鋼の不死鳥 黎明の唄 (生野の猫梅酒)
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#1 目覚め

 P.D.324年の現在、火星には多くの企業が存在する。その中で今、もっとも名が売れている会社はどこか。普通ならば大手企業や老舗といった会社が真っ先に挙げられることだろう。

 しかし街角で訊ねてみれば、おそらくは誰もが口をそろえてこう述べるはずだ。

 

 ──それは間違いなく『鉄華団』に他ならない、と。

 

 鉄華団。それはここ半年ほどの間に大躍進を遂げた民間会社の名だ。構成員は驚くべきことにほとんどが少年兵たち。民間会社とは思えぬ武力を用いた護衛任務と、独自に利権を手に入れた希少鉱石関連が主な仕事である。

 かつてはほんの小さな、吹けば飛ぶような会社に過ぎなかった鉄華団は、今や火星どころか地球ですら注目される新進気鋭の組織となったのだ。その目覚ましい事業拡大の裏には多くの困難があったし、実質巨大マフィアとも目される『テイワズ』の影響も確かにある。だがそれらを踏まえても、飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長を遂げているのは間違いない。

 

 もはや誰もが目を離せなくなっている民間会社『鉄華団』。そんな鉄華団の団長を務める男の名を、オルガ・イツカと言った。

 

 ◇

 

 火星の荒野はどこまで行っても赤茶けた不毛の土地だ。例外はテラフォーミングされた大地だけ、それとて人口密集地と農業施設に限定される。故に火星のほとんどは似たような光景が広がっているのだが。

 そんな荒野の一角に、巨大な採掘プラントがあった。入口に建てられた看板には、土地の権利者である『アドモス商会』の文字が白く輝く。

 ここでは日夜多くの重機と人間が働いており、付近には倉庫や格納庫といった施設から、労働者の為の仮設住宅といった設備までより取り見取りだ。全部がこの半年ほどで用意されたものだからか、まだどこも小綺麗さが目立つ。

 

 ここはアドモス商会が運営し鉄華団も関係するハーフメタル採掘プラント、その記念すべき第一号であった。

 

「で、こいつが例のガンダム・フレームか。なんつぅか……鳥か? こいつは」

 

 連絡を受けて現場にやって来たオルガは、()()を見るなりそう呟いた。

 格納庫には採掘で使う重機や、もしもの為に戦車に似た兵器であるMW(モビルワーカー)が格納されている。どれも全長はそう大きくないのだが、ズラリと並んだその姿は壮観といえるもの。

 しかし今、この格納庫の主役は彼らではない。それらより図抜けて背の高い、この場では異質な機体へと交代しているのだから。

 

 ()()は巨大な人型をしていた。赤と金を基調とした優美なシルエットは、どこか女性を連想させるもの。だが背部に見られる巨大なスラスターや腰部から延びるブレードらしきパーツは、鋭角な装甲も手伝いどこか翼や尾のような印象をも見る者へ与える。さながら、人と鳥の融合体とでもいうべき姿だ。

 これこそはMS(モビルスーツ)と呼ばれる機動兵器にして、三百年前の過去より蘇りし七十二のガンダム・フレームの一機。調査により判明した正式名称をASW-G-37 GUNDAM PHOENIX(ガンダム・フェニクス)、不死鳥の悪魔の名を冠する機体であった。

 

「だがなんにせよ、まさか三機目まで手に入れられるたぁ俺たちも運がいいぞ」

 

 鉄華団の成長には、全部で七十二体しか生産されていないというガンダム・フレームが深く関わっている。保有する二機のガンダム──バルバトスとグシオンは鉄華団にとって大きな戦力であり、乗り手の実力も相まって内外から広く活躍を認知されるに至っているのだ。

 そんな中で鉄華団は、火星の大地から三機目のガンダム・フレームを掘り起こすことに成功した。もともと火星の土の下には未発見のガンダム・フレームが埋まっている可能性があったとはいえ、その一つを手中に収められるのはかなりの儲けだ。これからは急成長企業へのやっかみも増えてくるだろう現状では、なおさらに。

 

 自分たちの運と幸先の良さを確認したところで、オルガは目線を下ろした。

 

「んで、そっちの棺桶っぽいのはどうなんだいおやっさん?」

「ちょっと待ってろ、もうすぐ開くはずだぜ」

「おいおい、そいつそんなに面倒なやつなのか」

 

 オルガのすぐ傍には、土埃の付着した黒い長方形の箱が置いてあった。誰が見ても棺桶としか思えないだろうそれに整備士たちが数人取りついて、どうにか開けようと試みている最中だ。

 その中の一人、鉄華団員からはおやっさんと呼び慕われるナディ・雪之丞・カッサパは、持っていた工具で肩を叩いた。

 

「どうにもこの棺桶なんだが、機械的にロックされてんだよ。しかもかなり厳重かつ頑丈だから、強引に開けるわけにもいかん」

「……棺桶にんな馬鹿みたいな保護機能付ける必要あんのか?」

「普通はねぇわな。こいつはもしかしたら、タイムカプセルみたいなもんかもしんねぇぞ」

「へぇ、ガンダム・フレームと一緒に出てきたとなりゃ、多少は期待もできるってもんだが」

 

 もしかすれば、三〇〇年前に起きたとてつもない規模の戦争、通称『厄祭戦』時の資料なり武器なりでも出てくるかもしれない。今では多くが紛失してしまったそれらなら、結構なお宝と言って差し支えないだろう。もちろん、肩透かしを食らう可能性も十二分にあるのだが。

 

「っと、開きましたよおやっさん!」

「とうとう中身とご対面か。さぁて、鬼が出るか蛇が出るか……」

 

 整備士の号令で、ついに黒い箱の蓋が慎重に取り除かれて、

 

「なんだ、こいつは?」

「なんだ、こりゃあ……?」

 

 その瞬間、中から白い煙があふれ出た。

 似たような驚きの声と共に、全員が一歩後ずさる。濛々(もうもう)と立ち込める白煙に阻まれて、箱の中はとても判別できるような状況ではない。立ち上る煙はどこか冷たく、足元へと這うように流れていく。

 それでも段々と白煙は薄まり、うっすらと中身が明らかになり始めた。まず目に入るのは赤みがかかった銀髪、それは艶やかに白煙の中を躍っていて──

 

「女性の死体、でいいのか?」

「ってことはやっぱり棺桶かこいつは? にしてはこの煙はいったい……」

 

 多くの者が訝しみながらも箱の中身に目を凝らした、その時だった。

 

「なっ、おい、動いてんぞ!」

「んな馬鹿な……ってマジかよ……!」

 

 白煙の中から身を起こす影があった。それはゆっくりと機械的に首を振って、腕を上下させた。まるで自身の肉体の動作を再確認しているかのような、どこかぎこちない動き。

 まさかの事態に呆気にとられる一同の目の前で、ついに人影は薄れた白煙を突き抜け箱の中から立ち上がった。

 

 どこか夢見心地な金色の瞳が、オルガの鋭い視線と交錯する。

 

「おはようございます。早速ですが、ジゼル、お腹が空きました。激辛のご飯を所望します」

「……は?」

 

 反射的に変な声がオルガの口から漏れた。

 

 ──いったいこの少女は何を言っているのだ。そもそも何者だ、どうして発掘品から当たり前のように出てきて、しかも生きているのだ。はっきり言って訳が分からない。

 

 これだけの意味が瞬時に込められたオルガの一言は、この場の全員の総意に他ならないだろう。そうして誰もが正体不明の女に気を取られている間に、いつの間にか女は箱から出るとオルガの正面に立っていた。

 

「ご飯、無いのですか?」

「ちょ、ちょっと待て……」

 

 改めて少女の容姿を確認すれば、見た目はどうにも若く、また整っている。ふんわりとした赤銀の髪は膝裏まで届くほどに長く、眠たげな金の瞳は神秘的な輝きを(たた)えたもの。比較的小柄でスレンダーな身体を包んでいるのは、古ぼけてはいるが白いパイロットスーツで間違いない。

 

「よーし……よく分からんが、まずは単刀直入に訊こうじゃないか。アンタ、何者だ?」

「ジゼルのことですか? ジゼルはガンダム・フェニクスのパイロットです。それで、ご飯はまだですか?」

 

 どうにも感情の起伏を感じさせない、平坦な声色だ。しかも表情すらほとんど変わらないとあって、目の前の女が何を考えているのかまるで読み取れない。

 淡々と機械的で、性質の悪いことにマイペースなヤツ。それがオルガの抱いた最初の印象であった。

 

「さっきからご飯ご飯ってアンタな……こっちは訊きたいことが山ほどあんだが──」

「ご飯」

「……わかったよ、ったく。ほら、こいつでも食うか?」

「いただきます」

 

 このままでは埒が明かないと悟り、仕方なしにオルガは持っていた棒状の簡易食糧を手渡した。味はそこまで悪くなく、栄養価はかなり高い優れモノである。

 食料を受け取った正体不明の少女──名乗りからしてジゼル──は、手慣れた手つきで袋を開けると物の数秒で食べきってしまった。それなりの量はあるというのに、大した食欲だ。

 

「お腹は膨れましたが、味が全然わかりません。もっと辛い物は無いのですか?」

 

 そして貰っておいて堂々と文句を述べる面の皮の厚さもまた、大したものだった。

 彼女は物欲しそうな目でオルガを見つめてくるが、いったん無視して相談と決め込むことにする。

 

「団長、このジゼルってお嬢さんどうするんですか? めっちゃ不思議系オーラ出してますけど……話通じるんすかねぇ?」

「つってもなぁ……それでもひとまずは話を訊くべきだろ。もしこいつが本当にあのガンダム・フレームのパイロットっていうなら、余計に慎重に対応すべきだ。違うか?」

「ならちょうど事務室が空いてますので、ひとまず話はそちらの方でどうでしょうか?」

「ああ、(わり)ぃがそれで頼む」

 

 小声でやり取りする整備班とオルガに、ぼんやりと周囲を眺めているジゼル。現状、存在が不審という以外はこれといって怪しい動きは無いのだが、かといって気を抜いてかかるのも違うだろう。

 

「とりあえずアンタには俺と──」

 

 一緒に来てもらうぞ、と告げようとして、しかしその言葉は次の瞬間かき消された。

 

 突如、大地を揺らす衝撃と、大気を震わす爆音が採掘プラント全体を席捲する。天井の照明が大きく揺れ、収納されていた器具がこぞって床に叩き落された。何事かと考える前に、間髪を入れず緊急警報(アラート)がけたたましく格納庫内に鳴り響く。それに紛れて外から届くのは、本来ありえないはずの人の悲鳴とMSの駆動音。

 あまりに脈絡のない急激な世界の変化。誰も彼もが状況の変化に付いていけない中で、一つ確かに言えることがあるとするならば、

 

「まさか敵襲だと!?」

「そんな、嘘だろ!」

「どうしてこんなところに!?」

 

 悪意ある第三者の襲撃に曝されているのは間違いなかった。

 

 採掘プラント全体がにわかに騒然とし、次の瞬間には皆が悲鳴と共に逃げまどい始めた。ここで働いているのは多くが戦いとは縁のない一従業員であり、むしろオルガのような武闘派の人間の方がよほど少ない。その証拠にこの場で落ち着いているのは、オルガ達鉄華団に由来する少数のメンバーだけだ。

 

「……戦い、ですか」

 

 否、もう一人いた。ジゼルだ、彼女はこの状況を全く意に関していない。むしろ眠たげな瞳を鋭く細めた彼女は、それまでの無表情が嘘のようにニタリと笑った。どこまでも純粋で美しく、だが見る者を不安にさせるような、そんな笑みである。

 彼女は即座に避難誘導を始めようとしているオルガ達に向き直ると、ほんの微かに楽しそうな声音で訊ねてきた。

 

「ジゼルのフェニクス、何か弄ったりしましたか?」

「い、いや、まだほとんどなんもしてねぇが……それがどうした嬢ちゃん」

「不味かったとはいえご飯のお礼もあるので、ここは恩返しでもしようかと」

 

 雪之丞の問いに答えるや否や、ジゼルは背を向けて走り出した。華奢な見た目にそぐわぬかなりの速さだ。整備員の制止を振り切り走るその先には、鎮座しているガンダム・フェニクスの姿がある。

 

「おいアンタ、何をするつもりだ!?」

「訊きますけど、外のは間違いなく敵なのですか?」

「質問に質問で返すなよ……ああそうだ! ここに攻撃仕掛けてくる馬鹿なんざ鉄華団(おれたち)を目の敵にする奴らしかいねぇよ!」

「つまりどれだけ殺しても良いのですね。それだけ分かれば十分ですよ」

 

 既にジゼルはフェニクスのコクピットに飛び乗るところだった。赤銀の髪が鮮やかに翻る。その刹那、髪に隠れていた背中に、阿頼耶識システムが埋め込まれているのが確かに見て取れた。

 勝手知ったるとばかりにフェニクスに乗り込んだジゼルは、手際よく機体を起動させていく。三百年のブランクがあるはずの機体なのに、全く年月を感じさせないスムーズさだ。

 

「だ、団長! どうすればいいんですかこれは!?」

「泣き言喚いても仕方ないだろ! MWの準備は出来てるか!? 動かせる奴らはすぐに外の奴らの救援と、本部からの応援が来るまで襲撃者の足止めをさせろ! それ以外の非戦闘員はこっちに避難だ!」

「フェ、フェニクスは──」

「もうパイロットが乗っちまったんだからどうしようもねぇよ! 後はあのよく分からん奴が、俺たちの味方をしてくれるのを祈るばかりだ」

 

 団長として矢継ぎ早に指示を出しながら、どうしてこうなったとオルガは胸中で吐き捨てる。

 

 きっかけは発掘されたガンダム・フレームの連絡を受け、スーツのままここへ視察に来たことだった。

 それが妙な棺桶を開けたらおかしな少女が出てきて、訳の分からない会話をいくつか交わして、ようやく落ち着いて話を出来ると思った矢先にこの襲撃だ。事態があまりに急転直下すぎて、様々な修羅場を潜り抜けたオルガでも心労が溜まるほど。

 ともかくこの状況はまずい。MWではMSと正面切って戦うなど不可能に近く、このままでは敵も分からぬまま嬲り殺しだ。かといってMSはこの場に一つしかなく、しかもそれに搭乗しているのはまだ知り合って数分と経っていない謎が多すぎる少女なのだ。

 

 だけどそれでも、全滅を避けるためには残された道は一つしかなかった。

 

「おい! もっかい聞くが何するつもりだ!」

『外の敵を全員殺してきます』

「アンタを信用していいのか!?」

『少なくとも今は』

「……そうかよ!」

 

 スピーカー越しに聞こえてくる言葉に、半ば以上やけくそ気味な返事をした。

 信頼も何もない相手に命を預けるなど甚だ不本意ではある。だが鉄華団の団長として筋を通すならば、言うべき言葉はこれしかないだろう。

 

「俺は鉄華団団長オルガ・イツカだ! 臨時ではあるがアンタの手を借りたい! 頼めるか!?」

『──もちろん』

 

 返答とばかりに、息を吹き返した悪魔の瞳に力強い緑光が灯る。

 

『ジゼル・アルムフェルトです。ガンダム・フェニクス、目標を殺戮してきます』

 

 宣言と共にフェニクスの駆動音がいっそう高まる。そして、格納庫から勢いよくフェニクスが飛び出した。解き放たれた悪魔(かのじょ)の目指す先はただ一つ、心躍らせる鉄火場だ。

 

 ──それは三百年の過去より蘇った鋼の不死鳥(あくま)が、再び蒼穹の空に舞い戻った瞬間だった。

 



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#2 鏖殺の不死鳥

 血のように燃え盛る夕日の下には、空と違わぬ凄惨な光景が広がっていた。

 

 撃ち込まれた銃撃によって採掘場には大穴が空き、撃墜されたMWやMSが死体のように至る所で転がっている。そこら中に散乱した鉄くずや刻み込まれた破壊痕が残っているのは、従業員用のアパートだろうか。新しく出来たばかりだというのに、酷い有様に成り果ててしまった。

 そんな戦場の悲哀を吹き飛ばすかのように、一条の風が吹いた。けれど風に乗って運ばれるのは、錆びた鉄とオイルの臭いだけ。人の活気など微塵も感じさせない。

 

「ひでぇことしやがるぜ、ホントによ……」

 

 格納庫の屋上から採掘プラント全体を見渡したオルガは、一言そう吐き捨てた。

 たった十五分。それだけが、順調に軌道に乗っていた採掘プラントがこうまで蹂躙されるまでの時間であった。

 

 戦争の無情さはオルガとてよく知っている。彼とてほんの半年前にはその最前線で戦っていたし、今もなお戦場の空気を忘れるなどありはしない。だからこそ、こういった光景には耐性というものがついている。

 だが、耐性がつくのと何も感じないのはまた別の話だ。こんな無差別な破壊などオルガは好まない。いや、そもそも戦いや荒事といった家族を危険な目に遭わせること自体、本当はしたくないのだ。ただそうする他に生きる道が無かったから、鉄華団(かぞく)と共に血で血を洗うような地獄へと飛び込んだだけの話。そこに余計な感情を持ち込む暇は全く無かったと言っていいだろう。

 

 ──故にこそ、目の前で佇む赤と金のMSの在り方はオルガにとって異質だった。

 

「アイツ、戦いを楽しんでやがったのか……?」

 

 思い出す。ジゼル・アルムフェルトと名乗った少女が出撃してからの、あまりに圧倒的な蹂躙劇を。嬉々として敵を屠る、情け容赦のない戦いぶりを。

 

 ◇

 

 採掘プラントに降り立ったMSの数は、全部で六機であった。

 緑色を主とした細身の機体は、その名を”ゲイレール”と言う。現代で主流なMSの一世代前にあたり、それ故にお払い箱となって傭兵部隊などの闇組織に非合法な形で出回っているMSだ。

 つまりゲイレールはいわば傭兵たちご用達のMSな訳だが、今回の襲撃者たちもまたその例に漏れず傭兵団の一員である。彼らはとある商会より依頼を受けて、鉄華団の関係するこの採掘プラントを破壊すべくやって来たのだ。

 

「にしても、こんな楽な仕事で金が貰えるなんていい仕事っすよね」

『だからって気を抜きすぎるな。うっかりで取り返しのつかないミスを起こしても知らないぞ」

「へいへいっと」

 

 投げやりな返答で通信を切ったのは、ゲイレールに搭乗する内の一人。まだ若いながらも鍛えられた身体つきと、軽薄な口調に合わぬMSの操縦技術はかなりのものだと自他ともに認めている、そんな青年だ。

 とはいえ、今回の仕事で彼がその自慢の操縦技術を振るうことは無いだろう。なにせやることといえばたかが民間会社の一施設の破壊が主であり、出てくる相手はMSの敵にもならないMWがほんの数台だ。それすら、戯れに一台潰してやれば飽きてしまう。退屈しのぎにすらなりはしない。

 

「はぁ、誰か潰し甲斐のある敵でも出てくれりゃいいんだけどな……無理かねぇ、そんなの」

 

 逃げ惑う従業員が爆発の炎に消えていくのを眺めながら、青年はどうしようもなくぼやく。こうして圧倒的な力で弱者を蹂躙するのも悪くはない。だけどやっぱり、男ならば強敵との熾烈な戦いこそが望むべきだ。そう考えるが故にどうしても物足りなさは拭えなかった。

 破壊されずに残っているのは既に倉庫と格納庫だけ、この二つからは壊す前に有用な物を回収しておくように依頼を受けているためだ。相手もそれを知ってか知らずか格納庫に避難しているようだが、まあ関係ないだろう。

 

『よし、こちらは粗方片付いたな。後は向こうの倉庫と格納庫を──なぁッ!?』

「先輩、どうしたんすか──ってこれは!」

 

 僚機からの通信が唐突に途切れた。代わりに聞こえるのは驚愕の声と、鋼と鋼のぶつかるような硬い音だけ。

 いったい何が起きたか全くの不明。だがその問いに答えるように、コクピットに警報が鳴り響いた。

 

「所属不明のエイハブ・リアクターの反応……! MSだと!?」

 

 MSの動力源にはエイハブ・リアクターというエンジンが用いられている。これは一つ一つ識別可能であるため、味方のエイハブ・リアクターには当然ながら反応することはあり得ない。

 その未知の反応は急速に青年の方へと向かって来た。五百メートルから始まり、三百、二百、百──恐ろしい速度で接近してきているのに、影も形も見えはしない。どこだ、どこにいる──

 

「……ッ! 上か!」

 

 青年は直観に従い咄嗟にゲイレールを後ろに飛びのかせる。次の瞬間、先ほどまでゲイレールがいたはずのところに重厚な剣が叩きつけられた。鈍い音、大地がひび割れ、跳ね上げられた土塊が宙を舞う。

 不意打ち気味に攻撃を放ってきたのは赤と金の鮮やかなMS。そいつは武器を構えなおすと、油断なく青年のゲイレールへと向き直った。

 

「なんだぁ、こいつは……?」

 

 思いがけない敵の出現に、意識せず疑問が首をもたげる。

 翼に似たスラスター、尾のように伸びた腰部ブレード、脚部は鉤爪(クロー)の如き形状をしていて、あたかもそれは人と猛禽が一つとなったかのよう。そして握りしめた得物はMSの頭身ほどに大きい(ブレード)で、しかも大砲(カノン)と一体化した特殊極まる巨大兵装だ。

 

『おはようございます、さようなら』

「は?」

 

 目の前のMSから放たれた通信は突拍子もないもので、気の利いた反応を返す余裕すらなかった。

 だから悲しくも、これが青年の最後の言葉となる。

 気が付いた時には、真横からブレードが迫っていた。それが腰部の尾が伸びたものだと気付いた時にはもう遅い。ゲイレールは武器ごと右腕をへし折られ、それに気を取られた瞬間には目の前に迫っていたブレードに叩き潰されていたのだから。

 

「呆気ない、これじゃ準備運動にもなりませんね」

 

 こうしてジゼルとガンダム・フェニクスは、瞬く間にMSを一つ打倒してみせたのである。先ほど不意打ちする前に倒してきたMSも含めればこれで二機目、まずまずの滑り出しといえるだろう。

 流動性のワイヤーで繋がったテイルブレードを収納しながら、おそらくはコクピットだろう場所を丹念に潰して、フェニクスは軽快に動き出す。次の目標はこちらを警戒しているゲイレール二機、近い所に固まっているからまとめて相手取る算段だ。

 

 スラスターを勢いよく点火、急加速して一目散に目標へと肉薄する。さすがにこの時には襲撃者たちもフェニクスを敵と認識していて、標的の二機も巧みなライフル捌きによる連携で立ち向かってきた。

 だが、当たらない。弾丸がどれ一つとしてかすりもしない。フェニクスの動きはとても鋼鉄の身体とは信じられない柔軟なもの。まるで人間のような滑らかな挙動は銃弾の間を効率よく抜けることを可能とし、速度を落とさず最短で接近する。

 

『こいつ、動きが読めねぇ……!』

『まさか阿頼耶識か!?』

「ご明察、とだけ」

 

 漏れ聞こえた通信にちょっとだけ返答して、フェニクスは武器を構えた。大剣(ブレード)大砲(カノン)の合体したその武器を、何の捻りもなく”カノンブレード”とジゼルは呼称している。

 

 ともかく、構えたカノンブレードの照準を合わせる。狙いは右方にいる、やや距離のあるゲイレールだ。

 引き金は羽毛のように軽く。躊躇いなど微塵もない。発射、そして轟音が響き渡る。通常のライフル弾などより遥かに凶悪な速度、質量のそれは吸い込まれるようにゲイレールのコクピットにぶち込まれ、残されたのはひしゃげたコクピットのゲイレールだけであったのだ。

 

『こんのォッ!』

「おっと」

 

 間髪を入れず、残ったもう一機のゲイレールが正面から強襲する。彼我の距離はわずかだ。雄叫びと共に振り上げられたのはランドメイス、フェニクスは半身をずらして紙一重で回避する。

 続くゲイレールの第二撃、投げ捨てられたライフルの代わりに握られたシールドアックスが閃く。フェニクスはそれをカノンブレードで受け止めると、そのまま鍔迫り合いへと移行した。

 

『畜生、何だよテメェ! お前が噂の”鉄華団の悪魔”って奴なのか!?』

「誰ですか、それ」

 

 交わされる言葉は少ない。心底から疑問といったジゼルの言葉を皮切りに、フェニクスが押し込み始めた。出力差によって崩れる均衡、ゲイレールのシールドアックスが弾かれ、カノンブレードが自由となる。その時にはもう勢いのままにカノンブレードはコクピットに向かっていて、振りぬかれた一撃は過たずコクピットごとゲイレールを斬り潰してみせたのだ。

 倒れ伏したMSから流れるのは、果たしてオイルか人の血か。常人ならば眉を顰める光景だろうが、ジゼルは眉一つだって動かさない。この程度の光景がなんだとばかりに気にも留めない。

 

『おいアイツやべぇぞ……! ここは逃げた方が──』

『ま、待て、アイツこっちを見てるぞ……!』

 

 フェニクスの視線の先には、もはや戦意を完全に喪失した二機のゲイレールがあった。ほんの数分でMSを四機も屠る相手を前にして、誰が好き好んで相手になろうというのか。故にどちらもこの場から離脱しようとジリジリ後ろに下がり始めている。とても弱者を甚振(いたぶ)っていたとは思えないその姿を滑稽と恥じる余裕すら、パイロットの二人にはもはや無かった。

 

 そんな引き腰のゲイレールを見たジゼルは──

 

「やっとジゼルは温まってきたところなのに……そうでしょう、フェニクス?」

 

 迷う素振りすらせず、再びフェニクスのスラスターに火を点けた。

 一度敵対したなら、毛ほどの容赦も呵責もなく殺しつくす。そうでなければ、生き残った者とどのような禍根が残るか分からないから。だから必ず殺すのだ。

 戦場に生きる者としては正しく、常識に照らせば狂っているとしか思えない殲滅思考。だがそれすらジゼルにとってはどうでもいいことだ。本当はただ、()()()()()()()()()さえ得られれば良いのだから。

 

『なぁッ!?』

『嘘だろ!? クソッ、ふざけんなッ、こっちに来るなよお前ッ!』

 

 恐怖に駆られがむしゃらに吐き出されるライフル弾。無論、狙いも何もない弾で被弾するフェニクスではない。逆に腕部に仕込まれた牽制用一二〇mm機関砲を放つと、ゲイレールのライフルを容易く誘爆させてしまう。これでもう、近接戦闘しか取れる手立てが失われた。

 ならば一か八かとゲイレールのパイロットたちは近接戦を挑んで──相手にすらならなかった。変幻自在のテイルブレードに対応できず、大質量のカノンブレードに磨り潰される。

 

 こうして、襲撃者たち六機のゲイレールは数分の内に全て沈黙した。

 

「終わり……ですか」

 

 寂寥感と共にジゼルは呟く。例えるならばそれは、遊園地から帰るときの子供に似ているだろうか。楽しい時間、夢のような一時が覚めてしまう、あの名残惜しい感覚。そんな微笑ましい感情をあろうことか彼女は、闘争という命のやり取りの後で感じていたのだ。

 かくして、平和な採掘プラントで行われた蹂躙劇は幕を閉じた。弱者を蹂躙していたはずの襲撃者たちは立場を逆転され、皮肉にも生粋の戦闘狂の手によって逆に蹂躙されてしまったのである。

 

 ◇

 

 その後、三十分としない内に鉄華団本部から応援が駆け付けた。

 鉄華団の悪魔と名高いガンダム・バルバトスを筆頭にやって来たMS隊であったが、彼らの出番は既に消えてしまっている。なので現在はMSのパワーを活かして、採掘プラントの瓦礫除去を手伝っている最中だ。

 もちろん団長であるオルガの仕事も多い。従業員を含めこの場で最も冷静だった彼は臨時の指揮官として動いている。そのため死傷者たちの把握に、現場支援を行う鉄華団への指示、さらにはアドモス商会への連絡用に報告をまとめ上げたりと大忙し。やっとそれらが一段落したのは、もう夕陽がとっぷりと空を染め上げている頃だった。

 

 息抜きに格納庫の屋上に出ていたオルガは、荒れ果てた採掘プラントを眺めた。やはり酷い。せっかく軌道に乗っていたというのに、また一からやり直しだ。人的被害だって決して小さくは無かった。それらを胸に刻み、この事件の主犯には必ずや落とし前をつけさせると決意を新たにしてから、例の少女を思い出す。

 

「アイツ、戦いを楽しんでやがったのか……?」

 

 目の前の敵に容赦はせず、逃げようとする相手も確実に仕留める。その姿勢やあり方は鉄華団のエースこと三日月・オーガスにも共通することだが、けれど彼女の場合は決定的に違うところを感じさせたのだ。

 三日月は仕事だから敵を殺す、そこに楽しむも何もない。対して、彼女は戦いが楽しいから敵を殺しているのだ。思えば格納庫で見せたあの笑みも、闘争の気配を肌で感じたからこそなのだろう。

 

 ──華奢で神秘的な雰囲気をまとっているくせに、その本性は獣の如き戦闘狂(バトルジャンキー)。それがジゼル・アルムフェルトという女なのだろう。

 

 とてもじゃないが自分には理解できないような人間、そんな結論を脳裏で下した時だった。

 

「ここにいましたか、オルガ・イツカ」

「アンタは……」

 

 いつの間にか、オルガの後ろにジゼルが立っていた。白いパイロットスーツのまま、長すぎる髪を夕陽の色に染めてオルガを見上げている。

 

「戦場をありがとうございました。ちょっと物足りないですが、寝起きの頭には良い刺激でしたよ」

「そうか……いや、こちらこそ助かった。成り行きとはいえアンタには助けられたからな、礼を言わせてくれ」

 

 人として筋を通すことにこだわるオルガだからこそ、余計な損得やしがらみも抜きに素直に頭を下げることが出来た。そんな心のある感謝を受けたジゼルであるが、彼女の反応は芳しくない。

 

「どうした? まさかさっきの戦闘で怪我でもしたか?」

「いえ、違います」

 

 即答だった。ぼんやりとした瞳は変わらないくせに、口調だけははっきりしている。

 

「このままだとジゼルは根無し草なので、どうしようかと。戦いと唐辛子がなければこの先生き残れませんので」

「おいおい……」

 

 そのどこかズレた返しに思わず呆れてしまうオルガ。だけど同時に、少しだけ安堵もした。自分たちとはあまりに違う思考回路を持っているらしいこの少女でも、当たり前に心配事はあるのだなと。初めて目の前の少女を、自分たちと同じ人間だと思うことが出来た。

 

「なので就職先を斡旋してもらえると助かるのですが、どこかお勧めはありますか? もちろん、フェニクスも一緒に」

 

 かつてよりも遥かに大きくなった鉄華団は、そろそろ新しい段階(ステージ)に進む頃合いだった。次の成長を促すための起爆剤として、これまでいなかった人間を迎え入れる。それはきっと、この先に歩を進めるためには避けては通れぬ道だろう。

 この謎の少女は鉄華団からしてみれば劇物に他ならない。全く異なる価値観に、異質がすぎる思考や雰囲気。これらは扱い方を誤れば組織を殺す毒となってしまう。だが、使いこなせば組織を活かす良薬となる可能性を秘めているのだ。

 

「──いいぜ、とっておきが一つある。そいつは今、火星でも最高に脂の乗った企業だ。そのおかげで金も戦場も困ることはねぇ。もっと言えば、団員は常に募集中だ」

「いいですね、それ。是非とも雇われてみたいものです」

「よし、なら着いてきな」

 

 まだまだやることは沢山ある。荒らされた採掘プラントの臨時指揮もそうだし、この少女の身元や過去だって詳しく訊き質さねばなるまい。鉄華団もまた急成長故の軋みはある。課題はいまだもって山積みなのだ。

 願わくば、一秒でも早く鉄華団(かぞく)に楽をさせるためにも。オルガは止まることなく進み続ける。

 



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#3 生粋の

 採掘プラント襲撃事件から一夜明け、ほんの少しづつだが平穏が戻ってきた。その頃には採掘プラント復興のための段取りは全て整えられ、それに伴って鉄華団が手伝うことも殆どなくなってしまっていた。

 なのでオルガは応援に来ていたメンバー共々朝一番で鉄華団本部へと帰還し、行き場のないジゼル・アルムフェルトもまた、ひとまず本部へと案内されていたのだった。

 

「本当にフェニクスを見てくれるのですか?」

「そういうことになってるらしいな。ま、とは言っても多少のメンテくらいだけどな。それ以上は色んな意味でまだ無理だ」

 

 鉄華団の保有する格納庫にて、到着早々にジゼルと雪之丞はフェニクスの処遇について話し合っていた。

 

 いくら頑丈さが取り柄のMSといえど、三百年も地下に埋まっていれば経年劣化などが起こり本来の性能とはかけ離れてしまう。これではいざという時に動作不良が起きる可能性もぐっと高まってしまうし、取り柄である耐久性すら信用できなくなるのだ。

 そこで、オルガの提案でフェニクスの簡易的なメンテナンスが行われる事となったのである。成り行きで助けたとはいえ鉄華団の団員でもないジゼルにそこまで便宜を図ってくれるのは、ひとえに”筋”を重視するオルガの性格によるものだろう。もちろん費用も人手も嵩む以上、本格的なメンテナンスとまではいかないが。

 

「良かったね、フェニクス」

 

 囁くように鋼鉄の不死鳥へと語り掛けるジゼル。土埃が付着し、風化によって傷だらけな装甲を愛おしそうに撫でた。珍しく表情にも微笑が浮かんでいるようで、それだけ彼女がこのMSを大切にしているということがうかがえる。

 

「そんだけ大事に扱ってもらえりゃ、フェニクス(そいつ)も願ったりだろうな」

「この子は、ジゼルにとっては無くてはならないので。フェニクスと唐辛子のどっちを取るかと言われれば、苦渋の末にフェニクスを選ぶくらいには大切です」

「そこは嘘でも『迷わず選ぶ』くらい言ってやれよ……香辛料と天秤にかけられるMSなんざ聞いたことがねぇ」

 

 こりゃどうしようもないとばかりに空を仰ぐ雪之丞。採掘プラントでジゼルのマイペースぶりは知っていたが、それでも彼女の相手は荷が重すぎた。むしろオルガはよくこんな少女を鉄華団まで引っ張ってきたものだとしきりに感心してしまうほどである。

 と、フェニクスを眺めていたはずのジゼルが視線を外した。しばらく格納庫内を彷徨って、それから雪之丞へと戻ってくる。何か探し物でもあるのだろうか。

 

採掘プラント(あっち)で別のガンダム・フレームの姿を見たのですが、此処には無いのですか?」

「いや、バルバトスは──」

「バルバトスは別の格納庫にあるよ。そっちで整備中」

 

 雪之丞の言葉に割り込むように、少年の声が聞こえてきた。そちらへ目をやれば、小柄な少年が一人立っている。もごもごと口を動かしているのは、何かを食べているからだろうか。怪我でもしたのか右腕を吊っているその少年は、よくみれば非常に筋肉質な身体つきだ。

 懐から取り出した火星ヤシを食べているその少年──三日月・オーガスは、しげしげとジゼルを見つめていた。初めて見る顔だから、多少の興味をそそられたのだろう。

 

「というか、アンタ誰?」

「ジゼル・アルムフェルト、ガンダム・フェニクスのパイロットです。あなたは?」

「三日月・オーガス、ガンダム・バルバトスのパイロットをやってる」

「そうですか」

「うん」

「……」

「……」

「いや、せっかくなんだし何か話せよお前ら」

 

 静まってしまった場の気まずさに耐えかねて、雪之丞はついツッコミを入れてしまう。

 もとより三日月は口数の多い方ではないし、ジゼルは何を考えているのかはっきり言ってよく分からない。だから、そんな両者が相対すればこうなるのは半ば自明の事と言えた。

 雪之丞のツッコミにも我関せず、およそ十秒ほど経っただろうか。先に口を開いたのは三日月の方だった。

 

「アンタ、なんか変な感じだね。立ってるだけなのに、まるで銃を突き付けられてるみたいだ」

「……面白いことを言いますね」

「別に冗談ってつもりでもないんだけど……まぁ、いいか。それじゃあね、おやっさん」

 

 それだけ言ってスタスタと背を向け去っていく三日月と、その背中を視線で追うジゼル。雪之丞は結局何も言えず仕舞いだ。独特の雰囲気に気圧されてしまい、言うべき言葉が見つからなかった。

 

 例えるならそれは──狩人と獣だろうか。

 

「何しに来たんですか、彼?」

「そういやそうだな……ま、気儘な三日月の事だしあんまし気にしなくてもいいと思うぜ」

「はい」

 

 素直に頷くジゼルである。たぶんお世辞でも何でもなくて、本気でそう思っているのだろう。

 その時、格納庫と居住区を結ぶ通路から小走りに移動する足音が響いてきた。近づいてきた足音は鉄の扉を勢いよく開けて、真っすぐジゼルと雪之丞の下へとやって来る。オレンジ色のくせ毛が特徴的な少年だ。

 

「よぉ、どうしたライド。なんかあったか?」

「あ、おやっさん! 俺は団長からの連絡を預かって来たんだ! えーと、ジ、ジ……」

「ジゼル・アルムフェルトか?」

「そうそう、その人! たぶん格納庫にいるだろうから、社長室の方まで連れてきてくれって!」

「分かりました」

 

 きっとここからが彼女にとっての分水嶺なんだな、そう直感的に感じ取った雪之丞は去っていくジゼルの背中を見送るのだった。

 

 ◇

 

「さてと、待たせてすまなかったな。とはいえ、そろそろアンタの処遇もはっきりさせておきたい。それは分かるな?」

「ふぁい」

 

 テーブルを挟んでソファにちんまりと座っているのは、サンドイッチを口いっぱいに放り込んだジゼルであった。服装は今だパイロットスーツのままである。

 ひとまず鉄華団に着いてきた彼女ではあるが、まだ正式に鉄華団に加入したわけではない。それはこれから行われる面接にて決められる。普段ならこうも厳格にはしないが、相手の言動が言動だけに慎重に決めようとオルガが考えた故だ。

 しかし当のジゼルは緊張した様子もなく、むしろハムスターのように口を膨らませて気の抜ける返事をした。その上、サンドイッチはとても気が抜けるものではない。異臭が、届くのである。

 

「……おいおい、そいつってさっきハバネロソースかけまくってたやつだよな? んないっぺんに食べて舌おかしくなんねぇのか?」

「いえ、別に」

 

 ドン引きといった様子でジゼルを眺めているのは、鉄華団の副団長ユージン・セブンスターク。さらに頷いているのは二番隊隊長として抜擢された昭弘・アルトランドだ。どちらも鉄華団の最古参メンバーであり、オルガからの信頼も厚い。二人はオルガの後ろについて、それとなくジゼルの警戒を行っているのだ。

 とにかくジゼルはその激辛と思しきサンドイッチを平然と咀嚼し、満足げに飲み込んだ。これで四つ目、やはりとんだ食欲である。ゲテモノ料理をマジマジと見せつけられた三人は、とても食欲など湧かないが。

 

「ともかく、本題に入るとしよう。まずはアンタの名前と簡単なプロフィールを教えてくれ」

「了解しました。ジゼル・アルムフェルト、十八歳。左利き、身長は一五八センチ、体重は四十八キロ。他には──」

「待て、待て、俺たちが訊きたいのはそんな個人情報じゃあない。つか仮にもアンタ女だろうが。体重だのなんだのペラペラ言うなよ」

「すみません、ちょっとした冗談のつもりでした」

「あれで冗談とか、それこそ冗談キツイぜ……」

 

 どうにもつかみどころのない女だ。天然ともどこか違う、常人とは感覚がズレているのだろうか。これまでの鉄華団には縁の無かったタイプ、これは会話するだけでも難儀するだろうとこの場の誰もが理解する。

 そうして、今度こそ臨時の鉄華団面接試験が始まった。

 

「もしアンタが鉄華団に加入、ないし雇われたとして、何が出来る? 先にアンタのセールスポイントを教えて貰おうじゃないか」

「何が出来るかといえば……フェニクスに乗って邪魔な敵を皆殺しにするのは得意ですね。後はMA(モビルアーマー)と戦うのもそこそこ得意な方です。あまり楽しくはないですがね」

「MA?」

 

 物騒なアピールの中に混じるのは、誰一人として聞き覚えのない単語だ。響きはMS(モビルスーツ)にも似ているが──

 

「ご存知ないのですか? おかしいな、あれは厄祭戦の発端となった最低最悪の殺戮兵器なのに」

「……気にはなるが、長くなりそうだから後にしよう。それで、他には?」

「他には、そうですね……これでも軍人だったので一通りの事務仕事はできますよ」

「そいつは本当か!?」

「え、ええ、まあはい」

 

 思わず立ち上がって訊き返してしまう。そのせいで「まあ机仕事よりも戦場に出してもらう方がありがたいのですが」というジゼルの言葉も耳には入らなかった。

 覆しようのない事実として、現在の鉄華団は圧倒的に事務担当が不足している。そもそもからして学問に縁の無かった子供たちの立ち上げた組織だから仕方ないのだが、事業を拡大した今その不足は致命的であったのだ。団員の募集もかけているし、数少ない大人たちが支えてくれているのだが……それも、いつまで続くやら。

 

「今は一人でも多く事務仕事が出来る奴が欲しい。そういう意味では、今のでアンタの内定はほぼ決まったようなもんだ」

「あまりそっち方面で評価されても嬉しくないのですが、まあいいでしょう。ジゼルも褒められて悪い気はしませんし」

 

 パイロットとして腕が立ち、そのうえ手薄になっている事務方を埋めてくれるなら万々歳である。これは是非とも引き入れたい、能力だけ見ればオールラウンドな得難い存在だ。

 とはいえ、まだ肝心な箇所を訊いていない。オルガが”ほぼ”と述べたように、まだこれから出てくる話次第でいかようにでもジゼルの処遇は変わってくるのだから。

 

 ジゼル・アルムフェルトという少女の正体。それは避けては通れぬ問いかけであった。

 

「そんじゃ、こっからは互いに腹割って行こうじゃねぇか。改めて訊くが、アンタ何者(なにもん)だ?」

「ジゼルの生まれは、地球にあるアルムフェルト家のお屋敷です。けれど訳あって家を飛び出して、ガンダム・フェニクスのパイロットとして厄祭戦に参加していました」

「やっぱ厄祭戦絡みか……そりゃあ三百年以上前のガンダム・フレームと一緒に発掘されたならそうなるよな」

 

 よどみなく告げられたそれは半ば以上予想がついていたとはいえ、改めて聞かされると驚くばかりだ。三百年という長い時間を、ただの人間が飛び越えて蘇ってきたのだから。普通ならとても信じられるような事ではない。

 しかしそれさえ判明してしまえば、自然とあの黒い棺桶のような装置の正体にも予測は着く。

 

「となれば、あの棺桶もどきはコールドスリープの装置だったって訳か。それを俺たちが掘り起こしたせいでアンタは目覚めたと。それならさっきのMAとやらの話とも辻褄が合うはずだ」

「ご名答です、団長さん。ですがジゼルも、まさか現在が三百年後だとは思ってもみませんでした。今知ったのですが、これは驚きですね」

 

 言葉とは裏腹に、大して驚いた様子もない淡々とした口調だった。普通ならもっと取り乱すなり動揺するなりしてもいいだろうに、どこも堪えた素振りがない。たった一人未来に放り込まれた十八の少女の振る舞いにしては、違和感がありすぎる。

 最初から分かってはいたが、やはりどうにも異様だ。どうにも眼前の少女は、自分たちの価値観とは大幅にズレたものの見方をしている。それを見極めないことには、仮に鉄華団に入れたとしても問題しか起きないだろう。

 

「……お前には、残してきた家族はいないのか? いや、そもそもどうしてコールドスリープなんて道を選んだ。その若さなら幾らでも進める道はあっただろうに」

「それは違うのですよ、筋肉の人。ジゼルは、戦いの中でしか生きられません」

「そいつはどういう意味だ?」

 

 さりげない筋肉呼ばわりを無視して、昭弘はさらに話を進めた。彼にとっては、いや、鉄華団にとっては家族は何よりも大切な存在なのだ。それを捨ててまで戦争に参戦し、あまつさえいつ目が覚めるかも分からぬ道を選ぶなど正気の沙汰とは思えなかった。

 

「これは、あまり人に打ち明けるべきものではないのですが」

「構わねぇよ。つーかそれを訊かないことには俺たちはアンタを信用できない」

「なるほど、道理です」

 

 珍しく、ジゼルの表情にはっきりと色がつく。鮮やかなその色彩は、抑えきれない喜悦だろうか。

 その時オルガの頭をよぎったのは、昨日のジゼルの暴れぶりだ。嬉々としてMSとの戦いに赴く彼女を戦闘狂(バトルジャンキー)だと評したが、本当にそうなのだろうか。実はもっと恐ろしいものを隠し持っているのでは? 一度広がった疑問は、さざ波のように心を揺らして離さない。

 

 ──ジゼルの言葉は聴くべきではない。第六感がしきりに警鐘を鳴らしているが、もはや遅かった。

 

「ジゼルは、何故だか人を殺すのがとても好きなのです。他者の積み上げてきた数十年の人生を一瞬で台無しにする時の、あの感覚が堪らなく愛おしくて。だから厄祭戦が終わって治安も安定したあの時代には、もう用はありませんでした」

 

 その瞬間、可憐な容貌をしたマイペースな少女はそこにはなく。

 いるのはただ、ジゼルと同じ姿形をした生粋の殺人鬼(ナチュラルボーンキラー)であったのだ。

 




まったくもって血なまぐさい、とても女主人公らしくない嗜好を持った彼女。自分でも微妙に不安になったりします。
鉄血のオルフェンズにおける医療技術はかなり発達しているため、コールドスリープくらいなら実用化されていてもおかしくないかなと考えた次第であります。


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#4 契約

 人が人を殺す時、そこには理由が存在する。

 例えばそれは戦争であり、敵討ちであり、政治闘争であり、もっと単純に激情に支配されたからというのもあるだろう。共通するのは、殺人には理解が及ぶ何かしらの背景が存在するということだ。

 だから最も恐ろしい殺人とは──ただ殺したいから殺したという、一切の理由を持たない快楽的な殺人に他ならない。

 

 ◇

 

「ジゼルは、何故だか人を殺すのがとても好きなのです。他者の積み上げてきた数十年の人生を一瞬で台無しにする時の、あの感覚が堪らなく愛おしくて。だから厄祭戦が終わって治安も安定したあの時代には、もう用はありませんでした」

 

 それは、ちょっとした秘密を暴露したような気軽さだった。うっとりと頬を上気させ、可憐な容貌と合わされば深窓の令嬢然とした雰囲気すらある。内容の異常さを除けば、だが。

 戦闘狂(バトルジャンキー)どころの話ではない。人を殺すことに躊躇いを覚えず、あまつさえ好ましいと憚ることなく言ってのけるその精神。尋常の人間の枠からはどう足掻いても外れている。間違いない、こいつは生粋の殺人鬼(ナチュラルボーンキラー)だ。

 次の瞬間、ユージンと昭弘の持つ銃が真っすぐジゼルへと突きつけられる。セーフティはとっくに外れていた。少しでも妙な動きをすれば容赦なく撃つと、二人の瞳が雄弁に物語る。

 

 しかし、そんな二人に待ったをかける男がいた。

 

「待て、二人とも。とりあえずその銃は下ろしとけ」

「正気かオルガ!? どう考えてもこいつはヤベー奴だぞ!」

「同感だ。例え丸腰だろうと警戒するに越したことはない」

「だとしてもだ。こいつを鉄華団に誘ったのは俺だし、第一助けられた借りだってある。それなのに話を最後まで聞かない内に殺すようじゃあ、筋がまるで通らねぇ」

 

 筋を通す──それはオルガが最も拘っている信念だ。不当な理由をつけて暴虐を振るう人間になりたくない、そう願っているからこそ可能な限り筋は通そうとする。例えどれだけ危険があろうと、通すべき筋があるなら意地を張るのだ。

 そんなオルガの気迫に中てられたのか、ユージンと昭弘は銃をひとまず下ろした。とはいえ、警戒の眼差しは全く弱まっていない。対するジゼルは、撃たれるとは微塵も考えていなかったのだろうか。欠片ほどの動揺も見せなかった。

 

「悪ぃな、ウチのが逸っちまった」

「構いません。ジゼルも、あまり褒められた趣味ではないと自覚していますので」

「……なるほど」

 

 仮にも人殺しを”趣味”と言い張るとは。

 一般常識自体は理解しているようだし、ここに至るまでの物腰も柔らかだ。唐突に襲い掛かって来るようにも思えず、華奢な身体はもしこの場で暴れたとしても虫一匹殺せるか疑うほどだ。

 ジゼルに限らず、人を殺したことのある人間なんて鉄華団にはごまんといる。だというのに、オルガには目の前の見目麗しい少女が得体の知れない異形の怪物に見えて仕方が無かった。その微かな恐れを見抜かれたのだろうか、ジゼルは小さく嘆息した。

 

「先に言っておきますが、ジゼルも殺す相手は選びます。無差別ではないのです」

「その為の軍属って訳か。ま、道理ではあるな」

「はい」

 

 戦争ならば、殺したくなくとも人を殺す羽目になる。本当に彼女が殺人狂であるというなら、軍属というのはこれ以上ない殺しの大義名分を得られるのは間違いない。

 とはいえ、ただの少女がそう簡単に軍に入れるのかというと疑問は残るが。実家がよほど金持ちだったのか、彼女自身に人殺しの才が満ちていたのか、はたまた両方か。

 

「もしもあのままお屋敷に残っていれば、きっとジゼルは我慢できずに誰も彼をも殺してしまったことでしょう。ですから、そうなる前に世間を知らぬ箱入り娘はお屋敷を飛び出すことにしたのです」

「箱入り娘、か……俺らからすればそんだけ恵まれた環境に居ながら、殺人の為だけにすべて放り出すってのが理解できねぇな。アンタ、世の中をなんだと思ってやがる」

 

 半ば八つ当たり的な感情、ジゼルを責めても仕方がないとはいえ、ついユージンの口からは辛辣な言葉が漏れてしまった。

 きっとこの少女は何一つ不自由することなく、健全な家で全うな愛情を注がれ育ったのだろう。それらは鉄華団の誰もが求め、そしてもはや手に入れることのできない尊い代物だ。

 だというのに、それを”殺人がしたい”という一心で捨て去るなどあり得ない。鉄華団にいる者たちは殺さなければ殺される過酷な環境に、当人の意思は関係なく置かれてしまっていたのに。殺人に快楽を見出す感性など欠片も理解できないのだ。

 

「ああ、そういえばここで見かけたのは少年兵がほとんどでしたね。察するに、この鉄華団とは行き場のない孤児達(オルフェンズ)の集まりと言ったところでしょうか。その境遇には同情しましょう。ですがジゼルからすれば、あなた達もまた恵まれていると思いますがね」

 

 故にジゼルの言葉は、ユージンに対するささやかな皮肉と羨望であったのだろうか。少ない情報で的確に鉄華団(かれら)を推察しているだけに性質が悪い。

 思わずユージンが反論しようとした、その時だった。

 

「……お前、今の言葉をもう一回言ってみろ」

「落ち着け昭弘、気持ちは分かるが早まるな」

 

 静かに怒りを露わにし、鍛え上げた拳を構えた昭弘。視線だけで人を殺せそうな目つきの彼を、オルガはどうにか宥める。今ここで爆発されても困るのだ。

 かつてはヒューマン・デブリであり、また仲間の多くが恵まれたとはとても言えぬ出自であるからこそ、どうしても”恵まれている”という言葉が我慢ならなかった。しかもそれが詳しい事情を知らぬとはいえ、良い所の出という人間の発言であるのだから堪らない。

 

 それでも、彼女はまったく怯まなかった。

 

「だって殺すことが仕事だなんて、羨ましいじゃないですか。鳥が空を飛ぶように、魚が海で泳ぐように、人が呼吸をするように、ジゼルにはどうしても殺人が必要だった。あなた達と同じ、置かれた環境が必ずしも望んだものではないというだけの話です」

「……残酷なことを訊くようだが、自殺っていう手は考えなかったのか? いい所のお嬢様がそうなっちまったら、もう絶望しかないだろうに」

「ジゼルだって、望んで人殺しが好きに生まれた訳じゃありません。他のことで紛らわせようとして、感情を抑えたり、色んな事に挑戦したり……だけどそれでも駄目だった。何をしても日に日に殺人欲求は大きくなって、歯止めが利かなくなって。なのに自殺で終わらせるなんて、悔しいにも程がある」

 

 だからそんな自分を受け入れることにしたんです──いっそ純粋にも思える笑みを向けられて、オルガたちは言葉に詰まった。

 つまりそれは、希代の殺人鬼の誕生ではないか。何一つ不自由ない生活を送っていたであろうお嬢様は、全てを失う代わりに自身に正直に生きることにしたのだ。言葉だけ見ればポジティブな思考でも、結果として起こる事態が悲惨に過ぎる。

 

「さて、これでジゼルの話は全部です。要は、人殺しをするために未来に来たとだけ認識してもらえれば十分。そのうえであなたはどうしますか、オルガ・イツカ団長。ジゼルを雇わないというなら、それも構いません。ここで殺すというなら、ジゼルの運が無かっただけの話でしょう」

「殺しはしねぇよ。だが一つ確認したい。アンタ、俺たちを殺してみたいと考えてるか?」

「いいえ」

 

 意外なことに、答えは否定だった。迷う素振りすらない即答に、()()()()()()予想していたオルガでも多少面食らってしまう。

 

「理由は?」

「借りがあるから。根無し草のジゼルをここまで連れてきてくれて、美味しいご飯を振舞ってくれて、しかもフェニクスの修繕までしてくれるらしいじゃないですか。そこまでしてもらって”じゃあ殺します”というのは、不義理が過ぎると思いますので」

「不義理か。ああ、それだけ聞ければ十分だ」

 

 人とは違う異形の感性を抱く少女。扱い方を間違えれば途轍もないことになるだろう。もしかすれば、その殺意は自分らに注がれるやも知れない。であれば、彼女はここで放逐すべきである。それが普通の、常識的な考えだ。

 そこまでを余さず理解して、心の内で咀嚼して、オルガは決断を下した。

 

「決めた、アンタを鉄華団に歓迎しよう」

「なっ、おいオルガ! 何言ってやがる!?」

「なぁユージン。今の俺たちに本当に足りないものは何だと思う?」

 

 当然の反駁は、逆に問いによって封じられた。

 本当に足りないもの。仮にも副団長を任されているユージンだから、少し考えるだけでいくつか意見が浮かび上がった。人材、知識、戦力……いいや、どれも違う。おそらくは、

 

「外様の不足か。俺たちの仕事を客観的に評価できる奴がこの組織にはいねぇ」

「そうだ。俺たちは家族だが、そのせいでどうしても身内には甘くなる。身内を大切にするのは大事なことだが、下手すりゃ見なきゃいけない事実まで見えなくなっちまう。いくら何でもそいつは不味いだろ」

 

 貧困にあえぐ生活と、裕福な暮らしと。

 望まぬ人殺しを行う少年と、望んで人殺しを行う少女と。

 思えば、鉄華団のメンバーと眼前の少女は、生まれも思想も対極にあると言えた。故にこそ最短で『上がり』を目指すためには、彼女のような毒皿を喰らう必要があると理解した。全く違う視点を持ち、淡白として情に流されることのない面の皮の厚さ(マイペース)は、良くも悪くも家族意識の強い鉄華団において貴重なものだろうから。

 

「だからってなぁ……よりによってコイツはないだろコイツは! 客観的な視点ってんなら、もっと他にいいやつなんざごまんと居るだろ!」

「ああ、いるだろうな。だがな、その中で即戦力になれる奴はどれだけいる? 自分の欲より恩や義理を通せる奴はどうだ? いいや、そうはいねぇさ。だからこそ、俺はコイツを雇う方がメリットが大きいと踏んだ」

「そりゃあ……そうかもしれないがよ」

「ええ、ジゼルも良いことをしてもらえば嬉しいですし、やれる限り返したいと思いますよ」

 

 筋を通すオルガと、受けた恩や義理を大事にするジゼル。案外と重視する点が似通っているから、相性は決して悪くないのだ。例えどれだけその内面が理解できずとも、互いに良好な関係を築くことは十分に可能といえた。

 

「これで臨時の採用試験は終わりだ。細かい諸々は後できっちりつめるとして、俺はアンタを迎え入れたいと思う。どうだ?」

 

 手段も質も選ばず最短を突き進んでいると指摘されれば、とても否定はできない。だけどもう決めたのだ。

 苦い顔をしているユージンと昭弘には、後で改めて説明と説得をするとしよう。そんなことを考えながら、オルガは手を差し出した。

 

「異存はありません。よろしくお願いします、団長さん」

 

 差し出された手がしっかりと握られる。女性特有の柔らかさを持つこの手は、いったいどれだけの血に塗れているのか。オルガたちとて人のことは言えないが、それでもふと想いを馳せてしまう。

 だがそんなことは関係ない。相手がどれだけ醜悪な思想を抱えていようとも、それすら利用してしまえばいいのだ。彼女は鉄華団団長たるオルガにとっての試練であり、また鉄華団のこれからを占う試金石に他ならない。

 

 ──こうして、ここに悪魔との契約は完了した。

 




超危険人物が鉄華団にinしたところで、最序盤は終了です。次回からは少しづつ時間を飛ばして、二期の開始地点まで話を進めていきたいと思います。


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#5 鉄華団

 乾いた銃声が一つ、狭い室内に響き渡った。

 

「団長さん、この人は殺して良いんですよね?」

「そういうのは撃つ前に訊けって……だが、そうだな、コイツは殺していいやつだ」

 

 ワインレッドのスーツを着込んだ青年と、学生服に似た装いの少女がいた。どちらもソファに腰かけ、まるで世間話でもするかのように恐ろしい会話を交わしている。少女の手には硝煙を燻ぶらせる拳銃が握られているから、先の銃声は彼女が発砲した時のものだろう。

 その真逆に、足を撃ちぬかれた痛みで呻いているのは年老いた男性であった。青年らと向かい合って座る彼は顔面を蒼白にさせて、今にも世界が終わりそうな悲痛な顔で青年へと命乞いをする。

 

「ま、待て、助けてくれ……! 君たちには悪いことをしたと思っている、だから──」

「何言ってやがる。今更んな命乞い通るとでも思ってんのか、アンタ?」

 

 とても若輩とは思えない威圧感を発する青年──オルガ・イツカは老人を睨みつけた。それだけで蛇に睨まれた蛙のように、老人は声を失ってしまう。

 

「合計三十二人、何の数字か分かるか?」

「は……?」

「お前が襲わせたアドモス商会の採掘プラントで死んだ人間の数だ。なんの罪も謂れもねぇ一般人をこんだけ殺しといて、自分は助けてもらえるたぁお笑い種だな」

「そ、それは、その……」

「しかもその動機が『若輩者たちの会社に年長の自分が追い越されるのが悔しかったから』とは、とんだ糞野郎じゃねぇか。アンタ、会社の経営なんて向いてなかったんじゃないのか?」

「……この、言わせておけば!」

 

 蒼白だった顔面を怒りで紅潮させた老人は、素早く右手を懐に入れようとして──乾いた銃声が、また一つ響いた。

 正確に狙い打たれたのは右手の甲、そのせいで老人は手に取ろうとした銃を反射的に取り落としてしまう。

 

「いい仕事だなジゼル。こうなるって読んでたのか?」

「はい。この手の人間は、油断させて一矢報いるのが常套手段ですので」

 

 微かに楽し気にしながら、ジゼルは老人が取り落とした銃を回収した。これで本当に老人は丸腰で、さっきまで赤かった顔は先ほど以上に蒼白となってしまっている。もはやどうしようもない、ただの弱者に過ぎなくなったのだ。

 

「さてと、それじゃあアンタには死んで落とし前をつけてもらうとするか」

「か、考えなおせ! わしを殺せば殺人になるんだぞ! そんなこと、ギャラルホルンが黙っているわけ──」

「おいおい、俺らが何の対策も無しにここに来るとでも? んなこた当然織り込み済みだ。大変だったんだぜ、ギャラルホルンに恩を売っておくのは。おかげで海賊団を二つも潰す羽目になっちまった」

「なぁ……!?」

 

 もはや逆転の目は万に一つもないと悟ってしまい、いよいよ老人の顔に絶望が浮かぶ。それでも何とか生にしがみつこうと涙を流して、みっともなく命乞いを繰り返す。

 その滑稽で無様な姿を見てオルガの胸中に浮かんだのは、なんとも言えない胸糞の悪さだけ。受けて当然の報いと思う一方で、哀れを催す老人を見て笑うこともできなかったのだ。

 

「因果応報って言えばその通りなんだがな……」

「団長さん?」

「いや、何でもねぇ。そんじゃ、三か月分の()()()()の締めくくりだ。コイツの事はアンタの好きにしてくれて構わねぇよ」

「ありがとうございます。後片付けの心配もせずに好きなだけ殺せるなんて、本当にここは良い職場ですね」

「……そうかい。じゃ、終わったら呼んでくれ」

 

 ソファから立ち上がり、出口へと歩いていく。背中からはさらに死に物狂いで助けを希う老人の声が追いかけてきたが、オルガは一切歩みを止めなかった。止まってしまえば、きっと同情してしまうから。

 聞こえてくるのだ。少女の皮を被った悪魔の、純粋で恐ろしい悪意の言葉が。間違いなく笑っているのだろう。その様子がありありと思い浮かんでしまうのだ。

 

「では、あなたが積み上げた全てを破壊させてくださいね。大丈夫、すぐに終わりますよ」

「やめろ、止めろ、止めてくれ……! 嫌だ、わしは死にたくない、こんなところで終わりたくない……!」

 

 ──それら全てを振り払うように、オルガは部屋の扉を閉めた。

 

 ◇

 

 問題児という表現すら生温い異端児、ジゼル・アルムフェルト。彼女が鉄華団に加入してから、既に三か月が経過していた。驚くほどにマイペースな性格と猟奇的な嗜好を持つ彼女ではあるが、事情を知る大方の予想に反して至極真面目に業務に取り組んでいる。

 

「ジゼルさん、この書類の審査お願いします」

「分かりました」

「すみません、こっちの会計報告なんですが、数字が合っているか確認してもらえますか?」

「了解です」

「模擬戦の相手なんですけど、ちょうど三日月さん達が空いてないので代役を──」

「任せてください」

 

 鉄華団に加入して最初の数日は研修を受けつつ現代知識を吸収したジゼルは、それ以降新入りとは思えない程に忙しい日々を送っていた。

 朝から昼にかけて書類仕事を片付け、夕方までは事務仕事全般の手伝いを任され、夜は一人で鍛錬にいそしみ、貴重な休み時間すら日によってはMS隊の訓練相手として引っ張り出される毎日だ。

 そんな殺人的な仕事量をこなすこと実に三か月、誰もが『新入りにやらせる仕事量じゃないだろ』と感じていたのだが、ジゼルは何一つ文句をこぼさず淡々と業務をこなしているのだった。

 

「真面目っつうか、ありゃちょいと働きすぎじゃないのか? 事務仕事とは言えほとんど働き詰めじゃねぇか」

 

 コーンミールで出来た粥にスプーンを突っ込みながら、実働一番隊隊長ノルバ・シノはそう評価した。明るく楽天的な性格の彼は鉄華団のムードメーカーであり、また面倒見も良いため案外と団員の様子をよく見ている。今の言葉も、そんな彼だからこそ漏れたものだろう。

 

「仕方ないだろ、鉄華団の事務担当はまだ片手で足りる人数しか居ねぇんだから。デクスターさんやメリビットさん、それに認めたかねぇがジゼルが死ぬ気で業務回してくれてるから何とかなってるだけだ。地球支部だって出来た以上、これまでより遥かにのしかかる負担はでけぇ」

 

 シノと向き合い遅めの晩飯に手を付けているのは、鉄華団副団長のユージンであった。彼は憂鬱そうにスープをすすると、重いため息をついてしまう。

 

 夕食を食べるには少しばかり遅い時間、広い食堂にはユージンとシノの二人の他には誰の影もなかった。だが厨房の方からは水を流す音が聞こえてきているから、きっと食事係のアトラはまだ残っているのだろう。

 どうしてこの二人がこうも遅い時間に夕食をとっているかといえば、単純にやるべき業務が多いからに他ならない。急激に成長した鉄華団でそれなり以上の立場にある彼らは、他の者よりこなすべき責務は多岐に渡るのだ。

 

「肝心要のオルガはやっと社長として一端になってきたところだし、俺は悔しいがまだまだ勉強中だ。そんな中でそれなりに基礎の出来てる奴がポンと事務に入れば、そりゃあ重宝されもする」

「そういうもんか」

「そういうもんだよ。ったく、あれでもうちょいマシな人間性なら手放しで喜べたんだがなぁ……」

 

 認めるのは癪だが、確かにリスクを負ってまで雇っただけの価値をジゼルは示している。それだけに苦々しく呟くユージン。彼の脳裏には、三か月も前の臨時面接の印象がことさら強く焼き付いているのだ。

 自らの異常性を告白した際のうっとりとした笑み、傍から見れば美しいその表情の裏には抑えきれない醜悪な願望が潜んでいて──

 

「なんだったか、人殺しが好きとか言ったんだよなぁ? あんな虫も殺せなさそうなお嬢さんがかー……本当なのか?」

「マジだよマジ。お前も一緒にあの場にいたなら、絶対に”コイツはまずい”って確信する。つーかあんまりその話広めんなよな。うっかり年少組にでも知られたら面倒な騒ぎになる」

「分かってるって。お前にも口酸っぱくして言われたからな」

 

 殺人をしたことのある人間なら幾らでもいる鉄華団でも、その行為自体に快楽を見出す人間は居ない。だからこそ、ジゼルの本性については一部の人間以外には秘匿されているのだ。

 どれだけ本人が無害を訴えようとも、得体のしれない人間はそれだけで警戒を招き無用な混乱を引き起こす。ましてや人殺しが趣味の人間だなんて、常識的に考えてお近づきにはなりたくない人種だろう。

 

 ちなみに、彼女の正体もまた隠ぺいされている。表向きには壊滅した傭兵団の生き残りで、行き場に困っていたところをテイワズの推薦により鉄華団へとやって来たという設定だ。ジゼルの元軍属という来歴もあって、今のところそうそう疑われてはいない。

 

「あんまり姿形だけ見て絆されんなよ。アイツは俺たちとは違う世界を生きてる、一種の怪物だ。うっかり武器でも何でも渡せば取り返しのつかないことになるかもしんねぇ」

「でもよぉ、今日だって例のフェニクスでMS隊の模擬戦闘に付き合ってもらったぞ。俺としちゃあ助かったけど、良かったのか?」

「あんまし良くないんだがなぁ……だけど助かってるのも確かだし、腕が立つのも事実だ。ホントに扱いづらい奴だよ」

 

 鉄華団においてジゼルは銃器などを所持することを原則禁じられており、さらに言えば刃物や凶器になりかねないものの所持すら禁止されている。それだけ徹底的に彼女を縛っているにも関わらず、最も危険なMSの操縦は許可してしまっているのだからやりきれない。

 もちろんユージンだって理解している。彼女は貴重な戦力であり、せっかくのガンダム・フレームを遊ばせておくのも勿体ない話だと。だけどそれとこれとは別だからこそ困っているのであって……

 

「オルガもオルガで、アイツの仕事内容と案外律儀な性格は完全に信用しちまってるからな。だからせめて副団長の俺だけはジゼルを見張っておかないと、いざって時に取り返しがつかない」

「言うじゃねぇか、さすがは副団長ってやつだな」

「よせよシノ」

 

 照れくさくなったユージンが頭を掻いたその時だった。

 

「すみません、まだご飯ありますか?」

 

 平坦で感情を感じさせない少女の声が聞こえてきた。ユージンとシノが振り返ると、いつの間にかカウンターの方に赤銀の髪の少女が立っていた。白と黒を基調にしたシャツとミニスカートに、黒いタイツと青いネクタイが特徴的な服装は、この三か月ですっかり見慣れたジゼルの装いだ。

 彼女はカウンターでサンドイッチが二つ乗ったトレイを貰うと、スタスタと別のテーブルに座ろうとする。ユージンとしても彼女と必要以上に仲良くなる気も無かったから、むしろありがたいばかりだ。

 しかし、

 

「おーい、こっち座ったらどうよ? せっかくの飯なんだ、みんなで食った方が美味いぜ!」

「あっ、おいシノ!?」

「なら、そうさせてもらいますね、ノルバ・シノさん」

 

 慌ててたしなめるユージンだが既に遅く、シノの声かけによってジゼルはやって来てしまっていた。しかもよりによって、ユージンの隣である。思わず「うげっ」と変な声が漏れたが、ジゼルは一向に気にした様子もない。早速山盛りのサンドイッチの一つにかぶりついていた。

 

「なに考えてやがるシノ!?」

「良いじゃねぇか別によ。せっかくの機会なんだ、ちょいと話してみんのもありだろ?」

「ったく、また勝手なことしやがって……」

 

 小さくそんなやり取りをして、仕方なくユージンは腹を括る。気は進まないが仕方ない。こうなればもう、話すだけ話してみる他ないだろう。

 さりとて何から話せばよいのか咄嗟には見つからず、シノに「何とかしろ」と目配せをすれば目線で「任せておけ」と返されたので、まずは成り行きを見守ることにしたユージンだった。

 

「前々から気になってたんだけどよぉ、どうしていつも辛いもんばっか食ってんだ? それ、ぶっちゃけ俺でも食えそうにないんだけど……」

 

 言い淀みながらシノが指さしたのは、ジゼルの持ってきたトレイに乗っている料理だ。トマトにレタスにベーコンというなんとも食欲をそそる一品だが、やはりというべきか赤い。しかもこれまた鼻にくるような刺激的な香りが漂っていて、否が応でも劇物だと認識してしまう。

 

「阿頼耶識システムの弊害です。ジゼルの味覚と、それから嗅覚は通常ほとんど機能していませんから、これくらいないと認識できないのですよ」

「あー、つまり三日月と同じような現象か……そいつは悪いことを訊いたな」

「いえ、構いません。辛い物は元から好きですので」

「そいつは治らないもんなのか? ほら、今度フェニクスの本格的なオーバーホールがてら『歳星』に行くんだろ? 昔の阿頼耶識なら俺らと違う所もあんだろうし、そこで医者に掛かってみんのも──」

「覚えていたら行ってみます」

 

 シノの厚意から来た言葉は、遮るようににべもなく一蹴されてしまった。こりゃ確実に覚えてねぇし行く気もないな、そんなことをユージンは考えてしまう。たぶん、間違ってないだろう。

 結局彼は困り顔で「こりゃ無理かも、バトンタッチ!」と暗に伝えてきたから、仕方なくユージンが話を引き継ぐ。割とあっさり無言の意思疎通が出来るのも、それだけ二人の仲が良い証左と言えよう。

 

「それはそうと、俺としてもアンタに訊いてみたいことがあんだよ」

「おや、なんでしょうか?」

「なんでアンタみたいな破綻者が大人しくここで働いているのかって事だよ。裏でなんか企んでいる訳じゃねぇよな?」

「企んでいると言われましても……お金やボーナスは貰ってますので、その分の仕事をしているだけですよ。せっかく良い職場を得たのですから、享楽的な衝動で放り出したりはしません」

 

 どうにも感情が読み取りづらいが、それでも本心で言っているらしいことは伝わってくる。確かに彼女は、少なくとも鉄華団で大惨事を引き起こすつもりはないらしい。そうでなければこの三か月でもっと本性を曝け出していたことだろう。

 ただ、気になることはあった。

 

「ボーナスってのはまさか──」

「この前潰したという海賊の捕虜と、どっかの商会のご老体の命です。団長さんとの取り決めですので」

「……全員殺したってことか」

「何か不都合でも?」

 

 無い。不都合など全くない。彼女が始末したのはあくまでも鉄華団の敵か、世間を荒らす悪党たちである。そのような者たちがいくら死んだところで、ユージンにとっては微塵も気にかかることではないはずだ。

 なのにどうしてか反感を抱いてしまうのは、やはり彼女の中身が殺人鬼であると知っている故か。この場で道理が通らないのはむしろユージンの方という自覚はあっても、不信感ばかりは拭えない。

 

「本当は、海賊退治にも行きたかったのですがね。事務仕事を優先してくれと団長さんに言われてしまえば是非もありません」

 

 さぞや残念そうに「いいなぁ、きっとたくさん殺せたんだろうなぁ」と呟いて、ジゼルはサンドイッチの山に手を伸ばした。どろりとした激辛のソースはどことなく血を連想させて、思わずユージンは目を逸らす。

 

「やっぱアンタのこと、俺には理解できねぇよ」

「ま、それならそれでいいんじゃねぇのか?」

 

 ユージンが吐き捨てたその時、不意に場違いなほど明るい声が響いた。

 シノであった。

 

「悪ぃが、俺にもお前の感性はさっぱり分からねぇ。俺はその海賊退治に出てきた口だが、全く楽しいなんて思わなかったしな。むしろ、どんな奴だろうが人の命を奪うことが怖ぇくらいだ」

「シノ、お前……」

「だけどそれを頭ごなしに否定する気もねぇよ。好きなことなんざ人それぞれなんだから、部外者がごちゃごちゃ言っても仕方ねぇ。重要なのは、それを知った上でどう接するかだ。違うか?」

「どうした、なんか悪いもんでも食ったのか!? すげぇマトモなこと言ってる気がすんぞ!」

「馬鹿にすんな、俺だってこんくらい言えるっての!」

 

 驚きと感心と揶揄いがない混ぜになったような心境のまま、「で、どうすんだよ」と好奇心に任せてユージンは訊いてみる。もしかすれば、思いもよらない妙案でも閃いているのかもしれない。心なしか、ジゼルもまたシノに注目しているように思えた。

 

「つまりだ、お互いもっと相手の事を知ってみればいい。一面だけ見りゃ訳わかんねぇ相手だろうと、違った良い面もあるかもしんねぇからな」

「ほーん、それで?」

「まずは互いの趣味を話し合って、そっから共通の話題を見つけて、段々と良い雰囲気になったところで互いの気持ちを確認し合い──」

「……おいちょっと待てシノ」

 

 次第に話の方向性が行方不明になっている気がする。勢いのままに口を回すシノの言葉は徐々に理解するより男女のお付き合いといった方向へシフトチェンジしていて……そこはかとない不安がユージンを襲う。

 隣にちらっと目をやる。するとやっぱり心なしだが、いつの間かジゼルの視線も冷たくなっている気がした。

 

「そう、つまりは()()()()()()()になって見りゃ良いんじゃないかってことだ!」

「馬ッ鹿かお前!? それを本人の前で言うアホがどこにいんだ! つーかこの女だけは止めとけ、マジで止めろ本当に。ぜってぇお前の手に負えるような奴じゃないからな!」

「えー、んなこと言われてもよぉ、ようやく俺たちと同年代の女の子が鉄華団に入ったんだぜ? これで我慢する方が無理ってもんだろ」

「だから容貌に絆されんなって言っただろ! ったく、お前にちょっとでも期待した俺が馬鹿だったよ」

「悪ぃ悪ぃ、物は試しって奴だよ」

 

 仲間内でもかなり女性関係に飢えているシノだから、こうなるのもある意味お約束とでも言うべきだろうか。まさかこうまで節操無しというか、勢いで押そうとするとは思いもしなかったが。

 それとも、これでもシノなりに色々考えた末の結論だったのか。だとすれば言い過ぎたかもしれない、そんなことを考えていたところで、「ご馳走様でした」という声に思考を元へと戻された。気づけば、ジゼルのトレイは既に空だ。いつの間にか全部食べ終えていたらしい。

 

「おっ、もう食べ終わったのか、早いな」

「ええ。ここのご飯はいつも美味しいので」

「そりゃあなんつったってアトラの作ってくれる飯だからな。味は保証されているようなもんだ」

 

 あんだけ辛味増しましだと最早関係ないのでは? とはさすがにユージンも言わなかった。

 

「それでは、お先に失礼しますね」

「ちょっと待て」

「まだ何か?」

「そう時間は取らせねぇ。ただ、はっきりさせておくことがあるだけだ」

 

 席を立ったジゼルに倣って、ユージンも立ち上がる。ちょうどジゼルを見下ろす態勢だ。

 彼女の金の瞳と目線が合う。吸い込まれそうなそれは見下ろしているはずなのに試されているかのようで、それでもユージンははっきりと告げた。

 

「他の誰がアンタを信用しようと、俺だけはアンタを信用しない。それが副団長たる俺の務めだからな。もしアンタがどうしても我慢できなくなった時は、まず俺のところに来い」

「……良い人ですね、あなたは。だけど残念、それはできません」

「はぁ、そいつはどういうことだ?」

 

 真正面から非難してきた相手を褒めるのも意味不明だし、出来ないと言われてしまったのも不可思議だ。

 そんなユージンの疑問を前に、ジゼルは微笑を唇に浮かべた。妖艶な、人を喰ったような笑み。

 

「団長さんも、あの日に全く同じことを言っていましたよ。『どうしても我慢できなければ、まず俺のところに来い』って。だからあなたのところに行く前に、まず彼のところに行かなければなりませんね」

「……はっ、上等じゃねぇか。んなことやらせると思うなよ」

「肝に銘じましょう、ユージン・セブンスターク副団長さん。では、お先に」

 

 トレイを下げて今度こそ食堂から出ていこうとするジゼルを、ユージンとシノは静かに見送る。だけど最後に彼女は足を止めると、振り向き様にこう言った。

 

「ジゼルの趣味は人殺しですが、ハーモニカやフルートを吹くことも好きですよ」

 

 それだけ言い残して、彼女は廊下へと消えていった。後に残されたのはユージンとシノ、それに食べかけの夕食だけだ。たぶん、すっかり冷めてしまっていることだろう。せっかく作ってくれたアトラには申し訳ないばかりである。

 ひとまずユージンが座りなおしたところで、シノが深刻そうな小声で耳打ちしてきた。

 

「……なぁ、フルートってなんだ? リンゴとかオレンジの事か?」

「……そりゃフルーツだろ、馬鹿」

 

 訂正しつつ口に運んだ飯は、やはり冷えてしまっていた。

 




個人的にですが、ユージンはオルフェンズの中でもかなり好きなキャラです。なのでちょっとだけ出番が多めになってしまいました。
ひとまず鉄華団でのジゼルの立ち位置と、どうやって彼女の本性と折り合いをつけているかの話でした。


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#6 純粋なる悪魔

 まず大前提として、鉄華団は『テイワズ』と呼ばれる巨大組織の傘下に収まっている。

 このテイワズ、木星圏を拠点としている巨大コングロマリットの一つであるのだが、ただの大企業という訳では断じてない。その実態はマフィアに近いとも噂され、実質的に世界を牛耳るだけの力を持つ『ギャラルホルン』でさえも迂闊には手を出せないだけの技術、並びに軍事力を持っているのだ。

 

 そんなテイワズの下部組織は複数あるが、その中でも有名なのは三つだ。まず一つはテイワズのナンバー2率いる商業組織『JPTトラスト』であり、さらにもう一つは重工業部門を管理する『エウロ・エレクトロニクス』である。そして最後に鉄華団とも関わりの深い巨大輸送組織、『タービンズ』が存在するのであった。

 

 ◇

 

 暗黒の宇宙空間を、一羽の猛禽が駆けていた。鋼の肉体を身に纏い、オイルで出来た血潮を通わせたその猛禽は、赤と金の残像を残して自由自在に飛び回る。辺りを漂う小惑星をある時は躱し、またある時は足場にして利用して方向を変えるその動きは、まさしく変幻自在という他ない。

 そして猛禽の駆けた後には、食い散らされて漂う無数の残骸だけが残る。白や緑、オレンジが混ざるそれらはすべて破壊されたMSたちのもの。

 見るも無残なその様は、猛禽(フェニクス)の猛攻ぶりを如実に表しているのだった。

 

「いやぁ、こりゃ凄まじいじゃないか。うちのラフタも高機動MSを乗りこなしてはいるが、ここまでとなると自信がねぇ。こいつはとんだ拾い物──いや、掘り出し物をしたもんじゃないか、なぁ兄弟?」

 

 タービンズの母艦『ハンマーヘッド』のブリッジで、リーダーである名瀬・タービンはにやりと笑う。視線の先にあるモニターに映し出されているのは、今もなお敵を駆逐しているフェニクスの姿である。その容赦も情けもない圧倒的な蹂躙劇を前に、どことなく上機嫌にも見えた。

 そんな名瀬の手元には、リアルタイムで火星と繋がっている小型モニターがある。そこには笑っているような、はたまた困っているような、どうにも曖昧な表情を浮かべているオルガが映っているのだった。

 

『確かにそうとも言えますがね……これが中々、気苦労の多い奴でして』

「いいじゃねぇか、女なんて面倒を見てなんぼってもんだぜ。それも男の甲斐性ってもんだ」

『甲斐性っていう話でも無くて……なんつったら良いのか、すげぇ手間のかかる女なんすよ』

「そりゃますます燃えてくる話だな。男なら気張ってみろよ、オルガ」

『兄貴、冗談で言ってるんじゃないんすよ 』

「おっと、悪い悪い」

 

 どうやら、弟分は世話の焼ける少女に手を焼かされているらしい。それを揶揄(からか)うのも名瀬としては楽しかったのだが、さすがにしかめっ面を返されてしまえば切り上げる他なかった。こんな下らない冗談でギスギスした関係になっても笑えない。

 それに名瀬としても、本題は当然別にあるのだから。

 

「まずは礼を言わせてもらうぜ。鉄華団(そっち)が戦力を貸してくれたおかげで、こっちのゴタゴタも思ったよりだいぶ手早く片付きそうだ。ありがとよ」

『礼を言われる程のもんじゃありません。戦力と言ってもフェニクス一機だけですし、それだってちょうどタイミングが合っただけですから』

「まあまあ、そう謙遜しなさんな。こっちが助かってんのは事実なんだし、礼の一つくらい受け取っとけよ」

『はぁ……まぁそういうことならありがたく』

 

 普段は鉄華団団長を立派に務めるオルガの腰が低めなのは、やはり相手が名瀬であるからだろう。同じテイワズの直系組織として、現在はどちらが上も下も無い。しかし少し前まで名瀬はオルガの兄貴分として盃を交わしていた仲であり、オルガにとっては今でも名瀬という大人物は兄貴と呼び慕うに相応しい人物であるのだ。

 だから彼からすれば、弟分が兄貴に手を貸すのは当然のことだという認識が抜けていないのだろう。やはりその辺りはまだまだ子供っぽい所もあって、名瀬からすればいっそう信頼に足るのであった。

 

『にしても、天下のタービンズに喧嘩を売るなんてどこの馬鹿なんすか? バックのテイワズを知らないわけじゃあるまいし……』

「天下とまではちと言いすぎだが、まあそうだな、ちょいと前に取引先と小競り合いになっちまってな。そん時はこっちのミスもあったから素直に頭下げて引き下がったんだが、奴さん何を勘違いしたのかこっちに絡んでくるようにまでなっちまってよ」

『それでタービンズが軽くお灸を据えたら、今度は逆恨みして武力行使に出てきたって感じですかね?』

「おう、大正解だ。しかも馬鹿のくせして勘違いできるだけの武力を備えた面倒な奴でな、ちょいとタービンズ(おれたち)だけじゃ面倒だと思ってたところなんだよ。だからフェニクスを借り受けられたのは渡りに船だったのさ」

 

 再び名瀬はブリッジのモニターへ視線をやった。まだ接敵してから十分経ったくらいか。だというのに映し出された底なしの宇宙空間に広がっているのは、丁寧にコクピットが潰された敵MSの山々である。どれもこれもフェニクスが単騎でもたらした戦果。しかもそれだけやってまだ暴れ足りないのか、奥に見える敵母艦にまで突貫していく始末だ。

 名瀬も事前にフェニクスを駆る少女、ジゼルについて話は聞いていた。だが実際に目の当たりにしてみると、頼もしさばかりか空恐ろしい気持ちまで引き起こされてしまう。それくらい、圧倒的な蹂躙劇。

 

 ──元々、フェニクスは本格的な全面改修(オーバーホール)の為に三週間ほど前から歳星へと運び込まれていた。発掘されてから鉄華団でも少しづつ改修は行われていたのだが、とうとう限界が来てしまったのだ。

 それで歳星でのオーバーホールが終わったのがつい三日前。いよいよ火星に帰ろうというところで、ちょうど歳星にやって来ていたタービンズが一枚噛んできた。”火星まで輸送品と一緒に載せてく代わりに、戦力として貸し出して欲しい”、と。

 

 当然ながらオルガは快諾、生粋の殺人鬼(ナチュラルボーンキラー)たるジゼルも戦闘がほぼ確実に起こると言われて乗らないはずもなく。こうして誰もが納得する形で、タービンズとフェニクスの共闘は成立したのだ。

 

『というか兄貴、割と今更なんですけどそっち戦闘中なんすよね? こんな呑気に俺なんかと話してて大丈夫っすか?』

「全く問題ないな。つーか退屈すぎて欠伸が出そうってくらいだ。アミダもラフタもアジーも、今頃MS内で寝ちまいそうになってんじゃねぇのかってくらい余裕なもんでさ」

『それなら良いんすけど……』

「ちゃんとジゼルの嬢ちゃんとフェニクスは送り届けてやるから、そう心配しなさんな。いや、むしろこのままだと俺らが守られる側なのか?」

 

 こりゃ手間が省けていい、そう言って笑う名瀬であった。オルガは苦笑を返すほかない。

 だが次の瞬間、名瀬の顔つきが変わった。さっきまでの笑いの残滓は一切なく、射貫くような目をオルガへと向けている。モニター越しだというのに、オルガはまるですべてを心の底まで覗かれてしまっているかのように感じてしまう。

 

「さてと、冗談は置いといてだ。頼まれてた件、データ送っといたがちゃんと読んだか?」

『ええ、大丈夫です。すんません、兄貴にこんなことさせて』

「別に調べたのは俺じゃないし、こんくらいの頼みなら何てこたねぇよ。テイワズに残っていたフェニクスのデータ、読んだならそれでいい」

 

 ギャラルホルンでも迂闊に手を出せないとされる巨大組織テイワズだけあって、データベースには多岐に渡る情報が収められている。その中には三百年前に起きた厄祭戦の情報と共に、ガンダム・フレームについての情報すら断片的にだが存在するのだ。

 そう、オルガが名瀬に頼んでいたのは他でもない、かつてのフェニクスのデータ収集であったのだ。

 

『正式型番はASW-G-37 GUNDAM PHOENIX(ガンダム・フェニクス)。背部の巨大スラスターによる他の機体を凌駕した機動力と、腰部に取り付けられた現代では再現不可能なテイルブレードが特徴的。だけど最も印象的なのは──』

「……いやはや、俺も最初にこれを見たときはちょいと正確性を疑ったね。そりゃあ厄祭戦は惑星間規模っていう馬鹿でかい戦争だったらしいが、だからって()()()()()()()()()()()()なんざアホらしいにも程があるだろ」

 

 MS戦から軍事施設制圧まで全てをひっくるめたフェニクスの殺害数(キルスコア)──狂気の十六万四千七百六十八人にまで上る。性質の悪い冗談が紛れ込んだと思う方が、まだ信じられる数字だ。いくらMSを操って残した結果とはいえ、たかが個人がそれだけの数を殺すなど可能なのか? 普通は無理だ。肉体的にも、精神的にも、倫理的にも、およそありとあらゆる観点で人の心はその負荷に耐えられない。

 

 故に名瀬の疑いも一般的に見れば真っ当に正しいもの。だけど、オルガはかぶりを振って否定した。

 

『常識的に考えれば確かにそうっすね……でも、ジゼルを見たらそれも違ってくる。アイツならやりかねない、そう思えてくるんすよ』

「……ああ、俺も今は同感だな。フェニクスの戦いぶりを見てると、なんつぅか、喜んで人を殺してるって雰囲気がヒシヒシと伝わってくるんだよ。コイツはとんでもない怪物だぜ」

 

 一度、名瀬もジゼルと顔合わせは行っている。その時に感じた印象は、ふわふわとした掴みどころのない少女。およそ戦いには似つかわしくない、どこかで深窓の令嬢でもやっている方がよほどお似合いの雰囲気であった。

 しかし、そんな甘えた感想はもはや微塵も抱けない。人の心ではとても図れない怪物を前にして、人の杓子定規を当てはめることが何になるというのか。

 

「兄貴分としちゃあ、こんな危険人物を傍に置くのは反対なんだが……そこんとこはどうなんだオルガ?」

『俺としては、このままアイツには鉄華団で働いてもらうつもりです』

「へぇ、即決だな」

 

 はっきり言えば意外だった。殺人狂いというだけでも敬遠しがちなのに、具体的に驚異的な殺害数を知ってしまった以上、もはやオルガはジゼルを鉄華団から追放するだろうと踏んでいたのだ。

 

「だが良いのか? お前たちが目指している”上がり”と、あの嬢ちゃんが望む未来は致命的に違うぞ。いつかその齟齬が、取り返しのつかないことになるかもしんねぇ」

『承知の上です。そのうえで俺はアイツを必要としていますから』

「ほう、その意図は?」

『目指す結果が違っても、俺たちとアイツは同じ方向を向いているからです。俺たちがゴールに辿り着くまでの過程には、結局どう足掻いてもアイツが求めてやまない戦場が付きまとうんすよ。なら、最初から多少のリスクを呑んででも味方に居てもらった方が良い』

 

 それに、とオルガはさらに言葉を重ねる。

 

『これまでは家族だった鉄華団に、全く価値観や雰囲気の違う人物が入ってくる。これは変化の呼び水です。現に昭弘はこれまでよりも鍛錬に精を出してますし、ユージンに至ってはここしばらく別人かってくらいに努力を重ねてるんです。こいつはジゼルを加入させなければ起きなかった事態でしょう』

「なるほど、マイナスに振り切れた人物でもプラスに働くことはあると。そいつぁ確かにその通りだな。分かった、俺はもう何も言わん。せいぜい上手くあの嬢ちゃんの手綱を握っておけよ」

『はい!』

 

 威勢の良い返事を聞いて名瀬がふっ、と笑う。どうやらオルガは、なんだかんだすっかり彼女のことを気に入ってしまったらしい。

 こうなればもう、後はジゼル・アルムフェルトの()()()()()()()。恩や義理を大事にするらしい彼女が、自身の欲望の為に策を巡らせ鉄華団を闘争の道に引きずり込むかどうかは……名瀬の見立てでは五分五分といったところだ。微妙に分の悪い賭けと言っても良い。

 とはいえ、それらがどう転ぶかも現状では全く分からない。この世の中、予想外な行動が奇想天外な結末を生み出すことも多々あるのだ。あるいは鉄華団にとってのジゼルというのは、そういった存在であるのかもしれなかった。

 

 そんなことを名瀬が考えている内に、ブリッジのモニターではちょうどフェニクスが敵艦の火器とエンジンを潰し終えたところだった。木偶の坊となった敵艦から、情けない降伏信号が送られる。

 

「さてと、そんな話をしてる内に戦闘も終了したみたいだ。ちょいとこっからは事後処理があるから、いったんここで切らせてもらうぜ」

『わかりました。そんじゃ、お元気で』

「おう、じゃあな」

 

 オルガとの通信を切ってから、名瀬は座席から立ち上がろうとして思いとどまる。代わりに手早く手元の通信機をもう一度操作して、帰還中のフェニクスへと画面を繋いだ。

 小画面に映し出されたジゼルの顔は、頬を紅潮させて非常に上機嫌そうである。

 

「よう、気分はどうだい?」

『最高です。フェニクスでこれだけの人を殺したのは久しぶりですよ』

「そりゃ、こっちから見ても随分な暴れっぷりだったからなぁ」

『どうせなら母艦も潰したかったですがね』

「向上心の高いことで」

 

 あれだけ暴れてもまだ満足しきっていないとは。つくづく途轍もない少女であると痛感してしまう。

 しかし、そんなことを確認するためにわざわざ通信を繋いだのではない。

 

「兄貴分として聞いときたいんだが、鉄華団には満足してるかい?」

『今のところ大満足です。しっかり働けば、しっかり報いてくれる。良いことですよ』

「そいつは良かった。アンタも中々業が深いし、もっと不満でも抱えているかと思ってたよ」

『不満ですか。ジゼル、考えたことも無かったです。団長さんはちゃんとお給料とボーナスと戦場をくれてますから。あの人が与えてくれる限り、ジゼルもまた対価を払います』

「そうか、なら良いんだ。わざわざすまないな」

 

 もし何か不満があれば、どこかで暴発しない内に名瀬が出来る範囲で発散させようと考えていた。兄貴分としてそれくらいの手伝いはしても良いだろ。それをこのタイミングで訊いたのは、精神が昂揚して素が出やすいと考えたからなのだが……それでも何も無かった。

 むしろ、予想外に律儀な面まで飛び出してくるではないか。いや、いっそ約束に対して純粋と言い換えても良いのかもしれない。

 

 ──契約をした相手に、相応の対価を支払う存在。それはつまり、悪魔と呼ぶべき存在だ。つまり鉄華団は、文字通りに悪魔との契約を交わしたことになるのだろう。

 

『でも、しいて言うならば……』

「なんだ?」

『──地球には、もう一度くらい行ってみたいですね』

 



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#7 きっかけ

今回、厄祭戦についての独自解釈が多分に含まれております。


 それは、年少組の誰かが放った何気ない言葉が発端だった。

 

「事務方のジゼルさんってMSも結構強いらしいけど、三日月さんたちと比べるとどれくらい強いんだろう?」

 

 少年たちの関心を集めるものと言えば、やはりカッコよさである。いつの時代、どのような場所であろうとも、この大原則だけは普遍的だ。火星であろうと例外とはなりえない。

 そして、少年兵たちのカッコよさの基準とは、これまたやはり強さなのである。とりわけMSの操縦技術というのはこれ以上ない強さの証明ともなり、鉄華団のMSパイロットはいつだって彼らの尊敬の的となるのだ。

 

 では、鉄華団で最も強いMSパイロットとは? これはおそらく、満場一致で三日月・オーガスと返されることだろう。本格的に鉄華団の悪魔と呼ばれ始めたその実力、伊達ではない。

 その次に強いMSパイロットは? これもきっと、大多数が昭弘・アルトランドと答えるはずだ。グシオンリベイクを駆る彼の豪快な強さは、やはり折り紙付きである。

 続く三番目に隊長を務めるノルバ・シノがエントリーし、そこから先はおおよそ同じだけの実力が並ぶから割愛するとして。

 

 鉄華団が誇るMSパイロットの三強は、この三人と決まっていた。そこに異論はありはしない。

 なのだが、ここに一石が投じられる事となる。半年前に電撃的に鉄華団へ参入したジゼル・アルムフェルトという少女。普段は淡々と事務方をこなしている彼女であるが、MSに乗らせてみるとこれが中々手強い相手に早変わりだ。実戦で活躍する姿こそ見たことないが、たまに付き合ってもらう模擬戦では圧倒的な実力差を少年たちに示し続けている。

 

「なぁなぁ、お前はどう思うよ。ジゼルさんが三日月さんや昭弘さん、それにシノさんと戦ったらどうなるのか気にならないか?」

「おっ、確かに気になるなそれ! オルガ団長なら知ってるかな?」

「じゃあ俺は三日月さんとこ行ってくる!」

「俺はジゼルさんとこ!」

 

 そこで、冒頭の言葉へと戻ってくるのだ。強さに目のない少年たちからすれば、思いのほかに腕の立つ新入りがどれだけ強いのか気になるのは道理と言えた。しかも嘘か真かテイワズからの帰りに一組織を相手取ったとか、そんな噂すら流れ出せばもういてもたってもいられない。

 好奇心に駆られた少年たちは、答えを求めて本部内を走り回った。大胆にも団長へ訊きこみに行ったり、本人たちに直接確認するという王道を選んだり、方法は様々だ。

 

 ──こうして少年たちが抱いた疑問は鉄華団中に拡散され、三日も経った頃には誰もがそこはかとなく気にかかる話題となっていたのだった。

 

「なるほど、あの問いかけにはそんな事情があったのですね」

 

 一連の話を聞き終えて、得心がいったとばかりに頷くジゼル。それから、テーブルの上に用意されていたカレーに手を付けた。これもまた、非常に辛そうな見た目である。とても人間が食べて良いものとは思えない。

 

「なんだか知らねぇけど、いつの間にか妙なことになっちまっててな。いやぁまったく、アイツらには困ったもんだよ」

「それで俺たちを呼んだということか。確かに、興味が無いと言えば嘘になるな」

「俺も気になるかな、その話」

 

 ジゼルと同じテーブルに着いて普通のカレーを食べているのは、シノに昭弘、それに三日月だ。三人とも周囲からそれとない注目の視線を注がれているから、どこか居心地が悪そうだ。いや、三日月だけは気にすることなく自然体だったか。

 ともかく、昼食時の食堂に噂の四人が集まったのは決して偶然ではない。ここ最近の間に急速に広まった噂を確かめたシノが、どうにかこの四人を集めることに成功したのだ。それでおおよその事情を説明して、今に至るという訳である。

 

「へぇ、昭弘と三日月も気になんのか。ま、確かに誰が最強か俺も知ってみてぇ気持ちはある」

「男の人は、いつだって最強という言葉に拘りますね」

 

 三日月たちに同意を示したシノに、ジゼルはそっけなく呟く。珍しいことに、どことなく呆れた声音をしていたように思えた。

 

「お前は強さに興味がないのか、アルムフェルト?」

 

 鉄華団でジゼルのことをアルムフェルトと呼ぶのは、唯一昭弘だけである。かつての初対面においてかなり悪い印象を抱いてしまったから、あれから半年が経過した今でも相応の距離を保っているのだ。

 だが、それが逆に”こんな奴に負けてられるか”と昭弘を奮い立たせるのだから、人間どのような事がどう作用するかは計れない。この半年で昭弘の筋肉が目に見えて増えたというのは、団員間でまことしやかに囁かれる話である。

 

 さておき、そんな昭弘からの純粋な質問に対してジゼルは、

 

「ありませんよ、別に」

 

 即答で切って捨てた。本心から全くもって興味がないのか、表情すら変わらない。

 

「なんか、意外だね。アンタの事だからもっと拘ると思ったけど」

「ジゼルは最強という称号に興味などありません。あるのはただ、どうすれば──」

 

 そこで唐突に口を噤むジゼル。ちらりと周囲を見渡してから、ちょっとだけ困った雰囲気を漂わせ始めた。もちろん、この場に集った三人は彼女の細かい事情まで知っている数少ない存在だ。だから言葉に詰まったその姿に、何が言いたいのかをひとまず察した三人だった。

 おそらくジゼルの台詞の続きとは、「どうすれば効率よく人を殺せるかです」辺りが妥当だろう。だけど彼女の本性は団員の大多数に秘匿する事となっているから、人の多い昼時の食堂で大っぴらに言えることでもないのだ。

 

「むしろ、どうしてあなた方は強さに興味を持つのです? 男性にとって、最強とはそれだけ魅力的な言葉なのですか?」

 

 ひとまず仕切り直しとばかりに、今度はジゼルから疑問を振ってきた。しばし男たちは考える。だが、結論を出すまでにそう時間はかからなかった。

 

「言われてみりゃ、俺も最強だからどうこうってのはねぇわな。ただ、強けりゃ鉄華団(かぞく)を守れる。過酷な状況でもしぶとく生きていける。それで十分じゃねぇのか?」

「シノに同じだ。どうあれ強ければ強いに越したことは無いし、その果てが最強の称号だというなら悪くない」

「俺はただ、オルガの前に立つ邪魔者を吹き飛ばすだけだ。俺たちが止まらないためにも、強くなくちゃいけないから。うん、それなら最強っていうのも悪くないかな」

 

 答えは三者三様、だけど最強という言葉にあまり頓着していないのは共通していた。誰もがまず目標とする強さがあり、その果てに目的が叶うのなら最強となるのも悪くないと考えている。彼らにとって最強の称号とは、所詮は副次的なものに過ぎないのだ。

 一顧だに値しない男らしい理論は、しかしどこか()()()()()()。なんとなしにジゼルはそう感じてしまう。だからだろうか、脳裏にほんの一瞬かつての記憶がフラッシュバックする。微笑を浮かべて佇んでいる、壮年の男の姿が。

 

『男子たるもの、最強を目指せ……か。誰の言葉か知らないけど、全くもって下らないな。最強というのは、目指すものじゃない。強い想いで何かを成し遂げた時、気がつけば至っている頂だ。そこに男も女も関係ない。君にもいつか理解できる時がくるだろう、ジゼル』

 

 ──そういえば、アグニカ・カイエルも似たような事を言っていたなと。

 

 ふと、思い出したのだった。

 

「で、結局この中で一番MSの腕が立つのは誰なんだよおい? ちくしょう、すげぇ気になってきたぞ!」

「だけどよ、それってどうやって決めんだ。わざわざMSを出すわけにもいかねぇし……」

「別に良いんじゃない? オルガに事情を話せば、多少壊れるくらいにやっても大丈夫でしょ」

「……事務担当として言っておきますが、あれを直すのは整備班の皆さんです。そしてその費用を捻出するのは、ジゼルたち事務方の仕事になります。端的に言って、余計な手間を増やさないでください」

 

 子供じみた好奇心に忠実になったシノ。

 ガチムチな見た目に反して、冷静にどうすれば良いのか思案する昭弘。

 軽いノリで大事な戦力を持ち出そうとする三日月。

 そして事務方として勘弁してくれと淡々と訴えるジゼル。

 

 三者三様から四者四様と化したテーブルは議論の渦に叩き込まれ、散々衆目を浴びた果てに、最期には決着がつくことなく昼も過ぎてしまったのだった。

 ──後日、気がつけば少年たちの手により暫定的なジゼルの実力は四番目くらいとされていた。それが正しいか否かは、ジゼルのみが知ることである。

 

 ◇

 

 今度のきっかけは、オルガのふとした疑問だった。

 

「そういや、結局”厄祭戦”ってのはどんな戦争だったんだ?」

 

 良くも悪くも鉄華団にとっての劇薬であるジゼルは、思い返せば厄祭戦が終わった直後の時代からやって来た存在である。そこで残されたといういっそ意味不明な戦績は、未だオルガの脳裏に焼き付いて離れない。

 だけど、考えてみればオルガたちは厄祭戦についてほとんど何も知らないのだ。いつだったかにジゼルが述べていたMA(モビルアーマー)についても訊き損ねたし、そもそも直後の彼女に関するゴタゴタや鉄華団の業務が忙しすぎて完全に忘れていた始末である。

 

 いったいどのような泥沼の闘争があれば、十数万という人間を殺戮する羽目になるのか。純粋な好奇心もあったし、ジゼルについてより深く理解するための一助になるだろうという打算もあった。

 

「だからここは一つ、俺たちに歴史の授業でもしてもらおうとでも思ってな。なんせ厄祭戦の生き証人がいるんだ、これ以上ねぇ教師だろうよ」

「そういうことでしたら、ジゼルは構いませんよ」

 

 夜になって、業務も一段落した頃。誰もが明日を夢見て就寝する頃であるが、社長室には未だ明かりが灯っていた。

 そこに居たのは真面目な表情のオルガ、相変わらず無表情で眠そうな瞳のジゼル、そして欠伸を噛み殺したユージンの三人である。

 

「にしても、別にユージンまで来る必要はなかっただろ? こいつは単純に俺が気になったってだけの話だ。眠いんなら無理するこたねぇぞ」

「そういうわけにはいかないだろ。今の鉄華団はもう、オルガ一人が気張ればいい組織じゃねぇんだ。どんな些細な事でも、副団長である俺はお前に食らいついてく義務がある」

 

 ましてや、この女に関する事なら猶更だ──そうユージンの瞳は明確に語っていた。どれもかつてのユージンならとても思いつかないであろう、しっかりとした思慮と義務感である。その姿に家族の成長を実感し、ついオルガの口元が緩んでしまったのも仕方ないだろう。

 

「んだよ、妙にニヤニヤしやがって気持ち悪ぃ。馬鹿にしてんのか?」

「そんなわけないだろ。本当にただ嬉しかっただけさ」

「すみません、話すならどこから話せば良いですか?」

「ああ悪い、取り敢えずは厄祭戦の発端から、かいつまんで話してくれると助かる」

 

 普段通りのマイペースさを発揮したジゼルに、オルガが謝りつつ話を促した。

 

「厄祭戦とは、知っての通りに惑星間規模で発生した大戦争の事です。その発端は行き過ぎた機械文明によって生み出された、MAとされています」

「そいつは最初の面接の時にも言ってたな。確か、人だけを殺しつくす兵器だとかなんとか」

「はい。MAは激化した人間同士の争いの末に生み出された、天使の名を冠する最強の無人兵器なのです。人を効率よく殺す為だけに洗練された彼らは、最終的には実に人類の四分の一を殺したとかなんとか」

 

 小さく「実に羨ましい話です」なんて物騒な呟きが耳に届いたが、聞かなかったことにしたオルガとユージンである。

 

「人を殺す為の兵器だけあって、生身の人間ではとても彼らには敵いません。しかも彼らの中には仲間を増やす個体も居ましたから、人類は窮地に陥りました。そこで開発されたのが、あなた方も良く知るMS(モビルスーツ)です。彼らの原点とは、MAを駆逐するための兵器なのです」

「……質問だ。どうしてMSは今でも知られているし現役なのに、MAは影も形も無くなってんだ? まさかとは思うが──」

「原因はギャラルホルンなのでは? ジゼルの知る限り、彼らほど世界に影響力を持つ組織は存在しませんので。きっと情報封鎖して、MAという災厄自体を歴史から抹消したかったのかと」

「やっぱそうなんのか……つーかよく考えりゃ、厄祭戦を終わらせたのもギャラルホルンの前身って話だもんな」

 

 とはいえ、そうなるとある疑問が浮上することになるのだが。オルガもユージンも、ほぼ同時にその謎に行き当たった。二人して顔を見合わせて、代表してオルガがさらに疑問を投げかける。

 

「なあ、一つ訊きたいんだがよ。俺たちは今まで厄祭戦の事を、馬鹿でかい()()()()()()()だと考えてきて、それで納得できてた。だけどよ、今の話を聞く限り本当の敵はMAって奴ららしいじゃねぇか。それなのに人類の敵そのものを隠蔽しちまったら、どうにもおかしなことになんねぇか?」

 

 人類の敵であるMAの存在を歴史から抹消した以上、厄祭戦は人類同士の戦争という構図を世界に信じさせる事となる。それがギャラルホルンの狙いというのはまだ良いのだ。

 故に問題が起きるのは、厄祭戦が完全なる人類対MAの構図だった場合となる。果たしてギャラルホルンは、ありもしない人間同士の争いをでっち上げることが出来るのか。現代(いま)も残る厄祭戦時代の破壊痕を、全て人の手によるものだと誤魔化すことが本当に可能なのか。ここに疑問が生じてしまうのだ。

 

 つまり、オルガとユージンの考えた結論とは──

 

「厄祭戦は、人間の争いにMAが食い込む三つ巴だったんじゃないのか?」

 

 すなわち、厄祭戦とは『人間たちの戦争』と『人類とMAとの生存競争』が一挙に起こった出来事を指すのではないかと。二人はそう言いたいのである。そうであるならば、ギャラルホルンはただ事実の片方を前面に押し出すだけで良い。嘘の中に真実を混ぜるのは、情報操作における常套句なのだから。

 そして、図らずもただ一人厄祭戦の生き証人となった女の口からは、

 

「その通りです」

 

 肯定の言葉が出たのであった。

 

「確かに厄祭戦とは、人間と人間の争いに加えて、人間とMAが(しのぎ)を削る大混戦でした。ジゼルもMAだけではなく、頭の螺子の外れた人間たちと頻繁に戦いましたとも」

「マジかよ……つかこんな回りくどい事までして、ギャラルホルンの野郎はどんだけMAを隠したかったんだ」

「そんだけMAが脅威だったんだろうな。そして二度と作成されないよう、存在すら封印した。同時期に起こっていた人類間の戦争は隠れ蓑にちょうど良かったから、喜んでダシに使ったてとこか」

 

 そう考えれば辻褄が合う。世界規模でのデータ封鎖という途方もない事業も、真実を下敷きにしているならば難易度はぐっと下がる。ましてや厄祭戦を終わらせたギャラルホルンなら、そう難しいことでも無かったはずだ。

 だけどこれが事実なら、むしろ度し難い真実も露呈する事となるのだが。

 

「それならよ、人間同士で協力してMAに立ち向かえば良かったんじゃないのか? そいつがどんだけ強いかは知らねぇが、そっちの方がよほど話は早くすむ」

「なら訊きますが、団長さん。あなたは昨日まで戦争をしていた相手と、明日に手を取り合って戦うことが出来ますか?」

「……それは」

 

 思わず言葉に詰まってしまう。必要ならやると、口で言い切るのは簡単だ。だけど、実際に恨み辛みも募るであろう敵を前にして、すんなり協力できるかは自信が持てない。それじゃ筋が通らねぇと言い切る方が、まだ想像できてしまう。

 

「しかも、戦争をしていたのは国家間なのですよ。MAが現れようとこじれ切った関係を戻すのは容易ではなく、むしろMAの破壊に乗じてより多くの戦果と利益を掠め取ろうとする輩すら蔓延る始末。これでは、MAに対する共同戦線どころではありません」

 

 横行するスタンドプレー、戦争は激化し、MAは混乱と破壊を生み出し続ける。まさにこの世へ本物の地獄を顕現させたのが厄祭戦であり、疲弊した人類はかつてない危機に陥っていたのである。

 

「それでも、戦争に巻き込まれない幸運な国もありました。ジゼルはそういった国の生まれです。そこは比較的平和で、けれどヒシヒシと危険が迫っていました。いつ戦火に呑まれてもおかしくない状況。その最中(さなか)にかの男は──アグニカ・カイエルは立ち上がりました。彼こそは、二十年にも渡った厄祭戦を終結に導いた人間なのです」

 

 ついに話が核心へと触れた。厄祭戦の具体的な内容にとうとう切り込んで行く感覚に、オルガとユージンも自然と聞き入る姿勢になってしまう。

 だけどちょうどその時、ジゼルが大きく欠伸をした。気の抜けるような声を発して、猫のようにしなやかに伸びをする。

 

「……いつの間にか、だいぶ時間が経ってしまいましたね。続きはまたの機会にしましょう。ジゼルはもう眠いのです」

「お、おう……ここで止めるのか……」

 

 見れば、時計は既に深夜零時を回っていた。どうやら全く自覚のないまま、時間だけは飛ぶように過ぎてしまっていたらしい。気がつけば、オルガもユージンも睡魔に襲われかけていた。ジゼルに至っては既に寝ている始末である。その間、わずか十秒ほどか。

 せっかく話が理解でき始めたというのに肩透かしを食らった気分だが、機会はまだいくらでもあるのだ。これからも一つ一つ着実に学べばそれでよい。そういうことで納得しておくことにした二人であった。

 



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#8 地球支部

前回よりさらに時間が半年ほど飛んでおります。ご注意ください。



 およそ一年半も前の話である。鉄華団は四つの経済圏の一つアーブラウへ、”革命の乙女”ことクーデリア・藍那・バーンスタイン並びに、政治家の蒔苗東護ノ介という男を送り届けることに成功した。これによってアーブラウの政治体制は大きく変化し、火星の状況が多大な変革を迎える一因となったのだ。

 その時から鉄華団はアーブラウと緊密な関係となり、すぐにアーブラウ独自の防衛軍への軍事顧問として迎え入れられるまでになる。火星の民間会社が四大勢力の一つにそこまで認められたのだから、鉄華団の旗にどれだけの箔がついたかもうかがい知れるというもの。火星ばかりか地球にまで支部を作った鉄華団は、止まることのない快進撃を続けていたのだ。

 

 鉄華団地球支部における仕事は主に二つ。アーブラウが独自に組織した軍隊への軍事的な指導と、有事におけるアーブラウの防衛戦力として働くこと。どちらも軍事的な会社としては至極まっとうな内容であり、鉄華団からしても複雑なことは何もない。

 ただ、そうは言っても問題は起こってしまうのだが。

 

「おい、こいつはどういう理屈で動くんだ? 回りくどいこと言ってないでさっさと教えろ」

「なに言ってんだアンタ。そいつの操縦はさっき教えたことが全部だ。それでも駄目ならアンタは諦めてくれ」

「なんだと!? このクソガキが!」

 

 どれだけ名が売れても、つまるところ鉄華団とは少年兵たちが母体となった組織なのだ。当然、地球支部も年若い子供が大多数となる。無論のこと団長のオルガ・イツカは信頼できる若者たちを地球支部へと配属しているが、それでも見てくれはどうしたって子供なのだ。

 であれば、そんな彼らが軍事顧問として大人たちで組織された防衛軍に指導すればどうなるか。決まっている、反発が起きるのだ。大人なのに子供から教わるなんて我慢ならないと、プライドだけは高い者たちが暴れだしてしまうのである。

 

 もちろん、全員が器の小さい大人ではない。真面目に話を聞く者たちも大勢いるし、自分たちより実戦経験の多い子供たちを尊重する良識人だっている。しかし面倒な大人が多いのもまた事実であり、それ故に地球支部を率いる者たちは非常に頭を悩ませていたのだった。

 

 ◇

 

「地球へ行きたいだと?」

「はい、そうです。ジゼルは、今の地球をこの目で確かめてみたいのです」

 

 代り映えのしない無表情かつ平坦な調子で、ジゼルは肯定した。

 いきなりの出来事だった。珍しくジゼルの方からオルガに頼みがあると言うから話を聞いてみれば、藪から棒に地球へと行きたいと言い出したのである。

 ジゼルを採掘プラントから発掘したのは、顧みればもう一年も前になるのか。長いようであまりに短い時間だったが、その中で彼女は殺人癖と辛味以外で主張したことはほとんど無かったと言って良い。

 

「だけどよ、あっちは基本的に軍事顧問としての活動がメインだから、アンタが求める戦いは全くねぇぞ。しかも向こうじゃ()()()()の件も難しく……いや、はっきり言おう。確実に不可能になっちまう。まずそいつを承知してんのか?」

「承知の上で言ってます」

「そうかよ……こりゃどうしたもんか……」

 

 地球支部にジゼルを送る。これ自体は別段まずいことではない。未だ事務方の整いきらない鉄華団であるが、それでも火星の方はだいぶ落ち着いてきたのだ。代わりに地球支部は、今だテイワズからの出向であるラディーチェ・リロトがどうにか仕切っているのが現状である。故に、そんな彼の援護として事務仕事のできるジゼルを派遣するのは理に適っていると言えよう。

 

 だから、この話の問題点は別のところにあった。

 

「地球に行くって言うなら、当然地球支部で働いてもらうことになる。そうなりゃ最低でも半年、出来ることなら一年は向こうで事務方に就いてもらう訳だ。敢えて聞くがアンタ、それだけの時間を耐えることが出来んのか?」

「……どう、でしょうね? 耐えれそうな気もしますし、暴発しそうな予感もします」

「おいおい、勘弁してくれよ……」

 

 あまりにも不気味な歯切れの悪さだ。ジゼルの嗜好を鑑みれば不安になること甚だしい。

 さて、どうするか。降って湧いた無理難題に、オルガの頭の中で急速にプランが展開されていく。

 

「なあ、アンタを鉄華団に雇ってからもう一年が過ぎてんだ。その間に色々とアンタのことを見させてもらったし、調べたりもした。結論から言やぁ、俺はアンタを()()()()()()()だと思っている。主義主張は別として、な」

「それはまた……ありがとうございます。このような人間を信用すると言ったのは、あなたで二人目ですよ」

「言ったろ、主義主張は別としてだ。アンタがどんだけ危険な思想を抱えていようと、それと信用できるか否かは別問題だからな。でなきゃ、最初の時点でアンタを鉄華団に招くような真似なんざしねぇ」

 

 メインとして働いていた事務仕事だけ見ても、目覚ましい働きをしていたのは事実だ。意図したかはともかく、他の団員たちへの起爆剤になったのも間違いない。戦闘には中々出してやれなかったが一定の実力を示したのも疑いようがなく、厄祭戦について知りうる知識全てを伝授してくれたのもそう。彼女は、オルガが期待した以上の働きを鉄華団へと及ぼしている。

 であれば、働いた部下に報いるのは上に立つ者としての責務だとオルガは考える。しかもそれが結果として組織への利益となる行いなら、止める理由は一切ない。かつて名瀬からもジゼルの望みを聞いていたから、いつかこの日が来るというのも分かっていた。

 

 つまり、ジゼルを地球へと送るのに必要なのは一点だけ。オルガという楔から放たれたジゼルを、確実に抑止するための新たな楔に他ならない。

 

「そう、()()()()()()()()()()()()。だから地球に行きたいというなら、その願い叶えてやろうじゃないか。もちろん、向こうで相応に働いてもらうのは大前提だがな」

「……いいのですか? 絶対に止められるものと思いましたが」

「止める気はねぇ、ついでに言えばアンタを縛るルールや何やらを設ける気もねぇよ。ただ、アンタへの信頼を理由に地球へと送る。俺からはそんだけだ」

「なるほど──ズルい人ですね、あなたは」

「ふん、なんとでも言えよ。俺は家族を守る為ならなんだってするだけだ」

 

 結局のところ、危険なジゼルを縛るのに必要なのは目に見える力でも規律でもない。あやふやで形すらない、ただの”信頼”なのだ。それ以外の余計な何かは必要ない。恩には恩で返し、義理には義理で返す。そんな彼女だからこそ、たかが口約束でしかない”信頼”という言葉に何より縛られる結果となるのだから。

 同じく筋を通すことを信条とするオルガだから、彼女のこういった心理は手に取るようにわかる。そのうえで信用という言葉を強調してきたために、ジゼルは彼を指してズルいと述べたのだ。

 

「……わかりました、ジゼルの負けです。()()()()()()()()()()()()()。これで十分ですか?」

「文句なしだ。そんじゃ早速準備してくれ。アンタ一人を送るくらいなら、そう手間もかかんねぇからな」

「了解しました。お早い対応に感謝しましょう」

 

 これにて楔は撃ち込まれた。これから先でよほどの不義理をオルガがジゼルへと行わない限り、彼女はオルガの信用を裏切ることはできない。信じられないかもしれないが、これが彼女の信念なのだ。快楽の為に人を殺すような悪魔だろうと、譲れない一線は確かにある。

 

 むしろ──悪魔だからこそ、誠実な信頼には弱いのか。

 

「ああそうだ、最後にコイツだけは言っておかないとな」

「おや、なんでしょうか?」

 

 こくり、と可愛らしく首を傾げるジゼル。

 彼女の悪性を上手いこと利用するのは、これもまた団長としての務めだ。

 

「無用な殺人は当然ご法度だが──絶対に殺すなとも言わねぇ。蒔苗の爺さんやチャドには話を通しておく。後は、現場の判断に従ってくれ」

 

 ──返ってきたのは、底の知れぬ微笑であった。

 

 ◇

 

 どこか浮世離れした女性。それが、タカキ・ウノが抱いた最初の印象だった。

 

「では、自己紹介をお願いします」

「本日より鉄華団火星本部から鉄華団地球支部へ配属される事となった、ジゼル・アルムフェルトです。以降、よろしくお願いします」

 

 よく晴れたある日、鉄華団が所持する格納庫前に地球支部の全団員が集められた。すわ何事かと思っていれば、チャドとラディーチェにより新たな地球支部メンバーを紹介される流れとなったのである。

 その新入りはすらすらと淀みなく、だけど感情を感じさせない声音で自己紹介をし、ぺこりと一礼した。長すぎる赤銀の髪が、陽光に照らされ輝く。整った顔立ちは淡々とした雰囲気と合わせて、どこか人形を連想させるのだった。

 

 ひとまず自己紹介はそれで終わり、通常の業務へと差し掛かる。どうやらジゼルは事務方担当らしく、さっそくラディーチェと共にパソコンと向き合ってなにがしかの書類を作り始めていた。ちゃんとオルガ団長は、地球支部の事務員不足を考えてくれていたらしい。タカキとしてはそれだけでも嬉しくなってしまう。

 ただ、事務員の割には彼女と共に運び込まれた赤と金のMSの意図が不明瞭な訳だが。まさか、事務員の彼女が乗るのだろうか? それよりはむしろ地球支部の少年兵を乗せる方が良いと思うのだが、そんな話は全く聞いていない。

 

「チャドさん、あの人っていつから鉄華団に居るんですか?」

 

 そういう理由もあり、その日の夕方。軍事顧問としての仕事も一段落した頃、色々と好奇心に駆られたタカキはチャド・チャダーンの下へとやって来ていた。彼なら、ジゼルという女性の経歴も事前に知らされていると考えたからである。

 

「あー……お、俺も詳しくは知らないんだがな。どうやら俺たちが地球支部としてやって来た直後くらいに、テイワズから推薦されてやって来た人らしいぞ?」

「そうなんですか! それは頼もしいですね!」

 

 どうにもチャドの態度の不自然さが目立つが、それよりもタカキの頭の中はジゼルについての興味でいっぱいだった。テイワズからの参入といえば、今では鉄華団を支える一員であるメリビットや、この地球支部を切り盛りしてくれるラディーチェがいる。彼女がその一人というなら、これほど頼もしいことはないだろう。

 

「……つまり、あのラディーチェって奴と同じ出身ってことか」

「あ、アストン! そういう言い方は良くないだろう!」

「わ、悪い……ついな」

 

 反対に、元ヒューマン・デブリであるアストンはあまり良い印象を抱いていないらしい。良く言えば忠告、悪く言えば頭ごなしの否定が多いラディーチェの言動は、それが原因で彼を嫌う少年兵たちを増大させてしまっている。彼のことを色眼鏡で見ていないのは、鉄華団でも珍しく温厚なチャドとタカキくらいのものだろう。

 だが、いくら彼女がテイワズからやって来たといえども、まだ出会って一日も経っていない人物を悪く言うのも筋が通らない話である。そういう訳でタカキが軽く叱り、アストンが謝るといういつもの光景が繰り広げられるのだった。

 

 事件が起きたのは、それから十日が過ぎた頃だ。

 

「タカキさん、こっちです!」

 

 団員の一人に呼ばれて、タカキは現場へと急行した。そこにはアーブラウ防衛軍の大人たちと、鉄華団団員の少年たちが睨み合っている構図があった。

 これはまたいつもの小競り合いか、と。タカキは内心げんなりしながら、彼らへと近寄った。

 

「あの、すいません……何があったのですか?」

「何も糞もあるか! コイツら、ちょっと戦いが得意だからって調子に乗って指図ばかり! 何様だと思ってやがる!」

「あ、えーと……」

 

 防衛軍の一人が苛立ち交じりに叫ぶと、「そうだそうだ!」と野次が飛んでくる。どうやら此処にいる防衛軍の者たちは、妙にプライドの高い面倒な大人を寄せ集めた最悪の集団であるようだ。

 

「教える側の俺たちが偉そうに見えるのはまだしも、教わる側がそんな高圧的なんてあり得ないだろ。そっちこそ、何様だと思ってんだ」

「なんだと!? もう一回言ってみろ!」

「ちょ、ちょっと……!」

 

 いよいよ収集がつかなくなってきた。言い返した鉄華団側の言い分はまさしくその通りなのだが、かといってこの場で言ってよい事でもない。火に油を注がれた大人たちはついに逆上し始め、手の早い防衛軍側の誰かが団員へと殴りかかったではないか。

 

「ど、どうしよう……これじゃ止められない。チャドさんやラディーチェさんを呼んできて──」

 

 もはや止める術がない。堰を切ったかのように殴り合いの喧嘩が始まってしまい、とてもタカキ一人では止められない事態と化してしまった──その時であった。

 

「喧嘩を止めてください。止めないなら、撃ちますよ」

「ジゼル、さん……?」

 

 淡々とした声が響き渡る。タカキが振り返れば、その先には()()()()()ジゼルがいた。

 彼女とはまだ話したことがほとんどない。なのに無性に恐ろしく感じられて、反射的にタカキは身を竦めてしまう。

 目線がほんの一瞬交錯した。彼女の金の双眸は、底が窺がえぬ濁りを湛えたもの。これでは人間ではなく、むしろ──

 

「止めないなら、撃ちますよ?」

「ちょ、ちょっと待って! みんな喧嘩はいったん止めよう! これ以上は良くないよ!」

 

 二度目の警告。しかし誰も耳に入っていないのか、それともただの脅しと侮っているのか。一向に喧嘩が終わる気配はなかった。

 まずい、このままでは非常にまずいことになる。ジゼルの銃は脅しではない。ほとんど直感的にタカキは危険性を悟り、声を張り上げるも既に遅く──

 

「では撃ちますね。さようなら」

 

 躊躇いなく、ジゼルは引き金を引いていた。

 乾いた銃声が三度、地球の空に木霊した。取っ組み合いの姿勢のまま、誰もが驚愕に目を見開いてジゼルを見る。そして彼女の視線の先には、銃殺された防衛軍側の人間が居た。何が起きたかも分からない表情で絶命している死体を、ジゼルはどこか楽し気に眺めている。

 

 奇しくも殺された人間とは、最初に殴りかかった男であった。

 

「これ以上争いを続けるなら、皆殺しにします。それが嫌なら、双方退いてください。ここでこれ以上の争いに、意味はありませんから」

 

 人を一人殺した直後だというのに、さざ波ほどの感慨も彼女は抱いていないらしい。どこまでも普段通りの態度で、硝煙を燻ぶらせた拳銃をひらひらとさせている。

 そこまでされてしまえば、もはや互いに引き下がる他無かった。取っ組み合いの熱量もどこにやら、今や全員が青ざめた顔でジゼルの様子を窺がっている。

 

「分かってもらえましたか? なら十分です。ジゼルの引き金はとっても軽いので、よく覚えておいてくださいね」

 

 そんなあまりに物騒極まる脅し文句を残して、ジゼルは立ち去って行った。後に残ったのはどうしようもなく怯えた防衛軍の面々と、呆気にとられた鉄華団団員たち、そして物言わぬ死体が一つだけ。

 完全に凍りついてしまった場に取り残されたタカキは、認識を改める。ジゼル・アルムフェルトという女性は、単なる事務員などでは断じてないと。むしろあれは、命を奪うという行為に慣れ切った人間だと。そう、理解した。

 

 ──結局その後も二人ほど防衛軍側の人間が死体となり、ようやく両者の小競り合いは収束したのだった。

 

 ◇

 

「頼まれていた粛清、終わりましたよ。まずは一人、殺してきました」

「おお、それはありがたい。ここしばらく、大恩ある鉄華団に対して防衛軍の一部は目に余る態度じゃったからのぅ。これで少しは大人しくなるじゃろうて」

「もし、そうならなければ?」

「……あと三人までなら、許可を出そう。ただし、それ以上は決してまかり通らぬ。無論のこと、罪なき者たちを害すこともな」

「言われずともしませんよ。信用されているので」

「よろしい。いやしかし、鉄華団はいつも儂を楽しませてくれる。このような愉快な少女を引き入れるとは……さて、彼らの進む先に何が待ち受けているか。見極めさせてもらうとしよう」

 




ジゼル、地球で暴れるの巻。


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#9 嵐の前の静けさ

 アーブラウにて一瞬で鮮烈な印象を叩きつけた、可憐な少女の皮を被った怪物ことジゼル・アルムフェルト。彼女は三人もの人間を容赦なく射殺してから四か月もの間、不気味なほどに大人しく業務に携わっていた。

 仕事に対しては非常にまじめに取り組み、共に働くラディーチェも特に不満を抱いている様子はない。少年兵たちとは最低限の会話しかしないが、それでもコミュニケーション自体は円滑に行えている。故に間違いなく事務方としては有能という評価が出来て、タカキからすればそれがどうにも腑に落ちなかった。

 

 鉄華団地球支部団員たちの間でも、敵ですらない人間を躊躇なく殺せる彼女については意見が割れている。テイワズからの出向だから荒事に慣れている説だとか、鉄華団を妨害する者に対して容赦がないだけだとか、これは荒唐無稽かもしれないが純粋に殺しを楽しんでいるだけだとか。

 ともかく言えるのは、ジゼルについては困惑が大きく広がっているということである。彼女の行いのおかげで防衛軍との関係は軟化──ジゼルに怯える様をそう呼んで良いのか疑問だが──したけれど、それを素直に喜ぶことも出来ない。彼らと衝突していた血気盛んな少年兵たちですら、防衛軍側に起きた惨状に溜飲が下がるよりも白けてしまったのだから、その異質さが良く分かるというものだ。

 

 当たり前だが、その後にタカキは地球支部責任者のチャドへとジゼルの扱いを訊ねている。一連の粛清じみた殺害についてや、彼女の来歴といった事柄をより詳しくだ。

 だがとうのチャドは煮え切らない表情をして、

 

「あの人はなんていうか……例外らしいんだ。今回の一件も蒔苗さんが一枚噛んでるらしいし、団長からもその件については問題ないって言われてる。だからタカキたちは、上手く彼女と適切な距離を保って接して欲しい」

 

 真実をぼかしてそう告げるだけだった。一応蒔苗代表とオルガ団長からの信任があるなら滅多なことは起こらないだろうとタカキも予想できたが、それでもどこか不安になるのは仕方がない。

 

「ねぇ、アストンはどう思う? 俺たちは、あの人を信用してもいいのかな?」

 

 だからタカキは、地球支部で一番仲の良いアストンへも話を振ってみた。

 率直にジゼルをどう思うかについて、朴訥な感性を持つ彼の意見も聞いてみたかったのだ。

 

「俺は、頭が良くないからタカキみたいに色んなことを考えるのはできないけれど……なんか怖い人だとは思う。でも、信用して良いとも思うな」

「そっか……理由を聞いてもいい?」

 

 アストンは頷くと、ポツポツと語りだす。

 

「……前に一人で歩いてたら、あの人と会ったんだ。ハーモニカっていうらしい、小さな楽器を吹いてて、なんだか綺麗な音色だった。そしたら向こうも俺に気が付いて、嫌な顔もせずに色んな曲を聞かせてくれたんだ」

「そんなことがあったんだ……良かったね、アストン」

「うん。俺も、あの時は楽しかったよ」

 

 微かに嬉しそうな色を滲ませているアストンは、本当に良い体験を出来たのだろう。かつてのアストンはヒューマン・デブリとして散々な目に遭っていたことを知っているタカキだから、純粋に嬉しくなってしまう。

 だけどこうして話を聞いてみて、またも良く分からなくなる。躊躇なく人を殺す冷酷な一面を持っているかと思えば、また一面は意外にも親しみやすいようにも見えて、されどどこか神秘的で不思議な雰囲気をまとった女性だ。似たような人物には三日月・オーガスがいるのだが、彼ともどこか違う異様さを感じられてしょうがない。

 

 結局、ジゼルという女性の真実はどこあるのだろうか? タカキの思考はそこばかり堂々巡りしてしまう。

 

「……あっと、すみませんでした」

 

 そのせいで、支部内の廊下を歩いている際につい人とぶつかってしまう。どうやら注意が散漫していたようだ。それでも咄嗟に謝罪しながら前を向くとそこには──

 

「もう少し前を見て歩きましょう。以降、お気を付けを」

「あ……どうも、ごめんなさい」

 

 学生服にも似た格好にベージュ色の鉄華団制服を羽織ったジゼルが、感情を映し出さない無表情で佇んでいたのだった。どこから持ってきたのか、手には何やら箱詰めにされた機材やコードを抱えている。

 思わずどきりとしてしまい、だけど漏れた言葉を隠すように重ねて謝罪すれば、彼女は気にした風もなく歩き去っていこうとする。その背中に、タカキは反射的に声を掛けてしまった。

 

「あの、ちょっと良いですか!?」

「何か?」

 

 振り向き様に淡々と言われ、言葉に詰まってしまう。タカキが話を聞いた団員たちの多くが『実はちょっと苦手かも』と評してしまう一端は、この怖いくらいの無感動さにあるのだろう。まるで人形と向き合っているかのような、これまでの鉄華団には無かった奇妙なものを感じてしまうのだ。

 

「その、ジゼルさんってあのフェニクスっていうMSに乗るんですか?」

「そうですよ。フェニクスはジゼルのモノです。他の誰にも譲る気はありませんので」

「や、やっぱりあれはジゼルさんが乗るんですよね──」

「ではあなたは、地球を気に入っていますか?」

「は、え?」

「あなたは、地球を気に入っているのかと訊いているのです、タカキ・ウノさん」

 

 唐突過ぎて、タカキは思わず聞き返してしまう。MSの話から地球の話へ、一気に内容が飛んでいる。もちろん話は全くかみ合っていないのだが、ジゼルは本気で問いかけているらしい。その金の瞳が、答えを求めてタカキを覗き込んでいる。

 呆れるほどにマイペースな問いかけには辟易するばかりだが、一方で彼女がしっかり団員の顔と名前を一致させていることも今ので分かった。その妙な律儀さに触発されて、気がつけばタカキもまた彼女の問いに本心から答えていた。

 

「火星とは違うことばかりだけど、気に入ってますよ。どんなところがと言われると難しいですけど……でもアストンや皆も地球は良いところだなって」

「アストン……ああ、ハーモニカを気に入ってくれたあの人ですか。それは嬉しいですね」

「ジゼルさんは、もしかして地球の出身なんですか?」

「ええ、ですが故郷はもう無くなっているようです。だから代わりに、ジゼル達で地球支部(ここ)をしっかり守りましょう」

「は、はい、そうですね……」

「ではジゼルはこれで。少々準備をしなければならないことがありますので」

 

 それで話は終わりらしい。今度こそ彼女は背を向けて去っていく。その後ろ姿を見つめながら、いったい今の話は何だったのかと、戸惑いを隠せないタカキである。しかも素っ気ない口調の割にいやに話が重たいような、そんな感触すらある。

 要するに馬鹿みたいにマイペースで底知れないくせに、妙なところで律儀かつ親切な変わった人。信用できるかできないかで言えばたぶん出来る、そんな風にタカキは認識したのだった。

 

 ◇

 

 ──ラディーチェ・リロトからすれば、ジゼルとは信用云々の以前に理解不能な存在だった。

 

「予定されていた獅電の納入が遅れるとは、いったいどういう事なのですか?」

 

 アーブラウ防衛軍発足式典を残り二十日ほどに控えた頃。事務室では地球支部の事務担当であるラディーチェとジゼルが、穏やかではない雰囲気を放って向き合っていた。

 どこか、ではなく明確に苛立ちを隠せていない同僚の声に、ジゼルは淡泊に返答する。

 

「どうやら宇宙の方で大規模な戦闘が起きるとか何とか。そのせいで輸送に割く時間が無いのだそうですよ」

「それは訊いてます。ですが、取り決めは基本的に絶対です。今の戦力、ランドマン・ロディとお飾りのガンダム・フレームだけではもう限界が近いというのは、何か月も前から団長に進言していたはず。なのにこの土壇場でこのような事をされては……!」

「ジゼルに言われても困ります。文句なら、空の上の大海賊さんとやらにでも伝えてください」

 

 全くぐうの音も出ない正論に、ラディーチェもさすがに押し黙った。そんな彼を横目に黙々と業務へ取り組み始めたジゼルと言えば、音楽でも聴いているのかイヤホンを耳にしていつも通りのすまし顔である。

 しかしだ。ラディーチェからすればいい加減に地球支部の状況を改善して欲しいのが本心であり、むしろどうしてこのタイミングで争いごとに発展させてしまうのかが理解できない。そんなことよりもやることなんて幾らでもあるだろうと、声を大にして言いたかった。

 

「これだから、この組織というものは……」

「何か言いましたか?」

「いいえ、何でもありませんとも! 少々失礼しますよ!」

 

 苛立ち交じりに吐き捨て、部屋を後にした。彼女のような()()()()()()()()と一緒に居ては、自分の頭がどうにかなりそうだと思ったから。

 やはりこれも鉄華団という獣ばかりが住まう杜撰な組織ゆえに起こる弊害──そう割り切って見下してしまうのは、今のラディーチェにとって蜜より甘い禁断の思考だった。組織も団員も、何もかもが思い通りに進まない彼の苛立ちは、もはや取り返しのつかないところまで進行してしまっている。

 

 ラディーチェは地球支部の内の人通りがほとんどない区画へ静かに向かうと、懐から通信機器を取り出した。手早く必要な番号を入力して、待つことしばし。スピーカーからは覇気を感じさせる男の声が聞こえてきた。それだけで、ラディーチェの脳裏には髭を生やした屈強な男の容貌が描かれてしまう。

 

『おや、まさかこんなに早く連絡をくれるとは。もしや、やはり降りるというのかね?』

「いいえ、まさか。その逆だ、決心がつきました。もはや付き合いきれないので」

 

 その声音は心底から冷淡なもので、鉄華団に対する侮蔑を隠そうともしていない。第三者が居ればそこに塗れた悪意に顔を顰めるだろう言葉を聞いて、機器越しに男は愉快そうに笑った。

 

『それは結構なことだ。して、何が君を後押ししたのかね?』

「おおよそ全ての事ですよ。杜撰な組織運営、血気盛んで人の話を理解しようともしない獣たち、ようやく送られたと思った事務員は訳の分からない狂人だ……! もううんざりです、テイワズからの推薦があったからこんなところまで来たというのに、これじゃ割に合いません」

『ふむ、察するに君も中間管理職として相当な苦労をしていると見えるな。だが、最後の狂人というのは何なのかね? 良ければ聞かせて欲しい』

 

 男の言葉は頼みという体を取ってはいたが、実質的には命令に相違ないだけの圧が籠っている。良くも悪くもただの事務員の枠を出ないラディーチェは、当然のように逆らうことなど出来ない。

 

「……少し前に、アーブラウ防衛軍所属の三名が粛清されたという話はしましたよね? それを担当したのが、その新入りの事務員なのですよ」

『ほう、だがそれは鉄華団では至極見慣れた光景なのではないかね? 武闘派組織が人を殺めるなど、飲食店が食事を提供するのと同じくらい当たり前のことだ』

「あれはもう、そういうものじゃありません。これは私の勘ですが、あれはきっと殺しを楽しんでいます。しかも教養のない獣たちと違って、仮にも事務仕事をこなせるだけの人間がそのような事をするのです。私からすれば意味が分かりません。それだけの常識的な頭があるなら、そんなことは決して出来ない」

 

 二度目の粛清をしているとき、ラディーチェは偶然その場に居合わせた。誰もが彼女の凶行に目を疑っている中で、彼だけは見たのだ。堪えきれない喜悦を唇に漂わせた、恐ろしい怪物の姿を。

 故にラディーチェから見たジゼルとは”獣以上のバケモノ”なのだ。あれは仮にも理性ある人間が、人を殺した直後にして良い表情ではない。人は理解不能な存在を何より恐れると言うが、まさにラディーチェにとっては彼女がそうだと言えるだろう。

 

『しかしそうか、そうなればその者は我々の計画にとって不確定要素となりかねない。慎重を期すなら、君はここで降りるべきかもしれないぞ? 今なら君が口を噤めばそれで終わりだ。こちらからも手出しをしないと約束しよう』

「ご冗談を。それに、どうせあれは年端も行かぬ小娘が銃を振り回して粋がっているだけです。それこそあなたに比べれば、殺した人数も踏んだ場数もひよっこ同然でしょう。戦になったところで、勝ち目はゼロだ」

『なるほど、まさか小娘とはな。それはまた珍しいタイプだ。そちらに向かう時が少々楽しみになってしまったよ』

「では、計画は手筈通りにしてもらえるという事で──」

『ああ、構わんよ。そうだな、決行の時は二人で飲みにでも行こうではないか。開戦の狼煙を(さかな)にしてな。きっと美味いぞ』

「ええ、楽しみにしておきますよ、ガラン・モッサさん」

 

 通信を切って、会話を終える。それからすぐに周囲を見渡して、誰もいないことを確認してから一息つく。これで鉄華団、少なくとも地球支部は終わりだ。散々苦労を掛けさせられた鬱憤もあと少しの我慢でようやく晴れると思うと、胸がすくような気持ちである。しかも身の安全と金すら保証されるのだから、この件から降りるなどそれこそ冗談じゃないのだ。

 

 そう、だから敢えてラディーチェにとっての不幸を挙げるならば。理解できない存在として思考を止めてしまった事であるのだろう。でなければ、運よくただ一人本性を悟れた彼ならきっと気が付けたはずだ。周到なる怪物の手管に。理論も理屈もすっ飛ばした嗅覚を持つ、人を狩る天性の殺人鬼の思惑に。

 

 ◇

 

『ええ、楽しみにしておきますよ、ガラン・モッサさん』

「そっか、戦争がここでも起きるんですね……ふふふ、団長さんには申し訳ないですが、ここはしばらく泳がせてみましょうか。ジゼルもいい加減に我慢の限界なのです」

 

 かくして、怪物(ジゼル)はイヤホンを外して静かに笑う。先ほどまで盗聴していた会話は全てジゼルの頭に残っているし、そうでなくともキッチリ録音している。

 一ヶ月以上前からの仕込みの甲斐は確かにあったのだ。”もしかしたら”程度の発案が功を奏したのが嬉しくて、感情を抑えられなくなって、ジゼルは懐からハーモニカを取り出す。気を紛らわすために吹いたら、また誰か来てくれるだろうか。聴衆が居るのは、思った以上に愉快だったから。それこそ、誰かを殺す時に近い高揚感だった。

 

火星(そっち)だけ楽しそうな海賊退治(イベント)をして……ちょっとばかり悔しいので、ジゼルにも遊ばせてくださいな。大丈夫、損はさせませんよ」

 

 ──待ち望んでやまなかった闘争は、もうすぐそこまで来ていた。

 



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#10 開戦の狼煙

 アーブラウ防衛軍発足式典。ついにこの日を迎えた訳だが、そのきっかけは二年前、鉄華団が大きく関与したエドモントンでの一件にまで遡る。

 今まで四つの経済圏たちは、ギャラルホルンの手によって自らの軍隊というのを保持することが禁止されていた。世界の治安維持を謳う彼らにとって、他所の軍隊というのは徒に戦火を産む可能性がある火種に過ぎなかったからである。もちろん、アーブラウもまたこの例外とは足りえなかった。

 

 しかし膠着した実情は、ギャラルホルンの権威が失墜したことで大きく動き出す。

 

 まずエドモントン市内で阿頼耶識システムを備えたギャラルホルンのMSが暴走、これには非人道的なシステムこと阿頼耶識が搭載されていたのも加味され、世論の批判を一手に浴びた。さらにはアーブラウの政治家とギャラルホルンの癒着すらも明らかとなったことで、とどめとばかりにその権威は地に墜ちたのだ。

 故に『こうも腐敗し、不祥事を起こしたギャラルホルンなぞ信用できぬ。これからは自らが自らを守る時代だ』と各経済圏が考え始めたのも実に自然な事であり──ギャラルホルンの改革派筆頭、地球外縁軌道統制統合艦隊司令官たるマクギリス・ファリドの戦力解禁政策もあったことで、とうとう戦力を持つに至ったのである。

 

 ◇

 

 アーブラウの軍事顧問を担当する鉄華団の式典における役割は、主に会場外の見回りと警備だ。そのため小綺麗な会場の外には銃を持った少年兵たちやMW(モビルワーカー)があちこちに見られ、やや緊張した面持ちで警備に臨んでいた。

 

「なーんで俺たちが外回りなんだろうな? ぜってー俺たちの方がアーブラウの奴らより会場内の警備だって上手いってのに」

「あはは……そういう事は思っても言っちゃ駄目だよ……」

 

 銃を片手に軽口を叩くラックスを軽くたしなめて、タカキは耳を澄ました。遠くから微かに響いてくる堅苦しい挨拶は、発足式典が始まったことを示しているのだろう。いよいよ警備任務も本格的となり、自然と気持ちも引き締まる。

 ひとまずタカキはアストンと共に所定の位置に陣取っていた。責任者であるチャドが式典に参加しているため、現在の指揮官は暫定的に彼となっている。そのため下手な姿は見せられないとばかりに、アストンと会話を交わしながらも仕事は怠らない。

 

「チャドさんが誇らしいのは俺も良くわかるよ。これまで一緒に戦ってきた仲間がこんな大舞台に立てるなんて、昔は全然想像できなかったからね」

「俺もそうだ。同じヒューマン・デブリだった人があんなにかっこよくなれるなんて、夢見る事すらできなかった。でも、だからこそ俺たちもチャドさんを守れるところに居たかったな」

「アストン……」

 

 その気持ちは確かに理解できる。苦楽を共にした仲間だからこそ、晴れ舞台をすぐ近くで応援したいというのは人情だろう。

 

「でも、それは駄目だよ。だって俺たちの担当は──」

「そうですよ、防衛軍にも沽券というものがあるのです」

「ジゼルさん……えっと、その、どこに座ってるんですか……?」

 

 タカキへと被せるように聞こえてきたジゼルの声は、何故だか上から降ってきた。

 アストンと共に反射的に振り仰げば、そこにはMWに腰かけたジゼルが居た。黒いタイツに包まれた足をプラプラとさせ、長すぎる赤銀の髪を風に遊ばせている。姿かたちだけ見れば、そのまま一枚の絵となりそうな光景だ。

 

「MWの上ですけど。何か問題でも?」

「いや、問題大有りだと思うんですけど……」

「……その開き直りはおかしいだろ」

 

 困惑を隠そうともせずにタカキとアストンは返答した。しかもよく見れば、ジゼルの手には銃の代わりにハーモニカが鈍い輝きを放っている。仮にも鉄華団の一員としてここに居るはずなのに、どこからどう見ても警備している側の人間とは思えない態度には驚くばかりだ。ふてぶてしいというか、マイペース過ぎるというか、ともかく開いた口が塞がらない両者である。

 

「それでその、沽券というのは……」

「そのまま、防衛軍にも意地があるのですよ。だって今日は防衛軍をお披露目する機会、なのにいつまでも軍事顧問に頼りきりでは示しがつきませんからね」

「つまり、会場内(なか)の警備を担当して”自分たちも出来るぞ”って他所の奴にも言いたいのか」

「正解ですよ、アストンさん」

 

 公の仕事で非常識な場所に腰かけているくせに、言ってることは妙にまともなジゼルであった。

 それにしても、なんだかいやに上機嫌な雰囲気があるとタカキは思った。傍目にこそ変化の乏しい表情だが、どこか楽し気な様子を感じさせるのだ。

 

「何かいいことでもありましたか?」

 

 警備の間の暇潰しがてら訊いてみたタカキに、ジゼルはにこやかに答える。どこまでも純粋で美しい、静かな笑顔で。

 

「いいえ、これから起こるのですよ」

「それってどういう──」

 

 そこから先の問いは、生憎と耳に届くことが無かった。何故なら、唐突に会場の一角から爆発音が響いてきたから。鈍い音、ガラスの割れる甲高い音、それに人の悲鳴が、一気に会場の内外を覆いつくした。

 一拍遅れて、場がハチの巣を突いたように慌ただしくなり始める。会場から飛び出してきた防衛軍側の警備員達など、見るも無残なほどの狼狽具合だ。

 

「タカキ! どうする、チャドさんは……!?」

「分からない! だけど中の担当は防衛軍側だし、チャドさんならきっと大丈夫だよ! 今は必要以上に慌てず、外から状況を掴むことから始めるんだ!」

「わ、分かった!」

「良い判断です。では、ジゼルは他の方にもそう伝えてきましょう」

「お願いします! 俺たちは向こうで状況を聞いてきますので!」

 

 即座に背を向けて走り出すタカキとアストンを見送るジゼルは、やはり和やかな笑みを湛えている。それから黒煙の立ち上る会場を見上げて、いっそう表情を綻ばす。

 だけどそう、もしタカキがその笑みを見ていたならば、きっと先ほどとは違う印象を抱いていたことだろう。純粋に美しく、けれど見る者をどこまでも不安にさせる暗黒の笑みだと。

 

 ◇

 

 アーブラウ防衛軍発足式典がテロに見舞われてから、既に三日が経過した。

 いまだテロを起こした主犯の影も形も掴めぬまま、徒に時だけが過ぎ去っていく。アーブラウ側は代表である蒔苗東護ノ介が意識不明の重体となり大混乱に陥り、にわか仕立ての防衛軍も培ったはずの力を発揮できずただ奔走するばかりだ。

 

 そして鉄華団もまた、波乱の渦に飲み込まれていた。

 

「今日で三日……どうしよう、チャドさんも意識が戻らないし、火星の本部とは繋がらないし、俺たちどうすれば……」

「こうなったら俺たちでチャドさんの敵討ちだ! 誰がやったか知らねぇけど、絶対に後悔させてやろうぜ!」

「それは駄目だ! こんな状況で俺たちが勝手に動いたら、取り返しのつかない事になるかもしれない。それだけはやっちゃ駄目だ」

「ぐっ……わかったよ」

 

 渋々諦めてくれた仲間に気づかれないよう、タカキは小さくため息を吐いた。同じようなことを言われるのは今日だけでもう何度目だろうか。その度に逸る仲間たちを抑え込むのも、いい加減に苦しくて仕方がない。

 結局、式典で起きたテロに巻き込まれた形となったチャドはそのまま意識不明として指揮が取れず、三日前からタカキが鉄華団をまとめる事となっていた。しかしそうはいっても、思うように行かないことなど山のようにある。

 

「せめて、団長と話が出来れば……」

 

 その最たる例は火星と連絡がつかない事だろう。どうやら既にラディーチェが火星と連絡を入れてくれたらしいのだが、それ以降タカキには一切通信をさせてくれないのだ。何度頼んでも「既に連絡は入れたし、これは私に一任されている」とばかりで、まるで取り合ってもくれない。団員はタカキを含め通信機器なんてとても使えないから、こう言われてしまっては打つ手がないのだ。今回ばかりは温厚なタカキですら、頭が固すぎるのではないかと恨んでしまったほど。

 

 かといって通信機器の扱えるジゼルに頼もうにも、彼女は三日前から市街地に向かったきり戻ってこない。何をしているのかすら不明であり、こちらに接触することもままならないのだ。

 状況は暗闇の中を進む様に似ていた。目隠しをされて、ただ何となく風の流れに沿って進むだけ。けれどその先には何が待ち受けているのかてんで分からず、混乱と恐怖だけが日に日に強くなっていく。

 

 もはや誰もが限界だった。タカキは慣れない指揮と状況に耐えるだけで精一杯だし、団員たちは一刻も早く状況を打開すべく動き出すことを望んでいる。既に地球支部は暴発寸前の銃であり、ほんの少しの刺激さえあれば容易く趨勢は推移していくことだろう。

 

「どうかしましたか? タカキさん」

 

 ──故にそんな事態を待っていたかのように、怪物は姿を現した。

 

「あ、ジゼルさん! 探してたんですよ!」

「少し落ち着いてください。そう勢い込んでは話せるものも話せませんよ」

 

 ふらりとやって来たのは、これまでどこに行っていたのかも不明だったジゼル・アルムフェルトである。行先すら告げないまま消えてしまった彼女に不満はあるが、それでも今ばかりはどこまでも頼もしい登場だった。

 これでようやく打開策が見えてきた。その一心で手短に彼女に一連の事態を説明すれば、彼女は申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「申し訳ありませんでした。ジゼルも情報が欲しくて都市部にまで出ていたのですが……そのせいで無用な迷惑をかけてしまったようですね」

「いえ、何も言ってくれなかったのに不満が無いと言えば嘘ですけど、今は責めても仕方ありませんから……それより、何か新しい情報は入ったのですか?」

「ええ、もちろん。どうやら、今回の一件はお隣の経済圏であるSAUが関与しているとか。つまり、このまま行けば戦争になる可能性が非常に高いです」

「そんな……! 戦争だなんて、冗談でしょう……」

 

 絶句してしまう。この平和な地球支部がそんなことに巻き込まれてしまうなんて、とんでもない話だ。しかも現状では火星の団長の指示を直接仰ぐことすらできず、実質的にはタカキが指揮を執って生き抜いていく他ないというのに。唐突に降って湧いた重責に、さしものタカキも膝が震えた。

 この時ばかりは、目の前でなんら変わった様子を見せないジゼルのマイペースぶりが羨ましく感じられてしまう。彼女はいったい、何を考えているのだろうか?

