Bの来訪/ウィンディ・シティ・ダークナイト (ゐづみ)
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プロローグ

 デヴィッド・マケインは酔っていた。

 空になったウォッカの瓶を片手に、千鳥足で街を徘徊する。夜風は肌を刺すように冷たいが、酒によって火照った体はそのことを意識させない。視界は歪み、蹴躓いて何度も転びそうになる。吐き気はひっきりなしに押し寄せてきて、気を抜くと直ぐにでも腹の中のものをぶちまけてしまいそうだった。

 お世辞にも幸福な人生とは言えなかった。

 生来、気の小さい男だった。常に他人の目を意識しながら、誰の目にも障らないように生きてきた。特別真面目な性格だったというわけでもなく、自分に対して悪意を向けてくる人間を心のなかで口汚く罵りつつも、言われたことには只々頷くばかりだった。敵を作らないように頼まれごとは常に、はい、はい、と従い続けてきた。どんなに嫌なことでも、それが自分の平穏無事な人生のためなのだと言い聞かせて。敵を作らなければ安泰、悪意は自分の中で留めおけば良い、それがデヴィッドの人生哲学だった。

 だからこそ、悪い奴らにつけ込まれた。もともと悪徳が跋扈するような街だ、清廉潔白に生きようとすることは難しい。この街に生きる人間は皆、それなりに自らの手を汚すことで、それなりの人生を送ることをよしとしている。ジュニア・ハイスクールに入る頃には、ほとんどの人間が軽犯罪を犯していた。人の腐敗とはすなわちシステムの腐敗だ。警察や司法だって、街の悪徳とべったり懇ろになりながら、臆面もなくその看板を掲げている。デヴィッドも例外ではない。窃盗や傷害は彼の日常の一部だった。ただ他の人間と違っていたのは、デヴィッドは自らすすんでそういった行為をしなかったということ。悪友の誘いがあればまず断りはしなかったが、胸の裡に蟠る罪悪感は常に彼を蝕んでいた。本当はこんなことはしたくない、平穏無事な人生を送りたい。自らの想いとは裏腹に、頼みを断らないデヴィッドの気質は、彼を裏社会のより深い部分へと誘って行った。

 その日の仕事も、悪友からの誘いだった。ごく簡単なトランスポート。男からアタッシュケースを受け取り、駅にあるロッカーに仕舞う。たったそれだけのことで、莫大な報酬が支払われる。配達物がまともでないことは明らかだった。

 悪友は実働をデヴィッドに一任した。仕事を持ってくる自分とそれをこなすデヴィッド、完全に公平な分業であり故に報酬は折半だと彼は言う。実際に危険を伴うのはデヴィッド一人であり、到底受け入れられるものではなかった。それでも誘いは断らなかった。報酬に対する異議も唱えない。いつものように、はい、はい、とただ従う。この悪友とは既に何度も危ない橋を渡っている。いまさら彼が敵になるようなことがあれば、自分の人生の平穏は望めなくなるだろう。

 仕事の当日、指定されたのは寂れたアパートの一室。建物の壁面は塗装が剥げ落ち、今にも崩れてしまいそうなほど老朽化している。まともな人間であればまず近づこうとはしない場所であり、だからこそ犯罪組織が利用するのにはうってつてだといえる。中に入ると饐えた臭いが鼻を突いた。なま物が腐ったような異臭に胸がムカムカしてくる。裏社会に足を踏み入れた者なら誰だって嗅いだことのある不快な臭い。これは死の臭いだ。死体の腐敗臭だ。この部屋には既に死体は転がっていないが、処刑や拷問に何度も使われているのだということは容易に想像がついた。血液や体液を幾度と無く吸い込んだ床や壁が、その記録だと言わんばかりに死の空気を主張している。一刻も早くこんなところからは出て行きたい。

 しばらくすると男がやってきた。麦わら帽子を目深にかぶっていて、顔を伺うことはできない。半ズボンにアロハシャツというふざけた出で立ちで、この場所には全くもって似つかわしくない。男が差し出したアタッシュケースをデヴィッドは黙って受け取る。持ってみると、想定していたよりもいくらか軽かった。少し揺らしてみると中からジャラジャラとした音が聞こえてくる。金属かプラスチック製の何かが箱いっぱいに詰まっているようだ。てっきりドラッグの類だと思っていたので少し意外だった。

 男は一言「頼んだぜ」と言い残し部屋を出て行った。説明は一切なく、デヴィッドについても全く関心が無いようだった。こういう普通じゃない仕事を請け負う際には、潔癖なまでに身辺を洗われるのが常だ。そして、自分のような若い者が雇われる場合は「妙な気は起こすんじゃないぞ」と必ず一言釘を差される。こういう末端の仕事をきっかけに裏社会でのし上がろうとする野心を持った若者は多くいる。そういった連中は商材をくすねたり、仕事を反故にして組織と取引しようとする。そんなことをしても待っているのは無残な死だけだというのに。

