異世界食堂すぺしゃる(異世界食堂×スレイヤーズ) (DAY)
しおりを挟む

ねこやの満漢全席(メニューの上から下まで) 

 ここはセイルーン王国の国境付近にある小さな町。

 燦々と太陽が輝き、時はランチタイムを少し過ぎた頃合い。

 ……だと言うのに、この天才美少女魔道士リナ=インバースは空きっ腹を抱えて、街の路地裏をうろついていた。

 それもこれもあたしの隣で空腹の余り、奇声のような笑い声を上げ続けているあたしの金魚の糞こと、白蛇のナーガのせいである。

 路地裏の窓から外を見ていた住民が、彼女を見て小さく悲鳴をあげて雨戸を閉める。もはや妖怪か何かのような扱いである。実際そうだけど。

 

「ほーっほっほっほっほっほっほっほっ!」

 

「あー! やかましい!」

 

 とうとう我慢の限界に達したあたしは隣で馬鹿笑いをしているナーガの頭を、宿からくすねてきたスリッパで張り倒す!

 ゴキブリのように地面に叩きつけられたナーガは、しかしすぐにバネ人形のように飛び上がって抗議の声を上げてくる。

 

「何すんのよ! リナっ! 人がせっかくおもいっきり笑って空腹を紛らわそうとしているというのに!!」

 

「あんたの空腹が紛れても代わりにあたしの苛立ちは増すのよ! 大体こうなったのもあんたのせいでしょうが! こんなロクに定食屋もない小さな街さっさと通りすぎて、セイルーンのほうに行けばもっと大きめの街があったのに!」

 

 元はといえば、ナーガがやけにセイルーン方面に行くのを嫌がるから、進路を変更し昼食を途中で見かけたこの小さな街で取る羽目になったのだ。

 小さいとはいえ定食屋程度はあるだろうと思っていたのだが、これがまた大ハズレ。

 元々旅人も殆ど通らず、更に街の人々は外食する習慣があまりないらしく、街の中で外食をとれる店は三軒しかなく、一軒は定休日、もう一軒は先日食中毒を起こして閉めており、最後の一軒は……なんというか、すっごい汚い店で、はっきり言って食欲が湧かなくなるような不衛生な外観だったため、流石のあたしもその店の扉をくぐる勇気がでなかったのだ。

 

「ふっ。わかってないわねリナ。大体セイルーンのほうのレストランなんて私から言わせれば大したことないから行く必要なんてないわよ。むしろこういう街にこそ隠れた名店があるもの。

 そうね、私の勘がこの辺りに隠れ家的なお店があると告げているわ」

 

「……あんた。もしかしてセイルーンで何かやらかして、指名手配でも食らってるんじゃないでしょうね?」

 

 そう問い詰めるがナーガはそれをあっさり無視した。が、あたしはその時、ナーガの頬を流れる一筋の汗をしっかり見ていた。

 ……やっぱりこいつ、セイルーンで何かやったな……。

 

「ま、まあそれはともかく、私の勘ではこの辺の路地裏辺りに小洒落たレストランが有るような気がするわ!」

 

「あっ! ちょっと待ちなさいよ! そんな適当なこと言って逃げようったってそうは行かないわよ」

 

 あたしの追求から逃げるためか、ナーガが素早く身を翻して近くの路地へと入り込む。反射的に後を追ったあたしだが、曲がると同時に何かにぶつかって鼻をぶつけてしまった。

 どうも曲がってすぐに立ち止まったナーガの背中にぶつかってしまったようだ。

 

「いった~! ちょっとナーガ! 急に止まるんじゃないわよ! ドラゴンとリナ=インバースは急に止まれないってことわざ知らないの!?」

 

「そんなの初耳だけど……。それよりもリナ、あれ見なさいよ」

 

「へ?」

 

 そう言ってナーガが指し示したのは、路地裏の奥にある木製の扉であった。

 それは薄暗い路地裏には似つかわしくない、上品そうな作りの黒い樫の木で出来た扉だった。

 その表面には見たこともない文字らしき記号と、可愛らしい猫ちゃんの絵が描かれている。思わず近寄ってマジマジと観察する。

 

「この扉、ただの扉じゃないわね……。魔力を放っている。明らかに魔道具の一種だわ。なんでこんな所にこんなものがあるんだろ。ナーガ、ここに書いてある文字読める?」

 

「いいえ。私も見たことがないわね。でもこの猫の絵は結構可愛いとは思わない?」

 

「この際、猫の絵はどうでもいいわよ! 他に何か気づいたことはないの?」

 

 そう言うとナーガは勿体ぶった表情でその細い顎に指を当てて考え込んだ。

 

「そうね……。強いて言うならまるで……」

 

「まるで?」

 

「レストランの扉みたいじゃない?」

 

「アホかいっ!」

 

 どこまで食い意地が張ってるんだこいつは。

 だがそんなあたしの罵声にもナーガは何処吹く風で、あっさりとその黒い扉のドアノブに手をかける。

 

「ちょっとナーガ!? あんたまさか――」

 

「ほーっほっほっほっほっ! 百聞は一見にしかず! こういうのはとりあえず開けてみればいいのよ!」

 

 この馬鹿ナーガ! 開けた途端、何処とも知れぬ場所へ強制転移されられるとかそういう可能性を考えてはいないのかい! ……いないんだろうなぁ、ナーガだし。

 ともあれナーガはあたしの制止も聞かず、あっさりとドアノブを捻った。

 反射的にあたしはその場から飛び退きつつ、いざという時のためナーガもろとも扉を爆砕させるための攻撃呪文を唱え始めるが――

 

 チリンチリン。

 

 開いた扉の向こうから響いてきたのは、モンスターの唸り声でもなければ、溶岩の煮えたぎる音でもなく、定食屋でよく聞く呼び鈴の音だった。

 

 

 

 ◆     ◆     ◆

 

 

 

「いらっしゃい。二名様ですか?」

 

 扉を開けた途端、ダンディな店主の声が賑わっている食堂に響く。

 

 ……扉の向こうは本当にレストランでした。

 

「ええ。二名よ。……どう、リナ? やっぱりレストランだったじゃない」

 

 何故か得意気にこちらを見下してくるナーガ。うーみゅ、空腹時のナーガの嗅覚だか勘だかを少々甘く見すぎていたか。

 

「はは、うちはレストランなんて大層なものじゃありませんよ。何処にでもある町の洋食屋です」

 

 カウンターの向こうにいる店主と思わしき男性は調理の手を休めずにそう謙遜するが、実際店の中の作りはなかなかどうして結構凝っている。

 地下にあるようで、窓の類は一切ないが、柱には魔法の道具と思わしきコンパクトな洒落た照明器具が暖かな光を放っており、薄暗さは感じない。壁や天井、床もしっかりと手入れされているようで、定食屋にありがちな薄汚れた感じは一切ない。きっと毎日しっかり掃除しているのだろう。

