Black Barrel(改訂版) (風梨)
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風梨と申します。
よろしくお願いします。





 鉄の軋む音がする。

 

 何の音か分かってる。

 自分が座っている椅子が立てているのだから当然だ。

 

 逃げたい。今すぐにでもここから逃げ出したい。

 だというのに、鎖につながれ、椅子に縛り付けられ、動くこともままならない。

 湧きあがるのは焦燥、怒り、憎悪、絶望。

 ありとあらゆる負の感情が無限に思えるほど浮かび上がってくる。

 思わず握りしめた指は空を切る。

 当然だ。

 指がないのだから。

 

 爪を一枚一枚剥がされた後、指を一本ずつ丁寧に切断された。

 根元から無理やり抉り取るように、ペンチを何度も動かされたこともあった。

 心臓に鳥肌が立つほど痛みで必死にかみしめた奥歯からは何度も悲鳴が漏れた。

 ペンチだけで千切れないときはノミを用意する周到さだ。

 

 そして指の痛みは長く残った。

 あったはずの両手の指はもう無くなったが、指の感覚だけ残っている。

 幻痛という奴だろう。

 そのナイはずの指がひどく傷む。

 それは痒いのに掻けない感覚に似ている。

 どうしても届かない。なのに痛みはどんどん強く、どんどん明確になる。

 気がおかしくなりそうだった。

 …扉が開く音が聞こえる。

 そんな1日がまた始まった。

 

 

 ここに来てから何日経ったのか。

 時間の感覚が曖昧だ。

 一週間かもしれないし、まだ数日しかたっていないのかもしれない。

 意識は朦朧として視界は霞み、意識を失うたびに与えられる痛みで目を覚ます。

 そんな日々を過ごしたからか、もうずっと身体の痙攣が止まらなかった。

 恐怖か、怒りか。

 ただの身体の反射なのか。

 自分でもわからない。

 ただ、震えが止まらない。

 

 わけもなく涙が溢れてくる。

 何が何なのかすらもう曖昧だ。

 自分がなぜここにいるのかさえ忘れてしまった気がした。

 震える身体を抑えつけて、欠けた歯を食いしばって必死に痛み耐える。

 せめて叫び声だけはあげたくなかった。

 このクソッタレどもの望む結果など見せてたまるかと、気合だけで悲鳴を堪えた。

 

 助けはこない。

 当たり前だ。俺が調子に乗ったからこうなった。

 全員俺を見捨てたか、あるいは隣の拷問部屋で気がふれているか、どちらかだろう。

 

 だから耐えることに意味はない。

 みっともなく叫び声を上げて、気が触れたように振る舞えば楽だろう。

 きっと何もかもわからなくなって、苦痛から永遠に逃げられる。

 

 なぜそうしないのか。

 自分でもわからない。

 しいて言うなら、笑ってしまうような意地だ。

 こんな地獄ではクソの役にも立たないそれだけを支えに、ずっと耐えてきた。

 だが、それも終わりに近い。

 

 

 笑う男たちがいる。

 3人の男たち。

 ついさっきまで爪を剥ぎ、骨を砕き、皮膚を剥かれた、憎い男たちだ。

 そのうちの一人が、手を挙げた。

 

 そこに握られているのは、黒い銃身。

 何なのか、わかっている。

 だから認めたくない。

 こんな目にあっても、まだ死にたくなかった。

 

 だが、

 ―――やっと終われる。

 少し安堵感もあった。

 

 

 

 鉄の音が大きくなる。身体に巻きついた鎖が立てる嫌な音だった。

 それでも、いや。その音で男たちの笑みは止まらない。

 鎖は解けない。

 

 銃身に力が入るのがわかった。

 ひどく緩慢に見えた。

 ゆっくりと指先が引かれ、引き金が弾けた。

 終わったと思った。

 だが、間延びされる時間があった。

 

 どこか遠くで聞こえる弾ける音。

 煙る硝煙。

 弾は見えなかったが、頭蓋を砕いて中に飛び込んだのが感覚でわかった。

 脳に向けて骨が飛び散る。

 痛みはない。

 ただ、通り過ぎる感覚と妙な残り時間がある。

 

 脳が弾丸の回転で引き裂かれ、飛び散った骨で傷つく。

 弾丸は止まらない。

 ぬるぬると脳を引き裂く。

 それは、ゾッとする感覚だった。

 摩耗しきったはずの心が震え上がる。

 

 それもすぐに終わった。

 弾は進み、頭蓋に当たる。

 パカン。そう聞こえた。

 まるでクッキーを割ったような軽快な音だった。

 気が遠くなる。

 

 これが死。

 感覚が塗りつぶされる。

 初めて経験するソレに、なすすべなく流された。

 のっぺりとした鉛を身体に流し込めばこんな感覚だろう。

 鉛が流れたところから感覚が減っていく。

 削られる感覚に嫌悪感はない。

 ただ、塗りつぶされる恐怖があった。

 そして燃えるような熱さ。

 

 減っていく。減っていく。

 手が、足が、頭が、目が、心臓が、死に飲み込まれる。

 なのに、燃える熱さが心地よかった。

 心が震える。恐怖なのか。それとも―――安堵か。

 最後に中心を飲み込まれて、フッと意識は途絶えた。

 

 

 

 

 ―――それが○○○(クソ野郎)の最期の記憶。

 

 幼女(わたし)はふと目を覚ます。

 見えるのは真っ暗な天井だ。

 起き上がって見渡せば、腐った木の床や黄ばんだ毛布、何日も前の酒瓶などが散乱している。

 頭を押さえて目を閉じた。

 あの、銃弾が通っていく(・・・・・・・・)嫌な感覚が残っていた。

 

 

 緩慢な動作で布団を抱き寄せる。

 何度観ても慣れない。

 いつものように震える身体を抱きしめながら奥歯を噛み締めた。

 クソッタレな記憶だった。

 生まれてから延々と知りもしない男の死に様を見せられる。

 反吐がでそうだ。

 

 アイツは満足して死んだのだろうが、そんなことは私に何の関係もない。

 ただの賞味期限の切れた悪夢だ。

 あんなちっぽけな覚悟でどうにかなるような記憶じゃないし、第一、あれは私ではない。

 私はこうして生きているんだから、無関係もはなはだしい。

 

 悪態を吐きながら、最悪の気分を振り払うために深く息を吐いた。

 あれが誰の記憶だかわからないが、なんとなくわかる。

 前世という奴なんだろう。

 とんだものを背負って生まれてきたものだった。

 

 だが、ムカつくことにあの夢も悪いことばかりじゃない。

 あの夢を見るたび、身に覚えのない記憶が増えていく。

 取りとめがないものだ。

 漫画、テレビ、友人の声、人を殺した手の感触、羅列された新聞の文字。

 そんな色々を私は夢を見るたびに少しずつ思い出していく。

 夢の中で得たものなのに、それはとても明瞭だった。

 

 

 瞼を閉じながら、少し考える。

 最近思い出した中にある、光明に思える記憶だ。

 『念』

 ハンターハンターという漫画に出てくる力。

 寿命を延ばしたり、力持ちになったり、頑丈になったりする力。

 

 この力。

 この世界にもあるかもしれない。

 そう思った理由は簡単だ。

 

 プロハンター。

 暮していれば身近に聞く職業だ。

 とんでもない大金を稼ぐ、スペシャリスト共。

 妬み話や小馬鹿にした話ばかりが耳に入るが、どいつもどこかで負けを認めている節がある怪物達。

 それがこの世界には居る。

 

 そして記憶の中にある世界観と、この世界は余すことなく合致している。

 しばらく悩んでいた。

 本当にそうなのか何度も考えた。

 だが、今日の記憶を思い出して確信した。

 

 ここはハンターハンターの世界だ。

 

 

 自分の小さな掌を広げる。

 まだ何もできない手だ。

 盗みなら辛うじてできる。だが、殺されそうになっても逃げることしかできない。

 悔しかった。

 だが、『念』があれば対抗できる。

 

 『念』があれば。

 

 思い出す。

 習得方法。

 一人で起こす方法は記憶にない。

 だが、私ならやれるはずだ。

 

 根拠のない自信だ。

 だが、私はこうやって生きてきた。

 できなければ、死ぬか、ろくでもないこの人生を続けられるだけ。

 失うものは何もないんだ。

 

 まずは色々試してみなければ。

 小さな足を畳んで座禅を組み、指を合わせる。

 これでいいかわからないが、爺さんがやっていた。間違いではないだろう。

 深く息を吸い、吐いた。

 まずは知覚すること。

 それが『念』の入口のはず。

 

 集中して、信じなければ。

 自分の中の、疑心暗鬼をぎゅっと潰すつもりでコブシを握る。

 わからない不安。本当にあるのか。夢は所詮夢ではないのか。現実を見ろ。囁く自分の声も拳の中に閉じ込める。疑惑ある。確証はない。それでも時間は過ぎていく。

 静かに、ただ静かに夜は更けていった。

 

 

 




話が追いつくまで20時と9時の二回更新の予定です。







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現実

 

 三階建ての古いコンクリート建築に、今日も幼女(わたし)は寝泊まりしていた。

 中はひどい有様だ。

 壁の塗装は剥がれているし、木張りの床は半分腐っている。

 何かが入ったビニール袋やら、空いた酒瓶がそこら中に転がり足の踏み場もない。

 まさしく吹き溜まりのようなここ。

 狭いアパートのリビングの角。

 そこが私の定位置だ。

 

 そこに薄い布を敷き詰めてベッドの代わりにしている。

 見た目は寒々しいが意外と風邪は引かない。

 住めば都というのか、秘密基地感覚とでもいうか。

 思いのほか快適に過ごしている。

 

 

 そんな中で、私は寝床である毛布一枚に包まって座禅をしていた。

 

 あれから5日が経った。

 ひたすら『念』を探る日々だった。

 もちろん日常生活を送りながらだが、それ以外の時間は全て『念』に充てた。

 

『念』に関してわかっていることは少ない。

 こうやればこうなるという結果は識っているが、それは取っ掛かりにしかならず、最初はやり方がまったく掴めなかった。

 だが、諦めずに繰り返していくと少しわかったことがある。

 

『念』とはいえ、自分の一部であることに変わりはないのだ。

 持っているものを探っていけばいい。

 とはいえ、今まで感じたことのないものだ。それも生命エネルギーなんて漠然としたもの。

 気付いてからもそう簡単には行かなかった。

 なので、やり方は掴めても実際に感じられるようになるには時間が掛かった。

 

 ようやく『念』らしきモノを感じたのは最近の話だ。

 モヤモヤとした暖かい何か。

 表現するならそんな言葉になるが、まだ何とも言えない。

 覚えたばかり。というか覚えてすらないからそんなもんだろう。

 …これからわかるようになるだろうか。

 

 

 目を閉じたまま、胡坐をかいて瞑想する。

 

 モヤモヤは身体を覆っている。

 皮膚の上を何かが昇りながら流れている。

 あと少し揺らめいている、かな。

 弱々しくもあり、でもどこか力強い。

 

 だが、私の目には何も見えない。

 なんとなく感じる(・・・)ことはできるのだが、見ることは出来なかった。

 まだ初歩の初歩。

 これからの特訓次第、というところか。

 なんとか一歩進んだが前途多難だ。

 

 息を吸い、吐く。

 背筋を伸ばし、身体の軸を意識しながら呼吸を繰り返す。

 体中の筋肉をほぐして、念にだけ集中できるようにする。

 私なりのルーティーンだ。

 効果はわからない。

 が、やらないよりマシだろう。

 そう信じて続けている。

 

 これからオーラを動かしてみる。

 見えなくても感じているから、なんとなく動かすことはできる。

 全身のモヤをもっと外に広げていくイメージでこねくり回す。

 上に、下に、外に、内に。

 ぐるんぐるんと意識しながらオーラを念じる。

 とにかく動かすことが目標だ。

 

 結果として。

 …動くことには動く。

 でも、動きは鈍かった。

 いや、鈍いというより硬い。

 モヤは思ったように動かない。

 想像していたよりも難しい。

 感じればすぐだと思っていた。

 

 小まめに息を吐きながら、鈍重なオーラを必死に動かしていく。

 

 どれくらい経っただろう。

 何度も試した。

 かなり難しいが、無理やり力を込めても意味がないとわかった。

 毛穴のようなものだ。

 力を入れれば閉じる。抜けば開く。

 余計な力はいらない。

 適度に抜くことが大切だ。

 だから自然体が最も安定する。

 

「・・・あれ」

 気がつけば割れた窓から朝日が覗いている。

 随分長いこと集中してたみたいだ。

 念もそろそろ覚えられる、はずだ。

 ともかく残りは今夜だ。

 昇りつつある朝日を尻目に、私はボロ布団にもぐりこんだ。

 

 

 

 夜。

 いつも通り盗み主体の日常を過ごした後、私は家で目を閉じる。

 やるのは『念』の練習だ。

 昨日の復習もかねて少しだけオーラを動かしてみる。

 

 肌を撫でるモヤ。

 勘を掴んでから随分と動きやすくなった。

 感じ方も変わった。

 昨日までは何かがあることしかわからなかったが、今はオーラの流れも感じられる。

 流れを感じれば、どこから出てくるのかもわかった。

 

 これが精孔という穴だろう。

 微量のオーラが、じわりじわりと漏れ出している。

 

 だが、ここからどうすればいいんだ?

 力めば穴が塞がる。かといって、力を抜いたままだと何も変わらない。

 …わからない。

 とりあえず、やってみるしかないか。

 

 

「…ん」

 しばらく色々と試していると、唐突にオーラが一瞬だけ増えた。

 少量でしかないが確実に増えた。

 何が良かったんだ?

 全身の精孔に意識を集めてみる。オーラが漏れてるのがわかるが極少量でしかない。

 いろんな場所に意識を向けて、動かしたり、念じたりしてみる。

 何も変化はない。

 増えたのは気のせいだったのだろうか?

 いや。そんなことはない。

 確かに増えてた。

 

 掌を見つめる。

 何も覆っていない普通の手だ。

 待てよ。さっき私は色々動かした。その時、一部にだけ集中したときもあったはずだ。

 あえて意識を手の精孔だけに向けてみる。

 ズズズ、と何かが溢れる感覚。それが増した。

 …これか。

 僅かだがオーラの量が増えてる。

 けど、本当に僅かだ。

 1割程度の増量。それも手のみだ。

 これではとても使えない。

 増えたのは嬉しいが、これだけじゃ時間が掛かりすぎる。

 

 だが、もしこれを全身(・・)でやればどうだろうか。

 今は一部でしか出来ないことを、全身で出来るようにする。

 そうすれば確実にオーラ量は増えるだろう。

 …難しそうだが、今はそれしか思いつかない。

「…よし」

 いっちょやってやろうじゃないの。

 

 

 何時間経ったか。

 時々力んで、穴を閉ざしてしまいつつ、ある程度気合をこめればオーラの量が増えることに気付いてからオーラの量は驚くほど増えた。

 

 増えて、増えて、増えてしばらくすると。

 

 溢れるオーラが見えた(・・・)

 唐突な気もするし、ずっと見えていたような気もする。

 不思議な感覚だ。

 

「これが、念?」

 オーラを確認するつもりで手を持ち上げた。

 手にしっかり(・・・・)と纏ったそれは確かに湯気っぽい。

 色は無色透明で、水のようにも見える。

 生命エネルギーに色はない、ということだろう。

 

 立ち上るオーラは穏やかだ。

『纏』をしなくてもぶっ倒れないのは地道に開いたからだろう。

 まぁ、あれだけ感じたり動かしたりしたんだ。

 今倒れるならとっくの昔に倒れてるか。

 

 そう思いつつ、私は『纏』をしてみる。

 身体の回りを穏やかに流れるイメージ。

 元々オーラを感じていたおかげか、すんなりとできた。

 少し息が詰まる。

 口を閉じながら、鼻呼吸をしてる感じだ。

 

 手を握ったり、腰を捻ったりしてみるが、特に変化は感じない。

 見た目の上ではただオーラを纏っているだけだ。

 力を込めれば無意識にオーラが寄ってくるし、身体の表面に何かある感覚はある。

 ただ、何かに包まれている感覚。

 これは癖になりそうだ。

 

 試しにオーラを移動させてみるが、軽く腕のオーラを拳に動かすだけで5秒から7秒くらい掛かった。

 これを殴りながら行うのはまだ無理そうだ。

 

『纏』はどちらかというと防御に優れた技だし、これで攻撃してもさほどダメージは与えられないので、殴ることを考えてもしょうがないか。

 ただ、頑丈さなら飛躍的に上がっているはずだからそこは期待しよう。

 

 念に関して一息ついて、ふと視線を巡らせる。

 

 

 一つのドアに目がとまった。

 あの部屋には両親が居る。

 だが、両親と言う実感はほとんどない。

 父親は朝は働き、帰ってからは酒ばかり飲んで、私のことは無関心。

 掛けられた言葉は何だったか。…確か。疫病神だっただろうか。もうほとんどおぼろげだ。

 

 母親は売春で生計を立てている。

 だから、私のことも産むだけ産んで、それだけだ。

 死なない程度の世話しかしてもらえなかった。

 たぶん、私が前世を覚えていなければ死んでいただろう。

 かなり投げやりな世話だった。

 

 多少恨むこともあるが、そんなもんだろう。

 そう。私は私だ。

 私だけいればそれでいい。

 

 さて。

 念を覚えることはできた。

 後はこれでどの程度のことができるか、だ。

 

 主人公たちは覚えてからすぐに途轍もなく強くなったが、同年代の少年はそこまでヤバイ訳でもなかった。

 だから、鍛え方によるんだろう。

 …私はそこまで鍛えてないから、期待しないでおこう。

 

 月明かりが差し込んできた。

 割れた窓は木で塞いでいるが、僅かに窓ガラスが残っているので深夜になると月光が見える時もある。

 

 私は茶髪を揺らしながら、自分の背よりも高い窓に近づく。

 窓枠に手を乗せて青い目で月を見つめる。

 綺麗な満月が夏の夜空で輝いていた。

 

 

 




自力の起き方は捏造です。温かい目で見てくださるとありがたいです。。
念は本当に難しいですね。
いくら考察しても絶対これっていう答えがわかりませんでした。
皆さんはどう思われますか?
ご感想お待ちしてます!

今日の20時にもう1話、念のお話を投稿します。




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『纏』を覚えてから一夜明けた。

 空には太陽が昇って燦々と輝いている。

 少し眠いのに、忌々しいくらいの快晴だ。

 目を細めて額に流れる汗を拭いながら空を見上げると、並び立つアパートの隙間から青い空が見える。

 視界を遮っている貧民街の建造物、太陽はその間でギラギラと輝いていた。

 

 

 この街は大きく分けて4つの区画に分かれる。

 浮浪者や行く場のない人たちが集まる貧困区と、一般市民が住む住宅区、商店などが並ぶ商業区、少しお高い店やビルなどが並ぶ中央区だ。

 大まかに分けると、中心が中央区で、その周りを他の区が分割して囲んでいる。

 大きさは貧民区<商業区<住宅区<中央区の順だ。

 住宅区と商業区はちゃんと町長の手が入っているので、多少は入り組んでいるもののある程度の規則性は持っている。

 中央区は街の顔ともいうべきエリアなので、当然のように整然としている。

 まあ、多少は混ざっているので一概には言えないが大体そんな感じだ。

 

 私の住んでいる貧困区エリア。場所にもよるが、そこはかなり入り組んだ作りになっている。

 何でかって言うと住宅法を無視して住民たちが好き勝手に増築しているからだ。というかそもそも彼らは法律なんて知らない。

 それでまともな家が建つわけがない。

 横に伸ばし、縦に伸ばし、果てには家同士を繋げたりなんてことも珍しくない。

 スラムはそうした、多くの木造の建築物と残されていたコンクリート建築で溢れかえっている。

 

 

 私は今スラム街の路地裏にいる。

 スラムに溢れてる乱雑としたエリアとは違いシンプルに道が一本伸びているだけだ。

 左右をコンクリートのアパートに挟まれているここは、昔まだ景気が良かった頃に建てられた住宅地で、今でこそスラムの一部となっているが以前は普通の住民が暮らしていた。

 なので純正なコンクリートで作られており、スラムの住民の中でもある程度所得のある者達が住んでいる。

 土木工事に従事していたり、清掃業に就いていたり、スネにキズがあるが、重犯罪者というほどではない者達がここで暮らしている。

 

 住宅を管理している者もいる。

 管理と言ってもかなりザルで、月に一度集金に回るだけの大家だ。

 その代わり、誰が住んでいても何の詮索もしない。関与も一切しない。何の情報も漏らさない。

 犯罪者とその予備軍が街から逃げ込むには格好の場所になっている。

 

 そんなアパートに挟まれている路地裏だが、昼間の治安は悪くない。

 何せ居るのがお尋ね者か、昼間は働いている者ばかりだ。

 昼間にうろつく様な輩はここに住んでいない。

 そしてそんな輩が住んでいるものだから、好き好んでこの道を通る者もいない。

 だから私も安心して念を試せるという訳だった。

 

 

 念を試すにあたって、用意したものは石だけだ。

 水見式も試したいが、まだ早い。『練』を覚えてないしな。

 今日は『纏』の使い心地を確かめるだけだ。

 

「よいしょっと」

 

 運んできた石を路傍に置き、目の前で腰をおろす。

 座るのに丁度いい高さの石だが、今は割ることが目的なので座らない。

 横幅も十分で私がギリギリ二人座れるくらいの広さもある。

 

 直径15cmほどの、角ばったこの石。

 実はこれ、コンクリートだ。

 近所の建設地からかっぱらってきた。

 こうした石は大量に工場から運ばれてくるから簡単に手に入る。

 管理も特に厳重じゃないから盗りやすいんだ。

 

 撫でると表面はザラザラしてる。

 コンクリート置き場から盗ってきたし、触った感じ風化もしてない。結構新しい奴だ。

 少し指で叩いてみる。

 何の音もしないから、結構な密度がありそうだ。

 試すにはもってこいだ。

 

『凝』で纏っていたオーラを右手に集中させる。

 オーラは念入りに集めておこう。…念のためだ。

 動きはかなり鈍いが、しっかりと動く。

 失敗を何度か繰り返し、5分ほど掛けてようやくある程度のオーラが右手に集まった。

 集まったオーラは拳の二回りほど。

 私が持っているオーラの6割ほどだ。

 

 

 一応『凝』のつもりだが、それとは少し違うかもしれない。

『練』でオーラを増量していないので量も少ないし、覚えたてでオーラの練度も低い。

 集めることに慣れてもいない。

 何とか気合で右手に集めているにすぎないので、今できる最大限ではあるものの、さほど期待できるほどのものでもない。

 それも含めての挑戦だ。

 やってみなきゃわからない。

 

「ふぅ」

 念を纏った拳を構えて、一呼吸。

 真上から石に向かって殴りつける。

 拳を突き上げてくる衝撃。

 石を殴ったとは思えない音が響いた。

 ゴッ、と何か堅い物同士がぶつかり合う、人の手からするには異様な音だ。

 拳に痛みもない。

 殴った箇所を見ると、特に変化はなかった。

 …覚えたてならこの程度か。

 

「ふぅ~、次だな、次」

 

 念を解除してから、新しい石を用意しつつオーラを纏う。

 何もせずにいるより『纏』を使った方が運びやすい。

 私の筋力では石一つ運ぶので精一杯だったが、『纏』をすればある程度は楽に運ぶことができた。

 

『纏』には力を増す効果もあったが、使ってみた感じ幅はさほど広くない。

 精々が少し力持ちになる程度だ。

 念を鍛えればもっと重いもののも持てるようになるかもしれないが、身体を鍛えておらず、念も覚えたての私では普通の大人以下の力しかない。

『纏』は防御向きの技なのでそれも仕方ないか。

 

『纏』のまま膝を下ろし、目の前の石に向けて拳を上から構える。

 力を込めたときに動くオーラを出来るだけ動かさないように意識しつつ、私は拳を振り下ろす。

 

「ッッ」

 ゴン、と音が鳴る。

 そこまでは予想通り。だけど、私の手にはジンジンと痺れるような痛みが走っていた。

 けど、痛めたって感じじゃない。

 衝撃に耐え切れなかった、そんな痛みだ。数秒もすれば引いて行った。

 当然、石にも傷一つ入っていない。

 …結構ショックだな。

 

 正直に言おう。

 拳が無事なのは予想通りだが、石まで無傷なのは予想外だった。

 防御向きとはいえ『念』だ。

 ある程度傷くらいなら出来ると思っていたんだけど、まさか無傷だなんて。

 

 あまりの力のなさにため息が出そうだ。

『纏』でも石くらい凹ませられると思っていたし、『凝』なら砕けるかもと考えていた。

 甘かった。

 念は一瞬で強くなれるほど虫のいい代物じゃない。

 世の中にそんなうまい話があるわけがないし、そもそも時間をかければ掛けるほど強くなるのが念だ。

 

 ま、それも含めて良い実験になった。

 ともかく、これで『纏』とオーラの確認はひとまず終わりだ。

 成果はまずまずといったところか。

 喧嘩で殺される心配はなくなった。

 逃げようと思えば方法は色々とある。

 大人に勝つのはまだ難しそうだが、それも時間の問題だ。

『練』と『硬』さえ習得すればたぶん何とかなる。

 あと、身体を鍛えること。

 これが意外と一番大事かもしれない。

 

「ん、腹も減ったし、そろそろかな」

 

 日の高さから見て、まだお昼前の時間帯だが、私のご飯はこの時間に盗りやすい。

 市場が込み合ってくるからだ。

 人で溢れればそれだけ盗みやすくなる。

 その分、バレやすくもなるが私なら問題ない。

 姿を隠すのは得意中の得意だ。

 

 太陽が少し傾き始めた。

 少し急いだ方がいいかもしれない。

 遅れたら面倒だ。

 用意した石は放置しておく。

 どうせ見ても『念』のことはわからない。

 適当に脇に寄せとけばいいだろ。

 足でゲシゲシして汚い路傍の隅に押しやっておく。

 

 これでよし。

 もう試すことはないだろうが、まあ、機会があればまた使おう。

 振り返って、いつもの何ら変わりない路地裏を見渡してから、私は市場に向けて走り出した。

 




念はこんなに弱くない!
とのご意見もあると思います。壁なんかボロボロ壊れますし。
しかし、肉体年齢。肉体の強さ。念を鍛えた年数。
そして原作でのズシくんのパンチ力。
それを考えたらこれくらいなんじゃないかな、と。
身体も念も鍛え方次第ではないでしょうか。

皆さんはどう思われますか?