 しかし先程の男はデヴィッドに対して何も言わなかった。しかも驚いたことに、受け取ったアタッシュケースには鍵すらついていないのだ。見たところよくある形の何の変哲もないケースで、外観からはセンサーの類も見受けられない。不用心を通り越して最早無関心といえる。受け取ったデヴィッドがこれでなにをしようが、別にどうでもいいと言わんばかりに。

 僅かな好奇心が疼いた。今まで悪友の持ってきた仕事を何度かこなしてきたが、ここまで放任されたのは初めてだった。仕事の相手はいつもデヴィッドのことを威圧してきた。「妙な気」なんて起こりうるはずがなかった。必要以上に裏社会に踏み込むことは自分の平穏な人生をふいにしてしまう行為であり、与えられた仕事は無感情に淡々とこなすよう努めてきた。今回もそうするつもりだった。だが、手に持ったアタッシュケースが、蠱惑的にデヴィッドの精神を誘惑してくる。闇への招致。背徳への渇望。自らを律し続けた結果、抑圧に晒されていたデヴィッドの精神が解き放たれる瞬間を今か今かと待っていた。

 思えば自分は既に取り返しの付かないほどに手を汚してしまっている。言われるがままに、はい、はい、と従ってきたためにもう立派な裏社会の一員だ。平穏な生活なんてとっくに手放してしまっていた。今更何故、自己欺瞞を続けていたのだろう。もう、いいんじゃないか。自分はもう自由になっていいんじゃないか。この街で生きていく最善手が今手の中に収まっている。

 デヴィッドは指定された駅とは反対方向に走りだしていた。

 近くにあったマーケットに駆け込み、ウォッカのボトルを買い込む。はやる心を落ち着かせられず、ポケットから紙幣を掴み出して、カウンターにたたきつけた。面食らった店員を無視して、急いで店を後にした。汗が噴き出る。息が上がっている。自分史上かつてない危険を今犯している。後戻りするなら今だ。平穏な人生はまだ背後にある。いや、そんなものは最初からなかった。自分で自分を偽っていただけだ。

 ボトルを開け放ち、浴びるようにウォッカをあおる。嚥下する度に喉が灼けるように熱い。胸も、腹も、全身が灼熱していく。数秒のうちにボトルを空にするとそれを投げ捨て、次を開けた。シラフでなんて居られない。冷静でいればきっと後悔する。意識を混濁させろ。忘我になれ。今までの自分を捨てろ。古い精神をアルコール消毒してしまえ。一瞬のうちにデヴィッドは、蕩けるような泥酔状態に陥っていた。

 割れるように痛む頭をぶら下げながら街を徘徊する。ひと目につかないところを。暗がりの中を。裏路地から裏路地へ、汚水を踏みしめ、汚泥を蹴飛ばし、汚濁を泳ぎながら。いつしか道は行き詰まり、袋小路に至っていた。先ほどのアパートの一室とは性質を異にする悪臭が漂っている。ゴミや泥や糞便の臭いだ。裏社会のものとは違う、ごくありふれた人の営みの成れの果て。人間社会の底辺、そんなものを思わせる臭いだ。

 この辺りでいいだろう。自分の人生をここからリスタートする。底辺からのし上がる。お誂え向きだ。あたりを見渡し人の姿がないことを確認すると、ズボンや服が汚れるのも気にしないでその場に腰を下ろした。あぐらをかき、その上にアタッシュケースをのせる。この中にきっと、自分の人生を変えてくれるシロモノが入っているはずだ。酔いのお陰で緊張も後悔もない。新しい自分の幕開けを宣言するようにケースを開け放つ。

 中には全長10cm程の長方形をした物体がびっしりと詰まっていた。骨を思わせる意匠が施されていて、中央には骸骨を彷彿とさせるデザインロゴで『M』と記されている。そして先端にはUSBコネクタのような突起がある。というより、外観そのものが大きなUSBメモリのようだ。

「これってもしかして……」

 デヴィッドは聞き覚えがあった。

 “ガイアメモリ”。近頃俄に裏社会で話題に上がるようになった商材。ドラッグの一種であり、使用すればコカインやヘロインなどとは比べ物にならないほどの快感が得られるのだという。USBメモリのような形をしていて、注射器のように肌に直接刺し込むことで中の薬物が浸透していく。依存性は極めて高いが繰り返しの使用ができるため、一本一本が尋常じゃない値段で取引されているという。噂には聞いていたが、実在するとは思っていなかった。

 ざっと見ただけで50本は入っているだろうか。これの商いを橋頭堡にすれば、裏社会でのし上がっていくのも夢ではない。想像以上のシロモノに、意図せず笑いがこみ上げてくる。これは神の恵みか悪魔の誘いか。どちらでも構わない。自分の人生は今まさに新たな局面を迎えようとしている。平穏なんて糞食らえだ。デヴィッドの頭のなかには、快楽に溢れた未来の光景がありありと広がっていた。