 並べられたテーブルやその上に並ぶ食器や小物類はかなりの高級品に見える。

 弱冷房の魔法がかかっているのか、食堂の空気は涼しげだ。

 地下ということもあり、広さ自体はそれほどでもなく、確かにレストランというよりは食堂といった広さだが、内装が整っており雰囲気も良く、まさに隠れた名店のような趣である。

 

 だが何よりあたしの目を引いたのは、この店の客層である。ランチタイムを少し過ぎた程度の時間のせいか、大混雑――というわけでもなかったがそれなりに客が入っている。

 こんな上品そうな店なのだから、貴族みたいな連中が利用しているのかと思ったが、全く違う。客の中には確かに貴族の様な身なりをした者も居るが、それ以外にもここらでは見慣れぬ服装をした旅人のような者もいれば、帯剣した剣士もいる。ローブに身を包んだ魔道士も居るし、人の町には滅多に降りてこないはずのエルフもいた。更には見たこともない獣人すらいる。

 

 大抵こういう上品な店では変わった客や荒事家業をしてそうな客はお断りのはずだが、この店はどんな客も受け入れる主義のようだ。

 客達もこれを受け入れているようで、全く違う人種や職業の人間たちが自分達の料理を話の種に雑談をしながら食事を楽しんでいる。

 はっきり言ってなんでこんな所にこんな店があるのか全く分からないが、ただひとつ言えることがある。

 この店は当たりだ。漂う料理のいい匂いに思わずあたしの頬も緩んでしまう。

 ナーガの勘もたまには役に立つらしい。

 

「アレッタ、二名様、ご案内してくれ」

 

「はい、マスター! ねこやにようこそお客様! あちらの奥のテーブルへどうぞ」

 

 そう店主が店の奥に声をかけると、店の奥から1人の金髪のウェイトレスが飛び出してきて、あたし達を空いたテーブルへと案内する。

 一番奥まった席でこれならゆっくりと食べられそうだ。

 彼女の年の頃は十代の後半か。ツインテールの金髪が眩しい可愛い女の子だが、それよりも目を引くのは彼女の頭に生えた小さな角だった。獣人の血を引いているのだろうか?

 

 彼女は私達を案内すると、水の入った水差しとコップをテーブルの上に用意してくれた。

 ちなみにどちらもガラス製でかなり高そうだ。水も魔法で創りだしたかのように透き通っている。おまけに香りづけに切った果実が入っているのもポイントが高い。うーんなかなか高そうな店だなぁ。

 まあ懐には余裕があるし、値段のほうは気にしなくてもいいだろう。むしろナーガ辺りは金が払えないかもしれないが、その場合彼女はここで皿洗いでもさせて厄介払いでもすればいい。

 それにしてもこのウェイトレスさん変わった角が生えているものである。いくつかの亜人や獣人を見てきたがこういうタイプは初めて見る。

 初めて見る種族に少々不躾かなと思いながらも、思わず訊ねてしまった。

 

「あなた、見たことのない種族ね? 獣人?」

 

 その言葉にビクリと彼女は反応する。

 ん~。ちょっと失礼だったかな?

 あたしが謝罪しようとしたその矢先、彼女はやや卑屈な表情で答えた。

 

「いえ……その……私、魔族なんです」

 

「え?」

 

「嘘?!」

 

 その言葉にあたしとナーガは反射的に立ち上がる。

 魔族といえば、あらゆる生きとし生けるものの天敵。命あるものの恐怖を喰らい力を成す負の精神生命体。その特性故、あらゆる物理攻撃が通じず、特殊な魔力を帯びた武器や、一部の魔術しか通用しないという厄介な性質を持つ。そして純魔族なら例え下級魔族でも町の一つや二つ簡単に滅ぼしうる強さを有しているのだ。

 

「お客さん、うちの看板娘に変な言いがかりはやめてくださいよ。もし騒ぎを起こすようなら出て行ってもらいますからね」

 

 だが反射的に戦闘態勢を取りかけたあたし達に、厨房の奥にいる店主が釘を差してきた。

 店長だけではない。料理を楽しんでいた客達も、あたし達に対して非難の視線を向けてきている。

 どうやらこの魔族の人(?)はこの店ではかなりの人気者のようである。

 とりあえず彼女に危険はないと判断したあたしは、椅子に座り直すと改めて謝罪した。

 

「失礼な反応してごめんなさいね。どうも職業柄、魔族とはあんまりいい縁がなくてね」

 

「い、いいえ。わかって頂ければそれでいいんです。魔族がウェイトレスやってるなんて思わないですよね普通」

 

「フッ。そうでもないわ。世の中にはペットのドラゴンに逃げられて、ショックのあまり三流魔道士の使い魔に落ちぶれてるような魔族もいるもの。ウェイトレスをやってる程度でいちいち驚いてはいられないわね」

 

 隣でナーガがフォローになってるんだか、なってないんだかわからないセリフを吐く。

 これには彼女も意味がよくわからなかったのか、引きつった笑顔を浮かべた。

 

「それにしてもあなた、人間そっくりね。魔族ってのは人間に近い姿をしているものほど力がある魔族と聞くけど、よっぽどの高位魔族なの?」

 

「え……? いえ私はただ角が生えてるだけのただの魔族で、角以外は殆ど人間と変わりありません」

 

 戸惑ったようなその返事にあたしとナーガは思わず顔を見合わせた。

 ……どうも、お互いの魔族というものの定義自体がズレているような気がする。

 

「えーとちょっと聞くけど、あなた――」

 

「あ、私アレッタと申します」

 

「そう、アレッタさん。あたしはリナ=インバース。よろしくね。で、ちょっと質問なんだけど、あなたの正体は実は訳の分からない前衛芸術みたいな姿で、剣で刺されようが炎で焼かれようが無傷って体質ってわけじゃないのよね?」

 

「……え? いえ私は生まれた時からこの姿ですし、剣で刺されたら大怪我してしまいます」

 

「じゃあ、三度のご飯より、人間の負の感情が好き――というよりはそれが主食ということもない?」

 

「ええっと、ご飯も普通の人と同じものを頂いてます」

 

 困ったように答えるアレッタさん。

 ……なるほど。どうやら根本的に彼女の言う魔族と、あたし達の言う魔族は全くの別物らしい。

 どうやら彼女達の言うところの魔族は角が生えているだけの亜人の一種族にすぎないということか。

 

「……どうもあたしの知ってる魔族とこちらの魔族は全然違うみたいね。ごめんなさい、アレッタさん。あたし達の知ってる魔族は、下手なドラゴンよりも手強い上に、世界を滅ぼすことに人生の全てを賭けてるような面倒な連中だから、魔族と聞いてちょっと過剰反応しちゃったみたい」

 

「い、いえ。私達の世界でも魔族というのは余りいい顔されないので慣れてます。気にしないでください」

 

