

 

 

 

 

「青葉、聞いちゃいました!」

 

「え?」

 

 とつじょ開かれる扉。

 そこには、浜風にとって絶望の象徴たる人物が立っていた。

 

「どうも、きょーしゅくです♪ いやぁ盗み聞きをするつもりはなかったのですが、興味深いお話をされていたので、ついつい立ち聞きをしてしまいました!」

 

 悪びれもせず、そんなことを言う艦娘。

 

 もはや説明するまでもなく自ら名乗りを上げた、鎮守府の最大の情報通にして問題児──青葉はなんとも爽やかな笑顔でメモ帖にペンを走らせていた。

 

「いまだに何かと謎の多い浜風さんが秘書艦から外されたとのことでしたので、この機会を狙って取材に伺ったのですが……これは思わぬビッグニュース! まさか、あの浜風さんが司令官に甘えたがっていたとは!」

 

 思わぬ特ダネを見つけて青葉は大はしゃぎでステップをしだす。

 

「クールという名のベールの裏に隠されていたのは、なんとも愛らしい姿! これは大反響間違いなしです!」

 

 ぴょんぴょんと跳ねるたびに、ポニーテールが尻尾のように機嫌よく揺れる。

 

「というわけで浜風さん! 是非とも詳しく取材をさせてくださ……ぐええええっ!?」

 

 乙女が発するべきではないヒキガエルのような声を上げる青葉。

 

 神速の勢いで動いた浜風に首を絞められ、その顔が見る見る蒼白と化していく。

 

「ちょっ!? おいおい何やってんだい浜風!? 青葉さん殺す気かい!?」

 

「止メナイデ 青葉サンニ 知ラレタ以上 コノ場デ 消スシカ ナイ」

 

「こえーよ!? おい磯風、浦風! 浜風止めるぞ! こいつマジでやりかねないよ~!!」

 

 

 

 

 

 無事に生還をはたした青葉は、後にこう語る。

 

「いやぁ、あのとき浜風さんは半分『深海棲艦』化してましたね~。

 目なんてギラギラに光って、口からは煙みたいな息を吐き出したりして。

 しかも三人総出で止めたのに、全然ビクともしませんでしたから~。あはは~!

 ……いや、ほんとに、生きててよかった」

 

 

 

 かくして。

 一番秘密を知られてはならない者に、秘密を知られてしまったこの日を契機に。

 浜風にとって波乱の生活が、ゆっくりと幕を開けたのである。

 



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浜風は甘える方法を知りたい①

「浜風さん信じてくださいってば! このことは記事にしませんし、誰にも言いふらしたりしませんから!」

 

 涙目で土下座さえしかねない勢いで青葉はそう言う。

 

 艦隊イチのジャーナリスト(自称)として、今日も今日とて彼女はペンとメモ帳を片手に、興味深い情報が転がっていないものかと、ハンティングに興じる狩人のごとく嗅ぎまわっていた。

 

 そして駆逐艦たちの憧れの的である浜風が、日々提督に可愛がってもらいたいと考えている甘えん坊という衝撃の事実を知り「イヤッハアアアア!」とテンション高々になっていたのも束の間。

 

 デリケートな部分を知られたことで憤怒の化身となった浜風に息の根を止められ、地上にも関わらず危うく轟沈しかけたのが、さっきまでのことである。

 

 情報とは平等に開示されるべきもの。

 誰しも、知る権利がある。

 そう青葉は信仰している。

 たとえ何があろうと、真のジャーナリストは伝達をすることから逃げてはならないし、非難を恐れてはならないのである。

 

 ……と普段、そう意気込んでいる青葉ではあっても、さすがに命は惜しいので、絶賛全力で命乞いをしているところであった。

 

「大丈夫ですって浜風さん! このことは青葉の胸の内に閉まっておきますから!」

 

「いいえ。信用なりません」

 

 絶対零度のごとく冷めた眼差しを向けながら、浜風は言う。

 

 駆逐艦とは思えない悩ましいボディから放たれる覇気は、これまた駆逐艦のものとは思えないほど強烈な圧力を秘めており、思わず粗相をしてしまいそうなほどに恐ろしい。

 

 光彩を失った瞳がギロリと、青葉を睨めつける。

 冗談抜きで青葉は洩らしそうになった。

 

 先ほど首を絞めてきたあの怪力といい、あなた本当に駆逐艦ですかとツッコミたくなる。

 それすら恐怖で口にできないが。

 

「信じてください? いったいどの口でそんなことをおっしゃるんですか?

青葉さんが一度だってこの手の話題を黙秘したことがありますか? ないからこそ、これまで多くの艦娘たちの恥ずかしい個人情報が艦隊中に知れ渡っているわけですよね?」

 

 浜風の指摘に、青葉はギクリと冷や汗をかく。

 事実そうなので言い返せない。

 

 誰にも明るみにしたくない秘密というものがある。

 

 その秘密をことごとく暴き、過剰に装飾した面白記事にして流布するのがこの青葉という艦娘の恐ろしいところ。憎らしいところ。

 

 娯楽の少ない鎮守府に一種のエンターテインメントを投入したと言えば聞こえはいいが、晒し者となる艦娘にとっては、たまったものではない。

 

「いやいや! でもさすがの私も本当に嫌がっている人の個人情報を記事にしたりしませんよ!? 本当ですって!」

 

「どうだか……」

 

「う、疑い深いですね~浜風さんは~。ほ、ほら、皆さんからも何とか言ってくださいよ~?」

 

 疑惑と不審の塊となっている浜風に説得しても埒が明かないので、青葉は他の第十七駆逐隊の面々に助けを求めるが……

 

「んや、信用できないね」

 

「できんな」

 

「できんね~」

 

「あ、あら~?」

 

 味方はいなかった。

 

「忘れたとは言わせないぜ~青葉さん。谷風さんが夜いびきかいて寝るってことを鎮守府中にバラしたのをさ」

 

「ギクッ」

 

「この磯風が、隠れて夜に焼き魚の調理に勤しんでいることも記事にしたな?」

 

「ギクギクッ!」

 

「提督さんのために編んだマフラーが実は何回も失敗してて、渡したのがようやくできたものって知られたときはホンマ恥ずかしかったわ~」

 

「あ、あはははは!」

 

 笑って誤魔化す青葉だったが、もはや修正の仕様がないほどに風向きが悪くなった。

 

 日頃の行いは大事ということを痛感させられる光景である。

 

「ヤハリ ココデ 消スシカ ナイ」

 

 ゴゴゴゴと背後から突き刺さるプレッシャーがますます肥大化する。

 

 

 

「そそそ、そうだ! じゃあこうしましょう! これから青葉が浜風さんの目的が達成できるよう、サポートいたします!」

 

 再び命の危機を悟った青葉は、咄嗟にそう言った。

 

「……サポート?」

 

「はい! 浜風さんは司令官に素直になれないことが悩みなんですよね?」

 

「っ!? べ、別に悩みというほどのことでは……」

 

 動揺から浜風の怒気が薄れていく。

 チャンスとばかりに青葉は一気に畳みかける。

 

「ご安心ください! この青葉がそんな浜風さんのために、情報を提供しようじゃありませんか!」

 

「情報?」

 

「はい! 何事も成功への近道は、いち早く情報をキャッチすること! すなわち、相手を知ることです!」

 

 戦においても、スポーツ競技においても、もちろん就職活動においても、情報は重要な立ち位置を占める。

 

 個人のスペックが如何に高かろうが、肝心な場面で十全な発揮ができないのでは話にならない。

 

 本番に強い人間というのは、事前に多大な準備をするもの──即ち予備知識を身に着けてきている。

 

 相手の実情を把握することこそ必勝のカギ。

 それが余裕を生み、冷静な判断力を起こさせ、ベストコンディションを引き出すことを可能にする。

 

 いつの世も、情報を集める諜報員が有益扱いされる所以(ゆえん)である。

 

「つまり青葉さんは浜風のために、スパイになるってことかいね?」

 

「そういうことです浦風さん! 青葉の諜報技術は伊達じゃありませんよ?」

 

 確かに、と駆逐艦の一同は頷いた。

 青葉の異様な情報収集能力の高さは、これまでの新聞記事で被害に遭った全員がイヤというほど知っている。

 そんな青葉ならば、浜風にとって役立つ情報を入手するなど造作もないことだろう。

 

「甘え方がわからないとおっしゃるのなら、その方法を学習すればいいんですよ!」

 

「学習って具体的にどうするんだい青葉さん?」

 

 谷風に訪ねられ、青葉はフフンと得意気に笑う。

 

「いまちょうど絶好のお手本があります!」

 

 青葉がそう言うと、何もない空間からとつじょ、いくつかの機材が出現した。

 機材の傍らには家具職人の姿をした妖精さんがいる。

 家具の模様替えの際、一瞬で配置を入れ替え一瞬で物体を出現させる能力を持つ妖精さんたちである。

 妖精さんのチカラを自在に引き出せる艦娘ならば、このように好きなときに、自由に所持品を召喚できるのだ。

 

「しばしお待ちを!」

 

 青葉が機材のダイヤルを回すと、ノイズの音に混じって、声が流れてきた。

 

 

『──皐月、次は──れを頼めるか?』

 

『うんっ! ──まっかせ──てよ!』

 

 

「これって?」

 

「司令と皐月の声だな」

 

「あの、青葉さん? これもしかして……」

 

 浦風が不安げに尋ねると、青葉はニパッと満面の笑みを浮かべる。

 

 

「はい! 現在、司令室で起きていることを、現場に送った偵察機が音声キャッチしています!」

 

「「「盗聴だぁっ!」」」

 

 十七駆の面々は呆れた。

 ここまでするかと。

 

「い、いくらなんでも、これはマズイんでねーかい?」

 

「何をおっしゃいますか谷風さん! 敵地に偵察機を送り情報収集するのは戦略の基本! 私たち艦娘がいつもやっていることじゃあないですか!」

 

 それはそうだが、この場合言いたいのは倫理的な話である。

 が、正論を説いたところで、パパラッチモードに入った青葉の耳には届きそうにもない。

 

「司令官との距離感が掴めないのなら、他の艦娘がどのように接しているのか参考にすればいいんですよ!

 いまはちょうど日替わりで多くの艦娘が秘書艦をやっている時期です! 中には甘え上手な艦娘もいることでしょう!」

 

 芸術は模倣から始まるというが、自ら解決案を探せないのならば、とりあえず他人の真似から始めてみるのも、ひとつの突破口ではある。

 そうしていくうちに、自分なりのやり方が見えてくる可能性もあり得る。

 

「しかも今回秘書艦を希望した艦娘のほとんどは、普段から司令官に好意的な感情を持っている方々ばかりです。

 きっと浜風さんでは思いつけない司令官とのコミュニケーション方法がいくつか学習できるはずで「 青 葉 サ ン 」ひっ!? や、やっぱりダメですか浜風さん?」

 

 そりゃそうだろ、と十七駆の面々は思った。

 提督を敬愛している浜風からすれば、司令室の盗聴など不敬極まる行為だ。

 危機から逃れるためにこんな提案をしたのだろうが、結局青葉は自分で自分の首を絞めてしまったようだ。

 

 とりあえず、また浜風がバーサーカー化する前に止めなければと身構える三人だったが。

 

 

 

「ありがとうございます青葉さん! あなたは天才です!」

 

 

 

 笑顔で感涙を流す浜風。

 思わず古典的にズッコケる十七駆三人組。

 

「さ、さすが浜風さん! 話がわかりますね! これからは浜風さんが報われるよう誠心誠意サポートさせていただきます! ですからどうかお命だけはご勘弁を!」

 

「もちろんです! 今後とも頼りにさせていただきます青葉さん!」

 

 熱い握手をかわす二人。

 ここにいま、ひとつの友情と盟約が結ばれた。

 

「待てぇい! おい浜風! お前ソレでいいんかい!?」

 

「止めないで谷風! 秘書艦から外されたいま、私にはもう手段を選んでいられないの!」

 

 号泣しながら浜風は豪語する。

 提督と合理的に関われる接点を失ったいま、奥手の浜風がこの先、彼に声をかける機会はますます減っていくことだろう。

 

 ならば、ちょっと倫理的に反することでも、それが希望に繋がるのなら迷いはしない。

 

「じゃないと、じゃないと……どんどん提督と距離ができちゃうんだもん!」

 

「お、おう……」

 

 ここまで切羽詰まった態度を取られると、返す言葉が見当たらなくなる。

 

「それでは皆さん! 記念すべき第一回! 

『突撃! きょうの司令室! 日替わり秘書艦でいちばん司令官と仲良しになる艦娘はだれ!?』を、お送りします!」

 

 いつのまにか司会進行役になった青葉がノリノリで実況を開始する。

 

 

 十七駆の寮部屋は、瞬く間に実況ルームと化してしまった。

 

 

 どうしてこうなった。

 そう呆然とする、浜風を除いた十七駆であった。

 

 

 

──日替わり秘書艦①皐月の場合──

 

 

 

『皐月、今度はこっちの書類を頼めるかな?』

 

『うん! まっかせてよ!』

 

 機材から皐月の弾んだ声が聞こえてくる。

 その声だけでも、太陽のように輝く笑顔が目に浮かんでくるようだった。

 

 

 

「さて、ボーイッシュでいつも元気いっぱいの睦月型五番艦の皐月さん! 彼女はこの鎮守府でも特に司令官を強くお慕いしている艦娘のお一人です!」

 

「そのようですね。ですが、この浜風のほうが何倍も何十倍も提督をお慕いしています」

 

「なに対抗してんだいお前は。ていうか、なんで青葉さんと一緒に解説役やってんだよ」

 

 谷風がツッコミをするも、華麗にスルーされ、実況は続く。

 

「今回、秘書艦変更の報を知った際、真っ先に秘書艦をやると希望されてきたのがこの皐月さん。普段から司令官のお役に立ちたいと熱望している彼女らしい行動力と言えましょう。

 いやぁ、健気ですね~」

 

「しかし、秘書艦の仕事はそう甘いものではありません。はたして皐月さんにこなせるかどうか……お手並み拝見といきましょう」

 

「何故そんな偉そうなんだお前は」

 

 磯風が呆れ顔を向けても、変わらず実況は続く。

 

 

『司令官! 次は何をすればいい? ボク司令官のためなら何でもやるよ!』

 

『そう言ってくれるのは嬉しいんだが……皐月、さっきやってくれたこの書類、間違ってるとこあるぞ?』

 

『ふぇっ!? ご、ごめん司令官! ボクまたやっちゃった!』

 

 

「おっと、皐月さん。意気込みはあるようですが、どうやらミスを繰り返してしまっているご様子」

 

「ああ、これは提督的にマイナスポイントですねー。せっかく頑張っているのにこれでは提督の信頼を失いかねませんねー。かわいそうですねー。

 ともあれ、やはり秘書艦の仕事はこの浜風が一番うまくやれるということが証明され……」

 

「浜風ぇ? あんまし意地悪なこと言っちゃいけんよぉ~?」

 

 浦風が静かに注意すると、さすがの浜風も「ご、ごめんなさい」とちょっと反省した。

 

 

『うぅ……ごめん司令官。ボク、さっきから迷惑かけてばかりだ……』

 

 

「大変です! 皐月さんが泣きだしてしまいました。司令官の足を引っ張ってしまったのが余程ショックだったんですね」

 

「しかし厳しいことを言わせていただくと、秘書艦の仕事にミスは許されません。生半可な気持ちでやると、提督の迷惑になるのは事実です……」

 

 浜風ですら完璧にこなせるようになるまで、かなりの時間を要した。

 決して遊び感覚で、できるようなものではない。

 

「膨大な仕事量。冷静な処理能力が必要とされる環境。そしてなにより提督に迷惑をかけてしまうかもしれないというプレッシャー……この辛さを乗り越えて前向きに取り組まなければ、秘書艦は務まらないのです」

 

「かぁ~っ。そんなとんでもねぇ仕事をずっと続けていたってのかい浜風!」

 

「うむ。並大抵の精神力で出来ることではないな。少し見直したぞ」

 

「浜風は努力家なんじゃね~。偉い偉い♪」

 

「ななな、なんですかアナタたち。急に掌を返して……もうっ」

 

 十七駆の仲間に直球で褒められ、浜風はプイっと赤くなった顔を逸らした。

 

「うぅ。経験者の言葉はやはり重みがありますね。皐月さん、はたしてこのまま秘書艦を続けられるのでしょうか?」

 

 全員が心配の情を、皐月に向ける。

 

 

『ぐすっ。ごめんなさい司令官。こんな役立たずな秘書艦じゃ、いらないよね?』

 

『こら皐月。そんなこと言うもんじゃない』

 

『だってイヤなんだ。司令官の足手まといになるなんて』

 

『皐月……』

 

『でもボク、どうしても司令官の役に立ちたくって……』

 

『わかってるよ』

 

