世にも奇妙なマスク・ド・オウガ (erif tellab)
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世にも奇妙なマスク・ド・オウガ

エリック≠マスク・ド・オウガと言う人が多いので書いてみました。続きはない。


 気がついたらマスク・ド・オウガになって鉄塔の森の中を突っ立っていた。どうしてこうなったのかは見当もついていない。

  ベッドから起きたと思ったらこれなのだ。昨日のゴッドイーターでのエリックなりきりプレイが祟ってしまったのか。とにかく、俺がマスク・ド・オウガになってしまった心当たりはそれぐらいだ。

  オウガテイルのマスクと胸の開いた赤い服。そして、よくわからない模様の刺繍と新型神機(オウガテイル一式)。腕輪は勿論ある。

  俺は周囲の様子――特に空からオウガテイル――に気を付けながら、今後の事を考えた。

  神機を持った状態でマスク・ド・オウガになった以上、この世界はゲームのゴッドイーターが舞台だと判断できよう。試しに頬をつねったが痛かったので、れっきとした現実である事も間違いない。出来れば、たまたま痛覚を感じる夢を見ているだけであってほしいけど。

  こうして不覚にも神機使いとなってしまった訳だが、その際に問題が自然と浮上してくる。

  問題その一、腕輪について。

  うろ覚えなのだが、神機の制御云々で偏食因子を腕輪を介して定期的に投与しなければならない。それを怠ると……何だっけ? アラガミ化? してしまう。下手をすると「こんなアラガミ動物園にいられるか! 元の世界へ帰らせてもらう!」の前に人生を終えてしまう可能性があるのだ。

  このエンディングは当然、生きる事を望む俺からしたらマズイ。今の自分は他人からしたら平然としているように見えるのかもしれないが、内心では物凄い不安と焦りと緊張で一杯になっている。心臓の拍動も上がってきていて、それでも必死に堪えているくらいだ。敵も味方もスピードハンティングされる世界だと承知しているから尚更である。冷静に努めないと死んじゃう。

  そして腕輪に関連して、問題その二。神機使いの管理について。

  これもゲームプレイしていればわかる事だが、腕輪には発信器が備えられているらしい。それが神機使いの行方を判断する一つの物差しとなり、実際にリンドウの腕輪を食べたディアウス・ピターの位置を把握できた例もある。アラガミの胃に消化されない腕輪って凄い。

  ならば、俺の場合は? 神機使いに野良がいる訳ないし、フリーランスと自称しても通用する筈がない。

 

「バイトの神機使いぃ?」

 

「フリーランスの神機使いです」

 

  ……一瞬だけ会話を想像してみたが、やはり通用しなさそう。今頃はアナグラでヒバリさん辺りが発信をキャッチして疑問に思っているだろう。発信器は神機使い個人の特定も可能である。

  つまり……。

 

 一、フェンリルが知らない神機使いがそこにいる?

 

 二、死んだ筈の神機使いがそこにいる?

 

  これら二つの選択肢をアナグラの皆さんが思い付くのは自然の道理。機械の故障とかでやっぱりいませんでした、とかなら楽観的だが、万が一にでも捜索の手が入ったら色々と大変な事になるのは間違いない。

  一の場合なら最悪、神機に関する情報漏洩とか、いる筈もない架空の組織が勝手に神機使いを産み出したとか、なんかとんでもない事情に飛躍しそうだ。受け入れはされても、まずはキツい尋問をされるのは明白だろう。

  また、二の場合もかなりの癖者だ。

  死んだ人間は甦らない。それが当たり前。況してやその人がアラガミ――特にオウガテイル――に食われる様子を見れば、もうその人は死んだのだと疑いようはない。ないんだよ……。

 

「ゴホン……さぁ、華麗なる伝説の幕開けだ」

 

  試しに喋ってみれば……まんまエリックの声だよ、チクショウ!

  エリック・デア=フォーゲルヴァイデ。鉄塔の森でプレイヤー全員にその死に様を見せた忘れられない人物。その人と服装と声が、マスク・ド・オウガとなった俺と全て共通しているのだ。鏡代わりにした水溜まりで仮面の下の顔顔も覗いて見たが、案の定だった。ヤバいね、これ。

  問題その三。ほとんどエリックっぽい不審な神機使い、マスク・ド・オウガについて。

  失われた生命は還ってこないが、ここまでエリックっぽさがあれば話は別になる。本人だと疑われる可能性があるのだ。まぁ、エリックなりきりプレイしていた人間がこうなっている時点で別人だけど。

  そして、本人ではないとわかってしまえばどうなるか? レンのような神機の妖精的ポジションになるか、単なる不審な神機使いか、新種のアラガミ扱いされるかのだいたい三つだろう。

  エリックとそっくりなのを利用して神機の妖精ポジションに入るのは不可能ではないかと思われる。リッカ曰く、エリックが遺した神機は回収されたそうだから、下手に同一人物アピールするよりは幾らかマシだ。

  ただし、ネックなのはレンがプレイヤー以外の人に認識されなかった(?)存在だという点だ。この法則に則るのなら、まずは他人が俺の姿を認識できるかを確認しなければならない。その是非次第では色々と前提条件がひっくり返る。

  不審な神機使い扱いされる件は、俺自身の存在の裏付けが取れない可能性があるから、それなりの覚悟を決めなければならない。特に背後の組織とか一切存在していないのに、捕まって監視されるパターンとか嫌すぎるし。

  マスク・ド・オウガが新種のアラガミ判定を受けるのは……どうだろう? 例え俺がアラガミだとしても、自分以外にもマスク・ド・オウガが湧いて本能のままに暴れる姿は個人的にあまり見たくない。酷すぎる。

  さて、ここまで考えてみたが、判断材料と情報が少なすぎて苦しい。時代もわからないと、本当に俺自身が未知の存在だと断じられてもおかしくなくなる。海沿いからエイジス島を望めば時系列は今よりはっきりとなるが、この鉄塔の森からではそれも見えない。

  やはり、多くの情報を得るには人との接触は必要不可欠だ。人と会うなら……アナグラを目指せば良いのか? 場所は知らんけど。

  こうして亀もびっくりな速さで歩いていると、ゲームで言う鉄塔の森の出発地点へと辿り着いた。ここまでアラガミとの遭遇がなかったのは唯一の救いだろう。あとは上に気を付けるだけだ。伊達にここはエリックの死亡現場付近ではない。

  だってほら。見上げた側から飛び降りにちょうど良さそうな高い建造物があるし……、ん?

 

「Grururu……」

 

  見上げてみると、横向きに走っている太いパイプの上で、オウガテイルがこちらをじっと見つめている様子が視界に入った。その虎視眈々としている様は、実に獲物を狩る直前のライオンのようであった。

  あ、こっちに向かって飛び降りてきた。

 

「うおおおあああ!?」

 

  瞬間、俺はオウガテイルの下敷きにならないよう、咄嗟に後ろへと飛び退いた。両手で持った神機は重荷にはなっておらず、素早くその場から下がる事ができた。

  それから間髪入れず、前からドサリという音が鳴る。改めて視線を正面に向ければ、俺に対して威嚇ポーズを決めるオウガテイルの姿を捉えた。ゲーム的グラフィックではなくなっているだけあって、その悪鬼のような顔は本当に恐ろしくて生々しい。こんな事になるなら、怒り狂った像とタイマンする方がよっぽど楽とさえ思える。

 

「Gaoooooo!!」

 

「ゲームの世界に帰れぇぇ!!」

 

  この後、(逃げながら)滅茶苦茶時間をかけてオウガテイルを倒した。オウガテイルを安定して倒せるようになれば一人前だと言われる理由に、しみじみ納得した瞬間だった。

  それと同時に、ヴァジュラをソロで倒せば一人前と言われる極東のイカレ具合に戦慄した瞬間でもあった。

 

 ※

 

  鉄塔の森から抜け出した先。人の気配を全く感じない廃墟群の中を、俺は不眠不休で歩いている。ビルによく見られるかじり跡や、土砂に引っ付いた鍾乳石のようなもの。どこもかしこも贖罪の街で見た事がある景色だ。

  最初はオウガテイルとの鬼ごっこに始まり、途中からヴァジュラやコンゴウも混ざってきて己の死を予感した地獄道。それをようやく切り抜けた俺は意外にも全身筋肉痛にも睡魔にも襲われず、元気に大地を踏みしめていた。

  こうしてマスク・ド・オウガになって早二日目。その日、とんでもない事実が判明した。

  四次元ポケットよろしく、神機を自由に出し入れできるようになったのだ。その際には謎の空間が浮かび上がり、それはテスカトリポカのワープミサイルを彷彿させるものだった。

  勿論、極東支部の猛者たちでもこんな人外染みた真似はできないだろう。しかし、リンドウやシオという例外がいるため、この神機収納は然程おかしくないと思われる。

  テスカトリポカのワープミサイル。神機収納。アラガミ化。……あれ? もしかして俺って……。

 

「……いや、それはない。絶対ない、多分。妙に腹が空いたり、素人なのにかなり戦闘がこなせてたり、マスク・ド・オウガだったりするけどそれはない。……だったら、いいな……」

 

  否定しきれないのが辛いところ。暗くなる気分を誤魔化すようにそう呟いたが、視線が遠くなるのを感じた。

  仮に俺がアラガミだとして。ならば俺以外にもマスク・ド・オウガが複数湧いていなければおかしな話だ。(湧くとか悪夢すぎて考えたくない)

  そもそも、一種類のアラガミにつき数は一体だけというのはほとんどあり得ない。黒ハンニバルやアルダ・ノーヴァでさえ、ストーリー以外のミッションに登場しているのだから。例外としては特異点のシオと、終末捕食のノヴァぐらいだ。

  また、人としての理性と人格を持つほどの高尚なアラガミに、エリックなりきりプレイをしていただけの俺がなってしまう理由がない。それだと、よりにもよって何故マスク・ド・オウガになっているんだ、という話にもなるけど。

  だが、レンという存在がいる以上、自身をアラガミと断ずるのは尚早だ。プレイヤーとリンドウ、アラガミ以外には最後まで認識されていなかったが、そうである以上はレンも自分の神機は文字通り自前な筈。リッカがレンの神機のメンテナンスをしていた事実でもあれば引っくり返る仮定だが、個人的には大いに信じたい。

 

  アラガミとして極東支部の皆さんと対峙したくないです。対話が破綻したら、軽く十回は死ねる。

 

  そうして希望と絶望を抱きながら道を進むと、気づけば巨大な河川の前に出た。河川はコンクリートでしっかり整備されていて、底もかなりの深そうだ。渡るなら橋が欲しいレベルである。

  ……橋?

 

「もしかして……愚者の空母?」

 

  その瞬間、俺は川に沿って西へと走り出した。

  愚者の空母。半壊した空母が橋の横から突っ込んでいる場所だ。そこから見えるエイジス島は実に絶景で、ゲーム中で訪れる時は常に夕方時であった。

  夕陽の位置を覚えていた俺に隙はなく、迷わず走り続ける。その時の太陽の位置こそ、エイジス島が太平洋上にある事を明確に示す証拠だ。なまじ、日本が舞台となっている訳ではない。

  そこまで行って海上の様子を確認すれば、少なくとも現在の時間帯が判明するというもの。シオが月に旅立った後であれば、俺も断然と行動しやすくなる。不審な野良の神機使いという理由で見敵必殺される確率もぐんと下がるだろう。主人公率いる第一部隊と接触できればの話だけど。

 

「おお……」

 

  やがて、ボロボロの空母が橋の中央を貫いている光景が見えてきた。分割された橋は空母の両舷上部に重なる形になっていて、ミッションのスタート地点とは反対側からでも空母へと行ける。

  ここまで来れば、後はエイジス島がどうなっているか確認するだけの簡単な作業だ。空母を近くで見たいのも兼ねて、俺はそのまま橋を直進した。

  だがその時、盛り上がって出来た段差の向こうから、ノシノシという足音が聞こえた。それは昨日に随分お世話になった音であり、オウガテイルのものだと察した。

  足音で相手がわかるほどまでアラガミ動物園に染まっている自分が嫌になってくるが、もはや悪態を付く場合ではない。どうしても邪魔になるのなら、神機を握って戦わなければならないのだ。スタングレネードなどは持ち合わせていないので、多少の直接戦闘は避けようがない。

  また、昨日の時点で倒したオウガテイルの数は二桁を超えたのだ。戦うのは本当に今更である。

  四次元空間から神機を取り出し、いつ敵に襲われてもいいように待ち構える。チキンプレイとは言わないでくれ。

  息を殺し、相手が現れるのをじっと待つ。

 

 ノシ……ノシ……ノシ……ノシッ。

 

  小気味よいリズムの足音を立てながら、ついにアラガミが段差の上に登場してきた。

  二足で立ち尽くすそのアラガミは、体毛のほとんどが水色で占められていた。毛先はオレンジに染まっており、二つの色を映えさせている。また、目らしきものは水色の毛で完全に覆い隠されていた。

  筋肉質な黒い脚部は力強く、険しい道を楽々走破できそうな見た目だ。尻尾の裏から覗ける紫色は、多少の不気味さを醸し出している。

  そのアラガミは、俺の知らない水色のオウガテイルであった――

 

「Gyao!?」

 

  水色オウガテイル登場から間髪入れず、俺は急いで相手との間合いを詰めた。やけに強そうな雰囲気がするため、すぐに倒そうと思い至ったのだ。

  反撃する暇も与えず、尾刀クロヅカを思いっきり横に振り抜く。ここまでが、昨日の内に培った実力の集大成だ。

  たった一刀で斬り捨てられた水色オウガテイルは、肉片一つ残す事もなく瞬く間に霧散していった。足元に暗黒空間が広がり、死体はそこに溶けるようにして消滅する。

 

(……え? 死体消えるの早くない?)

 

  水色オウガテイルのコア摘出すら許さない徹底ぶりに俺は困惑していると、不意に動かした視線の先にまたもや不思議なアラガミを目にした。

  空母の滑走路に佇む一体のアラガミ。姿からして、それは明らかにシユウ属だ。ただし、俺の知っているシユウとは違ってソイツに武骨さはなく、さながら優雅な巨乳美女だった。カラーリングは水色オウガテイルとほとんど一緒である。

  また、水色シユウの周囲には複数の水色オウガテイルが取り巻いている。その姿はまるで、主人を守る手下のようだ。

  次の瞬間、俺は水色シユウと目があったような気がした。相手の顔の半分が毛で隠れているにも関わらずだ。こちらに顔をじっと向けている水色シユウに対し、俺は思わず視線を海の方へと泳がす。

  それからドームが骨組みだけになっているエイジス島を見つけると、俺はすぐさまその場を反転した。熱い視線を送り続けてくる水色シユウは無視だ。アスファルトを全力で踏みつけて、一気に街中へ駆け出す。

 

「Syaooooo!!」

 

「イヤァァァ!! 知らないアラガミィィィ!!」

 

  この後、結局逃げ切れなかったので水色シユウと滅茶苦茶戦った。まさか、二日目にしてダンシング・オウガの亜種を経験する羽目になるとは……。

 

 ※

 

  ここは、フェンリル極東支部の支部長室。ふかふかの椅子に腰を降ろし、支部長としての仕事を全うしているペイラー・榊は、木製のテーブルを挟んで目の前に立つ女性から報告を受けていた。

  その女性は、日々のアラガミ討伐の御膳立てをおこなう偵察班のリーダーである。名を高比良カンナという。背中に狼の模様が描かれた緑の制服を身に纏っていて、ホットパンツとニーソックスの間に覗ける健康的な太ももが眩しい。

 

「――報告は以上です。その直後に赤乱雲を確認したため、その神機使いとは接触せず即座に撤収しました」

 

  カンナが一通りの報告を終えると、榊は神妙深い表情で何度も報告内容を反芻していた。テーブルの上に散らばる書類の整理もせず、ただ思考するばかりだ。

  そして、カンナの報告が終わって数秒後に、榊は改めて彼女に質問を投げる。

 

「そうか……。ちなみに顔までは本当にわからなかったんだね?」

 

「はい。オウガテイルを模した仮面を被っていて、感応種の偏食場に巻き込まれない遠距離からでは口元しか見えませんでした」

 

「ふむ……」

 

  感応種のアラガミの近くでは、通常の神機は無力化される。できればその人物と接触してほしかったと榊は思ったが、その時の状況からして明らかに無理があった。核心へと至るまでの情報が足りない事にモヤモヤしつつも、思考を纏めるために黙り込む。

  その時、テーブルの端にある端末機器のディスプレイに映された“ある人物”は、カンナから告げられた謎の神機使いと特徴の半分以上が合致していた。胸を大きく開いた赤い服に、露出した上半身に見られる独特な刺繍。使用神機こそ違えど、それとマスク以外はほとんど“ある人物”と同じだ。

  ちなみに、偵察班が愚者の空母付近で謎の神機使いを発見したのは偶然である。

  昨日にも、数年以上前に戦死した筈の神機使いのビーコンがキャッチされたが、その後すぐに反応が消失してしまったので一度は機器の故障だと処理された。しかし、昨日と立て続けに同一の反応がキャッチされ、近くにいたカンナたち偵察班に白羽の矢が立った訳だ。

  そして、結果は全て報告された通りだった。現場付近に立ち寄った神機使いは全員、シユウ属感応種のイェン・ツィーと戦う仮面の男の姿を目にした。

  本来なら現行の神機使いが感応種に太刀打ちできる術はなく、感応種が発する強力な偏食場に対抗できる第三世代型神機使い――ブラッドのメンバーのみが現状、感応種と対峙する事を許されている。だが、仮面の男が使っていた神機は第二世代で、腕輪のカラーリングも黒ではなく赤だった。

  そうなると辻褄が色々と合わなくなる。現時点で感応種の相手はブラッドでなければならないのに、どうして仮面の男は対抗できたのだろうか。第三世代の神機使いは少数のブラッドに留まり、彼らは移動拠点であるフライアを中心に活動している。現在、極東支部とは完璧に別行動なのだ。

  感応種と戦える人間が、フライアから遠く離れて一人でノコノコと愚者の空母までやって来る理由がない。あまりにも不自然すぎるため、榊は仮面の男がブラッド所属という線を切り捨てた。

  だが、それでは仮面の男が感応種と戦える所以がわからない。それで榊が次に目につけるのは、参考となる“前例”だ。

 

「カンナ君。死んだ筈の人間が自分の目の前に現れてきたら、君はどう思うかね? 特に、死んだ瞬間をしっかり目撃している場合」

 

「え?」

 

  意図が不明な質問にカンナは即答する事なく、僅かに首を傾げた。眉も少しだけひそめて、目の前に座る博士にとっての正答を導き出そうとする。

  それを見かねた榊は、すぐさま訂正を入れた。

 

「ああ、難しく考えなくていいよ。私もおかしな質問をしている自覚はある。今回のケースはリンドウくんの時とも違うようだしね」

 

  笑いながらそう告げた榊に、カンナは思わずきょとんとした。そして、しばらく間を置いてから榊の質問にようやく答える。

 

「……普通、死んだ人間は生き返りません。アラガミもそれは同じです」

 

「うん。狭義の意味では、アラガミもコアを抜かれればそのまま死んでしまう。人間の場合は尚更だ。本来なら、その死んだ瞬間を目撃された――遺体すら残らなかった神機使いが、数年の時を経て復活だなんてありはしない。だけどね、私は過去に何度も奇跡を目の当たりにした事もあって、そんな荒唐無稽な出来事を簡単に否定できないんだ」

 

  ここで榊の言う奇跡とは、全て極東支部第一部隊の周辺で起きた出来事だ。当然、そのほとんどが偵察班であるカンナの預かり知らぬところである。

  しかし、雨宮リンドウの復帰についてはカンナも知っている。腕輪を無くしたにも関わらず、奇跡的にもアラガミ化の進行が右腕だけに収まった人物だ。ただし、どうしてアラガミ化が途中で止まっているかに関して、それ以上の事は何も知らない。

  それでも何となく理解しようとカンナが努めている傍ら、榊は再び自分の世界に戻ってしまった。彼からしてみれば、今回のケースは実に興味深いものなのだ。

 

「それにしても、感応種の撃破か……。これも普通なら考えられないのだが……あ、話が長くなってしまったね。ありがとう、もう下がってくれていいよ」

 

「失礼しました」

 

  こうして退室の許可を得ると、カンナはそそくさに礼儀よく支部長室から出ていった。

 

「今のところ一番有力なのは、神機の精神体……。後で彼の神機を確認してみるか」

 

  端末のディスプレイを覗き込む榊の目には、次の名前が映っていた。

 

 ――エリック・デア=フォーゲルヴァイデ――

 

 

 ※

 ※

 

  人々はまだ知らない。この世界に、仮面を着けた一人の戦士が舞い降りた事を。

  頭を丸ごと覆う白い鬼の面に、黒のニッカポッカ。特徴的な赤い上着に惜しげもなく見せる胸と、そこに描かれた黒の刺繍。彼を一度でも見れば、誰もがそのインパクトを目に焼き写されるに違いない。

  極東を訪れた戦士はやがて多くの人とふれあい、助け合い、遂には世界をも救うだろう。八百万の神の名を手にした怪物の中でも一番の個体数を誇る化け物、オウガテイルを模した神機を片手に。

 

「マスク・ド・オウガ、華麗に参上……(臆病な自分に勇気を与える呪文)」

 

「…お兄…ちゃん?」

 

  悪逆非道のアラガミを狩るその後ろ姿は、ある少女に亡くなった自分の兄を彷彿させ――

 

「お前、何者だ?」

 

「僕は――あ、僕って言っちゃった。……俺はマスク・ド・オウガだ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

  時には、自分と親しくなろうとした者を救えなかった事を悔やむ青年に、ノコギリの如き刃を向けられる。

 

「君は、何故俺が仮面を被っているかわかるか?」

 

「ああ、わかるぞ。我が盟友、エリックよ。死して尚――」

 

「違うっ!! マスク・ド・オウガだ……!!」

 

  さらには、ドイツから北極星の名を冠する相棒とともやって来た青年に、懇意にされたりもするだろう。

  だが、戦士の身の回りに起きる出来事は、その程度は済まされない。

 

「見ろ! 遂に私たちの祈りがオウガテイルに届き、こうして人の姿を模して救いにやって来られたのだ!!」

 

「「神ぃぃー!!」」

 

「人違いです」

 

  戦士の活躍は小さなものには留まらず、オウガテイルを崇めるカルト教団の人心すら救うだろう。

  闇の眷族に世界を支配され、今まで信じてきた神にも見捨てられ、それでもまだ神を信じ続ける多くの人々。その中でも、フェンリルの保護を受けられなかった者たちの一部は、心の依り代をやがてアラガミへと移していった。

  救いを望めずに狂ってしまった信者はアラガミを崇め、それを狩る神機使いたちを忌避する。しかし、戦士の存在が彼らを変える唯一のカギとなる――

 

「くそっ……! どいつもこいつも、どうして僕たちの素顔を見ようとするんだ! あ、また僕って言っちゃった」

 

「ーー」

 

「キグルミさん? 囮だなんて貴方、正気ですか!?」

 

「ーー!」

 

「でも、正体を知られたくないのは貴方だって同じな筈!」

 

「ーー。ーー!」

 

「キグルミさああぁぁぁん!!」

 

  そして、自分の心を開ける唯一無二の存在とかけがえのない出会いを果たすだろう。友の犠牲に彼は涙を流し、その遺志を懸命に背負って前へ進もうとする。

 

「ま、不味い! エリックとしてでもマスク・ド・オウガとしてでも外堀を埋められつつある……! これじゃ、元の世界に帰るどころじゃない ……う、うわあああぁぁぁ!!」

 

  戦士も人間の枠を超えない以上、時には苦悩に襲われる事もある。自分の知らない、もう一人の赤い戦士の記憶を持っていれば尚更だ。

  悩み、落ち込み、塞ぎ込む。それでも最終的に、彼はその二本の足で堂々と立ち上がる。戦いの最中に得た新たな相棒と一緒に。

 

「フライアに突っ込むぞ、ライドテイル!! (もう元の世界に戻るには終末捕食に賭けるしかない……)」

 

「Gaoooo!!」

 

  かくして、マスク・ド・オウガの華麗なる伝説は始まりを告げた。

 

 




偵察班、ゲームの方だと割とアバウトな感じだったのでオリジナルキャラクターです。仕方ないね。


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なんか崇められているマスク・ド・オウガ


続きがなければ書けばいいじゃない。



 水色シユウを撃破した後、俺はホトホト疲れた身体に鞭を打ってアラガミが見当たらない場所まで逃げた。外は怖いので適当なビルの一室に籠って一休みする。

  先程の戦闘は本当に苦戦を強いられた。少しも怪我をしたくない一心と、死んでたまるかという意地でほとんど動いたものだからだ。唯一の救いは、強化されていない神機でも、使い方次第で相手をワンパンできるところか。急所狙いとかで。

  回復錠もない。味方もいない。ゲームでもない。現実を酷く実感したのは、初めてオウガテイルを倒した時だ。皮肉にもゲームだけの存在が、数値だけでなく視覚的な結果も伴って力尽きた様を見せつけてきたのだ。

  アラガミを殺した事による身体の震えは、戦いの数をこなせば自然と消えていった。初撃破後は何故か戸惑いしか覚えなかったのが既に懐かしい。だが、神機で斬り裂く感触だけは未だに慣れていない。肉体と精神にギャップが生じている感が拭えないのだ。アラガミを倒すのに心がまだ未熟な感じである。

  まぁ、それはそれで良しとしたい。神機使いとして染まり続ける俺の、元の世界の住民である証となりうるからだ。外部に示せなくても己だけそれを認識できていればいい。帰るのをまだ諦めるつもりはない。

  ところで疑問に思った事が一つある。神機使いの身体についてだ。

  今は日もすっかり沈み、代わりに月が空に浮かんでいる夜の時間。地上の明かりが不足しているせいか、ガラス窓から見える星空が大変美しい。

  本来なら子供がぐっすり寝ている時間帯だが、どういう訳か俺は浅く眠る事しか叶わない。例えるなら、自力で覚醒しやすい授業中の居眠りである。神機使いって、皆こんな感じなのかな……。

  今まで何も食べていないので空腹感はあるが、不思議と飢える感じもしない。だとすれば、昨日までの不眠不休が身体に堪えなかった理由もわかるものだ。アラガミを狩るハードワークをこなすためなら納得できる。

 

  ……俺という存在の特異性について考慮していないのは、ここだけの話だけど。

 

  しかし、ヒトもアラガミも生身である以上、休みの一つや二つは欲しい筈。過労死(?)するアラガミがいないのも、本能で「それ以上はいけない!」と理解しているからではないだろうか。ブラック企業もアラガミを見習ってもらいものである。

 

「睡眠……眠……眠……」

 

  ……ダメだ。どんなに頑張っても深い眠りにつけない。やはり、硬い床の上に寝そべっているのが原因か? 慣れない事をしている訳だから余計に寝付けないのかも知れない。

  ベッドが欲しい。布団でもいい。せめて毛布。

  当然、そう願っても寝具が目の前に現れる筈もなく。時々月を眺めては、郷愁の念が募るばかりだ。阿倍仲麻呂と九州に飛ばされた防人の気持ちがよくわかる。

 

 

  そして、マスク・ド・オウガになって三日目の朝。窓の向こうでは、気色悪い赤色の雨がザァァっと降り注いでいた。止む様子は一向に見られない。

 

(何だ、これ!? 原爆の黒い雨の親戚!? 俺、被爆してるの!?)

 

  それから、ゴッドイーターのプロモーションアニメで謎のアラガミが核爆発も捕食し尽くした事を思い出して気分を落ち着かせる。そして念のため、勝手に大気中の放射性物質を捕食してくれるのを祈って神機を取り出した。お願いします、この世全てのオラクル細胞さん。

  冷静さを取り戻し、しっかりと赤い雨の様子を観察する。見た目は色以外に何の変鉄もなさそうだが、酸性雨や黒い雨という前科を人類は持っている。少しでも肌に触れたら危険だという事だけは、何となくわかった。

  ……PV、雨……あれ? 見覚えがあるような、ないような……。

 

「雨……雨……赤い雨……赤い雲……あっ」

 

  思い出した、赤乱雲だ。

  確か、ゴッドイーター2のPVでも目にした記憶がある。ただ、俺はバーストまでしかプレイしていない上に、PV内容もうろ覚えなのだが。

 

「やっぱり……浴びたらダメな奴だよな?」

 

  赤い雨に関しては、濡れたらヤバいという事までしか知らない。二十世紀少年の細菌兵器みたいな即死級ではないと思うが、やはり他の対象物を見てみないとわからない。どこかにのうのうと雨を浴びているアラガミはいないだろうか。

  ひたすら窓から外の様子を眺める。しかし、それでアラガミに見つかってしまっては話にならないので、じっと潜めながらだ。邪魔だから仮面は脱ぐ。

  窓ガラスにほんのりと映し出される自分の顔を無視し、忙しなく視線だけを動かす。すると、ひょこひょこと地面の上を歩く緑色の生き物を見つけた。

  緑色の甲殻に、カブトムシに似た形態。だが、その虫らしさとは反して二本しかない逆脚。俺の知らないアラガミ第三号であった。

  赤い雨の中を緑カブトムシは平然と歩き続ける。スピードなど歯牙にも掛けていないようで、一歩一歩が実にトロクサイ。何だ、あれ。

  いや、まだ油断するべきしゃないぞ、俺よ。ああ見えて実は口からビームを出したり、Mの付く赤い配管工の如き素早さを備えているかもしれない。はたまた、不可視の攻撃を繰り出すのかもしれない。

  つまり、あの愛嬌の感じられる姿は敵に対するブラフ。まんまと格下狩りに来たアラガミを、その立派な角で返り討ちにするための罠なのだろう。多分。

  よくよく考えれば、(俺の知る限り)どんなに弱いアラガミでも必ず人を殺せるだけの戦闘力を持っているのだ。実力差などは関係なく、油断だけは絶対にしてはならない奴ばかりである。オウガテイルとか、オウガテイルとか。というより、エリックの死のインパクトが強すぎてオウガテイルばかりが目に浮かぶ。

 

「……ん?」

 

  次の瞬間、緑カブトムシの横から突如としてヴァジュラが現れた。ヴァジュラも赤い雨を浴びても平気な様子で、真っ向から緑カブトムシと対峙する。

  サイズではヴァジュラの方が圧倒的に優っており、対して緑カブトムシはまるで蛇に睨まれる蛙のようだった。何もしないままではヴァジュラに軽く捻り潰されるだろう。

  これは緑カブトムシについて情報を得る良い機会だ。自分よりも格上のヴァジュラを食べて進化を果たしたオウガテイルがいるぐらいだ。どんなジャイアントキリングが繰り広げられるか、見物である。

  お互いに相手を見据えた二体のアラガミは、身動ぎ一つする事もなく様子見を続ける。遠くのビルから観戦している俺からすれば十秒にも満たない出来事だが、彼らの体感時間ではそれ以上も掛かっているのだろう。

  最初に動いたのは緑カブトムシだった。頭部の角を正面にかざし、脚に力を入れて地面を踏み込む。そして、勢いよく突撃を開始した。

  速度は大した事はないものの、かなりの重圧感を与える初動だ。きっと、相手に衝突する瞬間に角が爆発したりするのだろう。そう考えると俺は思わず息を飲み、巨大な敵に立ち向かうその勇者を応援したい気持ちに駆られる。

 

(行けぇぇ!! 緑カブトムシぃぃ!!)