また明日の9時に投稿します。


────
誤字報告お礼
『Veno』さんありがとうございます。


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今日は少しだけ展開変化します。





 

 

 

 路地裏を走る。

 表市場へ続く道だ。

『纏』のおかげか、いつもより足が軽い。この分なら思ったより早くつけそうだ。

 チャンスは多いほど良いから、早く着くに越したことはない。

 今日は何を食べようか。早く着けばそれだけ選択肢が増える。想像して少し頬が緩む。

 

 建物の間に生まれた道を駆け抜ける。

 迷路のように入り組んでいるが慣れればこれ以上ない裏道だ。

 色々と近道もあるし、何より薄汚れた身なりでも市場まで近づける。

 汚いってのはそれだけで迫害される理由になるから面倒なのだ。

 それを道順だけで回避できるってのはデカい。

 

 走ること十数分。

 いつもの路地裏から市場のある広場を覗く。

 活気に溢れた市場が見える。

 どこにでもある市場だが、私から見たら宝の山だ。

 野菜や肉、屋台、食べ物がメインで、あとは本だとか、骨董品じみた食器、ナイフやらの刃物だったり、色々なものが露店で店売りされている。

 あくまで市場なので高価な物は置いてない。

 道行く人も普通の人たちだ。普通に生きて、普通に食事をして、普通の服を着て、普通に生活している。

 それを普通と思っている、普通の人間で溢れてる。

 …なんかムカつくけど、そんなもんだ。

 

 今日はいつもより盛況だ。人の数が多い。

 これならやり易い。

 目に付いた、行き付けの八百屋に近づいていく。

 周りの人と一緒に流れながらリンゴをこっそりくすねる。

 山盛りに積んである青いリンゴだ。見るからに瑞々しいのでついつい盗んでしまう。

 指で触れた硬さ。表皮の滑り。そして大きさ。文句なしに良い品だ。

 バレないうちにそそくさと立ち去り、裏路地に戻る。

 

 リンゴを齧りながら私の居る場所から窺うと、少し先に広場の噴水が見える。

 この市場の中心部だ。

 そこから南北一直線にメイン市場が広がっている。

 中心地だけあっていつも賑わってるが、今日は殊更盛況なようだ。

 ささっと近づいて隠れながら見てみると、噴水の前で女性がマイクを握って楽しげに歌を歌っている。

 彼女の後ろではそれぞれ楽器を持った男たちが笑顔で演奏していた。

 

 旅の楽師達だろう。ここらじゃ見ない顔だ。

 実力は確かなようで、伸びる声と演奏だけで人がどんどん集まってる来てる。

 驚いたことにマイクを使っていない。物凄い声量だ。

 感心して見ている間にも観客はどんどん増えていく。

 10人だったのが15、20と、今では数えきれないほどだ。

 ここまで集まれば簡単に盗れそうだな。

 シャクリ。最後の一口を齧り終えて、食べ終わったリンゴを放る。

 じゃ、始めようかな。

 内心で楽師達に感謝の念を贈りつつ精孔を閉じていく。

 

 この『絶』だけはずーっと前から使っている。

 私が生き残ってこれたのもこれのおかげだろう。

 念を覚える特訓を始めてから、さらに磨きがかかってきてる。

 

 「―――『絶』」

 ものの数秒で完全に気配を消せる。

 スーッと自分が薄くなったような感覚。

 でも、完璧じゃない。

 動けば多少オーラが漏れるのだ。それでも一般人相手ならまず気づかれない。

 そんな『絶』で人波を進む。

 いつも通り人の合間を縫って進むが、いつもより盛況だったので少し時間がかかってしまった。

 

 さっきとは曲調が変わってしまっている。

 一曲終わってしまったらしい。

 途中からだったし、仕方ないだろう。幸いライブはまだ終わっていないようで、集まった人のほとんどの意識が歌に向かっている。

 主婦。作業着の男性。初老の爺。良い服を着た子供。ターバンを頭に巻いた男。クビレのある女性。

 選り取り緑。色々な人がいる。

 どれにしようか。

 しばらく悩む。『絶』を覚えてスリの成功率はぐっと上がったが、持って帰れる財布は二つが限界だ。それ以上は落とすリスクが高い。

 なるべく中身が多いものを狙いたいが、これといって高い財布はなさそうだ。

 そんな時、ふと大きな財布が目についた。

 ちょうど後ろを向いている尻ポケットにずっしりした財布が取ってくださいとばかりに埋まっている。

 (いただき)

 中身への期待もあって、手はささっと動いて、相手の動きに合わせて抜き取った。

 ずっしりした財布の重みがある。

 これ、レシートじゃないよな?

 実は結構多い。

 見た目だけデカくて中身のない財布。開けてみてからのお楽しみかな。

 取った財布をしまい込み、目についたボリエステルの長財布も抜き取って人混みを出た。

 あまり長居すると逃げれなくなる。

 取ったら即離脱が原則だ。

 

 路地裏について、ほぅと息を漏らした。

 人混みの中は暑い。

 太陽も元気に照っているせいで、しっとりと汗ばんでるのがわかる。

 水浴びなんて頻繁に出来ないからあまり汗はかきたくない。

 火照った身体をパタパタ冷ましながら盗ってきた財布を確認する。

 うん、ちゃんとある。

 盗ってきた、分厚い長財布とポリエルテルの長財布。

 どちらも期待できそうだ。

 サっと開いて、さあ御開帳ってね。

 

「…あれ、なんだこれ?」

 

 期待していた、札束は入っていなかった。

 札の代わりにへんな薬が入ってる。ビニールに入った錠剤だ。

 数は200あるか、ないかくらいだろうか?

 何かのイニシャルだろう、Dという文字が掘ってある。

 私が今まで売ったクスリの中にこのクスリはない。

 …なんか見たことある気もするが気のせいか。

 

 んー、完全に目論見ハズレって訳でもない。

 クスリはある程度の値段で売れる。そういう意味なら悪くないんだが値段もピンきりだ。

 高く売れる可能性もあるから、ハズレとも当たりとも言えない。

 とりあえず、売ってみるしかないな。

 

 ボリエステルの財布はいかにも安げだ。

 質感、材質、重さ。全部が安さだけ訴えてるが、案外こういう財布の方がコンスタントに入ってる。

 今日はそこそこ。悪くないが、良くもない日だ。中身を見るが、2222ジェニー。ゾロ目っていうのを除いてそこそこだ。

 カードはあったが、私じゃ使い道ないんだよな。

 そしてレシートの山。まぁ、こういうことの方が多い。

 

 財布二つと合わせて、まぁ、3000ジェニーにはなるか。

 …悪くない数字だ。それで良しとしとこう。

 

 いらない中身を捨てておき、随分軽くなった財布と薬は懐に戻しておく。

 ふと空を見上げる。太陽はまだ中ほどだ。

 この時間だと、闇市はやっていないが、買い取りならやってるだろう。

 薬の値段はまぁ運次第だが財布があるし、日の高いうちにいっとこう。

 来た道を戻りながら、少しずつ溜まる貯金の予感に頬を緩めた。

 

 

 

 

 





本日の20時にも投稿します。





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『D』

ドキドキ





 闇市場。

 ここでは買うも売るも力が全てだ。

 盗品や禁制品、危険な麻薬や果てには人まで、あらゆるものが商品となる。

 独自の信頼性のみで運営されている、裏側の世界。

 殺人、盗み、騙し、スカシ。全て無法。

 許されている訳ではない。ただ誰も咎めない。

 一般人から見れば危険極まりないし、近寄りたくもないだろう。

 

 

 ―――私から見れば普通の市場と同じなのだが。

 というのも、ただ純粋に扱いにほぼ差がないのだ。

 汚いという理由だけで普通のおっさんが本気で殴ってくる。

 気に入らないと目をつけられれば死ぬほど殴られる。

 盗みを働けば死ぬまで暴行される。

 そこに人権なんてないし、闇市場と変わらない。

 どちらも安全とは掛け離れてるから、裏だろうが表だろうが関係がないのだ。

 

 

 闇市場にも色々ある。

 雑多な商品が並ぶ盗品エリアもあれば、表には流せない、違法ビデオなどのエリアや麻薬のエリア。

 違法賭博のエリア。売春エリア。

 人の欲望の数ほど多種多様に揃っている。

 それぞれが隣接されているし、時には混ざり合っているけど、ある程度は別れている。

 派閥だとか、利権が絡んでいるらしいが、私には関係ない事だ。

 

 私が向かうのは盗品エリア。

 昨日盗まれた品が今日は店に売ってある、なんて無法なことはもちろん、不正品や紛い物は当たり前。品質の悪すぎる商品も当然のように店頭に並んでいる。

 騙される奴が悪い。

 法なんてないから咎める奴もいない。モラルなんてないから止める奴もいない。罪悪感なんてないから辞める奴もいない。

 スリーアウト。結果救いようもない。

 

 

 そんな終わっている闇市場の盗品エリアの中に私が通っている行きつけの店もある。

 私の年齢はまだ幼い。

 そのせいで色々と面倒事が起きる時もある。

 だから、なるべく顔なじみとだけ取引できるように決まった店を選ぶ。

 店の選び方は簡単だ。

 実際に取引してみればいい。そうすれば相手がどういう意図を持っているかよくわかる。

 失敗も多くあった。

 金額的に倍近く誤魔化されたこともあるし、無理やり品だけ奪われたこともある。

 金ではなく、劣化品とだけの取引を強要されることも、無意味に暴力を振るわれることすらあった。

 

 その失敗のおかげで今がある。

 要は相手にメリットを感じさせればいい。

 メリットと浮浪児への不信感を秤にかけ、メリットに傾くよう、色々と工夫を凝らせる。

 色々な相手を見てきたがそこさえ押さえればなるようになる。

 

 

 

 闇市場では、盗品を扱う店は数多くある。

 中には私では入れない、裏社会でのハイソサエティな店もあることだろうが、今向かってるのは普通の、少し奥まった場所にある青いテントの店だ。

 老人と若い青年が居る店で、私が知る中で一番信頼できる闇商人達だ。

 

 青いテントは所々継ぎ接ぎだらけで、とても裕福そうには見えないし、いい品を扱っているようにも見えない。

 普通ならそうだ。

 だが、表の商店街ならありえない店構えでも闇市場なら特に違和感なく溶け込んでいる。

 中身の品についても、そして店主である老人も含めて闇市場『らしさ』溢れる店だ。

 

 盗んだ品はいつもここに持ち込んで物々交換や金銭のやり取りなどで売り払っている。

 老人や青年とは何度も取引したおかげで今では顔パス同然に取引できる。

 最近では私の腕が良いとも知らしめることができているので、取引のレートも少しずつあがっている。

 定期的な供給ができる信用と実績があれば優遇してもらえるのだ。

 なんといってもここは闇市場。実力が全て。それ以外は等しく無価値でしかない。

 

 なので、私のような『信用のない立場』にとってこういう馴染みの場所は大切だ。

 物さえ用意すればーー顔なじみとは言えども少しは買い叩かれるがーーおおよそ適正価格で買い取ってくれる。

 きちんと市場の値段での取引をしているから、何とか真っ当な食い扶持を繋いでいける。

 

 とはいえ、それはいつもの相手なら。という話だ。

 

 

「こんにちわー、…お兄さん?」

「は?誰だ、オマエ」

 というのも。

 今日は運がない。

 テントに入った私を出迎えた、見るからに軽薄そうな若い男。

 髪は金髪だが、かなり前に染めたのか、黒い地毛が半分ほど見えてる。

 嘲りを隠そうともしない目は確実に面倒が起きる相手。

 半年ほど通っているが、今まで見たことのない顔だ。

 最近雇った新入りか、もしくは他店からの応援だろうか。

 ふと手元にある財布を隠す。

 今日はよくわからない品が手元にある。

 これを見られるのは、こちらが弱い立場だと少し拙い。

 …ほんと、運が悪い。

 

 

「あー、買い取りか?いいぜ、俺がみてやるよ」

「…いや?違うけど。いつもの人いねぇの?」

「は?俺でなんか文句あんのかよ、ナメてんのか、あ?」

 私の話を潰して、ぐっと伸びてきた手で胸倉を掴まれる。

 手が早い。

(こっちの話聞けよ)

 思わず、男の手を払った。

 

 

 一瞬の静寂。

 男の間の抜けた、ぼけっとした表情が、何が起こったのか理解して真っ赤に染まった。

 あ、やばい。

 そう思った瞬間にはもう遅かった。

 

「てめえ、死にてぇらしいな、オイ」

 両腕で胸倉を掴み上げられ、唇が触れるほど近くに引き寄せられる。

 鬼のような形相だ。

 額には青筋すら浮かんでいる。

 …あーあ、やってしまった。

 内心ため息を漏らす。

 取引したくない時は逃げるしかないんだが、思わず手が出た。…念を覚えて調子乗ったかな。

 こうなると私から出来ることはもうほとんどない。

 理由は簡単。

 これ以上この男に手を出すことが出来ないからだ。

 

 闇市場で騒ぎを起こせば自分に返ってくる。

 何故か。私の立場が圧倒的に弱いからだ。

 それは闇市場側の立場が圧倒的に強いともいう。

 黒が白になり、白が黒になることも珍しいことではない。

 ここは非合法の世界だ。弱い人間を守る『法』なんてものは存在しない。

 強い人間がひたすら強く、弱い人間はひたすら弱い。

 権力でも、戦闘力でも私は完敗している。

 

 権力で私は負けている。

 ガキが物を盗もうとして暴れた、と闇市場側から言われれば、よほどの有力者が知り合いで、その人物が庇いでもしなければ、その『ガキ』は即効叩きのめされる。

 物を売りに来た、後ろ盾もなにもない小娘と、闇市場の売り場を任されている男。

 どちらが信用されるかは言うまでもない。

 

 だからといって、腕力に訴えることもできない。

 同じ理由で叩きのめされるだろう。

 おまけで死ぬまで殴られるオプションも付いて来そうだ。

 

 

 

 男もそれを承知だろうし、そもそも私が抵抗できるだけの力を持っている、なんて想像すらしていないに違いない。

 下卑た表情が言葉より饒舌に語ってくれてる。

 

 面倒な奴に捕まった。

 認めよう。確かに私はもうほとんど(・・・・)何もできないが、この場を切り抜けられない訳じゃない。

 私は攻撃できないが攻撃させる(・・・・・)ことはできる。

 

 わざと深いため息をつく。

 今度は隠さずに。

 要はメリットとデメリットだ。

 私を見逃すメリットを提示する。それだけでいい。

 

「ああ?てめぇ、何余裕ぶっこいてんだ?死にてぇのか?オイ」

 案の定、沸点の低いサル男はビキビキ言わせた額をさらに近づけてくる。

 扱い易すぎて笑ってしまう。

 何だ、コイツ。クスリでもキメてるのか?

 感情のふり幅デカすぎるんだよ。バカが。

 

「別に?…お兄さんこそ変顔してるけど。ここ、大丈夫?」

 トントン、と私は自分の頭を叩く。

 男の青筋を立てている所と、大体同じくらいの場所。

 もちろん、私はあなたの頭おかしいですね。なんて思ってない。私は100%の悪意(・・)で男の青筋を心配したのだ。

 血管は大丈夫ですか?と。

 嘘は言ってない。騙す気はある。

 特に意味はないが、こういう屁理屈は大切だ。後々私を救けてくれる。

 男はさらに真っ赤に顔面を染め上げた。

 

「てっめェ…」

 

 男は頭の中身のことを言われた、とでも思ったようだ。

 身体を震わせて、目玉に力が入りすぎてさらに変な顔になってる。

 完璧な顔芸だ。いや、ツボるって。

 

 

「ぷっ」

 何かがキレる音がした。

 

 私の含み笑いと共に、男の左手が私の首を容赦なく掴み、空いた右手で怒りの感情のまま、間違いなく全力であろう拳速で振りぬいた。

 目指す先は私の頭蓋。

 完全に感情が高ぶってる。目論見通り頭を狙ってくれそうで助かった。

 やるなら首だろ。そうなってもガードしたけど。頭蓋は硬いぞ?

 私の準備は万端だ。

 既に練り上げたオーラを頭部に集中させている。

 

 結果は火を見るより明らかだ。

 コンクリートですら、まったくダメージがなかった『凝』の防御。

 それをただの凡人が抜けるはずがない。

 ボギッと嫌な音がしたのはどちらか。

 男はきっと、私の首が折れた音とでも思っていることだろう。

 残念。それはあなたの拳だ。

 運が悪いね。6歳児を殴って拳を壊すなんて。でも、恥ずかしくて誰にもいえないよねぇ?

 

 私は攻撃もしてないし害も与えてない。

 ただ相手が勝手に私を殴って、自分から拳を壊してしまった。

 当たり所が悪かっただけで私は何もしていない。

 

 それが、事実だ。

 男はその事実を隠したがるだろう。弱い者イジメをして怪我しました。なんて誰にも言えない。もし言っても私はとぼければ良いだけだ。

 ガキに良いようにされる。そんな弱い奴は信用されない。

 だから男は事実をバレてると知った上で隠すしかない。

 それが私に関わらないメリットだ。

 

 

「ッッぁ!」

 ふっと力が抜けて、私は男の手から解放された。

 猫背になりながら右手を押さえる男は滑稽でしかない。

 意味もないのに、また笑ってしまいそうだけど、これ以上は面倒事が起きる。

 少しは酔い醒ましになっただろうし、もう大丈夫だろ。

 

 

「あのー、お兄さん?」

「ッ!あ?なンだよ!?」

 怒りも痛みで吹っ飛び、理解できない状況と自分の運の悪さ、そして拳をやってしまったことの恥ずかしさとそれに気づかれないよう取り繕う表面上の顔。

 口調こそそのままだが、さっきとは別人のように腰が引けてる。

 ふふふ。いいねぇ。

 別の店に行ってもいいけど、勿体無いしこのまま続けちゃおう。

 

「持ってきたのは財布だよ、普通の」

 

 取りだしたのは皮張りの財布だ。

 ジッパーを開けて中身を見せる。

 あの、よくわからない薬だ。

 

「なんか、変な薬入ってんだよね。お兄さん、これ買い取れる?」

「ッ!ングッ、ッー!この、ぐっ、クソッ、見せてみろ!」

 見たいのか、見たくないのか。それともただ痛いのか。

 変な反応を見せながら、私の手から奪うように受け取ってから薬を確かめる。

 何粒か確認したところで、男の額から汗が垂れ始めた。

 締めて150粒ほどあることを確認して、男は引き攣った笑みを見せながら、私とクスリを交互に見る。

 何なんだ、コイツ。

 拳壊れて頭もおかしくなったのか?

 やっと、言葉がまとまったのか、男がクスリを指差した。

 

「ッッ、おい、これをテメ・・・、痛ッつァーッ、くっ。まァ、まあいい。い、良いとしようじゃねーか、な。お互いにな…。あぁ、いいぜ、買い取ってやるよ!」

 これでどうだ。

 男が半ばヤケクソ気味に立てたのは3本の指。

 3千だろうか?100粒で?薬にしては安すぎるから、たぶん3万だ。

 …マジ?

 そんなに良い薬なのか。

 あれ、私脅してないよね?

 マジマジと男の顔を見るが、へんな汗が出ている以外普通だ。

 その汗が痛みによるものなのか、別の理由かちょっとわからない。

 

「え、お兄さん、まじ?3万でいいの?」

「…ああ、いいぜ。お前も運がいいなちょうど不足してたんだ値段が高騰しててよ困ったぜ」

 視線が泳いでいる当たり、かなり怪しいが、くれると言うなら全く問題ない。

 まさか、30万のはずもないし。

 

 目を財布に向けて『D』と書かれた薬を見る。

 何かのイニシャルだろうか。

 

「ん、じゃあ財布は?」

 見せたのは盗った二つの財布。ポリエステルと革の財布だ。

 私の予想なら革が900。プリエステルが100。

「そいつは、まあ合わせて1千ジェニー程度だな」

「わかった。じゃあ、その値段でいいや。買い取って」

「…チッ、少し待ってな」

 

 手をそれとなく庇いながら、男は奥に引っ込んで3万1千ジェニーを手に戻ってきた。

 ちらり、と男の視線が財布に行く。

 そんなに気になるのか。

 拳だけじゃなく少し様子がおかしい。

 

 

「ほら、3万3千ジェニーだ。間違いねえな?」

「…うん、間違いない」

 だが、もう金は受け取ってる。

 

 

(面倒だし、別にいっか)

 男は見るからにソワソワしている。

 さっさと出て行けといわんばかりの視線だ。

 たぶん、いろんな意味で。

「じゃあ、また来る、よ?」

「…おーう、まってるぜ、お嬢ちゃん」

 引き攣った、良いとも悪いとも、どっちともいえない変な笑みを浮かべた男に見送られ青いテントの店を後にする。

 手元に残ったのは約3万3千ジェニー。

 これと他で稼いだ金も合わせれば、ようやくアレが買える。

 …まぁ、別に、贈るつもりもなかったけど、たまたま金があるだけだし。

 あわせて6万弱。

 それだけあれば目を付けていたアレを買える。

 

 あの杖屋は昼に入ると人が極端に少なくなる。

 そうなれば盗み易、いやいや。買いやすくなるからな。

 太陽を見れば、まだ中頃。

 お昼を過ぎたか、過ぎていないか程度だ。

 闇市場からでも飛ばせば十分間に合う。

 

「…いっとくか」

 別に行く理由もない。

 どうでもいいことだ。

 ただまぁ、ヒマだしな。

 杖屋に寄った後、あのパン屋に少し顔出そう。

 

「ばあさん、元気にしてるかな」

 

 

 

 





すべりこみ!
明日の9時にも投稿します。







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悪意

※前書き削除しました








 

 

 

 

 

 アンリがクスリを売るために路地裏を駆け抜けている頃と同時刻。

 別の通りの路地裏で部下の報告を聞いていた黒服の男が、咥えていたタバコを思わず落とした。

 

 コイツは、いま、何といった?

 唖然として、ようやく口から飛び出した言葉は悲鳴にも似た絶叫だった。

 

「―――はぁ?!てめっ、盗られたって、150粒だぞ!?末端価格で60万は下らねえ!それを失くしたってのか!?」

 

 大声を張り上げてから、男は慌てて部下の青ざめた顔を見た。

 普段のふてぶてしさはどこにもない。

 疲れ切った、今にも死にそうな顔をしている。

 コトが本当にマズいと部下の表情が物語っていた。

 

 男の背筋にゾッと怖気が走った。

 最悪の想像が頭を駆け巡る。

 下手をすれば死ぬかもしれない、最悪の未来予想図が。

 

「す、すんません。財布に入れてたはずなんスけど、財布ごと掏られたみたいでして」

 部下は大きな身体を小さくして必死に頭を下げている。

 だが、男に頭を下げてもしょうがないのだ。

 男は上司ではあるが、あくまで末端構成員だ。

 ブツを失くした時の対処など、出来るはずもない。

 それが出来るのは幹部だけだ。

 ブツ。それもクスリのロストなど、男にとってあまりに荷が重すぎる。

 

「あ、謝って済む話じゃねえだろ!?どうすんだ!?てめえ、責任とれねえだろ!?」

「やっぱり、む、無理ッスよね…、アニキ、どうしましょう?」

「どうするって、見つけるしかねえだろ!?下手すりゃ、横流しの疑惑掛けられておしまいだぞ!!?」

 俺もお前もな!!