『え?』

 

『皐月が一生懸命なのは充分わかってる。あんまり自分を責めるんじゃない』

 

『でも……』

 

『最初のうちから上手にできる奴なんていないさ。浜風だって、そうだったんだぞ?』

 

『あの浜風さんが!?』

 

『ああ。だから、皐月なりのペースで、ゆっくり覚えていけばいい』

 

『司令官……』

 

『それに、こんな大変な仕事をやるって言ってくれただけで、俺、充分嬉しいんだぞ?』

 

『……あっ』

 

『ありがとな。いつも、がんばってくれて』

 

『え、えへへ♪』

 

 皐月の頭をよしよしと撫でているらしいことが、機材越しでもわかった。

 

『安心しろ。わからないことがあれば、いくらでも教える。だからもうひと踏ん張り、がんばってくれるか?』

 

『うんっ! ボク、がんばるよ!』

 

 

 一同は安堵の息を吐いた。

 

「さすが司令官ですね。仕事の腕よりも、まず意気込みや気持ちを評価してくださる。そして感謝を欠かさない……彼が慕われる理由がここにありますね」

 

「まったく、あいかわらず憎いこと言うね~提督は」

 

「上官ならばもっと厳しい態度を取れとは思うが……ま、これが私たちの司令だからな」

 

「はぁ~提督さんはホンマ優しいね~♪ 惚れ惚れしてまうわ~♪ ねぇ、浜風……浜風?」

 

「ううっ……いいな。私も提督に、こんなこと言われたい……」

 

「あらら、拗ねてもうて。よしよし♪ うちが代わりに撫でちゃるけぇ」

 

 提督の思いやり深い対応に、各々が感心している中、司令室では和気藹々とした空気が続く。

 

 

『ああ、でも皐月。辛かったら素直に言ってくれていいからな? 無理させるのは、俺も心苦しいし』

 

『そ、そんなことないよ! 確かに思ってたより大変な仕事だけど、辛くなんかないよ!?』

 

『本当か?』

 

『うん! 本当だよ! ボク、いつだって元気いっぱいさ!』

 

 

 十七駆の寮部屋に、ぽわわんと和やかな空気が生まれる。

 

「はぁ~。しかし皐月さんは健気ですね~。聞いてるこっちまで微笑ましい気持ちになってしまいます」

 

「本当だね~」

 

「浜風も司令相手に素直になりたいなら、皐月のこういうところを見習ったどうだ?」

 

「あはは。磯風の言うとおりじゃね~」

 

「むっ。わ、わかってますよ。私だって、やろうと思えばこれぐらい……」

 

 

 磯風たちに煽られて、浜風がますます対抗意識を燃やしたとき。

 それは起こった。

 

 

『あのね司令官。ボク、本当に、辛くなんかないよ? だ、だって……』

 

 皐月の幼い声色に、どこか大人びた艶が混じったかと思うと……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ボク、司令官と一緒なら──辛いことも全部、嬉しいことに、なっちゃうんだもん……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一瞬の間を置き、少女たちの嬌声が室内に広がった。

 

「かわいいいいいいいいいい!! なんですかこのカワイイ生き物!? 青葉たまりませんよおおおおお!!」

 

「うおおおおおおおおお! 谷風さんもいまのにはグッと来ちまったよぉ!? 頭ナデナデしてえええ!!」

 

「う、うむ。同じ女だというのに、こう胸にクルものがあったな。皐月め、侮れん艦娘だ……」

 

「や~ん♪ うちも思わずきゅんきゅんしてもうた~♪ 浜風もそうじゃろ……って浜風?」

 

 女心さえ掴む皐月の爆弾発言に青葉たちが悶えている横で、浜風はというと……

 

 

「で、できない。わ、私じゃ、こんな可愛らしさを……表現できないっ!」

 

 

 歴然とした差を痛感し、膝をついて絶望していた。

 

 そんな浜風の胸中など、無論知りもしない提督は……

 

 

『……この、可愛い奴め! 思いきりヨシヨシしてやる!』

 

『はわわわっ!? し、司令官、くすぐったいよ~♪』

 

 

 追い打ちをかけるように、皐月とイチャイチャしだすのであった。

 

 

 

「大変じゃ~! 浜風が白目剥いてしもうた~!」

 

「こんなことで気を失うとは。やはり、まだまだ軟弱な奴よ」

 

「やれやれだね~。しょっぱなからこんな調子で大丈夫なんかね~。ねえ、青葉さんよぉ~?」

 

「あ、あはは。こ、これは思ってたよりも骨が折れそうですね……」

 

 今回の皐月のように、提督を慕う日替わりの秘書艦は、まだまだいる。

 そう、浜風の試練はまだ始まったばかりなのだ。

 はたして、浜風の精神力はこの先もつのだろうか。

 そして、提督相手に素直になれる日は、本当に訪れるのか。

 

 ……どの道、難航することは間違いないだろう。

 

 早くも、前言を撤回したいと思ってしまう、青葉であった。

 



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浜風は甘える方法を知りたい②

「浜風、話があるんだ」

 

「何ですか提督。秘書艦から外した私に、いまさら何の御用があると言うんですか?」

 

 何やら必死な形相を呈した提督に呼び止められる。

 数日ぶりに声をかけられ、思わず喜びの気持ちが湧きあがったのも束の間。

 私の気持ちも知らずに、日替わり秘書艦なんてものを始めた提督への不満から、つい素っ気ない態度を取ってしまいます。

 

 子どもっぽいですって?

 はい、駆逐艦(子ども)ですが何か?

 ちょっとのことで駄々をこねる典型的なワガママ娘。それが本来の私です。

 理不尽と自覚していても、このイライラを抑えるなんて子どもには不可能なのです。

 プイッと顔を背けてやります。

 

「ご相談があるのなら本日の秘書艦に言えばいいのでは?」

 

 そんな生意気なことを言って唇を尖らせていると……

 

「そのことなんだが。俺、気づいたんだ──やっぱり秘書艦を任せるなら浜風しかいないってことを」

 

「え?」

 

 て、提督。いまなんと?

 

「何人かの艦娘に秘書艦をやってもらって、やっとわかったんだ。俺にとって必要な存在は……浜風。お前しかいない」

 

 そう言って提督は、ぎゅっと私を抱きしめ……

 

 

 

 

 って、はええええええ!?

 

「ててててて提督!? にゃにゃにゃにを、するのでしゅか!?」

 

 突然のことで呂律が回らない!

 だって憧れの提督に抱きしめられてるんだもの! ふえええええええええ!

 

「俺も驚いているよ。まさかここまで俺の中で浜風が特別な存在だったなんて」

 

「て、提督?」

 

「だがもう自分の気持ちを誤魔化せない。浜風、ずっと俺の傍にいてくれ」

 

 ほええええええ!?

 何という夢のようなシチュエーション!

 まるで理想がそのまま現実になったみたいじゃないですか!

 

「ああ、こうしているとお前への思いが溢れてくる。もっと早くこうしていればよかった」

 

「提督っ!」

 

 そ、そんなこと言われたら……私だって自分の気持ちを抑えられなくなっちゃう!

 

「提督……私も、私も本当はっ!」

 

 あなたに思いきり甘えたいんです! というかもっと抱きしめて『イイコイイコ』してください! ふえええええ!!

 と、ずっと秘めてきた思いを打ち明けようとしたその瞬間……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どっこいしょ~! お~い浜風~いつまで寝てんだ~い!」

 

 

 谷風に布団ごと抜き取られて床に転がる私。

 

 まあ、夢オチですよね。わかってましたよ、ええ……。

 わかっちゃいましたけど、もうちょっと見せてくれたって良いではないですか。

 せめて夢の中ぐらい『あんなことやこんなこと』して甘えたって。ねえ神様?

 ていうか、おでこ痛い。

 

「ほれほれ浜風いつまでボケ~っとしてんだい。今日も青葉さんと盗聴……げふんげふん。提督に甘える方法お勉強すんだろ? ちゃちゃっと起きな~。いやぁ、こんなことに付き合ってあげる谷風さんってば本当仲間思いないい奴だよね……っていひゃひゃひゃっ! ふぁんで頬つねんだよ~!」

 

 お黙り谷風。現実はいつだって非情なのよ。

 いやホントに非情。

 

 でも浜風、めげません。しょげません。決して泣きません。

 あの夢を正夢にすべく、今日も一日頑張るぞい、です。

 

──────

 

 私以外の艦娘が秘書艦をやった場合、提督とどんなやり取りが行われるのか。

 奥手なせいでロクに提督と会話もできない私がコミュニケーション方法を学ぶため、日替わり秘書艦の様子を青葉さんと一緒に拝聴し始めてから早数日が経ちました。

 

「さあ浜風さん! 今日も張り切って司令室の様子を調査しましょう!」

 

 あれから宣言通り、律儀に私を手助けしてくれる青葉さん。

 ちなみに同室の三人は素っ気ないことに、いろいろ理由を付けて席を外すようになりました。

 浦風はやはり盗み聞きすることに負い目があったのか「ほどほどになぁ~?」と苦笑を浮かべて退室。

 磯風はすぐに興味が薄れたらしく「私よりも強い奴に会いに行く」といつものように出撃&演習へ。

 谷風は頬をつねったのが癪に障ったのか「てやんでぃ! もう付き合いきれっかこのツンデレェ!」と逆ギレして遊びに行きました。

 

 まったく、冷たい姉妹たちですね。人がこんなにも思い悩んでいるというのに。

 ふんだ。当分の間クッキー焼いてあげません。

 

「さて、どうですか浜風さん。これまでのケースで参考にできそうなものはありましたか?」

 

「そうですね……」

 

 日替わり秘書艦の様子を観察して判明したのは、やはり艦娘によって提督が見せる顔は様々だということでした。

 私が秘書艦をやっていたら決して見られなかっただろう提督の一面を、この数日でいくつも確認できました。

 

 提督のこと、いろいろ知れて嬉しいです。えへへ♪

 

 ……しかし、提督といま以上に親密になる方法を探るという肝心な目的を考えると、

 

「正直、最初の皐月さん以降ない気がしますね」

 

 皐月さんの素直なところや純粋な愛らしさは、捻くれ者な私にとって、たいへん参考になるものでした。

 けれど、どうやらあれはレアケースだったようです。

 

「まさか、秘書艦をしっかりやる艦娘がここまでいないとは思いませんでしたよ……」

 

 皐月さんの後に秘書艦を務めた艦娘ときたら、それはもうヒドイものでした。

 たとえば……

 

 

──日替わり秘書艦②金剛の場合──

 

 

『HEY! 提督ゥ! やっと二人きりになれたネー! サァ! この機会に心置きなく私と愛を育むデース♡』

 

『いや、秘書艦の仕事してくれないかな?』

 

『もちろんデース! でもその前にお互いのLOVEをあつぅく確かめ合うヨー♡ 提督ぅ! バーニングラアアアァッ……』

 

『不知火』

 

『はっ。お傍に』

 

『退場』

 

『御意』

 

『Nooooo!! 提督のイケズゥゥ! ってOhッ!? ヌ、ヌイヌイ! 相変わらず駆逐艦とは思えないこのPowerはいったいどこからっ……』

 

 金剛は秘書艦よりも提督とイチャイチャすることを優先したので即解雇。まあ当然ですね。よこしまな理由で秘書艦をやろうとするなど言語道断です。

 

 確かにこれはこれで提督とスキンシップを取るための方法のひとつなのでしょうが、しかし私は提督に迷惑をかけたくはありません。

 私の理想はしっかりと執務をこなしつつ、同時に和やかな空気を提督との間に作り出すことなのです。

 そういう意味では金剛の行動はNGです。そもそも私には絶対あんな真似できませんけど。

 

 私にとって金剛は前世のことが相まって思い入れ深い艦娘ではありますが、提督のお仕事を邪魔するのであれば、向ける慈悲などありません。

 というか秘書艦を口実に提督とイチャつこうとしてんじゃねーです。羨ましい。

 

 なにはともあれ不知火姉さんグッジョブです。

 さすがは我が鎮守府『影の実力者』『提督の番犬』と恐れられる艦娘。迅速な実行力と提督への厚き忠義心に浜風、感服致しました。陽炎型駆逐艦の誇りです。

 

 え? どうして戦艦の金剛が駆逐艦の不知火姉さんに押し負けているかですって?

 

 ……不知火姉さんに勝てる艦娘っているんですか?

 

 

 

 

 

 

 まあ、こんな具合に真面目に秘書艦をやろうとする艦娘は思いのほか少なく……

 

 

──日替わり秘書艦③鈴谷の場合──

 

 

『ね~提督~。鈴谷ちょ~っち遊びに行きたいなぁ、なんて♪』

 

『はい、次この書類な』

 

『ぶぅ~。つれないなぁ』

 

『あのなぁ。お前から秘書艦やるって言ったんだから真面目にやってくれ』

 

『たまには息抜きしたって良くな~い? 最近いい感じな喫茶店が街にできたんだよ~? ね、鈴谷と一緒に行こうよ~♪』

 

『仕・事・し・ろ』

 

『ちぇっ。はいは~い。……もう、せっかく二人きりなのに、ちょっとくらい意識してくれたって……』

 

『ん? 何だよ。愚痴ならハッキリ言え』

 

『っ!? い、言えないし! もう提督の鈍感!』

 

 

 

 

 ……けっ!

 何ですか何ですか、揃いも揃って浮ついちゃって! けっ!

 

 まあ鈴谷さんのようにフレンドリーな軽さは私にとっては特に必要なものかも、とは一瞬でも思いましたが……何だか悔しいから参考にしません!

 

 ともかく、秘書艦の仕事は提督とイチャつくための時間じゃないんですよ! まったくもって、けしからんです。

 挙句の果ては、こんな艦娘までいるぐらいです!

 

 

──日替わり秘書艦④ポーラの場合──

 

 

『てーとくぅ~♪ 疲れたカラダにはこの一杯が効くんですよ~♪ ほらほらグイっとどうぞ~♪』

 

『いやポーラ、仕事中だから』

 

『うぃひっひっひっ♪ お堅い発言は、聞こえない~♪ ていうか暑い~服が邪魔~♪』

 

『ザラあああぁ! この酒乱なんとかしてくれ~!』

 

 もはや論外。

 

 

 

 

 

「知ってはいましたけど、うちの鎮守府って自由人というか問題児が多いですよね青葉さん」

 

「何でこっちジッと見て言うんですか浜風さん」

 

「とにかく、私としてはもうちょっと模範的な意味で参考になるような甘え方を知りたいんですよ」

 

「真面目な浜風さんらしいですね」

 

 当然です。

 提督の信頼を得るためにも、いかなることであれ堅実な姿勢で臨まなければ。

 そうして初めて、提督からお褒めの言葉を頂戴できるのです。「浜風は本当にイイコだな」と頭ナデナデしてもらえる筈なのです。撫でられたいなぁ、早く。

 

「しかし、このままでは提督が気の毒です。よもや、ここまでマトモに秘書艦をこなせる艦娘がいないとは」

 

「まあ、ほとんどが不純な動機で希望されているようですからね」

 

「やはり真に秘書艦にふさわしいのはこの浜風ということですかね。ええ、きっとそうです。いまこそ司令室に突撃し、名誉挽回する絶好の機会……」

 

「あ、でも今回の秘書艦は心配ないと思いますよ?」

 

「あ゛っ?」

 

「ひっ!? 何で威圧するんですか!? 本来の目的を忘れないでくださいよ浜風さん!?」

 

「失礼。で、本日の秘書艦はどなたですか?」

 

 

──日替わり秘書艦⑤加賀の場合──

 

 

「加賀さんですか。まあ彼女なら確かにキッチリ仕事をこなすでしょうけど……」

 

「でも甘える方法を参考にする上では一番参考にならない人ですよねー」

 

 空母におけるカリスマ的存在、加賀さん。

 鎮守府古参メンバーの一人でもある彼女は、一航戦の名に恥じない活躍ぶりを見せ、いくつもの武勲を立ててきた歴戦の実力者です。

 提督も彼女には特に厚い信頼を置いているようで、重要な作戦時には必ずと言って良いほど彼女を起用しています。

 

 しかし、加賀さん本人は実に冷ややかで淡白な方です。

 感情的になった瞬間はおろか、笑ったところさえ見たことがありません。

 彼女が内心でいったい何を考えているのか、いまでもわかりません。

 

 

『提督。ここはコレでいいかしら?』

 

『うん、問題ないよ。さすが加賀さん。一航戦は書類仕事も優秀だね』

 

『当然よ。他の艦娘と一緒にしないでちょうだい』

 

『す、すみません』

 

 

 司令室に送られた青葉さんの偵察機が、現場の様子を音声で拾って私たちに報せてくれる。

 そこで行われているのは、やはり仲睦まじいとは言い難いやり取りでした。

 

「う~ん。やっぱり加賀さんは素っ気ないですね~。浜風さん、今日ばかりは多分、参考になるような交流は確認できないと思いますよ?」

 

「そのようですね……」

 

 正直言うと、クールで無愛想な加賀さんにはシンパシーを感じるところがあったので、私でも実現可能なスキンシップをやってくれるのではないかと内心期待していたのですが……

 やはり誇り高い一航戦ともなると、たとえ提督相手でも簡単に心を許さないのかもしれませんね。

 

 などと考えた矢先のことです。

 

 

『……ところで加賀さん』

 

『何かしら?』

 

『仕事を手伝ってくれるのは大変嬉しいんだけど……』

 

『何かご不満でもあって?』

 

『不満というか、その……』

 

 

 

「おや? 何やら司令官の様子がおかしいですよ?」

 

「むむ? 本当ですね。何事でしょうか」

 

 提督のこの声色のパターンからして……これは余程「気まずいなぁ」と思ったときの状態ですね。浜風は詳しいんです。

 たぶんいまの提督、胃をキリキリと痛められていることでしょう。お可哀そうに。あとで胃薬持って行ってあげなくっちゃ。

 

 しかし、いったい加賀さんの間で何が……

 よもや、そこまで神経を張り詰めるほど、現場では険悪な雰囲気ができているのでしょうか。

 

『別に大きなミスは犯していないけれど?』

 

『うん。それはそうなんだけど。でもさ……』

 

 提督は一度コホンと咳払いをして。

 

 

 

『──俺の膝に座る必要ある?』

 

 

 

 天地がひっくり返りそうな衝撃発言を投下しやがりました。

 

 ……ってええええええ!?