 

「ひとまず、状況は分かりました。ではまずは団長と連絡を取ってみましょう、ついてきてください」

「え、でも今はラディーチェさんが全部仕切ってるって……」

「関係ありませんよ、そんなの」

 

 いっそ傲岸なまでに言い切り、ジゼルは歩き始めた。一拍遅れてタカキも慌ててその後をついていく。

 あの頑固な人を相手にどうするつもりなのだろうか。そればかり考えていたせいか、気がつけば事務室に辿り着いていた。たくさんのコンピューターの存在するこの部屋は、通信を一挙に担っている側面もある。

 ラディーチェは難しい顔をして、コンピューターと睨み合っていた。けれどすぐにタカキたちに気が付く。

 

「おや、またタカキさんですか。それに……姿の見えなかったジゼルさんまで。どうしたのですか?」

「えっと、その──」

「火星との連絡を取りに来ました。繋いでもらえますか?」

 

 単刀直入にジゼルが用件を告げた。するとラディーチェは露骨に顔を顰める。うんざりしているというのがありありと伝わってくるその顔に、タカキは初めて彼に反感を覚えてしまう。

 

「またその話ですか。タカキさんにも何度も言いましたが、火星との連絡は全て私に一任されています。今更あなたが戻って来たところで、向こうに伝えることは何もありません」

「無駄口を叩く前に、早く繋いでください」

「ですから、その必要はないと言ってるでしょう!」

「繋いでください。それとも──ここで死にますか?」

「なっ……! ジゼルさん、それは!」

 

 構えられた銃は、既にラディーチェの方へと向けられていた。セーフティも外されており、いつでも撃てる状態であることを否が応でも悟ってしまう。

 ジゼルの瞳は本気だった。通信を繋げないならここで射殺すると、何より雄弁に語ってしまっている。その気迫に呑まれたのか、ラディーチェは「ひっ」と情けない声を上げて、

 

「そんなもので脅して何になると言うのです! そんな野蛮な手段に私が屈するとでも──」

「そうですか」

 

 気丈にも抵抗の意思を示してしまい、一発の弾丸が撃たれる結果となった。

 いっそ笑えるほどに呆気なく、ラディーチェは足を撃ち抜かれていた。痛みに呻きながら椅子から転げ落ちた彼を無慈悲に蹴飛ばしたジゼルは、手早く火星への通信を繋ぎ始める。そこに仲間を撃った感傷など微塵も感じられない。

 それをすぐ近くで見ていたタカキは、目の前の光景が信じられなかった。確かにここしばらくのラディーチェは嫌味なほどであったが、それでも躊躇なく仲間を撃つなんて考えれられない。故にジゼルへの反感すらも覚え始めてしまったところで、通信が繋がった。

 

『どうした? また何か進捗があったか?』

 

 スピーカーから聞こえてきた声に、我知らずタカキは安堵してしまう。間違いなくそれは鉄華団団長オルガ・イツカのモノであり、これでこの意味不明な事態にも光明が見え始めたと無条件に感じてしまう。

 

「こんにちは、団長さん。お元気でしたか?」

『その声はジゼルか……! ラディーチェはどうした!? タカキは居るのか!?』

「はい、此処に居ます! ですがその、ラディーチェさんが……」

『タカキだな、ラディーチェがどうかしたのか?』

 

 オルガの疑問に答えたのは、当の本人であった。

 

「団長! 聞いてください、ジゼル・アルムフェルトが何の理由も無しに私を撃ったのです! これは鉄華団を裏切る、由々しき問題ではないですか!?」

「ちょ、ラディーチェさんまで何を!?」

『ほう、ジゼルが撃ったのか』

「はいそうです! 私は誓って、おかしな事などしていないというのに、この女は問答無用で──」

『まあちょっと待て。お前の言い分は分かったが、それならジゼルの話も聞かなくちゃ筋が通んねぇ』

 

 痛みによる興奮もあって喚きたてるラディーチェを制止して、いっそ冷徹な程に鋭い声音でオルガはジゼルへ問いかけた。

 

『んで、どういう理由があって撃った? 返答次第によってはアンタにけじめをつけなくちゃならないが』

「簡単な事です。団長さん、今回のアーブラウの事件はご存知ですよね? ラディーチェ・リロトはその主犯、ないし関係者の一人と裏で取引を交わしています」

『なんだと……? そいつは本当なのか!?』

「嘘に決まっている! そんなのその女がでっち上げた出鱈目だ──グアッッ!?」

「うるさいので、ちょっと黙っていてください」

 

 足元でなおも主張を続けるラディーチェを、ジゼルは容赦なく足蹴にして黙らせた。しかも彼女の靴はブーツにも似た安全靴で、相当痛かったらしい彼は身を折り曲げて悶絶するばかりである。

 もはやタカキは、この状況についていけなかった。この場で何をすれば良いのかも不明瞭なまま、成り行きを見守るしかない。

 

 その時、事務室の扉が勢いよく蹴り開けられた。見れば、アストンが血相を変えてタカキの下へ走ってきている。

 

「タカキ、どうした!? さっきの銃声は!?」

「あ、アストン! えっと、これは……」

 

 どう説明したものか分からず、ひとまず目線でラディーチェとジゼルを指した。するとアストンもこの異様な状況が見て取れたようで、難しい顔をして黙り込んでしまった。彼なりにこの状況を咀嚼しようと必死なのだろう。

 そしてその間にも、ジゼルと団長のやり取りは続いている。

 

「そちらへと送った資料は要点だけですが、どうでしょう?」

『……こりゃあ確かに間違いないな。通信に関する矛盾も、録音された音声も、鉄華団を売る代わりに金と安全を保障した書面も、何もかもが証拠足りうる。これが全て事実なら裏切り者はラディーチェに他ならないか。だが、これだけ揃ってんならどうしてもっと早く連絡をよこさなかった?』

「すみません、実はジゼルもここまでの証拠を集めきれたのは()()()()の事でして。これならラディーチェを泳がせて、背後の者が具体的に何をするかまで見た方が良いかと考えました。その結果チャドさんや蒔苗氏に負債が発生してしまったのは、謝罪するばかりですが」

『なるほど……ま、一応理には適ってるか』

 

 しばしの間、スピーカーからはオルガの微かな息遣いだけが聞こえてきた。まるで何時間もあるかのように思えたその空隙も終わってみれば数秒で、オルガは既に答えを導き出していた。

 

『いいだろう。そいつへのけじめはアンタに任せる。ただし、そっちの指揮権はあくまでタカキのもんだ。アンタは好きに動いても構わねぇが、タカキの指示には従え。分かったな?』

「了解しました。精々この状況を見極めつつ、楽しませてもらいましょう」

『頼むから、あんま羽目を外し過ぎんなよ。タカキ、俺たちもすぐそっちに向かう。それまでどうにか耐えてくれ、お前が頼りだ』

「はい!」

 

 それを最後に、通信は切れた。後に残されたのは異様なまでの静寂と、圧し掛かるような緊張感だけ。どうにも息苦しく感じられてしょうがない。

 あまりに様々な事が起こりすぎてタカキの頭はパンク寸前であったが、それでも二つほど理解できたことはある。すなわち、ラディーチェは裏切っていて、ジゼルはそれを阻止してみせた。結果だけ見ればそういうことであるのだろう。

 

「じ、ジゼルさん……結局、俺たちはどうすれば……」

「大丈夫、簡単な事ですよ。裏切り者には死を、それだけです」

 

 いっそ優しく語り掛けながら、ジゼルは床に這い蹲っているラディーチェに銃を向けた。無機質な銃口と鋭い殺意を感じ取ったのか、ラディーチェの身体がびくりと震えた。必死になって身をよじり逃げようとしながら、命乞いをすべくジゼルを見上げる。

 

「待って、待ってください! 裏切ったのは謝ります! ですが私を唆してきた相手、ガラン・モッサは油断ならない相手です! 私は、そんな彼から君たちを守るためにわざと乗っただけであって──」

「あなたは、そのガラン・モッサという人の目的を知っていますか?」

「知りませんよ! ですが、私ならそれを調べることも可能です! ですからここで殺す必要は」

「そうでしたか。では、死ぬしかありませんね」

 

 突きつけられた銃口に、ラディーチェの弁舌が止まる。どうしようもなく逃れられない死が目の前に居ると、この瞬間に悟ってしまったのだ。その瞳に恐怖と絶望が浮かび上がり、それから観念したように息を吐いた。

 

「……最後に一つだけ聞かせてください。どうして、このことがバレたのですか? 絶対にバレないように細心の注意を払ったというのに」

「簡単な事です。あなたは、感情を隠すのが下手でした。いつも誰かを見下してばかりなので、いつか殺す為の口実が出来ると思って見張っていたのです。結果はまあ、言うに及ばずですが」

「たったそれだけ……? それだけで、ずっと私の事を?」

「はい」

 

 その迷いない答えを聞いて、ラディーチェはクツクツと笑い声を漏らした。ついにおかしくなったのかと場違いにも心配してしまうタカキの前で、彼はありったけの憎悪と侮蔑を込めて正面からジゼルへと言い放つ。

 

「この、バケモノが」

「よく言われますよ、褒め言葉です」

 

 マズルフラッシュが瞬き、銃声が再び響いた。その時にはもうラディーチェは死体へとなってしまっていて、ジゼルは静かに硝煙を吐き出す銃を懐へとしまっているところだった。

 赤い血が床へと広がる。ジゼルはそれを一瞥してから、タカキたちへと向き直った。ぞっとする、その瞳。何の感情も映していないようで、ただ一つの感情に埋め尽くされている。

 

「さて、これからは戦争になるでしょう。この背後で糸を引いている者の狙いはその中にある。であれば、ジゼル達はその目的を探るために、そして何よりアーブラウ側の者として、否応なく戦い抜いていく他に道はありません。良いですね?」

「はい……大丈夫です」

 

 全然大丈夫なんかじゃない。だけどジゼルの、喜悦に塗れた瞳に覗き込まれてしまえばそれしか言えなかった。彼女は間違いなく鉄華団の一員で、言っていることも正しくて、今もこうして最悪の事態になる前に対処してくれたのに。それでも、どうしたって怖くてたまらなかった。

 

「大丈夫だタカキ、俺がついてる。絶対に、生きて帰るんだ」

「ああ……そうだね、アストン」

 

 その言葉に、少しだけ勇気を貰えた。今のタカキは指揮官なのだ。だからいつまでも怖いから、理解できないからと立ち止まっては居られない。

 信用できるかできないかで言えば、たぶん出来る。いつか考えたその言葉を思い出して、ジゼルと上手い事協力しなければならない。

 

 ──開戦の狼煙は、もう既に上がっているのだから。

 



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#11 宣戦布告

 ──端的に言って、ガラン・モッサとは極めて優秀な男である。

 

 かつてはギャラルホルンでも腕利きのMS乗りとして活躍していた彼は、現在は親友の為に経歴を全て変えた上で傭兵として戦っている。およそ戦いに関するあらゆる事柄を修めていると言っても過言ではなく、鍛え抜かれた体躯と射貫くように鋭い眼光は幾多もの戦場で培われた正真正銘の叩き上げ。まさしく歴戦の古強者とは彼の為にあるような言葉だ。

 

 そんな彼の次なる仕事は、なんとも大胆な事に四大経済圏の二つであるアーブラウとSAUの戦争を演出することだ。手順は簡潔、アーブラウ防衛軍発足式典に合わせて代表の蒔苗東護ノ介を襲い、SAU側を犯人と匂わせることで緊迫した状況を作り出すだけ。後はほんの些細なきっかけさえ生み出してしまえば、間違いなくアーブラウとSAUは開戦する。

 ガランからすればここまではそう難しい事ではない。しかも彼はただの傭兵ではなく、後ろ盾にギャラルホルンの一艦隊を率いる司令官すら持っているのだ。こうなればもう、裏工作など赤子の手を捻るに等しい作業でしかない。

 

 故に肝心なのはこの後、開かれたアーブラウとSAUの戦端を可能な限り泥沼として、終わりのない膠着状態にまで陥らせる事だ。それによってガランとその友にはいくつかの()()()()()()を生み出すことが出来るのだから、なんとしてもやらなければならない任務である。例えそれによって世界が混乱に陥ろうとも、だ。

 しかし、いくら手練れのガランと言えども率いる傭兵団自体はそう大きくないのが実情である。内訳はMSが八機に、構成員も二十に満たないほど。傭兵団として見るなら悪くない規模だが、戦争を膠着化させるにはまるで足りない。

 

 そのため、彼は前々からアーブラウに軍事顧問として雇われていた鉄華団に目を付けていたのだ。急速な拡大を続けているこの組織は少年兵ばかりで、ガランからすればなんとも青く操りやすい。そのくせ軍事力は中々のモノを備えているのだから、戦力としてうってつけと言えるだろう。

 後は少し組織を調べ、餌をぶら下げて根回しを行えばあっという間に内通者の用意も整ってしまう。簡単そうにも思えるが、言うは易し行うは難し。なのにこうも容易くパイプを作ってしまえるのは、やはりガランが極めて優秀だからに他ならないのだ。

 

「さて……時間か」

 

 乗機で待機していたガランは、時計を確認してゲイレールのコクピットから降りた。狭く密閉された空間に居ただけに、外の解放感は身体に心地よい。軽く伸びをしてから、彼は鉄華団地球支部へと向かい悠々と歩みだす。

 アーブラウがテロに見舞われてから今日で四日が経過していた。次第にテロの混乱は退き始めた一方で、SAUとの戦端が開かれるかも知れない可能性にアーブラウの誰もが戦々恐々として日々を過ごしている。もちろん、ガランが今訪れている鉄華団ですら例外ではないだろう。

 

「それにしてもラディーチェめ、急にどうしたというのだ……」

 

 一人ごちながら施設内を歩んでいく。途中で何人かの年若い少年兵たちとすれ違い物珍しそうに見られるも、彼は気にしていない。それよりも気にかかるのは、もっぱら内通者(ラディーチェ)の事である。

 元々、ラディーチェが上手く鉄華団地球支部の情報封鎖を行い、そこに付け込んでガランがアーブラウ側の軍事参謀として招かれる予定だった。そうすればなし崩し的に鉄華団も防衛軍も指揮下に収めることが出来、戦局の膠着もずっとやり易くなるからだ。

 

 しかし、奇妙なことがあった。前日に事前確認として連絡を入れた際、通信に出たのはラディーチェではなくまだ少女としか思えない人物だったのだ。曰く、ラディーチェは仕事が忙しいせいで手が離せず、代役として自分(ジゼル)が出ましたというらしいが……どうにもそれが脳裏に引っかかってしょうがない。

 だから彼は鉄華団の基地へとやって来た後も所定の時間までMS内で待機し、今も念のために警戒を怠らずに進んでいる。もしかすれば、何か自分に不利益な事が水面下で起こっているのかもしれないから。考えすぎと笑われるやもしれないが、こんな勘働きで何度も命拾いしてきたのだから侮れない。

 

「失礼する。アーブラウ防衛軍作戦参謀として招かれているガラン・モッサだ」

「どうぞ、入ってください」

 

 果たして、何事もなくガランは目的地まで辿り着いた。重厚な扉をノックしながら声を張り上げれば、やはり少女の声が返ってきた。電話口で聞いたそれと同じだが、肉声はいやに感情が平坦な印象を与えるもの。

 ともかくガランは警戒心を捨てることなく扉を開け、まずはさりげなく中の様子を一瞥した。特に部屋に異常はない。黒いソファに茶のテーブルが置かれた応接間というシンプルなもの。そこに、二人の少年少女が居た。

 まずは少年の方が立ち上がり、一礼。続いて少女も会釈した。

 

「鉄華団のタカキ・ウノです。臨時ですが、鉄華団地球支部の指揮官をやらせてもらっています」

「同じく、鉄華団地球支部臨時参謀のジゼル・アルムフェルトです。お見知りおきを」

「ほう、ご丁寧にどうも。改めて、俺はガラン・モッサだ。話はもう聞いているかな?」

「ええ、もちろん。立ち話もなんですし、座ったらどうでしょうか?」

「……いいや、ありがたいが遠慮させてもらおう。傭兵稼業のせいでな、立っている方が落ち着くんだ」

 

 臨時でも参謀を自称するだけあって、会話の主導権は基本的にジゼルという少女の方にあるらしい。逆にタカキというらしい少年の方はあまり会話に参加しようとせず、静かにガランの様子を窺がっている。そしてもちろん、どこを見てもラディーチェの姿はない。

 これは少々きな臭い雰囲気が漂っている、直感的にガランはそう読み取って、入口付近から動かないよう心掛ける。扉も閉めたように見せかけて、ほんの少し開けておいた。これでひとまず、緊急時の退路は確保できたことだろう。

 

 最悪の事態を避けるための方策を数秒で生み出したところで、ガランは真っすぐ本題に切り込んだ。

 

「それで、ラディーチェは何処へ行ったのかな? 俺は彼との縁があってここに来たから、まずは彼と細かい打ち合わせをしておきたいのだ。もし忙しいのならすまないと思うが、此処へ連れてきてもらえるだろうか?」

「ああ、その話なのですが──」

 

 何が面白いのか、ジゼルが微かに唇を笑みの形に歪めた。対照的にタカキは何かを堪えるような、複雑な表情をする。それとほぼ同時に、肌を撫でる嫌な気配がした。

 猛烈に膨れ上がり空間を満たす嫌な気配、それは間違いなくジゼルから発せられているもので、反射的にガランは警戒態勢を最大レベルにまで引き上げてしまう。見た目は折れそうなほどに華奢なのに、歴戦のガランをして底知れないと思わせるのはいったいどういう事なのか。

 頭の中で銃を引き抜くシミュレーションすら確認しつつ、ガランはジゼルの次の言葉を待った。

 

「残念ながら叶いません。だって鉄華団地球支部事務員のラディーチェ・リロトは、既に裏切り者として粛清しましたので」

「なに……?」

 

 飛び出してきた言葉は、歴戦のガランをして動揺させるには十分な内容だったのだ。

 

 ◇

 

「ラディーチェさんの策に乗るって、どういう事ですか!?」

 

 非常に珍しい、タカキの怒号が室内に木霊した。めったにないその剣幕に、共に話を聞いていたアストンも驚きを隠せない表情だ。

 そんなタカキの勢いにもなんら心を乱すことなく、どこまでも素っ気ない調子でジゼルは自らの考えをもう一度開陳した。

 

「どうもこうも、そのままの意味ですよ。故ラディーチェ氏が招こうとしていたガラン・モッサなる人物を、彼の予定通りにこちらへ招き入れます」

「ですから、どうしてそうなるんですか!? 俺らを裏切っていた相手の策に敢えて乗るなんて、正気とは思えません!」

「タカキ、少し落ち着け。お前がそんなだと、俺も不安になる」

「ご、ごめん……確かに熱くなっちゃってた。でも、だからってこれは……」

 

 タカキが言い淀んでしまうのも無理はない。だってジゼルの策とは、故ラディーチェの思惑通りにガラン・モッサを鉄華団へと引き入れてしまおうというのだから。

 

 そもそも、ジゼルとタカキ、それになし崩し的にアストンが加わったこの場が開かれているのは、今後の鉄華団が採る方針を決めるためである。

 まずはラディーチェの粛清直後、ジゼルの発案で鉄華団地球支部の団員を緊急招集し、タカキの口からラディーチェの裏切りと粛清を同時に告げた。彼らの反応はさまざまであり、怒りを露わにするもの、ざまあみろと言うもの、ごく少数だが残念だったと言うものまで多種多様である。そうして最低限の事実を伝えた後は死体の処理を頼み、現在の鉄華団地球支部の中核を担う三人はこうして集まっている次第となっているのだ。

 

「ジゼルさん、確かに俺はあなたに意見を求めました。きっと俺なんかよりもずっと良い考えを提案してくれると思ったからです。でも、こればっかりは明確な理由を教えてください。そうでなければとても頷くことはできません」

「道理ですね。分かりました、順を追って説明しましょう」

 

 今回の騒動にあたって、臨時の指揮官となったタカキによって臨時参謀の任を与えられたジゼルはゆっくりと口を開く。

 

「この一連の騒動は、何者かが描いた模様であるのはあなた達も察している通りでしょう。そしてその何者かは、故ラディーチェ氏を通じて鉄華団を取り込もうとしたガラン・モッサという人物の可能性が非常に高いです。少なくとも、彼がその渦中に関わっている可能性は確かでしょう」

 

 無言で頷く。これはタカキも理解していた。このタイミングで鉄華団を裏切ったラディーチェと、そんな彼と契約していたガラン・モッサ。この二人は間違いなく一連の事態に噛んでいると見なしてよい。

 だからこそ、騒動の渦中に居るであろうガラン・モッサをラディーチェの予定通りに鉄華団へ迎え入れてしまうのに多大な不安を抱いてしまうのだが。

 

「故ラディーチェ氏と交わした契約書面を読むに、おそらくガラン・モッサの狙いとは鉄華団の軍事力です。仮にも軍事顧問となれるだけの力を持つこの組織を上手く操ることで、戦争をどのようにかコントロールするつもりなのでしょうね」

「だったらなおさら……!」

「彼を迎え入れるべきではないと? それはその通りですね。ですが──これほどまでにコケにされたままで、本当に良いのですか?」

「……! それ、は……」

「タカキ?」

 

 ジゼルが何を言いたいのかを察してしまい、タカキは語尾を濁してしまう。

 一方でアストンはどういう意味かを理解できなかったらしい。そのためタカキは思考の整理もかねて、思い至ったビジョンを説明する。

 

「……今回の騒動は元はと言えば、こっちの警備態勢に穴があったのも一因なんだ。もちろん、全部が鉄華団のせいじゃないのはそう。でも、軍事顧問として責任の一端はあるし……何より、こっちの内部から内通者(うらぎりもの)が出てるんだ。もしこのまま鉄華団が手をこまねいて何もしなければ、きっと組織全体の信用問題に関わってきちゃうよ」

「つまり……今のままじゃ俺たちも悪者にされるかもしれないってことか?」

「おおよそそういう事ですよ。まあさすがに悪者とまではいかないでしょうが、確実に評判には傷がついてしまうことでしょう」

 

 落ち着いた調子のジゼルの肯定に、いよいよタカキは自身の考えが当たっていたことを悟ってしまう。出来る事ならこんな予想は外れていて欲しかった。だってこのままでは、自分たちは──

 

「故に、鉄華団自らの手で()()()()()()()()()()()()()()()()()()? こちらをコケにして、あまつさえ利用しようとすらしたのです。その代償は払ってもらわなければならないでしょう」

 

 ──経済圏同士の戦争に参戦する他、道がなくなってしまうのだ。

 

 どのみちこの状況では、開戦すれば逃れられないのはその通り。だがそこに、帰るべき家であり家族でもある鉄華団の名誉が関わってきてしまえば話は変わってくる。積極的に戦争に参加することで今回の主犯とその目的を探り出し、鉄華団(みずから)の手で落とし前をつけさせる必要が出てきてしまうのだ。

 そしてここまで理解してしまえば、先にジゼルが告げた案と言うのもその目的が透けて見える。

 

「つまりジゼルさんはガラン・モッサをわざと近い所において、その目的を探りたいという訳ですね?」

「はい。それによって彼かその背後の者の正体と目的さえ突き止めてしまえば、後はどうにでもなるでしょう。そのためにもまずは、自分から伝手がやって来てくれるのですから利用しない手はありません」

 

 これがこちらの案の全てですと目線で言われ、タカキは黙り込んだ。

 ここまでの理屈、恐ろしいほどに抜けがない。組織としての責任問題もそうだし、落とし前だってそう。そのために敵を敢えて引き入れるのは確か、虎穴に入らざれば虎子を得ずと言っただろうか。全部にそうするべきという筋と理屈が通っているのだ。

 

 よって問題点はただ一つにまで絞られる。すなわち、本部の助けを借りずにタカキたちだけで戦争へと歩を進めるか否かだ。命のやり取りに向かうかどうか、これが最も肝心要の決断となる。

 

「もし団長なら、どうするのかな……?」

 

 いつだって前を見据えて止まらないオルガなら、このまま愚直でも前へ前へと突き進むだろうか。それとも家族であるタカキたちを慮って、今はそこまですることは無いと言ってくれるのだろうか。

 分からない、どちらもきっと間違ってはいないはず。だからこそタカキは迷う。それこそ数分はたっぷり使って考え抜いたのに、まだ答えは出てこない程に。直接団長に判断を仰ぐか? だけどこの複雑怪奇な状況は、例えオルガといえども容易には答えを出せないだろう。それでは遅いかもしれない。

 

 結局、現場にいる自分たちの頭で考えるしかないのだ。そして発案者のジゼルはただ無言でその様子を見守り、「最後に決断するのはあなたです」と訴えかけているかのようだった。

 

「アストンは、どうするべきだと思う?」

 

 故に、彼は隣に並び立つ友へと訊ねかけた。情けないと言いたければ言えばいい。だけどこのような重大な判断を自分一人で下すのは、とてもじゃないがタカキには出来なかった。

 訊かれたアストンはちょっと困ったような顔をして、

 

「俺は、この鉄華団が好きだ。だから、鉄華団が万が一でも悪く言われるのは嫌だな」

「──そっか。うん、そうだよね。アストンならきっとそう言うと思ったよ」

 

 その一言で迷いは晴れた。悩みこんでいたタカキはいっそ清々しいまでの表情を見せて、決断を待っていたジゼルを見据えた。

 

「ジゼルさんの策に乗ります。俺たちは鉄華団なんです、どんな相手だろうと戦って突き進んでみせます」

「了解しました。ではジゼルも、この事態に誠意をもって全力を尽くすと誓いましょう」

「はい!」

 

 かくして、賽は投げられた。鉄華団地球支部は戦火へと飛び込むことに決め、リスクを承知で敵を懐に飼うことに決めたのだ。この判断が吉と出るか凶と出るかは、まだ誰にも分からない。タカキにも、アストンにも、そしてもちろんジゼルであってもだ。

 だけど一つ言えることがあると言えば──この状況を仕組んだ者たちはきっと、内心で笑っているという事であろう。

 

 ◇

 

「残念ながら叶いません。だって鉄華団地球支部事務員のラディーチェ・リロトは、既に裏切り者として粛清しましたので」

「なに……?」

 

 ついにこの時がやって来たかと、タカキは内心で改めて気を引き締めなおした。目の前にいる覇気のある男こそ、ガラン・モッサであるのだ。これから先は指揮官として、一片たりとてこの男の前で油断することは出来ない。

 それにしても、臨時の参謀であるジゼルに交渉を任せたのは失敗だっただろうか。まさかいきなり核心に触れてしまうとは予想もしていなかった。あまりに予想外の言動に、ガランと同じような表情をしないように我慢するのに必死である。

 

「粛清とはまた、穏やかじゃないな。いったい彼がどのような事をしたのかね?」

 

 いけしゃあしゃあと訊き返してくるガラン・モッサに、やはりタカキは自身の感情を抑えるだけで精一杯だった。元はと言えば彼が仕組んだことなのに、理由が分からないなど絶対にあり得ないのだから。

 しかし侮りがたいのは、どうもガランは最初から不穏な空気を感じ取っていた点である。入室した時からそれとなく警戒を怠っていないし、今だっていつでも逃げれるようにさりげなく退路を確保している周到ぶり。これだけでも、ガラン・モッサの有能さと踏んだ場数の多さを推し量れるというものだ。

 

「簡単な話ですよ。彼は、鉄華団を戦いから遠ざけようとしたのです」

 

 ならばそんな男を前にしているのに、暖簾に腕押しのごとく動じないジゼルとはいったい何者であるのだろうか?

 かつてひとまずの答えを出したはずの疑問が、再び鎌首をもたげ始める。

 

「子供たちを戦いから遠ざけるというのは、人として至極当たり前の事ではないのかね? それで裏切り者として粛清されるようでは、彼も浮かばれんと思うが」

「普通ならそうでしょうね。ですが、ジゼル達は戦いの中で成長した会社なのですよ? 武力をもって生計を立てる会社なのに戦いから遠ざけられてしまっては、とてもお金を稼ぐ事などできません」

「だから粛清したと言いたいのか? 君たちは戦いたいから、止めさせようとする彼を排したと」

「その通りです。彼の気遣いはとても嬉しいものですが、しかし必要なものでもないのです。だから、ジゼル達は泣く泣くラディーチェ氏を粛清することに決めたのですよ」

 

 こちらもまたどの口が言うのかとばかりに嘘の応酬である。しかも性質の悪いことに、嘘をついているとも思えない信憑性を纏わせている。言っていることは破綻者のそれなのに、もしかしたら本当にそうなのかもしれないという説得力がついているのだ。

 

「……なるほどな」

 

 ラディーチェと繋がっていたガランならば、ジゼルの発言がとんだ嘘というのは当然見抜いていることだろう。しかし、それを無視して嘘だと糾弾する事も出来るはずがない。

 だって彼は、鉄華団の力を利用するために此処へとやって来たのだ。そして目の前には、”優しい人間”を殺してまで自分たちは戦いたいと言ってのける参謀が居る。であれば、腹はどうあれ意見の一致を見ているこのチャンスを不意にするのも難しい。

 

 つまりガランは、『ラディーチェを粛清した上で、恐らくはガランが敵とすら見抜いている組織』を雇うしかない状況に置かれてしまっているのだ。

 

「お聞き苦しい事情をお聞かせしてしまいましたが、こちらが戦争に参戦する気なのは確かです。他の団員たちは皆、今回の事件で負傷した仲間の仇を取ろうと勢い付いていますから、士気は非常に高いことを約束しましょう」

 

 よってこれは、ジゼルを通じた鉄華団からの事実上の宣戦布告という事になり──

 

「よし、良いだろう。君たちのその気概を信じようではないか。なに、俺も傭兵なのだ。そういった感情があることも理解できるさ、はははははっ!」

 

 豪快に笑ったガランの返事は、宣戦布告を聞き届けた上で受けて立つということなのだ。

 

 ──互いに罠を仕掛け、利用する算段を立てた歪な関係性。静かに、けれども確実に始まった闘争の波を乗りこなして、傭兵と殺人鬼は不敵な握手を交わすのだった。

 




信憑性(戦いたいのは本心から)
説得力(このために策を回してきた)
本格的にジゼルが悪人じみたムーブをしてまいりました。こんな邪悪が主人公で本当に良いのかと、作者自身疑ってしまいます。まあ言っていること自体はほとんど嘘もなく、状況から推測できる事ばかりなのですが……そのせいで余計にヤバイ奴になってますね(白目)


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#12 名無しの戦争

 アーブラウとSAUがついに開戦へと踏み切ったのは、鉄華団がガラン・モッサを作戦参謀に迎えてから三日後の事である。

 

 発端は互いの国境地帯であるバルフォー平原。SAU側の偵察機がMSの動力源であるエイハブ・リアクターの影響を受けてしまい、平原のど真ん中に墜落してしまった事が原因とされている。

 当然ながらこのMSとはアーブラウ防衛軍に所属する機体であり、こちらも同じく作戦参謀である()()()()()()()()()()()()()()国境にまで偵察に出ていたのだった。

 

 ──MSに標準搭載されているエイハブ・リアクターは、稼働しているだけで周辺の電波利用機器が使用不可となってしまう。だからこそ、これに対して特に対策も無かった偵察機が機体の制御を失い墜落したのは、誰のせいでもない事故というのが最も自然な見解だろう。

 

 SAUよりもアーブラウの方が、直接的な被害を受けた分この事態を重く見ていた。両者の偵察機とMSの差とはつまりそういう事であり、これは両者の認識の食い違いによって起きた不幸な事故ともいえるはず。

 けれど半ば偶然とはいえ人命が一つ失われてしまったのは事実であり──これによってSAUがついに戦端を開くのは、自明の理と言えたのだ。

 

 ◇

 

「両軍の認識の差異を利用して、偶然を装い見事にアーブラウとSAUを開戦させる……これ以上なく鮮やかな手腕ですね。いっそ感服するほどです」

 

 アーブラウ前線基地の中で、鉄華団が設けた一角には団員たちの為のテントが数多く立っている。そのうちの最も大きい指揮官用のテントの中で、机の上に置かれた戦場一帯を示す地図を眺めつつもひとまずジゼルはそう評した。

 テントにはジゼルの他に誰もいない。彼女はただ、地図の上に無造作に載せられた小石を眺めている。それらは地図の上にポツポツと点在していて、いくつかはペンキか何かで鮮やかな赤に塗装されていた。

 

「そしてこの戦力配置は……まあ、そういう事なのでしょうね。あなたの思惑が透けて見えますよ、ガラン・モッサさん」

 

 誰もいないことを良いことに、ジゼルは独り言を抑える気配がない。故に今この場で滔々(とうとう)と語られる言葉は、そのまま彼女の思考の写し鏡である。

 

「戦局における狙いは見えましたが、しかしその目的が一向に見えて来ませんね……アーブラウとSAUの外交チャンネルも何者かの手で閉じられたまま。これでは和平が成立する余地がなく、戦争で決着をつけるのみとなる……そっちの方が、ジゼルにとっては好都合ですけども」

 

 もしこの場にタカキかガランが居れば、即座にジゼルの異常性に勘付いたことだろう。特にガランならば、出来うる限りの手段を用いてジゼルを排除しようとしたに違いない。

 しかし、当然ながらここに両者はいなかった。そもそもからしてそれを承知しているからこそ、ジゼルも自身の歪んだ願いをありのまま垂れ流すことが出来るのだから。普段は意識して隠している本性をさらけ出す解放感は、どこかジゼルを上機嫌にもさせていた。

 

「目的は未だに明らかとならず、戦端が開かれてから既に五日が経過している。いい加減に状況を打破しないと、鉄華団の評判にも響き始める事でしょうし……ああまったく、考えることが沢山ありますね。だからこそ、戦争とは楽しいのですが」

 

 色々と破綻している彼女の思考だが、実のところ本気で鉄華団の利益の為に行動している点に偽りはない。ただ、利益を発生させるための手段として、戦争こそが最適解と思えるように誘導はしているが。それ以外は誓って不利益になるような行いも、視野を狭めるような嘘もついていないと断言できる。

 とどのつまり、これこそが生粋の殺人鬼(ナチュラルボーンキラー)たる彼女の悪辣な点であり、オルガが毒皿を喰らう覚悟で鉄華団へと招き入れたメリットでもあるのだろう。

 

「……あと二日ほどは、このまま彼の策に乗ってみましょうか。その後で彼の首を取り、返す刀で電撃戦を展開してSAU側の軍を黙らせてしまえば、少しは黒幕も浮ついて目的も見えてくるはず。”まずは殺してから考えろ”とは、うん、我ながら良い言葉ですね」

 

 これは妙案とばかりに黄金の瞳を細めたジゼルはどこまでも禍々しく妖艶であり。

 舌なめずりしてこれからの殺戮を心待ちにするその姿は、まさしく人を狩る狩人そのものであったのだ。

 

 ◇

 

 MSとは、それだけでも戦場の趨勢を左右する強大な戦力に数えられる。

 ようやく防衛軍として形を成してきたアーブラウ側はもちろん、軍事顧問である鉄華団も、外部から招かれたガラン・モッサ率いる傭兵団も、そして敵であるSAUすらも。

 戦場を駆ける数が多いのは、いまだMWが一歩二歩も先んじるだろう。しかし現在は全ての組織において、MSが主力兵器となりつつあるのだ。

 

 これにはMSで大暴れした鉄華団の活躍も大きく影響しているが、今は割愛して良い。それよりも重要なのは、戦場を左右するMSパイロットの中でも、とりわけ単独で戦場を支配してしまう規格外(エース)の存在についてである。

 彼ら彼女らは圧倒的な技術や経験、そして勘によって凡百のMS乗りとは別格の実力を発揮する。十人力、百人力にも匹敵するその力は、まさにエースと呼ぶに相応しい風格を備えている。

 

 今回の戦場においてこの域に到達しているのは、僅かに三人だけだ。アーブラウ側に二人、そしてSAU側に調停役としてやって来たもう一人である。しかし最後の人物はまだ戦場には立っていないのだから、アーブラウ側の二人が八面六臂の無双を成すのは半ば当然のことと言えよう。

 

『さてと、では死んでくださいな』

 

 戦場で指揮を執るタカキの耳に、物騒なジゼルの呟きが通信越しに届いた。その直後、鋼の不死鳥はまさに目の前で味方のランドマン・ロディへ止めを刺さんとするMSを血祭りにあげてみせる。ヘキサ・フレームのジルダというらしいそのMSは、フェニクスのカノンブレードによって力任せにひしゃげられて原形を残さない。コクピットも丁寧に潰れているから、まず間違いなくパイロットは死んでいるだろう。

 呼吸でもするかのように一つの命を終わらせたジゼルは、その感慨すら感じさせない気軽な口調で助け出したMSへ通信を飛ばした。

 

『大丈夫ですか?』

『は、はい! 助かりました!』

「負傷した人はいったん下がって! ジゼルさんはこのまま敵を引き付けてください! 他の皆は援護だ!」

 

 タカキの指示を受けて、全員が即座に動き出した。フェニクスが嬉々として正面のMS四機へ突貫し、その援護を二機のランドマン・ロディが担当する形だ。その背後では損傷が激しい先ほどのランドマン・ロディが後退しており、タカキたちMW組と共に戦線を一時離脱する。

 と、その時だ。移動するタカキたちの頭上を飛び越えるように緑色のMSが通り過ぎた。シャープな形状をした細身のそれは、ガラン・モッサの搭乗するゲイレールである。

 

『怪我はないか、少年たち!?』

 

 オープンとなった通信からは風貌に劣らぬ堂々たる声が聞こえてくる。本気で鉄華団の心配をしているらしい彼がフェニクス達への援護に入ると同時に、鈍い音と複数の銃声がいくつもいくつも響く。そして三十秒ほども経過した頃には、背後で行われていた戦闘は終わっていたのだった。

 

『助かりましたよ、作戦参謀さん。礼を言いましょう』

『謙遜はよしたまえ。君たちならあの程度、いくらでも切り抜けられただろうに』

『では、そういうことにしておきましょう』

『ははは、食えない参謀さんだ』

 

 通信から漏れ聞こえてくる、鉄華団の臨時参謀と防衛軍全体の作戦参謀による化かし合いの会話に、タカキの胃は締め付けられるばかりだ。どちらの腹も理解してしまっているからこそ、聴いているだけでも冷や汗が流れてしょうがない。もしこの場にアストンが居れば、タカキと共に数少ないこの状況の真実を知るものとして大いに同感したことだろう。

 

 ──戦局はアーブラウ側が圧倒的に押していた。アーブラウと同じくにわか仕込みの防衛軍がメインとなるSAUだが、彼らは調停役を頼んだギャラルホルン以外に外部戦力を所持していない。だからほとんどが戦争を未経験の新兵な一方で、アーブラウ側は年若くも場数を踏んだ鉄華団と、数こそ少ないがベテラン率いる傭兵団の存在がある。

 

 この二者の存在が、アーブラウの有利を決定づけていた。

 

 そして何より大きいのは、ジゼルが操るフェニクスとガラン・モッサが駆るゲイレールの存在なのだ。どちらも一騎当千の如き強者であり、文字通りに他を一蹴できるだけの力を持っている。戦場を縦横無尽に駆け巡り何度となく追い詰められた味方の窮地を救うこの二人には、多くの鉄華団員や防衛軍の者が賞賛の声を上げているのであった。

 とはいえ意外だったのは、ジゼルがここまで手練れだとは思っていなかったことだろうか。タカキを含め何人かは察していたが、それでも大多数はまさか事務方の彼女がMS、それもガンダム・フレームに搭乗するとは予想もしていなかったのである。だからこそ、あるいは三日月にも並べるのではないかと思わせるその実力には誰もが感嘆するばかりだ。

 

「ガランさん、次の目標は?」

『攻め込んでもいいのだが……相手の思わぬ反撃が怖いところだな。あまり追い詰められ過ぎた鼠は思わぬしっぺ返しをしてくるものだ。無駄な犠牲を出すよりもここはひとまず引いて、こちらも態勢を立て直すことに注力するとしよう』

「……わかりました。ではその通りに指示を出しておきますね」

『頼んだぞ少年。まったく、君のような頼りになる男が居なければ。今頃どうなっていたことか』

 

 豪快に笑うガランを相手に、タカキはぐっと口を結んでこらえた。そうでなければ、きっと自分でも想像がつかないような思わぬ言葉が飛び出てしまうと思ったから。

 しっかりと通信が切れているのを確認してから、タカキはこらえていた口を開く。やはり、自分でも思いもよらない強い言葉が飛び出してきてしまった。

 

「無駄な犠牲……? いいや違う、これはただ戦況を硬直させているだけだ。これじゃ、いつまで経っても戦争は終わらないじゃないか……!」

 

 タカキから見たこの状況は、いわば三日月がそのまま味方に来てくれたようなものだろうか。ガンダム・フェニクスを操り、情け容赦なく敵を屠るジゼルの姿は、どうしても彼の背中を連想させる。三日月と違ってどこか不穏な空気を放っているのがもっぱらの不安ではあるが、その代わりに頭が回るのだから頼もしいやら手に負えないやら。

 

 ともかく現状はアーブラウが圧倒的に有利であり、油断さえしなければ幾らでもSAU側の守りを突破して王手をかけることも出来るはず。しかもここにガラン・モッサまで加えられるのだから、もはや躊躇う必要などどこにも無いのだ。

 なのに全体の指揮を任されたガランの取る方針は、どこまで行っても慎重論でしかない。万が一をも考慮し、味方に無駄な犠牲を強いないというのは確かに立派だ。けれどそれは、チャンスを逃してまで徹底する事でもないはず。むしろ一気呵成に畳みかけた方が、終わりのない戦争よりも結果的に少ない犠牲にすることも出来るはずなのだから。

 

 その程度のこと、ガラン程の男が思いつかないはずはない。であればこの状況が示すのはただ一つ。ガラン・モッサは、意図的に戦争を長引かせているという事だ。

 

「もしジゼルさんがこの場に居なくて、団長たちとも連絡が取れず何も知らないままガラン・モッサに従っていれば、きっと俺も疑問に思えませんでした。それくらい彼は器が大きくて、しかも自然に戦況をコントロールしています。事実俺とアストン以外の団員はまだ彼の正体を知っていませんけど、味方を大事にしてくれる頼れる人だと感じているみたいです」

『そうか、なるほどな。コイツは思った以上に厄介な相手だってことか……』

 

 夜。鉄華団の前線基地に戻って来たタカキは、本部への定時連絡を兼ねて彼から見たこの戦争をオルガへと伝えていた。難しい顔つきで報告を聞き終えたオルガは、やや考え込んでから画面越しに労るような視線をタカキへよこす。

 

『ひとまず、無事にやってくれているようで安心した。まさか鉄華団の看板の為に命張ってくれるとは思わなかったが、それも命あっての物種だ。下手に気負ったりしなくていい、だから絶対に無理はすんじゃねぇぞ』

「はい!」

『いい返事だ。そんじゃ、悪いがジゼルに代わってくれ。ちょいと話さなきゃいけねぇことがあるんでな』

「分かりました」

 

 オルガの頼みに素直に応じ、タカキは通信機器の隣へと移動した。そして入れ替わるように、無言で壁の花と化していたジゼルが通信機器の前に陣取ったのである。

 

「さてと、状況は先ほどタカキさんが伝えていた通りのものですよ。ガラン・モッサは戦力を散開させて小出しにすることで膠着状態を生み出し、しかも引き際を鮮やかに演出することで違和感も少なく戦況を長引かせています。敢えてこちらも彼の策に乗り続けてますが、中々の手練れだと感じさせる手腕ですね」

『ちっ、ラディーチェの野郎もたいがい面倒な手合いを引き込んだもんだ。もしアンタがいなけりゃ、もっといいようにタカキたちは扱き使われていたって事だな』

「きっとそうでしょうね。強くて豪快で、しかも人心掌握すら長けているとなれば、並の相手ではとても歯が立ちません」

 

 暗に「自分なら歯向かえる」と言っているような言葉である。心なしか、オルガの目から見ても今のジゼルはどや顔を決めているかのようだった。もちろん、表情自体に変化はほとんど無いのだが。

 

「幸いにしてこの六日におけるこちらの被害は負傷者だけ、死者はまだゼロです。しかしそれも、このまま長引けばわかりません。きっと犠牲は出てしまうことでしょう」

『無茶を承知で聞くが、戦争を止める手段は何かないのか?』

「外交チャンネルが閉ざされている以上、武力によるものしかありません。ですがそれも背後にあのガラン・モッサがいる以上、実行するのは難しいでしょう」

『奴を排除することは可能なのか?』

「多少のリスクはありますが、やろうと思えば。ただ、やるならあと一日は欲しい所です。せめて彼の目的を探り出してしまいたいので」

『目的、か……そういや、ギャラルホルン側の目的はつかめたぞ。やっぱこっちの読み通りに戦争の調停だ。マクギリスの野郎に訊いたら、アイツ自身が来てるって話じゃねぇか』

 

 SAU側にギャラルホルンが確認されたため、念のために鉄華団はその目的を調べていた。その成果をジゼルへと伝えたところ、彼女は顎に手を当てて何やら考えだしたではないか。

 戦争の調停というギャラルホルンなら当たり前の行動の、いったい何を疑問に感じたのか。訝しむオルガとタカキの前で、ジゼルはポンと手のひらと拳を合わせた。

 

「一つお聞きしますがそのマクギリスという方は確か、ギャラルホルンの改革派筆頭という事で良いのですよね?」

『ああそうだ。腐敗したギャラルホルンを変えたいだとか、そのために俺らの力を借りたいだとか、散々言ってきたから間違えようがねぇ』

「なるほど……改革派の敵は旧態依然とした相手が道理……となれば……」

『何か読めたか?』

「ええ、まあ。憶測に憶測を重ねたものですけどね」

 

 彼女にしては珍しく自信なさげな態度である。とはいえどんな突拍子もない情報でも今は欲しい。だからオルガが目で続きを促せば、ジゼルは指を順に三つ立てて見せた。

 

「戦争が長引いて得をするのは、主に三者です。一つは武器商人、一つは傭兵、そして最後は無益な戦争の責任を押し付けられる立場に居る者です」

『それから、戦闘狂が抜けてるんじゃないのか?』

「なら四者と訂正しておきましょう」

 

 さりげない皮肉にも真顔で応じ、ジゼルは話を続けた。その間に指も四本に増やしてしまう。

 隣で話を聞いているタカキは、意味が分からず困惑するばかりだ。

 

『武器商人と傭兵はまあ、戦争がなきゃ成り立たないから理解できる。だが最後のよく分からん奴は──』

「単純に政治の話です。かつてジゼルが参加した戦いも、そういった足の引っ張り合いは多くありましたよ。敗戦の責任を取らされるのは、いつも前線で命を懸ける指揮官ですから」

『だが、んなこと本当に有り得るのか? 足の引っ張り合いで戦争起こすなんざ、規模がでかすぎて想像できねぇよ。まさかマクギリスがそれに関与してるってのか?』

「その人物が改革派というならあり得ない話ではないです。不自然な外交チャンネルの封鎖も、ギャラルホルンの手によるなら説明がつきますからね。いつの世でも、異端児は爪弾きにされるものですよ」

 

 その異端児筆頭のジゼルはどこか遠い目をして、此処でないどこかを懐かしそうに眺めていた。

 色々と箍の外れている彼女なりに、苦労も多く有ったのだろうか。かつての自分らの苦労を思い出して、少しばかり共感してしまいそうになるオルガである。

 

「ひとまず、これでおおよその目星は付きました。おそらくガラン・モッサの背後に居るのは武器商人かギャラルホルンのお偉いさんでしょう。確率的には七対三と見ます」

『そんで、そこまで分かったならどうすんだ? まさかアンタがこのまま奴の言いなりってこたぁないだろう?』

 

 半ば確信じみた口調で問いかけられ、ジゼルの口に笑みが灯った。やはり見る者を不安にさせる、魔性のそれ。隣で見ているタカキは肌が粟立つのを止められない。

 こんな相手と対等に話しているオルガ団長は、いったい何を思っているのだろうか? 信用しているのか、もしくは利用しているだけなのか。その真意は闇の中だ。

 

 しかしただ一つ言えるのは。この二人は間違いなく、利益が同じ方向を向いている限り非常に相性が良いという事だろうか。 

 

「敵を知り、戦況を知り、そして目的を知ったことで、条件は全てクリアされました。故にこちらから仕掛けます。三日以内にガラン・モッサを討ち取り、SAUの喉元に刃を突き付けることで、『戦争を早期に終結させた偉大な組織』という名誉を鉄華団に齎してみせましょう」

 

 ニタリと笑うその口から放たれたのは、あまりに大胆不敵な宣言であったのだ。

 



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#13 悪辣なる戦い

 アーブラウとの戦争が始まってから既に八日が経過した。戦場のどこを見渡しても戦っているのは少数対少数の散発的な戦いであり、決定的な勝利も敗北も全く起きていない。端的に言って、全く天秤は傾いていないのだ。

 変化のない戦い、いつまで経っても動かない戦況。良くも悪くも刺激の少ない戦場には、少しづつ中弛みにも似た気配が両軍に漂い始めていた。

 

「さて、各員準備は整いましたか?」

 

 八日目の両軍の激突も、やはりと言うべきかあまり大きな変化を見せずに終わった。ほどほどの戦力がぶつかり、ほどほどの成果と損害を出したところでSAUが引き、そしてアーブラウからの追撃はなし。いつも通り変わり映えしない、ジゼルにとっては欠伸が出るほどにつまらない戦場だ。

 しかしその膠着も今日で終わる。撤退していく相手を見逃してもなお弾む心を抑えきれないまま、ジゼルはこの時の為に前線基地で待機しているタカキへと問いかけていたのだ。

 

『既に損傷した機体以外は配置についていますし、防衛軍に渡す資料と通信の用意も整ってます。だから後は、こっちの号令さえあればいつでも大丈夫です』

「それは重畳。ではすぐにでも始めましょうか」

 

 小規模な戦闘が広範囲に広がっている事もあり、戦場の至る所には損傷の少ない鉄華団のMSやMW隊が存在している。およそ一つのポイントにつきランドマン・ロディが二、三体。さらにMWが五、六台といったところか。

 加えてそれらのポイントには他にもアーブラウ防衛軍が乗るMWや、ガラン・モッサの率いる傭兵団のMSも数機づつ混じっている。もちろん、どれもガラン・モッサの指示した配置によるものだ。

 

 ──これまで鉄華団は、敢えて敵と分かっているガラン・モッサの策に乗ってきた。それ故に起きている布陣を最大限に利用して、彼へと向かい研ぎ澄まされた牙を突き立てる。

 

 

 ◇

 

 SAUとの衝突も終わり帰路に着く中で、彼らは異変に気が付いた。

 唐突に鳴り響く緊急連絡(エマージェンシーコール)は仲間からのもの。これが来たという事は、予想通りの事態が起き始めていることを明確に示唆している。

 

『……隊長』

「ああ、分かっている。予想より少々早いが、連中、いよいよ仕掛けてくるようだな。せめてもう少し消耗させておきたかったがしかたあるまい」

 

 僚機からの通信に頷きながら、ガランはコクピット内のレーダーへと目線をやる。そこには自身のゲイレールと仲間のシャルフリヒターを示す二機のMSへと向けて、急速に接近してくる一機のMSの反応があった。レーダーで見てもなおひたすら速いその機体は、この数日間で彼にとってもお馴染みとなったものであり──

 

「来たかフェニクス……! いや、鉄華団参謀、ジゼル・アルムフェルトよ!」

『こんにちは、早速ですが殺しに来ましたよ』

 

 いつか必ず銃を向け合う日が来ると、最初の日から確信していた相手であったのだ。

 

 低空飛行によって木々をなぎ倒しながら突き進むフェニクスは、その赤と金の機体を陽光に煌かせながら仲間のシャルフリヒターへと迷うことなく突撃した。得物は馬鹿げた巨大さを誇る剣と砲の複合兵装。それをガンダム・フレームに特有の高出力で叩きつけられたシャルフリヒターは、ギリギリのところで受け流しながら後退することに成功した。

 すり抜けられた巨大兵装は勢いよく地面に叩きつけられる。轟音と共に砂塵が舞い上がり、ほんの僅かフェニクスの姿が目視できない。そこで、またも轟音。今度は大砲が発射されたようなそれに、

 

「マズい、避け──」

 

 ガランは素早く警告を僚機へと送ろうとしたが、

 

『なっ、このっ──!』

 

 通信機から返ってきたのは、砲弾によりコクピットを強打されて返答もままならない仲間の声。間一髪両腕で防ぐが、衝撃を殺しきれていない。そこに、砂塵を突き抜け現れた鋼の不死鳥が迫る。振り上げられた巨大兵装の大剣はあやまたずコクピットに向かっていて──その時にはガランも素早く援護行動へと移行していた。

 大剣が振り被られた直後、素早くガランはシールドアックスを抜き放ち背後から肉薄する。相手の大剣はそう簡単に取り回しできるようなものではない。確実にゲイレールの攻撃がフェニクスの先を行く。故にフェニクスに残された手段は攻撃を捨てて回避に専念するか、コクピットを潰す代わりに自分も死ぬかの二択だけ。

 

 この時、勝利の天秤は大きくガランへと傾いた──はずだったのに。

 

「ちっ、これは……!」

 

 舌打ち、それから咄嗟の回避行動。素早い身のこなしで機体を切り返したガランのすぐ横に、鋼線で繋がれたブレードが突き刺さる。しかもそいつは即座に地面から抜けると、まるで生物の尾のようにしなやかかつ流動的な挙措でもってガランへと襲い掛かってきたのだ。

 あたかも大蛇でも相手にしているかのような変幻自在の攻撃を、盾で弾きシールドアックスで迎撃する。その持ち前の技術と培った勘を使って的確に防いでいくガランだが、ここである事実に気が付いた。

 

「この攻撃、これまで意図的に見せていなかったな……! まったく、抜け目のない奴め……!」

 

 フェニクスには翼の如き巨大スラスターと鉤爪型の脚部、そして尾にも似た腰部ブレードが存在する。この内の尾が伸びることでガランへ襲い掛かってきているが、この攻撃はここまでの八日間の中で一度たりとて見せたことが無い。この時の為に伏せ札として温存していたに違いない。

 初見の攻撃というアドバンテージは歴戦のガランをしてもさすがに埋めがたく、ほんの数秒ではあるがフェニクスに手出しするどころではない程に翻弄される。

 

『あなたの積み上げた全て、破壊させてくださいな』

『な、や、やめ──っ……』

 

 当然、その数秒があればフェニクスがシャルフリヒターへ止めを刺すには十分に過ぎた。ひとまず尾の範囲から抜け出したガランが目にしたのは、きっかり止めを刺された僚機の姿。生存はまず絶望的だろう。

 吹きこぼれたオイルを返り血のように輝かせ、フェニクスはガランへと意識を戻した。

 

『まずは一機。さあ、次はあなたの番ですよガラン・モッサ。死んでジゼルを楽しませてくださいよ』

「ククッ、なるほどやってくれたな小娘め。強敵だろうと予測はしていたが、しかし見事な実力だ。まずは褒めておこう』

 

 不敵に吐き捨て、ガランは目の前で佇むフェニクスとジゼルの評価を一段階引き上げた。

 あのフェニクスというらしい機体が、阿頼耶識システムを搭載していることはとっくの昔に見抜いていた。だからMSとは思えぬ滑らかな挙動の脅威は十二分に理解していたし、仲間たちへも忠告を怠った事は無い。それでもなおこうして呆気なく仲間を一人失ってしまったのだ。敵方の実力を見誤った対価はあまりに痛かった。

 

 けれど、もはや油断はない。今の刹那の攻防で相手の手の内、さらには実力は概ね計れたと言って良いだろう。機体の性能、パイロットの腕、殺しへの躊躇いのなさ。どれをとってもまず一流、歴戦のガランをして間違いなく苦戦する相手なのは紛れもない事実であり。

 

 何も力比べだけが戦争を左右する要素でないのもまた事実だ。

 

「先に一つ訊こうか参謀殿。仮にも味方であるはずなのに、どうして俺たちを攻撃したのだ? いや、今更愚問ではあるのだろうが、後学のために知っておきたいと思うのでな」

『後学のため? これはまた異なことを訊きますね。そんなものに意味はありませんし、知る必要もありません。だって──』

 

 あなたはここで死ぬのですから──まるで散歩に誘うかのような気軽さで、ジゼルはガランへ混じり気のない殺意を向けた。その痛烈な殺意と皮肉に思わずガランの口が弧を描き、喉の奥からは笑い声が漏れ出てしまう。

 やはり自身の正体などとっくの昔にお見通しであったか。構わない、それを承知でガランは鉄華団を利用したのだから。互いに互いを利用した腹の探り合いは、この場でひとまず打ち止めだ。

 

「なるほど、それは怖い怖い。だがな──生憎と小童に負けてやる気は毛頭ないのだよ!」

 

 ゲイレールのスラスター出力を全開にし、ほぼ同時にフェニクスも真正面へと動き出す。相手の得意距離は間違いなく近・中距離。そしてそれはガランとて同じこと。故に両者の戦いが超接近戦(インファイト)となるのは、半ば必然の事であった。

 高速接近しながらガランは、先手必勝とばかりに一一〇ミリライフルで的確にフェニクスを狙撃する。狙いはカメラ、そして背後から見えているスラスターだ。どちらも潰されれば満足に戦えない、MSの要の一つ。

 ジゼルもそれは承知しているのだろう。細やかに頭部を、そして翼を移動させる。どちらも阿頼耶識システムを使いこなしているからできる芸当。鋼と銃弾の擦れる音、そしてフェニクスは銃弾を紙一重で擦過させてすり抜けた。

 

 この攻防の最中においても、両者の速度は微塵も落ちない。次の瞬間には彼我の距離は限りなくゼロにまで近づき、今度はフェニクスの方が大剣を振りかぶって叩き下ろした。

 ガンダム・フレームの生み出す出力と、大質量の取り合わせはまともに受けることすらも叶わない。しかもフェニクスは無駄のないコンパクトな動作にまとめているから、隙もまたほとんどないのだ。だから彼は、そんなものとは最初(はな)から付き合わない。瞬時にゲイレールを半身にさせてこれまたスレスレで避けてみせると、極至近距離から銃撃を敢行する。

 

 吐き出された銃弾がフェニクスのナノラミネート装甲を連続強打した。マズルフラッシュと鈍い音が戦場を支配するがフェニクスはまったく動じていない。むしろ機体を揺さぶられながらも冷静に大剣を引き上げて──

 

「その手にはかからんよ!」

 

 特徴的な音と共に瞬時に伸びた尾の(テイル)ブレードがガランの背後から急襲する。だがそれはもう知っている。故にガランは即座に機体を横に滑らし、一拍遅れたブレードは何もない空を切る羽目となってしまった。

 今度は余裕をもって難を逃れたガランだが、しかし即座にフェニクスの追撃が飛んでくる。構えなおした大剣を最速で横へ薙いだその先には間一髪で回避行動に成功したゲイレールの姿があり、つまりは攻め手と受け手の攻防が目まぐるしく変化していること示していた。

 

『分かってはいましたが強いですね、あなた。殺し甲斐がありますよ』

「ほざくがいい、()()()。このようなところで終わる訳にはいかんのだよ!」

 

 この時点では、少なくともどちらも技量の点ではほとんど差がないと断言できる。ガランは知る由もないがジゼルは短い年数で圧倒的な戦闘経験を積んでいるのに対して、彼自身は何十年にも渡って戦場を駆けてきた猛者なのだ。密度も経験も、共に強くなるための重大なファクターであることに疑う余地はなく。

 故にどちらの方がより強くなれるかの議論に意味など無い。ただ純然たる事実として、双方ともに圧倒的な強者の側に立っているのだから。

 

 ──ならば、彼らの勝敗を分けるのはいったい何か? 先も述べた通り力比べだけが戦争ではない。策略一つ、戦略一つ、そして理解一つで、戦いの行く末など当たり前に変化していく。そういった要素を完璧に利用したものこそ、この戦いを制するのだ。

 

「しかし気になる。いったいどのようにして俺らが敵だと鉄華団に信じ込ませた? 少なくとも一昨日までの時点では、お前を除けばタカキとアストンの二人しか気が付いている様子はなかったが」

『そこまで見抜いていましたか。ええ、教えたのはつい昨夜の事ですよ。ですが団員たちはまだ若く、血気盛んで、男の子らしい力に満ち溢れていますから。ちょっと説得力のある証拠を提出して煽ってあげれば、仇討ちの義憤を起こさせる事など容易い事です。皆さん二つ返事で作戦に了承してくれましたよ』

「参謀を名乗るだけあって、随分と悪辣な手腕じゃないか。無知な子供たちを利用するのと何ら変わらんのではないかね?」

『利用するだけした挙句に使い潰そうとまで考えていたあなたに言われる筋合いはありません』

「違いない。つくづく我々は度し難い生き物だよ」

 

 言葉の刃を交わらせながら、互いの攻防はよりいっそう激しく移り変わる。相手の動きを観察し、対抗策を生み出し、上回ることがあれば即座に修正。それを何度も何度も繰り返して、薄氷の上に成り立つ均衡が出来上がっているのだ。

 

 フェニクスの大剣による一撃は重く、当たればまず必殺となり得る。それをコンパクトに振るうことで極力隙を無くしているのは見事な工夫と技術だが、それでも隙が完全に消え去る訳ではない。ガラン程の男ならばこの小さな隙を突くのも容易い事だ。

 しかし、それを邪魔するのが尾のブレードだ。自由自在に動くこいつは大剣程の重みは無いが、そのぶん隙というのは極端なまでに少ない。これが大剣を振るうことで生じる隙を正確にカバーしてしまっているのだから、ガランからすればあまりにやり辛かった。

 

「そしてお前も、いったいどれだけの人間の血を啜ればこれだけの実力を得るのか。いやはや、想像するだに恐ろしいな」

『さて、ジゼルも正確には覚えていませんのでね。それなりには殺してきているという自負はありますが』

「それは結構、まともであれば強くなどなれんし、生き残ることすら能わぬ世の中だ。きっと俺もお前も、とっくの昔にまともさなど捨てているのだろうな」

 

 苦笑を返すガランだが、さりとて余裕があるわけでもなかった。今も続く攻防では当たれば終わる攻撃の緊張感に常にさらされているのだ。例え歴戦と言えど、全く精神に影響しないなんてことはあり得ない。

 かといってジゼルの方も、余裕綽々かと思えばそうもいかない。なにせ火星の採掘プラントで目覚めて以来、これだけの強敵と戦うのは初めてなのだ。しかもゲイレールの狙いは正確で、動作の折にフェイントすら混ぜ込む見事なもの。いっそ人間のように動いているというのに、阿頼耶識システムなど欠片も使っていないのだから凄まじい。

 

 それでも、徐々にだが追い詰めているのはジゼルの方であった。ガンダム・フレームとしての大出力に加えて、阿頼耶識システムという最大の利点を前面に押し出して戦っているのだ。それはどれだけガランの実力が高かろうと、機械による制御の補助付きでは段々と動作速度に差が生じ始めてしまう無情な現実を意味していた。

 

 だから、ここが切り札の切り時であったのだ。

 

「さて参謀殿、唐突ではあるが今日の布陣を見て何か思うところはあったかね?」

『またぞろ何を言い出すかと思えば……一応訊いておきましょうか。何を仕込んだのです?』

「人質。そういえば理解してくれるかな?」

 

 仮に自分たちではフェニクスに対抗できないと判明した時の為に用意していた保険、ここで使わなければ意味がない。相手の行動が読めているなら、この男が対策を打ち出さない訳がない。

 至近距離で互いの得物を巡らせながら、ガランはしたり顔で笑ってみせた。

 

「今日はアーブラウと鉄華団のMW隊と一緒に、俺の傭兵団から一機MSが行動していてな。連絡一つで彼は俺の指示通りに動く。この意味、お前なら分かるだろう?」

『MWとMSの戦力差は圧倒的。つまりアーブラウと鉄華団のメンバーを殺されたくなければ、大人しくしろと』

「そういう訳だ。賢明な判断を期待しよう」

 

 もし鉄華団が牙を剥くなら、戦闘が終わりSAUが撤退したすぐ後だと予測していた。そのために部隊の一つを巧みに調整することで、鉄華団に対する抑止力へと変えてしまうなど造作もない。仲間意識が強い組織と言うのはこれまでの言動でもよく理解しているから、これ以上に効果的な策はないだろう。

 ただし、これはガランにとっても諸刃の剣である。本当に人質たちを殺してしまえば、間違いなくガランとその仲間たちはアーブラウ側から放逐されるだろう。そうなれば本命となる戦争の膠着化どころではなく、本末転倒な事態となってしまうからだ。

 

 つまり、これは九割がたハッタリの発言なのだ。だけどそれで構わない。人質とはつまるところ、一割の”もしかしたら”という感情が相手を縛るのだから。どれだけ現実的にあり得ないと考えようとも、相手の言葉に呑まれればそれで終いだ。

 もしかしたらの危険性を考慮するなら、もはやフェニクスは止まるしかない。よしんばそのまま戦い続けたとしても、動きに迷いが出るのは明白だ。仮にも参謀を名乗る女だ、無用な犠牲など出そうはずもない。

 

 常識的に考えてなんらおかしくない作戦。これにて王手をかけたと確信したガランであったが、

 

『そうですか、なら勝手に殺したらどうですか?』

「なに……っ!?」

 

 仲間の死など何一つ考慮に入れることなく攻撃を続行するフェニクスの姿は、全く予想もつかないものだった。

 油断してはいなかった。だが無意識のうちに、これで自身の有利へと整えたという慢心があったのかもしれない。その真相は不明だ。けれど事実として、圧し切られ宙を舞うゲイレールの右腕はガランの当てが外れていたことを如実に表していたのだった。

 

「迷う素振りすら見せぬとは、正気かお前は……!?」

『そんなもの、とっくの昔に捨てましたよ。正気(まとも)なままでは生き残れない。あなたが言ったことでしょう?』

 

 さらに追撃。片腕を失ったゲイレールではもはや戦いの均衡を保てない。体勢を立て直すべく即座に背後に引こうとして、右からやって来た尾のブレードに対応しきれずバランスを崩してしまう。

 形勢が変わる。流れが変わる。明らかに傾いた天秤の有り様に、ガランの背中を嫌な感覚が通り過ぎた。

 

「お前にとって彼らは仲間ではなかったのかね? 俺が言えた口でもないが、それを見殺しにするなど人としておかしいと思わんのか!?」

『十分おかしいかと。けど、ジゼルは元から異常なのですよ。そしてあなたは、外道ではあっても根っからの異端ではない。今の言葉からも分かりますよ、その本性の高潔さを』

「お褒めいただき感謝する、と言いたいところだがな……!」

 

 ガラン・モッサは明日も知れぬ傭兵であるが、しかし決して底辺の人間ではない。人としておかしい訳でもない。良い生まれをして、良い育ちをして、そして友人の為に戦える芯の強さまで兼ね備えた、あらゆる意味で恵まれた良識的な男なのだ。

 だからこれは自明の話。外道は行っても決して狂人ではなかったガランが、本物の狂人(ジゼル)を見誤るのは当然の帰結と言えたのだ。

 

「なるほど……ようやく理解したよ。お前の本性は生まれついての人殺しか。まさかそんな簡単な事実に、こうも足を掬われる羽目になるとはな」

 

 ここにきてやっとジゼルを理解できた自身の察しの悪さを呪いながら、忙しなくゲイレールを操作していく。もはや戦闘の続行は不可能だ。これまで保てていた対等な戦いも、この状態ではまともに成立しない。

 まだ破壊されたのは右腕だけ。脚部もスラスターも無傷なのだから、逃げようと思えばどうにでもなる。しかし目の前の殺人鬼がそう簡単に逃亡を許すとも思えない。友の為にもそう簡単に捨てられない命ではあるが、下手に足掻いて不利益をもたらすくらいなら──

 

「ちぃっ……!」

 

 迷いが生じてしまう。最後まで足掻いて次で挽回してみせるか、それともここで潔く自爆して全てを灰に帰させるか。まだ状況の巻き返し自体は十分に可能だからこそ、歴戦のガラン・モッサをして判断に迷ってしまうのだ。

 らしくないと言えばその通り、普段の彼ならきっと一笑に付す愚行と切って捨てるだろう。だが実際にこの状況に追い込まれてしまえば、どうしても刹那の迷いが生まれるのは人として避けられない。

 

 そして殺戮者とは、致命の迷いを見逃すほど慈悲深い存在でもないのだ。

 

「お前はいったいいつまで殺す? まともさを捨て、抱いた正義もなく、ただ悦楽だけを求めて永劫殺し続けるのか!?」

『言うに及ばずですよ。そんな覚悟、屋敷を飛び出した時にはしましたよ』

「それはまた殊勝な事だ……! しかしな! お前には決して、まともな終わりなど来ないだろう! 満たされぬ飢えにいつまでも苛まれ続ける──それがお前の末路だ!」

 

 正気もなく、守るべき正義も抱かず、ただ自分の為だけに人の生き血を啜る鋼の不死鳥(あくま)

 血を糧に飛翔するその様はなるほど、戦場と言う狂気の修羅場を生き抜くにはこれ以上ない怪物だろう。いつだったか、ラディーチェが彼女の事を狂人と評していたのも頷ける。てっきり言葉の綾と軽視してしまったのが良くなかったか。今更悔やんだところでもう遅い。

 

『満たされないなら、いつまでだって埋めればいい。この世界にはたくさんの人間が居ますからね。きっと困ることは無いでしょう』

「この、バケモノめ……!」

 

 ほんの少し動きの乱れた隙を逃さず、フェニクスの振るう大剣が画面いっぱいに映りこんだ。あと一秒もすれば振りぬかれる。咄嗟に自爆装置を起動させようとするも間に合わない。あまりに口惜しい終わりを悟ってしまい、ガランは悔し紛れにため息を吐いた。最後の瞬間、脳裏に浮かんだのは志半ばで置いていくことになった友の姿だ。

 

『では、今度こそさようなら。久々に楽しませてもらいましたよ』

「クソッ、悪ぃなラス──」

 

 口をついて出た謝罪も、最後まで言葉にできず。

 ゲイレールごと圧し潰されて、ガラン・モッサはその生涯を終えたのである。

 

 ◇

 

 鉄華団による唐突な傭兵団への攻撃行為は、アーブラウ防衛軍に激震を走らせるには十分すぎるものだった。

 同士討ちなど言語道断と詰め寄る防衛軍側の隊長に、タカキはこの時の為に用意していた資料を渡した。それはガラン・モッサがこの戦争を巧妙に演出したという証拠であり、またアーブラウを売った事を示すものだったのである。

 これでもまだ半信半疑であったのだが、既に鉄華団は裏切り者のガラン・モッサと傭兵団を全滅させたこと、そして団長であるオルガ・イツカまでも通信越しに直々の説明を行った事で、ひとまず防衛軍側も事実として飲み込むことが出来たのだ。

 

 ──この時、満たされるべき条件は全てクリアされた。

 

 この四時間後、鉄華団は夕暮れに紛れて電撃的な再出撃を開始した。簡単な休憩と補給を行っただけだが、団員たちの士気は高い。とりわけ参謀であるジゼルは顕著で、周囲からも不審に思われる程のそれだ。

 膠着した戦線のせいで中弛みが始まっていたSAU側にとって、この急襲はまさしく青天の霹靂である。しかも今までは受動的な対応が多かった為に驚愕もひとしおで、ようやく実戦に慣れてきた兵たちも不意を突かれたせいで思うように力を出せない。手始めにフェニクスが数機のMSを破壊すれば、残りはほとんど降伏して捕虜となったのも道理と言えた。

 

 後はもうSAU都市部まで遮るものは何もない。悠々と鉄華団は進軍を続け、数時間後にはSAUに存在する都市の灯りが目に入る。いよいよ敵勢力の中枢にまで到達したという実感に、誰もが戦争の終結を確信した。

 事実、この直後にようやく事態の変化に追いついたギャラルホルンによって調停が為される事となる。最初から都市部まで攻撃する気はなかった鉄華団が喜んでこれに同意したことで、ここにアーブラウとSAUの名無しの戦争はひとまずの終焉を迎えたのだった。

 




Q. どうしてこうも簡単にSAU軍は負けたん?
A. 新兵なのと戦争が膠着しすぎたせいで、かなり気が緩んでいたから。ぶっちゃけジゼルはこれを考慮した上でガランの策に乗っていました。

ひとまずこれで地球支部編の山場は越えました。次回は後処理など諸々になります。

ちなみにフェニクスのカノンブレード(巨大兵装)ですが、イメージ的にはMA戦で三日月が用いた石動さんの大剣が最も近いです。これの中心線付近を砲身に変更すれば、私のイメージするカノンブレードですね。



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#14 世界のうねり

 その連絡がやって来たのは、オルガ達火星本部組が地球へと降りる寸前の事である。

 

『まったく人が悪いなオルガ団長も。先にそちらの作戦を私に伝えてくれさえすれば、こうも回りくどい事はしないで済んだというのに』

「んなこと言ったって、協力者ではあっても鉄華団ではないアンタに言う訳にはいかねぇだろうがよ。こっちだって切羽詰まってたんだ、アンタに連絡する余裕なんざ無かった」

『そうだな、その通りだ。今の言葉は忘れてくれ』

 

 画面越しに涼やかに笑った端正な顔立ちの男を、オルガは胡乱気な目線でねめつけた。既に何度も会話を交わしているし、直接対面したことだってあるのだが、やはりどうにも胡散臭い雰囲気が漂っているのは否めない。その立場も含め、端的に言って信用しきれない相手である。

 

「で、わざわざこっちに連絡までしてくるなんざどういう風の吹き回しだ? まだそっちも仕事は多く有るだろうに」

『君たちが電撃的に王手をかけてくれたせいで、後処理に息もつけないくらいさ。とはいえ、気になることもあったのでね。どうせ近いうちにそちらを訪ねる事にもなると思うが、先に確認を取っておきたかったのだよ』

「そうかよ。そんじゃ用件を聞こうか」

『ああ、それはだな──』

 

 かくして、地球外縁軌道統制統合艦隊の新司令官であり、今回の戦争の調停役を務めたマクギリス・ファリドは不敵な笑みを浮かべた。底知れない、真意の図れぬ不気味な存在感をよりいっそう強くして。

 

『今回の戦争において多大な戦果を挙げた、鉄華団が所持するガンダム・フレームの一つフェニクス。アレのパイロットを私は知りたいのだよ。いったい誰が、あの鏖殺の不死鳥に乗っているのだね?』

「……鏖殺の不死鳥たぁ、物騒だがアイツにはおあつらえ向きのあだ名じゃねぇか。ジゼルなら喜んで受け取りそうな名前だ」

 

 その時、マクギリスの様子が一変した。

 

『オルガ団長……今君は、フェニクスのパイロットの事をジゼルと呼んだか? 』

「ああ、そうだ。あれに乗ってるのはジゼルっていう変わった奴だよ。まだ鉄華団に入って一年半程度の新参だが、中々強烈な奴でな。それがどうかしたか?」

 

 しかし、そんなオルガの軽口もマクギリスには届いていない。先ほどまでの底の図れぬ雰囲気はどこへやら、信じられないような、理解できないような、そして何より歓喜でも抱いているかのような、様々な感情がない交ぜになった複雑な相貌を呈している。

 かつてマクギリスの人生を一変させた一冊の本に、その名は載っていた。

 曰く、力だけで自らの欲望(エゴ)を押し通した怪物。

 あるいはアグニカ・カイエルが最も信用し、誰よりも危険と言われた懐刀。

 多くの畏怖を刻み込んだその人物が殺戮した数は、全ての人類を見渡しても最大とされるほど。

 その者の名を、もしやという淡い祈りを込めながら彼は口の端に昇らせた。

 

『まさかとは思うが──フルネームはジゼル・アルムフェルトではなかろうな? それも、厄祭戦を誰よりも知る存在だ。違うか?』

「……おいおい、なんでんなことアンタが知ってんだ」

『つまり、正しいという事なのだな?』

「まあ、そうだがよ。どういうことだこりゃあ……?」

『くく、ははは、ハハハハハッ……! それはまたなんとも素晴らしい!』

 

 困惑気味のオルガとはどこまでも対照的に、まるで底が抜けたかのように大笑したマクギリス。この男がこれだけダイレクトに感情を表現したことがこれまであっただろうか。いや、無い。少なくともオルガは見たことも考えたことも無い。それくらい彼らしくないと感じさせる行為である。

 ひとしきりマクギリスは笑い終えてから、それでも顔に張り付いた笑みの残滓を隠そうとしなかった。そのまま、いよいよ危険人物でも見てるかのようなオルガへと向き直る。

 

『いやはや失礼、少々取り乱した。どういう因果があるかは知らぬが、まさかこのような事があるとはな。ああ、絶対に君たちの下へは足を運ぼう。特にそのジゼルと言う少女とは個人的に話したいことが多く出来てしまった』

「こっちとしちゃ丁重にお断りしたい所なんだがな……どうせ言っても聞かねぇだろアンタ」

『無論だよ』

 

 一秒の迷いもない即答である。

 はぁ、というオルガのため息だけが、いやに大きく室内に響いたのだった。

 

 ◇

 

 十日。それが、アーブラウとSAUにおける八日間だけの戦争が幕を閉じてから経過した時間である。

 

 初の経済圏同士による戦争は多くの勢力、商人、組織にとって注目の的であり、誰もが固唾を飲んでその趨勢を見守っていた。この戦争の行く末次第では、勢力図が大きく塗り替わる事となるのだから当然だ。

 結論から述べれば、戦争は早期に終結となったことで期待されたような派手な展開は起きず仕舞いであった。しかし、その渦中にて中心的な役割を果たした鉄華団には、多くの関心が向けられもしたのである。

 

「まさか鉄華団の名前がここまで売れちまうとはな……こりゃ嬉しい誤算って言うべきなのか?」

 

 テレビを流れる映像を睨みながら、ユージンはどこか複雑そうな顔で呟いた。久しぶりに降り立った地球ではあるが、とても満喫できるような状況ではない。戦後の後処理に追われているのもそうだが、それ以上に今は()()()()()()()からだ。

 

「俺たちの居場所が認められるのは別に悪い事でもないと思うが……何か不安に思う事でもあるのか?」

「不安って訳でもねぇけどよ、こんだけ有名になっちまうと相応の振る舞いが求められちまうなと思ってな」

 

 椅子に座って同じくテレビに目をやっていた昭弘に、ユージンはやはり難しい顔をして答えた。

 テレビ画面に映っているのは、どこかの放送局に設えられたスタジオだ。そこには司会と共に多数の有識者たちが集められている。普段は日常の些事から重大事件まで幅広く紹介し議論している彼らが、現在熱心に話し合っている事と言えば──

 

『鉄華団というのは、この数年で急速に事業を拡大している新進気鋭の組織ですよね? 火星の一企業が地球の戦争を止めてしまうなんて、すごい話じゃないですか』

『しかも元はと言えば子供たちが立ち上げた組織らしいですから、単純にすごいと述べる他ありませんよ』

『そもそもからして彼ら鉄華団が名を上げたのも、あのエドモントンでの一件が一因ですからね。ギャラルホルンの独裁に風穴を開けた勢力として、今回の活躍もむしろ納得というものです』

『いやはや、ごもっともですな。鉄華団を語るならやはり悪魔と呼ばれるガンダム・フレームの活躍も外せない訳ですが──』

 

 アーブラウとSAUの二大経済圏の戦争を独自に終結させてしまった、鉄華団についてであったのだ。

 元よりアーブラウにおいて、鉄華団の扱いは決して悪くない。どころかかなり良い。街に出れば鉄華団団員というだけで便宜が図られるし、周囲からも一目置かれることとなる。それに加えて軍事顧問として指名すらされているのだから、むしろアーブラウは一番に鉄華団を買っていたと言っても過言ではないだろう。

 

 だというのに、つい先日に短期終戦を迎えた通称『式典戦争』において鉄華団は独自に動くことでSAUに王手をかけてみせた。つまり、戦争の勝者は誰の目にもアーブラウだと明らかにされたのだ。これの意味するところは非常に大きい。

 まだ戦争の発端になった蒔苗氏が目覚めていない以上、条約など諸々の締結はしばらく後になるのは間違いない。それに加えて勝者のアーブラウも必要以上に敗者であるSAUへと吹っ掛けることはしないだろうが、これで大きく政治的優位に立てたのも確実である。

 

 では、これらの利益はどこから始まったのか? 決まっている、鉄華団だ。彼らが迅速な行動を起こしたことで戦火はむやみやたらと広がらず、また徒に戦争を煽っていた裏切り者も取り除かれた。その裏切り者と組んで鉄華団を裏切った者もいるにはいるが、そのような些末事は鉄華団が成した功績に比べれば微々たるもの。影とは、より大きな光で覆い隠せてしまうのが世論なのだから。

 端的に示せば、鉄華団はさらなる活躍をアーブラウにて繰り広げたのだ。そのせいで元より高かったアーブラウからの評価はうなぎのぼり、ついには連日テレビのニュース番組で鉄華団についての特集が組まれる事態にまで発展したのである。もはやちょっとしたどころではない、有名人ならぬ有名組織の称号を冠している。

 

「今じゃ鉄華団が街に出るだけでもひと騒ぎだ。鉄華団をでっけぇ組織にして、皆が胸張って生きれるようにしてぇと思ってたのによ。こうまでくると逆になんだかなって気分だぜ。チャドが目ぇ覚ましたら腰抜かすんじゃないのか?」

「ふっ、どうだろうな。だけど俺もアイツも元はヒューマン・デブリだったのに、今じゃ蔑まれる事も使い捨てになることも無いんだ。それだけでも十分すぎるさ」

「そうだよなぁ、俺もCGSに反逆かました時は想像もしなかったわ。まさかこんなところまで行きつくとはな」

 

 多くの苦難があり、死別があり、屈辱を耐えて、逆境に立ち向かった。その果てに手に入れたのが今の名誉だと言うなら、これもこれで悪くないと思えるのだ。

 だけど同時に、こうも感じてしまうのだ。きっと団長であるオルガ・イツカは、こんなところで止まらないだろうと。もっともっと先を目指して、三日月と共に断崖すらも飛び越え『上がり』を掴もうとするのではないかと。そう思えてしまって仕方がない。

 

 果たしてどちらの方が賢いと言えるのか、より良い未来と言えるのか。それはユージンには分からない。たぶん昭弘にも分からない事だろう。だけどオルガ・イツカがその先を目指すというなら、自分たちもどこまでやれるか試してみたいという気持ちが湧き上がるのも確かなのだ。

 

「その辺りアンタはどう思うよ? なぁ、今回の活躍の立役者さんよ?」

「ふわぁ……なんですか急に……?」

 

 だからユージンは、これまでずっと喋ることなくソファに寝そべっていたジゼルへと話を振ってみた。

 普段よりも数倍気怠そうな声を出したジゼルは、まるで電池が切れた玩具のようにだらんと力なくソファに横たわっていた。特徴的な赤銀の髪を床に垂らして、非常に眠たそうな顔である。

 

「お前な……いつまでそうも腑抜けた格好を曝してるつもりだ」

「……ジゼルが、満足するまでですよ……久々の戦争に張り切りすぎて、ジゼルは疲れました……」

「確かにアンタの活躍は聞いたが、いい加減にしゃきっとしろよ。もう終戦から何日経ったと思ってやがる」

「その後も事務処理をしてたので、疲労が凄いのですよ……」

 

 金の双眸をクリっと動かし、寝転がりながら疲労を訴える姿は庇護欲を誘う愛らしさがある。しかし、その本性をよくよく理解しているユージンと昭弘はなんら思うところが無い。というより、そうなったら終わりだとどちらも暗に考えているほどだ。

 今回の戦争において、鉄華団の中でもとりわけジゼルが齎した戦果は大きい。裏切り者を暴き、臨時の参謀として真面目に作戦を立て、戦闘においても自ら横入し犠牲を防ぎに行ったというのもタカキから聞いている。これについてはたぶん趣味と実益の一致だろうが、そのおかげで負傷者はいても奇跡的に戦死者は無いのだから何とも言い難い。

 

 そういった理由もあり、二人ともジゼルについて悪感情を抱く余地はない──なんてこともなかった。

 

「疲労が凄いったって、半ば自業自得だろ。分かってるんだぜ、アンタが言葉巧みにタカキたちを戦いに誘導していたのは。上手くいったからオルガも多少の注意で済ませたが、ホントならただじゃ置かねぇ事だぞ」

「……結果オーライ、というやつですよ。犠牲もなく、最大の利益を出すには、それが一番でしたから……」

「もしこれで一人でも犠牲が出てれば、俺はお前を一生恨んでやるつもりだったがな……ったく、やり辛いったらねぇな」

 

 確かに結果だけ見れば、鉄華団に最大のリターンをもたらしたのは間違いない。しかしそのために随分と鉄華団を用いて綱渡りをしたのも事実であり、一つ間違えれば凄まじいまでの犠牲が出ていたのも明白だ。

 結局、自分の欲を満たすために戦争へと誘ったのがジゼルの真実。性質が悪いのは、公的な利益と私的な趣味を高い次元で両立させてしまった事だろう。その上で脳内に描いた図を完全に成立させたのだから、責めるに責められないのも事実である。

 

 目の前の事態への対処が得意な人間は鉄華団にも多くいるが、先の先まで読んで行動できる人材はそうはいない。それができるのは積極的に頭を使っているオルガとユージン、そしてかつての家族であるビスケットだけだろう。

 だから毒皿(ジゼル)を喰らったオルガの判断は正しかった──そう納得する他にない。ユージン達とて、何も彼女が憎くて仕方ないという訳ではないのだ。むしろ感情を度外視すれば頼りになる奴と認めるのもやぶさかではない。ただ、危険性があるから警戒しているという訳で。

 

「それで、確か……鉄華団の行く末についてでしたっけ?」

「おう、そうだよ。つーかしっかり話聞いてんじゃねぇか」

「眠たかったので……聞いていない振りをしてました……」

 

 相変わらず意図の読み取れないマイペースさを発揮するジゼルである。

 彼女は今も点いたままになっているテレビへと視線をやると、そこに答えがあるかの様に意味深な笑みを浮かべた。

 ニュース番組の内容はいつの間にか変わっている。鉄華団の次に選ばれた内容は、これまた関りの深いギャラルホルンの腐敗について。とり分け大きく取沙汰されているのは、ギャラルホルンを仕切るセブンスターズだ。

 

『今回の戦争、ギャラルホルンを牛耳る七貴族たるセブンスターズが裏に関与していたという噂がありますが……』

『それはまだ噂に過ぎぬ段階ですよ。確たる証拠も無しに口にして良い言葉では──』

『しかし火のない所に煙は立たぬとも言いましょう。特にアーブラウに取り入って戦争を指揮していたという人物の存在は確実視されている以上、そこから何らかの事実が漏れ出すのも確かです』

『全てはギャラルホルン側の発表を待つことになるという訳ですな。さて、どのような答えを返してくれるやら』

 

 そのまま有識者たちの議論が始まった番組から視線を外して、ジゼルは真っすぐユージンたちを視線で射貫いた。

 さっきまでの気怠い雰囲気は何処へやら、いつも通りに平坦なハッキリとした声音だ。

 

「地球における四大勢力の二つが起こした戦争は、どれだけ小規模なものであったとしても大きなうねりを生み出すものです。そしてうねりとは、乗りこなせなければ呑み込まれてしまうだけ。ましてやその渦中にいた鉄華団は、どうあれうねりの中を進む他にないでしょう」

「つまり、どのみち足を止めてる暇はないって事だな」

「そうでしょうね。そして、世界が混乱すれば戦いもまた終わらない。まさしくジゼルの望む通りです」

「……やっぱ、まだアンタの力を借りるしかないのも確かか。仕方ねぇ、せいぜい大人しくしといてくれよ」

 

 内心でユージンは歯噛みした。

 できる事なら、殺人鬼(ジゼル)の出番はここで終わってほしかったから。有能だが危険でもある、扱いに困る劇薬をこれ以上扱う必要がないならそれに越したことはないのだ。

 しかし彼女は一年半もの時間をかけて、自身の有用さを示してみせた。その能力は、これからも進み続ける鉄華団にはきっと必要なものだろう。それも理解できるから、彼は歯噛みする他ないのである。

 

「俺はたぶん、いつまで経ってもお前を心から信用できる日は来ないだろう。だが、ひとまずお前が家族を犠牲にしない内は何も言うつもりはない。鉄華団の未来の為にも、その力をアテにさせてもらうぞ」

 

 昭弘をしてそう告げる他ないのだから、やはりジゼルはまだしばらくは必要なのだろう。願わくば、出来るだけ戦争などしないで済むように祈るばかりだ。

 ちょうどその時、部屋の扉が開いた。入ってきたのは地球支部の団員、参謀のジゼルと副団長のユージン、そして隊長格である昭弘が一堂に会しているのを見て、やや気まずげな表情である。

 

「えーと、その……ジゼルさんにお客さんですので、呼んで来いってオルガ団長が……」

「客……? ジゼルにですか? 眠いので後回しにして欲しいのですが……誰なのですか?」

「団長が言うには、モンタークっていう人らしいですけど……」

「おいおいそりゃあもしかして」

 

 その名を名乗って鉄華団を訪ねてくるのは一人しかいない。ユージンも昭弘もあの鉄仮面の下に隠れた胡散臭い人物像を思い出してしまい、反射的に顔を顰めてしまう。

 あの男がどのような用件を携えてジゼルを訪ねてきたのかは分からない。だが、無視するよりかはちゃんと出向いた方が良いのは確実と言えるだろう。それこそ人格的にも、立場的にもだ。

 

「……こいつは俺からの助言だが、こればっかりは行った方が良いと思うぜ」

「同感だな。後で面倒なことになるのはお前もご免だろう」

「……わかりましたよ。団長からの指示でもありますし……行けば良いのでしょう、行けば」

 

 こうして、ジゼルは重い瞼を擦りつつ、渋々ながらも身体を起こしたのであった。

 




次回、マクギリス現る。


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#15 伝説を識る者

 ジゼルが部屋へと入った途端、意識せずその男へと目が引かれた。

 オルガと向き合って腰かけているのは、体格の良い身体に流麗な銀髪を誇る見覚えのない青年。どこか爽やかな雰囲気を感じさせる一方で、相貌は無機質な仮面に覆い隠され判別できない。かろうじて見える口元のおかげで、彼がどうやら機嫌が良いと分かる程度しか感情が読み取れない。

 

 間違いなく一筋縄ではいかぬ相手であると悟りつつ、ジゼルはオルガの隣へと腰を下ろした。

 

「……あなたですか。モンタークという方は」

「ああ、そうだよ。初めまして、ジゼル・アルムフェルトよ。私はモンターク、いや──」

 

 モンタークは言葉を切ると、大胆にも仮面を脱ぎ去ってしまう。バサリと銀のウィッグが取り払われ、その下に秘められていた金髪が鮮やかに煌く。

 そうしてモンタークは露わになった碧眼で、真っすぐにジゼルへと視線を流したのだった。

 

「君の前ではこのような仮面など無粋だな。改めて名乗らせてもらおう。私の名はマクギリス・ファリド、ギャラルホルンの地球外縁軌道統制統合艦隊の司令官を務めさせてもらっている。そして何より、厄祭戦の英雄アグニカ・カイエルを誰より崇拝する者でもある」

 

 アグニカ・カイエル。厄祭戦を終わらせた掛け値なしの英雄であり、今の世を支配するギャラルホルンを築いたあらゆる意味で規格外の男。

 傍目からも分かるほどの尊敬の念を籠めて、マクギリスはその名を唱えていた。その途端、無気力で眠たげだったはずのジゼルの瞳がにわかに愉快そうな色を映しだす。

 

「へぇ……これはまた面白い方を連れてきましたね、団長さん」

「連れてきたっつうか勝手に入って来られたって方が正しいんだが……ま、それは良い。ひとまずこいつがアンタの客だ。なんでも、今回の一件でアンタに興味を持ったんだとよ」

「先の名乗りで察しは付いたかと思うが、私は先日起きたアーブラウとSAUの戦争において調停役を務めていてね。その最中に、君たち鉄華団の活躍を目にした。無論、君が操るフェニクスの雄姿もだ。上からになってしまうが、見事な活躍だったと言わせてくれ」

 

 その言葉には社交辞令以上の、本物の賛辞が含まれていた。彼は心から鉄華団の活躍を寿いでいるのだ。

 ひとまず軽く頭を下げた二人を見やってから、マクギリスはさらに話を続ける。

 

「君たちの活躍はアーブラウとSAUの無為な争いを止めただけでなく、ギャラルホルン内の腐敗を炙り出すにも役立ってくれた。そうだな、まずはそちらから入るとしよう」

「腐敗っつーと確か、連日ニュースに取り上げられてるセブンスターズ絡みとかいう……」

「まさにそのことさ。鉄華団を利用し戦火を広げることを企み、逆に利用されて死んでいったガラン・モッサという男。残された彼の機体は、こちらの想定を上回るだけの恩恵をもたらしてくれたのだよ」

「ガラン・モッサ……ああ、あの髭の方ですか。そういえばいましたね、そんな人も」

 

 思い返せばガラン・モッサの最後は、フェニクスのカノンブレードによって機体ごと圧し潰されるという壮絶なもの。最後の最後まで強敵としての存在感を放ち続けて逝った男だ。

 とはいえ手を下した張本人たるジゼルには、『殺し甲斐があってとても良かった』程度の記憶しかもはや残っていないのだが。彼が最後に叫んだ予言めいた言葉も、てんで気にした様子はない。

 その時の感覚を思い出したのか、微かにはにかんだジゼル。可憐な毒花のようなそれをオルガは訝し気に眺め、マクギリスは微笑を湛えてジゼルへと返す。彼もまた愉快で仕方ないといった様子である。

 

「そう、本来ならば彼のMSは取り付けられた自爆装置によって灰と化していなければならない。しかし如何なる理由があったのか、彼は機体を自爆させる前に止めを刺されてしまったのだ。些細な違いだが、先も言った通りこれが大きかった」

「回りくどい話はよそうぜ大将。つまり何が言いたいんだかハッキリしろよ」

「これは申し訳ない、ならば端的に結論から」

 

 そこでマクギリスはいったん言葉を切ってから、

 

「今回のアーブラウとSAUの戦争を裏で手引きしていたのは他でもない。我らギャラルホルンを束ねるセブンスターズの一人によるものであったのだよ」

「なんだと……!」

 

 とんでもない事実である──とまではオルガも言わないし思わない。これまでだって散々ギャラルホルンの身勝手な理屈に振り回されてきたうえ、第一この戦争の目的はギャラルホルンの内情が絡んでいるのではと予想もしていたのだから。

 しかし、予想していたのと実際に悪行を目の当たりにしてしまうのでは、当然ながら反応は違ってきてしまう。団員(かぞく)を戦争に巻き込まれた組織の団長として、どうしても怒りを覚えずにはいられない。

 

「俺たちも、火星から地球にかけて散々そっちのやり口は見てきたさ。だが、にしても治安維持を謳う組織が戦争起こすなんざ筋が通んねぇだろうがよ。こりゃどういうこった?」

「……返す言葉もない、君の怒りは至極まっとうな感情だよ。ギャラルホルンの腐敗も行くとこまで行ったかと頭が痛い想いさ」

「狙いはやはり、あなたとあなたの持つ地位ですか? 革命派の筆頭に立つというなら、それなりに敵は多いとジゼルは考えますが」

「その通り」

 

 ジゼルの確認に嬉しそうに頷いて、組織の腐敗を厭う革命家は言葉を紡ぐ。

 

「今回の戦争を裏で操ろうとしていたのは、セブンスターズの一つであるエリオン家の当主であり、月外縁軌道統合艦隊(アリアンロッド)の総司令官を務める男でもあるラスタル・エリオンその人さ」

「こりゃまた……かなりの大物が出てきたな。まさか月からわざわざ地球にまで介入してくるなんざ──いや、だからこその今回か」

「察しが良くて助かるよ。今の私は地球圏においてそれなりの力を得ていると自負しているが、まだまだ盤石とは程遠い。そこに私ではどうしても解決し辛い大きな案件を放り込めばどうなるか……容易に想像はつくだろう?」

 

 元々、マクギリスが司令官を務めている地球外縁軌道統制統合艦隊はお飾りと揶揄されるほど閑職であった。それがマクギリスの尽力でどうにか名に相応しいだけの力を手に入れたのがつい最近。メキメキと力を伸ばしている手腕は見事であるが、その一方で急速な拡大を厭う勢力もまたあるのだ。

 つまりそれこそ、ラスタル・エリオン率いるアリアンロッドである。ギャラルホルンの中でも保守派に位置するこの男は、革命派のマクギリスが力を握っていくのが面白くない。そこでマクギリスの管轄圏である地球へ戦争をもたらすことにより、これをいつまでも解決できないマクギリスを追及して信用を失わせるというマッチポンプに出たのである。

 

 しかも戦争を起こすための武力の保有を許したのすら、元を辿ればマクギリスの打ち出した政策に行きついてしまうのだ。政治に携わる老獪な男が、これを利用しない手はないだろう。

 

「そこでラスタルは、自らの懐刀をアーブラウへと派遣した。誰あろう、ガラン・モッサの事さ。彼は実際非常に優秀な男でね、もし君たち鉄華団が居なければ確実に彼の術中に嵌まっていたことだろう」

「でも、鉄華団の介入によってそうはならなかったと」

「……白状すれば、私にとって運命すら感じさせる巡り合わせだったさ。かつてアグニカ・カイエルと共に戦場を駆けた伝説の存在が、今この時蘇ることで私の力となってくれたのだから」

 

 やはりアグニカ・カイエルの意思は正しきギャラルホルンを望んでいるのだ──自信に満ち溢れた論調で、マクギリスは締めくくったのである。

 話している内容は真っ当であるはずなのに、どこか恍惚とした表情で伝説を語るその奇怪な姿にはさしものジゼルも無言である。むしろ「え~……」と少し困惑した様子を見せてから、距離を取るようにオルガの方へとにじり寄ったほどだ。

 

「別に、ジゼルはあなたの為に戦った訳では……」

「おう、そうだぞ。コイツにそういう殊勝な態度求めても無駄っつうか……」

「いや、良いのだ。例えそれが偶然であろうとも、救われた事実は純然たる記録として残るのだ。それこそ、何にも勝る我らの因果というべきものではないかね?」

 

 弁明するように放たれた言葉にも、いっさい構うことは無く。

 いつの間にこうも訳の分からないキャラになったのか、さっきまでの胡散臭さは何処へ行ったと呆れる二人。互いに顔を見合わせて、”これ以上はやめておこう”とアイコンタクトを交わす。この手の妄信している相手には何を言っても無駄と言うのはよくわかっているのだ。

 それを知ってか知らずか咳ばらいを一つした後のマクギリスは、普段のように胡散臭いながらも真面目な人物に戻っていたのだった。

 

「さて、少々脱線してしまったが話を戻そう。ラスタルの私兵というべきガラン・モッサであるが、当然のように警戒心は人一倍強い。ラスタルに繋がる情報は自身の頭と機体にのみ保存し、それ以外には仲間であろうと決して口外しなかった。そのうえ機体にも自爆装置を仕込んでいたのだから、見上げた覚悟という他ない」

「なるほど、そっからさっきの話が出てくる訳か」

「そう、ガラン・モッサは()()()()()()()()。果たしてそこの彼女がどのような策を講じたのかは知らない。だが、機体とその中の情報はしっかりと残ったのだ。つまりラスタル・エリオンに繋がる情報が出てくるとみて間違いないだろう」

「……ジゼルはコクピットをしっかりと破壊しましたが大丈夫だったのですか?」

「幸いにもメインとなるソフトウェアは無事だったさ。ふっ、やはりアグニカ・カイエルの懐刀は格が違うと言わせてもらおう」

「はぁ、そうなのですか……?」

 

 ラスタル・エリオンとガラン・モッサの繋がりが暴かれれば、個人的利益を求め意図的に戦争を起こしたセブンスターズとして、空前のスキャンダルとなるのは間違いない。どこまで火種が大きくなるかは定かではないにしろ、まず確実に総司令官という椅子には座っていられなくなるだろう。

 それは翻って、彼と敵対の構図を取っているマクギリスの有利に働く。目下マクギリスの最大の敵はラスタルなのだ。最大の政敵が失脚してしまえば、後は着実に力をつけてギャラルホルンを改革してしまえばそれで良い。

 

「私はこのままギャラルホルンに革命をもたらし、今の腐敗を一掃してしまう腹積もりだ。そのために大きな手札を手中に収めた訳だが……しかしまだ不安もある。盤石を期すなら、君たち鉄華団の力を是非とも借りておきたいのだよ」

「……どうしてアンタはそうまで俺たちと組もうとすんだ? 確かに昔に比べりゃ段違いに大きくなったが、それでもギャラルホルンとやり合うにはまだまだ足りなすぎんぞ。そこはちゃんと理解してんだろうな?」

「もちろんだとも。君たちの規模、強み、そして弱みまで全てを考慮した上で、私の心情が鉄華団を気に入っているのだから是非もあるまいよ」

 

 かつて、火星軌道上で初めて鉄華団を見た時の事だ。ガンダム・フレームの一機を頼りに宇宙に上がった若者たちの姿に、マクギリスは自身の信奉する伝説の再来を重ね見た。

 この者たちこそ信頼するに足る力の持ち主となるのだと、内心で歓喜に震えあがったのだ。

 

「あの時垣間見たガンダム・バルバトス……その姿はまさしくアグニカ・カイエルの再来だった。そして今、何の因果か君たちは三機のガンダム・フレームと一人の生き証人を抱えている。まさしくこれ以上ない証明と言えるだろう」

「何を言っているのかよく分かりませんが、とりあえず一つ訊かせてください。どうしてあなた、ジゼルが過去の人間だと知っているのですか? 団長さんがそう簡単に打ち明けるとも思えませんし……」

「簡単な事だよ。私は幾度となく、それこそ一言一句暗記するほどまでにアグニカ・カイエルの書物を読み耽ったが、そこには殺戮の化身たる鋼の不死鳥の名が記されていた。曰く、最美にして最悪の懐刀だとか。そしてその者の名を、ジゼル・アルムフェルトといったらしい」

「なるほど、つまりアンタは俺が漏らしたフェニクスとジゼルの二つからそこまで行きついたと。とてもじゃないが正気じゃできねぇ発想だな」

 

 賛嘆と皮肉の入り混じったオルガの評価だが、無理はない。普通ならばMSパイロットの名など偶然の一致だと考えるし、過去からやって来た存在だと即座に結び付けられるはずがない。

 それが出来てしまうというのはすなわち、強く強く英雄の再来を望んでいたということ。マクギリスが妄信的なまでにアグニカ・カイエルの伝説にのめり込んでいるという事実を如実に表しているのだった。

 

「私からジゼル・アルムフェルトへ頼みたいのはつまりそのことなのだよ。是非とも厄祭戦の生き証人である君の口から、アグニカ・カイエルという男について語ってほしい。そして願わくば、力をもって自身の欲を貫いたという君の生き様も、可能な限りで聞いてみたいのだ」

 

 力を信奉し力をもって大義を成そうとするマクギリスにとって、()()()()()()最低最悪と言われながら、圧倒的な力だけで自由を勝ち得たジゼルの存在はあまりに大きい。最悪と言われた裏でどのような想いを抱いていたかまでは分からないが、それでもなお傾聴に値するだけの価値があるのだ。

 

 だがその前に、とマクギリスは一息おいてオルガへと視線を向けた。

 

「先にオルガ団長の答えを聞こうではないか。そうだな、もし私がギャラルホルンを掌握した暁には君たちに火星の統治権を丸ごと譲ってしまおうと考えている」

「統治権丸ごとだと……! そりゃつまり──」

「君たち鉄華団がギャラルホルンとなり、そしてオルガ団長は火星の王となる。どうかな? ギャラルホルンと戦う危険に見合うだけの報酬はあると思うが」

「そりゃ確かに魅力的だが……スケールがでかすぎてピンとこねぇよ……」

 

 かつては虐げられた参番隊の少年兵隊長。そこから鉄華団を起こし、苦難を乗り越え、一大組織の団長として風格を得るに至った。そんな途轍もない昇り竜を体現してみせたオルガであっても、さすがに火星の王と言われて「はいそうですか」と頷けはしなかったのである。

 きっとマクギリスはそのようなオルガの葛藤などお見通しであったのだろう。結論を急がせることは無く、自身は優雅にジゼルの方へと意識を切り替えた。

 

「さて、オルガ団長が答えを出すまでの間に、私にも厄祭戦を教えてはもらえないだろうか? 君たちの事だ、既に一度は厄祭戦についても話しているのだろう? それをそのまま教えてくれればそれで良いとも」

「随分と察しの良い方です……わかりましたよ、団長さん達に話した内容で良ければ。はぁ、面倒です……」

 

 ため息を一つ吐いてから、現状を再確認。目の前には「ついに私も生のアグニカに触れることが出来るとは……!」と感極まった様子の金髪イケメンが一人。

 自他ともに狂人と認めるジゼルですら、今の彼はちょっと変な人だと認めざるを得ない程である。

 

「……まぁ、ジゼルも彼の良さは知っているつもりですから、理解はできますよ」

「ほう、やはり君にも分かるかね? 素晴らしい、やはり私の見込み通りだ。かの英雄を知る者ならば彼を讃えずには──」

「人が話す時は静かにしていてください」

「ふむ、良いだろう」

 

 やっぱり一筋縄ではいかない相手──ジゼルはそう確信して、渋々ながら重い口を開いたのであった。

 




次回はまた厄祭戦の独自解釈を多分に含みそうです。

それにしてもポケモンUSUMのベテラントレーナー♂、前々から誰かに似てると思ったらこれ髭のおじ様だ……


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#16 厄祭戦の記憶

 さて、まずは何から話したものでしょうか、前にも一度した事とはいえ、慣れないことは難しいです。

 そうですね、あなたはジゼルについて知りたいとも言っていましたから、先にジゼル自身の前提を話してしまいましょう。

 大丈夫ですよね、団長さん? ……どうやら平気みたいですので、告白してしまいましょう。きっと驚くでしょうが、この話は他言無用でお願いしますね。

 

 ──ジゼルは、人を殺すことに快感を覚える人種なのです。

 

 はい、人並みに趣味も欲求もありますし、好きな事だってありますが、それを差し置いて殺人が好きで好きでたまりません。何と言いますか、個人が長年をかけて積み上げた人生を一瞬で台無しにする感覚が快感となるのですよ。

 色んな人から『お前はおかしい』と指摘されますが、それはジゼルも同感です。だけど、そういう星の下で生まれてしまったのですから、そんな自分と上手く付き合えるようにジゼルも努力しています。おかげで今はすっかり人殺しが生きがいとなってしまったのですから、万事良しというやつでしょう。

 ……ここまで話しておいてなんですが、あまり驚いた様子がありませんね。

 もしかして、これも予想していましたか? ……なるほど、そうらしいですね。なら好都合ですし、改めて本題に入るとしましょう。

 

 殺人欲求を堪えきれないと考えた当時のジゼルが、アグニカ・カイエルの立ち上げた組織へと身を投じたのは、厄祭戦も末期に差し掛かった頃でした。もちろん末期というのは今の時代の物差しがあるから言えることで、当時はまったく終わりが見えない陰鬱な空気が漂っていましたが。

 ええ、本当に酷い時代でしたよ。人類の行き過ぎた叡智は凄惨な戦争を引き起こし、果てにMAという効率的に人を殺す為の機械を生み出しました。この辺りはギャラルホルンのあなたなら詳しいでしょうし、省略してもいいでしょう。ともかく、人間同士の始めた争いはいつの間にかMAまで参加して、結果としてそこら中で死と退廃と暴力がばら撒かれていたのが三〇〇年前であったのです。

 

 この状況に我慢ならないという正義心と、あらゆる不可能を可能としてしまう才能を抱いた男が一人いました。

 もうお判りでしょう? それこそがアグニカ・カイエルという英雄だったのです。

 

 ()()()()が立ち上げた独自組織『ジェリコ』は、混沌の世の中で異彩を放っていました。聖書より拝借した壁の名を冠したこの組織は、厄祭戦という黄昏の中でひときわ強く輝いていたものです。瀬戸際で戦場とならなかった恵まれた国や、土地を焼かれて荒れ果てた国まで、出自を問わずあらゆる人材を集めて成り立っていたこの組織は、厄祭戦という無秩序な戦争を止めるために精一杯戦っていました。彼らこそ、人類を救うための最後の砦、希望だったのです。

 ……どうしてそのような崇高な組織に、殺人狂のお前が入れたのだという顔ですね。分かりますとも、団長さんや副団長さんにも同じ顔をされましたから。ジゼルだってちゃんと学習してるんです。

 

 さて、地球規模で起きる国家間の争いと、MAによる虐殺を終わらせるためには、当時のジェリコは圧倒的に人材が不足していました。先ほどの言葉とは矛盾に感じるかもしれませんが、これは順序が逆だからです。あらゆる国から人材を募っていたのは、つまるところ人材不足によってやらざるを得ない事だったのですから。

 そしてジゼルは、幸いにも実家は裕福な方でした。お金もありますし、高等な教育だって受けれました。だけど誰かを殺す為には不自由すぎる生活で。だから思い切って家出したジゼルは、ジェリコの門扉を叩いてみたのです。

 

 人手不足だったジェリコは少しでも多くの人材が欲しくて、戦ったことのないジゼルですら訝しみながらも迎え入れてくれました。その裏にはジゼルの出自や、若い女としての下卑た価値を見出したという理由もあったのでしょうが、別にどうでも良かったです。むしろ複数人に強姦されかけた時など、逆に殺す大義名分が出来て喜んだくらいですし。

 

 ──だからそんなに深刻そうな顔をしないでくださいよ二人とも。今のはちょっとした笑い話ですよ?

 

 幸いにして、ジゼルには殺人の為の才覚が備わっていましたからね。どうすれば効率的に人を殺せるか、考えて実行するのに不足しない心体を持って生まれたのは幸運でしたとも。

 

 そして何より、あの頃はいくらアグニカが不戦を訴えても戦争を止めない人間も多かった都合上、武力行使をする相手には事欠かなかったものです。組織に携わる一兵士として時には銃で、時にはナイフで、そして時にはMSで、あらゆる手段でアグニカに敵対する人たちを殺して殺して殺し尽くしましたよ。今ふり返ってもとても良い思い出ですよ。

 

 ……ふふっ、あなたにとって彼らはどう映るでしょうか? 

 アグニカ・カイエルの言葉に従わない人間など死ねと思いますか? 

 それとも、彼らもまた時代の狂気に飲み込まれた被害者だと考えますか? 

 答えは人それぞれですから、ジゼルも別に訊く気はありませんがね。

 

 ただ、気づいていますか? あなた、頬が少し緩んでいますよ。意識した方がよろしいかと。

 

 ともかく、ジェリコの中でそれなりに力を見せる事が出来たジゼルは、ついにアグニカのすぐ近くまで取り立てられました。その時にはもうジゼルの殺人趣味は露見していましたから、誰もが彼の行動に驚きましたよ。しかも、当時開発されたばかりの最新鋭機たるガンダム・フレームの一機を譲るほどの好待遇。さすがのジゼルもびっくりしました。

 

 でも、彼にはそれを躊躇う理由などどこにも存在していなかったのです。

 あなたも知っての通り、アグニカは実力主義者です。有能であるならば出自や人格、それから趣味嗜好についても頓着しません。どれだけ問題児であっても、彼のカリスマ性は全ての人間を従えさせてしまうのですから。

 

 随分と嬉しそうですね。ええ、もちろん嘘はついていませんよ。誇張無しに、アグニカは非常に優秀な方でした。多種多様な理論を学び、よく情勢を読んで、だけどその場の勢いや流れすらも味方につけて、どのような苦境でもその身一つで切り開く。豪放磊落だけど、冷静沈着な人柄も併せ持つ彼は魅力に溢れていました。特にバエルに乗り始めてからは、より顕著になりましたとも。だからこそ、彼の背中に着いていきたいと願う者たちがあまりに多く存在したのでしょう。

 ジゼルもアグニカの隣で戦うのは好きでした。だって彼は、あの時代においてただ一人ジゼルの事を信頼してくれたのですから。理解の及ばない相手を異端と遠ざけ理解を拒む、それは仕方のない事です。だけど彼は、それがどうしたとばかりにジゼルと向き合ってくれました。理解する努力も放棄して忌避するなど、それは他者に示せる力のある者がやることではないと。豪快に笑ってくれたのです。

 

 最後の一線をまだジゼルが越えていないのも、きっと彼のおかげなのだと思います。

 

 さて、アグニカは掛け値なしの英雄でしたが、その代償に敵もまた多くいました。それはMAだけでなく、人間もまた同様です。巨大なカリスマは多数の光をもたらす一方で、強烈な影を生み出しますから。強大すぎる者への妬みや僻み、恐れや不満、そういった負の感情はかつてより存在した巨大な国にこそよく見られました。

 

 こんなぽっと出の組織に面子を潰されて堪るか──彼らの言い分はこのようなものでした。

 馬鹿らしい、浅はかな考えだと思いますか? 

 泥沼な戦争のさなかに、そのような些細なプライドにかかずらっている暇があるのかと思いますか? 