 大声で怒鳴り、男は必死に頭を動かす。

 上に報告する?ノーだ。確実に殺される。

 なら、事実を隠す?無理だ。最低60万を納金しなければどっちみち首が危ない。

 生き残るためにはヤクを見つけるか、金を集めるしかない。

 

 幸い、納金までの期日は3日間ある。

 金を集めるのは絶望的だが、ヤクを見つけるなら不可能ではない日数だ。

 

 幸い、失くした『DD』という麻薬はかなり珍しいものだ。

 最近流通し始めたおかげで市場にはほとんど流れていない。

 それが150粒だ。流れればすぐにわかる。

 

 必死に頭の中で考える。

 これから、どうすべきかを。

 最悪を見据えて、死なないために何をすべきか。

 ちらり、と部下を見る。

 

(最悪、コイツの臓器売り払うか)

 男は暗い笑みを浮かべる。

 そう。重要なのは自分が生き延びること。

 例え他人を犠牲にしても構わない。この世は弱肉強食なのだから。

 

「あー、怒鳴って悪かったな、少し気が立ってたんだ。おいおい、そんな暗い顔すんなよ。大丈夫さ、俺がなんとかしてやるよ」

 不安そうな部下に向かって、男は笑顔を向ける。

 作り物の笑顔。そうとも気がつかず、部下は安堵したように表情を崩した。

 信頼は大切だ。何よりも得難い切り札(ジョーカー)になるから。

 

 男は本心を覆い隠す。

 ただ、自分が生き残るためだけに。

 心底安堵した顔を見せて「取り返して見せますよ!!」と意気込む部下。

 その姿を笑顔で「あー、頼りにしてるぜ」と見守る。

 

 男は内心でせせら笑う。

 売り払われるとも知らないで、安堵する部下の間抜けさを。

 その姿を見て男は安堵した。

 ああ、良かった。間抜けのおかげで助かる、と。

 

 

 だが、だからこそ男は気がつかなかった。

 人の悪意とはあらゆる者に平等に降り注ぐということを。

 男の描いた最悪。

 それが自分にも訪れ得る未来だということを、この時、男はまだ知らない。

 

 

 

 

 




solaさん、ナオキングさん、ご感想ありがとうございました。

余談ですが、天空闘技場編のダフ屋と蟻編のゴンに倒される蛇のおっさんってめちゃめちゃ似てますよね。たぶんグラサンのせいなんですが笑

明日の20時に更新します。





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恩人1

誤操作きをつけよう…!







 

 

 路地裏を駆け抜ける。

 気分は悪くない。

 軽やかに地面を蹴りながら、腰に挿してある、つい先ほど買った杖を撫でる。

 持ち手の所に蝶の意匠の入った丈夫そうな杖。

 腰の弱ったばあさんには最適の杖だ。さっき千切った値札にそう書いてあった。

 

 変なクスリのおかげで臨時収入があったので、 あの金を使って商店街にあるこじんまりとした雑貨屋で杖を買ったのだ。

 もちろん、正面から行けば門前払いを食らうので、少し迂回して、裏口から入って、物の変わりにお金を置いて店を出た。

 少し変則的な買い物だが、ちゃんと金は置いてるから大丈夫だろ。

 …何気に表で買い物をしたのは初めてかもしれない。

 

 先ほど道すがら盗ったリンゴを齧りながら横目で空を見る。

 会いに行くタイミングに気をつけなければいけないが、この時間なら大丈夫だ。

 ばあさんはパン屋を営んでいるので昼間は手が空かない。

 この時間でもチラホラ客が来るだろうが、私が気をつければまったく問題ない。

 食い終わった遅めの昼食を放り捨てて指についた果汁を舐め取る。

 ばあさんが忙しい、というのも心配する要素だが、何より怖いのが私のような浮浪児が通っている、と店の客に知られることだからな。

 

 今走っているのは路地裏だがスラム街ではない。

 比較的治安の良い、商業地区と住宅地区の境い目辺りになる。

 スラムがあるおかげなのか、そこから遠いここはそういう輩が少ないのだ。

 だから、私のような浮浪児は目立つのだが、持ち前の気配を消すスキルでひっそりと路地裏を通っている。

 

 けど、そろそろ上に登っとこう。

 この辺りは走り慣れてない。まず姿を見られることはないとは思うが、曲がり角でばったりなんてこともあるかもしれない。

 さすがにあのパン屋と関連付けられることはないとは思うが、念には念を入れておこう。

 走っていた方向を90度転換させる。トン、と壁を蹴りあげて窓の格子を掴む。

 そのまま勢いと腕の力で身体を引き挙げて、また格子を掴んで上る。

 あっという間に3階建てのマンションを登り切り、屋上に立ってからまた走り出す。

 念を使うまではここまで簡単に登れなかったが、いまでは片手間で済ますことが出来る。

 周りを見る余裕があるほどだ。

 

 屋根と屋根をジャンプで移動しながら視線を巡らせた。

 この地区には主に住宅街が密集している。

 どれも比較的綺麗な物件ばかりで、私が住んでいる、廃墟寸前のアパートとは比べ物にもならない。

 以前、両親はここに住んでいたらしい。私にその記憶はないがグチグチ文句を言っていたのを聞いたことがある。

 まぁ、廃墟だからといって何か不都合がある訳でもないから特に困ってはない。

 この辺に多いのはアパートやマンションだ。

 3階建の物件が一番多く、それ以上は稀だ。

 時折思い出したように一軒家が並んでいる、絵に描いたような閑静な住宅街だった。

 

 向かっている家はその中でも一際静かな場所にある。

 どちらかというと商業区に近い場所で、左右をマンションに挟まれているものの、小さな一軒家を改装し老夫婦で細々とパン屋を営んでいる。

 近所からの評判はとても良いらしい。話を聞けないから全部盗み聞きだが。

 マンションのせいで少し立地は悪いが、それでも明るい雰囲気のある悪くない店だ。

 

 

 

 そんな店の真向かいに到着し、そっと屋上から店を窺う。

 予想通り、お昼時を過ぎて客足は遠のいているようだ。

 店の中に人の姿は見えなかったが一様少し待って店の様子を見てみる。

 

 これも念のため、だ。

 

 私のような浮浪児が入れば色々と面倒になる。

 なので、入店するときはこうやっていつも様子を窺ってから入ることにしている。

 その上で正面の入口は使わない。

 バレないように裏口に回ってから入る。

 入っているところを見られても問題になるからだ。

 …命を救ってもらっておいて、迷惑は掛けられない。

 

 少し待っても誰も来ないし、出てこない。

 人の気配も感じない今がチャンスだろ。

 素早く建物から降りて、姿を隠しながら店の裏手に回る。

 

 いつもの木造扉があった。

 質素な紋様が彫られている、至って普通の扉だ。

 

 裏口をトントンと2回ノックする。

 コトコトと杖を突く音が聞こえ、清潔な木の扉が優しい音を立てて開いた。

 

「はいはい、どちら様?…おや、アンリかい?いらっしゃい、久しぶりだね」

 姿を見せたのはふわふわした雰囲気の老婆だ。

 御伽噺にでも出てきそうな、かなり緩いばあさん。

 この人がこの店を経営してる老夫婦の一人だ。

 

「いつも正面からでいいって言ってるのに、ほんと頑固な子だね」

 扉の向こうで、ふんわりとした笑みを浮かべた老婆が仕方なさそうに目を細める。

 …これを本気で思ってるから性質が悪い。

 普通、浮浪児は邪険にするものなんだが、この老夫婦はそこが何故か緩い。

 ちらっと老婆が持っている杖を見る。

 以前から使っているものと変わりないことに少し安堵しつつ、にこやかに笑う老婆に釣られて私も仕方なく笑った。

 

 

「いいじゃん、どこから入っても私の自由だろ?好きに来ていいっていったのは婆さんだぜ」

「もう、口の減らない子だね、まったく」

 上品に笑いながら、ばあさんは手招きして店の中に入っていく。

 

「いつ振りだろうね。一月は来なかったんじゃないかい?少し心配したよ」

「大丈夫。私がそう簡単にくたばるわけないって」

「ほんと、どの口が言うんだろうね。うちの裏で倒れてたときは、私の心臓が止まるかと思ったよ?」

「いや、まぁ、あれは別口だって。…それに生きてるし」

「アンリ」

 腰を下げて、老婆がアンリに目を合わせる。

 優しげな面持ちだ。

 この目だ。この目が、私は苦手だ。

 少しバツが悪くなって顔を背けるが、老婆の両手が包み込む。

 しっかりと私を見据えた老婆の瞳は、まるで無垢な少女のように透き通っている。

 …やっぱり苦手だ。

 

「気をつけますとだけ言って、この婆さんを安心させておくれ」

「…わかった、わかったよ」

「アンリ?」

「…きをつけます」

「それでよろしい」

 ニコリと笑って、老婆が立ちあがる。

 

「おっとっと」

「婆さん!」

 グラリと姿勢を崩した。

 慌てて支えたが、触れた身体は随分と細い。

 思わず頬がヒクついた。

 前会った時よりさらに弱っている。

 出会った時は杖も要らないくらい元気だったのに。

 老婆を見上げる。

 化粧で巧く隠してるが、良く見れば頬も少し扱けている。

 

「やだね、歳は取りたくないもんさ。ここのところ元気だったから、少し油断したんだね」

 アンリに会えて気が緩んだのかもね。

 そういって、ほほほと笑いながら杖を突く。

 

「婆さんこそ気をつけてくれよ、私より弱っちいんだから」

「そう、ね。そうだねぇ。私も気をつけないとね。ありがとう、アンリ」

「…ん」

 

 老婆と並んで居間へと向かう。

 この時間はお客さんが少ないので、老婆だけが店に出ていることが多い。

 なので、いつものこの時間ならお爺さんは居間で休んでいる。

 

 扉を開けると、暖かい雰囲気の居間がある。

 その雰囲気にほっとしつつ、お爺さんの姿を探すが、見つからない。

 おかしいな。この時間なら大体この部屋にいるんだが。

 キョロキョロしている私を見かねてか、老婆が笑った。

 

「今日は私が休憩しててね、お爺さんはお店に出ているから呼んでくるよ。座って待っててね」

「あー、そーいうことね。…あ、婆さん、ちょっといい?」

「どうしたんだい?」

「んーっと…これ、私使わないし、まぁ、やるよ」

 ずい、と差し出したのは、店で買った少し値の張る杖だ。

 持ち手が手の形にカーブしていているので、持ちやすいはずだ。

 老婆が嬉しそうに顔をほころばせて手を合わせた。

 

「あら、嬉しい。私がもらっていいのかい?」

「ん。そのために買って来たし」

「…そう。じゃあ、ありがたく使わせてもらうわね」

 代わりに老婆が使っていた杖を受け取って、新しい杖を渡した。

 大切そうに杖を受け取って、老婆は嬉しげに眺める。

 刻んである意匠に気付いたのか、指で優しくなぞって老婆は笑う。

 

「あらあら、アンリとお揃いの蝶々さんね」

「ぇ?お揃い?」

「ええ、そうよ。アンリの左肩の後ろにね、綺麗な蝶々さんが居るのよ」

 見えづらいから知らなかったのね。

 上品に笑う老婆。

 蝶?…全然気づかなかった。

 ぐいっと肩を前に出して覗いてみるが、私からは何も見えない。

「へー、知らなかった。えっと、どんなの?」

「そーねえ。なんだか、アザみたいだったわね、真黒なの」

 でも可愛いのよ。

 ニコニコと老婆は笑いながら、お爺さん呼んで来るわね、と言ってから、お店に戻っていった。

 アザねぇ。…うん、まったく心当たりがない。

 

 

 

 

 

 







恩人2の構成少し迷ってるので、26日になると思います。





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恩人2

私はたぶん強化系だな…。









 

 う~ん。

 どっかにぶつけたんだろうか?

 少し思い出してみるが、死ぬほど殴られた記憶はあるのでその時に着いたのかもしれない。

 まぁ、なんでもいいか。

 一つ頷き、ばあさんを見送ってから居間を横切って椅子に腰かけた。

 キィと軽い音を立てるこの椅子。

 夫婦が私のために用意した椅子だ。

 私の背丈ではテーブルに届かないので、クッションでちょうどいい高さに調整してある。

 以前、テーブルから顔を覗かせていた私を見かねてから用意してくれたもので、いつ来てもいいようにとずっとこの椅子に置いてある。

 私なんかに気を遣いすぎなんだ。…老夫婦の優しさだった。

 

 

 受け取った杖をテーブルに立て掛けて、ほっと一息を吐いた。

 ようやく少し恩返しが出来た。

 1年ほど前に助けてもらってから、何のお礼も出来ていなかった。

 それが少し解消できて、僅かに軽くなった心持でぐるりと居間を見渡す。

 

 アンティーク調の古い振り子時計は相変わらず音を立てながら秒針を動かしている。

 ばあさんの、そのまたばあさんの時代から使っている時計だそうで随分な年代物だと聞いた。

 私の倍お婆ちゃんよ。と老婆が笑いながら教えてくれた。

 他にも木造りの食器棚や大人二人で囲んでちょうどいい大きさの、私がいま手を置いているテーブル。

 3つしかない似た作りの椅子。

 意匠の入ったふかふかの絨毯など温かな家具たちがそこにいる。

 しばらく部屋を眺めていると、気配を感じて、ドアが開いた。

 そこには居間の雰囲気そっくりの温和な笑みを浮かべた爺さんがいた。

 

 

「いらっしゃい、アンリ。待たせたかな?」

「爺さん、久しぶり。まだそんなに待ってないよ」

「そうか?はっはっは」

 いつも笑ってる陽気な爺さんだ。

 婆さんよりも足腰は強いようでしっかりした足取りで正面の椅子に腰かけた。

 ニコニコしながら目を細めている。

 相変わらずいつも笑ってる爺さんだ。

 釣られて苦笑するとぽんぽんと頭を撫でられた。

 

「よく来たね。婆さんも喜んでたよ、アンリが杖をくれたってわしに自慢しとった」

 爺さんは快活に笑った。この人はいつも明るい。

 初めて会った時も、何の気負いもなくカラカラと機嫌良く笑って店で焼いたパンの自慢話を延々と聞かされたもんだ。

 やれ、生地のコネ方に工夫が、やれ焼き時間に工夫が、やれ素材を厳選してだの。

 たぶん私は困ったような顔をしてたと思うんだが、怪我が治るまで延々と聞かされた。

 特に私が気に入ったチョココロネに関しては熱弁が止まらず、直々に目の前で生地を作ろうか、と言い始めた時には慌てて婆さんが止めていたっけ。

 あれから1年ほど経つが相変わらずだ。ずーっと楽しそうに笑ってる。

 

「こないだはわしにも麺棒をくれたし、ほんとに良い子だ。そうそう、あれからパン作りする度にアンリのことを思い出してね、来るのをいまかいまかと待ってたんだ。今日もチョココロネがあるから、良かったら食べて行きなさい」

 テーブルの上に置いてあったお皿に、爺さんがお店の袋からチョココロネを1つ取りだした。

 黄金色の生地に、中にはたっぷりとチョコレートクリームが入っている。

 ツイスト状に捻られた生地は綺麗に螺旋を描いて中からクリームを覗かせていた。

 旨そうなパンだ。色々食わせてもらったが、これが一番旨い。

 味を想像してジュっと甘みが口の中で広がった。思わず口元が緩む。

 

「ん、ありがと。食べてくよ」

「それがいい。帰りにも持たせてあげよう」

 カラカラと笑いながらテーブルにチョココロネの入った袋を乗せた。

 5つは入っているだろう膨らみ方をしている。

 採算は度外視しているらしい。

 ありがたい。ありがたいが、なんとも言えないくすぐったさに苦笑いしてしまう。

 

「そんなに大丈夫なのか?爺さん、いつも金受け取らないじゃん」

「ははは、子どもが気にすることじゃないよ。わしが好きでやっとるんだ、受け取っとくれ」

 ずい、と寄せられたチョココロネ入りの袋。

 嬉しいような困ったような。

 そんな不思議な気持ちになる。

 この家に来るたびなんか変な感じだ。

 コクリと首を縦に振った。

 爺さんも頷く。

 示し合わせたように一緒に笑った。

 それを合図に他愛のない話が始まり、時間は少しずつ過ぎて行った。

 

 

 

「ところでなんだけど、婆さん大丈夫?」

 そう切り出したところで爺さんの表情が少し変わった。

 あまり良くない表情だった。

 目元に少し皺が寄って、あれほど快活と回っていた口数がピタリと止まった。

 やはり良くないらしい。

 婆さんの様子は見ていたが、立ちあがるだけで態勢を崩すなんて相当足腰が弱っている証拠だ。

 言葉を選ぶようにしばらく黙りこみ、ようやく視線を上げた爺さんと視線が合う。爺さんは黙って頷いた。

 どこか覚悟を決めたような瞳。

 真っ直ぐに視線が合う。

「そうだね、アンリには隠せないか。ビックリしないで聞いてほしい」

 一呼吸おいて、重い息を吐き出すようだった。

 

「…お医者様に見せたんだが、原因不明の衰弱と診断されたよ」

「…衰弱?病気じゃないのか?」

「どうかな、病名がわからないだけかもしれないが、先生はお手上げとおっしゃっていたよ」

 そう言って、爺さんは悲しそうに首を振る。

 爺さんの顔を見たらわかる。

 本当に手の打ちようがないのだ。治せるなら何も言わずに治してるだろう。

「…そう、なんだ」

「前まであんなに元気だったのになあ」

 思い出すように宙を見つめて、爺さんは微笑む。

 歳は取りたくないもんだ。そう呟いて椅子から立ち上がった。

 

「さぁ、湿っぽい話は終わりにしよう。少しの間なら大丈夫だから、婆さんと話してやっておくれ」

「いいのか?」

「なーに、婆さんもアンリと話せば元気になるさ。ゆっくりしといで」

 カラカラと笑いながら爺さんが店に戻っていく。

 その後姿には、どことなく疲れの色が映っている気がした。

 

 

 一人になって、婆さんがいつも座っている椅子を見つめる。

 作りはお爺さんと変わらないが、敷いてあるクッションが色違いで花の刺繍がしてある。

 知り合いの裁縫士に刺繍してもらったと以前嬉しげに話していた。

 出会って1年と少し。

 短いようで長かったが良い人たちだった。

 爺さんはああ言っていたが、これ以上関われば身体に毒だろう。

 汚い身なりで近づいて病気が悪化したら元も子もない。

 きっとそうだ。

 きっと。

 今日は、帰ろうか。

 

「お礼もできたしな…、これ以上はやめとくか」

 そんなことを言って、自分に驚いた。

 気遣いや遠慮なんて言葉が自分にあるとは思わなかった。

 杖にしたってそうだ。別に盗んだって構わないのにわざわざ金を貯めてまで買った。

 盗みや犯罪になんの良心の呵責も感じない自分があの老夫婦には少し感じている。

 病気だって、悪化するかもしれない。というだけなのに。

 そう考えると少しおかしかった。

 今まで平気で悪行をしてきた自分がそんなことを考える。

 

 そんなものはまさしく偽善だ。

 とっくに手遅れだ。両手は薄汚れている。

 例え人を殺しても何の痛痒すら感じないであろうほど心も汚れている。

 なのに。そんな私に良くしてくれた。

 本当に、子供のように扱ってくれた。

 話を聞き、食事をし、他愛ない話で笑いあう。

 

 自分なんかには勿体無いほど良い人たちだった。

 

 そこではっと気がついた。

 

 

 居心地のいい雰囲気。

 優しい祖父母に囲まれて暮らす生活。

 そんな幻想を見ることができる場所がここだったのだ。

 唯一安心できる、素に帰れる場所。

 だから、これは夢なのだ。

 そう。夢のような、現実。

 

 気がついて。

 アンリ(・・・)は笑った。

 見るものが驚くような、優しくて、楽しくて仕方がないような笑顔だった。

 

 いい時間だった。

 本当に夢のような、奇跡のような時間。

 優しさを始めて知った気がする。

 大切な、大切な思い出。

 だから、今日だけは。

 ―――わがままを言わせて。

 

「アンリ、お待たせ」

「お婆ちゃん!ぜんっぜん待ってないよ」

 偽善でも構わない。

 まやかしの様な一時だけの感情でも構わない。

 

 だって、生まれたこの感情に偽りはないから。

 今日だけは殉じよう。この優しさという気持ちに全てを委ねよう。

 後悔が残らないように。

 明日から醒める夢のために。

 

 

「いっぱい、お話しようね」

 花の咲くような、満面の笑みを浮かべて、アンリは老婆の手を優しく引いた。

 だから、これは最後のお礼。

 もらった優しさを出来るだけこの人に見せること。返すこと。

 それがアンリの出来る、精一杯の誠意だ。

 それがアンリにとって、今できる唯一のことだった。

 

 驚いた顔の老婆は、それでも何も聞かず、ただただ、優しく微笑んだ。

「ええ、いっぱいお話しましょうね」

 

 

 

 








はい。


前作から読んでくださっている方も、今作から読んでくださっている方も。
修正作にここまでお付き合いくださりありがとうございました。
明日の朝9時に『禍根』を投稿します。
これからぐいぐい話進めていくよ!


今書いているものを明後日には書き終える予定ですので
次の次の投稿は27日の20時になります。
28日と29日も投稿できたらいいなぁ…
これからも『Black Barrel』をよろしくお願いします。




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禍根

 

 

 時刻は深夜だ。

 日は既に翳って久しい。

 夜空の星と原始的な篝火が照らす中を二人組みの黒服が歩いていた。

 周囲に街頭なんてものはない。

 ここは闇市場。表と切り離された世界だ。当然、電気もガスも通っていない。

 ライトも持たず、ほのかな赤い火が照らす中でしきりに黒服達は辺りを見渡す。

 ある男を捜していた。 

 とあるクスリを大量に手に入れた男がいる。

『DD』と呼ばれる飲む麻薬。

 黒服たちはとある事情があってそのクスリを紛失していた。

 その直後の話なのだ、まず間違いなく男たちのクスリの事だ。 

 情報は少し集めれば簡単に手に入った。

 大っぴらに喧伝しているようで、聞き込みを開始して5時間ほどで話は黒服たちの元にも届いた。

 呆れ、喜び、焦り、怒り。

 話を聞いたときは黒服達も混乱したものだが、何はともあれ見つかって良かった喜んだ。

 最悪見つからないと思っていただけに、正に不幸中の幸いといえるだろう。

 

 善は急げ。という訳でもなく、ただの焦りで行動を開始してから既に7時間。

 ようやく目当ての人物がいる、と突き止めた青いテントに向かっていた。

 

 

 「兄貴。あそこらしいっすよ」

 一人はスキンヘッドにサングラスをかけた、中背の男。

 今回の事件の端を発している男だ。

 目当ての青いテントを見るなり、指差してさらに歩く足を早めた。

 その顔には焦燥感と喜びが半々で同居していた。

 呆れるほどわかりやすい。

 犯してしまったミスのせいか、いつもより一層余裕がない。

 

 そんな姿にため息を吐くのがもう一人。

 マフィアから麻薬を任されていたうちの一人であり、男の上司だ。

 少し寄れたスーツと磨き抜かれた茶色の革靴を着こなし、余裕があるかのように歩いているがその実内心では焦燥感ばかりが募っている。

 

 

 なぜコイツが部下なんだと、この数時間で何度繰り返したか。

 最悪に備えて心象は悪くしたくない。

 そんな気持ちだけで罵倒を避けてようやくここまでたどり着いた。

 だが、ここまでくれば後は何とかなるだろ。

 臓器販売の思考を彼方に飛ばす。一緒に部下への気遣いも。

 

 振り返って思う。

 どうにかここまできた、と。

 後は目当ての男からクスリを奪い返し、報復した後に責任を取らせればいい。

 

 だがどうにも引っ掛かった。

 情報があまりにも杜撰すぎるのだ。どんなバカでも裏側で生きる以上マフィアに手を出す意味は理解できているはずだ。

 なのに情報が早すぎる。マフィアの伝を使ったなら―――それでも早すぎるが―――まだ理解できる。

 今回はそれすら使っていない。

 たった二人の足で探して僅か数時間で見つかった。

 それは喜ばしいことだが明らかに異常だ。

 ありえないと言ってもいい。

 

 それが男の思考を濁らせる。

 もしかしてハメられたんじゃないか。

 俺達が見つけた情報は偽情報で誘き出すための罠ではないか。

 誰が?何のために?