 試しに一本を手にとってみる。芸術品めいた精緻な細工が施されている。ロゴの下部にはスイッチのようなものが有り、きっとこれで薬物を注入するのであろうことが伺える。

 酒に惑わされた頭が、再び好奇心を煽り立ててきた。現存するあらゆる薬物を凌駕する快感。果たして一体どういったものなのか。デヴィッド自身、悪友の誘いでドラッグをヤったことはある。現世から解き放たれるような、名状しがたい快感を何度か経験している。しかし、依存症になる程ではなかった。きっと薬物依存に耐性があるのだろうと自分では思っていた。ただ、そんな過去の薬物など比じゃないほどの快感となればどうだろう。どんな心地がするのだろう。自分は耐えられるだろうか。一度鎌首をもたげた興味は、尽きること無く溢れ出る。

 大切な商材の一本を中古にしてしまうのは惜しい。だが、売人であればこそその味を知っておかなければ。自分の理性を言い負かす言い訳ばかりがデヴィッドの頭に浮かんでくる。そもそもアルコール漬けになった頭には理性などわずかばかりしか残っていなかった。

 一度だけ。ほんの一度だけ。デヴィッドは手に持ったガイアメモリを徐ろに手首に突き立てようとした。

「そいつを渡してもらおうか」

 暗闇から声がした。

 直後、何かにデヴィッドの手が弾かれる。気づくと、持っていたはずのガイアメモリが消えていた。

 バチッ。飛び散る火花。

 前方の壁に壊れたガイアメモリが縫い付けられていた。蝙蝠型をした手裏剣によって。

 まさか。

 アタッシュケースを閉じ、立ち上がる。先ほどのくぐもったような声は背後から聞こえた気がした。しかし、正確な位置は読めない。振り返ると見通しの悪い暗闇が広がっている。どこだ。

 急速に酔いが冷めていくような錯覚を覚える。この体を奔る寒気は夜風だけが原因じゃないだろう。デヴィッドは闇に目を凝らす。そこに潜むであろう存在を探す。

 まさか。

 見当たらない。長く夜を彷徨って闇に目は慣れているはずだ。袋小路である以上、来る方向は限られる。手裏剣も背後から飛んできた。道幅は広くない。見当たらないはずはない。

 まさか。

「こっちだ」

 上からの声。見上げる。同時に視界が暗転する。胸部に衝撃。いつの間にかデヴィッドは汚泥の上に仰臥していた。

 胃の中の物が逆流し、寝転びながら盛大に嘔吐する。口や鼻が吐瀉物でふさがり、窒息寸前になる。

 相手は斜め上空から飛来し、デヴィッドの胸に強烈な蹴りを食らわせたのだ。

 何度も咳き込みながら立ち上がろうとするが、全身に力が入らない。手足がしびれて言うことを聞かない。たった一撃で、デヴィッドは戦闘不能状態となった。

 デヴィッドの視界がはためくマントをとらえる。暗闇の中にある漆黒。そのマントを纏う者は、同じく漆黒の甲冑と漆黒のマスクを身につけている。闇の騎士の名が表す通り、闇そのものが具現化したような存在感。

 この街の裏社会に生きるものなら誰もがその名を知り、恐れる。この街の番人にして、恐怖の象徴。

 バットマンがデヴィッドを見下ろしていた。

「若いな。それに体も脆い。さっさと足を洗うことだ」

 そう言ってアタッシュケースを拾い上げると、バットマンは天へとグラップネル・ガンを放ち、そのまま飛び去っていった。

 あぁ、そうだった……。

 デヴィッドは動かぬ体から力を抜き、思う。ゴッサムシティにはバットマンがいる。この街の悪徳はバットマンが排除する。この街の裏社会に入っていくということは、バットマンと敵対するということだ。

 敵を作るのが嫌だった。平穏な人生を送りたかった。なのにどうして、もっとも敵に回しちゃいけない相手と対立する道を選ぼうとしたのだろうか。

 汚物と自身の吐瀉物にまみれながら、デヴィッドは意識を失った。もう二度と犯罪に手を染めることはしないと胸に誓いながら。

 

 アタッシュケースを開けると大量のガイアメモリが詰まっていた。その徴はすべて『M』、マスカレイド。現在ゴッサムで流通しているガイアメモリの全てはこのマスカレイドだ。

 流通速度が遅々としていることからも、単一犯の可能性が大いにある。しかし遅いからといって、すべての流れを押さえられているわけではない。このままではいずれ、自分の手に負えない事態になってしまうだろう。或いは、もう既になってしまっているのかもしれない。

 状況を打開するには、根元を断つより他ない。

 バットケイブへと通信をつなぐ。

「アルフレッド、日本へ発つ。手配をしてくれ」



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第一章

 夜風が街を往く。

 目に映る明かりの一つ一つの下には、人の営みがある。街を愛し、街に愛された人々の。そのすべてを包み込んで、今日も街には風が吹く。

 ならば、その街を護ることが自分の使命だと思う。人々の営みを護り、街に笑顔を絶やさない。いつまでも良い風が吹く街であり続けて欲しい。心からそう願う。自分の戦いはそのためにあるのだ、と。

「夜の空気の権利を取っているものはまだ誰もいない。だが、権利を取りたいと考えているものは大勢いるだろう。そのうちに、きっと誰かが取るにちがいない」

 だが、この街の夜だけは誰のものにもさせはしない。そう、風都にこの左翔太郎がいる限り。

「……byフィリップ・マーロウ」

 決まった。

 瞳を閉じ、ウィンドスケールのハットの鍔をスッと撫でる。翔太郎の中で、夜風を纏ったハードボイルドな探偵のイメージが完全に出来上がっていた。

 ぱこーん!

