君の名は。再演す (マネ)
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記憶の章
過ぎ去りし時を求めて


 ひとつだけ原作とちがう設定があります。それ以外はほぼ原作通りです。どこが原作とちがうのか、すぐにあきらかになります。そこから想定される伏線は想像にお任せします。すべてを語ると長く長くなってしまうので。というわけで、物語の前半部分は省略します。

 物語は瀧が糸守町のヒミツを知った夜から再開します。

 これは原作からすこしだけズレたもうひとつの君の名は。


 1200年周期で地球のそばを通っている彗星。ティアマト彗星。

 

 彗星が二つに割れて、流星として糸守町に片割れが落ちてくる。うすい雲を突き破って。美しく。そして、恐ろしく。

 

 あの日、あの夜、キミは叫んだんだ。

 

 あの瞬間から運命の歯車はまわりはじめたのかもしれない。

 

 運命の糸は想像していたより、ずっと複雑で、ほどけないくらいに絡み合っている。だから、運命を断ち切ることにしたんだろう。それでもつながっているモノがあると信じて。

 

 彼らは運命にあらがう。運命の後押しによって。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 高山ラーメンの店主に連絡して、車で社へと送ってもらえるようにお願いした。店主は熟考の末に静かに承諾してくれた。俺は奥寺先輩と司に書き置きして旅館を出た。早朝の話だ。

 

 

 キミに会いに行くよ。キミに出会いに。

 

 

 俺は車を降りて、婆ちゃんを背負って登った山道を地図とGPSをみながら進んでいく。あのときの記憶は靄がかかったようにぼんやりして、あいまいだった。

 

 それにしても、高山ラーメンの店主はよくただの一見客の無理な頼みをきいてくれたものだと思う。それも早朝なのに。

 

 やさしい人だからなのか? いや、きっとそうじゃない。それほど今の俺は放っておけなかったということなのだろう。

 

 折れそうな心と立ち上がろうとする心が両立している。

 

 俺は店主がわたしてくれたお弁当をみながら思った。

 

 雨が降り出しそうだ。

 

 新糸守湖がみえてくる。邪神の爪痕。パラパラと雨が木々の葉を打つ。とうとう、どしゃ降りの雨になった。俺は小さな洞窟をみつけて、そこで雨をやり過ごすことにする。店主からもらったお弁当を食べながら。

 

 もし、もう一度、入れ替わることができたとしたら、俺はどうすればいい? どうするのがいい?

 

 彗星は止められない。なら、村のみんなを避難させるしかない。

 

 ……………………。

 

 不可能だ。

 

 何十通りもの方法を考えたがすべて現実的じゃない。到底無理だ。こどものアニメじゃあるまいし、一介の高校生に町中の人を避難させることなんてできない。

 

 俺に誘導されて、みんなが避難しているイメージが湧かない。

 

 そりゃそうだ。ただ入れ替わりができるだけの一介の高校生にはなんの力もないんだから。超能力が使えるわけでもないし。

 

 だけど、三葉に会えばなんとかなるような気がするんだ。三葉の身体の中に入ればなんとかなるような気がするんだ。なんの根拠もないんだけど、それが俺たちが出会う理由なんだって思う。

 

 そうだろう?

 

 なぁ? 半分は天使で、半分は悪魔の仮面をかぶった神さま?

 

 そうでなければこのシステムの意味がない。

 

 俺たちはもう一度入れ替わる。それは運命じゃない。予感でもない。システムの規定事項だ。

 

 どんなに困難でも、俺たちはかならず見つけ出す。糸守町を救う方程式の奇跡のような解を。

 

 小雨になってきた。お弁当を食べて、すこしだけ身体に力を取り戻した俺は再び山頂をめざす。

 

 整備されていないケモノ道。枝が服に突き刺さる。ぬかるみに足をとられる。一歩一歩がキツい。傾斜だけでもキツいのに。昨日からずっと寝ていないが、それほど疲れは感じない。感じていないだけで疲れているとは思うけれど。

 

 ようやく山頂だ。俺は山頂から景色を見下ろす。

 

 婆ちゃんが言ってたっけ。

 

 あれがあの世だ。

 

 こんなに水が深かったっけ? 雨の影響なのか、隕石の影響なのか、三葉の身体でみた風景とは変わっていた。もっとずっと神秘的な感じだったように思う。

 

 天国から地獄へと大きな変貌をとげている。

 

 俺は胸まで水に浸かってなんとか池を渡り切る。さすがに冷たかった。かなり体温が奪われた。

 

 険しい山道。冷たい池。徹夜明け。さすがにボロボロだな。

 

 そんなに会いたいのかよ? こうまでして会いたいのかよ? まだ出会ったこともない女の子に。

 

 そんなことを考えると今まで感じたことのないふしぎな力が湧いてくる。

 

 この湧きあがる力はなんだろう? このふしぎな力は……? なんだっていいや。

 

 俺は笑った。

 

 目の前に大きな岩に根を絡ませた巨大な大木があらわれた。この根元に入口があるはず。

 

 俺は大木と対峙する。

 

「三葉に会いに来た」

 

 俺は大木に語りかける。

 

 

 

 ――待っていた。

 

 

 

 そんな言葉が返ってきたような気がした。

 

 下へと降りる階段をみつけた。俺はその階段をおりていく。四畳半くらいの空間があった。口噛み酒が二つ置いてあった。ずいぶん古ぼけている。それだけ長い時間が経っているのだろう。

 

「こっちが四葉で、こっちが俺が持ってきたもの……」

 

 コケまではりついている。あの日を思い出しながら、俺はすこしだけコケを拭う。蓋に巻いてある組紐をほどく。コルクを引き抜く。

 

「俺は三年前のアイツと入れ替わっていたのか……入れ替わりがなくなったのは三年前に隕石が落ちて、アイツが死んだから……?」

 

「う~ん……それはちょっとちがうかな」

 

 俺の心臓が跳ねた。

 

 緊張が走る。

 

「だれだ?」

 

 声が出たことに驚く。

 

 ドクンドクンドクン……俺の心臓の音が洞窟内に響いているような気がする。

 

 こんな時間に、こんな場所に……ひと? いったい、だれが?

 

 つけられてはいなかったはずだ。早朝で他に車なんてなかった。道路も一本道じゃなかった。つけることは不可能。店主が誰かに話さないかぎり。その可能性も限りなくゼロに近い。そもそも早朝に連絡を取るなんてことをするタイプじゃないし、連絡をとるくらいなら、俺をここまで送り届けるはずがない。

 

 だったら、どうやって?

 

「だれだって? わからないかな?」

 

 軽い足音。

 

 俺はこの声を知っている。そして、この足音も知っている。このリズムは……こんなことはありえない。

 

 まるで俺の理解が追いつかない。

 

 影が形をまとっていく。

 

 ウェーブのかかった長い髪。本格的なトレッキングファッション。

 

 だからこそ、ありえない。

 

 この人がここにいるはずがない。いれるはずがない。

 

 どんな魔法を使ったんだ? 魔法使いか?

 

「濡れちゃったじゃない」

 

 髪をかき上げる。

 

 

「奥寺……先輩……!?」

 

 

 俺の頭の中でいろんなシーンが目まぐるしく展開される。そして、それはたったひとつの仮説を浮かび上がらせる。でも、それは到底ありえそうにないものだった。

 

 まるで本物の魔女に出会ったかのような気分だ。

 

「口噛み酒か。そうだったそうだった。懐かしいなぁ。ようやく思い出してきた。なんで忘れてたんだろうね」

 

 奥寺先輩は自分の身体を抱いた。

 

「寒いよ」

 

 奥寺先輩にしかみえない。みえないのに、彼女はおそらく奥寺先輩じゃない。まったくの別物。感性では到底導き出されないその答えに、俺の理性が警鐘を鳴らしてくる。

 

「あなたはだれだ?」

 

「ふ~ん」

 

 奥寺先輩はおもしろそうにそういった。

 

「可愛くないね。もう気づいちゃったんだ。私の正体に」

 

 奥寺先輩は俺に近づいて、俺の頭をつかんだ。鼻がつきそうなほど顔が近い。女性では人生最接近だ。

 

 ドキドキするがこのドキドキはそういうドキドキじゃない。

 

「キミがここに来ることはわかっていたよ。キミがここに来ることを決めるずっと前からね」

 

 奥寺先輩の口調ががらりと変わった。

 

 信じられないが、どうやら俺の仮説はまちがっていないようだ。

 

 奥寺先輩は俺の手から口噛み酒を奪う。中をのぞく。

 

「入れ替わりが途切れたのは三葉(彼女)が死んだからじゃない」

 

 奥寺先輩は口噛み酒の匂いをかぎながら語りはじめた。

 

「そもそも、この入れ替わりシステムはこの糸守の町民を助けるためにつくられたものだ。なんでもかんでも入れ替えればいいってもんじゃない。当然、入れ替わりには条件をつけることになる。条件とはティアマト彗星の標的となるこの糸守町にいること。糸守町から離れると入れ替わりの条件が満たされず、入れ替わりがなくなる。糸守町にいる人間と入れ替わらなければ意味がないからね」

 

 この思考は……この発想は……この論理パターンは……。

 

 決定的だ。

 

 この人は……この人の正体は……。

 

「つまりだ。糸守に来れば入れ替わりは再開される。自動的にね。そこに意味はない。条件を満たせば悪魔でも入れ替わる。システムに、システムのプログラムに感情はないのだから。この世の物理法則は冷酷なまでに万物に平等だ」

 

 

 ――人はそれを科学と呼ぶ。

 

 

 この人は奥寺先輩の唇でそんなセリフを口ずさむ。

 

「おまえは誰だ?」

 

「彼女の名前は知っているんだろう?」

 

「奥寺先輩……?」

 

「じゃなくて、下の名前だよ。思い出せよ」

 

 錆びついた時計の歯車が動き出すように、俺の中の記憶が呼び起こされる。

 

 そんな……まさか……そんなことって……。

 

 いま、ようやくつながった。

 

 

「奥寺……三葉……!?」

 

 

 なんで忘れていたんだろう?

 

「ようやく気づいたか? 少年」

 

 

 

「アンタは……俺……なのか?」

 

 

 奥寺先輩はニヤリと笑う。悪いことを考えているときの高木の顔に似ている。そういうときの高木の表情は俺のそういう表情に似ているらしい。

 

 つまり、たしかにこの人は俺なんだ。

 

 自分自身との接触。言葉にできないふしぎな感覚が俺を襲う。お互いにお互いのすべてを知り尽くしている関係。

 

「あの日、隕石が落ちたあの日、奥寺は俺に会いに東京に来たんだ。そして、奥寺は帰る場所を失った。記憶もろともにね」

 

 ……………………。

 

 俺は言葉を失った。奥寺先輩のあの笑顔の裏にそんなものを抱えていたなんて。

 

「大学一年なのは浪人しているからじゃない。高校卒業が一年遅れているからだ。俺に、いや俺たちに出会うまで、ほとんど笑うこともなかったそうだ」

 

 どう処理していいかわからない胸の苦しさを俺は覚えた。

 

「なんで、アンタは俺に会いに来たんだ?」

 

「それが糸守町の町民を救うための最後のピースだから。あの日、俺はたどり着けなかった。俺は救えなかったんだ。だけど、今のおまえなら、ティアマト方程式の解を見つけ出し、彗星の民の魔封印を解き、ラプラスの悪魔を目覚めさせることも可能なはずだ。入れ替わりの最終定理を知った今のおまえなら」

 

 ティアマト方程式の解を見つけ出す??

 

 彗星の民の魔封印を解く??

 

 ラプラスの悪魔を目覚めさせる??

 

 入れ替わりの最終定理??

 

 何を言っているんだ? 意味がわからない。テキトーな単語をつなげて言ってるようにしかきこえない。

 

 それより、これから長編小説並みにやること凄いありそうな言い方だな。

 

 奥寺先輩の手が俺の肩に置かれる。

 

「おまえの知っている糸守町へ行けばわかる。現状は極めてきびしい。だけど、だいじょうぶ。きっと間に合う。おまえはこの俺に出会ったんだから。すべてのピースは今、おまえの手の中だ」

 

 自分に励まされるなんて妙な気分だ。顔は奥寺先輩で。

 

 初めて、真正面からじっくりと奥寺先輩の顔をみたような気がした。それも中身が俺の奥寺先輩を。

 

 それはいつも鏡でみていた三葉そのものだった。中身がちがうだけで、こうも顔の印象が変わるものなのか。

 

 奥寺先輩は俺に口噛み酒を返した。口噛み酒。これが鍵だ。本能的にわかった。

 

「アンタはどこから来たんだ?」

 

 俺は口噛み酒をみながら問う。ずいぶんと年齢を感じる。二十代? 三十代?

 

「未来の話を訊きたいか? 俺の就職先とか? 誰と結婚しているとか?」

 

「え?」

 

 もうひとりの俺は奥寺先輩を奥寺と呼んだ。結婚していたら……。

 

 もうひとりの俺は「ぷっ」と笑った。

 

「ふ~ん……特別に、さわらせてやってもいいぞ。サービスだ」

 

 もうひとりの俺はそういって自分の服をつまんだ。

 

 こいつは俺をからかっていやがる。いや、これは未来のことは話さないという意思表示。

 

「結構です」

 

 結構ですだって……といってもうひとりの俺は笑っている。

 

 ふいに、もうひとりの俺が上を向いた。

 

「奥寺を……おまえにとっては三葉だったな」

 

 俺は奥寺先輩とのデートを思い出していた。目の前に世界で一番会いたい人がいるのに、どこかちがう。三葉だけど三葉じゃない。

 

 俺が会いたい三葉は三年前の糸守町にしかいない。

 

 だから、行くんだ。三年前の糸守町へ。

 

 まだ出会っていないひと。出会いたいひと。出会わなくちゃいけないひと。

 

「おまえならできる。いや、おまえにしかできない。なんといっても、おまえは俺なんだから」

 

 もうひとりの俺は俺の胸にコブシを当てる。細い腕。軽いコブシだ。

 

「さぁ、三葉を救ってこい!」

「あぁ!」

 

 俺は口噛み酒を口にする。

 

 世界が反転した。




 この物語の瀧は三葉死亡の記事を読むのを途中でやめています。


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天空の花嫁

 そして、世界は反転する。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 すぅ~っと永遠に吸い込まれてしまいそうな、弾きだされそうな感覚が襲ってくる。激しい時の濁流の中に飲まれてしまったようで、どっちが上でどっちが下かもよくわからない。

 

 ここはどこだ?

 

 

 

 ――ここは時が流れ着く場所。時の終着点。

 

 

 

 俺はこの声を知っている。

 

 ――待っていた。

 

 そう。あの世……隠り世で聞いた声だ。

 

 俺の目の前を、彗星がぶきみな光をまといながら時の流れの中を突っ切っていく。そんなわけがないのに、彗星と目が合ったような気がした。

 

 彗星は竜に例えられる。

 

 いにしえの竜。邪神。ティアマト彗星。

 

 彗星の一部が割れる。

 

 邪神の爪。

 

 それが青い星に落ちていく。

 

 待て!

 

 叫んでも届かない。俺は手を伸ばす。届かなくても、伸ばしつづける。叫びつづける。

 

 隕石は集落に落ちる。集落が滅びる。時の無限リピート。

 

 何度も運命の思う通りにさせてたまるか。ここで止める。俺が止める。

 

 落ちていく。俺はどこまでも落ちていく。

 

 俺はどこへ向かっているんだ?

 

 

 ――二人は父さんの宝物だよ。

 

 ――三葉、あなた、お姉ちゃんになるんよ。

 

 

 俺は三葉に向かっているんだ。三年前の三葉へ。ここはその通り道だ。

 

 

 ――お母さん、いつおうちに帰ってくるん?

 

 

 小さな四葉が病院のベッドの横で跳ねながら、お母さんである二葉さんにきいている。二葉さんは入院していた。二葉さんは来週と答える。喜ぶ四葉。三葉もうれしそうだ。二人は二葉さんの昔の写真をみている。結婚式の写真だ。

 

 奥寺先輩にそっくりだった。

 

 そうじゃない。逆だ。二葉さんに奥寺先輩が似ているんだ。奥寺先輩に二葉さんの記憶なんてないはずなのに……覚えていないはずなのに……写真も持っていないはずなのに……それでもつながっているんだ。

 

 三葉と二葉さんは。

 

 

 ――どうして、お父さんと結婚したの?

 

 

 三葉が興味津々で病院のベッドで寝ている二葉さんに尋ねる。

 

 

 ――出会った瞬間、この人だって思ったんよ。ずっとさがしていた人だって。あの人はなんとも思ってなかったようだけど。

 

 ――お父さん、ひどい。

 

 ――ひどい。

 

 

 三葉のオヤジさんはなんも悪くないぞ。そんなんわかるわけねえよ。物語の中の主人公とヒロインじゃあるまいし。

 

 三葉と四葉は二葉さんとお父さんの結婚式の動画をみている。

 

 最初に動画に映しだされたのは隠り世だった。山の頂上にある天然の天空庭園。そこに流れる川の向こう側。その川の手前で、三葉の両親は結婚式を挙げた。先祖たちに報告するかのように、三葉のオヤジさんを糸守の先祖たちに紹介するかのように。

 

 三葉の父さんはかなり緊張しているようだ。二葉さんがそれをみて笑っている。学者だから人前で話すことも仕事なのに、なんで緊張しているんだ? でも、すごく幸せそうだ。こっちまで幸せな気分になる。三葉のそういう気持ちが心地よく三葉の体温を感じるように俺の心に伝わってくる。

 

 それにしても二葉さんに対する町の人たちの接し方はふしぎだった。巫女だからなのか? まるで神の子を産むことを約束された女性のようだった。

 

 婆ちゃんが隠り世から奉納していた二葉の口噛み酒を持ってきた。奉納していた口噛み酒をつくった巫女が結婚するとその酒を持ち帰ることになっているらしい。

 

 

 ――あんなの贈られたら、神様、怒るんじゃないんかな?

 

 ――むしろ、うれしいだろ。まんざらでもない感じで受けとると思うぞ

 

 ――アンタとは一生意見が合わん気がするわ

 

 

 土建屋の男と元放送部の女性が話している。こどもたちとちがって、仲良くなさそうだ。

 

 結婚式が進み、三葉のオヤジさんに高そうなペンがわたされた。

 

 隠り世にもっとも近いこの天空庭園でお互いの名前を手のひらに書くと来世でも、なんやかんやで、名前にはふしぎな力が宿っていて、なんちゃらかんちゃらという説明が司会者からあった。

 

 その説明の間に、そのペンでオヤジさんは二葉さんの手のひらに「としき」と自分の名前を書いた。二葉さんも自分の名前を相手の手のひらに書いた。

 

 二葉さんは手のひらをじっとみつめていた。そんな二葉さんのようすをオヤジさんは眺めている。

 

 三葉が二葉さんを真似て、自分の手のひらをみつめた。当然、何も書かれていない。そんな三葉のようすを微笑みながら、ベッドから二葉さんがみている。

 

 動画の中は笑顔であふれているのに、その風景はもう存在しない。彗星はすべてをさらっていった。俺はそれを取り戻すために、ここにいるんだ。

 

 

 すこし時間が飛ぶ。

 

 

 二葉さんの容体が悪くなったという連絡が三葉に入る。四葉がひとり、お母さんのいる病院へ行ったらしく、行方不明になった。三葉が必死でさがしまわっている。まるでどこかでみたアニメ映画のワンシーンだ。

 

 走りつづけて、三葉はようやく四葉をみつけた。四葉は三葉に泣きついた。こんなに狭い町で道に迷うほど四葉は幼かった。三葉と四葉はその足で病院に行く。二葉さんは持ちなおす。そして、しばしの時間を過ごす。

 

 三葉の家族はこの二葉さんを中心に絆を紡いでいるんだ。

 

 

 ――僕が愛したのは二葉です。神社じゃない。

 

 ――出ていけ!

 

 ――糸守町の長に僕はなります! 二葉との約束ですから。

 

 ――勝手になさい!

 

 

 家族の中心である二葉さんを失って、三葉の家族は崩壊した。

 

 三葉の心に父親との切れかけた心細い絆だけがわずかに残った。

 

 

 そして、入れ替わりの日々の記憶。三葉の東京での奮闘の日々。三葉の目に映る東京は俺がみていた東京とは別物だった。キラキラと輝いていた。

 

 これが三葉の世界なのか。俺はまだ三葉と出会っていない。三葉に会いたいと思った。今までの会いたいとはすこしちがう。

 

 

 ――今頃、奥寺先輩と二人でデートか。

 

 ――ちょっと東京へ行ってくる。

 

 

 三葉、奥寺先輩はおまえだったんだよ。おまえに話したいことがたくさんあるんだよ。伝えたいことがあるんだよ。

 

 

 彗星が来る。

 

 おまえは来るな。

 

 やめろ。やめてくれ。たのむから。

 

 糸守に彗星が落ちる……。三葉の大切なものをすべて消し去っていく……。

 

 隕石が落ちて、変わり果てた糸守の町によろよろとして力のない三葉が戻ってくる。隕石の影響で、交通網が混乱していて、三葉が帰ってきたときには、すでに深夜をまわっていた。三葉には自衛隊員が付き添っていた。

 

 あんなに輝いていた風景が灰色にみえる。

 

 あたりの土埃がひどい。

 

 パトカー、救急車、消防車があふれるほど待機している。自衛隊も。そこは戦場のようだった。怪我をしている人。自分の力では動けない人。もう息をしていない人。

 

 そこにはただ地獄があった。

 

 道路にはKEEP OUTという黄色と黒のテープが張られて、封鎖されている。

 

 その手前で三葉は膝から崩れ落ちる。自衛隊員に抱きかかえられる三葉。死んだような状態から、突然三葉は泣き叫びはじめた。そんな彼女をみて、自衛隊員の女性の顔もゆがんでいく。風景がゆがんでいく。

 

 三葉は自分を支えていた自衛隊員を振り切って、町の中へ入ろうとする。三葉は「邪魔しんといて」とその女性を振り払おうとする。「うちに帰るだけやから」と。

 

 婆ちゃんと四葉、そして、お父さんを呼ぶ。テッシー、サヤちんも。学校のみんな、古典のユキちゃん先生も……。

 

 みんな、みんなみんな、死んだ。

 

 三葉の言葉にならない気持ちが俺に流れ込んでくる。俺の心まで壊れそうになるほどに。

 

 三葉は「なんでやの? なんで! なんでなんで!」と叫び、泣いている。

 

 なんで、俺はここにいるんだ。なんで、俺は何もできないんだ。すぐそこに泣いている三葉がいるのに。手を伸ばせば届くところに三葉がいるのに。どんなに手を伸ばしても届くことはない。声すら届かない。

 

 どんなに近くにいても……時間が……ずれているから……。

 

 俺と三葉は連続していない。

 

 

 

 ――ラプラスの悪魔を目覚めさせよ。おまえならできる。おまえにしかできない。

 

 ――さぁ、三葉を救って来い!

 

 

 

 あぁ。いま、決まった。本当の覚悟ってヤツが。

 

 相手がいにしえの竜だろうが邪神だろうがなんだろうが関係ない。ティアマト彗星、おまえはかならず俺が倒す。

 

 

 

 ――勇者よ、目覚めなさい。

 

 

 

 またあの声がきこえた。意識が途切れてくる。

 

 

 

 ………………………………。

 

 ………………………。

 

 ………………。

 

 ………。



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再演の章
エデンの戦士たち①


記憶の章(プロローグ)を経て、再演の章へ


 隠り世。そこにはカルデラのような大きな窪みがある。川が流れていて、中央に大木がある。御神木だ。川を挟んで、二人の男女がいる。男が手を伸ばして、川に飛び込む。何かをつかもうとしているように、俺にはみえた。

 

 これは時の旅のつづきか? それとも夢か?

 

 記憶の温度が俺にささやいている。これは三葉の記憶(モノ)じゃない。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

「お姉ちゃん、いよいよ、やばいわ……とうとう壊れてまったよ。やばい。やばいやばい。やばいわ」

 

 世界を救うために、時の川を渡ってやってきた勇者様に向かって、この妹はなんて失礼なやつなんだ。

 

 俺は三葉の胸を揉みながら思った。

 

 この感じ……戻ってきたぜ。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

「ティアマト彗星が地球に落ちる可能性はNASAや天文学者の間でも計算されておりまして、かぎりなくゼロに近い数字だそうです」

 

「彗星が原発に落ちて、地球が滅亡するなんてことを吹聴している宗教団体もありますが……」

 

「それこそありえませんね。それってつまり宇宙における原発の面積の割合の話ですよね? そんなことよりも、隣接地域からミサイル攻撃されるほうが日本としては脅威ですよ」

 

「1200年に一度地球に接近するティアマト彗星。古い文献によると1200年前、日本に隕石が落ちているそうですよ。どうやら、その落ちた隕石はティアマト彗星でほぼまちがいないようです。ティアマト彗星が二つに割れて……今また同じことが起きるのではないかという意見もあるようです。二つに割れれば軌道も大きく変わりますし……」

 

「ううむ」

 

「太陽に近づくほど、隕石は熱せられますからね。隕石内部でなんらかの現象が生じる可能性は否定できないでしょう。ただ確率として、地球上に影響が出る可能性はかぎりなくゼロに近いと申し上げてよろしいでしょう。仮に地球に向かってきたとしても、地表に落ちる前に、燃え尽きてしまいます。それが学者たちの結論です」

 

「なるほど……そして、ついに今夜、いよいよ歴史的な天体ショーの開幕ですね」

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 朝のニュース番組のコメンテーターたちがなんやかんやと責任の所在が自分にない話ばかりしている。

 

「今夜か」

 

 彗星が落ちた日、三葉は東京へ行って、

 

 

 ――ねぇ、覚えてない?