 そう考えるとわからなくなるが、今回の速さはそれくらいありえないことだ。

 

 男の心配を余所に、スキンヘッドはずんずんと青いテントに入っていった。

 (お前、ホントにバカなのか?少しは疑えよ)

 背中を押すまでもなくモルモットになった部下に呆れた視線を送りながらしばらく待つ。

 中からは怒声が聞こえ、パリンと何かが割れる音もする。

 何か会話をしてるようだが、内容までは聞き取れない。

 少なくとも危険はなさそうだ。

 一応覗いてみて、中の部下が無事なのを確認してから店に入る。

 

 ある程度予想はついていたが中は混沌とした状況になっている。

 まず、老人を恫喝している部下が目に入った。

 襟首を掴まれ苦しげに呻く老人とそれをとめようとする若い店の男。

 どうやら、部下は老人を締め上げて情報を引き出そうとしているが、それを店の若い男が止めようとしている、といった所か。

 (見たまんまだな)

 意味のない考察を切り上げて、部下の肩に手を置いた。

 振り返る部下。

 随分といきり立った目をしている。

 

 視線が合わせ、そして。

 拳を振りぬいた。

 

 ゴッと音を立てて部下の頬に拳が刺さる。

 振りぬいた拳と同じ方向に倒れこむ部下。

 

 うめき声を上げる部下を無視して、老人に笑顔で話しかけた。

 こういうのはインパクトだ。

 懐に入るにはビックリさせた後―――

 

 「いやぁ、うちのもんが悪かったね。爺さん、大丈夫かい?」

  乱れた黄ばんだ襟首を直してやりつつ、両肩に手を置いてニコリと笑う。

  ―――安心させてやるのが一番手っ取り早い。

 

 

 「で。聞きたいんだけど『DD』ってクスリ知ってるよな?」

 だが、残念なことに今日はそれほど余裕がない。のんびり仲良くなっている時間などないのだ。最速で情報を引き出さなければいけない。

 黒服の笑みに威圧された訳でもないだろうが、老人はぺらぺらと口を滑らせる。

 

 「さ、さっきから言ってるだろ、そんなクスリのことは知らんと!」

 「あぁわかる、わかるよ爺さん。怖いよな、理解できねえもんは怖い。だから、理解させてやる。YesかNoだけで答えろ。さもねぇと手が滑っちまう」

 コツリ、と老人のコメカミに銃身を押し付ける。

 

 「だ、から」

 「おい、俺はなんつった?YesかNoつっただろうが」

 直した襟首を掴み、引き上げる。銃口をさらに強く押し付けながら。

 

 「わ、わかった。わかったとも!ななんでも質問してくれ!」

「 オーケイ。物分りのいい奴は嫌いじゃない。『DD』ってクスリを知っているか?あぁ、名前だけでもいい」

 「Y,Yes」

 「希少価値も知ってるな」

 「ももちろんだ」

 「マフィアが扱ってるってのは?」

 「知ってるとも!だから、私らは手を出さないんだ!」

 「…まぁ、いい。お互い冷静になろう」

 Yesだけつったろうが。

 だがここで殺す訳にも行かない。

 

 「質問を変えよう。最近見た記憶は?」

 「ない!扱ったことは一度もない!」

 「ほぉ、俺が聞いた話なら、最近ここで大量入荷したらしいんだがな。…それも今日の昼間にな」

 ぐい、と銃口を肩に押し付ける。

 「なぁ、もしかして忘れちまっただけか?なら俺が思い出させてやるが、右と左はどっちが好きだ?」

 「まてまて!ひ、昼間?…それなら、わしじゃない、今日はレダの奴が店番だった。…そうだな?!」

 大声で呼んだのは店の若い男か。

 問いかけられて、狂ったように首を縦に振っている。

 「そ、そうです!朝はレダの奴が店番してました!お、俺じゃねえぞ!?もう一人の奴だ!」

 向けられそうな銃口に気づいたのか、若い店の男は必死に手を振って違うとアピールしてくる。

 

 「はぁ?もう一人いんのか。どこだ、そいつは」

 その時。

 ゴン、と。店の奥から物音が聞こえた。

 そこには根元の黒い、半分だけ金髪にした若い男が居た。必死な顔で崩れそうな木箱を支えている。

 「あ、あいつがレダだ!昼間のことならアイツが知ってる!俺達は無関係だ!」

 半分金髪の男を指さしながら若い店の男がそう叫び、老人もそれに激しく同意した。

 「そ、そうだ!!わしらはそんなクスリは知らん!全部そいつのせいだ!」

 

 そう言われてからは一瞬だった。

 若い男からすぐに射線をはずし、半分金髪の男に向ける。

 発砲。

 3発撃って二発は足に当たったが、一発外れた。

 視線を動かせば、話を聞いていた部下が起き上がり、老人の肩を掴んでいる。

 …上出来だ。

 聞く相手は多いほど良い。いざって時は消耗しちまうからな。数は揃えるべきだ。

 

 銃口を半分金髪の男に向けながら一歩を踏み出し、黒服は凶悪な笑みを浮かべた。

 さぁて、楽しい楽しいお話の時間だ。

 

 

 

 







ね、眠いッ
明日の20時に更新します。



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練と結末





 

 

 

 

 

 夜。

 私は暗いアパートの一室で『念』の練習をしていた。

 念を覚えてまだ1日目の夜だ。

 やっておきたいことは山ほどある。

 特に念の基礎は一通り復習しておきたい。が、次に考えているのは『錬』だ。

 『纏』『絶』とくれば、次は『錬』だ。

 早めに覚えたいという気持ちもあって、数時間の練習で身に付けることができた。

 

「…けど、維持する時間が短すぎるな」

 覚えるのはさほど難しくなかった。

 自力で起きる時にも試していたように、気合を込めれば多少は増減する。

 それに『溜め』を合わせればいいだけだったから、それに気がついてからすぐに覚えられた。

 イメージは沸騰寸前のヤカンだ。

 蒸気になる一瞬手前で溜め込んでおき、一気に全身から放出する。

 この時溜めたオーラが多ければ大幅なオーラ増大となる『錬』になる。

 

 ただ私は肉体能力が低いせいなのか、維持時間は異常に短い。

 その時間僅か10秒。

 『錬』だけで精根尽き果てる、とまではいかないが、しばらく『絶』で休憩を取りたいくらいには消耗する。

 まだ実践じゃ使い物にならない。

 精々が一瞬のドーピングくらいだろう。

 

 ぐっっと拳を握る。

 年齢的なものはしょうがない。大事なのはこれからどうするかだ。

 『錬』の持続時間。これは目標だな。

 ローテーションとしては『纏』→『錬』→『絶』をしながら瞑想。

 これを続けるのはもちろん、身体も作っていかないとな。

 前途多難だが時間はある。じっくりやっていけばいいんだ。

 そうこうしているうちに、夜は更けていった。

 

 

 

 

 prrrrr prrrrr

 

『…誰だー?オマエ』

『お疲れ様です。モメロの部下の、トロイです』

『…あー、お疲れさーん』

『実は、ご報告があるんですが――――』

 

 

 

 

 

 

   ―――人の悪意に際限はない。

 

 早朝。

 まばらな人影が気だるそうに現れた。

 ある者は起き、ある者は惰眠をむさぼる中で、この男達は前者だ。

 労働者階級よりさらに下として搾取される立場にある彼らにとって、日々の酒と会話のみが生きる目的であり、それ以外に目を向ける余裕はない。

 彼らが集まるのは朝の早い時間だ。

 まだ太陽も昇っていない、薄ぼんやりとした光の中で既に十数人の人間が用意された『タコ部屋』と呼ばれる強制労働施設から起きだし、持ち場へ向かって歩いていた。

 彼らの毎朝の楽しみは会話だ。

 僅かな情報から面白おかしく嘘か本当かもわからない話で盛り上がる。

 そのうちの一人は昨夜最高のネタを仕入れていた。

 このネタを話したくて話したくて、朝が来るのが待ち遠しかったほどだった。

 その男は喜び勇み、仕事仲間への挨拶もそこそこに手を口に当ててボソボソと話し始めた。

 

 「ところで、聞いたか?あの話」

 「んあ?…いや、何の話だよ」

 「決まってんだろ、マフィアが聞き込みしてるって噂だよ、何でもクスリを探してるらしいぜ」

 「クスリィ?なんだ、粗悪品でもあったのか?」

 あくびをしながら気もそぞろに聴く男にニヤリと笑い、大げさに驚いて見せた。

 「あぁ~ん?てめぇ、まだしらねぇのかよ。…ここだけの話だぜ?…失くしたんだとよ」

 「は?…クスリをか?」

 男はニヤニヤしながら続ける。

 「あぁ、それもただ失くしたんじゃねぇ。スられたんだとよ」

 「…マジか。うっわ、よく盗んだな、そいつ!」

 「ホントだぜ、なに考えてんだか!」

 朝からゲラゲラと笑い、腹まで押さえた男が聞いた。

 「んで、どうなったんだ?」

 「さーな。噂じゃ捕まったって聞いたが、今頃埋められてんじゃねぇの?」

 

 

 

 

 

 噂されているとも知らず、青いテントから顔を出した黒服の男―――モメロは手をかざしながら目を細めた。

 知らないうちに朝になっていたらしい。徹夜の目には刺激が強い。

 古びたテントの立ち並ぶ風景の切れ間から陽の光が覗いている。

 まだ夜が明けてさほど経っていないが、闇市場にはチラホラとしか人の姿がない。

 彼らは夜に起きて朝に寝る生活を送っている。表市場とは逆で、日が出始めれば店をたたむのだ。

 そして店がなくなれば人気がなくなるのも当然だ。

 

 少し熱中しすぎたか。

 そんなことを呟いて、銜えたタバコに火をつけた。

 火をつけるときに、右手の袖に飛び散った血痕が付着しているのが見えた。

 服が汚れたことにも気づかないとは。

 こんなに本気で攻めたのは久しぶりだった。

 

 

「アニキ、お疲れ様です」

 そんなモメロに声をかける男が居た。

 横をみれば、途中から姿が見えなくなっていた部下だ。ミネラルウォーターを持って立っている。

 出てくるのを待っていたらしい。

 なんで外なんだ。つか、なんで水なんだよ。

 色々言いたいことはあるが…まぁいい。

 無言で受け取って飲み干す。

 空いたペットボトルを捨てて歩き出すと、慌てて部下が駆け寄ってきた。

 …犬みたいな奴だな。

 

「にしてもアニキ、意外でしたね」

「何がだよ」

「いやぁ、真犯人のことですって。…どうするんです?」

 そう。モメロが聞いた話によれば、部下からスッた犯人はあのバイヤーではなかった。

 かなり念入りに聞いたから間違いないだろう。

 あの金髪は麻薬常習犯らしく、話に要領を得なかったが、何度も何度も話を聞いて確信した。

 マフィアに手を出した奴は別にいる。

 しかもそれはただの浮浪児だという。

 到底信じられない話だ。

 だが、男の主張はどれだけ責めても代わらない。

 業を煮やして老人や若い男にも聞くと、攻める前からペラペラと色々教えてくれた。

 

 犯人は浮浪児だった。

 この店をよく利用しているガキがいるらしい。

 金髪の男の言った特徴を伝えると喜んで色々と教えてくれた。

 

 その人物の名前。

 どういった経緯を持っているのか。

 何を主に活動しているか。

 見た目、年齢、どこにいることが多いのか。

 何を大切にしているか。

 どうやら本当にガキが盗んだらしい。

 

 それを聞いてモメロは血が沸騰するほどムカついたが、やっと確信できた。

 本当にそんなバカがいたとは。

 腕の良いスリ師らしいが、調子に乗りすぎたな。

 まさか、ガキにナメた真似されるとは思ってもみなかった。

 想像すらしてなかっただけにイライラが止まらない。

 

 

「舐められっぱなしじゃ終われねぇ、報復するさ」

 だが、もう問題ない。

 全てわかった。

 住んでいる場所こそ割れてないが、人相もどこに居るかも全てわかってる。

 あとは見つけ出してマフィアに手ェ出したこと、死ぬほど後悔させてやればいいだけだ。

 ここまでくれば話はシンプルだ。ただやってしまえば良い。

 だが、その前にしておきたいことがある。

 

「あー、そろそろ報告しといた方がいいかもしれねェな」

「…そうですかね?責任取らされません?」

「あ?…まぁ、多少は必要だろうが、問題ねぇだろ」

「でも、ガキに盗られたなんて報告したら、どうなるかわかりませんよ」

「…まァ、確かにな」

「あと、妙な話があったじゃないですか。あの男、拳は壊されたんだとかなんとか」

「…あぁ、あれか」

 尋問しているとき、奴の拳が壊れていたのが気になって話を聞いてみたが、返答は荒唐無稽なものだ。

 奴の話によれば、そのガキを殴って壊したっていう話だったが、クスリでも決めておかしくなってたんだろ。ただの勘違いだ。

 だが、部下の言葉でそんな思考は吹き飛んだ。

 

「あれって『ネン』なんじゃありません?」

「―――なに?」

「普通のガキならありえませんけど、『ネン』を覚えてるんなら、ありえますよね?」

「…バカ言え、俺達ですら使えねえんだぞ。使えんのは幹部の極一部だけだ。それを、貧民街のガキが使えるわきゃねぇだろーが」

「けど、そう考えたら辻褄も合いますって。…『ゼツ』も使えてるんなら、俺が盗られたのも得心が行きますし」

「…チッ、なるほどな。まぁ、なくはねーが、てめぇのミスを押し付けてんじゃねぇよ。カスが」

「…すんません」

「はっ、無能は困るぜ」

「…もしそうなら、俺達損ですよ。報告しても信じてもらえる訳ないですし。だから先に見つけて、突き出しません?それならある程度免除されるはずですよ」

「…お前の割には頭使ったじゃねェか。悪くねぇ、特徴もわかってるしな…一日くらい報告延ばしても大丈夫か」

「決まり、ですね。どこから探しますか」

「仕切ってんじゃねーよ。まずは、表市場だな。奴の好物らしい青リンゴをはろうや」

「うす」

 

 モメロとその部下―――トロイは表市場へと向かう。

 モメロは知らない。

 トロイが既に報告を済ませている、ということを。

 そして、事実を湾曲して伝え、とある噂を広げていたことなど、彼には知る由もなかった。

 彼に非はない。

 ベストに近い選択をしたと言えるだろう。

 事実、もしクスリをロストした時に報告していれば彼の首は物理的に飛んでいた。

 

 では、トロイが悪いのか。

 彼も悪くない。

 彼なりに生き残る術を探した結果、自然とこういう結末を迎えるというだけだった。

 ただ、彼は思慮が足りていなかった。

 マフィアにとってマイナスとなる情報を拡散する意味。

 事情はあれ、子供相手に良い様にされた事実を彼は正しく受け止められていなかった。

 

 彼らは知らない。

 推移しすぎた事態が、既にどちらか一人の犠牲で済まない過程にあることを、彼らは知らない。

 

 

 

 prrrrr prrrrr

 

『あー、もしもし?シーハウスか?―――2人分、いや、3人分の回収をお願いしたいんだけど、今日空いてる?』

 暗い部屋に腰掛けた男が電話をかけていた。

 部屋と同化しそうなほど黒いスーツを着ている。

 男―――ジュピールは電話口からの色良い返答に喜色を滲ませた。

『あぁ、良かった。ヨークシンにいるのか。うん、うん、もちろん大丈夫だ。オマエが来るまで待っとくよ。ん?そうだなー。たぶん、2千万あれば足りる。あぁ、じゃあ、任せたよ』

 ―――いつもの場所で。

 そう、笑みを湛えながら呟いた。

 

 

 

 

 

 









話がうまく伝わっているといいんですが…。
次の更新は今週の土日か、来週の土日になりそうです。









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異端

 独白1

 シーハウスは考えることがある。
 生きるとは何か。死ぬとは何か。
『死』を意識してから考えるようになったが、いまだに答えは出ない。



 

 

 

 

 シーハウスは飛行船内にいた。

 上空500mを飛行する、シーハウスの私用船に華美な装飾はない。

 シンプルな船内は持ち主の性格を表しているようで、寂しくない程度に僅かな調度品が置いてあるのみだ。

 私用船というのは持ち主の趣味が大きく反映されるものだが、この飛行船も例外ではなく、シーハウスの趣味がこれでもかと積載されている。

 

 調度品は少ないと言った。

 では、シーハウスの趣味は『モノ』ではないのか。

 それは違う。

 分類からいえばそれは『モノ』で、コレクションだ。

 なのに何故、少数しか置いていないのか。

 それは廊下を見ればわかる。

 その僅かな調度品は全て『死体』にまつわるモノばかりなのだ。

 

 眼球、皮膚、頭蓋、骨格、6本指の生々しい切断された間近のような腕、ゼリー症児の頭部。

 それらですら序の口でしかない。

 保有することが法に触れるモノこそないが、その範囲内で考えうる『商品』のラインナップは見事に揃っている。

 

 そう。シーハウスは死体回収屋であり、世界有数の人体収集家でもあった。

 彼のコレクションは優に三百点を超える。

 その内ある程度厳選されて、普段から目にしなくても良い代物だけを船内に置いている。

 つまり、これらですらシーハウスのお気に入りではない。

 あくまでコレクションの一部でしかないのだ。

 

 そんな飛行船を飛ばして、シーハウスはヨークシンから南東にある、アムブロシアという街に向かっていた。

 都市開発の真っ最中にある街で、次々と新しいビルが立ち並び始める、いま最も勢いのある街だ。

 ヨークシンから流れ始めた裏金がその理由だが、表では独力ということになっている。

 

 そんな街にシーハウスが向かうのも依頼があったからだ。

 金など本職の収入で腐るほど持っているシーハウスだが、知り合いから頼まれれば否とは言わない。

 何せ働かなくても金は勝手に入ってくる、

 趣味以外に使う時間はないのだ。

 それなら、死体を集めつつ友人と会えるならぜひもなく、シーハウスは飛行船を軽い気持ちで飛ばして向かっていた。

 

 

 

 

 

 地下空間というと、どういうイメージがあるだろうか。

 陰鬱?カビ臭い?

 あるいは裏家業をイメージするだろうか。

 

 そのイメージに差異はない。

 陰鬱でカビの生えた空間がアムブロシアにはいくつか存在している。

 そのうちの一つ、ノクターノ組の管理する区画にある一部屋。

 部屋の中には3人の男が居た。

 

 一人は血だらけで椅子に縛り付けられている。

 顔には麻袋が被せられ表情は見えないが、男性であろうことは切り裂かれた衣服の下に見える厚い筋肉から見て取れる。

 しかし、彼の身体には無数の裂傷と抉られた傷跡が見えた。

 それも血が止まりきっておらず、真新しい傷であることは明白だった。

 

 そんな男に寄り添うように、金属器具を手にした男が居た。

 男の名はトロイ。

 目の前で半生半死である先日までの上司を拷問した張本人だ。

 息が荒く、脂汗もすごい。

 極度の緊張と咽返る血の匂い。そしてかすかな罪悪感によって苛まれ続け、彼の精神は既に限界寸前だった。

 しかし、手は休められない。

 彼のさらに後ろにもう一つ椅子がある。

 そこから薄く笑いながらその姿を見つめる新しい上司の姿があるからだ。

 

 その男は特徴的な見た目をしていた。

 まず目を引くのはその髪型だろう。

 生来の黒髪はカジュアルに分けられている。

 乱暴な言い方をすれば前髪全てをグイっと右に寄せ、逆の左の髪を全て後ろに流している。

 前から見ると右側だけ盛られたように髪量が多く、左側は少ない。

 かなりカジュアルな、まるでホストのような髪形をしている。

 当然、身に着けている装飾品も髪形に合わせたカジュアルなものばかりだが、服装は裏家業らしくきっちりと黒スーツを着込んでいる。

 磨きぬかれた靴が彼の顕示欲の強さを感じさせた。

 

 そんな一室に、扉の開く音が響いた。

 重く、そして錆びた扉の立てる音はどこか不吉さを匂わせる。

 一斉に全員の意識、視線が入り口に向かった。

 そこに立っていたのは、異様としか言えない服装に身を包んだ人物だった。

 

 一言で例えるなら、捕まったヤバイ奴。だろうか。

 ジャラジャラとした鎖を全身に巻きつけ、その下は衣服や素肌を隠すように包帯でぐるぐると巻かれている。

 それを覆い隠すような茶色いコートとシルクハットを身に付けているが、コートは前を止めていないし、ハットも包帯だらけの顔を隠せていない。

 よくよく見ればズボンやシャツを着た上に包帯を巻いているのがわかるが、不気味なことに変わりない。

 加えて言えば、その隠しているはずの茶色の革が、かえって不吉さを感じさせていた。

 それもそうだろう。

 その革は『人間』のものだ。

 一目ではわからぬよう、顔の皮は使用されていないが、色といい、艶といい、残った毛穴といい、見るものが見れば一目でわかる加工のされ方をしている。

 

 ぐるぐると包帯の巻かれた頭部から、鋭い視線が室内に注がれた。

 片目は包帯に覆い隠されているが、その鋭さは片目でも十分な意思を感じさせる。

 それを見て身を震わせる男と笑う男に別れた。

 身を震わせたのはトロイ。

 喜んだのがジュピールだ。

 

「シーハウス!遅かったじゃないか、待ちくたびれて遊んでたよ」

 立ち上がり、両手を広げながら歓迎の意を示す。

 明らかな異常者であるシーハウスを見てもなんの動揺もなく、笑顔を見せるその胆力は中々なものがあるが、シーハウスは特に気にするでもなく室内に入った。

 

「まったく。小生を急に呼び出しておいて、その軽薄なセリフはないんじゃないカ?」

 そういいつつも気にした様子はない。

 ジュピールと熱くハグを交わすと視線を男たちに移した。

 

「で、この二人を回収すればいいんだナ?」

 答えは明白だった。

 ニコリと笑みを見せたジュピールは軽く頷きを見せる。

 対象が決まってるならやることは簡単だ。

 ズズズ、と洗練されたオーラがシーハウスから漏れ出す。

 

「ま、保存するだけなら軽くでいいカ。―――『羊たちの沈黙(コールドシープ)』」

 一瞬のうちに具現化されたのは2つの棺。

 十字架を刻まれた、茶色い木製の一般的なモノだ。

 もっとも念能力であるので、見た目通りの棺ではない。

 シーハウスの念能力は2つあるが、『羊たちの沈黙(コールドシープ)』はそのうちの1つ。

 対象を保管すれば収納している限り決して劣化しない。

 保存以外にも様々な能力と制約があるが、事を死体の保存に限ればこれ以上理想的な能力もないだろう。

 

「じゃ、殺していいゾ」

 あまりにも薄い言葉。

 その言葉に青ざめたのはトロイ、拷問を強要されていた男だ。

 立ち上がり、拷問器具であるノミを握ったまま悲鳴を漏らした。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!!ご、拷問をする代わりに助けてくれるって約束だったじゃないか!!!俺はいう通りにしたぞ?!」

「ああ、あれウソ」

 軽く、まるでなんでもないことのようにジュピールは告げた。

 絶句と言うに相応しい表情を晒したトロイに追い討ちをかける様に言葉を続ける。

 

「…考えてみろよ。俺が、お前みたいな生かす価値のないゴミの言葉を覚えてると思うか?あれ、というか、俺人間と会話したっけ?」

 端正な顔に心底不思議そうな表情を浮かべてそう言う。

 そして、ニヤリと笑ってから見下したように舌を出した。

 

「あー、悪い。家畜以下と会話できるわけなかったか。でも独り言なんだし、別に覚えてなくても問題ないよな?」

 言葉を言い合えるのが先か、それともトロイが動き出したのが先か。

 シーハウスの目には僅かにトロイの方が早かったように見えたが、そんなことはどうでもいい。

 結果は決まりきっている。

 トロイは駆け出し、その手に持ったノミでジュピールを散々に滅多打ちにする。

 そして悦に浸った表情で次はシーハウスを―――

 なんて。そんな妄想をしたのだろうが、実現する訳がなかった。

 

 男が殺意を持って動いてから0.5秒後、初めの一歩を踏み出そうとしたその瞬間に、男の頭部と身体は永遠の別れを告げていた。

 死に気付く暇もなかっただろう。もし覗けたのならトロイの脳裏ではまだ妄想が続いている。

 

 手を出したのはシーハウスだ。

 大したことはしていない。

 ただ、身体に巻きつけていた普通の鎖を伸ばして首を断ち切ったに過ぎない。

 伸ばしすぎた鎖が壁と激突し粉塵を巻き上げる。

 優に人を殺せる傷跡を残しながら、シーハウスは特に驚いた様子もなくスルスルと鎖を手元に戻した。

 粉塵が僅かに晴れれば、そこにはただの鎖では決して着くことのない、巨大な力の爪痕が残っている。

 

「あっはっは、シーハウス、オマエやり過ぎだってー」

 とはいえ、ジュピールに気にした様子はない。

 壁も、人が死んだことにも、まったく興味がない様子で椅子に座る残った一人に近寄って、麻袋を外した。

 

 正面から見てはいない。

 シーハウスは横から覗くように見ただけだが、男の顔は水分で溢れ、とても見れた顔ではなかった。

 目を細めて渋顔を作る。

 彼の感性からすれば、それはあまり好ましいものではない。

 あくまで死体が好きなのであって、人を貶めて喜ぶ性癖は持ち合わせていないし、何より男の表情に芸術性をまったく感じない。

 目を細めたのは、あくまで芸術性を感じなかったからだ。

 感傷でシーハウスの心が動かされることはない。

 血だらけの男も顔見知りではあったが、もう完全に助ける可能性はなくなった。

 死を目前にした決死の表情だったならばあるいは、ありえたかもしれないが。

 

 「や、やめろ。やめてくれ!!おいシーハウス、俺とお前の仲だろ?助け、おい、や、やめッボェ」

 シーハウスに助けを叫ぶ男の喉を、穏やかな笑みを浮かべたジュピールが千切る。

 喉から零れ落ちる血液は致死量だ。

 このままでは鮮度(・・)が落ちてしまう。

 平均死後2時間以内なら死後硬直が始まらない。

 とはいえ、できれば死んだ直後の、損傷が全くない遺体がシーハウスとしては好ましい。

 血液が減っているなどもってのほかだ。

 