 直後、間の抜けた快音が風に乗って街に響いた。

「なーにをカッコつけてんのよあんた!」

「いってーな亜樹子! なにすんだよ!」

 私立探偵、左翔太郎の傍らには自称・鳴海探偵事務所所長、鳴海亜樹子の姿があった。お手製の「なんでやねん」と書かれたツッコミ用スリッパを握りしめ、呆れ顔で翔太郎を見ている。

「なにが『byフィリップ・マーロウ』よ、ハーフボイルドのくせに粋がってんじゃないわよ」

「うっせぇ、ハーフって言うんじゃねぇ」

 折角の良い気分を台無しにされ憮然とする翔太郎。この所長がいる限り自分のハードボイルド探偵への道は険しくなりそうだと内心で嘆息する。

 鳴海探偵事務所は風花町一丁目「かもめビリヤード場」の二階に居を構え、所長の亜樹子と探偵の翔太郎そしてその相棒のフィリップの三人で運営されている。亜樹子の父であり翔太郎の師匠である鳴海荘吉が立ち上げ、彼の亡き後を翔太郎が引き継いだ。風都の中でも名の知れた事務所であり、日々依頼が舞い込んでくる。ペット捜索のような些細な案件から重大犯罪まで、様々な事件を取り扱う。依頼人やその内容に貴賎はなく、報酬さえ貰えればどんな仕事も承るというのが所長の方針だ。

 この日は偶然依頼がなかったため、翔太郎は気晴らしに夜の散歩に繰り出していた。事務所からほど近い場所にある風都ホール、中では音楽イベントをしているのか演奏の音が漏れ聞こえてくる。ホールを背にしながら風都湾を眺める。船舶の姿はなく、海面に反射した街の景色が煌めいて見える。夜の街に黄昏れる探偵、さぞ絵になっていたことだろう。それをぶち壊しにされたことに、翔太郎は怒りを通り越して諦念を抱いていた。

 鏡写しになった街を眺めながら翔太郎は想う。ランドマークである風都タワーが見下ろすこの街を翔太郎は愛していた。自分を受け入れ育ててくれたこの街を泣かせる犯罪者は絶対に許せない、と。風都で発生する多くの犯罪には“ガイアメモリ”が絡んでいる。地球の記憶を内包し、使用者に超常的な力を与えるガイアメモリ、それに関連する事件を鳴海探偵事務所はこれまでに幾度も扱ってきた。警察ですら手を焼くことが多く、ことガイアメモリ事件に関しては鳴海探偵事務所は専門家と言っても過言ではない。

 白けてしまった気分を引き連れ事務所に戻ろうとする翔太郎。

 瞬間、轟音が街を揺るがした。

「なになにぃ!?」

 驚愕に声を上げる亜樹子。

 翔太郎は音のした方へ振り返る。風都湾に隣接する倉庫街、そこで火の手が上がっていた。すると、立て続けに爆発。更に火の手が拡大していく。

 尋常成らざる光景が広がっている。事故なのか何なのか、ここからでは伺い知れない。

「亜樹子、お前は警察と消防に連絡して、それから事務所に戻ってろ」

 持ち前の正義感が働く。近隣に駐めてある“マシンハードボイルダー”の方へと翔太郎は駆け出した。

 バイクに跨り、エンジンを掛け、アクセルを全力で煽る。エキゾーストを轟かせ、モンスターマシンが疾駆する。翔太郎は前傾姿勢で風を受けながら、現場へと急行した。

 

 そこでは異形の怪物が破壊の限りを尽くしていた。

 目についたものをかたっぱしから攻撃していき、壊れる様を楽しんでいる。手にしたばかりの力を試すかのように、手応えの一つ一つを確認しながら。より大きい物、より堅いものへと破壊の対象を広げていき、際限ない破壊の連鎖を見せていく。

 幸い辺りに人影はなく被害は物的なものに限られる。しかしその規模は甚大で、今にも倉庫街一帯を焼きつくす勢いだ。

 現場に辿り着いた翔太郎が怪物の姿を認める。暗澹とした黒紫色。禍々しい非生物めいたシルエット。人の形こそしているが、嫌悪感を掻き立てて止まない冒涜的なフォルムをしている。そして下腹部には、核を思わせる球状の器官が浮かび上がっている。それを見て翔太郎は核心した。

 “ドーパント”。ガイアメモリを使用することによって変化した人成らざる化け物。メモリによって悪感情を増幅させられ、破壊の権化となってしまった者。風都を脅かす悪。この街を泣かせる、翔太郎の敵だ。