 

 

 中学二年生だった俺に出会った。三葉が俺に出会った日。俺は俺に会いに行かない。今ここでやるべきことがあるから。三葉、俺は運命を変えるぞ。

 

 どんなに運命が変わったとしても、変わらないものがきっとある。それはきっと……それがきっと、本物だ。

 

 久しぶりのスカート。俺は三葉の髪をポニーテールに結ぶ。なんか気合いが入る。

 

 運命と戦う時がきた。決戦だ。

 

「よし」

 

 糸守の町を救ってやるぜ。

 

「四葉は先に行ったよ」

 

 婆ちゃんはお茶を運びながら言った。

 

「婆ちゃん、元気そうだな」

 

「おや、おまえ、三葉じゃないんか?」

 

 俺はパチパチと二回、瞬きをする。

 

「……気づいてたのか?」

 

 

 

 ――あんた今、夢をみとるな。

 

 

 

 婆ちゃんのあの言葉をきいて、入れ替わりが解けたんだっけ。入れ替わりのヒミツを知られたら、入れ替わりは解けるのか? おとぎ話ではよくある法則だ。法則は万物に平等。だからこそ法則という。

 

 俺はまだここにいる。三葉の身体にいる。

 

 べつの法則があるんだ。それとも、これは「ただし書き」なのか?

 

 俺はいま夢をみている。

 

「そうじゃの。ここんところのあんたをみとったら思い出したわ。少女の頃……」

 

「婆ちゃんも入れ替わってたのか?」

 

「入れ替わり……? いんやぁ……あぁ、そうかもしれんなぁ……あれは入れ替わっとったのかもしれんなぁ……まるでべつな人間が少女だったワシの中に入り込んで、ワシの青春を激しく突き動かしたような……」

 

 ほうほう。なんかおもしろそうな話が聞けそうな……。

 

「もう覚えとらんのやさ」

 

 覚えてないのかよ。

 

「どんなに大事な思い出も夢のように消えるんよ。ワシが入れ替わっとることに気づいたのはワシの母親さ」

 

 そうか。俺のオヤジも俺のようすがヘンなことに気づいていたっけ。俺の記憶はなくなっても、世界は覚えている。

 

「ワシが覚えとるのは……入れ替わっとったのは……二葉やよ」

 

 

 

 ――宮水二葉。

 

 

 

「入れ替わりなんてもんやなく、あれは自分の中に眠っとるもうひとりの自分やさ。あんたはまちがいなく三葉や」

 

「俺は……」

 

 三葉じゃない。

 

「二葉もときどき気持ちが男の子っぽくなることがあったわ」

 

 婆ちゃんも、三葉の母さんも、三葉も入れ替わっていた……?

 

「思い出すなぁ。二葉は特別やった。ワシにとっても、この糸守の町にとってもな。あの子にはワシらにはみえん、べつな世界が見えとった」

 

「俺も特別だぜ? スペシャル!」

 

 婆ちゃんはじっと俺をみつめた。

 

「婆ちゃん、よく聞いて。糸守に隕石が落ちる。みんな死ぬ。俺はみんなを助けに来た」

 

 婆ちゃんはポカーンとした表情をする。

 

「あんた、何を言ってるんや? 朝ごはん、はよ食べ」

 

 俺はあんぐりと口を開けた。話の流れをまちがえてますよ、お婆ちゃん。

 

「隕石が落ちるんだよ? 糸守の町に! ここに!」

「はいはい。スペシャルも大変やね」

 

 ぜんぜん信じてねぇ。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 そんなこと誰も信じないって、婆ちゃんも案外まともなことをいうんだな。

 

 というよりも、入れ替わりと糸守町の消滅をつなげて考えられないって言ったほうが正確だな。俺も俺の時代の糸守の町をみたときの衝撃ははっきりと覚えている。それほどこの二つは結びつかない。

 

 入れ替わり体験者の婆ちゃんさえ信じてくれないことを誰が信じてくれる?

 

 これは本当に難題かもしれない。

 

 

 

 ――ラプラスの悪魔を目覚めさせよ。

 

 

 

 まずはもうひとりの俺が言っていた「ラプラスの悪魔」について調べるか。

 

 俺はカバンも持たず、学校へ向かう。

 

 通学路には誰もいない。完全に遅刻だ。

 

 俺は自分の決意を確かめるように言う。

 

「もう絶対に誰も死なせない。糸守は俺が守る!」

 

 チリンチリンと自転車のベルの音。

 

「あら、おはよう! 宮水さんも遅刻なの?」

 

 古典教師のユキちゃん先生だ。

 

「おはようございます」

 

 ユキちゃん先生、やっぱり凄い美人だ。

 

 ユキちゃん先生が自転車から降りた。なんで、こんな若くて美人の先生がこんなド田舎に来たんだろう? 糸守にとどまってほしいのか、老若男女、糸守のみんなは先生によくしてあげているようだった。でも、みんながユキちゃん先生によくしているのはユキちゃん先生が若いとか、綺麗とかじゃなく、ほんとうに良い人だからなんだろう。

 

「今日もポニーテールが似合ってるわね。でも、もっとオシャレをすればいいのに、もったいないわよ」

 

 女子高生のオシャレを俺にしろって? 無理ムリ。

 

「さいきんの宮水さんってカッコイイって一年の女の子たちが言ってたわよ」

 

 まぁ、中身、俺だし。三葉じゃ言われないだろうな。

 

「早く学校へ来なさいよ……」

 

 

 

 ――――してあげるから

 

 

 

「え?」

 

 去り際に、ユキちゃん先生が何か言ったような気がした。

 

 聞き間違いだよな? たしか、いま先生は……。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 俺は学校に到着して、教室の扉を開けた。運命の扉を開けるように。



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エデンの戦士たち②

 俺はガラっと教室の扉を開け放った。クラス中のみんなが俺をみる。俺はそれを真正面から受け止めた。すでに二時間目の授業がはじまっていた。

 

 古典の授業だ。まわりのようすをみるに、テストの返却のようだ。

 

「宮水さん、席に座って……」

 

 ユキちゃん先生が答案用紙を一枚手に持ちながら言う。

 

 俺はカツカツと教壇へと歩いていく。

 

「宮水さん?」

 

 俺は先生を手で制す。そして、振り返り、みんなを見据える。

 

「みんな! よくきいて!」

 

 声にならない声で、教室がざわついている。まるでドラマのワンシーンだ。

 

「今夜、みんな、死ぬ……このままだと……このままだと」

 

「ちょっと……三葉……なに言っとるの? ヘンなこと言っとらんと早よ席に座り」

 

 サヤちんが慌てている。

 

「ティアマト彗星が近づいているのはみんな知ってるよな? その彗星が糸守に落ちる。だから、みんな、この町から逃げるんだ」

 

 教室がざわつく。

 

「はい」

 

 ユキちゃん先生が俺に一枚の紙をわたす。古典のテストの答案用紙だ。名前の欄には「宮水みつは」と書かれている。そういえば三葉は自分の名前をひらがなで書いたっけ。漢字で書けよ。

 

 

 35点

 

 

「宮水さん、あとで進路指導室まで来てください」

 

 教室の空気がやわらかくなる。遅刻を誤魔化そうとしている三葉。そんな空気になっている。

 

 三葉のバカ。

 

 ここは引き下がるしかない。35点じゃ、みんなの心はつかめない。このテストを俺が受けていれば形勢は俺に有利なものとなっていたはずだ。古典で満点かそれに近い数字を取る。それは三葉にはできないことだから。

 

 これがドラマやアニメだったら、三葉じゃ、絶対に取れないような点数をとって、クラスのみんなが驚くシーンになるんだろう。そして、俺の言葉に真実味が加わる。でも、現実はフィクションのようにドラマチックにはいかない。平凡な展開だ。

 

 だからこそ奇跡は人を惹きつける。救世主も奇跡をおこして、初めて人々から認められた。

 

 救世主も初めから救世主だったわけじゃない。

 

 古典が苦手。おまえのストロングポイントだったのに、俺は活かし切ることができなかった。これも運命の力なのか? 追い風が吹かない。向かい風ばかり。

 

 俺は運命を乗り越えられるだろうか? 俺に奇跡を起こせるだろうか?

 

 たった今、チャンスを逃したばかりの俺に……。

 

 未来を変えるんだろ? 歴史を変えるんだろ? 立花瀧!!

 

 この学園ドラマの世界観をひっくり返す。奇跡の英雄譚へ!!

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 普通に授業が流れていく。

 

 なんだろう。何かがおかしい。さっきから違和感しか覚えない。

 

 ユキちゃん先生が次に何を言おうとしているかがわかる。まるで、それはまるで、今、この瞬間、ユキちゃん先生がテストの問題を解きながら、解説しているかのようだ。そんなことする意味がないのに。そもそも、このテスト問題をつくったのは彼女なのだから。

 

 俺はいったい何を導き出そうとしているんだ?

 

 そんなわけない……そんなわけないのに……そんなわけがないのに……。

 

 どうしても俺の胸のざわめきがおさまらなかった。

 

 果たして、これに気づいている人がこのクラスにいるだろうか? いないだろう。いま、ユキちゃん先生は問4をみながら、問3の解説をつづけている。注意深くみないとわからないほど巧妙に……。

 

 こんなことは生まれて初めてだ。勝てないと思える人間に出会ったのは……。

 

 彼女は日常の領域に存在していない。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

「説明してもらおうやないか。さっきのアレはなんや?」

 

 テッシーとサヤちんに連行されて、今は使われていない部室棟の一室で二人に問い詰められていた。

 

「どうもこうもないよ。言ったままだよ。今夜、ティアマト彗星が隕石になってこの糸守町に落ちる」

「なんだって? そりゃ、一大事や」

 

 サヤちんが目をまん丸にして、テッシーをみつめている。

 

「テッシー、なに真剣にきいとるんよ。アンタ、そこまでアホやってん?」

「アホちゃうわ……隕石が落ちるんやぞ?」

 

「ほんまもんのアホやわ」

 

 サヤちんはほとほと呆れたという表情を浮かべている。

 

「情報ソースは言えないけど、これは確かな情報だよ」

「ソースってなんやの? NASA? CIA? 三葉、ホントどうしちゃったん?」

 

 サヤちんが俺の頭に手を載せる。

 

「興奮しんと……落ち着いて」

 

「俺はみんなを隕石の影響範囲外に避難させたいだけなんだ」

 

 俺はサヤちんの目をみて話す。サヤちんは困った顔をする。

 

「防災無線や」

 

 テッシーは見つめ合う俺とサヤちんに大声で言った。

 

「スピーカーが町中にあるやろ。あれで避難指示を出すんや」

「でも、どうやって使うんだよ? 役場から流してるんだろう?」

 

「伝送周波数と重畳周波数さえわかりゃあ乗っ取れる。学校の放送室からでも、町中に避難指示が出せる」

「おおっ」

 

 俺は素直に感心する。

 

「ちょ……ちょっとちょっと。二人して何真剣に話しとんの。冗談やよね?」

 

「本気」

「マジでやるで」

 

「犯罪やよ?」

 

「人が死ぬよりマシ。みんなが隕石から逃げられるなら、俺はなんだってする!」

 

「あとは避難する理由やな。爆弾を使おう」

「ば、爆弾!?」

 

 サヤちんが泣きそうな顔をしている。

 

「サヤちん。力を貸してほしい」

「貸せないよ」

 

「友達だよね?」

「友達だからやよ。友達を犯罪者になんてさせられへんよ」

 

「サヤちん、俺を信じて」

 

「三葉、アンタ、どうしちゃったの? さいきんの三葉、ヘンやよ。こんな状態で信じてなんていわれてもムリやよ。テッシーもなに三葉の話に合わせてんのよ?」

 

 テッシーとサヤちんが口論している。

 

 サヤちんを説得するだけでもこれだけ大変なのか。

 

 放送だけでみんなが避難してくれるわけがない。最後は役場が出て来ないとみんなは助けられない。それには三葉のオヤジさんの説得が必須事項。三葉のオヤジさんを説得するのはどれほどのハードルだろう。

 

 そして、そのハードルを越えられず、もうひとりの俺は失敗した。たしかに、この難易度は計り知れない。一介の高校生が越えられるハードルじゃない。高校生じゃなくてもきびしい。それでもやらなきゃいけないんだ。

 

 俺は……勇者だから。

 

「三葉、正直に言って。いくらでも相談に乗るよ。なにか言えないことがあるんやろ? 正直に言ってや」

「ごめん。いえない。信じてとしか言えない」

 

 サヤちんは俺の言葉にあきらかに怒っている。自分が信用されていないと思っているのだろう。

 

 逆だよ。

 

 どうにかしたいと思うほどサヤちんが離れていく。今はまだ会話が成り立たないから。

 

 サヤちんは隕石落下なんて信じてない。話に裏があると思っている。でも、実際には裏なんてなくて、俺はそれを信じてほしいと思っている。会話が成り立つわけがない。

 

「三葉……そんなに私が信用できんの? …………そう」

 

 サヤちんは怒っているのにかなしそうな表情をする。俺まで苦しくなる。なんでこうもうまくいかない。

 

 サヤちんはくるりとまわって背中を向ける。サヤちんは上を向いた。扉を開けて黙って出て行ってしまった。

 

 俺じゃ、サヤちんひとり、説得できないのか? 避難させられないのか? 友達ひとり救えないヤツが世界を救えるわけがない。これが今の俺の能力。こんなんで500人の町民を救えるのか?

 

「三葉……アイツ、泣いてへんかったか? 声も出せへんくらい……」

 

 

 KEEP OUT。糸守町に張られたテープ。

 

 巨大クレーター。

 

 ティアマト彗星の爪痕。

 

 

 消え去った糸守町の姿を俺は思い出した。俺はそこで崩れ落ちたっけ。俺を押しつぶそうとするように、あのときの気持ちが降ってくる。

 

「負けるもんか……負けるもんか……負けるもんか……」

 

「三葉、おまえが何かと戦っていることは目をみればわかる。それは俺らのためなんやろ?」

「テッシー……」

 

「その髪型のおまえは俺の知っとる三葉とちゃうけど……俺は今のおまえも……」

 

「えっ? ……それだ!」

 

 俺の頭の中で、カチリとひとつのピースがはまった音がした。

 

 俺はテッシーの両肩をつかむ。

 

「な、なんや!?」

 

 

 ピンポンパンポン。

 

『宮水三葉さん。宮水三葉さん。至急、進路指導室まで来てください。繰り返します。宮水三葉さん。至急、進路指導室まで来てください』

 

 

「ユキちゃん先生……」

 

 ちょうどいい。いいタイミングだ。

 

 アニメじゃあるまいし、あれほどの才能の持ち主が先生なんてするわけがない。

 

「僥倖だ」

 

 ユキちゃん先生が仲間になってくれればこの逆境も覆せるはず。

 

 運命への反撃開始だ。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 ――あの日、俺はたどり着けなかった。俺は救えなかったんだ。

 

 

 もうひとりの俺が言っていた言葉が俺の脳裏をよぎった。事はそう簡単じゃないと警鐘を鳴らすかのように。俺はそれを振り払った。

 

 

 ――極めてきびしい状況だ。だけど、きっと間に合う。おまえは俺に出会ったんだから。

 

 

 だいじょうぶ……だいじょうぶ……だいじょうぶ……。

 

 俺は勇者だから……俺が勇者だから……。

 

 何度も……何度も……不安に押しつぶされそうになる自分に、くじけそうになる自分にそう言い聞かせた。

 

 だいじょうぶ……だいじょうぶ……だいじょうぶ……。

 

 きっと間に合う。

 

 呪文を唱えるかのように。



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エデンの戦士たち③

 糸守町で圧倒的な信頼を得ているユキちゃん先生なら。彼女が仲間になってくれら、状況は一変するはず。おそらく彼女も俺と同じく、時の――。

 

「テッシー、進路指導室ってどこだっけ?」

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

「失礼します」

 

 俺は進路指導室に入った。

 

 ユキちゃん先生が脚を組んで椅子に座って、俺を待っていた。

 

 アレっ!?

 

「宮水さん、座って」

 

 空気がピリっとしている。これから互いのカードを見せ合おうとしているから……? 格上の相手を相手にしているから……? これはそんな空気とはちがう。とげとげしい感じ。これは俺の恐れ……?

 

 言葉にできない。数字に表れない何かを感じる。

 

 直感が俺に警鐘を鳴らしている。激しく。

 

 これは殺気。これは殺意だ。

 

 恐怖を覚えたその一瞬の硬直。その隙に先生は背後にまわっていた。俺は視線だけ先生を追う。

 

 背中に、肌に冷たいものが当たった。

 

「大声は出さないほうがいいわよ。……って、もう演じる必要はないか」

 

 セーターが切られた。ブラウスが引き裂かれる。

 

 ユキちゃん先生はハサミを持っていた。すぐ攻撃に転じられるような構え。その構えがプロっぽい。俺と扉との間にユキちゃん先生がいる。

 

 まさか……。

 

 思考を切り換えろ。驚いている暇なんてないだろ。

 

 セーターが切れてしまうほどの切れ味のハサミ。

 

 俺は転がるようにして、ユキちゃん先生から距離を取る。ほぼ半裸の状態。左腕にブラウスの切れ端が貼りついていた。

 

 下着姿かよ。まぁでも、ぜんぶ切られなくてよかった。

 

 一瞬の出来事だった。

 

「人を呼ぶかい?」

 

 こんな姿を誰かにみられるわけにはいかない。特に男子。

 

 何がおきてる? 何をされてる?

 

 助けを呼ぶことを封じられた。

 

 ユキちゃん先生はハサミをくるくると手の上でまわした。まるで別人だ。

 

「何を考えてる?」

「キミとすこし話がしたくてね」

「あぁ?」

 

 ユキちゃん先生とのやり取りを使って、サヤちんに信用してもらう。それが狙いだったのに……あばよくばユキちゃん先生に味方になってもらおうと思っていたのに……。完全にあてが外れた。

 

「録音しているようだね?」

 

 気づかれている。

 

 やりずらい相手だ。

 

「録音なら、つづければいい」

「えっ!?」

 

「宮水俊樹町長にきかせるんだろう? それはなんの意味も持たない」

 

 どうして!? だって、それは決定的な証拠になるじゃないか。

 

「彼は超常現象を信じない」

「…………」

 

「そういうふうに宮水二葉にされたんだよ」

 

 糸守町の象徴。今はなき宮水二葉。

 

「そして、すべての人物(星)の配置は我々の意図するものとなった」

「我々?」

 

「我々は彗星の民という。ティアマト彗星を神とあがめる者たちだ」

 

 死の流星をあがめる……だと?

 

 俺はユキちゃん先生を睨みつける。ユキちゃん先生の表情は教室でみせるものとはまるで別人だ。醜くすら感じる。

 

「町長が俊樹でなければ糸守の民も避難誘導させられていたかもしれないのにな」

 

 それは逆じゃないのか?

 

「彼は絶対に町民を避難させない。それは彼が超常現象を信じないから」

 

 なにを言っているのか、まるでわからない。町長が三葉のオヤジさんだからこそ、俺はチャンスだと思った。だけど、それはまったくの逆なのか!? 三葉のオヤジさんだから、みんなを救えない……?

 

 意味がわからない。超常現象を信じないなら、信じてもらえばいいだけのこと。

 

「宮水俊樹。彼を町長にしたのは我々、彗星の民だ」

 

 三葉のオヤジさんを町長にしたのはコイツら……!?

 

「驚くのも無理はない。すべてが逆なんだよ。おまえが思ってることと」

 

「すべてってなんだよ?」

 

「宮水二葉のことさ」

 

 

 

 ――糸守町の長に僕はなります! 二葉との約束ですから。

 

 

 ――彼は絶対に町民を避難させない。それは彼が超常現象を信じないから。

 

 

 ――そういうふうに宮水二葉にされたんだよ。

 

 

 

「彼女は、宮水二葉は我々の仲間だ」

 

 二葉さんが彗星の民? 俺たちの敵?

 

 宮水の入れ替わりは糸守を守るためのシステムじゃなかったのか? 糸守を消すためのシステムだったのか?

 

 あたまが混乱してくる。理解が追いつかない。

 

 何かがおかしい。何かが引っかかっている。

 

「おまえはそもそもの勘違いをしている。彗星が落ちたから、時渡りのシステムが生まれたのではない。時渡りのシステムが彗星を呼び寄せたんだ。世界の秩序を乱すシステムを粛清するために。神の粛清だ」

 

 目的は糸守町の住民を殺すため……?

 

「そうでなければ同じ場所に同じ隕石のカケラが落ちるという、このありえない確率の事象をどうやって説明する?」

 

 くっ……。

 

「我々は時の守り人。彗星の民。歴史の番人。正義は我々にある」

 

「ふざけるな!」

 

「自分の都合で歴史をねじ曲げるなよ」

 

 ユキちゃん先生は俺を静かに制する。現実を斜めにみているような表情。クールな表情を崩さない。

 

「自分の都合で歴史をねじ曲げることの何がいけないんだよ」

 

「それは神への冒涜だ」

 

「生きることが冒涜というのなら、俺は冒涜者で構わない。俺たちは運命を乗り越えて、明日へ向かう」

 

「糸守町は破壊されるべきだ。自分たちの勝手な都合で歴史を歪ませるべきではない」

 

「未来ってヤツは自分たちの手で掴むもんだろう。神様に与えられるもんじゃない」

 

「モノは言いようだな」

 

「それはこっちのセリフだ。おまえらはなんなんだ?」

 

「神さ」

 

「悪魔だろ」

 

「さて、と。訊きたいことがある。おまえはどうやってこの時間へ舞い戻ってきた? 二度目のタイムリープをどうやって行った? 時渡りは決まった時間帯にしか飛べない。そして、時渡りは連動する。この時間帯には飛べなかったはず。プログラムの書き換えをどうやって行った?」

 

 口噛み酒と結びつくことが……それがプログラムの書き換え方法だったわけだ。

 

 そりゃそうだ。こういうシステムには常に安全装置ってものがついている。こんなシステムを構築できる天才なら、当然そう考えるはずだ。

 

 宮水はその安全装置の管理者だったというわけか。

 

「答える気はなさそうだな」

 

「ていうか、おまえも俺と同じなんだろう?」

 

「あぁ、もちろん。宮水……いや、奥寺のほうがいいか?」

 

 なんで、その名前を知っている?

 

 

「おまえはだれだ?」

 

 

 ユキちゃん先生はハサミを構えた。



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エデンの戦士たち④

「おまえはだれだ?」

 

「女の服を切る通り魔のニュースを知っているか?」

 

「…………」

 

「カッターとハサミ、二人いるんだが、ハサミのほうが俺だ……怖い顔してるね」

 

「そっか」

 

 通りで、切り方がうまいわけだ。

 

「ザンネンなのはこのカラダで切り刻んでも、まったく快感を覚えないこと。カラダの持ち主の嗜好が影響するんだろうね。つまんないカラダだよ」

 

 身体が震えてきた。

 

 なんだろう。この気持ちは。

 

 これは三葉の怒りだ。そして、俺の怒りだ。

 

 同じ入れ替わりをしてきたのに、同じ経験をしてきたのに、コイツと俺たちがしてきたことはまるでちがう。

 

「入れ替わる二人の時間は並行して流れている。こんなふうに時間の距離が開くことはない。おそらくおまえはオートからマニュアルに切り換えて飛んで来たんだろう。そんなことができたおまえは不確定要素なんだ。そして、おまえはこのループを何度も繰り返せない。何度も繰り返していればやつれ果て、こんなお粗末な対応はしていないからな。ここで死んでもらう。それで世界は正常に戻る」

 

 死んでもらう……?

 

 糸守を救う方法はわからない。もしかしたら、ないのかもしれない。でも、俺と三葉がいるかぎり可能性はゼロじゃない。コイツが俺を恐れているのが何よりの証拠。

 

 ユキちゃん先生の代わりを違和感なくやってのけるには天才的知能が必要なはずだ。そんな相手にただの高校生の俺が勝てるのか? 三葉の反応なのか、さっきからカラダが恐怖で時々硬直する。三葉のカラダは戦闘向きじゃない。心のコントロールがむずかしい。

 

「人を殺してみたいんだ。人を殺す。サイコーのエンターテイメントだと思わないか?」

 

 おかしい。コイツは狂ってる。

 

「ユキちゃん先生の顔でそんな表情をするな! ユキちゃん先生のカラダを返せ!」

 

「どうせ隕石が落ちて、すべてはうやむやになる。それにこの身体は俺のじゃない。何をやっても、俺にはなんの影響もない。犯罪を犯しても……死んでも……夢が醒めればいつもの日常……おまえもそうだろ?」

 

 三葉はバカで、金づかいが荒くて、司とベタベタして、俺の人間関係を勝手に変えようとするムカツクやつだけど、俺の身体を預けられる人だ。預けてもいいと思える人だ。俺は三葉にもそんなふうに思ってほしいと思っている。

 

 そういう信頼関係がなくてもこの入れ替わりは成立する。現象に感情は影響しない。システムのプログラムが存在するだけ。どういうプログラムで入れ替わっているのか知らないけれど。

 

「何をムキになっている? まさか、出会ってもない女に惚れたか?」

 

 ユキちゃん先生はあざ笑うかのような表情を浮かべる。教室でみせていたものとはまるでちがう。

 

「ユキちゃん先生の口で、そんな言葉を吐くな!」

 

 本物のユキちゃん先生に会ったことないけど。

 

「入れ替わりの条件は未来の結婚相手だ。どうだ? うれしいか?」

 

 !?

 

「宮水の人間でも飛べない女性はいた。将来、妹より早く若くして死んでしまうとか、再婚するとか、そういうことで飛ぶための条件は満たされなくなってしまうんだ。巫女であることが求められたのは単純に複雑なプログラムを組めなかったことによるシステムエラーを起こさせないため。飛ぶための条件は意外にきびしいんだ。よくここまで解読したものだよ」

 

「嘘をつくな。なら、なんでおまえとユキちゃん先生が入れ替われるんだよ」

 

「将来結婚するからだろう?」

 

 あっさりと答えた。それが当然かのように。

 

 結婚に感情は関係ない。

 

「彼女をこの町に送り込んだのは彗星の民だ。この時間軸では彼女と結婚するわけでもないのに、結婚できるように、教師になったり、良い教師を演じたり、バカなガキどもから慕われたり……本当に面倒だったよ」

 

 俺とコイツの心の形はまるでちがう。

 

「彼女に恋人ができると俺の仕事が水の泡になるから、そっちの工作のほうが大変だったろうけど……この女、なかなか美人だろ?」

 

 恋人……? 結婚相手じゃなく……?

