ひかりちゃんインカミング! (栄光)
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やってきた少女
初日、朝


※階級について、機関銃の描写について一部加筆


 よく晴れた月曜日の朝、武内尚樹(たけうちなおき)は布団からはい出して目覚まし時計を止めるともう一度眠ろうとする。

 月曜日は職場である自動車整備工場の定休日で、丸一日ゆっくりできるのだ。

 掛け布団を巻き込みながら、寝返りを打って、まどろむ。

 

 時刻は午前6時30分、出勤日であれば20分かけて職場へと向かっている頃だった。

 バキバキと裏庭の木が折れる音と、ドスンと重量物が落ちる音が響く。

 薄い窓ガラスがびりびり、雨戸はカタカタと震え、吊っている電灯が揺れる。

 

「なんだ?」

 

 飛び起きた尚樹は居間のアルミ製の雨戸を開く。

 その瞬間、折れている柿の木の下に転がっている機械と、機関銃のようなものに目が行った。

 そして、紺色のセーラー服姿の少女が倒れていた。

 

「なんだアレ?……じゃなかった、おーい、大丈夫か!」

 

 玄関でサンダルを履き、カーポートの脇を抜けておそるおそる裏庭に出ると、倒れている中学生か高校生くらいの少女に駆け寄る。

 

「暖かいし、呼吸もある。死んではなさそうだけど救急車!」

 

 普通に考えれば警察に通報したうえ、救急車も手配するべきだろう。

 ところが、尚樹の中にある懸念が浮かんだのだ。

 スカートも履いていない制服の少女、近くに転がる第2次世界大戦の戦闘機を縦に割ったような機械、そして少女が持つには大きすぎる機関銃、いくらなんでも状況が怪しすぎる……と。

 

 大阪のはずれ、片田舎の町で周りは山だといっても通行人が居ないわけではない。

 家から少し走れば交通量の多い国道170号線、通称:外環状線があり朝の時間は八尾、東大阪方面にギッチリと車が詰まっているのだ。

 もしも、彼女が墜ちるところを見られていたならば、とてもまずい。

 

「とにかく、運ばないとな」

 

 とりあえず近隣住民に見られていないことを確認すると、尚樹は少女と機関銃、そして謎の機械を居間へと運び込むのであった。

 

「重さといい、重機関銃(キャリバー50)くらいあるな。弾は12.7㎜くらいかこれ?」

 

 女の子を布団に横たえると、机の横に転がしておいた重機関銃らしきものを手に取る。

 長い銃身、円に十字の可倒式対空照準具、木製の銃床部とまさに航空機銃のようだ。

 

「暴発しても怖いな……弾倉(だんそう)を取るレバーはこれか」

 

 弾倉の前にあるレバーを押し下げて5キロはありそうなドラム型弾倉を引き抜くと、訓練などに使う擬製弾(ぎせいだん)とは異なる黒光りする弾丸と黄金色に輝く真鍮の薬莢、まぎれもない実弾が現れる。

 そのまま条件反射的に薬室を空にしようと槓桿(こうかん)を探すがそれらしいレバー、ハンドルの類が無く、あるのは銃左側のチューブ状の部品とその後端にあるボタンであった。

 銃の右側には空薬莢を排出する廃莢口(はいきょうこう)、その隣には“安”という白文字と、“火”という赤文字の刻印のある切り替え金があった。

 

「まいったな、こんな銃は触ったことないぞ」

 

 不用意に触っても良いことはないと安全化をあきらめた尚樹は“安”であることを確認すると銃口を裏庭の方へ向けた。

 万が一暴発しても被害はガラス一枚が割れ、庭を飛び越し土塀に穴が穿たれるだけだ。

 そんなヒヤヒヤとしている尚樹のすぐ隣の寝室では少女がすやすやと寝息を立てていた。

 

 _____

 

 

「えっ、ここ、どこだろ」

 

 深い霧の中に入ってしまい雲を抜けようと降下、気が付けば地表面がすぐで、引き上げ動作のまま木に激突したところまでは覚えている。

 少女が目を覚ますと畳の香りのする部屋だった。

 

「起きたか」

 

 襖が開き、短く刈り揃えた黒髪に黄色み掛かった肌の男性が現れた。

 男の格好は祖国でさえ見たことがないもので、柔らかそうな紺色の上下に身を包んでいる。

 

「あなたは、誰ですか。ここは……」

「俺は武内尚樹、この家に住んでる。君はうちの裏庭に落ちてたから拾った」

 

 おそるおそる尋ねる少女に男、尚樹は窓の方を指さす。

 窓からは枝の折れた柿の木が見えた。

 

「ええっ、ごめんなさい!私は雁淵ひかりって言います!502統合戦闘航空団に所属してます!」

 

 ひかりは頭を少し下げると、所属部隊を明かす。

 

「ところで、雁淵さん、いくつか聞きたいことあるんだけどいいかな?」

「はい、なんですか?」

「あの重機、機関銃といい、よく分からない機械といい、君は何者なんだ?」

「えっ?私は……扶桑海軍のウィッチで、502に。ここは扶桑じゃないんですか?」

 

 尚樹の疑問にひかりは困惑したような表情になる。

 502基地に戻らなきゃ!と思ったが、木の感じや家の作りから見てもどうもオラーシャの大地ではなさそうだ。

 扶桑のどこかと思ったが目の前の男は扶桑語を喋っているにもかかわらずストライカーユニットも、あるいはウィッチすら知らない様子なのだ。

 

「ここは“日本”の大阪だ。扶桑じゃない」

「そんな!でもお兄さんは私と同じ言葉ですよ?私、佐世保出身なんです!」

 

 尚樹は少女の言う“扶桑”がどうやら日本に相当する国名であるということに思い至った。

「ここは扶桑ではない」とかたくなに否定しても話が進まないので、世間話をしながら情報を集めようと出身地の話題を掘り下げる。

 

「まあいい、佐世保ってことは長崎か、雁淵さんは“扶桑”の佐世保出身なんだ。ご家族は?」

「はい、お姉ちゃんとお父さん、お母さんの4人家族です!」

「そうなんだ、俺も両親と弟がいるんだ、弟はすぐ近くで兵隊やってるよ。俺は整備士だけどね」

「そうなんですか!私のお姉ちゃんはウィッチやってます」

「ウィッチっていうのはあの()()()()()()()みたいなやつかな?」

「戦闘機……あれはストライカーユニットですよ?ウィッチはユニットを履いて飛ぶんです」

 

 首を傾げ、不思議そうな様子のひかりに尚樹は、ユニットを履くのが“ウィッチ”だとすると、どうやらウィッチは軍事組織の構成員らしいと考える。

 

「さっき、雁淵さんも海軍のウイッチって言ってたけど、階級とかってあるの?」

「はい!軍曹です!」

「マジか、雁淵さんは何歳なの?」

「15歳です!」

「15で軍曹か、すごいな。」

 

 運動部の女子中学生、あるいは幼い高校生に見える少女が“軍曹”だというのに驚く。

 15歳といえば、“三等陸士”の階級を与えられる“少年自衛官”ですらない。

 そして、“武力紛争への子どもの関与に関する条約”に批准することによって少年自衛官制度は廃止された

 もっとも現行の“自衛隊生徒”は18歳で卒業したころには陸士長であって、あっという間に“三等陸曹”になるのであるが。

 一方、ウィッチの場合魔法力のない一般兵とのトラブルの抑止の面や“希少な特技持ち”である面から最低階級は軍曹であるが尚樹は知らない。

 

「全然すごくないですよ!お姉ちゃんは中尉だし……」

「中尉ってことは幹部なのか、おいくつ?」

「18歳です、あの、幹部ってなんですか?」

「ああ、海軍なら“士官”といったらわかるかな?陸は幹部っていうんだけど」

 

 尚樹の言う幹部(自衛官)と、帝国陸軍にあった幹部候補生制度は異なるものであるが、ひかりには分からなかったようだ。

 

「それならわかります!えーっと……」

「尚樹でいいよ」

「じゃあ尚樹さん、私もひかりでいいですよ!」

 

 その時、ひかりのお腹が「ぐう」と鳴った。

 

「ひかりちゃん、何か食べようか。俺も朝ご飯まだなんだ」

「はい!朝なんですか?」

「うん、マルナナニーゴー」

「ええっ、私、お昼過ぎたころだったんですよぉ」

「時差があるようだし、そのあたりの話は飯食いながらしようか」

 

 尚樹はひかりを居間のテーブルにつかせると、テレビをつけて冷蔵庫からピザを出す。

 アメリカンサイズの大きなピザをカットしたものをアルミ箔に乗せてオーブンレンジで焼き上げる。

 ひかりは部屋をせわしなく見回す、いずれもはじめて見るものばかりで扶桑の家にもペテルブルグの502基地にも無いものだ。

 

 薄い板状のものに声の出る活動写真が映っている。ひかりは大ヒット映画『扶桑海の閃光』や姉、孝美(たかみ)をモチーフとした映画『リバウの翼』などでトーキー映画を見たことがあり、映写機のようなものを探すがそうした物もないようだ。

 

「尚樹さん、これって何ですかぁ?」

「液晶テレビ……映像をラジオみたいに電波で飛ばして、画面に映してるんだ」

「すごーい、とっても綺麗です!帰ったら管野さんやニパさんに自慢しようっと」

 

 どうやら異世界に来たらしい、ということはわかったがいまいち実感がわかない。

 

「ひかりちゃん、“ピザ”とかって食べられる?パンにチーズが乗ってるこんなヤツなんだけど」

 

 テーブルにピザを乗せた皿とコップ、麦茶の入ったペットボトルを並べる。

 たっぷりと乗ったミックスチーズが良い匂いを放ち、大きさもあることからボリューム感も満点だ。

 尚樹はひかりがおそらく戦前、あるいはそれに近い年代の出身であることに思い至り、尋ねる。

 もし、純和食しか食べたことがないならば、冷蔵庫にモノがないのだ。

 

「パンやチーズはよく食べてるので大丈夫です!」

「ハイカラだね、やっぱり海軍ともあれば海外に行くの?」

 

 二人で手を合わせ、冷えないうちに食べ始める。

 

「私は遣欧ウィッチに選ばれて、()()()()()のペテルブルグに居ました」

「ペテルブルグ、こっちで言う()()()か。というか、ヨーロッパまで進出してるのか」

「はい、ネウロイがヨーロッパを占領してるので、扶桑からもウイッチが派遣されてるんです」

「ネウロイってなに?」

「ネウロイっていうのは……はむっ……私たちの敵でっ……」

 

 尚樹の疑問にひかりはピザを食べながら説明する。

 あまりにもおいしそうに食べるので、ひかりが食べ終わるのを待つことにした。

 

「食べてからでいいよひかりちゃん、」

「はい、これっておいしいですね!」

 

 _____

 

 ネウロイ、古くは「怪異」と呼ばれていた存在は人類が科学技術を発展させ、冶金技術の進展や大規模鉱山の開拓を始めると“金属を食う”ようにして急速に進化。

 前触れもなく突如出現するネウロイの巣と呼ばれる本拠地から陸上、飛行型の“母艦型ネウロイ”を発進させて、兵隊ネウロイなどで一定範囲内の人類を攻撃する。

 知性があるのか、どうして水が苦手なのか、どういう材質で出来ているのかさえ分からない謎が多い相手である。

 いずれも「コア」と呼ばれる赤い結晶状構造体が弱点であり、コアを攻撃しない限り自己回復する。

 中型以上ともなると、魔法力を付加した攻撃以外にはめっぽう強くて人類を圧倒している。

 そしてネウロイを撃破しうる魔法力の発現は10歳代、20歳代前半までの女子に多く、男性はほとんどが無い。

 

「それで、成人前の若い女の子がウィッチとして軍隊にいるわけか」

「はい、魔法力は年を取ったら減っていって、飛べなくなるんです」

 

 尚樹は居間のユニットを見て、この高校生くらいの女の子がよく分からない敵と戦ってるんだなと思う。

 

「ひかりちゃんも実戦に参加したことあるの?武装してたみたいだけど」

「ありますよ、ネウロイの巣も倒しましたし」

「さっきの話だと、巣って親玉なんだよな。やっぱりコアってあるの?」

「ありましたよ、管野さんが殴って、私がとどめを刺したんですっ」

 

 ひかりから聞く『グリゴーリ攻略戦』に、尚樹の中で、異世界は第二次世界大戦相当の世界にネウロイが現れて、ウィッチが主力になってるという構図が固まってきた。

 

「尚樹さんは何やってる人なんですか?」

「今度は俺だな」

 

 尚樹は18歳で陸上自衛隊に入隊して武器科を志望するも、3年間機甲科の戦車部隊で勤務したのち退職する。

 退職後、同期の父親の自動車整備工場「シゲマツ自動車」に再就職し3級自動車整備士を取得して3年目を迎えようとしていた。

 

「戦車に乗るのも好きだったんだけど、エンジンをいじるのも好きだったし転職したんだ」

「お給料っていくら位もらえるんですか?」

「月18万6000円、従業員少ないからな」

「じゅうまんえん……お金持ちじゃないですか!」

 

 驚いた表情のひかりに尚樹は違う違うと手を振る。

 昭和20年の白米10キロの値段が6円だったが、現在では同じ白米10㎏が3000円くらいするのだ。

 

「物価がとても上がって、何銭という単位が無くなって最低が1円になったんだ」

「へぇー、って私、いまお金持っていないんでしたぁ!」

 

 急に異世界に来たため、扶桑で使えるお金が無くて慌て始めるひかり。

 もっとも、扶桑国内で使用していた“軍票”や“50銭紙幣”など現代の日本では何の意味も持たないのであるが。

 

「わかってる。しばらくはここに居るといいよ、こっちじゃ身元不明だしなあ」

 

 警察に届け出るのが普通であり、女の子が男と二人きりで生活など貞操の面からも非常に不安だろう。

 しかし、尚樹を思いとどまらせたのは、部屋に置いてあるストライカーユニットと13mm機関銃の存在であった。

 

「機関銃とユニットが無ければ記憶喪失でいけるかもしれないが、警察に届け出たらたぶん押収されてしまう」

「押収ってなんですか?」

「銃刀法違反の証拠物件として警察に没収、下手すりゃその場で逮捕、拘束かも知れない」

 

 実弾らしきものを装填した重機関銃を持ち込んだひかりが、重装備の銃器対策部隊に囲まれて引っ立てられていく光景が尚樹の頭に浮かぶ。

 ひかりも細部こそ違えど同じような情景を想像したのか、青くなる。

 

「それは嫌です!チドリはお姉ちゃんに貰ったユニットなんです!」

 

 馬鹿正直にユニットや武器を持って行かなくても、聴取の後、ひかりは住居もない未成年の少女なので保護施設に送られるだろう。

 そうなれば仮に異世界との通路がもう一度開いたとしても帰れなくなってしまう。

 

「もしも、何かのきっかけで帰れることになっても、警察の管理下に居たんじゃどうしようもないよね」

 

 尚樹は自分が「行き場のない少女を言いくるめて依存させようとしている」ように思えて複雑な気分だった。

 だが、現状で一番帰還に近くてなおかつユニットや武器を守る方法はそれしかないのだ。

 

「はい、だから、私をここにおいてください。出来ることがあれば、頑張ります!」

「わかった!」

 

 ひかりの決意の篭った目に、尚樹は首を縦に振ったのだった。

 

 




もしも、皆さんが重機関銃を持った可愛い女の子を拾ったらどうしますか?


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見えざる敵

修正:ニパのユニットをBf109G型からK型へ


 時刻は遡り、1945年6月10日。

 

 フレイヤー作戦により“グリゴーリ”を撃破し後方補給路を確保したペテルブルグ軍集団はペテルブルグの西方と、南方に位置するネウロイの巣“アンナ”および“ヴァシリー”方向からの散発的な襲撃に対処していた。

 大地の氷も溶け、ラドガ湖、ネヴァ川、そして「泥の海」と称される泥濘が地上侵攻型に対する地形障害となり、互いに大規模な侵攻作戦は行われず膠着状態にある。

 西の戦線、ロマーニャ方面において“501”によって近々大規模奪回作戦が行われるという話が漏れ聞こえてきていた。

 第502統合戦闘航空団はというと、そんな501JFWの申請した物資を少し()()したり、あるいは人員を引き抜こうとして、501のヴィルケ中佐や他部隊との攻防戦をラル少佐が演じたりとおおむね平和だった。

 トップがその調子なので、ペテルブルグの南西方向への哨戒飛行も単調で退屈なものとなっていた。

 唯一、偵察情報で変化があったと言えば、監視哨から「謎の赤い発光体が飛び去った」というものや、よく分からない電波を傍受したであるとかそういったものが複数あった。

 誤認の可能性もあるとされつつも、同じエリアでこれだけ特異な報告があれば哨戒飛行のルートに組み込まざるを得ず、管野、ニパ、ひかりの3機編成を充てていた。

 

 その日のペテルブルグはよく晴れており、高度を取ると空とどこまでも広がるオラーシャの青々とした原野が一望できる。

 レーダーサイトに駐屯する航空気象班からの情報では、雲一つない快晴であるとのことで、哨戒飛行前のプリ・ブリーフィングでは、サーシャが「ユニットを壊さないように」といつも通りのセリフを言い、簡単な経路説明だけで終わった。

 空に舞い上がった3機は管野を先頭としたアローヘッド(楔形)陣形で、右側にひかり、左側にニパが続く。

 

「しかし、退屈だよなあ、いっそネウロイとか出ねえかな」

「カンノ、縁起でもないこと言わないでよ」

「だって、ここんところずっと同じ場所を回ってるんだぜ、なあひかり」

「そうですね、……管野さん、アレなんでしょうか?」

 

 ひかりが指さした方を見る管野。

 編隊の進行方向に対して2時の方角、同高度、濃い雲に覆われている向こうに赤い光のようなものがうっすらと見えた。

 

「おっ、噂をすれば出てきやがったか?」

「カンノ、なにかおかしいよ。今日は曇るなんて聞いてないよ」

 

 ニパは異変に対し敏感だった、なにせ、突如落雷しユニットを壊す不運な女なのである。

 優れた回復能力があったとしても多少の危機予測が出来なければエースになるどころか、生き残ることも難しいのだ。

 

「こんな時に無線がきかねえ」

「ほんとだ!」

 

 監視哨、レーダー士官、502基地、いずれとも交信できずインカムはザーやらピーやら雑音を放ち、まともに聞けたものではなかった。

 いつの間にかあたりは薄暗くなり、うっすらと霧が立ち込めているような状況だった

 霧はだんだんと濃くなり、まるで雲の中を飛んでいるような状態である。

 

「ニパさん!管野さん!雲の壁が近づいてきてます!」

 

 まるで下原とジョゼ、ひかりの3人で撃破した「吹雪ネウロイ」と遭遇した時のような状況に思わず警告する。

 積乱雲のように濃く高くそびえる雲の壁が3人の行き先を塞ぐように()()()()くる

 気付けば開けていた前方視界は全て雲に覆われ、遠くが見えるのは来た方向だけだった。

 

「あれは雲の動きじゃねえ……」

「カンノ、とにかく基地に戻ろう」

 

 不気味な雲の動きに無線も全く役に立たない今、管野は離脱しようと考えた。

 どうしてか、あの雲の中に突入したらいけないような気がしたのだ。

 

「反転!」

「はい!」

 

 3機は頭を下げて宙返り、進行方向に対して180度回頭する。

 こんな時に、ニパのユニットがカンカンとノッキングを起こし、ぐずり始めた。

 

「カンノ!ユニットが!」

 

 そう言ってる間にも、雲の壁はまるで()()()()をしているかのように近づいてくる。

 管野は、「もしもニパのユニットが本格的に不調を起こしても引っ張って脱出できるように」とニパの後ろにひかりを付けた。

 

「おう、ひかり、お前はニパの後ろにつけ!」

「わかりました!」

 

 出力を上げ、必死に雲の切れ間を目指す。

 

 雲の壁が出口を閉じようとしたギリギリで3機は雲の包囲網から逃れる。

 だんだん晴れてゆく霧の中を右からひかり、ニパ、管野と並んで飛ぶ3機。

 とりあえず雲の壁から脱出したので、ニパが飛行不能になった際両側から支えて帰投できるようにだ。

 

「管野さん、アレなんだったんでしょうかね」

「知らねえよ、でも“あれ”は俺たちを捕まえようとしていた」

「カンノ、ユニットが元に戻った」

 

 いつの間にかニパのBf109-K のエンジン音が綺麗な音に戻っていた。

 必死に全速力で飛んでいて気付かなかった。

 

「雲に追われてユニットを壊したなんて言ったら、サーシャに何されるかわからねえ」

「サーシャさんのことだから、『雲が追ってくるわけなんてありません、正座!』とか言いそうだよー、ね、ひかり」

 

 ニパはひかりが何か言ってくれるものだと思って右を見た。

 すると、先ほどまで横を飛んでいたひかりが居ない。

 

「ひかり?カンノ!ひかりが居ないよ!」

「何言ってんだ?……ひかり?どこだ!」

 

 ()()と姿を消したひかりに管野とニパはあたりを見回す、そして燃料ギリギリで502基地に帰還した2人はラル少佐に捜索のための再出撃を具申するが、却下された。

 

_____

 

 

 夕食の席は重苦しい雰囲気に包まれていた。

 消耗した二人に代わりクルピンスキーとロスマン、下原がひかりの捜索飛行をしたものの、霧どころか雲ひとつ無く、墜落したであろう痕跡も見つからなかったのである。

 ニパと管野からひかりの消失までの状況を聞いたラル、ロスマン、サーシャは吹雪を引き起こしたネウロイとの関連性を疑った。

 しかし共通するのは気象に何らかの影響を与えていることと、通信障害を発生させていることだけだ。

 下原やジョゼ、ひかりが帰還できなかったのもユニットが凍結して墜落したからであり忽然と痕跡もなく消失したわけではない。

 とにかく、初日の晩はどうすることも出来ずに過ぎて行った。

 

 管野はひかりがどこかで辛い思いをしているのではないかと、悶々と考えていた。

 ニパも同じく、もうすこし、ひかりのことを気に掛けていたらなと一晩中後悔していた。

 翌朝、二人のやつれた様子にサーシャは出撃のシフトから二人を外した。

 案の定、管野とニパは司令官室のラルに詰め寄っていたが、ラルのよく通る声で一言。

 

「墜落の痕跡もなく雁淵が不時着をした様子もないなら、お前たちが今行っても仕方ない、少し待て」

 

_____

 

 司令官室に居たサーシャによって自室待機を命じられた管野は、「墜落の痕跡が無かったことでまだ生存の望みがある」と言われ、ふとある本を思い出す。

 民俗学者の 柳田某(やなぎだなにがし)が現地民から伝え聞いて著したとされる『遠野物語』には、神隠しという現象があり、忽然と人が消えるという話だ。

 その場合どうすれば神隠しにあったものが出てくるかまでは書いていなかったと思いベッドに突っ伏した。

 

 一方、ニパはひかりの死が確定していないからこそ不安と焦りで苦しい思いをしていた。

 まだ、激戦の中散った戦友のように撃墜が明らかでユニットや遺体を確認できたのであれば折り合いがつくのだろうが、忽然と破片一つ残らず姿を消したひかりはそうではない。

 

「ひかりはアウロラねーちゃんと違って、ひとりなんだよな」

 

 まだ生存の見込みがあるとはいえ、かつて連絡が取れなくなったユニット回収班と違って一人なのだ。

 6月の我が方勢力圏内とはいえ、食料もなく何日も生存できるとは思えない。

 ニパは窓の外を飛び行くジョゼと下原を見て捜索に参加できないことを歯がゆく思ったのだった。

 

 

_____

 

 

 

「502基地、こちら下原。雁淵さんが消えたあたりで、中型ネウロイ発見、交戦します!」

 

 陸上捜索班に先駆けて航空捜索を実施していたジョゼ、下原ペアがさっそく接敵した。

 高速であることや、あるいは低空を利用して南西方面からレーダー監視網をかいくぐり侵入してきたのだろうか?

 先端が細く尖り、低い位置に直角三角形の斜辺の先を切り落としたような後退翼がついているそのネウロイは時速700~850キロほどで真っすぐペテルブルグ方向へと向かう。

 接敵した下原とジョゼが中型ネウロイの機首と思われる部位を撃つと、胴体中央の赤いパネルからビームをまき散らす。

 二人はそれを躱しながら右翼、左翼、尾部と射撃してコアの位置を探る。

 もう手慣れたもので、あっという間に尾部寄りの胴体中央にあったコアを撃って砕いた。

 中型ネウロイは白い破片を撒き散らし墜ちてゆき、爆散した。

 

「定ちゃん、やったよ!」

 

 おそらく、ジョゼの銃撃がコアに命中したのだろう。

 ネウロイの消失を確認した下原が502基地へと戦果を報告する。

 

「502基地、下原です、ジョゼさんがネウロイ撃破。捜索飛行を継続します」

「了解」

 

 下原からの通信に、格納庫でアラート待機についていたロスマンが応答する。

 哨戒飛行組が撃ち漏らしたり、あるいは別方向からネウロイが襲撃してきた際に邀撃(ようげき)に上がるのだ。

 いつもであればアラート待機のウイッチは格納庫近くの部屋で待機しているのだが、今日はユニットの近くで佇んでいる。

 整備員たちも「雁淵ひかり軍曹未帰還」について知っており、ウイッチたちがピリピリとしているのを肌で感じていた。

 もしこのまま戦死認定されれば第502統合戦闘航空団初の戦死者となるのだ。

 腕っこき(エクスペルテ)ばかり集めて、どんなにユニットをぶっ壊しても帰ってくる連中だっただけに、隊員の戦死や重傷が常態化している部隊とはまた違った緊張感が基地全体を包んでいた。

 

「先生、ひかりちゃんが心配なのはわかるけれど、コーヒーでも飲んだら?」

「そうね、でも、あなたもずっとここに居るじゃない」

「僕は先生を一人、ハンガーに立たせておくなんてできないからね」

「別にいいのよクルピンスキー、あなたが居たってどうにかなるわけでもないし」

「ひどいなあ、先生」

 

 ユニットを壊しては「出撃させろ」と喚いていた管野が来ない代わりに、どこか余裕の無さそうなロスマンと、表面上は飄々としているがいつもの軽薄さとは違った雰囲気を纏ったクルピンスキーのこういったやり取りがずっと続いていたのだ。

 

 哨戒飛行が終わった2機の機影が滑走路の向こうの空に見えると、整備員たちはほっと一息つく。

 みな502に配属される前に各地の戦線を経験したとはいえ、やはり出撃機数と帰還機数が合わないのは精神的に来るものがある。

 滑走路に降り立ったジョゼと下原は、整備班にユニットを預けるとすぐ司令官室へと報告に向かう。

 

「下原ほか1名の者、入ります」

「入ってください」

 

 サーシャに促されてふたりが入室するとラルはどこかから電話を受けていて、サーシャは何かの書類を書いていた。

 下原はおそらくユニット回収班への出動命令やら、近隣部隊への協力要請だろうとあたりを付ける。

 受話器を置いたラルは早速聞きたかった事を聞く。

 

「下原、雁淵の手掛かりは?」

「雁淵軍曹の手掛かりはありませんでした、かわりに周辺地域によくわからないものが」

「なんだ」

「扶桑語が記された何かの外板です」

 




ストライカーユニットのエンジンってどう付いてるんだろう…
零式とか紫電って誉のとおり、星形エンジンなのか?
シャーリー回のP-51Dは直列エンジンぽかったな


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お買い物をしよう

※ユニットの始動方法について追記


「お互いに身分の紹介も終わったところで、聞きたいことがあるんだが」

「なんですか?」

 

 今まで、ネウロイやひかりのわかる範囲での世界情勢の説明と言った真面目な雰囲気だったため、気にならなかったが、少し余裕が出てくると目の前で向かい合ってお茶を飲んでいる女子中学生の姿に気恥ずかしいような感覚が尚樹の背中をむず痒くさせる。

 

「どうしてセーラー服の下は、スクール水着なんだ?」

「水着……海軍のウイッチは落水に備えて体温が逃げにくい水練着(すいれんぎ)を着るんです!」

「それは陸上勤務でもそのままなのか?」

「そうですけど」

 

 尚樹は若い女の子たちが上衣の下に()()()()()に見える格好でうろついている様子を思い浮かべそうになったが、堪える。

 とりあえず、現代日本ならば男の情欲の対象になるばかりか、彼女やその同行者に対する刑事罰という二重の意味で危ない。

 未成年の少女にわいせつな格好をさせ、さらに保護者の承諾も無しに家に住まわせてる事が発覚すれば「未成年者略取」などにも問われるかもしれない。

 

「ひかりちゃん、こっちじゃはいてない変態、あるいは下を履かせていない扱いされてしまうからズボンを履いてくれ」

「ズボンも見える範囲はあまり変わらないですよ?」

 

 不思議そうな顔をしたひかりが首をかしげ、それに対して尚樹は体側(たいそく)に太い橙色のラインが入ったジャージのズボンをつまんだ。

 

「こういうズボンは履かないのか?これが一般的なズボンなんだけど」

「長ズボンなんて、男の人かお婆ちゃんしか履きませんよぉ」

「若い女の子しか履かないってミニスカート的な存在なのかズボン」

「みにすかーと?」

 

 多少誇張が入ってるとはいえ魔法力のある少女や若い女の子は基本ズボン姿で、既婚や魔法力のない成人女性、農家などの女性がモンペや長ズボン、あるいはスカートを着用している。

 尚樹はひかりの反応に「この子はやっぱり異世界人だな」と思うと同時に、見える範囲の変わらないズボンって何だろうかと考えた。

 少し上の世代だと咄嗟に体操着の“ブルマ”が思い浮かんだのだろうが、尚樹は“ハーフパンツ”世代であり、ブルマなんてイラストか、成人向けコンテンツでしか見ない存在だったため思い浮かばなかったのだ。

 

「じゃあみんな短パンかホットパンツなのか」

「たんぱん?ほっとぱんつ?」

「どっちも腿の上で切られてる短いズボンだよ」

「たぶんそれだと思います!」

「じゃあ、昼過ぎに買いに行こうか。それまでは俺のジャージでも着ていてよ」

「いいんですか?ありがとうございます!」

「制服がしわになるし、その恰好は目立つからね」

 

 テーブルに手を付いて身を乗り出さんとする勢いのひかりに、ハハハと尚樹は笑うと寝室の箪笥の中に入っていたジャージを取り出す。

 ひかりを寝室に残して尚樹は居間に行き、襖を閉じる。

 

「これから着替えと、風呂をどうするか考えんと」

 

 尚樹は社長から安く譲ってもらった2LDKの平屋に住んでいる。

 テレビやテーブルが置いてある居間、寝室として使っている和室、今は来客用として空いている洋室があり、洋室をひかりの部屋にすることにした。

 次に、尚樹は風呂から上がるとバスタオル一枚のままで髪を乾かし、寝室で新しい服を着てから洗濯機にバスタオルを入れて、そのまま洗濯機を回している。

 しかし、洗面所から和室に行くには居間を通らないと行けず、半裸で年頃の女の子の居るところを通過するわけにはいかない。

 着替えは洗濯かごを置いて洗面所を更衣室にするとして、ひかりの洗濯物をどうするか……。

 尚樹がいきなり始まった異性との共同生活をどうしようかと考え始めた時に、襖が開いた。

 

「尚樹さん、これで良いですか!」

 

 伸縮性があっても、小柄な少女に身長が175センチある成人男性の物では腰回りが大きいようで、ひかりの骨盤のもっとも広い部分で引っかかる感じだった。

 

「だぼだぼして大きいなぁ」

「ズボンは前の紐で絞ったら、まあいけるか。裾は折ろうか」

「はい」

 

 とりあえず、ひかりの制服をハンガーに吊るして鴨居に掛ける。

 

「じゃあ次はユニットと機関銃か。こいつは見られるとマズイよな」

「そうですね、どこに置いたらいいですか?」

 

 次に“ストライカーユニット”をどこに置こうかという話になる。

 いつまでも居間に無造作に転がしておくわけにもいかない。

 機関銃は押し入れの奥に入れておくとして、ユニットはかさばり過ぎるのだ。

 

「とりあえずはひかりちゃんの部屋に置こうか、和室じゃ畳に穴空くしね」

「えっ、部屋をもらえるんですか?」

「うん、板張りの洋室だけど空き部屋があるんだよ。そこを使うといいよ」

「ありがとうございます」

 

 尚樹がふすまの向かい側のドアを開ける。

 そこにはフローリングにテーブル、あとは部屋の隅にあずき色のカーペットが敷かれており、その上に青い工具箱が置かれている。

 人が来ないときは空き部屋という事もあって、尚樹はちょっとした作業部屋として使っていたのだった。

 

「布団だけど敷布団があるんでそれ使ってくれ」

「はい!こんなにきれいな部屋使って良いんだ」

「軍隊の居室よりは狭いだろうけど、我慢してね」

「いいえ、全然狭くないです!」

「じゃあよかった、工具箱とか邪魔だろうから片付けるよ」

「邪魔じゃありません、大丈夫ですよ」

「そうか、じゃあユニット置く場所作るから、ちょっと待ってね」

 

 そう言うと、尚樹は作業に使うボロボロの緑のカーペットを敷き、ユニットを並べて上から目隠しに少しきれいなクリーム色の毛布を被せる。

 

「これでいいかな、整備作業に使ってた毛布だからちょっとボロいけど洗ってるからね」

「ありがとうございます!」

 

 片足づつ運びながら、ユニットを改めてまじまじと見た尚樹は国籍標識が日本の物ではないことに気づき、“赤地に黒い丸”とまるで日食だなと思った。

 

「機会があればひかりちゃんの飛んでるところ見てみたいな」

「わかりました!いつか、飛んで見せます」

 

 

___

 

 

 

 ユニットと武器を外から見えないようにして、ひかりに家の設備の紹介を終えるともう正午を過ぎていた。

 

「ひかりちゃん、もうメシ時になったし買い物に行こう」

「はい!」

 

 ひかりの靴が無いので、とりあえずクロックスを履かせる。

 ジャージ上下にクロックス姿のひかりは学校が終わった後の運動部女子だ。

 今はちょうど中間試験シーズンという事もあって、早上がりの学生たちが至る所でうろうろしている。

 ひかりはと言うと、つっかけのような靴でどれくらい歩けるのだろうかと考えた。

 

「店までどれくらいあるんですか?」

「車で20分くらいかなあ」

「車?」

「表に出たらわかるよ」

「すごい!車がある!」

 

 ひかりにとって自動車というのは異動の際に乗ったトラックか、あるいは姉の送迎に軍が出してくれた黒塗りの自動車だ。

 高度経済成長を迎え、道路網が整備されて国民に広く自動車が普及している時代であるとは想像もしていなかった。

 玄関を出て、カーポートに止めてあるSUVを見てひかりはとても驚く。

 

「戦争が終わって、技術の進歩で普及したんだ」

「おっきい車……」

「ああ、こいつは三菱のパジェロっていうんだ、そこの取っ手を引いたら開くよ」

「ほんとだ、座っていいですか」

「うん、座ったらそこのベルトを留め具に挿してね」

 

 尚樹は運転席に座るとキーをスタートまで回してエンジンをかける。

 6気筒エンジンが震え、電子制御を受けてすぐにアイドル回転へと落ち着く。

 

「あれ、ハンドルは回さないんですか?」

「これ?」

 

 尚樹は目の前にあるステアリング・ハンドルを見る。

 

「違います、エンジンを動かす前に車に差し込んでギュイーンって!」

 

 ひかりの身振りに、ようやく言いたいことがわかった。

 蓄電池の性能が低かった頃は電気モーターの信頼性が低く、ゼンマイをクランクハンドルで回す手動慣性式、いわゆる「エナーシャ」と火薬カートリッジでフライホイールを回すカートリッジ式が主流であった。

 

「ああ、そういうことね。今はバッテリの電気でスタータモーター回して始動してるんだ」

「ユニットもそうなんです」

「へえ、エナーシャ回さないんだね」

「手で回すのは戦闘機や車で、ユニットは発進台がやってくれるか魔法力で回します!」

 

 ひかりは部隊配属後、エナーシャは使わず、起動装置の内蔵されたユニット発進台こと“ユニットケージ”を使うことがほとんどだ。

 そして飛行場以外に降着して()()()を行う場合、手動ハンドルで回すこともあるが大抵は“魔法力と搭載された蓄電池による自力始動”である。

 

 余談であるが、アフリカなどの陸軍部隊ではユニットケージが無く、高圧空気を送る始動車やクランク棒による始動がよく行われているらしい。

 

 車は田畑を抜け住宅地の間を通り、外環状線に出た。

 平日の昼間という事もあって商用車やトラックがそこそこのスピードで走って行く。

 

「速いですね!それに椅子もふかふかだぁ」

「今の車は構造がしっかりしてるんで時速100キロなんて当たり前だからなあ」

「うわー、すっごいなぁ」

 

 見るものすべてが珍しいのかひかりは助手席ではしゃぐ。

 その様子に尚樹は通勤経路がまるでどこかの有名な観光地みたいに思えてきた。

 6月の太陽が和泉の山々を青々と輝かせ、田んぼや住宅といった景色が速く流れてゆく。

 山に見える広葉樹の枝葉が風でなびき、針葉樹林のオラーシャやスオムスでは見られない表情を見せ、ひかりは佐世保の針尾通信所に続く小道を思い出したのだった。

 

____

 

 20分もしないうちに大きなショッピングモールに到着した。

 駐車場に車を止めると、少し歩いて専門店が入っている建物に入る。

 

 ひかりは502基地よりも大きい建物、動く階段に広いホール、そしてモノが溢れんばかりの売り場に驚きっぱなしだった。

 

「ひかりちゃん、迷子になるからあんまり遠くに行かないでくれよ」

「はーい」

 

 尚樹はまるで年の離れた妹が出来たかのような気分だった。

 ひかりはキラキラと目を輝かせて、右へ、左へと駆け寄っていく。

 

「尚樹さん!あっちのクマさんがいる店って何のお店なんですか!」

「あっちはキャンプ用品店だな。ひかりちゃんの服を揃えたら行ってみようか」

「はい、楽しみです!」

 

 婦人服を取り扱っている店に、3万円を握らせてひかりを連れて行く。

 下着類はよくわからないというのと、男が行くような場所じゃないからだ。

 ひかりは女性店員のおすすめのものを選び、店の外で待っている尚樹に声を掛けた。

 

「尚樹さん、似合ってますか?」

「うん、似合ってるよひかりちゃん。とっても可愛いな」

「えへへ、照れちゃいます」

 

 尚樹が振り向くとそこには、かわいらしさと健康的な感じを兼ね備えた服装のひかりがいた。

 具体的にはふわふわとした柔らかさと清楚さをイメージさせる白い襟付きの6分袖シャツに、ハイウエストのショートパンツ姿でそこから延びるよく引き締まった脚がかわいらしさを引き立たせていた。

 

 ひかりはひざ下丈のスカートを店員に勧められたが、どうしてか「吸気口を塞いでユニットを履けない」という発想になり、とっさに「“短いズボン”をください」と言ったのだ。

 

 新しいスニーカーも買い、ひかりは活動的な女の子という感じのいでたちである。

 部屋で読書をしているような物静かなタイプには見えない。

 尚樹はひかりが元気いっぱいに走り回っている姿を思い浮かべて、納得した。

 

「それじゃ、普段、部屋で着る服を探しに行こうか」

「はい、それにしてもお洋服がいっぱいあり過ぎて迷っちゃいます」

「おすすめはジャージとかスウェットだね」

「“じゃーじ”ってさっきまで着てた柔らかい服ですよね」

「うん、運動着だけど、普段着に使ってる人も多いよ」

「“すうぇっと”はどんな服なんですか?」

「ジャージよりは厚くて、冬の寝間着とかに使ってるよ」

 

 スポーツ用品店と服屋を回った結果、ひかりは軽くて通気性もあってやわらかいジャージを選んだ。

 藍色にヒョウのブランドマークが入ったものを1着と、赤い2本線が体側に入ったものを2着の計3着買った。

 

「これで走るんですね」

「うん、そうだけど。ひかりちゃんも走るの?」

 

 売り場近くにあったランナーのポスターを見たひかりが言った。

 

「はい、お姉ちゃんとずっとやってきたので」

「へえ、体力錬成は軍人の日課だよね。俺はあんまり好きじゃなかったな」

「そうなんですか?」

「俺は月に2度の体力検定が無かったら、たぶん何にもしないタイプだしね」

「尚樹さん運動苦手なんですか?」

「うん、苦手ではない、最近やらないだけだ」

 

 軍隊はなにかと「競技会」や「体力錬成」という言葉が好きである。

 フル武装で障害物のあるマラソンをする「持続走競技会」、徒手格闘や銃剣道の競技会、海であれば皆でオールを漕ぐ「カッター競技会」など部隊対抗の何かしらの大会が訓練や演習に挟まって実施されるため、常に何かに備えて錬成をさせられるのである。

 全ては部隊の団結と「最優秀中隊」と記された木の看板のために。

 

 「『できない』じゃなくてやれ」と言われるがゆえに、尚樹は言う。

 

 出来ないんじゃない、やらないんだと。

 そんな尚樹の言い訳を知ってか知らずか、ひかりは笑顔を浮かべて言う。

 

「じゃあ一緒に走りましょうよ、体にいいですよ!」

「ええ……仕事があるから、朝だけな」

「はい!」

「いきなり全開は勘弁してくれ、2年くらい走ってないからね」

「大丈夫です、あ、家の周りわからないので教えてください」

「うん、わかった」

 

 悲しいかな、恋人無し=年齢の男は可愛い女の子に誘われると断れなかった。

 それに治安が比較的良く、案内標識があるとはいえ土地勘のない少女を一人で走らせるわけにはいかないと思ったのだ。

 

 走ることに誘われ、部隊で「持続走優秀中隊」を目指していた時を思い出した。

 新隊員の中でも遅い者を中心に自主トレが推奨され、尚樹たちは部隊の平均タイムを少しでも引き上げるべく走ることになったのだ。

 もっとも、一位が補給や衛生など部隊の運営を担当する本部管理中隊という結果に終わり、古参の陸曹から「ナンバー中隊が本管に負けてどうすんねん」というお叱りを受けたのだが。

 

 尚樹は苦い記憶を頭の隅へと追いやると、先ほど約束していたキャンプ用品店に向かう。

 店内には様々なアウトドアグッズがあり、テントやカヤック、登攀(とはん)用のエイト環やカラビナといった物から食器類や下着まで売っている。

 防寒具も置いてあり、初夏の今は触る気にもならないので素通りして食器や携行食料、コンパスなどが置いてある一角にやってきた。

 

「こんなのもあるんだ」

「メタクッカーか、そういや冬の富士演習場でカップ麺喰ったなあ、凍死するかと思った」

「私も、吹雪の中墜落したことがあります」

「あの格好でよく凍死しなかったなあ」

「下原さんとジョゼさん……仲間が温めてくれたから助かりました」

「ははは、俺ならロシアの極寒は勘弁したいね、シベリア抑留みたいになってまう」

 

 固形燃料と金属製のカップ、そして保持するアルミ合金製の台からなるメタクッカーを見てお互いに寒い経験をしたものだ、と話すふたり。

 その他にも、「あの時、これがあれば」という思い出話をする。

 まだ出会ってから半日であるが、ひかりの人懐っこさと軍隊経験者同士ということもあって話が弾み、楽しいひと時を過ごしたのであった。

 



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ご飯を食べよう

※ハム・ソーセージなどの牛肉加工品→「加工品」に変更。豚肉加工品にしようかと思ったが中身が豚肉だけとも限らない悲しさ。
502基地の調理場にガスコンロがあったとわかったので加筆


 尚樹は昼飯にファミリーレストランに入った。

 ひかりはしきりに周囲を見回し、尚樹に問いかける。

 

「尚樹さん、こんな高そうなところで大丈夫なんですか」

「そんなに高くないから大丈夫だよ」

「だって、こんなに立派な建物なんですよ?」

 

 ローマ様式を意識したようなデザインの白亜の外壁に、淡い褐色の屋根瓦、そして建物の下には駐車場という現代日本でよくみられる外食チェーン店の一店舗である。

 外食の経験に乏しいひかりにとってはおしゃれな建物というだけで、それなりの額のする高級店に思えたのである。

 

“外食の経験が乏しい”とはいうが、扶桑国内で外食をしようと思えば軍港の周辺に行くか、あるいは町の小さな個人食堂になる。

 そうした立地的な状況に加え、“女学生はあまり買い食いをするな”というお達しが出ていた。

 ひかりの居た佐世保航空予備学校に限らず、女学校あるいは師範学校などでも同様だった。

 それは学生の身分であるという以上に、風紀の維持、あるいは盛り場で男にかどわかされたりしないようにという保護の観点からの施策であり、その禁を破ってトラブルに巻き込まれるものも毎期2人はいた。

 ひかりはというとモダンなフルーツパーラーに姉、孝美と行くことはあったが町の食堂に行ったことはなく、家で昼ご飯を食べてからのお楽しみであった。

 

「これ、どれでも選んでいいよ」

 

 席に着くと尚樹に促され、メニュー表を繰りながらどれがいいか考えるひかり。

 総天然色で印刷されたメニューはどれもおいしそうで迷う。

 だが、自分は物価がわからないので、親切な彼に無理をさせていたらどうしようと考えた。

 おそるおそる、一番気になったメニューを指さして反応を伺う。

 まるで3杯目のお代わりを下原さんに頼むジョゼさんみたいだなと思いながら。

 

「いいんですか?このお肉の定食が796円、税別……どうですか?」

「リブステーキか。物価が違うから今は値段見なくていいよひかりちゃん」

「じゃあ、このステーキと洋食セットCが食べたいなあ」

「よし、じゃあ店員さんを呼ぼう」

 

 店に響く電子音、すると細長い機械を持った女性店員がやって来た。

 ひかりはメモと鉛筆じゃないんだ、とまじまじと眺める。

 興味津々といった様子で栗色の瞳で見つめられた女性店員は、どこかやりづらいなあと思いながらも注文を受けて厨房へと消えて行った。

 

「尚樹さん、あれってなんですか?」

「あれは注文を受ける機械だよ、ボタンを押したら何食べたいっていうのが伝票に出るんだ」

「それじゃ、間違いもなくなりますね!」

「少なくはなったね、ひかりちゃん、ドリンクバーに行こうか」

「はい」

 

 尚樹はグラスにアイスティーを入れて見せた。

 その様子を見て、ひかりは緑茶をグラスに入れてみた。

 ボタンを押すと機械の音がしてボタンを押してる間淡い緑色の液体、緑茶が出てきた。

 

「うわー、急須もないのにどうやって出てるんだろう」

「中に、お茶とかジュースを濃くしたものが入ってて、それを薄めて出してるんだよ」

「これがあったらみんなジュース飲み放題ですね!」

 

 ひかりはラル隊長がこのジュースを注ぐ機械からコーヒーを淹れて、一口。

 

「……うまい」

 

 と言っている光景を想像して笑いそうになったが堪える。

 そんなひかりを見た尚樹は言った。

 

「ひかりちゃん(あふ)れてる(あふ)れてる!」

「うわわ!」

 

 グラスの縁まで入り、表面張力で留まっているお茶を少し捨てて、座席に戻るふたり。

 注文したものが届くまでの間に、今日の晩御飯の相談をする。

 

「そういえばさ、ひかりちゃんは得意な料理ってあるの?」

「お姉ちゃんの海軍カレーが好きです……って、得意な料理はその……」

 

 ズレた回答といい、言い淀んでいる様子から尚樹は察した。

 

「ああ、苦手なんだな」

「出来ないんじゃありません、下原さんやお姉ちゃんがやっちゃうから……」

 

 ひかりは実家では母や姉が料理をして、502に入れば、ほとんど下原やジョゼがやってしまい、料理を主体的にしたことがないのだ。

 

「わかった、今晩は独り身男性の手料理を見せよう」

「男の人の料理、大丈夫なんですか?」

「大丈夫、少なくとも昭和の関白お父さんよりはね!」

 

 笑顔で聞いてくるひかりに、「キッツいことを言うなあ」と尚樹は言い、胸を張る。

 男女同権が進み、今や“男子、厨房に立たず”の時代ではない。

 現代の男子は料理、洗濯、家事が出来なければ、「生んだ覚えのない長男」と揶揄されてしまうのだ。

 

「楽しみにしてます」

「任せて。おっ、来たみたいだぞ」

 

 ひかりのリブステーキ(200g)+洋食セットが到着し、追って尚樹のネギトロ丼がテーブルに並べられる。

 

「尚樹さん、牛肉ですよ、牛肉!久しぶりだなぁ」

「そうだなぁ、早く喰わんと脂が固まるぞ」

「はい!いただきます!牛肉っておいしいですね!」

 

 すごい勢いで食べるひかり。早飯は兵士の職業病のひとつであるのだ。

 さらに第502統合戦闘航空団において“肉”と言えば何の肉かわからないのが当たり前であった。

 ある時はトナカイ、ある時は野ウサギ、ハムやソーセージと言った加工品、ある時は扶桑から送られてきた牛肉の大和煮のカンヅメ。

 とにかく何が出てくるかわからないのだ。

 その肉すら補給が滞ると消え失せ、わずかな小麦で作ったすいとんになったのだ。

 

 502の後背に刃を突き付けていた“グリゴーリ”を撃破し後方補給線が確保されてなお食糧事情は万全と言えず、輸送船団がひとたびガリア・カールスラント近海で襲撃を受ければ、その月の定期輸送物資は海の底なのである。

 ある時、姉が扶桑経由で2回に分けて送ってくれた補給の牛缶は片方が海の底に沈み、もう一つのほうはクルピンスキーに食べられたり、残ったものは料理のできる下原の手によってビーフシチューの具になった。

 しかしながら、ひかりよりジョゼの方がお代わりのぶん多く食べていて、せっかくの牛肉を食べた気がしなかったのだ。

 そして、師匠であるロスマンより「人生は楽しむもので、人の楽しみを食べる偽伯爵の様になってはダメよ」と教わった。

 

 こうした食事事情からひかりは「美味しいものを食べられるときに特に速く食べる」という習慣を身に着けていたのだった。

 

 ひかりは冷える前に肉を食べ終わり、洋食セットのバゲットとコーンポタージュスープに取り掛かる。

 

「このパンふかふかで柔らかーい」

「そんなものじゃない?」

「違いますよ、オラーシャの黒パンはとても硬くってちょっと酸っぱいような味なんですよ」

「ああ、補給物資のパンとか保存のために水分飛ばして堅そうだよなあ」

「そうなんですよ……こんな見た目のガリアのパンもとっても硬くって」

 

 パン一つとっても品質が良くなっており、あんまり食べ過ぎると元の食生活に戻れなくなってしまうのではないか?とひかりは思った。

 

「こっちにいる間はイーストを使った柔らかいパン食べていいんやで」

「ありがとうございます、ううう……」

 

 しかし美味しいものをもっと食べたいという欲求には勝てないのが人のサガで、ひかりはメニュー表を見てしまうのだった。

 

「育ちざかりだからお腹空くよな」

「大丈夫、大丈夫ですから!」

 

 結局、ひかりはドリンクバーで色んな飲み物を試して、お腹を膨らませることになった。

 

「飲みすぎてお腹が苦しいです」

「そりゃ10杯近くも飲めばなあ」

 

 

 ファミレスからの帰りに尚樹はひかりに目印になる建物、店となにかに使えそうな空き地を紹介した。

 これさえ知っておけばランニングや車を使わない買い物ができるからだ。

 尚樹がいないときに食事を取りたければひかり自身で買い出しに行かねばならない。

 幸いにも家の近くにはコンビニエンスストアと、植物や食品を売っている店があるのだ。

 尚樹がひかりに軽く店の紹介をして帰った頃には、もう夕ご飯の支度の時間になっていた。

 

「思ったより時間喰ったな、よし時短メニューその壱」

「何か手伝えることがあったら言ってください」

「わかった、そこで見ててよ。必要になったら言うから」

 

 尚樹はそういうと片手鍋を出して、3玉156円の冷凍うどんを全部放り込む。

 そしてガスコンロに点火する様子を見ていたひかりは実家の“かまど”の火おこしを思い出して驚いていた。

 502基地にもガスコンロはあったが、下原がずっと使っていたのでひかりの印象には残らなかったのだ。

 

「これって薪はいらないんですか?」

「ガスだからね、うちは外のプロパンのタンクから引いてるよ」

「この取っ手を回すだけで火が付くんだぁ……やってみたいなあ」

「じゃあ、温泉卵を作ろうか。こっちのツマミを押しながら回してみて」

 

 ひかりはこわごわコンロのツマミを点火位置のある左へと回した。

 シューっというガスが噴出する音と、チリチリと言う点火火花の音がしたのだが完全な点火とはならずに消えてしまった。

 

「くさーい」

「燃えてないガスが噴いたんだな。次は火が付いて1秒ぐらいそのままにしてみたら?」

「はい、やります!」

 

 2回目の点火は上手くいった、火が付いたのを確認して尚樹はつまみを中火まで絞る。

 

「ひかりちゃん、冷蔵庫……白い扉のやつの上の扉から卵のパック取って」

「はい!これですか?」

「早い、物覚えがスムーズだね」

「さっき、うどん玉を出しているところを見ていたんです」

 

 ひかりは目に映る新しいものの用途がだんだんとわかって来ていた。

 尚樹はその間も卵を茹でたり、粉末うどんだしスープを投入したりといろんな作業をしていた。

 しかし、“温泉卵”が茹ですぎて“ゆで卵”にならないように気を付けるだけで、特別注意が要るものでもなく、次の指示を待っているひかりにやることを与える。

 

「ひかりちゃん、そこの食器棚にどんぶりがあるんだけど、出してここに並べてくれないか?」

「はい、大きいほうがいいですか?」

「うん、あとは薬味のちっさい皿があるといいかな」

「はい!」

 

 こうして、晩ご飯は温泉卵と油揚げが乗ったきつねうどんとなったのだった。

 

「だしが効いていておいしいですね!」

「まあ、粉末スープとか入れてたし、この油揚げおいしいね、ひかりちゃんが切ってくれたからかな?」

「ただ切っただけで味なんて変わらないですよぉ」

 

 尚樹はいやいや、女の子の手作り感がいいんだよと思いながらもひかりを褒める。

 

「ひかりちゃん、お手伝いありがとうね」

「いえ!お世話になるので!」

 

 こうして夕食も終わり、二人で協力して洗いものを終えた。

 あっという間に洗い物が終わったため、風呂の説明をして、ひかりが入浴している間にひかりの部屋に敷き布団と毛布を運ぶ。

 布団も敷き終わって尚樹の入浴が終わるといよいよ長い同居生活初日が終わろうとしていた。

 

「ひかりちゃん、おやすみ」

「おやすみなさい」

 

 ふたりは居間で別れると、それぞれの寝室に入る。

 

 ひかりは尚樹と離れて一人になった途端、急に502の事や姉、両親のことが頭に強く浮かんで気づけば涙ぐんでいた。

 最初は異世界と言われても目新しい物に優しい扱いと、どこか夢の世界みたいなところがあって楽しかった。

 しかし、一人になって思うのは“もし、このまま帰れなかったら永遠の別れになるんじゃないか”という事であり、それがどうしても悲しかった。

 

「管野さん、ニパさん、お姉ちゃん、お父さん、お母さん……グスッ」

 

 尚樹は風の音に交じって聞こえてくるすすり泣く声に、突如自分の世界と離別させられたひかりの心境を思って尚樹も泣きそうになる。

 しかし、ホームシックで辛い思いをしているひかりにどう声を掛けていいかわからない。

 自分と一緒にいるときは明るく振舞っていただろうひかりが泣けるのは一人になった今しかないのだから。

 まだ、彼女の辛さを受け止めてやれるだけの関係ではないのだ。

 尚樹は誰に聞かせるわけでもないが、ポツリとつぶやく。

 

「ひかりちゃんが帰れる方法を探すにしても、情報が欲しいな……」

 

 真っ暗闇の部屋で電灯を目で追いながらいろいろと考えてみたが、結局、すぐに眠りに落ちて行ったのだった。

 




ようやく初日終了。
ひかりちゃんは遭難するも衣食住を手に入れた。


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自動車用語の説明や表現のミスとかいろいろ後で修正が多くてすみません。



 ひかりは朝方まで泣いて痒い目を擦りながら布団から出た。

 時刻は午前5時30分、ペテルブルグ基地における起床時刻まで30分もある。

 ここはペテルブルグ基地であって自分は不思議な夢を見ていたのではないかと思ったが、全体的に柔らかい寝具と頭が沈みこむ不思議な感触の枕が現実であると教えてくれた。

 

「泣いてちゃダメだ……」

 

 そう、自分に言い聞かせるように言うと、昨夜使った洗面所に向かう。

 そこで、髭を剃っていた尚樹と鉢合わせした。

 

「おはようございます、尚樹さん」

「おはよう、その、目を冷やすといいよ」

「ありがとうございます」

 

 尚樹は気を使ったのか、深く詮索せずに洗面所を出て行った。

 鏡に映った顔は目の周りが赤くなったひどい顔だった。

 こんなに泣いたのは、フレイヤー作戦直前に孝美との勝負に負けて第502統合戦闘航空団を去り、カウハバ基地へと行くことになった時以来かも知れない。

 赤く腫れたまぶたをしばらく冷やして赤みが引いた頃、居間の方から良いにおいが漂ってきた。

 顔を洗ったひかりが居間に行くと、尚樹がテーブルに朝食を並べているところだった。

 彼はすでにジャージから制服である暗いグレーに白いネームが入ったツナギ姿に着替えていた。

 

「わぁ、みそ汁に納豆、焼鮭、銀シャリなんて久しぶりです!」

「まあまあ食べて、食べて」

「……はい」

 

 ひかりは明るく振舞おうとするが、声が震えている。

 尚樹はそんなひかりの様子には触れず、昨日の昼と変わらない調子でひかりを促した。

 

「食べながらで良いから聞いてくれ、俺は今日から仕事があるんだ」

「はい、何をしたらいいですか」

「そこでひかりちゃん、お留守番を頼みたい」

「わかりました」

「まあ、一人で家に居るのも退屈だろうから、テレビを見るなり俺の部屋のマンガを読むなり好きにしてていいよ」

 

 心の整理がつかず、すこし暗い様子のひかりの気を紛らわせようと尚樹は朝一番でダンボールに入れっぱなしで放置していた漫画本を自室の本棚に並べたのだ。

 ただ題材が「引きこもりが隣室の後輩とエロゲを作ろうとする話」とか「最終兵器に改造された彼女の話」とかなんともツッコミどころのあるラインナップだった。

 

「ごちそうさまでした、お仕事がんばってくださいね」

「ありがとね。ひかりちゃんも休暇だと思ってくつろいでよ」

 

 手早く二人分の食器を洗った尚樹は、ひかりに見送られて家を出た。

 

 外環状線を南下して泉大津方面へと車を走らせる。

 朝の時間帯になると南海本線を跨ぐ高架橋付近が異常なまでに渋滞するのだ。

 この渋滞を抜けるころには7時半くらいになっており丁度始業時間の20分前くらいに到着するようになっている。

 信号を同じ位置で数回見送りながら、尚樹はカーステレオでFMラジオを聞く。

 いつものラジオパーソナリティが軽妙なトークと共にリクエストのあった音楽を流す。

 曲が終わり、ニュース紹介があった後にパーソナリティが気になったニュースについて触れる。

 

『昨日、大阪南部で朝6時20分ごろ、4分間の大規模な電波障害があり、総務省は原因を調査中とのことで……』

 

 尚樹は電波障害のニュースを聞き、その時刻に心当たりがあった。

 ちょうど、ひかりがやってきたと思われる時刻である。

 偶然の一致か、あるいはひかりをこの世界へと送った何らかの力のせいなのか。

 尚樹は後で電波障害について詳細を調べようと思ったのだった。

 

_____

 

 車を持ち上げるリフトが4基あり、6台まで入る整備工場に、小さな事務所が併設された建物が尚樹の仕事場である。

 

「おはようございます」

「おはよう、オヤジ今日は出勤日やって」

 

 挨拶しながら事務所の引き戸を開けると、くたびれたソファーに深く腰を掛けている男が振り向く。

 寝癖を赤いバンダナで圧している彼は重松陽平(しげまつようへい)である。

 シゲマツ自動車の創業者にして社長である重松陽士郎(しげまつようじろう)の息子で、武内尚樹がシゲマツ自動車へとやってきたのも彼の誘いがあったからである。

 

「そうか、お前一日中怒られっぱなしになるな」

「やめろよ、美月(みづき)への愛情をちっとは分けてくれたってええやんか、なあ」

 

 陽平は愛娘に対する父親の可愛がり方と、実の息子に対する厳しさの格差がひどいと訴える。

 

「おいおい、しっかりしてくれよ“次期社長(跡継ぎ)”」

「俺よりお前の方が腕良いし、おやじも目を掛けてるぞ」

「マジか、でもお兄さん方が納得するかな?」

「いいや、兄さんらからしたら俺らどっちもヒヨッコだしなあ……」

 

 尚樹と陽平はそんな雑談をしながら、奥のロッカーに鞄を入れて、始業準備を始める。

 そこに次々と先輩の整備士たちが出勤してきた。

 

 泉佐野市の一角にある自動車整備工場、シゲマツ自動車は従業員13名の小さな会社である。

 社長に、2人の営業、事務の女性社員2人、そして尚樹と陽平含む9人の整備士がいる。

 平均年齢は34歳で、尚樹と陽平が自衛隊から転職してくるまでは最年少が31歳と全体的に中高年が主力の職場で、昨今の自動車業界における若手不足の代表例みたいな職場であった。

 

 午前8時。

 年季の入った作業帽に鋭い眼光、50代後半とは思えない引き締まった身体の男が事務所に入ってくる。

 彼が重松陽士郎社長である。

 孫娘の前では鼻の下を伸ばすおじいちゃんであるが、ひとたび現場に出れば厳しい“鬼の整備主任”となる。

 それでもベテラン組に言わせると「だいぶ丸くなった」のだ。

 

「おはようございます」

「おはよう、みんな揃っとんな、朝礼やろうか」

 

 社長の到着と同時に朝礼が始まり、伝達事項や、クレームの内容などを全員で共有する。

 

「今日も事故無く行くぞ!」

「はい!」

 

 朝礼最後の社長の号令に応え、整備士たちはそれぞれの割り当て作業に散って行く。

 尚樹は早速、先週土曜日に入った出力不足のトヨタ車に取り掛かる。

 燃料をシリンダー内に噴射するインジェクタがススで汚れて、適切な混合気が作れていなかったのだ。

 インジェクタを洗浄し、試運転や外部診断機でその他の異常がないことを確認すると次の仕事に取り掛かる。

 

 昼前になった時、緊急で始動不良の車が積車(せきしゃ)に乗せられて持ち込まれ尚樹のもとにやってきた。

 見ただけで走り屋漫画に登場するような旧車と言うのがわかり、尚樹は焦る。

 なにせ、現在の整備士の教本から燃料を負圧で吸い出し、気化させて混合気を作る“キャブレター”はとうに消えている。

 燃料は気筒内直接噴射式(ダイレクトインジェクション)とインテークマニホールド内噴射の2つと紹介されているのだ。

 そしてこの仕事についてからもほとんどがインジェクタ化、電子制御化された90年代以降の車であり、旧車は触ったことが無かったのだ。

 工場や事務所を探すが間の悪いことに動ける人がおらず、仕方がないので社長に声を掛けた。

 

「おやっさん、キャブ車来たんですけどどうしたらいいですかね?」

「おう、キャブか、正彦(まさひこ)がええな」

「マサさんは今、外に試走に行ってます」

「おう、じゃあ他居らんから俺がやったる、たぶんカブっとるからプラグ変えとけ」

 

 尚樹がボンネットを開けると、現代の車にはもう無いデストリビューターから高電圧を流すハイテンションコードが4気筒分伸びており、先端のプラグキャップがシリンダヘッドカバーに突き刺さっている。

 プラグキャップを引き抜いて取り外した点火プラグを見てみると黒く湿っていて、燃料過多で火が消えていることがわかる。

 適切な時期に強い火花を放つ点火系のチェックの後は、よい混合気を作る燃料系・吸気系のチェックに入る。

 

 空気を吸うラッパのようなものが4つ付いていて、それがキャブレターである。

 キャブレターはラッパの口から吸った空気の流れでガソリンを吸い出して、燃料と空気の混合気を作るのだ。

 尚樹は社長がキャブレターをあっという間に修理し、手を当て吸われる感覚で空気吸入量を診て、アイドル調整スクリューを回してセッティングしている様子を間近で見る。

 アイドリング時の回転数が増えたり減ったりと不安定になると回し、全ての気筒分を合わせて一定の回転速度になるようにする。

 これぞ熟練の技であり、尚樹たちのような平成生まれの整備士が出来ない芸当である。

 

「ECU制御と違ってキャブはエンジンの声を聞いたらんとアカン」

「おやっさん、すみません、ありがとうございます」

「ええよ、いきなりは出来へんしな、次行け、次」

 

 そう言いながら社長はスロットルワイヤを引っ張ってスロットルの弁を開閉させてエンジンを吹かす。

 どうやら社外品のキャブレターを組んだオーナーがセッティングをミスってプラグが失火、エンジンが掛からなくなった様だ。

 音の静かなハイブリッドカーの車検前点検をしている横で、キャブ車の独特のサウンドが響き渡り、若そうなオーナーに引き取られていった。

 

____

 

 

 

 尚樹が仕事をしているとき、家に一人残されたひかりはずっと家族や502のことを考えていたが、疲れたので気分を紛らわせようとテレビをつけた。

 

『お昼のニュースです』

 

 ひかりはニュース番組を見て、いろいろな場所での出来事が映像で瞬時にわかることに驚いた。

 趣味の一つとなっていた姉の新聞記事集めにしても、手元に届くより大分前の出来事についてであり、速報性は無い。

 従軍記者や現地特派員が扶桑に写真や原稿を持ち帰るまで早くて2週間かかり、大概は2か月ほど前の情報なのだ。

 特に扶桑はアフリカやブリタニア、スオムス、ガリア、オラーシャと世界各国に出兵しており、アフリカやスオムスにおいては3~4か月かかることも珍しくなかった。

 これらは電信技術が未発達だからであり、民間人の交通手段は船便が主流でネウロイの状況に大きく左右されるものであった。

 

『7日午前11時頃、岐阜基地のF-4戦闘機が消息を絶ち、現在航空自衛隊は周辺地域の捜索を……』

 

 ひかりは戦闘機の乗員が行方不明と言われていることに対して、自分も向こうの世界では行方不明者として捜索されているはずだと思った。

 おそらく、皆が自分を探しているだろうと。

 

 管野さんは無茶な出撃をしていないだろうか?

 ニパさんは墜落して二重遭難になっていないだろうか?

 ロスマン先生は自分を責めてはいないだろうか?

 サーシャさんとラル隊長のお仕事も増やしてしまったに違いない。

 ひかりは皆に申し訳ない気持ちになると共に、部隊のことがいろいろ不安になった。

 

『10日の午前6時15分ごろ、大阪府南部で大規模な通信障害が発生しました』

 

 ひかりはニュースを見ていたが、来たばかりでこの世界についてわからないことも多かったのでテレビの電源を落とすと、自室に戻る。

 

「尚樹さんは、19時過ぎにならないと帰ってこないんだよね」

 

 16時までは補導のリスクを下げるために家からあまり遠くに出られないため、ランニングコースを走るわけにもいかず、ひかりは時間を持て余していた。

 部屋の整理整頓をしてみたり、漫画を読んでみたりしたがすぐに読み終わってしまい、結局、被せてある整備毛布を剥ぎ取ってストライカーユニットを眺めることにした。

 

「ねえ、チドリ、私、帰れるかな……」

 

 愛機に話しかけるが、ユニットは何も言わない。

 ただ、相棒が点火してくれるその時を待つばかりである。

 

_____

 

 19時くらいに車の音がして尚樹が帰ってくると、ひかりは玄関に向かう。

 

「ただいま」

「おかえりなさい!」

 

 ドアを開けた時にひかりが待っている様子に、尚樹は何故か犬耳が生えて尻尾をぶんぶんと振っているように見えた。

 もっとも、ひかりは魔法力も何も使っていないので尻尾と耳は出ていないし、使い魔は扶桑リスだ。

 

「ひかりちゃん、晩ごはんにしようか」

「はい!今日の晩御飯は何ですか?」

「買ってきたブタ玉でお好み焼き定食だ!」

「お好み焼きって初めて食べます、どんなのかな?」

 

 発泡スチロールのケースに入ったお好み焼きを皿に出して、電子レンジに入れる。

 そして、前もって予約しておいた炊飯ジャーからご飯を茶碗に盛り付ける。

 これで“お好み焼き定食”は完成だ。

 

 大阪においてお好み焼きは“おかず”であって、別にご飯が付いてくるのである。

 

「いただきます」

 

 二人は手を合わせてお好み焼き定食を食べる。

 

「ソースと豚肉の味がするやろ、そこでご飯を食べる」

「はい、美味しいですね。こんな食べ物があったんだ!」

「昔、これより質素な一銭洋食なるものがあったらしいね」

「一銭で食べられるんですか?」

「駄菓子屋とかで売ってたらしいよ」

「うちの近くの駄菓子屋には無かったなぁ」

「大阪とか京都が発祥って説もあるし、佐世保には浸透してなかったのかな」

 

 小麦粉を水で溶いて焼く、いわゆる粉物(こなモン)の歴史について話しながら二人は食べ終え、流し台に立った。

 

「晩が店屋物ですまんね」

「大丈夫です、私が料理出来たらなぁ……」

「俺は女の子に家事を強制する気はさらさらないよ」

「違うんです、家に居るとやることが無くって……」

「やることがない、か」

 

 ひかりが申し訳なさそうに目を伏せるのを見て、尚樹は帰りの運転中に考えていたことを言おうと決めた。

 

「ひかりちゃん、いいかな」

「何ですか?」

「ひかりちゃん、帰りたいかい?」

「……帰りたいです、帰ってみんなに会いたい!」

 

 ひかりは尚樹の問いかけに、堪える。

 気を抜けば泣き出しそうになる、すでに目じりに涙が溜まり始めていた。

 尚樹はひかりの目を見て、「話そう」と決断した。

 

「帰れるかどうかわからないけど、可能性はある」

 

 これは、あるかどうかわからない可能性を提示しひかりに僅かな望みを持たせる残酷な話である。

 

「ひかりちゃんが来た時刻に、大阪では謎の電波障害が起こった」

「電波障害?」

「そう、ラジオがどこかと“混信”し、ロシア語のようなものが聞こえてすぐ雑音に変わったらしい」

 

 尚樹は複数の報道番組や、ニュースサイトを見て電波障害についての情報を集めたのだ。

 ネット上にはロシアによるジャミング、あるいは電離層に何かあったのではないかと言う憶測が飛び交っていたがいずれも決定的な証拠は無く今のところは原因不明とされていた。

 

「それがどうしたんですか」

「ひかりちゃんの所属部隊は何所に居たんだっけ」

「オラーシャのペテルブルグです……あっ!」

「そう、オラーシャ語じゃないのかってね」

「……でも、私はどうしたらいいの!」

 

 尚樹が“オラーシャ”を“ロシア”と呼んでいたことを思い出した。

 ただ、それは来た時の話であって、帰るためにその情報がどう活きてくるのかわからず、ひかりは悲鳴のように言った。

 

「俺たちに出来ることはと言うと、電波が乱れていつか帰れるときに備えて準備しておくことだけだ」

 

 いつ電波障害が起こるかわからない。もしかして二度と起こらないまま年月が過ぎていくかもしれない。

 電波障害が起こってもどのように帰ればいいかわからない。

 

 これは賭けにもならない賭けで、こんなものにチップを賭けるやつはよほどのバカ者、楽天家か、切羽詰まっているやつのどちらかである。

 ひかりも尚樹も後者であり、とくにひかりは運命を左右される当事者である。

 だが、「いつか帰る」という目的意識が生まれ、ひかりは「この話に乗ろう」と決意した。

 

「ひかりちゃん、いつか帰れるようにやれるだけのことはやろう」

「はい!やってみなくちゃわかりません!」

 

 涙ぐんでいても、強い意志の篭った目で見上げるひかりを尚樹はとても綺麗だと思ったのだった。

 



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遺留物

修正:ペテルブルグ南西720m→約720km地点


 1945年、6月20日

 ペテルブルグより南西550㎞の地点において正体不明の金属片が発見され、雁淵ひかり軍曹の捜索に向かっていたユニット回収班が金属片を持ち帰ってきた。

 その灰白色に下面が黒く煤けた金属片はトラックから降ろされ、ユニットの前に転がされる。

 報告をした下原と同じく扶桑人の管野はラルに格納庫に呼び出された。

 格納庫までの道すがら、下原は管野に声を掛けた。

 

「管野さん、ちゃんと寝てますか?」

「ああ、俺よりニパの方がもっとひでえ顔してるよ」

 

 管野は横を歩いている下原にそう言うが、目の下にはクマが出来ていたし、とても疲れ切っている様子だった。

 寝ても覚めても突然消えたひかりを探しているのだ。

 

「ニパさんも『ワタシよりカンノの方が』って言ってましたよ」

「アイツも毎晩ひかりの夢を見るとか言ってたしお互い様じゃねーか……」

 

 管野とニパは哨戒飛行に志願し、ここのところ朝と夕方の二交代でずっと飛び続けていたのだ。

 サーシャからストップが掛かるといったんは辞めるのだが、「勝手に発進する」などまるで502が発足して配属されたばかりの頃のような危うさを見せるようになったのだ。

 管野に関しては多少成長したのかユニットが壊れず帰ってくるようになったことから、生存の見込みがある1週間ラルは黙認していた。

 

「私は雁淵が墜ちたとは思わん、だがやりたいようにやらなければ悔いが残るというものだ」

 

 しかし、1週間以上毎日のように哨戒飛行をさせられてはユニットも悲鳴を上げるというもので、“重整備(オーバーホール)”の名のもとに整備班長により強制的にドクターストップならぬ“飛行停止処置”が行われてしまったのだ。

 雁淵孝美を呼ぶための出撃や、管野・ニパ・クルピンスキーで配給のチョコレートを賭けた撃墜レースの時のように整備班に賄賂を渡して復旧させようとした。

 だが、誰に尋ねても「部品がない」との一点張りで紫電二一型が修理されて発進台に乗ることは無かった。

 予備機として残されている零式艦上戦闘脚二二型もロスマンやサーシャの厳重な管理によっておいそれとは持ち出せそうにない。

 

 管野は未だにひかりの消失を受け入れようとはしなかった、いや、「ひかりはもういない」と認めてしまったら、それはひかりの死を意味する。

 死んでしまえば彼女は皆の思い出の中の存在となり、そして忘却されていくのだろう。

 管野は自分の中に“あいつはもうダメだ”と冷徹に判断しているところもあったが、それがたまらなく怖く、撃墜されたわけでもなく“死んだ”とされることが悔しかった。

 だから、子供じみていると言われようが、現実逃避と言われようができる限り抗おうと決めたのだ。

 

 格納庫に二人が入ると、ラルとロスマンが金属片の前で立っていた。

 下原と管野がやってきたことに気づいたラルは振り向いて尋ねる。

 

「下原、管野、これは何と書いているか読めるか?」

 

 灰色の塗装が施された金属片にコーションマーク(注意書き)と思われる表示と赤い矢印が記されていた。

 

「危険、アレスティングフック」

「着艦フックがついているってことは、こいつは艦載機の破片だ」

 

 下原が読み上げ、管野は艦載機の破片であることに気づいた。

 ジュラルミンのような素材で出来た破片をもう一度見て、ロスマンは下原に尋ねる。

 

「下原さん、心当たりはあるの?」

「変ですね、扶桑にこんな部品がついている航空機なんてありませんよ?」

 

 現在、どこの国の航空機も黒く焦げた遮熱板のような尾部の航空機は存在しないのだ。

 尾輪式の航空機がほとんどであり、わざわざ遮熱板のような異なる金属を取り付ける意味はさしてないのだ。

 

「下原が言うように、正体不明の航空機の残骸だとしてそれがいつ現れたかだ」

「俺は霧の中で地表が見えなかった」

「ひかりさんの捜索に行ってすぐには何もなかったわ」

「私がネウロイと戦った後でしょうか、それまでは何もなかったように思います」

「じゃあ、下原が撃墜したネウロイの部品だって言うのかよ」

「ああ、その可能性が高い。奴らは金属と同化する特性がある」

「クルピンスキーのユニットが刺さっていたこともあったでしょう」

「そうだ、ネウロイは何所からこの部品を取り込んだ?」

 

 ラルの言葉に、管野と下原はあることに思い至った。

 哨戒飛行にあたっての偵察情報に「不審な発光体」や「よくわからない電波」というものがあったではないかと。

 普通であれば「作戦行動中行方不明(MIA)」の一言で早々に捜索が打ち切られる。

 平時の訓練中ではなく、戦闘激しい最前線においてウイッチ一人にいつまでも貴重な戦力を割くことなどできないのだ。

 だが、他部隊や502の作戦機を使って10日経った今も捜索が行われている。

 

「お前たちが考えている通りだ。これであの近辺を大規模捜索する口実が出来たというわけだ」

「上層部としても、今度の事態はネウロイの新しい戦術によるものだと考えているの」

「そして奴らが“どこから来るのか解るかもしれない”とな」

 

 笑みを含んだラルの言葉に管野と下原はまだひかりの捜索が打ち切られないこと安堵したのだった。

 その瞬間、基地内に警報が鳴り響き、電話番についていたサーシャの声でラルとロスマンは司令官室へと走ってゆく。

 

「管野さん、下原さんは作戦室で待機!」

 

 ロスマンの指示通り、二人は作戦室へと向かう。

 哨戒飛行に出ていたニパとクルピンスキーが帰ってくると、ラルによって重大情報がもたらされるのであった。

 

 45分前。ペテルブルグ軍管区内の数か所のレーダー基地でレーダーのスコープを大きくかき乱すような電磁波を観測した。

 こうなると光点に覆われたスコープに代わり、監視哨の目視と空中聴音器が頼りとなる。

 ペテルブルグの南西720㎞地点において積乱雲のようなものが天まで延び、雲の中に雷光が走る様子を複数の哨所が確認した。

 

「警報!警報!ネウロイ反応!総司令部に通達!」

 

 本当はジャミングの裏付けを取る必要があるのだが、各哨所からの有線電話が司令部に集中しており電話交換手の仕事が追い付かなくなっていた。

 レーダーサイトの当直士官が叫び、その声に基地司令が上級部隊直通の赤い電話機の受話器を取る。

 電波障害に特異な形状の雲、これは(ネスト)クラスが現れたことを意味していた。

 この非常事態にペテルブルグ軍管区の全基地および駐屯地に警報が発令され、外出者は全員兵営に呼び戻されて、臨戦態勢を取る。

 新たなネウロイの巣の発生は、ペテルブルグ軍集団の喉元に再び刃の切っ先を突き付けることになるのだった。

 

 巣の完成からおよそ5時間後、尖兵と思われるネウロイが確認され、夜間哨戒に上がった下原とロスマンが撃墜した。

 その際も新たな遺留物がないか一応捜索が行われており、新しい金属片は見つからなかった。

 

____

 

 ネウロイの巣出現より29時間後、第502統合戦闘航空団のグンドュラ・ラル少佐はスオムスのヘルシンキに所在する連合軍北方総司令部へと呼び出された。

 一晩経って各所から集まってきた情報からおおむねの規模がわかり、司令部は巣を早期撃破する作戦を立案し始めていたのだった。

 それにあたって502に威力偵察を実施せよとの命令を下達するためと、もう一つは雁淵ひかり軍曹の件で呼び出されたのである。

 

 ラルは管野とニパの報告にあった雲と、ネウロイの突如出没して撃破後は幻と消える性質から、この新しい巣は「君の部隊の隊員である雁淵軍曹の消失と関係があるのではないか?」と問われた際、臆せずに言ってのけた。

 

「もし、関係があったなら救出作戦の許可は下りるのですか?」

「ああ、ただ、奴を倒さないことにはそれすら叶わないが」

「マンシュタイン元帥、我々はそのために居るのです」

「心強いな、さすがはグリゴーリを倒した魔女たちだ」

「光栄です元帥、つきましては……」

 

 不敵な笑みを浮かべたラルに、マンネルへイム元帥とマンシュタイン元帥、そして幕僚たちは圧倒される。

 列車砲を使用したフレイヤー作戦の失敗を尻拭いした形でコアを粉砕した502の発言力は前より大きくなっていた。

 同時に、新たな巣への打撃部隊の中核としての期待を背負わされることになったのだった。

 

 総司令部から帰ってきたラルは全員を作戦室に集めて威力偵察作戦を行うことを告げた。

 

「早速だが新しい巣を“レーシー”と呼称する」

「言い伝えに登場する、旅人を迷わせる森の精ですか」

 

 サーシャが名前の元ネタに反応した。

 ひかりの行方不明を受けての命名だろうと考えると複雑なものを感じたのである。

 

「これだ、レーシーは現在ペテルブルグ南西約720km地点で静止している」

 

 スライドに映されたレーシーの姿に管野とニパは声を上げる。

 

「これって俺たちをあの時追いかけまわした雲じゃねえか」

「ひかりはあの中にいるのかな……」

「お前たちが見たものがこいつだとすると、今からやる作戦においては好都合だ」

 

 スライドをレーシーが表示された地図へと切り替えると、指示棒を持ったロスマンによって“トロイカ作戦”の説明が始まった。

 

 “トロイカ作戦”は3つの段階に別れており、前段は戦術偵察、中段は兵隊ネウロイの漸減、後段にコアの特定及び後に立案される攻略作戦への接続が予定されている。

 今から502JFWが実施するのは、トロイカ作戦の前段である戦術偵察である。

 戦術偵察で収集すべき情報に、ネウロイの種類や数、最近増えてきた“仕掛けつき”ネウロイのネタ、どれくらい近づけば迎撃に上がってくるかなどがある。

 中でも厄介なのが“仕掛けつき”タイプで、変形・部分的光学迷彩などはまだ序の口であり、魔眼を遮る二重コアや動き回る真・コアタイプ、あるいは撃破を装い復活するタイプが確認されていた。

 いずれも502JFWがかつて撃破した種類であり、対策を講ずるウイッチとのいたちごっこで生まれたタイプだと推測されていた。

 こうした新種の登場は“ネウロイには出現パターンがある”や“ネウロイに戦術は無い”と言った旧来の対ネウロイ戦術が役に立たないことを徐々に証明し始めていた。

 ゆえに、威力偵察などが重要視されるようになり現場のウイッチは翻弄されつつも次々とネタを潰さなくてはならなくなったのである。

 

「エディータ、アレを出してくれ」

「わかりました」

 

 ある哨所が撮影した飛行タイプのネウロイの写真が現れた。

 航空力学を無視した幾何学的形状の物とは違い、図太い丸みを帯びた胴体に三角形の低翼配置、そして垂直尾翼のようなものがあってまるで人類側の航空機に似せてきたような形状だ。

 ジョゼと下原は謎の金属片を発見する前に遭遇した中型ネウロイを思い出した。

 

「定ちゃん、あれって」

「隊長、これって私たちが撃墜したものでは」

「奴がどうしてこいつを量産してきたかはわからん、だが複数確認されている」

「時速800キロほどで飛び、下方の探知(ルックダウン)能力は低いようだけどその高速性能でカバーしてるみたいね」

 

 低速で飛行して人間や戦車を見つけ次第掃討する従来の航空ネウロイとは異なり、新型の飛行タイプは歩兵や擬装された戦車に鈍感であり、要撃に上がったウイッチを狙うのである。

 旋回半径は大きいが、ネウロイの特徴である赤いパネルからの光線照射能力で格闘戦性能も有しているのだ。

 下面の写真を見た管野は腕を組みうーんと唸る。

 

「なんかあいつの尻の形、どっかで見たことがあるような」

「直ちゃん、ネウロイのお尻に興味があるのかい?」

「うるせぇ!こっちはまじめな話してんだ!」

「おお、怖い怖い」

 

 クルピンスキーに管野は怒り、ロスマンからの冷ややかな視線が刺さる。

 

「伯爵は黙ってなさい、管野さん、どういうことですか?」

「あそこの部分、なんか着艦フックみたいだなって」

「確かに反り返ってますね」

 

 ジョゼが撃墜したネウロイが、例の金属板を落としたかもしれないという前情報があったために管野はどうも新型の尾部にある小さな突起がそう見えたのだ。

 

「そういわれればそうね、でも、すぐに結論付けるのは過誤の原因だわ」

 

 そう言われるとそう見えなくもないと皆が思ったが、ロスマンは一応釘をさす。

 今のところネウロイが人類側の兵器を精緻に模倣した例は少なく、マーカーネウロイの擬態や、“501”や“504”が遭遇したというウイッチ型ネウロイが一番近いケースである。

 しかし、あのような機体が実用化されたという話も聞かず、新型ネウロイの形状が金属板の主の全体像とするにはなんとも貧弱であった。

 

「お前たちが威力偵察に好都合だというのはこういう所にあるんだ」

 

 レーシーの能力に航空機の様な新型ネウロイ生産があるのは周知されている。

 しかし、ウイッチを捕獲しようとする“謎の雲の壁”を使うというのは混乱を避けるために全軍に対しては伏せられ、このことを知っているのは502と報告を受けた一部の幕僚だけであった。

 ゆえに、晴天時などに正体不明の霧が発生した場合はすぐに離脱し報告するようにという上級部隊からの指示に首を傾げる者も多かった。

 もっとも、502のストライカーユニット回収班のようにひかりの捜索時に知った者も多く、思い出して泣きじゃくるニパからひかり消失時の話を聞いたアウロラ・E・ユーティライネン大尉は慰めると同時に、霧が出ようが何だろうがネウロイをぶち殺そうと心に決めたのであった。

 

 とにもかくにも、第502統合戦闘航空団は現在、ウイッチからユニット回収班に至るまでレーシーに最も近づいた部隊であり、なおかつ攻撃を仕掛けて反応を見るのに最も適した部隊であったのだ。

 

 

 その頃、扶桑の第三航空戦隊において新しいネウロイの巣の発生と、雁淵ひかり軍曹未帰還の知らせを聞いた雁淵孝美中尉はその場で卒倒した。

 近くにいた新藤少佐に抱えられて電信室から搬送され、医務室で意識を取り戻した彼女は何かを呟いた後に「502に行きたい」というようになった。

 設立前の新たな統合戦闘航空団をどうするつもりかと聞かれ、彼女はある一人の女子学生を推薦すると転属願いを出してしまったのだった。

 普通は通らないであろう転属願いは“不思議な力”をもって受理され、雁淵孝美は再びオラーシャの大地に降り立つのであった。

 

 

 




タイトルいつまでも(仮)と言うのもなんだかなあ。


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無知の知

 雁淵ひかりと武内尚樹の朝は早い。

 午前5時20分、ランニング用のジャージに身を包んだひかりは家の前で準備運動をする。

 尚樹は風呂を沸かすと、玄関を出てひかりの元に駆け寄った。

 

「今日は軽く行こう、昨日はちょっと飛ばし過ぎて辛かった」

「はい!すみません。つい出し過ぎちゃいました!」

「じゃあ、行こうか」

「はい!」

 

 ひかりは田んぼの向こうの山々やもう明るくなっている6月の空を見ながら走り、尚樹は前を行くオレンジのヒョウ目掛けて腕を振って走る。

 ひかりは速いペースで走り、なおかつ持久力もあるので気が付けば尚樹をはるか後方に置き去りにしてしまう。

 現役の軍人のなかでもとりわけ体力に優れたひかりと、退職してから数年の間ランニングも何もやってなかった25歳男性が並走するのには無理があると尚樹は感じていた。

 しかし、ひかりは「一人じゃできないことでも、誰かが居ればできるようになります!」と言って、尚樹のそばを離れないように気を付けて走るようになった。

 尚樹も男としてのプライドからひかりについて行こうとペースを上げるので、結果、ちょっときつめのペースとなってしまっていた。

 しかし、そんな早朝ランニングも5日目に突入すると慣れてくるもので、ひいひいと言いながらなんとか外環沿いのコンビニエンスストアまで走れるようになったのだ。

 

「尚樹さん、大丈夫ですかぁ、あと少しで交差点ですよ!頑張ってください」

「うん、うん、わかった、前見て、前」

 

 ときどき、ひかりは振り返り、後ろ向きで走って尚樹を励ます。

 尚樹はひかりが何かにぶつかりはしないか心配するが、慣れているようですいすいと走ってゆく。

 一度、どうして得意なのか尋ねると、ひかりは管野と後ろ走りの競争をすることになったためだという。

 

 その後ろ走り競争のきっかけは下原から話を聞いたひかりが不用意に「正座」が導入されるまでの間にどんな罰があったのか管野とニパに尋ねたのである。

 ブレイクウィッチーズの3人で賭け事をし、それは基地内を低空飛行で速く回ると言った危険極まりないものだった。

そしてクルピンスキーがユニットを大破炎上させたところ、出張していたはずの“彼女”にバレて、その場から後ろ向きに走らされたという。

 

 その話題が漏れ聞こえていたのか、その直後の出撃でユニットを壊した際に彼女、アレクサンドラ・イワーノヴナ・ポクルイーシキン大尉によってひかりも体験することになったのだ。

 なお、同時に小破させた管野やニパも巻き添えで基地の外周を2周することになったのだ。

 

「管野さん、あと一周ですよ!頑張りましょう!」

「ひかりー、お前がいらないこと言わなきゃこんなことにはならなかったんだよぉ!」

「サーシャさん、いつもと趣向を変えてっていうけどこれはこれで辛いよ!」

 

 体力に溢れているひかりはげんなりしている管野やニパと共に楽しく?どっちが先に回り終えるかと競いつつ周回を終えたのだった。

 

「いやーひかりちゃんも、あれをやるんだ。これでこそブレイクウィッチーズかな」

「クルピンスキー中尉、あなたも一緒に走ってもらって良いんですよ?」

「サーシャちゃん、今日は僕、飛んでないんだけどなぁ」

 

 それを懐かしそうに見ていたクルピンスキーにも飛び火しそうになり、彼女は慌てて姿を隠したのだった。

 そんな第502統合戦闘航空団の日常を聞かされた尚樹の中で「“サーシャ大尉”はヤバいお姉さん」というイメージが出来上がり、もし、ひかりの仲間たちに会うことがあったとしても彼女だけは怒らせないようにしようと心に決めたのであった。

 

 

 尚樹とひかりがコンビニエンスストアに着き、ジュースを買って飲んだら再び家の方へと折り返す。

 ここからは自由ペースになり、ひかりは本領を発揮する。

 山野を、雪原を、あと魔法力を使って水面の上さえ走り抜けてきた彼女はぐんぐんと尚樹を引き離していく。

 尚樹も少しでもひかりに追いつこうと70パーセントほどの力でダッシュし、息も絶え絶えとなりながら家の前の道路につながる坂道を登ってゆく。

 坂道を登り切ったとき、ひかりは先に家の前でクールダウンのためにスタスタと歩いていた。

 ひかりは尚樹に貰ったソーラー付き電波腕時計……黒いGショックを見ながら言った。

 

「尚樹さん、お疲れ様です。昨日よりも早く帰ってこれました!」

「うん、今日は帰りに結構出したからなあ」

「これで朝ごはんもゆっくり食べられますね!」

「時間のなさが新隊員教育を思い出すなあ……」

 

 時刻は5時37分であり、ランニング初日に比べて11分も早くなっていた。

 初日は5時48分に帰宅、6時15分に家を出るためあまり時間的余裕がなかったが、タイムが上がることによってゆっくり朝風呂と朝食を食べるだけの余裕が出来たのだった。

 尚樹が先に風呂に入ってツナギに着替えたら、ひかりが温めて準備していた朝食をとる。

 そして尚樹が家を出ると、ひかりがゆっくりと入浴するのだ。

 ペテルブルグに行って以降、サウナばかりで扶桑式の湯船に浸かる風呂に入ることが出来なかった。

 管野、下原と扶桑人が居て風呂を作ろうという試みをしないはずもなく、一度だけドラム缶風呂をやったが、クルピンスキーの乱入と台座の不安定さから転がり落ち、今はネヴァ川の底にドラム缶と共に風呂自体封印されてしまったのだ。

 

「これっていい匂いがするなあ」

 

 ひかりは炭酸の泡を吹くゆずの香りの入浴剤をつついて楽しむ。

 泡を吹きながら小さくなっていって、細かい気泡が体にまとわりつくのがとてもおもしろくマイブームになりつつあった。

 

「あっ、溶けちゃった」

 

 艦艇のボイラーで焚く熱い海水風呂と違って、尚樹宅のガス給湯器のお湯は潮の香りがしないが、そのぶん様々な入浴剤が楽しめるのだ。

 初日の晩は透明なお湯だったが、ひかりが泣き腫らした2日目の晩に尚樹が気を利かせてリラクゼーション効果を高める入浴剤を入れたのだ。

 すると、風呂から上がったひかりが「すごい、こんなのがあるんですね!いいなあ」と喜んでいたため尚樹は翌日“日本全国温泉宿セット”と“炭酸発泡入浴剤セット”を買って脱衣場に置いた。

 尚樹が先に入る時には草津温泉やら下呂温泉をイメージした乳白色の入浴剤だが、ひかりが先に入る時には必ずと言っていいほど炭酸発泡の入浴剤なのである。

 

 湯船で楽しむと、次はシャンプーとリンスで頭を洗うのを楽しむ。

 補給物資の中に入っていたリベリオン製の香りのきつい石鹸でひかりたちは頭を洗っていたが、頭がごわごわして毛がきしむのだ。

 ロスマンやクルピンスキーは補給物資の中の石鹸は決して使わず、少し値の張る高級品を外出の度に買いに行っていた。

 

 

 余談であるが、幾度かひかりはロスマンに連れられて買い物をしたのだが、食料品やその他の買い物の額が明らかに段違いで、ひかりは思わず尋ねた。

 

「ロスマン先生、お金とか大丈夫なんですか?」

「ひかりさん、命を懸けたぶんの給料は自分のために使いなさい。そうすれば経済にも潤いが出ていいのよ」

 

 ひかりとは勤続年数が違い号俸も全く違うのだが、それにしても買い過ぎではないだろうか。

 高給取りだが年頃の少女で、男性の将兵とは違いお金も広く様々なところで使う。

 ウイッチたちが生む経済効果というものも研究されており、逼迫(ひっぱく)している状況とは無縁の地域では航空団を誘致しようという自治体の横やりが配備計画に入ったりと、経済活動の都合が軍隊を動かすことも多々あったのである。

 

 話を戻すが、ひかりは1945年当時の高品質石鹸と違って現代の廉価な液体石鹸に驚いた。

 泡立ちもよく程よい香りであり、それでいてごわごわしづらいという洗髪特性。

 そこにヘヤーコンディショナーと言う、髪の手入れ用のぬるぬるとした感じの液体を付ければいつも以上に髪に張りと艶が出て、乾かせばふわふわとした感じになるのだ。

 

「お姉ちゃんの使ってた石鹸でもこんなにはならないよね」

 

 わしゃわしゃと泡立ててさっと流すだけで毛がつやつやするのはどうしてなのか気になったひかりはボトルを手に取って裏側の説明文をよく読んだが、保湿成分や静電気抑制成分が毛を覆って痛みにくくするという事しか分からなかった。

 

「なんかすごい成分が入ってるんだ……」

 

 原材料を見ても精製水やグリセリンくらいしか聞いたことがなく、あらためて自分は何も知らないなと思った。

 ひかりは予備学校の理科で牛脂と水酸化ナトリウムによる鹸化反応の実験、いわゆる「石鹸の作り方」などは習ってないなと思う。

 同時に母がどうして「卒業まで待て」と言っていたのかようやくわかった気がした。

 姉や管野は士官になるにあたって一般教養の試験も受けているが、ひかりは中途で部隊に参加したためにそういう理科や数学と言った一般教養の習得も終わっていないのである。

 

「学業を疎かにしたものがストライカーから降りたら、何が残る?ただの頭の足りないアホ女だ!」

 

 予備学校の教官が女生徒たちにする説教が異世界に来てストライカーに乗れない今、現実味を帯びてきた。

 “あがり”を迎えた後、教官職に就いているウイッチなんかより、後方職種の軍人として残る者や退役し一般社会に帰る者の方が遥かに多いのである。

 

 ふと、出撃のないとき管野が本を読んでいたり、サーシャが何かの計算をしている姿を思い出した。

 

「足りない子は嫌だなぁ、そういえば管野さんも士官なんだっけ」

 

 本人が聞けば「ケンカ売ってんのか?」と言う事間違いなしのひどい言い草だ。

 管野は兵学校においてガリア語などの教養も優秀であったし、サーシャのそれは破損したユニットの修繕費の計算やら人事への各種手当の申請といった実務作業であって魔法力を使わなくても何かしらは出来るのだ。

 異世界に来て数日経ったが特に課されたこともなく、時間はあるのでひかりは勉強しようと思ったのだった。

 

____

 

 風呂から上がったひかりが教養の大切さについて考えている頃、尚樹は「ブレーキが利かない」という顧客の車のブレーキフルードの交換やドラムブレーキの分解作業と言った業務を行っていた。

 

「そういえば、最近痩せたか?」

 

 ブレーキのエア抜きも終わり、昼休憩に入ってすぐ陽平に聞かれた尚樹は一瞬、ひかりと早朝ランニングを始めたことを言おうとして口をつぐみ、逆に問う。

 

「……なんで?」

「なんとなく、アゴの肉が減ったかなって」

「そんなアホな、走って減るかよ」

「えっ、朝、走ってんの?どうして急に」

 

 尚樹がカマをかけられたことに気づくがもう手遅れで、陽平は信じられないものを見たという表情で固まっていた。

 新隊員時代の尚樹を知っているがゆえに、彼が自発的に体力錬成を始めるとは思えなかったのだ。

 

「最近体力が落ちてきて、ジーンズに腹がつかえてこれはヤバいと……」

「25にもなりゃオッサンも間近だよなあ、代謝も落ちてきてるしなあ」

「まあ、そうだよな。1キロ6分ペースでもきついし」

「久々にキロ何分なんて言葉を聞いたわ、いつまで続くんやろうな」

「少なくとも5日は続いたぞ」

「マジで?」

 

 ひかりの存在を伏せつつ、落ちてきた体力に危機感を抱いたから走り始めたというような流れに持って行ったのだ。

 その後、陽平に突っ込まれることもなく午後の作業に取り掛かったのだった。

 表面上、何事もなく仕事をしていても尚樹は内心穏やかではなかった。

 

 やばいな、ひかりちゃんと走ってるのがバレたかと思った。

 バレたとしてどう説明しようか。

 家出少女を……ダメだ、親戚の子を預かってる?