 「なァ、ジュピール。小生は死体回収に呼ばれたンだよナ?」

 「あぁ、そうだよ。それがどうかしたのか?」

 「…まァ、わかってるならいいカ。埋め合わせはしろヨ?」

 「…?あぁ、そういうことか。もちろん、今日は金はいらないよ、好きに持っていっていい」

 「二つだけで、カ?寂しいもんだナ」

 「フフフ、本命はこの後さ。…シーハウス。キミは少女の遺体を特に好んでたよね?」

 「…そういうと小生がロリコンみたいじゃないカ。まァ、美しさという点なら抜きん出てるとは思うけどネ」

 「なら良かった、キミのお眼鏡に適うといいけど…、もちろんこの後も来るよね?」

 「小生、まだ何にももらってないのに帰ると思うカ?」

 「あはは、悪い悪い、埋め合わせはちゃんとする。…喜べ、シーハウス。幼少の念能力者がいるみたいだ。…それも特上のな」

 蕩けるような笑みを見せるジュピールのその言葉に、シーハウスは目を丸くした後に、嗤った。

 「それハそれハ。楽しみだネぇ」

 

 

 

 

 

 









前書きに独白を入れるか、本文中の初めに入れるか。
少し迷いましたが、こっちの方が分けて見れるかな?と思うのでこれで行きます。

ノクターン組→ノクターノ組
変更してます、すみません。


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衝撃

遅れてすみません。。






 日が暮れている。

 斜陽すら既になく、カラスも鳴いていない。

 真っ暗な帳が周囲を包んでいる中だった。時刻で言えば10時を少し回った所だ。

 目を凝らしながら、シーハウスは目の前のアパートを見上げる。

 貧民街にある建物だ。

 地下から出ると連れて来られるままに雑多なスラム街を通り抜け、汚物と座り込んだヒトの姿の目立つ入り組んだ路地裏を歩き、臭いの酷さに辟易としながら辿り着いたのがこのアパートだ。

 築50年は経っているだろう。

 綺麗だったはずの壁面は黒ずみ、経年劣化のせいか至る所に亀裂が走っている。

 特にひどいのが金属部分だ。雨水に晒されて腐食が進んでおり、茶色く変色して今にも崩れ落ちそうなほど老朽化していた。

 

 崩れた箇所も所処あり、オンボロという言葉が良く似合った。

 落書きとゴミだらけの階段。そこら中に散らばる酒瓶のカケラ。

 そして廃墟特有の、土とも壁とも金属とも言えない何かが腐食したような臭いが頭の奥と耳と鼻から入り込んで、ありもしない頭痛を感じる。想像なのか、それともただ単に身体が拒絶してるのか。シーハウスは思った。ここはヒトの住む場所じゃない。

 

「…ここに入るのカ?」

「場所は、ここみたいだな」

 ジュピールは簡単に答えた。手元のメモ用紙を見つめている。

 顔を歪めるシーハウスを気にも留めない。

 一瞬メモを奪ってやりたい欲求に狩られたが、ツーンと香った腐臭に顔を萎めた。

 

「小生、やっぱり帰っていいカ。職業柄汚いとこダメなんダ」

「俺も好きじゃねーよ」

 そう言いながらも嫌そうな顔一つせず、ジュピールはらせん状になった金属製の階段に足を向ける。

 向かう場所はこの3階建アパートの301号室だ。

 階段は老朽化してギシギシと嫌な音を立てるいるが、階段としてはまだ辛うじて使えそうだ。

 ジュピールの後ろから声が聞こえる。

「切実に帰りたいヨ」「こんなにクサいなら絶対に来なかったネ」

 ウジウジとボヤく、溜め息すら溢しそうなシーハウスに文句の一つでもやろうか、とジュピールが思ったのも無理はない。

 

「…はぁ、あのなあ、シーハウス。いつも死体触ってんだからこのくらい大したことないだろ?汚いだけじゃんか」

「ほぅ!小生と語り合う気かネ?よかろう。まず、死体は汚くないヨ。時間が経てば細胞が自壊を始めるせいでそんな印象があるけどネ。鮮度を維持しておけば清潔なものサ、匂いもないし汚くもないヨ。そもそも解剖学は医学界に必要不可欠なプロセスなのだから、死体を毛嫌いすること、それがまずオコガマシイ。死とは常に隣にあるというのに、人間という社会はそれを遠ざけている。死とは自然のものだから御すことができない、それこそがこの根本の理由という説もあるガ―――」

「もういい、もういい。悪かった、俺が悪かったよ」

 シーハウスの本職は医者である、らしい。

 本人曰く『死体とは無縁の、医者というよリ学者だけどネ』とのことだが、ジュピールにも詳しいことはよくわからない。

 呼べばくるし、金払いも良い死体回収屋。

 それだけわかっていれば十分だった。

 深く詮索はしない。それが少しでも長く生きるコツだから。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――夜中11時頃。

 

 

 その日、私は珍しく早く帰った。

 いつもなら完全に辺りが寝静まってから帰るのだが、不思議と今日はそんな気にならなかった。

 真っ暗ではあるが、まだ表ではネオンの街頭が客を引っ切り無しに呼び寄せている時間帯。

 

 私は足早に家に向かっていた。

『絶』を覚えてから戦果は上々だった。

 果物、財布、少し値の張る蚤の市の品物。

 何でも盗れるようになった。以前はかなり危険だったので迂闊には手を出せなかったが、『念』のおかげで随分やりやすくなった。

 今日は『練』の水見式でも試そうか、とワイングラスと葉っぱを持って階段を駆け上がり、ドアを開いて。

 

 茶色いコートを着た、包帯と鎖尽くめの男が立っていた。

 

 

 すぐさま、その場から逃げ出そうとした私の肩を、背後から誰かが掴んだ。

 ゾワリと背筋を駆け抜ける感覚に従って瞬間的に『練』を選ぶ。そして全てを拳へ。移動させては間に合わない。『絶』を使って出口を右手だけに。強制的に噴出させるように右手に集めた。

 全力で。拳を振り切る。

 

「やァ、ご機嫌いかが―――かな」

 落とした、ワイングラスが割れる音が響いた。

 手応えはあった。

 だが、生きてきた中で最高の一撃のはずのソレは、片手で受け止められている。

 コイツ、念能力者だ。

 

「ウ~ン、良い拳だネ。でモ、まだまだ未熟ダ」

 ヒヒヒと笑いながら私を見下ろす、包帯の男。

 目が合い、睨み付けるが、どこ吹く風とでもいうように飄々とした態度を崩さない。

 拳を引いても離せない。クソ、掴まれた。

 ならば。

 掴まれた肩と腕を起点にして、軽い身体を捻り上げる。

『硬』にした左のハイキックが包帯男の顔面に入る。

 ドフッと良い音がする。だが、男はビクともしない。肩も拳も離さず、顔面でモロに蹴りを受け止めているのに、まったくブレない。

 

「…掴まれた拳と肩の防御を捨てるとハ。中々、思い切りがイイネぇ」

 その言葉を聞くより前に、『硬』にした右足での膝蹴りを腹に入れる。

「ンッ」

 包帯男の声が漏れた。さすがに腹は多少衝撃が通るらしい。

 しかし、それでも健在。

 ニィと包帯の下で笑みを浮かべ、私を見下ろす。

 

「まだ完璧な『硬』じゃないネ、オーラを閉じきれてないヨ。それに『練』もマダマダ。動きも拙イし鍛えてもいなイ。でモ…いやはヤ、この歳なのに良く動くネぇ。イイオーラとイイ目をしてる…顔も好きだネぇ、怪我させないよーに気を遣ったヨ…」

 言葉を区切り、狂相を浮かべた。

「ヒヒヒ、あぁ、本当に、イイ素材(・・)だ…」

 ぞわっと背筋が痺れる、コイツヤバイ奴だ。

 もう一度、腹に膝蹴りを叩き込むが、ニヤニヤと嬉しそうに笑うだけだ。

 …変態かよ。

 腕を肩を掴まれ、宙に浮いたまま短い廊下を通り、リビングまで連れて行かれる。

 

「ふ~ん、本当に『念』を使えるのか。これは当たりかな?」

 もう一人いた。

 声を掛けられるまでそのことに気付けなかった。

 玄関からも見える、リビング。

 その椅子に腰掛ける彼の前に二人の男女が転がっている。…両親だった。

 なぜだ。カッと熱くなるものがあった。

 

「てめェ―――」

「おっと、そこから先は聞き飽きてる。言わなくていい」

 笑う包帯男とは違い、スカした顔をした男だった。

 黒いスーツとカジュアルな装飾。そしてホスト風の髪型が目に付く、いけ好かない野郎だ。

 

「端的に話そうか。俺が今日来た理由だけど。キミが掏ったクスリ、あれ(ウチ)のモンなんだよね。だから来たの」

 そこで言葉を切って、私を―――というより、私を掴んでる包帯男を見た。

 

「本当なら殺して、そこの包帯、シーハウスに死体を売り払う予定だったんだけど、そこまで『念』を使えるなら話は別なんだよね。だってそうだろ?殺すより、生かして組に所属させた方が、ウチとしては助かる訳だし、殺すメリットなくね?ってなるじゃん。身代わり立てれば今回の件はなんとかなるし。若気の至りって誰にでもあるよね」

 困ったように微笑む男だが、どこか薄ら寒さを感じる。

 

「そこで。キミには二つ道があります。拒否権はありません。10秒で選んでください、さーはじめるよ」

 男は人差し指を立て、数字の1に見立てる。

 

「一つ、今回の件は忘れて、ウチのモンになる」

 続いて中指も立てる。

 

「二つ、死ぬ」

 男は綺麗な笑顔を見せた。

 漠然と思ったのは、男が本気であるということ。

 …包帯も大概だが、コイツもコイツで頭イッてるな。不自由な二択ですらないじゃん。

 

「さぁ、どっちがいい?」

 当然、私に選べる選択肢は―――

 

「オイオイ、小生の意見は無視かイ?」

 唐突に包帯男が喋った。

 

 

 

 








『変わり者』さん、誤字報告ありがとうございました!
御礼が遅れてしまってすみません。。
迷いましたが更新しました。
切りが良くないので続きはできるだけ早く上げます。




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ノウリョク

大変お待たせしました。







「オイオイ、小生の意見は無視かイ?」

 

 選択肢はない(・・)はずだった。

 この、奇妙な男が居なければ。

 

 唐突なその言葉に私もホストも動きを止めた。

 場の空気が凍りつく。

 茶化すような口調で笑みすら浮かべているのに、明らかに包帯男の雰囲気が変わった。

 私を相手にしていた時とは何かが違う。ゾクゾクと全身が粟立つ。

 

 ホストと包帯男が見つめ合う。

 どちらも引く気はない、一触即発といった空気。

 無言のまま数秒見つめ合い、先に折れたのはホスト風の男だった。

 

「ははは、嫌だなぁ、そんなことする訳ないだろ?」

「そうカ?それなら良かったヨ」

 穏やかな口調。普通の表情。

 傍から見れば友好的に見えるソレも、私から見れば恐ろしく感じる。

 嘘で塗り固められた、仮面の友情を確認しあうような作業。

 そう。これはただの作業だ。

 前提であるお互いの立場を再認識するための行為でしかない。

 本来あったはずの友情も、利害が反すれば無に帰す。ただそれだけのことだった。

 

「それなラ、小生がもらっていってもいいよナ?」

「…あぁ、そうだな。持って行くと良い」

 

 ホストは目を瞑る。

 何も関与しないとでも言うように。

 その会話を皮切りに包帯男の目が私に向いた。

 瞳には愉悦しかない。

 ただモノに対する愛情と明確な狂気があった。

 想いを馳せるその瞳に。

 ゾッとした。

 

 そこに殺意はない。

 ただ生きたモノを死んだモノに換えるだけというのに殺意など生まれようか。

 殺意とは人を殺したい衝動のことを言う。

 ならばこれは、処理でしかない。

 初めてだ。

 脳髄を撃ち抜かれるよりも衝撃があった。

 瞳の奥には生々しい自己愛しか存在しない。

 その思考に怖気が走る。

 バラバラに腑分けされ、死後も身体を弄られるイメージが湧き上がった。

 そのイメージが脳裏で交錯する。

 

『死』を連想する。

 悪夢ではない、純粋な『死』

 首を、頭を、心臓を。生が停止するその瞬間を想像してしまう。

 私として生きてきた中で初めての経験だった。

 男の腕が伸びる。

 私の首を圧し折るまでの時間は瞬きほどもいらない。

 酷く緩慢に見えるソレは事実遅い。

 いつでも『死体にできる』という余裕からなのか、そこには何の意思も込められてはいない。

 笑みすら浮かべる余裕がある。

 だが不可避だ。

 

 では、諦めるのか

 ありえない。死を受け入れるなどありえないのだ。

 

 死なない。死ねない。イキノコル。

 

 心が震える。

 果実のように絞られ、凝縮された何かが零れ落ちる。

 一気に花開くように冷たい何かが胸に満ち溢れた。

 それは覚悟なのか。いや、違う。妄執にも似た意思だ。死にたくない、と。

 

 オーラが吸い取られる。

 ゾワゾワと左の肩を這い廻る何か。

 意識せずともわかる。

 今まで認識すらしていなかった『呪い()

 周囲に不幸を撒き散らす代償としてソレは、私を生かす。

 思えばそうだ。

 私の、蝶のアザを見たもの全てが不幸になる。

 両親しかり。老夫婦の、婆さんしかり。

 途方もなく報われないその過程は、結果として私を生かす。

 

 一瞬だけ脳裏に優しい笑顔が過ぎる。

 私の背後で何かが瞬き、頬を何かが伝った。

 

 ピタリ。と私の頭に触れようとした包帯男の手が止まった。

 私の目をまじまじと見つめる。

 

「フーム…何の涙ダ?」

 つつ、と包帯が頬を撫でる。

 そして、またピタリ。と動きを止める。

 包帯男が振り返り私に背を向けた。

 その後ろではオーラを練ったホスト風の男が微笑んでいた。

 酷く気だるげだが、その目はしっかりと包帯男を見据えている。

 

「ふ〜、オマエとやり合う気はないんだけどね。勝てる気しないし。けど、引く訳にもいかないんだよね。俺にもこの道で生きてきたプライドってもんがあるから、さ」

「オヤ、そんな高尚なものあったのカ?てっきり犬にでも食わせたかと思ってたヨ」

「はっはっは、言うなぁ。ま、そーなんだけどさ。一応、これでも組のこと考えてるのよ。俺が陰獣になったら大変だろ?ちょうどその穴埋め探してたんだよね。だから、ここは譲ってよ」

「それハそれハ。随分と緩いことを言うネ。そんな理由で小生が諦めるとでも思うカ?」

「はっはは、そうだなぁ、難しいかもしれないな。じゃあ、どうしようか」

「…ヒヒヒ、本当に困ったものだナ」

 

 ビリビリと肌を突き刺すようなオーラが2つ。

 どちらも相当な実力者だ。可視化された濃密なオーラがそれを物語っている。

 

「オイ、娘。オマエはどっちを選ぶんダ?」

「…?」

「なんだ、ここに来て逃げるのか?」

「違うヨ。小生が止めたが、まだ娘は選んでないだロ?どっちを選ぶんダ?」

 

 あの問いのことだろう。

 降るか、死ぬか。

 先ほどであれば、違ったかもしれない。

 だが今ならこう答える。

 

「…いつか死ぬなら、自分らしく死ぬさ」

 それは抵抗の意思。

 私は、胸の前で拳を構える。

 包帯男の目を、真っ直ぐと見つめる。

 漠然とそうした。

 蝶の気配はもうない。

 次はないだろう。それでも私はこうしなければいけないと。そう思った。

 

「…ヒヒヒ、いい目(・・・)だネぇ。これで、オマエはこの娘を殺すしかない訳だガ、それなら小生がもらっていいよナ?」

「…あぁ。本当にお前は。せっかく手に入りそうだったってのによぉ。わかったわかった。いいよ、持ってけよ―――」

 

 その言葉が終わるや否や、ホストの姿が搔き消える。

 直後に、私の背後で強い衝撃音が響いた。

 軋む骨とぶつかり合った肉の音。

 練られたオーラが唸っている。

 突き出された手を、包帯男が止めている。

 

「なんだ、死体が欲しいんだろ?なら、代わりに殺してやるよ」

「まったく、これだから美的センスに欠ける男は困るんだヨ。幼女より少女の方が美しいだろウ?なら、育つまで待つサ」

「相変わらず、だな。そーゆうとこは」

 その言葉と共に、戦闘が始まった。

 

 

 

 





絶賛体調を崩しております。。。遅れてしまって申し訳ないです。
戦闘描写は既に書き終えていますので、今週中に続きを更新します。



────
誤字報告お礼
『エアの創造』さんありがとうございます。



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終息 IF

前話のIF
念発動後のイレギュラー

2021/10/28
ご指摘頂き前話のメインルート分岐を削除


 弾かれたように離れる二人。

 のっぺりとした暗い室内の中であっても二人の姿は良く見える。

 素早くスーツを脱ぎ捨てたジュピールは袖から何かを取り出す。キラリと光る何かだ。

 

 シーハウスは腕を振るった。

 巻きついた鎖が唸りジュピールに飛んでいく。

 逸れた鎖が壁を抉り周囲のゴミが舞う。

 その隙間を縫う影がある。高速で接近したジュピールが手を瞬かせ、数十の打撃を繰り返す。

 受けるシーハウスも完璧に凌いでいく。

 攻防という面では互角だった。

 アンリの目には見えないが、両者ともに決定打が入らない。

 だがそれは、あくまで打撃に焦点を置けばという場合に限る。

 

「―――厄介だネ」

「そりゃどうも」

 

 ジュピールの持った『針』は操作系能力に起因するものだ。

 一撃をもらえばそれだけでシーハウスの敗北が決まる。

 それを加味しながら、気の抜けない攻防が繰り返される。

 

「そろそろ小生も本気を出そうかナ」

「させると思うか?」

 

 さらに加熱し攻撃を加えるジュピール。

 微かな綻びが生じ始める。

『針』という切り札がある以上、例えそれがフリであっても無視できない。

 対処に追われるシーハウスは徐々にだが打撃を受ける回数が増えていく。

 

「あまり、使いたくはないんだけどネ」

 打撃を捌きながら、オーラを増幅させるシーハウス。

 それに危機感を抱いたジュピールはさらに攻撃を加えようとするが、それがまずかった。

 

「単調、だヨ」

 両手を掴み取る。

 そして能力発動。

『摂っても便利な念液リキッドオーラ』

 オーラを液体に変化させる能力。

 それはシーハウスが識っている液体であれば毒でも酸でも可能。

 

 発動する寸前、瞬きもないその隙間を縫う。

 ジュピールの口元から吐き出された針がシーハウスに迫る。

 迷いはない。即座にしゃがみ込み、手を離したシーハウスに、強烈な蹴りが飛んでくる。

 両腕を交差させ、受け止めるが、その衝撃は緩和しきれない。吹き飛ばされるシーハウスを追って、ジュピールがさらに畳み掛け―――ようとした所で、足元の異常に気がついた。

 酸が侵食するよりも早く靴を脱ぎ、靴はあっという間に腐食して溶けた。

 

「てめぇ、既に両腕を酸で覆ってやがったのか。中和するためのオーラも必要だとかで、時間掛かるんじゃなかったのか?」

「ヒヒヒ、小生をナメすぎだヨ。どれくらい掛かるかなんて、言ってなかったロ?…さすがに即時発動とはいかないけどネ」

 

 ゆっくりと起き上がったシーハウスに外傷はない。

 強力な酸に覆われた両腕も、保持されたままだ。

 だが、良く見ればわかっただろう。シーハウスの両腕の包帯が一部溶けていることに。

 

「さァ、第二ラウンドと行こうじゃないカ」

 

 想像以上にやり難い。

 ジュピールは冷や汗を垂らした。

 下らないプライドなんて捨てればよかった。

 

 笑みを浮かべるシーハウスとは対照的に、ジュピールに余裕はない。

 元々操作系能力、それも他人を操作するタイプは奇襲でこそ真価を発揮する。

 理想を言えば相手が気付かない内に操作してしまいたい。

 だが、現状はそれとかけ離れている。

 能力は既にバレている。奇襲どころか、警戒しかされていない。

 接近して針を打ち込もうにも、酸の腕での攻撃を防ぐ手立てはない。

 よって、ジュピールが仕掛けられるとすればそれは遠距離からの攻撃のみだ。

 

 だが、相手に好意を抱かせ、強制的な友人関係になる。それがジュピールの針の正体だ。

 それは行動を強制させられる強い暗示ではあるが、元来気を抜いた相手に使う念能力のため、遠距離での使い方にはとんと弱い。

 

 ヤル気満々なシーハウスとは違い、ジュピールにはもう、攻撃を成功させる手立てがなかった。

 

「…あー、やめだ。これ以上やってもしょうがねぇや」

「なんダ、拍子抜けだナ」

 心底詰まらなさそうにシーハウスは両腕を下げた。

 先ほどまでの熱はもうない。

 ジュピールはため息を吐きながら、疲れたように首を回した。

 

「元々勝てるわきゃねーんだ。ったく、オマエも災難だな」

「?小生カ?」

「違げーよ、そっちのガキだ、ガキ。シーハウスに目ぇ付けられるなんざ、運が悪いどころじゃねーだろ」

「…そうかナ?衣食住は保障するヨ?ここよりはいい環境だと断言するけどネ」

 

 ぐるりと見渡せば、確かに人の住める環境ではない。

 ジュピールもここで暮らせと言われれば拒否するだろう。

 だが、そういう意味で言ったのではない。

 そう口を開こうとするが、面倒なことになるのは目に見えている。

 ぐっと飲み込んで、溜め息を吐いた。

 

「…そうだな。おい、幼女。オマエ、少女じゃなくて良かったな」

「…は?」

 向けられる憐憫の眼差しに、アンリは疑問符を浮かべた。

 

「多少は長く生きれる。ま、そこからどうするかは任せるがね。…もし逃げ出すんなら俺を頼りな」

「ヒヒヒ、小生が逃がすと思うカ?」

「ははは、それもそうだ。じゃあ、俺は後始末でもしてきますかね。…またな、シーハウス」

「必要ならまた呼びナ、多少は融通してやるヨ」

「そりゃー助かる。今日は無駄じゃなかった訳だ」

 ははは、と乾いた笑いを漏らしながら、後ろ手を振ってジュピールは室外へと消えていった。

 見送って、シーハウスは再びアンリを見た。

 アンリは身を固くして、構えこそしないものの重心を下げてシーハウスを見つめている。

 

「そんなに警戒するなヨ、まだ殺さないサ」

 スッと手を伸ばせば、思い切り弾かれる。

 キョトンと手とアンリを見比べて、クツクツと笑った。

 

「ヒヒヒ、本当に良いネぇ、とんだ拾いものだヨ」

 アンリから視線を外して、芋虫のようにうねっている男と気絶している女の元に向かう。

 

「ンーッ!ンーッ!!」

「安心しなヨ、殺しはしないサ」

 縄をほどき、自由にする。

 男はビクビクと震えながら、女を背に隠して立ち上がった。

 

「お、お前は何なんだ。俺たちに何の用があって、こんなことを」

「そうだネぇ。お前たちの娘に用があってネ。さっき聞いてただろうガ、あの娘がヤクザのクスリを盗んだんダ。だから小生たちが来た。まァ、今となってはどうでもいい理由だヨ」

「な、ん…アレが…」

 

 殺気だった目をアンリに向ける男

 不思議そうに眺めるシーハウス

 ブルブルと震える拳を見て、ほほゥと口角を上げた。

 

「何ダ、自分の娘を殴りたいのカ?だがなァ、オマエ程度じゃもう無理だと思うゾ」

「…お前が守るって言いたいのか」

「いーやイヤイヤ。ハッハッハ、まァ、そうだネ。そう思うカ」

 黙ってシーハウスを睨む男。

 気が大きくなった男を料理するより、娘に炊きつけた方が面白そうだ。

 

「いいヨ、黙って見ててやるヨ」

 スッと壁際まで下がって、手を組む。

 怒り心頭の男と、その娘。

 どうなるか見物だ。先ほどの反応なら、娘は多少の情を持ってるみたいだが、親は微塵もなさそうだ。

 戸惑った様子の男だが、動いても本当にシーハウスが何もする気はないと知って、視線を娘アンリに向けた。

 憎悪。正にその感情が当て嵌まる。

 ゆったりと男がアンリに近づくが、アンリは動かない。顔を俯けて身を固くしている。

 

 幼くとも念能力者だ。

 無能力者など簡単に倒せるだろう。殺すことすら容易い。

 男にアンリを害せる可能性は皆無だ。

 徐々に距離が近づき、手を伸ばせば触れられるほどの距離。

 男が拳を握る。

 振りかぶって、シーハウスはおや、と思った。

 アンリに何のアクションもない。

 薄眼で殴られると察しただろうに、さらに身を固くするだけで、反撃どころか防御する姿勢も取らない。

 少し予想外だった。

 凄惨な現場を想像していただけに少し裏切られた気分だ。

 

 拳が、振り、下ろ

 

 その瞬間。

 ゾッとするほどの寒気が背筋を駆け上がる。ガラスが割れたような音が脳裏に響き激痛が走る。

 無意識に後ろに飛んだ。頭を抱えるように抑えた。何かの反動であったように頭蓋が痛みを持って異常を知らせてくる。

 痛みに慣れているつもりだった。

 だが、その痛みはもっと根源的な、まるで脳の中を突き抜けるような不快感をともなっていた。

 痛みはシーハウスにとって非常に身近だ。だというのに、両手で頭蓋を掴み、握り締めなければ耐えられない苦痛として襲いかかった。

 

 それでも念能力者として鍛えられたシーハウスの意思を挫くには至らない。

 

 奥歯を噛み、痛みに伏せた顔を上げる。

 そこには、自分と同じように頭を押さえるアンリの父親と、歴然と様相を変えて父親を嬉々とした表情で殴りつけるアンリの姿があった。

 

 咄嗟に念を瞳に集める。

 『凝』と言われるそれで見た光景は、眼前の二人に集った蝶の形をした念が次々と弾けていく様だった。

 見れば、自分にも蝶が集っている事に気がつく。

 

 さらに気がついた。

 知らず『凝』を怠っていた事に、そして、数瞬前まで生かす事しか考えていなかった幼女に対する執着が異常なほどに薄れている。

 

 ーーー操作系?いヤ、何か違うナ?