 

 あぁ、そういうことか。

 

「おまえがこのまま東京行きの電車に乗れば結婚できるんだぞ。それともここで未来の結婚相手を死なせるか? 自分のあやまった決断のせいで」

 

「誰も死なせない。俺はみんなを救うためにここに来たんだ」

 

「素晴らしいよ。立派だよ。だが、罪人は粛清されなければならない。神の罰は受け入れなければならない」

 

「神は誰も罰しない。粛清されるいわれもない。おまえが歴史の守人というなら、俺はその歴史を破壊する」

 

「正義は我々にある。そうだ。黄泉の手向けにさせてあげられないことがとても残念だが、最後に良いことを教えてやろう。我々はすでに決定的な一手を打っている」

 

「決定的な一手?」

 

「それは宮水俊樹に会えばわかる。会えればの話だけど」

 

 それにしてもよくしゃべる。それも楽しそうに。死んでもらうとか言った相手に対して。まるでゲームをしているかのようにみえる。コイツにとってはそういうものなのかもしれない。

 

 目覚めてしまえば忘れてもいいようなバーチャルゲーム。

 

「さて」

 

 ユキちゃん先生はハサミを振るう。無造作に。

 

 俺は転倒した。

 

「おまえは不確定要素。おまえの未来だけが読めない。おまえさえ排除できれば奇跡はおきない」

 

 ハサミを向けられる。

 

「さぁ、死のうか?」

 

「エロイムエッサイムエロイムエッサイム我は求め訴えたり」

 

 俺は小さくつぶやく。

 

「なにを言っている?」

 

 3……2……1……。



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エデンの戦士たち⑤

「エロイムエッサイムエロイムエッサイム我は求め訴えたり」

 

「なにを言っている?」

 

 3……2……1……。

 

 バンと進路指導室の扉が思いっきり開かれた。扉がユキちゃん先生に当たる。ユキちゃん先生は床に倒れる。俺は立ち上がった。

 

 テッシーが入ってきた。

 

「ハ……ハダ……三葉、なんて格好してるんや!?」

 

 テッシーは手で目を隠しながら慌てている。

 

 カラダが熱くなる。

 

 あぁ、これ、恥ずかしいってヤツだ。

 

 テッシーは学ランを脱いで、俺の背中にかけた。

 

「これでも着てろ」

「あ、ありがと」

 

 テッシーの左の手の平にユキちゃん先生のハサミが突き刺さった。隙を突いて、ユキちゃん先生が攻撃してきた。とっさにテッシーは俺をかばって盾になった。ユキちゃん先生は完全に俺を狙っている。

 

「痛っ……マジかよ」

 

 床に血がしたたる。

 

 テッシーはハサミをそのままつかむ。

 

 ユキちゃん先生の左手が振られた。左手にもハサミを持っていた。テッシーはそれを右腕で止める。

 

「勅使河原……巫女の盾か……なぜこうもタイミングよく……さっきの呪文……ケータイか……策を弄せるとは、少々おまえらを見誤っていたようだ」

 

 ケータイはずっと通話状態にしておいた。サヤちんもきいていたはずだ。

 

「って先生!? おい、三葉! 何がどうなっとるんや?」

 

 ポケットに入れておいたからか、ちゃんと聞きとれていなかったらしい。どの程度の感度か試しておくべきだった。

 

「ユキちゃん先生にケガさせるなよ! カラダは先生だけど、中身はまったくの別人……中身だけが俺たちの敵だ!」

 

「はぁ!?」

 

 ユキちゃん先生がニヤリと笑う。

 

「先生のカラダが悪いヤツに乗っ取られとるっちゅーことか?」

 

 テッシー、おまえ天才か!? 理解早すぎ。

 

「あぁ、つまり手詰まり」

 

「ダ……ダジャレ?」

 

 ばか。

 

 テッシー、サイコーだよ。ほんとサイコーだよ。

 

 でも、ばかだから、ブレーキ役がいないと破滅する。そっか。だから、二人はぴったりなのか。

 

「テッシー、今は逃げの一手しかない」

 

「三葉、おまえ、とんでもないもんと戦っとるんやな。まるでSFや。まぁ、誰が相手やろうとかまわんわ。三葉を傷つけるヤツは俺が許さん」

 

 テッシーは力でハサミを奪い取る。ヤツも指は折られたくないのかハサミを捨てた。カラダはユキちゃん先生のだから、あまり乱暴なことはしてほしくない。本物のユキちゃん先生には会ったことないわけだけど、まわりの人の反応をみれば良い先生だってことくらいはわかるから。

 

 一瞬『鏡の中の三葉』が脳裏をよぎった。三葉にも俺はまだ会ったことがないことを改めて思い出す。

 

 テッシーに手を引かれた。

 

「逃げるぞ」

 

 テッシーは走り出す。

 

 なんか今、俺、凄いヒロインしてないか? やばい。ちょっと泣きそう。

 

「俺が女だったら、惚れてるかもな」

「はぁ? なに言うとるんや。あほ」

 

 なんでだろう。

 

 こんな状況なのに……殺されかけたのに……世界がピンチなのに……頭の中でお気に入りのBGMが流れている。たぶん、俺の身体だったら、こんなことはなかっただろう。

 

「三葉、これからどうするんや?」

「俺は作戦通り町長に会いに行く」

 

 まだ俺が知らなくちゃいけないことがあるらしい。罠かもしれないけれど行かなければならない。役場で暗殺なんてしてこないと思うけれど。

 

「あと、どこかでユキちゃん先生と決着をつけなくちゃいけなくなると思う」

「どうやって倒すんや?」

 

 カラダはユキちゃん先生のだから、傷つけるわけにもいかないし。

 

「物理攻撃はしちゃいかんのやろ?」

「あぁ」

 

「数の力で押さえつけて行動不能ってのがああいうタイプの敵を倒すのに、よくある作戦やけど」

「数の力じゃ俺たちのほうが不利だろうな。相手は人気者のユキちゃん先生。誰も力は貸してくれない」

 

「手詰まりやな」

「そうでもない。保険はかけといた。うまくいけば倒せはしないけど行動不能には追い込める」

 

 おそらくうまくいかない。どう考えても一手足りない。決め手がない。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 俺たちは靴を履いて学校から脱出した。サヤちんにはテッシーから、ユキちゃん先生が危ないので彼女から逃げるようにと連絡してもらった。

 

 テッシーに手を離されてから、身体が震えだした。

 

 人の敵意に生まれて初めて触れた。野性の動物が人間に感じる恐怖に近いものかもしれない。ダメだ。震えが止まらない。

 

 テッシーに抱きしめてもらいたい。

 

 男のときには一度も考えたことのないことだ。心が身体に馴染んできている。

 

「三葉、だいじょうぶか?」

 

 俺は助けられるだけのお姫様じゃない。勇者だろう。

 

 三葉の身体は俺が守るんだ。俺しかいないんだ。

 

 震えがぴたりと止まった。

 

 まるで三葉と会話しているかのようだ。そうだ。この身体の中にいるときは、いつもそうだった。

 

「だいじょうぶだ。テッシー。キズ、みせて」

 

 俺は左腕に巻きついていたブラウスの生地を切って、テッシーの手の止血をした。さすがに、上半身のもうひとつの生地は使えない。俺がごそごそとブラウスを脱いで、袖を切っていると、後ろを向いているテッシーの耳が真っ赤になっていった。なぜが笑いそうになった。

 

「そ、それにしても、まるで悪霊にでもとりつかれとるようやったな。三葉んちの婆ちゃんなら、なんとかできるんやないか? 巫女やし」

 

「あぁ、なにか知っているかもしれないな」

 

 

 

 ――宮水俊樹。彼を町長にしたのは我々、彗星の民だ。

 

 

 

 いろいろありすぎて、整理できない。

 

 俺は何かを見落としているような、そんな気がするんだけど、今はそれを考えている暇もない。前へ、前へ進まなければ。まずは三葉のオヤジさんのところへ。

 

 三葉のオヤジさんが町長になったのは彗星の民のシナリオ。

 

 オヤジさんに会えば彗星の民が仕掛けた決定的な一手の正体がわかる。

 

 彗星の民……ユキちゃん先生……ハサミ男……ヤツは俺より強い。

 

「婆ちゃんの前に、まずは町長に避難指示を出してもらえるように説得しにいく」

 

 

 

 ――彼は絶対に町民を避難させない。

 

 

 

 説得は本当に不可能なのか!?

 

「三葉、俺は作戦を続行するぞ」

「あぁ。頼む」

 

 テッシー、こいつは信頼できるヤツだ。

 

 今までも友達だと思っていた。俺の世界で、実際に会って、俺の姿で話してみたい。

 

 テッシーは将来家を継ぐんだろうか? もしかしたら、俺たちは将来どこかで出会うのかもしれない。そんな予感がする。もうこれは予感じゃない。確信めいたものを感じる。司のほうがテッシーに早く出会うかもしれない。

 

 つながりは俺と三葉だけじゃない。糸は思っていたより、ずっと複雑に絡み合っている。もう、ほどけないくらいに。

 

 テッシーとサヤちんと司と高木……俺と三葉……きっと楽しい。

 

 これが終われば、今のこの記憶はすべて失ってしまうのだろう。

 

 すべて消えてしまうのだろう。

 

 でも、この想いは消えない。

 

 そう信じてるんだ。

 

 

 なぁ、そうだろう。三葉?



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空と海と大地と呪われし姫君①‐1

 進路指導室で、ユキちゃん先生と話す前――

 

 

「彗星が落ちなかったら、なんでもいうこときいてあげるから避難してってお願いしたら、テッシーなら、どうする?」

 

「そりゃ、避難するやろ」

 

 妙なところでテッシーは正直だ。

 

 サヤちんが横目にテッシーを睨んでいる。

 

 あっ、テッシー、気づいた。

 

「ゴ、ゴホン……三葉、よく考えてみぃや。一人二人ならともかく、500人となるとムリやぞ」

「サヤちんもつける!!」

 

「えええええええええええぇっ!? ……えっ!? ええええええええええええええええっ!?」

 

 サヤちんが立ち上がって悲鳴をあげた。なぜか二回悲鳴をあげた。

 

「ムリやって」サッシーが抑揚をつけて、じっくりと言った。

「え?」

 

 サヤちんが急に真顔になった。真顔だ。完全に真顔だ。

 

「ちゃ、ちゃうわ。そういう意味やないって」

「どういう意味よぉ?」

 

 サヤちん、テッシーにぐいっと詰め寄る。

 

「は、話すだけで日が暮れてまうやろ」

 

 テッシーはおろおろしている。

 

「釣れた男どもに避難誘導も手伝ってもらう!」

 

「うまくいかんわ。まわってる間におまわりさんに補導されるわ」

「う~ん」

 

「三葉、ほんとにだいじょうぶなん? あたま」

 

「だいじょうぶ! すぐにサヤちんもこっちの世界に来れるから」

 

「それはない」

 

 サヤちんは標準語で言った。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 三人でいろいろシミュレーションをしたけれど、結局のところ、最後は役場に出てきてもらわなければならないという平凡な結論に至った。つまり、糸守町町長の説得なくして糸守が助かる道はない。

 

 つまり、ここが大一番。ここがクライマックス。

 

 クライマックスでの失敗は許されない。

 

 説得できなかったなんて絶対に許されない。

 

 行くぞ! 三葉!!

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 町長室。個室だ。

 

「三葉、学生服なんて着てどうしたんだ?」

 

 三葉の父親である宮水俊樹町長は目を通していた書類を机において立ち上がった。どうみても関連性のない書類が同じ机に並べられている。娘が来たから、急いで仕事をしているかのようにみせかけるために書類を広げたのか? それとも書類に目を通しているふりをしながら、娘と話そうとしていたのか? 面と向かって話すのが恥ずかしいのか?

 

 オヤジって大変だな。

 

「制服はテッシーに借りた。それより大事な話があるんだ」

 

「ティアマト彗星がこの町に落ちる。それで500人以上が死ぬ」

 

 えっ!?

 

「だから、住民を避難させないといけない。避難指示を出してほしい。避難訓練でもいい」

 

 三葉のオヤジさんはじっと俺の反応をみながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「その表情は……どうやら、当たりのようだな」

 

 困惑というより「どうして、それを知っている?」という驚きの表情になっていたんだろう。

 

「えっ……とぉ……」

 

 言葉をいろいろ用意してきたのに何も出てこない。

 

 マジかよ。長考の末の一手をたった一手でフイにされた。

 

「彗星が落ちてくる根拠もある。彗星が二つに割れる。それをみてもらえればわかる。彗星は二つに割れて軌道が変わって、糸守に落ちる」

 

 俊樹は原稿を読むように言った。

 

 やられた。

 

 こんなやり方があったのか。いや、効果的だよ。身体から力が抜けそうになる。

 

「昨夜のバカなバラエティ番組で、ティアマト彗星が地球に落ちる可能性があると放送されて、朝からそんな電話がずっと鳴りっぱなしだよ。危機感をあおれば視聴率が取れると思っている。こっちはいい迷惑だ。彗星が近づくたびに毎回毎回……1200年前に糸守町に隕石が落ちて、今回も落ちるとか、業務妨害も甚だしい。今日は大事なイベントがあるというのに……朝の報道で地球に落ちる可能性はゼロだと伝えられたが、効果はなかったようだ。ばかばかしい」

 

 彗星の民はテレビ局にまで潜り込んでいるのか?

 

「選挙も近いし、足の引っ張り合いだよ。おまえもいいように利用されてるようだな。ほんとうに情けない。そんなバカげた話を真に受けるなんて」

 

 これは説得どうこういう次元じゃない。

 

「それで?」

 

「避難指示を出してほしい」

 

「ちがうだろう。その話はどこから……いや、誰から聞いたんだ?」

 

「いえない」

 

 俺は唇を噛んだ。

 

 くそ……くそぉ……くそぉおおお……こんな敗北感は生まれて初めてだ。

 

 俊樹は俺をみつめてくる。

 

「信じられないのはわかるよ。でも、ちゃんと……」

 

 俺は無理やりに言葉を紡ぎ出す。

 

 三葉のオヤジさんは俺を手で制す。

 

「なにを言ってるんだ。おまえは……」

 

 やっぱりダメなのか……。

 

「……と言うだろうな」

「え?」

 

「おまえの言葉を普通ならきっとただの妄言だと切り捨てるだろう。そういう意味だ」

 

 俺の目の錯覚だろうか? 三葉のオヤジさんの顔が一瞬だがやわらかくなったように思えた。

 

「じゃあ」

 

 婆ちゃんでも信じてくれなかったのに……信じられない。このわからず屋みたいなオヤジがこうもあっさりと……。

 

 俊樹はメガネを外した。

 

 

 

「何も使わずに、その身だけで人間が空中に浮いているところをみたことがあるか? 異世界からやってきた怪物に追われながら、それと応戦したことがあるか? 巨大な城を指一本で動かしている人間をみたことがあるか? 錬成陣による人間の召喚(瞬間移動)をみたことがあるか?」

 

 

 

「なにを言ってるんだ?」

 

「……と言うだろうな。これらはすべて俺の実体験だ」

 

「はあ?」

 

「信じられないのはわかる。でも、ちゃんと……証人もいる。これは俺の歴史であり、この世界の現実だ」

 

 一瞬にして、俺と三葉のオヤジさんの立場が入れ替わった。完全に。

 

 人が浮かぶ? 異世界の怪物と戦った? 指一本で城を動かす? 人間の召喚? 俺はこれらを信じられるだろうか? 無理だ。ありえない。人は浮かばないし、異世界は存在しないし、城を指で動かすなんて物理的に不可能だし、人間の召喚なんて無理だ。

 

 時空をわたってきた俺でも信じられない。

 

 三葉のオヤジさんは何を言っているんだ?

 

「ちょうど二葉が三葉くらいの年齢だったかな。俺は少女だった二葉と出会った。そして、俺たち二人はふしぎの世界に迷い込んだ。それから二人でたくさんの冒険をした」

 

 二葉が三葉と四葉におとぎ話を語りかけるようすが俺の脳裏をかすめる。これは三葉の記憶だ。これはおとぎ話じゃないのか? そのおとぎ話に出てくる二人の男女は俊樹と二葉さん……?

 

「この世界はふしぎに満ちている。きっと、おまえはそれにふれてしまったんだろう」

 

 話の方向性がわからなくなってきた。

 

「あんたはだれだ?」

 

「俺は……あいつの助手だった……」

 

「…………」

 

 

 

「あいつは……おまえの母さんは……正真正銘の名探偵だった」



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空と海と大地と呪われし姫君①‐2

「あいつは……おまえの母さんは……正真正銘の名探偵だった」

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 インターネットで都市伝説についていろいろ調べたことがあった。その中にあるうわさがあった。とある女子高生のまわりで不可解な殺人事件がいくつもおきていたという内容だ。不審に思った警察も彼女の身辺調査を行ったが何も出てこなかったそうだ。

 

 彼女はネットの中で中傷されていた。

 

 死神とか、リアルなんとかとか……。

 

 彼女のまわりを捜査していた警察官も彗星の民だったのかもしれない。いずれにしても、彼女が本物の名探偵ならば何かが出てくるわけがない。そして、問題はそこにはない。問題なのは俊樹が宮水二葉を名探偵だと信じていることだ。そして、おそらく彼女は本物の名探偵だったんだろう。

 

「名探偵の前ではどんなにふしぎな現象もこの世界の現実に収束する」

 

 ありとあらゆるふしぎな事象を現実に収束させる能力。超常現象を通常現象の中で説明する能力。推理する能力。

 

 そんな能力にふれてしまった俊樹に予知能力なんてものを信じてもらえるはずがない。

 

 だが、真実はもう一つある。

 

 俺が今、ここにいるということだ。

 

 俺が今、三葉の中にいるということだ。これはまぎれもない事実現実だ。超常現象は、超能力は確かにここに存在している。俺の記憶が偽りでなければ。俺の存在が偽りでなければ。

 

 けれど、それを、超能力の実在を証明する術がない。それはつまり、宮水俊樹を説得する方法が論理的に存在しないということになる。

 

 もうひとりの俺が失敗するわけだ。解なし。正解が存在しないんだから。

 

 三葉の身体の中に入ればどうにかなるような気がしていた。なんとかなるような気がしていた。最終的に、命を賭けて、頼み込めば俊樹も折れるものだと考えていた。甘かった。元名探偵の助手を相手に、そんなものが通じるわけがない。謎には真実が隠されていると考えるはずだから。だけど、ここには謎も真実も存在しない。これはミステリじゃないから。ただのファンタジーだから。

 

 真実はいつも一つとは限らない。ファンタジーにおいて、真実は存在しない。

 

 一介の高校生が世界を救えるほど世界は安くはないらしい。世界はそう簡単に俺を英雄にはさせてくれないらしい。

 

 どうすればいい? 俺はどうすればいい?

 

 彗星の民……バカだけど優秀なスタッフを揃えている。

 

「俺と二葉がまだ名探偵とその助手(兼保護者)という関係だった時だ。予言なんて日常だったよ。おまえを信じていないわけじゃない。おまえはファンタジーにとらわれたんじゃない。おまえがとらわれたのはミステリだ」

 

 そう……来るよな。

 

「そういえば話したことがなかったな。二葉のこと。おまえの母親のことじゃない。俺の妻のことでもない。少女、宮水二葉のことだ」

 

 

 ――彼女は呪われし姫君とよばれた。

 

 

 ミステリとファンタジーの外観は同質で区別がつかない。

 

 こんなのってありかよ。ミステリの住人を、それも百戦錬磨の名探偵の助手を説得するなんて……無理だ。

 

「俺はただ……町のみんなを避難させてほしいだけなんだ。本当にただそれだけなんだ」

 

「このことは誰かに言ったのか?」

「もちろん。できるだけたくさんの人に言ってる」

 

 俊樹は頭を抱えた。

 

「避難指示は出さないというより、出せないと言ったほうがいい。娘が隕石が落ちるから避難しろと言いふらしていて、その父親である町長が避難命令を出すわけにはいかないだろう。それは権力の乱用以外の何ものでもない。これは政治家として決してやってはならないことだ」

 

 隕石が落ちないことを前提に話が進んでいる。だから、いくら話をしても話が噛み合うことはない。

 

「仮に、おまえが言っていることが真実なら、この糸守の住民は死を受け入れるしかない。俺にはどうすることもできない」

 

 正論だ。360度正論だ。

 

 取り返しのつかないことになった。

 

 なんで、こんなにことになっちゃうんだよ。

 

 もう、ダメなのか?

 

 施設を爆破して、避難放送を流しても、今のままの方法じゃ、全員を救うことはできない。

 

「どうして、おまえは町民全員を避難させたいんだ? 本当のことを言ってくれ。正直に話してくれ。父さんは三葉の力になりたいんだ」

 

 おわった。

 

 決定的だ。

 

 俺はこの質問に対する正解を持っていない。もしこの質問に正解できる人がいたら、小説家にでもなったほうがいい。俊樹を説得するためには一流のプロ作家のような天才的な想像力が必要になる。それでも足りないかもしれない。前代未聞の創作なのだから。俺の知性では無理だ。

 

 爆弾が埋まっていれば避難の口実にもなるかもしれないけれど、フェイクでも高校生にそんなもの用意できない。

 

 俊樹はまともだ。完全にまともな人間だ。わずかも狂っていない。でも、狂っていなきゃダメなんだ。狂っていなきゃ、隕石が落ちるなんてことを信じない。

 

「父さんを信じてくれ」

 

 俊樹の目はまっすぐと俺をみている。三葉のことが大好きなんだろう。宝物って言ってたっけ。宝物ってなんだ? たぶん、こういう目でみつめていたいものなんだ。まっすぐに。

 

「父さんは町長だ。無理をきいてやることもできる」

 

 それは娘への口調というより、もっと対等な……そう恋人に対する口調のようでもあった。そして、覚悟のセリフでもある。マジメそうな俊樹が言うセリフじゃない。

 

 まいったな。

 

 こんなの説得できるわけがないじゃないか。

 

「お願いします」

 

 俺は頭を下げた。俺は頭を下げたまま。

 

「お願いします」

 

 どうすりゃいいんだよ。この俊樹に言うことを聞かせる方法なんてあるのか? この状況をひっくり返す奇跡のような方法が……たったひとつでも冴えたやり方が……そんなものがあるのか?

 

 もうひとりの俺も言っていた。救えなかった。できなかったと。

 

 俺じゃダメなのか? 三葉ならできるのか? そういう問題じゃない。

 

 そもそも根本的な障害がある。俺たちにはなんの力もない。ただのこどもにすぎない。マンガやアニメじゃない。これは現実だ。高校生のたわごとに耳を傾ける大人なんて現実には存在しない。

 

 三葉……心が折れそうだよ。

 

 

 

 あきらめないで。

 

 キミは今、ここにいるよ。

 

 世界はそんなに弱くできていないから。

 

 

 

 俺は頭をあげた。俊樹をみつめた。

 

 俺は今、ここにいる。世界を救うって役割をもらって。

 

 考えろ。考えるんだ。何か手があるはずなんだ。見落としている点があるはずなんだ。みつけさえすればなんでみつけられなかったんだって、あきれてしまうような簡単な手が。

 

 そのための時渡りのシステムじゃないか。

 

「俊樹……お願いだ」

「…………」

 

 突然、町長室の電話が鳴った。

 

「あぁ、私だ……っ!? …………本物……なのか? ……あぁ、わかった」

 

 俊樹が驚愕の表情を浮かべている。俊樹が電話機のボタンを押した。

 

「変わりました。町長の宮水です」

 

 俊樹は恐縮そうに受け答えをしている。

 

「承知いたしました」

 

 俊樹は電話を置いた。俊樹はケータイでどこかに電話をかけはじめた。裏をとっているようだった。

 

「三葉……おまえは今、何をしているんだ?」

 

「だから、俊樹に避難のお願いを……」

 

 

 

「今の電話は首相官邸からだ」



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空と海と大地と呪われし姫君①‐3

「三葉……おまえは今、何をしているんだ?」

「だから、俊樹に避難のお願いを……」

「今の電話は首相官邸からだ」

「えっ!?」

 

「窓口ではなく、上の人間にも直接確認をとった。服部総理からの直接命令だそうだ」

 

 なんで、それを今、この俺に言おうとしてるんだよ。

 

 なんで、今、内閣総理大臣、服部首相が出てくるんだよ。

 

「糸守町の町民を絶対に避難させるなとのことだ。仮に緊急で避難すべき事態が発生したら、直ちに官邸に連絡するようにとのことだ」

 

 なんだ、その指示は?

 

 そっか。これが……ユキちゃん先生が言っていた決定的な一手。

 

 これはけん制だ。官邸に連絡をすればその理由を問われる。隕石が落ちると予言されたからなんて、口が裂けてもいえない。

 

 動いたか……彗星の民。

 

 官邸からのあらゆる避難命令へのけん制。

 

 こんなのどうやって覆せばいいんだよ。

 

 それに服部首相登場って、どんだけ避難のハードル上げるんだよ。

 

 身体が震える。今までの人生で感じたことのないプレッシャー。国を敵にまわすってこういうことなのか。これほどのものなのか。吐きそうだ。日本政府に楯突くなんて。一介の高校生が背負えるもんじゃない。

 

 世界を救うって……英雄になるって……こんなにも険しいものなのか。

 

 もう、ギャグだぜ。

 

 

 

 KEEP OUT

 

 黄色いテープで立入禁止措置が取られたその前で、自衛隊員の女性に付き添われながら、泣き崩れる三葉の気持ちを思い出した。

 

 俺が走るのをやめたら、誰が三葉の涙を止められるんだ。

 

 

 

 

 俺のケータイが鳴った。誰だ?