 バカ言え、どこの世界に年頃の女子を独身男性の家に送り込むよ。

 ああ、警察沙汰になりませんように。マジで。

 

 尚樹は周囲の人間に相談するのは最終手段だと思っている。

 陽平はともかく社長であれば悪いようにはされないだろうが、それまでに事情をどう説明しようか考えつかないのだ。

 戸籍もなく、異世界人の女の子を拾いましたなんて言ってもまあ信用されないだろう。

 答えが見つからない自問自答の後に、尚樹はとりあえず問題を後回しにすることにしたのだった。

 

____

 

 18時で仕事が終わり、帰りにスーパーマーケットに寄って食材を買う。

 夕方のスーパーマーケットには主婦や学校帰りの学生が多く、総菜コーナーの前には半額シールが貼られるのをカートを押しつつ虎視眈々と狙う者たちが集っていた。

 その横で尚樹は今晩何にしようかと考えながら、スマートフォンで家の固定電話を呼び出した。

 呼び出し音が流れ、受話器を取ったひかりの緊張した声が流れてきた。

 

「はい!……尚樹さん、どうしたんですか!」

「電話番じゃないんだから緊張しなくていいよ、今日の晩御飯どうする?」

「何が良いというのはありません、どうしましょう」

 

ふと、セーラー服を着たひかりの姿を思い出した尚樹は海軍の“金曜カレー”を思い出した。

 

「じゃあ、金曜日だしカレーにしようか」

「やった、カレーだ!」

「じゃあ、カレーを買って帰るから、帰ったらよろしくね」

「はい!……えっと」

「……じゃあ、切るよ」

「おねがいします!」

 

 電話に不慣れな者同士、電話を切るタイミングを探り合ったりしたが尚樹が先に切った。

 陸上自衛隊員の友ことパックカレーを買って帰ろうかどうか悩んだが、結局カレーの固形ルウを買って帰ることにした。

 ジャガイモと玉ねぎ、ニンジンの残量はあるので、とりあえず牛ひき肉だけかごの中に入れた。

 ついでに隠し味として少量入れるコーヒー牛乳や、夜に食べるお菓子も購入したのだった。

 家に帰った尚樹がドアを開けると、ジャージにグレーのTシャツを着たひかりが出迎えてくれた。

 

「おかえりなさい尚樹さん、カレーですよね!」

「うん、今夜はカレーだ。着替えてくるからジャガイモとニンジンの皮剥いておいて」

「はい!何個ですか?」

「3個づつで良いよ」

 

 尚樹が和室で着替えて、念入りに手を洗っている間にひかりはメークインの皮を剥く。

 下原の手伝いをやっていた時に包丁で手を切りそうになったが、ここではピーラーですいすいとメークインの皮を剥いてゆく。

 ジャガイモが終わるとニンジンに取り掛かり、ひかりはこの調理器具のありがたさに感謝するのであった。

 尚樹が台所にやってきたころにはすでにピーラーで剥かれ、一口大に切られたジャガイモとニンジンがボウルに入っており、鍋も用意されていた。

 

「ひかりちゃん、この2日で包丁上手くなったね」

「えへへ、そうですかぁ」

「最初はピーラーでも……」

 

 最初はピーラーを使っても皮どころか身もゴッソリとそぎ落として、包丁で切った食材がそのまままな板から転がり落ちそうになったりとひどいありさまであった。

 だが、一度使い方を習得すると包丁での皮剥きこそ苦手であるが、まあまあキレイに切れるようになったのだ。

 ひかりは尚樹に褒められてうれしくなったが、最初の惨状を思い出して恥ずかしくなった。

 

「それは言わないでくださいぃ、そうだ、肉を茹でましょう!」

「茹でる前に炒めるほうがおいしいよ」

「じゃあ私、ジャガイモとニンジンを先に茹でます」

「了解」

 

 尚樹は肉を軽く炒めた後、玉ねぎをくし形に切ってあめ色になるまで炒める。

 こうすることで甘みが出るし、硫化アリルが壊れにくくなり玉ねぎの栄養価が損なわれないのだ。

 炒めた食材を鍋に入れると、ジャガイモやニンジンに火が通るまで煮込む。

 

「ひかりちゃん、お疲れ。あとは俺がやるよ」

「いいえ、私も料理できないかなって思うんです」

「十分手伝ってくれたし、たぶん出来るんじゃない?」

 

 今まで姉のようなウイッチになりたいと思っていたが、姉は家事も料理も得意であることに気づき、居候させてもらっている自分も練習して出来るようにならなくちゃと思った。

 

「最後までやらせてください、お姉ちゃんみたいに自分で作りたいんです、何もできないのは嫌なんです」

 尚樹は、ひかりが料理に対して強い意欲を見せたことに驚く。

 最初、得意料理どころか何もしたことが無いと言っていたひかりが、最後までやり遂げるという意思の篭った瞳で見つめてくるのだ。

 

「そうか、じゃあ完成まで一緒にやろうか。ルーを入れたら焦げ付かないように絶えずかき混ぜてね」

「はい!」

 

 姉へのあこがれと、何もできないことへの危機感からカレー作りを最後までやりたいと言ったひかりに尚樹は頷くと早速仕事を割り振ってやる。

 菜箸で突き刺してジャガイモとニンジンに火が通ったのを確認すると、カレールウを投入する。

 そして尚樹は最後にコーヒー牛乳を大さじ3杯位入れた。

 

「コーヒー牛乳を入れても大丈夫なんですか?」

「隠し味だ。乳成分でまろやかになって甘みも調整されるらしい。俺も炊事競技会の時に初めて知ったんだけどな」

「へえ、私も今知りました!」

 

 千僧駐屯地で実施された各部隊対抗、第3師団炊事競技会が蘇る。

 戦闘服姿で大きな寸胴鍋いっぱいにカレーを作り、そこにパックのコーヒー牛乳を流し込んで煮るのだ。

 準備から調理、整頓そして部隊が喫食を始めるというていで、採点が行われるのである。

 惜しくも優勝は逃したが、実家暮らしだった男がはじめて料理を作った競技会だった。

 

「海軍ではそういう競技会ってないの?」

「私たちウイッチには無いみたいです、お姉ちゃんの話によると水兵さんはやるみたいですけど」

「まあ戦争真っただ中だもんな、呑気に競技会なんてやってられないか」

 

 艦対抗の競技会や術科学校出身者同士が鎬を削る競技会も盛んに行われていたが、これらは“海の男”たちの意地を掛けたものであってウイッチがその世界を見る事はほとんどない。

 海軍所属であっても陸上基地勤務や多国籍部隊に行くと見る事もない。

 孝美が競技会について知っているのはひとえに第3航空戦隊として艦載ウイッチをしていたからであった。

 

「ルーは出来たし、ご飯を出して」

「はい!」

 

 ひかりは尚樹が朝にセットした炊飯ジャーを開けてしゃもじでかき混ぜると、炊き立てのご飯をよそう。

 そこに尚樹がカレーをどろりと掛ける。

 炊き立てのご飯の甘い匂いと香辛料の香りが食欲をそそり、おもわず腹がなる。

 ふたりは居間のテーブルへとつくと、手を合わせてすごい勢いで平らげた。

 

「おいしい、これならおかわりも食べられますね!」

「今の時期、カビて保存もきかんし最後まで食べてしまおう」

「はい、じゃあ、尚樹さんの分もよそってきます!」

「ありがとう、お願いするわ……これ、完璧じゃないか」

 

 尚樹はひとり暮らしの感覚から少し作り過ぎたかと思ったが、2杯づつ食べたので完全になくなり結果としてちょうどよかったのだ。

 食事のあと洗い物が終わって、入浴を済ませると二人でテレビを見たり雑談を楽しむくつろぎタイムに突入する。

 最初は緊張して話題も見つからず困ったりしたけれど、ここ数日は日中何をしていたかとか、社会情勢についてであるとかそういう話のほかに他愛のない雑談を楽しめるようになっていた。

 ひかりは尚樹が買ってきたポテトチップスをつまみながらクイズ番組を食い入るように見ていた。

 

「ええ、Bじゃないの!フラスコなんて初めて聞いた」

「ひかりちゃん頑張るね」

「はい、次こそ正解してやる!」

 

 歴史問題や時事問題では分からないというが、理科や小学校で習う範囲の問題を必死で解こうとするひかりに尚樹は苦笑いをする。

 ひかりは『大人の教養問題』というあおり文句に乗せられて、せめて理科や算数、国語といった問題は解けないとまずいと頑張っていたのだ。

 番組が終わる頃にはひかりはボロボロになっていた。

 

「尚樹さん、わたし、大人失格なんですか……」

「いや、ひかりちゃん語学問題はよかったじゃないか、それにあれは高学歴芸人にぶつけるための問題も出てるしね」

「ブリタニア語は出来ないと意思疎通ができないので、頑張りました」

「俺とか英語が出来ない大人も多いし、ひかりちゃんは凄いと思うよ」

 

 尚樹は今度の日曜日が休みなのでどうしようかと考えていたが、勉強しようとしているひかりの様子を見て、どこに行こうか決めた。

 

「ひかりちゃん、今度の休みにドライブに行かないか?」

 




最近、1、2、4、6、11話をずっと見てるような……。

平日の生活では朝ランニング→尚樹出勤・ひかりは家の中で暇つぶし→帰宅・夕食→入浴→くつろぎタイム→就寝のサイクルを繰り返しています。


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トロイカより愛をこめて

修正:栄→誉 栄は零戦と隼


 1945年6月29日

 雲もなく、いまいましいほど晴れたペテルブルグの空に、誉二一型発動機の音がよく響き渡る。

 アラート待機任務に就いている管野、ニパ、ロスマンは聞こえてきた扶桑製ユニットの音に一瞬ドキリとし、すぐに扶桑よりやって来る彼女であると思い出す。

 管野直枝はかつて相棒と認めて、今も親交があるそのウイッチが来るのを滑走路脇から出迎えようと格納庫から出た。

 キラキラと光を放つネヴァ川の向こうに、ポツンと白い点が見えて徐々に大きくなってくる。

 そして、彼女がふわりと滑走路に降り立つと管野、ニパ、ロスマンは姿勢を正す敬礼で出迎えた。

 雁淵孝美の柔らかい雰囲気はなく、貼り付けたような、どこか影のある笑顔で答礼した。

 

「皆さん、お久しぶりです」

「孝美……」

「孝美さん、おひさしぶりです」

「雁淵中尉、お久しぶりです。隊長室へお願いします」

「はい、ロスマン曹長は待機任務ですか?」

「そうですね」

 

 管野とニパが気まずそうにしているのに気付いた孝美は、ロスマンに礼を言うと隊長室へと向かって歩いて行った。

 孝美が脱いだ紫電は直ちに整備班によって台車に乗せられて、飛行後点検が始まる。

 扶桑より二式飛行艇に乗りガリアへ飛び、ブリタニアのウィッチと定期補給便の輸送船団の護衛をしながらスオムスに到着、そこからはユニットを使ってペトロ・パウロ要塞へとやって来たのだ。

 

「失礼します」

「入れ」

「第502戦闘航空団に転属となりました、雁淵孝美です」

 

 孝美は司令官室に入ると、敬礼と共に着任の挨拶をする。

 ラルは手元の書類をトレイに置くと、顔を上げた。

 

「長旅ご苦労。ようこそ502へ。」

「どうして、私の転属を受け入れてくださったのですか?」

「少しでも人手は必要だからな。お前もひかりのことが気になっていたのだろう」

 

 未帰還の知らせを聞いて最初はひかりを502に残したのは失敗だったのではないかと自分を責めた。

 しかし502こそひかりが自分で作った居場所だったのだから彼女たちを責めることはできない。

 ならば、ひかりの最期の姿だけでも聞けないだろうか、と何とか言葉を絞り出す。

 

「はい……せめてあの子がどう戦って、どう居なくなったのかだけでも知りたくて」

 

 湧き上がってくる感情を抑えようとしているようだが、目の端には涙が滲みつつあった。

 

「孝美、お前には知らされていないだろうが、あいつは()とされていない」

「墜とされていないって、どういうことですか?」

 

 孝美の問いにラルはひかりの情報を伏せていたことを思い出した。

『ペテルブルグ南西を哨戒飛行中、行方不明』がひかりの実家や孝美に伝えられている内容なのだ。

 通例通りであれば『哨戒飛行中、接敵して交戦中に行方不明』と続くはずであるが、まるで“航法ミス”によってルートを逸脱するなどして消息を絶ったかのような物言いであり生存の可能性があると思ったからこそ孝美は転属願を出したのである。

 それを見越して、ラルはマンシュタイン元帥にあらかじめあるウイッチの転属を許可するように要求していたのだ。狙い通りである。

 

「これは機密にあたるが、どうも新しいネウロイの巣と関係があるようだ」

「もしかして、あの子はネウロイに……」

「断定はできん、しかし、ひかりの“消失”が何らかの能力によるものであるという線が濃厚だ」

 

 どこかへの空間通路がネウロイによって形成されて、取り込まれた可能性があるというのは“謎の金属片”に塗られた未知の塗料からはっきりしたのだ。

 1940年代に一般的であったベンジルセルロース、ニトロセルロースを主剤とする1液ラッカー系塗料ではなく、1950年代以降に登場・発展してゆく2液混合型のウレタン樹脂塗料だった。

 特徴としては対溶剤性があり、ラッカー系塗料はシンナーで拭かれると落ちてしまうが、ウレタン系塗料は表面で重合して乾燥後強固なプラスチックとなるため耐候性もあり現在主流となっている。

 解析班がヤスリ掛けをしてその金属粉や塗膜が何で出来ているかを調べる最中、ヤスリに着いた塗膜片の洗浄に溶剤を用いた所、現行の航空機塗料とは異なった状況が起こり判明したのである。

 こうした技術廠などから上がった情報は上級司令部を経由して、連合軍の直轄部隊である統合戦闘航空団にも情報が降りてきていた。

 

「消失?ひかりはどうなったんですか?」

「なんだ、管野からは何も聞いていないのか」

「知らせを聞いて、すぐに飛び出した形ですから」

「まあいい、雁淵ひかり軍曹は編隊飛行中にいきなり“消えた”。管野とニパの真横でだ」

「そんなことって……」

「普通ならあり得ない、一笑に付す話だ。だが奴らはいきなり現れ、予想だにしないことをする」

 

 孝美の脳裏によぎるのはバリアとなる雲を吐き、強固な外装でコアを隠すグリゴーリの姿だ。

 グリゴーリのほかにヴェネツィアにもネウロイの巣は突如現れ、同種であるはずの模倣体ネウロイを消滅させるといった現象が確認されている。

 このように()()()()()()()()()()()()の存在がネウロイなのである。

 

「長話をするのも疲れるだろうから今日は休め。明日から出撃してもらう」

「はい」

 

 司令官室を出た孝美を迎えてくれたのは、下原とジョゼだった。

 

「雁淵中尉、お久しぶりです」

「雁淵中尉、お部屋の準備は出来ています!」

「下原さん、ジョゼさん。またお世話になります」

 

 前回、寝起きしていた個室ではなくひかりの部屋の近くの部屋に孝美は案内された。

 孝美が理由を尋ねると、どうやらペトロ・パウロ要塞を“レーシー”攻略のための前線基地として使用し502のほかに2個ウイッチ飛行隊を駐屯させる予定があるのだという。

 下原は高射砲陣地が増強され、オラーシャ陸軍の工兵部隊によってペテルブルグ市街に通信施設や臨時司令部がいくつも建設され同時に、砲兵ネウロイの攻撃によって吹き飛んだ施設や食料貯蔵庫が復旧されたことによって少し生活に余裕が出てきたという話をした。

 ジョゼは数か月前の牛缶のお礼を言うと共に、みんなで食べたことを嬉々として孝美に伝えた。

 あまりの喜びように孝美は圧倒されると同時に、嬉しそうにするひかりの姿を思い出してすこし辛くなった。

 それを感じ取って謝るジョゼと気に病む必要はないと告げる孝美、そして重くなる雰囲気。

 

「じゃあ、晩ごはんの時間になったら食堂にいらしてくださいね」

「私物が届くまで、何か必要なものがあれば言ってください」

「はい、ありがとうございます下原さん、ジョゼさん」

 

 二人と別れると、孝美は上衣を脱いで寝台に横たわる。

 少し前の502と違って雰囲気が暗いような気がするが、それだけひかりの存在が大きかったのかと思うと嬉しいような気がする、と共にジョゼやラルの反応を見るに自分も相当追い詰められているなと思ったのだった。

 

____

 

 

 管野は、手紙を出せなかった。

 相棒にして彼女の溺愛する妹がよくわからない消え方をしたのである。

 自分が守り切れなかったという思いと、どうやって説明すればいいのか悩んでいる間に隊長が孝美を新たな統合戦闘航空団から引き抜いたと聞かされた。

 自分自身、ひかりの生存を信じたいが、孝美に変な期待をさせたくなかったのだ。

 期待させておいてこのまま見つからなかったらまだマシなほうで、どこかで朽ちた遺体が発見されたらその時は深く傷つくだろう。

 管野は何度も孝美に宛てた手紙を出そうとしてはやめた。

 そのように逡巡しているうちに孝美がやって来たのだ。

 何かを考えているであろう管野を見たニパが声を掛ける。

 

「カンノ、ひかりが消えたのはカンノのせいじゃないよ」

「わかってるよ!でも……」

「孝美さんにどう言ったら良いのかわからないんだよね」

「俺たちが見たまま伝えても、孝美は納得しねえ」

「あの様子じゃ孝美さん、聞いてくれるかどうかわからないよね」

 

 二人にロスマンは声を掛ける。

 

「管野さん、ニパさん、ひかりさんのことは見たまま感じたまま伝えなさい、最初は拒絶されてもね」

「ロスマン先生……」

「あなたたちも長く戦っていると、いろんな人の最期を見ることになるわ」

 

 ヒスパニア戦役から戦い続け、数多くの戦友を失ったロスマンの言葉には説得力があった。

 避難民と共に戦ったカールスラント撤退戦の際は避難民のキャンプにいる隊員家族に訃報を知らせに行くことも何度かあったのだ。

 『戦友の死亡告知』はロスマンは二人がウイッチとしてずっと戦っていくなら避けられない道だという事を知っていた。

 ロスマンは二人に「最期の説明は遺族が心を整理するための説明」であると告げると待機室の方へと去って行った。

 管野とニパはロスマンと同じく歴戦の猛者であるクルピンスキーがひょうひょうとして軽薄そうに演じているのも、そういったことに耐えるためなのではないかと一瞬だけ思ったが、すぐに『アイツのは地なんじゃねーか?』と考えた。

 

____

 

 

 

 1945年7月1日

 ペテルブルグ、ペトロ・パウロ要塞にオラーシャ陸軍第121親衛戦闘機連隊が駐屯し、作戦室には502JFWのほかに121連隊のウイッチが集まり、普段使う事のない机にもギッチリとウイッチたちが詰まっていた。

 オラーシャ軍のカツコフ元帥より“トロイカ作戦”の発動が告げられ、第1回目の共同出撃が行われた。

 

 最初の大規模威力偵察は管野、ニパ、クルピンスキー、ロスマン、サーシャが出撃となり、下原、ジョゼ、孝美、ラルは121の第2飛行隊と基地防空にあたることとなる。

 ロスマンとサーシャは敵の動向の確認以外に、友軍戦力の実力を見るためについて行くことになった。

 121の第1飛行隊の隊長はサーシャの原隊における後輩であり、先任の人事異動に伴い急遽小隊長へと昇進したのだ。

 そういったこともあってこの威力偵察は“新小隊長の実戦訓練”も兼ねており、「うまくいけば502に影響を受けて飛行技術が上がるのではないか」という121連隊側の思惑も見え隠れしていた。

 

 先頭を行く502にフラフラ、ヨタヨタと着いてくる121のウイッチに管野は「どいつもこいつもシロートばっかりかよ」と毒づき、サーシャは赤い髪の後輩に「どうなってるんですか」と目線を送る。

 「絶対に関わらないでください」とサーシャに釘を刺されていたクルピンスキーはと言うと「あの赤毛の子かわいいなあ」と言いながらもどことなく気になっている様子であった。

 

 グリゴーリとの戦いで生じた人的資源の戦闘損耗、“重傷”や“戦死”などに対して、大量に補充兵を入れることで部隊の定員を満たしていたのだ。

 想像していたよりもかなり低い練度に、502のメンバーは「まるで来た時のひかりちゃんを揃えたかのよう」と言う感想を抱いた。

 もしもロスマン先生が教育係として121連隊に居たら半数以上が飛行停止になり、わずかなベテランだけで運営しなくてはいけないだろうと思った。

 そんなイメージを持たれている当のロスマンでさえ、この子たちの何人が生きて帰れるだろうか?と悲観的な考えが頭によぎり可能であれば直ちに基地へと返したくなった。

 

 レーシーが空にそびえ立ち、近づいて行くと遠くから鋭角な三角錐状のネウロイが現れた。

 すぐさまクルピンスキーが座標を送り、レーシーがウイッチを何らかの索敵方法で捉えたことを告げる。

 ネウロイが近づくと、それは矢じりの様な形状であり、先端から黒い()()を飛ばしたのが見えたので502はさっと回避した。

 だが、121のウイッチたちはシールドを作動させ、何とかギリギリ爆風と破片を凌いだ。

 体の組織を銃弾として発射するタイプは、光線と違い破片効果でウイッチを殺傷、ユニットを破損させてくるのである。

 発射インターバルが光線型より長くなるのと、空対空では目標に対する追随性が悪いせいか高射砲型の地上ネウロイに多く見られるタイプであり爆発の特性的に近接信管ではないようで着発か時限信管の類であると推測されていた。

 もっとも、近接信管でなくともシールドで防御すればそこで爆発するのであり、シールドで防御する癖のあるウイッチが2発3発と撃ちこまれてシールドを破られて撃墜されるケースが各戦線で見られた。

 

爆風で揉まれたウイッチたちは姿勢を立て直そうと、よろけながら無防備に高度を上げる。

飛ぶことに必死であり、回避運動や攻撃につながる動作でないため次弾が来たら一発で殺られる。

 

「バカヤロー!おめーら死にてえのか、下がってろ!」

 

 後ろを一瞥した管野が思わず叫ぶ。

 インカムから流れてくるのは息を飲む音と、情けない返事だけだった。

 

「管野さん、クルピンスキーさん、突破します」

「了解、子猫ちゃんたちよく見ておくんだよ!」

「何が子猫ちゃんだよ、ヒヨコの間違いじゃねーか?」

 

 目標に対して30度ほどの斜め上空から突入し、敵機のすぐ横を抜けてすれ違いざまに一斉射撃を浴びせるのだ。

 一航過でサーシャ、管野、クルピンスキーの射撃を全体に受けて粉々になるネウロイ。

 一瞬で満遍なく弾を撃ちこんでコアを探って、それを粉砕することが出来るのがエース部隊なのだ。

 もし一航過で仕留め逃しても、後詰めのロスマンとニパが露出したコアを砕くという2段構えであり、止まらずに前進することが出来る。

 ケイ素で出来た白い破片が舞い散り、ネウロイが消滅したことを告げる。

 

 502のウイッチたちは撃墜を喜ぶこともなく、そのまま編隊はどんどんレーシーへと接近してゆく。

 矢じり型ネウロイと、F-4を模した新型の戦闘機型ネウロイを15機ほど発進させたようで、それを捉えたサイトのレーダー士官から接近警報を受ける。

 サーシャは方位と距離を確かめると、後ろから着いてくる後輩、アンナ・クリフチェンコ少尉に指示を出す。

 

「突出している先頭から叩きます、アーニャ!あなたたちへの援護は出来ないものと思ってください」

「はい!……各機、我に続け!」

「502は散開、各個撃破せよ」

 

 アーニャのMIG60が右に行けば、リベリオンからの供与品であるP-39エアラコブラを履いた新兵たちが右へと続く。

 その様をちらりと見た管野は「ヒヨコじゃなくてカルガモかよ」と呟いた。

 ロスマンとニパは左へと行き、中央を担当する管野とクルピンスキーの援護に回る。

 

 複数の高速戦闘機型ネウロイが先陣を切って時速800キロほどで突っ込んでくる。

 サーシャ、管野、クルピンスキーはすれ違いざまに機関銃を叩き込む。

 銃弾が外板をボロボロにし、コアを露出させると後衛に託す。

 クルピンスキーのそばをかすめて、フリーガーハマーの噴進(ロケット)弾がネウロイに当たった。

 高い威力で後部をまるっと吹き飛ばしたことで内蔵するコアも爆散し、白い破片となって消滅する。

 

「先生、少し射線が近くないかい?」

「あら残念、当たってくれてもいいのよ?」

「冗談きついなあ、ニパ君そっちに行ったよ」

「わわっ、こいつ速いなっ」

 

 速いと言いながらもニパは確実に仕留めてゆく、ユニットを壊すけれどニパもエースなのだ。

 本来、空戦において敵と正対して撃ちあうのは悪手とされている。

 正面接敵・正面航過における一人当たりの攻撃可能時間はおおよそ1秒~2秒弱、ネウロイも無抵抗で機関銃弾を浴びるわけではなく、光よりは遅い何らかの粒子を用いた光線を赤いパネルより放射する。

 敵の反撃も受けやすく、自分の攻撃時間も限られているためなるべく後方や上方より接近、射撃するのが良いとあるが、あくまで“低速のネウロイや対人戦闘”の基本だ。

 高速型やあるいは敵の数が多い場合、すれ違いざまの一撃で仕留めなければ敵味方入り乱れての乱戦になって、後ろを取られたり味方の流れ弾による誤射などで面倒なのだ。

 腕っこきを集めた502のウイッチたちは光線をすり抜けるようにして肉薄し、近距離で確実に命中弾を与えていた。

 

「こっち来たよ!」

「当たってぇ!」

 

 一方、サーシャの方へと突入したネウロイはサーシャの一撃離脱に砕かれるか、121連隊の新米のウイッチたちが乱射する弾幕に飛び込んでボロボロになったところをアーニャが撃墜する。

 「弾幕」と言えば聞こえがいいが、実態は狙いも付けずに射程外からばら撒いているだけであり敵よりも、前を飛ぶサーシャに当たりそうになっていた。

 

「アーニャ、あなたが落とすのはいいけれど、あの子たちの射撃を統制しなさい!味方と敵の区別がついていないんですか?」

「はい!射撃止め!射撃止め!」

 

ボロボロになったネウロイに追いすがって落としていたアーニャはサーシャの声に、急いで射撃をやめさせる。

 

「ネウロイをしっかり狙って撃て!ポクルイーシキン大尉に当てる気か!」

「……クリフチェンコ少尉、あとでお話があります。それよりも」

  

 ポクルイーシキン大尉は『近接して一撃離脱』などの教範を書いたウイッチであり、とても仲間思いで心配性なのだ。

 ゆえに、焦って、あるいは恐怖のままに当たらない距離で射撃をする「早撃ち」や、当てようと無駄に長く撃つ「長撃ち」などで無駄弾を撃って残弾がなくなることや、僚機の誤射などには大変厳しく、長い説教が待っていた。

 アーニャもかつて、全く当たらない距離で弾を撃ちきってサーシャにとても怒られた。

 久しぶりにサーシャの怒りを抑えているような声が聞こえ、アーニャはすでにやってくるであろうお説教に怯える。

 

「あなたたち、弾のないウイッチがどうやって戦うんですか?」

 

 ここで管野であれば「銃で殴る、直接ブン殴る」と答え、ユーティライネンであれば「丸太で殴り、シャベルで穴を掘ってやる」などと言いかねないのだが、121の新兵たちは普通のウイッチであるがゆえに何も言えなかった。

 

 サーシャの説教に怯えるアーニャと新兵たちをよそに、502のウイッチは次から次へとやって来るネウロイと戦い流れるように次々と撃墜してゆく。

 少数対多数のネウロイ戦では時間を掛けた方が消耗して押し負けるのだ。

 新米のウイッチたちの残弾と魔法力は残り少なくなっており、アーニャは自衛のための射撃以外はするなという指示を出した。

 迎撃に発進してきたネウロイ19機を全滅させることで情報収集を完了し、威力偵察部隊はレーシーの警戒範囲外に出る。

 一度警戒範囲を出ると巣から新手を繰り出して追撃してくることも無く、なんとか損害も無しに無事にペトロ・パウロ要塞に帰還した。

 

 

 その晩、司令官室にサーシャ、ロスマンが報告にやって来た。

 

「それで、あいつらは使い物にならないか」

「はい、今のままでは巣を攻略するどころか生き残れるかどうかも」

 

 サーシャは指揮系統が異なるため、“正座”こそ言い渡さなかったもののクリフチェンコ少尉を呼び出して部下の指導をしっかりするようにと指導したのである。

 とはいえ、新任の小隊長の指導で新兵たちの練度を急に引き上げることなど土台無理な話なのであまり期待していないどころか出来る事なら後方へ送り返したいとさえ思っていた。

 

「私もそう感じました」

「先生、あいつらを柱に登らせるにはどうすればいいと思う?」

「ラル少佐が121の連隊長に就任すればいいと思います」

「私にオラーシャ陸軍を指揮しろと言うのか」

「そうなれば、サフォーノフ中佐に暗殺されるかもしれませんね」

「何を言う、サフォーノフ中佐は慈愛に満ちた人だ、502を追い出された私にそこまではしないだろう」

 

 冗談で返したがロスマンの返しに大真面目な顔で答える。

 あまりの内容にサーシャはどうしてそうなったのか尋ねた。

 

「あの、私の配属の際に何したんですか?」

「503より早くに採用が決まっただけだ、人事もうまい酒が飲めてさぞかし気分が良かっただろうな」

 

 実態は種々の工作によって第503統合戦闘航空団への配属申請書が()()()()を起こし、それよりも古い日付の辞令が上級部隊より届き、気が付けば502に配属されていた。

 ラルにポクルイーシキン大尉を掠め取られた形になったサフォーノフ中佐は怒りのあまり統合戦闘航空団代表の会議の際に部下を代理に立てて、手紙に「くたばれ」と書いて託したのだった。

 

「まあ、それはさておき。戦力にならないのは痛いな。ひかりのように化ければ儲けものだと思っていたが」

「そうなれば、隊長は引き抜こうとするんでしょう?」

「あたりまえだ、優秀なウイッチは多ければ多いほどいい。自慢できる」

 

 ロスマンは窓の外のオベリスクを見て、魔法力も技術も全てにおいて足りないひかりが「ここに残るために」柱にしがみ付いていたことを思い出し、寂しくなった。

 

 こうして、最初の共同作戦は味方の練度不足などの問題を明らかにして幕を閉じたのだった。

 

 




お姉ちゃんが502に来たため、508では推薦された女学生三隅さんが軍曹になり部隊の新入隊員ポジ(ひかり・芳佳枠)になった模様
まあ遣欧選抜の際に見てたし、校長もあの人だしいけるだろうということで採用となった


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ドライブに行こう

地名のルビ追加
※始動方法に追記


 貝塚(かいづか)インター近くの木積(こつみ)から府道40号線に乗って山奥へ入る。

 6月のよく晴れた日曜日とあって信貴山(しぎさん)槇尾山(まきおさん)といった山中の寺院やキャンプ場に家族連れや元気な中高年といった人々が多く訪れていた。

 一方、貝塚市から右へ左へとコーナーが続く山道の途中に奥水間(おくみずま)という観光地があって温泉があるが、そこを超えて府立少年自然の家の近くのわき道を進むと、ただの山奥で人も一気に居なくなる。

 そんな峠道のはずれをさらに行ったような小道でその実験は行われていた。

 ジャージを上だけ着て、下半身にはデニム生地のホットパンツといった私服のひかりがユニットに足を通そうとしていた。

 本来の“ユニット発進台”ならば始動装置や電源供給機能などがあるがこちらには無いので脚立に(おもり)となるブロックを乗せて簡易のユニット立て掛け台にし、その傍に()()()()()()()に繋ぐバッテリーパック2つや万が一を考え、消火器などを準備している。

 

 

「準備は出来た?」

「はい!準備完了です」

「燃料とプラグにオイル変えてるし、いつもより高く回るかもしれないぞ」

「わかりました」

 

 異世界に来て初めてのユニット運転実験という事もあって、尚樹による入念な点検が行われ、ユニット内部に入っていた航空ガソリンに代わりオクタン価の高いハイオクガソリンが注入された。

 添加剤による高い洗浄力と防食効果、そして高オクタン価のアンチノック性、いわゆる異常燃焼(ノッキング)の防止でエンジンのパフォーマンスを上げるというのもあったが、なにより有鉛ガソリンのテトラエチル鉛が環境や人体に有害であり、燃え残った酸化鉛が点火プラグに固着して短絡させることもあるので使いたくなかったのだ。

 

「ひかりちゃん、エンジン回して!」

「はい!」

 

 ひかりは数日ぶりにストライカーユニットに足を通し、魔法力を星形の魔導エンジンへと流す。

 頭にリス耳、ホットパンツの上から茶色い尻尾が生えるのを合図に尚樹はバッテリーパックのワニ口クランプをユニット側電源端子から取り外し、安全距離を取った。

 込められた魔力と蓄電池の電流がユニット内部のスタータ回路を通じてスタータモータを回し、クランキングする。

 インテイクの強い吸入が内腿を撫で、ひかりはエンジンの息吹を感じた。

 魔導プラグが気化器(キャブレタ)より吸入した混合気に点火し初爆が起こる。

 

「回った!」

 

 パパパパパと言う軽い音からボボボという野太い音に変わり、飛行術式が展開された瞬間、術式が消滅してエンジンは停止、ひかりはユニットからエジェクトされた。

 どのようなものか分かっていないとはいえ、プロペラ、回転体があるので安全距離を取っていた尚樹は、慌ててひかりに駆け寄って抱き起こす。

 落ちてきた木の葉が頭の上に乗り、愛用のヒョウジャージは土埃まみれになっていた。

 

「大丈夫か!足は……ついてる」

「魔法力が切れちゃいました……」

 

 ひかりの説明により、異空間に収納されると知った尚樹は突然のエンストによって足が切断されてしまわないか心配だったのだ。

 だが、魔力が遮断されると回路を切って強制的に射出する安全装置があり、戦闘中の魔法力切れや被弾、故障などによる破壊があった場合にも必ず作動するようになっているのだ。

 ひかりは魔法力が途切れる感覚を久々に味わった気がして、ロスマンとの特訓を思い出した。

 だが、ロスマンはひかりが転んだからといって抱き起こしてはくれなかった。

 そこまで考えが至った時、尚樹の腕の中にいるひかりは体温を感じるとともに異性に抱き起こされていることに気づき、急に照れ臭くなってきた。

 

「そうか、ケガはないか?」

「大丈夫です!あの、尚樹さん、そんなに見られると恥ずかしいなあ……」

「あっ、ゴメンゴメン。じゃあ俺はユニットを車に積んどくわ」

 

 慌てて飛びのく尚樹。いくら生活を共にしているからと言って恋人でもない女の子を抱きしめ、なおかつ足元を凝視しているなんて社会的にもデリカシー的なものでも不味いと感じたのだ。

 ひかりは遣欧艦隊の中でも水兵やパイロットたちからも可愛がられていたが、階級差とウイッチであることからどこか距離を置いていたため、抱きしめられたりするようなスキンシップは初めてで、まるで漫画か小説の中のことのようでドキドキしていた。

 

「靴、置いとくよ」

「は、はい!」

 

 二人とも顔を見合わせると照れくさい気分になり、顔を赤らめつつ黙々と脚立や消火器を車に積んで始動実験の後始末をした。

 ひかりは埃まみれのジャージを脱いで、尚樹がネット通販で購入した青いTシャツの上に薄い白の上着を羽織って車に乗る。

 

「じゃあ昼前になったし、予定通り温泉に寄って帰ろうか」

「山の中の温泉、楽しみだなあ!」

 

 少し戻ったところに“奥水間の湯”と言う旅館があり、そこが今回のドライブのメインイベントだ。

 ひかりは尚樹のノートパソコンに映る温泉の写真と料理の写真にとても興味を持ち、楽しみにしていたのである。

 ひとり5200円の日帰りプランは3時間個室が用意されて食事と入浴が出来るもので、到着後にすぐ昼食を取ればあとは温泉が待っているのだ。

 2人1部屋で1万4千円ほどするが、せっかく温泉宿に来たのだから入浴だけして帰ると言うのも味気ないだろうという尚樹の心遣いだった。

 奥水間の湯に到着し、フロントで予約していたことを告げると尚樹たちは山と川が見える和室に案内された。

 机と座椅子の他に電気ポットや液晶テレビ、金庫が備え付けられており、温かみを感じさせる淡い黄土色の壁紙に立派な床の間が設けられていた。

 

「写真で見てたより広く見えるな」

「尚樹さん、浴衣とかタオルも用意されてますよ!」

「セット料金に入ってるからね、後で使おう」

 

 部屋の名前は「ちどりの間」であり、どうやら1階は鳥の名前で揃えているらしく他にも「うぐいす」や「はつかり」「ほととぎす」と言った部屋があった。

 

「ちどりの間……ひかりちゃんのユニットもチドリだよね。なにか由来でもあるの?」

 

 先ほどまで試運転をしていたユニットにその名がついていたことを思い出して尚樹は尋ねた。

 

「チドリはお姉ちゃんのユニットなんです」

「お姉さんって孝美さんだったっけ」

「はい、お姉ちゃんが怪我しちゃったから代わりに私が使ってたんです」

 

 ひかりはかつて艦上で聞いた姉の夢の話をする。

 

「チドリって世界を旅する鳥なんです、お姉ちゃんはいつか世界を平和にして千鳥みたいに世界を旅してみたいと思って付けたって言ってました」

「へえ、素敵な夢だなあ。ひかりちゃんは何か夢とかってあるの?」

「私の夢は、お姉ちゃんと一緒に戦う事でした。でも叶っちゃったから今度はどうしようかなって」

 

 ひかりは姉への憧れで航空ウイッチになった。

 そしてグリゴーリ撃滅から異動までのしばらくの間、ラルの計らいによって哨戒飛行に孝美、ひかり、そして管野が割り当てられて同じ空を飛んだ。

 そこで自分の願いが叶ったことを知り、姉の姿を見てロスマン先生の言う「あなたはあなたになりなさい」という言葉の意味を実感したのだった。

 ひかりは孝美にはなれない、ひかりにはひかりの戦い方、人生があるのだ。

 だからこそ、姉を追いかけることをやめて自分の居場所である502に残ったのだ。

 

「そうか、叶ったんやね。次の目標はゆっくりと探したらいいよ」

「はい、だから私は勉強して、いろいろなことが出来るようになりたいです」

「おお、勉強が出来れば兵隊を辞めてもいろいろ潰しがきくしな」

 

 尚樹とひかりは会席料理が運ばれて来るまで将来の夢や、502の隊員の特技について話した。

 中でもインパクトが強い話に『雷に打たれたり、やたら墜落したりと不運だがキノコや野生動物を狩ってくる金髪でおっぱいおっきいウイッチ』があり、不幸エピソードを聞くたびに尚樹はよく生きているなと驚いてばかりだった。

 尚樹がニッカ・エドワーディン・カタヤイネン曹長の逸話に感心してると仲居さんが入って来て手早く机の上に料理を並べていく。

 先付として“もずく入り冷やしとろろ”、“水玉キュウリ”、“鮎最中(あゆもなか)”が出て、それをアルコールの飲めない二人はほうじ茶で頂く。

 ひかりはテープのように薄く巻かれたキュウリの飾り切りを眺めて感心する。

 

「きゅうりってこんな風に薄く切れるんですね!」

「これは板前さんだから出来るんだな、それにしてもここまで薄く出来るって凄いな」

「わーっ、この最中可愛いなあ、甘ーい」

「よかったら俺の分も食べるか?」

「いいんですか?ありがとうございます!」

 

 ひかりの喜ぶ様子に尚樹は思わず、鮎の形をした最中をひかりに渡す。

 そうしているとお造り2種盛りがやって来る。

 

 会席料理はお造り、煮物、焼き物、揚げ物、ご飯、留め椀、香の物と続く。

 “アジとカンパチの刺身”を食べ終わり、“イカのけんちん煮”、“豚肩ロース石焼”がやって来る。

 そして、留め椀の味噌汁と香の物、ご飯を食べながら尚樹は思った。

 

 俺は会席料理をなめていた……と。

 

 一方、ひかりは美味しく綺麗な料理を食べて、夢心地だった。

 尚樹と違って、遣欧艦隊の壮行会などで姉の指導を受けながらこうした料理を食べたことがあったのだ。

 香の物をご飯に乗せようとして怒られたり、留め椀の汁を最初に飲むと習ったりと散々な思い出だったような気がする。

 尚樹もひかりに言われて直しつつ、何とか食べ終わった。

 

「おいしいですね、尚樹さん!」

「そうやね、この後にはデザートも来るからね」

「えーっと、なんだったかな」

「おっ、来たみたいだよ」

 

 ヨーグルトのブルーベリー和えが青磁の小鉢に入ってやって来た。

 よく冷えた白いヨーグルトに藍色のブルーベリーが数粒入り、ミントの葉が乗って清涼感を引き立てる。

 

「そういえば、ニパさんがこんな木の実をどこからか採ってきてたなあ」

 

 ひかりが行方不明になる前日の事である。

 尚樹のニパのイメージが北欧の金髪少女から毛皮を着て雪の中を行く厳つい猟師へと変わり、“ついてない人”から“採集生活で502の食事を支えている猛者”へと早変わりした。

 

「こういうベリーって北欧原産らしいからな、フィンランドとか……えっと」

「スオムスの事ですね、尚樹さんって木の実のこともわかるんだ」

「ちょっと前まで目に良いっていう健康食品のテレビCMで繰り返しやってたんだよ、」

「目に良いんですか?」

「うん、ブドウとかの皮の藍色の成分、アントシアニンがよく効くんだってさ」

 

 尚樹は刷り込みのように「ブルー」と「アイ」を連呼するCMの受け売りをする。

 

「あっ、だからクルピンスキーさんはいつも()()()()()()()を飲みたがってたんですね」

 

 純粋なひかりは美味しいぶどうジュースを飲むことによってクルピンスキーがモチベーションを保っていると思っていたが、どう聞いても尚樹にはアルコールの匂いしかせず、「気持ち悪い」と言っていたという話を聞いて二日酔いであると確定した。

 

「ひかりちゃん、それは多分……」

「たぶん?」

「ひかりちゃんはあと5年くらい待ってね、とくに日本では」

 

 現代の自衛官だった尚樹は「勤務中に飲酒は不味いだろ」と思ったが、「第2次世界大戦中でなおかつ飲水に適さないような欧州なら仕方ないか」と突っ込まないことにしておいた。

 決して、ひかりが戻った時に伯爵(グレーフィン)にツッコまないようにするための配慮ではない。

 

 

 昼食を終えると、二人は貸与のフェイスタオルとバスタオル、そして着替えの浴衣を入れた迷彩のランドリーバッグを持って浴場へと向かう。

 

「上がったら向こうの自販機コーナーで待ってるから、ゆっくりしていってよ」

「はい」

 

 尚樹とひかりは男湯と女湯ののれんの前で別れ、更衣室へと入っていった。

 石造りの露天風呂に入り、すぐそばを流れる川のせせらぎと鳥の声を聞きながら尚樹はふと考える。

 

 ひかりが1945年の異世界から2017年の日本にやって来て、明日でまる一週間となる。

 とりあえず、彼女のためにいろいろ準備して様々な家電の使い方も教えた。

 しかし帰すつもりならばあまり現代に適応させ過ぎないほうがいいのではないかとも思う。

 となると、今、自分がやっていることはひかりをただ甘やかしているだけであって、本当は帰って欲しくないと感じているのだろうか。

 家に帰れば電気が付き、家に居る可愛い美少女と二人で晩飯を作って食べる日々はとても楽しい。

 

 しかし、ひかりを探しているであろう仲間や実家にいる両親のことを考えると、いつかは決断しなくてはならないのだ。

 もし戻れなかったら、捨て子や記憶喪失などの身元不明者などのように家庭裁判所の許可を取り無戸籍者として“就籍届”を出す。

 家裁の就籍許可審判がどうなるかわからないが、とりあえず見た目が日本人に近く流ちょうな日本語を話すひかりは聞き取り調査でネウロイとユニットの事を伏せれば新戸籍を得て生活できるだろう。

 だが、そうした手続きを取ってしまえば、もうこちらの世界に定住が決まったようなものだ。

 

 尚樹は帰れないと知った時のひかりの気持ちを考えて、就籍の話を出すのはもう少し待とうと思う。

 

「戸籍は何とかなっても、帰れるんなら帰った方がいいよな。向こうで戦死扱いになってるだろうしな……」

 

 

 尚樹が露天風呂の中で一人悩んでいるころ、ひかりは洗い場で体を洗っていた。

 備え付けのリンスインシャンプーやボディソープがあったが、木酢液のシャンプーやボディソープ、洗い網の試供品が置かれており、ひかりは琥珀色の液体が入った容器を手に取った。

 容器には“紀州産木酢液の液体石鹸”というラベルが貼られており、売店にて販売中と記されていた。

 

「これって売店で売ってるんだー」

 

 洗い網に木酢液ボディソープを付けて擦るとよく泡立ち、埃っぽかった身体の汚れが良く落ちているような気がした。

 ひかりは欲しくなったが、自分は居候の身であり一銭も払っていないことに思い至った。

 

「私、ここに来てからもらってばっかりだ……」

 

 どうすれば恩返しが出来るか考えたひかりの中で、ある結論が出た。

 この世界では身分もなく就労は難しい、そこで下原やジョゼのように料理や家事ができれば、仕事に行って疲れて帰って来た尚樹に喜んでもらえるのではないかと。

 母が父のために家のことをいろいろとしていたのを見ていたひかりは、今の自分が出来そうな事だと感じたのだ。

 

「よし、明日からがんばろう!」

 

 ひかりは体を洗い終わると、室内に設けられた小さなサウナに入ってテレビを見る。

 重油ボイラーで焚いておりなおかつ密閉度が高いため502基地のサウナより温度が高く、汗が勢いよく噴き出す。

 “こっちじゃ扶桑にもサウナがあるんだ”とひかりは思って入ったが、ニパや管野と言ったいつものメンバーが居ないと話し相手もいないため、置いてある砂時計を弄ぶ。

 ガラスの向こうのテレビではバラエティ番組がやっていて、落語家がさまざまな物件を紹介するコーナーが流れていたが特に興味もなかったのでだんだん退屈に思えてきたのだ。

 

 早々にサウナを出ると水風呂で水を被り、この温泉宿の目玉である岩風呂の方へと向かった。

 窓から差し込む陽光を浴びて金色に輝く天然のナトリウム泉が岩で組まれた浴槽から溢れている。

 掛け湯をして岩風呂に入ると、温熱効果から体がとても温まる。

 特にひかりはサウナからの水風呂で一気に毛穴や血管を収縮させていたものだから、より暖かく感じていた。

 

「やっぱり温泉は良いなあ……」

 

 尚樹宅の風呂と違い思い切り手足が伸ばせる上に、ナトリウム泉の独特な臭気が温泉に来たと実感させてくれる。

 あまりの気持ちの良さにひかりは久々に湯船で寝そうになり驚いた。

 

 ひかりが風呂から上がると、尚樹は自動販売機コーナーでコーヒー牛乳を買って座っていた。

 

「尚樹さーん、お待たせしました」

「いいや、俺も今上がったところだよ、そうだ、なんか飲む?」

「ジュースですか?」

「うん、ジュースでもいいし、あっちの牛乳でもいいよ」

「やったぁ!どれにしようかなぁ」

 

 いつもより髪も肌も艶やかで、女性用の薄いピンクの浴衣から伸びる細い手足に尚樹は色気を感じてどきりとするが、悟られないようにひかりを自販機へと促す。

 ジュースにするか、それとも牛乳にするか迷っているひかりのうなじからはとても良い匂いがした。

 

「うーん、じゃあ尚樹さんが飲んでるのでいいです」

「おお、コーヒー牛乳かぁ。やっぱり風呂上りはこれに限るね」

「コーヒー……コーヒー牛乳って苦くないんですか?」

「コーヒー牛乳はめっちゃくちゃ甘いよ、牛乳が苦手な子供でもこれは飲めるっていうね」

 

 尚樹と同じ物を買ったひかりは、ロスマンに入れてもらったコーヒー(代用品)がとても苦かった経験からおそるおそる口を付けた。

 

「あまーい、これなら飲めますね!」

「だろう?俺も昔は普通の牛乳の味が苦手でコーヒー牛乳にしたもんだ」

 

 コーヒー風味の味にまろやかさのある甘い牛乳はひかりに感動を与えた。

 

「コーヒー牛乳って作れるんですか?」

「俺が小学生の頃にはそういう粉が学校給食、学校で食べる飯に出たんだよ」

「へぇ、私たちはお弁当だったなぁ」

 

 尚樹は学校給食制度っていつから始まったのだろうかと考えながら給食の話をする。

 ひかりは日本の給食制度に驚きながら、かつての失敗を思い出した。

 

「そういえば、一度お弁当を家に忘れてお姉ちゃんにご飯を分けてもらったなあ」

「おいおい」

 

 当時低学年だったひかりがお昼に鞄を開けると、母親が入れてくれたはずの弁当の包みが無くてとても悲しい気持ちになった。

 そして、恥を忍んで友達にご飯をもらおうかどうか悩んだ時に、上級生の教室から孝美がやって来たのだ。

 

「ひかり!」

「お姉ちゃん!」

「あなた、お弁当忘れたでしょ、お姉ちゃんのお弁当半分あげるわ」

「お姉ちゃんありがとう!」

 

 この件は雁淵姉妹の仲の良さを物語るエピソードとして同級生の間で長く語り継がれることになった。

 

 尚樹は「よくお姉さん気付いたなあ」と思うと同時に、俺なら何も気にせずに食べおわり、弟の教室に行かないような気がするなと思った。

 

 コーヒー牛乳を飲んだ後ゲームセンターなどで遊んでいたら、いよいよ退出期限の3時間が近づいてきていたので尚樹たちは浴衣を返し、時間の少し前にチェックアウトした。

 奥水間の湯を出た二人は曲がりくねった山道を通って家へと帰る。

 

「ひかりちゃん、楽しかった?」

「はい!楽しかったです。できればまた来たいなぁ」

「それならよかったよ」

 

 尚樹にとってもここ数年で一番楽しい日曜日だった。

 




よい運転の3要素は、強い圧縮、適正時期に強い火花、よい混合気ですが、魔導エンジンはおそらく強い火花(イグナイタなど)に魔法力を使ってるのではないかと思いました。

だからアニメでプラグの調子を見る描写が多いのではないでしょうか?
資料集とか何にもないのでレシプロストライカーの構造はわかりませんが。



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消えた戦車たち

戦闘パートを書いていると5000字位のはずが8000字をはるかに超えてどう分割しようかわからなくなりました。



 1945年7月4日

 

 白樺の木々の間を縫って戦車は進む。

 レーシーの対地能力を検証するための威力偵察であり、もしも上手くいけば歩兵連隊や重砲連隊を突入させての作戦が展開されるだろう。

 擬装というよりは対破片防護力を少しでも上げようと黒々とした背の高い車体には丸太や針葉樹の枝葉が括りつけられ、エンジングリル上には車内に収まらない彼らの背嚢(はいのう)や私物品が所狭しと積み込まれている。

 角ばった溶接車台に75ミリ砲を積んだその戦車はリベリオン製のM4A2シャーマン中戦車であり、レンドリースによってやって来た戦車だ。

 オラーシャで生産されたKV-1に比べとても操作が容易く、戦時生産のT-34/76に比べて品質も安定しているので中隊長車の車長セルゲイ・ジューコフ中尉はこの心地よい戦車があればどこまでも戦える気がした。

 セルゲイは先頭を行く陸戦ウイッチが何かを発見したのか、握り拳を作り頭の横で止めるのを見た。

 

「アカーツィアより各車、止まれ!」

 

 ウイッチの手信号に、戦車中隊の停車を命じると“アカシア(アカーツィア)”の符丁で呼ばれている小隊各車が一斉に止まり、息を潜める。

 前方警戒員として先行していた陸戦ウイッチが森の中で謎の霧のようなものを確認したのである。

 ハッチを開け、木々の間から視認できる距離にいる陸戦ウイッチに車載無線機で呼びかける。

 

「おい、どうした“お嬢さん”」

「こちら第32陸戦中隊、正体のわからない霧が出た!注意せよ」

 

 セルゲイは師団司令部から下された謎の指示を思い出す。

 

 まだ若く、真面目で愛国心に燃える彼女たちはその指示に怯えすぎているのかもしれない。

 セルゲイは安心させようと穏やかに返す。

 

「……森の中だ、霧ぐらい出るさ」

「違う、まるで煙幕だ!100メートル先も見えない!」

 

 すぐに前に居た陸戦ウイッチ達の一人が叫ぶ。

 木々がバサバサと騒ぎ、セルゲイの見ていた後詰めのウイッチが霧の中へ飛び込んでいく。

 無線がザーザーと異音を発し、車内無線しか使い物にならなくなる。

 キューポラから身を乗り出し、備え付けの信号手旗を振って後続の部下に前進の指示を出そうとしたその時。

 

「中隊長!霧の中から何か来ます!」

 

 僚車の車長の叫び声にセルゲイは振り向いた。

 

 それきり、第32陸戦中隊の少女たちとセルゲイら第411戦車大隊第1中隊は消息を絶った。

 

 ____

 

 

 オラーシャ陸軍第121親衛戦闘機連隊ならびに第41装甲師団を含む第60軍、カールスラント陸軍第16軍といった連合軍北方軍集団は“レーシー”の攻略作戦に備え着々と準備を始めていた。

 ペテルブルグの無人の市街に補給や通信、輸送、憲兵といった後方段列(こうほうだんれつ)の部隊が本格的に駐屯し、にわかに騒がしくなっていた。

 

 また、航空ウイッチ75名、陸戦ウイッチ112名、戦車830両、高射砲・野砲・ロケット砲などの各種火砲521門(自走砲含む)とその構成員、戦闘兵科だけでもちょっとした地方都市の住民くらいはおり、ペテルブルグ付近の最前線拠点はどこも満員となっている。

 グリゴーリ攻略戦よりも兵力が増強されているが“ヴァシリー”方向からの斥候ネウロイ襲撃や“レーシー”からの大規模侵攻に備えている面もあり、北方軍の幕僚の一部はレーシー攻略に現在の戦力の6割、よくて7割が抽出できれば儲けものだと思っていた。

 実際、対ネウロイ戦において軍事における“全滅”判定は珍しいことでもなく、一つの戦闘で連隊戦闘団の6割近くがわずかなネウロイに屠られるといった事態がたびたび起こり、生き残った兵士を兵科関係なく寄せ集めて臨時の戦闘団を形成するが、それすら撤退中に壊滅するという悲劇が各戦線で発生したのだ。

 リバウ、カールスラント、ヴェネツィア、そしてガリアで人類は苦汁を舐めさせられ、戦力の見積もりにも悲観的なムードが漂うのは当然の事であった。

 もっとも、ペテルブルグの目と鼻の先に出来た“レーシー”が動けば「戦力をかき集める前に人類はスオムスまで追い立てられるであろう」というのが戦力分析の主流であり、どちらが先に手を出せるかで勝負は決まると思われている。 

 北方軍の幕僚たちはフレイヤー作戦の失敗から列車砲などの重厚長大路線の超兵器ではなく、柔軟に対応ができる“旅団級ウイッチ部隊”を投入することと、それに502を基幹とした打撃任務部隊をどう組み込むかと検討していた。

 

 朝、いつものように管野とニパが基地外周を走っていると、後ろから誰かが走って来た。

 ここのところ最前線基地となったペトロ・パウロ要塞には見慣れぬ顔の兵士たちが多数出入りしており、サーシャは他部隊と揉め事を起こさぬように何度も注意を喚起していた。

 特に着任時に陸軍の兵士と乱闘沙汰を起こし留置場送りになった管野、クルピンスキー、ニパが主な対象であり、他は「トラブルに巻き込まれないように」であるとか「貴重品の管理はしっかりするように」程度だった。

 管野は「さすがにケンカ売ったりなんてしねーよ」と言ったが、サーシャは「誤解を招くようなことをするのも禁止です」と言って、わかりましたね?と念を押してきた。

 とはいっても後ろから一定の距離で付いて来られるのは空戦ウイッチの性に合わない。

 おおかた外来宿舎のウイッチが走りに来たんだろうと思い、管野はニパと示し合わせて「顔見てからぶっちぎってやろう」と後ろを振り返る。

 すると、そこに居たのは長い髪を白いリボンで結んでポニーテールにした孝美だった。

 

「孝美?」

「孝美さん?」

「管野さん、ニパさん、おはようございます」

 

 孝美はスピードを上げると前を走るニパと管野の横に付いた。

 

「孝美も朝走るのか」

「ええ、扶桑に居た時から。最近は走れてなかったから」

「そうなんだー、ひかりが速かったのって……」

 

 無意識にひかりの話を出してしまったニパに、管野は気まずそうになる。

 

「そうね、ひかりと走っていたわ」

「いつ頃から走っていたんですか?」

「私がウイッチになったころかな、あの子、後ろからがんばって着いてきたのよ」

「ひかりらしいや……」

「何回転んでも、海に落ちても、ずっと続けて」

 

 佐世保での日々を思い出して懐かしそうに言う孝美。

 管野は何を言おうかと逡巡する。その様子を見た孝美は微笑んだ。

 

「管野さん、ひかりがあきらめない子なのはよく知っているでしょう」

「そうだけどよ、孝美……」

「私たちにできることは、ひかりがいつか帰ってくる日のために居場所を残しておくことだけなの、だから、気にしないで」

 

 着任時とうって変わってひかりの帰還を信じている様子の孝美に、ひかりの最後の姿を伝えるかどうか悩み、力不足を悔いていた管野は少しだけ気が楽になった。

 空気を変えようとニパは孝美の居た部隊について尋ねた。

 

「孝美さんはたしか、新しい統合戦闘航空団に配属されていたんですよね」

「そうね、508に居たけど、ひかりのことがあってこっちに来ちゃったわ」

「俺は隊長がなんかやったって聞いたぞ」

「ラル少佐はあくまで私の希望が通るようにしてくださっただけよ」

「それがえげつないんだよなあの人」

 

 孝美、管野、ニパが基地外周にある高射砲陣地のそばを走っている頃、121のウイッチたちは連隊長であるアルチューフィン中佐の許可が降りたため朝からロスマンによって指導を受けていた。

 アルチューフィン中佐も“あがり”を迎えて地上勤務になった一人であり、後輩であるサーシャの申し出に、「どんどんやってくれ」とゴーサインを出したのだ。

 

「クリフチェンコ少尉、まずはユニット無しで回避させてください」

 

 アーニャは書類仕事を古参の隊員に任せて、部下に石をウエスで包んだ即席のボールを投げつける。

 まるで“ウイッチ養成学校の初級課程”ではないかと思い、おそるおそる魔法を使った内容をロスマンに尋ねた。

 

「ロスマン曹長、魔力量がとりわけ少ない者がいるのですが、彼女はどうしましょうか」

「彼女はあとで一点集中で飛ぶ練習をさせます、その前に“これ”が出来なければ()()()()()()()でしょう」

 

 8人の少女たちはユニット無しで右へ左へと走り回り、回避の練習をさせられていた。

 回避動作の瞬発力、ボールがどこに飛んで来るかを考える洞察力、そして手の動きなどを見る注意力に加え、それを続ける持久力も鍛えることが出来るのだ。

 ひかりも雪玉を用いて同種の訓練をしたことがあるがスタミナがあったので、回避を習得するとロスマンの方が疲れるという結果になった。

 ただ、ひかりを指導した経験は、魔力量が少ないウイッチは「受けるより避けろ」、「魔法力の一点集中」が有効であるという答えを導き出し、今回の生還率をわずかでも上げるための特訓に大変役に立った。

 

 午前中は早撃ちの新兵が射撃場に集められロスマン曹長を教官、アーニャを引率とした射撃訓練が行われていた。

 それ以外の502や121の隊員はアラート待機や哨戒飛行に割り振られ、基地に駐屯する人数が多くなり交代要員に余裕ができたためこういった訓練ができるのだ。

 

「あなたたちは引き金に指を掛ける前に3つ数えなさい」

「撃て!」

 

 一斉に引き金を引くが当たらない。

 引き金を勢いよく引いて銃がぶれる、いわゆるガク引きである。

 

「せっかく魔法力で反動を消してもこれでは何の意味もないわね、3歩前へ」

 

 ロスマンは確実に当たる距離まで前進させ、アーニャが撃てと命じる。

 

「あなたと、そこのあなたは抜けていいわ、それ以外はもう3歩前へ」

 

 アーニャは訓練状況の視察に来たポクルイーシキン大尉が眉間に指を当ててため息をつく様を見て憂鬱になった。

 

『非常呼集、非常呼集、502、121の全ウイッチは作業を中断、直ちに作戦室に集合、繰り返す……』

 

 その時、ブザーが鳴り響き121連隊本部付の女性士官の声がスピーカーから流れてきた。

 ロスマン、アーニャや新兵たちが射撃場の銃を急いでかき集め、作戦室になだれ込んだ時には連隊長やラル、参謀たちがすでに揃っており、最上級者だったアーニャは思わず「敬礼!」と叫んだ。

 

 

「先刻、威力偵察に前進した陸戦ウイッチおよび1個戦車中隊が消息を絶った」

 

 第121戦闘機連隊の連隊長であるマリア・アルチューフィン中佐が“レーシー”付近の地図を指して状況の説明を始める。

 現在の他部隊の様子と、連合軍北方司令部の動向について短い説明をした。

 

「そこで我々に戦闘捜索の命令が下ったというわけだ。ラル少佐、後を頼む」

 

 アルチューフィン中佐は黒縁メガネを指で押し上げ、ラルに引き継ぐ。

 

「わかりました。502は121と共に目標地域に進発し、彼らの捜索、ネウロイの抵抗があればこれを撃滅せよ。まあ、いつも通りにやればいい」

 

 ラルの言葉に、孝美を除く502の面々は二年前の“ミロラドヴィチ作戦”を思い出した。

 あの時も前線の陸軍部隊の支援やユニット回収班の救出と様々な事をしたもので、今度の出撃任務も長丁場になりそうだと感じていた。

 孝美も陰惨なリバウ撤退戦がよぎり、おそらくは壊滅したであろう陸軍兵を想い覚悟を決める。

 

 ブリーフィングが終わるとウイッチたちは格納庫に向かう。

 同時に502のユニット回収班や121の連隊本部付(れんたいほんぶづき)情報班の方も騒がしくなる。

 

「内容は聞いたな、霧が出たらしい。ならばその中に奴らがいる、見つけたらぶっ殺せ」

 

 ユーティライネン大尉が獰猛な笑みを浮かべ、彼女の部下である陸戦ウイッチ、男性兵士たちもそれに乗っかる。

 

「おいおい、スオムス人はネウロイをぶっ殺す気で居やがる、捜索任務だろう」

 

 その様子を見た121の男性兵士は隣にいた同僚に言った。

 

「なに、我々も勇敢なオラーシャ陸軍の兵士だ、見つけたら手榴弾を喰らわせてやるよ」

「違いない。今日はあの502が居るんだ、俺たちも負けてられないな」

 

 正面を切って戦うのはウイッチだが、男性が多い本部付の情報班は双眼鏡と通信機、機関短銃、手榴弾4個で前線の様子を観測し、ウイッチの不時着などを報告するのだ。

 丸太でさえ武器にして戦うスオムス人のユニット回収班ほどではないが、生き残っている彼らも歴戦の猛者でありこれから始まる激戦に両者とも士気は高く、自らを鼓舞していた。

 

_____

 

 

 昼ご飯として久々に第502統合戦闘航空団本部付業務隊、通称“業務隊”の作った食事を口にすると、502と121は前線へと飛び立った。

 

「うーん」

「カンノ、どうしたの?」

「久しぶりに業務隊の飯を食ったぜ、だけど食った気がしねえ」

「仕方ないよ、急な出撃で下原さんもワタシもみんな忙しかったし」

「そうですね、ここのところずっと私が作っていましたから」

「定ちゃんの料理がおいしすぎるのがいけないんだよー」

「もうっ、ジョゼ、褒めても何も出ないわよ」

「下原さんの料理は本当においしくて、腹持ちも良いですね。いつもありがとうございます」

「雁淵中尉まで……」

 

 ニパの疑問に管野はちょっと物足りないなとこぼすと、ジョゼが下原の料理に慣れ切ってると言い、照れる下原に孝美がお礼を言った。

 そんな会話をしている管野たちの後ろを飛ぶロスマンは後ろから着いてくる121のウイッチをちらりちらりと見る。

 それに気づいたクルピンスキーがロスマンの真横に着いた。

 

「ロスマン先生、やっぱりあの子たちが心配?」

「そうね、あなたがいつ手を出すかを心配するくらいにはね」

「じゃあ、先生は僕のことを心配してくれるんだね、嬉しいなあ」

「貴方ってどうしてそう都合よく解釈できるのかしら……」

 

 オラーシャ軍に顔が効くことから121連隊のウイッチとの調整役でもあるサーシャがロスマンのさらに後ろを飛ぶ。

 眼下には履帯痕が森の中へと続いており、地面の掘れ方と露出した土の湿り具合からまだ新しい物であることがわかる。

 

「もう少しで集結点です。全員、気を引き締めてください」

 

 サーシャが戦車連隊と陸戦ウイッチ中隊の歩戦共同作戦の作戦図を思い出して言う。

 集結点に戦力が集まってから前進するのだから、そこが威力偵察部隊の出発基点なのだ。

 

 下原、孝美が彼らの進路沿いに捜索して、管野たちは周辺警戒と航空優勢の確保を行う。

 身軽な502と121の第一飛行隊の編隊の後方に速度こそ劣るものの、火力は高い対地支援機の編隊が続く。

 重装甲の地上型ネウロイが居た場合、フリーガーハマーやリベリオン製20ポンド爆弾架などの爆装を携行している121の第二飛行隊が対地攻撃をする手はずとなっているのだ。

 森の上を飛び、レーシーより200㎞地点に近づいた頃下原が地上型ネウロイの接近に気づいた。

 

「11時下方、地上型が5!」

「管野一番、突撃する」

「じゃあ援護するよ!」

「管野さん、ニパさん突出しすぎです!」

 

 “他部隊との調整役”という仕事上率先して空戦に飛び込めないサーシャが叫ぶ。

 急降下した二人はあっという間に「クモ」と呼ばれる4脚の地上型1体を撃破する。

 

「孝美ちゃん、僕らも直ちゃんの援護に行こうか。先生、下原ちゃんをお願い」

「わかりました、雁淵、援護に入ります」

「わかったわ、下原さんはそのまま捜索、私とジョゼさんが上空警戒」

 

 クルピンスキー、孝美も飛び込み4体のネウロイを木々で翻弄しながら一つ、また一つと潰していった。

 その間も下原は味方部隊の痕跡を探していたが今のところ戦車の残骸ひとつ見つからない。

 作戦予定通りに前進していれば戦車部隊がいたであろう地点に行くと、どんどんと霧が立ち込めてくる。

 

「霧が出てきたぞ!」

「カンノ!あれ!」

「なんだ!」

 

 低空飛行をしていた管野とニパが地面に亀裂を確認した。

 木の根が切れるようなブチブチという音と共に土が割れて飛び、幅10mほどありそうな黒地にところどころ半透明のパネルが付いた六角柱、いや六方晶のネウロイが地中より姿を現した。

 急いで高度を上げることで管野とニパ、そしてクルピンスキーは衝突を回避した

 そして、六角柱ネウロイは高さ9~10mくらいまで地表面にせり出すとピタリと止まった。

 

「地中侵攻型か!」

「コアは……見えない!」

 

 まだ地中に埋没している部位があるからか、それとも別の理由か孝美の魔眼にコアが映らない。

 多くのネウロイが持つ赤いパネルではなく偏光ガラスのように黒みがかった半透明のパネルがついていて、六方晶形状と相まってまるで黒水晶のようだ。

 うかつに近接すると何があるかわからないので、一度距離を取ってロスマン指揮の下で同時多重攻撃をする。

 

「十字射撃を行うわ!一斉射!」

 

 威力のあるフリーガーハマーや対物ライフル初めとした各種火器による射撃が集中し、六方晶に命中する。

 表面がパリパリと砕け、黒雲母の様に薄片が剥離していく。

 しかし、自己再生能力があり剥離しても次の瞬間には新しい外板が出来上がっているのでキリがない。

 その時、半透明のパネルが“キラリ”と輝いて虹色に見えた。

 

「何しやがったアイツ!」

 

 管野は射撃を一時中断し様子を見る。

 すると薄くなっていた霧がまた濃くなりはじめた。

 

「寒い、霧が出てきました!」

「どうやら一気に気温を下げているみたいだね」

 

 孝美は地表に霧が溜まっていることに気づき、クルピンスキーは急激に温度が下がったことによる霧だと思った。

 ロスマンは一番怪しいのは何かの光線を出しているか、あるいは何かの分光(ぶんこう)なのかわからないが、虹色に輝くプリズムの様な半透明のパネルだと感じた。

 

「攻撃を続けなさい、あのプリズムのところに攻撃を集中して!」

 

 フリーガーハマーが直撃して爆炎が晴れる頃、後ろから悲鳴が上がった。

 管野とニパが後ろを振り返ると地上型ネウロイと人型の様なネウロイが複数殺到してきていた。

 

「挟まれた!いったいどこから……きゃあ!」

「4時の方角よりネウロイ接近!不意を突かれた!」

「エリー!エリーが落とされた!」

 

「避けなきゃ!ってえっ!」

「あっ!」

 

「アーニャ隊長!」

「散開!散開!各個に応戦!」

 

 戦車の車台に3対6本の足を生やし、丸い砲塔が二つ付いたカニの様な奇怪な姿の中型ネウロイが地上から対空砲火を上げ、その援護に黒い人型ネウロイが手から光線を放ってくる。

 121は奇襲を受け一人が撃墜、二人が実体弾を回避しようとして空中衝突し、森のはずれに不時着をした。

 落ちたウイッチに群がろうと一部のネウロイが向きを変えたこともあり、サーシャとジョゼ、下原は急いで撃墜された121のウイッチの救助に向かう。

 

「おい第1!対地支援はいかが?」

「あの高い白樺より北側のネウロイにならやって!その向こうは味方だ」

「了解、聞いた。目標は霧の中の“カニ野郎”よ。各機投弾準備!」

 

 後ろからやって来た対地攻撃編隊が20ポンド爆弾架を構え、爆撃コースに突入する。

 一方、前衛の502は謎の六方晶ネウロイが袋叩きにされてもビームも実体弾も何も撃たずに、悠然と半透明のパネルをキラキラと輝かせていることが気になっていた。

しかし、盛んに射撃してくる地上型を掃討しなければいつかは被弾するので後回しにせざるを得なかった。

 クルピンスキーと管野は救助のために降りていくサーシャとジョゼ、下原の援護につく。

 降下中、下原は降着地点付近の見慣れぬ中型ネウロイが漆黒の砲を“ギョロリ”と回転させ射撃してきたのを見た。

 砲撃をあっさり回避すると、真横を飛んでいた管野に撃たれてコアが露出し中型ネウロイは砕け散る。

 だが、砕ける一瞬に砲塔の“元の色”が見えた。

 

「あっ!あの砲塔は!」

「下原さん、どうしたの!」

「オラーシャ軍のマークが見えます!」

 

 ロスマンは下原が見つけたものが何であるか咄嗟に察した。

 不格好な“カニ野郎”は友軍の戦車を取り込み、再構成したネウロイだったのだ。

 という事は随伴歩兵の様な黒くて目も口もない人型の模倣体はおそらく、消えた戦車乗員かあるいは陸戦ウイッチであろう。

 

「あいつら、まさか!」

「管野さん!」

「こんのおぉ!」

「下原ちゃん、ここは僕らに任せてそっちの子を!」

 

 陸軍兵士が姿を奪われ、死してなお敵に使われている様に管野はとても腹が立ち、悲しくなった。

 管野とクルピンスキーが迫りくる人型ネウロイに射撃し、下原が不時着、墜落した二人のうちの失神している方を背負う。

 もう一人は衝突したほうの右足ユニットが破損しているので片肺飛行になったがなんとか浮かび上がれた。

 無防備になる離陸の瞬間を狙い撃とうと人型ネウロイが腕のパネルを発光させた……そのとき、ロケットが弾着し消し飛んだ。

 

「ありがとうございます!」

「危機一髪だ、お礼はチョコレートで良いよ!」

 

 フリーガーハマー現地改修型を二丁装備したMiG-60が駆け抜けてゆく。

 赤いリボンがトレードマークの第二飛行隊隊長ブダノワ中尉であり、彼女の後ろに爆装をした隊員が続いて次々と緩降下爆撃でネウロイを屠っていく。

 そうして敵の火勢が弱まるとアーニャと共に地表近くで戦っていたサーシャが次の目標を指定する。

 

「ブダノワ中尉、“黒水晶”に20ポンドを投弾できますか?」

「全機、撃ち尽くしてないね?次はあのデカブツをやる!」

「了解」

「雁淵中尉、すまないが弾が少ない、対地支援は無しだ。堪えてくれ」

 

 引き上げ動作に入り、撃墜されたウイッチの応急手当にあたるジョゼと援護のニパ、孝美の頭上を飛び去っていく。

 

「孝美さん、この子の骨が治るまでは持たせてください」

「わかりました、ニパさんは人型をお願いします」

「はい!」

 

 対地攻撃部隊に狙いを付けた多砲塔ネウロイを孝美はS-18狙撃銃で狩っていく、その横で近接してきている模倣体をニパは薙ぎ払う。

 ジョゼは破片を浴びて、地面にシールド越しとはいえ叩きつけられて複雑骨折および出血と、致命傷を負っていた彼女を“なんとか()()できるくらい”に回復させていた。

 

 六方晶のネウロイは“黒水晶”と呼ばれ、弾数の少ないロスマンが様子を見ていた。

 そこに第2飛行隊が集結する。

 

「ロスマン曹長、また貴方と飛べて光栄だ!」

「そうですかブダノワ中尉。あなた方には回復より早い攻撃を要請します」

「わかりました、ここに居る全員で大火力を投入しよう」

 

 そう言うと、ロスマンとブダノワのロケット弾が集中し、パネルが再生するよりも早くに急降下爆撃から放たれた20ポンド爆弾が同時に7個ほど炸裂して地表面に出ていたところが大きく損傷すると、地響きと共に土の中へと逃げようとする。

 

「させるものか!」

 

 ブダノワがフリーガーハマーを一斉射撃すると地面の穴の奥で爆発が起こり、地上の模倣体を一掃した孝美たちが大穴を覗き込むとそこにネウロイの反応はすでに無かった。

 逃げたのか、それとも撃破したのか分からなかったがとにもかくにも作戦は終了した。

 

 

 地点確保のための歩兵連隊を伴って連隊本部付情報班やユニット回収班が現場に到着したころにはもう夕方になっており、地中侵攻型ネウロイの穴の中の調査はまた後日という形になった。

 管野たちが地上型ネウロイが沸いてきたと思われる場所を探っていると、ススで薄汚れた戦車帽が落ちており、管野が拾い上げると戦車帽の内側には持ち主の名前が記されていた。

 キリル文字が読めなかったので管野はサーシャに渡す。

 

「サーシャ、これ」

「セルゲイ・ジューコフ……おそらく、あの戦車の乗員でしょう」

「死んじまったのかな?」

 

 サーシャが指した方向に戦車がいた。

 車台側面に穴が開き、中にあった弾薬が誘爆したのか砲塔が抜け落ちていた。

 乗員が居たならばおそらく即死だろう。

 しかし、爆発炎上したにしては煙も何も見えず、中にいたならば“ボール紙と革で出来た戦車帽”などあっという間に燃え尽きてしまう。

 なにかと不可解な点もあったが、502及び121は地点の確保を後続の部隊に引き継ぎ、ペテルブルグに帰って補給を行うのだった。

 