 でも、人の心理とはえてして屈折しているものです。時にそれは、理屈の通らない不条理な行いを生み出すものですから。

 

 彼らは激化する厄祭戦の中で、戦争を終わらせようとするジェリコにすら攻撃を始めました。敵の隣で敵を相手取って、そのまた敵はあらゆる全てをなぎ倒して漁夫の利を得ようとする。誰も彼も戦争の熱と狂気にあてられた、人間の醜さを凝縮した絵図がそこにはありました。

 ジゼルの主な仕事は、まさにそんな彼らの鎮圧でした。アグニカはこれこそジゼルを効率的に用いる最良の手段だと見抜いていたのでしょう。はい、全くもってその通りです。フェニクスと共にいったいどれだけの人間を殺したか、ジゼルも覚えていないくらいですし。とってもやり甲斐がありましたよ。

 

 ああ、一つ言い忘れていましたね。ジゼルは軍の命令に背いて殺したことは一度だってありません。全てはアグニカによる指示のもとで、殺せるだけ殺しました。ジェリコの中にはジゼルを良く思わない人間も少なからずいましたが、実力と成果さえあれば咎められないのもアグニカの計らいでしたね。

 

 ……あなたならば、今の話で理解できたことでしょう。ええ、アグニカ・カイエルといえども、決して根っからの善人ではありません。戦争地帯に殺人狂を放り込めばどうなるか程度、予見できない訳がない。それを承知でジゼルに行けと命じたのですから、彼も彼で悪辣なところはあったのだと思います。純粋な力で物事を解決するというのは、つまりそういう事なのです。

 

 ──大義を成すには、まず自分の悪性を承知しなければならない。これはアグニカが良くジゼルに話してくれた言葉ですね。

 

 だけど厄祭戦を止めたいという気概は本物で、そのためにはあらゆる手を考慮しては尽くして、絶対に足を止める事だけはしませんでした。彼の心の中には、常に莫大な正義の炎が燃えていたのです。最初期のガンダム・フレームだけあってごくシンプルな機体であったはずのバエルが、ジェリコの象徴とされるまでの活躍をしたのも、紛れもなくパイロットの力あってのものでしょう。

 およそあらゆる戦場の最前線を駆け、絶望的な状況をひっくり返し続けたのがアグニカです。特にMAの討伐に関しては右に出る者がいなかったアグニカは、最期には選りすぐりの戦友と共にほぼすべてのMAを討伐してしまいました。ジゼルも二機か三機ほどMAは狩りましたが、彼ほどの手練れには永劫なれる気がしません。それくらい見事な手腕でしたとも。

 

 熾烈を極めた厄祭戦は、MAの根絶によって急速に終わりへと近づきました。その頃には戦争をしていた国々も疲弊しきっていたので、ジェリコの傘下にポツポツと入り始めて。血で血を洗う凄惨な戦場も、徐々に熱気が冷めていくのを肌で感じ始めた頃。

 

 満を持してアグニカが出した声明に世界が応じた事で、二十年にも渡り続いた厄祭戦はついに終結したのでした。

 

 ◇

 

 長い長い語りが終わって、ジゼルはほうと吐息した。喋り続けて喉が渇いたのか、テーブルに置いてあった飲み物を図々しくもオルガの分まで飲み干してしまう。何となくそうするだろうと考えていたオルガは、それをわざわざたしなめはしなかった。

 喉を潤したジゼルはぺろりと唇を舐めてから、感極まった様子のマクギリスへ静かに微笑みかけた。

 

「さて、どうでしたか? ジゼルの語れる範囲でアグニカ・カイエルと、それからジゼル自身について語ってみたのですが」

「……素晴らしい」

 

 一つの感情が極限にまで磨き上げられた時、それを盛る為の言葉(うつわ)はひどく陳腐になるという。

 だからマクギリスの短い呟きは、まさしく彼の内心をこれ以上なく映し出してくれていた。

 

「書物だけでは決して知りえない、アグニカ・カイエルの抱いた熱というのを感じられたよ。ああ、まさしく至福の時間だった。私の憧れは、やはり誇張など微塵もない正当なるものであったと安堵するばかりさ」

「なら良かったです。ジゼルもお世話になった人を悪く言われるのはあまり面白くないので」

「そのようなこと、とても出来はしないとも」

 

 訊きたいことがあるのだが良いだろうか? とマクギリスが丁寧に問うた。

 ジゼルがコクリと首を縦に振るのを確認して、彼は改めて言葉を昇らせた。

 

「ギャラルホルンにおいて、バエルにはアグニカ・カイエルの魂が宿ると言われ敬われる。君はこれについてどう考える?」

「どうもこうもないかと。バエルが凄いのではなく、アグニカ・カイエルが凄いというだけの話でしょう。今の逸話にもその思惑が見て取れますよ」

「……では訊くが。もし現代にバエルに乗れる者が居たとしたら、その者はどうなる? ギャラルホルンを掌握できると思うかね?」

「おい、まさかアンタ……」

 

 何事かを察した様子のオルガが険しい視線をマクギリスへと浴びせた。彼が何を目的として今の問いを投げかけたのか、それが見えてしまったからだ。

 だけどジゼルは片手を挙げてオルガを制すると、普段よりもどこか呆れの混じった口調で答えを返したのである。

 

「先も言った通りです。バエルが凄いのではなく、アグニカ・カイエルが凄いのです。もし誰かがバエルに乗ったところで、伝説の英雄が駆った機体を操るという以上の意味は持てませんよ」

「だがギャラルホルンには『バエルに乗る者こそギャラルホルンの頂点に立つ者』と定める規律がある。君の理屈はこれと反するのでは?」

「……それはそうかもしれません。ですが、今の世の中では正しい理屈こそ通らないというのを誰より知っている者こそ、あなたではないのですか?」

「──ッ!? それ、は……」

 

 胡散臭い笑みすら忘れて呆然としてしまったマクギリスを見て、これは痛い所を突かれたな、なんて呑気な感想をオルガは感じてしまった。傍目から見ている分には、どちらの言も興味深いことばかりだからだ。

 マクギリスのいう事が確かならば、これ以上ない改革の大義名分が手に入ることだろう。バエルを知るジゼルを乗せるなり、どうにかしてマクギリス自身が乗るなりすれば、それで終わりだ。これ以上ない簡潔かつスマートな革命方法に違いない。

 けれどそう、今の腐敗したギャラルホルンがそのような曖昧な規律に従うとは限らない。いやむしろ絶対に従わないのは目に見えている。腐敗をどうにかしたいと願った者が、腐敗した組織の規律に頼るなど矛盾した行いでしかないのだから。

 

「……アグニカ・カイエルという英雄はバエルを用いてギャラルホルンを立ち上げ、頂点に君臨した。だからこそ英雄と同じだけの力を手に入れることは、すなわち英雄という存在になれることだと私はずっと考えてきた。しかし君は違うと言うのか?」

「大前提としてあなたは、アグニカ・カイエルではありませんよ。だけどマクギリス……えーと、ファリドさんでしたっけ? あなたは別にアグニカの威を借りずとも、己の力で今の地位に這い上がってきたのではないのですか? 殺すことしか能のないジゼルからすれば、あなたもアグニカと同じだけ立派で、尊敬に値する人ですよ」

 

 それは純粋な賞賛の言葉であった。ジゼルにしては珍しく、心から他者へ尊敬の念を示している。

 果たしてその言葉にマクギリスは何を感じたのか。先ほどまでの無心となった様子から一変して、面貌には活気ばかりが満ち満ちている。

 

「そうか。ああ、その言葉を貰えただけでも、今の私には過ぎたものだ。この歓喜は胸に刻みこむとしよう」

 

 懐から小さな包みをいくつか出して、テーブルへ乗せた。見ればそれらは一口サイズのチョコである。

 

「今の私からはこの程度の礼しかできないのが心苦しいが、せめて貰っておいてくれ。それと、とても有意義な時間をどうもありがとう。だが私にはやるべきことが見つかったのでね。急で申し訳ないが、ここらで失礼するとしよう」

「おい、さっきの件は──」

「また後日、ゆっくりと話し合わせてくれ。今はもう一度、全てを見つめなおす時間が欲しいのだ」

「ちっ、わーったよ。気が済むまで熟考して、いい考えを頼むぜ」

「任せておいてくれ」

 

 すっかりいつもの胡散臭い笑みを浮かべ、これまた信用し辛い承諾の言葉を爽やかに残して、マクギリスは退室していった。余韻を一切感じさせない退場にはジゼルもオルガも言葉が見つからない。

 それからオルガは先ほどの意趣返しとばかりにチョコを一つほおばると、大きく伸びをしてリラックスした体勢を取った。彼も緊張していたのだろう。

 

「……ま、正直助かったぜ。火星の王だなんて急に言われても、とてもじゃねぇが決められねぇよ。もっといろんな奴と相談して、それから返事をしたいからな」

「そうですね、副団長さん達みたいな、信頼できる方々にはまず話を通しておくべきです。独断で決めるのは良くないでしょう」

「アンタの意見も訊きたいが、もちろん構わないよな?」

「信頼できる方々、と言ったはずですが?」

「おう、元からそのつもりだ。何度も言ってることだ、あんま言わせんなよ」

 

 何の迷いも見せず即答したオルガに、ジゼルは静かに俯いた。誤魔化すように彼女もチョコを頬張ってから、今更のように味覚が機能していないことを思い出す。それでももごもごと口を動かして、噛み締めるように呟いた。

 

「目覚めて最初に出会ったのがあなたで本当に良かったです、オルガ団長。信頼されるとは、やっぱり良いものですね」

 

 口内で溶けたチョコは、何故だかほんのりと甘いような気がした。




うーむ、難しい……

次回はそろそろタカキたちの描写をしたいと考えているのですが……さてどうしたものか。


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#17 今後の行く末

今回は比較的息抜き回です。


 アーブラウとSAUの戦争、通称『式典戦争』が終わってから今日でもう二十日が経過した。次第に戦時下特有の緊迫した空気が溶け去っていく一方で、逆に人々の記憶に残りすぎて苦労しているのが鉄華団だ。先の式典戦争においては中心的な活躍を果たし、また喧伝の意味もこめて大々的にメディアに取り上げられた彼らは、名が売れすぎたおかげで嬉しい悲鳴を上げている有様である。

 軍事顧問として義務を果たし、唾棄すべき戦争を独自に動く事で早期に終結させた素晴らしい組織──それなりに誇張も入っているが、おおよそ世間一般での評価はこんなところだ。その持ち上げぶりに誰もが喜ぶよりもまず困惑してしまうのは、これまで自分たちがそれほどまでに賞賛されたことなど無かったからだろう。

 

 そしてその困惑とは、なにも団員たちだけに限ったことでもないのだ。

 

 ◇

 

 鉄華団の者たちが戦う理由は様々だ。より良いゴールに辿り着きたいから、他に行く場所がないから、急成長している組織で働きたかったから、など理由は多岐に渡る。

 だがその中には自分のためというよりも、他者の為に鉄華団で働いている者も当然いる。特に幼い家族に真っ当な教育を受けさせたいという願いを持つ者は多かった。

 

 ──タカキ・ウノの妹であるフウカが地球で学校に通えているのは、まさにその願いを叶えることができたからと言えよう。

 

「それにしても驚いたよお兄ちゃん、まさか正門に直接乗り付けるなんて。すっごく恥ずかしかったんだからね!」

「あ、あはは……俺もまさかあんなに目立つなんて思ってもみなくてさ……」

 

 颯爽と路上を走る一台の車は、鉄華団がアーブラウより借り受けている黒塗りの高級車だ。その後部座席に座っているタカキは、同じく隣に座っている妹のフウカの言葉に苦笑いするばかりである。

 元々、学校の近くでフウカを拾うのは予定通りだった。ただそれが思った以上に目立つ結果となったのは完全な誤算である。原因は八割方、しれっと無表情をしている彼女だ。

 

「確かに驚きましたね。まさか待っているだけであそこまで人が集まるとは。鉄華団のネームバリューも大したものですよ」

「いや、アンタがあんなところでハーモニカ吹いてたせいもあるだろ。皆アンタの方ばっか見てたぞ」

「おや、そうなのですか? 全然気が付きませんでしたよ」

 

 そして前方で会話しているのは、荷物を抱えて助手席に座ったアストンとハンドルを握ったジゼルである。相変わらずのマイペースさに思わず頭を抱えるアストンを尻目に、ジゼルはといえば今時珍しいマニュアル式の車を事も無げに操っていた。

 少々珍しい組み合わせの四人組、どころかジゼルとフウカに至っては顔を合わせた時に行った自己紹介が初対面である。にもかかわらずこうして同じ車に乗っているのは、つい先日に目が覚めたばかりのチャドのお見舞いという共通の目的が有るからであった。

 

「チャドさん、早く元気になると良いね」

「団長の話だとあと二日もすれば退院できるみたいだから、もうほとんど元気じゃないかな?」

「もう、お兄ちゃんったら、そういう問題じゃないの!」

「……つまり気持ちが大事ってことか?」

「いえ、まだ入院してるから元気と言い辛いだけでは?」

「アストンさん正解! ジゼルさんは合ってるけどやっぱり違う!」

「あはは……うん、フウカはしっかり元気みたいで安心したよ」

 

 先日の式典戦争の発端は、文字通りに式典を狙って起きたテロによるものだ。その際に負傷した地球支部責任者のチャド・チャダーンは意識不明の重体であったのだが、ついに意識を取り戻したのが一昨日の事なのだ。

 当然、オルガたちは回復を喜び次の日にはすぐさま見舞いに向かった。タカキたちももちろん見舞いに行こうとしたのだが、昨日は各々の都合が合わず行けなかったのだ。それで予定がずれて一日遅れとなり、ついでにいつまでもだらけていたジゼルはタカキたちの送迎役となった次第である。

 

 この珍しい取り合わせはそのような事情が絡み合って出来た訳だが、意外とこれはこれで悪くないとタカキは感じていた。初対面のはずのフウカとジゼルが、案外と上手くやれているのが一番の要因だろう。ジゼルの本性の一端を知っているタカキからすればハラハラする組み合わせも、同じ女性同士で気安い関係性を生む一因となったようだ。

 

「ジゼルさんってどこでハーモニカ習ったの? 私たちも鍵盤ハーモニカとかは授業でたまに扱うけど、あんなに上手な人って先生にもいなかったよ」

「ほとんど独学ですね。本を読んで基礎の基礎を知って、後はひたすら吹き続けました。ひどい時は一日中吹き続けてしまい、唇の感覚がなくなったこともありますよ」

「そんなに吹き続けられるなんてすごいなぁ……あ、でももう正門の前でハーモニカ吹いちゃ駄目だからね! さっきアストンさんも言ってたけど、すっごく目立ってたんだから!」

「……一応、善処はいたしましょう」

 

 頬を膨らませたフウカが言っているのは、学校終わりの彼女を車で迎えに行った時のことだ。ジゼルは当然の権利とばかりに学校の正門傍に車を近づけた挙句に、暇だからとハーモニカまで吹き始めたのである。その笛の音とついでに美貌で多くの者たちの視線を引き付け、しかも鉄華団のジャケットを羽織っている訳だから当然目立つ。

 そのおかげで一緒に待っていたタカキたちまで巻き込まれ、恥ずかしいやら照れくさいやらなった挙句に、ジゼルは我関せずと吹き続けての知らん顔である。この時ばかりは彼女のマイペースぶりを恨みつつも羨ましく思ったものだ。

 

 このように非常に衆目を集めている中で、わざわざ彼ら彼女らと共に行かなければならないフウカの羞恥心は、推して知るべしというものだろう。

 

「それにしても、ジゼルさんもお見舞いの品を持ってくるとは思ってませんでした。てっきり俺らの足代わりだけとばかり」

「……なんだか失礼なことを言われた気もしますが、否定はできませんね。でも、今回はちょっとばかし事情がありまして」

 

 助手席のアストンが抱えている小包は、なんとも意外な事にジゼルからの見舞いの品であるらしい。普段の彼女を見ている限り、そういった気遣いにはあまり頓着しないタイプだと考えていたので驚いたのだ。

 それがいったいどういう風の吹き回しなのか、タカキだけでなくアストンも気になっていたのだろう。不思議そうにしげしげと包みを眺めている。

 

「ああ、それは別に特別なものではありませんよ。ただの香辛料の詰め合わせですからね。アーブラウで入手できるものを詰め込んだお徳用パックです」

「……なんだそりゃ」

「まあ、()()()()()()()()()のですがね、彼には少々迷惑をかけたのでその謝罪の気持ちですよ。ジゼルお気に入りの辛味です」

「私、辛いの苦手だなー……」

 

 色々とツッコミどころはあるが、タカキが気になるのは”迷惑をかけた”という部分だ。人物はどうあれ真面目に働いていた彼女が、何かチャドさんの足を引っ張る真似でもしたのだろうか? 疑問ではあるが、人の失敗を問いただすのも良くないだろうから、それ以上の追及はしなかった。

 と、車に備え付けられたナビがピコンと軽快な音を発した。見れば、目的地であるアーブラウ総合病院はすぐそこであるらしい。車の旅も気がつけばあっという間なものだ。

 

 ゆっくりと車が駐車場に入る。クラッチを浅く踏みつつ慎重に駐車を行い、しっかりエンジンを切ってからジゼルが一言。

 

「さてと、無免許でしたが何とかなりましたね。警察……じゃなくて、ギャラルホルンに捕まったらどうしようかと思いましたよ」

「え……」

「あの、免許持ってないんですか……?」

「とっくの昔に有効期限が切れてますが、なにか?」

「嘘だろ……」

 

 ──帰りは電車で帰ろう。そう誓った三人であった。

 

 ◇

 

 受付でチャド・チャダーンの見舞いに来たと告げれば、すぐに部屋番号は教えてくれた。昨日の今日で鉄華団がまたも面会に来た形だからか、既に対応も慣れたものであったらしい。

 またも周囲からの好奇の目線を浴びつつ、清潔な院内をしばらく歩けば、そこはもうチャドの病室であった。

 

「もういつでも歩けるのに皆にわざわざ来てもらうなんて、なんか悪いっていうかな。もうすっかり治っちまったのにさ」

「いえ、チャドさんが回復してくれて俺たちもホッとしましたよ。もし何かあったらどうしようかと」

「ははは、大変な時に悪かったよ。俺の代わりに頑張ってくれてありがとな、タカキ」

 

 穏やかに笑うチャドは簡素な病人服にこそ身を包んでいるが、既にほとんど外傷は見えなかった。すっかり元通りの姿であり、本人が言う通りベッドから起きる事など容易いことなのだろう。

 その元気な姿を見て、タカキもようやく肩の荷が下りた思いだ。記念式典からここまで、彼の予想を遥かに超えた修羅場をくぐり抜けてきたが、やっと最後の気がかりが晴れてくれたのだから。これで何の憂いもなく、戦争を生き残ったことを喜べる。

 

「今回の件に関してはオルガたちからも話は聞いてる。タカキもアストンも、苦しい状況下で本当によくやってくれたよ。フウカはいつもお見舞いに来てくれてたらしいし、本当に俺は良い人たちに恵まれたもんだ」

「チャドさん。この人にも、だいぶ助けてもらった」

「おっと、そうだったな……臨時の参謀として、よく犠牲者を一人も出さないで事を収めてくれたよ。礼を言わせてくれ」

 

 アストンに指摘されて初めて気が付いたかのように、チャドはジゼルへも礼を述べた。それを受けた彼女は「粗品ですが」と例の小包をチャドへと渡す。何が入っているのか淡々と説明すれば、受け取った方はなんとも言えない渋い顔だ。

 

「えーっと、その、ありがとな。大切に使わせてもらうよ」

「礼には及びませんよ。そして願わくば、あなたもジゼルと一緒に辛党になりましょう」

「ま、まあ考えておくよ……うん」

 

 それほどまでに辛味を愛するなら、いっそ激辛な手料理でも作って持ってきてみれば良かったものを。二人のやり取りをなんとも言えずに眺めていたら、ふとジゼルが振り向いた。その、眠たげな金の瞳と視線が合う。相変わらず思考を見抜かれていそうな感覚を覚えてしまう。

 

「ジゼルの料理はよく激辛じゃなくて激マズと呼ばれるので、さすがに病人に持ってくる訳にはいきませんでした。まず包丁を握ると、それだけで周囲が青ざめてしまいますからね」

「そ、そうでしたか……」

 

 とんだ重症だった。なまじ年若いフウカはしっかり料理を出来るだけに、万事をそつなくこなせそうな彼女の意外な弱点の発覚である。その隣ではアストンが「その通り」と言わんばかりにうんうんと頷いていて──

 

「もしかして、作ってもらったことあるの?」

「……前に一回だけ。仕事で遅くなったから、その時に成り行きでな。……ヒューマン・デブリとしてブルワーズに居た頃を思い出したよ」

「えぇ……?」

 

 どんな劇物だそれは。心の中で激しく突っ込む。かつてのアストン達ヒューマン・デブリの主食は味気ない栄養バーだけだったと聞くが、それに匹敵するなんざ普通じゃない。フウカなんて思わず吹き出してしまってから、慌ててアストンに謝った。もちろん、笑い話のつもりだったアストンはまったく気にしてはいなかったが。

 

 そんなこんなで予想外にも賑やかなお見舞いが進む中で、タカキは一つチャドに言いたいことがあったことを思い出した。意を決して、まずは一言。

 

「すみませんチャドさん。えーっと、その、少し話があるのですが」

「……わかった、俺で良ければ聞くよ」

「ふむ、ではフウカさんはジゼルと一緒に屋上に行きませんか? ハーモニカの扱い方を教えてあげましょう」

「ホント!? やったぁ!」

 

 女性二人で楽しそうに部屋から去っていく姿を見送って、タカキは心の中で頭を下げた。ジゼルは、この話をフウカには聞かせたくないというタカキの内心を慮ってくれたらしい。色々とずれているところがあるのに、こういうところがあるからただの変な人とも言い難いのだ。

 

 これで部屋に残ったのはタカキとアストン、そしてチャドの三人だけだ。

 

「それで、話っていうのは?」

「その、相談事と言うよりは、既に俺の中で決めたことではあるんですけど、どうしても聞いてもらいたいことがあって……」

「構わないさ。今回の俺は何にもできなかったから、それくらいならお安い御用だよ」

 

 その言葉に安堵してから、話し出す。ある意味では鉄華団への裏切りにあたるかもしれないその話を。

 

「実は俺……少し前まで鉄華団を辞めてもいいんじゃないかって、そう考えてもいたんです」

「タカキ……!」

「ごめんアストン、だけど本当なんだ。どうにか俺たちは誰一人欠けることなく戦争を乗り越えられたけど、次はこうなるとは限らない」

 

 今回は本当に運が良かったのだ。たまたま戦争を素早く終わらせる手段があって、たまたまジゼルが居て、たまたま犠牲が出なかっただけのこと。普通ならこうも都合よく事は運ばないだろうし、もし次があればきっと酷い目に遭うことは間違いない。

 それはもう、このような仕事を生業としているからには仕方ない事だと思う。むしろこれまでだって負けず劣らずの地獄だったし、生き延びてきた。だけどそれでも、ふと不安になってしまうのだ。

 

「もしフウカを置いて死ぬことがあったらどうしようって。鉄華団の皆の事は家族のように大事ですけど、フウカは本当に一人しかいない妹だから……今度地球で戦争が起きれば、きっと誰かが死ぬ羽目になる。それが自分じゃない保証なんてどこにもないんです」

 

 虫の良い話だとタカキは思う。それでもしも鉄華団を辞めれば、自分が戦場で死ぬことはなくなるだろう。だけど代わりに、鉄華団の誰かは死ぬ。もしかすればそれはチャドかもしれないし、隣に座る親友(アストン)なのかもしれない。他の誰であったとしても、タカキにとっては辛いことだ。

 臆病風に吹かれた。こう指摘されればなんら否定はできない。でも、初めて自分たちの判断で戦いに出て、大人たちの裏事情まで考えて、策謀を巡らせて──不意に恐ろしくなったのだ。自分たち地球支部は、これからもこのような経験を積まねばならないのか、と。

 

「それで、タカキはどうしたいんだ? 古い付き合いの仲間だ、どんな結論を出したって俺は尊重する」

「……結論から言えば、俺は鉄華団は辞めません。このまま続けるつもりです。最悪の事態を考えると怖いけど、まだ最悪の事態は起こっていないんだから。それを防ぐための努力を俺はしたいんです」

 

 今回は結果的に助かったが、本来ならば大人たちの思惑に好き勝手に翻弄されていても何らおかしくなかった。あのガラン・モッサを出し抜くなんてタカキにはとてもできそうにないし、そもそもラディーチェの裏切りだって気が付けたか怪しいのだから。

 だけど、同時にそれは今現在の話だ。これからもっと努力すれば、彼らのような相手にも多少は抵抗できるようになるかもしれない。その可能性からも目を背けて、鉄華団(かぞく)を見捨てるなんてことはとても出来ないのだ。

 

 それを聞いて安堵のため息を吐いたのは、真剣な表情で話を聞いていたアストンだった。

 

「良かったよ、もしタカキに鉄華団を辞められたら、俺はすごい困る」

「……心配させてごめん。でも、もう決めたんだ。俺は俺に出来ることをしたいから、鉄華団は辞めないよ」

「俺も、正直安心したよ。タカキが抜けたら地球支部のまとめ役が俺一人になっちまうからな。そりゃ勘弁してほしい」

「チャドさん……」

 

 やっぱりこの人たちに話を聞いてもらったのは正解だった。タカキは強くそう思う。答えを出しつつもどこか曖昧だった考えは、全部吐き出すことが出来たおかげで明確なビジョンとして定まったのだから。

 ちょうどその時、開け放たれていた病室の窓から透き通った旋律が入ってきた。耳を傾けてみれば、どうにも屋上の方から流れて来ている。たぶん、見本としてジゼルが吹いているのだろう。

 

 フウカを悲しませたくないし、友人を失う事だってしたくない。その決意を寿ぐかのような音色を胸に、タカキは決意も新たに一歩を踏み出したのだった。

 




タカキさん残留ルートへ。なんだかんだアストンも生き残っているので、辞めるか辞めないかの天秤は残留に傾きました。実際、鉄華団でも貴重な常識人であるタカキは有力な人材だと思います。


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#18 未来への布石

 ──その日、世界に激震が走った。

 

 普段ならば日々の何気ない特集から政治の話まで取り扱っているニュース番組たちは、今日ばかりはこぞって同じニュースを取り上げてばかりである。朝から夕方まで話題を独り占めし続けたそのニュースは、それに相応しいだけのネタであったのだ。

 

 問題の見出しはこうである。

 

「『セブンスターズ、式典戦争を主導した疑い!?』、か。中々はっきりしねぇ文句じゃねぇか」

 

 テレビ画面に目をやりながら、やれやれと言った様子でオルガは呟いた。いつ見ても、どのチャンネルに変えても、代り映えのしないニュースには辟易するばかりだ。だけどこれは鉄華団にとっても大きなニュースで、とても無視することは出来ない重大な局面へと繋がっているのだから是非もない。

 彼と共にニュースに目をやっているのはユージンと三日月、それにジゼルの三人だ。しかし三日月はニュースを見るよりも火星ヤシを食べるのに夢中で、ジゼルに至っては半分寝ている有様である。

 

 オルガもユージンも、すっかりこの妙な状況に慣れてしまったのが悲しい所だ。

 

「肝心の誰が主導したかは隠す……いや、隠蔽されたのか。なんつーか、ギャラルホルンお得意の手って感じで気に食わねぇぜ」

「つまりマクギリスが喧嘩売ってるのはそれだけ大きい相手って事なんだろうな。ったく、大概アイツも面倒な事にばかり巻き込んでくれる」

 

 ユージンの意見にはオルガも同じ思いである。腐ってもギャラルホルン、落ちぶれている現状でもその影響力は計り知れないものがあった。

 こんなことをいとも簡単に出来てしまう相手に喧嘩を売るなど、やはり正気の沙汰ではない。少なくとももっと勝てる算段を作るだとか、基盤を固めるなりしないと太刀打ちできないだろう。

 あの時判断を保留にしたマクギリスは正しかった、そのような考えを抱きながら、オルガは机に置いてある通信機へと語り掛けた。

 

「で、どうなんだマクギリスさんよぉ? これがアンタの求めた最良の結果なのかい?」

『……生憎と、最良とまでは言い難いな。本来ならば君たちの見ているニュースには、ラスタル・エリオンの名前も映っていなければならなかった。それが瀬戸際でぼかされてしまったのは、彼の持つ多大なコネと影響力の賜物だろうさ』

 

 通信機越しに届くマクギリスの声音には、敵にしてやられたという苦々しい想いと、わずかばかりその見事な手腕を褒めるような響きがあった。敵はやはり強く、大きい。そんな当たり前の事実を確認した両者である。

 

「簡単に言ってくれっが、そいつはつまりアテが外れたって事じゃないのか? 革命すんなら保守派のラスタルって奴は邪魔なんだろ?」

『確かに思ったように行かなかったのは事実だ。けれど、何の影響もないという訳ではない。既に行われたセブンスターズの会議も紛糾していてね。犯人がラスタルだと言うのはもはや公然の秘密だ。これを契機に、彼の影響力が目に見えて落ちるのも時間の問題だろう』

「つまり、息の根を止めるのこそ失敗したが、手痛い傷を負わせるまでは出来たって事か」

『そういう事になる。改めて、君たちの働きには多大な感謝をさせてもらおう』

 

 その真摯な感謝の言葉にはオルガもとやかく言う気は起きなかった。鉄華団どころか一般人まで巻き込んだ戦争を引き起こした張本人、少しでも痛い目を見てくれるなら多少は溜飲も下がることだろう。

 とはいえ、問題はここからだ。要するにマクギリスの作戦は半分失敗に終わったのだから、今後彼がどのように動くのか問いただす必要があった。それ次第で、鉄華団が手を貸すか貸さないかも変わってくる。

 

「さてマクギリスさん。あなたは納得のいく展望を考案する事はできたのですか? まさか無計画、なんて事は言わないでしょうね?」

『これは随分と手厳しい』

 

 何の躊躇いも前置きもなく踏み込んだのはジゼル、寝ているかと思えば当然のように口を挟んでくるから侮れない。殺人が絡まないから本人は不満げだし、ユージンもやや微妙そうな顔つきをするのだが、それでも両者共に真面目に仕事をしてくれるのだから外す理由もまたないのだ。

 訊かれたマクギリスは苦笑と共に軽口を返して、しばし無言になる。これからを占う重大な選択だから無理もない。それから、意を決したかのような雰囲気が通信機越しに伝わってきた。

 

『……本来ならばヴィーンゴールヴのギャラルホルン地球本部を占拠し、バエルの威光をもってセブンスターズすらも従わせる予定だった。しかし直接アグニカ・カイエルを知る君の口から、これは否定されてしまったからね。おかげで策を練り直す羽目になってしまったよ』

「だからまだ何も浮かんでない、なんて言うんじゃねぇだろうな?」

『まさか。ただしあまり奇抜な手にはならないがね。あくまでも真正面から正々堂々と、自らの地盤を固めてラスタルを追い抜かす。幸い、今のラスタルは苦境に立っている。そう難しい事ではないだろう』

 

 その言葉に嘘はない。現状、マクギリスは地球外縁軌道統制統合艦隊の新指令として着実に実績を重ねている最中である。今回の式典戦争だって調停に乗り出したのは彼だし、鉄華団との繋がりがあったおかげでさらにスムーズに話は進んだ。これらの行いで周囲からの評価はますますうなぎ登り、その権勢も日増しに増えるばかりである。

 だから本来、彼は強引な奇策に手を出す必要すらなかった。堅実に立場を固めていけば、いずれ革命すらも可能な立ち位置にまで上って来れる。それを承知でバエルを持ち出そうとしたのは、彼の根底が関わるからやむなしなのだが。

 

 ただし、彼が正々堂々と戦いを挑むというのなら、鉄華団の扱いも大きく変わってくるのだ。

 

「なら俺たち鉄華団の力を借りる必要はないはずだ。悪いが、俺たちは政治抗争なんざさっぱりだぞ。例えこれからも手を組み続けたところで、とてもじゃねぇが力になれるとも思えねぇ」

 

 そうだ、元よりマクギリスは暴力装置としての鉄華団をアテにしていた。ギャラルホルンに一泡吹かせた実力は無視しがたいもので、しかも個人的な好意もあって手を借りていたにすぎない。これが戦闘とは関係のない政治の舞台へ移行するというのなら、鉄華団が半ば用無しなのも自明のことなのだ。

 無論それはマクギリスとて百も承知のはず。けれどオルガの疑問に対しては、はっきりと『それは違う』と言ってきた。

 

『確かに君たちの手を借りづらい状況になったのは事実だろう。少なくとも、ギャラルホルン側の問題は私だけでどうにかしなければならないのは確かだ。けれど、ギャラルホルンの外部に居る君たちと関係があるからこそ、取れる手段もあると思わないかな?』

「つまりあれか、俺たちに指示を出してこの前の”夜明けの地平線団”討伐みたくすれば、ギャラルホルン内での利益はそっちのモンになると」

「おいおい、そりゃちょっと不公平じゃねぇのか!?」

『君の懸念はもっともではあるが副団長、さすがに見合った報酬は用意すると約束しよう』

 

 オルガたちが地球に来るほんの少し前、鉄華団はマクギリスと手を組んで大海賊の討伐に乗り出した。これを無事に成功させたことでマクギリスは海賊討伐を主導した者として評価され、鉄華団もまた独自に報酬を獲得することが出来たのだ。もちろん、手に入れた報酬はマクギリスからのものに他ならない。

 つまり、これまでの実績から鑑みれば彼の言葉は信用できてしまうのだ。そこさえ呑み込んでしまえば、これからのマクギリスとの関係性もおのずと明らかになってくるわけで。

 

「アンタの依頼を受けることで、俺たちはアンタの都合が良いように行動を起こす。その結果そっちはギャラルホルン内での地位を固めて、俺たちは実利を手に入れるって訳だ。……これまでと何も変わんねぇじゃねぇか」

『その通りさ。我々の関係性は何も変化しないのだよ。だが君たちは改めてギャラルホルンの後ろ盾を手に入れることができ、しかもそれなり以上の報酬も約束されている。ああ、火星の王の件だって忘れてはいないとも。どうかな、君たちにとっても悪い話ではないだろう?』

「違いねぇな」

 

 どのような依頼が来るかは分からないが、間違いなくギャラルホルンと事を構える以上の無理難題はないだろう。そうであるなら、今の鉄華団の力ならばどうにでもできる。リスクはあるが、どのみち”上がり”を目指すには多少のリスクは覚悟すべきなのだから。それならオルガに躊躇いは無い。

 

「いいぜ、受けてやる……と言いたいところだがな。ちょっとだけ待ってくれ、他の奴とも相談したい」

『もちろん構わないとも。私とて同じことをした身だ、否応は無いさ』

「助かる。明日か明後日には返事を寄越そう」

『では、色よい答えを期待させてもらうとしようか』

 

 それで話は終わった。用済みとなった通信機の電源を落としてから、オルガはこの場に集った三人へと向き直る。

 三人──副団長のユージンと、これまで黙って話を聞いているだけだった遊撃隊長三日月、それについ先日正式にオルガから参謀の職を与えられたジゼルの事だ。

 

「単刀直入に訊こうか。どう思う?」

「悪くないと思いますよ。話を聞く限り、これまでの関係性はそう崩れないようですし。手を結んでしまっても構わないかと」

「……ちょいと不安は残るが、俺も同意見だ。少なくとも今の状況なら足元見てくることもないだろ」

「チョコの人、なんだか楽しそうだったよね。機嫌が良かったのかな?」

 

 返答はおおよそオルガの予想通りのものだ。三日月の意見だけやや的外れに思えるが、これもマクギリスの提案に他意はない事の裏付けとなるから十分。

 ひとまずこの場に集った三人は今のマクギリスの話には好意的である。他にも昭弘やチャド、メリビットといった人物達にも意見を聞く腹積もりではあるが、たぶん似たような答えが返ってくる事だろう。

 

「……いや、メリビットさんだけは怪しいな」

「オルガ?」

「火星の王の事をマクギリスは忘れていなかった。つまり、これから先の推移と成果次第で火星の統治権を譲る用意はできるという事のはず。となれば、テイワズとの関係性はどうなんのかと思ってな」

 

 テイワズと鉄華団の関係はいわば親子のようなものである。鉄華団立ち上げ当初からここまで、テイワズから授かった恩恵は計り知れない。

 だが仮に火星の王となれば、その力関係はほぼ間違いなく逆転してしまう。もちろんオルガはテイワズを蔑ろにするつもりなどこれっぽっちも無いが、それだけでまかり通るほど甘くないのが現実だ。面子、義理、関係性。そのようなしがらみは素直に火星の王就任を祝ってはくれないだろう。

 

「でもよぉ、まだまだ火星の王つっても時間はかかんだろ? ならその時までテイワズには黙ってても──」

「それではいつかどこかで綻びが生まれますよ。そんなこと、副団長さんも分かっているでしょうに」

「ちっ、そりゃそうだがよ……」

 

 舌打ち気味にユージンが呟いた。彼とて自分の意見がその場しのぎでしかない事くらい理解しているのだ。

 

「オルガはどうしたい? 火星の王になるのか、ならないのか。オルガの目指す上がりは何処にあるの?」

「ミカ……」

 

 難しい。二律背反だ。三日月からの容赦ない問いは、いつだってオルガの核心へと触れてくる。

 オルガとしては是非とも火星の王の地位は欲しい。それこそ、虐げられてきた自分たちにとって最高の”上がり”だと確信できるからだ。かといってそのためにテイワズと縁を切るのは不義理が過ぎるし、不都合も多い。茨の道になるだろう。しかもマクギリスへと正式に”火星の王”の件を断るだけで、この道を歩む必要は全くなくなるのだ。

 

 あらゆるリスクを考慮すれば、火星の王にまでなる必要はない。今のままでも十分に名は知れ渡ったのだから、これを元手として更なる事業の拡大と健全化を進めればいい。余計な心配事を抱える理由など無いのだ。

 

 それでも──

 

「ずっと馬鹿にされて、足蹴にされてイイように扱われてばかりだった俺たちが、火星の王になる。地位も名誉も、全部手に入れられるんだ。こいつは、これ以上ない──俺たちの”上がり”じゃねぇのか?」

 

 火星の王というのは、どうしても抗いがたい魅力に思えて仕方なかったのである。

 自らの想いを確かめるように呟けば、三人の視線が一気に押し寄せたのを自覚した。「本気か?」と目で問うてきているのはユージン。「楽しそうですね」とどこか嬉しそうなのはジゼル。そして「オルガの決めた事なら、絶対に成功させる」と雄弁に語っているのは三日月だ。

 

「危険はもちろん承知している。このまま行けばテイワズと揉めるのは間違いねぇだろうし、最悪ことを構える事態にだってなるだろう。だけどそれでも、俺は火星の王になりたい。これまで散々苦労を掛けてきた鉄華団の皆に、楽をさせてやりてぇんだ」

 

 最初から最後まで、オルガの望みはこの一点に収束している。自分が甘い汁を吸いたいからではなく、あくまでも家族に報われて欲しいから名誉や利益を求めるのだ。その想い、なるほど確かに立派である。

 なのだが、あるいはそれは底なしの沼に嵌まる第一歩なのかもしれないのだ。

 

「なら、そのような欲望を抱いた者の先達として、一つ団長さんに忠告をさせてもらいましょう」

「……?」

 

 不意に、ジゼルの黄金の瞳がオルガを射抜いた。合わせ鏡のように、互いに同じ色をした瞳が交わる。

 

「火星の王になる、それは結構なことです。ただし、人の欲望とは限りがないモノですよ。火星の王になれば、次はテイワズの支配者、その次はコロニー群の長、さらには地球の帝王にまで。あらゆる全ての頂点に立ちたいと、いつの間にか考えてしまうかもしれないことを覚えておくべきです」

「……まるで見てきたような口ぶりだな」

「ええ、そうですとも。だってジゼルがそうでしたから。最初は一人殺せればそれで良かったはずなのに、いつの間にか二人殺しても、十人殺しても、百人殺したってまだ満たされなくなった。ほら、どこか似ていると思いませんか?」

 

 それは悪魔の囁きだった。耳を塞いでしまいたいのに、つい耳を傾けてしまう。違いがあるとすれば、甘言ではなくオルガにとって不都合な内容であることくらいか。

 火星の王になって、ではその後はどうする? そこで足を止めるのか? それとも強欲に先を目指してしまうのか? 分からない、分からないがしかし、空恐ろしいと感じてしまう。もしオルガ自身が欲深になってしまえば、きっとそれは彼が憎む汚い大人そのものとなってしまうだろうから。

 

 人の欲望に限りはない。ジゼルの語ったそれはまさしく性悪説に則ったものであり、それだけに目を背ける事は許されない真実でもあったのだ。

 

「戦い、争いそのものはジゼル個人としては望むところです。いっぱい殺せますからね。けれど一人の団員として意見を述べさせてもらうなら、このような事態も考慮に入れておきべきかと。その時になって、果たしてあなたは()()()()()()()()()()()()()。これが分水嶺となりましょう」

「足を止める……か……」

 

 冷や水を掛けられた想いで、オルガはその言葉を受け止めた。

 そのようなこと、まったく考えた事すらなかった。いつだって前を見据えて足を進めて、その先で名誉と利益をつかみ取ってきたのだから。これから生きている限り、ミカと一緒に居る限り、いつまでだって止まることは無いと思っていた。

 だから、続くユージンの言葉には驚かされてしまったのだ。

 

「オルガ、なにもこのまま堅実に進んだって足を止める事にはなんねぇ。俺たちは、鉄華団は、いつだって一歩一歩進んでるんだ。ハイリスク・ハイリターンの戦い方はもう似合わねぇよ」

「……もしかして、ユージンは火星の王は反対なの?」

「……そりゃあ俺だって、偉くなってチヤホヤされたくねぇって言えば嘘になるさ。可能な限り最高な見返りが欲しい気持ちも当然ある。だけど、それまでに死んじまったら何の意味もねぇんだ」

 

 火星の王について、これで二人の意見は出揃った。ユージンはほとんど反対、ジゼルはどちらでもないが強烈な忠告を残している。だから後は、三日月の意見次第でこの場の趨勢は決まるだろう。

 

「ミカ、お前はどう思う?」

「俺は……」

 

 珍しく三日月が悩んでいた。物珍しげにオルガとユージンが見守る中、一分ほど考え込んでから三日月は結論を導き出した。

 

「オルガの意見には反対したくない。だけどもしオルガが昔のマルバや一軍みたいになったら、すごく嫌だ」

「そいつは……」

「それと、死んだ奴とは死ねばまた会えるってオルガは言ってたし、俺は疑う気もないけど。どうせなら生きている鉄華団の皆と一緒に、オルガの目指す先を見てみたいな」

 

 三日月のはっきりした意思を聞いて、オルガは一つ溜息を吐いた。それは安堵からくるものかもしれないし、あるいは自らの考えが破れた無念からくるものなのかもしれない。

 ただ、これで彼の意思は固まったのは確かだった。

 

「そうだな、確かにその通りだ。例え遠回りだろうと、鉄華団は止まんねぇ。俺が止めさせねぇ。歩き続けたその先へ、絶対にお前らを連れて行ってやるんだからよ」

「なら──」

「まぁ待て。まだ意見を訊いたのはここの三人だけだ。これじゃフェアじゃねぇよ。マクギリスには明日以降に返事をするって言ったんだ、他の奴と話し合ってからでも遅くはねぇだろ」

 

 とはいえ、きっと意見が翻ることは無いだろうというのは、オルガのみならず誰もが感じていたことであったのだが。

 

 ◇

 

 ヴィーンゴールヴはギャラルホルン地球本部。そこに誂えられた一室にマクギリス・ファリドの姿はあった。

 

『結論が出た。俺たちはアンタと手を組みたいと思う』

「それはありがたい。なら火星の王の件も前向きに──」

『その話なんだがな、そいつは丁重に断らせてもらうことになった。これまで通り、アンタとはある程度の関係性が保てればそれで十分だ』

「ほう……?」

 

 机に置かれた通信機から届いた返答に、マクギリスが珍しく驚いた表情を作り上げた。

 予想に反した言葉だった。彼ら鉄華団ならば、多少のリスクを呑もうとリターンを求めて快諾すると思っていたのだ。もちろん断られたところで損はないが、マクギリスをいつになく動揺させるには十分すぎる内容だ。

 

「理由を聞いても?」

『話せば長くなるが……まあ端的に言やぁ、俺らの将来にそこまで大それたモンは必要ねぇって事だ。申し出はありがたいし、口惜しいと言えばその通りだが、組織の方針としては断らせてもらうって方向で決着が着いた』

「そうか……君たちなら良い王として君臨できると思っていたが、それなら是非もないな。分かった、その方針で行くとしよう」

 

 本音を言えば、この選択を採った鉄華団には少しばかりがっかりした。マクギリスが思い描いている彼らならば、どんな時でも貪欲に利益と成果を求めると信じていたからだ。

 けれど、こうも思うのだ。彼ら少年たちは現実を見て、自らが求める成果以上は必要ないと手放すことが出来た。ある意味でその行いは偉大で、彼らが子供から大人へと着実に変化している兆しでもあるのだと。

 

「ふっ……私とて、とても人の事は言えないな」

『なんか言ったか?』

「いいや、何でもないさ。ただの独り言だよ」

 

 かつてのマクギリスなら、バエルに頼らない改革など決して考えなかった。今の自分を昔の自分が見れば、きっと失望されるに違いない。それが今や大真面目にバエル抜きの改革をしようと試みているのだから、人間どのように変わっていくかは分からないものだ。

 

「ならば互いの為にも、末永い付き合いを保つとしよう。よろしく頼むよ、オルガ団長」

『ああ、こっちこそよろしく頼む』

 

 どこか晴れ晴れとした気持ちを胸に、鉄華団との通信を打ち切った。きっと彼らとは良い関係を築いていけるだろう。楽観にも程がある思考だが、この時ばかりはマクギリスもそう信じることが出来たのだ。

 だが、いつまでも心地よい思考にばかり浸ってはいられない。この後すぐにセブンスターズの会議がある。こうも連日開かれては面倒極まりないが、退屈な会議を繰り返すのがご老体たちの趣味なのだから仕方ない。

 

「それに、ラスタルやイオク・クジャンの動向も見極めなければならないからな……」

 

 誰ともなく呟く。政敵であるラスタルは元より、彼の陣営に着いているクジャン家の御曹司も厄介な手合いだ。どちらも侮っていい相手ではないが、事ここに至っては警戒すべきは後者であった。

 単純にセブンスターズに名を連ねるだけでも強敵だが、それ以上にイオク・クジャンは”何をするのか読み取れない”のだ。胸に抱いた正義感や家に恥じない生き方をしようと心がけるのは立派だが、マクギリスからすれば少々空回りをしているようにも見えてしまう。

 

 特に今は敬愛するラスタル・エリオンが失脚しかけているこの状況。これが原因でどんな突飛な行動を始めるのか、マクギリスからしてもてんで予想がつかない。

 

「立派な志を抱きながら、想いと努力が実を結ぶことは無い。考えてみれば彼も中々報われない男だ……その境遇は哀れに思うがね」

 

 敵対するなら容赦はしない。自らの全力をもって消えてもらうまでだ。

 

 「存外、鉄華団への最初の依頼は彼絡みになるのかもしれないな」──そのような事を考えながら、マクギリスはセブンスターズの会議場へと重い足を向けたのだった。

 




なんだかんだ二期最初期のような関係性を保った鉄華団とマクギリス。
痛手を負いながらもギリギリで踏みとどまってみせたラスタル様。
登場してもないのに不穏な空気を漂わせ始めたクジャン公。

最初の状態に戻ったようで、かなり差異が出てきていますね。特にオルガが火星の王をすっぱり諦めたのは大きいです。オルフェンズ本編だと聞く耳もたない感じでしたが、今回は似た者同士なジゼルの言葉や、慎重論も出せるようになったユージンに三日月共々影響される形となりました。本編で何度か言及されている「ジゼルとは相性が良い」というのは、まさしくオルガの重視する点をピンポイントで突けるところです。


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#19 彼女の見る世界

今回はジゼルの一人称視点です。書いていて一番頭がおかしくなりそうでした。


 ──目が覚めた時は、きまって二度寝の誘惑に駆られるものです。

 

「んっ……ふあ……」

 

 なんだかとても眩しい。寝起き特有の情けない声をあげつつ、仕方なしに目を開きます。すると朝日が窓から差し込んでいて、ちょうどジゼルにあたっているではありませんか。まだ寝たりないので、寝返りを打ってから毛布に潜り込むことにします。

 

「……眠い」

 

 このまま昼まで寝てしまいましょうか。式典戦争から今日でほとんど一ヶ月、そろそろ鉄華団も火星に戻る時が近づいています。だけどジゼルの仕事はほとんど終わっていますので、昼間まで寝ていても文句は──いえ、そういえば何かあったような。

 

「……護衛任務って、言ってましたっけ……」

 

 そんなのもあったようななかったような。確か対象はクーデリア・藍那……ホルスタイン? それともバームクーヘン? 名前が長すぎて忘れてしまいました。寝起きの頭ではなおさらです。

 ともかく鉄華団とも縁が深い女性がアーブラウの街に出るというので、その護衛を団長さんから頼まれていたのでしたか。同行者は他に三日月・オーガスさん、あの鉄華団が誇るエースパイロットです。MS操縦はもとより白兵戦でも強いのですから、お若いのに大したものだと思います。是非ともジゼルに殺させて欲しいお相手ですが……さすがに我慢ですね。ジゼルにも最低限の矜持はありますから。

 

「仕方ありません……起きましょう……」

 

 しかし思い返せば、確か集合は朝の九時からだったはずです。すぐに時間を確認すれば、まだ朝の七時。十分時間に余裕はありますが、早い内に準備をした方が良いでしょうね。必死にベッドにしがみつこうとする身体を意思の力で引き剥がすのはいつだって重労働ですが、一度ベッドから抜け出してしまえばどうしようもありません。

 薄いピンク色のパジャマを脱いで胸の下着を着けてから、普段着を取り出します。シャツにスカート、それからタイツ。ネクタイは気分で色を変えたりも。その上にカーディガンを羽織って、最後に支給されている鉄華団のジャケットを羽織ればお着替えは完了ですね。

 

 世の中の女性は服装選びにも時間をかけると言いますが、ジゼルにはその理屈がよく分かりません。こんなもの、ある程度のパターンを決めてしまえばそれでいいのに。

 お化粧も同様にして、ちょっとだけ目元や頬をどうにかすればお終いです。面倒なのでそれ以上はしません。こだわる時は誰かを誘い込んで殺したい時だけなので。処女ですけど、成功率は決して悪くはありませんよ。

 

「朝ごはん、今日はなんでしょうか……辛味と合う触感なら良いのですが」

 

 お仕事は億劫ではありますが、他ならぬ団長さんの頼みなら断る訳にもいきません。せいぜい真面目に取り組むといたしましょう。

 ああ、その前に朝の日課を終えてしまいますか。ちょっとしたお祈りです。もっとも、聖書の神様を敬う気はありませんがね。だって本当に存在するなら、ジゼルのような狂人を生み出すはずがないですし。そうでないなら神様はたぶん、とっくの昔に人間に飽きてしまわれたのかと。

 

 それでは敬虔なる信者のように、両手を組んで無垢な祈りを捧げましょう。

 今日こそは、誰かを殺して良い日でありますように──と。

 

 ◇

 

 朝の九時。鉄華団地球支部の玄関で暇を潰していましたが、集合時刻ぴったりにその女性はやって来ました。時間を守る方はジゼルにとって好印象ですね。殺すのは最後にしましょう。

 

「クーデリア・藍那・バーンスタインです。この度は無理なお願いを聞いてもらって申し訳ありません」

「ご丁寧にどうも。ジゼル・アルムフェルトです。あくまでもジゼルは鉄華団の一員ですので、敬語を使われる必要はありませんよ」

「そうですか……でも、この方が落ち着くのでお構いなく。そちらこそ、そう畏まる必要もないのでは?」

「すみません、ジゼルもこれが素の口調なので」

 

 ジゼルの髪の毛にも匹敵する金の長髪に、紫色の瞳が綺麗な女性です。ちょっと身長が高いのでしょうか、少なくともジゼルよりは大きいです。それと、一緒に来たのに黙ってばかりの三日月さんよりも。

 そんな彼女こそ、火星独立運動の中心核を成す逸材だとか。なるほど、ここしばらく混乱していた街中を一人で歩かせるには危険な人ですね。テロリストは意外なところに居たりするものですし。

 鉄華団とはジゼルが加入する前からの付き合いで、その縁もあってお互いに良好な関係を築いているらしいです。今回ははるばる蒔苗氏のお見舞いの為に鉄華団と共に火星から来たようで、護衛任務も半ば無料に近いサービスであるとかないとか。べったり癒着してますが、まあそこはジゼルが気にする点でもありません。

 

「クーデリア、どこに行くかは考えてるの?」

「ううん、それほど深くは考えてないの。ただ、二年前にアーブラウに来たときはすごく忙しくて、とてもじゃないけど見て回る余裕もなかったから。事情はどうあれこっちに来たなら、一度くらい見てみたいのです」

 

 それから「あ、でもちゃんとやることは終わらせてますからね!」と慌てて付け足したクーデリアさんに、「へぇー」と適当に相槌を打つ三日月さん。どこまでも投げやりな態度に見えますが、拒絶している訳ではないみたいです。クーデリアさんもそれを分かっているのかニコニコしますし。

 

 ……あれ? もしかしてこれ、ジゼルはお邪魔虫という奴なのでは?

 

 よくよく考えてみればこの話を団長さんが持ってきたときも、彼は「余計なお世話かもしんねぇが──」などとおっしゃっていました。その時は三日月さんの実力を信頼しての発言かと思ったのですが……これはきっと、()()()()()()もあったのでしょう。

 でも大丈夫、ジゼルと三日月さんはそこまで親密な訳ではありません。会話だって普段の職場が異なるせいであまりしませんし。そういう意味では、団長さんの方がよほどジゼルと親密かと。だからあなたが心配する事は何もありませんよー。

 

「それじゃあ行こっか。ジゼルはアーブラウには詳しいの?」

「ええ、まあそこそこは」

「分かった。じゃあ頼むね」

 

 なんて考えている傍からこれですか。ああ、本当に面倒です。クーデリアさんからの疑惑の眼差しが刺さりますよ。ですので、これからは適当に気を遣って適当に忘れたりしましょう。ジゼルに綿密な気遣いを求められても、それは畑違いなのですから。殺人に繋がるなら頑張るのもやぶさかではないですがね。

 

 ひとまずは、のんびりと護衛を頑張るといたしましょう。

 

 ◇

 

 良くも悪くもおかしな事態は起こらず、つつがなくクーデリアさんのアーブラウ散策は進んでいきました。道行く人々の視線を集めたり、声を掛けられたりと忙しそうでしたが、それでも充実した表情を浮かべていたのですから良かったのでしょう。ジゼルからすれば退屈でしょうがないですが、護衛とはそういうものです。

 しかも今はクーデリアさんはショッピング中で、仕方なくジゼルは道端のベンチに座っている最中です。ちなみに三日月さんは彼女についていきました。ちょっとクーデリアさんが嬉しそうだったのは、ジゼルの見間違いではないでしょう。

 

 お昼下がりの、のどかなひととき。眠気を我慢するのが大変です。だから暇つぶしに道行く人々を眺めていれば、いつだって誰がどのように殺せそうか延々とシミュレートしてしまうのですよ。

 

 ……あそこの歩道を歩いている若者、隙だらけです。すれ違い様に刺殺できそうな気がします。

 ……向こうで腰をかがめているご老体は、耳元で大声をあげればそれだけでショック死かと。

 ……なんの変哲もないサラリーマンを不意に銃撃したら、どんな反応をしてくれるのでしょう?

 ……並んで歩いている子供たちは、車でまとめて轢き殺してみたいものです。

 

 本当に、考えるだけでもたまらない事ばかりです。やってみたくてしょうがない。だけどこれらは全部が全部、この場ではできません。ジゼルは快楽殺人者ではありますが、一時の誘惑に負けて全てを失うほど短慮でもありませんから。時と場所、それに我慢は弁えているのです。

 

「すみませんジゼル、お待たせしてしまいましたね」

「いえ、お構いなく」

 

 そうこうしている内に、クーデリアさんが戻ってきてしまいました。彼女の手には小さな袋が、三日月さんの左手には大きめの袋が提げられています。どうやら、それなりに買い込んだようで。逃れられぬ女性の(さが)ですね。

 さて、この後はどうしようかと考えていたところで、いつの間にか鉄華団への定時連絡の時間となっていました。ここはジゼルが行こうかと考えていたのですが、三日月さんがさっさと行ってしまいました。同じ女性同士で待っている方が良いと考えたのでしょうかね? ここまで来てクーデリアさんを置いていく辺り、意外と鈍感さんなようです。

 

 クーデリアさんがベンチに座って、二人並ぶ形となりました。ですが、いざこうなると話すことが無いですね。沈黙ばかりが横たわってます。ジゼルは特に気にしませんが。話すことが無いなら、無理に話す必要もありません。

 

「……」

「……あの」

 

 と、クーデリアさんが口を開きました。

 やや気まずい様子で目線を動かしているのを見るに、言い辛いことなのでしょうか。けれど意を決したようにこちらに向き直ると、はっきりと告げてきます。

 

「その、オルガ団長からあなたの話は聞きました」

「そうでしたか。別段不思議ではありませんね」

 

 言わんとすることはすぐに伝わりましたとも。

 つまり彼女はジゼルの本性を知っているという事です。さもありなん、鉄華団とも関わりの深い重要人物であるならば、事前に危険人物の情報をリークしておくのも大切なことだと思います。別に怒る気はありません。

 

「すみません、こちらだけ勝手に個人情報を聞いてしまって……」

「気にしてはいませんよ。むしろ事実を知ったうえで、こうして話しかけてくる方に驚きましたが」

「……本音を言えば、それなりに怖い気持ちもあります。でも、こうして私の我が儘に付き合ってもらって分かりました。あなたはけっして、優しさを忘れてしまった人ではないのだと」

「……なるほど、あなたの瞳にはそう見えましたか」

 

 青臭い意見、なんて事は言いません。理解しがたい相手でも拒絶はせず、美点を探してみる。人として素晴らしい事じゃないですか。第一ジゼルも同い年くらいですから、同じだけ青いはずですし。

 ただ、それでも楽観的な気はしますがね。団長さんはジゼルの本質を的確に見抜いたうえで、”コイツは信用してもいい”と判断を下しました。でも、彼女はジゼルの表面上を見て判断しただけ。さっきまでジゼルがシミュレートしていたことを話したらどのような表情をするのでしょうか。見てみたい誘惑に駆られます。

 

 しかしそれは、ただの嫌味以上の意味を持ちません。ジゼルと彼女はあらゆる意味で他人なのですから、極端な一例を持ちだして論破した気になっても愚かで虚しいだけ。それよりもむしろ──

 

「あなたの生き方は、ジゼルには少々眩しいです。良家の令嬢として生まれ、不自由なく育ちながらも、立派な志を抱いて、見事に成功させました。似たような境遇なのに墜ちるところまで墜ちた()()()()からすれば、心一つでそうも変わるのかと驚くばかりですよ」

「やっぱり、苦労も多かったのですか」

「最初だけですよ。吹っ切れた後はやりたい放題しましたし。今のジゼルに後悔なんてありませんから」

 

 するとクーデリアさんは安心したように笑いました。まったく、随分とお人好しな方です。ジゼルのようなロクデナシを心配するなんて、その心はもっと他の方に向けるべきだと思うのに。

 

「なら良かった……と素直に祝福することも出来ませんけれど。いつか、あなたのような人も一緒に笑い合える世界を作りたい──なんて言ったら、それこそ嗤われてしまうでしょうか?」

「さて、どうでしょうね。少なくともジゼルは嗤いませんよ。難しいとは思いますが」

 

 片や人を生かすために言葉とペンで戦う者、片や人を殺す為に剣と銃を手に取る者。互いの立ち位置は正反対で、ほんの些細なきっかけがあれば口論になってもおかしくない。

 彼女の見る世界と、ジゼルの見る世界は百八十度違うのです。その在り方は水と油のように相容れないものでしょう。

 

「あなたはこのまま地球支部に残るのですか?」

「最初はその予定でしたが……事情が変わりまして。過去の遺物が発掘されたらしいのでその処理に」

「なら、火星まで戻るという事ですね。それは良かった」

「どういう意味でしょうか?」

 

 それでも。

 自らと正反対の者こそ、自らを最も成長させる礎である──などと言うように。

 

「だって、もっとたくさんあなたとは話をしてみたいの。本音を言えばやっぱり怖いし、聞きたくないこともたくさんあるかもしれないけど、きっと私にとって必要な意見もあるでしょうから」

「なら、頑張って期待に応えてみるとしましょう。もちろん、その分の対価はいただきますがね。恩と義理は常に等価交換ですから」

「分かってます。それはオルガ団長が一番気にするところですからね」

「はい、その通りです」

 

 クーデリア・藍那・バーンスタインさんにとっては、このような女も得難い存在なのかもしれませんね。

 その後は戻って来た三日月さんと一緒にアーブラウ散策の続きをして、日も暮れた頃に迎えに来た車にのって帰りました。何事も起こらず、退屈な護衛任務だったと言っておきましょう。

 

 ……そういえば結局、今朝の祈りは届かなかったようです。ふむ、たまにはジゼルも真面目に祈ってみるべきなのでしょうか? もっとも、殺人を奨励する神様の心当たりなんてありませんけどね。

 




ようやく鉄血のオルフェンズのヒロインであるクーデリアの登場です。ここまで長かった……
目指す道、思想などは正反対な二人ですが、どちらも気性が激しい訳ではないので穏やかに終わりましたね。ついでにちらっと次回以降の伏線も出せました。


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#20 七星の思惑

 ──ギャラルホルンを管理運営する七貴族、絶大な権力を誇る彼らをセブンスターズといった。

 

 かつての厄祭戦から連綿と続く家系と伝統による支配。有事の際には会議を開き、一丸となって事態に対処することが定められている。しかし、現在はその会議の中にセブンスターズ同士の不和がやり玉として挙げられていたのだ。

 

「それでは、セブンスターズの議会を始めたい。なおエリオン公は今回も不参加だ、そのことを念頭に入れられよ」

 

 その理由は一つしかない。先の式典戦争の下手人についてだ。鉄華団から()()もたらされたデータからは、式典戦争を引き起こしたガラン・モッサとその共犯者についてが克明に記されていた。それこそはラスタル・エリオン、セブンスターズに名を連ねアリアンロッド総司令官をも務める男である。

 現在、この情報はセブンスターズ内でしか公開されていない。これ以上のギャラルホルンの失態はいよいよ大変な事になるとして、当事者のエリオン家含む三つのセブンスターズが火消しにかかったからである。結果としてこの情報は流出することなく、世間ではあくまで噂程度に留まる形となったのだ。

 しかし、そうはいってもギャラルホルン内での影響力は莫大なセブンスターズがこれを知ったのは大きかった。外部への露出を防ぐため公にラスタルを罰する事はしないが、それでも彼が持つ権威の多くは飾りと化した。少なくともセブンスターズ内での席次は大きく変わったと見て間違いないだろう。

 

「式典戦争についての報告は以上だ。さて、他に何か意見の有る者はおるかな?」

「僭越ながら、私の方から一つ──」

 

 ここまでが式典戦争の顛末。仕掛け人の一人であったラスタルは痛手を負い、少なくともセブンスターズ内での影響力は地に墜ちた。管轄域であるアリアンロッドに対しても、彼の動きを抑止するための人材が派遣されるのは間違いないだろう。

 

「──今なんと仰いましたかな、ファリド公?」

 

 だからここから先は、式典戦争からは外れた話となる。

 

 厳格な響きと驚愕の念を滲ませた問いが場に響いた。年齢を重ねた老人のものだった。

 水を打ったかのように静まった議場。集った者どもの息遣いだけがいやに大きく感じられる。

 

「言葉通りの意味ですよ、バクラザン公」

 

 囁くように言ったのはマクギリス・ファリド。常に浮かべている涼やかな笑みをいっそう深め、その老人──セブンスターズが一人、バクラザンを見やったのである。

 

「ファリド家は火星の民間組織鉄華団と協力して、火星の地より発掘されたMAの対処に当たると。そのように申したのです」

「なんと……!」

 

 信じられない。老人の矮躯からはそのような心情が多分に読み取れてしまう。周囲の者たちも同様な雰囲気を放っていて、いかにマクギリスの一言が予想外であったかを如実に物語っていた。

 そう、二つの意味で予想外なのだ。一つはMAが現代に再び現れてしまった事実。そしてもう一つはマクギリスが、あのどこか得体の知れぬ策略家であったはずのマクギリスが、こうも大胆かつ直接的な話を持ってくるとは思わなかったからである。

 

 場にいる誰もが唐突なマクギリスの変化に薄気味悪さを隠せない。

 しかしその一方で、臆することなく発言を行える者も存在した。

 

「鉄華団……ああ、どこかで聞き覚えがあると思えば。夜明けの地平線団討伐に貢献したというしがない民間会社だったか。あのような組織に、厄祭戦の元凶を倒せるとでもお思いですか?」

 

 真面目な口調、小馬鹿にしたような言い回し、それが出来るのはここではただ一人しかあり得ない。

 クジャン家の一人息子、イオク・クジャン。若輩者であるが、その正義感と家系への誇りは人一倍に抱いている真っすぐすぎる男であった。

 

「クジャン公、あなたの物言いには随分と私情が混じっているように思えますが?」

「なに……?」

 

 だが真っすぐすぎるからこそ、感情を隠すのも下手なのだ。実際、彼はしばらく前に鉄華団と目的が競合し、結果として彼らに獲物を先取りされてしまっている。しかも政敵であるマクギリスとの関係性も深いのだから、敵とみなしキツイ物言いになるのも無理はない。

 

「知っての通り、鉄華団は()()()()()()夜明けの地平線団討伐にも多大な貢献を果たしてくれている。更には今回の式典戦争を収めたのも彼らだ。そして──」

 

 ここでマクギリスの笑みの種類が切り替わる。それまでは底知れない不気味な微笑だったはずが、いまや勝ち誇った者のそれになったのだ。視線の先には不自然に空いた空白の席、まるで其処にいたはずの人物に向けているかのよう。

 セブンスターズの議会には空白の席が二つある。一つはイシュー家、当主は病床に臥せ、代行が死亡したため出れる者が残されていない。そしてもう一つはエリオン家、当主たるラスタル・エリオンはもはやこの議会への出席権すら剥奪されていたのだ。

 

「かのラスタル・エリオンこそ、今回の式典戦争を勃発させた犯人の一人であるという証拠を掴んで見せた。どうかな、これ以上ない華々しい活躍をしているはずですが?」

「貴様がエリオン公を嵌めたのだろうが! そのうえ飽き足らず侮辱までするとは──」

「よしなさい、クジャン公」

 

 激高しかけたイオクをバクラザンが宥める。彼からすれば敬愛するラスタルを貶める発言など言語道断であるのだが、さすがにこの場では分が悪かった。全くの第三者からの仲介にはさしものイオクも冷静さを取り戻し、これ以上の糾弾は止める。代わりに、暖簾に腕押しなマクギリスを忌々し気に睨みつけるだけに留めたのだった。

 

 妙な熱気を帯びてしまった議会を引き戻したのは、ファルク家の当主だ。

 

「鉄華団、その力は私もよく知っている。そこに疑いはないとも。だから知りたいのは、どうして火星の地から再びMAが発掘されてしまったかについてだ。よければ説明を頼めるかな?」

「もちろんです、私にはその義務がありますから」

「ありがたい」

 

 MA発見の経緯は端的にまとめられた。火星でも最大規模を誇るハーフメタル採掘場が舞台、正体不明な遺物の発見、訝しんだ鉄華団からの連絡と画像。これらを総合した結果として、発掘されたのはMAだとマクギリスは結論付けたのだ。

 

「鉄華団の方からも『これはもしやMAなのでは?』という疑いがあったようで。そのおかげで、私としましても即座に見当を付けられましたよ」

「ほう、それはまたなんとも……いや待て、鉄華団からだと? それはおかしいだろう、MAの存在は我らギャラルホルンしか知らないはず。どうして一介の民間会社ごときが知れるというのだ」

「確かに」

「その通りだ」

 

 今度はボードウィン公の疑問、同調するようにイオク、バクラザンが続いた。彼らとしても、マクギリスの言い方には些か疑問があったのだ。

 果たして、ボードウィン家の息子を謀殺したマクギリスは、彼に対する負い目など何一つないとばかりに堂々と返答したのである。

 

「当然です。彼らには鏖殺の不死鳥がついている。であれば、MAの存在を知っているのもおかしくはないでしょうとも」

「なんだと……!?」

「それは道理が通らないはず! 彼女は三百年も前、アグニカ・カイエルの時代を生きた人間だぞ! それが生きているはずなど……」

「あるのですよ、それが。私個人としても奇妙な因果と思えるが、彼女は確かに生存している。それ以上の事実などありますまい」

 

 場がどよめいた。セブンスターズならば知っている。かつての厄祭戦において猛威を振るったという、最低最強の不死鳥を。アグニカ・カイエルの懐刀ともされたその女は、あまりに荒唐無稽な話さえ信じさせるほど存在自体がふざけた存在なのだ。どのような不条理を起こそうと、何も不思議ではない。

 それをあのマクギリスが言うのだから、もはやふざけた嘘などと都合よい考えは抱かない方が賢明だった。

 

「……? 皆さま、いったい何の話をされているのです?」

 

 だから、この場でただ一人ついてこれなかったイオク・クジャンはある意味で幸運だったのだろう。彼だけはその深刻さに気付かぬまま、訳が分からないとばかりに首を傾げていれたのだから。

 はぁ、と溜息を吐いたのはボードウィン公であった。

 

「クジャン公、これはセブンスターズならば知っておくべき話だ。人類種の中で最も多く人を殺した、最悪の殺人狂。それこそはガンダム・フェニクス、そしてアルムフェルトと呼ばれる女なのだと」

「なんと……!」

 

 さすがにイオクも絶句した。彼は知らないが、その女の殺害数(キルスコア)は十六万にも及ぶのだ。もはや何かの悪い冗談と思う方が気楽なほど、図抜けすぎた殺害数である。とても正気では成し遂げられない、頭のおかしい戦果だろう。

 断言できる。長い人類史の中で、彼女ほど人を殺めた人などこの世には存在しない。理屈も道理もすっ飛ばした人類を狩る人間の行動など、誰も読めなくても仕方ないのだ。

 なればこそ、厄祭戦という混沌の中にあってなお異彩を放つその狂気、誰もが理不尽な復活を世迷言と捉えないのも無理はなかったのである。

 

「しかしならばこそ! 仮に事実としてその者が、何某(なにがし)かの理由で現代に蘇っていたとして! 殺人狂がどうして鉄華団などに手を貸すのだ!?」

「簡単な事ですよ、クジャン公」

 

 マクギリスは笑った。いや、嗤った。彼は確かに、イオク・クジャンという男を貶す笑いをしたのだ。

 その無知蒙昧、見ているだけで馬鹿らしい──そう言外に語っていた。

 

「彼女が鉄華団に協力するのは、それだけの価値があるからに他ならない。クジャン公。いくらあなたがセブンスターズの一角であろうとも、アグニカ・カイエルの意志を受け継ぐ者の行いを邪魔する権利はないはずだが?」

「ぐっ、詭弁を──!」

「さて、これで皆さまもお判りになった事でしょう。MAの問題は私たち、ファリド家と鉄華団の手によって解決いたしましょう。ええ、あなた方の手を煩わせる事など何一つありません故、どうぞ静観なさってくだされば結構かと」

 

 もはや反論など微塵もない。MAが発掘されたのは確かで、それに対抗できる戦力があるのも事実なのだ。であれば、世界の秩序を守るギャラルホルンとしては反論する必要など何処にもない。

 そうして、マクギリスの不敵な言葉を最後に、今回の会議は終わりを告げられたのだった。

 

 ◇

 

「私は! 納得などできません!」

 

 室内に大声が響き渡った。

 滲みだす悔しさを隠そうともしないそれは、誰あろうイオク・クジャンのものである。彼は義憤に燃えた顔つきをして、先の会議のあらましを語っていたのだ。

 それを話し終えた後の第一声がこれである。彼はあまりにも自らの感情に素直だった。

 

「マクギリスという卑劣な男に嵌められ、ラスタル様は苦境に陥っているというのに! あの男はいけしゃあしゃあと自らの立場を大きくするばかりで──」

「うるさいですよ、イオク様」

「何を! ジュリエッタ、お前は悔しくないのか!?」

「落ち着け、イオク。報告はご苦労であったが、そうも熱くなられてはこちらもやり辛くて適わんぞ」

 

 箍の外れた列車のようにヒートアップするイオクを諫めたのは、部屋の主であるラスタル・エリオンその人だ。今にも衝突しそうであったイオクと、ラスタル直々の部下であるジュリエッタもそれで矛を収める。どちらもラスタルという男にはめっぽう弱く、また慕っているのだ。

 先の会議には、ラスタルは出席できていない。彼の出席権は既にして剥奪されてしまっているからだ。とはいえ同じ陣営のイオクがいる以上、情報の把握には困ることは無い。

 

「しかしなるほど、考えたなマクギリスめ。MAの発掘自体は偶然の産物だとしても、それをこうも利用するか。敵ながらやってくれる」

「それは七星勲章が目当てという事か?」

 

 今度は三人目が会話に混じった。その男は顔全体を隠す仮面を付けていて、素顔どころか肉声すらくぐもって判別しがたいものがある。端的に言って怪しすぎる存在だった。

 だがラスタルは気にした様子もない。イオクもジュリエッタも今更咎める気など無かった。ヴィダールと呼ばれる仮面の男は、もうしばらく前からラスタルお抱えの兵士だったのだから。

 

 上官への敬意も何もないヴィダールの言葉に、ラスタルは鷹揚に頷いていた。

 

「おそらくはそういう事だろうな。ここで奴がMAを打倒し七星勲章を獲得すれば、セブンスターズの席次は大きく変わるやもしれん。ファリド家当主となり、イシュー家を実質的に掌握し、ボードウィン家と婚約を控えたマクギリスがさらに力をつけるのだ。我らにとってはこれ以上に厄介な事態はあるまいて」

 

 マクギリスは革命派で、ラスタルは保守派だ。字面だけ見れば明らかに正反対だし、事実として両者は敵対している。だからこそ、マクギリスが更なる躍進を遂げる事だけは防ぎたいのだ。とりわけ、ラスタルの影響力が目に見えて下がった現状はなおさらに。

 

「しかし困った、防ぐための手立てが見当たらない。せめて奴が秘密裏にMA討伐を進めたならばともかく、こうも大々的に宣言しての行いならば止めようがないな。つくづくガランの失敗が響いていると実感するよ」

 

 苦笑するラスタルだが、言葉とは裏腹に友を責める気はない。責めるならば、友を無念の戦死に追いやり、しかもその死すら無駄にさせてしまった自分なのだから。これでガランを責めるのはお門違いにも程がある。

 そこでイオクが、名案を閃いたとばかりに「ラスタル様!」と叫んだのだ。思わず三者の視線がイオクへと集まる。

 

「ならばマクギリスよりも先に、そのMAとやらを討伐してしまえば良いだけの話! 鉄華団だか鏖殺の不死鳥だか知りませぬが、彼らに手出しされる前に我らクジャン家が見事討ち取ってみせると誓いましょう! そして七星勲章を手にラスタル様の復権を果たせば良い!」

「……一理はある。だが駄目だ」

「なぜです!?」

 

 これ以上ない、と思っていた案が否定されたイオク。実際、一面で見ればイオクの意見も間違ってはいないのだが。

 

「MAの討伐はギャラルホルンの本懐であるし、セブンスターズならば多少強引に介入したところで問題は少ないだろう。しかし、忘れてはならんのだ。今の我らは追い詰められた側、慎重さを失った行動はむしろこちらの首を絞めるだけと理解せよ」

「それは……! しかしこれではラスタル様が!」

「気持ちはありがたく受け取ろう。だが私は許可できん」

「ぐっ……! 失礼します!」

 

 どうしようもない憤りを抱えたまま、我慢できないとばかりに部屋を去るイオク。ラスタルは止めなかった。

 止める必要もなかったのだ。

 

「良いのですか、ラスタル様……?」

「いい、放っておけ。良くも悪くも彼は真っすぐすぎる男だ、私がどう言ったところで意見を曲げはしないだろう。だがそれでいい」

 

 追い詰められてなお、ラスタル・エリオンは健在なのだ。まだまだとれる手段はいくらでもあるし、時間を掛ければマクギリスに並び立つことも十分に可能。焦る必要は何処にもない。

 けれどこの場でそれを理解しているのはヴィダールただ一人であろう。イオクはマクギリス憎しのあまりに視野が狭まってきているし、ジュリエッタでさえラスタルが自力で復権するのを信じきれない有様だ。それが証拠に、今も彼女の瞳には不安の色が渦巻いている。

 

 そんな彼女を安心させるかのように、ラスタルは自らの考えを開陳した。

 

「もしイオクが動かないならそれで良い、地道に力を取り戻す。動くのならば──それは私の関与しない話になる。成功したならイオクは私のプラスにするだろうし、失敗しても独自に動いたイオクがこちらまで巻き添えにすることは無いだろう。奴はそういう男だ」

「つまり、どう転んでも損はないという訳だ」

「そうだ。我ながら汚い手段だとは思うがな、私情を殺せばこの程度容易にできてしまう」

 

 どこか自虐的な言葉だった。公人、政治家としてのラスタルは使える手段は何でも用いる。情に絆される事もなく、いっそ冷徹な判断を下せるのだ。それが自らを慕う御曹司の一人であろうと、得になるなら躊躇など無い。しかも彼の行動は読みやすいのだから、制御も容易となれば是非もない。

 ただ、それを言うなら不自然な事もあって──

 

「なら、どうして今もあなたは後手に回っているのだ?」

「ほう?」

「そうだろう。アリアンロッド総司令官のラスタル・エリオンならば、この苦境に打つ手なしなどあり得ない。必ずや何らからの手を打っているはずだ。それが何もないのはどういうことだと訊いている」

「……ふっ、それを訊いてくれるか。困ったものだな」

「……ラスタル様? ヴィダール、あなたは何を──」

「いや、確かにヴィダールの言う通りだ。認めよう、私はどこか手を抜いている」

 

 あり得ざる言葉だ。冷徹に、鷹揚に、そして大胆にことを成すラスタルとは思えない言い草。今まで彼が政治や戦場に私情を持ち込んでいる姿など誰一人として見たことが無いだろう。

 現にジュリエッタもヴィダールも驚愕のあまり、しばしのあいだ二の句を告げなかった。

 

「何故だ? マクギリスと鉄華団、彼らに温情をかける余地など何処にあるというのだ?」

「その通りですラスタル様! それでは彼らの思うツボです!」

「それは理解しているとも。だが、そうだな……公人ではなく、私人としてのラスタルが手を抜かせてしまっている。今ここでお前たちに言えるのはそれだけだ。続きはいつか──その仮面が外れた時にでもしよう」

「……承知した」

 

 不承不承ながらヴィダールが呟き、ジュリエッタもそれに同意した。これでこの場で成すべきこと、知るべきこと、そして話すべきことは全て済んだ。後はラスタルが思うような展開となるか、それともまたもや番狂わせが起きるか。こればかりは誰にも分からない。

 だから取り立てて注意すべきは一つだけだ。イオクが相手取るかも知れない最悪の存在。きっと彼は、彼女を軽んじていることだろう。例え利用するにしても、それを見過ごすことだけはできなかった。

 

「ジュリエッタ」

「はい!」

「鏖殺の不死鳥にはよく目を配っておけ。だが、決して交戦はするな。戦えば命はないモノと思え」

「……了解!」

 

 常人の理解の及ばぬ狂人。そんな存在への注意を怠らない事こそ、今できる最良の手段であったのだ。

 




イオク様がアップを始めたようです。


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#21 暗雲

「この写真に写っているコイツ、アンタはどう見る?」

「これは……」

 

 式典戦争のゴタゴタもあらかた片付き、三日もすれば火星に帰還しようという頃だった。書類作成に取り組んでいたジゼルは、不意にオルガから一枚の写真を見せられた。どうやら火星の採掘場らしいそこには、何か大きな機械が埋まっている様子が写っている。

 地球支部の事務員としてフェニクスと共に残留する──などとジゼルは勝手に考えていたのだが、この写真を見ておおよそ求められる役割を察した。一部しか露出していないそのフォルムは、三百年前から知っているもの。故に確信を持ってその名を呟く。

 

MA(モビルアーマー)じゃないですか。またぞろどうして火星の採掘場なんかに……」

「ちッ、やっぱMAだったか。もしかしてとは思っていたが……嫌な予感ほど当たるもんだな」

 

 MA(モビルアーマー)。天使の名を冠した、人を狩る最悪の無人兵器。かつての厄祭戦のおりには実に人類の四分の一を殺戮したともされており、現代では情報規制のせいで存在すら伝わっていない禁忌の名である。

 それをオルガが知っていたのは、かつてジゼルが事細かにその存在を教えたからだ。彼女は三百年前から現代まで、コールドスリープを用いて生き延びてきた。だから現代では知られていない情報も数多く知っているのである。

 

「誰かMAにちょっかいを掛けた人は居ますか?」

「いいや、絶対に近寄らないように厳戒態勢を敷いてるところだ。俺たちじゃ壊れてるのかスリープ状態なのか見分けがつかなかったからな」

「良い判断ですよ団長さん。おそらくこれは休眠状態でしょう。もし近づけば、辺り一帯が人の血で染め上げられたことかと」

 

 ともあれ、MAという最悪の存在が火星の採掘場から発掘されてしまったのである。現在は休眠(スリープ)状態となっているようだが、目覚めれば人間を殺すべく行動を開始するだろう。しかもこの採掘場は鉄華団が預かっている場であり、荒らされてしまうと多大な損害を被ってしまう。

 

「ホントはこっちの事務を引き続き任せたかったんだが……こうなりゃ仕方ねぇ。アンタは俺たちと一緒に火星に戻ってくれ。このMA(デカブツ)をどうにか処理しないことには、とても採掘なんて出来やしねぇよ」

「分かりました……すぐに準備をいたしましょう」

「地球支部はユージンとメリビットさんにひとまず任せるか……って、もしかして不服だったか?」

「いえ、その……」

 

 珍しい事に、なにやらジゼルが不服そうだった。

 普段の彼女なら無表情で淡々と言葉を返すものだが、今の彼女はありありと嫌そうな色が出ているのである。彼女とそれなりに接しているオルガでも、そうそう目にすることは無かった態度だ。

 

「不服……と言えばそうでしょうね」

 

 果たしてジゼルは頷いた。理由を問えば「これはジゼルのアイデンティティにも関わる話ですが」と前置かれてしまう。その時点でオルガの背に嫌な予感が走る。だが止めはしなかった。もはや慣れたものであるからだ。

 

「MAをいくら倒したところで、無人機だから誰も殺せはしません。なのにMAは非常に強くてしかも積極的に人を殺すという、いわばジゼルのライバルなのです。たくさん倒さないとジゼルの取り分が減るのに、倒すのも大変で達成感も少ないのですから堪りませんよ」

「なるほどな。アンタらしいと言えばその通りだがよ……」

 

 あんまりにもあんまりな理由に、慣れたとはいえやはり面食らってしまうオルガなのであった。

 

 ◇

 

 地球から火星までの旅はだいたい三週間ほどかかる。長いが、これでもギャラルホルンの使う正規ルートを航行できるのだからずっと早い方だ。かつての鉄華団のように裏ルートを辿れば、この数倍はかかってもおかしくない。

 だが、そうは言っても三週間もの船旅なのだ。その時間をどのように潰すかは各々の自由だ。束の間の休息を取るのもいいし、勉強するのもいいし、シミュレーションでMS操縦の特訓をしても良い。もちろん、備え付けのジムで身体を鍛えるのだって良いだろう。

 

 そんな中でジゼルが選んだ行動は──

 

「このジムを使わせてもらいたいのですが、よろしいですか?」

「あ、ああ……誰の物でもないんだから、好きに使えって」

「おや、てっきりこのジムの主はあなただと思っていましたよ昭弘さん。ともあれ、ありがたく使わせてもらいますね」

 

 筋トレ趣味の昭弘の横で、黙々とトレーニングをこなす事だった。

 やや露出が多めの動きやすい服装に着替え、いつもは下ろすだけの赤銀の髪を一括りにしたジゼル。前髪は星を象ったピン留め二つで抑えられている。その姿はいかにもな健康的なスポーツ少女そのものだ。脱いでみれば全体的に良く引き締まっているのが分かる肉体と相まって、普段の『黙っていれば令嬢っぽい』という雰囲気は微塵も感じられない。

 実際、こなすトレーニング量も中々のものだった。一般には男女関係なく音を上げるだろう量を顔色一つ変えずこなしている。明らかに普段からトレーニングを続けている者のそれだ。

 

「……驚いた。まさかそんだけ鍛えてたとはな」

「MSに乗るなら、体力は必要不可欠ですからね」

「ああ、そうだな」

 

 きっとそれだけではないだろうが、今は追及する気は起きない昭弘だった。

 互いにトレーニングを止めることは無い。会話だって気が向いたら二言三言話すくらいだ。ジゼルからすれば昭弘とはあまり接点も興味もないし、昭弘からしてもジゼルを信用しきっている訳ではない。だからこれくらいの距離感が一番ちょうど良いのである。 

 それからしばらくは無言でトレーニングを続行した後、どちらともなく備え付けのベンチに腰かけた。適度な休憩は身体を鍛えるのに必須である。タオルで汗を拭って、スポーツ飲料を豪快に喉へ流し込む。

 

「……健全な身体には健全な魂が宿るという言葉があります。ご存知ですか?」

 

 飲料で濡れた唇をペロリと舐めながら、不意にジゼルがそんなことを訊いてきた。聞きなれない言葉である。

 

「いいや、知らないな。そんなこと気にした事も無かった」

「そうでしたか。まあ、こんなものは所詮言葉なのでお構いなく」

「そりゃあ……そうだな」

 

 納得しがてら、つい視線がジゼルの方へと行ってしまった。女性らしい滑らかで丸みを帯びた身体。けれど全身に適度な筋肉がついていて、非常にしなやかにまとまっている。比較的スレンダーな体型も相まってどこまでも健全に思え──それ故に蠱惑的な肢体だった。

 あんまり見ているとうっかり目が離せなくなりそうだから、昭弘はすぐに視線を切り上げた。さすがに彼女のような相手に欲情なんてしてしまうのはいただけない。そう感じたからである。

 

「健全な魂……か。とんだお笑い種だな」

「奇遇ですね、ジゼルもそう思いますよ」

 

 本当に先の言葉が真実ならば、ジゼルはきっと素晴らしい魂を持っていなければならないのだろう。その結果はご覧の通りなのだから、確かに信用などできるはずもない。

 そして昭弘は──どうなのだろうか。趣味で身体を鍛えているようなものだから、そんなことを気にかけた事など一度だってない。今の自分はそのような心を持っているのだろうか? つい疑問に感じてしまう。

 

「どうしてお前はそうまで鍛えているんだ? いや、だいたい予想は着くが──」

「ええ、お察しの通りですよ。だってほら、生身で殺人するのに貧弱だと話になりませんからね。昔はもう少し誇れるような志を持っていたはずなのですが……手段も目的も、気づけば変わっているのが人ですよ」

「なるほどな……ああ、らしいと言えばらしいよ」

 

 何をしても最後には殺人に繋がる怪物なのがジゼル・アルムフェルトである。始まりから終わりまで、彼女の人生は殺人という狂気で丁寧に舗装されてしまっているのだ。

 だから、初めて昭弘はそんな彼女に同情した。鉄華団は最後には全員で上がりを掴み、今のような危険な事業なんてしなくて済む未来を目指している。しかし彼女だけはそこで止まれない。いつまでだって争いを求め、誰かの不幸を幸福に変え続ける。平和になった世界に用は無いと言うのは、初めて出会った時に言っていたことだったか。

 

 何の因果もなく、ただそう生まれたから死ぬまで戦い続けなければならない。終わりなど無い。逃げ道なんてどこにも存在しないのだ。

 それではまるで──

 

「ヒューマンデブリだな……」

「ヒューマンデブリ……そういえばあなたは元ヒューマンデブリでしたか。彼らも哀れなものですね。命の価値を理解しない横暴な者の手で、無駄にその命を擦り減らしているのですから」

 

 思わず呟いてしまった昭弘の言葉を、ジゼルは全く別の方向に解釈したらしい。しかも内容自体はマトモなのに、「お前が言うな」としか思えないのはさすがと言うべきか。

 どうしてそう思う? などと好奇心で昭弘が聞いてみれば、返答は意外にも真っ当なものだった。

 

「敵の命は容赦なく摘み取り、味方の命は可能な限り大切にするのが軍属としての基本です。せっかく安く兵士を仕入れたのなら、もっと大事に使わなければ嘘でしょう」

「どうせ使うなら長く質よく使えるようにしろと?」

「はい。劣悪な環境で使い捨ての駒にする、というのも間違ってはいないと思いますが。人としてきちんと扱う方が、忠誠心も練度も上げられて一石二鳥のはずですよ」

「そりゃ、昔のアイツらにも言ってやりたい言葉だが……お前の本音はどうなんだ?」

 

 元ヒューマンデブリの身としては、ジゼルからそのような言葉が出てくるのは意外だった。嬉しくもあるし、ちょっと見直したまであるかもしれない。

 だけど何となくそれだけで終わらない感触があったから、続けて昭弘が問う。部屋の熱気はいつの間にか引いていた。すっかり冷めてしまった身体を摩り、薄い胸を張りつつジゼルは不敵な笑みを浮かべる。あの、美しくも人を不安にさせる笑み。昭弘にジゼルを信用させない一番の原因だ。

 

「戦場に出てもただただ死に物狂いなだけの兵士なんて、殺してもちっとも楽しくないですし。もっと酸いも甘いも嚙み分けた人を終わらせる方が、得をした気分になると思いませんか?」

「いいや、ならないな。そう感じるのはお前だけだろうさ」

 

 やはり怪物はどこまで行っても怪物だった。当たり前の事である。通常の感性や思考も間違いなく持っているくせに、どうしようもなく破綻しているその性根。やはり理解など不可能に近い。

 昭弘は立ち上がると、部屋の隅に備え付けられたロッカーの扉を開けた。中にはいくつか上着が入っている。その一つを無造作にジゼルへ放ると、自らは再びトレーニングに戻る。少々話し込みすぎてしまった。筋肉が鍛錬を求めて疼いている。

 

「使え。後で返してくれればそれで良い」

「……気持ちはありがたいですが、やや大きいですね。もっとジゼルにちょうど良いサイズは無いのですか?」

「悪いがそれ以下はない。つか、文句言われるとは思わなかったぞ」

「性分ですので」

 

 しれっと言い返すジゼルであった。

 その面の皮の厚さは見習うべきか。彼女の物言いはいつだって歯に衣着せぬものばかり。秘めるべき本音を隠そうともしない。だからこそ、信用されたりされなかったりするのだろうが。

 

「……そういえば、一つ言い忘れていたな」

「なんでしょうか?」

「地球支部の件は助かった。タカキもアストンも、他の誰一人だってあの戦争で死なずに済んだからな。そこについては感謝している」

「気にする必要はありませんよ。ジゼルの趣味と、その場で求められたことがたまさか一致したまでですから」

 

 それだけ言って彼女もトレーニングを再開する。しばらくすればジムは二人の息遣いだけが支配する、静かだが熱気の有る空間にまたもや変貌する事となった。

 結局これ以降、二人が口を開くことはついぞ無かったのである。

 

 ◇

 

 火星に戻ってからの鉄華団は、迅速にMA討伐の準備を始めていた。

 既にマクギリスには話を通しており、彼の手でセブンスターズの承認を貰ったという話も聞いている。だから後はマクギリス本人が到着すれば、すぐにでもMA討伐戦を開始できる所まで用意できたのだが。

 あいにくと彼は鉄華団より一週間遅れで地球を発ったこともあって、まだ火星に到着してはいなかったのである。マクギリスがいなければ戦力も知見も落ちてしまうから、彼抜きという訳にもいかない。まだ見ぬ未曽有の相手を前に、不完全な陣形で挑むのは避けたいところだった。

 

 そのような理由もあって、鉄華団は普段よりもピリピリした雰囲気で包まれていた。多くの団員たちは具体的な内容こそ知らないまでも、何か大きな作戦が近々起きる事は知っている。そして一部の事情を知る幹部たちは、自らが立ち向かう相手の強大さを良く噛み締めているのだ。

 

「MAの厄介な所は、主に二つほどあります」

 

 フェニクスのコクピットで淡々と語りながら、容赦なく拳を振るう。目の前の派手なピンク色をしたMSはそれを紙一重で避けるも、その背後からは射出されたテイルブレードが迫っている。

 

『えっ、なんだって──っと! アッブネー、今ぜってー掠ったぞ!』

「話を続けましょう。一つは子機の作成、プルーマと呼ばれる配下を勝手に量産しては物量戦を仕掛けてきます。このせいで、一機のMAが万軍にも勝るだけの戦力を獲得してしまうのです」

『おっ、おう! なんかよく分からんが、つまりヤバいって事でいいんだな!?』

「はい」

 

 頷きつつ、ジゼルはフェニクスを後退させた。その直後に眼前のMSの斧が振り下ろされるも、フェニクスに当たることなく大地の破片だけをまき散らした。

 距離を取ったフェニクスの目の前で体勢を立て直したのは、巨大な二連装の砲門が印象的なMSだ。元の色から大きく変えられたその機体は、ガンダム・フレームに特有のツインアイを光らせ闘志に燃えている。

 

「だからこそその機体、フラウロスは重要なのですよ。長距離からの射撃で本体の破壊、もしくはプルーマの数を削ることが出来ますから」

『なるほどな。そりゃあ俺の四代目流星号に相応しいおっきい役割じゃねぇか! こりゃ燃えてきたぜ!』

 

 ASW-G-64 GUNDAM FLAUROS(ガンダム・フラウロス)。それがMAと同じ採掘場から発掘されたガンダム・フレームの名前であり、現在は名称も色合いも大きく変えてノルバ・シノの愛機となっているMSであった。

 これが現在シノの手元にあるのは運が良かったと言うべきか。本当はもう少し後になってからテイワズで修理が完成する予定だったのだが、MA討伐に先駆け予定を前倒ししてもらったのだ。そのぶん修理代は高くついたが、それだけの価値があったのはシノの動きが証明している。

 

『んじゃ、行こうぜ流星号ッ!』

 

 気合一喝、フラウロスが勢いよく火星の大地を蹴った。まだ慣らし運転程度しか乗っていないのに、動きにはいっさい躊躇いがなかった。阿頼耶識システムを抜きにしてもシノの実力が抜きんでている証拠である。

 それをフェニクスは余裕を持って迎撃した。振るわれる斧を躱して、続く蹴りを唯一の得物である獅電用の大盾でいなす。お返しとばかりに空いている拳を振るってフラウロスを揺さぶるが、その本命は後ろにあった。

 

「そしてこれが二つ目。MAの持つテイルブレードはフェニクスよりも長く、鋭く、そして早いです。身も蓋もない話ですが、MAはこれ一つだけあれば十分すぎるほどの戦闘力を手に入れられる程ですね」

『こりゃあ……! 確かに、厄介だなおい! どっから来るかも分かりづれぇし、動きも妙っつーか……おわっと!』

 

 焦ったようなシノの声が通信機越しに聞こえてくる。阿頼耶識システムを用いている彼であっても、テイルブレードの不規則な挙動には慣れないのだ。直撃こそジゼル自身が避けているが、それでも掠る回数はかなり多い。

 

『こんだけポンポン当たってるんじゃ、何回死んだか分かったもんじゃねぇな……!』

「あなたより遥かに歴戦の方でも、これに対応するには一手必要としました。気に病む必要はないかと」

『おいおい、んなつまんねえこと言うなよな。一番隊隊長が何もできずに戦線離脱なんざ、カッコ付かないにも程があんだろ! やるからにはそっちの攻撃を完全に見切れるようになってやるさ!』

 

 ひたすら前へ前へ、突撃を繰り返すシノとフラウロス。それでもテイルブレードに翻弄されていたのだが、徐々に対応し始めた。自分の意志でブレードの接近を防ぎ、紙一重で回避する。粗削りだったそれらが次第に洗練されるにつれて、フラウロスの動作もより最適化されていくのだ。

 

「こりゃシノは何とかなりそうだな。助かったぜ」

 

 その様子を遠くから見ていたオルガは、ホッと胸を撫でおろした。テイワズから格安で提供されている『獅電』も良いMSだが、腕の立つシノにはやはり特別強力な機体を操ってほしかった。それが鉄華団を支え続けたガンダム・フレームならば言うことなしだ。

 MAの討伐に使う機体は主に四体。眼前で模擬戦闘を行っているフェニクスとフラウロスに、鉄華団の主戦力たるバルバトスとグシオンだ。それ以外の機体は基本的にプルーマを迎撃する役割となっている。ジゼルの話では対MAの為に作られたのがガンダム・フレームという話だから、適材適所といえるだろう。

 

「この作戦が成功すりゃあ、いよいよ鉄華団はあの採掘場を資金源に出来るんだ。絶対にしくじる訳にはいかねぇぞ……!」

 

 鉄華団が預かっている巨大採掘場は、これ一つで向こう何十年も鉄華団の稼ぎ頭になってくれることだろう。そうなればもう、鉄華団は危険な橋を渡る必要もなくなる。少しづつ事業の健全化を図って、最後には完全に戦いからは足を洗ってしまえばいい。

 オルガ・イツカが団長として胸に抱いてきた理想が、ようやく成就しようというのだ。採掘場の使用はその第一歩であり、阻むならば何者であれ容赦はしない。MAだろうが人間だろうが、やれる限りの手で排除して進むのみ。

 

 ただ、不安に思う案件も一つある。阿頼耶識システムの危険性、警鐘を鳴らしたジゼル曰く──

 

「オルガ!」

「おう、どうしたダンテ?」

 

 思考に没頭していたオルガだが、唐突に現実へ引き戻されてしまう。振り返ればそこには、赤毛の目立つダンテ・モグロの姿があった。鉄華団古参メンバーの一人、元ヒューマンデブリにして電子戦では右に出る者が居ない男だ。

 そんな彼は血相を変えて息を切らしていた。どうやら全力でここまで走ってきたらしい。大きく深呼吸して息を整えると、早口でまくし立てた。

 

「まずい報告だ。火星にギャラルホルンの別勢力が来てる」

「はぁ? どういうこったそりゃ、マクギリスはどうした?」

「そのマクギリス本人が大慌てで知らせてきたんだよ! なんか知らんが、俺たち以外にもMAを討伐しようとしてる奴らが居るらしい!」

「なんだと……おい、そいつはかなりヤベェぞ……!」

 

 我知らずオルガは拳を握りしめていた。心なしか声も震えているように感じてしまう。

 どっかの誰かが勝手にMAを討伐してくれる。これだけなら一向に構わないのだが、鉄華団には見過ごせない理由があるのだ。

 だってそう、MAが居るのは肝心の採掘場なのだ。それを荒らされてはたまらないから、鉄華団は綿密にMAを誘導する策を練ってきた。採掘場を戦場跡地にする訳には断じていかない。

 けれど別勢力が介入するというなら、採掘場が荒らされない保証など何処にもないのだ。むしろ積極的に兵器をぶっ放した挙句、全て滅茶苦茶にされるのがオチだろう。これではMAを討伐したところで元の木阿弥にしかならない。

 

 先ほどまで思い描いていた未来図が、勝手な介入のせいで全てふいになってしまうかもしれない。オルガの胸中を満たした焦りと怒りは相当なものだった。

 

「どこの酔狂な奴だか知らんが、勝手なことしてくれるぜ……! せっかく人が穏便にことを済ませようって頑張ってんのによ……!」

「どうする、オルガ? 予定を前倒しにするか?」

「ああ、本当はマクギリスの到着する三日後だったが、こうなれば仕方ねぇよ。明日にはMA討伐に乗り出すぞ。団員達にも連絡を入れる必要がある」

「分かった、すぐに手配する!」

「頼むぞ! 俺はマクギリスと話を付けてくるからよ!」

 

 マクギリスもマクギリスでこの状況は好ましくないだろう。すぐにでも意見を交換しておく必要がある。

 ここにきて急速に垂れこめてきた暗雲に、オルガはどうしようもない胸騒ぎを覚えてしまうのだった。

 



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#22 蘇りし厄祭

 かつての厄祭戦にて作成された数多の兵器たち。そのうちの一つに、ダインスレイヴと呼ばれる兵器があった。

 持ち主を破滅させる魔剣の名を冠したこれは、MSのフレームや武装にも用いられる『高硬度レアアロイ』合金で作成された弾頭を、レールガンよろしく超高速で射出する兵器である。その威力は目を見張るものがあり、実弾兵器に対して強力な防護能力を持つMSや艦船すらも容易く貫けるほどだ。

 しかしこの過剰ともいえる破壊力が問題視され、現在はダインスレイヴは禁止兵器とされている。故に軽々しく使えば責任問題などが発生する、文字通りに自身も敵も破滅させてしまう超兵器なのだ。

 

 では、この過剰火力を誰に対して向けていたのか。答えは至ってシンプル。

 天使の名を冠した殺戮の化身たちを殲滅するために生み出されたのが、ダインスレイヴなのだから。

 

 ◇

 

 かつてのギャラルホルンはMAと人間を相手取り、厄祭戦を収束に導いてみせた組織である。

 それ故にMAの討伐はむしろ望むところ、十八番ともいえる部類だろう。

 

「イオク様、降下準備全て整いました」

「ご苦労。すぐに私も行くとしよう」

 

 ──ただしそれは、MAの脅威を正しく知っていればの話となるのだが。

 

 火星の上空、静止軌道上には五隻もの艦隊が浮かんでいた。地球からはるばるやって来たこの艦隊はクジャン家が保有する独自の戦力だ。指揮官はクジャン家当主たるイオク、部下は当然クジャン家に従う忠義に厚い部下たちである。

 五隻並んだ艦隊の中央には旗艦が存在しており、そこの艦橋(ブリッジ)にイオク・クジャンの姿はあった。

 

「しかしイオク様、よろしかったのですか? これはファリド公が請け負った任務のはず、いくらセブンスターズと言えども勝手な介入など……」

「いいや、心配する事など何一つないとも。かつてギャラルホルンの本分はMAの破壊、および殲滅にあった。であれば我らギャラルホルンがMAを代わりに討伐することに何の異論があるだろうか?」

 

 「否、無いであろう!」と胸を張って宣言するイオクに、周囲の部下たちはこっそり頭を抱えた。確かにイオクの言っていることも間違いではない。例え獲物を横取りする事態になっても、討伐したという実績があれば糾弾を黙らせることは可能だ。仮にもセブンスターズ、それができるだけの権利はある。

 だが、もし自らがMAの討伐を果たせなかった時のことをイオクは忘れてしまっている。MAにちょっかいだけかけて敗走、その尻拭いをマクギリス陣営に任せたとあっては心証は最悪だ。少なくともイオクの責任が問われてしまうのは確かなはず。

 

 だからイオクに思いとどまって欲しかったのが部下たちの総意だ。けれど彼は聞く耳持たなかったし、あくまでも部下である彼らには反論などできるはずもない。出来るのはせめてイオクがMAとの戦いで戦死しないように気を配ることくらいだ。

 そんな部下たちの不安の色を察したのだろうか。イオクはフッと頬を緩めると、その場にいる全員を見渡してから勇ましく宣言したのである。

 

「皆の気持ちも理解できる。これが失敗すれば私の立場も危うくなるし、ラスタル様の復権も時間をかける羽目になってしまう。しかしだ! 私はラスタル様に恩がある。幾度となく導いてもらい、助けてもらった。ならば、この大恩に報いる時があるとすればそれは今なのだ!」

「イオク様……!」

「不安に思う事はない。MAといえどもたかが旧世代の遺物、我らクジャン家の手にかかれば恐れるに足らず。この私と、そして皆の尽力を持って見事大義を成し遂げてみせるのだ!」

 

 熱く震える言葉だった。無意識のうちに敬愛を籠めてイオクの名を呟く。際限なく戦意が昂揚するのを心と肌で感じ取る。

 イオク・クジャンは確かに足りないところが多いかもしれない。けれど、その心に抱く正義感は紛れもなく本物なのだ。であれば強い想いを胸に抱いた彼を、いったい誰が止められようか。付き従う部下たちだって、そんな彼の姿にこそ先代クジャン公の姿を見るのだから。

 

 どれだけMAが強かろうと、此処に集った者たちならばあるいは──

 艦橋が次第に熱気に包まれる中、ふと冷や水を浴びせ掛けるようなコールがあった。どうやら何者かからの通信らしい。

 

「どうした、誰からの通信だ?」

「それが……ファリド公からのものです!」

「なんだと? どうしてあの男が……!?」

 

 マクギリス・ファリド。その男はイオクにとって苦々しい存在だ。裏でこそこそと暗躍し、火星の民間組織などと手を結び、挙句の果てにラスタルの権威を失墜させた怨敵。好きになれるはずもない。

 とはいえ、同じセブンスターズが相手となれば無視を決め込むわけにもいかない。それにここで通信を取れば焦ったマクギリスの姿が見れるかも知れないのだ。無視する必要性は感じられなかった。

 

「いいだろう、繋げ」

 

 イオクの言葉と共に、艦橋のメインモニターにマクギリスの姿が映し出された。予想に反していつも通りのすまし顔。背景から察するに、彼も艦船に乗っているのだろう。

 

「何用だ、マクギリス・ファリド。貴殿の出番はないはずだが?」

『それはこちらの台詞だ、イオク・クジャンよ。MA破壊の任は我らファリド家に関連する者が請け負うと、あの会議で決定されたはず。君の行いはそれに反しているが?』

 

 やはりそのことだったかと、イオクは内心で嘲笑った。これまで常に一歩先をリードしてきたマクギリスだが、ついにイオクがその先を行ったのだ。それが証拠にマクギリスはイオクに連絡を入れてきた。きっとMA討伐を思い留まれとでも言ってくるのだろう。

 もちろん、イオクにそんな気はさらさら無かったのだが。

 

「反しているもなにも、MAの破壊はギャラルホルンの任務の一環だろう。むしろそちらが無駄な被害を出さずに済むのだから、感謝されても良いくらいではないかね? ああ、それとも──貴様は七星勲章が惜しいのかな?」

『……さて、なんの事やら』

 

 はぐらかしこそしたが、瞑目したマクギリスの態度は何より雄弁な答えだった。その姿を見てイオクの溜飲もようやく下がる。

 

「くっ、ハハハハハッ! とうとう馬脚を露わしたなマクギリス! 全てが貴様の思い通りになると考えているなら、それは大きな間違いだ。この私、イオク・クジャンがそれを証明してみせよう!」

『ならば、観念して私から一つ忠告をさせてもらおう。MAを侮るなよ、イオク・クジャン。もし君があの禁止兵器を持ち出しているのなら、決してアテにはしないことだ』

「ふんっ、負け惜しみを……! 貴様は遠くから、指を咥えて見ているがいい。七星勲章が我らクジャン家の手中に収まるところをな!」

『そうか。では、せいぜい高みから見物させてもらおう』

 

 その言葉を最後にマクギリスとの通信が切れた。最後の最後までマクギリスは余裕そうな表情を崩さなかった、それがイオクには腹立たしい。ようやく一矢報いれると思ったのに、マクギリスからすれば些事に過ぎないと言うのだろうか。

 ──だからイオクは気が付けない。マクギリスはとっくにイオクの性格を把握している事に。彼はマクギリスの言葉など信用するはずもないのだから、正直な忠告こそ彼を陥れるための最適解だと知っているのだ。

 

「いいや、そんなはずがない。あの男にとっても我らの動きは手痛い打撃となるはずだ。MAの評価とて所詮は誇張、私を脅すための吹聴に過ぎん……!」

 

 湧き上がる疑念を圧し潰して自らを納得させたイオクは、今の不愉快なやり取りをすっかり忘れる事にした。これからMA討伐を控えているのだ、余計なしがらみなど持たない方が良いに決まっている。

 そうしていよいよ艦橋を出ようという時、またしてもイオクは呼び止められた。

 

「イオク様、一つ確認しておきたいことが」

「今度はなんだ? 時間がない、手短にしろ」

「はっ! ではお聞きしますが、MAの存在位置は火星の民間企業が保有する採掘場だったはず。こちらにはあまり被害を出さない方がよろしいと考えますが、どうお考えでしょうか?」

「確かにその通りだろう。しかし、世の中には大儀という言葉がある。MAの破壊などその最たるもの、何より優先すべきことを前にしては多少の被害もやむを得まい」

「……分かりました、ではその通りに」

 

 不承不承といった部下だが、彼らとて軍人だ。上がやると言うならどのような事でもやる。例えそれが人情に反するような、可能な限りやりたくない行いでもだ。

 かくして方針は決定された。自信満々に艦橋を出ていくイオクと、彼に従う部下たち。そんな彼らを無言で見送ったのは、これまで一度も喋らなかった女性だ。彼女は呆れたような溜息を一つ吐くと、短い金髪をかき上げた。

 

 イオクのお守ではなくラスタルの命を受けて着いてきた、ジュリエッタ・ジュリスである。

 

「イオク様、あんまり無茶なことはしないで欲しいのですがね……もし鏖殺の不死鳥とやらが出てきたら、真っ先にカモにされそうですし」

 

 ラスタルからは戦うなとは言われたが、もし鏖殺の不死鳥が出てくれば交戦は避けられないだろう。だからできればそうなる前に片を付けて欲しいのだが……たぶんそれは、期待するだけ無駄なのだろうと。ジュリエッタは再度重い溜息を吐いたのだった。

 

 ◇

 

 火星の空高くに太陽が輝く頃。

 

 降下用の専用装備をパージしながらクジャン家のMSが火星の荒野に降り立った。レギンレイズが十体、グレイズが四十体からなる総数五十もの大戦力である。クジャン家が誇る最大戦力が惜しみもなくMA討伐へ投入されたのだ。

 セブンスターズの本気が垣間見える一大戦力は採掘場より距離を取りつつ、着実に作戦実施の為の布陣を整えていく。その中でも目を引くのは、十機ほどのMSが持つ巨大な武装だろう。彼らが肩越しにそれを構えると、後方でもう十機のMSが細長い弾頭を装填していく。

 

 禁止兵器ことダインスレイヴ。それがこの兵器の名であり、イオクがMA討伐に際して最も信頼している兵器でもあった。

 

「では手筈通りに行こう。ダインスレイヴ隊は砲弾の装填を、囮役は私と共に着いてこい!」

『ダインスレイヴ隊、承知しました!』

 

 クジャン家によるMA討伐の作戦は非常に簡潔である。採掘場で休眠状態のMAを囮役が起動させてから、持ってきたダインスレイヴで一気に仕留めてしまうのだ。

 休眠状態のMAに直接ダインスレイヴを叩きこまないのは、ひとえに粗を潰すためだ。もし埋まったままのMAに向けてダインスレイヴを放てば、採掘場がどうなるかは想像に難くない。むしろ分かった上で禁止兵器(ダインスレイヴ)を私有地に打ち込んだとして、世論からの弾圧は免れないだろう。なにせ彼らはMAの脅威など知らないのだから。

 けれどMAが目覚め明確な脅威を発揮すれば、世論もそんなことは言えなくなる。今のイオクは独断で動いている以上、万が一にも非難される事態は避けたかったのである。

 

 リスクは大きい。けれど後顧の憂いなくMAを討ち取るには、これが最も堅実な方法だとイオクは確信している。だからこそ、その先駆けは自らが行うのも彼にとっては当然の事だった。

 

『イオク様、囮役は我らがやります。どうかイオク様は後方での援護を……』

「それはならん! 最も模範になるべき私がお前たちの後ろに隠れてなんとするのだ。任せておけ、そう簡単にやられはしないさ」

『分かりました……どうかご武運を、イオク様』

「ああ、お前たちもな」

 

 囮役はイオクを含め十名、ちょうどレギンレイズ隊が全員囮を務める計算となる。彼らでMAを起動させ、足止めを果たしている内にダインスレイヴ隊が仕留めるのだ。

 いよいよレギンレイズ隊がMAへと向かい進みだした。武器を構えながら一歩、また一歩とMAと距離を詰める。どの段階でMAが起動するかは不明だが、とにかく変化が見えるまで進むだけだ。

 

「一向に目覚める気配がないな……もしや休眠状態ではなく壊れていたのか?」

『可能性としてはあり得ますが……あまり期待するのもどうかと』

「それもそうだな。あくまでも油断せず、迅速に対処しなければ」

 

 緊張で息がつまる。囮役の十名も、それを背後で見守る四十人もの部下たちも、口数は少なかった。これから自分たちが目覚めさせ、仕留めなければならない災厄に想いを馳せる。恐ろしいが、ここまで来たら立ち向かう他に道は無い。

 

 そして、ついにその時が訪れる。もはや肉眼でもその威容が確認できるほどの近さ。採掘場の淵にイオク機が足を踏み出した時だった。

 

 ──恐るべき厄祭が息を吹き返したのだ。

 

「……! 来たかッ! 全員後退せよッ!」

 

 イオクの言葉に反応したかのように、MAの頭部らしき部位に光が灯る。ついで爆発、白い爆炎が地中を駆け抜けた。その原因は大地を抉りながら上空へと逸れると、天を焦がすかのごとく一筋の光となって貫いた。今は失われたビーム兵器である。

 素早く機体を後退させたイオクたちを追うように姿を現したのは、赤と白を基調とした殺戮の天使。まるで鳥のような見た目をしたそいつは流動性のワイヤーを揺らしながら、悠然と目標を見定めた。MAのAIはイオクたち囮組と、その背後に控えているダインスレイヴ隊を敵として認識したのだ。

 

「今だ! ダインスレイヴ隊、放てーッ!!」

『一番から五番、発射!!』

 

 足を止めているMAはまさに格好の標的、この機を逃さず即座にダインスレイヴ隊による掃射が成された。まずは装填済みの半分だけ、仕留め切れなかった時のことを考えてもう半分を温存した部下たちの判断は見事なものだろう。

 けれど彼らは知らなかった。考慮に入れていなかった。例え三百年前の遺物であろうとも、禁止兵器を持ち出そうとも。MAはなお最強最悪の兵器であるという事を。

 放たれた五発ものダインスレイヴ、常人ならば避けられるはずもない。だがMAは常人ではない。脆弱なAIを抱えてもいない。人を滅ぼすためのAIは、人を遥かに凌駕した頭脳で効率的に人を狩るのだから。

 ダインスレイヴの脅威を即座に認識したMAは即座に跳躍した。機械とは思えない滑らかな挙動、本当に鳥のように淀みない動きだった。宙を飛んだMAの真下、土煙のあがるそこをダインスレイヴは空しく通過するだけ。

 

 ──ダインスレイヴの致命的な弱点。それは高機動力を持つ相手には命中率が落ちてしまうことだ。どうしても一点集中になるダインスレイヴではMAを捉えきれない。故にダインスレイヴではなくガンダム・フレームが開発される結果となったのだが……それを知らないイオクたちでは、もはやどうしようもなかった。

 

「なん、だと……!」

『馬鹿な、今のを躱すのか!』

『MA、なんて化け物なんだ……』

 

 あまりにも呆気なく必殺の兵器を躱されてしまい、しばし誰もが呆然とする。目の前で起こった不条理を認められない。

 そして、その隙を見逃すMAでもない。合理的にして容赦の無いAIは。先の一撃が自分にとって十分な脅威となることを理解していた。だからまずは、目の前の羽虫ではなくそちらから殺戮することに決めたのだ。

 

 跳躍したMAはブースターに火を点けた。巨大に見合わぬ急激な加速をつけると、瞬く間にダインスレイヴ隊との距離を詰める。まさか宙をこれほどまでに速く飛ぶとは思っていなかったから、誰もがこの動きに対応できなかったのだ。

 次に起きたのは予定調和のごとき蹂躙劇。巨体に見合わぬ速度と変幻自在のテイルブレードを勢いよく振るう。MSの腕が飛んだ。足がひしゃげた。頭がねじれ飛び、鉤爪のような足でコクピットを踏みつぶされた。ダインスレイヴを保有するMSは特に念入りに破壊され、パイロットの生存など期待するべくもない。

 

「そんな、馬鹿な……」

『生存者は、生存者はいないのか!?』

『返事をしろ! おい、なんとか言ってくれ!』

 

 一方的。的確な言葉はそれしかない。あまりにも無慈悲で残虐で、予定調和のごとき殺戮だ。

 

 たったの一分。それが形成逆転の為に必要な時間だった。MAに反撃する者もいたのだが、頑強な装甲を持つMAには決定打にならない。MAもそれを理解しているから、些細な抵抗になど構うことなく蹂躙を続けていく。

 

 さらに採掘場からは無数の黒い子機たちが登場し、MAが見過ごしたイオクたちへと襲い掛かり始めた。一機、十機、三十機、まだ増えて五十は越えたか──もはや絶望的な戦力差だ。

 十機のMSだけでは、最新鋭機のレギンレイズだけでは、とても話にならない。ライフルを放ちアックスで迎撃するがそんなものは多勢に無勢だ。死をほんの数秒先延ばしているだけに過ぎない。

 

「なんだ、なんなのだこれは……!? MAとはこれほどの強さなのか!?」

『イオク様ッ! ここは撤退を! 今の我らではもはや太刀打ちできません!』

「しかし……ッ! お前たちを見捨てるわけには!」

 

 言い訳ならば幾らでも出来る。

 MAの力を侮っていた。

 即座にダインスレイヴ隊の脅威を認識して対処するとは思えなかった。

 自分たちの方が物量で負ける羽目になるとは想像すらしなかった。

 

 ──全ては結果論でしかない。イオクたちはMAの脅威を正確に知らなかったからこうなった。これはただ、それだけの話だ。

 五十機いたはずのMS隊は今や十数機が残るのみ、勝敗は誰の目にも明らかだった。

 

『行ってくださいイオク様! ここは我らが凌ぎます!』

『あなたの命は、あなた一人の命ではありません……! クジャン家の未来をどうかお考え下さい……!』

「ぐうっ……すまない、お前たち! この恩は忘れない……ッ! 絶対にお前たちの仇は取ってみせるぞ! クジャン家の名に誓って!」

 

 部下たちの決死の覚悟、伝わらないイオクではなかった。この事態を引き起こした責が自分にあるとしても、いや、だからこそ生きねばならない。そうでなければ死に行く部下たちに申し開きが立たないのだから。

 イオクが戦線離脱の為に背を向き、部下たちがMAと子機の群れに決死の特攻をかけようとした──その時だった。

 

「なんだ?」

 

 唐突にコクピット内に警告音が鳴り響いた。レーダーに感あり、急速に接近してきている。MSの反応だ。そいつはイオクたちの頭上を越えて躊躇うことなくMAに突撃すると、手に持った大剣でMAをぶっ飛ばしたのだ。

 まるで時間が止まったかのように、誰もが動きを停止した。MSも、MAも、子機も、誰もかもだ。ただやって来た乱入者だけが、赤と金の機体を操り大剣を構えなおす。

 

 データベース照合──機体名、ASW-G-37 GUNDAM PHOENIX。

 いつかの会議でマクギリスが口にしていた鏖殺の不死鳥。それが乱入者の名前だった。

 

『困るのですよ、勝手に死なれたら』

 

 正体不明のMS──フェニクスから通信が来た。平坦な少女の声、どこか不機嫌そうな色を帯びている。

 吹き飛ばされたMAの方は即座に受け身を取ると、滑らかな挙動で体勢を立て直した。しかしもはや、MAはイオクたちを標的にはしていない。先ほどまでの蹂躙劇は嘘のように静まり、MAは殺すべき標的を眼前のフェニクスただ一機に定めたのだ。

 

「助けに来て、くれたのか……?」

『助けに来た? ……まあ、ある意味ではそうかもしれませんね』

 

 どろりとした熱量を含んだ肯定。何かが違うとイオクは感じた。けれどそれを考える暇はない。

 ちょうどイオクたちを庇うようにMAの前に立ったフェニクス。そのツインアイは鮮血に塗れたかのように赤く染まっていて──どこまでも不吉を連想させるものだった。

 

『ここであなた達が死んでしまったら、ジゼルの殺害数(とりぶん)が少なくなってしまいますからね。ええ、だからあなたは邪魔なんですよMA。すぐにでもジゼルの前から消えてくださいな』

 

 一言で表せば同族嫌悪。明確な敵意をもってジゼルはMAを破壊すると誓い。

 MAもまたフェニクスと、なによりジゼルの存在が不快で堪らないとばかりにその身体を震わせたのである。

 

 ──互いに不倶戴天の存在同士、遭遇してしまえば殺し合うより他に道は無く。

 

 こうして、過去より羽ばたいた鏖殺の不死鳥(あくま)は、ついに蘇りし厄祭(どうるい)と相見えたのだ。




おまけ:ジゼルのちょっとした裏設定
【名前】ジゼル・アルムフェルト
【年齢】(#22時点では)20歳?
【身長/体重】158センチ/48キロ
【概要】…人殺しを何より楽しむ破綻者。MS操縦技術は高く頭脳もそれなりのものがあるが、その全てが最終的には誰かを殺すことに繋がっている。ある意味では人類種の天敵。
性格はマイペース&天然。超辛党。髪の毛が長すぎるせいで洗う際はシャンプーを丸々一本使うときもあるとかないとか。
実は密かに胸が小さいのを気にしている。しかしそんなことより殺人を優先するため、やっぱり気にしていないのかもしれない。


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#23 殺戮の鋼鉄鳥

あけましておめでとうございます。
本年もより良い作品を執筆できるよう精進していく次第です。どうか今年もよろしくお願いいたします。


 人を狩る天使(MA)を打倒するために製造された、人を救うための悪魔(ガンダム)たち。

 総勢七十二機という少数しか製造されなかったガンダム・フレームには、それぞれが”機体コンセプト”とも言うべき設計思想を持っていた。

 

 例えば、ASW-G-08 ガンダム・バルバトス。この機体は汎用性を何より重視した機体だ。おおよそあらゆる武装をそつなく扱えるし、尖った性能を持っているわけでもない。非常に扱いやすい基本的な機体といえるだろう。

 反対に、ASW-G-66 ガンダム・キマリスはピーキーな性能だ。各部に設置されたスラスターによる一撃離脱の接近戦を得意とし、それを補佐するためのユニットも兼ね備えてはいる。だがそれらを加味しても、高速機ゆえにやや扱いづらい近接特化機なのは否定できない事実だ。

 

 このように、ガンダム・フレームには様々な特徴が存在する。特に後年になればなるほど機体性能も向上していくから、より特化型として尖った性能を持ちやすくなるのは道理だろう。だが、当然その途中には”試作機”とも呼べるガンダム・フレームも存在したわけで。

 そのうち最も特徴的とされるのがASW-G-37 ガンダム・フェニクスである。MAを除けば人類を殺害したトップランカーに位置する鋼の不死鳥。そのコンセプトは、そのものズバリ”MAの力を宿したガンダム・フレーム”なのだから。

 印象的なテイルブレード、鉤爪型の脚部、高い機動力を生み出す翼部スラスター──どれもMAに搭載された兵装に相違ない。強大な力を持つMAに対抗するためには、その力を自分たちも使用してしまえばよい、と。実に自然な発想から設計されたガンダム・フェニクスは、なるほど確かに相応しい機体性能を持つに至ったわけだ。

 

 ──それがまさか、フェニクスを操るパイロットまでMAと似通うとは。

 

 人を狩る天使をモチーフにした悪魔は、果たしてモチーフ通りに人を狩る悪魔へと成り果てた。きっとこの因果は開発者の誰もが思いもしなかった誤算であり、あるいは業によって定められた運命でもあったのだろう。

 

 ◇

 

 カチッ、カチッ、カチッ。MSの狭いコクピット内に小さな音が響く。MSの各機能を順に立ち上げていく音だった。小気味よくスイッチが入れられ、次第に光が点り始める。

 パイロットにとって数えるのも億劫なほどに繰り返された起動シークエンスだ。目を瞑っていても出来る。よどみなく機体は息を吹き返し、メインモニターには高台から見下ろす形となっている採掘場が映される。さらにその下のサブモニターには機体型番──ASW-G-37 GUNDAM PHOENIXの文字が浮かび上がっていた。

 

 かくして出撃準備を終えたフェニクスのパイロット、ジゼル・アルムフェルトは普段よりもやや不機嫌そうに通信を入れると、鉄華団団長オルガ・イツカの下へ通信を繋げたのである。

 

「フェニクス、起動シークエンス終了しました。いつでも出れますよ、団長さん」

『そうか、分かった。悪いが一刻の猶予もねぇ、すぐにでも出てもらうことになりそうだ』

「気乗りはしませんが、まあ団長さんの頼みなら」

 

 改めてモニターに映された採掘場へと目をやる。残念ながら鉄華団はタッチの差で間に合わなかった。採掘場を見渡せる高台に急行した時には、既に目覚めたMAはすぐ近くのMS隊──話によればクジャン家というらしい──を敵と定めていたからだ。果たして彼らがどのような対策を施しているかは定かではないが、あまり高望みをしない方が賢明だろう。最悪にして面倒な事態は避けられなかったのだ。

 

 ほう、とため息を吐いてからジゼルは持ち込んだ携帯食料に手を伸ばした。袋を開けて、簡素な棒状の食料を咀嚼する。今は阿頼耶識システムと繋がっているから、味はちゃんと分かる。だけどもあまり美味しくない。地球でマクギリスからもらったチョコの方がよほど美味しいと感じるほどだ。

 

「はて、どうしてでしょうかね……?」

『なんか言ったか?』

「いえ、何も。それより他の方はどうですか? さすがにジゼルだけでMAの相手をするのは嫌なのですが」

『その話なんだがな……』

 

 今回の作戦では、鉄華団のエースたちが駆るガンダム・フレーム四機を主軸にする作戦だった。パイロットの腕的にも、ガンダム・フレームの誕生経緯にしても、これ以上の適任はいないと考えたからである。

 けれど、その前提はこの場にやってきた瞬間崩れ去った。フェニクスを除いたガンダム三機が、MAを認識した途端いっせいに不調を訴えたからである。原因不明、しかし強大なMAを相手取るのにこの不調は無視できない。さすがにジゼルもこれは予期できなかったから、対策などがあるはずもなく。だから急遽ガンダム三機を後方支援に回し、代わりに彼らに次ぐ実力を持った者たちをMAに当てる手筈となったのだ。

 

 そうは言っても、三日月たちを除けばMA相手に出せるパイロットがほとんどいないのも事実だが。

 

『だから俺たちが出せるガンダムはアンタとフェニクスしかねぇ。負担がデケェってのは百も承知だが、それでもどうにかしてもらいたい。頼めるか?』

「……いいですよ、もう。ここで話していても埒が明きませんし。代わりに、二つほどお願いがあります」

『いいだろう、言ってくれ。出来る限り便宜は図る』

「では一つ目。今度何か美味しい食べ物でも一緒に買いにいきましょう。阿頼耶識を繋いで食べるつもりですから、フェニクスで食べられそうなものを幾つか見繕っておいてください」

『そんなもんでいいのか? 俺はてっきり──』

「まあ焦らないでください。それで、二つ目のお願いなのですが──」

 

 もう一度モニターに目をやる。破壊された採掘場近辺で暴れるMAの姿が恐ろしい。あれだけ居たはずのクジャン家所属のMS隊は今や一握りだけ、それ以外は地に伏せるか必死に逃げ惑うかの二つしかない。

 事情を知らなければ哀れを催す悲惨な光景だし、事情を知っていてもここまで無残な姿になると同情心が沸いてしまう。それは彼らに横槍を入れられたオルガとて例外ではない。身勝手な行動への怒りはあるが、ざまぁみろと嘲笑う気まではしなかったのだ。

 

 ただし、これらは全て常人の感性に基づくならの話だが。

 

「あそこに居る生き残りの人たちは、全員ジゼルが殺しますから。鹵獲はともかくとして、殺すのは控えてもらえればと思います」

『……だろうと思ったよ。他の団員には出来るだけあそこの奴らを殺すなと伝えてある。それでいいか?』

「もう手回しまで行っていたとは、ちょっとビックリしましたよ。お気遣いありがとうございます」

 

 鈴を転がすように軽やかな感謝は、これから人を殺せるという暗い愉悦に彩られている。おぞましいが、けれどオルガとて伊達や酔狂で彼女を雇おうと決めたわけではない。この程度の狂気、もう慣れてしまったのだ。

 勝手にMA討伐に横槍を入れてきた挙句、失敗までしたクジャン家とやら。鉄華団に断りもなく面倒なことをしてくれたとは思うが、果たして死ぬ必要まであったかどうか。オルガはそれ以上をここで考えるつもりは無いし、ジゼルに至っては発想すら存在しない。他の団員にしてもわざわざ止める気はないだろう。

 

「さて、それでは出撃()るといたしましょうか。これ以上MAをほうっておくと、ジゼルの取り分が無くなってしまいますので」

『よし、なら作戦通りに頼むぞ。ちょいと狂っちまったが、やることは変わんねぇ。おびき寄せて、分断して、本体を叩く。そんだけだ』

「それでは──」

 

 フェニクスのレバーを強く握った。フットペダルへと徐々に力をこめて、翼部スラスターのスロットルが開いていく。ジゼルの意思によって鋼の不死鳥に火が入り、鏖殺の不死鳥(あくま)へと変生(へんじょう)を遂げていく。

 仕上げとばかりにガンダム・フレームに特有のフェイス、そのツインアイに緑の光が灯った。しかしそれは段々と色を変えていき──

 

「ジゼル・アルムフェルトです。ガンダム・フェニクス、目標を殺戮してきます」

 

 鏖殺の不死鳥が地上より羽ばたいた時には、血を連想させる禍々しい赤に染まっていたのである。

 

 ◇

 

 まるで地球に住む鳥のよう。

 イオクが抱いたフェニクスへの第一印象がそれだった。

 

『だからあなたは邪魔なんですよMA。すぐにでもジゼルの前から消えてくださいな』

 

 不機嫌さを隠そうともしない声音でMAへと告げた破壊宣言。MAには聞こえていないはずのそれに、しかしMAは不愉快そうに身を震わせて敵意を示した。あたかもフェニクスが不倶戴天の敵であると認識しているかのように。

 フェニクスが陣取ったのはちょうどイオク達とMAの中間地点だ。かばうように背を向けているフェニクス相手に、たまらずイオクは問いを投げた。

 

「貴様──いや、貴殿は何者だ? 助けてもらったことは感謝するが、しかし……」

 

 言いよどむイオクに対し返ってきたのは、実に億劫そうな通信だった。

 

『……はぁ、鉄華団参謀、ジゼル・アルムフェルトです。後は見ての通りなのでよろしく』

「な……! つまり君があの鏖殺の不死鳥のパイロットなのか……!?」

『そうですけど何か? ああ、謝礼については気にしなくて良いですよ。誰でも持っているもの一つで十分に足りますので』

「それは──」

 

 いったい何なのだ? ふと不安に駆られたイオクが聞き返すより前に、フェニクスは迅速に行動を始めていた。

 速い。まず第一印象はそれだ。ひたすら速く、そして無駄がない。放たれた矢のように突貫したフェニクスは、咄嗟に行動を起こしたMAの攻撃を掻い潜って肉薄する。

 鋼と鋼のぶつかる鈍い音が響いた。フェニクスの持つ大剣がMAを叩いたのだ。これまで誰一人与えられなかったクリーンヒット、けれどMAは身じろぎすらしない。生来の頑強さにまかせて受け止めると、お返しとばかりにテイルブレードを走らせる。イオクからしても部下たちを蹂躙せしめた、悪魔のごとき兵装は印象強い。

 

『ふっ──』

 

 微かな息遣いが、通信越しに聞こえた気がした。

 フェニクスは対抗するように腰部後方の尻尾、いや、テイルブレードを射出した。搭乗者の意思が乗ったブレードは的確にMAのテイルブレードを弾き飛ばすと、後方から迫っていた子機たちを苦も無く一掃したのである。

 まるで見えていたかのように鮮やかな対処。子機たちも出方を窺っているかのように大人しくなった。フェニクスのパイロットは尋常な腕前ではない、一瞬だがイオク達に悟らせるには十分すぎる攻防である。

 

『そこで突っ立ってるギャラルホルン! 邪魔だからどいてろ!』

「!?」

 

 さらに、後方からは銃撃の援護が走る。唐突な怒声に振り返れば、そこには鉄華団のMSらしき影がライフルを連射している姿が見える。標的は無数に居る黒い子機たち、フェニクスやイオク達に近づこうとしているのを片っ端から打ち抜いていた。

 

『イオク様、これは……』

「あ、ああ……どうやら、運にまでは見放されなかったようだな」

 

 イオクのそばに残った部下は三人だけ、さらに行動不能となって横たわっているMSがおよそ十機ほど残っていた。あまりにひどい損害。けれど逆に言えば、あれだけMAにいいようにされても十数名の命は残ったのだから僥倖ともいえるのか。

 

『イオク様、ここは鉄華団が戦っているうちに我らは味方を助け離脱するべきかと』

「な!? しかしそれでは散っていった部下たちの無念が!」

『我らはイオク様のために命を張り、そして落としたのです! それなのにイオク様がここで戦死なされては、それこそ無駄死にとなってしまいます! どうか、ご理解ください……』

 

 到底納得できるものではない。しかし彼らの言葉もまた真実だ。任務の失敗は口惜しいが命あっての物種、ここは撤退すべきであると。イオクもその想いは理解できるからこそ、断腸の思いで決断を下した。

 

「くうッ……! 是非もあるまい。部下たちに繋いでもらった命、ここで散らせるわけにはいかぬか……!」

 

 悔し涙が頬を伝う。自らに付き合って散っていった部下たちに申し開きが立たぬが、死んでしまうほうがよほど駄目だ。きっと全てを失ったイオクなら出来なかった思考でも、いまだ部下たちが残っている現状だからこそ考えることが出来たのだ。

 そうして、鉄華団の邪魔にならないようにその場を後にしようとしたイオクは──

 

「なあッ……! そこにはまだ私の仲間が!」

『そうですか、なら大当たりですね』

 

 ()()()()()()()()()コクピットを無造作に踏み潰したフェニクスの行動に目を剥いたのである。

 切っ掛けをイオクは見ていなかった。ただ、前後の状況的にフェニクスがMAの攻撃を避けるために跳躍し、着地したのだと思う。その結果としてフェニクスの鉤爪状の脚部はあやまたず部下の居るコクピットを踏み抜き、残酷にもその命を奪ったのだ。

 事故か? いや待て、それは違う。だってフェニクスのパイロットは……あまりの事態に硬直してしまうイオクを他所に、フェニクスとMAは接戦を続けていた。

 巨大な兵装は、剣と砲の合体したものだろうか。轟音が鳴り響くたびにMAの動きが鈍り、薬莢の転がる鈍い金属音が聞こえてくる。大口径の砲でMAを足止めしたフェニクスは間髪入れず右足の鉤爪(パワード・クロー)で何かを掴んだ。その正体は破壊され転がっていたグレイズ。先ほどのとはまた違う、けれどまだ生存者が居る機体である。

 

 何をするつもりなのかは皆目見当もつかないが、良いことでないのだけは理解できた。

 

「や、やめろーーッ!!」

『ふふっ、ふふふっ……』

 

 反射的に叫んだイオクと、こらえきれずに笑い声を漏らすジゼルと。

 どこまでも対照的な二人。だからこそイオクは絶望的な表情を浮かべ、ジゼルは楽しくてたまらないとばかりに美貌を悪辣に歪めたのだ。

 まるで球を蹴るかのような動作でフェニクスは右足を振りぬいた。当然、鉤爪に捕まっていたグレイズはMAに向かって飛んでいく結果となる。その先には頭部を開き、ビームを発射する体勢を整えていたMAが待ち構えている。

 

『ま、ちょっとした盾といったところですね』

 

 フェニクスのパイロットが何か言っていたが、イオクには一言足りとて頭に入らなかった。次に起こる事態を予見して、あらゆる思考が釘付けになっていたからだ。

 

 次の瞬間、MAの頭部から極大のビームが放たれた。それは飛んできたMSによって発射口のすぐ傍で止められてしまい、周囲の大地に拡散して抉っていく。MAのほうもすぐには止められないのか、自身の頭部が燃え始めてもお構いなしだ。

 通常、MSの装甲に用いられるナノラミネート・アーマーはビームに強い。直撃したところでパイロットは多少熱を感じる程度で済むだろう。だが今回の場合、既に破損した状態でしかも超至近距離だ。とてもじゃないがビームの熱を受け止めきれず、結果として間接部にまでビームが到達してしまう。

 

 後はただ誘爆するのみ、鋼鉄の機体はそのまま棺桶へと変貌したのだ。

 

「あ、あぁ……そんな、皆が……」

『イオク様!』

『我らがついています、お気を確かに!』

『まずはここからの脱出が先です!』

 

 気がつけばイオクの駆るレギンレイズは、部下たちの機体に抱えられていた。悪夢の具現というべきその場を離脱するように全速力で駆けていく。背後ではなおも部下たちが道具のように使われ、そして殺されているというのに。今の彼はとことんまで無力だった。

 そんなイオクを懸命に気遣う部下たちの健気な献身すら、彼にはどこか遠くで起きた事にしか感じられなかったのである。

 人を人とも思わず、使い捨ての道具か何かのように浪費していくフェニクス。その狂った有様を見ることで、ようやくイオクも鏖殺の不死鳥の何たるかを理解したのだった。単純な理屈だからこそ、裏も何も無く狂った理屈を読み取れる。あれは人を殺すためだけの存在、いいとこMAと変わらない悪夢の不死鳥に相違ない。

 

 殺戮の鋼鉄鳥たちの狂演は終わらない。

 グレイズを盾にするという狂気的な方法によりビームでMAの視界を潰したフェニクスは、さらにMAへと躊躇無く肉薄した。大剣で巨体ごと押し込み、テイルブレードでいなしていく。その動きはよくよく観察すればどこかへ誘導しているもの、先を見れば鉄華団のMSたちが勢ぞろいして待ち構えている。

 

 おそらく鉄華団の作戦とはここから違う場所に戦場を移して、そこでMAを仕留める腹積もりなのだろう。そのための誘導にあの狂ったガンダム・フレームが出張っているというのなら、これ以上イオクたちを気にかける余裕も無いはず。

 

 ──いいや、まだだ。その程度のことで不死鳥は諦めない。

 

『──ッ!? 追って、きている……!』

 

 部下の一人が息を呑んだ。たまらずイオクが振り返ると、その先には離脱するイオクたちを猛追してくるフェニクスの姿がある。代わりにMAを相手取っているのは、イオクも見覚えのある青と白のガンダムだ。そちらと鉄華団のMSたちを新たな標的と定めたのか、MAはどんどんと別の方へと消えていく。

 代わりに頚木(くびき)から解き放たれてしまったのは鏖殺の不死鳥だ。その背後に積みあがるグレイズの残骸からは、とてもじゃないが生存者を期待することなど出来なかった。

 

 もはやあの不死鳥にとって、イオクたちも当たり前の殺戮対象なのだろう。彼らにしてみればMAがさらに増えたかのような感覚、生きた心地も感じられない。

 

「──どうせここで矛を交える羽目になるのならッ!」

『イオク様、いけません!?』

 

 だからイオクは吹っ切れた。吹っ切れてしまった。

 部下たちに抱えられた機体を捻って拘束を逃れ、そのまま地面に着地した。向き直ればもうすぐ傍までフェニクスが迫っている。ほんの一瞬身が縮こまるが、けれど意地で我慢した。

 

「貴様が無慈悲にも摘んでいった部下たちの仇! このイオク・クジャンが刺し違えてでも取ってみせる!」

『へぇ、あなたが噂のイオク・クジャンでしたか……これはまたどうしたものか。少々困りましたね』

 

 大剣が振るわれる直前だった。フェニクスはおもむろに動作を中断すると、逆に距離を取って静止する。まるでイオクを見定めているかのようだ。

 その間にも部下たちがすぐさまイオクを庇うように前に出た。この状況、良くは分からないがすぐさま死ぬことは無いと見た。なら部下たちに出来ることはこの場から確実にイオクを逃がすことだけだ。

 

 妙な緊張が場を満たす。この手合いを前に言葉での解決は期待するべきではない。だがそうはいっても直接戦闘で勝てるかといえば、先ほどまでの戦闘を見ればとても頷けない。今や八方塞だ。

 睨みあったまま五秒が経ち、十秒が過ぎ──唐突にフェニクスが動いた。さらに後方へと素早く機体を切り返す。

 

 その直後だ。先ほどまでフェニクスが立っていた一帯に無数の銃痕が刻み込まれる。天から降り注いだ銃撃に驚きながらもイオクが空を見上げれば、

 

『何をしているかと思えば、やはり鏖殺の不死鳥に目を付けられていましたか。先ほどの啖呵はともかく、イオク様では相手にならないと思うので引っ込んでいてください』

「ジュリエッタ……」

 

 見るに見かねて援軍にやってきたジュリエッタ・ジュリスとその愛機が、火星の空より降りてきていたのである。

 



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#24 邂逅

 ──MAへカノンブレードを叩きつける。勢いとガンダム特有の出力に押され殺戮の天使の巨体が一歩後退した。

 フェニクスの機動力を活かして背後へと一息に跳躍。狙い通り即座にMAは追撃し、目的地へとさらに近づいた。

 厄介なMAの子機(プルーマ)たちはフラウロスを中心とした援護射撃により、少しづつだが数を減らしてきている。数の暴力という武器は失われ始めた。

 

 ここまで全てジゼルとフェニクス、そして鉄華団の掌の上だ。まもなくMAは作戦通りに目的地である谷間へと誘導され、そこで本格的にプルーマの数を減らされることだろう。その後は単機となったMAをフェニクスと鉄華団のMS部隊で破壊すれば片がつく。あくびが出るほどシンプルな作戦で、それ故に穴がない。

 

「まったく、手間ばかりかかって面白みが一つもありませんね」

 

 だからつまらなそうにぼやいたジゼルの文句は、戦闘という状況のわりに暢気だった。

 

 ジゼルからすれば、まずMAと矛を交えること自体が不本意である。確かにMAとの戦闘経験はあるし、今もそれなりに対応できている自信がある。だが彼女の本領は何といっても対人特化、殺戮こそ最も望むところなのだ。人が乗ってるわけでもないMAが相手ではやや調子が落ちるのは否めない。ありていにいって”ノれない”と表現すべきか。

 とはいえ仕事は仕事であり、破壊すべきMAをほったらかしにしてまで目の前のご馳走(にんげん)に飛びつくわけにもいかない。狂人にしては意外なくらい強い理性だが、ことジゼルに関しては特筆に値しない。それだけの分別を備えているからこそ、彼女は有能にして悪辣な殺人鬼となり得るのだから。

 

 あたかも機械のように面白みも高揚感も感じられず、平坦な心のままにMAを追い詰めていくジゼル。その中でふと、自嘲の形に唇が歪んでいたことに気づいた。

 

「この程度、同じ条件なら三日月さんだって出来るでしょうに。つくづくジゼルは度し難い人間ですね」

 

 MAの誇る機動力も、攻撃力も、全て三百年前から知っている。しかも今回は頼れる味方からの援護だって存在する。だから無傷でMAを手玉に取ることが出来るのであって、この程度のことはジゼルにとってなんら自慢にならないのだ。あるいは三日月の方が、MS操縦の総合力を問うなら確実に自分(ジゼル)より上だろう。

 やはり自分は殺人特化、人間を相手にしている方がよほど力を発揮できる──などと考え直したところで、先ほどまで散々に利用させてもらったクジャン家の者たちを思い出した。そういえば数人ほど逃がしてしまったが、彼らについてはどうしようか? それこそ三日月といった腕の立つ人間に頼んで鹵獲してもらおうか、うん、そうしよう。

 

 ふと気がつけば、目的地である谷間入り口は既に間近だ。

 

「すみません、誰か手の空いている人は先ほどのMS数機を追っていただければ──」

『自分で追えばいいんじゃない?』

 

 あくまで己の役割に徹した発言を否定したのは、ジゼルに負けず劣らず淡々とした少年の声。

 それと同時に、MAの目の前に一機のMSが躍り出た。白と青の二色が特徴的なその機体は、鉄華団を象徴するガンダム・フレームに相違ない。不調によって消極的な参戦に留められていたはずなのに、いかなる理由かバルバトスが前線に飛び込んできたのだ。

 もちろんジゼルは聞いていない。それどころか鉄華団の誰もが予想だにしない状況だろう。だが現にバルバトスはMAを相手取り始め、それが証拠にツインアイもフェニクス同様に赤く輝いている。対MA用にリミッターの外れた証だ。

 

 バルバトスは巨大なメイスを振りかぶると、MAを相手に一歩も譲らず渡り合い始めた。軽やかに動き、重い一撃を叩きつける。その動き、先のジゼルにも劣らない。むしろ初見の相手ということを鑑みれば、彼のほうがより良い動きをしていると言えるほどだ。

 

『こっちは俺たちで抑えとくから、アンタは向こうの逃げたのを追えば? そっちの方が適任でしょ』

 

 そんな最中だというのに、三日月・オーガスはあくまで普段どおりの調子を保っていた。

 

「一理ありますね。ですが、MAってけっこう強いですよ?」

『ん……まあなんとかしてみるよ。どうせアンタがいなけりゃ、俺が先陣切ってただろうし』

「そうですか。ならお言葉に甘えましょう」

 

 お互いに言葉数は少ないが、それで意思疎通は完了した。既にMAの誘導というジゼル最大の役目は終わっている。後はMAを破壊さえ出来れば、誰が相手をしても良いのだ。結果としてどのような代償が阿頼耶識システムからもたらされようともそればかりは自己責任、ジゼルが気にする事ではなかった。

 即座に機体を元来た方向へと転換させる。フェニクスの機動力ならすぐにでも追いつけるだろう。スロットルを全開にしてバーニアを吹かせながらレーダーに目をやれば、一分もしないで追いつける程度の距離しかない。

 

 これなら取り逃がす心配は無い──そう確信したところで、ジゼルは通信機のスイッチを入れた。

 

「そういうわけですので団長さん、ジゼルは先ほどの方たちを追いかけます。MAは三日月さんが相手をしてくれるようです」

『……ったく、ミカは調子悪い機体で待機も聞かずに突っ込んじまうし、アンタはアンタで勝手に戦線を離脱するしで指揮するこっちとしちゃいい迷惑だ』

 

 不満げに嘯いてから、オルガは『とはいえ』と続けた。

 