 視界に蝶が映る。

 直感的にバタフライエフェクトという言葉が浮かんだ。

 羽ばたきが運命を変える、ただの与太話のはずのそれを思い出す。

 

 「・・・運命の操作?ばかな、念の枠を超えているヨ」

 ありえない。だが、もしも望んだ運命を引き寄せる能力だったなら。

 何かの弾みで失敗し、箍が外れたゆえに操作が切れたのだとしたら。

 『凝』を怠り、幼女に興味を持ち、父親を気まぐれで殺さなかったのも、全て操作された結果だったのだとしたら?

 ありえない。ありえないが、今までの結果がそれを半信半疑であれ肯定する。

 

 「があああああああああああッッッ!!!」

 幼女の父親が叫び、アンリがそれを気にせずに殴る。殴る。血が飛び散り、打撲音が鳴り、満面の笑みを浮かべながら軽やかに悲鳴と音の演奏を続ける。

 

 「よるなあああああああああいたいいいいいい」

 手を弾かれたアンリは絶叫を上げながらを自分を拒絶する父親を見て、念を十分に込めた一発を顎に叩き込み、電池が切れたように表情が消えた。そして、今更ながらに周囲に舞う蝶に気がついた様子を見せた。

 目を見開いた。両手で顔を覆い、嗤いはじめた。

 嗤いながらアンリの口の端から唾液が溢れる。

 

 「ぐふははは、はははははあ、そうだ、何を勘違いしている。私は、俺は!!もう、死んでいる?いや、生きてる?いや、いや、夢か。ふぐ、ぐふははははは」

 気が狂ったように狂笑する。

 幼女アンリのその姿は悍ましさと虚しさがある。

 殺すべきか、シーハウスは右手にオーラを纏わせる。

 頭痛が酷い。歩くことすら億劫だ。だが、成り立ての念能力者程度なら殺せる。

 

 その殺気に反応する。アンリの首がグリンと回りシーハウスと目が合った。

 アンリの無表情に目を見開く様を見た時。

 何か、細い線が集まった集合体を見た時のような凄まじい怖気を感じた。それは以前にも感じたことがある。

 刹那的な思考で思い出しながら右足を踏み出し、思い出したと同時に床が抜けた。

 ーーーーアレは、死者の念だ。

 

 「ーーーッ」

 運悪く(・・・)、床が抜けた事で階下に引っ張られる。

 アンリと目を合わせながら、そのまま落ちる。

 酸性のオーラを飛ばさなかったのは、床が落ちる事が予想外だったからか。それともーーー。

 

 辛うじて受け身をとり、軋むように動きが鈍い身体で上階に登れば、そこにアンリの姿はもうなかった。

 顎を砕かれ、芋虫のように丸くなって息絶えた男と、ついでと言わんばかりに腹ワタを撒き散らした女が居るだけだった。

 散ったばかりの腹ワタから酢えた匂いが立つ。

 腹ワタが繋がった先には破られた窓があった。

 外を見ると、真っ暗な夜にチラホラと火を焚いたスラム街の明かりが見えるだけで、アンリの姿はどこにも見当たらない。

 

 シーハウスは研究職だ。

 戦闘は得意であるし、好きだが、本分は研究者である。

 そのため追跡手段は持っていない。

 窓に垂れさがる腹ワタを引っ張る。窓の先からは千切られた腹ワタの端が現れた。繋がっているのは部屋で死んでいる女の死体だ。

 

 「やれやれだネ、年増の死体なんて剥製にするやりがいを感じないヨ。・・・12,3歳くらいの少女じゃないとネ」

ため息一つ溢して手に握ったモノを投げ捨てた。

 

 「あいたタタ、う〜〜〜ん、頭が痛いネ」

 それは今後を思っての意味でもあるし、実際にまだ頭も痛い。

 だが、シーハウスは全く悲観していなかった。

 もし、何かしらの確執を感じて襲いかかってくるなら次こそは剥製にしてやろう。

 シーハウスはその未来を想像しながら鼻歌交じりに部屋を出て行った。

 

 

 

 

 




自己満足でごめんなさい。
メインルートは断念しました。
IFルートで描き続けるかもしれません。


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IFルート
羽化 IF


性的、暴力的な表現があるため閲覧注意


 

 

 あれから、思考が支離滅裂に散乱していた。

 自分が自分なのか。それとも実は存在していないのか。

 

 手で触れる物も薄皮一枚を隔てたように感覚が薄く、視界はモヤがかかったように不鮮明だった。

 ざわざわという喧騒も、掛けられる人の声も、手を染める美しい赤も、何もかもに現実感がない。

 殴られてどこかに運ばれた事だけは覚えている。

 

 夢の中を歩いているようだった。

 足から伝わる振動も、歩く時に手を動かす動きさえも緩慢だった。

『念』なんて言葉も忘れて、言葉すら失ったように生きた。

 

 口にするものは全て味のない段ボールを噛んでいるようだった。

 パサパサとしていることはなんとなくわかった。

 食欲はなかった。ただ口に含めば身体は勝手に何かを食べる。

 ただの作業じみたそれは食事というにはあまりにおこがましく、冒涜的ですらあった。

 

 気がつけば、娼館と呼ばれるにはグレーな店に拾われていた。

 咽せ返るような女の匂い。

 退廃的な淫靡な空気が広がる店ではあらゆる非合法が黙認された。

 私も、どうやら年の割には頑丈なので仕事に駆り出された事もあるようだ。何度も使えてお得だね、と娼館の女は笑っていた。

 今更その程度どうとも思わない。飯が食えるならいいかと考えるくらいには私も擦れていた。

 

 ただ、自分の意思がある程度ハッキリしてから抱かれようとした時は多少の抵抗があった。

 自分が男だったのか女なのか、それすらいまだにあやふやだが、どちらの意識も同程度に抵抗感があった。

 多少暴れるが殴られれば条件反射で大人しくする癖がついていたので、殴られた後にぼーっとしていれば仕事は終わっていた。

 この程度か、と薄らと思い久しく笑った。

 

 微かな意識を取り戻して恐らく数年が経った。

 その間も仕事は続けた。その手の趣味の客は途切れない。

 栄養失調だからか、それとも他に何か理由があるのか、私は成長しなかった。

 ある程度使えるとわかってから食事が増えた。なのに私は成長しないままだった。

 媚を売る事はしなかったが、逆にそれがいいという意味不明な仕事は安定して飯の種になった。

 

 汚れたと泣く女や、子ができて自殺する女も居た。血を見る事も少なくない。薬で廃人になる女もいる。

 歯抜けた女が便利になったと笑った事もあった。

 無感動にそれを眺める自分に感じるものがあるかと思ったが、特段何も感じなかった。比較対象になる男の記憶もほとんどを思い出してのソレだ。なんとなくではあるが、自分というものが定まった気がした。

 それが、この場所のありふれた日常だった。

 

 そしてまた数年が経った。

 少しだけ背が伸びた。肉付きも付いてきて『念』の事も思い出した。

『纏』と『練』だけ暇な時に続けた。

 思考はまだモヤがかかったままだった。

 下の世話も熟れてきたせいか、固定客は増えた。

 相変わらず媚は売ってないんだが、そういうのが好きらしい。謎だ。

 食事は十分な量が取れるようになって、少しずつではあるが味があるような、ないような。味覚が戻りそうな予兆があったがあまり興味は湧かなかった。

 淡々と飯を食い、仕事をして、暇つぶしに『念』を磨いた。

 惰性ではあったが、多少は楽しい。……楽しい? 楽しいという単語に首を傾けながら月日は過ぎた。

 

 歳を数えるのをやめた。

 何歳に見えるか聞くと8歳〜10歳程度が一番多い。実際にはそれ以上だろうということだけはわかるので数える意味を感じなくなった。

 なので、何歳だと思うか聞くことが仕事のルーティーンに追加された。

 食事に肉が増えた。下の世話は今では店の中でも上位に入るだろう。少し経験を積み過ぎたかもしれない。初めは興味がなさげな仕事相手も夢中にさせられるくらいには手管に長けた。男の経験が生き過ぎたかもしれない。

 相変わらず媚は売ってないが。

『念』は引き続き暇つぶしにやっている。

『練』が2時間を超え始めてからは面倒になったので、代わりに『硬』で遊んだ。

 

 いつまでもこんな生活が続くと漠然と考えた。

 特に不満はない。飯は食える。仕事はまあ、適当にやればいい。暇つぶしにも事欠かない。屋根がある場所に住んでいるし、仕事着はある程度着飾れる。寒くも暑くもない。これが欲しいという物も特にない。

 そんな私に酔狂な男が話し掛けてきた。

 ぺちゃくちゃと喋る話を要約すると、身請けしたいという事らしい。

 今の生活に特に不満はない。消極的な理由で断った。

 憤慨した男は覚えていろと殴って消えて行ったが、私はケロリと頭で受け止めた。

 変な男だと特段何もせずその日は過ぎた。

 それから数日後。

 曲がりなりにも非合法な娼館だ。裏稼業のボディーガードも居ただろうに、私は簡単にさらわれてしまった。

 身請けは面倒だったから受けなかっただけで、拐われても抵抗する気は起きなかった。

 ぼーっとしながら脇に抱えられて連れ出され、車に押し込められてエンジンの振動音を感じながらどこかに走り去った。

 真っ暗な車の中で暇つぶしに『念』のイボクリで遊んでいるうちに到着した。

 連れて来られたのは、どこか記憶を刺激する雰囲気があるコンクリート造の部屋だった。

 扉は一つ。椅子が中央にあって、拘束具が着けられている。

 脇には拷問器具が並んでいた。

 ズキンと胸が痛んだ。

 

 座らされた私は拘束具で離れられないように固定された。

 荒い息を繰り返す男はニタニタした笑みを浮かべながら注射器を取り出してご高説を垂れ始めた。

 何やら媚薬という奴らしい。

 今まで何人も楽しんできたんだと笑う男に興味すら湧かない。

 注射器を刺そうとして、針が、刺さった。

 動揺する。念で守られているはずなのに刺さったのが何故なのか。

 

 そこからの記憶が曖昧だった。

 色んな事をされた気がするが、覚えていない。

 無感動な人間だと思っていた。なのに、今はみっともなくガクガクと足を震わせている。

 元に戻りかけていた思考がぐちゃぐちゃになる。

 両手の爪を剥がれた。右手の指を少しずつ刻まれた。ご丁寧に機能を失わないように痛めつけるVIP待遇だった。

 肌は剥がれなかった。せっかくの肌だと舌を這わされたが、以前は何も感じなかったであろうそれに気色悪さを感じた。

 拷問というには生温いそれと快楽を与え続けられるが、其れは、私と俺の記憶を上手に刺激してくれた。

 俺は最期の光景に重ね憤りを感じる。私はその男の感情に困惑しながら、快楽に流される。

 死んでいた感情が次第に目覚め始めていた。

 

 焦燥。怒り。憎悪。絶望。

 ずっと昔に慣れ親しんだ感情が戻ってきた。

 

 きっかけは些細な事だった。

 男の精神が動揺していたから、私に抵抗する気力がなかったから。

 だから、頑丈な程度の拘束具で押さえられていた。

 

 私に動揺はあっても恐怖の表情を見せなかったことが不満だったのだと思うが、男はあるモノを取り出した。

 それはトテモ懐かしい、黒い拳銃だった。

 

 頭蓋に押し当てられた。

 走馬灯のように最期の光景が走り、全身から溢れんばかりのオーラが吹き出した。生きる……? 事は殺すこと? 

 眼前の男の眼を見た。下卑た色が滲んでいた。

 

 生きる事は、殺す事。なら、殺せば生きられる? 

 

 何気ない視線に込められた純粋な殺気に当てられた男が細い呼気を漏らす。

 後退り思わず引き金を引いたが、銃弾はオーラの上を滑り壁に跳弾した。

 

 オーラに弾き飛ばされた椅子と男が、私を中心に正反対の方向に飛んだ。

 輝かんばかりにオーラが満ちた。

 生きる、生きたい。そう思うだけで無尽蔵に思えるくらいにオーラが溢れる。

 そう、生きるには殺さないといけないんだ。

 

 殺意に反応したオーラがキリキリと異音を立てる。

 腹の奥から湧き上がる衝動に何と名前を付けるべきか、そう、これは、きっと喜び。

 口角で孤月を描きながら、笑い声をあげて男の臓器を貫いた。

 幾度も、幾度も拳が突き抜ける。

 びちゃびちゃと顔にかかる血が心地よい。これが生きるという事。命を奪う、殺すことがイコール生きる事なんだ。

 

 この世の真理に気がついてしまった。

 さながら私は賢者だろうか。女でも賢者を名乗って良いのか、少し考えたがどうでもいいかと思考を投げ捨てた。

 今はこの血を楽しみたい。肉にめり込み、生暖かい体内に腕を突っ込む。

 きっと男はこんな気持ちよさを味わっているんだろう。

 

 だから、あんなにも私に夢中になっていた。

 今ならその気持ちがとても良くわかった。

 挿れて暖かい。それは気持ちいいことなのだ。

 腹から探り、肋骨を通り過ぎて肺を掴む。

 むにむにと触るそれは、さながら女の乳房かな? 

 

 またすごい事に気がついてしまった。

 人を殺せば生きる悦びに、男の喜びも味わえるのだ。

 むにむにと触れば痙攣する男。

 女が達した時も痙攣することを思い出す。

 

 人体とは奥深い。

 うんうんと頷きながらむにむに触る。

 飽きたので、肋骨を突き破って両手を外に出す。手には両肺を掴んだままだ。

 むにむにし続けるが、やっぱり中にある時じゃないと感動が薄れてしまう。

 ぽいと投げ捨ててしまい、男の亡骸に蹲み込んだ。

 

「──ー産んでくれてありがとう、えーっと、お父さん? になるのかな」

 くすくす笑いながら、部屋のドアを蹴り破った。

 お風呂を見つけて、シャワーを浴びる。

 血を洗い流して綺麗にしたら、家の中を探検してみた。

 何人か女の子が居たので、私のために死んでもらった。

 でも、活きが良くなかったので微妙。

 お風呂に入り直さないといけなかったのでむしろマイナスだった。

 女の子の部屋から服を見繕い、家を出る。

 

 朝日が昇っていた。

 白い光が気持ちよく地平を照らしていた。

 光を浴びながらうんと伸びをする。

 節々が伸びて、筋が伸縮する心地よさが良い。

 

「さって、どこにいこっかな?」

 生きてる。自由に。

 殺した時ほどじゃないけど、それが嬉しい。

 スキップでもしたくなる軽い足取りで、街の雑多を目指して足を踏み出した。

 

 



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鬱 IF



短いです。




「あ────、鬱だ、鬱だぁあ」

 

 男をぶっ殺して生きる悦びに目覚めた俺私ことアンリちゃん。

 絶賛鬱です。

 なんでかって? ところがどっこい、特に理由はねえんだな。

 殺した直後は最高にハイで幸せ絶頂すぎたけど、殺しって私にとってアップ系の麻薬みたいなものになったみたいで、テンション切れたらまじでダルイ。

 死にたくないけど死ぬってくらいダルイ。

 

「あ────、生きてぇーー殺してーけど、めんどくせー」

 冷静になったら、念能力者なんて腐るほど居そうじゃんね。秘匿されてるとかいうけど、ガキン? バキン? だかの国はワサワサいるみたいだし、裏家業だと珍しくもないかもじゃん。

 何とか獣っていう、マフィアの子飼い念能力者もいるっぽいしさ。

 じゃあ、適当に殺し回ったらやばいんじゃねっていう。

 てか、殺人犯で念能力者ってバレたらプロハンターに狙われるじゃんっていう。

 殺すに殺せねーの。

 

 好き勝手に生きたい。自由になった気でいたけど、まぁそう簡単じゃあない。

 金なら春売ってもいいし、盗んでもいいけど、鬱じゃん。やる気起きねーじゃん。

 結果、念バリバリ使えるはずなのに路地裏でぼーっとしてるアンリちゃん自称10歳です。

 

「イボクリでもすっか」

 ぼーっと両手でイボクリしておく。爪ないよな、地味痛い。

 でも、これ修行にならんとか言われてたよーな。

 なんで? めっちゃオーラ動かすのになんで? 

 

「……鬱だ」

 やることなす事意味がない気がしてくる。まじダルイ。

 がっくしと体育座りしながら俯いた。

 飯食いてー、でも動くのダルイー。まぶた重くなってきた。

 よじよじ路地裏の日陰に避難して、おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

「────ねえ。あんた、生きてるだろ? 返事しなよ」

「んあ?」

 寝ぼけ目で見上げれば、全身刺青ピアスの金髪で短髪のボインボインのお姉さんが立っていた。

 

「ボインボインー? スタイルは自信あるけど、胸そんななくない?」

「あー、よくみたらそうかも」

 いっけね。口に出してたみたい。

 気にした様子もなくお姉さんは続けた。

 

「あっそう。まぁいいけど。あんた良いオーラしてるのよね、仕事待ち?」

「んー? 無職ッス。さーせん」

「むしろ願ったりね。どう、うちで働く気ない? 良い給料してるわよ」

「仕事かあ、あー、うー、……お腹すいた」

「働くんなら奢るけど?」

 働いて食うか、ダラダラして食わぬか。

 究極の選択と言ってもいいのでは……? 

 でも、とりあえずお腹すいた。

 

「……はたらきます」

「オッケー、じゃあ、奢るわ。立てる?」

「うす、たてます」

「はいはい、行くわよ。仕事の話しなくっちゃねー」

「あー、腕ひっぱらないでー」

 ずるずる引きずられながら付いて行き、適当な飯処にに入る。

 ガツガツむしゃむしゃご飯を食べて、食後のデザートを頂く。うまうまー。

 

「──で、仕事って色々あるのよ。うちの最低条件は『念』が使える事。他は問わないわ。まぁプロのライセンスがあれば言う事ないけど、あんた持ってなさそうだし、それでも良いって客もいるから」

 お姉さんはアイスコーヒーをストローで吸いながら左手で一本だけ指を上に伸ばした。

 

「ドクロ?」

「そ、合格。あんたが見えないとは思ってなかったけど、一応ね。斡旋所なのよ、うち。そこそこ人選もしてる。でも人手が少な過ぎてね、あんたなら任せられそうってあたしの直感が言ってるの。どう?」

「んー……、仕事内容は選べるの?」

「もちろん。無理強いはしないわ、そんなことして下手な仕事されても困るし。成功報酬だけだから、依頼受けないとお金は払えない。雇用じゃないから」

「ふーん、殺しもある?」

「あるわよ、いっぱいね。こっそりがお好み? それともド派手にやりたい? お金重視でもいいわ」

「ド派手にかなー、後始末とか無理だし」

「あんたの条件なら2件ね。事務所行きましょ。詳しい話はそこでするわ」

「うっすボス」

「ボスじゃないわよ、あたしはただの斡旋屋。仕事中以外は気楽にやってくれていいわ」

「ういーっす」

「その三下みたいな口調どうにかならない? 違和感すごいんだけど」

「あー、なんか混ざっちゃってるみたいで。気を抜くと男出ちゃうんだよなあ」

「……まぁ気楽にやってって言ったし、何でもないわ。好きにして」

「う──っす」

「そういえば、名乗ってなかったわ。あたしはレズミイ、レミって呼んで」

「アンリっす、よろしくっす」

 お会計を終わらせたレミに付いていく。

 お腹いっぱい。ちょっと元気出てきたかな。

 両手にオーラ集めてみる。

 ずずずと溢れるオーラは体感多目だ。

 でも、殺した後みたいな無尽蔵って感じじゃない。ハイになりすぎて勘違いしたかな? 

 

「ちょっと、あたしの後ろでオーラ動かさないで。気が散るわ」

「あ、ごめん。ついついなー、ついつい」

「着いたわ」

 レミが入っていくのは何の変哲もなさそうなコンクリ造りのアパートだ。

 上り階段を進み、廃墟じみた家内を歩く。

 廊下の窓ガラスの中に無事な物はない。

 吹き抜けていたり、割れていたり、欠けていたりと普通の感性なら住もうと思えないくらい、廃墟だ。

 まぁ、私からすればホームって感じだから逆に落ち着く。

 

「ここよ、付いてきて」

 一室に辿り着き、レミが先に入っていく。

 後に続いて入室してドアを閉めて、カタカタとパソコンを触るレミに近づいた。

 

「あった、これ。2人いるわ。経歴問わず面接で判断っての。一人目。マフィアの幹部。同僚の幹部を殺してほしい。ターゲット以外の殺害不可。殺し方、場所は問わない。隠蔽なし希望。見せしめかしらね。……二人目。絵画マニア。ターゲット以外の殺害許可。屋内で殺害する場合は備品に損傷不可。殺し方、場所は問わない。隠蔽に関して記載なし。マニア同士の殺し合いかしら。さて……誰にする?」

 眼を瞑って考える。

 一人しか殺しちゃダメ。備品関係なし。複数人殺してオッケー。備品損傷だめ。

 備品にってのがめんどくさそー。私壊しそう。

 なら、一人でいっか。ちょーーっとやる気出てきたかも。

 にいっと笑った。

 

「マフィアの依頼、受けるわ」

 

 

 

 

 

 

 





お姉さんの名前は捏造です。
クラピカ斡旋所の原作キャラです。


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初仕事 IF

 立派な門構えの屋敷だった。

 西洋風の鉄柵と煉瓦の壁に囲まれた、大きな屋敷を尋ねていた。

 

 庭はそれほど広くない。

 黒いドーベルマンっぽい犬が首輪に繋がれて4匹放されている。

 

 彼? 彼女らはワンワンと番犬のお仕事をしている。偉いものだ。犬畜生といえど働かねば生きていけない。

 そんな事実に少しだけ同情と共感してしまう。私も仕事してんぜ。仲間だな。

 お前らも惰眠貪りたいよな、わかるわ。私もめっちゃ同じ気持ち。すぐ用事済ませて帰るからな。

 

 ぽちっとな。

 リンゴーンと軽快なのか、壮大なのかよくわからないチャイム音が響く。

 ワンワンの声が大きくなった。

 ブツンと門の脇から音がなり、男の声がした。

 

「こちらコロネッロ家です。本日はどのような御用向でしょうか?」

「こんちーわー、お仕事しにきましたーーー」

「……は?」

「おっと、合言葉は『赤と青が混ざると黒になる』……ならなくね?」

「……どうぞお入りください。玄関前まで迎えの者を遣わせます」

「うっす、失礼するっす」

 無駄に植物で整えられたアーチを潜り、お花の咲き乱れるお庭を通り過ぎ、玄関前に行くと黒服のお兄ちゃんが待っていた。

 顔に刀傷のあるブ男だ。身長は高めだ。見上げないと顔が見えない。

 私がチビだからどのくらいの身長か正確にはわからないが、頭5つ分? 6つ分? くらいはデカい。

 ジロっと見てくる。こりゃ、イチャモンつけられるかな? 

 

「……ようこそ当家へ。中までご案内します」

 抑揚の感じないムッツリした声で先導し、玄関を開けて手で入室を促される。

 意外に紳士だ。まじか、顔に似合わねえって思ってごめん。

 ブ男のおっさんについて行き、応接間に通される。

 高そうなテーブルには、高そうなクッキーと高そうな茶色い飲み物が置いてある。

 たぶん、紅茶? 