 

  鋭く尖った角がヴァジュラの顔面へと襲いかかる。あれほど強く踏ん張りが利いてしまえば、ヴァジュラでもひとたまりもない一撃を受けるのは間違いない筈だ。

  あと二歩進めば、緑の豪槍が正面に佇む猛虎の脳天に届く。

  そして、あと一歩――

 

「Gau!」

 

  相手の頭を砕くかと思われた一撃は刹那、横からヴァジュラの前脚払いによって軽々と捌かれてしまった。

  一撃を不意にされて盛大に倒れる緑カブトムシ。それにヴァジュラは問答無用でパンチを繰り出した。横腹に強力な攻撃を受けた緑カブトムシは、そのまま綺麗な放物線を描いて数メートルほど吹っ飛ぶ。

  吹っ飛ぶ勢いは途中からビルの壁にぶつかった事で削がれ、緑カブトムシは地面の上に転がった。身体をピクピクと動かし、逃げる事なくその場で悶える。

  その直後、緑カブトムシの元にヴァジュラが悠々とやって来た。ヴァジュラは足元に寝そべる獲物の姿をまじまじと見つめると、淡々と捕食を開始するのだった。

 

  えぇ……。

 

  ものの見事に期待を裏切られた俺は、心の中で緑カブトムシに冥福を祈った。

 

 ※

 

 マスク・ド・オウガになって四日目。赤い雨もすっかり止み、本日は雲一つない晴天ぶりである。しかし、まだ四日目だというのに俺はホームシックになりかけていた。誰も得はしないので涙は堪える。

 

  はぁ……。

 

  今日もアナグラ(場所は知らない)に向けて旅を続けている最中だ。俺自身、真っ当な神機使いか、神機の妖精か、アラガミかどうかはっきりしていないので、早急に誰かと会う必要がある。腕輪の偏食因子の事もあるし、悠長にしている暇はない。

  愚者の空母から北へ真っ直ぐ歩き、がむしゃらに辺りを見回す。効率が悪いのはわかっているが、ロードローラーで探す以外に手はないのだ。あぁ、元の世界だったらGoogleマップですぐわかるのに……。

  かつて繁華街であっただろう街並みもすっかり廃れ、車道と歩道の大半が土の中へと消えている。街灯は先端が折れているのもあれば、根元から倒れているものもあった。乗り捨てられた自動車は錆びていて、例え鍵とガソリンが残っていても二度と動き出しそうにない。

  すると、道の真ん中で一人の青年が膝をついているのを見つけた。合わせた両手を握って祈りのポーズを取り、固く目を瞑って何やらぶつぶつと呟いている。

  また、青年の前には一体のオウガテイルが立っていた。オウガテイルはじろじろと祈りを捧げている青年を見つめては、だらしなく口から涎を垂らしていた。そして、万物を喰らい尽くす牙を青年へと向ける――

 

  何あれ。てか、待てぇぇぇ!!

 

  そう思った俺は反射的に神機を銃形態に変更させ、ほぼ無意識にトリガーを引いた。銃口からは火属性を示す赤い弾丸が連射され、銃撃の反動で身体は少しだけ後ずさる。

  発射されたオラクル弾は弾道を曲げる事なく、真っ直ぐオウガテイルの頭部へと飛んでいった。先陣を切った弾丸が命中するのを皮切りに、立て続けに着弾していく。全弾を受けたオウガテイルはその場で大きくよろめき、無様に地面の上に倒れ込む。

  勿論、これだけでオウガテイルは死んでいなかった。祈りを続けるばかりで一向に逃げようとしない青年を傍目に、俺は大急ぎで神機を刀身形態に戻し、オウガテイルが起き上がらない内に全力で駆け出す。

  相手をこちらの間合いに入れると、尾刀クロヅカを容赦なく縦に振り下ろした。

 

「Guaa!!」

 

  胴を斬られた事でオウガテイルは悲鳴を漏れ出す。それでも俺は情けを掛ける事なく、下ろした神機を裏に返して斜めに振り上げた。

  オウガテイルの胴に大きく十字の傷が出来上がる。それから間髪入れず神機を捕食形態にして、目の前の瀕死のアラガミへ存分に喰らいつかせた。

  黒い顎がオウガテイルの体組織を噛み壊し、周りを憚る事なくモシャモシャと咀嚼音を立てる。その奥にアラガミの中枢であるコアを探り当てると、コアを思いっきり引き抜き、ようやく牙をオウガテイルから離した。

  コア摘出が完了し、神機も元の刀身形態に戻る。コアを失ったオウガテイルは、それから程なくして霧散していった。

 

(相変わらず、すごい動き方ができてるよな。俺って……)

 

  そう思うと、スピードハンティングを軽々とこなしている自分に何だか嫌気が差してきた。我ながら、最近まで平和のぬるま湯に浸かっていた日本人とは到底思えなくなってくる。

  一方で青年の方を見てみると、間近で戦闘が起きたにも関わらず、未だに祈りを捧げていた。眉間にシワを寄せて休みなく祈りの言葉を口にしている姿は、ある種の強迫観念に囚われているようで逆に恐ろしく感じた。何なの、この人。

  かくして一種の条件反射でオウガテイルを退治した訳だが、この青年をどうすればいいのだろうか。祈りをやめる様子はなく、誰かが水を差さなければ落ち着きそうにもない。そもそも、この人は俺の事が“見える”のか?

 

「あの、すみません」

 

「神よ、どうか私をお救いください。神よ、どうか私をお救いください。神よ、どうか私をお救いください……」

 

「えっと……聞いてま――」

 

「神よ、どうか私をお救いください! 神よ、どうか私をお救いください! 神よおぉ!!」

 

  話し掛けてもそれを遮るように祈りを強め、遂には大声を出して何も耳にしようとしない始末。しかも表情を苦渋の色にまで染めてまで。本当に何なの、この人。

  ひたすら「お救いください!」と連呼しては、ぷるぷると身体を震わせていく。ワンフレーズごと丁寧かつ一生懸命に叫んでいるせいで顔は真っ赤になり、苦しそうに息をしている。

  これ以上はまずいと感じた俺は、青年の肩に手を置いてもう一度語り掛ける。

 

「落ち着いてください! 何歳ですか! あ、俺何言ってるんだ……」

 

  青年だけでなく俺も少なからず動揺していたようで、うっかり変な事を口走ってしまった。年齢とかどうでもいい。

  しかし、変な事を言ったのが利いたのか、青年はふと呪文を唱えるのを止めた。そして、ゆっくりと瞼を開いて俺に視線を飛ばしてくる。

 

「……神」

 

「へ?」

 

  紙? 神? 髪? 噛み?

  青年のその一言に、俺は戸惑いを抱かずにはいられない。当然、俺はこの人に会うのは今回が初めてで、彼も俺の事を微塵も知らない筈だ。神とか呼ばれる道理はない。

  その直後、青年は立ち上がるどころか、逆に俺に向けて平伏した。

 

「神よ! 私たちの願いを聞き入れてくださり、誠にありがとうございます!」

 

「神じゃないです」

 

  あまりにもしつこく感じたので、俺は咄嗟に否定してしまった。別に本当に神ではないので問題はないのだが。

  俺から酷い返事を受けた青年は、それでも笑顔を絶やさずに祈りのポーズを取ってくる。先程とは一転して、本心から嬉しく感じているような表情だ。

 

「正体を隠したいお気持ちはわかります! ですが、その仮面と肩掛けは紛れもなくオウガテイルのもの! 教主様から言い伝えられた通りのお姿! 間違いありません! あなたは、この世で不義を働くオウガテイルを成敗しに来た真のオウガテイルであり神の分身、マスク・ド・オウガ様です!! 人の姿をしているのは、地上に降りるための仮の姿でございましょう?」

 

(……何それ)

 

  青年の怒涛の解説を受けて、俺はひたすら引く事しかできなかった。不義を働くオウガテイル? 神の分身? 何のこっちゃ。

  この世界において神の存在は、アラガミがいる事もあって全く信じていない。ただ俺が気になるのは、何故この青年がマスク・ド・オウガの名を知っているかである。

  ゲーム中にマスク・ド・オウガが登場する事は一切ない。あるとしても追憶のエリックぐらいで、マスク・ド・オウガ自体はDLCで手に入る後付けの存在だ。ストーリー上で関連しようがなく、普通に考えれば目の前の青年にその名前を知る由はどこにもない。

  プレイヤーの間でまことしやかに正体は誰かと囁かれてきたが、ついぞ決定的な証拠を得るには至らず、謎の迷宮入りを果たした特殊な神機使い。それが俺の、マスク・ド・オウガに対する個人的な印象である。

  また、“教主の言い伝え”という点にも引っかかる。誰がどういう意図でオウガテイル教(仮)なんてものを開いたかは知らないが、その教主に話を聞けば、俺がマスク・ド・オウガになった理由も少しわかるかもしれない。

  勿論、こうなった原因の根拠として判断するには眉唾物である感は依然として否めない。ミッションの方でもテスカトリポカ討伐任務の説明欄に、生け贄を捧げるカルト教団云々と書いてあったせいでもある。仮に話を聞けたとしても情報の信憑性が足りないだろう。アラガミを崇拝しているだけに。

  しかし、情報入手源が非常に限られている現状では、一考の余地は十分にあると思う。

 

「私たちは常にこの日を待ち望んでおりました! もてなす準備はいつでも出来ております! 拠点まで案内いたします! ささ、こちらです!」

 

「あ、ちょっ――」

 

  その後、俺は引っ張られるようにして青年の後ろをついていった。

 

 ※

 

  極東支部において、偵察班と偵察部隊の狭義での違いは、人員に神機使いが構成されているか否かである。

  神機使いの絶対数がどうしても少ない事から、神機使いから成る偵察班の規模は偵察部隊と比べて遥かに小さい。だがアラガミに対する効果的な迎撃手段を有しているため、偵察任務による死亡率は他の通常部隊よりも低い。それでも神機使いの人員不足に変わりはなく、偵察だけでなく戦闘の要請もしばしばある。

  また偵察以外の仕事としては、新人神機使いの実戦訓練用に小型種のアラガミを追いやったり、即応の陽動部隊として機能する場合や討伐対象のアラガミを誘導する場合もある。戦場の花形ではないのは確かだが、資材回収班や討伐班などの様々な部隊を心おきなく各地へ派遣するためには欠かせない存在だ。

  そして、贖罪の街近郊にて。低いビル群ばかりが建ち並ぶその場所へ、カンナ率いる偵察班は出撃していた。

  人員はリーダーのカンナ、部下のツルギ、リノの三名である。男女比は一対二。三人とも第二世代型の神機使いであり、銃身はスナイパーを使用している。

  ビルの屋上に陣取る一向は、ステルスフィールドを用いながら周囲の状況を確認していた。カンナは敵襲に警戒しながら肉眼で自分たちの付近を逐一確認し、残りの二人は双眼鏡でより遠くの場所を眺める。

 

「うげっ。滅茶苦茶湧いてるぅ……」

 

  すると、アラガミの群れを発見したツルギが声を漏らした。双眼鏡から目を離し、おそろしやという風に肩を抱える。

  その時に偵察服の布同士が微かに擦れ、ツルギの耳元にその摩擦音がやって来る。任務に集中するには余計な雑音だが、むしろ本人は極端にリラックスしていた。それからカンナに腕を軽く叩かれると、彼女に双眼鏡を手渡す。

  カンナはツルギが指差す方向へ双眼鏡を覗き込む。

  双眼鏡越しで見る景色の中には、やたらと殺風景な広場があった。広場には複数のシユウがたむろしており、のびのびと近くの残骸などを捕食している。

  また、ツルギから口頭で別の方角を指示されると、元商店街だった建物群の中に大量のザイゴートを発見した。シユウと共に堕天種は確認できない。

  双眼鏡をツルギに返し、カンナは極東支部にいるオペレーターへ通信を飛ばす。

 

「こちらカンナ。シユウを三体確認。別方向からはザイゴートの群れがいる。数は……九だ」

 

『はい。こちらからも反応をキャッチしました。シユウとザイゴートの確実な分断をお願いします。その間に討伐隊を向かわせますので』

 

「了解」

 

  通信を介してオペレーターの指示を得たカンナは、すぐさま二人の部下にも指示を伝える。

 

「ではいつも通り。集中狙撃でアラガミを少しずつ釣るぞ」

 

「アイアイサー」

 

「了解しました」

 

  神機を構え始めるカンナを横にツルギは軽い調子で、リノは生真面目に返事をした。

  三人は横一列に並び、専用に取り付けられたスコープを使って敵を照準する。発射と同時にステルスフィールドが強制解除されるため、後にザイゴートに発見されるリスクを考慮して、射撃体勢は伏せだ。

  狙いを澄ませ、一斉にトリガーを引く。

  ビルの屋上から放たれた三本の光線は住宅街跡地の上を突き進み、目にも留まらぬ速さで大気を貫く。それら狙撃弾はやがて、一体のザイゴートの頭部にある巨大な眼球へと直撃していった。

  オラクル細胞の高エネルギーで眼球を徹底的に破壊され、あっという間に絶命するザイゴート。空中から地面へ落下し、ドスンという音を立てる。群れを形成していた他の個体は、突如として訪れた仲間の死に面食らった。

  だが、その死を少しでも悲しむ素振りは見せず、一瞬にして厳戒態勢へと移った。ザイゴートたちは目玉をギョロギョロと動かしながら、攻撃方向から逆算して敵の索敵をおこなう。

  その間にも偵察班による長距離狙撃は続き、一体、また一体とザイゴートの数が減っていく。閃光に穿たれた卵状の怪物は地へと墜ち、同時にその身体を揺らす。

  着弾を確認し、ザイゴートが命尽きる様を黙々と見つめるカンナたち。そんな中、ザイゴートのたわわとしている胸部に何気なく視線を向けていたツルギは、とある総統の台詞を思い出した。

 

「おっぱいプルンプルン!」

 

「ツルギ、後でぶん殴る」

 

「ごめんなさい。真面目にやります」

 

  リノの冷ややかな口調にツルギは恐れを成すと、悪ふざけを止めて狙撃に再び集中した。

  しかし、残り六体というところでカンナたちの居場所が遂にバレてしまった。ザイゴートの卓越した視力がビルの屋上にいる三人の人影を明確に捉え、浮遊高度を更に上げていく。

  それからザイゴートたちは無規則な機動を取りながら、猛スピードで偵察班のいるビルへと突撃していく。

  これまで狙撃による集中攻撃を徹底して一体一体の確実な撃破をやってきた三人だが、偏差射撃が利きにくいような回避運動を取られては敵わない。潮時だと判断したカンナは、ザイゴートが急速接近してきた段階で即座に狙撃を切り上げる。

 

「狙撃終了。ポイントを移動するぞ」

 

  カンナがそう告げると、彼らはビルの屋上から急いで下へと降りていった。ザイゴートを誘導し、ゆっくりと着実な撃破を意識した近接戦闘へと持ち込む魂胆であった。

  ここ数年で急速発達したレーダーの性能もあり、オペレーターによるナビゲートもほぼ万全。アラガミの位置情報を常に把握できるのは、三人にとっても非常に助かる事だ。

  ちなみに、ツルギとリノが階段経由で丁寧にビルを降りたのに対し、カンナは屋上から無傷で飛び降りたのはここだけの話である。

  この後、偵察班は無事にザイゴートを殲滅すると、シユウを狩る討伐部隊の狙撃援護に回った。ついでの仕事のように。

 




シリアスとギャグが壊れて混ざった匂いがする? 自覚はしています。


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逃げたら師匠に出会ったマスク・ド・オウガ

現状のマスク・ド・オウガに戦闘BGMを入れるなら、オウガテイル戦以外は全部ディアウス・ピター戦のアレ。

要はBGMが被処刑用と化する。


 青年に連れられた俺は、とある市民会館の中へとやって来た。比較的安全な屋内に移動する方が先だと判断したため、まだ色々と細かい事は聞いていない。神機は既に四次元空間へ仕舞っている。

  外から見る限りでは多少のかじり跡があったが、市民会館としては他の建物よりも随分と形を保っている。内部も存外に綺麗にされており、人の手が常に入っているのが計りしえる。

  比較的安全地帯であるアナグラも収容人数の限界があるので、危険な外での暮らしを強いられる難民もいるのは想像に難くない。だが、外部居住区に住む人々よりも身近にアラガミの脅威に晒されているにも関わらず、こうも様子を見せられると驚きの一言に尽きてしまう。何か、他のところよりも余裕がありそうな雰囲気がある。

  難民自体はゲーム中でも察せられる程度にしかなかったが、現実として直視すれば嫌でも関わらざるを得ない闇の部分だ。大体、フェンリルのせいである。

  しかし、フェンリルにやたら敵意を燃やしても何にもならないのは火を見るより明らかだ。俺個人で何かしてあげられる訳ではない上に、アナグラへと案内する事もできない。場所を知らないから。

  例え、市民会館にこもっている難民全員の護衛を請け負ってアナグラに行こうにも、途中でアラガミの群れに襲われて全滅するリスクが高い。アラガミを倒せるだけの中途半端な力があるだけ、何もできないのがとても心苦しい。

  ――と、うちひしがれていたのだが。

 

「神だ」

 

「神がいる」

 

「神が降臨なされた……」

 

「「神ィィィ!!」」

 

「人違いです」

 

  そのままホールに招かれた俺は、多くの人々から謎の歓声を受けた。平伏する人もいれば、感謝の言葉を述べる人もいる。さりげなく神であるのを否定したが、そんなものは彼らの喧騒によって無残にも掻き消された。

  青年だけでなく他の難民たちも俺の姿はしっかり確認できているようで、レンのようなパターンではないと実感した瞬間にこの喝采である。それには何やら鬼気迫るものがあり、ここから今すぐ逃げ出そうとすれば最悪な目に遭うのは軽く予想できた。もはや、青年に付いていったのはリスクしかなかったとしか感じられない。後悔と反省はしている。

 

「見ろ! 遂に私たちの祈りがオウガテイルに届き、こうして人の姿を模して救いにやって来られたのだ!」

 

「「神ぃぃぃー!!」」

 

  リーダー格の男性の言葉を皮切りにし、本日二度目の“神”斉唱が繰り広げられた。これ以上は洗脳されてしまいそうだ。

  それから人波がモーセの海割りの如く分かれていく。こうして出来上がった道を俺は青年に導かれるままに進み、遂にはやけに装飾が凝った椅子へと座ってしまった。少し偉い人になった気分だが、こんな状況ではちっとも嬉しくない。

 

「あの……聞いてる?」

 

  難民たちは“神”とひたすら連呼しては、俺に向けて祈りを捧げる。その圧倒的な迫力を前に、俺はどうしても怯えて大きな声が出せなかった。

 

  やめてくれ。誰が悲しくて異様なほどにまで担ぎ上げられなければならないのだ。俺はまだ皆が信じている神について何も知らない。祈りに熱が入りすぎて、逆に恐ろしく感じるからやめてくれ。

 

  だが、その願いを口に出す事は叶わず、人々は相変わらず祈るのをやめない。その時、箱膳を持った青年が後ろに中学生くらいの少女を連れて、再び俺の前にやって来た。

  そして、青年は少女と箱膳を納めるようにして俺に差し出す。箱膳の上には非常食がぎっしりと詰まっていた。

 

「申し訳ありません、このような粗末なものしか用意できなくて! お供え物と生け贄です!」

 

「ねぇ、今何て言った? 生け贄? 生け贄って言ったの?」

 

「「はい!」」

 

  俺の疑問に二人は笑顔であっさりと答えた。笑顔が不気味に見えて怖い。

 

(はい、じゃねーよ。何で生け贄にされてる本人もそんなに嬉しそうなんだよ……もうやだ、ここ)

 

  勝手に人を担ぎ上げた挙げ句に生け贄を差し出すなど、まるで正気の沙汰ではない。十中八九、カルト教団で間違いないだろう。このままでは俺も気が狂いそうだ。

  そういう訳で、この異常な空間からとっとと逃げ出すため、かねてからの用事を済ませようと思った。この中にいるであろう教主に向かって、負けじと声を振り絞る。

 

「あの、教主はどなたですか?」

 

「はい、私です!」

 

  すると、人混みの中から一人の老人が現れた。背骨は曲がっておらず、元気に挙手してくれている。

 

「状況が飲み込めないので説明をください」

 

「あなた様の歓迎の儀式でございます!」

 

「そうじゃなくて最初から。皆さんの信仰している宗教から全部まで」

 

  ざわざわ……ざわざわ……。

  その瞬間、難民たちは急に静まり返ったと思いきや、おどろおどろしい様子で騒ぎ始めた。先程の祈りのような煩さはなく、むしろ全員が一斉に内緒話をするかのような喧騒ぶりだ。

 

「落ち着くのだ、皆の者! これは我々の信仰を試す神の試練なのだ! 何も不思議に思う事はない! では、僭越ながら私がご説明させていただきます」

 

  教主の一喝によりホールは瞬時に静寂に包まれた。彼らの信仰心を試すつもりはさらさらなかったのだが、教主がいい具合に早とちりしてくれて助かった。ようやくまともな会話に臨める。

  そして、彼は粛々と自分たちの教えについて語り始めた。話し終えるまで意外と長かったので、内容をまとめると以下の通りになる。

 

  彼らが信仰しているのは俺の予想通り、オウガテイルであった。ただ俺も思いに寄らなかったのは、オウガテイルを守り神として見ている点であり、世界各地に大量出没している個体はその守り神の姿を騙る偽物だと捉えている。

  また、偽物たちを成敗するために守り神――真オウガテイルは自分の分身を送り込んで事の対処に追わせる。その分身の名前がマスク・ド・オウガと言う。びっくりするほどの本地垂迹説だ。その名を知っている理由については、教主は天啓が下りてきたのだと証言していた。何度も確認取ったが答えは変わらず、はぐらかされたようにしか思えなかった。

  オウガテイル教の中には「偽物のオウガテイルに襲われてヤバい時は真オウガテイルに祈って助けを求めろ」という内容もあり、彼らがどれだけオウガテイル教に傾倒しているかがよくわかる。あの時に青年が早く逃げなかった理由もそれだ。

  ちなみに彼らは他の神機使いをマスク・ド・オウガの偽物として嫌っており、アナグラを追い返された恨みも兼ねて結構な嫌がらせをやっているらしい。強盗とか、どっぷりと犯罪に手を染めている訳だが、テロをやっていないだけマシなのか?

  あと彼ら曰く、この市民会館付近は滅多にアラガミが寄ってこない聖地であるとの事。今まで生きてこられた要因の一つがそれであり、その幸運ぶりに俺は感嘆の息を漏らしてしまった。

  こうして俺がマスク・ド・オウガになってこの世界に舞い降りたのも、彼らは自分たちの信仰が実を結んだと考えており、いまいち根拠に欠ける。それではマスク・ド・オウガが登場してくる理由になっても、俺がマスク・ド・オウガになる理由にはならない。普通にエリックでいいだろ……。

  そもそも、信仰値云々でマスク・ド・オウガ参上の是非が決まるという内容が不思議でしょうがない。この世界に来たメカニズムでも解明されない事には何も言えないが、キングストーンでもない限り「その時、不思議な事が起こった」という説明でどうして納得できようか。何から何まで偶然の出来事では、運以外に元の世界へ戻る術は完全に消滅する。

 

「では神よ。何卒、不義のオウガテイルを全て討ち滅ぼし、我々をお救いください!」

 

「「お救いください!!」」

 

  教主の後に続き、老若男女を問わず一斉に土下座してくる。まるで形振り構わないその姿に、俺は敢えなく言葉を失った。

  彼らがここまでオウガテイル教――マスク・ド・オウガにどっぷりと嵌まってしまった理由は想像につく。まず単純に考えて、ただ救いがなかったからだ。

  この地獄のような世界の中では、最高峰の安全地帯であるとされるアナグラ。アラガミ防壁に囲まれているかいないかでも天地の差はあり、有事の際には神機使いが救援に駆けつけてくれる。例え暮らすのが外部居住区だとしても、壁外にいるよりも生存率は大幅に跳ね上がるだろう。

  だが、アラガミから命からがら逃げ切って、すぐ目の前に安全地帯があるのに容赦なく追い返されてしまえばどうなるか。

  もう少しなのに手が届かず、偏食因子に適合する人がいないとか、これ以上は収容できないからとか、そんな理由で見捨てられる。俺なら軽く十回は絶望できる仕打ちだ。そして絶望が人生のゴールになる。

  そして、ここは神機使いでも場合によってはスピードハンティングされる世界。ただでさえ神機使いは人手不足かつ死亡率が高いのに、普通の民間人がアラガミ相手で簡単に生き残れる筈がない。フェンリルの保護を受けなければ、どこに逃げても地獄だ。

  そんな中、日々の過酷なサバイバルで憔悴しきった心に余裕を持たせるため、途端に神を信仰して救いを求めようとする気持ちはわからなくもない。もはや、身近に頼れるものが影も形もない神しかいないからだ。

  例え、どんなにすがる意味がなくても神を信じ続ける。実際のご利益までは重視しておらず、あくまで現実を直視しないように。

 

  なら、神以外に心の拠り所がない彼らの元にやって来てしまった俺は、一体何ができる?

 

  神機を持っていてもアラガミと遭遇すれば逃走を優先。まともに戦うのは本当に最後の手段だ。そのおかげで今までろくな戦闘経験は積んでおらず、平然として戦えるのはまだオウガテイルのみ。オウガテイルだけならともかく、それ以外のアラガミと戦えと言われても実際に戦える気がしない。

  未だに自分の事だけで手一杯なのに、他の人の命を預かるのは無茶だ。神機使いになって日も浅く、この場にいる全員を守りきるには経験値が圧倒的に足りない。俺一人では不可能なのは、誰の目から見ても明らかだ。

  それに、彼らの願いであるオウガテイルの殲滅。これも叶えてやるのは無理だ。アラガミを根絶するには大気、水中、地面……地球上全てのオラクル細胞を無くす必要がある。

  また、とことん環境を破壊され、尚且つ光合成をおこなうアラガミなどの代替が生まれた時点で、オラクル細胞撲滅の意義は随分と浅くなった。既に人類はオラクル細胞なしでは生きていけない。

  目の前にいる信者の救済、アラガミの駆逐。己の事を正しく把握している分だけ、どちらを背負おうにも重すぎて潰れるのは明白だった。

 

「……ごめんなさい」

 

  教主の話が終わって訪れた沈黙の中、俺がようやく出せた言葉はとにかく謝罪の一言だけだった。現状ではどうしても、信者たちの期待には応えられない。ろくに活躍も残せずに死んでしまうだろう。

  また、俺は死んでまでこの世界に居座る訳にはいかない。帰る家というものがある以上、これだけは譲れなかった。

  謝罪を聞いた彼らは、不意に顔を上げては各々に戸惑いの表情を見せる。その直後、酷く狼狽した様子の教主が俺に質問をしてきた。

 

「な、何故謝るのですか!」

 

「アラガミの絶滅なんて俺にはできません。というより、誰にもできません」

 

  信者たちの一世一代かもしれない頼みをすっぱり断る以上、俺も誠意ある態度で臨まなければならないのだが、気まずさで教主の顔からどうしても視線が下がってしまう。

  だが、それでも信者たちはしつこく俺に食い下がってくる。

 

「そんな事ありません! 神よ、自信を持ってください!」

 

「そうです! 力が足りないなら、いくらでも生け贄を捧げますから!」

 

「……っ、やめろっ!!」

 

  瞬間、俺は本気で乱暴に怒鳴り散った。全力で腹から出した声が、ホール内に何度も大きく反響する。信者たちに勝るとも劣らないその声量は、問答無用で場を静まり返させた。信者の中には先程の怒鳴り声で怯えてしまった人もいて、俺の機嫌を窺おうとしたり、留めようとする者はもう見られない。

  完全に悪印象を植え付けてしまった。俺はそう思いながら、怒声の際に大きく震えた自身の身体を次第に落ち着かせる。頭に上った血が急に下がって冷たくなる感じがした。

  油断するとすぐにカルト教団的フレーズが飛んでくる。生け贄なんて論外だ。そんなもので強くなれるのなら誰も苦労はしない。そもそも、俺に生け贄はいらないし必要ない。神でもないのだから。

 

「お、お待ちください!」

 

  直後、俺は人混みを避けて、ホールから瞬く間に出ていった。教主に呼び止められたが、後ろを振り向かずに出口へと真っ直ぐ向かう。

  力不足にも関わらずに神輿扱いされるのが辛すぎた。期待の押し付けは別に何も言わないが、マスク・ド・オウガになってまだ四日目の俺にだけは止めてほしい。依然として新人レベルなのだ。

  アラガミを倒すという点においては、俺よりも格段と優れた神機使いがたくさんいるだろう。ウロヴォロスをソロで倒したリンドウとか、ヴァジュラ四体同時狩りをこなしたソロプレイヤー(主人公)たちとか。期待するならせめて、そういうトンデモレベルの人たちにしてくれ。

  廊下を走っていると、後ろの方から大量の足音と声がものすごく反響してくる。きっと、俺を追い掛けてきた信者たちなのだろう。心なしか、俺を求める声が呪いのように聞こえる。

  ダメだ、怖すぎる。本当に申し訳ないが、こんなところに長くは居られない。俺は逃げさせてもらう。弱くてごめんなさい。

  やがて、市民会館の正面玄関を潜り抜けた。自動ドアは壊れており、尚且つ簡素なバリケードしか張られていなかったので突破するのは容易だった。

  市民会館から少し離れたところで、玄関の方をチラリと見る。狭い出入口に多くの人々が大挙し、逆に俺を追う事も叶わずに右往左往していた。遠くからでもわかる彼らの救いを求める眼差しが、俺の心に容赦なく突き刺さってくる。

 

「「神ィィィー!!」」

 

  本当にごめんなさい。俺もそこまで手を回せる余裕がないです。

  人に会えたという意味で色々名残惜しく感じながら、俺は市民会館から立ち去っていく。

  しかし――

 

「Fou」

 

  筋骨隆々の鍛え抜かれた身体に、堂々とした腕組みのポーズ。されど人型でありながら特徴は鳥類を踏襲しており、硬質化した体表が鳥としての異質さを示す。

  背中から生える巨大な翼は、第三、第四の腕だと見間違えそうなものだ。翼の先には拳があり、その者に格闘家のイメージを与える。

  また全体的に青色で、俺の前で披露する一挙一投足はなかなか様になっている。その巨体が生み出す迫力も相まって、好きで観賞するには申し分ないだろう。

 