 

『決定的な一手はわかったかな?』

 

 ユキちゃん先生だった。

 

「あぁ」

 

『降参するかい?』

 

 ケータイを持ったまま、俺は俊樹をみた。

 

「俺は……糸守が好きだ。糸守の山並みが好きだ。坂が好きだ。食べ物が好きだ。空気が好きだ。街並みが好きだ。……みんなが好きだ」

 

『もうすぐぜんぶ消えてなくなる』

 

「そうはならないさ」

 

 俺はじっと俊樹の目をみつめた。

 

「そして、おまえは俺が倒す。かならず倒す」

 

『やれるものなら、やってみろ』

 

 電話は切れた。ユキちゃん先生の声でヤツは笑っていた。

 

「三葉! おまえは何と戦っているんだ? いや誰と戦っているんだ?」

 

「今、それは関係ない。さっきから言ってる通りだ。糸守に彗星が落ちる。確実に」

 

「それを信じることはできない。それに首相命令がある」

 

「みんなを避難させてほしい」

「それをすれば糸守が終わる。高校生なら、わからんわけではないだろう? 官邸の命令を無視することの……その意味を」

 

 どんな救世主も初めから救世主だったわけじゃない。

 

 奇跡を起こしたから、救世主とよばれた。

 

 すべての退路は断たれた。もう活路はない。それでも俺は走る。例え、道がなくなったとしても。救世主になるために、俺はここに戻ってきたんだから。

 

 これは悲劇の物語なんかじゃない。これは奇跡の救世主の物語だ。

 

「糸守のみんなを守りたいんだ」

 

「その言葉に嘘がないことはわかる。俺はこどもを信じない親ではないから。しかし、俺は糸守を預かるこの町の責任者でもある。本当の理由も明かされず、住民を動かすことはできない。三葉、おまえの言葉は住民を避難させる理由にはならない」

 

 そして、俊樹はすごく悲しそうな顔をした。それは俺を通して、べつの誰かをみているような、そんな表情だ。

 

 誰をみている……?

 

「もし、おまえが本気で隕石が落ちると言っているなら、糸守を救う方法はたったひとつだけだ」

 

 あるのか? そんな方法が。俺は生唾を飲んだ。

 

 俊樹は俺の手を取って、俊樹の胸に当てた。

 

「…………」

 

「私を殺すことだ」

「!?」

 

 こんな発想はカケラも考えていなかった。説得が不可能なのはあくまでも宮水俊樹だけ。副町長なら説得は容易に可能。命を落とすことすら想定して仕事を遂行する。これが町の長という人種の覚悟なのか。

 

 この町長を説得するなんておこがましい。俺はいったい何様だったんだ?

 

「もし、本当に糸守が消えるなら、神に、この命を差し出そう」

 

「何も死ぬ必要なんてないだろ!?」

 

 俊樹は困ったように笑った。その表情はやさしげにみえた。

 

「三葉は本当に彗星が落ちると思っているんだな」

 

 胸が痛くなった。

 

 俊樹は彗星が落ちることを信じたんじゃない。彗星が落ちてくることを本当に俺が信じていることを信じたんだ。だからこそ、俊樹は絶対に町民を避難させない。彗星は落ちないと確信したから。避難させる理由が完全になくなったから。

 

「おまえが本気で住民を避難させたいなら、俺を殺せ。死ぬ前に、避難指示は出してやる」

 

 俊樹は自分の胸をトントンと親指で指した。

 

「なんで、そこまで……」

「責任を取るとはこういうことだよ」

 

 首相が死ぬと与党の法案が無条件に次々に通るって話をきいたことがある。命にはそれほどの力がある。世界を変えるだけの力が。

 

「おまえがどんなに真剣にお願いしようとも、隕石が落ちるから住民を避難させてほしいと言われて、動く行政はこの世界には存在しない。この俺も同じだ」

 

 世界を救うって、こんなにも過酷なものなのか……。

 

「めちゃくちゃな指示を出すためには根拠を示す必要がある。町長の……俺の命はそれに十分だ。命を落とせば理由も隠せる」

 

 俊樹は入れ替わりの記憶をなくしているんだろう。俺ももうすぐ忘れる。

 

「おまえに私を殺す覚悟があるか?」

 

 これはそういう物語なのか……?

 

 世界を救うって……救世主って、英雄ってなんなんだ?

 

 俊樹は俺にペーパーナイフを握らせる。手がじんわりと汗ばんでいる。俊樹の緊張感が伝わってくる。ペーパーナイフだが、人を殺すには十分だ。俊樹は服をはだけさせる。

 

 俊樹は本気だ。

 

 これは説得するしないの問題ではない。信じる信じないの問題でもない。

 

 殺すか殺さないかのほうが、よほど本質に近い。

 

 根本的に、俺はやり方をまちがえているんだ。

 

「さぁ、おまえの本気さを教えてもらおうか……三葉ッ!!」

 

「くっ」

 

 俊樹は俺を止めようとしているんだ。

 

 くそぅ……。

 

 こんな……こんな……こんなのって……。

 

「三葉……おまえは誰だ?」

 

「救世主さ」

 

 俺は力なく答えた。

 

「ならば」

 

 俺を殺せ……か?

 

 命を賭して職務を全うする。それが俊樹のアイデンティティ。

 

 俊樹は俺の涙をぬぐった。

 

 俺は泣いていたのか……?

 

「それでも彗星は落ちてくる」

 

「おまえが言うと本当に彗星が落ちてくるような気がしてくるよ」

 

「本当に落ちてくるんだよ」

 

「俺は今日の日のために生まれてきたのかもしれない」

 

 人生を積み重ねてきた50代とは思えない。まるで少年が口にするような軽い言葉だ。

 

 これはどういう意味だ? そうか。覚悟が決まっていないのは俺のほうだったのか。

 

 俊樹は悲しそうな表情を浮かべた。

 

 人はこんなにも悲しい表情ができるものなのか。

 

 民俗学者として、二葉さんと出会って、数々の難事件を解決に導いて、巫女で名探偵の二葉さんと結婚して、神主になって、三葉と四葉の父親になって、二葉さんと別れて、町長になって……これだけの人生を送ってきた男とは思えない。まるで空っぽの人生を送ってきた男のようだ。

 

 何が彼をそう思わせているんだ?

 

 二葉さんは彼に何をしてきたんだ? 彼の人生の中心には二葉さんがいる。

 

 ……あぁ……そうか。

 

 二葉さんか。

 

 彼は満たされていないんだ。今も過去も。

 

「世界を救うために生まれてきたとか、そんな悲しいこというな……最後にもう一回だけお願いするよ。みんなに避難指示を出してくれ」

 

「私のプライドに賭けて、それは受けられない。受けさせたいなら、私を殺せ」

 

「わかったよ」

 

 これで確定した。宮水俊樹を崩すことはできない。

 

 俺は俊樹に背中を向けた。ドアに向かう。

 

「そのときはあんたを俺が殺すから」三葉じゃなく……俺が。

 

 背中越しに言った。

 

「三葉……相談になら、いつでも乗る。本当のことを話したくなったら、いつでも来い。俺はおまえの父親なんだから。責任は俺が取るから……俺はおまえを信じてる……」

 

 信じてると信じる。同じ言葉なのに、意味が全然ちがうんだな。

 

「俺の命は……」

 

 俺は何をしにここに来た?

 

 糸守を救うため? そうじゃないだろ。三葉の涙を止めるためだ。

 

「言っただろ? 俺は救世主だって。たった一人の父親も救えずに何が救世主だよ。ぜんぶ丸ごと救ってやるよ」

 

 俺と三葉で。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

「アイツじゃ糸守は救えない。本人が言っているんだからまちがいない。立花瀧という男はそれほどの器じゃないんだよ」

 

「あの、標準語……やなくて日本語の使い方まちがってますよ。本人って、奥寺先輩は私やないですから。って、私も……俺も日本語の使い方がおかしいですね」

 

「あぁもうッ! ややこしいな、これ! 頭がこんがらがってくる」

 

 そういって、奥寺先輩は髪の毛をかきむしった。

 

「今日の奥寺先輩、ちょっとヘンですよ」

 

 

 私はあははと笑った。

 

 メイクもしていない。ノーメイクの顔は初めてみた。なんか……似てる……。

 

 

 おかあさん。

 

 

「おまえが眠っているとき思い出したんだ。一方的にこっちの想いを伝えるんじゃなくて、俺はもっと宮水一葉の言葉に耳を傾けるべきだったんだ。糸守を救うために。鍵を握っているのは宮水一葉だ」

 

 糸守を救う……??

 

「あなたは誰ですか……?」




この『君の名は。リメイク』は原作でカットされてしまった宮水俊樹の説得シーンをノーカットで描きだす物語です。俊樹の説得難易度は限界まで上げています。瀧と三葉は俊樹を説得できるのか?


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空と海と大地と呪われし姫君②

「三葉を幸せにしてくれる人はたくさんいると思うんよ。でも、三葉を暗闇から救い出してくれる人はそうはいない。私にとって、トシキ君はそういう人だったんよ。あの人はどんなときも逃げんかった。トシキ君とはいろんな冒険をしたんよ。楽しかったことより辛かったことのほうが多かったかな。あの人が一緒にいてくれなかったら、私は運命に押し殺されていたと思うんよ」

 

 おかあさんがおとうさんをトシキ君と呼んだのを初めてきいた。

 

 おとうさんとか、俊樹さんだった。たまに俊樹と呼び捨てにしているときもあった。

 

 君付けはおとうさんのイメージに合わなかった。

 

 私は昔のおとうさんを知らない。

 

「トシキ君は私にとってヒーローだった。私を暗闇から救い出してくれたヒーロー」

 

 おかあさんの病室。

 

 おかあさんが余命一ヶ月のときのことだった。

 

「おかあさん、ずっといて」

 

 おかあさんはしばらく黙って、私の頭を撫でてくれた。

 

「三葉、約束しようか」

「なに?」

 

 おかあさんは何かを語った。

 

 おかあさんが何を語ったか思い出せない。すごくうれしいことを言われたような気がする。でも、それは私をなぐさめるためのその場かぎりの言葉だと思って、私はその気持ちだけを受け取った。

 

 すごく幻想的なことだったと思う。現実的じゃないことだった思う。

 

 それは魔法の呪文のようなものだった気がする。

 

「このことは誰にも言わんといてね」

「うん」

 

「そうだ。三葉、あなたにとって、私のトシキ君のような人に出会ったら話しんさい。きっと、あなたを暗闇から連れ出してくれるから」

 

 このときの私は暗闇が何を意味しているかなんて知るよしもなかった。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 あの夜のことはよく覚えていない。

 

 覚えているのはあの悪夢の彗星の美しさとあの夜の気持ちだけ……。

 

 あの日から毎晩毎晩、夢にみるようになった。夜になるのが恐ろしかった。夜空が怖くなった。また星が落ちてくるんじゃないかって……。

 

 あの夜、どうやって、糸守に戻ったか覚えていない。糸守に向かっていた車に乗せてもらったような気もする。帰る場所なんて、あの町しかなかったから。行くアテなんて、この町しかなかったから。あんなに出ていきたいと思っていたはずの町だったのに……。

 

 車から降りて、まとわりついてきた大人たちを振りほどいて、私は自分の家へ歩きつづけた。変わり果てた風景に、どこに向かっているのかさえ、わからなくなる心を抑えつけて……。

 

 赤く燃えあがる山が現実感を消していた。まるで夢の中のようで……。

 

 

 夢であって……夢であって……夢であって……。

 

 

 人々が右往左往していた。混乱していた。誰と連絡がとれないとか、町の外の病院に救急車で運ばれていく怪我人たち。初めての現場なのか、震えている救急隊員もいた。

 

 現実感がなくて、不安でたまらなくて……だんだん喧騒がきこえなくなっていって……誰の声もきこえなくなっていって……。

 

 私の前から、糸守の町が消えたことを知った。

 

 信じたくなくて……信じられなくて……私は叫んだ。

 

 四葉の顔がみたくて、おばあちゃんの声がききたくて、町を指揮しているはずのおとうさんの姿をさがして……私はみんなの名前を呼びつづけた……。

 

 腕を引かれた。危険な町の中から、安全な町の外に私を連れ戻そうと。

 

「邪魔しんといて」

 

 私の腕をつかむ女の人に怒鳴った。

 

「うちに帰るだけやから……みんな、私の帰りを待ってるから……ただ家に帰りたいだけやから……宿題もしないといけないから……ユキちゃん先生に怒られるから……」

 

 私の腕をつかんでいた女性の顔がゆがむ。

 

 昨日と同じように……いつものように……。

 

 なんで、そんな普通のこともさせてくれへんの……。

 

 家に帰りたい。

 

 傷だらけの人が担架で運ばれてくる。そこら中、傷だらけの人たちばかりだった。救急隊員が担架の怪我人に必死に声をかけている。重傷のようだ。

 

「なんでやの? なんで! なんでなんで! なん……」

 

 うまく声が出ない。

 

 

 何かが壊れる音がした。

 

 たぶん、それは私の心が割れる音だったんだと思う。

 

 胸が痛い。ほんとうに痛い。

 

 

「たすけて……たすけ……たすけて……」

 

「行きましょう」

 

 私はその手を振り払って走り出した。みんなの姿をさがして。さがさずにはいられなかった。このまま、何もせずに、この場を去るなんてできっこなかった。

 

「待ちなさい!」

 

 

 

 たすけて……たすけてよ……瀧くん――。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 気づくと病院にいた。

 

 すこしケガをしていた。そういえば、どこかで転んだような気がした。夢の中でケガをしたはずなのに、現実でもケガをしている。そんな気分だった。

 

 あの夜がフラッシュバックして、私は叫んだ。

 

 二人の看護師がやってきた。

 

 

 私はすべてを失った。

 

 私が生きてきた世界ごと。

 

 

 家族でも、友達でも、近所のおばさんでも、先生でもない病院の人たちが妙にやさしかった。

 

 

「宮水さん、どうして、あの日、糸守にいなかったのかな? 学校を休んだんだって? どこに行ってたの?」

 

 わからない。

 

 私は首を振った。

 

 どうして、私はあの日、学校を休んだんだったっけ?

 

 この人はカウンセリングの先生?

 

 私は誰と話しているんだっけ?

 

 私は今、どこにいるの? おばあちゃんはどこ? 四葉はちゃんと学校に行ってるの?

 

「東京に行ってたんだよね? あなたを糸守に連れてきたラーメン屋さんの店主からきいたわ。何をしに行ったのかな?」

 

 

 

 東京……?

 

 瀧……くん……?

 

 そうだ。瀧くんだ。

 

 どうして忘れてたんだろう。

 

 ……あれ? 名前が思い出せない。顔も、姿も……誰を思い出せないんだっけ?

 

 

 

 ――たーきっ! まさか、昼から来るとはね。メシ行こうぜ!

 

 ――はは、くん付け? それって反省の表明?

 

 ――おまえさぁ、どうやって通学で道迷えんだよ?

 

 ――たまごサンド。おまえのそのコロッケ挟もうぜ。

 

 ――たーきっ!

 

 

 

 そう。そうだ。瀧くん……瀧くん……瀧くん……忘れちゃダメ。忘れちゃダメな人……忘れちゃいけない人……。

 

 瀧くん……瀧くん……瀧くん……。

 

 もう一度だけ、会いに……誰に……? どこに……?

 

 誰を忘れちゃいけないんだっけ……?

 

 

 

「宮水さん?」

 

 

 

 なんでもあげるから……なんでもするから……嫌だけど口噛み酒もたくさんつくるから……。

 

 もう、これ以上、私から何も奪わんといて……神様……。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 ぽちゃんと水滴が落ちる音。

 

 どこかの洞窟の中だ。

 

 奥寺先輩が私を抱きしめて、頭を撫でてくれている。

 

 なんだか安心する。まるでおかあさん……私のなぐさめ方を知り尽くしているような、そんな感じだ。

 

「奥寺先輩……? ちがう。あなたはだれ?」

 

「さぁ、だれでしょう」

 

「あなたは……」

 

 奥寺先輩は私の唇をおさえた。そして、自分の唇に人差し指を当てる。

 

「魔法はヒミツの開示に弱い。その名前はまだ口にしないほうがいい。まだ魔法を解くわけにはいかないから」

 

 そこにノーメイクの奥寺先輩がいた。

 

 その顔はおかあさんの顔に似ていた。

 

 

 私は再び瀧くんの身体の中に入っていた。

 

 物語はまだ終わっていない。

 




結末までのプロットはできているので未完にはしない予定です。


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いにしえの竜の伝承①

命を捨てても召喚士を守る

誇り高きガードの魂……

見事なものです


 詰んだ。

 

 俊樹を説得するという行為はまったく意味をなさなくなった。

 

 常識的な大人なら、高校生の娘から、隕石が落ちてくるので町民を避難させてほしいなんて言われて、それを本気にするわけがない。そもそも説得という行為自体が現実的じゃなかったんだ。なんで、説得しようなんて考えたんだろう。そして、祭りの日というのもまた厄介な要素だ。平日だったら、なんやかんや理由をつけて、避難訓練に持ち込めたかもしれないが、祭りを中止にしてまで、避難訓練するなんてありえない。

 

 俊樹ほどの名探偵の助手なら、予言と戦ったこともあるだろう。二日後、雷にうたれて死ぬと予言されて、実際にその通りになるとか。そして、そういう不可解な現象を推理によって、説明可能な事象にしてきたはずだ。

 

 だから、当然こう考える。三葉は『なんらかのトリック』によって、隕石が落ちると信じ込まされている。つまり、隕石は落ちない、と。

 

 俊樹が注目しているのは『なんらかのトリック』についてであって、隕石が落ちるかどうかについてじゃない。だけど、現実はトリックなんて存在しない。ミステリーじゃなくファンタジーだから。これは同時に俺と俊樹の間に、これ以上の会話は成立しないということも意味している。

 

 俺が俊樹を説得するということがありえなくなった。三葉でも同じだ。

 

 どんな言葉も、どんな演出も、名探偵の助手であった俊樹の前では通じない。

 

 トリックだ! の一言で終わり。

 

 詰んだ。

 

「ふつう、そうなるよなぁ」

 

 かめはめ波とか、ゴムゴムのピストルとか、ジャジャン拳とか、風遁螺旋手裏剣とか、月牙天衝とか、そういうわかりやすい必殺技が使えればよかったんだけど、少年漫画のヒーローのようなカッコイイ必殺技なんて使えないし。

 

 俺はただの高校生だ……。

 

 いや、ただの高校生じゃない。俺は二つの能力を持ってるじゃないか。一つはタイムリープ。もう一つは入れ替わり。

 

 ……こんな能力で隕石を止められるかよ。

 

 俺は三葉の身体で草むらに寝転がった。夏の草の匂いがした。

 

 行き詰った。次の手が思いつかない。

 

「どうすんだ、これ?」

 

 時間だけが過ぎていく。ティアマト彗星(ヤツ)は着々と糸守へ近づいているというのに……。

 

 俺の力じゃ……救えないのか……?

 

 俺は無力なのか……?

 

 三葉――。

 

 そもそも世界を救うことに意味なんてあるのか?

 

 俺と三葉が……奥寺先輩が出会えなくなるかもしれないのに……。

 

 世界は救わないほうがいいんじゃないのか……?

 

 もうやめたほうがいいんじゃないのか……?

 

 ……………………。

 

 なら、なんで奥寺先輩の身体に入った俺はあんなところまで追ってきたんだよ……?

 

 なんで、俺に手を貸したんだよ……?

 

 ここであきらめるなんてできるわけない。

 

 例え、三葉との記憶を失おうとも……三葉と出会えなくなろうとも……。

 

 立花瀧。あのとき覚悟は決めたはずだ。

 

 俺は唇を噛んだ。

 

 

 

 黒いクルマが近づいてくる。俺が寝転んでいるすぐ脇に停車した。

 

 なんだ?

 

 黒ずくめの男が降りてきた。結構背が高い。

 

 あやしい。彗星の民か?

 

「立花君?」

「え?」

 

 俺はがばっと起き上がった。

 

「キミの名前は立花瀧君かね?」

「そ、そうだけど……」

 

 男は大げさに肩をすくめる。どこか芝居がかっている。

 

「よかった。キミにわたしたいものがある」

 

 男はクルマの助手席から古びた大きな封筒を取り出した。

 

「手紙だ」

 

「俺に? 手紙?」

 

 今の俺は宮水三葉なんだぞ?

 

「そんなことありえないよ」

 

 俺は封筒と男を見比べる。

 

「あんたは誰だ?」

 

「郵便局の者だ。事務所の人間はキミがこの問題にケリをつけてくれることに期待しているよ。我々はこの封書をあずかって、かれこれ70年間保管してきたんだ」

 

 ……70年?

 

「明確な指令書付きで引き継がれてきた。ちょうどキミのような学ラン姿の少女に手渡すようにとね。名前は立花瀧。この時間の、この場所にきっかりで。立花瀧が現れるかどうか、みんなで賭けをしたんだが、負けてしまったよ。わははは!」

 

 男はセリフを棒読みするかのように話す。

 

「70年間保管してたって?」

 

「そう。70年と2ヶ月と12日間だ」

 

 ……………………。

 

 もう何がなんだかわからない。

 

「サインもらえるかね。これに」

 

 男は伝票を取り出す。伝票も古びている。

 

 俺は書き慣れた名前である立花とサインを書く。

 

「差出人は――」

 

 

  L KIRA

 

 

「これはエルキラと読むのかな? 日本人の名前ではないね」

 

 あぁ。

 

 エルキラ? コードネームか?

 

 俺は封筒を開ける。何枚か、大きな紙が入っていた。

 

 

 

 こんちには。立花瀧君。

 

 私の計算通りなら、キミは町長との面談後にこれを受け取るはずだ。

 

 そして、私のノートに狂いはなかったようだ。

 

 計画通り。

 

 心配しないで。キミはひとりじゃない。

 

 私はまだ生きている。

 

 

 

 まだ、というところの上側に強調の意味か、点々が打ってあった。しかも横書き。

 

 

 

 おいおい。どうした。70年!!

 

 エルキラって……思いっきり21世紀の名前じゃないか!!

 

「意味不明な文章だ」

 

 郵便局員は首を傾げている。

 

 たしかに、この文章だけをみるとまったく意味を成していないようにみえる。だが、なんだろう。いろいろ伝わってくる。

 

 この手紙はなんだ? ふしぎな手紙だ。意味不明な文章の羅列なのに、なぜか意味が理解できてしまう。

 

 この手紙は70年前に書かれたものじゃない。つい最近のものだ。つい最近といっても、10年くらいは昔のもの。そんなことすこしも書かれていないのになぜだかわかってしまう。

 

 差出人の名前と文章に散りばめられた単語の選択で、それがわかるように書かれている。それも俺だけにわかるように。

 

 

 

 エルキラ……私のノート……狂いはなかった……計画通り……。

 

 

 

 俺だけにそれとわかるように文章が構成されている。まるで俺にしか解けない暗号のように組み上げられている。事実、郵便局員はこの文章の意味をまったく理解していないようだった。

 

 この距離感。差出人は俺を知っている。立花瀧を知っている。きっと俺に伝えたいことがあるんだ。

 

 俺に伝えたいことはなんなんだ!?

 

 俺に何を伝えようとしているんだ!?

 

「これはまちがいなく俺宛ての手紙だ」

 

 

 

 エルキラ……おまえは誰だ?

 

 

 

 少しだけだが、三葉からの手紙かもと期待した。文体からいって、それはないだろう。文体なんていくらでも変えられるけれど、三葉ではない。文体の話じゃない。そもそも、三葉にこの文章は書けない。この演出もできない。

 

 手紙にはまだ続きがあった。

 

「キミ、ちょっと待ってくれ。これはいったい、どういうことなんだ?」

 

「さあね」

 

「バックトゥーザフューチャーの真似事なのか?」

 

「バックトゥーザ……?」

 

 昔の映画か?

 

「70年……それはないか……」

 

 70年はフェイクだと気づいていないのか。昔の手紙であることはまちがいないが、10年くらい前のものであって、70年も前のものじゃない。どこかで記録が改ざんされたのかもしれない。

 

 この演出は……バックトゥーザは郵便局員たちへのミスリードなのか?

 

 70年前に設定したのは何のためだ? 暗号化したのは何のためだ?

 

 彗星の民の検索から逃れるため……?

 

 それとも、本当にこの手紙は70年の時を越えたのか……?

 

 70年でも、10年でも驚きだ。どうやって、10年の時を越えることができたんだ? なぜ立花瀧を、俺の存在を知っている?

 

 

 

 はじまりはどこからだったんだろう?

 

 この物語の歯車はいつまわり出したんだろう?

 

 その答えを時の流れの底から拾い上げることは、今となっては不可能に近い……。

 

 

 

 この物語はそう単純じゃない。俺もまた物語の歯車のひとつにすぎないのかもしれない。

 

 大きな歴史の意志を感じる。

 

「キミ、だいじょうぶか? 力になろう」

 

「だいじょうぶ」

 

 俺は郵便局員を片手で制す。

 

「おじさん、二つ、警告しておくよ。このことは今日は誰にも言わないほうがいい。話すなら明日だ。そして、この糸守から、今すぐ出て行ったほうがいい」

 

「どうしてだ?」

 

「もうすぐここは地獄と化す」

 

 郵便局員のおじさんはポカンとした。

 

 

 おもしれえ。

 

 エルキラ……おまえの正体を暴いてやるよ。それがおまえの望みなんだろ?



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目覚めし五つの種族①

まだ間に合う 帰りましょう!

私が帰ったら誰が『シン』を倒す?

ほかの召喚士とガードに同じ思いを味あわせろと?

それは……しかし なにか方法があるはずです!

でも 今はなにもねぇんだろ?


 記憶を封じ込められた俺があの日を思い出すことはなかった。ただ何かを後悔した感情だけが胸の奥で揺らめいていた。ずっと……ずっとだ……。

 

 初めて奥寺にふれたときにかすかに覚えた切なさ。それはきっとこれだったのかもしれない。記憶を失っても、一度覚えた感情は忘れることがないのかもしれない。そして、今、俺ははっきりと思い出している。

 

 俺は、失敗した。

 

 失敗したんだ。

 

 胸が痛んだ。

 

 俺は糸守から逃げたんだ。

 

 奥寺の気持ちなんておいておいて……。

 

 ここで奥寺を死なせるわけにはいかないというのを言い訳にして……

 

 電車に揺られて……。

 

 糸守から離れるほど意識が薄れていって、どこかで奥寺の身体から意識を剥がされた。糸守から離れた場所では入れ替わりを維持することはできないらしい。

 

 俺は糸守のみんなどころか、お婆ちゃんと四葉を説得するのにさえ失敗した。俺の言葉は二人に届かなかった。勅使河原と名取も隕石で死んでしまったそうだ。奥寺の友達はみんな隕石で死んだと奥寺が語っていた。勅使河原と名取は最後まであきらめず、自分の家族を説得していたんだろう。俺は二人を置いて逃げた。友達だったのに……。

 

 ただ……奥寺を死なせたくなかったから……。

 

 俺のエゴか……?