『今回の一件、鉄華団にも土地的な意味では被害が出てんだ。たとえ向こうにどんな事情があったにせよ、この落とし前は付けさせなきゃなんねぇ』

「どのような形であろうとも?」

『そうだ』

 

 一連の事態はそもそも鉄華団が預かっていた事案に、別勢力が我が物顔で乱入してきたことに起因する。今のところ採掘場以外目立った被害は出ていないが、それでも少なくない被害を鉄華団が被ったのは事実だろう。

 そして鉄華団は──いや、こう言い換えよう。鉄華団団長オルガ・イツカは、筋を通さないことを何より嫌う。恩があるなら絶対に報いるし、仇があるなら必ず落とし前を付けさせる。それが彼にとっての信念なのだ。

 ……まあ、だからといってまだ死人も出てないような被害状況で、相手を殺す必要まであるかといえば疑問は残るが。オルガは敢えてその先の思考にまで手を伸ばしてはいなかった。これ以上を考えてしまうのは、それこそジゼルに対して不義理であると言えよう。

 

 だからオルガは、躊躇うことなくジゼルに指示を出したのだ。

 

『生死は問わねぇ、アンタが納得いく形で終わらせろ。ただし、あんまり時間をかけないでくれよ。下手をすればミカがMAにやられちまう可能性だってあるんだからな』

「重々承知していますとも。では、五分で終わらせてきましょう」

『任せた』

 

 短い信頼の言葉を最後に通信が切れた。その言葉のくすぐったさをほんの一瞬ジゼルは楽しんでから、即座に思考を狩人のそれに切り替える。悪辣にして破綻した狩人の獲物はもう目の前だ。

 どこまで見渡しても赤い火星の荒野を駆けているのは、四機のレギンレイズである。正確に言えば地上を駆ける青緑色の三機が、黄色にカラーリングされたレギンレイズを運んでいる状態だ。お荷物なのか動けないのかは知らないが、これでは確かにフェニクスから逃れることは難しいだろう。

 

 と、ちょうどフェニクスが接敵する直前だった。その黄色のレギンレイズが三機を振り払ったのである。地に足をつけて長大な砲身をフェニクスに向けたそいつから、何度か通信に乗って聞こえてきた声が聞こえてきた。

 

「貴様が無慈悲にも摘んでいった部下たちの仇! このイオク・クジャンが刺し違えてでも取ってみせる!」

 

 もう黄色のレギンレイズはすぐ目の前だった。カノンブレードを振りかぶり、一息に叩き潰そうと思っていたジゼルなのだが、不意に聞こえてきたこの口上で咄嗟に攻撃を止めてしまう。看過するには少しばかり()()()()()内容だったからだ。

 

『へぇ、あなたが噂のイオク・クジャンでしたか……これはまたどうしたものか。少々困りましたね』

 

 念のために距離を取りつつ、素早く思考を巡らせる。

 今回の一件がこのイオク・クジャンが中心となって起きた事態だというのは知っていた。そして彼はセブンスターズ、政敵であるマクギリスがMAを討伐すると宣したことを知らないはずも無い。

 ならばどういうことか。決まっている、手柄を横取りしてマクギリスがこれ以上進出するのを抑えたかったのだろう。理屈は納得できるがしかし、アプローチの仕方が致命的だったのは否めない。

 

 今の口上を鑑みれば、このイオクという人物に人並み以上の正義感があることは推し量れる。だがその影響でやや感情的になりすぎてしまい、今回のような大騒動の引き金を引いてしまったと考えるのが自然だろう。

 

「使えますね、この人……」

 

 誰にも聞こえないほど小さな声でジゼルは笑った。

 上の立場に居て、正義感が強く、けれどその感情に素直すぎて結果が伴わない。ついでに言えばMSの操縦技術も良いとはいえないだろう。なのにMAの討伐に乗り出す向こう見ずさも良い塩梅だ。

 端的に言おう。素晴らしい。ここで一息に殺してしまうのはあまりに惜しいくらいカモである。きっと彼はこれからも大いに迷走して、戦いと死を振りまいてくれることだろう。

 元々は皆殺しの予定だったが、一の殺人を我慢する代わりに後で十も百も殺せるのなら選択肢は一つしかない。この機を利用しない法は無かった。

 

 そうと決まれば結論は早い。イオク機を守るように前に出た三機のレギンレイズを殲滅し、彼だけ捕虜という形で鹵獲してしまえば良いのである。

 

 ──だけどその前に、だ。

 

「先にあなたから殺してしまいましょう。ね、乱入者さん?」

 

 センサーに感有り。確認のために空を仰ぎ見る。そこにいたのは、抜けるように青い空から降りてきた新手のレギンレイズだ。他とは違う専用カスタムが見られるそれは、腕の立つパイロットが搭乗している何よりの証左。油断できる相手ではない。

 だからまずはそちらに対応すべく、ジゼルは降り注ぐ銃撃を避けるためにフェニクスを後方へと下がらせたのだった。

 

 ◇

 

 今回の行動が命令を離れた独断に基づくと指摘されてしまえば、それを否定できるだけの根拠が無かったのはジュリエッタも認めるところである。

 火星の静止軌道上に陣取ったクジャン家の艦隊で待機していたジュリエッタだが、当初はラスタルの命令通りに鏖殺の不死鳥とやらを監視するだけに留めていた。イオクたちがMAに追い詰められても、件の不死鳥に命を狙われても、命令に背いてまで介入するつもりは微塵も無かったのだ。

 

 ただ、一つ誤算があったとするならば──

 

「あれだけ頼まれてしまえば、さすがに無為に突っぱねるわけにもいきませんし……」

 

 素早く愛機に乗って艦から飛び出したジュリエッタは、火星大気圏への降下シークエンスを開始しつつもぼやいた。その内容が示すところは、先ほど艦橋で行われたクジャン家お付の部下たちとの会話である。

 

「どうか、イオク様をお救いください!」

「私からもお願いします!」

「わ、私もです!」

「は、はあ……」

 

 艦橋で逐一イオクと、それにガンダム・フェニクスの行動を知らせてもらっていたジュリエッタに向けられたのはそんな言葉だった。思わず戸惑いの言葉が漏れたのも仕方ないと言えよう。

 状況は悪い方向へと傾いている。クジャン家がMAの討伐に失敗し、すさまじいしっぺ返しを食らっていること。鉄華団が戦闘に介入していること。そして何より、鏖殺の不死鳥がクジャン家の部下たちを間接的にでも殺害して回っていること。詳細な部分はともかく、火星でそんな一方的な状況が起きていることは掴んでいたのだ。

 ジュリエッタに介入するつもりが無いのは事実だが、かといってこうも頼み込まれてしまえば断るのも難しかった。イオクの部下たちは皆、心から彼のことを案じてジュリエッタに頼み込んできている。元よりイオクのお守りをしていた彼女だから、部下たちの苦労には共感できてしまったのだ。それを無下にしてしまうのは良心が痛んでしまうのも無理はない。

 

 だが、それだけならまだ軍人として断っていただろう。それでも彼らの頼みに頷いてしまったのは、ジュリエッタの個人的な思惑によるところが非常に大きい。

 

「七星勲章に鏖殺の不死鳥……どちらをとっても得るものは大きい。なら、少しでもラスタル様の力になりたい」

 

 レギンレイズのメインモニターは大気圏突入時特有の赤い光に覆われている。その最中、ジュリエッタは自らの思いを無意識に吐露していた。

 

 仮にイオクの言うとおりに七星勲章が手に入れば、ラスタルの復権はかなり楽になるのは間違いない。短絡的な意見ではあるが、成功した際のメリットも考えれば一蹴することも難しい。現状ではもはや不可能ともいえる行いだが、全てが間違っていたわけでもないのだ。

 そしてもう一つ、鏖殺の不死鳥。これについては純粋な興味が勝った。ラスタルほどの人物が交戦を禁じる相手で、もっと言えば”髭のおじ様”を殺害した張本人でもある。いまさらそのことについて私怨を燃やすつもりは無いが、どれほどの手練なのか興味があるのは事実だ。

 

 ジュリエッタから見て、ガラン・モッサは素晴らしいMS乗りだった。傭兵としても優れていたし、性格的にもあらゆる意味で非の打ち所が無い。まさに完璧で模範的な人物という印象だ。

 そんな彼を打ち破った者と戦えれば、未だ力不足な自分もさらなる高みへと手をかけられるかもしれない。それにラスタルの命令を破ってしまうのは心苦しいが、ここでセブンスターズのイオクに死なれては困るのも本心だ。きっとラスタルもそれを承知していたからこそ、”戦うな”と言いながらジュリエッタをイオクに付いていかせたのだろう。

 

『何をしているかと思えば、やはり鏖殺の不死鳥に目を付けられていましたか。先ほどの啖呵はともかく、イオク様では相手にならないと思うので引っ込んでいてください』

「ジュリエッタ……」

 

 このような諸々の理由から、ジュリエッタはイオク救出作戦に手を貸すことを承諾した。いまさら七星勲章を狙おうとまでは思わない。だが、イオクを適当に救出がてらガンダム・フェニクスと交戦できるのなら文句は無いのだ。

 火星の空から舞い降りたジュリエッタは、イオクたちを庇うようにして前に立った。眼前には事も無げに銃撃を回避した鏖殺の不死鳥の姿がある。挨拶代わりの一撃だったが、掠り傷一つとて負わせられなかったらしい。

 

「イオク様、ご無事ですか?」

『あ、ああ……まさかお前が来てくれるとはな、ジュリエッタ』

「変なお礼はいいので、部下の皆さんと一緒にさっさとここから離脱してください。少しですがコイツは私が足止めしますので」

『なっ──! しかしそいつは──』

 

 それ以上イオクの言葉に構っている暇は無かった。何の予兆も無く、鏖殺の不死鳥の姿がゆらりとぶれたからである。気がつけば懐すぐ近くまでフェニクスは迫っていた。MSの巨体とはとても信じられない滑らかさでだ。

 

「このっ……!」

 

 咄嗟にレギンレイズのガントレットで防ごうとしたジュリエッタは、これまた直前で思い直した。ほとんど反射的にレギンレイズを後退させると同時、フェニクスの持つ巨大兵装が叩きつけられる。豪快な音と共に大地が割れた。背筋を冷や汗が伝う。考えるだに恐ろしい破壊力だ。

 大剣と大砲が一体化したようなそれは、まともに食らえばガントレットごと腕部がへし折られると見て間違いない。ジュリエッタが持ちうる武装では受け止めるのは至難の技、回避し続ける他に手が無い。

 

『我らも援護いたします!』

「な、待ちなさい!」

 

 フェニクスの武器は巨大すぎるが故に取り回しは難しい。その隙を突くようにイオクの部下たち三名がフェニクスへと一斉攻撃を仕掛けた。通常のレギンレイズに配備されている一三〇ミリライフルの応酬だ。

 戦術的に見れば間違いではないだろう。けれどジュリエッタは嫌な予感が止まらなかった。それはフェニクスの悪評を聞いていたからかもしれないし、あるいは今このときも垂れ流されている濃密すぎる殺気が影響しているのかも知れなかった。

 

『そんなに死にたいのですかぁ? もちろんジゼルは大歓迎ですけども』

 

 嘲笑うような、歓喜に浸るような、美しくも不快な声が聞こえてきたその時である。フェニクスが飛び上がった。地に叩き付けた大剣を軸にして、あたかも棒高飛びでもするかのように宙を舞ったのである。

 阿頼耶識により人と遜色ない動きが出来るからこその芸当。スポーツ選手か何かのように鮮やかに宙を跳んだフェニクスは、腰部ブレードを射出した。ワイヤーで本体と繋がったそれは自由自在に空中を走ると、部下たち三機のレギンレイズの武装を事も無げにはたき落としてみせる。

 さらには宙を浮くフェニクスを追って巨大兵装が浮かび上がる。鏖殺の不死鳥が向かう先には離脱を果たそうとしていたイオクの姿、彼女の狙いは最初からそれだった。

 

「行かせるものですか!」

 

 目的が割れれば妨害も容易い。即座にジュリエッタは武装のツインパイル、その一つの柄をフェニクスに向けた。次の瞬間、柄の先端が射出される。ワイヤーと繋がったアンカーは敵を拘束するにも、自身が取り付き接近するにも優れた兵装だ。

 しかしフェニクスは器用だった。空中でスラスターを微調整、機体に急速な加速を加えることで逃れてみせる。さらにお返しとばかりに巨大兵装をジュリエッタに投げつけてくる始末、突拍子もない曲芸じみた攻撃にさしものジュリエッタも防戦に徹するほか無い。

 その間にもフェニクスは鮮やかに地へ着地すると、瞬く間にイオクへと迫った。イオクも観念したのか足を止めて迎撃を敢行するが、彼の技量ではとてもじゃないが鏖殺の不死鳥は止められない。予想に違わずフェニクスは苦も無くイオクに肉薄すると、振り絞った右の拳で思い切り殴りつけたのだ。

 

『な、ぐあッ! なにを、こんな……ッ!』

 

 機体を揺さぶられた衝撃か、イオクの呻き声がジュリエッタまで届く。体勢を崩したイオク機が火星の大地に倒れると同時、フェニクスは右足の鉤爪(パワード・クロー)でイオク機の左足をがっちりとホールドした。そして──レギンレイズのフレームごと、力任せに捻じ切ったのである。

 いくら力自慢のガンダム・フレームとはいえ、あまりにも力技すぎる。しかし効果的ではあった。イオクの技量では片足だけのMSでフェニクスから逃げ切るのは不可能だろうし、鏖殺の不死鳥としての残虐性をアピールするにはこれ以上ないデモンストレーションだ。すぐにでも殺さなかったのは囮だからなのか、鹵獲する気なのか。その狙いは分からない。どうせ碌でもないことなのは確かだろうが。

 

 ついでとばかりにフェニクスはイオク機のレールガンを踏み砕く。小規模な爆発が起こり、爆焔と共に禍々しく鋼鉄の不死鳥が照らし出される。

 まるで悪魔のよう。ガンダム・フレームにとっては当たり前の言葉が、このとき何よりもフェニクスには相応しかった。

 

『さて、あと三分しか残ってないので、急いで殺させてもらいましょう。団長さんとの約束を破るわけにもいかないので』

「あんまり──格下だと舐めないで欲しいものですねッ!!」

 

 強い。間違いなく目の前の敵はジュリエッタの中で過去最強だ。ともすれば、撤退することすらかなわないかもしれない。

 それでもジュリエッタは萎えそうな自身を奮い立たせて、威勢よくフェニクスへと向かったのである。

 

 ──全ては勝利と、ラスタル様の為に。彼女の原動力はただそれのみなのだから。

 




今話でも書いた通りここではイオク様は死にません。ジゼルは明確にイオクを鹵獲する方針で動き始めています。それ以外の面々についてはまた次回以降ということで。
ただまあ、イオク様もイオク様ですので、そう簡単に良い目を見たりはしませんが。どこまでもジゼルは悪辣ですとだけ言っておきましょう。


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#25 鋼の不死鳥VS鋼鉄の騎士

 阿頼耶識システムとは、ようするに人間の思考とMSの動作を直結させる機構である。

 だから阿頼耶識を搭載したMSは反応が早いうえ、パイロットの癖が直に現れた人間臭い挙動が多い。この特徴はOSによる機械制御に助けられた現代MSとは真逆のものであり、その恩恵は計り知れない。

 

 例えば、プロスポーツ選手が阿頼耶識システムを用いてMSに乗れば、多少の差はあれ磨き上げたセンスがそのまま機体の動きに反映されることだろう。あるいは、武道家が乗ったならば鍛え上げた技をそのまま利用できるかもしれない。

 これだけのことが出来てしまうのが阿頼耶識システムなのだ。人間の動き、感覚を極限までMS上で再現(トレース)できるシステム。非人道的と言われようとかつての厄祭戦で用いられ、現代でも今なお不完全ながら使われている理由の一端はここにある。

 

 そして、もしこの阿頼耶識システムを用いている者が()()()()()()()()()()()()()──きっとその脅威は、想像を絶する途轍もないものとなるだろう。

 

 ◇

 

 ジュリエッタ・ジュリスと言えば、今やギャラルホルンの誰もが認めるエースパイロットだ。

 元々は平民の、それも孤児という身の上。しかしラスタル・エリオンが見出した秘蔵っ子というのは誇張でも何でもなく、彼女は高いMS操縦技術を買われメキメキとその才覚、名声を伸ばしていった。

 そう、ギャラルホルンにおいてジュリエッタは紛れもない実力者なのだ。彼女に比肩しうる者などほとんど居らず、さらには最新鋭機たるレギンレイズを授けられたことでよりいっそう実力は高まったと言えるだろう。

 

 ──だから本来、この苦戦はあり得ざることだ。

 

 ジュリエッタ専用のレギンレイズに搭載された武装は四つ。腕部機関砲が二門に、ワイヤーアンカー内蔵型の試作型ツインパイルが二つである。これにガントレットが付属したのがジュリエッタ機の基本装備だ。

 派手さはない。だが堅実だ。接近戦はジュリエッタの本領であり、そのために調整された機体は彼女の手足となって完璧に応えてくれている。

 

「っつ……何なのですか、鏖殺の不死鳥とは……!?」

 

 だというのに。ジュリエッタは思わず毒づいてしまう。厄祭戦より蘇った鏖殺の不死鳥は、さらにその上を羽ばたいている。

 

 フェニクスの握る大剣が振り下ろされた。頑丈なツインパイルでもこれは防げない。たまらず後退したジュリエッタに迫るのは、腰部より伸びたワイヤー付きのブレードだ。意思を乗せて宙を舞う変幻自在の一撃、咄嗟に弾くが大きくバランスを崩してしまう。

 その隙をフェニクスは逃さない。横薙ぎにした大剣を勢いそのままに切っ先を後ろに向けて構えなおした。瞬間、轟砲が荒野に響く。大剣と一体化した大砲から放たれた大口径の一撃は、背後から接近していたクジャン家のレギンレイズを過たず破壊していたのだ。

 

「また、これで二機目……どうしてこうも易々と……」

 

 理不尽にすぎる。凶悪がすぎる。鏖殺の不死鳥とはかくも強いのかと改めて認識が塗り替えられる。ジワジワと胸に広がり始めたこの苦い感覚は、絶望感とでも言うのだろうか。

 最初に鏖殺の不死鳥に挑んだ時、ジュリエッタを含め四人が居た。それが一人減ったのは交戦を始めて三十秒も経った頃。イオクを逃がそうと隙を見て戦線から離脱したレギンレイズは、呆気なくフェニクスにその命を刈り取られていた。まるで相手の思考を読んでいたかのように、進路上に先回して、最速かつ確実にコクピットを潰してしまう。敵ながらいっそ惚れ惚れするほどの、鮮やかな殺しぶりを披露したのだ。

 

 そして今も、背後から襲われることを予期していたかのように振り向きもせずレギンレイズを一機沈黙させていたのだから堪らない。

 カラン──

 巨大兵装から排出された薬莢が火星の大地に転がった。残るはジュリエッタとクジャン家の部下がもう一人、そしてお荷物となっただけのイオクのみ。状況は最悪だった。

 

『ここまでで一分……うん、大丈夫そうですね。余裕を持って殺し切れます』

 

 悪鬼か羅刹でも乗っているのかと思いたいのに、通信機から聞こえてくるのはどこまでも場違いな可憐な声だ。声だけならば深窓の令嬢を彷彿とさせる彼女は、間違いなくジュリエッタよりも年若い。それが彼女には信じられなかった。

 いったいどれほどの修羅場をくぐれば、これだけの戦闘センスを身につけられるのだろうか? 実はパイロットは予知能力者だとか、後頭部にも目が付いているだとか、そんな荒唐無稽な考えすら脳裏を(よぎ)ってしまう始末。あり得ないと分かっていても、結果で納得させる不条理さが厳然として存在するのだ。

 

「あなたは……何者なのですか……?」

 

 つい口を衝いて出た疑問。ほとんど無意識のうちに紡がれていたそれに、ご丁寧にも不死鳥は答えてくれていた。

 

『これは異なことを訊きますね。ジゼルはジゼル・アルムフェルトですよ。殺人が好きな、厄祭戦唯一の生き残りにすぎません』

「確か、単独で十数万もの人間を殺したのでしたか。狂っている──などとは聞き飽きた文句ですかね?」

『ええ、もちろん。そしてそれは、ジゼルにとっては褒め言葉ですので』

 

 ──自分(ジゼル)が正気じゃないことくらい、始まりの時から承知していますとも。

 

 短く呟き、戦線は再開された。肉薄するフェニクス。大剣が唸りをあげて振り上げられ、尾のブレードが宙を切り裂き鋭く舞う。容赦も慈悲もない鏖殺の不死鳥は、本気でジュリエッタ達を殺しに来ていた。

 だというのにジュリエッタ達は、もはや当初の半分しかいない戦力でこの最低最強の相手を前に生存を勝ち取らねばならないのだ。あまりの絶望感に心が挫けてしまいそう。

 

『さあ、早くジゼルを満たす贄になってくださいよ。あなた方の積み上げてきた人生全て、ジゼルに壊させてくださいよ……!』

「──黙りなさい、この気狂いがッ!」

 

 けれど、こんなところで終われないという情熱がジュリエッタを突き動かしていた。自分の取り柄であるMS操縦で負けたくない、もしくは常軌を逸した狂人に負けたくないという意地もあったのかもしれない。ともあれ、彼女はまだ折れていなかった。迫る鏖殺の不死鳥を前に徹底抗戦の構えを取る。

 

 弾丸のように突撃してくるフェニクス。その目を見張る機動力は厄介の一言だが、ジュリエッタとてこの短時間に何度も目にした機動力だ。対処法の一つや二つ、思いつかない訳がない。

 突き進むフェニクス相手に、ジュリエッタもまたレギンレイズを前方へと走らせた。相対速度により凄まじいまでの速さで両者は接近する。衝突までの猶予は二秒もあるかどうか。一つ判断を間違えれば激突して互いに大破は免れない。

 衝突寸前の刹那、素早くジュリエッタはレギンレイズにスライディングの姿勢を取らせた。ちょうど足から地上に滑り込む形だ。振動にコクピットを揺さぶられながらも頭上を仰ぎ見れば、狙い通り上空に飛び上がったフェニクスの姿がそこにはある。

 

「そこッ!」

『……なるほど、そうきましたか。なら──』

 

 互いに追突してしまう状況なら、必ずや機動力に優れたフェニクスは上を取ってくると予期していた。だからジュリエッタは上に拘らない。挑戦者のごとく下から、高みを羽ばたく不死鳥を引きずり下ろすのだ。

 構えていたワイヤーアンカーが射出され、フェニクスの右脚部にちょうど巻き付いた。しかしフェニクスは止まらない。そのまま勢いよくスラスターに点火、空中を短く滑り──引きずられ大地を滑走したレギンレイズが、ふわりと宙へ投げ出された。

 

「なんて馬鹿力……ッ! でも……!」

 

 吐き捨てながら必死に機体を立て直す。右手にしかと握りしめたワイヤーアンカーの柄は生命線だ。これを手放したが最後、フェニクスに同じ手は二度と通じないことだろう。

 そもそも重力圏で飛行できるMS自体がほとんど無いというのに、フェニクスの見るも巨大な翼はMS二機分もの推進力を生み出すというのか。仕掛けたジュリエッタからしても予想外がすぎる展開。けれど鏖殺の不死鳥の足を引っ張れたという事実に違いは無いのだ。

 

 素早くワイヤーを巻き取り強引な空中戦に突入する、その前に。ちらりとジュリエッタは地上を確認した。視線の先には地に転がったイオク機に向かって駆けるレギンレイズの姿がある。フェニクスに足枷が出来た隙を突き、この場からイオクを逃がすために動き出したのだ。一言たりとも打ち合わせは行っていなかったが、自らの意を汲んでくれたことにジュリエッタは安堵した。

 これでどうにかイオクだけでも逃がすことが出来ただろう。当初の目的がほぼ果たされた今、後はジュリエッタが無事にフェニクス相手に生き延びさえすれば完全勝利だ。先ほどまでの絶望感もわずかに消えて、代わりに更なる闘志が呼び起こされてくる。

 

 互いを繋ぐワイヤーの距離はもはや幾ばくも無い。翼を広げ、大剣を構え、尾のブレードを揺らめかせる鏖殺の不死鳥はすぐ間近だ。

 しかし。彼我の距離がついにゼロとなるその刹那、ジュリエッタは確かに聞いた。

 

『ふふ、ふふふふっ……』

 

 あまりにも上品で、そして底知れない不快さと不気味さを湛えた相反する笑い声。それが目の前のMSパイロットから発せられたものと理解した途端、ジュリエッタの背筋はかつてないほどに粟立った。同時に嫌な予感が止まらない。どうなるかは分からないが、途方もなくマズい事態になると直感が警鐘を鳴らしている。

 それでもワイヤーは止められない。直感がどうであれ、このまま空中での超近接戦(インファイト)になるのは避けられないのだ。ならば罠だろうと喰い破るのみ、覚悟を決めて不死鳥の懐に飛び込んだジュリエッタ。どちらにせよフェニクスの大剣はこの距離では役に立たず、尾のブレードは近すぎて用をなさない。状況は圧倒的にジュリエッタの有利を示している。

 

 ──けれど人間よ、どうか忘れるなかれ。

 

『わざわざあなたの思惑通りにジゼルが戦う必要、ないですよね?』

 

 ジゼル・アルムフェルトこそは史上最低最悪にして最強の、人間という種を狩る人間なのだということを。

 ここに断言しよう。人間という存在である限り、この女に勝つことは不可能だ。例えそれ以外のどのような資質で勝っていようと、こと殺し合いという土俵においてジゼルに敗北の二文字はあり得ない。

 

 ──だって彼女こそ、”かくあれかし”と生誕の祝福(ノロイ)を授かった生粋の殺人鬼(ナチュラルボーンキラー)なのだから。

 

 フェニクスとレギンレイズの距離がゼロとなるその直前、フェニクスは明後日の方向に大剣を放り投げた。ジュリエッタにその軌道を追う余裕はない。ワイヤーが限界まで巻き取られ、彼我の距離がゼロとなったその瞬間、フェニクスが逆にレギンレイズへと組みついてきたからだ。

 思考の間隙を縫うような訳の分からない行動、咄嗟にジュリエッタも反応したが組みつかれるのを防ぐことはできなかった。瞬時に腕部を抑え込まれ、さらに脚部まで鉤爪で掴まれてしまえば抵抗のしようがない。

 

『残り一分、では落ちますか』

「まさか……!?」

 

 そしてあろうことかフェニクスは、ジュリエッタのレギンレイズごと地上に向かって全力でバーニアを吹かし始めたのである。

 即座にジュリエッタも逆方向にスラスターを点火して制動を掛けるが、まったく止まる気配もない。当然だ、フェニクスは自らの推進力だけでなくMS二機分の重力まで味方につけているのだから。莫大な質量と勢いはたかが一機程度のMSが押し留められるものでは断じてないのだ。

 モニターに映る火星の大地が加速度的に大きくなる。ここまでくれば狙いは明白、ジュリエッタを地上に叩きつける算段と見て間違いない。頑丈なMSに乗っている限り死にはしないだろうが、予想される衝撃は考えるだに恐ろしいもの。しっかりと組みつかれている以上は逃げ出すことすら不可能だ。

 

 流星のように火星の空を墜ちる二機、吸い込まれるように大地へと向かい────インパクト。

 信じられないような轟音と衝撃が辺り一帯を覆いつくす。小さくない規模のクレーターが火星の荒野に穿たれた中で、濛々と吹き上がる砂煙の中に映るシルエットは全部で()()存在した。

 

 そう、四つである。直接火星の大地へと墜ちたフェニクスとジュリエッタ機は言うに及ばずだろう。さらにもう二機は、なんと戦闘からの離脱を図っていたイオクとその部下のレギンレイズであったのだ。

 つまりはこれこそジゼルの笑っていた本当の理由。最初から悪辣なる狩人はこの場からの逃走など許していない。鹵獲すると決めたなら鹵獲するし、殺すと決めたなら絶対に逃がさず殺してみせる。凄まじいまでの執念だが、だからこそ彼女は強く、そして狂っているのだ。

 

 インパクトの衝撃は非常に大きく、さしものジュリエッタでもすぐには身動きできない有様だ。逃走中のイオクたちすらあまりの衝撃と轟音にたたらを踏み、何が起きたか見定めるべく逃げる足を少しばかり緩めている。いや、緩めてしまったと言うべきか。

 全てはジゼルの手のひらの上に。愚かにも土煙の舞う見通しの利かない地点で足を止めた者など、容易く殺せる的でしかない。衝撃の余韻すら感じさせずに身を翻したフェニクスは、巻き付いたアンカーを引きずりながら()()()()()()()()()()()()巨大兵装を引き抜いた。そいつを片手にイオクのすぐ傍にいるレギンレイズへ急接近すると、呆気なくその命を潰してしまったのである。

 

 そこでようやくジュリエッタも立ち上がった。土煙が晴れ、また一人殺してみせたフェニクスの姿が浮き彫りとなる。多少の土埃こそあれど、憎たらしいまでに損傷は少ない姿にはいっそ笑いがこみあげてくるほどだ。

 おそらくはワイヤーアンカーに捕まり宙へと逃れた時からここまで、全てフェニクスの描いた構図だったのだろう。そうでなければ、無造作に投げたはずの大剣がその手に収まっているはずがないのだから。必死になって鏖殺の不死鳥に食いついたジュリエッタの意地すら一顧だにせず、当然のようにキルスコアを一つ増やされた。もはや屈辱に感じる余裕すらない。

 

 このまま此処で果てるしかないのか。彼女の思考がついに負の方向に傾いた、その時だった。

 

『私を置いて逃げるがいい、ジュリエッタ……お前までここで死ぬ必要はない』

「イオク様、何を……?」

 

 不意にノイズの交じったイオクの声が聞こえた。そのあまりの内容にはジュリエッタも驚愕を隠せない。

 

『ここで私が死ぬだけならまだしも、お前まで死ねばエリオン公はどうなる? それだけは避けな──ぐうッ!!』

『うるさいですねぇ、敗者は敗者らしく黙っていてくださいよ。うっかり殺してしまいそうですので』

 

 ボールでも蹴るかのようにフェニクスがイオク機を蹴り上げると、その衝撃にやられたのかイオクが沈黙した。おそらくは気を失ってしまったのだろう。これでもう、イオクが自力で逃れる事は本当にできなくなってしまった。

 強者にのみ許された傲慢。それを行えるフェニクスにただ一人で挑むしかなくなったジュリエッタだが、気が付けば口元には笑みが浮かんでいる。

 

「まったく、らしくないですねイオク様。あなたなんかに元気づけられてしまうなんて、正直一生の不覚です」

 

 萎えかけた心に再び火が灯る。馬鹿(イオクさま)が自ら逃げろなどど言ってくれれば、逆に立ち向かいたくなるのは仕方ない事だろう。なによりここで死ねば敬愛するラスタルの部下が二人も消えてしまうのだから、無為に死んでしまう事などあり得なかった。命令を破ってまで交戦したのだ、一つでも成果を持ち帰らねば嘘になる。

 

『残り三十秒──ちょっとばかり時間をかけてしまいましたが、それもここまでです』

「言ってなさい、狂人。そう易々と殺されてたまるものですか」

 

 今や弱気はあり得ない。あのイオクに”逃げろ”と言われたのだ、ならここで勝利して見返してやらねば気が済まないと心が叫んでいた。操縦桿を握るジュリエッタの手に、かつてない力が籠もる。

 先ほどの衝突でツインパイルの片方は失われてしまったが、それでもまだ一つ武器は残っている。たった一つの小さな武器に全てを託して、ジュリエッタとフェニクスは最後の戦いに繰り出した。

 

 ツインパイルを繰り出す。だが避けられた。反撃にフェニクスの蹴りが叩きこまれ、無様に吹っ飛ぶ。すぐに体勢を立て直して腕部機関砲で牽制、けれどフェニクスは怖気づかずに接近する。大剣が振り下ろされた。もはや回避は不能と判断。反射的に受け止めたツインパイルが折れ曲がり、腕部がひしゃげた。

 

「それでも──ッ!!」

 

 まだだ。まだ片手が残っている。折れたツインパイルの杭部分だけを握りしめて、果敢にフェニクスへと挑みかかる。だが相手もさるもの、冷静に尾のブレードで足を狙い打つ。紙一重で避けた。迫る追撃は拳、躱し切れない──頭部にクリーンヒットしよろめいてしまう。その隙を逃さずブレードはレギンレイズの脚部を破壊した。

 バランスを崩しよろけるジュリエッタだが、未だ闘志は衰えず。すぐにスラスターを用いて姿勢を安定させる。ついで杭を一閃、フェニクスの右腕部へと突き立てた。戦闘が始まって初めての直撃、その事実に浮かれるよりも先に杭を持った腕部を力任せにもぎ取られてしまう。両腕を無くしたが、それでもまだ──

 

『いいえ、これで終わりです』

 

 無慈悲な声に希望は掻き消される。気が付けばジュリエッタは空を眺めていた。たぶんレギンレイズが地に伏せてしまったのだろう。遮二無二立ち上がろうとするが、残った片足も即座に壊されてしまっていた。

 これで完全に決着は着いた。心は負けを認めていないが、状況はもう完敗でしかない。四肢を無くしたMSなどお飾りもいいとこで、これを鏖殺の不死鳥が見逃すなどあり得ない。

 

 あり得ないのだが……例外は誰にだって存在する。

 ピピピピ、とどこか場違いな間抜けな電子音が響いた。ジュリエッタの聞き間違いでなければ、これはキッチンタイマーの音だろうか。戦場には似つかわしくないその音の源は、どうやら目の前のMSであるらしかった。

 

『おや……もう時間でしたか。仕方ないですね、この方も鹵獲しちゃいましょう。何かに使えるかもしれませんし』

 

 フェニクスのコクピットでキッチンタイマーを止めたジゼルは、ちょっと渋い顔をしながらもジュリエッタを殺すことを見送った。確かにここで彼女を殺すのは赤子の手を捻るより容易い事だ。けれどそれは約束に反すること。自ら「五分で済ませる」と誓った約束を反故にするくらいなら、もう一人くらい鹵獲して何かの役に立てる方がよほど良かったのである。

 こうしてジゼルはイオクとジュリエッタの乗るレギンレイズをそれぞれ掴み、MAと戦う三日月の援護へと向かい。それと共に緊張の糸が切れたジュリエッタは、無念を覚えながら意識を失ってしまったのだった。

 




【悲報】人類である限り殺し合いではジゼルに勝てないと明言される。
そんなわけでラスボスっぽい力の片鱗をみせたジゼルでした。いったい誰がこの気狂いを止められるというのだ……


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#26 破滅への使者

今回、実験的に後書きに挿絵を入れてみました。
挿絵などが不快な方にはご不便をおかけしますが、ご注意いただければと思います。


 まず結論から言えば、MAは三日月・オーガスの手によって破壊された。

 ギャラルホルンの者たちを相手にしたジゼルは、その足でMAとの主戦場となっている谷間に到着。オルガとの約束を果たすべくMA戦に介入しようとしたのだが……その頃には既にMAは死に体、三日月・オーガスとガンダム・バルバトスが満身創痍になりながらも決着をつける直前であったのだ。

 結局ジゼルが手の空いている団員たちに鹵獲したイオクとジュリエッタを預けた時には戦闘は終わっており、あれだけ猛威を振るったMAは核となる頭部を破壊されて沈黙していたのである。

 

『なるほど、詳細は把握した。ご苦労だったな、オルガ団長。そして良くやってくれたよ、感謝する』

「俺に礼なんざ必要ねぇよ。ミカや他の皆が気張ってくれたおかげさ、俺はただ安全なところで眺めてただけだ」

 

 照れ隠しに言いながらも仲間たちへの誇らしさを隠せていないのは、社長室のソファに座ったオルガである。MAを倒してから既に一日が経過し、事態も落ち着いてきたところでようやくマクギリスへと連絡を入れたのだ。

 

『ふっ……君の謙虚さは美徳ではあるが、時には胸を張るのも必要だぞ。部下の手柄は団長である君の手柄でもあるのだから。組織の長というのは誰よりも尊大な態度をも持たねば成り行かないものだ』

「ちっ、わーったよ。んで、まさかご祝儀だけ言って終わりなんてこたないだろう?」

『もちろん。君たちが……いや、ジゼル・アルムフェルトが捕えたという二人の価値は非常に大きい』

 

 そう語るマクギリスの口調は表情からは、滲み出る喜びの念が透けて見えた。普段は胡散臭い笑みと語りを保ち続けているマクギリスがこれなのだから、よっぽどの吉報としているのだろう。

 実際、オルガからしても似たような思いである。ジゼルが捕えたのは天下のギャラルホルンを牛耳るセブンスターズの一角に加え、話を聞く限り秘蔵っ子のエース級パイロットだと取り調べで判明している。思った以上にとんでもない相手を捕虜にしたという事実には、良くも悪くも鉄華団幹部が一時騒然としたものだ。

 

『イオク・クジャンからは単純に賠償金を支払わせても良いだろうし、ジュリエッタ・ジュリスに関してはラスタルに対する良い見せ札となる。少なくとも、君たちは今回の騒動について補填と賠償を貰う権利がある』

「当然だ。命までは取らないにせよ、俺たちの土地(シマ)で好き勝手やってくれた挙句に大失敗してくれたんだ。これでケジメも取れねぇようじゃ許せる道理がねぇ」

『報告ではクジャン家はダインスレイヴを使ったと聞いた。そちらについては?』

「そいつについちゃ、調べてみりゃあだいぶ遠くの方まで弾がすっ飛んでやがったよ。もし何かの間違いでクリュセの方角にでも向いてたらと思うとゾッとするな」

『禁止兵器の禁止兵器たる由縁(ゆえん)……と言ったところだな。やはりむやみやたらと持ち出すものではないと痛感するよ』

 

 禁じられた兵器を用いるからには見合ったリスクがあるのは当然と言えた。例え本人たちにその意図がなくとも、戦闘中の弾みでダインスレイヴがクリュセに被害を齎していれば大惨事だっただろう。そうなれば最早MAの討伐どころの騒ぎではない。鉄華団にとってもイオクたちにとっても不幸中の幸いだった。

 そしてもし同じことを自分がしていれば──などとマクギリスは考えてしまう。首尾よくバエルを奪取し搭乗したとしても、それはダインスレイヴと同じ代償ある力だ。いつか必ずそのツケを払う日が来るだろう。

 

 マクギリスはアグニカ・カイエルではないからこそ、彼とは違ったアプローチで革命者(えいゆう)とならんと志したのだ。地球での決断がどれだけ英断だったか、この現状を鑑みれば論ずるに値しない。

 

「そういや、あのイオクって奴からは七星勲章の話を聞いた。アンタの本当の目的はやっぱりそいつだったのか?」

『本命ではないが狙ってもいた、というのが正しいな。火星を荒らされたくないのは私も同じさ。そしてMAを倒したのは君たちだ、もし受け取るならば君たちにこそ相応しい』

 

 直接MAと矛を交え誘導を行ったジゼルと、さらに破壊までしてみせた三日月。この両者にこそ七星勲章は相応しいだろう。しかも聞く限りは三日月・オーガスはついに半身不随にまで悪化し、阿頼耶識システムが無ければまともな生活も遅れない程の状態だという。今も外傷の治療と検査の為に医務室で絶対安静だ。

 ちなみに、ジゼルはピンピンしている。元より味覚と嗅覚を失っていたのだからこれ以上失うものもないのだろう。彼女はジュリエッタを殺さない代わりにイオクとの面会を求めてきたから、きっとそちらに居るはずだ。

 

「ミカはあんましそういうのに興味ねぇからなぁ……ジゼルに至っちゃ、既に二個あるとか言ってたぜ」

『ほう。して、その二つはどこにある? きっとそれはアグニカ・カイエルから直々に賜った品物のはず、是非ともお目通り願いたいが』

「あんま興味ないから、失くさないように髪留めにしたとか言ってたが」

『…………そうか。アグニカ・カイエル直々の七星勲章は髪留めか…………』

「……んな落ち込むなよ、見てるこっちが不安になっちまうだろ」

 

 さすがのマクギリスでも、ジゼルがやらかす諸々については想像の範疇を超えていたらしい。

 らしくもなくマクギリスを心配してしまう自分に苦笑しつつ、オルガは「いったん打ち切るぞ」とだけ言うとソファから立ち上がったのだった。

 

 ◇

 

 捕虜とされたイオクが目覚めた時には、全て終わってしまっていた。

 

「くそッ! 私は、私が情けなく思えて仕方ない……!」

 

 衝動に任せて壁を殴る。だが無機質な壁はうんともすんとも言わず、ただイオクの拳を痛めつけるだけだ。しかしイオクにしてみればその程度、身を苛む自罰の想いに比べればどうという事は無かった。

 今回の顛末はあまりに酷いものだった。意気揚々と乗り出したMAの破壊は大失敗に終わり、大切な部下たちはMAと鉄華団──正確には所属の鏖殺の不死鳥──によって全滅してしまう結果に。なのにMA討伐を主導したイオク自身は生き残ってしまい、しかも本来ならMA討伐とは無関係であったはずのジュリエッタまで捕虜とされてしまったらしいではないか。

 

 これではあまりに不公平だと、イオク自身の良心が許せないのだ。

 

 生き残るべき者たちが死に、逃れるベき者が捕まり、誰よりも責任を取らねばならぬ者はのうのうと生き残る。これを不条理、不公平を言わずになんというのか。鏖殺の不死鳥を前に生き残った事実に喜ぶよりも先に、苦々しい悔しさが広がってしょうがなかった。

 

「私は……どうすれば良いというのだ……」

 

 火星に囚われてから今日で二日目、イオクは既におおよその尋問は終えていた。

 鉄華団は捕虜相手にも決して不当な扱いはせず、イオクにも現状をかいつまんで説明してくれている。今いる独房代わりの部屋もあくまでも一般的なものを流用した程度だし、部屋の外に監視が付いている以外は何の制限もかけられていない。だからこそ色々と考える時間は有り余っていて、それ故にイオクはこんなにも悩んでいるのだ。

 

 これから自分はどうするべきなのか。まず生きて帰れるかも怪しい状況だが、仮に生きて帰れたとしてもまずこれまでの権威は失うことだろう。自分から政敵の妨害に走り、失敗し、あまつさえ囚われの身にまでなったのだ。言い訳のしようがない大失態である。

 話によれば、明日にはマクギリス・ファリドが火星に到着するらしい。ほんの少し前にマクギリス相手に大見えを切ったばかりだというのにこの体たらく、果たして彼は笑うのだろうか。いや、この際笑われようとも構わない。イオクの関心はもはや、憎きマクギリスすら眼中にないレベルで別の相手に向けられていたのだから。

 

「鏖殺の不死鳥……アレだけは、なんとしてもこの手で……!」

 

 既に敗残者に身をやつしていた部下たちを情け容赦なく惨殺せしめた鏖殺の不死鳥。数だけみればMAの方が殺した人数は多いのかもしれないが、あの不死鳥は同じ人間が操っていたのだ。悪魔と呼ぶのも生温い所業、断じて許せるものではなかった。

 戦いでは人死になど当たり前、しかも今回はイオクたちの方が横槍を入れたという負い目は確かにある。そもそも横槍を入れる決断を下したのもイオクその人だ。だから本当に悪いのはきっと彼自身で、それは本人だって百も承知のはず。それでもなお納まりのつかぬ心が憎むべき敵を探してしまうのは、人として逃れようのない(さが)だった。

 

 どうしても鏖殺の不死鳥を倒し、部下たちの仇を取りたい。それだけが散っていった彼らへの手向けになると信じているから。もはや手段は選ばない。クジャン家がこれからどうなるのかは不明だが、残った力の全てをかき集めてでもフェニクスとそのパイロットは殺すのだ。その為なら、例え鉄華団を潰すことになろうとも──

 

「イオク・クジャン、あなたに面会希望の方が来ています」

「なに……?」

 

 復讐心にばかりかまけていたイオクだが、扉の外から聞こえてきた監視役の少年の声で現実に引き戻された。

 妙な話だ。イオクは既に話せることは全て話している。今更尋問なんてする必要がないはず。かといってこんな敵地でイオクに面会を希望する者が居るとは思えない。考えられるのは別の部屋に軟禁されているらしいジュリエッタだが……果たして彼女がわざわざイオクに会いに来るかどうか。

 

「失礼しますね」

 

 そうして入ってきたのは、鉄華団のイメージには似つかわしくない上品な雰囲気を纏う少女である。足首まである赤銀の髪と、茫洋として眠たそうな金の瞳が目に焼き付く。感情を映さぬ無表情さは、よくできた人形のごとき印象を与えていた。

 もちろんイオクにとっては初対面の相手であり、どうしてイオクに会いに来たのかなど想像もつかない。ただ、彼女を見ていると無性に不安になる。外見は非常に麗しいものなのに、内面から発される気配がどこか空恐ろしいものを感じさせるのだ。

 その少女は部屋の中ほどまで進むと、椅子に腰かけていたイオクの前で止まった。いったい何の用があって来たのかと訝しむイオクをどこか楽し気に見つめている。そういえば先ほどの彼女の声、どこか聞き覚えのあるような……

 

「まずは改めて名乗りましょうか。ジゼルは、ジゼル・アルムフェルトと言います。ガンダム・フェニクスのパイロットで、今は鉄華団参──」

 

 淡々とした少女の名乗りは最後まで紡がれることは無かった。

 ジゼル・アルムフェルト。その名の意味を理解した瞬間、イオクが叫びだしていたからだ。

 

「貴様、貴様ァァァッ!! よくも私の前におめおめと……ッ!」

 

 弾かれたように椅子から立ち上がり、射殺さんばかりの視線でジゼルを睨んだ。目の前にいるのは大切な部下たちを殺した仇、先ほどまで復讐心を燃やしていた怨敵その人だ。ほかならぬフェニクスのパイロットが名乗っていた名前、間違えるはずがない。

 けれど当の本人はイオクの激怒を受けてもどこ吹く風といった有様、これっぽっちも気にしてはいない。その姿がよりいっそう腹立たしくて、気が付けばイオクは拳を振りかぶっていた。ここが敵地で、相手が鏖殺の不死鳥と呼ばれる相手だということは頭に残ってすらいない。ひたすらに目の前の相手を害したくて、殺したくてたまらなかったのだ。

 

「もう、そんなに暴れないでくださいよ。ジゼルはあくまでもお話をしに来たのですよ、イオク・クジャン」

 

 だが、イオクの渾身の力が乗った拳は呆気なく止められた。横からするりと伸びてきた細い腕、それがイオクの手首をがっちりと掴んで離さないのである。華奢な見た目に反したかなりのパワーだ。

 ならばと蹴りを繰り出そうとするが、その前に掴まれた腕を捻られてしまう。まるで高度な訓練を受けた軍人のような動き、本当の意味では軍人でないイオクには抵抗すら出来なかった。屈辱を感じる暇もなく床に転がされてしまい、ジゼルにのし掛かられる形となる。

 

「外の人には多少の騒ぎは気にしないよう言い含めましたが、あんまり騒ぐと大変ですよ? あなたもまだここで死にたくはないでしょうに」

「くッ……ここで貴様を殺せるならば、私はいつ果てようとも構わぬとも!」

「はぁ、そうですか。どうでもいいので黙っていてくださいますか?」

 

 マウントを取ったまま心底からうんざりしたような様子のジゼル。彼女は片手を平手の形にすると、そのまま数発イオクの顔に叩きこんだ。まったく容赦のない平手打ち、一発ごとに甲高い音が部屋に響く。反比例するようにイオクの呻き声は段々と小さくなり、ようやく抵抗を見せなくなった時には頬の片側が赤く腫れあがってしまっていた。

 

「ジゼルに拷問趣味はないので、痛そうなのはするのもされるのも嫌いなんです。なのでそろそろ大人しく話を聞いてくれればと思うのですが、どうでしょう?」

 

 天使か何かのように穏やかに問いかけてくるその姿が、イオクには悪魔よりもなお悪辣な化け物にしか見えなかった。

 

「わ、分かった……話を聞くから、それ以上はやめてくれ……!」

「はい、いい返事です」

 

 息も絶え絶えにジゼルの言葉に頷いたことでようやく解放された。

 抵抗する気はこれっぽっちも起きない。互いの実力差はもはや歴然としている。ここでイオクが不意打ちに走ったところで、今度はより酷い目に遭うだけの話だろう。あくまでも御曹司であり、痛みに耐性のないイオクにとっては是非も無かった。

 若干ふらつきながらも立ち上がり、イオクは再び椅子に腰かけた。せめてもの抵抗として眼前の憎き敵を睨むのだけは止めなかったが、ジゼル相手には暖簾に腕押しだ。

 

「それで、話とはいったいなんだ?」

「あなた達には楽しませてもらったので、お礼と忠告をしに来ました。ささやかなお返しではありますが、どうか受け取ってくださいな」

 

 どうせ碌でもない。瞬時にそのような考えが頭をよぎるが、聞かない訳にはいかなかった。

 

「まずはお礼の方ですが、本当はつまらないはずのMAとの戦闘に彩りを加えて下さり本当にありがとうございました。あなた方の尊い献身のおかげで、ジゼルは退屈することなくMAと戦えましたから」

「……貴様、どこまで私たちを愚弄すれば気が済むというのだ!?」

「愚弄? とんでもない、むしろ純粋に感謝をしているのですが……いっぱい殺させてくださったからには、礼を述べておくのが筋というものでしょうに」

 

 狂っている。ジゼルと相対した者たちはこぞって彼女をそう表現するが、それはイオクとて例外ではなかった。なぜ彼女とフェニクスが鏖殺の不死鳥などと大仰にも呼ばれているのか、ここにきてようやくその理由を悟ることが出来たのだ。

 それと同時に理解した。彼女を見ていて不安になるのは、まさしくその本性が漏れ出ているからだと。どれだけ外面が綺麗だろうと、内面の醜悪さを人間の本能が感じ取って無意識に警戒してしまうのだ。

 気が付けば目の前の共感不可能な怪物から目を逸らしていた。しかし頬に手を当てられ、強制的に視線を合わせられてしまう。輝く金の瞳がゾッとするくらい恐ろしかった。

 

「確認しておきたいのですが、やっぱりあなたはジゼルに復讐をしたいですか? 仇を取りたいですか?」

「……ッ! 当たり前だ! 貴様はこの世界に居てはいけない存在だ、部下の為にも私はこの名に誓って貴様を討つ!」

 

 例えどのような手段を用いようとも──目の前の怪物(ジゼル)に呑み込まれないよう、イオクは気丈に叫んだ。目は逸らさない。ここで負けているようでは、絶対にこの女に勝てないと気が付いたから。

 ジゼルはただ微笑んでいる。意地を振り絞って対峙するイオクを見定めているかのようだ。

 

 ──きひッ、きひひひ、くひひひひッ……

 

「……!?」

 

 不意に、笑い声が聞こえた気がした。

 悪魔の嘲笑よりもなお冒涜的な哄笑、耳を塞ぎたくなる不快な雑音だった。けれどその軋むような哄笑をあげている存在は何処にもいない。いるのはただ、

 

「ふふッ……あはははッ……いいですね」

 

 にこやかに笑みを顔に張り付け、静かに声を漏らしているだけのジゼルだ。

 ならば先ほどの不気味が過ぎる笑いは、彼女の本心が漏れた結果だとでも言うのだろうか。あまりにもオカルトな現象だが、今のイオクは不思議とすんなり受け入れられた。目の前の女ならばそれくらいあってもおかしくないと。

 

「いいでしょう、ならばこそ忠告のし甲斐もありますからね。どんな手を使ってでもジゼルを殺す、それは大いに結構です。誰が来ても返り討ちにして差し上げますとも。しかし、それはつまり無関係な人々すら巻き込むということですか?」

 

 彼女の問いには、自らの全霊をかけて答えていた。

 

「必要があればそうするとも……ッ! 私の敵討ちを阻むのならば、誰が相手になろうとも──」

「ジゼルと同じ殺人者になるということですね」

 

 だから遮るように言われた言葉に愕然としてしまう。この女と同じだと? それはどういうことだ。頭の中で反芻するイオクに、ジゼルは諭すように語り掛ける。

 

「おや、気が付いていないのですか? ただ一つの目的の為に無関係な者すら殺すなんて、ジゼルと同じじゃないですか。いえ、それよりも性質が悪いです。ジゼルだって好き好んで一般人を殺そうとは思いませんよ?」

「な、あ……」

 

 何も言えなくなったイオクにジゼルは畳みかける。あなたは(ジゼル)と同じになる、と。

 

「ですがあなたは誰であろうと巻き込むと言いました。これは驚きました、ジゼル以上に無差別な殺人鬼の誕生ですね」

「違う、私は──!」

「復讐の為ですか? 巨悪を討つ為ですか? お題目は美しいですが、()()()()()()()のでしょう? あなたが殺した人の前で、そのような綺麗ごとを言う覚悟がありますか?」

 

 怪物(ジゼル)は謳う。「ジゼルにはありますよ。それが最後の矜持ですから」などと、臆面もなく告げたのだ。

 イオクにとっては言葉の剣が切れ味も鋭く斬りつけてくる思いである。そのようなこと、一度足りとて考えたことも無かった。自分の、自分たちの正義に従って行動してきた。その果てにギャラルホルンの一員として人々に報いることが出来ると信じていた。

 だけどそう、その途中で死んでいった者たちにはそのような理念は何の慰めにもならないのだ。ましてや今回は世の為ですらない、どこまでも私怨による復讐心でしかなく。それで罪もない人々を殺すようでは、ジゼル以上の畜生と化してしまうだろう。それだけは耐え難い苦痛だった。

 

 そして悪魔は耳元で囁くのだ、最後の一手となるささやかな大嘘を。本当ならば心にもない言葉はしかし、狂人としか認識してないイオクに見破れる道理はなかった。

 

「それに、ジゼルは鉄華団に未練も興味もありませんから。もし団長さんや他の皆さんが死んだとしてもまったく気にしません。ここにいるのはただ、ジゼルにとって都合が良いからなのですよ」

「……だからどうしたというのだ?」

「言葉の通りですよ。どう解釈してもらっても自由です」

 

 悪魔が耳元から離れていく。その時には既に、イオクに取れる道はただ一つとなっていることを承知して。

 一般人を巻き込めば復讐相手と同じになり、かといって鉄華団ごと潰したところでジゼルは気にも留めない。謀略すらも強大な個人が相手ではどれだけ効き目があるか。そう信じてしまった以上、イオクは正面からジゼルを討つ以外の道は閉ざされたのだ。

 

「でもご安心ください。ジゼルは逃げも隠れも致しません。あなたがジゼルを殺したいというなら、いくらでも付き合ってあげますから。屍の山を築いて築いて、足元が崖になるくらいまでいつまでも」

「ぐうッ……! 貴様は、どこまで外道なのだ……!」

「決まってるじゃないですか、死ぬまでですよ」

 

 にんまりと口元が弧に歪む。禍々しい気配は今や隠しようもなく、見る者すべてを不安にさせる最悪の化生がそこにいた。

 こんな怪物に挑まなければならないのか──絶望に近い感覚に襲われる。だがイオクはその程度ではへこたれない。良くも悪くも常人より図太いのが彼なのだから。

 

「さあ、ジゼルを殺す為にたくさんもがいて足掻いて、色んな人を巻き込んでみてくださいよ。その全てをジゼルは殺して、果てにあなたも殺しましょう。全てを壊してしまいましょう。ふふっ、あははっ、アハハハハッ……!」

「誓うぞ──我が名にかけて貴様は絶対に殺してみせるッ! 許すものか、恥を知れ!」

 

 かくして、ここに宣戦は成った。意地を以って怪物を討たんとする人間(イオク)と、それを待ち構えるジゼルと。イオクにとってあまりにも不毛で不公平で、けれど負けられない戦いがこの時始まったのだ。

 

 ◇

 

 しっかりとイオクを焚きつけられた手ごたえを感じつつ退出したジゼルは、意外な人物が待っていることに驚いた。

 

「これは団長さん、こんなところで奇遇ですね?」

「奇遇も何も、アンタの様子を見に来たんだから当然だろ」

 

 薄暗い廊下の壁にもたれかかっていたのは、鉄華団団長のオルガである。見張りの少年兵たちはなにやらお菓子を貰ったようで、モゴモゴと口が動いている。こういうメンタル的な意味で気が利くから団長をやれているのだろうか? ジゼルとしては興味深い話である。

 ひとまず二人して廊下を歩く。会話はない。二人分の靴音だけがコツコツと廊下に木霊する。

 先に口を開いたのはオルガの方だった。

 

「ま、別に多くを言うつもりはねぇが……もしアンタが趣味に走りすぎた挙句に俺たちへ不利益をもたらすのなら、俺はアンタを討たなくちゃなんなくなる。それだけは弁えておいてくれよ」

「そうですね、気をつけましょう。今度一緒に食べ物を見に行くのに、味見役がいないなんてとっても困るので」

「……その約束、本気だったのか」

「これでも楽しみにしていますので」

「そうかよ……」

 

 それでまた会話が途切れた。オルガはただ単に釘を刺しに来ただけだろうし、ジゼルに至っては特に用もない。だからちょうどT字路まで来たところで二人の行先が別れたのも、必然と言えばそうだろう。

 けれどその直前、ジゼルはどうしても言っておきたいことがあった。先ほどの心にもない嘘が思ったよりも尾を引いていたのかもしれない。ただ、気が付けばするりと口から零れていた。

 

「団長さん」

「どうした?」

「団長さんは……できれば、死なないでくださいね」

「なんだよ、そんなことか。俺は鉄華団団長オルガ・イツカだぞ、団員残して一人で先に逝けるかよ。まさかアンタに言われるとは思わなかったがな」

「そうですか、なら安心しましたよ。あと、ちゃんと忘れずに美味しい食べ物のあるお店を探しておいてくださいね」

「分かったよ、ったく。こうなりゃ徹底的に連れまわしてやるから覚悟しとけよ」

 

 こうして、今度こそ二人は別れたのだった。

 




オルガが火星の王を諦め、イオク様に正攻法を取らせた魔法の言葉「ジゼルと同じになる」。なんすかこの主人公……
イオク様にとってはラスボス、オルガにとってはヒロイン(っぽい気がする)となったジゼルの明日はどっちだ。なんかここ数話で一気にジゼルの狂気度が跳ね上がっている気がします。

挿絵ですが、CHARAT様で作成したものをここに貼らせていただきます。ジゼルの姿をイメージする一助になればと思います。


【挿絵表示】


髪の長さがもうちょっととんでもない以外はだいたいこんな感じです。


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#27 次なる一手

 ──誰よりも強く、そして誰よりも恐ろしい。

 

 鏖殺の不死鳥との交戦を終えたジュリエッタの素直な感想がそれだった。

 

 彼女とて腕利きのパイロットなのだから、これまで数多くの手練れと戦ってきている。鍛えてくれたガラン・モッサは当然だし、最近でいえば夜明けの地平線団との戦いで矛を交えたガンダム・バルバトスもそうだろう。一筋縄ではいかぬ者たちとの交戦経験は決して少なくはないのだ。

 

 そんなジュリエッタをしても得体の知れない相手、それがあのガンダム・フェニクスとそのパイロットだった。

 まず経歴からして馬鹿げている。三百年前の機体を掘り起こしたらそのパイロットまで一緒に付属しているなど何の冗談だろうか。これが策略家として侮れないマクギリス・ファリドの言葉でなければ、ギャラルホルンの誰も信じようとはしなかったことだろう。

 ただ、性質の悪いことに彼の言葉は正しいことが証明されてしまった。そうでなければあのフェニクスがクジャン家の部下たちを殺して回ることも、ジュリエッタを完膚なきまでに負かすことも無かっただろう。図らずもジュリエッタは鏖殺の不死鳥の健在をギャラルホルンに喧伝する試金石にされてしまったわけだ。

 

「強さは欲しい……でも、あのような狂気に塗れた強さなど……」

 

 硬いベッドの上に寝転がりながら手を伸ばす。ぼんやりとした天井の灯りを掴むように手を閉じて、それからゆっくりと開いた。その手はただ空を掴んだだけ、何も手に入れてはいない。

 

 ジュリエッタが鉄華団に囚われてから既に三日、現在の彼女は俎上の鯉もいいところだ。扱いこそ予想以上に便宜を図ってくれて驚いたが、どうあれ利用される運命に違いはない。それになにより、今日にもあのマクギリス・ファリドが火星に到着するという。ラスタルの政敵である彼のことだ、この機会をふいにすることはまず無いだろう。

 このままいいように利用されてラスタル様に迷惑をかけるくらいなら、いっそ自害するべきか。一時はそのような事も考えていたジュリエッタだが、さすがに思い留まった。今のまま死んだところで、ただ汚点を残すだけ。まだ生きている方が挽回のチャンスはあるのだから。

 

 そう、生きているのだ。救出も戦闘も結果は惨敗、自分が情けなくて不甲斐なくて仕方がない。だが、どうあれ狂った不死鳥を相手に生き残ることができたのだから、その意義はどこまでも大きかった。

 

「強さとは、あのような存在にまで身をやつさねば手に入らぬものなのですか……?」

 

 人を人とも思わず鏖殺の限りを尽くす邪悪なる者。その性根はとても同じ人間とは信じられないが、しかし強さという一点だけは本物だった。鏖殺の不死鳥と直接戦い生還できたからこそ、その異常性と強大さはよく理解できたのだ。

 誰よりも人の血で手を染めたからこそ至れた高み、効率的に人を狩る為の直感と技術が群を抜いて優れているのだとジュリエッタは予想している。そこに殺人への忌避感が皆無という異常な精神性が加わることで、あのような理不尽な強さを生み出しているのだろう。

 あまりにもふざけている。これではまるで、人のままでは鏖殺の不死鳥に勝てないかのようではないか。けれど実際ジュリエッタは勝てなかったし、他に勝てそうな者など知らない。しいて言えばガラン・モッサ(ひげのおじさま)なら渡り合うこともできそうだが、彼は当のフェニクスによって命を落としている。

 

「見た目だけならとてもじゃないですが殺人鬼には見えないのですがね……」

 

 思い出す。ジゼル・アルムフェルトと名乗った女性の姿を。鉄華団からの取り調べの際、彼女は部屋の隅で書記を担当していた。最初はただの事務員だとばかり思っていたから、実は彼女こそあのフェニクスのパイロットだと知って驚いたのは記憶に新しい。

 第一印象は物静かな令嬢。その次に抱いたのは底知れない不安感だ。彼女もジュリエッタのことをたまに見ていたのだが、その時の覗き込むような金の瞳はしばらく忘れられそうもない。油断すれば殺される、本能がそう叫んでいたのだ。

 あのような存在を受け入れている鉄華団、特に冗談まで言い合っていた鉄華団団長の姿が彼女にはどうも信じられない。いったい何があれば自分たちの懐に狂人を迎え入れようとするのか、ほとんど敵ながら微かに同情してしまったほどである。

 

 ──人としての一線を越えれば、あのような強さに手を掛けることが出来るのだろうか?

 

 ラスタルのために誰よりも強くあろうとするジュリエッタにとって、それはどこまでも甘い誘惑だった。阿頼耶識を用い、外道と化し、人としての尊厳まで捨てて得ただろう力は引き換えに何者をも寄せ付けないだけの強さがある。ならばいっそのこと──

 

「強くなるために力が欲しい……でも、あれは目指してはいけない存在(もの)でもある。私はどうすれば良いのでしょうか、ラスタル様……」

 

 果たして自分もそこまで墜ちるべきなのか。この命題の答えはまだしばらく出そうに無かった。

 

 ◇

 

 マクギリス・ファリドが鉄華団火星本部に到着したのは、まだ午前中の頃だった。

 本部中にMSの整備や訓練の掛け声、遠くで行われている操縦練習などの音が活気よく響いている。ともすれば騒々しいともとれる賑やかさだが、鉄華団を買うマクギリスとしてはこの雰囲気がけっして嫌いではなかった。

 

「それではイオク・クジャンとジュリエッタ・ジュリスの身柄は確かに預かった。私が責任をもって利用させてもらうとしよう」

「頼んだぜマクギリス。こっちとしちゃあ賠償金が貰えりゃそれでいいが、逆にそこだけは譲れないからな」

「無論承知しているとも」

 

 互いに視線を走らせ握手を交わしたのは鉄華団団長オルガ・イツカと、現在は准将の地位にまで着いたマクギリス・ファリドその人である。今回マクギリスがわざわざ火星本部にまで足を伸ばしたのは、鉄華団が捕虜とした二名を引き取る為であった。

 もともとジゼルが自身の判断で勝手に連れてきてしまったイオクとジュリエッタだが、鉄華団だけでは利用しようにも価値が高すぎて逆に持て余し気味でしかない。なのでより有効に扱えるだろうマクギリスにさっさと預けてしまい、厄介払い兼報酬に期待しようとしたわけだ。

 

 マクギリスからしても政敵であるラスタル相手に優位に立てる絶好のカード。ものにしない理由はない。

 ただ、どうにも気になる点があるのも事実だった。

 

「それにしてもイオク・クジャンは君にかなりの敵意を向けていたが……いったい何をしたというのだね?」

 

 この場にはオルガの他に、もう一人ジゼルが居る。最近になって参謀に任命されて以来、こういった場には極力関わらされているらしい。本人は若干不服そうだが、地球支部での働きを考えればむべなるかなとマクギリスは思う。

 ともあれ、既に捕虜となっていた両名は大人しくギャラルホルンの護送車に乗せられている。だが、イオクに関しては並々ならぬ敵意をジゼルへと向けていたのだ。百回殺してもなお飽き足りぬというほどの尋常でない様子には、さしものマクギリスも興味を引かれてしまったのである。

 

「別にどうということはありませんよ」

 

 けれどジゼルはまったく気にしていない様子。常人ならば何かしら気に病んでしまいそうな視線を受けてなお、自然体を維持したままだった。

 平然と答えたジゼルは呑み込まれてしまいそうな底知れない雰囲気を醸し出している。さしものオルガでも一歩引いた。けれどマクギリスからすればそれこそが強者の証、むしろ歓迎して然るべきだ。

 

「あなたも聞いた通り、MA討伐の際に彼の部下を皆殺しにしました。そのおかげでたくさんのグレイズや新型機のフレームやリアクターが手に入ったので、きっとそれを恨んでいるのでしょう」

「それは随分とどうとしたことだと思うが……いや待て、フレームにリアクターだと? オルガ団長、そちらはどうしたというのだ?」

 

 慌てて聞き返すマクギリス。よくよく思い返せばクジャン家がMA討伐に持ち出したギャラルホルン謹製のMSは、全部が全部すっかり火星の大地に還ってしまったのである。こんなチャンス、鉄華団がモノにしないハズがない。

 ただ、マクギリスもマクギリスで捕虜二人という戦果にすっかり目を奪われていたのは事実だ。モノはギャラルホルンが手ずから作ったエイハブ・リアクターに、最新鋭機のフレームである。どちらも膨大な値段と情報的価値が付けられる代物、本来なら真っ先に行方を気に掛けるべきだった。

 

 果たして問い詰められたオルガはやや困ったように目線を泳がせてから、ゆっくりと口を開いた。

 

「とりあえずリアクターは全部回収してテイワズの方に売っ払っちまった。フレームの方も使えそうなもんはテイワズの工廠にバルバトスごと送ったから、たぶんそっちの最新鋭機は今頃解体されてるだろうぜ」

「やってくれたな、まったく……。いや、別に責める気はないのだが、ギャラルホルンの立場としては困りものだ。随分と荒稼ぎしたのではないかね?」

「おう、おかげさまでいい臨時収入になったさ。テイワズの方にもデカいシノギになったらしいから、マクマードの親父も随分と喜んでたよ」

 

 弾んだ声音に違わぬかなりの金額になったらしく、補足するようにジゼルから語られた合計金額は法外のもの。しかし最新鋭機ならそれだけの価値があるのは事実であり、マクギリスからすればどうせ月のアリアンロッドに全て持ってかれて関係のない機体である。どれだけ利用されようと全く懐は痛まなかった。

 などと話している内に、「准将、そろそろお時間です」と声を掛けてくる人物がいた。実直そうな黒髪の青年、石動(いするぎ)・カミーチェである。マクギリスの信頼も厚く、表裏共に副官を務める実力者だ。

 

「それでは私は行くとしよう。今回はあまり力になれずすまなかったな」

「そいつはもう終わった事だ、あんま気にすんな。むしろこっからも上手く俺たちと付き合ってくれんならそれが一番ってくらいだ」

「なら言葉に甘えさせてもらうとしよう。ではな、オルガ団長、ジゼル・アルムフェルト。よければ三日月・オーガスにもよろしく言っておいてくれ」

 

 それだけ言い残して黒塗りの車に乗り込むと、颯爽とマクギリスは去って行った。持て余し気味だった捕虜ともこれでおさらば、胸がすくような気持である。後に残されたのはオルガとジゼルが二人はしばらく車を見送ってから、二人して顔を見合わせた。

 

「ミカによろしくっつっても、アイツ絶対どうでもいいとか思うだろうなぁ……」

「三日月さんは今、勉強がてら農学系の本を読むのに夢中ですからね……まあ知らぬが仏というやつです」

「なんだそりゃ」

「東洋の諺ですよ。世の中には知らない方が良い真実もあるのです。例えば──ジゼルの本性のように」

「なるほど、そいつは大いに同感だ」

 

 ちょっとだけ笑い合いながら、二人も一緒に本部へと戻って行ったのだった。

 

 ◇

 

「随分と手酷くやられたものだな、ラスタル」

「そう言ってくれるなヴィダール。まさか私もここまで事態が進行するとは思ってもみなかった」

 

 月外縁軌道統合艦隊アリアンロッド。総勢で四十隻以上もの宇宙戦艦からなるこの艦隊はギャラルホルンでも随一の規模を誇る大組織であり、普段は地球圏に進行する敵勢力の迎撃やコロニーの監視などを行っている。

 その総司令官を務めるラスタル・エリオンは、自身の座乗艦に用意された一室に居た。椅子に深く腰掛け疲労したような姿を見せる彼の対面には、仮面の男ヴィダールの姿もあった。話題はマクギリス・ファリド主導で進んでいたはずのMA討伐作戦の件についてだ。

 

「イオクが失敗する可能性は考慮していたが……正直に言えばMAか鏖殺の不死鳥に殺されるものだとばかり思っていた。あるいは保険をかけておいたジュリエッタの手により逃れるとな。それがどれでもなく捕虜となって囚われるとは、なんとも歯がゆい所を突いてくるものだ」

「ジュリエッタ・ジュリスには交戦を禁じていたはずでは?」

「むやみな交戦は禁じた。だがアレのことだ、いざとなれば自分で判断して行動を起こすだろう。その結果イオクたちすら予期せぬ支援者となってくれることを期待したが……まさかジュリエッタすら敗れ去るとは。どうやら、私も内心で鏖殺の不死鳥を過小評価してしまっていたらしい」

 

 やれやれと首を振るラスタル。マクギリスの思うままに展開が進んでいるという焦燥感と、してやられたという痛烈な気持ちがない交ぜになった複雑な心模様だ。

 火星軌道上で待機していたクジャン家の者たちはMA討伐の顛末をあまさず監視していたから、ラスタル達にもいち早く失敗と鹵獲されたという報告がなされている。とはいえ、報告されたからといって彼らに何ができるわけでもない。火星は彼らの手が届かない地、いわばマクギリスのホームグラウンドなのだから。

 

「やはり私も出るべきだったか。今のヴィダールでもそれなり以上の戦力には──」

「いいや、最大の悪手だろう。まだ不完全なガンダム・ヴィダールが出張ったところで、完全な阿頼耶識を持つ鏖殺の不死鳥相手では玩具とされるのが関の山だ。なにより、これ以上こちらの陣営が欠ければそれこそ取り返しがつかない事態になるぞ。私にとっても、お前にとってもだ」

 

 そして今回の一件の何がマズかったかといえば、やはり鏖殺の不死鳥を過小評価していた点だろう。さしもの不死鳥であろうとも、エースパイロットであるジュリエッタやクジャン家の者たち、さらにMAを相手にすればさすがに余裕は無いだろうと考えていたのだ。

 だが結果はこの通り、四人がかりでもフェニクスは止められずジュリエッタとイオクは狙いすましたかのように捕虜となった。いっそ殺しておけ、などとまではラスタルも言わないが、捕虜となったことで足枷が増えたのは事実である。厄祭戦では誰よりも死を振り撒いた狂気の不死鳥のくせに、とんだ狸であると言わざるを得ない。

 

 厄祭戦を生き抜いた人殺しの熟練者。断じて楽観を持ち込んで良い相手ではなかったと痛感する。三百年もの時を跨いで現代に現れたという荒唐無稽な話を前に、ラスタルの目も知らず知らず曇っていたのかもしれなかった。

 

「しかしこうなれば直にマクギリスから何かしらの要求が届くだろう。奴の真意を見極めたいのは私とて同じこと、お前にとってもまたとないチャンスになるだろう」

「その通りだ。奴が何を成したいのか、何を考えているのか。私はその真意を知りたいと願う。果てに復讐があるのか、許しがあるのか、私にも分からないがな」

「……それはどうだろうな、ヴィダール。今回は私の目が曇っていたのは確かだろうが、お前もお前で少々自分を見失っている節があるぞ」

「なに……?」

 

 なんだそれは? ヴィダールが怪訝そうに首を傾げたその時だった。

 ラスタルの手元に用意された通信機が唐突に電子音を鳴らした。おそらく艦橋の管制官からの連絡だろう。「なにごとだ」とラスタルが答えてから二言三言、いったん通信が打ち切られる。

 

「どうした?」

「噂をすればというやつか。マクギリスからの通信だ。話によれば鉄華団からジュリエッタとイオクの身柄を預かったのがつい昨日の話、まったく堪え性がないな」

 

 とはいえ、息つく間もない迅速な行動だった。できるだけ早くにラスタル陣営に圧力を掛けたいという意図が見え隠れしている。実際、時間を与えればラスタルは如何様にでも動けるのだから正しい判断といえるか。

 「お前はどうする?」と目線で聞かれ、ヴィダールは一つ頷いてその場に留まった。通信機のカメラには入らず、あくまでも裏に徹する位置取りである。それを了解と受け取り、ラスタルが通信機を改めて繋ぎ直した。

 

『久しいな、ラスタル・エリオン』

 

 第一声はどこか高圧的なもの。マクギリスらしいと言えばらしい振る舞いだ。ラスタルが厳しい顔つきとなり、ヴィダールが仮面の下で目を細める。

 しかし現状では実質的な権威が地に墜ちたラスタルと、現在進行形で力をつけているマクギリスとでは立場に天と地ほども差があるのもまた間違いなかった。

 

「これはまた、どうしたかなファリド公?」

『あまりしらばっくれるのは止してもらおうか。こちらが預かったあなたの部下たちについて、まさか知らない訳ではないはずだが』

 

 やはりか。想像通りと言えばその通り、けれど耳が痛い内容だったのも事実だった。

 

『現在、イオク・クジャンとジュリエッタ・ジュリスの身柄はこちらで預からせてもらっている。ああ、心配せずとも二人には傷一つない。我々ギャラルホルンと違い、鉄華団は実に紳士的な対応をしてくれたようだ』

「……なるほど、それは安心した」

 

 もしこれが腐敗したギャラルホルンと同等の劣悪さなら、捕虜への尋問と称した暴行は当たり前、ジュリエッタに至っては女性としての尊厳全てを奪われていてもそうおかしくはない。内部腐敗についてよく知っている両者だからこそ、この皮肉は何より効いたのだ。

 

「ならば訊くが、貴様はいったい何を望むのだマクギリス。わざわざ連絡まで入れてきたのが、まさかただ勝ち誇りたいからではあるまいな?」

『それこそまさかさ。私が主導となっていたはずのMA討伐に勝手に横槍してきた謝罪、鉄華団から要求された採掘場近辺の破壊に関する賠償金と慰謝料、求めるものは存外に多い。だが──それよりも前に、私はあなたに問わねばならないことがある』

「ほう、それはなんだね?」

 

 直感的にラスタルと黙りこんでいたヴィダールは確信する。次の言葉こそマクギリスにとっての本題、彼の内心を顕著に表すものだろうと。幾重にも重ねた虚偽と仮面の下で何を願っていたのか、その一端がここで明らかとなるのだ。どちらにとってもマクギリスの真実は喉から手が出るほど欲する情報だった。

 

 知らず緊張する両者。その張り詰めた空気を感じたのかどうか、少しの間を置いてからマクギリスは滔々と語りだす。

 

『エリオン家当主ラスタル・エリオンに訊ねたい。私と共にこの腐敗したギャラルホルンを立て直し、報われるべき者が報われる実力重視の組織へと生まれ変わらせる気はあるか? かつてアグニカ・カイエルが創設した、古き良きギャラルホルンを取り戻す気概はあるか? あるのならば──』

 

 次第に熱を帯びていく口調。まるで子供の様に興奮しておきながら、語る内容はどこまでも革命家らしい野心的な言葉であった。

 

『私と手を組む気はないだろうか、ラスタル・エリオンよ』

 




そろそろ展開が原作を離れてオリジナルになり始めます。オリキャラも二、三人は出さないと立ち行かなくなりそうですし、ここからは本当に構成が大変なことになりそうです……


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#28 結託と訣別

 革命家と保守派。字面だけとらえれば正反対にも思える言葉たちだが、実のところ両者は共存可能な存在である。

 

 革命家の志すところとは、既存の組織・体制の破壊と新たな制度の誕生である。今の自分たち、そして世界に不都合な要因を取り除き、新たな地平を生み出そうと邁進する者たちは総じてこう呼称されるのだ。

 対して保守派とは、既存の組織自体はそのまま維持しようという姿勢が主となる。だがそれは、決して全てが元のままで良いと考えていることを意味しない。組織が腐敗し現状では立ち行かなくなるというのなら、()()()()()()()()()()()現行の組織を維持しようと努めるのが保守派のあるべき姿なのだから。

 

 ──つまりだ。若き革命家たるマクギリス・ファリドと保守派の重鎮ラスタル・エリオンは、敵対こそしているが根本的なところで同じ視点を持った、いわば似た者同士とも評せるのである。

 

「手を組むだと? 私とお前がか?」 

『そうだ』

 

 短く頷いたマクギリス。常の胡散臭いような、周囲を煙に巻く独特の雰囲気はそこにない。今の彼は間違いなく自身の本心から言葉を紡いでいるのだ。それが分かるラスタルだったから、マクギリスの言葉に半信半疑ながらも応じていた。

 

『あなたとて理解しているだろう、今のギャラルホルンの腐敗ぶりを。そしてただ見逃すつもりもないはずだ。そうでなければ他の中立の立場を取っているセブンスターズ──ファルクやバクラザンなどと違い、わざわざ保守派として行動している筈がないのだから』

 

 鉄華団が名を馳せ、マクギリスが本格的な台頭を始めだしたエドモントンでの一件。一連の事態でギャラルホルンは禁忌とされたはずの阿頼耶識に手を伸ばし、市街地にMSを侵入させるという失態を犯し、政治家とセブンスターズの癒着が明るみになるという散々な結果で終わっている。

 このせいでギャラルホルンの権威は失墜し、世界は本格的に乱れ始めた。角笛の音色は掻き消え、あらゆる悪徳が横行する時代。ただでさえ歪みきったギャラルホルンは白眼視されていたというのに、権威が墜ちればそれはそれで新たな悪意の引き金となるのだからどうしようもない。

 

 腐敗を理由に甘い汁を啜りたいなら中立なり傍観者なりの立場を取っていればよい。何もしなければそれだけギャラルホルンは腐り墜ち、上の者にとって都合の良い組織となっていくのは目に見えている。

 だがラスタルはそうは望まなかった。どうにかしようと決意した。故にギャラルホルンの権威を復活させるべく、保守派として行動を開始したのだ。

 

『ギャラルホルンの世界統治には賛成、だがどこかで腐敗を取り除く必要があるとも考えている。なにせ基本的には身分や階級を問わずに人を見るあなたの事だ、地球圏とコロニー及び火星圏の軋轢を快く感じるはずもないだろう。どうかな、どこか間違っていただろうか?』

「……認めよう。確かに私はこのギャラルホルンを変えるつもりだった。いずれはセブンスターズそのものを排し、この腐ったギャラルホルンを清浄な姿へと戻したいと願っていた。そうでなければ、あまりにも報われない者が多すぎるのだ」

 

 とてもセブンスターズが発したとは思えない、現実味のない誠実な言葉。もしギャラルホルンの腐敗に苦しめられた者が聞けば目を剥いて驚いたことだろう。

 それを聞いて我が意を得たりとばかりに微笑んだのはマクギリス、鋭く息を呑んだのはヴィダールである。両者共にこれまで公人としてのラスタルは知れども、私人として何を想っているか知る機会が無かった。だから保守派として組織を立て直そうとするラスタルの真意がどこにあるのか、誰からも不明瞭だったのだが……

 

『やはりな。あなたならそう考えていると信じていたよ。だから私もあなたに協力を申し込んだのだから』

「全てお見通しだったというわけか。やはりお前は侮れん男だよ、マクギリス」

 

 ここにその真意が明かされた。保守派といえど──いや、保守派だからこそ組織を維持するためには現行の体制を崩すのも厭わない。要はギャラルホルンが世界を統治、支配して平和を維持できればそれで良く、わざわざ現行の腐敗まで一緒に保守してやる道理はないのだ。

 

 ただし、これはセブンスターズとしてはあまりにも異端な答えでもある。

 例えばファリド家の前当主、つまりマクギリスの養父はギャラルホルンの腐敗の象徴とも取れる行いに手を染めていた。他のセブンスターズとて組織の風通しを良くした代償に、今の強力な権威を手放したいとまでは思うまい。それ以外にも多くの者たちが現ギャラルホルンの都合よい傲慢さを壊そうとまではしないはずだ。

 その中ではラスタルの常識的な願いなどとても公には出来ぬもの、迂闊に明かせぬ爆弾に他ならない。これまで誰一人として彼の真意を知らなかったのも無理からぬものだった。

 

 しかし、ここまで明確に悟られてしまっては隠し通す意義も存在しない。

 

「いずれはギャラルホルンを内部から変革させ、秩序だった組織へと変貌させる予定だった。そのためには時間と、何より緩やかな変化が必要だ。急激な変化は過激な形態しか生み出さん。改革とは決して一朝一夕に行えるようなものではないのだよ」

『しかしそれではあなたの語った”報われるべき者たち”はどうなる? 彼らがこの世界に絶望し潰されていくのを必要な犠牲だと割り切るのか?』

「そうだ。マクギリスよ、我らはあくまで公人なのだ。私人としての心情がどうあれ、感情に囚われて動けばいずれ必ずや手痛いしっぺ返しを食らうだろう。そうなってからでは遅いのだ」

『一理はある。そしてようやく理解したよ。だからあなたは私の敵として立ちはだかっていたのだな』

 

 あくまでも時間をかけてじっくり改革を行うべきとする保守派のラスタル。

 自らの理想のため、積極的に革命への布石を打っていく革命派のマクギリス。

 

 どちらも抱いた願い自体はギャラルホルンの健全化で、そこに貴賤などありはしない。人として真っ当で誇れる大志だろう。なのにこうもアプローチ方法が違うだけで、互いに争い火種を持ち込むような泥沼の引っ張り合いになってしまったのだ。

 ラスタルに至ってはそのためだけに経済圏同士の戦争を演出、その直前には海賊退治にも横槍を入れたのだからその本気ぶりが窺い知れる。何もここまでする必要はないだろう──そんな良心すら一顧だにせずの行動だ。

 

 彼からしてみれば、それほどまでにマクギリスの目指す改革が不気味かつ不安定なものに見えてしょうがなかったのである。

 

「私は覚えているぞ。かつて、まだお前が子供の時分の話だ。欲しいものを訊ねた時、お前は迷わずバエルと言ったな。もし今もそのようなまやかしの象徴を求めているというのなら──」

『生憎だがエリオン公、私は既にその思想からは脱却している』

「なんだと……?」

 

 予想外な言葉にラスタルが言葉を失った。マクギリスの内心に根付いたバエルへの執着、それこそラスタルがマクギリスを危険視する何よりの証拠だった。根拠としては薄いかもしれない。だが無視できるような要因でもなかったのだ。

 だというのに、目の前のマクギリスであるはずの男はあっさりとその未練を断ち切ってみせていた。その変貌ぶりがラスタルには分からない。()()()()()()()()()()はずなのに、政治家としての頭脳が認められていないのだ。

 

『そう、気づかされたのだよ。改革するはずの組織の法に頼って何とすると。アグニカ・カイエルの意志を再びギャラルホルンへ反映させるのに、必ずしも彼と同じようにする必要はないのだと』

「……ならばお前は、どのように改革を行うというのだ?」

『無論、正面から』

 

 自信に満ち溢れた即答だった。視界の端でヴィダールが拳を握りしめている。

 

『ギャラルホルンをまとめ上げられるだけの実績と立場を得た上で、正々堂々と変えてみせよう。だからこうしてあなたに協力を持ちかけた。共に見ている先が同じなら、手を組むことは不可能ではない。少なくとも互いに不干渉とする程度は今からでもできるはずだ』

「その果てにお前はどのような組織を作ろうという? 力だけが全ての組織か? ギャラルホルンを徹底的に否定するだけの組織か? 私は既に自らの理想を語った、故にお前もまた理想を語ってみせてくれ」

『最初に言った通りさ。今の悪しき風習ばかりが残ったギャラルホルンを破壊し、報われるべき者が報われる組織を再建する。かつてアグニカ・カイエルが目指した世界の秩序を守る正しき組織を、この手でもう一度世に生み出すのだ』

 

 語られる一言一句に、もはや危惧していたような独善的な思想は欠片も見当たらない。マクギリスはマクギリスなりに、憧れたアグニカ・カイエルを目指しつつも組織をより良くしようと動いている。

 理想の根幹は確かに子供らしいものかもしれない。だが、どうあれ革命へかける気概に嘘偽りなどこれっぽっちも存在してはいなかった。

 

 ラスタルはちらりとヴィダールを見た。彼は震える拳を握り締めて、ただ立ち尽くしているばかりだ。何を想っているのかはその鉄仮面に隠れて判然としないが、きっとマクギリスの様子に衝撃を受けているのだろう。

 

『話はこれで良いだろう。忘れてもらっては困るが、あなたの大事な部下二人はこちらの手に収まっている。この意味が分からぬあなたでもないはずだが?』

 

 事実上の人質である。そもそもマクギリスはこの使い方、展開を見越してラスタルに通信を入れてきたのだから是非もない。ここでマクギリスの話を断ったところで、イオクとジュリエッタがラスタルのアキレス腱としていいように扱われるのは目に見えていた。

 しばし、ラスタルが瞑目する。脳裏にはこれまで積み上げた様々な行いがフラッシュバックし、そして消えていく。それらの最後には戦場で散った友が浮かび、そして再び記憶の海へと沈んでいった。

 

 そうして、目を開いたラスタルはついに決断を下す。重苦しい苦渋に満ちながら、どこか清々しい響きも感じさせる言葉だった。

 

「……いいだろう。そちらが望むのなら、私もお前と手を組ませてもらいたい」

『よくぞ言ってくれた、ラスタル・エリオンよ。では、共により良きギャラルホルンの明日を目指すとしようではないか』

 

 これまで幾度となくいがみ合ってきた両者は、ここに来てついに手を取り合った。同じ理想を抱き、同一の結果へと視線を合したのだ。この瞬間、マクギリスの改革への野望はよりいっそうの加速を見せ、ラスタルの緩やかな変革を伴った保守は崩れ去ったのである。

 

『では、イオク・クジャンとジュリエッタ・ジュリスの身柄については追って連絡しよう。鉄華団への支払いなどもその時に。あなたの誠意に応え、悪いようにはしないと約束する』

 

 通信が切れた。もはやマクギリスの勢いは止められないだろう。ギャラルホルンでも急速に頭角を現し、火星でも地球でも一目置かれるようになった鉄華団と強い繋がりを持つ身だ。今のラスタルでは止められないのも道理であったのか。

 マクギリスと手を組む。この判断が吉と出るか凶と出るか、それはラスタルですら分からない。疲れたように背もたれに背を預けて深いため息を吐く。どうにも精神的な疲労がかさんでいた。

 

「まさか巡り巡ってこうなるとはな。言いたいことがあるなら好きに言ってもらって構わんが……それどころではないか」

 

 ラスタルが呟いたと同時、甲高い反響音が部屋に響いた。鉄と床がぶつかるようなそれは、ヴィダールが自身の仮面を床に叩きつけたことによるものだ。

 特徴的な仮面が床を転がる中で、腕を振りぬいた姿勢のまま肩で息をしている紫髪の男。端正な顔には痛々しい傷が走っている。だがそれ以上に目を引くのは、どうしようもなく怒りと戸惑いに塗れたその瞳だった。

 

「どうした、ヴィダール──いや、ガエリオ・ボードウィン。その仮面を外し、あまつさえ叩きつけるなどらしくない」

「そうだな、自認はしているさ。しかしどうしようもないんだ。色んな感情が胸の中を渦巻いていて、とても制御できそうにない」

 

 かくしてヴィダールと呼ばれていたはずの男、セブンスターズが一人ガエリオ・ボードウィンは、その素顔を隠す仮面を取っていた。本来ならばその時が来るまで絶対に外さないと誓ったはずの仮面を衝動に任せて投げたのだ、心の内でよほどの嵐が起こっていると見える。

 

「ラスタル、あなたがマクギリスと手を組んだのはそう不思議ではない。殺されかけた俺でさえ、奴の抱いた理想には胸を打たれた。昔からいつだってギャラルホルンの腐敗に憤り、不遇の身からあそこまで上り詰めた男の言葉だ。友として尊敬に値すると言ってもいい」

 

 しかし、だからこそガエリオはこうも苛立っているのだ。マクギリスの語った言葉が素晴らしく、またどうしようもないくらい正論であったからこそ、ガエリオは力の限り問いかける。此処にはいない友に向かって。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!? マクギリスがそのような思想を抱いていると知っていたなら、俺も、カルタも、父もアルミリアも絶対に応援した! 力になってやった! なのに、なのにどうして……!? お前は全てを捨ててまで一人で進もうとしたんだ!!」

 

 魂の叫びだった。泣き叫ぶ子供の様な、不条理を見た大人の様な、どうしようもないくらい抑えきれぬ感情の発露だ。ない交ぜになった想いは混沌と渦まき、ガエリオの心を支配する。

 かつて自らを裏切り、嵌めて、殺そうとまでした親友。そんな彼の真意を知りたかったからヴィダールとして素性を隠し、マクギリスへ問いかけようと考えていた。結果として思わぬ形で達成された事となるが、それだけに根は深い。

 

 肩で息をしながら思いの丈を振り絞ったガエリオは、一度二度深呼吸して呼吸を落ち着けた。それでようやく冷静になれたのか、先ほどまでの激情は波のように引いている。

 

「さっきあなたは、俺が自分を見失っている節があると言っていたな」

「確かに言ったな。その意味が理解できたのか」

「ああそうだ、やっと本当の気持ちが分かった。マクギリスを見定めるとか、許せないとか、そんな感情を燃やしてここまで生きてきた。だけど俺の本音はそうじゃないんだ」

 

 かつての幼馴染であるガエリオ、それにカルタ・イシューを裏切り、婚約者でガエリオの妹であるアルミリアにすら不幸をもたらしたマクギリス。そんな彼を理解できず、許せないから彼の真意を知りたいと願っていた。

 だけどそれは少し違う。本当は何よりもまず、マクギリスに認めさせたかったのだ。無意識に避けてきた自身の渇望、ようやくそれと向き合う時が来たのだ。

 

「俺は今でも……あれだけのことをされてもなお、マクギリスを親友だと思ってしまっている。だが向こうはどうなのか分からない。もしかしたら、俺たちのことなんて都合の良い端役扱いしてたっておかしくはない」

 

 だから──

 

「俺はアイツに認めさせたいんだ。俺はお前と一緒に歩いて行ける人間で、一言声を掛けてくれれば協力してやれる友達だと。あの自分勝手な分からず屋をぶん殴ってでも、俺はお前の横に立っているぞと知らしめてやりたいんだ!」

 

 それが友として、ガエリオが通したい意地だった。許せないし、復讐もしたい。だけどそれ以上にガエリオはマクギリスの友であった。

 故にこれは、もはや許せるか許せないかの話ではない。ただ自分の価値を、在り方を、マクギリスに叩きつけてやりたいのだ。

 

 高らかに宣してみせたガエリオを満足気に見ていたラスタルは、そこでようやく口を開いた。

 

「お前の決意、しかと見届けた。その先にどのような結末があろうとも、友の為に戦うお前の意思は立派であったと保証しよう」

「ここまで世話になった、エリオン公。こんな俺を拾ってくれたあなたには掛け値なしに感謝している。だがあなたがマクギリスと手を組むというのなら、これからは敵同士になる。すまないが容赦は出来そうにない」

「そうだろうな。是非もあるまい」

 

 ラスタルはマクギリスと手を組み、ガエリオは形がどうであれマクギリスと敵対する形となる。故に敵対関係となるのは自明のことだった。

 

「だが、一つばかり訊きたいことがある」

「何かな?」

「いつか俺は、どうしてあなたが手を抜いているかを訊ねた。しかしあなたは答えをはぐらかし『その仮面が外れた時に』と口にしていただろう? なら、今こそその約定を果たしてもらう時だ」

「ふむ、そうだな……マクギリスを未だに友と信じられるお前になら、話しても問題はあるまい」

 

 何故、あのラスタル・エリオンが政治に”手を抜く”などという行為をしたのか。かつてヴィダールから問いかけられたその命題に、ラスタルは間違いなく私的な情感を籠めて語っていた。

 

「公人としてはマクギリスや鉄華団と敵対する形となったがな。私人としての私は、決して彼らが嫌いではないのだよ。むしろ不遇の身の上からここまで、よくやってきているとすら思っている。近年では大した苦労もしてない者が幅を利かせる中で、よく折れずに立ち上がってくれたともな」

「貴族の子息としては耳に痛い言葉だな……」

「なに、責めている訳ではない。それを言うなら私とて散々汚い大人として彼らを利用し、翻弄した者だ。今更このようなことを言う資格など無いのは百も承知だが……それでも、ギャラルホルンの誰もが彼らのように泥臭くもひたむきに生きられればと感じずにはいられなかったのさ」

 

 つい先ほど、ラスタルはマクギリスに対して肯定した。公人として必要な犠牲は容認すべきだと。だが、それでも彼は元より善側の人間であり、それ故にひたすら戦い抜いて何か一つを成し遂げようとする者たちの輝きには目を奪われてしまっていたのだ。

 あるいはマクギリスの提案に頷いたのも、結局この思想が根底にあったからなのかもしれなかった。

 

「なるほどな、よく分かったよ。俺はてっきりあなたは人の情がない機械のような人物だと思っていた。常に正しく、合理的で、理知的な判断が下せる人間だと」

「ハッ、冗談を言うのも大概にしておけ。それは人間ではなく、文字通りに機械でしかない。そして私は機械などでは断じてないのだから、裏にどのような感情があっても不思議ではあるまい? ただ、人よりそれを隠すのが上手いだけだ」

「どうやらそうらしい。すっかり騙されてしまったよ、謝罪させてほしい」

「ハハハハハッ! そうしょげるな、気にしてはおらん」

 

 生真面目なガエリオの謝罪を豪放に笑い飛ばしたラスタルは、もう一度だけ冷徹な政治家の顔になった。自然とガエリオの表情も引き締まる。

 

「ガエリオよ、もしお前がまだマクギリスと戦うというのなら、まずはクジャン家と合流せよ。直にセブンスターズ、そしてギャラルホルンは真っ二つに割れるはず。バクラザンとファルクも重い腰を上げるだろう。それからがお前にとっての真の戦いの始まりだ」

「……いいのか、俺にそのような事まで話してしまって?」

「構わんさ。むしろこれはマクギリスへの意趣返し、散々いいようにされたせめてもの仕返しだ。何より、友として奴と向き合おうとするお前を止めるのは忍びない」

 

 これからの事を考えるなら、ガエリオは殺しておいた方が絶対に正しい。けれどラスタルはそんな気にはなれなかった。むしろマクギリスとガエリオによる、壮大な喧嘩の行く末の方が遥かに気になって仕方ないのだ。

 それにどうせ、ファリド家とエリオン家が手を組んだと知れば遅かれ早かれ他の家も動き出す。なら、ここでエース級パイロットを一人見逃したところで誤差にしかならないだろう。などと自身を納得させて、そういう事にしておいた。

 

「行くといい、ガエリオ・ボードウィン。できればお前とは敵対したくなかったよ」

「それはこちらとて同じことだ。とはいえ、改めてあなたには感謝を。最後の最後まで大変世話になったな、ありがとう」

 

 こうして、ヴィダールはラスタルと袂を別つこととなる。次に会えば敵同士、だが不思議なほど爽やかな気持ちでラスタルはその背中を見送ったのだ。

 

 若き革命家マクギリス・ファリドは、新たにラスタル・エリオンという巨大な切り札を手中に収めた。その勢いはもはや止められるものではない。

 けれど、これで終わりでもないのだ。誰よりもシンプルな意地を胸に、彼へと挑む者がまだ残っている。彼の仲間に敵愾心を燃やす者が存在する。故にこそもう少しだけ、ギャラルホルンの革命を巡る戦いは続くのだ。 

 




マクギリス陣営にラスタル様が加わり、代わりにヴィダールが去る事態となりました。
まあラスタル様の言葉でだいたい先の展開が分かるでしょうが……これから先はオリジナル展開ということでよろしくお願いいたします。


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#29 クリュセ巡りの旅

最近は重い展開や頭おかしい主人公が多かったので息抜き回です。


 鉄華団の団員が抱くジゼル・アルムフェルトへの印象は、大きく分けて以下の三つに分類される。

 

 一つ目、マイペースで天然気質。

 二つ目、仕事には真面目。

 三つ目、どこか得体の知れない雰囲気が漂っている。

 

 一つ目と二つ目についてはそのままだ。ジゼルの発言や行動はけっこう突飛なものが多いし、ふざけたような辛党なのも有名な話である。かといって勝手気ままかと言えばそうでもなく、鉄華団の仕事に対して真摯に取り組む姿勢が見受けられる。

 そして三つ目、これは最近になって新たに浮上したものである。少し前のMA戦では横槍を入れてきたギャラルホルンの者たちを一方的に殺戮し、地球支部では着任後すぐにアーブラウ兵を射殺したという。その異様なまでの殺人への躊躇いの無さは、新入りの団員はもちろん古参の少年兵たちでもどこか気味が悪く感じてしまう。

 

 ──たぶん彼女には、何か秘められた本性がある。それもとびっきり醜悪な本性が。

 

 もちろんジゼルの狂った趣味を正確に把握している者はごく一部だが、最近では平団員たちにもこのように思われているのだ。義理堅いし真面目なところもあるから嫌いにまではならないが、どこか苦手意識を持ってしまうのは仕方なかった。

 だからそのジゼルがオルガと共にクリュセに遊びに行くと知ったときは、かなり大きな波紋が団員たちに広がったものである。

 

『はぁ、オルガがデートだと!? しかもあのジゼルと!? おいおい何の悪ふざけだよ、冗談キツイぜ全く』

「マジだマジ、大マジだ」

 

 通信機の前に座るシノは神妙に頷きながら、画面の向こうで叫ぶユージンを宥めた。

 火星本部より遠く離れた地球支部に居るユージンは、おそらく鉄華団の誰よりもジゼルを危険視していた人物である。このオーバーな反応も彼ならむしろ納得いくものでしかない。

 

『つかデートってなんだデートって。あの女っ気の全然なかったオルガが出会いも交際もすっ飛ばしていきなりデートたぁどういう了見だ。その辺詳しく教えてくれよシノ』

「オルガが言うには、なんか色々あって明日にでもクリュセの美味いもん食いに行くことになったんだとよ。どっちもデートって意識してるわけじゃねぇみたいだが、こりゃどう見てもデートだろって俺たちで勝手にネタにして盛り上がってるとこなんよ」

『そりゃまあ確かに、んな面白そうなイベント見逃せるはず──じゃなくてだ! あんな危険人物とデートとか命が何個あっても足んねぇぞ……マジで止めとけって』

 

 一応ユージンもジゼルの義理堅さは知っているが、それでも理屈じゃなくて本能的に不安になってしまうのである。別に、デート経験でオルガに先を越されることを(ひが)んでいる訳ではない。決してないのだ。

 ただそんな危険性を憂慮する想いとは裏腹に、思いがけない恋愛話っぽい流れに興味津々なのも事実だが。彼とてまだまだ青少年、そういった話には食いついてしまうのも仕方ない。

 

『すみませーん、ユージンさんいますか……ってあれ、もしかして火星の方と通信中でしたか?』

 

 ひょっこりユージンの後ろに映り込んだのは、今も地球支部で一生懸命働いているタカキだ。シノが「よう、久しぶりだな!」と声を掛ければ、『あ、シノさん。お久しぶりです』と返してくれる。

 

『おう、ちょうどいいとこに来たなタカキ。聞いてくれよ、あのオルガがデートすんだとよ! しかも相手はあのキチ……じゃなかった、ジゼル・アルムフェルトなんだと』

『ええッ!? ジゼルさんとって、それはまた随分と急な話ですね……』

『だろ? ホントびっくりしたぜ。頼むから詳細は教えてくれよな』

「ったりめぇだろ! こんな一大イベント見逃す方がどうかしてるぜ!」

 

 既に有志の手を借りて二人を出歯亀する準備は整えている。カメラなどはいくつか用意したし、変装用の服なども準備万端だ。後はシノを筆頭にして目立たないように二人を尾行し、終わった後に存分に茶化してやろうという算段である。

 

 普段は大人顔負けなくらい努力して生きている彼らでも、今回ばかりは完全に青少年たちのノリと勢いそのままだった。

 

「ラフタさんなんかもう乗り気すぎてヤバいくらいだし、アトラもアトラでかなり気になってるみたいだからな。ぶっちゃけライドたちもかなりテンション上がっちまってるぜ」

『昭弘はどうしたんだよ? アイツなら絶対止めると思ったが』

「アイツはオルガに一任するらしいぜ。オルガがいいって言うならそれでいいんだとさ」

『へぇ、なんつぅか昭弘らしいぜ。タカキはどう思うよ?』

『俺は別に大丈夫だと思いますけどね。ジゼルさんって結構怖くて不思議ですけど、同じくらい良い人ですし』

『ま、マジか……アイツのことそう思ってんのか……』

 

 タカキは団員たちの中でも温和な性格をしており、かつ有数の常識人である。そんな彼が本性を知らぬとはいえジゼルを割と高く評価しているのだから、真逆の評価を下しているユージンとしては愕然としてしまう。

 ともあれ、例のデートとやらをどう感じたところで地球に居るユージンに出来ることは皆無だ。今はただ黙って結果報告を待つしかない。

 

『タカキ、ユージンさんは見つかったのか?』

『あ、ごめんアストン、もう大丈夫だよ! すみません、俺はこれで』

『じゃあ俺もそろそろ仕事に戻るかな。ともかく、絶対に詳しい情報は教えてくれよな!』

「任せとけっての!」

 

 こうして、不安と期待とお節介と覗きの混じり合った謎の食べ歩きツアーは始まったのである。

 

 ◇

 

「団長さん団長さん、次はあのお店に行きましょう。きっと美味しいケーキがありますよ」

「分かったからちょっと落ち着け、これで何件目だと思ってやがる?」

「んー……まだ六件目でしょう? さあお早く」

 

 そう言って有無を言わせずオルガの袖を引っ張って歩き出すジゼル。行き先にはちょっと洒落た佇まいの洋菓子店、たぶんクリュセの中でもお高い方の店だろう。金銭の心配は必要ないが、どうにもオルガとしては気遅れしてしまう雰囲気が醸し出されている。

 

 ──正直、ちょいとばかり安請け合いしすぎたかもしんねぇな。

 

 鉄華団団長であるはずのオルガ・イツカは、引きずられながら心の中で嘆息してしまう。買い物になると女性は男性よりも遥かに活動的になると聞いたことがあったが、それはあのジゼルですら例外ではなかったようだ。

 店内も外見に違わず小奇麗で、やはりオルガはどうにも場違いに感じてしまう。しかもかつては底辺を生きていたオルガにとって、ケーキなど食べるどころか見たことすら無いものばかりだ。けれどジゼルは気にした風もなく、当たり前のようにショーケースに並べられたケーキを品定めを始めている。相変わらずのマイペースさだ。

 

「このモンブラン美味しそうですね。団長さん、試食してみてはもらえませんか?」

「こいつか? すんません、このモンブラン? ってヤツ一個貰えますか?」

「は、はい……!」

 

 言われるままに一個注文してみれば、店員からかなりビビられてしまい思わず苦い顔になってしまう。白狼のような鋭い容姿と高い身長、それに普段着のワインレッドのスーツがもたらす威圧感はかなりのものであるらしい。ありていにいって、一般人(カタギ)とはとても思えない。

 

「気にしないことですよ団長さん。ジゼルはあなたが良い人だってちゃんと知ってますからね」

「……ありがとよ」

 

 ジゼルがらしくなく慰めてくれたのが、なんだか気にしているように思われて逆に辛くてしょうがなかった。

 ともあれ店内に備え付けの喫茶スペースへと足を運び、提げていた袋をざっと下ろす。両手に三つずつの合計六つ、それがジゼルの買い込んだ品物たちであった。

 

「にしても随分と買い込んでくれたなぁアンタも。まさかこうまで嵩むとは思わなかったぜ」

「団長さんが悪いんですよ。あんなに美味しそうな食べ物ばかり見せられたら、どれもこれも気になってしょうがないじゃないですか」

「そりゃ全力で美味そうなとこリサーチしたからな。これで全く靡かれなかったらその方がよっぽど困っちまう」

「なら、ジゼルがたくさん買っても構わないのでは?」

「物は言いようだな。ま、確かに文句を言われるよりははるかにマシだが」

 

 話している間に出されていた紅茶に口を付けて、ため息を一つ吐く。始まりは四時間ほど前の午前十時、思い返すだけでも一苦労な食べ歩きツアーの幕開けである。

 

 この洋菓子店に来るまでに立ち寄った店は全部で五つだ。最初はパン屋でライ麦パンやフランスパンを買い、次はチーズの専門店で名前も聞いたことがないような不思議なチーズを幾つか買った。

 パンについては何でもジゼルの故郷で盛んに食べられていたらしく、彼女は随分と懐かしがっていた。チーズについても同様らしく、なんでもブルーチーズやモッツアレラがお好きなのだとか。オルガからすればカビの生えた食べ物などヒューマンデブリの食糧より酷い気がしたのだが、一口試食してみて考えを改めた。とても美味い。

 その次は肉屋、その次は香辛料専門店、さらには風変わりな珍味を扱った店と、二人で多種多様な店舗ばかり巡っている。どれもこれもCGS時代のオルガならまず入る事すら出来ないような、けっこうセレブリティ溢れる店ばかりだ。それが今では鉄華団団長という肩書もあって店側から大歓迎されるのだから、生きていれば何が起こるか分からないものである。

 

 ちなみに、買った品の荷物持ちをオルガがしていたのは兄貴分の名瀬からの入れ知恵だ。念のために今回の件を相談しておいたら、こういう時の男は荷物持ちをすべきと教えてくれたのである。実際にやったら確かにジゼルの機嫌がちょっと良くなったから、やはり効果はあったのだろう。さすがは名瀬の兄貴と言うべきか。

 

「文句なんて言いませんよ。団長さんが選んでくれたんですから、きっと美味しいに決まってると信じてましたとも」

「おいおい、初対面で貰った栄養バーを『マズい』ってはっきり言ったのは誰だったよ?」

「……さて、誰でしょうか? ジゼルに覚えはありませんよ」

 

 苦笑交じりに指摘すれば、ジゼルはふいっと金の瞳を泳がせた。バツが悪そうな表情を見るに、彼女も多少は気にしていたようだ。誤魔化すように紅茶を手に取り口を付けた。しかしその所作一つとっても優雅で上品なのが、やっぱり育ちの良さを思い出させてしょうがないのである。

 

「やっぱり味は分かりませんね。香りも楽しめない紅茶なんて、ただの水よりつまらないものです」

「確か阿頼耶識の弊害だったか。同じくらいMAと戦えても、アンタとミカでは違う障害が発生してんだな」

「おそらくは阿頼耶識システムの違いでしょう。この時代の阿頼耶識は不完全なものですから、そのぶん運動能力にダイレクトなフィードバックが発生するのかと。それと味覚嗅覚を無くすことのどちらが良いかといえば、その人次第と言えますがね」

 

 単純な生活の不便さを考えれば、半身不随にまで陥った三日月の方が圧倒的に厄介だろう。しかしだからといって味覚と嗅覚という五感の内の二つが無くなってしまえば、食事には食欲を満たすという以上の意味合いが無くなってしまう。それでは日々の彩すらも色褪せてしまうことだろう。

 

「大変お待たせしました、ご注文のモンブランです」

 

 ちょうど話が切れたタイミングで、店員がモンブランを一つ運んできた。嗅いだこともないような甘い香りがオルガの鼻孔をくすぐる。

 まずはフォークで一つ突いてみる。クリームが多いのかかなり柔らかい。初めて見る食べ物だからおっかなびっくりになってしまうが、早く食べろとジゼルの視線が突き刺さっているので意を決して口へと運んでみた。

 

「……うまいな」

「本当ですか?」

「ああ、初めて食ったが甘すぎなくていいな。こりゃ土産にいくつか買ってくか……」

 

 即座に頭の中で金勘定を始めるオルガ。今日はなにも本当にジゼルのためだけに店巡りをしていたわけではない。これまでの店巡りでも、彼は気に入ったものはいくつか買い取って鉄華団本部の方に送ってもらうよう話をつけていたのだ。もちろん、全てオルガの自費である。いつも組織の為に気張ってくれる家族達への、ちょっとしたプレゼントというつもりだ。

 その中でもこのモンブランなる食べ物はかなり良い。特に子供たちは喜ぶだろうし、幹部組といった大人の味覚を持つ者たちにも悪くないはずだ。

 

 などとモンブランを突きながら考えていると、やはりジゼルの視線が気になってしょうがない。『じ~』という擬音が聞こえてきそうなほど、もっと言えば穴が開きそうなほどモンブランを見つめている。

 この時点で何となく嫌な予感がしたオルガは、さっさと食べ終わってしまおうとフォークを急いで動かし始めたのだが──

 

「どれどれ、せっかくですしジゼルにも食べさせてくださいよ」

 

 やっぱりか。割と食い意地の張っているジゼルだから、たぶんそう言ってくることは予想出来ていた。

 

「んなこと言ったって、今アンタがコイツを食ったところで味なんざ分かんねぇんじゃないのか?」

「それでも、食べているという事実に変わりはありませんし。それにほら、アレやってみたいじゃないですか、アレ」

 

 よく理解できないことを早口で唱え終わったジゼルは、何故か雛鳥のように口を広げて見せる。ちょうどフォークで小さく分けたモンブランが入りそうなその大きさ。何のつもりだと一瞬固まってから、オルガはその意図を悟った。悟ってしまった。

 

「おい……まさか俺に食べさせろっていうんじゃねぇだろうな?」

 

 確認を求める声が心なしか震えていたのは、絶対に気のせいじゃないだろう。

 

そうですけど何か(ほうへすへどはひか)?」

「口閉じて喋ろっての。つかマジか、本気で言ってんのか……」

 

 咄嗟に周囲を見渡す。知り合いは当然ながら誰もいない。だから見咎められるとか、ネタにされるとか、その心配はないはずなのだが……さすがに難易度が高すぎた。

 この世に生を受けて十数年、散々ユージンやシノが”彼女ができたら絶対やりてぇ!”と叫んでいた行為をまさかジゼルとやる羽目になろうとは。不満とまでは言わないが、いかんせん意外性がありすぎるのだ。

 

ほら(ほは)早く食べさせてくださいよ(はやふたへはへてふらはいよ)

「勘弁してくれよ……ったく、ほらよ。コイツでいいか?」

 

 五秒ほど胡乱気に見つめてみても変わらない。思えばジゼルはくだらない発想ほど一度そうと決めたら中々意見を翻さない。そのマイペースさは初対面の時から知っているし、変わってもいなかった。

 ヤケクソ気味に意を決してフォークにモンブランを勢いよく突き刺し、頬杖を突きながらジゼルへと差し出した。ぱくり、一口でジゼルがモンブランを飲み込む。まるで怪物の捕食シーンでも見ているかのようなシュールさだ。

 

「むぐ……美味しいと思います、たぶん」

「そいつぁ良かったな、おい」

 

 いったい自分は何をやっているのか、なんてどうしようもない疑問がオルガの心中で広がるが、悲しくなるので無視である。まあ確かに、普段の無表情を崩したアホっぽいジゼルは見ていて面白くはあったが。たぶん団員たちの誰も予想だにしない行動だったとは思う。

 当の本人は満足げにモグモグと咀嚼してから嚥下すると、紅茶をちょっと飲んで優雅に口直し。それだけで先ほどのふざけた姿が払拭されるのだから、つくづく美人とは得であると実感させられる。

 

「一回くらいこういうのやってみたかったのですよね。昔読んだ小説では、男女が食事に出かけた際の定番だとかありましたし」

「そのために俺をダシにすんなってんだ……で、満足したか?」

「ええ、大満足です。ついにジゼルはアグニカもついぞ出来なかった”恋人っぽい行い”を達成したと思うと感無量ですね」

 

 なんだか英雄様の個人情報がさらっと暴露された気がしたが、聞かなかったことにしたオルガである。

 そういえばセブンスターズにカイエル家がないのもその辺の事情なのだろうか。きっと彼に惹かれた女性も多いだろうに、なんとももったいない話である。

 

「そんじゃ、そろそろお暇するか? あんまし居座っても迷惑だろうしよ」

「あ、いえ、まだ気になるケーキがあるので待ってください。それにほら、喫茶店というのは長居してこそと言いますし」

「だけどやることがなんもねぇぞ。まさかこんなところで事務仕事片づけるわけにもいかねぇしよ」

「ええ、そうですね。だから──」

 

 ふと、ジゼルの纏う雰囲気が変質した。例えるならコインをひっくり返すかのような。先ほどまでのマイペースなお嬢様という様子が崩れていき、代わりに醜悪で狂気に塗れた本性の片鱗が表に浮かび上がってくる。あのどこまでも他者を不安にさせる、相容れない魔性としての気配が色濃くなったのだ。

 

「団長さんとジゼルがこれからもより良い関係を築けるように、お互いの求めるものをハッキリさせてしまいましょう。だってほら、このままだと最後の最後に殺し合いの泥沼になってしまうかもしれませんし」

「……なるほどな、そいつがアンタの本命か」

 

 低い声で呟きながら、オルガの脳裏にいつかの言葉が浮かび上がった。

 

 かつて、名瀬・タービンから一つ忠告を受けていた。『鉄華団とジゼルの望む未来は決定的に違う。いつかその齟齬が取り返しのつかない事態を生むかもしれない』、と。

 これまでまがりなりにもジゼルとは上手く付き合ってこれて、良好な関係性を築けていた。それは間違いない。けれど、だからこそ目を逸らしてしまっていた根本的な問題へと、ついに踏み込むときが来たのだ。

 

 それまで漂っていた緩い空気を振り払って相貌も鋭く覚悟を決めたオルガ。対面するジゼルはといえば、

 

「あ、先にフルーツタルト頼んでいいですか? アレも非常に美味しそうだったので」

「もう勝手にしてくれ……」

 

 特に気負う事もなく、マイペースに新しいケーキを注文していた。

 




なんだか一年前に初めて筆を執った時を思い出しました。ジゼルにこのような役割は似合うのかどうか、今でもちょっと疑問でなりません……


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#30 互いの求めるもの

 ジゼルとオルガが入っていった高級店独特の店構えをした洋菓子店の、道路を挟んだその向かい。

 クリュセの街並みに溶け込むような落ち着いた雰囲気の、どちらかといえば一般的な喫茶店の一角に彼らの姿はあった。

 

「お、おーー! いったーーッ!」

「やるじゃないあの娘、あの堅物君にデートの宝刀『あーん』をさせるなんて!」

「抜け駆けするとはオルガめ、油断も隙もねぇなおい……!」

 

 ビデオカメラを片手に叫んでいるのはシノ、双眼鏡を片手にはやし立てているのはタービンズからの出向であるラフタ・フランクランドだ。どちらも興奮した様子で窓際に張り付いている。周囲からの訝し気な視線もお構いなしだ。

 

「あの、とっても目立ってるのでちょっと落ち着いた方が良いかと……」

「いいじゃんかー別に。向こうにバレなきゃそんなに気にすることないって!」

 

 そんな二人に控えめに提案したのは意外にもシノとラフタについてきたアトラ・ミクスタ、逆に気にすることは無いと無邪気に笑ったのは年少組の中心核であるライド・マッスだ。

 この二人に先の二人を入れた四人が主な追跡メンバーである。ラフタと同じタービンズからの出向組であるアジー・グルミンは「覗きなんてしても仕方ないだろ」と興味を示さなかったし、昭弘は「オルガの好きにさせておけば良い」と語っただけ。他のメンバーはそこまでする気がないだとか、単純に数が多いとバレるなどという理由で同行していない。

 

「でもホント驚いたわよ。前に会った時は全然そんな風には見えなかったのに、ここまで大胆だなんてね」

「あれ、ラフタさんジゼルと会ったことあるんすか?」

「一回だけね。タービンズ(うちら)の荷物兼護衛って感じで雇ったんだけど……なんか不思議な娘だった。すっごい強くて、淡々としてて、あとダーリンがめっちゃ警戒? してたの」

「へぇー、名瀬さんがですか。でも確かに、俺たちの間でもあの人についてはいい意見も悪い意見も聞きますからね」

 

 ライドの言う通り、団員たちの間でも彼女の評価は難しいものがある。だからこうしてシノやラフタが冷やかし交じりに()()()()()()といえばその通りであり、ふざけているようでしっかり理に適っている行いでもあるのだ。副団長(ユージン)からの頼みもある手前、団長(オルガ)に万が一があっても困ってしまう。

 

 もちろんそれらは建前、大部分は女っ気のなかったオルガを弄り倒すためのネタとするためだが。

 

「でも、なんでアトラまで着いてきたんだ? ぶっちゃけアトラってこういうの興味なさそうだけど」

「あ、そいつは俺も気になるな」

「あたしも!」

 

 だからこの場にはそぐわないアトラという少女の存在は、三人もどことなく気になっていた事ではあった。

 かなり分かりやすい三日月への恋慕を抱く彼女は、こうして他人のデート──らしきもの──に茶々を入れる性格でもないはず。なのにこうして付いてきていたのは腑に落ちないことであったのだ。

 問いかけられたアトラはといえば、困ったように顔を真っ赤にさせてしまった。それがいっそう三者の関心を掻き立ててしょうがない。

 

「えっと、その……」

「その、なにかなー?」

「団長さんが調べてたお店、もし今度時間があったら三日月と行ってみたいなって……もちろん、自分でもちゃんと調べたりするけど!」

 

 もじもじとしながら最後には自棄っぱちに放たれたその言葉に、しばし三人とも固まってしまった。

 なんともいじらしく、乙女らしい理由である。こうして他人を冷かしているだけの自分たちが何だか悲しく思えてしまう。

 

「三日月かぁ……アイツはこういうの興味あんのかね?」

「さぁ? でもアトラちゃんの誘いならけっこう乗ってくれそうな気もするし」

「三日月さんがクリュセでデートかぁ……なんだかイメージし辛いな」

「も、もう! そんなに色々言わなくても良いじゃない!」

「あはは、ごめんごめん」

 

 笑って誤魔化したラフタであるが、言われてみれば今回紹介されていた店はどれも面白そうなところばかり。意外とオルガのセンスは悪くないのかもしれない、そんなことも考えてしまう。食べ物関連なら三日月の食指も少しは動く……かもしれないと思う。

 そうしてしばらく話していた一同だが、再び本来の目的へと戻っていく。実際にはライドとアトラは出されたデザート類に舌鼓を打っているだけなのだが、シノとラフタは結構本気である。

 

「にしてもアイツら、なーに話してんのかねぇ……?」

 

 シノの視線の先では、先ほどまでの雰囲気とは打って変わって真面目に話している二人の姿があった。

 

 ◇

 

 ジゼルとオルガ。先ほどまで両者の間に漂っていた緩い雰囲気はすでになく、店のその一角だけまるで戦場もかくやと言わんばかりに空気が張り詰めている。

 互いにいつかこの時が来るとは感じていた。思想や信念の点で相性がいいのは事実だが、それだけでは立ち行かないのもまた真実。彼女の危険性を認めるからには、いつかどこかで腹を割って話す必要があった。

 

 ただオルガにとって予想外だったのは、まさかこのタイミングとは思わなかったところだろうか。目の前で味も分からないフルーツタルトを美味しそうに頬張っている少女は、いつも思いもよらぬ切り口を見せてくる。

 

「むぐ……もぐ、団長さんも食べますか?」

「いや、良い。それよりさっさと腹割って話そうぜ。なぁ、参謀さんよぉ?」

 

 差し出されたフォークをにべもなく振り払い、敢えて凄むように言ってみせた。この程度ジゼル相手には糠に釘もいいとこだが、マイペースな彼女を本題に引き戻すにはこれで十分だった。

 狙い通り、そこでようやくフルーツタルトを食べるのを止めたジゼル。まだ半分ほど残っているタルトを未練がましく一瞥してから、真面目な顔つきでオルガへと向き直った。

 

「では団長さん。単刀直入に訊きますが、あなたの目指す上がりとはなんでしょうか?」

「急に何かと思えば、そりゃあアレだ。鉄華団(かぞく)の皆がこれ以上切った張ったの世界で生きていかないで済むよう、真っ当に鉄華団を大きくすることだ」

「つまり戦いからは離れると? 現在行っている護衛任務や海賊退治などの仕事は完全に切り上げて、他の産業を主軸とする組織に切り替えていくと?」

 

 ジゼルの確認にオルガは大きく頷いた。実際問題、彼の本音としては武力に任せた危険な仕事を鉄華団(かぞく)にさせたくはないのだ。今はそれが一番手っ取り早く稼げて、かつ鉄華団の売りになっているから手を出しているだけ。いつか必ず命の危険のない、真っ当な仕事だけに絞ると決めている。

 

 けれどそう、その道は目の前の存在とは相容れない選択であり──

 

「なるほど、よく分かりました。これではジゼル、団長さんにとって要らない存在になってしまいますね」

「……まぁ、なるだろうな。もちろん、そん時になってアンタを用済みとして放り出すなんて筋の通らない真似はしねぇつもりだ。だが──」

「それとジゼルが納得できるかどうかはまた別の話ですね」

 

 再び頷く。戦いや命のやり取りから手を引くということはつまり、ジゼルを雇う上で大前提となる”殺し”が無くなるということだ。異常な殺人快楽者であるジゼルだから、無理やりに抑圧された欲求はどこかで箍が外れることだろう。そうなれば鉄華団の不利益は免れない。

 故にジゼルは最初に語ったのだ──”このままでは殺し合いになる”、と。血生臭い仕事は止めたいオルガと、誰かを殺したいジゼルと。最終的な目的が食い違ったまま目指す上がりへと共に到達してしまえば、どのような惨劇が起きるかは想像に難くない。

 

 今度は囁くようにジゼルが語る。テーブル越しに身を乗り出した彼女から、甘いミルクのように(かぐわ)しい、女性らしい柔らかな香りが漂い鼻孔をくすぐる。

 彼女が纏う香りなど、血と硝煙と腐臭に塗れたもの以外にあり得ない。オルガは勝手にそう考えていただけに、こうも良い香りがするのがどこか不思議に思えてしょうがなかった。

 

「団長さん達の幸せが平和な生活を謳歌することなら、ジゼルにとっての幸福は誰かを殺す事です。それより幸福になれる何かを、ジゼルはまだ知らないので」

「……じゃあどうする? 今からでも鉄華団を辞めて、マクギリスの下にでも行くか? アンタはもう十分に働いてくれたんだ、鞍替えしたいっていうなら止めやしねぇよ。退職金もたんまり払ってやる」

「いえ、その必要はありません」

 

 いやにはっきりとした宣言だった。ついさっき互いの不吉な行く末を暗示したとは思えないほど明るい声音。どこからその根拠が来ているのか、オルガにはてんで分からない。

 彼女の金の瞳が、射貫くようにオルガを捉えた。

 

「ジゼルは鉄華団が有る限り、団長さんのお役に立てます。団長さんもまた、ジゼルにとって掛け替えのない存在になれます。そこさえはっきりさせておけば、ジゼル達が殺し合う必要なんて微塵もありませんから」

「そりゃあ、俺もアンタと殺し合いなんざ死んでもお断りだがよ。だけど結局、鉄華団(おれたち)の上がりとアンタの目的は真逆なんだ。なのにどうしてそう言いきれる?」

「簡単なことですよ。結局ジゼルは幸せに生きられればそれで良いのですから」

「……? そいつはいったい」

 

 言葉の意味がよく呑み込めないオルガ。そんな彼にジゼルはフォークをプラプラと揺らしながら、ゆっくりと説明する。

 

「これは至極簡単な交換条件です。ジゼルはこれからも団長さんの助けになって、不本意ながら拝命した参謀の地位に相応しく活躍してみせましょう。だから団長さんは、殺人に代わるジゼルの幸せを一緒に探してはくれませんか?」

「アンタの幸せを……? だけどそりゃあ──」

「はい、とっても難しいと思います。昔ジゼルは四年間殺人衝動と向き合い、悩んで、色んな習い事に手を出して、それでも殺人以上の幸福は見つけられませんでしたから。でもきっと団長さんとなら、見つけられる予感がするんです」

 

 ジゼルの言葉には酔狂でも冗談でもない、心からの真摯な想いが込められていた。自身の胸に手を当てた彼女は本心から、オルガとならば自分をこれまで惑わせてきた命題を解決できると信じているのだ。

 そして同時に考えてしまう。もはやそれは不可能で、ジゼル・アルムフェルトは救いようもなく殺人者にしかなれなのではないかと。悲しい結論かもしれないが、これまでの凶行を鑑みればむしろ自然な結論と言えた。

 

「なぁ、アンタはまだ諦めていないみたいだが、そいつはもう無理な相談なんじゃないのか?」

「まだ世の中にはジゼルが知らないことなどたくさんあります。今は殺しが一番ですが、きっと何かあるはずです」

「でもなぁ……あんまし言いたかないが、持って生まれたもんを無理に捨てようとする方がよほど──」

 

 ──マズいんじゃねぇか? そう続けようとしたその時だった。

 

 バン、と机が叩かれる。咄嗟に目線をあげれば、そこにはジゼルが両手をテーブルに叩きつけて立っていた。勢いで零れた紅茶がテーブルを濡らす中で、初めて見た。彼女が怒るところを、その瞳が烈火に燃えている所を。

 

(わたくし)だって、望んでこのように産まれたわけじゃない……!」

 

 初めて見た。彼女が絞り出すような声で叫ぶところなど。

 思いがけない怒りの発露にオルガが呆気に取られている内に、ジゼルはハッとして我に返った。周囲の客からの訝し気な視線を気にしつつ、ひとまず着席する。

 すぐに零してしまった紅茶をお手拭きで拭き取ってから、今度は恥ずかしそうに視線を伏せた。

 

「……すみません、取り乱しました。ジゼルらしくない行動でしたね、反省してます」

「いや、良いさ。俺も配慮が足りなかった、すまねぇな」

 

 思い返せば、かつてジゼルの面接をした際も言っていたことだ。望んで人殺しに生まれた訳ではなく、他の物事で紛らわせようとしても駄目だった。だから開き直って今の狂人としての生き方を始めたのだと。先の発言はただそれだけのことしか言っていない。

 だけど意外だったのは、それをジゼルがまだ気にしていたということだ。てっきり彼女は”そういう存在”として割り切ったものだと感じていたし、事実今までもそのように振舞っていたと思うのだが。

 

 などとストレートに訊ねてみれば、ジゼルもまた戸惑いがちに答えてくれた。

 

「ジゼルはとても幸運でした。三百年前はアグニカと共に戦えて、今はこうして団長さんに拾ってもらえたのですから。ジゼルのような破綻者が二度も恵まれた職場にありつけるなんて、普通考えられないことです」

 

 だけど、だからこそジゼルは恐れてしまったのだ。

 

「仮に次が有ったとして、その時ジゼルは団長さん以上に波長の合う方と出会えるでしょうか? もしかしたら誰とも馬が合わず、不満を抱えたままになるかもしれません。人は一人では生きられない、それはジゼルだって例外じゃありません。むしろ大いに当てはまります」

「それならむしろ、ギャラルホルンやテイワズに雇ってもらえばいい話じゃないのか? アンタの実力があれば諸手を挙げて歓迎してくれんだろ」

「そういう問題でもなくて……えーと、その……つまりですね」

 

 やけに歯切れが悪い。まるで奥歯に何かつっかえたかのような、どうにも煮え切らない態度だ。

 それでも辛抱強く待ってみれば、意を決したかのようにジゼルは言った。

 

「ジゼルにとって気が合う人の存在と殺しはセットなんですよ。どちらが欠けてもジゼルの幸福は遠のきます。そして前者は運次第だから容易く手放せはしませんが、後者はもしかしたら変えられるかもしれません。だからこうして団長さんに頼んでいるのです」

「……なるほどな」

 

 簡潔に言えば、ジゼルは鉄華団に居心地の良さを感じているのだ。故にそこから動きたくないし、可能な事ならずっとそこに居たいとも考えている。そのために殺人に代わる何かがあるなら、そちらに鞍替えしたいという訳だ。

 そこで「本当は殺人だって嫌々してたんです」とは言わない辺りがジゼルらしいとも思うが。快楽殺人者として人殺しもしっかり楽しんでいるのだから、やはり食えない狂人である。

 

「事情はよく分かった。さっきはああ言っちまったが、そういうことなら協力すんのは構わねぇよ。どうあれアンタも鉄華団の一員なんだ、団長ならその助けになるまでさ」

 

 あまり面と向かってジゼルを家族と言い切るのは気恥ずかしいし違う気がするが、それでも大事な仲間であることには変わりない。鉄華団を仕切る団長として、団員の悩みにはしっかり向き合いたかった。

 なによりジゼルが自分からマトモになりたいと提案してきたのだ。もはやオルガは心配などしていないとはいえ、一つでも不安要素が消えてくれるなら是非もない。

 

「だけど俺なんかで本当に良いのか? もし鉄華団が上がりに辿り着いて、それでも見つけられなかったらその時はどうする?」

「見つけられなければ、その時は大人しく鉄華団を去りましょう。悪いようには致しません。それに、団長さんはきっとジゼルと一番相性がピッタリの人だと思いますから。心配する必要はありませんよ」

「そ、そうか……アンタがそう言うなら別に良いけどさ」

 

 相性ピッタリ。

 きっとジゼルの言葉に他意はないのだろう。ただ、聞いているとなんだかオルガの方が恥ずかしくなってしまうセリフでもある。綺麗な女の子に言われて嬉しくないと思う程、オルガも男をやめてはいないつもりだ。

 

「ともかく、そういう訳なのでまだまだジゼルと団長さんは手を取り合うことが可能です。団長さんが頭を悩ませている時は、ジゼルも一緒に打開策を考えます。あなただけに任せず、考えを止めることもしません。だから団長さんも、ジゼルの新たな幸せ探しの為に協力してくださいな」

「いいだろう。俺はアンタの幸せとやらを探す手伝いをする代わりに、アンタの力を存分に借りる。これで良いか?」

「もちろんです。改めてよろしくお願いしますね、団長さん」

「ああ、こちらこそ頼む」

 

 ジゼルから差し出された手を、オルガはしっかりと握り返した。その感触は小さくて柔らかく、そしてどこかひんやりとした手だ。

 こうして、二人の道は再び同じ方向を向いた。鉄華団が上がりに至るまでの間にジゼルが殺人を止められるか否か、今回の話はそこに集約されている。もし駄目なら、そこで両者の道は別れる事になるだけだ。もはや最悪の場面など存在しないと言って良い。

 

 そこでふと、オルガの脳裏にかつての戦友の姿がよぎった。懐かしいその姿は、二年以上も昔に地球で散った仲間のものだ。

 

「なんつぅか、ビスケットを思い出すな……」

 

 オルガが前を見据えて走ることで鉄華団を引っ張る役割を担うなら、先を見据えて慎重に意見を出すのはビスケットの仕事だった。ひたすら進むオルガを諫めてくれていた彼の死には、しばらく参ってしまったものである。

 ジゼルとビスケット。性別も性格も思想も危険性も何もかも真逆だというのに、将来を見越した警鐘を鳴らす姿だけはよく似ていた。もし今もビスケットが生きていれば、彼はどんな意見を放ってくれたのだろうか。ふと想いを馳せてしまう。

 

 けれどジゼルの方は、ビスケットという名を別の方に解釈してしまったようだ。

 

「ビスケット? 確かにこのフルーツタルトの生地はビスケットみたいですが……もしかして、やっぱり団長さんも食べたいんですか? 味の感想も訊きたいので、どうぞ遠慮なさらず食べてみてください」

「あ、いや、そういう訳じゃなくてだな」

 

 しどろもどろになりながら差し出されたフォークを避ける。けれど今回は中々の食いつきだ。全然諦める気配がない。

 それからしばらく妙な追いかけっこを続けて、ついにフォークが口へと侵入した。そうして強制的に食べさせられたフルーツタルトの甘さと、滅多にない得意げな笑みをしたジゼルの姿がやけに印象に残ったのだった。

 




【朗報】ラスボスに修正化パッチが入るかもしれない

ぶっちゃけここからジゼルがどうなるかは作者の私でも決めかねているラインです。この先の展開はおおよそ決めているのですが、彼女の扱いだけはどう転んでも悩んでしまいそうなので……


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#31 似て非なる者

 ──始まりの夢を見た。

 仕立ての良い服を着た赤銀の髪の少女が、うずくまった男を見下ろしている。
 しかし少女の握った銀にきらめく包丁には、赤も鮮やかな血糊がべっとりついていた。しかも少女の目の前にうずくまる男は腹から大量の血と臓物を落としており、既に絶命しているのは素人目にも明らか。信じられないとばかりに目を見開き、それが最後となったのだ。

 結論から言えば、これは正当防衛の範疇と言って良いだろう。
 少女は着の身着のまま屋敷を飛び出した箱入りの令嬢であり、殺された男は少女の身形を見てカモにできるとほくそ笑んだ悪党だ。男は人影のない路地裏で少女に襲い掛かったはいいが、()()()持っていた包丁に刺されて返り討ちにされただけのこと。非があるのは圧倒的に男の方であり、少女の方は強く責められる謂れなど何一つない。

 それでも、もし現場を第三者が目撃したなら。きっとそれ以上に言いようのない不気味さを、少女の無表情から感じたことだろう。

「これが……人を殺した感触……」

 人一人を殺したはずなのに、少女の心はさざ波ほどの恐怖も動揺も抱いていない。
 少女は陶然としたように一言呟いてから、

「ふふっ、アハハッ……! とっても楽しい! 今までの悩みはなんだったのかしら!」

 今度はその口元が狂喜を湛えてにんまりと弧を描いたのだ。
 笑う。(わら)う。(わら)う。どこまでも愉快でおかしくて堪らなかった。自分を組み伏せていいようにしようとした男は、呆気なくその人生を終えてしまったのだ。きっと予想もしなかったに違いない。
 他者の人生を自らの手で終わらせ、破壊するという背徳的で禁忌を孕んだ行為。その事実はどこまでも甘美であり、ついさっき肉を抉ったあの感触すら愛おしくて仕方ない。

 かくして少女、若き日のジゼル・アルムフェルトはここに最初の殺人を犯した。生まれ育った屋敷を飛び出し、巨大な戦争を止めようとする組織『ジェリコ』へ加入するまでのほんの数日に起きたことだった。
 包丁を持ち出したのは、単にそれしか人を殺せそうな凶器(もの)がなかったからだ。令嬢たる彼女の周囲には銃なんてものはなかったが、料理人の扱う包丁ならばいくらでもあった。その内の一本を拝借して鞄に忍ばせておいたのが、土壇場の窮地で役に立ったということだ。

「あぁ……もっとたくさん殺したいなぁ……一人程度じゃ(わたくし)は──ジゼルは、全然満足できませんよ……」

 それまで曲がりなりにも自身の殺人欲求と向き合い、抑止しようと試みていたのが馬鹿らしいくらいに巨大な快楽の渦。きっともう下着は駄目になっている。それくらい気持ちよくて、陶然とさせられて、堪らない快感だったのだ。
 最初は一人殺せれば満足できると思っていたのに、まるで藁屋根のように自制心は吹き飛んでしまった。
 もっと欲しい、もっと殺したい。
 ただ一つの凶暴で醜悪な思念だけが加速度的に増加し、ジゼルの心を支配していく。もはや令嬢などという皮は脱ぎ捨てた。ここにあるのはただ最低最悪の本性をついに開花させた、ジゼル・アルムフェルトという生身の殺人鬼に他ならないのだから。