 アレッタさんは多少引きつった顔でそれでも笑顔を絶やさすに、こちらの謝罪を受け入れてくれた。

 まあこんな可愛い女の子が、あんな連中と同類というのは確かにありえない話だ。

 そう納得したあたしに今度は後ろの席の方から声がかけられた。

 

「どうやら、お前さん方は常より更に別の世界から来たみたいだな」

 

 あたしに声をかけたのは後ろの席にいた古ぼけたローブを着込んだ老人だった。

 

「別の世界……とはどういうことかしら?」

 

「簡単な話だ。アンタたちもあの黒い扉をくぐってこの食堂に来たんだろう? あれはな、特定の日時にいろんな場所に出現するのだよ。ここにいる客に統一性がないのもいろんな世界からやって来た奴らだからさ。まあ仲の悪い奴もいるが、ここで喧嘩したら出入り禁止にされるから皆大人しく食事をしているよ」

 

「そりゃまたすごいマジックアイテムだったのね。あの扉は。一体誰が作ったの?」

 

「さあな。店主曰くいつの間にか店の扉が別の世界に繋がってたらしい。ま、私もその構造に興味がないわけではないが、下手に手を加えてこの店に繋がらなくなって、このうまい料理を食えなくなったら困るので手は出さんようにしとる」

 

「ふっ。そんな扉を見つけ出したこの白蛇のナーガの勘はやはり正しかったということね! ほーっほっほっほ! リナ! 礼としてここの勘定は全て貴方持ちということでいいわね?」

 

「いいわけあるかい!? あっとそうだ。アレッタさん。ここが別の世界だって言うならこちらの通貨は通用する? 一応金貨もあるんだけど……」

 

 あたしは懐から幾つか硬貨を出すと彼女は、それを手に取りマジマジと見た後、店主にそれを見せに行った。

 一言二言会話をした後、こちらに戻ってくると彼女はニッコリと輝くような笑顔を見せる。

 うーん、こんな笑顔みせられたら、営業スマイルとわかっていても男ならイチコロである。

 

「マスターに確認した所、この硬貨でも大丈夫とのことです! 食べたいものが決まったらなんでも好きな物注文してくださいね! 初めてでしたら日替わりランチがオススメですよ!」

 

 そう言うと彼女はメニューをテーブルの上に置いて、またウェイトレスの仕事に戻った。

 一応メニューを見てみるが、流石は異世界の言語。全く読めない。どうやら言葉はあの扉のお陰で通じるようになるらしいが、文章まで読めるようになるわけではないようだ。

 もう少しその辺頑張って欲しいものではある。

 

 とりあえず一旦メニューを閉じるとあたしは考える。

 まず手持ちの通貨が通用するとなると遠慮はいらない。つい先日盗賊団を一つ潰したこともあってあたしの懐は非常に潤っている。この店の相場はわからないが、盗賊団から徴収したお宝の中には大粒の宝石やらなんやらもあるので、最悪それで支払えばいい。

 

 せっかく世にも珍しい異世界食堂、ここでケチケチしたら女がすたるというものである。

 

「よし! 決めた! アレッタさん! 注文いい!?」

 

 手を上げてアレッタさんを呼ぶと

 

「はい! ご注文をどうぞ!」

 

「じゃあこのメニューに載ってるものを上から順番に全部持ってきて!」

 

 ピシリ。

 

 なぜかアレッタさんは笑顔のまま、固まってしまった。

 よく見ると周りの客達も、マジかよこいつ……、と言わんばかりの表情であたしを見ている。

 全く失礼な。

 

「ええっと……メニュー全部ですか? ねこやはいろんな料理が売りなので、メニュー全てとなるとかなりの量になるんですが……」

 

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。このリナ=インバースの胃袋を舐めてもらっては困るわね。つい先日も定食屋の食材が無くなるまで食べ尽くしたんだから」

 

「ふっ。当然、この白蛇のナーガもリナと同じくメニューの全てを注文するわ」

 

「……ナーガ。言っとくけどあたしはアンタの食事代までは払わないわよ」

 

「ほーっほっほっほ!」

 

 笑って誤魔化そうとしているが無駄である。まあこいつがこの異世界食堂で一生皿洗いすることになっても、それはそれであたしにとっては痛くも痒くもない。

 しかし今度は店の店主が口を出してきた。

 

「お客さん。うちはよくある洋食屋ですが、料理一つ一つにそれなりの手間をかけてるつもりです。遊び半分で頼んで残すようなことになったら、次からは出入り禁止にさせてもらいますよ」

 

「ふっ。面白いこと言うわね。かつてゼフィーリアの大食い大会を総なめにして、さすらいの大食いのリナちゃんと呼ばれたこのあたしの実力見せてあげるわ」

 

「リナ……。その二つ名、すっごくかっこ悪いわよ……」

 

「まあ、そこまで言うならこちらも商売だ。いいでしょう。ですが、そちらの黒髪の方はともかく、貴方はお若いようだしお酒の類は無しにさせてもらいますよ」

 

「ええ。それでいいわ。さあ、出来次第じゃんじゃん持ってきて!」

 

 かくしてあたしの少し遅めのランチタイムが始まったのである。

 

 

 

 

 




本日の日替わり被害者  ねこやの食料庫


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜破斬(ビーフシチュー味) 

「ごちそうさま! いやー美味しかったわ! いろんな所で食べてきたけどこんなにレパートリーが豊富な店は初めてよ!」

 

「……本当に全部食べちゃったんですね」

 

 平らげた皿が山と積まれたテーブルを前に、アレッタさんは引きつった笑みを浮かべた。

 全ての料理を平らげたあたしは、食後のお茶を楽しんでいる。

 この食堂――ねこやのレパートリーは彼女が自慢していただけあってかなり豊富で、かなりの料理が運ばれてきた。そしてその料理の美味しいこと!

 

 揚げ物は衣はサクサク、中はジューシー。一緒に添えられたレモンの汁がこれまたよく合う。肉料理の肉は柔らかく、付け合せの野菜の味も口休めに最適。スープには様々な出汁が使われているようで、深みのある味付けがされていた。

 サラダの類もドレッシングに工夫がなされており、食が進むようになっていたし、パンも焼きたてのように柔らかった。

 

 そしてデザートもまた絶品。新鮮なミルクから作ったばかりと思わしき生クリームに色とりどりのフルーツ。見たこともない甘味のお菓子もあり、思わず幾つか持ち帰り用に包んでもらったほどだ。

 飲み物も、初めて飲むお茶から搾りたてのような果実ジュース、口の中で弾ける炭酸ジュースまでよりどりみどり。

 色んな所で名物を食べて回ったあたしの意見としては、料理そのものはオーソドックスなものが多い。しかし味を良くするための一手間を怠っておらず、それが料理の完成度を高めているのだ。

 

 それ以外にも初めて見る様々な料理にあたしもナーガも夢中になり、珍しくじっくりと時間をかけて味わって食べ尽くしたのだ。

 まあ、途中でナーガとお気に入りの一品を巡っての争奪戦になりかけたが、店主に出入り禁止を盾に睨まれたことで休戦になり、あたしたちにしては平和的に食事が進んだ。

 