 最早一刻の猶予もない。

 翔太郎は“ダブルドライバー”を手にし、腰にセットする。すると、翔太郎の意識が鳴海探偵事務所にいるはずのフィリップとリンクする。ダブルドライバーをバイパスすることによって、二人の探偵は意識を共有する。

「ドーパントが出た。いくぜ、フィリップ」

『あぁ、翔太郎』

 事務所のソファで読書をしていたフィリップは、腰に出現したドライバーに気が付き立ち上がる。相棒からの要請。二人が一つになる時。

 フィリップは懐からガイアメモリを取り出す。『S』の徴、“サイクロン”。

 時を同じくして、翔太郎もメモリを取り出す。『J』の徴、“ジョーカー”。

『サイクロン!』

『ジョーカー!』

 スタートアップスイッチを押しこむことで、メモリから発せられるガイアウィスパー。

「『変身!』」 

 掛け声と共にフィリップはメモリをドライバーのスロットに挿入する。するとサイクロンメモリは翔太郎のスロットへと転送される。更に翔太郎は、そこにジョーカーメモリを差し込み、ドライバーを展開する。

『サイクロン! ジョーカー!』

 浮かび上がる『W』のカタチ。

 翔太郎の顔に線形の紋様が現れる。そして風が舞い上がり、ドライバーから発せられる物質化したエネルギーが翔太郎の体を包み込む。鎧を纏うが如く、その体が装甲されていく。風の記憶を体現するメタリックグリーンの右半身と、切り札の記憶を体現する漆黒の左半身。たなびく銀のマフラー。

 仮面ライダーW、風都を護る英雄がその姿を現す。

 ガイアメモリの力によって同じく超人となったWがドーパントの前へと躍り出る。それまで破壊に興じていたドーパントが、その存在に気付き、手を止めた。

 炎上する倉庫街を背景に二人の超人が相対する。Wの総身には怒りが漲っていた。

「てめぇ、なんだってこんなことしやがる」

「ハハハ、変な奴が出てきたなぁ! どこから来た? 何者だ? この俺に何か用か?」

「質問してんのはこっちだ」

「先に質問したからなんだってんだ。こっちも聞きたいことがあるって言ってんだろ。ほら質問に答えろよ」

「この野郎!」

 ふざけた態度を取るドーパントに対し、痺れを切らす翔太郎。敵に向かってWは全力で駆け出した。サイクロンメモリの能力による、文字通り風のような疾走。

 加速の勢いを乗せた拳撃を繰り出す。狙いは過たず、敵の腹部を直撃する。確かな手応え。怯む敵の顔をめがけて、追撃をあびせる。直撃。ドーパントは仰け反り、そのまま後方へと倒れた。

「ぐえぇ~、なんだ強いじゃないか、ハハハ」

 倒れながらも、どういうわけか痛みを感じる素振りすら見せず哄笑するドーパント。その態度が更に翔太郎の神経を逆撫でした。

 立ち上がろうとするドーパントの側頭部をめがけて蹴りを繰り出す。またも命中。受け身すらとろうとせず、ドーパントはWの為すがままにされている。先ほどまでの暴虐ぶりが嘘のように、攻撃の意思すら見せようとしない。

 フィリップが些かの違和感を覚えつつも、Wは攻撃の手を緩めない。目の前の敵がこの倉庫街を火の海にした事実に変わりはなく、一刻も早く除かねばならない悪であることは間違いないからだ。

 Wのどんな攻撃に対してもドーパントは反撃どころか、避けも防ぎもしない。立て続けに浴びせられる攻撃を只々受け続けている。そして、それを受けるたびに人を食ったような笑い声を上げるのだ。

 Wがドーパントの胸倉を掴みあげる。

「てめぇ、いったい何がしたいんだ」

「何がしたいかだと? ハハ、それはこっちの台詞だ。お前こそ何がしたい。いきなり出てきたかと思ったらさんざん俺のことを殴りつけやがって。俺が一体何をした。俺はただここで、遊んでいただけだ。なのにお前はまるで俺を悪人みたいに」

「ふざけんな。街をめちゃくちゃにしやがって。この街を泣かせる奴は誰であろうとこの俺が許さねぇ」

「街を? ハハハ、そうかお前もそういう手合か。おいおい、こいつは一体どんな冗談だ。いやはやいるところにはいるもんだねぇハハハ」

「何がおかしい。その笑い方をやめろ」

 ドーパントの哄笑は聞く者の不快感を絶妙に煽ってきた。思わず翔太郎も激情にかられてしまう。なんだかわからないが、こいつには腹が立つ。怒りに任せて、その顔を思い切り殴りつける。やはり無抵抗。その態度がどうしようもなく翔太郎の心を苛つかせた。