 ──これが彼女の始まり。数多積み上げた屍の山の一番下、原初の殺しに他ならない。

「……まったく、随分と懐かしい夢を見たものです」

 ある朝のこと。目覚めたジゼルの第一声はそれだった。
 始まりの夢を見た。まだ世間について右も左もわからなかった頃、自らの身を守るために初めて人を殺した時のことだ。
 思えば全てはあの日に始まった。あの殺しを経験したからジゼルは自らの本性をより深く自覚し、殺人狂としての道を歩み出したのだから。吹っ切れる切っ掛けをくれたと思えばあの男性に感謝してやっても良いくらいである。 
 今の自分には何一つ文句など無い。かつて満たされぬまま延々と殺人欲求を抑えこんでいた時と違い、狂った自らを肯定した現在のなんと気楽で幸福なことか。知らない相手がいくら死のうが知ったことじゃない、自分にとって大切なのは誰かを殺して貪る快感と、与えられた恩にきっちり報いることだけなのだから。
 
 だから重ねて、()()()()に後悔はない。これ以上なく人生を謳歌していると断言できる。こんなにも悪徳に塗れた自分には邪悪こそ相応しい形容詞だと自負しているが、かといってそう易々とこの生き方は変えられない。変えたいとは思うが、変わらないなら別に構わないとも思っているのだ。

 でも、ならば生粋の殺人鬼として生まれ落ちたこと自体に感謝しているのかと言えば──

「今日も誰かを殺してもいい、良き日になりますように」

 ──きっとそれだけは、嘘になってしまうのだろう。



 ここ半年以内に加入した新入りの鉄華団団員たちの中でも、デイン・ウハイという人物はよく目立っていた。

 

 特徴的なのは糸目と見上げるほどの巨躯、けれど見た目に反して非常に温和な性格をしている。常識的で色んな人物達の緩衝材となってくれる彼は、血気盛んな者が多い鉄華団の中では貴重な人材だ。

 巨体と性格のギャップ、さらには意外な手先の器用さも相まって新入り達の中では異彩を放っているデインだが、その経歴は案外と謎が多い。彼自身寡黙であまり自身を語らないこともあり、彼の配属となった整備班の者たちでも知っている者はまったくいないのだ。

 

 とはいえ、それは取り立てて不評を買うようなことでもない。元より自らの過去すら捨てる羽目になった少年兵たちの立ち上げた組織なのだ、過去が不明だからと騒ぐ者が皆無だったのはデインにとって間違いなく救いだったと言って良い。

 

「はぁ……」

「どしたんだよデイン、そんな辛気臭い顔して」

「いや、なんでもない」

「そっか、ならいいけどよ」

 

 それで納得してくれたのか、対面に座るハッシュ・ミディは黙々と飯を食べる作業に戻って行った。彼の隣に座るザック・ロウもチラリとデインを一瞥してから、また食事を再開する。

 デイン、ハッシュ、それにザック。この三人はほぼ同時期に鉄華団に加入した新入り団員たちであり、性格も出自も配属先すらバラバラの割にはよくつるんでいる三人組だ。今も普段通り仕事終わりに合流してから、三人そろって食堂に飯を求めてやって来たところである。

 

「なぁ、ハッシュ」

「今度はなんだよ?」

「お前、また()()()にMSの稽古つけてもらったのか?」

「おう、そりゃあな。強くなるための近道は強い人に教わる以外に無いからよ」

  

 飯を飲み込み当然とばかりに答えたハッシュ。その顔はどこか誇らしげにも見えてしまい、デインはまたも溜息を吐いてしまう。今度は気づかれぬようごく小さく、だが。

 まだ新入りのハッシュではあるが、彼は予備隊の一員として例外的に獅電のパイロットとなっている。けれど新入りだけあり練度は素人もいいところだから、独学と日常の訓練でどうにか補っていたのがつい最近までの話。それでは限界があると悟り、ついに時間外訓練まで始めたのがほんの二日前のことだった。

 

「三日月さんは分かるけどよぉ、あの人そんなに強いのか? なーんか普段はぽけーっとしてるっつうか、眠そうにしか見えないからなぁ……」

「ザックは知らないからそんなこと言えんだ。この前のMAとやら相手に戦った時の記録を知ればきっとそうは思わない」

「そういうもんなのかぁ? あの人──ジゼルさんって普段は事務員じゃないか。見た目が強そうな昭弘さんやシノさんと違って全然強そうに思えないっつうか、もし俺がこっそり襲い掛かってもあっさり倒せちゃいそうっていうか」

「おいおい……」

 

 相変わらずとぼけたことを言うザックに頭を抱えてしまったハッシュ。これも普段通りといえばその通りなやり取りだが、傍から聞いてるデインとしてはあまり聞き捨てならない会話だった。

 

「どこがどんな風に強いんだ、あの人は?」

「……なんだろうな、効率的に戦う方法を教えてくれるっていうか。三日月さんの戦い方は技術と暴力を合体させた力業って感じだけど、ジゼルさんの戦い方は効率よく敵を倒すための戦い方だ。()()()()()勝負してる分、余計にそう感じる」

 

 「まだ三日月さんと戦ったことは無いから正確かは知らないけどさ」、苦笑気味にそう付け足したハッシュである。

 ある事情から強くなることに貪欲なハッシュは、さらに自分の糧を増やすべく鉄華団でも腕利きのパイロット達に頭を下げて教えを請うた。その結果承諾してくれたのは時間や性格の問題もあって二人だけ。それが三日月とジゼルだったのだ。 

 しかし三日月の愛機(バルバトス)は大破してしまい歳星でオーバーホール中、ジゼルもまたなぜかフェニクスをバルバトスと一緒にテイワズの方に預けているらしく、本来の実力は発揮できない状態だ。その二人も数日後には団長と共にテイワズに出張らしく、頼み込んだハッシュからすれば不本意極まりない状況であったのだ。

 

「でも、そのおかげで色々つかめたことがある。あの人は人の死角を突くのが上手いんだ。単純に視認できない位置取りとか、心理的な死角とか、そういうのを取るのが滅茶苦茶うめぇ」

 

 フェニクスの操縦は阿頼耶識システム頼りなので、阿頼耶識システムを積んでいない獅電の操作にジゼルは慣れていない。さすがに新米のハッシュよりかは場数があるだけ上手かったが、たぶんダンテやデルマ、ライドといった面々より同じかむしろ下手程度の力量しか持ち得ていないのだ。

 なのに位置取りや細かい動き方は他の面々よりも遥かに巧みだった。”ここはこのように動くはず”という思考からことごとく外れてくるのだ。慈悲も容赦もなく追い詰めてくる様はあたかも狩人のようであり、もし彼女が人殺しに特化した存在と言われても素直に信じられるだけの空恐ろしさをハッシュは感じたのだった。

 

「正直俺もあの人の得体の知れなさは苦手だし、そう言われるのも実際に戦ってみてよくわかったよ。だけど学べることも多いんだ、それを無駄にすることはできない」

「おー、言うなぁハッシュ。その調子で頑張れよー、お前が出世したら同期の俺も鼻が高いからよ」

「当たり前だろ! 俺は絶対一流のMSパイロットになって、三日月さん達を超えるんだ。誰に無理と言われようと、笑われようとやってやるんだ」

 

 ハッシュも後方援護としてMAと戦ったから、ジゼルや三日月といった面々の戦いぶりはよく見ている。その実力差に心が折れかけたこともあったが、けれど諦められなかった。彼のストリートチルドレンという出自と、それに起因する過去の出来事が簡単に折れることを許してはくれないのだ。

 だからハッシュは前を向く。先達の強さは百も承知、尊敬の念すら覚えるほど隔絶した技量だ。けれどそれとこれとは話が別、超えたいと願い努力すること自体は何も間違っていないと信じている。

 

 その決意の源から聞き及んでいるデインは、彼らしい柔和な笑みを浮かべた。

 

「頑張れよハッシュ。お前は、そのままの真っすぐさで強くなるんだ」

「お、おう。よく分からんがありがとよデイン」

 

 戸惑いがちな返答が逆に頼もしかった。彼ならきっと大丈夫だろうと信じられる。

 だってハッシュには、自分やジゼルのような”人殺し”としての強さを知ってほしくないのだから。

 

 ◇ 

 

 鉄華団には就寝時間が定められてはいるものの、あまり気にしている者はいない。実際夜に出歩いていても他人の迷惑にならない範囲なら気にされないのが暗黙の了解だ。

 だからとある思い付きでデインが深夜の外を歩いていても、誰に咎められることも無かった。悠々と本部の入口を抜けて外に出れば、火星の夜空が一面に広がっている。透き通るように美しい満点の星々、しばし目的も忘れて見入ってしまった。

 

「……これか」

 

 大気を伝って耳に届いたのはハーモニカの音色だ。遠くから静かに響くその音色が、夜空に溶けては消え去っていく。夜だからあまり音量は大きくないのに、澄み渡る空気に乗ってどこまでものびやかに響き渡りそうな美しい旋律である。

 デインの思い付きの目的はこれだった。ここ最近、深夜になると外でジゼルがハーモニカを吹いているらしいのだ。とんだ近所迷惑といった行いだが、聞いているとどうにも安眠できるので意外と評判は悪くない。

 いったい何の目的でそのような事をしているのかは不明だが、デインにとっては好都合な情報だった。

 

 ゆっくりと音色が流れてくる方向へと歩いていく。次第に音が大きくなってきた。人気のない外周部は物寂しく、星明りが非日常的な雰囲気を醸し出している。その先にジゼルはいた。

 星の照らし出す微かな光に赤銀の髪を遊ばせて、目を閉じてうっとりとハーモニカを吹いている。まるで外界など何一つ知らないとばかりに超然とした有様だ。用が有って来たデインですら、声を掛けるのはどこか憚られるほど。

 

 それから五分も経っただろうか。ようやくジゼルが演奏を止めて、ハーモニカを懐にしまった。そこでやっとデインがすぐ傍に来ていたことに気が付いたのだった。

 

「おや、こんばんわ。このような夜更けに出歩く人がいるとは」

「……どもっす。俺は──」

「デイン・ウハイさんでしたか。あなたのことはよく知っていますとも。ハッシュさんと仲が良く、なによりジゼルと同じ”人殺し”らしいですからね」

「……」

 

 お手上げとばかりにデインは肩を竦めた。それでも彼の巨体は女性であるジゼルと雲泥の差があるのに、今だけは存在感が逆転したかのようにも思えてしまう。

 既に諸々の事情は知られていたらしい。デインたちが鉄華団に加入した時ジゼルは地球支部に居たから、デインの事を知る機会はここ最近しかなかったはず。マイペースでつかみどころのない性格の割に情報収集にも余念がないようだ。

 

 ともかく一つ言えるのは、オルガ団長以外誰も知らないはずのデインの過去をジゼルが知っているということだった。

 

「ああ、別に責める気なんてこれっぽっちもありませんよ? ジゼルだって同じ穴の(むじな)ですし。ちなみに参考までに、何人殺しましたか?」

「……四人です。一人目は喧嘩の弾みで、二人目以降は生活に困って金が欲しかったのでやりました。どうしても家族に必要な薬があったもので、その分も」

 

 温和で知られているはずのデインが語る信じられないような過去。それは、鉄華団に加入する以前から人を殺したことがあるということだ。

 確かに鉄華団は武闘派の組織だから、人殺しの経験なんて珍しくもなんともない。けれど世間一般では人殺しとは重罪であり、また容易に実行できるようなことでも決してないのだ。だというのに殺しを四回も行うなど、マトモな神経では絶対にできない行いと言えよう。

 

「なるほどなるほど、そうでしたか。ですがよく捕まらずにすみましたね。証拠隠滅の才能があるのなら、是非ともジゼルにご教授願いたいのですが」

「そういう訳じゃありませんよ、ただ運が良かっただけっす」

 

 巨体の割に穏やかな性格というギャップは、逆に人々の印象に根付きやすい。だから捜査の上でも全くデインは注目されず、四度もの凶行を重ねることができたわけだ。

 それでも最後の殺し、つまり四回目の時は駄目だった。ついに証拠を揃えられてギャラルホルンに捕まり、投獄された。服役が終わったのはつい半年ほど前、鉄華団に加入する直前のことである。

 

「そこでオルガ団長と出会いました。あの人は路頭に迷っていた俺を拾って、鉄華団に誘ってくれたんです。『家族のためにやったというなら、性根から腐ってるわけじゃない』って」

 

 オルガらしいと言えばらしい言い草だった。鉄華団は急成長企業であると同時に、行き場のない者たちの駆け込み寺となっている側面もある。だからデインのように過去の罪のせいでマトモな職に就けない手合いを拾うのもお手の物だったのだろう。

 それに、どうしようもない殺人者を雇うという経験はかつて通った道である。きっと躊躇いなどどこにもなかったことだろう。実際デインと面会した際には『もっと危険な奴を雇っているから大丈夫だ』と笑っていたのを覚えている。

 

「団長さんはジゼルすら雇ってみせた人ですからね。四人殺した程度の人なんて、一般人を雇い入れるのと大した違いは無かったと思いますよ」

「……そういうあなたは、とても危険な人だ」

 

 そのもっと危険な奴というのが、ここまで危険だとはさすがに想像もしなかったが。

 

 誰もが薄々感じながら、けれど『いや、それはさすがにあり得ない』と思考を止める一線。けれど同じ一線を越えたことがあるデインだから、ジゼルの本性を察する事など容易かった。間違いなく殺しこそ生き甲斐とする、ある種傭兵や戦争屋よりも性質の悪い存在なのだと。

 覚悟を決めて懐に手を伸ばす。此処に来た目的を果たすために持ち出したモノを向けようとして、先にジゼルがひらりと手を振った。

 

「それをこの場で出してしまったが最後、ジゼルはあなたを殺す他なくなります。それはあなたを受け入れた団長さんにも不義理なので、止めてくださいますか?」

「それでも……いつかあなたがオルガ団長の障害になるというなら……」

 

 服の中に忍ばせていたのは拳銃だ。もしこのままジゼルを放置して恩義ある鉄華団に迷惑が掛かるというのなら、いっそ自分が殺すと決めた。その行いで今度こそ自分の居場所はなくなるかもしれないが、巡り巡って鉄華団への恩返しになるというなら構わない。

 けれどどうしてか、手は震えてばかりだ。拳銃の固くひんやりした感触を感じたまま少しも動かせない。呼吸も乱れてしょうがない。もう四人も殺してきたというのに、目の前の少女一人殺せそうになかったのだ。

 

 それを知ってか知らずか、ジゼルはゆっくりとデインへと歩み寄って来る。一歩、また一歩。彼我の距離は縮んでいく。ジゼルはどこまでも自然体のまま、恐ろしい怪物へと変性を遂げていた。

 

「あなたの疑念は最もですがね。それは数日前、ジゼルと団長さんで話し合ったことです。あなたが気にすることではありませんよ」

「それは……?」

「団長さんもジゼルもその程度の懸念はできるということです。お気持ちはともかく、余計なお世話というやつかと」

 

 気が付けば目の前にジゼルは居た。彼女はするりとデインの懐に手を突っ込むと、握っていた拳銃をごく自然にデインから奪い取ってしまう。早業、というよりも意識の間隙を縫われたのだろう。まるで理解が追い付かないデインの前で、ジゼルは玩具のように拳銃を弄っている。

 そこでようやく身体が楽になり、乱れていた呼吸も元に戻った。まるで水中に潜っていたかのようだ、冷や汗が噴き出て止まらない。

 

 冷静に考えてみれば、先ほどまで強烈な殺気を浴びせかけられていたのだ。殺したことはあっても殺されかけた経験などないデインだから、ジゼルの放つ凶悪な殺意の奔流に身体が硬直させられたのだろう。

 

「ちゃんと弾は入っていて、整備も良好……十分使えそうですね」

「あの、それは自分の……」

「鉄華団参謀に私見から拳銃を向けようとした罰として、これは没収させていただきます。ジゼル、この手のモノの所持は許されていないので」

「……いいんすか?」

「良いんです。ジゼルだって善悪やタイミングというのは弁えているつもりですから」

 

 ジゼルに銃など子供に禁止兵器のスイッチを預けるようなものだが、ここはもう彼女を信じる他にない。だけど考えてみれば彼女は二年も前から鉄華団に居るというのに、大きな問題もなく過ごしているのだ。本当にジゼルの言った通り、これはデインの余計なお節介だったと言わざるを得ない。

 いつものデインならきっとこうも先走りはしなかっただろう。けれど自分の過去やジゼルの様子を重ねてしまいいても立ってもいられなくなったのだ。この短慮はさすがに反省する必要がある。

 

 クルクルと拳銃を回して遊んでいたジゼルは、懐へと銃を仕舞い込んだ。本当に持ち帰るつもりらしい。

 

「お互いの為にこのことは黙っておきましょう。あなただって団員の殺害未遂なんて汚名を着るのは嫌でしょう?」

「そりゃあまあ……」

「ジゼルとしては別にアリだと思いますがね。組織の為を考えて行動できるなら良い事ですし。ただ、誰かに相談した方が良かったのではないかと。例えばほら、ハッシュさんやザックさんみたいな方に」

「うっす……あの、ちょっと訊きたいことがあるんすけど」

「なんです?」

 

 不思議そうに小首をかしげたジゼル。愛嬌のあるその仕草は先ほどの殺気を叩きつけてきた人物と同じとはとても思えない。

 

「そのハッシュの頼みをあなた方が引き受けたのはどうしてなんすか?」

「ああ、そんなことですか。簡単なことですよ」

 

 くすりとジゼルは微笑んだ。 

 

「三日月さんはアレで仲間想いですから、自分が教えることで鉄華団の被害が減るなら良いなと思ったのでは? ジゼルはもちろんジゼル自身の為です。実は今、幸せ探しということをしていまして。この夜歩きハーモニカも、彼への指導も、全部その一環です。人生何が幸福かなんてやってみないと分かりませんし」

「は、はぁ……」

 

 確かに三日月は不愛想だが、実は結構仲間意識は強い方だとデインは知っている。そのような考えが根底にあってもおかしくはない。

 そしてジゼルについては好奇心で訊ねたはいいがよく理解できない発言だ。そもそも幸せ探しとは何なのだ、哲学的な命題である。とりあえずマイペースらしいとだけ覚えておく。

 

 スタスタと歩いていくジゼル。その背中が徐々に離れていく途中で、ジゼルはおもむろに足を止めて振り返った。星明りに瞬く印象的な金の瞳がデインをはっきり捉えている。

 

「そういえば一つ、ジゼルも訊きたいことがあったのを思い出しました」

「なんすか?」

「──初めて人を殺した時、あなたはどんな気持ちになりましたか?」

「……最悪っすよ。怖くてたまりませんでした」

 

 吐き気が止まらず、その日の夜は恐ろしさに震えて眠れなかった。自分の仕出かした罪の重さと、捕まってしまうのではないかという不安に圧し潰されそうだったのだ。

 デインにとっては思い出したくもない忌まわしい過去の記憶。それを聞いたジゼルは視線を前に戻すと、「ジゼルとは似ても似つかないですね、あなた」とだけ言い残した。彼女がどのような表情をしていたかは分からない。

 

「それじゃ、おやすみなさい」

「うっす」

 

 今度こそ去って行くジゼル。赤銀の髪を夜風に靡かせながら建物へと消えていくジゼルを、デインはしばらく見送っていたのだった。

 




中々デインの掘り下げって難しいです。公式でもほとんど情報がありませんし……口調の再現すらこれで良いのか不安が残るほどです。何かあれば遠慮なくご指摘くださればと思います。
それにしても、初めて前書きに本文を投入してみましたが、けっこう面白いものですね。本筋と少し外れた内容を書くのに最適な気がします。


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#32 テイワズ

今回、後書きに挿絵を付けております。


 ギャラルホルンでも迂闊に手を出すことは叶わない巨大複合商業組織『テイワズ』。

 その本拠地となるのは木星圏を巡行する巨大艦『歳星』だ。全長は実に七キロ、その規模もまたすさまじく歓楽街や商店街に加えて銀行や冠婚葬祭用の施設、果ては大規模なMS用の工房まで備えられている。この艦はもはや街、ないしはコロニーと呼んだ方が適切な有様なのだ。

 

「前にも思いましたが、どうやったらこんな大きな艦を作れるのか……ちょっと不思議ですね」

 

 フェニクスのコクピットでしみじみと呟いているのはジゼルだった。普段と違い白いワンピースに茶のベレー帽という装いだが、特に気にせず背中のファスナーだけ開けて阿頼耶識システムを繋いでいる。その両手にはクリュセで買ってもらったパンとチーズがあり、さらに無重力にかまけてドリンクのボトルをふよふよと遊ばせていた。

 

 ここは歳星の一角、MS用の巨大工房だ。マフィアとも称されるテイワズだけに自陣の戦力増強にも余念がなく、ギャラルホルンに頼らない独自のMS開発には強く力を注いでいる。この工房はそのために建設されたもので、いくつもの独自制作MS達がこの工房で完成を迎え宇宙へと旅立って行った。

 テイワズ傘下の組織で、しかもぶっちぎりで武闘派組織の鉄華団も当然その恩恵に預かっている。主戦力たるバルバトスとグシオンの改修及びオーバーホールはテイワズ持ちだし、ジゼルもまた二年前にフェニクスの修繕をしてもらっている。戦力でモノを言わせる鉄華団にとってはなくてはならないサポートなのだ。

 

「やあ、久しぶりだねお嬢さん。元気してたかな?」

 

 ふわりと下から登場したのは、白髪に眼鏡の印象的な老人だ。けれどその全身からは溌剌とした元気が滲み出ている。手に握ったスパナと合わせて非常にエネルギッシュな人物だ。

 

「えー……確か整備長さんでしたか。二年ぶり以上ですね」

「そうそう、その通りだ。いやぁ、私としても光栄な限りだよ。なんせあの伝説のガンダム・フレームを四機も自身の手で弄れたのだから! しかもどれもこれも好きなだけ弄って良いと来た! これで燃えない私じゃないさ!」

「そうですか、頼もしいですね」 

 

 歓喜のままにハイテンションな整備長と、いつも通り淡々としたジゼルと。ひどい温度差だった。

 とはいえ整備長の腕前は本物だ。バルバトスもグシオンもつい最近改修されたフラウロスも、全て完璧に仕上げてくれたのは彼なのだから。唯一フェニクスだけは保存状態が良かったので細かい修理しか出来なかったが、それも今日で終いだ。

 

「良かったのですか? バルバトスルプスはあの破損状況だから仕方ないにしても、ジゼルのフェニクスはほとんど壊れていませんし。わざわざ機体を見てもらう必要も無かったのではと」

「とんでもない! いいかい、ガンダム・フレームとは繊細なんだ。エイハブ・リアクター二基の出力にかまけた豪快なパワーばかりに目に着くが、それを可能にするフレーム調整は驚くほど緻密で難しい。そして! 君のフェニクスを診たのはもう二年も前! 既に駆動系は結構摩耗してたし、あの大型武器もガタが起こり始めてたよ。随分と乱暴に扱ったみたいだね!? それを放置するなんて私が許さない! あと弄らせてほしいのが本音さ!」

 

 言われて思い出してみれば、カノン・ブレードは投げたしフェニクスは高機動に任せて勢いよく振り回したしで中々雑に扱っている気もする。ジゼルとしては効率的に殺す為の手段だったのだが、整備する側の視点からみると度し難いことばかりだったらしい。

 かといって、ジゼルがそれを改めるかと言えば否だろうが。整備長の長弁舌を聞き流してパンに噛り付いているジゼルだった。パンとチーズ、それに紅茶がとても美味しい。オルガのセンスはジゼルからしても大満足だった。

 

「だから──って聞いてないね君!? いや、うん……それはともかくとしてだ。これらは全部私の理屈、本当のところはここのボス、マクマード・バリストン氏の意向もあっての改修なんだよ。だから本当に遠慮することはないのさ」

「マクマード氏? それはまたどうして──」

「さてね。後で面会するって話だし、直接訊いてみればいいんじゃないかな?」

 

 とんとんとスパナで肩を叩いた整備長。彼は子供の様に目を輝かせると、フェニクスの外装に手を置いた。

 

「君たちが歳星(こっち)に来るよりも十日くらい早く機体は到着してたから、こっちの方でフェニクスも最低限の修理は済ませてある。さすがにバルバトスルプスの損傷が酷かったから、そっちを優先させてもらったけどね」

「仕方ありません。治療順序(トリアージ)で言えばバルバトスルプスは緊急(レッド)、フェニクスは待機(グリーン)でしょうし」

「理解してもらえて助かるよ。それにもっと言うと、パイロットである君らの意見を訊ねたかった。だからバルバトス共々本格的な改修はこれからなのさ」

 

 そう言って後ろを向いた整備長の視線の先には、改修中のバルバトスの姿がある。派手に破壊された右腕はまだ直されておらず、逆に左腕もいったん外されている有様だ。まだまだ改修完了には程遠いと見える。

 

「三日月君にはこれから意見を訊くとしてだ。君はフェニクスの改修について何か案はあるかい? かつての厄祭戦も乗り切った今の姿が良いと言うならそれもアリだとは思うが」

「いえ、是非ともお願いしたいです。ある程度『こうだったら良いな』というビジョンは見えていますので」

 

 モグモグとパンとチーズを食べ終えたジゼルは紅茶で胃袋へと流し込むと、ぺろりと赤い唇を舐めた。

 

「フェニクスの基本機能は現在のままで構いません。けれどそう、武装をもっとたくさん持ちたいんです。現在の武器は対MA用のモノをそのまま流用していますから、対MS戦闘だとどうしても引き出しが少なくて」

「そういやこの前発掘されたMAは非常に巨大って話だったか……なるほど、それで対MA用に開発されたガンダム・フレームの武器は大型ばかりなのか! はっはー! 今になってまた一つガンダム・フレームの謎が解けるとは!」

「バエルなどはむしろ軽くて硬い武器を装備してましたが……ともあれオーダーはただ一つ、武装の大幅追加です。多少運動性が落ちようとも構いませんので、対MS用の武器を満載してください」

 

 そうすればジゼルは、より誰かを殺しやすくなるのだから。

 

 実のところ、このような改修案は厄祭戦の頃にも何度か提案されていた。それでもあくまで対MA用の武装から変わらなかったのは、それだけMAが強かったのと──ジゼルの本性が危険すぎたからだ。故に対人対MS戦には使い辛い大型武装を使わせることで必要以上の殺人を抑止しようと考えたわけである。

 だが結局ジゼルは厄祭戦で十数万もの人命を奪ってみせたし、しかも現在はフェニクスの改造を制止する者もいない。むしろ望んで整備してくれる者ばかりなのだからジゼルにとっては好都合だ。

 

「心得た! 君が十分に満足いくような武装を追加させてもらおうじゃないか!」

「お願いしますね」

 

 整備長が気合も新たにコクピットから離れていくのを見送って、ジゼルも立ち上がった。阿頼耶識システムを外し、下ろしていた背中のファスナーを閉めなおす。先ほどまで楽しんでいた味覚と嗅覚が急激に遠のくが、それももう慣れた感覚だ。 

 胸元の黒いリボンを調節してから、新しく卸したローファーを履いた足でフェニクスのコクピットを蹴って無重力の中空へと飛び出す。壁際に設置された手すりにつかまったところで、「おーい、一つ忘れてたよ!」と整備長の声が追いかけてきた。

 

「なんですか?」

「バルバトスにはルプス、グシオンリベイクにはフルシティの名を付けた私だが、君はどうする? 私が付けてしまうか、それとも君が考えるか?」

「……自分で考えておきます」

「そうか、分かった! 呼び止めてすまなかったね!」

 

 整備長が付ける名前は結構悪くないと思うジゼルである。少なくとも例の流星号に比べればずっとカッコいいとジゼルは思う。別に流星号も嫌いなネーミングではないのだが。

 だけどもし、新たにフェニクスに名前を追加するならどうするか。

 ずっと昔からそんなこと、ジゼルの心の中で決まっていたのだ。

 

 ◇

 

 歳星に存在する巨大な住居。水と和の調和したその住まいは、とても宇宙艦内部とは思えない完成度と威容を誇っている。

 その中に通されたのは鉄華団団長のオルガ・イツカ、それに三日月・オーガスとジゼルだった。用件は先日のMA討伐について。他にも売り下ろしたギャラルホルン謹製のMSの件も話し合う予定だ。

 

「よぉ、よく来たな皆の衆。まだ火星でやることも残されてるだろうに、呼びつけて悪かったな」

「いえ、そんなこと。今回の件、出来るだけ早く親父の耳に入れておいてもらうのは当然の事かと」

 

 マクマード・バリストン。

 その男は圏外圏で最も恐ろしい男と称される、テイワズのトップに立つ男だ。このご時世には中々珍しい和服を着こなし、恰幅の良い初老に差し掛かった身体は確かな威圧感と重圧を感じさせてくる。

 しかし気さくな挨拶と労いの言葉は好々爺然とした穏やかなものだし、オルガの方も一大組織のボスを相手に適度な緊張感を持ちながらも硬くはなっていない。前評判を聞いているとどこか拍子抜けする、奇妙な印象を与える男がマクマードだった。

 

「厄祭戦時代の遺物、MAだったか……その顛末、まずは聞かせてくれよ。その為に当事者の二人にも来てもらったんだからよ」

 

 鋭く問いながらオルガの後ろに目をやったマクマード。そこには半身不随のため車椅子に乗った三日月と、一応は身形を整えてきたジゼルの姿がある。どちらも大して緊張しておらず、いつも通りの自然体だが。後者に至っては初対面なのに大した図太さだ。

 

 ともあれ、まずはMAについての報告だった。

 

「元々アレは、テイワズから預かった採掘場で発掘されたものでして──」

 

 いつ発掘されたのか。どのようにその正体を知ったのか。討伐までどれだけ時間をかけたか、どんな手段を使って打倒したのか。

 滔々と説明するオルガを偶にフォローする形でジゼルと三日月が口を挟みつつ、話は円滑に進められた。全部話し終えた時には十五分程度だったろうか、すっかりオルガの口内は乾いてしまっていた。

 

「──以上が、俺たちの関わったMAの全てです」

「団長さん、紅茶飲みますか?」

「いや、親父の前でそいつは流石に──」

「気にしなさんな。その程度で目くじら立てるほど俺は狭量な男じゃねぇよ」

「……すんません、どうもコイツはマイペースなもんで」

 

 頭を下げてからボトル内の紅茶を飲み干したオルガは、再び毅然と前を向くとマクマードへと視線を戻した。マクマードの方は顎に手を当て、オルガに背中を向けている。

 

「なるほど、MAについてはよく分かった。随分と大変な目に遭ったみてぇだな、ご苦労なこった」

「ですがそれだけの価値はあったかと。結果的に採掘場は必要以上に荒らされる事はありませんでしたし、俺ら鉄華団の実力を改めてギャラルホルンに見せつけてやることも出来ました。鉄華団(ウチ)の名前が上がれば、それだけテイワズにとっての利益も大きくなるかと」

「その通りだな。しかも今回はギャラルホルンの新型MSをアホみたいに寄越してきやがった、コイツはデカいぞ」

 

 MA討伐ばかりに目が行きがちだが、ギャラルホルンでもまだ限定的な配備に留まっている新型MSのレギンレイズ、それを合計で十もテイワズは手に入れたのだ。ついでグレイズの純正リアクターもいくつか手に入れた──大部分は渋々マクギリスへと返還した──から、その利益は計り知れないものがある。

 上機嫌なマクマードは葉巻に火を点けた。紫煙をくゆらせながら椅子に腰かけ、鋭くもどこか柔和な気配を持ってジゼルへと視線を寄越す。まるで見定めているかのようだ。

 

「確かアンタが横槍を入れてきたギャラルホルンを全滅させた功労者だったな。名前は聞いてるが、本人の口から聞かせてもらいたい」

「ジゼル・アルムフェルトです。出身は今でいうアフリカンユニオンの北の方、年齢は……コールドスリープを考慮しないなら三二〇歳は超えますかね」

「ハッハッハッ。中々冗談の上手い嬢ちゃんだよ。いやはや、厄祭戦時代の生き残りなんざ正直眉唾物だと思っちゃいたんだが……」

 

 今度こそ目線が鋭くなった。葉巻を大きく吸って、ゆらりと煙を吐き出す。その仕草があまりに似合いすぎていて、確かにこの男こそ圏外圏のトップに相応しいと思わせるのだ。

 手に持った葉巻の灰を落とし、その先端をジゼルに向かって突きつける。

 

「その目だ。この歳まで生きてりゃ色んな奴を見てきたもんだが、その中でもアンタの目は血と殺意に塗れすぎてる。若いのに大したもんだ、この俺だってそこまでの目はしてないと思うがね」

「さて、直接的に殺したのと間接的に殺すのと。どちらの優劣もないでしょう。それと、ジゼルは若くありませんよ。三二〇歳と先ほど述べたはずですが。あなたよりも倍は年上なのです」

「お、おい……」

 

 この態度にはさすがにオルガも焦った。急いで咎めつつ三日月にフォローを求めれば、彼の目は「別に、普通でしょ」と語っているから堪らない。そういえば三日月もあんまり場の雰囲気を気にしないタイプだった。

 はたしてマクマードはといえば、一瞬虚を突かれた顔をしてから口角を思い切り吊り上げた。瞳にも剣呑な光はこれっぽっちもない。

 

「クッ、ハハハハハッ! こいつは痛快だ、俺を小童扱いとはな! いやしかし、厄祭戦時代の生き残りからすれば間違いでもねぇわな。まったく鉄華団には面白い奴ばかり集まる、なぁオルガ?」

「は、はぁ……ホントすんませんでした」

 

 ここに来てから恐縮しっぱなしのオルガである。マクマードの懐が大きいから良かったものの、そうでなければ何度オルガの首が飛んだものか。考えるだけでゾッとする。

 

「既に知ってるとは思うが、嬢ちゃんのMS改修にも便宜を図るように言い含めてある。精々上手く使ってやってくれ」

「感謝いたします、マクマード・バリストンさん。もし誰かを殺す必要が出たら、是非ジゼルにお声かけください。鉄華団と団長さんが許す限り、一度だけ無償でお力になりましょう」

「おう、よく覚えておくとも」

 

 ふわりとスカートの裾をつまんで礼をする姿は令嬢そのものだが、発言は物騒にも程がある。けれどマクマードはそのギャップに何ら関心を示すこともなく、ただ鷹揚に頷いたのだった。

 これでMA討伐の一件は終わり、肝が冷えるようなジゼルの顔見せも済んだ。後は売り払ったギャラルホルンのMSに関してだが──

 

「親父、入りますぜ」

「おう、ちょうどいいとこに来たなジャスレイ」

 

 警備員である黒服の手によって重厚な扉が開かれた。そこに居たのは赤髪の如何にもマフィア然としたガタイの良い男だ。派手なコートを着込んだ彼は悠々と前に進むとオルガの隣に並ぶ。それから忌々し気に隣を一瞥して、マクマードへと視線を戻した。

 

「オルガは知ってるだろうが、テイワズの商業部門を担当するJPTトラストのリーダー、ジャスレイ・ドノミコルスだ。今回鹵獲したっていう新型のフレームやリアクターはコイツらのとこに卸す算段になってる」

 

 マクマードからの紹介に胸を張り、どこか自慢げに笑っているのは気のせいではないだろう。事実この男はテイワズの専務取締役を務めており、実質的なナンバー2である。尊大な態度に見合っただけの地位も貫禄も兼ね備えているのだ。

 

「ま、モノがモノですからね。ウチくらい大きな商業組織でもなきゃ扱いきれない代物だ。まだ新参者の鉄華団にはどだい出来ない話ですよ」

「……そいつはどうも。俺たちはアンタとは得意な分野が違うんです、んなこと言われなくても分かってますよ」

「……なんだと? テメェ、誰に向かって口聞いてると思ってやがる?」

「テイワズのナンバー2、ジャスレイ・ドノミコルス氏だと認識してますが。ああ、それとも人違いでしたっけ?」

「ちっ、言わせておけば図に乗りやがって……!」

 

 互いに売り言葉に買い言葉、鋭い視線のまま火花を散らし合う。どちらも舐められたら終わりな稼業をしているのだ、引き下がれないのは道理と言えた。

 それにだ。元よりジャスレイは短期間で成り上がった鉄華団と、その兄貴分であるタービンズを快く感じていない。オルガもまたジャスレイの抱く悪意に察しは付いているから、両者が手を取り合って仲良くするなど無理な相談なのである。

 

 互いに水と油な関係性、ジャスレイの方が立場は上だがオルガの方は派手な実績をいくつも持っているのだ。少なくともこの小競り合いにおいてはどちらが上も下も関係なかった。

 

「そこまでにしときな、二人とも。俺の前で部下たちが殺し合うのも寝覚めが悪ぃしよ」

「す、すまねぇ親父……」

「すみませんでした……」

 

 両者にとっての親父(ボス)であるマクマードの取りなしでようやく二人は矛を収めた。それでも間に漂う険悪な空気は拭い去れていないが、ひとまずそれで十分だ。

 その後はまだ穏やかに話は進んでいった。非常に貴重かつ質の良い品を手に入れたいのはジャスレイの本心だし、オルガとしてもせっかくの莫大な収入をふいにしたくはなかった。なのでマクマードの仲介の元、分け前や扱いを定めたいくつかの取り決めが交わされ、当座の分は穏便に終わったのだった。

 

「そんじゃお先に失礼しますぜ親父。テイワズのナンバー2としてやることはたんまりあるんでね」

 

 一言断ってから出口へと歩を進めるジャスレイ。その途中、ジゼルの隣を過ぎたところでふと足を止めた。眠たげに「ふわあ……」と欠伸をしているジゼルをしげしげと眺めて、口元をニヤリと歪める。

 

「ったく、名瀬といい鉄華団(こいつら)といいどうして女を重宝すんのやら。上玉だからどこに置いても損はないってか? どいつもこいつも軟弱なこった」

「……団長さんを馬鹿にするというなら、殺しますよ?」

「おう、やれるもんならやってみな。ま、アンタみたいな華奢な女に俺を殺せるもんかよ、顔はいいんだ、精々男を(たぶら)かしてな」

 

 クツクツと笑いながらジゼルの長髪をサッと撫でると、片手を挙げてジャスレイは退出していった。その後ろ姿を目線で追うジゼルは怖いほどに無表情である。それから触られたところに自らも触れると、埃を取るような仕草をし始めた。

 

 マクマードはと言えば重たいため息を吐くと、オルガに対してそっと目線を下げた。

 

「悪いなオルガ。あんな小物でもウチに取っちゃ立役者の一人なんだ、おいそれと見捨てらんねぇし切り捨ても出来ねぇ。頼むから本当に殺してくれんなよ」

「謝んないでください親父。俺は別に気にしてません」

「そうかい。ならコイツは詫びの駄賃だが──」

 

 手招きでオルガを近くに寄せる。それからオルガの後方に視線をちょっと走らせてから、はっきりと囁いた。

 

「ちゃんと女の機嫌は取っておけよ。随分と不機嫌だからな、あの嬢ちゃんは」

「……肝に銘じときます」

 

 ……かつてのように、歳星の飲食店にでも連れて行って奢ってやるべきか。

 後ろから流れてくる不穏な気配を感じつつ、現実逃避気味にそんなことを考えてしまうオルガであった。

 




最近キャラ描写を色々と練り直していたら、いつかに作ったジゼルのイメージ絵がちょっと違うなと感じたので少々作り直しました。これに伴い、#26の後書きに付けた挿絵も変更しております。ご容赦ください。


【挿絵表示】


髪の長さがもっと長ければ良かったのですが……設定上これが限度でした。歳星滞在中のジゼルの基本容姿と考えていただければと思います。


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#33 始まりの引き金

 テイワズの幹部、ジャスレイ・ドノミコルスは心底から鉄華団が気に入らない。

 

 まず前提として、鉄華団の兄貴分であるタービンズが気に入らない。女に頼り、しかもジャスレイよりも後発ながら急拡大し力を付けた名瀬・タービンが面白くないのだ。テイワズの成長に貢献したのは自分だという自負が有るからこそ、マクマードが自分を差し置いて名瀬に目をかけている現状は見逃せなかった。

 そして現在は鉄華団までも気に入られ、いっそう名瀬側の力は強まるばかり。ジャスレイからすればガキばかりの組織がテイワズ内で幅を利かせ、あまつさえ自分の立場すら脅かすなどあってはならない事なのだ。

 

 火星よりオルガ、三日月、そしてジゼルが歳星へとやって来てから今日で二日目。前日の取引の際に行われた小競り合いがジャスレイの記憶にも忌々しく焼き付いていた頃だった。

 

「どうすんすか叔父貴(おじき)……これじゃ奴らの思うままだ」

「そうですよ! 俺たちだってテイワズの為に色々やって来たってのに、今や新参の奴らばかり注目されて!」

「なんか目にもの見せてやることは出来ないんすか!?」

 

 薄ら暗い室内の一室に、四人の男の姿があった。

 円形テーブルを囲んで座っている男たちの内、三人の表情は焦りと不安感ばかりだ。室内を照らす微かな明かりに彩られたその表情はまるでこの世の終わりでも迎えているかのよう。いや、実際に彼らは苦しい立場に居るのだ。

 

「落ち着け、お前ら」

 

 けれどただ一人、ジャスレイだけは違っていた。他の者たちが抱く焦りも不安感も垣間見せず、ただ悠然とグラスの酒を(あお)っている。この仕草一つとっても、彼こそこの場の支配者であると認識するには十分にすぎた。

 ここはジャスレイの自宅に設えられた一室だ。他の三人の男たちは特にジャスレイとの繋がりが強い者たちであり、テイワズ関係者でもある。故にテイワズでもトップクラスに位置するジャスレイを叔父貴と慕い、彼の子分にも似た立場に座っているのだ。

 

 かくしてジャスレイによる鶴の一声で三人は口を噤んだ。これ以上喚きたてるよりも、まずジャスレイの意見を聞く方が有用だとよく知っているからである。

 

「確かにタービンズも鉄華団も見過ごせねぇ。その気持ちはよーく分かるとも。だがな、奴らが現状勢いに乗っているのは事実だ。そいつを否定しちゃあ、潰せるモンも潰せやしねぇ」

「そいつは分かってますよ……! でも、それなら余計に手出しし辛いだけじゃないっすか……」

 

 吐き捨てるように男が言う。それに残る二人も同調して溜息を吐いた。やるせない気持ちばかりが場を満たす。

 ここに居る者たちの共通意見として、鉄華団とタービンズを快く思っていない。出来る事なら彼らを蹴落とし、自分たちが更なる恩恵に預かりたいと考えている者たちなのだ。

 けれど勢いに乗っているということは、なおさら勢いを削ぐのは難しいことを意味する。現状のジャスレイたちは確かに立場もコネも強力なものがあるが、逆を言えばそこで停滞している一派なのだ。このままタービンズ組が成長を続けようものなら、いずれ追い越されるのも時間の問題と言えよう。

 

「そうだ叔父貴、ギャラルホルンはどうなんすか!? アイツらと太いパイプのある叔父貴なら……」

「ああ、そいつは駄目だ。クジャン家のお坊ちゃんめ、『自分は協力できない』なんて生温いこと抜かしやがった。アイツらは頼りになんねぇよ」

 

 鉄華団を潰す前にまずタービンズをどうにかする──そう考えたジャスレイは、かねてより縁のあったクジャン家へと連絡を取っていた。内容はタービンズを嵌める為のもの、違法組織にでっち上げたところをクジャン家の力で叩き潰してやれば良いというものだ。

 マッチポンプ、不当な介入はギャラルホルンの十八番である。故にジャスレイの提案した策はこれ以上なく彼らの性に合っていたと確信していたのだが……つい先ほど交わしたやり取り、思い出すだけで腸が煮えくり返る思いだ──

 

『そういうわけで、まずタービンズを壊滅させれば──』

『一つ訊きたい、ジャスレイ・ドノミコルスよ。そのタービンズとやらは現状、何の罪も謂れもない一民間組織に相違ないのだな?』

『ええ、そうですよ。そいつがどうかしましたかな?』

『ならば今回の話、私は請け負えない。既に落ちた身ではあるが私にも誇りと意地があるのだ。自らの欲望にかまけて濡れ衣を着せ、民間人を虐殺する行いは最早できないのだ……!』

 

 これが一連のやり取りの詳細である。結局クジャン家、イオクは首を縦には振らなかったのだ。火星の騒動でクジャン家がかなり難しい立場に置かれていたのは知っていたし、だからこそ派手な手柄を欲していると考えただけにこの展開は予想外の一言である。

 しかもジャスレイが買収したレギンレイズを言い値で売り戻すと言っても聞かず仕舞い。何か事情があるようだが、ともかく強情にも程があった。

 

「だが俺たちがその程度で終わるもんかよ。温室育ちの坊ちゃんが使えないから何だってんだ、根回しは俺らの得意技だぞ」

 

 グラスを勢いよくテーブルに叩きつけ、大仰に宣言する。その言葉に男たち三人も一様に顔が明るくなった。

 

「悔しいが鉄華団と真正面からやり合えば俺らに勝ち目はねぇ。奴らは戦闘だけが取り柄のクソガキどもだ、大々的な喧嘩になりゃあ俺らも終いだろうよ」

「ならどうすれば……?」

「大々的な喧嘩にしなきゃいいのさ。小競り合い程度の規模の中で、的確に組織の勢いを削ぐ。今のテイワズにゃあその為のお膳立てが全部整っているのさ」

 

 愉快気にクツクツと笑うジャスレイとは裏腹に、男たちはどうにもその意図を計りかねているようだ。顔を見合わせて首を傾げ合い、結局ジャスレイに意見を求める。

 その滑稽ながら自身を慕う様子に、ますますジャスレイは機嫌を良くして饒舌に語った。

 

「いいかお前ら、今この歳星には鉄華団団長のオルガ・イツカが来てんだ。しかも組織の者をほとんど連れていない、実質的な丸腰状態でな。この機を逃す理由があるか?」

「……! しかも鉄華団の悪魔は現在ここの工房で改修中だからしばらくは出てこれない……!」

「そういうこった。小規模に事を始め、成功したならそれで良し。仮に失敗して鉄華団と派手な喧嘩になろうが、主戦力の欠けた現状なら勝ち目は十二分にあるのさ。どうだ、悪くないだろう?」

 

 例え他者からどう思われていようとジャスレイ・ドノミコルスとはテイワズのナンバー2であり、この歳星は彼の庭も同然なのだ。もし()()()()()()()()を主導したとしても、証拠すら残さぬ立ち回りなど造作もないことである。失敗したところで自らの名には傷一つ付かないだろう。

 ここから鉄華団が突っかかって来たとしても、この状態ならジャスレイが有利である。戦闘にもつれ込んだところで正当防衛にしかならず、逆に叩き潰してやれば万々歳で事は済む。

 

 まさしく完璧な策だ。これならどう転んでも目の上のたん瘤な鉄華団を始末でき、流れでタービンズへも大打撃を与えることが可能となる。あらゆる全てはジャスレイの味方だった。

 

「見てろよ、鉄華団のガキ共……このジャスレイ様が、大人の怖さってやつをたっぷり教え込んでやるからよ……!」

 

 グラスに改めて酒を注いだ彼は、一足早く勝利の美酒に酔いしれるのだった。

 

 ◇

 

 鉄華団が歳星に到着してから、早くも四日が経過していた。この間にオルガは詳しい報告書の提出と、鹵獲したMSの正式な売買契約成立を遂げている。後は二、三日だけ歳星で休息を取ってから火星に帰還する算段だ。

 

「一人で大丈夫かミカ? なんかありゃあ遠慮なく俺に言えよ?」

「これくらい平気だよ。なんかオルガ、アトラみたいな世話焼きになってない?」

「む、このパスタ美味しそう……」

 

 歳星にはテイワズ直下の店が数多く並んでいる。その内の一角にあるレストランに、鉄華団の面々の姿はあった。マクマードの助言に従い適当にブラブラしていたのだが、昼時になって目に付いた店に入ったのである。

 どうやらパスタなどがメインの洋食店らしく、席に通されてすぐにジゼルがメニューに釘付けになっていた。そして車椅子を余儀なくされた三日月だが、こちらはオルガの隣で色々と気遣われている。鬱陶しそうにしながらもちょっと口元が緩んでいるのは、たぶん気のせいではないだろう。

 

「へぇ、パスタってのにもこんな種類があんのか……俺が知ってるのはミートソースだかナポリタンだかくらいだからな」

「これ、なんて読むの? えーっと、ジェノ……ベ……?」

「ジェノベーゼですよ。バジルソースが美味しいパスタです」

「そうなんだ。……俺ももうちょっと字を読めるようにしないと、クッキーとクラッカにまた笑われちゃうな」

「学ぶ暇なんざいつでもあるさ。今はほら、農業関連の本で勉強してんだろ? そいつ読んでりゃすぐさ。なんなら俺が教えたって良い」

「オルガは仕事が忙しいから別に良いよ。それにそういうの、アトラやクーデリアに聞いた方が早いだろうし」

「おいおい、んな冷てぇ言い方は勘弁してくれよ……」

 

 和気藹々とした空気が場に流れる。新進気鋭の組織の団長だとか、悪魔の如き実力を持つとか、様々に言われる彼らでも一皮剥けばただの青年たちなのだ。むしろこうして居る方がよほど自然体であり、気負うことのない素の姿をさらしていた。

 それぞれ好みの注文をしてから、水を飲みつつ料理が出てくるのを待つ。こういった飲食店特有の雰囲気は、オルガや三日月にとってはあまり経験のないものだ。

 

「団長さん、また()()やりますか()()? 楽しかったですし」

「いや、マジでああいうのはもう御免だからな。あの後どんだけシノやラフタさんに弄られたと思ってんだ……」

「よく分からないけどなんかすごかったよね……シノなんて勢いだけで昭弘のトレーニングに付き合い始めちゃったし」

 

 クリュセ巡りの旅は楽しかったが、まさか尾行されていたとは思わなかったオルガである。結局しばらくはシノやラフタに散々ネタにされたし、ライドに至っては年少組に言いふらそうとする始末。そんなことされたらオルガの胃に穴が空くので、土産の品を幾つか融通して黙らせたのは墓場まで持っていく秘密だ。

 ともかく迂闊な行動は出来ないので、ジゼルの言葉に頷くわけにはいかなかった。今も誰かが見張っていたらと思うと、つい店の外に目線をやってしまう程だ。ジゼルを見れば彼女もチラチラと外へ視線をやっている。たぶん同じく気にしているのだろう。

 

 ──もちろん考えているような尾行など無く、平和に人の行きかう大通りが有るだけだが。

 

「そうですか、それは残念です……ああいう行いも一種の幸せかと考えていたのですが」

「にしても時と場所を考えろってんだ。ミカの前でやってどうすんだよ」

「俺は別に気にしないけど?」

「こっちが気にすんだよ! お前ら二人ともマイペースすぎんだろ……」

 

 マトモにやってたらこっちの身が持たない、そう悟ったオルガであった。

 そうこうしている内にパスタが運ばれてきたので、のんびりと食事を始める。オルガがミートソース、三日月が先ほどのジェノベーゼ、そしてジゼルはアラビアータだった。相変わらずジゼルは辛い物を頼み、そして狂ったようにタバスコをかけている。頭のおかしい真っ赤なパスタソースにはさしもの三日月すら引き気味の様子だ。

 

「それ、食べれるの?」

「食べれますよ。試しに一口、行ってみます?」

「おい馬鹿やめろって、このうえミカの味覚まで奪ってく気か? 鬼じゃねぇんだからよ」

「そんな言い草ないじゃないですか。それにジゼルは鬼は鬼でも殺人鬼ですからね。お間違えのないように」

 

 ジゼルの内情を考えれば随分と笑えない冗談だった。

 フォークでクルクルとパスタを巻き取ってから、ふとジゼルは顔を上げた。その視線は真っすぐオルガへと向けられている。

 

「そういえば、あのジャスレイって方とは契約を取り決めたのですよね?」

「ああ、過不足なく約束の報酬は貰ってるさ。さすがにマクマードの親父も立ち会ってる中じゃ、俺たちの足下見ることも出来なかったみたいだな」

「では殺したとしても損はないと。どうします団長さん?」

 

 つまり『殺してもいいですか?』と聞いているはずなのに、まるで買い物の誘いでもしているかのような気軽さである。オルガも一瞬虚を突かれたような顔になってから、やれやれと頭を振った。

 

「あのな、気に入らないから殺すなんて理屈は通らねぇよ。親父にも釘刺されたろ。その程度アンタなら十分弁えてると思ってたが」

「ですがああいった類の相手は絶対に足を掬ってきます。憂いは早い内に絶っておくべきだと思いますが」

「それでもだ。現状向こうは何もしてねぇし、言い分だって気に入らないが筋自体は通ってる。俺らがとやかく言う資格はねぇよ」

 

 ジゼルの言葉も理解はできるが、かといって認めてしまえば恐ろしいことになる。故に頷くわけにはいかないのだ。

 それよりもむしろ驚いたのは、彼女がそんな提案をしてきたことである。殺す為の大義名分さえあれば誰であろうと殺す狂人だが、逆を返せば大義名分がなければおいそれと殺しもしない。そんなジゼルが何故ここに来てジャスレイ殺害を強く提案してきたのか、その方が疑問だった。

 

 本人の言う通りに危険となる可能性があるからだろうか。けれど理由としては少し弱い気もする。

 

「どうしてそんなに奴に拘る? アンタにしちゃ珍しいだろ、こういうの」

「……だって、団長さんが馬鹿にされたら悔しいじゃないですか。しかも勝手にジゼルの髪の毛にまで触れて、何様のつもりなのでしょう」

「ジャスレイ様、とかじゃない?」

「ミカ、そこはちょっと空気読め……」

 

 呆れ交じりにオルガが苦笑いし、ジゼルの様子を窺がう。ちょっと不機嫌なようならどうにか宥めようかと考えたからだ。

 しかし彼女はといえば、先ほどと同じように窓から店の外を眺めていた。特に怒っている様子は見受けられない。けれど不意に動きを止めると、フォークを置いて鞄の中をゴソゴソと探り出したのだ。

 

「どうした?」

「──理由、大義名分というのはいつも意外なところに転がっているものです。些細な出来事を見逃さず、執念深く周囲を観察していれば、案外とそういったものは見つかるのです」

「はぁ……んで、そいつがどうかしたよ?」

「つまりですね──」

 

 ジゼルが鞄から黒光りする硬質な物体を取り出した。思わずギョッとしてしまう。だってそれは、鉄華団においてジゼルが持ち得るはずのない拳銃であり──

 

「もしかしたら仕掛けてくるかもと思っていたのですが、見事に大当たりしたという訳ですよ」

 

 店の外へと銃口を向けると、躊躇いなく発砲したのであった。

 

 ◇

 

 突然響く銃声は二つ。ガラスの割れる甲高い音。漂う硝煙の香り。あらゆる全てが非日常的な中で、すぐに反応できた者は皆無である。

 けれど元凶であるジゼルと、そして三日月だけは違った。沈黙から一転、悲鳴の上がる店内を素早く駆けて大通りへとジゼルは向かう。一方で三日月は動く左手でテーブルを跳ね上げ即席の盾にすると、即座にオルガを引き込んだ。

 

「どういうこったこりゃ……ミカ!?」

「分からないけど、たぶん襲撃されかけたんだと思う。撃たれた相手、手に銃を持ってたし」

「なんだと……!?」

 

 身を隠しながら愕然としてしまう。命を狙われたという恐怖よりも、この平和な地で暗殺という凶行に出たことが信じがたいのだ。けれど事実としてジゼルは発砲し、三日月まで危険性を認めているのだから認める他にない。それによく見れば、先ほどまでテーブルに乗っていたコップが大穴を空けて転がっていた。おそらく暗殺者側が撃った銃弾が当たったのだろう。

 

 その間にジゼルの方は撃ち抜いた相手の下まで急行していた。相手は黒いサングラスにスーツ姿という、実にテイワズらしい装いだ。腹を撃たれた彼は地面に血だまりを作りながら悶えている。右手には三日月の見たとおり、拳銃が握られていた。

 まずは駄賃とばかりに暗殺者(ヒットマン)の右手を踏み砕いたジゼルは、ひとまず銃を没収した。既に通行人は散っており、勇気のある野次馬が遠巻きに眺めているだけだ。この状況では他に仲間が居たとしても手出しは難しいだろう。

 

「誰に指示を受けましたか?」

「ぐっ……痛てぇ……聞いてねぇよこんなの……」

「もう一度聞きますが、誰に指示を受けて団長さんの暗殺を実行したのです?」

 

 痛みに呻く暗殺者の胸倉をつかみ詰問する。けれど返答は無様な呻き声だけだったから、銃床で顔面を殴りつけて再び問い直した。もし次も同じ反応をするなら用無しとして殺すだけだ。

 果たして突如として現れた暗殺者の答えは、

 

「し、知らねぇよ! 顔隠した変な奴に金積まれて頼まれたからやっただけだ!」

「そうでしたか。では、さようなら」

「ま、待って──」

 

 どうやら有益な情報は持っていないらしい。なら後は殺すだけだ。

 引き金を引き絞り、あやまたず頭を撃ち抜いた。白いワンピースに返り血が付くが構うものか。ジゼルにとって引き金など羽毛のように軽いのだ。常人が抱く苦悩葛藤嫌悪感、その全てが彼女からすれば些事にすぎない。

 こうして呆気なく一人の命を摘み取ってみせたジゼルは、銃を仕舞うと物憂げに溜息を吐く。それから口元を笑みの形に歪めると、誰ともなく呟いたのだ。

 

「今はまだ幸せ探しの途中ですし……たくさん殺させてくださいな。ジャスレイ・ドノミコルス」

 

 まずはオルガ達並びにテイワズの重鎮達への報告。何かしら手を打ってもらわなければ。

 それにフェニクスの改修も急いでもらった方が良い。歳星にいる鉄華団団員はわずかに三人だけ、戦力は少しでも大きくしなければ。こうなってはオルガもしばらくは人前に出てもらわない方が良いだろう。

  

 やることはたくさんある。まだ殺人に代わる新たな幸せなど見つかっていないから、このチャンスは全力で利用させてもらうだけだ。

 そして何より。鉄華団団長を狙ったという事実は、自身すら意外に感じるほどジゼルを怒らせていたのだから。あらゆる手段を用いてでも、皆殺しにしなければ気が済まないのである。

 




この小説はヒットマンに厳しい作品です、ご留意ください。


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#34 狂気の不死鳥

 鉄華団団長を標的として白昼堂々に行われた暗殺行為。まさかそんなことはしないだろう、などという甘い考えの間隙を縫うような行いには誰もが驚き震えたものだ。マフィアとも称されるテイワズのお膝元で起きたまさかの事件に、危機感を煽られ歳星中が荒れているのも無理はないことだった。

 

「そんで三日経った現在でも首謀者は見つからずじまいと来たか。こりゃまた、随分と裏工作が得意と見える」

「ええ、そうでしょうね。おおよその当たりは付いてるんですが……」

 

 歳星の艦船ドッグに繋がれているのはタービンズ所有の特徴的な船首を持った艦、『ハンマーヘッド』である。その中に設えられた高級感漂う応接室にて、名瀬・タービンとオルガ・イツカは意見を交わし合っていた。

 この場に存在するのは二人だけ、名瀬もオルガも付き人は無しだ。三日月とジゼルは現在マクマードの下へと向かい、経過報告を行っている真っ最中だろう。

 

 名瀬はテーブルに置かれたグラスを煽ると、おどけたように肩をすくめる。その表情も含めて「既に犯人など分かり切っている」と雄弁に語っていた。

 

「ジャスレイ・ドノミコルス、だろ? お前を標的にして、かつテイワズのお膝元で暗殺ぶちかまして証拠も出ないなんざまずあり得ない。そんだけの地位もコネも持ちながら、鉄華団を目の仇にする奴なんざアイツくらいのもんだろうよ。とんだ災難だったなぁ」

「俺もあの男はあまり好きじゃありませんが……にしても、こんな直接的な手段をこうも早く取ってくるとは思いもしませんでした」

「奴は良くも悪くも行動が早いのさ。ある程度考えがまとまれば即座に行動に移すから対策が取り辛い。そのぶん詰めが甘かったりするのがこっちとしちゃありがたいが」

「俺からすればとても詰めが甘いなんて言ってられませんよ。あの時一人で街中に出ていたらと思うと流石にゾッとします」

 

 少なくともオルガは暗殺の気配など微塵も感じられなかった。もし単独で行動していたのなら、今頃は呆気なく散っていたはずだ。仲間たちへ伝えるべき言葉すら遺せず無為に死んでいくなど、考えるだけでも無念が募る。

 ただそれでも生き残れたのは、ひとえに同じような人間がオルガの傍にも居たことだろう。ジゼルは存在からして殺し屋(ヒットマン)のようなものだから、同類には人一倍鼻が利くのも頷ける話だ。

 

「んで、お前はどうするよオルガ。このまま”やられっぱなし”じゃ終わらねぇんだろ?」

「当然です。今回の件の首謀者には、なんとしても落とし前を付けさせます。ただ──」

「ま、今のままじゃ難しいわな。ジャスレイがやったなんて証拠は何処にもなし、現状じゃ手出しできねぇ。かといってここに残ってもいつまた狙われるかも知れたもんじゃないと」

「ええ、ですので一度火星に戻ろうかと。向こうに戻ればひとまず態勢を整えられますし、むざむざ殺されてやる心配もぐっと減りますから」

 

 この歳星が暗殺者一派──おそらくはジャスレイ一派にとってのホームグラウンドというなら、火星はオルガ達にとっての地元である。戻りさえしてしまえば、まず間違いなく暗殺される危険性は無くなるはずだ。少なくとも本部から動かない限り当面の間は安全が約束される。

 

「だが足はどうする? そっちは今回イサリビじゃなくて、最低限MS二機が積める小型艦艇一隻で来たんだろ? 帰り際を狙われようものならどうしようもねぇと思うが」

 

 俺が送ってやることも出来ないしな──名瀬が苦笑交じりに零した。その言葉にオルガの顔が一段と険しくなる。

 

「可愛い弟分を火星まで護衛がてら送ってくなんざ安い仕事なんだがな。なんと面白い事にこのタイミングで急ぎの仕事が来やがった。悪いが俺も明日には出なきゃなんねぇ」

「ちょいと出来すぎてる気がしますね……もしかして、そいつも根回しってやつっすかね?」

「だろうな。周到なこったよ、忌々しいぐらいにな」

 

 武力でこそパッとしないジャスレイ一派だが、そのぶん経済的には強いのだ。タービンズに唐突に舞い込んだ急ぎの輸送依頼は間違いなく彼らの思惑とみて良いだろう。名瀬がどうしようもなく天を仰いで悪態を吐くのも道理と言えた。

 そして火星から鉄華団の艦艇である『イサリビ』か『ホタルビ』が来るには、少なく見積もっても二週間はかかると見て良い。その間に歳星内で何もないと考えるのは少々楽観が過ぎるだろう。

 

「正直なところ、今回の仕事依頼は断っても良いと考えてる。多少名前やら信頼度やらに傷は付くだろうが、ここで万が一にもお前に死なれる方がよっぽど困るからな。どっち取るかなんざ悩む余地もねぇ」

「──いえ、その必要はありません。どうあれ兄貴は兄貴の仕事があるんすから、そっちを優先してください」

 

 やけにキッパリと断られてしまい、しばし名瀬の目が点になる。だがすぐにその意図を読み取ると、今度は口元がにやけ始めたのだ。

 

「ははぁ、手中に策有りって感じだな。もしかしてあの嬢ちゃんの入れ知恵か?」

「まあそんなところです。向こうが提案してきた策をベースに話し合って、この状況でどう振舞うか決めましたから」

「なるほどな。そんじゃあ、ここ数日ずっと俺んとこや自分の艦に引きこもってたのも策の一環ってことか。まったく、随分とあの嬢ちゃんを信頼してるもんだ」

 

 暗殺されかけたのだから街中に出ないのは当然の事なのだが、今回のオルガの場合マクマードへの報告すらジゼルを代わりに行かせているのだ。非礼を承知で組織のトップに会いに行くことすらしない徹底した露出の無さ、普段のオルガからは考えられないと感じてはいたがやはり作戦あってのことだったか。

 

「せっかくだし聞かせてくれよ。どんな手を使ってこの窮地を乗り切るつもりなんだ?」

 

 好奇心に駆られ愉快そうに問う名瀬に、オルガは困り顔で頰を掻いた。別に言うのも憚られるような作戦ではない。ただどのように伝えるべきかしばし言葉を探して、結局上手い滑り出しが見つからずストレートに語り出す。

 

「まず手始めに──俺が死にます」

「……は?」

 

 突拍子の無さすぎる第一声に、さしもの名瀬もグラス片手に言葉を失ってしまったのだった。

 

 ◇

 

「歳星からの出発は五日後に決まりました。ジゼルのフェニクスの改修が済み次第発つ予定です」

「そうか。悪いがこっちもまだ首謀者の特定は出来てねぇんだ、ほとぼりが冷めるまではそっちで対処してもらうしかねぇ」

「構いませんよ。荒事は鉄華団の望むところですから」

 

 歳星、マクマードの屋敷にて。経過報告の為に訪れていたジゼルと三日月は、主であるマクマードと対面していた。内容自体はどうということはない。未だに首謀者は見つからずじまいだから、鉄華団はひとまず歳星を離れるという旨のものだ。

 ただし違うのは、この話を聞いているのがマクマード一人ではないということだ。

 

「つまり鉄華団は尻尾巻いて逃げるってこった。怖くて引き篭もっちまった団長といい、こいつは武闘派組織の名が泣くぜ」

 

 ジャスレイ・ドノミコルス。嫌な笑みを浮かべる彼は本来ならこの話とは無関係であるが、テイワズの二番手としての力を買われマクマードに呼び出されている──とジゼルは説明を受けていた。実際のところは知らないが、別に興味はない。

 ともあれこの場にジャスレイまで居るというのは、ジゼル達にとっても非常に都合が良いのは確かなのだ。彼の安い挑発に乗りさえしなければ、ではあるが。

 

「戦略的撤退、というやつですよ。場当たり的に突撃していくだけが戦いではありません」

「そうかいそうかい、なら構いやしませんがね。あんま鉄華団が情けない振る舞いしてくれると、テイワズの名にも傷が付くんだ。そこんとこよーく理解してくれよ?」

「ジャスレイ、おめぇだってまだ犯人を見つけられてないんだろ? 自分のこと棚に上げて人様笑うたぁ随分と偉くなったじゃねぇか」

「……ッ、悪かったよ親父」 

 

 今回の件の犯人探しはジャスレイが主に動いている。しかしまだ何の成果も得られていないのだ。故にマクマードからその点を詰られてしまえばジャスレイに言い返すことなど不可能である。

 その取り返しなのだろうか。今度はジャスレイの方から鉄華団へと提案を持ち掛けてきた。

 

「んで、火星まで帰んのに護衛はいらねぇのかい? 手頃な傭兵団くらいなら紹介してやってもいいが」

「それもいりません。護衛はジゼル一人で問題ありませんので」

「上手く団長を守れたからって大した自信じゃねの。その言葉が法螺じゃなきゃいいんだがな」

「だってジゼル、強いですから。団長さんを狙う相手なら誰であれ皆殺しです」

 

 そこらの傭兵団より自分の方が強い──素面ではとても言えないことを気負いのない真顔でジゼルは答えた。たまらずジャスレイが笑い出す。とても彼女の言葉を信じているようには見えなかった。

 だが、それで構わない。ここで肝心なのはジャスレイにジゼルのことを『自分の力を過信した小娘』と感じてもらうことなのだから。実力的、精神的に隙があると思わせればそれで良いのだ。

 

「ではそろそろジゼル達は行きますね。さようなら」

「用心だけは怠んじゃねぇぞ。テイワズの威信にかけて、今回の相手は見逃せねぇ手合いだからよ」

 

 目的は達した。軽く頭を下げてから、三日月の座った車椅子を押しつつ出口へと向かう。

 扉に差し掛かった時、ふと三日月が後ろを振り向いた。察してジゼルが立ち止まる。彼の青い瞳は真っすぐにジャスレイへと向けられていた。

 

「心配しなくとも、オルガは絶対に逃げないよ。相手が誰であろうと受けた恩も恨みも忘れない。俺も、オルガの道を阻む奴は逃がさない」

「なら精々上手く事を収めてくれよ? 新入り組織のせいで幹部陣がゴタゴタしてるなんざつまらねぇにも程があるからな」

「うん、だから俺たちも最短で行く。期待してくれていいよ、ケツアゴの人」

 

 今度こそ部屋から退出した。閉められた扉の向こうから一拍遅れた怒鳴り声が聞こえてくるが、ジゼルも三日月も特に気にするような人間ではない。ジャスレイのことなど頭の片隅にも置かず、のんびりと帰路に着いたのだった。

 

 ◇

 

「こっちの準備は終わりましたよ。火星本部の方はどうですか?」

「問題ねぇよ。イサリビはもう出してもらったとこだ。火星と歳星(こっち)の中間地点までひとまず来てもらう予定だ」

「仕込みは上々ですね。後は予定通り、ジャスレイ氏が殺しに来てくれれば良いのですが……」

「それはいいんだがよ、一つ良いか?」

「おや、なんですか?」

「なんで俺がアンタの髪を梳かなきゃなんないんだ。自分でやれよ自分で」

 

 我慢しきれないとばかりにオルガが言った。その手には櫛が握られていて、ジゼルの長い髪の毛に差し込まれている。少し前から強制的に彼女の髪を梳かされているのだ。

 はっきり言ってジゼルの髪は馬鹿みたいに長い。なにせ赤銀の髪が膝裏近くまで伸びているのだ。管理が大変そうなのは一目瞭然だが、まさか自分が梳いてやる羽目になるとは思わなかったオルガである。

 

「自分でやるとムラができるんですよ。それにほら、これから数日は艦艇の中にすし詰めですし。できるだけ綺麗に整えておきたいと言いますか」

「なら髪を切ったらどうなんだよ。つかこの前髪触られて怒ってたろ」

「あれは全く知らない人に触られたから怒っただけです。切らないのは一種の願掛けとでも言いますか」

「願掛け?」

 

 何か願い事でもあったのだろうか。それもこうまで髪を伸ばすまで叶わないような願いが。

 

「昔の話ですよ。自分の中の殺人欲求が消えたら切ろう、そう考えていたのですが。結局叶わないままズルズルと伸ばしっぱなしになってしまいました」

「なるほどな。確かにこりゃあ、一年二年程度じゃねぇ蓄積が必要か」

 

 なんとなく髪の中に手を差し入れてみる。まるで滝のようにサラサラと流れる長髪は美麗の一言だ。こうまで美しい髪の束が、結局は叶わなかった願いのせいで形成されたものと考えるとどこか物悲しくもなってしまう。

 

「ジゼルの髪の毛が気に入りましたか?」

「なんだか変態みたいな言い方は止してくれ……ま、綺麗だとは思うがな」

「そうですか。なら切りません」

「なんだそりゃ。好きにすりゃあいいと思うがな」

 

 頼まれたから渋々やっているだけで、それ以上の感情は特に存在しないのだ。彼女自身は割かし好ましく思っていても、なんでも頼みを聞いてあげるかと言えば話は別である。

 そうして一通り髪を梳き終わってから、ジゼルが椅子から立ち上がった。ばさりと赤銀の髪をなびかせてオルガの方へと向き直る。

 

「さてと、ジゼルが居ない間に勝手に死なないでくださいよ。もし死んだらもう一度殺しに行ってあげますからね」

「こっちにはミカも居んだ、問題はねぇよ。それと筋は必ず通す。そんだけだ」

 

 不敵な笑みを浮かべた二人は、共に金の瞳を交わらせたのだった。

 

 ◇

 

 暗い宇宙空間を、一隻の小型艦艇が進んでいく。

 

 MSが二機乗る程度の大きさしかないその艦は、四日前に歳星から火星へと向かい出発したものだ。乗組員は鉄華団団員が三名、積載MSは歳星出発直前に改修が終わったというフェニクス一機だけとなる。マクマードの前でジゼルが語ったように、テイワズ滞在から二週間程度で彼らは歳星を後にしたという訳だ。

 

『情報通りの艦だ。アイツで間違いないな?』

『ああ、大丈夫だ。識別反応もバッチリ、アイツを粉々にすれば大金が舞い込んでくるんだ、気張っていくぞ』

『おうよ』

 

 その小型艦艇をデブリの陰から観察しているのは二機の風変わりなMSだ。四角形のような独特のシルエットに、膝が通常とは逆方向に向いている。ヘキサ・フレームの一種、ユーゴ―と呼ばれる汎用性の高さが売りのMSだった。

 彼らは静かに合図を取ると気取られないよう慎重に艦艇に近づき出す。途中で更に物陰から一機、二機と増え、最後には総勢七機ものユーゴー、そしてマン・ロディが小型艦艇の周囲を取り囲んでいたのである。

 

 この場に居るのは全員傭兵、それも護衛などではない荒事専用に雇われる一団の者たちだ。腕利きの集まる彼らは集団戦において優れた実力を発揮し、半ば宇宙海賊のように縦横無尽に稼ぎを得る手練れとして知られている。

 そんな彼らの依頼は鉄華団の乗った小型艦艇の撃墜だ。依頼主はさるテイワズの大物、報酬も弾んでくれるとなれば断る理由もない。相手の護衛MSは一機だけ、実力者ではあるらしいが数でかかれば目的を達するのは容易いことだ。後は数の差で護衛とやらも黙らせてしまえば終わりだろう。

 

『よし、やれ』

 

 リーダー格のユーゴーが合図を送ると、七機ものMSが一斉にマシンガンを構えた。狙いは当然小型艦艇、碌に反応も回避もせず等速で進む様子からは気取られているように感じない。

 そして、合図と共に全ての銃口が同時に火を噴いた。吐き出された弾丸は吸い込まれるように艦艇へと殺到し、あらゆる箇所を穴だらけにしてしまう。最後には推進剤に誘爆したのか大爆発を起こし、呆気なく宇宙の藻屑と散っていったのだ。

 小型艦艇だったモノの破片がユーゴーやマン・ロディの装甲を叩く。心地よい微かな振動が達成感をいっそう増幅させる。

 

 これで仕事は終わり、後は帰るだけ──とは誰も考えていなかった。

 爆散した小型艦艇の煙の中に反応があるのだ。エイハブ・リアクター、それも反応の強さからして間違いなく無傷のものが。おそらくは話に聞いていた護衛のMSだろう。今更慌てて動き出すのは滑稽の極みだが、無視するわけにもいかない。

 

『聞こえているか、そこのMSよ。既にお前の守るべき相手はいない。もしお前が無駄に抗うというのなら、容赦なく撃墜させてもらう。大人しく投降すれば命までは取らないと約束しよう』

『……ふふっ』

 

 返答、なのだろうか。通信越しに笑い声のようなものが届いた。なんとも薄気味悪く、そして底知れぬ不安感に襲われる笑い声だ。傭兵団のパイロット達は皆、反射的に自らの腕を摩ってしまう。沸き立つ鳥肌が抑えられそうにない。

 未だ爆煙の中に隠れたMSへの恐怖心が一秒ごとに増加していく。

 ──このタイミングで倒し切れなければ、次に死ぬのは自分だと。誰もが歴戦の勘で察してしまい、半ば無意識の内にマシンガンの銃口を煙へと向けたのだ。

 

『応答無きようなら、敵対の意志ありとして撃つ!』

 

 ハッキリと大義名分を宣言できたのは奇跡のようなものだった。訳も分からず沸き立つ恐怖心を必死に抑え込みながら向けた銃口が、待ちわびたかのように火を噴いて煙を貫いた。

 煙のに無数の穴が空けられる。段々と切れていく煙、その中に潜む敵の正体を見極めようとして、

 

『なっ──』

 

 一人のユーゴ―が唐突に沈黙した。

 なんの予兆もなく飛来したのは、おそらく大口径の砲弾だろう。それがユーゴ―のコクピット部を叩きパイロットを気絶させたのだ。すさまじい精密射撃である。

 それと共に煙の中から敵機体が姿を現す。急速な加速と共に闇を切り裂く赤と金の影。巨大な翼と背部に接続されたブースターユニットがかろうじて確認できた。あまりの速度にMSのカメラも追い切れていない。

 

『なんだ、やる気なのか!?』

『こっちはまだ一人やられただけだ!』

『六人居るんだ、落ち着いていつも通りやれば勝てる!』

 

 口々に言葉を交わし、励まし合って平静を図る。直感が危機を促しているが、目の前の相手が逃がす気が無いのも承知していた。

 その間にも敵MSは止まらない。手に持っているのは巨大な大剣だろうか、中心が砲となった変わった武器である。更に目を引くのは長大なブースターユニット、そこには長剣二つに砲身二つの計四つの武器がマウントされている。まるでウェポンラックとして使うことこそ正しいと言わんばかりの過剰積載だ。

 

『それでは団長さんの敵討ちと参りましょう。ガンダム・フェニクスフルース、鏖殺を開始します』

 

 赤い敵MSからそんな通信が届いた。楽しそうな声音にどこか白々しいような響きを含んでいる事には誰も気が付けない。だってそうだろう。一瞬でも気を抜けば即座に死ぬと、感覚でどうしようもなく理解してしまっていたのだから。

 

 ──かくして不死鳥は新生を果たし、”狂気の不死鳥(フェニクスフルース)”として再び宇宙(そら)へと羽ばたいたのだ。

 




新たに登場したフェニクスフルースの武装やらについては、次回に描写しようと思います。だいたい察したでしょうがフルアーマーユニコーンやサイコ・ザクの系譜です。


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#35 GUNDAM PHOENIX HULLUUS

 フェニクスの改修が完了したと報告が届いたのは、実にジゼルが歳星から出発する前日の事だった。

 

「これが改修後のフェニクスですか。なんというか……ものすごい量の武器ですね」

「なんと言ってもこの私でさえ馬鹿らしすぎて笑いたくなるようなハリネズミ状態にしたからね。そのぶん武装の多さはどんなフレーム、MSを見渡しても最多だと自信をもって保証しよう!」

 

 歳星のMS工房を訪れたジゼルは、整備長と共に自らの愛機の変貌ようを見るなり驚いたように呟いた。

 改修後のフェニクス、その基本カラーは赤と金から変わっていない。シルエットもそう変化は見られないが、小さな変更点として両腕部には新たに小型の盾が取り付けられていた。ジゼルの知識で最も近いのは、ヴァルキュリア・フレームに採用されていたはずのヴァルキュリア・シールドだろうか。内側になにか武器が仕込まれていそうなところまでそっくりだ。

 だがそれよりも目を引くのは背部バックパックである。不死鳥(フェニクス)を象徴する巨大な翼状(ウイング)スラスターはそのままに、さらに大型のブースターユニットが追加されているのだ。ナノラミネート塗料で黒に塗装され、鉄華団のマークと『ASW-G-37』の文字がデザインされているのが印象的だ。

 しかも円筒のブースターを取り囲むように長剣二本、砲身二本の計四つの大型武器が取り付けられている。まるで武器庫と表すほかない。

 

 それ以外にもサイドスカート部に武器がマウントされ、脚部にはミサイルポッド──にも見える複数のグレネード兵装が付いている有様。全体的に武装が増やされ、あたかもハリネズミのように武装が全身を覆っていた。

 

 隅から隅まで改修点を探し出そうと視線を走らせるジゼル。そんな彼女に整備長は平たいデバイスを一つ渡した。見ればそこには名称入力画面が表示されており、『GUNDAM PHOENIX』とまで入力されている。

 

「ご覧の通り、これは君の目の前に立っている機体の名前を登録する画面だ。ガンダム・フェニクスまではいいとして、後は自分で付けてくれたまえ。それともこちらで名付けてしまうかね?」

「いえ、結構です。ジゼルの方で既に考えてありますので」

 

 短く頷き、ジゼルがデバイスへと名前を打ち込む。画面の上を踊る白磁の指先に迷いはなく、すぐに登録を終えると整備長へと返却した。

 新たに付けられたフェニクスの名前。どんなものかと画面に目をやった整備長は一言、

 

「うぅむ……なんと読むのかなこれは? フ、フル、フッルーウウス?」

「フルースですよ。ジゼルの故郷の言葉です」

「フルース……知らない言葉だね。ちなみに意味を聞いても?」

 

 画面上に浮かぶ”HULLUUS”という文字を眺めながら整備長が問う。中々に読みづらい。

 

「意味は狂気です。ジゼルにはこれがピッタリだと思っていました」

「狂気とは……これまた穏やかではないね。だけどうむ、この馬鹿げた武装数のガンダムには相応しい名前かもしれないな!」

 

 断言できる。これほどまでに武装を積み込んだMSなどかつて存在しなかっただろうと。先人たちがメリットとデメリットを秤にかけて結局誰も実行しなかったことを、ついに整備長とフェニクスはやり遂げてしまったのだ。

 そのまま整備長は更にデバイスを操作し、画面を新たに切り替える。無数の文字が羅列した画面のままジゼルにデバイスを渡すと、完成したフェニクスフルースを眺めながら言ったのだ。

 

「それでは改めて君のMS、”ガンダム・フェニクス”改め”ガンダム・フェニクスフルース”のデータを確認してみてくれ!」

 

 言われるままデータに目を通すジゼル。そこに記載されていた内容は──

 

・──────────・

GUNDAM PHOENIX HULLUUS

型式番号】ASW-G-37

全高】18.6m

総重量】50.6t

武装

・背部ウイングスラスター内蔵式サブアーム ×4

・砲剣複合巨大兵装『カノンブレード』 ×1

 →四〇〇ミリ砲バスターアンカー

・高硬度レアアロイ・ロングブレード『フェネクス・ソード』 ×2

・三〇〇ミリ滑腔砲 ×1

・超長距離射撃用電磁投射砲(レールガン) ×1

・複合兵装防盾『スヴェル』 ×2

 →小口径機関砲 ×2

 →特殊超硬金属製ショートブレード ×2

・テイルブレード ×1

・一三〇ミリライフル ×1

・アサルトナイフ ×2

・膝部パイルバンカー『ニーバンカー』 ×2

・脚部三連グレネードポッド ×4

・脚部パワード・クロー ×2

・──────────・

 

「やっぱりとんでもない数の武器ですね……近接武器が七種類合計十二個に、遠距離武器が六種類合計十個ときましたか。全て使いこなすのは大変そうです」

 

 指折り数えながらフェニクスの武装数を確認していくジゼル。常の無表情が微かに崩れ、驚きとも喜びともつかぬ色が浮かび上がっている。それだけインパクトの強い武装数だったのだ。

 ひとまず目を通し終えたジゼルは改めてフェニクスへと視線をやった。初見でインパクトが強いのはやはり背部の翼とブースターユニットだが、よく見れば確かに全身に武装が施されているのが分かる。

 

「どこにどのような武器があるのか、ざっくりと解説してもらえますか?」

「もちろん構わないとも」

 

 快諾した整備長は背部に接続されたブースターユニットを指さした。大型の武器が四つ、円筒状のユニットを取り囲むように設置されている。

 

「高硬度レアアロイ製のロングブレードと三〇〇ミリ滑腔砲、それにレールガンはあそこに取りつけてある。レールガンの方は君が鹵獲したっていうあの黄色いレギンレイズ、アレの武器を流用したものだよ。ちょいと出力と強度を上げてあるから、フラウロス程とはいかずともそれなりにMSにも有効だ」

「それ以外は特別な要素はないと?」

「無いとも。シンプルイズベストってやつさ。ちなみにロングブレードと腕部の盾に命名したのは私だけど、気に入らないなら変更もできるよ」

「いえ、このままで構いません」

 

 別に名前など気にしないジゼルである。よほど珍妙な名称でもなければ変える気など微塵もない。面倒くさいのだ。

 さらに整備長は腕部と腰部、それに足元を連続で示していく。どれも武装が追加されているポイントだ。

 

「腕部のショートブレードだけど、バルバトスにこれから使おうと考えてる金属を試験的に流用してみた。とても硬いけど非常に軽いから使い方には要注意だ。あとブレードは機関砲と入れ替わりで出てくるから、使用の際には機関砲ごと回転させて刃を前に向けることを忘れずに」

「なるほど、バエル・ソードと同じ材質……頼もしいですね」

「どんどん行こう! アサルトナイフ二本と一三〇ミリ機関砲はサイドスカートに懸架してある。ちなみに後者は同じくレギンレイズのを流用させてもらったよ。テイルブレードは特に変更なし、膝にはこれまたバルバトスに導入予定の近距離用パイルバンカーを突っ込んだ! グレネードポッドはグシオンにもあるのを複数増設しただけだから、整備もそう難しくはないだろう」

 

 説明を聞く限り、フェニクスフルースの大量の武装はどれも専用装備ではなく流用、ないし元から考えていた武装の試験導入が多いらしい。だがそうでもなければこれほどの短期間に武装を取り付け、必要な改修まで済ませるなどどだい不可能な話ともいえるか。ジゼルとしても専用武器が欲しいと言うつもりは全くない。

 

「最後に鉤爪ことパワード・クローだけど、さすがに本体重量が増えたから今までの形状だと支障が出ると感じてね。前二本、後ろ一本だった爪の数をそれぞれ三本に増やした計六本とさせてもらったよ」

 

 「これがおおよその説明だけどどうかな?」と整備長の目線が訴えかけてくる。もちろんジゼルから贈るべき言葉など一つしかない。

 

「パーフェクトですよ。この短期間でよくここまでやってくれました。心から礼を言わせてください」

「なに、これくらいガンダム・フレームを弄れるなら安い仕事さ。それに褒めてくれるのは嬉しいけど、問題点がない訳でもないからね」

 

 言われずともさすがに分かる。これだけの機体、宇宙でなら扱えるが重力圏ではどうなることか。単純な機体重量増加による小回りの低下もあるだろうし、手札が増えれば咄嗟の判断力も要求される。ただ全身を武装で固めただけで色々な問題が噴出してしまうものなのだ。

 

「それでも扱ってみせますよ。こんなにも素晴らしい機体にしてもらったのです、扱えなければ嘘でしょう」

 

 嬉しそうに呟くジゼルをそっと整備長が見やる。

 

「……君がこの過剰兵装を以って何を成すのか、私に何かを言う権利はこれっぽっちもない。だけど力はあくまでも力でしかないんだ。願わくば良い方向に使ってくれることを祈ってるよ」

「ジゼルは欲張りですから、趣味も実益も追い求めてしまう人間なのです。大丈夫、そう悪い事には使いませんよ」

 

 穏やかに語るその口調、顔には微笑が浮かんでいる。

 だがしかし、やはりと言うべきなのか。その口ぶりもその笑みも、どうしようもなく不穏な空気を醸し出して仕方ないのだった。

 

 ◇

 

 宇宙空間を赤と金の流星が駆け抜ける。

 フェニクスフルースの巨大なブースターユニットから吐き出される青白い炎は暗闇を彩る軌跡と化し、ウイングスラスターも相まってすさまじい速度を機体へと齎す。常人には最早扱えないレベルの速度だが、阿頼耶識システムによる感覚操作が可能ならばその限りでもない。

 

 ましてこのパイロットは──ジゼル・アルムフェルトは人類の中でも最低最悪の殺人特化な存在なのだ。こと人を殺せる場面において無様を晒すなどあり得なかった。

 

 手に握ったのは巨大兵装ことカノンブレードを無造作に一薙ぎ。加速の乗った一撃は容易くユーゴ―の頭を割り砕き、内部のパイロット諸共に粉砕した。

 ついでウイングスラスターに内蔵されたサブアームを一つ展開、迷いなく電磁投射砲(レールガン)を選び取ると機銃を向けているマン・ロディへ発射する。二機のエイハブ・リアクターによる高出力の一撃にマン・ロディの装甲が大きく抉られ、あまりの一撃にたたらを踏んでいる合間にフェニクスが接近。腕部の盾『スヴェル』内側のショートブレードを展開すると一息にコクピットを刺し貫いた。

 

 それでもフェニクスは止まらない。まだ足りないとばかりにサブアームをもう一つ展開すると、今度は『フェネクス・ソード』と命名されたロングブレードを取り出す。電磁投射砲はブースターには戻さずスラスターの外側に設置された三本目のサブアームに掴ませた。この状態でも武装の使用は可能と聞いている。

 カノンブレードとロングブレードという大型武器二刀流による規格外の剣戟は、意図も容易く二機のMSの息の根を止めてしまう。残ったのは最初にカノンブレードによるバスターアンカーの一撃を受けた一機と、どうにか一撃でやられる事を阻止できた二機の合計三機だけだ。

 

「このフェニクスフルースすごいですね、さすがフェニクスの改修機。どの武装も使いやすいし、殺しやすい。良い武器を選んでくれたものです」

 

 あまりの歓喜にジゼルの口元が笑みに歪む。忘れてはならない。彼女の本性は未だ最低のまま、本心がどうあれ人殺しを楽しむ畜生の感性は一つとして損なわれていないのだから。

 残る三機はもはや風前の灯だった。それでも望みを捨てないとばかりに銃口を向けるが、フェニクスの速度が速すぎて掠りすらしない。

 急加速。急接近。そして背後まで接近された一機はパイルバンカーにより腰部を粉砕され、アサルトナイフを突き立てられたもう一機共々仲良く沈黙したのだ。

 

 ──蹂躙、殺戮、オーバーキル。この宙域における戦闘はそれが全てであった。

 

「さて、と……」

 

 加速を止めて停止したフェニクスのコクピットに赤銀の髪が舞う。一括りにされた長髪を軽く払いつつ、ジゼルは通信機のスイッチを入れた。目標は唯一破壊されておらず、パイロットも生き残っているマン・ロディだ。

 

「これからジゼルは弔い合戦に行くので、あなた方の母艦まで案内してもらえませんか? 承諾してくれるというなら、あなたの命だけは保証してあげましょう」

『案内されたとして、どうするつもりだ……?』

「もちろん全員殺します。だってほら、ジゼルにとっての──」

 

 そこで不意に言葉が途切れる。逡巡はほんの一呼吸分だけ、すぐジゼルは話を続けた。

 

()()()()を殺してくれましたからね。なら、敵討ちするのが筋というものでしょう? これでもジゼルは怒っているのです」

『……いいや、駄目だ。命は惜しいが、俺一人の為に仲間をむざむざ殺させてたまるもんか』

「そうですか、それは残念です。ならコクピットから降りてください」

 

 心底から惜しいと思う。この場面で仲間を取ったこのパイロットは人として光るものを持っている。例え傭兵として汚れ仕事に従事していようと、否定できない美点なのは間違いない。ジゼルとしても好ましく思える人間性だった。

 命じられるままマンロディのパイロットがコクピットから降りた。真空の闇にポツリと浮かぶちっぽけな人間、彼は諦めたかのように力なく漂っており──だからこそ殺し甲斐があると言えば、その通りでもあったのだ。

 

「慈悲です。一思いにここで殺してあげましょう」

 

 何の躊躇いも見せず、狂気の不死鳥(フェニクスフルース)はただの人間へと一三〇ミリライフルを突き付けたのだった。

 

 ◇

 

 全ての物事には、時間という鮮度が付きまとうものだ。

 例えどれほど旨味のある話だろうと、機を逸して腐らしてしまえば価値のない与太話になってしまう。あるいは僅かに行動を起こすのが遅れたせいで大損をするなど、商業の世界では日常茶飯事ともいえる事だった。

 

 ──故にジャスレイ・ドノミコルスの行動は常に迅速だ。もちろん情報収集の必要さは彼とてよく知っている。念入りな前準備が大切だということだって百も承知である。

 しかしだ、それを差し引いても機敏な動きとは他者を出し抜くために必要なファクターとも言えた。悠長に下準備を行っていたせいで好機を逃したとなれば笑い話にもなりはしない。やらずに後悔するよりも、実際に行動に移して推移を調整する方がよほど性に合っている。

 

 これがジャスレイの強みであり、同時に弱みでもあった。行動が早いぶん好機の到来を見逃すことはまず無いが、代わりに計画不足が露呈してしまうことも少なくない。それでもテイワズのナンバー2という立場まで成り上がれたのは、ひとえに掴んだチャンスをモノにする才覚と悪運あってのものだろう。

 

「で、そっちの首尾はどうよ? あの忌々しい糞団長は始末できたか?」

『それに関しては問題ない。任務の達成を示す報告は入ってきたよ。ただ……』

「おいおい、なんか問題あるってのか?」

 

 自宅のソファでくつろぎながら上機嫌にワインを嗜んでいるジャスレイは、通信機から聞こえてきた歯切れの悪い返答に眉を顰めた。

 彼、ジャスレイ・ドノミコルスと通信相手の傭兵団『ハウリング』の団長はかなり深い関係性である。あくまで経済的な強さに特化したジャスレイに対し、ハウリングは武力に秀でた傭兵団だ。その仕事も善悪を問わず利益さえあれば何でもやる。まさしくマフィアが抱えるにはうってつけの組織だった。

 これによってジャスレイは質の良い兵たちを手駒にでき、対価としてハウリング側も武器やMSを格安で入手できる。一定の信頼があるから表沙汰にはできない仕事を任せるのにも効果的だ。

 

『襲撃には念のため七人で向かわせたが、任務達成の通信以来連絡が途絶えた。いくら呼び掛けてもうんともすんとも言わねぇんだ』

 

 これまでも表裏の仕事問わず依頼をしてきたジャスレイだから、彼らの腕前は良く知っている。今回も「ほんの数日程度の準備期間で宇宙での襲撃してくれ」という無茶な依頼にみごと応えてくれたのだ。もはや実力も実行力も疑いようがない。

 そんな彼らの団員が七人も連絡が付かないという。あまり認めたくはないが、状況が状況だけに事実から目を逸らすわけにもいかなかった。

 

「おそらくは護衛だろうな。一人生意気な女が居るんだがよ、もしかしたらそいつが全滅させた可能性は高い」

『話に聞いていた、鉄華団三人目のガンダム・フレームの乗り手だったか。警戒すべきは鉄華団の悪魔のみ、残りは質と数で押せばどうにでもなると考えていたが……少々見通しが甘かったようだ。猛省しよう』

「そいつは良いが、アンタらはどうするよ? 俺としちゃあ依頼の仕事をしてくれて大満足だが、もしそいつが攻め込んできたら……」

『どうにかして逃げ延びてやるさ。幸いこっちにはまだMSが残ってんだ、どうにでもなる』

「頼むぜおい。さすがにアンタらが捕まったら俺としても大困りだからな」

 

 歳星内での暗殺は一切尻尾を見せなかったジャスレイだが、今回はそうもいかない。オルガ・イツカを抹殺するのにこのチャンスを逃せないと感じた彼は、迅速に行動すべく自らの名を持ち出してハウリングに掛け合った。余計な裏工作や回りくどい行動をしていれば、掴めるチャンスも掴めないと感じたからである。

 その判断が吉と出るか凶と出るか。果たして素早い行動のおかげで首尾よく鉄華団団長は宇宙へと散ってくれたが、代わりにジャスレイまで証拠を掴まれ糾弾されては意味がない。ハウリングの動向が彼にとっても生命線だった。

 

『っと、ちょうどいいタイミングで連絡が来やがった』

「なんだ、通信が繋がったのか?」

『おう、「我これより帰還する」って連絡文が届いた。さぁて、これが一体何を意味するのやら……』

「そんじゃ、ここらで切り上げておくぜ。これからも頼みたい仕事は山ほどあんだ、吉報を待ってるぜ」

『期待しときな、ジャスレイの旦那。そんじゃあな』

 

 プツンと通信が切れた。静けさを取り戻した室内で一人グラスを傾けるジャスレイの機嫌はやはり良い。どうであれオルガ・イツカを始末したのは事実なのだ。護衛の女が一人で奮戦したところで勝ち目があるのか。向こうは警戒していたが、案外本当にジゼルとやらを始末し終えただけかもしれない。

 

「そうさ、問題は何一つねぇ……俺はテイワズのナンバー2、ジャスレイ・ドノミコルスだぞ。こんくらいなんてこたねぇはず……」

 

 それでも、一抹の不安が彼の胸中を騒がせてしょうがなかったのである。

 




ジャスレイのスタンスと、彼が今回手を組んだ傭兵団『ハウリング』は本作独自の解釈です。オルフェンズ本編だと対鉄華団戦で雇っていた傭兵たちを元に、経済側のジャスレイの武力としてもう少し深い関係にあっても面白いかと考えました。

ちなみにHULLUUSとはフィンランド語で、ジゼルがいつもタイツを履いているのは雪国生まれの寒がりだからという裏設定があったりします。


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#36 傭兵団ハウリング

「レーダーに感有り! エイハブ・リアクターの固有周波数を照会……こちらのマン・ロディです!」

「とうとう来なすったか……反応は一つだけか?」

「はい、それ以外の反応は今のところありません」

 

 オペレーターの固い声に艦長──ハウリング団長ナムレス・リングが重苦しい息を吐いた。壮齢でも衰えぬ大柄な体躯をゆったりと座席に預けたその様は、堂に入ったみごとな貫禄を醸している。

 そして肘掛けには先ほどまで使っていた通信機があり、見ればそこにはジャスレイ・ドノミコルスの名が履歴として残っていたのだった。

 

 傭兵団ハウリング。圏外圏を根城に傭兵稼業をこなす彼らは死と荒事が隣人な日々を過ごしている。いたって普通の護衛任務を行う日もあれば、時には依頼で汚い仕事も請け負うことだってある。海賊染みた真似はほとんどしないが、火事場泥棒はするし他組織との勢力争いになった時は微塵の躊躇もなく潰す。必要ならばヒューマン・デブリを容赦なく使い潰せるが、仲間に対しては基本的に情が厚い。

 そんな彼らを評するならば、黒に近い灰色とでも言うべきか。善人の集まりなどとはとても言えないが、さりとて世紀の極悪人でもない。彼らにとってまず第一なのは金、そして利益だ。それさえあればどんな悪行だろうと手を染めるが、逆に金も利益もないなら必要以上の悪も成さない。どこまでも一般的な、圏外圏でよく見受けられるような傭兵団であるのだ。

 

 だから今回の任務、つまりは鉄華団団長の殺害も別段深い理由がある訳ではない。単純に贔屓の相手(ジャスレイ)から高額の報酬を提示されたから動いただけのこと、恨みも野心も無縁であった。

 しいて言えば、武闘派組織として名の売れ始めた鉄華団に喧嘩を売るのは危険だという考えもあったのだが……それもジャスレイから提示された新型MSの格安売り渡しと、直接彼自身が依頼してきたという事実の前に霞んでしまった。お得意様直々の指名で、しかも報酬も旨いのだ。逃すのも惜しい話だった。

 

「最低でも六機ものMSを単独で倒したという実力、甘く見ない方が良いか」

「でもそんなに警戒する必要ありますかね? まだこっちはMSが十三機と強襲装甲艦が二隻あるんすよ? いくら手練れだからってこれだけの数を相手にしちゃあ──」

「黙ってろ。あんま油断してると簡単に寝首掻かれっぞ」

 

 ナムレスの威圧ある言葉におどけていた男が押し黙る。彼は副官兼ムードメーカーとして良い働きをしてくれるのだが、いかんせん浅慮にすぎるところがあった。

 簡単な殺人依頼かと思えば、大事な仲間たち七人と音信不通になり、ようやく連絡が取れたのはたったの一機だけ。しかも音声連絡ではなく文字媒介と来た。これで何か無いと考える方がどうかしている。

 

 普通ならさっさと逃げの一手を打ってしまう所なのだが、それをナムレスが躊躇う理由が三つある。一つ目は単純に敵討ち、二つ目はもしかしたら本当に仲間の可能性があること。そして最後の三つ目は、鉄華団の手練れを今のうちに削り殺してしまいたいという思惑だ。

 おそらく、団長を殺された鉄華団の目はジャスレイ一派に向くだろう。そうなれば高確率で戦闘まで発展、結果として自分たち(ハウリング)が前線に立つことになる。その時に備え数が有利な内に強敵を倒しておこうという魂胆であった。

 

 ジリジリと時間だけが過ぎていく。既に向こうも通信可能位置まで来ているだろうに何の連絡も寄越さない。音声機器が故障している可能性もゼロではないが、これはやはり──

 

「ッ!? エイハブ・リアクター反応が増加! 種別特定不能、正体不明機(アンノウン)です!」

 

 レーダーを睨んでいたオペレーターが鋭く叫んだ。先ほどまで観測していた自機のマン・ロディの反応はそのまま、新たに一つ強大な反応が増えたのだ。おそらく奪ったマン・ロディを操作し、本命となる機体のリアクターを落としてここまで牽引させていたのだろう。

 

「やっぱお出ましか! 総員戦闘配備、予想通りに敵が来たぞ!」

 

 にわかに警報が発され、艦内が慌ただしくなる。乗組員たちが定位置に付くや否や、素早く艦橋(ブリッジ)が収納された。二隻の強襲装甲艦に備わる全部の砲塔が慌ただしく照準を合わせ始め、飛来する未知の敵へと身構える。

 MS部隊はこれを見越して最初から全機とも発艦させている。故に準備は万全、どんな敵が来ようと最低限の対応は取れる布陣が出来上がっていたのだ。

 

 そして、狂気と凶器を満載した鋼の不死鳥がその姿を現した。

 

「おいおい、なんだあのバカげたMSは……」

 

 モニターに映し出された赤と金の敵影を認識した瞬間、思わず呆れの声がナムレスの口から漏れてしまう。

 翼の如きスラスターと接続された巨大ブースターユニット、そして全身に積み込んだ武装の数々はとても一機のMSに搭載してよい推力、火力ではない。単機に様々な機能を集約するのはある種男のロマンだとはナムレスも認めるところだが、それを現実に行う馬鹿が居るとなれば話は違った。

 そんなバカげたMSは一目散にナムレスの方へと飛来する。だが向きが違う。狙いは隣、もう一隻の強襲装甲艦の方だろう。迷いのない様子から見るに旗艦がどちらかは既に割れていると見なして良かった。

 

「迎撃開始! なんとしても撃ち落とせ、味方には当てるなよ!」

「了解!」

 

 勇ましい(いら)えと共に艦砲が炸裂する。同時に味方MS隊も各々機銃を向けると、到来した赤と金のMSへと発砲を開始した。

 殺到する無数の弾丸たちだが、しかし敵MSには当たらない。余裕をもって避けたかと思えば掠れるくらいのスレスレまで、滅茶苦茶な速度ですさまじい曲芸軌道を敢行してくる。弾丸の間を縫うように避けながら接近してきた敵MSは、まずは駄賃とばかりに手持ちの巨大な砲剣を振るい一機のユーゴーを叩き斬ったのだ。

 

 一言、強い。煌々と緑のツインアイを輝かせるその機体は、パイロット共々バカげた設計に(あた)うだけの実力を備えていると見て良いだろう。なによりも機体からにわかに発せられる、不吉にも程がある気配が凄まじい。

 

「ちっ、マジか……こりゃとんでもねぇ化け物を釣っちまったみてぇだな……」

 

 ひやりとナムレスの背筋を冷たいモノが伝った。長年に渡り鉄火場をくぐり抜けてきた勘が告げている。この手の手合いとマトモに戦えば苦戦は必至、最悪は命まで持っていかれるぞと。

 もはや戦うだけ損だ。交戦からほんの少しでそこまで判断したナムレスはすぐさま指示を飛ばす。弱腰と思われようと仕方ない、全ては命あっての物種なのだから。

 

「MS隊に通達! 全機とも敵MSのスラスターまたはブースターを優先的に狙い破壊しろ、倒そうとまでは思うな! その後はすぐに艦首回頭、MS隊を拾い次第即座にこの宙域を離脱する!」

「りょ、了解しました! ナムレス団長より通達──」

 

 こういう時、疑問は全て後回しにして従ってくれる部下たちの姿勢がありがたい。自らへの信頼の心地よさと、それを裏切れないという重責の二つに心が満たされる。

 ともあれ、後はもう祈るだけだ。ナムレスはMSのパイロットではなく艦長の役割なのだ、どれだけ内心で焦っていようと仲間を信じてどっしりとした姿を見せ続けなければいけない。そうでなければ皆が浮足立ってしまう。

 

 しかし現実はそう上手く出来てはいないのだ。

 

 一機、また一機、今度は同時に二機も──敵MSは流星のように戦場を駆けてはハウリングのMS達を沈黙させていく。恐るべきはその技量、高速戦闘を繰り広げている癖に狙いはどれもコクピット一択だ。鮮やかなまでに研ぎ澄まされた殺意だけが否応なしに感じられ、いっそう戦慄を禁じ得ない。

 殺人特化。そんな言葉がナムレスの脳裏をよぎる。その間にも赤と金のMSはひたすら止まらない。過剰すぎる武装は継戦能力すら大幅に上げているらしく、十を超えるMSを相手取ってもまだ余裕だ。

 

「まずい、このままでは……」

 

 巨大な大剣で諸共に斬り伏せられたユーゴーがいた。

 滑腔砲でスラスターを破壊され、長剣でコクピットを抉られたマン・ロディがいた。

 レールガンの接射で装甲をぶち抜かれたテイワズ・フレームの百里がいて、金に輝く仕込み剣に貫かれた機体までいた。中には尻尾のように伸びたブレードに振り回されている機体まで。

 

 ありとあらゆる手段を以ってハウリングを壊滅させんと猛威を奮う赤と金のMSは更に、足のミサイルポッドからミサイルを射出した。弾数はそう多くない。けれど狙いが問題だ。殺到するミサイルたちはどれもこれも守りの薄い後方の、それも機関部を狙っていた。

 

「ッ、回避──!」

 

 咄嗟に指示するが間に合う訳もない。ナノラミネート装甲という強固な鎧を持つ強襲装甲艦も、機関部を直接狙われてしまえば成す術が無いのだ。無情にも着弾したミサイルは的確に強襲装甲艦二隻の機関部を破壊し、その足を大幅に削いでいた。

 

「なんだコイツは、こんな敵聞いたことがない……ッ!」

 

 艦が衝撃に揺さぶられる中で、座席にしがみつきながら反射的に吐き捨ててしまった。

 相手の攻撃は全て一撃必殺狙いの狂気じみたそれ。なのにこちらの攻撃は思考を読まれているかのように何一つとして当たらない。

 訳が分からない。理不尽である。噂に聞く鉄華団の悪魔とはこれの事なのか? いや待て、そいつはテイワズで整備中だとジャスレイから直接聞いている。ならコイツはいったい──なんだという!?

 混乱する思考、まとまらない感情、危機感ばかりが煽られて仕方がない。なのに敵MSは当然のように味方を全滅させていて、スラスターもブースターユニットもいっさい損傷なく、健在でしかなかった。もはや絶望するしかない。

 

 機関部をやられ、手足(MS)を破壊され、抵抗する術を失ったハウリングの強襲装甲艦。残る抵抗の術は搭載された艦砲だけだが、それすら滑腔砲とレールガンによって丁寧に破壊されてしまう。爆発の衝撃に耐えながら油断しない敵の周到さを呪うばかりだ。

 逃げる術を絶たれ、攻撃手段すら奪われたハウリングの艦船たち。敵MSはそんな彼らを嘲笑うかのように頭上を旋回すると、ナムレスの乗る旗艦へと降り立った。

 

『こんにちは、名も知らぬ方々さん』

「コイツはなんだッ!?」

「接触回線です! あの敵MSからの模様!」

 

 唐突に響き渡ったのは少女と思われる者の声だ。もちろんハウリングに少女など存在しない。言われるまでもなく赤と金のMSに乗るパイロットでしかありえなかった。

 彼女の口調は戦闘中とは思えない鈴を転がすように穏やかでのんびりとしたものだ。とてもじゃないが先ほどまで暴虐の限りを尽くしていたとは信じられなかったのも無理はない。

 

『突然ですみませんが、ジゼルと取引しませんか? 運が良ければ助かるかもしれませんし、するだけお得だと思いますけど』

 

 もはやハウリングの面々に、選択肢など一つしか無かった。

 




ナムレスの名前はそのままNameless(名無し)をもじったものです。
非常に単純ではありますが、まあ彼は結局モブですので……


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#37 落とし前

 ジャスレイ・ドノミコルスは焦っていた。

 

 自身がオルガ・イツカの暗殺を依頼した贔屓の組織、ハウリングとの連絡が付かなくなったのだ。五日前、ジャスレイとの通信を最後にパッタリである。それ以降は誰がどう手を尽くそうともうんともすんとも言わないせいで、果たして彼らの状況がどうなっているのか全く知る余地も無かったのである。

 それに加えて唐突なマクマードの下への呼び出し、焦らない訳がない。もしや自分の企てが全部バレたのか。『そんなことあり得ないと』心の中で笑いながらも、完全に否定しきれない自分も居た。

 

 もうマクマードの部屋のすぐ手前まで来ている。いい加減に覚悟を決めるべきだろうと自らを鼓舞し、ゆっくりと扉を開けた。

 

「失礼しますぜ、親父」

「おう、来たかジャスレイ。ちょいとお前さんに用があってな、呼び出させてもらったぜ」

 

 マクマードはいつも通り、和装のまま窓際の盆栽を弄っている。鋏をパチパチと閉じる音だけが嫌に大きく聞こえるのは、らしくもなくジャスレイが緊張しているからだろうか。

 一分程度も盆栽を弄っていたのだろうか。黙って次の言葉を待つジャスレイの前で、ようやくマクマードは盆栽から目を離した。どっしりと椅子に座ると加えた葉巻に火を点ける。

 

「待たせてすまねぇな、ちょうどいい塩梅だったからやり切っちまいたかった」

「いえ、別に気にしてなんか……」

「そうか、そりゃなにより。んじゃ本題に入るが──鉄華団団長オルガ・イツカが襲撃を喰らったって話は聞いたか?」

 

 やはりその話か。現在の歳星では、鉄華団団長の乗った艦が航路中に襲撃を受け撃墜、団長含め乗員三名は現場に急行した鉄華団のメンバーが死に物狂いで探しても見つからなかったと噂が広がっている。不安や疑惑が広がる中、当然ジャスレイが雇ったハウリングについての話は全くない。

 ジャスレイの脳裏にすぐさま打算や焦りといった感情が渦巻くが、彼はそれをおくびにも出さず平静に言葉を続けた。

 

「ええ、ぼちぼちは。連中、馬鹿な奴らですよ。せっかく俺が好意で護衛でも紹介してやろうと思ってたのに、下らない見栄張っておっ()んじまったんですから」

「ま、本当に死んじまったんならその点はあんま否定できんがな。実は一人、あのジゼルって嬢ちゃんだけ生き残ってんだよ。そいつが面白い情報を持ってきてくれてな」

「そいつぁ……良かったじゃねぇっすか」

 

 咄嗟にそう答えられたのは半ば奇跡のようなものだった。内心は逆も逆、いっそ呪ってやりたいほどの焦燥感に包まれていた。

 五日前の最後の通信の状況からして、ジゼルとやらはほぼ確実にハウリングに攻め込んだはず。普通なら単機で一組織を相手取るなど狂った所業でしかないのだが、生きているということはつまり勝ったという事実に他ならない。馬鹿馬鹿しい、夢なら寝て見ろと文句の一つも付けたくなる。

 あのときの不安が現実のものになり始めている──ジワジワと背筋を嫌な汗が噴き出しては落ちていく。その渦巻く胸中を見透かしたかのように、マクマードの視線が鋭くなった。

 

「でだよ、その嬢ちゃんが面白いモン引っ提げて鉄華団のイサリビと一緒に帰ってきたのがつい昨日だ。こいつを聞いた時は俺もたまげたぜ、お前さんも是非耳に入れてくれよ」

 

 駄目だ、駄目だ、駄目だ。直感で理解した、聞いてはならない。それを聞いたが最後、ジャスレイの全てが終わることになる。

 心臓が早鐘を打つ。反射的に足が後ろへと半歩下がった。だけどここから逃げたところで、何が変わる訳でもない。もはや常の余裕を漂わせた姿はそこになく、今の彼は袋の鼠も同然の有様だったのだ。

 

「鉄華団団長殺しに一枚噛んだ傭兵組織ハウリングってのは、テメェのお得意先でしかもテメェの依頼を受けて殺したって聞いたんだが。そこんとこどうなんだ、ジャスレイさんよぉ?」

「う、嘘だ……そんなん出鱈目だ。鉄華団の奴らが俺のこと気に食わないからって腹いせに嵌めようってしてるだけでしょう?」

「確かに、普通なら俺もそう思うわな。だが言ったろ、面白いモン引っ提げて帰って来たって。おい、連れてこい」

 

 最後の言葉は扉際の黒服に向けた言葉だった。黒服がどこかに手早く連絡を入れてから一分も経たないうちに、今度は扉が開いた。そこから現れたのは、

 

「ナ、ナムレス……」

「よぉ、すまねぇなジャスレイの旦那……」

 

 ハウリングの団長、ナムレス・リングに相違なかった。

 記憶にある鍛え抜かれた巨躯はそのまま、暴行を受けた様子もほとんどない。唯一頬に出来た平手の痣だけが痛々しいが、とりあえず五体満足と評して良い。

 彼が捕まったのかと呆気にとられるジャスレイの前で、続けて三日月の座る車椅子を押すジゼルが続き、更には信じられない人物が顔を出した。白髪に褐色の肌、それに射貫くような金の瞳を持ったスーツの男。それは誰がどう見ても鉄華団団長、オルガ・イツカでしかありえなかったのだ。

 

「どういうこった、どうしてナムレスが……いや、それ以前にどうしてオルガ・イツカが生きてここに……」

「よぉ、ジャスレイ。俺もそう簡単にくたばれねぇんだよ、死んでなくて悪かったな」

 

 死んだと思っていた相手が生きていた。その事実に呆然としてしまうジャスレイの前で、黒服に抑えられたナムレスが小さく項垂れた。

 

「すまねぇな、ジャスレイの旦那。アンタには悪いと思うが、俺たちも命が惜しい。今回の件に関わって仲間が二十人は死んだんだ、これ以上の被害は出せねぇよ」

「テメェ、だからってこいつは……!」

「好きに罵ってくれ。アンタにはその権利がある。だが俺にはしなきゃならねぇ取引があるんだ」

 

 彼がちらりと見たのはジゼルだろうか。彼女は相変わらず表情の読めない無表情、けれど瞳だけは脅すかのように剣呑な光を放っている。その光に一瞬だけナムレスが身体を震わせてから、絞り出すような声音で自白した。

 

「俺ら傭兵団ハウリングは、確かにそこのジャスレイ・ドノミコルスから依頼を受けた。内容は鉄華団団長の殺害依頼、証拠は映像で既に渡したやつだ」

「そいつぁもう見せてもらったぜ。もしや鉄華団に脅されたんじゃねぇかとも思っちまったが、あんな映像まで見せられりゃ疑いようもない。今回の一件、裏で手を引いていたのがジャスレイだってのはまず確実らしい」

「……ッ!? 待ってくれ、親父──!」

「言い分があるなら聞いてやってもいいが、俺もそう気が長い性分じゃねぇんでな。あんまつまんねぇことペラペラ並べ立てんなら、どうなるか分かってんだろうな?」

 

 もはや大勢は決してしまった。証言一つでジャスレイはどうしようもなく追い詰められてしまったのだ。この状況を覆すなど不可能だ。既にして膝から崩れ落ちそうになるのを堪えるだけで限界という精神状態だった。

 

 そこまで行ってからマクマードは「連れていけ」と命じると、ナムレスを部屋から退出させた。彼の役目は既に済んでいた。用がなければ丁重に歳星からお帰りいただくしかないだろう。

 後に残ったのはかつてこの部屋に集ったのと同じ面子だけ。マクマード、ジャスレイ、オルガ、ジゼルに三日月。沈黙の降りるこの場に、ジャスレイの味方は一人として存在しなかった。

 

 まず口火を切ったのはマクマードだった。

 

「とはいえ、ちぃっとばかり驚いたってのはあるがな。まさかこうまで早くジャスレイが追い詰められるとは思ってもみなかった」

「俺たちも最初からこうなると分かってた訳じゃありません。本当にただ無事に火星に戻る為に一芝居打つだけの予定でしたから」

 

 オルガの言う通り、彼らの目標はあくまでオルガが無事に火星に戻れるようにすることだった。そのためにわざわざオルガ抜きの艦だけ先行させて、途中で襲撃があればその余波で死んだことにしようと画策したのだ。死者を精力的に探す者はいないだろうし、後は身を潜めてイサリビが到着するのを待てば安全に火星まで帰れるという寸法だ。

 ただ鉄華団にとって運が良かったのは、囮役が良くも悪くも気狂い(ジゼル)だったことだろうか。快楽殺人者の彼女が刺客を返り討ちにするのは想定通りだが、まさか大元まで叩きに行くとは予想外だった。フルースと化して高まった継戦能力と、追い詰めた敵に思わぬ証拠が存在したのが上手くマッチングした形となるか。

 

 つまり、今回の件はほとんど偶然が重なった幸運なのだ。何もジゼルとて万能ではない、彼女が飛びぬけて優れているのはあくまで人殺しに関する事象だけである。こうまで事態が動くなど考えもしなかったし、可能な範囲で趣味に走った結果だから始末に負えないとも言えるだろう。 

 

「そんでまぁ、今回親父んとこまで来た理由は一つだけです」

 

 ギロリ。そんな擬音が聞こえてきそうなほどに鋭くオルガがジャスレイを睨む。ジャスレイもプライドをかき集めて精一杯に睨み返すが、肝心の言葉が何一つ出てこない。

 今や彼我の力関係は完全に逆転してしまっており、ジャスレイは蛇に睨まれた蛙も同然だった。

 

「コイツに落とし前を付けに来ました。どうあれ殺されかかったんだ、帳尻合わせてもらわなきゃ筋が通らねぇんですよ」

「ま、そうだわな。裁量はお前に全部任せる、コイツのことは好きにしな」

 

 ゆったりと葉巻を口から離し、マクマードが頷いた時だった。

 

「……さっきから黙って聞いてりゃ、おかしいと思わないんですかい親父ィ!?」

 

 我慢しきれないとばかりにジャスレイが叫んだ。追い詰められた者に特有の自棄、と言い切るには理性と感情の籠もった叫びである。マクマードも敢えて無下にすることなく、無言で続きを促した。

 

「親父は鉄華団に目を掛けすぎてる。いつかの夜明けの地平線団討伐、アイツは確かに大手柄だったかもしんねぇ。だけど所詮は海賊退治、下っ端の仕事だって言ったのは親父だろう!? なのに順序も無視して採掘場なんてデカいシノギを渡すなんざ、俺たち幹部からすりゃそれこそ筋が通んねぇ話なんすよ!」

「ほう、つまりテメェは俺の采配が間違ってたと言いたいわけか」

「……ッ、ええ、この際だから言わせてもらいますがね。親父、アンタの采配はちょいとおかしい。新入りに目を掛けんのは良いが、先にこのテイワズにシノギ持ってきた俺らを蔑ろにしすぎてんだ。言っておくがコイツは俺だけの想いじゃねぇ、他にも上の奴らに同じ思想を持ってるのはわんさか居んだ。親父もそいつを忘れないでほしい」

「なるほど、な……テメェの言い分は良くわかった」

 

 短く呟き、マクマードが立ち上がる。ジャスレイに比べれば決して大きくないはずの体躯だが、それでもこの場の誰より存在感を発していた。

 彼は威圧感を発しながら、けれどその瞳はどこか自嘲を含んでいるようにも見えた。

 

「一理はあるか。テメェの言い分、確かに全部が間違ってもねぇだろうな。そこは素直に認めてやるさ」

「なら──」

「だがよ、それに関して俺の判断が裏目に出たことが一度でもあったか? 鉄華団が何かテメェらの足を引っ張ったか? ねぇだろうよ、そんなもん。結果を出してる奴がたまさか新入りなら殺して良いとでも言うつもりか、テメェはよお?」

 

 テイワズのボスが発する圧力、凄みに場が完全に支配される。ジャスレイは元より、あまり動じない三日月やジゼルでも微かに表情に緊張感を漂わせている。これこそが、圏外圏で一番恐ろしい男の素顔なのだ。

 だがふっとマクマードが息を吐くと、途端に場の圧力が霧散した。先ほどのようにゆったりと座椅子に腰を落ち着けたマクマードは、鋭い瞳でオルガへと向く。

 

「本当なら俺が今すぐにでもケジメ付けさせてやるところだが、今回は鉄華団とジャスレイの揉め事だからな。俺は手を出さねぇ、さっきも言ったがそっちで好きにケリを付けな」

「──ええ、分かってますよ」

 

 答えたのはオルガではない。懐から拳銃を引き抜きつつジャスレイに迫るのは、これまで黙ったままのジゼルだった。彼女は一切の躊躇なく銃のセーフティを解除すると、ジャスレイへと銃を突きつける。

 

「この人の言い分は理解しました。ですがええ、それが何か? この人は団長さんを殺そうとしたんです、許せる訳ないじゃないですか」

 

 薄っすらと滲んだ怒りの声に気圧され、ジャスレイが堪らず一歩下がった。ジゼルが更に一歩前に出る。金の瞳は完全にジャスレイを殺害対象としか見ていない。

 だがそこで、ジゼルの腕を掴む者が居た。止めに入ったのはオルガ・イツカである。

 

「待ってくれ。この一件はアンタじゃなく、俺にケリを付けさせてほしい」

「……団長さんがそう言うなら、まあ良いですけど」

「ありがとよ」

 

 不承不承ながらジゼルが拳銃をオルガへと渡した。彼はそれを受け取ると、ツカツカとジャスレイの下へと向かい──

 

「まずは一つ、こいつを受け取ってくれや!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()と同時、思い切りジャスレイの頬を殴ったのだった。

 拳のめり込む鈍い音、それからドッとジャスレイが床へと倒れ込む。突然の行動に誰も反応できなかった。てっきりオルガはジャスレイを射殺するものだと思っていたから、予想外としか言いようの無い行動である。

 

「オルガ? そいつ殺さなくていいの?」

「大丈夫だミカ、これで良い」

 

 倒れ込んだジャスレイを見下ろしながらオルガが言う。その口調にも瞳にも迷いなど微塵もない。酔狂でも何でもなく、オルガの中で意思は固いようだった。

 一方で殴られた方のジャスレイは頬を抑えながら、やはり信じられないといった風にオルガを見上げていた。

 

「どういうつもりだ、オルガ・イツカ……!?」

「もしアンタが俺じゃなくて鉄華団の誰かを狙ったなら、あるいはこの一件で一人でも死人が出てたなら。俺は間違いなくアンタを殺してた」

 

 淡々と語られる言葉に嘘はなかった。人一倍仲間意識が強く、筋を通すことに拘るオルガだ。鉄華団から被害が出ていたなら絶対に怒り狂い、死を以って償わせていたことだろう。

 だけどそう、実のところ今回は誰一人として鉄華団から犠牲者は出ていないのだ。確かにオルガは殺されかけたがそれは未然に防がれ、その後も大した危険もなくここまで漕ぎ着けた。被害でいえばせいぜいが破壊された小型艦艇と、フェニクスフルースの弾薬代程度のものだろう。

 

「俺がアンタに要求すんのは(タマ)じゃねぇ、謝罪と賠償だ。殺されかけた恨みとウチの団員を危険に曝す羽目になったのはさっきので勘弁してやる。後は払うべきもんキッチリ払うんなら、命まで要求する気はねぇよ」

「でも団長さん、その人はあなたの命を狙ったんですよ? なのに生かしておいたらまた危険が──」

「そんときゃ徹底的に潰してやるさ。だがそいつはまだ起こってない未来の話だ、そいつまで勘定に入れて話すのも違うんじゃねぇのか?」

 

 諭されたジゼルが押し黙る。それからムッと頬を膨らませて怒っているとアピールしているが、オルガは特段気にしてすらいない。

 

「……確かに、俺は今回の件に関与しないと言った。だけどよ、本当に良いのか? お前さんのそれは甘さと取られても仕方ねぇ決断かもしんねぇぞ」

「いいんです親父。認めたくはありませんが、さっきジャスレイが言っていたことは俺も納得できた。新参者の俺たちがまだ信用を得られていないのは仕方のないことですし、親父に特に贔屓してもらってるのも事実なんすよ」

 

 もちろん、これまでのマクマードによる鉄華団への計らいには感謝しても仕切れない。だけどそれはオルガが恩恵を受ける当事者だからであって、第三者からみればまた違う感想を抱くというのも理解できたのだ。

 

「俺たちが信用できないっていうなら、後からでも信用に足る実績を積み立てればいい。幹部だろうと無視できないくらいの功績ぶっ立てて黙らせれば、こんなこと二度と起きませんから」

「それでジャスレイも殺さないってか? お優しいこったが、時には力で黙らせるのも大事だぜ」

「それでもです。気に入らないから殺すなんざそれこそジャスレイと同じですし、そんなこと続けてればいつか必ず跳ね返りがやって来る。それじゃあ鉄華団が成長できたところで意味がないんです」

 

 鉄華団の力は強い。不遜かもしれないが、テイワズの中でも頭一つ抜けた実力を持っているのは確実なのだ。喧嘩になれば敵う相手などまずいない。

 でも、だからこそ力を奮う相手を見誤ってはいけないのだ。自分たちの邪魔者を排除するのは仕方のない事だし、オルガだって否定しない。しかし殺す必要がない相手までわざわざ殺して回るのなら、強大な力で強引に押さえつけるというのなら、それはただ力に溺れた愚か者でしかないだろう。そんな者の末路など考えるまでもなく明らかだ。

 

 かつて地球でオルガは決めたのだ、”遠回りでも進み続ける”と。

 故にこうする。邪魔者は殺して排除するのではなく、出来るだけ穏便に自分たちを認めさせれば波風を立てずに終わらせられると気付けたから。

 

「ここでコイツを殺せば、きっと俺たちを害そうとする第二第三のジャスレイが現れるでしょう。それじゃ駄目なんです。だから俺はここでコイツを殺しませんし、絶対に俺たちの力を認めさせる。たった一人も認めさせられないようじゃ、とてもじゃないが俺たちを認めさせるなんざできないでしょう」

「ふっ……まったく。初めて会った時のお前さんはギラギラした目付きの、飢えた狼みたいな奴だったのにな。今じゃすっかり余裕ってモンを手に入れやがって。これだから若い衆ってのはいつ見ても飽きないモンだ」

 

 苦笑するマクマードに、オルガもまた苦笑を返した。

 

「俺も俺なりに色々考えさせられることがありましたから。それに今は、一人だけで考えこむ必要も無いんです。こんな俺と一緒に考えてくれるなんて物好きが居てくれたおかげで、少しだけ余裕を持って周囲を見れるようになっただけっすよ」

「そうかい。そいつは結構なこった」

 

 ふてぶてしく笑うマクマードの視線の先には、ムスッと頬を膨らませたままのジゼルの姿がある。

 あれを宥めすかせるのは大変そうだ、なんて他人事のような感想が出てしまうマクマードであった。いや、今のオルガの言葉でちょっとだけ頬が緩んだから、あんがい簡単かもしれない。

 

 ともかく、この一件はここらでまとめてしまうべきだろう。

 

「あい分かった、この件は俺が引き継ごう。謝罪やら賠償やらをどうするかは俺が仲介に立った方が早いだろうからな? 異存はあるかい?」

「いえ、ありません」

「……ねえっすよ、親父」

 

 ハキハキと答えるオルガと対照に、ジャスレイはこの世の終わりに辛うじて希望を見つけたかのような有様だ。

 むべなるかな、どうにか命だけは助かったものの、彼を待っている未来はそう明るくない。謝罪という名のケジメを付ける羽目になるのはまず間違いないだろう。

 

「そんじゃ、この件はいったん終了だ。ひとまず遺恨はこの場にすっぱり置いていくこったな」

 

 それでもこの場はマクマードの一言により、とりあえずの幕引きとなったのである。

 




賛否両論あるかもしれませんが、まさかのジャスレイ生存ルートへ。私としても非常に悩む決断となりました。

そもそもの話ですが、私は意外とジャスレイを嫌いになりきれないんですよね。確かにオルフェンズ本編の彼は憎むべき非道の敵ではありますが、一方でマクマードに語る言葉は正鵠を射たものばかりです。今回の話で彼がマクマードへと叫んだ言葉も、全て本編中の言葉を引用していますし。
そんなジャスレイだからこそ、ただ敵として無残に死んでもらうだけでは勿体ないと思いました。彼の放つ正論も理解した上で敵として描かないと悪役として不足だと感じ、故に本作のオルガは余裕ができたおかげもあってジャスレイに一定の理解を示し殺さずに殴るだけに留めたという訳です。ある意味では本作オルガの成長に不可欠な存在になってもらったとも言えますね。

にしてもクジャン家の賠償うんぬんもまだ消化できてないのに、まだ賠償が重なってくとは……


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#38 次なる狼煙

 歳星内を騒がせた鉄華団団長暗殺事件がひとまずの決着を見たのは、それから五日後のことだった。

 

 今回の騒動による被害者たる鉄華団団長オルガ・イツカは加害者であるジャスレイ・ドノミコルスに対し謝罪と賠償を要求するだけに留め、示談という形で事態の収集を図った。

 報復に命まで取らず、あくまで常識的な対処及び対応で収める。大人たちにとっては当たり前でも、これまでの鉄華団なら考えられない行いと言えよう。これには歳星内の主だった組織達も驚愕し、主に鉄華団を快く感じていなかった者たちからの心象が大きく変わることになった。

 

 ”子供ばかりの野蛮な組織”から”力と理性を兼ね備えた武闘派組織”として。ほんの少しづつでも鉄華団は変革を開始していると印象付けたのだ。

 

 示談そのものはマクマードが仲介に入ったということもあり円滑に進み、ジャスレイは鉄華団が消費した諸々の資材と事態に対する賠償金、それにケジメとして指を二本詰めることになった。マフィアとも称されるテイワズらしいやり方だ。

 これが決まった時のジャスレイは顔面を蒼白にさせていたが、それでも命があるだけマシと言うべきだろう。同じくその場に居たジゼルも顔を真っ青にさせつつ、殺意の籠もった眼差しを彼へと向けていたのだから。

 

「──いや、今思い返してみてもよく分かんねぇよ。どうしてアンタまで顔真っ青にさせてたんだ」

「そ、それはその……」

 

 歳星における暫定的な鉄華団居留地となったイサリビの一室。火星に残った会計担当のデクスターの代わりに事務仕事を終えたジゼルが報告にやって来たのだが、彼女を見てふとオルガは呟いてしまったのである。

 タブレット端末を片手に明らかにジゼルが言い淀んだ。無表情ながら気まずそうに泳ぐ瞳を少しだけ追って、オルガは呆れたように溜息を吐く。なんとなく予想が着いてしまった。

 

「殺すのはいいが拷問は嫌いってか。分かっちゃいたがアンタも大概変わってるな」

「だって痛そうなのって考えるだけでヒヤッとするじゃないですか。拷問するよりも殺してあげる方が相手も余計に苦しまずにすみますし、ジゼルも嬉しいしで良いことづくめです」

「躊躇いもなくそう言いきれんのはこの世界でアンタ一人だけだろうよ……普通はどうしたって生きていたいもんさ」

 

 割と本気で言っているらしいジゼルに再度溜息を吐いてしまう。今更軽蔑するつもりなど微塵も無いとはいえ、やはりジゼルの頭のおかしさは筋金入りと再認識したオルガである。黙って仕事をしていればマトモに見えるだけマシというか、性質が悪いというか。

 果たしてこんなジゼルに対して約束を果たす事はできるのだろうか。クリュセで互いに交わした『ジゼルは力を貸し、オルガは彼女の幸せ探しの手伝いをする』という内容が急に無理難題に思えてしまう。

 

 それを言ったらまた怒られそうなので黙っておくが。円満な関係が下らないことで拗れてもシャレにならない。

 

「んで、結局今回の被害総額やらはどうなってたんだ」

 

 現実逃避気味に本題へと入ってみれば、「どうぞ」とジゼルがタブレット端末を手渡してきた。見ればそこには細かい文字と数字がびっしりと連なっている。二年前のオルガなら目を回していたであろう情報量だが、今の彼ならこの程度に目を通すのは容易かった。

 ざっくりと目を通してみれば、やはり思った以上に被害は少ない。破壊された小型艦艇と惜しげもなく消費してくれたフェニクスフルースの各種弾薬や推進剤さえ賠償金で補填すれば差し引きゼロ、残った大量の金はそっくり鉄華団の懐へと入っていく訳だ。

 

「被害は軽微、こいつは僥倖だな。にしても賠償金の方は改めて確認してもすげぇ額じゃねぇか……こんだけあると逆に現実味がねぇ。昔の俺らが見たら卒倒しちまいそうだよ」

 

 ゼロがいくつも並んでいる箇所を見て苦笑が漏れてしまう。一少年兵だった頃は想像すらしなかったような莫大な金額が手に入るなんて、随分と遠くまで来たものだと実感する。

 こういった金をどのように扱うべきか、オルガとしても悩むところだった。これまでは荒事に備え戦力の拡充を最優先で進めていたが、今度は少しづつ改善していた福利厚生に本腰を入れても良いかもしれない。既に労働環境自体はCGSの頃と比べものにならないとはいえ、依然として建物は古く各種保証も手が回ってない箇所が多いのだから。

 

 タブレット端末と睨めっこしながらアレコレと考えているオルガの前では、やや不機嫌になったジゼルが吐き捨てていた。

 

「これくらいむしり取ってやるのが道理でしょう。むしろ命を取られなかった分もっと寄越せと言ってやりたい気分です」

「おいおい、まだ根に持ってんのか。もうコイツは終わった話だ、アンタがこれ以上怒っても何も変わんねぇぞ」

「……それでもですよ。ジゼルにとってはしばらく根に持つくらい深刻な話でしたので」

 

 ムスッと頬を膨らませて怒るジゼルに、どことなくハムスターを連想してしまうオルガである。

 とはいえ、実際にジゼルの怒りはまだまだ収まっていないらしかった。思えば今回は最初から犯人(ジャスレイ)への殺意が高かったが、一応の道理は弁えた彼女がこうも食い下がるのは珍しいどころの話ではない。

 これもクリュセで話し合った時の内容から何となくの予想は着くのだが……さすがに自分でそうだと断じてしまうには、オルガとしても恥ずかしいのが本音だった。

 

「いい加減に機嫌を直してくんねぇとこっちも困んだ。アンタが不機嫌ってだけで俺としても冷や汗もんだ」

「……別に、誰かに八つ当たりするつもりなんてありませんよ。でも団長さんに死なれたらジゼルとしてもすごく嫌なんです。もう少し自分のことも大切にしてあげてください」

「心配してくれてんのは嬉しいけどよ。さっきも言った通りこれはもう終わった話なんだ。むしろアンタが嫌がるような目にジャスレイが遭うんだからマシってもんだと思うが」

「むむむ……一理はありますけど……」

 

 ジゼルが唸った。やはり彼女は何だかんだ正論には弱いのだ。あと一押しでとりあえずこの話を終わりに出来る手ごたえを感じたオルガは、なりふり構わず一挙に畳みかけにいく。

 

「そんなに不満だってんなら、今回の礼も兼ねてまた髪梳くくらいしてやってもいいからよ。あんましアンタばかり特別扱いすんのは良くねぇが、それくらいならしてやるさ」

「本当ですか……?」

「あ、ああ。男の俺に文句ねぇならだけどな」

 

 オルガの思った以上の食いつきに面食らってしまう。本当なら同じ女性であるアトラ辺りにやってもらう方が良いのではと思うのだが、たぶん彼女の中ではあまり男女で区別する気がないのだろう。普段の様子からして間違いない。

 それにこう、断じて下心がある訳ではないのだが……甘いミルクのような香りとシャンプーの匂いというのはどうしても健全な青年として鼻に残ってしまうのも事実だった。女性に積極的なアタックをかけるのはシノやユージンの役割だし、遊びや女よりもまず鉄華団と家族を第一にできるオルガではあるが、同じ男としてこれを振り払うのも難しい。

 

 逆に言えば仕事一筋の彼でもそういうのを意識してしまう辺り、意外と彼女には気を許しているのだろうか。殺人嗜好には共感できずとも義理や恩を通すところは気に入っているのだから当然かもしれないが。相性が良いというのはたぶんそういった面も含むのだろう。そう納得しておく。

 

「文句なんてありませんよ、むしろ嬉しいです。この前も言いましたけど、この髪を自分で整えるのってすごく大変なんですからね」

「んなこた見りゃ分かるっての……まあいい、そいつでこの話は手打ちだ。構わねぇな?」

 

 返答の代わりにジゼルはポンと手を叩いた。「なんだ今の?」と視線で問えば、「手打ちしました」と平坦に告げられる。やはり彼女の頭の中はよく分からない。

 ともかく彼女の中で決着は出してくれたようなので、一つ懸念が減ってホッとする。これで数日後にジャスレイの変死体が発見されるなんて事態は避けられたことだろう。いくらなんでもそれだけは勘弁願いたかった。

 

「それじゃあ団長さん、さっそくお願いしてもいいですかね?」

「マジか。今からやんのか」

「女性がいつも櫛を持ってるなんて当たり前でしょうに」

「なんかアンタが女っぽいこと言ってるとすげぇ不思議な気分になるな……」

「えぇ……? それはちょっと傷つきます」

 

 なら普段のエキセントリックな言動の数々をどうにかしろと言いたくなる。最近は彼女の挙動にドキリとさせられる事も多いが、やっぱり中身がアレなせいでアトラやメリビットと同性とはとても信じられないオルガであった。

 そんなジゼルは頭に被っていた茶色の帽子を脱ぐと裏返しにする。何をするかと思えば、中から小さな折りたたみの櫛を取り出したではないか。唖然とするオルガの前で、さも自然な動作で櫛を手渡してくる。

 

「はいどうぞ」

「いや待ておかしいだろ。なんでんなとこに仕舞ってんだよ」

「この手のタイプの帽子って被ると少しスペースが空くので。有効活用です」

「お、おう……」

 