 お膝!?

 あの加賀さんが提督のお膝に座ってるって言うんですか!?

 

「うっそぉおおお!? あの超クールビューティーな加賀さんがああ!? あの超セクシーダイナマイツボディの持ち主である加賀さんが司令官のお膝にぃぃ!?」

 

 これには青葉さんも素でビックリ。

 

 

 

『何か問題でも? このほうが仕事を手取り足取り教えてもらう上でも効率がいいと思うのだけど』

 

 いやいや! それは流石にないですよ加賀さん!

 

『あの、何というか絵面的に問題があるというか……』

 

 そのとおおおりですよ提督!

 さあ加賀さん! 早くそこから退きなさい! そのお膝は私の指定席(予定)です!

 

『んっ……提督、あまり、首元に息を吹きかけないで』

 

 何ですかその異様に色っぽい声は。女の私までドキっとしちゃったんですけど。

 

『か、加賀さん。やっぱり降りてくれ。これは、いろいろとマズイ……』

 

『マズイ、とはどういう意味なのかしら』

 

『え?』

 

『それはつまり……』

 

 加賀さんの声は、ますます艶を増す。それはまるで……

 

 

『私を、女として意識してくれている──ということですか?』

 

 

 普段の冷ややかさなんて微塵もない。乙女、そのものでした。

 

 

『提督。どうなの?』

 

『加賀、さん……』

 

『あなたにとって私は、いまでもただの艦娘の一人に過ぎないのかしら?』

 

 こちらの心臓まで早鐘を打つような、加賀さんの切なげな問いかけ。

 それを間近で向けられている提督は、いったい、どんな反応を……

 

 

 

 

 

 

『……すまん加賀さん! ちょっとお手洗い行ってくる!』

 

『きゃっ!』

 

『すぐ戻るから! 頼んだところ進めておいてくれ!』

 

 どうやら提督は無理やり加賀さんを膝から退かし、慌てて司令室から抜け出したようです。

 

 シンと静まり返る司令室。

 しばらくすると、加賀さんの呆れの溜め息が聞こえてきました。

 次いで、コテンと机に額を乗せたような音がしたかと思うと、

 

 

『……意気地なし』

 

 

 少女のように拗ねる呟きが、虚しく室内に響きました。

 

 

 

「い、意外でしたね。まさかあの加賀さんまで司令官にあんな大胆なアプローチを仕掛けるだなんて」

 

「……」

 

 そう。

 加賀さんでさえ、あんな風に提督に甘えることができるんだ。

 駆逐艦の私なんかよりも、ずっと素直に、直球に。

 

「でもこれは思わぬ収穫でしたね浜風さん! 浜風さんと似たり寄ったりなタイプの加賀さんのあのアプローチは、ぜひ参考にすべきですよ!」

 

 青葉さんの言う通りだ。

 不意な出来事ではあったが、私にとってベストな解答が今回のことで見つけられたように思う。

 効率重視と称して、提督のお膝に座る。

 少なくとも空母の加賀さんより、幼い駆逐艦である私がやったほうが違和感はない甘え方だ。

 

 イメージしてみよう。

 あの人の膝に乗る、その瞬間を……

 

 イメージ、して……

 

 

 あれ? おかしいな……

 

 

「さてこの調子でどんどん加賀さんを観察していきましょう! いやぁ、これは大スクープになりますよぉ!」

 

 青葉さんの声が遠い。

 

 頭の中に、何も浮かんでこない。

 

 いつも夢に思い描いていた光景が……うまく、出てこない。

 

 

 

 何、この気持ち?

 これまでの秘書艦たちが提督と交わしたやり取りを思い返すたび、胸が締め付けられそうになる。

 

 何、これ?

 すごく、すごくイヤな気持ち。

 どうして、こんなに、胸が苦しいの?

 

 提督。

 私、本当は……

 

 

 

 

 

 

「さあ浜風さん! 司令官に甘えるという夢を実現するためにもこの調子でがんば……」

 

「すみません青葉さん。もう、結構です」

 

「え?」

 

 チカラなく立ち上がって、部屋を出る。

 

「ちょ、ちょっと! どうしちゃったんですか浜風さん!? 日替わり秘書艦の様子を観察しなくていいんですか!?」

 

「はい。いいんです、もう……」

 

 だって、はっきりわかってしまったから。

 

 

 

「私じゃ、やっぱり──皆さんと同じことは、できないみたいです」

 

 

 

 提督に素直になる。

 そんな皆が当たり前にできることが、私には……。

 

「ワガママに付き合わせてすみませんでした、青葉さん。それでは……」

 

「あっ! 浜風さん!」

 

 引き留める声も聞かず、私は走りだしました。

 どこかへ向かっているわけではありません。

 

 ただ、一人になりたい。

 

「……」

 

 何やってるんだろ私。

 自分のことばっかり考えて、皆を振り回して、それで迷惑かけて。

 

 その結果、出た答えが何?

 

 

 私は結局──想像の中ですら提督に甘えることができない、ただの臆病者じゃないか。

 

 

 何が甘える方法を参考にするだ。

 そんな方法、皐月さんの時点で見つかっていたじゃないか。

 でも、できないって決めつけてスルーした。

 

 つまり、そういうことだ。

 

 いくら良い方法が見つかっても、私はそれを実行する勇気がない。

 もし提督に拒まれたら、どうしよう。一度でもそう考えた途端、及び腰になってしまう。

 だから、結局なにも変わらない。

 

 こんなことでは、いくら日替わり秘書艦の様子を観察しても、同じことだ。

 

「うっ、ぐすっ……」

 

 それに、他人のモノマネで甘えたって、そんなの本当の私じゃない。

 私は、本当の自分をあの人に知ってほしいんだから。

 

 だけど……

 

「怖い。怖いよぉ……」

 

 知ってほしいのに。わかってほしいのに。

 

 本当の自分を見せることが、すごく怖い。

 

 提督に……あの人に、呆れられたくない。

 

 いまの関係を壊すことが、とても、とても怖い。

 

「提督……提督ぅ……」

 

 苦しい。

 皆ができて、自分にはできない。

 それが、すごく苦しい。

 悔しくて、情けなくて。

 

 でもそれ以上に……

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐしゅっ。よく考えたら私以外の秘書艦の様子を観察とか……ただの罰ゲームじゃないですか~!」

 

 

 うわーん!

 

 もう何日も提督と会ってないよぉ! お話しできてないよぉ!

 

 寂しいよぉ!

 

 提督に会いたいよぉおおお!

 



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浜風は雨に打たれたい

「ふう……」

 

 用足しを終えて、提督は廊下の窓辺でひと息吐く。

 

 張り詰めていた神経が緩んだ途端、この日まで蓄積していた疲労がドッと押し寄せてきた。

 

(思い切って『日替わり秘書艦』を始めてはみたのはいいが……まさかここまで苦労する羽目になるとは)

 

 初日の皐月はまことに模範的だったらしい。その後の秘書艦はとにかく目も当てられない。

 

 個性的な艦娘たちに細かな作業を教えるのは、それなりに骨が折れるだろうと覚悟はしていたが、よもやここまでマトモに秘書艦をこなしてくれる者がいないとは。

 絶対の信頼を置いていた加賀でさえ、いきなり膝に座ってくるような突拍子も無いことをしてくる始末だ。

 

 ……もっとも、加賀は以前から意図の読めない行動を仕掛けてくることが多々あったわけだが。

 

 さり気なく近づいてはキュッと服の袖を掴んだり、好物のアイスを無言で提督の口元に差し向けたり、仮眠から目覚めると至近距離で見つめられていた等、いろいろ心臓に悪いことをしてくる。

 

 古参兵である加賀とはこれまでずっと苦境を乗り越えてきた仲だ。

 お互い不器用なりに支え合い、ときには励まし合って、栄光の勝利を掴んできた実績がある。

 少なくとも気心知れた関係だと思っている。

 

 それでも今回のことを含め、たまに彼女の考えを理解できないことがある。

 なにせ感情が表に出ないため、彼女が内心で何を思ってあのようなことしてくるのか、判断しにくいのだ。

 ただでさえ、こちらは感情の機微を計ることが苦手な身。

 できればもっと言葉にして伝えて欲しいのだが……それとも単に乙女心への理解が不足しているだけなのだろうか。鈴谷にもよく鈍感と言われるし。

 

 しかし提督とて、あれだけ露骨な行為をされれば普通に甘酸っぱいイメージを膨らます。

 ついつい都合のいい期待をし、胸を弾ませてしまうことだって避けられない。

 それが加賀ほどのスタイル抜群の美女ともなれば尚更だ。

 

 ……が、憲兵所属の妖精さん的には、加賀ですらアウトの範疇らしい。

 

 加賀さんほどの大人びた女性ならさすがにセーフなんじゃね? と思っていた提督だったが、どこまでも奴は容赦がなかった(そもそも彼女の目的は艦娘の身を守ることなので例外はまずないわけだが)。

 

 加賀の豊満なヒップを直に──それも最も危険なポジションで──受け止め、尚且(なおか)(かぐ)しい女性の香りを間近で嗅いでいた提督の心境は、健全なる男児ならば問うまでもなく理解していただけることだろう。

 

 

 ──敢えて言おう。暴発寸前だったと。

 

 

 よくぞ耐えてくれた。と己の精神力に誇らしさを感じつつも、先行きのことを考えると瞬く間にブルーな気分になってしまう提督。

 

 はたして平常心で仕事を教えられるような無害な艦娘が、後どれだけいることだろうか。

 

 こうなってくると、やはり浜風は秘書艦として優秀だったと実感する。

 特定の艦娘を贔屓にするのは、あまり良くないとは思うが、いまとなっては浜風のあの付かず離れずの絶妙な距離感が恋しくなる。

 憲兵妖精の監視に怯える意味では浜風も要警戒の対象ではあったが、他の艦娘と比べて過剰にスキンシップを取ってこない分、まだまだ良心的であった。

 

 かと言って、また浜風ばかりに秘書艦を押し付けるようでは本末転倒だ。

 今回のことは浜風の慰労も含めているのだから。

 

 さて、加賀以上に感情の読めないかの駆逐艦は、久方ぶりの自由時間を満喫しているだろうか。

 こんなときぐらい肩ひじを張らず親しい仲間たちと有意義に過ごして欲しいものだが。

 普段の働きぶりを慮ってそう労いの気持ちをいだいていると、目先の窓にポツポツといくつもの滴が張り付いていることに気づいた。

 

「雨か」

 

 今朝から薄暗い曇天雲だとは思っていたが、瞬く間に本降りの悪天候となった。

 さすがの時雨も「いい雨だね」とは言わないだろう、そんな滝のような豪雨である。

 

 

 

 

 自然の風景とは、ときに印象深い思い出を呼び起こす。

 

(そういえば浜風が着任した日も、こんな雨だったな)

 

 あのときのことは、よく覚えている。

 

 着任したての艦娘の中には、軍艦の姿から人の身を得たことで、戸惑う者が何人かいる。

 中には過去のトラウマから錯乱する娘も珍しくはない。

 そのたびに提督は彼女たちの心を落ち着かせるべく、あの手この手を尽くして彼女たちに歩み寄ろうと努めるのだ。

 

 艦娘は人類にとって希望の存在。彼女たちが戦場に立たなければ、人類に生存の道はない。

 そんな彼女たちのメンタルケアは、すべての提督が背負うべき義務である。

 

 ……しかし浜風との出会いは、さすがの提督も「どう接するべきか……」と戸惑いを起こさせるものだった。

 

『駆逐艦、浜風です。これより貴艦隊所属となります』

 

 着任当初の浜風は、いま以上に情緒が欠けていた。

 目に光はなく、口にする言葉もどこか機械的で、一切の感情も伺えなかった。

 命令には忠実だが、そこには自己らしきものはなく、ただ与えられた指示に従うロボットのようだった。

 提督の目には、それがひどく悲しく映った。

 

 浜風本人がそれで良しとするならば、余計なことを口出しするつもりはなかった。

 艦娘の中には、人間の身勝手な価値観を押し付けるほうが、却って悪影響を及ぼす場合もある。

 実際、提督が浜風に対していだく憐れみは、個人的感傷も過ぎる押しつけがましいものだったに違いない。

 

 ……しかし、そうだとしても、他の艦娘たちが感情豊かに第二の人生を楽しげに過ごしている姿を見てしまうと、浜風にも同じように生きて欲しいと考えてしまうのだった。

 理解できなくとも構わない。だが、せめて戦い以外の生き方も知って欲しいと。

 

 暇さえあれば、提督は浜風を街に連れ出した。

 鈴谷のアドバイスに従って、女子が喜ぶであろう洋服店やアクセサリー店に足を運んだが……浜風はほとんど無反応だった。唯一関心らしきものを示したのは、洋菓子ぐらいだった。

 

 その後も何かとお節介を焼いたが、そのほとんどが徒労に終わることとなった。

 やはり、浜風に人間らしい生き方は不要なのかと、一瞬でも思った。

 

 しかし、浦風たちが着任すると、それが間違いだったことが分かった。

 

 親しい仲間と再会を果たした浜風は、徐々に人間らしい反応を見せてくれるようになった。

 結局、提督が何かをするまでも、なかったのだろう。

 仲間内だけではあるが、微笑を浮かべたり、ムキになったり、ふざけ合っている浜風の姿を見て、心底ほっとしたものである。

 

 

 

 ……いまだに提督である自分に心を許してくれていないのは、残念ではあるが。

 

 

 

 

 

 

「ん?」

 

 窓の外に奇妙な人影が横切ったことで、回想に耽っていた意識を現在に引き戻す。

 

 見間違いか。

 こんな雨の中を傘も差さず全力疾走している艦娘がいる。

 

「あれは……浜風?」

 

 ちょうど考え事の対象だった当人が通りがかるとは、妙な偶然もあるものだ。

 

 遠目からだとハッキリしないが、銀髪のボブヘアーに十七駆のセーラー服から見て、きっと浜風だろう。

 なにより、あの小柄な体型でありながら走るたびに盛大に揺れる巨大な膨らみから見て、やはり浜風……

 

 どこ見て判断しとんじゃワレェ、と憲兵妖精さんに睨まれる。

 毎度お勤めご苦労様ですと提督は恭しく頭を下げた。

 

 さて、お約束はともかくとして……

 

「浜風の奴、いったいどうしたんだ?」

 

 気のせいか、泣いているように見えた。

 あのクールな浜風がだ。

 それも幼児のように「びえええん!」と。

 

──────

 

 

 

 

 

 

 びえええん!

 もう頭の中グチャグチャですよ~!

 

 提督に甘えたい。

 ただそれだけなのに、何故ここまで事態が複雑になってしまったのか!

 自分でも、もう何がしたいのか、わけがわかりません。

 わからないので、とりあえず走っています。

 雨が降ってきましたが、知ったこっちゃねーです。熱した頭を冷ますには、ちょうどいいぐらいです。

 

「うぅ……ぐすっ」

 

 惨めです。

 少し勇気を出して、素直になれば、それだけで簡単に願いは叶うのに。

 そんな度胸も自分にはないのです。

 

 こんな情けない私なんて、雨でずぶ濡れになるのがお似合いです!