 次第に平常心を失っていく翔太郎を、フィリップが嗜める。

『落ち着くんだ翔太郎。戦うつもりがないなら好都合だ。メモリブレイクをしよう』

 相棒の言葉に、いくらか冷静さを取り戻す。そうだ、ハードボイルド探偵が下らない敵の誘いで平静を崩してどうする。翔太郎は自らの未熟さに恥じ入った。

「……あぁ、そうだな。いくぜ相棒」

 これ以上敵の戯れに付き合う必要はない。

 ドライバーからジョーカーメモリを抜き取り、ベルト側面にあるマキシマムスロットに刺し込む。

『ジョーカー! マキシマムドライブ!』

 響くガイアウィスパー。

 すると、Wの体が旋風を巻き上げながら宙へと上っていく。周囲の物を巻き込みながら旋風はどんどんとその勢いを強め、蓄えられた力がWの体へと漲っていく。膨れ上がったエネルギーが、解き放たれる瞬間を待ちわびてバチバチと発光する。

 さしものドーパントも、その姿には驚愕の色を露わにした。しかし次の瞬間には再び笑い出す。まるで滑稽なショーでも観覧しているかのように。

 マキシマムドライブはガイアメモリに込められた力を極限まで高め開放する。Wの必殺技であり、対ドーパントの最終兵器である。

「『ジョーカー・エクストリーム』!」

 宣言と同時にエネルギーを解き放つ。

 敵ドーパントに狙いを定めた、空中よりの文字通りの飛び蹴り。中央で割断し、二つとなったWの体がそれぞれに敵に向かって突貫する。必滅の力が込められた連撃が、敵の体を見事に貫いた。

 ガイアメモリの持つ全てのエネルギーをぶつけられたドーパントは眩い光を放ちながらその場で爆裂する。

 勝敗は決した。

 再び一つの体に戻ったWが、角を撫でながら勝利を噛みしめる。不快且つ奇妙な相手であったが、風都のヒーロー・仮面ライダーの敵ではなかった。

 ドライバーを閉じ、変身を解除しようとする。が、そこで異変に気づいた。

 爆裂した敵の巻き上げた黒煙、それが晴れるとそこに人の姿はなかった。

 メモリブレイクとはガイアメモリ使用者の体内にあるメモリを破壊し体外に排出することを言う。Wの必殺技のような強いエネルギーを与えられることによって、ドーパントとしての体を保てなくなりメモリは破壊される。故に本来ならばメモリブレイクをされると、戦闘不能になった使用者とメモリの残骸がその場に残されているはずなのだ。

 しかし今Wの目の前にはそのどちらも存在しない。確かに敵を倒したという感触はあったが、結果として取り逃してしまったことは明らかだ。

 使用者とメモリの残骸の代わりに、そこにはぬいぐるみが在った。先ほど戦った黒紫色のドーパント、それを抽象化したようなデザインのぬいぐるみが、腹を割かれ、内臓のように綿を溢れさせながら横たわっていた。明け透けなまでの挑発。あのドーパントの哄笑が聞こえてくるようで、翔太郎は歯噛みする。

 敵を取り逃した。どういう理屈かは分からないが、Wの必殺技は敵を捉えていなかったようだ。

 未だ炎上を続ける倉庫街の中、Wは孤独に立ち尽くす。屈辱がその胸を支配した。追跡をしようにも、すでに辺りに敵の気配は感じられない。それに消防が到着するまで、ここをそのままにしておくわけにもいかない。野次馬目的で近づいてくる人間が居ないとも限らないので、もう少しここに留まっておくべきだろう。もどかしい気持ちを抱えながら、再び変身を解除しようとする。

 しかし、またもそれは阻まれた。

 背中に刺痛。何かが飛来し、突き刺さったような感触。

 慌てて振り返る。炎に照らされた倉庫街に人の姿はない。

 先ほどのドーパントは周囲に隠れていたのか。翔太郎は感覚を研ぎ澄ませる。視線を巡らせ、辺りを警戒しながら徐ろに背中へと手を伸ばす。やはり何かが刺さっている。

 警戒を緩めないまま、背中を何かを抜き取り確認する。それは奇妙な形をした金属片だった。側面が鋭利に研ぎ澄まされた刃物のようになっていて、投擲用の武器であることは間違いない。その形は使いやすさとデザイン性を兼ね備えて設計されているようで、何かしらのシンボルであるように見受けられる。それはさながら翼を広げた蝙蝠のようであった。

 敵がいよいよ反撃に転じてきたことに対し翔太郎は僅かな高揚感も感じつつも、武器にまで戯れを含ませていることにやはり憤りを感じさせられる。どこまでも人を馬鹿にしたような態度だ。

 敵は飛び道具を使ってきた。ならばこちらも、相応の装備で対抗する必要がある。

「フィリップ、メモリチェンジだ」

 Wは新たなガイアメモリを取り出す。『T』の徴、“トリガー”。

 一度ドライバーを閉じ、ジョーカーとトリガーのメモリを交換してから、再度展開する。

『サイクロン! トリガー!』

 ガイアウィスパーが唄い、Wの左半身が色を変える。銃撃手の記憶を体現するスカイブルー。そしてその胸には専用武器、トリガーマグナムが提げられている。Wは状況によって使用するメモリを変え、戦術を選びとる。距離のある敵と戦うならトリガーメモリは最適といえる。