  そいつは紛う事なき、シユウであった。誰か、嘘だと言ってくれ。

 

「ああ、見ろ! アラガミだ!」

 

「まさか、神が私たちを突き放したのは……」

 

「そうだ! 我らの聖地に近づく不義のアラガミを討つためだ! 神を我々を見捨ててはいない!!」

 

  後ろの信者たちが三者三様の反応を示す。だが、どれも前向きな意見ばかりで逃げ出した俺の事を疑う人は誰もいない。えぇ……。

 

「Fou! Fou!」

 

  シユウが信者たちを見つけると、急にはしゃぎ始めた。既に神機を取り出した俺は眼中にないようで、俺ではなく信者たちに向かって走り出す。その行動が意味するのは、考えなくてもわかる。

  ただ、この先に起きる展開を予想した瞬間、俺は何故か無心になっていた。俺を無視するシユウの動きが途端に遅くなったように感じ、勝手に自分の身体が動き出す。「ヤバい」や「逃げたい」などの思考は働かなかった。

  無心のまま、四次元空間から神機を居合い斬りするように取り出す――

 

「このっ!!」

 

「Fo!?」

 

  呑気に横を素通りしようとするシユウへ、俺は間髪入れずに神機を奴へ繰り出した。横薙ぎが翼に当たり、不意の出来事に驚いたシユウは俺から咄嗟に離れる。

  それから間を置かず、シユウは俺を真っ直ぐ捉えて戦闘体勢に移った。尾刀クロヅカの刃が当たった翼には傷はなく、効果的なダメージは与えられなかったようだ。

  拳法のような構えを取り、自然と俺に威圧してくるシユウ。それを受けて、俺はシユウに喧嘩を売った事を激しく後悔した。

  極論で言うならば、死にたくないなら信者たちを見捨てて逃げれば良い。そうすれば、わざわざアラガミと真っ向から戦う必要もなく、自身の命を賭けずに済む。

  しかし、それは「シユウの頭か拳をツンツンすれば“余裕”で倒せる」とは逆のベクトルで、実行するには難しい。平気で見殺しにするなど、俺には怖くて真似できない。

  最低限でも誰かを救える力を持っているにも関わらず、戦えない人々を容赦なく見殺しにできるほど、俺は酷く冷たい人間になれる気がしないのだ。ここで見捨てれば、後で絶対に後悔する確信さえある。初めから俺が最低の人間だったら、見殺しにするのは一体どれだけ楽なのだろうか。

  前はシユウ、後ろは信者たち。退くのも進むのも、逃げるのも儘ならない状況である。両者の間に挟まれていて、とても息苦しい。

 

「うおおおおお!!」

 

「神ィィー!! やっちゃってください!」

 

「うるさい! 全員、奥に避難!!」

 

「「仰せのままに!!」」

 

  残念ながら外野が騒がしい中で戦えるほど、俺は集中力がない。素直に避難指示を聞いてくれた信者たちに感謝しつつ、改めてシユウと対峙する。

  気づけばシユウは何やら溜めの姿勢に入っていた。腰を深く落とし、翼を曲げて拳を握り締める。これは……あっ。

 

「師匠、どうかお手柔らかに――」

 

「Foooooo!!」

 

「手加げぇん!!」

 

  直後、シユウの両拳から巨大な爆炎玉が一つ放たれた。相手の予備動作で察した俺は、即座にシールドを展開する。

  爆炎玉がシールド表面に着弾すると、やたら大きな爆発が起きた。負けじと踏ん張ってしっかり防御を取るものの、爆発の衝撃で一メートルほど後ずさってしまう。

  そして俺は次の瞬間、市民会館から遠ざけるようシユウの誘導を始めた。

  いくら信者たちが市民会館付近にアラガミは滅多にやってこないと言っても、耳の良いコンゴウなどが戦闘音を聞いて駆けつけたりしたらヤバいのだ。特に俺の生存率が。

  その二次被害で非戦闘民である彼らが他のアラガミに蹂躙される可能性もあるので、ここから遠く離れた場所へシユウを連れていく戦法に疑問の余地はないと思われる。

 

「Fou!!」

 

「滑空危ない!!」

 

  この後、俺はシユウをなるべく引き付けながら、めちゃくちゃ遠くへと逃げた。ビビりすぎて倒すのに時間が掛かったのは、ここだけの話。

 

 ※

 

  贖罪の街近郊でおこなわれたシユウ三体の討伐は、意外にも苦戦を強いられた。これら個体群は、交戦時に異常なオラクル反応が検出された強化体だったからだ。

  それでも偵察班の援護射撃により戦闘は神機使いたちが優勢であったが、シユウの内一体が瞬く間に逃げ出してしまった。本来なら体重と翼の構造のせいで飛行できないシユウが、爆炎玉の爆発から得られる反動で上手い具合にハイジャンプしたのである。

  そのバッタを彷彿させるような逃走方法に面食らった討伐部隊は、人員を二手に分けて逃走したシユウの追撃に向かった。追撃に割かれた人数は、隊長とその部下の二人だけである。

 

「クソッ! ガルムみたいに飛びやがって!」

 

  第二世代型神機を持った赤服の隊長が、悪態をつきながら街中を駆け抜ける。その後ろには、銃形態の神機を持つ部下の少年がぴったりとくっついている。

  こうして追撃に出た二人だが、シユウの姿は完全に見失っていた。残された頼みの綱は、随時アラガミの位置情報を確認しているオペレーターからの連絡のみである。

 

『これは……逃走中のシユウの付近に、出撃記録のない神機使いの位置情報が再び発信されました! 至急現場に向かってください!』

 

「ッ!? 了解!」

 

  すると、オペレーターは少し不可解な通信を彼らに飛ばした。それを聞いた隊長は一瞬だけ眉をひそめるが、即座に返事をする。

  そして、近くで市民会館が見える場所まで移動した頃、少年は自分たちに向かって走ってくる謎の集団を見つけた。

  曲がり道の方から突如として現れた、大の男たちで構成された人々。全くの不審者ぶりに少年は訝しみながら、前方から迫りくる者たちの事を隊長に報告する。

 

「隊長、民間人です!」

 

「なんだ、あれ?」

 

  言われるまでもなくその集団を見つけた隊長も、どうして彼らがこちらに近づいてくるか理解できなかった。あまりにも奇妙な光景に隊長は思わず足を止めてしまい、少年もそれにつられて動きを止める。

  彼らの表情を見る限り、アラガミや何かに追われている様子はない。むしろ、自分たちを目の敵にするような顔をしていた。穏やかな表情などをしている者は一人もいない。

  それから遂に、謎の集団が二人の前に立ち塞がる。その中心には、オウガテイル教のリーダー格である男がいた。

 

「全員、石は持ったな? マスク・ド・オウガ様の姿を真似る愚かな神機使いに制裁を与えよ! 聖地に踏み込んだ罰も込みで!!」

 

「「神よぉぉぉー!!」」

 

「ちょっと、待っ――!」

 

  瞬間、少年の制止も空しく、信者たちは二人へ一斉に投石を開始した。大小様々な石が雨あられのように降り注ぎ、無情にも神機使いの身体へと襲いかかる。

  だが、アラガミと戦えるだけのポテンシャルを持つ神機使いの耐久力は伊達ではなく、普通の人間による投石では滅多に怪我はしない。ただし、飛来物がやって来る心理的効果ばかりはどうにもならないので、少年と隊長は咄嗟に神機のシールドを展開した。

 

「こちら、レンジャー1! 民間――いや、難民から石を投げられてる! 痛くないけどやけに命中率が高……あだっ!?」

 

  シールドで投石を受け止めながらオペレーターに通信する最中、隊長の脛に巨大で鋭利な石が華麗に直撃した。傷は出来なかったものの、弱点を突かれた事で隊長は少しだけ悶絶する。

 

「隊長! これ、迂回しましょう! なんかヤバいです!」

 

「ダメだ! その前にこの人たちをなるべく安全な場所に移動させてから……」

 

『シユウの追撃を中止してください。レンジャー1の付近にアラガミの反応はありませんが、民間人の安全確保の優先をお願いします』

 

「ほら! オペレーターの指示もこうだ! やるぞ!」

 

「えぇっ!? でも……」

 

  隊長命令に言葉を濁した少年は、改めて信者たちの姿を確かめる。

  いつアラガミに襲われてもおかしくないのにノコノコと外に出て、ひたすら怒りと憎悪をぶつけてくる様子は狂気でしかない。少年はそんな信者たちに言い様のない恐怖を抱き、関わりを持つ事に気乗りしなかった。

 

 

  その後、シユウ三体の討伐は惜しくも一体を逃がし、そして何者かに逃走中の個体を撃破された形で終了した。

  また、逃亡したシユウのオラクル反応が消滅した地点には、短時間だが他の神機使いの位置情報が発信されていた。それを照合した結果、先日に鉄塔の森や愚者の空母に出没した仮面の神機使いのものだとわかり、現場近くにいた人員により急遽捜索が入った。

  しかし、捜索中に難民の発見や他のアラガミとの遭遇で、早々と捜索を打ち上げるしかなかった。

  その一方で、発見した難民については近頃になって活発化したカルト教団である事が判明した。市民会館はそんな彼らの本拠地である。

  オウガテイルを信仰している彼らは、他のカルト教団と違って軽度の悪行しかやっていないが、それでもフェンリルの輸送車襲撃・食料強奪などの損害を与えていたため、後日に彼らの身柄を拘束する部隊が派遣される事になる。

  尚、拘束時は特に抵抗を受ける事なく、彼らはやけに静かであったと言う。ちなみに、教団を運ぶ護送車内で録音された会話の一部を取り上げると、以下の通りとなる。

 

「我々は反省しなければならない。あの日、マスク・ド・オウガ様がお戻りになられなかったのは、我らが神と呼び続けたからだ。マスク・ド・オウガ様が人の姿をしておられるのは、むやみやたらな騒ぎを避けるため……」

 

「ようやくやって来た救いの使者に、私たちは舞い上がりすぎていました。神の分身と言えどあのお方は、この地上に降りている限りは自らを人間として定める事を望んでいる。神よ、私は懺悔します」

 

「神よ、愚かな我らを許したまえ……」

 

「「神よぉぉぉ!!」」

 

  さらに、後におこなわれた教団の主要人物の取り調べでは、少々耳を疑うような発言がされた。自分たちの信仰している神の分身が降りてきて、市民会館に近づいて来たアラガミと戦ったと言うのだ。勿論、神機を用いて。

  最初は眉唾物であった証言だったが、詳しく話を聞いてみるとその特徴が仮面の神機使いと偶然にも合致した。それから教団と仮面の神機使いの関連性について調査が入るものの、宗教としての情報以外に決定的な収穫は得られなかった。

  ただし、それが仮面の神機使いに関する唯一の手掛かりである事には変わりなく、彼の捜索はより一層の力が入る。第三世代型神機使い以外にも感応種と戦える者がいるという事実は、将来の感応種対策を講じる大きな手助けとなりうるからだ。

  その上、仮面の神機使いに用いられている偏食因子が通常のものだと仮定する場合、早い内に接触できなければ偏食因子の枯渇に陥ってしまい、その貴重な存在がアラガミ化によって失われてしまう恐れもある。他にも最悪なケースは想定されているが、どのみち捜索は時間との勝負である。

  以後、フェンリル極東支部は仮面の神機使いを教主たちの証言から引用して、マスク・ド・オウガと呼称。彼との接触だけでなく、故エリック・デア=フォーゲルヴァイデと腕輪の識別反応が重複している原因の究明にも勤しむのだった。

 

 




信者たち、投石の経緯……

市民会館の三、四階辺りからマスク・ド・オウガの戦いを拝見しようとした信者が、双眼鏡でたまたま神機使い二人の姿を見つけた模様。そこからは男衆にスクランブルが入った。


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黒金魚と出会ったマスク・ド・オウガ


終末捕食はノヴァと特異点のセットで発動するもの、だと思っていた人は挙手をお願いします。大丈夫、作者もゴッドイーター2をプレイする前はそう思っていました。

つまり、今回の話はそういう事でもあります。


 シユウを倒した後、信者たちの事が気になった俺は一度だけ市民会館に戻ろうとしたが、折悪しくサリエルに見つかったので逃走を余儀なくされた。レーザーで弾幕を張ってくる危ない相手を倒すなんて考えは頭になく、ただ逃げて生き延びる事に精一杯だった。

  ブライトさんも満足な弾幕に立ち向かえる訳なかったよ。ホーミングと高高度と設置式のレーザーをバカスカ撃ってくるものだから、何発か仮面に掠ってヤバかった。仮面がなければ即死だったに違いない。

  勇気を出すって本当に難しいんだね……。シユウの時は、信者たちの住み処が位置バレしていたから頑張ったのだけど、やはり極度の絶体絶命に自身が追い詰められなければ戦うのは無理だ。余裕があれば、すぐに逃走を選択してしまう。

  そうしてサリエルを振り切った矢先でコンゴウ、次はクアドリガ、その次はボルグ・カムラン、その次の次はグボロ・グボロ、といった風に遭遇してしまったので、まったく休む暇はなかった。ひたすら走って逃げ切るばかりだ。

  今思えば、サリエルをきっかけにしてアラガミとの遭遇率が一気に跳ね上がった気がする。多種多様のアラガミと出会う分だけ、初日の地獄道が天国のように見えてしまう。まずいな、俺の身体がどんどん極東色に染まっていく……。

  また、その時からアナグラ探索に明確な支障が出るようになり、日によっては迂闊に歩けない事が続いた。赤い雨とかで。

  こうしてマスク・ド・オウガになって十日目の朝。廃ビルの一室の窓から朝日を拝んだ俺は、今日もアラガミの魔の手を掻い潜って極東支部を目指す。

 

「はぁ……」

 

  意識していなければ、自然と溜め息が出てしまう。もう十日もこの世界で過ごしていると、自分自身について色々と察しがつくのだ。

  適当に神機でアラガミを斬れば勝手に満たされる腹。滅多な運動量では疲労感が訪れないほどの体力、スタミナ。自身の生死に関わる局面でよりブーストされる身体能力。神機でアラガミを捕食する事で得られる、お母さんの手料理を食べているような充足感。

  もはや「お前人間じゃねーから」と言われても反論できないほどのぶっ飛び具合である。だがそれでも、俺は自分が人間であるという望みを捨てられない。

  見苦しいのはわかっているが、ここで人外だと認めてしまうと負けかなと思うのだ。なんかこう、それだと俺をマスク・ド・オウガにした大いなる意思的なヤツの思惑通りになるようで、非常に腹立たしくなる。

  エリックで良いじゃん。マスク・ド・オウガの中身、別にエリックでも良いじゃん。何で華麗成分が本人より不足している俺が選ばれているの? 訳がわからない。エリックなりきりプレイしたから?

  マスク・ド・オウガになっていなければ、今頃はのんびり楽しくゴッドイーターをプレイしていただろうに。

  ゲームの世界に行けたのだから最高じゃないかだって? 嬉しさよりも悲しみと絶望、その他の感情が上回って話にならない。何故なら、あくまでゴッドイーターの世界観はゲーム視点でようやく楽しめるものであって、現実となった場合は文字通りの地獄と化する笑えないものだからだ。下手すれば、オウガテイル一種類だけで全人類滅亡するレベルで。

  アラガミという脅威が身近にある限り、この地獄は終わらない。本当の意味で身も心を休める場所は恐らくどこにもないだろう。アラガミ防壁も偏食因子云々で相手に避けてもらう方式なのだ。全てのアラガミが軍隊のように統率されて攻勢に出た暁には、余裕で人類は滅びるだろう。

  そして、廃ビルを出発して数十分。元車道の十字路に差し掛かったところで、思わぬ相手と遭遇した。

  ゾウにも劣らない巨体に、身体中に浮かぶ黒と白の縞模様。見た目は虎、雰囲気はライオンだが鬣の部分が赤いマントに置き換わっている。頭にはややY字型の冠、前脚には手甲が取り付けられており、口から飛び出た鋭い牙が見る者に畏怖を与える。

  おおよそ猫科にしては色々とおかしい部分があるそれは、ユーラシア大陸出身のアラガミ、ヴァジュラであった。

  居場所は俺から見て左側。百メートルぐらい離れているが、ヴァジュラの顔が完全にこちらに向いている事はわかった。

  目と目が合う瞬間、ターゲットにされたと気づいた俺はそのまま直進ダッシュした。ヴァジュラの視界を堂々と横切る。

 

「Gaooooo!!」

 

  だが、とっとと視界の中から消えただけで見逃されるほど甘くはなく、咆哮を上げたヴァジュラは瞬く間に大地を揺らしていく。

  ドシッ、ドシッと腹に響く重たい音が、俺の中で危険信号を流させる。

 

「うわあああああ!?」

 

「Gaaaaaa!!」

 

  かくして、もう何度目になるかわからないアラガミとの鬼ごっこが始まった。直線スピードでは四脚のヴァジュラに負けるので、なるべく複雑なルートや狭い道を通っていく。念のため、既に神機は取り出していた。

  しかし、どんな獣道を通ろうにも今回のヴァジュラは執拗に追い掛けてくる。例えあの巨体では通れない道で一時的に振り切ったとしても、一体どういう手段で把握しているか不明だが、きっちり迂回してきて俺の前に立ち塞がるのだ。

 

「ふざけるな!! 追い掛けても割りに合わないだろ!! コクーンメイデンとか狙え!! あいつ逃げないから!」

 

「Guaaa!!」

 

「ひぇっ!? 雷球やめて!!」

 

  勿論、説得など通用する筈がなく、時々やって来る攻撃を避けながら俺は逃げる。大抵のアラガミとコミュニケーションが取れないのが痛いところだ。

  ちっぽけな俺をつけ狙うなんて相当飢えているのだろうか。それとも、単にヤツの偏食因子の大好物が人間であるだけなのだろうか。ともあれ、このままでは埒が明かない。どうにかして振り切らないと……。

  そうして走り続けていると、正面の方から別のアラガミがやって来た。先頭を走るのは、神機の捕食形態をマスコットキャラクターにした感じの金魚擬き。その後ろには、もう一体のヴァジュラがいた。

 

「嘘だろぉぉぉ!?」

 

「Kyuu!?」

 

「「Gaoooooo!!」」

 

  絶対絶命のピンチに俺と金魚擬きは声を出し、ヴァジュラたちは煽るようにして同時に叫ぶ。

  前方のヴァジュラと後方のヴァジュラ、そして間に挟まれる俺たち一人と一匹。金魚擬きも追われているようで、俺の分のヴァジュラを押しつけるには荷が重すぎると一目でわかった。あんなぬいぐるみみたいなヤツに期待はしない。

  それからお互いに衝突しようとする瞬間、何気なく目を横に向けると新たな逃げ道を発見した。幅はどう足掻いてもヴァジュラ一体分しかない。

  ヴァジュラの挟み撃ちを受ける寸前、俺と金魚擬きは躊躇なく同じ道に曲がった。直後、背後からヴァジュラたちの悲鳴が上がり、その声がどんどん遠ざかっていく。どうやらお互いに激突でもしたようだ。奴らの足音が微塵も聞こえてこない。

  これは好都合。この隙にトンズラさせてもらう。

  まるで弾丸に穿たれたような長い道を駆け抜ける。鎌倉の切通しを彷彿させる作りで、両脇には傾斜がキツい土壁が高くそびえている。文字通り一方通行だ。

  横では金魚擬きが未だに並走していた。隣に人間というエサがあるにも関わらず、脇目にも振らない。俺に襲いかかる余裕まではないのだろうか。そもそも、コイツは本当にアラガミなのだろうか。

  すると、途中から行き止まりに遭ってしまった。ここから先は崖縁で、下から十メートル以上の高さがある。ロープもない現状では、飛び降りる以外に進む手段がなさそうだ。

  そして、ふと後ろを見てみると先程のヴァジュラたちが一列に並んで追いかけてきた。誰か嘘だって言ってくれ……。

  逃げ道は一つしか残されておらず、すぐ側にある土壁を越えるのは現実的ではない。ロッククライミングの経験はゼロで、仮に挑戦したとしても登りきる前にヴァジュラに追い縋れて死んでしまうだろう。二段ジャンプでも厳しい高さだ。

  一方の金魚擬きは真っ先に逃げ出そうとはせず、どういう訳か俺に視線を寄越していた。その瞳はまるで指示待ちの飼い犬のようで、ここに来て優柔不断になっているのがわかる。おいこら。俺にお前の命を預けるんじゃない。

  だが、こうして決めあぐねている内にもヴァジュラたちは着実に迫りつつある。ソロでヴァジュラ二体を同時に相手取れる自信もないので、当然ながら交戦する選択肢はあり得ない。

 

「……っ、華麗に南無三!」

 

「Kyuu!!」

 

  結果、覚悟を決めた俺たちは迷わず崖から飛び降りた。高所からの落下で身体中の血の気が引いていく感覚に襲われながら、頑張って思考停止せずに受け身を取る準備をおこなう。

  着地の瞬間に膝を曲げて、落下時の衝撃を受け流すように大きく前転する。固い地面の上での前転なので、背中辺りが土砂に当たって痛かった。

  しかし、起き上がって確認すると目立った外傷は特になく、金魚擬きも無事に飛び降りられたようだった。

  次に周囲を急いで見渡し、別の逃走経路を探し出そうとする。

  後方は壁で行き止まり。正面は大きく開けた広場だ。近くに隠れられる場所は見当たらず、広場の中央では一体のシユウが佇んでいた。シユウの目線は俺たちに固定されており、逃がしてくれる気は毛頭なさそうだった。

 

  これ、どうすればいいの?

 

  まさかの伏兵に一瞬だけ思考がフリーズしかける。すると、崖から登場してきた二体のヴァジュラが俺の頭上を軽々と飛び越えて、偶然にもシユウと対峙する事になる。

  鳥神と雷獣たち。気づけば目の前にいるアラガミたちはお互いに牽制し、遂には俺たちを無視して勝手に戦い始めた。シユウが先制してヴァジュラたちに小型の爆炎弾をグミ撃ちする。

  ヴァジュラの身体に着弾したエネルギー弾は次々に爆発し、瞬く間に煙を立てていく。その間に俺たちは戦闘の余波に巻き込まれないよう、素早くその場から離れた。

  戦いは既に泥沼な三つ巴と化し、完全に俺たちの事は気にかけていなかった。乱闘するアラガミたちを尻目にしながら、ヴァジュラたちに喧嘩を売ってくれたシユウに声援を送る。

 

「行け師匠! ヴァジュラをぶっ飛ばせ!」

 

「Kyu! Kyu!」

 

  そう言い残して、いよいよ三体から姿を眩まそうとする。だが、天井が軒並み吹き飛んだトンネルのすぐ脇まで移動すると、その中から銀色の巨大生物が現れた。

  全高はヴァジュラよりも上回り、それにしては華奢な四本の脚で身体を支えている。見た目はサソリに似ているが、同時にケンタウロスのように上半身が存在していた。

  両腕にはそれぞれ、勘合札を思わせる堅固な盾が備え付けられている。身体の後ろから伸びる尻尾も非常に長く、尾先に生えている巨大な針はまるでフェンシングに用いる剣だ。

  ――イギリス生まれの騎士っぽいアラガミ、ボルグ・カムランである。

  ボルグ・カムランの真横に立つ形になった俺は、突然の乱入者に驚きで空いた口が塞がらなかった。唯一の救いは、ボルグ・カムランの目が俺ではなくシユウたちに向いている事だろう。ボルグ・カムランは俺と金魚擬きに気づく事なく、ヤツもシユウたちの中へ混ざっていった。

 

 ※

 

  ヴァジュラ二体から振り切った俺は、大きな風穴だらけの建物の中を歩いていた。いつ崩れてもおかしくなさそうなので早急に通り抜けたいところだが、下手に他のアラガミと邂逅しては話にならないので、神機を持ちながら抜き足差し足で静かに忍ぶ。

  ドアが全損した入り口をくぐり、屋上まで天井がくり貫かれた広間へと出る。ここ一階から上まで見ると、まるでショッピングモールみたいな雰囲気を感じ取ってしまう。廃墟のビルにも関わらず。

  辺りを警戒し、視界の隅で俺の横に並ぶ金魚擬きの姿を捉える。あの時以来、何故かコイツは俺を襲わず、むしろ俺と行動を共にしている。いつまで経ってもどこかに行く気配はない。もはや、アラガミかどうかさえ怪しいぐらいだ。主に見た目のせいで。

 

「なぁ、金魚擬き……いや、黒金魚の方が語呂いいか?」

 

「Kyu?」

 

  いい加減、黒金魚の行動が度し難くなったので試しに質問を投げてみる。

 

「なんで俺についてくる」

 

「Kyu! Kyui!」

 

「おい待て、擦り寄るな、懐くな! 斬るぞ!」

 

「Kyu!?」

 

  話し掛けた瞬間、いきなり足元に寄り付いてきたため、俺は慌てて神機を上段に構えて黒金魚を威嚇した。それに動揺した黒金魚は、俺から数歩だけ距離を取る。

  その直後、黒金魚は不意に視線を上に向けると奇怪な行動を取り始めた。「Kyu! Kyu!」と鳴きながら、ピンクのヒレで一生懸命に俺の頭上を差す。

 

「ん?」

 

  一瞬だけ罠かと考えた俺だったが、この黒金魚なら何をされても回避できそうだと判断し、ふと顔を空へと向けてみた。すると――

 

「上田ぁっ!?」

 

  口を大きく開いたオウガテイルが、俺の頭に真っ逆さまで落ちてくるのが視界に入った。その捕食スタイルはさながら、海中で獲物を一気に飲み込まんとするサメのようだった。

  神機を上段に構えていたのが功を奏し、俺は咄嗟に尾刀クロヅカの切っ先をオウガテイルの口の中に入れていく。

  刹那、突き刺された刃は背中まで貫通し、間抜けなオウガテイルはあっという間に力尽きる。刀身から垂れてくる血に眉をしかめながら、俺はゆっくり神機を地面に降ろした。神機ごと降ろされたオウガテイルは、自重によってズルズルと剣から抜けていく。

  あと一歩遅ければ、危うくエリックと同じ運命を辿るところであった。同じミスはしないように気を引き締めないと。

 

「危なかった……。お前、どういうつもりなんだ? 助け舟出してきて」

 

  剣を抜いて捕食の準備をしつつ、頭上注意を促してきた黒金魚を尋ねてみた。だが、黒金魚の発する鳴き声の意味がわかる筈もなく、首を傾げるしかなかった。

  そして、捕食形態となった神機が遠慮なくオウガテイルの死体を貪る。相変わらず品のない咀嚼音に辟易してしまう。

  また、黒金魚の方をもう一度見てみると、神機がオウガテイルを捕食している様子をじっと眺めては、口から涎を流すばかりだ。それでも自分もオウガテイルにがっつく気はなく、どういう訳か我慢していた。

  チラホラと俺の顔を窺い、目の前のご馳走に飛び付くのを我慢し続ける黒金魚。まるで飼い主の待てを忠実に守るペットのようだ。お前、本当にアラガミなのか? 殺意をまるで抱かせてくれない。

 

「……コアを取ってるから、食うなら早くしろ。あと、俺に襲いかかってきたら倒す」

 

「Kyui!」

 

  その時、俺の言葉に黒金魚は元気よく返事をした気がした。手の代わりにヒレを思いきり上げて、それからオウガテイルに食らいつく。その様は、やはりアラガミだと思わせるのに十分だった。

 

「そんな見た目でもアラガミなんだな……」

 

  俺はそう呟くと同時に、アラガミの種類の豊富さをしみじみと実感した。緑カブトムシといい、黒金魚といい、どうして明らかに物凄く弱そうな種類もいるのだろうか。黒金魚に至っては、人間の言葉を理解している節もある。

  つまり、黒金魚はシオほどとまでは行かないが、人間とコミュニケーションが取れる存在だという事なのだろうか? お前みたいに話のわかるアラガミが他にたくさんいれば、俺も色々な奴に追われる事もなかっただろうに。ヴァジュラ辺りにその知能指数を少しでもいいから分けてほしい。俺が喜ぶし、皆も喜ぶ。

  そうこうしている内にコアの捕食が完了し、オウガテイルの肉体が霧散する。黒金魚はオウガテイルが溶け消える前に腹一杯食べたようで、膨れ上がった腹を器用にヒレで擦っていた。

  その様子を端から見る分には、動物関係のバラエティ番組を視聴しているようで思わずほっこりしてしまいそうだ。これでオラクル細胞やらアラガミやらの要素がなければ、どれだけ助かる事だろうか。

  こうして俺は、捕食完了から間を置かずに再び歩き始めた。すると、黒金魚もプカプカと浮かびながら俺の後ろについてきた。俺と一緒に行動する事に迷いは見られず、どう見てもモチーフが魚にも関わらず、犬のように尾ヒレをブンブンと振り回していた。お前、生まれてくる種族を間違えているだろ、絶対。

  黒金魚は既に経験済みであるが、俺の旅は常にアラガミに追われる危険を孕んだ地獄道だ。ヴァジュラに狙われる事もあれば、近い将来は接触禁忌種と鬼ごっこをするかもしれない。普通に考えれば誰もやりたがらない旅だぞ、これ。

  護衛込みで地獄道を通るほど俺は自惚れていないし、その自信もない。黒金魚を守るために身体を張るなど論外だ。対峙するアラガミが怖すぎて余裕で死ねる。死んでは意味はないのだ。

 

「ついてくるなら勝手にしろ。俺は助けないから」

 

「Kyu!」

 

  無慈悲とも取れる俺の発言に、黒金魚は相変わらず声高らかに返事をした。先程まではヴァジュラに追われていたのに、逞しいものだ。

 

  そして、空にすっかり多くの星が点々と輝き出した頃――

 

「今日も地獄だった……」

 

「Kyuii……」

 

  色々なアラガミから命からがら逃げ切った俺たちは、毎度恒例の廃ビルの一室に泊まっていた。

 

「今日は満月か……」

 

  満身創痍の身体をゆっくり休ませながら窓から夜空を眺めると、東の方角から一つの丸い月が浮かんでいた。よく目を凝らしてみれば、月の白い表面のところどころに緑色がある。

  これをしばらく見ていた俺は、その理由に自然と合点が行った。原因はシオと一緒に月へ旅立った終末捕食、ノヴァだ。

  月を見ながらストーリー内容を思い出していくと、実に感慨深くなってくる。大体はアーク計画を押し進めていたシックザール支部長のせいだが、特異点のシオが主人公たちの交流を経ていなければとっくに世界は滅んでいたのだ。それと同時に、俺がマスク・ド・オウガになるのは起こり得なかっただろう。

  だが、エンディングの最後で月でも元気にしていたようだったとは言え、シオの犠牲で地球の終末捕食は回避された。しかも、単なる先送りによる対処ではなく、終末捕食を一回発動させた状態でだ。