 この戦闘における損害および戦果は『オラーシャウイッチ1名重傷により後送、ユニット3機中破、中型及び小型ネウロイ38機撃墜、友軍戦力の生存者は発見できず』

 



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エンジンと牛丼

※大幅に改稿、加筆したので新しく投稿し直しました。

ユニットおよび設定はアニメ・劇場版やOVA、プリクエル、頂いた情報をもとに書いていますが、特にユニットの構造は独自解釈が含まれます、ご注意ください。

設定集などでこういった情報があるよという方は教えていただけると幸いです


 2017年6月17日

 

 朝のランニングを終えて朝食を食べると、日曜日に山中でやったユニット起動実験についての話し合いをする。

 ボロボロの整備カーペットの上に置いたストライカーユニットを見て、尚樹は何が原因だったのかを考えていた。

 そこに部屋の主であるひかりがお盆に急須と湯吞、筒入りのポテトチップスをもって入って来た。

 いよいよ最後のポテトチップスであり、尚樹はまた買い出しに行かないといけないなと思う。

 

「尚樹さん、お茶が入りましたぁ!」

「ありがとう、いただくよ」

 

 折り畳みのテーブルにお盆を置くと、ひかりと尚樹はどうして始動に失敗したのか意見を出し合う。

 

「ひかりちゃんが射出された時ってどんな感じだった?」

「えっと、魔法力が切れちゃって、スポーンと出た感じでした」

「エンジンが止まるってことは、エンジンの三要素のうちのどれかが欠けてるんだよな」

「エンジンの三要素ってなんですか?」

 

 ひかりはどういう事を言ってるのかよくわからないという風に首を傾げる。

 

「エンジンが回るためには、燃料と空気が混ざった混合気、それに点火する強い火花、そして強い爆発を運動に変えるために強い圧縮がいるんだ」

 

 尚樹はポテトチップスの筒に拳を突き入れ、拳をピストン、手首から腕をコネクティングロッドに見立てて前後させる。

 吸入、圧縮、燃焼、排気、と一般的な4ストロークガソリンエンジンの4つの行程について尚樹はひかりに説明する。

 

「拳が上に行くときに火花が飛んでドカン、この押された力でエンジンって回ってるんだ」

「うーん、座学でそういうこと言ってたような。でも、魔法力がないとエンジンは回らないっていうのはどうしてなんですか?」

「そこだ、魔導エンジンは“どこ”に魔法力を使ってるん?」

 

 ひかりは自分の魔法力が少なく、エンジン回転が安定しないときに教官やロスマン先生にどう言われたのかを思い出す。

 

「始動と、あとは飛行の術式を回転させてエーテルをかき回して進む力にするって言うのは聞きました」

「そうか。昨日の始動失敗を見てる限り、ガソリンの混合気、圧縮は問題無さそうだったしね」

 

 尚樹はガソリンエンジンは正常に動いているのを確認している。

 わからないところがあるとすれば制御などの魔法力の関与する部位であった。

 混合というワードに、ひかりはある言葉を思い出した。

 

「混合……魔法力混合比、9対1にしてって」

 

 今でこそ慣れすぎて無意識のうちにやっているが、502に来てすぐの頃は制御を入れてもマトモに飛べなかったのだ。

 

「魔法力の混合比?燃料の理想空燃比(りそうくうねんぴ)みたいなのがあるのか」

「入力する魔法力の量でエンジンの回転数が変わるんです!」

「魔法力の量で回転が変わるの?」

「最初の頃は筒内(とうない)に魔法力を全量詰め込んでも500回転くらいにしかならなくって……」

 

 ユニットの発動機ごとに適正回転は異なるが、扶桑の誉二一型において試運転には2000回転/分が必要であり、ひかりの場合少ない魔法力を昇圧回路で“増幅して”ようやく飛んでいたのだ。

 

 それを見たサーシャとロスマンは始動すらままならずユニットに()()()()()()()()()()どうしようもない子が来たと思ったのだが、いったん魔法力の扱いを覚えるとひかりは管野と並ぶインファイターへと成長したのだ。

 人間、努力次第でどうなるかわからないものである。

 

「飛行機のエンジンにしては低い回転だな、筒内ってエンジン以外にも使うの?」

「シールドを張ったり、プロペラのピッチ……角度を変えたりの制御に使います」

「制御か、もしかしてアイドル回転制御が上手くいってないから止まったのかも」

 

 尚樹は自動車整備を元に考える。

 現代の自動車は始動時にコンピューターが燃料噴射量や点火時期などを制御することで、エンジン回転数を制御しているのだ。

 配線などのショートやセンサが壊れたりして制御が出来なくなるとエンジンが掛からなかったり、あるいは始動後すぐにエンストしてしまう。

 そこにひかりの言う「魔法力が切れた感じ」を当てはめるとこういう予想が出来た。

 

 

 エンジン始動に魔法力を使い、燃料が燃え始めると()()()()()()()()などの制御に魔法力を使うが、プロペラを生成したりと使用量が一気に増えて枯渇し、そのままエンストしたというものである。

 

 

 尚樹の答えを聞いたひかりは経験から納得した。

 ロスマン先生いうところの「ユニットが不機嫌そう」という状態をさらにひどくした状態がこのエンストなのである。

 

 しかし、「どうして魔法力が切れたのか?」ということと、「エンジンが始動できても、ここで飛行できるか?」についてはわからず、ああでもない、こうでもないと言いながら、時に冗談を交え、あるいはひかりが502の隊員の武勇伝なんかも話しつつ二人は昼前までユニットやウイッチについて話をした。

 

「うーん、尚樹さん、私もわかんなくなっちゃいました!」

「そうかぁ、まあいいや、魔法力はバッテリーに溜まった電圧みたいなものだと思っとくわ」

 

 困ったようなひかりの笑顔に、尚樹も考えることを中断する。

 熱心にいろんなことを勉強しようとしていると言っても、ひかりも女の子。

 難しい話をずっとしても退屈なだけだろうと尚樹は切り上げることにした。

 

「もう昼だなあ」

「いろいろ考えたらお腹すいちゃったな」

「昨日いい物食ったところで悪いけど、牛丼屋にでも行こうか」

「牛丼ってなんですか?“牛めし”ですか?」

「そう、牛めし。ご飯の上に甘辛く煮た牛肉が乗ってるアレ」

「それぐらい知ってますよ!……街に行かないと無かったですけど」

「扶桑にもあったのか、そうだ、日本にはすごい店があってな」

 

 文明開化を迎えて牛肉食が都会にて浸透した1890年代にはもう「牛飯」という食べ物は生まれており、そんな中、1899年に「牛飯」を「牛丼」と称して魚河岸で売ったところこれが繁盛し、118年も続いた店がある。

 その店は今やオレンジの看板を掲げて全国展開しているチェーン店なのだ。

 

「そんな歴史のあるお店に行ったらお金なくなっちゃいませんか?」

「大丈夫、『うまい、はやい、やすい』が特徴の店だから、学生時代よく行ったよ」

「学生でも行けるんですか!」

「うん、という事で着替えようか」

 

 尚樹が部屋を出ていったのを確かめてひかりは普段着として着ているジャージを脱ぐと、白い6分丈のシャツの下に予備として買っていた抹茶色のスカートを履く。

 いつも履いているホットパンツは始動試験で汚してしまい洗濯機の中なのだ。

 

「なんかスースーするなあ」

 

 ひかりは当初、朝の情報番組で女子の流行りの服装を見て、日本の女性が“ズボン”姿にならないことに驚いた。

 また、ウイッチたちが“ズボン”と呼んでいたものは、この世界ではズロースやシミーズといった下着扱いであり「ズロースやシミーズ一枚で往来を闊歩するようなもの」で情けなく、恥ずかしいことであるという事に衝撃を受けた。

 ところが今ではジャージでの生活に慣れたせいか、今までとは逆にズボンの上に何か一枚でも履いていないと不安になってしまったのである。

 ひかりの変化はそれだけではなく、常にセーラー服の下に“水練着”でいたが、日本に来てブラジャーと“パンツ”という下着を数組ずつ買うようになると、胸が固定されて運動時に楽になると共にトイレや着替えに案外便利であることに気が付き、水練着をしまい込むとここ数日の間ずっと使っていた。

 ひかりは管野が水練着を着ずにズボンを履いている理由がよくわかったのだった。

 

 _____

 

 

 ひかりが着替えている間、尚樹はというと外出用のTシャツにジーンズを履いて居間でテレビの電源を入れる。

 テレビは月曜日の昼という事もあってワイドショーか、昔のドラマの再放送、通販番組くらいしかやっていない。

 尚樹は芸能関係に疎くて熱愛だの不倫だの言われても、そのカップルが何をしている人か知らなかったりするのですぐチャンネルを変える。

 ドラマはというとちょうど2人目の犠牲者が出たところで、さまざまなサスペンスドラマに登場する俳優がタクシードライバーとして推理をしていた。

 

「さすが平日の昼前だけあって何もないな」

 

 リモコンを操作してチャンネルを切り替えながらニュースを探す。

 正午のニュースを見つけたので見ていると、関西のニュースが始まった。

 

 『今年の3月ごろ京都府で行方不明になった16歳の女子高校生が生駒山の山奥で保護された』というニュースが入った。

発生当初、学校からの帰りに制服姿で失踪し、数メートルおきにある監視カメラで捜索するもどのカメラにも彼女どころか車も人も映っていなかったという事もあって大きなニュースとなった。

「家出」と「誘拐」の両面から捜索していたと聞くが、所持品や発見された時の情報は伏せられ、ただ「健康状態に異常はない」とだけ言うと次のニュースが読み上げられる。

 

「おいおい、マジか……」

 

 前までならば「たぶん家出か拉致だろ」と軽く流していたが、現在進行形で身元不明の少女を匿っている尚樹には他人事とは思えず、少女の保護を喜ぶと共にこれがもし人知を超えた力によるものだったとしたら、帰還の手掛かりにならないだろうかと思った。

 

 次のニュースは堺市北区の路上で銀行員がひったくりにあったというもので、その次も寝屋川のコンビニに強盗が入ったと、毎日のようにどこかで起こっている内容の事件だ。

 

「行方不明に、ひったくり、コンビニ強盗って考えたら大阪治安悪すぎやろ」

 

 そんなツッコミをした時に白いシャツに膝丈の薄い抹茶色のスカートをはいて、よそ行きの格好に着替えたひかりが部屋から出てきた。

 

「尚樹さん、お待たせしました!」

「おお、スカート姿も似合ってて可愛いな。じゃあ行こうか」

「ほんとですか!似合ってるんだ……えへへ」

 

 ひかりは可愛いと言われて照れ笑いをする。

 尚樹はその様子を見て、本当にひかりちゃんは可愛いなあと思ったのだった。

 

 車に乗ってふたりは河内長野市を出て、八尾方向へと向かう。

 牛丼屋に行くついでにショッピングセンターに行って買い出し、そして資料集めのために本屋にも寄ろうという算段である。

 八尾市に入るとひかりは河内長野市や和泉市の田舎にはあまり見られない高層建築を見て驚く。

 

「うわぁ、尚樹さん高い建物がいっぱいあります!あれは何ですか!」

「高層マンション、集合住宅だな。街は狭いところに対して人口が多いからああやって高くして、そこに人を詰め込んでるんだ」

「上までみんな部屋なんですね!窓開けたら高くて驚いちゃいそう」

 

 ひかりは上層階の主婦がベランダに出て洗濯物を干している情景を見て言った。

 

「俺たちからしたらストライカーで空飛んでるほうが怖そうに思えるけどなあ」

「あはは……はじめは怖かったけど、慣れたら空って楽しいんですよ」

 

 ひかりは姉に憧れてウイッチになったものの、最初は派手に地面に突っ込むところから始まった。

 最初こそ迫り来る地表面に怯えてまぶたをきつく閉じたものだが、何度も墜落しながら練習するうちに徐々に楽しくなってきた。

 そして502に正式配属が決まると、ひかりは管野やニパといった仲間たちと共に飛ぶのが好きになったのだ。

 

「“楽しい”か。まあ、俺も飛行機操縦できたらそうなるんだろうな。戦闘機乗りなら特に」

 

 尚樹はふと、航空自衛隊のパイロットの体験記を思い出した。

 

 

 どんなに優秀な戦闘機パイロットでも逃れられない宿命に「肉体的定年」というものがある。

 戦闘機動におけるGなどで身体が急激に老化し、35歳を超えると身体にガタが来て各所が痛くなるのだ。

 しかし、痛みがあろうが彼らは空の上にいられる時間を少しでも延ばそうとマッサージに通い、ジョギングなどをやめてひざの負担を減らしたりと、あがく。

 

「どうして職業のためにそこまでするのか?」との問いにあるパイロットは言った。

「職業とは思っていないんです、お金を稼ぐのが目的なら、民間のパイロットになればいい」

 

 記者はギョッとして「戦闘機は違うんですか?」というと、彼は言う。

 

「戦闘機は違うんです、戦闘機には戦闘機でないとダメなものがあるんです。ウイングマークを付けていられる時間には何事にも代えられない価値がある」と。

 

 戦闘機に乗るまでには平衡感覚などの肉体的適性、学力、判断力と厳正な審査を経て、さらに空に上がっても容赦なくふるいにかけられる。

 その上で選ばれたものしか体験出来ない世界であり、彼にとっては「空は自分の天職であり、生きざま」なのだと。

 

 尚樹は体験記を読んだ時、大空を駆けるパイロットにはそこまで思わせる何かがあるのだろうと思った。

 かといって航空学生や防衛大学校は入試の段階で難しすぎたし、陸士になっても空挺団やヘリコプターに乗るための陸曹航空操縦課程はとてもじゃないけどいける気がしないと諦めていた。

 

「そういえば、尚樹さんはどうして一所懸命にユニットを見てくれるんですか?」

「俺は、ひかりちゃんが戻れるように、というのもあるけど半分は“自分の興味のため”だな」

「興味ですか?」

 

 どうしてもパイロットになりたいというほどではないが、なんとなく空への憧れはあり、()()()()()()諦めたが、尚樹は戦闘機や飛行機を見るのが好きなのだ。

 それだけに、自分は飛べなくともひかりの持つストライカーユニットが飛翔する姿を見てみたくなりずっと整備していたのだ。

 

「そう、空を飛んでるのが見たいんだ。俺、昔から飛行機とかの機械が好きなんだよな」

「なんだかお父さんみたい」

「お父さん?ひかりちゃんの?」

 

 ハンドルを握って運転している尚樹の横顔を見て、ひかりは父の面影を見る。

 昔、ひかりが父に「お仕事ってなにしているの」と尋ねた時に父が見せた顔、雰囲気に似ているように感じたのだ。

 

「はい、お父さんは無線の技師をやってて、尚樹さんみたいにいろんなことを知ってるんです」

「無線技師さんか。電気とかそういうの詳しそうだな」

「でもお父さん、家ではあんまりお仕事の話もしないし、なんでもお母さん任せって感じですよ」

 

 尚樹は身近な既婚者である陽平や自分の父親を思い浮かべて、既婚者の男性の心境を想像する。

 

「家を守るお母さんがいるからだね。疲れて帰ってきて、やってくれる奥さんが居たら甘えたくもなるさ」

 

 ひかりは、母が父の帰りに合わせて夕食を準備し、帰ってきた父は夕食を食べると風呂に入ってすぐに眠るのを思い出す。

 一方、自分は尚樹が帰ってきてから夕食の準備を二人でやって、洗濯やらちょっとした掃除もみんな尚樹がしてしまうのだ。

 「家に置いてもらっているのだから何かの役に立ちたい」と思ってたずねた。

 

「尚樹さんは、その、甘えたくならないんですか?」

「俺は一人暮らしやってたし、寂しいこともあったけど今は大丈夫かな」

「私、ずっと考えていたんです。尚樹さんに家のことをしてもらって、いろんな物を買ってもらって、迷惑ばかりかけちゃってないかって」

「迷惑なんかじゃないし、ひかりちゃんが居るだけで毎日が楽しくなったよ」

「本当ですか?」

「ああ、ひかりちゃんのお陰で温泉にもいったし、走れるようにもなったね」

 

 尚樹は「一人だったら特になにもせず、一日中寝て休みを終えてただろうな」と笑って左手を振った。

 

「だから、ひかりちゃんは心配せずにやりたいことやったらいいんや」

 

 _____

 

 

 ひかりとオレンジの看板の牛丼屋に入った尚樹はテーブル席に着いた。

 すぐに店員が来るが、「まだ決まっていない」とお冷をもらうと尚樹はひかりにメニューを渡す。

 

「どう、これが牛丼なんだけど」

「どれもおいしそうで、どれを選んだらいいのか迷っちゃいますね!尚樹さんはどれにするんですか?」

「俺は牛丼の大盛り、つゆ抜きで頼むよ。ご飯が汁っぽいのはあんまり好きじゃないからね」

「つゆ抜きってメニューの何処にもないですよぉ」

「うん、“つゆ抜き”とその逆でつゆが多い“つゆだく”は牛丼を頼むときに自分で注文するんだ」

「そんなのがあるんだぁ。うーん……牛丼の並にしようっと」

「キャベツに、みそ汁とか豚汁、納豆もあるよ」

「尚樹さんは頼まないんですか?」

「俺は別にいいかな。ひかりちゃんは食べ盛りなんだから頼んでも良いんだよ」

 

 ひかりは尚樹に促されてメニュー表を見る。

 すると、キャベツの千切りにトウモロコシが乗ったサラダが目に留まった。

 味が濃そうな肉ばかり食べるのは少し抵抗があったので味噌汁と共に注文しようと決めた。

 

「じゃあ生野菜サラダとみそ汁がいいな」

「了解。すいませーん!お願いします」

 

 尚樹が注文して5分もしないうちに牛丼の大盛りつゆ抜きと、並盛、そして生野菜サラダ、みそ汁が運ばれてきた。

 

「もう来ちゃった、とっても早い!」

「いただきます」

「いただきます!」

「尚樹さん、このお肉薄いですよね」

「そうだね、家で牛丼作るとこんな肉にならないから、脂が多くてベトベトするんだよな」

「ほんとだ、脂が少なくてあっさりしてます!」

 

 ひかりは甘辛く、歯ごたえのある玉ねぎと紙のように薄くて油の抜けたような独特の肉に感動した。

 そして、お椀に口を付けみそ汁を口に含む。

 その時、ピリッと刺激が来たあと舌先に変な感触が残り、思わず声が出た。

 

「あつーい!」

 

 ひかりは牛丼が思ったより脂っぽくなかったので、生野菜サラダと“見た目より熱かった”みそ汁を後回しにしても大丈夫そうだと感じた。

 尚樹は「しまった!」と思った、あまり味噌汁を頼まないので“みそ汁やけど”を忘れていたのだ。

 

「ひかりちゃん、大丈夫?」

「ちょっと舌先がひりひりするけど大丈夫れす」

「お冷飲んで舌先冷やそう」

「はい!あんまり味がわからないなあ……」

 

 保温している作り置きから注いで食卓に出るまでに少し冷える家庭の味噌汁と違って“みそ汁サーバー”から出たみそ汁は熱湯で液体味噌を溶いて、それほど時間も経っていないことから温度が高く、不用意に口を付けると舌をやけどすることがある。

 注意深く十分にかき回して冷やすか、あるいは最後のシメに飲むか対策は人それぞれだが、なんにせよ“みそ汁サーバー”は初見殺しの罠であったりするのだ。

 尚樹はちょっと涙目になってるひかりにお冷を飲ませて痛みの緩和を図る。

 

 初めての“牛丼”をなんとか食べ終わると、どういう仕組みなのか気になったひかりは厨房の様子を覗き見てみた。

 カウンター席の男性から注文を受けて、流れるようにご飯を器に入れ、お玉で大鍋から肉を掬い上げると手首を動かしながら汁を切り、するりと盛り付ける。

 あっという間に牛丼が完成し、みそ汁もファミレスで見たような機械からお椀に注がれると完成だ。

 伝票と共にお盆に乗せられると2分もしないうちにカウンターの男性の元へと届く。

 それを見たひかりは自分が舌先をやけどした理由がよくわかったし、流れるような作業によって「早くて、うまい」を作っているんだなと感心した。

 

 

 ____

 

 牛丼屋を出て、尚樹とひかりは予定通りショッピングセンターへと行った。

 

 本屋に入ったひかりは、総天然色の書籍がずらりと並ぶ様に驚いた。

 

「ここ全て本屋さんなんですか?」

「そうだよ」

「うわぁー、管野さんの部屋の本棚よりおっきい本棚がいっぱいありますね!」

「よく出てくる管野さんって、本が好きなの?」

「はい!いっぱい本が置いてあって、文学に詳しいんです。『小公女』とかも……」

「へえ、今までの話聞いてると格闘大好きのオレっ子だから、意外だなあ」

「あっ、これは言っちゃいけないんでした、聞かなかったことにしてください!」

 

 ひかりは管野に口止めされていたことをあっさりばらす。

 管野が居れば「ひかりテメエ!絶対わざとだろ!」というだろう。

 

「管野さんの話はさておき、欲しい本とかってある?」

「尚樹さん、料理の本ってどこにありますか?」

「あの列だと思うよ、参考書は向こうの壁際だ」

「ありがとうございます!」

 

 ひかりは“料理本”や家事の本棚に向かい、自分に合った内容の本を探す。

 

 尚樹は料理本や家事の本を読むひかりを見て勉強熱心だと思うとともに、彼女なりに居場所を作ろうとしているのかと考えると「何もしないというのも肩身が狭く感じるのだろうか」と、どこか心苦しいものを感じる。

 尚樹は行きの車中での会話を思い出し、家事が出来るようになったからと言ってひかりに甘えるんじゃなくて、自分自身のことは自分自身でやろうと改めて思った。

 

 家庭料理や家事についての本を見た後は、ミリタリー関連のコーナーへと足を運ぶ。

 第2次世界大戦についての書籍を中心に探し、本棚には『フィンランド空戦記』や『世界の駄っ作機』といったものから、『萌えよ、戦車学校』などの書籍がずらりと並ぶ。

 その中でとりわけ目を引いたのが、レストアされて濃い緑の胴に紅く輝く日の丸が眩しい零式艦戦の表紙であった。

 

「『大日本帝国陸海軍機総覧』……ひかりちゃん、これってどう思う?」

 

 尚樹が手に取った書籍にひかりは目を通す。

 すると、白黒写真であるが少し前までよく見た飛行機が映っていた。

 あの日、姉と共に戦って帰ってこなかった人たち。ひかりはふっと思い出した。

 

「戦闘機ですか?……あっ、これ、空母で見たことあります!」

「零式艦上戦闘機二一型か」 

 

 ストライカーユニットもネウロイも出てこないが、年代といい装備といいよく似ているのだ。

 ひかりはページを繰って聞き覚えのある機種をさがす。

 

「扶桑の戦闘機ってこっちにもあったんだ、あっ、“練戦”もある!」

「風防が空いてて不安になるけど、練習用の機体なのか。ユニットにもあったの?」

「ユニットにもありましたよ、だいだい色のすごく目立つ色でした!」

「練習機から、いきなりチドリになったのか……」

 

 尚樹はデリケートそうなのに機種転換訓練もなく、いきなりぶっつけ本番でよくやるよとページを繰りながら思う。

 そして、ある航空機のページで繰る手が止まった。

 

「川西飛行機、紫電と紫電改……」

「これが私のチドリ?よく見ると似てる気が……」

 

 ひかりのユニットである試製紫電改二は載っていなかったが、管野や孝美が履いている紫電二一型、通称:紫電改は掲載されていた。

 どこかユニットを思わせる形状にひかりは出会った時に尚樹が「戦闘機みたいな」と評したのを思い出した。

 写真の紫電改は垂直尾翼に343-15と記されており、日の丸の中には15の文字があった。

 直枝のユニットにも黄色の帯2本と15という番号があり、ひかりは見れば見るほど戦闘機がユニットに見えてきた。

 

「あれ、著名なパイロットのところに“菅野直(かんのなおし)”ってあるけど、知り合い?」

「デストロイヤー、菅野直……管野さん!」

 

 尚樹が指さす先には、第343海軍航空隊“菅野直”の文字があり、ひかりは相棒でもある彼女を思い出し声が大きくなる。

 あたりの客が振り向き、尚樹は口に指を当てる。

 

「しっ、声が大きい」

「すみません……でも、管野さんは“管野直枝”ですよ?」

「かんのなお()、かんのなお()って一文字違いだな」

「こっちの菅野さんは男なんですね!じゃあ私はどうなってるんだろう……」

「さあなぁ、著名ではないけど居るんじゃないか」

 

 会話が盛り上がり声が大きくなってきそうだったので、尚樹は会話を切り上げると本を数冊持ってレジへと向かった。

 ミリタリー系の書籍は1冊あたりが思ったより高くて、その分買い込むお菓子の量と種類が減ってしまったが仕方がないことだろう。

 

 その日の晩、ひかりと尚樹は買ってきた本に目を通し、何か有用な情報は無いかと話し合ったのだった。



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激闘、模擬戦

 1945年7月5日

 

 ネヴァ川へと突き出した滑走路に1機の輸送機が降りる。

 胴体には大きな赤十字が描かれており、先日の戦闘で撃墜され重傷を負った121連隊のウイッチの後送のためにやって来たのである。

 撃墜されて2時間後に意識を取り戻した彼女は一晩を前線病院で明かすと、ときおり来る体の痛みに耐えながら移送の時を待つ。

 戦闘の直後という事もあって病室への見舞い人こそ少なかったがみな彼女の生還を喜び、同時に別れを惜しんだ。

 滑走路脇まで来た時に衛生隊の隊員によってストレッチャーから航空機搭載用の担架に移される。

 いよいよ、ペテルブルグから後方であるスオムスの陸軍病院に向けて飛び立つ時が来たのだ。

 その時に、見覚えのある銀髪の女性とよく知っている赤毛の女性が担架に近づいてきた。

 ロスマンとアーニャが見送りに来ていたのだ。

 

 エリーことエリザベータは痛む体を起こそうとして、衛生兵に手で制される。

 何を言おうか考えつかず、とっさに出たのはなぜか「おはようございます」という挨拶だった。

 アーニャは何かをこらえながら「もう昼よ……」と言った。

 そして、言葉を二つ、三つ交わすと、エリザベータは隣にいたロスマンに尋ねる。

 

「私は、また飛べますか?」

「貴方がまた飛びたいと思うなら、しっかり治しなさい」

「はい……また、いつか」

「ええ、待っているわ」

 

 ロスマンは別れの言葉を告げる。

 気を利かせて待っていた衛生兵が搬入用のタラップに足を掛けて担架を持ち上げる。

 そのままエリザベータは輸送機に乗せられ、タラップが取り外されるとガラガラと扉が閉じられる。

 Ju-52輸送機は徐々に速度を上げ、ふわりと尾部が浮き、そして飛び立って行った。

 

「ロスマン曹長、私は悔しいです」

 

 アーニャは遠くへ消えてゆく輸送機を見ながら言った。

 ロスマンが「そのままでいいわ、続けて」と促すと、アーニャは心情を吐露した。

 

「あの子は、こんな私でも隊長として慕ってくれた。でも、私はどうすることもできなかった」

「そう、それなら、これからあなたがやれることをやりなさい」

「やれること……」

「それが私たちが上官として、あの子たちにしてあげられることです」

 

 ロスマンは、肩を震わせながら北の空を見つめるアーニャの姿に、飛びたいと強く願った教え子が二度と飛べなくなった時の自分を見ているような気がした。

 雁淵ひかりの教導をすることになり、ひかりはロスマンに対して言った。

 その子はそれで悲しかったのだろうかと、二度と飛べなくなったのはロスマン先生のせいじゃないと。

 飛べなくなったとしても自分が望んだことの結果であって、それなら仕方がないとあきらめもつくけれど、やる前から無理だと決めて飛べなかった方がよほどつらい。

 どうなるかなんて、「やってみなくちゃわからない」のだ。

 その後、ひかりの勧めを受けて、ロスマンは数年ぶりに教え子に手紙を書いた。

 送られてきた返事には近況が書かれており、軍を去った彼女は結婚して2児の母をしていた。

 

 “私は墜ちて二度と飛べなくなったけれど自分の不手際が原因であって、後悔はしていません。それが無ければ今の夫と出会うこともなかっただろうし、かわいい子供たちを抱くこともなかったでしょう。私は今、とても幸せです”

 

 教え子からの手紙を読んだ時、ロスマンはやっと心のつかえがとれたような気がした。

 

 空を飛べなくなる日はすべての魔女たちにいつか訪れる。

 それが魔力によるものか体の衰えによるものか、あるいはほかの理由かは異なれど、必ず。

 

 だが、ウイッチとして飛ぶことだけが人生ではないのだと気づいたのだ。

 彼女のように退役して主婦として生きることもできるし、あるいはひとり気ままに世界を旅することもできる。

 ロスマンは人生を楽しもうという思いと共に、たとえ飛べなくなったとしても生き残りさえすればその後の人生が待っていることを教えようと思ったのだ。

 

 

「飛ぶことばかりが人生じゃない、生きてさえいれば幸せを見つけることもできるわ」

「ロスマン曹長……」

「今は泣いてもいいわ、もう少ししたらあの子たちが来るからそれまでの間はね」

 

ロスマンはそういうと格納庫へと去って行った。

 

 アーニャとロスマンはその後、より実戦的な特訓を行うようになり、7人の少女たちは「エリーの分まで頑張ろう」を合言葉に熱心に訓練に励むのであった。

 

 

____

 

 

 第121親衛戦闘機連隊の第2飛行隊は隊長のユーリヤ・ヴァシリノヴナ・ブダノワ中尉を初めとして戦闘爆撃もできるベテランウイッチが多い。

 そんな彼女たちは大幅な欠員補充でヒヨッコ揃いの第1飛行隊に代わり、西へ東へと様々な近接航空支援に駆り出されてうんざりしていた。

 ブダノワ中尉はそのうっぷんを晴らすかのように、第502統合戦闘航空団に対し模擬戦を持ち掛けた所、あっさりと受理された。

 

『空対空戦闘能力の維持・向上』という名目であり、早い話が「私に空戦をさせろ」というものだ。

 

 そして、ロスマンが第1飛行隊の新兵をしごいているときに、基地近くの訓練空域にて121と502の部隊対抗模擬戦が行われることになった。

 模擬戦は5対5の集団戦であり、502からは管野・ニパ・クルピンスキー・下原・孝美が参加し121からはブダノワと4人のベテランウイッチが出場する。

 

_____

 

 

「ルールと判定基準はブリーフィングで言ったとおりです、いいですね?」

「はい!」

「了解!」

 

 審判兼安全係のサーシャが双方のチームのメンバーに確認を取ると威勢のいい返事が返ってくる。

 そして、彼女は両チームにいる問題児に目をやった。

 近接戦でユニットを壊す管野、どうしてかユニットが壊れるニパ、そしてユニットを過負荷で火だるまにする伯爵、さらに、対戦相手の装備を奪ってそれで殴りつけたという噂のあるブダノワ。

 ただでさえ作戦中で物資が少ないときに4人そろって壊されてはたまらないと“ブレイクウイッチーズ”と“掠奪者(マロジョル)”に念を押す。

 

「……あと、管野さん、ニパさん、クルピンスキーさん、ブダノワ中尉、ユニットや武器を()()()()()()()()()()です、わかりましたか」

「おう」

「はい!」

「わかってるよ、サーシャちゃん」

「了解、気を付ける」

 

 不安だなと思いながらもサーシャは開始位置につくように言った。

 訓練空域の両端にある開始地点につき、サーシャが開始の合図として信号弾を撃ちあげるまでには時間があるのでその間に両チームは戦術を考える。

 

 下原は射撃の上手いクルピンスキーと敵チームの攪乱をしようと考えていた。

 

「管野さん、ニパさんはどうされるんですか?」

「俺は孝美と組んで突っ込む」

「うーん、ワタシは中距離からカンノの援護かな、孝美さんは遠距離が得意だし」

「ニパさん、今日は私、狙撃銃じゃないから一緒に突っ込むわ」

「あっ!そうだった、忘れてた!」

「しっかりしろよニパ……」

 

 孝美は模擬戦という事もあっていつものS-18狙撃銃ではなく、管野や下原と同じ九九式二号13㎜機関銃を橙色に塗った訓練機銃を装備している。

 狙撃をするにしても図体が大きくあまり避けないネウロイと違い、的も小さい対人戦闘という事もあって難易度が跳ね上がるのだ。

 

「中尉、作戦とかってあるの?」

「ないよ、ニパ君が何かしたいなら喜んで参加するよ」

「ま、いつも通り突っ込んで、向かってきたヤツを落とすだけだ」

 

 腕利きの502では高度な集団戦より、エースの持ち味を活かす個人戦技が中心であり管野のいう所の「向かってきたヤツを落とす」という場当たり的戦術が通用してしまうのだ。

 

「そうだ、誰がユーリヤちゃんを落とすか勝負しないかい?孝美ちゃんもどう?」

「クルピンスキー中尉、サーシャさんにバレたら怒られますよ?」

「いいぜ、乗った」

「ちょっと中尉、カンノもやるの?」

 

 クルピンスキーは遊び心を出して久々に勝負をしてみようと提案する。

 売られた勝負に乗るのが管野であり、下原とニパは戸惑いながらも否定的なニュアンスで返す。

 前の異動前日に雁淵姉妹vsブレイク3人組で模擬戦をして、最後にニパのユニットが暴走し勝負がうやむやになってしまったことを思い出した。

 孝美はクルピンスキーのフリにそのときの決着を付けようという言外のメッセージを読み取り、勝負に乗った。

 

「わかりました、その勝負、お受けいたします」

「えっ、雁淵中尉も?」

「ええ、下原さんが心配しないようになるべく早く落とします」

「俺の相棒ならそうこなくっちゃな!」

 

 戸惑う下原をよそに孝美がやる気になったことにより、過半数となって勝負に参加せざるを得ない雰囲気になった。

 

「もう!わかったよ!」

「よし、ニパも参加だな……下原は」

「勝負に勝ったら1日敗者を好きにしていいってことで、例えば直ちゃんを抱きしめてもいいんだよ?」

「ぜってぇこいつには勝たせちゃダメだ」

「わかりました!そうまでいうなら参加します!」

 

 クルピンスキーの悪魔の提案に下原は目を輝かせて参加を表明する。

 管野の脳裏に力いっぱい抱きつかれた思い出が浮かぶ。

 

「こいつもやべーな」

 

 クルピンスキーによって闘争心が掻き立てられて士気が高まったところで、赤の信号弾と緑の信号弾が撃ちあがった。

 

「模擬戦始め!」

 

 インカムから聞こえたサーシャの声に弾かれるように両チームが訓練空域中央を目指す。

 121の先頭を飛ぶのは亜麻色の髪を二つ結びにし、赤いリボンをひらひらとはためかせたブダノワ中尉だ。

 緑と暗い灰色のまだら迷彩を施されたMiG-60、その後ろに同様の迷彩を施したLa-7が続く。

 

 対する502は下原と孝美、管野・ニパ・クルピンスキーと2個の固まりに分かれていた。

 下原の遠距離視による狙撃で、編隊の先頭を飛ぶブダノワを狙う。

 孝美と下原は射程に飛び込んだ瞬間、牽制で撃ちこむが、ブダノワはまるで両側をかすめることがわかっていたかのように下に逃げた。

 後続のLa-7も2つの編隊に分かれ502の左右両翼から襲い掛かった。

 

 普通であれば下に逃げたブダノワに対して上方に位置するため急降下して、真下を航過したブダノワの背後を取れる。

 しかし、誰一人としてブダノワを追わず管野・クルピンスキー・ニパは左、下原・孝美は右の斜め下方へと飛び込んでゆく。

 降下してブダノワを追うことで、両翼から高速で接近してくるウイッチの誰かに背後を取られるのだ。しかも直線飛行でスピードが乗りきっているので逃げ切るのはよほど速いユニットでないと難しい。

 量産されたオラーシャユニットの中でも成功した快速ユニットであるLa-7はMiG-60に比べ性能は低いがそれでも速力と上昇力は良いほうなのだ。

 

 管野とクルピンスキーが右斜め下を抜けて行ったことに気づいたLa-7のウイッチは、無理せず大きく緩旋回して孝美と下原の追撃に向かう。

 また、下原と孝美が下を抜けて行ったことを確認した二人は管野らの居る右へ旋回して左右両チームの航跡が交差する。

 

 その間にブダノワはひとり、旋回して森の中を飛んでいた。

 追ってきた二人のLa-7に管野とニパは体を捻り、向き直ると射撃を浴びせる。

 上下左右に機体を振るジンキングで逃げるふりをして、振り返って反撃するのは人型であるウイッチだからこそできる技術であり、相手もまたそれに対して応射する。

 技量の低いウイッチであれば振り返って撃つときは背面が見えないため動きが直線的になり逆に的になる。

 しかし、双方とも熟練の猛者であって織り込み済みだ。

 先行するクルピンスキーの合図によって一気に左右にブレイクし、宙返りをしたクルピンスキーが管野を追って旋回を始めたほうのウイッチに向かって飛び込んでゆき、すれ違いざまに撃墜した。

 

「一機もーらい、直ちゃん」

「ああ、次はニパだな」

 

 ニパは後ろについたウイッチを引き離すために急降下し、距離を取ろうとした。

 

「ようこそ地上へ」

「あっ!」

 

 木々の間から突如現れたブダノワが、真正面にニパを捉えた。

 オレンジのDP28機銃が火を噴き、青い染料を充填したペイント弾がニパに向かって飛んで来る。

 衝撃は一瞬だった。

 

 ニパは無意識に体をよじり木々の中に突入したのだ。

 

「ニパが墜落した!」

「あーあ、また熊さんがお怒りだねえ」

 

 誰もがニパの墜落を確信した。審判のサーシャも胃痛と共に青くなる。

 しかし、ニパは枝葉をシールドでかき分けながら再び空へと舞い戻ったのだ。

 

「危ない危ない、墜ちたかと思ったよ」

「ニパ、あれは墜ちてんだよ!」

「まあまあ直ちゃん、飛行が継続できてるんだからこれはセーフだよ」

 

 枝葉を舞い散らせながら急上昇するニパ。

 木に突入したニパを見失い、低空飛行で旋回していたウイッチが再び追撃に掛かる。

 だが、ニパのユニットは新型のメッサーシャルフ Bf109K-4であり、追いすがるLa-7を引き離していく。

 その後ろを取ろうと管野が近づいたところに、ブダノワが飛び上がり管野に銃撃する。

 だが、クルピンスキーが居るのはわかっているので、深追いはしない。

 クルピンスキーと絡み合うような軌道で回避と射撃を織り交ぜながら激しく撃ちあう。

 

 一方、下原と孝美はそれぞれ扶桑海軍の“格闘戦至上主義”の申し子であり、巴戦(ともえせん)に突入すれば急停止、ひねり込み、半身で弾を回避するなどの技を見せた。

 121のウイッチたちもベテランであり一撃離脱や2機1組のサンドウィッチ戦法を巧みに使い、孝美や下原の肝を冷やした。

 しかし、下原はかつて坂本美緒がしたように敵に突入して弾を半身で避け、切り捨てるがごとく近距離で一連射を浴びせて一人を撃墜した。

 孝美は管野の方へ向かい援護をするように見せかけ、誘いに乗ってきたところを視界外からの急降下で管野が撃ち落とした。

 

 残る121側のウイッチは2人、502は一応全員健在だ。

 

「やるじゃないか、さすが腕利きばかりを集めた部隊だ」

「ブダノワ中尉こそ、なかなか手ごわいですよ。うちに欲しいぐらいです」

「クルピンスキー中尉、君はいつも隊員を口説いてるそうだが」

「美しい花があって、みすみす見逃す手はないでしょう?」

「それが棘を隠し持っていてもかい、私が言うのもなんだが第二の娘たちは強かだぞ」

 

 クルピンスキーとブダノワは撃ちあいながら軽口をたたく。

 しかし、にこやかに話しつつもお互いに隙を探っているのだ。

 

「強い女の子は僕としては大歓迎です」

「なるほど、ロスマン曹長から聞いていた通りだ」

「えっ、ロスマン先生はなんて?」

「“女ったらしの軽薄野郎”ってね」

 

 そう言うと、ブダノワは右へと急旋回をし、そのまま地表へと消えて行った。

 

「おりゃー!」

 

 ブダノワ目掛けて管野がダイブに入っていたのだ。

 

「直ちゃん!孝美ちゃんも」

「いつまで喋ってんだ!こっちはニパが落としちまったぞ」

「ブダノワ中尉が最後の一人です」

 

 1対5、通常であればブダノワの敗北であるが、彼女は“掠奪者”の異名を持つウイッチであり最後まで気が抜けない。

 

「あっ!森の中に居た」

「こんな単純な技に引っかかるかよ」

「ニパ君はさっき森の中で待ち伏せされていたんだよね」

 

 ニパが森の中を低空飛行で駆け回るブダノワを見つける、管野とクルピンスキーは先ほどニパが絶体絶命に追い込まれていたところを見たのだ。

 

「じゃあ、うかつに入るほうが危険ですね」

「私たちは空からブダノワ中尉を探しましょう」

 

 下原と孝美は森の中という事もあって、神出鬼没のゲリラ戦を覚悟していた。

 

 一方、ブダノワは502の隊員が降りてこないことに気づき、笑う。

 

「なるほど、カタヤイネン曹長みたいに木々を潜り抜けるつもりはないと」

 

 地表近くを舐めるように飛ぶ匍匐(ほふく)飛行で無駄に燃料消費を増やしているわけではないのだ。

 上空からの死角と土埃を使った偽装に見失い、いきなり真下から撃ちこまれるのを何回も経験した管野とニパ、孝美、下原はストレスが溜まってきていた。

 

「出てきて正々堂々と戦いやがれ!」

「5人に袋叩きにされるとわかって出てくるものが居ると思うかい?管野中尉」

「くっそ、殴りてえ」

 

 冷静なツッコミと共に放たれたペイント弾が管野の真横を抜けていく。

 

「カンノ、抑えて!」

「うるせぇ!……管野一番、突撃する」

 

 そしてついにニパの制止を振り切って管野は森の中へと飛び込んでいった。

 

「しかたないなあ直ちゃんは、じゃあ僕たちも行こうかニパ君」

「あああ、待ってよカンノ!」

 

 それに続くニパとクルピンスキー。

 低低空飛行はかつての賭けでやった内容であり、3人とも得意である。

 木々の間を通すような銃撃が管野たちを襲うが、管野やニパも慣れたもので直ちに撃ち返す。

 

「おっと、危ないな」

 

 急制動で管野とニパの射撃をやり過ごし、目の前の木々に二人の撃ったオレンジのペイント弾が引っかかり、染料が枝葉を染める。

 

「クルピンスキー中尉、座標……に土煙」

「孝美ちゃん、あれは直ちゃんだ!」

 

 空から下原と孝美がブダノワの位置を知らせる。

 しかし、ブダノワの機動によって敵味方の誤認が頻発した。

 ブダノワが木々を抜けた時、土煙を立てながら飛んできた管野とはち合った。

 

「やっと見つけたぜ、勝負だ!」

「やあ、管野中尉、森にはクマさんが出るとしたものだ」

 

 追いまわし、時に追い回されていた管野は今こそ仕留めると引き金を引いた。

 

「クソっ弾切れかよ」

「奇遇だね、私もだよ」

 

 管野とブダノワは弾切れになった訓練機銃を捨てると組み合った。

 ブダノワは小柄な管野の胸元を掴み投げ技を掛ける。

 管野も飛ばされている最中にユニットを吹かして、そのままブダノワに推進頭突きを掛けて胸元に突っ込んだ。

 それによってよろけたブダノワは木に激突する寸前で立て直し、二人の乱闘に気づいて飛び込んできたニパの()()()()()()()、ニパと管野をオレンジのペイント弾まみれにした。

 

「乱闘があるからと言って、やみくもに飛び込むのは感心しないな」

 

 結局、時間切れで第2飛行隊の敗北となり、3対1で勝った502の面々は森を抜け、集結地点へと向かう。

 そこにはオレンジ色の花が咲いた121のウイッチたちが待っており、

 管野とニパの姿を見た彼女たちは何が起こったかを察した。

 

______

 

 

 基地に帰還すると模擬戦後のデブリーフィングが始まる。

 久々に空戦機動をして感覚を取り戻したという者もいたが、あるウイッチは言った。

 

「さすがは柔道の国、扶桑だ。投げられただけでは負けないときた。なかなか面白い経験をした」

 

 そこに審判を務めていたサーシャが現れた。

 先ほどまで審判の補助に参加した121連隊のウイッチと共にアルチューフィン中佐のもとへ模擬戦終了の報告に出向いていたのだ。

 

「ところでニパさん、待ち伏せを回避するために木に突っ込んだと書いてありますがどうしてそんなことをしたんですか?」

「ヒッ……、体が勝手に……」

「あれは()()()()と言って撃墜扱いなんですよ?そして、一つ間違ったらユニットもあなたも失う大事故につながりかねない行動です」

 

 ニパはサーシャの表情に怯えていた。ユニットこそ壊していないがおそらく正座だろうと。

 

「そして、管野さん、ブダノワ中尉」

「はい!なんでしょう!」

「はい」

「誰が“格闘”をしてもいいなんて言いましたか?」

「ポクルイーシキン大尉、待ってくれ、()()()()()()()()()()()()は禁止と聞いたが“格闘戦”はダメとは聞いていないぞ、なあ管野中尉」

「そ、そうだな……」

「今回は管野さんもあなたも無事に済みました。でも殴り合いや取っ組み合いをしていたらいつかは壊れます、あとどうして空戦の訓練で殴り合いをするんでしょうか?」

 

 そう言うと最後にサーシャはクルピンスキーの前で立ち止まる。

 

「クルピンスキーさん、私はブリーフィングで言いましたね。“賭け事などは禁止です”と」

「ありゃ、どーしてサーシャちゃんが知ってるのかな?」

「ごめんなさい、クルピンスキーさん私がうかつに言ったから」

 

 下原が小さ可愛い管野モフモフの失敗に思わず漏らしたのだ。

 

「ああっ、あの人を落とせば今頃……」

「今頃、なんですか下原さん」

 

 こうして、クルピンスキーの提案がバレたのである。

 

「待ってよサーシャちゃん、これはみんなの士気を上げるために言ったんだ、ねえ孝美ちゃん」

「そうですね、クルピンスキー中尉は私たちの競争心を煽り、士気を上げてくれました」

「雁淵中尉、あなたも参加していたんですか?」

「え、ええ。特に賭けるものも無かったし、前の模擬戦はうやむやになってしまったからその……」

 

 サーシャは額に手を当てた。

 

「貴方たち、全員正座!」

 

_____

 

 

 格納庫前で正座をする6人のウイッチの姿に、訓練帰りのアーニャはロスマンに尋ねる。

 

「なんですか、あれ」

「聞かないで、あれは懲罰の一種だから」

 

 ロスマンはいつもの3人に加えて下原と孝美、そしてブダノワが居る事に気づいたが、模擬戦関連だろうなとあえて触れずにスルーしようとした。

 そんなふたりを目ざとく見つけた6人のうちの2人が声を掛けてくる。

 

「ロスマン先生、今日はどうだった?」

「やあ、ロスマン曹長、クリフチェンコ少尉。いやあ、扶桑の文化は実に興味深いな……この“正座”というものもたまには悪くない」

 

 何かをやらかしたであろうクルピンスキーの質問にロスマンは嫌そうな顔をする。

 

「今、貴方に会って最悪の気分だわ」

 

 こうして121と502の模擬戦は幕を閉じたのであった。

 







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雁淵ひかりの一日

ひかりちゃんが日中何をしているのかの話。


 2017年6月19日

 

「ひかりちゃん、今晩も楽しみにしてるよ」

「はい!頑張って作っちゃいますよ!」

「それじゃ、行ってきます」

「いってらっしゃい!尚樹さん」

 

 玄関先で出勤する尚樹を見送ると、ひかりは月曜日に買った本を片手に家事の練習を始める。

 

 最初は“整理整頓と掃除の方法”から始め、ひかりは自分の部屋の片づけを始めた。

 しかし、あまり物が無くて気づけばリビングまで整理整頓をしていた。

 あっという間に整理整頓が終わり、つぎは掃除のページがやって来た。

 

「えーっと、掃除は上から下へとする……ジョゼさんもこんな感じでやってたなぁ」

 

 ひかりははたきを持つと椅子の上に立って棚の上や電灯カバー、そして液晶テレビの裏のホコリを落とす。

 

「ふぇっくし!うわぁすごいホコリ……窓開けなきゃ!」

 

 舞ったホコリに思わずくしゃみをしてしまい、窓を開けていないことに気づくひかり。

 上のホコリが床に落ちたら、次に掃除機をかける。

 

 ひかりは本に描かれたイラストを元に、尚樹の部屋の押し入れから掃除機を探し当てた。

 年季の入った掃除機であり、挿絵にあるような『吸引力が低下しない』をウリにしているブランドの掃除機とは似ても似つかない形ではあったが、ひかりはこれだと思ったのだ。

 

「掃除機ってこれかなぁ、えっと、コンセントはこれ?」

 

 ひかりは車輪の付いた本体からプラグを引き出し、壁のコンセント穴に差し込んだ。

 そして、蛇腹ホースの先端にあるグリップノズルについたスイッチを入れた。

 ブイィィンとモーター音がしてノズルの先端に埃が吸い込まれていくのを見て驚いた。

 

「うわぁ!吸ってる!すごい音……」

 

 そして、シュモクザメの様なT型のヘッドを付けて家中をコロコロと吸って回った。

 最初は3段階のうちの弱で始め、だんだん中、強と上げていく。

 ヘッドの中のローラーブラシが回転し、力強くホコリや髪の毛を吸い込んでいく掃除機に、ひかりはホウキとちりとりが無くたってこれがあれば十分!と初めて使う機械に万能感を覚えてだんだんと楽しくなってきた。

 

「……フフフフンンフーン」

 

 鼻歌などを歌いながらひかりは居間、洋室、和室、玄関、台所と家の中を回る。

 

「ジョゼさんが掃除をするのも楽しいからなんだ!」

 

 だが、楽しく掃除機をかけていると思いもよらない事態が起こったのだ。

 

「お掃除、おっそうじー、ってえええ!」

 

 棚の隙間に落ちていたコンビニのポリ袋を気づかずに吸ったことでノズルからまるでセミの羽音のようなビビビという激しい振動音がし、モーターが苦しそうにうめき声をあげる。

 ゴミを吸うこともなくなり、いきなり大きい音を立てる掃除機。

 ただ事ではない様子に、掃除機初体験のひかりはちょっとしたパニックに陥った。

 

「えっ!どうしよう、壊れちゃった!とにかく電源切らなきゃ!」

 

 ひかりは慌てて切ボタンを押すと、ヘッドの掻き出しローラーを通過しノズルに引っかかっていたポリ袋に気づくことなくコンセントを抜く、そして尚樹の部屋の前に掃除機を立てておいた。

 

 尚樹が居ればすぐに原因を突き止めて、ヘッドを外して詰まったポリ袋を取り除いたのだろうがひかりはヘッドが外れることを知らないので、いきなり吸わなくなって壊れたと思ったのである。

 

「こ、壊しちゃった……尚樹さんになんて言おう」

 

 落ち込みながらひかりは次のページを繰り、テーブルやタンスの上に残っているホコリを新品の雑巾で拭きとった。

 

 洗面所で雑巾を洗った流れで、洗い物バケツの中のジャージやネットに入れた下着類といった洗濯物を全自動洗濯機に放り込む。 

 “普通洗い”にして12分、それが終わればツナギなどの作業服を“しっかり洗い”で16分。 

 現代の洗濯ならば、ここに来てから何度もやっているので失敗無く出来る。

 初日の晩に使い方を教えてもらった全自動洗濯機に入れて回し、脱水後に庭の物干し竿にぶら下げるだけなのだ。

 脱水が済めば洗濯済みの赤い樹脂のカゴに入れて、庭に出て尚樹手製の物干場(ぶっかんば)に向かう。

 

 ひかりが来て以降、尚樹によって物干しざおの周囲に茶色い塩化ビニルの波板がコの字状に設置され、ひかりの下着が通りから見えないように対策が施されている。

 家を挟んでいるとはいえ、少し坂を登れば尚樹宅の庭先が見えるのである。

 ひかりは尚樹の配慮に喜んだ、尚樹としてはひかりへの気遣いであると共に周辺住民にいらぬ詮索をされないようにし、あるいは下着ドロから守るための自衛策である。

 独身男性の家に、若い女の子の下着は目立つのだ。

 

「明日から雨かぁ、曇ってるし今のうちに干さないとダメかなぁ」

 

 湿度こそあるが、暖かく、風もあって全く乾かないわけでもない。

 ひかりは大阪南部の週間天気予報の内容と、暗いねずみ色の雲がうっすら山側に掛かっているのを照らし合わせて、早く干さなくては洗濯かごから次々とクリップ付きハンガーや大物洗い用ハンガーに下着やジャージなどの衣服、バスタオルと吊るしてゆく。

 そして、最後にツナギに乾いたバスタオルを巻くと大物ハンガーにぶら下げた。

 

「タオルで巻く方法って凄いなあ、誰が考えたんだろう」

 

 ひかりが驚いたのは生乾きの匂いを防止したり、早く乾かす裏ワザなどが本に載っており、特に、厚物や靴をタオルで巻いて水分を吸わせて干すことで素早く乾燥させる、いわゆる速乾テクニックは高温多湿である日本や扶桑で大いに役に立つためやり方を覚えたのだ。

 

 しかし、寒帯・亜寒帯に属しており乾燥していて気温が低いオラーシャでは、また勝手が違う。

 夏は涼しく乾いているので普通に屋外で干せるのだが、冬のペテルブルグでは温水を使ったセントラルヒーティングや、あるいは各居室の薪ストーブを焚くので室内は高温で乾燥しておりよく乾く。

 だが暖房を活用した強制乾燥は戦時下においてはいつでも使えるとは限らないのだ。

 

 44年のサトゥルヌス祭の少し前に物資の備蓄庫が攻撃を受け燃料欠乏でヒーターが止まり、薪ストーブでさえ使用制限が厳しくなったときがあった。

 その際、管野のコートの様な綿を含んだ物や厚手の物がなかなか乾かず、消灯時間になりストーブが消されると乾かないまま朝を迎え“洗濯物が凍っていた”などと言うことがまあまああったのである。

 

 “寒いとき洗濯物は温めて乾かすもの”といった温帯育ちの常識ではどうしようもないことをひかりは知ったのだ。

 

 もっとも、零下数十度も珍しくない極寒育ちのニパは数日外で凍らせた後に室内干しをして板状から“戻す”ことによって、細菌を低温で不活性にして生乾き臭を防止するという技を見せていた。

 ひかりは毎回洗濯物を干すたびに、板のように凍った洗濯物を物干し竿からバリバリと取って、表面に浮き出た氷をはたき落として取り込むオラーシャの冬がいかに特殊な環境だったか実感するのだ。

 

 

 

 外に干した洗濯物が乾くまでの間に、ひかりは尚樹が買った中学校3年程度の問題集を解く。

 ブリタニア語ならぬ英語、古文、現代文、数学、理科とどちらの世界でも応用の効きそうな科目であり、予備学校を中途で出て部隊配属になったひかりにとっては全てが新しい内容だ。

 しかし、時折別の科目で習った単語が出てくることもあった。

 

「『位置エネルギー』って、空戦で重要な……じゃなくて」

「質量10Nのおもりにかかる地面からの力って……“ニュートン”ってなに?“キログラム”とはちがうの?」

 

 理科においては、ストライカーユニットの飛行原理やら整備、戦闘機動の授業で習ったような言葉が登場するのだ。

 しかし、力や圧力の単位に新しいものがいくつも登場して混乱する。

 

 例えば『ニュートン』であるが、1946年に“1キログラムの物を1メートル毎秒毎秒(1m/s²)の加速度で動かす力”が国際単位として認められ、48年に『ニュートン」という名称が決まったため、ひかりにとっては「未来の単位」なのだ。

 同様に圧力を示す『パスカル』も“1平方メートルに1ニュートンの力がかかる圧力”と定義されており、古いタイヤゲージの空気圧1kgf/㎝²(キロ)は100kPaとなった。

 これらのニュートンを基準にした単位はタイヤの空気圧や、ボルトを締める力の強さ(N・m)、あるいは車軸に掛かる重量といったところで頻出し、それらを計算する問題が様々な試験で登場する。

  

 ひかりはページをめくり『1㎏は9.81N』であるという事を知ると、残弾少ない1kgの弾倉をぽとりと地面に落とすような絵が浮かんできた。

 なお、尚樹に尋ねていれば「1㎏は10Nだ」というが、これは自動車整備士の試験で覚えさせられるのである。

 

 ひとつひとつ単位を学校で習ったキログラムに換算しながら問題を読み進める。

 

 急降下して()()()()()()()()に変換できることなどから、「重い機体で高いところにいるほうが有利になる」という空戦の座学を思い出して問題を解いた所、ほぼ正解していた。

 

 それに気を良くしたひかりは「物体の運動」という単元をすべて終わらせる。

 

 終わらせた頃には洗濯物はとうに乾いており、ひかりは“洗濯済み”のカゴを持って洗濯物を取り込む。

 そして一枚一枚畳んで、自分の物と尚樹の物に分けて衣装ケースに収めるのだ。

 

「お洗濯も終わったし、次は……お夕飯!」

 

 取り込んだ洗濯物を畳み終わるともう16時を過ぎており、ひかりは料理本を片手に台所に立つ。

 憧れであった姉も家を出る前にはよく母と一緒に夕飯を作っていた。

 そして、割烹着姿の母が瓶に入った味噌をお玉で溶いて具の多く入ったみそ汁を作っていたことを思い出した。

 

「そうだ、今晩はお味噌汁と、お肉を焼こう!」

 

 ひかりはエプロンを付け、味噌汁と焼き物を作るために冷蔵庫から料理本を見ながら具材を出す。

 スーパーで買った三元豚の肩ロース250gを焼くと決め、常温で放置し解凍する。

 味噌汁の方はパックの信州みそに、ネギ、サトイモ、こんにゃくがあり、どうやら鰹節やいりこ、昆布などは無いようだ。

 料理本を見ると「だしの素で代用しても可」との記述がありひかりは悩む。

 

「だしの素ってなんだろう……お姉ちゃんとかお母さんはどうしてたんだっけ?」

 

 ひかりの実家は乾物屋から鰹節や昆布、いりこなどを購入して備蓄していたが、一人暮らしでなおかつ店屋物も多い男性の家にそのようなものが備蓄されているわけもない。

 となると、だしの素なる未知の粉末調味料を使うしかないわけだが、ひかりはふっと思った。

 

「だしが無くても、味噌汁って作れないのかな?」

 

 味噌を舐めると辛かったので、味噌単体でも味がするものだと思ったのだ。

 尚樹が居たら止めているが、ひかりはやってみなくちゃわからない!とばかりに味噌汁作りに取り掛かった。

 ネギを刻み、サトイモの皮をピーラーで剥いてから半分に割る、こんにゃくもさいの目にして味噌汁の具は完成した。

 そして、それを料理本通りに茹でて沸いたときに味噌をお玉で掬い、菜箸でお湯に溶く。

 

「ちょっと味見……うえぇ、なにこれまっずーい」

 

 黄金色の液体は出来たが味がなくて、ただのお湯なのだ。

 これでは、到底味噌汁とは呼べない。

 味噌汁が出来たら豚肉を焼こうと思っていたが、それどころではない。

 ひかりは時計を確認すると17時44分であり、残業が入ってなければあと1時間ほどで尚樹が帰ってきてしまうのだ。

 料理本通りに沸騰する前に火を止めて、考える。

 

「砂糖か塩を入れたら味がつくかな?」

 

 そんな誘惑がひかりを揺さぶるが、すぐに味覚と嗅覚で覚えた嫌な事件を思い出してしまう。

 

 下原が所用で不在の際にクルピンスキーが台所に(勝手に)立って、スープに味がないからと砂糖と塩を入れ、ガリア産のワインビネガーをドボドボと投入し、とてもマズイ謎の液体を作ったのだ。

 クルピンスキーは「煮詰めたらソースになるんだし、イケると思ったんだけどなあ」と答え、さらに具として使うためにロスマン秘蔵の缶詰を開けていたものだから大変だった。

 ロスマンは悲鳴を上げ、目に見えて不機嫌になり、不味い液体とはいえ限りある食材から作られた夕食という事もあり、ひかりたちは無理矢理飲みこんだのである。

 ラルは相変わらず、「まずい」と一言だけ言って飲み干し、サーシャは出来上がった液体を見て悲しげな顔になり、管野は「おめえ2度目じゃねえか!……下原早く帰って来てくれ」と涙目になっていた。

 ひかりは“サルミアッキよりはマシだけど、水っぽく酸っぱいようなよくわからないマズさ”という嫌な思い出が出来てしまったのだ。

 “第2次偽伯爵料理事件”という前例を知っているだけに闇雲な調味料投入は危険だとひかりは判断した。

 

「やっぱり、尚樹さんに聞こう……」

 

 ひかりは電話の電話帳ボタンを押し、尚樹の携帯電話を呼び出す。

 1コール、2コール、3コールで電話が繋がった。

 帰宅中にハンズフリー通話をしているようで、エンジン音とウインカーが一定のリズムで鳴る音が聞こえる。

 

「はい、どうしたのひかりちゃん」

「尚樹さん、味噌汁の味がしません、ごめんなさい……」

「そんなに落ち込まなくても大丈夫だよ」

 

 ひかりの申し訳なさそうな声に、尚樹は明るい声でフォローを入れる。

 そして、家の味噌がだし入りタイプではなく、なおかつひかりに粉末調味料の存在を伝えるのを忘れていたことに気が付いたのだ。

 

「そういえば、“だし”は入れた?」

「えっと、かつお節も昆布もないので、だしの素っていうやつですか?」

「うん、粉状にしているだし、コンロ下の引き出しの中に小袋があるだろ?」

 

 尚樹の言う通りに引き出しを開けると、初日の晩に登場したうどんスープの素や“だしの素・昆布だし”と“合わせだし”というビニル袋があり、その中に小分けにされた小袋が入っていた。

 今までひかりはパウチされたミートソースでスパゲッティなどを作っていたのだ、気付くはずもなかった。

 

「はい!……昆布だしの粉を入れたらいいんですか?」

「うん、かつお節も入ってる合わせもあったと思うし、教えてなかったからね。ひかりちゃんに任せるよ」

「ありがとうございます!いつ頃帰ってこれますか?」

「交通状況的にあと30分くらいかな」

「それじゃあ、お肉焼いちゃいますね!」

「うちのフライパンは引っ付きにくく加工されてるから、油ドバドバ引かなくていいよ」

「わかりました!気を付けて帰ってきてください!」

「了解!料理本通りやれば失敗無いから頑張って」

「はい!待っててくださいよ!」

 

 いつもの元気を取り戻した返事に、尚樹はほっと安心する。

 電話を切ったひかりは先に味噌汁を完成させるために、昆布と鰹の合わせだしを入れてかき混ぜる。

 するとだしが入ったことにより味噌の風味と味が出て、おいしいみそ汁が出来上がったのだ。

 

「すごーい!だしがあるだけでこんなにおいしいんだ!」

 

 みそ汁や澄まし汁のような場合、だしを早くから入れると加熱している間に風味が飛ぶので、だしは最後に入れるとよいとされている。

 尚樹は味噌とほぼ同時に投入していたが、ひかりは図らずも“粉末だし後入れ法”という裏ワザを使っていたのである。

 

「次はお肉を焼こう、えっと焼き物はこの後のページでっと、あった!」

 

 ひかりはみそ汁の鍋に蓋をすると、料理本の焼肉のページを開いて指示通りにフライパンを出して中火で余熱を与える。

 テフロン加工がされているので強火は厳禁というシールが貼られており、尚樹の言っていた少ない油でくっ付かないというのはこれの事かと気づいた。

 サラダ油を薄く引き、そこに薄くスライスされた肩ロース肉を入れるとパチパチ、ジュウジュウと言う小気味のよい音が響き、赤身は徐々に乳白色へと色を変えてゆく。

 塩コショウで風味をつけたあと、火が通っていることを確認して菜箸で大皿に移すのだ。

 

「あっ!あっつくない!あぶなかったぁ」

 

 不意に跳ねる油にびっくりしながらも果敢に挑む。

 そんな活躍もあって食べられないほど焦げることもなく、ほどよい焼き加減の肉が食卓に上ることになったのである。

 

 台所用洗剤をフライパンに引き、水を入れて漬け置きをしながらひかりは思う。

 残してきた姉や仲間たちは、まさか異世界で花嫁修業みたいなことをやってるなんて考えもしないだろうなと。

 帰れるならば下原さんほどではないけれど料理が作れて、ジョゼさんみたいに掃除や整理が上手く出来るようになりたい。

 

 帰還後、下原やジョゼと並んで料理を作り、そのことに驚く502メンバー。

 

「おめー、向こうで料理も作れるようになったのかよ!」

「はい!料理も洗濯もバッチリです!管野さんもどうですか?」

「俺はやらねえよ!」 

 

 ひかりが部隊に帰った後のことを想像して「えへへ」と笑っているところに尚樹が帰って来た。

 玄関から居間を通って、台所に顔を出した。

 

「ただいま、良い匂いしてるな」

「おかえりなさい!ごはんできてますよ!」

「うん、手を洗ってくるからちょっと待ってて」

「はい、じゃあテーブルに並べます!」

 

 ひかりが焼肉の皿をテーブルに並べ、お椀に味噌汁をよそう。

 尚樹は着替え終わると冷蔵庫から麦茶のボトルをだし、グラスと共にテーブルに並べた。

 ご飯の盛り付けが終わると、二人はテーブルにつく。

 

「いただきます」

 はじめに味がないと言っていたみそ汁を飲んだがとても美味しかった。

 

「おいしい!ひかりちゃんから電話があった時には何かあったのかと思ったよ」

「あの時はだしの素が何かわからなくて、本当にどうしたらいいのか迷っちゃいました」

「ごめんごめん、教えるの忘れてたわ」

 

 

「単体だと少し塩辛いかな、これでどうだろう」

 

 尚樹は塩コショウの豚に焼肉のタレを掛けてみる。

 ひかりも尚樹に倣いタレを掛けて甘辛くして食べた、するとご飯が良く進むのだ。

 

「おいしいですね!まるで牛丼みたいです!」

「豚丼と言うべきか焼肉丼と言うべきか……」

 

 そして、着替えの際に気づいたことを言った。

 

「そういえば綺麗に整頓されてるなあ、ひかりちゃんがやってくれたの?」

「はい、ダメでしたか?」

「いいや、よかったよ。ありがとう。ところで部屋の前の掃除機はどうしたの?」

 

 尚樹の質問にひかりの表情が申し訳なさそうになり、獣耳が生えていれば下を向いていそうだ。

 

「あの……その……ごめんなさい、壊しちゃいました」

「ええっ、どんな感じに?」

「いきなりビィーン!ブオーン!みたいな感じになって吸わなくなりました」

 

 尚樹の反応にひかりは手ぶりを付けてその時の様子を再現する。

 

「ひかりちゃん、それは壊れてないから安心して」

「えっ、壊れてないんですか?」

「うん、たぶん袋かティッシュか何か吸ったんだろうな。取ったら簡単に直るよ」

「そうなんですか!よかったぁ、壊しちゃったと思いましたぁ」

 

 目を丸くし、壊れていないという事にほっとした様子のひかりを見て、尚樹は言った。

 

「ひかりちゃん、家事と料理お疲れ様、ありがとうね」

「いえいえ、そんな、私の方こそいろいろしてもらっちゃって。ありがとうございます」

 

ひかりは住むところに着るもの、勉強の機会といろいろなものを与えられていることを実感したのだ。

そして、感謝の言葉がとても嬉しかったのだ。

 

「いいんだよ、ひかりちゃんが居てくれるだけで」

「尚樹さん……それって……照れちゃいますね」

「お、おう」

 

 頬を赤らめて言うひかりに、尚樹は心の中で悶える。

 このセリフ、まるで告白じゃないかと。

 そして、叶うならば、いつまでもこんな楽しい生活が続けばいいなあと思った。




感想等あれば励みになります。
ちなみに味噌汁の具で好きなのは「なめこ」と「さといも」です。


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彼らの戦い
五里霧中


消えた戦車がどうなっていたかの話。
セルゲイ・ジューコフ中尉視点

20時:若干加筆


 男は山野を駆けまわっていた。

 泥の匂いが体中に染みつき、じとじとと蒸し暑い。

 沢で水を飲み、汗を流す。

 

「くそっ、なんて所だ」

 

 どれほど歩いたことだろう。

 森が開け、彼はようやく人工物を発見した。

 遠くから伝令兵だろうか、原動機の軽やかな音が聞こえる。

 黒々と舗装された2車線道路に躍り出た彼は、走って来たバイクに手を振った。

 緑の車体に白いレッグシールドが付いた小型二輪車であり、おそらく伝令だろう。

 

『おーい!止まってくれ!味方だ!』

 

 彼が叫ぶと、バイクに乗った男は悲鳴を上げてそのまま走り去ってしまった。

 男の悲鳴から恐怖を読み取り、嫌な予感がした彼は再び森へと後退した。

 

 ___

 

 

 

 時間は遡り1945年7月4日、ネウロイの巣“レーシー”までおおよそ195㎞地点。

 先陣を切った陸戦ウイッチと連絡が取れなくなり、中隊長であるセルゲイ・ジューコフ中尉はキューポラから身を乗り出していた。

 

「中隊長!霧の中から何か来ます!」

 

 

 ある車長が叫び、何かがバサバサという音を立て近づいてくるのを彼らは待ち構えていた。

 それが随伴歩兵の陸戦ウイッチであれば撃たなくて済むし、誤射しては大変だ。

 通信手の手に嫌な汗が滲み、車体銃の射撃を命ぜられるのを待つ。

 

 不審な影が戦車の前、数十メートルを横切って行き霧の向こうに消えて行ったのだ。

 濃い霧に映った“それ”が何であるのかは分からなかったが、おおよそ170センチほどと小さく、人型ではなくどちらかと言うと熊のような輪郭であった。

 

「あれは何だ? 各車、灯火管制を解除。前照灯を付けよ」

 

 セルゲイの指示に中隊長車“ミスティーテル(復讐者)“の操縦手ボリス・イワノフ軍曹が問う。

 

「中隊長、我々の位置をさらすことになりますが、いいんですかい?」

 

 ボリスのもっともな意見具申にセルゲイは言う。

 

「この視界じゃ、敵に見つかる前に木に当たる。それより随伴のウイッチを轢き殺しでもしたら寝覚めが悪いからな」

「おっしゃる通りで。よし装填手、カバーを外せ」

「了解!」

 

 ボリスの指示に装填手の若い1等兵がハッチから飛び出し、フェンダの付け根にある前照灯の覆いを取った。

 それを見たボリスが前照灯のスイッチを入れ、他の戦車も同様で淡黄色の光の柱が霧の中に幾条も伸びる。

 そして、オラーシャ陸軍第411戦車大隊第1中隊の戦車21両は、2本の2列縦隊となって霧の中を進んでゆく。

 履帯のキュラキュラという音とエンジン音だけが、やけに静かな森の中に響いていた。

 

「冷えるな、まるで春先みたいだ」

「ウイッチの戦闘騒音も聞こえない、あいつらならすでに撃ってるはずなのに」

「アカーツィアより、ノヴゴロド応答願います!……ダメです司令部と繋がりません」

 

 セルゲイや戦車兵たちはこの状況に違和感を抱いていたのだ。

 突如現れた原因不明の霧、姿を消した随伴歩兵のウイッチたち、そして繋がらない全体無線。

 ネウロイは単なる通信妨害ではなく、“人が知覚出来ない何か”をしているのではないかという疑念が沸いてきた。

 その時である、突如後方にいたB(ボリス)小隊の戦車が砲塔上のM2機関銃を乱射し始めた。

 緑色の曳光弾が飛んでゆき、そのうちの1発が少し離れた所にいたA(アンナ)小隊の戦車の側面の装甲を掠めたあたりで部隊無線でセルゲイは叫ぶ。

 

「アカーツィアよりB小隊、何が起こった!」

 

 通信規則も何も無視して「何かに取り付かれた。助けてくれ」という内容が無線から流れ出す。

 もうすでに統制も何もなかった。

 各々が飛びついてくるものへ射撃し始めていた。

 乱戦のさなか、流れ弾が重機を握っていた車長を殺すとその戦車は次席の通信手が指揮を取る前にそのまま木々に突っ込み擱座(かくざ)、乗員が下車戦闘に移った。

 だが、そこを“喰われて”しまった。

 

「くそっ、機銃手!前を任せた!砲手は左に45度旋回、重機を撃つ」

 

 セルゲイは砲塔中央後部に据え付けられた車長用M2重機関銃をA小隊の方へ向ける。

 すると何匹かの影が木々の間からA小隊の戦車に向かって飛び出してくる。

 それに対してA小隊の戦車長たちは重機関銃や装填手あるいは砲手用の機関短銃で応戦する。

 霧の向こうに見えたのはクマなどではなく、黒く首のない胴に四つの足があり前腕が異様に太い異形の存在だった。

 

「やっぱり小型ネウロイか!こっちに来るな!」

 

 セルゲイらの“ミスティーテル”号にも四つ足のそれは飛びかかって来た。

 車体の左から現れ、立ち上がって前腕を棍棒のように振り上げたものに容赦なく12.7㎜弾を浴びせた。

 そして、機銃手が前方から現れた一群に対し射撃を始める。

 砲手も主砲と同軸上に設けられたM1919機関銃で接近するものを撃っている。

 装填手が7.62㎜弾の入った弾薬箱をセットし終えたところから、再び火を噴く。

 ネウロイに包囲されていることに気づくと、車体右側などの死角に対応するため、セルゲイは装填手に銃を取るように言った。

 装填手はPPSh(マンドリン)機関短銃を取ると、装填手ハッチから右方向のネウロイに対し射撃を始める。

 しかし、数体に取り付かれた戦車の一部がネウロイへと変貌していくと、善戦していた戦車でさえ、あっさりと撃破されるようになったのだ。

 

「中尉!4時方向から大物来ます!」

 

 セルゲイは振り返ると、戦車を取り込んだであろうネウロイが6本の足で迫ってきているのを確認した。まだ足回りがおぼつかないようで木に当たってよろけている。

 

「砲手!右旋回、操縦手右へ!装填手射撃止め!次弾用意!」

 

 車台が信地旋回して砲塔の旋回量を減らし、装填手は装填手ハッチを掴みハッチの縁に叩きつけられないようにしがみ付く。

 

「目標ネウロイ、榴弾!……撃てッ!」

 

 砲手はすぐさま照準を付けて76㎜砲の榴弾を撃ち、ネウロイのコアが吹き飛ぶ。

 

「命中、続いて奥の中型ッ!」

 

 そう言ったその時、道路の先の方から一人の陸戦ウイッチが後退してきているのが見えた。

 T-34/76を履いた彼女の砲はすでになく、軍服は血か泥かでどす黒く変色して足取りもおぼつかない、まさに敗兵といった様子である。

 そんな彼女にネウロイは容赦なく近づいていく。

 

「くそっ、ウイッチに武器を渡す、援護してくれ!」

 

 いくらシールドがあるとはいってもあれでは長く持たないだろうと考えてセルゲイは戦車の向きを変えさせ、車体銃で援護させながらウイッチに自衛火器を渡すことにしたのだ。

 

「了解、ジューコフ中尉、私の銃を使ってください」

「わかった、借りるぞ!」

 

 砲手からドラム弾倉と機関短銃を受け取ったセルゲイは戦車から走り出て、装填手の物と2丁持ってウイッチの元へと急いだ。

 後ろでは装填手が重機を右へ左へと振って射撃し、車体銃や同軸機銃も火を噴いており、たった数十メートルがとても長く感じる。

 セルゲイにはヘッドライトの光が彼女への道を指し示しているようにも思えた。

 辿り着いたとき彼女は機関短銃を受け取って戦おうとするも、意識を失い倒れ込んだ。

 

「ちくしょう!魔女の婆さんの呪いか!」

 

 倒れたウイッチの少女の脇の下から右腕をさし入れて後ろに倒れ込むように木の陰へと引きずり込んだ。

 弾数も少ない装填手の銃をそばに置いて、セルゲイは置きっぱなしにした砲手の銃の回収に向かった。

 なんとか拾い上げて戦車に戻ろうとしたとき、戦車が爆発した。

 砲弾が誘爆したのか砲塔が舞い、機銃弾がパンパンと爆竹のように弾ける。

 

 爆風でセルゲイは飛ばされて木の陰まで転がる。

 よろよろと立ち上がると、A小隊の戦車の前照灯の()()()()()()()()()()()、視界が暗くなってきた。

 燃え盛るミスティーティル号に、セルゲイは先ほど助けたウイッチのいる木陰へと歩く。

 そこに陸戦ウイッチはおらず、意識を失う直前に見たのは人の形をした黒い影が戦車に向かって腕から光線を放っている姿だった。

 

 

____

 

 

 

 次にセルゲイが目覚めると、そこは森の中だったがオラーシャの針葉樹林ではなく広葉樹が広がる斜面だった。

 

「ここは、どこだ?」

 

 まず手足を動かして四肢が動くことを確認すると、つぎに自分の装備を見る。

 泥で汚れた戦車兵の黒い戦車服に、砲手の遺品となってしまったPPSh機関短銃、そして戦車帽は……無かった。

 

「くそっ!」

 

 思い出すのは“ミスティーティル”号の最期だ。

 側面の燃料タンクをネウロイに撃ち抜かれ76㎜砲弾が誘爆。

 おそらく装填手と砲手は逃げ出す暇もなく即死、操縦手のボリスは這い出してくる様子を見ていないので生死不明、通信手は逃げ出せただろうか?