 返す言葉も無い。

 良く言えば常識に囚われていない、悪く言えば天然通り越したアホである。こんなのが元令嬢で現とんでもない殺人鬼なのだから世も末だと思う。そういえば厄祭戦は世の末という惨状だったらしいが、たぶん関係ないだろう。

 とりあえずいつまでも櫛を持っているのも間抜けなので椅子から立ち上がる──その直前のこと。不意にタブレット端末の画面が切り替わった。見ればそこには艦橋(ブリッジ)からの通信を意味する文字が並んでいる。

 

「悪いな、先にこっちが優先だ」

「……」

「なんか言えって、怖ぇつうの」

 

 無言の圧力を放つジゼルをどうにか無視して通信を繋げる。後で目いっぱい機嫌を取ってやらないと酷い目に遭いそうだ。

 

「どした?」

『その、オルガ団長に繋いでくれって通信が届いたので……』

「また急だな。相手は誰だ?」

 

 タービンズではないだろう。彼らには事の顛末を報告済みである。

 歳星関連もないはずだ。既に決着を迎え、話を詰める余地は存在しない。

 なら鉄華団に用があると言えば火星のアドモス商会らへんか、それとも──

 

『──ギャラルホルン、マクギリス・ファリドと名乗っていました』

「……あの男か」

「あのアグニカ大好きさんですか」 

 

 ギャラルホルンの改革派筆頭にして、鉄華団と手を結んでいる胡散臭くも優秀な男。

 マクギリス・ファリドからの唐突な連絡に、例えようもなく面倒な予感が起きたオルガであった。

 

 ◇

 

 ラスタル・エリオンがついにマクギリスと手を結ぶ事を決めたあの日。ラスタルに送り出されたヴィダールは彼の言葉に従ってクジャン家の艦隊へと合流していた。火星軌道上に待機していた彼らはイオクの身柄を受け取るためにもいったん月外縁軌道艦隊のすぐ近くまでやって来ていたから、合流自体は容易いことだったのだが。

 

「なんと……ではラスタル様はあのマクギリスに手を貸すと言うのか!?」

 

 呆然と呟くイオクに、仮面に素顔を隠したヴィダールは「そうだ」と短く返した。彼の反応は予想の範疇だったので驚くに値しない。むしろ自然な反応だろう。

 クジャン家の保有するハーフビーク級戦艦の艦橋には、どこか奇妙な雰囲気が漂っていた。まずクジャン家の部下たちは当主であるイオクの帰還に喜びが半分、そして明らかに奇抜なヴィダールの存在への困惑が半分。ヴィダール自身はあくまでクールな雰囲気を崩していないから余計に異物感が漂う。

 そしてイオクと言えば敬愛するラスタルのまさかの行動への驚愕と、目の前に立つ男への不信感、それに胸の中で燻ぶるかの鏖殺の不死鳥への敵愾心がない交ぜになった状態である。端的に言って皆の心持は混沌もかくやと言うべき有様だった。

 

「しかしラスタル様はマクギリスを強く警戒していたはず……もしや、マクギリスは私を人質にとってラスタル様を従わせたというのか!?」

「それも否定できないが、本質は別だ。単純に、マクギリスの秘めていた野望は想像よりもずっと純粋で真っすぐだった。それだけの事さ」

「そのようなこと信じられるかッ! ……しかし今の私にはそのような事を言う資格も無いのか。結局ラスタル様の足を引っ張り、部下を犠牲におめおめと戻ってきた私には……!」

 

 悔しさに声を震わせる。固く拳を握りしめたイオクの内心は業火に炙られているかの様な状態だ。

 ラスタル様の為にと考えた行いが完璧に裏目に出て、多くの部下も失い、さらには賠償金問題すら残っているときた。どれもこれも自らの短慮が招いた事態である。自分の顔に泥を塗るだけならまだしも、結局は全部他人へと被害が及んでいるのがやりきれない。

 

 そんな彼を見てヴィダールは何を想ったのだろうか。仮面の奥に秘められた瞳がジッとイオクを見つめていた。

 

「俺は、お前のことを真っすぐな男だと思う。行いはどうであれ部下を想う気持ちと、内に秘めた正義感は見事だからだ」

「ヴィダール……お前はこんな私にそのような言葉をかけてくれるのか」

「事実を述べたまでだ。これまで一度も言ったことは無かったがな」

 

 素顔を隠し、素性を隠し、ヴィダールはあらゆる個を捨て去ってまでマクギリスの行いを見定めようと生きてきた。他の者にも必要以上の注意を払うことはしなかった。

 それでも周囲の人間に対して思う所はあったし、そもヴィダールも本質は善性の者なのだ。よほどの事をしたならともかく、この時点までのイオクを嫌う理由はそうそう無いのである。

 

「ラスタルは俺に、お前の下へ行けと助言してきた」

「え……?」

「俺は例えラスタルと矛を交えることになったとしても、マクギリスと戦う。そう決めたのだ。ならばお前はどうしたいと思う? このまま共にラスタル側としてマクギリスと協力するのか。あるいは例えお前一人だけであろうとも、マクギリスと戦うのか。返答を聞かせてくれ」

「私、は……」

 

 問いを投げかけたヴィダールからしても、今のは酷な選択を迫ったと思う。だが訊くならばここしかないのだ。何を考えて「イオクの下へと行け」とラスタルが言ってきたかは分からないが、きっとそこに意味はあると信じている。

 

「私は、火星で多くの部下を殺された。もちろんMAに屠られた者もいるが、それ以上に許せないのはあの女なのだ」

 

 しばらく考え込んだイオクは、絞り出すようにまずは言った。周囲の部下たちがハッとした表情をする。

 

「ラスタル様が警戒し、ジュリエッタですら敵わなかった鏖殺の不死鳥。無抵抗な者たちすら虐殺の限りを尽くし、あまつさえ殺しを楽しんでいるあの狂気。私はそれが我慢できない、許せないのだ」

 

 脳裏に蘇るのは邪悪なる不死鳥とそのパイロットの姿だ。MAと戦いながら同じ人類をも殺し、イオクに対しては美麗と醜悪の強烈な矛盾する印象を植え付けてきた。そんな彼女はもはや存在そのものが悪徳であり、今のイオクにとって誰よりも殺さなければならない存在でもあったのだ。

 

 誰かが「イオク様……」と呟いた。ヴィダールは黙って耳を傾けている。

 

「自己満足であろうとも、私は部下たちの仇を取る。かの地で散っていった者たちに報いたいのだ、嘘ではない。彼らは私に生きろと言ってくれたが、ならばこそ生きている私が動かなければ彼らの無念も晴らせぬのだ」

 

 もしもイオクまでもがあの不死鳥の手にかかれば、部下たちの犠牲は無に帰してしまうかもしれない。

 それは怖い。

 だが、セブンスターズの一角として通すべき意地と誇りがあるのだ。今まで自分は散々部下たちに助けられてきたからこそ、今度は自らが彼らの想いに報いたいと願うゆえに。

 

「ヴィダール、私は愚かだ。自らの正義のみを信じ、その果てに部下たちを何人も死なせてしまった大馬鹿ものだ。それでも良いというのなら、手を組ませてもらいたい」

「……目的は例のガンダム・フェニクスとそのパイロットで良いのだな?」

「無論だ。しかしそれ以前に、私はあのマクギリスが好かんのだ。人を食ったようないけ好かない態度、どうにもソリが合わん!」

 

 最後の方は完全に私情であったが、ともかくイオクの決断は下ったようだ。鉄華団はマクギリスと手を結んでいる以上、鉄華団所属のフェニクスを打倒するなら敵対する以外にあり得ない。

 つまりそれはマクギリスと手を組んだラスタルとも敵対するということだ。イオクの意志を問うたヴィダールですら「本当に良いのか?」と訊ねてしまうが、対するイオクは迷いがなかった。

 

「無論、良くはない。しかしいつまでもラスタル様の世話になり続ける訳にもいかんのだ。それに私の目的はあくまでもただ一人、ラスタル様と戦うことは最小限に収めるつもりだ」

 

 それから彼は部下たちへと視線をやる。誰もがイオクだけを真っすぐに見つめていた。

 

「これはあくまでも私の個人的な願いだ。付き合いきれないというなら構わぬ、遠慮せずに申し出てくれ。それでもというのなら──どうか私の力になってはくれないだろうか?」

「──当たり前でしょう」

 

 返事はシンプルで、力強いものだった。

 

「我々はイオク様の部下、先代より誇り高きクジャン家に仕えてきた者です」

「その誇り、どうしてここで捨てることができましょうか?」

「皆、ありがとう……! 恩に着るぞ!」

 

 不安は当然あるだろう。今のクジャン家に何が出来るのかという疑問もある。

 しかしそれでも、彼らはクジャン家に仕える部下たちなのだ。当主に従うことに否は無いし、その言葉が独りよがりの正義感から解放されているのなら猶更だ。成長の兆しを見せた今、余計にこの青年を見捨てることは出来ないのである。

 

「だがどうするのだ? 先の一件でクジャン家は大幅に力を削がれた。対してマクギリスは地球外縁軌道統制統合艦隊を掌握している上、ラスタル様もアリアンロッド総司令官としての立場自体はそのままだ。もはや太刀打ちできる戦力差ではあるまい?」

「確かにそうだな」

 

 これにはヴィダールも頷いた。互いの戦力差は絶望的、相手はセブンスターズの二角と艦隊なのだ。いくらラスタル側の力は減少したとはいえ、依然としてクジャン家一つの力で適うものでは到底ない。

 

「もしこの場にセブンスターズがもう一人居なければ、だがな」

 

 故にヴィダールは仮面を外した。鉄の仮面が剥ぎ取られ、短い紫髪と端正な顔に走る無残な傷跡が衆目に晒される。

 

「まさかヴィダール、あなたは……!」

「ここにはクジャン家と、そしてガエリオ・ボードウィンが存在するのだ。セブンスターズの一角では成しえぬことも、二つ集まれば可能となる」 

 

 ファリド家とエリオン家は確かに強敵だ。しかしまだ勝負はついていない。

 残るセブンスターズはファルク家、バクラザン家、そしてイシュー家の三つ。特にイシュー家に関してはガエリオとしても他人事ではない。

 勝機は少ない。しかし立ち回り次第でまだまだ勝ちの目は見えるのだ。特にヴィダールことガエリオはマクギリスが持つ唯一の弱点である、これを利用しない手は無いだろう。

 

「俺はマクギリスを、お前は鉄華団の不死鳥を追う。ここに利害は一致した、よろしく頼む」

「……その素顔には驚かされたが、こちらこそ頼むぞ、ボードウィン公!」

「よしてくれ、まだそう呼ばれるような男でもない」

 

 苦笑しつつ、ガエリオとイオクは手に握り合い。

 

 かくしてここに、ギャラルホルンを二分する戦いの狼煙が水面下で上がったのである。

 



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#39 束の間の平穏

「おーい、そっちの荷物運んどいてくれ。慎重に頼むよ」

「分かった、桜ちゃん」

 

 火星、クリュセ郊外に広がる広々とした農場には、一面のトウモロコシ畑が広がっている。緑たなびく収穫期になれば相当量のトウモロコシが実るのだが、そのほとんどは安価なバイオ燃料として買いたたかれる運命だ。故に利益は規模の割には小さく、生計も立てづらい。最近は規模の拡大した鉄華団が主食用にと良い値段で買い取ることも多くなったのだが、それでも広大な畑のほとんどは金にならないのが実情だろう。

 なので、この畑は常に人手不足に悩まされている。かつてCGSが存在した頃は参番組の隊員たちが畑仕事を手伝うこともしょっちゅうだったし、今はアドモス商会が立ち上げた孤児院の子供たちも手を貸してくれている。

 だが中でも参番隊──現鉄華団のエースこと三日月・オーガスは将来の目標が農場の経営だけあって、他の者たちよりも一際精力的に働いていたのだ。

 

 この構図は、実は現在でもそう変わっていない。鉄華団の悪魔と言われようと、三日月は三日月である。

 

「頼むからゆっくりおやり。うっかり傷でも付いたら買い取って貰えなくなるんだから」

「大丈夫だよ、そんなヘマしないって。それに、そうなったらきっとオルガが買い取ってくれるよ」

 

 長閑(のどか)なトウモロコシ畑の一角に、威風を誇る悪魔(バルバトス)が片膝を付いていた。

 

 悪魔は金色に光る指先で、ゆっくりとトウモロコシの詰め込まれた大箱を持ち上げる。まるで人間の五指そのままのように精密かつ丁寧な動作は、人機一体を目指す阿頼耶識システムの真骨頂と言えるだろう。そのまま左の掌に傷一つない大箱を五つほど載せると、バルバトスは静かに孤児院のある施設の方へと歩き出した。

 こうして三日月は施設にある所定の位置へと大箱を置くと、すぐ近くにバルバトス改め、バルバトスルプスレクスを止めおいた。エイハブ・リアクターは切らないでおく。切ってしまうと阿頼耶識も途切れ、三日月の右半身が硬直してしまうからである。

 

 無事に成功しホッと息を吐く三日月。だが悪魔に似合わぬ農作物の運搬を終えたバルバトスへと、キビキビした老婆の声が飛んできた。

 

「ったく、見てて冷や冷やもんだよ。確かに運ぶのは楽になったけど、いつトウモロコシが潰されるかたまったもんじゃない。そのうえ、そいつが居る間は孤児院も電子機器が使えないときた。力は頼りになるが、とんだじゃじゃ馬だよ、MS(そいつ)は」

『そう言われても、今の俺じゃバルバトス(こいつ)なしだと桜ちゃんの手伝いもできないからさ。その分の仕事はちゃんとするつもりだよ』

「はっ、あたしゃ怖くて見てらんないがね。ま、心意気は買っておくがさ」

 

 老婆の発言は辛辣だが、けれど決してそればかりでは無い。そのことを理解している三日月だから、彼女の発言に気を悪くすることもなくむしろ頬を緩めていた。

 三日月・オーガスとこの農場の主、桜・プレッツェルは気安い関係である。三日月は老婆である桜のことを『桜ちゃん』と呼び慕っているし、桜の方も口は悪いが面倒見は良い。だから三日月は力を貸す代わりに農業を学び、桜の方は農業を教える代わりに力を貸してもらう。そんな相互の関係が出来ているのだ。

 

 バルバトスのコクピットが開き、パイロットの三日月の姿が現れた。上下に開かれた胸部装甲の上に立つと、空に向かって大きく伸びをする。それだけでも阿頼耶識を繋いでいない三日月には叶わぬ行為だった。

 

「……阿頼耶識ってのも難儀なもんだね。今じゃそいつ無しだと満足に身体も動かせないんだろう?」

「身体の右側が動かなくなっちゃったからね。前みたいに荷運びしたり、収穫を手伝ったりするのは難しいかな」

「そんな身体になっておいて、まだ農場をやるのは諦めてないのかい」

「バルバトスが居れば動かせるから平気だよ。今もおやっさんとテイワズの人に、阿頼耶識のコードを出来るだけ延長したもの作ってもらってるし」

「へぇ、どんなもんなんだい?」

「コイツの全長の、二倍よりもう少し長いくらいって言ってたかな。出来次第ではもっと長くなるかもしれないってさ」

 

 三日月の示したコイツとはバルバトスの事であり、その二倍より少し長い程度なら五十メートルには及ぶのだろうか。それくらいあれば確かに、強引にバルバトスと繋いで畑仕事をすることも可能に思えた。

 だけどそもそも、そんな身体になってしまったことが桜としては物悲しい。こうして農業の夢を諦めず、仕事まで手伝ってくれる少年が鉄火場での主役を飾るのだ。それもまた本人の選んだ道かもしれないが、どうにも納得しきれないものがあるのも確かだった。

 

「なんか作ってみたい野菜とかあんのかい? 希望があるならこっちでも育て方調べといてやるよ」

「トウモロコシとジャガイモ、それにトマトなんかはだいたい勉強できてるかな。後はタマネギやピーマン、それに唐辛子とか……」

「唐辛子? なんでまたそんなもんを」

「鉄華団に一人、辛いのにうるさい人が居るんだよね。それでアトラにも頼まれちゃって。たぶん、もうすぐ桜ちゃんも分かるんじゃない?」

 

 それは三日月にしては珍しく、呆れを含んだような声音だった。辛いのにうるさい人物というのは、よほど唐辛子に拘りでもあるのだろうか。

 疑問に感じた桜だが、その前に耳がエンジン音を捉えた。年老いてなお健在な聴覚は、クリュセの方角からやって来る車の走行音を鋭敏に察知する。今日この時間にやって来る車といえば、間違いなく一つだけだ。

 

「クッキーとクラッカ、来たみたいだね」

 

 三日月も気づいたらしく、先に代弁してくれた。クッキーとクラッカのグリフォン姉妹はかつての仲間、ビスケット・グリフォンの妹たちであり、ちょうど今日から通っている幼年寄宿学校が中期の休みに突入するところである。そのため鉄華団から迎えが出ており、この農場にやって来る算段となっていた。

 話している間にも送迎用の黒い車が近づいてくる。車が滑らかに施設の手前に停まった瞬間、待ち詫びていたかのように後部ドアが勢いよく開いた。鉄砲玉のように飛び出した双子姉妹は勢いよく桜へと抱き着くと、元気いっぱいとばかりに笑顔を覗かせる。

 

「久しぶり!」

「元気だった!?」

「あたしがそう簡単に死ぬと思うのかい? まだまだこの歳じゃ生き足りないくらいさ」

「さっすが!」

「だね! あ、三日月も居る! 久しぶり!」

「ああ、久しぶり」

 

 バルバトスの上に居る三日月を見つけた二人は、そちらにも満面の笑顔を向けた。この双子は三日月にもよく懐いているのだ。

 普段は無愛想な三日月も、この二人には軽くだが笑みを浮かべて歓迎する。

 

「字はちゃんと読めるようになった?」

「あたしたち、もっともっと読めるようになったもんね!」

「俺だって前よりマシになったさ。今はゆっくりとなら本だって読めるようになったし」

「すごーい!」

「負けてらんないぞー!」

 

 子供同士の微笑ましい対抗心の張り合いに、傍から眺めている桜も自然と楽しくなる。こうして子供たちが何でもない事で笑っている光景こそ真っ当なものなのだ。三日月の立っているMSだけが農場には不釣り合いな禍々しさだが、それだって使いよう。先ほどみたく平和に扱う事だって出来るのから。

 

「──こんにちは」

「……アンタは?」

 

 だが、そんな平穏を壊すかのように、何か不穏な者が彼女の後ろに立っていた。

 いつの間にそこに居たのだろう。赤銀の長すぎる髪、白いシャツと黒いネクタイの上にジャケットを羽織り、短いスカートにタイツという暑そうな姿をした少女だ。けれど眠たげな金の瞳は、些かも気にしているようには見えない。

 

 その妙な少女は桜の問いには答えず、まずは農場を一瞥した。

 

「良い場所ですね。これが一面に広がる唐辛子畑なら言うこと無しだったのですが」

「……アンタ、この農場にいきなり喧嘩売ってんのかい?」

「いえ、別に。ただ思ったことを言ったまでです」

「そうかい。まったく、変な娘だ」

 

 本当に裏は無いらしく、負の感情は一切感じられない。あくまでも純粋に感嘆し、そしてこうだったら良いなと呟いているだけのようだ。それが少女に似つかわしくない唐辛子畑とくれば、明らかに浮いた存在であると判断するには十分だった。

 それにしても開口一番に唐辛子とは、彼女こそ三日月の言っていた”辛いのにうるさい人物”なのだろうか。疑問に思っていると、いつの間にかクッキーが彼女の手を引いていた。

 

「ねぇねぇ、ジゼルさんも一緒に農場手伝おう?」

「疲れるけど、すーっごく楽しいんだよ!」

「髪が汚れるので遠慮しておきます」

「えー」

「うそー」

 

 残念がる二人だが、ジゼルと呼ばれた少女は少しも意見を翻す気はなさそうだ。むしろ「土埃で汚れたら梳いてもらう前に洗わなくてはならないので」などと呟いている始末。双子に勝機は無さそうだった。

 それにしても、クッキーとクラッカは随分と彼女に懐いているようだ。桜からすればどこか不穏というか、信用しきれない空気があるのだが、子供特有の無邪気さが警戒させていないのだろうか。ジゼルもジゼルで特に変な行動はせず、双子を引き離すと三日月の方を見上げた。

 

「ジゼルは本部に戻りますが、三日月さんはどうします? まだこちらに居るというなら、団長さんにもそう伝えておきますが」

「俺はバルバトスともう少し桜ちゃんの手伝いしてるから、オルガにもそう伝えといて」

「分かりました。では、ジゼルはこれで失礼しますね」

 

 車の前でペコリと桜たちに一礼してから、ジゼルは車に乗って瞬く間に去って行ってしまった。その後ろ姿に「バイバーイ!」と双子が手を振れば、運転席の窓から白い手がひらりと振られた。どうやら彼女なりの返答らしい。

 ほんの短い邂逅だったか、礼儀知らずなのか礼儀正しいのかなんとも曖昧な娘だった。というより、忌憚なく言わせてもらえば意味が分からない。理解できたのはクッキーとクラッカの送迎を担当していたことくらいだろうか。

 

「なんだいホント、よく分からん娘だったね」

「不思議な人だよねー。でも、ハーモニカがとっても上手だった!」

「面白い人だよねー。でも、歌は結構下手だった!」

 

 双子らしい感想を漏らす双子の頭を撫でながら、桜は三日月の方に問う。

 

「今のが辛いのにうるさい人でいいのかい?」

「うん。変わってるけど、心底から悪い奴でもないから。俺も何度か字の読み方教えてもらったし」

「へぇ、そうなのかい」

 

 心底から悪い奴でもないのなら、多少は悪い奴ということなのだろうか。詳しいことは知らないが、それでも鉄華団に居るというなら桜が口出しできることは何もない。

 ただ、この何気ない日常の合間を彼女も楽しんでいるのなら、それも悪くないと思うのだ。鉄華団の周りは荒事ばかりだが、少しくらいはこうして何事も無い平穏な日々があっても罰は当たらないだろう。

 

 ──鉄華団がジャスレイの一件を手打ちにしてから二か月と少し。

 

 今の火星は、ひとまず平和だった。

 

 ◇

 

 農場を車で出発してからしばらく後、ジゼルは鉄華団火星本部へと到着していた。

 周囲は相変わらず喧騒で溢れて賑やかな様相だが、その中には工事音もいくつか響いている。これはCGS時代からの古びた施設を少しづつ取り壊し、新たに機能性を高めた施設として造り直していることに起因する。

 そもそもこの鉄華団火星本部、団員たちの福利厚生こそ充実してきたが肝心の建物自体は過去のままである。相変わらず隊員たちは複数人部屋で硬いベッドで寝ているし、廊下などもどうにも汚れや経年劣化が目立っている。歴戦といえば聞こえはいいが、その実は古びているだけと言われれば否定できない。

 

 新進気鋭の組織として、流石にそれはどうなのか。そう感じ始めていた団長のオルガはジャスレイからふんだくった賠償金をここぞとばかりに投入し、ついに本部の大幅な改装に踏み切ったのだ。

 

 ジゼルは車を隅っこの車庫に仕舞い、ゆったりと本部を歩いていく。現在でも鉄華団に入団しようという者たちは後を絶たない。そういった者たちが厳しい訓練の洗礼に息も絶え絶えな横を、彼女は涼し気に通過した。揺れる長髪に思わず目を奪われた新入りたちを、鬼教官の仮面を被ったシノがどやしたてる。

 しばらく歩くと、今度は改装工事の為に資材を運ぶ作業員とすれ違う。彼らの中には何人か暇をしている鉄華団の者も混じっていて、適度に手伝いながら共に本部を良くしようと動いていた。ジゼルとしても住まいが良くなるのは大歓迎なので、すれ違う度に軽く会釈だけしておいた。

 

 武闘派として有名な鉄華団だが、現状は非常に平和だった。ジャスレイの一件以降、しばらくは大きな出来事も争いもなく、肩肘を張ることのない穏やかな日々が続いている。だから遊撃隊長の三日月は畑仕事に力を入れているし、殺人狂のジゼルも大人しく子供たちの送迎を行ったりしているのだ。

 

「はぁ……そろそろ誰かを殺したいですね」

 

 人気のない暗い廊下でポツリとジゼルが呟いた。誰にも聞かれていないことを確信しているからか、唇は飢えとも笑みともつかぬ形に歪んでいる。

 最後に他者を殺したのはもう二か月も前になるのか。オルガの命を狙った傭兵団たちをほぼ壊滅させたが、あれ以来誰一人として殺せてはいない。クリュセでは相変わらずテロが起きているが、そちらの管轄はあくまでギャラルホルンである。鉄華団が介入する余地はない。

 

 平和すぎて、誰かの命を奪うことが出来ないのだ。その事実がもどかしい。二か月程度ならまだまだ我慢できるとはいえ、それでも我慢は我慢である。今日なんて小さい双子の送迎を担当したが、ついつい『殺してみたらきっと楽しいだろう』と考えてしまったほど。短絡的な殺人欲求にはジゼル自身も辟易としてしまう。

 とはいえ、現在もなお殺人こそ最も愉しい行為だと認識しているが、それに近いくらい楽しい行為もまた出来た。辛い料理を食べるのは最初から好きだったし、ハーモニカを誰かに褒めてもらえるのは気分が良いし、髪を梳いてもらうのは──心が暖かくなる。

 

「だからもうちょっとだけ我慢ですね、うん」

 

 どうせ、もう少ししたら幾らでも人を殺すことができるのだから。

 誰に言う訳でもなくそう結論付け、さらに廊下を進んでいく。目指す先は当然のように社長室、そこでオルガが地球の方と連絡を取り合っている筈だ。そこにジゼルも呼ばれている。

 社長室のまだ古ぼけた扉をノック、ついで声を張り上げた。

 

「団長さん、ジゼルです。入りますよ」

「おう、ちょうどいいとこに来たな」

 

 入室すると、そこには机に立てた通信端末の前で地球と連絡を取っているオルガが居た。通信相手は式典戦争の際にジゼルの穴埋めとして残ったユージンと、向こうの責任者を務めているチャドだ。ジゼルがソファに腰かけている間にも、ユージンの声が聞こえてきた。

 

『んで、そろそろ俺とメリビットさんも地球から火星(そっち)に戻るって訳か』

「ああ。MAやらジャスレイやらいろいろとあったが、本部の方はだいぶ落ち着いたからな。代わりにそっちにゃジゼルを寄越す。引継ぎとかは大丈夫か、チャド?」

『その辺りは大丈夫だよ、こっちにも半年以上は居た訳だからさ。ただ、アーブラウ防衛軍の方が可哀そうなくらいおっかなびっくりになっちゃってたけどね』

 

 その言葉にオルガからなじるような視線が飛んできたが、ジゼルとしては責められる謂れなどない。むしろあれは向こうの責任者である蒔苗と、なによりオルガの口添えがあったからこそ行った粛清なのだから。

 オルガとてそのことは最初から承知していたのだろう。すぐに視線を通信端末へと戻した。

 

「よし、ならひとまず問題はねぇか。残りの詰めは追って連絡を寄越す。そっちは頼んだぞ」

『へっ、任せとけっての!』

『オルガこそ、ヘマして今度こそ死んだりしたら承知しないからな』

「ったく、言ってろ」

 

 苦笑気味にオルガが通信を切った。いつの間にかブーツを脱いでソファに横座りになったジゼルは、興味深そうにオルガの方を見つめていた。肘掛けに乗せられた足がプラプラと揺れている。

 

「日取りはおおよそ決まりましたか?」

「ああ。明後日には向こうへの戦力補給も兼ねて、アンタには地球に行ってもらうことに決まった」

 

 元々、ジゼルは式典戦争の半年以上前から地球支部に配属されていた。故に本当ならあの紛争後も地球支部に残っていたはずだったのが、MAが発掘されたせいで火星へと戻ったのだ。なのでMAを打倒し、それに付随するゴタゴタも終わった以上、彼女が地球に戻されるのも当然の成り行きではあった。

 

「そうですか、ちょっと残念です。向こうにはジゼルの髪を梳いてくれる職人さんは居ませんから」

「……もう何とでも言えよ。俺はアンタに関しては色々と諦めたっつーか、悟っちまったぞ」

「ジゼルと居ると楽しいといった風に?」

「アンタと居ると振り回されて疲れんだって言ってるんだ」

 

 ジゼルのよく分からない発言には、もう真顔で返すより他にないオルガである。彼女相手に一々あーだこーだと考えていても身がもたないのだ。心から不快とまでは感じ無いのもまた性質が悪い。

 

「ま、それはともあれだ。せっかくお得意様からの指名なんだ、上手い事やってくれよ」

「そこは承知しているので大丈夫です。精々鉄華団の利益になるようにしつつ、いっぱい殺せるように頑張ってきますから。ちゃんとできたら頭でも撫でてみてください」

「……考えてはおく」

 

 ジゼルが地球に戻されるのは当然の成り行きだが、しかしこの状況で戻されるのには理由がある。

 全ては二か月前のマクギリス・ファリドからの連絡に端を発する。あの食えない切れ者が、是非ともジゼルをギャラルホルンの本部たるヴィーンゴールヴに招待したいと告げてきたのだから。

 




三日月、バルバトスを農作業に転用してしまうの巻。
∀でも似たようなことしてましたし、戦闘外の三日月ならこれくらいやりそうかなーというイメージです。今は阿頼耶識も無いとまともに動けないですし。


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#40 ヴィーンゴールヴ

本日はオルガ団長の一周忌(一日遅れ)ですが、オルガ団長は出ません。


 ジゼルにとってそれなり以上に久しぶりな鉄華団地球支部は、冬空の下うっすらと雪が積もり始めていた。屋根は一面白く塗り替えられ、道路も粉雪で舗装されている。

 その最中でも鉄華団団員たちやMSの放つ熱量は些かも変わりなく、寒さに負けないとばかりに元気よく仕事をこなしていたのだった。

 

「……皆さん、よくこの寒い中で働けますね。こっちに来て三日経ちましたけど、ジゼルには無理だと再確認しました」

「んなこと言ってねぇでさっさと働け。まだ仕事の引継ぎとか残ってんだぞ」

 

 いつかのようにソファでだらんとしているジゼルに、ユージンは苦虫を嚙み潰したような顔で書類を差し出した。さっさと目を通しておけと言外に伝えられ、渋々ジゼルも受け取って紙面をざっと眺めてみる。内容はここ数ヶ月における地球支部での金の流れや、新たにアーブラウで募集した鉄華団団員についての一覧である。

 

「今すぐ覚えろとまでは流石に言わねぇが、事務方に戻んなら少しは把握しといてくれ。またラディーチェみたいな裏切り者が出たら対処できなくなるからな」

「その時はジゼルが責任を持って処分するのでお構いなく。裏切り者への嗅覚は鋭い方だと思うので大丈夫ですよ」

「……素直に喜んで良いのか分かんねぇが、まあとりあえず鉄華団に被害が出ないよう気張ってくれ」

 

 諦観にも似た感情を抱きながらユージンが溜息を吐いた。彼が地球支部で事務方の抜けた穴埋めをしていた間、ジゼルは火星でギャラルホルンと一戦交えたり、テイワズでオルガを救ったりしていたという。そこだけ聞けば手放しに褒められる行いだし、事実これについてはユージンも心から感謝を送っている。

 だけどやっぱり複雑なのだった。全部が全部うまくいっているから良いものの、一つでも失敗していたらどうなっていたことか。ここまで来て彼女を追いだせなんて言うつもりは無いから、せめてオルガには早く手綱を握って欲しいと切に願うばかりである。

 

 しばらくの間、ペラペラと紙をめくる音と、タブレット端末の画面を叩く音だけが反響する。高級な家具などが揃ったこの部屋は応接室のはずなのだが、使いどころが少ないのも相まって今やジゼルがだらけるだけの場所だった。

 

「もうちょいシャキッとしろよ、他の奴らに示しがつかねぇぞ」

「寒いとやる気が……」

「冬眠でもすんのかよ……地球出身ってのは知ってるけど、暖かいとこの生まれだったのか?」

「いえ、北半球のそのまた北の方です。いつも雪とか降っててすごく寒かったです」

「ならちっとは頑張れっつうの! 寒さにゃ慣れてんだろ!?」

「お屋敷でぬくぬくしてたので無理です。これでも元はインドア派でしたので」

「ちっ、そういやお前お嬢様育ちだったっけか」

 

 思わず舌打ち。ジゼルは完全に無視していた。

 これだから恵まれた生まれの奴らはと心の中で悪態を吐きつつ、そういえば今の自分たちも悪くない立場だと思いなおした。火星本部は老朽化した建物の再建が進んでいるらしいし、地球支部もアーブラウ側の厚意で色々と融通が利く。かつてとは雲泥の差な環境に身を置けているのも事実だった。

 

「そういや、今度ギャラルホルンのお膝元に呼ばれるって話らしいけどよ、やっぱ地球本部ならすげぇ設備も揃ってんのか?」

「ジゼルに聞かれても知りませんよ。かつては水上のメガフロートなんて影も形もありませんでしたから。むしろこっちが気になるくらいです」

「そんじゃお前がコールドスリープした後で出来たって事か。そいつは残念だ」

 

 そこまで言ってから、「そういえば」とユージンは顎に手を当てた。端末を叩く指がいつの間にか止まっている。

 

「お前が結構なアグニカ・カイエルとやらのファンってのは前に聞かせてもらったけどよ、現状のギャラルホルンについてはどう思ってんだよ? 少なくとも創設者様は高い理想を持ってたみたいだが──」

「今のギャラルホルンは腐敗してしまっているから、怒っているか否か……ですね?」

「おう、そうだ」

 

 神妙に頷いた。さすがにやらないだろうとは思うが、これで内心で怒り狂っているなど言い出したら何が起きるか分からない。地球支部に運ばれてきたフェニクスは弾薬庫(フルース)と化していたし、うっかり殺戮ショーでも起きたら目も当てられない大惨事である。

 興味半分、恐怖半分で訊ねてみた質問に、ジゼルは思いのほか真面目な顔で即座に口を開いた。

 

「別に、どうでもいいです」

「……へぇ、思う所は無いってか」

「そもそもアグニカのファンって言われるのが心外ですけど、あくまでギャラルホルンの前身であるジェリコは居心地が良かったから在籍していたまでです。今がどうであろうとジゼルの知ったことではありませんよ」

「ほーん……なんつぅか意外だな。『世話になった奴の組織が長い時間の間に滅茶苦茶にされたー』とか、んな理屈で皆殺しにでもする気かと思ってたぜ」

 

 冗談交じりに笑ってから、すぐにユージンは「やべっ」と顔色を変えた。

 目の前でだらけていたはずのジゼルは、いつの間にか殺意を全身から漲らせていた。不穏すぎるオーラが肌にビリビリと突き刺さって非常に心臓に悪い。ほんの出来心で地雷を踏んでしまったのかもしれなかった。

 

「なるほど、その手がありましたか……」

 

 納得したように笑みを浮かべる姿がやけに恐ろしい。

 

「ま、まて。今のは冗談だから本気にすんなよな? マジでギャラルホルン皆殺しとかしたらシャレになんねぇからな? つかいくら鉄華団でもそりゃ無理だから」

「……分かってますよ、今のはジゼルなりの冗談です。そう短慮は起こさない()()なので軽く笑って流してください」

「ちっとも笑えないからマジやめてくれ……」

 

 ジゼルの殺意が薄れ、すぐにさっきまでのだらけた姿に戻ったのを見てホッと胸を撫で下ろす。シャキッと働いてくれとは思うが、今の殺意が充満した状態に比べれば万倍マシだろう。いっそこのままだらけ続けてくれれば安心だと思うくらいだ。

 

「にしてもマクギリスの野郎、なに考えて呼び出したりなんてしたんだか」

「それはジゼルも知りませんけど……折角ですし、適当に観光でもしてきますよ。写真とか撮って来ましょうか?」

「すっかり観光客気分じゃねぇか。でも気になるな、余裕あったら頼むわ」

「分かりました。代わりに火星に戻る前にアーブラウのお勧め料理でも適当にピックアップしといてください」

「……まさか一緒に来いなんて言わねぇよな?」

「言いません。一人で行きますのでお構いなく」

 

 素っ気なく返されてしまった。これが気の有る女の子だったら間違いなく心が折れていただろうが、相手が相手だけに全く心は痛まない。

 むしろ、じゃあなんでオルガとはデート紛いのことしたんだ──などとはとても訊けなかった。この辺りはもう当人たちの問題として、無策で首を突っ込まない方が得策だろうと悟ったからだ。

  

 それから少しだけ互いに黙ってから、今度はジゼルがポツリと漏らした。

 

「たぶん荒事になるでしょうね。元より鉄華団はそういう組織ですし」

「……やっぱそうなんのか。否定はできないが、好き好んでギャラルホルンの政争に巻き込まれんのもなぁ」

「そもそも団長さんとマクギリスさんはそういう関係ですから。是非も無いかと」

「肚括るっきゃねぇか」

 

 マクギリスが鉄華団に求めている役回りとは。

 きっと、ギャラルホルンという巨大な水面に一石を投じるための力なのだろう。

 

 ◇

 

 現在のセブンスターズにおいて、エリオン家とファリド家は他よりも明らかに大きな力を誇っている。

 片や月外縁軌道艦隊『アリアンロッド』の総司令官ラスタル・エリオン、片や地球外縁軌道統制統合艦隊の司令官マクギリス・ファリド。前者はマクギリスの策によって力を削がれ、後者はまだ発展途上の者ではあるが、紛れもない強者であるのは間違いない。

 

「さてエリオン公、準備は全て整った。我々も行くとしよう」

「……ついにこの時が来たか。全く、予想だにしない展開には驚きばかりだ」

 

 故にマクギリス・ファリドとラスタル・エリオンが手を組んだのは、残るセブンスターズ達にとって悪夢のような知らせと言えただろう。

 ギャラルホルン地球本部、ヴィーンゴールヴ。世界最大規模の組織に相応しいこの建物は水上に浮かぶ人工島であり、セブンスターズ達の邸宅も此処に用意されている。故に何の憂いもなく合流した三人は、白く清潔感のある廊下を悠々と進んでいく。

 

 まず先頭に立つのはマクギリスだ。改革派の筆頭にして野心に燃える青年であり、彼は今日この時を誰よりも待ち望んでいた。期待に浮かさてしまい、自然と歩む足も早まってしまう。

 二人目はラスタル、マクギリスに弱みを握られ彼と協力する羽目にはなったが、その風格には些かの衰えも見られない。そもそも彼とてマクギリスの思想に共感できる箇所があっての現状なのだから、驚きは有っても不服とまでは思わない。

 そして最後の三人目。マクギリスが個人的にこの場へと呼び出した鉄華団所属、ジゼル・アルムフェルトだ。彼女は普段通りに鉄華団のジャケットを着こみ、まるで物見遊山でもしているかのようにキョロキョロと辺りを見渡しては写真を撮っていた。

 

「そんなにヴィーンゴールヴが珍しいのかな、お嬢さん」

「ええ、それなりには。ジゼルの本来生きていた時代にはこのような建物はありませんでしたからね。地球支部に戻ったらギャラルホルン本部の内部構造を皆に見せびらかすつもりです」

「ハハハ、それは是非とも勘弁願いたいものだ。ギャラルホルンの企業秘密がバレてしまう」

 

 豪快に笑うラスタルに、ジゼルもまた薄い笑みを以って応えた。一見すれば初見の相手ながら上手くやり合っているように思えるが、より詳しい事情を知っているマクギリスからすれば微妙に不安な二人である。

 なにせ、ラスタルの命で行動していたガラン・モッサを殺害したのはジゼルその人なのだ。そのおかげでラスタルは失墜する羽目になり、友まで同時に失っている。そんな相手を前に追及するどころか談笑できているだけ、やはりラスタルとは大人なのだと感心させられた。

 

 ──改めてマクギリスは確信する。ラスタル・エリオンを味方に引き込んだのは間違いでは無かったと。上手くやれば潰せたかもしれないし、他ならぬ彼の手で力も縮小してしまってはいるものの、こういった存在が居るだけで俄然マクギリスの改革も現実味を増してくる。

 

「さてジゼル嬢」

 

 ここでマクギリスは足を止めた。まだ目的地とは遠いが、先に釘を刺しておかなければならないことがあった。

 

「君はどうして今日この時、私に呼び出されたかは分かっているかな?」

「何となくは。仕掛ける気なのでしょう? そのためにあなた方の艦隊のみならず、鉄華団が味方に居るのだと印象付けたかった」

「正解だが、少し足りないな。確かに世論を賑わす鉄華団がこちら側に付いていれば、よりギャラルホルンの改革という題目にも説得力が増す。しかし、それならオルガ・イツカ団長の方がより適任だろう」

 

 にも関わらずマクギリスはジゼルを選び呼び出した。つまりその意図は──

 

「セブンスターズ達に見せつけてやるのさ。かつてのアグニカ・カイエルを知る者は、現状のギャラルホルンに不満を抱いているのだと。我らがどれだけ堕落し腐り果ててしまったか、それだけでも自覚させられよう」

「……そう簡単に上手く行きますかね? むしろジゼルのことなんて偽物だと流してしまいそうですけど」

 

 当然の疑問に答えたのは、意外な事にラスタル・エリオンだった。

 

「ようは名目が全てなのだよ。革命とは何も()()()()()()()()のだ。この場合、何か一つでも彼らに負い目があると認識させてしまえば、その瞬間にこの男は喉笛に食らいついてみせるだろう」

 

 かつての仇敵からの想いもよらない評価に、マクギリスが堪えきれずクツクツと笑い声を零した。どれもこれもかつてのマクギリス、そしてラスタルなら決してされなかった評価である。それだけでも自分が否応なく変わっているのだと実感させられる。

 再び歩を進める。もはや止まりなどしない。黙々と、淡々と、粛々と進み続けて──そして着いた。セブンスターズ達が集まる会議場、その扉が目の前に鎮座している。

 

「では、行こうか」

 

 マクギリスが扉に手をかけ、ゆっくりと開いた。

 

 ◇

 

 既にマクギリス以外のセブンスターズ達は揃い踏みであったのだが、それでも席は半分にも届いていなかった。ボードウィン家、バクラザン家、ファルク家のご老体が座るのみ。あまりにも少ないが、しかしどうしようもないのだ。

 イシュー家は最初から空白で、エリオン家は出席権を剥奪されており、クジャン家はラスタルですら当主の動向は把握しておらず、そしてファリド家はこの瞬間に到着した。セブンスターズと名乗るには、あまりに貧相だった。

 

「遅れてしまい申し訳ありません、皆様方」

「構わぬが……なぜ、エリオン公がこの場に居る? そしてそこの小娘は何者なのだ?」

 

 まずはファルク家当主から鋭い問いかけが浴びせかけられるが、マクギリスは一向に気にしない。むしろ意味深な笑みをより深めると、カツカツと長テーブルの前に歩み寄った。

 マクギリスの放つ強大な雰囲気が、いっそう強くなる。誰かが思わず椅子を引いた音だけが響く。

 

「何故も何も、私がこの場にお呼びしたからです。まずは前提として、ファリド家とエリオン家は手を結ぶこととなりました。遅れましたがこの場でご報告させていただきます」

「手を結んだだと……! 馬鹿な、そのようなはずが──」

「あるのですよ、バクラザン公。いやなに、信じられないのも無理はない。この私とて、ほんの半年前はとてもじゃないが考えすらしなかった同盟なのでな」

 

 苦笑気味にラスタルが答えた。まさか彼の口から肯定されるとは思いもよらず、三者ともに愕然としてしまう。

 

 ──まず初めに、バクラザンとファルクはどちら共に中立派だ。積極的に腐敗とされる行いに手を染めたりはしないが、かといって是正しようともしない。腐敗によって恩恵にあやかれるなら遠慮なくそうするし、わざわざその状況から動こうとまでは考えない。いうなれば事なかれ主義、腰が重いとも評される二家だった。

 

 例えばマクギリス・ファリドなら腐敗を無くすべく改革派になったし、ラスタル・エリオンならいずれは腐敗を正すにしても現状は腐敗をも利用した保守を優先させていた。故に両者が手を取るなどあり得ないと考えられていたし、中立派にとっては自らの持つ恩恵が全て消え去りかねない脅威とも言えたのだ。

 

「しかし、ならばそちらのお嬢さんはいったい誰なのかな? 見たところ鉄華団の者にも見受けられるが……」

 

 ボードウィン卿の疑問に今度はジゼルが前に出た。優雅にスカートの裾をつまみ、軽やかに一礼する。堂に入った令嬢としての振る舞いに感心するような空気が流れ──

 

「ジゼルは、ジゼル・アルムフェルトと言います。かつてはアグニカの立ち上げたジェリコ所属、現在はオルガ・イツカ団長さんの下で鉄華団参謀を務めさせてもらってます」

「……!?」

「なんだと……!」

 

 一瞬にして驚愕とも恐れともつかぬ空気へと変貌した。

 かつてマクギリス・ファリドがジゼルについて報告した際は、眉唾と思いながらもひとまずは信用した。けれど、こうして目の前に本物が現れてしまえばいっそう動揺は深くなる。

 そう、彼らは疑う訳にはいかないのだ。ジゼル・アルムフェルトが死んだという記録は何処にもなく、そして目の前のジゼルを名乗る少女が放つ殺意は濃密すぎた。海千山千の彼らでなければ呑まれて気絶していてもおかしくはない。

 

「信じられないでしょうが、此処に居るのは厄祭戦で誰よりも人を殺した鏖殺の不死鳥その人だ。少なくとも私は本人だと確信しているし、あなた方とて今や疑う余地は微塵も無いと分かるでしょう?」

 

 驚愕に支配された三者の頭にマクギリスの言葉が冷水のように染み渡る。言われるまでもなく、こんな狂気を纏った少女を目の当たりにして偽物だとは思えない。そしてだからこそ、何故マクギリスはジゼルを連れてきたのかに恐怖してしまうのだ。

 

「まさかとは思うがファリド公……そこのジゼル・アルムフェルトに我らを殺させるつもりではあるまいな……?」

「それこそまさかだ。私とてそのような短絡的な思考など取りませんとも」

 

 一番の懸念は即座に否定された。けれどジゼルの殺意は止まらない。

 

「しかし、彼女は同時に怒っている。我らギャラルホルンの腐敗ぶり、そして偉大なるアグニカ・カイエルの魂が忘れ去られてしまっていることにな」

「……えー、まあそうですね。アグニカが頑張って設立した組織がこうもなっているなんて、ジゼルとしてはちょっとショックですねー」

 

 あんまり心が入っていないが、普段からジゼルはこんな調子である。だからマクギリスは特に疑う事は無かったし、今もジゼルの殺意に中てられている三者はそこまで気が回らない。唯一ラスタルだけは彼女の真意に手が届いたが、それはこの場で言う事ではないと自制した。

 

「そういう訳だ。諸君らは恥ずかしいとは思わないのかね? かつてアグニカ・カイエルがギャラルホルンを創設した際の理念は何処に行ってしまったのだ? 今や世界の治安を守るという大義すら失われ、混沌とした世の中が広がる有様。この現状になんの呵責も無いと言うのか?」

「それは……」

 

 ただ一人、ボードウィン卿だけがマクギリスの言葉に理解を示した。残るファルク公、バクラザン公はだんまりを続けている。彼らとしては現状こそ最良である以上、下手に同意して利益を捨てたくはないのだ。

 けれどそんな葛藤もすぐに終わる。今のマクギリスは誰にも止められない。

 だってそうだろう。安易な力に訴えることはせず、最大の障害をも味方にし、かつてのアグニカを知る者を引き込み、何より一つの負い目も無い。ここからマクギリスが追い詰められる事など万に一つもあり得ない。

 

「いや──」

 

 負い目ならある。たった二つだが、マクギリスにとって忘れがたいものが。

 しかし彼と彼女がここで立ちふさがるなど絶対に無い。なにせマクギリスが暗躍し、一人は直々に止めを刺したのだ。可能性として考慮するなど馬鹿げている。

 だからすぐにマクギリスは馬鹿げた思想を振り払うと、いまだ答えを渋る三者に選択を突き付けた。

 

「あなた方にも選んでいただきたい。我ら改革派と共にギャラルホルンのより良い明日を目指すか、このまま腐り果てた昔日を愛おしむのか。無論のこと、敵対するなら容赦はしない。だがこちら側に付くというのなら、可能な限り便宜は図ると約束しよう」

 

 状況は完璧だった。武力によって脅している訳ではないが、影響力のある者たちばかりがマクギリスの傍に揃っている。よしんば敵対するとしても、現状の力量差なら簡単にひねり潰せる。それを理解できないセブンスターズではないだろう。

 

 だから後は予想通りの言葉を待つだけ──

 

「いいや、我らはあなたには屈しない、ファリド公」

「なに……!?」

 

 の、はずだった。

 訳が分からないというマクギリスに、ファルクの老体はもう一度毅然とした態度で宣言した。バクラザン公も真っすぐマクギリスを見据えていて、ボードウィン卿だけが状況の変化についていけていなかった。

 

「ファリド公の言い分にも理解は示せるが、けれどそちらにも不正はあるだろう。友を殺してまで革命を行おうとする者の言葉など、信用できるはずも無い」

「何を言って──」

 

 その時だった。会議場の扉がまたも開く。新鮮な空気が流れ込み、閉塞した場を洗い流す。

 新たにやって来たのは二人、どちらも若い男だ。特に目を引くのは先頭に立つ男、奇怪な仮面を付けているせいで顔が少しも分からない。

 仮面の男──ヴィダールはイオク・クジャンと共に堂々と入室すると、困惑するマクギリスの前に立ちはだかった。

 

「久しぶりだな、マクギリス」

「その声は……まさか!」

「ああ、その通りだよ。この日の為に俺は地獄から舞い戻った」

 

 仮面によってくぐもった声だが、聞き違えるなどマクギリスにはあり得ない。それだけ馴染み深く、同時に二度と聞くはずのない声だったはずなのだから。

 いっそう動揺を深めたマクギリスの前で、ヴィダールは仮面を外した。端正な顔を走る傷跡と、ボードウィン家に共通する紫の髪が鮮やかだ。そして両眼に宿る焔は真っすぐにマクギリスを射抜いている。

 

「単刀直入に言おう。──喧嘩をしに来たぞ、マクギリス」

「ガエリオ、だと……! 生きていたのか──ッ!?」

 

 ──逃れようのないマクギリスの負い目が、ついにその仮面を剥ぎ捨てた。

 




マクギリス、ついにガエリオと相対するの巻。

それにしてもオルガ・イツカの死亡からもう一年とは早いものです。彼の遺言通りに止ま(エタ)らないためにも、もっと精進していけたらなと思います。
あと正確には一日ズレてますが、誤差の範疇なので許してください……(小声)


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#41 対峙する二人

 ──マクギリスがヴィーンゴールヴにて公然と打って出る、実に三か月も前のことである。

 

「では、残るセブンスターズ達に我らクジャン家と、そちらのボードウィン家で働きかけると?」

「ああ、そうだ。認めたくはないが、現状ではマクギリス達と戦力差が開きすぎているからな」

 

 既に仮面を取り去ったガエリオは静かに首肯した。クジャン邸の窓の先から遠く見える地平線へと目をやりつつ、瞳に映る決意は片時もぶれてはいない。

 共に手を結ぶことを決めたガエリオとイオクは現在、宇宙から降り地球へと帰還していた。二人が合流してから既に一週間という時間が経っているが、今のところマクギリスが動き出した様子はない。イオクが気にしている鉄華団もどうやら火星でのMA騒ぎの後始末に追われているらしく、それ故に潜伏する形を取っている彼らにしてみれば好都合と言えよう。

 

 火星であまりにも下手を打ちすぎてしまったイオクと、存在自体が勢力を伸ばすマクギリスへの切り札となるガエリオにとって、誰からも注目されていない現状こそ最適なのだから。

 

「しかし火星での失敗はどう説明するのだ? 私はあまりに多くの部下と機体を失いすぎた。この失態は到底看過されるものでもないと考えるが」

「だからこそ先手を打って働きかけるのだ。下手に突かれてしまうよりも先に、失態をカバーするだけのメリットを提示する。そう、例えば──」

 

 ──”改革派であるマクギリスを押し留め、現状維持を続けるための方法を提示する”、とか。

 

 大胆不敵な言葉にイオクがゴクリと喉を鳴らした。ガエリオもこれが最善であるという自信はないが、それでも今できる最大限の行動はこれを置いて他に無い。

 

 忘れてはならないのが、マクギリスはあくまでもセブンスターズにおける少数派という点だ。残る大部分は現状維持こそ望んでおり、自分たちにもたらされるメリットを捨ててまで改革しようとは思わない。

 だからまだ勝ち目を探せる。ラスタルは既に引き込んだとはいえそれでも二家、残る五つが結託すれば彼に反旗を翻すだけの力をかき集めるのも不可能でないのだ。否、むしろ勝機を見るならここに賭けるしかない。

 勝手にMAと交戦した挙句、鉄華団の主力と思しき相手と矛を交え全滅したイオクは確かに(そし)りを逃れえないだろう。けれど逆を言えば、ヴィダール達の中で誰より相手(ふしちょう)の情報を持っているという事にも繋がるのだ。まして彼はヴィダールよりもラスタルと共に居たのだから、所持している情報量は存外馬鹿にならないものがある。

 

「残るセブンスターズがイオク・クジャンに責任を求めるのは簡単だろうが、安易にそれをすれば後に影響するのも間違いない。ましてお前には戦う意思と意欲があるのだ。この段階で切り捨てるにはデメリットが大きすぎるだろうさ」

「おお、なるほど……! そして今度こそ私がクジャン家に恥じぬ者として振舞えば、万事が上手く行くという寸法だな!」

「おそらくだがな。あまり安易な考えに走りたくは無いのだが……これを実現できなければ、俺たちがマクギリスに勝てる可能性は万に一つも消えるだろう」

 

 やる気を見せるイオクに対して一抹の不安を覚えないことも無いのだが、それを今更疑うのは不誠実にも程がある。それにこうして反旗を翻すべく行動している以上は覚悟を持って臨んでいるのも間違いないのだ。これまでのイオク・クジャンとは違うと信じるべきだった。

 だから残る不安は他のセブンスターズ達が動いてくれるか否かにかかっているのだが……こればかりはいかんともしがたい。確かにガエリオはマクギリスのアキレス腱になり得るだろうが所詮は個人に過ぎず、単騎で戦況をひっくり返せるかと言えばそれも違う。そんな男に腰の重い他家が乗ってくれるかどうかは博打にも似ていた。

 

「イシューとボードウィンは問題ないとしても、どのようにしてファルクとバクラザンをやる気にさせるか──それが唯一にして最大の問題となる。案はあるか、イオク?」

「……一つだけ、思いついたことがある」

 

 ガエリオは無言で続きを促した。神妙な顔でイオクは続ける。

 

「ラスタル様……いや、エリオン公は月外縁軌道統合艦隊を統べる司令官だが、マクギリスの策略によってその力を弱められた。これによって少なくない数の間者が艦隊内部に潜り込んだのは忌々しいことだが、それはある種のチャンスにもならないだろうか?」

「ラスタル自身の戦力をこちらに引っ張り込むという事か……しかしそう上手く行くものなのか? いくらあの男の権威が揺らいだとはいえ、依然として慕う者もまた多くいると想像できるが」

「たぶん可能だとは思う。私はこれでも貴公より長くエリオン公の薫陶を受けていたのだ、元より艦隊に他のセブンスターズに繋がる者が居るという噂くらいは聞いていた。その中にファルクとバクラザンに繋がる一派があっても不思議ではないはずだ」

 

 イオクにとってこの告白は恩師に対する裏切りにも思えたのだろうか。つい先ほどまでの溌剌さはすっかり鳴りを潜めてしまっている有様だ。

 

 一方でこれにはガエリオも唸らされた。ラスタルの下には二年在籍していたかどうか程度の彼に比べれば、イオクの方が内情に詳しいのは自明と言えよう。その言葉、確証はなくとも信憑性は強い。

 そう、セブンスターズは基本的には味方同士だが、必ずしも一枚岩でないのは現状を鑑みても明らかなのだ。故にセブンスターズ同士の対立が起こったし、有事に備えてエリオン家が支配する艦隊の中に他家の勢力が潜んでいてもおかしなことではないだろう。ボードウィン家がそういう事をしていたとは聞いていないが、なら他もやっていないなどとは口が裂けても言えはしまい。 

 

 ──マクギリスはラスタルの勢力を弱めることで自陣へと引き込んだ訳なのだが、それが逆に枷となる。最大の味方を手に入れるためにまず弱らせたという行いがイオクの言を支える柱となるのだ。

 

「自らアリアンロッドを弱らせてしまったからこそ、付け入られる隙もまた生まれたということか。これまた因果なものだな、マクギリス……」

 

 一つ嘆息してガエリオは思いを馳せる。考えてみれば随分と遠くまで来たものだ。二年前、マクギリスと共に火星へ訪れた際はこうなる事など欠片も知らなかったというのに。それがいつの間にか友は遥か遠くにまで走り去り、自分は意外な人物と手を組み戦っている。それこそ因果の不可思議な流れを想わずにはいられない。

 果たして自ら(ガエリオ)友人(マクギリス)に勝つことが出来るのか。分からない。分からないがしかし、友だと信じるからこそ足は止められない。止めてしまえば自分はもちろん()()()()()()の想いすら蔑ろにしてしまうのだから。

 

「そうだろう、アイン……!」

 

 忘れてはならない。マクギリスは友であると同時に部下の誇りを利用した仇敵でもある。友への友情や憧憬、怒りに憎悪まで、その全てをぶつけるべくガエリオはこうして虎視眈々と機会をうかがっているのだ。そのためには相応の無茶も通したし、自らが嫌悪した技術にすら手を染めた。そこまでしてようやくガエリオはマクギリスに立ち向かう資格を得たのだ。

 

 だからこうしてイオクに疑問をぶつけられるのも、半ば当然の成り行きなのかもしれなかった。

 

「それにしても、どうすれば私も貴公のような強さを得られるのだろうか。あの鏖殺の不死鳥を狩るには生半可な操縦技術ではとても及ばない。今の私が最も欲する力を持っている者に問いたいのだが……」

 

 イオク・クジャンの操縦技術はお世辞にも褒められたものではない。今のままでは不死鳥の前に出たところであっさり殺されるのが関の山だろう。故に強さについて悩むのは当然だし、これに対する一つの答えをガエリオは持っていたのだが。

 

「いいや、俺とてそう褒められたものではない。むしろ外道とすら言える技術を以って手に入れた力さ。とてもじゃないが人に誇ることなどできはしない」

「それはいったい……?」

 

 一瞬だけ答えるのに躊躇してしまう。芯の真っすぐなイオクだからこそ、ガエリオの答えには難色を示すかもしれない。だがそれでも正直に答えるのが共に戦う者への誠意だと思ったから。

 

「俺もまた阿頼耶識システムを用いている。それも他者の脳を媒介にした特殊なものをな」

「なぁッ……!? 他者の脳を、だと……!」

 

 一切隠すことなく白状した。さしものイオクも目を剥いて驚いている。そんな彼を横目に、ガエリオはあくまでも淡々と自身とその機体についての説明を行った。

 他者の脳を媒介として行う阿頼耶識Type-E、その脳はかつての部下で戦犯のもの、特異なシステムからガンダム・ヴィダールは特殊な調整を施されている等など……かいつまんではいるもののおおよそ話した。まとめてしまえばシンプルだが、実のところ常軌を逸した行いを。

 

「既に機体の調整は終わり、データ自体はヴィダールの中に納まっている。後はそれを基に装甲や武装を換装すれば本来の機体に戻るだろう」

「なるほど……まさかそのような事情があったとは。私とて今や復讐に身を焦がす者だ、貴公を責める資格はないとも。だが敢えて言ってしまう愚かさを許して欲しい」

 

 そう前置きをしてから、イオクはハッキリと告げた。

 

「それはあまりに危険な技術ではないのか? 人権は何処に行った? 悪用されない危険性は? これが悪辣な者達の下へと流出した時、一体どのような狂気が起きるというのだ?」

「……返す言葉もない。全てはお前の言う通りだよ。それらを全部わかった上で、俺はアインを”利用する”ことに決めたのだから」

 

 死んでいった部下と共に戦うと言えば聞こえは良いが、その実態は死人に鞭打つも同然の行いである。いや、それでもガエリオはまだ良い方だ。死んでいった部下の想いを確かに継承しているのだから。合意の上とは言い難いが、完全におかしいと言い切るには築いた信頼関係が強固である。

 よって恐ろしいのはそれ以外で、もしヒューマンデブリの脳を利用した同システムが開発されてしまえばどうなるか。答えは火を見るよりも明らかだろう。ただでさえ屑のように安い命が、もはや生体ユニットとしての価値にしかならなくなってしまうのだ。

 

 この程度のこと、イオクでなくとも阿頼耶識Type-Eに関わった全ての者が予見できる事態である。それでも開発に踏み切られたのはひとえに”使える技術”である事と、何よりガエリオが再び戦うために必要だったからだ。

 ガエリオは自嘲する。やはり随分と遠くに来てしまったものだ。かつての自分が今の己を見たならば、一体どんな罵倒を喰らうのだろうか。

 

「こんな技術を扱っている以上、もはや俺とてギャラルホルンの歪みの一つだ。言い訳する余地もなくマクギリスが正そうとする者たちの一人だろうさ。それでも俺は、奴と対峙するに足る力が欲しかった。力でしかアイツの顔をこちらに向けられないなら、圧倒的な力で奴を振り向かせてやりたかった」

 

 結局全てはガエリオの個人的な思惑に過ぎないのだ。そのために倫理すら紙屑のように破り捨て、今もこうしてギャラルホルンを二分する戦いを仕掛けるべく構想を練っている。そんな自分は間違いなく最低だろうし、全てが終わった暁にはあらゆる非難を受け入れる覚悟も出来ている。この忌まわしき阿頼耶識とて封印するための用意だって既にある。

 それでも、今この時だけは譲れない。何を言われようとどう思われようとも、ガエリオはマクギリスしか見ていないのだから。友すら切り捨て先へと進むあの男に、胸を張って自らという存在(とも)を刻み込んでやるために。

 

「つまりはこれがガエリオ・ボードウィンという男の真実さ。幻滅されたろうし軽蔑しただろうが、それでも俺はこう言わねばならない。どうか力を貸して欲しい、共に戦ってくれ──と」

「……思うところはある。だがどうしようもない過ちを犯したのは貴公だけでなく私も同じだし、ひたむきに前へと進まんとするその姿勢には敬意を覚えるとも。幻滅などするものか、軽蔑など以っての他だ」

 

 互いに一度は敗北した身で、そこから逆襲を誓い合ったのだ。ならばこそ、ここで仲違いするなどあり得なかった。今や両者は運命共同体であり、想いを同じくした仲間であるのだから。

 

「だから私からも改めて言わせて欲しい。どうか貴公の力を貸してくれ、共に戦ってくれと」

「無論だとも。イオク・クジャン、お前が共に戦う仲間であることを俺は誇りに思う」

 

 ◇

 

 かくしてここに、両者の邂逅は相成った。

 

「単刀直入に言おう。──喧嘩をしに来たぞ、マクギリス」

「ガエリオ、だと……! 生きていたのか──ッ!?」

 

 逃れようのないマクギリスの負い目がついにその仮面を剥ぎ捨てる。現れた傷の走る端正な顔、その視線に宿した強大な炎は真正面からマクギリスを貫き憚らない。さしもの彼でも一歩後ずさりかけて、すんでのところで踏みとどまったのだ。

 驚愕はほんの一瞬だけ。すぐに常と変わらぬ不遜な笑みを浮かべたマクギリスは、まるで揶揄するかのように口を開いた。

 

「これは驚かされたよ全く。ガエリオめ、随分と劇的な登場だな」

「その為にここまで息を潜めてきたからな。存外に大変だったよ、お前に生存を気取られないようにするのは」

 

 それからチラリとラスタルを見た。彼はあくまでポーカーフェイスを貫いていたが、マクギリスの反応を見るにガエリオについて何の情報も与えていなかったのは確かだろう。そのことに目線で短く感謝を示してから、すぐにマクギリスへと詰め寄った。

 

「何もかもがお前の思う通りに行くと思ったら大間違いだ。俺はお前の友として、その思い上がりを正してやる」

「友だと? よくぞ言ったガエリオ、まさかそんな生温い友情(モノ)で俺の前に立つとはな。お前の方こそ、その程度の軟弱さでは欠片も届かぬと思い知れ」

 

 互いに退けぬ想いを抱くからこそ、ここからは一歩だって譲りはしない。そう主張するかのように睨み合う両者だが、ここに全くの第三者の声が入る。

 

「つまり──敵ということですよね? なら殺しちゃっても良いですか?」

 

 クスクスと上品に笑いながら左手で銃を回しているのは、希代の快楽殺人鬼ことジゼルだ。その殺意は既にマクギリスへと対峙するガエリオと、彼女に対して油断なく銃を向けているイオクへと向いている。おそらくは一つ切っ掛けがあれば躊躇いなく殺すことだろう。

 

 これに答えたのは他の誰でもなく、イオクその人だった。

 

「殺せるものなら殺してみるが良い。だがその瞬間貴様の敗北が決定する。それでも良いのなら、な」

「へぇ……」

 

 金の瞳が興味深げに細められた、その瞬間だった。

 先ほどガエリオ達が入って来た扉の奥から更に物々しい音が響いてくる。やって来たのはギャラルホルンの士官たち、皆が同じクジャン家の紋章が入った制服を着用している。およそ七名ほどの彼らはすぐに懐から銃を取り出すと、迷うことなくジゼルへと向けたのだ。

 

「おやおや……これは随分と大盤振る舞いじゃないですか。まさか自分からジゼルの”ご馳走”になりに来てくれるなんて」

「……ッ、なんとでも言うがよい。ここで貴様が暴れるならば、即座に我らの誰かが貴様を殺すと心得ろ」

「はぁ、ならそういう事にしておきますよ。あんまり問題を起こしてると褒めてもらえなくなっちゃいますし、まだまだ死ぬには悔いも残りすぎますし」

 

 渋々といった形で矛を収めたジゼル。もちろんそれで安心などできるはずも無く、クジャン家の面々は誰もが油断なくジゼルへと銃を向けていた。いっそ異様な光景だが、誰もが異を唱えることはない。それは味方であるマクギリス達ですら例外でなく、それがいっそうジゼルの底知れなさを物語るのだ。

 息を吸うように狂気を撒き散らしたジゼルの影響で場が固まる。そこで最初に復帰したのは、ガエリオ登場からずっと無言を貫いていたラスタルだった。

 

「なるほど、貴公の意思はよく分かったとも、ガエリオ・ボードウィン。して、大義はあるのかな? 我らはこのギャラルホルンをより良き方へと改革せんとする身だ、それを上回る大義がその背にあるとでも?」

「無論、ある」

 

 即答だった。力強いその言葉にラスタルも満足げに頷く。元よりガエリオを焚きつけたのは彼なのだから、この問答すらある意味で茶番のようなものである。

 それでも訊いたのはひとえに彼の感傷であり──決意表明をさせるためのお膳立てであったのだろう。ある意味でこの状況を用意したのは彼であるとも言えるのだから。

 

「マクギリス、それにエリオン公。二人の意見は確かに分かる。こうして腐敗したギャラルホルンを正すために、改革という力技を良しとするのも一つの答えだろう。だがそれは、他の全てを裏切り貶めてもなおやるべき事なのか?」

 

 語るガエリオの脳裏に浮かぶのはよく知る三人の顔だ。

 

 マクギリスを想い散っていった幼馴染のカルタ・イシュー。

 上司の仇を討つという想いを利用されて弄ばれたアイン・ダルトン。

 そして彼の妹であり、マクギリスの婚約者でもあったアルミリア・ボードウィン。

 

 改革の為に少なくともこの三人を利用したのがマクギリス・ファリドであり、だからこそガエリオは彼の行いをそのまま認める訳にはいかなかった。その思考はあまりに個人的なもので、けれど人としては痛いくらいに真っ当で抑えようのない感情なのだ。

 

「俺はそのような者が行う改革を認めない。より良い善の為ならあらゆる犠牲は考慮し受け入れろ? いいや、それは違うぞふざけるな」

「語るに落ちた理想論だな。誰の犠牲もない無血の改革など不可能だ。ふざけているのはお前だガエリオ、一度死んだことでその瞳まで曇ったか」

「それは自らを慕う者まで切り捨ててするべき事なのか!? お前のやり方は歪だ、そんなものでは絶対に周囲の反発を買う! その先にあるのは血みどろの改革だぞ!」

「ならばお前がやろうとしていることは何だ!? 俺を否定し戦いを起こす事こそ血を流す行いそのものではないか! そんな程度のことでギャラルホルンを腐らせたままになどしておけるものか!」

 

 息を切らしヒートアップしていく両者。どちらとも譲る気はなく、またどれだけ言葉の応酬を重ねても相手を完全に否定できないのも確かだった。

 

 端的にまとめれば、これは平行論にしかならないのだ。

 感情論から進むガエリオに対しマクギリスは何処までも理詰めであり、どちらとも言っていることは正しいがそれが全てでもない。絶対の正義と言うべき人も心もこの場にはなく、さりとて悪と弾劾できる行いもまた無いのだから。常にない激情を迸らせているのも”冷静になってしまえば相手に呑み込まれる”という危機感の裏返しなのだ。

 

 だから、この場が一つも収束しないのは予定調和だったのだろう。

 

「分かっていたことだが、もはや言葉で語り合う段階は過ぎていたようだな、マクギリス」

「それこそ愚問だ、ガエリオよ。友情も、信頼も、愛も言葉も何もかも、俺に届かせるにはまだ(ぬる)い。こんな片手落ちの手段に訴えた時点でお前の負けだ」

「いいや、まだ負けていないとも。俺はお前を必ず止める。今のギャラルホルンを無理に破壊せずとも必ずや良い方向へと導けるのだと証明してみせる。目の前の分からず屋をぶん殴ってでもな」

「やれるものならやってみるがいいさ。お前を今度こそ打ち滅ぼし、こちらこそ正しい側なのだと証明してみせよう」

 

 言うだけ言って、マクギリスは背中を向けた。”次に会う時こそ決着をつける時だ”、そう告げるかのように威風堂々と足音を響かせながら去って行く。その後ろ姿をガエリオと残るセブンスターズ達が無言で見送り、次いでゆっくりとジゼルが歩き出す。自身に向けられた銃などお構いなし、ギョッとしたようにイオクの部下たちが一歩後ずさった。

 そして最後にラスタルもまた退場しようというところで、イオクが叫んだ。

 

「エリオン公!」

「……どうされたかな、クジャン公?」

 

 ゆっくりと口を開いたラスタルの迫力はやはり凄まじいもので、かつてのイオクなら一秒だって耐えられなかった。

 でも、今は違う。例え後ろ向きなことだろうと、やるべきことを胸に秘めた今ならば向き合える。それだけを頼りに彼はラスタルと向き合った。

 

「大変お世話になりました! 例え我らがどういう結末を迎えようと、受けた恩は忘れません!」

「……ふっ。せいぜい励め、簡単に死んではくれるなよ」

 

 そして今度こそラスタルは姿を消し──

 

 ここにギャラルホルンを二分する戦いの開幕が告げられたのだ。

 




この話の肝は、『ガエリオとマクギリスのどちらにも正義と悪がある』という点ですね。
本編で指摘されたように、どちらも思想自体は間違っていません。むしろ正しいことです。けれどそれを叶えるためのやり方に不純があるのも確かであり、だからこそガエリオは自分を最低だとも評している訳です。

つまるところ、これはどちらが良いも悪いもありません。どっちも良いしどっちも悪いのです。そんな二人だからこそ、善悪を越えた友情バトルを見せてくれると私は信じています。

ちなみに、何度か言及したオリキャラの導入ですがすっぱり諦めました。オリキャラはジゼルだけで十分、後はセブンスターズの独自解釈と設定でどうにかします。
もしオリキャラを入れるならたぶん37番目のガンダムにでも乗せて、「心から敵を斃したいなら条約なんざ無視して本気でダインスレイヴぶち込んでやれよ!」と叫ぶキャラにする予定だったのですが……37番目のガンダムはジゼルの駆るフェニクスですし、常識的に考えてとんでもないキャラになると思ったので止めました。本気と勇気で覚醒しそうですし


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#42 最後の大一番へ

 セブンスターズの議会場から一路自らの執務室へと戻ったマクギリスは、執務机に向かう椅子に座った途端に深い溜息を吐いた。彼らしくもない疲れたような行いだ。予想外の事態に遭い、さしもの彼でも動揺は禁じ得なかったのだろう。

 

「まさかガエリオが生きていたとはな……やってくれたなエリオン公。おそらくはあなたの下に身を寄せていたのではないかと考えるが、違うか?」

「その通りだ。私は訳あって彼を助け、その目的のために惜しみない援助を行い、そして袂を別つ際にも敢えて見逃した。くくっ、怒っているかね?」

「……どの口がそんなことを。これだけの事をされてなお怒らないほど聖人君子になったつもりなど無いさ」

 

 ラスタルの口から呆気なく明かされた真実にはマクギリスをして──いや、マクギリスだからこそ怒りを覚えるのだ。仮にも味方として引き込んだ者からのまさかの裏切り、革命派のトップに立つ者として見過ごせるはずがない。

 けれど、あのラスタルが意味も無く自陣を不利にするような真似をする筈がないのもまた事実だ。それくらいには彼の手腕を認めている。ならばそこにどのような意図があったのかマクギリスは思考を巡らせたが、

 

「……どう考えても不可解だな。私とガエリオをみすみす相対させたとしても、こちらの落ち度が明るみになって不利に落とされるだけだ。それを承知でエリオン公が革命派に加わるとは考えづらいと思うが?」

「そうだな、私としても自分で自分に驚いている節があるとも」

 

 もっともな指摘にラスタルも苦笑で返した。

 

「まさか得にならないどころか自らの首を絞めかねない行いをしてしまうとはな、と。だが後悔は無いさ。マクギリスよ、お前が真にギャラルホルンを改革せんと願うなら、奴との対峙は不可欠だ」

「自らの罪を認め、その上で奴を乗り越えろと?」

「いいや、それ以上さ。共に歩めたはずの友との決着をつけずして、ギャラルホルンという巨大組織を束ねる事など叶わん。ガエリオ・ボードウィンはその為の試金石であり、またマクギリス・ファリドが超えるべき最大の試練であるという訳さ」

「簡単に言ってくれる。つまりあなたは、()と奴の喧嘩の結果を見たかったから見逃したということか」

 

 再びマクギリスは溜息を吐いた。今度は一度目よりもなお深い。

 あまりにも個人的な動機で、かつ享楽的としか思えない。少なくともあのラスタル・エリオンが選ぶ手とは到底思えなかった。なのに呆れや怒りがあってもそれ以上責める気が起きないのは、彼自身半ば認めているからなのだろうか。

 

 すなわち──ガエリオを越えなければ自らの理想は果たせないと。

 

「いいだろう。ならば見せてやろうではないか。今度こそガエリオをこの手で討ち取り、真なる秩序をこのギャラルホルンへと齎す様をな。結局のところ物事を決めるのはいつだって力だ、それを改めて証明してみせよう」

 

 気炎も新たにマクギリスが闘志を燃やす。かつて友誼を結び、そして殺した男の予想外な登場には確かに出鼻をくじかれた。ああ、それは確かに認めよう。だがそれで? ならば次こそは完膚なきまでに叩きのめせば良いだけの話、むしろ加速度的に二極化した政争はより勝者をはっきりさせてくれるはず。その点に関しては感謝だってしてもいいくらいだ。

 

「ガエリオにはこの手で引導を渡してくれよう。私とアイツのどちらが正しいのか、今こそ雌雄を決する時なのだから」

「……男の人は、大変ですね」

 

 燃え昂る男の宣誓に、これまで無言を貫いていたジゼルが初めて口を開いた。先ほどのマクギリスのように軽い溜息を吐くと髪を軽くかきあげる。自分だけで手入れすることで()()()()()()()赤銀の髪がふわりと落ちた。

 

「強さはもちろん愛や友情、譲れない誇りという無形のものへ簡単に命を懸けることが出来る。(ジゼル)にはよく分かりませんよ。ただ一言、『あの男を殺せ』とだけ言ってくれればそれで済む話なのに」

「生憎とそう簡単にはいかんよ」

 

 今度はマクギリスが苦笑してしまう番だった。冗談なのか本気で言っているのか分かり辛いジゼルの発言だが、たぶん両方の意味を含んでいるのだろう。そうでなければ口の端が弧を描いてなどいないはずだ。

 

「包み隠さず述べてしまえば、今の私は君をこの場に招待する以上の行いを鉄華団に要求していないのだよ。これ以降に発生する我らの戦いにまで参入するか否かは、あくまでオルガ団長の判断こそ肝要だろう。なのに身勝手にも参謀たる君を巻き込んでしまえば鉄華団の不興を買ってしまうのは明白だ」

「……意外と真面目な理由でしたね。ジゼルはもっとこう、鉄華団を体よく利用するつもりなのだと考えていましたが」

「もちろん存分に利用させてはもらうさ。だが知っての通り、私は鉄華団を高く買っている。なればこそ不誠実な真似をするなどとても出来はしないのさ」

 

 これは紛れもない本心である。共に友好関係を結んでおり、しかもマクギリス個人が目にかけている組織だからこそ、その繋がりを壊してしまうような行いをしたくないのは事実だった。

 だがそれは所詮真面目な理由であり、同時に建前に過ぎない。真の理由は先ほど宣した通りでしかなく、ジゼルの言葉を借りれば”譲れない誇り”のためにガエリオと決着をつけるべきと考えているのだ。

 

「すまないがガエリオはこの手で倒す。それがこの俺に課せられた使命であり、越えるべき試練であるのだろう。まったくエリオン公の言う通り、上手く手のひらの上で転がされてしまったものだよ」

「そうですか、それは残念です。……友情も親愛も何一つない相手が横槍を刺せる良い機会だったのですがね」

「手前贔屓になってしまうが、あの男は強いぞ。様々な意味でな。それに勝てると断言できるのか?」

 

 当然の疑問を呈したのはラスタル、それに対しジゼルは穏やかに微笑んだ。見る者を魅了し吸い込んでしまいそうな儚さで、その唇は悪夢のごとき言葉を紡ぐ。

 

「ええ、もちろんですとも。決意も友情も積み上げてきた人生も、誰かの全てを呆気なくぶち壊すのが()()ジゼルの楽しみですから。人間の狩り方なんてよく知っていますとも」

 

 血と狂気に塗れた破綻者こそジゼル・アルムフェルトの本性なれば、この程度の発言は一々特筆するに値しない。既に一度直に会っていたマクギリスは動揺の欠片もないが、さしものラスタルもこれには驚いたように目を見張った。やはり、頭で理解していても直に見るのは違うものである。

 厄祭戦の生き残り、まさかこれほどとはな──珍しく動揺を隠そうとしないラスタルの呟きが部屋に木霊した。同時に彼の中で納得も生まれてしまう。ここまで人を外れた怪物が相手では、ガラン程の男が敗れるのも無理はないと。

 

 そんなラスタルの動揺と納得をよそに、ジゼルは一人で得心したように頷いた。その瞳は既に自らの獲物を定め爛々と輝いている。

 

「ではジゼルの相手はあのイオク・クジャンという男ですね。たくさんの殺しても良い人間をジゼルの前に連れてきてくれるなんて、彼には感謝の念が絶えませんよ」

「その割には随分と恨まれていたようだがな。いや、君が彼らへ行った殺戮を鑑みれば決して不自然でもないだろうが……何か発破をかけでもしたかな?」

「そうですね、心からの忠告と感謝をさせてはもらいましたよ。それをあの人がどう受け取ったかは知りませんが、まあ彼はジゼルの相手です。例え鉄華団がこの戦いに関与しないとしても、いつかジゼルが殺すので手出しは無用ですよ」

 

 口調こそいつも通りのんびりとした雰囲気だが、そこには有無を言わさぬような圧力が付随していた。マクギリスとしても別段文句は無かったし、仮に鉄華団が参戦しないとしてもイオクだけならどうにかする算段は付けられる。

 それに何より、鉄華団がマクギリスからの要望を蹴るとはこれっぽっちも信じてはいなかったのだ。だから少しも躊躇いなどせず歯切れよく確約してみせた。

 

「良いだろう、では君とイオク・クジャンについてはそのように取り図ろう。構わないかな、エリオン公?」

「……ああ、勿論だとも。あの男とて承知の上のはず、ならば私には止める義務も資格もありはしないさ」

 

 マクギリスとガエリオの対面にはらしくも無い横槍を入れたラスタルだが、それ以上の私情を挟む気はこれっぽっちも無いようだった。内心はどうあれイオクの扱いについてはマクギリスへと一任するらしい。

 これを冷酷と見るか、私心を殺せると考えるか、はたまたかつての部下にも手を抜かず対等に接するべきとしたのか、捉え方はそれぞれだろう。ともあれこの場のリーダーはその答えに満足したらしく、鷹揚に一つ頷いたのである。

 

「いずれにせよ、今日という日を以って改革への第一歩が踏み出されたのは確かだ。互いの保有戦力から考えても、決着の舞台は宇宙を置いて他にあるまい。となれば開戦までは今しばらく間が空くのも確かであり──」

「その間に出来る準備は済ませておけという事ですね」

「ああ、その通りだとも。もはや我々は引き返せない。だが引き返す気など毛頭ないさ、狙うは一点改革の成功のみ。この腐ったギャラルホルンに新たなる風を吹かせるために、尽力せねばならないのだ」

 

 どうであれ引き金は引かれてしまい、ギャラルホルン内での一大闘争は避けえぬ未来と決まってしまった。ならばもう、最後にモノを言うのは我を通すための力であり──それはマクギリスにとって何よりも”らしい”決め方に他ならない。

 

「そのための力こそガンダム・フレーム、か……そろそろ私も、ファリド家の蔵を開くときなのかもしれないな」

 

 ◇

 

「それで結局、団長さんはどうするおつもりですか?」

『どうするっつってもなぁ……』

 

 (てら)いなど一切なしの直球な質問に、オルガがモニター越しに言葉を濁した。渋い顔だが優柔不断に迷っているようにも見えない。成すべき事を決めた男の瞳だ。

 

『元々俺らとマクギリスの野郎はそういう関係性だ。確かに今回の敵はチョイと特別っつうか、味方も敵もギャラルホルンっていうのが妙な感じではあるが──』

 

 そこで一度言葉を切り、コホンと咳払いをして居住まいを正した。その鋭い視線は既に先を見据えている。

 

『受けるっきゃねぇだろうな。ここで断っちまったらそれこそ筋が通らねぇ。向こうがこっちを裏切らずに約束を守るってんなら、俺たちもそれに応えなきゃなんないだろ』

「……団長さんらしい考え方ですね。好きですよ、そういうモノの考え方は」

『そりゃどうも。褒め言葉として受け取っとくさ』

「褒め言葉ですからね」

 

 他愛のないやり取りにお互い苦笑してしまう。地球と火星で遠く離れた地に居る両者だが、結局その関係性は依然として崩れはしない。

 それにしても──とジゼルは言葉を続けようとしたところで、オルガの方も『さっきから気になってたんだが』と疑問を切り出した。モニター越しに目線が合い、やはり苦笑。

 

「なんです?」

『いや、そっちこそなんだ』

「なら先にこっちから言わせてもらいますが」

『……おう』

 

 譲り合いの美徳など知らんとばかりにジゼルが先に口出した。やや呆れながらオルガは黙って先を促す。

 

「マクギリスさんの思惑に乗るという事は、どうあれ戦いに参戦するという事です。鉄華団(かぞく)を何より大切にするあなただからこそ、それに躊躇いなく乗ったのが不思議に思えたので」

『確かにそうかもな。だけどまぁ、俺だってヤケッパチになった訳でも目先の利益に目が眩んだ訳でもねぇよ。それなりの打算と勝算があってのことだ』

「というと?」

『俺たちはかつて、まだアンタが居なかった頃にギャラルホルンへ一発かましてやった。そん時の評価のおかげで今の地位が有るんだが、それは分かるな?』

 

 勿論ジゼルは把握している。今より二年も前、鉄華団は火星からアーブラウまで革命の乙女を無事に届け通し、その最中に妨害をしてきたギャラルホルンを次々と打ち破った。それが契機で一端の企業にまで成長できたのだ。

 狂っていても事務方なのだ、その辺りの記録(レコード)はしっかり目を通していた。

 

『そんで今は火星ハーフメタルの採掘に、大海賊の討伐に、アーブラウでの活躍に……だからそう、あともう一歩なんだ。あと少しの功績があれば、俺たちはもう”ギャラルホルンに一泡吹かせただけ”の組織じゃなくなるのさ』

「武名を轟かせ、角笛の改革に手を貸し、そして改革の中心人物と太いパイプを繋げる、と……確かに理には適ってますね。ちょっと欲張りさんな気がする以外はですけど」

『アンタに言われちゃお終いだな』

 

 とはいえ博打に近い考え方をしているのは違いない。かつてオルガは遠回りだろうと進み続けると決意したわけだが、今回の決定はストレートに最短を突っ走るやり口だ。昔ならばともかく、現在の彼とはどうも噛み合わない気がしてならない。

 そんな違和感をジゼルは感じた訳なのだが、オルガの方も否定は一切しなかった。代わりに強い口調で断言してみせる。

 

『危険な橋かもしんねぇが渡れないことは一つも無い。ギャラルホルンは二分され、マクギリス側が優勢。俺たち鉄華団だって幾つも場数を踏んできた精鋭だ。そんで何より、頼りになる奴が俺の周りには多いからな──例えばアンタとかさ』

 

 だからどんな奴が相手でも勝てるさ、間違いなくな──そう締め括られた言葉にジゼルは静かに微笑んだ。

 

 理由としては脆いだろう。信頼がある、故に必ず勝てる。まとめてしまえばそんな程度でしかなく、大きな利益の為に敢えてリスクに飛び込むのはかつてを彷彿とすらさせてしまう。

 それでもただの無謀とは思えないのは、熟慮された上での判断だからだろうか。いいやそれとも、”これを最後の大一番にする”という決意が漂っているからか。無用なリスクを避けるのは大切だが、肝心要ですらリスクを気にしていては度胸が足りない。

 

 ──利益と危険を秤にかけ、その上でなお勝算があるなら躊躇なく飛び込む。かつてと同じように見えるそれはしかし、確かな成長の上に築かれたものであるのだ。

 

「良いですよ、それならジゼルも頑張りましょう。頑張らない理由も無いですし。団長さん的にはジゼルが大暴れして、他の仲間の犠牲を最大限に抑えて欲しいのですよね?」

『……まあ、それがないと言えば嘘になるがな。別に囮や捨て駒にする気もねぇさ、つかそんなことしたらアンタ俺たちすら皆殺しにすんだろ』

「さて、どうでしょう? これでも義理や恩にはうるさいですから……団長さんならどうします?」

『はっ、こりゃ愚問だったな』

 

 分かり切っていた答えである。それにそうでないとしても、割とジゼルは居なければ困る人材である。捨て駒どころか他所の組織に渡すつもりだってありはしない。

 そんな風に話が一段落したところで、改めてジゼルが「さっき言いかけたことは何ですか?」と問いかけた。そう言えばそうだったとばかりにオルガが頭を掻く。

 

『いや最初から疑問だったんだがよ、アンタどうしてコクピットで会話してんだ? つか明らかに動いてるよなそっち』

「おや、バレてましたか」

 

 意外、でも無さげな様子でジゼルが言う。そのまま両手に握り込んだ操縦桿を倒し、自身の操るフェニクスフルースを屈ませた。その頭上を無骨な斧が風切り音と共に通過する。すぐに体勢を立て直したフェニクスは固く拳を握り締めると、お返しとばかりに勢いよくランドマン・ロディを殴りつける。

 どう考えてもMSを用いた戦闘訓練である。そも最初からオルガの方のモニターには普段着のままコクピットに座るジゼルが写っていたし、チラリと見えるコクピット横モニターには鉄華団のMSが映り込んでいたのだ。

 

『なんだこれ、戦闘訓練でもしてんのか?』

「ええ、その通りですよ。戦技教導官っぽいことしてますが、これでジゼルも練習に付き合ってもらっている方でして」

『んの割には私服でお喋りまでするとは随分と余裕だなおい……まあアンタらしいけどよ』

 

 お喋りしながら訓練するとは結構な気の緩みようである。それなり以上に団員の訓練にも力を入れている鉄華団としては頭の痛い問題だが、確かに彼女が真面目に訓練している所は想像し難い。これも普段の行いの賜物だろう。

 

『つーか今更フェニクスで訓練する事なんざあるのか? この前の初陣で武器庫MSを派手に操ってたらしいじゃねぇか』

「それでも武装を装備した状態での重心バランスや、手数の変化は実際に動かしてみて感覚を掴まないといけませんから。特に翼部スラスターのサブアームに武装を持たせた場合は──」

『よーしオッケー、専門的な話はアンタに任せる。なんにせよこれまで以上に強くなってくれんなら文句はねぇさ。存分に奮ってくれ』

「元よりそのつもりですよ。……もしかしたら面倒な兵器が出てくるかもしれませんしね」

 

 興味深くはあるが、戦うのが専門でないオルガには面倒な話である。なので早々に打ち切ってしまい手をひらひらと振った。

 さて話題を変えるにはどうするか、一瞬だけ考えてから反射的に言葉が口を衝いて出た。

 

『そういやよくその服装で阿頼耶識を接続できてるな。服の下側から通してんのか?』

 

 言ってから女性への質問にはちょっと失礼だったかもと思う。

 だが既にジゼルは悪戯っぽく口の端を上げていた。嫌な予感がするがもう遅い。

 

「そうですよ。まさか他の皆さんのように上半身裸という訳にもいきませんし。それとももしかして、ジゼルの下着や胸でも見たかったですか? 団長さんもやっぱり男の子なんですね」

『待て待て待て! 馬鹿野郎、んな訳ねぇだろ!』 

「誤魔化さなくても良いと思いますけどねー」

 

 さっきまで真面目な話をしていたはずなのにどうしてこうなるのか。思わず頭を抱えずにはいられないオルガである。ただまあジゼルもジゼルで珍しく楽しそうなのが露わだし、悪くは無いのかもしれないが。こういう下らないやり取りを女性とするのも新鮮なものである。

 それからはひっきりなしにオルガをからかってくるジゼルと、それに対抗するオルガという不毛な構図が続き。気が付けば三十分ほども時間を忘れて軽口の応酬が飛び交っていたのだ。

 

 ──ギャラルホルンを二分する最大決戦まで残り一ヶ月。今はまだ、平和そのものだった。

 



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#43 開戦直前

今回はコロコロ視点変更が起きます。ご注意ください。


 ──火星の一少年兵でしかなかった自分たちが、まさか世界を二分する様な戦いに名を連ねることになるとは。

 

 鉄華団はマクギリス・ファリドとの同盟に応じ、彼の力となって革命派の敵を打ち破る──鉄華団地球支部所属のタカキ・ウノがその決定を知らされた際の、率直な感想がそれだった。

 

 時の流れは随分と早いものであり、気が付けばアーブラウ並びにSAUを巻き込んだ紛争、通称式典戦争から半年近い時間が経っていた。あの悪辣ながらどうにも印象に残るガラン・モッサを始め数々の苦難に襲われた苦渋の時期も、こうして振り返ると一種の懐かしさすら感じてしまう。

 あれから世は事も無し。変わらず地球支部長を務めているチャドを始めとして、妹のフウカに親友のアストン、他にもたくさんの仲間たちと共に日々を過ごしていたのだが……どうやら忙しくも平和だった時間はそろそろ終わりを告げるらしい。

 

「でも、俺たちの役目は何も変わらないと思うけどな」

 

 暖かいココアを飲みながらそう呟いたのはアストンだった。

 

 冷え込んだエドモントンの冬空の下、タカキはアストンと共に屋外に設置された格納庫(ハンガー)の一角に並んで腰かけているところだ。周囲には慌ただしく物資の入搬出や整備を行う者達がいて、大声やら車のエンジン音やらが飛び交い止む気配がない。

 近々行われるだろうギャラルホルンの一大決戦に向け、今朝から鉄華団地球支部はハチの巣を突いたような忙しさだ。タカキたちも先ほどまでMSを動かして荷物の搬入を行っていたところであり、ようやく一息付けたところであった。普段ならのんびりと雑談している二人であるが、今日の話題はもっぱら一つだ。

 

 すなわち今朝伝えられた鉄華団の今後の動きと、それに付随してチャドより代弁された団長の言葉である。

 

「『俺たちの”上がり”をこれ以上なくスマートに手に入れる最大最後のチャンス』、か……二年前にクーデリアさんを送り届けた時とは違って、ちゃんと勝算のあるみたいな言い方だった。そう考えれば確かにやることは普段と変わらないのかな」

「俺はそう思うな。俺たちの上がアーブラウからギャラルホルンに変わるだけ、内容だって結局は邪魔な敵を殺すことだ。むしろ変に複雑な仕事じゃないだけ俺としては助かるな」

 

 「まだ勉強とかそういうの苦手だし」、とアストンは気恥ずかし気に笑う。荒事ばかりが専門とされがちな鉄華団だが、護衛の任務や教導官という仕事だって十分ある。そういう時はただ戦うよりも何倍も頭を使わなければならないし、自分で考え行動することが苦手な団員がまだまだ多いのも間違いない。

 一方で数少ない”自分でしっかり思考できる”団員であるタカキからすれば、今回のギャラルホルンへの加勢はとてもじゃないが楽観できない。これまでだって散々ギャラルホルンには苦渋を舐めさせられたのだ、いくら味方もギャラルホルンとはいえそう簡単に行くかどうか。疑問は残る。

 

「正直俺は怖いけどな。たぶん戦場は宇宙になるんだろうけど、そうなると俺たち地球支部はどうなるのかなとか。もし宇宙に上がることになればフウカはどうするんだとか、そういう不安ばっか浮かんじゃってさ」

「その方がタカキらしいさ。考えるのが得意じゃない俺らの代わりに頭使ってくれるのはいつだってお前だからな」

「あはは、ありがとう……うん、でもこれで不安ばっかな訳でもないんだ。今の鉄華団と、それに団長ならって思えるところもあるからさ」

 

 不安だけでなく、こうも感じるのだ。今回の仕事がきっと鉄華団の行く末を決める最大の分水嶺であると。そして団長たるオルガはここ一番の局面においてヘマをしたことは一度もない。

 綱渡りも有ったし危機に瀕することも有った。それは事実だ。けれど最後は皆で勝利をつかみ取って来たからこそ、今日という日があるのも確かなのだ。

 

「これに勝てば団長の言う”上がり”はもう目前みたいだけどさ。正直言えば不安はあるし、自分たちの役割がどうなるのか不安なところもある。でも今その場の最善なんて結局どうしたって分からないんだから、この時この時で出来ることを一生懸命やって皆で”上がり”を目指すんだ」

「そう……だな。馬鹿な俺にも分かる気がするよ。これに勝てば皆の暮らしがまた楽になるんだ、なら精一杯頑張らなきゃな」

 

 アストンを始めとした多くの団員たちはオルガが何を考え組織を動かしているのか理解が薄いし、タカキだってあくまで一団員でしかない以上は知らないこともたくさんある。それでもなお、今回は理屈抜きに誰もが理解できるのだ。オルガがどれだけ本気でこの話に取り組み、鉄華団の舵を切るに至ったのかを。

 全ては鉄華団のため、皆でより良い未来(あす)を掴み取るために。オルガの抱くその感情に嘘はないと知っているから、彼を信じついていくことができるのだ。ならば自分たちもその想いに応えたい。

 鉄華団に所属する当たり前の一人の人間として、やれることを一つずつこなしていく。きっとそれこそ、今の彼らに求められるものだろうから。

 

「よし、それじゃあ休憩終わりだね。不安があるならせめて俺たちで少しでも解消できるようにしなきゃ、こうして此処にいる意味がない!」

 

 気合の籠もった言葉と共にタカキが立ち上がり、無言で頷いたアストンが彼に続いて立ち上がる。

 かつて感じた自身の無力、それをこの場で活かさずどうするのかと。強く感じながら二人は今日も生きていくのだ。

 

 ◇

 

 ギャラルホルン地球本部ことヴィーンゴールヴの地下には、余人の近づけぬ一種の”聖域”が存在する。

 なぜ聖域などと仰々しくも呼ばれているのか。決まっている、そこにはかつて厄祭戦を収束へと導き、いまなおギャラルホルンにて語り継がれる伝説が眠っているからだ。

 その聖域にただ一人で堂々と参上した影がある。淀みの無い自信を感じさせる足取りの主は金髪の美丈夫、革命派の首魁たるマクギリス・ファリドのものだった。

 

 潔癖さすら感じさせる広い廊下を抜け、さらに先へと歩を進めれば、吹き抜けの空間に鎮座した天使のごときMSの姿がある。白と青を基調にした美しいその悪魔こそ、かつてマクギリスが求めたアグニカの魂が宿る機体。すなわちASW-G-01 GUNDAM BAEL(ガンダム・バエル)に他ならない。

 しばし言葉も無く優美なシルエットに見惚れてしまう。一秒か、一分か、長くも短くも無い時間を費やしてしまい、彼は呆れたように頭を振った。

 

「あの願いは既に断ち切ったはずなのだがな……こうして向き合ってしまえば圧倒されるばかりだ。やはり彼は彼で素晴らしいのだと改めて思い知らされる」

 

 ギャラルホルンの悪しき権威を否定する者が、かつての権威に縋り革命するのは道理が合わない──その指摘に頷き納得したからこそ今のマクギリスがあるのだが、やはりアグニカ・カイエルという男を崇拝する気持ちまでは変わらない。かつて彼が混迷の世に力で決着をつけた事、それ自体は誰にも否定できぬ事実で偉業なのだから。

 憧れて何が悪いのか。敬意を抱くことが間違っているなど誰にも言わせない。それこそマクギリスの中に燃える永久不変の炎であり、原初の祈りであった。

 

 けれど、そう。今この場に足を運んだのは決してバエルを鑑賞するためではないし、ましてや搭乗しようなどとは欠片も考えていない。彼の目的は更に別の所に存在しているのだ。

 

「……では、行こうか」

 

 心の片隅に残る未練を今度こそ断ち切ってマクギリスはバエルに背を向ける。かつての自分と決別し、向き合うべき本当の悪魔(ねがい)へと突き進む。

 そうしてバエルの下から離れ改めて辿り着いたのは、七つの格納庫(ハンガー)が並ぶ静謐な空間だ。既に六つの格納庫は空白となっていて、残る機体はただ一つ。まるで継ぐ者なきバエルに殉ずるかのようにただ一機で黙して留まっていたのは、白と赤の配色が眩いガンダム・フレームだった。

 

「これがファリド家秘蔵のガンダム・フレーム……かつての厄祭戦でMAを打ち倒しアグニカと共に在った伝説の機体か……」

 

 スラリとした優美な姿はどこかグリムゲルデやバエルにも似た印象を与える。背面のバックパックには六本の長剣が羽のように収まっていて、腰部にはライフルと思しき武装が二丁用意されていた。

 シンプル極まりない武装でありながら、必要な装備を揃えただけの機能美すら感じさせるこの機体。これを除く全てのセブンスターズ秘蔵の機体は、当の昔に各々の理由からこの地より持ち出されているが、最後までバエルに付き従って眠っていた彼こそは──

 

「ガンダム・ナベリウス……第二十四番目の侯爵の名を冠する機体、か……」

 

 ASW-G-24 GUNDAM NABERIUS(ガンダム・ナベリウス)は、唯一ファリド家の意向によって三〇〇年もの時をこの地で過ごしてきたガンダム・フレームだ。無用の長物だから使わなかったのか、あるいは伝統でもあったのか。今となってはマクギリスにも分からない。

 けれどしかし、ただ一つ確実に言えるのは。この悪魔の司る概念こそ、失われた威厳と名誉の回復であるということで──今のマクギリスにはバエル以上に相応しいガンダム・フレームであるということだろう。

 

 ◇

 

 かつての厄祭戦の時代は、それこそ地獄絵図を現実に描き上げたかのような光景だった。

 人を鏖殺し尽すMAが暴れまわり、混迷する世の中だからこそ平気で悪徳を貪りほくそ笑む者達が居た。あらゆる輝きは打ち払われ蹂躙され、もはや人間の歴史も此処で途絶えるのかと大真面目に議論された時代である。

 その中でなお燦然と輝いた英雄こそアグニカ・カイエルというのは最早言うまでもない事だろう。彼と彼の設立した組織ジェリコの尽力によって絶望の厄祭戦はついに終わりを迎え、平和な人の時代を取り戻すことが出来たのだ。彼らこそあるべき光に相違ない。

 

 そして、光があれば影もまた生じるように。ジェリコとて全てが全て善に属する訳では決してなかった。なにせ暴走するMA(モビルアーマー)と悪に走る人の両方を相手取るのだ、綺麗ごとだけでは当然罷り通るはずも無い。

 最たる存在はやはり、アグニカの右腕と称されるだけの戦果を挙げたジゼル・アルムフェルトだろうか。地に堕ちた人徳と席捲する死と野蛮さの時代に生まれた希代の殺人鬼。正義に属する者らしからぬ悪夢の本性を牙として振るった彼女は、ジェリコに不都合なあらゆる人間を殺し、滅ぼし、蹂躙したのだ。

 だが、ジゼルは最たる存在であっても()()()()()()。他にも頭の螺子が一つも二つも外れた者が生まれる時代が厄祭戦だったし、ジェリコはまさにそのような人物を欲していたのだから。

 

 故にマッドサイエンティストなどと俗に呼ばれる者達が在籍していたのも、半ば必然の事だったのだろう。

 

 厄祭戦を終わらせるためというお題目を掲げ、あらゆる研究を真顔で行える研究者たち。平時ならば唾棄すべき者達なのかもしれないが、こと戦争の狂気の中ではむしろマトモとすら言えた。なにせ事実彼らの尽力によってダインスレイヴは発明され、阿頼耶識システムが確立され、そしてガンダム・フレームがロールアウトされたのだから。

 そしてそんな彼らだからこそ、M()A()()()()()()()M()A()を開発しようと試みるのは実に自然な流れであり……その計画は結局実らずに終わってしまう。プロトタイプ製作の時点でコストがかかりすぎた、思考制御プログラムに万一が無いとは言い切れないという現実的な理由もあった。けれど最大の理由はやはり、アグニカ直々に研究へ待ったが掛けられた事だろう。

 

 これを以って計画は凍結され、製作された『対MA用MA』は封印される事となる。代わりに台頭したのはガンダム・フレームと阿頼耶識システム。時代はもはや血の通わぬ機械ではなく人の手でこそ切り拓くべき段階として、人機一体の阿頼耶識システムが後の世の土台となったのも当然だった。

 

 ──そう、ジゼルは覚えている。いつか、アグニカにこんなことを問い、答えられたことがあると。

 

「何故あなたはMAを倒すのにガンダム・フレームと阿頼耶識を選んだのですか? いえ、ジゼルとしてはフェニクスに乗れたのでありがたい話ですが、MA(きかい)対MA用兵器(きかい)に倒させてしまえば良かったのに」

「そう物事は単純じゃないのさ。むしろ人としての尊厳に照らし合わせれば、それだけは選ぶ訳にはいかなかった」

 

 周囲は無数の瓦礫の山だった。輝く残照に照らされるのは破壊された無数のMAの残骸と、それに混じるMSや人の死骸たち。無事に立っているのはフェニクスとバエルの二機だけ。開け放たれたコクピットにはオイルの香りと死臭ばかりが届き彼女たちの嗅覚を刺激する。

 もはや見慣れた光景、厄祭戦の常とも言うべき戦果の爪痕だった。確かこの時、ジゼルがジェリコに加わってから実に三年の月日が流れていたか。

 

「人間が生み出した兵器を人の手で討ち取る事と。あるいは人間の生み出した自律兵器に任せてしまう事と。この二つは似ているようでとても違う。後者には心が一つも介在しないが、前者には在る。だからガンダム・フレームは最強の兵器足りえて、機械は最強にはなれないのさ」

「……? 意味が分かりません。誰にも負けずあらゆる相手に勝てるというなら、それは例え機械であろうと最強なのではないですか?」

「いいや違う、最強という言葉はもっと抽象的で曖昧で……なろうとしてなれるものじゃない」

 

 その言葉にはどのような意味が含まれていたのか。端正な彼の顔に疲れたような苦笑が浮かんだのが目に焼き付いている。

 

「男子たるもの、最強を目指せ……か。誰の言葉か知らないけど、全くもって下らないな。最強というのは、目指すものじゃない。強い想いで何かを成し遂げた時、気がつけば至っている頂だ。そこに男も女も関係ない。君にもいつか理解できる時がくるだろう、ジゼル」

「そう、ですか……ならひたすらに人を殺して回ったジゼルはいつその頂きに届くのでしょう? ちょっとワクワクしてしまいますね」

「はぁ……君らしい言い草だよ全く」

 

 呆れたような溜息はいつものことだったから、ことさら気に留める必要などない。これくらいの距離感がちょうど心地良かったから、それ以上の関係になろうと考えたことだって一度として無かったのだ。

 何故アグニカ・カイエルはMAを倒すために人機一体、非人道的とも思える阿頼耶識システムを採用したのか。どうして人の手で乗り越えることに拘り、決して無人兵器などに頼らなかったのか。

 

 今なら少しはその理由が分かる気もするけど。たぶん本当の答えは、”これからの戦いの中で”存分に示されることだろう。

 

 ◇

 

 あの怪物(ジゼル)を殺せるか──イオク・クジャンの胸に宿る焦りとも疑問ともつかない心の声は日を経るごとに大きくなっていく。

 最低最悪だからこそ強い鏖殺の不死鳥を仕留めるには、今のイオクだけでは逆立ちしたって敵いはしない。では信頼する部下の力を借りればどうかと言えば、それもまた駄目だろう。だって火星では圧倒的数の差を振り切ってイオク以外を皆殺しにしたのだ。単純な数の利だけで殺せるはずも無い。

 彼の最大にしてほとんど唯一の目標である不死鳥(フェニクス)狩り。覚悟の炎をいくら燃やそうともまだ足りない。厳然たる実力差をどうにかしなければただの無駄死にとしかならないから。

 

 故にこそイオクは恥も外聞も投げ捨て、勝つために必要な”措置”を行うことを決意した。本気なのだ、心の底から部下の仇を討ちたいと願っているのだ。ならば矢面に立たねばならぬ自らが弱くて良いはずがない。

 そう考えたゆえの結論に迷いなど微塵も無く。ガエリオと共にヴィーンゴールヴで打って出るまでの三か月にやれることは全て施した。ならばもう、後は結果を出してやるしか道は無い。

 

 地球軌道上に浮かぶクジャン家保有の宇宙艦隊、その旗艦の一室にイオクの姿はあった。地球よりついに宇宙へと上がって来たのだ。

 

「全く、お互いとんだ相手と矛を交える羽目になったな」

「……貴公か」

 

 瞑想に耽っていたイオクにそっと語り掛けてきたのは、このしばらくの間にすっかり顔なじみとなった同盟者(ガエリオ)である。今や傷跡の走る顔を隠そうともせず、ヴィダールではなくガエリオ・ボードウィンとして姿を出していた。

 

「勝てるのか、鏖殺の不死鳥とやらに。俺は直接矛を交えたことは無いが、聞く限り相当な手練れらしいが」

「分からぬ。だがやるしかあるまい。これは私の個人的な敵討ちであると同時に、貴公とその部下たちに狂気の矛先が向かないようにするための戦いでもあるのだ。ならば恐れる訳にはいかぬのだ」

 

 不死鳥を野放しにすればきっと嬉々として誰かを殺して回るだろう。それはダメだ、我慢がならない。

 既に大切な部下たちを奪われた男として、イオクはフェニクスを引きつけ戦わねばならない。どれほど無理難題を行おうとしているかは他ならぬ彼自身が承知していることだ。

 

「それにな、ガエリオよ。私は既に失う物など何もないのだ。この一連の事態でクジャン家は大きく力を失い、もはやこの戦いで生き残ろうが死のうが風前の灯だ。ならば私は、せめて私のために散った部下の無念を晴らしたい。そしてそんな身勝手な行いが翻って他者の為にもなるなら願ったりだろう」

 

 もはや引き返すことなどできない。失われた命も、しばらく前に支払った賠償も、そして彼自身の命でさえ。かつてのように全て元通りとはいかないのだ。例え最初が自業自得に近しいものであったとしても、だからといってここで膝を屈していい理由にもなりはしない。

 

「そこまで言うなら、もはや俺から言う事は何もないな。だからせめて、勝ってくれ。俺はお前の勝利を願っているぞ、イオク」

「こちらこそ、貴公の勝利を願っている。あの偉そうな男を一発殴ってくれたのなら、これほど溜飲が下がる事もないだろうさ」

「はは、任せておけ。そのために俺は此処まで来たんだからな」

 

 軽口を叩き合ってから、イオクは毅然と立ち上がった。それと同時に室内の通信機が起動、艦橋から手短に報告が寄せられイオクとガエリオへと届けられた。

 

「……いよいよこの時か」

「では行くとしよう。泣いても笑っても、俺たちの明日はこの一戦で決まる」

 

 かくして二人の男は、堂々とした足取りで艦橋へと歩を進めたのである。

 



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#44 ギャラルホルン内戦

「准将、まもなく敵艦隊との交戦ポイントです」

「そうか、分かった」

 

 真空の宇宙(そら)を進むのは改革派の旗艦となるハーフビーク級戦艦。その艦橋(ブリッジ)にて──

 石動(いするぎ)の言葉にマクギリスは素っ気なく頷いた。来るべき戦いを前に研ぎ澄まされた戦意と緊張感が刃のように放出されていて、石動は隣に立つだけで息が詰まる感覚すら覚えてしまう。

 あの日、地球本部でマクギリスとガエリオが互いに顔を突き合わせた時からそう長い時間は経っていない。しかしついにアリアンロッドを揺るがす革命劇は地球を飛び出し、宇宙という舞台にて雌雄を付けるにまで至ったのだ。

 

 故にマクギリスの放つ雰囲気は当然であったし、艦橋に詰める者達も皆引き締まった顔つきだ。けれどその中でただ一人、珍しいことに石動だけは腑に落ちないといった態度だった。

 

「それにしても良かったのですか……? みすみす相手側に準備する期間を与えてしまうなど」

 

 彼の疑問も当然の事だろう。本来改革派の長としてマクギリスがやるべき事とは、ついに姿を現したガエリオ達を一気呵成に攻め立て壊滅させることのはず。それがこうして長くはなくとも短くもない猶予期間を与え、あまつさえ宇宙にて堂々と決着をつけようというのだ。

 この間に地球外縁軌道統制統合艦隊とアリアンロッドからは着実に離反者が出ており、それなりに抑止をかけてもなお流出が止まることはない。こちらが全く一枚岩でないことの証明であると同時、相手も手段を選んではいられないということでもあるのだろう。

 結論、いくら何でも相手に対してサービスが過ぎる──石動がそう感じてしまうのも無理はなく、マクギリスも承知しているのか否定はしなかった。ただ、決意の籠もった言葉を紡ぐのみ。

 

「良いさ、これで。確かに無駄な死人が出るだろう。余計な出血をギャラルホルンにも強いるだろう。だがこうでなければ俺もアイツも止まれない。真正面から矛を交えた末の敗北でなければならないのだ」

矜持(きょうじ)の問題……という事ですか?」

「そうとも言うな。姑息な手を使っても、相手の用意が整わぬ内に終わらせても、それは私の器の小ささを示し、ガエリオに不屈の精神を与えるだけだ。ならば最初から全力でぶつかり、全力で潰してみせる。それこそギャラルホルンの者すべてに魅せるべき力の有り様だろう」

 

 確かにマクギリスはバエル頼みの改革を諦めた。けれど、圧倒的な力が万人を頷かせるに足る一因なのもまた事実。

 ならば力の信奉者として”かくあるべき”という姿を示すことが彼の務め。力が無くば何も成せず、力だけではまだ不足。それをこの一戦にて証明するのだ。

 

「……流石ですね、准将」

 

 そして石動の口から漏れるのは感嘆の溜息だけであった。

 スペースコロニー出身の者として、ギャラルホルン内での差別に苦しんでいた彼に光明を見せてくれたのがマクギリスなのだ。故に彼の理想に感化され、ここまで一心不乱についてきた。

 笛吹きが実力主義の組織へと生まれ変われば、きっと身分がどうだのという諍いも無くなるだろう。そうなればどれ程素晴らしいことか。いいや、それさえ今やどうでもいいのかもしれない。ただただこの素晴らしい上官の理想を作る一助になりたい、その念だけで胸はいっぱいなのだから。

 

 だが当のマクギリスは石動の言葉にそっと苦笑し、懐かしむように左の頬を撫でていた。

 

「お前はそう言ってくれるが、アルミリアには随分と叱られてしまったよ。手痛い一撃を貰ってしまった」

「それは」

「当然の権利だろう。仮にも自らの兄と婚約者が争おうというのだ、文句の一つも言いたくなるだろうさ」 

 

 自ら婚約者の兄に手をかけておいてノコノコと姿を現すなど、控えめに言っても馬鹿げているとしか言いようがない。それでも彼がアルミリアの下へと向かったのは、ひとえに何らかのケジメのつもりがあったからなのだろう。言い訳の為か、謝罪の為か、そればかりは本人にすら分からなかったが。

 ともあれ逃げも隠れもせずに現れたマクギリスは、全ての事情を隠さずアルミリアに話したのである。遅かれ早かれ知るとはいえ、まだ幼い彼女には酷な話だったろう。それでもマクギリス自身の口から全てを説明したのは、せめて誠実に接したいという気持ちの顕れだったのか。

 

 結局その後でマクギリスは強烈な張り手を一つ貰い、涙ながらに叫ばれてしまったのだ。

 

『マッキーもお兄様もどうして友達同士で殺し合おうとするの!? 二人が仲直りして帰って来ない限り、もう絶対に貴方たちとは顔だって合わせません!』

 

 実質的な絶縁も同然であるが、それも仕方ないとマクギリスは割り切っている。奥へと逃げるように走り去ったアルミリアを追う事もせず、けれどその想いだけはしかと受け止めここまで来た。後はもう、彼女には悪いが全力を出し切りガエリオに向き合うだけなのだから。

 

 意思も新たに力強く拳を握り、燃える瞳を以って正面を見据えた。

 今この時、誰であろうと彼を制止することなど出来ないと宣するが如く。

 

「俺は勝つ。ガエリオを打ち破り、敵対する者達すらねじ伏せ従わせ、必ずや真なるギャラルホルンを生み出すのだ。今更もう、止まることなど不可能なのだ──」

 

 ◇

 

 一方でギャラルホルン改革派と共に宇宙を進むのは、新進気鋭の組織『鉄華団』の保有する二隻の装甲艦だ。民間会社ながらその強大な力を買われた鉄華団は、有望な戦力として破格の抜擢を受けている。

 その内の一隻、イサリビと命名された艦の格納庫(ハンガー)に団長たるオルガの姿はあった。

 

「とうとうこんなとこまで来ちまったなぁ……なぁミカ、お前はどう思うよ」

 

 目の前に聳え立つバルバトスを見上げながら、感慨深そうに呟いた。全ての始まりはこのバルバトスを起動した事だったか。その際はギャラルホルンに襲われ、必要に駆られて決死の覚悟で戦っていたというのに、気が付けばギャラルホルンの味方となって轡を並べている。その数奇な運命がどうにもくすぐったく感じられて仕方ない。

 問われた三日月の方はと言えば、すっかり見慣れた阿頼耶識のコードを背に筋トレをしている真っ最中だった。

 

「別に、どうでも良いよ。俺はただオルガのために戦う。それだけだからさ」

「そう、だな。お前らしい言い分だよ、ちょいと安心した」

 

 そして周囲がどれだけ奇抜な流れを見せようと、常にオルガの隣に居た三日月は片時だって変わってはいない。ささやかで平和な願いこそ有るが、それでも敵対者には容赦せずに戦う鉄華団のエース。彼が居なければ『こんなところ』まで来ることすら出来ずに倒れていたのは間違いない。

 

「色々とキツイ目にあったり、悔しい想いだってしてきたが、それも今日が最後のはず。いや、必ず最後にしてみせる。だから今回も頼むぜ、相棒」

「うん、任せて」

 

 言葉は少なくとも交わされた友情は確かだ。よってオルガは全幅の信頼と共に三日月へと一つ頷くと、羽織ったジャケットを靡かせながら歩みだした。ちょうど入れ替わるようにトレイを持ったアトラとすれ違い、すぐにも後方から二人の会話が届いてくる。相変わらず三日月は寡黙だが、それでもアトラの声は弾んでいた。

 

 背後に流れるごくありふれた穏やかな時間。それこそオルガが皆に渡してやりたいと切に願っているものだから。

 

「アイツらの為にも、早く楽な暮らしをさせてやんねぇとな……」

 

 どれだけ鉄華団が強かろうと、誰もが戦いを望むわけでは決してない。それはエースである三日月ですら同じ事で、そんな彼らに戦いとは無縁な生活を過ごして欲しいと願っているのがオルガである。

 そのために過酷な戦いを強いるのは矛盾であるかもしれない。だけど結局自分たちはこの生き方しか知らず、そしてこの瞬間まで生きてきた。ならばもう、大事な家族の命をチップにするような生き方は終いにしよう。今日を契機に新しい生き方を探し出す時なのだ。

 

「新しい生き方か……俺たちから戦いを取ったら何が残んのやら」

 

 自嘲気味に頭を振ったオルガがポツリと漏らした時だった。

 

「大丈夫、きっとたくさんのモノが残りますよ」

 

 彼の独白に答えたのは相も変わらず淡々とした声音の持ち主。ふり返ればすぐそこに鋼の不死鳥が鎮座していて、そしてそのコクピット部からは白いパイロットスーツを着こんだジゼルが真っすぐオルガを見据えていた。いつの間にか随分と歩いていたようだ。

 躊躇なく断言した彼女の言葉が気になって、ついフェニクスの脇に腰かけた。そのまま数秒続きを待ってみるものの、一向に話し出す様子はない。業を煮やして問いかけてみる前に、ジゼルの方から声が掛かった。

 

「すみません、ご飯ください」

「……いきなりなんだ藪から棒に。さっきの言葉はどういう意味だったのか知りてぇんだが」

「その前に、何かご飯でも貰えますか?」

「さっきアトラが配ってたの貰わなかったのか?」

「その時はまだお腹が空いてなかったので」

「なんだそりゃ。たった数分前のことだろ」

 

 通常運転なマイペースさに呆れながら、オルガは懐に入れていたいつもの栄養バーを取り出して放ってやった。栄養バーがプカプカと両者の間を浮かび、すぐにジゼルがそれを掴む。モグモグと咀嚼する様をのんびり観察すること一分、食べ終えた彼女は満足そうにぺろりと舌で唇を舐めた。

 

「ごちそうさまでした。相変わらず団長さんの持つ食べ物はあんまり美味しくないですね」

「お前なぁ、貰っといてその言い方はねぇだろ。つか味分かんのか?」

「分からないので冗談ですよ。でも、いつもありがとうございます」

 

 皮肉から一転、ペコリと頭を下げたジゼル。頭がおかしく自分勝手なキライがある癖に、なんだかんだ礼儀は弁える彼女にもすっかり慣れてしまったものだ。

 ともあれ「それで、続きは?」と目線で問いかける。今度はジゼルも真面目な様子で口を開いた。

 

「ジゼルと違ってあなた方は普通の人間ですから。普通に生きて、普通に楽しんで、普通に死ぬことが出来るんですよ」

「普通か……今んとこ戦場しか知らないような俺たちでも普通なんて言えるんかね」

「言えますとも。だってほら、目の前に普通じゃない生き証人が居るでしょう? それと比べればあなた達なんて普通も普通、ごく真っ当な人間ですよ」

 

 そこに皮肉の念も自嘲の響きも無く。あくまで事実を述べているだけのように聞こえた。

 確かにその通りなのだろう。客観的に見てジゼルはマトモでないし、相性の良いオルガもそこは認めている。人を殺すことに快楽を感じるジゼルに普通の人生が送れるとは到底思えない。

 分かっているのだ、そんなこと。けれど一つ付け加えてやるとするのなら──

 

「だけどアンタは、そんな普通じゃない自分が嫌なんじゃないのか? それはそれと割り切って楽しんでいるのは事実だろうが、かといって全てを認めてる訳じゃない。だから自分を卑下するし、別の幸せを探そうとしている」

「それは……」

「俺からすりゃあ、自分の在り方に悩んで答えを探してる姿も十分普通に思えるんだがな。違うか?」

 

 随分と肩入れしている自覚はオルガにもある。ジゼルの狂気に触れ、実際に殺された者らからすれば堪ったものではない理屈だろう。

 だけど曲がりなりにもこれまで彼女と接してきて、それなりに思うところが芽生えたのも事実だった。例えその言葉が本人すら認める真実であろうとも、ただ単に肯定してやるのも違う気がしたのだ。

 

「アンタも俺たちと同じさ。たまたま一つの生き方しか出来ずにここまで突っ走って来ちまった。そんで今になって悩んで、どうするべきか考えてるんだろ?」

 

 そこまで言ってから、「ま、ホントに考えてるのか分かり辛いのがアンタの欠点だがな」と冗談めかしてオルガは笑った。ジゼルはやはり表情の薄い顔に、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。喜んでいるような、諦観してしまっているような、形容しがたい形に唇が歪む。

 

「……もし、本当はとっくの昔に諦めてしまっていたとしたらどうします?」

 

 囁くような問いかけ。オルガは咄嗟に言葉を返せなかった。

 

「本当は昔色んな事に手を出して、それでも駄目だったと結論が出ています。だから全部が口ばかり、願っておきながら不可能だと考えていたとしたら……どう思いますか?」

「はっ、そんなの答えはたった一つだ」

 

 今度は微塵の間も置かなかった。ほとんど反射の領域で言葉を吐き出していく。

 

「前にも言った通り、俺は鉄華団団長のオルガ・イツカだぞ。団員一人の面倒を見ることくらいなんてことねぇよ。昔は昔、今は今だ。諦めんには早すぎる」

「…………団長さんらしい言い草ですね。ちょっと気が楽になりました」

 

 先ほどとは違う、ハッキリと笑みと分かるそれを浮かべたジゼルはしばし瞑目し、それから白状するように呟いた。

 

「もし最後の最期までどうしようも無かったら……いっそ団長さんに殺してもらおうかとも思ってました。これから先の在るかも分からない幸運を追い求めるより、今の十分な幸せを抱きしめたまま死んだ方がマシだと」

「俺がそんなことすると思うか? あいにくジゼル・アルムフェルトは鉄華団の一員で、まだまだ成長途中な鉄華団に不可欠な存在だ。そう簡単に手放してやるかよ」

「ふふっ、独占欲の強い男性は嫌われますよ?」

「言ってろ、優秀な人材に気を配るのは団長の責務だろうが」

 

 互いに顔を見合わせてまた微かに笑い合う。決戦前とは思えないくらい心は凪いでいた。

 ──思い返せば二年前、あの新造の採掘場でフェニクスとジゼルを見つけたのが転機だったのだろう。あそこで飯を渡して、助けられて、鉄華団に勧誘して……色んな事が有った。

 あの時はジゼルの事を義理には厚い狂人としか認識していなかったというのに、いつの間にかこうやって笑えるくらいになったのだ。大した進歩だと感じてしまう。

 

 と、その時オルガの懐に入っていた端末が着信音を鳴らした。用件を見れば艦橋(ブリッジ)まで戻って来いとのお達しが届いている。更に周囲を見渡せば格納庫(ハンガー)内部も俄然忙しない空気に包まれていた。

 

「どうやらそろそろ時間のようですね」

「ああ、だな」

 

 もはや互いに言葉は無かった。すぐにジゼルはコクピットのシートへと戻り、オルガは艦橋目掛けて飛び出す。けれどその刹那、オルガは「団長さん!」という声に呼び止められた。

 パッと振り返れば目の前には銀色をした長方形の物体。寸前でキャッチしてよく見れば、それは古ぼけたハーモニカだった。

 

「それ、ちょっとだけ吹いてみてくれますか?」

「お、おう」

 

 いきなり妙な事を言われたが、もう慣れっこだ。なので特に言い返さずに唇を当ててみるが、何の音も出てこない。オルガが下手というより、単にハーモニカ自体が壊れてしまっているらしい。

 いくら吹こうがうんともすんとも言わないハーモニカに胡乱気な目を向けながらジゼルへと確認する。

 

「これ、壊れてんじゃねぇのか?」

「やっぱりそう思いますか? ジゼルもそうだと思ったのですが確証が無くて。気になってたので今の内にハッキリ出来て良かったです」

「そうかい、そりゃ良かったな」

 

 短く告げてハーモニカを投げ返す。しっかり受け止めたジゼルは確認するように唇を当てる。今度はほんの少しだけ、小さな小さな音が静かに零れた。

 それを大事そうにコクピットの隅に仕舞い込んだジゼルは、もう一度だけオルガを見た。両者の金の瞳が交わり合う。

 

「まだ、直せるのかもしれませんね。このハーモニカは」

「おう、そうだな。どうしようもなく壊れた訳じゃなかった、そんだけの話だろ」

「そうですね。ええ、本当にその通りです」

 

 噛み締めるように頷き、彼女はシートへと収まった。

 そんな姿へ最後に一言、オルガは声を掛ける。

 

「死ぬなよ、ジゼル」

「死にませんよ、オルガ団長。だってジゼルは、鏖殺の不死鳥なんですから」

 

 他者の命を轢殺し、そして自らは死なずの悪魔。その異名を誇らしげに、そしてほんの少しだけ寂し気に掲げながら、彼女はフェニクスのコクピットへと消えていったのである。

 

 ◇

 

 マクギリス率いる革命軍とガエリオらセブンスターズを軸とした一派が接敵したのは、それから三十分も経過しない内だった。

 戦力差は予想よりも遥かに小さい。セブンスターズ達が張り巡らせた糸は革命軍たちの主力艦隊にすら潜り込み、少なくない数が向こう側へと渡ってしまっている。あるいは今もなお虎視眈々と内部で革命軍を潰す算段を立てているのかもしれないが、そちらに関してはラスタルが目を光らせている以上難しいだろう。

 敢えて対等の立場へと持ち込ませたマクギリスの考えは良くも悪くも功を奏し、今や両軍の天秤は拮抗に近い形となっている。それでもなお革命軍の方が有利だが、それとて実戦でどうなるかは分からない。

 

 鏡映しのように宇宙にズラリと並ぶのは、ギャラルホルンに広く配備されているハーフビーク級戦艦たちだ。そして革命軍の方には一際巨大なスキップジャック級戦艦に加え、鉄華団の保有するイサリビとホタルビがある。他方でガエリオらの艦隊には用途不明のコンテナらしきものが二つも確認できる。鑑みるにこれこそセブンスターズ達の秘策、保有する厄祭戦の遺産なのだろう。

 

 MSが雲霞のごとく吐き出され、陣形を組む艦隊たち。フェニクスが、バルバトスが、グシオンが、キマリスが、ナベリウスが、グレイズが、レギンレイズが、マン・ロディが、獅電が、互いに銃口を向け合い開戦の時を待っている。

 ジリジリと、少しづつ、緊張の糸は高まり張り詰めていき、ついに針の一突きで破裂しそうな時──

 

「ああ、もう我慢できません! たくさんたくさん、好きなだけ殺させてくださいよ!」

 

 弾かれたようにフェニクスが敵陣へと特攻、これを以って開戦の狼煙となったのだ。

 




どうしても文章で上手く伝えられず恥ずかしい限りなのですが、状況的にはオルフェンズ本編での革命軍VSアリアンロッドのようなものと考えていただいて構いません。
戦力的には革命軍有利ではありますが、かといってただ圧し潰されるガエリオらでも無さげとだけ認識してもらえればと思います。


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#45 因縁

 まず初めに戦場を支配したのは、当然のように鋼の不死鳥だった。

 

 ブースターユニットに底上げされた高い機動力を活かし、単騎だけでグレイズひしめく敵陣へと突貫を開始する。もちろん相手も迎撃を行い雨あられと砲弾が向けられるのだが、まるで弾が自ら避けているかのように不死鳥には当たらない。僅かな間隙を縫うように、機体を空いた空間にねじ込むように、戦闘宙域を優雅に前へ前へと進んでいく。

 まるで悪夢のような光景だろう。たった一機に対して過剰とも呼べる弾幕が形成されているのに、一発足りとて決め手にならないのだから。むしろ少しずつグレイズ達はフェニクスの毒牙にかかり始めていく始末。巨大兵装(カノン・ブレード)で、長剣で、ミサイルで、マシンガンで、クローで、あらゆる武装を用いて的確に狩りをするのだ。

 

 これこそが鏖殺の不死鳥たる所以、常識に当てはめれば無茶無謀も良いところな行いも、乗り手が人類史上最悪の殺人鬼である故にこれ以上ない最適解となってしまう。その証拠こそ今の惨状であり、たった一機に翻弄されてしまう敵ギャラルホルンの姿だった。

 

「ふふっ……あははっ」

 

 複雑に機体を錐揉みさせながら、無意識の内にジゼルの唇が歪む。笑い声が零れる。抗えない彼女の本性が、この無慈悲な殺戮を心から楽しんでいた。そして、それを悪いことだと彼女は思わない。悩みすらしない。もって生まれた衝動自体に不満はあっても、こうして衝動を満たすことに不満はないのだから。

 

『なんだコイツ、化け物かッ!?』

『やめろ、こっちに来るなぁーッ!』

『ふざけるなふざけるなこの悪魔が──ガッ』

 

 仕留める刹那、触れ合った機体の接触回線から声が聞こえてくる時もある。断末魔の叫びを聞いても彼女は動じない。むしろそれこそ喜悦とばかりに心と体を昂らせ、いっそう殺戮へと興じていくのだ。

 

 そしてまた一つ、敵の命へと手をかけようとしたその時──

 

『させるか!』

 

 横合いから紫の流星が颯爽と駆けつけた。振るわれた長剣は大槍に阻まれ、ついにフェニクスはその進撃を止める結果となる。そのまま剣と槍を振るうこと数合い、ほんのわずかな拮抗状態が誕生した。

 割り込んできた紫の機体──いや、ガンダム・フレームにはジゼルも見覚えがあった。細部はかなり変わっているが、基本的なシルエットとリアクター反応は変わっていない。

 

「ガンダム・キマリス……なるほど、ボードウィンの方ですか。あなたの敵はマクギリスさんでないのですか?」

『ああ、そうだ。だが目の前に殺されそうな味方がいて、どうしてそれを見過ごせる!』

 

 ASW-G-66 ガンダム・キマリスヴィダール。厄祭戦より引き継がれたガエリオ・ボードウィンの愛機であり、主神を喰らう狼(ファリド)を狩る者の名を冠した機体だった。

 かつてMAを倒すために制作されたキマリスは、そのまま現代のMS戦に向けて大幅な改修及び強化が施されている。さらに乗り手も特殊な阿頼耶識を用いることで本来のスペックすら発揮、この戦場で()()()フェニクスに対抗できるかもしれない存在だった。

 

「そうですか。なら、ジゼルからお礼の一つでも言わせてくださいよ。あなたがこのような大規模戦闘を引き起こしてくれたおかげで、たくさん殺すことが出来ました」

『……ッ、否定はしないさ! 俺のやってることは偽善で最低で最悪だろう! だがな!』

 

 けれど、ガエリオの相手はフェニクスではない。

 そしてフェニクスが相手取るのもまた、ガエリオではないのだ。

 

『俺にも譲れない想いがある! それだけは、誰にも否定させない!』

 

 強い信念の籠もった一声と同時、キマリスが不意に後方へと逆に飛んだ。それを合図とばかりに上方から銃撃の雨霰が降り注ぎ、フェニクスへと襲い掛かる。すさまじい密度と練度、これまで屠ってきた雑兵たちの比ではない。

 さしものフェニクスもこれを完全に防ぎきるのは不可能だった。カノン・ブレードを盾にしつつ背部ブースターユニットを庇い、残りはナノラミネート装甲にモノを言わせて耐え抜いた。被害は軽微、だがその隙にキマリスはフェニクスより大幅に距離を取って離脱していた。

 

『お前の相手は俺じゃない。そして悪いが、俺もお前の相手をしてやるつもりはないんだ』

『そういう訳だ、鏖殺の不死鳥』

 

 聞き覚えのある声音がガエリオの言葉を引き継いだ。銃撃の発生源へと視線をやれば、そこには十数機のMS達の姿がある。一見すればレギンレイズとグレイズの混成部隊、だがその中心にいるのは見違えようもなくガンダム・フレームだ。

 主色は黒とダークイエローだろうか。そのシルエットはアスリート然としたシンプルな人型、これといって特徴的な要素はない。だが背面にはフラウロスのそれよりも巨大な砲身が一つあり、さらに両手には小型の(カノン)と思しき長銃が握られているのが見て取れた。

 

「また懐かしい機体ですね……」

 

 その機体には覚えがある。かつての厄祭戦では長距離砲撃を得意とした機体、パイロットもそれを活かしきるだけの技量を備えていた。後発のフラウロスに比べてより武装がピーキーだが、その分射撃の応用性には富んでいたガンダム・フレーム──

 

「ASW-G-14 ガンダム・レラジェ……かつてのパイロットを考えれば、当然今の乗り手は──」

『そうだ。このイオク・クジャンが、今日こそ貴様を討ち取ってみせよう!』

 

 ──かつて不死鳥相手に復讐を誓った男が、その命を賭して眼前へと戻ってきた。

 

「よく言いましたね。ならやってみたらどうですか? まあ全員仲良く、このジゼルが殺してあげますけど」

 

 こうなるように狙いはした。けれどここまで完璧に相手が動いてくれたことに感動と感謝が止まらない。だってそうだろう。腹を空かせた猛獣の懐に自ら飛び込んでくれるなんて、これほど都合の良いエサもあるまい。

 狂気の不死鳥(フェニクスフルース)が翼を広げた。満載された武装がギチギチと唸り、悪意と殺意の奔流をこれでもかとまき散らす。躊躇いは微塵もなく、ただただ愚直に殺したいという欲望に素直になった。それだけで、どこまでも強くなれる。

 

 そしてついに、鏖殺の不死鳥は羽ばたいた。

 

 ◇

 

 ジゼルがついにイオク・クジャンと相対したその時、革命軍とガエリオ率いるセブンスターズ一派の戦いは意外な様相を呈していた。

 鉄華団の悪魔ことバルバトスが猛威を奮い、それに続くようにグシオン並びにフラウロスが暴れているのは予想できたことだろう。阿頼耶識を用いて獅子奮迅の働きをする彼らを止められる者など数少ない。

 

「それにしても、殺さないようにするのも面倒だね」

 

 バルバトスルプスレクスが握り締めた巨大メイスを振るう。それだけで二機のグレイズがまとめて下半部を粉砕されて戦闘不能と化した。定石はここからコクピットを躊躇わず狙うところなのだが、三日月は一言ぼやいただけでその場を後にした。

 他も同じような状況で、暴れまわるグシオンもフラウロスも倒した敵へ積極的にトドメを刺してはいない。戦況全体の流れとして、不殺とまでは言わずとも無為に殺したりしないよう革命軍側で意識されているようだった。

 

「こんな手間かけるよりさっさと殺した方が早いんじゃないの? ねぇオルガ」

『気持ちは分かるが、そういう訳にもいかないのさ。なんせ──』

『その先は私が説明しよう、オルガ団長』

 

 三日月とオルガの通信に割り込んできたのは髭を生やした偉丈夫、マクギリスと手を組んだラスタル・エリオンその人だった。彼は自らが指揮するスキップジャック級の巨大戦艦に座して、前線に立つマクギリスに代わり戦況に目を光らせている。彼の指揮が今の革命軍たちの指針となるのだ。 

 そんな男がわざわざ他愛の無い会話に割り込んで来る辺り、戦況の優位さと意外な律儀さが垣間見て取れる。

 

『アンタか、ラスタル・エリオン。わざわざアンタに説明してもらう必要もないと思うんだがな』

『そう言ってくれるな。“出来るだけ殺すな”という指示を出したのが私な以上、その説明をする義務はあるだろう』

『まぁそうかもしんねぇがよ……』

 

 漏れ聞こえるオルガの返答は歯切れが悪かった。なにせラスタル・エリオンはかつて矛を交えたこともあるギャラルホルンの重鎮で、しかもマクギリスの元政敵だ。地球では彼の仲間によって地球支部を散々な目に遭わせられかけたこともあって、どうにもオルガはラスタルを信用しきれないでいる。

 とはいえ今は味方な以上、無用な諍いを持ち込まない分別もついているのだが。故に妙な態度になってしまうオルガを横目に、ラスタルは滔々と語ってみせる。

 

『今でこそ二分化してしまったギャラルホルンだが、元を辿れば志を一つにした同組織だ。なのに無暗に数を減らしてしまえば、例え勝ったとしても今後に差支えがでるからな。君らとしても今楽をする代わりに、今後また新たな火種に駆り出されるのは遠慮したいはずだろう。それに──』

 

 そこでラスタルは不自然に言葉を切った。不自然な沈黙が一瞬だけ場を流れる。

 

 ──私はこの戦いが発生するよう目論んだ内の一人だから、せめて無用な血は流させたくない。

 などと、今更どの口が言えようか。指揮官がそれを言うのは命を懸けて戦う兵士たちに失礼な事だし、私情に囚われてしまえばそれまでだ。だから彼はグッと言葉を堪え、いつものように不敵に笑った。