  これは意外と有効な一手ではないのだろうか。(サカキ博士曰く)終末捕食の発生頻度は数千年以上の単位であるので、単純に考えれば次に起きる終末捕食はずっと未来の出来事だ。その上、終末捕食発動に必要な鍵である特異点が月にいるので、ノヴァがせっせと地球から月まで移動しない限りは安泰だ。新しく特異点が作られた場合は知らん。

  そう考えると少し複雑な気持ちになるのだが、俺と黒金魚がこうして生きているのはシオのおかげでもある。シオが終末捕食を月にぶつけてくれなければ、俺がこの世界にいる事もそうだが、オウガテイル教の皆や極東支部の人々、突き詰めては人類が今日まで生き延びてきた事さえ、あり得なかったのだから。

 

「黒金魚、終末捕食って知ってるか?」

 

「Kyu?」

 

  一人で静かに物語の山場を振り返っていると、何故か無性にその事を語らずにはいられなくなった。ちょうど俺の隣に黒金魚が居座っていたので、とりとめもなく語り掛ける。

  俺の唐突な質問を不思議に思ったのか、黒金魚は頭を傾げた。だが、別に相手の理解を求めるために聞いた訳ではない。俺はお構い無しに話を続ける。

 

「地球が全ての生命をリセットするためにやるらしい。榊博士とかシックザール支部長とかが言ってた。月がああなってるのも、シオが終末捕食を地球から月に移したからだ。おかげで世界は滅びずに済んだけど……」

 

  そこまで告げて、黒金魚の様子を確認してみる。すると俺の予想の斜め上を越えて、頭から煙を出していた。表情も何やら難しくなっていて、何度も教えられた内容の意味を理解しようと頑張っている。

 

「難しいか。それじゃあ、いいや」

 

  勝手に説明を切り上げると、黒金魚はコントのようにその場を転げた。見ていて面白いな、コイツ。アラガミをやっている理由がわからない。

  その可愛らしい姿と挙動は俺の心を癒すだけでなく、空しさと悲しみを覚えさせる。

  思ってみれば、ここまでまともな心のオアシスはどこにもなかった。鉄塔の森ではオウガテイルに上田されかけ、愚者の空母ではダンシング・オウガ+水色シユウ、最近に至っては命懸けの鬼ごっこの連続だ。

  心を休める場所は見つからず、ようやく見つけた人々もオウガテイル教の狂信者たちだった。分不相応かつ意味不明に神だと持ち上げられ、彼らの期待が俺に重圧感として苦しませた。あの時は自分の精神を守るために逃走を選択した訳なのだが、今思えばそれは本当に正しかったのだろうか? 結果的には、俺が臆病で自信もないせいで彼らを見捨てる事になった形だ。神機を持つ者として言い訳できない行動である。

  信者たちを置いて行ったのが、今でも胸の内ですごくモヤモヤと残っている。だが「お前に何ができる」と問われれば言葉に詰まるのも事実だ。将来に渡って彼らを守ろうとするのであれば、俺一人では叶わない。どんなに頑張っても短期的に終わるのが目に見えている。いつの世も戦いはやはり数なのだ。ソロでアラガミの群れと戦いたくない。

  それに、この世界に骨を埋める気はない以上、信者たちにいつまでも崇める対象として依存されるのは御免だった。俺にはこの世界のどこでもない、ちゃんとした帰るべき場所がある。

 

「……嫌だな、この世界。話のわかるアラガミなんてほとんどいないし、アナグラは見つからないし、気づけば神機使いになってるし、いつ死んでもおかしくないし……」

 

  すると、今まで溜め込んでいた感情が愚痴として自然に溢れてしまう。

  最終目標が元の世界への帰還と言っても、依然として明確なアプローチは思いついていない。シンプルに考えて、この世界に訪れてしまった過程を逆算していけば何か閃くのだろうが、エリックなりきりプレイの逆とは何なのだろう。これはもはや、哲学の領域なのではないのだろうか。

 

「一人で最後まで生き抜いたり、何でもやれたりする自信もないし……」

 

  色々と最悪の未来を想像すると、どうしても気持ちが後ろ向きになる。それではダメだと頭で理解しているが、これと言った一縷の希望すら見つかっていないのだ。

 

「本当に、どうすればいいんだろう。俺、帰れるのかな?」

 

  先が見えない事に不安を感じ、明け暮れてしまう。我慢しなければすぐにでも咽びそうだった。

  胸が上下に動こうとする感覚を必死に抑える。これは泣きそうになる前兆だ。心を無にして、ひたすら深呼吸する。

 

「Kyu」

 

  そして、悲しさを堪える俺の姿に見かねたのか、黒金魚はおもむろに俺の膝の上に納まってきた。消え入りそうな小さい声を出して、こちらの顔をじっと見つめてくる。

  ここまで来ると、咄嗟に神機を持って構える気力もなく、ただ黒金魚の頭を優しく撫でる事しかできなかった。頭を撫でられた黒金魚は目を細める。手の平から伝わる黒金魚の体温は、まるで人肌のように暖かかった。

 

 




このアバドン、かなり小さいです。通常よりかなり小さいです。


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出会いと別れを果たすマスク・ド・オウガ


エミールの口調と行動の再現が難しい……


 この七日間、一緒に行動してくれる黒金魚のおかげで寂しさはだいぶ紛れていた。時にはヴァジュラ、時にはスサノオ、時にはザイゴートの群れにも追われたりしたが、一人だった時と比べると心にかなりの余裕が持てた。

 

「げぇっ!? テスカ・トリポカ!?」

 

「Kyu!?」

 

  ある日はテスカ・トリポカと遭遇し――

 

「何だ、あの紫ワニ……」

 

「Kyu?」

 

  ある日は俺の知らないアラガミを発見し――

 

「Gaooooo!!」

 

「来いよ、ヴァジュラテイル! 尻尾と牙と爪と落雷とその他諸々なんか捨てて掛かってこい!!」

 

「Kyu! Kyu!」

 

  またある日は、黒金魚と一緒にヴァジュラテイルを狩ってみたりと、色々な意味で充実していた毎日だった。今も尚、五体満足で旅を進めている。時々、赤い雨で足止めを食らうのがたまに傷だが。

  仮にもアラガミと行動していて大丈夫なのかと思われるが、黒金魚が襲ってきた事は結局一度としてなかった。俺がうっかり熟睡してしまった時も寝込みを襲う事はなく、隣でスヤスヤと寝息を立てていたのだ。神機の捕食形態が目を瞑るとあんな風になるのかと考えると、本当に愛くるしさを感じて仕方がなかった。

  都合上、食事もコアを抜かれる最中のオウガテイルばかりなのだが、俺に文句を言うどころか嬉々としてがぶりついていた。身分は勝手に弁えているらしく、既に十体近くを捕食している。黒金魚の身体に変化がまだ見られないのは、恐らく変化の条件を満たしていないからだろう。できればこのままの姿でいて欲しい。

  また最近になって、黒金魚の言葉が何となくわかってきたような気がするのだ。鳴き声自体はバラエーションに欠けるものの、細かい声の調子などで大体の判断はついてしまう。寝食を共にしてきた賜物だった。

  見た目はぬいぐるみのようで、これっぽっちも頼りにならない風貌。しかし、そんな黒金魚に俺の心は幾度となく救われてきた。飽きる事なく訪れる絶体絶命の危機に、精神が豆腐の如く崩壊しそうになるのを慰めてくれたり。はたまた、ほっこりするぐらいの笑顔を見せてくれたり。

  まるでアニマルセラピーみたいな事になっているが、俺にとって黒金魚は単なるペットという範疇では収まりきらない存在と化している。アラガミであるにも関わらず、黒金魚は俺と一緒に地獄道を駆け抜けてくれる仲間となっていた。

  一人ではないのがこんなにも安心するなんて。マスク・ド・オウガになって最初の頃がどれだけ陰惨だったのかがよくわかるものだ。未だにアラガミに対して恐怖心はあるが、黒金魚だけはもはや別だった。

  黒金魚は誰にも代役をこなす事のできない、俺のかけがえのない小さな仲間。出会って最初の頃はこんなではなかったのに、今では決して失いたくない存在だと心の中ではっきり認識している。

  だが、もしもの場合に黒金魚の事が守りきれるかどうかはわからない。ヴァジュラを四体同時に相手取る事になりにでもしたら、まず増大した恐怖心で心臓が止まってしまう自信がある。元の世界に帰ろうと考えている以上、真に命を賭けられるかどうかは答えに迷う。

  死なずに守れば良いというのは、言うだけなら簡単な話である。しかし、いざ実行となると相手次第ではものの見事に瞬殺されるだろう。ディアウス・ピターとプリティヴィ・マータの群れを一人で捌く事になった暁には、あの世に旅立つ事は間違いなしだ。黒金魚を残して。

  そこまで考えて、俺は自分がどれだけ運に恵まれていたのかを改めて実感した。スサノオの時はビームのせいで本当に死を覚悟していたのだが、それでも無事に振り切れたのは奇跡に等しい。

  守りたいと思えても、己の実力に不安しかない。自分も死なないという条件つきなら、尚更難しい。

  そんな悩みも抱きながら足を進めると、狼のマーク――フェンリルのロゴが描かれた装甲車の残骸が見つかった。車の屋根が完全に食い破られ、車体のあちこちが錆びている。長い間、放置されて雨風に打たれ放題だったのがわかる。これに乗っていた人は、一体どうなったのだろうか。

 

  ……そうだ。神機使いたちの事もあるんだ。

 

  アラガミに唯一対抗できる存在、神機使い。家族の仕送りのためや、人々を守るために志願する者もいれば、アラガミ憎しで志した人もたくさんいる筈だ。

  世間に伝わる一般的なアラガミのイメージは、あらゆる物を喰らい尽くす化け物である。住み処を奪われ、生きるか死ぬかの世界に身を投じる事になった人々からすれば、普通に考えてアラガミに良い感情を持つ筈がない。むしろ、大嫌いだと言う人が遥かに多いだろう。アラガミがもたらした被害を思い浮かんでみれば、至極当然の事である。

  そもそも、シオのようにヒトと仲良くなれる存在自体が稀少なのだ。大抵のアラガミは容赦なく全てを喰らうため、「プルプル、ボク悪いアラガミじゃないよ」と言われてあっさり納得してくれる人など、極少数にしか満たないに決まっている。アラガミに大切な人を殺された者が聞けば、逆上するに違いない台詞だ。

  アラガミに悪い奴や良い奴などは関係ない。とにかくアラガミは滅ぼすべき存在。こんな極論を持つ人間がいてもおかしくない。

  そこを俺がノコノコと黒金魚を連れてきて、コイツは大丈夫だからという理由で周囲に難なく認めてもらえる可能性は低い。そもそも、黒金魚はまだ俺以外の人に襲わない事を証明していないのだ。しかも、徹底的に人々の安心と信頼を得るためには、現在だけでなく遠い未来でも人を襲わない事を示す必要がある。

  勿論、未来に渡ってまで黒金魚の潔白を証明するのは不可能だ。どんなに庇おうが人を喰ってしまえば意味がなく、結果的にはあらゆるリスクを考慮して速攻討伐されてもおかしくない。そう考えると悲しいが、アラガミとは基本的に見敵必殺されても文句は言えない人類の天敵なのだ。

  その上、俺は戦死した筈のエリックと同じ姿を持つ、マスク・ド・オウガである。謎の神機使いぶりが加速して、このままでは周囲から信用を得られない可能性が高い。俺も黒金魚と同様、悪い奴ではないと証明しなければならない。

  だが、どんなに頑張って信用を得ても、最終的に相手になるのが組織である以上、必ず綻びがある。アラガミを恨む余りに暴走した神機使いが、黒金魚は無害である事が示されても殺しに掛かる事だってあり得るのだ。その時、俺もとばっちりを受けて殺されるかもしれない。

  どちらにせよ、俺が最後まで黒金魚を守りきるのを覚悟しない事には話にならない。黒金魚を守るために近くに置いておくか、それとも遠くに置いておくかの二択が迫られる。

  近くに置く場合はアラガミ、神機使い、守るべき人々から積極的に狙われる危険性が大である。相手がアラガミならともかく、人間であるなら怒りや憎しみなど負の感情を少なからずぶつけられるため、黒金魚が穏やかに暮らす事は叶わないだろう。むしろ、人々の負の感情に晒されすぎて暴走する可能性も否定できない。

  その点では、敢えて黒金魚を遠くに置いた方が色々と波紋を呼ばずに済むだろう。以前の生活に戻ってしまうが、黒金魚が人のいない場所まで逃げれば、アラガミの脅威以外はほぼ問題はない。俺たちが離ればなれになれば良い話なのだ。

 

「Kyu」

 

  装甲車の残骸を見ながら思案に耽っていると、黒金魚は不思議そうにして俺に声をかけてきた。俺の顔を覗こうとするその瞳は綺麗で、水晶のように透き通っていた。

  一体、どんな選択をすれば俺と黒金魚、ひいては他の人々は救われるのだろうか。このまま一緒にいれば黒金魚はアラガミ憎しの人間に狙われ、ここで別れてもアラガミたちが蔓延る弱肉強食の世界に戻るだけ。

  学者でもない俺が知恵を振り絞ろうにも限界はある。最終的な救いを得るための道のりが思いつかない。シオの時はどれだけイレギュラーだったかが、つくづくと思い知らされる。

  黒金魚の無邪気な顔を見つめて数瞬。こんな可愛い成りではあるが、これでも一応はアラガミなのだ。オウガテイルを倒す時とかは、敵の注意を引いてくれたりと俺のサポートに回るほどには戦える。やはり、どんなに愛くるしくてもアラガミである事には変わりはない。

  元の世界に戻る事を目指す俺と、アラガミとしての黒金魚。余程の事がない限り、人間とアラガミは相容れない存在だ。

 

 ――神機使いは何のために生まれた?

 

 ――アラガミは世界に何をもたらした?

 

 ――黒金魚と対峙した俺がするべき行動は……多くの人々が望む結果は何だ?

 

 ――俺が身勝手に話を進めても、黒金魚が人に危害を与えた時はどう責任を負えばいいのか?

 腹切り? 腹切ればいいの?

 

  ネガティブな発想ばかりが考えつき、プラス要素らしいものは何一つとしてない。理想に至るまでの道が険しすぎる。マスク・ド・オウガである俺の身分が確立されていないせいでもある。

  ならば、現時点での最善の一手は――

 

「悪い、黒金魚。いきなりだけど……ここでお別れだ」

 

「Kyu!?」

 

  一方的に別れを宣告すると黒金魚に大層驚かれた。当たり前である。

  だが、まだ意味を理解できていない黒金魚に構わず、俺は非情にも話を進める。黒金魚への配慮は一切なかった。

 

「俺が目指すのは人間がたくさんいる場所だ。俺みたいに仲良くできる人もいれば、アラガミを怖がる人、憎む人もいる。だから……これ以上一緒にはいられない」

 

「Kyu! Kyu!」

 

  黒金魚は首を振って駄々をこねる。その顔はすっかり悲壮感に包まれていた。

  離ればなれになりたくないその気持ちはよくわかる。たった七日間だったが、これまで苦楽を共にした時間は実に濃密だったと断言できるからだ。俺だって、別れてしまうのは惜しく感じている。だが――

 

「こんなのでも俺は神機使いなんだ。神機使いはアラガミを倒すため、人類を守るために生まれた……」

 

  神機使いはアラガミを喰らう者。シックザール支部長もムービーとかでそんな感じの事を言っていた。黒金魚と共存を選ぶなど大多数の人間に許される筈がなく、アラガミにも感情があれば、同胞たちを散々殺した人類を許せないだろう。負の連鎖を断つのは、いつの時代でも難しい。

  だから、対話の機会があるなら絶対に不意にしてはならないと思っている。生き物の本質が闘争でも、人間は対話して共存を選べるだけの知性と理性を兼ね備えている。シオという例外がある限り、永久不変だったアラガミ滅亡という目標は絶対的ではなくなった。

 

「だけど、お前は倒したくない。だからせめて……人を襲わないアラガミになってくれ」

 

  自身にできる唯一の願いを黒金魚に込めて、俺はその場を立ち去ろうとする。

 

「Kyuu!!」

 

「来るなぁ!」

 

  瞬間、後をついてくる黒金魚に対して、神機の切っ先を真っ直ぐ向けた。俺の突然の蛮行に、黒金魚はまるで金縛りに遭ったかのように動きを止めて、じっと宙に浮かぶ。

  黒金魚の瞳の奥に見える感情が、驚き、疑問、戸惑いと二転三転する。そして遂には、言葉だけでなく視線も使って俺の心に働きかける。

 

「Kyu! Kyu!」

 

「甘えるな!! それが世の中だ。大勢の人間はアラガミが敵だって思っているし、俺もそれが大体正しいと信じている。俺が良くても、他の人はお前を信用してくれない。俺じゃ、お前を守れない……」

 

  最後まで喋るにつれて、自身の声量が下がっていく。別れを告げた俺も、まだ心の何処かでは黒金魚に甘えているのだ。故に、わざわざ嫌われるような罵詈雑言を叫ぶ事なく、説教するだけに留めてしまう。

  それでも、胸の内に生まれる悲しみをひたすら押し殺す。すると、黒金魚の目から涙が溢れ出た。

  涙はその黒い頬をつたり、下へと落ちていく。ポトポトと流れる涙は次々と地面に染みを作っていった。それから間を置かずに、黒金魚は嗚咽を漏らし始める。

 

「Kyuu……」

 

「泣くなよ。俺も、決めたんだ。……ごめん」

 

  もう黒金魚の顔を見る事はできなかった。仮面をいつもより深く被り直して、俺は形振り構わず黒金魚の元から走り去った。

 

「Kyuuu!」

 

  黒金魚の泣き叫ぶ声を次第に遥か後ろへ置いていく。やがて俺が耳にするのは、大地を駆ける音だけとなった。

 

 

 ※

 

 

  極東支部のエントランス。受付席の横の階段を上がった先にある休憩席にて、一人の少女が思い詰めた表情をしながら座っていた。白い帽子に半袖のスクールウェアを身につけており、スカートの丈は短く、赤のニーソックスを履いている。

  彼女の名はエリナ・デア=フォーゲルヴァイデ。極東支部に配属されたばかりの第二世代型神機使いだ。所属は第一部隊である。

  エリナがこうして思い詰めるようになった原因は、何気なくターミナルのデータベースを眺めた事にあった。データベースにはアラガミやバレット、人物、専門用語などが纏められてあり、人物の項目を見た時が全ての始まりだった。

  きっかけは、先日のミッションで同行したキグルミという神機使いを不思議に思った事である。ウサギの着ぐるみという、エリナからしてみればアラガミとの戦闘に適さない厚着であるにも関わらず、キグルミは難なく討伐任務をこなしてしまったのだ。その時の熟練された戦い方に、エリナは少なからず戦慄と嫉妬の念を抱いた。

  話をしようにもキグルミはボディランゲージの一辺倒。任務終了まで結局キグルミの言葉がわからなかった彼女は、データベースの人物の項目を閲覧する事を考えた。

  それから任務帰投直後。エリナは自室へ早速戻ると、据え置きされているターミナルを操作してキグルミに関して調べ始めた。しかし、これといった情報を得るには至らず、開始早々お手上げ状態となった。“キグルミ”の名前以外の詳細は、出典が不明という理由で全部抹消されていたのだ。

  この事実にエリナは腑に落ちなかったが、謎に包まれているキグルミの正体を知るには、彼女単独では力不足でしかなかった。解けない謎に煩悶としながら、それでも暇潰しに適当にターミナルを操作していく事になる。

  そして偶然にも、人物欄の最下部にその名を発見してしまった。

 

 ――マスク・ド・オウガ――

 

  キグルミに続く、新たな謎の人物の登場である。どう考えても本名ではない。ここまで来てしまえば、興味を持ったエリナはその情報を閲覧せずにはいられなかった。

  そこで、見逃す事のできない一文を発見する。

 

 ――マスク・ド・オウガの位置情報の識別反応が、KIA認定されたエリック・デア=フォーゲルヴァイデと同一である原因は不明――

 

  自分の兄の名前がそこに載っている。それだけでなく、まるでマスク・ド・オウガがエリックであるような記述に、エリナは戸惑いを覚えるしかなかった。

  兄が死んだのは間違いない事実。それはエリック最期のミッションに同行した人物にも確認は取っている。エリックの死から三年経った今でも、その同行者は救えなかったのを後悔していた様子がエリナの印象に残っていた。

  死人が甦る筈がない。死んだ瞬間を目撃したのなら尚更だ。

  だが、エリナはマスク・ド・オウガ=エリック説を否定する反面、心の何処かではそうであって欲しいと願っていた。最近の極東支部で飛び交う噂話が、彼女の願いをより大きなものへと昇華させたりもしていた。

  すると、下にある受付席の方から神機使い二人組の会話がエリナの耳に入ってきた。

 

「なぁ、知ってるか? 仮面の神機使い、今度はウロヴォロスの背中に乗っていたらしいぜ」

 

「情報源どこだよ」

 

「ツルギの奴が言ってた。サリエル探してる最中に見つけたってよ」

 

「サリエルって……あいつらしいな。その時の写真とかは? ツルギ、サリエル用にカメラ持ってくほどだし」

 

「残念ながら仮面の神機使いは男だ。あいつが男を撮る訳ないだろ。あと、勝手な単独行動でカンナとリノに怒られて、ついでの如くカメラを壊されたって泣いてた」

 

「バカじゃねーか」

 

「しっかし、感応種撃破、オウガテイル教の次はウロヴォロスの登山かぁ……。なんだ、この伝説」

 

「今度は何やらかすんだろうなぁ……。グボロ・グボロで波乗り?」

 

「いや、ツクヨミに肩車してもらうかもしれない。男神の代わりとして」

 

  この通り、好き勝手に言われる有り様である。

  しかし、最初からエリックを「かっこよくて、優しくて、極東の凄いゴッドイーター」だと信じて疑わないエリナにとって見れば、そんな荒唐無稽な話も信用してしまいそうになる。

  それから会話を盗み聞きしていたエリナは、情報源は偵察班だと把握すると迷わず席を立った。マスク・ド・オウガに関する情報を偵察班から直接話を聞くつもりだ。

  噂の真相に近づける。エリナはそう思うと居ても立ってもいられなくなり、一人で直談判に乗りきった。

  そうしてラウンジに向かうと、運良くもカンナとリノの二人の姿を見つける。二人は奥の窓側の席を取っており、ちょうど食事中だった。

  あまり馴染みのない偵察班の面々は顔ぐらいしか知らないが、エリナは臆する事もなく二人の元へ訪れた。

 

「あの……偵察班の方ですよね? ツルギさんという方はどちらに?」

 

  話し掛けてきたエリナにカンナが食事の手を止めて反応する。一方のリノは、エリナの対応をカンナに丸投げし、黙々と食事を続けていた。

 

「ツルギは今、ミッションに出掛けているが……君は?」

 

「あ、申し遅れました。第一部隊所属のエリナ・デア=フォーゲルヴァイデです」

 

「私は偵察班の高比良カンナ。こちらで黙々と食べているのが、山野リノだ」

 

  仮にも先輩相手に大慌てでエリナが名乗ると、カンナも自己紹介を返した。リノはエリナの方に向かって頭を下げるだけの留まり、ひたすら食べては頬を膨らましていく。

  相変わらず食事を優先するリノを傍目にカンナは僅かに苦笑し、エリナと話を再開する。

 

「ツルギに用があるなら、私が伝言を預かるが」

 

「いえ……あの、仮面の神機使いについて聞きたい事があって」

 

  仮面の神機使いこと、マスク・ド・オウガに関する情報がエリナの求める本命である。あくまで用があるのは、彼を目撃した事のあるカンナたちだ。

  カンナはエリナからマスク・ド・オウガについて尋ねられ、一瞬だけ眉をひそめる。そして、おもむろに視線をエリナから外の景色へと動かす。

 

「ああ、あれか……」

 

「えっと、どうしたんですか?」

 

  気づけば遠い目になったカンナの様子に、エリナは思わず首を傾げる。それからは数回らカンナを呼び掛けるが、本人は何の返事もしなくなった。

  そこに、口の中のものを全て飲み込んだリノが、カンナを正気にさせようと横から水を差してくる。

 

「あんな風に前線張れないのが悔しいんだってさ」

 

「リノ、静かに」

 

  リノがそう言った瞬間、カンナは何もなかったかのように復活する。注意を受けたリノは「はい」と素直に了承すると、そのまま食事に戻っていった。

  リノの言葉の意味がわからなかったエリナは、またもや首を捻る。だが、カンナは敢えてその話題に触れずに話を戻した。

 

「仮面の神機使いの話だったな。今ではマスク・ド・オウガと名称が付けられているが……残念ながら行方については依然として不明だ。ビーコンは当てにならないし、私が最後に見たのはウロヴォロスの背中から転げ落ちた瞬間だけだった」

 

「ウロヴォロスの話、本当だったんだ……」

 

  半ば与太話だったものが事実である事に、エリナは改めて衝撃を受ける。当事者であるカンナは乾いた笑みを漏らしていた。

  一体どうすればウロヴォロスの背中に乗れるのだろうか。仮に乗れたとしても、そのまま戦闘が起きなかったのが不思議でならない。その時の様子をエリナは自分なりに想像する。

  そして、自分が知りうる最新の情報を告げ終わったカンナは、成果を出していない自分たちに負い目を感じるのだった。まだかまだかと次の話を待ち倦むエリナに対して、謝罪を述べようとする。

 

「あまり話せる事がなくてすまない。赤い雨のせいもあって、思うように捜索が進まなくて……」

 

「いえ、大丈夫です。そういうのじゃないですから……ありがとうございました」

 

  別の悪い訳でもないのに謝るカンナに、エリナは咄嗟に気遣って感謝を伝えた。続けて、マスク・ド・オウガの事を教えてくれた彼女に一礼し、スタスタとラウンジから立ち去っていく。

  ほんの少ししか収穫は獲られなかったが、マスク・ド・オウガは実在するという事実があるのは意外と大きい。データベースに書かれてあった通りなら、約八割以上が戦没時のエリックと外見的特徴が一致している。後は、仮面の下を覗く事が決め手となる。

  もしもエリックが生きていたら、それはエリナ自身だけでなく彼と交流のあった人々も大いに喜ぶ事になるかもしれない。実際、マスク・ド・オウガの正体にエリナは大きな期待を抱いてしまっている。頭の中では兄は既に死んだと理解していても、こうも復活説が流れてはつい信じてしまう。それにすがってしまう。

  だが、エリック復活説を提唱するに当たって、奇妙な点がたくさん浮かび上がる。何故、今になって生き返ったのか。何故、極東支部に戻って来ないのか。そもそも、彼は本当に自分の兄であるのか。

  エリックの生存を信じようとする度に色々な疑問が湧いては尽きない。やはり本心では生存を望んでいても、生きているのはおかしいと感じている自分がいた。

  願望と現実の板挟みにされ、エリナの表情はだんだんと暗くなる。もはや、どちらか一方に考えを割り切る事は叶わなかった。

 

「何を悩んでいるんだい、エリナよ」

 

  すると、エリナはエントランスのエレベーター前で金髪の青年に声を掛けられた。

  彼はエリナと同じ第一部隊に所属する神機使い、エミール・フォン=シュトラスブルク。ドイツから遥々、極東支部へとやって来た騎士道に生きる男だ。あのエリックとは、終生の好敵手であり盟友に当たる。

 

「うるさい。エミールには関係ないでしょ」

 

  しかし、エミールの熱血漢ぶりと騎士道精神故のウザさを日々受けていたエリナは、心配の声を無下にして素っ気なく答えた。

  そうこうしている内にエレベーターが開き、エリナがそそくさと入り込む。後輩からあっさり存外にされたエミールも、負けじとエレベーターに乗り込んだ。

  エリナはジロリとエミールを睨み付けるがまったく効果はなく、扉の閉まったエレベーターが移動を始める。その間にも、エミールは狭い密室の中で粛々とエリナに話し掛けていた。

 

「いや、そんな事はないぞ。エリックに頼まれた事もあるが、それ以前に僕は悩める仲間見過ごす事はできない。騎士道に生きる者として、共に戦う第一部隊としてでも力になりたいと思っている! さぁ、聞かせてくれ、エリナ。君の悩みを!!」

 

  エリナがどんなに適当に言葉を返そうが、どんなに無視しようが、エミールの心が折れる事はない。むしろ、頑なに会話を拒むエリナの心を開こうと躍起になっていた。

 

「何も悩みを打ち明けるのを恥じる事はない。人は誰しも悩みを抱えて生きているからね。一度話せば、嘘のように胸が空く場合もある」

 

「もしや、口外される事を恐れているのか? 安心したまえ! 騎士道に誓って、君の秘密は墓場まで持っていこう!」

 

「ああ、わかるぞ。本当に打ち明けてしまって良いのだろうかと葛藤する気持ちは。だけど僕は、君を焦らせるつもりは何一つないんだ。決心するのはゆっくりでいい。僕はいくらでも待――」

 

「どこまでついてくる気なのよ! もう私の部屋の前なんだけど!」

 

  エミールが勝手に熱くなっていると、二人は既にエレベーターを降りて、新人神機使いの居住区画を訪れていた。自室の前まで歩いて来たエリナは、未だにしつこく追い掛けてくるエミールに対してツッコミを入れた。

  それを受けたエミールも、ようやく身の回りの様子を確認する。そして、エリナの自室付近まで来てしまった事を把握すると、ゆったりと彼女に謝罪した。

 

「あ、これは失礼。許可もなくレディの部屋にまで押し入るものではないな。すまない、エリナ。ただ、これだけは覚えてくれ。相談ならいつでも乗ってあげると。では、また」

 

  エリナへそう言い残したエミールは、さっさとエレベーターの方へと戻って行った。しかし、立ち去っていくエミールの後ろ姿を見つめて、エリナはふと呼び止めようとする。

 

「……ねぇ」

 

「うん?」

 

  その瞬間、エミールは足を止めてエリナの方に振り返る。この時、二人の視線は見事なまでに合わさった。

  エミールの真っ直ぐな目に、ただ何となくで呼び止めただけのエリナはしどろもどろする。彼の真剣な眼差しを前にしては、中途半端な気持ちで自分の悩みを話すのは気後れしてしまう。エミールも、エリックが死んだ時の深い悲しみがまだ心に残っているのだ。単なる憶測などで話せる事ではない。

 

「……ううん、やっぱり何でもない」

 

  こうしてエミールに有無を言わせる暇もなく、エリナは素早く自室の中へ入った。入り口のスライドドアが閉まり、後ろで何か言っていたエミールの声をほとんど遮断する。

  しんと訪れた静寂に包まれた自分の部屋。エリナはおずおずとターミナル脇の棚へと向かうが、その足取りは先程と比べて遥かに覚束ない。

 

「お兄ちゃん……生きてるの?」

 