「いやーゆっくり味わってたから、完食までに結構時間がかかったわね。アレッタさん今の時間わかる?」

 

 ここは地下の為、陽の光が入らず今の時間帯がわからない。この疑問にはアレッタさんではなく、店主が答えてくれた。

 

「既に日が暮れて夜ですよお客さん。もうすぐ閉店時間です」

 

 てことはほぼ半日食べ続けていたことになるのか。うーむ、これは新記録更新したかも。

 店主の顔には疲れが見える。普通のお客に加えて、あたし達の料理をずっと作り続けていたので当たり前かもしれない。

 いつの間にかあれだけいた客も全員いなくなり、残るはあたし達だけになっていた。

 ちなみにナーガは一緒にだされた酒を飲み過ぎたせいか、途中から前後不覚になりつつあり、今はトイレに引っ込んでいる。その状態でも料理を全部平らげたのは流石の食い意地である。

 

「そっかー。もう閉店なら仕方ないわね。できればもうメニューを一周してみたかったけど、今日はこの辺にしときましょうか。アレッタさん勘定お願いね」

 

 そう何気なく呟いたあたしの言葉に店主がずり落ちる。もしかしたらもう食材がないのかもしれない。

 

「あっ。はい。少しお待ちを……」

 

 アレッタさんも引きつった顔をしていたが勘定を精算するために、奥へと引っ込んでいく。

 そしてそれと入れ替わるように、ねこやの扉がベルを鳴らしながら開いた。

 

 ―――あれ、もう閉店間際じゃなかったっけ?

 

 そう思い扉を見やると絶世の美女が立っていた。

 年の頃は20代から30代の間だろう。腰まで伸びる紅い髪、薄手の真紅のドレスの上からもわかる均整のとれたプロポーション。そして側頭部から伸びた大きな角。

 勝ち気そうな瞳からは単に血統のいい貴族のお嬢様とは違い、自分自身の存在そのものに絶対の自信を持っていることが伺える。

 

 この人、人間じゃないな。

 

 なんとなくだが、あたしは直感的に理解した。角が生えているという点ではアレッタさんと同じだが、プレッシャーが全く違う。まれに一部の竜やら強力な魔獣やらは魔法で人の姿を取るというが彼女もその類だろう。

 

「来たぞ、店主」

 

 その真紅の美女は外見通り、自信に満ちた美しい声で自身の来訪を告げた。

 上客なのだろう。その新たな来客にぐったりとしていた店主も素早く背筋を伸ばして対応する。

 

「いらっしゃいませ。今日はいつもよりもお早いですね。」

 

「そうか? ふむ、いつも通りと思ったが、少々待ちきれなかったのかも知れぬな。……妾以外に客がいるとは珍しい」

 

 そう言って彼女はこちらに真紅の眼差しを向ける。が、それも一瞬のことですぐに興味を無くしたようで再び店主に視線を向けた。

 

「いつだってお客さんはいますよ。閉店時間間際まで粘るお客さんは久しぶりでしたがね。それはさておき、本日のご注文は?」

 

「決まっておろう。妾が頼むものは常に一つ」

 

「ですね。少々お待ちを」

 

 そう言うと店主は厨房の奥へと引っ込んでいく。

 真紅の美女は手近な席に座り、店主を待った。

 これほどの美女が頼む料理とはなんだろう?

 そんな好奇心が湧いてきた為、あたしは側にいたアレッタさんに訪ねてみた。

 

「ねえ、あの人、いつもどんな料理頼んでるの?」

 

「え、ええとビーフシチューです。それも鍋一杯の」

 

「なるほどね~。あたしもさっき食べたけど確かにあれば絶品だったもの。でも鍋一杯分とか見かけによらず随分と食いしん坊なのね」

 

「……リナさんにだけは言われたくないと思います」

 

 と、あたし達の会話を聞いていたのか真紅の美女が楽しげに口を挟んでくる。

 

「それは違うぞ、人間の小娘よ。妾としてはこれでも遠慮しているほうなのだ。大鍋一杯の量は人間からすれば大した量かもしれんが、妾本来の姿からすれば小皿一杯程度の量でしかない。……まあここの厨房とあの店主1人ではあの量が限界となれば我慢するしかあるまい」

 

「へえ。まるで人間じゃないような言い方するわね。……もしかして貴方、ドラゴンか何か?」

 

 殆ど勘で言ったあたしの言葉に彼女は楽しげに瞳を煌めかせる。……ビンゴか。

 

「随分と勘がいいな、娘。見たところ魔道士か何かか。お前ほどの才を感じさせる人間は久しぶりに見る」

 

「それはどうも。ところでアレッタさん。ナーガを見なかった? トイレに入ってから結構な時間が経つんだけど……」

 

「あーーーー!?」

 

 その時、あたしの言葉を遮って絹を裂く――というよりは雑巾を破り捨てるような男性の悲鳴が厨房から響き渡る!

 この声は……店主の声!?

 

「マスター!?」

 

 驚いたようにアレッタさんが悲鳴をあげる。だがそれよりも先にあたしもまた席を立ち、厨房の中へ駆け込んでいた。

 そしてあたしが厨房の中で見たものは!

 頭を抱えている店主と空っぽになったビーフシチューが入ってたと思わしき大鍋、そしてその鍋の隣で眠りこけている酒臭いナーガの姿だった!

 

 ……やりやがったよ、こいつ。

 

 思わずあたしも頭を抱えそうになる。食後の一服なんて楽しまずにさっさと勘定済ませて帰っておけばよかった。

 とりあえずあたしはナーガの側までよると思いっきりその顔面を踏みつける!

 

「おきんかぁぁあい! この馬鹿ナーガ!」

 

 さすがに顔面へのスタンプは彼女にとっていい気付けになったのか、ナーガが跳ね起きた。

 

「ちょっと何するのよリナ! せっかくビーフシチューをお腹いっぱい食べてた夢を見てたのに!」

 

「夢じゃないわよ! あんた本当に酔っ払って、人様の予約済みのビーフシチューを平らげてたの!」

 

「あら? どうりでお腹いっぱいだと思ったわ。ふっ、どうやらこのビーフシチューはそれほどまでにこの私に食べられたかったようね!」

 

 全く反省の色を見せる様子のないナーガに、あたしが思わず攻撃呪文を唱えかけたその時だった。

 

「……一体誰のビーフシチューが誰に食べられたがっていただと?」

 

 ゾッとするような殺気と声が厨房に流れ出てきたのは。

 言うまでもなく、その言葉と殺気の主は楽しみにしていたビーフシチューを横取りされた竜の麗人である。

 彼女の視線は空になった大鍋へと向けられており、その吐息には炎が混じっている。

 

「申し訳ありません! 少々時間がかかりますが、今すぐ作りますんでしばしお待ちを!」

 

 慌てて店主がとりなそうとするが、もう遅い。あたしの勘からすれば――これはもう爆発寸前である。こうなったドラゴンはもはや怒りが収まるまで、暴れまわるのがお約束だ。

 ここは非が完全にナーガにあるにせよ、一旦切り抜けないと不味いことになる!