 

 ……でも少し、冷たい(ちびたい)

 

「きゃうん!」

 

 しかも転んだ。おでこ痛い。

 胸がクッション代わりにならなければ即死でした。

 

「ひぐっ……うぐぅ」

 

 ケガをしたわけじゃないのに、立ち上がれない。

 カラダではなく、他のところが痛いあまりに。

 

「提督……ぐすっ。提督ぅ」

 

 まるで親鳥を求める雛鳥のように泣きだしてしまう。

 ……いえ、生まれが特殊な私たち艦娘にとって、提督は父親のような存在と言っても過言ではないでしょう。

 人間の娘が親に甘えるように、私が提督に甘えたいと思うのは、そう考えると自然なことなのかもしれません。

 

 

 

 でも、いつからだろう。

 こんなにも、あの人の温もりを求めるようになったのは。

 

 濡れた顔を上げる。

 ちょうど雨水が溜まってできた水面に、私の泣き顔が映っている。

 

 いつからだろう。

 私にも、こんな顔ができるようになったのは。

 感情というものを知らなかった、私が。

 

 

 

 

 

 

 

 着任したばかりの頃の私は、感情のない人形も同然でした。

 戦うことしか知らない、生きた兵器。

 そんな私に感情を教えてくれたのが提督でした。

 

 彼はたびたび私を気にかけて、声をかけてくださいました。

 でも、命令以外のことを言われても私は困惑するだけでした。

 街に連れて行ってもらって、お洋服や装飾を勧められたりしても、どう反応すればいいのかわかりませんでした。

 

 そんな私に、提督は言いました。

 

『理解できなくてもいい。……ただ、俺たちはこの人々の暮らしを守るために戦っている。それだけは、胸に留めておいてくれないか?』

 

 心のない人形は、そう言われ街を見回しました。

 

 深海棲艦に生存を脅かされている。そんな恐ろしい現実が嘘のように、街は人々の笑顔で満ち溢れていました。

 それは、戦場しか知らなかった私にとって、未知の光景でした。

 

 だけど……

 かつての自分も、この平和を守るために戦っていた筈なのです。

 でも、いつのまにか、勝つこと、相手を倒すことしか頭になくて。

 そもそもの目的が、いつのまにか抜け落ちていたのです。

 

 一番、大切なこと。

 一番、したかったこと。

 一番、忘れてはならなかったこと。

 

 

 

 

 

 それからかも、しれません。

 人間の心を、もっと深く理解したいと思ったのは。

 人の身だからこそ、理解できることがもっとあるのではないかと、そう考えるようになったのです。

 

 だからこそ。

 

『浜風、久しぶりじゃね。ふふ♪ ええね。こうやって、口と口でお話しできるの』

 

 浦風と再会したとき、微笑みを浮かべることができた。

 

『よぉ浜風~! なんだいなんだい、艦娘になっても無愛想な感じだね~。ん? ははは、そんなむくれんなよ~。まっ、とにかく! また、よろしくな!』

 

 谷風のからかいにも、カッとなって反応を返せた。

 

『浜風、またお前と共に戦えること、嬉しく思うぞ。……ん? おいおい、泣く奴があるか。ふっ、まったく、相変わらず泣き虫な妹め』

 

 磯風の胸の中で、泣くことができた。

 

 感情を知れたからこそ、掛け替えのない仲間たちと一緒に、和気藹々と日常を楽しめるようになった。

 あの街の人々のように。

 

 ……いえ、きっと私は、怖くて感情を封じ込めていただけだったのでしょう。

 もし感情をいだいてしまったら、きっと否応なしに昔のことを思い出してしまうから。

 辛くて、悲しい過去を。

 

 守りたいものがあった。

 沈めたくない人たちがいた。

 失いたくない仲間がいた。

 一人きりになることが、嫌だった。

 あんな思いは、もう二度としたくない。だから心を閉ざしたのです。

 

 

 

 でも、提督が教えてくれました。

 彼は知っていたのです。

 何も感じられなくなる。そのほうが、ずっと辛いということを。

 感情があって始めて、幸せを感じることができるのだと。

 いまなら、それが理解できます。

 

 心を持てたこと。感動を知れたこと。それを私は嬉しく思っています。

 

 

 

 でも……まだ、わからないこともあります。

 どうしても、扱いきれない感情があるのです。

 喜びとか、怒りとか、悲しみとも違う。いろんなものが、ごちゃ混ぜになったような。

 

 その感情は、提督を見るたびに膨れ上がります。

 ケガをしていないのに、胸が熱くなって、苦しくなって、切なくなる。

 今日まで何度も何度も味わってきた痛み。

 これは、いったい何?

 わからない。

 だから、提督のお傍にいれば、それがわかるかもしれないと思いました。

 他の駆逐艦みたいに、彼に甘えてみれば、この感情の正体がわかるかもしれないと。

 

 なのに……いまは、この気持ちをいだいていることが、とても辛い。

 

「提督……」

 

 教えてください、提督。

 この気持ちは何なんですか?

 私は、いったいどうすればいいのですか?

 

 まるで私の意思とは無関係に、成長を続ける謎の感情。

 それは、もう抑えきれないほどに膨れ上がっている。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 胸が締め付けられてしまいそう。

 こんな感情、いったいどう制御すればいいのか。その術もわからない。

 

 怖い。

 自分の感情なのに、とても怖い。

 一人じゃ抱えきれない。

 

「提督、助けて……」

 

 助けを求めたところで、当然届く筈がない。

 

 寂しい。冷たい。

 まるで、あの暗い海の底にいるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いっそ、捨ててしまおうか。

 こんなにも辛いなら、心なんて捨てて、また感情のない人形に戻ってしまおうか。

 そうすれば、もうこんな惨めな思いなんて、しなくて済む。

 

 だから……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「浜風!」

 

 え?

 

 雨に濡れたカラダを、抱き起こされる。

 一度、頭を撫でてもらった、大きな手で。

 ずっと求めている、暖かなその手で。

 

 抱き起された視線の先に、私の会いたい人がいた。

 

「提、督……」

 

「何をやってるんだ! こんな雨の中で!」

 

 バカな真似をしている私をそう叱咤してから、彼はすぐに心配げな顔を作る。

 

「どこかケガしたのか? 痛いところとか、ないか?」

 

 痛いところ。

 はい、ありました。さっきまでは。

 あんなに痛かったのに……でも。

 

 

 

 いまは嘘のように引いている。

 それどころか……とても、暖かく、心地がいい。

 

「いろいろ聞きたいことあるけど、とにかく中に入ろう。そのままじゃ風邪をひいて……ぶっ!? と、とりあえず歩けるよな?」

 

「はい……」

 

 夢見心地で頷く。なぜか目を逸らす提督の手に曳かれて立ち上がる。

 掌に満ちる、確かな温もり。

 それを感じているだけで、私の心は呆気ないほどに、安らぎを取り戻した。

 

 ああ、提督です。

 

 本当に、久しぶりに見られた提督の顔。久しぶりに聞けた提督の声。

 

 それを直に感じられるだけで、浜風はもう、もう……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう絶好調です~~♪

 ふにゃあああああ♪ 提督とお手々つないじゃいました~♪

 嬉しいよぉおお!

 というかさっきは抱き起されちゃいました~! はわわわわ~♪ 恥ずかしいです~! でも嬉しいぃぃい!

 ああ、それにしても久しぶりのためか提督の顔がいつも以上に凛々しく見えます♪

 というか提督! もっと浜風のこと見てくださいよ! 何でお目々逸らしちゃうんですか~?

 あ、でも一緒にいられるだけでも浜風は幸せです♪ うふふふ~♪

 

 

 

 

 我ながら本当にほんっと~に現金だとは思いますが……浜風は駆逐艦(子ども)ですから、こんな風に気分によって心変わりするのは普通のことなのです! しょうがないのです!

 

 えへへ♪ 提督のお手々あたたか~い♪

 

──────

 

 様子のおかしい浜風から聞き出したいことは、いろいろとある。

 だがその前に、提督はあるひとつの試練を乗り越えなければならなかった。

 

 浜風は現在、びしょ濡れである。

 身に着けているのは、ただでさえ透けやすい白色のセーラー服。

 即ち、あの凶悪な胸部装甲がスケスケなのだ。

 しかも……

 

(浜風……なぜブラをしていないいいいいい!)

 

 艦娘の中には「胸が締め付けられるからヤダ」という理由でいまだにブラジャーを付けない者がいる。

 案件が案件なので、羞恥心も合わさって強く言うのは控えてきたのだが……やはりしっかりとブラの着用は義務付けるべきだったようだ

 

 一瞬チラっと見てしまった、ふたつの桃色の突起物。

 健全な男児ならば、しばらくはアレのネタに困らないぜと舞い上がるほどに素晴らしい光景だったが……この提督はそれを即座に記憶から抹消せねばならない。

 肩に乗っかかった憲兵妖精さんが「相手は駆逐艦やで? わかっとるな?」と警告を発しているからだ。

 

 決して後ろを振り向いてはならない!

 鋼の理性で込み上がるオスの本能と戦いながら、提督は険しい顔で浜風の手を曳くのであった。

 

 

 落ち着いて話を聞くのは、まず浜風を風呂に行かせてからになりそうだ。

 







本能「次回で浜風ちゃんの入浴シーンねっちり書いたろ!(ゲス顔)」
理性「そんなことに時間を割くぐらいなら、さっさと本筋を進めるべきではないかね?(賢者顔)」

現在こんな具合に葛藤中。


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浜風は感じたい

 浜風は提督に勧められたとおり、まっすぐに大浴場の脱衣場に向かった。

 滝のような雨に打たれたその身は、海中に落ちたときと同じくらいに水浸しとなっている。

 いまさらになって、ズブ濡れになった姿を尊敬する相手に見られたことに、羞恥心が湧き起こってくる。

 

 普通ならば、透けた服越しに肌を見られたことを恥ずかしがっていると、誰もが思うだろう。

 しかし、以前に大破状態のまま──即ち半裸で提督に頭を下げに行くような浜風に、そういった恥じらいの気持ちは薄かった。

 いつものように凛々しい姿とは真逆の、情けない恰好を見せてしまったことのほうが、浜風にとっては恥であった。

 透けた白い衣服越しに、裸の乳房を見られることよりも。

 

 色事に疎いその天然ぶりは、浜風の精神面が駆逐艦相応に幼いことを如実に表していると言えた。

 

 もっとも。

 いまの浜風の姿を拝めば、やはり彼女が駆逐艦という事実を忘れてしまうだろう。

 

 

 雨で濡れた衣服は、浜風の凹凸の激しいカラダにピッチリと張りついている。

 低い背丈に反して暴力的に発育した肢体の輪郭が、おかげでくっきりと浮き出てしまっている。

 同性が嫉妬で狂いかねない、しかしその同性すら唾を飲みかねないほど、扇情的な黄金比をたもったスタイル。

 

 水気を多量に含んで少し重めになった衣服に難儀しながら、浜風が一枚いちまい脱いでいく。

 奇跡のように整った、艶めかしく生白い裸体が明るみにさらされる。

 

 いったい、誰が想像できようか。

 彼女が憧れの存在に日々甘えたがっている、幼子(おさなご)だということを。

 

 わずかに身動きするだけで波打つ巨大な膨らみ。

 強烈なまでに『女』を意識させる、細いくびれと、腰回りの肉付き。

 もはやオスを充分に受け入れられる、成熟した肉体がそこにはあった。

 

 肉欲を煽ってやまないそのカラダは、しかし不思議と品がないとは思わせない。

 浜風が纏う清流のごとき雰囲気が、媚薬染みた印象を瞬く間に、神聖的なものへと変質させてしまうのだ。

 

 あたかも王宮に飾られる裸婦画のごとく、その姿は触れ難く、そして尊い。

 生白い素肌に光の粒子が集まっていると錯覚するほど、浜風の裸体は、途方もなく魅惑的であり、美しかった。

 

「んっ……はぁ……」

 

 湯船に浸かり、ゆっくりと息を吐く。

 温かな湯の心地よさで、頬に赤味が差し、海原のように青い瞳にほんのりと熱が籠もる。

 そんな自然な反応にすら、幼子のものではない色香が滲んでいる。

 

 浜風と偶然に入浴を共にした駆逐艦たちが、彼女を『大人びた淑女』として憧れの眼差しを向けるのも、無理からぬと言えた。

 

 やはり浜風は、駆逐艦としてはあまりにも──(メス)としての(いろ)が、濃すぎるのである。

 

 

 ただ、それは、あくまでも外見の話。

 

 いま湯船に浸かりながら目を閉じている浜風の内情はというと……

 

 

 

 

 

 

 

 

(……えへ。えへへへ。提督と手、繋いじゃった。繋いじゃいました)

 

 

 もしも心の姿を、目に見える形で出現させることができるのであれば。

 そこには目をバッテンにしながら「きゃあきゃあ」とハートマークを振りまきながら身悶えるミニマムサイズの浜風が拝めることだろう。

 さすれば「あ、浜風もやっぱり駆逐艦なんだ」と周知できるに違いない。

 

 いかに大人びていようと、ここにいるのは、憧れの存在と手を繋いだだけで舞い上がる、純情な乙女そのものであった。

 

「はふぅ」

 

 恍惚とした瞳で、浜風は自分の手を見つめる。

 

(提督の手、温かかったな)

 

 ほんの僅かの間しか握らなかったが、その温もりと感触は鮮明に掌に焼き付いている。

 以前に頭を撫でてもらったときとは、まるで違う。

 肌と肌が直に触れ合った。

 それだけのことで、こんなにも満たされた気持ちになる。

 

 提督と握った手を、豊かな乳房にあてがう。

 トクン、トクンと、心臓は激しく早鐘を打っていた。

 大きく膨らみすぎている乳肉越しでも、その鼓動はハッキリと聞こえる。

 

 我ながら現金だと思う。

 秘書艦の任から外されて、散々てんやわんやしておきながら、いざ提督と会うと、それまで悩んでいたことが、どうでもよくなってしまう。

 

 彼の顔を見ただけで。

 言葉をかけてもらっただけで。

 温もりを感じただけで。

 総身に、打ち震えるほどの歓喜が走り抜けた。

 

 あのときの溢れんばかりの感情を、そのまま提督にぶつけていたら、どうなっていただろうか。

 久方振りに提督に会って有頂天になっていたため、伝える暇もなかったが。

 これまで秘め隠していた本性を、あの場で曝け出していたら、何かが変わっただろうか。

 

 

 優しい彼は、子どもっぽい自分を見ても、受け入れてくれただろうか。

 

 

 ドクン、ドクン、と動悸が激しくなる。

 

(熱い)

 

 お湯のせいではない。

 提督のことを考えるだけで、カラダの芯から、何か燃え上がるような熱さを感じる。

 

 浜風は、想像する。

 憧れの存在に、思いきり可愛がってもらう瞬間を。

 あの温かな手で、また頭を撫でてもらったら。

 膝に乗せてもらったら。

 優しく、優しく、抱きしめてもらったら。

 

 手を繋いだだけで、こんなにも多幸感に翻弄されてしまうのだ。

 いざ本当に、想像の中で繰り返してきた甘いひとときが現実となったら、自分は正気をたもてるだろうか。

 

 押し隠せば押し隠すほど増大していく提督に甘えたい気持ち。

 それはもう、浜風でも制御できないほどに膨れあがっていた。

 

 感じたい。

 もっと提督を感じたい、と。

 手で温もりを、耳で声を聞くのだけでは、物足りない。

 もっと、肌で、カラダ全部で。

 

 遠くから見ているのはイヤだ。

 他の艦娘たちと仲良くしているところを盗み聞きすることだって、もう御免だ。

 もっと、もっと深く、提督と繋がっていたい。

 他の駆逐艦が、無邪気に提督に甘えるように、自分も。

 

 だって、ズルイではないか。

 子どもっぽくない、他の駆逐艦より大人びている。

 そんなことで、自分だけが提督に甘えられないなんて。

 

 もちろん、素直になれない自分にも難点があることは認めている。

 それでも、付きまとう印象が鎖のように浜風を縛り付けているのも事実だった。

 周りの期待や信頼を裏切りたくないという、浜風の真面目な一面が、またその縛りを助長していた。

 

 極論言えば、

 敬愛する提督に、幻滅されたくなかったのだ。

 

 けれど、いまは……違った。

 

(提督に、甘えたい)

 

 たとえ幻滅されることになるとしても、自分の本心を伝えたい。

 これまで自分を偽って、我慢に我慢を重ねてきた。

 優秀な艦娘としての皮を被り続けてきた。

 

 けれどそれが、今日のように辛い思いを味わうだけの道でしかないなら。

 もう、自分は良い子でなくても構わない。

 子どもらしく、ワガママに、提督に甘えてみせようではないか。

 

 拳を握りしめて、よし、と意気込む。

 

 伝えよう。

 入浴を済ませたら、真っ先に提督のもとへ向かおう。

 そして本当の自分を知ってもらうのだ。

 