 

『君らならこの程度は簡単な事だろう、鉄華団の諸君よ。かつて君たちの敵だった者として、私は君らを最大限に評価しているからな』

『ハッ、調子の良いこと言いやがるぜ』

「ふぅん、そう」

 

 これには三日月もオルガも揃って呆れのような笑みが出てしまった。随分と都合の良い話だが、同時に全くの嘘とも思えない。これだけの相手にその力を認められるというのは、中々どうして悪い気もしないものだ。

 そして、その間にも三日月の戦いは進んでいく。今度は三機のグレイズを相手取り、二機を大破、一機を完全に沈黙させてみせた。殺さないよう意識はしてるが、殺してはいけないとまで指示されても居ない。殺す時は躊躇わず殺る、それが彼の戦い方だ。

 

 ラスタルとてそれは百も承知だろう。特に咎めるでもなく、静かに言葉を続けた。

 

『多くは望まん、鉄華団の諸君は好きに戦ってくれたまえ。それが互いに取って最良の線引きだろうさ』

 

 その言葉を最後にラスタルが通信から消えていった。それから、オルガはわざとらしく溜息を吐く。

 

『ま、良いさ。ラスタル・エリオンの言ってることも間違っちゃいねぇ。それに向こうじゃあの殺したがりが好き勝手暴れてんだ、この上こっちまで殺してちゃギャラルホルンも立ちいかねぇだろうさ』

「……色々と難しいね。そういうのはオルガに任せるから、今はこっちに集中するよ」

『おう、頼んだぜミカ』

 

 通信が切れ、三日月の意識が戦場へと立ち返って行く。次の相手を探して索敵を開始するが──何かがおかしい。第六感とも言うべき感覚が警鐘を鳴らしている。

 

「これは……」

 

 周囲を見渡すことで違和感の一端はすぐに分かった。不自然に付近の敵が少ないのだ。それは三日月たちが倒し過ぎたからではなく、あたかも自分たちから撤退を開始したかのような。

 あまりの蹂躙劇に敵が弱腰になったか? しかしそれにしては引き際が鮮やかすぎる。気が付いたら敵が居ないという状況、よほどの意図がなければまず起きまい。

 

『なぁ三日月、こいつは……』

『なんかヤバいのが来るんじゃねぇのか……?』

 

 昭弘とシノも同じ違和感を感じたらしく、通信が繋がりコクピットのモニターにそれぞれの顔が映し出された。どちらも戦いの興奮と状況への戸惑い、そして僅かな緊張をまとっている。

 誰ともなくゴクリと喉を鳴らし、どう出るか決めあぐねていたその瞬間──一条の光が迸った。

 

「これ、知ってるやつだ」

 

 途端にバルバトスのコクピットに警報が発生する。薄桃色の光線がモニターを埋め尽くすように輝き、それに連動するかのようにセンサーが捉えた仇敵の情報が躍り出る。さらに阿頼耶識がリミッターを外すべく動き出そうとし、何となく予期していた三日月はそのフィードバックを辛うじて制御した。

 薄桃色の光線──ビームの照射は十秒も経つ頃には収まり、きっちり装甲に守られた機体は変わらず無傷のままだった。けれど重要なのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というその一点だ。

 

 そして、三日月は見た。漆黒の宇宙空間の先に佇む、鳥の如き二つの機影を。かつて倒した”それ”とは細部のデザインや色が異なるが、特徴的なシルエットはそのままだ。嘴にも似た砲口は開かれたまま、残心でもしているかのように煙が上がっている。

 

『おいおい、こいつは冗談だろ……』

『だったら良かったんだけどよ……俺ら全員が夢でも見てる方がまだ現実味ありやがるぜ』

 

 シノの軽口もどこか空々しく感じられてしまう。それだけ眼前の光景が信じられず、また火星の地より蘇った災厄を彷彿とさせるのだ。

 かつて厄祭戦を引き起こした元凶たる自立起動兵器──人を狩る天使ことMA(モビルアーマー)。たった一機だけでもエースパイロットを翻弄できる最悪の殺人機鳥。それが二機、革命軍たちの前に姿を現した。

 

 ◇

 

「MAが出現しただと? それは事実なのか?」

 ガンダム・ナベリウスが手にした長剣を振るう。それだけでグレイズが二機、瞬く間に分解されてただの鉄屑と化した。鮮やかな手腕はそこらのパイロットとは一線を画するもの、乗り手の高すぎる技量が伺える代物だ。

 

『はい。どうやら三日月・オーガスら鉄華団が二体のMAと遭遇、現在鉄華団を中心に対処を開始したとのことです』

 

 だが石動からの淡々とした報告にはさしものマクギリスも頭を抱えたくなる思いだった。

 万事が上手くいくとまでは考えていなかったが、まさかMAなどという隠し札を持っていたとは。いくら優秀とされる彼でも、さすがに古代の遺物がまたも蘇るとは予想さえしてなかったのだ。

 

「おそらくはセブンスターズの所有物だろうが……それにしてもこれは」

 

 まさか都合よく地球辺りにでもMAが埋まっていて、それを修復した訳でもあるまい。厄祭戦の時から何処かに保管され続けていたのが、この戦いに際して解き放たれたと考えるのが妥当か。そしてその仮定なら、ファリド家がガンダム・ナベリウスを所持していたようにセブンスターズが保管していた可能性が非常に高い。

 他にもMAに敵味方の区別が付くのか、戦闘が終わった後はどうやって抑えるつもりなのか、疑問はある。だがいずれにせよ言えることは、MAという最低にして厄介な兵器が投入されてしまったことだろう。

 

「石動、お前は鉄華団の援護に行け。彼らの事だから心配はいらないだろうが、戦力は一つでも多い方が良い」

『了解しました!』

「頼むぞ、お前も彼らもこれから先に無くてはならない存在だからな」

 

 現宙域から離脱していくヘルムヴィーゲリンカーを見送り、即座に別の通信チャンネルを開いた。すぐに憮然とした金の瞳がモニター越しにマクギリスを貫く。

 向こうも要件は承知しているはず。故にマクギリスは単刀直入に訊ねた。

 

「オルガ団長、彼女から何か話は聞いているか?」

『さっきちょいと確認しといた。だがあのMAについてはジゼルの奴も詳しいことは知らないらしいぜ』

「そうか……となると、厄介だな」

 

 ただでさえ強力なMAが二機、それも詳細な情報は不明となればより面倒な事態になる。最悪の場合、逆転負けという事態すら起こり得るのがMAの脅威なのだから。

 

『だが、ある程度の予想は付くとか言ってたぜ』

「詳しく聞かせてくれ」

『あいつの乗る機体、ガンダム・フェニクスは元々MAをモチーフにして作られた機体らしい。なら、その前に“MAを倒すMA”自体が先に作られていても不思議じゃねぇ。そんでかのアグニカ・カイエルはMAによるMA殲滅を好まなかったんだとよ』

「それだけ聞ければ十分すぎる。つまりあのMAは実験機、MAを倒すために厄祭戦の中途で作成された機体の可能性が高いというわけだ」

 

 言葉にすればマクギリスとしても腑に落ちる。かつて機械文明が今よりも発達していた時代、人間ではなく機械にMAを倒させようとするのはごく自然な発想だろう。なぜアグニカがそれを拒んだかまでは知らないが、お蔵入りになった実験機があってもおかしくない。

 なら現在暴れているMAは、元から人が扱うためのセーフティも多く搭載されているはず。それなら躊躇いなく戦場に投入することが出来るし、余計な被害も出づらい。その出どころも十中八九バクラザン家かファルク家、あるいはその両方なのだろう。

 

「……まさかあのガエリオが制御不能な災厄を解き放つとも考え難いからな」

『あ? なんか言ったか?』

「いいや、何でもないさ」

 

 誤魔化したのは感傷にも似た呟きだった。かつて紛れもない友として並び合った者として、まだ信頼が残っていたのか。彼自身にも分からない些細な機微はすぐに消えていき、後には改革者として理想に燃える一人の男がただ残る。

 

「ともあれ、そちらは任せる。エリオン公と共に上手くいなしてくれ」

『アンタはどうするつもりだ?』

「私は──」

 

 その時、コクピット内にアラートが響いた。敵機が一つ、ナベリウスへと向かい高速で接近しているのだ。宇宙の闇を切り裂く紫の流星、照合された機体名はマクギリスもよく知るあの名前だ。

 ついにこの時が来た。本当の決着をつけるこの瞬間を待ち望んでいた。今こそすべての因縁に終止符を打ち、過去を振り払う時なのだ。

 

「奴と決着をつけてくる。手出しは無用だ」

『ったく、総司令官様が好き勝手言いやがるぜ……せめて、死んでくれるなよ』

「ああ、無論さ」

 

 非常に珍しい、というより初めてかもしれないオルガからの激励に不敵に応え、マクギリスはスロットルを引き絞った。連動して背部のコネクタと繋がったシステム──厄祭戦から残った阿頼耶識と同調し優雅に二本の剣を構えさせる。星明りに剣が鈍く輝き、武骨な機能美を照らし出した。

 

「さあ、今こそすべての清算だガエリオよ。俺とお前のどちらが正しく、そして強いか。それを此処に知らしめる時がきた」

 

 軽く(うそぶ)いてからスロットルを開放、迫りくるキマリスにも匹敵する勢いでナベリウスも飛び出した。

 



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#46 友情

 ガンダム・ナベリウス。白と赤の二色(ツートン)に輝くこのガンダム・フレームは、かつての厄祭戦においてもっとも”騎士”と呼ぶに相応しい機体だった。

 武装はバエルに次ぐシンプルさで、背部にマウントされた六本の剣とサブウェポンにマシンガンが一つのみ。腕部は小型の円盾(ラウンド・シールド)が備わっており、その点ではマクギリスのかつての愛機グリムゲルデを彷彿ともさせる。だがグリムゲルデに比べれば全体的に鋭い印象を与え、そして羽のように広がる剣は天使を彷彿とさせるシルエットをも生み出すのだ。

 

 故に騎士のごときMSと称され、そしてバエルの従者に相応しい機体となる。あるいは誰よりもアグニカ・カイエルを信奉するマクギリスこそ、このナベリウスに搭乗する資格があったのだろう。

 だから有り体に言って、マクギリスとナベリウスの()()は凄まじいの一言だった。

 

『どうしたガエリオ、その程度か!?』

『ぐうっ……! まだ、まだァッ!』

 

 猛攻、猛攻、ひたすら攻め続ける。双剣による息もつかせぬ連撃がキマリスヴィダールを何度となく襲い、対するガエリオは凌ぎ切るだけで精いっぱいだ。むしろここまで倒されずに耐えているだけでも賞賛に値する所業である。

 

 厄祭戦から残るガンダム・フレームの特徴として、ほとんどの場合阿頼耶識システムは搭載されたままである。そしてアイン・ダルトンを始め幾つもの実験でデータを収集していたマクギリスが、自らにも阿頼耶識を植え付ける施術を行っているのは何ら不思議な事ではない。

 だが恐るべきはその技量。つい最近持ち出されたであろうナベリウスに対し、キマリスヴィダールはそれこそ二年以上前から蓄積されたデータを基に改修を積み重ねた、いわばガエリオ専用機なのだ。現代戦闘への適正はナベリウスの比ではないだろうに、マクギリスは巧みな技術を以ってガエリオを追い詰めにくる。

 

 圧倒的な強さとはこういう事なのか。歯噛みしながらもガエリオは止まらず、そしてマクギリスも容赦はしない。互いに狂ったような攻めの姿勢を見せあう中で、どちらともなく叫びだす。

 

『お前の抱いた怒り、所詮はそれで終いか!? (ぬる)い、全くもって温いぞガエリオ! そんな鈍らの刃でこの俺を倒すことなど──』

 

 ナベリウスがフッと身体を沈ませた。阿頼耶識を用いた自然な動き、ほんの一瞬ガエリオは相手を見失う。

 

『不可能だと思い知れッ!』

 

 裂帛の気合と共に剣光一閃。そして生み出された隙を嘲笑うように双剣が大槍(ドリルランス)へとぶち当たり、キマリスは大きく弾き飛ばされた。

 ガエリオは素早く機体を立て直し二〇〇ミリ砲で牽制、しかしマクギリスはモノともせずにさらに距離を縮め始めた。情け容赦の無い死の天使(あくま)が、(つるぎ)を広げて迫り来る。

 

『だからどうした! 怒りがこの世の全てとでも言うつもりか、ふざけるなッ! 俺はそんなモノに支配された覚えはない! 支配されるつもりも無いッ!』

 

 その為に自らは剣を執り、非道とも言える行いを経てもなお、この場に立っているのだと。力強く宣言したガエリオはキマリスヴィダールの真の実力を発揮させる。禁忌の力にして戦友の想い、それをぶつける時がついに来たのだ。

 

「行くぞ、アイン!」

 

 阿頼耶識TypeE、起動。コクピット内が赤く光り、忌まわしき疑似阿頼耶識システムが産声を上げた。システムを通してガエリオ自身の肉体すら操らせることで、後遺症もなく阿頼耶識の恩恵全てを手に入れることが出来るのだ。

 ──白状すれば、ガエリオはこの機能について快く感じてはいない。かつてイオクにも指摘された通り、これは死者を冒涜する行いで流出すれば大変な事になる諸刃の剣でしかない。何より、今から機体を操るのはガエリオでなく戦友の脳(システム)なのだ。それを自らの力と誇って本当に良いのか、疑念は晴れない。

 

 けれど、そんな迷いを抱いたままマクギリスに追いつけるはずもない。ならば良し、そうと決めた道を貫き通すまでなのだ。今更後戻りなど、もう誰にも出来ないのだから。

 そして逆にマクギリスにとっては、今のガエリオこそ望むべき宿敵の姿に映っていた。目に見えて動きの変わったキマリスに対し、いっそ喜悦とも取れる笑みを浮かべながら凄絶にナベリウスを操作する。

 

『話には聞いていたが、まさかお前があの阿頼耶識に手を出すとはな。良いぞガエリオ、そうでなければ。片手落ちの覚悟で何が成せるというのだ、それでこそ俺の相手に相応しい!』

 

 かつてのマクギリスは、いつだって怒りを抱いて生きてきた。アグニカ・カイエルこそ至高と仰ぎ、その理念を再びギャラルホルンに齎すと誓った。そのための原動力こそ怒りであり、忘れてはならない最初の感情だった。

 だから彼には怒りしか届かない──というのはやや語弊があるだろうか。かつてアグニカ・カイエルを盲信し、その背を目指していた頃ならいざ知らず、今の彼はマクギリス・ファリドという確固たる一人だ。別の道を歩みだした彼だからこそ、届く言葉もあるやもしれない。

 

『お前が俺に対して抱いた本気の怒り、それより生み出された力を見せてみろッ! それこそ、この世の中を変える最も強い力の一つなのだから!』

 

 けれど、結局こうも言えるのだ。昔より柔軟になった今でもマクギリスは怒りこそ最大の原動力とも考えている、と。だってその感情こそマクギリスを此処まで導き、世の中を大きく動かしたのは紛れもない事実なのだから。現に結果を出した方式があるのだ、どうして根幹まで変える必要があるというのか。

 そんなことはガエリオとて察している。二年前、エドモントンの戦いで裏切られたあの時から今日まで、マクギリスの真意をいつだって考えてきた。復讐に身を焦がしそうになりながら、それでもラスタルの言葉もあって本心に気が付けたのだ。なら、やるべきことは一つしか無い。

 

『ああ見せてやるさ! カルタと、アルミリアと、そしてアインの想いを背負った俺は負けない! お前に届かせる心がある限り!』

『ならば来い、ガエリオォォッ!!』

『行くぞ、マクギリスッ!』

 

 もはや言葉は不要とばかりに、二人と二機は互いの名を叫び合いながら流星の様に衝突を開始した。

 

 ◇

 

 阿頼耶識によって本領を発揮したガンダム・フレーム達の戦いは、既に余人が入り込める次元には無い。

 デブリ漂う中を高速で駆け抜け、衝突し、分かれ、絡み合い、武装をぶつけ火花を散らす紫と白の閃光。過程は違えど共に機体の限界を常に発揮させ続けているというのに、その動きは少しの衰えも不備も見せなかった。

 もしこの戦場に第三者──例えば鏖殺の不死鳥(フェニクスフルース)だとか、鉄華団の悪魔(バルバトスルプスレクス)が居ればまた均衡も違ったことだろう。けれど両者共に自らが相対すべき敵と対峙しており、それ以外の者ではもはや力不足もいいところ。

 

 だからナベリウスとキマリスヴィダールは誰に邪魔される事もなく、戦闘宙域の一角を惜しげもなく占領しながら(しのぎ)を削り合っていた。

 

『はああああッ!』

『おおおおおッ!』

 

 キマリスが大槍を振るい、すぐ近くを浮いていたMSサイズのデブリを弾いた。即席の射撃物と化したデブリは瞬く間にナベリウスによって断ち切られるが、ほんの少しの隙と視界を奪い取った。その刹那をついてガエリオは大槍と背部サブアームに繋がれたシールドの一つを連結させる。

 大槍を真正面に構え、莫大なエネルギーをチャージ。決して少なくない隙を晒す羽目になるこの一撃は、引き換えに全てを貫く一撃必殺の破壊力を有している。

 

 その名もまさしくダインスレイヴ、対MA用に開発された禁忌の兵器に他ならなかった。

 

『──ッ!』

 

 トリガーを引き絞ると同時、大槍から一本の弾頭が放たれた。音速すら超えるダインスレイヴ用特殊KEP弾は周囲のデブリをモノともせずに貫き破壊し砕いていく。先ほどマクギリスにぶつけたデブリすら易々と貫通すると、弾頭は遥か彼方へと消え去ってしまったのである。

 一機のMSに搭載するには過剰すぎる火力にガエリオをして思わず冷や汗が出るが、そうも言っていられない。相手はあのマクギリスなのだ、()()()()()()()()()()でやられるはずが無いだろう。

 

『今のには驚かされたぞ、ガエリオ!』

『ぐっ……!?』

 

 果たして、その予測は現実のモノとなった。不意にマシンガンの雨あられが浴びせかけられ、咄嗟にガエリオはシールドで機体を庇いながら後退した。

 それを追うようにデブリの裏側から飛来したのは、案の定五体満足なナベリウスである。唯一右手の剣だけは折れ曲がって使い物にならなくなっているが、不要とばかりに投げ捨てると背部から新たな剣を引き抜いた。 

 察するに、ダインスレイヴの軌道を剣一本で逸らしたのだろう。確かに直線的な一撃であるし、合わせる事さえできれば弾くのも難しくは無いのだろうが……超音速で迫る弾頭相手にやれる人物など、果たしてこの世に存在していいのか。もはや絶技と言う他ない。

 

『あの品行方正だったお前が禁止兵器にまで手を出すとは、見違えたな!』

『皮肉のつもりか? 俺は元々そこまで真面目君でも無かったさ!』

 

 言い返しながらガエリオも右手に大槍を構え、左手には高硬度レアアロイ製の刀を携え打って出る。ナベリウスの武器に比べて大型のそれらは小回りこそ取れないが、代わりにリーチの面では長剣二本に比べて優位だ。

 双剣と大槍と刀が乱れ合い、火花を散らして機体を掠めていく。その最中でも両者の言い争いは止まるところを知らなかった。

 

『お前こそどういうつもりだ! あれだけ周囲に対して冷静沈着に振舞っておいて中身がこれとは、随分と猫を被るのが上手かったじゃないか? 俺も騙されたぞ!』

『随分と個人的な感傷だな! お前が純粋すぎるのが悪いだけの話だろう! 何度俺がお前のフォローをしたと思っている!』

『それを言うなら、完璧すぎたお前と周囲を取り持ったのは誰だ! 毎回毎回女性たちの相手を代わってやるこっちの身にもなってみろ!』

 

 キマリスの膝からドリルが飛び出しそのまま膝蹴り、咄嗟に庇ったナベリウスの剣をさらに一本へし折った。だがお返しとばかりに残ったもう一本がキマリスの手から刀を弾き、互いに武装を一つずつ失う痛み分けに終わってしまった。

 けれど剣戟は止まらない。キマリスは大槍を両手持ちに構えなおし、ナベリウスは更に新たな剣を背部から引き抜いた。どれだけ武装を削ろうと替えの多いナベリウスは、シンプルながら完成された機体だった。

 

『第一、お前はもう少し周囲に色目を使うのを自重したらどうだ! それで何度アルミリアが不安に駆られたと思っている!』

『彼女を幸せにしてみせるという約束に嘘はない、彼女を蔑ろにした覚えもない。だがそれに比してお前はどうだ! それこそ兄であるお前が身を固めれば少しは安心できたのではないか!?』

『グッ……うおおおおおおおッ!』

『ハハハ、図星か!』

 

 ──それは、とても不思議で矛盾していて、けれど当たり前の光景だった。

 MS同士は今も激しく戦っているし、一つ狂えば呆気なくどちらかの命は宇宙の藻屑と消えてしまう。研ぎ澄まされた殺意は一片の慈悲もなく、敵手の撃滅だけを祈って剣と槍は渡り合う。

 なのに、パイロット同士の会話はまるで気安いもの。とても命のやり取りをしているとは思えない。互いに皮肉を言い合い、罵倒し合い、なのに褒めることもあれば言葉に詰まって勢いに任せることすらある。もっとも簡単な言い方をするなら、これは友人同士の口喧嘩以外の何物でもないだろう。

 

 いや、事実これはその通りなのだ。例え両者がどう変わってしまおうと、友人として共に過ごした時間ばかりは変わらない。まだ絆が完全に壊れた訳じゃないのだ。だからこのやり取りは矛盾しているようで、けれど当然の行いでしかなかった。

 

『いい加減にその口を閉じさせてやるぞマクギリス!』

『お前に出来るかガエリオ!? 悔しいのならもっと怒りを燃やしてみせろ!』

 

 だけど、今もなお戦いを続けているのもまた事実。そして紫と白の流星は一秒も止まることなく熾烈に競い合っており、激しく熱く闘志をぶつけ合っている。口や想いがどうであろうと、この戦いを止める事など二人にだって出来ないだろう。

 キマリスの大槍がとうとうナベリウスを捉えた。左肩の装甲を剥ぎ、その下のフレームが露わになる。ついに明確な一撃が入ったが、それを喜ぶ余裕はガエリオにない。即座に機体を切り返したマクギリスは右の長剣でキマリスの足首を的確に落としてきたのだ。

 

 ようやく互いの機体へ損傷が入るが、その程度で止まるはずもなく。バランスを欠いたはずの機体をいっそう苛烈に操縦して、骨を削りながら相手の身体を噛み砕かんと勢いづいた。

 

 ──キマリスの左腕が半ばからちぎれ飛び、ナベリウスの右足が根元から粉砕された。

 ──ナベリウスの剣が左手ごと弾き飛ばされ、キマリスのドリルニーが片方破壊されてしまう。

 ──気が付けばキマリスの頭部はもげていたが、代わりにナベリウスの剣も残り一つだ。

 

 一進一退、満身創痍だ。いつの間にか当初の主戦場だった宙域を離脱し、革命軍らが戦っている戦場の方にまで戻ってきているのだが、どちらも一顧だにすらしなかった。場所が変化したから何だというのだ、あらゆるMSも戦艦も手出しは許さないし気にかけすらしないとばかりの熾烈さである。

 破壊されては破壊し、破壊しては破壊され返す応酬。両者の実力は紛れもなく拮抗しており、あたかも永遠に終わることのない剣舞でも踊っているかのようだ。

 だが、それでも。執念の差で強引に勝負の天秤を覆す力を持つのがマクギリスという男なのだ。

 

『おおおおッ!』

『何ッ……!?』

 

 ドリルニーでさらにコクピット近くを抉られるのにも頓着せず、一気に超近接(オメガファイト)の間合いに入る。砕け散った装甲の破片の間を縫うように長剣が走り、とうとうキマリスの手から大槍(ドリルランス)を手放させることに成功した。

 ついに得物を失ったキマリスが無防備と化した。阿頼耶識TypeEすらこの勢いには反応できず、しばし演算の隙が生まれてしまう。そしてその隙を見逃すマクギリスではない。即座に追撃し剣を翻しコクピットを一直線に貫かんとして──

 

『まだ、だァッ!』

 

 咄嗟に阿頼耶識TypeEを停止させたガエリオが、自らの操作でシールド二枚を滑り込ませることでかろうじて防いでみせた。窮地における生者(ガエリオ)の反射、それが死者(アイン)すら超えて命を救ったのである。

 無骨な鋼と鋼が噛み合い火花を散らすが、紙一重でガエリオは難を逃れた。だが次はどうする? 阿頼耶識を用いたマクギリスに対し、阿頼耶識を停止させたガエリオでは今や勝機は無い。そうでなくともさっきからひっきりなしに警告(アラート)がキマリスのコクピットに鳴り響いているのだ。既にアインの限界は近かった。

 

「なら……!」

 

 今こそ本当に自分の力だけで道を切り開く時なのだ。これまで共に戦い、手を貸してくれたアインに頼ることなく次へ繋げる。それが一番に求められている事だと理解したから。

 

『マクギリスッ!』

『ガエリオ、貴様……ッ!?』

 

 キマリスがナベリウスへとしがみついた。右腕とサブアームを用いた非常に不格好な姿だが、それでもガッチリ組みついて離れようとしない。さらにドリルニーすら突き刺してナベリウスを固定すると、一気にバーニアを吹かし加速し始めたのだ。

 

『俺を道連れに自爆するつもりか!?』 

『そんなつもりは毛頭ないが──それならそれで本望さ!』

 

 これっぽっちも勢いを緩める事はせず、行先どころか正面に何があるかすらよく理解しないまま正面へと加速する。マクギリスは当然その先に何があるのか理解しているのだが、頭部(メインカメラ)を破壊されたキマリスの拘束からは逃れられない。

 

 そして──キマリスとナベリウスは盛大にスキップジャック級戦艦の巨体へと突っ込んだのである。

 

 ◇

 

 ガンダム・フレーム二機に突撃されたスキップジャック級の対処は素早かった。

 ラスタル・エリオンその人が艦長を務めることもあってか、すぐに宇宙へと空いた穴は隔壁が閉じられ、安定のためにエイハブ・リアクターによる重力が限定的に復活した。消火活動のための部隊も即座に編制され、現場へと急行している。

 

 だが、そんなことは主役たちにとって些事に過ぎない。

 

「づっ……ぐうっ」

 

 痛む全身に気合で鞭を打ちながらガエリオは起き上がった。周囲を見渡せばかなり破壊されてしまった格納庫らしき空間と、自分のすぐ隣に擱座(かくざ)しているキマリスの姿がある。どうやら、コクピットから放り出されてしまったらしい。

 

「エリオン公のスキップジャック級戦艦……か?」

 

 見覚えのあるこの格納庫は、しばらくの間世話になったラスタルの旗艦に間違いないだろう。ほとんど当てずっぽうで突撃した先がスキップジャック級戦艦とは、運が良いのか悪いのか。

 それにこうしてキマリスから放り出されているのも、考え方によってはそのおかげで無事だったとも言える。目の前で各所から炎を噴き出しているキマリスを見るに、最後にアインが助けてくれたと考えるのはロマンチストが過ぎるだろうか。

 

「……」

 

 けれど、それ以上感慨に浸る猶予はなかった。視線の先、炎と瓦礫の奥に人影を見つけてしまったから。

 

「やはり生きていたか、ガエリオ」

「ああ、おかげさまでな、マクギリス」

 

 中破したナベリウスを背に、ボロボロになったマクギリスがやって来た。

 まるで互いの無事を喜ぶかのように気安い口調だが、その裏に秘められた感情は何処までも複雑だ。生きてて良かったのか、死んでなくて腹立たしいのか、はたまた両方なのか。互いに自らの気持ちに整理がつかないまま、ついに生身で向き合ってしまった。

 

 視線が交わる。もはや言葉など無粋だ。ここに二人、敵意と覚悟を抱いた男たちが居る。ならば取るべき道は一つだけ。

 ガエリオが拳を握り締めた。マクギリスが両腕を構えた。拳銃などという武器はどちらもコクピットの中に置いてきている。ならば肉体こそが原初の武器、互いの道理を徹すための唯一至上の手段に他ならない。

 

「ああああああッ!」

「はあああああッ!」

 

 一歩、ガエリオが踏み込んだ。同時にマクギリスも一歩を踏み込む。

 二歩、既に小走りだった。やはり鏡映しの様にマクギリスも小走りになる。

 三歩、もう全力疾走だった。互いに目の前の相手しか見えていない。世界の中心は今、この場所でしかあり得ない。

 そして彼我の距離がゼロと化した次の瞬間、熱く硬い拳が、互いの頬にめり込んだ。

 

「これ──」

「しきでぇッ!」

 

 衝撃に頭を揺さぶられ、傷ついた身体が更にボロボロになっていく。けれど頓着などしない。すぐに足で踏ん張り体勢を立て直す。今度はガエリオの拳がマクギリスの腹に入り、逆にマクギリスの拳はガエリオの胸元に炸裂した。どちらもその一撃で倒れてもおかしくないはずなのに、けれど意地でも倒れようとしない。

 

 殴り、殴られ、殴り返し、殴って、殴って、殴って殴り、殴打、殴、殴、殴殴殴──

 

「どうだマクギリス、俺の強さ(いかり)は!?」

 

 その最中、ガエリオが問う。血塗れになった口をどうにか動かし、それでも格納庫中に響くような大声でマクギリスへと言葉を放つ。

 

「これがお前の切り捨てた、見向きもしなかった男の怒りだ! 噛み締めろ!」 

 

 血で赤く染まった拳が勢いよくマクギリスへと突き刺さる。もう何度殴られ、そして殴ったのか。互いに感覚すら覚束ないが、それでも今の一撃は過去最高の一撃となってマクギリスを打ち抜いた。

 

「見向きもしなかった、か……」

 

 それでも、マクギリスは倒れなかった。ふらつきながらもしっかりとガエリオを見据えている。逆にガエリオの方が、このまま行けばその気力で圧し潰されてしまいそうな迫力すら感じる程だ。

 彼は口の端の血を拳で拭うと、微かに自嘲するように唇をゆがめた。

 

「改めて聞こうか、ガエリオ。お前はどうしてこの場に立っている。復讐の為か? 自分の為か? いいやそれとも──」

「そんなこと決まっているさ」

 

 答えなど一つしか無かった。今度はマクギリスから返された拳を耐え抜き、ハッキリと自身の想いを口にする。

 

「お前が、俺の友だから。それ以外に理由なんか無い」

「──なに?」

 

 信じられないような言葉に、マクギリスが虚を突かれたように間抜けな顔を晒した。彼を知る者らからすればあり得ないそれは、ガエリオだから引き出せたと言うべきか。

 さしものマクギリスですら言葉の意味をすぐには理解出来なかったのか、これまでの殴り合いが嘘のように場が静まった。

 

「何を馬鹿な事を言っている。俺はお前を騙し、殺そうとし、お前の仲間を傷つけた男だぞ? それをこの期に及んでなお友と呼ぶなど」

「ああ、自分でも信じられないくらいさ。だけどお前曰く、俺は純粋すぎるらしいからな。一度友誼を結んだ相手を、そう簡単に『はいそうですか』と捨てられなかったのさ」

 

 勿論、マクギリスの指摘も正しい。彼の行いに怒りはあるし、復讐心が無いと言えば嘘になる。アルミリアはまだ良いにしても、幼馴染のカルタと部下のアインに至っては死んですらいるのだ。ガエリオとてこの全てを許せるほど聖人になったつもりはない。

 けれど結局、ガエリオ・ボードウィンはどうしようもなくマクギリスの友なのだ。これまで培ってきた友情も、時間も、何もかもが嘘っぱちな筈がないと信じている。

 

「だから、俺が本当に怒っているのは真実一つだけだ」

 

 ツカツカとマクギリスへと歩み寄る。胸倉をつかみ、その顔を引き寄せた。

 

「なあ──どうしてお前の革命に、俺たちを協力させなかったんだ!?」

 

 激しい怒りを露わにして、その勢いでヘッドバッドをかましてみせる。強烈な頭突きは互いの脳をこれ以上なく揺さぶり侵すが、そんなのはもうどうでも良かった。軋む身体すら惜しくはない。

 ふらつく身体にもう一度鞭打ってガエリオはまたもマクギリスを掴んだ。けれど今度はマクギリスも容赦しない。互いに胸倉を掴み合い、至近距離で相手の顔を睨み合う。

 

「俺もカルタも、お前の力になってやれたはずだ! それがどうして、こんなにも遠回りをしなければならない! 一言あればそれで十分だったはずだろう!?」

「決まっている、お前たちでは力不足だと感じたからだ! 俺の怒りをたかだか友情ごときに破壊されて良いはずがない!」

「嘘だ! ならば何故、お前は……」

 

 ガエリオの視界が滲んだ。前が良く見えない。けれど、目の前の相手がどんな表情をしているかだけは手に取るように良く分かる。分かってしまう。

 

「そんな泣きそうな表情をしているんだ……!」

「泣く……? この俺が、そのようなはずは……」

「お前の本音はどこにあるんだ!? 言ってみろよ、マクギリスッ!」

 

 その本音を聞き出すために、今一度拳を振るう。その本音を隠すために、今一度拳を振るう。

 そして、互いの拳が何度目かも知れない頬骨へと突き刺さり──二人揃ってのけぞるように倒れ伏した。

 どちらもいよいよ限界だった。気力だけで立ち続けるにも限度がある。そんな当たり前の現実を前に、もう立ち上がる力は湧き出しては来なかった。

 

「お前は、俺たちのことを……どう思っていたんだ……!」

「俺、は……」

 

 途切れ途切れの言葉が紡がれる。ほんの少しでも気を緩めればどちらも簡単に意識を失うだろう。けれど、この問答が終わるまでは許されない。それだけは逃げと同じ、やってはいけない行いだから。

 

「ああ、そうさ……! 楽しかったさ、お前と、お前たちと共に過ごした時間は!」

「ならば、何故……!?」

「俺の怒りが、劣等感が、お前たちと共に居ると洗い流されてしまいそうだった。あの地獄を、幸福という薄い感情に潰されると恐れていた。だから……いつか、袂を別つと誓った」

「く、はは、馬鹿か、お前は……!」

 

 ようやく引き出せた本音は、認めるしかない自らの幸福と、それを否定する過去(かつて)怨嗟(いかり)に溢れていた。

 とんだ頑固者、とんだ分からず屋だ。その程度の本音を隠すためにこれだけの事を為したと思うと、馬鹿らしさに眩暈すら覚えるほど。もはや笑いすら漏れてしまいそうだ。

 

「それならほんの一言、言ってくれれば良かったんだ。俺たちは、紛れもない友だ。そんな悩みの一つや二つ、解決できない訳がないだろう」

「そう、かもしれないな……こうしてお前の執念に倒れた今となっては、否定もできまいよ」

 

 怒りを超える原動力など無いと思っていた。友情などと薄っぺらい感情が何かを為せるなどと信じてすらいなかった。

 なのにどうした、結果はこれだ。確かにマクギリスは負けていない。”敵”の首魁たるガエリオと実質的な相討ちとなったのだ、大勢で見れば間違いなく彼に分がある。

 けれど、”友”としてのガエリオには完膚無きまでにやられてしまった。自らの否定した感情の価値を思い知らされ、こうして共に倒れ伏している。かつてのマクギリスなら全て一笑に付していたことだろう。

 

「例え世界の誰がお前を讃えても、全てを許しても……俺だけは、お前とその行いを許さない。それが友として、俺がするべき責務だからだ」

「それは……矛盾しているのでは、ないのか? 怒り続ける相手の事を、友とは呼ばないだろうに」

「……まだ分からないのか、この大馬鹿。怒ってやれるから、友達であれるんだ」

 

 ただ相手の事を褒めて盲信する存在のことを、世界では友達ではなく信奉者と呼ぶ。だからもし世界中の誰もがマクギリスの信奉者になろうとも、ただ一人ガエリオだけは彼への怒りを忘れないのだ。それこそ、友として出来る精いっぱいと信じる故に。

 

「なるほど、な……」

 

 その言葉にマクギリスは小さく、けれどハッキリと頷いて──

 

「友というのも……悪くない、な。ガエリオ……」

 

 唇に微笑を浮かべ、眠るように意識を失った。血塗れのまま穏やかに横たわるマクギリスの姿にガエリオもようやく緊張の糸が切れた。急速に意識が遠のき、身体が思うように動かなくなる。

 

「ああ、そうだろう……マクギリス」

 

 最後にそっと満足気に呟き、ガエリオもまた意識を失ったのだった。

 




「消火部隊、格納庫に到着しました! ですが、その……」
「どうした、言ってみろ」
「その、ファリド准将とガエリオ・ボードウィンが、決闘じみた事をしてまして……こちらも加勢して、ガエリオ・ボードウィンを捕縛致しますか?」
「……いいや、構わぬ。手出しは無用だ、好きなようにやらせておけ。決着が着き次第消火開始、二人は医務室にでも運んでやれば良い」
「は、はぁ……承知しました」
「まったく……これであの二人も、また一皮剥けるのだろうな。ハハハ、若さというのはこれだから侮れないものだよ。なぁ、今は亡き友よ」


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#47 人としての尊厳を

「何の因果か同じ陣営となった今、あなたに一つ訊いてみたいことがあるます。どうして、あなたはそんなにも強くあれるのです? その源はいったい何?」
「ジゼルも暇ではないのですが……まあ一言だけなら。強いことに、理由はないと思いますよ」
「理由がない……? ただそのように生まれたから強いと、そう言いたいのですか!?」
「ええ、まあ。心と身体の乖離なんていくらでもあることでしょうに。心は鉄でも技量がなく、技量があっても心が脆い。誰だって悩むことです、ジゼルだって例外じゃありません」
「……失礼ですが、あまり信じられませんね。あなたのような狂人(にんげん)が?」
「事実なので怒りませんけども。皆が誰しも、全てを捨ててまで強くなりたかった訳ではないと思いますよ? ……ロミオとジュリエットさん」
「誰が悲劇ですか!? 私はジュリエッタ・ジュリスです!」


 暗闇の支配する宇宙に白と黒の翼がひらめいた。巨体をあたかも生物のように震わせ、真空の中をまるで飛ぶように優雅に移動する。さながら戦場に舞い降りた天使のようだ。

 しかしその実態こそ最低最悪の殺戮鳥、人殺しのMAに他ならない。かつて世界を滅ぼしかけた厄祭戦の置き土産が、ここに再び蘇ってしまったのである。

 

『またコイツか、面倒だな』

『まさか宇宙にまで来てこいつの相手する羽目になるとは』

『とはいえ、俺らがやんなきゃ誰がやんだって話だけどよ……!』

 

 三日月、昭弘、シノがそれぞれ三者三様にうんざりした反応をこぼす。火星で蘇り打倒したはずの厄祭戦の怪物、それが同時に二機も現れるなど悪い冗談にしか思えない。

 二機のMAはそれぞれ白と黒を基色としていて、大まかなフォルムも火星で見たMAと共通していた。けれどどちらもより鋭角的なフォルムとなっていて、さらに宇宙戦仕様なのかスラスターや武装が増設されている。単純な威圧感はかつての比ではない。

 

 唐突なMAの登場により、三日月達の戦場は一時的な停滞状態へと陥っている。後方に引いた旧体制派のMS達は元より、革命軍側のMS達も迂闊にMAへ手を出そうとはしていない。MAと三日月達を結んだこの一帯だけが不自然なほど静まり返っている。

 そう、誰もが直感的に理解しているのだ。アレに手を出したが最後、恐ろしいことになると。だから革命軍のMS達はこぞって別の戦場へと飛び立ち、後には鉄華団のエース三人しか残らない。

 

 そこで、オルガからの通信が届いた。気が付けばイサリビもそう遠くないところまでやって来ていた。

 

『ミカ、そっちの状況はどうだ?』

『たぶん、俺たちを狙ってるんだと思う。そろそろ──』

 

 三日月が言い終わる前だった。

 モニターに映る二機のMA達が翼を広げた。全身のスラスターが点火し、青白い炎を噴き上げて飛翔を開始する。尻尾のようなブレードを揺らめかせ、全身の火器を敵手へと向けながら殺意を漲らせる。──ついに、MA達が行動を開始したのだ。

 

『あれ、前に潰した奴の同類ってことでいいんだよな?』

『そうだ昭弘、アイツもMAとやらのお仲間らしいぜ。MAを倒すためのMAなんだとよ』

『それが今じゃMSに乗る俺たちを倒すってか? おいおい、とんだ皮肉が効いてんじゃねぇか』

 

 迫りくるMAはやはり驚異的な機動性だ。MSの数倍の巨体を誇るくせに、機械らしさを感じない柔軟かつ高速な動きを実現させている。それだけでも厄祭戦時の技術力の高さがうかがい知れるというものだ。

 だがそんな背景は鉄華団にとって重要ではない。肝心なのはこのMAを倒せるか、倒せないか。それに尽きる。そして革命軍の有象無象では全く相手にならないことも予想される以上、押し留めるには鉄華団が出張る他に選択肢はなかった。

 

『お前たちが頼りだ、ミカ、昭弘、シノ。阿頼耶識の代償は重々承知してるが……やってくれるか?』

『当然だよ。オルガがやれっていうなら、何体だってぶっ潰してみせる』

『この前は遠距離からチマチマなんて情けねぇ戦いしか出来なかったからな。今度は三日月ばかり良いカッコさせてもらんねぇぜ』

『おうよ! ……と言いたいとこだが、ちょいとフラウロスは弾切れがこえぇな。補給準備はあるか?』

 

 フラウロスは鉄華団の保有するガンダム・フレームの中でも、唯一砲撃戦を得意とする機体だ。MAとの戦闘中に弾切れを起こしたら冗談にもならない。

 それに、フラウロスは他とは一線を画する強力な一撃を備えている。その準備も必要だった。

 

『了解だ、ついでに例のダインスレイヴ弾頭も──』

『ギャラクシーキャノンだ!』

『……その、ギャラクシーキャノンとやらの準備もヤマギにさせとく』

『うっし! そんじゃ三日月、昭弘! すぐ戻ってくるからそれまで死ぬんじゃねぇぞ!』

 

 調子よく戦線を離脱していくフラウロス。これで場に残ったのは三日月のバルバトスルプスレクスと昭弘のグシオンリベイクフルシティの二機だけだ。もし相手の思惑が鉄華団の最高戦力をMAに釘付けにすることなら、見事にその思惑は叶ったと言えるのだろう。

 

『それじゃ、さっさとやろうか』

『お前は気楽で羨ましいぜ……こっちはMAとサシでやんのは初めてなんだぞ』

『なに、緊張してるの? 大丈夫だよ、あんなのただデカいだけの鳥だから』

『なんじゃそりゃ……あーったく、不安がるのも馬鹿らしくなるぜ。せめて身体が動かなくなるのだけは勘弁してくれよ、筋トレが出来なくなっちまう』

 

 もうMAはすぐそこだ。他の援軍は望めない。戦場はここだけではないのだ、鉄華団団員たちも各所に散ってしまっている。であれば、少なくとも今だけは二人きりで何とかする以外に道は無い。

 

『んじゃ行こうか、バルバトス!』

『よし、行くかぁッ!』

 

 そして二機のガンダムと二機のMAは、ついに交戦を開始した。

 

 ◇

 

 戦場を駆けるジュリエッタ・ジュリスがその連絡を受けたのは、ちょうど敵兵の一人を無力化したタイミングだった。

 

「MA……? それは火星でイオク様がちょっかいかけたという、あの……?」

『そうだ、あれの亜種というべき機体が出現したらしい。アレに対抗できるパイロットはそう多くないだろう。故にお前に頼みたい、出来るか?』

「ラスタル様の命ならば、いつでも!」

 

 歯切れよく応えたジュリエッタはすぐに無力化した機体を蹴って加速、新型のレギンレイズ・ジュリアはこれまでのレギンレイズとは比較にならない速度で宙域を駆け抜ける。新しい乗機の調子は上々だった。

 元よりジュリエッタはラスタルの部下として行動する人間である。だから彼自身がどういう所属になろうと彼女の成すべきことは変わらない。ただ敵を討つための剣である、それだけだ。

 それに、負い目もある。火星ではイオクを助けるどころか鏖殺の不死鳥に後れを取り、ラスタルの不利の原因になり果ててしまったのだ。結果的にラスタルは失脚の憂き目には遭わなかったが、あの失態は容易に挽回できるものでもない。

 

 だから今こそラスタルの剣として、その本懐を果たす時──なのだが。

 

「今の私に、あの怪物(フェニクス)に匹敵する怪物(モビルアーマー)を相手取ることが出来るのでしょうか……?」

 

 迷いを孕んだ呟きが、狭いコクピットの中に小さく響いた。

 強く有る為には、怪物にならなければならないのか。あの日フェニクスによって打倒された時に浮かんだ問いが、再び彼女の脳裏を過る。

 力を得るためには全てを捨てる必要があるのか? 狂人として生きねば圧倒的な強さは手に入らないのか? 人としての尊厳を投げ捨ててまで掴んだ強さとは、本当に価値があるのか?

 その答えを得るためにレギンレイズ・ジュリアというピーキーな新型すら受領したが、それでも迷いの霧は晴れない。むしろ新型の性能にジュリエッタ自身の技量──というより心が追い付かず持て余し気味な始末だ。この戦場を生き抜くには十分だが、MAを相手にした時今のまま通用するとはとても思えない。

 

 こんな状態でMAなどという災厄と戦えるのか。いいや、きっと無理だろう。ジュリエッタもそれは百も承知だ。

 けれど、やるしかない。願わくば強さの意味を、答えを、手に入れることが出来るように──彼女は戦場へと急行する。

 

 ◇

 

 MAを狩るMA。そんな設計思想であるからには、ガンダム・フレームとの共同運用もある程度は視野に入れられていたらしい。バルバトス、グシオン共に眼前のMAを勝手に照合、インプットされていた機体名と大まかな特徴をパイロット達に伝えてきた。

 それによると、白いMAがサンダルフォン、黒いMAがメタトロンの名を冠するようだ。前者は武装を絞ることで宇宙空間における高速戦闘に特化した機体、後者は機動性を犠牲に火力を重視した移動砲台とも言うべき機体との情報もある。両極端な性能を有しているのは、元来この二機が同時運用される想定だったことの名残だろうか。

  

 ともあれ、そのような背景が二機のMAにはあるという。

 

『コイツ、すばっしっこいな……!』

『こっちは馬鹿火力に重装甲ときた、MAってのはつくづくとんでもねぇ……!』

 

 阿頼耶識のリミッターが外れ、双眸を赤く輝かせるバルバトスとグシオンのコクピットで、三日月と昭弘が思わずといった風に愚痴を零した。どちらも狙いは片方のMAずつなのだが、一筋縄ではいかない相手である。

 

 バルバトスが相手取っているのは白いMA、サンダルフォンだ。武装自体は火星で戦ったMAとほぼ変わらないが、驚異的な運動性を有している。過剰なまでに増設されたスラスターとブースター、それを同時制御できる高度な頭脳(AI)、加えて宇宙という重力の(くびき)が無い環境──おそらくMA本体との一騎打ちを想定された機体は、バルバトスにも比する機動力を備えていた。

 一方グシオンが相手取っているメタトロンは重火力、重装甲な典型的なパワータイプである。コンセプトとしては雑魚(プル―マ)への露払いなのだろうか。全身をマシンガン、ミサイル、ブレードで固め、翼部自体すら鋭利な刃となっている様はまさに武装の見本市だ。そのくせ装甲も硬く、ちょっとやそっとの攻撃程度では足止めにすらならない。

 

 この二体のMAに対抗するため、バルバトスとグシオンはそれぞれ役割を分けた。極限まで機動性、反射性を追及しているバルバトスルプスレクスが速度特化(サンダルフォン)を、火力と装甲を重視し多少の攻撃では揺るがないグシオンリベイクフルシティが重戦車(メタトロン)の相手をするのだ。

 

 結果として稲妻のように戦場を駆け回る二機と、真逆に火力で打ち合い力押しを得意とする二機の戦いへと移行した。

 

『三日月!』

『分かってる』

 

 右手にハルバード、左腕と隠し腕に一二〇ミリロングレンジライフルを握ったグシオンがメタトロンへと肉薄した。即座にマシンガンの応酬が浴びせかけられるが、グシオンの装甲の前には豆鉄砲も良い所だ。さらに放たれたミサイルをライフルで撃ち落とし、一気に近接戦の間合いに入る──刹那。

 横から強襲してきたサンダルフォンをバルバトスが弾き飛ばした。手に持った巨大メイスでしこたま打ち据えたように見えるが、MAもさるもの。逆方向へと瞬時にスラスターを吹かし衝撃を逃がしている。そこからほとんど直角に切り返し、バルバトスの横合いから攻め込んできた。

 

『コイツは俺がどうにかする。そっちは任せたよ、昭弘』

『ああ……! 任されたッ!』

 

 MA二機は最初から連携を前提として設計されている。なら彼らもまた連携を駆使して戦うまで、共に実力をよく知るからこそ背中を預けるのに躊躇いなど微塵もなかった。

 昭弘とグシオンは阿頼耶識のリミッターを外しての戦いはこれが初だ。その圧倒的な出力の向上と、それに比類する脳への負荷は普段と比べものにならないほど。常の感覚でハルバードを振るうだけでそこらのMSなら吹き飛ばせてしまいそうだ。

 

「なるほど、だからMAにはガンダム・フレームって訳なのか」

 

 そりゃこんなヤバい相手、これだけの力が無ければ相手にもならないだろう──などと内心で思いながらハルバードを振るった。敵はすぐそこ、メタトロンは眼前にある。肉厚の分厚い刃はクリーンヒットしたものの分厚い装甲に阻まれ、お返しとばかりにテイルブレードが飛んできた。

 向上した反射性に任せてスレスレで躱すグシオンだが、その拍子にライフルを一つ失ってしまう。だが構わない、お返しとばかりに空いた手で殴りつける力任せな戦いこそ彼の望むところだ。

 

 こうして昭弘がMA相手に脳筋(ストロング)な戦法を繰り広げている頃、三日月の方もサンダルフォンと熾烈な主導権争いの真っ最中だった。狼の王(ルプスレクス)殺戮の天使(サンダルフォン)の戦いはシンプルな先手の奪い合いに終始している。

 どちらも図抜けた機動性を発揮し、しかも当たれば決定打になり得る攻撃を保持しているのだ。なので先に攻撃を当てた方が大きくリードを取れるのだが、そんなことはどちらも承知している。だから放たれる攻撃は確実に回避し、魔法のように一撃も入らない。掠め、擦り、空振りし、示し合わせたかのように空を切るだけにとどまった。

 ならば相手の速度を上回って回避不能の一撃を与えるのみ。どちらもその結論に至ったことでより勢いは増し、戦況は加速し加速し加速していく。もはやそこらのパイロットが介入するなど決して不可能と言えるだろう。

 

 状況はどちらが不利とも言い難い。少しの切っ掛け、偶然があれば容易く勝利の天秤は傾くだろう。悪魔と天使、どちらが上とも明白に示しがたく、厄祭戦の置き土産たちは遺憾なくその武を振るっていた。

 

 その中でついに、状況が動いた。 

 

『……ッ!』

『やべぇ、三日月ッ!』

 

 メタトロンから放たれたミサイルが()()()()()()()()()()()()()()()へと向かっていく。すぐに昭弘もライフルで弾幕を形成して撃ち落とすが、そのうちのいくつかは銃弾をすり抜けてしまった。

 これが天使たちの恐ろしいところ。対MA用にMA以上の高度なAIを搭載されたこの二機は、例え別々に戦闘中だろうと連携を忘れない。片方が敵手を追い詰め、そしてもう片方が王手となる一手を無慈悲に指すのだ。

 まるでバルバトスの方がミサイルへ当たりに行っているよう、それくらい正確な予測発射だった。もし直撃しても致命傷にはならないだろうし、三日月ならば迎撃ももちろん出来る。しかしその僅かな隙はサンダルフォン相手には大きすぎる代償となってしまう。分かっているから、三日月も昭弘もマズいと感じたのだ。

 

 殺到するミサイルがついにバルバトスを射程に捉えた。数秒の後に炸裂するミサイル相手に覚悟を決めてメイスを振り上げたその時に、

 

『この程度のミサイルなら……!』

 

 横合いから伸びてきた蛇腹剣と機関銃によって全て撃ち落とされた。すぐにバルバトスはその場を離脱、飛び掛かって来たサンダルフォンをいなして距離を取る。

 必殺の連携が不発に終わったサンダルフォンとメタトロン、それに窮地を免れたバルバトスとグシオンが一斉に動きを止めた。新たな乱入者の姿を確認すれば、そこには緑と白の厳つい見た目をしたギャラルホルンの機体がある。おそらく新型だろう。

 

『助かったけど……アンタ、誰?』

『私はアリアンロッド所属のジュリエッタ・ジュリスです。ラスタル様の命により、微力ながら助太刀に来ました』

 

 悪魔の力を得た阿頼耶識施術者達と、血の通わぬ鋼鉄の天使たちの戦場に。

 ただ一人の只人である ジュリエッタ・ジュリスがここに参戦した。

 

 ◇

 

 彼女の抱いた第一印象は、”自分ではこの戦いに介入しても仕方ない”という諦観にも似た思いだった。

 だってそうだろう。二機のガンダム・フレーム達は通常のパイロットの操縦が児戯に見えるような苛烈さで、対抗するMA達も人間ではとても敵わぬ強さを持っている。いくら機体が最新といえどこんな戦いに介入する余地など、今の自分(ジュリエッタ)には存在しないと思えたのだ。

 でも、それで及び腰になるほど物分かりの良い性格でもない。弱気になっても強さの追求に曇りは無く、ならばせめてこの戦いを糧にすべく戦火の中へと身を投じたのだった。

 

『アリアンロッドの……忠告してやるが、下手にアイツらと戦うのは止めた方が良いぜ』

『ご心配なく、覚悟の上です』

 

 茶色の機体、グシオンから届いた忠告にジュリエッタは否と返した。相手が強大な事など覚悟の上、それでも得たい力があるから飛び込んだのだ。グシオンのパイロットもそれ以上は何も言わず、なら好きにしろと無言で物語っている。

 そして問答の時間はそれ以上残されてはいなかった。MA二機がレギンレイズ・ジュリアも勘定に入れた上で攻撃を再開したからだ。メタトロンから牽制代わりに弾幕が放たれ、サンダルフォンが馬鹿らしい速度で一気にMS達の懐へと肉薄する。

 すぐに三機は散開してそれぞれの相手へと向き合った。バルバトスがサンダルフォンと先手を取り合い、グシオンがメタトロンと火力と耐久勝負に徹する。レギンレイズ・ジュリアは高機動機、ゆえに彼女はすぐにバルバトスの援護に入った。

 

『コイツ、本当に速い!』

 

 けれど現実は非情で、新型機たるレギンレイズ・ジュリアでも満足に戦えない。速度に追いつき邪魔にならないだけで精一杯、攻撃どころか牽制を放つのでギリギリという有り様だ。単純な性能差と彼女の心の不調、それが悪い方へと噛み合ってしまっている。

 伸ばした蛇腹剣がこともなげに払われ、逆にクローに掴まれギリギリと締めあげられる。それを脚部のエッジを展開することでどうにか弾き、自由の身になったところでバルバトスの踵落としが炸裂する。踵に仕込まれたヒールバンカーがMAの片翼を抉り、此処に来て初めての消耗を与えることに成功した。

 

 それでもサンダルフォンは依然として脅威だった。多少のバランスを欠いた程度ではビクともしない。どころかバルバトスのメイスを弾き飛ばし、手痛いカウンターを与える始末。やはり強力な一撃をクリーンヒットさせない事には倒すことは不可能らしい。

 

『私にもあなた達みたいな力があれば……!』

 

 思わずジュリエッタは毒づいてしまう。どうしようもなく無力な自分が許せなかった。

 ガンダム・フレームと阿頼耶識の力はまさに悪魔だ。互いが互いを高め合い、人を捨てる代わりに圧倒的な力を得ることができる。今の彼女からすれば羨ましいくらい魅力的な力でしかなかった。

 

『どうしてそんなにも強くあれるのです!? 人間は、そうまでしないと強くなれないのですか!?』

 

 ほとんど無意識の叫びだった。フェニクスも、バルバトスも、向こうでMAと力比べをしているグシオンも、誰も彼もが圧倒的に強いのだ。けれどそれは阿頼耶識を用いた悪魔の契約、只人の彼女では一生手に入らない力に過ぎない。

 ならば自分は生涯弱いまま、強くなどなれないのだろうか。そんな想いの籠もった叫びは、意外なところから否定された。

 

『別に、そうなりたくてなった訳じゃないけどね』

 

 淡々とした言葉はバルバトスのパイロットのものだ。確か名前は三日月・オーガスと言っただろうか。

 彼は今もMAと矛を交えながら、なんの気紛れか言葉少なにその胸中を伝えてくる。既にメイスが吹き飛ばされ、両手の爪を用いた野生染みた戦いをしているというのに、口調はどこまでも冷静だった。

 

『今日を生きて、鉄華団(かぞく)を守るために強くなっただけ。アンタが悩んでるようなことを考えたことなんて、一度も無い』

『それは……』

『あぁ、俺だって同じさ。ギャラルホルンの奴には理解できないかもしれないがな。たまたま生きていくのに力が必要で、そのために強くなりたかった。人間がどうだのなんざ高尚なこと全く理解できねぇさ』

 

 鉄華団のエース達の言葉は意外なほどにジュリエッタの胸に突き刺さる。散々”悪魔のよう”と考えてきた人物達が、強さを求めて強くなった訳ではない。むしろ人として当たり前の、今日を生きるために手に入れた強さという事に動揺が隠せない。

 そんな当然の、真っ当な理由でこれほどまでに強くなれるのか。人間らしい理屈で強くなれるのか。何か大切なものを捨てなければならないと考えていた彼女にとって、まさに青天の霹靂とも言える思想だ。

 

『……あなた達は、悪魔ではなく人間なのですね。人として当然の強さを抱いた、ただの人だった』

 

 彼らからすれば失笑モノの発言かもしれない。大上段から言われた言葉と怒るかもしれない。

 けれどそれがジュリエッタの偽りない本音だった。強くなるためには代償が必要かもしれない。しかしそれは、必ずしも人を捨てた怪物になることを意味するのではないのだ。現に彼らは、人として怪物(MA)に立ち向かっているのだから。

 

『ああそうさ、だからこんな機械なんかに負けてられないんだ。俺たちは人間だからな、ただ戦って壊すだけの奴に負けるなんざ真っ平ごめんだ』

『俺たちだって似たようなもんかもしれないけどさ。宇宙ネズミだろうと、ゴミみたいな命だろうと、譲りたくないものはあるんだ』

 

 真っすぐな言葉が清々しかった。迷いなど少しも無い。機械のような存在に支配されてしまう前に、自らの居場所を探し出すという決意に溢れていた。人間だから出来ること、それを成し遂げてやろうという意思だ。

 あるいは、そう。もしかしてアグニカ・カイエルが対MA用のMAではなく、人の操るガンダム・フレームを主軸に置いたのも──こういう人としての尊厳を守るために有ったのではないかと、ふと感じた。

 

 少しづつ迷いが晴れていく。ならば強さなど如何なるものか、やるべきことが見つかり出した。その心が機体にも反映され、サンダルフォンとメタトロン相手に的確な牽制が少しづつ入り始める。調子を取り戻したのだ。

 

『よぉーしお前ら、こっちも間に合ったぜ! 昭弘とギャラルホルンのMS! ちょいと黒いのから離れてな!』

 

 間違いなく戦況が決まりつつあるその時、通信に更なる第三者が割り込んだ。響いた声は鉄華団副団長のユージンのもの、さらに旗艦イサリビもすぐそばまで迫っている。いいや、迫るどころか全く勢いを落としていない。むしろいっそう加速したままメタトロンの弾幕を潜り抜け──即座に昭弘とジュリエッタはメタトロンから距離を取った。

 

『総員、衝撃に備えろッ!』

 

 何の躊躇も衒いもなく、真正面からメタトロンの重装甲に吶喊(とっかん)した。

 あまりにもあんまりな突撃戦法だが、こと強襲装甲艦に関してはこれが正解なのだろう。MAという巨体は同じく巨体な戦艦の一撃を諸に喰らい、重装甲でも抑えきれない一撃を見舞われてしまう。

 バランスを崩しひび割れた装甲になったメタトロン。サンダルフォンがすかさずフォローに行こうとするが、レギンレイズ・ジュリアの蛇腹剣が足首に絡みつき、さらにバルバトスが真正面から組みついて妨害する。その間にグシオンがハルバードを思い切り胴体に突き刺し、リアスカートからシザースを取り出し構えた。狙いは一つ、MA核たる頭部だ。

 

『こ、れ、でぇぇぇッ!』

 

 挟みこまれた頭部がメキメキとひしゃげていく。ナノラミネート装甲もこうなれば意味はなさない。最後の抵抗とばかりに全身の重火器とテイルブレードが乱発されるが、グシオンの重装甲に阻まれ決定打には至らなかった。

 そして、ひしゃげた頭部が完全に潰される形となり、メタトロンは完全に機能を停止した。

  

『っしゃぁ、ならこっちも根性見せなきゃな! 三日月!』

『うん、分かった』

 

 突撃したイサリビの甲板上、そこには四足形態へと姿を変えたフラウロスの姿がある。地上戦専用の砲撃形態にわざわざ変えているのはシノの趣味だろうか。彼らしいといえばらしく、そして備わった一撃は戦況を変えるのに十分すぎた。

 バルバトスとジュリアによって動きを止められたサンダルフォンがいよいよ大きく暴れ出した。身に迫る危険を察知したのだろうが、しかし遅い。

 

『唸れ、ギャラクシーキャノン! 発射ッ!』

 

 フラウロスから放たれたダインスレイヴ弾頭、超速の一撃がMAの翼とスラスターを一直線に貫いた。それと同時にサンダルフォンも拘束を抜け出したが、さすがにこれまでの高機動には格段に劣る。ついにサンダルフォンを追い詰めたのだ。

 

『ついでにコイツも持ってけ!』

 

 さらに、人型へ形態変化したフラウロスが鈍く輝く細い何かを放り投げた。過たずキャッチしたバルバトスの手にあったのは、二年前に何度か使った経験のある”太刀”という武器だ。

 これ、苦手なんだけどな──小さくぼやきながら三日月は刀を手にMAへと迫った。逃れようとするMAだが、それを許さないのがジュリエッタだった。最初の動きとはまるで雲泥の差、吹っ切れたように鮮やかな戦いを見せている。

 飛来するテイルブレードをテイルブレードで弾き、クローを掻い潜り、その足首に太刀を滑らせる。苦手と言ったのは何だったのか、まるで紙切れのようにスルリとサンダルフォンの脚部が断ち切られた。返す刀で胴体にも斬撃を与え、サンダルフォンの眼前へと飛び出す。

 

 ──天使が、悪魔を前にたじろいだ気がした。

 

『んじゃ、終わり』

 

 逆手持ちで振りかぶられた太刀の切っ先が、容赦なくサンダルフォンの頭部を貫いた。メタトロンと同じく中枢を破壊されたサンダルフォンはやはり機能を停止させ、白い巨体をぐったりと宇宙空間に曝している。ここに、MA討伐は成ったのだ。

 

『これで何とかなったかな?』

『ったく、とんだ苦労掛けられたぜ』

『おうおうわりーな、美味しいとこ持ってちまってよ!』

『それは良いけど……なんでユージンが仕切ってたのさ。オルガはどうしたの?』

『んあ? ああ、アイツはさっき──』

「なるほど……これが、鉄華団……ですか」

 

 勝利に湧く鉄華団の面々を横目に、ジュリエッタは静かに呟いた。この場でただ一人部外者である彼女だが、だからこそ見えてくるモノもあったのだ。

 強さとは、何も人を辞めることが全てでは無いのだ。そんな簡単な事実にようやく気付くことが出来た。そしてまた、鉄華団は人間を辞めてなどいない。どれだけ蔑まれようと、強かろうと、ただの人間であったのだ。こうして喜び合っている鉄華団は本当に年相応で……子供の様に無邪気にも思えた。

 

 少年兵というどうしようもなく低い立場。だけど彼らは、決して唾棄すべき存在であるとは限らない。むしろ人として、必死に、真正面から、生きようという気力に溢れている。

 きっと世の中の誰もが”生きること”について真面目に祈らない。それは当たり前のことで、祈るまでもなく手に入る権利だからだ。だから見えない物事が出来てしまう。

 生きることに必死な彼らと、殺すことに必死なMA。阿頼耶識システムという非人道的行為の中に隠された、人の守るべき尊厳。それはきっと、彼らによって図らずも証明されていたのだろう。

 




ジュリエッタ「彼らは悪魔ではなく、人だったのですね……(ただしジゼルは除く)」

これまで薄っすら書いてきたアグニカの思想とMA関連について、私なりに書けるだけ書いてみました。どうして機械ではなく人がMAに立ち向かったのか、その答えの一つを描写できていれば幸いです。
ちなみに今回登場した二機のMA、サンダルフォンとメタトロン。この名は双子の天使に由来しており、設定上はMA相手に対して二機で連携して戦う予定でした。
本編中の言及通り、メタトロンが随伴機(プル―マ)を火力で薙ぎ払い、サンダルフォンが1対1でMAを叩くという連携です。二体揃えばハシュマルを倒せるくらい強いですけど、逆に一機だけならほぼ確実に負けるというピーキーな性能ですね。


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#48 ジゼル・アルムフェルト

今回も結構長いです。のんびりとお楽しみください。


 マクギリスとガエリオが交戦を開始し、三日月たちがMAを相手取って戦い始めた同時刻。

 ジゼル・アルムフェルトとイオク・クジャンの戦いもまた、闘争の幕が切って落とされようとしていた。火星から続く殺し殺されの因果、ついにその全てを清算する時がやって来たのだ。

 

『ジゼルは嬉しいですよ。こうしてわざわざ、ジゼルに殺されに来てくれたのですから』

『何をッ!』

 

 薄い笑みを白いかんばせに浮かばせ、まずは挨拶代わりとばかりにジゼルはフェニクスの火器を解き放った。左手には一三〇ミリ機関銃、翼部のサブアームにはそれぞれ電磁投射砲(レールガン)と滑腔砲を構え、腕部からは小口径機関砲を放ってみせる。とても一機に搭載されたとは思えない大火力、まさしく狂気の弾幕という他ない。

 それをイオクたちは即座に散開して避けると、一定の距離を保って動き回りながらこれまた機関銃で牽制を試みた。グレイズとレギンレイズがそれぞれ七機ずつ、イオクの乗る黄と黒のガンダム・レラジェも合わせて十五機のMSによる射撃の雨を、フェニクスはしっかり躱してみせる。

 

 やはり強い──その事実にイオクは歯噛みした。数の優位など歯牙にもかけない操縦センス、それに機体の性能自体もそれなり以上だ。たかだか十五機程度で相手取れるのか、ほんの一瞬不安に駆られた。

 

『隙だらけですよ?』

 

 ほんの一瞬の迷い、それを見透かしたかのようにフェニクスが一気に距離を詰めた。握り込んだ巨大兵装(カノンブレード)を構えイオクの乗るレラジェへと肉薄する。

 今までのイオクならこの時点で詰みだった。フェニクス相手に一瞬でも隙を晒し、その上操縦技術も低いとなればどうしようもない。せいぜいが部下に守られ、またも自らの無力を嘆くのが限度だったろう。

 

 だが、今のイオク・クジャンはかつてとは違う。火星で良いように扱われた時とは明確に変わっていた。

 

『その程度でッ!』

 

 横薙ぎに振るわれた大剣をレラジェは華麗に宙返りして回避する。そこからお返しとばかりに右手のカノンを発射、大口径の一撃はスレスレで不死鳥の右脚部ミサイルポッドに掠り、派手な爆炎を噴き上げた。即座にフェニクスは分離(パージ)して誘爆を防いだものの、初めて明確な損傷を与えられたことにイオクたちの士気が一気に沸き立つ。

 そう、これまでならどれもこれもあり得ない事態だった。火星ではフェニクス相手に一撃も入らなかったし、イオクがここまで見事に攻撃を回避し反撃を入れるなど、望むべくも無かったのだから。人の心は一瞬のうちに如何様にでも覚醒できるが、けれど技術まで伴うはずがなく。当然この成長ぶりにも種はあった。

 

『なるほど、阿頼耶識システムですか……今のギャラルホルンは阿頼耶識を禁じているようなので、少々驚いてしまいました』

『そうだ、これこそが貴様を討つための我が秘策! クジャン家に代々伝わるこのガンダム・レラジェと、そして禁忌の力を以って貴様を殺すことこそ我が使命ゆえに!』

 

 同じ阿頼耶識を用いるパイロットとして、ジゼルはすぐにこのカラクリに思い至った。イオクも否定はせず誇らしげに、そして一抹の嫌悪感を言葉に乗せて肯定したのである。

 現代では成長期の子供に専用のピアスを取り付ける非人道的な阿頼耶識だが、厄祭戦時代にはむしろ戦うために当然の処置だった。なにせ訓練も学も全くない子供だろうと、直感的にMSを操作し複雑自由な挙動を行えるようになるのだ。例え倫理的に問題があろうと、今も昔もその優位性は失われていない。

 加えてギャラルホルンも阿頼耶識の研究自体は続けており、かつて失われたシステムを完全に再現するに至っている。だからガエリオやマクギリス、それにイオクといった大人までも阿頼耶識システムを使いこなせているのだ。

  

 圏外圏に流出した不完全な阿頼耶識でない、厄祭戦の時代そのままの阿頼耶識。その強力さは施術された当人たるジゼルも良く知っている。OSやコンピュータに助けられた挙動でなく、生の人間の動きをそのまま反映できるのは大きなアドバンテージだ。先の回避された一撃とて阿頼耶識でなければ当たっていたし、逆に反撃は照準を定めることが出来なかったことだろう。

 

「これは……少々面倒かもしれませんね」

 

 初めて、ジゼルの口から困ったような言葉が漏れた。負けるとは思わない。むしろこれだけの準備をした相手を殺せると思うと心が躍る有様だ。けれど単純な厄介さと、それを支える心の強さは中々のモノと見受けられる。数の差も含め、鼻歌混じりに殺せる相手ではないだろう。

 いつでも食い殺せる”おやつ”から、それなりに本腰を入れて狩るべき”獲物”へと認識を改める。先ほどは不意をつかれて無様を晒してしまったが、阿頼耶識を用いたのならそれなりの対処をすればいいだけのこと。

 

『では、改めてあなたの全てを壊させてくださいな。痛くはしません、一瞬ですみますから安心して死んでくださって結構ですよ』

『ほざけ、この悪魔がッ!』

 

 最初から勝負にならないとすら思われていた、ジゼルとイオクの激突。しかしそれは大方の予想を覆し──意外にも勝負の土俵に立っていたのである。

 

 ◇

 

 ASW-G-14 GUNDAM LERAJE(ガンダム・レラジェ)は、初めて砲撃性能に特化されたガンダム・フレームだった。

 黒と黄色で塗り分けられた機体はアスリート然とした細身であり、極限まで人体に近づけられたものとしてかなりの精密性を誇っている。これは単純に人機一体性を向上させると共に、メインウェポンとなる銃を精確に扱えるよう配慮されたものだとジゼルは聞いていた。

 基本の武装は大型の長距離大口径砲が二挺に、背部バックパックにマウントされた特殊試製マルチカノン、それに申し訳程度に装備されたバトルアックスの四つになる。清々しいまでの遠距離特化機体であり、銃撃に強いナノラミネート装甲には本来あまり有効打が無いはずだった。

 

『ちぃ、ちょこまかと──ならば!』

『イオク様!』

『分かっているッ!』

 

 相変わらず高速で動き回るフェニクスは容易く照準を合わせられる相手ではない。イオクたちもそのことは既に承知しており、だからこそレラジェの特性を最大限に活かす戦法を効率的に取っていた。

 レラジェ背部にマウントされた巨大な砲身、特殊試製マルチカノンが腰だめに構えられる。その半ばに位置する回転式弾倉(シリンダー)が回転し、四種類ある内の一つを弾倉にセット。そしてイオクなりにおおよその偏差を考慮し放たれた一撃がフェニクスよりそこそこズレた地点へと飛んでいくが、次の瞬間放たれた弾頭が炸裂し内部から大量の小片が飛び出した。

 広範囲にばら撒かれた小片はさしものジゼルでも回避は不可能である。カノンブレードと腕部の小盾で機体を庇い最小限の被害で抑えるが、この一撃の厄介な所は()()()()()()それなりの効果を発揮するところだ。

 

『これで奴の腕部には銃撃が通りやすくなった! あそこを重点的に狙え!』

『了解しました!』

「はぁ、これがあるからレラジェは厄介だと思うのですよね……」

 

 さらにイオクの部下たちが一斉に銃撃を浴びせかける。今度は出来るだけ腕部を狙い、フェニクスも意図を読んで回避に専念する。だが受け止めることは極力せず、推進力にまかせて振り切るばかりだ。

 ──対遠距離攻撃に対して無類の防御力を発揮するナノラミネート装甲だが、弱点もいくつか存在した。一つは直接的な打撃で叩くこと、二つ目はナパーム弾などの熱量でナノラミネート塗料を溶かすこと。そして三つ目が、速射性の高い銃弾で塗料自体をまとめて剥がしてしまうことだ。

 

 今回の場合、三つ目の手法をイオクは選んだ。散弾(ショットガン)に酷似した弾丸はナノラミネート塗料を剥がすことに特化されており、マトモに受ければ簡単に塗料が剥げてしまう。鉄壁の装甲さえ対処できればMS相手にも銃撃が通るという寸法だ。 

 レラジェは砲撃に特化しただけあり通常弾の他、さらに熱量を浴びせかけるナパーム弾、内部に衝撃を徹す徹甲弾の四種類を備えている。これらを効果的に用い、遠距離からMAを撃滅するのが厄祭戦での戦い方だった。

 

 とはいえチマチマと防御力を削ぐより、直接叩いた方が効率が良いとして後継機は開発されなかったのだが……こと部下と共に一丸となって戦うイオクにはもってこいの機体だった。一人では勝てずとも、仲間と連携して追い詰める。あるいは狩人のようでもあり──不死鳥狩りとも呼ぶべき戦い方だった。

 

 ばら撒かれる散弾を相手にフェニクスの防御力がジリジリと削られていく。しかも人並み以上の操縦技術を手にしたイオクと、元よりそれなりの腕前を持つ部下たちが揃って遠距離から波状攻撃に徹しているのだ。いくらフェニクスの過剰搭載火力といえども簡単には決定打を与えられない。

 

『随分と本気ですねぇ……まさかここまで化けるとは正直思ってもいませんでした。そんなにジゼルが憎いですか?』

『知れたことを……! この身は既に復讐者、私を庇って散った部下のためにも貴様だけは生かしておけん!』

『そうですか。まあ別に、どうせ死ぬ相手なんですしどうでも良いですけど』

 

 真に散っていった部下を思うなら、前線で命を懸けることこそ愚策では──と指摘しようとして、ジゼルは敢えて口を噤んだ。それを言って冷や水を浴びせてもつまらないし、愚直に真っすぐな人物だからこれだけ多くの人間を従わせられるのだろう。その点は素直に評価できた。

 だがそれとこれとは話が別だ。殺せるなら殺させてもらうし、既に捉えている。

 

『まずは一つ──』

『なっ、このッ!』

 

 フェニクスに急接近され離脱しようとしたグレイズの足にテイルブレードのワイヤーが絡みつく。強引にフェニクスの下へと引き寄せられたグレイズのコクピットに、パイルバンカーを仕込んだ膝蹴りが炸裂した。

 

『イオク様、ご武運を──』

 

 それ以上の言葉を遺すこと無く、的確にコクピットごと人命が潰された。ついにこの戦いで初の犠牲者が生まれ、ジゼルがさらに調子を上げる。それに比例するようにイオクは怒りの炎をいっそう燃やすのだ。

 

『貴様は……ッ! 人の命を何だと思っているのだ!?』

『殺して良い命と、殺すべきでない命。それじゃ駄目ですかね?』

『ふざけるなァ! 貴様のような怪物はやはり、その存在からして許されない!』

 

 これは戦いで、誰かが死ぬことはあるだろう。イオクも部下たちもそれは先刻承知している。

 だけどだ。だからといって殺人狂の楽しみになってやる道理もない。こんな人を外れた存在はあってはならないという想いをより強くして、鏖殺の不死鳥を追い詰めるべく気炎を上げた。

 数が減ってしまおうがイオクたちのやることは変わらない。数の優位を頼みにフェニクスを囲み、遠距離から機動力ごと封殺してしまう戦い方を徹底する。レラジェの特殊な戦法もあって間違いなく戦況はイオクたちに有利だ。その証拠にフェニクスの装甲は所々色が剥げ、銃撃だろうと有効打を与えられるようになっているはずなのに──

 

『二つ、それから三つですかね』

 

 情け容赦なくフェニクスは命を摘み取っていく。ほんの少し薄くなった弾幕を錐揉みに掻い潜り、片手に構えた長刀をレギンレイズへとぶん投げた。飛来した長刀に不意を突かれたその隙にフェニクスが強襲、左手の小盾から出てきた金の剣でコクピットを一閃する。

 ついでとばかりに援護に入ったグレイズもテイルブレードで黙らせ、瞬く間に二機のMSが戦闘不能になって宇宙に漂った。これで残りは十二、気が付けばジリジリと追い込まれ始めているのはイオクたちの方だった。

 

『どうして……このようなッ。まだ私の覚悟は足りぬというのかッ!』

 

 これが鏖殺の不死鳥、これが悪辣なるジゼルだった。

 正しい思想を抱いているのはイオクたちだろう。戦い方も、仲間への想いも、全て全て正道なのはイオクたち。なのに結果はご覧の有様、ただ一機だけのフェニクス相手にじわじわと殺されていくのが現実だ。

 不条理としか言い表せない実状を前にイオクが臍を嚙む。逆にジゼルは自らの手で誰かを殺すことに喜びを感じる──否、感じてしまうのだ。

 

「それで構わないと、思ったはずなんですけどね……ままならないものです」

 

 自嘲気味にジゼルは呟いた。彼女にとって何より優先するべきは自分の幸福で、たまたま一番幸せを感じられるのが殺人だったというだけの話。ならば矯正できる余地もあるかと考えたが……あいにくと、今も胸の中に広がる高揚感を鑑みるに不可能なようだ。

 

 お前には決して、まともな終わりなど来ないだろう! 満たされぬ飢えにいつまでも苛まれ続ける──それがお前の末路だ!

 

 ──かつて誰かに言われたことを、ふと思い出してしまった。

 

 この戦いの前、オルガはジゼルの事を”実は普通ではないか?”と評した。けれど結局、誰よりもまずジゼル自身が自らの異常性を弁えているのだ。彼がどれだけ真正面から業に向き合ってくれたとしても、もはやマトモに戻る望みは薄いのだと、本人が一番よく理解している。

 

「……ウジウジと迷っても仕方ないですね。せめて殺してから考えましょうか」

 

 だからバッサリと思考を切り上げ、目の前の敵を撃滅することに集中する。まずは殺してから考える、話はそれからだと言い聞かせるように。

 ……そう、決して弱気に駆られてしまった訳ではない。いつか、自分の中の最後の一線すら越えてしまうのではないかという恐怖に、ほんの一瞬でも囚われた訳では断じてないのだ。

 その証拠に身体は正直だった。殺人という昏い愉悦を求めて意識せずともフェニクスを駆り続ける。また一人、それから二人、三人と順調にキルスコアを重ねていく。どうであれ天性の殺しの才覚は本物であり、それ以外など不要とばかりに鉄火の中を羽ばたいた。

 

 一方で堪らないのはイオクの方だ。当初は不死鳥狩りに十五人で臨んでいたはずなのに、気が付けば半分以下にまでやられていた。どれだけ心の変容、部下との繋がりがあろうとも、それだけでは決して届かない高みをまざまざと見せつけられている。心が段々と絶望へ傾き始めているのが、いやおうなしに分かった。

 

「私の力が、覚悟が、足りぬのか……? 怒りも屈辱も憎悪も何もかもをひっくるめてなお、私は部下の仇一つ討てずに終わるというのか!?」

『イオク様、こうなればもはや撤退を──グアァァァッ!』

「おい、どうした、返事をしろ! クソォッ!」

 

 また一人、尊い命が宇宙の闇へと散っていった。本当にこれで良かったのか? こんな私怨にかまけて部下の命まで道連れにする道理が本当にあったのか? 少しづつ鎌首をもたげた疑惑の念がむくむくとイオクの中で育っていく。

 マトモに考えてしまえば足を止めてしまいそうだった。これ以上の犠牲は無用として逃げの一手を打ってしまいそうで、けれどそれだけは出来ないと誓った。第一逃げたところで不死鳥には追い付かれるのが関の山だ。

 

「ならば私は──正気など捨ててやるッ! 皆、すまない! 不甲斐ない私を笑ってくれて構わない!」

『イオク様、何を──』

 

 人のままでは怪物を殺せないというのなら。もはや人である必要すらない。何より恐ろしいのはこの場で復讐すら果たせず、全てが犬死で終わってしまうことなのだから。目の前のフェニクスを打倒できるなら、それこそ”悪魔の契約”だって喜んで結んでみせる。 

 その心に呼応するかのように、コクピットが赤く染まる。レラジェの瞳も同様に深紅へと変わり、その動きが目に見えて鋭く素早くなった。イオクは知る由もないが──ガンダム・フレームのリミッターが外れたのだ。

 

『部下たちが流した涙を拭えるなら、私は喜んで人間など捨ててやるッ!』

『これは……!』

 

 初めて、ジゼルが分かるように動揺した。対MA戦のために設定された最大出力、それがイオクの激情に呼応して目覚めたのだ。阿頼耶識システムは人機一体を体現するもの、故にあり得ない話ではないのだが、ジゼルにとってもそれは未知数の覚醒だった。

 途轍もない速度で闇を切り裂き、両手の砲と背中のカノンでフェニクスを狙い撃ちにする。これまでサポートに徹していた機体からの砲撃は今度こそフェニクスに追いつき、とうとう背部の大型ブースターに着弾した。パージされた直後に爆発、搭載されていた電磁投射砲と滑腔砲が運命を共にする。

 

『やらせるかァァァッ!』

 

 さらにはまさにトドメを刺されんばかりだったレギンレイズの間に割って入り、咄嗟に長距離大口径砲をねじ込んだ。砲の爆発に紛れてバトルアックスを振るうもフェニクスはすぐに後退、追撃するようにイオクは砲を乱射する。

 

『大丈夫か!?』

『私は問題ありません! しかし機体の方がもう……』

『ならば無理はするな、ここから撤退して構わん。今は私に任せろ!』

 

 かつてのイオクを知る者ならきっと目を疑ったことだろう。あの鏖殺の不死鳥を前に、半歩後ろを必死に喰らいつく彼の姿など考えられもしなかった。それだけ劇的な変化にジゼルもまた少なからず驚愕していたのだ。

 

『人は変われると言いますが……そんなに部下の方たちが大事でしたか』

『貴様には分からぬだろうがなぁ! たった一つの想いに身を焦がし、そして貫ける心の強さが如何なるものか!』

『そんなの──』

 

 瞬間、ジゼルの脳裏に様々な場面がフラッシュバックした。

 初めて殺した時のこと、殺人欲求を必死に抑え込んでいた頃、アグニカの下で戦ってた思い出、鉄華団として働いた記憶が、一斉に溢れて流れていく。

 いつだって彼女は自分の欲求に正直だった。どれだけ他の一つに身をやつしてみようとも、ただ一つの持って生まれた情念が肥大するだけだったから。強い想いで何かを成し遂げようとすることが、ついぞ出来なかったから。

 

 ──最強というのは、目指すものじゃない。強い想いで何かを成し遂げた時、気がつけば至っている頂だ。

 

『あなたなんかに、(わたくし)の何が分かるというのですかッ!』

 

 例え復讐心という褒められない感情が動力源だったとしても、眼前のイオクが羨ましくて仕方なかった。

 殺人欲求とはやりたい事、好きな事でしかなく、いうなれば絶対に成し遂げたい事柄ではないのだ。我慢できるか出来ないかは別として、貫くべき誇りでも断じてない。

 そうだ、ジゼルに誇りは無い。代わりに人として恩には必ず報いるという信念を持っているが、これとて自らを戒める最後の一線に過ぎない。何かを成し遂げたくても、結局全ては殺人への快楽に繋がってしまうのだ。

 

 こうありたい、これは成し遂げたい、これだけは譲れない──そんな強く頑なな感情とはついぞ無縁だったと、ここに来て初めて自覚した。

 

『イライラしてきました……あなただけは絶対に殺してみせますよ』

『やれるものならやってみるがいい。その前にこの私が引導を渡してくれよう!』

 

 もはや欲求も快楽も関係なかった。自らに無い強さを持ち、そして追い詰めてくる眼前の敵が憎らしくて仕方ない。その輝き全てを踏み躙り穢してやりたくてたまらない。ジゼルは初めて、怒りのままにフェニクスの操縦桿を握り締めたのだ。

 かつてない程に荒れた心でもやはりジゼルの強さは驚異的である。ブースターを失くし身軽となった機体で変幻自在に攻め込み、引いて、殺戮する。イオクの急成長も大したものだが、それでも不死鳥が殺して回るのを全て止めることは出来なかったほど圧倒的である。

 

『残り三つ……! さぁ、いい加減あなたにこそ引導を渡してあげましょう』

 

 弾切れを起こした機関銃と左脚部ミサイルポッドを放り棄て、カノンブレードと長刀の二刀流で敵手へと向き直る。残りはイオクの乗るレラジェとグレイズ、レギンレイズが一機ずつだ。不死鳥を前にもはや風前の灯火であるいうのに、イオクたちの心は少しも怯んでいなかった。

 

『もはやこれまで……などとは言わぬ! 例え最後の一人になろうと抗ってみせるまで!』

 

 既に遠距離からの飽和攻撃は意味をなさないと悟り、イオクたち三名は武器を近接用のものへと切り替えた。イオクだけは右手にバトルアックス、左手に砲というアンバランスな構えである。

 まずはフェニクスが先手を奪い急加速、それを受け止めたレギンレイズをグレイズがすかさずフォローに入る。けれどテイルブレードに阻まれ思うように近づけない。しかし更にその背後からイオクが狙撃、塗料が剥がれ脆くなっていた肩装甲が吹き飛んだ。

 だからどうしたとフェニクスが更に一歩踏み込む。力でレギンレイズを押し切りブースターを潰した。本当なら迷わずコクピットを狙うのだろうが、今のジゼルはそれよりもなお殺したい相手が存在する。

 

『──このッ』

『ちぃ──!』

 

 レラジェへと突撃したフェニクスのカノンブレードをバトルアックスが迎え撃つ。火花を散らし凄絶に鍔迫り合うが、リミッターの外れたレラジェが半歩先を行っている。

 ならばと長刀を横から振りぬくも、そちらは手に持った大口径砲の砲身で強引に防がれた。ひしゃげて使い物にならなくなったが、それがどうした構わないとばかりの思い切りの良さである。

 

『貴様はかつて言ったな! 結局最後は殺すのかと!?』

『今更それが何だと言うのですか?』

『そっくりそのまま返してやろう。殺人狂の貴様は、結局最後は皆殺ししか出来ないのだと! 貴様が大切に思う人間も、嫌いな人間も、最後には殺さなければ気が済まなくなるのが定めだ!』

『それ、は……!』

 

 ほんのわずかにジゼルが動揺し、太刀筋がブレた。背後から襲い掛かるテイルブレードも狙いを外しレラジェの右足を捥ぐにとどまってしまう。

 その隙を見逃さずにイオクは一気にフェニクスを前方へと弾いた。慣性に揺さぶられフェニクスが数瞬だけ無防備になる。即座に特殊試製マルチカノンを構え、残った最後の部下たちへと叫んだ。

 

『今だ、撃て!』

 

 これが不死鳥を殺す最初にして最後の機会だ。千載一遇のチャンスをモノにすべく、コクピット目掛けて照準を合わせる。所々ナノラミネート塗料も剥がれている今、あたれば確実に機体を貫くことだろう。

 

『これでぇ!』

 

 カノンと機関銃が十字砲火(クロスファイア)を成した。仮に防いだとしても致命傷は免れない、そんな一撃を前に不死鳥は機敏に反応しようとして──

 

『おいおい、アンタがそこまで追い詰められるなんてらしくねぇな』

 

 横合いからやって来た白い機体が、フェニクスを射線から掻っ攫っていったのだ。

 突然の乱入者にイオクたちは勿論のこと、助けられたジゼルですら理解が追い付かなかった。その機体は鉄華団が保持するMSの獅電に似ているが、装甲は白く塗られ頭部には指揮官機らしく角が付いている。明らかに特別な立場の者が乗る想定の機体、鉄華団で王の椅子などと揶揄されていた機体の持ち主はただ一人だ。

 

『団長さん!? なんでこんな戦場のど真ん中にまで来てるんですか!?』

『よぉ、正直余計なお世話かと思ってたんだがなぁ。念のために様子を見に来て正解だったみたいだな』

 

 鉄華団団長のオルガ・イツカが、あらゆる過程も理由もすっ飛ばしてこの戦場に参上した。

 ジゼルからすれば意味が分からない。だって彼は本来後方のホタルビにでも乗って指揮を飛ばす立場のはず、まかり間違ってもこんな所まで来て良い立場ではないというのに。万が一にも撃墜されたら大変なことになってしまう。

 けれどオルガは特に気負った様子もなく、当然のように笑っていた。片目を瞑り普段の調子で語り出す。

 

『そろそろ誰かにアンタの様子を見に行かせたかったんだが、手の空いてる奴がいなくてな。ちょうど俺が一番暇してたから来ちまったって寸法だ』

『だからってこんな無茶苦茶を……いえ、その前に助けていただいてありがとうございます』

 

 本当にそんな軽い理由で来たのだろうか。らしくないとジゼルは感じたし、事実オルガもそのように思っていた。何故こんな危険を冒してまでやって来てしまったのか、ハッキリとした理由は未だ分からない。

 それでも、事実として彼は間に合い、彼女は救われた。それだけは疑いようのない真実だった。

 

『んで、さっきから通信を漏れ聞いてれば好き勝手言ってくれやがってよ。つーかそれで動揺するアンタもアンタだ、さっきも言ったがらしくねぇ』

 

 多大な呆れと少しの怒りを含んだ声が通信越しに届いてくる。ようやく動きだしたイオクたちを一緒に牽制しつつ、オルガはなおも言葉を紡いだ。

 

『面倒だから一言で済ませるが──んな中途半端なとこで足を止めんな、止まるんじゃねぇぞ!』

『でもジゼルには……何も強い気持ちがありません。いつの日か、自分の欲求に負けてあなたまで殺してしまうかも──』

『俺は鉄華団全部を未来へ、前へ連れてくって決めたんだぞ、お前一人も連れて行ってやれないでどうすんだ! それでも満足できないっていうなら、交換条件も付けてやる!』

 

 それから、少しだけ彼は眼を逸らした。まるで面と向かって言うのが気恥ずかしいといった様子だ。

 

『自分で言うのも情けねぇ話だが、俺は弱いからな。いつもミカや皆に気張ってもらって、こうやってアンタを助けられたのも奇跡みたいなもんさ。だからよ──俺がジゼルを導いてやるから、アンタが俺を守ってくれ。これでどうだ?』

『──ふふっ、当然ですよ』

 

 ジゼルの返答は軽やかだった。普段の平坦だけどふてぶてしい、そんな調子が戻っている。

 

『ジゼルは強いですからね。団長さん一人くらい、絶対に守ってみせますとも。ええ、簡単な話です』

 

 ただ殺したいから、そのために利用し合うのではなく。ただ居心地がいいから手放したくないのではなく。

 明確に心の中へ、一つの譲れない想いがカチリと嵌まり込んだのである。

 もはや胸中に微塵の怒りも羨ましさも無かった。眼前の敵だって殺したいから殺すのではなく、オルガ・イツカを一緒に狙ってくるから倒すのだ。殺すためではなく守るため。最後は結局殺すとしても、新たな気持ちに嘘偽りは欠片もない。

 

 ほんの一息で最後に残ったグレイズの足を潰し、レラジェへと肉薄する。最後の抵抗とばかりに砲撃が飛んでくるが、今の彼女は無敵だった。掠りすらせずに射線をすり抜け、ついに眼前へと到達した。

 最後の足掻きとばかりにバトルアックスが振るわれるが、そちらは長刀ごと弾かれ手元から飛んで行った。この至近距離ではマルチカノンも狙えない。

 

 イオク・クジャンはもう、丸腰だった。

 

「なるほど、これは私の負けか……」

 

 眼前に迫る巨大兵装(カノンブレード)がやけにゆっくり感じた。無念は多く、出来るならば死にたくない。けれど逃れようのない死が目の前にあるというなら、潔く散って部下の下へ逝くのが定めだ。ここまで食い下がれただけでも望外の事と喜ぼう。

 敗因はきっとジゼルという人物を見誤った事か。まさか彼女のことをこれほど大事にする人間がいるなど、露程も考えはしなかった。仲間と戦うのは自分たちだけという驕りが、知らぬ間に相手をも過小評価してしまっていたのだろう。

 

 けれどそう。だからといってただ敗北を受け入れ死ぬのはあまりに悔しいから。最後に一つ、負け惜しみを籠めた願いでもしてやろうではないか──

 

『鉄華団団長……我らの代わりに、頼んだぞ──』

 

 そしてガンダム・レラジェに剣が突き立てられ、イオク・クジャンは共に宇宙の闇へ散って逝ったのだった。

 結果だけみれば彼の復讐は失敗したのだろう。最後の最後まで不死鳥を超えることは能わず、自分もまた殺されてしまった。それだけ見れば落第点もいいところ。

 でも、オルガにだけは理解できた。面識どころか顔すらほとんど知らない相手の最期の言葉、その意味を寸分余さず理解することが出来たのだ。

 

「ああ、分かってるさ……アンタの代わりに、俺が希代の殺人鬼なんて奴は消し去ってやるからよ」

『団長さん? どうかしましたか?』

『……いいや、何でもねぇよ。さてと、帰るか』

 

 ──だからせめて、安らかに眠ってくれ。

 祈りを込めて、静かに黙禱を捧げたのだった。

 

 それから一分としない内に両艦隊から停戦信号が撃ち上がり──ここにギャラルホルンを二分する戦いはひとまず幕を下ろしたのである。

 




これにてギャラルホルン内戦は終了、残りはエピローグっぽくギャラルホルンと鉄華団のこれからをそれぞれ後1話ずつ書く予定です。


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#49 角笛のこれから

 まず結論から述べれば、ギャラルホルンという組織は大きく改編された。

 

 今より一ヶ月前に勃発した、”ギャラルホルン戦役”と名付けられた革命軍と旧体制派の戦いはトップであるマクギリスとガエリオの相討ちで終わった。けれどガエリオ自身は革命軍側のラスタル・エリオンの手に落ち、他の戦域も既に雌雄は決していた以上、旧体制派の負けは揺るがなかったのだ。

 こうして勝者はマクギリス・ファリドその人に決まり、彼は革命派の英雄としてギャラルホルンの全てを掌握したのである。

 

 手始めに革命派のトップとして立ったマクギリス・ファリドと、彼と同盟を結んだラスタル・エリオンの二者の手によってセブンスターズ制そのものが完全に廃止。勝者にして立役者たるマクギリスとラスタルすら例外でなく、これまであった数々の特権は全て消え去った。

 代わりにギャラルホルン自体はトップをマクギリスとし、その下にピラミッド状で実力主義の組織が再編される事となる。大まかな配置、人員こそ変わらないものの、コロニーや圏外圏の者も有能ならば積極的に重役に置き、地球出身の貴族だろうと立場に胡坐をかいた無能ならば容赦なく下士官へと再配置したのだ。

 この苛烈だが公平極まる采配は主に差別されてきた者達から熱烈に歓迎され、少しづつ組織の風通しは良くなってきている。中には地球出身だろうと本心からギャラルホルンの腐敗を憂いていた者たちも居て、彼らも一丸となり、一歩ずつ着実に笛吹きは本来のあり方を取り戻し始めたのである。

 

 これまでの腐り切った治安維持組織という実態にも積極的にメスが入り始めた──この事実が齎すものは、一組織の変革以上のものだろう。世界全体を監視する巨大機構の改善は確実に世界へと新たな風を吹かせるはずだ。それも、善い方向に。

 

「ま、とは言っても事はそう簡単でも無かったがな。ギャラルホルン戦役から一ヶ月、浮足立った組織を纏め直すのは骨が折れた。書類の山に会議に顔合わせにと盛りだくさんだ。そのせいでここに来るのもこんなに遅くなってしまった、すまない」

 

 そう言って黒い喪服に身を包み花を携えた男──ガエリオ・ボードウィンは苦笑してみせた。

 ここはヴィーンゴールヴの一角、ギャラルホルンの管轄となる共同墓地だ。組織に属する者の中で希望する者、あるいは引き取り手がいない場合はこの共同墓地に納められる事となっている。それは誰であれ例外ではない。

 よく舗装された地面にズラリと埋められた黒い墓石たちはそれだけで来た者を静謐な想いにさせる。死者への哀悼の念が周囲の活気さえ鎮め、厳粛さを生み出しているかのよう。

 

 だがガエリオの眼前にある墓石だけ他とは明らかに様相が異なっていた。墓石自体は変わらない。しかしその周囲には参列者の持ち寄ったであろう花々が無数に飾られ、他にもたくさんの供え物がある始末。まるで一人だけパレードでもしているかのような賑やかさだ。

 その絶妙な空気の読めなささと、死してなおこれだけ慕われる様が如何にも彼らしくて、思わずガエリオの口元もほころんでしまう。きっとそれくらいはこの墓石に眠る彼、イオク・クジャンも許してくれることだろう。

 

「せめてお前が生きていてくれればと何度思ったことか……いや、これは俺の言えた台詞じゃないな。むしろ『今更弱音を吐いてどうするのだ、ボードウィン公!』と叱られるか」

 

 旧体制派として革命軍に対抗する組織をまとめ、マクギリス・ファリドに立ち向かい、そして敗北したガエリオ。本来ならば良くてあらゆる権力を剥奪されて追放、悪ければ処刑という結果が待ち受けていたことだろう。

 だがマクギリスはそうしなかった。むしろ積極的にガエリオを上の立場に置き、自らの仕事を手伝わせたのだ。革命派の中には反対する意見も当然あったが、それは全て黙殺されてしまっている。

 この予想以上の厚遇にはきっと色々な意味があるのだろう。単純に人手が足りないという現実、自惚れでなければマクギリスからの友情、それに旧体制派も最低限尊重し無碍にはしないというアピールも含まれるはずだ。事実、他のセブンスターズ達もあくまで実力に見合った地位へと再配置されている。

 

 とはいえ額面だけ受け取れば旧体制派のトップがちゃっかり現状でも良い立場に収まっている訳で。革命派の反対意見ももちろん理解できるし、ガエリオ自身複雑な想いはある。だけど、それも含めて覚悟し選んだ道がこれなのだ。

 

「俺の我が儘でお前や、他の大勢の者達を争いに巻き込んでしまった。この罪自体は一生消えるものでは無いだろうが……けれど少しでも返せるものがあるのなら、俺はそれだけに打ち込もう。そのために俺はこうして生きているようなものなのだから」

 

 ギャラルホルン戦役の死者は規模の割に意外なほど少ない。比較的短時間で決着がついたのと、革命軍側がラスタルを筆頭に極力人死にを抑えてくれたからだ。その点には感謝してもしきれない。

 それでも死者は出ている。怪我人だけならもっと多い事だろう。その全てを最初に巻き込んだのは誰あろう、ガエリオ・ボードウィンという男なのだ。ならばその咎を一生忘れず、せめて彼らの分だけ世界をより良くさせる義務がある。

 

 そのような事をガエリオが考えていた時だった。背後から、土を踏んでやってくる足音がした。咄嗟に振り向けばそこには髭を生やした偉丈夫の姿がある。やはり、黒い喪服に花を携えていた。

 

「……エリオン公」

「久しいな、ヴィダール。いや、今はガエリオ・ボードウィンだったな」

 

 共にマクギリスの敵として手を組み、そして紆余曲折の末に敵として戦った相手だった。けれどラスタルとガエリオの間にドロドロとした因縁は少しも無い。故に互いに悪感情を出す事も無く、むしろ好意的に挨拶すら交わしていた。

 ラスタルは持っていた花を墓前に手向けると、静かに黙禱を捧げた。それをガエリオが背後で見守ること十秒弱、ラスタルが瞼を開き向き直る。

 

「手塩にかけて育てようとした真っすぐな若者を早逝させ、私のような悪辣な大人が生き残るとはな……なんともままならない世界なものだ」

「いや、それはあなたの責ではなく──」

「確かに殺したのは鉄華団の鏖殺の不死鳥だし、開戦の発端を作ったのもお前かもしれない。そして自ら選んだ道に殉じたのはイオクだ。けれど、結局私も同じ穴の狢なのさ。お前とマクギリスの決着を、そしてギャラルホルンの改革という理想の未来を見たいと身勝手にも願った。果てがイオク・クジャンの死だというのなら……」

 

 彼にしては珍しく、後悔するようにそっと目を伏せた。この豪快で老獪な男がこのような姿を見せるなど、ガエリオは思いもしなかった。彼もまた、イオクの死には感じるものがあるらしい。

 

「お前一人が全ての責を感じる必要はない。無いとは言わぬが、それは私とマクギリスも同じく背負うべきものだ。そして元を正せばこのギャラルホルンの腐敗こそすべての因、誰にだって責任はあるし、誰にも罪を押し付けることはできん」

「けれど結果は変わらない。俺はつまらぬ私怨で大それたことをしたし、混乱と流血を招いた。それ自体は──」

「勘違いするな、ガエリオよ。事実は逆だ、()()()()()()()()()()()()()()()犠牲は少なくて済んだのだ。もし私なりのやり方で改革を目指したり、マクギリスが一気呵成に改革を進めようとしたならば、もっと時間は掛かり流れた血も多かったことだろう」

 

 ラスタルは目的のために手段を選ばない。必要ならば戦争一つ起こし、血みどろの出血を起こすのも厭わない側面がある。そんな彼の行う改革は、決して派手さは無くとも静かに犠牲は増えてくはずだ。

 マクギリスはマクギリスで動きが早く、それ故に大きな反発も起こりやすい。仮に彼個人で革命を成功させたとしても、旧体制派の反発に合い一ヶ月という短期間ではとてもギャラルホルンを掌握しきれなかっただろう。そこから泥沼の改革戦争になる可能性も低くない。

 かといって何も行動を起こさなければ、ギャラルホルンの横暴が蔓延するだけである。搾取される者たちの嘆きは止まらず、いつかはもっと大変な事態にまで発展していたかもしれない。

 

 だからこうして決着をつけられたことに意味があるのだ。もっとも犠牲を少なくでき、かつ白黒分かりやすい結果を突きつけ迅速に組織を改編できた。たとえ結果論であったとしても、最善の次くらいには良い方法になったといえるのだ。

 

「胸を張れとは言うまい。お前の持つ罪悪感は大切なもので、忘れてはならないものだ。しかしお前のおかげで流れなかった血もあり、そしてその罪は私もまた等しく背負うものだ。その事実まで忘れるなよ」

「そうか……礼を言わせてほしい、エリオン公。あなたのおかげで、少しばかり気が楽になったよ」

「ならば良いさ。迷える者を導くのは先達の務めだ」

 

 何故、アリアンロッドにおいてラスタルが強く慕われているのか。どうしてマクギリスの策略に嵌まり、自らの不正が暴かれてなお、彼が総司令の座まで剥奪されなかったのか。

 

 ──その一端、善悪を合わせ持つ男の懐の大きさを確かに垣間見た気がした。

 

「さてと、説教臭い話はこの程度にしておくか。まだ訪れる場所があるのだろう?」

「ああ、その通りだよ」

 

 既にイオクの墓前には花を添えたが、まだ二つガエリオの手元には残っている。次はそちらを訪れるつもりだった。

 

「ではエリオン公、すまないが失礼させてもらう」

「うむ、しっかりと自分の心にケジメを付けてくるといい」

 

 それから、ラスタルが茶目っ気を含んだ笑みを浮かべた。髭面の割に愛嬌のある笑顔だ。

 

「もう少しギャラルホルンが落ち着いたら、共に肉でも食いに行こう。こっちに一人大食いがいてな、見ていて飽きんぞ」

「ははは、誰のことかは想像がつくが……そうだな、マクギリスでも誘ってご相伴に預かるとするよ」

「くくっ、私の焼く肉は美味いぞ」

「エリオン公手ずからの焼肉とは、楽しみだ」

 

 二人して軽く笑いあってから、最後にガエリオはイオクの墓へと向き直った。伝えたかった言葉、告げたい言葉はたくさんあるが、今の気持ちをシンプルに表すならば──

 

「短い時間だったが、お前と共に戦えたのは俺の誇りだ。ありがとう、イオク・クジャン」

 

 そしてガエリオは、背を向けると静かに歩き出した。

 

 ◇

 

 墓地の片隅にひっそりと存在するその墓は、先の賑やかなそれとはまるで正反対の閑散としたものだった。

 いくらなんでもあまりに寂れた墓石は、それだけ弔いに来る者の少なさを物語っている。刻まれた名前は風雨で掠れ、土汚れや木の葉が好き放題に積もっている程だ。

 そんな墓の惨状に顔を顰めたガエリオは、ひとまず素手で払えるだけ汚れを払った。まだまだ汚れは多いが、それでも少しはマシになった墓にそっと花を置いて黙禱する。

 

「お前には、本来ならば二年前に会いに来るべきだったのかもな……それを俺の我が儘でつい先日まで付き合ってくれた感謝は、言葉にしてもしきれない」

 

 アイン・ダルトン。それがこの墓石に眠る男の名前だった。

 二年前、完全な阿頼耶識システムの実験台として投入された彼は、鉄華団の悪魔(バルバトス)によって打倒された。そのうえ暴走していた彼はギャラルホルンの腐った実状を示す生き証人とされ、いわば大罪人も同然の扱いを被ったのだ。

 荒れ果てた墓の惨状もそういった背景があるのだろう。好きこのんで大罪人とされる人物の墓に訪れる者など、これまでほとんどいなかった。

 

 だがこの事実には裏がある。アインが阿頼耶識システムに縋る他ない身体になったのは偶然の成り行きだが、それすら利用してギャラルホルンの不正を糾弾させたのは他でもない、マクギリス・ファリドその人である。

 かつてのガエリオはこの事実に怒り狂った。例え親友といえど、上官の仇を討つために戦う男の誇りを汚すことは許さないと。暴走する感情のままマクギリスに挑み、そして敗れ去ったのだ。

 

 あれから二年。ヴィダールとして仮面を被り、仮面を脱いでマクギリスと対峙し、そして最後は友として立ち向かった。この道程全て、死したアインの力が無ければ踏破できぬ険しい道だったのは明らかだ。

 

「だが死者に鞭打ってまで利用したのは俺の落ち度だ。お前はもしかしたら……いや、きっと許してくれるのだろう。しかし俺のケジメとして、まずは謝らせてくれ」

 

 今もガエリオの内部にあり、彼が下半身を動かせている要因たる阿頼耶識TypeE。その力の源はアインの脳を利用した恐るべきシステムだった。

 

 マクギリスとの決戦の後、阿頼耶識TypeEに用いられていたアインの脳は焼き切れてしまっていた。限界を超えた酷使に彼の脳が耐えきれなかったのだろう。そしてようやく彼は完全にこの世を去り、真実この墓の下へと葬られたのである。

 非人道的な扱いだろう。ガエリオとて何度も迷った。けれどマクギリスに追いつくためにはこの力が不可欠と断じ、手を伸ばしたのだ。何より、アインの遺志を継いで彼の無念を晴らしたかった。

 けれどそれすら達成できなかったと知ればさしものアインも怒るだろうか。最後には部下を利用された怒りより、自らの怒りと友情を優先してしまった。当初の目的よりも大きく離れた結果となったのだ。

 

「俺はお前を利用した男との友情を、結局捨てることが出来なかった。敵討ちすらしてやれず、ただ利用してしまったことは本当にすまないと思う。けれどこれだけは言わせてくれ」

 

 死者は黙して語らない。それでも、ガエリオの言葉は止まらなかった。

 

「俺はこの選択を後悔していない。いくらお前に恨まれようと、それだけは譲れないんだ。だからもう一度言わせてくれ──俺をここまで連れて来てくれて、本当に感謝している」

 

 果たしてこの言葉は天へと届いたのだろうか。伝えたいことを言い切ったガエリオは静かに天を仰いだ。抜けるように青い青い空、雲一つない快晴だった。

 もう一度だけ黙禱してから、ガエリオはアインの墓に背を向けた。ちょうどその時、柔らかく穏やかな風が吹く。背中をそっと押すように吹いたその風にガエリオは一瞬だけ泣き出しそうになり──

 

「ではな、アイン。今度こそ本当に、安らかに眠ってくれ」

 

 最後の決着をつけるべく、その場を後にした。

 

 ◇

 

 ガエリオがその場所についたとき、待ち合わせの相手は既に来ていた。やはり場に相応しい黒い服装を身に纏い、花を携え無言で佇んでいる。その男はガエリオが到着したのに気が付いたのか、ゆっくりと視線を寄越してきた。

 

「……ガエリオか」

「ああ、遅れてすまないな」

「いや、構わんさ。私の方が早く来すぎただけだ」

 

 いつも通りのやり取りだった。まるで昔に戻ったように錯覚するが、そんなことはあり得ない。その証拠が目の前にあるのだから。

 そうしてガエリオとマクギリスは、一つの墓石の前に並んで立ったのである。栗鼠(りす)の家紋が彫られたそれは、イシュー家ゆかりの墓だと如実に語っていた。

 

 二人にとって共通の幼馴染であり友人──カルタ・イシューの眠る場所である。

 

 どちらともなく墓前に花を添え、無言のまま黙禱を捧げた。それから、おもむろにガエリオが口を開いた。

 

「さっき、アインの墓を訪ねてきた。覚えているだろう、革命の布石としてお前が利用した男だ」

「ああ、もちろんだとも。忘れるはずがない」

「そしてカルタもまた、お前の手によって謀殺されたも同然だ……本音を言えば、お前を見た途端に殴りかかってしまうのではと思ってたさ」

 

 けれど、そうはならなかった。こうして滔々と語るガエリオの言葉に激情の気配は欠片もない。

 

「どうしてだろうな……怒りを忘れた訳じゃないが、ここに来た途端すっかりそんな気も失せた。いや、カルタの前でそんな姿を見せられないと思ったのかもしれないな」 

「お前らしい言い草だ。……私は拳の一つ二つ、覚悟してここに来たのだがね」

「素直に受けてくれるような奴じゃないだろ、お前はさ」

「いいや、これは紛れもない本心だよ」

 

 常のマクギリスからは考えられないような態度だった。らしくもない姿が語っているのは後悔なのだろうか。負い目を感じているらしいのは間違いなく、そしてカルタの死を悼んでいるのも本心のようだった。

 

「私は──いや、俺は、もっとお前やカルタを信じてみればよかったのだな。胸の中で燃え盛る怒りを絶対と疑わずに突き進み、大切だったはずの人間を自らの手で突き放してしまった。我ながら愚かなものだ……」

「……お前の境遇も普通じゃないから、一概に責めることは俺にも出来ない。だけどその通りさマクギリス。あの跳ねっ返りなカルタが、お前に相談されて無碍にすると思うか? それこそ天地がひっくり返ったってありえない話さ」

 

 もしそんなことになったらガエリオは現実を疑う用意がある。それくらいカルタの性格は分かりやすいものだった。

 マクギリスに恋をし、彼の憧れてくれる自分であろうと努力していた。多少オーバーな所はあれ、紛れもない善良な人物だったのは確かだろう。彼女は二人の、よき友であったのだ。

 なればこそ、そんな人物を間接的にだろうと殺したマクギリスの悪行は筆舌に尽くしがたい。今際の時まで彼を想っていた彼女の姿を思い出しただけで、ガエリオの心に怒りの炎が燃え盛る。

 

 けれど、それも呑み込んでこの友情を貫くと決めたのだ。怒りは決して忘れず、しかし囚われることはしない。マクギリスという怒りの体現者と対峙し、そして立ち向かったガエリオの得た答えがそれだった。

 

「なぁガエリオ、こういうとき、俺は何と声を掛ければ良いのだろうか……自分で殺したも同然な相手の墓に訪れるなど考えもしなかった」

「そんなの決まってるだろう。まずは謝って、それからカルタに誓ってみせればいい。謝ってすむことじゃないのは百も承知だが、それでも人としての礼儀だ」

「ふっ……それもそうだな」

 

 初めてマクギリスが唇に笑みを浮かべた。片膝をついてそっと手のひらを墓石に合わせる。

 

「君の想いを無為だと遠ざけ、その命を奪ってしまった事をここに詫びさせてくれ。そして高潔な君に私が憧れたように、君が慕ってくれたマクギリス・ファリドであり続けることを誓おう。それを以って俺からの償いとさせてほしい」

 

 きっとこれほどまでに本心をさらけ出したことなど、マクギリスの人生でも数えるほどしか無いだろう。ましてや心から誰かのために頭を下げ、そして誓うなど皆無だったはず。

 けれど、マクギリスもまた変わった。変われたのだ。アグニカへの執着を断ち切り、友と向き合い、そして友情を改めて噛み締めた。ゆえに今の彼が存在する。

 

 その光景を複雑な表情で見守っていたガエリオは、一つ大きな深呼吸をした。そして次の瞬間には微かな笑みを浮かべている。

 

「これで本当に、二年前から続くすべてに決着がついたんだな……今の誓いを忘れるなよマクギリス。もし背くようなことがあれば、今度こそ俺がお前を殺しにいってやる」

「そうはならないさガエリオ。俺とて一度口にした言葉をそう易々と曲げる気はないとも。カルタと、そしてこんな俺を友だと言ってくれたお前に恥じない自分でありたいと思う」

「全く……ズルい奴だよ。お前みたいな優秀な奴が隣にいると俺の気も休まらないのに、まだ精進しようとする」

 

 だけどその言葉が嬉しく、また誇らしかった。この強情な友にようやくそれだけの事を言わせることができたのだ。これまでの苦労が全て報われる思いである。

 最後にもう一度だけカルタへと黙禱を捧げてから、二人はゆっくりと歩き出した。しばしの無言が続くが、不意にマクギリスが口を開く。

 

「ここしばらく忙しくて会えなかったが、アルミリア嬢の様子はどうだ? 決戦前に色々と言われてしまったが──」

「全部聞いたさ。お前が大真面目なのか大馬鹿なのか本気で分からなくなったが、まあアレだ。お前のことが気になって仕方ない様子だから、早く会いに行ってやってくれ」

 

 冗談めかして伝えてやれば、マクギリスは困ったように肩を竦めた。

 

「お前と仲直りしなければ会いませんと言われてしまったからな。その証明のため、付き添ってもらえるとありがたい」

「ま、それくらいなら構わないさ。どのみち今のままボードウィン家に足を踏み入れたが最後、父の方が殴りかかってくるだろうしな」

「……やはり、ボードウィン卿はお冠か」

「当たり前だろう、むしろどうして平気だと思った? 温厚な父があそこまで怒っていたところなどこれまで見た事がない」

「なるほど、それは怖いな」

「正直言えば俺も怖いさ。まあ仕方ない、お前というよりはアルミリアの為にも、ここはどうにか間を取り持ってみるとしよう」

「ほう、それは助かる。持つべきものは友、とはこういうことか」

「茶化すなよ。だけど一つ訊かせてくれ。お前が俺を殺そうとした二年前のあの日、アルミリアの幸せは保証しようと言ったな? あの真意は──」

 

 一転して鋭い口調で問い詰めたガエリオに、マクギリスもまた逃げることなく彼を見据えた。曇りのない碧色の瞳には悪意を微塵も感じられない。

 

「当然、そのままの意味だ。私個人の思惑は別として、一人の男として彼女は幸せにしてみせると決めていた。例えお前との関係がどうなっていたとしても、あの言葉に嘘はないさ」

「そんなものは偽りの幸せだ……とは、もはや言えんな。いいさ、今のお前からそれだけ聞ければ十分だ」

 

 晴れ渡る青空のように痛快な気持ちだった。もはや憂いは何もないとばかりにガエリオは上機嫌である。

 

「これからも頼むぞ、親友(マクギリス)

「より良い未来を目指すため、当てにしているぞ親友(ガエリオ)

 

 これから先、まだまだ多くの困難があるだろう。乗り越えなければいけない壁も数多い。革命の英雄となったマクギリスと、それを助けるガエリオに求められることは星のようにある。

 それでも──二人がともに歩む限り、きっと難しいことではないのだろう。



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#50 至るべき空

最終話です。


 ギャラルホルン戦役に一枚噛み、腐敗したかの組織を変える契機を作った鉄華団に対する火星の扱いは、もはやかつての勢いすら超えていた。

 一言で表すなら”英雄”だろうか。元より火星にハーフメタル採掘権をもたらし英雄視されていた彼らだが、今回の活躍はさらにその上を行く。元より腐敗したギャラルホルンに不満を抱いている者はそれだけ多く、また火星の変革の切っ掛けをさらに打ち込んだのだから当然の扱いだった。

 クリュセに出れば鉄華団の名前を聞かない日は無いし、火星本部どころか地球支部ですら入団希望者が後を絶たない有様。さらに多くの企業が鉄華団と関係を結びたいと連絡をひっきりなしに入れ、ギャラルホルンからはトップの座についたマクギリス直々に感謝状と報酬が届いた始末だ。

 

 まさに組織としての最高潮を迎え、誇張抜きに火星で最大手の称号を手にした鉄華団だったが──そのせいで密かにオルガが抱いていた『この戦いが終わったらパーッと祝勝会をやろう』という計画は、あえなく一週間も延期になってしまったのだった。

 

 ◇

 

「ったく、ここまで長かったらねぇぜ」

 

 ぼやきながら、オルガは緩めていたネクタイを締め直した。すっかり着慣れた赤いスーツ姿の上に鉄華団のジャケットを羽織り、団長に相応しく身だしなみを簡単に整える。きっと目元には隈が色濃く残っているのだろうが、そればかりは頑張った証として見逃してほしかった。

 あのギャラルホルン戦役から今日でちょうど一週間だ。その間のオルガは絶え間なく舞い込んでくる電話や資料確認、さらに鉄華団自体の指揮もあいまってほとんど眠る暇すらなく、副団長や他事務方に出来るだけ仕事を割り振ってもなお地獄のような戦後処理を続けていた。

 とはいえ地獄の行程にも何とか目途は付き、ようやく待ちに待ったこの時がやって来たのだ。ギャラルホルンの方はまだまだ忙しいと聞いているが、一足先に鉄華団は楽しませてもらってもバチは当たるまい。

 

「団長ー、地球支部との通信接続終わりましたー!」

「よーし、んじゃさっさと始めねぇとな!」

 

 疲れを感じさせない威勢良い言葉と共に、オルガは壇上へと昇っていった。

 地上よりも少し高いその位置からは周囲の様子がよく分かる。すっかり陽も落ち星々が瞬く空の下、改装も終わり小綺麗になった本部を背にして照明に照らされた鉄華団団員たちが一様にオルガを見上げていた。彼らのすぐ隣には豪勢な食事やありったけの酒が積まれたテーブルが無数にあり、誰もが今すぐにでもそれに飛びつきたいのを我慢している。

 けれどオルガがマイクを口元に寄せた途端、場の雰囲気が一変した。本部の壁に映し出された地球支部の面々も遠く離れたところから彼の言葉を待っていた。今やすっかり背負いなれた団長としての重圧を感じながらも、彼は朗々と話し出す。

 

「皆、俺の挨拶なんかよりそこの食べ物の方が気になるだろうからよ。手短にすませちまおうか」

 

 軽い冗談に場の空気が少しほぐれたところで、オルガは更に言葉を続けた。

 

「今日この日まで皆、よく頑張ってくれた。苦しい戦い、悲しい別れ、色んな苦難に襲われてしんどかっただろう。その中でお前たちは決して諦めず投げ出さず、俺に着いてきてくれた。そのおかげで俺たち鉄華団は”上がり”に辿り着けたと思ってる」

 

 居並ぶ面々をサッと見渡した。三日月、ユージン、昭弘、シノ、モニター越しにチャドやタカキの姿もあり、そして最後にジゼルが彼を見つめていた。

 彼らだけでない。ここに居る誰か一人でも欠けていれば、きっとこの祝勝会は実現しなかったろう。だからありったけの感謝の想いを乗せてさらに声を張り上げたのだ。

 

「今や鉄華団は火星でも、いいや、もはや地球ですら知らない者がいねぇ程の一大企業だ! だがこれは断じて俺一人の功績じゃねぇ。俺の無茶に付き合ってくれて、命懸けて気張ってくれたお前たちが居たからこそだ! だから今日はその感謝を込めて、ありったけ食べて騒いでくれ! 遠慮はいらねぇ、今夜は無礼講だ!」

 

 オルガが言い切るのと、天をつんざくような歓声が上がったのはほぼほぼ同時のことだった。示し合わすまでもなく「乾杯!!」という叫びが各所に木霊し、誰もが楽しみにしていた祝勝会の幕がとうとう上がったのである。

 

 ◇

 

 祝勝会における団員たちの行動は様々だった。

 自分の戦いぶりを披露する者、笑い話をする者、裏方の苦労にちょっとした裏話など、そこかしこで色んな話題が飛び交っている。ある者は地球支部と繋いだタブレット端末を皆で囲み、向こうの友人たちと賑やかに話していた。共通性のない話題ばかりだが、それでも皆が笑顔であることだけは同じである。

 オルガにとって、和気藹々としたこの光景が素直に誇らしかった。鉄華団(かぞく)が胸を張って人として生きていけるような、そんな組織にしたいと常々願っていた。そのために上がりを目指し、努力してきた甲斐がこの光景に詰まっているのだ。

 

 自分たちの歩んできた道は間違いじゃなかった──胸が暖かくなる想いに満たされながら、オルガが祝勝会のただ中を歩いていたその時だった。

 

「いい光景だなぁ、兄弟?」

「兄貴……お久しぶりです」

 

 白い帽子に白いスーツを着こんだ伊達男、オルガの兄貴分である名瀬・タービンの姿がそこにはあった。

 

「悪いな、鉄華団でもない俺らまで呼んでもらっちまって」

「まさか、とんでもないですよ。兄貴にも散々世話になりましたし、近くに居るってんなら当然来てもらうのが筋ってもんでしょう。それに──」

「テイワズとの万が一も避けたい、と。ま、こんだけ名前が売れちまったからな、心配すんのも無理ないさ」

 

 苦笑気味な名瀬は既に理由を察しているようだった。

 元々鉄華団の内輪だけで楽しむ予定だったが、タービンズの母艦『ハンマーヘッド』が火星のすぐ近くに居ると聞いて急遽招待をかけたのだ。これにはもちろん日頃から世話になっている恩返しもあるが、それ以上に組織的な意味合いが大きかった。

 ギャラルホルンの中心となった人物とそれなり以上の関係性を持ち、火星と地球で大きく名の売れた鉄華団は既に知名度だけならテイワズにも劣らない。さすがに組織としては一歩どころか二歩も三歩も後塵を拝すだろうが、それでも鉄華団の力が大きくなりすぎた今、ボスのマクマードと関係が拗れる危険性もあったのだ。

 

「もちろん、俺ら鉄華団にテイワズをどうこうなんて考えてる奴は一人も居ません。これからも良い関係を結んでもらえればと思ってます。ただ、そうはいっても納得してもらえるかは別なんで……」

「俺を呼んでテイワズとの関係も忘れてないとアピールしたかった訳だ」

「すんません、兄貴をダシにしちまって」

「謝んなって、別に構わねぇよ。弟分にタダで美味い飯食えるところに招待してもらったんだ、それで文句まで言ってちゃ男が廃る」

 

 いったん言葉を切り、名瀬は片手に持っていたグラスをグイっと呷る。美味そうに酒を飲む姿はオルガに比べてやはり大人だった。さっき彼も酒を飲んだが、すぐに酔い潰れそうだったのでそれ以上は飲んでない。

 それから彼は「まあほとんど杞憂だったとは思うがな」と言葉を続けた。

 

「確かに鉄華団の名は相当デカくなったが、逆に言えばそれを従えるテイワズの格だって上がるんだ。親父だってせっかくの巨大戦力やギャラルホルンとの伝手を失いたくはないだろうさ」

 

 それに、と名瀬は心底から意外そうに言葉を続けた。

 

「あのジャスレイが積極的に鉄華団の有用性を唱えててなぁ……それで面子の問題を気にしてる奴らも押され気味だ。なんせ腐ってもナンバー2だった男の言葉だ、いくらお前らにボロボロにされても無視は出来ねぇわな」

「ジャスレイが? そりゃまたどうして……?」

 

 テイワズのナンバー2、JPTトラストのトップであるジャスレイはかつてオルガの暗殺を主導し、そして返り討ちにされてしまった男だ。結局オルガの取りなしで命まで奪われなかったものの、それなり以上の制裁を受けたのは記憶に新しい。

 そんな彼が嫌っていた鉄華団をわざわざ庇うという行為自体、オルガからすれば予想外に過ぎた。少し回っていた酔いも簡単に抜けてしまうほどだ。

 

「まあ一番は保身だと思うぜ? 自分はそれだけ大それた奴に負けた、だから自分が返り討ちにされたのも仕方ねえって言いたいんだろうさ」

「そりゃまた何ともらしい理由っすね……ただホントにそれだけなんですかね?」

「さて、俺は知っての通りお前らよりも先にあいつと反目してたからな、詳しくは分からんさ。まあ考えられるとすれば、アイツにも通すべき筋と義理の心が残ってたってとこかね?」

「通すべき筋、ですか……」

 

 命を狙ったはずの相手に見逃され、必要以上のケジメを迫られることはなかった。これはヤクザな組織であるテイワズの中では、あのマクマードでも”甘いんじゃないか”と感じるくらいに穏当な制裁だ。普通は確実に命で償わされている。

 だからもしかしたら、不可解なジャスレイの行動はその礼という意味もあるのかもしれなかった。もちろんただの保身でしかなく、そこまで高尚な考えなんて無かったのかもしれないが。真実は本人のみぞ知るところだ。

 

「ま、ともかくテイワズはまだまだお前ら鉄華団を利用してやる魂胆だぜ。俺たちもそろそろ兄弟分じゃなく、五分の関係になっても良いのかもしんねぇな」

「そんなこた──」

「あるのさ。今のままじゃ俺らタービンズが鉄華団の兄貴分と言っても誰も信じてくんねぇだろうしな。いやはや、お前たちも随分立派になったもんだ」

 

 冗談めかした言葉であるが、その実本心からの言葉であった。

 名瀬が初めて出会った時の鉄華団は吹けば飛ぶようなちんけな組織だった。何もかもが足りておらず、団長であるオルガは飢えた白狼のようにぎらついた眼光をしていたものだ。

 それが今では途轍もない組織にまで急成長し、オルガは団長としての風格と余裕まで手に入れている。これら全てが兄貴分である自分の手柄と思う程、名瀬も馬鹿ではない。彼らの努力の賜物と認めるのに否はなかった。

 

「せいぜい気合入れて、意地も張ってけよ。これからが一番忙しい時期だろうが、なに、信頼できる奴がいるなら大丈夫さ。色んな良い女を知る男として保証してやる」

「そ、そりゃいったいどういう意味っすか兄貴──」

「ハハハ、せいぜい自分で考えな」

 

 片手を挙げて笑いながら、名瀬はオルガに背を向けた。そろそろ一緒に連れてきた者たちの機嫌も取らないと、せっかくの宴会が台無しになってしまう。まあアミダが居ればそっちは問題無いとも思っているが。

 それにしても、最初に告げた警告は物の見事に外れちまったな──なんて、内心でこっそり自嘲している名瀬であった。

 

 ◇

 

 各テーブルの中でも特に古参のメンバーが揃っているそこに足を運んだ途端、熱烈な歓迎がオルガを出迎えた。

 ユージン、シノを筆頭に昭弘やダンテもすっかり酒が入っており、三日月もアトラと共に穏やかに食事をしている。もっとも、右半身の動かない彼はアトラの世話になりっぱなしであったのだが。

 ひとしきり互いを労う言葉を交わし合ってから、改めて乾杯をした。仲間たちと共に腹へ入れる飯と酒の味は格別だった。

 

「まさか俺たちがこんなとこまで来れるとはなぁ……鉄華団立ち上げたときからは想像もつかねぇぜ」

「ホント、俺らいつおっ()んでもおかしくねぇ戦いばっかだったからな。それもやっと一区切りかと思うと不思議なもんだぜ」

「こっからはばんばん団員も増えて、大人の希望者も来るだろうしな。俺たちが昔の一軍の奴らみたいにならないよういっそう気を引き締めなきゃなんねぇぞ」

「違いねぇ。やるこた多いけどよ、そんだけでっかくなったなら本望だな」

 

 ユージンとシノが感慨深そうに笑う。ほぼ少年たちだけで結成した先行き不安な組織は、今やどこに出しても恥ずかしくない帰るべき場所にまでなった。これからはもう宇宙ネズミがどうだの、ガキがどうだの言われることは無い。まっとうな人としての地位を手に入れることができたのだ。

 

「そういやダンテ、お前出先の方はどうなったよ? 上手くモノにできそうか?」

「おう、任せとけって。鉄華団が戦いだけじゃないって他の奴らに見せつけてくるから楽しみにしてろよ」

 

 自信満々に告げたダンテにオルガも安心したように笑った。副団長たちに任せていた仕事はどうにか目途を立てることができたようだ。

 鉄華団の中でもコンピュータ類に強く、ハッカーとして無類の有能さを持つダンテは貴重な存在だ。それ故に他の会社、企業でも働くことができるのではと考えては居たのだが、これまでついぞその機会が巡ってくることは無かった。

 けれど、今の鉄華団はあらゆる企業がこぞって関係を持ちたがるほどの一大組織だ。そのほとんどはおべっかなのだろうが、ならば利用してやれと考えたのがオルガであった。彼は鉄華団の中でも秀でた一芸を持っている者たちを中心に、まずは研修として他所の会社で学ばせようとしたのである。

 

「他にもライドや地球のタカキ、それに何人かの希望者が最初の足がかりだったか。まあタカキは心配してないが……ライドは微妙に不安だな。アイツで大丈夫か?」

「なら昭弘が行ってみる? こっちの農園は人たくさん募集中だけど」

「勘弁してくれ、俺は農業なんて柄じゃねぇよ」

 

 最終的な目標は戦いとは出来るだけ無縁な、真っ当な組織へと生まれ変わらせることだ。そのためには団員たちが戦い以外の技術、生き方も学ばなければならない。その知恵を得るため、遠慮なく他社の胸を借りてしまおうという魂胆だった。

 

 先のようにダンテは既にIT系の中規模会社への研修が決まっており、絵が得意なライドはデザイン系の会社へ、タカキはアーブラウ代表蒔苗の厚意で彼の事務所へ勤務してみることになっている。他にも各々の適性を活かせる会社へと振り分けはすんでいた。

 中でも鉄華団のエース三日月は、かねてからの夢であった農業経営に、とうとう一歩を踏み込むことができた。土地は主に鉄華団の財力で買いあげたそこそこ広めの場所、従業員は三日月を中心に鉄華団の希望者から募っている。さらに農業プラントの方から何人かアドバイザーを派遣してもらっており、既に下見は済ませ、これからは実地で学びながら色々と試していく段階だった。

 

 ゆくゆくはこちらも産業として成り立たせ、鉄華団の財政を担ってもらう予定だ。まだまだ火星では作物は安く買い叩かれてしまうのが現状だが、きっとこれから良くなっていくはずだ。その先行投資としては悪くない。

 

「でも、この身体じゃまだまだ難しいけどね。バルバトスを引っ張ってこなきゃマトモに動けないし」

「三日月……昭弘さんは大丈夫なんですか?」

「大丈夫、とは言い難いが……まあ何とかなってるさ」

 

 心配そうなアトラに昭弘は片手を挙げて答えた。彼もまたMA戦で阿頼耶識のリミッターを解除してしまい、三日月と同じく身体の一部が機能不全に陥っている。特に顕著なのが左手の肘から先であり、三日月に比べればマシでも生活し辛い身体となってしまったのだ。

 ただそのせいで、タービンズのラフタからかなり世話を焼かれていることを皆が知っていた。今は久々に再会できた名瀬の所へと行っているが、先ほどまで甲斐甲斐しく左手分のサポートをされていたせいで、ユージンとシノが親の仇でも見るかのように昭弘を見ていたのは記憶に新しい。

 

 ただ、これについても朗報があった。

 

「阿頼耶識の障害だが、コイツはマクギリスが良い情報を持ってきてくれてな。上手くいきゃぁ、今よりマシな身体には戻れるかもしんねぇぞ!」

「そうなの?」

「なんだそりゃ?」

「いやお前ら、そこはもっと喜べって」

 

 元々不完全な阿頼耶識ゆえに起きた身体障害は、逆に言えば完全ならばもう少し軽いものかもしれない。その仮説自体は三日月たちとジゼルの症例を比べてみれば思い浮かぶだろう。後者は味覚と嗅覚の異常だけであり、生活に支障が及ぶほどではないのだから。

 ではこの三日月たちの不完全な阿頼耶識を、完全な阿頼耶識へと取り換えてみればどうなるか。さすがに脊髄に定着させてる以上すべて交換は不可能だが、表面上のピアスくらいは何とかなるかもしれない。

 

「今のギャラルホルンはマクギリスにも阿頼耶識を施術できる技術、つまり完全な阿頼耶識が確立されてるらしい。そっちと取り換えてみれば、上手くいけば身体も多少動くようになるかもしれない……ってのがアイツの考えだった」

 

 この話をマクギリスからされたときは、まさしく青天の霹靂だった。ようやく上がりに辿り着けたとはいえ、三日月と昭弘には多大な不便をかけさせてしまうのだ。その負い目はどうしてもオルガの中で引っかかっていた。

 それを解決できるとあらば乗らない手はない。マクギリス自身、鉄華団への報酬の一つとして遠慮はいらないと言っていたので、一も二も無く飛びつかせてもらったのだ。このときばかりはマクギリスにありったけの感謝の言葉を述べ、逆に向こうの方が微笑ましいものを見る目だったことには気づいてないが。

 

「どうだミカ、昭弘。せっかくあの男がくれた報酬なんだ、俺は悪かないと思うが」

「……うん、せめて腕か足が動くようになれば十分だし、やってみる価値はあるかもね」

「俺としてもありがたい話だな。慣れればなんてこた無いとはいえ、動くにこしたことはねぇしよ」

 

 二人の同意と、アトラとユージンたちが笑い出すのはほとんど同時だった。

 アトラの方は「良かったね三日月!」と彼に飛びつき、ユージンたちは笑いながら「お前はラフタさんがいるから別にイイだろ!」と叫んでいる。なんとも言えない格差にオルガも苦笑いするしかない。

 

 その中で、三日月と視線が合った。いつだって強い意思を宿していた青い瞳がオルガをまっすぐ見据えている。

 

「ねぇ、オルガ。オルガの目指してた”ここじゃない何処か”に、俺たちは辿り着けたのかな?」

「……ああ、そうさ。俺たちはやっとここまで来れたんだ。ミカや、他の皆と胸張って生きてける場所に辿り着いたんだ」

「そっか。うん、オルガに着いてきて本当に良かった。ここはすごく綺麗で、暖かい」

「何言ってやがる、お前が俺をここまで連れて来てくれたようなもんだよ。ありがとな、ミカ」

 

 滅多に見せない三日月の穏やかな笑みに、改めてこれまでの苦労が報われたような気がして。

 万感の想いを籠め、オルガと三日月は拳を突き合わせたのだった。

 

 ◇

 

 だんだんと夜も更け始め、あれだけ勢いのあった祝勝会の活気も落ち着いてきた。年長の者たちはだいたいアルコールもあって酔いつぶれ、年少組もほとんどが眠気に負けてベッドへと戻ってしまっている。今起きているのは雪之丞やデクスターといった一部の大人たちと、オルガのようにあまりアルコールを入れていない年長の者くらいだった。

 

「ったく、世話が焼けるったらねぇよ」

 

 オルガはぼやきながらユージンたちの突っ伏しているテーブルを簡単に片づけてやった。酒や食べ物をこぼされたらたまらない。周囲もチラホラと片付けも視野に入れつつ、最後の余韻を楽しんでいるようだった。

 その中でふと、隅っこの方でちんまり座っている少女の姿を見つけた。見慣れた赤銀の髪を靡かせ、金の瞳はいつものように眠たそうだ。けれど白魚のような指は酒の入ったグラスをしっかりと握っている。

 

「よう、アンタもまだ起きてたのか」

「ええ、まあ。今日はやけに目が冴えてしまったので」

 

 応えたジゼルの声音はいつも通り平坦だった。ただ彼女もそれなりに飲んでいたのか、いつもよりどこか色っぽい雰囲気を漂わせている。

 直視していると妙な気分になりそうだったのもあり、オルガはひとまず隣の椅子に腰かけた。テーブルに残ってた度数の弱めの酒をグラスに注ぎ、ちびちびと飲み始める。

 

「……団長さん、もしかしてお酒弱いですか?」

「なんだよ、悪ぃか? 前に歳星で飲み過ぎた挙句ひどい目にあってな、それ以来自重してんだよ。そういうアンタは酒が強いのか?」

「それなりには強いですよ。味が分からないのでそんなに楽しくはないですが」

 

 そう言いながら思い切り飲んでいるジゼルの姿は、豪快だがやはり惹きつけられるものがある。持って生まれた気品とでも言うのだろうか。ただ眺めて酒を飲むだけでも悪くない気分だった。

 何となしに空を見上げた。美しい星々が瞬いている。あの綺羅星のように自分たちはなれたのだろうか。遠く遠く先の、空の果てにある輝きに、自分たちは至れたのだろうか。

 

「なんだか夢みてぇだな……このまま寝て、そんで目が覚めたら全部嘘だったって言われても信じちまいそうだ」

「夢なんかじゃありませんよ。だってここにもう一人、同じように思ってる人がいるんですから。二人が同じ夢を見たなら、それはきっと正夢じゃないかなとジゼルは思います」

「そうだな……その通りだ」

 

 幸せすぎて馬鹿になってしまっているが、明日からはまだまだ忙しい現実が続くのだ。こんなところで平和ボケして立ち止まってる訳にはいかなかった。幸せすぎるのも考え物だと、贅沢にも感じてしまう。

 

「これから鉄華団は少しづつ真っ当な組織に改善してく。まだ当分は護衛の仕事やらで武力を用いることもあるだろうが、それも次第に最小限にしてくつもりだ。そうなればいつかアンタの危惧してた、鉄華団での居場所は──」

「なくなりませんよ。だって今のジゼルには、誰かを殺すよりもっと成し遂げたい想いがありますので」

 

 彼女はたおやかに微笑んだ。これまでの狂気を微塵も感じさせないほど純粋で、美しい笑みだ。

 

「あなたを守ってあげなければいけませんからね、オルガ団長。テイワズでもあんな目に遭ったんですから、一人くらい有能な護衛が居なければ話になりません。その点ジゼルは適任ですよ?」

「はぁ、まったく……やっぱんな恥ずかしいこと言うべきじゃなかったぜ。男としてすっかり情けない奴になっちまった」

 

 愚痴を吐きながら、しかしやっぱり悪い気分ではなかった。結局ジゼルの業を完全に拭い去れたかといえば違うだろう。その根幹に根差す殺人衝動は少しも消えてはいないはず。どうしようもなく現状維持のまま、彼女はここまで来てしまった。

 けれど、代わりにより大切な何かを見つけてくれたというのなら、それは喜ぶべきことだった。しかもそれが自分を守ることというのはどうしても面映ゆく、くすぐったくて仕方ない。

 ちょっと顔が熱く感じるのは、何も酒精が回っただけじゃないだろう。それを誤魔化すようにオルガは顔を背けようとしたが、その前にひんやりとしたジゼルの指が彼の頬を抑えていた。

 

「……なんだよ? 俺の顔になんかゴミでも付いてたか?」

「いえ、そういう訳では。ただその、もしかしたらジゼルは、(わたくし)は、あなたのことが──」

 

 それから何かを続けようとして、口ごもり、目線を泳がせ、結局ジゼルはやめてしまった。白い頬を酒のせいか紅潮させつつ、オルガの頬から指を離す。オルガからすれば言いたいことはハッキリと伝えてほしかったのだが仕方ない。

 

「んだよ、俺の事をやっぱ殺してみたいってか? そいつは悪いがお断りだぞ」

「……今更言いませんよ、そんなこと。ですがほら、こういうのって言うよりも言われる方がロマンチックですから。それまで待つことにしただけです」

「俺にそんなもん期待されてもしょうがないんだけどな……」

 

 これまで年の近しい女性とはほとんど縁が無かっただけあり、こういう時のジゼルの思考はイマイチよく分からない。とはいえ妙なことではないのだろうし、きっとその意味も追々分かってくることだろう。

 少なくとも今は交わした約束さえ忘れなければいいのだ。オルガはジゼルを導き、ジゼルはオルガを守る。三日月とはまた違う、互いに不可欠な関係として歩んでいければそれで良かった。

 

「団長さん、ジゼルはあなたに会えて本当に良かったです。それだけは伝えさせてください」

「面と向かってそう言われると滅茶苦茶恥ずかしいな……ま、ありがたく受け取っとくさ」

 

 互いを結びつけるものは今も昔も変わらない。

 筋を通すことに拘るオルガと、恩を返すことに拘るジゼルにとっては信頼こそが何より互いを繋ぎ止めるものなのだ。だからジゼルからの真っすぐな信頼の証はオルガにとっても心地よいものだった。

 

「そういやアンタ、ハーモニカが得意だったよな?」

「ええ、人並み以上には吹けますよ? もしかして聴きたいですか?」

「せっかくだからな、俺も一度くらい聴いてみたっていいだろ」

「構いませんよ。ただし一つだけ、条件があります」

 

 さてどんな条件が飛び出すやら。若干身構えてしまったオルガだが、提示された条件は拍子抜けするようなものだった。

 

「団長さん、いつもジゼルのことを”アンタ”って呼んでますよね? 昔は普通にジゼルって呼んでましたし、たまにそう呼んではくれますけど、そろそろ統一してもらえませんか?」

「は? そんなこた……ないこともない……な、確かに」

 

 そういえば、彼女のことを呼ぶときはほとんどアンタ呼ばわりだった覚えがある。たまにジゼルと呼ぶときもあった気がするが、ほとんどそのタイミングは無かったはずだ。どうやらそれを根に持っていたらしい。

 しかし、思い返せばどうしてそのようになったのだろうか。鉄華団の団員たちは気安く名前で呼ぶし、アトラやクーデリア、タービンズの面々だって普通に名前で呼んでいた。ことさら女性の名を呼ぶのを気恥ずかしいと感じる覚えもなかったはずだが……どうして彼女だけ特別扱いしてたのだろう?