 そう直感で判断したあたしは素早く呪文を唱え解き放つ。

 

明かり(ライティング)よ!」

 

 その言葉と共に厨房を光が満たす!

 

「くっ!?」

 

 反射的に竜の美女は両手で目を覆う。ドラゴンだろうが、魔族だろうが、目が付いている以上は眩しい物は眩しいのだ。

 

「逃げるわよナーガ!」

 

「らじゃー!」

 

 ってしまった!咄嗟に声をかけてしまったが、これではあたしもナーガの共犯者扱いになるではないか!?

 だが言ってしまったものは仕方がない。今は一刻も早くこの場、というよりはこの地下食堂から離れるべきだ。

 ここに留まっていてはあの美女が真の姿を見せた時、この店が崩壊してしまう!

 

地精道(ベフィス・ブリング)!」

 

 素早く食堂に戻ったあたしは壁にトンネル掘りの術をかけ、地下の食堂から地上までの即席の直通路を作り出そうとする。

 ドアから出ても良かったが、何処に出るかわからない上に怒り狂った竜の美女が追いかけてきた時、マジックアイテムのドアを破壊してしまう恐れがあると思ったためだ。

 だが地下の壁に穴を開けるぐらいなら、多分ゴーレム術の応用で後で塞ぐこともできることだし問題ないだろう。多分。

 そう思ったのだが―――

 

「魔法がキャンセルされた?」

 

 この食堂全体に何らかの結界が掛かっている?!

 

「どきなさい、リナ!」

 

 その言葉とともに後ろから付いてきたナーガが素早く呪文を唱える!

 

崩魔陣(フロウ・ブレイク)!」

 

 彼女が唱えたのは高レベルの解呪の呪文! 食堂全体に巨大な六芒星の光が輝き、その場の魔力の流れを強制的に元に戻す!

 よっしゃ!これでこの食堂の結界は一時的にだが剥がれたはず!

 再びあたしは地精道(ベフィス・ブリング)の詠唱を開始する!

 

「無礼な小娘達はそっちかぁぁぁぁ!?」

 

 その時、どんがらがっしゃんというけたたましい鍋が落ちる音と、アレッタさんの悲鳴が厨房から響き渡る!

 竜の美女が視力を取り戻しつつある! これは急がないと不味い!

 

地精道(ベフィス・ブリング)!」

 

 あたしは早口で呪文を唱え終わると、本日二度目のトンネル掘りの呪文を発動する!

 次の瞬間、音もなく目の前の壁に地上までのトンネルが開通した! よし、成功!

 

「こっちよ!ついてきなさい!」

 

 そう厨房に向かって声を上げると、同時に飛行呪文、翔封界(レイウイング)を唱え、トンネルを一気に駆け上がる!

 すぐ後ろにはナーガもまた同じ呪文を使ってあたしの後をついてきていた。

 

「またんかあぁあああああ! 小娘どもぉぉぉ!」

 

 そして続いて凄まじい怒声と共に、怒り狂った竜の美女がドレスが乱れるのも気にせず、人間離れした脚力でトンネルの中を生身でかけ上がってくる!

 ってこれやっぱりあたしも犯人扱いになってる!

 しかし流石に店の中で変身をするほど我を忘れてはいないようだ。

 後は、外にでて周りに被害が及ばないような所におびき寄せて、ナーガを生贄にして怒りを鎮めてもらうしかないだろう。

 

 そんなことを考えていたあたしの思考はトンネルから地上に出て、更に上空へと飛び上がると凍りついた。

 

「なにこれ……?」

 

 そこには見たこともない景色が広がっていた。

 空は太陽が沈み闇に染まり、代わりに地上に無数の光が輝いている。

 まるで星空をそのまま地上に下ろして圧縮したような輝き。

 目が慣れず、最初はよくわからなかったが、この街――いや都市はそもそも建築物からして、あたしたちの知るそれとはまったく異なっていた。

 

 継ぎ目のない石のようなもので造られた、長方形の塔のような建物――小さいものは数階建てから、大きいものは数十階建ての高さまである――が、道沿いに隙間一つなく、そこら中に乱立している。この塔の形状は様々な種類があるが、そのほとんどが外壁に高価なガラスがたっぷりと使われており、中からあの食堂と同じ魔法を使った人工灯の光が漏れてでいる。

 思わず覗き込むと、見なれないが同じ様な服を来た人たちが塔の中でせかせかと働いているのが見えた。これらの塔のほぼ全てが窓ガラスから光を放っている。ということはこの塔全てに人間が住んでいたり、働いていたりするのだろうか。

 そうだとしたらとんでもない人口密度である。

 

 そして、塔の下には人が数十人並んで通れるほどの広い道が、規則正しく張り巡らされている。道には一定間隔ごとに人工灯が灯されており、夜だというのに暗さは一切感じない。

 人はその道の端を歩いており、道の中心は目から光を放つ鉄の箱が高速で行き交い、甲高い唸り声のようなものを上げていた。もしかしてあれは馬車の一種だろうか。

 更に塔の一部には看板なのだろうか、光り輝く巨大な記号やら、動く絵が貼り付けられているものもある。

 光り輝くこの都市は不夜城と言った言葉をあたしに思い起こさせた。

 

 だが何よりもあたしが驚いたのは、その光景が地平線の果てまで続いていたということだ。

 あたしの世界ではどんな大きめの都市でも上空から見下ろせば大抵端が見える。

 だが、この都市は終わりが見えない。地上に輝く人工灯の光は文字通り地平線の彼方まで続いているのだ!

 そしてその人工灯の光はここから遠くに見える山の中や、海の上にすらちらほらと見えた。

 

 もしかしたらこの視界の中の人口だけでも、あたし達の世界の小国1つ分の人口がいるんじゃないだろーか。

 視界を埋め尽くす異界の都市の圧倒的な輝きに、思わず状況を忘れ感心して空中で止まってしまう。

 

「すごいわね、この街。ここに比べたらセイルーンも田舎みたいなものね」

 

 いつの間にか隣に浮かんでいたナーガも珍しく感嘆の表情を浮かべながら、この異世界の街を見下ろしていた。

 

「ええ、確かに。どうもこの世界の文明はあたし達のそれより数段進んでいるみたい。ところでナーガ、なんか大事なこと忘れてるような気がするんだけど……」

 

「奇遇ねリナ。実は私もそうなのよ」

 

 そうして2人して首をかしげた次の瞬間。

 

 グゥオオオオオオオオオォォォォォォオ!

 

 凄まじい咆哮があたし達を現実へと引き戻した!