 しかし……

 

(……どうやって、伝えましょう)

 

 意気込んだものの、早くも壁にぶつかった。

 無理もない話である。

 ずっと甘え下手だった少女が、いきなり解決策を見つけだせるのなら、こんなに苦労はしない。

 その上、浜風は何事も理論を前提に事を進めてきた。

 そんな彼女にとって、感情に身を任せるというのは、至難のワザであった。

 

 これが他の駆逐艦であれば、悩むよりも先にカラダが動いてしまうに違いない。

 そう、たとえば、

 

(夕立さん、とか)

 

 頭に浮かぶのは、気持ちをストレートに表現できる子犬のような無邪気な笑顔。

 ひねくれた自分と違って、何事にも真っ直ぐで、迷いがない。

 駆逐艦不相応の戦闘力を持っていながら、一方で駆逐艦相応の愛らしさも持っている。

 夕立とは、そんな艦娘だ。

 

 本来、駆逐艦たちの間で、憧れの的になるべきは、彼女なのではないだろうか。

 ある意味、浜風が求めているものをすべて持っている存在。

 口にはしてこなかったが……浜風は夕立に羨望の感情をいだいている。

 

(私も夕立さんみたいな愛らしさがあれば……)

 

 愛らしさだけじゃない。

 戦艦にも引けを取らない戦歴も、場を明るくするムードメーカーとしての側面も。

 夕立は、自分にないものを、すべて持っている。

 提督の厚い信頼や、寵愛すらも。

 

「……」

 

 浜風の脳裏に、提督に遠慮なしに甘える夕立の姿が浮かんでくる。

 つい先日の朝にも、見た光景だ。

 とても絵になっていた。

 慕っている大人の男性に、幼い少女が甘えているあの姿は、なに不自然なく、微笑ましいものだった。

 

 だからこそ、嫉妬してしまった。

 自分が勇気を振り絞らなければ出来ないことを、夕立はあっさりと、やってのけてしまう。

 周りの目も気にせず、ただ心の赴くままに、提督に甘えることができる。

 

(羨ましい……)

 

 同じ駆逐艦なのに、どうしてこうも違うのだろう。

 艦娘としての性能差は、悔しいがどうしても埋められない。

 けれど艦種としての立ち位置は平等だ。

 その筈だというのに……

 

 自分はいまだに提督に甘えることもできず、大人っぽいなどと、見当違いな印象を持たれ続けている。

 どうしてなのだろう。

 

 駆逐艦なのに落ち着いていると言われる──ただ根暗なだけだ。

 佇まいが淑女のように品があると言える──だらしないところを提督に見られたくないだけだ。

 どの評判も、お門違いだ。

 それでも姉妹を除いた駆逐艦の間で、浜風の過剰な風評が、落ち着くことはない。

 

 その最大の原因があるとすれば、それは……

 

 

 

 

「……やはり、この胸のせい?」

 

 至って真剣な顔で呟く浜風。

 この場に谷風がいれば、「気にするのソコかい」と即ツッコミをされそうな素っ頓狂な発言である。

 

 しかし、一重に間違いとも言えない。

 

 いまも、お湯にプカプカと浮いている生白い双峰。

 浜風の小柄な体型に不釣り合いな膨らみは、大の男でも掴みきれないほどに激しい自己主張をしている。

 背丈が周りの駆逐艦とそう変わらない浜風だが、これほどの凶悪なものをふたつも着けていれば……なるほど、少なくとも幼い子どもとして見るには無理がある。

 

 しかし、である。

 

(ん~。でも、夕立さんも大きいですよね?)

 

 もし大人っぽさの有無がスタイルの良さで決まると言うのならば、夕立も例外ではなくなってくる筈だ。

 浜風ほどではないが、夕立も駆逐艦のわりに立派に発育したスタイルを誇っている。

 肉感的で艶めかしい浜風とはまた別の、健康的で引き締まった方向での発育良好。

 常日頃から胸の重さに悩まされる浜風にとっては、これまた羨望の的といえる丁度良い膨らみ。

 

 そんな夕立だが、しかし浜風のように大人っぽいと持て囃されたことはない。

 いや、改二になった時点では、そう騒がれていたが、以前とあまり変わらない無邪気な態度から「やっぱり夕立は夕立」と落ち着いたのである。

 

 となると、肝心なのは『見てくれ』ではなく、性格から滲み出るその態度といえる。

 大人びた印象を瞬く間に打ち砕くような、幼稚で自由爛漫な無邪気な振る舞い。

 間違いなく、自分に足りていないのはソレだ。

 

(それを克服できれば、もしかしたら私も……)

 

 だが問題は、どうやってそれを実現するかだ。

 普段通りでは、やはりいつものように失敗してしまうだろう。

 何かひとつ、プラスアルファ、変化が必要だ。

 夕立のように子どもっぽさをアピールできる手段。

 何かないだろうか。

 

 そう考えた矢先、浜風の頭に浮かんできたのは……

 

 

『提督さん大好きっぽい! ぽいぽいぽぽいぽっぽ~い!』

 

 

 夕立の口癖というか鳴き声というか、彼女を語る上で外せない「ぽい」というワード。

 事あるごとに呟かれるその口上は、改装によって大人びた夕立をいまだに幼稚な娘に思わせる魔法のような効力が秘められている。

 

 とすれば、自分もそのような口癖を作れば、あるいは……

 そして、もし作るのであれば

 

「──『はまはま』、とか?」

 

 湯船に滴がひとつ落ちる。

 沈黙に包まれた大浴場に、ぴちゃんという音が、いやに存在感を秘めて響き渡った。

 

「……ないですね」

 

 浜風の顔が、湯あたりとは別の要因で真っ赤に染まる。

 

 自分で口にしておいて後悔する。

 この類いの愛らしさは、許される者のみが使える奥義なのだと浜風は痛感した。

 

 やはり、そう簡単に人相(キャラクター)は変化させられない。

 でも、この調子では、また途中で恥ずかしがって提督に本心とは真逆のことを言ってしまうかもしれない。

 何かひとつ。

 何かひとつ決定的な何かが欲しい。

 

 不器用な自分でも、提督に素直になれる、そんな魔法のような方法が。

 さすれば、自分も夕立のように、提督に甘えることが……

 

「はあ……本当に、夕立さんが羨ましいです」

 

「ぽい~? 何が~?」

 

「はまぁぁぁぁ!?」

 

 いつのまにか羨望の相手である夕立が隣で入浴していたので、浜風は思わず奇妙な声を上げながら飛び上がった。

 

 

 

 奇しくも、コンプレックスの対象であり、同時にいろいろな意味でライバルでもある夕立と混浴することになった、この夜。

 浜風はようやく、目的に向かって一歩前進することとなる。

 

 誰かが言った。

 

 競い合う相手がいるからこそ、強くなれると。

 



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浜風はお話しができない

幼い駆逐艦(少女)たちが一緒にお風呂入るという、実に微笑ましい健全な回です。


 大浴場に「ぽい~」と気の抜けそうな溜め息がこぼれる。

 

「やっぱり出撃の後のお風呂は最高っぽい~」

 

 色白の頬を桃色に染めながら、夕立は湯船に深々と浸かる。

 

 見事に整ったスポーティーな裸体には、出撃によって負ったらしき軽傷がいくつかあったが、それが見る見るうちに治っていく。

 

 特殊な配合で作られた大浴場の湯は、艦娘たちにとっての修復剤である。

 大型の艦だと時間はかかるが、小型艦である駆逐艦の傷ならば、ものの数分で回復する。

 もちろん傷だけでなく、心の疲れも癒す、通常の温泉としての役割も果たしている。

 夕立はいまにも蕩けていきそうな顔で、湯の心地よさを堪能していた。

 

「ぽい~。こうしていると普段かかえている悩みとかも、どうでもよくなっちゃうっぽい。ね? 浜風ちゃん♪」

 

 言うほど悩みとは縁のなさそうな天真爛漫な笑顔の先には、仏頂面で湯船に浸かる浜風がいた。

 

「はあ、そうですね。確かに、お風呂は、いいものです」

 

 素っ気なく返答する浜風。

 なんとも反応に困る、壁を感じさせる物言いだ。

 場合によっては、その愛想のない態度に腹を立てる者もいるかもしれないが、以前から浜風の気性を知っている夕立は、特に気分を害した様子はない。

 基本的に夕立は、提督を含めた艦隊の仲間たち全員には、友好的なのである。

 

「うんうん♪ お風呂は心のオアシスっぽい~♪」

 

 夕立はますます機嫌良さげにパシャパシャと足をバタつかせたり、両手で水鉄砲を飛ばして「きゃっきゃっ」とはしゃぐ。

 その様子は、歳相応の子どもというよりは、ワンコそのものである。

 対して浜風は変わらず静けさをたもちながら、微動せずに湯船に浸かっている。

 

 同じ駆逐艦でも、その落ち着きぶりは実に対照的。

 第三者が見れば「やはり浜風は大人だ」と納得するような光景だった。

 

 

 

 しかし実のところ、浜風の現在の心中は……

 

 

 

(き、気まずい。なにを話したら良いか、全然わからない!)

 

 苦手意識のある夕立と二人きりになったことで、かなりテンパっていた。

 

 

 

 戦闘、執務、果ては料理まで、あらゆる方面で優秀ぶりを発揮する浜風。

 そんな彼女が唯一苦手とするもの。

 

 ずばり、コミュニケーションである。

 

 気心知れた姉妹や戦友たちならば、遠慮のないやり取りをすることはできる。

 しかし、こと尊敬する提督や、普段触れ合わない艦娘が相手となると、途端に言葉が出てこなくなる。

 

 浜風としては誰に対しても穏便な会話を試みたいと思っている。

 が、相手を意識すれば意識するほど、本心とは真逆の言葉や態度が出てしまうその悪癖は、知る人ぞ知る、浜風の最大の弱点だ。

 

 俗に言う、『コミュ障』というやつである。

 

 

 

 二人きりなのが気まずいのならば、颯爽とお風呂から上がればいい話だ。

 しかし、相手が入ってきたばかりで湯船から出るようなことをしたら「あなたと入りたくない」と無言で言っているようなものだ。

 実に無礼なことだ。

 真面目な浜風は、いかなるときも礼を尽くさないと、気が済まない。

 なので、先ほどから浜風は、失礼に当たらないよう、出るタイミングを見計らっているところだった。

 そう、こういうのはタイミングが大事である。

 一般的には、当たり障りない世間話をしつつ、時間の流れを忘れさせたところで「すみません、のぼせてきたのでお先に失礼します」とひと言、断りを入れるのがマナーだ。

 唐突な感じではなく、あくまで自然な流れに見せるのがポイントだ。

 

 脳内でそう完璧なプランを立てている浜風であったが……しかし、その肝心な当たり障りない世間話が浮かばないのであった。

 

 そもそも十七駆のメンバー以外と、ろくに会話らしきものをしたことがない浜風にとっては、世間話をすることすら難題であったわけだが。

 まったくもって、重症である。

 

「あ、そうだ浜風ちゃん。せっかくだから背中流してあげる!」

 

 浜風の困惑も露知らず、夕立は好意的な笑顔でそんなことを提案してきた。

 浜風は、不意打ちを食らったようにビクンと背筋を張る。

 

「え? い、いえ結構です。そんな悪いですよ」

 

「遠慮しない! 夕立洗うの上手だから任せてっぽい!」

 

「いや、ですから夕立さ……って、チカラつよっ!」

 

 強引に手を引っ張られ、成すがまま夕立に背中を洗われることになった。

 

「わぁ、浜風ちゃん! やっぱりお肌真っ白できれい~! 新鮮なミルクっぽ~い」

 

「は、はあ、ど、どうも……」

 

 夕立さんのお肌も真っ白できれいですよ、と返そうと思ったが、そんな簡単な褒め言葉も出てこなかった。

 姉妹以外の艦娘に背中を洗われるという慣れないシチュエーションに、浜風の緊張度はさらに高まっていく。

 一方、夕立はますますテンションを上げながら、楽しげに浜風の早熟な裸体に泡を塗りたくっていく。

 

「ぽい~!?」

 

「っ! ど、どうされましたか夕立さん? いきなり叫んだりして」

 

「間近で見ると浜風ちゃん……おっぱい、本当におっきいね!」

 

「はい?」

 

「背中越しでも脇から見えるなんて凄いっぽい~!」

 

「ゆ、夕立さん? あ、あのっ、そこは自分で洗えますから……ちょっ、も、揉まないでください!」

 

 浜風が夕立を苦手とする要因のひとつが、この遠慮のないスキンシップだった。

 どんな相手とも難なく打ち解けられる夕立は、とにかく距離感の詰め方が急である。

 一度、心を許した相手に甘えるそのさまは、まさに子犬のごとく。

 それに対して浜風は、警戒心の強い、繊細な猫といったところだろうか。

 決して嫌っているわけではないが、デリケートな部分まで踏み込められると、どう対応していいものかと、慌てふためいてしまう。

 

 なので、たとえ同じ女性でも、丸裸の乳房を素手に触られるのは勘弁願いたかった。

 

「うわぁ! ふわふわなのに指を押し返してくるっぽい! 柔らかいっぽい! もちちもっぽい! 夕立の手じゃ収まりきらないっぽい!」

 

「あっ、ちょっと、ダメ、ですっ、そんなに、強く掴んじゃ……あっ! 先っぽも、そんなに、んっ、あっ、やっ……だ、ダメですぅ~!」

 

 というか、このままでは変な世界が開けそうなので、無理やりにでも止めさせた。

 

 なぜだかはわからないが「ぐすん、提督、お許しを……」と敬愛する相手に謝りたい気持ちになる浜風だった。

 

 

 

「はぁ~♪ やっぱり一緒にお風呂に入ると楽しいっぽいね~♪」

 

「ソウデスネ……」

 

 ハミングを奏でている夕立に対して、浜風はゲッソリとした顔色で答える。

 結局カラダのあちこちを洗われた後、浜風も夕立のカラダも洗ってあげた。

 もちろん仕返しとばかりに夕立の胸を触るような酔狂な真似はしていない。

 夕立は楽しかったようだが、浜風は相手のペースに振り回されて、すっかりタジタジになっていた。

 

 もはや湯船から上がる気力もなく、ズブズブと肩どころか口元まで沈んでいく始末である。

 

「あ、そういえば……ねえ、浜風ちゃん。夕立、聞きたいことがあるんだけど」

 

「ナンデショウカ?」

 

 夕立に話のネタは尽きないのか、立て続けに言葉のキャッチボールが投げられる。

 浜風はもう半ば投げやりの姿勢だった。

 もう何を聞かれたところで、反応らしきものを返せる気がしない。

 

 しかし……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれから提督さんに甘えられたっぽい?」

 

 

 

 ドボンという音と共に、湯船から飛沫が上がる。

 油断していたところを背後から敵の艦載機に攻撃されたような衝撃的な質問で、浜風は思わず湯船の中に転がり落ちた。

 

「ぽい~、浜風ちゃん大丈夫?」

 

 爆弾を投下した夕立は何食わぬ顔で、ブクブクと底に沈んでいる浜風を心配する。

 

「ぷはっ! な、なななななっ……」

 

 お湯から這い出た浜風の顔は真っ赤に染まっていた。

 無論、のぼせたわけではない。

 

「な、何を、おっしゃっているのですか、夕立さん?」

 

 平静を装っているつもりだったが、その声は完全に震えていた。

 笑顔で誤魔化そうとするも、頬の筋肉がヒクヒクと不自然に痙攣している。

 どこから見ても不審げな態度の浜風に、夕立は「ぽい~?」と首を傾げる。

 

「何をって。だって浜風ちゃん、前会ったとき、提督さんに甘えたがってたでしょ?」

 

「っ!?」

 

 そう。提督とじゃれついている夕立に、ジェラシーを覚えたあの朝。

 誰が見ても、早朝から腑抜けている提督に怒りをいだいたと思われる浜風の不機嫌ぶりを、しかし夕立だけは違うと見抜いた。

 しかも直感で。

 仲間内にしか明かせない浜風の最大の秘密──提督に甘えたいという願望。

 それを、よりによって苦手な相手である夕立に気づかれてしまったのだ。

 

 できることなら隠し通したい、気恥ずかしい秘密である。

 なので、浜風は全力でとぼけることにした。

 

「わ、私が提督に甘えたい? へ、変なこと言わないでください。夕立さんの思い過ごしですよ」

 

 そう、自分が認めない限り、夕立の思い過ごしで済む話だ。

 動揺から流れる汗はお湯のせいということにして、「ああ、いいお湯ですね~」と言いながら夕立から視線を逸らす浜風。

 ハッキリ言って、怪しさ全開である。

 浜風も自覚はしていた。

 しかし、少々天然気味の夕立相手ならこのまま押し通せるかもしれない。

 と、わりと失礼なことを考えているときだった。

 