  棚の上には、エリックも含めた一枚の家族写真が立てられていた。





この後、出典不明の記述が散見されたのでマスク・ド・オウガの項目が一旦削除されました。


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トラウマミッションを思い出すマスク・ド・オウガ


ボディサイドはエリック。ソウルサイドはプレイヤー。


 マスク・ド・オウガになって二十二日目。黒金魚と別れて以降、ボッチ耐性は十分に身についていた。ただの坂道だと間違えて眠っていたウロヴォロスの背中に登った事もあったが、命の危険を感じ取った点以外では大して辛くなかった。もう立派な極東人になってしまった気がする。

  そうして当てもなくさまよっていると、とある崖の上へたどり着いた。アスファルトで舗装された道が途中から大きく崩れていて、その先がすっかり途絶えている。神機使いの身体能力なら下へ飛び降りるのは容易な高さだが、実際にやるのは怖いので近くに迂回できる道がないか探した。

  すると、遠くの景色の中に辺り一面が真っ白になっている場所を見つけた。荒廃しきった土地が白く染まり、そこから奥の山々まで続いている。

  それは冬の富士山の姿を彷彿させると同時に、とあるフィールド名を俺に思い出させた。

  鎮魂の廃寺。ここで第一部隊の皆がディアウス・ピターを倒したり、シオと会ったり、リンドウ捜索に出たりと、ある意味で曰く付きの場所だ。悪名高きピルグリム――コンゴウ四体同時狩りの舞台としても登場した。あれはクリアにかなりの気力を要した……。

  ピルグリムは他にも2とか零とかもあったが、どちらも四体同時狩りである事には変わりなく、ハガンコンゴウの参戦は実に嬉しくないものだった。放電しながらの囲んでローリングアタックは、今でも許せそうにない。

  ちなみに個人的にそれらと同列なのは、蒼穹の神月で狭い教会の中に集まってきた計三体以上のプリティヴィ・マータとディアウス・ピターである。強制ソロで普通に死ねた。

  また、観光で行く分には鎮魂の廃寺というスポットはそそられるものがある。その上、曰く付きなのが作用して、そこに行けば何かしらのイベントが発生する予感もする。ただしピルグリム、お前は駄目だ。

  ピルグリムは駄目だが、ただでさえ場所も知らないアナグラ探しの現状を打開させるには、なかなか悪くない賭けではないだろうか。あくまで希望的観測に過ぎないが、鎮魂の廃寺で他の神機使いと接触できれば万々歳だ。

  それから誤魔化しの巧みな会話術が要求されるかもしれないが、まぁその時は何とか頑張ろう。背に腹は変えられないし。

  そんな訳で、俺は眼前に広がる雪原へ向かう事を決心した。

  だがその直後、目の前の地面から前触れもなく一体のアラガミが湧いてきた。

 

「ひぇっ!?」

 

  突然の事で思わず奇声を出してしまった。一方で身体の方は敵襲に反応し、その場から素早く下がって瞬く間に神機を握りしめる。

  正面に佇むのは、全体的に青く、肉食獣を思わせる小型の怪物。鬼の面は相手に威圧感を与え、口から覗く巨大な牙はどんなに硬いものでも容易く咬み千切ってみせそうだ。また、基本色が青であるのも相まって、明らかに寒冷地を住み処にしているのが窺える。

 

  ……何だ、ただのオウガテイル堕天種か。

 

「Gyafun!?」

 

  俺を見つけてや否や呑気に威嚇しようとしていたので、速攻を決めてオウガテイル堕天種の頭に神機の刀身を叩き落とした。今日までオウガテイル相手に鍛えられた腕は伊達ではなく、一撃で奴を絶命させる事ができた。

  尾刀クロヅカを引き抜くと、オウガテイル堕天種は割られた脳から絶えず血を流しながら、アスファルトの上へと倒れ込む。それを見届けた俺は、迷わず神機を捕食形態に移行。喰らう事しか考えていないような黒くおぞましい獣の顔を、オウガテイル堕天種に向けて突っ込んだ。

  神機の咀嚼音を聞き流し、コアを入手すると元の形態に戻す。同時に腹が満たされる感覚を抱いた。

  コアを抜かれたオウガテイル堕天種は、そのまま肉体を崩壊させて消滅していく。死体があった場所には、血液はおろか何の痕跡も残らなかった。

 

「……はは。もう慣れてるし」

 

  流れ作業でアラガミのコアを摘出した事に、俺は苦笑しかできない。先程の捕食に関しては、日々のオウガテイル狩りで何気なく培われた技術の結晶だ。全てのきっかけはダンシング・オウガ+水色シユウである。

  あの時は、五体満足で生き残るために必死でバースト維持せざるを得ない状況だったのだ。水色オウガテイルから集中攻撃を受ける中、ひたすらコンボ捕食していくのは本当に苦行だった。自然と被ダメージゼロを強いられる形なので、二度とあんな危険な乱戦はしたくない。

  さて、こうして邪魔者も片付けた訳だから、とっとと積雪地帯に向かうか。

 

 ※

 

  どこを見渡しても雪、雪、雪。地理的には太平洋沿いの筈なのに、やたらと雪が積もっている。正確には普通の運動靴でも支障がない程度の浅さなのだが、逆にそれぐらい大した事ない積雪量なのに溶ける様子がないのが不思議だ。現に、太陽の光がさんさんと降り注いでいるにも関わらず。

  まだ小学生だった頃、クラスの男子と雪合戦していた思い出が懐かしい。ただ、俺の出身地は一年の降雪量が比較的多い地域だったので、この辺りの雪化粧とは比べものにもならないが。

  しかし、さすがに雪が積もっているだけあって……寒い。

  ご覧の通り、今の俺――マスク・ド・オウガの格好は軽装であり、半裸とも呼ぶべき姿でもある。明らかに防寒意識を何億光年の彼方へと投げ捨てた服装で、何事もなく雪の中を歩ける訳がない。吐息が白くなっている。

  よくよく考えれば、鎮魂の廃寺にミッションで行く時も防寒具を羽織った奴は一人も見かけなかった。精々、コートを羽織ったソーマぐらいか。神機使いってワイルドだなぁ……。俺は真似したくない。

  だが、厚手の防寒具を着重ねた状態でピルグリムとかスサノオ二体同時狩りとかをこなしてこいと言われれば、全面的に軽装を否定する事はできない気がする。とことん神機使いのハードワークぶりを実感するのだった。

  特にアラガミの襲撃もなく、しばらく平和的に道を進んでいくと、坂の上で背の低い木造の壁が横に連なっているのが目に入った。壁の中央あたりにある中門の形からして、どこかの寺の入り口である事は間違いなさそうだ。修学旅行を思い出す。

  また、来る者を拒むように広くて深い堀が邪魔しているので、素直に整備された道を歩いていく。ところどころでアスファルトに穴があるのが、閑散としているのを思い知らされる。ここからは雪が随分と深くなり、足取りも徐々に悪くなる。

  やがて、門の前へと到着した。開けた先での敵の待ち伏せなどが怖いので、警戒心を強めながら軽く門に手を触れさせる。耳を澄ませ、一切の物音も聞き逃そうとはしない。

  それから、この先には何もいなさそうだと判断すると、躊躇なく門を両手で押し始めた。だが、押しても引いてもうんともすんとも言わず、壊す覚悟で臨まない限りは開きそうになかった。

  仕方ないので、神機使いの身体能力を利用して壁をよじ登る。一回のジャンプで一メートル以上も跳べるため、瓦の屋根までに取り付くのは簡単だった。上半身が屋根の上に乗ったところでアラガミが近くにいないか確認し、ようやく登りきる。

 

「うわ……」

 

  次の瞬間、想像を絶するような光景が広がってきた。

  過去に確かにあっただろう境内は今や見る影もなく、山の麓なのもあってか大量の雪で覆い尽くされていた。僅かに残るのは、根元が雪に埋まっている林と、壁の内側にぎっしり立てられている錆びた鋼板である。

  恐る恐るこの雪原に一歩踏み出してみるが、意外にも足は沈まなかった。足場の雪が相当固くなっているのだ。積もった雪の上に乗れるなんて小学校低学年以来である。

  雪の中にアラガミが待ち伏せしていては困るので、神機を構えながら注意深く進む。林を抜けた先のさらに上の方には、半壊状態の寺が鎮座していた。ここからでは建物の裏側しか見えない。入り口は反対側にありそうだった。

  元々、その寺は高台にあったのだろうが、散々に降り積もっている雪のおかげで俺がいる裏側からでも辛うじて行ける仕様だ。山ゆえに、どうしても斜面がキツいが何とかなるだろう。

  こうして四苦八苦しながら雪の坂道を突き進み、目標の寺へと到達する。雪に埋もれている石垣が寂しそうだ。

  壁の穴から入ると、見覚えのある広間に出てきた。隣にはぼろぼろの仏像が座っており、外から侵入してくる日光が屋内を少しでも明るく照らす。

  どう見てもピルグリムの現場、鎮魂の廃寺のフィールド最上層である。ゲーム舞台に赴いた事による達成感と例の罪深い任務への憎悪が混ざり、色々と感慨深い。

 

「Uooooo……!」

 

  その時、境内の奥から獣っぽい叫び声が響いてきた。直後に神機の銃声らしき音も聞こえ、近くで戦闘が始まっていると察した俺は萎縮しかける。

 

(え? 何? 誰が何と戦っている? ピルグリム? スサノオ二体?)

 

  最悪な地獄絵図を予測しながら、冷静に奥の戦闘音を耳にする。全力で息を殺し、激しい心臓の鼓動にも耐えて、少しずつ現場へと接近していく。

  神機の変形音、オラクル弾発射音、何かが硬いものにぶつかる音。そして――

 

「Uoooooo!!」

 

  遠慮ない雄叫びとビュンという音。どうやら相手はコンゴウのようだ。数も一体だけらしく、雄叫びが重なって響いてくる事はない。

  ピルグリムでなければそれでいい。ローリングクロスアタックを受けずに済むなら構わない。

  かくはともあれ、俺……どうすればいいんだ?

  コンゴウ一体だけの討伐と言えば、新人の神機使いが自力で倒す登竜門的なミッションが印象に残っている。コウタと主人公が初めて二人きりでコンゴウを倒しに行った時のアレだ。

  ならば、ここは普通に手助けするべきなのだろうか。それとも、実力を得させるために新人任せにするべきなのだろうか。

  普通に考えれば、死んでは元も子もないので助けに入るのがベストだ。だが、それが新人たちの今後のためになるのかと問われれば非常に回答に困る。実力の足りない神機使いって死亡率高いし。

  また、かく言う俺もまだ新人の域を出ていない……と思う。神機を握って一ヶ月も経過していないのだ。仮に援軍に向かったとしても、戦っている神機使いがベテランなら足手まといと化する可能性が否めない。それに、極東支部の皆ならコンゴウぐらい余裕だろう。新人は除くが。

  しかし、これは同時にアナグラへショートカットで行く千載一遇のチャンスでもある。ここで他の神機使いと接触できれば、少なくとも自身の存在がどうなっているのかが確定するのだ。逃す手はあり得なかった。

 

(あぁ……でも中型種か。まだシユウぐらいしか倒した事ないし、何より対峙するのが怖い)

 

  頭では理解していても、身体が恐怖で戦場に向かうのを拒む。まだ、オウガテイルぐらいの小型種しかアラガミ相手に慣れていないのだ。水色シユウの時は、戦う以外に生き延びる方法がないほどにまで追い詰められていたから状況も異なる。オウガテイル教の時も、大体同じような理由だ。

  それでも射撃という、近寄らなくても相手を攻撃できる人類の叡知が残されているが、今日まで銃形態はろくに使った事がないので誤射が恐ろしい。今思えば、俺って連携訓練とか積んでないや。

  ようやく人と会えるかもしれないのに、その先にいるだろうアラガミがおっかなくて進めないジレンマ。何これ、嫌すぎる。

  そうして悩みながら寺の入り口で立ち止まっていると、見知らぬアラガミが道を横切ってきた。視線はこの寺の前にある家屋へと向いていたため、俺は難なく物影へと隠れる事ができた。

  相手に目を付けられないよう、入り口の裏からひっそりと覗き込む。

  全長三メートルはありそうな人型の巨体。紫色とオレンジ色を基調にし、肩や脛に浮かび上がる爬虫類のような鱗が特徴的だ。特にその目立つ額当てと肩当ては、戦国時代の武士の甲冑を彷彿させるものだった。

  また、左手はれっきとした五本指であるのに対し、右腕は肘から下が完全にキャノン砲と化していた。ビームとか撃ってきそうだと一発でわかる外見だ。スペースコブラのサイコガンにしか見えない。

  サイコガン武者は俺がいる寺には向かわず、右手側にある家屋へと歩いた。家屋の二階の壁は吹き抜けになっており、サイコガン武者の身体でも入れるほどの広さだ。

  遠くから戦闘音が聞こえる中、サイコガン武者は気にせずに二階へと飛び上がり、その奥へと消えていった。

 

  ……あれ? これ、アイツも戦闘に向かったって事?

 

  最後までサイコガン武者に気づかれずに済んだが、アイツがコンゴウと合流するのは結果的によろしくないと思われる。仮に戦っている神機使いがソロだったり、新人チームだったりすれば、敵から受ける圧力が大きくて負担になるのは明白だ。

  それに声だけで判別しているため、向こうにいるコンゴウが堕天なのかハガンなのか区別がつかない。そう考えると、これは尚更ヤバい事態なのでは……?

 

(どうすればいい? いや、違う。どうすれば俺は向こうに行けるんだ?)

 

  正直に言うと、このまま自分も交戦地帯に赴くのは怖くて非常に気が乗らない。それに、とことん相手に追い詰められなければ戦えない自信さえある。中型種となると、今まで相手にしてきたオウガテイル達と訳が違いすぎるのだ。ずっと逃げに徹してばかりで、戦闘経験の少なさが仇になった。

  行こう、行こうと思って我慢しても身体の震えは僅かに残る。あくまで誤魔化しているだけで、根本的な恐怖心はなくなっていない。恐怖心、俺の心に恐怖心……。

  だが、いつまでボサッとしていても意味がないのは自覚している。ここで怯えてずっと立ち尽くす事が、今の俺がやるべき事ではないのもわかっている。

 

「Gaooooo!!」

 

  直後、サイコガン武者のものと思われる叫び声が聞こえた。いよいよ本格的に乱戦が始まってしまう。

 

「……っ! よ、様子見だけなら……!」

 

  不覚にも、先程の咆哮が俺の心を後押ししてくれる形になった。まだ戦闘介入する気概までは持てないが、偵察紛いの行動ならこなせる気がした。

  それから早速、二つある階段の内のL字――洞窟状の方を駆け降りた。そこを選んだのは、降りた先のすぐ近くに身を隠せる段差がある筈だと見当をつけたからだ。

  そして実際に俺の読みは当たり、ついでに交戦ポイントからも離れていた。段差の影からあちら側の様子をこっそり眺める。

  奥にある池の辺りで暴れまくるコンゴウとサイコガン武者の計二体。対してアラガミと戦っているのは男女二人組だ。

  金色のハンマーらしき神機を持っているのは、貴族らしい服に身を包んだ金髪の青年だ。一方、白い帽子を被った女子中学生らしい子は、藍色の槍の神機を握っている。

  最初はコンゴウを挟んで叩いていたらしく、サイコガン武者の登場で二人は完全に分断されていた。池側に青年とコンゴウ、寺の鐘がある方にサイコガン武者と少女だ。

  何やらコンゴウに対して一々叫んでいる点以外では青年は大丈夫そうだ。問題は、サイコガン武者相手に危なっかしい戦い方をしている少女だ。無理やり攻めに行っているようで、見ているこっちが死にそうになる。

 

「これぞ、まさに背水の陣ッ!」

 

「トラップ使って合流してきて!」

 

「そんなものはない!!」

 

「あぁもう……エミールのバカ!!」

 

  しかも、そんな感じの会話が聞こえてきた。これが無印のNPC対アラガミだったらカリスマ必須の戦いになるだろう。

 

  ……エミール?

 

  いや、待て。俺はエミールなんて奴は知らない筈だ。なのにどうして、その名前に懐かしさを抱いているんだ?

  エミールはあの金髪の青年の名前で間違いないだろう。だったら尚更、旧懐の念が込み上げてくるのはおかしい。エミールと出会ったのは今日が初めてで、 一緒に学校に行ったりとかはあり得ない。

  あれ、何か俺の知らない変な記憶がある……? あ、裕福そうな紳士の姿が脳裏に浮かび上がってきた。無性に父と呼んでしまいたくなるのはどうしてだ? お前は俺の親ではないだろ。むしろ、息子は俺ではなくてエリックの方だろ。

 

「ッ!? このヤクシャ、硬い!!」

 

  しかも、少女の声は滅茶苦茶聞き覚えがあった。少なくとも、元の世界にいた時は一度も聞いた事のない声だ。それなのに、頭のどこかで聞き覚えがあると思ってしまっている。何これ、怖い。

  さらに、勇気が一向に出ないにも関わらず、俺の身体は早く二人の元へ駆けつけたくてウズウズしている。少し前までは考えられない反応だった。

  先程は恐怖で身体が強張っていたのに対し、今回は心の中で怯えながらも肉体だけが妙に張り切って勇気を出している。最早、肉体と精神のギャップ差が激しすぎて不気味だった。現時点では、とても自分の身体とは思えない。

 

「エリナ、上だ!」

 

「言われなくてもわかってる!!」

 

  エリナと呼ばれた少女は、サイコガン武者の上田ビームを辛うじて回避した。ビームの予備照射に照らされながら、被弾ギリギリまで攻撃を仕掛けていた様子はひやひやした。

 

  ……エリ……ナ……?

 

  その名を耳にした瞬間、俺の身体は我慢の限界を越えた。たちまち物陰から飛び出し、神機を銃形態にして走り出す。一方で謎の達観を得た俺は、少しでも恐怖を紛らわせるために華麗な自己暗示を掛けるのだった。

 

(華麗に助けて生き残る! 華麗に助けて生き残る! 華麗に助けて生き残るぅぅ!!)

 

  もう、何も怖くなくなった……気がした。

 

 ※

 

  討伐目標はコンゴウ二体。今回、エリナとエミールが受注したミッションは、エリナの自主練と称したものだ。そのため、二人の隊長である藤木コウタとは半ば内緒で出撃していた。

  しかし、二人が隊長の同伴なしで勝手に出撃できたのは、コンゴウ二体程度なら問題なく狩れるという周囲の判断があってこそだ。二人――特にエリナは神機使いとなって日が浅いとは言え、伊達に極東支部第一部隊所属という訳ではなかった。

  結果、コンゴウ二体を同時に相手取り、つつがなく一体を撃破するまでに至った。後は粛々と残りのコンゴウを倒すだけで、ミッション完了するかと思われた。

  コンゴウを挟み撃ちにしていた時、オペレーターの竹田ヒバリから通信が入る。終盤に差し掛かった頃に、中型種のアラガミが乱入してきたのだ。

  そのアラガミの名はヤクシャ。視覚こそ並みでしかないが、聴力に関してはコンゴウにも劣らないものを持っている。戦闘エリアに侵入した直後、遠くから聞こえる戦闘音を感知して瞬く間に交戦ポイントへやって来た。

  コンゴウの横に並ぶようにして降り立ったヤクシャにより、エリナたちが優勢だった戦局が一気に互角まで変わってしまった。コンゴウはエミール、ヤクシャはエリナという風にして、苦しくも分断されざるを得なかった。

  しかもこのヤクシャ、地味にタフで強い。また、スタングレネード等を持ち歩かない、尚且つ騎士道精神全開のエミールが微妙に足を引っ張るため、思うように戦えないエリナの機嫌は曲がりに曲がっていた。

  崖っぷちに追い詰められたエミールは未だにコンゴウの足止めを突破できず、エリナはヤクシャをチャージスピアで一人果敢に突き掛かる。最早、エリナの頭の中は「こうなったら自分一人で素早く片付けてやる」という考えで染まっていた。

  だが、このヤクシャ相手に猪突猛進でありすぎたのは悪手だった。

  チャージスピアの猛攻に晒されてもヤクシャはものともせず、平然とした様子で右腕を地面へと向ける。そして、銃口から小威力のオラクル弾を一つ発射した。

  発射の反動でその巨体が軽く浮かび上がり、オラクル弾は地面にぶつかると同時に衝撃波を生み出す。衝撃波の威力自体は機関砲のよりも低いが、極限まで間合いを詰めてきたエリナの身体を吹き飛ばす事ぐらいは造作もなかった。

 

「きゃっ!」

 

  ギリギリまで肉薄していたせいで、回避に失敗したエリナは衝撃波を受けて後ろに飛ばされてしまう。

  その様子を視界の端に納めていたエミールは、エリナの身を案ずるばかりにコンゴウから不意にも目を離してしまった。

 

「エリナ! おのれ、闇の眷属どもッ! この僕を見ろ……ぐおぉ!?」

 

  そうして余所見していたところに、コンゴウのフックが腹に決まった。攻撃を受けた反動で華麗に大きく吹っ飛ばされ、地面に転がる。見かけに反してダメージ自体はなさそうだが、これではエリナからヤクシャの注意を引く事すら儘ならない。

  一方のエリナは受け身を取ろうとする。しかし時既に遅く、ヤクシャが二発目の光弾を放っていた。

  回避はおろか、ガードも間に合わない。飛来してくる桃色の閃光を前にして、エリナは思わず目を瞑ってしまった。ダメ元でバックラーを展開する事すら忘れてしまう。

  固く閉じた目蓋の裏側で、暗闇とまばゆい光が織り混ざる。すると、不思議と身体が何かに持ち上げられる感覚に襲われた。

 

「……え?」

 

『作戦エリア内に他の神機使いの位置情報を確認! エリナさん、エミールさん、聞こえますか!』

 

  謎の感覚とヒバリからの通信に、エリナが呆けた声を上げる。咄嗟に目を開くと、自分がヤクシャの射線上から離れている事に気づいた。自分のすぐ脇には、オウガテイルの仮面を着けた謎の人物が佇む。

  美しい果実の色をした赤いベストに黒のニッカポッカ。惜しげもなく胸の刺繍を見せびらかし、右手にはオウガテイル一式のパーツで固めた第二世代型神機を持つ。神機を制御する腕輪の色は赤だ。

  仮面の男――マスク・ド・オウガはエリナの身体を掴んだ手を離し、銃形態の神機のトリガーを素早く引いた。尾弩イバラキの銃口から多くのオラクル弾が連射され、ヤクシャの頭部、肩、右腕、腹へとばらまかれていく。

 

「ボサっとしないでくれよ!」

 

  マスク・ド・オウガの一喝により、エリナはようやく我に帰った。その間にも連射弾がヤクシャの身体を少しずつ穿ち、ダメージをどんどん蓄積させていく。

  エリナがチャージスピアを構え直す頃には、マスク・ド・オウガは既にヤクシャへと駆けていった。走りながら神機を剣に変形させて、ヤクシャとすれ違い様に横へ振り抜く。

  太ももを斬り裂かれたヤクシャは苦しそうに声を上げながら、その場に膝を着いた。右腕をだらりと下げて、光弾を撃ってくる様子を見せない。身体中に弾痕が残り、すっかり満身創痍である。一気に畳み掛ける絶好のチャンスだ。

  ヤクシャの後方に立ったマスク・ド・オウガは、捕食形態を取った神機を軽くヤクシャにかじりつかせて、瞬く間にエミールの方へ向かっていく。直後、彼の身体に神機解放の光が纏わった。

 

「……っ!!」

 

  偶然にもやって来たマスク・ド・オウガとの邂逅。すぐにでも彼の正体を突き止めたいエリナだったが、聞き覚えのある声で叱咤を受けた事もあり、気持ちを切り替えて目の前のアラガミに集中した。

  兄のエリックと同じような声に、同じようなファッションセンス。疑問が色々と尽きないが全て後回しだ。生き残りさえすれば、そんなものはいつでも確かめる事ができる。今はただ、自分たちに立ち塞がる敵を殲滅するだけ――

  エリナはチャージスピアの穂先を上下に展開すると、そこから別の刀身が伸長してきた。さらに、たちまち膨大なエネルギーを槍身に奔流させる。それはポール型神機の片割れが持つ固有アクション――チャージグライドだ。

 

「行っけえぇぇぇ!!」

 

  チャージスピアを前に突き出し、エリナは掛け声と共にヤクシャ目掛けて高速突進する。一筋の光槍が大地を疾り、ものの見事に夜叉の巨駆を貫いた。

  青い一撃を胸に深く受けたヤクシャは、そのまま地面の上に倒れて力尽きた。エリナは敵の撃破をしっかり確認すると、次にエミールたちがいる方へ目を向ける。

  そこでは、上空からエミールがコンゴウの脳天にブーストハンマーを叩き込む様子が繰り広げられていた。コンゴウの尻尾は切断されており、側のいたマスク・ド・オウガはエミールの戦いを見守るばかりだった。

  強烈な殴打を与えたエミールは、その勢いを利用して空中後転しながら、コンゴウの前に着地する。対してコンゴウは、頭部をハンマーで思いきり叩かれたのを皮切りにして、ゆっくりと地に伏せる。それから多少の身動ぎはしたが、やがて息絶えるのだった。

  作戦エリア内のアラガミを全て倒し、エリナはそそくさとマスク・ド・オウガの元へ向かっていく。一方のマスク・ド・オウガは、淡々とコンゴウのコアを摘出していた。

 

「ねぇ、あの――」

 

「救援感謝する、名も知らぬ仮面の騎士よ。本当なら僕の騎士道をアラガミたちに示す筈が、盟友の約束も果たせず、エリナに危険が迫るのを黙って見るしかなかった。このエミール、一生の不覚だ……。すまない、エリナ、エリック!! 非力な僕を許してくれ!!」

 

  エリナがマスク・ド・オウガに話し掛けようとした瞬間、エミールの言葉に遮られた。そちらに目を向けると、仰々しい動きと悲痛な表情をしたエミールの姿を見つける。

 

「エミール、うるさい!! ねぇ、あなた。もしかして噂のマスク・ド・オウガって――」

 

  今度こそは真相を確かめる。そう意気込んでエミールに負けじと声を張り出すエリナだが、その直後にマスク・ド・オウガは突然と崩れ落ちてしまった。予想外な展開にエリナだけでなくエミールも唖然とし、慌てて気持ちを切り替える。

  地面に倒れたマスク・ド・オウガは、歯を食い縛りながら頭を抑えるばかりだ。自分の神機を放り捨てて、苦しそうに呻き声を漏らしていく。身体中に流れる大量の汗は、一向に止まる気配がない。

 

『あっ!? マスク・ド・オウガの位置情報ロスト! エリナさん、エミールさん、そちらで確認できますか!?』

 

  その時、ヒバリからの通信が入ってきた。多少の時間差はあったが、マスク・ド・オウガが倒れたのとほぼ同じタイミングだった。

  エリナは耳元に着けたインカムに手を伸ばし、間髪入れずに応答する。

 

「こちら、エリナ! 彼が突然頭を抑えて倒れました! エミールが容態を見てます!」

 

「どうした、仮面の騎士よ!? 頭が痛いのか?」

 

「ウゥッ……!」

 

  一際強く声を上げたかと思いきや、マスク・ド・オウガは糸の切れた操り人形のように沈黙した。頭を抑えていた手をだらりと地面に垂らし、周囲に不気味だと思わせるぐらいに脱力する。

  何の応答もしなくなったマスク・ド・オウガをエミールが診る傍ら、エリナはとてつもない不安と恐怖に駆られずにはいられなかった。手先が震え始め、マスク・ド・オウガから目が離せなくなる。

  とことんエリックと似ているマスク・ド・オウガ。どうして彼が自分の兄とそっくりなのか、どうして鎮魂の廃寺に居たのか、どうしてこの時期に現れたのか。ようやく自分が知りたい真実に辿り着けそうなのに、肝心の彼は目の前で地に臥せてしまっている。

  もしかして、死んでしまったのではないか。そんな考えが頭の中に浮かんできた瞬間、咄嗟にエリナはエミールの名前を叫んだ。

 

「エミール!!」

 

「脈と呼吸は正常だ。気を失っただけでいて欲しいが……とにかく安全な場所に運ぼう」

 

  エリナの叫びにエミールは冷静に言葉を返し、マスク・ド・オウガの姿勢を一度仰向けに直そうとする。

  そして、その拍子に仮面がすっぽりと頭から外れてしまった。

 

「「あ」」

 

  不意に訪れた顔バレの瞬間に、エリナとエミールの声が重なる。

  素顔は間違いなく華麗で凛々しいルックスだった。今は瞼が固く閉じられ、すっかり気を失っているが、笑顔を振り撒けば女性陣をたちまち虜にしてしまう可能性を秘めていると言っても過言ではない。顔立ちは西洋人で、適度に赤い髪を伸ばしている。

  これだけなら、マスク・ド・オウガはイケメンという印象しかないだろう。だが、誰よりも早く彼の素顔を知った二人からすれば、まさしく雷に打たれたような思いだった。

 

「ああ……そんな筈はない。何故なら、君は……!」

 

  エミールは幽霊でも見たかのような顔になり、マスク・ド・オウガの介抱も忘れてその場に立ち尽くす。まだ言いたい事はあったが、それ以上は何も喋れなかった。

  対してエリナは、どうにか声を振り絞ってエミールの代弁を果たす。

 

「……エリッ……ク……?」

 

  マスク・ド・オウガの素顔は、エリナたちが知るエリック・デア=フォーゲルヴァイデの顔と一緒だった。

 




BGM 神と人と


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搬送されたマスク・ド・オウガ


気がついたら亡国の血戦をリトライ。そして、いつも同じ場所で死ぬ。



倒せーないよー。




 マスク・ド・オウガ搬送の報は瞬く間に極東支部全体へと伝わった。大半の人間にとって噂話でしかなかった仮面の神機使いが、改めて現実に登場してきた形だ。

  搬送時のマスク・ド・オウガは仮面と肩掛けを外した状態で、真っ先に医務室へと放り込まれた。彼が手にしていた神機は、マスク・ド・オウガ発見の功績者である第一部隊の隊員が慎重に運び、神機のメンテナンスルームに収容される事となった。

  その後、功績者のエリナとエミールの二人は支部長であるサカキからの呼び出しにより、隊長のコウタと共に支部長室へと赴いた。

  彼ら三人はエントランス経由でエレベーターに乗り込み、役員区画へと降りていく。そんな中、先程から暗い顔で沈んでいるエリナを見かねたコウタは、彼女への声の掛けづらさから最初にエミールへ話し掛けた。まるで内緒話をするかのようにして。

 

「エミール、事情がよく飲み込めないんだけど。何があった? 特にエリナ」

 

「いや……正直に言って、僕も目の前で起きた事が信じられないんだ。まさか、あんな事が起こるなんて……」

 

  エリナと比べると程度は低いが、エミールもいつものような明るさを失っていた。コウタの質問に何とか答えようとするが、顔により一層影が落ちる。

 

「すまない、コウタ隊長。エリナの事もある。僕の口からでは……とてもではないが、話せない」

 