 特にボリス軍曹はコーカサス地方、リバウからずっと撤退戦を戦ってきた歴戦の猛者であり、あれしきの事で死んだとは思いたくない。

 どちらにせよ、リベリオンからやって来て祖国奪還のために戦い続けた“復讐者”は森の中で永遠に動かなくなったのだ。

 

 辺りを見回すと炎上したミスティーティル号も中隊の戦車もいない。

 もしも陸戦ネウロイが闊歩しているのならば寝ている間にとうに殺されているはずだ。

 そう思うとセルゲイは喉の渇きを覚え、とりあえず水場を探すために山を下るように歩くことにした。

 遭難時は稜線へと向かって歩くのが良いとされるが、今のセルゲイにはとにかく水が必要だったのだ。

 

「暑いな、ここはオラーシャじゃないのか?」

 

 湿気で蒸し暑く、コットンで出来た戦車兵用のつなぎに汗が滲み、白い肌を赤くして斜面を降りる。

 しばらく木々の間を縫うように斜面を下りて1時間ほどすると、水が流れて深く掘れたV字の谷に、セルゲイはこの近くに水場があるのではないかと推測した。

 その読みは正解であり、周りに比べ淡い褐色の砂を踏みしめて、大雨で出来た谷を下るとちょろちょろと流れる小川に出たのだ。

 汗で水分を失った彼は吸い込まれるように斜面から湧く水に手を伸ばした。

 

「水がうまい」

 

 土埃や煙を吸っていがらっぽくなっていた喉を潤し、べたつく頭と顔を洗うと少しは気力が回復した。

 

「ふぅ……しかし、水筒が無いな」

 

 頭が冷えたところで、次は人家を探し部隊に連絡を取ってもらわないといけないと考えたが、それ以前に水筒や身分証明書などは全て戦車と共に()()したことに気づく。

 沢を伝っていけば人家に辿りつけるとは限らないし、それは根拠のない冒険でしかない。

 川から離れて道を探そうにも、水筒も何もないのではすぐに喉が渇いてしまう。

 どうしようかと悩むが、日が落ちてから山中を行くのは危険だ。

 

「あれは飛行機か?ずいぶん低く飛ぶんだな」

 

 セルゲイの頭上にとても大きな飛行機がとても低い高度で現れた。

 翼下にエンジンをぶら下げ、聞き慣れない高い音をさせて飛び行く大型機にセルゲイは飛行場かあるいは空軍基地のようなものが近くにあるはずだと思った。

 関西国際空港が近く、高度も下がっていることから晴天時はとても近くに見えるのだ。

 ここに居ても始まらないと、セルゲイは飛行機がやって来た方に歩く。

 いくつかの稜線を超え、丸太などで段を付けられた登山道ではないところを行く。

 少し離れた所に金剛山があるが、平日の朝とはいえ毎日、日課として登っている中高年の人々がおり、そちらに出ていれば機関短銃を持ったセルゲイは通報されていたに違いない。

 

 2時間半、ときどき小休止を挟みつつも歩きとおし、川べりに歩いていていくつか設けられている砂防ダムの一つから落ちそうになったりするというハプニングもあったがとにもかくにも麓へと向かう。

 結果、セルゲイは奇跡的にも誰にも通報されずに山間部の集落に出ることが出来たのだった。

 

____

 

 

 

 伝令兵か、あるいは市民が逃げ去ったことでセルゲイはあることに気づく。

 自分は泥だらけの戦車服で、手にはPPSh機関短銃を持っていた。

 これは非常にまずいと思った。敵対的意図がなくとも武器を携行している時点で敵兵、あるいは暴漢と見られてもおかしくない。

 

 案の定、カブに乗った配達員から『機関銃を持った外国人がいる』と通報を受けた警察官が、声を掛けた地点に集結しつつあったのだ。

 

「あれは、警察か……武器を置いて保護してもらうか?」

 

 機関短銃を藪に隠して川を挟んだ向こう岸の様子をうかがう。

 だが、そんなセルゲイは間の悪いことに、森の中に入って来た男たちと遭遇してしまったのだ。

 ガラの悪そうな男たち5人はスーツケースや一斗缶、そしてシャベルのようなものを持ち、何かを埋めに来たというような感じであった。

 草葉が擦れる音に男たちのうちの二人が気づいた。

 

「そこにおるのは誰や!」

「見られたからにはしゃあないなあ」

 

 スコップやガムテープを持って、にじり寄る男たち。

 何を言っているのかはわからなかったが、とにかく捕まるとまずそうなのはわかった。

 走って逃げても追いつかれる可能性があるし、何よりさっき隠した機関短銃がこの男たちの手に渡ると非常に危険なことになるのは明白。

 それに比べればと、セルゲイは機関短銃を藪から引き出すと、男たちの頭上へと2、3発射撃した。

 とっさの照準は相手の胴だったが、いきなり射殺は不味いとの配慮から威嚇射撃に切り替えたのだ。

 モデルガンと違って発射された弾が空気を裂くパキンという音を立てて飛び去り、木に命中する。

 

「銃持ってる!」

「うわあ!」

「逃げろ!」

 

 男たちは自分たちが“口封じをしようとした白人”がただ者ではないと知り、転びながらも蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。

 銃声に警察官が集まってくる前にセルゲイはその場を離れ、集落へと降りて行ったのである。

 とぼとぼと泥にまみれた軍装の男が機関銃のようなものを持って歩く姿はとても目立つものであり南海高野線・千早口駅の方へと歩いているところを発砲事件の警戒に当たっていた警察官に見つかった。

 青い服に身を包んだ警察官が丁寧な“ブリタニア語”で呼びかけてきたため、セルゲイは素直に機関短銃を地面に置くと両手を上げた。

 銃も抜かずに、警察官が呼びかけてきたことに彼は奇妙な感覚を覚えたのであった。

 

 オラーシャであれば暴漢も危ないが、それ以上に警察や憲兵がやたらと暴力的なのだ。

 警棒でいつ殴られてもおかしくないと思っていたが丁重な扱いを受け、白と黒に塗装されたとても良い乗り心地の自動車に乗って河内長野警察署に連行されたのである。

 

 2017年6月20日午後5時28分、セルゲイ・ジューコフ中尉は“銃砲刀剣類所持等取締法”違反の現行犯で逮捕された。

 

 英語・ロシア語の通訳を介しての取り調べが行われ彼の供述から死体遺棄事件の発覚があった。

 供述通りトランクと“暴漢”の持っていたシャベル、そして薬莢が発砲音事件後すぐに見つかっており、味方の伝令兵だと思い、二輪車の住民に手を振って声を掛けたという内容から、山から降りた後の行動は裏付けが取れた。

 しかし、同時にとても信じる事が難しいであろう内容が彼の口からもたらされたのである。

 

「何度も言わせないでくれ、私はオラーシャ帝国陸軍第411戦車大隊所属だと!」

 

 自分が“異世界の”軍人だと名乗り、銃器はそこで持っていたものであり、正体不明の怪物と戦っているといった内容であった。

 だが、警察官たちにとっては「頭のおかしいロシア人が、旧ソビエト製の短機関銃を持っていて軍人になりきっている」ようにしか思えなかったのである。

 とくに最近は異世界モノのアニメもあり若い巡査は「ライトノベルの影響ですかね?」と、年配の警察官は「おいおい、『戦国自衛隊』ごっこはロシアでやってくれよ」なんて聴取の後に漏らしていた。

 

 だが、彼は何と言われようと軍人の誇りを強く持ち続ける。

 

「信じてもらえないのは癪だが、行くところもないしな」

 

そして、留置場とは思えないおいしい食事に舌鼓をうったのであった。

 

「しかし……ここの食事は大変良いものだ。罪人や捕虜が食べるものとは思えないほどに」

 

 ニュースでは『河内長野市で機関銃を持った自称ロシア人の男が、銃刀法違反で逮捕』とだけ報じられ、それ以降の報道は一切なかった。

 




原案では生死不明のまま煤けた戦車帽一つ残して退場するモブでしたが、彼のその後に言及される方が居たので追加した話です。

戦車を取り込む小型ネウロイはゴリラのごつさを足したビッグドッグのような形状であり、わらわらと森の奥から現れてきました。
オラーシャ人視点なので“首がないゴリラ”とは表現できなかったので悩みました。


追記:朝方に実際に舞台になった金剛山・千早赤阪に行きましたが、毎日登っておられるという中高年の方々や山頂と麓を3往復しているという高地ランナーの方と出会い、元気だなと思いました。

なお、山道以外の斜面にはそこそこ先日の雨で流れた形跡が見られ、その中を行けば身を隠しつつ下れそうでした、ただ、山野の保全の関係上コース外に行くのはやめた方がよさそうでした。
なお、登山口から山頂まで1時間40分少々で登り、下りは心も体も軽く1時間ほどで下の駐車場へ降りることが出来ました。


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異変の始まり

 2017年6月20日

 

 18時ごろ職場であるシゲマツ自動車を出ると、尚樹は自宅のある河内長野市方向に向かって走る。

 ただでさえ混む外環状線にはいつも以上に長い渋滞が出来ており、尚樹は思わずため息をつく。

 家で料理を作って待っているひかりに「帰りが遅くなる」と連絡すべきかどうかと悩む。

 なにせ、完全に停止しているわけではなく、止まったり進んだりじわじわと時速20キロほどで進んでいるのだ。

 そんな渋滞にはまり、横道にそれることもできないまま和泉市に入って対面通行から4車線道路になったあたりで、道路の先に赤色回転灯がチラチラと輝いて見えた。

 

「おいおい、事故かなんかか?」

 

 遥か前方にいる大型車の陰でよく見えないが、ワンボックスの事故処理車のような警察車両が車線を塞ぐように止まっているのだ。

 

『6時になったらクイズの時間、今日のお題はキュウビノキツネのメンバー、レン君は最近どんな食べ物にハマっているでしょう?』

 

 月曜から木曜日の夕方に流れるラジオ番組がオーディオから流れており、その番組は6時のコーナーで音楽バンドのメンバーに関するクイズを流していた。

 1曲目が終わると、曲の間にリスナーたちから送られてきたネタ回答をラジオパーソナリティが紹介するのだ。

 

『Twitterネーム結城さん、“激辛マーボーを食べて、水くれー!”』

「『水くれー』は昨日のお題のネタやろ」

 

 尚樹はSNSをやっていないし、運転中なのでクイズに参加することが出来ないが、そこで出てくるネタ回答にツッコミを入れて楽しんでいるのだ。

 

『ヒントはお高く、保存が効く食べ物です。それでは2曲目』

 

 2曲目が終わるとヒントが出てきており、番組ホームページに正解が次々と寄せられてきている。

 

『おっ、正解者が出ましたね、Twitterネームグラーフさん、珍しい缶詰……ザーッ、ザザーッ……ザッ……正解なので6時半の番組ステッカーあげます』

 

「正解は珍しい缶詰を集めている……ってノイズ凄いな」

 

 尚樹が窓の外を眺めると和泉の山々の稜線が薄暮の空に黒々と浮かび上がり、車の位置で電波が遮られたのかなと思う。

 5秒間のノイズはあったものの、クイズコーナーが終わった頃に警察車両が間近に見えてきた。

 

 電光掲示板に“検問”と表示した事故処理車がいて、対向車線には紺色の警察車両が数台止まっており物々しい雰囲気を醸し出していた。

 警察官たちは一台一台止めて何かを尋ねているようで、飲酒検問などとは違うようである。

 交通課の警察官の他に、丸に“機”の文字が入った腕章を着けた警察官も歩道にいる。

 ハンズフリー通話でひかりに帰りが遅くなると告げると、ひかりは元気よく返事をする。

 そして、尚樹が通話を切ったタイミングで前の車が発進した。

 “止まれ”の三角旗を持った警察官が道を塞ぎ、乗車用のヘルメットに防刃ベストを着けているもう一人の警察官が尚樹のパジェロの運転席側に立った。

 

「すいません、銃器を持った強盗犯が逃亡中でして、免許証とお仕事のほうを聞かせてもらっているんですよ」

「はい、銃器ですか?」

「ええ、ですから、一応念のためにお話を伺ってるんですよ」

 

 尚樹は警察が非常線を張っている理由がわかったが、銃器というのはただ事ではないなと思った。

 免許を調べられている間、おそらく別の部署であろう警察官に整備士であるという事と、仕事帰りであることを話し、世間話をする。

 言葉の端々から“探られているな”と思いつつ、尚樹のほうも警察官に話を振って情報を集めていた。

 銃器犯罪が起こり、機動隊や所轄警察で周辺地域からの()()()()作戦をやっているようである。

 

「ご協力ありがとうございました、お気をつけて」

 

 3分ほどで照会が終わり、免許証が返ってくると尚樹は解放され再び走り出す。

 テレビに切り替えると先ほど、短機関銃を持った自称ロシア人の男が逮捕されたとのニュースが入る。

 

「何だ、解決してるじゃねえか」

 

 尚樹は押し入れの中に隠した航空機銃がバレたらきっとこんな騒ぎになるのだろうなと、内心ひやひやしながら家に帰ったのだった。

 

 

_____

 

 

 

 ひかりは昨夜の味噌汁によって粉末だしの使い方を覚えたので、練習に肉じゃがと炊き込みご飯を作ることにした。

 煮る、焼く、切るといった今までに練習してきた成果を見せるのに肉じゃがはもってこいだと思ったのだ。

 

「えっと、ここまではカレーと同じだ!違うのは、こんにゃく、厚揚げ豆腐」

 

 玉ねぎ、ジャガイモ、人参を切り先に茹で、その後、こんにゃくや厚揚げ豆腐も切って加える。

 鍋で野菜とこんにゃくを茹でると火を止め、フライパンで昨夜使わなかった豚肉を軽く炒めて火を通す。

 炊き込みご飯は既製品の具材を炊飯器に入れて、炊き上がるのを待つ。

 

 料理を初めて数日、ひかりの技術は安定を見せるようになり具材を切る手に不安は無くなった。

 味付けに関しては慣れるまでは既成の割り下地を使うか、料理本の通りに調味料を計量して入れることで、とてもマズくてどうしようもない“はずれ”を作らないようにしている。

 ひかりは尚樹と一緒に夕飯を作るうちに、思ったより効かなかったり、その反対でとても効き、“辛すぎる”あるいは“甘すぎる”という経験から“目分量”がいかにアテにならないかを実感したのだ。

 味の好みに合わせて調味料を増減、調整するのは、まともにレシピ通りに作れるようになってからである。

 

「やっぱり下原さんはすごいなあ……そういえば、管野さんは豚肉なんだったっけ」

 

 自分が料理をするようになり、ようやく味見の大切さとレシピ本もなく目分量で適正な量を入れられることがいかに凄いかを実感するようになった。

 

 肉じゃがはカレーライスなどと具材を共用できることなどから()()()()において導入されて、陸軍には“肉の甘煮(あまに)”として広まった経緯があり、「扶桑ウイッチ居るところ肉じゃがあり」と言われ、ペテルブルグ基地においても肉じゃがが提供されていた。

 だが、使用する肉や味付けは基地ごとに異なり、同じ扶桑人であっても出身によって大きく差があったのだ。

 下原、ひかりは尾道、佐世保と西の出身であり牛肉を用いるが、宮城出身の管野は豚肉を使うということで一度論争になりかけた。

 切っ掛けはある日の夕食の席でのひかりの発言だった。

 

「肉じゃがだ!お肉は何を使ってるんですか?」

「哨戒飛行の帰りにニパさんが獲って来てくれたケワタガモのお肉です!」

 

 「スオムスのウイッチは湖や森、自然と共に生きてるんだよ」とニパは笑う。

 

 なお、肉の入手にクルピンスキーと共に狩りをやったはいいが、その帰り道にニパは野鳥と激突するバードストライク事故を起こし滑走路に墜落した。

 燃え上がるユニット、出動する救護班と整備班、怒るサーシャ、ユニットのそばに転がっていた獲物を燃える前に急いで調理室に運ぶジョゼ、という光景があったのだ。

 こうしたいつも通りの惨事を経て食卓に上がったトリ肉にひかりは思わず一言。

 

「トリかぁ、普通は牛肉ですよね……」

「あぁん?ひかり、肉じゃがって言えば普通、豚肉だろ!」

「ええっ、牛肉じゃないんですか?」

「いいや、ぜってー豚肉だ。下原はどうなんだよ」

「ごめんなさい管野さん、私も牛肉を使います」

「うっ……でもここじゃどっちも使えねえんだよな」

「お姉ちゃんの牛缶がまだあればなぁ」

 

 しかし、調理者が下原であるという事と、そもそも肉じゃがに適した牛肉、豚肉、あるいはその食肉加工品もあまりやって来なくて()()()も多いペテルブルグにおいては不毛な会話だとして、お開きとなった。

 

 軽く火が通った豚肉を鍋へと移しながらかつての会話を思い出す。

 思い出すとふっと涙が出そうになる時もあるけれど、それは玉ねぎの催涙成分か鍋から立ち上る湯気によるものに違いない、ひかりはそう思った。

 

 ひかりが砂糖としょうゆ、だしを入れて煮ていると、突如、居間の方から電子的なベルが鳴り響く。

 すぐに火を止めて、居間の固定電話の受話器を取った。

 

「はい!……尚樹さん、どうしたんですか?」

「ひかりちゃん、今、警察が検問やってて道路めっちゃ渋滞してるから遅くなるわ」

「検問?ってそんなに時間かかるんですか?」

「お巡りさんに免許見せていろいろ聞かれたり、車の中調べられたりするからね。営門での外出証の確認みたいなやつだよ」

 

 車にも乗らず、街中で警察官に職務質問をされたことが無いひかりは“検問”というのがいまいちよく分からなかった。

 しかし、“外出証”という言葉に、正門に配置された門衛(もんえい)隊員がじろじろと身分証明証と外出証の木札を確かめてくる様子を思い浮かべようやく納得がいった。

 ひかりも“公用外出”や、休暇で“普通外出”をしたことがあったが、他部隊の隊員と出門時刻が被るととても時間がかかるのだ。

 こればかりは規律を重んじる軍隊である限り、戦場で一般兵士から“女神様”と崇められる女傑であってもすべて平等に行われるのである。

 

「そうなんですかぁ、じゃあ私待ってますね!」

「料理、冷えちゃうだろ。ごめん!」

「大丈夫です!本には『煮物は冷えるときに味がよく染みこむ』って書いています!」

「ありがとうね、おっ、そろそろ検問が来るから電話切るね」

「はい!」

 

 尚樹からの電話が切れると、ひかりは少し温度が下がった肉じゃがの味を確かめた。

 柔らかくなったジャガイモを菜箸で割って、口に運ぶ。

 

「まだ味がついてない……冷やす前にもうちょっと煮なきゃダメなのかな」

 

 ひかりは下原の作った肉じゃがの具を思い出しつつ、どのように冷やせば味が中までしみこむか考える。

 十分に煮て素材の細胞壁を破壊して水分を追い出すことで、冷却時に壊れた細胞壁の隙間に浸透圧の関係で濃度の濃い煮汁が均一な濃度になろうとよく染みこむのだ。

 “料理の教科書”に細かい原理こそ載っていなかったが、ひかりは“よく煮る”という事が重要なのではないかと考えたのだった。

 尚樹がようやく帰ってくると、ひかりはいそいそと肉じゃがを温め、炊飯器から炊き込みご飯をよそう。

 今にも鼻歌を歌いだしそうなひかりに尚樹は尋ねる。

 

「ひかりちゃん、楽しそうだけどどうしたの?」

「ふっふーん、気になりますかぁ?」

 

 とても得意げなひかりは、皿をテーブルに並べながら聞き返す。

 ひかりの笑みと得意げな様子に尚樹は可愛いなあと思う。

 

「うん、とっても」

「初めてだったけど、肉じゃがをうまく作れました!食べてみてください!」

 

 ひかりはふんす!という効果音が似合いそうな調子でぎゅっと握り拳を作った。

 

「おう、どれどれ……おいしい、よく味も染みてて初めてとは思えない出来だな」

「そうですよね!私もびっくりしました!」

「すごいなひかりちゃん」

「えへへ……」

 

 尚樹はうまいうまいとお代わりをし、ひかりもお代わりをしたので鍋の中の肉じゃがを完食する。

 余った炊き込みご飯は冷蔵庫に入れられて朝に食べることにした。

 料理本通りに作ったとはいえ、自分の力で美味しく作れたことにひかりはとても自信がついたのだった。

 

 

 夕食が終わると入浴を済ませて、居間でテレビを見ながら二人でくつろぐ。

 尚樹がひかりに勉強を教えたりするのもこの時であり、日中家に居ない尚樹とひかりの貴重なコミュニケーションの時間である。

 

「尚樹さん、検問って何だったんですか?」

「銃器を持った強盗犯がこの辺を逃亡中だってよ」

 

 今日、帰りが遅くなった理由についてひかりが尋ね、尚樹は警察官から聞いた内容を伝える。

 

『銃刀法違反の現行犯で逮捕されたのは、自称ロシア人のセルゲイ・ジューコフ容疑者で……』

 

 テレビのニュースでは視聴者投稿の映像が流れていた。

 黒い服に身を包み、短機関銃のようなものを持ってトボトボと歩いていくのを民家の住人が窓から撮った映像であり、報道用の粗い画質で顔は出ないがテロップに名前が出た。

 

「銃を持った強盗って……」

「大丈夫、テレビでやってるだろ、この捕まった自称ロシア人の事だろ?」

 

 ひかりは動画に映るPPShの独特なカゴ状の被筒(ひとう)に見覚えがあった。

 ペトロ・パウロ要塞の正門を守っていたオラーシャ兵が携行しており、「不思議な形だなぁ」とまじまじと見た思い出があったのだ。

 

「あれってオラーシャの兵隊さんですよね」

「まあ、それっぽい短機関銃持ってるしな、なんか戦車兵みたいなつなぎを……」

「尚樹さん?」

「待てよ、()()ロシア人?ロシア人ならパスポートとかで分かるだろうし伏せる必要は」

「地震?」

 

 そこまで言った時、カタカタカタという微振動が湯吞を揺らして数瞬後、家の外からバン!と爆発音のような音が響き渡る。

 

 二人が家の外に飛び出すと至る所に家から出てきた住民が立っており、山の方を見ていた。

 目線をやると、木が折れる音と共に山の上に向かって黒く巨大な影が走り去っていく。

 眼下に見える住宅街のはずれの空き地に穴が開き、田畑は踏み荒らされ通過したであろう路上には激突して引火したのか燃える自動車の残骸が見えた。

 “爆発音のような音”は車が激しく衝突して壊れる音だったのである。

 

「尚樹さん!」

「なんやアレ!」

「……ネウロイ!」

「マジかよ」

 

 誰かが通報したのか、消防、警察のサイレンの音が遠くから山に反響して聞こえてきた。

 呆然と、何が起こっているのか解らぬまま立ち尽くす住民たち。

 燃え盛る自動車の炎がごうごうと辺りを照らし、尚樹たちにガソリンの匂いとタンパク質が焼ける匂いを風が運んできた。

 ひかりから話を聞いていたネウロイの姿に尚樹は恐怖し、隣を見る。

 そこには、いつもの無邪気でかわいらしい15歳の少女ではなく、獣耳と尻尾を出して(まなじり)を決した“軍人(ウイッチ)”の姿があった。

 

 騒ぎから少し離れた山中、街灯もない暗闇の中で赤い何かがぼんやりと鈍く輝いていたが、気づく者は誰一人としていない。

 




肉じゃがについて、ウイッチーズ世界では「甘煮」ではなく早くから「肉じゃが」という名称になってた模様。
コントレイル2巻で西沢曹長に肉じゃがの味で覚えられていた下原ちゃん……

いよいよ、その時が来ました。
感想等お待ちしております。


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整備のこころ

 2017年6月20日22時34分

 

 燃え盛る自動車の残骸に、警察と消防が到着し消火活動が始まった。

 到着した警察官たちはイノシシか熊が住宅地に出没したのかと思っていたが、現場に着くと交通事故と地滑り、陥没事故が一緒に起こったようなありさまで目を疑った。

 目撃者の住民たちに話を聞くと皆、一様に「謎の大きな影が山に逃げて行った」と話し、集団で幻覚を見ていたのでは無ければ地中から"怪獣"が現れたという事になる。

 野生動物の誤認だというのなら、このような大穴、田んぼや斜面に残された()()の説明がつかない。

 警察官たちは黄色いテープを持って尚樹たちの住む住宅街の山側と幹線道路方向に規制線を張っている。

 当初は原付の警察官とパトカーだけだったのだが、現場の惨状に続々と応援部隊が駆けつけてきた。

 

「ひかりちゃん!耳出てる!」

「あっ!」

「そうだ、家に入って」

 

 ふたりは消防車、警察車両が多数集結してくる様子を見ていたが、尚樹は野次馬に出てきた近所の住民に見られる前に慌ててひかりを家に連れ込む。

 街灯も少ない暗がりでちょっとした獣耳くらいはたいして目立たないだろうが、用心するに越したことはないのだ。

 居間に戻った尚樹がテレビを点けるとまだ騒ぎはニュースになっていないが、じきにニュースになるだろう。

 尚樹はリモコンを持っている自分の手が震えていることに気が付いた。

 

「尚樹さん……」

「ああ、正直言うと怖いよ」

 

 あの時感じた血肉が焼ける匂い、死の香りと得体のしれない相手への恐怖。

 ひかりは尚樹が民間人だという事を思い出した。

 ネウロイと戦うのはウイッチ、つまり軍人の仕事なのだと。

 初めて空母艦上でネウロイと遭遇したとき、そして502にいた時、姉が自分を戦闘から遠ざけようとした気持ちが今になって分かった。

 大事な人を、命がけの戦場で失いたくないのだ。

 

「尚樹さんは戦わなくていいんです。ネウロイと戦うのはウイッチの仕事なんです」

「バカ言え、女の子に戦わせて後ろに引っ込んでるなんて出来るか」

「尚樹さん、ネウロイは魔法力の篭った攻撃しか効きません。だから……」

 

 ひかりの懇願するような目、尚樹はまっすぐ見つめ返す。

 ひかりはウイッチとして戦う気でいるし、それ以前に()()()()警察や自衛隊に任せて民間人は指示に従い避難するべきだ。

 しかし相手は人間でなく、ネウロイという人を襲う敵性体なのだ。

 

 __尚樹は決断した。ひかりを一人で戦わせはしないと。

 

 この辺りに潜伏しているなら戦おうが戦うまいが、危険であることには変わりは無いし、なにより、警察と自衛隊が出動したとしてネウロイを駆除できるとは限らない。

 そう、怪獣映画では自衛隊、あるいは防衛隊の装備は効かないというのが定説なのだ。

 映画ではなくとも、ひかりの話における人類の連合軍がそれを物語っていた。

 成人前の少女たちを前線に引っ張り出し、男たちは少女たちの後ろで露払いするしかできないのだ。

 

「ひかりちゃん、聞いてくれ。……俺はネウロイとは戦えない」

 

 徒手格闘も、射撃も、戦車の操縦でさえも現役の隊員にはかなわないし、その現役の隊員であってもネウロイに勝てるかどうかすら怪しい。

 しかし、今の尚樹は“整備士”であり、ストライカーユニットとウイッチに今一番近い人間なのだ。

 

「でも、ユニットの整備、点検くらいなら出来る」

「それって……」

「ひかりちゃんがもしあいつと戦うつもりなら、ユニットの整備が必要だろ?」

 

 武器を手に戦うだけが華ではない、整備、補給、需品(じゅひん)と後方支援職種があってこそ戦闘力は発揮されるのだ。

 

「ああ、魔法関連はさっぱりだけど、ガソリンエンジンと銃器は任せてくれ」

 

 これが、魔法を使えない()()()()というものだ。

 尚樹の姿にひかりはペテルブルグ基地の整備班の男たちを見た。

 世界は違えども、戦うことを決めた整備野郎は似た雰囲気になるのだと。

 

「……わかりました、お願いします!」

「よし、やろう」

 

 2人がネウロイと戦う決意をしたとき、ようやくテレビがニュースとして流し始めた。

 

『大阪・河内長野で陥没事故か・4人死亡』

 

 レポーターが規制線のテープの前で事故があったという事を告げ、近所の住民へのインタビューを行うが、所々でカットされているようで車が燃えているという内容しか流れなかった。

 

「さすがに、『黒いものが山へ走って行った』なんてまだ流せないよな」

「尚樹さん、家の近くが映ってますよ!今、撮ってるんですか?」

「ちょっと前じゃないかな、ほら、編集入ってるみたいだし」

「へぇー、あ、ホントだ、変なところで切れてる!」

 

 ひかりはさっきまでの重い雰囲気が嘘のように、液晶テレビに映るニュース番組の映像に興味を示していた。

 

 ネウロイの企図はともかく位置も、種類または形状も何もわからないし、倒しに行く前にユニットが使えるかどうかも怪しいので“現状どうすることもできない”。

 そう考えた尚樹は緊張を解く。

 

 切り替えができない兵士はすぐに心を病んでしまい後方送りになる、あるいは社会不適合者となってしまうのである。

 ひかりは最前線にいただけあって切り替えがうまいなあと思いながら、尚樹は台所でお茶を淹れる。

 そして、戸棚からお茶うけに田舎まんじゅうを出すと、お盆に乗せて戻った。

 

「ありがとうございます!」

「いいよ、はい、田舎まんじゅう」

「やったぁ!おまんじゅうだ!」

 

 ひかりは両手で手のひら大のまんじゅうの包みを開くと、ぱくりと食べる。

 尚樹は「一気に食べると詰まるぞ」と言いながらお茶を差し出す。

 ひかりはお茶を飲んで一息、糖分が先ほど放った魔法力を補ってくれたような気がした。

 二人はまんじゅうを食べながらお茶を飲み、テレビを見る。

 まだ、関西ローカルのニュースのようで東京の方の番組は通常通りの内容であった。

 

「今晩はどうしようもないな」

「そうですね」

 

 特に興味を引く番組もやることもなく、気付けば23時40分を過ぎていた。

 

「今からやれることもないし、もう寝ようか」

「はい、明日からですね……あ、そうだ、走り込みは」

「明日は無理じゃないかな、ほら、立ち入り禁止テープ張ってるしさ」

「ほんとだ、それじゃあ走れませんね」

 

 ひかりとの朝ランニングも現場検証が終わって規制線が解かれるまでは中止となった。

 

 

 二人は寝ようと布団に入ったが、家のすぐそこにネウロイが居る気がしてなかなか寝付けなかった。

 まるで怪談話の登場人物のように布団の中でひとり、朝が来るのをじっと待つ。

 長く感じた夜が明けて、5時過ぎ。

 

 室内着のジャージのまま家の前の道に出て、眼下に広がる住宅街の方を眺める。

 明るくなったことで現場周辺の状況がよくわかるようになった。

 

 農道や住宅街への道に警察官が立つことで現場の証拠保全や立ち入り制限が行われており、規制線周りの警察官は野次馬の侵入を警戒しつつ住人が通るたびに黄色いテープを緩めたり張ったりしている。

 “陥没事故”のあった道路には消防と警察の鑑識が集まり、激突したものが何であったのかを調べているようだ。

 昨夜、尚樹たちが見た炎上している車は単なる衝突では無く、ネウロイに蹴り上げられたかでひっくり返されグシャリと潰れて燃えていたのだ。

 タイヤや樹脂部品、塗料も燃えて黒焦げとなった車は調べた後、シートに包まれ、警察の手配した積車に乗せられ運び出されるのだろう。

 怪異の爪痕が空き地から斜面に続いており、昨晩の光景が夢でもなく現実であるという事を告げていた。

 尚樹はネウロイの存在を知っている、しかし、ここに居る人間のほどんどは黒いものが何であるかも知らぬ、解らぬまま、怪事件として処理するのであろう。

 警察の動向について尚樹がいろいろと考えていると、スマホが震え、社長からの電話が入った。

 

「はい、武内です……えっと、お休みですか?はい……失礼します」

「尚樹さん、どうしたんですか?」

「今日はこんな事もあったし社長(おやっさん)が休めってさ、だから今日は休みだ」

「じゃあ今日は一緒に居られますね!」

 

______

 

 

 1945年7月15日

 

 作戦室にペテルブルグ基地に駐屯するすべてのウィッチが集合していた。

 連合軍北部方面司令部より、マンシュタイン元帥、マンネルヘイム元帥、カツコフ元帥と言った三ヵ国の司令官がやってきており、それだけでいかに重要な作戦であるかが窺い知れる。

 午前10時、マンシュタイン元帥によって作戦の説明が始まった。

 

「いよいよ、ネウロイの巣に対する攻略作戦が実施される。参加部隊は次の通り」

 

 最上級者であるアルチューフィン中佐を指揮官とする第121連隊と、ラル少佐が指揮を取る502JFWを基幹とした“旅団級ウィッチ部隊”が攻略作戦の主力であり主攻である。

 アルチューフィン戦闘団の隷下に4個ウィッチ飛行隊、4個戦闘機飛行隊が組み込まれる。

 主たる攻撃部隊を支える助攻にオラーシャ、カールスラントから機甲師団が派遣され陸戦ウィッチたちと共に地表面の制圧、並びに各種砲兵大隊による支援射撃が行われるのだ。

 

「アルチューフィン戦闘団の任務は“レーシー”内部に突入する502の突入路を形成することにある」

 

 502が突入部隊に選ばれた理由は二つあった。

 一つは空を飛べない中佐が戦闘団長として前線指揮所(CP)で指揮をする間、誰が空に上がって突入部隊の指揮を執るのかという話になり、次席の“ウィッチ”にラル少佐が居たことである。

 もう一つは、ネウロイの巣“グリゴーリ”を不撓不屈(ふとうふくつ)の精神で撃破した前例があったからである。

 

 決戦兵器であった列車砲が撃破された際も、魔導徹甲弾を巣まで手搬送、投弾して撃破に至らなくとも、魔法力を充填した爆風弾の破片で突入路を作った。

 魔導徹甲弾の弾芯から手袋に魔法力を移してコアを殴り、()()()というような装弾数1発の失敗兵器でネウロイの巣を撃破したのだ。

 司令部が立案した“フレイヤー作戦”は列車砲の撃破で潰えており後は敗走するだけであったのだから、いかに彼女たちの働きが素晴らしい物であったのかよくわかるというものだ。

 

 ゆえに、今度のレーシー攻略戦は121を始めとしたウィッチと火砲を掻き集めた作戦となったのだ。

 

「……以上で攻略作戦の概要説明を終わる。質問は?」

「はい」

「何かね、管野中尉」

「もしも、行方不明になってるウィッチが捕まってたら救助と撃破どっちを優先すりゃ良いんだ?」

 

 管野の質問にサーシャの顔が引きつる、しかし、ラルは平然としていた。

 何故ならば、雁淵ひかりの捜索・救助は502の総意なのだ。

 上級指揮官であっても文句は言わせないし、それだけの働きをしてみせるという自信があった。

 

「うむ、難しいことを言う。戦友を見捨てろとは言わない、だが犠牲を払って作戦失敗となると英霊に申し訳が立たない。わかるね」

「はい」

 

 管野のぶしつけな質問にマンシュタインは気を悪くした様子もなく、諭すように言う。

 

「君たちなら、どちらもやり抜くと私は信じているよ。どうですかなマンネルヘイム元帥、カツコフ元帥」

「ええ、そうですな」

「同感です」

 

 話を振られたマンネルヘイムとカツコフが頷く。

 

「他には……無いようなので、これにて解散」

 

 管野の質問が終わると他に質問が出なかったのでマンシュタインは解散を宣言し、3人の将官は作戦室を去って行った。

 121、502各部隊ごとのブリーフィングが終わると、隊員は作戦準備のためにそれぞれの持ち場に向かっていた。

 ラル、サーシャ、ロスマンは司令官室にこもって書類と戦い始める。

 下原、ジョゼ、クルピンスキー、孝美は弾薬庫から作戦で使用する銃砲弾の弾薬箱を搬出するために別行動となった。

 ニパと管野は各ユニットや携行火器に関する整備班との打ち合わせのために格納庫へと向かって歩いていた。

 

「カンノ、元帥相手にあの質問はびっくりしたよ……」

「でも、俺がしなくてもたぶんラル隊長かロスマン先生がしてるはずだ」

「そうなら、どうしてしたのさ」

「どうしてだろうな、気づいたら言ってた」

 

 管野は何の迷いもなく、ひかりを救出したいと言ったのだ。

 ニパにはそんな管野がとても輝いているように見えた。

 

「やっぱり、カンノは凄いや」

「なんだそれ」

 

 二人が格納庫に入ると、整備兵たちが右へ左へと走り回っている。

 木で梱包された予備機のユニットがトラックに積み込まれ、航空ガソリンの入った赤帯のドラム缶が油脂庫から引っ張り出されユニットへの給油作業が行われていた。

 同様の作業は間借りをしている121連隊の方でも行われており、121では“特別な弾頭”を積んだフリーガーハマーの搬入も行われており格納庫内はとても忙しない。

 管野を見つけた髭面の整備班長が手招きしていたので、二人は整備班長のもとへと向かった。

 

「ユニットの事なんだけどよ」

 

 管野が要件を言い出す前に、整備班長はわかっているとばかりに傍らの工具台の上に置いていた目録を手に取った。

 

「管野中尉、カタヤイネン曹長のために俺らが作っておいた目録がある」

 

 彼から目録を受け取った二人はさっと目を通した。

 そこには部品の在庫やユニットの使用状況、今どういった火器が発進台にセットされているか、7月10日現在の()()()()()()()()が細かく記されていた。

 

「すごい、知りたかった情報がみんな載ってる」

「だろう、この冊子の半分までは皆、サーシャちゃんがくれたモンなんだ、後はわかるな」

「わかったよ、なるべく、というか戦闘以外では損耗させねえ」

「はい、なるべくサーシャさんに迷惑かけないようにします」

 

 例えば管野の紫電改であれば、『排気タービンASSY(アッシー)交換、プラグ/分配器交換』などと修復歴が記されているが、これらはサーシャの記憶能力で作成された物であって整備記録簿には書き記されていないのだ。

 

 どうして整備記録簿に書き記されていないのかと言うと、『全交換・用途廃止が異常に短いスパンであまりにも多すぎて書ききれない』のだ。

 普通は新規調達からA・Bといった日常点検整備、そして6か月のC整備、12か月のD整備と段階を踏んでいく。

 ロスマンのユニットが3回目のD整備を迎えている一方で、ブレイクウィッチーズの場合、新規調達からいきなり“後方拠点での重整備送り”になったり、あるいは修復できずに用途廃止(リタイア)となってしまうのだ。

 これでは整備記録簿が何冊あっても足りないという事で、整備班長の許可のもと特別な書式で記されているほどである。

 

「まあ、なんだ、これから大作戦だしな、弾を貰うこともあるだろう」

 

 前線での野外整備拠点や補給に関しての話が終わり、別れようかと思った時に整備班長はぽつりと言った。

 

「壊すなとは言わんから生きて帰ってきてくれ、未だ帰らぬ1番機ってのはナシだ」

 

 だが、整備班長は2年も彼女たちと付き合っているうちに、ある境地に達したのだ。

 ユニットが壊れるならまだいいが、死んでしまえば替わりは効かないのだ、生きているだけで儲けものなのだと。

 

 それだけに、元気な「502の妹」こと雁淵ひかり軍曹の未帰還は整備班の中にも大きな衝撃が走った。

 管野たちが思い悩んでいる頃に整備班もまた、寂しい思いをしていたのである。

 

「わかってるよ、もし、ひかりが居たら連れて帰ってきてやる」

「はい」

 

 管野とニパの返事に整備班長は「おう」と言うと、予備機の積み込み作業へと戻って行った。

 

「空の護りのユニットを~、風の吹く日も雨の夜も……」

 

 “機付(きづき)のこころ”と言う曲があるが、まさに彼らの心意気ではなかろうか。

 思わず曲の歌いだしを口ずさむ。それを隣で聞いていたニパは管野の歌に興味を持った。

 

「カンノ、それって?」

「扶桑の整備兵が歌ってたんだよ、なんだよ!何がおかしいんだよ」

「カンノが機嫌よく歌うのが珍しくって!」

「じゃあもう歌わねーよ!」

 

 にこにことニパが質問したものであるから、調子よく歌いだしてしまい気恥ずかしくなった管野は赤くなって照れ隠しに言う。

 彼らが居るから自分たちは気ままに大空を舞い、ネウロイと戦えるのだ。

 管野は作戦が終わったなら、整備班に酒か甘味かを差し入れようと心に決めた。

 

 




“機付のこころ”の替え歌とか考えたけれど、ほぼそのままでいけるっていうね。

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ウラヌス作戦

※誤字修正、砲兵関連修正:赤いコマ→ネウロイを示す“N”の黒いコマへ (劇場版より)


 1945年7月20日

 

 午前6時、高緯度地方の長い薄明の中、エンジンの音を轟々と響き渡らせウィッチたちは空を征く。

 アルチューフィン戦闘団は121連隊の他に、129飛行隊と317飛行隊の2個連隊、6個ウィッチ飛行隊からなりこの空域だけで100名以上のウィッチが一堂に会していた。

 

 

「これだけウィッチが集まれば壮観ですね、こんなにもいたなんて」

 

 下原は自分の前を飛ぶ45人のウィッチを見て思わず言う。

 前だけでなく502の右にも、左にもウィッチが飛び、空中衝突しないように間隔をとっている。

 ここで飛んでいるウィッチの他に予備戦力のウィッチもおり、この作戦自体には180人近くの航空ウィッチ、200人を超える陸戦ウィッチが投入されているのだ。

 

「ああ、前は上の“オモチャ”が主役だったからな」

 

 ラルは前回の作戦の編成は参謀本部内にいた超兵器推進派によるもので、あえてウィッチ戦力を限定したという裏側を知っていた。

 “他のネウロイの巣が呼応して攻撃を仕掛けてくることへの備え”という名目で、各部隊からの大規模な戦力抽出は行われず、502にもシールドを用いた列車砲の直掩という、戦闘機にはできないおまけ程度の任務が与えられたのだ。

 孝美は密集して飛ぶ渡り鳥の群れのような大編隊にふと懐かしい記憶が蘇った。

 

「まるで、リバウのときみたいですね」

「いや、アレよりはいいだろう」

「あの時と違うのは私たちが()()にある、ということでしょうか」

 

 生き残ったウィッチを掻き集めて脱出のために飛ぶ傷ついた翼たち。

 傍を飛ぶラルと下原は遠い日の負け戦を思い出し、「やめてくれ」と言った。

 

 サーシャとジョゼは特に何を言うでもなく、編隊を維持して飛ぶ。

 

 ペトロ・パウロ要塞から南西約450kmにある村落を前線飛行場とする際にジョゼが張り切り、廃屋と荒れた農道は工兵部隊の活躍もあり、おおよそ半日で住みよい前線飛行場へと姿を変えたのだ。

 “ウラヌス作戦”と名付けられた“レーシー”攻略作戦の間、こうした前線飛行場が彼女たちの補給地点であり、百余名の少女たちの宿となるのだ。

 整備部隊やユニット回収班が到着すると、サーシャが多忙のラル隊長に代わり“ボロ小屋”改め、“臨時廠舎(しょうしゃ)”に振り分けていった。

 その夜にユーティライネンを筆頭とした酒飲み勢が酒盛りを始めたので、サーシャはその鎮圧に向かったりと大変な思いをしたのだった。

 不幸にも昨夜どんちゃん騒ぎに巻き込まれてしまったサーシャと、今朝の朝食が不味い携行食料だったジョゼのテンションは低いのだ。

 

 

 

「鬼が出るか蛇が出るか、覚悟をしておけか……」

 

 菅野は出撃前のラルの訓示が頭の片隅でぐるぐると回っていた。

 忽然と僚機が消えるという恐怖、偵察作戦が複数回行われてなおよくわからないネウロイの攻撃手段。

 こうして飛んでいる間にも一人、また一人と消えて行くような気がして怖いが、自分を奮い立たせる。

 そんな様子を横で見ていたニパが声を掛ける。

 

「カンノ、緊張してる?」

「うるせー、そういうおめーはどうなんだよ」

「直ちゃん、いつもと様子が違うからね。ひかりちゃんの事?」

「ちげーよ!」

「ワタシも怖いよ。でも、どうしてか、アイツと戦わなきゃひかりは帰ってこない気がするんだ」

 

 ニパもあの日、ひかりがいきなり消えたことがトラウマになって、編隊飛行中、常に僚機を見るようになった。

 サーシャに「僚機に気を取られ過ぎて墜落することが無いように」と言われるようになったほどだ。

 そんな2人を見ているクルピンスキーは緊張をほぐそうと、あえて道化を演じる。

 

「直ちゃん、ニパ君、僕が後ろから()()()()()()()()()()()()()までしっかり見ててあげるから安心してよ」

「……わざわざ気持ち悪りぃ表現すんなよ」

「中尉、ロスマン先生が睨んでるよ」

「えっ、どこどこ?」

「ニパさん、私は偽伯爵の保護者ではないのよ?いちいち見ないわ」

 

 管野とニパのツッコミを受け、クルピンスキーは左手を目の前でかざしてロスマンを探す。

 突然ニパに話を振られたロスマンはと言うと、辛辣な回答をする。

 

「先生はあの子たちが気になるんだよね」

「そうね、貴方と違ってね」

 

 黄色い識別帯を付けたフリーガーハマーを携えた第2飛行隊の前を飛んでいた。

 第1飛行隊は“それ”を発射する位置まで護衛するのが任務なのだ。

 新兵たちは回避と一点集中の練習を重ね、「ひとりではまだまだ頼りない」が、「僚機との連携が取れればまあ生き残れるだろう」となったところで、作戦日がやって来たのだった。

 

 そんな502の後ろには戦闘機部隊が控えており、露払いとして突入するウィッチ達が撃ち漏らしたものを確実に潰し、前線基地および指揮所の上空を守るのだ。

 

 地上では戦車と、ロケット砲、自動車化歩兵や陸戦ウィッチを満載したハーフトラックがオラーシャの原野を驀進(ばくしん)していた。

 カールスラント軍から派遣された師団は戦車師団という事もあって戦車に加え数種の“対空戦車”が随伴していた。

 日ごろ高速化する斥候ネウロイに対して「当たらないクラッカー」と揶揄され、航空ウィッチを誤射するまいと射撃制限があった高射砲兵たち。

 しかし、ひとたび対地目標となると高射砲の高初速、延伸弾道、速射性の面からすさまじい戦果を挙げるのだ。

 この時ばかりは諸手を挙げて歓迎され、本業の対空射撃より水平射撃で近接してきた小型ネウロイを屠ることの方が多かった。

 

 オラーシャ陸軍からは歩兵連隊の他に戦車連隊、砲兵連隊が参加しており、なかでも大規模なロケット砲兵連隊と重砲連隊が目立っている。

 これはネウロイを撃破し生産力を追いつかなくして巣を空にする“飽和攻撃戦術”によるもので、空高くまで続く雲の中に居るネウロイを引きずり出すには相応の火力が必要なのだ。

 

 前線指揮所では元帥ら幕僚陣のほかに戦闘団長の中佐、指揮所要員がおり、地形を縮小し再現した砂板(さばん)や戦術ボードが並べられ各方面の情報が飛び交っている。

 

「ウィッチ戦闘団、あと2分で先鋒が“ポスト・ヴァルキリー”を突破します」

 

 無線で連絡を受けた航空部隊の士官がアルチューフィン中佐に告げる。

 

「了解」

 

 機上無線機で、車載無線機で、ウィッチたちのインカムで中佐の声が聞こえた。

 

「諸君、いよいよネウロイの警戒線を突破する、交戦に備えよ」

 

 ボードの上のウィッチ戦闘団を表す“WCT”のコマが棒で押されて、ポスト・ヴァルキリー地点を通過したとき、各方面から「敵機見ゆ」の知らせが入った。

 オレンジでネウロイを示す“N”と書かれた黒いコマがボードに次々と表示されていく。

 

 押し寄せる連合軍を捉えた“レーシー”は要撃機タイプの飛行ネウロイを数十機放ち、矢じり型ネウロイ、コブの様なものがついたネウロイを要撃機タイプの後ろに展開した。

 地上では6脚や4脚のネウロイ、戦車を模倣したような重砲型、高角砲型、あとは人型がどこからともなく現れ、このまま森の中を突っ切り戦車師団を喰らわんと全速力で向かってきている。

 

 前線を飛ぶFi156観測機から座標が届き、黒いコマが射撃範囲(キルゾーン)に突入したことを確かめると陸上部隊担当の士官が命令を下した。

 

「ロケット砲兵および重砲連隊、地点Jの302401からKの159324に射撃せよ」

「了解、ただいま展開中」

 

 前進火力観測所、射撃指揮所から送られてきた射撃諸元に合わせて火力基地に据え付けられた重砲群、ロケット発射機(カチューシャ)が指向され、射撃が行われた。

 

撃て(アゴーニ)!」

 

 砲口から火が噴くと共に砲が勢いよく後退し、多連装ロケットは紅の炎を曳いてレールより空へと駆けあがってゆく。

 

「砲兵より、初弾弾着まで5分」

 

 ヒューンという気味の悪い風切り音に、ウィッチたちは遥か後方より砲弾がやって来るのを感じ取った。

 

「弾ちゃーく、今っ!」

 

 ピカッという閃光と半球状に広がってゆく衝撃波が空気を歪ませ、一拍遅れて爆音が響いた。

 それが太鼓を叩くようにいくつも連なり、オレンジの様な火を曳いたロケット弾が加わると土煙で地面が見えなくなった。

 コア含む胴体の半分が破片で持って行かれ「キィー」と金属が軋むような断末魔を上げて消えてゆくネウロイ。

 だが、その脇を何の恐怖も感慨もないかのように後続のネウロイが踏み越えてゆく。

 5分間にわたる第1次攻撃で土ごと耕されたネウロイの数はおよそ1000前後であった。

 

「こちら“ドニエプル”見えている奴らは半数になったが依然侵攻中、第2次攻撃を要する」

 

 “ドニエプル”の符丁を与えられたオラーシャ陸軍第129連隊 がその様子を報告すると、彼女たちは頭上を飛び越えて作戦目標であるネウロイの巣に向かってゆく。

 しぶとく生き残り、ビームや実体弾の対空砲火を撃ち上げてくるネウロイの群れに突っ込むと、邪魔な奴から護身用のPPSh機関短銃で始末していく。

 

「おい、こんなところで落とされるなよ、502に後で笑われるのは私なんだからな」

「ブダノワ中尉が笑われるのはどうでもいいです、無駄弾を撃つな、こいつらは砲兵に任せろ」

「どうでもいいとは何だ!」

 

 ブダノワは副官に抗議しつつ、機関短銃で2体ほど撃破する。

 121連隊、129連隊、317連隊のウィッチたちが通り過ぎると、その後ろを危なげもなく、するりと502が通過する。

 オラーシャの大地で敵中突破はさんざ経験したのだ。

 

「502が通過したぞ!突破口を拡大する。」

 

 その様子を確認した砲兵が2回目の射撃を行うが第1次攻撃と違って砲撃は3分間だ。

 長らく探知方法が謎であったが、ペテルブルグ砲撃の際に擬態している“マーカーネウロイ”がいる事が判明して以降、撃ち終わったら重砲型ネウロイからの反撃が来る前に砲兵たちは陣地を転換するのだ。

 先ほどの射撃の方向から陣地方向を把握している種がいないとも限らないのが恐ろしい。

 

「最終弾、弾着まで2分」

 

「“ウラジーミル”全車、前進用意!」

「こちらは第145飛行隊(ライカ)、ウラジーミル、航空支援を行います」

「ウラジーミル了解、お嬢さん(ライカ)、でっかいのは任せたぞ」

 

 カールスラントの機甲師団に負けじと、国産のT-34やKV-1で編成されたオラーシャの戦車連隊も突入準備をする。

 

「最終弾、弾着、今っ!」

「第96陸戦中隊、交戦に入る!戦車、取り付かれるなよ!」

 

  砲撃が止むと群れの先陣を切っていた4脚、6脚の中型ネウロイはロケット砲や重砲にほぼ打ち砕かれており、速度の比較的遅い戦車型、小型あるいは人型ネウロイが木々の間から顔を出した。

 一斉に泥を蹴立てて戦車が飛び出す、その横や後ろを対ネウロイ砲を構えた陸戦ウィッチが固め、自動車化された歩兵が輸送車から飛び降りてその後に続く。

 

 運よく生き残った中型、大型ネウロイが回復しようとしているところに陸戦ウィッチと戦車が榴弾を叩きこむ。

 歩兵がウィッチに()()()多脚型のネウロイにパンツァーファウストを撃ちこみ姿勢を崩し、その隙に三号突撃砲ウィッチが75㎜砲でとどめを刺す。

 

「そこの歩兵!前に出過ぎだ!光線で焼かれるぞ!」

「撃たれる前にぶっ殺す!」

 

 その時、人型ネウロイから放たれた光線の一発が歩兵を輸送していたSd.Kfz.251(ハノマーク)に命中し、部隊マークが書かれたハーフトラックが大破炎上する。

 それを見たある歩兵が叫んだ。

 

「ああっ!うちのトラックがやられた!隊長、トラックが炎上中!」

「聞いたな!トラックと第2中隊の敵を討て、全員突撃!」

 

 撃ったカールスラント歩兵は撃ちガラとなった発射機を捨てると、背負っていたStG44小銃でどこか歪な人型のネウロイと戦う。

 僚車が炎上する中、生きているハノマークは車体上部のMG銃架からMG34機関銃を乱射し、火力支援タイプのものは固定された75㎜砲を撃ちながら突進していく。

 魔法力がなくとも、銃弾でハチの巣にされれば小型ならば消え失せるのだ。

 

「やったぜ、オラぁ!出来の悪い“泥人形”が調子に乗ってんじゃねえぞ!」

 

 装甲化されていないオラーシャ軍のトラックや供与のM3ハーフトラックでさえ、歩兵を吐きだすと敵に肉薄し自衛火器をもって戦闘に参加した。

 

 小型ネウロイのなかには戦車に取り付こうとする個体もいたが、4連装20㎜対空砲を搭載した対空戦車が援護にやって来た。

 20㎜対空砲は重機関銃とは比べ物にならない破壊力であり、中型はもちろんのこと、隠れていた小型ネウロイは木々ごと文字通り木っ端みじんにされたのだった。

 それを見た航空ウィッチは思うのだ、対人戦争でなくて良かったと。

 

 多少の被害こそあったものの勇猛果敢な地上軍と助攻戦力によって、レーシーより250㎞地点まで前線を押し返すことに成功する。

 懸案事項の一つであった近隣の巣、“アンナ”と“ヴァシリー”も攻略部隊の脇腹を攻めてくる事なく今は不気味なほど沈黙を守っていた。

 

「ネヴァ1より各機、下方、1時方向ネウロイ接近、攻撃隊に近づけるな!」

「了解!」

121(ネヴァ)に負けるな、317(ドヴィナ)各機、突っ込め!」

 

 アーニャの声に護衛戦闘を主任務に割り当てられたウィッチ飛行隊は散開し、ネウロイの群れへと飛び込んでゆく。

 先陣を切ってくるネウロイ15機に対して対処するウィッチは30人近くいる、単純に考えて2対1で対処できる。

 護衛ウィッチを抜けてきたとしても、後ろには“血気盛んな”攻撃隊が待っており結局は自衛火器の拳銃やら機関短銃などで撃墜されるのだ。

 

 121連隊の新兵7人のうち5人は敵を撃墜していた。残りの2人も撃墜には至らなかったものの命中弾を浴びせており、全く戦果なしというわけではない。

 管野とニパの目の前で彼女たちはまた要撃タイプを一機撃墜する。

 栗毛のショートボブが目を引く新兵の少女が狙っていたところに、お調子者の少女が急降下射撃をかけてコアを撃ち抜いたのだ。

 

「あっ!それは私の獲物だ!」

「残念!早い者勝ちでーす!どう?特訓の成果でてるっしょ」

「うーっ、次は私が落としてやる!」

「バカ者!調子に乗ってる場合か、次が来るぞ!」

 

 得意げな顔で胸を張っているところにアーニャの怒声が飛んだ。

 主攻部隊だけで60人近くもウィッチが居るので、向かってきた要撃タイプのネウロイは次々と誰かに落とされていき、気が緩んでいたのだ。

 __優勢だからという油断と慢心は死に繋がる。

 

「ウィッチがこれだけも居りゃあ、あっという間だな」

「そうだね、先生の教え子もあんなにうまくなってる」

「バカヤロー、最初が酷すぎたんだよ。でもあれだけやったんだ、()()にはなれる」

「直ちゃんは『興味ない』とか言いつつもしっかり見て……」

「うるせー、ナンパに行ってたおめぇと一緒にすんな!」

「ブレイクウィッチーズ、喋っている暇があるのなら戦果を拡大しなさい!」

 

 管野とクルピンスキーはロスマンに言われながらも2機ずつ落としていった。

 

 

 矢じり型やエイのような形状のネウロイも片っ端から撃墜していくが、“コブ付きのネウロイ”はいつの間にか姿を消していた。

 そのことに気付いた者もいたが、雲の中より湧いてくるネウロイの相手ですぐに忘れた。

 ロスマンの特訓を受けてきた新兵たちも数機落としており、最も楽な作戦ではないかと錯覚するほどであった。

 ここまでは順調であり、作戦は次の段階へと移行する。

 

 すなわち“レーシーの破壊”だ。

 

 121の第2飛行隊(ヴォルガ)129連隊(ドニエプル)のウィッチが装備している黄帯のフリーガーハマーに装填された()()()36発、あるいはその予備弾18発を雲に撃ちこみ、レーシーの防壁である雲あるいは霧がはれた所に502が吶喊するのである。

 発想自体はグリゴーリ攻略戦でラルがやった事の2番煎じであり、現状最も成功率が高い作戦だったのだ。

 

「“ヴォルガ”より“カリーニン”突入準備完了」

「了解、よし、戦闘団諸君、奴を丸裸にしてやれ」

 

 アルチューフィン中佐の命令が下ると爆風弾ランチャーを構えたウィッチが一斉に引き金を引いた。

 発射された爆風弾は白煙を曳いて積乱雲の様な雲に吸い込まれて行き、雲の中で時限装置が発動して爆発、生成されたエーテル混じりの爆発ガスが勢いよく噴き出す。

 雲が散ってわずかな間、直径5mほどの小さな通路が形成され、ラルを先頭に502の隊員たちは中に飛び込んでいった。

 雲の中に居たのは1辺が40メートル近くありそうな黒くて大きい正八面体の結晶だった。

 戦車部隊の捜索で遭遇した“黒水晶”に似ており、半透明で太陽光をキラキラと反射させていた。

 

「孝美、どうだ?」

「ダメです、コアが見つかりません」孝美はただちに魔眼を発動させて結晶状のネウロイを走査するが、コアが全く見えなかった。

 

「コアはあの中に隠されているのかしら」

 黒水晶ネウロイの事を思い出したロスマンが言う、そうであれば相手が回復するより先にいかに大きなダメージを与えるかで決まる。

 

「先生、とりあえず攻撃してみない?」

「そうね、まずは様子見ね。隊長、どうしますか?」

「ああ、構わん。タイミングはサーシャに任せる」

「わかりました、その前に……」

 

 様子見程度に攻撃しようという事で、サーシャが前線司令部に連絡を取ろうとしたとき、通信が出来なくなっていることに気づいた。

 

「こちら502、カリーニン、応答してください。カリーニン」

 

 何度かサーシャが呼び掛けても司令部(カリーニン)からの応答はなく、一定のリズムで雑音が流れてくるだけだった。

 これでは支援砲撃どころか、下手をすれば作戦失敗と見なされ撤退、雲の中に取り残された502は少ない燃料、弾薬をもって自力で勢力圏まで脱出することになる。

 

「どこも繋がりませんね、通信妨害です」

「サーシャ!上だ!」

「管野さん!」

 

 八面体ネウロイに一瞬影が映ったような気がして管野が上を見上げると、いつの間にか居なくなったと思っていたコブ付きのネウロイが居た。

 光線を放つでもなく、実体弾を撃つわけでもなくただ悠々と高高度を飛んでいた。

 要撃型ネウロイとの交戦に参加してこなかったことからおそらく、通信を妨害するなどの電子戦(EW)型ではないかと思われる。

 成層圏近くに陣取ったり、形状変化や視覚を誤魔化すステルス化、そして通信、索敵の妨害などの電子的対抗手段。

 ここ数年のうちにネウロイの戦術がだんだんと対人戦争に最適化されてきているようだ。

 

「あれは高いね、ワタシたちのユニットじゃ届かないなぁ」

「孝美、狙撃できねえのか?」

「管野さん、あの高さじゃ当たったとしてもあまり効果がないわ」

「これはロケットブースターが必要だな。ミーナのところから」

「隊長、ヴィルケ中佐に集るのはやめてください」

「なら、ハルトマンを通じて……」

 

 その時、突如としてネウロイの一面がキラリと虹色に光った。

 戦車中隊の捜索時に遭遇したネウロイの物よりも強く、熱量さえ感じられるような光だ。

 

「うわっ、なんだこれっ」

 

 監視していたクルピンスキーは思わず目をつぶった。

 そのほかのメンバーも直視こそしていないものの、凄まじい光に“あっ、死んだ”と思った。

 しかし虹色の怪光線は焼き払う為のものではなかったようで、光が収まるとお互いの無事を確認した。

 通信も途絶し、分厚い雲の中に居る502メンバーは急に気温が下がり、霧がだんだんと立ち込め始めたことに気が付いた。

 

「どうやら、ここで奴を叩かないと“我々も”戻れんらしいな」

 

 この霧と共にネウロイが沸いてくるか、あるいは姿を消すか。

 ラルはこの場において一番怪しい大型ネウロイを破壊することに決めた。

 

「ラル少佐、でもあれにはコアが見つかりません」

「コアのないネウロイに、雲の壁か……まるで罠だ」

 

 入って来た小穴は閉じられ、天まで続く筒の中に閉じ込められたような状況だ。

 眼下に広がる雲海を抜けても降り立った地表が安全とは限らないのだ。

 ネウロイが何を考えているのかわからないが、このままずっといても燃料切れか魔法力切れが待っているし、あるいは何かしらの手段をもって模倣されるという未来が待っている。

 ただただ燃料を消費して墜落するのは“勇敢な魔女たち”の姿にあらず。

 ならば、最後まで戦ってやろうと各々が決心した。

 

「とりあえず、撃ってみないことには強度も性質も分かりませんね」

 

 サーシャは先刻実施すると決めた射撃をすることで、鉱石の結晶にも見えるネウロイの強度や回復速度、何か特異な反応などを探ろうとしている。

 ラルは彼女の意図を読み取り頷く。

 

「よし、一斉射を行う、狙う場所は正面の上側」

「了解!」

 

 強度が高く硬ければ銃弾は弾ける、代わりに脆く強度以上の衝撃を受ければ割れたり砕ける。

 反対に柔らかいと銃弾は刺さるけれども粘り強く変形して衝撃を逃がすのだ。

 装甲は硬すぎても割れるし柔らかすぎても使い物にならず、適度な硬さと靱性(じんせい)を兼ね備えた材料がよい装甲なのである。

 見た目が硬質の結晶体のネウロイが弾の衝撃や成形炸薬弾の衝撃で砕けてくれれば御の字であるし、柔らかければ火力を集中して削り取ることが出来る。

 

「撃てっ!」

 

 ラルの号令に横隊となって一斉射撃を始めるがどうも効果が見られない。

 13㎜機関銃弾ぐらいではすぐに回復し、孝美の20㎜弾でさえすぐに穴が塞がってしまう。

 フリーガーハマーの高性能炸薬、ラルとクルピンスキーの小銃に取り付けられた小銃てき弾が広く、大きく穿った。

 しかし機銃弾よりは緩やかだがどんどん回復が行われ、5分もすれば破孔は埋まるだろう。

 弾は通すが中身に影響がないうえ回復スピードが速いという、とても嫌なタイプのネウロイだ。

 万事休す、突破法が思いつかずに絶望感が徐々に皆の心の中に染み出してきていた。

 風が吹き、気温もかなり下がってきているように感じ、保護魔法越しでの寒さがより一層心を締め付けた。

 

「くそっ!効いてねえのかよ!」

「こんなんじゃ、ダメなのかな……ひかり……」

 

 修復が終わり、黒くキラキラと輝く八面体に菅野とニパは呆然とする。

 

「いやー、まいったなあ。先生、最期の時は一緒だよ」

「バカなこと言わないで」

「クルピンスキー、エディータ、辞世の句を詠むのはもう少し待て」

「詠みません!」

 

 クルピンスキーと、ロスマン、そしてラルの横でサーシャは脱出を考えていた。

 

「一か八か、視界はほぼ無くネウロイのシールドも兼ねているような雲の中に飛び込んでみる……ダメですね」

 

 後先を考えずに突っ込んで皆を危険に晒すわけにはいかないと、逡巡する。

 

「通信は……雑音ばかりね……」

 

 孝美は前線司令部、レーダーサイト、アルチューフィン戦闘団内の編隊間無線とあらゆる周波数に合わせて呼びかけるがどれからも応答はなく、時折、変な音が入っているだけであった。

 

「そんな!何か、何かないんですかっ?」

 

 下原は絶望に抗っていた、かつての上官である坂本美緒は言った。

 

 『ウィッチに不可能は無い』と。

 

 あがけば、何かしらの活路は見いだせるだろうというのがリバウで得た教訓であった。

 今度のネウロイは温度変化で脆くするといった作戦が取れない。

 そもそも、コアが見つからないのだ。コアがどこにあるかわからなければどうすることもできない。

 

 下原の様子に、思わず天を仰ぐジョゼ。

 その時、不思議な光景を見た。

 気付けば、青黒いはずの高空に街のようなものが映り込んでいたのだ。

 

「定ちゃん、上を見てっ!」

「どうしたのジョゼ!あれは、街です!」

 

 ジョゼの声に502の隊員は一斉に空を見上げた。

 コブの付いたネウロイはまたもや姿を消し、雲の先に天井から“逆さにぶら下がるように”建物が見えた。

 サーシャは信じがたい光景に、ネウロイが見せた幻覚を疑う。

 

「これって……幻覚でも見せられているんでしょうか」

「わかりません、でもとっても現実味があるような気がします」

「下原、あれはどんな街かわかるか?」

 

 ラルに言われ遠視を使って空に映る町を見た所、たくさんの人や車が行き交っているようだった。

 一瞬扶桑かと思ったが、黒く舗装された道路に大量の自動車が居るとは思えない。

 欧州はいまだネウロイの脅威にさらされておりこんなに華やかではない……となると一番可能性が高いのはリベリオンだ。

 

「ビルと自動車がたくさん、リベリオンでしょうか?」

「リベリオンの街だとして、どこかに地名とかないのか」

「ごめんなさい、わかりません」

 

 謝る下原に、総当たり戦法で無線をサーチしていた孝美の表情が変わった。

 

「これは……()()()のラジオです!」

「どういうことだよ」

「穴の向こうのものだと思います」

 

 孝美は全員に送信した、そこから流れてきたのは機材が良いのか安定した出力で聞こえてくるラジオ番組だった。

 

『14時になりました、1315khzラジオ大阪です~』

 

「孝美、これは何と言っている?」

「ラジオ大阪……大阪というのは扶桑の地名です」

 

 孝美が聞こえてきた内容をラルに伝えると、ロスマンはあることに思い至った。

 

「まさか、あの金属板は向こうから来たというの?」

「先生、それじゃひかりちゃんは……」

「雁淵中尉、下からネウロイが!」

 

 足元の霧の中から飛行型のネウロイが数十機飛び出してきたことに気付いた下原が叫ぶ。

 

「罠にかかった俺たちをここでやろうってんのか!」

「あれを調べるのは後みたいだね!」

「気持ち悪い!こっちに来ないでよ!」

 

 周辺を警戒していた管野、クルピンスキー、ニパが情報収集中の孝美や下原を守るように飛び出す。

 レーシーが出現して以降よく見る“要撃”ネウロイではなくクラゲやタコのような丸みを帯びた頭に触手のようなものがついている形状で、ネウロイに見られる六角模様が青く脈打つように光っていた。

 光線こそ撃ってこないものの取り付こうと触手を広げて飛びかかってくる。

 取り付かれてはたまらないと次々とネウロイを落とす、しかし黒い八面体が虹色に光るたびに新手が雲の中より現れ、それにはじわじわと体力と弾を消費させ嬲り殺しにしようというネウロイの意図を感じざるを得ない。

 

 全員の弾が残り少なくなり「いよいよこれまでか」と覚悟を決めた時、突如、雲が爆ぜた。

 黄色い帯の入ったフリーガーハマーを2丁携えたブダノワが飛び込んできたのだ。

 僚機のLa-7もDP28にパンツァーファウストを2本、3本と背負うという重武装だ。

 先ほど雲の外で別れた時とは装備が異なっている。

 

「ずいぶん遅いじゃないか、502の諸君」

「ブダノワ中尉!」

「通信が途絶してから4時間経っていたので伝令に来てやったぞ」

 

 サーシャの声に、一戦交えたのか煤けた顔でにこりと笑ったブダノワは言う。

 

「4時間?私の航空時計ではまだ15分しか経っていませんよ」

「ポクルイーシキン大尉、こっちじゃこいつが光を“曲げて”いるという事がわかった」

 

 

 502戦闘航空団と交信が出来なくなって4時間が経過していた。

 その時、ある将校がレーシーの方を見ていると雲の周りの空間の()()()()()()()()ことに気づいたのだ。

 まるで、水面から水の中の魚を見るように明らかに“歪んでいる”のである。

 熱源も何もない空中にピンポイントで陽炎が出来るはずもなく、さらに太陽光が光の散乱で青く見える中でそこだけが夕焼けのように赤っぽく光っているのだ。

 

「で、どういう事なんだよ」

 

 管野は先ほどまで見た奇妙な光景といい、ひかりが消えるまでの状況といい納得できる点が多かったので先を促す。

 

「管野中尉、こいつらは空間を歪めることが出来ると共に歪められた空間では“時間の流れが違うのではないか”と大騒ぎさ」

 

「司令部は何と言っている?」

「想定外の事態だという事で、『現時刻をもって作戦は中断、現前線を維持しつつ、第2次攻撃を待つように』だ」

「そうか、それでは一度帰るぞ」

 

 ラルは「作戦が失敗した」という扱いでないことに安堵した、同時に次の攻勢では必ず仕留めてやるという決意を胸に、部下に撤収命令を下した。

 

 コアの破壊どころかコアが無く、攻撃を集中させても八面体のネウロイになんら痛痒を与えることが出来なかったのは悔しい。

 しかし、ひかりの生存を信じる502メンバーにとって別の場所と繋がる“超空間通路”とでもいうべきものが存在するのを確認したのは大きな戦果であったのだった。

 




いよいよ明らかになったレーシーの能力。
オラーシャ・劇場版のネウロイは原作でもめんどくさいというね。
次は日本側の話になります

感想等あればお待ちしております


ウラヌス作戦におけるコールサインは以下の通り

司令部=カリーニン
502JFW=502
121W=ネヴァ(1飛)・ヴォルガ(2飛)
129W=ドニエプル
317W=ドヴィナ

121は制空・爆撃任務が分かれていることも多く、飛行隊ごとで別の符丁です
アルチューフィン戦闘団の隷下にいるオラーシャ軍部隊は河川名より採られています


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非日常

※0時21分、内容大幅加筆


 2017年6月21日

 

 午前7時20分を過ぎ、朝の報道番組では陥没事故のニュースがずっと繰り返され、家の外からはテレビ局のヘリや八尾駐屯地のUH-1Jヘリコプターの音が響いてくる。

 いつもであれば泉佐野へ向けて走っている頃で、尚樹はテレビを見ながら連絡を待っていた。

 軽快な電子音がスマートフォンより流れ、尚樹がメールを開くと陽平から出勤日の変更が送られてきた。

 ニュースで昔住んでいた家の近くがとてもひどく壊れ、死者も出ていることを知った父から「尚樹は休みにする」と言われ、陽平は保育園に行くまでの間に急いでシフトを調整させられたのだ。

 テレビから流れるあまりの光景に家の状況や近隣の安否を確認する内容が送られてきており、尚樹は自宅・近所の家は壊れていないことと、死者は不幸にも突っ込んだ自動車の運転手と同乗者であることを書いて返信した。

 

「今日休みで代わりに来月の日曜出勤か……」

 

 尚樹は壁に吊るした勤務表とカレンダーにマーカーペンで変更内容を書き込む。

 シゲマツ自動車は週休2日制であり、尚樹は定休日の月曜日ともう1日休みがあるが今月はもう終わりである。

 尚樹はひかりと出会ったり、ふたりで温泉に行ったり今月の休みは充実していたなと思いながら7月の勤務表をしげしげと眺める。

 

 ひかりは尚樹が休みという事もあって、雨戸を開けて洗濯物を朝一番に干しに行く。

 朝に洗濯物を済ませておけば外出もできるし、勉強や昼食の用意もできると考えたのだ。

 物干し竿に洗濯物を掛け終えた時、ヘリコプターが飛んでいるのを初めて間近で見た。

 オタマジャクシに細い(はね)が生えたような形で、風切り音を立てながら家の上をぐるぐると右旋回している。

 

「尚樹さん!空を飛んでいるアレって何ですか?」

「ヘリコプターって言って、竹トンボみたいに羽を回転させて飛んでるんだよ」

「ほんとだぁ!黄色いのは()()()ですか?」

「違うよ、テレビ局のヘリだ。自衛隊のヘリは緑と茶色の迷彩掛かってるやつね」

「ええっ、テレビ局も“へりこぷたー”持ってるんですか?」

「うん、何か災害が起こるたびにしょっちゅう飛んでるよ、よくテレビで空から被災地が映ってるだろ」

 

 物珍しそうにいうひかりに尚樹はニュースとヘリの音に、いつぞやの大雨災害の後を思い出しながら言った。

 ひかりも川の氾濫のニュースを見たことがあったのでイメージが沸いた。

 

「あれって飛行機じゃなかったんだ……」

 

 ひかりは今まで新聞社の飛行機が窓から空撮映像を撮っているものだと思っていたので驚いた。

 扶桑新聞社の“神風号”や“春風号”と言った飛行機での訪欧飛行に扶桑の民間航空史は始まり、戦地においては()()()()による空撮が一般化していたので、ひかりの中で空撮と言えば飛行機かウィッチだったのだ。

 だが、現代日本においては報道ヘリの機外防振カメラが映した映像が電波に乗ってほぼリアルタイムでお茶の間にハイビジョン映像として流れるのである。

 

 テレビの画面には繰り返し繰り返し同じ空撮映像が流され、その合間に効果音と共にテロップが挿入される。

 

『ナゾ、空き地に空いた穴!』

 

 直径約8m、深さ約11mの大穴が空き、その周りに警察や消防、大阪府の職員が集まり調査をしている様子が映し出され、スタジオに呼ばれた地質学者が『地層の隙間にメタンガスが充満、午前中までの雨と振動で封をしていた岩盤がずれて漏出、何かに引火爆発したのかもしれない』と無理矢理、穴の映像にコメントする。

 

 そのころネットでは黒い影を見たという話と、“出所のわからない謎の緘口令(かんこうれい)”が敷かれているなどの話がTwitterなどのSNSや匿名掲示板で出回っており、陰謀論やオカルト的なものも含めて拡散されつつあった。

 

「アホらし」

 

 尚樹はテレビで放送されていることが真実でないことを知っているので、チャンネルを変える。

 どの局もこの“謎多き陥没事故”か与党や首相叩きのための“国有地の格安売却問題”、芸能人の“不倫問題”しか報道しておらず、尚樹はテレビを切るとひかりに声を掛けた。

 

「ひかりちゃん、今日は何する?」

「うーん、尚樹さんに任せます!」

「じゃあ、今日はユニットと機関銃の手入れでもする?」

「いいですね!そうしましょう」

 

 そう言いながら洗濯を終え、台所に入ったひかりはあることに気づいた

 

「尚樹さん、どうしましょう!」

「どうって、どうしたの?」

「お昼ごはんの冷凍食品が足りません!」

 

 尚樹はひかりの1週間の昼食用として買っており、二人で食べるとなると一食足りないのだ。

 本当は月曜日の冷凍食品3割引きの際にまとめて買おうと思っており、前倒しにして買い出しに行こうにもニュースを見た社長が休みにするほどの騒ぎとなっているし、周辺の状況からあまり外出に向いているとは言えない。

 しかし、ふたりで一食のエビピラフを分けて食べるには、いささか量が足りない。

 

「今出たら、警察やマスコミに捕まるよな」

 

 規制線を出たら昨夜の真相を知りたいマスコミの記者が、帰りには警察が住民であるかどうかの確認に一回一回止めるのだ。

 とても面倒だが出ないことには昼食にありつけないわけで、マスメディアの取材さえやり過ごせばどうとでもなるのだ。

 

「じゃあ、ふたりで分けっこしましょう!」

「ひかりちゃん、気持ちはうれしいけどこの量だし、かえって腹減りそうじゃないか?」

 

 尚樹に言われ、ひかりはエビピラフの袋を見ると確かに少なかった。

 ご飯を炊いて、かさ増しをしようにも肝心の米も底をつきつつあって、いつかは買い出しに行かないといけない。

 昨日の朝刊の折り込みチラシを見るとちょうど米が安売りになっている。

 こうして、尚樹は買い出しに行こうと決断した。

 

「めんどくさいけど、買い出しに行こうか」

「はい!」

「その前に……」

 

 ひかりと尚樹はパジェロに乗ると坂道を下り、規制線の黄色いテープを超えた。

 外環状線に繋がる生活道路に出た瞬間、マスコミがカメラの放列を向ける。

 マイクを持ったレポーターと思わしき若い男性が左折待ちの尚樹のパジェロの前に近づいてくる。

 寄って来た男を轢くわけにもいかず、尚樹が渋々運転席側のパワーウィンドを開けると、“KTV”と書いたジャケットに身を包んだテレビマンたちに囲まれてしまう。

 

「近畿テレビです!今からお出かけですか?よかったら昨晩のことについて……」

 

 近畿テレビと名乗った彼はマイクを傾けて、尚樹に問う。

 いきなりのインタビューに尚樹はイラっとし、ひかりはすこし怖くなった。

 取材自体は姉である孝美の件で受けたことがあるが、軍を通していたこともあってこうした出待ち取材は初めてなのである。

 

「昨日の晩って言ってもなんにも知らないぞ」

「またまた、いやね、黒い影を見たっていう人が何人もいましてね、変な音を聞いたりとかは?」

 

 尚樹の答えに若いレポーターは納得していないらしく、他のインタビュイーから聞いた情報で揺さぶりをかけてくる。

 こうした『書き飛ばし』という誘導尋問のような取材方法に尚樹は答えない。

 ここで「はい」や「そうですね」と言えば記者の質問が“近隣住民の声”として記事になってしまうのである。

 

「知らないな、消防のサイレンに外でると車が燃えてた。それだけだ」

「そうなんですか?車が壊れる音とか聞いていない?」

「俺は風呂に入っていたし、ひかりはその時もう寝ていた」

「へぇ、そうなんですか。ところで、そちらのお嬢さんは何かご存じでない?」

 

 尚樹の様子に、レポーターは助手席の少女に話を振る。

 この年頃の少女であれば口も軽そうだと。

 

「私も何にも知りませんよぉ」

「ホントに?どんなわずかな事でもいいから教えてくれへんかなあ?」

「寝てたので全くわかりません!朝のニュースで知りました!」

「うーん、じゃあ、この事故についてどう思う?」

「家の近くだったのでびっくりしちゃいました!」

 

 

 尚樹は、ひかりに話が振られることを予想していたので、前もって答え方を教えておいたのだ。

 “音”や“振動”と下手に部分的なことを話すとひかりの場合そこからずるずると情報を引き出される可能性が高い。

 『ひかりは朝まで寝ていたので朝のニュースで知った』という設定で行くと決めたのだ。

 逆に「そんな不思議なことがあったんですかぁ」と目をキラキラさせてレポーターの男に尋ねるひかり。

 ()()()()()()に興味を向けられたレポーターが余計なことを話しそうになるのを見て、カメラやマイクを持ったテレビマンたちがレポーターに「帰れ」という合図を送る。

 このインタビューは“使い物にならない”という事である。

 

「そうですか、すみません、ご協力ありがとうございました、それじゃ取材記録のほうお願いします」

 

 取材帳に名前を書き記すと若いレポーターは出待ちポイントへと去って行った。

 彼は報道部に入ったばかりの新人だったがゆえに、ひかりの“嘘”に気づかない。

 もしも、熟練の記者であったならば、もっとひかりにツッコミを入れてカマをかけて情報を引き出していたかもしれないのだ。

 テレビマンたちの取材を抜けると、尚樹たちは食材の買い出しと昼食に向かった。

 その道中で、ひかりは大きく息を吐いた。

 

「はあ、疲れたぁ……」

「お疲れ、帰りは捕まらないようにしよう」

「はい……」

 

 テレビマンに囲まれ精神的に疲れたひかりは思わず助手席でうつらうつらとする。

 話し相手が眠ってしまい、ひとりとなった尚樹は信号待ちをしながらふと考える。

 

 あのネウロイは“どこから来たのか”と。

 

 ひかりがこの世界にやって来たのも、度重なる不審な情報を受けての哨戒飛行で謎の雲に取り込まれてである。

 昨夜現れたネウロイがもしもひかりと同じように何かしらの手段でもってこちらに来たのであれば、どこかにひかりの世界とこちら側をつなぐ何かがあるはずである。

 オラーシャ語の放送、電波障害、これらはおそらく、電波が“何か”を通って漏れ出してきているという事であり、それさえわかってしまえば帰れるのではないかと思える。

 

「どうしたもんかなあ」

 

 尚樹の呟きに応えるように信号が青に変わり、車は一斉に走り出した。

 

 

_____

 

 

 ショッピングモールに着くと、平日の昼前という事もあって人こそ少なかったものの主婦や老人が買い物に来ており、いつも通りで何の変化もない日常風景が広がっていた。

 ひかりと尚樹は思わず家の周りに広がっている“非日常”を忘れそうになった。

 

 一階の食品コーナーに降りた尚樹は新聞の折り込みチラシにあった割引商品を探し、ひかりはその横でカートを押している。

 

「尚樹さん、何買うんですか?」

「今日は米と牛乳が安売りだし、米と牛乳、それからカップ麺かな」

「カップ麺かぁ、美味しいですよね!買っちゃいましょう!」

 

 ひかりは昼ご飯として食べたきつねうどんや豚骨ラーメンを思い出し、カップ麺に目を輝かせる。

 尚樹はひかりのテンションの上がりようにびっくりしながらも尋ねた。

 

「ひかりちゃんそんなにカップ麺が好きなの?」

「はい!お湯を注ぐだけで美味しいだしのうどんが出来るんですよ!」

「確かに、麺はともかくとしてダシは美味しいけどな」

 

 ひかりはカップ麺のコーナーに着くとカゴに1個95円のカップうどんと豚骨ラーメン、そして安売り“対象外”の焼きそばをポンポンと投入した。

 カップ麺6個が入ったカゴを見つめる尚樹にひかりはおそるおそる尋ねる。

 

「どれか返さないとダメですか?」

「いいよ、買っちゃおう」

「ありがとうございます!」

 

 尚樹はまあいいかと思い、そのまま菓子類と牛乳4パックをカゴに入れ、いつもより安いコシヒカリ10㎏(3317円+税)をカートに積むとレジに行った。

 規則正しい電子音と共にディスプレーに価格が表示され、合算が終わった。

 

「お会計は全部で5872円になります」

「マジか」

 

 思ったより金額が膨れ上がり財布に6500円しかなかった尚樹は青ざめた。

 その足で近くのATMで生活費数万円を引き出すと、今月の減りように驚く。

 二人暮らしは思ったよりもお金がかかっていたのだ。

 しかし、尚樹はひかりに物のない()()()()思いをさせたくないので堪えどころだと考える。

 

「いよいよ節約生活でもするかな……」

 

 尚樹がATMコーナーで貯金残高を見てぼやいている頃、ひかりはベンチに座って自分がどうすべきかとぼんやり考えていた。

 突如現れたネウロイに対して自分は何ができるのだろうかと。

 こちらの軍隊がネウロイと戦えるかどうかわからない以上、魔法力を使ってネウロイを撃破しうるのは自分しかいない。

 しかし、ユニットが動いたとして、それを履いて戦うというのは今の生活の終わりを意味している。

 飛び上がったところをカメラに捉えられ、無事に撃破したとしても警察に事情を聴取されるだろう。

 この楽しい尚樹との生活を続けるのであれば、ネウロイと戦ってはいけないのだ。

 

「私、どうしたらいいんだろう」

 

 ひかりは今の生活とウィッチとしての使命を天秤にかけて悩むのであった。

 

 

 

_____

 

 

 

 尚樹とひかりはファミレスで昼食を取ると、家に帰る。

 昼を過ぎてなお住宅街の入り口には黄色いテープが張られており、その周りを警察官や、朝ほどではないが取材陣が固めていた。

 尚樹が家に続く道に入るために右ウィンカーを点けると、警察官がやって来る。

 

「住民の方ですか?」

「そうですけど」

「申し訳ありませんが、確認のために住所とお名前を教えていただけませんか?」

 

 特ダネ狙いの記者が住民に()()()()()()規制線の中に入らないようにするためだろうか、警察官に住民であるかどうかを尋ねられて住所と氏名を教えることでテープを超えることが出来た。

 運転手だけで良かったのか、ひかりについては身元を尋ねられることもなかった。

 

「ううー、疲れましたぁ」

「そやね、取材といい確認といい、めちゃくちゃ疲れるなあ」

 

 家に帰り着くと、どっと精神的な疲れが出て何もやる気が起こらなくなり、とりあえず昼寝をする。

 

 午後3時過ぎ、少し寝たことで気力を回復した二人はやろうと思っていたユニットと機関銃の整備にとりかかる。

 

 居間のテーブルを端に寄せると古い整備毛布を床に敷き、その上に機関銃を置く。

 経験者であり使用者であるひかりが補助に入り、尚樹が銃を分解する。

 初めての銃であったものの、どことなく自衛隊の74式車載機関銃に似たような造りであり、分解方法はすぐに見つかった。

 

「ああ、これって上下の止め軸で銃床止めてるのか」

 

 尚樹はピンポンチとハンマーで機関部に設けられた止め軸を止まるところまで抜くとそのまま銃床部を引き抜き、動くようになった機関部をスライドさせ取り外すと毛布の上に左から並べていった。

 黒い塗色が褪せて砲金色(つつがねいろ)、いわゆるガンメタリックになった銃身に、激戦を潜り抜けて大小幾多の傷が刻まれた機関部、そして木製の銃床は交換されてまだ新しいのか木目もよく見えるサーモンピンクだ。

 

「尚樹さん、次はばねがビーン!ってなります!」

「了解、あっこれか、複座ばねが圧されてるな」

 

 ひかりも予備学校で分解結合の訓練を受けている、しかし、小柄であるため尚樹ほどスムーズに分解できないのだ。

 とくに発射の勢いを受け止める()()()()遊底(ゆうてい)を前進させて薬室を閉じる()()()()はとても強い物であり、魔法力ありきの設計もあって力の弱い女子にとっては一苦労である。

 

「ばね外すぞ」

「はい!」

 

 尚樹は注意を喚起しながらしっかり右手で()()()()を押さえながら引き抜く。

 こういったばね圧のかかった部品は注意していないとすごい勢いで吹っ飛んでいき、全員で床に這いつくばって捜索することになる。

 捜索ならまだよいが、目に当たって失明などのケガをすればたまったものではない。

 

「尚樹さんって機関銃の整備も出来るんですね!」

「戦車乗りだったしね、重機関銃や連装銃をバラしてたよ」

 

 部品単位にまで分解が終わると二人で部品を掃除する。

 油をかけて綿棒や先を曲げた歯ブラシで汚れを念入りに掻き出すと、ウエスでふき取り、手入れ油を垂らしておく。

 汚れがひどいものは灯油を張ったオイルパンに漬けて汚れを浮かせる。

 ただ、洗浄効果が高く錆び止めの油膜も取り去ってしまうので後で手入れ油を塗らなくてはならない。

 ひかりはオイルパンから引き揚げた部品をブラシでごしごしと擦る。

 何度も灯油をかけるがすぐにどす黒くなった。

 

「なかなか綺麗になりませんね……」

「まあ、発射ガスを綺麗に取り去るのって難しいし」

「そうですよね、学校の時は居残りでよく磨きましたぁ」

 

 なかなか発射ガスの黒い染みが落ちずにブラシで擦り続けていた思い出がよみがえる。

 ひかりと尚樹はため息をついた。

 射撃後の手入れは時代が変われども面倒なことには変わりないのだ。

 

「そういや、自衛隊じゃ撃った火器はその後2日は武器手入れっていう規定だったな」

 

 金曜日に小火器射撃があり、土日のあいだ外出前に小銃を磨かされたのだ。

 戦車砲であれば射撃後1週間は洗い矢を使っての砲突き、排煙器(エバキュレータ)の清掃とグリスアップをさせられる。

 

「そんなに時間ありませんよぉ」

「だろうなあ、最前線じゃ撃てればオッケーだろうし」

「管野さんは()()()()()()大丈夫なんて言われてました!」

「武器といいユニットといい管野さんどうなってるんだよ……」

 

 ひかりは尚樹から聞かされる“自衛隊”に平時の軍隊と最前線の基地の違いを実感していた。

 ブレイクウィッチーズが軍を放逐されないのはひとえに戦時下であり、失った装備でもっておつりがくるような戦果を上げているからである。

 平時の軍隊なら装備を損耗、亡失するような者には処分が下され早々に軍を去ることになるのだ。

 

「尚樹さん、綺麗になりましたよ……なにやってるんですか?」

「銃口通し棒がないから、簡易の銃口通しをやろうかなって」

 

 尚樹は私物の64式小銃用の銃口通しを持っていたはずだが、見つからなかったのでタコ糸とクリップ、ウエスで簡易の銃口通しを作る。

 銃口からクリップを付けたタコ糸を垂らして、機関部側に出てきたところにウエスを結わえ付けて銃口側に引き抜くのだ。

 64式小銃には細い糸で巻かれた銃口通し用の工具が付属しているが、使っているところを見たことは無いし、おそらく洗い矢方式の銃口通し棒が無くなることはないだろう。

 

「へえ、こんなの習いませんでした!」

「俺も初めてやったよこんなの」

 

 尚樹は“銃口通し紐”の存在なんてとうの昔に忘れていたが、思い付きでやったことが案外うまくいき、こういう方法もアリではないかと思った。

 

 清掃とさび止めの為の油引きが終わると次は銃を組み立てる。

 ひかりは“撃針を右に傾けて遊底に挿入する”などの教官から習った技を使いながら結合していく。

 

 それをそばで見ていた尚樹は64式小銃もこういう“小技”を使わないと文字通り組み上がらない銃だったなと思った。

 その後継である89式小銃にはそういう要素が無く、組み上がるように組み上がりずいぶん簡単な銃だった。

 

 8分で組み上がり、ひかりは久々に予備学校時代によくやった作動点検をする。

 35㎏近い機関銃を持ち上げるために意識を魔法力使用に向けるとリス耳と尻尾が生え、控え銃の姿勢を取った。

 左手で被筒をしっかりと握り、廃莢口から指を入れて遊底を後退させると「ガシャン」という音と共にストッパが掛かり遊底が止まった。

 

「薬室よし、作動点検!」

 

 切り替え金の位置が“安”の位置にあることを確かめると、引き金を引いても動かないことを確かめる。

 

「安全装置よし」

 

 次に切り替え金を発射位置にして引き金を引くと、ガシャンと遊底が前進してコトリと撃鉄が落ちる音がした。

 薬室に弾が入っていれば撃鉄に撃針が叩かれて弾が飛び出る。

 3回ほどカラ撃ちをして引っかかりや、異音が無ければ連発機構も正常である。

 

「異常なし、作動点検終わりっと」

「ひかりちゃん、お疲れ」

「ありがとうございます、やっぱり綺麗にすると動きがよくなりますね!」

 

 ひかりは各部に注油され、拭き上げられて黒々と光る九九式二号二型改の操作がいつもより軽いような気がした。

 魔法力を使っていることの証であるリス耳に尚樹はひかりに尋ねる。

 

「そういえばひかりちゃん、魔法の方はどう?」

「尚樹さん、なんか魔法力が戻った感じがします!」

 

 そういえば、昨晩もリス耳が出ていたっけと尚樹は思った。

 ますます、何かしらの穴があって向こう側からこちらの世界に漏れ出してきているのではないかと思う。

 もし、ネウロイが何かを通ってやって来たならば、一緒に魔法力に関するものも漏れだしてきてもおかしくない。

 尚樹はそこに賭けることにした、漏れた何かでユニットを動かせないかと。

 

「なら、ユニットを始動させることもできそう?」

「たぶん飛べると思います!」

「それなら、来週の月曜にまたエンジンテストに行こうか?」

「そうですねっ!なら、準備しなきゃ!」

「今度は温泉寄れないし、よし、代わりにどっかで食べて帰ろう!」

「うわー、楽しみだなぁ」

 

 ひかりはまるで遠足に行くことが決まったかのようにはしゃぐ。

 前回の気楽なドライブを兼ねたエンジンテストと違い、次回のテストは実戦前の最終調整に近いものがあるが、ネウロイといつ戦うのかわからない以上無駄に緊張しても仕方がない。

 尚樹もひかりの能天気ともいえるはしゃぎっぷりに合わせる。

 

「しかしまあ、ネウロイがいつ出てくるかわからんってのは落ち着かないよな」

 

 機関銃の手入れが終わると尚樹は押し入れに戻す、しかし、今度は直ちに取り出せる位置に置いてあり、ネウロイが出現したならばいつでも戦えるようになっていた。

 

 

 

 

その頃、河内長野市の廃工場の中で“それ”は蠢いていた。

2対4本の脚にクモのような胴、目も口も無く代わりに赤い結晶体で出来たパネルが散りばめられており、__生物的ではない。

脚を折りたたみ、潜伏拠点にたどり着くまでに得たものを体内で“咀嚼”し吸収する。

吸収すると言っても消化器官があるわけではなく、金属を分解して体の一部へと変化させるのだ。

山中に投棄された産業廃棄物や廃工場の金属、送電線の電力を糧とし、漆黒のその躰に走る六角の青いラインを爛々と輝かせている。

すべてはどこかに居る“上位存在”を守るために。

 




更新遅れました。

年末の忙しさに加えてブレイブ7話を見すぎていたせいか、自分がサトゥルヌス祭の時期にリアルひかりちゃん状態で風邪をひいて寝込むことになりました。
しかも23日は天皇誕生日という事もあって病院がやっていないという……

管野さんが「暖房止まってるから寝てろ」と言いましたがまさにその通りで、ストーブの燃料切れにフラフラしながら灯油を自分で入れに行くと、ぞわぞわと寒く、布団の暖かさを実感しました。
ストーブで手足を炙るより発熱した自分の体温を循環させる方が暖かく感じるとはいかに……

ご感想・ご意見のほどあれば励みになります。


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キャンプの夜

 1945年7月25日

 

 ネウロイの巣“レーシー”攻略作戦は、明らかとなった能力によって中断となった。

 主攻戦力であるオラーシャ、カールスラント両軍の諸兵科戦闘団はレーシーまで220㎞の地点を確保している。

 地点の確保には4個航空ウィッチ連隊からなるアルチューフィン戦闘団、502JFWも含まれており、レーシーの警戒ラインであるポスト・ヴァルキリーを超えた場所に急遽作られた前線飛行場にて補給を行っていた。

 ネウロイの巣から脱出すると、ラルたちは残燃料が無かったので前線に近い林道に降着したのだ。

 

 すると、ネウロイの出現が弱まっていて、好機とばかりに前線を押し上げていた地上軍が到着した。

 その後を追うように戦闘団本部の設営隊が到着し、工兵隊のトラクターで林道を整地し、森の中に木組みの小屋が立てられ、簡易の飛行場となった。

 ただ、放棄された村落も何もなく荒れた原野なので、ウィッチたちは久々に粗末な宿営(キャンプ)をすることになった。

 廃屋を利用することが多かったため、ここしばらく使っていなかった雨具で作るツェルトバーン・テントになった。

 カールスラント組が支給された個人装具で雨よけのテントを作っているとき、規格の違う管野たちは、団本部から貸与された()()()()()でテントを張っていた。

 

「久々に粗末なテント暮らしか、腰が痛くなっちまう」

「カンノ、言わないでよ、スオムスじゃこれがよくあることだったんだから」

「人は易きに流れるっていうが、本当だな」

 