 トリガーマグナムの銃把を握り、敵の気配を探る。発見後、即射撃ができるよう引き金に指をかけながら、慎重に辺りを見渡す。

 投擲用の武器を使っている以上、そうそう遠くには居ないはずだ。少なくともトリガーマグナムの射程圏内、見つけることができれば外しはしない。巻き上がる炎で周囲は明るく照らされている。隠れるところは少なくはないが、動きがあれば見逃すこともないだろう。

「ガイアメモリを渡せ」

 突如、背後より声がした。振り返るまもなく、首が締めあげられる感触。突然のことに驚き、Wは上手く抵抗ができない。

 一体どこから現れたのか。状況が理解できないままいると、今度は体が宙に浮く感覚を覚える。頸部の圧迫感が増す。閉められた首を支点に、体がドンドン宙へと吊り上げられていく。まるで絞首刑にかけられているかのようで、さらに翔太郎は混乱の度合いを強める。

 幸いWとしての体は人間のそれとは異なっているため、直ぐに絞死するということはない。しかしこの状況が続けばそれもどうなるかはわからない。何が起こっているかは分からないが、一刻も早く脱出する必要がある。

 上昇を続けていた体が停止する。地上約5メートル程の位置で宙吊り状態となる。手足を振り乱し脱出を試みるが、首を締め上げる力がいや増すばかりでどうにもならない。

「もう一度言う、ガイアメモリを渡せ」

 先ほどと同じ声がする。闇の底から漏れ聞こえてくるような、くぐもった不気味な声。人の恐怖心を呼び起こすような、生理的な負荷のかかる重低音。これは間違いなくさっきのドーパントとは別の者だ。他人の神経を深く摩耗させる音声であるという点では共通しているが、志向しているところが全くの真逆だといえる。

 しかし、先ほどのドーパントで無いならば一体何者なのか。新た謎が浮かぶも、今のWはそれどころの状況ではなかった。

 抵抗を繰り返すも意味をなさず、いよいよ体の限界が感じられてくる。最早どうにもならないと、Wはトリガーマグナムの銃口を四方八方に向けながら光弾を乱射した。サイクロンのメモリの力を伴う、旋風を纏った光弾が夜の風都にばら撒かれる。そのほとんどが的を射ずに宙空へと消えていく。しかし、その中の一発が奇跡的にも標的を捉えた。

 ばつん、という糸のようなものが千切れる音。と同時に、Wは浮遊感を覚える。先ほどまで宙吊り状態であったが、今の一撃がその吊り糸を断ち切ったのだ。更に首の拘束も解かれる。

 地上5メートルからの自由落下となるが、サイクロンメモリの力で風を操り、危なげなく着地する。

「危なかった」

 なんとか窮地を脱し、息をつく翔太郎。ほんの一瞬だが、本気で死を覚悟した。

 トリガーマグナムを構えながらWは振り返る。果たしてそこに敵の姿は在った。Wと同じく、地上5メートルからの自由落下の後だからか、膝を折った状態だった。

 闇を纏ったかのような黒い姿。色こそ似ているが、やはり先程のドーパントとは別人であった。背中にマントを羽織り、耳のような突起を備えたマスクをしている。しかし口元が露出していてそこからは人間らしい肌の色が伺える。それを見て翔太郎は少し不穏なものを感じた。

「おまえドーパントじゃないのか」

 見れば見るほど。その体つきは人間のものに違いなかった。Wのようなドライバーを通して変身するものでない限り、ガイアメモリを使用したものの体は人間離れした異形へと変化する。中には人型すら留めていないものまで存在する。しかし目の前の敵はあまりに人間そのままであった。甲冑めいた黒いスーツを着ていて、その下に隆々とした筋骨があることは確かだが、それもあくまで鍛えた人間の肉体の域を出ない。ドーパントは愚か、ドライバーを用いる仮面ライダーにすら見えはしない。

 自分はこんな奴に殺されかけたのか。翔太郎は信じられない思いで敵を見据える。ガイアメモリを渡せと攻撃を仕掛けてきたこの男。謎めいた黒衣の人間。

 果たしてどう対処するべきなのか。意識を共有する翔太郎とフィリップが、Wのなかで意見を交わす。先ほどの攻撃は間違いなく害意があった。危険な人間であることは変わりない。しかし、只の人間相手にWの力を使うことには抵抗がある。力加減を誤れば殺してしまう可能性だってある。かといって、変身を解除すれば今度は翔太郎自身の命が危ない。当然、ガイアメモリを明け渡す選択肢はない。飛び道具を持っているようなので、背を向けるのも得策ではない。何より敵の執念深い目が、Wを逃しはしないと雄弁に語っている。難しいが、ここはWのまま戦って敵の意識を刈り取るのが最善だろう。