 咄嗟に下を向くと、周りにそびえる塔にも負けぬ大きさの立派な図体をした真っ赤なドラゴンが、雄叫びを上げ、翼をはためかせて空を飛び、あたし達に向かってきている!

 言うまでもなくあの女性が屋外に飛び出して、その真の姿を開放したのだろう。

 そして突如現れたドラゴンを地上の人々が、呆然とした表情で見上げている。中には光を放つ変な板みたいなものをドラゴンや空を飛ぶあたし達に向けているものもいた。

 

「ああああ! あの(ドラゴン)の事忘れてたぁ!」

 

「ちょっとどうするのよ、リナ! こんな人口密集地じゃ下手な呪文は使えないわよ!?」

 

 珍しくナーガが常識的なことを言う。

 だが確かにナーガの言うことは正しい。外に出れば人気のいない場所に誘導できると思ったのだが、どこもかしこもそこら中に塔や大型施設やらが建っている。

 こんなところでドラゴンにも通用するような「気付け」の呪文をぶちかませば、塔の二つや三つ、簡単に倒れてしまうだろう。

 となれば後は上空しかないのだが、この飛翔呪文を使いながらドラゴンにも通用するような呪文を操るというのは大変難しい。

 

「とりあえず高度を取って移動するわよ!この辺でブレスなんて吐かれたら大惨事よ!」

 

「わかったわ! ……リナ、あっちに大きな橋みたいなのが見えるわ! 広い河があるんじゃない!?」

 

「ナイス、ナーガ! そこなら大きめの呪文使っても平気ね! その河へ行くわよ!」

 

 そうやりとりするとあたし達は全力でナーガが示した方向へと向かう。

 確かにナーガの言うとおり、そこには巨大な橋があった。その橋もこの異世界の建築物の例に漏れず、ピカピカにライトアップされてて、最初は橋とはわからなかったぐらいだ。あたし達の世界の橋とは作りも規模が違う。アレだけの大きさなのに全部鉄製とか、自重で折れたりしないんだろうか?

 

 それはさておきこの橋がかかる河は、そのまま海に流れこむようでかなり大きい。運河といってもいいかもしれない広さだ。事実大きめの船が何隻も航行している。

 これならば多少は大暴れしてもいいだろう。

 そうあたしが思った矢先!

 

 ルォォォオオオオオオオン!

 

 翼を広げ空を駆って追跡してくる怒れる竜の咆哮が、燃え上がる火炎の吐息となって、異界の夜空を裂いてあたし達へと迫る!

 

「うっひゃあああああああ!?」

 

 咄嗟に軌道に変更して、なんとかブレスを回避! あ、ナーガが巻き込まれた。

 この飛行呪文、翔封界(レイウイング)は風の結界を術者の周りに展開させるので、あたしの方は余熱で丸焼きになることはなんとか避けられた。

 ブレスの対象が空中にいるあたし達ということもあり、地上への被害もゼロだ。

 しかしこんなことが二度三度と続けば流石にそうもいかないだろう。

 

 実際、突如空中で炸裂した火炎の息吹に、地上の人々が大混乱に陥り、道を走る鉄の馬車が怯えたのか、けたたましい鳴き声を上げているのが視界に入った。

 やはり彼女を河の上に誘導しないと戦うこともできないか。そんなことを考えて空を駆けるあたしの側に再び風の結界を纏ったナーガが並走してきた。

 

「ふっ。危ないところだったわ」

 

「ナーガ!あんた生きてたの?!」

 

「風の結界のお陰でなんとかかすり傷ですんだわ」

 

 いや、どー見ても直撃してただろお前。というか炎の余波食らって、頭がアフロみたいになってるし。

 だがそんなやり取りをしている間に河はすぐ目前まで迫ってきていた。よく見ると河の上にも灯りをつけた船がいくつか浮かんでいるが、まあなんとかなるだろう。

 

「リナ! 河についたら私に任せて! いい考えがあるの!」

 

「あんたの考えなんて碌なことになりそうにないんだけど!?」

 

「安心しなさい! 彼女を殺さずに無力化する方法を思いついたのよ! なるべく水面付近に彼女を誘導してね! というわけで呪文を唱えるまでの囮よろしく!」

 

 そう言うが早いが、ナーガは一気に急降下して河に掛かっている鉄の大橋のアーチ部分の上に立つ。

 ナーガがどうなろうとどうでもいいが、もしドラゴンのブレスがあの橋に直撃したら、大惨事である。

 やむなくあたしは、飛行中にも使える簡単な呪文―――明かり(ライティング)の光球を真紅のドラゴンの顔面にぶつけて注意を引きつける!

 

「こっちよ! いらっしゃい!」

 

 そのあたしの挑発は覿面だったようで、彼女は怒りの声をあげてまっしぐらに突っ込んでくる!あたしはナーガの言ったとおりに高度を下げて、河の水面すれすれを速度を上げて疾走する!

 そしてそのあたしの背後をやはり水面すれすれで飛行してくる赤い竜!

 

「ひええええええ!?」

 

 そんなあたしたちのデッドヒートに驚いたのか、河に浮かんでいた漁船と思わしき小さな船から夜釣りをしていた釣り人のおっちゃんが河に落っこちる! ごめん! おっちゃん! 今の季節は暖かいし、なんとか頑張って!

 

 それにしても思ったより河の上に船が多い! このまま第二第三のおっちゃんが生まれてしまう!

 被害を抑える為に船が少ない場所に誘導を開始するが、このままではあたしの方が捕まってしまう。

 ナーガ! まだなの!? 

 そう思った瞬間、鉄の大橋の上からナーガの呪文が響き渡る!

 

雷竜降(ガイ・ラ・ドゥーガ)!」

 

 ってちょっと待てい! あんたその呪文は!?

 しかしあたしがナーガに突っ込みを入れるよりも早く、目の前の河の水面が盛り上がり、巨大な影が飛び出してくる!

 咄嗟にあたしはそれを回避するも、後方からあたしを追っていた赤いドラゴンは回避できずにその巨大な影とぶつかり合い絡み合う!

 

 グォオオオオオオオオン!