 夜、管野とニパはかび臭いツェルトバーンを3枚継ぎ合わせたテントの中でぼやく。

 泥の上にワラを敷き、そこに寝袋を敷いただけで寝心地は最悪だ。

 オラーシャの原野の肥沃な土の匂いと倉庫で眠っていた装具の匂いが合わさり、目が冴えてしまうと寝れたものではない。

 同じテントの孝美は不寝番に立ち、もう少しで帰ってくる頃だろう。

 

 不寝番の任務は営舎における“防犯及び防火”であり、夜間に鉄帽(てつぼう)と火器で武装して巡回するのだ。

 もっとも、ウィッチの宿営地に夜這いを仕掛けようとする不届きものが現れるには少し環境が過酷過ぎ、明かりもない森の中だから忍び込むやつなんて野生動物くらいしかいない。

 

「いやー僕たちも長らくあの宮殿のような基地に居たからねえ」

「どうしておめーがこっちのテントに居るんだよ」

 

 テントに入って来たキツネ……ではなくいきなり現れたクルピンスキーに菅野は一応尋ねる。

 経験からこうして現れたクルピンスキーの野郎はろくなこと言わねえぞと思いながら。

 

「いやあ、先生の寝相が酷くてさあ、追い出されたんだ」

「中尉の事だから、変なことしたんじゃないの」

「してないよ!ただ、耳元で愛を囁いただけなのに!」

 

 へらへらというクルピンスキーにニパはうわぁという表情をしてツッコミを入れた。

 回答も案の定で、ロスマン先生とクルピンスキーの間に流れる妙な空気を察したくない管野は言う。

 

「俺なら殴ってる」

「だよね、で、いつまでいるの?」

「えっ、二人とも僕をここに置いてくれないの?」

「孝美が戻ってくる前に帰れよ」

「そんなー」

「狭いんだよ!くっ付いてくんな」

「カンノ暴れないでよ!テントが壊れる」

「バカお前、それは……」

「あっ」

 

 ニパが支柱に当たり、3人は崩れてきたテントのなかで絡まってもみくちゃとなってしまった。

 月明かり一つない暗闇という事もあって脱出するにできない。

 

「おめーどこ触ってんだよ!」

「ええっ知らないよ僕」

「カンノこそどこに足突っ込んでるんだよ」

「あいてっ、支柱が腰に!」

「直ちゃん大丈夫?」

「大丈夫じゃねえ」

 

 不寝番のもう一つの任務が宿営地の()()()()である。

 上番したサーシャはウィッチの宿営地内を練り歩く。

 どこもしんと静まり返っており、今出歩いているのは不寝番か夜間哨戒を引き継ぐナイトウィッチくらいなものだ。

 そんな中でピクニック気分か、騒がしいテントがあるので懐中電灯で照らすと崩れており、なかでもぞもぞと激しく動いていた。

 

「こら、あなた達、就寝時間はもう過ぎて……何してるんですか?」

「その声はサーシャか、助けてくれ!」

「サーシャさん、テントが崩れて出られないんです!」

 

 サーシャによって引っ張り出された三人は夜中にテントを張り直すことになった。

 小銃と懐中電灯、鉄帽を返納し戻って来た孝美はなんだかんだ楽しそうなブレイクウィッチーズの姿を見て、あの中にひかりが居たら楽しいのかな?などと思っていた。

 すぐ隣のテントではジョゼがチョコレートの包み紙の匂いを嗅ぎながら「もう食べられないよぉ、定ちゃん」と寝言を言っており502の宿営地は何とも賑やかだった。

 

 その頃、下原は317連隊所属のナイトウィッチと共に夜間哨戒を行っていた。

 宿営地の不寝番だけでなく、補給、待機、上空警戒も部隊ごとに輪番で行われ、巣から新手が反攻に打って出てくることを警戒している。

 しかしナイトウィッチはその例外で、人数が少ないことから各部隊混成であり、2時間ごとに交代しつつ、2人1組で常に飛んでいた。

 

「下原少尉、リトビネンコ少尉、異常はないか?」

「こちらリトビネンコ、ずいぶん静かな夜です、空地ともに異常なし」

「下原です、敵影はありません。定時連絡、終わります」

 

 彼女たちは希少なナイトウィッチ同士顔見知りを増やすチャンスだとして出撃までの間にお茶会を開いたり空で雑談したりしてモチベーションを保ちつつ連日連夜飛び続けている。

 魔導針を出して飛んでいるリトビネンコ少尉は、電波障害などの探知も行っておりネウロイから発される妨害などを捉えると直ちに戦闘態勢に入るのだ。

 しかし、第1次攻撃以降パッタリとレーシーからの電波の放出が止み、沈黙を守り続けていた。

 こうも静かだと、気味が悪い。

 思わず数百メートル右隣を飛行する下原に話しかけた。

 

「下原さん、向こうがやけに静かですね」

「そうですね。でも、コアを叩いたわけではないので油断はできません」

「ネウロイって、どうやって出来ているんでしょうね……」

 

 一度巣の中に突入したからと言って生産能力に打撃を与えたわけではないのだ。

 夜間に乗じて陸戦型のネウロイが進行してくるという事も十分あり得るのである。

 そのような時に警戒線に立つ一般の歩兵や戦車部隊だけでは死ぬことによって敵を感知するカナリア部隊にしかならない。

 それどころか彼らの死をもってしても侵攻が阻止できないおそれがあるのだ。

 ナイトウィッチたちは警戒線に近づくネウロイをいち早く発見し、全軍に警報を発するという重い任務を背負って今晩も飛んでいた。

 

____

 

 

 司令部ではもともとよく分からなかった存在であるネウロイが、光を曲げ、異空間と接続する能力を有し、時空を歪めるといった物理学的に特異な能力を見せていることから、有識者を呼び寄せた。

 物理学者や工学博士、鉱物学者、哲学者、あとは作家と幅広く招聘され、集まった彼らは喧々囂々(けんけんごうごう)と論議をしたうえで幾つもの推論を発表し、軍に要望してきた。

 例えば、“ネウロイの屈折体が結晶状であるならば、面角一定の法則に則っているかどうか確かめてほしい”といったものから、“新しく出来上がった紫外可視分光光度計を使って材質を確かめたい”というものまで様々であった。

 こうした要望を対ネウロイ戦略へ組み込めると見た連合軍は直属である第502統合戦闘航空団に対し、様々な偵察命令を下したのだ。

 

 しかし、計測機器の使い方を習得しているウィッチがいないことから、測定ミスなども多く、巣に近づき命がけで集めたデータは“根拠に乏しい”と一蹴されて、結局は有線誘導弾に光電管などで作られた計測器を取り付けた“有線誘導式光線計測器”などの特殊装備が投入され、同時に戦況の安定した西部戦線から工学系の研究者であるウィッチを集めることになった。

 その中には、ジェットストライカーの研究やロケット兵器の研究を行っていた、ウルスラ・ハルトマンもおり、ネウロイの巣外部においては様々なデータを取ることに成功したのだった。

 

 “あのネウロイは何らかの手段を用いて空間を繋ぐ通路を形成している、気温低下及び霧は通路形成時に気圧と温度が低下し生じたものである”

 

 方法こそわからないが、ネウロイは何かで空間を屈折させて通路を作ることで援軍を呼んでいたと思われ、消失現象の霧は空間が急に広がったことによって()()()()()()したもので、それ自体が消失させる何かではないという結果が出た。

 そして8月1日、ブリタニアより派遣された研究者含む第二次攻撃隊が編成され“ウラヌス2号”作戦が発動、再び502及びアルチューフィン戦闘団はレーシー内部に突入するのであった。

 

 

 8月1日の夜明け前、管野たちはようやくこのテント暮らしから離れられると、いつもよりも早く飛び起きた。

 そして日も上がらぬうちに寝具やツェルトバーンを畳み、トラックに投げ込む。

 ラルとロスマンは木で組んだ臨時の“勤務隊舎”から梱包した書類の束を前線司令部あてに送る。

 おそらく、軍事郵便が着くころには前線司令部は解散となり、ペトロ・パウロ要塞宛に“返送”されているだろう。

 こうした引っ越し準備と並行するように、整備部隊では最後のチェックが行われている。

 引っ越し準備が終わると、502、アルチューフィン戦闘団のウィッチたちは一か所に集められた。

 

 “出陣式”と言って、作戦前の団司令による訓示と隊容(たいよう)検査が行われるのだ。

 ウィッチや本部付の偵察小隊と言った部隊までがずらりと広場に整列し、普段見る事の少ない連隊旗、戦闘団旗が登場する。

 502では身長の高いクルピンスキーが旗手に選ばれ縦隊の先頭に立ち、その右隣にサーシャが立っている。

 その勇壮さゆえに従軍記者がこぞって写真を撮り、戦闘団長が到着するまで至る所からフラッシュの光が閃いた。

 

「指揮官登壇、総員傾注!」

 

 銀色の髪をなびかせて黒縁眼鏡をくいっと押し上げると、アルチューフィン中佐は木箱と飾り布で出来た観閲台に上がった。

 進行の号令に合わせ、旗手が旗を倒して、徒手である戦闘隊長以外は捧げ銃で敬礼を行う。

 

「楽にしろ。おはよう諸君、昨晩はよく眠れただろうか、今日は良い戦い日和だな」

 

 

 敵がどのような存在であるかわからぬまま、今日まで人類は戦わざるを得なかった。

 今作戦においてようやくその能力の一部を掴むことが出来そうなのだ。

 多大な犠牲の上にどのようなものか分かったとしても、その事を活かして戦う戦士がいなければ何の役にも立たないのである。

 

  “君達への要望事項は、たとえ撃破に至らなくとも生きてネウロイの情報を持ち帰ることだ、それ以外は望まない”

 

 アルチューフィン中佐はよく通る声で今作戦における心構えと、戦闘団長要望事項を告げると観閲台を降りていった。

 

 その後、各部隊の連隊長による隊容検査と作戦命令下達が行われる。

 最右翼である121連隊から129連隊、317連隊と続き、最後に502の番がやって来る。

 連隊長とともに現れたラルが点呼を取り、服装と武器を一人一人確かめて観閲台に居る戦闘団長に敬礼と共に報告するのだ。

 

「第502統合戦闘航空団、総員9名異常なし、出動準備完了」

 

 戦闘団長である中佐が答礼を返したことを確認すると、ラルは回れ右をする。

 

「ブレイブウィッチーズ出動、時間までに準備をしておけよ」

 

 こうした式典行事は軍隊では必ず行うものだ。

 これから始まることに対する心構えを作るためであり、指揮官が部隊を統率していることを示すためである。

 

 出陣式が終わって30分後、ウィッチたちは空へと上がっていた。

 その後ろには助攻戦力としてウィッチの他に男たちの駆る戦闘機が控え、眼下には地上軍が待ち構えている。

 

「いやぁ、緊張したねえ」

「ああしていると、中尉もまともそうに見えるんだけどね」

 

 ニパは列の先頭で団旗を持つクルピンスキーの様子を思い出して言った。

 

「ニパ君、いつもあんなのじゃ息が詰まって仕方ないよ」

「やめとけやめとけ、こいつはそんなタマじゃねえよ」

 

 管野は真面目腐った品行方正な軍人であるクルピンスキーを想像して気持ち悪くなった、着任から2年近く付き合っているこの勤務服(トゥーフロック)を着崩すような軽さがないとどうも調子が狂いそうだ。

 事実、出陣式終了後に従軍記者の女性を口説きに行ったクルピンスキーを見て、「やっぱりな」と納得したのだ。

 

「さっすが直ちゃん、僕のことよくわかってるじゃないか!」

「見ればわかんだろ!寄ってくんな暑苦しい」

「そういえば、そろそろ調査団と合流する頃だよね……、可愛い子がいたらいいなあ」

「おめーはまたそれかよ!」

 

 調査団のウィッチ15機が編隊に合流してくるのが見え、ロスマンは調査団の中に見覚えのある金髪の小柄な影を見つけた。

 FW190A-8を履き、よくわからないポットを背負っている。

 

「あら、あれは」

 

 ロスマンと同時に見つけたクルピンスキーが声を掛けた。

 

「おーい、フラウ!僕だよ!おーい!」

 

 先頭をきって飛んでいた()()()()()がくるりと振り返った。

 そのハルトマンはメガネをかけ、一瞬キョトンとして何かに気づいたようだった。

 

「初めまして、クルピンスキー中尉。姉がいつもお世話になっています」

「ああ、君がフラウの妹の……」

「ウルスラ・ハルトマン中尉です、本日はよろしくお願いします。クルピンスキー中尉」

「あなたがウルスラさんね」

「ロスマン曹長ですね、姉からよく聞いています」

「確か、あなたはジェットストライカーの試験をしているんでしょう?」

「はい、でも今回の調査においては速度差から編隊飛行に不向きなのでベルギカに置いてきました」

 

 クルピンスキーとロスマンが金髪の小柄なウィッチと話しているのを見て他のメンバーは知り合いか?と尋ねる。

 

「彼女は私の教え子の妹で、今はノイエ・カールスラント技術省から出向してきているウルスラ・ハルトマン中尉です」

「ご紹介にあずかりました、ウルスラ・ハルトマン中尉です。本日は……」

 

 ウルスラによって超空間通路の調査と、ネウロイの出現方法の調査が行われることを知った502メンバーはようやく“ひかりの捜索”が出来ると喜んだ。

 だが、表向きは内部に突入しネウロイの時空を曲げる怪光線が何であるかを調べ、レーシーのコアがどこに隠されているのかを調べることである。

 調査隊の装備はネウロイの表面に撃ちこんで音波でコアの位置を探る()()()()()やら、光線を白いスクリーンに通して分光パターンを撮影する機材などで自衛火器もなく、戦力としてはあまり期待できそうもない。

 ゆえに502の護衛が重要な役割を果たすのである。

 

「ドヴィナ1、ネウロイ発見!交戦に入る!」

「敵は40~50以上いるぞ!」

 

 317連隊のウィッチたちはDP28機関銃を腰に構えて敵へと飛び込んでゆく。

 引き金に触れると高揚するウィッチが、シモノフ対戦車ライフルで嬉々として次々と敵機を打ち落としていく。

 

「みんな!敵機の食べ放題よ、お代は司令部にツケておくわ!撃ちまくれ!」

 

 1分間に15発撃てるセミオートマチックの銃によって撃ち出される徹甲焼夷弾は割高で日ごろあまり撃たせてもらえないが、大規模作戦という事もあって弾薬庫から数十発分持ち出せたのだ。

 

__撃たずにはいられようか。

 

 そんなトリガーハッピーを見て戦闘隊長は言った。

 

「バカか、ある程度は無視しろ、突入路を切り開け!」

 

 先行する護衛部隊がレーシーを取り巻く雲の中から発進してきた要撃タイプ50機以上と交戦に入った。

 “間引き作戦”と称して、ネウロイの巣をつつくような小規模攻撃をしていたにもかかわらず、わらわらと出てくるネウロイに毒づきながら、殴り込み部隊である121の第2飛行隊と502、そして調査団は空戦に参加せずにそのまま突っ切る。

 

 ラルは後ろを飛ぶ調査団と、隣を飛ぶ孝美に目線をやった。

 

「やはり、コアが健在だと抵抗も激しいな」

「そうですね、今度こそ見つけ出したいところですね」

「ああ、いい加減、扶桑からの問い合わせには飽き飽きしてきた」

「申し訳ありません」

「別に構わん、できれば残ってくれるとありがたいが」

 

 ラルは冗談めかして言うが、事実、孝美も「雁淵ひかり軍曹捜索のため」という名目で転属をごり押したため、ラルや北方軍司令部に対し、疑惑のネウロイの巣の攻略状況はどうかという扶桑海軍からの問い合わせがやって来ていたのである。

 そして、「雁淵孝美をどうにか帰してくれ」というような内容の電話や書簡が届いていたが、ウラヌス作戦発動に伴い、電話線がない前線飛行場に進発していたり、混乱によって“返送”されたり、と“不幸にも”情報が入らなかったのだ。

 

 自衛火器で接近してくる矢じり型ネウロイを砕きつつも、爆風弾の射程距離に到着した。

 ラルが確認を取る。

 

「突入地点に到着だ、総員準備はいいか?」

 

 下原とジョゼ、ニパは接近してくるものから射撃を浴びせ撃墜していく。

 管野、クルピンスキー、孝美は内部で戦うためにあまり撃たない。

 

「ブダノワ中尉、どうですか」

「こっちは準備できてる、いつでも命令してくれ」

 

 ブダノワは黄帯のフリーガーハマーを両肩の上に乗せており、部下たちもすでに構えていた。

 

「こちら502、カリーニン、これより突入する」

「カリーニン了解、……健闘を祈る」

「それでは、全員、突っ込むぞ!」

 

 ラルの号令にブダノワたちは引き金を引き、36発の爆風弾が時間差で雲に吸い込まれていったかと思うと、閃光が次々と走って雲が裂ける。

 炸裂して空いた穴に今度は121飛行隊と502、そして調査団の全員で飛び込んでいった。

 

 



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燃ゆる大空

 2017年6月23日

 

 奥水間のさらに奥の山中の林道で第2回ユニット運転実験が行われていた。

 前回と大きく違うのはネウロイが出現し、使い切ったひかりの魔法力が戻ったことから大気中に“エーテル”と呼ばれる何かしらの魔法物質が拡散している可能性があるということだ。

 

 

 今度こそ空を飛べるのではないかという事で南北に伸びる林道を“臨時滑走路”として使えるよう、尚樹たちは離着陸支援器材も持ち込んでいた。

 釣り竿にオレンジ色のバスタオルを括りつけた手製の旗を滑走路として使えそうなエリアの南端に設置する。

 次に、会社に持ち込まれた廃車から貰って来た4枚の三角停止表示板を北側、南側どちらからアプローチしても見えるように、背中合わせにして石に立て掛けて滑走路中央の両端に置く。

 パジェロに積んであったものはルーフ上に南向きに置かれ、木々で滑走路が見えなくても探しやすいようにしている。

 北側からはパジェロの後部反射板が目印となる。

 

 こうした支援器材は尚樹が「どうすればひかりが離着陸しやすいか」と航空関係の雑誌を読んで考えたのだ。

 ひかりも着陸において、森の中でどう言った目印がわかりやすいかなどの意見を出して必要なものの数を絞って行ったのだ。

 最終的に停止表示板5枚と古い3.5mの釣り竿1本、バスタオル1枚となり、貰い物や家にあったものなので、新しく購入したものはなく尚樹の財布に優しかった。

 

 離着陸支援器材を置きに行くときに、ひかりは離着陸の際に接触しそうな木の枝や空中架線が無いかを確かめる。

 一方、尚樹は地面に枯れ枝や石、ゴミなどの風圧で舞い上がると危険なものがないかを調べて、藪の中に放り投げる。

 保護フィールドがあるとはいえウィッチの視界を遮ったり、異物吸入(FOD)によるユニット破損につながるのだ。

 こうした念入りな下準備を終えた二人は、ようやくユニットに火を入れる。

 

「エンジン回します!」

「エンジン始動!」

 

 尚樹はひかりがユニットの始動操作を行い、魔導エンジンが始動したことを確認すると脱がれたスニーカーを持って安全距離へと離脱する。

 エンジン回転数が2500回転/分を超えたあたりで制御が入り、アイドル回転が安定する。

 魔導エンジンが調子よく回ると、次は空を飛ぶための装置に出力する。

 魔法力とエンジンのダイナモで発電された電力が“魔法力フィールド発生装置”と“呪符発生装置”へと分配される。

 前回はここで魔法力が枯渇してエンストしたが今回は無事にエーテル放出装置から可視化された四翅(よんし)の呪符が展開された。

 同時に魔法力フィールドがひかりを包むことで地上から30㎝くらいに浮揚し、空を飛ぶ準備が完了した。

 フィールド・呪符展開時に2000ほどに落ちるも、エンジン回転を一定に保つガバナ装置の働きによってすぐにアイドル回転の2500まで戻る。

 

「よし、回ってる。……回転戻ったな。ひかりちゃん、いける?」

 

 尚樹はそれを見て「エンジンが止まるのではないか」とひやひやしたが、回転が戻ったことで一息ついた。

 

「はい!……雁淵ひかり、行きます!」

 

 ユニットを支えていた脚立を腿で後ろに倒すとスロットルを徐々に開け、ひかりは木々の間の小道より飛び立つ。

 機体質量に対してのエンジン推力比が1.3から2近くあるストライカーユニットはスロットル全開で垂直離陸もできる。

 しかし地上滑走をした方が燃料や魔法力の消費が少ないので通常は滑走離陸を行う。

 立姿勢(りつしせい)、略して立姿(りっし)飛行から前傾飛行になる際に魔法力フィールドによる整流効果で整流された空気が地表面に当たり大きい揚力が得られる、いわゆる()()()()が離陸における魔法力や燃料を節約するのだ。

 滑走路のような離陸支援術式が無い前線における発進は何度かやったが、だだっ広いオラーシャと違って日本の狭くて濃密な森林の中を飛ぶのはとても難しく感じた。

 応急滑走路として整備されていないがゆえに、下見をしているとはいえ地表の石や林道の上に伸びる広葉樹の枝葉と衝突する危険性があるのだ。

 ひかりは立姿からどんどん前へと身体を倒して加速し、滑走路の中間地点を示す反射板の間を抜けるともう離陸速度に達していた。

 そして、滑走路の末端を示すバスタオル旗が見えると出力を最大にして高度を上げる引き上げ動作に入った。

 

「森の上に出た」

 

 木々の上に出ると前傾飛行から水平飛行へ移ると巡航速度が上がり、眼下を勢いよく梢が過ぎてゆく。

 

「……ここから8の字に飛んで、あそこに戻る」

 

 右に225度旋回し林道を横切って15秒後、左に225度旋回して林道に降着するという内容で、高度は遠方より発見されにくく、レーダーに映らない高度18m以下をキープする

 とはいえここは周囲を電波や音を遮る山々に囲まれ、人もあまり来ない場所であるから人目を気にせず練習できる。

 日本の温暖で湿っぽい空気がひかりに纏わりつき、かつて扶桑皇国において飛行訓練をしていた時を思い出させる。

 

 右にバンクをおおむね7度とり、左足に意識を向けると頭が右後ろへと引っ張られるような感覚を覚えた。

 これは右に()()()()()()()()が始まっているのだ、首を動かし目線を向ければ急旋回となる。

 スキーや自転車に乗っているとき、視線の方向に板や自転車が無意識のうちに動いていくようなものだ。

 

 想像していたよりも膨らんで滑ってゆくのを止めようとユニットの垂直翼で左に“当て舵”をかける。

 しかし、どういうことかスリップが止まるまで時間がかかり、ひかりはヨー方向、水平への舵の効き具合が良くないことに気づいた。

 ひどい左への横滑りで想定コースを逸脱したために、ひかりは尚樹を見失わないうちに飛行試験を中止する。

 パジェロのルーフ上の三角停止表示板が11時の方向にキラキラと輝いて見え、滑走路代わりの林道であることを示す。

 本当であれば正面方向に表示板が見え、尚樹のパジェロの上を斜めに飛んで通過するはずなのだ。

 そして、滑走路端のバスタオル旗が見えるという事は本来の飛行ルートのかなり()()()()を飛んでいるのだ。

 

「大分流されてる、進入方向はこっちで!」

 

 ひかりは左へと身体をひねり、林道のラインに合わせて着陸態勢(アプローチ)に入る。

 普通であれば空気が剥離して失速状態になるような動作をしても空気が纏わりついてくるのである。

 

「やっぱり、空気が重いなぁ」

 

 空気中にあるエーテル量があまりにも少ないときに起こる現象であり、純粋な大気だけでは粘性が高すぎて、想定しているような流速や負圧などが発生せずに操作性が悪くなり、なおかつ飛行の呪符による推進力が足りないのだ。

 魔法力を用いた姿勢制御、フィールドで身を包んだウィッチ特有の問題である。

 

 舵や昇降舵の効きが悪いため、いつもよりかなり緩い突入角度でひかりは林道に突入する。

 出力を絞って高度を下げると水平飛行から、頭を持ち上げ胸で空気を押すイメージで前傾飛行に移り一気に減速を掛ける。

 風をはらんだ体がスピードを落とすとそこから立姿飛行に移る。

 この減速迎え角を取るときに、流す魔法力をじわじわと絞っていくと「ふわり」と着地できるのだ。

 

 ひかりはそういったお手本のような着地が苦手で、立姿飛行から降着までの魔法力制御がうまくいかずに、急激に魔法力を絞ってしまい「ドターン」とユニットを()()()()()、紫電になってからはエンストして転倒をしょっちゅうしていた。

 しかし、ロスマンとの特訓によって「1か10か」の大雑把なものから、数段階に分けての制御が出来るようになったため、ひかりは“段階を落とす”と意識をする。

 

 スキージャンプ選手のような前傾姿勢から胸を張り、ゆっくりと魔法力を絞ると徐々に立姿飛行となる。

 中央の表示板を過ぎるころには立姿飛行となっており、地上から30㎝ほどの高さを維持して移動する。

 そして尚樹の前で止まると5段階中の2くらいに絞り、それに伴いエンジン回転数が1000から750くらいの間に下がるとユニットの先端が優しく接地した。

 尚樹が発進台替わりの脚立をユニットに添えるのを確認して、ひかりはユニットを止めた。

 接続が解除されてユニットから足を引き抜いたひかりは脚立の上に降り、尚樹が持ってきたスニーカーを履く。

 

「おつかれさん」

「ありがとうございます!ようかんだ!」

「訓練後はやっぱり甘いのが一番よ」

 

 尚樹はペットボトルの緑茶とコンビニなどで売っているような小さな一口ようかんをひかりに差し出す。

 ひかりは喜んでようかんをたべると、一息つく。

 甘味が体中に染みわたり、いつも以上にごっそりと減った魔法力を補ってくれるような気がした。

 飛行後の甘味はなんて贅沢なんだろうと思う、物のないペテルブルグではこうはいかない。

 尚樹は小さな幸せを発見したかのようなひかりに、新隊員時代に駐屯地内の売店で一口羊羹を買い占めたことを思い出して笑った。

 癒しの甘味タイムが終わると、飛行しての感想を尋ねた。

 

「ひかりちゃん。久々に飛んでみてどうだった?」

「あっちに比べて空気が重たくて、操縦が難しいです!」

「空気が重いっていうのは?」

「エーテルが少ないから舵があんまり効かなくて、空気がべたっと纏わりつくんです」

「うーん、逆にエーテルがあるとどうなるの?」

「たしか、座学だったらフィールドと空気の乱流?摩擦?を減らす働きがあるっていってました!」

「要はスムーズに空気が流れないから操作が重くなるんだね」

「たぶん……そうだと思います!」

 

 どうしてエーテルが少ないと操縦性が悪くなるのか、ひかりも多くのウィッチ同様よくわかっていない。

 ウィッチは感覚、あるいは経験則でこれらに抗する方法を掴むため、皆が皆、航空力学の座学や流体力学が得意というわけではないのだ。

 戦闘機や航空機の本を読んでいた尚樹も門外漢であって流体力学や航空工学はわからない。

 せいぜい車のエアロパーツやボデー形状が燃費や高速度における操舵性に影響するというくらいなものだ。

 

「やっぱり、飛行試験はエンジニアがいないとダメやな、全くわからん」

「そうですね。でも、尚樹さんのお陰でチドリは調子よさそうでした!」

「オイルとガソリンが良いからね、さすがに環境ばっかりはどうにもならんわ」

「うーん困りましたね」

 

 空を飛ぶことは出来たが操作が重いうえに動きも緩慢であり、これでは戦いにはならない。

 こんな状態でネウロイに挑んでも撃ち落とされるか、あるいは墜落するかが関の山である。

 

「銃に魔法力込めればいいなら、もういっそのことユニットを履かずに機関銃で戦ったらええんちゃう?」

「あっ!ユニットが無くても魔法って使えるんだ!」

 

 ユニットで飛ぼうとするから難しいわけで、ネウロイに魔法力を帯びた攻撃を与えるだけなら機関銃があればいいのだ。

 ならば、無理に飛ばなくてもいいじゃないかという思い付きで尚樹は言ってみた。

 ひかりは魔法力を使うならユニットを履かなくてはいけないという先入観に囚われていたのでその発想は無かったと驚く。

 

「速度が足りないなら軽トラの荷台に機関銃据えてみるとか」

「それ、昨日テレビで見ました!トラックからバババーッて撃つんですよね」

「まあそんな感じやな」

 

 ひかりは国際情勢の番組で見た原理主義過激派の民兵たちの“テクニカル”を思い出した。

 自動車と火器があれば誰でも作れ、防御力と路外機動力こそないものの歩兵の火力支援をするにはうってつけだ。

 なお、ウィッチの一部はユニットを履かずにジープなどの偵察車に乗って陸上型ネウロイと戦うというケースがあったりするがひかりは知らない。

 

「じゃあ、尚樹さんが運転して、私が撃てば大丈夫ですね!」

「いいアイディアだけど、その前に社長から代車の軽トラ借りないとあかんな」

 

 ユニットを使わない“ネウロイ駆逐車”をどうするか話しながら二人は滑走路の端まで行き、停止表示板やバスタオル旗を回収して車に積み込んでいった。

 

 

____

 

 

 ストライカーユニットが冷えるまでは危なくて車に積めないので、その間は車中で休憩になる。

 山中という事もあってAMラジオをかけてシートを倒し、持ってきたクーラーボックスの中のジュースを飲む。

 ひかりも、尚樹に倣ってシートを倒してみる。

 フロントガラス越しに見える空はとても広くて吸い込まれるように青く、さっきまで飛んでいた空とは違って見えた。

 

「尚樹さん、もし、ネウロイが出たらその時は……」

『シバムラ産業が午前11時を……ザッ、知らせしま……ザーッ!』

 

 ひかりが何かを言おうとしたとき、ラジオに突如ノイズが走る。

 戦場経験者の危機感のようなものが“それ”の接近を知らせる。

 

「何だ、電波妨害か?」

「尚樹さん!空にネウロイが!」

「えっ!」

 

 ひかりは吸い込まれるような空の一点に黒いけし粒、否、敵を見つけたのだ。

 

「武器も無いし、ここから飛んではきつい。ユニットを積んで帰るぞ!」

「……はい!」

 

 二人は慌てて車から降り、脚立に立て掛けられているチドリをパジェロに積む。

 排気管と外板はとうに冷えており、これなら火傷や火災の心配もない。

 

「これで全部だな!」

「そうです!」

 

 ひかりと尚樹は車に飛び乗ると、林道を走り抜け奥水間の峠道を下る。

 信号待ちがもどかしい、しかし、赤色回転灯を備えた緊急車両でもなければ超法規的特務機関のメンバーでもない。

 信号を無視したところで側面から来た車と衝突するか警察に捕まるかである。

 

「こんなことなら、自衛用として機関銃持ってくるんだった!」

「尚樹さん、青です!」

 

 尚樹は信号を右折し外環状線に乗ったが、貝塚市から河内長野市まで40分、最低でも25分以上はかかる。

 信号待ちであったりネズミ捕りであったり、2つの長い車線減少エリアがあるのだ。

 広範囲に聞こえるが元々混信に弱い中波のAMラジオはもう聞けた状態ではなく、聞こえる範囲が狭いが高音質な超短波のFMでさえもノイズが入る。

 尚樹が窓を開けると、先ほどまでけし粒のようだったネウロイがぐっと高度を下げたのか、まるで羽虫のような大きさに映り、和泉の山々の方で旋回しているのが見える。

 FMラジオも急に特別放送に変わったようで、今までにない強い電波障害が発生し空に正体不明の飛行物体が現れたことを告げる。

 

「おいおい、マジかよ!」

 

 尚樹たちの前を走る自動車が空飛ぶネウロイに気を取られていたのか、勢いよく歩道に乗り上げる。

 とても大きな音を立てて底を擦り車体は大きく傾いて止まり、デファレンシャルの働きもあって負荷のない左側後輪が勢いよく宙を掻いていた。

 目の前での単独事故に救護に行ってやりたいのはやまやまだが、これから起こるであろうことを考えると止まっている暇はない。

 運転席に座ったまま突然の衝撃に呆然としている中年男性に心の中で詫びると、尚樹は傍を通り抜けた。

 

 和泉市に入ると工業地帯である“テクノステージ南”から“大野町”にかけて2車線区間となる。

 小山を切り開いたここは上がったり下がったりと起伏もあることから、前に重量物を乗せた大型トレーラーなどが居ると交通停滞を引き起こす。

 幸いにも平日の昼前という事もあって、車も少なくまあまあの速度で通り抜けることができた。

 大野町を抜けて道の駅の前の長い下り坂を抜けた時、車に対して2時の方向にネウロイはいた。

 

 ……旋回していて何かを見つけたのか、悠々と北に向かって飛んでいる。

 ひかりは街に光線が放たれていないことに気づく、今までのネウロイなら無差別に光線を放ち、幾多の街を焦土へと変えている。

 だからと言ってこのネウロイが安全なわけではない。

 

「尚樹さん!飛行機が!」

「まずい!」

 

 関西国際空港に向かって飛行していた旅客機がネウロイに近づいたその時、赤く見える光線が放たれた。

 主翼付近から両断され、ボーイング777機は機首側と航空燃料に引火したのか火のついた尾翼側に分かれて山へと墜ちていった。

 あれでは誰も助かるまい。尚樹は恐怖よりも怒りが勝った。

 

「くそっ!」

「飛行機がやられちゃった……」

 

 道路に出てきて物珍しそうにネウロイを見ていた人々はこの時、空に浮かんでいるのは風変わりな飛行船でもドローンでもなく、人類に敵対的な存在だと知ったのだった。

 

 尚樹が2つ目の二車線区間である天野山(あまのさん)三連トンネル付近に差し掛かろうかというときに天野山の稜線の向こう側に赤黒い煙が見え、撃墜された旅客機が燃えている煙であろうことは容易に想像がついた。

 ラジオからはJアラートが流れ、遅れて尚樹のスマートフォンに特異な電子音と共にエリアメールが届く。

 

『航空攻撃情報 和泉市・河内長野市・富田林市に航空攻撃が想定されます、住民の方は屋内に避難してください』

 

 尚樹はひかりに鳴りっぱなしのスマートフォンを預けると、アクセルを踏み込んだ。

 荷物を満載したパジェロが吼え、対面通行の上り坂を時速90~100㎞程で駆ける。

 制限時速は40㎞であるので50㎞~60㎞オーバー、一発で免許停止の上裁判、あるいは逮捕だがそんなことも言ってられない。

 第3トンネル、第2トンネル、第1トンネルと3つのトンネルを抜けて河内長野市側に出た時、田畑の向こうに見える山肌に炎が見え消防車やパトカーが走ってゆくのが見える。

 ネウロイは旅客機を落として金剛山の方に向かっているようだ。

 

 この頃になると姿が小さくともはっきり見えるようになり、エイのような形状で長い尾のようなものを左右に振りながら飛んでいた。

 ようやく石川県の小松基地と支援にやって来た宮崎県新田原(にゅうたばる)基地の要撃機が到着し、20㎜機関砲で射撃をするが、効果はいまひとつのようで命中すれど穴が塞がるのだ。

 自衛用のサイドワインダーを撃ってみるものの、バルカンより大きな破孔が出来るだけで結局穴が塞がってしまう。

 これにはやって来た空自機のパイロットたちも驚いた、自己修復機能のある敵機なぞどう戦えばいいのかと。

 

 

 尚樹は空自のF-15戦闘機16機が射撃しているのを見ながら、自宅に続く道を走る。

 ようやく規制線が一部解かれて、通れるようになった住宅地の中を抜けて家の前に辿り着く。

 大穴の周りに居た警察官や調査していた作業員たちは忽然と姿を消している。おそらく避難指示があり退避したのだろう。

 尚樹とひかりは車から、ストライカーユニットを下ろした。

 

「尚樹さん」

「なに?」

 

 真剣な表情のひかりに、尚樹はとうとうこの時が来たと思った。

 真面目で責任感が強く、ウィッチであることに誇りを持っている彼女がどうしたいかなんて最後まで聞かなくてもわかる。

 

「私を飛ばせてください!私は……ウィッチです!」

 

 思った通りだ。尚樹は最後に問う。

 戦いとは無縁の、平和な二人暮らしの生活を続けるなら、ここが引き返せない一線なのだと。

 

「ああ。だけど、飛んだらここで暮らすことは出来なくなる。それでも?」

「……はい、ここはネウロイも居なくて平和だった、だから私は守りたいんです!」

 

 ひかりの決意に、尚樹は“ひかりを引き留めて二人で楽しい生活を続けていきたい”という本心を言い出せなくなる。

 彼女はどこまでも透き通った防人(さきもり)の目で、尚樹の一言を待っている。

 

 “ことに臨めば危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、国民の負託に応える”

 

 自分もかつては自衛官として“服務の宣誓”をしたのだ、ひかりは現職の軍人なのだから自分が送り出してやらねばどうする。

 尚樹はそう自分に言い聞かせると、口を開いた。

 

 __口の中はカラカラに乾いていた。

 

「そうか、それなら、準備をしよう。」

「はいっ!」

「ひかりちゃんは銃を!俺は給油する」

「わかりました!」

 

 ひかりの返事と共に、尚樹はひかりに鍵を渡して銃を取って来させる。

 車から降ろしたチドリの燃料キャップを開くと、2つの携行缶に入れていたハイオクガソリン40リットルを注ぐ。

 片足20リットル、両足で40リットルを使い、給油が終わるなりすぐに発進できるよう道路上に転がす。

 

 ひかりは機関銃を取るために尚樹の部屋に入った時、あることに気づいた。

 ……自分は哨戒飛行中、インカムを着けていたはずだと。

 実弾入りの弾倉が挿入された13㎜機関銃を持ってひかりは外に出た。

 

「尚樹さん!耳に星のマークの入った通信機つけてたんですけど、知りませんかぁ?」

「ええっ!回収してないから……庭に落ちてないか?」

 

 通信機が無ければ空自機に誤射される危険性もあるので、慌ててひかりと尚樹は庭を探す。

 家の基礎や、ひかりが激突して折れた柿の木の周りを探すも、見つからない。

 

 そうこうしているうちにも空自の戦闘機が1機、また1機と撃墜されていく。

 射出座席が作動して脱出しているものもあるが、射出もされぬまま堺市方向の市街地へ火の玉になって墜ちていく機体もあった。

 河内長野市の建物も広い範囲で破片や撃墜機による被害が出ていた、おそらく戦後最大の被害である。

 

 向きを変えたネウロイはだんだんと尚樹たちの居る住宅街方向へと向かってくる。……まるで穴から出た何かを探すかのように。

 

「どこだ、どこに落ちてるんだ」

「早くしなきゃ!」

「ここに無いってことは塀のあたりか?」

 

 二人は焦りながら、下を見て探す。

 その時、塀の向こう側の藪の中からかすかに音がした。

 

『野……番……する……!』

 

 尚樹たちは急いで探すと、青地に黄色い星マークが施された丸い小さなイヤホンのようなものが転がっていた。

 

「これです!」

「このワイヤレスイヤホンみたいなやつか!」

「ウィッチの魔法力に反応して通話を助けてくれます!」

 

 尚樹は戦時中にワイヤレスイヤホンみたいなのがあったのかと驚くが、ストライカーユニットやウィッチがいる以上、魔法関連技術は現代技術並みに進んでいるのだろうなと判断した。

 

「さっきはなんて言ってたんだろうな」

「わかりません、呼びかけてみます!」

 

 ひかりはインカムに指を当て送話モードにする。

 

「聞こえますか、こちらは、雁淵ひかりです。聞こえていたら応答してください!」

 

 インカムからは雑音が流れてくるが、時折、複数人の声が聞こえる。

 

「そうだ、ネウロイは!」

 

 インカムに気を取られ忘れていたが、見上げるとすぐそこまでネウロイがやって来ていた。

 初めて間近で見るネウロイはとても大きく、空を埋め尽くすような錯覚に囚われた。

 黒々とした胴体に散りばめられた赤いパネルが光ろうとしたその時、それはやって来た。

 

「うおおおおおおおお!」

 

 エイのような形状のネウロイに穴が開き、その中を通り過ぎてゆく影。

 大穴を開けられたネウロイはまるで粉雪のように空いっぱいに白い破片を舞い散らせながら消えていった。

 

「なんだあれ」

「ネウロイが撃墜された、誰が?」

 

 呆然とする二人の家の裏で、ズドンという音がした。

 

「あ、落ちた」

「落ちちゃいました……管野さん!」

「ええええええ!」

 




次回はペテルブルグと大阪上空戦について
ご意見、ご感想お待ちしております。



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抜かれた剣

専門用語が多すぎる回。
要約:スクランブル発進した要撃機とネウロイが戦う話。

修正 ※管野の所属を原隊に


 2017年6月23日

 

 日本海側、能登半島の付け根に居を構える“龍”こと303飛行隊にスクランブルが掛かった。

 アラート・ハンガーに駐機していた灰色の鷲、F-15Jに弾かれるように飛び乗ったパイロットたちはエンジンを一つずつスタートさせる。

 エンジンがアイドル回転まで回れば、主翼の付け根にある大きな空気取り入れ口が離陸位置にガタンと下がり、発進準備が終わる。

 それが終わると胴体下ステーションに懸下した4発の白い空対空ミサイルのピンが整備員によって除去された。

 これで実弾として機能するようになったのだ、コクピットで“火器管制主スイッチ”を入れれば発射できる状態となった。

  

「コマツ “マグヌス21” タキシー アンド スクランブル」

『マグヌス21 スクランブル サウス エンジェル25 ……リードバック』

 

 303飛行隊に割り当てられたコールサインは“マグヌス”であり、スクランブルには21から28までが自動警戒管制システムのコンピュータによって割り当てられている。

 編隊長であるマグヌス21は管制塔の小松TWR(タワー)にスクランブル発進のための呼び出しを掛ける。

 管制塔からは南へ、高度2万5千フィートで飛ぶようにという指示が返って来た。

 一昔前であればレーダーサイトの管制官による音声誘導であったが、今ではデータリンクであり誘導は戦闘機の中の計器によって行われていた。

 復唱せよとの指示に編隊長は、内容を復唱する。

 

「ラジャー、サウス25」

『リードバックトゥコレクト、クリアードフォアテイクオフ、ウィンド225、5ノット』

 

 タワーから離陸許可が下りると4機編隊がハンガーから誘導路(タキシーウェイ)を通り、滑走路へ進入した。

 編隊長がスロットルを全開にしアフターバーナーを焚くと、弾かれるようにF-15Jは空へと昇っていく。

 ジェットの轟音を響かせ空へと急角度で上がっていく戦闘機も、基地の街である石川県小松市では日常だ。

 

 編隊長機に遅れて10秒後、空に上がった2番機はレーダーと目視で編隊長機を捉え、「タイドオン、スコープアンドビジュアル」とコールをする。

 ここで僚機を見失い、迷子になるとインターセプト(要撃任務)どころではない。

 

 2番機、853号機を駆るのは“ジーコ”こと倉本章文(くらもとあきふみ)二等空尉である。

 彼のTAC(タック)ネーム……あだ名のようなものは「サッカーが好き」という事から、時の日本代表の監督にあやかって上官によって付けられたのである。

 

 航空自衛隊に入って7年、夏の日も吹雪の夜も戦闘機に乗り続けた彼は今回の発進に違和感を覚えた。

 小松基地は日本海側にあり、おもにロシア軍機や中国軍機、珍しいところでは北朝鮮軍機などに対してスクランブル発進を行っている。

 しかしコクピットに取り付けられたヘッドアップディスプレイ、(以下、HUD)に表示された情報を確かめるとどうも、方位的には()()()()()()()である。高度もかなり低い。

 米軍機をレーダーが捉えて所属不明機として認識するとは思えないし、日本本土を縦断するようなロシア軍機の“東京急行”ならば北海道の第2航空団などからすでに情報が入っているはずだ。

 明らかにいつもの領空侵犯機ではなさそうだ。

 地上で前情報が無いのはよくあることだが、今度のスクランブルは“変”だった。

 

 自動警戒管制システムのデータリンクが捉えた目標へと誘導を行う。

 4機編隊が2つ、8機体制でかからないといけないような相手とは何だろうか。

 

 入間の防空指令所(DC)からの指示を待ちつつ、二個編隊は京都府の上空を飛行していた。

 大阪府に近づいたとき、レーダースコープのレンジを80マイルに切り替えた。

 スコープには主目標を表す“P”の文字が表示されており、60マイル(96㎞)ほどからどんどん近づいていることがわかる。

 相対距離が40マイル(64㎞)ほどになった時、ジーコはロックオンしてみる。

 F-15のパルス・ドップラーレーダーは目標機をロックオンすると、目標機の飛行諸元が表示されるのだ。

 

「やたら低いな……、小型機か?」

 

 民航機の飛ぶ3万3000フィートがおよそ1万メートルであるのに対し目標の高度は約8200フィート(2500m)とかなり低く、モーターパラグライダーで飛べそうな高さだ。

 また、速度は約216ノット(時速約400㎞)であり、ジェット戦闘機ではなさそうだ。

 ロックオンをしたことで、誘導する必要がなくなったとデータリンクの表示が消えて、代わりにHUDに小さい四角のボックスが現れた。

 ターゲットデジグネータ(以下、TD)というもので、その中に目標機が現れるのだがまだ目標は見えない。

 

 一度ロックオンを外して周辺の航跡を調べると、関西国際空港へ向かっていた民航機が映る。

 空中待機ではなく、いずれも別の代替空港へと誘導されているようである、

 そんな時、レーダーサイトからある驚愕情報を受け取っていた。

 民航機がアンノウンに近づいたところ、レーダーから消失した。

 同時にテレビ、動画サイトなどで撃墜の様子が流れていたのだ。

 

『マグヌス21、対象は民航機を撃墜した』

 

 悪い冗談にしか聞こえなかった。

 なぜ内陸部に前触れもなくいきなり国籍不明機が現れ、よりにもよって民航機を撃墜するのか。

 

 そうこうしているうちに、相対距離は20マイルを切って目標が見えた。

 大きさはロシアのバックファイヤ爆撃機ほどあるだろうか、黒地に赤のヘックス模様が毒々しい。

 エイを思わせる長い尾を持った“国籍不明機”は悠々と領空を遊弋(ゆうよく)している。

 少し離れた山肌には旅客機が落ちたような痕跡が見られ、ジーコは子供の時に見た日空機墜落事故のニュース映像をふと思い出した。

 

「機種および国籍不明、ステルス、エイのような形状をしている……」

「エイですか?民航機がロストしたので何かしらの攻撃手段があります」

 

 テレビを見ていないので事態を飲みこめていない管制官と、編隊長のやり取りを聞きながらジーコはカメラの準備をする。

 手順通り、無線を緊急周波数であるUHF帯で「われの誘導に従え」と呼びかけるも応答はなく、フラフラと飛んでおり相手の考えが読めない。

 この状況自体どこか現実味に欠けていた。

 他国の領空にどこからともなく出現した飛行物体が、戦闘機が出てきて呼びかけられた瞬間に「指示に従って大人しく強制着陸します」というわけがないのだ。

 

 いつも通り、距離を詰めて、ニコンの一眼レフで国籍不明機の写真を撮ろうと考えた。

 低速なので目標のそばを一度パスして旋回しようとした、次の瞬間、赤い光が放たれた。

 とっさにジーコは機体を右へと傾ける、これが編隊長機との運命を左右したのだ。

 

 ジーコの前を飛んでいた編隊長機は光線に突っ込み主翼から火を噴いて墜ちていく。

 

 頭が真っ白になり、赤い炎と黒煙を曳いて墜ちてゆく光景がスローモーションのように見えた。

 そのまま編隊長である“ヨネ”こと米沢三佐の乗る941号機は二つに裂け、青々とした水田に突っ込んだ。墜ちるまでに脱出は確認できなかった。

 とっさに頭に浮かんだのは、「ここを離れなきゃ」というもので、ジーコはアフターバーナーを吹かして距離を取った。

 輪島市に残した両親と中学生の妹の顔はどうしてか浮かばなかった。

 ただ、「そこから離れなくては」という言葉が頭の中をぐるぐると回り続ける。

 

 

 写真を撮る、無線で呼びかける、侵犯機を前後で挟んでバンクを振る、警告射撃……。

 

 航空自衛隊には領空侵犯機に対する対処方法はあるが、警告射撃のその先と僚機が撃墜された時にどうするかは決まっていない。

 戦闘機パイロットたちの間で議論された時、「撃つ」か、「撃たないですぐ帰って報告する」かは半々だった。

 あるパイロットは「帰って報告するべき」と言った先任に被せるように言った。

 

 __俺がやられたら、仇は討ってくれな。

 

 航空自衛隊が生まれて以降、ずっとファイターパイロットたちの脳裏に染みついて離れない問題が今、現実のものとなったのだ。

 

 震える声でジーコは防空指揮所に要求する。

 

「……ヨネが、編隊長が墜とされた。危害射撃を実施する許可を求める」

『地上の安全が確保されるまで、危害射撃は許可できない』

 

 何かしらの武器を用いて、航空機を撃墜した。これは急迫直接的な脅威である。

 十分当該機を撃墜してよい案件だ。

 しかし、中部航空方面隊司令からの回答はノーだった。

 人家も何もない海上であればただちに許可が下りたのだろうが、ここで撃てば高い威力の20㎜機関砲弾が市街地に降り注ぐのである。

 建物などの私有財産の損害はともかく、流れ弾や破片が住民に当たりでもすれば航空自衛隊側の判断を問われることになるのだ。

 

「目標、盛んに光線を放出中!」

 

 幸いにもF-15Jの速度が不明機に狙いを付けさせないようで、光っても3秒以内ならば十分回避が出来た。

 地上ではJアラートが響き渡り、退避指示が出ている頃だろう。

 

 小松基地から発進した2個編隊は、必死に避けながら正当防衛射撃の機をうかがっていた。

 

 西部航空方面隊の新田原基地より支援として新たに8機がやってきた。

 大阪の空は大空襲を受けた大戦から70年ぶりに乱戦となっていた。

 そこに居たのは銀色の腹を晒して爆弾倉のドアを開けた戦略爆撃機ではなく、アニメの敵を思わせる怪光線を乱射する黒い不明機と、必死にマニューバで回避し続ける自衛隊機だった。

 

 しかし、ついに2機目が撃墜される。

 垂直尾翼からエレベーター、二つの心臓ともいえるF100ターボファンエンジンを両断したのだ。

 尻を切られたF-15は推力を失い出火、残った操作系でのパイロットの必死の操作も叶わず河内長野市のゴルフ場を飛び越して市街地へと落下していく。

 黒煙を曳きながらみるみるうちに高度が下がっていき、透明の風防が吹き飛ぶように割れて射出座席が打ち出される。

 切断面から吹く炎に包まれた961号機は公団住宅の敷地内に墜落し爆発した。

 

 ようやく、正当防衛射撃の許可が下りた。

 大きく旋回し、ジーコは編隊長の仇とばかりにマスターアームスイッチをSAFE(セーフ)からARM(アーム)の位置に押し上げた。

 すると、誘導弾、機関砲共に使用準備完了とHUDに表示され、20㎜機関砲の照準を示すピバーが“箱の中(TD)”に映る不明機を捉えた。

 

「マグヌス22、フォックス3」

 

 射撃を宣言すると、操縦桿に備え付けられたトリガーを一瞬弾くように引いた。

 右側のインテイク付け根にあるバルカン砲がブーンと火を噴き、オレンジ色の炎を曳いた曳光弾と実弾が毎分6000発という勢いで吐き出された。

 7割近くが黒々とした体躯に命中し、高初速の機関砲弾が運動エネルギーでもってずたずたにする。

 周りを飛ぶ脅威を落とそうと赤いパネルから放たれる光線の位置を予測し、躱すと距離を取る。

 ちらりと目をやると、先ほど叩き込んだ20ミリ機関砲弾が穿った大穴が早くも塞がろうとしていた。

 機関砲を撃ちこまれても浮遊し、効果が無いように見えたため新田原からやって来た機体が空対空誘導弾による攻撃に移行する。

 

『アリエス26 フォックス2!』

 

 胴体下に懸下していた誘導弾、AIM-9Mが切り離され赤外線シーカーが目を開いた。

 ロケットモーターに点火され、2発の“ガラガラヘビ”は目標目掛けてマッハ2で飛び、突っ込んでいく。

 そして、弾頭重量9.4kgの破片弾頭は迎撃せんとする光線をかいくぐり、どてっ腹に直撃して炸裂した。

 

「やったか?」

「バカ!まだ飛んでるぞ!」

 

 爆炎が晴れると先ほどまでバルカンでボロボロだった敵機はいつの間にか綺麗になっており、サイドワインダーが空けた大穴でさえじわじわと埋まりかけていた。

 

「自己修復だと?なんじゃありゃ!」

「くそっ!」

 

 余りのでたらめな光景に、サイドワインダーを撃ったアリエス26は舌打ちをする。

 

「当該機、射撃するも穴が塞がっていく!」

「どういうことだ、増援は必要か?」

「今すぐ出してくれ!」

 

 不明機の動向を観測していたアリエス28が管制官に状況を伝えたが、ただでさえよくわからない常軌を逸した状況なのに、自己修復という非現実的な展開に思わず尋ねた。

 一方、ジーコ達小松基地の生き残り組は2機編隊を3つ作り、誘導弾と機関砲による波状攻撃を行う事にした。

 目標の光線を攪乱するために一機が先行し、次いで機関砲と誘導弾を交互に発射することで回復より早くに削り取ってしまおうというものだ。

 だが、黒い不明機は攻撃の意図を読み取ったのか、光線を連続放射から短連射へと切り替えてきた。

 

 ジーコの囮もむなしく、マグヌス23とマグヌス26が短連射のうちの一発を浴びて、撃墜される。

 

 マグヌス23は最期の瞬間までバルカンを撃ち続け、そのまま山に墜ちていった。

 マグヌス26は誘導弾を発射して離脱動作に入ったところを狙い撃たれ右翼を大幅に喪失、「市街地に墜ちてはいけない」とエンジン出力だけで大阪湾方向に退避してパイロットは脱出。

 919号機は午前11時52分頃海上にて墜落した。

 

 その光景は信太山駐屯地からもよく見え、傷つきながら最後の力を振り絞って海へと飛ぶ片翼のF-15Jの姿をある隊員がカメラで撮影していた。

 

 小松基地から発進した8機の邀撃機のうち3機が落とされ、新田原基地から発進した邀撃機は8機中3機が落とされていた。

 10機のF-15が居てなお撃墜できず、自己修復をして飛び続ける目標に航空自衛隊はいよいよ築城基地より空対艦誘導弾を搭載したF-2戦闘機の出撃を検討し始めていた。

 光線の届かないアウトレンジより、大火力の対艦誘導弾(ASM-2)を命中させて一気に再生能力を超える損害を与えようというもので発進準備が行われていた。

 

 同時に、レーダーサイトなどに駐屯する情報部隊が“不審なロシア語通信”などをキャッチしており、各地の陸海空の全自衛隊で非常事態における配備が行われることになる。

 

 

 効果の見られない所属不明機に、狭い空域における空中衝突を避けるために一斉攻撃が出来ず2機編隊による五月雨式攻撃を行っていたが、いよいよ残弾があやしくなってきていた。

 周辺国に対する監視もある都合上、全機出撃というわけにもいかずいよいよ手詰まりになろうかというとき、かなり小さい反応がレーダーに映った。

 そして、UHF帯の無線に“少女の叫び声”が入る。

 

『管野一番、突撃する!』

 

 辺りを飛び回るF-15から興味を無くしたかのように、不明機は“上空に”光線を放つ。

 あれは何を撃っているのか?とキャノピーから目を凝らして探すが、雲に隠れてわからない。

 だが、雲の中から射撃があったようで不明機の外板がボロボロと崩れていく。

 さっき見たような、撃った傍から治るという異様に早い回復は見られない、

 

 __何が起こっている?

 

 ジーコはもう一度だけ仕掛けようとして、突入コースに入る。

 すると、雲の中から現れた存在と目が合ってしまった。

 茶色い革で出来た飛行服のようなものに身を包んだ黒髪の少女が飛んでいる。

 手には銃を持っており、足に飛行機のような機械を“履いて”いる。

 衝突しそうになったが、彼女はひらりと躱すとあっという間に消えていった。

 

_____

 

 

 

 飛行服のようなものに身を包んだ少女こと、管野直枝は耳障りな甲高い音に横を向くと、見慣れない形の飛行機が高速で突っ込んできていたのである。

 管野、戦闘機のパイロット双方とも驚かないわけがない。空の上で戦闘機に轢かれて交通事故死なんてシャレにならない。

 

「うわっ!なんだテメエ!」

 

 管野はとっさに急降下した、あわや接触という距離を(ごう)と飛行機は抜けていき、戦闘機の乱流で揺さぶられ、生きた心地がしない。

 急回避をし、戦闘機の乱流のために13㎜機関銃が手から吹っ飛び、遥か下の街並みに落ちていった。

 

「危ねえぞ!前見て飛びやがれ!」

 

 燃えるジェット戦闘機の尻に叫ぶが、聞こえるわけもない。

 その時、インカムに声が入った。

 

『管野中尉、通路が閉じるまであまり時間がありません、早く戻ってきてください』

 

 調査団のウルスラ・ハルトマン中尉だ。

 あのエースパイロットの妹だけあって中々肝が据わっている女で、臆することなく敵に突っ込んでいき八面体のネウロイが怪光線を放ったときにも平然と計測を始めたのだ。

 

 そのとき、ウルスラと護衛の管野を狙って大型ネウロイが突進してきたのだ、もちろん二人は回避機動を取った。

 ところが、勢いよく大型ネウロイが通路に飛び込んだものだから、平衡を保とうと針の穴からじわじわ漏れ出していたものが一気に決壊したかのように流れ出す。

 お湯で満たされた湯船の栓を抜いたかのような勢いでエーテルが別世界に流出し、二人は突進してきた大型ネウロイもろとも超空間通路に吸い込まれて行った。

 

 ウルスラは何とか直前で持ち直し、“境界面”と呼んでいるエリアで踏みとどまっていたのだ。

 

 通路を越境していったネウロイがどうやら優先順位を自分に定めているようだ、光線を放って近づけまいとしている。

 管野の眼下には至る所で火の手が上がった街並みが広がっていた。

 自分たちが取り逃がしたネウロイによってこの惨状が引き起こされたとあっては、胸糞悪い。

 この世界に呼び寄せてしまったことの決着だけはつけて帰ろうと決めた。

 

 先ほど銃を失い、残るは己の拳しかない。

 だが、コアの位置を一撃で撃ち抜かねば魔法力の無駄であり、また崩れた体勢によって攻撃のチャンスを失うだろう、下手をすればそのまま異世界に不時着する羽目になる。

 見れば、先ほどの戦闘機がネウロイに機銃掃射を浴びせているようだった。

 だが魔法力の篭っていない射撃なんて大型ネウロイの前ではすぐに修復されて終わりだ。

 

「へっ、立つ鳥跡を濁さずってところを見せてやるよ!」

 

 管野が覚悟を決めた頃、インカムから声がした。

 それはずっと探していた、彼女の声だ。

 

『聞こえますか、こちらは、雁淵ひかりです。聞こえていたら応答してください!』

 

 

「ひかり!こんなところに居たのかよ!」

 

 管野は目を輝かせてひかりを呼び出すが、向こうには聞こえていないみたいで返事は無い。

 そこにウルスラからの必死な呼びかけが入った、どうやら通路が閉じてしまうようだ。

 

『管野中尉、聞こえますか!通路が……』

「中尉、みんなに伝えてくれ!『ひかりはここに居た』って!頼む!」

 

 閉じ行く通路から覗くウルスラにそれだけ言い残すと、管野はネウロイに向かって行った。

 

 

____

 

 

 

 

「前方を飛行中の貴機に問う、ここは日本国の領空である、所属と飛行目的を告げられたし」

 

 ジーコは国際共通のUHF帯の緊急周波数で呼びかける、先ほど声が聞こえたのだから繋がらないはずがない。

 最初は戦闘状況における精神状態が作り出した幻影かと思ったが、今も彼女は飛んでいる。

 

『こちらは扶桑海軍第343航空隊、管野直枝中尉だ!目的は“ネウロイの撃墜”だ!』

 

 前をひらひらと飛ぶ小型機、いや()()()()()から流暢な日本語で返答があり、驚く。

 聞いたことのない組織名であり、階級も自衛隊のものではないが空を飛ぶ者として不思議と親しみが持てるような気がした。

 防空指令所からも説明を求められた彼女は一言叫んだ。

 

『こっちはあのデカブツ倒すために来てんだよ、ごちゃごちゃいって協力する気がないなら帰れ!』

 

 F-15で速度を落とすも気付けば少女を追い抜き、彼女の遥か前でバンクを振っていた。

 国際的な取り決めで言う所の「我に従え」であるが通じないようで、仕方がないのでUHF帯で交信を続けることになった。

 

「あれを倒せるのか?」

『ああ、ただし、あいつのコアを露出させる必要がある』

「コアって何だ?」

『アイツの体のどっかに赤く輝く結晶がある、それを砕かねえとすぐに回復しちまう』

 

 気の強そうな少女の声が無線から流れてきていることに妙なおかしさを感じながらも、ジーコは倒し方を尋ねる。

 旋回しながら、彼女の方を見ると障壁のようなものを張って光線を受け止めているではないか。

 僚機もその様子をしっかりと捉えており、幻覚でも何でもないことを証明していた。

 

「管野……中尉だったかな、君は本当にやれるのか?」

『おう、銃が無いから攻撃は一発こっきりだけどな』

「こちらも燃料が少なくなってきた、次で仕掛けるぞ」

『上等だ!』

 

 無線から流れてくる声に、ジーコは機体を再び射撃位置へと持って行く。

 僚機も同じことを考えたらしく、残り僅かの弾薬とギリギリの燃料で最後の攻撃を仕掛けようとしていた。

 

「あと40秒で仕掛ける」

 

「マグヌス22、フォックス2」

『マグヌス25、フォックス2』

 

 温存していた最後のサイドワインダー3発が火を噴き、ネウロイに向かって飛んでゆく。

 撃ち終わるとブレイクし離脱する。そこに間髪入れずに上方から4機編隊が突入する。

 2枚の垂直尾翼に梅花のスコードロンマークが描かれたF-15、新田原の第305飛行隊だ。

 死も恐れぬが如き吶喊にネウロイは光線を散らした、しかし極限まで引き付ける。

 

『アリエス23、フォックス3』

2番機(ツー)、フォックス3』

 

 HUDいっぱいに黒い胴が映り、サイドワインダーが着弾した破孔付近目掛けてスイッチを弾いた。

 4機分の20㎜の弾丸の雨に撃たれたネウロイは金切り声を上げた。

 

 血のように赤い結晶がキラリと破孔より覗き、日光を反射する。

 そして、最後は右手を輝かせた管野が破孔から覗くコアへと真上から急降下する。

 シールドを圧縮し超硬度にしてそれを拳の前面に展開する、管野だけの必殺技。

 

「うおおおおお!」

 

 狙うはコアただ一点のみ。

 

「剣一閃!」

 

 拳でコアが砕ける感覚がする。

 シールドで削り、ネウロイを貫いたとき、地表にひかりを見た気がした。

 すぐに引き上げ動作に入るが、反応が鈍く体が持ち上がらない。

 

「上がれぇええ!」

 

 こうして管野直枝は河内長野市の山林に墜落したのだった。

 

 ネウロイの消滅と管野の墜落を見届けた戦闘機は、基地へと帰って行った。

 

 一方、地上は阿鼻叫喚の騒ぎとなっており、被害の大きかった河内長野市、和泉市、富田林市、河南町などの各所から警察や消防に通報が殺到し、近隣の大阪市消防局や、京都市消防から支援部隊が派遣された。

 

 撃墜された旅客機の遺体の捜索や落下してきた航空機部品や機関砲弾による被害、そして街中に戦闘機が墜落したことによる火災と、日常を取り戻すには程遠い状況だ。

 ある家では新車が機関砲弾の流れ弾で穴だらけになったが、まだマシなほうで、撃墜されたF-15が直撃した民家は全焼した。

 死者は日空657便の乗員乗客258名、警察・自衛官の殉職者は7名、住民16名、重軽傷者は250人にも上った。

 

 その日の晩のニュースは大阪府で起こった、戦後初の「大空戦」一色となった。




感想・ご意見等お持ちしております

空自隊員の体験談等を参考にすると、年代が混ざったりする上に脱線しそうになるからヤバい。
F-104J、F-86、F-4EJの話はよく出るけどF-1、F-15、特にF-2の話はあんまり見ない。


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管野帰還せず

修正:「捜索救難」と順番入れ替え。

時系列は
「キャンプの夜」→「菅野帰還せず(この話)」「抜かれた剣」「燃ゆる大空」です。

その後、「捜索救難」へ


 1945年8月1日 “レーシー”雲内部。

 

「それでは、機材を展開してください。ラル少佐、お願いします」

「わかった、護衛班は調査隊の展開支援につけ、脱出班は周辺警戒」

「了解!」

 

 空にそびえる大きな八面体の前に40名のウィッチがたどり着いた。

 502JFWの9名に、ウィッチ戦闘団の20名、調査隊の11名である。

 

 前回の9名だけでは継戦能力に不安があるとして、護衛部隊が増強されたのだ。

 しかし下手をすれば貴重なウィッチを1回に20~35人とおおよそ1個連隊分失うという危険性があった。

 マンネルヘイム元帥を始めとした司令部の幕僚たちはその点を憂慮していたが、アルチューフィン中佐の説得によってなんとか増強の許可が下りた。

 

 次に“どこがやるのか”という問題があった、ある種“決死隊”である増強突入部隊であったが各部隊がこぞって志願した。

 練度が一定以上で16歳以上の者を中心に選抜した結果、13歳などの年少組を擁する部隊が弾かれ、結局アルチューフィン戦闘団内の3つの連隊から選抜することになった。

 

 増強部隊はイザというときに中から爆風弾で食い破って脱出する“脱出要員”、調査隊の脱出を援護する“護衛要員”に分けられていた。

 

 第502統合戦闘航空団はなまじっか腕利きばかり集めていたものだから兼ね役であり、管野やニパ、クルピンスキー、ジョゼが主に護衛要員に充てられていた。

 

「クルピンスキー中尉、スクリーンはもう少し丁寧に扱ってください、破れます」

「おっと、ごめんよー。いやあウルスラちゃんも真面目だねえ。肩の力、抜いてみない?」

「姉様は力を抜き過ぎている気がしますが」

「コイツみたいなのがもう一人いんのかよ……」

「直ちゃん酷いなあ、僕は色々な遊びを教えただけなんだけどなぁ」

「大丈夫ですよ管野中尉、姉様は自分のやりたいようにやっているだけですから」

「その分、トゥルーデが面倒見ているから心配しなくて大丈夫だよ」

「ホントかよ」

 

 怪光線の分光を結像する白い大型スクリーンを広げ、そこに光線を導くための結像用ファインダーをセットする作業に入っていた。

 クルピンスキーや管野はウルスラから指示を受けてテキパキと組み立てていく。

 一方、ニパとジョゼは調査隊のメンバーと共に照準ファインダーをスクリーンのフレームに取り付ける作業を行っていた。

 

 

「あいたっ!なんで石がこんなところに飛んでるのさ」

「カタヤイネン曹長!ファインダ!ファインダが落ちる!」

 

 しかし、不運なことに上昇気流に巻き上げられていた小石がニパの手に当たり、黒い弁当箱状の照準ファインダが落ちそうになった。

 

「うわわわ!」

「ニパさん!もういいです!私が代わります!」

 

 作業を見ていたサーシャは迷いなくニパの下へと飛び、ファインダを確保した。

 

「サーシャさん、ごめんなさい……」

「ニパさん、この器材を落としたらそれだけであなた達のお給金が吹き飛びますよ」

 

 光学機器類はノイエ・カールスラントから取り寄せたレンズやプリズムを満載した“特注”であり、隊員の不手際で壊せば()()()()()()()となる。

 いつもお金がない502ではユニットの修理費用どころか、3か月分の隊員の給料も払えるかどうか怪しくなるのだ。

 経理担当のサーシャはニパに手伝うように言った調査隊員に言った、「こういう“危険”な作業は自分がやる」と。

 

「ジョゼさん、このファインダとスコープを固定してください」

 

 ジョゼはサーシャから受け取った照準ファインダと閃光から目を守る遮光(しゃこう)フィルタを組み立てて蝶ネジで留めてゆく。

 一応、対閃光ゴーグルは渡されているが遮光度が高く、真っ黒で視界がほぼないので作業が出来ないことから組み立てや通常飛行時には皆外している。

 ただ、ゴーグルをつけては接眼部が覗けないので、裸眼で見る接眼スコープには遮光ガラスがはめ込まれているのだ。

 

「セット出来ました」

「ありがとうございます。ルマール少尉、次はアンカーロケットを撃ちこむので……」

 

 ジョゼは調査隊員と共に使い捨ての50mワイヤーリールを測定器に取り付け、ロケット発射機を構える。

 

「お願いします」

「撃ちます!」

 

 光線測定器からロケットが発射され、八面体の表面に孔を開けて徹甲弾芯(ペネトレータ)が深く潜った。

 すぐに穴が自己修復され、埋まった弾芯から伸びたワイヤーによって測定器が固定された。

 

 ロスマンや孝美、下原は脱出要員と共に周辺の警戒を行っていた。

 雲の外と違い、雲の壁の中には邀撃タイプのネウロイの影が一つもない。

 不気味に黒く輝く八面体だけが静かに浮いている。

 

「静かですね」

「下原さん、下はどうかしら」

「雲海の中にも見えませんね」

「わざわざこちらを出方を待っているのね」

 

 孝美が見上げると超空間通路はまだなく、暗い成層圏が広がっていた。

 

 作業開始から18分が経ったとき、それは突如起こった。

 首や頭に掛けた対閃光ゴーグルをつける暇もなく、八面体がいきなり発光し始めたのだ。

 

「うわっ!発光!」

「来ました!」

 

 視界を漂白するが如き閃光の中ウルスラは叫ぶ。

 

「管野中尉!測定器をっ!」

「おうっ!」

 

 八面体に撃ちこまれたアンカーロケットから伸びる落下防止・固定用ワイヤを手で探り、管野は測定器の左側グリップを握る。

 薄目で右隣を見ると、照準ファインダの接眼部に目を当てて左右調整をしているウルスラの姿があった。

 ウルスラは遮光ガラスの向こうに見える照準器に八面体の発光部の中央が来るように合わせていた。

 左右が決まれば次は上下だ、これが合わなければ斜めに光が入り正確なデータが取れない。

 

「管野中尉、光線の軸に合わせます!もう少し上昇してください」

「わかった!」

「そこで止まって!」

「おう!」

 

 1秒が1分にも感じるような凄まじい光の中を二人は必死に計測を行った。

 ファインダに取り付けられた記録部がカシャッ、ジー、カシャッと音を立て、虹色に光るスクリーンを収める。

 航空時計において5分間の発光の後、八面体は再び沈黙した。

 

 ゴーグルを付けられなかったものは頭痛と共に視界が残像で見えなくなり、すぐにゴーグルをつけた者も黒く残像が目の前を飛び、ふらつく。

 そこに、雲海を割るように大型ネウロイが飛び込んできた。

 強すぎる刺激の直後という事もあり、近接する護衛班の射撃も当たらない。

 平たい大型ネウロイは測定器目掛けて体当たりを仕掛けようとした。

 

「管野中尉!」

「壊させるかよ!」

 

 とっさに二人は上昇し、アンカーを支点に弧を描いて回避した。

 二人を掠めた大型ネウロイは勢いのまま、上空に口を開けている通路に飛び込んでいった。

 

 大型ネウロイが通路に突入したその時、「ドン」というまるで砲弾が炸裂した時のような衝撃波がやって来た。

 そして強烈な吸引感がウィッチたちを襲った。

 必死に逃れようと下降していたが、その時、計測器の記録部を固定していた蝶ネジと金具が振動で外れ、記録部がふわりと浮く。

 ウルスラはとっさに今回の作戦で“命と等しいほど大切な情報”の詰まった記録部を抱きかかえた。

 この記録を取るために多くの犠牲を払ったのだ。ここで失っては戦いに倒れていった地上軍や戦闘機乗りの将兵たちが浮かばれない。

 

「うおおおおお!間に合えっ!」

 

 そのまま飛ばされていくウルスラを捕まえようと、管野が上昇するとあっという間に空高く超空間通路へと吸い込まれていったのだ。

 

「カンノ!」

「管野さん!ハルトマン中尉!」

 

ニパと孝美の声が空へと消えていった。

____

 

 

 吸引が止まり、温度が下がったことで霧が出始めると、怪光線によって“どこからか召喚された”と思しき大小さまざまなネウロイが雲の中より続いて飛び出してくる。

 吸い込まれていった管野とウルスラの無事を確認する暇もなく護衛班も脱出班も交戦に入った。

 

 ラルは偏差射撃で音波探査機を背負った調査隊のウィッチに向かう雑魚を始末した。

 残像が引いて復帰した孝美は超空間通路へ向かう大型ネウロイを狙撃し、逃がしはしない。

 魔眼でコアを捉え、20㎜の弾丸が的確にコアを貫いてゆく。無防備に背面を見せて飛ぶ鈍重な大型ネウロイなぞ的でしかない。

 サーシャとロスマンは大物を狙う孝美の援護に回って、寄って来たネウロイを落としてゆく。

 フリーガーハマーの火力で外板を粉砕し、流れ作業のようにサーシャがとどめを刺した。

 管野が吸われていったことに動揺する暇も与えられず、ニパは遊撃手として中型の相手をしていた。

 クルピンスキーとジョゼは調査隊のウィッチたちの直掩(ちょくえん)に回り、接近してきたものを中心に撃墜していく。

 そのほかの増強部隊のウィッチも選抜されたベテランばかりであり自衛火器での射撃や、突入時に撃ち終った()()()()()()()()()()()()などして次々と撃墜していった。

 

 こうして雲の中から現れたネウロイの群れはウィッチたちの敢闘によってひとまず姿を消した。

 次は音波探査機を八面体に打ち込み、探針音の通り方でコアを捜索する作業が始まった。

 

 外板と構成材質や密度の違う結晶部が内部にあればそこに反応が現れるのだ。

 割れやすいコアと自己修復にも対応する外板部では、どうしても密度や材質が異なる。

 単一の材質で出来ているなら、外板攻撃時に一緒に割れているはずである。

 

「どうやら、第一波はこれで終わったようだな」

「隊長!カンノの様子を確かめに行かせてください!お願いします!」

 

 第一波を退け、計測作業の準備に掛かろうかとしたとき、ニパがラルの前にやって来た。

 飛ばされていった管野の捜索に行きたいと懇願するニパに、サーシャは諭すように言った。

 

「ニパさん、管野さんの様子を確かめる前に、私たちにはやらなければいけないことがあります」

「そんな!サーシャさんだって……」

「ニパさん!」

 

 サーシャも管野の事が心配だが、計測作業の護衛が居なくなっては次の襲撃があった時に対処できない。

 助けに行きたい気持ちを押し込めて、ニパを叱ろうとした。

 その時、黙って聞いていたラルが真剣な表情で言う。

 

「サーシャ、ニパ、私は別に行くなとは言わん。だが、ここで結果を出さねば()()()()()()()ぞ」

 

 “次から外される”つまり、レーシー攻略において突入部隊ではなく外で帰還を待つ援護部隊にさせられるのだ。

 そうなればひかりの捜索も、先ほど吸い込まれていった管野とウルスラの捜索も叶わない。

 

 502が攻略部隊に選ばれたのも、結果を出し続けてきたからだ。

 

 グリゴーリの撃滅、“レーシー”の能力の発見、異空間通路と八面体の屈折体の発見と様々な()()を積んできたからこそ、今、ここに居るのだ。

 ニパの昂った心に、ラルの言葉は深く突き刺さった。

 

「……カタヤイネン曹長、護衛任務に戻ります!」

 

 とぼとぼと言った擬音が似合いそうな調子で護衛に戻っていくニパの姿に、ロスマンはラルの方を見た。

 突入部隊の指揮官という事もあって、作業中は様子を見ているだけなのだ。

 ラルは味方を見捨てない、彼女は機を見て自分が探しに行くだろうと。

 ロスマンの視線に気づいたラルは不敵な笑みを浮かべる。

 いつだって、こうして戦果をもぎ取ってくるのがグンデュラ・ラルという女なのだ。

 

 音波探査機を持った調査隊の3名のウィッチが八面体に取り付き、それぞれ背負っていた送信部・受信部のユニットを斜面に下ろして、大きな演算部と太いコードで接続する。

 筒状の送信部からは一定のリズムで探針音が放たれ、トランクケースのような受信部が反射を捉えるのだ。

 これらの情報が大きな登山用バックパックほどある魔導演算部によって分析され画像化されるのだ。

 その間、護衛班のウィッチたちは空だけではなく探査機を持った調査隊の様子も確認していた。

 

 探査のために取り付いた瞬間、突如表面がうねって飲みこまれることが無いとは言い切れないからだ。

 

 

「管野さん、聞こえますか……管野さん」

『……かよ……くそっ』

 

 雲の外の司令部とはだいぶ前から通話が出来なくなっており、おそらくレーシーを覆う分厚い雲の壁によって電波が遮断されているものだと考えられる。

 孝美は管野を呼び出すが、少し遠い。完全に雲の外にいるわけではなく、ギリギリ電波が届くエリアにいるようだ。

 どうやら戦闘状態に入っているらしく、管野の悔しそうな声が聞こえてきた。

 ウルスラの声も聞こえており、こちらは少し聞き取りやすい。

 

『管野中尉……脱出しまし……う』

 

 通信担当の孝美は交信をラルとサーシャ、そして下原に中継する。

 下原が超空間通路を見た時、穴の縁に金色の髪が見えて次第に近づいてきた。

 

「ウルスラさんが、戻ってきました!」

「下原さん、管野さんは!」

「今、死角に入っています!」

 

 下原の声に、サーシャが思わず尋ねる。

 持てる能力を精一杯使い、管野を探すが穴の向こうに管野の姿が見えない。

 孝美は管野に呼びかけるが、応答は雑音が多く聞き取れない。

 そして、茶色の飛行服に身を包んだ管野が穴から見える範囲に戻って来た。

 

『管野一番、突撃する!』

 

 管野の突撃を告げる無線はいやにはっきりと聞き取れた。

 

「管野さんは……雲の中に飛び込んでいきました」

 

 下原は管野が雲の中に急降下し飛び込んでゆく様子を見た。

 その傍を灰色の2色迷彩のかかった飛行機のようなものが抜けてゆく。

 

「管野さん!応答してください」

 

 サーシャの呼びかけにも応答はない。

 管野が向こう側で高度を下げたことによって電波が届かなくなったのだ。

 反対にウルスラはこちら側の穴の縁まで戻ってきており、明瞭に聞こえるようになった。

 

『管野中尉、通路が閉じるまであまり時間がありません、早く戻ってきてください』

 

 事実、どんどんと穴の径は小さくなっており、あと数分もすれば穴は閉じる。

 ウルスラの呼びかけは聞こえるが、管野の応答は聞こえない。

 サーシャは無線が繋がり、管野と交信しているであろうウルスラを呼んだ。

 

「ハルトマン中尉、状況を報告してください!」

『管野中尉が大型ネウロイと交戦中、帰還限界におそらく間に合いません!』

 

 暗い空が広がっており、もう穴は人ひとり通れる位の大きさになっていた。

 

『管野中尉、聞こえますか!通路がもう閉じます!』

 

 管野は異世界に残ることになったのだ、サーシャは思わず言った。

 

「もう、あの娘はっ!」

 

 その様子を八面体の近くから見ていたニパは管野に何かがあったことを悟ったが、持ち場を離れるわけにもいかず悶々としていた。

 くるくると旋回しながらゆっくりとウルスラが降りてくる、保護フィールドがあるとはいえ急降下は気圧の変化で体に悪影響を及ぼすのだ。

 

「ハルトマン中尉、よく帰って来た」

「はい、記録部もこの通りです」

 

 遥か高空から降りてきたウルスラはラルの前に立つと管野からの伝言を伝える。

 

「皆様に、管野中尉からの伝言を承っております」

「管野が私たちにか」

「内容は『ひかりはここにいた』です。雁淵ひかりさんからの呼びかけもありました」

 

 ウルスラの口から聞いた言葉を聞き、502のメンバーの動きが止まった。

 管野は異世界に取り残されたわけではなく、自ら残ったのだという事に気づいた。

 

「ありがとう、ハルトマン中尉。そうか、あいつはわざわざそのためにな」

「ひかり……管野さん……」

「ひかりさんは、無事みたいね」

 

 ラルは「相変わらず無茶をする」と笑い、孝美はひかりの無事を知ると同時に管野の無事を願っていつの間にか涙ぐんでいた。

 ロスマンも涙ぐんでこそいないが、心に来るものがあった。

 

 一方、音波探査を終えた調査隊はアンカーワイヤーのリールを捨て、すべての機材を携行状態に戻す撤収作業が行われていた。

 器材の撤収にかこつけて少し離れた所で聞いていたニパが、調査隊の女の子を見ているクルピンスキーに声を掛けた。

 

「えっ、ひかりちゃんが?」

「そうだよ中尉、ひかりがあの向こうに居て、カンノが残っちゃったみたいなんだ!」

「直ちゃんはひかりちゃんの事が好きだからねえ、ニパ君も向こうに行ってみたい?」

「ワタシはいいよ!イッルやハッセと会えなくなるかもしれないし、大体、向こうが危なかったらどうするんだよ」

「そうかなぁ、ひかりちゃんが居るってことは()()()()()()()()確保されているんじゃないかな」

 

 ひかりの生存を喜ぶムードの中、下原が新たなネウロイ集団が接近していることに気づいた。

 

「みなさん、下方よりネウロイ集団第二波接近!」

「よし、離脱するぞ」

 

 ラルの号令を受けて護衛班が襲撃してくるネウロイの数を減らし、脱出班が爆風弾で雲の壁に大穴を開けるはずだった。

 

「この時を待っていたぞ、まとめて吹っ飛べ!」

 

 しかし、本来の用途とは異なり、敵集団目掛けてブダノワはもう撃ち馴れた爆風弾を発射した。

 ロケットは時限信管によって敵集団のちょうど中央で炸裂し、赤い炎と膨張したエーテル交じりの反応ガスが大きな火球を作った。

 狙い通りネウロイが消え失せたのはいいが、遥か上空のウィッチにも爆風はやって来てシールドで凌ぐも左右に揉まれる。

 

「ブダノワ中尉のバカー!」

「雲の中で撃てーアホー!」

「取扱説明書を読めー!」

 

 ウィッチ達の中からそんな罵声が聞こえる。

 当のブダノワは「今日の爆風の唸り声はにぎやかだな」とまったく意に介さない様子だ。

 爆風が過ぎ去ると、今度はブダノワ以外の脱出班が爆風弾を雲の中へと撃ちこんだ。

 雲の中で火球が見えて小さな通路が出来上がると、そこから調査隊を先頭に脱出を図った。

 

 雲の外はもう薄暗い夕方であり夜間視の使える下原の先導や、地上から発進してきたナイトウィッチの誘導もあって調査隊及び突入部隊の39名は無事、前線飛行場に降り立つことが出来た。

 

 そして、突入部隊の少女たちは翌朝より報告書の山と戦うことになった。

 

 調査団本部には調査隊が命がけで集めたデータの他に、ウルスラから“異世界についての報告書”が上がり、その情報は連合軍の上層部を驚かせることとなった。

 異世界に突入したウルスラの報告書には、技術力の証である“高層建築と思しき建物”や“道路を高速で走る多数の自動車”があった。

 最も興味を引いたのは“ジェットエンジンと思われる音を立てて飛ぶ戦闘機に、ロケット兵器が搭載されていた”と言うものだ。

 特にジェット戦闘機のイラストはウルスラの物以外に、遠視で通路の向こうを確認した下原の報告書にもあることから信用性が高いと考えられた。

 

 これらの技術を持つ国にどう接触するべきか、あるいはネウロイによってもたらされた通路をどのようにすれば「自分たちが意図して開けるようになるか」と上層部で考える者が出た。

 

 一方、異世界に留まることとなった管野直枝はラルやウルスラの報告により職務離脱者つまり“脱走兵”扱いにはならずに、戦闘中行方不明という扱いになる。

 書面の上では消息を絶っていたが、実際は異世界の調査のために残ったとされており、「雁淵ひかり軍曹を()()して帰れば」()()()()()()()()として昇進することになった。

 




本人のあずかり知らぬところで昇進が決まってしまったぜバカヤロウ!
報告書では雁淵ひかり軍曹からの救援を求める声があり、越境していったネウロイとの交戦に参加して行方不明となっている。

決して機関銃の筒内爆発による行方不明ではない。(銃落としてるけど)

ご意見・ご感想等あればお待ちしております。


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捜索救難

修正:一文の中の重複表現などの修正。

「菅野帰還せず」との順番入れ替え。


「ここら辺か?」

「うーん、そんなに遠くではないと思います!」

 

 日が落ちて至る所で赤々と輝く赤色散光灯を背に受けながら、一組の男女が森の中をゆく。

 

 ネウロイが撃墜されて屋内退避命令が解除された今、警察も消防も河内長野近辺の地上被害に駆り出されており、地上に落ちた魔女の捜索をする余裕などない。

 尚樹とひかりはそれを好機だと捉え、警察より早く管野を確保せんと森に入って捜索していた。

 

「管野さーん!どこですかぁ」

 

 空を見上げれば市街の明かりが空に映り、山だというのに白みがかった灰色で星も見えない。

 夜空の明るさに黒々とした木々が映え、一層森の暗さを引き立たせている。

 足元の腐葉土には獣の足跡と糞が点々と残り、人が踏み入れた痕跡はない。

 山狩りが始まっていたなら警察の出動靴(しゅつどうか)かあるいは自衛隊の半長靴(はんちょうか)の痕跡がはっきりと広範囲に渡って残るはずである。

 

「何かいますよ!」

「ひかりちゃん」

 

 そんなとき、藪の中から葉が擦れる音が聞こえ身構えた。

 大人数でガヤガヤとやる山狩りと違ってわずか二人だ。

 猿はともかく熊や猪、鹿と言った大型動物と遭遇すればひとたまりもない。

 熊は爪と大きな体躯こそ武器であり、猪は重量に加えて牙は鋭く突進された際に股下の動脈を切り裂かれ失血死するおそれがある。

 オスの鹿の角もとても鋭く突き刺されれば酷く(えぐ)れるのだ。

 

 これらの野生動物は日本国中におり、演習場などの山林で歩哨を襲撃することもあった。

 爆音で戦車が動いているときは寄ってこないが、休憩間や野営中、潜伏中はその限りでない。

 置いていた銃を倒されたり携行食料を荒らされたりはまだ良いほうで、演習場近隣の住居に侵入し独居老人を襲撃したなどと言う話を聞く。 

 

 もし危険な動物であれば出会い頭に一発やって怯ませようと、尚樹はひかりの前に出てLEDの懐中電灯を半身の姿勢で構える。

 単2乾電池を3本入れて重量もあり、強度に優れた航空機用の7000番系アルミ合金(超々ジュラルミン)で出来た大型の懐中電灯は警棒代わりになるのだ。

 徒手格闘訓練でやった通りに相手の鼻先に銃剣や警棒を突き出し、あるいは振り下ろして制止するイメージをする。

 息を飲んで藪を見つめると、小型犬ほどのサイズのこげ茶色の体毛の生き物が2匹現れた。

 その生き物は金色に輝く瞳で身構えている尚樹とひかりを一瞥すると、悠々と何事もなかったかのように反対側の藪へと去って行った。

 