 

「まあなんでかは知らんがその通りだったな、悪かったよ、()()()

「ふふっ、仕方ないのでそれで許してあげますよ。代わりに今度新しいハーモニカを買うのと、またジゼルの髪を梳いてくださいな」

「バカ、一つどころか三つに増えてんぞ」

「心をこめて吹かせてもらうので、それで帳消しにしてくれれば」

 

 それからジゼルは懐からハーモニカを取り出した。決戦の前に壊れてしまったと言っていたハーモニカであるが、ジゼルは躊躇いなく口を付けた。まるで今も音が鳴るのを確信しているかのような振る舞いだ。

 

「ちゃんと音出るのか、そいつは?」

「鳴りますよ。だってこれは、団長さんが音を鳴らしてくれましたからね」

「確かにそんなこともあったな……なら良いさ、任せる」

 

 言い切るのと、ジゼルがハーモニカを吹きだすのは全く同じだった。仮にも壊れていたとは思えない綺麗な音色、それがスルスルと星空へ伸びては美しく消えていく。芸術だとか音楽だとか興味の無いオルガでも、素直に聴いていたいと思える代物だった。

 あの日、採掘場からフェニクスとジゼルを掘り返して以来、様々なことがあった。遠い昔のように感じるその思い出を噛み締めながら、ハーモニカの音色に紛れてそっと呟く。

 

「俺もジゼルに会えて本当に良かった、ありがとよ」

 

 返答はなかった。むしろ今も夢中でハーモニカを演奏しているジゼルは気が付いたかどうか。別にどちらでもオルガは構わなかった。その方がなんだか自分たちらしい気がしたのだ。

 いつの間にか空は白み始めていた。うっすらと昇り出した陽光に旋律が照らされ、黎明の中を舞い昇る。それを特等席で鑑賞できるのは百万の富にも勝る贅沢の様に思えて、オルガはゆったりと椅子に背を預けて片目を閉じた。

 

 これからも鉄華団は続いていく。

 

 ここがすべてのゴールでは無いのだ。まだまだ道は半ば、今を必死に生きる者たちは懸命に明日を目指して駆けていく。

 時代の荒波に揉まれ、鉄の華を掲げ人として駆け抜けた少年たちの戦いは。

 過去より鋼の不死鳥のごとく蘇り、黎明に音色(うた)を響かせる彼女の羽ばたきは。

 

 ──至るべき未来(そら)を目指して、いつまでだって続いていくのだ。

 




これを持ちまして、鋼の不死鳥 黎明の唄はひとまずの完結とさせていただきます。
およそ一年の間お付き合いくださり本当にありがとうございました。完結した感想やら裏設定やら語りたいことは山ほどあるのですが、ホントに多すぎるので活動報告に載せておきました。興味のある方はぜひご覧ください。

それではこの辺で失礼させていただきます。いずれ何かしらの二次創作を書く予定ではありますが、その時はまた読んでいただければ嬉しいです。


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番外編
#51 Two Years Later


番外編です。


 ギャラルホルン戦役を切っ掛けに、火星の実情は大きく変わった。

 

 元々アーブラウ含む四大経済圏による実質的な植民地化と、さらに腐敗したギャラルホルンにより設置された火星支部の圧力により不当な支配を受けていた火星であったが、この版図はクリュセを筆頭に大きく覆され始めている。なにせ革命の乙女ことクーデリア・藍那・バースタインを擁し、さらに火星の英雄と評判高い鉄華団が関わる都市がクリュセなのだ。世界が大きく変わり始めた今、何も起きないはずがない。

 ギャラルホルン側の英雄ことマクギリス・ファリドをトップとした新生ギャラルホルンは、手始めに火星支部の規模を縮小する。これによって傍若無人なまでの強権を振るうことは難しくなり、監視機構という元来の在り方を取り戻す一歩となった。

 加えて数年前から関係の深かったアーブラウはこれを機にクリュセの完全独立を認めたことで、クリュセは火星初の独立を成し遂げたことになる。内外における風評やハーフメタル関連の利益、鉄華団という無視できない組織への影響を考えた末の結果だろうが、ともあれ遂に独立が叶った事実に違いはない。

 

 ここからは坂を転がるように物事は進んでいく。クリュセ独立に倣い火星における各経済圏支配下の都市たちもこぞって独立運動を活発化、公平性を重んじ始めたギャラルホルン側の後押しもあり経済圏たちは独立を認めざるを得なくなる。彼らとしてもいつか鉄華団のような組織が生まれ、かつてのギャラルホルンのような被害を被るのは勘弁願いたかったのだ。

 こうしてあっという間に火星は独立を認められていたのだが、そうなると困るのは火星全土を一丸とできるまとめ役が必要になるところだ。けれどこちらもこれまでの実績や他企業との繋がりもあり、すんなりと一人の女性が選ばれる事となる。

 

 独立を果たした各都市によって形成された”火星連合”の初代議長に収まったのは、やはりと言うべきかクーデリアを置いて他にあり得ず。ギャラルホルン戦役から二年が経過した現在でも、彼女は火星のトップとして目まぐるしく奔走していたのである。

 

 ◇

 

 かつてはテイワズやアーブラウ領と提携してハーフメタル産業と孤児院の経営を主としていたアドモス商会であるが、社長であるクーデリアが火星連合の議長の座に座ってからもそれは変わらない。

 ただ、社長よりも議長を務める方が遥かに割合が大きくなってしまったのは事実だ。そのため経営自体が難しくなる──と考えられていたのだが、鉄華団との提携もあってそこまで深刻な事態とはなっていない。

 

「クーデリアさん、迎えの車着きましたよ」

「はい、ありがとうございます」

 

 昼前頃、アドモス商会の社長室へと入室してきたのは鉄華団に所属する少年の一人だ。彼以外にも多くの団員が二年前から続く”他企業への研修”の一環としてアドモス商会で働いており、社会を学びながらもクーデリアが抜ける穴を補おうと必死に働いてくれている。それにそもそもの話、鉄華団もハーフメタル産業や孤児院の経営にはかなり関わっているのだ。研修という形で多少のフォローを入れる程度は造作もない。

 社長秘書を務める恰幅の良い女性、ククビータに後を任せたクーデリアは正面入り口へと出た。既に鉄華団のエンブレムの入った黒い車が二台のMW(モビルワーカー)に挟まれ停車している。仰々しい迎えだが、クーデリアの立場を思えば護衛が着くのも仕方ないことだろう。

 

「久しぶりですね、三日月」

 

 そうして車中へと乗り込めば、普段通り火星ヤシを頬張っている三日月・オーガスの姿があるのだった。

 彼はクーデリアを見るや火星ヤシを一つ勧めてきたが、かつてはずれを引いた身であるクーデリアは謹んで辞退させてもらう。軽いトラウマになっていた。

 

「久しぶり、クーデリア。元気だった?」

「おかげ様で……と言いたいところですが、忙しい日々が続いてますね。火星独立から今日まで、やることはあまりに多い。ここ数日はアドモス商会で仕事をできましたが、議会の方で寝泊まりすることもままありますし」

「そっか、大変なんだね。こっちは昔とそこまで変わってないからなぁ……」

 

 静かに三日月が呟いた。それが表面上のものだけであり、実際は鉄華団もまた大きく変化していることをクーデリアは良く知っている。彼もまた夢に向かって日夜進んでいるのだろう、かつてのクーデリア自身のように。

 そうこうしている間に車が動きだす。物々しい護衛のままクリュセの街を走り出すが、車内はあくまで穏やかな空気に包まれていた。

 

「あなたには色々と聞きたいことがありますが……ひとまず、暁君の方はどうですか?」

「すっごい元気だよ。毎日アトラを困らせてるくらいには元気に溢れてるし、皆もちょくちょく遊びに来てくれてるからね」

「それはさぞ賑やかでしょうね。きっと良い子に育ってくれますよ」

 

 淡々としたように喋る三日月だが、いつもより心なしか嬉しそうな色が見えた。それがクーデリアにとっても微笑ましい。

 暁。その名前はおよそ一年前にこの世へと生を受けた、三日月とアトラの子供であった。元々それなり以上に好意を抱いていた二人──特にアトラ──だが、鉄華団の躍進が少し落ち着いた一年前の段階でとうとう恋仲にまでなったのだ。

 二人がそういう関係になったことはオルガを筆頭に鉄華団でもかなり喜ばれたが、「まさかここまで子供が出来るのが早いとも思ってなかった」とはやはりオルガの談である。たくさんの祝福とちょっとの生々しさを感じさせるアトラの妊娠に鉄華団は大いに沸いたものだ。

 

 とうとう父親にまでなってしまった三日月だが、彼自身も阿頼耶識の改善により身体はマシになっている。動かなくなっていた右腕は感覚が薄れた代わりに不器用ながら動き始め、右足はほぼこれまで通り動くようになったという。さすがに右目の視力までは治らなかったようだが、それは同じく左腕が不器用になってしまった昭弘共々仕方ないと受け入れていた。

 こうしてバルバトス無しでも満足に動けるようになり、現在は鉄華団が保有する農業地帯で念願の農場経営を任せられている。まだ二年目であるが農場は順調に軌道へと乗り始め、作物の不当な値段も見直されつつある火星での収入源になり始めたと聞いていた。

 

「俺もアトラも子供じゃないけど、知ってることは子供みたいに簡単なことばかりだからさ。難しいことはクーデリアにも教えてもらえると嬉しいな」

「えぇ、もちろん協力しますよ。なんだったらそちらに泊まりこんででも──って、それは三日月とアトラさんに迷惑でしたね」

「……? 俺は別に構わないし、アトラも気にしないと思うけど。それとも嫌だったりする?」

「嫌だなんてそんなこと! あ、ありませんから……やっぱりその……」

 

 勢いで叫んでしまってから、今度ははっきり分かるくらい声が小さくなってしまう。クーデリアから三日月へ好意が全くない、などと言えば嘘になる。むしろ好きな方だろう。けれどハッキリ恋と断じて良いかは分からず、また既にアトラと夫婦にまでなってるところに割り込むのも気が引けた。 

 あれ、でもキスはされたしアトラさん結構乗り気だったしあれやっぱり私どうすれば──一気に思考が過熱して顔を赤くしたまま黙り込んでしまったクーデリアに、三日月が無言で火星ヤシを勧めてきた。今度は空気を誤魔化すために遠慮なくもらった。非常に甘い。

 

「ええっと、その、三日月さえ良ければ今度そちらの方に──」

 

 お邪魔させてくれませんか? と続けようとしたときだった。

 不意に運転席の方から咳払いが聞こえてきた。これっぽっちも空気を読めていない咳払いにクーデリアが完全に凍り付き、続きを言う機会を逸してしまう。そういえば三日月ばかりに注目していたが、運転手は誰なのかとクーデリアが運転席を覗いてみれば──

 

「惚気るのは構いませんけど、ジゼルの居ない所でやってください。聞いているとすごく胸やけしますから」

「え、あー……すみませんでした。それとお久しぶりです、ジゼルさん」

「はい、お久しぶりですねクーデリアさん」

 

 顔を真っ赤にしたクーデリアと対照的に、ハンドルを握るジゼル・アルムフェルトはいつも通り白皙の無表情だった。淡々とした声音もやはり普段と変わらないが、わずかに呆れが含まれているのも感じられる。周囲には基本的に無頓着なジゼルでも、他人の恋愛話を聞かされて困るのは同じようだ。

 普段ならこういう送迎の運転手はアトラか鉄華団の平団員辺りがやりそうなものだが、わざわざジゼルを引っ張り出してきたのは団長からの厚意の証か。鉄華団のエース、遊撃隊長にして農場責任者の三日月はもちろんのこと、一年前の組織再編成において正式に『参謀兼団長補佐』に任命されたジゼルは今や結構な立場である。それだけこなすべき仕事も多いはずだが。

 

「忙しい中わざわざすみません。いまや鉄華団の規模もかなりのものですし、お仕事の方も大変なのでは?」

「団員の規模はかつての五倍以上にまで膨れ上がり、色んな企業と関係を持った今日(こんにち)では事務仕事も山のようにありますからね。団員へのお給料を管理するだけでも一苦労です」

 

 だから本当はアクセル全開で本部へと戻る予定だったのですが、などと空恐ろしい呟きが聞こえてきた。もし前後がMWで挟まれていなければ、今頃クリュセの只中を爆走していたのだろうか。正直考えたくない。

 ですが、とジゼルはのんびり続けた。車は丁寧に角を曲がりクリュセの郊外へと出る。赤茶けた土地をしばらく行けば農園と、それに鉄華団火星本部が見えるはずだ。

 

「火星でも一番忙しいだろうあなたの前で弱音を吐くほどジゼルも恥知らずではありません。それにこうして運転手と護衛を任されているということは、団長さんからの信頼でもありますからね。なら多くは言いませんよ」

「では、せめてその信用に応えられるだけの働きをしなければなりませんね。責任重大です」

 

 そもそも今回こうして鉄華団の車に揺られているのも、決して休暇だとか療養のために鉄華団火星本部へ向かっている訳ではない。むしろ火星の代表としてハーフメタル採掘場の視察という、二年前にも行ったことのある仕事が主だった。

 鉄華団がテイワズから渡された巨大なハーフメタル採掘場は当時こそMAやセブンスターズの思惑の巡る土地になってしまったが、全てが終わった今ではただの金の成る木でしかない。本腰を入れて採掘のための準備を整えたことでようやく採掘を始める目途が立ち始めたのである。

 今回クーデリアが視察する採掘場にはそういう来歴があり、鉄華団の面々が必死になって用意した将来のための資金源だ。けれど本当に資金源になってくれるかどうかはクーデリアが主導となる火星のこれからに掛かっている。

 

 ──改めて、”火星独立の立役者”という看板の重さを感じてしまった。

 

 差別されつづけていた火星の現状を憂い、なんとか改善しようと走り回った。それでもいまだ課題は多く、クーデリア次第でこの上向きつつある現状も崩れてしまうかもしれない。責任の重さはこれまでの比ではないのだ。

 それからもしばらく他愛のない話を交わしている内に、気が付けば車は農園のすぐ脇を走っていた。ここら一帯の大部分は桜・プレッツェルという老婆の管理する土地だが、その奥には鉄華団が運営を開始した農園もある。

 

「それじゃ、俺はこの辺で降りるよ。もう護衛も必要ないだろうしね」

 

 農園のど真ん中に立つ孤児院まで着いたところで三日月がそのように告げた。彼の仕事場はこの先にある。ジゼル達も承知していたらしく、特に問題なくMWと車は止まった。

 そのまま降りていこうとする三日月の背中を惜しむように手を伸ばしかけたクーデリアは、代わりに声を掛けた。

 

「三日月! また、会えますよね……?」

「そっちがその気ならいつでも。この仕事が終わったらこっち来なよ、きっとアトラも喜ぶからさ」

「ええ、是非行かせてもらいます!」

「そ、んじゃ待ってるから」

 

 相変わらずクールな雰囲気だが、確かに笑っているのを見てクーデリアは安堵した。彼もまた多感な少年から少しづつ大人へと成長できているのだ。その事実が嬉しかった。

 そんなやり取りを果たしてジゼルはどう捉えていたのか。ミラーに映る彼女の口の端が微かに歪み、ニヤニヤしているように見えたのは気のせいではないだろう。また顔が熱くなるのを意識してしまう。

 

「嬉しそうですね、クーデリアさん。惚気るなら他でやって欲しいと言ったのですが」

「す、すみません……久々に三日月に会えて嬉しかったもので、つい……」

「彼も言ってましたが、会おうと思えばいつでも会えますよ。宇宙にまで出て命のやり取りなんていうのも、今はほとんどありませんからね」

「では、オルガ団長の目標は達成されつつあるのですね……私もとても嬉しく思います」

「はい、ジゼルとしても団長さんが頑張っているのは素直に喜ばしいことです」

 

 出来るだけ命を張った仕事を無くそうというオルガの方針は鉄華団の組織運営にも反映されている。鉄華団の名前も売れた今では護衛任務もほとんど暇をすることばかりだし、喧嘩を売って来るヤクザな企業や海賊なんかもほぼゼロだ。たまに命知らずが出てこようと、平穏な生活を手に入れた三日月を呼ばずとも鏖殺の不死鳥が待ち構えている始末。少なくとも三日月はほぼ鉄火場から遠ざけられてるし、他の団員たちもめっきり命の危機に曝されることはなくなったといえよう。

 

 まさしく理想を実現しながら火星企業の頂点に立ったオルガ・イツカであったが、最近は悩みの種も増えているとジゼルは零した。ちょうど先ほどまでのクーデリアと三日月のやり取りと似たような話題である。

 

「まだ団長さんは独り身ですから、『自分の娘はどうだ?』なんて縁談を勧めてくるお偉方が増えてきているのですよね。はっきり言って良い迷惑ですけども」

「つまり政略結婚ということでしょうか……? こう言っては何ですが、その──」

「なりふり構わず、そう言いたいのですか? 客観的に見てその通りですし、団長さんは怒らないと思いますよ」

 

 それこそ貴族だとか大企業の社長の子供同士で婚姻させるというのはよくある話だが、それを鉄華団に当てはめると少々事情が異なってくる。確かに一大企業とまで化した鉄華団であるが、なにせオルガの生まれは火星のストリートチルドレンである。重視されやすい血統やら伝統やらは皆無に等しいだろう。

 なのに現実は大量の縁談が舞い込む始末である。それだけ鉄華団と団長の名が大きくなったことの証左であるし、出来るだけ繋がりを強固にしたいという欲もある当然あるはず。だがそれにしても珍しいケース故にクーデリアをして”なりふり構わず”と感じてしまったのだ。

 

「まぁ副団長さんはすごく羨ましがってましたけど、愛のない結婚なんて辛いだけですからね。三日月さんとアトラさんの子供が生まれた時の喜びようを思えば一目瞭然ですよ」

「そ、そんなにすごかったのですか? あのオルガ団長が?」

「それはもう、自分の子供かってくらい喜んでましたよ。オーバーすぎて逆に三日月さんの方が冷静だった程ですね」

 

 なんとも意外な話を聞いてしまったものである。けれど彼の鉄華団(かぞく)への情を考えればむしろそれが自然にも思えてくるし、そうやって普段の固い表情を崩してはしゃいでいる姿も案外簡単に思い浮かんでしまうものだ。

 

「オルガ団長にもそういうところが……ですが、あの方は女性関連の浮ついた話を少しも寄せ付けない雰囲気がありますよね。自分の幸せよりも他人、特に団員さん達の幸せの方を優先してしまうと言いますか」

「ジゼルも同感ですね。実際に縁談の話なんかは全部断ってしまいましたし、団長さんも特に興味はないと思いますよ?」

「……? えぇ、そうですね、当人たちの気持ちが一番ですから」

 

 ──ほんの一瞬、ジゼルの言葉に違和感を覚えた気はしたが。

 

 その正体を掴む前に車体へとブレーキがかかった。気が付けば鉄華団火星本部の正門がすぐ前にある。どうやら目的地まで着いたようだ。すぐに内部へと案内され、車も所定の位置へと止められた。

 この後は確か、オルガ団長と視察の打ち合わせを終えてから採掘場へと向かう手筈になっていた。相変わらず休まる時間が少ないとはいえ、こうして車に揺られて雑談しているだけでもかなりのリラックスにはなる。強張っていた精神がほぐれたのを感じつつ、クーデリアは車から降りた。火星に吹く風が心地よい。

 

「そういえば、一つだけ聞かせてもらえますか?」

「おや、なんでしょうか?」

 

 役目は終えたとばかりに去って行こうとするジゼルを呼び止めた。立ち止まり振り返った金の瞳と視線が交わる。やはり感情の読み取り辛い、けれど神秘的な光を湛えている。

 

「その、あなたは誰かを傷つけるのが趣味だと言っていました。鉄華団は通常の企業へと変革されつつありますが、共に手を取り合って笑うことは出来ていますか?」

 

 ジゼルの本性をあまり大っぴらにするのもどうかと考えたので、クーデリアなりに婉曲的な表現をしたつもりだった。もし伝わらなければどうしようかとも思ったが、どうやらその心配はなかったらしい。

 口元にニタリと笑みが浮かんだ。瞳の奥に妖しい揺らめきが見て取れる。静かな、けれど情熱的な何かを秘めた揺らめき。決して嫌な輝きではなかった。

 

「問題ありませんよ。この一年はすっかり殺せていませんけど、特におかしな行動はしてないつもりですし。今のジゼルはもうちょっとマシな目標を見つけたのですよ」

「差しさわり無ければ聞いてみてもよろしいでしょうか?」

「……いいえ、秘密です。これは男の人の沽券にも関わる約束ですからね」

 

 すげなく断られてしまい、今度こそジゼルは去って行った。代わりに他の団員がクーデリアを案内しようとやって来ている。彼らと簡単に会話を交わしながら綺麗になった本部内を進んでいくが、彼女の心は先ほどのジゼルと自分の姿を思い返してばかりだった。

 

「惚気るなら他でやって欲しい……あのようなことを人前でされたら、確かに文句の一つは言いたくもなりますね……」

「どうかしましたか?」

「いえ、何でもありません」

 

 クーデリアにとっての戦いはまだまだ続く。火星独立後の基盤作りもそうだし、今回の採掘場視察もそう。議長として各都市を纏めるのは骨が折れる上にギャラルホルン側でもまた大きな動きがあると聞いている。

 なんでも、ヒューマンデブリを根本的に廃絶しようという気運が高まっているらしい。ついにそこまで来たかと喜ぶ反面、恵まれない子供を少しでもなくしたいと願って行動を起こしたクーデリアが関わらない訳にはいかないだろう。本当に、やるべきことはいくらでもある。

 

 それでも、彼女は決して折れないだろう。自らの現状に不貞腐れず投げ出さず、前を向いて生きた人たちがすぐ傍に居るのだから。彼らの背中を想えば、容易く止まることなどあり得なかった。




「という話をジゼルさんとしたのですが、オルガ団長も大変ですね。心中お察しします」
「……? ちょっと待ってくれ、そりゃ何の話だ? 縁談? んなもん一言も聞いてないぞ」
「え?」
「いや、マジだマジ……ホントにジゼルの奴がそう言ってたのか?」
「はい、副団長がすごく羨ましがってたとも言ってましたが……」
「それでここしばらくユージンの視線がキツかったのか──いや、にしてもなぁ。そりゃよく知りもしない誰かとくっ付く気なんざないとはいえ……」
「あの、オルガ団長?」
「悪い、ちょいと話を付けてくる。部屋は用意してあるから好きなように使ってくれ。……ったく、こりゃ髪を梳いてやるとかそういうのは全部無しだな」
「あ、あの、オルガ団長!? ……行っちゃいましたか。それにしてもジゼルさん、髪の毛を梳かせるまでしてるとなると、これはもしかして……いえ、人の諸々に首を突っ込むのはよくないですね! まずは自分の方をどうにかしなきゃなりませんし!」


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#52 副団長の災難/鏖殺の恋慕

あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。
新年一発目ですが、鉄血のオルフェンズ(日常編)です。


 鉄華団副団長ユージン・セブンスタークの仕事は多岐にわたる。

 

 団長補佐、関連企業との日程調整、団員たちへの指示、資料作成、時には腹の読めない相手と交渉の席に座ることすらある。かつてに比べれば鉄華団の事務方もちゃくちゃくと増えてはいるが、やはり副団長は立場相応の働きを求められてしまう。こればかりはどうしても避けられない事柄だった。

 ただ、それが嫌だとユージンは考えていない。仕事は多いしキツイのも事実だが、自分たちがようやく手に入れた真っ当な仕事たちなのだ。それを一時の感情で投げ出すような短絡的な男だったらそもそも副団長になど任命されていないだろう。

 

 確かにオルガに比べればカリスマや先見の明などで劣るかもしれないが、彼と比較してユージンを貶すような者は実のところ鉄華団に一人もいない。軽い性格だがやるときはキッチリやる、ユージンとはそんな男なのである。

 

「──ええ、なので今回の案件はジゼルにお任せください。この程度の些事で副団長の手を煩わせることはありませんよ」

「そ、そうか……? 縁談なんざちっとも分からねぇし、そう言ってくれるなら助かるぜ」

 

 まあ、押しに弱かったり楽に流れやすかったりするのは変わっていないのだが。

 

 鉄華団の裏方たちが集う事務室にて、気怠そうにペラりと書類を捲っているのはジゼル・アルムフェルトだった。彼女はいつも通り眠そうな金の瞳を少しだけ細めて内容に目を通している。視線に物理的な圧力でもあれば穴が空きそうなくらいじっくりと。いつにない迫力になんとなく押されてしまい、ユージンもまた手元の紙面へと目線を落とす。

 そこに書かれている内容は回りくどく読み辛いが、端的にいえば鉄華団団長への見合いや縁談を紹介する代物だった。エドモントンから名を上げ、つい一年ちょっと前にはギャラルホルン戦役にも絡んで名声を欲しいままにした鉄華団。現在火星で最も勢いのある企業と関係を持ちたいと願うのは、主に圏外圏で上に立つ者たちとして当然の願望だった。

 

 そのような思惑を端として届いた見合いや縁談の総数は、実に三十は下らない。これまで恵まれない子供たちなど見向きもしなかった大人たちがこぞって媚を売る姿にはユージンも思うところは無論有る。

 

「ホントによ、いつの間にか随分と俺らも偉くなったもんだなおい。こんな冗談みたいな打診まで届くなんて数年前の俺に教えても鼻で笑われちまうぜ」

 

 パタパタと大事な書類で顔を仰ぎながら一言。飾りのない副団長の本音だった。

 このような美味しい話に裏や打算があるのは百も承知だが、裏を返せばそれだけ魅力的で無視できない組織となれたのだ。手のひら返しはともかくとしてこれほどまでになれたのは自分たちの頑張りの成果だと思う。

 

「それで、この件はジゼルの処理でよろしいでしょうか? 異論がなければジゼルの方で団長さんに話を通して、上手いことやっておきますが」

「おう、それで頼むわ。下手に俺が出しゃばっても仕方のない話だしな……ったく、オルガの奴も羨ましい限りだぜ!」

 

 恋愛に関してはしっかりお付き合いしてからの純情派なユージンであるが、男としてオルガを羨む気持ちは当然ある。だってそうだろう、色んな女性が向こう側から選り取り見取りなのだ。これまで彼女なんて居たことのない彼からすれば無限に嫉妬できるくらい羨ましい状況である。

 実際のところ、これがどう転ぶかはさっぱり分からないが。政略結婚などという雲の上のごとき行いについてはまだまだ勉強中の身の上、オルガがどういう選択をしようと副団長としては余程のことがなければ尊重しても良いと考えている。下手に首を突っ込むよりかは、当人とかつて令嬢だったというジゼルに任せるのがベストと判断したのだ。

 

「………………はぁ、団長さんもすっかりモテモテなので、ジゼルはモヤモヤしてばかりです」

 

 そんなことばかり考えていたせいで、ぼそりと呟いたジゼルの言葉はすっかり聞き逃してしまっていた。

 もし聞き逃してさえいなければ、違和感を覚えて更に追及を行ったりも出来たのだろうが……悲しいかな、ユージン・セブンスタークはどちらかといえば詰めの甘い人物である。なので当たり前のように気が付かない。

 物憂げに呟いた鏖殺の不死鳥がその胸中で何を思案しているのか、少しも疑うことなく縁談の件を全て任せてしまったのだった。

 

 ◇

 

「んで、その結果がこれかよ!」

 

 応接室にバン、と激しく机を叩く音が響いた。ユージンは呆れと怒りと驚愕のない交ぜとなったような面持ちでジゼルを見やる。強烈な視線に対しても彼女は普段通りのほほんとソファに腰かけていた。

 この場に居るのはひとまずユージンとジゼルの二人だけだ。関係者となるオルガは仕事が忙しくて離れられず、他の者には迂闊に教えるべき内容ではないと判断したからである。今回の一件はそれくらいデリケートな問題だった。

 

 まさかジゼルが自分の判断で他企業からの縁談を全て潰していたなどと──さしものユージンでも思いもよらない内容である。

 

「まずは釈明を聞かせてもらおうか。なんでこんなことしたんだ? 一歩間違えれば鉄華団という組織自体の問題にも繋がりかねないし、何よりたかが参謀ごときがやって良いことじゃないだろ」

 

 前々から感じていたことではあるが、ジゼルは”結果的にすべて上手くいった”という行動が非常に多い。もちろんリスクとメリットを秤にかけた上での行動なのは否定しないし、実際に結果を残しているからユージンもまたとやかく言うことは無かった。

 ただし、今度ばかりは話も違ってくる。彼女が独断で行って良い判断を超えているし、曲がりなりにも考えられていた損得の天秤を完全に無視している。有り体に言って、わざわざここまでする理由が分からない。

 

 幸運なことに此度も断り方自体は上手かったのか、特に波風が立つこともなくすべて丸く収まってはいた。オルガですらつい先日まで知らなかったのがその証拠だろう。だからひとまず内々に話を付けておこうとしている訳であって、普通なら然るべき処分が下る行動だった。

 

「それは、その……」

 

 対してジゼルからの答えは煮え切らない。普段のマイペ―スながら歯に衣着せない物言いが微塵も出てこない。

 例えるなら恥ずかしがっているかのような、あまり大っぴらに人には言えない感情を抱いているかのような……そこまで考えたところで「おいおいおい、まさか……」と彼は呟いていた。

 

 別段勘が冴えている方でもないのだが、点と点がすっきり結びついた今回ばかりは確信を持って断言できる。この前はよく確認しなかった結果ジゼルの独断専行を許してしまったが、こればかりは間違えようもないだろう。

 故にちょっとばかり格好つけて聞くべきことだけをかいつまんで問いただす。

 

「なるほどな、()()()()()()()。なぁ、いつからだ?」

「いつからと言われましても……気が付いたらと言いますか。こんなジゼルのことを助けてくれた時でしょうか、元からそれなりに仲良く出来てるとは思ってましたけど、最後の一押しはそれだったと思います」

「なるほどな。まあお前のことだからそんなに不思議じゃないか。だから燃えるとか、どうせそんなこと言い出すんだろ?」

「はい。今のジゼルはけっこう欲望に素直ですので……」

 

 ついには俯いてしまった彼女の様子に、ユージンもまた自らの考えが正しいことを確信した。これは間違いないとばかりに思考を整理する。

 

 何故、狂気的な趣味を持ちながらこれまで殺人を我慢していたのか。

 何故、オルガの信頼を勝ち得たのか。

 何故、勝手な判断で縁談を潰す暴挙に出たのか。

 

 その答えはただ一つだ。”普通なら有り得ない”などこの女の前では最も信じられないこと、荒唐無稽だろうと可能性があるのなら疑ってかかる方がよっぽど安全策だ。だからユージンは下手にジゼルを刺激しないためにも譲歩しつつ釘をしっかり刺しておく。

 

「──良いだろ、今回は大事にもなってないから俺は見逃してやる。だけど忘れんなよ、二度目はねぇぞ。そんでもし実行しそうになったらまず俺のところに来い、相手になってやる」

 

 完全に言い切ってからすたすたと部屋を出ていく。もうこれは疑いようもなくアレだろう。かねてより彼女の危険性を考慮していたからこそ、その深奥に隠された本音にも察しがつくというものだ。

 

 ──ジゼル・アルムフェルトは最後の最後にオルガを殺すことを楽しみにしている。

 

 だから敢えて殺しを我慢しておいて、オルガ殺害時のカタルシスを抑えているのだ。信頼しているしされている相手を殺してみたいと彼女が言い出してもなんら不思議ではない。

 さらに言えばこうして彼からの信頼も勝ち得たことで、例えユージンや他の誰かがその危険性に感づいたとしても排除されづらい立場に収まった。もしオルガにこの考えを話したところで今では一蹴されるのがオチだろう。

 縁談を潰したのは、もし配偶者でも手に入れてしまえば自分の手が届き辛くなるからと考えて間違いないはずだ。まさか()()()()()()()()()()()()なんて可愛らしい理由であの殺人狂が動くとはとても考えられない。

 

 よって今このとき、下手なことをさせずかつ警戒できるのはユージンただ一人だけである。その意味をしっかりと鑑みて覚悟と警戒も新たにジゼルへと接することを決めたのだ。

 

「………………まさか副団長さん、ジゼルに気でもあるんでしょうか。もしそうならお気の毒にとしか言えませんが」

 

 ただし、その考えが全くの勘違いであることには感づいていなかった訳だが。

 おかしな思い違いをされているとは露知らず、ジゼルはのんびりソファに横になるのだった。

 

 ◇

 

 それから数日の間、ユージンは仕事をしつつジゼルの監視に勤めていた。

 とりわけオルガの関わるところには気合を入れる。いつなんどきジゼルが行動を起こすかまるで分からないのだ、いつでも阻止できるように気を張っておくのは当然と言えるだろう。出来るだけオルガと二人きりにさせないよう、また不審な行動をさせないように自然と仕事を振るのは中々に骨が折れるが。

 なにせ彼女、参謀ながら実質的には団長専属の秘書も兼ねているようなポジションである。組織の舵取りや運営を決めるような相談によく呼び出される一方で、団長であるオルガ自体のスケジュールもいつの間にか把握して管理している始末。そのような人物がいるのはありがたいがジゼルとなれば素直に喜べない。

 

 なので事あるごとに両者の話し合いに割り込もうとするユージンはいつしか周囲から生暖かい視線で見られていたのだが、大真面目な本人はそれに気が付かないまま。あくまで副団長として行動を続けていたのである。 

 

「おーいユージン、どうしたんだよそんな怖い顔でよ」

「うっせぇな、気ぃ抜けるから黙ってろ。俺は今忙しいんだ」

「へぇ、のわりにはどこ見てんやら」 

 

 しばし時は流れて、今度は食堂だった。スプーン片手に飯を掻っ込むユージンを揶揄うのはノルバ・シノだが、それに付き合う余裕が今はない。ユージンにとってはまさしく正念場、絶対に見逃すことも聞き逃すことも出来ない大事な場面だった。

 彼の視線の先には、ごくごく当然のようにオルガと話し合うジゼルが居た。彼女はいつも通り非常に辛そうな食事で周囲を引かせているが、対面のオルガはすっかり慣れた様子を見せる。

 

「じゃあそっちの件は片付いたってことで良いんだな?」

「ええ、大丈夫ですよ。むしろ明日の打ち合わせに向けて団長さんに色々と確認してもらいたいこともありますので、そちらを優先してもらえればと」

「分かった、んじゃ後で資料でも見せてくれ。どうせアンタの──」

「ジゼルです」

「──ジゼルの事だから作成済みなんだろ?」

「勿論ですとも。それくらいはちゃんとやりますよ」

 

 などと、まあ事務的ながらも穏やかな会話が聞こえてくる。ユージンからすれば気が気でない状況ゆえに目が離せないが、当のオルガは視線に気づくこともなく普通にジゼルと会話を続けている。それだけ気を許している訳であり、無防備なオルガは当然危ないということだ。

 その証拠に見るがいい、ジゼルは平然と自らが食べている真っ赤な料理をオルガに差し出したではないか。あれがどれだけ辛いかは直接口に入れなくたって理解できる。たぶん食べた瞬間舌が焼けてショック死するような劇毒と見て相違ない。随分と大胆な犯行には舌を巻くが、それも副団長の目を逃れたらの話だった。

 

「おい、何やってんだ!」

「おう、どーしたユージン?」

「なんですか、副団長さん?」

 

 声を荒げて乱入すればさっそく胡乱気な視線が向けられる。その息の合った調子にどことなく押されつつ、彼は副団長としての仕事を真っ当してみせた。

 

「あ、それはジゼルの食べ物ですから勝手に取らないでください、ぶち殺──こほん、ぶち転がしますよ?」

「いやいや、お前なんつーもんオルガに食わせようとしてんだ。こんな劇物食わせたらオルガがひっくり返って死ぬだろ、それくらい理解できんだろ」

「そんなこと言われましても、ジゼルは善意で勧めただけなのですが」

 

 微妙にしょんぼりしているらしい姿に罪悪感を覚えないこともないが、それよりも彼女の企みを打ち砕く方が先である。

 そう意気込んでいたユージンであるが、「まったく」と溜息をついたオルガによってそれも止められてしまう。

 

「事情はよく分らんが落ちつけ。つか冷静になれ、いくらなんでも辛いもん食ったくらいで死ぬ訳がないだろ。どうしたんだマジで?」

「え、あ、いやその……悪い、ちょっと興奮しすぎたわ」

「ったく、らしくねぇぞユージン……まあ俺もアレを食べる気はさすがにないけどな」

「そんなー、美味しいですよー」

 

 ジゼルが適当な調子でぼやいた。いつの間にかユージンの手から皿を取り返しているがそれはまあ良いだろう。

 ひとまず警戒しすぎて色んな物事に過剰になっているのは確かだし、オルガもあの劇物料理に手を出す気がないなら問題はないはず。そう納得して一言「すまんかった」と呟いてから席へと戻った。向かいのシノからの視線が気まずい。

 

「おう、どうしたどうした? 早とちりかなんかでもしたのか?」

「早とちりな訳あるかよ。アイツは間違いなくオルガのこと……いや、何でもねぇよ」

「あー……そういうことか。最近の行動と含めてお前の言いたいことはだいたい分かったぜ」

 

 いったい今の一言だけでシノは何を察したのだろうか。どうせ碌でもない勘違いな気もするが、それを放っておくのもどうかと感じて続きを促す。

 

「つまりだユージン、お前はたぶんオルガの奴に嫉妬してるんだ。それで考えが浅くなってるんだ、俺には分かるぜ」

「はぁ!? なんだよ酒でも入って頭回ってないのか?」

「いいや、大真面目だっつーの。つまりアレだろ──」

 

 そこでシノはグイっと身を乗り出しこっそりと囁く。

 

「好きな相手が振り向いてくれなくて自棄っぱちになってる奴だ。見るからにオルガのこと意識してる感じだもんなぁ、参謀さんはよ」

「……は? え、意識してる? 誰が、誰を?」

「んなこた見れば分かるだろうが……ってユージン、まさか早とちりしてた方向って」

 

 ここでシノが信じられないような奴を見る目をした。いっそ憐れんでるようにすら思える。

 いたたまれないその態度に、ユージンは咄嗟に思考を巡らせる。誰が、誰を。そんなの話の文脈からして分かり切っている。ジゼルが、オルガをだ。それ以外にはありえない。

 まさかとは思うがもしかしてこれは勘違いしていたのだろうか、などと今更ながらに思い至る。つまりアレだ、彼女の態度は本当に裏表なく──

 

「いや、いやいや、そんなのってあるか……!? ぶっちゃけ俺は信じられないぞ?」

「だからお前は彼女が出来ないんだろ。ありゃどー見てもそっちの意図があるぜ、どう解釈したら間違えるんだよ」

「お前だって彼女出来たこそねぇ癖に何言ってんだ。いやでも、マジか……マジか……」

 

 俄かには信じがたいがつまりそういうことなのだろう。そうやって考えてみるとこれまでの言動も別の意味が見えてくるというか、どうにも合点がいく。自らの考えた陰謀論より余程それらしい感じすらしてくる始末だ。

 

 だけどつまり、そうなると。二人きりになるのを阻止したりと動いてきたユージンの行動とは、他者にとっては全てが別の意味に取られているという訳で。

 

「俺の頑張りは何だったんだよおい……これじゃ完全に横恋慕する勘違い男じゃんかよ」

「元気出せよ、たまにはそういうこともあるだろ。なんというか、お前らしいぜ?」

「そんな風に褒められても嬉しくないわ! つかもっと惨めになるから止めてくれ……止めろ……」

 

 傍から見た自分がどのような行動をしていたのか、シノに言われずとも今や手に取るように分かる。あまりに恐ろしい考えに身体が震えてくる始末だ。間違いなくとんでもない勘違いをされている。

 正直どう釈明したものかと考えてみて──乾いた笑いしか出てこないから、ひとまずユージンは考えることを止めた。一応は善意の行動だったはずなのにこうも裏目に出るなんて、世の中はなんと残酷なのだろう。

 

「なんだかなぁ……もうやってられないぜ」

 

 これで社会的な立場すら殺されたら、さすがに洒落にもならないと感じるユージンだった。

 

 ◇

 

「副団長さん、どうしたんでしょうかね?」

「さぁな。まあ俺たちが首突っ込んでもしょうがないことだろうし、そっとしておいてやろうぜ」

「そうですね…………もしジゼルが義なく仁なく暴れまわるなら、間違いなく殺してましたけど」

「ん? なんか言ったか?」

「いえ、別に。たまにはフェニクスにも乗ってあげないと臍を曲げられそうだなーと。最近は誰かを殺したりなんてしてませんから」

「不満だったか?」

「いえ、そんなことは。だってジゼルは、こうしているだけで──」

 

 ──とっても幸せですからね。




知らぬは本人ばかりなり。


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#53 新たなる角笛

久々の番外編です。
今回は全4話予定、出来るだけ早めに終わらせる予定ですがのんびりお待ちください。
それから、ありがたいことに本作で登場するオリジナル機体のフェニクスの支援絵を頂いたので後書きの方で紹介させていただきます。苦手な方はご注意ください。


 ギャラルホルンにおいて期待のエースとされたジュリエッタ・ジュリスという女性が、どうして貪欲なまでに力を求めレギンレイズ・ジュリアへの搭乗を決めたのか。ただでさえ実戦データが足りない新鋭機の、しかも操作性もピーキーなものである。彼女ほどの実力者をいきなり乗せるには対価が釣り合っていないのは明白ながら、何故と聞かれれば答えは一つしかなかった。

 すなわち、『鏖殺の不死鳥に勝ちたかった』という一点のみ。火星の採掘プラントで手痛い敗北を喫し、自分にとって唯一絶対たるラスタル・エリオンの顔に泥を塗るような真似をしてしまったのだ。結果としてこれが最後にはラスタルの勝利にも繋がったから良いものの……もしこの件が切っ掛けで彼の立場が本当に失墜していたら、おそらく彼女は死んでも死にきれなかったことだろう。

 

 だからこそ、いっそ強欲なまでに新しい力を求めた。もし次に鏖殺の不死鳥(フェニクスフルース)と交戦するなら必ず勝ってみせるし、万が一にもあんな狂人が敬愛するラスタルに牙を剥くことがあってはならない。戦士の意地と予防線の二つの意味で彼女は力を求め、そして見事に暴れ馬たるレギンレイズ・ジュリアすら乗りこなしてみせたのだが──

 

 結局は先の”ギャラルホルン戦役”で不死鳥と矛を交えることなどついぞなく、拍子抜けするほどアッサリ味方のままで終わってしまったのである。

 

 ◇

 

「どうしたジュリエッタ、珍しく考え事か?」

「あっ、いえ!? なんでもありません!」

 

 慌てて返答したジュリエッタに対し、髭の偉丈夫──ラスタル・エリオンは含み笑いで返した。すぐに彼女は動揺を隠して咳払いをしたものの、きっとこの男には全てお見通しなことだろう。この男の放つ風格にはそれだけのものがある。

 

 ここはギャラルホルンが保有する海上のメガフロート、ヴィーンゴールヴの一室だった。

 かつては世界の腐敗の象徴とも揶揄されたギャラルホルンであるが、今では改革派筆頭だったマクギリス・ファリドとその一派の手によりかつてのあるべき姿、世界の平和を維持する巨大な治安維持組織としての在り方が戻り始めている。家柄に関係なく実力によって地位が決まる、穏やかな実力主義組織の在り方はトップのマクギリスとラスタル、そしてその友であるガエリオの影響を如実に受けているだろう。

 なのでラスタルは当然ながら多忙を極めるはずなのだが、あくまでも自然体で振舞っていた。ジュリエッタと話す今も余裕たっぷりな様子だ。

 

「くくっ、そう誤魔化すな。大方、今度の任務の件を考えていたのだろう? あの話をお前に運んできたのは他ならぬ私だからな」

「それは……確かに、意外ではありましたが。ラスタル様の命となればこのジュリエッタ、必ずや遂行する所存です」

「そう気負うな、今後のギャラルホルンをより良くするのはお前たち若者なのだから。いずれ私が一線を引いた後の働きも期待しているのだぞ?」

 

 昔はセブンスターズとして強大な権力を誇っていたエリオン家であるが、今はあくまでラスタル単独での権力しか持ち得ない。だがそれで良いのだ、ただ家柄が良いというだけで優遇され、甘い蜜を啜ってしまえば待っているのは堕落だけ。どちらかといえば保守的な思想を持つラスタルといえど、そんな風習まで守ろうとは思わない。

 優れた者、正しい者はどうか肯定されて欲しいし、真逆にただ家柄だけで地位にしがみつく無能が過剰に評価されるのもおかしな話だ。程度の差はあれどこの点でラスタルとマクギリスは同じ想いを抱いていたから、共に手を組むことが出来たのである。

 

 その点で言えばジュリエッタ・ジュリスやマクギリス・ファリドは最たるものと言えるだろう。どちらも出身はあくまで不遇ながら、自身の才覚を頼りにギャラルホルンで登り詰めることを可能としたのだ。確かに時の運は絡んだにせよ、これを嘘とは誰にも呼べるまい。

 だからラスタルにとって今のギャラルホルンの在り方こそ好ましい。どんな人間であろうとも能力を活かす機会さえあれば見合った地位へと昇ることは不可能ではないのだ。健全な組織の在り方とはこういうものだろうし、実例がトップに座っているとなれば他の者たちも目標としてより努力しようとする。かつての様な腐敗が起きない土壌は着々と出来上がっていた。

 

 今はまだマクギリスとて成長途上だからこうしてラスタルも手を貸しているが、いずれ彼が真の意味で成熟すればそのような事も無くなるだろう。憂いなく表舞台から消えたその時こそ旧態依然のギャラルホルンが終わる時なのだ。

 そしてこれは何もギャラルホルンだけに限った話ではない。他にも既にその芽は出始めていて、現在ジュリエッタと話している内容にも大きく関わってくるのだ。

 

「だからその為にも、鉄華団との共同は必要不可欠だ。世間はどこも彼らに注目しているからな、我々もまたその為のアピールは欠かせない」

「鉄華団と共同で海底に存在する厄祭戦の遺物を調査、それが今回の任務ですものね……」

 

 そう、つまりはここに行きつくのだ。

 仮にも巨大な治安維持組織であるギャラルホルンが高々一企業如きを気にする必要など普通はない。ないのだが、しかし、鉄華団だけは話が違ってくる。彼らはかつてギャラルホルンに一泡吹かせた実績を持ち、かのギャラルホルン戦役ですらマクギリス側の陣営に立って強大な力を振るった組織である。もはや一企業の持つ武力の桁を超えているし、もし彼らが暴れようものならどんな陣営だろうと大火傷は免れない。

 そんな彼らもまた始まりは不遇であり、底辺からのし上がった組織である。あらゆる不条理を跳ね返し、戦い、最後には自らの名誉と居場所を勝ち取って見せたのだ。昨今では火星のクーデリアを中心にヒューマンデブリ根絶の気運も高まっており、ますます鉄華団も精力的に活動してはヒューマンデブリを無くそうと働きかけていた。

 

 今や第二の鉄華団(成り上がり)を目指して地位や不遇に束縛されていた者たちが立ち上がり、自分たちの糧を得るべく動き出している時代だ。これは良く言えば誰もが自由と尊厳を得るための第一歩であり、悪く言えば夢破れてより悲惨な末路を辿る者や熾烈な企業闘争すら始まってしまうことを示唆している。

 故にP.D.328年の現在、四大経済圏から月コロニー周辺、しいては圏外圏まで含めた激動の時代に突入しており、だからこそ先駆者の鉄華団と監視者たるギャラルホルンは密に連携を取る必要があったのだ。

 

 先にジュリエッタが口にした内容も、つまりギャラルホルンと鉄華団が互いに手を取り合ってることのアピールにも繋がる訳で。自由を目指すのは結構だが、せめて節度を守れと暗に示しているのだ。現に今の鉄華団はあくまでギャラルホルンの敷いたルール、平たく言えば周辺を混乱させたり食い物にしないようなマナーをしっかり弁えている。

 一方で、『これはあくまで一企業との癒着である』と弾劾されればその通りでもあるのだが、今の世論でそれを声高に叫んだところで労力に見合わない。前提としてその事実を知ったところで、困る人間がまず誰もいないのだから。群衆とは自分たちに関係のない出来事にはとことん無関心であるのが世の常だ。

 そうはいっても納得しきれないところもあるのが彼女の本音だった。

 

「……忌憚なく言わせてもらいますが、今回の件で鉄華団の手を借りる必要はあるのですか? その、海底から見つかったというエイハブ・リアクターの反応が本当にMAなら大問題ですが……」

「さて、どうだろうな。今の時点では何とも言えぬが、これまでの経緯を踏まえながら我々がMAを警戒しないのもおかしな話だろう」

 

 ──ことの切っ掛けは一ヶ月ほど前、とある新興企業の調査船が太平洋上で消息を絶った日まで遡る。

 

 なんでもその新興企業は自分たちも鉄華団の様にガンダム・フレームを見つけるか、あるいは手つかずのエイハブ・リアクターを見つけて一儲けしたいと考えたらしい。そのために調査船を用いて厄祭戦の影響も色濃く残る地球の海へと繰り出し、あわよくば引き上げようとする試みたのである。

 とはいえ地球の海はとっくの昔にギャラルホルンが検分済み、厄祭戦によって海中へと沈んだMSやMAの残骸などは全て回収されていたはずなのだが……何事にも例外は存在するらしい。

 調査船が太平洋へと出た数日後、まったく別の船が沖合でこの調査船の()()を発見することになる。

 岩礁に乗り上げた調査船は半ばから真っ二つになっていて、その断面部はまるで熱量で焼き切られたかのようになっていたという。当然ながら生存者は発見出来ず。一攫千金を夢見た者たちのあまりに儚い末路だった。

 

 海上のど真ん中で船が二つに焼き切られるなど明らかに尋常ではない。さすがにこの異常性を察した者が然るべきところへと報告し、そこから流れに流れてギャラルホルンの下まで辿り着いたのである。

 

「……そしてギャラルホルンによる改めての調査の結果、不自然なエイハブ・リアクター反応が発見されたという訳だ。かつてMAにはビーム兵器が搭載されていた以上、これを疑うのは当然の話だな」

「ですが、それならどうして今も海中に潜んでいるのでしょうか? もし本当にかのMAだというのなら、火星のように人を殺すべく活動を開始しているはずですが」

「分からぬ。スラスターの類が壊れて移動できないだけなのか、あるいは何かAIに仕込まれた理由があるのか。どちらにせよ下手に近づいて刺激する訳にもいかないのだ、本当にMAならば万が一にも危険は冒せないからな」

 

 普通の海上艦を近づけてしまえば例のビームで撃沈される可能性があるし、かといってビームを弾けるMSを近づけて本格起動させてしまえば目も当てられない。それでかつてはイオク・クジャンも失敗したのだ、あの教訓はジュリエッタもラスタルも身に染みていた。

 よってMAだという確証を得ることも出来ず、さりとてリスクも冒せず。どうにもならないまま時間だけが過ぎたところで、ついにしびれを切らしたラスタルが鉄華団へと話を持ち寄ったのである。

 

「あの殺戮兵器を前にすれば、数だけでは到底足りぬし犠牲者も甚大だろう。となれば、強大な個人を持つ鉄華団に頼むしかあるまいて」

「つまり、鉄華団の悪魔(バルバトス)鏖殺の不死鳥(フェニクス)の力を当てにするということですね」

「お前もだ、ジュリエッタよ。それに、さすがにナベリウスやキマリスを駆り出す訳にはいかんからな。万が一にも彼らが討ち死にすれば取り返しのつかない惨事だ」

 

 暗に「お前や鉄華団なら死亡してもまだマシ」と言っているようなものだが、それを含めてのラスタル・エリオンである。単に清廉潔白な態度だけで政界を生き抜けるはずもなし、優先事項はどうしようもなく存在するのだからジュリエッタとしても文句はない。時としてこの男が非道とも取れる手段に訴えることもよく知っていた。

 ともあれ事態はまだ始まったばかりであり、同時に全貌すら明らかにされていないのだ。何事もなければそれで良し、仮に未発見のMAが起動したならこれを鎮圧する。やることは非常にシンプルだ。

 

「どのような真実があるにせよ、このまま海上の一部が封鎖されたままでは治安維持組織の名折れだろう。もしもの時には期待しているぞ、ジュリエッタ」

「はい! お任せを、ラスタル様!」

 

 歯切れよく返答したジュリエッタにラスタルは真剣な眼差しを向けた。

 

「鉄華団……いや、特に鏖殺の不死鳥にお前が拘っていることは知っているつもりだ。しかし、軍人としての本分を忘れてはならないぞ。この前のようにそつなく手を組め、いいな?」

「……はい!」

 

 今度は少しだけ歯切れの悪い返答に、ラスタルは小さく溜息を吐いたのだった。

 

 ◇

 

『それはまた、あのラスタルも随分と困っているようだな』

「あまり笑ってくれるな。私としてもどうしたものかと考えているところさ」

『なるほど、それは失礼した。しかしかつての私にも似ているようで少々面映ゆいものもあってな』

 

 そう言って通話の相手、現ギャラルホルンのトップに君臨するマクギリス・ファリドは薄く笑ったのだ。

 既にジュリエッタは退出した後だった。マクギリスから事務連絡を受けて互いに報告などを纏め、息抜きとばかりに先の話を語ってみれば返答はこの始末だ。改めてラスタルの口から深い溜息が漏れてしまったのも無理はない。

 

「教え導く、というのが私にはどうも向いていないように思えてならん。孤児だったジュリエッタに戦闘のイロハを教えたのも()()()の方だからな。それでも慕ってくれているのはありがたいが……権謀術数の沼に長く浸かりすぎたか」

『それでも、かつてガエリオを導いたのはあなただろう。そのことは誇っても良いのでは?』

「お前が言うか、マクギリス」

『私だから言うのさ、ラスタル』

 

 ラスタルの痛烈な皮肉に対し、マクギリスもまた皮肉気な笑みで答えてみせた。

 かつてはそのせいで敵となっていたガエリオ・ボードウィンに出し抜かれ熾烈な争いをするに至ったのだが、今ではむしろ感謝しているくらいだ。そのおかげで、ようやく大切なものに気が付くことが出来たのだから。

 なのでこれは遠回しなマクギリスからの謝意でもあり、これに気が付かぬラスタルでもないのだが両者ともに敢えて触れることはない。そうやって馴れ合う程の仲でもないと互いに自制している故に。

 

『話を戻すが、強大な力が欲しいという願望は誰だって大なり小なり持つだろう。通常ならば男の方がそういった思考に陥りやすいが、彼女程のパイロットならばむしろ納得だよ。功を焦っている、と言い換えても良いかもしれないな』

「……どこぞの誰かを彷彿とさせるな。参考までに聞きたいが、お前はいったいどうして変わった? 手を組んでから今日まで、その切っ掛けを聞いたことが無かった」

 

 かつて幼少期のマクギリスを見た時、その瞳の奥に映った野心とも言うべき光をラスタルは警戒した。いずれこの少年こそ自分の前に立ち塞がる敵になるだろうと予見し、事実そのようになりかけたのである。

 だが現実はそうならなかった。いかなる運命の悪戯だろうか、マクギリスはどこかを境に自分の考え方を改めたのだ。腐敗したギャラルホルンに改革をもたらし、古き良き実力主義の組織へと立ち戻す理念こそ同じだが、そこに付随していた捩子くれた衝動がサッパリ変わっていた。

 歯に衣着せず例えるなら、青少年が夢から覚めて現実を見据えたように。ラスタルからすればそれくらい彼の内面は変化していたのだ。

 

『……かつての私は、英雄というものに憧れていた』

「だろうな。バエルが欲しいといった時のお前の顔は忘れられそうもない」

『力ですべてを解決してみせたアグニカ・カイエルに憧れたのさ。彼のようにバエルを自在に操り、堕落したギャラルホルンを改革し、頂点に立つことさえ叶えば──このやり場のない怒りも消え、真に自らの居場所を手に入れることが出来ると信じていた』

 

 生まれは劣等であり、日々の糧を得るために強盗殺人を犯すことも茶飯事だった。

 その中で才覚を前当主のイズナリオ・ファリドに見込まれたのはまだ幸運だったが、それ以降すら幸福とは言い難い人生を送ってきた。

 つまるところマクギリスのルーツは鉄華団の大部分と同じ孤児たち(オルフェンズ)の一人であり、故にこそ歪な形で英雄への憧憬を募らせてしまったのである。これはラスタルもまた分かっていたところだ。

 

『だが、ある日言われてしまってな。『アグニカ・カイエルという古い象徴に頼らずとも、今のマクギリス・ファリドは己の手で道を切り拓いたのではないのか? 改革のためにバエルを用いてしまっては、結局腐ったギャラルホルンの枠組みの中から抜け出せないままではないのか?』──とな。それで目が覚めた。今の私はバエルに頼らずとも、自らの手でこの組織に革命を齎すことが可能なのだと』

「確かに道理だろうが……よくもまあ、あれ程までに己が理想へ執着していたお前が改めたものだ。いや、その人物とはもしや──」

『かつてのアグニカ・カイエルの懐刀にして、現鉄華団所属の鏖殺の不死鳥ことジゼル・アルムフェルトだよ。彼女ほど厄祭戦の英雄を知る者も今や存在せず、また手前味噌だが認められてしまえば是非もない。誤魔化すことなど不可能だったさ』

「やはり彼女か……これは困った、ジュリエッタが強さに拘っている理由もまさにそれが原因でな。どうやらお前の意見は参考になりそうにない」

『それは失礼した』

 

 含み笑いで返すマクギリスはどこか楽しそうにも見えた。いや、実際楽しいのは間違いないのだろう。例えどのように思想が変化、成長しようとも、憧れた英雄を奉じる心自体に嘘は微塵もないのだから。

 ともかく、同じように力に執着していたマクギリスの変わった理由は今回使えそうにない。あくまで彼の得た答えは彼だけのものであり、一事が万事全てに通じる訳でもないという当たり前の話だった。

 

「ジュリエッタがさらに一皮剥けて成長してくれれば、後進と併せていっそうギャラルホルンも安泰なのだがな。いつまでも民間企業を戦力のアテにしては治安維持組織の名が廃る。バックのテイワズにも弱みを晒したままだ」

『幸い、テイワズのご老体は圏外圏の方にご執心なものの、このままでは面子も何もないからな。いっそ今からでも私とガエリオが鉄華団の代わりに調査に向かうか?』

「それこそまさかだ。お前を出して万が一にもでもなってみろ、私が過労死する羽目になる。本来組織のトップが最高戦力などという事態は避けるべきなのだがな……いや、これはお前を責めても仕方ないな」

『そのためにも今後を長い目で見据え、新たにギャラルホルンを支える者たちを育成する必要がある訳だ。どうあれラスタルと私の間で意見は一致しているさ』

 

 アグニカ・カイエルは実際に組織のトップに立ちながら、最前線で活躍をしたがな──そんな呟きは聞こえない振りをしたラスタルであった。

 そしてかの厄祭戦の英雄と鏖殺の不死鳥といえばだ。実は前々からラスタルの中でも一つ疑問点があったのだ。ちょうど良い機会だから聞いてみるのも悪くない。

 

「ああ、そういえば。個人的に一つ気になっていたことがあるのだが、質問しても構わないかな?」

『これは珍しいな……構わない、答えられることなら答えてみよう』

「感謝する。質問というのは他でもない、かの人類最悪の殺人鬼はどうして──」




支援絵の方ですが、こちらの方で掲載させていただきます。
前書きで紹介したように本作で登場するASW-G-37 GUNDAM・PHOENIXの支援絵です。とても細かく書いてくださり本当に感謝が尽きません。この場を借りてお礼&紹介をさせていただきます。

【挿絵表示】


【挿絵表示】


それから、他にもジゼルの支援絵をいくつか貰いましたので、活動報告の方に掲載しております。興味のある方はそちらもご覧いただければと思います。


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#54 互いの目指す先

先日から続く2話目です。


「──そういやずっと気になってたんだがよ、どうしてジゼルは火星くんだりなんぞで冷凍されてたんだ?」

「藪から棒になんですか? ジゼルは今食事で忙しいのですが」

 

 場所はイサリビの食堂であった。たった二人の男女しかいないガランとした空間で、普段と違い気を緩めた様子のオルガとジゼルが席を挟んで座り合っている。ただし食べているのはジゼルだけ。

 モグモグと口を動かし抗議するジゼルだが、マイペースな彼女に合わせていてはいつまで経っても話が進まない。それをオルガはよく弁えているから、相変わらず胃に悪そうな激辛料理から目を背けつつ勝手に話を続けた。なんだかんだこの参謀殿は話を聞いてはいるのだ。気分で答えない時もあるだけで。

 

「普通に考えたら辺境の火星なんかじゃなく、ギャラルホルンのお膝元な地球の方がよっぽど良いだろ。なのに、なんでまた火星の地面に埋まってたのか不思議でよ」

「なんでと言われると……むぐっ、どうしてでしょうね? あと団長さん、ジゼルを冬眠生物みたいに言わないでください」

 

 別に寝る前に脂肪を蓄えたりなんてしてませんよ、などとジゼルはむすっと答えた。なのだが頬を膨らませたその表情は余計に餌を蓄える小動物のようでもあり、思わずオルガは笑ってしまうのだった。

 ただ、本当に昔から気になってはいたのだ。フェニクス共々冷凍睡眠(コールドスリープ)により三百年前から現代に蘇った鏖殺の不死鳥(ジゼル・アルムフェルト)であるが、何故火星の大地をわざわざベッドに選んだのか。ギャラルホルンの前身ことジェリコの本部は当然地球にあったのだろうから、生まれ故郷でもあるそっちで長い眠りにつく方が自然だろう。奇妙な齟齬に違和感を覚えるのも無理はない。

 

「実は、ジゼルも気になってたのです。地球の医療施設でのんびり冷凍保存されたはずなのに、どうして火星にいたのでしょうかね?」

「は? まさかアンタも──」

「ジゼルの名前はジゼルですよ、団長さん」

「……まさかジゼルも、気が付いたら火星に運ばれてたとか言うんじゃないだろうな?」

「その通り、お見事です。まあ少しは驚きましたけど、人を殺すのに不都合する訳でもないですから良いかなと」

「おいおい……」

 

 相変わらず自分のことに無頓着な態度にオルガは思わず頭を抱えてしまった。細かいことにあまり執着しないのはジゼルらしいが、それにも限度はあるだろうに。マイペースここに極まれりだ。

 だが思い返せば目覚めたら三百年が経過していたことにもあまり驚かなかった女である、今更地球と火星の違いくらいで動揺などしないのも納得は出来るか。

 

「それじゃどっかの誰かが勝手にジゼルを火星に送り付けたってことか。そりゃ火星の方もいい迷惑だったろうな」

「いきなり人類最悪の殺人鬼が送り付けられる訳ですからね。我が事ながらとんでもないなーと思います」

「だけど俺にとっちゃいい迷惑どころか大助かりだ。ならそれで構わないだろうさ、むしろその誰かさんに『ジゼルを火星に送り付けてありがとよ』って言ってやりたいくらいさ」

 

 もしも、この人類の中で最強最悪の殺人鬼が居なければ。今の鉄華団は無かったかもしれない。

 ほんの少しの掛け違いが大きくその後に影響することが”バタフライエフェクト”と呼ばれることをオルガは学んでいた。そして肝心要でジゼルが冷静な意見を出したり、成果を齎してくれたことも知っているつもりだ。例えそれが彼女の褒められない趣味──どうしようもない殺人嗜好のついでだとしても一向に構わない。

 

 などという想いを籠めて口に出せば、ジゼルはニヤリと皮肉気に笑った。表情の乏しい彼女にしては珍しい。

 

「きっとジゼルを火星に送り付けた人は厄介払いのつもりだったのでしょうが、アテが外れてしまいましたね。こんなところに一人だけ、ジゼルを歓迎してくれる奇特な方がいたのですから」

「たぶん鉄華団(うち)以上に良い条件を出す奴なんざいないだろうから、どうか引き抜かれてくれんなよ?」

「さて、どうでしょう? もしかしたら当初の偽装経歴(プロフィール)にならってテイワズに呼ばれるかも」

「そういや昔はそんな設定にしてたな……覚えてる奴いるのか? 俺はすっかりなぁなぁになって忘れちまってた」

「ジゼルもですよ」

 

 いつの間にか、随分とジゼルも鉄華団に馴染んでいたものだ。今でもまだ警戒したり、性格や出自を不思議がったりしてる者は当然存在しているが、それも徐々に気にされることが無くなってるのが現状である。ある種のマイペースでズレた性格と仕事への有能さで上手く誤魔化せているというべきか。

 

「どちらにせよ、ジゼルはここが居心地良いので去ったりはしませんよ。ここに居れば、誰かを殺したくなる気持ちも我慢できますから」

「そりゃいいぜ。人様のためにも俺たちのためにも、末永くご贔屓にってところだな」

「はい」

 

 今度は柔らかく微笑んでみせたジゼルだった。本当に、今日の彼女は珍しく表情がよく変わる。

 何か嬉しい事でもあったのかと聞いてみたくなったオルガであるが、そこはひとまず我慢して真面目な話へとシフトした。ようやくジゼルの食事も終わったので、今度は雑談ではなく真面目な話である。口元についた血のように赤いチリソースを布で拭ってやりながら本題へと入った。

 

「むぐ、ありがとうございます……」

「別に良いさ。それで、単刀直入に訊くが──地球にまだMAが残ってる可能性なんざあるのか?」

 

 そもそもどうしてイサリビに乗っているのかといえば、ギャラルホルンから連絡を受けて火星から地球に向かっている途中な訳であり。既にあらかたの状況説明と連絡を受けた理由は聞いていたのだが、どうにも腑に落ちない点があった。

 すなわち、厄祭戦で破壊されたはずのMAが、火星の地下どころか地球の海底に沈んでいる可能性である。かの激戦の時代を生きた張本人が眼前に居るのだ、意見を聞かない手は無いだろう。

 

「普通ならありえない、とは団長さんも分かっている事でしょうね」

 

 ちょうど拭われた辺りに指を這わせながらジゼルが答えた。

 オルガが頷いたのを見てさらに話を続ける。

 

「二年前、鉄華団の預かった採掘プラントからMAが掘り出されてしまったのは、そもそもあの周辺一帯のハーフメタルに原因があります。特殊な金属によりエイハブ・ウェーブの固有周波数は探知できず、そのせいでかつてのジェリコも休眠状態のMAを見逃してしまった。ここまでは構わないですよね?」

「ああ。だが地球ではそんな金属あるはずないとくれば、これまでギャラルホルンも発見できなかった道理が立たねぇ。なにかMA以外でビーム兵器を搭載した奴はあったのか?」

「……全く無かった、とは言えませんね。ビームは効率的に人を殺せる武器です。人と国と機械が殺し合ったあの時代、MAだけでなく国家間の争いですら使われた記録はありますし。本当にいい迷惑ですよ」

 

 勝手に大量虐殺されてはジゼルの取り分が減りますからね──そんな心の声が聞こえた気がした。

 

「ですが船を両断するほどの熱量ともなれば、もうMAに搭載されたもの以外にありえないでしょう。第一水中というビームの拡散しやすい環境を抜けてきているのです、それだけの無茶を通すにはエイハブ・リアクターのエネルギー供給が必要不可欠でしょう」

「なるほどな……ビームの拡散云々はよく分からないから置いとくにしても、今回の一件にMAが関わっている可能性は十分にある訳だ」

「おかしな話ではありますがね。ギャラルホルンもそれを承知しているからこそ、強大な個人を有する鉄華団に話を持ち出したのでしょうし」

「あんな化け物じみた奴が相手となればな……いくら数を揃えても蹴散らされるのがオチってやつか」

 

 火星で暴れたMAも、ギャラルホルン戦役で姿を見せた”対MA用”のMAも、どちらも常軌を逸した性能を誇っていたのだ。万が一にもそんなのが地球で暴れ出せば大変なことになる。警戒する気持ちは大いに理解できた。

 

「とはいえ、いつまでも俺たちをアテにしないでくれって話だがな。世界のトップと懇意でいられるのはありがてぇが、行き過ぎりゃそれも毒だ。この前も兄貴に釘を刺されたばかりなのによ」

「まあ名瀬さんだけでなく、向こうのマクギリスさんも同感でしょう。おそらく武力的な依頼はこれが最後になると思いますよ?」

「だったら良いがな。せっかく戦いとは無縁な仕事も軌道に乗って来てんだ、これでまた傭兵みたく扱われ出したら冗談にもならねぇぞ」

 

 ハーフメタルの採掘やタービンズとはまた別口での輸送業に加え、アーブラウでの軍事顧問に三日月たちが主体で行っている農園も今では順調に成果を挙げている。保有するガンダム・フレームやその他MS(モビルスーツ)たちもいまではすっかり重機のような扱いだ。有り体に言って、今の鉄華団は平和そのものだった。

 

「……ま、それが本当は難しいことも分かってるつもりだがよ。いつかジゼルに言われて思い知ったさ、今も悩んでるくらいだ」

 

 それでもいつかジゼルが指摘したように、元が少年兵だけに暴力からはどうしても逃れられないのだろう。むしろ完全に牙が抜かれた鉄華団をこれ幸いと潰そうと企む者たちだって存在するはずだ。だから完璧に危険なことから足を洗うなど不可能で……この理想と現実のギャップはどうしても埋めがたく、いつもオルガは悩んでしまう。

 

 ──本当にこれが、俺たちのアガリで良いのかと。

 

 もちろん、これで良いのだ。分かっているが、たまに頭をよぎるのだ。

 

「ったく、世の中難しいことばかりだな。頭使って考えてみても、最善な結論がいつも出てくる訳じゃねぇ。どころかこうして悩んで迷う始末だ、情けない」

「ジゼルが言うのもなんですが、それこそ当たり前の人間ですよ。悩んで、立ち止まって、それでも得た答えだから価値と重みが宿るのです。ジゼルはついぞ悩んだりしたことなんて無かった身ですが──」

 

 それでも、とジゼルは言う。

 揺蕩う金の瞳が、まっすぐオルガを見据えていた。

 

「あなたはジゼルも未来へと連れていってくれるのでしょう? なら、ジゼルはそのお手伝いをしますから。これもいつか告げた通り、あなた一人だけに悩ませたり考えさせはしませんよ」

「敵わないな、まったく。ありがとよ、気が楽になった」

 

 いつだってマイペースな彼女だからこそ、発言は常に一貫して翻らない。

 そんな態度に心底から救われたのだ。もし一人だけでこの悩みに当たっていたらきっとどこかで道を踏み外していたに違いない。理想を追い求めて、断崖の先の花を手に入れようと跳躍して……惨めに地面(げんじつ)へと激突していたことだろう。

 なのでそっと感謝を述べるオルガであるが、だから彼は気が付かない。その感情はそっくりジゼルからも向けられていることに。誰かを殺さずにはいられない鏖殺の不死鳥が、ただの人間として日々を送れていることがどれだけの奇跡なのかということに。

 

 両者ともにこの空気を噛み締めること数秒、先に話を戻したのはジゼルだった。

 

「ただ、三日月さんを連れてこなくて良かったのですか? もし本当にMAが埋まっているなら、彼が居た方がきっと確実だと思いますが……」

 

 実は今回の地球行きにおいて、オルガは敢えて三日月とバルバトスを連れてはこなかったのである。常にオルガの傍に居て、彼のために戦うことを躊躇いもしなかった三日月がこの件に関わらないなど、かつてなら天地がひっくり返ってもあり得ないことだったろう。

 実際、三日月は当然のように同行しようとしたのだが、オルガはそれを引き留めた。

 

「それは確かにその通りだ。けど、いい加減に俺と三日月の関係も見直すべきなんだ。アイツにはいつも……そう、いつもキツイ役目ばかり押し付けちまったからな」

 

 どんな時でも三日月はオルガに命を預け、”ここではない何処か”を目指すべく前に立って人を殺めてきた。その行いにオルガは深く感謝しているし、彼がいなければ絶対に道半ばで倒れていたことも間違いない。

 だが、それでもだ。三日月は常に道を示してくれるオルガに依存していたといえばその通りであり、またオルガも依存を利用して都合よく動かしたと言われれば否定はできない。互いに結んだ友情に嘘はないが、同時にどこか歪なところもあったのだ。

 

「アイツはもう俺なんかのために命を懸けていい人間じゃない。やっと農場を経営する夢を叶えて、アトラや暁も居て、なのにまだ『次は何をすればいい?』なんて言わせちゃいけないんだよ。ここらが潮時だ、俺たちも一度互いを見つめ直す必要があったんだ」

「なるほど。それでこの機会にかこつけて物理的に距離を置いてしまおうと」

「俺たちは昔からずっと一緒にいたからなぁ……キツイことも愉快なことも一緒になって経験してきたが、だからこそ見えなかったものがきっと在ると思うんだ」

 

 お互いを鼓舞し合ってここまで駆け抜けてきた。時には衝突しかけたこともあるし、それ以上に深く頼りにしてきた。これまでの道筋に後悔は微塵もない。

 でも、これから先は独り立ちの頃なのだ。もはやオルガたちは子供ではない。社会に生きる大人として振舞う必要が出るからこそ、いつか訪れる順当な未来が今このときであっただけの話である。

 

「俺はもうこれ以上三日月ばかりに頼れねぇし、出来るなら頼らないで済むのが一番だと思ってる。そしてアイツも、これからは俺に何かを聞かなくてもいいような人間になって欲しいんだ。ちょいとしんどいし寂しい選択だが……まあ何とかなるさ。こんな程度で崩れるほど、俺たちの絆はやわじゃねぇ」

 

 きっと三日月は後ろ髪を引かれ、忸怩たる思いだったろう。もしオルガがいきなり意見を翻して「ついて来てくれ」と一言いえば、二つ返事で一緒に来てくれたはずだ。どんな戦場だろうと躊躇なく飛び込むのは想像に難くない。

 それでも、最後は渋々ながら納得してくれたからにはオルガの意図を汲み取ってくれたと信じたい。彼には彼の夢が、人生があるのだ。鉄華団の悪魔などではなく、ただの人間として平和に過ごしてくれればそれで良い。

 

 力で成り上がった身ではあるが、決して力が全てでない事も知っている。三日月がそれを体現しようと頑張っているのだ、ならば団長として応援したいのが筋ではないか。

 

「立派なものだと思います、どうかあなたはそのまま突き進んでくださいね。ジゼルも期待してますから」

「ありがとよ。ま、それで今回はアンタに負担をかけちまうから世話ねぇけどよ……」

「そこは確かにどうかと思いますが……良いですよ、団長さんがそれだけしっかりと自分の意志で決めたことなら応えましょう。代わりに今度、何かご褒美でもくださいね」

「またかよ。ったく、まあ今回は仕方ねぇか」

 

 今回はオルガも、明らかに自分が我が儘を言っている自覚はあった。ギャラルホルンからの依頼に対して悠長に構えている事への申し訳なさも多少はある。それでもこの決断に踏み切ったのは、ギャラルホルンも矢面に立って手伝えというささやかな意趣返しと、ジゼルのこともまた強く信頼しているからだった。

 

「それにしても団長さん、三日月さんにはそれだけ気を遣うのにジゼルを戦場に出すのは躊躇わないのですね?」

「……お前なぁ、それを聞くのは意地が悪いだろ」

「違うのですか? 鏖殺の不死鳥には戦場こそ相応しいとジゼルも思いますが」

 

 怒っている訳ではなく、むしろ揶揄っているような口調だった。

 当然それを言われるのはオルガも覚悟している。指摘されても仕方ない。

 

「大違いだ。つーかまあ、なんだ……アンタは不死鳥なんだから、何があろうと戻ってくると信じてる。それでも駄目ならまた助けるだけさ、それくらいは団長として当然だ」

「──その気持ちだけ受け取っておきましょう。ただ今回はどう転んでも大人しくしてくださいね。団長さんを危険に晒すのは本意ではないですし、人間が絡むようならそれはジゼルの獲物ですから」

「まったく、アンタまで三日月と同じようなこと言いやがる。そんなに俺は一人だと頼りないのか……?」

「逆ですよ。頼りになるからこそ、あなたが居なくなってしまうのが怖くて堪らないのです。あと、それから」

 

 今度はちょっとだけ怒ったように口を尖らせると、ジゼルは強調するように言った。

 

「改めていいますが、ジゼルの名前はジゼルですよ? 是非とも名前で呼んでくださいな」

「おっと、そりゃ悪かったな」

 

 のんびりとした時間が過ぎていく。だが、こんな時間もそう長くは続かないことだろう。

 あと一日も経てば地球へ降下し、今回ギャラルホルンを騒がせている元凶に対面することになる。

 海底にいったい何が潜んでいるのか。本当に厄祭戦の置き土産なのか。真実を知る者はまだ、誰もいないのだ。




前回の挿絵ですが、より本編での描写に忠実に修正したものを頂いたのでそちらに差し替えさせていただきました。脚部がMAっぽくなってます。


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#55 貫くべき想い

 アーブラウ自治領に存在する鉄華団地球支部の様子は、かつてジゼルが働いていた頃とあまり変わっていなかった。

 

「あ、団長! お久しぶりです!」

「よぉ、タカキ。元気そうで何よりだ」

 

 久しぶりに地球へ降りてきたジゼルとオルガを出迎えてくれたのは、心なしか精悍な顔つきになったタカキ・ウノである。ジゼルの記憶ではこのアーブラウの代表を務める蒔苗氏の事務所で研修を受けていたはずだが、今は鉄華団のジャケットを着て見慣れた姿だ。

 一緒に火星からやって来た他の団員たちは既に荷物を移動させつつ支部の施設へと入っている。何だかんだとまだ少年の多い組織であるから、久々の家族との再会が待ち遠しかったのだろう。この辺りは年相応の微笑ましさだからオルガも全く咎める気はない。 

 なのでジゼルとオルガ、それに案内役として残ってくれたタカキの三人で、地球支部をのんびりと歩いていく。この後は早速ギャラルホルンの者と打ち合わせもあるが、まだ時間の余裕はあった。

 

「こっちの皆の様子はどうだ? お前やチャドは平気だろうけど、他の奴らはちゃんとアーブラウの方と仲良くやってるだろうな?」

「今はだいぶ落ち着いてますね。鉄華団もより有名になりましたし、俺たちも少しは大人になれましたから」

「そうか、なら良かったぜ」

 

 かつては鉄華団(こども)アーブラウ防衛軍(おとな)でいがみ合ったりもしていたが、今の鉄華団は誰も否定できないような実績を携えている。さらに少年たちも時間が経てば身体と共に心も成長するのだから、現在は”大人の対応”を覚えるべく四苦八苦しているとタカキは言う。

 

 ただ、と彼は苦笑いした。

 

「かつての”アレ”が尾を引いているのが一番でしょうけどね。やっぱりこう、インパクトが強すぎたと言いますか……」

 

 言いながらタカキはチラリとジゼルを盗み見た。彼女は素知らぬ顔で周囲を見渡している。

 タカキからすればしばらくぶりにジゼルと会った訳だが、マイペースぶりは何も変わっていないらしい。しかしその裏には、躊躇なく殺人を実行できる恐ろしさが潜んでいることもよく知っている。たとえ彼らが戦場慣れしているといえど、いきなり眼前でアーブラウの者を銃殺した光景は忘れられないことだろう。

 

「だとよ、ジゼル。その辺り張本人としてはどうなんだ?」

「……必要な措置だったと思います。過激な手段なのは認めますが、あの場では一番手っ取り早いやり口でしたので。それに何より、ジゼルの趣味も──むぐっ」

「ま、まあそういう訳だ。俺も無意味な殺しはしたかねぇが、コイツもその辺りの機微は分かってる奴だ。だからそう心配しなくても大丈夫さ」

「はぁ……まあ団長が言うなら」

 

 正直にいえばジゼルの危険性や隠された嗜好などにタカキは察しを付けている。これまでの彼女の行いや発言を鑑みれば、少なくとも戦闘狂以上の存在だとは想像できるところだ。とはいえ、彼女と初めて出会ってからもはや数年も経つ。その間に何も問題を起こしてないとなれば、後は団長であるオルガと本人次第なのだろう。

 なのでことさらにタカキから言う事は何もない。蒔苗の事務所に勤めた経験もあるから敢えて危険な人物を引き込むメリットも理解してるつもりだし、清廉潔白なだけでは前に進めず、理想ばかり掲げても仕方ないと知っていた。

 

 それに、これはあくまでタカキ個人の感想ではあるのだが──この不思議でつかみどころのないジゼルという人物が、決して嫌いではないのだから。

 

 たまにユージンからの愚痴をチャドと一緒に聞かされたりしているし、今回の一件でもこの二人をセットにすることを散々強調されはしたものの、別に今更心配するような事は何も無いと感じているくらいだった。

 むしろ直に会えばまだその程度の関係性なのに驚くくらいだが、それは脇に置いておく。

 

「で、本題だが。先方からの客はもう来てるのか?」

 

 和気藹々とした空気から気を引き締め、オルガが真面目に問うてきた。

 

「はい。少し前に到着したので代表に応接室で待ってもらってます。相手はあのラスタル・エリオンの懐刀とも呼ぶべき存在だとチャドさんが言ってました。名前は確か──」

「ロミオとジュリエット……じゃなくて、ジュリエッタ・ジュリスですね。それはまた、随分な人物を寄越してきたようで」

「ジゼルさん、知っているのですか?」

「前にちょっとだけ因縁がありまして。オルガ団長もご存知のはずですよ」

「MA騒ぎの時のアイツか……あんまし良い思い出はねぇんだがな」

 

 MA関連といえば、タカキは直接知らないが火星の採掘場で掘り出されたMAを鉄華団が対処した際のことだろう。

 その際はギャラルホルンの横槍が入ったりと慮外の事態は起きたものの、無事に事態は収束させたと聞いている。さらに何人かを捕虜に取ったことで大きく状況は変わったらしいが、つまりその時の捕虜に違いない。

 ……そう知ってしまうと途端に複雑な関係性な客人に頭を抱えたくなったタカキである。というより、既に頭を抱えているオルガの真似をしたいくらいだ。唯一平気そうに振舞っているジゼルは火星で矛を交えた張本人だから余計にいたたまれないというか。

 

「まあ、何とかなるだろ。この前の戦いのときもMA相手に三日月たちに協力してくれたらしいしよ……つーかロミオとジュリエットってなんだ?」

「有名な戯曲ですよ、ご存知ありませんか?」

「悪いが知らねぇな。生憎そういうのに触れる機会はなかったもんでよ」

「じゃあ今度教えてあげますよ。悪くない話ですよ」

「そりゃ、楽しみだな」

 

 ──後でアストンとフウカに愚痴を零してもバチは当たらないよね?

 二人のなんて事のない軽口を聞きながら、今度はそっと頭を抱えるタカキだった。

 

 ◇

 

「ギャラルホルン所属、ジュリエッタ・ジュリスです。この度はこちらの要請に応えていただき感謝します」

「別に構わねぇよ……とまでは言わねぇが、相手がMAならな。無視を決め込んでマクギリスの野郎が死んでも寝覚めが悪い」

「ここで死なれても、という感じですね。まあ今のあの人なら自力でMAだろうと撃破してしまいそうですが……」

「業腹ながら同感です。しかしそれでは話にならないから、そちらの協力を依頼したのです」

 

 想像していたよりかは、オルガ達とジュリエッタの会話は穏やかだった。

 既に今回の件について詳細はオルガ達も聞き及んでいる。なのでことさらギャラルホルンの方から人員を地球支部まで寄越す必要は無いはずなのだが、そこは向こうからのせめてもの礼儀なのだろう。だからといってこの人選はどうかとは思うが、随一の実力者なのを考慮すれば決して不思議でもない。

 ともあれ、直に顔を突き合わせての説明はもう少し具体的なイメージをオルガ達に抱かせるには十分だった。

 

「場所は群島近くの海域だと聞いてるが、そこまでの足はギャラルホルンの方で用意してくれるって事で良いんだよな?」

「無論です。そもそも鉄華団の方には海上艦の用意はないと聞いてますし、まさか空から放り投げる訳にもいかないでしょう。当然のことです」

「……確かそれ、二年前にバルバトスで既に実証済みと報告を受けていますが」

「えぇ……? 本当にあなた方は無茶をしますね……」

 

 ガンダム・フレーム含むMSの中でも、推力に重きを置かれている機体は大気圏内でも飛行することは不可能でない。リアクターの出力を回せば理論上は全てのMSで飛行は可能という話もあるくらいだ。

 しかし本当に海上戦をやるよりは艦船なり島なりの足場がある方が当然良い。ジゼルのフェニクスもジュリエッタのレギンレイズ・ジュリアも、地球での飛行は不可能でないがあまり積極的にやろうとも思わない。むしろ火星の空から地上目掛けて一直線にダイブした三日月とバルバトスの方が例外なのだ。

 

 思わぬ話にジュリエッタが困惑したのもつかの間、すぐに咳払いして空気を戻した。

 

「ともかく話のほうですが……そういえば、あの”鉄華団の悪魔”──いえ、失礼、三日月・オーガス氏とガンダム・バルバトスはどうされたのですか? フェニクスの方は搬入されているのを確認しましたが……」

「ミカは連れてきてねぇよ。悪いが今回の件、鉄華団から出せる戦力はジゼルとフェニクスだけだ」

「なっ……! しかしそれではもしもの場合──」

「ジゼルだけでは不足ですか? ですがこの話はそちらから持ち込んできたもの、あくまで民間の一企業でしかない鉄華団の戦力をあまりアテにされても困る話なのですよ」

 

 いつまでもアテにされては筋が通りませんからね、などと淡々とした口調で脅すように言われてしまえばジュリエッタに反論できる余地がない。

 

 事実としてジゼルは強い。厄災戦から蘇った鋼の不死鳥の力を疑う者は誰もいないだろうし、戦力としては屈指のものがある。火星で敗北した彼女としても異論を挟めるはずもないのだ。

 しかも海底に沈んでいるのが『本当にMAだという』確証すらまだ存在しない状況で、組織の最重要人物となるオルガ・イツカとジゼル・アルムフェルトが来てるだけでも鉄華団は十分に義理を果たしているといえよう。

 まあ三日月・オーガスの不在にマクギリスはかなり驚くかもしれないが、そこはジュリエッタの知るところではない。ジゼルの言う事も一理あるのでさらに食い下がる気も無かった。

 

 そのためにも、これはチャンスだった。

 鏖殺の不死鳥の強さを学ぶ……のはジュリエッタもどうかと思うが、一端を盗む良い機会だ。更なる強さを手に入れることが出来れば、これから先のギャラルホルンの役にきっと立てるのだから。いつまでも治安維持組織が外部に頼ってばかりでいられないのは同感である。

 

「出発はおそらく明日になるでしょう。他の方は……いえ、もしもを考えれば連れていかない方が妥当ですか」

「当然だな。あんなMA(怪物)相手に海の上で戦える奴なんざ、阿頼耶識持ちでもそうそういねぇよ。出来ればなんて事のない拍子抜けな結末なのを祈るぜ」

「ジゼルとしても機械相手ではあまり楽しくないですからね……さっさと終わらせて買い物でも行きたいものです」

 

 ただ、やっぱり本音を包み隠さず明かすなら──

 ジュリエッタはどうしても、眼前にいる鏖殺の不死鳥に勝ちたいと願っているのだろう。

 自分の知る誰よりも強い相手を超えてこそ、ようやく本当の意味でギャラルホルンの最強の剣になることが出来るのだから。複雑な感情は当然あるが私情と大義を履き違えるつもりは毛頭ない。

 

「出発はおそらく明日にでもなるかと思いますが、あまり気を抜きすぎないでくださいよ。特にそちらの……」

「ジゼル、で結構ですよ。あまり肩肘張ったあだ名で呼ぶのも疲れるでしょう?」

「ではジゼルさんと。ええ、ともあれ気を引き締めておいてください」 

「ま、コイツはこれが自然体だからな……あんま怒んないでくれ」

 

 ……本当にこれがあの悪辣極まる殺人鬼なのかと、だらんとしてるジゼルを横目に思うのだった。

 

 ◇

 

 それからは特筆するような事態もなく、とんとん拍子に話は進んでいった。

 ジュリエッタが告げたように翌日にはギャラルホルン側からの迎えが地球支部へと来ており、港に停泊した艦へとMSごと案内された後はすぐにアーブラウを出港したのである。

 鉄華団からの人員は団長のオルガ・イツカと、メイン戦力となるジゼルとフェニクスのセット、これに数人の団員がサポートというごく少人数の体制だ。本当なら危険を冒してオルガまで同乗する必要は皆無なのだが、そこはギャラルホルンからの強い希望となれば仕方ない。

 

 曰く、このようなことであるらしい。

 

「鏖殺の不死鳥を制御できる唯一の人物なんて言われてもなぁ……俺はあくまでいつも通りにやってるだけなんだが」

 

 無機質な艦内の廊下でオルガが溜息を吐いたのは、出港してからほんの二日後のことだった。

 

「他人から見た評価なんてそのようなものですよ。自分にとっての当たり前が、外から見ればとても凄いことに見えてしまうのです。ジゼルもそのように扱われてきましたから」

「さすがに殺人を当たり前って言い切るのはどうかと思うがな。ま、ジゼルらしいか」

 

 慣れない船で廊下の壁に寄りかかりながら、思わずオルガは苦笑してしまう。三日月とはまた違った意味で自分を曲げないというか、何処にいても変わらない態度は奇妙な安心感すら覚える始末だ。

 波に揺られる落ち着かない感覚と、ギャラルホルンの見慣れない艦船の内部はどうにも浮足立ってしまう。きっと数少ない鉄華団団員たちも同じ想いだろうから早く様子を見に行ってやりたいのだが、団長であるオルガ自身がどうにもこの調子なのだから仕方ない。かつて一回だけ船に乗って海洋を渡った時は、家族(ビスケット)の喪失により楽しむどころではなかったのだから。

 

「考えてみれば不思議なもんだ。昔に海へ出た時は『ギャラルホルンへやり返せ! ビスケットの弔い合戦だ!』なんて叫んでたのによ……今じゃこうして一緒になって進んでやがる」

「弔い合戦ですか。度々ビスケットという方の名前は聞きますが、そんなに大事な仲間だったのですね」

「そうだな……アイツが居なくなってから、しばらくは俺一人で色んなこと考えて鉄華団を引っ張らなきゃならなかった。もちろん嫌だと思ったことなんざ一度もねぇが……もしそのままずっと一人なら、どっかで道を間違えちまったかもな」

 

 どうしても数年前のことを思い出してしんみりとしてしまう。

 実のところ、オルガがビスケット・グリフォンについてジゼルに語ったことはほとんどない。今はもういない人物のことを語っても仕方ないという気持ちもあったろうし、彼女に話すことで古傷を抉られることを恐れていたかもしれなかった。

 別にジゼルもビスケットのことを訊ねたことは無かった。疑問に思ったことくらいはあるかもしれないが、基本的にマイペースで天然な彼女は細かいことを気にしたことがない。気を遣うなんて殊勝なことをする人物でもないだろう。

 

 だが、それで良いのだ。ズケズケと土足で心に踏み入られるよりかはずっと良い。

 おそらく今のジゼルなら話しても大丈夫だろうが、オルガ自身の心情として語ろうというつもりもないのだから。

 

「世の中は様々な因果が結びついているものですから、()()()()()()()()()宿()()の類はどうしてもあるものです。例えばジゼルがこうしてあなたと出会えたように、とか」

「そういうもんか」

「そういうものです」

 

 ここでの話は、それで終いだった。

 

 ◇

 

「あなたは、”強さ”についてどう思いますか?」

「また藪から棒に突然ですね……」

 

 そんな切り口からジゼルとジュリエッタの会話が始まったのは、あと一日程度で問題の海域へと到着するという頃だった──

 

 厄祭戦を駆けた鏖殺の不死鳥は歳星の工廠にて新たに狂気の不死鳥(フェニクスフルース)へと変貌を遂げたのだが、実のところまだ地上での運用は全くと言ってよいほどされていない。背部に取り付けられたプロペラントタンクは外さないとならず、全身の武装も重力圏ではデッドウェイトと化す可能性がある。武装の要不要をチェックして調整する手間も意外と馬鹿に出来ないのだ。

 なのでコクピットでフェニクスの調整を行っていたジゼルだったが、不意に話しかけられてモニターから顔をあげた。開かれたハッチの先には金髪を揺らし自然体な様子で佇むジュリエッタの姿がある。

 

「そういえば、前にも一度あなたとは強さについて会話を交わしたことがありましたね。あの時の返答では満足出来ませんでしたか?」

「出来てない、とまでは言いませんが……『理由もなくそう生まれたから強い』と言われても納得しかねてしまいます」

「ですが事実だから仕方ないでしょう。人が歩いたり呼吸したりするやり方を、他の人に上手く教えられないのと同じことです。当たり前は”当たり前”だから説明が難しいのがこの世の真理なのですから」

 

 かつてのジゼルなら話はここで終わりだった。本当にただそのように誕生したから強いし、自らの実力について誇ることも悩むことも一度もない。他人から強さについて問われたところで”どうでもいい”としか思えなかったことだろう。

 ただ、と現在のジゼルは続けた。

 

「強さとは、心の在り方によって手に入るものかもしれないとジゼルは思うのです。頑なな感情は時に思いも寄らぬ力を湧き出させるように。愛、友情、信念、決意……それら善の輝きは尊いもので、だからこそ確かな骨子を人に与えてくれます」

「まさか、強くなるために誰かを愛し、大切に想えとあなたは言うのですか?」

「それこそまさかですよ」

 

 かぶりを振ってジゼルは否定した。そのように聞こえてしまうのも否定はしないが、大切なことは別にあるのだ。

 昔、唯一鏖殺の不死鳥を追い詰めた()()()に嫉妬した時のように。戦うために心を強くするのではなく、譲れない一念があるから人は強くなれると思っている。ほんの少し前のジゼルはそのことを一度だって意識したことはなかったが。

 

「強くなるために強い想いを抱くことは矛盾してるでしょう。むしろ強い想いを貫くために、人は強くなれると思うのです。かつてのジゼルはついぞ理解出来なかったですけど、今なら少しは分かる気がします」

「……そう、ですか」

「あなたもきっとそのような想いがあるのでは? なら、ジゼルからは何も言う事はありません。精々自分の想いを貫いて、強さを追い求めてくださいな」

 

 ひらひらと手を振って会話を打ち切ろうとしたジゼルへ、ジュリエッタは食い下がった。

 

「なら、あなたはどんな想いを貫いているのですか? その口ぶりでは何かあると思いますが」

「そうですねー……ジゼルにとって、一つだけ大切なものがありまして。今はそれを失わないために頑張ってます。ある意味ではあなたと同じかもしれませんね」

 

 何の感慨も無さげに結論付けたジゼルは、これで話は終わりとばかりに今度こそモニターの方へと視線を戻した。

 残されたジュリエッタはといえば、一瞬だけ視線を寄越すと諦めて踵を返した。これ以上ここに居ても会話が再開するなどあり得ないと理解したからだ。

 超えるべき相手と敵対することなく、味方のままというのも逆に苦しい話である。どうすればジゼルを超えたことになるのか、それすら分からないままでは悔しさをバネにする段階ですらない。心ばかり逸っているのは否定しようのない事実だ。

 

 それでも、貫く想いの強さでだけは負けたくないと意気込んで、まずは気合を入れ直すジュリエッタだった。




全4話予定でしたが、たぶん次回では終わらなそうです…


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#56 厄祭の不死鳥狩り

 MAと思しきエイハブ・リアクターが観測された海域より、およそ北に十数キロの地点でギャラルホルンの艦船は止まっていた。甲板には既にフェニクスとレギンレイズ・ジュリアの二機が並んでおり、海底調査用の細々とした機械を片手に抱えている。

 火星でのデータから鑑みればもう少し近づいても大丈夫だろうが、MAを相手に楽観的な考えをすれば死ぬしかない。慎重になりすぎて損なことは一つもなく、臆病者と笑い飛ばす者など一人もいないのだ。

 

 久しぶりに白いパイロットスーツを着こみ、フェニクスと阿頼耶識で繋がったジゼルはかなりリラックスしていた。味覚や嗅覚もこの時ばかりは戻っているから、今がチャンスとばかりに容器に入った紅茶を嗜んでいるくらいだ。

 その様子を呆れながら見てるのは艦橋(ブリッジ)に特別に通されたオルガである。鉄華団の責任者として特例で入室を許可されている訳だが、ジゼルを見てると普段のイサリビのように錯覚してしまう。

 

「では最終確認をしますが、今回のジゼルたちの任務は海底のエイハブ・リアクターの調査と、敵性存在ならそれの排除で間違いないですね?」

『ああ。もしMSにも反応せずに何も無ければ万々歳だ、その調査用の機材とやらを投下してデータを送るだけだな。逆に戦闘となれば──』

『私たちが相手取るということですね。そう簡単に後れを取るつもりはありませんが……』

 

 通信に割って入ってきたのはジュリアに搭乗したジュリエッタである。彼女の方はジゼルに比べれば緊張した様子を隠せておらず、モニターに映る表情は曇り気味だ。MAの圧倒的な力を直に知っている者として、本物(MA)だった際の不安がどうしても抜けないのだろう。

 だがそんな調子ではジゼルに勝つなど不可能なのも分かっている。だからすぐにジュリエッタは不敵な笑みを浮かべると、大胆に言ってのけるのだ。

 

『いえ、撤回しましょう。たとえどんな相手だろうと負けはしません。ギャラルホルンの精鋭として恥じることのない戦いを見せますから』

「そうですか、ではジゼルは後方でのんびりしてるので頑張ってください。あまり機械相手は興が乗らないので」

『おいジゼル、あんま冗談はよせ』

「分かってますよ、冗談です」

 

 仲の良い者同士の軽口なのだろうが、部外者なジュリエッタからすれば堪ったものでない。

 

『それで私が撃墜とかされたら、化けて出てやりますからね……!』

「その時は責任をもってもう一度殺し直してあげるので心配しないでください」

『まったく……! ああ言えばこう言う! ジュリエッタ・ジュリス、レギンレイズ・ジュリア、出ます!』

 

 やっぱりこんな相手に負けっぱなしなど性に合わない。

 定刻となり勢いよく発艦しながら、出来ればジゼルの分まで手柄を立ててやろうと思ってしまうジュリエッタだった。

 

「さてと、ぼちぼち時間ですか」

『だな。心配いらないとは思うが、気を付けろよ。ちゃんと帰ってくるんだ』

「そんなに心配しなくとも平気ですよ──では、ジゼル・アルムフェルトです。フェニクスフルース、出ますね」

 

 少し遅れて鏖殺の不死鳥も飛び立ち、今回の調査任務はスタートした。

 

 ◇

 

「さてと、ここが問題の海域ですか……綺麗な場所ですねー」

『何を呑気なことを言ってるんですか。ここには確かにエイハブ・ウェーブが観測できます。奥底に何か潜んでいるのは間違いないでしょうから油断しないでください』

 

 太平洋の一角に位置する海域は一見すれば長閑で美しい光景だった。

 太陽に照らされた透き通るような水。海鳥たちが空を舞い、点在する緑豊かな小島たちは自然の赴くままな姿で残っている。こんな時でもなければどこかの島に降り立ち、いつまでも眺めていたくなる雄大な景色だ。

 だが、エイハブ・リアクターの反応は確かに在る。ジゼルもジュリエッタも既に心構えは出来ていた。あくまでも慎重に近づき、いつ何が起きても良いように覚悟をしながら機体を近づけて──

 

「来ましたか……ッ!」

『これはッ!?』

 

 一際エイハブ・リアクターの反応が大きくなった瞬間、海を切り裂き一条のビームが迸った。

 

 コクピット内に鳴り響く警告(アラート)音。急速に後退するフェニクスとレギンレイズ・ジュリアの眼前を光の奔流が駆け抜け、一拍遅れて膨大な熱量によって発生した水蒸気がもうもうと周辺に立ち込める。とてつもないエネルギー量、ナノラミネート装甲があろうと防げるか不安になるような一撃だ。

 背筋に冷たいものを感じるジュリエッタの一方で、ジゼルの方はこの強烈な先制攻撃にものんびりと感想を述べていた。海上に漂う白い水蒸気の先を油断なく眺めつつ、ギャラルホルンから支給された調査用の機材は放り投げている。ここに来て必要とはとても思えない。

 

「これはまた凄いですねー……周辺を動くモノに対して無差別に攻撃しているのでしょうか?」

『だったら何故これまでに同様の報告がされなかったか気になるところですがね。なにか切っ掛けがあったとでも?』

「さぁ? ジゼルに聞かれても分かりませんよ。それよりほら、聞こえてきましたよ──」

 

 彼女の言葉に呼応したのだろうか。不気味な駆動音が、静かに、海中から、ゆっくりと、響いてくる──

 

「これはッ……!」

 

 今度はジゼルにも明確な驚きがあった。さもありなん、水蒸気の帳を抜けて不意打ち気味にブレードが飛来したのである。

 紙一重でカノンブレードを盾に逸らしたフェニクスだが、ブレードは蛇のように軌道を変えるとまたも不死鳥へ迫りくる。そこでようやく、この武装がMAやフェニクスに搭載されているのと同じ『テイルブレード』だと認識したのだった。

 ブレードは執拗にフェニクスだけを狙い撃ち、その傍らのレギンレイズ・ジュリアには目もくれない。たまにブレードの軌道上にジュリアが入ってもわざわざ避けてフェニクスへ向かう始末だ。どう見ても対象を一人に絞っているようにしか思えない。

 

『なぜそちらだけを狙うのです!?』

「さて、どうしてでしょうね……? まあジゼルは適当にいなしておくので、そちらは海中の本体をお願いします。ワイヤーの長さからして、そろそろ出てくることでしょう」

 

 赤と金の機体はまるで曲芸のように宙を舞い、武器を振るい、複雑な軌道を描くテイルブレードを軽やかに避け続けている。あの攻撃はかなり厄介だとジュリエッタにも察しは付くので、ジゼルが引き付けてくれるならそれに越したことはない。

 その間にも不気味な駆動音はよりいっそう大きくなり──小さく海風が吹いた。それによって立ち消えかけていた水蒸気の靄が払われ、ついに今回の騒動の発端が姿を見せたのである。

 

「あれは……?」

『ガンダム・フレーム、ですか……?』

 

 第一印象は人型、全身はおよそ蒼く染められており無骨な印象を受ける。体躯はそこそこの大きさだろうか、海中から出てきた()()は全長二十メートルは超えているだろう。

 だが何より特徴的なのは、どうもガンダム・フレームと似通った意匠があることだ。特に頭部はガンダム・フレームのそれとかなり似ている。動力まで似ているのか、胸部周辺にはツインリアクター式なのが伺える特徴的なフレームが見え隠れしていた。

 

 どうやらテイルブレードはこの蒼い機体の腰部から射出されているらしいく、しかもそれ以外の武器は一見した限りでは存在しない。完全な徒手空拳という潔いスタイルであるが、ではあの強烈なビームは何処から発射されたものなのか。

 答えはすぐに判明した。胸部のコクピットが存在するだろう箇所の装甲が下にスライドする。普通なら構造上ありえない部分が開放された先にあったのは、コクピットシートではなく無骨な砲口。既に臨界間際の光が灯っている。

 

「これもジゼルがターゲットですか。そんなにジゼルが好きなのですか?」

『冗談を言ってる場合ではないでしょう!』

 

 狙いは当然のようにフェニクスだ。やはりジュリエッタの方など見向きもしないその態度に、さすがの彼女も頭にきた。

 元の母艦へと標的を発見した旨を簡単に連絡すると、果敢にジュリアを操り謎の機体へと肉薄していく。

 

『さっきからフェニクスばかり……! 私は眼中に無しですか!?』

 

 そう、それが気に入らないのだ。さっきから狙いは全て鏖殺の不死鳥だけであり、ジュリエッタなど空気も同然の扱いである。別に戦いが好きでたまらない訳でもないのだが、こうも露骨に無視をされればパイロットとしての矜持が黙ってはいない。

 スロットルを全開、急加速を付けてジュリアを懐へと駆け寄らせる。だがこの段階に来ても依然として謎の機体はフェニクスだけを付け狙っていた。本当におかしな挙動に首を傾げてしまうが、考察するのは後でも出来る。

 蛇腹ではなく剣のままにしたジュリアン・ソードを携え、角笛吹きのエースは果敢に攻め込む。発射直前のビーム砲へ滑らかなに剣を滑らせようと試みて──ようやく蒼いMSは反応した。

 

《邪魔をするな》

『なッ……!』

 

 唐突に届いた通信はまさか蒼い機体から来たとでもいうのか。冷たく無機質な機械音声は一切の情を感じさせず、しかも当然の権利とばかりに振るわれたソードを回避してみせる。淀みなく後方へと下がり、さらにはフェニクスへ向かって一直線に動き出した姿は阿頼耶識を搭載しているのではないかと錯覚するほど。

 いや、もしこのガンダム・フレームに似た機体が真実厄祭戦時の技術を備えているなら、阿頼耶識に類するものは確実に搭載されているだろう。

 

 至近距離で放たれたビームをスレスレで避けたフェニクスであったが、ついで飛来したテイルブレードに体勢を崩されてしまう。大きく高度と機動力を落としながらも鋼の不死鳥は健在だが、それを嘲笑うように蒼いMSは徒手空拳でフェニクスへと挑んでいく。

 

「あなた、やけにジゼルへ執着してますね? なにか因縁でもありましたか?」

《因縁だと? そんなもの、決まっている》

「へぇ……? 機械に恨みを持たれる謂れはないと思ってますけど、どうでしょう?」

 

 ジゼルからすれば青天の霹靂も良い所だ。こうして調査に赴いたのは偶然だというのに、その正体は何故か彼女に拘っている。どう見ても三百年前からの因縁に思えるが、どうして今になって行動を開始したのか。

 理由は不明だが、とにかく対応するしかない。普段通りにフェニクスを操るジゼルだが、そこで違和感を覚えた。機体の操作がおかしい訳ではない。むしろその逆、相手の方がやけに動きを先読みしてくるのだ。

 

「あなた、何者ですか……? AIなのは間違いないでしょうけども」

 

 フェニクスが逃げる先にテイルブレードが待ち構えている。

 振るったカノンブレードは待ち構えていた両手に白刃取りされた。

 機動力で上回ろうとすれば軌道を先読みされ、的確に格闘戦に持ち込まれてしまう。

 いくら何でもおかしい。確かにジゼルの専門は対人間ではあるが、蓄積された経験はたとえ相手がAIの類だろうと遅れはとらない。だが蒼いMSはあらゆるジゼルの考えを予期しているかのように先回りし、詰め将棋のように着実と彼女を追い詰め憚らない。

 

 ──そしてついに、フェニクスは群島の一つへと叩きつけられた。

 

 火星でフェニクスに為す術もなく倒されたジュリエッタからすれば信じがたい光景である。蒼いMSは決して運動性能や武装がずば抜けて凶悪な訳ではない。ただただ冷徹な計算と先読みを駆使することで、これまで誰も歯が立たなかった鏖殺の不死鳥を地へと叩き落したのである。

 まるでフェニクスを倒すためだけに存在するような……未だに相手にすらされていないジュリエッタの脳裏に過った言葉は、すぐに本人が肯定してくれた。

 

《己は、鏖殺の不死鳥を殺す者。対フェニクス用粛清兵器、ガンダム・マスティマである》

 

 天から悪魔を見降ろすは、三百年の時を超えて蘇った憎悪の天使。

 悪い冗談のような目的をただ一つ胸に抱き、こうして空へと羽ばたいていた。

 

 ◇

 

 買った恨みの数など、ジゼルは一々覚えていない。

 少し考えれば当然の話だろう。十数万もの人間を殺害してきたのだ、その親族友人など含めればどれだけの規模の恨みとなるのか。彼女はそんなものわざわざ把握しないし、気にしたことだって一度もない。あるのはただ『自分のために殺されてくれてありがとう』という歪んだ感謝の念だけだ。 

 

 だからこそ、どこかの誰かがフェニクスへの恨みを爆発させる可能性を忘れたことはない。いつか自分も報いを受ける日が来てもおかしくないのだ。その時は全力で抵抗するし簡単に死んでなどやらないが、筋を通すならば復讐もまた一つの権利だとジゼルは思っている。

 

『でも……マスティマなんて聞いたことが無いですね。よく分からないのでさっさと消えてください』

《貴様が消えるなら、その時は己も消えよう》

「お話になりませんね」

 

 はぁ、と最低最悪の殺人鬼は可愛らしく溜息を吐いた。

 明らかに互いの意思は空回りしている。ジゼルは別にマスティマなる存在に大した感慨もないのだが、相手はフェニクスを屠ることに執着しているらしい。まあ厄祭戦で大暴れしたことを考えれば、どこかの誰かが彼女への対策を残すこともあるだろう。誰なのかは見当もつかないし興味もないが、そこに疑問は抱かない。

 どちらにせよ今生のジゼルを邪魔立てするなら破壊(ころす)だけである。やっと他人を殺す以外にやりたいことが見つかって、今は充実しているのだ。そんな幸福を横入してきた旧時代の遺物に壊される道理はない。

 

 軋む音を立てながらフェニクスが立ち上がった。いつの間にか弾き飛ばされたカノンブレードに代わり、サイドスカートに懸架された小型ナイフを両手に構える。相手が動きを予測しようが関係ない、真っ向から叩き潰すと姿で語っていた。

 そして熾烈に始まった第二戦は、悲しいかな先ほどと同じ結果を呈し始めた。フェニクスがどう動いてもマスティマは先んじて対策を講じている。試しにジゼルが奇をてらった行動をしても一切動じず、どこまでも冷徹な殺戮機械として不死鳥を追い詰めていくのだ。

 

『対フェニクス用粛清兵器……というのは、あながち間違いではないようで。まさかあなたがそんなに苦戦するとは』

『呑気な、ものですね…ッ!』

『というより、理解が追い付いてないもので。たった一人のために三百年かけて蘇るなんて悪い冗談も良いとこです』

 

 珍しいジゼルの切羽詰まったような声に、同じく蚊帳の外に置かれたジュリエッタも信じられないような口調だった。

 

 ひとまず牽制の射撃をマスティマへと放ちつつ、ギャラルホルンの騎士は思考を巡らせていた。あまり頭の良い方でない自覚はあるが、それでも両者の戦いを見れば分かることは複数ある。

 まず第一に、このマスティマとやらはMAと同じ三百年前に生み出された人工知能搭載型の兵器で相違ないだろう。しばしば放たれる光学兵器や人間離れした機動性、それに動作から漂う無機質な雰囲気はとても人が操っているとは思えない。

 第二に、性能の全てが明確にフェニクスを仮想敵として調整されているらしいこと。ギャラルホルンのデータベースにもフェニクスの戦闘履歴は残っている以上、マスティマもそれらを参考にして対策を組み上げているのは想像に難くない。

 

 それが証拠に、フェニクスの”動きの癖”とでも言うべき隙をマスティマは完璧に把握している。機体の運動性能や速度の限界、ジゼルがどういう行動をするかまで完璧にシミュレーションしているのだろう。三百年前と違いフルースへと改装されたことで誤差も生じているだろうに、大した演算性能だった。

 戦闘データをかき集めて膨大な蓄積とし、さらに冷徹無比なAIによって戦闘判断させ、こうして厄祭戦で活躍した存在を的確に追い詰めている。果たしてどんな執念があればこのような事が出来るのか。きっと開発者は些細なデータまですべてを入力し、あらゆる対策を講じられるように調整したのだろう。たった一人の人間を殺すためにここまで出来るなど、大した意志力だと逆に感心までしてしまう。

 

『いえ、むしろそれだけの危機感を抱かせたフェニクスが規格外すぎるだけでしょうか。どちらにせよ、私からすれば勝手にやってろとしか言いようがないですが……』

 

 フェニクスも、このマスティマなる奇妙な敵手も、要するに三百年前から蘇っては勝手に現代で争っているだけの話である。この時代に生まれた彼女からすればはっきり言っていい迷惑でしかなく。どこか他所で思う存分に決着をつけて欲しいと思う所存である。

 なのだが、既にマスティマは無関係な人間を無差別に襲っている。対フェニクス専用のMSにしては一貫しない矛盾した行動だが、ともあれ地球の平和の一角を脅かすならここで無視を決め込むなどあってはならないことだ。

 

 それに──

 

『負けっぱなしのまま、いきなり別の奴に掻っ攫われてしまえば、つまりフェニクスの勝ち逃げじゃないですか……! それだけは絶対にイヤ!』

 

 あまりにも個人的な感情という自覚はあるが、最後はこれに行きつくのである。

 フェニクスに良い思い出なんて一つもない。恩人である髭のおじ様(ガラン・モッサ)を殺害し、火星では手玉に取られ、そして少しの間とはいえ仲間ではあったイオク・クジャンすら狩っているのだ。これで良い印象を持てという方がどうかしている。

 それでも、あの鏖殺の不死鳥に勝ちたいと願うがゆえに。この気持ちだけは本物だから、こんなところでいきなりフェニクスが負けるなど認めたくないのは本当だった。

 

《不甲斐ないな、鏖殺の不死鳥。三百年前もの間、策を練って待ち続けた甲斐がない》

『対策して嵌め殺しを狙ってる癖によく言いますね……!』

 

 加えてもう一つ、微妙に気に入らない事が有る。さっきからジュリエッタも援護くらいは積極的にしているのだが──ジゼルは一向に助けを求めようとはしてこないのだ。どう考えても不利な相手を前に、自分一人で戦いを挑んでは追い込まれている。

 別に彼女が猪突猛進しか能のない馬鹿でないのはジュリエッタも知っている。必要とあらば策を練り、他者の協力を仰ぐこともあるだろう。なのに今回は意固地なまでに単独で戦いに臨んでいた。

 

『とっくの昔に分かっていることですが、あなたではそいつに勝てません! ここは交代すべきです』

『交代したところでジゼルとフェニクスを狙いまわすだけでしょう。それよりかは現状の方がまだ戦いやすいので』

 

 その理由は? やはりジュリエッタが味方として頼りないからか? 悔しいがそれもきっとあると思いながら、別の可能性も即座に思い浮かんだ。すなわち──ジゼルは、他人と連携する戦いに慣れていないのだ。

 鏖殺の不死鳥は圧倒的な性能と才覚により対人間を相手に後れを取ったことがない。それは三百年前も現代においても変わらない。ただ一人の力、ワンマンアーミーですべて事足りてしまったのである。

 だからジゼルには強敵相手に『誰かと力を合わせて戦う』という経験が圧倒的に不足していた。強すぎるが故の弊害、常に一人で対多数の敵と戦うことに慣れ過ぎたせいで、逆に数を頼みに戦う手段が苦手なのだ。

 

 だけどそれは反対なのだ、ジュリエッタと。ジゼルほど突出して凶悪な才能はない代わりに、彼女はまだ他人に合わせての行動を可能とする。エースゆえに単独行動も多いが、それにしたって軍人として最低限度の連携を取れるように仕込まれていた。

 

『つまり、この場で取れる最適解は……』

 

 マスティマは完全にフェニクスへ対策(メタ)を張っており、ガンダム・フレームでも阿頼耶識搭載でもないレギンレイズ・ジュリア単体で相手取るのもまた不可能。であれば、フェニクスと協力して上手く互いの弱みを打ち消して協力するしかない。

 出来るか? いや、出来るかではなくやるしかないのだ。そうでないとこのMAにも匹敵する敵は倒せない。ジュリエッタにしか持ち得ない”強さ”を最大限活かしてこの憎悪の天使を破壊しなければ任務達成にはならないのだ。

 

『やるしかないならやるだけです……! 協力しますよ、鏖殺の不死鳥! 拒否は受けません!』

『え、あ、はい……』

 

 強い口調で言い切った言葉に、初めてジゼルは戸惑いながらも押し切られてしまったのだった。



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#57 正義とは、力とは

お久しぶりです。だいぶ間が空いたのと#53からの続きなので、差し支えなければそちらからお読みいただけると楽しめると思います。


 ──これは三百年も昔の話、”英雄”アグニカ・カイエルが厄祭戦を収束させた直後にまで遡る。

 

 戦争のために人類が生み出した数多のMAたちと、それでもなお戦争を止めようとしない愚かな国々を止めるためにギャラルホルンの前身組織『ジェリコ』は尽力した。特に無類の強さを持つMAはアグニカ・カイエルが筆頭となり多数撃破され、この功績によって配られた七星勲章が後のセブンスターズとなるのだが、いったんそれは割愛しよう。

 ここで大事なのはMAではなく凶悪な味方であり、人類存亡の危機にあってもなお争いを止められない人間たちへ差し向けられた人物──ジゼル・アルムフェルトの方である。

 

 端的に言って彼女は殺人者として天才だった。殺しに関わることなら圧倒的な速度で習熟し、他の追随を許さない練度にまでなってしまう。そんな彼女がMAの力を参考としたフェニクスに乗り、国家間の争いへ第三者として介入すればどうなるか。結果は火を見るよりも明らかだろう。

 誰よりも殺戮に特化した不死鳥は、順当に軍事施設を潰しては戦う国々を疲弊させていく。いわば軍事介入により強引に戦いを止めさせた訳だが、そうなれば屍山血河が築かれるのも自然の摂理だ。

 

 結果として彼女は十数万にも及ぶ殺害数(キルレコード)を叩きだし、鏖殺の不死鳥としてその名を馳せることになる。

 

 だが、その圧倒的な暴力を危険視する者も当然いた。アグニカ・カイエルを含めごく一部は彼女の本質を理解して上手く付き合ったが、大多数にとってはむしろ味方とすら思えない恐るべき殺人者だ。しかも本人すら自らの悪性を否定しないとなれば、いっそう腫れ物扱いされて遠ざけられる事となる。

 よってジゼルが冷凍睡眠(コールドスリープ)により当時の厄祭戦終了直後から退場する際も、議論は非常に紛糾した。さっさと自分たちの時代からいなくなってもらうべきか、未来にこの破綻者を押し付けて良いのか、あるいはここで殺してしまう方が世の為ではないか、あらゆる論が飛び交うことになる。

 

 そうして最後にはジゼルの要望通り、鏖殺の不死鳥は新しい戦場を求めて時代を超える運びとなった。恐るべき戦火と戦果を考えれば、ここで下手な事をして彼女を暴れさせるなど以ての外であったのだろう。冷凍睡眠(コールドスリープ)されたジゼルへの手だしは厳重に禁止され、しかもほんの数日の内にアグニカ・カイエルの手で保管場所すら移動されたのだから、誰にも手出しは出来なかった。

 なのだが、どうしても憂いを断ち切れない人間もいたわけで……『本質的にはMAと同じ、人類種の天敵であるジゼルを野放しにする訳にはいかない』と考え()()()()()()者も確かに存在したのである。

 

 ◇

 

 マスティマと名乗る自律型ガンダム・フレームと斬り結びながら、ジゼルは常のペースで問いかけた。

 

『ああまで強く”協力しろ”と言い切ったのです、何か策はあるのですか?』

『策なんて高尚なもの、私が持っているとお思いですか?』

『え、はぁ……?』

 

 率直に言ってジュリエッタは作戦を立案して指揮するという行為には慣れていない。

 しかも長々とやり方を考えている暇もないのだ。戸惑われようがぶっつけ本番で合わせるより他になかった。

 

『あなたは自由に動いてもらって結構です。どうにかして私が合わせて隙を作りに行くので、そこを叩いてください』

『随分と大雑把な……ま、いいですよ。このままじゃ埒が明かないのも事実ですから』

 

 フェニクスが叩きこんだ二刀が苦も無くマスティマに弾かれた。やはりこのMAは対鏖殺の不死鳥(ジゼル・アルムフェルト)に特化した性能だ。基本性能にしてもそこらもMSとは段違いの運動性である。

 しかし、勝機を見出すならここしかない。ジュリエッタという異物が相手(AI)の計算を狂わせることが出来れば勝ちの目も生まれる。後はいかにMAへと食い下がることが出来るかにかかっていた。

 今は亡きイオクたちの火星での手痛い敗北は胸に刻んでいる。間違いなくマスティマはこれ以上ない強敵だが、怖気づいては乗り越えるなど不可能だ。

 

『では言葉通りに私が合わせますので──上手く粘ってくださいよ!』

『分かりましたよ……どうにかやってみます』

 

 不承不承な声を聞き流し、ジュリエッタは機体(ジュリア)を前へと加速させる。

 視線の先にはフェニクスと拳を交えるマスティマの姿があった。徒手空拳ながら的確に攻撃を捌き、反撃を繰り出すカウンタースタイル。無駄な動きは一切ない、完璧なまでに遊びのない精密さだ。

 さらにジュリエッタの接近を検知したのかテイルブレードを勢いよくそちらへ伸ばしてきた。不可思議な挙動を描く刃は不死鳥の強さを支えてきた一因だが、既に一度見ている技術だ。故に対処も不可能ではない。

 

「こんな程度で!」

 

 毒づきながら刃を受け流し、さらに片手でワイヤーを掴んだ。代償に肩部パーツが抉れたが構わない。動こうと暴れるワイヤーを手繰り寄せながらさらに接近、動きを制限しながら逃げることも許さない状況へと持ち込んでみせる。

 ここでようやくマスティマがレギンレイズ・ジュリアを認識した。フェニクスから距離を取りつつ自らの邪魔をする部外者へと頭部が向く。まだ自らの邪魔をする羽虫程度の認識だろうが、この場ではそれで十分だった。

 

「私を見なさい、過去の遺物が……!」

 

 啖呵を切りながら果敢に攻め込む。マスティマは確かに機体性能も飛び抜けているが、あくまでも一芸特化の行動パターンでしかない。その隙に付け入ることがジュリエッタの戦い方となるだろう。

 現にジュリアン・ソードに合わせられた拳はフェニクスに対するそれと違い、拙さが残る代物だった。反応速度は驚異的だが二の矢三の矢を鑑みれば隙が残る、そんな一撃。今の彼女ならばあるいは──

 

『あまり油断はしない方が良いと思いますよ?』

『言われずとも!』

 

 化け物(ジゼル)に言われずとも油断はしない。

 矢継ぎ早に繰り出される拳、脚、拳、拳、足の応酬をどうにか捌く。そのたびに機体が悲鳴を上げるが意地で食らいついて急所にだけは当たらせない。蛇腹に分割させたウィップも駆使してとにかくマスティマの妨害と自身の生存だけに舵を切った。

 さらにその合間を縫ってフェニクスが背後から肉薄、少しずつ損傷を与えていく。彼女は特にスラスター周りを集中して狙っており、徐々に機動力を削ぐべく動いていた。

 

《貴様、何故この狂人を幇助(ほうじょ)する?》

 

 攻防の最中、不意に無機質な機械音声が問いを投げかけてくる。

 

《そこの女はいずれ人類に仇を成す破滅の狂人だ。生かしておいても価値はなく、有害でしかない。我はただアグニカ・カイエルの残した不始末を拭い去ろうとするだけだ、邪魔をしないでもらおうか》

『──ッ』

 

 あくまで正論しか述べないマスティマのAIにはジュリエッタも内心で同感だった。

 誰よりも人殺しを楽しむ世紀の殺人者を助ける理由なんて本当はない。むしろここで葬ってしまった方が、のちに起こるかもしれない悲劇を防ぐことに繋がるかもしれない。この不死鳥だけを殺す自律兵器(ガンダム・マスティマ)を設計した人物はまさにそれを危惧していたのだろう。

 理解はしている──だが攻撃の手は緩めない。

 

《何故、手を止めない?》

『決まってます、それが我らの大義だからです。そこの狂人より、あなたの方がこの時代には相応しくないと我々ギャラルホルンは考えていますので』

《おかしなことを言う。元来我を作ったのはギャラルホルンの前身だろうに》

『だとしても、同じ行いをする機械を放置して良い道理はない!』

 

 きっかけはこのマスティマが通りがかりの民間船を破壊し、死傷者を出したことに由来するのだ。たとえ存在理由が共感できたとしても、この時点で既に同じ穴の(むじな)なのだから。

 

《それこそを異なことを問うな。()()()()人間の一人や二人を殺す程度で、いずれ目覚める鏖殺の不死鳥をおびき寄せて殺害できるのならば合理的で安い取引だろう? むしろ今後犠牲になる人間たちを救う礎となるのだ、光栄と思ってもらうのが道理だ》

『勝手なことを……!』

 

 つまり記録に残っていないだけで、今回のような事件は初めてではないということ。もはやこの殺戮の天使を見逃す理由など一片も無かった。

 むしろその合理性はジゼルよりもなお危険だ。なにせ効率主義の名の下に歯止めを利かせることすら無い、目的のために無関係な人間すら巻き込み轢殺する危うさを含んでいるのだから。かつて存在したMAたちと何一つとして変わらない。

 

「それにそもそも……」

 

 ジュリエッタにとって聞こえの良いお題目なんて本当は二の次で。

 

『あの女に勝ち逃げされてしまう方が、私にとっては余程の問題ですので!』

『今それ、ジゼルの前で言いますか……?』

 

 当の本人から呆れたような呟きが聞こえたが、そちらは完全に無視した。

 一人の戦士として、MS乗りとして、負けた相手に勝ち逃げされる方が困る。私的な我が儘だろうとこれも立派な貫きたい理由(おもい)であり、唐突に出てきた過去の産物に邪魔される謂れなど全くない。

 

『だからあなたには必ず勝ちます。好き勝手に喚くのもそろそろやめてください』

 

 正義にしても、力にしても、この相手にだけは勝ちを譲れない。

 その想いを込めてさらに鋭く速く機体を操作し、マスティマの意識を釘付けにする。ジュリエッタが粘れば粘るだけフェニクスは自由に動くことができ、ガンダム・フレームの破壊力がいずれ致命打を与えるはずだから。

 超えるべき相手を信じるのも奇妙な話だが、実際にジゼルもまた期待には応えていた。強引に生み出されたマスティマの粗を突き、AIの動作予測を強引に振り払って攻撃を与えている。一撃がスラスターを損傷させ、二撃がテイルブレードの挙動を乱し、さらに続く三撃四撃で腕部にも傷を与えた。間違いなく流れは掴んでいる。

 

《……理解できぬな。話にならん。こちらは人類の未来を想っての行動だというのに、なんたる不合理だ》

『ジゼルを倒したところでそれが人類の未来に繋がるんですかね? 極論ただの人間相手に大それたことを言うものです』

『いえ、さすがに無理がある認識だと思いますが……とはいえこんな相手の言い分など聞く必要はありません。手早く終わらせてしまいましょう』

 

 もはや交わす言葉は必要ない。どちらもこれ以上の会話は無駄と判断し、ひたすらに戦闘へと没入する。

 だが趨勢は明らかに傾きだしていた。いよいよマスティマに搭載されたAIはレギンレイズ・ジュリアにも適応を開始したものの、既に100%の性能を発揮することは叶わない。損傷した機体では二機の攻撃に対応しきるなど不可能だった。

 そして何度目かの交錯の末、ついにフェニクスがマスティマの両腕部をねじ切ることに成功した。メインウェポンを失った天使は為すすべなくスラスターを、脚部を、テイルブレードを破壊され、達磨となって付近の小島へと打ち上げられて停止した。 

 

『終わってみれば、呆気なかったものですね……これならば火星で暴れたというMAの方が脅威だったのでは?』

『おそらく、ジゼルの戦い方の対処へ特化しすぎたのでしょう。だから協力者がいる可能性を考えてなく、手間取る内に終わってしまった。そんな結末でしょうね』

 

 ジゼルだって協力して戦うことになるとは思いませんでしたから、小さく呟く声が通信機から聞こえてきた。

 偶然にしろこのMAを用意した人間の意図を上回った故の成果に違いない。間違いなくジゼル一人では勝てなかったが、ジュリエッタだけでも勝利は不可能だったろう。

 

『で、こいつを作った迷惑な相手に何か心当たりはお有りですか?』

『そんなのある訳ないじゃないですか。興味ない相手は一々覚えないので』

『そうですか』

 

 期待はしてなかったがやはりそうであるようだ。

 溜息と共に通信を切ろうとしたちょうどその時、モニターに映るマスティマが微かに動いた。唯一残ったビーム砲に光が集うが、墜落した天使に継戦能力はもはや皆無だった。弱弱しく光は散ってしまい、体躯からは火花が散る。

 

《難儀な、ものだ……何故アグニカ・カイエルは、このような存在を未来へ送り出し、あまつさえ所在を有耶無耶にしたのか》

『へぇ、アグニカがですか。それは初耳ですね』

《奴は反対する我らを押し切り、眠りについた貴様を秘匿した……! 後世に厄災を押し付けることを良しとしたのだ……! これではMAを倒したとて何も変わらない!》

『でも結局はあなたもまた同じこと。どれだけの大義があろうと、その為に無関係な人間を殺している時点でお仲間ですよ。ジゼルと同類、同罪です』

「…………」

 

 その言葉自体に他意はないだろう。だがジュリエッタにしてみれば、まるで自分に向けられた言葉のようにも感じてしまった。

 ──大義の為なら何を踏みつぶしても良いとは、それではかつてのギャラルホルンの姿ではないか。それだけに縋って生きていればいずれ必ず手痛いしっぺ返しを食らう。ラスタルですら例外ではなかったというのに、彼女が無関係であれるはずがない。

 

『というかこれ以上訊ねることもないのでさっさと機能停止してくださいな。残りの情報は搭載されてるデータベースでも調べておきますので』

 

 三百年前から蘇った同胞に対して何の感慨も抱くことなく──ジゼルはマスティマの頭部を踏み砕いた。

 これで完全にMAは沈黙した。一時ギャラルホルンを騒がせた正体不明の敵もただの鉄屑となり果て、二度と動くことは無い。後は帰還し報告を終えれば今回の調査任務は終了だ。

 

「まったく……随分と人騒がせな人間です」

 

 思わず愚痴を零したジュリエッタを責められる者はいないだろう。結局これもジゼルのせい、ようやく大人しくなったのかと思いきやこんな厄介事を発生させるのだから。救いようがないくらいに迷惑だった。

 

『今回の件、一応報告はさせていただきますので。他にもあなた狙いで仕掛けを残していたとなっては堪りませんから』

『別に構いませんよ。誰が来ようと殺してみせるので。ただ、まあ……』

 

 そこで彼女は珍しく言い淀んでから、

 

『今回はあなたが居なければ業腹ですがジゼルは負けていました。感謝していますよ』

『……驚きました。あなたが素直に謝意を述べるなんて』

『あなたこそ、ジゼルを何だと思っているのですか』

 

 不満気に返されながらスロットルを踏み込んだ。回収は後からやってくる者たちに任せればよい。これで任務は終了だ。思い残すことはない中でふと、ジュリエッタは昨日の会話を思い出した。

 ”強さ”とは心の在り方であると、ジゼルは語った。現実に鏖殺の不死鳥を斃すためだけに準備を施されたマスティマは呆れるほどに強かった。それだけ打倒への執念と想いが強かった証左だろう。

 

「強くなるために無関係な他人まで踏みつぶす……強さというのも、考え物かもしれませんね」

 

 少なくとも今のギャラルホルンにそのような過激さは必要ない。

 通すべきは秩序の法則、安寧を守る者としての在り方なれば。

 このままただ我武者羅に負けてられないからと上を目指すのも、何か違うのかもしれない。

 

「それに……」

 

 目標にして仇敵でもある相手から素直に感謝されるというのは、中々どうして悪い気分もしなかった。




あと1話か2話程度で今度こそ終わりです。随分とお待たせしてしまい申し訳ありませんが、もう少しだけお付き合いいただければと思います。

それから挿絵をいただいたのでここで紹介させていただきます。本当は1年前に貰ったものなのですが、本編で紹介するタイミングが無かったのでここで改めて。とても時間が空いてしまいましたが、ありがとうございました。


【挿絵表示】


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