 

 その巨大な影―――ナーガの召喚呪文『雷竜降(ガイ・ラ・ドゥーガ)』で呼び出された巨大なシーサーペント型の亜竜、『雷撃竜(プラズマ・ドラゴン)』はいきなり自分に突っ込んできた赤いドラゴンに怒りの声を上げた。

 だが怒り狂っているのは、赤いドラゴンも同じ。というか彼女の怒りの方が明らかに大きい。

 そして彼女は怒りに任せて、自分に絡みついた雷撃竜(プラズマ・ドラゴン)とそのまま格闘戦を始めてしまった。怪獣大決戦の始まりである。

 

「ほーっほっほっほ! どうかしらこの白蛇のナーガの秘策は!? これぞ毒を持って毒を制すというわけね!」

 

「アホかっ! こういうのは火に油を注ぐっていうのよ!」

 

 あたしは鉄橋の上で馬鹿笑いを続ける彼女の元へ向かうと彼女の隣へ降り立ち、ナーガの頭を引っ叩いた。涙目になりながら彼女が抗議してくる。

 

「なにするのよリナ! この私の完璧な作戦にどんな問題があるっていうの!?」

 

 あたしは無言で河の上で取っ組み合いを続ける二頭のドラゴンを指さした。

 その先には赤い竜にコテンパンにされつつある雷撃竜(プラズマ・ドラゴン)の姿がある。

 

「あら……?」

 

 予想以上の劣勢ぶりにナーガが冷や汗を流す。ま、それも当然。人語を理解するどころか、人に化けることすらできるレベルのレッドドラゴンが、一応竜に区分されるとはいえ、獣程度の知性しか持たない亜竜でしかない雷撃竜(プラズマ・ドラゴン)に負けるわけがない。

 叩きのめされている雷撃竜(プラズマ・ドラゴン)は最後の抵抗のつもりか、その口から雷撃の吐息――プラズマブレスを赤いドラゴンに向かって撃ちこむ。

 が、赤いドラゴンはこともあろうに雄叫び一つで、そのプラズマブレスを四散させてしまった。

 弾け飛んだ高圧電流の一部が河向こうの街並みに飛び込む。拡散していた為、大した被害は出ないはずなのだが、何故か電流が飛び込んだ辺りを中心に夜を照らしていた都市の灯りが次々と途絶えていった。

 どうやらプラズマブレスの余波がこの都市の機能に障害を起こしたらしい。

 ……この場合一体これを誰が弁償するのだろうか。

 やはり隣で冷や汗をだらだら流しているナーガしかいないだろう。

 

 あたしがナーガをどうやってこの都市の官憲に突き出すか考えている間にも、事態はさらに進行していく。

 赤い竜は水中に逃げようとする雷撃竜(プラズマ・ドラゴン)を捕まえると、水の中に逃がさないためかそのまま一気に翼を広げて、雷撃竜(プラズマ・ドラゴン)を捕まえたまま遥か上空へと飛び上がっていく。

 

 ―――これは、チャンスか!?

 

 このまま彼女が高空に登ってくれるのなら街への被害を考慮せずに、アレが使える!

 そう判断したあたしは、この好機を逃すまいと素早く呪文の詠唱を開始した。

 

 

 ―――黄昏よりも暗き存在(もの)、血の流れよりも赤き存在(もの)

  時間(とき)の流れに埋もれし偉大なる汝の名において―――

 

 

 その詠唱を聞いたナーガが顔を真っ青にして橋から飛び降りたが、あたしはそれを無視して呪文を続ける!

 その狙いは、もはや雲に近づくほどの高度に達した二頭の竜―――その片割れ!

 

 

 ―――我ここに闇に誓わん、我らが前に立ち塞がりし

 全ての愚かなるものに、我と汝が力もて、等しく滅びを与えんことを―――!

 

 

 そして、呪文の完成と同時にドラゴン同士の戦いに決着が付いたようで、雷撃竜(プラズマ・ドラゴン)が赤いドラゴンに引き裂かれるのが遠目にも見えた。それとタイミングを合わせてあたしは呪文を解き放つ!

 

竜破斬(ドラグスレイブ)!!」

 

 あたしの力ある言葉と共に赤い光が解き放たれ、遥か高空で戦う二頭のドラゴン、その内の一頭に真っ赤な光が収束する!そして―――!

 

 

 ズッゴォオオォォォォォォォォォォォォォン!

 

 

 光を失った都市を照らしだすほどの、太陽のような紅い爆発が異世界の空で花開き、衝撃波が異世界の都市を席巻した。

 

 

 

 ◆    ◆    ◆

 

 

 

『先日、深夜に突如として発生した、○○市の上空で発生した原因不明の大爆発の件ですが、爆発からは放射性物質の類は検出されず、某国の核攻撃という線は低いようです。

 尚、この爆発に対して海外のテロ組織が自分達の犯行であると名乗りを上げていますが、これも実際には関連性は低いと政府は見解を示しております。

 この一件による人的被害については、死者は出ず混乱で転倒などして軽傷を負った方が20人程と規模の割にはかなり少なかったのが不幸中の幸いでしょう。

 

 続いて、爆発に前後して巨大なドラゴンを見たという目撃情報に付いてですが、これは現場の市民が動画を撮影しており、ネット上に公開されています。ドラゴンは真っ赤な翼の生えたドラゴンと、河から現れた巨大な蛇のようなドラゴンの二種が確認されており、警察や自衛隊が現場を調査し大爆発との関連性を調べております。他にも空を飛ぶ人間を見たという証言もありますが詳細は不明です。

 では早速公開されたドラゴンの動画を見てみましょう―――』

 

 ブツン、という音と共にあたしが見ていたこの世界のオーソドックスな情報伝達手段『テレビ』のスイッチが消されてしまった。

 

「ちょっと、まだ見てたんだけど―――」

 

 反射的にあげた抗議の声はテレビのリモコンの持ち主を見て尻すぼみになってしまった。

 そこに立っていたのは厳しい顔をしたねこやの店主。

 

「テレビを見る暇があるなら、早い所片付けてくれませんかね? 明日には営業を再開したいんでね」

 

「その通り。しっかり反省して労働するがいい、娘」

 

「リナさん、ちゃんとゴミは燃えるゴミと燃えないゴミに分別してくださいね?」

 

 ついでに彼の側のテーブルでビーフシチューを頬張ってた赤い竜の化身―――赤の女王と言うらしい―――が一緒になって追い打ちをかけてくる。更にアレッタさんにまで注意されてしまった。うーむ、心なしかアレッタさんの態度が冷たい。

 赤の女王は昨日至近距離で竜破斬を食らったせいか、頭や腕に包帯をぐるぐる巻いているがそれだけといえばそれだけである。

 

「……はーい」

 

 流石に分が悪いと判断したあたしは、散らかった店の片付けを再開する。

 といってもあたしが食堂の壁に開けた地上へのトンネルは既に埋めてあり、その上から壁紙を張って一応体裁は保ってある。その為、割れた食器の片付けやら汚れたテーブルクロスの交換と言った雑事がメインだ。

 トンネルの痕はあとで内装屋を呼んでしっかり処理してもらうつもりのようだが、その内装屋さんへの支払いはあたしが支払うことになってしまった。

 しかも元々食べた料理の支払いもあって硬貨だけでは足りず、虎の子の宝石まで出す羽目になってしまったのだ。

 とんだ散財である。

 

  あれから、丸一日が過ぎた。どうやらあの異世界に繋がる扉は崩魔陣(フロウ・ブレイク)のせいで一時的に機能不全を起こしてしまったようで、あたしと赤の女王、そして帰るタイミングを逃したアレッタさんは次に扉が機能回復するまで、こうしてこの世界に取り残されてしまったのだ。まあ、あくまで扉の機能不全は一時的な物で一週間もすれば再び元の機能を取り戻すらしいということが、不幸中の幸いだったが。