「狸ですね!かわいいなぁ!」

「……なんだ、狸か。ひかりちゃん早いね」

 

 尚樹は顔の白い模様に黒い手足の動物、短い尾は茶色単色って何だろうと一瞬考えたのだ。

 タヌキ、アナグマ、アライグマの見分け方があるのだが、動物にあんまり興味が無かった尚樹はわからなかった。

 余談であるが河内長野市には外来種であるアライグマが出没し、6月から7月にかけて農作物の食害が増え、府における捕獲量も最も多い期間である。

 

「よく山の中で遊んでたし、リスや狸は友達だったんです!」

 

 ひかりは野山で遊んでいたので、それが狸であるかアナグマであるかはパッと見てすぐに分かる。

 そうした山の動物たちとの触れ合いが、ひかりの魔法力発現に影響することになったのだ。

 

「へぇー、ひかりちゃんって野山で遊ぶ風景が似合うなあ」

「どういう意味ですか!もう!おかーさんみたい!」

 

 ひかりは少し膨れて見せた。

 母、竹子からよく「孝美は街に行っておしゃれするけど、ひかりはいつも泥だらけだねえ」と言われていたのだ。

 山で遊んでいる時に転んだりしてよく汚していたし、姉に追いつこうと海面を魔法力で渡る“海渡り”を始めてからはよく海水でずぶ濡れになっていたからあながち間違いではない。

 でも、ひかりとしてはお姉ちゃんみたいに「おしゃれが似合う」と言われた方が嬉しい。

 

「ごめんごめん、でも、ひかりちゃんはかわいいから、絵になると思うよ」

「ホントですかぁ?」

「朝のテレビでもやってただろ、……その、森ガールみたいな」

「かわいいけど、あんなので森に入ったらすぐボロボロになっちゃいますよぉ!」

 

 むくれた様子のひかりに尚樹は、慌ててファッションについてあんまり知らないけれどフォローを入れる。

 ひかりは朝の番組で見た“懐かしファッション”を思い出して、「森ガール」という言葉にツッコミを入れた。

 

 “森にいそう”を追及するとスオムスのウィッチたちがひかりの脳裏をよぎる。

 ニパさんはよく木に引っかかってボロボロになっていたし、狩猟もできる。

 いつぞの回収で出会ったユーティライネン大尉なら冬の森の中からシャベル一本で生きて帰ってきそうだ。

 

「せやな、あれは町専用やな。でも、ひかりちゃんは柔らかい感じの服も似合うよ」

「もーっ、うまいこと言って!店員さんも言ってました!」

「ああ、だからあの服になったんだね」

 

 ひかりの機嫌が戻り、白いシャツと抹茶色のフレアスカートを組み合わせたゆるふわ系コーディネートに行きついた理由について話しながら歩く。

 尚樹はもうちょっとお金が溜まったら、ひかりによそ行き用の服をもう一枚買ってあげてもいいかなと思った。

 気づけば裏山の中腹にやって来ていた。

 

「管野さーん!どこにいるんですかぁ!」

 

 ひかりの呼ぶ声に、藪の中からガサゴソと音がした。

 尚樹は狸やアライグマかなと思いつつも、一応構える。

 ドスンとある程度の重量感のある土の音がし、藪から転がって来たのは岩だった。

 岩の方に気を取られて藪に懐中電灯を向けている時、視界外から先の尖った枝を持った少女が飛び出してきた。

 枝の切っ先は尚樹の喉笛に合わされており、おそらく致命傷になるだろう。

 

「誰だテメエ」

 

 

 飛行服に身を包み、上空での寒気に備えてマフラーを巻いている小柄な少女に尚樹は不意を突かれたこともあって圧倒される。

 枝を使った刺突が先か、それをいなして懐中電灯で殴るほうが先かと緊張が走る。

 

「管野さん!だめですよ!」

「ひかり!そいつ知り合いか?」

 

 ひかりの制止の声に少女、管野直枝は枝を下ろした。

 尚樹も構えを解き、懐中電灯で足元を照らす。

 

「はい!尚樹さんは今お世話になってる人なんです!」

「そうなのか?」

「あっ、初めまして。自動車整備士やってる武内尚樹って言います、ひかりちゃん……雁淵さんとは一緒に生活していまして」

「俺は管野直枝、扶桑海軍で中尉をやってる」

 

 尚樹の自己紹介に、名前と階級まで名乗ったが一つ気になることがあった。

 

「てめえ、ひかりに変なことしてねえだろうな、してたらぶっ飛ばす」

「してませんよ!」

 

 管野の視線にたじろぎ、すぐ否定する尚樹。

 

「変な事なんてされてません!尚樹さんは優しくしてくれて、温泉とかいろんなところに連れて行ってくれたんですよ!」

 

 ひかりのフォローに納得しそうになって、()()に連れて行ってもらったということにピンときた。

 管野は純真なひかりが悪い男に丸め込まれているイメージが沸いた。

 男が若い娘を温泉に連れていくときは、「温泉旅館でしっぽりと」と相場が決まっているのだ。

 クルピンスキーのジョークですら真に受けるような彼女の事であるから、きっといろんなことをさせられ、そのたびに上手くごまかされていたに違いない。

 

「温泉?……温泉に連れ込むヤローなんて下心しかないだろ!」

 

 この発言に拳をぎゅっと握り込んで怒ったのはひかりだった。

 

「もう!これ以上言うと管野さんでも怒りますよ!」

 

 目に怒ってますという炎を滾らせ、管野を見つめる。

 頑固者で、姉の孝美に似て怒ると異様に迫力のあるひかりには管野もたじろぐ。

 地面を照らす懐中電灯の反射光だけでは薄暗くて、表情が読みにくいというのも怖さに拍車をかけていた。

 

「うっ、悪い、謝るよひかり……」

「謝るのは尚樹さんにですよ!」

「はい!すみませんでしたぁ!」

「お、おう、社会通念上誤解させるようなことした俺が悪いんだしな……」

 

 まるでぶち切れたサーシャに相対したときのように管野は謝り、尚樹も受け入れる。

 その様子を見たひかりから迫力は消え、またいつもの純真でふわふわとした雰囲気に戻った。

 尚樹もひかりが本気で怒っている所を初めて見て、すこしビビっていた。

 

「じゃあ、尚樹さん、管野さん帰りましょう!」

「帰るってどこにだよ!」

「帰るって、尚樹さんの家ですよ?」

「ひかりちゃん、その前にユニット置きっぱなしは不味くないか?」

「あっ!そうですね!」

 

 これにて一件落着と帰ろうとしたひかりに、尚樹はユニットの存在を思い出した。

 管野は軍隊かあるいは治安組織に所属する人間が既にひかりの身柄を抑えていて、「救援に来たウィッチを捕獲あるいはユニットを接収するために、彼女を使って(おび)き出しにかかった」と考え、わざわざ襲撃したのである。

 空戦の結果から航空ウィッチとユニットがネウロイに対抗できる()()()()()()()()()()であるとわかれば、なおさらだ。

 それに異世界に来て早々捕虜、または犯罪者として留置場送りなんていうのは勘弁したい。

 

「管野さん、ひかりちゃんのユニットも家でこっそり整備中だし、悪いようにはしないよ」

「尚樹さんはエンジンの調子を良くしてくれるんですよ!」

 

 ひかりの様子を見ると、とても懐いており妹と兄のような関係に見えなくもない。

 

「わかった、あんたを信じる。俺のユニットは……向こうだ」

 

 管野に先導され、尚樹とひかりは藪をかき分けて墜落地点へと向かった。

 天を覆う枝葉の隙間から上手いこと突入したようで、木の根元に綺麗なユニットが転がっていた。

 

「よし、見た所、外板はきれいだな。これなら点検だけでいけそうか」

「あたりめーだ、森の中に着陸できねーなんて扶桑のウィッチじゃ笑い者だ!」

 

 運び出すにあたって損傷状態をチェックする尚樹に管野は得意げに言う。

 だが、尚樹はひかりからブレイクウィッチーズの逸話をさんざん聞かされていたため、ひかりに話を振る。

 

「えっ?ひかりちゃん、本当?」

「そんな話、初めて聞きました!」

「ひかりテメエ!あとお前も笑うな!」

 

 管野は無邪気に言うひかりと、おそらく自分たちの事をひかりから聞いたうえで話を振った男に対して怒る。

 だが、逆に「ホントにぃ?」と生暖かい目で見られ管野はばつが悪くなった。

 

「わかった、わかったからさっさと持ち帰ろうぜ、な!」

 

 尚樹としてもこれ以上管野を弄っても仕方がないので、森の中に隠したパジェロまでどう運ぼうか分担を決める。

 

「右足は管野さん、左は俺が持つ、で、ひかりちゃんは懐中電灯を持ってくれるかな?」

「わかった、俺のユニットを落とすんじゃねえぞ」

「わかりました!……管野さん!」

 

 ひかりは尚樹から懐中電灯を受け取ると、とんとんと先に進んでゆく。

 肩の上にユニットを担いだ二人は足元に気を付けながらひかりの通ったルートを行く。

 

「ひかり、速えよ!」

「ごめんなさい!管野さん、尚樹さん。速すぎましたか?」

「もうちょっと速度を落としてくれたら助かるよ」

 

 その時、尚樹はヘリコプターのローター音を耳にした。

 ヘリコプターは旅客機墜落現場や戦闘機の墜落地点に多く飛んでいたが、明らかにそちらに向かうヘリコプターとは音の距離が違った。

 

「ひかりちゃん、ヘリだ、電気消して!」

「はい!」

「どうしたんだ」

「多分、余裕が出来たか、あるいは重要性に気づいたかで管野さんの捜索機が来た」

 

 音が山々に反響し、探知を避ける地形追随飛行こそしていないがそれなりに低いところを飛んでいることがわかる。

 尚樹のカンではおそらく陸自か空自の汎用ヘリであり、音の感じからOH-1などの偵察ヘリではない。

 尚樹の居た戦車大隊の駐屯する今津駐屯地や隣接する饗庭野(あいばの)演習場でよく遭遇したがOH-1はすぐ真横のグラウンドでホバリングしていても遠くに居るかのように聞こえて気づきにくいほど音が小さいのだ。

 師団検閲においても対抗部隊の耳目となって飛来し、なかでも対戦車ヘリコプターとコンビを組まれると最悪で戦車を殺しにかかってくるのである。

 「戦車はゴキブリだ」と例える戦車陸曹がいたがまさにその通りで姿を見せれば最後、上からパンと叩かれてお終いである。

 

 ひさびさに対空警報が聞こえてくる気がした。

 

 懐中電灯の光を消し息を潜め、二人は低い姿勢を取ってじりじりとひかりの元へと進む。

 一定の高度を保って木立の上をゆっくりと旋回しているのか、爆音が響き枝葉が揺れる。

 木々の隙間から機首下のサーチライトの明かりが見え、おそらく空自の救難ヘリコプターではないかと思った。

 

「枝葉で上から見えねえし、一気に走り抜けよう」

「管野さん、とても精度の良い熱を画像化する赤外線暗視装置が今の機体にはついてる、隙間から動いてるところが見えると面倒だぞ」

 

 目視による捜索なら木々の密集具合からどうとでもなりそうだが、怖いのは赤外線を捉え、姿形をくっきりと浮かび上がらせることのできる赤外線前方監視装置(FLIR)だ。

 戦闘ヘリコプターだけでなく救難ヘリコプターなどにも装備されているそれは、黒と白の2色で表され、地上にいる人員の携行武器まで識別できる精度がある。

 そんなものの前に姿を見せようものならあっという間に捕捉されてしまうのだ。

 

「じゃあどうすんだよ」

FLIR(フリアー)だって万能じゃない、極力空から見えないように注意深く行こう、いいね」

「はい、がんばりましょう」

「わかった」

 

 ひかりが注意深く進み、尚樹と管野は木々の幹に張り付くように、細かく停止しながら注意深く森の中を進む。

 

 航空救難団所属のUH-60Jでは、戦闘機パイロットが見たという「空飛ぶ少女」の捜索が行われていた。

 最初は初めての戦闘における幻覚あるいは誤認、いわゆる“フーファイター”だと思われていた。

 しかし、防空指揮所や要撃機とのUHF帯を用いた交信、あるいは単焦点のカメラによる撮影でピンボケした人影のような何かが映っていたほか、情報を取り扱うセクションが傍受した電波から空飛ぶ少女は実在すると考えられた。

 そしてパイロットの報告から少女は正体不明の敵性体の撃破と共に近隣の山林に不時着した可能性が高いとして距離も近い浜松基地の航空救難団に出動命令が下った。

 

 当初、救難団に与えられた任務は撃墜機のパイロットの捜索救難であった、しかし、被撃墜機のパイロットが警察や消防において確認されると急遽任務が変更となる。

 彼らが耳にした最初の情報は「大阪上空戦において女性を乗せた()()()()()()が林野に墜落した」というもので、発見次第保護または救急搬送する任務が与えられたのだ。

 民間の航空機が撃墜されて多数の死者が出ていることから、そうした被害の一例かと思い青黒く迷彩塗装に塗り替えられたUH-60Jに山岳救助用の装備を積んで飛び立った。

 

 救難ヘリとペアを組むU-125A救難機が先立って奈良県側から河内長野市上空に入る。

 機首に設けられた赤外線暗視装置で山林を探すが、それらしい墜落痕が見つからない。

 ビジネスジェット機を改造したU-125Aは速い進出速度と暗視装置、目視で広い範囲を捜索し要救助者のおおむねの位置を知らせ、あるいは物資やボートなどを投下するという機体だ。

 四方を広大な海に囲まれ、洋上救助の多い我が国においては必要不可欠な装備と言って過言ではないだろう。

 しかし、双発ジェット機は低速性能が低く旋回半径が大きいことと、遮蔽物がほぼない洋上の捜索と違って地表面をじっくり見ることが困難なため山岳救助には不向きなのだ。

 

 結局、低速で捜索が出来るUH-60Jが主力となって山林を捜索することとなる。

 機上にいる救難員は機体に設けられたバブル・ウィンドーから小型飛行機械の墜落痕を探していた。

 泡のように膨らんだ窓に頭を入れ、サーチライトの当たった地表を舐めるように見回す。

 

 「小型飛行機械」がどのようなものであるかもわからず、管野の木々の合間を縫った不時着に彼らは大体の位置さえ掴めずに周辺の山林を飛び回っていた。

 

 一般の要救助者であれば、救難ヘリコプターを見ると助けてもらおうと何らかのアクションを起こすがそれも見当たらない。

 見えるのは黒々と不気味に口を開ける谷やら視界を遮る林野と尾根ばかりだ。

 6月下旬とはいえ墜落したと思われる時間からもう3時間が経とうとしている、暗い山の中に女性一人だと心細いだろうし、救助を求めることが出来ないほど負傷していたらそれこそ一刻を争う。

 救難員に焦りの色が見える。救難員を運ぶ“運転手”である機長や副操縦士も同様である。

 彼らに撤収命令が下ったのはそれから暫く経った後だった。

 

 

 一方、地上に居た尚樹たちは対空警戒をしつつ木々茂る斜面を抜けて、農道沿いの森の中の空き地に止めたパジェロに何とか辿り着き、管野の紫電改を積み込む。

 ユニットを擬装用毛布で包み、雨避けの施されている廃材の山に見せかける為に車体に掛けていたブルーシートを畳んで上に乗せる。

 

「お前、車なんて持ってんのかよ!」

 

 管野は大きな軍用車を思わせる車に思わず驚嘆の声を上げた。

 ペテルブルグ基地のジープよりも大きく、屋根も幌ではなくちゃんとしたハードトップだ。

 驚いた様子の菅野に、ひかりはバタンとバックドアを閉めて得意げな顔をして言った。

 

「ふっふーん、管野さん、ここでは車なんて珍しくありませんよぉ」

「ああん?なんでおめーが得意げなんだよ!」

「ひかりちゃん、管野さんにドヤ顔するのは後にして、帰るよ」

「はい!管野さんは後ろに乗ってください!」

 

 ひかりは助手席に座り、管野は後部座席に座った。

 

「椅子がすげえ柔らかいな」

「今の車はこんなもんだよ、シートベルトつけてね」

「これか?」

 

 管野は肩の上にあった金具を引き、シートの受け具にかちりと差し込んだ。

 一方、ひかりは慣れた様子でカーナビの画面を触り、FMラジオを掛ける。

 どの局も特別番組であり、大阪大空戦の情報ばかりで音楽の一つも掛かっていない。

 尚樹は車を家に向かって走らせた。行きに道路で見たパトカーや消防車は現場検証かあるいは他の仕事が終わったのか姿を消していた。

 ちょうど裏山を半周するように走り、家へと着くと近隣住民に見つからないようにユニットと管野を家へと上げたのだった。

 チドリに並んで管野の紫電改がひかりの部屋に置かれ、居間にて二人はぐったりとしていた。

 時刻は22時を回っており、いつもであれば寝る前のくつろぎタイムだ。

 

「はぁ……疲れましたね」

「そうだね」

 

 午前中はユニットの飛行試験、昼から夕方にかけて大空戦に巻き込まれ、夕方から今の今まで管野中尉の回収である。

 明日も会社を休もうかと思うレベルのハードな一日だった。

 管野はテーブルに突っ伏している二人を見て声を掛けようとしたが、どう呼んでいいかわからなかった。

 ここで下手なことを言うと、どうしてかひかりに怒られそうな気がしたのだ。

 

「お前っていうのもなんだ、なんて呼んだらいい?」

「武内でも、尚樹でもどっちでもいいよ」

「じゃあ尚樹って呼ばせてもらうぞ」

「それなら俺も直枝ちゃんって呼んだ方がいいか」

「それは……別に……それでいいぜ」

 

 初めて異性の下の名を呼ぶことになり、また名前を呼ばれることに真っ赤になって口ごもる直枝。

 その様子を見たひかりは、どうしてか面白くないものを感じて直枝を弄る。

 

「あーっ、管野さん照れてる!かわいいなぁ」

「照れてねえ!変なこと言ってるとぶっ飛ばすぞ!」

「はいはい、物騒なこと言わないで、仲良くしようよ(なお)ちゃん」

「直ちゃん言うな!」

 

「尚樹さん、夕食、どうしますか?」

「今、飲食店がやってるとも限らないしな、カップ麺かな」

「なんだそれ」

「こういう、お湯を注いで3分待つだけで出来る即席食品です!」

 

 夕食は街の状況がわからないので外食に出かけられないという事もあって、カップ麺で済ませることになる。

 ひかりの好きな“カップ焼きそば”でひと騒動起こるのだが、またそれは別の話。

 こうして、ひかりと尚樹の2人きりの生活は終わりを告げ、直枝が新たに加わることになった。

 

 

 その頃、機関砲弾の流れ弾を受けて損傷を受けた河内長野警察署より移送される車内に彼はいた。

 セルゲイ・ジューコフ中尉である。

 彼は銃刀法違反で逮捕された後、「ネウロイ」と呼ばれる敵性体と戦っていたとずっと主張し続け、精神鑑定も考えられていた。

 

 しかし、彼の証言にあった“怪異”が今日、実際に現れて多くの人命が失われたのだ。

 ゆえに大阪城の近くにある大阪府警察本部へと移送されて重要参考人として本格的な聴取を受けることになったのである。

 

 セルゲイは移送される車中で街の風景を見た。

 空襲があってなお営業を再開しているコンビニエンスストア、交通規制に苛立っているような営業車のサラリーマン。

 この国の()()()はこうした「危機の中で平常運転」ができる国民性にあるのではないかと思った。

 本庁に到着しそのことを通訳に話すと、彼は言った。

 

 「日本は災害があっても出社しろという国です、“平和ボケ”という言葉があるように正常性バイアスの中に居るのだ」と。

 

 日本政府の危機管理センターには「国籍不明飛行体に関する対策本部」が設けられ、警察、消防、自衛隊などのほか、各省庁の代表者を集めてさっそく会議が行われていた。

 そして視聴者から寄せられた空戦の映像がテレビ番組にくりかえし流れ、一部のコメンテーターは『自衛隊機による被害の方が大きかったのではないか』という論調で政府批判を行った。

 

 未知の脅威との遭遇はまだ始まったばかりであることを彼らは知らない。

 




あけましておめでとうございます。

ご意見・ご感想等あれば励みになります。本年度もよろしくお願いします。


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◇本作中の登場人物紹介◇

この作品に登場するオリジナルキャラのみ紹介。
『彼らの戦い』まで


ひかりちゃんインカミング

 

登場人物紹介

 

日本の人々

 

武内尚樹(25歳)

最終階級:陸士長

職業:自動車整備士

 

大阪府八尾市出身、9月21日生まれ。家族構成は両親、弟の4人家族。

高等学校卒業後18歳で自衛官候補生として陸上自衛隊に入隊、今津駐屯地にて後期教育を受けて第3戦車大隊第2中隊に配属となる。

装填手として勤務し、戦車砲の装填以外に中隊本部で様々な仕事を行った。

陸士長に昇進した2年目の冬、後期教育からずっと一緒だった重松陽平の誘いを受けて21歳で「機械いじりが好きで戦車に乗る以外にもやりたいことができた」と退職。

シゲマツ自動車に就職したのちに、二人で実技免除の二種養成課程を受けて3級整備士となった。

しばらくは東大阪市の両親宅に住んでいたが、重松陽士郎から河内長野市の2LDKの平屋(築26年)を110万円で譲ってもらってひとり暮らしを始めた。

交際経験はなく、ひかりと出会うまで女子と深く会話をしたことが無かった。

弟は信太山駐屯地にて勤務しており、駐屯地創立記念行事などで会うこともあった。

高校時代、空への憧れがあって航空ファンなどの航空系雑誌を山のように購入して読んでいたが、自衛隊入隊の際に実家に残してはおけないと廃棄して以降買っていない。

好きな戦闘機はF-104J栄光。一番印象に残っている戦車は74式戦車(95‐4122)

 

 

重松陽平(25歳)

最終階級:陸士長

職業:自動車整備士

 

大阪府河内長野市出身、11月8日生まれ。家族構成は両親、妻、長女。

赤いバンダナで髪をまとめているのが特徴で、お調子者であり趣味はギター演奏。

中学から高校卒業までは「こんな工場継いでやるかよ!」と息巻き、家を飛び出すように自衛隊に入隊した。

福知山駐屯地で前期教育中に妻である陽菜と出会った。

今津駐屯地に異動となるも休日の度に湖西線に乗って会いに行き、陽菜と交際を続ける。

長女である美月の妊娠によって結婚し、“間近で育児をするため”に退職することとなった。

冬は雪深く、夏は雨が多いうえに周辺に何にもない高島市で育児をするのは難しいということもあり、実家の所在する河内長野市に戻って来た。

2世帯住宅にするために引っ越しとなり、その際、前に住んでいた実家は同期である武内尚樹に格安で売却された。

最近の悩みは3歳になる娘が部屋で動き回り、奥さんに「ちゃんと見といて!」と怒られること。

 

重松陽士郎(59歳)

職業:自動車整備士・シゲマツ自動車社長

 

大阪府和泉市出身、家族構成は妻の美智子と息子、嫁、孫娘。

白髪混じりの短髪で年季の入った作業帽を被っており、身長も177センチと体格が良いのが外見上の特徴。

某自動車ディーラーの整備工場で働き、資金を溜めて27歳で独立してシゲマツ自動車を創業した。

鬼の整備主任などと呼ばれており、「厳しいが腕は確かだ」と彼に着いてきた後輩たちで22年間会社を経営してきた。

ただ、中小の自動車整備工場に就職しようなどという若者が居るはずもなく、職場の高齢化が進み最年少で31歳という状態であった。

そこに入ったのが尚樹と息子である陽平であり、尚樹には「ここで2級整備士を取ったら他の所に行ったら良い」と言っている。

※実務経験1年以上で3級整備士取得でき、その後実務経験2年で2級整備士の受験資格が発生するため最低3年は居ることになる。

「おやっさん」「社長」と呼ばれており、事務員の1人は妻の従妹である。

孫娘の美月には勝てないおじいちゃんであり、妻や嫁から「甘やかして」と叱られることも多々ある。

 

 

オラーシャ陸軍

 

 

第121親衛戦闘機連隊の隊員

 

マリア・アルチューフィン(24歳)

階級:中佐

所属:第121親衛戦闘機連隊

職種:指揮官・連隊長

 

銀色のストレートヘアに四角い黒縁眼鏡を掛けているのが特徴の大人の女性。

クールな女性であり、あがりを迎えた元ウィッチという事もあって隊員からの信頼は厚い。

現役時代はワシミミズクを使い魔として、制空戦闘・夜間襲撃など様々な任務に従事した。

師団級ウィッチ戦闘団の指揮官に任命された際も反対意見はなく、3個連隊分のウィッチを各部隊の特性に合わせて割り振った手腕が認められることになる。

503JFWのサフォーノフ中佐とは知り合いであり、マリアも503JFWの部隊長のリストに入っていたが121連隊の連隊長に就任したために彼女に譲ることになった。

 

 

アンナ・クリフチェンコ(16歳)

階級:少尉

所属:第121親衛戦闘機連隊第1飛行隊

職種:航空歩兵・小隊長

 

赤毛のショートカットが特徴のおとなしい少女で、ネウロイからの逃避行のさなか魔法力が発現し入隊した。愛称はアーニャ。

使い魔はシベリアンハスキー。

サーシャの原隊である第16戦闘機連隊での後輩であり、士官教育を受けたのち121連隊に配属となる。

配属3か月でフレイヤー作戦が実施され、列車砲投入までの露払いに投入されるとベテランウィッチ含む過半数が再起不能になるか戦死した。

その後、士官学校で初級指揮官教育を受けているという事で急遽小隊長に任命される。

欠員補充にやってきた新兵たちへの指導に戸惑いながら、先任軍曹の補佐の下で哨戒飛行をする毎日だった。

戦闘団編成に伴いペテルブルグ基地でロスマンと出会い、部下を一人失ってからは急激に指揮官として成長した。

使用ユニットはMIG-60後期型

 

ユーリヤ・ヴァシリノヴナ・ブダノワ(17歳)

階級:中尉

所属:第121親衛戦闘機連隊第2飛行隊

職種:航空歩兵・小隊長

 

赤いリボンで二つ結びにした亜麻色の髪がトレードマークの少女、さばさばした性格である。

使い魔はヒグマ。戦闘スタイルから掠奪者(マロジョル)・脳筋の異名を持つ。

扶桑文化に興味を持ち、“正座”や“柔道”、“扶桑魂”といった文化をもっと知りたいと思っている。

サーシャに正座を命じられた後に、「座禅とはどういう精神修養なのか」と下原に尋ねるほど。

制空の第1、爆戦の第2と分かれているうちの第2飛行小隊長。

格闘が得意で武器で殴りつけたり、殴って壊れたものの代わりに放棄された他部隊の武器を使ったりとやりたい放題をしていた。

それで揉めた他部隊との模擬戦では、銃を奪って射撃したあげく殴り合いで勝ち“掠奪者”の異名を得ることとなった。

しかし、フリーガーハマー(現地改修型)が配備されて2丁運用し火力で圧倒するようになると大人しくなる……わけもなく撃ち終った発射機で殴ったり、自衛火器に吊るしたPPSh機関短銃で暴れまわっている。

使用ユニットはMIG-60後期型(森林迷彩)

 

 

エリザベータ・ポゴリラヤ(15)

第1飛行隊に補充兵として配属された新兵で、金髪のポニーテールが特徴。

捜索任務においてネウロイの奇襲を受けて撃墜、全身打撲の重体となる。

ジョゼの応急手当により下半身不随を免れ、スオムスの陸軍病院へと後送される。

使い魔はオラシアンブルー(猫)

使用ユニットはP-39供与型

 

第1飛行隊の新兵は余剰のP-39を与えられ、古参隊員はLa-5を運用している。

La-5に代わる新型、La-7が第2飛行隊から逐次配備されている。

 

 

その他の部隊

 

セルゲイ・ジューコフ(27)

階級:中尉

所属:第411戦車大隊第1中隊

職種:戦車兵・中隊長

 

プロホロフカ近郊で農家の四男として生まれたが、ネウロイとの戦争が勃発して入隊することとなる。

日に日に戦争が激化するなか士官教育を受け、第15戦車軍団としてミンスク防衛戦に投入されるも後方連絡線のあるノヴゴロド南方にネウロイの巣が出現し、北方へと脱出を図ることとなった。

敗走中に臨時編成されたいくつかの戦闘団のひとつで後の部下となるボリス・イワノフ軍曹と出会い、原隊最後の戦車を放棄してリバウから脱出に成功した。

そしてグリゴーリ攻略戦において戦車連隊が壊滅し、新編された部隊で中隊長となる。

リベリオンから供与されたM4A2中戦車で編成され、ミスティーティル号と名付けられたその戦車が中隊長車となった。

1945年7月4日、威力偵察のために出撃して戦車部隊は行方不明・後に戦死と認定された。

セルゲイは異世界へと行くこととなり千早赤阪村の山野を歩き、河内長野市千早口駅前で銃刀法違反によって現行犯逮捕された。

 

ボリス・イワノフ(32)

階級:軍曹

所属:第411戦車大隊第1中隊

職種:戦車兵・中隊長車操縦手

 

コーカサス地方の商人の家に生まれ、ネウロイの出現に伴い入隊することとなった。

ハリコフに所在する戦車部隊の戦車兵として北方への長い撤退戦を戦う事となる。

キエフ・黒海沿岸での火消しに失敗したオラーシャ軍部隊は北上しミンスク方向の部隊に合流するも新たなネウロイの巣の発生に敗走。

戦車、車両、そして人的戦闘力は日に日に減っていき、ボリスも生き残っているBT戦車を乗り継ぎながら戦い続けた。

ついに部隊としてのていをなさないほどに消耗し、生き残った人員・部隊を掻き集めた臨時戦闘団のひとつにてセルゲイと出会う。

リバウから輸送船での脱出後、ボリスはスオムスを経由してペテルブルグ方面の親衛突撃戦車連隊に配属となった。

変速装置が弱く重量もあって操縦の難しいKV-2を運用して住民たちの脱出の時間稼ぎを行った。

戦車の放棄などがあったものの住民の疎開には成功し、その後、部隊はフレイヤー作戦の前哨戦において壊滅的な被害を受けた。

壊滅した戦車連隊の生き残りで新編された第411戦車大隊において、セルゲイと再会する。

操縦が容易なリベリオン製供与戦車はボリスにとって最も楽な戦車だった。

 

航空自衛隊

 

倉本章文(28)

階級:2等空尉

所属:第6航空団第303飛行隊

職種:イーグルドライバー

 

石川県輪島市出身で両親と、中学生の妹が居る。独身で現在彼女募集中。

趣味はおいしいものを食べる事。

高校卒業後航空学生として入隊、戦闘機パイロットになる。

無線などで個人を呼ぶTACネームは、時のワールドカップ日本代表の外国人監督から“ジーコ”となった。

昨年、二機編隊長資格を取得したばかりで四機編隊長資格を有する米沢三佐の二番機として要撃任務に上がっていた。

大阪上空戦においては米沢三佐の最期を目撃した後、ネウロイに機関砲や空対空誘導弾で攻撃を仕掛ける。

管野直枝中尉と無線において会話し、管野中尉の墜落を確認して報告した。

乗機はF-15J/DJであり、出撃前に割り当て(アサイン)される機体なので特定の乗機はない。

 

 

部隊の大体の編成(国や時代によって異なる)

 

……そのエリアを担当する大きな括り、自衛隊で言う所の中部方面隊とかで師団が何個か入っている。

師団/旅団……その地域を担任する大きな括り、中部方面隊には近畿地方を担任する第3師団、四国地方を担任する14旅団などがある。

連隊……師団の中にある部隊。歩兵連隊や戦車連隊など一つの兵科で出来ていることも多い。自衛隊で言う所の第36普通科連隊(千僧)など。

大隊……連隊より規模が小さい部隊、中部方面隊第3師団であれば第3戦車大隊(今津)、第3特科大隊(姫路)など。

中隊……連隊や大隊の中の1つの部隊。戦車部隊の例であれば、本部管理中隊・1中隊・2中隊・整備中隊(※)と言った感じで分かれている。

小隊……中隊の中での役割分担。本部管理中隊の中の通信小隊とか、情報小隊、衛生小隊とかそういう感じで。

 

※自衛隊では戦車大隊から整備中隊は無くなり、武器科の戦車直接支援隊(通称DS)へと改編された。

 

本作中の師団級ウィッチ戦闘団について。

 

師団級ウィッチ戦闘団

レーシー攻略のために臨時編成された121、129、317の3個連隊からなる戦闘団であり、1つのウィッチ連隊に2個飛行隊計20名近くいるため、(121は増強編成で35名)70名近くのウィッチが居る。

戦闘団に含まれてはいるもののオラーシャ軍とは違う、連合軍指揮下の独立した戦力が502JFW。

第一次レーシー突入作戦においては、地上軍の支援や制空といった助攻戦力のウィッチ飛行隊もいたため120名近くのウィッチが同じ空を飛んでいたことになる。

 




人物設定だけを見ると来訪物なのか戦記物なのかよくわからないが、現実来訪物です。

ご意見・ご感想をお待ちしております。


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つかの間の休息
平和な世界


久々のほのぼの回?


2017年6月24日

 

 火曜日の朝、ランニング用ジャージに着替えた二人は麓のコンビニまで走る。

 先週木曜日の陥没事故からしばらくの間規制線が張られ、ランニングできるような状況ではなかったのだ。

 飛行試験から捜索回収までするという濃厚な一日を過ごして、とても疲れていたがひと眠りすると大分回復し、慣らし運転も兼ねてゆっくりと走ることになったのだ。

 

「尚樹さん、もうちょっとでコンビニですよぉ」

「おう、これ以上スピード上がらんから先に行っててくれ」

「大丈夫ですかぁ」

「ひざ下ガックガクや」

 

 尚樹はひざと股関節が上手いこと動かないことに気が付いた。

 山の中で片足重量20㎏~30㎏くらいありそうなユニットを担ぎ、低い姿勢で斜面をずっと進んでいたのだ。

 筋肉痛をおして走る尚樹と対照的に、ひかりは元気そうである。

 

「この辺も凄いな、アスファルトに穴空いてる」

「そうですね」

 

 いつものコースも、機関砲弾の流れ弾で損傷し大小さまざまな弾痕が穿たれている。

 綺麗な円錐状のクレーターもあれば、斜めに入射したのかハマグリのような形の穴が空いている場所もちらほらある。

 こういった弾痕が河内長野市だけでも数十か所あり、いちいち道路を封鎖して工事する余裕もないのか、発見された弾丸の撤去だけで済まされている。

 

「あれ、一歩間違ったら俺たちも流れ弾でヤバかったんじゃ……」

「私はシールドを張れるけど尚樹さんは危ないですよね!」

 

 ひかりの発進時は興奮してよく考えていなかったが、今になって流れ弾や砲弾片で死ぬと言った恐怖が背筋をぞわっとさせる。

 演習場の整備などで戦車射場(しゃじょう)に入る際も万が一の際の破片防護のためにケブラー繊維で出来た防弾ベストと鉄帽を身に着けていくのだ。

 

 そう考えると、何もつけずに砲弾やミサイル飛ぶ真下でよく屋外作業をしたものだと思う。

 もっとも、家の屋根や庭に掘った防空壕の覆い土くらいだと簡単に銃弾は抜ける。

 戦中の事例はもとより、つい数年前の饗庭野演習場でも12.7㎜機銃弾の跳弾が演習場外に飛び出して落下、近隣の民家の屋根を貫通した事件も起こっていた。

 

 尚樹は自分の無謀さと流れ弾が当たらなかった幸運に気付くと共に、隠れる場所のないウィッチがどうやって身を守っているのか気になった。

 

「シールドか、ウィッチってみんな張れるの?」

「戦場に出るようなウィッチはみんな張れます!当たっちゃったら死んじゃいますよね」

「そりゃそうだ、生身だもんなあ」

「はい!だからシールドが張れなくなったら普通は退役なんです!」

「ウィッチの世界も寿命が短いのか、厳しいな」

 

 尚樹はまるで最近のアイドルみたいだなと思いながら、コンビニの駐車場に駆け込んだ。

 家へと折り返す前にここで飲み物を買って少し休憩を挟むが、今日は青い買い物カゴを取った。

 

「ひかりちゃん、コンビニはちょっと高いけど、昨日の分買ってあげるよ」

「えっ!いいんですか!」

「今日から昼ご飯2人分だろ」

「そうですね!じゃあお言葉に甘えちゃおうかなぁ」

 

 ひかりは大盛りカップ焼きそばをカゴに入れ、尚樹も餅の入った力うどんを入れておく。

 あとはいつも通りメーカーの違うスポーツドリンクを2本入れて会計をする。

 会計を終えて店の前で飲んでいると、ここ数日の間に起こった非日常を忘れそうになる。

 

「ひかりちゃん、俺、ようやく平和って何なのか実感したよ」

「いきなりどうしたんですか?」

「流れ弾や襲われる恐怖に悩まずに、いつも通りの生活ができることがこんなに幸運だとは思いもしなかったよ」

 

 尚樹は通りを行く会社員や、早くから走っているトラックを見て呟く。

 破片や流れ弾に怯え、空を見上げるような生活は遠い紛争地の話だと思っていた。

 目の前の仕事に悩み、家に帰ればどう家事をしようかと考えるだけの生活がいかに恵まれたものなのかを昨日の大空戦の下でようやく知ったのだ。

 ひかりは尚樹の言わんとすることが分かった、物資も欠乏する最前線から弾の飛ばない豊かな世界に来た者としてこの生活がいかに貴重なものであるかを実感したのだから。

 

「私達もネウロイとずっと戦ってきたから、今の生活がとても楽しいです」

「それなら良かった。だからこそ“平和を守る”って本当は難しかったんだなって」

「そうですね、私達がいた所はみんな避難しちゃっていない町だったから……」

 

 ひかりは住民として日常生活をすることでようやく、“市街地で戦う”という事はどういうことなのかという事を知った。

 住民が疎開し無人のペテルブルグ市街でなら軍施設に当てないようにすればいいけれど、住民の居る場所であれば民家には住んでいる人たちがいるのだ。

 もしも住居を壊してしまえばその人々の“生活”までも壊してしまうことになる。

 こんなことはオラーシャの原野や縁もゆかりもない放棄された街で戦っていれば考えもしなかっただろう、ひかりは予備学校でただ念仏のように唱えていた“軍人の使命”にようやく追いついた気がした。

 平和を守るためには、まず“住民の生活と安寧”を脅威から護らなくてはならないのだ。

 

「本当に、平和を守るのって難しいですね」

「そうだな」

 

 流れ弾の被害を受けた町中の風景に朝から平和とは何かを考えていた二人であるが、出勤までの時間的余裕もあまりないので急いで家に帰る。

 出発前には疲れていたのか寝ていた直枝が起きており、居間で座っていた。

 

「朝からどこに行ってたんだよ」

「家の周りを走ってました!」

「じゃあ俺も起こせよ!」

「管野さん疲れてたみたいなので……」

 

 ひかりの部屋で寝ていた直枝は朝起きて隣の布団に居たはずのひかりはおろか、家に誰も居ないことに焦ったのである。

 さらに他人の家という事もあって、勝手に家のものを使う気にもならず何とも居心地の悪い思いをしたのだ。

 そのあたりについて強く抗議したかったが、なぜかこっちではひかりが強いので言い方には気を付けなくてはいけない気がした。

 

「……その、なんだ」

「もしかして、誰も居なくて寂しかったんですかぁ?」

「ち、違えよ!人ん家の物勝手には使いづれえだろ!」

「別にいいのに、壊さなきゃどうとでもなるよ」

 

 直枝は一人で置いてけぼりにされるぐらいなら自分もランニングに行きたいと思ったが、気をきかせて寝かせてくれたのだなという事がわかるだけに何とも言えなかった。

 尚樹はシャワーだけ浴びるとつなぎに着替えて出勤準備をする。

 その間ひかりは関西圏ではポピュラーな5枚切り食パンをオーブントースターに入れて、目玉焼きを作る。

 直枝はその様子を見て驚いた、下原やジョゼがやっていたことを“あの”ひかりがやっているのだ。

 

 尚樹が風呂場から出てくるともう3人分のトーストと目玉焼きが完成しており、尚樹が席に着いたことで朝食となった。

 時間を知るためにつけているテレビ番組は大阪空戦の報道一色であり“上空の黒い影が何であるか”という内容だ。

 “読朝(よみあさ)新聞解説委員”という肩書の男がスマホで撮影された画像を元にもっともらしく喋る。

 ネウロイを知っている直枝やひかりとしては素人でも分かる事を言っているようにしか思えず、尚樹も「まあ初見だし、読朝テレビだしな」と言う。

 自己修復機能を有しており空を飛ぶことが出来るのは見ればわかる、しかし「光学兵器を搭載したステルス戦闘機説」って何だ?と言うか昨日の今日で()()提唱しているんだ、などと思いながら尚樹は目玉焼きを口に運んだ。

 

「いい塩加減だ、ひかりちゃん目玉焼き上手くなったね!」

「ほんとですか!ありがとうございます」

「おいしいじゃねえか……ひかり、料理できたのかよ」

「違いますよぉ、こっちに来てから練習しました!」

「そうそう、最初は皮むきのピーラーでさえ厚切りに……」

「尚樹さん、その事は内緒です!」

 

 皮むきという事に直枝は胸を張る。

 

「へえ、俺は皮むき得意だぜ」

「そうなんですか?」

「ロスマン先生とのカードに負けてやらされた」

「ロスマン先生って賭け事やらないイメージでした!」

「あの人は強いぞ、俺とニパが組んでも勝てねえ」

 

 数年前、教育係曹長が着任したとあって、いっちょ揉んでやろうと直枝はニパを誘ったうえでポーカーを仕掛けた。

 結果はイカサマを使ってなお圧倒的敗北、基地中の食事に出す山のような具材の調理をさせられたのだ。

 アゴで使ってやるつもりが逆に使われる羽目になって以降、直枝はロスマン曹長とはもう博打をしないと心に決めた。

 尚樹はひかりから聞くエディータ・ロスマン曹長のイメージで話を聞いていたが、ただ厳しい教官と言うよりは良いことも悪いことも経験した余裕を持った先任と言う感じだ。

 

「直枝ちゃんは、料理できるの?」

「出来ねえことはねえけど、下原が居たしやらねえ」

「そうですよね!下原さんのご飯が美味しいのがいけないんです!」

「まあ上手い人が居たら任せっきりにもなるよなあ……」

 

 尚樹は朝食を食べ終わると、鞄を掴んで家を出る。

 玄関までひかりのお見送りがあるが、今日は直枝も着いてきた。

 

「それじゃ今から仕事なんで、わからないことがあったらひかりちゃんに聞いてね」

「おう」

「わかりました、尚樹さん、いってらっしゃい!」

「行ってきます、今日はわからんし帰る前に連絡するよ」

 

 尚樹がパジェロに乗って坂道を下っていくと、ここからはひかりの時間だ。

 

「ひかり、今からどうするんだ」

「えっと、私は今からお風呂に入って、それが終わったら洗濯をします!」

 

 ひかりは朝のランニング後の入浴タイムの準備をする。

 玄関から風呂場に行って、全自動給湯器の湯はりボタンを押すだけである。

 直枝は昨晩、洗面台しか使わなかったので風呂場の中を見て驚く。

 タイル張りではあるが五右衛門(ごえもん)風呂ではなく、石とは違う滑らかな素材で出来た湯船があって横に空いた穴からお湯が出ているのだ。

 

「お湯が勝手に沸いてる……風呂に入れるのか!」

 

 直枝の目が輝き、久々の風呂にテンションが上がっている様子がよく分かる。

 ひかりも長いサウナ生活から、新しい技術で出来た風呂に初めて入った時には感動したのだ。

 

「はい、あ、管野さんの着替えはそこに置いてありますから!」

 

 いつまでも飛行服姿でいるわけにもいかないのでひかりは予備のジャージを出した。

 紺に赤いラインの入った普段着用だ、パンツはないので代わりに“ズボン”を履いてもらうことにする。

 

「着替えってこれかよ」

「ジャージっていうんですよ!」

 

 ひかりは今着ている、お気に入りのヒョウジャージをつまんで見せた。

 そこで直枝はひかりが制服でないことに気が付いた、再会は夜の森の中だったし家に帰ってきてからすぐに寝たのであんまり印象に残っていなかったのだ。

 

「そういえば、おめー制服はどうしたんだよ」

「ここでは目立っちゃうし、シワになるので着ていません!」

 

 直枝は目立つというひかりが着ているジャージに走るオレンジのラインと背中の躍動感あふれるヒョウのシルエットに思わずツッコミを入れた。

 

「おめーの派手な服の方が目立つんじゃねーか?」

「みんな着ていますよ、全身桃色とかのジャージも見たことがあります!」

「正気かよ、俺はそんなの着ねえからな」

 

 全身桃色と言う正気の沙汰とは思えない服装を想像した直枝が言う。

 ひかりはテレビの芸人夫婦や、ちょっと前に行ったとある激安量販店に居たお姉さんを思い出して苦笑い。

 同時にある重要なことに気づく。

 

「そうだ、ズボンはズボンじゃありません!」

「何言ってんだ?」

「こっちじゃこれが“ズボン”で、管野さんのズボンは“パンツ”っていうんですよ!」

「異世界じゃ名前が違うことくらいあるだろ」

「それだけじゃありません!ズロースとかと同じ()()扱いなんです!それで出たら逮捕されちゃうんです!」

「はぁ?逮捕される?おめーは何言ってるんだ」

「わいせつ物陳列罪?とか言うので捕まっちゃうんです。だからズボンの上に長ズボンを履いてください!」

「わかった!わかったから!落ち着け!」

 

 洗濯かごの中のジャージのズボンを持ってにじり寄るひかりに圧倒される直枝。

 ひかりは真剣である、自分達のせいで尚樹が逮捕されるとあれば申し訳が立たないからだ。

 “ズボン”姿で出歩かせると、“大阪府青少年健全育成条例”などで摘発されると尚樹は言っていた。

 

 ひかりはここ数日の生活で日本含む先進国は意外と厳しいという事を知った。

 タバコや飲酒に始まり、“少年兵を含む児童労働”や“若年者との交際”に至るまでありとあらゆるところが厳しい。

 

 こうした知識はニュース番組のほか、生活費に悩んでいる尚樹から聞いたものである。

 「働きます!」とアルバイトをするにも職種は限られるし、ひかりには住民票や身分証明がないので年齢証明書を作ったりできず、結局は住民票のために“就籍”などの手続きを経なければ働けないのだ。

 ひかりはマイナンバー制度と住民基本台帳についてよくわかっていないが、働くにも無戸籍の自分には複雑な手続きが必要であることはわかった。

 

 そんな話も昨日来たばかりの直枝には関係ないので、ひかりはとりあえず風呂を勧めた。

 

「じゃあ、先にお風呂入っちゃってください!」

「おう、悪いな」

「ここに入浴剤置いておきますから湯船に入れてください」

 

 ひかりは脱衣所に直枝と着替えのジャージを置いて出ようとし、入浴剤の存在を思い出した。

 いつも自分が使っている発泡入浴剤を出して洗濯機の上に置く。

 直枝は「炭酸温泉バブリー ひのきの香り」と書かれた小袋を見て首を傾げた。

 

「じゃあ、管野さんゆっくりでいいですよ!」

 

 ひかりが尚樹と自分の外出着の洗濯を始めて数十分後、興奮した様子の直枝が風呂から上がって来た。

 湯上りで、いつもより数段つやつやとしているのが見てわかる。

 

「ひかり、あの泡噴く入浴剤も凄いけどよ、石鹸が全然違うじゃねえか!」

「でしょう!私も最初びっくりしちゃいました!」

「俺たちが前線で酷い宿営生活(キャンプ)をしていた時にこんな風呂に入っていたのかよ」

「ごめんなさい!あっ……冷蔵庫にコーヒー牛乳がありますよ!風呂上りはコーヒー牛乳ですよね!」

 

 口でこそひかりを責めているが、とても上機嫌で歌いだしそうだ。

 そんな直枝にひかりは温泉以来飲むようになったコーヒー牛乳を勧める。

 

「コーヒーって娯楽室のあのくそ不味いやつか?」

「違います!コーヒー牛乳は甘くておいしいんですよ!」

 

 ひかりに連れられて台所に行き、冷蔵庫の白い扉を開けると色とりどりの紙の容器が現れた。

 紙パックという容器からグラスに注がれたのは茶色みがかった牛乳で甘い匂いがする。

 しかしサルミアッキの例もありこわごわ口を付けた、すると、とても甘かったので一気に飲み干してしまう。

 

「甘いじゃねえか!なんだこれ!」

「これがコーヒー牛乳ですよ」

「ひかり、おかわり!」

 

 直枝はコーヒー牛乳の虜になり、くそ不味い娯楽室のタンポポコーヒーなんかには戻れないなと思った。

 

____

 

 

 

 ひかりの入浴が終わり、今日の分の洗濯が終わるとひかりは勉強タイムに入る。

 漢字ドリルや数学と言った扶桑でも使えそうな教材を黙々と解いている。

 一方、やることが無い直枝は尚樹の部屋にあった漫画や雑誌類を読んで時間を潰していた。

 

「絵ばっかりで読むところ少ねえ……話はまあまあだけどよ」

 

 活字の少ない漫画に文句を付けながらも読み進めていくうちに直枝は漫画の世界に飛び込んでいた。

 今まで見た漫画よりも書き込みが多く、人物の目がデカいことを除けば立体感のある綺麗な絵であり、扶桑では見ない内容だ。

 

 なかなか楽しいかもしれないと思う。

 読むところがセリフばかりで地の文が無いけれど。

 

 直枝はここの漫画本と雑誌を読み終えたら、本屋にでも行ってやろうかなどと思っていた。

 こうして気づけば11時44分、昼前になっていた。

 直枝が和室から出てくると、ひかりはもう課題を終わらせておりテレビを見ていた。

 

「あっ、管野さん、もうマンガ読み終わっちゃいましたか?」

「ああ、今はちょっと休憩だ、もう昼だけどどうすんだ?」

 

 直枝の質問にひかりは自信満々に言った。

 

「昼ご飯はですね、カップ麺です!」

「俺はもう作んねえからな!」

 

 昨晩、直枝はひかりに手渡されたカップ焼きそばを作ろうとして、お湯を捨てる前にソースを入れてしまったのである。

 直枝が液体ソースの袋を破った時、ちょうど二人は給湯のため台所にいた。

 出来たのは油の浮いたソース風味のお湯に浸かった即席ちぢれ麺であり、乾燥めん独特の匂いがしており口に入れて味の無さに悶絶したのだ。

 剥がした蓋に作り方が書いてあることに気づいたときには時すでに遅く半分以上食べた後であり、異変を察知した尚樹が豚骨ラーメンと交換したのだ。

 カップ焼きそばが1つしかなかったため、ひかりと尚樹はカップラーメンでありミスを誘発する原因となった。

 直枝は豚骨ラーメンを食べたが、お湯に浸かった変な味のデンプンの塊のインパクトが強く、なにより悔しかった。

 

「大丈夫です!今度はこれ、うどんですから!」

「うどん……これがうどんか?」

 

 ひかりが開けたきつねうどんの容器に入った中身を見て言う。

 麺と言うよりはまるで海綿かヘチマタワシ、あるいは束ねたかんぴょうのようだ。

 

「即席めんなので、うどんって感じじゃないですけどね!」

「まあいいけど、これ喰えんのかよ」

「おだしが効いてておいしいんですよ!」

 

 ひかりは中の小袋を取り出して、茶色にキラキラ光る粉をサラサラと振りかける。

 直枝は今度こそマトモなものだろうな、とおそるおそるカップ麺にお湯を入れた。

 お湯を入れて5分、アルミが蒸着されている蓋を取り去るとそこには十分にふやけた麺と厚紙の様だった揚げがしっとりとしたものになっていた。

 さらに、鰹と昆布の合わせだしの香りが食欲をそそる。

 

「出来ましたよ管野さん!」

「これがカップうどんかよ……」

「冷めないうちに食べましょう!」

「お、おう。いただきます」

「いただきます」

 

 だしの色が薄く、甘くて醤油の味があまりしない。

 先ほど剥がしたふたの表記を見ると“関西だし”と書いてあり納得がいった。

 

「だしの味がちょっと違うのは……関西風だからか」

 

 若干違う味付けだが十分食べられるものだった。

 揚げも味があるし、麺もコシは無いけれどさらりと食べるにはいいだろう。

 なにより、お湯があれば5分で食べられるのだ。携行食料にはもってこいかも知れない。

 直枝は昨日の悲しさを忘れるように関西風きつねうどんを食べる。

 

「どうですか、管野さん!」

「これはこれでいけるじゃねえか」

「でしょう!」

「なんでおめーが得意げなんだよ」

 

 直枝は「お湯を入れただけじゃねえか」とひかりにツッコミを入れると、そのまま容器をゴミ箱に捨てようとした。

 ひかりはすぐに止める。

 

「管野さん、カップ麺のゴミは流し台に入れてください!」

「なんでだよ」

「匂いにつられた野生動物が漁ってゴミを撒き散らしちゃいます!」

 

 2つの空き容器を持って台所に行き、尚樹に教わった通りに食器洗い用洗剤を掛けて放置する。

 こうすることで洗剤の匂いが染みついてカラスやイタチ、ネコに狙われにくくなるのだ。

 

「なんか母ちゃんみたいだな」

「ええっ、私はまだまだお姉ちゃんやお母さんみたいにできませんよぉ」

「孝美とはちょっと違うだろ……」

 

 直枝はすっかり所帯じみたひかりを見て、この2()()()に何があったのか尋ねたくなった。

 女という事で家事をしろと強制されたのか?と思った。

 もっとも、ひかりにとってはまだ3()()()くらいであり、このようになったのも「戦いだけしか能のない女」になりたく無かったので勉強したからだ。

 

「ひかりはやりたくてやってんのか?それとも女だからってやらされてんのか……」

「管野さん、私はここに来て分かったんです。空を飛ぶことしかできないのは()()()()()()()()って」

「どういうことだよ」

「みんな、戦う以外にいろんなことが出来るじゃないですか」

 

 姉に憧れてわき目も振らずウィッチになったが、もしも飛べなくなったなら残るのはただの無学な女である、ひかりは魔法のない世界に来てその事に気づいた。

 そこで、思い出したのは502のメンバーが魔法以外の特技を持っていることだった。

 

「隊長やサーシャさんは軍隊の書類仕事ができるし、ジョゼさんと下原さんは料理や家事ができるし……」

「そうか、じゃあ俺はどうなんだよ」

「管野さんはいろんなことを知ってるし、……ガリア語が得意だって聞きました!」

「確かに、ガリア語の物語は読めるけどよ」

「『なら戦後は翻訳業とかいいんじゃないかな』って、尚樹さんが言ってました」

「お前、は、話したのかよ!」

「ちょっとだけですよ!」

 

 予想以上に知られていたとあって直枝は恥ずかしくなった。

 “こんなに威勢がいいけど実は文学少女だった”と知れたらどう弄られるかわかったものではない。

 口の軽い相棒にとりあえずヘッドロックを掛けておいた。

 

「ひかり!てめえバラしやがったな!」

「痛い、痛いですよぉ!」

「あいつが『本屋には今度行くから』って言ってたのはそういう事かよ!」

「これだけ本があれば管野さんなら喜ぶかなーって、痛い!」

「どこまでバラしやがった……」

「ベッドの下の『小公女』は秘密にしてます!」

「み、み、見てんじゃねぇ!」

「それはジョゼさんがー!」

 

 直枝は赤くなってひかりと揉み合い、疲れたので適当なところで切り上げる。

 結局、自分の意志で家事をやっている事を知った直枝は「漫画の続きを読む」と言って和室へと戻っていった。

 残されたひかりは洗濯物を取り込むと、居間でテレビを見ながら勉強を始めるのだった。

 

「これが終わったらお夕飯の準備しなきゃ」

 

 こうして、ひかりの一日は過ぎていく。

 

____

 

 

 漫画の続きを読むと和室に引っ込んだ直枝であったが、やはり漫画ばかり読んでいると飽きが来るもので、気分転換に何を読もうかと本棚を探る。

 すると、一冊の本が目に留まった。

 

『大日本帝国陸海軍機総覧』

 

 直枝は戦闘機の本じゃねえかとパラパラとめくる。

 ユニットのユの字もない戦闘機だけの本であり、見覚えのある機体もあれば一切見たこともない飛行機もあった。

 しかし、どうにも扶桑皇国海軍の航空機に近いのだ。

 零式艦戦、練戦など自分たちのユニットにも採用されている名称がある。

 そして、あるページで手を止めた。

 

「川西飛行機、紫電改、著名なパイロット……デストロイヤー、菅野直」

 

 一文字しか違わないその男はまるで自分のような経歴を持っていた。

 国と性別は違えど同じ343空に属し、乗機は紫電改でマーキングまでそっくりだ。

 

 そして奇しくも菅野直の最期は1945年8月1日、機体も見つからぬ行方不明となり戦死認定されているのだ。

 管野直枝も1945年8月1日の第2次レーシー突入作戦にて超空間通路の向こう側に来てしまい、おそらく向こう側では行方不明扱いだろう。

 気味の悪いほどの一致を見せている。

 

「ここはパラレルワールドかよ!」

 

 直枝の叫びは窓の外へと消えていった。

 

 




直ちゃんが失敗したカップ焼きそばは責任を持って尚樹が完食しました。

ご意見・ご感想をお待ちしております。

誤字、脱字、表現ミスなどは発見次第修正していますが、誤字報告等あれば助かります。


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あのあと

 2017年6月24日

 

 その日の入庫は少なかった。

 

 昨日の“大阪空戦”の影響は各所に広がっており、尚樹たちのシゲマツ自動車にも波及していた。

 いつもであれば車検代行やちょっとした不具合などでやって来る車は、いつもの半分くらいで割り当て表は空きが多い。

 整備工場に出そうとしていたけれど、経済的損害やら物的損害でそれどころではなくなったのだろう。

 

 いま、尚樹が作業している高級セダンも、日曜に車検入庫で来たもので24か月点検の最中だ。

 点検と不具合の修理が終われば光明池(こうみょういけ)にある運輸支局の検査場まで持って行って検査を受けるのだ。

 

 保安基準に係る灯火やら窓ふき器(ワイパー)、エンジンオイルなどの上から見るような点検を手早く終わらせて、リフトを上げる。

 車体の下に入った尚樹は前輪の車軸(アクスル)を抜いて“ブーツ”と呼ばれる、ゴムで出来た蛇腹状のカバーを交換する作業にあたっていた。

 ホイールを取り付けるハブと車体側を繋ぐジョイントに泥や水が入らないようにするこの部品は経年劣化で破れやすく、破れていたり穴が空いていると検査に通らないのだ。

 封入されているグリスが漏れたり、ゴミが入ったりしてジョイントが焼き付いてしまう事を防ぐためである。

 ゴム部品なので交換作業は結構多く、年数が経ってる車の5台に1台は交換が入る。

 

「尚樹、もうメシにしようや。車もたぶん来おへんし」

「そうやな、ポンプ交換終わったんか?」

 

 声を掛けられ、振り返ると陽平は異音がするターボカスタムモデルの軽自動車を終わらせたようで、手にはボロボロになったVベルトを持っていた。

 おそらく、冷却水を循環させるウォータポンプがターボによる過負荷でダメになっていたのだろう。

 エンジン動力を受ける軸の偏摩耗で異音を立てているポンプ本体と、ついでに劣化したベルトを交換するのだ。

 

「おう、そっちは?」

「今、ブーツやってる」

「そうか、組むのは昼でええやろ」

 

 尚樹はハブから外したシャフトを置くと、工場脇の流しでしっかりと手を洗う。

 どす黒い汚れを洗い流した2人が事務所に戻ると、出勤しているメカニック4人と事務のオバちゃんがすでに食事を取っていた。

 いつもならば立ち代わり入れ替わりソファーに座り、全員集合なんて起こらないが今日は仕事がとりわけ少なく、自分のペースでのんびりやれるという事もあってソファーは満席だ。

 出遅れた尚樹と陽平は窓辺の机にカップうどんと愛妻弁当を置き、丸椅子に座った。

 話題はおおむね昨日の空戦の話題であり、「誰それの家に部品が落ちた」やら「娘が小学校から集団下校になった」というものでテレビも似たようなことを流していた。

 尚樹はポットのお湯を朝買った力うどんに注いで、5分待つ。

 

「尚樹、お前んちのすぐ近くだろ、大丈夫だったか」

「おう、家には当たってない、近くの道路が穴だらけでビビったよ」

「破片でも当たってたら死ぬよな、機関砲だし」

「そりゃな、重機より弾デカいしな」

「テッパチとベスト欲しくなったわ」

「今朝俺もそう思ったよ、同時になんて幸運なんだろうってな」

 

 事務所の誰かがチャンネルを変えても、テレビでは航空自衛隊機の武装についての紹介や射撃は適正だったのかという内容を流している。

 “元航空幕僚長”と言う肩書の大学教授が射撃に至った経緯を説明していた。

 そうして1機約110億円のF-15J戦闘機が何機落とされ、被害がどれくらい出たのかという内容へと続く。

 陽平は煮物と鳥そぼろ飯を交互に口に運び、呟く。

 

「空さんも大変だよな、撃墜されて死人出してるのに『なぜ撃った』って言われるもんなあ」

「まあ、ネ……不明機の足元には住民が居るし、いつもの感情的に『とんでもない!』って事だろ」

「事実、一歩間違えりゃ死んでるもんなお前」

 

 尚樹はあの時家の中に居たことになっているが、実際は弾が飛ぶ中インカムを探したり、ストライカーユニットの発進準備をしていたのだ。

 流れ弾や破片に当たって死傷する可能性が最も高かったが、あの時はそんな事は頭になかった。

 ただ、一刻も早くひかりを空に上げてネウロイを撃破しなくてはならない、それだけだった。

 そんな状況の人間に、判断は正しかったのか?と追及する姿勢に尚樹は言う。

 

「あの時、命を懸けた奴が言うならともかく、傍観者ですらない()()()()()()()()が言うのはどうなんだろうな」

 

 陽平はまるで一戦交えたかのような、けだるげな雰囲気の尚樹に驚く。

 そして、自分があの場に居たファイターパイロットだったらどう思うかと考えて、陽平は言う。

 

「それは俺らが元自だからそう思うんだろうぜ、嫁さんなんかカンカンだった」

陽菜(ひな)さんが?どうして?」

「これがあったから職場から急遽お迎えよ、で、『危ないじゃない』ってさ」

 

 妻である重松陽菜は陽平が陸士だった頃に結婚したため、自衛隊に対して理解のあるほうである。

 しかし保育所に預けていた娘の上を戦闘機が飛んで機関砲をばら撒いたという事に対して必要な事であると分かってはいるものの、感情では納得できない。

 陽平は「仕方ない」という立場だったが、それに対して「あなたは娘のことが心配じゃないのか」と怒り、昨夜は言い合いとなったのだ。

 その話を聞いた尚樹は思った。

 見ているだけで何もできなかった者と、何かをしようとした者には大きな隔たりがあるのだろうと。

 

「まあ、()()()()()()じゃ深い溝があるんだろうなぁ」

 

 尚樹は最後にカップうどんのスープを飲み干して、席を立った。

 「ふう」と言うのは食後の一息か、それとも無意識のため息か。

 

 午後からは足回りを組み立てて、残った検査項目を確かめるだけだ。

 新しいブーツに変えたシャフトを車体に戻すと、サスペンションやアーム類を組みつけてゆく。

 取り外していたブレーキディスクとそれを挟み込むことで制動するブレーキキャリパーを取り付けた。

 

「右前が5.1㎜、4.5㎜か……4.5」

 

 その時にフロントのディスクブレーキのパット残量が1.6㎜以上あるか確かめて低いほうの値を点検記録簿に記入する。

 ブレーキを確かめたら流れるようにタイヤを取り付け、左側も同じく点検するとマフラーや遮熱板など底面の点検を全部終わらせてリフトを下ろす。

 明日、検査場に持ち込んだあとお客さんに引き渡すだけなので高級セダンを離れて、次の仕事にかかる。

 尚樹はエアコンの冷媒ガス補充やら、パワーウインドーの交換修理、急ぎで入って来たパンク修理など3台の車のトラブルを解決して本日の仕事を終えた。

 今日は当直ではないので早く帰れると言うよりも仕事自体が少ないので全員早めに上がることとなった。

 

「お疲れ様です!失礼します」

 

 尚樹は作業で汚れたツナギからジーンズとシャツに着替えると、事務所を出る。

 駐車場に置いてあるパジェロを出すと、ハンズフリーモードにして家の固定電話に電話を掛けた。

 ひとり暮らしであるはずの男が誰かに帰宅時間の報告をする場面を見られるとまずいからだ。

 

『Hello, 502nd JFW commander's office……』

 

 家だと思ったら『502の司令室の内線』に掛けていたようで、聞き取りやすい英語、いやブリタニア語で当直の隊員に応答される。

 

「直ちゃん?」

『直ちゃんじゃねえ!って尚樹か、びっくりさせんなよ』

 

 尚樹は最後まで聞いてから、電話番の少女の名を呼んだ。

 無意識だったようで電話の向こうから「あっ」という声が聞こえすぐに訂正が入った。

 

「ごめんごめん、ひかりちゃんは?」

『ひかりなら台所だ、何の用だよ』

「じゃあ、今から帰るって伝えといて」

『わかった、早く帰ってこいよ。……腹が減って仕方ねえからな!』

 

 直枝の照れ隠しのようなセリフを最後にブチンと電話は切れてしまう。

 尚樹は今晩の夕食は何だろうなと考えながら家へと車を走らせるのであった。

 

____

 

 

 一方、電話の音に思わず当直士官のような事をした直枝は、ひかりの手伝いをしていた。

 二人とも紺のジャージにエプロン姿であり、まるで中学校の調理実習のようにも見える。

 料理本通りに大判の牛肉コロッケを作って揚げていくひかり。

 直枝はひかりに頼まれ、付け合わせのキャベツを千切りにしていく。

 3人分という事もあって、多いほうがいいだろうとキャベツを1玉使う。

 

「おめー、その本の通りに作るんだな」

「そうですよ!」

 

 料理本の通りに作るひかりを見て、直枝はつい下原のイメージで言ってしまった。

 

「その、味とか大丈夫なのかよ」

「はずれはありませんよ、まだアレンジしたら大変なことになっちゃいます!」

「アレンジか……クルピンスキーの自信はどっから来るんだろうな」

「あはは……」

 

 思い出すはクルピンスキーが何も見ないでなおかつうろ覚えで作った“スープのような何か”だ。

 第2次偽伯爵料理事件の教訓から、下原の不在に備え502に料理本を置こうという動きがあったものの、結局うやむやになってしまったことを二人は思い出した。

 もっとも、あったところで「あと、これを入れたら美味しくなると思うよ」とアレンジをしようとして失敗する光景が目に浮かぶ。そしてロスマンの怒声が響くのだ。

 

「こっちに来たのが下原さんじゃなくて良かったですね!」

「やめろ、下原が抜けたら飯は業務隊か、俺とニパとロスマン先生、ジョゼで作ることになっちまう」

 

 ひかりの仮定に、直枝は遠い目をする。

 

 業務隊の炊事支援を頼めば毎日作る必要はないが、業務隊に人を出さなくてはならないのだ。

 そうなると直枝が思い出すのはロスマンによって厨房に派遣された時の事である。

 烹炊員(ほうすいいん)になると基地にいる数百人分の食材カットや調理が待っているので、それは避けたい。

 こういっては下原には悪いが、飯炊きのためにウィッチになったわけではない。

 かといって支援を頼まずに「自隊給食」にすると8人分でいいが、その他の業務で忙しいサーシャやロスマンは調理担当から外れる。

 したがって、毎食の調理が食へのこだわりが強いジョゼ、調理は出来るニパと直枝の3人ですることになる。

 

 そして哨戒任務が入ったりして人数が居ないときに、調理のできないクルピンスキーやひかりが台所に立てばすぐ悪夢の出来上がりだ。

 

 もっとも、食事以外に下原の不在は夜間哨戒の割り当てなどで深刻な問題が発生するのである。

 そうしたことも加味して下原やロスマン先生とは違い、部隊運営にあまり影響のない自分で良かったなとひかりは思った。

 

「そうですね、私もこっちに来なかったら料理も家事も勉強もできないままでした!」

「それは良かったな……こっちの気も知らねえで」

「どうしたんですか管野さん?」

 

 まるで異世界に来たことを喜ぶかのようなひかりに、直枝は拗ねたように言う。

 直枝とニパはひかりの消失以降ずっと悩んでいたのである、ひかりの能天気さに直枝は「心配した俺がバカみたいじゃねーかよ」と思った。

 トントントントンと包丁のリズムがどんどんと早くなっていく。

 

「あっ、もしかして、心配してくれてたんですかぁ?」

「うっせえ!おめーはコロッケ揚げてろ!」

 

 のぞき込むような視線に気恥ずかしくなった直枝はついつい言ってしまう。

 今のは少し言い過ぎたかなと刻む手を止めて右を見ると、ひかりはしゅんとした様子で言った。

 

「私、管野さんや皆さんに心配とご迷惑をかけちゃいましたね」

「迷惑だと思うならこんなところまで来ねえよ」

「管野さん、ありがとうございます」

「おう」

 

 直枝は一言そういうと再び、黙々とキャベツを刻み始めた。

 何を言うでもなく、油の弾ける音と小気味よい包丁の音だけが台所に響く。

 それらは、台所の向こう側のカーポートに車が入ってくるまで続いた。

 

「ただいま!」

「おかえりなさい、尚樹さん!ほら、管野さんも!」

「お、おかえり……」

 

 尚樹が居間に入ると笑顔のひかりと、言いなれない事を言わされて恥じらっている直枝が出迎える。

 テーブルの上には揚げたてで油とパン粉の良い香りがする大判のコロッケが3枚の皿に乗り、その中央にボウル一杯に盛られたキャベツの千切りが鎮座している。

 

「今晩はコロッケか、付け合わせのキャベツも多くていいね!」

「はい!キャベツは管野さんが刻んでくれました!」

「おう、早く食べようぜ」

「そうだな、じゃあ俺は手を洗ってくるよ」

 

 直枝は尚樹を急かすと共に、台所にご飯の盛られた茶碗を取りに行く。

 ひかりはヤカンに入ったぬるいほうじ茶を3つの湯吞みに注いでテーブルに並べた。

 手を洗うとともにツナギを洗濯かごに入れた尚樹が席に着けば、一斉に食事が始まるのだ。

 

「いただきます」

 

 尚樹たちはひとり2枚の大きなコロッケと千切りの山に箸をつけた。

 

「おいしい、それにしてもボリューム凄いな」

「はい、しっかり食べれるように“わらじコロッケ”っていうのを作ってみました!」

 

 食卓には『お好み焼きソース』いわゆる濃厚ソースが用意されており、ひかりと尚樹はソースをかけたが直枝は何もつけずに食べる。

 

「直枝ちゃん、ソース掛けないの?」

「せっかく牛肉使ってんだ、“甘い”ソースをかけたら肉の味がわかんなくなっちまう」

「ああ、素材の味を楽しむ派か、下味もついてるしな」

「尚樹さん、ペテルブルグは牛肉とかあんまり出てこないので牛肉の味は重要なんです」

「食料が届かねえし、出てくる肉は何の肉かわかんねえ。牛脂とウサギの肉が混ぜられた牛肉の缶詰とかな」

 

 なお、件のウサギ牛肉缶はリベリオン国内で問題となり、“ウサギ牛缶疑獄”と呼ばれる騒動に発展し陸軍より回収、製造会社は倒産した。

 しかし、数百トンにも上る友好国への輸出分における回収は行われなかった。

 疑惑の缶詰は長らく前線のデポで停滞していたが、奇襲攻撃で街の食糧庫が吹き飛んだため、食糧難になった際にラルが“有効活用”してやったのだ。

 

「そうか、やっぱり戦時下って大変だったんだなあ、で、その缶詰は?」

「下原が味の濃いソースと衣で覆ってなんとか食べられる代物になったよ」

「ええっ!あれってそんなお肉だったんですか!」

「おめーとニパは美味しい美味しいって食べてたから何も言わなかったけどよ」

「食品偽装問題が発覚しても、“無いよりはマシ”ってよっぽどだな」

 

 ペテルブルグ基地における食糧事情に思いを馳せつつも食べ盛りのひかり、直枝はあっという間に食べ終わり、千切りのキャベツでご飯を食べていた。

 尚樹もなんとか1枚食べると、「油モノをたくさん食べられないなんてオッサンだなぁ」と自虐しつつ残り1枚はひかりと直枝にあげた。

 

「ごちそうさまでした」

 

 食事が終わると尚樹が台所に立って食器を洗い、ひかりと直枝は休憩となる。

 この光景に直枝は驚いた。

 ひかりにやらせるものだとばかり思っていたのだ。

 

「おい、本当に休んでていいのかよ」

「うん、料理作ってくれたんだろ。食器の片付け位しないとな」

「変わってんな」

「管野さん、“現代の男の人”は家事ができないとダメみたいです!」

「そうそう、俺はもともと一人暮らしだし、ひかりちゃんに何でも任せきりとかかっこ悪いだろ」

「かっこ悪くなんてありません!」

 

 直枝はひかりから男女の役割が変わった平成の世の中の価値観について聞いた。

 ひかりが家事をやるようになったのも、何でも自分でやってしまう尚樹の影響だという。

 

「尚樹さん、手伝う事って何かありませんか?」

「じゃあお風呂の用意してくれるかな」

「はい、わかりました!」

 

 ひかりは風呂の用意のために風呂場へと行ってしまった。

 居間にひとり残された直枝はまるで“ただ飯喰らい”の様な気分になる、これがひかりを動かした原動力なのかとようやく理解するに至ったのだ。

 

_____

 

 入浴が終わるとくつろぎタイムに入り、直枝を加えてお茶請けを片手に現在までの流れについて話をする。

 お茶請けのポテトチップスやまんじゅうに直枝は目を輝かせていたが、現在の502の動向になると真面目な顔つきになった。

 ひかりは消失後に502がどんよりと暗いムードになっていたという話や、消失地点の近くにネウロイの巣が出来たという話を聞かされた。

 そして、その巣“レーシー”によって超空間通路が開かれていたという内容へと繋がってくる。

 尚樹はネウロイの巣がどんな物かひかりから聞いていたために、あることが気になった。

 

「たしか、巣にもコアってあるんだっけ?」

「おう、だけど今度の奴には見当たんねえ。孝美の魔眼でも見えねえしな」

「尚樹さん、お姉ちゃんはネウロイのコアを見つけることが出来るんです」

「“真コア”みたいな、コアを魔眼から隠すやつも居るから調査隊が音波探査機で調べてる」

 

 尚樹はネウロイについては知らないが、似たような器官が弱点の敵性体が登場するロボットアニメを知っている。

 そこには光線を放ち地下施設までの装甲板を蒸発させたり、虚像を浮かべ実際は足元に展開した虚数空間の中に居たり、回復が異様に早く二点同時荷重攻撃で撃破しないといけない存在が描写されているのだ。

 アニメの内容も含めて考えると、そのネウロイには何か仕掛けがあるはずだと尚樹は思った。

 

「そうなると八面体はコアのない虚像かタダの送信機、この辺に本体か何か居るんじゃねえの?」

「どういうことだよ」

 

 尚樹は手元にあったパチンコ屋の折り込みチラシの裏にマーカーで“ウィッチ世界”・“こっち”と2本の時間軸を書くと1945年のウィッチ世界から矢印を飛ばした。

 

「毎回こっちの世界に通路を繋げているわけだけど、どうして2017年の大阪なんだろうな」

「適当に開いたにしてはここばっかりって事かよ」

「そう、向こう側から適当にジャンプさせるなら出現地点や時間がばらけてもおかしくないんじゃないか?」

「あっ、ほんとだぁ!」

 

 尚樹は“こっち”側へと引いた矢印に199X と書き、逆にウィッチ世界へのものに200Xと書く。

 時間がずれている以上、こちらから適当に空間を開いたとしても1945年のオラーシャに出るとは限らないのだ。

 

 ひかりが来て以降も“少なくとも2回以上”は絶対に大阪上空に繋がっているところを見ると何かで出現地点を固定している。

 もしくは本体が日本にあってウィッチ世界のものは虚像あるいはこちらに通路を開くための送信機かも知れないと考えたのだ。

 

 ひかりはネウロイの座標固定方法に対して何かを考えはじめたのか「うーん」と黙ってしまった。

 

「そういう事か、それならこっちに居るネウロイをぶっ倒せば帰れんのか」

「可能性はあるね、ただし、通路が開いているときにやらないとダメかもな」

「あっ、尚樹さんこの間の地上ネウロイって()()()()来たんでしょうか」

「電波障害もあったみたいだし、どこかから来てるんじゃない……」

 

 尚樹はひかりの疑問になんとなく答えると、直枝のいうネウロイの出現状況を思い出してチラシにもう一本線を引いた。

 戦車部隊が行方不明になり捜索中に“黒水晶”のような地上ネウロイが出現、()()()()()()に奇襲を受けたと言う話を思い出したのだ。

 

「たしか戦車の捜索中に奇襲を受けた時も何かの光があったんだよね、もしかして……」

「これがあってもおかしくねえけどよ」

 

 3本目の線にネウロイ供給源?と書き込むと恐ろしいことになった。

 接近経路も生産方法もわからないネウロイが、「世界を跨ぐ手段を持っている」としたならば3本目のネウロイ供給源からウィッチ世界やこっちの世界に矢印を飛ばせるのだ。

 

「尚樹さん、この近くにネウロイのコアがあったとしたら他のを呼んじゃいませんか?」

「その可能性はあるな、その時はひかりちゃんと直ちゃんに倒してもらうよ」

「おめー、人任せかよ。この国の軍隊はどうなってんだ」

「この国の軍隊は膨大な手続きを取らないと拳銃一つ持ち出せないんだよね」

「大雨の時に“災害派遣”って書いたトラックが走ってるのは見ました!」

「ひかりちゃんの言う通り、災害派遣にはよく出るけど“武器の使用”はできないんだよな」

 

 尚樹は敗戦からの統治、進駐軍指導の下での防衛力整備、自衛隊発足と文民統制についての話をしようかと思ったが長くなりそうなのでやめた。

 自衛隊史には壮絶な敗戦以降の国民の「軍事アレルギー」というものが関わっており、その説明をしてもなお直枝に理解してもらえる気がしなかったのである。

 

 要はコアの危険性がはっきりしていて、かつ警察力で手に負えないと判明するまで自衛隊の出る幕はないのだ。

 

「コアが見つかったからと言って、すぐに部隊が派遣できないからなあ自衛隊」

「そんなもんでよくこの国が()ってるな」

「戦後80年、何度か危機はあったけど戦争もなく()()()()平和だったからね」

 

 そういうと、尚樹は本題である「ネウロイのコアと超空間通路について」に戻った。

 寝る前まで続いた話し合いの末に出た結論は以下の通り。

 

__超空間通路が開いているときにこちら側に潜伏しているネウロイを撃破し、コアがあった場合はそれを破壊して通路が閉じる前に飛び込む。

 

「ま、通路が開いて、潜伏しているネウロイが出てくるまでどうしようもないんだよな」

「そうですね、探す方法もありませんね」

「仕方ねえな」

「じゃあ、今日のところはお開きにして寝ようか」

 

 3人は大体の目標も決まったとして、気持ちよく眠ることが出来たのだった。

 




戦いの後の日常、ひかりちゃんが消えた後の話でした。
まさか平日回を2分割することになるとは思ってもみませんでした。

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本屋にて

 月曜日、尚樹たちは堺市内のショッピングモールにやって来ていた。

 

 街に出るという事もあって、ひかりはよそ行き用のいつもの清楚な服装で、直枝は夏という事もあって薄い土色の襟付き半袖シャツにひざ上丈の黒いフレアスカートだ。

 尚樹が帰宅後すぐに家の近くの“ファッションセンターしもはら”に連れて行った際に購入したものだ。

 暑いとはいえ尚樹のようにTシャツにジーンズでうろつくのは気が引けるし、かといってフリフリのレースがついた服と言うのも少し気恥ずかしい。

 そんな葛藤を経て直枝は軍服に近いシャツと、あまり目立たない黒いスカートを選んだのだった。

 

 立体駐車場に車を止めて、小道を抜けると開放感のある通路に出る。

 5階建てのこの建物は大手スーパーと専門店街、シネマ・コンプレックスで出来ており、尚樹は専門店街の4階にある書店へと向かっていた。

 直枝は間の空いた通路に面した専門店や高い天井、ガラス柵の向こうに見える下階の店を見る。

 

「外から見てもでかいけど、中もかなり広いな」

 

 どんな軍施設よりも大きく、一つの商店街が詰め込まれたかのような空間に直枝は豊かさを実感する。

 隣を歩くひかりは電飾やスポットライトで輝くショウウィンドゥを見ながら「こんなのがあるんだ」と言い、尚樹と話しながら進んでいく。

 直枝の視線に気づいたひかりは振り向いて、楽しそうに言った。

 

「管野さん、ここは私も初めてで楽しみです!」

「おめー迷子になんなよ」

「なりませんよ!管野さんこそどうなんですか?」

「言うじゃねえか……」

 

 ちょっとひかりをいじってみようとしたら、そっくり返されて直枝はしまったと思った。

 ペテルブルグなら先任風を吹かせることができるが、ここでは知らない事ばかりでどうも分が悪い。

 直枝とひかりのじゃれ合いに、隣を歩く尚樹は仲が良いなあと思った。

 そうしている間に広い円形のホールに出て、昇りエスカレーターが見えた。

 

「直枝ちゃん、エスカレーター……動く階段なんだけど、気を付けてね」

「本当だ、階段が動いてやがる」

 

 次々と床からせり出して、昇っていく段に直枝は立ち止まる。

 金属で出来たステップは平面から段となって上がるのだが、その断面はまるでバリカンの刃のようでなんとなく恐怖を感じる。

 側面には赤い非常停止ボタンがあり、隣接する柱には“お履物が巻き込まれる危険性がございます”という注意喚起が張り付けられている。

 大縄跳びに入るタイミングをうかがっているかのような直枝に対し、もうエスカレーターに慣れたひかりは、ためらいもなく足をせり出したステップの中央に置く。

 

「管野さん、お先に行きますよぉ!」

「ひかり、待ちやがれ!」

 

 両足を乗せてスーッと上がっていくひかりに直枝はええい、ままよとばかりに踏み出した。

 独特の加速感によろけそうになったが後ろに居た尚樹に支えられ、ゴムの手すりを掴む。

 

「直ちゃん、あんまり前に立つと危ないよ」

「お、おう……いつまで支えてんだよ」

「ごめんよ」

「これって、死ぬような事故があったりしないよな?」

「……無いとは言わない」

「本当かよ?」

「だから、黄色い線の内側に立って手すりを持ってって言ってるんだよ」

 

 現実、日本でエスカレーター事故は起こっているが多くが挟まれたり、巻き込まれたりというもので、ときどき急停止や接触で転落して運悪く死ぬ人がいるぐらいである。

 尚樹は床が抜ける“人食いエスカレ-ター”死亡事故も中国で起きているという事を伏せた。

 直枝には流れていく壁と広い空間を上がっている光景を楽しむ余裕もなく、気付けばもう頂点が近くステップが平らに変わり床に吸い込まれていくのが見える。

 流れている音声注意が「お足元にお気を付けください」というものでどことなく不気味さを感じた。

 

「直ちゃん、足出して」

 

 直枝は落ちることも、転ぶこともなくエスカレーターから降りることができた。

 

「すげえ……」

 

 初めてのエスカレーター体験の後に広がるのは店先に平積みにされた色とりどりの本、本、本だった。

 大きく開いた入り口から3人は店内に入る。

 足音を吸うような灰色のカーペットが敷き詰められ、店の一角には赤いベロア張りのアームチェアが置かれた空間があり本が読めるようになっている。

 また、書架と壁側の間の通路には試し読み用の木製のベンチがあって、座って読むことができる。

 平日という事もあって人は少ないほうであったが、それでも田舎の書店とは比ぶべくもなく、50、60人近くはいるだろうか。

 

「うわあ、椅子とか置いてます!」

「どうぞ座って試し読みしてくださいって事だな。最近はカフェとかもあるからなぁ」

「カフェのある本屋って、本が汚れたらどうすんだよ」

「それは俺も思った。まあ、おしゃれなところはかえって本を探しづらいんだけどな」

「どうしてなんですか?」

「リラックススペースの関係で、本棚が離れてたりジャンル分けがわかりにくいんだよな」

 

 尚樹は梅田駅に接続された商業ビル内にある本屋、蔓屋(つるや)書店を思い出しつつ言う。

 おしゃれな雰囲気などから女性やサラリーマンに人気の店であるが、普段、街の本屋を利用する尚樹にとっては500席の試読席も軽食がとれるサービスよりも最も重要なものはゾーニングの“わかりやすさ”だったのだ。

 外国の著者、日本人作家と書架のプレートに掲示され、文庫本などを集めたコーナーがあり、直枝の足は自然と文庫本の方へと向かっていた。

 

「管野さん、私はお料理の本を見てきます!尚樹さん、お願いしますね」

「わかった、わかったから行ってこい」

「了解、あとでそっちに行くよ」

 

 ひかりはそういうと“家事と生活”のコーナーへと消えていき、尚樹は大型書店初体験の直枝について回ることになった。

 直枝は“外国の作家”の棚の前に立つと、視界いっぱいにならぶ本の中から“桜の園”を手に取った。

 

「すげぇ、“桜の園”ってこっちにもあるじゃねーか」

 

 直枝を思わず感嘆の声を漏らした。“オラーシャ”の作家チェーホフの名作であり、パラレル・ワールドに来ても読むことができるとは思わなかったのだ。

 ペトロ・パウロ要塞に残してきた私物品の中のものよりもつるりとして光沢のある綺麗な装丁であり、ページを繰ると紙の質もまるで違う。

 

 製紙、印刷、製本の技術も1940年代に比べて格段と進歩しており、ざらっとしたページのささくれやインキのにじみ、そして綴る糸のほつれや切れが見当たらないのだ。

 デンプンに代わる紙の性質を向上させる添加剤が用いられ、印刷も活版印刷から鮮明に印刷できるオフセット印刷になり、製本も接着剤を用いた網代綴(あじろと)じとなったことで安価になった。

 

 直枝はパラパラと流し読みをする。

 固有名詞や細部に違いこそあれどおおむね似たような流れであり、訳者による差異と考えれば、違いも大して気にならなくなってきた。

 むしろ同名の新しい物語を読んでいるような気さえして軽く目を通すつもりが夢中になっていた。

 その様子を隣で見ていた尚樹は、彼女の様子を見て本が好きなんだなと思うと共に、話しかけて邪魔をしてはいけないと感じた。

 

 一方、家事・生活コーナーのひかりは基礎の本からステップアップした応用編などの書籍に目を通していた。

 ひかりは一度やると決めればとことん突き詰めていくタイプであり、試行錯誤を繰り返すのだ。

 

「こうすれば、尚樹さんに喜んでもらえるかな」

 

 手には“デキる奥様の節約術‐私はこうして1000万貯めた”があり、ひかりはその内容をしっかりと覚えようとする。

 その勢いに、隣のベンチに座っていたお婆さんが声を掛けた。

 

「お嬢ちゃん、ずいぶんと真剣に読んではるけど、面白いの?」

「はい、こんな方法があったんだーって思います!」

「そうなのー、お嬢ちゃんは高校生?」

「はい、私は“()()()()()()”に通っています」

「若いのに勉強熱心でいいわねえ。うちの孫娘はねぇ……」

「そうなんですかぁ、大変ですね!」

 

 笑顔で相槌をうったがゆえに、お婆さんと同居する孫娘がいかに家事もろくにせず、男の家に遊びに行くかを聴かされることになった。

 大阪のおばちゃんは話好きな人も多く、気づけばいろいろと話をしていることがある。

 ひかりは無意識のうちに普段の生活を聞き出されてしまい、お婆さんの中では「好きな男と同棲するために通信制に通っている健気な子」という図式が出来上がっていた。

 

「お嬢ちゃんも好きな男をつかまえるんやったら家事ができるほうがええで、頑張りや」

「はい!」

 

 お婆さんは一通り喋ると、お礼だと言ってのど飴を二つ渡して去って行った。

 ひかりはよく喋る人だったなあと思いながらも、お婆さんの話について考える。

 

「好きな人かぁ……私はどうなんだろ……」

 

 ひとつ屋根の下寝食を共にして、それでいて優しく、自分の意思を尊重してくれる彼についてどう思っているのだろう。

 最近、直枝が来てから心がざわつくことが増えたのを実感する。

 尚樹と直枝が仲良くすることはうれしいけれど、同時にとられたような気分になるのだ。

 それは直枝に対してなのか、それとも尚樹に対してなのかいまいちピンとこない。

 相棒として認めてくれた直枝、そしてこっちの世界で良くしてくれてストライカーの整備もしてくれた彼、もしもどちらかを選べと問われたならどう答えるだろうか?