「……浜風ちゃん」

 

「なんですか? いくら尋ねても私の返答は同じですよ……って近っ!?」

 

 やたらと息遣いを感じると思い振り向いてみれば、いつぞやのときと同様、夕立の顔が急接近していた。

 そこにさっきまでの朗らかな笑みはなく、「ぽい~」と唸りながら疑わしげな表情を浜風に向けている。

 戦闘時にしか見せない、夕立の鋭い赤い双眸に射抜かれ、浜風は思わず身動きが取れなくなった。

 普段は小動物のように愛らしいというのに、真面目な顔つきになった途端、狂犬じみた凄みを発するのが夕立という艦娘だった。

 

 夕立の意図が読めないあまり、内心で「ふえ~提督ぅ、浜風怖いです~」とビクビク情けなく震えていると……

 

 

「ペロッ」

 

 

 頬を舐められた。

 文字通り、動物がするように、舌でペロリと。

 

「……」

 

 何をされたのか理解が追い付かず、石のように硬直する浜風。

 

 ぴちゃん、と滴が落ちる音で我を取り戻すと……

 

 

「ッッッ~~~!」

 

 

 声にならない悲鳴を上げながら湯船から飛び上がった。

 

「にゃにゃにゃにゃ! にゃにをしゅるのでしゅか夕立しゃん!?」

 

 驚きのあまり口調が猫っぽくなる。

 度の過ぎたスキンシップを前に、うっかり「提督にだって舐めてもらったことないのに!」と失言をこぼしそうになった。

 そのように動揺している浜風に対して、夕立は随分と落ち着いた態度で「ふむふむ」と首を振っている。

 まるで味を吟味するように。

 

 しばらくすると、合点がいったとばかりに頷いて、チラリと赤い瞳を浜風へと向ける。

 

「浜風ちゃん。夕立ね、汗を舐めるとその人が嘘をついているかわかるっぽい」

 

「は?」

 

 お前はどこのイタリアンマフィアだ、とツッコミたくなるような突飛なことを言い出す夕立に唖然とする浜風だったが……

 

 しかし、夕立ならばそんな超越じみた味覚を持っていても不思議ではないかもしれない。

 そう思わせる妙な説得力が、夕立の声色に滲んでいた。

 

 浜風の胸に危機感が走る。

 先ほど舐められたときのよりも多量の汗が、ダラダラと流れてくる。

 

 まさか本当に、見破られたというのか。

 こんなことで、一番デリケートな隠し事を。

 仲間以外には絶対に秘密にしたかった大望を。

 

 ガタガタと羞恥で震える浜風に向かって、夕立はニコリと爽やかな笑みを浮かべる。

 どこまでも無垢で、穢れが一切ない純朴な笑顔で、口を開く。

 

 

「びっくり! 浜風ちゃん、夕立よりも甘えん坊さんっぽい!」

 

 

 大浴場に再び「はまあああああああああっ!!」と奇妙な悲鳴が響き渡った。

 

 まことに夕立という艦娘は、どこまでも浜風にとっての、天敵であるようだった。

 



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浜風は負けたくない

「ねえねえ。何で素直に提督さんに甘えないの浜風ちゃん? どうしてっぽい?」

 

 毒気の一切無い、あくまでも純粋な疑問を、夕立はぶつけてくる。

 最大の隠し事がバレてしまったことで、アワアワと羞恥に悶えている浜風に対して、悪びれもせずに。

 

「あ、あの夕立さん。甘えるとか、あまり、そういうことを口にしないでいただけると、その、ありがたいのですが……」

 

 いま大浴場にいるのは幸い(?)二人だけだが、別の艦娘が入ってきて聞かれてしまう可能性がある。

 できることなら、これ以上秘密を広めたくはない。

 

 

 

 提督に甘えたいという気持ちを、いまさら見栄を張って誤魔化すつもりはなかった。

 汗を舐められただけで、嘘が見抜かれたことには、納得はいかないところもあるが……

 だからこそ、いろいろ常識の埒外にある夕立相手に否定を続けたところで、泥沼になる未来しか見えなかった。

 この場は素直に心情を吐露したほうが、恐らく事は早く済むだろう。

 浜風としては、颯爽と夕立の疑問に答え、しっかりと口止めをしてから、この場を去りたい心境だった。

 

「こほん。よ、よろしいですか夕立さん? 確かに私が提督に甘えてみたいと思っているのは事実です。ですが、思っているからと言って、何でもかんでも実行に移すことが正しいわけではないのですよ?」

 

 浜風の説明に、夕立は「ぽい?」と首を傾げた。

 浜風は立て続けに言う。

 

「時と場所を選ぶ、ということです。提督はただでさえ多忙の身なんです。私の身勝手な要望を押しつけて、貴重な時間を奪うだなんて、そんなの言語道断というものです」

 

 それらしい理由を口にして、浜風は満足げに頷く。

 こう言えば『なるほど』と納得してくれるに違いない。

 しかし……

 

「う~ん。浜風ちゃんの言ってること難しいっぽい~」

 

 何事も直球な夕立には、遠まわしな説明は理解し難いものだったらしい。

 浜風はもう少し噛み砕いて言う。

 

「えっと、つまり……私のワガママで、提督に迷惑をかけたくないんです」

 

 改めて口にしてから、浜風もまた、提督に素直になれない原因を自覚した。

 詰まるところ、そういうことだった。

 純粋に恥ずかしい、という気持ちもないでもなかったが。

 一番の理由はやはり、提督を振り回すことに対する後ろめたさだったのだ。

 

 他の艦娘ならば、提督相手に遠慮のないやり取りをしている。

 しかし、ひと際真面目な浜風にとっては、それはなんとも畏れ多いことだった。

 戦闘、執務の面で、提督から強い信頼を受けている分、余計に躊躇いが生じてしまう。

 

 呆れられたらどうしよう。

 幻滅されたらどうしよう。

 拒まれたらどうしよう。

 

 生真面目な委員長気質が特有にいだく不安が、今日日まで浜風の行動を縛り付けていた。

 

 そんな神経質な悩みを抱える浜風に向かって、夕立は言う。

 

「迷惑って、それは提督さんが浜風ちゃんに言ったっぽい?」

 

 無邪気さゆえの鋭い指摘に、浜風は一瞬、言葉を詰まらせた。

 

「いえ、そんなことはないですが……」

 

 提督は艦娘との関係を誰よりも大事にする。

 部下の怠けた態度を叱りはしても、純粋な厚意や気心を無下にしたことは一度もない。

 どんな艦娘相手でも、提督は優しさを欠かさない。

 そういう人物だ。

 

 そんな提督ならば、秘め隠していた本性を曝け出しても、きっと受け入れてくれるだろう。

 戸惑いはしても、ありのまま姿を認めてくれるだろう。

 

 そう期待をいだきつつも……しかし、心の奥底に沈殿する不安を拭えないでいる。

 

 自分の要望が、提督の負担になりはしないか。

 失望させたりはしないか。

 そんな恐れが、浜風の心に、一滴の黒い雫を落とす。

 

「う~ん、夕立にはわからないなぁ。甘えたいと思うなら甘えればいいと思うの。だって我慢しても辛いだけっぽいよ?」

 

「それは……」

 

 それはもう、イヤというほど痛感している。

 だからこそ、先ほど臆病な自分を捨てて、提督に気持ちを伝えようと決心したのだ。

 

 ……しかし、どうだろう。

 いまこの場で、提督に甘えたいという感情を堂々と主張できない自分が、はたして本当に思いを伝えられるのだろうか。

 

 実際、まだ浜風は躊躇ってしまっている。

 秘密を明かすことを。

 

「浜風ちゃんは時と場所を選ぶって言っているけど、じゃあ、いつなら甘えるっぽい?」

 

「えっと、それは、その……」

 

 気づけば、すっかり夕立にペースを握られている。

 ちょっと説明さえすれば、納得すると思ったが、むしろ逆効果だった。

 夕立はどんどん質問攻めをしてくる。

 まるで、閉ざされた殻を破るように。

 浜風の押し隠されてきた心情を、言葉によって抉り出していく。

 

「浜風ちゃんは提督さんのこと好きじゃないの?」

 

「好ッ!?」

 

 直球も直球な問いかけに、浜風は動転する。

 

「夕立は提督さんのこと好きだよ?」

 

 次いで、トンデモナイ爆弾発言もさも当然のように口にする夕立にも驚いた。

 

「そ、それは、どういう意味での『好き』なのですか?」

 

 恐る恐る浜風は尋ねる。胸の内になぜか激しい不安を抱えながら。

 対して夕立は「ぽい?」と相変わらず邪念のない顔で首を傾げる。

 

「『好き』は『好き』じゃないの?」

 

「え? あ、いや、それはなんと言いますか……」

 

「『好き』って、いろんな意味があるっぽい?」

 

「そ、その、一応あるじゃないですか。『LIKE』とか『LOVE』とか……」

 

 浜風は自信なさげに言う。

 

 異性を強く、恋しく思う気持ち。

 それは『恋』と呼ばれるもの。

 知識として『そういう感情』があることを、浜風は知っている。

 

 しかし、知っているというだけで、実のところ、よくはわかっていない。

 鈴谷が駆逐艦相手に頻繁に「恋はいいよ~」と自慢げに力説しているところを耳にしたことはある。

 しかし、やはり言伝だけでは、それがどういう感情なのか、うまく理解できなかった。

 それは夕立も同じだったらしい。

 浜風の問いかけに、「うんうん」と首を捻って考え込んでいる。

 

「う~ん、よくわからないけど……でも夕立はとにかく提督さんのことが大好きだから、それでいいと思うっぽい♪」

 

 惜し気もなく、輝くような笑顔で、夕立は断言した。

 

 ズキッと、浜風の胸に痛みが走る。

 ケガをしたわけでもないのに。

 

 大好き。

 そう堂々と口にできる夕立が、浜風は羨ましかった。

 理解していなくとも、とにかく好きだと主張できる夕立の素直さ。

 それは決定的に浜風に欠けているもの。

 そして最も欲するものだった。

 

「……」

 

 どうして。

 どうして、ここまで違うのだろう。

 自分にないものを、どうして夕立はこんなにも持っているのだろう。

 

 自分は自分。他人は他人。

 そう割り切ろうとしても、割り切れない劣等感が、浜風を苛む。

 いけないとわかっていても、感情の濁流が押し寄せる。

 自分が求めているものを、容易に手にする夕立に、どうしようもなく羨望をいだいてしまう。

 

 そんな折……

 

「けど勿体ないな浜風ちゃん。提督さんに抱きしめてもらうと、すごく安心するんだよ?」

 

「っ!?」

 

 夕立の何気ない言葉で、浜風の心の底で、ふつふつと煮えたぎるものを感じる。

 それは、いままでに経験したことのない、深い場所から込み上がってくる熱い感情だった。

 

「ぎゅっとしがみつくとね、提督さん『よしよし』って頭を撫でてくれるの! それがすっごく気持ちいいっぽい! あれを一回味わったら、もう病みつきになるっぽい!」

 

 あたかもソムリエのように得意気にうんうんと頷く夕立に、やはり悪意らしきものはない。

 彼女はどこまでも天然に、感想を述べているだけに過ぎない。

 だからこそ余計に……

 

 

 浜風の中で、何かが弾けた。

 

 

「う~ん。でもときどき提督さん、何か焦ってるっぽい感じになるんだよね。特におっぱい押し付けてるときとか。最初は喜んでるっぽいんだけど、すぐに『やばい』って顔してあたふたしちゃって。あれがなければ、もっと最高っぽいんだけど……」

 

「ズルイです……」

 

「ぽい?」

 

 ずっと苦手意識をいだいていた相手。

 そんな相手に、いま浜風は、別の感情をいだきつつあった。

 色で喩えるなら、赤。

 形状で言うなら三角形。

 その矛先を、浜風は真っ直ぐへと、夕立に向ける。

 

「ズルイです。夕立さんばっかり、皆さんばっかり……私だって。私だって……」

 

「は、浜風ちゃん? どうしたのっぽい?」

 

 様子の変わった浜風に、夕立は心配げに声をかける。

 しかし浜風は聞く耳を持たなかった。

 プルプルとカラダを震わせて、キュッと唇を噛む。

 

「私、だってっ!」

 

 止められなかった。

 ずっと抑え込んでいた爆薬に、火が、灯されてしまった。

 

 

 

 ときどき浜風は、自分の気持ちがどういう類のものなのか、考えることがある。

 提督のことは、もちろん尊敬している。

 だが、はたしてそれだけなのだろうか。

 

 彼に甘えたいと熱望し、他の艦娘と触れ合っているところを見ると、無性に羨ましくなる。

 それは、敬愛という言葉だけで済まされる感情なのだろうか。

 

 浜風は、そもそも『LIKE』と『LOVE』の違いさえも理解できていない。

 理解する必要もないと思っていた。

 ただ尊敬心をいだいていれば、提督を思う気持ちとしては充分だと思っていた。

 

 

 ……しかし、いま浜風の心は、それではダメだと訴えている。

 それだけでは、足りないと。

 

 

 

 夕立と同じ土俵に立つには、それだけでは足りないと。

 

 

 

 好き、という感情がどういうものか。

 元が軍艦である自分に、そんなものがわかるはずもない。

 もとより自分は、艦娘の中でも感情に乏しい存在だったのだ。

 そんな人形もどきに、感情をくれたのが提督だ。

 この思いは、彼がいたからこそ、いだけたもの。

 提督無くして、いまの自分は存在しない。

 

 だから……

 

「負けません」

 

 この気持ちの正体が何なのかは、わからない。

 だが、いまはそれでも構わない。

 だから、これだけは、絶対に言いたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私だって……提督のことが、大好きなんですから!」

 

 こればかりは決して誤魔化したくない。

 浜風にとって、たったひとつの、真実だった。

 



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浜風VS夕立

 栓を抜いたように、という比喩がある。

 いままで抑圧されていたものが、何かの拍子ではじけるように噴き出すというもの。

 一度本音をぶちまけたことで、浜風の心の奥底に沈澱していた感情の塊は、いままさに言葉というエネルギーとなって大爆発していた。

 

「なんなんですか! ちょっと見た目が大人っぽいってだけで、皆さん私を大人扱いして! いいじゃないですか私だって子どもみたいに振る舞ったって! 駆逐艦なんですから! お子ちゃまなんですから! そう思うでしょ夕立さん!?」

 

「ぽ、ぽい……」

 

 その矛先を一方的に向けられる夕立。

 無邪気な夕立は決して意図して浜風を煽ったわけではない。

 が、結果として浜風のデリケートな部分に立ち入ってしまった彼女は、パンドラの箱を開けてしまったのも同然。

 長い間、蓄積されてきた不満不平は怨嗟のごとく牙を剥いて、唖然としている夕立に理不尽に襲いかかる。

 

「駆逐艦の中で私だけ子ども扱いされないむなしさがアナタにはわかりますか!? わからないでしょうね~! 普段から提督に存分に甘えられるアナタには~っ!」

 

「は、浜風ちゃん、ちょっと落ち着いて欲しいっぽい」

 

「落ち着けるわきゃないでしょ! もうこちとら我慢の限界ですよ!」

 

 もはや完全に人が変わった状態で浜風は因縁の相手にマシンガントークを畳みかける。

 

「どうしてどうして!? どうして私だけいつも子ども扱いされないんですか!?

 朝潮型の皆さんと遠征から帰ってきたときだってそうですよ! 大潮さんがですね! 『遠征成功のご褒美に頭を撫でてください!』って提督におねだりしたんですよ! 優しい提督は当然こころよく撫でましたよ!

 ついでに大潮さんだけじゃなく、その場で羨ましがっている朝潮さんや荒潮さんや満潮さんの頭も撫で撫でしましたよ!

 ……でも――私だけ! されなかったんですよ! 同じ駆逐艦なのに! 駆逐艦なのに!」

 

 それは確かに理不尽だ、とさすがに同情しそうになった夕立だったが……

 

「どうして!? 心の中で『提督! 私も撫でてください! 届いてこの思い!』って念じながら視線で訴えていたのに! どうして提督は蛇に睨まれたカエルみたいに怯えちゃうんですか!? どうして手を引っ込めちゃうんですか!? そのまま私のことも撫でて欲しかったのにどうして『あ、すまん。浜風は、別に良かったか……』って謝るんですか!? やってくださいよ! なんでそこでヘタれちゃうんですか!? 提督の意気地なし!」

 

「……」

 

 それはひょっとして、浜風が睨んでいるようにしか見えなかったからではないか?