 

 そして手持ち無沙汰なあたしは詫びの意味も込めて、メチャメチャになったねこやの片付けをしているといわけである。

 まあ家事や掃除の類は郷里のねーちゃんに仕込まれたので苦にはならない。

 あたしは掃除の手を緩めることなくなんとなしに1人、上機嫌でビーフシチューを食べ続けている赤の女王に話しかけた。

 

「それにしても、貴女すごいタフさね。直撃じゃなかったとはいえ竜破斬(ドラグ・スレイブ)の爆発に巻き込まれてピンピンしているドラゴンなんて初めて見たわ」

 

 あの時あたしが竜破斬(ドラグ・スレイブ)の目標にしたのは彼女ではなく、彼女が捕まえていた雷撃竜(プラズマ・ドラゴン)である。

 その為、彼女は魔力ダメージはなく、至近距離での物理的な爆発の余波のみを受けた形になったのだが、竜破斬(ドラグ・スレイブ)の爆発の余波はそれだけで小さな城を簡単に吹き飛ばす。

 それを食らって包帯巻いて済む程度のかすり傷で済ませたのだから、彼女の肉体の頑丈さは推して知るべしである。

 

 竜破斬(ドラグ・スレイブ)の爆発による彼女の肉体へのダメージは大したことなかったが、赤の女王は衝撃でいわゆる脳震盪みたいな状態に陥り、好都合にも人間形態になって上空から落下してきた。あたしはそれを空中で捕まえると野次馬の目を掻い潜り、飛行呪文でなんとかねこやに戻ってきたのである。

 

 再び彼女が目を覚ましたら第二ラウンドも覚悟していたのだが、そこは店主さんが先手を打って、残った食材からありったけの料理を作り上げ、彼女に提供したことでなんとか彼女の怒りを収めることができたのだ。

 そして今は店主が徹夜で新しく仕込んだビーフシチューを食べて、ようやく機嫌を直してくれたというわけだ。

 

「ふん、この妾に手傷を負わせた人間は貴様が初めてだ。その偉業とこの店主の料理に免じて今回だけは許してやるが……、次はないと思えよ娘」

 

「いやー流石に竜破斬(ドラグ・スレイブ)は悪かったわよ。でもものは考えようじゃない?これから一週間、次の扉が開くまで、毎日ビーフシチューが食べられるんだから」

 

 そう言うと彼女は嬉しそうに頬を緩めた。

 

「確かにな。こちらに来れば毎日ビーフシチューが食べられる。これは盲点だったかもしれん。なあ、店主よ。よければこれからもちょくちょくこちらに――」

 

「駄目です」

 

 珍しく怒気のはらんだ店主の声に、あたしも赤の女王も気圧されてしまった。

 

「貴女達ね、今回の一件でどれだけの騒動になったかわかっていますか? あの大爆発のせいで自衛隊や在日米軍まで出動する騒ぎになって、ヘタしたら緊張状態にあった隣国と戦争になってたかもしれないんですよ。おまけに河向こうは大停電になるわ、お客さん達が暴れてる姿が動画に取られてネットに拡散するわ……、正直次にこんなことが起きたら異世界食堂を閉めることも考えないといけません」

 

「な、なんだと!? それは困る! もう二度と暴れたりはしないからそれだけはやめてくれ!」

 

 その言葉を聞いた赤の女王は泣きそうな顔で店主に縋りつく。そんなに好きか、ビーフシチュー。

 

「まあまあ、人の噂も七十五日というし、その内忘れるわよ皆」

 

「こんな事件10年経っても風化しませんよ。それとリナさん、貴女は今後出入り禁止にさせてもらいますからね」

 

 うっ、フォローするつもりだったが、藪蛇だったか。

 店主は溜息をつくと、こちらの事情を酌んでか一応温情をかけてくれた。

 

「ま、ここで放り出してまた大暴れされても困りますんで、次に扉が貴女の世界に繋がるまでは、こちらで宿と食事ぐらいは提供させてもらいます。ですがうちはタダ飯ぐらいを置くほど余裕はないので宿代として雑用ぐらいはしてもらいますよ」

 

「オーケー、オーケー任せといて。こう見えても故郷じゃ姉ちゃんの伝手でレストランのウェイトレスの手伝いとかしていたからね。仕事とメニューの内容を教えてもらえば、接客から調理の手伝いまでなんでもこなしてみせるわ」

 

 そう言ってウインク一つ。

 すると赤の女王があたしの言葉に何故か興味を引かれたようで、恐ろしいことを言い出した。

 

「うぇいとれすか。それはなかなか面白そうだの。では妾も一つやってみるか」

 

「「「いや、それは勘弁してください」」」

 

 店主さんとあたしとアレッタさんの言葉がハモった。

 彼女の気性でウェイトレスなんてやったら一体どうなることやら……。

 角を差し置いても外見は絶世の美女だし、下手にナンパ目的で男性客にちょっかいかけられたら怪獣大決戦リターンズである。

 

 ともあれその後、ねこやは一週間の間、大いに繁盛した。

 その理由としては一日中テーブルの一角を占領し、ひたすらビーフシチューを食べ続ける美女が話題になり、ビーフシチューの売上に大きく貢献したことや、可愛く優秀で器量も良い、栗色の髪をした美少女ウェイトレスと帽子をかぶった金髪のウェイトレスがねこやの看板娘として、大いに人気を得たことが関係しているとかいないとか。

 

 あれ? ところで何か忘れているような。

 

 

 

◆    ◆    ◆

 

 

 

「ちょっと、あなた達、一体いつまでこの白蛇のナーガを閉じ込めておくつもりわなけ!? この国の警察だか何だか知らないけど、いい加減釈放しないさいよ!」

 

「あー、はいはい。あんたの身元がわかったらちゃんと開放しますよ。で、もう一度聞きますが、あんた、何処の誰なんです。というか何ですかその格好。コスプレか風俗ですか? 日本人には見えませんが、外国人ですよね? ご職業は何を? 身分証明書は?」

 

「ほーっほっほっほ! 俗物ごときがそんなものでこの偉大なる魔道士、白蛇のナーガを計ろうなど思い上がりも甚だしいわね!」

 

「つまり何も証明できるものがないと。うーんこりゃ元の国に強制送還かな。それか入国管理局? というか何処に送ればいいんだこんなの。どこも断ってきそうだし……」

 

「ああ~! もう! 自分で帰れるならとっくに帰ってるわよ! リナ! 何やってるの! この私のこと完全に忘れてるんじゃないでしょうね! 戻ったら覚えてなさいよ~!!」

 

 

 

 

 どっとはらい。

 

 




 本日の日替わり被害者 赤の女王、ねこや、アレッタちゃん、日本政府、停電した街、釣り人のおっちゃん、その他たくさん。



※ちょっと食堂の結界や扉の設定周りで不備があったので少し改稿。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。