 ひかりは欲しい本を片手にベンチで悶々と考えていた。

 

 “桜の園”を読み終えた直枝は次に漫画、ライトノベルコーナーへと向かう。

 尚樹の部屋にあった漫画を読んだことで、文学のような語感の美しさこそ少ないもののイラストとセリフの調和で読者を引き込むという漫画の手法にも馴染んだのである。

 ライトノベルの存在はコミカライズ化の宣伝ページで知り、直枝はどんなものか読んでみるかと思ったのだ。

 アニメ絵の少女たちが描かれた表紙で売り場はとてもカラフルだ。

 時間潰しの大学生や社会人になって数年といった雰囲気の若者が多く、手に取って表紙を見ていた。

 その中に直枝は入っていく。

 棚の前をうろうろしていた男子大学生二人は近づいてきた美少女をじろじろと見たが、直枝がくるりと向くと去って行った。

 「何見てんだテメェ」とガンを付けたわけではない、ただ視線を感じたから振り返ったら繊細な彼らが耐えられなかっただけで。

 

 逃げるように去っていく彼らに尚樹は思う、俺もひかりちゃんが居なかったらたぶんビビっていただろうなと。

 尚樹が直枝に普通に接していられるのは、ひかりとの生活で女子との会話に慣れたというのと、事前に管野直枝中尉の逸話を聞いていたからである。

 それが無ければ、目つきのキツイ超強気系女子に関わろうとは考えないだろう。

 

 

「なんだ、どれもこれもタイトルが文章じゃねえか!」

「一昔前に流行ったんだよ、文章タイトル」

「この『俺の母親が超級魔法使い(ディストラクチャー)なんてありえねえ』って何だよ」

「そういうツッコミから手に取らせたら勝ちっていう商法」

「多すぎて、逆にどれがどれかわかんねえ」

 

 直枝は試し読みをしようとしたが、ビニール包装されており中が見えない。

 だからこそ、珍奇な文章系タイトルで手に取らせようとするのだろう。

 本が1か月や2か月で粗製乱造される現代において、長々と売り場を占領することで客に手に取ってもらおうというのは無理がある。

 なので撤去されるまでの短い間に即効性のある売り方が求められ、パッと見ただけで主人公やヒロインがどう言うキャラクターなのかがわかるようなタイトルが読者にウケたのだ。

 

「直ちゃん、『これだ!』っていうのはあった?」

 

 直枝はビニールに包まれた小さな文庫本ではなく、その隣のネット小説文庫本化コーナーへと向かい、ざっと探す。

 こちらの本は包装がされていないため、中を見ることができるのだ。

 

『Lv.199の生産職ですが何か?』

『内政チートが俺に無いなんて嘘でしょう?』

『この世界がアニメだと俺だけが知っている』

 

 直枝はゲーム機でロールプレイングゲームをしたことが無いので、わからないものも多かったがタイトルを探す。

 

「『異世界で銃を使う100の方法』これなんて……」

 

 直枝は手に取って物語の世界へと入って行った。

 数分後、直枝はげんなりした顔で言う。

 

「序盤で死んで神様が出てきた段階で嫌な予感はしたが、ご都合で銃使って手入れも無しかよ……作者の野郎は何考えてんだ?」

「まあまあ直枝ちゃん、素人が書いた文章だから教養のある作家が書いたのに比べて単調にもなるし、調べ足りてないこともあるよ」

「それに、あの世界の魔法が使えれば俺たちだって楽に戦える」

 

 直枝が読んで感じたことを聞きながら、尚樹は「直ちゃん、酷評するわりにはしっかり内容が頭に入っているんだな」と感心した。

 たとえ、否定的な感じ方をしたとしても読者の心に何かを残すことができたのであれば、それは著者の望みではなかろうか。

 一番悲しいのは手にも取られずに何の反響も返ってこないことだろう。

 直枝は読書家として、よほどつまらない物でない限り最後まで読むことにしている。

 そして、最後に思ったことをその本への評価として頭の片隅へととどめておくのだ。

 

「そろそろひかりちゃんの方へ行かなきゃな、直枝ちゃんはもうちょっとここに居るか?」

「おう、もうちょい見てるぜ」

 

 楽しそうに話す講評を聞き終えると、尚樹は家事コーナーに居るひかりの事を思い出した。

 今頃「放っておかれた」と膨れているかもしれないなと思いながらおそるおそる家庭・生活のプレートが貼られた書架へと近づいた。

 

「あっ、尚樹さん!」

 

 すると書架の陰で見えなかったベンチから不意に声を掛けられて、驚いた。

 尚樹は直枝ばかりに構って長いこと一人にしていたことを謝る。

 

「ごめんよ、ひかりちゃん、結構長くなってしまって」

「大丈夫です、管野さん、楽しそうでしたね」

「まあな、読書好きの人と試読できる本屋に来てはいけない理由がよく分かったよ」

「管野さん、向こうじゃ恥ずかしがって本の内容教えてくれないんですよ」

「そうなん?てっきり本の感想を熱く語ってくれるものだと」

「それは尚樹さんだからじゃないですか?私だとあしらわれちゃいます!」

 

 扶桑では文学を嗜む者は軟弱、男であればその当時で言う“軟派”だとされる風潮があった。

 ウィッチになった直枝は男の軍人に「所詮は女か」と侮られたくなかったので文学はこっそりと楽しむことにしたのだ。

 ところが、欧州に派遣されてみればそのような風潮はなく、むしろ教養があるとされていた。

 しかし誰にも負けない“強い女”を目指していた直枝にとって文学趣味がバレるのは弱い部分を見せるようなものだった。

 また、娯楽の乏しい軍隊生活において小説の世界は“逃避先”であってその内容を知られると、こっそりと付けていた日記を目の前で読み上げられたかのような恥ずかしい気分になるのである。

 

 ところが異世界に来てみれば、本屋には多くの人がおり溢れんばかりの本が並べられているではないか。

 ここでは誰にも咎められずに堂々と本が読めるという事に気づくと、今までの反動でつい喋り過ぎてしまったのだ。

 

「直枝ちゃんはまだもう少しかかりそうだね、ひかりちゃんは欲しい本決まった?」

「はい、この2冊です」

「おっ……これかあ……ひかりちゃん、ありがとうね」

「尚樹さん、私、がんばります」

 

 尚樹は節約術の本と新しい料理本を見て、思わずひかりの頭を撫でてしまうのであった。

 その様子を見ていた直枝は嬉しそうにしているひかりに、思わず隠れる。

 

「決まったってのに、出て行きづれえ」

 

 結局、尚樹は直枝の持っていたラノベと文庫本を2冊ずつ、ひかりの家事に関する書籍を3冊買い、店を出たのだった。

 駐車料金の無料期間である2時間など、とうに過ぎていた。

 




娯楽に飢えていると悪役令嬢ものでさえ面白く感じる不思議……

ご意見、ご感想をお待ちしております。


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出動態勢

信太山にはキツネ(葛の葉)の伝説があります。
37普連の識別帽にも狐がいます。そして生活隊舎の玄関には「フォックスパレス信太」という木の看板が……


  『国籍不明飛行体事件』発生から5日、東京都市ヶ谷にある防衛省、統合幕僚監部はにわかに騒がしくなっていた。

 情報本部によって解析された電子的情報に加え、大阪府警察からある事件で逮捕された外国人が国籍不明飛行体について知っているとの情報を提供され、人員を派遣したところ思わぬ収穫があったためだ。

 

 電波障害の度に聞こえていたロシア語は、じつは“オラーシャ帝国”と呼ばれる国家において使用されているものであり、黒い飛行体は彼の世界の人類を脅かす脅威“ネウロイ”であるという内容だ。

 荒唐無稽な話だと逮捕直後には思われ、精神鑑定も検討されていたが実際に“ネウロイ”と呼称される敵性体が現れた今、彼の証言には戦術的価値があると判断されたのだ。

 戦車兵として最前線にいて撤退戦を行い、様々な状況を経験してきた男の口からは色々と有効な戦訓が得られた。

 

 これらの情報をもとに統幕以外の陸海空の幕僚監部においてもそれぞれ「敵性体に関する研究」と呼ばれる会議が開かれ、今後出没した際にどのような部隊運用を行うかの検討が始まった。

 

 陸上自衛隊においては陸上幕僚監部、通称:陸幕からの指示を受けて中四国・近畿を受け持つ中部方面隊総監部は脅威に対し即応できるように第三師団を通し各駐屯地に即応部隊を準備するように命じた。

 破壊力のある光線を照射する能力を有する黒い飛行体が我が国の領空に出現して多大な被害を出し、類する存在がまだ国内に潜伏している可能性があるとなれば、いつか甚大な被害を及ぼすであろうことは明白である。

 国民を守る最後の砦である陸上自衛隊の威信をかけた出動計画が立てられた。

 従来より災害派遣に即応するための“ファスト・フォース”と呼ばれる体制はあったが車両に災害派遣用の器材を積み込んで、初動対処小隊として営内に残留する者を中心に出動準備が行われている程度だった。

 だが、今度の即応部隊は災害派遣ではなく()()()()のための部隊である。

 出動部隊は普通科連隊、特科大隊、機甲科部隊、航空科部隊といった戦闘職種の部隊を中心に編成される。

 

 千僧駐屯地に所在する機甲科の第3偵察隊も怪異の出現があればオートバイに乗った偵察オート班や25㎜機関砲を持った偵察警戒車(RCV)に乗るC班が速度を活かし近接して情報を師団司令部に伝送する。

 即応態勢にあるのは上級指揮官の耳目たる“レコンマン”ばかりではない、普段出る機会のない“戦車マン”たちも事に備えて準備をしていた。

 尚樹の所属していた第3戦車大隊では戦車8両を戦車パークではなく、勤務隊舎前の道路に駐車させ、弾薬庫にはただちに使用できる実弾を保管している。

 有事の際には即応弾20発を各戦車に搭載し、その状態でやって来たトレーラーに戦車を積み、第一陣として駐屯地を出発するのだ。

 

 航空科では明野駐屯地の第5対戦車ヘリコプター隊がいつでもスクランブル発進が出来るように待機しており、機関砲弾やTOW、ヘルファイヤといった対戦車誘導弾のほかハイドラ70ロケット弾がハンガーの傍に集積されており命令から30分以内に搭載、発進できるようになっている。

 

 普通科でも、小銃・機関銃の他に威力の高い対戦車火器などが準備されいつでも弾薬庫から搬出できる体制を取っていた。

 出動部隊には4つまたは5つの普通科中隊が充てられ、重迫撃砲中隊も火力を増強するために準備されていた。

 

 かつて、東西冷戦のさなかにソヴィエト連邦の最新鋭戦闘機、MiG‐25が函館空港に強行着陸し、パイロットが合衆国に亡命するという“ベレンコ中尉亡命事件”が発生した際、合衆国の武官によってもたらされた“ソ連軍による奪回計画”と言う情報に出動態勢を整えていたことを彷彿とさせる状況であるが、来るかもしれない相手はソ連軍ではなく“正体不明の黒い影”なのだ。

 旅客機やF-15の撃墜が黒い影の脅威を雄弁に物語り、隊員の一部はいよいよ戦闘が起こるのかと戦々恐々としていた。

 

 

 特に南近畿の守りである第37普通科連隊においては、未確認情報であるが黒い大型生物と思われる影が出たとの話もあり、出動訓練が繰り返し行われている。

 命令下達で『信太山演習場にて正体不明敵性体が出現、現在は市街に向かい進行中』という訓練状況が付与され、鉄帽や弾帯といった個人装備着装からの弾薬受領及び機関銃架取り付けが主な内容であり、隊員たちは防弾ベストや鉄帽を身にまとった状態で武器庫に走り、89式小銃やMINIMIといった銃をリヤカーいっぱいに乗せて搬出し、別動隊が弾薬庫から手榴弾や実包、対戦車ロケットなどの弾薬をトラックに積み込む。

 そして、隊容検査を受けて3トン半トラックや高機動車、装輪装甲車といった車両に乗るところで状況が終了するのだ。

 

「銃!点検!」

「よし!」

「剣みせ!」

「よし!」

 

 本日も昼過ぎに非常呼集訓練で作業を中断し集合、営庭に整列して隊容検査を受ける。

 装具の着装や小銃の点検、銃剣の点検などをすると、「分かれ」の命令が掛かり弾かれるように各車両に飛び乗り、銃架に機関銃を据え付ける、

 通常であれば市民に不安を与えないために移動の際に機関銃などは取り外しているが、「小型種が戦車を取り込むために群がって来た」という情報があり接近中の自衛火器が無いのは危険であると上級部隊から通達があったのだ。

 

 何度目かの“状況”に武内晴樹士長は軽装甲機動車の操縦席でぼやく。

 

「正体不明の敵性体が潜伏してると思われる……怪獣映画かよ」

「武内ィ、怪獣映画なら俺らかませちゃうんか!ナア!」

 

 レンジャーカットで身長180センチ近くあるガタイの良い大男、森本士長が銃架にミニミ機関銃を据え付け、ガンナーズハッチから降りてくると亀山士長のモノマネをし、彼の特徴である甲高い声と巻き舌で言う。

 「かませ」とは噛ませ犬の事であり格闘技業界では前座となる対戦相手の事を指しており、元ボクサーの亀山士長の口癖である。

 晴樹は映画やアニメでありがちなワンシーンがパッと思い浮かんだ。

 創作物の兵士は銃が効かずに悲鳴を上げながら食われたり、潰されたりして主役が到着するまでに壊滅するものだ。

 

「そやな、効かない小銃を乱射してあっさりいかれてまう役どころやろな」

「うへえ、俺も想像ついたけど実際にそれはキッツいわー」

 

 希望も何もない陸士二人の会話に、助手席、自衛隊車輌で言うところの車長席に座っていた二児のパパ、小山2曹が言う。

 

「みんなで『戦車マーン、きてくれー』って言わなあかんわ」

「小山2曹、それってヒーローショーのノリですやん」

「日曜日にうちのチビ連れて行くつもりやったんやけど、行けんようになってもうたし」

 

 国籍不明飛行体の出現以降、震度6弱以上の地震などの事態でかかる“第三種非常勤務態勢”が敷かれており全員が駐屯地内で待機することになっている。

 小山2曹のような営外居住者も呼び戻され、外出もできない。

 

「そこでヒーローが出てきてパパッとやっつけてくれたらなあ、どんだけ楽か」

 

 左後ろの席に居た杉下3曹は同じ子持ちである小山2曹がいかに息子と遊園地のヒーローショーに行くのを楽しみにしていたか知っていたので、この先の見えない営内待機が早く終わらないかなと思いながら会話に入って来た。

 

「そこでヒーローは何の罪に問われるんでしょうね、スぺシウム光線ぶち込んで爆発したら激発物破裂?器物損壊?」

「知らね。でも警察に取り囲まれてる光の戦士って絵面はおもろいな」

「緊急避難でお咎めなし、ただし身柄は警察さんにっていうのが落としどころだろうな」

 

 最近、受験のために自衛隊法を勉強している晴樹に森本は「ありえそうで笑うわ」と言い、杉下3曹は一番穏便に収まる方法を考え、小山2曹はやる気なさそげに言う。

 

「まあヒーローでも戦車でもええから、ちゃっちゃと家に帰りたいよなあ」

「『お父ちゃんいつなったら帰ってくんの?』って娘に電話口で泣かれるのって辛いですよね」

 

 これは杉下3曹の家だけではなく、既婚隊員の過半数が経験することだった。

 日曜日のヒーローショーの約束が守れなくなってしまった小山2曹も頷く。

 

「せやな、お前らも今度ばかりはご家族に連絡取っときや」

 

 晴樹には2歳年上の兄がおり、影響されて入隊したのだが兄弟が同じ部隊になることはなく兄は機甲科で戦車に乗っていた“戦車マン”である。

 兄が戦車に乗ってやって来ることもあったが、春の創立記念行事位なもので師団検閲などでは会う事も無かった。

 そうこうしているうちに兄が自衛隊を退職し、ときどき電話をするくらいで最近あっていないなと思う。

 兄の事を今、思い出したかと言うと大阪上空戦で地上被害が大きかった地域に兄の家があったからで、両親から兄も無事であるとの知らせがあり安心した。

 どうしてか兄本人からの連絡は来なかった。“沙汰が無いのは良い知らせ”なのだろう。

 

 その頃、兄である尚樹は二人の少女と共同生活をしており電話を掛けてきた両親には対応したものの、晴樹のことはあまり考えていなかったわけだが、彼は知らない。

 車両に乗っていつでも営門から飛び出せるよ、といったところで状況が終わり軽装甲機動車から降りた晴樹はいつも通り雨よけのシートを被せて勤務隊舎に戻る。

 

 隊舎で終礼が終われば課業外で夕食と入浴が待っている。日ごろ課業終了後すぐに家に帰っている営外居住者も、3種勤務のいま懐かしの営舎内居住だ。

 夕食が終われば3年目以降は晩の点呼まで居室のテレビでテレビゲームをするもよし、寝るもよし、持ち込んだDVDプレイヤーでアニメを見るもよし、掃除をする新隊員を横目に自由時間が満喫できる。 

 晴樹は陸曹候補生試験のために21時50分まで服務小六法を片手に自習室で勉強をしていた。

 そして22時の点呼で「第4中隊異常なし」と報告が終わると廊下に整列していた隊員たちがぞろぞろと解散する。

 

 ここまでは通常の生活と変わりないが、異なる点はジャージのズボンの上に作業服の上衣を着る“ジャー戦”ではなく戦闘服に半長靴であり、フランスベッドの枕元に救急品袋を付けた弾帯や背のうを吊るしているという事だ。

 これはいかなる時でも30分以内に出動態勢が完了するようにというもので、事が起これば生活隊舎内の私物庫に集積している防弾ベストと鉄帽を付けてその足で武器庫に行き小銃、防護マスクを受領するのだ。

 即応性維持のために課業終了後もずっと半長靴・戦闘服姿でいなければならないのは窮屈な感じがしており、それがいつ終わるとも知れないカンヅメ状態の隊員の心に地味に負荷を与えていた。

 

 晴樹も世間から完全に隔離されたような気分になっており、退屈しのぎに普段はしないことをしてみようと考えた。

 今日の昼過ぎに小山2曹が家族と連絡を取るようにと言っていたことを思い出し、晴樹は23時の消灯ラッパまでの間に電話をしてみようと、携帯を持って隊舎の外に出る。

 “フォックスパレス信太(しのだ)”の勝手口近くに設けられた喫煙所の煙草の明かりがチラチラと見え、反対側に見える外柵の外には信太の街の明かりが輝いていた。

 自転車置き場の陰で晴樹は電話を掛けた、呼び出し音が流れて3コールの後、ぶっきらぼうな返事があった。

 

『はい』

「兄貴、今どうしてるの?」

『俺か?』

「こないだのヤツ、兄貴の家の近くやろ。どうなん?」

『うちには被害ないよ、家の近くの道路にめちゃくちゃ弾痕あったけどな』

「ふーん、それならええんやけど」

 

 電話の向こうの尚樹は今、自衛隊がどういう状態であるか察した。

 おそらく、第3種非常勤務が掛かって外出できないのだろうと。

 娯楽に乏しい営内生活において外出禁止や残留などはとてもつらいものがあり、ゲーム機や小説、あるいはエロ本など何かしらの暇つぶしアイテムが無いと3年目の士長くらいになると筋トレ馬鹿でもない限り本当にやることが無いのである。

 なお、ゲーム機禁止の新隊員は何かと雑用にこき使われるのでやることが無いという事はあまりないが、それでも空いた時間は出来るものでスマートフォンを片手にネット小説を読みふけったり、あるいはパズルゲームに興じたりするという様子が見られる。

 尚樹は“37普連4中隊第2営内班 武内晴樹士長”宛に漫画やらアニメDVDやら送ってやろうかと考えた。

 

『ああ、今、3種掛かってるんだっけか、駐屯地に何か送ったろか?』

「そうやねんけどな、別にいいわ」

『それで、暇つぶし程度に電話を掛けてきたと』

「ホンマにそれ、出られへんうえに非常呼集訓練やりまくりでダルいわ」

 

 晴樹はつい最近の状況について話す。

 もちろん、取扱注意や部外秘については触れないようにしながらであるが。

 話題は尚樹の家のすぐ傍の陥没事故と黒い飛行体の話になった。

 ネットでまことしやかに囁かれていた陥没事故の黒い影が実在し、黒い飛行体との関連があるという情報を得た晴樹は危険を冒して言った。

 

「ここだけの話、兄貴の家の近くの陥没事故の正体と黒い飛行体って関連があるらしいで」

『へぇー』

 

 思ったより淡泊なリアクションに晴樹はがっかりした。

 

「もっと驚くとかって無いん?」

『だって知ってるし、そもそも黒い影が走るの見たし』

「マジかよ、で、戦車で倒せそうなん?」

『まあ、中型なら難しいかもな、再生する前に対榴何発かぶち込めばあるいは』

「中型とかってあるの?ていうか再生ってなに?」

『空飛んでたような大型とか、地面走る中でもデカい中型とか。こいつらは普通の火器で撃ってもすぐ穴が閉じるらしいからなあ』

「えっ、兄貴詳しすぎへん?俺も初耳やねんけど」

 

 尚樹は魔法力とウィッチについて伏せたつもりであったが、自衛隊では対ネウロイ戦術における大型・中型・小型の区別はまだなく、思ったより情報が出回っていないことに気づいた尚樹は誤魔化すことにした。

 

『いろいろあるのよ、弾降る中、庭に出て空を見上げて気づいたんやけどな』

「あの中で家の外に出てたのかよ!」

『洗濯物干してる最中だったし、掠めない限りはどうとでもなるやろと思ったからな』

「いや、隠れろよ、マジで」

 

 晴樹からの至極まっとうなツッコミを受けて窮する尚樹。

 空戦を見たいからと言って誰だって弾飛ぶ戦場で立っていたくはないはずだ。

 しかも20㎜機関砲弾は5m以上離れた場所を飛んでいても衝撃波で人を殺傷しうるのだ、そんな場所に立っているのは正気の沙汰ではない。

 

『まあアレだ、とにかく()()()()()()()()()()()()()()()()()()、これだな』

 

 ウィッチの居ない戦場で、中型以下のネウロイに対して有効手段は火力の集中投入なのだ。

 もっとも、中型の一部や大型になると戦艦含む一個艦隊で挑んでも勝てないことがあるのだが。

 

「参考にするわ、もうラッパが鳴るし切るよ」

『おう、それじゃ』

『……尚樹さん、もう11時ですよぉ』

 

 晴樹が電話を切ろうとしたとき、尚樹の後ろから声が聞こえた。

 電話から遠いのか聞こえにくかったが若い感じのする女の声だ、ここで晴樹はようやく尚樹が家に帰ってこないと両親が言っていた理由を悟った。

 

「あいつ、女作ってたから家に帰ってこなかったんかよ……」

 

 同棲相手の女に気を使って家から離れず、また、実家にも帰らないのかと思う。

 25歳で定職についているので結婚も視野に入れた交際くらいしていてもおかしくないだろう。

 しかし、自分はカンヅメで女の子との出会いが無いのに、童貞臭かったあいつの方が先に女の子と同棲なんて羨ましすぎる、と晴樹は自分の事を棚に上げて兄に対するライバル心をひそかに燃やしていた。

 

 

 _______

 

 

「へっくし!」

 

 電話を切り、庭から居間に戻った尚樹はくしゃみをした。

 その様子を見ていたひかりは長電話をしていたことによって夜風で体が冷えたのではないかと考えた。

 そしてインスタントコーヒーをポットのお湯で溶いて牛乳を加えると、ブラウンのホットコーヒーが完成した。

 

「尚樹さん、長電話で体が冷えちゃったんじゃないですか?コーヒーはどうですか」

「おう、そうかもね。ホットコーヒー煎れてくれたんだ、ありがとう」

 

 テーブルに着いてひかりの煎れたコーヒーを飲む尚樹、ひかりは読書をしている直枝にも声を掛けた。

 

「管野さんはコーヒー要りますか?クッキーもありますよぉ」

「おう、あとで食べる」

 

 直枝は和室から引っ張り出してきた座椅子に腰かけ、ネット小説投稿サイトに投稿された作品を書籍化したものを読んでいた。

 現代日本から乙女ゲームの世界の悪役令嬢に転生したOLが侯爵家の娘として領地を経営し、学園に入るまでに“女傑”になっていたという作品だ。

 この作品は数年前に流行した“悪役令嬢もの”と呼ばれる作品群の中のひとつである。

 有名どころに例えるならば、ガリア文学であるシャルル・ペローの『サンドリヨン』、扶桑における『灰被り姫』に登場する、継母や姉の立場から原作を変えようとするようなものである。

 多くの筆者が流行に乗って書き、それゆえにテンプレートをなぞるようなものから全く別のジャンルにも思えるような読ませる作品と当たり外れが大きい。

 

 冒頭の“乙女ゲーム”と言うのがどのようなものかわからなかったが、「物語の世界に入って成功する」と言ったわかりやすいサクセスストーリーに加えて、なにより時代小説調の文体が直枝の琴線に触れて購入を決めたのである。

 普段読むことのないジャンルであり、悲恋ものや伏線を張った小説、詩的な純文学の間の箸休めとしてさらりと読むにはちょうど良かったのだ。

 

「ドS生徒会長も何も、こんな奴が居たらぶん殴ってるよな」

「直ちゃん、穏やかじゃないね」

「初対面で人をこき下ろしておいてどうしてコイツが学園で人気なのかわかんねえよ」

 

 直枝のツッコミに尚樹は付き合う。

 堂々と読書できるのが嬉しいのか、それとも小説についての話し相手が居るのが嬉しいのかいつになく饒舌だ。

 

 そこにやって来たひかりは思った。

 管野さんも来た当初は“俺は認めねえ!扶桑に帰れ!”と言っていたが、どこか面倒見が良くて憎めないところがあるのだ、おそらくその類であろう。

 口は悪いがそれはポーズであり、実際は繊細な感性と思いやりの心があるのだ。

 

「管野さんみたいに本当は優しいからじゃないんですか?」

「俺のどこが優しいんだよ……」

「サトゥルヌス祭のときにいろいろやってくれました」

「あれはニパがやりてえって言ったし、おめえは倒れてたし」

 

 直枝は照れ隠しのように言いながら小説へと戻って行った。

 そのタイミングで、ひかりは気になった事を尋ねた。

 

「そういえば、尚樹さん。何の電話だったんですかぁ?」

「弟。あいつ、ネウロイのせいで外出できずに缶詰で退屈なんだってよ」

「あっ、兵隊さんの弟さんですか」

「そりゃ、あんなになったら警戒態勢も取られるだろうな、ていうかおめえ弟いたのかよ」

「あっ、直枝ちゃんには言ってなかった?」

「初耳だよ」

 

 直枝はひとつの章を読み終えるとテーブルの上のチョコクッキーを取って食べた。

 だだ甘いか苦いかだった向こうのチョコレートと違い、こちらのものには風味がある。

 異世界に来てから栄養価の高いものを食べているせいか順調に体重が増えているような気がするが、気にしてはいけない。

 ひかりと尚樹はというとバラエティ番組を見ながら話し、芸能人行きつけの店の紹介に新たな発見をする。

 

「自由亭のライスカレーって……カレーライスじゃないんですか?」

「昔はカレーライスは別の入れ物で、ご飯にドロッと掛けて出されるのがライスカレーって言ってたんだよ」

「そうなんですか、でも今はみんなカレーライスって言いますよぉ。あっ、生卵を落としましたよ!」

「明治からやってたっていう老舗アピールだろうね。辛いから混ぜて食べないとアカンのか……」

 

 テレビの画面には皿の上に盛られたライスカレーの小山の頂に生卵が落とされ、スプーンで少しずつほぐして食べる様子が映し出され、スパイスの香りが漂ってきそうな情景に思わず唾液が分泌される。

 大阪・難波の名店の紹介に直枝はふっとカレーを愛したある作家の事を思い出す。

 大阪の庶民の生活と人情に焦点を当てた『夫婦善哉』という作品で有名になった織田作之助という男のようなペンネームの女作家で、直枝もデビュー作である『夫婦善哉』を読んだことがある。

 そのため、パラレル・ワールドにあるこの世界にも、同じ店があったのだと感動した。

 

「今度、どこかに食べに行こうか。直ちゃん、法善寺横丁にでも行く?」

「本当ですか!やったぁ!」

「嬉しいけどよ、おい、尚樹、財布は大丈夫なのかよ」

 

 テレビに見入る様子に気づいた尚樹は、大阪の有名な小説を思い出して話を振る。

 ひかりは無邪気に喜び、直枝も表情が明るくなったが視界の端に節約術の本が見えて心配になった。

 

「今月は無理、7月20日まで待って……そうすれば夏のボーナスで行けるはず」

「管野さん、それまでには節約しましょう!」

「節約……そこの本はひかりのやつかよ!」

 

 緊迫する情勢をよそに、尚樹、ひかりと直枝の3人の時間はこうして穏やかに流れていった。

 




プリクエル3巻をようやく買いました。本屋を5件くらい回ったけれど中々売ってなくてネットで購入しました。
人型関連でけっこう設定があったのでどうしようか悩みました。

ご感想・ご意見お待ちしております。


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三角兵舎

追記:ヴェネツィア奪還後のミーナ中佐と501隊員について


 1945年8月10日

 

__管野直枝中尉未帰還。

 

 とは言っても死亡したわけではなく、むしろ雁淵ひかり軍曹の生存確認が取れたぶん超空間通路の向こう側の世界で元気にやっているであろうと502の面々は思っていた。

 ゆえに、ひかりが消息を絶った時とはうってかわって楽観的ムードになっていた。

 だが、“レーシー”がペテルブルグ方面の脅威であることには変わりなく、どうにかして雲内部の“屈折体”を撃破しない限りどこからともなく兵隊ネウロイが出現するのだ。

 ただ、1回に出没するネウロイの数が第一次ウラヌス作戦の直前の3分の1ほどになり、現状のところ航空優勢も獲得している。

 

 地上では壕を掘って陸戦ウィッチや戦車が前線に睨みを利かせており戦況は小康状態を保っていた。

 100人以上のウィッチが代わる代わる空に上がり空襲の危険が低くなったころ、前線飛行場にようやく半地下指揮所とパネル製の廠舎(しょうしゃ)ができた。

 木々を切り倒して林道を拡大する形でトラクタドーザーで誘導路や滑走路を造り、部隊事務室と交通壕で繋がった半地下指揮所、三角兵舎といった施設が作られた。

 深さ2mの塹壕に切り倒した丸太を乗せて天井を作り土で覆う

覆土(ふくど)式の半地下指揮所は破片防御や偽装が施されたもので、航空ネウロイに強いのだ。

 そして板張りの三角屋根をそのまま地面に置いたような三角兵舎は作業性に優れ、突貫工事で建てられた兵舎群は各連隊のウィッチたちの宿舎となった。

これらの施設はいずれも杉の枝葉などで擬装が行われており上方からの被発見率を下げている。

 

 現代の施設科部隊と違って油圧ショベルなどと言う便利な機械はまだなく、筋骨隆々の工兵たちがつるはしやシャベルで懸命に穴を掘り、あるいは杭を打って8日掛かって完成した。

 

 工兵たちが撤収すると、部隊ごとに分けられて三角兵舎に寝泊まりをする。

 地面にワラを敷いて、その上に雨具で作った覆いを被せるだけのようなツェルトバーン・テントに比べるととても立派な建物で、木の匂いが漂う真新しい兵舎にウィッチたちは久しぶりに気分が高揚した。

 特にラルは手足を伸ばせることから大いに喜んだ、「これで薄暗い地下指揮所に届く書類の束さえなければまるでピクニックだ、楽しくなる」と。

 

 

 将校用の兵舎から少し離れた所に設けられた一般兵舎のベッドの上で4人のウィッチが顔を突き合わせていた。

 朝の哨戒飛行から帰って来たニパ、ジョゼ、孝美の3人と夜間哨戒が終わって半休の下原だ。

 ロスマンとサーシャ、クルピンスキーは空に上がって哨戒コースを飛んでいる頃だろう。

 

「カンノがあっちに行っちゃってもう1週間か……」

「そうですね、管野さん、元気にしてるといいのですが」

「大丈夫だよ定ちゃん。雁淵さんがいるなら管野さん張りきっちゃうよ」

「ひかり、管野さんや向こうの人に迷惑かけてないかしら」

「むしろカンノがひかりの前でいい格好しようと向こうでやらかしていないかなあ……」

 

 かつて、直枝の巻き添えで留置場に入ったニパは向こうでケンカや物を壊していないかなぁと心配し、妹大好きな姉の孝美はひかりの心配をする。

 いっぽう下原とジョゼは楽観的な立場に立っていた。

 管野なら何とかするだろうという信頼もあるが、なにより下原は向こう側の街並みを見て生活水準はこちらより良いだろうと判断しており、「定ちゃんが言うなら」とジョゼは下原を信じているのだ。

 

「下原さん、向こうって自動車がいっぱい走ってたんだよね」

「そうですね、色も赤や光沢のある青、銀色……丸い車体が可愛らしかったです!」

 

 ニパの何気ない問いかけに、下原はあの時見えた景色を思い出した。

 上空から道路を走る車が見え、丸みを帯びた車体はまるでテントウムシのように見えた。

 孝美は下原の見た光景と通路開通時に傍受したラジオ電波の内容を照らし合わせる。

 

「自動車が多いという事は工業技術は高そうですね、ラジオでも『新車販売台数日本一』という内容がありました」

「ニホン-イチ?」

 

 ニパは突如現れたよくわからない単語に首を傾げて見せる。

 ジョゼもおおむね同じ反応だ。

 

「おそらく、向こうは“扶桑”ではなく“日本”という国だと思うわ」

「日本にも大阪という都市があるなら、舞鶴や佐世保もあるんでしょうか?」

「下原さん、断定はできないけどある可能性は高いです」

 

 ラジオ大阪でのトークには呉の“大和ミュージアム”なる施設が登場しており、広島県や戦艦大和の存在が確認できたのだ。

 この情報は第一次作戦の際に得たもので、扶桑海軍の()()()()()と同名の戦艦が呉軍港において展示されているという非常に興味深い物であった。

 

 孝美やジョゼがパラレル・ワールドについて説明している頃、後方に設けられた調査団本部では持ち帰ったデータの分析と検証が行われていた。

 分光調査の結果、ネウロイが放つ破壊光線に近いもので波長は長くて赤外線に近い可視光というものであり、観測された雲の中の赤い光は“謎の散乱に加えて光自体赤っぽいので見えた”という結果が出た。

 同時に“ネウロイの光線がどうして赤いのか”という事が判明したが、それ以上に重要なのは赤外線に近い熱光線のようなものを屈折させたり、空間を跳躍させる機能のようなものがあるということだ。

 これが解明されれば対光線装甲あるいは光線兵器、空間跳躍器なんて物も作ることができるだろう。

 

 ブリタニアでトレヴァー・マロニー大将麾下(きか)の部隊によって研究されていた“ネウロイ起源兵器(ウォーロック)”においてはネウロイのコアを用いることで、破壊光線を発振・励起させた。

 ただ、同兵器はネウロイコアの同調作用によって暴走し、扶桑海軍空母“赤城”を撃沈後501JFWによって撃破された。

 “N兵器暴走事件”この一件は極秘扱いとなり、「501によるガリア解放」というニュースに覆い隠されたわけであるが、N兵器に関する基礎研究は今もひそかに継続されている。

 

 レーシーが用いる超空間通路や光線に関する研究がそういった機関へと流出すると取り返しのつかない事態になりえるので、管理体制や防諜態勢は厳重なものだ。

 世界に名だたるリベリオンやノイエカールスラントの物理学者たちが集うコンクリート製の建物には戦車や機関銃を擁する警備部隊が駐屯し、不審な車両または人物を発見した際には警告の後に捕獲または刺射殺が認められている。

 関わった学者たちはもちろん、末端のウルスラや調査隊のウィッチにも秘密を保持する義務が課され、違反者には禁固12年や罰金が科される誓約書にサインをさせられた。

 

 一方、音波探査機を用いた屈折体の探査では“コアの反応なし”という結論が出て、おそらくどこかに本体が潜伏しており、八面体はただの屈折装置あるいは囮という可能性が浮上した。

 これらの情報は後日、幾つか取捨選択されたのちに連合軍ペテルブルグ軍司令部にもたらされ、ラルや前線のウィッチの知るところとなったのだ。

 

 

 1945年8月16日

 

 コアがどこにあるのか捜索するために連合軍は再び、大規模威力偵察作戦を行おうと計画していた。

 正午、アルチューフィン中佐によって滑走路脇の作戦室前に集められた70余名のウィッチたちは新たな作戦が控えていることを聞かされた。

 作戦名はまだ『第11号作戦』という仮のもので、ネウロイの巣に対し反復攻撃を仕掛けてネウロイのエネルギーを消耗させるいわゆる“間引き”作戦である。

 消耗するのはネウロイだけではなく人類軍側も相応に消耗するし、なにより2度の大攻勢の直後であり、継戦能力の維持という面からはとてもリスキーなものだ。

 

 しかし、この下手をすれば東ヨーロッパ戦線を瓦解させかねない間引き作戦が通ったのには訳があった。

 リベリオン・扶桑・ブリタニアから援軍が送られてくることになったからである。

 いずれもネウロイの能力、とくに超空間通路に関するデータを欲しており、中でも研究者、あるいは情報機関員を多数派遣しているリベリオンは戦力だけでなく大量の物資も送るとやたら気前が良い。

 オラーシャ帝国としては新大陸の連中に土足で上がられたくないと思っていたが、彼らがいなくては戦線の維持はおろか石鹸、食事の缶詰すら手に入らないので大戦力の派遣を渋々認めることとなった。

 ブリタニアからもリベリオン同様、情報提供の要請があり、対価としてはムルマン港から続く後方連絡線およびラドガ湖南岸を警護するという内容だ。

 最後に扶桑であるが、遣欧ウィッチとして派遣された雁淵軍曹および管野中尉の救出という名目で補給物資を積んだ輸送船団と艦載ウィッチを擁する機動艦隊が派遣されることとなった。

 未知の技術、対ネウロイ戦におけるアドバンテージひいては国際社会でのイニシアチブが欲しいという思惑が透けて見えていたが、少なくともアンナ、ヴァシリー、そしてレーシーと3つのネウロイの巣に囲まれているオラーシャ北方戦線を維持するためには乗るよりほかはなかったのである。

 

 「ここだけの話」として、こうした上層部や国家間の取引を聞かされたアルチューフィン戦闘団のウィッチ達だったが、意外なことに嫌悪感を滲ませるものは少なかった。

 

「ま、ちょっとでも戦力が欲しいよね」

「援軍が来るなら、とにかく休みが欲しいわ」

「丸一日寝たい!」

「お腹いっぱい食べたいけど、ウサギ缶詰は勘弁してほしいなあ」

「そろそろフレグランスの石鹸が欲しいな」

 

 最前線で戦う年頃の少女たちにとって、国がどうあるべきか?とかいうようなスケールの大きい()()()()()()はさして重要ではなく、補給物資が前線にやってくるかどうかや戦力が増えて自分たちにかかる負担が軽くなる方が遥かに重要だったのである。

 502の乙女たちも例外ではなく、“戦闘団長講話”の後、ずっと目を輝かせているウィッチに、祖国からの援軍がどうなるのか考えている者、そして実務の面からいろいろと考えている者に分かれていた。

 

「増援が来るとなると、今までに見ないタイプの可愛い子ちゃんがやってくるかも」

 

 わざとらしくそう呟くクルピンスキーを無視して、目の前を通り過ぎるロスマン。

 

「先生、どうして行っちゃうのさ」

「あらクルピンスキー、居たの?」

 

 振り向くと、さも今気づきましたという風な表情のロスマンに、クルピンスキーは言う。

 

「ずっと先生の前に居たじゃないか」

「てっきり、木々のざわめきだと思った」

「僕みたいな声のざわめきなら思わず聞き惚れてしまうだろうね」

「自惚れないで、それだけ耳を傾ける必要が無いって事よ」

「先生は手厳しいなぁ。ところで、先生は何処に行くの?」

「あなたの居ないところよ」

「そういう事なら僕も一緒に一緒に行くよ」

「ついて来ないで頂戴」

 

 そういって歩き出そうとするロスマンに、クルピンスキーは自然とロスマンの横に立つ。

 

「ついて来ないでってば」

「偶然方向が一緒なんだ。エディータがどこに行くか聞いてないから僕の行き先も決まってないよ」

「はあ……私は兵舎で休むわ」

 

 仕方ないなという風にロスマンはため息をつくと、兵舎の方へと歩いて行った。

 クルピンスキーはちらりと半地下指揮所に設けられた502の事務壕の方を見て、何があったかを察するのだった。

 

「定ちゃん、リベリオンから物資が入るってことはお菓子も作れるかな?」

「もうジョゼったら、ものが届けば作ってあげられるわ。扶桑から味噌と醤油が来たらいいな」

 

 ジョゼは補給物資からいろいろな料理やお菓子作られることを想像して目を輝かせ、下原は扶桑からも補給物資と増援が来ると聞くと不足している調味料の補充があるなと考えていた。

 その横で孝美は考える、ある日を境にぱったりと帰国を促すような書簡や電話が途絶えたのである。

 

「最近、扶桑から帰ってきて欲しいという書簡が届かなくなったのはこういう事を見越してだったのね……」

「孝美さん、どうしたんですか?」

「ニパさん、扶桑からはひかりと管野さんの救出と私たちに対する補給という名目で人が送られてくるみたい」

 

 扶桑へ戻ってこいと言われなくなったのは東欧派兵における橋頭堡(きょうとうほ)としての役割が与えられることになったからだと考えた。

 一方、指令所ではラルが送られてきた補給物資の目録をサーシャに見せていた。

 

「サーシャ、502宛に送られてきた物資で何時まで持つ?」

 

 サーシャはユニットの交換部品や携行火器、そして食料などのページを確かめた。

 紫電改と零式艦戦の部品は孝美と下原が使い、ユニットを壊す直枝とひかりが居ない分必要以上に消費されることはないのだ。

 第2次攻勢に備えてノイエカールスラントから送られてきた物資の木箱の中は、ユニットやら武器、ジャガイモが詰め込まれていた。

 

「ニパさんとクルピンスキーさんがあんまり壊さなければ3か月は。ところで隊長」

「今回の物資の()()()の事だろう?そんな物は空襲という名の焚火にでもくべてやればいい」

 

 扶桑からの物資に混ざってときおりやって来る「孝美をかえして」と言う内容の書簡の事だがその全てをラルは処分していたし、大規模作戦になってからは電話でさえ不通になることがよくあった。

 サーシャは「そんな事もやっていたのかこの人は」と思いながら、自分が言いたい件を言う。

 

「それだけじゃありません、()()()()()()()から……」

「ミーナか、『ヴェネツィア解放おめでとう』とでもサン・トロンに祝電を送ってやれ」

 

 サーシャは最近502事務壕の野戦電話が鳴らなくて安堵していたのだが、それも2日前に終わってしまった。

 つい、いつもの癖で「ブリタニア」と言ったが、ラルには彼女の現在位置が分かっていた。

 サーニャとエイラを501解散後に「行くところが無ければ」と502に引き込もうとしたのが露見したせいである。

 

 ちょうど第一次ウラヌス作戦をやっているさなかに501はヴェネツィアのネウロイを一掃して解散、隊員たちは各地域に散っていった。

 ラルが物資を“拝借”した件や宮藤芳佳の所属を変更しようとした件で、作戦が終わったことを聞きつけたヴィルケ中佐がベルギカの地より電話攻勢を始めたのだ。

 解散のどさくさに紛れて元501隊員を引き込もうとするラルへの牽制と、現在判明しているいくつかの不審な事についての疑問と抗議である。

 

「隊長、最近私、ヴィルケ中佐からの電話があると胸がキュッと締め付けられるのですが……ロスマンさんはすぐ居なくなってしまいますし」

「ミーナの声は人々の心を掴んで離さない、いい声だと思わないか」

「私の場合は()()を掴まれています。ところで“宮藤さんの件”って何ですか?」

 

 サン・トロン基地に居るミーナ・ディートリンケ・ヴィルケ中佐の高く、よく通り、多少の感度不良でも聞き取れる声を受話器越しに聞くとサーシャは胸と胃に鈍痛を感じるようになった。

 ロスマンにそれを言うと軍医にかかることを勧められ、502基地の医官には心因性のものだと胃薬を渡されたのである。

 

「下原の上官だった坂本が目を掛けて育てた秘蔵っ子だな、うちの部隊では孝美が会っている」

「どうしてそんな娘に手を出すんですか!」

「なに、回復役は多いほうがいいだろう。最近テント暮らしでさすがに腰が痛くてな」

 

 ラルはコルセットの上から腰をさするしぐさをする。

 下半身不随になるような重傷を、全治5か月のケガにすることができる治癒魔法なのだから、使い手が良ければもっと効果があるだろうと考えたのだ。

 そこで候補に挙がったのが雁淵孝美の戦線復帰に貢献したウィッチ、宮藤芳佳だったのだ。

 ひかりと同じようにいきなり統合戦闘航空団に志願、配属されたうえに数々の戦闘に参加し“あの”バルクホルンやハルトマンともよい関係を築いていると聞く。

 ヘルシンキの会議でミーナの言っていた「扶桑から来る新人」とは彼女の事だった。

 命令違反こそあるものの、菅野やクルピンスキーといったブレイクウィッチーズではよくあったので大して気にならない。

 

 こうして、ラルは宮藤の経歴について調べるうちにだんだんと欲しくなってきて7月頃にひかりの行方不明における欠員補充として工作を行ったのがつい最近になって発覚したのである。

 

「とにかく、リベリオンやブリタニアから派兵されてくるからと言って手を出さないでくださいね、絶対ですよ」

「さあ、どうかな。どこの軍にも“腕利きのはみ出し者”は居るものだ。そういった奴らなら問題はあるまい」

「隊長が呼んだ人は一癖も二癖もある人ばかりで……胃が痛いです」

 

 楽しそうな表情のラルにサーシャは「フリじゃないですよ」と胃のあたりを抑えながら言った。

 

 

_____

 

 17日の未明、317連隊のアリーナ・リトビネンコ少尉は219連隊のウィッチ2人と警戒線まで進出し夜間哨戒をしていた。

 第3直であり、3時から6時までの間夜空を飛び続けるのだ。

 焚火の光ひとつ見えぬ静かな夜の森、魔導針が遠く離れた戦区のナイトウィッチの声を拾う。

 おしゃべりに興じつつも、目線を地表警戒範囲や月明かりに浮かぶレーシーの影へとせわしなく動かす。

 

 第1次攻撃以降、ネウロイが放つ特有の“ジリジリ”というノイズは一切入ってこない。

 ネウロイは金属を糧にし、「ブラウシュテルマー」と呼ばれる大きな構造物を立てて青白い花のようなものを咲かせ、そこから人体に有害な瘴気(しょうき)を出し母艦級ネウロイは瘴気でエネルギーを補給していると考えられている。

 

 地中から吸い上げた金属を瘴気に変えて動力にしているものだから、ネウロイ自体にも磁性があるうえ常に微弱な電波を発しているのだ。

 ネウロイ反応の探知はこうした特性を使って行われていたが、近年ではあえて強力な電波を発して人類軍の無線通信やレーダーを無効化するECM能力がネウロイに備わりつつあった。

 全ての種が魔力波を用いた索敵や近距離での通信を妨害するには至らないが“無音飛行”と呼ばれるステルスタイプもいるため、ナイトウィッチ達は魔導針を用いた捜索よりも肉眼での捜索を中心に行っていた。

 リトビネンコ少尉も目視で第一警戒線までの地表面を周辺視でざっと流すように見る。

 一点に集中して見るより、視界の端でざっと見るほうが広い範囲の異常を見つけられる。

 

 彼女の視界の端に動くものが一瞬だけ見え、その近くを見たとき体中から血の気がさっと引いた。

 通常であれば夜間は哨戒型と思われる飛行ネウロイが単機または少数で現れるのだが、陸に空にネウロイの編隊が出現したのだ。

 四角い胴体に針のような足が4本付いた陸上ネウロイの群れ、おおよそ30から50近くのが暗い森の中を進んで来ていたのだ。

 上空にはブーメランのような形状の大型ネウロイがどこからともなく現れ、その護衛に小型のくさび形や要撃タイプがついていて、数は40~50とさながら人類側の戦爆連合のようだ。

 

『こちらカリーニン、リトビネンコ少尉、定時連絡はどうした』

 

 息を飲む音に指揮所から定時連絡の催促が入った。

 リトビネンコは叫ぶように言った。

 

「こちらリトビネンコ、緊急事態!敵です!敵襲です!」

 

 同様に地上を北上してくるネウロイの一団を見た219連隊のウィッチが信号拳銃を撃った。

 赤が3つに緑がひとつという信号弾が夜空を照らし、タコツボ壕で監視していた歩兵がようやく気付いた。

 

「外哨長!こちら第4歩哨!上空に信号弾あり!」

「こちら外哨長、確認した。現時刻より迎撃に入る!歩哨はその場で待て」

 

 その他の兵士たちは寝ているところを叩き起こされ、上空に舞う信号弾でようやく事態を把握した。

 それに遅れるようにレーダーサイトからの警報が司令部に入る。

 

「非常呼集!」

「各中隊は正面に戦車回せ!」

「ナイトウィッチじゃなくてもいい、とりあえずウィッチを上げろ」

 

 高射砲陣地の傍の照空燈(しょうくうとう)が夜空を照らし、8.8㎝高射砲が射撃準備を行っていた。

 戦闘騒音に寝ぼけ眼で戦車や装甲車両に飛び乗って宿営地を飛び出していく増強部隊。

 三角兵舎から出てきたウィッチたちは暗い中を走り、整備班とユニットの居る滑走路脇の掩体陣地に駆け込む。

 起動車や発進台に据え付けられたユニットを履き、一斉にエンジンを掛ける。

 

「まわせー!」

 

 高圧空気がタービンを回し、1000、2000、2500とアイドル回転に辿り着くと整備員が電源を外し、車輪止めを取る。

 

「アイドルよし、チョーク外せ!」

 

整備員の1人が誘導路にジープを置き、ヘッドライトで進行方向を表示する。

 

「久しぶりの夜戦だな、ブダノワ、出るぞ!」

 

 夜間哨戒班のウィッチたちはすでに空に上がって戦っていた、デグチャレフ対戦車ライフルやフリーガーハマー、DP28機銃の射撃音が聞こえるなか、夜間飛行経験のある者が嚮導機(きょうどう)として首から吊るした箱型の懐中電灯を片手に編隊の先頭を飛び、懐中電灯の明かりをもとに続いてゆく。

 練度の足りない新兵であっても闇が怖いなどと言っていられる状況ではなく、一刻も早くサーチライトに照らされて浮かび上がった敵と戦わねばならなかった。

 

 彼らの長い一日は未明の襲撃より始まったのだった。

 




ネウロイ関連は独自解釈多めです。アニメでも反応は探知できているみたいだし。
構成材質はよく分からないけれど、金属喰っているんだから何かしらは影響あるだろうなと。

「アフリカの魔女」を購入したため、そこから引っ張っている設定もちらほら……


様々な感想や、書いている最中には考えつかなかったような視点の意見が出ることもあって、毎回楽しみにしております。
あらためて、ご感想・ご意見お待ちしております。


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“聖戦”

※表現を微修正、軍事用語などにルビの追加


 1945年8月17日

 

 暗闇の中、枝葉の擦れ木がへし折れる音が遠くからうなり声のように聞こえてくる。

 空ではもう接敵したようで銃声響き、発砲炎がちらちらと見えていた。

 乗員も歩兵も息を殺し、アイドル回転で低くうなるディーゼルエンジンの音だけが彼らの出す音だ。

 ネウロイの第一波が近づいてくる様子を、キューポラから双眼鏡で見た中隊長が命令を掛ける。

 そこに後方の親衛迫撃砲連隊が上空に照明弾を打ち上げ、黒いシルエットが浮かび上がった。

 

「射撃時期は指命、前方900、800、750……撃て!」

「命中!敵、なおも止まらず!」

「全車、撃ち続けろ!」

 

 照準眼鏡(しょうじゅんがんきょう)に蜘蛛のようなネウロイが横隊となって現れ、ガサガサと木々の間より姿を見せる。

 戦車砲が火を吐き、砲弾がネウロイの関節近くを吹き飛ばして転倒させる。

 自己修復までの()()()()()()()()()に、歩兵が対戦車銃で胴体中央部のコア目掛けて一斉に射撃する。

 そこに次弾装填が終わった戦車砲が放たれ、陸上ネウロイは光と消えていく。

 少数でもこのような方法で撃破しないといけない相手が第一警戒線の壕に殺到したのだ。

 

「こちら第15歩兵大隊2中隊、司令部、砲撃し……」

「第15歩兵大隊2中隊、司令部、支援を乞う!敵の攻撃苛烈なり!」

『こちら司令部、どうした……誰だ君は』

 

 送話が突如、轟音と共に途切れて次に聞こえてきたのは少し低い声の男の叫び声だ。

 背後では戦車のエンジン音やら爆発音と言った戦闘騒音が響き渡り、交戦している様子がよく分かる。

 

「中隊長戦死!指揮を引き継いだチャミスカヤ曹長です!」

『チャミスカヤ曹長、5分後一帯に砲撃支援を行う。生存者は131211より北側に後退せよ』

「了解!」

 

 その後、第15歩兵大隊からの呼び出しはなかった。

 戦車隊と歩兵の敢闘もむなしく、歩兵は光線で焼き払われ戦車は戦車壕から後退のために出ることも出来ぬまま破壊されたのだ。

 

 219連隊のナイトウィッチ、スミルノフ中尉は打ち上げられた照明弾や照空燈を見ないように地上に背を向けて戦っていた。

 照空燈や照明弾の強烈な光は少しのあいだ視力を完全に奪うのだ。

 視力以外の何らかの感覚器官で物を捉えているネウロイにとっては夜目を失い盲目のウィッチなど好餌(こうじ)にしかならない。

 飛び来る中型を中心に狙撃眼鏡付きの対戦車銃で次々と撃ち落としていると、最近よく聞く女の声が背後から聞こえた。

 

「待たせたな!スミルノフ」

「遅いわ!ブダノワ、アンタだけ?ウチの子たちはまだなの?」

 

 哨戒に上がっていた者と先行したナイトウィッチの13名はネウロイ26機をすでに撃墜していた。

 

「お前のところのヒヨコ共も追っ付けやって来る、よし来た」

 

 サーチライトの光を背に受けて121連隊と129連隊のウィッチが戦闘空域に到着した。

 

「一丁前にスポットライトを浴びて舞台女優気取り?」

 

 やって来た増援目掛けて光線を放つエイのような大型ネウロイにブダノワとスミルノフはすかさずフリーガーハマーと対戦車銃を叩きこむ。

 爆発がコアの辺りを吹き飛ばしたようで、光になるネウロイ。

 フリーガーハマーの威力に獲物を横取りされたような気分になったスミルノフは左手でしっしっと払う。

 

「502の下原が今、向こうで戦っているので121は援護をしてほしい」

「了解だ、お前も落とされるなよ」

「……アンタこそ、マロジョル」

戦果1(アイツ)はお前にくれてやる!」

「いらない!さっさと行きなさい!」

 

 ブダノワと121のウィッチたちが左翼側に行ったことを確認すると、スミルノフ中尉はやって来た129連隊のウィッチ達に指示を飛ばす。

 

「うちは中央を守り抜くわ。射撃に使ってもライトは直視するな!」

「了解!」

 

 夜間戦闘に慣熟しているナイトウィッチが大型ネウロイに火力を集中させ、緊急発進してきたウィッチに指示を出すという戦法は夜戦ではごく一般的なものだ。

 502では下原、ロスマン、クルピンスキーが中心となって突っ込んでゆき、ニパ、ジョゼ、孝美はその横に着いて死角となる下方や後方をカバーする。

 

「クルピンスキーさん!下から!」

「ありがとう孝美ちゃん、おっと、次!」

 

 クルピンスキーがサーチライトに映った小型を撃ち落としたとき、光の当たらぬ左下方からネウロイが急接近してきた。

 孝美が間髪入れずに13㎜機関銃を撃つと、勢いのまま破片を撒き散らしクルピンスキー目掛けて突っ込んできたが外れ、光と消えていった。

 一方、ロスマンとニパのコンビは火力があることから対地支援につく。

 

「ニパさん、後ろは任せました」

「ニパ君、先生を頼んだよ」

「はい!」

 

 ロスマンのフリーガーハマーが火を噴き、第2次警戒線に向かう戦車に襲い掛かる陸戦ネウロイを吹き飛ばす。

 

「うーん、何体でてくるんだよ……」

 

 ニパはロスマンの死角から近づく飛行型を撃墜して、その接近を許さない。

 

「ロスマン先生!敵の向こうに見えるアレって!」

「いつの間に……」

 

 一挙に押し寄せる陸上型ネウロイの向こうに、いつぞに見た黒い水晶のようなネウロイが音もなくいつの間にか屹立していた。

 しかし前のものに比べ大きく、遠くからは30m近くあるように見え下部は暗闇でよく見えないが脚か何かしらの手段で移動しているようである。

 歩くビルのようなネウロイは森の上空を照らすサーチライトに、上半分が黒く光る。

 悠然と近づいてくる大型ネウロイに、502JFWの部隊員たちは44年の春にスオムスのオロネツで戦った巨大な円筒形のネウロイ母機“シリンダー”を思い出す。

 

「こちらロスマン、司令部、陸上型の母機と思われる超大型を確認した」

「了解、座標を報告せよ」

「……124520付近に砲撃を要請します」

「確認した、しばらく待て」

 

 その頃、ランタンの明かりが薄暗く照らす地下指揮所ではラルやアルチューフィンと言った幕僚達が各方面から入ってくる情報をもとに反攻策を練っていた。

 状況は芳しくない、現在、第一警戒線の3個戦車連隊とその随伴歩兵部隊が壊滅して、その後方10㎞の第二警戒線まで押し込まれようとしていた。

 そこを抜けられたらもう前線司令部と交通壕で結ばれた地下指揮所まで18㎞しかない。

 

 夜間単独飛行が出来て上級指揮官課程を修了しているサーシャは指揮所要員だけでなく防衛要員としても無線交信を聞き、砂板(さばん)に表示される彼我の状況をラルの傍で見ていた。

 今すぐにでも飛び上がって援護に行きたくなったが、万が一にも本陣が襲撃されては元も子もない。

 ユーティライネン大尉らユニット回収班が武装し飛行場脇の塹壕に待機しているといっても地上戦力であり、航空優勢の確保は出来ないのだ。

 

「502より砲撃要請!目標、超大型ネウロイ!」

 

 そこに砲兵科の若い下士官が息を切らして指揮所壕へ飛び込んできた。

 

「502の連中は何と言っている」

「はい!『陸上型の母機と思われる超大型ネウロイを確認、124520付近に砲撃支援求む』です」

「どうしたい、ラル少佐」

 

 アルチューフィンの問いに下士官は答え、意見を求められたラルはアルチューフィンに向き直った。

 

「私は敵大型母艦級ネウロイへ砲兵火力を集中させ、これを撃破することを具申します」

「どうしてだ」

「おそらく、兵隊ネウロイを指揮し生産あるいは召喚している可能性があります」

 

 指揮所の無線からは各部隊からの情報や悲鳴混じりの救援要請がひっきりなしに入る。

 

『こちら……隊、デカいのがいるぞ!』

『敵増援出現!推定50、いやもっといます!』

『囲まれた!救援求む、“カニ”がこっちに来た!……うわぁ』

『おい、どこのウィッチだ、ひとり森に落ちていったぞ!』

『……航空ウィッチが救出に向かった!聞こえてる歩兵は援護しろ!』

『われ、これより突撃する。ウラー!』

 

 通話の脇で撃っているのか凄まじい銃声、あるいは攻撃を受けたのか爆発音が聞こえてきてスピーカーの音が割れる中、アルチューフィンは砲撃命令を下した。

 

「許可しよう、やってくれ。射撃座標はそちらの指揮官に任せる」

「はい!」

「ラル少佐、突撃は任せたぞ」

「わかりました」

 

 伝令として走って来た下士官が砲兵連隊の射撃指揮所へと戻っていくのをラルは確かめると、無線で上空に居る502隊員に言った。

 

「502各機に伝える、砲撃支援が終わり次第優先して大型にあたれ。雑魚は無視しても構わん」

『隊長、それまでに弾が厳しいんだよね、どうにかならない?』

「クルピンスキー、それについてはサーシャとトラックを送るので補給しろ」

 

 クルピンスキーやニパが持って出たMG42機関銃の弾ももう少なくなっていたし、孝美の13㎜機関銃も残弾僅かであり、予備弾倉も後1つしかない。

 ロスマンでさえも撃ちきったフリーガーハマーを捨てて負傷した歩兵から受け取ったStG44小銃で戦っていたのだ。

 

『了解、それじゃ砲撃のタイミングが決まるまではそのままなんだね?』

「ああ。それと、救出したウィッチはどうした」

『たった今、下原ちゃんとジョゼちゃんが地上の衛生兵に引き渡したよ』

 

 下原が夜間視能力で落下地点を特定し降着後はジョゼによる応急手当が行われ、地点確保と陽動のために危険を顧みずネウロイの中に斬りこんだ複数のオラーシャ陸軍歩兵部隊の活躍もあって撃墜されたウィッチは救出されていた。

 

『下原です、ジョゼと共に歩兵の直掩(ちょくえん)についています』

「そうか、砲撃支援はおそらく15分ほどで行われる。それまでに補給地点まで戻ってこい」

『わかりました』

 

 

_____

 

 

 

 

 歩兵や生き残った戦車部隊、自走砲部隊が最前線でネウロイの前進を必死に押しとどめている時、砲兵隊の射撃指揮所では超大型のネウロイに対しての射撃諸元が作られつつあった。

 

「射撃座標121522!」

 

 地図の縦軸と横軸に記された数字とマスの中の目盛からなる6ケタの座標へ砲撃するための射撃諸元に合わせて、重砲の照準を合わせる。

 

「ウィッチに通達しろ!『射撃準備が出来た』と!」

 

 砲兵隊からアルチューフィンのもとに射撃準備完了の知らせが入って7分後、火砲群が火を噴いた。

 

「初弾、弾着5、4、3、2、1」

 

 初弾が発射され、母艦級ネウロイの手前に落ちて大地を耕す。

 

「修正!奥に20」

 

 前進観測班やウィッチから入る情報に新たな諸元が砲側(ほうそく)の兵員に伝えられる。

 仰俯角(ぎょうふかく)のハンドルを勢いよく回し砲口が少し下がると共に、砲尾の閉鎖器がガシャンと開くやいなや砲弾、袋に入った装薬がリズミカルに装填され閉鎖器が閉じられる。

 

「撃てッ!」

 

 152㎜カノン砲だけでなく280㎜臼砲(きゅうほう)や203mm榴弾砲といったオラーシャ軍のあらゆる重砲、多連装ロケットが火を噴き、漆黒の空に紅く輝く発射炎を曳きながら第2弾、3弾、効力射と砲撃が超大型ネウロイに集中する。

 サーチライトの光が巻きあがった土煙に映り、スクリーンのようになって視界が遮られてしまう。

 通常であれば射撃中止の命令が掛かりそうなものだが、撃つことをやめない。

 

「……フスタヴァーィ ストラナ アグローヴナヤ」

 

 むせるような砲煙と轟音の中、誰かが歌い始める。

 

 

__立ち上がれ、巨大なる国よ

__立ち上がれ、死を賭けた戦いに

__怪異どもの暗黒の力に、

__呪わしき軍勢に!

 

 砲声の中の歌声はいつの間にか砲兵たちの中で伝播し、合唱となっていた。

 同一諸元にひたすら着発信管の砲弾を投射し、外れた弾は近くの兵隊ネウロイを粉砕する。

 

__崇高なる憤激を

__沸き立たせよ、大波のごとく

__人民の戦争だ、

__聖なる戦いだ!

 

 7分間の全力射撃が止んで土煙の中から大きく穿孔された母艦型ネウロイが出てきたところに、補給を済ませたウィッチたちが砲兵たちの陣地の傍を抜けて飛んでゆく。

 

「ウィッチの嬢ちゃんがあいつをやれるように準備しろ!」

 

 砲兵たちは熱くなった砲口にスピンドル油を注ぎ、砲身を冷やしながら発射弾数を数える。

 ある砲では6発撃てるところを、装填が良かったのか7発撃っていた。

 視界も霞むような硝煙とスピンドル油が砲身で()ける匂いが砲座に漂う中で砲弾を再び装填すると、男たちは射撃の準備をする。

 すべては年端も行かぬ少女たちが迫り来る怪物を打ち砕けるように。

 大人の軍人たちが拓いた花道を彼女たちは行く。

 

 

____

 

 

 

 

 砲撃支援が行われるとなり、後退指示が下った502JFWは前線飛行場から6㎞の林野に降り立った。

 枝葉で擬装が施された整備部隊のトラックにはユニットと装填済みの機関銃、そしてロケット弾が搭載されていた。

 次々と大地へと降りてくる隊員の下にサーシャは駆け寄った。

 

「皆さん、ケガはありませんか!」

「サーシャさん、ワタシ達は大丈夫です」

「ごめんなさいサーシャさん、フリーガーハマーを投棄しました」

「無事なら良いんです……武器ならここにあります」

 

 ニパ、ロスマンとも所々汚れているものの外傷もなくユニットも問題があるように見えない。

 StG44はカールスラント陸軍のもので撤退戦などの結果から、、大抵は戦闘損耗で片付けられる。

 そこにユニットを整備部隊に預けたクルピンスキー、孝美コンビがやってきた。

 

「サーシャちゃん、僕にもねぎらいが欲しいなあ……ダメ?」

 

 サーシャは整備部隊員によって給油されているBf109を見てほっと一息。

 

「クルピンスキー中尉もユニットを壊していない!これなら次もお願いしますね」

「そう言われちゃあ次も頑張っちゃおうかなー」

「すぐ調子に乗るのは悪い癖ね」

「先生は手厳しいなあ、そう思わないかいニパ君」

「いや、中尉が色気を出そうとするときはユニットが……」

 

 わざとらしいクルピンスキーの様子を見たロスマンがツッコミを入れる。

 船団護衛の出撃にしろ、数々の度胸試しや賭け事にしろクルピンスキーは余裕そうに振る舞うときにユニットが壊れ、あるいは燃える。

 ニパもブレイクウィッチーズとして共に戦う内にだんだんとパターンを掴んできたのだ。

 孝美はトラックから九九式に代わりいつものゾロターンS-18 対物ライフルを持ってやって来た。

 装弾数は10発で、予備弾40発の入った雑嚢改め砲弾バッグを2つ左右にたすき掛けしている。

 銃だけで重量は45㎏近くあり、20㎜弾も重く魔法力による重量軽減ができるウィッチだからこその装備だ。

 

「サーシャさん、次は対物ライフルでいいんですよね」

「はい、母艦級ネウロイ……“六角柱”を撃破することが優先されます」

「ワタシ達はアレに突っ込んでいけばいいんですか?」

「そうです、“六角柱”を撃破できればおそらく今晩の襲撃は止まるでしょう」

 

 サーシャがそこまで言った時、衛生兵の後退を支援していた下原とジョゼがようやく降りてきた。

 戦闘救難を行ったため弾が切れ、手にはオラーシャ歩兵から借りたPPSh41機関短銃を持ち、ジョゼに至っては集束手榴弾を持っていた。

 手榴弾は“弾薬”だからよいとして、オラーシャ軍の装備である“機関短銃”はまずい。

 

「すみません、遅れました!」

「下原さん、ジョゼさん!その銃は……」

 

 サーシャの顔色が変わったことに気づいたジョゼが言いづらそうに入手経路を言う。

 

「ああっサーシャさん、……私達がウィッチだってことで歩兵のお兄さんが貸してくれたんです」

「ジョゼさん、どこの部隊ですか!」

「どこだったっけ定ちゃん!あのトラックに乗ってた……」

「えっと第16自動車化狙撃兵連隊です」

 

 ラルやブダノワという破天荒な人物が多く忘れられがちだが、基本、軍隊において兵士の体の一部と言ってもいい武器の紛失や許可なき譲渡は()()である。

 気を効かせて“戦闘損耗”という事でうやむやになればいいが、ときどき男性兵士がウィッチに武器を貸して、忘れた頃に所属部隊から返還要求が来るという事態が発生する。

 この手続きがとても面倒であり、借りたまま返さないといういわゆる“借りパク”という状態になると下手をすれば憲兵が“窃盗”として介入してくる事態になり上官は責任を取らされる。

 規律の緩いアフリカや、後退に後退を重ねて装備の放棄も珍しくない撤退戦の最中とは違うのだ。

 

「連隊との調整は後で私がします、今は母艦型を撃破することだけ考えてください」

「了解」

「あと、トラックに加給食(かきゅうしょく)のチョコレートがあります」

 

 サーシャは連日の哨戒飛行や戦闘で消耗した魔法力とエネルギーを回復するために加給食を申請していたのだが、突然の奇襲に本来予定していた開封日を前倒しにしたのだ。

 チョコレート、この単語に先ほどまでの申し訳なさそうな様子は鳴りを潜めジョゼのテンションが上がって来た。

 

「チョコレート!やったね定ちゃん!早く行こう!」

「そうね、もう、ジョゼってばはしゃいじゃって」

 

 おそらく奪還されたばかりのベルギカかあるいはリベリオン製のものだろうが、疲れた所に普段食べることのできない甘味というのは最大の娯楽であり、食事に幸せを感じるジョゼ以外の者でさえ大いに喜んだ。

 

 後に喪失扱いとなり員数外の装備となる借り物のPPSh41はトラックに収納され、下原とジョゼは予備銃を手に取った。

 どうやら、砲撃が始まったらしく雷鳴のような音が黒々とした木々の向こうから響いてくる。

 加給食の木箱の中に入っていたのはリベリオン製のチョコレートで、502の隊員がチョコを口に含み魔法力の回復に努めている横で整備班長が給油を急かし、若手の整備士たちが200リットルドラム缶に手回し式ロータリーポンプを取り付けてハンドルを必死に回していた。

 1回転で約1リットルを吐出するこのポンプは電気も圧縮空気も要らないことから前線で多用され、燃料を多く必要とするストライカーユニットや戦車への給油に使われている。

 

 給油が終わればウィッチは空へと上がり、砲撃終了と同時に間髪を入れずに攻勢に転じるのだ。

 全員の魔法力と燃料の回復が終わった時、砲撃ももう終わりに近づいていた。

 

「502全機発進!」

 

 サーシャの号令と共にくさび形編隊を組んで502のウィッチは“六角柱”へと突撃していった。

 




夜襲は次で終わります

ご意見、ご感想をお待ちしております。


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夜明けの死闘

※『夏来たる』と入れ替え


1945年8月17日

 

 補給を終え、弾薬や予備武器を携行したウィッチが空に上がる。

 その先陣を切るのが第502統合戦闘航空団の7人の乙女たちであった。

 戦車の残骸と第一警戒線があったであろう森は友軍の砲撃でずたずたに引き裂かれ、無数の大きな弾痕となり枝葉も残らぬ荒野へと変貌していた。

 じりじりと音を立てる照明弾の薄暗いぼんやりとした明かりが死に絶えた森の影を浮かび上がらせる。

 土煙がはれたところに浮かびあがる針のような3対6本脚の生えた黒い半透明の巨大な六角柱。

 もしも、直枝やひかりが見れば「ガラス張りのビルが歩いてる」という表現をするかもしれない。

 

『孝美、今の時点でコアは見えるか』

「見えません!」

 

 そこにラルからの通信が入り、孝美は魔眼を発動し六角柱のコアを捜索するが相変わらずと言っていいほど何も見えない。

 

「これはおそらく“黒水晶”と同じタイプです!皆さん、表面に穴をあけてください!」

 

 サーシャがかつて森の中で遭遇したネウロイの最期を思い出し、ひょっとすればコアが屈折部によって覆い隠されているタイプではないかと当たりを付けた。

 あの時の“黒水晶”は半分地下に潜っており、ブダノワたちに破孔を作られ地中逃亡しようとして上からとどめを刺されて撃破されたのだ。

 502のウィッチたちはサーシャの意図を汲むと、塞がらんとする半透明の水晶部の下の方に射撃を加える。

 

「出し惜しみはなしだよ!」

 

 クルピンスキーは早速Stg44小銃の下部に取り付けられた“小銃てき弾”を発射する。

 一般歩兵の銃には無い、戦果を挙げる航空ウィッチに与えられた()()()()のとっておきだ。

 

「上の破孔は良いから、下方に集中射撃!ニパさん!」

「はい!」

 

 ほぼ同時にロスマンのフリーガーハマーが火を噴き、機関銃だけでは火力不足という事もあって負い紐(スリング)で吊って携行していたカールスラント製対戦車てき弾発射機“パンツァーファウスト100”をニパは構える。

 パイプの先端に成形炸薬の弾頭がついているこの使い捨て火器はにスオムスにも1944年から配備され、ニパも数度使用したことがあった。

 

「てき弾を使うのって久しぶりだなあ、後方よし……当たって!」

 

 小脇に抱えると簡易照準器の照門いっぱいに捉えて、持ち手のパイプに付いたレバーを押すと撃発される。

 バン!という音と共にパイプ後端からガスが勢いよく噴出し、弾頭はロスマンの放ったロケット弾に続いて飛んでゆく。

 弾が大きく放物線を描く水平射撃ではなく撃ち下ろしなので、弾道は比較的安定して命中し、何とか破孔を開いた。

 その時うっすらとコア状の何かが見えたが、すぐに覆い隠されてしまった。

 

「わかりました!中央底部……装甲で魔眼を遮断するタイプです!」

 

 フリーガーハマーも携行弾18発中9発を撃ちきり、腰につけた予備ロケット倉から次弾を装填し、ニパのパンツァーファウストもクルピンスキーのライフルグレネードも使い切ってなお、悠然と歩く六角柱に航空歩兵の火力では力不足だと思った。

 孝美の20㎜弾やジョゼ、下原、サーシャの各機関銃弾くらいだともはや撃たないほうがいいくらいで外板に対しては全くといっていいほど効果が無い。

 歩兵から貰った集束手榴弾はあるものの、装甲貫徹能力と射程距離に欠けている。

 危険を冒して近接し投げつけた所で、破孔に入らなければ外板表面で弾き返されて何の意味もない。

 

「くそっ、硬すぎるな」

「そうだねぇニパ君、硬いし回復も早いときた」

「ネウロイがしぶといのはいつものことね」

 

 成形炸薬弾系の武器を持っていた3人が思わず呟く。

 ロスマンは同時にフリーガーハマー用の革製のケースに入っていた弾を、発射機の後部から1発ずつ装填する。

 そんな時、下原が敵の増援を確認した。

 どうやら屈折体の発光なしで現れたようだ。

 

「大型の足元から増援来ます!数は20、いや30!35!」

「まだ隠れていたんだ……」

 

 母艦級というだけあって下からわらわらと“クモ”と高射タイプが湧いてきては光線を撃ち上げてくる。

 

「散開!2番機を見失わないように!」

「了解!」

 

 サーシャの指示にロスマン・ニパ組、孝美・クルピンスキー組、下原・ジョゼ・サーシャ組に散開する。

 散開こそすれど後退は出来ない、何故ならば後方には後退中の友軍がいて“第二警戒線”がある。

 兵隊ネウロイならばともかく、堅牢で召喚機能を持つ母艦級大型ネウロイが第二警戒線を突破したならば、吐き出される尖兵によって重傷者の脱出は難しくなり、なおかつ前線飛行場が放棄されて後退することになるのだ。

 

 多くの犠牲を出して前線から後退する事、すなわちウラヌス作戦の失敗を意味する。

 そうなればリベリオンやブリタニア、扶桑から派遣された部隊がレーシー攻略の主力となり、レーシーの空間跳躍能力の研究などの利益のためにアルチューフィン戦闘団は解散、中核に居る502も管野とひかりの救出から手を引かざるを得なくなるのだ。

 

 作戦失敗に伴う大きな犠牲と政治屋の都合で派遣される調査隊に引き継がれるのを防ぐには何としても母艦級ネウロイ“六角柱”を撃破しここを死守しなくてはならない。

 

「サーシャさん、砲撃支援は無いんですかっ!」

「ジョゼ、私たちが居るのでさっきみたいな砲撃は出来ませんって……」

「そうです、後方の重砲は私たちが射線上に居るので撃てません」

 

 実体弾を避けて降下し頭を引き上げながら高射型ネウロイを撃破するジョゼ、サーシャと下原は光線を放ってくる数体の中型、小型ネウロイに弾を浴びせる。

 しかし、暗い中1発撃てば10発のお返しとばかりに複数方向から光線と実体弾が襲うのだ。

 クルピンスキーや孝美、ロスマン、ニパも同様で、回避に目視ではなく敵の火線を誘導しつつカンで避けるといったエース部隊だからこそできる方法を用いていた。

 

「数が多い……でも、ここで下がるわけにはいかない!」

「そうだね、ひかりちゃんと直ちゃんが帰ってくるためには」

 

 キラキラと闇に輝く光線を躱して地表スレスレを駆け抜けてゆく二人、孝美とクルピンスキーは中型や小型を狩りながら少しでも侵攻を遅らせようと、六角柱の脚の付け根の関節を20㎜弾で撃ち抜く。

 

「何としても倒さなきゃ」

「何としても倒さないとね!」

 

 クルピンスキーと孝美のセリフが重なる。

 孝美は妹の手掛かりどころか救出のチャンスを無理に転属してまでつかみ取ったのだ、こんなところでそれをふいにしたくないという執念からの厳しい表情で、歴戦の猛者であるクルピンスキーからいつもの軽さは消え、不敵な笑みを浮かべていた。

 

 生き残れるエースは苦しいときにこそ不敵に笑うのだ。

 

 精神状態がもろに魔法力などに反映されるウィッチにとって、心が折れれば突如魔法が使えなくなったりして墜落するなど、通常の兵士以上に命に関わるがゆえに念入りに暗示をかけるのである。

 

 『軍事心理学』を研究するある軍医曰く、戦争神経症、恐慌状態や不安に陥ってしまい回復が遅い者はその間“シールド強度や出力なども弱くなる傾向”にあり結果として長生きできないという統計が出ているそうだ。

 これは各国の軍隊で経験則的に知られているもので、そのためウィッチへの“機会教育”、扶桑軍では“精神修養”といった手段が正規の教育では採られているのだ。

 

 クルピンスキー・孝美組が関節を狙って一撃離脱をしているころ、ロスマン・ニパ組は制空を担当するサーシャたちの負担を軽減するために、捜索担当と攻撃担当に分かれる“ハンター・キラー戦術”を取っていた。

 

「ニパさん、高いわ。もっと高度を下げなさい!」

「わわっ!2時方向下!」

「そこね!」

  

 

 ニパが囮となって空地至る所から発される光線をかいくぐり、ロスマンが的確に発光点へと応射して高射タイプの中型ネウロイ4体と飛行型を5機撃墜している。

 

「次から次へとっ、キリがないなっ」

 

 ニパたちだけでなく空に上がったウィッチは敵に狙いを付けられないように上下にジンキングし、左右に尻を振るように飛ぶ。

 “脳みそがシェイクされてかき回されてるよう”に感じる上下左右の回避機動に加え、天地がわからなくなる空間識失調(ヴァーティゴ)になりそうな暗い夜空、そして当たらないと分かっていても体の近くを光線が掠めていくのはやはり気分のいいものではなく、5分間の飛行が1時間にも2時間にも思えた。

 破片を貰ったのか、ユニットの外板にいつの間にかカギ裂きが出来て、ひゅうひゅうと音を立てていた。

 まだ、エンジンは健在だ。

 

 ______

 

 

「あそこにいるのは陸戦ウィッチか、助かった!」

 

 木々の間を進む陸戦ストライカーのようなシルエットに、後退中の歩兵たちが声を掛けた。

 小さな懐中電灯や灯火管制用の覆いを付けたアセチレンランプの明かりではよくわからないが、おそらくT-34/76か共同戦線を張っているカールスラント陸軍のユニットであろう。

 だが、迎撃のために前線から第二警戒線まで後退してきたにしては妙だった、ひとりの兵士が送った発光信号を無視し、気にも留めず突き進んでいくのだ。

 

「おい、そこの君達!どこに行くんだ」

「おかしい、陸戦ウィッチは今いないはずだ」

「ならあいつらは何処の連中だ」

 

 誰何の声も届いていないのか陸戦ストライカー4機は森の中へと消えていった。

 呼びかけにも答えず、所属がわからないことから歩兵部隊の小隊長が問い合わせたところ、陸戦ストライカーを擁する部隊は警戒線付近には()()()()()事がわかった。

 

「えっ!」

「じゃあ、あいつはもしかして……」

「ネウロイが化けたものかもしれんぞ!」

 

 こうした所属不明の陸戦ウィッチは右翼、あるいは左翼側から3グループほどに分かれて目撃され、森の中を抜けて前線飛行場の外周に設けられた塹壕(ざんごう)と監視小屋からなる防御線でようやくその全貌を現したのだ。

 

 最初はウィッチが補給か何かのために帰って来たものだと思った。

 しかし現れたのはシルエットは似ているが近くで見ると全身が黒一色で目も口もない擬態型ネウロイであり、壕から懐中電灯を向けた歩兵は死を覚悟した。

 

「何だ……てっ、敵襲!」

 

 木々の向こうに見えた陸戦ウィッチのシルエットは、だんだんと大きくなり、対ネウロイ砲を模した砲口が彼に向けられた瞬間、突然それはやって来た。

 

「何をぼうっと突っ立っているんだ」

 

 偽ウィッチが後ろへと吹っ飛び、続いてやって来た2体、3体目に砲弾が直撃する。

 歩兵が気づくと前には銀髪の女がいた。

 胸に付けた懐中電灯に青みががった灰色の軍服が浮かびあがり、その女の手には塹壕の壁面を補強していた直径20センチほどの丸太が収まっていた。

 

「スオムス軍……」

 

 銀髪の女、アウロラ・E・ユーティライネン大尉は森を睨む塹壕を踏み越えて殴り、倒した偽ウィッチに至近距離から拳銃を4発撃ち込んで始末する。

 

「間に合った!自分たちは502のユニット回収班です」 

「隊長が丸太で殴りつけたりするからその人腰ぬかしちゃってるじゃないですか」

「丸太なら巻き添えの心配はないからな、さて、攻勢に出るぞ」

 

 歩兵たちの後ろから数体の三号突撃戦闘脚G型とT-34/85戦闘脚がガシャン、ガシャンとやって来た。

 小柄で綺麗な銀髪の少女レーヴェシュライホ中尉と、どこからか仕入れた()()()()()()を履いたテッポ少尉である。

 破天荒な人物として有名なアウロラとずっと共に戦ってきた二人の部下もただ者ではないのだ。

 

「攻勢ですか、持ち場を守らなくて大丈夫ですかね」

「なに、ニパが落ちない限り我々に出番はないさ」

 

 レーヴェシュライホがサーシャより言われていたことを思い出したが、アウロラは主任務である戦闘捜索救難が起こらないと踏んでいた。

 ニパなり他のブレイク連中……今はクルピンスキーだけだが、中々ツイているようでここぞというときには不思議と落ちないのだ。

 2人が話しているところに、テッポが歩兵部隊の隊員たちを引き連れてやって来た。

 

「隊長、歩兵たちが『我々も連れていってほしい』と言っていますがどうしましょう」

「本当の馬鹿だな、……そちらの指揮官の利口さに期待する」

 

 先ほど間一髪で助かった歩兵が何かを話したようで、“命令下達のいとまがない状況における中隊長の現場判断”でアウロラたちについてゆくことが決まった。

 アウロラは久々に血が騒ぐのを感じた、そしてユニット回収班の彼女たちと歩兵部隊は指揮所を狙ってきたであろう偽ウィッチを狩ろうと森へ入って行った。

 

 502の傍を抜けたものは後続のウィッチや陸上部隊によって撃破されていったがいかんせん数が多く、このようにウィッチに擬態した小型ネウロイの一部が視界の悪さと混乱に乗じて警戒線を浸透突破して、前線飛行場や司令部に近接すると言った事態が発生した。

 

 だが、かつて取り込んだものを模倣したような“偽の陸戦ウィッチ”やら、“戦車もどき”がほとんどで、スオムスで確認された精神に影響を及ぼす“精神感作系ネウロイ”などの特殊なものは幸いにも含まれておらず、宿営地警備に当たっていた部隊やユニット回収班によって撃滅された。

 こうした浸透作戦を展開しているであろう六角柱は悠々と第二警戒線を踏み越えんと歩を進めている。

 いよいよ火力が足りない、突破口が見つからない、敵の増援が途切れるように思えないと感じたその時、男たちの声が無線より入った。

 

『お嬢さん、こちらは砲撃準備完了だ。そちらのタイミングで撃てるぞ!』

『プラーミャよりウィッチへ、第二警戒線にただいま到着。地べたは任せろ!』

『迫撃砲による支援は必要か?』

 

 重砲やロケット連隊だけでなく、戦車部隊や50㎜軽迫撃砲を装備した歩兵部隊などからも支援可能であるという知らせが入ったのだ。

 サーシャはようやく時が来たことを知った。

 

「皆さん、ありがとうございます。……隊長、支援射撃の許可を」

『サーシャに任せる、盛大に撃たせてやれ』

「了解!……射撃座標は」

 