 方針を固め、改めて敵に向き合う。

 二人に油断があったわけではない。共に思考した時間もコンマ数秒程度でしか無かった。しかし、そのほんの一瞬にも満たない隙を、敵は見逃さなかった。

 黒衣の男の姿が忽然と消える。

 瞬間を待たずにWの腹部に衝撃が奔った。男の猛然としたタックルをWは真正面から受け止める。

 膝を折り屈んだ姿勢にあった男が、そのバネを利用してWに向かって急襲してきたのだ。低い姿勢のままの超高速の突進は、男の姿をWの死角へと導く。結果、Wの目には男が急に消えたように写ったのだ。

 Wの体は下方から突き上げられ、そのままもんどり打って倒れる。すかさず男はマウントポジションを取り、Wの頸部を肘で抑えこむ。

「敵の前で隙を見せるな。愚か者め」

 男はそのまま体を沈め込み、Wの頸部をまたも圧迫していく。

 Wは両手で男の背中を強打するが、固い装甲のようなものに阻まれ攻撃が通らない。ならばと今度は脇腹辺りをめがけて、えぐり込むように拳を打ちこむ。骨を砕く感触。入った。男が呻き声をあげる。同時に首の拘束が緩んだ。

 Wは自由になった頭部を振り上げ、渾身の力で男に頭突きを食らわせる。

「ぐぉ!」

 直撃を食らった男は、額を抑えつつよろめきながら後退する。見ると、黒い仮面にはヒビが奔っている。

 やはり男は人間そのものであり、戦術もまた耐人間用のそれであった。相手が人間であったなら、組み伏し首を極めれば数秒で堕ちる。盗り物があるなら相手の意識を奪ってからゆっくりとすればいい。しかし、ガイアメモリの力を得たWの耐久力は想定外だったようだ。

 男のマスクの隙間から血が垂れ落ちる。先ほどの拳撃で肋骨も砕けただろう。最早立っているのがやっとのはずだ。

 しかし男の目には未だ闘志が宿っていた。ここで引く訳にはいかないという確固たる意志がWを射貫く。命すら惜しまぬという覚悟、不撓不屈の信念がその瞳には煌めいている。

 片手でマスクを抑えながら、もう片方の手で拳を作りファイティングポーズを取る。まだ戦える、かかって来い。男が言外に告げる。これ以上は無意味だと感じながらも、Wは応じざるを得ない。

 或いは殺してしまうことになるかもしれない。文字通りの死闘となりうる第二幕が始まろうとした時、けたたましいサイレンの音が近づいてきた。炎の色よりも尚主張する、パトランプの赤が接近してくる。その背後にはより赤々とした消防車も続いている。

 警察と消防、その駆けつける姿に男は苛立たしさをにじませる。さすがにこのまま戦い続けるのは得策ではない。人間である彼は、包囲されてしまえば拘束は避けられない。

「勝負はお預けだ。いずれ必ず現れる」

 苦々しい思いを湛えた声音で男は告げる。どうやら引いてくれるようだ。翔太郎は胸を撫で下ろす。

 男は懐から拳銃型のガジェットを取り出す。先端からはフック状のアタッチメントが除いている。男が宙にそれを向けてトリガーを引くと、アタッチメントが射出される。その後尾にはワイヤーが付いている。アタッチメントは倉庫街の一角にあったクレーンに巻き付く。男がもう一度トリガーを引くとワイヤーが急激に巻き戻され、固定されたアタッチメントに引き寄せられるように男の体が宙に引っ張られていく。

「うおぉ!」

 思わず感嘆の声を漏らす翔太郎。男は特殊な能力も使わずに空を飛んだ。

 さらに男は、電動スループの巻取りの勢いのまま弾かれるように宙に投げ飛ばされたかと思うと、背中のマントを大きく広げる。するとそのマントは中にワイヤーが通されているかのように翼状に形を固定し、ハンググライダーの要領で空を滑る。そのまま男は夜の街の闇へと溶けていった。

『成程、あのワイヤー装置で僕達を宙吊りにしていたんだね。実に興味深い』

「って、感心してる場合かよ」

 戦闘を終え、検索馬鹿に戻ってしまった相棒に呆れる翔太郎。

 自分たちも早くこの場所から立ち去ったほうがいいだろう。仮面ライダーは街の有名人だが、わざわざ警察の前に姿を現す必要はない。それに、炎上する倉庫街にたった一人で居たとあっては疑われないまでも、事情を聞かれることは避けられない。立て続けの戦闘を終え、クタクタな体で警官に詰められるのは勘弁願いたい。

 マシンハードボイルダーを駆り、ひと目につかないところまで移動し、変身を解除する。Wの装甲は風と消え、そこには元の左翔太郎の姿だけが残った。

「それにしても、妙な奴らだったな」

 立て続けに二人の敵と遭遇した。人を馬鹿にしたような奇妙なドーパントと、黒衣に身を包んだ謎の男。自分の力が及ばず、両方を取り逃がしてしまったことに歯痒さを覚える。

 風に何か不穏な気配が混じっている。この街でなにか良くないことが起ころうとしている。翔太郎は確信する。

 この街は俺が護る。街の涙は、必ず俺が拭ってやる。

 決意を新たに、翔太郎は鳴海探偵事務所への帰路についた。



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