  そして、遂には話す事を完全に思い留まってしまった。コウタは並々ならぬ様子のエミールを見て、自分が思っていた以上に事態が深刻だと察した。

  いつもの二人なら、普通に揉めてもここまで気落ちするような事はない。揉め事の大体がエミールのお節介などが原因なので、二人して何かにうちひしがれるように暗くなるのは相当な出来事だ。

  二人がこうなった原因を考えるものの、コウタの頭では思いつくものが自然と限られてくる。噂の神機使い、マスク・ド・オウガが関わっている事以外に見当がつかなかった。

 

「そうか……無理ならいいよ。きっと、サカキ博士がその事について話してくるだろうし」

 

「……ああ。助かる」

 

  これ以上は相手が辛いだけだと判断したコウタは早々に話を切り上げ、エミールは表情を苦くしたまま感謝を告げる。 その様子にコウタは、言い様のない不安に駆られるのだった。

  そうこうしている内にエレベーターは目的地に到着し、三人は役員区画へ降り立った。そのまま廊下を直進し、コウタが先頭になって奥にある扉をくぐり抜ける。

 

「失礼します。第一部隊隊長、藤木コウタと以下二名、到着しました」

 

  普段は崩れた調子で話すコウタも、支部長室に入る瞬間はきっちりと礼節を弁えた。場の雰囲気からして、より真面目な姿勢を取らねばならないと感じたからだ。

  支部長室の奥の執務席にはサカキが座っていた。こちらは普段の笑顔を絶やさず、コウタたちが席の前にやって来るのを待つ。

 

「やぁ、待ってたよ。早速だけどね、彼……巷のマスク・ド・オウガ君のメディカルチェック、その他諸々が終了したよ。彼の件で君たちを呼んだ訳だが――」

 

  サカキがそう言った瞬間、エリナはばっと顔を上げてテーブル越しに彼へと詰め寄った。

  先程とは打って変わって、今のエリナは目をギラギラと光らせている。彼女の突然の行動に、他の三人は思わず息を潜めてしまった。

 

「それで、結果はどうなんですか!」

 

「落ち着いて、エリナ君。焦る気持ちはわかるが、何から何まで君の望む結果ではない事だけは了承してくれ。これから話すのは、世にも奇妙な真実だ」

 

  サカキに諌められて冷静を取り戻したエリナは、「すみませんでした」と小さな声で謝ると、その場から一歩下がった。第一部隊の面々が再び横一列に揃ったところで、サカキの話が再開する。

 

「まずメディカルチェックでは、通常の神機使いと比べても何の問題はなかったよ。アラガミ化の兆候も見られず、至って健康的だ。問題は次になる」

 

  話し続けるサカキの顔が次第に真剣な表情へと変わり、次にやって来るだろう本題にコウタたちはしっかりと待ち構えた。

  それを受けてサカキは、彼らの気持ちに応えるようにして、おもむろに口を開いていく。

 

「DNA検査でマスク・ド・オウガ君の遺伝子情報が、神機使いのデータバンクに登録されていた情報……エリナ君の兄であり、エミール君の友である、エリック・デア=フォーゲルヴァイデのものと一致した」

 

  その時、コウタたちの間で衝撃が走った。

  エリナは胸をぎゅっと締め付けられるような感覚に襲われて、敢えなく言葉を失う。マスク・ド・オウガ=エリナの兄だと理解したコウタは驚き、まさかの真実にエミールは目を見開いた。

 

「エリナの、兄貴……!?」

 

「サカキ支部長、今の話が本当であれば……」

 

「ああ。エリック君は三年前のミッションで殉死した。彼と同行していた神機使いも、その様子を見たという話だ。オウガテイルに顔をまるごと喰われる瞬間をね。ここまで言えば、流石のコウタ君も大体は察せる筈だよね?」

 

「はい。その言いぶりだと、まるで死んだ奴が甦ったかのような……。でも、そんな事ってあり得るんすか?」

 

「理論上では幾つかの方法があるが、どれも現実的ではない。そもそも、もしエリック君が本当に甦ったとして、そうなると肝心の頭が復元される過程が見当もつかないよ。それこそ、アラガミでもない限り」

 

  すると、今まで沈黙を保っていたエリナが一気呵成にして声を荒げる。

 

「っ、違います!! エリックはアラガミなんかじゃない!! 私の兄です!! お兄ちゃんなの!!」

 

「エリナ、落ち着きたまえ! まだサカキ支部長の話は終わっていない」

 

「エミールもあの時に素顔を見たでしょ!! あれはエリックだった! 見間違える筈がない! だって、三年前までは私の側に居たんだもん!!」

 

「ならば、エリックが命を落とした報せは何だった! あれは嘘だったと君は言うつもりか?」

 

「そんなの、後から本人に確かめればいいだけでしょ!!」

 

「落ち着け、二人とも!!」

 

  まさに感情を爆発させたエリナと冷静に努めようとするエミールの間に、コウタが仲裁に入った。二人に負けじと大声を出した事で、喧嘩はあっさり沈静化していく。

  エリナは不満げにしながら顔を軽く俯かせ、対称的にエミールは天を仰ぐ。それから支部長室に静寂が瞬く間に訪れ、いの一番にサカキが言葉を発する。

 

「うん、では話を続けよう。エリック君がマスク・ド・オウガとして今まで生きていたのだとすれば、色々と不可解な謎が生まれていくのだが……両者の明らかな相違点を一つあげるとすれば、それは偏食因子だ」

 

  間髪入れずに、エミールが静かに挙手をして発言した。

 

「失礼ながら、異なった偏食因子を用いる神機の世代更新自体は可能な筈です。僕がフライアへ赴いた時に、その実例を見ました」

 

「それについては、極東に戻ってきた君からの報告書で目にしたよ。確かにそのケースは普通に起こり得る。だが今回に限って、それに当てはめるには難しい」

 

  サカキの意外な返答にエミールは思わず眉をひそめた。返答内容の意味にエリナはいち早く察し、遅れてコウタが首を傾げる。

 

「まだ詳しく調べる必要があるけど、今のエリック君が持つ偏食因子はP73と性質が似通っていると判明した。ちなみにP73偏食因子の人体投与は、胎児の状態でなければ成功しないとされている」

 

「俺たちのは確か、P55だから……あれ?」

 

  そこまで説明を受けて、コウタはようやく理解に至った。エリナから少しだけジト目を向けられる。

  そんなコウタの様子にサカキは大きく頷き、自分が抱いた一番の疑問点を全員に告げた。

 

「うん。これが一番奇妙な話なんだよ。当時のエリック君は第一世代の神機使い、今のエリック君は第二世代。だけど、使われている偏食因子は性質のみならず、投与段階が異なる可能性があるもの。感応種と戦えた理由もここにあるんだろう」

 

  サカキの手短な言葉は、コウタたちにマスク・ド・オウガの異常性を実感させるのには十分だった。エミールは観念したかのように目を瞑り、エリナの顔色が一層暗くなる。

  今までの話を聞いたコウタは、拳を強く握りしめて沈黙を保ち続けた。エリナの兄が生きていた事実には驚いたが、まるでマスク・ド・オウガがエリックではないような言いぶりに何も口出す事ができなかった。

  死者が甦らないのは当然の事。これを弁えているからこそ、エリナとエミールにとってどれだけ残酷な真実であるか把握できる。彼らが知っているエリックではない可能性が浮上してきたのだ。どうすればこんな事態になるのか不思議で仕方ないが、迂闊に励まして余計な期待を抱かせる真似だけは止めようと考えた。

  自分がエリナたちの立場なら、悲痛な目に遭う事は想像に難くない。ましてや生き返った人間が自分の知らない相手であれば、尚更悲しいだけだ。その人はれっきとした別人で、両手を上げて喜べる筈がない。

  その時、テーブル隅にある小型端末にコールが掛かった。サカキはそれを手繰り寄せて、すぐさま通信に出る。

 

「はい、もしもし。……そうか。じゃあ、すぐに向かうとするよ」

 

  通信先の相手にそれだけ告げたサカキは通信を切ると、改めてコウタたち三人に向き直った。

 

「彼が目を覚ましたようだ」

 

 ※

 

  目を覚ましたらベッドの上にいた。知らない天井……と言うよりもアナグラの医務室っぽい。先程、看護婦さんに色々と体の調子を尋ねられた後、もれなく一人きりにされた。

  周囲を見渡すと、ベッドのすぐ側にある棚の上には仮面と肩掛けがあった。俺以外にベッドで寝ている人はおらず、実質個室だ。

  記憶はコンゴウとサイコガン武者を倒した直後に頭痛に襲われたところまでで途絶えている。恐らくはエミールとエリナの二人に運ばれたと思うが、その道中は全く覚えていないからさっぱりだ。待遇からして、監禁・牢屋ルートまっしぐらではなさそうだ。良かった。

 

「失礼するよ」

 

  その時、眼鏡を掛けた初老の男性が部屋に入ってきた。背はすらりとしており、肉体の衰えを感じさせない。首の下には、チェーンで繋がった眼鏡が提げられていた。

  なんだ、サカキ博士じゃないですか。

 

「お兄ちゃん!」

 

  すると、サカキ博士の後ろからエリナが瞬く間に現れてきた。扉にいるコウタとエミールを置き去りにし、一足早く俺の側に駆けつけてくる。

  それからエリナは俺の手を優しく握り、とりとめもなく話し掛けてきた。表情はどこか悲しそうであり、嬉しそうでもあった。

 

「ねぇ、私の事わかる? 覚えてる?」

 

  あぁ、わかるよ。エリックの記憶が流れてきたあの瞬間から、君が裕福そうな少女の成長した姿だという事は理解できた。

  緑がかった銀髪に、トレードマークの白い帽子。可愛らしくも華麗なその姿は、紛れもなくエリック・デア=フォーゲルヴァイデの妹、エリナ・デア=フォーゲルヴァイデだ。

 

「エリナ」

 

  感無量になるのを抑えきれない己の身体に任せながら、俺はエリナの名前を優しく呼ぶ。そうすると、エリナの顔はたちまち明るくなってきた。笑顔が眩しい。

 

「ほら! やっぱりエリックだよ! ちゃんと私の名前を知ってる!」

 

  エリナが後ろを振り向き、そこに立つサカキ博士たち三人は一斉に驚く。そして、エミールがゆっくりと口を開いた。

 

「君は、本当にエリックなのか……?」

 

  刹那、エミールの核心を突いた質問に俺は敢えなく言葉に詰まる。問題はそこだ。

  身体と記憶だけなら、俺をエリック足らしめている事には間違いないだろう。ただし、人格面がすっかり俺の時点で、最早エリックとは言い難い。マスク・ド・オウガであったのは、きっとエリック・デア=フォーゲルヴァイデと区別するためなのかもしれない。

  ……いや、区別したのならエリックの記憶があるのはどうしてだ? 記憶だけならともかく、エリナたちに助太刀した時は完全に肉体が勝手に動いていた。俺の心を無視して。

  俺はエリック? 違う、俺は俺だ。しがないゴッドイーターのプレイヤーで、日々帝王神爪を求めてディアウス・ピターを乱獲するのが最近の日課だった。そもそも、エリックは鉄塔の森で華麗に死んで、俺がこうしてエリックになっている筈が……。

 

「……お兄ちゃん?」

 

  急に黙り混んだ俺が気になったのか、エリナが顔を覗かせてきた。首を傾げる様は、エリックの妹という事だけあって可愛らしい。

  ……ダメだ。エリナはエリックの妹であって、俺の妹ではない。なのに、こうも肉親だとひしひしと感じてしまう理由はなんだ? まさか、俺の精神が肉体に引っ張られているのか? そんなオカルトみたいな出来事が……あ、マスク・ド・オウガになった時点でオカルトか。

  どちらにせよ、このままでは埒が明かない。エリナとエミールに再会できて無性に嬉しく感じている一方で、そう感じる事にどこか恐れている自分がいる。当たり前だ、俺はエリック本人ではないのだから。

  そう考えると、エリナたちだけでなくサカキ博士も同行してきた理由は、何か重要な話を俺とするためだろう。博士が俺に聞きたい事など容易に思いつく。コウタもいる理由は知らない。

 

「エミール、エリナ。すまないけど、サカキ博士と二人きりで話をさせてくれないか?」

 

「え?」

 

「頼む」

 

  間髪入れずに俺は二人に頭を下げる。その際のミソは、コウタの名前を呼ばない事だ。エリックの記憶では、コウタとろくな面識がなかったからだ。下手にコウタを呼んでしまえば、とりわけエリナに余計な疑念を持たせてしまう。

  しばらくしてから頭を上げてみると、何やら戸惑っている様子のエリナの姿が目に入った。エミールは冷静になる事に努めているようで、真剣な姿勢を微塵とも崩さない。

 

「二人とも、行こう。エリックとは後からでも会える」

 

  そして、コウタが俺たちの間に入ってくれた。コウタの言葉を受けて、エミールは素直に退室し、エリナは渋々了承しながらコウタの後をついていく。

 

「……お兄ちゃん、またね」

 

  去り際には、エリナはそんな言葉を残していった。

  こうして俺と二人きりになったサカキ博士は、自分で用意したイスに座ると鷹揚にして喋り始めた。

 

「やぁ。はじめましてと言うべきか、久しぶりと言うべきか……私はペイラー・榊だ。ここ、フェンリル極東支部で支部長をしている」

 

「俺は……」

 

  俺も言葉を返そうとしたところで、不意に迷う。エリックと名乗るべきなのか、マスク・ド・オウガと名乗るべきなのか。 サカキ博士も俺が何者であるかが、大体わかっていそうな雰囲気だ。どうやって答えようか……。

 

「君は、エリック・デア=フォーゲルヴァイデなのかな? それとも、ただのマスク・ド・オウガなのか」

 

  サカキ博士にそこまで言われて、俺はハッと息を呑んだ。

  やはりサカキ博士は、俺がエリック本人ではない可能性に思い到っていたようだ。そうでなければ、わざわざエリックとマスク・ド・オウガを区別する言い方はしない。

  その問いの答えは既にわかっている。後は勇気を出して言葉にするだけだ。

 

「人格はエリックと違うという確信はあります。証明は難しいんですけど、俺は……日本人です」

 

  ゆっくり深呼吸をしてから、サカキ博士の質問に答える。他の人が聞けば一笑に値する台詞だ。

  だが、それを聞いてサカキ博士は少しも笑う事はなく、真剣な眼差しで俺に質問を続ける。

 

「では、先程のエリナ君とエミール君。二人の名前がわかったのは?」

 

「二人に会うまでは、名前なんて本当に知りませんでした。ただ、声を聞いた瞬間、覚えのない筈の記憶が浮かんできて……」

 

  全てのきっかけは鎮魂の廃寺だ。戦闘の後も甦ってくる記憶は留まる事を知らず、遂には頭痛を起こして気を失った。

  あれでは、まるで俺がエリックみたいだ。本当ならマスク・ド・オウガすら本編の話に関わらない、異物のような存在だとはっきり自覚しているのに、極東支部の神機使いの一個人として意識が定着しつつあった。神機使いなのはそうだが、俺の帰るべき場所はここではない方――日本にある。

 

「でも、エリックは死んだ筈なんです。本当なら俺はこんな姿になってなくて、アラガミがいない世界で暮らしてて」

 

「アラガミがいない世界?」

 

  その瞬間、俺は自身の迂闊な発言に後悔するとともに、数日ぶりの郷愁の念に駆られた。俺の世界の事を誰かが口にするだけで、十分に衝撃が襲い掛かってくる。

  最近まではそこで暮らしていたのに、今となっては限りなく遠い世界。自分で一々確認を取るよりも、サカキ博士の言葉の方が己を異物だと改めて自覚できた。自身の存在が見失わないで本当に助かる。

 

「……はい」

 

「君の話が本当だとすると、実に興味深い内容だね。その口振りでは、パラレルワールドの実在を示唆しているように思える。だが人格が君で、肉体がエリック君というのは少し不可解な話だ。それに、エリック君の記憶を持っているのなら尚更だ」

 

  ですよね。小学生でも不思議に思える話だ。普通なら二重人格の線を疑うのがベターだろう。

  だが、普通の二重人格なら俺が日本人だという自覚も、日本にいた頃の記憶を持っている訳がない。エリックの生活環境を考えれば、彼に日本人としての人格が芽生えるのはびっくりするほど難しい。

  ならば、俺がマスク・ド・オウガになっている、もしくは憑依しているという推測はほぼ合っているはずだ。つまり、他の人がどう言おうと中身の俺はエリックではない。むしろ、そうであってくれ。

 

「それでも俺は……エリック・デア=フォーゲルヴァイデじゃないです」

 

  重苦しい雰囲気に堪えて、俺は声を振り絞った。そして先ほど、嫌な可能性を思いついてしまった。

 

 ――もし、俺自身が何らかの理由で作られた疑似人格だったら? 記憶が仮初めだったら?

 

  何でこんな事を一瞬でも考えたし。バカ野郎。

  いや、そんな事は絶対にない。断言はできないが楽観視できるほどの余裕はある。そう、俺にはしっかり俺の家族がいて、友達もいる。それは間違いない。俺が疑似人格で、今までの思い出が全て偽物なんて事があり得る筈がない。

  ……あれ? だったら、俺がマスク・ド・オウガになっている理由は何だ。どうして周りは――エリナとエミールは俺をエリックと呼んだ。そもそも、エリックの記憶があるのは……? これが偽物という根拠はどこにもないだろう?

  ああ、ダメだ。頭の中が混乱してきた。心臓の鼓動が速くなり、妙に冷や汗が止まらない。両手で頭を抱えて、ゆっくり気持ちを落ち着かせようと努める。

 

「大丈夫かい? 急に頭を抱えて」

 

  その時、サカキ博士が少し焦ったような声を出してきた。まるで冷や水を被らされた感覚になり、おかげでごちゃまぜになった俺の思考が少しの間だけ真っ白になった。

 

「あ……大丈夫、です」

 

「そうか。……うん、取り敢えず今日はここまでにしようか。話の続きはまた今度に。君が望むなら面会謝絶にしておこうと思うけど、どうかな?」

 

「お願いします」

 

「わかった。それじゃ、ゆっくり気持ちを整理しててくれ」

 

  サカキ博士はそう言うと、ナースコールの位置を伝えた後に部屋をそそくさと出ていった。俺は一人で医務室に取り残され、再び自身の存在について考え始める。一人で勝手に悩んでも解決する事ではないのは理解しているが、否応なしにそうせざるを得なかった。もしもの場合が怖すぎるからだ。

  エリナたちは俺をエリックと呼び、サカキ博士は俺をエリックもしくはマスク・ド・オウガだと捉えてくれた。後者は科学者らしく合理的な思考回路だと思う。エリックはやはり死んだものだと見なされているらしい。

  対して俺は、ひょんな事からマスク・ド・オウガになってしまった日本人だ。原因は不明、エリックの記憶がある理由も不明と、未詳案件のてんこ盛りである。最悪な可能性のおまけ付きで。

 

  俺は……俺は……

 

  僕は誰だ?

 




題材のせいでシリアスにならざるを得ない。


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泣かれるマスク・ド・オウガ


ブーストハンマー使いにくい。これを使うエミールとナナは流石だと言わざるを得ない。対して自分は、恥ずかしながらガイアプレッシャー連打です。


 

  俺は俺。エリックではない。いいね? 異論は認めない。

  そうして自分自身を改めて確認してから、割り当てられた自室の中で身の回りの事を済ましていく。

  医務室で目を覚めてから早数日。身体に何の問題はなかったので、サカキ博士からの助力もあり、俺はほとんどの人に目撃される事なく復活した。それからはサカキ博士と支部長室で二者面談し、表向きは俺を極東支部の神機使いとして正式に入れてもらう手続きを踏んだ。

  一方、裏では俺の謎を解明していくのだが、もしも俺が平行世界から華麗に舞い降りてきた存在だとすれば、平行世界の観測方法すら確立されていないので帰還その他諸々は絶望的だと言われた。その後、自室に帰った俺は枕に顔を埋めて危うく泣きそうになった。

  帰還不可能だと断言されていないのが唯一の救いだろうか。サカキ博士に俺の事を信じてもらえたのは何よりだったが、冷酷に「帰るのは諦めろ」と言われたら流石に心が折れる。それはもう、薬物に手を出して現実逃避してしまうレベルで。

  しかし、薬物中毒からの廃人ルートは嫌なので、絶対にそんな事はしないと俺は誓おう。そもそも、入手方法がわからないから手の出しようがないが。

  平行世界については、試しに独自でターミナルを操作して色々調べてみた。すると、量子力学の多世界解釈と宇宙論のベビーユニバース仮説がヒットしたので、適当に内容をかじった。

 

  結果、科学者でもない俺がそんな小難しい理論を理解できる訳がないとわかった。

 

  文章全体としては読めても、単語が聞き覚えのないものばかりで、中には推察すら難しい単語もあったので、いくら音読しようが内容が頭の中に入らなかった。餅は餅屋に任せるべきだと判断した瞬間だった。

  ちなみに、現在は西暦二〇七四年。アーク計画が失敗して三年後の世界だ。俺の記憶にある姿よりもエリナが成長していた事に納得がいった。三年も経ったなら仕方ない。

  それから自室を後にする。本当なら正式に配属が決まるまでは部屋に隠れていたかったが、そうは問屋がおろさなかった。サカキ博士から、訓練データが欲しいからやってくれと言われたのだ。今日の午前中に。

  訓練……。一体、どんな地獄が待ち構えているのだろうか。狭い訓練所の中でダミーアラガミ――コンゴウ四体でピルグリムは嫌だ。やりたくない。例え相手が新人でも容赦ないのが極東だ。オウガテイル狩りの初期ミッションで乱入してくるヴァジュラが良い例である。油断はできない。

 

「あ」

 

  すると、エリナと遭遇した。とにかく気まずかったので、俺はすぐさま華麗に回れ右をする。

  しかし、逆にエリナに回り込まれてしまった。

 

「待ってよ、エリック。何で逃げるの?」

 

  その時、エリナと目が合う。彼女の纏う雰囲気は強気だが、どこか不安になっているように見えた。俺はすぐ返事をするのを押し止めた。

  逃げるのは単純に気まずいからだ。肉体がエリックかつマスク・ド・オウガで中身が俺である以上、否応なしにその問題にぶつかってしまう。

  エリナとはなるべく離れる。これはサカキ博士との二者面談でとっくに決めた事だ。俺自身はエリックではないのだから、例えエリックの記憶を持っていたとしてもエリナを妹として扱えない。身体がエリックでも、俺のような異物が居る時点でダメだ。エリックの振りをしようにも、きっとボロが出てしまうだろう。

  それに、この世界に住む大多数の人々と違って、仮にも俺には帰る場所が残されている。元の世界に帰る時はエリックが死んだ時と同様、エリナを再び悲しませてしまう。無闇に期待を持たせるべきではない。

 

「俺は……君の知るエリックじゃない」

 

  なので、エリナを俺から突き放す。それでも第一声が大してキツくないのは、精神がエリック側に引っ張られているせいだろうか。

  だが、エリックは自分の事を僕と呼ぶ。それはエリナも知っている筈だ。たかが一人称の変化でも、死人が甦ってきたという前提条件があれば、当然訝しむに値するだろう。とにかく、俺がエリック本人ではないと彼女に伝えなければならない。

 

「……っ、適当な事言わないで。私、聞きたい事がたくさんあるんだから。なんで生きてるのとか、なんでヘンテコな仮面着けてるのとか」

 

  直後、目尻を上げていたエリナの表情が一瞬だけ揺らいだ。それから俺との距離を一段と詰めてくる。

  仮面がヘンテコだと言われたのはさておき、後一押しで行けそうな気がする。ただ、エリナの気持ちを推し量ろうとすると可哀想で仕方がない。

  当たり前だ。死んだ兄が生き返ったかと思いきや、その人から自分は別人だと言われたのだから。兄が帰ってきたと思いたい彼女にとって、それほどの苦痛はない。

 

「エリック・デア=フォーゲルヴァイデは死んだ。それは確かだ」

 

  しかし、敢えて辛い現実をエリナに突きつける。このまま俺が根負けしてエリック本人だと詐称しても、関係がだれていくのは目に見えている。それは俺の望むところではない。最初にエリック≠俺という図式を完成させて、何もかもゼロから始めるべきだ。俺ではエリックの代わりになれない。

  エリナの顔がだんだん悲しげな表情に変わっていく。唇をきゅっと閉じているが、今にも泣き出しそうだ。肩と手先が少し震えている。

 

「じゃあ、あの時!! ……あの時、私の名前を優しく呼んでくれたのは何だったの? あれは、間違いなくエリックの声だった。私が小さかった時、いつもあんな風に話し掛けてくれて、いつも大事に想われてるって伝わってきて……」

 

  最初はばっと顔を上げていたが、徐々にエリナの視線は下がっていった。言葉の勢いも弱まり、遂には聞こえなくなる。

  医務室の時の話か。あれは迂闊すぎたな。反省している。エリック本人を否定するつもりなら、あんな風にエリナの名前を呼ぶのは失敗だった。肉体に引っ張られるのを解決するのも今後の課題だ。

 

「ねぇ、エリックだよね? 私の知ってるお兄ちゃんなんだよね?」

 

  そしてエリナが再び顔を上げると、彼女の瞳は涙で潤っていた。俺の方が背は高いため、自然と上目遣いになる。相手がエリックの華麗な妹なだけあって、この流れは非常に逆らいずらい。

  女の涙+上目遣いを抜きにしても、イエスと言ってやりたい。首を縦に振りたい。すぐに彼女の涙を拭ってやりたい。

  だがダメだ。それは俺が取るべき行動ではない。元の世界への帰還を諦めない以上、俺が戻るべき場所が向こう側にある以上は否定しなければならない。俺がエリックである事を。

 

「俺はマスク・ド・オウガ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

  ここでいきなり俺の本名を言っても訳がわからないので、仮面を被っている時の名を名乗る。エリック本人である事の否定には本名を言った方が恐らく一番効果的なのだろうが、これでも通じるだろう。

  声を低くしてそう告げると、エリナは涙を浮かべながら目を見開いた。それから何か喋ろうとするが、言葉は一切出てこない。口をあうあうと動かすだけだった。

  そんなエリナの様子を見ていられなくなった俺は、慰める事もせずに彼女の元からそそくさと立ち去った。去り際に「ごめん」とだけ言い残して。

 

 ※

 

  午前の訓練では、何故かダミーアラガミのウロヴォロスと戦わせられた。逃げ場のない訓練室が舞台だったので、相手がダミーであっても生きた心地はしなかった。訓練の前に脳天直撃弾と内臓破壊弾をバレットエディットすれば良かったと心底後悔した。

  訓練終了後は屋上まで移動し、外の風を存分に浴びながらタオルで汗を拭う。仮面は蒸せるので脱いだ。水分補給も欠かさず、ゆっくり飲んでいく。

  ソロでのダミーウロヴォロス討伐は、軽く一時間くらい要した。使用した戦法は、相手が伸ばしてきた触手の先を剣でツンツンしては、OPを貯めて射撃を続けるチキンなものだ。ソロで倒せたと言っても、確実にリンドウよりは劣っている事は間違いない。だって、柔らかいウロヴォロスの触手に向かわないでずっと離れていたし。ずっと逃げていたし。

  それにしても、あぁ……風が涼しい……。発汗して熱くなった俺の身体を冷ましてくれる。やり過ぎると風邪を引くので注意しなければならないのが難点だが、これはこれでクーラーや扇風機と違ったものがあって良い。

  風を適度に浴び終えて、仮面を頭に被り直す。すると、後ろから声を掛けられた。

 

「ここにいたか、マスク・ド・オウガよ」

 

「エミール?」

 

  思わず振り返ってみれば、エミールの姿がそこにあった。普段の不敵な頬笑みはさっぱり消えて、神妙そうな顔をしている。

 

「エリナの事で話がある。彼女、酷く落ち込んでいたよ。慰めようとした僕に脇目を振らずに、一目散に逃げてしまった」

 

  そう言いながら、エミールは一歩ずつ俺の元へ近づいてきた。あと数歩でお互いに接触できる距離まで進み、その場で立ち止まる。

  俺がエリナから離れた事はもう耳に入れられたのか……。エリックがもし自分に何かあった後の事を任せるだけあって、その行動力の高さはついつい感心する。エリナに逃げられたのは、勢い余ってぐいぐい進みすぎるエミールのウザさが一つの要因になっているかもしれないが。

 

「あの時に流れていた涙を僕は見逃さなかった。あっさり拒絶されてしまったのはショックだったが、同時にしばらく一人でそっとしてあげた方が良いと悟ってしまった。あれは恐らく……君絡みだ」

 

  最後の部分を溜めつつ、エミールはきっぱりと俺にそう言い放った。まさかの正解である。エリナを泣かせてしまった事実は確かなので、耳が痛い。

 

「だが、わからない。君が本当に我が盟友、エリック・デア=フォーゲルヴァイデなら、妹であるエリナを泣かせるなんて真似は考えにくいんだ」

 

  エミールの指摘通り、エリックは妹思いの良い奴だ。それも、出会って間もなかった頃のソーマに話が脱線するクラスで妹自慢をするほどに。エリックの記憶を思い返してみるが、過去にエリナを泣かした事は皆無と言って差し支えない。俺が本当のエリックである事に、エミールは明らかに訝しんでいる様子だ。

  先日のサカキ博士からの話でわかった事だが、俺の肉体は遺伝子レベルでエリックと同じらしい。俺がエリックであるかどうか疑われるのは無理もない事だろう。

  しかし、それはそれである意味、俺にとっては好都合だ。

 

「そこまでわかってるなら話が早い。俺は、君の知っているエリックじゃない。俺はマスク・ド・オウガだ」

 

「その偽りの名もそうだ。一体、何が君をそんな風にしてしまったんだ? どうして、今になって僕たちの前に現れたんだ?」

 

  前半は実に的外れだが、後半は言葉に詰まるような質問。自身も軽く目を背けていた事実に、俺は敢えなく返答に悩んだ。

  どうして俺がマスク・ド・オウガになってしまったのか。それ自体が本当に不思議でしょうがないものなので、当の本人である俺に聞かれても困る。どんなに考えても平行世界などの存在を抜きにしては、日本人の俺がエリックになる因果関係が成り立たない。

  だが、そんな俺でも断言できる事が一つある。それは、当事者だったソーマと第一部隊の隊長が一番知っている出来事だ。

 

「……三年前、エリックが死んだのは真実だ。上からオウガテイルの不意打ちを食らって、そのままやられた」

 

  エリックがオウガテイルに喰われる直前のシーンを脳裏に映し出し、俺はエミールの視線から顔を少し下に逸らした。三年経った今でも友の凶報を聞く羽目になったエミールの顔を、真っ直ぐ見る気にはなれなかった。

  それから数秒ほど、足元の床を眺め続ける。次の言葉を口にするのは、ゆっくりとエミールと目線を合わせ直した時だった。

 

「気がづいたら、俺はエリックが死んだ場所に突っ立っていた。この仮面と肩掛けもその時にあった。どうしてこうなったのかは知らないけど、この仮面の意味は何となくわかる気がするんだ」

 