 と指摘したい夕立だったが、暴走した浜風の耳に届きそうにもなかった。

 

「うわあああん! 浜風も提督に『イイコイイコ』してほしいのにぃ! いっつもいっつもそのために頑張ってるのにぃ! なんでなんでぇ!? なんで毎回うまくいかないのぉ!? 浜風も提督に甘えたいのに! 甘えたい甘えたい甘えたいのにぃぃぃ!」

 

 ついにはお目々をバッテンにしながら号泣しだした。

 普段の大人びた声色は、キィキィと甲高い鳴き声へと変わっていく。

 まるで瑞鳳のようにトーンの高い声だ。いまならば瑞鳳の十八番台詞である『食べりゅ?』も違和感なく声真似できることだろう。

 

「うえええええん! 提督のおバカあああ! 鈍感! 私の気持ちにちっとも気づかないでえええ!」

 

 さらには湯水に向けて拳をパシャパシャと叩きつける。

 その様子は、欲しいものをねだる駄々っ子そのもの。

 心なしか、頭身まで縮んだように見える。具体的には二頭身ほど。

 もちろん錯覚なのだが、浜風の『大人びた駆逐艦』の印象は完全に砕け散った、と言っていい。

 

 とつぜんの幼児退行をし始めた浜風を前にして、夕立は完全に途方に暮れた。

 

 というより、ぶっちゃけ『……め、めんどくさっ』と思い始めていた。

 

「ああ! (ねた)ましい(ねた)ましい! 幼さを武器にして思う存分に提督に甘えられる艦娘が妬ましいぃ! おもにアナタのことですよ夕立さん!」

 

「え~……」

 

 浜風の愚痴は尚も止まらず、その矛先は再び夕立へと向けられた。

 夕立は苦い顔を浮かべて、あとずさった

 

「ちょっと! なに『自分は関係ない』みたいな顔してるんですか!? 私はね、ずっとアナタに惨めな思いを味わわされてきたんですよ! 見た目は軽巡! 中身は駆逐艦! そんな共通点を持ちながら、アナタはなぜあんなにも無邪気に提督にじゃれつくことができるのですか!? 浜風にはできないことをさも容易に!」

 

「それは~、だから~、夕立は提督さんのことが大好きってだけで~。ただ自然に~、普通に~、したいように~、してるだけっぽいよ~?」

 

「『ぽいよ~?』じゃ、ねえですよ! 自慢ですか!? 提督と顔を合わすだけでも緊張しちゃう私に対する嫌みですかソレ!?」

 

「ぽい~。そんなに羨ましいなら浜風ちゃんも思いきって甘えてみればいいのに~」

 

「で・き・た・ら・苦労はしないんですよぉおおお!」

 

 怒りと悲しみがごっちゃになった涙顔で、浜風は夕立の両肩を掴み、ぐわんぐわんと揺らす。

 揺れに合わせて「ぽぽぽぽぽい!」と奇妙な声をあげる夕立に、浜風は「ぬおおおおおお!」と叫び声で対抗(?)する。

 

「はあああ! いいですよねいいですよね! アナタみたいに悩みとかいっさい抱えてなさそうな天然さんは! ああ~羨ましいことぉ! 私も夕立さんみたく頭空っぽそうな艦娘だったら、恥じらいなく提督に甘えられたんでしょうね~!」

 

「……」

 

「心身ともに大人っぽいって言われている浜風とは大違いですううう!」

 

 もしもこの場に十七駆の面々がいれば、彼女たちはこうフォローすることだろう。

 

 浜風は決して他者を侮辱するようなやつではない。

 ただ、いまはテンションがおかしくなっていて、言っていいことと言ってはいけないことの区別がついていないだけだと。決して悪気はないのだと……。

 

 そして、そんなありがたいフォローを入れてくれる頼もしい存在はここにはいない。

 ゆえに……

 

 

 

 

 

 ブチッ!

 

 堪忍袋の緒が切れる音。

 普通ならば聞こえないはずの音が、はっきりと浴場に響き渡った。

 

「ぽ~い~……」

 

 夕立の顔から、なごやかな色合いが消失。

 小動物じみた気配は薄れ、戦場においてのみ垣間見せる強面へと変貌していく。

 

 浜風の地雷に踏み込んだのは確かに夕立である。

 不躾なことを口にしてしまったかもしれない、と本人も反省していた。

 だからといって……

 

(そこまで言われる筋合いは、ないっぽいよ~?)

 

 一方的に愚痴を聞かされたことへの不満。提督と自分の仲を当てつけのように非難されたことへの不満。

 それら諸々が積み重なった中で、先の浜風の安易な発言がトドメとなった。

 

 狂犬。その名をほしいままにする状態へと切り替わる夕立。

 ぽわぽわとした性格の持ち主である彼女にとっては、まことに珍しく、本格的に、

 

 ブチ切れた瞬間であった。

 

「……浜風ちゃんさぁ。文句ばっかり言ってるけど、それって単に浜風ちゃんに勇気がないってだけの話じゃないっぽい~?」

 

「あ゙っ?」

 

 明らかに挑発的な発言を、夕立は躊躇いなく浜風にぶつける。

 同じく浜風も、遠慮のない煽り立てを前に、語気を荒げて向かい合う。

 

「夕立さん? もう一度言ってごらんなさい?」

 

「うん、何度でも言ってあげるっぽいよ? 提督さんに甘えたいなら、甘えればいいっぽい。それだけのことができないのは、そもそも浜風ちゃんに勇気がないってだけの話っぽい。そうでしょ?」

 

「ほうほう。夕立さん……あなたは、言ってはならないことを言ってしまったようですね……悪かったですね! どうせ勇気がないですよ!」

 

 図星を突かれて浜風は開き直った。

 

「誰もがアナタみたいに恥を忍んで甘えられるわけじゃないんですよ!」

 

「え~? べつに夕立は提督さんに甘えるの恥ずかしくないよ~? 恥ずかしいって思うのは、浜風ちゃんの提督さんのことが好きって気持ちが足りないからじゃないっぽい~?」

 

「そんなことないですよ! 毎日夢に見るくらい提督のこと……すすす、好きですよ!」

 

「そうかな~? そうやって『好き』って言うのも躊躇うようじゃ夕立のほうが提督さんのこと強く思ってるっぽいよ。夕立は提督さんがだーい好き♪」

 

「むきいぃぃ! 言わせておけば! 提督のことを一番強く思っているのは私です! だからこそ長い間たいへんな秘書艦の仕事を続けてこれたんですから!」

 

「そのわりには浜風ちゃん思ってることとやってること全然違うっぽい。この間だって勝手に不機嫌になって提督さんに朝ご飯作ってあげなかったし。ヤキモチで提督さんに八つ当たりするだなんて、提督さんか~わいそう~!」

 

「あ、あれはアナタが見せつけるように提督とイチャイチャしてたから!」

 

「ほ~ら~! そうやってすぐに人のせいにするの良くないっぽい! 本当に提督さんのことが好きなら強がってないで素直に自分の気持ち言えばいいっぽい!」

 

「うわあああん! だから~! できれば苦労はしないんですよおおお!」

 

 感情の渦で頭の中がグチャグチャになった浜風は、ヤケクソ気味に腕をブンブンと振り回した。

 回転しながら振り下ろされる拳がポコポコと夕立に直撃する。

 

「へぶっぽ!? ああ!? 浜風ちゃん暴力ふるったぁ! い~けないんだ~! 提督さんに言いつけてやる~!」

 

「はまっしゅ!? そう言うアナタもやり返してるじゃないですか! ていうか地味に痛いんですけど!」

 

「やられたら倍返しっぽい!」

 

「この武闘派め! だいたいなんですか! その『ぽいぽい』って口癖? かわいいとでも思ってるんですか? あざといんですよ!」

 

「あざとくないっぽいもん! 自然と口から出ちゃうだけっぽいもん! それに提督さんは『かわいい口癖だなぁ』って褒めてくれたもん!」

 

「きいいいいぃ! だったら私だって言ってやりますよ! 『はまはま♪ はまはま?』ってね! どうですか!? これで提督の心を鷲づかみですよ!」

 

「なにそれ~! 変な口癖っぽい~!」

 

「アナタだけには言われたかないですよ! このぽいぽい娘があああ!」

 

「やるっぽ~い? ぽ~いぽいぽいぽいぽいぽいぽいぽい!」

 

「上~等ですよ! は~まはまはまはまはまはまはまはま!」

 

 奇妙なかけ声を上げながら、両腕を車輪のように回転させてポコポコと殴り合う二人。

 いまここに、提督を巡るキャットファイトが開始される。

 

 ちなみに、忘れてはならないが、ここは風呂場である。

 湯船につかったまま、このような激しい取っ組み合いをしていれば必然……

 

 

 

 

 

「の、のぼせたっぽ~い……」

 

「あ、頭がクラクラします~」

 

 グルグルと目を回しながら、両者は脱衣所の長椅子の上に横たわっていた。

 すっかり茹であがったカラダを傍らの扇風機を全開にして冷ましている。

 

 程よくカラダの熱が下がる頃には、二人の頭も冷静さを取り戻していた。

 

「あの、その……夕立さん。いろいろすみませんでした。ひどいこと言ってしまって……」

 

「うぅん。夕立も結構キツいこと言っちゃったから、おあいこっぽい」

 

「でも……」

 

「あはは。それにちょっと楽しかったし」

 

「え?」

 

 意外なことを口にする夕立に視線を配る。

 先ほどの喧嘩沙汰などなかったかのように、夕立はニコリと親しみのこもった笑顔を浜風に向けた。

 

「だって、浜風ちゃんがあんな風にいっぱい自分の気持ちを打ち明けるところ、初めて見たもん」

 

「あ……」

 

 言われてみればそうだった。

 気心知れた相手にしか見せてこなかった浜風の子どもっぽい一面。

 不本意で知られた青葉だけに留まらず、隣で横たわる夕立にもまた、秘め隠してきた本性を知られてしまった。

 浜風の下がったはずの体温が、また徐々に上がっていく。

 

「あ、あの夕立さん。勝手とは思いますが、このことはどうか提督には内緒に……」

 

 羞恥心のあまり、つい毎度のようにそんなことを口にしてしまう浜風だったが、

 

「え~? それはダメだよ浜風ちゃん」

 

「うっ。そ、そうですよね。不祥事を起こしてしまった以上、ちゃんと提督に報告をしないと……」

 

「違うっぽい! 浜風ちゃんの気持ち、ちゃんと提督さんに伝えないとダメっぽい!」

 

「え?」

 

 てっきり暴言を吐いたことを咎められるのかと身構えた浜風だったが、夕立が気にかけているのは別のことだった。

 

「だって、そんなに提督さんのこと好きなのに、素直に甘えられないなんて、浜風ちゃん気の毒っぽい」

 

「ゆ、夕立さん?」

 

「だ~か~ら」

 

 満面の笑みを浮かべて起き上がった夕立は、いまだにキョトンとしている浜風の手を握る。

 

「浜風ちゃんが提督さんに素直に甘えられるように、夕立がお手伝いするっぽい♪」

 

「……ええええ!?」

 

 思いもよらない提案に、浜風は驚いた。

 

「ゆ、夕立さん。それはいったいどういう……」

 

「言ったとおりの意味っぽいよ? だって、浜風ちゃんがこんなにも甘えたがりの恥ずかしがり屋さんだったなんて知らなかったし。このままじゃ、いつまでも提督さんに素直になれないかもしれないでしょ?」

 

「そ、それはそうかもしれませんが……」

 

「ね? だから、夕立が背中を押してあげるっぽい♪」

 

「そ、そんな、いいんですか? 私、あんなに夕立さんに悪口を言ってしまったのに……」

 

「気にしなくていいっぽい! 本音と拳でぶつかり合ったのなら、それはもう友達っぽい!」

 

 どこのヤンキー漫画だ、とツッコミそうになった浜風だったが、

 

「と、友達……」

 

 夕立の『友達』という発言に浜風は思わず反応する。

 そういえば、十七駆以外のメンバーで、そう言える存在はあまりいなかった気がする。

 ここまで本音をぶつけ合ったことも、ひかえめな性格をした浜風にとっては珍しいことだ。

 

「大丈夫だよ浜風ちゃん! さっきみたいに素直になって言いたいことを思いきり言えばいいっぽい! 提督さんなら、きっと受け止めてくれるっぽい!」

 

 ぽい、では正直不安になるのだが……。

 

 しかし不思議と、浜風の胸の中には希望めいたものがあった。

 夕立と一緒なら、これまで自分だけではできなかったことも、実現できるのではないか。

 理屈抜きでそんな期待が、湧いてくるのだった。

 

 だが、先ほど好き勝手に暴言を吐いてしまった相手に、このまま甘えてもいいものか。

 後ろめたさから、浜風は思い悩んだ。

 

「……夕立さん、本当にいいんですか? だって夕立さんには、何のメリットもないですよ?」

 

「ぽい? 困っている友達を助けるのに、メリットとか気にする必要あるっぽい?」

 

「……」

 

 不躾な質問をしたと、浜風は反省した。

 

 そうだ。

 夕立は、こういう艦娘なのである。

 鎮守府のみんなが大好きで、いつだって心のままに生きている。

 

 そんな彼女が自分を友達だと言ってくれた。

 手を差し伸べてくれた。

 心の壁を取り払って、押し隠していた感情を引き出してくれた。

 そんな夕立なら、素直になれない自分も、もしかしたら本当に……

 

 

 

「……ご、ご迷惑でなければ、どうか助力を願います、夕立さん」

 

 気づけば浜風は、照れくささを滲ませながら、おずおずと握手するための手を差し出していた。

 

「あはは♪ やっぱり浜風ちゃん、お堅いっぽい♪」

 

 夕立はこころよく、その手を握り返して、ブンブンと力強く振った。

 

「まかせて浜風ちゃん! 浜風ちゃんの思い、絶対に夕立が叶えてあげるから!」

 

「よ、よろしくお願いします」

 

「そうと決まれば、早速いまから実行するっぽいよ!」

 

「ええ~!? い、いまからですか!?」

 

「当たり前っぽい! なにごとも善は急げっぽい!」

 

「し、しかし、私まだ心の準備が……」

 

「弱音を吐くなっぽい! そんなだからいつまでも提督さんに甘えられないんだっぽい!」

 

「は、はい! すみません!」

 

 手厳しい指摘をする夕立に、浜風は思わず姿勢を正した。

 

「よぉし! じゃあ、まずはイメチェンをするっぽい!」

 

「え? イメチェン、ですか?」

 

「そ! 中身を変えるなら、まず見た目からっぽい! 浜風ちゃん、鏡の前に来て! 浜風ちゃんの髪型、いつもとは違う感じに整えてあげるっぽい!」

 

「え? い、いいですよ。髪型なんて、いつもどおりで……」

 

「なに言ってるっぽい! 女の子ならもっと髪型に気を遣うべき! ……って村雨が言ってたっぽい!」

 

「受け売りじゃないですか……」

 

「口答えしちゃダメっぽい!」

 

「は、はい!」

 

 すっかりコーチと教え子の関係ができあがっていた。

 

「でも実際、髪型変えるだけで提督さんの浜風ちゃんへの印象、すごく変わると思うよ?」

 

「そ、そうでしょうか?」

 

「ぽいっ! 浜風ちゃん、すっごくカワイイんだから! おしゃれしないのは勿体ないっぽいよ!」

 

「か、かわっ!? そ、そんな。それを言うなら夕立さんのほうがすごくカワイイじゃないですか。わ、私なんて……」

 

「もう! いまからそんな弱気でどうするの!? ちゃんとおめかしすれば、きっと提督さん、浜風ちゃんのことかわいがりたくなって、しょうがなくなると思うよ?」

 

「っ!? て、提督が、私をかわいがる……はう」

 

「ほら、妄想に浸ってないで髪型整えるっぽい! まずは、片目隠しちゃってる前髪をずらして……」

 

「はまああああ!? そ、それは許してください! め、目を見られると私、緊張しちゃってなにも話せなくなるんです! 片目だけ出すので精一杯なんですぅうぅ!」

 

「浜風ちゃん、どんだけ恥ずかしがり屋なの!? もう~こうなったら根っこからとことんイメチェンするしかないっぽい! 覚悟するっぽい!」

 

「はまあああああああああああっ!!」

 

 脱衣場から上がる奇妙な鳴き声に、あとから入浴にやってきた艦娘たちが、何事かと冷や汗をかいたのは、言うまでもない。

 

 

 

 

 一方、その頃、司令室では……

 

「……っ!? な、なんだ? 急に悪寒が……」

 

 今日のぶんの仕事を片付けていた提督は、とつぜん背筋が寒くなるような危機感を覚えた。

 

 彼は知らない。

 今宵、提督の立場を危うくする最大の試練が待ち受けていることを。

 

 一方、憲兵に所属する妖精は、いまだに暗雲立ちこめる外を窓越しで見やりながら、なにやら意気込んでいた。

 

 彼女は確信している。

 今宵、憲兵としての役割を果たす最大の仕事がやってくることを。

 

 腕が鳴るぜ、と言わんばかりに、憲兵妖精は手元の猫をブンブンと振り回した。

 