 

 俺はサイテーな人間だ。

 

 みんな、死んでしまった。

 

 みんな、死なせてしまった。

 

 俺が、死なせてしまった。

 

 

 

 

 そして、何も変わらなかった。

 

 

 

 

 俺は無力だった。何もなかった。あのとき、俺はただの高校生だった。何の力も持たない……ちっぽけな、ただの高校生だった。

 

 だから、許してほしい……許してほしい……許してほしい……。

 

 そんなことを心のどこかで思ってしまう自分に、自分で自分が嫌になる。

 

 どこかで誰かに救いを求めている自分に、自分で自分が嫌になる。

 

 誰も守れなかった自分に、自分で自分が嫌になる。

 

 なりたかった自分と、なってしまった自分の落差に心が折れてしまいそうになる。

 

 くじけても、立ち上がって、人は強くなる。それが人だ。

 

 言葉にすればそれだけの話。だけど俺はもう一度立ち上がれるんだろうか? 一度逃げ出してしまったこの俺が……。

 

 怖いよ。

 

 もう一度あんな思いをするかと考えると怖くなる。

 

 誰か、心の鍛え方を教えてくれ。

 

 俺に、力をくれ。

 

 きっと、これが俺の弱さなんだろう。誰かからもらった力で失敗すればそんなに心は痛まないから……。誰かのせいにできるから……。

 

 くじけて……立ち上がるとき、人は自分の足を使うしかない。誰も足を貸してはくれないから……。

 

 俺自身が強くならなければ意味がない。

 

 俺は……。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 知らない天井だった。俺は寝ていたようだ。まだ暗い。俺は身体を起こす。なんだか腹筋に力が入らない。疲れているわけじゃないのに……ここはどこだ? どこかの旅館らしい。となりで司が眠っていた。すこし若い。まるで高校生のようだ。

 

 なんだ!? どういう状況なんだ!?

 

 記憶がつながらない。

 

 たしか、俺は……そうだ! 大学のゼミの合宿で、孤島に来ていたはず……。

 

 司とは同じ大学だがゼミは一緒じゃない。

 

 視界に長い髪が入ってくる。俺はそれにふれる。

 

 ギョッとする。病的なほどに指が細くなっている。俺は手のひらをじっとみる。この手相は見覚えがある。それに、これは……この感覚は……。

 

 腹筋に力が入らなかったのは筋力が極端に落ちているから……。

 

 俺は自分の胸にふれる。

 

 

 

「みつ……は……ッ!?」

 

 

 

 封じ込められていた記憶が頭の中になだれ込んでくる。アルコールの飲みすぎで記憶が飛んで、そして思い出したような……そんな感覚……。

 

 それよりも、なんで、三葉のことを忘れていたんだろう?

 

 ここは三年前の……そう……奥寺と司と三人で、三葉をさがしに来た旅館だ。

 

 俺は三葉と入れ替わっているのに……奥寺になっている……つまり……奥寺は三葉だったということ。

 

 二人は完全に同一人物。

 

 奥寺は記憶を失って、自分が糸守の出身だってことさえ忘れていた。奥寺から自分が記憶喪失だと告白されたのは先日のことだ。俺の二十歳の誕生日のこと。

 

 奥寺から告白されて、俺は奥寺と二人で、奥寺の記憶を取り戻そうとした。糸守の出身だということを奥寺の義父である奥寺さんからきいて、三年前に、司と三人で、旅行に行ったことを思い出した。なんで、そんなことをしたのか、俺たちは思い出せなかった。

 

 でも、今なら全部思い出せる。思い出せなかったのは入れ替わりシステムのプロテクトが働いていたためだろう。

 

 知らない天井……あの日、俺は眠らなかった……。

 

 旅館の部屋をみまわす。もう俺がいないということは、すでに新糸守湖へ向かったんだろう。

 

 俺は着替える。

 

 鏡をみる。

 

 ノーメイクだとはっきりとわかる。三葉だ。まちがいなく宮水三葉だ。

 

 高校生の俺が別人だと認識してもしょうがない。これはわからない。あえて、そういう派手なメイクをしていたのかもしれない。忘れたいことを覆い隠すように。

 

 俺は靴を履く。

 

 ホントに行くのか?

 

 あの道は険しい道だった。

 

 この奥寺の身体で行けるだろうか?

 

 あの日、俺は三葉と出会うことはなかった。入れ替わっているんだから当然だ。出会うことはできない。

 

 だが、今回は別だ。約束された出会い。

 

 新糸守湖に、あの場所に、出会えるはずのなかった宮水三葉がいる。もう一人の俺と入れ替わって。

 

 怖い。

 

 三葉と会うのが怖い。

 

 でも、行くしかないだろう。それがどんなに険しい道だとしても……どんな非難を浴びようとも……。

 

 三年越しだ。

 

 覚悟を決めろ。

 

 他の選択肢なんてありえないんだから。

 

 俺は司に書き置きをして部屋を出た。

 

 完全に俺の筆跡じゃないか。同じ筆跡で、二枚の書き置きか……。

 

 俺は階段を降りて、フロントへ向かった。早朝だというのにフロントに人がいた。白髪のお婆さんだった。

 

「ドキドキ……ドキドキ……ドキドキ……ドキドキ……」

 

 なんだ? どうした?

 

「ドキドキ……ドキドキ……ドキドキ……ドキドキ……」

 

 お婆さんは何かブツブツと呟いている。俺がお婆さんに司を部屋に残していることを伝えようとしたときだった。

 

「ドキドキ二択クイ~~~~~~~ズ!!」

 

 お婆さんは早朝にも関わらず俺の耳元で大声で叫んだ。

 

 なんだ。このお婆さんは?

 

 意味がわからないぞ。




「いにしえの竜の伝承(問題編)」「目覚めし五つの種族(解決編)」は問題編と解決編の関係にあります。問題編をすべて読んだあと、解決編を読むのと、①②③と番号順に読んでいく読み方があります。番号順に読んだ場合、だんだんと内容がわかっていく流れになっています。


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いにしえの竜の伝承②

こんなふうに

おだやかな世界でね

毎日 にこにこ

暮らせたらいいのにな……


 私はリビングで東京の夕日を眺めていた。

 

 明かりが灯り、街の景色がゆっくりと街の夜景に変わっていく。

 

 すこし感動している自分がいた。

 

 私はリビングに視線を戻す。壁中に貼られたデザイン画の中から、一枚、目に留まった。夕日に照らされた街の絵だった。

 

「きれい」

 

 絵の右下に『TAKI』と書かれていた。このリビングからみえる街並みに似ているけれど、どこかちがう。細かいところまで、よく描き込まれた繊細な絵だった。隣りに賞状が張られてあった。

 

「画家になりたいんかな?」

 

 私は瀧君の指をみる。すこし爪が絵具で染まっていた。

 

 部屋に戻る。

 

 机には建築関係の本ばかり並んでいる。教科書とか、参考書とかは置かれてなかった。机の引き出しを開けても、建築の本ばかりだった。学校の勉強をしている形跡がまるでない。

 

 部屋を間違えたかと思ってしまうほどだった。高校生の部屋じゃない。

 

 建築に関する法律の本まであった。

 

 5000円? 高っか……この男は……バイト代、いったい何に使ってんのよ?

 

 建築基準法? 消防法? 都市計画法?

 

 こんなの人生の中で使う時なんてある? ないない。ぜったいないわ。微分積分より使わんわ。

 

 なんなんよ、これは……?

 

 ゴミ箱にテストの答案用紙があった。90点台ばかりだった。

 

 三葉なら、家宝にしたいくらいの点数だ。

 

 数学の答案用紙には意味不明な計算式が羅列してあった。そもそも何を計算しているのか、これが計算式なのかさえわからない。ドラマとかで出てきそうな数式だ。

 

「もう暗号文やわ。教科書もノートもない部屋で……この子、どんな勉強してるんよ?」

 

 リビングにも、部屋にも、すぐみつかるようなところには教科書や参考書はなかった。アルバイトに、カフェめぐりで、瀧君にはそもそも勉強している時間なんてない。これでテストでほぼ満点ばかり……いったいどうなってるんよ?

 

 もしかして、この子、勉強しなくてもテストでほぼ満点とれる人なの?

 

「だはあぁ……」

 

 三葉は溜め息をつく。

 

「なんか不公平やわぁ……なんで、勉強してる私が赤点ギリギリで、勉強してへん瀧君がほぼ満点なん? 世の中、絶対まちがってるわ」

 

 三葉は再び瀧の部屋を物色する。

 

 そういえば漫画があったっけ。

 

「漫画、読むんだ」

 

 勉強できる人は漫画を読まない。そんな偏見が三葉にはあった。

 

 日本一勉強ができる優等生が死神の能力を手に入れて世界を変えていくサスペンスだったり、死者を蘇生させようとして、身体を失ってしまった兄弟がそれを取り戻そうとするダークファンタジーだったり、そんな漫画があった。

 

 少女漫画はみつからなかった。ないのかもしれない。

 

「等価交換? こういう漫画が好きなんだ」

 

 ゲーム機もあった。三葉はゲームをしたことがあまりなかった。テッシーが持っていて、小さいときはうらやましいと思ったが、いつの間にか興味が薄れていった。

 

「今度、ちょっとやってみようかな?」

 

 スケッチブックがあった。

 

「…………」

 

 日記のような、みてはいけないものをみようとしているような、妙な罪悪感があったが、三葉はどうしても好奇心にはあらがい切れなかった。

 

 三葉はスケッチブックを開く。

 

 風景画ばかりだった。

 

「やっぱりうまいなぁ」

 

 そして、三葉はページをめくった。

 

「…………………………………………」

 

 女性の絵だった。

 

 三葉はその絵が一番素敵な絵だと思った。モデルに対する気持ちが込められているような……そんなやさしい絵だった。

 

「やっぱり好きなんだ……じゃなきゃ……」

 

 

 こんな絵は描けない。

 

 

 部屋は嘘をつかない。この部屋には瀧君が詰まっている。

 

 何かモヤモヤした気持ちになる。うまく言葉にできない。心が落ち着かない。

 

 …………………………………………。

 

 そうだ。お風呂に入ろう。三葉は着替えをさがす。

 

 当たり前だけど、男物の下着だ。

 

「…………ッ!!」

 

 お風呂ゼッタイ禁止! ゼッタイ! ゼッタイッ!! ゼッタイ禁止!!

 

 私はケータイに打ち込んだ。



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目覚めし五つの種族②

ブラスカといっしょに『シン』と戦ってやらぁ

ジェクト! ヤケになるな!

生きていれば無限の可能性があんたを待ってるんだ!

ヤケじゃねえ! オレなりに考えたんだ

それによ アーロン

無限の可能性なんて信じるトシでもねぇんだオレは

ブラスカ様! ジェクト!


 俺は階段を降りていく。早朝だというのにフロントに人がいた。白髪のお婆さんだ。パソコンに向かっている。

 

「ドキドキ……ドキドキ……ドキドキ……ドキドキ……」

 

 なんだ? どうした?

 

「ドキドキ……ドキドキ……ドキドキ……ドキドキ……」

 

 お婆さんは何かブツブツと呟いている。

 

「ドキドキ二択クイ~~~~~~~ズ!!」

 

 お婆さんは早朝にも関わらず俺の耳元でハイテンションで叫んだ。

 

「は?」

 

 これってどういう展開?

 

「真剣に答えな」

 

 意外にもしっかりした口調だった。

 

「このクイズに正解できないようじゃ、この先へ進む資格はないよ」

 

「…………なに言ってんだ? 俺は客だぞ。俺の意思でチェックアウトする」

 

「チェックアウト? なに言ってんだい。あんたが行きたいのは三年前の糸守湖じゃないかい?」

 

「!?」

 

 俺は息をのんだ。

 

「目が定まったね」

「あんたはナニモンだ?」

 

 俺はお婆さんの目をじっとみつめる。

 

「問題。あんたの妹が悪党につかまっている。すぐに助けださなければならない。しかし、あんたが今すぐ世界を救わなければ世界は滅んでしまう。どちらか一方しか救えない。妹、世界、どっちを救う?」

 

 心をえぐるような問題だ。

 

 あの日、俺は世界をあきらめた。

 

「5……4……3……」

 

 お婆さんはカウントダウンをはじめた。

 

 思った通りだ。

 

 このクイズは俺が高校生のときに読んでいた少年漫画に登場したもの。

 

 答えは知っている。

 

 お婆さんはゆっくりとカウントダウンする。答えをうながすように。

 

「……2……1……ブ~~~~~ッ、終了~~~~~っ!」

 

「あぁ……答えは……」

 

 俺は唇に人差し指を当てる。

 

「おめでとう」

 

 お婆さんはニヤリと笑みを浮かべながら、裏手の従業員用の扉を開けた。

 

「通りな」

 

「いったい、これはどういうことなんだ?」

「行けばわかるさ」

 

 このお婆さんは俺の入れ替わりを知っているのか?

 

 俺は一歩踏み出す。

 

「あの夜、ワシの爺さんは糸守におったんよ。ワシに組紐を買ってこようとしてのう……あれはネット通販じゃ売っとらんからのう」

 

 そう言いながら、お婆さんはフロントに引っ込み、椅子に座って、パソコンをいじり出した。ブラインドタッチだ。すげえ滑らかな指の動きだ。しかも、会話しながらとか、どんだけだよ。

 

「待っておるんよ。ワシはまだ……爺さんの帰りを……ずっと……ずっと……」

 

 そして、黙ってしまった。

 

 祭りの日。糸守の外の人もいた。一年でもっとも糸守に人が集まる日。あれは最悪のタイミングだったんだ。

 

 邪悪な神々はそこを狙った。的確に、ピンポイントで。

 

 何が偶然で、何が必然なのか……何が確率なのか……わからなくなってくる。まるで物語(フィクション)だ。

 

「爺さんを迎えに行ってくる」

「行ってらっしゃい」

 

 俺は従業員用の扉を抜けて、旅館の外に出た。そこにはライトをつけた車が停まっていて、その車のドライバーが横に立っていた。大柄な男だ。

 

「どちらまで?」

「それじゃ新糸守湖までお願いします」

 

 男が俺の顔を覗き込む。

 

「キミは……キミの名前は立花瀧君だね?」

「…………」

 

「その表情、三年ぶりかな。久しぶりだ。大きくなったね。私だよ。といっても、キミは覚えていないがね。私は通りすがりの郵便局員だ」

 

「知らない」

 

 郵便局員は笑った。なれなれしい男だな。何者だ?

 

「さぁ、行こうか」

 

 おそらくこの身体(奥寺)のパワーではこの男には勝てないだろう。

 

「約束を果たそう。三年前の……キミとの、ね」

 

 俺はあやしいオッサンの車に何の疑問も持たず乗り込んだ。悪そうな人にはみえなかったからじゃない。オッサンなのに、少年のようなキラキラした目をしていたからじゃない。彼が俺の味方であることがわかったから。

 

 そう。

 

 さっきのドキドキ二択クイズは俺にそれをわからせるためのもの。

 

 あれはこれから三年前に飛ぶはずのもう一人の俺がつくったクイズだ。俺の趣味を知らなければつくることができない。俺の趣味を知っている人の中に悪人はいないし、そもそも、このクイズを作る機会のある人間は俺自身しかいない。つまり、この自称郵便局員はもう一人の俺が認めた人ということになる。

 

 三年前に飛んだということは三年経てば、間接的に、こっち側に戻ってこれるということだ。

 

 そして、これは三年前に飛ぶ前のもう一人の俺に俺自身でアドバイスできるということでもある! しかも、何度でもやり直せる! これは大きな大きなアドバンテージになる。

 

 こんな方法はあのときの俺にはなかった発想だ。

 

 もう一人の俺はこの俺とはちがった歴史を歩み始めているようだ。

 

 ンニャロウ……この世界の物理法則を理解し、使いはじめていやがる。

 

 しかし、なぜこうも劇的に変わった?

 

 三年前から俺に連絡をとってきたということは、何かしくじったのだろうか?

 

 ちがうな。

 

 これまでのことをまとめて推理すると、俺はこの時間を繰り返しているということになる。何度目かはわからないが。もう一人の俺は俺の行動を最適化しようとしている。じゃあ、何をさせようとしているんだ? もう一人の俺は未来にいるこの俺に何をしてほしいというのだろう?

 

 答えはひとつしかない。

 

 この自称郵便局員が知っている。

 

 無限の可能性とまでは行かないが、可能性は残っている! わずかだけど残っているんだ!!

 

 一度はあきらめたはずの希望が……まさか、もう一人の俺から教えられるなんて思ってもみなかった。なんだろう? この気持ちは。オヤジが言っていた。俺ができなかったことをおまえがやってのけるのをみているとふしぎな気分になるって。そんな感じかもしれない。

 

 それにしても、まだ過去に飛んですらいないヤツから、メッセージが届くなんて、妙な感覚だ。それこそが俺が何度かループしている証でもあるわけだが……。

 

 時の糸はこれ以上なく、複雑に絡み合っている。まともな物理法則が成り立っているとは思えない。

 

 本来、こんなこと起こりうるはずがないんだ。

 

 俺が糸守にたどり着いたとき、三葉とやり取りをしたデータがすべてデリートされた。これが歴史の修正力というものなのか? 何も残らない。何も残らなかった。

 

 そのはずだった。

 

 それでも、アイツからのメッセージは俺に届いた。歴史の修正力……神のデリートから逃れて、俺まで届いたんだ。

 

 神のデリートを逃れたものがいくつかある。そのひとつが奥寺のスカートの刺繍だ。すべてがデリートされるわけじゃない。デリートされるものとされないものがある。

 

 だから――。

 

 暗号化して、第三者を経由して、間接的にデータを送れば――。

 

 

 

 ――死神はりんごしか食べない

 

 

 

 神の検閲さえも突破できるということだ。

 

 俺が高校生の時に読んだ漫画の主人公だった新世界の神のように……。

 

 俺はクイズをしただけ。神にはそういうふうにしか映っていない。キミの名前は立花瀧君だねときいたのはアドリブだろう。俺を示唆することは何もない。クイズは俺を相手にじゃなく、今日、旅館を二番目にチェックアウトする人相手に。俺がクイズをしたことと、フロントのお婆さんがクイズを出したことは神の中では別のエピソードということ。つながっていない。

 

 もう一人の俺はクイズによって、俺本人かどうか確認した。そして、自称郵便局員本人による再度の確認。

 

 神の力。歴史の修正力。人はそれすら凌駕する。神をも欺く嘘をつく。これが人の力だ。

 

 神はパズルを解かない。

 

 しかし、これはもう一つの真理を示唆している。

 

 神は人の痛みを知らない。

 

 神が人の心を理解すれば神の検閲を欺くことなんてできないんだから。

 

 これは当然ともいえる。誰かが苦しんでいるということは誰かが潤っているということでもあるのだから。弱肉強食。それは生物の真理。神に心はいらない。

 

 神は残酷だ。俺はそれを科学と呼んでいる。

 

 どこまで行けるだろう?

 

 この無限ループ。

 

 

 今、この世界に未来は存在していない。

 

 

 未来は俺たちが掴み取る。この手で掴み取るんだ。

 

 彼がアクセルを踏み込んで、タイヤがまわり出した。

 

 もうすこしだけ……明日まで、走ってみよう。

 

「あの日、キミは隕石が落ちることを知っていて、住民を避難させようとしていた。しかし、失敗。500人の死者を出してしまった。地獄だったよ。それはキミが一番知っていることだね。そして、まだ500人の命を救う戦いは続いている……そうだね?」

 

「…………」

 

「一つだけ教えてほしいことがある」

 

 窓の風景が流れていく。街灯はぽつりぽつりとしかない。

 

「どうして、キミは隕石が落ちることを知っていたんだ?」

 

「俺は三年後の2019年の秋から来た。なんなら、平成の次の年号でも教えてやろうか?」

 

「ぜひ、伺いたいものだね!」

 

「俺も訊いておきたいことがあるんだ」

 

「何かね?」

 

 

 

「当然カウントしているんだろう? この時間ループは……何度目だ?」



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眠れる勇者と導きの盟友①

最後かもしれないだろ?

だから、ぜんぶ話しておきたいんだ


 風景が飛ぶように流れていく。だんだんと建物が少なくなっていく。自然が多くなっていく。新幹線のスピードが速くなっているような気がする。

 

 俺はある人をさがすために、新幹線に乗り込んだのだった。

 

 俺一人で乗るつもりだったのに……。

 

「おまえが心配で来たんだよ。さいきんのおまえ……ようすがヘンだったろ? 学校に遅刻してくるし……すごい目立ってたぞ」

 

 俺はギュッとケータイを握りしめた。

 

「さすがに放っておけないぜ」

 

「メル友に会いに……行くんだって?」

 

 先輩はサンドイッチを頬張りながらきいてくる。

 

「いや……メル友っていうか、なんていうか……」

 

 説明がむずかしい。なんと説明していいかわからない。こんなこと誰も信じてくれないだろうし……。それに友達は友達だけど……友達というよりも……。

 

「出会い系だろ?」

「ちがうって!」

 

「そういうのはまだ早いよ~?」

「ちがいますって!」

 

「離れてみててやるから。ツツモタセとか出てきたら危ないしな」

「ツツモタセが出てきたら、私たちが退治してあげるから……任せて!」

 

 二人して笑っている。

 

 こいつらぁ……。

 

 おもしろがりやがって。

 

 俺の目の前に、小学生のような小さな少年が座って、じっと、こっちをみていた。

 

 ひとりか?

 

 一人で新幹線に乗っているのか? 保護者は? どこに行こうとしてるんだ?

 

 すごい気になる。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 俺は宮水俊樹という人物についてケータイで調べた。糸守町の町長をやっていることがわかった。経歴も載っていた。永都大の卒業生だった。高校も調べた。有名な高校だった。ちょうどその高校に俊樹が在学しているときに、不可解な事件があったらしい。しかし、在校生の捜査によって、その事件は見事解決したようだった。

 

 誰が事件を解決したか、その名前は伏せられていた。検索しても出て来なかった。

 

 俊樹が事件に関わっていたのだろうか?

 

 警察よりも早く高校生が解決した? 現実にそんなことがあるんだろうか? まるで漫画だ。学年トップの成績の俺でも無理だ。現実は不純物が多く複雑だ。とてもミステリーとは呼べない。

 

 宮水俊樹の写真をみる。

 

 彼はいったいどういう人物なんだろう?

 

 名探偵……そんなふうにはみえない。漫画の名探偵も名探偵にはみえないものだけど。

 

 そもそも、名探偵なんて実在するはずがない。

 

 都市伝説だ。真実はネットの闇の中……。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

「きゃー、なにコレ、かわいい!」

 

 到着した駅にいたゆるキャラに先輩がはしゃいでいる。

 

 ダメだ。こいつら。

 

 ほんと、いったい何しに来たんだよ。

 

 俺はケータイに視線を落とす。へぇ、彼は巫女と結婚しているんだ。

 

「ねぇ、さっきからケータイで何を調べているの? あなたのためにわざわざついてきたんだよ」

「そうだぜ」

 

 

 

「司クン!」

 

 

 

 俺の名前は。




藤井司視点の特別回です。


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いにしえの竜の伝承③

でもさ あんなデッカイのどうやって倒すんだ?

究極召喚 『シン』を倒しうる唯一の力 究極召喚

その力を身につけるのがわたしたち召喚士の旅の目的なの


 私は悪魔でも、ましてや神でもありません。

 

 たった一人の女の子さえ救えない。そんなちっぽけなただの人間です。

 

 生きのびる可能性があるのに、あえて死ぬ方を選ぶなんてバカのする事です。

 

 叩かれてもへこたれても道をはずれても、倒れそうになっても、綺麗事だとわかってても、何度でも立ち向かう。周りが立ちあがらせてくれる。それが人間です。そして、そんな運命に立ち向かうのがキミたちなんです。

 

 勇者とは、最後まで決してあきらめない者のことです。

 

 

 究極召喚。いにしえの竜を倒しうる唯一の方法。究極召喚。

 

 

 禁忌を犯しなさい。

 

 以下の通行料を差し出しなさい。

 

 水35リットル、炭素20キログラム、アンモニア4リットル、石灰1.5キログラム、リン800グラム、塩分250グラム、硝石100グラム、イオウ80グラム、フッ素7.5グラム、鉄5グラム、ケイ素3グラム……。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

「さすれば真理の扉は開かれん、か」

 

 読める。読めてしまう。

 

 意味不明な文章の意味が理解できてしまう。

 

 友達にだけわかる合図を駆使して組み上げたような文章。

 

 暗号化されていて、彗星の民もこの文章は解読できないだろう。意味不明な文章に映るはずだ。

 

 俺しか解読できないようにつくられている。

 

「祈り子の……分……か」

 

 これで最難関の問題はクリアされた。クリアしたのは俺じゃないけれど……。あとは祈り子の在り処を突き止めれば……。

 

 

 俊樹を説得することはどんな言葉も、どんな演出を駆使したとしても、不可能。それがあのときの俺の結論だった。それは今も変わらない。

 

 でも、矛盾するようだが、これで宮水俊樹を説得することも可能となる!

 

 そもそも、俊樹を説得したくらいで、糸守の住民を全員避難させることなんて不可能なんだ。俊樹を完全に俺のコントロール下に置くくらいじゃないと。避難し切れない人が必ず出てくる。

 

 この方法なら、それすら回避できる。これは糸守の住民100%の避難を可能とするたった一つの冴えたやり方。目的のためなら手段を選ばない。悪魔の頭脳。

 

 もしも避難してくれたら、どんな願いも、ひとつだけきいてあげる、か。当然、悪魔のように、人間の根源的な欲望を利用するんだろうな。

 

 

 これを書いたその悪魔は俺の趣味をよく理解している。しかも、この趣味は高校に入ってからのもの。この時間の俺ではない。どうやって、俺の趣味について知った?