  俺がエリックではなく、マスク・ド・オウガとしてこの世界に来てしまった意味。エリックではなく、敢えてマスク・ド・オウガから始まってしまった謎の展開。それも全て、俺がエリック本人ではない事を指し示すためだから、かもしれない。少なくとも、そうでなければ俺が自身とエリック、マスク・ド・オウガに悩まされる事なんてなかっただろう。

  だから、俺はエミールに改めて知らしめなければならない。俺が俺で、エリックではない事に。

 

 ※

 

  その時、エミールと改めて向き合ったマスク・ド・オウガは、被っていた仮面をおもむろに自ら外した。仮面の裏から華麗に現れてきた好敵手であり盟友の顔に、エミールはある種の感動の念を禁じ得なかった。

  マスク・ド・オウガの素顔は、どこからどう見てもエリック・デア=フォーゲルヴァイデだった。すっかり見慣れたその顔をうっかり間違える筈もない。容姿だけでは、目の前にいる男がエリックだと信じてしまうだろう。

 

「エミール。君は、俺が何故仮面を被っているかわかるか?」

 

  仮面を手に持ったマスク・ド・オウガが、ゆったりとエミールに語り掛けてくる。その声の調子も、ずっと前に聞いたエリックの言葉と同じだ。彼との思い出が、まるで昨日の出来事のように甦る。

  エミールが最後に見たエリックの姿は、サングラスを掛けていた。現在の彼はサングラスの代わりに仮面を被り、医務室の時を除いてひた向きに素顔を隠し続けていた。

  それが今、マスク・ド・オウガ自身の手によって自分の前に明かされた。この結果にエミールは思わず、彼をエリックとして捉えてしまった。久しく出会った友と親密に話すつもりで、すらすらと言葉が出ていく。

 

「ああ! わかるぞ、我が盟友エリックよ! 死してなお――」

 

「違うっ!! ……マスク・ド・オウガだ!」

 

  瞬間、マスク・ド・オウガの否定の声がエミールの言葉を遮った。彼の突然の叫びに、エミールは意識をれっきとした現実に引き戻される。

  そう、エリックは死んだ。自分の前にいる彼はエリックである事を否定し、マスク・ド・オウガと名乗っている。エリックの死は十中八九、揺るぎなく本当の事なのだ。それはエミールも承知の事で、心のどこかでマスク・ド・オウガをエリックだと思っているにしても、現実逃避だけは決してしなかった。

  それは何よりも騎士道に生きる者として、先立たれた友の頼みを聞き入れた者としての決意だ。騎士がアラガミを前にして、はたまた現実を前にしての逃走など許されない。いつまで過去にすがっても、一向に前へ進めやしないのだから。

 

「すまない、君の素顔に盟友の影を重ねてしまった……許してくれ」

 

  彼をエリックと呼んでしまった事を、エミールは頭を下げて謝罪した。マスク・ド・オウガはそれを、何か哀れむような表情で見つめる。

  そして、エミールが頭を上げるのを見計らって、おもむろに遠くの景色を眺めながら喋り始めた。彼の視界の中にエミールは入っていなかった。

 

「俺にはエリックの記憶がある。ドイツの貴族層の高等学校で何かと君としのぎを削っていた事も、その後はお互いの健闘を称えて茶会に洒落込んでいた事も」

 

  その言葉を耳にしたエミールは、己の身を震撼させた。雷に打たれたような思いで、マスク・ド・オウガの先程の台詞を何度も心の中で反芻させる。

  マスク・ド・オウガが言うエリックの記憶。当てずっぽうにしてはエミールも心当たりがあり、自分とエリックとの関係を妙に的を得ていた。まだ不信と疑問はなくならないが、その宣言のせいで彼が本当にエリックである気さえしてきた。

 

「茶会……その時に飲むのは……」

 

「大体は君が淹れた紅茶だな。紅茶に関しては君に負け越している。特にハーブの栽培は敵いそうにない」

 

  エミールがとりとめもなく事の真偽を確かめると、マスク・ド・オウガはすかさず返事をした。自身が持つ記憶と思い出に裏打ちされた証言で、エミールは真だと確信に至る。

  そして、不意にも再び彼をエリックとして認識してしまった。自分にとってもエリナにとっても都合の良い事が、どうしても都合の悪い事よりも先に出てしまう。マスク・ド・オウガがエリックの記憶を持っただけの別人である可能性なんてものは、すっかり思いつかなかった。

  お願いだから、君はエリック・デア=フォーゲルヴァイデであってくれ。君はエリナの兄であり、自分の好敵手であり盟友であってくれ。そんな願望がついつい生まれてしまう。

  自分の願いが愚かなのはわかっている。死者が生き返るなんて事はなく、それが出来れば今頃の人類はアラガミによって存亡の危機には晒されていないだろう。生命が戻ってくる術はいつの時代も魅力的で、実用的で、夢想的だ。

  とりわけ、目の前にはその体現者が佇んでいる。死んだ筈の盟友がこうして自分と会話していては、冷静な思考が麻痺してしまうのも無理はなかった。

 

「やはり……君は……!」

 

  だが、エミールの望みはあっさり覆される事になる。

 

「それでも、俺はエリックじゃない。姿形は同じでも精神はエリックと違うのは確かなんだ。本当の俺は極東……日本に住んでいた。その世界に、アラガミとオラクル細胞はない」

 

「アラガミも……オラクル細胞もない? どういう事なんだ、それは?」

 

  アラガミもオラクルもない世界。エミールでピンと来るのは、自分が生まれる前のこの世界の事だけだ。アラガミが誕生してからは、人類は半世紀も経たずして窮地に追いやられた。そんな状況下で、そんな理想郷がどこにあるのだろうか。

  仮にも日本の住人であるなら、彼がエリックの姿をしている理由は何だ? そもそも、どうしてここにいるのか? 荒唐無稽な話がいきなり飛び出してきて、エミールの思考はすっかり混乱に陥る。初めてマスク・ド・オウガの素顔を見た時以上の動揺だ。

  それでも必死に冷静さを取り戻すが、エミールはしばらく声が詰まった。やはり彼が自分の知るエリックではない事を否応にも察してしまい、エリックだと信じたい心と現実をしっかり見つめる心の二つが胸中でせめぎあう。身体の落ち着きが妙になくなり、幾度となく目を泳がせる。

  その様子を何気なく視界の端で捉えたマスク・ド・オウガは、エミールの気を確かにさせるようにして、屋上全体に響き渡るくらいのはっきりした声を出す。

 

「その時、不思議な事が起こった。今のところは何もかもそうとしか説明できない」

 

  漠然とした説明だが、マスク・ド・オウガのどこか確信めいたフレーズにエミールはハッと我に帰る。そうして、徐々に頭の整理がついていった。

  未だに納得だけはしていないものの、すんなり理解できるほどにまで気持ちに余裕ができた。あり得ないと断じてしまいたくなる衝動を抑えて、エミールはマスク・ド・オウガに確認を取ってみる。

 

「つまり肉体はエリックだが、精神は全くの別人。そう言いたいのか、君は?」

 

  おずおずと自分が至った答えを口にしたエミールに、マスク・ド・オウガは静かに頷いた。本人の首が縦に振られる様子を目にして、エミールの頭の中が一時的に真っ白になる。

 

「この事はまだ君とサカキ博士以外には話していない。だから、エリナには秘密にしておいてくれ。これを聞いたら、彼女は更に傷つく」

 

  呆然とするエミールに構わず、マスク・ド・オウガは話を続けていく。

 

「俺は元の居場所に戻るつもりだ。ここではないどこか……ずっと遠い場所に。時間は掛かるかもしれないけど」

 

  そこまで話して、ようやくエミールは耳を傾け直した。前半は聞き流した状態だが、要点だけは辛うじて覚えていた。

  自身が出した答えは正しく、このマスク・ド・オウガは異質な存在だ。肉体はエリックでありながら、エリックの記憶を持っているとしても精神は別の人間。二重人格や疑似人格だと言い切った方が、もっと信用が得られ易い話である。

  エリックの死は紛れもない真実だと改めて確認したと同時に、自然と空しさを覚えてしまう。それが、自身とエリックとの間にある友情から来るものだとエミールは理解していた。

 

「それに、君たちには迷惑だろう? 俺がエリックの記憶を持ち、エリックと同じ姿をしているのが。そんなの、彼と君たちへの冒涜に等しい」

 

  まさしく正論だった。マスク・ド・オウガが自分たちの前に現れた事で、少なくともエリナが悲しみにうちひしがれてしまった。別人が死んだ筈の兄の姿に成り済ますなど、彼女の気持ちを弄ぶ事になる。普通に考えれば、軽く許される所業ではない。

  だが、それとは別に、彼がマスク・ド・オウガとして現れたのは自分の意思ではない節が感じられた。彼の言葉を信じる事が前提になるが、そうならば全ての問題責任を彼自身に押しつけるのはお門違いだ。本当に不思議な事が起きてそうなったなら、もっと別の方に原因があっても良い筈。

 

「いや、それは違う! そんな風に自らを卑下にする事はない!」

 

  次の瞬間、エミールは叫んでいた。彼の突然の行動に、マスク・ド・オウガは思わず目を見開かせる。

 

「確かに一時は動揺したさ。情けない僕を叱責しに来た亡霊か何かだと思っていた。だが話を聞いてみれば、君は……君自身は、不意にそうなっただけじゃないか。そこに君を責める余地なんてない。そんなのは、理不尽すぎる……」

 

  華麗な手振り羽振りを見せながら、エミールは怒涛な勢いのままで言い終える。

  すると、今まで死人のように硬かったマスク・ド・オウガの表情が僅かに緩んだ。

 

「エミール。エリナの事は頼んだ。エリックの記憶があっても俺は、マスク・ド・オウガとしてしか生きていけない」

 

「……ああ、わかった。エリナの事は、エリックからのかねてよりの頼みだ。任せてくれたまえ」

 

「ありがとう。それと……ごめん」

 

「謝る事はない。君が無事に帰れる事を祈る」

 

  気がつけば、マスク・ド・オウガが纏う雰囲気は柔和なものに変わっていた。口調も少しだけ砕けており、エミールも友人と楽しく雑談をするようにして応えた。

 





残光のテスタメントと穿ツ青ノ荊……カッコいいと思いません? 後者に至っては制約付きのロマン仕様である。


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キグルミとお出掛けするマスク・ド・オウガ


ゴッドイーター3の腕枷の主人公……他にも銃形態の二挺持ちができるのかな?


 その日、俺の配属先が決まった。コウタたちが新人だった時と比べると早すぎる気がするが、ダミーアラガミのウロヴォロス相手にソロで倒してみせた時点で、十分に新人の域を出ていたと遅れて実感した。極東の風土に感化されすぎたようだ。

  だが、マスク・ド・オウガになって最初の頃の地獄を振り返ってみれば、新人が一人でやって良いものではないのはつくづくとわかる。水色シユウ改め、イェン・ツィーのダンシング・オウガを切り抜けた俺は、やはり普通の神機使いではなかった。感応種の偏食場パルス云々で現行の神機が機能停止に陥るとか、初めて聞いた。マスク・ド・オウガが救世主とは、そういう意味も含まれていたのだろうか……。存在が感応種のカウンターすぎる。

  とは言え、感応種の相手は極東にやって来る予定のブラッドにのんのんと任せようかと思う。餅は餅屋。俺のような正体不明の神機使いに任せるよりも、余裕があるなら専門の業者に任せるのがベターだ。ハチの巣の駆除しかり、ゲームの修理しかり。勿論、そんな怖そうなアラガミとはできる限り戦いたくない思いもある。

 

  ブラッド、早く来てくれないかな……。それと、早く元の世界に帰りたいな……。

 

  帰還方法については調べてまだ日が浅く、何の進展もない。サカキ博士は他に支部長としての職務も全うしないといけないので、その調査効率はガクンと下がる。俺も自分なりに調べてはいるが、元々は学者でもないので苦戦必至だ。あまりにもわからなさすぎて、数々の専門用語の勉強から始まっている。これは酷い。

  そんなこんなで四苦八苦しながら、エントランスにて。初任務を受ける直前になって、俺は所属先の隊長に向かって華麗に敬礼をした。

 

「この度、第七部隊に配属される事になりました、マスク・ド・オウガです。よろしくお願いします」

 

  俺の視線の先には、紫と白をメインカラーにした、つぎはぎだらけのウサギの着ぐるみが立っている。

  そう、何を隠そう、この着ぐるみこそが俺の上司となる人、キグルミさんである。黒と赤のオッドアイがチャームポイントだ。右腕のやたら巨大な赤い腕輪も忘れてはならない。それが彼を神機使いだと足らしめている。

  ……人選的に都合は良さそうだけど、チェンジは効くのだろうか? いや、文句は言えないな。

 

「――。――!」

 

「はい、頑張ります」

 

「――!?」

 

  必死に手を振って意志疎通を図るキグルミさんに返事をすると、いきなり驚かれてしまった。周りをたむろする他の神機使いから突き刺さってくる視線も相まって、対峙している俺も訳がわからなくなる。

 

「――?」

 

「え? ……あー、俺はキグルミさんの言う事がわかるんですけど……」

 

「――。――」

 

  すると、キグルミさんは嬉しそうに何度も頷いた。着ぐるみの下は満面の笑みである事、間違いないだろう。

  ここで何となく、キグルミさんが突然驚いた理由がわかった。この人、一向に喋ろうとしないのだ。

  喋らなければ相手に意志は伝えられず、かと言って手話をやろうにもキグルミさんの着ぐるみの手には指がない。相手に向かって親指を立てる事も、中指を立てる事もできないのだ。これでどうやって神機を持つのか、不思議なところである。

  ちなみに、俺がキグルミさんの言葉がわかる理由は知らない。大方、黒金魚と会話できるようになった時と同じ賜物だろう。キグルミさんとは初対面なのだが、気にしないでおく。

 

「でも、ボディランゲージ一辺倒は限界があると思います。アラガミと会話を試みた方がずっと簡単なレベルで」

 

「――!?」

 

  差し当たりのないように意見するが、キグルミさんは手を大きく縦に振って拒否した。中の人の意志は堅いようだ。

  ともあれ、俺に中の人の声出しを強要するつもりはない。まさかの渋いおっさん声で子どもたちの夢を破壊するという、そんな感じのリスクまで犯そうとは思わないからだ。何も知らない方が気持ち的に良さそうである。仮面を被る俺も人の事は言えないし。

  その後、任務を受注した俺とキグルミさんはそそくさと出撃ゲートに向かった。気まずそうにしながら俺たちの任務受諾を承認するヒバリさんの姿が目に新しかった。キグルミさんはともかく、俺の事について何も触れてこなかったのは彼女なりの親切と困惑の表れだと思う。

  エリックっぽい人が近くにいるけど、仮面を被っているせいもあって積極的に話し掛け辛い。きっとそんなところだろう。そちらの方が個人的にありがたい。胃痛の悩みになりそうな言い訳を何度もせずに済む。

  第七部隊の構成員は、俺とキグルミさんの二人だけだ。第七部隊と聞くと、シックザール前支部長が特務の隠れ蓑にしていたゴースト部隊を思い出す。そのせいもあって、サカキ博士曰くの第七部隊の名称が非常に出任せ感が強い。ここが正式な第七部隊ではない気がする。周囲にとって正体不明の俺とキグルミさんがいるだけに。

  一応、事前に聞いた通りの第七部隊の仕事は、遊撃・技術試験・サカキ博士のお使いの主な三つだ。支部長の私的運用という意味では第七部隊の面影が感じられる。

  今回の任務の討伐対象は神機大好きアラガミこと、スサノオ一体のみである。初任務に接触禁忌種を当てられるなんて予想だにしなかった。さすがは極東、新人にも情けがない。

  作戦エリアである贖罪の街に飛んでいる最中の輸送ヘリにて、俺は隅に縮こまって大人しくする事しかできなかった。大型アラガミの元へ自ら赴いて戦わなければならないと考えると、どうしてか身体が金縛りに遭ったかのように固まって動けなくなる。恐らく、ヘリの椅子に正しい姿勢で長時間座った神機使いは俺だけだろう。

 

「――?」

 

「あ、いや、怖くて緊張してるだけです。スサノオ相手にかちこむなんて、思ってもみませんでしたから……」

 

  一方のキグルミさんは、大変リラックスしていた。ベテランとしての貫禄が凄く伝わってきて、俺とは大違いだった。キグルミさんが同行してくれなければ、恐怖と緊張のあまりに心臓が止まって死ぬという珍事を引き起こしていたであろう。気持ちだけでも本当に救われる。

  現地に到着してからは、ヒバリさんからのサポートを受けながら策敵に入った。アラガミの現在地は遠くの支部の方で確認ができているようで、策敵の効率化のための散開はせずに済んだ。一応は偵察班も作戦エリアの端辺りで行動しているらしく、他のアラガミの乱入が事前にリアルタイムで通知する手筈が整っている。俺の知っているゲームシステムより進歩していて何よりだ。

  そういう訳で廃墟が建ち並ぶ景色の中、順調にスサノオとエンカウントした。全身がボルグ・カムランより柔らかいとは言っても、両腕の露出された神機と尻尾の先に生えた巨大な針のせいで威圧感が凄まじい。

  特に、いかにも変形してエネルギー弾を放ちそうな針のデザインは如何なものか。内閣総辞職ビームが頭によぎってヒヤヒヤする。正確に言うと、ビームは神機の口からなのだが。

 

「――。――」

 

「っ!? ……了解、後衛に回ります」

 

  その上、キグルミさんが快く前衛を引き受けてくれた。こんな臆病な部下で申し訳ない。

  そしてこの後、滅茶苦茶頑張ってスサノオを倒した。今日のために用意した脳天直撃弾と内臓破壊弾で援護しつつ、キグルミさんが紫のショートブレードで果敢に斬り掛かるだけの戦法だ。時折、俺もスサノオが怯んだ隙を狙い、キグルミさんと一緒にフルボッコにした。

  ところで、仮にも初陣で接触禁忌種をフルボッコにするとかどういう事なのだろう。イェン・ツィーの時はノーカウントと見なしても、五体満足で倒せたなんて絶対におかしい。俺含め、キグルミさんも。これも極東クオリティが成せる技なのか……。

  とにかく、任務は無事に終わった。耳に着けた通信機からは、ヒバリさんの労いの言葉と帰投ポイントの連絡が入ってきた。スサノオのコアは摘出済みで、残す作業はおまけの物資回収ぐらいだ。これ以上、何らかのトラブルに見舞われる心配はなくなる。

  だったのだが――

 

『これは……アバドンですね。 二人とも、逃がさないようにしてください』

 

「Kyu!」

 

  帰り道、満面の微笑みで俺に声を掛ける黒金魚の姿を見つけた。さらに横を見てみると、したり顔で神機を構えるキグルミさんの姿も目に入った。

 

「……回収ぅぅぅ!!」

 

「――!?」

 

  刹那、俺は黒金魚を片手で抱えてその場から逃げ出した。

 

『えっ!? エリッ――マスク・ド・オウガさん! いきなりどうしたんですか!?』

 

「後で営倉に入れられたって構わない!! だけど、このアバドンだけは! 黒金魚だけはぁ!!」

 

『あの、全然事情が読み込めない――』

 

「すみません、通信は切らせてもらう!」

 

  ヒバリさんの追及が怖かったので、通信機のスイッチを切る。エリックと呼ばれかけたのは気のせいであってほしい。

  アバドン。それは全ての神機使いにとっての幸せのアラガミ。黄金グボロ・グボロに次ぐ新たな癒しであり、アイドルであり、宝の山だ。ノルンで現在確認されているアラガミの項目を読み漁ったからわかる、このままではどうなるのか。

  希少なお宝とは、いつの時代になっても大勢の人間が欲しがるもの。それすなわち、希少なコアを宿した黒金魚は瞬く間に乱獲対象となる。短い間でも旅を共にしてきたコイツが殺されるなんて、俺は見過ごせなかった。

 

「どうしてここにいる!? 黒金魚!」

 

「Kyu! Kyu!」

 

「うん、偶然だよね。それはそうだ!」

 

  決して黒金魚が俺の後をつけていた訳ではなく、案の定偶然の遭遇だった。黒金魚はヒレをパタパタと動かしながら、俺の腕の中で存分に喜ぶ。可愛い。

  そこに、キグルミさんが物凄いスピードで追い掛けてきた。小気味良いテンポを刻むキグルミさんの足音を聞きながら、俺は何度も後ろをチラ見してしまう。そのキグルミさんの姿はさながら、B級映画に登場するモンスターのようだった。これでチェーンソーを持っていれば、狂気しか感じられなかっただろう。

 

「――?」

 

「すみません、キグルミさん! このアバドンだけは勘弁してください!」

 

  投げ掛けられるキグルミさんの疑問に、俺は必死に叫んで答えた。アドバンスドステップ連打をしてこないのは、僅かばかりの慈悲なのかもしれない。

  そうしてお互いに付かず離れずの距離を保ちつつ、贖罪の街をひたすら駆け巡る。その時、キグルミさんの存在を不思議に思ったのか、黒金魚が不意に尋ねてきた。

 

「Kyui?」

 

「いいか、黒金魚! お前たちアバドンはレアなコアを持っているから、他の神機使いから狙われまくる!! さすがに庇いきれないから、俺以外の奴を見たら迷わず逃げろぉ!」

 

「Kyu!?」

 

  そこまで告げて、黒金魚はようやく自身に迫る脅威を察知した。キグルミさんの容貌からして、害を及ぼしてこないと感じるのは無理もないと思う。あれは仕方ない。

  そして遂に、キグルミさんが俺と並走する形まで持ってきてしまう。仮面で相手の表情がわからないという事実に戦慄しながら、俺は黒金魚を一生懸命に抱える。

 

「――。――」

 

「キグルミさん! その顔で低姿勢に全力疾走されると……チャッキーと同じぐらい怖いです!!」

 

「――!?」

 

  次の瞬間には、何だか衝撃を受けたキグルミさんがその場に膝をついた。ただし走っていた勢いまでは殺せず、膝をつくと同時に顔を地面にぶつけさせた。

  その様子を傍目で見てしまった俺は、うつ伏せになって地面に横たわるキグルミさんの姿が間抜けすぎて何とも言えなかった。そんなキグルミさんに手は差し伸ばさず、そのまま距離を取っていく。

 

「チャッキー通じた!? とにかく、今だぁぁぁ!!」

 

「Kyuuu!」

 

  ごめんなさい、キグルミさん。俺は黒金魚のためにあなたを無視します。

  心の中でそう謝罪し、キグルミさんを遥か後方へと置き去りにしていく。勿論、詳しい事情を話さず独断行動する事に罪悪感はあった。転んだ状態のキグルミさんがアラガミの奇襲を受けて死んでしまう展開は色々と嫌だから、早いところ用事を済まして戻らなければならない。

  そうこうして人気もアラガミの気配もない廃ビルに辿り着き、俺たちはその中で一休みする。右手に神機、左手に黒金魚、通信機を弄る時は右手を器用に云々、さらには猛スピードで走ったため、俺の身体はすっかりクタクタだった。

 

「はぁ……はぁ……疲れた」

 

  息を整えつつ、荒れ放題の床の上にどさりと座り込む。一方の俺の腕の中から飛び出た黒金魚は、当たり前のように元気だった。

 

「突然すぎてびっくりしたぞ。こんな再会の仕方は想像してない……」

 

「Kyu。Kyu」

 

「だよな。あんなに慌ただしいと、最初に会った頃を思い出すよな」

 

「Kyu」

 

  お互いに相槌を打ちながら、黒金魚との思い出に耽る。まだ一ヶ月も経っていないと言うのに、随分昔のように感じられる。

  ヴァジュラの鬼ごっこと、キグルミさんの鬼ごっこ。発生要因は異なれど、形はほとんど同じだ。ヴァジュラとキグルミさんが追いかけてきて、俺と黒金魚が逃げる。その点にどこも違いはない。

 

「KyuKyu。Kyu!」

 

「へ?」

 

  すると、黒金魚が不意に放ってきた言葉に、俺は呆けた声を漏らした。聞き間違えでなければ、真剣に向き合わなければならない内容の筈だ。

 

「Kyu!」

 

  ダメ押しにと黒金魚がもう一度告げる。どうやら俺の聞き違いではないようで、確かに黒金魚はそう言った。

 

「お前、それは……ハードルが高いぞ? 」

 

  黒金魚の意志。それは、俺たち神機使いと同じように人々をアラガミから守る事だった。冗談半分で喋っている様子はなく、こちらの緊張の糸がだんだんきつく締められる感覚を覚える。それほど、黒金魚は本気のようだった。

  黒金魚がそこまで考える理由は単純だ。俺と一緒にいたい。そんな些細な願いを叶えるためである。自身の成し遂げたい悪行のために信用を得てから人々を裏切るとか、とにかく危害を与えたいとか、そう言う邪な思惑は感じ取れない。コイツと寝食を共にしてきた俺にそれが確実にわかる。黒金魚にそこまで小賢しい頭はないし。

  ただ、自分の願いを叶えるために純粋に言っているだけあって、他の考えられるリスクはまったく考慮されていない。言うだけなら簡単だが、やろうとしている事は黒金魚の想像以上に複雑で困難だ。結局は夢と現実の落差でしかない。

  人々を守るアラガミ。それは本当に理想的だが、そいつをのんのんと信用する人間は何人いる? 意志疎通ができようとも、相手はどこまで行っても人ならざる存在だ。全員が黒金魚を無条件に信じてくれる訳がなく、むしろ得体の知れなさに恐怖する方が至極当然に違いない。

  それに、例え極東支部の仲間入りをしても黒金魚の本質はアラガミだ。制御という意味では、人々を襲わない確証もない。サカキ博士辺りなら話はわかってくれそうだが、他の奴が知れば体よく使い潰そうとするのがオチだ。

  見るからに黒金魚の意志は堅そうだ。しかし俺は、できれば何処かの山奥でひっそりと隠居して欲しいと思っている。社会に遠慮なしに揉まれるには黒金魚は意外と幼く、コイツの想像を絶する強い反発と風当たりを受けかねない。そうなれば、精神的に未熟な黒金魚の心はおしまいだ。間違いなく荒れる。

  ならばシオの時と同じく教育すれば良いのだろうが、俺も色々な意味で極東支部の厄介者だ。黒金魚を連れていく事すら、現時点では望みが薄い。その上、仮にもアラガミを庇ったせいでお先が既に真っ暗闇である。帰りが怖い。

  そういう訳で、俺は敢えて黒金魚にフェンリルの闇の部分を語った。コイツの意志が変わる事を願って。

 

「黒金魚、フェンリルはブラック企業だ。その人が強ければ、平気で激戦地に送り込む。一人だけでヴァジュラの群れを倒したり、一人だけでグボロ・グボロの群れを密室内で倒したり、一人だけでプリティヴィ・マータの群れ+ディアウス・ピターを倒したり……」

 

「Kyu!?」

 

「お前はヒトじゃなくてアラガミだから、もしかしたら都合良く使い潰されるかもしれない。アラガミが人々のために戦うのはそういう事だ。はっきり言って、俺はオススメできない」

 

「Ky、Kyuuu……」

 

  夢も希望もない事実を前にして、黒金魚はぐぬぬと唸り始める。警察官を夢見る子どもに警察の裏側を話すようで、少し心が痛む。ごめん、黒金魚。

  だが俺の予想を反して、黒金魚は屈託のない笑顔で「それでも」と言葉を返した。続けて「俺と一緒にいたい」と話し、俺の胸元へ存分に擦り寄ってくる。

 

「どれだけ俺と一緒に居たいんだよ、お前は……」

 

  黒金魚の甘えぶりに辟易する半面、嬉しさが込み上げてくる。仲良く一緒にいたせいもあって、涙が出そうだ。

  それから優しく頭を撫でると、黒金魚は気持ち良さそうに目を細めた。猫のように声を鳴らし、上手に人の庇護欲を掻き立てる。ここで仲良くしても後の別れが辛くなるだけなのに、コイツを撫でる手が止まらない。

  良い意味で純粋な黒金魚が羨ましい。俺もお前ほどに単純なら、もっと極東支部に馴染めていたのかもしれない。マスク・ド・オウガとエリック、俺自身の事でいちいち悩まず、エリナやエミールと楽しく暮らして……。どのみち、アラガミが目の上のタンコブである事に変わりはないだろうが。

 

「――?」

 

  その瞬間、俺は隣に何かの存在感を覚えると同時に、言葉にもならない声をふと耳にしただけで、何かの正体を完璧に察してしまった。早すぎる来訪者を隣にして、全身に冷や汗が流れる。

  黒金魚を愛でるのにいくら気を抜いていたとは言え、周囲の警戒だけは完全に解いていなかった。それなのに、俺の隣にいる奴は音もなく、気配もなくやって来た。

  これは異常だ。極東支部までの地獄道をくぐり抜けた俺の警戒網を以てしても、こうして至近距離に近づかれるまで捉えられなかった。

  しかし、それもその筈。相手は小型のドレッドパイクですら自動車より一回り以上大きなアラガミではなく、人間なのだから。とりわけ、訓練を積んだ者なら足音と気配、声、息を殺して忍び寄るなど造作もない事。

  そして、その声の正体は……キグルミさん!

 

「うおああぁぁ!?」

 

「Kyuuuuu!?」

 

  俺は心底驚きながら、ようやく視界に隅に居座っていたファンシーな着ぐるみの存在に気づいた。キグルミさんはいつの間にか隣で体育座りしていたようで、じっとこちらの顔を見つめていた。

  座った姿勢のままでノロノロと下がりながら、どうにか黒金魚を腕の中に隠す。すると、キグルミさんは俺が予想していたのとは全く別の用件を話し出した。

 

「――!」

 

「え? 救援要請?」

 

  キグルミさんにそう言われて、通信機のスイッチを入れ直す。

 

『あ、やっと繋がった! キグルミさん、マスク・ド・オウガさん、学術都市跡で戦闘中の第一部隊の救援に向かってください!』

 

  第一部隊?