 

 窓の外の暗雲は晴れそうにない。

 それどころか、風は強く唸り、雷鳴が轟き始めていた。

 

 

 



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浜風は叫びたい

 人類の希望たる艦娘に不埒なマネをすれば即憲兵によって連行。

 よこしまな感情をいだくことすらもNG。

 そして提督の動向は常に憲兵所属の妖精によって24時間監視されている。

 

 これほど過酷で、理不尽な環境で、提督業を続けようとするのはなぜか。

 提督によってその理由は様々だが、多くの場合、故郷を滅ぼした深海棲艦に対する憎しみ、家族知人を奪われたことによる怒りが原動力となっている。

 ゆえに大本営がどのようなルールを設けようとも、己の目的を完遂するまでは提督を続けようとする。

 

 そういった確固とした決意を持った人間が『提督の素質を持つ者』として妖精から選ばれるのかは不明だが……

 少なくとも、ここにいる提督もまた、同じ理由から提督業を続けていた。

 深海棲艦から、この世を守りたい。

 ただその一心で。

 

 もちろん憲兵妖精の容赦のない監視に参る日もあるが、そんなときこそ彼は己の原点を思い返し、初心へと帰るのだった。

 

 忘れてはならない。

 故郷が襲われた日を。

 深海棲艦に対する憎しみを。

 そして……

 

『兄さん……』

 

 掛け替えのない存在を失った、あの瞬間を。

 

 

 

 

 

 

「提督さ~ん! ちょっといいっぽい~?」

 

 ドア越しから、気の抜けるような声に、意識を引き戻される。

 声の主からして、夕立だろう。

 提督は強ばっているに違いない顔を両手で叩いて、表情筋をほぐす。

 考え事をしているとき、一人きりで過去に思いを馳せているとき、つい深刻な表情を浮かべてしまいがちなのだが、そういった顔はなるべく艦娘たちの前では見せたくはなかった。

 特に、自分を父親のように、あるいは兄のように慕ってくれている無邪気な駆逐艦の前では尚更だった。

 

「どうした、夕立? こんな夜遅くに」

 

 提督が返事をすると、ひかえめに開けられたドアの隙間から、ひょこっと夕立の顔が現れる。

 彼女は「えへへ♪」とイタズラを楽しむ少女のような笑顔を提督に向けた。

 

「あのねあのね? 提督さんに見てもらいたいものがあるんだ~」

 

「見てもらいたいもの?」

 

 なんだろうか。

 夕立のことだから、心臓に悪いサプライズをするようなことはないと思うが。

 

「ほらっ、いつまで恥ずかしがってるっぽい? 提督さんに見せるって決めたんでしょ?」

 

「ま、待ってください夕立さん! わ、私まだ心の準備が!」

 

「もう! さっきもそう言って逃げようとしたでしょ! ここまで来たら覚悟を決めるっぽい!」

 

 なにやらドアの向こうで、何者かと小競り合いをしている様子。

 聞き覚えのある声のような気がするが、あまり聞き慣れない慌てふためいた声のような気もする。

 はて、誰だろうか。

 

「んもう~だらしないんだから~! こういうのは勢いで行くっぽい! そ~れっぽ~い!」

 

「はわわ!? お、押さないでください夕立さん! ひゃああっ!」

 

 夕立のかけ声と共に、強引に司令室の中に入室させられる人物。

 その者の姿を目に収めた提督は……

 

「え?」

 

 思わず、素っ頓狂な声を上げた。

 同時に、胸に去来するひとつの感情。

 それは提督に、ひとつの幻影を見せた。

 

「……、……っ」

 

 衝動的に口から出そうになった名前を、提督は引っ込めた。

 いや、そんなはずはない。あの子はとっくの昔に……

 では、目の前にいる少女は……

 

「えへへ♪ どう提督さん? かわいいでしょ?」

 

「はぅ~……」

 

 ニコニコと微笑む夕立に反して、顔を真っ赤にして縮こまる少女。

 そんな少女の背を、夕立は後ろからグイグイと押して、提督の前へと突き出す。

 一瞬、新しく着任した艦娘を夕立が連れてきたのかと思った。

 だがそんな報告はない。

 となると……。

 

 間近で少女の姿を観察してみる。

 見覚えのある眩い銀髪。夕立と同じ背丈でありながら、大人も顔負けの抜群のプロポーション。

 まさか……

 

「……浜、風、か?」

 

 恐る恐る、提督はそう尋ねた。

 それほどまでに、記憶にある浜風と、目の前にいる少女との印象は……

 

「て、提督。その、あまり、見ないでください……はぅ」

 

 あまりにも、かけ離れすぎていた。

 

――――――

 

 顔から火が出そう。

 夕立さんは「絶対に大丈夫! 浜風ちゃんすごくカワイイっぽい!」って勇気づけてくれたけど。

 でも、やっぱり無理。恥ずかしくてしょうがありません!

 ただでさえ慣れないおしゃれをした上、その格好を、提督の前で見せるなんて!

 

「……浜、風、か?」

 

 提督が困惑した具合にそう尋ねてくる。

 うぅ……やっぱり、似合いませんよね、私がこんな女の子らしい格好をするだなんて。

 

 中身を変えるならまず見た目から。

 そう言った夕立さんのコーディネートは確かに私の印象を劇的に変えるものでした。

 

 まずは髪型。

 いつもは前髪に髪留めだけをつけている私。

 でも今回は夕立さんの案で、子どもらしさをアピールする髪型に変えました。

 短い後ろ髪をシュシュで無理やりふたつ結びにした、いわゆる、おさげになっています。

 鏡で見たとき、確かに普段より幼い印象になったなとは思いましたが……

 あう。でも絶対に似合ってないですよねコレ?

 活発で明るく幼く愛らしい漣さんや龍驤さんならともかく、堅物な私には不釣り合いですよぉ。

 恥ずかしくてカラダが小人さんみたく縮んでしまいそう。

 

 辛うじて前髪はいつものように片目だけ隠れている状態なのがありがたいです。

 本当は夕立さんに「両目が見えるように全開にしよう!」と言われたのですが、頑としてこれだけは勘弁してもらいました。

 片目だけ見られるのだって恥ずかしいのに、これで両目も全開にしていたら緊張通り越してショック死しかねませんよ!

 

 そして服装。

 いつも身に着けている陽炎型の制服から、普段なら絶対に着ないであろう私服に着替えています。

 フリルのついた白のブラウスに、腰部がコルセット状になったハイウエストの暗色スカート。

 清楚的で愛らしい洋装は、もちろん私の持ち物ではありません。

 夕立さんが姉である村雨さんに頼み込んで、借りてきたものです。

 白露型の中でも特に大人びていて女性らしく、おしゃれにも気を遣っている女子力の塊のような村雨さん。

 そんな彼女ならこういったセンスのある私服を何着を持っていても不思議ではありませんが、なぜわざわざ村雨さんから借りてきたのか、と夕立さんに尋ねると、

 

『だって姉妹で一番おっぱい大きい村雨の服じゃないと浜風ちゃんのサイズに合わないっぽい!』

 

 はい、おっしゃるとおりです。

 私があまりおしゃれに興味を持てないのは、ひとえにどんな服を選んでも胸元がキツすぎたり、生地が歪んで不格好でだらしない感じになってしまうことに、嫌気がさしているからに他なりません。

 ……ああ、まったく。この胸は本当にどこまでも私を困らせるんですね。

 

 でも夕立さんは、そんな私のように胸に無駄な脂肪がある人でもおしゃれに見えるという服を選んできてくれました。

 そのお気持ちはたいへん嬉しかったのですが……

 

 ギチギチと悲鳴を上げているブラウス。

 ボタンはいまにも弾け飛んでいきそう。

 

 はい、収まりきりませんでした。

 おかげでブラウスの胸元はだらしなく隙間が開き、無駄に大きい胸の谷間がお下品な感じに露出してしまっています。

 村雨さんほどの発育良好なかたの服ならさすがに合うんじゃないかと期待していたのですが……

 これには夕立さんも予想外だったようで「し、信じられないっぽい! 村雨のサイズでも入りきらないだなんて! 浜風ちゃん、どんだけおっきいの!?」と驚いておられました。

 

 結果、そこには幼さをアピールにするには、なんとも中途半端でアンバランスなファッションをした可愛げのない駆逐艦の姿がありました。

 

 うぅ、恥ずかしいよ~。絶対似合わないって思われてますよ~。

 もしここに谷風がいれば「うわ~。大学デビューのために流行のファッションに手を出したけど着こなせなくて結果的に周りから浮いて笑い物になる奴とおんなじ感じだね~」と腹を抱えて笑うことでしょう。

 ……なんか、本当に谷風なら言いそうで腹立ってきましたね。辛子練り込んだクッキー食べさせてやりたい(理不尽)

 

「提督さん提督さん♪ どう? 浜風ちゃんすごくかわいいでしょ♪」

 

「ゆ、夕立さん、だから押さないでくださいってば!」

 

 相変わらず縮こまってしまっている私の背を、夕立さんが後ろからグイグイと押します。

 

「ダメだよ浜風ちゃん。素直になるって決めたんでしょ? だったら恥ずかしがらないで、ありのままの浜風ちゃんを見てもらうっぽい」

 

 耳元で夕立さんがコソコソとそう囁いてきます。

 うぅ~、わかってはいるんですがやっぱり急すぎますよこんなの~。

 

「ほらほら提督さん、何か感想とかなぁい?」

 

 私の肩に顎をのせながら、夕立さんは提督に感想を求めます。

 まるで我が事のように爛々と期待に瞳を輝かせる夕立さん。

 こうしていると、本当に彼女は純粋で他人思いのいい人なんだな、と実感します。

 

 ……あう~。でもでも~!

 いくらおめかしをしてイメージを変えたからって、提督が『かわいい』と思うとは限らないじゃないですか~!

 だってだって、いつも可愛げのない無愛想なところばかり見せてきたんですよ?

 そんな娘がいきなり見た目を変えたぐらいで、提督の心に響くとは……

 

「ああ、その……すごく、かわいいと思うぞ?」

 

「……へ?」

 

 耳を疑い、思わず素っ頓狂な声が上がる。

 か、かわいい?

 いま、提督、私のこと、かわいいって……

 

「て、提督、あの、本当に、そう思いますか?」

 

 恐る恐る尋ねると、提督は「ああ」と、どこか惚けた表情で頷く。

 

「いや、冗談抜きで見違えたぞ、浜風。お洒落したら、もっと可愛くなるとは思っていたが……驚いたな、まさかこんなに……」

 

「へ、変ではないですか?」

 

「ああ、すごく似合ってるぞ? なんというか……すごく、女の子らしくなった」

 

「……」

 

 かわいい。

 女の子らしい。

 提督が、提督が……そんなことを、言ってくださるなんて……

 

「やった! よかったね浜風ちゃん? 提督さん『かわいい』だって! 勇気出しておしゃれした甲斐があったっぽい! ……って、浜風ちゃん、聞いてるっぽい?」

 

「……すみません。少々、お花を摘みに行ってきます」

 

「え? は、浜風ちゃん? あ、じゃあ夕立も行くっぽい! 提督さん、またあとで来るっぽい!」

 

「え? あ、ああ……。何だったんだ?」

 

 

――――――

 

 

「ちょっと浜風ちゃん待ってっぽい! せっかくいい感じだったのに、おトイレぐらい我慢するっぽい! って聞いてる浜風ちゃん?」

 

 司令室から出てまっすぐトイレに向かう私。

 夕立さんが後ろから何か言っていますが、私は聞く耳持たずトコトコとトイレの個室に入室。

 便器の蓋を開けて、まだ用も足していないのに水を流す。

 ジャーッと激しい水流の音。

 その音にまぎれて私は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うれしいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」

 

 歓喜の絶叫!

 

 わああああああああああ♪

 ふにゃああああああああ♪

 提督に『かわいい』って言われちゃったああああ♪

 浜風嬉しい~♪

 嬉しすぎて変になるううぅう♪

 ダメ~♪ こんなニヤけたお顔、提督に見せられない~♪

 はううう♪ でもでも抑えられないよ~~♪

 提督が『かわいい』って! 浜風のこと『かわいい』って……はにゃああああん♪

 提督やっぱり優しいよぉぉおお♪

 浜風は、浜風は、そんな提督だから……浜風はあぁあ♪

 

「提督大好きいぃぃぃ♡」

 

「アホかあああああっぽいいいいいいい!」

 

「はまああああ!? ちょ、ちょっと夕立さん! 扉這い上って個室に入ってこないでくださいよ! えっち!」

 

「黙るっぽおおおいい! このヘタレ腰がああああ!」

 

 いきなり個室に侵入してくるやいなや、おっかない顔で私の両頬ぎゅっとつねってくる夕立さん。

 

「にゃ、にゃにしゅるんですかぁ?」

 

「浜風ちゃんさぁ……目的忘れてない?」

 

「も、もちろんでしゅ。て、提督に素直ににゃってあみゃえるって……」

 

「うん。だったら、なんで本来提督さんの前で伝えるべき気持ちを、こんな場所で吐き出してるっぽい?」

 

「そ、それはそのぉ……なんか、提督に『かわいい』って言われただけでも充分満足な気持ちになってしまって……」

 

 だって、そんなこと一度も言われたことなかったから。

 だから、嬉しさのあまりつい頭が真っ白になってしまって……

 

「えへへ~♪ どうしよう~思い出しただけでまたニヤけちゃいます~。はぁ~正直これでもう思い残すことはないってぐらい浜風的には大きなご褒美……ふみゅうぅぅう!?」

 

 だらしない顔つきになっているだろう私の頬を、夕立さんは無表情でさらにつねる。

 

「浜風ちゃん、提督さんに頭撫でてもらいたくないの?」

 

「にゃ、にゃでられたいでしゅ」

 

「浜風ちゃん、提督さんに抱っこされたくないの?」

 

「でゃ、でゃっこされたいでしゅ」

 

「だったらあ! こんなことで満足しないで、もっと押し押しで行けっぽいいいいい!」

 

 ひいいい!

 なんだか夕立さんが鬼コーチみたいに恐ろしい感じに!

 

「夕立、約束は絶対に守るっぽい! なんとしてでも浜風ちゃんには素直になってもらって提督さんに甘えてもらうっぽい!」

 

「あ、あのぉ、今日中じゃなきゃダメなんですか? やっぱり私的には段階を踏んでちょっとずつのほうが……」

 

「甘ったれたこと抜かすなっぽい! そうやって『いつか、いつか』って先延ばしにした結果、いまみたいな状況があるんでしょっぽい!」

 

 はう! 図星なので言い返せない!

 

「浜風ちゃん! イメチェン作戦はとりあえず成功したっぽい! 好感触っぽい! あとはちゃんと提督さんに自分の気持ちを打ち明けるだけっぽい! さすればそこには、提督さんとの甘々な日々が待っているっぽい!」

 

「あ、甘々な日々……」

 

「気持ちいいよぉ? 提督さんのナデナデは気持ちいいよぉ? されたいかぁ? されたいっぽいよね~?」

 

「は、はい~……」

 

「よぉし! じゃあもう一回提督さんのところに行くっぽい! 今度こそかわいく変身した浜風ちゃんのパワーで、提督さんをメロメロにしちゃうんだっぽい!」

 

「メロメロ……提督が私にメロメロ……そうしたら、もっと『かわいい』って褒められて、かわいがられて……え、えへへ♪」

 

「妄想に浸ってる暇があったら行動を起こして現実にしろっぽぉおおい! 時間は有限っぽい! 一分一秒たりとも無駄にするなっぽい!」

 

「ひっ!? は、はいコーチぃぃ!」

 

 

 何やらいつのまにかスポ根みたいな流れになった中、私たちは改めて司令室に向かうのでした。

 

 はう……。

 素直になれるようお願いしたのは確かに私ですけど……こんな過酷なのは望んでいませんよ~!?

 

――――――

 

 その頃の司令室……

 

(いやあ、意外だったな。浜風があんな女の子らしい格好をするだなんて。かわいいっちゃかわいかったが……でも)

 

 ブラウスを突き破らんばかりだった凶悪な膨らみを、提督は思い浮かべる。

 ただでさえ胸の輪郭がはっきりとわかる服装。

 その上でギリギリのサイズを浜風が身に着けようものなら……

 

「目の毒でしかないんだよなあ……」

 

 何がじゃあ? と横から憲兵妖精が睨んでくる。

 今日も今日とて、煩悩を必死に振り払いながら提督は思う。

 

 お洒落はたいへん結構。

 だか、できればもうちょっと大人しめの服を着てくれないと、こっちの身が持たないと。

 

 

 

 キリキリと痛む胃に合わせるように、外では黒雲が大きな雷鳴を轟かせ始めていた。





 ファンイラストで見た『おさげの浜風』が可愛すぎておかしくなりそうです。


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