 

 どうやら、真の勇者は俺ではなかったらしい。

 

 これを書いた人物こそが真の勇者だ。

 

「……エルキラ」

 

 司、高木以外に、俺の趣味を知っている人物がいる。

 

 パソコンにはパスワードがあるから、開けないだろうけれど、ケータイは指紋認証だから、自由にみれる。実際、三葉とはケータイでやり取りしていたし。

 

 そう。

 

 俺が三葉の部屋を知っているように、三葉も俺の部屋を知っているはずなんだ。

 

 この欲望に耐えられる高校生なんて、そうそういない。

 

 俺もそうだった。

 

 つまり、エルキラの正体は……ありえない……ありえないが……認めるしかない。

 

 すべてはエルキラの手のひらの上か。

 

 まさか、ここまでとは……。

 

 世界にはこんなヤツがいるのか……。

 

 

 彗星災害を知って……謎の組織の襲撃にあって……官邸からのプレッシャーを受けて……そして、今、この世界そのものにふれたような気がする。

 

 この世界の大きさ、この世界の深さをみたような気がする。

 

 俺はちっぽけな人間だ。ほんとうにちっぽけな人間だ。

 

 この世界の小さな小さな歯車にすぎない。

 

 でも、だからこそできることがあるんだと思う。

 

 俺の小さな歯車じゃなきゃ、俺のとなりの小さな歯車はまわせない。

 

 エルキラ。アンタじゃ、三葉の歯車はまわせなかった。

 

 俺の代わりはいくらでもいると思う。でも、今、この瞬間、ここにいるのはこの俺なんだ。

 

 三葉の歯車をまわせるのは俺だけなんだ。俺しかいないんだ。

 

 

 

 ――禁忌を犯しなさい。

 

 

 

「禁忌の技……究極召喚……完全なファンタジーの発想だ」

 

 俺に究極召喚を扱うことができるだろうか? どうにも確信が持てない。おそらく無理だろう。ツジツマが合わなくなる。

 

 でも、三葉なら、究極召喚を扱える。そういう確信がある。ツジツマも合う。三葉に究極召喚が使えなかったら、誰も使えない。三葉じゃなきゃダメなんだ。

 

 エルキラから、直接、三葉に究極召喚を使わせるのはリスクがあったのか? だから、俺を間に入れた?

 

 究極召喚。これを使うのは俺じゃない。三葉だ。

 

 とにかく三葉をこっちに戻さなきゃならない。それも究極召喚のあやつり方を教えて。

 

 

 でも、究極召喚……これを使ったら……俺と三葉は……。

 

 

 出会えなくなる。

 

 

 新しい未来を手に入れるということは手に入れた未来を失うということ。

 

 失ったことさえ、俺たちは忘れてしまうだろう。

 

 最初から、俺はすべてを手に入れていた。

 

 これはそれを失う物語。

 

 本当にこれは、悪魔の出題だよ。

 

 俺は……。

 

 三葉は……。

 

 初めからやることは何も変わってない。変わらない。

 

 三葉の英雄に俺はなる。

 

 これはたった一人の少女を救うための物語。

 

 最後まで決してあきらめない物語。

 

 それが俺の物語だ。

 

 一人でそれができないのなら……。

 

 テッシー、サヤちん……司……高木……。

 

 悪魔でも、神でもなく、俺は友達にすがるよ。それが俺の、人の力だ。

 

 英雄っていうのはきっと……一人でなるものじゃない。

 

 今の問題は二つ。祈り子の在り処、そして、どうやって三葉と再び入れ替わるか?

 

 

 

 夏と秋の風がそよいだ。

 

 

 

 これは三葉の気配……?

 

 今、俺はどこにいる? ここは糸守だ。俺の身体はここにある。三葉の意識はここにある。

 

「三葉……そこにいるのか……?」

 

 祈り子の在り処は判明していないが確信がある。今、すべての条件が整った。あとは俺がホコラに行けばいい。そうすれば三葉に出会える。そういう確信がある。

 

 三葉の気配が移動しはじめている。

 

 当たり前だ。あんな場所に長時間いる必要なんてない。目覚めれば町に降りるはずだ。もう昼もすぎている。

 

 急ごう。今ならギリギリで間に合う。自転車がほしいな。

 

 俺は三葉に向かって、駆け出そうとした。

 

 そのときだった。

 

 

 

 ケータイが鳴った。

 

 

 

「よう」

 

 ユキちゃん先生ッ!? なんてタイミングで登場しやがるんだ。この忙しい時に。

 

 三葉の気配が薄れていく。

 

「何かやってるようだね。だけど、ダメだよ。おまえにはもう何もさせない」

「あとにしろ」

 

「何もさせないって言っただろ? 四葉をあずかった!」

「おまえ!」

 

「さぁ、どうする? どっちを選ぶ? 妹か? 世界か? 二つのうち、どちらか一方しか選べない」

 

 くそぉ。

 

「おまえたちがつくったカフェのところで待っている」

 

 あとすこしのところまで来たのに……あと一歩のところまで来たのに……。

 

 この二つを同時にやり切ることは不可能だ。

 

 いったい、俺はどうすればいいんだ?

 

 俺は……。

 

 

 ――勇者とは、最後まで決してあきらめない者のことです。

 

 

 あきらめちゃダメだ。あきらめちゃダメだ。あきらめちゃダメなんだ。

 

 俺は勇者じゃない。でも、あきらめないのが勇者だというなら、俺はあきらめない。

 

 最後の最後の……最後まで。

 

 まだ何か手があるはずなんだ。何か……何かないのか?

 

 役場のほうからクルマがやってくる。

 

 あのクルマは……自称郵便局員の……。

 

 クルマが停まって、自称郵便局員が降りてくる。

 

「え~っと、瀧君、通りすがりの郵便局員の私に、何かできることはあるかね?」

 

「…………」

 

「どんなことでもしよう!」

 

 エルキラなら、これだけの条件がそろえばどうにかできそうな気がするんだ。

 

 エルキラなら……。

 

 俺にすこしでもエルキラのような力があれば……。

 

「私はキミの力になりたいんだ」




手紙はのちに全文公開します。

瀧は三葉が瀧として目覚めればそこにとどまらず町に降りるはずと考えましたが、実際は原作同様、茫然と立ちつくしていたはずです。ここではなぜか三葉は動き出しますが。


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目覚めし五つの種族③

ブラスカ様! ジェクト!

まだなんかあんのかぁ!?

この流れを変えないと何も変わらない

ま アーロンの言うことももっともだ

よし オレがなんとかしてやる

なにか 策があるというのか?

無限の可能性にでも期待すっか!

ああァっはっはっはっはァ……



そして……なにも変わらなかった





 千年の洞窟――

 

 口噛み酒の洞窟――

 

 いにしえの竜の壁画の洞窟――

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 俺は、この瞬間を、三年間、待った。

 

 物語の再開が、早朝で、本当によかったよ。

 

 走っても走っても届かないところにいたおまえに追いつくことができたから。

 

「奥寺先輩……?」

 

 少年はふしぎそうに、俺をみつめる。

 

 あの頃の俺はもういないけれど……もう……あの頃の俺じゃないけれど……それでも思うよ。

 

 このタイミングで思うことじゃないのはわかっている。長い時間をかけてたどり着く気持ちだということもわかる。

 

 今、出会ったばかりだけど……

 

「あの……ここはどこやの?」

 

 

 三葉に出会えてよかった。

 

 

「訛りは禁止だって言っただろ?」

 

「えっ!?」

 

「まぁ、そんなことはどうでもいい」

 

 俺は少年に手を差し出す。俺は少年を立ち上がらせる。今の俺はヒールを履いていない。その分、少年のほうが俺よりずっと背が高いことに気づく。

 

 少年は自分の身体の状態を確かめている。

 

 四葉の口噛み酒が目に入る。

 

「なぁ、少年」

「少年って……」

 

「どうして、四葉の口噛み酒までつくったんだ?」

 

「それはお祖母ちゃんが必要やからって……えっ!? ちょっ……なんでわた……俺にそんなこと訊くんですか? ううん。そうやない。どうして、四葉の口噛み酒を知ってるんですか?」

 

 俺は両の手のひらを絡めるように合わせる。

 

 だが、四葉の口噛み酒を誰に飲ませればいい? わからない。さすがにこの情報だけで推理するのはムリがあるか……。

 

「奥寺先輩?」

 

 結局、自称郵便局員は俺に何も話してくれなかった。今の俺は何も持っていない。何の策もない。何の策もなしに、三葉に告白するのはさすがにきつい。

 

 でも……。

 

「ついてこい。おまえに、この世界の現実をみせてやる」

 

 俺は洞窟の出口へと石の階段をのぼっていく。

 

「どこへ行くんですか?」

 

 振り返ると、少年は俺の心にそっと寄り添うようについてくる。

 

 奥寺の身体じゃ、やっぱりこの坂道はきついな。足元もぬかるんでるし……。少年が俺の前に出る。後ろを振り返り、笑顔で手を差し出してくる。

 

「いらない」

 

 なんのプライドだよ?

 

 俺は足を前に出す。少年は頭をかく。俺は立ち止まる。

 

「宮水俊樹と話した後、俺は町役場を出て、川を見下ろせる坂道を力なく歩いた……俺の完全な敗北だったよ。そして、俺は電車に乗り込んだ。逃げるように……逃げるようにじゃないな。あぁ、俺は逃げたんだ」

 

 少年はふしぎそうな表情をしている。

 

 俺は再び、坂を登りはじめる。

 

「おまえなら、俊樹を説得できただろうか? 何度も考えたよ。おまえでも無理だったろう。あの堅物を説得することは誰にもできやしない。だから、べつなアプローチが必要になる。説得ではなく、命令のような……強制力を持つ……だけど、そんなものは存在しなかった」

 

 そんな奇跡のような方法なんて存在しない。

 

「結局、俺はおまえに背負わせてしまうんだな」

 

 俺たちはようやく坂を登り切る。

 

「……これを……」

 

 少年は茫然と立ちつくす。

 

「町がない」

 

 俺は少年から視線を外す。

 

「思い出した……あの日……町は……隕石で……」

 

 少年は片手で顔を覆う。

 

「あの日、町のみんなを避難させようと説得してまわったが、できなかった……」

 

 少年はへたり込んだ。

 

 

 

「…………すまない…………」

 

 

 

 俺は絞り出すように言った。

 

 少年は茫然としている。自失している。

 

 これはしばらくダメなパターンだ。

 

 俺はしゃがみ込んで、少年の頭を抱き寄せて抱えた。

 

 これは俺の罪だ。

 

 人が立ち上がるために必要なものは強さじゃない。

 

 それはきっと……希望だ。

 

 希望っていうのは光ってなんかいない。だから、みえなくて人は迷ってしまう。立ち止まってしまう。それは人の心そのものだ。みえなくても、そこにある。ふれられなくても、そこにある。きっと。

 

 きっと……という不確実性のもとに……。

 

 求めた未来があるかないかなんて、やってみなければわからない。立ち上がらなければわからない。必要なことは立ち上がること.何度でも。何十度でも。何百度でも。何千度でも……。

 

「あの人はどこやの?」

 

 三葉が口を開いた。

 

「私がここにいるってことは……あの人は……?」

 

 少年が発したそれは論理的な思考による発想と言葉だった。どうやら、すこしは落ち着いたらしい。会話が成り立ちそうだ。

 

「あなたは誰やの?」

 

「もうわかっているんだろう?」

 

 少年はこれまでのことを思い返しているようだった。

 

 入れ替わりの日々を。

 

「まさか……そんな……じゃあ……」

 

「俺に人生預けたほうがいいっていったのに……悪いな」

 

 少年の右の瞳から涙がこぼれた。

 

「そっか……そうやったんだ……」

 

「アイツはあの日に……隕石が落ちたあの日に戻って、ひとりで戦っているよ。運命と戦っている。ここからでは助けに行くことはできない」

 

「でも……」

 

 何が「でも……」なのか?

 

 奥寺らしい言葉ではあるけれど。すぐに感情で語ろうとする。それじゃ何も解決しないのに……。

 

「隕石から糸守のみんなを守るためにはみんなを避難させるしかない。それには町長である俊樹の説得が必要だ。だが、彼を説得するのは無理だろう。どんな言葉も、どんな演出も効果はない。それでも、アイツはあきらめずにさがしている。奇跡のような方程式を。俺もさがしていた。でも、みつからなかった。どうしても、みつからなかったんだ。さがして……さがして……さがして……」

 

 三葉はじっときいている。

 

 

「そして、何も変わらなかった」

 

 




13話でまとめる予定だったので、まさか完結まで1年以上もかかるとは思ってもいませんでした。今、6話目と7話目。あと6話……。

7話目が終わればカタワレ時だ。


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目覚めし五つの種族④

なにか 策があるというのか?

無限の可能性にでも期待すっか!

ああァっはっはっはっはァ……



そして……なにも変わらなかった



オレたちが変えてやる

あぁ、どうしたらいいかなんてわかんないよ

でも 10年前のアーロンが言ってたこと……

オレも信じるッス



無限の可能性?


「あなたは誰やの?」

 

「もうわかってるんだろう?」

 

 少年はこれまでのことを思い返しているようだった。あの入れ替わりの日々を。

 

「まさか……そんな……じゃあ……あなたは……?」

 

「俺に人生預けたほうがいいっていったのに……悪い」

 

 

 

 ――瀧君! なんで女子から告白されてんのよ?

 

 ――おまえ、俺に人生あずけたほうがモテんじゃね?

 

 

 

 少年の右の瞳から涙がこぼれた。

 

「そっか……そうやったんだ……」

 

「アイツはあの日に……隕石が落ちたあの日に戻って、たったひとりで、今、戦っているよ。運命と戦っている。ここからでは助けに行くことはできない」

 

「でも……」

 

 何が「でも……」なのか?

 

 奥寺らしい言葉ではあるけれど。すぐに感情で語ろうとする。それじゃ何も解決しないのに……。

 

「隕石から糸守のみんなを守るためにはみんなを避難させるしかない。それには町長である俊樹の説得が必要だ。だが、彼を説得するのは無理だろう。どんな言葉も、どんな演出も効果はない。それでも、アイツはあきらめずにさがしている。奇跡のような方程式を。俺もさがしていた。でも、みつからなかった。どうしても、みつからなかったんだ。さがして……さがして……さがして……」

 

 三葉はじっときいている。

 

 

「そして、何も変わらなかった」

 

 

「私たちが変えてみせる」

 

 

 どうせ根拠なんてない。確信なんてない。

 

「うん。どうしたらいいかなんてわからないよ」

 

 ほ~ら。

 

「でも、私はまだ生きているんよ。この糸はまだ途切れてない。可能性は残っているんよ。私もあきらめない。あの人が私のために戦っているのに、私があきらめるわけにはいかない。だから、私も信じるよ」

 

「何を……?」

 

「さっき、あなたが言ったこと……」

 

「…………」

 

「きっとあるよ……」

 

「…………」

 

 

 

「奇跡ような方程式」

 

 

 

 そういえば俊樹が言ってたっけ。

 

 ――おまえが言うと本当に彗星が落ちてくるような気がしてくるよ

 

 あのときの三葉は俺だったけど、三葉にはそういう力があるのかもしれない。宮水の血なのか……? いや、そうじゃない。ただ、俺が勝手にそう思っているだけだ。

 

 三葉はただの少女だ。

 

 なのに、そんなふうに思ってしまうのは……。

 

「あなたにも辛い思いさせちゃったんよね?」

 

 こんな気持ちをなんて言ったっけ?

 

「なんで、こんな状況で俺の心配なんかできるんだよ?」

 

「あなたの心配をしているつもりはないよ。気になるだけ」

 

 俺は頭をかく。長い髪でいつもと勝手がちがうことに気づく。

 

 あのときの俺が、今の三葉と出会っていたら、どうなっていただろう?

 

 ……………………。

 

 俺は何を考えているんだ。

 

 結局、結果は何も変わらない。なるようにしかならない。そういうものだ。

 

 少年は笑った。

 

「500人の町民を移動させる。町の、組織の力を使わなきゃ不可能なのに、それが封じられている。そもそも、俊樹がそんな命令を出したところで、みんながそれに従うかどうかもあやしいし。過去に連絡する方法もない。なんで、こんな絶望的状況で、おまえは笑えるんだよ?」

 

「ん? なんでやろね? こわいよ。すごく……でも、次から次にふしぎな勇気がわいてくるんよ。あなたがいてくれるなら、私は負ける気がしない」

 

「……………………」

 

 どこかで俺はひとりで戦おうとしていた。ひとりじゃ勝てないのに……。

 

 ホント……こいつは……。

 

 自分が一番きついはずなのに……。

 

 奥寺はそういうやつだった。どんなときも、変わらないやさしさを持っている。たぶん、それはやさしさじゃなく、強さというものなのかもしれない。

 

「私、思うんよ。あなたの奥寺先輩はきっと救われてるよ。あなたが救わなきゃいけないのはあなた自身よ」

 

 俺……? おまえが俺を救う……?

 

 俺はそんなにひどい顔をしているんだろうか?

 

 手を差し伸べてあげなきゃいけないと思うほどに。

 

 そうかもしれない。高山ラーメンの店主は俺の顔をみて、俺をここまで連れてきてくれたんだから。今の俺もあのときの俺とそんなに変わらないのかもしれない。もしかしたら、もっとひどい顔をしているかもしれない。

 

 今の俺は罪を背負っている。

 

「奥寺先輩じゃ、あなたを救えないなら、あなたは私が救う」

 

「俺は糸守から逃げた」

 

 それが俺の罪だ。

 

「でも、だから、奥寺先輩は生きてるんよ。私は生きてるんよ」

 

 少年は俺の頬にふれる。

 

 まだ出会ってさえもいないのに……俺たちの間には歴史がある……。

 

「私は知ってるよ。あなたの夢も、あなたが大切にしているものも……」

 

「見透かしたようなこというなよ。俺のことなんて何も知らないくせに……」

 

「まだ出会ってもいないもんね。でも、私は知ってるよ。あなたが友達ために戦える優しさと強さを持ってること……だから、私は信じてるんよ」

 

 少年は俺をみつめた。

 

「信じてるんよ」

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 いつから、俺はこんなに弱くなっていたんだろう。

 

 手が届くだけの人を救おうと思っていた。

 

 でも、それじゃダメなんだ。

 

 欲張るんだ。

 

 リスク(痛み)を恐れて、自分を守ってちゃ何も変えられない。無茶って言われるかもしれない。無謀って言われるかもしれない。無鉄砲って言われるかもしれない。

 

 それでも、やるんだ。

 

 三葉……おまえが思い出させてくれたんだ。

 

 この青さを。

 

 大人ぶるのはもうやめだ。

 

 

 戻ると、自称郵便局員がクルマの前で待っていた。

 

「俺にわたしたいものがあるんろう?」

「さすがだな」

 

「何かをわたすとしたら、このタイミングがもっともリスクが小さいからな。これ以前だと歴史の修正力が働く可能性がある」

 

「キミもそう言っていたよ」

 

「ふん」

「わはは!」

 

 自称郵便局員は俺に大きな手紙をわたしてきた。

 

「キミからキミへの手紙だ」

 

 この手紙がここに存在しているということはこれもまた暗号化されているってことだろう。そうでなければこの手紙の存在はデリートされていたはずだ。

 

 神の手によって……歴史の修正力によって……。

 

 それをかいくぐったんだ。この手紙は。

 

「悪魔のような頭脳で、この世界を支配しているヤツがいる」

 

 自称郵便局員の彼は空を見上げた。

 

 そうか。アイツはそれにふれたんだ。

 

 

「我々は彼を……エルキラと呼んでいる」



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眠れる勇者と導きの盟友②

旅……続けるよ

やめちゃったらね

どこでなにをしていても……きっとつらい

キミといっしょにいても……

わたし きっと笑えない

オレも行くから

最後まで おねがい……します

最後じゃなくて……

ずっと


「立花君?」

「はい」

 

 入れ替わりの日々。彼の学校の廊下。

 

 その声に呼び止められて、私は振り返った。

 

「今日は遅刻なんかしてどうしたの? なにかあった?」

 

 驚いた。

 

 先生は目をぱちくりとさせる。私の表情が意外だったんやろう。

 

 だって、それは驚くよ。

 

「ユキちゃん先生?」

 

「え?」

 

 ユキちゃん先生は戸惑っているようだ。

 

「たーきっ! 担任の先生に対して、ユキちゃん先生ってのは……」

 

 司君が肩を組んでくる。

 

 ち、ちかい……。

 

「さすがにまずいだろ?」

 

 なによ、その溜めは?

 

「先生、今日の瀧、ちょっとおかしいんです」

 

「そ、そうなの?」

 

 司君は同意を求めるようにみつめてくる。

 

 なんで、こんなところにユキちゃん先生がおるの?

 

 髪が長くなっていて、雰囲気もちがっているけど、まちがいなくユキちゃん先生や。

 

 ユキちゃん先生が瀧君の担任っ!?

 

 どうなっとるんよ!? これ!?

 

 ユキちゃん先生は今、糸守にいるんやから……。他人の空似!?

 

 こんなことありえんよ。

 

 私……どうかしとる。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 四葉が捕まった――。

 

 

 

 俺はバカだ。

 

 テッシー、サヤちんより、狙うは四葉だろ。なぜ、そこに気づかなかった。

 

 大本命なのに、見落とすなんて……もっと頭を使うべきだった。このくらい予想できたことだ。

 

 どうやって、ユキちゃん先生を倒す?

 

 しかも、俺たちのカフェは宮水神社のすぐ近く。爆心地だ。ユキちゃん先生を拘束して、無力化したとしても、そこから隕石の影響がない場所まで移動させなければならない。三葉の腕力では物理的に不可能といえる。

 

 アイツにとって、ユキちゃん先生は死んだってかまわない存在なんだから……。

 

 それを狙って、俺たちのカフェを選択したんだろう。

 

 手ごわい。

 

 

 

 何かが心に引っかかった。何か、重要なことを忘れているような気がする。ダメだ。どうしても思い出せない。隕石が落ちたことを忘れていたように、俺の脳の中で、記憶の修正がされているのかもしれない。

 

 

 

 いずれにしても、ユキちゃん先生は俺なんかより一枚も二枚も上手だ。すでに先手を取られている。

 

 切り札が必要だ。

 

「立花瀧君」

 

 自称郵便局員は言った。まだいたのか。

 

「電話を受けたあとのキミに……今のキミに、わたしたいものがあるんだ」

 

 手紙をもらったくらいで、ユキちゃん先生には勝てないだろう。

 

 これは物理的な問題だ。うまくすれば追い詰めることはできるかもしれない。しかし、倒すことは物理的に不可能なんだ。方法があるなら、教えてほしいくらいだ。

 

 だって、最終的に、ユキちゃん先生の身体を盾にされたら、俺にはどうすることもできないのだから。

 

 そこをクリアしなければ勝ちはない。アイツにとってユキちゃん先生が特別な存在ならば話は変わってくるがそんな情報はどこにもない。ユキちゃん先生の命なんて、アイツはなんとも思っていない。この糸守でユキちゃん先生は死んだんだから。

 

 俺は渡された手紙を読んだ。

 

 恐ろしい内容が書かれていた。

 

 暗号を解読すると、どうやら、俺はユキちゃん先生にハサミで腹を刺されるらしい。

 

 戦闘能力でも、ユキちゃん先生のほうが上だ。せっかくユキちゃん先生の攻撃パターンを教えてもらっても、俺には防ぐ方法がない。

 

 ボケたのか? エルキラ?

 

 防弾チョッキのように、おなかに何かを詰めたら、膨らんでバレるしな。

 

 俺は三葉のおなかをさわる。

 

 !?

 

 なんだ……これ!?

 

 生まれて初めてだ。俺は神を感じた。

 

 ちがう、そうじゃない。本質は神(そこ)じゃない。

 

 そこからの逆転の発想だ。

 

「ハハ……」

 

 これが切り札ってやつなのか?

 

 これは僥倖だ。

 

 風は俺に吹いている。

 

 だが、アドリブが必要になる。

 

「そうだ。祈り子だが、町長が持っていたよ」

 

 俺は自称郵便局員をみる。

 

「エルキラの指示だろう。あとはキミ次第だ。私にできることはここまで。キミならできるはずだ。私に奇跡の景色をみせてくれ」

 

 ユキちゃん先生との戦い。ここが天王山か。

 

 彼は袋を取り出す。

 

「あっ、そうそう。危うく忘れるところだった。今のキミがほしがっているものがこの袋の中に入っている。当てられたら、これをやろう。エルキラからの最後の試練だ」

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 俺は俺たちのカフェにたどり着く。ユキちゃん先生が待っていた。

 

「まだ糸守のイケニエたちを救おうとしているのか?」

 

「やっとおまえと対等なところまで来れたような気がするよ」

 

「あはは……おもしろい冗談だ。おまえもわかっているんだろう? 全員を救うことなんてできない」

 

「あの授業のあと、クラスの女から、絶対避難しないって宣言されたよ」

 

「そうだろう。前町長の関係者から、おまえも含めて、宮水は嫌われているからな。避難指示に従うわけがない」

 

「クラスの女なんて俺の敵じゃない。説き伏せることなんて簡単だよ」

 

「入院患者もいる」

 

「重病人を受け入れることもできない病院だけどね。だから、二葉さんは死んだ。入院していても、逃げることくらいできるだろう。これが運命ってやつなのかな。すべてが好転しているように感じるよ」

 

 ユキちゃん先生はあざ笑う。

 

「こどもに説得されるようなバカはいない」

 

「あぁ。今日一日でそれが痛いほどわかった。こどもの妄想に人生を賭ける大人はいない。こどもが大人を説得できるなら、大人になる必要なんてないしね。だから、俺は説得するのを……あきらめたよ」

 

「あきらめた顔にはみえないな。さぁ、最後の戦いをはじめようか」

 

「最後? ここでおまえを倒して、俺は運命に立ち向かうよ。ここで最後なのはおまえだけだ」

 

「……強気だが、頼みの勅使河原はいないぞ」

 

「関係ないね。おまえは俺一人で十分だ。どうやって勝負する?」

 

「おまえが決めていい。準備はして来たんだろう? そっちのほうがいいだろう? 俺との戦いで腕力勝負はありえないからな」

 

「睡眠薬ゲームにしよう」と俺は提案する。

 

 ユキちゃん先生の顔が引き締まる。警戒してるようだ。

 

「俺の勝利条件はユキちゃん先生を眠らせることだからな。妥当なバトルだろう?」

 

 自称郵便局員の袋の中身を考えているときに思いついたゲームだった。

 

 俺は袋に入った粉を取り出す。

 

「10錠分ある。これだけあれば即効性もあるだろう。ペットボトルを2本用意して、俺が片方のペットボトルに睡眠薬を入れる。俺が後ろを向き、おまえがシャッフルし、次におまえが後ろを向き、俺がシャッフルし、互いにそれを飲んで、眠ったほうが負け。無味無臭だ。入っているかどうかはわからない」

 

「……なるほど。四葉の場所は?」

 

「そんなの推理すればいいだけだ。すでに、だいたいの場所は見当がついている。このバトルで俺が助けたいのはユキちゃん先生の身体だ」

 

「なるほど……手の甲に四葉につけられたらしい傷をつくるとか、フェイクは入れるべきだったかな。監禁はしていないよ」

 

 俺は目の前の自動販売機でペットボトルの水を2本購入する。ユキちゃん先生はじっと俺の動作をみている。

 

 時々、糸守の町民が通った。家庭訪問かい? なんて聞いてきた。命のやり取りをしているわけだが、まわりからはそういうふうにみえるのだろう。まったく。

 

 ユキちゃん先生……さぁ、考えろ。どうすれば睡眠薬が入ったペットボトルを見分けることができるのか?