 ソファーに座ってずずずと啜る。

 甘い。あれだ、ミルクティーってやつか? きっとそうだ、うまいぞぉ。

 クッキーを食べる。さくっとした食感が良い。甘さは控えめだ。紅茶が進むぞお。

 もしゃもしゃ食べていると目の前に誰かが来た気配がある。すまん、待ってくれ、もうちょいで食べ終わる。

 口も手も小さいから速度が遅い。出来る限り急いで美味しく頂いた。

 

「……げふん。おまたせしました」

 立ち上がってペコリと一礼しておく。社会人として当然のマナーよ、マナー。

 前世アウトローだから社会人じゃないけど良し。

 頭を上げると頭皮がM字後退した黒髪のナイスミドルが腰掛けていた。

 待っていたのに表情はにこやかだ。余裕を感じる。

 

「えー、キミが、斡旋所から来た子で間違い無いかな?」

「はい、まちがいないっす。殺すッス」

「……すまない、疑いたくはないんだが、失敗されても困るからね。簡単に実力を見せてくれないかい?」

「あー、じゃあ、はい」

 硬で瞬発。絶で気配を絶って。から、背後に回って座ってるナイスミドルの首をトン。トントン。

 反応がない。トントントン。

 まだダメか? もっと強くすると加減が難しいぞ。

 

「ぁ、ああ、すまない。もう十分だ、ありがとう」

「そう? よかった。これ以上やると殺しちゃう」

「そう、だね。いやぁ、さすがは斡旋所の紹介だ。キミなら信頼して仕事を任せられそうだよ」

 はははと朗らかな笑い声だ。

 背後に居るので顔は見えないが、余裕の表情なんだろう。やっぱマフィアはちげーわ。私もそんな心のデカい女になりたく、は別にないな。どうでもいいわ。ダルイ。

 

 依頼の詳細を聞いた。

 ただ、この家に出入りした人間が殺すと面倒だから、姿を隠すように頼まれた。いや、そりゃそうだわ。むしろ断られんでよかったわ。

 断定されなければ良いって事で、目深いフード付きのパーカーを羽織る事でオッケーをもらった。あれだ、アサシン的なフードだな。色は何でもいいらしい。なら赤だ。一番好きな色だ。

 

 どこで襲うかは自由、ただ出来る限り早い方がいい。

 他の人間は絶対に殺しちゃダメ。なので、車移動中はNG。事故ったらヤバい。

 

 で、殺すときは派手に。可能ならボディーガード達の真ん前で胴から首が取れればベスト。死んだ事が確実にわかれば良いとのこと。なら内臓かな? でも、趣味に走ったらダメか? まぁ、余裕あれば内臓で。

 

 報酬は100万円。やっす! って気がしたけど私のポケットマネー0円なのでまじ欲しい。

 1ヶ月分の食費になればおっけーよ。ナイスミドルと握手して合意。

 もしボディーガードの面前でやったら+50万円くれるらしい。私、頑張るわ。

 

 

 

 

 はい。という訳で現場に来ました。

 ワラワラと黒服のおっさんたちが集まっております。

 話を聞くに、何かの会合のようです。内容はわからん。聞いても固有名詞ばっかで意味不明だったが、色んなファミリーの人間が集まっている事はわかった。

 

 殺害対象はコロネッロファミリー幹部のネッゾという男。サングラス掛けた白髪のおっさんだ。

 特徴は覚えたのでバッチリ準備オッケーよ。あれだね、殺す事に関しては私の記憶力冴え渡るってかね? めちゃ秒で覚えれたわ、ありがてえ。

 ガヤガヤした中で新しい車が到着。ナンバー変わってなければあの車だけど、乗ってるかな。

 

 ……乗ってない。あっれぇ、どこいった? 

 しばらく探すが白髪の目標は見つからない。

 ……黒髪でメガネ掛けたおっさんがなんか気になる。おじ専なっちったか? 

 見つからない。どうしようか、無差別で殺せたらまじハッピーだけど、さすがにまずいよなぁ。

 

 今いる場所は目標地点から20M離れた建物の一室から覗いてる。鍵はどうしたって? 私には立派な足があるから蹴破ったのさ。

 住民が居たが些細な問題だった。縛って置いといた。殺さないとかまじプロの鏡だよね。

 

 ここから眺めてても目標は見つからないか。

 近づいて話しかけてみる、のはダメか。顔見られる。うーん、仮面つけるべきかなぁ。

 会話聴きながら探るしかないな。

『練』でガンガン聞き耳立てて行くスタイルだぜ。

(──ネッゾ──コロ──なん────いや、それは違う)

 

 ネッゾって聞こえたな。……あれか。さっきの黒髪メガネのおっさんじゃん。

 ん、髪染めた? このタイミングで? まじか。サングラスもメガネになってるじゃん。なんで? 狙ってるのバレてる? ……まぁ、いいか。殺そ

 

 フードをしっかりと被り、開かれた窓から躍り出る。

 パーカーのはずが、大人サイズで急遽用立てたのでスカート並みに丈がある。そのせいでポンチョみたいになってる。

 そんなポンチョパーカーの裾を靡かせながら駆けた。

 真っ赤な何かが突っ込んでくるからか、黒服達が若干騒めく。

 数人が胸に手を入れ始める。銃の用意かな? 

 うーん。遅い。

 

 3秒掛からず現場に着いた。

 目標の黒髪メガネおっさんの周りをボディーガードたちが固める。いや、舎弟か? 

 まあ、どっちでも結果は同じ。こ・ろ・す♡

 

「くくくくくはははははは!!!」

 オーラが溢れる。殺す、殺す、殺す。

 殺意で胸が、頭がいっぱいになる。ああ、心地よい。生きている実感を早く与えて欲しい! 

 オーラを見る限り念能力者は恐らく居ない。

 油断大敵、そんな言葉が流れては消えた。

 

 踏み込む。アスファルトが軋む。弾ける、身体が前進する。

 風のように黒服の中を通り抜ける。

 ほら、もう目の前にいる。

 

「──こんにちは、そしてさようなら」

 身長が足りないから、飛び上がって両手を腹に抉り込ませる。ずんとネッゾの身体が浮き上がった。

 ああ、暖かい。この感触、このぬるさ。命の熱が腕から伝わってくる。

 指を動かし肉を掻き分けるように上を目指す。両手で左右の肺を掴んだ。

 むに、と内臓の柔らかさ。

 

 ぁ……イっ……。絶頂よりも深い喜びが下腹部を満たす。

 握り潰し、指の間から逃げて行く肺の残りカスの感触を愉しむ。

 ぬるりぬるり指を抜けて行く。こんな感触はぜっったい他じゃ味わえない。殺さないと無理、無理、無理。

 

「──ああ、良い。良いよ」

 肋骨を突き破って両手を外気に晒す。

 ピンク色の肉片がこべりついている。赤く綺麗に色づいた指は舐めたいくらい美味しそう。

 でも、そんな余裕はないから我慢。

 両腕でそのままネッゾの首を掴み、頭を取り外して上に投げた。

 

「──では、ごきげんよう」

 名残惜しい。でもダメダメ。我慢も大事。それがきっとスパイスになってくれるから。

 遅まきながら銃声が響き渡る。溢れんばかりのオーラに弾かれて銃弾が逸れて行く。いくつか着弾する。多少の痛みが走るが、殺しの喜びに押し流された。

 右で踏み込み。オーラを溜めて、右足の筋を伸ばす。流なのか硬なのかわからないけど、オーラも使って加速する。

 真っ赤に染まった手を舐めながら、私は真っ赤な影となって黒服たちの集団から離脱した。

 背後で怒号が聞こえる。でも、私の興味は両手に残した感触と付着した血と肉だけ。

 

 くすくす笑いを溢しながら、上機嫌で屋根を駆けて裏路地に入る。

 両手をペロペロ。うーん、美味しい。なんていうの? 足りないモノを補ってるって感じがする。胸がきゅんきゅんしちゃう。

 私、臓物できゅんきゅんする系女子。はやるかな? はやってほしいなぁ。

 考えながらペロペロしてたら綺麗になってしまった。もう終わり。ざんねん。

 

 お仕事は終わり。早くレミに報告してお金貰って普通のご飯食べよ。ぐーたらしよ。

 あぁ、でも、すぐにでも次のお仕事したいかも。悩むなぁ。

 そんなことを考えながら、私は帰り道を歩いた。

 

 仕事が終わったら携帯電話で連絡するよう怒られるのは、また別のお話。

 

 







ネッゾはたまたまイメチェンしました。


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日常 IF

本日2話目投稿。
前話の続き。
短いフレーバーテキスト的な話です。


「──で、なんで連絡しなかった?」

「うぅ、だってぇ、携帯とか知らんしー……」

 俺私ことアンリちゃんは絶賛エグエグ泣いてます。

 褒めてと言わんばかりに事務所に帰ると、レミは血塗れの格好に淡々と怒り、場所バレがうんぬんと淡々と怒り、信用問題がと淡々と怒り、報告が遅いと淡々と怒られた。鬱だ。鬱だぞー!!! 理責めやめろおおおお、頭がばくはつする。

 

「……(そういえば話すの忘れてたような)ま、いいわ。腕は見込んだ通りだし。はいこれ。報酬」

「わーい、お金だー、百万円! ……あれ束多い?」

「えん? ジェニーよ。そ、クライアントが増額してくれたわ。+400万J。お手柄ね」

「おおおお、どうして! どうして二倍! ……あれ三? 四? そんなに良かったか!?」

「結果を鑑みて、でしょうね。中々すごいわ、あの人物は誰だって大騒ぎ。マフィアの面前であれだけ動けるんだもの、500万J受け取っておけば?」

「多い分には文句なし!! ひゃー、飯くおー」

「増額の理由聞かないのね」

「ん? 増えるなら何でもよい」

「そ、じゃあ、言わないでおくわ。(ガキだからって舐めて減額して、結果を見て焦って増額なんて、ね)」

「じゃ、ねるっす」

「これ、持ってて」

 ぽいっと放られたのはゴツくて黒い端末だった。

 数字がついており、その上にパネルがある。

 

「それが携帯。使い方も教えるから、こっちいらっしゃい」

「ういーーっす」

 てとてと向かって、操作方法を習う。

 ふむ、前世と変わらんな。大体わかった。

 

「ぷるるるる、もしもし、レミさんですか」

「はいはい、そう使うの」

「名前は言ってもいい?」

「偽名よ、構わないわ」

「あ、そうなんだ。私は本名っす」

「……あ、そう。まぁ呼ぶけど」

「かまわないっす」

 連絡先の登録はダメ。

 発着信履歴も残らないから、電話する時は手打ちせんといかん。

 めんどくせー。

 あ、でもプロっぽいかも。悪くない。

 むふふふふ。

 

「仕事したくなったらおいで。電話で依頼内容は伝えられない」

「ういっす。じゃ、ねるっす」

「はいはい、場所忘れないでね」

「殺しの事はわすれないっすー」

 あー、眠たい。寝よう。どこで寝ようか。

 ホテル? 泊まれんのか? 

 ネカフェ? そもそもあるのか? 

 路地裏……。嫌だ。

 早速電話した。

 

『……はい、こちら斡旋所』

「れみ、ホテル教えておくれ」

『その声、アンリね。どういう場所がお好み? フカフカのベッド? 安さ? 安全面?』

「うーー、安全面?」

『高くつくわよ、最低一月100万Jなら紹介できるわ』

「うげ、高すぎー、とりあえず近く?」

『……なら安いとこね。まだ近くにいるんでしょ』

「うん、アパートの下」

『なら、メインストリートに一回出て──」

 無難に場末の雰囲気漂う、身分問わずのホテルを紹介してもらった。

 

『じゃ、手数料は次の仕事で引いておくから』

「……え、いくら?」

 聞く前に、ツーツーと電子音が虚しく響いた。

 悲しくなったので宿に泊まって寝た。元気になった。

 けど、ダルかったのでまた寝た。起きて、お腹すいたのでご飯食べた。割高料金のルームサービスうまうま。暇つぶしに『念』で遊んだ。眠くなったので寝た。起きてまた食べた。『念』で遊んだ。寝た。

 そんなこんなで2ヶ月過ぎた。お金がなくなったので、レミのところへ。

 廃墟のアパートを上る。前と変わらない事務所でレミがパソコンを触っていた。

 

「れみ、お金がなくなった」

「へえ、何買ったの」

「……食べ過ぎた」

「あ、そう。それとあんたにお知らせがあるわ。通り名がついた」

「おー? いいことか?」

「人それぞれね。仕事は受け易くなるけど、命を狙われやすくなるから」

「なら、いい事」

「『赤頭巾』、かわいい名前ね。赤いパーカーを用意してるわ」

「ん、使う」

「次から、仕事着は片付けてから帰っておいで。面倒だから」

「ういっす、きをつけるっす」

「──じゃ、仕事の話をしましょ」

 

 

 

 

 

 

 



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赤頭巾 IF

書き方戻しました。






『赤頭巾』の名前が付いてから1年が経過した。

 その間は特に変わった事もなく、食う寝る殺す+念のサイクルで生きてきた。

 身体は成長していない。変わらずの10歳児体型だ。

 レミ曰く、念ではなく身体と精神の問題じゃないかと言うが、医者に行っても原因不明だった。私に難しい事はわからぬー。

 で。レミに結果を伝えたら、じゃあやっぱり念じゃない? って言われた。解せぬ。

 

 依頼にも慣れてきて、日常の中で衝動的に人を殺しちゃう事もしばしばある。

 ほんとなら毎日殺したい。一日一殺をスローガンに掲げて生活出来たらどれほど楽しい事か。

 でも、そんなことをすればプロのハンターやら、懸賞金やらを掛けられてゴロゴロと過ごす事が出来なくなる。それは御免だった。

 

 なので、我慢できなくなる前に依頼を受けるようにしている。

 依頼ついでに斡旋所でレミと駄弁るのはお馴染みの光景だ。

 

「前から思ってたけど、あんたの顔って無駄に整ってるね」

「む、無駄?」

「だってそうじゃない? 男にも女にも興味なし。殺しでしか興奮できない。顔に意味ないじゃん」

「そう言われれば、そうかもしれない……?」

「でしょ? ま、話相手がブサイクよりは良いけどね。あんた孤児だっけ?」

「んー、6歳までは親元で、その後は娼館。拉致られたから殺して自由になって、レミに拾われたんだ」

「ふーん。その顔なら娼館でも人気だったろ」

「どーかな、記憶あやふやなんだよねぇ。まぁ、ご飯はお腹いっぱい食べれたよ」

「……大食らいのあんたが腹一杯なら、相当優遇されてたんだろうね」

「かもねぇ」

 ははははと笑い合う。

 カタカタとパソコンを叩く音が鳴る。

 レミがぼぉっとした目を画面に滑らせる。

 

 レミは私の顔が整っていると言ったが、そういうレミも顔立ちは悪くない

 刺青とピアス、そしてどこかじっとりと眺める達観した目。

 こういう女が好きな男もいるんじゃないだろうか。

 私は嫌いじゃない。

 レズに興味はないので、そう言う意味じゃないけど。

 

 私が色々と考えている内に考えが纏まったらしい。

 肘を突いて掌に顎を乗せたレミが気怠げに言った。

 

「ん〜、仕事ね。色々来てるけど、毛色の違うのがあるのよ」

「……どゆこと?」

「ここってなんて街?」

「ヨークシンシティ」

「そ、オークションの街。誰が勝つか、賭ける試合があるけど、出てみる?」

「いやだ、めんどい」

「じゃあ、相当ヤバイ橋だけど、美術館襲撃はどう?」

「ほーん、興味ある」

「……ルーベル美術館の襲撃依頼。複数人募集。3件以上の依頼完遂必須。二つ名持ち求ム。報酬要相談。ヤバイ臭いしかしないわ。警備に念能力者もいるかも。どうする?」

「んー、いく〜」

「はいはい、帰っといでよ」

「ういっすー」

 念能力者との戦闘はこの1年で数回経験している。

 どいつもコイツも、まともに『練』すら鍛えていないボンクラばかりだった。まじ萎える。

 だからって油断したら殺されるのが『念』

 油断するつもりはないけど、どうしたって気の緩みがあることは否定できない。

 でもそれは刺激的な戦いに対する欲求でもあって、詰まるところ私はただの殺しではなく、殺し殺される中での生の実感に飢えていた。

 私をさらった男を殺して以来、あの万能感とでも言うべきオーラは一度も出せていない。

 気のせいだったのかと思うくらい、擦りすらしない。

 

 でも、身体は覚えてる。

 あの全てを飲み干せそうなくらい高鳴る興奮と満ち溢れるオーラの質。

 命を奪われるくらいの危機があれば、あの状態に近づけると私の直感が囁くのだ。

 あの、思うだけで濡れる、精一杯の喜びをまた感じたい。

 普通の殺しに慣れてしまった私の今の望みはソレだった。

 

 赤いパーカーを受け取る。少しの期待と惰性で受け取る。

 お気に入りの白いワンピースの上に羽織って『赤頭巾』の仕事着は完成だ。

 フードも被る。少しだけ、眠気が取れる。

 お仕事モードという奴だ。

 

「じゃあ、いってくる〜」

「ん。いってらっさい」

 パソコンに向かい、ひらひらと手を振り既に私のことなど見ていないレミを尻目に廃墟のアパートの一室から出た。

 コツコツと音が鳴る。

 窓ガラスは一向に直す兆候がない。

『隠れ家にしてんだから、直す訳ないでしょ』とレミに呆れながら言われた事を思い出す。

 仰る通りすぎる。

 私ってこんなバカでアホだっただろうか? 女の頃の記憶は良く思い出せない。前世の男の記憶はバリバリ思い出せるんだが。

 でも、その後に『でも、あんたのそう言うところ好きよ』と言いながら、いつもより少しだけ優しい目をするレミの言葉ににんまりと笑ってしまったものだった。

 ……やっぱり、私の知能指数下がり過ぎてねぇ? 

 

 アパートを出てさっさと目的地に向かう事にする。

 この辺りはマジで何もない。廃墟ばかりだ。

 メインストリートに出ればいくらでも店があるが、そこまでが結構遠い。ダルイ。

 軽く頑張って駆け抜ける。

 壁を蹴って三角飛びの要領で屋根に登り、最短経路を突っ走る。

 途中で、屋根は目立つからやめろと言われている事を思い出した。

 ……知能が。知能がどこいった?? 

 渋々降りて道を歩き、目的地についた。

 

 見てくれはただの酒場だ。

 昼間っから飲んだくれている野郎が屯ろしている。

 私程度の体重でギシギシと軋む床板を歩き、店主の元に向かう。

 

「注文は?」

「『ボイルフィッシュの素揚げ。新鮮な奴』ね」

「あいよ、奥で待ってな」

 店主に鍵を渡される。

 言われた通り奥に進み、ボロい木の扉を開ける。

 触った感じ、ボロいのは見た目だけだ。

 金属質な硬さと見た目にそぐわない重さでわかる。

 私も何度かここを利用しているが、毎回扉変わってねぇか? どんだけ壊れてんだよ、この酒場。

 壊れる度にどんどん丈夫になる扉を潜り、中で待っている人間を見る。

 

 ひー、ふー、みー、四人いた。

 漢服を着た中華刀を提げた男。

 巨躯で椅子からケツがハミ出ている無手の黒人ハゲ男。

 爪を手入れしている、胸元の開いた服を着ている美女。

 銃を提げ軍服にアレンジを加えた服にベレー帽を被って目を閉じているムッツリしたおっさん。

 

 ひとめでわかる。全員が、念能力者だ。

 思わずペロリと唇を舐めた。

 

「──子供? 間違えて入ってきたのか?」

 中華男が喋った。

 怪訝そうな口調には侮りというより困惑が強い。人が良さそうな男だ。殺し屋に人が良いもないと思うが、そんな雰囲気だった。

 それを美女が鼻で笑った。

 

「はっ、カキン被れは時代だけじゃなく、情報でも遅れてるのね。コイツ、あの『赤頭巾』でしょ」

「……それは、失礼した。謝罪させてもらう、すまなかった」

「ちっ、良い子ちゃんぶりやがって。おい、『赤頭巾』あんたもなんか言えば?」

 

 見た目と裏腹に美女はめちゃめちゃ口調が荒い。ゴロツキとタメ張れるくらい口が悪そうだ。

 相手すんの面倒臭い。でも、無視したらもっとめんどくさそう。

 答えるべきだよなぁ、やだなぁ。

 チラッとハゲ男と軍服男を見るが、何の反応も見せない。

 やれやれだ。

 5つある椅子の最後の一つに飛び上がって座った。

 

「そういうあんたはだれなんだ? 人に話をきくまえに、自分から名乗れっておしえてもらえなかったか?」

「あたしは『恋蠍』だよ」

 いや名乗るんかい! 

 

「──って、じゃ、ねぇんだよボケがぁ。なに名乗らせてんだてめぇからぶっ殺すぞ、あ?」

 文句は言うんや。

 でも、なんだか仲良くなれる気がしてきたぞ。

 どうどうと宥めるつもりで会話が弾ませようと息を吸い、横から割り込まれた。

 

「『恋蠍』? 鉄火場に慣れてるって話は聞かねえ。趣旨替えでもしたか?」

 ハゲ男だ。「あぁあ!? てめぇ何割り込んでんだ、あたしが『赤頭巾』と話してんだろーが。ざけんな、殺すぞ」

 持っていくなー、この美女。

 それ私が言いたい事やん。

 割り込んでんじゃねーって私のセリフじゃね? あれ? 違う? 

 

「知るかよ、テメェの事情押し付けんな。で? 雑魚と仕事すんのは御免なんでな。さっさと答えろよ、アバズレ」

「はぁ? あたしにアバズレって褒め言葉ですけどぉ? 頭皮と一緒に脳味噌も捨てんじゃねぇぞハゲがぁ」

 コイツの質問には答えないのね。美女さんエンジン全開だな。

 

「ハゲじゃねぇ、スキンヘッドだろーが! テメェの目は節穴か!?」

「はっ、そんな言い訳聞き飽きてんだわ。ハゲはハゲらしくビカビカ光って太陽と仲良くしてろっての」

「言ってくれるじゃねぇか、表出るか? お?」

「え? ……ぶははは!! なになに!? え!? テカリ具合見せてくれんの? え?! 正気!? 笑っちまうって! そういう作戦?!」

「……んあああああ!!!! ぶっころす!!!!!」

「あはははあ! ハゲはそんなにお外が恋しいか? 太陽の光浴びてぇか? ごめーん、その作戦強すぎんだわぁ。笑っちゃって戦えそうにねぇんだぁ。だからさぁ、そんなに死にたきゃここで盛大に送ってやるよぉ、ぶふ」

「はいはいはいちょ────っとまってくださいねー、ストップストップ!!」

 ずざーっと勢いよく入ってきた男が二人の間に入る。

 

 軍服男だ。お前、息してたのか。

 ずっと黙って座ってるから居た堪れなすぎて息してねーかと思ってたわ。

 ムッツリしてたのにコミカルすぎる登場の仕方で場の空気を持っていった。

 

「仕事の話しましょ! ね! 殺す相手間違えたら今後に差し支えますから! だから、この仕事終わった後に殺し合ってください! その時はご自由に!」

「あ、あぁ?」

「お、おう」

 美女とハゲが黙る。二人ともお前居たのか、みたいな表情をしてる。

 黙らせた軍服男が続けて喋る。ハンカチなんか取り出して顔を拭いている。

 だが、焦ったように見せてるが擬態だ。オーラに全く淀みがない。1番の食わせ者がコイツかもしれない。

 帽子の端からサラサラの金髪が見えた。

 

「俺のことはシャルって呼んでください。で、今回の依頼者は俺です。目的はルーベル美術館の展示品の一部である、マーベル王朝の宝石群を根こそぎ戴く事。トラックやらなんやらは手配済みなので、皆さんには警備員の排除をお願いしたいんです」

 シャルはそう言ってにっこり笑った。

 依頼主? コイツが? じーっと見つめる。

 年の頃は20くらいだろうか。童顔なので年齢は判りづらい。

 整った優しげな風貌をしているが、反面で口調とオーラの隔離が激しい。裏表あるタイプの人間だ。

 中華男が挙手した。

 

「私はまだ依頼を受けると決めていない。だというのに、そこまで話していいのか?」

「皆さんはプロですから! 口の硬さは信頼していますとも!」

 シャルはニコニコ笑う。

 胡散臭い。めちゃめちゃ胡散臭い。

 納得したようにうなずくな、そこの中華。

 明らかにそういう雰囲気作ってるだろが。

 ハゲ男も満更でもない顔してやがる。

 美女は、興味なさそうだ。爪を整える作業に戻ってる。

 

「そこで、皆さんに提案です。成功報酬は2000万出します。しかし、その他費用が嵩んでしまい、即金では小額しかお渡しできそうにありません。ですから、成功報酬! ここに期待して頂き、依頼を受けていただきたい!」

「……一人、2000万で間違いないのか?」

「ええ、間違いありません。空手形ではありますが、書面で残す事を希望されるなら用意もします! ですから、どうかお力を貸して頂きたい!」

 ハゲ男の質問に答え、ガバっと頭を下げる軍服男。

 鼻の穴大きくなってんぞ、ハゲ男。

 中華服も乗り気だ。むすっとしてるが動揺がオーラでわかる。

 美女は、あー、これは。

 

「悪ぃけど、私は抜けるわ。シャルさん安心して。ほんとにここだけの話にしとくから。じゃーね」

「申し遅れましたが、二つ名持ちの方には3000万! お出しします。残念ながらこれ以上はお出しできませんが、誠意を持った額だと私は確信しています! 『恋蠍』さん、あなたにしか出来ない内部からの撹乱には、それだけの価値があります! どうかご一考いただけませんか」

「ほんと、悪ぃね。操作されてる人間を送り込んでくるような依頼主、ごめんなんだわ」

 その瞬間空気が凍った。

 ……え? そうなの? ぁ、オーラぜんっぜん動かない理由はそういうことか? 