  ヒバリさんからの火急の連絡に、何故か俺は居ても立ってもいられなくなる。救援要請である以上は急ぐ必要があるのは確かだが、それを抜きにしても異様にそわそわしてしょうがない。

  ……そうだ、第一部隊にはエリナとエミールがいたんだ。部隊が全体的に再編されたせいもあって、今の第一部隊はリアルチート揃いの面子ではなくなっている。絶対的に信頼する事はできない。

  なら、こんな場所で油を売っている場合ではない。俺は背後のキグルミさんに気をつけながら、黒金魚を地面に降ろす。

 

「ごめん、急用ができた。黒金魚、ここでお別れだ。時間がないし迎えも用意できない」

 

「Kyu? Kyu!」

 

「こうして会えたんだ。三度目も四度目もきっとある。……死ぬなよ」

 

  そうして黒金魚にしっかり言い聞かせる。迎えを用意できないのは本当だ。何の準備や手回しもしていないのに、アラガミである黒金魚をアナグラに迎え入れられる訳がない。たくさんな人に多大な迷惑が掛かる。

  それから僅かな間だけ静寂が訪れる。そして、黒金魚は凛とした様子で大きく返事をした。

 

「Kyu!」

 

  黒金魚はそのまま穴を掘り始め、その中へすっぽりと消えていく。数秒ほど待ってから穴を確認してみると、どうやらビルの床を易々と貫通していたようだった。穴は途中から既に崩壊し、黒金魚の姿はもう見られない。

  お前、そんな事もできたのか。

 

「――」

 

  直後、キグルミさんが俺の肩に手を置きながら、自分はアバドンを見ていない旨を伝えてきた。まさかの優しい気遣いと心配りに、俺は思わず感謝の念を禁じ得なくなった。

 

「……ありがとうございます」

 

  その後、大急ぎで帰投ポイントに集結した俺とキグルミさんは、迎えに来た輸送ヘリに乗り込んで、ヒバリさんが要請通りに第一部隊の救援へ向かった。再び一人にしてしまった黒金魚が心残りだったが、今はエリナとエミール、あとコウタの事で頭が一杯だった。

  俺の知る全盛期と比べて、現在の第一部隊はたった三人しかいない。聞いた話によると、第一部隊のリーダーとリンドウさんは欧州に出張、ソーマはアナグラから離れてフィールドワーク、アリサは難民向けの住居兼避難拠点サテライトの防衛をしている模様だ。極東の最高戦力が各地に分散してしまっている。

  エミールはともかく、あの華麗で可愛いエリナがピルグリム無印・2・零、蒼穹の無印・神・真・新月、その他諸々の高難易度ミッションをクリアできる筈がないだろう。彼女を信じない訳ではないが、どうしてエース部隊の第一に配属させた。そもそも、どうして父はエリナが神機使いになるのを止めなかった。エリックが死んでしまったせいか? 上田が全ての原因なのか?

  だとすれば、エリナが神機使いの道を選ぶのは致し方ないのかもしれない。あれほどエリックを兄として慕っていたのなら、死因の詳細ぐらいは調べたくなるだろう。NORNなどで調べれば一発でわかる事だ。

  そうこうしている内に、俺たちが乗るヘリは二十分足らずで現場上空に辿り着いた。ヒバリさん曰く、ヴァジュラ、ヤクシャ、ヤクシャ・ラージャが集まってお祭り状態らしい。特にサイコガン武者ことのヤクシャ数体がいきなり乱入してきて、第一部隊のみでは確実に捌き切れない戦いになっているようだ。早くヘリから降りなければ。

  しかし――

 

「パイロットさん!! これ以上は!?」

 

「無理だ! この高さなら平気で飛び降りられるだろ!!」

 

  ヘリから地上までの高さが二十メートルもない位置にて。個人的にはヘリが着陸した状態で降りたいのだが、パイロットさんに飛び降りても平気だろと言われてしまった。

  いや、わかるけどさ……神機使いの身体能力が伊達ではないのは知っているけどさ……。せめて、心臓に毛が生えていないような人間に飛び降りダイブを推奨するのはやめてくれよ。まず最初に、飛び降りた瞬間のショックだけで死んでしまう。

 

「――」

 

  その一方で、キグルミさんが真っ先に飛び降りダイブして行った。俺を勇気づけるための隊長としての先導だと思えば、幾ばくか心に余裕ができる。

  また、パイロットさんの無言の催促は耐えにくいものだった。今のヘリの高度を更に下げると撃ち落とされる危険性が跳ね上がるのは明白なので、ここでヘリを滞空させておかなければならない彼の気持ちが少しぐらいわかる。俺だって怖い。

  よし、いい加減に覚悟を決めよう。そう思った時、眼下に緑がかった銀髪の少女の姿が目に入った。

 

「……エ……エントリィィィ!!」

 

  腹の底から声を出しつつ、ヘリから思いきり飛び出す。この時、俺は自身に「怖くない、行ける。お前はマスク・ド・オウガだ」と暗示を何度も掛けた。もう何も怖くない……と思う。

 

 




エリックスイッチ、彼のはどこにあるんだろ~


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エリックと呼ばれるマスク・ド・オウガ


第一部、完


 綺麗に澄み渡る大きな川が廃墟郡の中を横断する、黎明の亡都にて。今回の第一部隊の任務は、本来ならヴァジュラ、ヤクシャ・ラージャそれぞれ一体ずつの討伐だった。

  事前の偵察班からの報告により、他の敵影はなし、地下にオラクル反応なしと、二体を同時に相手取るには好都合な環境が完成されていた。それでも慎重に慎重を重ねて、ヤクシャ・ラージャから最初に各個撃破していく事になった。

  そして、無事にヤクシャ・ラージャを倒したところまでは良かった。突如として作戦エリア外より、別のヤクシャの群れが乱入して来たのである。作戦エリア侵入時点での数は、群れの中心核と思われるヤクシャ・ラージャも含めて十体。その上、第一部隊を広く薄く包囲するようにして登場してきた。

  しかし、近年進歩した通信技術のおかげで、コウタたちからでもアラガミの位置が把握できている。達成難易度は上がってしまったが、包囲を一度突破すれば任務遂行に支障はきたさない。それから、再び各個撃破に持ち込めば良いだけの話なのだから。

 

 ――真のゴッドイーターは、乱入してきた討伐対象外のアラガミもついでに全て倒す。その勢いで、追い掛けてくる鬼ハンニバルすら返り討ちにする――

 

「エリナ、エミール、一度後退! いいか、退却と後退は違うからな!! 特にエミール!」

 

「それは存じて上げているさ、コウタ隊長!」

 

「了解!」

 

  神機を構えたコウタは引き撃ちしながら、二体のヤクシャと相対するエリナとエミールに指示を飛ばす。そうして三人は、廃ビル群が織り成す狭い路地裏をどんどん駆け抜けて行った。どんどん合流して来るヤクシャを置き去りにして。

  ヤクシャと聴覚が非常に優れているため、堅実な各個撃破を成し遂げるには速攻を決めなければならない。僅かな戦闘音でも聞き付けられれば、続々と現場にやって来てしまう。ヤクシャ・ラージャも王の名を冠するだけあって、聴覚はヤクシャと同等以上である。

  だが、相手が極東出身特有の強固なアラガミでは、どんなに頑張ってもコウタたち三人だけでは撃破速度に限界がある。エミールの神機は破砕一筋のブーストハンマーに、エリナの神機は貫通オンリーのチャージスピアだ。斬撃を与えた方が手っ取り早く倒せるアラガミには、とてもではないが相性が良くない。

  一方、コウタは旧型神機のアサルト使いだ。攻撃力、弾幕、射撃精度は共に安定度が申し分ない。しかし、ほんの少しの銃撃だけでアラガミが倒せるなら、人類はとっくに自然の支配層の頂点に帰り咲いている。いくらオラクルの自動回復が搭載されているとは言え、部隊全体の火力を主に担うのは無理があった。

  また、増援のヤクシャの過半数を撃破したところで、各個撃破戦法は瓦解した。戦闘中に敵の包囲網が狭まり、結果的に纏めて相手せざるを得なくなったのだ。ヒバリの必死のオペレートも空しく、とことん後退を繰り返した彼らは建物のない開けた場所で、遂にヴァジュラとヤクシャ・ラージャの二体に遭遇してしまう。

 

「俺とエミールが前に出る。エリナはバックアップ!」

 

「いや、私も戦えます!!」

 

「無茶はすんな! あと少し待てば援軍が来る!」

 

  コウタの厳しい言いつけに、エリナは密かに唇を噛み締める。

  確かに、ヤクシャをひたすら静かに狩る途中で救援要請は出した。入隊したてのエリナに大型アラガミとの連続戦闘は荷が重く、エミールも実力はあくまで及第点レベルだからだ。そこまでして生存率を上げようとするのは何ら不思議な事ではない。

  ところが、バックアップと指示された事で、ただでさえ今は繊細になりすぎているエリナの心を、激しく刺激してしまった。

 

「コウタ隊長こそ、無茶しないでください!」

 

「おい!?」

 

  エリナはコウタの制止を聞かずに、ヴァジュラとヤクシャ・ラージャに向けて突っ走る。神機は最初から近接形態で、本人に大人しくするつもりなど毛頭なかった。

  まさかの命令違反。第一部隊隊長就任以降初めての出来事に、コウタは大きな衝撃を受けた。

 

「エリナは僕に任せてくれ。コウタ隊長は援護を!」

 

「わかった!!」

 

  すかさずやって来たエミールの言葉のおかげで、コウタはいち早く気持ちを取り直す。そして、ヴァジュラとヤクシャ・ラージャの間で上手に立ち回るエリナを見ながら、照準を正面のアラガミたちに向けた。

 

「エリナが命令無視……どうなってるんだ?」

 

  エリナの予想外な行動に訝しみつつも、目標にオラクル弾を次々と撃っていく。自身の顔に飛んできた弾丸に二体が僅かに怯んでいる隙に、エミールがエリナの背中を守りに入った。

  今までは反発こそあれど、そんな時でも自分の命令は渋々了承してくれた。そのエリナが命令無視をするのは、余程の事がない限りは起き得ないと断言できる。

  ならば、自分の指示の手落ちが原因か? 第二世代の神機使いが二人もいるのに、旧型のアサルト使いである自分が前衛を張ろうとしたのだからあり得なくはない。だが、それは全員の積んでいる経験値を考慮してのものだ。特にヴァジュラの討伐は、数えるのも面倒くさいほどの回数をこなしている。今回のような逆境は日常茶飯事だ。

  一体、エリナに何があった? そんな疑問を解決するために思考を数瞬だけ巡らせた後、コウタは改めて目の前の事に集中した。マスク・ド・オウガの姿が脳裏をよぎったが、答えは結局わからず終いだった。

 

 ※

 

  マスク・ド・オウガに「エリックは死んだ」と言われた時、エリナは訳がわからなくなった。それこそ、涙を一気に溢してしまうほどに。

  エリックはあなたではないのか。仮面の下の顔は、自分の名前を呼んでくれた時の言葉の調子は一体何だったのか。あれで兄ではないと言うのなら誰なんだ。

  エリックが生き返った、なんて事は十分に信じられるものではないと承知していたが、それでも彼が兄ではないと信じたくなかった。その上、所詮はただの自分勝手でしかない事を自覚し、更に自己嫌悪に落ちていく。

  いい加減、現実を見なければ。前に進まなければ。マスク・ド・オウガの言う通り、エリックは三年前に命を落とした。自分が見た彼の素顔は、きっと外見が同じなだけだ。マスク・ド・オウガと別れた後は、とにかくそう思い込んだ。

  そして、訓練とアラガミとの戦いに打ち込む度に、マスク・ド・オウガの存在を頭の中から消す事ができた。むしろ、何かに集中していなければ、マスク・ド・オウガを思い出して否応なしに苦しんでしまう。

  チャージスピアを一生懸命振り回し、ヴァジュラとヤクシャ・ラージャにヒット&アウェイを繰り返していく。エミールが自身の近くにやって来た事、コウタが援護射撃を飛ばしてきた事など把握できる程度に冷静さは残されていたが、連携を半ば無視してアラガミに果敢に攻めていくのは、最早八つ当たりに等しかった。

  元を辿れば、エリックが死んだのはアラガミのせい。すると、途端に恨みと憎しみが絶えず生まれてくる。エリックの命を奪ったアラガミを許せなくなる。この瞬間は、もうマスク・ド・オウガの事は綺麗さっぱり忘れていた。

 

「このっ……!?」

 

  チャージスピアの突きを繰り出す途中、目の前のヤクシャ・ラージャが鉤爪を高く上げる仕草を見たので、エリナは素早くその場から離れた。

  直後、握りしめられた鉤爪を地面に思い切り叩きつけたヤクシャ・ラージャは、間髪入れずに右腕の銃口から光弾を天へと放った。連射された光弾は合計三つで、ある程度飛んだところで瞬時に光柱に変貌していく。

  光柱はヤクシャ・ラージャを閉じ込めるようにして降臨した。それは敵へ攻撃すると同時に、敵接近を阻止するバリアフィールドも兼ねる。だが、当のエリナは既にヤクシャ・ラージャの攻撃範囲内から離脱していた。

  乱戦のために一体一体に固執せず、流動的に戦う相手を変えていく。エリナの次の狙いはヴァジュラだ。

  ヴァジュラの方はエミールが必死にふんばり、ようやく食い止めている。コウタの射線も気にしながら、ヴァジュラの側面を突く。

 

「今だ!」

 

  相手の右フック後の隙を狙って、チャージグライドを使う。装甲で防御し、大きく後ずさるエミールの姿を視界の端で納めながら、勢い良く滑空を始めた。

 

「Gau!!」

 

「あっ!?」

 

  しかし、展開されたチャージスピアの先端が脇腹に刺さる寸で、ヴァジュラに後ろへと跳躍された。渾身の一撃が空振り、大きく宙返りをしながら綺麗に着地を果たすヴァジュラをエリナは睨みつける。

 

「エリナ、後ろだ!!」

 

  その時、コウタの叫び声が上がった。エリナは思わず振り向いてみると、右の鉤爪を地面に立てながら自分に突進してくるヤクシャ・ラージャを見つけた。

  防御、回避――否、反撃しなければ。

  そうして、ヤクシャ・ラージャとすれ違い様に攻撃を加えようかと画策したところ、ふとエミールの勇ましい掛け声を耳にした。

 

「チェストォォォ!!」

 

  ジェット機の如く華麗に突進しながら、エミールはヤクシャ・ラージャの脚部を強く殴打する。エミールが扱うハンマーの裏側にあるノズルには、幾条の炎が揺らめいていた。

  ブーストハンマーの機構の一種、ブーストドライブ。一気に吹かしたノズルで地上を高速でスラスター移動し、ベーゴマのように回転しながら遠心力を活かして対象を横殴りにする技だ。使用と同時にブーストハンマーが急加速するじゃじゃ馬と化するため、使い勝手は悪い。だが、一度決まればアラガミに大きなダメージを与える事ができる。

  ブーストドライブの直撃を受けたヤクシャ・ラージャは、成す術もなく地面へおもむろにダウンした。突進していた勢いが余り、ズザザと音を立てながらうつ伏せの状態で滑り込む。

  これはトドメを決めるチャンスだ。エミールの活躍を目の辺りにしたエリナは、いつも以上に対抗心を燃やしながらチャージグライドを再度使おうとする。無防備な姿を晒すヤクシャ・ラージャに対して。

  だが、この事で満身創痍の敵に注意を向けすぎてしまった。

 

「っ! ヴァジュラが来るぞ!! 避け――ガード!!」

 

  コウタの注意喚起が飛び出し、エリナはヴァジュラがいた方向に顔を動かして目を見開く。ヴァジュラもヤクシャ・ラージャと同じようにして、形振り構わず自分に突進を仕掛けてきた。

  コウタの神機から放たれた大量のオラクル弾がヴァジュラに降り注ぐが、今度は全く怯みもせずに大地を駆ける。その屈強な獣の四肢のおかげで、エリナとの距離がぐんぐん縮まる。

  ステップして回避するのはダメだ、間に合わない。悠長にその場でチャージグライドの準備をしていたせいだ。ヴァジュラのスピードと突進の追尾性を考えれば、大人しくバックラーを開いて防御するのがベターだ。

  しかし、装甲展開前にチャージグライドの予備動作を入れているので、防御に成功するかもわからない。突進の備えを急いで利かさなければ、受ける衝撃を逸らせずモロに受けてしまう。インドゾウ顔負けの巨体を誇る獣神が、トラック並の速度と質量を以て襲い掛かってくるのだ。防御の有無を問わずに吹き飛ばされるのは必然である。

 

「エリナ!!」

 

  エミールの心配な声が木霊する。エリナの神機は装甲の展開最中であるが、肝心のヴァジュラは目前まで迫っていた。

  間に合え、間に合え……! 心と身体でとことん急ぎ、かと言って焦らず慎重に防御を整えていく。

  すると、エリナの耳に入ってくる周りの音が急に小さくなった。それは難聴と言ったものではなく、むしろ色々な音が簡単に判別できるぐらいにクリアだ。目の前に映るヴァジュラの挙動も、心無しか遅く感じる。

  そして、戦闘中には気にも留めなかったヘリコプターのプロペラ音を改めて確認した。プロペラ音はあっという間に上空を通過し、遠退いていく。

 

「Gua――!!」

 

  刹那、空から突然降ってきた赤い影が、両手に持った鬼の如き白い長刀でヴァジュラの脳天を貫いた。ヴァジュラは悲鳴を最後まで上げる暇もなく、一瞬にして息絶える。

  かくして、ヴァジュラの行動は彼の横槍によって見事に阻止された。ヴァジュラの上に立っていた彼は神機を引き抜きながらその場を飛び退き、ヴァジュラが崩れ落ちると共に地面へ華麗に舞い降りる。

  それを見たエリナは、彼が身につけているオウガテイルを模した白い仮面と肩掛けに注視する。

  せっかく忘れていたのに、必死に忘れようとしていたのに。のうのうと自分の前に現れてきた彼に、何だか怒りが込み上げてきた。

 

「マスク・ド・オウガ、華麗に参上……」

 

  だが、その呟きを聞いた次の瞬間には、どんどん自分の怒りが沈静化していく。その代わりに、助けを望んでもいないのに嬉しいという思いが生まれてきた。

  それも全て、マスク・ド・オウガが披露した華麗なスピードハンティングと、彼自身が発した声のせいだ。

 

「お兄……ちゃん……?」

 

  気がつけば、エリナはマスク・ド・オウガを兄と呼んでしまった。ヴァジュラを一撃で仕留めた姿はまさしく、エリックが昔の自分に語ってくれた「極東のナンバーワン神機使い」そのものだったからだ。

 

『キグルミさん、マスク・ド・オウガさんの位置情報を確認。第一部隊、確認できますか?』

 

「ああ! 二人とも、空からやって来た!」

 

  ヒバリからの通信にコウタが答える。エリナは辺りを見回せば、マスク・ド・オウガ以外にもキグルミが来ているのを見つけた。

  ヤクシャ・ラージャの方はエミールがブーストインパクトを叩き込み、追い撃ちとしてキグルミがショットガンを零距離で放つ。間を置かない二連撃を受けたヤクシャ・ラージャは、たちまち力尽きていった。

  戦闘が一段落つき、マスク・ド・オウガがエリナに声を掛けてくる。

 

「エリナ、大丈夫――」

 

「私をまやかさないでっ!!」

 

  エリナに言葉を遮られる勢いで拒絶され、マスク・ド・オウガは思わず動きを止める。

 

「エリナ、彼はマスク・ド・オウガだ! エリックではない!」

 

「もう知ってる!」

 

  エミールに言われるまでもなく、エリナはとっくに理解していた。だが、理解はしていても納得まではしていない。

  どうしても、マスク・ド・オウガに兄の影が重なるのだ。本人が別人だと明言していても、自分がそれを良しとしない。既にマスク・ド・オウガが兄ではないと、自分で認めているにも関わらず。

  心の底では、エリックの事をまだ信じていたい。そんな淡く儚い望みが、現実と夢の境界線を蝕んでいる。根拠もない事にすがろうとしている。愚かなのは承知の上だ。ただ、完全に諦めてしまうと、期待に裏切られるよりも悲しみに深く沈んでしまう予感さえしていた。

 

「「Uoooooo!!」」

 

  遠くの方から突如として、複数の雄叫びが響いてくる。エリナたちがそこを見てみれば、廃墟の奥から一斉に駆けてくるヤクシャの群れがあった。

  エリナとマスク・ド・オウガの事が気になるコウタ、エミール、キグルミの三人は取り敢えず、ヤクシャの群れに向き直る。その一方で、エリナはマスク・ド・オウガに捲し立てていた。

 

「どうして? どうして私を助けるの!? 今回も、あの時も!!」

 

  前回はどうにもならなかったが、今回は助けられなくとも何とかする自信があった。危険だった事に変わりはないが、そんなものはアラガミを狩る全ての神機使いにとって避けられない事だ。どうこう言うのは今更すぎる。

  それでも、危険を取り除く行為に文句を言うつもりはエリナにない。お互いに支え合おうとするのは、生存率を上げていくために必要だ。

  しかし、マスク・ド・オウガにだけは、二度も助けてもらうのは御免だった。そうされると容姿と声が相まって、彼をエリックだと呼んでしまいたくなる。いつまで経っても、過去との区切りがつけていられない。

 

「エリナ、受け取ってくれ」

 

  ところが、そんなエリナの質問にマスク・ド・オウガは答えず、代わりに変形させた神機の銃口を彼女に向ける。予想外な返答にエリナはぎょっと身を縮めてしまうが、放たれるのは凶弾ではない事は容易に思いついた。

  次の瞬間には、白く輝く光弾が三つ発射されていた。光弾はエリナの身体に纏っていき、神機解放の光を迸らせる。最大レベルまで上昇したリンクバーストだ。

  その脇では、キグルミもせっせとコウタとエミールにアラガミバレットを渡し、二人よバーストレベルを最大まで引き上げる。エリナが見ていないところで、ヤクシャの群れを撃滅する準備は出来上がっていた。

  エリナは戸惑いながら、マスク・ド・オウガと目を見遣る。仮面のせいで素顔は見えないが、視界確保のために開かれた穴から少しだけ、彼の瞳を覗けた。

 

 ――一緒に戦おう――

 

  その時、マスク・ド・オウガとできた気がした。今優先すべき行動は嫌でもわかっているので、渋々とチャージスピアを構え直す。

 

「っ……うおおぉぉぉ!!」

 

  この後、ヤクシャの群れは五人の神機使いによって文字通り蹴散らされた。

 

 ※

 

『周囲にアラガミの反応はありません。皆さん、ご無事で何よりです』

 

  ヤクシャの群れを殲滅し、ヒバリさんからの連絡が入ってくる。お代わりのアラガミが来ない事に俺は安堵した。

  迎えのヘリが来るまで時間が少し残っているので、しばらく現地で物資回収などの暇潰しをする事になった。ただ、他の人にとって物資回収はあくまで建前に過ぎないようで、何故かエリナと二人きりで話せる場を設けられた。コウタたち三人は、俺たちから少し離れたところの岩陰に集合している。

 

  コウタたちは大変なものを置いていきました。それは、この気まずい雰囲気です。

 

  これが彼らの親切心から来ているのはわかっている。実際に三人は、岩陰の方でこちらをじっと見守っている。エミールが堂々と仲介してこないのが不思議なくらいに。

  ……いや、違った。コウタとキグルミさんにエミールが抑えられていただけだった。エミール、君の心遣いはありがたいが少し自重してくれ。君の勢いに巻き込まれてしまうと、どんな真面目な話もある意味で真面目ではなくなる。

  一方のエリナは、神機を肩に担ぎながら目の前の川を眺めるだけで何も語らない。当の俺も、先程の拒絶のせいでエリナに話し掛け辛い。

  まやかさないで。そう言われた時、俺は自然と言葉の意味に納得してしまった。確かに、過去の人間と同じ姿をした者がチョロチョロと現れてしまえば、その人の知人はものの見事に惑わされてしまうだろう。それが自分の兄なら尚更だ。

  思い返してみれば、俺はエリナにしっかり謝っていなかったと思う。問答無用で突き放していただけだ。相手に納得してもらわないままで、どうして何とかなるなんて楽観視していたのだろうか。見通しと詰めが甘い。

  穏やかに川が流れる音を聞きながら、俺はようやく話を切り出した。

 

「……時々、俺が本当に誰なのか、わからなくなるんだ。なまじ、エリックの記憶と身体を持っているせいで」

 

  すると、ハッとするようにエリナは俺に顔を向けた。今回は深くまで教える気はないが、この手の事を教えるのはこれで三人目だ。通信機のスイッチはあらかじめ切っている。

 

「だから、さっきはエリックに引っ張られたと思う。君の姿を見つけた瞬間から、自分の意志とエリックの意志がごちゃ混ぜになって、何も考えない方が楽なくらいに苦しかった」

 

  そのせいもあってか、エリナに拒絶された時は思いがけず茫然としてしまった。しかも、何とも形容し難い悲しみに襲われるオマケ付きで。

  やはり、俺自身もエリックに随分と影響されているらしい。まだ出会って間もない他人に嫌われても、余程の事がない限りは普通に仕方ないと受け入れられる自信があるのに、敢えなくショックを受けた。

  身体の状態は意外と深刻である。このまま俺がエリックに染まってしまえば、どんな華麗な超戦士が生まれるか見当もつかない。

  ただ、それでも俺の自我が今も確立できているのは間違いない。そうでなければ、エリックの記憶が甦る以前の数々の出来事に一々悩んでいる筈はない。そこに華麗らしさがない時点で、全てがエリックに染まっていないと断言できる。

  オウガテイル教の信者たちを守りたいと思った。だが、当時の自分では手に負えないと決めて逃げた。黒金魚と離れたくないと願った。だが、俺には戻るべき場所があるので無理やり別れた。

  そして、今回はどうだ? 最初から最後までエリックに支配されていたか? いいや、違う。途中までは明らかに自分の意志で行動していた。少なくとも、最初に救援要請を受けた時は――

 

「だけど、エリックの意志を抜きにしても、君を助けたかったのは……皆を助けたかったのは本心だ」

 

「本心? エリックでも何でもない、偽物で他人のあなたが言うの?」

 

「ああ。知ったんだ。君はエリックに随分と愛されていたんだって。やり残した事がたくさんあるのに任務で命を落として、どれだけ無念なんだろうかって。せめてエリナだけでも守ってやらないと、彼が安心して眠れないだろうって思った……」

 

  ようやく喋ってくれたエリナに、俺は間を置かずに話を続ける。少し辛辣な気がしなくもないが、それは置いておく。

  はっきり言って、俺は記憶を見た事でエリックにすっかり感情移入している。そのせいで、エリナを思う気持ちはエリック並みだと言っても過言ではないだろう。出会って数日の人間が抱ける感情ではない。

  しかし、俺が俺である以上は、そのままエリックの遺志を継ぐ訳には行かない。その役割は既にエミールに任せてある。

 

「ごめん。僕は結局、君を困らせるだけみたいだ。エリック・デア=フォーゲルヴァイデじゃなくて……ごめん」

 

  俺はエリナに向かって、頭を深く下げる。一方的に離れても彼女が傷つくならいっその事、納得するまで話して謝るべき。そう判断した次第だ。

 

「……ずるいよ」

 

  エリナにそう言われて、不意に彼女の顔を窺おうとしてしまう。俺のしている事はある種の逃げにも捉えられるので、ぐうの音も出ない。

 

「そうやって謝れば済むと思ってる。私の気も知らないで、自分勝手に言って」

 

  あっさり解決するとは思っていない。俺はすかさず言葉を返そうとすると、重い何かがドシリと地面に落ちる低い音が辺りに響いた。

  そして、ついつい顔を上げた次の瞬間には、エリナが俺の胸の中に飛び込んできた。彼女の神機は地面に放置されており、何だか哀感が漂う。

 

「嫌だよ……お兄ちゃんじゃなきゃ嫌だよぉ……」

 

  エリナから嗚咽の声が漏れる。顔は伏せているので、流しているであろう涙は見えない。そうして、ひたすら俺の身体を強く抱き締めるばかりだ。

 

「ごめん……ごめんな、エリナ……」

 

  エリナの我が儘とも拒絶とも取れる言葉に戸惑いを覚えながら、俺は片手に持った神機を地面に刺して、彼女の背中を優しく擦った。一秒でも早く涙が止まるように……。

 

 

 ※

 

 

 あの後、俺とエリナの間に会話はなかった。帰投用のヘリの中は重苦しい雰囲気に包まれ、泣き止んだ後のエリナを励まそうとしたコウタ、エミール、キグルミさんの三人が、ものの見事に素っ気なく対応されて撃沈したのが記憶に新しい。

  その次には俺に話が飛び火してきたが、エリナがいる手前は必要最低限までしか語れなかった。幸い、エミールは空気を読んでくれたので、うっかり自身の知る全てを話すような真似はしなかった。流石はエリックの終生の好敵手であり盟友だ。

  そして、第一部隊を助けた翌日。エントランスにあるターミナルで合成可能な強化パーツの一覧を眺めていると、俺の後ろから彼女はやって来た。

 

「エリック、何してるの?」

 

  俺をエリックと呼んだ少女は、ひょっこりと横から画面を覗き込む。画面には、素材不足のために製作不可能なパーツばかりが縦に並んでいるだけである。

  ……何の因果か、エリナにやたら懐かれているようだ。昨日の今日でどうしてこうなった。今まで苦悩していたにしては、あっさりしすぎな気がする。

 

「エリナ、悪いけどぼく……俺は――」

 

「ううん、大丈夫! 私、もう気にしてないから! ちょっと悲しいけど、気持ちの整理はついた」

 

  そう言ってエリナは、しおらしい様子を見せながら微笑む。さながら、ようやく立ち直った感じだ。ただ、笑顔の空虚感が少しだけ否めなかった。

  エリナが過去と決別するに当たって、マスク・ド・オウガの存在が余計なのは承知している。しかし、相変わらずエリック呼びなのは一体?

 

「ただ、マスク・ド・オウガって何度も呼ぶの恥ずかしいし、本名もわからないから取り敢えず、エリックって呼ぶね。フォーゲルヴァイデは関係ない、ただのエリック。それならいいでしょ?」

 

  すると、エリナは一切の気後れをする事なく、きっぱりとそう告げた。締めに小首を傾げる様が本当に可愛い。

  ……エリナの華麗ぶりはさておき、それは単に君が俺をエリックと呼びたいだけの口実ではなかろうか。マスク・ド・オウガの名以外を教えていないから他に呼びようがないのはわかるが、どうも疑ってしまう。

  呼ぶ本人がしっかり区別がついていれば問題ないのかもしれない。しかし、エリックに何度も引き込まれた俺からすれば、あまり気分的によろしくない。さっきは危うく、僕と言いかけたし。

そうは言っても、マスク・ド・オウガ以外の名前が思い付けないのがネックなのだが。直球で日本名を告げるのは確実に不味いだろう。エリックの顔でそれは違和感しかない。

  それにしても、マスク・ド・オウガと何度も呼ぶのは恥ずかしい、か。実際はどうなんだろう。今まで深く考えた事がなかった。

  マスク・ド・オウガ、マスク・ド・オウガ、マスク・ド・オウガ……恥ずかしいだけでなくて連呼しにくいぞ、これ。あれ? エリナの言う事もあながち間違っていない……?

 

「ま、まぁ……それなら問題はないの、か?」

 

「うん。これからもよろしくね、エリック!」

 

  その時のエリナの笑顔は、太陽のように眩しかった。極東支部の帰属を選ばずに、元の世界へ帰ろうとする俺にはもったいないぐらいに。

 

 




ある日、思い付いたネタ

「あらがみフレンズ」

取り敢えず言える事。フレンズになってもシユウ神属はイェン・ツィー以外、空は飛べない。重たいから。余分な脂肪とかではなく、装甲化した体表という意味で。

……誰か書いてくれないかな? IQの溶ける話は自分には重たいです。


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