 

 俺はペットボトルを開けた。袋を破った。粉を入れようとする。

 

「500mlはちょっと多いな……少なくしないか? 飲み切れそうにない」

 

「あぁ」

 

 きた。

 

 ルールの変更。自分のトリックを成立させるために行われる常套手段だ。

 

 水を減らしたからといって、それがなんだっていうんだ? わからない。このゲームを思いついてから、ネットで調べてみたが、類似のゲームはいくつか存在した。が、そこで使われているトリックを差しはさむ余地はこのゲームにはない。水を減らす。これはユキちゃん先生のアドリブだろう。つまり、ユキちゃん先生は恐ろしく頭の回転が早い。今日の朝のテストの解答解説のときからそれは知っていたことだ。

 

 このままゲームを進めれば俺は確実に負ける。そんな気がする。

 

 フィクションの世界ならともかく、これを実際に現実にやってのける人物がいるとは。そのことに驚くよ。まるで物語の中の出来事のようだ。

 

 俺は所詮、学校一の秀才程度。頭脳戦でユキちゃん先生に勝てるとは思ってないよ。

 

 俺は水の量を3分の1まで減らす。微調整をする。

 

「これでいいか?」と俺はユキちゃん先生に尋ねる。

 

 ユキちゃん先生は顔を近づけてじっくりとペットボトルを観察する。

 

「あぁ」

 

 俺は粉を入れる。粉が飲み口につかないように……慎重に……。

 

 そうか。水を減らしたことによって、ペットボトルのすり替えトリックを封じたのか。俺が2本のペットボトルを持っていれば2本ともすり替えて、どっちが睡眠薬入りのペットボトルか把握することができる。その手は思いつかなかったな。どっちにしても、封じられたわけだけど。

 

 しかし、それだけだろうか? 封じただけじゃ勝てない。

 

 粉を入れ終わった。

 

 準備はできた。

 

 俺が後ろを向き、先にユキちゃん先生がシャッフルする。すこし時間がかかっているようだ。

 

「いいぞ」

 

 今度はユキちゃん先生が後ろを向く。次に、俺がシャッフルする。無造作に。

 

 これでどっちがどっちかわからなくなった。

 

 やっぱりおまえは凄いよ。

 

 ペットボトルの水滴の状態。ペットボトルが置かれて動かされたあとの冷えたテーブルの状態。どっちに粉を入れたのか、ユキちゃん先生ほどの頭脳なら推理は可能だろう。その準備はできているんだろう?

 

 ユキちゃん先生はテーブルに手をふれる。撫でるように。

 

 これは想定していたよ。

 

 ペットボトルを置いたところは冷えている。ペットボトルをどう移動したか、ある程度は触れることで推察できる。だが、それだけでは『答え』にはたどり着かない。

 

 ユキちゃん先生はニヤリと笑い、一方のペットボトルをとった。

 

 運否天賦にしかみえないが、このバトルにそんなものが介入する余地はない。

 

 しかし、このバトルの本質はそこにない。

 

 考えさせることこそが俺の狙いだ。俺の本当の狙いを隠すために。

 

 俺はユキちゃん先生の対面の椅子に座る。

 

 

 

 俺はこの後、ユキちゃん先生に腹を刺される。そこへ誘導する。

 

 椅子に座ったときが攻撃のチャンス。

 

 

 

「決着をつける前に訊いておきたいことがある」

「なんだ?」ユキちゃん先生は首を傾ける。

 

「おまえの正義はどこにある?」

 

「彗星の民が正義の組織だとは思っていない。そこからカネをもらっているから、俺はその指示に従っているだけだ。そもそも、彗星の民を腐らせたのはどこのどいつだ? おまえら、国民だろう? 今さら、何を政治のせいにしているんだ? 糸守の住民が死ぬのをなんで政治のせいにしてるんだ? 国民が投票しないことが政治を腐らせるんだ。政治を腐らせたのはおまえらだ。政治家はシステム通り動いているだけ。自覚しろよ。糸守を殺すのは俺たちじゃない。おまえたちだ」

 

「そんなものは屁理屈だ」

 

 饒舌だな。緊張が解けたからか? それとも、何かの策か? 大丈夫。そこに思い至るということは十分に頭はまわってる。ユキちゃん先生に話を合わせろ。

 

「国を動かすのは票じゃない」

 

 ユキちゃん先生は椅子に座る。俺の対面に座る。

 

「政治は言葉で語るものじゃない。一票で語るもの。それ以上でもそれ以下でもない。カネと契約で語るのがビジネスのように。たった一人の英雄の力で、世界を変えられてたまるか。革命を起こされてたまるか。糸守は消滅する」

 

 ユキちゃん先生はペットボトルのキャップを外す。

 

「そんなことはさせない。ここであきらめたら、どこでなにをしていても、俺はきっと笑えない。アイツと一緒にいても、な。だから、俺はこの運命も未来も、全部ぶち壊すんだ」

 

 俺もペットボトルのキャップを外す。

 

「決着をつけよう」

 

 俺とユキちゃん先生は同時にペットボトルに口をつけた。




天気の子が公開される前までには……決着をつけたいです。


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眠れる勇者と導きの盟友③

「睡眠薬」

 

「それは正解であって正解でない」

 

 自称郵便局員は袋から粉が入った半透明の袋を取り出す。

 

「これはただの白い粉。無害だ」

 

「それじゃ、アイツは倒せない」

 

「アッハッハッハッ」

 

 自称郵便局員は豪快に笑い飛ばすように笑った。

 

「キミはエルキラの後ろ楯の上にかろうじて立っている。彼にこれだけの戦術をもらってね。私にはそんなふうにみえる」

 

 俺はギュッとこぶしを握った。

 

「彼はキミに睡眠薬をわたすことは危険だと判断したんだろう。キミが敵にしている相手はそれほどまでに強い。おそらくキミになんらかのトリックを授けて、真っ向から立ち向かったとしても勝てないほどに。私の目にはキミは強者にみえない。ただの少年だよ」

 

「……………………」

 

「だが、だからこそ、できることもある。エルキラは英雄よりキミを選んだ」

 

 たぶん、俺を選んだのはエルキラじゃない。

 

「そのためのただの粉だ。キミは選ばれし者なのだから。立花瀧君」

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 ごくごくごく……と俺たちはペットボトルの水を飲んでいく。

 

 俺は脈絡もなく、テーブルをユキちゃん先生に押し付けた。ユキちゃん先生は椅子とテーブルの間に挟まれる。これで身動きは封じた。

 

 顔面に何かがぶつかった。

 

 衝撃で俺は椅子から転げ落ちる。

 

 ぶつけられたのはペットボトルだ。

 

 ユキちゃん先生は頭を切り換えたんだ。宝の山のように積み上げてきた勝利の方程式を邪魔なゴミのようにあっさりと捨て去った。勝利の方程式を披露することもなく。詐欺師も青い顔で逃げるほどの反応速度だ。これがエージェントの力か。

 

 反応速度が常人のそれじゃない。

 

 コイツは大切なものをすぐ捨てられる人間だ。

 

 驚く……フリーズする……状況の把握……逡巡……すべての思考をカットして反撃に転じたんだ。どんな訓練をしたら、こんな行動がとれるようになるんだろう? 戦っているフィールドが、次元そのものがちがう。

 

 ユキちゃん先生が俺の腹にハサミを突き立てた。衝撃で声が出ない。

 

 それは一瞬の出来事だった。

 

「!?」

 

 だが、俺の勝ちだ。

 

 俺はハサミをつかむ。この時を待っていたよ。

 

 ユキちゃん先生が横にぶっ飛ばされる。

 

「ゴホゴホッ……」と俺は咳き込む。

 

 そこには二人の少年がいた。

 

 

「サンキュー! 司! 高木!」

 

 

 俺はハサミを明後日のほうへ投げた。ユキちゃん先生は二人の少年をみる。

 

「バカな。制服(学ラン)の下に、金属の鎧か?」

「テッシーの制服がブカブカでよかったよ」

 

 ユキちゃん先生の表情がゆがんでいる。予想外だったようだ。

 

「大丈夫ですか?」と高木。

 

「高木、背ぇ、ちっさっ」

 

 小学生にしかみえない。高木は言っている意味がよくわからないようだ。わからないだろうな。

 

「標準語? こいつら、まさか……?」

 

「呼ぶだろ。今の俺が賭けられるすべてを賭けて、おまえは俺が倒す!」

 

「警戒すべきは宮水の巫女ではなく、おまえだったようだな」

 

「これって殺人未遂じゃないのか?」と司。

 

 空気が変わった。まわりの鳥たちが飛んでいった。

 

 ユキちゃん先生の眼つきが変わる。人間じゃないようだ。恐怖なのか手が震える。

 

「おまえ、何度目のループだ?」

 

 ユキちゃん先生はハサミを二本出す。予備があったのか。

 

「俺はハサミ男。これからはこれで行く」

 

 背中がゾクリとした。

 

 人の本気の敵意だ。本物の殺意だ。

 

 三葉の身体の防衛本能も目覚めたような気がする。

 

 火事場の馬鹿力っていうのか、筋力もアップしたような気がする。っていっても、男の身体には及ばないけれど。

 

「三対一。それで勝てると思っているのか? 絶望をみせてやろう」

 

 ユキちゃん先生は自分の首にハサミをあてがって、もう一本を俺に向けた。

 

「動くなよ。動いたら、この女の首を掻っ切るぜ」

 

 これは想定していたことだ。だから、少し冷静になれた。

 

「予言はここまでだったな」

 

「アァ?」

 

「つまり、ここから先は予言するほどのこともないとるに足りない出来事というわけだ」

 

 ユキちゃん先生は俺の言葉の意味が理解できていないようだ。

 

 俺は漫画ハンターハンターに出てくるクロロというキャラのセリフをなぞるように言った。

 

「もう一度言ってやろうか? 俺にとってこの状態は昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらない平穏なものだと言っているんだ」

 

「……ぶっ殺してやる!」

 

 信じるぜ。エルキラ。

 

「ユキちゃん先生ってみんな呼ぶからわからなかったよ。でも、やっと思い出した。ユキちゃん先生は俺の……担任だ。なんで忘れていたんだろう? それよりもどうしてユキちゃん先生が生きてるんだ? おまえが助けたのか? なんで助けた?」

 

「……………………」

 

「おまえにユキちゃん先生は傷つけられない」

 

「やってやるよ」

 

「おまえにできる最強の攻撃は俺の腹へのナイフ刺しだ。それは鎧で封じた」

 

「鎧があるなら、脱がせばいいだけ……」

 

「ゲスな女がおるのう」

 

「婆ちゃん!」

 

「宮水の巫女か」

 

 婆ちゃんがゆっくりと歩いてきていた。神社は目の前だ。婆ちゃんがみていたとしてもふしぎではない。

 

「婆ちゃん、逃げて!」

 

「ババアに興味はないぜ。失せろ」

 

「そうじゃな。ワシにはおぬしを倒すことくらいしかできん」

 

「あ?」

 

「ダテに身近で二人もの入れ替わりをみておらんよ。そうか……そうか……」

 

 婆ちゃんは二度「そうか」と呟いた。何かを悟ったように。

 

「知っておった。知っておったよ」

 

「婆ちゃん、初めから知ってたのか?」

 

「すべてのう。ワシは信じておらんかったがのう」

 

「宮水の巫女。それで町長を説得できるとでも思っているのか?」

 

「思っとらん。そもそもワシが説得できたなら、こんなことにはなっとらん。こんなことにはなっとらんよ」

 

 こんなこととは三葉と俊樹が離れ離れになっていることだろう。

 

「おもしろいことを思いついた。ここで宮水の巫女を殺せば避難どころの話ではなくなるな」

 

「まったく人とは……身勝手の極みじゃよ」

 

 どうするんだ? 俺は何もしなくて本当にいいのか?

 

 ユキちゃん先生は婆ちゃんに襲い掛かった。俺は間に入ろうと走った。追いつけそうにない。

 

 

「アンタ、今、夢をみとるな?」

 

 

 ユキちゃん先生がふらつく。

 

「ババア……てめ――」

 

 ユキちゃん先生が倒れた。俺はギリギリでユキちゃん先生を抱きとめる。司と高木も抑えてくれていた。ユキちゃん先生は気を失っているようだ。

 

 俺は婆ちゃんをみる。

 

「婆ちゃん……すごい……」

 

 婆ちゃんは親指を立てて、片目をつぶった。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 俺は学ランの下の潰した空き缶を外に出す。

 

「アイツはどうやってペットボトルを見分けようとしてたんだろうな? 司、遠くからみてたんだろう?」

 

「はい。この人はペットボトルを持って、じっとみていました。ラベルを。それだけです」

 

 俺は捨ててあったペットボトルを拾う。

 

 ラベルをみていた?

 

 そんなのみたって意味なんてないだろう? ラノベには特に変わったようすはない。俺はラベルに付着した水滴をぬぐう。

 

 ――ッ!?

 

「水を減らした……ラベルをみた……なぁ、司、ラベルをみたってどんなふうに?」

 

「みるって、こうですけど」

 

 司はペットボトルをもって、ラベルがみえるように手元で上向きにした。

 

「そういうことか。自販機から出してすぐのペットボトルだ。これで水滴は片側だけに付着する。水滴が見分ける印になったんだ」

 

「でも、彼女がラベルをみたあと、どうしたかまではわかりません。彼女、僕たちに気づいたのか、視線を向けてきましたから。僕たちもずっと彼女をみているわけにもいかず、僕たちの監視を逃れたそのあと、何かしたのかも……」

 

「そっちのほうはだいたい察しがつく。ユキちゃん先生にとって引き分けは勝利に等しいから」

 

「このバトルに引き分けなんて……」

 

「あるよ。たったひとつだけ」

 

 俺はその方法を説明した。さっきネットで調べた有名なミステリーのトリックだ。

 

「あぁ、なるほど。頭良いですね」

 

「みんなして、なにしとるん?」

 

 四葉がやってきた。どうやら監禁そのものがフェイクだったようだ。

 

「四葉、婆ちゃんの言うことをよく聞きな」

「どういうこと?」

 

「それじゃ、ちょっと行ってくる。婆ちゃん、ユキちゃん先生を頼む。司、高木、来てくれてありがとう。さっきも話したけど、ここはもうすぐ戦場になる。避難してくれ」

 

「あの……あなたはいったい何者なんですか?」と小さな高木。

 

「東京でまた会おう」



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導かれし者たち

 東京からなんとか帰ってきた三葉は隕石が落ちた糸守町を目の当たりにする。

 

 自衛官の制止を振り切り、三葉は糸守の中に侵入する。すぐに自衛官たちが追ってきて、三葉は自衛官に取り押さえられてしまった。

 

 そこに担架で運ばれる俊樹の姿があった。

 

「お父さん! お父さん! お父さん!!」

 

 三葉は俊樹に駆け寄る。

 

「お父さん? だいじょうぶやの?」

 

「だいじょうぶだ。足を負傷しているが命に別状はないから」と自衛官。

 

「よかった」

 

「ゴホッ……」

 

 俊樹が吐血した。

 

「お父さん……?」

 

「娘と話したいんだ。担架を降ろしてくれないか?」

 

「しかし……」

 

 俊樹は上着を脱ぐ。胸のあたりが真っ赤に染まっていた。

 

「すまない。足だけを負傷していると言ったのは嘘だ。どうしても、娘と話をしなくてはならなかった。だから、ここまで来る必要があった。私の救助のために助かるはずだった命を犠牲にしても……ハァハァ……」

 

 俊樹の顔は真っ青だった。

 

「早くお父さんを病院に連れてってぇや! 死んじゃう!」

 

 空気が重い。

 

「時間が……ないんよ……三葉……」

 

 そして、俊樹は死んだ。

 

 三葉が俊樹の最期の言葉を聞くことはなかった。自衛官をダマしてまで、助かるはずだった命を犠牲にしてまで、俊樹が何を三葉に伝えようとしていたのか、三葉にはわからなかった。

 

 そして、入院の日々……。

 

 混濁する意識の中で、気づくと、三葉は瀧の身体に入って、洞窟の中にいた。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 夕暮れが近い。

 

「三葉ァ!! いるんだろぉ? 俺の身体の中に!」

 

 俺は三葉の身体で、カクリヨを取り囲む山頂を走った。

 

「瀧君!!」

 

 三葉の声が聞こえる。でも、姿はみえない。気配は感じる。

 

 過去から手紙も出したんだ。だから、かならず、いるはずなんだ。今、この場に。

 

 思えば、ずいぶん遠いところまでやってきたもんだ。時間と空間を越えて、三葉の三年前の糸守町まで……。

 

 夕日が雲の中に隠れて、世界の輪郭がぼやけてくる。まるで次元のはざまにいるかのようだ。

 

 こういう時間のことをなんていったっけ?

 

 そうだ。

 

 

 

 ――カタワレ時だ。

 

 

 

 声が重なる。

 

 目の前に三葉の姿が現れる。三葉は放心したようにじっと俺をみつめていた。

 

 その三葉の表情をみて、俺は確信した。

 

 あぁ。俺はまちがってなかった。何もまちがってなかった。この気持ちの名は。

 

「三葉……」

 

「瀧君……瀧君がいる」

 

 三葉が俺に手を伸ばす。その手の指は俺にふれることはない。三葉の瞳から涙がこぼれ落ちる。

 

「おまえに会いに来たんだ。大変だったよ。おまえすげえ遠くにいるからさ。今時、電話もメールも通じないし」

 

「でも、どうやって……? 私、あのとき……」

 

 俺は手で制止する。

 

「三葉の口噛み酒を飲んだんだ」

 

「アレを飲んだぁ? バカ! ヘンタイ!!」

 

 三葉は顔を真っ赤にして怒り出す。

 

「え? えぇ!?」

 

 予想外の反応だ。なんで怒っているのか意味がわからない。三葉の手作りのお酒を勝手に飲んだからだろうか? それとも未成年だから? そんな感じではない。

 

「なんで怒ってるんだよ?」

 

 三葉は怪訝な顔をする。

 

「知らないの?」

「何を?」

 

「そうだ。アンタ、私の胸さわったやろ?」

 

「お、おま……どうして、それを?」

 

「四葉がみとんたんやからね」

 

 四葉め。

 

「ごめん。すまん。一回だけだから……」

 

「一回だけ?」

 

「うん、指先でちょっとふれただけ」

 

「指先で? ん~、何回でも、指先でも一緒や、アホ!! ……あ、これ?」

 

 三葉は俺の手首の組紐をみる。

 

「おまえさぁ、知り合う前に会いに来るなよ。わかるわけないだろ」

 

 一度目の今日、三葉は俺に会いに来ている。目の前の三葉は俺に会いに来た三葉だろうか?

 

 

 ――私、あのとき……

 

 

 三年前、俺に会いに来た三葉は今目の前にいる三葉と同一人物だ。頭がこんがらがる。三葉にとっては一週間くらいの感覚だろうが、俺にとっては三年と一週間だ。

 

「三年と一週間、俺が持ってた。今度は三葉が持ってて」

 

「うん」

 

 俺は組紐をほどいて三葉にわたす。

 

 三葉は俺が後ろで結んでいた髪の組紐をほどき、俺がわたした組紐で髪を結びなおす。手際がいい。

 

「どうかな?」

 

 微妙。あんまり似合ってないなぁ。ちがう結び方のほうが俺的には……。

 

「うん、悪くない」

 

「あぁ、思ってないでしょ!」

 

「すまん」

 

「この男は……ふん」

 

 そして、三葉は笑った。俺もつられて笑う。

 

「そうだ。代わりにこれを……」

 

 三葉はほどいたばかりの組紐のほうを俺にわたす。それは三年前に、三葉からもらうはずだった組紐で、今、俺が三葉に返した組紐の異時間同位体だった。

 

 俺は再び手首につける。

 

「おそろいだね?」

 

「あぁ」

 

 神様はどこまで俺たちを許容してくれるだろうか? おそろいですませてくれるだろうか?

 

「私の手作りやよ。世界にひとつだけの組紐」

 

 三葉は人差し指を立てる。

 

 時間も空間も飛び越えて、俺はおまえに会いに来たんだよ。それだけで気持ちが伝わると思うんだが、三葉だからな。

 

 

 この世界の物理法則はどこまでも冷酷だ。物理法則に感情は存在しない。法則は揺るがない。人間はそれを利用する。科学という名のもとに。

 

 

 

「三葉、まだやることがある。きいて」

 

「あ、来た」

 

 三葉は空を見上げる。表情が変わる。

 

「手紙は読んだ?」

 

「うん。究極召喚でしょ?」

 

「あぁ。それしかない。大丈夫。まだきっと間に合う」

 

「やってみる。でも、まずはお父さんと話してみるね。究極召喚はいつかここで使いたいから。でも、お父さん、頭硬いから無理やろうなぁ。説得できる気がせんもん」

 

「あとは三葉に任せるよ」

 

 ん? いつかここで究極召喚を使う? それはどういう意味だ?

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 千年の時を越えて、色褪せないメッセージを送るなんて不可能に近い。だから、昔の人は暗号化してメッセージを送ろうとしたんだ。踊りの中に。歌の中に。

 

 入れ替わり。

 

 最悪、ただそれだけですべてを伝えられるように。さっきようやくその暗号が解読できた。

 

 何も難しく考える必要なんてなかったんだ。答えは単純明快。未来がみえる巫女が避難命令を出す。ただそれだけの話だったんだから。でも、三葉が言っても誰も動かない。それが事をややこしくしてしまった。

 

 単純な話だったんだよ。答えは何も変わらない。

 

 未来がみえる巫女が避難指示を出す。それだけの物語。

 

 俺たちはただの高校生だ。だけど時空を超えた入れ替わりという特殊能力を持っている。

 

 それを使う。これで方程式は完成だ。

 

 エルキラの正体は……いや、これは三葉の目で確かめたほうがいい。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

「あぁ、カタワレ時がもう終わる」

 

 三葉は名残惜しそうに言う。

 

「なぁ、三葉、目が覚めても忘れないように……」

 

 俺は三葉の手を取る。初めて三葉にふれた。三葉の手のひらに文字を書く。頑張れと、その気持ちをのせて。

 

 ケータイの文字が消えたときのことを思い出す。おそらく名前は消えてしまうだろう。伝えられることは、伝えたいことは名前じゃない。

 

「手に名前を書いておこうぜ。ほら」

 

 俺はサインペンを三葉にわたす。

 

「…………うん」

 

 三葉が挙動不審になる。

 

 ここでお互いの手に名前を書いた二人は永遠に離れることがない。

 

 そういえばそんな伝説があったっけ。どこできいた話だっけ? 記憶が……そうか……もう舞台から降りる時間だ。

 

 三葉は俺の手をとって書こうとした。

 

 

 サインペンが落ちた。彼女が消失した。

 

 

 先輩の顔が浮かんでは消えて、彼女の顔が浮かんだ。そして、ぼやけていく。

 

 離れ離れに引き裂かれても、時代も、場所も、運命も乗り越えて、きっと会いに行くよ。さがし方なんてわからない。けど、会いに行くよ。

 

 俺は手首に結んだ彼女の組紐にふれた。

 

「名前、なんだっけ? 思い出せない……おまえの名前は……」

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 私は悪魔でも、ましてや神でもない。

 

 たった一人の女の子さえ救えない。そんなちっぽけなただの人間です。

 

 生きのびる可能性があるのに、あえて死ぬ方を選ぶなんてバカのする事です。

 

 叩かれてもへこたれても道をはずれても、倒れそうになっても、綺麗事だとわかってても、何度でも立ち向かう。周りが立ちあがらせてくれる。それが人間です。そして、そんな運命に立ち向かうのがキミたちなんです。

 

 勇者とは、最後まで決してあきらめない者のことです。

 

 

 究極召喚。いにしえの竜を倒しうる唯一の方法。究極召喚。

 

 

 禁忌を犯しなさい。

 

 以下の通行料を彼に差し出しなさい。

 

 水35リットル、炭素20キログラム、アンモニア4リットル、石灰1.5キログラム、リン800グラム、塩分250グラム、硝石100グラム、イオウ80グラム、フッ素7.5グラム、鉄5グラム、ケイ素3グラム……その代わりに、魂の情報。あなたの半分を差し出しなさい。

 

 さすれば真理の扉は開かれん。




再演の章はこれで終わりです。


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うつくしく、もがく
星空の守り人①


これは原作ではカットされてしまった第七章『うつくしく、もがく』230ページと第八章『君の名は。』231ページの間を完全ノーカットで描く物語です。


 彼女はこのあとエルキラに、俺のパーソナルな情報を伝えるだろう。エルキラから訊かれるのかもしれない。

 

 立花瀧としての俺の趣味嗜好は俺の友達なら知っている。そして、もうひとり、知っている人物がいる。もしかしたら、俺のヒミツの趣味嗜好まで知っているかもしれない人物。

 

 それは名前を思い出せない彼女だ。

 

 アイツなら、このエルキラの手紙の文章を書くための俺のパーソナルな情報を知っていて当然。むしろ、知らないほうが不自然なほど。

 

 俺の部屋で生活していたんだから。

 

 俺だって、アイツの趣味嗜好は知っている。アイツには話さなかったけれど……。

 

 俺がエルキラの手紙に出てくる言葉を知るのは中学三年になってから。三年前の中二の俺はまだ知らない。エルキラは三年前の俺ではなく、この俺を知っている。もしくは未来の俺。

 

 手紙の文面からは読みとれないが、単語の選択から、俺に対し、敵意がないことを推察することはできる。

 

 エルキラはアイツから信頼されている人物。俺に対し、友好的な人物。

 

 エルキラは、この手紙の書き手は司じゃない。司にこの文章は書けない。司はゲームをしないから。

 

 オヤジも俺の趣味までは知らない。俺の部屋には入らないから。

 

 つまり、ここから導き出される答えはたったひとりの人物を示唆している。

 

 ありえない。

 

 そんなことはありえないんだ。

 

 しかし、その絵がパズルのように組み上がっていく。エルキラは悪魔のような頭脳で、この奇跡のような方程式を組み上げたんだ。いったい、どうしたら、こんなことを思いつくんだ?