 裏表ある奴だな(キリッ)とか言ってた私。だって知らないんだもん。操作されたらそうなるのか。

 

「……残念だなぁ。バレてた?」

「バレバレだねぇ、次はもう少しうまくやったら?」

「あははは、次があれば──」

「あっそ」

 ゴウっと無造作に振られた拳がシャルの頭をスイカのように弾けさせた。

 ビチャビチャと周囲に脳髄が飛び散り、頭部を失ったシャルの身体が大きく揺らいで大の字で倒れた。

 

「あーあ、つい殴っちゃったぁ。悪ぃね、あんたたち。別口で連絡取ってよ。じゃーね」

『恋蠍』は颯爽と真っ赤な手を振りながらドアを開けて去っていく。

 残された私らはどーしたらいいんだ? これ。

 痙攣を繰り返す死体を見る。頭部弾けちゃってまぁ。これは掃除が大変だね。

 他の二人もなんとも言えない顔だ。依頼受ける気失せてるだろーな。

 そんな部屋に、空気に似つかわしくない、調子を外した声が響いた。

 

 

「あー、びっくりした。いきなり殴るんだもんなぁもう──えっと、アンテナ、アンテナっと」

 いつの間にか、部屋にもう一人居る。

 私以外の二人が立ち上がって構える。

 ハゲ男と中華男から立ち上るオーラは……、うん、お粗末。まじでロクなの居ねぇ。

 一応、合わせて椅子の上に立っておく。チビだから、こうしないと目線がね。

 

「ごめんごめん、騙すつもりはなかったんだ。依頼もほんと。俺は隠れてるつもりだったし、顔見せるつもりもなかったんだけどね」

 アンテナと呼んだ蝙蝠のような羽のついているピンをポケットにしまいながら、シャルらしき人物は笑った。

 童顔で整った顔立ち。金髪に緑色の瞳。すらりとした身体は鍛えられている。年齢は20代くらい。

 さっきのダミーは自分に似せていたらしい。雰囲気も近い。

 

「改めて自己紹介するけど、俺の名前はシャール 。どう? 顔も見せたし、信頼して依頼受けてくれないかな? ……条件はこれ以上出せないけどさ、悪くない話だろ?」

「……すまないが、こうなった以上、私も依頼を受ける訳にはいかない。この家業は信頼関係が全てだと思っている」

 中華男が険しい顔で言う。

 さっきまで金額に動揺していたとは思えないカッコいい台詞だ。

 

「俺も受ける気になれねぇな。てめぇが気に食わねえって理由だが、こういう方がわかりやすいだろ?」

 おめぇもカッコつけんなハゲ男。

 さっさと失せろよ。

 

 

・・・・・

 

 そのまましばらく時間が空き、たまりかねたように三人の視線が私に向いた。

 あ、この間は私待ちか!!! 

 

「え、あ、別に、私はうけていいぞ?」

 信じられん! みたいな顔で二人が見てくるが、いや、別に。私の勝手だろ。

 シャールも予想外だったのか、目をまん丸にして、それからくすくす笑った。

「おっけー、じゃあ、この後の話は『赤頭巾』とだけ話すよ。他の二人はもう帰ってくれていいから、お帰りはあちらにどうぞ」

 釈然としない顔で二人の男が退出した。

 バタンと閉まる音で私とシャールが密室で二人きりになった。

 シャールは変わらずにニコニコしながら空席の目立つ椅子に座って両肘を突いた。

 めんどくせぇ、いきなりぶっ込んじまえ。

 私も座り直して、言った。

 

 

「……で、『幻影旅団』が美術館おそうの?」

 ズンと空気が重くなった。

 表情も変わらない。顔も変わらない。オーラも変わらない。雰囲気だけが一変した。

 両腕をついたまま、左右の指を絡ませて口元を隠すポーズをとりながら、シャールもといシャルナーク はニコリと笑った。

 

「えーと? げんえいりょだん? なんのこと?」

「そこまでプレッシャー掛けながら言っても説得力ねぇよ。……シャルナーク 」

「……ふーん、そこまで知ってるんだ。どこでわかった? 話してくれたら3000万どころじゃないお礼するけど」

「そのお礼の後に私の首が繋がってる事を祈るよ。単に私がお前の容貌と名前と所属を知ってたってだけ。個人的に興味があってね」

「うーん、まだまだ売り出し中だと思ってたんだけど、意外と警戒されてるのかな? こういう時って喜ぶべき?」

「売り出し中って思ってるなら、喜ぶべきなんじゃないか? 私なら喜ぶね」

「あはは、じゃあ喜んでおこっか。──で、ここからどうするつもり?」

「どうするも何も。依頼受けるつもりだぞ?」

「……それは、どういう意図で?」

「ルーベル美術館。国宝も保存されてるようなデッカい美術館でしょ? そんなところに襲撃するなんて情報が、これだけ派手にやって漏れない訳がないじゃん。なら、目的は襲撃する事じゃなくて、襲撃するっていう噂を流す事。二つ名持ちを雇いたかったのって、そういう情報を流してより強い警戒を頂かせたいから。目的まではわかんないけど、ここまではあたってる自信ある」

「……『赤頭巾』って狂人のイメージしかないけど、意外と頭回るんだね」

「へへ、バカじゃねーのよ」

「見た目バカ丸出しなんだけどなぁ」

「てめぶっころすぞ」

「それで、『赤頭巾』は俺の、ここまで言ったらもういいか。俺たちの依頼を受けるんだ? なんで? ぶっちゃけ、ここまでやれば目的は達成してるんだよね」

「だろーな。『恋蠍』もそれとなく情報流すだろーし、他の二人は言わずもがな。口約束の守秘なんて守る訳ない。信頼の世界って言っても何でもかんでも雁字搦めな訳じゃない」

「うん、俺もそれを狙った。隠し事って拡散したくなるだろ? 依頼を出した時点で怪しまれるかなって思ったんだけど、いや、あの二人思ったよりバカすぎてさ。胡散臭さ頑張って出してたんだよねー。察してくれる奴が居てほんと良かったよ」

「とか言って、別に雇ってもよかったんだろ? 成功報酬だけって、処分する気満々じゃん」

「あはは、そう。あれでよく生きて来れたよね。ほんとレベル低すぎて嫌になるよ」

「それは同感。で、依頼受けるのもそれが理由」

「……あー、『赤頭巾』ってウボォータイプか。めっちゃ意外」

「あんな筋肉と一緒にすんな」

「へぇ、ウボォーの事も知ってるの? すごいな、キミ(の情報源)に俄然興味出てきた」

「うっせぇ、副音声聞こえてくるわ」

「あはは、そういうことなら依頼出すよ。3000万でいい?」

「もう一声!」

「なら3500! これ以上は無理!」

「受けた!」

「おっけー、じゃあ、これ俺のホームコード。何かあったら連絡してよ。表向きは情報屋だから、気になる事あったら調べるよ?」

「おー、レアなもんゲット。1番の報酬だわ」

「そこまで言われたらさすがに俺も恥ずかしいなー、腕に自身はあるけどね」

「何かあったら連絡する。……これ私のホームコード。襲撃の希望日時とか連絡してくれ」

「ああ、そうだね。もしかしたら必要なくなるかもだけど、報酬は払うから。じゃ」

「ばいばいー」

 バタンと扉が閉じて、シャルナークも姿を消した。

 しばらく待って、密室の中で私は『凝』をする。

 椅子から降りて、壁の一部を触る。

 こちら側からは動かないが、切れ目がある。忍者扉だろうか。

 この店にこんなものがあったなんて知らなかった。

 操作された人間のオーラといい、ちょっと油断が過ぎてた。

 しかも『幻影旅団』とのエンカウント。ノリでなんとかなったけど、殺し合いになってたら。

 

「うん、興奮しかないわぁ」

 くすくす笑い上機嫌で酒場を後にした。

 バタンと扉が閉まる。

 密室は薄暗く、僅かな明かりが揺らめていた。

 それはこれからの未来を暗示するように、ゆらゆら、ゆらゆらと定まることがなく揺らめいている。

 蝶が、瞬いた。

 気のせいかも、しれないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




やっと好きなキャラ(旅団)出せました。
次の更新は少し遅くなります。おそらく1週間後です。
よろしくお願いします。




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2度目の誕生日 IF

『──あんた、何やってきたの? もう成功報酬振り込まれてるんだけど。……しかも3500万』

 店から出て太陽の日差しを浴びた途端、間髪入れずにレミから電話がかかって来てそう言われた。

 どうやらシャルナークはもう振り込んでくれたようだ。まさかこんなに早く振り込んでくるとは流石に予想外だった。

 くすくす笑いながら答える。

 

「ふふん、どうよ? これが私のじつりょくってやつだね」

『うっさい。ちんちくりん』

「ぬぁ!! 地味に気にしてるのに!!!」

 ぎゃーぎゃー言い合いながら帰り道を歩く。

 辿り着いたのは拠点にしている宿だ。

 一年前はただ安いだけの宿だったが、いまはある程度しっかりしたところに泊まっている。家賃は200万。ぼり過ぎじゃね?? どんな高級ホテルだよおい。

 内装は至って普通。サービスも普通。ただ、部屋と建物の頑丈さが極めて高い。

 なのに、床は歩けば簡単に音がなるよう作られており、壁も音が筒抜けた。

 防犯上の理由で、周囲のことを察しやすくなっている。わざとだ。

 

 そして、信頼できる人間しか勤めていない。

 食事はここを通せばほぼ安心できる。

 泊まっている客が死んだとなれば廃業必須であるから、宿泊客も宿も、持ちつ持たれつで維持されている。

 

『赤頭巾』の名前は広まって久しい。

 初めての依頼達成からもう1年。その間にこなした仕事は30件を超える。

 もちろん全て成功させた。血のシャワーが極楽ですた。

 命を狙われた事もあるが、全て返り討ちにした。

 命の危険を感じた事は特になかった。

 

 宿から一歩も出ずに食っちゃ寝+念の生活を繰り返し、Prrrrrrという着信音にパチリと目を覚ました。

 見れば、非通知設定で電話がかかって来ていた。

 電話をとる。

 

「はひ、もひもひ」

『あれ? これ、『赤頭巾』の電話だよね? 俺間違えてない?』

「うそつくな、わらいを、かみころし、ながらいっても、せっとくりょくねーわ」

『くっくっく、ごめんごめん。で、依頼なんだけど、今から行ける?』

「……へへ、ころしかい?」

『そ、キミの大好きな大暴れ。俺たちは別件で動くから行けないけど、ド派手に暴れてよ。余裕があればそっちも回収いくからさ』

「おけー、まかせとけー」

『じゃあ、任せたよ。ルーブル美術館の襲撃。よろしく』

 ピッと音がなって通話が切れた。

 しばらくぼーっとツーツーと鳴る音を聞く。

 自分の中で時計の針を戻す。眠っていた身体を覚醒させる。薄手のネグリジュの上から、ベッドに放り出していた赤いパーカーを着込む。

 フードをかぶって意識を切り替えた。

 ニヤリと笑う。

 

「──さぁて、お仕事の時間だ」

 

 

 

 

 

 

 

 俺は、悪夢でも見ているのか? 

 男は唖然としながら、構えた銃で盛大な花火を上げつつ思う。

 

 これでも警備の仕事は長い。任された仕事はしっかりとこなしてきたし、自信もあった。

 銃で襲撃されたこともあったから、場数も踏んでいる。

 だが、こんな事は聞いてない。こんなの、ありえないだろう!? 

 目の前でボールのように飛んでいく同僚の頭部。

 別の同僚の腹部は、身体の中心からザクロのように弾け飛んだ。

 放たれたバズーカ砲は擦りもせず、突っ込んだ装甲車は正面からひしゃげた。

 

 撃たれた無数の銃弾を物ともせず突っ込んでくる、真っ赤な『怪物』をみて思った。

 ああ、こいつが、『赤頭巾』か……。

 男が最期に見た光景は、フードの奥で恍惚(こうえつ)とした表情を浮かべる、赤くて美しい少女の姿だった。

 

 

「──嗚呼、ヌルい。てめぇらやる気あんのか、ああ!?」

 死屍累々。

 まさしくその表現が適切な光景が広がっていた。

 目に痛いほどの赤い絨毯が広がり、地面を真っ赤に染め上げている。

 炎を巻き上げる装甲車。バリゲードはもはや形を成していない。

 そこら中に銃痕があるが、私に怪我は一切なかった。

 当然だ。

 一人の念能力者すらいない。

 普通の銃弾で傷が付くほど柔な鍛え方はしていない。

 

「おゥおゥ、派手にやってくれちゃってまぁ、お元気が良い事で」

「同感。排除推奨」

「わかってらァ。ただまぁ、俺らは美術館守れば良しだ。……ってわけで退いちゃくれねーか? もう料金分は暴れたろ『赤頭巾』よゥ」

 西部劇に出て来そうなガンマン風の男。

 少し後ろに控える、無機質な表情を浮かべる三つ編みのメイドが居た。

 

 オーラを見る限り能力者だ。そこそこ期待できるかな?

 二人に対して私はにんまりと笑みを浮かべて、くいくいと手招きした。

 

 無機質な表情で、淡々と女が言った。

 

「戦闘体制移行。排除決定」

「だっはっは、まぁそうなるよゥな。じゃ、存分にやりあおうぜ」

 男がすちゃっと拳銃を抜き、私に向けて盛大に銃声を鳴らした。

 ヒュンと頬の側を通り過ぎる銃弾。

 

 しっかりと見る。

 恐らく具現化したもの。

 でも、まだ確信はできない。

 拳銃自体は一般的なリボルバータイプ。

 装填弾数は六発だろう。

 なら、これで一発目。

 

 全て撃ち尽くさせて、それでも撃ってくるなら銃自体にそういった能力を付与している具現化系の可能性が高くなる。

 

 様子見は不要。

 純然たるインファーターの自覚がある私に遠距離からの攻撃手段はない。

 突っ込んで殴る。

 ただそれだけのシンプルな戦術。

 

 思考を回しつつ突貫する。

 地面がメキリと陥没し、反動で身体が飛び出した。

 

 

 一足で男の眼前にまで到達し、握り締めた右アッパーを叩き込む。

 ──止められた。

 後ろに控えていた女が前に出て、『堅』を用いて両手で押さえ込むように私の拳を受け止めていた。

 だが。

 

「……想定外。『堅』不足。『凝』……『硬』推奨?!」

 ダメージは通っていた。

 私の馬鹿げた顕在オーラ。

 それに任せた無理やりな『堅』の打撃。

 たったそれだけで女の『堅』をいとも簡単に抜いた。

 

「危険。排除。……排除、する」

 やっと人間味が出て来た女にニコリと笑う。

 さあ、まだまだ始まったばっかりだ。楽しませてくれよ。

 

 

 

 打撃を積み重ねる。

 女は必死の形相でそれを防ぐ。

 もはや無機質な姿が幻だったのではないか、というほどに崩れている。

 

 男も不利を悟っている。

 遠距離から、念能力者にもダメージを与えられる口径の銃弾を連発してくる。

 

 が、それすら私の肌を傷つけられない。具現化された銃弾が肌の上を滑っていく。

 特殊な効果がないことがわかってからも可能な限り避けているが、どうしても避けれないものはオーラを寄せた場所で受け止めて流す。

 私の肌はツルッツルやぞ。

 

「ふっざけんなこの化け物が! 45口径だぞ?!」

 BANG、BANGと撃ちながら怒り狂ったように男が言う。

 知らん。効かん。

 

 そろそろ終わらせるか。

 気合を込めて拳を握る。

 

 女の表情が歪む、『硬』でもガードし切れないオーラ量であると悟ったのだろう。

 勘がいい。

 まぁ、やめないが。

 

 空気を裂く感高い音を上げて拳が突き刺さる。……前に、女が右手を犠牲にして必死に打点をズラす。

 

 逸らそうと触れた女の指が弾け、掌が割れた。

 血の花を咲かせながらそれでも女の意思は挫けない。右肘を使ってさらに逸らしに掛かる。

 

 そこまでされればさすがに私の拳もずらされ、女は辛うじて生き残る。

 女の右手を削り切り、私の拳は空を切った。

 

 女が全力で飛び去り私と距離を取った。

 その瞬間、女の雰囲気が変わる。

 オーラの変質。

 具現化? このタイミングで? 

 

 生まれたのは修道服を着た痛ましげな表情の女の念。

 座り込むメイド女を抱きしめた。

 

「……《大いなる怒り(グレートマザー)》、この怪我はアイツに負わされた」

 失せた肘から先の腕を持ち上げる。

 顕現した念はそれを見て、優しげな風貌を鬼のような形相へと変質する。

 

「アイツを、お仕置きして」

 恐るべき速度で飛びかかってくる《大いなる怒り(グレートマザー)》。

 

 なるほど。

 だから私の攻撃で即死しないよう攻撃を逸らし、最大限に怪我をした訳だ。

 

 くっくっく。

 これがあるから、念能力者との戦いはやめられない。

 

 リスクはバネ。

 腕一本と引き換えに顕現したオーラとの戦いだ。

 拳を引き絞る。

 さぁ、お前は本気の一撃に耐えてくれるか? 

 

 その瞬間。

 私の背後を取った男からもオーラが立ち昇る。

 肩越しに見つめ合う。

 こちらに向けて、銃ではなく、指を構えていた。

 

「悪いね、全部ブラフだよゥ。俺の能力はこっちが本命。《廻る螺旋砲(ロシアンルーレット)》だ。この指から撃つ銃弾は6回に1回、今までに俺の具現化した銃弾に当たっていた対象に大ダメージを与える。最短1秒に1回発射可能。ちなみに追尾機能付き。説明を終えることで能力発動条件を満たす。……ま、当てた銃弾は10発に満たねぇ。残念だよゥ、もっともっと当ててから使いたかったよゥ」

 ニヤリと笑う西部劇男。

 

 正面に片腕のリスクを負って呼び出した念。

 背後からは必中の大ダメージ攻撃。

 たまんないね。

 このヒリヒリした感じ。

 これこれ、これが欲しかったのよ。

 

「ふふ、ふはははははは!!!! いい、いい感じだ。死が迫ってくるこの感覚。お前ら最高だ!!」

 今日初めて、全力で『堅』をした。

 ミシリと地面が歪み、身体から空間を埋め尽くさんばかりのオーラが噴出する。

 まだだ。まだ上がある。

 あの時の感覚とは程遠い。

 

 そう、あれだ。黒い銃。あれがキーだ。

 周囲を見渡す。あった。銃だ。

 しかし、拾いに行く余裕はなさそうだ。

 

 ここまでの思考は一瞬。

大いなる怒り(グレートマザー)》は、私に準備する余裕を与える事なく殴りかかって来た。

 一撃は、重い。

 私の『堅』を抜くほどではないが、リスク相応の重さ。私を倒すまで念が消えない可能性も考えればジリ貧か? 

 隙を縫って全力で振り切った拳が《大いなる怒り(グレートマザー)》に突き刺さるも、ドパンと身体が弾けてはすぐに再生した。

 全身消し飛ばすくらいの勢いで殴るか、術者を殺せば止まるか? 殺し切ったら死者の念になりそうだ。ほどほどまで痛めつけてみたい。

 しかしその余裕がない。

 

 攻撃の際の隙を逃さず、背後から撃たれる。

 着弾。衝撃はあるが、大ダメージという程ではない。つまり、ハズレ弾。

 残り五発。大ダメージを受ける確率は20%。十分怖い数字だ。

 回避不可のため、あれも術者を止める必要がある。

 ……迷ってる余裕はないか。

 覚悟を決める。

 

 右手をフリーにした。

 空に向ける。

 イメージするのは黒い拳銃。

 あの、『俺』を殺しやがった憎い姿。

 オーラの変質。

 具現化された黒い銃が手の中にある。

 

 確信した。これが『俺私』の能力。

 

「──後は任せたぜ、『私』」

 周囲を置いてけぼりにして、『俺』は自らのこめかみに銃口を向け、引き金を引いた。

 パァンと弾けるような銃声が鳴る。

 弾丸が脳内を通過して引き裂いてゆく、あの独特の感覚が脳を裂く。

 ぐにゃりと周囲が歪む。

 そして『俺』は死んだ。

 

 その場には、変わらず私が立っていた。

 銃弾は確かに貫通した。

 だが、未だに生きている。

 死者の念を発しながら。

 

 

「受け取ったぜ、『俺』」

 圧倒的な、純粋なオーラがそこにはあった。

 立ち昇るそれは人間の枠を超えている。

 どこから持って来た(・・・・・・・・・)のかわからない。

 不吉な予兆の念を発しながら、『私俺』ことアンリは笑う。

 

 ああ、これだ。この感覚こそが求めていたもの。

 シーハウスから逃げた時は不完全だった。

 恐らく私のもう一つの能力である『蝶』が欠陥を起こし、切り替わりがバグって意識が混濁した。

 

『私』の意識が『俺』に切り替わったのは誘拐犯の男に引き金を引かれたタイミング。

 そこで正常に『私』から『俺』切り替わった。

 

 そして今、具現化した銃で撃つ事で『俺』から『私』に切り替わった。

 切り替わるとは明確な死であり、『私俺』が混ざり合うキッカケにもなる。

 

 多用すればまた自我が崩壊する。

 そして、次は完全な崩壊。『私俺』の意識が戻ることはないだろう。

 

 でも、今はただ『産まれた喜び』が胸を満たした。

 具現化した銃で死を繰り返す事で無限に生き返る。

 名付けるならそう。

 

死の輪廻(ブラックバレル)

 

 

 そして衝撃。

 《大いなる怒り(グレートマザー)》は危機感すらなく自動的に私を攻撃していた。

 それを避けもせず、私は顔で受け止める。

 1ミリも動かない私。

 そして、打ったはずの拳が砕ける《大いなる怒り(グレートマザー)

 

「さぁて、どいつからぶっ殺してやるか」

 絶望的な第二ラウンドが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……!!!!!!」

 危機感。

 その言葉に尽きるだろう。

 男がそれに抗い、背を向けて逃げずに攻撃したことは称賛されるべきだった。

 

 しかしそれは無謀と等しかった。

 運良く6分の1を引き当てて増大した念弾が西部劇男の指先から放たれる。

 

 だが、目の前の『怪物』が、ただの『堅』で右腕を突き出し受け止める姿勢を見せる。

 着弾。

 ズン、と腹のそこを押し付けられるようなオーラの放流が着弾点から流れた。

 膨大なエネルギーが衝突する跡地で、足元を陥没させ、砂煙すら発するその現場で、赤いパーカーを来た少女の姿をした『怪物』は無傷だった。

 

 オーラに一点の陰りもない。

 むしろ時間を経過するごとに慣れてでもいるように、どんどんとオーラを研ぎ澄ませている。

 片手間で《大いなる怒り(グレートマザー)》を消し飛ばしながら、男に向かって一歩一歩進んでくる。

 それはさながら、死神の足音だった。

 

「は、ははは、これは、まじの本音だよゥ。……この化け物が」

 その言葉を最期に、男の上半身は消し飛んだ。

 残された下半身が、糸が切れたように地面に倒れた。

 

 それを見て、ガクガクと足を震わせる女がいた。

 無機質な言動も、無表情も、いまや見る影がない。

 立ち上がれず逃げられない。

 そんな無様をさらしながらも女は諦められなかった。

 這いながら必死に『怪物』から逃れるために動く。

 残された左腕を使って、少しずつ少しずつ怪物から距離を取る。

 

 そんな女に影が迫った。

 確信する。あぁ、死ぬと。

 それでも振り返らずにはいられない。

 

 恐る恐る振り返れば、そこには思っていた通り『怪物』が立っていた。

《大いなる怒り》は消えていた。

 度重なる消耗に女のオーラが尽きたかけた事も理由だが、何度も消される事で敵わないというイメージが念に伝わってしまった。

 もしこの場を生き残ったとしても、《大いなる怒り》を再度発動させるのには長い時間がかかるだろう。

 

「あ、ぁああ、た、たすけぇあああああああああ!!!!」

 涙ながらの懇願は圧殺で応えられた。

 足を女の背中に乗せ、体重を掛けるというだけの単純なその動きは、痛みと死の予感に命の限り暴れ回る女の力を持ってしても跳ね除けられない。

 

「ひぎいいいいいい、つぶれ、つぶ、やめ、やめ、あっ」

 バキュと胸が潰れる。短くか細い声を最期に、女は事切れた。

 しばらくの静寂。

『怪物』と呼ばれたアンリは、悩ましげに息を吐いた。

 それは艶と熱の篭った吐息だった。

 身体をくねらせ、両掌で身体を抱きしめる。

 そして思わず声が漏れた。

 

「くくく、あはははははははあ!!!」

喜び。

狂嗤。

いつまでも、いつまでも私はわらい続けた。

 

 

 

 

 

「・・・おい、シャル。まさかあれか?」

「う〜〜〜ん、他人の振りしとこっか」

「そうするね。頭おかしい奴に興味ないよ」

通り過ぎた車があったとか、なかったとか。

 

 

 

 

 

 





後ほど加筆するかもしれません。
次話は1週間後の更新目標に頑張ります。

ゆっくり更新になるかもしれませんが、最後まで書きますのでよろしくお願いします。


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