 

 エルキラの正体は……。

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 私は町役場へ向かって、大きく転びながらも、全力で走った。あの人が書いた文字を握りしめて。

 

 町役場庁舎の前に、何人かの人がおった。大人が三人と小中学生にみえる二人だ。

 

「どいてえええええっ!」

 

 私は大声で叫んだ。止まってる暇なんてないんよ。

 

 突然、大人たちが二人のこどもを蹴り飛ばした。

 

 大人たちが私を睨みつけてくる。見覚えがない。最近町にやってきた人たちやろう。私はそのまま突っ込んでいく。

 

「どけえええええええええええっ!」

 

 衝撃。ぶつかった。さすがに三人は吹き飛ばせなかった。私は尻餅をつく。

 

「なんで?」私は見上げながら言った。はっきりと敵意を感じる。

 

「町長の命令でな。悪いな。おまえを通すわけにはいかないんだ」

 

「力ずくとか脳筋かよ。体力勝負とか、オレの分野じゃないんだけどな」

 

 そう呟きながら、男の子が立ち上がる。

 

「もしかして……司クン?」若っ。

 

 司クンは観察するように私をみつめてきた。私は視線を逸らす。

 

「なるほどね。本当に信じてしまいそうになる。それにアンタら!」

 

 司クンは大人たち三人に向き直る。

 

「ちょっとおかしいよ。町長の娘が父親に会いに来た。それに対して暴力を持って阻止するなんて。普通じゃないよ」

 

「町長の命令なんでね」

 

 うすら笑いを浮かべながら、大柄な男が言った。

 

「何の免罪符にもならない。三葉さん、残念だけど、ゲームオーバーだね」

「え?」

 

「あと15分」

 

「は?」と男たち。

 

「やっぱりきいてないんだ。アンタら、切り捨てられたんだよ。組織にさ」

 

「何を言ってやがるんだ?」

 

「アンタらは知りすぎた。だから、アンタらはまちがった時間を教えられた。彗星とともにアンタらを消すためにね」

 

 男たちの顔が青ざめていく。

 

「お、おい?」

「く、くそぉ!」

「ちきしょー!」

 

 司クン、何か勘違いしとるんかな?

 

「まだ隕石はそこまで近くには来てへんよ。大丈夫やよ。司クン」

 

 司が困ったように頭を抱える。

 

 ん?

 

 男たちの表情がよみがえる。

 

「あっ」

 

 ブラフ、司クンの作戦やったのね。

 

「よくもダマしたなぁ!! ガキが!!」

 

 三人の意識が私から外れた。チャンスかも。私は立ち上がって駆けだした。しかし、すぐに腕をつかまれた。身体能力が違いすぎた。痛い。

 

「放して!」

 

「ずる賢いガキどもめ!」

 

「お父さん!! お父さん!! 聞こえてるんやろおおお!!」

 

「黙れ!!」

 

 こんな指示をお父さんが出したの? 嘘やよ。

 

「三葉さん、静かに。勝負はすでについています」と高木クン。

 

「あぁ、予言するよ。今から2分以内に、アンタらはここからいなくなる」と司クン。

 

「ハァ? んなわけないだろ! バカ!」

 

 

 ~~♪ ~~~♪♪

 

 やっと~目を覚ましたかい♪

 

 それなのになぜ目も合わせやしないんだい♪ 「遅いよ」と怒るきみぃ~♪

 

 これでもやれるだけ飛ばしてきたんだよぉ~♪

 

 

 辺りに音楽が鳴り響く。これなんて曲やったっけ?

 

 リーダー格の男のケータイが鳴っているようだ。

 

 男はケータイをとる。

 

「山田です。先生……いや、ボス!!」

 

 誰や!?

 

「はい! 了解! 直ちに撤収します!」

 

 男はケータイを切る。

 

「おまえら、撤収だ! これより我々は糸守を脱出する。行くぞ!!」

「はい!」

 

 男たちは町役場の駐車場に入って、三台の車にそれぞれ乗って、走っていった。

 

 私は茫然とする。

 

「ちょっとちょっと……まだ仕事が残っているよぉ! なんなんだい! いったい!!」

 

 庁舎からおばさんが出てきた。

 

「テロが起きて、無線が乗っ取られてるってこのクソ忙しいときに早退かい。同じ都会から来たっていうても、ユキちゃん先生とは大違いだよ。まったく!!」

 

「司クン、何をしたの?」と私。

 

「彼らのボスはすでに僕たちが制御しています。敵の数とか、確信が持てなかったので、すこし様子をみましたが」

 

 司クンがにっこりと微笑みながら言った。司クンが「僕」って言ったのを初めてきいたような気がする。私も笑った。

 

「ありがとう。司クン、高木クン」

 

 なぜか司クンと高木クンの頬が赤くなる。

 

「三葉ちゃん!」

 

 役場のおばさんが声をかけてきた。

 

「父に会いに来たの。どいてや」

 

「それはできんよ。三葉ちゃんが来たら、帰ってもらうように町長から言われてるよって」

 

「町民を追い返すなんてこと、やっていいんですか? どういう権利をもって、三葉さんを追い返そうとしているんですか? 説明してください」

 

「え? なにこの子?」

 

「納得いく説明をお願いします。返答次第ではこちらにも考えがあります」

 

 司クンはそういってケータイを取り出して、操作をはじめた。

 

「きみ、何をしようとしているの?」

 

「べつに、なにも」

 

「脅迫?」

 

「まさか」

 

 司クンはニヤリと笑う。

 

「行って、三葉さん、高木くん。ここは僕が抑えます」

 

「ちょっと待ってて。お父さんを説得してくる」

 

 私と高木クンは走り出す。役場のおばさんは私を止めようとしてきた。

 

「おっと。あなたには説明責任がありますよ」

 

「きみはいったいなんなの?」

 

「僕もそれが知りたい」

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 

 私と高木クンは庁舎に入る。町役場の職員たちが立ちはだかる。

 

「三葉ちゃん、そのキズ、どうしたん?」

 

 町場の職員たちは私の傷だらけの姿に驚いたようだった。

 

 

 

 カクリヨで目覚めたとき、あの人の身体はひどく冷えていて、疲れていて、ボロボロだった。そうまでして、あの人は私に会いに来てくれた。

 

 私はあの人がサインペンで書いてくれた文字を握りしめる。

 

 勇気は受け取ったよ。私はもう誰にも負けない。

 

 

 

「どいて」

 

「ここは通せないんよ」

 

「どけって言ってんの!!」

 

 気迫で押す。

 

「通してあげなさい」

 

 その声の人は宮水神社の儀式とかでよくみかける人だった。

 

「課長……でも……」

 

「無線の件はどうなったんや? 電気が止まってる件は? おまえら、持ち場へ戻れや。親子喧嘩にいつまでも付き合ってるんじゃなか」

 

 そう言い放って、その人が深いため息をつく。

 

 振り返ると高木クンがケータイでこちらのようすを撮影していた。無言で圧力をかけてるんや。

 

「三葉ちゃん。すまんかったな。やっぱり似とるわ。懐かしいの思い出したわ。あの子も、そんな表情をしとったなぁ」

 

 あの子?

 

「町長を、彼を守るために。三葉ちゃん、行きない。町長と……おとうさんと仲良くね」

 

「はい。仲直り、してきます。高木クン、ありがとう」

 

「頑張ってください」

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 私が町長室に入るとお婆ちゃんと四葉もいた。

 

「もはや職員程度では止められないか」

 

 お父さんは何かを思い出しているようや。

 

「ずいぶんと暴れたようだな。三葉」

 

「何が?」

 

「おまえの本気は受け取った。だが、おまえの願いは聞き入れられない」

 

「糸守のみんなを避難させてほしい」

 

「今、二人からその話はきいた。先生からも電話がきたよ。隕石が落ちるかもしれないから、ここから住民を避難させてくれだと。どんな話術を使えばそんな妄言を吹き込むことができるんだ? それもあの先生にまで。これが宮水の血か。妄言ここに極まれりだ」

 

 お父さんはうんざりした表情になる。

 

「三葉、自分が言っていることがいかにめちゃくちゃなことかわかっているんだろう? 俺がうんと頷かないこともわかっているんだろう?」

 

「わかってる」

 

「ならば、どうする? 答えは最初からおまえが持っていたはずだ」

 

「うん」

 

「おまえはどうやって先生を説き伏せた? その妄言を聞かせてもらおうか? いやとは言わせん」

 

「いいよ。そのために私はここへ来たんよ。でも、これは言葉じゃないんよ」

 

 

 

 ――禁忌の秘術。究極召喚。

 

 

 

「お父さんは覚えていないかもしれないけど、私は覚えているんよ」

 

 あの日の担架で運ばれて、血まみれのお父さんを思い出す。私は近づいて、お父さんの胸にそっと手を当てる。

 

 お父さんはなぜかすこしだけ緊張しているみたいだ。

 

「もう誰も死なせない」



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星空の守り人②

謎は全て解けた


「今のうちに言っておく。隕石がやってくるまでのこの短い時間で、住民全員を避難させることは不可能だ。もう無理だ」

 

「それはお父さんにはって意味やよね? 私ならできるよ」

 

 お父さんは驚いた表情になる。

 

「知ってた? ちょっとの間、この町から出るだけで、好きな女の子がなんでもいうことをきいてくれるなら、男の子は走って町から出てくれるものなんやよ?」

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

 バチン!!

 

 

 私はよろけた。

 

 左耳がキーンとしている。

 

 生まれて初めて、お父さんに引っぱたかれた。手をあげられたことなんて、今まで一度もなかったのに。

 

 でも、ふつうの反応かもしれない。

 

 私はお父さんをじっと睨みつけた。

 

「お父さん! お姉ちゃん!」

 

 四葉が立ち上がって、泣きそうな声で叫んでいる。

 

「三葉! 自分が何をやっているのか、わかっているのか!」

 

 お父さんが、お祖母ちゃんが、四葉が私を非難している。

 

 私は右手を握りしめる。

 

 あの人の名前を忘れたって、あの人のことを忘れたって……。

 

 この三文字だけで、私はどこまでも戦える。

 

 キミの声はもうきこえない。でも、頑張れってきこえるよ。

 

 そうやろ?

 

 キミ……。

 

「三葉!」

 

「わかっとるよ」

 

「これは……重大な……犯罪……だぞ」

 

 お父さんの声は震えていた。怒っているというより、動揺しているようだった。

 

「わかっとる。でも、これで避難させやすくなった。変電所を爆破して」

 

 お父さんの瞳孔が開いている。

 

「おまえは気がふれている」

 

 お父さんは頭を抱えた。

 

「勅使河原さんの息子か? アイツがおまえをそそのかしたのか?」

 

「ちがう! テッシーは手を貸してくれただけや!」

 

「なんなんだ! いったい、俺のまわりで何がおきてるんだ! 誰か説明してくれ!」

 

 一瞬の静けさ。

 

 それを破って、プルルルル……と電話が鳴る。お父さんは視線を向ける。

 

 お父さんは気だるそうに机の電話を取る。

 

「私だ」

 

 声に力がない。

 

「っ!? わかった!」

 

 緊張した声だった。お父さんは電話のボタンを押す。

 

「お電話かわりました。宮水です。はい。はい。避難指示は出していません。はい。えぇ、出しません。それは承知しております。問題ですか? えぇ、停電がありまして、現在原因の調査をしているところです。いえ、こちらで対処いたします。テロなど、こんな田舎であるわけがありません。私が責任を持って……」

 

 避難指示……?

 

 いったい誰と何の電話をしとるんや?

 

「……………………」

 

 お父さんは私をみた。茫然としている。

 

「あなたは何者ですか? ありえないでしょう。この電話で、この会話の流れで、それはありえないでしょう?」

 

 お父さんの手が震えている。

 

「わかり……ました……」

 

 お父さんが受話器を私に差し出す。

 

「政府官邸からだ。三葉、おまえと話したいそうだ」

 

「へ?」

 

 なんで、私がいることがわかったんや?

 

 てか、政府って……それアウトやろ。

 

 お父さんがありえないでしょうと言った意味がわかった。これはありえへん。ただの高校生のこの私が官邸の人と話すなんて……。

 

「お電話かわりました。宮水三葉です」

 

「初めまして。私は日本支部の歴史の番人です」

 

 歴史の番人?

 

「あなたがここまでやるとは思いもしませんでした。我らのエージェントを倒してしまうとは。有能な方で、ただの高校生であるあなたが勝てる相手ではないはずなんですがね」

 

 倒したのは私じゃない。あの人。

 

「そんなに構えないで。この会話は明日の朝のもう一つの『カタワレ時』に神の力によって消去されますから」

 

「あなたたちの目的はなんですか? 何がしたいんですか?」

 

「歴史を守りたい。それが人類を守ることにつながります。不確定な未来は人類滅亡の可能性をはらみますからね。核戦争。原子力発電所の事故。人類の明日は危ういんですよ」

 

「だからって、今、目の前の命を見捨てるなんてできない。それが人間やよ」

 

「相容れませんね。好きにしなさい。キミにその力があるなら。残された時間で、500人全員を避難させることは不可能だ」

 

「好きにさせてもらいます!」

 

 私は受話器をたたきつける。

 

「お、おい!」

 

 私はゆっくりとお父さんのほうを向く。

 

「40年近く前、とある進学校で不可解な事件がおきた。警察も捜査したけれど、事件はなかなか解決しなかった。そこに一人の男子高校生が登場し、すごい推理で、事件は一気に解決した。せやけど……」

 

 私はお父さんの目をみる。

 

「せやけど、その高校生探偵には事件を解決した記憶がなかった。眠りの小五郎のように。その高校生ってお父さんやよね?」

 

「なぜ、三葉がそれを知っている?」

 

 決まりや。

 

「誰から聞いた? いや、俺は誰にも話していない。記憶がなくなっていることを。俺が高校生探偵だったって誰からきいた?」

 

 私はお父さんをみつめる。

 

「……………………」

 

 お父さんはうろたえている。怖がっているようにもみえる。

 

「娘をそんな目でみんといてや。化け物じゃないんだから」

 

「……………………」

 

「もう避難指示を出してなんていわへんよ。お父さんじゃ、ムリやから」

 

 政府官邸の歴史の番人も言ってたし。

 

「二葉もやんちゃだったが、おまえも大概だな。まるで二葉と一緒にいるような気持ちだ。こんな気持ちは久しぶりだ。アイツが過ったことは一度もなかった。ただの一度もな」

 

 お父さんと見つめ合う。

 

「おまえは本当に三葉なのか?」

 

「宮水三葉。宮水の巫女やよ」

 

 私はお父さんの胸に手を当てる。

 

「お父さん、言ってたよね。なぜ、それをしないんだって。試そうともしないんだって。それをやってみればいいって。だったら、みせてあげるよ。宮水の巫女の能力を」

 

 

 

 ――究極召喚。いにしえの竜を倒しうる唯一の方法。奇跡の方程式。究極召喚。

 

 

 

「お父さん! この胸ポケットに入ってるこの硬いヤツ、出して」

 

「?」

 

「それはお母さんから、人生が終わってしまうと思うくらい困ったときに使ってほしいって言われているものやよね?」

 

「なぜ、それを知っているんだ? あれは俺と二葉だけが知っていることだ」

 

「初歩的な推理よ。お父さん」

 

 お父さんの目が見開いた。

 

「嘘」

 

「嘘?」

 

「本当は……みたから」

 

「みた!?」

 

「うん。この目でみたから」

 

 私は手を出す。

 

「出して!」

 

 お父さんは内ポケットから小さなカンを出す。

 

 私は戸棚から使い捨てのコーヒーカップを持ってくる。私はお父さんからその小さなカンを受け取る。コーヒーカップにお父さんから受け取ったカンの中の液体を注ぎ込む。

 

 これが魂の半分。

 

 私はその液体を一口だけ口に含んで飲み込んだ。まだカップには半分残っている。

 

「飲んだよ。仕掛けはない」

 

「あぁ、わかっている。おまえは手品なんて使えない」

 

「でも、魔法は使える」

 

 私はカップをお父さんにわたす。

 

 

 

 ――娘の飲みかけの飲み物をもらって、娘から飲んでと言われて、それにあらがえる父親なんていない。ましてや、娘の真剣な願いなら。

 

 

 

「飲んで」

「……………………」

 

 お父さんはカップに口をつける。お父さんはごくっと飲み干した。

 

「飲んだね?」

「あぁ」

 

「三葉……おまえ、何を飲ませた?」

 

 持ち主のお父さんがそれを言う?

 

「口噛み酒やよ」

 

「……………………」

 

「死者を蘇らせる禁忌の秘術」

 

「死者を蘇らせるだと……?」

 

「これが鋼の錬金術。魂の錬成やよ。説得できないなら、その身体を乗っ取ってしまえばいい」

 

 お父さんはふらつく。

 

「みつ……は……?」

 

「お父さん! いってらっしゃい!」

 

 私は数年ぶりに、この言葉をお父さんに言った。

 

「私たちに、よろしくね」

 

 お父さんはソファの上に倒れた。気を失ったようだ。

 

 お祖母ちゃんがソファに倒れたお父さんの頭を撫でる。

 

「かつて、ワシら、宮水の巫女はこう呼ばれとった。飛騨のイタコ、とな」

 

「んん……」

 

 お父さんが吐息を漏らす。そして、ゆっくりと目を開けた。




これで書き始めたときの構想はすべて描き切りました。次回が最終回です。令和元年6月30日21時までにアップしたいです。全13話ではありませんでした。


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星空の守り人③

 四つ葉のクローバーの小葉はそれぞれに、信仰、希望、愛情、幸運を象徴しているという。

 

 四つ葉のクローバーは希少で、みつけた者を幸せにしてくれるという。

 

 俺は、あの日から、欠けてしまった四つ葉のクローバーの小葉をさがしつづけた。

 

 いくらさがしても、さがしても、みつからなかった。

 

 

 これは夢か?

 

 走馬灯のようにイメージが流れていく。

 

 1200年周期で地球のそばを通っている彗星。ティアマト彗星。

 

 彗星が二つに割れて、流星として糸守町に片割れが落ちてくる。うすい雲を突き破って。美しく。そして、恐ろしく。

 

 三葉がみたのはこれか? これなのか?

 

 不意に叫び声がきこえた。それは二葉の叫び声だった。

 

 

 二葉ッ! 二葉ッ!! 二葉ァッ!! どこにいるんだ!?

 

 

 気づくと俺は二葉と結婚式を挙げた天空庭園にいた。

 

「隠り世か? 声が……!?」

 

 俺は喉元を手でおさえる。ほっそりとした指だった。

 

 二葉の身体……!?

 

 さがしても、さがしても、みつからなかった四つ葉のクローバーをようやくみつけたような気がした。

 

 みつかるわけがなかった。みつける方法は自分自身が四つ葉のクローバーになることだったんだから。初めから、四つ葉のクローバーの小葉はそろっていたんだ。

 

 

 足元の地面に何か文字が書いてある。アイツの字だ。

 

 

 ――ちょっと待ってて。すぐに行くから。

 

 

 これは夢か? 夢でも構わない。訊きたいことがあるんだ。

 

 

「あぁ、待ってるよ」

 

 

 

 

 ◆  ◆

 

 

 

「お父さん、なんで倒れたの? 早よ、救急車呼ばんと」

 

 四葉があたふたしている。

 

「大丈夫」

 

「大丈夫? どこが? 巫女の能力? 鋼の錬金術? さっきから、お姉ちゃん、何言っとるの? 本当に変やよ!」

 

「んんっ」

 

 お父さんが吐息を漏らす。

 

 四葉は「お父さん!」と呼びかける。

 

 口噛み酒の在り処に気づいたのはついさっき。お父さんの胸に手を当てた時。すべてが繋がった。

 

 

 

 ――時間が……ないんよ……三葉……

 

 

 

 糸守の方言をお父さんが使うことはない。一度目の今日、自衛隊に担架で運ばれて、私の目の前でお父さんは死んだ。あれはお父さんやない。あれはお父さんと入れ替わった誰か?

 

 そんなの一人しか思いつかん。

 

 入れ替わる方法は口噛み酒しかない。なら、お父さんは身の回りのどこか、それか身体のどこかに身につけてないとおかしい。

 

 そして、この悪魔の計画を立てた人物。

 

 あの人の好きな漫画。好きなゲーム。好きな音楽。私はそれを知っている。暗号はそれを使って作られていた。私宛ての日記にそう書かれていた。

 

 私があの人のことを話す人。あの人のことを話せる人。あの人のことを話さなくちゃいけない人。

 

 それがエルキラということになる。

 

 お父さんが眩しそうに目を開ける。視線だけ動かし、辺りを見回す。自分の手をみつめる。

 

「お父さん、大丈夫やの?」

 

 四葉は心配そうだ。

 

 お父さんはしばらく四葉を観察するように眺める。

 

「お父……さん……? んっ、ううん」

 

 お父さんはそう言って咳払いをする。

 

「よつ……は……?」

 

 お父さんは喉をおさえながら声を出す。

 

 お父さんが私に視線を移す。私は窓を指差す。お父さんは自分が映った窓をみる。お父さんは立ち上がる。お父さんは状況をある程度は把握したらしい。私が状況を把握していることも。

 

 お父さんは私の頭を撫でる。

 

「三葉、大きくなったね」

 

 一度だけでいい。ずっと会いたいと思っていた。

 

「また、会えるなんて……思って、なかった」

 

「わたしはもう一度会えることを知っていたよ。なんて言ったらそれっぽいやろ?」

 

「お父さん? お姉ちゃん? 急に、どうしたん?」

 

 私の瞳から涙がこぼれていた。

 

 それをみて、四葉が驚いている。目をパチパチさせている。四葉が困惑している。

 

「もちろん、わたしを呼んだのは会いたかったからじゃないんよね?」

 

 私も困惑している。お父さんは事情を詳しくは知らないらしい。この人はどこからやってきたんや? どの時代から……?

 

「政府の人が歴史を守りたいとかいうて、私たちの邪魔してて、避難指示を出しても、お父さんの対立候補はいうこときいてくれそうにないし、もうすぐ隕石が糸守に落ちてくるのに、まだ問題がたくさんあって、でも、町のみんなを一人も欠けずに避難させないといけないし、もうどうしたらいいかわからなくて……助けてほしいの」

 

「だから、お姉ちゃん、お父さんに、そんなこと言うても……」

 

「わかった」

 

「へ?」

 

 四葉がキョトンとしている。お祖母ちゃんは悟ったように目をつぶっている。寝ているのかもしれない。

 

「もう、なんも心配いらんよ。ぜんぶ任せて」

 

「えっ!? ええええええええええええええええええええええええええッ!!!!」

 

 四葉が腰を抜かした。

 

「さっきまでの言い争い、なんやったん!?」

 

「三葉、よく頑張ったね」

 

「わかるの?」頑張ったこと。

 

「わかるよ」

 

「お父さんが笑っとる。笑っとるわ」

 

 四葉が怯えている。

 

「でも細かい状況がわからんなぁ」

 

「えっと」

 

「三葉、大丈夫やよ」

 

 お父さんは瞬間移動するかのように、こめかみに指をあてた。

 

「同期した」

 

「え?」

 

「このわたしと、三葉が知っているわたし、二人は同一人物」

 

 何を言っているのかわからない。

 

「わたし、チートやから……これ、わたしの決め台詞なんよ」

 

 軽い。なんかすごい軽い。今までの重苦しい空気がかき消されていく。

 

 お父さんは腕時計をみる。

 

「ミッションの難易度は下から二番目くらいやなぁ」

 

 今、キミが繋いでくれたバトン、アンカーに渡せたよ。

 

「私、お父さんお母さんのこと、何も知らなかったんやなぁ」

 

「さぁ、三葉……糸守を救おうやないの」

 

「でも、どうやって? 避難なんて、全員はしてくれへんよ。町長の指示だとしても」

 

「簡単なことやよ。避難したくなるようにすればいいんやよ。たとえ、自衛隊が邪魔をしてたとしても、突破したくなるように。こっちがお願いするんじゃなく、向こうからお願いさせるように仕向けるんよ。簡単なことやよ」

 

 なんか、考え方が全然ちがう。

 

 お父さんは窓の外を眺めた。

 

「三葉、もう気づいていると思うけど……わたしがエルキラ」

 

 お父さんはニッコリ笑った。

 

「お父さん、やばいわ……とうとう壊れてまったよ。やばい。やばいやばい。やばいわ」

 

 私も笑った。

 

「四葉、平成の次の年号、知りたい?」

 

「お姉ちゃん、こんなときに、なに言うてんの? アホや」

 

「さぁ、三葉、四葉、ちょっと町を救いに行こう」

 

 お父さんは町長室のドアを開けた。

 

「行くよ。四葉!」

 

 私は四葉の手を引っ張る。

 

「ちょっと、お父さん!? お姉ちゃん!? これ、どうなってしまうん?」

 

「行ってらっしゃい。気ぃつけてぇ」

 

 お祖母ちゃんが手を振った。

 

「ええええええええええええええっ!?」




いろいろ伏線は残ってしまいましたが、これにて完結です。伏線からオチはだいたい想像がつくと思います。読者のそんな想像を超えるようなオチを思いつけばいつか続きを書きたいと思います。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


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