 さっと距離を取ったところにヒューンと風を切る砲弾の落下音が聞こえ、赤い炎を曳いて飛ぶロケット弾のウォーンという気味の悪いうなり声が青い夜明け空に響く。

 

『初弾、弾着……3、2、1、今っ』

 

 2回目の重砲群、ロケット連隊による濃密な制圧射撃が大きな放物線を描いて降り注ぎ、“六角柱”や増援としてわらわらと湧いてきている大小さまざまなネウロイを襲う。

 小型は消滅、中型にも少なからずダメージを与え、六角柱は先ほどよりも大きく壊れていた。

 孝美が破孔より大きな屈折体の内部に眠るコアの正確な座標を報告する。

 

「サーシャさん、コアが見えました!六角柱の下面です!座標は……」

 

 大きく損傷しているが、なおも悠然と近づいてくる超巨大ネウロイに第二警戒線突破も時間の問題かと思われた。

 そうは問屋が卸さないと、先ほど後退していた第一警戒線の残存戦力を加えた防御部隊が勢ぞろいで待ち構えていた。

 85㎜砲を大型の電動砲塔に乗せた新型のT-34/85戦車や、KV-2といった威力のある戦車部隊に、122㎜砲や152㎜砲といった“猛獣殺し”、もとい“中型殺し”の重自走砲連隊もおり、彼らは逸る気持ちを抑えながらサーシャの指示が出る前に照準を合わせていた。

 

「次!ネウロイ下面に射撃を集中させてください!」

『了解!』

「関節や、胴体下を狙って!」

『待ってました!プラーミャ、射撃開始!』

『ボリバー、捉えたぞ』

 

 サーシャの指示が出るやいなや森の至る所から砲炎が上がり、重砲に代わって低い弾道の戦車砲や対戦車自走砲といった直射火器が撃ちこまれる。

 “プラーミャ”という符丁で呼ばれていたT-34/85戦車10両でなる戦車中隊が脚の関節に攻撃を集中させる。

 “ボリバー”は28口径の152㎜榴弾砲をガンガンと胴体下面の外板に当てて叩き割らんとする。

 回復も大分遅れているようで、衝撃で吹き飛んだ薄片が空に舞い飛びキラキラと光を放つ。

 おそらく屈折体による召喚を封じられ、ネウロイを“生産”したために防御が薄くなっていたのだろう。

 

「孝美さん、今です!」

 

 地上部隊の猛攻で作ったヒビの向こうにあるコアを目掛けて、孝美は狙撃を行う。

 孝美目掛けて幾つもの光線、砲弾が飛び来るがクルピンスキーやニパ、サーシャまでがシールドを張って孝美を守る。

 ジョゼとロスマン、下原は飛び回ってわらわらと出てきた兵隊ネウロイを叩く。

 

「完全捕捉!」

 

 魔力を帯びた20㎜機関銃弾は砲兵たちの152㎜砲の2倍ほどの威力をもって、六角柱のコアを撃ち抜く。

 白い砕片となった六角柱とそのしもべともいえる兵隊ネウロイ達はまるで藍に溶けるかのように消えていった。

 8月17日未明に始まった戦闘はこうして、終結を見たのだった。

 

 _____

 

 

  襲撃によって、一晩で前線戦力に対し歩兵が6%、戦車が5%、その他兵科で3%の被害が出た。

  ウィッチを擁する航空部隊でも、馴れぬ夜襲に墜落したり撃墜されるなどでごく少数の重軽傷者を出したが、戦車部隊付きの装甲歩兵ほどは酷くはなかった。

 

 少しばかりの休息の後、戦死者またはその遺品の回収に加え、“腐敗による疫病の発生”や“撃破車輌などがネウロイによって再利用される”ことを防ぐために“戦場清掃”が始まった。

 この気の滅入るような作業にはウィッチたちも従事し、スコップや担架を持って歩兵達に混ざって“戦場清掃”へと向かう。

 502のウィッチたちも例外ではなく、トラックに乗せられて比較的マシな場所まで運ばれ、弾痕などでまともに走れなくなる辺りから割り当て場所まで徒歩行進する。

  太陽が登り、辺りが明るくなってよく見えるようになると悲惨としか言えない光景が広がっていた。

  砲弾によって木々は吹き飛んで大地はえぐれ、辺りには黒く焦げた戦車やら、半分融け落ちた鉄帽、燃え残った何かを袋に詰める歩兵達。

  第二警戒線までの部隊ならば比較的回収出来るのだが最初に接敵した第一警戒線にいた彼らは壊滅した後、友軍の阻止砲撃によって深く耕されたために軍服の切れ端すら見つけるのは困難だった。

 

「これじゃあ、誰が居たのかも分かりませんね」

「生焼けじゃないぶん、まだ楽って言えば楽だけどね」

 

 ほとんど遺留品が残っていない戦場清掃に思うところがあるのか孝美は呟き、クルピンスキーは割り当ての配慮に言及する。

 ウィッチに凄惨な物を見せて精神的ショックで不調になられても困るし、なにより若く幼い女の子たちに戦闘以外でえげつない重労働はさせたくないというのが大人の軍人たちの“最後の良心”なのだ。

 

 502では他部隊から借りた装備やら、森で大暴れしたユニット回収班の各種手続きに奔走するサーシャに代わりロスマンが捜索小隊の指揮官となった。

 小柄な彼女は認識票や階級章、時計などの個人が識別できる物を入れる為の袋を持って、地図を片手に進んで行く。

 その後ろにはシャベルやバールといった土工具(どこうぐ)や前後二人で担ぎ上げる“戦利品入れ”を持った隊員が続く。

 

 弾痕に足をとられて転びそうになったところをクルピンスキーが支える。

 

「先生、大丈夫? そっちの袋を持とうか?」

「クルピンスキー、元気が余っているならあの箱を一人で持ってちょうだい」

「今晩、足腰が立たなくなりそうだよ、そうだ、その時は先生に起こしてもらおう」

「あなたは一人で寝て、私はあなたに近づかないわ」

「そんなぁ」

 

 抱きしめられたロスマンは、ニパと下原が持っている“戦利品入れ”を指した。

 “戦利品入れ”とはストライカーユニットの梱包に使われていた木箱に担ぐための長い棒を取り付けたものであり、扶桑人である直枝や下原は“大名駕籠”(かご)などと呼んだ。

 撃破された戦車やら車両についている車両工具などを持ち帰ったり、無事な銃火器を回収する際に突っ込むので結構な重量になるのだ。

 回収したものは整備班によって手製の工具に変わったり、“金属資源”としてどこかに消えていくのだ。

 今回は原型を留めているものがほぼ無いので出番は無さそうだ。

 クルピンスキーとロスマンの相変わらずなやり取りに、ニパはまたやってるなあと思いながら前を行く下原を見る。

 

「定ちゃん……今日の朝ごはん、パン一個だったね」

「仕方ないわ、ついさっきまで戦ってたんだから」

「そうだけど、力が出ないかなぁ……なんて」

「ジョゼ、私たちはまだ加給食のチョコレートがあるけど、兵隊さんは何もないのよ」

「ううっ……お腹空いたなあ」

 

 残敵の掃討、安全確認が済んだあと前線飛行場に戻って来た彼女たちは、パンひとつと魔法力の回復目的で渡されるチョコレートだけで戦場清掃に駆り出されたのだ。

 皆が「力が出ないからせめてもう一品増やすべきだ」と感じていた。

 しかし、口の悪い兵隊の中には、「食っても遺体の回収で()()()()()()()()()石のようなパンで十分」と言う者もおり、こうした作業前の食事にはそれぞれが一家言(いっかげん)持っていた。

 状況に合わせて見た目も重要で、真っ赤なボルシチでも出されたならば至る所で「何かを連想させる」と喫食拒否が発生するだろう。

 

「これは」

「写真入れね……」

 

 孝美がくすんだ銀色の写真入れを土中より拾い上げた、ペンダントの鎖こそ千切れ飛んでいたが、豆のような形状のそれは無事に開いた。

 

「綺麗な人」

「奥様かしら、これは持ち帰りましょう」

 

 中には孝美が見ても綺麗だと思うドレス姿の女性の写真が収められていた。

 所持していた者の名前などは記されていないが、とりあえず遺留品という事でロスマンの持っていた袋に収められた。

 

「先生、これって徽章(きしょう)だよね」

「そうね、だいぶ溶け落ちているから何だったのかわからないわ」

 

 クルピンスキーは吹き飛んだ木の根の下から黒っぽい塊を見つけたが、爆発の高熱と圧力で溶けて固まっており何の徽章かも誰の持ち物だったのかもわからない。

 

 その後、全員で捜索したものの黒土の中からはめぼしいものは見つからず結局、所有者不明の2点だけで終わってしまった。

 昼下がりの帰路、前線飛行場までのあいだにトラックの荷台から見たのは二人がかりで“何か”を積み上げている光景で、目を凝らさなくともそれが何であるかよくわかる。

 アフリカやロマーニャほどではないが、夏という事もあってあまりのショッキングさに数日の間、ジョゼですら肉料理が食べられないといったありさまだった。

 しかし彼女たちは歴戦の猛者であり、しばらくすると回復して牛肉のカンヅメをまたモリモリと食べていた。

 

 このように502の乙女たちが夜襲の衝撃から回復したころ、大西洋から海風薫る海兵たちがやって来たのだった。

 

「ここがオラーシャね!腕が鳴るわね。ヘイ、ガールズ!準備はいい?」

「ウーラー!」

「我々は?」

「海兵隊!リベリオンの海兵隊!」

「トリポリの海岸からモンテズマの間まで、世界中で戦える!」

「センパーファイ!」

 

 ムルマン港に降り立った金髪の少女、メアリー・ワインバーグ中佐はまるでフットボール場のチアリーダーのようにテンションを上げてゆく。

 そこに別の一団がやって来た、ブリタニアのウィッチ達だ。

 

「何の騒ぎかしら」

「どうやら躾のなっていない犬が吠えているようです、隊長」

「誰が犬だって?」

 

 集団から出てきた血気盛んな二人がガンを飛ばしあう。

 

「あら、自覚はあった様ね、行儀が悪いわよエルマ」

「はい!……覚えてろよリベリアン!」

「家で○○してやがれ!ブリ公」

 

 隊長と呼ばれた女、マリア・ホワイト少佐は煽りつつも部下を下がらせる。

 その様子を見ていた扶桑人の少女が言った。

 

「あいかわらずだな、お前たちも」

「ショーコじゃないの!お久しぶり!元気にしてた?」

「これはこれは、リバウ撤退戦以来かしら。今も船が苦手のようね」

「ああ、久々に長い船旅をして気分が悪くなったよ……海軍さんも近くにいるぞ」

 

 扶桑陸軍の軍装に身を包んだ少女、小野田祥子少佐は船酔いで青白い顔をしていた。

 機動艦隊に護衛された輸送船団に乗って喜望峰を回ってやって来たのだが、船が苦手な彼女にとっては地獄のような1か月であったのだ。

 3人は顔を見合わせると、言った。

 

「お前たち(あなたたち)の任務は巣の調査?」

 

 扶桑、リベリオン、ブリタニア、いずれも政治的意図によって派兵されてきたのだった。

 そんな彼女たちが戦線に加わるのはもう少し後の話となる。

 

 

 

 




かなり遅くなりましたがようやく投稿できました。

ご意見ご感想のほどあればどうぞお気軽に。


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夏来たる

※『夜明けの死闘』と入れ替え


 2017年7月2日

 

 7月に入り空梅雨(からつゆ)を抜けるといよいよ尚樹の家の裏山からはセミの声が聞こえ始める、直枝とひかりは半袖シャツに短パンという夏の装いだ。

 居間とひかりたちの洋室には扇風機が据えられ、ここ数日の寝苦しい夜を快適なものへと変えている。

 つい先日まで使っていた春・秋用の木綿のシーツに毛布、枕カバーも洗う。

 脱水してなお重い大物という事もあって、ひかりと直枝は落とさないように注意しながら目線よりも高い竿へと掛ける。

 午前中という事からまだそんなに暑くはなかったが昼にかけて日射が厳しくなってくるのだ。

 昼になるまでに全身を目いっぱい使ってなんとか洗濯を終え、直枝は居間でテレビを見ていた。

 

「ふうーひと仕事やった後の麦茶はいいな、これこそ扶桑の夏ってもんだ」

 

 コップに入った氷入りの麦茶を一気に飲んだところにひかりが台所ののれんから顔を出す。

 

「管野さん、冷蔵庫にアイスがあるので出しましょうか?」

「おーう、頼む」

「バニラと抹茶味どっちにしますかー?」

「うーん、バニラで」

「はーい」

 

 ひかりは麦茶の入ったペットボトルとカップに入ったアイスクリーム2つを持ってテーブルに着いた。

 とても甘く、まろやかでいて冷たいアイスクリームを食べる二人。

 

「アイスうめーな。尚樹のやついつもこんなのが食えるんだよな」

「尚樹さんも『アイスは貴重品、通貨だー』って言ってましたよぉ」

 

 こちらの生活を羨むような直枝にひかりは思わず尚樹が言ってたことを思い出し、それを聞いた直枝は首を傾げる。

 甘味や酒と言った嗜好品が()()や対価となりうるのは最前線で、なおかつ物のない世界だからであってこの豊かな世界であれば値段の差はあれど、どこの店にも置いてあり珍しいものではない。食べたければ家に近い“コンビニ”と呼ばれる店に行けば350円程度で売っているだろうと。

 

「通貨?まだコンビニやスーパーに行ったら売ってるじゃねえか」

「尚樹さんも兵隊やってたからって」

 

 “酒保(しゅほ)”と呼ばれる売店で直枝たちも甘味を買ったし、乗ったことが無いからわからないがリベリオン海軍なんかだと艦内の酒保にもアイスクリームが置いてあるらしいと聞いたことがある。

 初年兵は半年経って検閲を終えるまでそもそも酒保詣(しゅほもう)では許されないし、二年兵は金が無くて酒保に行く時間があっても大したものは買えないし、たとえ金があっても使う時間がほとんど無い。

 

 これは兵隊より高給取りの下士官、あるいはウィッチ様となっても同じことで、中尉になるまでは金が無いのだ。

 古兵の中でも問題児いわゆる“モサクレ”ならば話は別である、彼らは私的制裁やら勝手に外出したりとやりたい放題で、重営倉入りの回数も“箔がつく”というような連中だ。

 直枝も気に食わない上官のテントをふっ飛ばしたりケンカ沙汰などで“モサ”扱いされていたが陸軍の内務(ないむ)班のモサクレに比べればまだ“お上品”なのだ。

 もっとも、直枝の原隊の第343航空隊では“オヤジ”こと源田実(げんだみのる)司令が理解のある人だったがゆえに鉄拳制裁やらそういった悪習が無く、噂に聞く女の園の苛烈で陰湿なしごきを経験せずに済んだのだ。

 欧州派遣となった際に抽出され、東部戦線でたらい回しにされた直枝はあまりの環境、部隊の雰囲気の酷さにくさって荒れた。

 そんな直枝は「生意気だ」とビンタを張られる前に容赦なくぶん殴り、模擬戦の名を借りたリンチにあう前に片っ端から“叩き落して”空にただ一人残ったりとしている間にケンカを売ってくる者は居なくなったのだ。 

 直枝は343空の内務班やいろいろな部隊の内務班を思い出しながら言った。

 

「ああ、そうだったな。兵営の中じゃ食べられねえからか……」

「そうなんですか?船ではいろいろ食べさせてもらえたなぁ」

「おめー、水兵共に奢らせてたのかよ」

「ち、違いますよぉ!ただ特訓の後とかに『差し入れだ』ってくれたんですよ!」

「ホントかよ、孝美はどうしてたんだよ」

「お姉ちゃんが居ないときですよ!」

「……まあ、いいけどよ」

 

 直枝は甘え上手なひかりに鼻の下を伸ばして差し入れを買う水兵たちの姿を見た。

 孝美が居ないときに渡した理由は大体想像がつく、孝美は中尉であるし何より妹に悪い虫がつかないようにニコニコしながらも牽制しているのだ。

 ウィッチとトラブルがあった際に負けるのは水兵の側だ、中尉の妹さんにわざわざちょっかいを出して処分されに行くようなバカ者はまあいない。

 ひかりが一人でいるときは人懐っこさもあってついつい財布の紐も緩くなってしまうのだろう、尚樹なんかがいい例だ。

 そのおかげでいい物が食べられ、服も満足に着られるのだからありがたいことだ。

 

 

 テレビでは昼の奥様を対象にしたグルメ特集に加え、夏休みシーズンの話題が上る。

 

『いよいよ7月、夏休みと言えば帰省や行楽。その前に準備をしませんか?今日は……』

 

 CM明け、風鈴のサウンドエフェクトと共にそんなナレーションが始まった。

 内容としては今年のラッシュの予想やら、この夏に行きたい観光スポットの紹介である。

 

「うわっ、自動車こんなにいるのかよ……まるでカンヅメじゃねえか」

「そうですね……」

 

 直枝とひかりは昨年の帰省ラッシュの資料映像を見て驚く。

 東名高速の下り線を埋め尽くす車はほとんど動かず、強い日差しやエンジンの熱に路面と車体が陽炎を作る。

 新幹線の駅に帰省客が集まり、新幹線にすし詰めになる光景とナレーションに直枝は思わずツッコミを入れた。

 

「何だよ乗車率250%ってよ、100超えてるってことは天井にでも乗ってるのか」

「こんなに人乗って脱線しないんでしょうか」

 

 国土交通省の乗車率の定義であれば、200%までは『圧迫感があるが週刊誌が読める程度』であり、250%でようやく『電車の揺れで体が斜めになって身動きができなくなる』くらいなのだ。

 直枝たちの常識では、列車は過積載をするとブレーキが効かなくなったり脱線転覆し、乗車率100%越えというのは避難民や買い出し列車のように貨車の上までギッチリ乗って圧死者も出る状況の事だ。

 現在では客車の屋根などに乗る“トレイン・サーフィン”は鉄道利用人口と客車の収容能力が釣り合っていないインドやバングラデシュなどの一部の発展途上国で見られるものであり、また先進国では若者たちがスリルや功名心を満たす“エクストリーム・スポーツ”として行い感電や激突などでの死者が出ることもある。

 

 日本においては戦後すぐならまだしも2017年現在においてはほぼ見られない。

 進行方向に向いた柔らかそうな5列シートに明るい車内は、板張りの客車に木の椅子の汽車とは大違いだ。

 速度はというと“走れ超特急”という童謡に歌われるように時速250㎞を超える速さだ。東海道新幹線では最高時速285㎞で営業運転されている。

 N700系新幹線の映像にひかりと直枝は今までに見た“汽車”や“電車”とは違う“新幹線”という鳥のくちばしのようなとても速い列車に興味を持った。

 

「そういやアイツ、帰省とかしないのか?」

「特に何も聞いていませんよ」

 

 

 ____

 

 尚樹が帰ってきて夕飯と入浴も終えるといつも通りくつろぎタイムに入る。

 三人でテレビを見ながら今日会ったことについて話していると、ひかりが「帰省しないんですか?」と尋ねた。

 

「えっ、今年は帰省しないのかって?」

「はい」

「おう」

 

 二人は何かを期待するような目で尚樹を見る。

 元々大阪出身である尚樹の実家があったのは東大阪市であり、2年ほど前に父親の転勤により滋賀県の大津へと移ったがどちらもほどほどの都会であり目新しいものを期待されても困るのだ。

 

「うーん、帰省って言ったってここから2時間くらいだからなぁ。とくに……えっ?」

 

 二人はちょっとだけ残念そうな雰囲気になり、尚樹は二人のガッカリポイントは何だろうかと考え始める。

 その様子を察した直枝は言いづらそうに、尋ねる。

 

「その、“新幹線”っていうのは使わねえのか?」

「すみません!尚樹さん。お昼のテレビで“新幹線”っていうのがやっていて……」

「ああ、そういう事か。二人は帰省に新幹線に乗りたいのか」

「つ、使わないならいいですよ!私達留守番するので、帰ってあげてください!」

「お、おう。家族水入らずで親孝行するといいぜ。うちは俺達が守るからよ」

「いや、ちょうどいい機会だから一緒に帰省も兼ねて遠出しよう」

 

 ようやく察した尚樹は帰省の予定をどうしようかと考える。

 最近の情勢もあって両親からは「たまには顔を見せろ」という電話もあり、おそらく弟は駐屯地から出られないだろうから帰らないといけないだろう。

 観光も兼ねて実家に二人を連れ帰るとして両親や弟にどう説明しようか、車で帰省する代わりに電車に乗ってみようとか浮かんだ。

 

「本当に私達がついて行っていいんですか?」

「おいおい、列車や高速道路?ってのも結構金掛かるって言ってたぞ」

 

 ひかりは尚樹と一緒に出掛けて新しい発見ができるのを楽しみにしているが、やはり一家団欒の場に見知らぬ自分たちが行くのはお互いに気を遣うだろうと問いかける。

 直枝は夏のボーナスや給料がまだで、最近ひかり主導の節約生活に入っていることを知っており、3人分の特急列車にお金を使うのはもったいないと考えて遠慮する。

 

「高速はともかく電車賃はナンボなんやろうな」

 

 尚樹はスマートフォンの乗り継ぎ案内アプリを開いてどれくらいかかるのか確かめる。

 バスで河内長野駅に行って南海高野線に乗って難波に向かい市営地下鉄御堂筋(みどうすじ)線を使って新大阪へ。京都駅までの間を山陽新幹線で行って東海道本線の大津駅で降りるというルートも考えたが、いかんせん金と時間がかかる。

 とくに新幹線は乗車券と特急券の二枚が必要で、新大阪から京都の一駅区間だけで乗車券は560円、特急券は2260円して計2820円、それが3人分で8460円するのだ。

 それに南海電車と地下鉄の運賃830円×3人分の2490円を足せば10950円となる。

 異世界からやって来たのだ、色々なことを体験させてあげたいと思うが、出費がかさむのは厳しい。

 割引料金や指定区間などを考慮しなくてもこれだ。

 

 なお、高速を使えば美原北インターチェンジから大津インターチェンジまでETC料金で2470円であり、出発前にパジェロに継ぎ足すハイオクガソリン30Lの4470円と合わせても6940円である。

 

 __やっぱり、自動車の方が安上がりだ。

 

「スマートホンって何でも出てくるんですね!いいなぁ」

「すげーな、見た目は板みたいなのに。どうなってんだ」

 

 運賃や高速料金の計算やら経路と所要時間の確認を横で見ていたひかりと直枝は驚く。

 “頭のいい電話機(スマートフォン)”にてっきりウィッチのインカム程度の通信機器だと思っていたものが実はいろんな情報飛び交うインターネットに接続できる情報機器だとは思いもしなかったのだ。

 テレビなどでも使用する様子をたびたび見るが何をやっているのかいまいちよく分かっていなかったがゆえに実際に目の前で操作されるのを目にすると「うわぁ、すごーい」という驚嘆の声しか出ない。

 

「インターネット、世界中のいろんな人と情報を共有する掲示板みたいなところにつないで情報を得ているんだよ」

「うーん、よくわかりません!」

「電波に乗せて喋る、ナイトウィッチのおしゃべりみてーなもんだろ」

「うーん、直ちゃんのイメージに近いかな」

「写真や文章が出てくる分、こっちの方がすげえぞ」

「二人とも、触ってみるかい」

「いいんですか!管野さん、お先にどうぞ」

「お、おう」

 

 直枝はスマートフォンを手に取るとこわごわ画面を動かす。

 まるで本のページを繰るかのように画面が動き、検索サイトの検索結果を開いては閉じ、開いては閉じといろいろなところを閲覧する。

 操作に夢中になっている様子を見て尚樹はネット小説や電子書籍なんかを勧めたら熱中し、そうなると二人分契約しないといけないのでネット小説については言わなくていいなと思った。

 一方、ひかりはというとカーナビのタッチパネル操作をしていたのでスワイプ操作は出来るし検索もお手の物だ。

 しかし、カーナビなんかとはケタが違う情報量で、綺麗な画像を表示すること、電話もできる“スマホ”に興味津々だ。

 

「尚樹さん、いつもこれで電話をくれるんですよね」

「うん、そうだよ」

「受話器もダイヤルもないのにどうやって電話してるんですか?」

「ああ電話番号検索やったことないんだったね、とりあえず電話してみようか」

 

 尚樹は直枝から携帯電話を受け取ると、二人の前で電話を掛ける。

 画面にボタンが表示され、尚樹は電話帳発信ではなく自宅の電話番号をわざわざ入力して発信ボタンを押すと、居間の電話が鳴り始める。

 

「ホントにかかってやがる!」

「いいなあ」

 

 二人のスマホ初体験は驚きと興奮をもって行われ、本題に戻る。

 

「今年の夏は、車で帰ろうか。琵琶湖の南なら色々あるよ」

「琵琶湖ってどこでしたっけ」

「ひかり、琵琶湖って言ったら扶桑一大きい湖だぞ、滋賀だ」

「そう、滋賀県。俺の居た戦車大隊は琵琶湖の西で山ばっかりだ」

 

 地理に疎いひかりに、直枝は何言ってんだ常識だぞとばかりに言った。

 尚樹は湖西に位置する滋賀県高島市今津町平郷国有地付近の様子を思い出しながら続けた。

 あそこは演習場かマキノ町のスキー場やポプラ並木くらいしかない山の中で、遊ぶには南の堅田(かただ)やら大津、京都に行かないと何もない。

 

「滋賀か、安土城が見れるな」

「歴史の授業でやりました!天下統一した織田信長の作った城ですよね」

「確か信長って明智光秀に謀反を起こされて本能寺で自害したんだよな」

 

 ひかりの発言に尚樹はふと気になって歴史上の人物について尋ねてみた。

 

「えっ?」

「こっちじゃ西に逃げて秀吉と天下を数十年取ってるぞ」

 

 ひかりと直枝の様子に、尚樹は何か間違ったこと言ったっけと不安になった。

 だが、すぐに直枝とひかりがフォローに入った。

 

「こっちじゃそうなってんのか。まあ南洋島も扶桑もない世界だしそういう事もあるよな」

「そうですよぉ、私なんか扶桑の歴史ですらよく覚えてません!」

「おめーはもっと勉強しろ!」

「二人ともありがとう、日本と扶桑が別の歴史を持った国だという事がわかっただけでも十分だ」

 

 

 零式艦戦やら同名の人物もいるという事で忘れそうになっていたが、国名の違いだけではなく全く異なる歴史をたどった国だったのだ。

 尚樹は両親に会わせるにしても、どうせ深く突っ込まれたらボロが出るだろうし深く考えないようにしようと決めた。

 ネウロイの襲撃もあったことだし、そのどさくさでやって来たという真実路線でいくのも良いかもしれない。

 

「8月になったら休みが取れるから、それまでに帰省の準備しておくよ」

「私たちはどうしたらいいんですか?」

「うーん、二人は自己紹介でも考えておいてよ」

 

 ひかりの質問に尚樹は自己紹介でいいかと決めた。

 父も母も自己紹介にいきなり怒りだしたりはしないだろうと。

 

「自己紹介って……官姓名でも名乗るのかよ」

「まあ俺が前振り考えておくからその時までね」

「大丈夫かよ」

「たぶんね。親父は細かいこと気にしないような人だしな」

「尚樹さんのご両親って何されてる方なんですかぁ」

「親父は重機の会社勤め、かーちゃんは専業主婦だよ」

「専業主婦……私も頑張らなくちゃ!」

 

ひかりは拳をギュっと握り込む。

直枝は何の対抗意識だよと思いながらも突っ込む。

 

「おい、ひかり。結婚するわけじゃねーんだから楽に行けばいいんだよ」

「け、結婚……菅野さん!」

「結婚かぁ。ひかりちゃんはいい奥さんになれるよ、自信もって」

「は、はい!ありがとうございます」

 

 赤くなるひかりと尚樹に直枝はこれで付き合ってねーのかよと心の中でツッコミを入れる。

 だが、同時にいつか来る帰還のチャンスにどう向き合っていくのかということに考えが至った。

 

 越境して1週間、動きはない。今、仲間たちはどうしているののだろうか。

 

 そんな直枝をよそに、ひかりと尚樹は照れつつも料理のここがよかったとか、掃除のここがうまいとかそういう普段の生活についての話を始める。

 直枝は気恥ずかしさと、二人を待つ未来に対する思いから寝室に引っ込むことにした。

 

「ひかりのやつ、こっちに残るのかよ。でも帰るとなったら……ああっ、クソっ」

 

 布団の中で直枝はあれやこれやと考えては頭を抱えるのだった。

 

__こうして、尚樹たちは給料日まで節約しつつ、帰省に向けて準備をすることになった。

 

 




就活やらなにやら予定がギッチリで投稿がかなり遅れました。

感想・ご意見お待ちしております。


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七夕とゲーム機

※表現等微変更

今回は七夕とゲームの話です



 2017年7月7日

 

 仕事が休みである尚樹たち3人は買い出しのためにスーパーマーケットにやって来ていた。

 至る所で笹が飾られ、さらさらと色とりどりの短冊が揺れる。

 直枝やひかりは金、銀といったホイル折り紙やら七色に輝く特殊なキラキラ折り紙に驚きながらあっちこっちを見て回っていた。

 尚樹は二人の様子を見ながら去年までの自分の様子を思い出したが、子供の時ならいざ知らず、大人になってからは七夕もクリスマスも一年のうちの何の変哲もない一日で気が付けば過ぎていた印象しかなかった。

 24時間年中無休が当たり前で娯楽に溢れているような豊かな世界だからこそ、イベント事には鈍感になるのだ。

 むしろ、世間から隔離されている兵士の方がこうしたイベント事に敏感である。

 

 陸自の場合、年末が来れば年末行事をし、新年が来れば訓練始めを行い、成人式をやり、春が来れば入隊式や駐屯地創立記念行事をして、七夕が近づけば市民に開放する“駐屯地納涼盆踊り大会”などが行われる。

 河内音頭のギネス世界記録に協力したり、冬が来れば札幌では雪まつりの支援が待っているのだ。

 

 諸外国の軍隊でもクリスマスパーティー、復活祭などが行われ、直枝たちもサトゥルヌス祭などをやっている。また海軍の艦船でも赤道を超えるときに赤道祭と言う儀式を艦内でやるそうだ。

 とにかく、イベントは兵士にとっては貴重な娯楽の一面もあるのだ。

 

 ひかりは店内に飾られている笹と小学生以下の子供が書いた願い事を見て尚樹に尋ねた。

 

「尚樹さん、今日は七夕ですね!」

「そうだな」

「願い事とかってありますか?」

「いやあ、大人になってからは考えつかないな」

「えー、それなら子供の時はどうだったんですか?」

「俺は……プレステ2、ゲーム機が欲しいとか言ってたな」

 

 尚樹は今の子供が「ソーシャルゲームのSSレアキャラが欲しい」とか「“ニンキョードースイッチ”が欲しい」と書いているのを見て時代を表すなあと思うと共に、おもちゃを欲しがるのは変わらないなと思う。

 そこに直枝が戻って来た。

 手には“お徳用さきイカ”が握られており、尚樹の押すカートに放り込みながら言った。

 

「風情もなんにもねえなあ」

 

 七夕ならもっと風情があること願えよという直枝に、ひかりは純粋な興味から直枝の願いについて尋ねてみた。

 

「じゃあ管野さんは何願うんですか?」

「それはもちろん……って、教えねーよ!」

「いいじゃないですか別に!管野さんのけち!」

「うるせえ!」

 

 風情を気にする直枝は案外ロマンチックな願いを持っていたらしく、赤くなって話を打ち切ろうとしたその時、短冊のある願い事が目に留まった。

 

 

『かっこいい男の子がおむこさんになってくれますように 小学3年 井上なな』

 

 

 直枝はまるで数年前の自分が書いたかのように思えて何とも気恥ずかしくなった。

 ロマンス小説を読みふけって影響されてマセていたあの頃の自分を殴りてえ……と。

 あんまりツッコまれたくなかったのでつい、ひかりに振ってしまった。

 

「そういうひかりはどうなんだよ」

「私ですか?私はいつまでもみんな楽しく暮らせたらいいなあ、なんて」

 

 尚樹と直枝はひかりの願いについて何も言えなかった。

 いつまでもみんな楽しくというが、どちらかを選べばもう一方とおそらく永遠に別れることになる。

 帰還か残留どちらを選んでも悲しい思いがやって来ることを知っているだけに、尚樹、ひかり、直枝の三人とも本当の願いは口に出来なかったのだった。

 

 ひかりは今の生活に慣れてとても暮らしやすいところだと思ったし、共に生活をしていくうちに惹かれていた彼と別れるのは辛いと思う。

 しかし、大好きな両親や姉、そして502の皆と永遠に別れたいかと言うと否であり、帰還できるとして帰るか残るか一番悩んでいた。

 直枝はここでの生活は魅力的だけども仲間や家族の事を考えると帰りたいと思っていた、しかしひかりと尚樹を引き剥がしてまで連れて帰っていいものかと考えていたし、尚樹の中でもひかりに残って欲しい気持ちと、帰って両親や姉に無事な様子を見せてやって欲しいという二つの対立する願いがせめぎ合っていた。

 とりあえず帰還ができるという保証も無いし、尚樹は問題を()()()しようと考えると暗くなりそうな雰囲気を切り替えるために言った。

 

「ま、今は楽しいし、その時に考えたらいいんじゃないか」

「そうだけどよ……まあ、そうだな」

「えっと、そうですね」

 

 それからは特に話すこともなく、レジで精算を済ませて店を出る。

 スーパーから帰る途中、直枝はふっと思った。

 

__織姫と彦星みたいに年一回でいいから向こうとこっち、繋がらねえかな。

 

 自分たちの世界と繋がれば、ネウロイやあるいはこっちの技術も行き来してしまうだろうが二人が悩むことは無くなる。

 こっちで暮らして年一回向こうに“帰省”するという暮らしもウィッチである限りはできるだろう。

 

 その逆で向こうの戦時生活が嫌になり、こっちに亡命してくるやつも出るかも知れない。

 幸いにも、空の上にあって空を飛べないものは行き来できないから亡命できるものは航空ウィッチか飛行機に限られる。

 地上に超空間通路が出来て地続きにでもなれば難民が流入するかもしれないが、そんなのは入国管理局なり司法機関なりの仕事であり自分たちが知った話ではない。

 その考えに至った時、直枝は案外どうとでもなるかもなと感じた。

 同時に「“レーシー”が毎度毎度都合よく通路を開いてくれるか」あるいは「通路に辿り着く前に湧いてくるネウロイをどうするか」という懸念と問題点が浮かんだが今は考えないようにした。

 

 

_____

 

 

 家に帰ると直枝たちは手分けして冷蔵庫に先ほど買ったばかりの生鮮食品とパックジュースを入れた。

 ひかりも尚樹も手慣れたもので、わずかな隙間を有効活用し効率よく詰めていく。

 来た当初、冷凍庫に野菜を入れようとしていた直枝も、今では二人の指導によって新聞紙で野菜を包んだり、放出されるエチレンガスで他の野菜が傷まないようにりんごをビニール袋に詰めるといった技能を習得したのだ。

 

 冷蔵庫に食材を収めると、店での会話から尚樹があることを思い出した。

 子供の頃、星に願ってまで手に入れたプレステ2の後継機であるプレステ3の存在だ。

 引っ越してすぐに実家に置いてあったゲーム機を持ってきたのだが、数か月もすると飽きてしまい押し入れの奥にしまい込んだまま2年くらい経っていた。

 出すのも面倒くさく、再びやる気も起こらなかったので放置していたが今なら同居人が二人いる。

 暇つぶしにはちょうどいいかもしれない。

 もっとも現在のオンラインプレイにおいては後継機であるプレステ4やパソコン版が主流であり、一昔前のプレステ3版日本サーバーなんて過疎状態で人がおらずゲームすら成り立たない。

 もしくはサービス自体2017年6月までに終了していてオフラインしかできないという事もある。

 

「そういえば思い出した、俺プレステ3こっちに持ってきてたんだっけ」

「プレステ3ってなんですか?さっきも聞いたような」

「テレビゲーム機、“プレイステート3”って言ってテレビにつないで遊べるんだ」

「うーん、どんなものわかんねえな。異世界モノでよく出てくるアレだよな“RPG”」

「そうそう、RPGをやってた人がああいう作品作ってるからなあ」

「あーるぴーじー?」

「そうそう、戦争映画でよく言ってる『RPG!』……ではなくって」

 

 ひかりの疑問に尚樹はボケてみたが、二人の反応はいまいちだ。

 現代の紛争では必ずと言っていいほど登場する旧ソ連製対戦車てき弾発射機を二人は知らないのだ。

 

「ロール・プレイング・ゲーム……勇者という役割を演じて魔王討伐とかの旅に出るゲームだよ」

「おい、確か人んち家探ししたり、美少女の知り合いばっか増えるゲームだったよな」

「それネット小説に影響され過ぎだ、まあ事実だけどな」

 

 作品ごとに違うがダンジョンやら村にある宝箱などを漁り、恋愛要素があるかどうかは別として美少女の知り合いが出来るのは大体共通だ。

 むさいオッサンばっかりのパーティーで、なおかつ法と秩序に基づいたリアル寄りの魔王討伐などどこの層にも需要が無いだろう。

 萌えキャラと言われる和製ゲームはもとより、洋物ゲームでさえ女性は絶対に登場するのだ。

 直枝の言う異世界に転生とかゲーム世界物は諸兄もご存知の通り大抵は和製RPGを下敷きにして作られた話であり、ギルドやらMP、スキル、あるいは冒険者などが現れるのである。

 

 尚樹はRPGの説明もほどほどに、台所から和室の押し入れに向かった。

 ひかりと直枝も尚樹の後に着いていき、押し入れ捜索作業を見守る。

 念入りに毛布で巻かれたひかりの九九式二号二型改13㎜機関銃がはじめに取り出され、その奥に積まれた段ボール箱を取り出していく。

 直枝はストライカーユニットはよく見ていたものの、銃器がどこにあるのか知らなかったため、毛布の中から登場した機関銃に驚いた。

 

「これって、九九式じゃねえか」

「はい、私の銃です!あれ、管野さんの銃は?」

「俺の銃は戦闘機にぶつかりそうになった時に落としちまったからな」

 

 大阪上空戦においてF-15と接触しそうになった際に落ちていったのだ、上空5000メートル近くから落ちたので原形もとどめていないだろうし悪用されることもないだろうと今の今まで存在を忘れていた。

 尚樹は大阪上空戦の少し前に発生し、あれから続報もない謎の自称ロシア人による銃刀法違反事件を思い出した。

 

「マジか、この国は銃器が見つかったらすごい騒ぎになるからな」

「そうですよ、たしかオラーシャ軍の人でしたよね」

「おう、自称ロシア人という事になってたけど、たぶんな」

「おい、ひかり以外にもいたのか!」

 

 尚樹は黒い戦車兵のつなぎ姿で短機関銃を持った兵士が家の前を歩いていく映像があったことなどを話しながらプレステ3の箱を探す。

 テレビの空き箱やらアイロンの空き箱、いつぞの結婚式でもらった引き出物のタオル詰め合わせなどいろんなものが出てくる。

 直枝はやたら出てくる家電製品の空箱に思わずツッコミを入れる。

 

「カラ箱ばっかりじゃねえか、捨てたらいいんじゃねえか?」

「取っとかないと修理に出すときとかめんどいし」

「そうか?そんなもん電気屋にでも持って行けよ」

「今はサポートセンターに郵送するのがほとんどだからな」

 

 直枝の認識では、家電が壊れた場合とりあえず大八車やリヤカーに載せて近所の電気屋に持って行くのが当たり前だった。

 しかし現代では箱の裏に保証書がついており、期間内で過失が無ければ無償修理が受けられるなどの記載がある。

 その際、尚樹のように箱詰めにしてメーカーに送ったり、あるいは中古品としてネットオークションに出品するときには空き箱があるかないかで大きく価値が変動するのだ。

 

「うちはお父さんがよく直してたなあ……」

「ひかりの家は電気屋かよ」

「お父さん、無線技士だからラジオとかは直せるって」

 

 ひかりは近所の家のラジオや扇風機、懐中電灯を修理する父親の姿を思い出した。

 ネジ回しやペンチ、あとは電気のハンダごてを持って黙々と作業していて母親に危ないから近寄るなと怒られたもので、電気器具の修理と言えば父親のイメージなのだ。

 男で整備士という事もあって、直枝は尚樹がどこまでできるのか気になって尋ねてみた。

 

「尚樹は修理とかって出来るのか?」

「俺か、今の電子機器は半導体チップ制御とかで高度過ぎてどうしようもない」

「なんだそりゃ」

「はんどーたい……」

 

 科学雑誌の付録やら小学校あるいは中学校の理科の教材に使われるような()()()ラジオや、電圧や電流、抵抗を調べる電気テスターなら何とかなるが、家電を始めとした現代の電子機器はマイコン・プログラム制御が中心でありよく分からないのだ。

 三級自動車整備士の試験でもトランジスタやらIC(集積回路)について出題されて学ぶが、トランジスタが生まれる1948年以前の人間であるひかりたちに現代の電子機器について説明するにはまず半導体とは何かから説明しなくてはならない。

 尚樹自身、トランジスタはシリコンやゲルマニウムなどの素材で出来た小さなチップであり、“穴の多いP型半導体にマイナス電子の多いN型半導体を張り付けたNPN型トランジスタで自動車の色々な制御をやっている”という事以上の詳しい説明は出来そうになかったのだ。

 

「半導体っていうのは小指の爪の先ほどの小さい板みたいな部品で、電流流したら別の回路に大きな電流を流す働きをするんだ」

「うーん、よくわかりません!」

「そうだよな。こないだ見せたスマホも半導体で色んな事をしてるんだ、計算とか、通電制御とか」

「あんな薄っぺらいものの中に入ってるのかよ、すげーな」

 

 ひかりも直枝も“よくわからないけどとにかく電気の制御ができるすごい板”というイメージを得た。

 直枝やひかりにとってコンピューターとは未知のものであり、逆に自分たちの世界のコンピューターがどういった物かもわからなかったが、とにかく小型化されて凄いということはわかったのだ。

 彼女たちは知らないが、魔法力の制御においてシリコンなどの半導体研究は意外と進んでおり、鉱石による魔法反応効果などが発見されストライカーユニットや魔導コンピューターにも用いられている。

 トランジスタの話をしていると、埃被った箱が奥より出てきて隣にはゲーム屋のポリ袋が一緒に置かれていた。

 

「あったあった、これがプレステ3。こっちの袋がソフトだ」

「これがゲーム機ですか?」

「うん、じゃあテレビにつないでみようか」

 

 尚樹は箱から黒い本体を取り出すとコンセントを繋ぎ、HDMIケーブルを液晶テレビに繋ぎ、テレビを外部入力画面に切り替える。

 その間、直枝とひかりは何が始まるんだろうとワクワクしながら見ていた。

 ポリ袋の中には一人称シューティングゲーム、通称:FPSと呼ばれるジャンルのソフトが3本入っていた。

 

「FPSしかないのかよ、まあ、コッド(CoD)シリーズでいいか」

 

 尚樹は世界的に有名なシリーズものの第4作目を選び、本体に挿入する。

 ウイーンという機械音と共に本体に吸い込まれていくCDにひかり達は驚いたが、それよりも画面に映るオープニング画面が気になっていた。

 

「これってどんなゲームなんですか?」

「まあ戦争映画みたいなゲームだな」

「ええ……」

「まあ箱の絵で想像はついてたけどな」

 

 チェルノブイリ原発事故の後、核物質は取引され世界中の闇ルートに拡散した。

 2000年代初頭、旧ソ連圏の東欧諸国・中東にて超国家主義と呼ばれる思想を持った一派が現れ、欧米諸国に対し宣戦を布告した。

 プレイヤーはイギリスのSASやアメリカの海兵隊員となって、超国家主義者の首魁(しゅかい)である男を捕縛あるいは抹殺する任務をこなしていくのだ。

 

 尚樹はオープニングを見ながら、ひかりと直枝どっちが最初にプレイするか尋ねた。

 じゃんけんの結果、最初はひかりがプレイすることになった。

 超国家主義者に捕まった中東某国の大統領が車に乗せられて刑場に連行されていくところから物語は始まる。

 

「うわー、すごい。映画みたいですね」

「作り込みが細かい、こんな風景テレビで見たぞ」

「犬に追いかけられてる!」

「中東の国ってこんな感じだよなあ」

「……人間同士の戦いってこんなのかよ」

「まあ、そうだな。特に現代戦はね」

 

 ひかりはプレステ3の描画力に驚きながらコントローラーのスティックをぐるぐると回す。

 連行される古いセダンの外には、市民が超国家主義者の兵士や軍用犬に追い立てられていたり街路で処刑が行われていた。

 尚樹にとっては湾岸戦争やイラク戦争の報道特集を彷彿とさせるもので見慣れたような景色だったが、直枝たちにとっては人間同士の戦争がこんな風景だったなんてとショッキングに感じた。

 

 ひかり達が大統領の最期をこわごわと言った様子で見おわると、視点はSASの新入隊員(F.N.G)のものとなり訓練場で操作練習が始まった。

 

「景色がぐるんぐるん回って酔いそうだな、ひかり、早く進めろ!」

「はーい、見るのが難しいなあ」

 

 ひかりは早速、屋内射撃訓練場で射撃訓練を始めるのだが左右のスティックの連動操作がうまくいかず、天井を向いてぐるぐると回ったり、逆に床を撃ったあと後ろに下がっていき壁に引っかかったりと散々だった。

 

「全然当たらない……狙いを付けられない」

「どこ撃ってんだ、ロスマン先生ならこの時点で帰れって言ってそうだよな」

「素早くL2ボタンを押したら自動で合うよ」

 

 ひかりは照準カーソルを的に合わせるのに四苦八苦していた。

 スティックを倒し過ぎて的を通過し、戻そうと倒すと変なところを向いてしまうのだ。

 実銃での射撃の感覚がスティック操作に関しては全く役に立たない。

 

 直枝が「貸してみろ」といってひかりからコントローラーを受け取って操作をするもののFPS初体験にありがちな視界移動に失敗しやっぱりひかりと同じように、視界が動かせず真横に移動する“カニ歩き”やナイフ空振り、貨物船を模した訓練施設で“転落死”という事が続きイライラし始めた。

 

「お前、ロープあるんだから掴めばいいじゃねえか!なんで落ちるんだよ!」

「直ちゃん、セリフの後に“□ボタン長押し”ってあるから光るまで待とう」

「管野さん、私がやります!」

「さっきまで回ってたおめーに出来んのかよ」

「やり方見ていました!」

「じゃあやってみろよ」

 

 直枝からコントローラーを受け取ったひかりは右スティックで視界を動かしながら訓練塔に上る。

 

『GO!』

 

 ひかりはロープが光ると四角ボタンを長押しし、ロープ降下を終えると訓練施設の中を走り抜ける。

 音響閃光弾(フラッシュバン)を投げ込むと、現れる標的を撃って制圧する。

 途中、階段や部屋の入り口で引っかかって時間オーバーがあったものの何とかクリアした。

 2回死んだときと、新しいステージに行ったら交代というルールが出来て、直枝とひかりはようやく不審な積み荷の貨物船の制圧任務に辿り着いた。

 

 

 暗闇の中、ヘリコプターは時化(しけ)た海を行く貨物船の上に向かう。

 プレイヤーの向かいの座席に座る大尉が葉巻を捨ててガスマスクを着け、手の力だけで降りるファストロープ降下が始まった。

 降り立った彼らは操艦している前部ブリッジの人員を手早く短機関銃で無力化すると、固定がお粗末だったのかコンテナが散乱する甲板を行く。

 

「ヘリコプターってこんな感じなんですね」

「思ったより乗ってるじゃねえか」

「そうだね、こうやって空中機動部隊はロープ降下して展開するんだよ」

 

 ひかりと直枝はかつて自分たちを捜索していたであろうヘリコプターがこのように運用されているのを初めて知ったのである。

 船室を制圧し、火力支援に現れた英国陸軍のリンクス……ではなくUH-60に直枝は思わずツッコミを入れた。

 ブオーンとまるでこちら側の戦闘機の機関砲みたいな音がして、後部ブリッジが無力化されたのだ。

 

「あいつ、機関銃とか装備してんのか、やべーな」

「ドアのところに12.7㎜機銃とか付けられるぞ、アメリカのやつはもっとすごい」

 

 アメリカ陸軍のものは対戦車ミサイルやらロケット弾ポットが吊り下げられるが、自衛隊のUH-60JA(ヒリュウ)は“予算不足のため増槽しかつけられなかった”という有名な話を尚樹は教育隊時代、航空科から来た班長から聞いて涙したのだ。

 直枝の頭にブリタニアの船団護衛任務がよぎる、こんなにヤバそうなのに()()がついていないなんてありえるのだろうかと。

 そうこうしているうちにひかりは後部ブリッジに突入し貨物室内の捜索に取り掛かる。

 船内にはソ連製の自走対空ミサイル“クーブ”が積まれてたり、ソ連製小型トラックがあったりとどう見ても真っ当な船ではなさそうだ。

 

「あっ!」

「どうしたひかり!」

「手榴弾投げちゃいましたー」

「おっ、マーカー消えるまで離れないと……」

 

 ボタン操作を誤り、意図せず投げた手榴弾が跳ね返って爆死した。

 残るは一回だけで、貨物室内での銃撃戦で死ねば直枝に交代である。

 結局、貨物船の不審な積み荷は“核物質”であり、消耗品の乗組員と共に証拠を隠滅しようとやって来た超国家主義者側の2機のMiG戦闘機によって攻撃されてSASチームは沈みゆく貨物船から命からがら脱出した。

 MiGが接近してきたことを知った直枝は「やっぱりか」と思うとともに“MiG”と聞いてサーシャの顔が浮かんだ。

 直枝たちがロシア西部のアジトに突入して敵に捕らわれた情報員の救出作戦をしているとき、河内長野市の山中では奇妙な出来事が起こっていた。

 

 

____

 

 

 河内長野市に住んでいる65歳の男性は山間部に作った田んぼから、麓の家に帰ろうと軽トラックに乗って山道を下っていた。

 交通量は少なく2車線道路という事もあって彼も結構なスピードで走っていた。

 歩行者はまあいないし、飛び出してくる野生動物もせいぜい猪か鹿くらいなもので夜間行動が基本で、車も通る日中に道路上に現れることはまあない。

 右へ、左へとコーナーを抜け、きつい右コーナーを抜けた先に熊なんかよりもはるかに大きい四足歩行の黒いものが現れたのだ。

 

「あっ!なんやあれ!」

 

 慌ててブレーキを踏むも時すでに遅し、白い軽トラは黒い何かの横っ腹に突っ込んだ。

 こうして男性は行方不明となり、「お父さんがいっこうに田んぼから戻ってこない」という家族からの通報によって警察が出動する事態となった。

 山道に残されたものは彼の軽トラに入っていた農具とテールランプユニットの一部だけで、事件事故の両面から捜索が始まったのだった。

 

____

 

 

 昼過ぎにゲームを始めて数時間、気付けば夕方になっていた。

 直枝とひかりは疲れてゲームを中断してようやく時間の経過に気づいたのだ。

 

「あっ!尚樹さん、お夕飯の時間忘れてましたぁ」

「ゲームしてると時間経つのが早いなオイ」

「そうだな、俺が高校生の頃も気づけば半日経ってて親に怒られたっけな」

 

 尚樹もゲームをやり込むうちに、ゲーム内時間とリアル時間が一致しなくなりゲーム内で1か月過ごしてリアルでは7時間とかそういったことが多々あった。

 そこでゲーム初体験の2人がのめり込み過ぎないように注意しておく。

 

「まあ、ゲームは一日1時間なんてアレなことは言わないから、2時間くらいで節度をもってやろう」

「はーい」

「お、おう」

 

 ふだん電子機器をあまり使わない二人はFPSに疲れており、これを一日中やるのは辛いなと思った。

 尚樹は二人の様子を見て、ゲーム初体験のジャンルがFPSって厳しかったかなと思いながら晩飯について考える。

 

「今晩はどこかに食べに行こうか」

「そうですね!どこに行くんですかぁ」

「おう、何を食べるんだ」

 

 ファミレスとラーメン屋、牛丼屋は前回の休みに行っており芸が無いので普段あんまり行かないような所と言えばどこだろうか……。

 

「うーん、寿司」

「おい、寿司なんて高いモンで大丈夫かよ」

「尚樹さん、寿司はいくらするかわかりません!」

 

 ひかりと直枝は寿司屋を思い出す。

 この頃の寿司盛り合わせは30銭~35銭くらいであり、15銭のうどんが2杯食べられる価格でひかりは姉が“佐世保の英雄”と呼ばれていたがゆえにちょっとお高い寿司屋の出前を取ることができたのだ。

 直枝に至っては欧州派遣前の壮行会で、「これから扶桑の飯が恋しくなるだろうから」と源田司令に食べさせてもらって初めて寿司を食べることができたのだ。

 そうでもなければ食べようと思わない値段設定だ。

 

 尚樹は二人の様子に納得がいった、戦時中という事もあってたぶん贅沢できなかったんだろうなあと。

 なお、海上輸送や石油が断たれ食糧難や物資不足で困窮していた大日本帝国と違い、扶桑皇国はと言うと南洋島で戦略資源の補給が出来て、ネウロイも浦塩方面で阻止しており最前線ではないため、戦時経済とはいえそこまで困窮はしていなかったので尚樹が思うほど貧しい生活ではない。

 

「ああ、回らない寿司のことか。一皿108円の庶民向けの回転ずしに行こうかなって」

「回転寿司ってなんだ?回んのかよ」

「注文したのがベルトコンベアーに乗ってやってくるんだ」

「ベルトコンベアー?」

「まあ、行ったらわかるよ」

 

 こうして、直枝とひかりを連れて回転寿司に行ったのだった。

 




次回は初めての回転寿司。
20日の給料日までまだあるがはたして尚樹の財布は大丈夫なのか……

ご意見、ご感想等お待ちしております


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寿司喰いねェ

寿司回

※表現等変更・加筆修正


 月曜日の晩という事もあり、回転寿司屋は比較的空いていた。

 土日の晩のように待ち座席で待つこともなく、すぐに“青色”と書かれたテーブル席に案内された。

 直枝とひかりがレーン側に座り、尚樹はひかりの隣に座る。

 最初は自分がレーン側に座り、湯吞に粉末のお茶を淹れたり皿を取ってあげようと考えた。

 だが、近くの座席の親子連れの娘が回っている皿をどんどん取っているのを見て、気兼ね無く取れるように尚樹は二人を座席の奥に座らせることにしたのである。

 

「これに箸入ってる。そうだ、おしぼりもあるから手を拭きや」

 

 慣れている尚樹は身を乗り出し、プラスチックの箸が入った容器から箸を取り、レーンの上のカゴから使い捨ておしぼりを3つ取り出して並べる。

 

「ありがとうございます」

「おう」

 

 早速、ひかりがレーンの下から突き出た何かの注ぎ口に気が付いた。

 粉末緑茶があるのでそれに関係したものであるのはとっさに考えついたが、その注ぎ口の下から飛び出た黒いゴムパッド付きのレバーをどう使うのかまでは思いつかなかった。

 

「尚樹さん、このレバーって何ですか?」

「これはお湯出るやつ、こうやって湯吞を押し付けるとお湯が出るよ」

 

 尚樹は粉茶を入れた湯吞をレバーに押し付けて、お湯が注がれる様子を見せた。

 なお回転寿司に不慣れな外国人なんかだと、湯吞を押し付けるレバーを手で押して給湯しようとして火傷する事があるからこうした説明は重要だ。

 そう言う事もあって近年では英語での注意書きシールが貼られていたりする。

 直枝はいつぞに行ったファミレスのドリンクバーのように、席を立って煎れに行くものだと思っていたのでこの給湯システムに感心した。

 お冷こそ給水機に行かなくてはいけないが、机の上で熱いお茶が飲み放題というのは扶桑人にとってはなかなか嬉しいものだ。

 

「へえ、なかなか考えてんじゃねえか」

 

 白いベルトコンベアーの上にはネタが書かれた札や、個別包装のワサビ、甘ダレと言ったものの他に数種類の寿司が乗って回っている。

 直枝はまるで動く獲物を前にした猫のように、じっと流れゆく寿司の皿を目で追う。

 

「本当に回ってやがる、でもさっきから(シャケ)しか回って来ねえぞ」

 

 ひかりは消毒用アルコールで濡れた手をせっせとおしぼりで拭いている。

 生ものの調理をするうちに食中毒防止という衛生意識を持ったひかりは、つい店の入り口に設置されていた消毒用アルコール自動噴霧器に手を差し出した。

 すると思ったより出る量が多く、指示通りに手指で揉んでなお滴っている感じがしたのだ。

 手の消毒が終わって準備万端とばかりに目を輝かせながらひかりは言った。

 

「尚樹さん、どれ取っても良いんですよね!」

「おう、流れているやつ以外はそこで注文して」

「わかりました!」

 

 そこでようやく直枝はサーモンとイカ、大学芋とほっき貝しか回っていないと思われるレーンから目を離した。

 テレビのように広告が流れていてスルーしていたそれが注文装置だという事に気づいた。

 

「おっとこれタッチパネルか、ひかり、何頼む?」

「えーっと、まぐろかなあ。管野さんは?」

「俺は……はまちを2皿。尚樹は?」

「うーん、ハマグリの赤だしで」

「それだけかよ?」

「同時に4()()()()しか注文できないから、次でいいよ」

「わかった」

 

 直枝はタッチパネルを操作して注文を打ち込んでゆく。

 ひかりはにぎりのページを見ていろいろなネタが美味しそうに見えて迷ったが、とりあえず最初はオーソドックスなマグロの赤身を頼んだ。

 尚樹は最初にハマグリの赤だしを頼み、貝柱を歯で揉みながら口の中を温めるのだ。

 そしてえんがわやトロと言った脂っぽい物と共に赤だしを飲んで、さらりといくつもりだ。

 直枝は注文した後、待ちきれず流れてきたサーモンを取って食べた。

 

「おお、これだよこれ」

 

 サーモン独特の匂いと、脂の乗った舌触りに香り高い酢飯、醤油が合う。

 アトランティックサーモン自体は大西洋に面した国でも愛され、オラーシャやスオムスでも釣りの対象として一般的であった。

 しかし、魚を生食する文化が無いことから、刺身や寿司といった形で提供されることはなかったのだ。

 運よくスオムスの市場で魚が手に入って持って帰ったとしても、シチューの具や、衣を被っての登場となる。

 直枝は久々に寿司を食べて、いつも以上に表情豊かだ。

 

「私も取ります!」

 

 ひかりもにこやかな直枝に続いて、回って来たイカを取って醤油につけて食べる。

 ヤリイカのもちりとした弾性ある食感とイカの風味、そして特製醤油の甘辛さが箸を進めさせて、気づけば二貫とも食べ終わっていた。

 

「おいしいなぁ!」

 

 尚樹も笑顔の二人を見てうれしくなる。

 二人のあまりの感激っぷりに隣の席の女子大生グループがまじまじと見ていた。

 回る寿司で喜んじゃって、あの子たち可愛いなあという視線である。

 ひかり達にとって寿司は“ぜいたく品”で、欧州派遣以降では雲の上の存在なのだ。

 

「ふたりとも、そろそろ注文の品が来る頃かな」

「そうですね!あっ、青色の注文品が回ってきました!」

「ようやく登場か、ひかりは後ろのを取れ」

「はい、管野さん!」

 

 レーンの間仕切りの向こう側に、“青色”の帯がついた台座に乗って周りより一段高い皿3つと蓋つきの器が見えた。

 マグロ、はまち、はまち、赤だし容器の順でやって来ており、座席の前に来た時に一挙に取ることが難しいと考えた直枝は指示を出した。

 

 目標は一度座席の傍をパスし、折り返しを過ぎて“青色”の座席の前に到達するまでおおよそ数十秒。

 ひとつの席の前を通過するのは4秒弱だ。直枝とひかりはレーンの上の寿司をロックオンし、身構える。

 “ご注文のお寿司が接近しています”というアナウンスと文字が注文装置の画面に表示されて二人の緊張感を高めてゆく。

 注文品の一団が座席のを通過せんとしたとき、二人は一斉に両手を伸ばして両手で赤い台座を掴む。

 無事に取れると、机の上で分ける。

 

「よし、これおめーのだろ」

「はい!ありがとうございます。尚樹さん、赤だしですよ」

 

 ひかりは直枝からマグロの皿を受け取ると、赤だしを尚樹の前に置いた。

 片手で赤だしの容器を取っていたことに疑問を抱いた尚樹が底を見ると、皿や汁物容器にはまっていた台座まで取ってしまっていた。

 

「ありがとう。あっ、台座まで取ってしまったのか」

「これ、どうすんだよ」

「台座はレーンに戻していいよ、また使うからね」

 

 カラの台座をレーンに戻すと、また注文画面を開き注文してゆく。

 イカやタコ、えんがわと言った白いものに続き、チーズの乗った炙りサーモン、シメサバといった味の濃いもの、いくらや鉄火巻と海苔で巻いた軍艦巻物、そしてアナゴなどの甘ダレ系に続いていくのだ。

 ひかりが画面を繰っていると、サイドメニューのページにあさりと鯛が入った茶碗蒸しを見つけた。

 

「茶碗蒸しもあるんですね!昔、家族旅行で行った旅館で食べたなあ」

「そうなんだ、茶碗蒸し好きなの?」

「はい、卵焼きより柔らかいし、だしの味が効いてて好きです!」

 

 ひかりはタッチしようかとして、180円という表示に止まる。

 108円ネタが多い中で、180円ネタというのは少しお高い気がしたのだ。

 

「やっぱり……うーん、高いなあ」

「遠慮しなくていいぞ、直ちゃんはどうする?」

「俺も食べるぞ、頼む」

「了解」

 

 180円商品の注文をためらうひかりに、尚樹は注文ボタンを押した。

 

「な、尚樹さん、押しちゃったんですか!」

「おう、押したよ。直ちゃんも食べたいって言ってたしひかりちゃんも食べていいぞ」

「そうだぜひかり、尚樹のやつもこう言ってるんだしな」

「はい……」

 

 ひかりは嬉しい反面、お財布の事を考えるとこんなものを食べて大丈夫なのかなと考えてしまう。ひかりの気分は節約中なのだ。

 けれどもお腹は減るもので、結局食べ盛りの直枝とふたりでブリ、中トロ、イカと回ってくる寿司を次々と取っていった。

 

 直枝のトロとイカの繋ぎにそんな歌があったな、なんて尚樹は思った。

 なお“回れトロイカ”に歌われるトロイカはロシアの“3頭立ての馬車”とは関係なくトロとイカだ。

 直枝が聞けばひかり消失後に行われた3段階の“威力偵察作戦”を想起したかもしれないが。

 

 そして、やってきた茶碗蒸しはあさりの風味と甘い卵の味が合わさってまろやかな口当たりで、具として入っている皮を炙った鯛が香ばしさを与え、まさに寿司屋の茶碗蒸しと言った感じだった。

 ひかりは隣に座っていた尚樹とこのおいしさを分かち合いたいと思った。

 

「尚樹さん、美味しいですよ!一口食べませんか!」

「お、おう」

 

 隣に座るひかりに間近で見つめられて、たじろぐ尚樹。

 

「はい、どうぞ!」

 

 満面の笑顔で茶碗蒸しをスプーンですくい、尚樹の口元に運ぶひかり。

 尚樹は周りの視線が気になったが、嬉しそうなひかりと目の前に突き出されたスプーンに観念して茶碗蒸しを食べた。

 子供の頃、プリンと思って茶碗蒸しを食べてダシや銀杏の味が臭く感じて以降ずっと食べなかったが、気づけば何の抵抗もなく口に入れていたことに尚樹は驚く。

 まあ、苦手でなくともこの状況においては味なんてわからなかったかもしれないが。

 

 このバカップル御用達「ハイあーん」とも取れる光景に動揺している者がいた。

 対面に座っている直枝である。

 最近読んだ本でもよく登場し、その場合、恋人同士かそこまで行かなくとも好き合った異性でやるものだ。

 文学においては重い病に臥して看取る者がやる場合もあるが、ここはサナトリウムではない。

 

「お、おい、それって……」

「なんですか?管野さん、顔が赤いですよ?」

 

 直枝は今こそ、よく意味が分からないが何かの作品で聞いた言葉を送りたくなった。

 二人をはす向かいの席から見てしまった学生風の男たちにとっては近くに美少女二人を侍らせてるだけでも妬ましく、さらに「ハイあーん」を見せつけられたものだから直枝と同じ心境だった。

 

__リア充爆発しろ。

 

 

 ひかりは挙動不審な直枝を見て首を傾げる。

 

「おめーら、その、場所を考えろよ」

「場所?えっと、食べさせ合いっこってしないんですか?お姉ちゃんとよくやってたんですけど」

「やらねえよ!孝美のやつ、何てことしてんだ……じゃなくてだなあ」

 

 孝美が妹を溺愛しているのは知っていたが、思ったより酷かったことに頭が痛くなった。

 直枝はどう言おうか考える、恋愛ものの小説や“ラノベ”を読んでいないひかりにこの行為がどういった意味を持つのか説明するのが難しく感じたのだ。

 結局、尚樹が気恥ずかしさから言い淀んでしまった直枝の代わりに説明することになった。

 

「ま、まあ異性ではあんまりやらないかな」

「そうなんですか?」

「男がやるとさ、ひとりで食べられない赤ちゃんみたいでちょっとなぁ」

「えーっ、ドラマではやってましたよ?しないんですか?」

「あれはね……」

 

 諦めて、ひかりに耳打ちをする尚樹。

 自分のやったことがこの世界ではどういう見え方をして、どんな狙いをもってやるのかを聞くうちに表情はどんどんと赤くなってきて、下を向いてしまった。

 

「う、うわぁ……わたし、間接キス……」

「おい、ど、どうすんだよこの雰囲気」

「と、とりあえず寿司喰おうか」

 

 尚樹がとりあえず生たこを取って食べ始めたとき、直枝はある話を思い出した。

 

「確か“タコ”って“デビルフィッシュ”とか言われてたらしいな」

 

 超空間通路の向こう側に大阪があると知った際に、孝美が大阪の名物である“たこ焼き”の話をした。

 球形に焼く食べ物という所まではよかったが「タコを入れる」と言った瞬間から、普段食べ物に興味を示すジョゼとロスマンが少し引いたような感じになり、ニパも「それはちょっと」なんて苦笑いだ。

 直枝が“シュールストレミング”や“キビヤック”なんかに比べればマシな食い物だぜ、などと思いながら話を聞いたところガリア、カールスラントあるいはリベリオンではタコが不気味な存在だとして忌避されており、食べる気がしないという。

 四方を海に囲まれた海洋国家の直枝にとってはヨーロッパ人の感覚があまり理解できなかったのだ。

 

 ヨーロッパの中でも例外はロマーニャ人で“マリネ”なる食べ物にしてタコを食べるらしく、転戦の最中に数人のロマーニャウィッチと共に食事を経験した孝美より聞いた。

 

 

「こっちでも欧米人は食べないらしいぞ。特にムスリム、ユダヤ人は戒律でダメとか言ってた」

「欧米はわかる、ムスリム?」

「CoD4で直ちゃんらが戦ってた相手よ。ロシアじゃないほうな」

「そうなんですか、もったいないなあ。おいしいのに」

「そういう文化なんだ。仕方ねえ」

 

 復活したひかりは生たこを口に運ぶ。

 シャリとネタの隙間に挟まれた大葉の風味が瑞々しいタコの生臭みを消してさっぱりとした風味を与えてくれる。

 

「直ちゃんはタコ食べないの?」

「じゃあ、ひかりと同じやつ……こっちのはどうなんだ?」

「ああ、こっちのは茹でてあるやつだよ。水っぽいのが嫌って人向けやな」

 

 直枝は“生たこ”と赤紫色の“たこ”を食べ比べたが、生たこは新鮮さがあっていいが噛んだ時にぬるりとした感じがして、歯ごたえがある茹でダコの方が好きだと感じた。

 

 一方、尚樹は注文したいくら巻2皿を取ると刺さっているキュウリに醤油を2滴垂らして、一口で食べた。

 

「いくらって美味しいよな。俺好きなんだ」

「コンビニでおにぎり買うときもいくら入りですよね!」

 

 いくら醤油漬けが好きで、ご飯にいくらを掛けた“いくら丼”やコンビニで売ってる“いくら入りおにぎり”をよく食べるのだ。

 しかし膜がついて小粒のすじこや、数の子、明太子はあまり食べないので魚卵全般が好きというわけではない。

 

「そういや、サーシャが“イクラ”はオラーシャでは魚卵すべてを指しますって言ってたなあ」

「そうなんですか?じゃあロスマン先生のカンヅメの……黒いやつも」

「キャビアだ。そのキャビアもオラーシャ語ではイクラってわけだな」

「えっと、キャビアのカンヅメってよくマズメシの犠牲になるとかいうアレか」

「おう、クルピンスキーがよく開けて先生に怒られてるよ」

 

 直枝は「アレがコミュニケーションなんだろ」と言おうとしたが、ひかりを見て“やっぱあの二人の関係には触れたくねぇ”と思ってやめた。

 その時、おにぎりに黒い小粒がびっしりと載せられている光景をふと思い浮かべた尚樹は言う。

 

「さすがにキャビアのオニギリは勘弁してほしいな」

 

 だが、直枝は笑いながら言った。

 

「残念だが、この間昼のテレビで見たぜ。なあ、ひかり」

「はい!新宿にあるみたいです」

「マジかよ」

「芸能人が行って食ってたぞ」

 

 何を食べてもワンパターンなリアクションの芸人だったためひかりも直枝も信用していなかったが、もし美味しければ、帰った時にロスマンに頼み込んで作ってみるのもアリかも知れない。

 孝美が来たことによって増えた補給物資の中に米俵があった事を思い出した直枝は、「倉庫で積まれてるぐらいなら有効活用してやらねえと」などと考えた。

 

 

_____

 

 

 

 入店から1時間、3人の前には108円の丸皿が10~15枚積まれ、180円の茶碗蒸しと赤ダシの器が3つ並んでいた。

 

「そろそろ、デザートでも食べるか?二人は何食べたい?」

 

 回転寿司が回らない高級すし店と違うのはサイドメニューに加えて、女性や子供に好評であるパフェやティラミス、アイスクリームなどのデザートもあることだ。

 画面に表示される数々のデザートにひかりや直枝は悩んだ。

 どれもおいしそうだが、価格が200円くらいだというのと机の上に広がる皿の塔がブレーキを掛ける。

 

「えっと……」

「尚樹、こんなに食って大丈夫かよ」

「今日は七夕だし、お金も引いてるんで大丈夫やぞ」

 

 尚樹の様子に、ひかりと直枝は食べたいものを決めた。

 

「うーん、じゃあこれにします!」

「俺はこっちにしておくか」

 

 ひかりはイチゴのパフェで、直枝はと言うとわらび餅だ。

 しばらくすると、キンキンに冷えて冷気を放つイチゴパフェがやって来た。

 直枝のわらび餅には黒蜜の小袋もついており、いつも食べている容器入りの物に比べてぜいたくな感じだ。

 

「冷たくておいしい!これってお姉ちゃんが好きそう!あれ、尚樹さんは?」

「やっぱりわらび餅は切ったやつに限るな、尚樹は食わねえのかよ」

「俺は大学芋でいいや」

 

 尚樹はレーンに回っていた“大学芋”の皿を取ると爪楊枝で刺して食べる。

 

「そうか……、俺の知ってる大学イモと違わねえか?」

「こんな食べ物があったんだ……違うんですか?」

「俺らのところのは柔らかいカンショにドロッとタレを掛けてたぞ」

「ああ、関西は()()()()なんだ、少なくとも子供の頃からそうだったような」

 

 

 “大学芋”とは昭和2年頃、大学生が学費のために作って売った説や、“赤門前にあった三河屋発祥説”、“早稲田大学のある高田馬場発祥説”など諸説ある食べ物だ。

 しかし、関西地方では東京のものと異なり、“緩い蜜”ではなくアメ状でコーティングされパリパリとした食感が特徴の一品だ。

 厳密には“芋の飴炊き”や“中華ポテト”と呼ばれ別物だが、通りが良いのか飲食店で“大学芋”として提供されることも多いのだ。

 

「尚樹さん、食べてみたいなあ……パフェと一口交換しませんか?」

「いいよ」

「おい、さっきのはダメだからな、自分で食えよ」

「えーっ、爪楊枝でパフェは食べられませんよぉ」

「ここにスプーンあるし、これ使うよ」

「ぶー」

 

 ちょっと不満そうなひかりは、パフェを差し出すと尚樹の大学芋を取って食べた。

 一方、尚樹はと言うと対面の直枝の視線や周りの席からの視線に耐えきれなくなって自重せざるを得なかったのだ。

 ひかりや直枝がいなければ尚樹もまた、向こう側の人間なのだ。

 直枝は「コイツら付き合ってるわけでもないのにすげえな」などと思いながら、わらび餅を食べきった。

 

 お会計で店員が皿の数を計る、108円皿は46皿(4968円)、180円容器が3つ(540円)、198円のパフェ、デザート皿が2つ(396円)で5904円(税込み)を支払った。

 店を出て、レシートを見ながら尚樹は言う。

 

「これだけ食べても6000円くらいか」

「尚樹さん、すこし食べ過ぎちゃいましたね」

「まあ良いじゃないか、こんな日くらい」

「尚樹が良いってんなら良いんだろうぜ……」

「せっかくだから、夜空でも見て帰るか」

 

 職場から家へと帰宅する人々の赤い尾灯の波に乗り、尚樹は家へと車を走らせる。

 そして家の近くの空き地で車を止めると、直枝たちは車にもたれかかって空を見上げる。

 

「天の川、見えませんね」

「まあ、大阪は明るいからなあ」

「オラーシャなら……じっくり見たことねえけど、星はきれいだな」

 

 直枝は自動販売機で買ったコーラをぐびりと飲む。

 ひかりは夜空の星を探すが、明かりの反射で灰色の空に天の川は見えない。

 尚樹はポツリとつぶやく。

 

「あの夜空の向こうに、通路があるんだろ」

「ああ、いつ開くのかもわかんねえけどな」

「開いたら、私たちは……」

 

 数十分間夜空を見上げていたが、いい加減蒸し暑くなって来たので帰ろうという雰囲気になった。

 エンジンを掛けるとちょうど9時のニュースがやっていたようで、夕方に起こった男性の失踪についてのニュースが流れる。

 

『……警察では事件と事故の両面から捜索すると共に男性の行動を』

 

「また失踪事件か、最近多いよな」

「ネウロイの仕業かもしれねえ、前にあったんだ」

「あっ、西沢さんが来た時の」

「姉御と村に行ったときは、補給物資が襲われてやがった」

 

 軽トラックに乗った男性が行方不明という事に直枝はある事件を思い出す。

 ある村の近くの山で補給物資が消えるというもので、そのときはさすらいのウィッチ西沢曹長と地中潜伏型ネウロイを発見、これを撃破したのだ。

 尚樹もネウロイの性質を思い出してピンときた。

 自動車はエンジンなどに鋳鉄(ちゅうてつ)、ボデーには鋼板が使われている。

 後ろにアルミ製の箱の付いたバンタイプのトラックもあるが、農家で使われるような低床タイプの軽トラックは鋼板が殆どだ。

 中でもピラーなどの乗員を守る強度部材に用いられる高張力鋼(ハイテン鋼)は熱処理と共に強度を上げるためにリンやマンガンなどの元素を含ませている。

 ボデーだけでなく、カーナビやらセンサーと言った電子機器の中にはレアアースと呼ばれる希少金属が含まれている。

 排気ガスと反応させて浄化する三元触媒にもプラチナ(白金)、パラジウム、ロジウムなどの元素が入っており、現代において自動車や電子機器は“動く鉱脈”と言ってよいのだ。 

 

「ネウロイが金属を食べるなら、車は()()()()()()になる……」

「それじゃあ、この近くにいるんじゃ」

「その可能性は高えな、近々何かあるかもしれねえぞ」

 

 やけに冷えるのはエアコンが効き過ぎているせいではないだろう。

 尚樹は運転席の窓を開ける。

 窓の外には光無く、黒々とした山野が広がっていた。

 

__あそこの山々の何処かに脅威が潜んでいるかもしれない

 

 その事実がとてつもなく不気味に思えたのだった。

 




最近寿司を食べに行き、気づけば一人で4500円くらい食べていました。

白いレーンのジャングルで~
鯛がうまいマスク!(私はそう思います)

感想・ご意見お待ちしております。


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家路
追憶


※姉の負傷状況などが原作(BW2話)とは多少異なります。


 2017年7月20日

 

「よっしゃ!ついに来たぜ給料日!」

 

 尚樹は帰宅経路上にあるコンビニのATMで生活費を下ろす。

 通帳には新たに手取りの14万8千円ほどが入っており、その中から帰省に備え少し多めに引き出したためその足取りは軽く、普段買わない缶コーヒーを買って出る。

 やはり財布の中に3万円以上あると安心できるもので、自衛隊の頃から尚樹は最低でも2万5000円入れておくことにしていた。

 6月はひかりが来て、追って直枝が来たことによって一時は財布内が6000円を切っていたのだから、給料日がやってきて財布の中に万札が4枚以上あることによってテンションが上がるのは当然だろう。

 さらに日曜に休みを入れた土曜の夜という事もあって、もう気分は最高だ。

 尚樹が楽しそうにATMから生活費を引き出している頃、ひかりと直枝は夕食の準備をしていた。

 給料日という事もあり、今や武内家の財布を握っているひかりの提案ですき焼きとなったのだ。

 

「夏にすき焼きかよ……」

「はい、最近は夏にもすき焼きを食べるんですよ!」

 

 ひかりは料理本で読んで以降機会があれば作ってみようと考えていたので、尚樹の給料日という事で特別メニューとして夏すき焼きを作ることにした。

 冬のものである白菜などに代わり、ナスやかぼちゃと言った夏野菜が投入され、昆布だしの入ったさっぱりとした割り下で食べる“夏すき焼き”で、中の肉は牛肉だ。

 

「別にいいけどよ、こうして見るとすき焼きっぽくねーな、野菜炒めかよ」

 

 一方、直枝にとってはすき焼きの肉は豚であるし、扶桑では冬の食べ物のイメージが強い。

 そんな彼女は夏すき焼きの作り方を見て困惑していた。

 鍋に割り下を入れ、具材を投入してから煮立たせるだと思っていたが、ひかりは先に具材をフライパンで炒めていたのだ。

 夏野菜はもちろんのこと、豆腐なども焼き色がつくまで炒める。

 

「野菜炒めじゃありません!こうすると煮崩れにしにくくなるんですよぉ」

「……だから豆腐を焼くのか」

「はい、管野さんはそこのお肉を焼いてください!」

「おう」

 

 牛脂を溶いたフライパンで滋賀県産牛肉400グラムを炒める直枝、ひかりは具の片面に焼き色がついた所で鍋に入れて、肉が入ったところで昆布だしベースの薄い割り下を入れる。

 そしてしらたきを肉に触れさせぬように入れてさっと煮るともう完成だ。

 

「思ったより早ぇな」

「はい、一緒に煮ると火の通り具合に差ができちゃいます!」

 

 ひかりと直枝は創作料理こそできないが、料理本に乗っているメニューはおおむね作れるようになっており、このように火の通り具合を調節すると言った芸当もいつの間にか出来るようになっていた。

 

「よし、これで尚樹が帰って来るまでゲームできるな」

「管野さん、尚樹さんが帰ってきたら晩ごはんですよ!」

「わーってるって」

 

 すき焼きの入った鍋に蓋をすると、直枝は居間のテレビを使って『BF3』を始める。

 コントローラーの操作を覚えて以降、大抵のFPSが出来るようになったのだ。

 ひかりも最初こそゲームに夢中になったものだが、1週間もすれば飽きてきて今ではまるで母親のような事を言っていた。

 なお、直枝はというと新しい本が読めない代わりに尚樹が買っていたゲームをやり込む。

 キャンペーンモードの緊張感あふれるストーリーや、まるで自分がそこに居るかのような臨場感ある一人称視点が彼女の心を掴んだのだ。

 テレビの画面には飛行甲板へのラッタルが映し出され、パイロットと兵装システム士官(WSO)がF/A-18F戦闘機に乗り込む場面が映し出される。

 敵勢力の拠点となっているイラン領内の空港の爆撃と、上がって来た要撃機の撃滅が主な任務でありまさに戦闘爆撃機といったものだ。

 機関砲、ミサイルなどの兵装システム、フラップやエレベーター、ラダーといった各動翼、自己防御装置(カウンターメィジャー)のテストの後にカタパルトで打ち出される。

 振り下ろされたデッキクルーの腕に合わせ、甲板より放たれたスーパーホーネット(F/A-18F)は空母戦闘群の周りをぐるりと旋回し、雲の中へと突入した。

 射出と同時にメインテーマが流れ、気分を盛り上げてくれる。

 ぼんやりと画面を見ていたひかりは現代の空母の甲板と周りを囲むイージス駆逐艦に初陣を思い出した。

 

____

 

 

 1944年、雁淵ひかりは遣欧艦隊に乗ってスオムスのカウハバ基地へと向かっていた。

 有名人にして艦載ウィッチである姉の孝美も居たし、戦闘機の搭乗員たちや水兵たちからもかわいがられて空母での生活は比較的楽だった。

 艦隊がバレンツ海に入り、もう少しでムルマンスクへとたどり着こうかというときにネウロイの編隊が来襲したのである。

 

 通常であれば海上で遭うのは母艦型ネウロイ単機と兵隊ネウロイという組み合わせだが、今度のものは中型だけで9ないし10機いて護衛の兵隊ネウロイも40から50とおり、艦隊に緊張が走った。

 その時のことは今もよく覚えていて、しばらくの間夢に見る事もあった。

 

 艦内に鳴り響く警報、「対空戦闘用意」の声、ひかりと孝美は艦戦の搭乗員と共に作戦室から格納庫に降りる。

 もう顔馴染みとなった整備兵たちが、いつもとは違う鬼気迫った表情でユニットケージを押してエレベーターに乗せる。

 孝美がユニットに足を突っ込み、整備兵がスイッチを入れるとセルモーターが電気で回されてエンジンが始動する。

 

 4人の整備兵が“火器整備場”から重量のあるS-18狙撃銃と弾薬を運び出し、魔法力が流れていることを確認すると予備弾納と共に孝美に渡した。

 ネウロイに起因する空電(くうでん)が混じる中、島型艦橋(アイランド)からはネウロイの接近速度や方角などがひっきりなしに入り、エレベーターはユニットケージを甲板上に持ち上げる。

 甲板に上がるといつもより風が強く、気を抜けば甲板から転がり落ちそうだ。

 海面がとても速く流れていき、遠くの駆逐艦が波を蹴立てて走り回っている様子が見えてこの船も戦闘速度にあることを知った。

 艦上に係止されていた零式艦戦に乗り込む搭乗員たち、艦隊直掩の艦戦が発進すると続いて航空ウィッチ、戦闘機部隊の本隊が続くのだ。

 直掩機はすでに上がって空母の上空で旋回しており、ひかりにとってはまだまだ遠くて敵影はまだ黒いゴマ粒ほどにしか見えない。

 合成風力よし発進可能の合図が出されると初弾を込める、姉の発進に思わず駆け寄った。

 

「お姉ちゃん!私も戦う!」

「ダメよ、あなたはまだ戦えないわ、部屋に戻っていなさい」

 

 ここで初めて見た姉の厳しい顔に驚き、家では見せない軍人の顔をみた。

 

「また、今度ね」

 

 優しい声色で姉が言うと紫電“チドリ”は飛行甲板を滑るように飛び立っていく。

 男が2人がかりで持ってきた大きな狙撃銃と手首くらいありそうな20㎜弾数十発を持っているとは思えないほど安定した発進だ。

 

 続いて艦戦隊が発進するのでひかりは整備士たちと共に甲板脇に退避した。

 脚の車止め(チョーク)が引かれ、風防が閉じられると徐々に加速を付けながら甲板を行く。

 不意に先頭を行く機体の搭乗員と目が合った。

 「娘に似ている」とよく飴玉をくれた清水大尉で、ひかりに気づくと左手を一瞬だけ上げた。

 分隊長の清水大尉についで、仲本上飛曹、嶋中飛曹長、松本一飛曹と、零戦は次々と飛び立って行った。

 孝美と艦戦の男たちはどんどん小さくなってゆき、そのうちに護衛の駆逐艦の対空砲火が始まった。

 

「じ、実戦だ……」

 

 遠くで見える光線と水兵たちの慌ただしい様子にひかりは思わず呟いた。

 駆逐艦の長10センチ砲や25㎜連装機銃、重巡の高角砲が火を噴き、艦戦を抜けてやって来た兵隊ネウロイの迎撃に当たる。

 上空のネウロイからは散発的な射撃が行われ、赤い光線が掠めるたびに()()()()()()変なにおいが機関の排煙に混ざって漂ってくる。

 右へ左へのきついロールが飛行甲板上のひかり達を襲う、船が回避運動を取っているのだ。

 ネウロイの光線が船体を掠めて近くの海面に着弾し、光線によって沸騰した水蒸気で水柱が上がった。

 当たれば一瞬で溶け落ちるであろう熱量を持った光線が五月雨のように放たれ、生きた心地がしない、むしろ次の瞬間死んでいてもわからない。

 艦戦隊の奮戦もネウロイ編隊の侵攻を食い止めるには力及ばず、一機、また一機と火に包まれて墜ちていき、隣を行く護衛の駆逐艦“岸波”が艦首に被弾し艦橋・砲塔の砲員10名が即死した。

 その光景を見たひかりは思わず格納庫へと走り、橙色に塗られた零式練戦を付けた。

 ハッチで閉じられた閉鎖区画もあったが、ひかりがウィッチであったこともあり水兵たちは通してくれたのだ。

 

「無茶だよ、ひかりちゃん!」

 

 練戦の近くにいた整備兵がそう言った瞬間、光線が空母を掠めて何かが爆発し、その破片が格納庫を襲ったのだ。

 ひかりが気づいたときには練戦に天井の梁の一部が突き刺さり、先ほど話していた整備兵はどこかへと姿()()()()()()()

 彼に代わり顔なじみの大柄な一等水兵がひかりを背負って救護所の方へと運ぼうとしていた。

 

「ユニット……整備のみんなは!」

「……ここにはもうおらん、手当てを受けよう」

 

 おそらく彼らはダメだったのだろうなと、自分を背負う松本一水(いっすい)の表情で察した。

 艦中央部の応急救護所は格納庫周りの負傷者でいっぱいとなり、ひかりは一度飛行甲板に上がってから無傷である艦前方の救護所に行くこととなった。

 

 その時、空いっぱいに居たネウロイがあっという間に姿を消したことに彼女は気が付いた。

 姉が“完全魔眼”と呼ばれる、“複数体のコアを発見する能力”を生かして流れるように中型ネウロイを撃滅したからである。

 ただ、最後の最後で生き残っていた兵隊ネウロイとその母機である中型ネウロイの多方向からの連携攻撃を受けて脇腹を負傷した。

 魔眼発動中はシールドも弱くなっており、通常であれば防げた“苦し紛れの一発”を貰ったのだ。

 出血によって途切れ途切れの意識の中、孝美はハードランディングをしようと甲板目掛けて突っ込んだ。

 

「お姉ちゃん!」

 

 ふらつき、高い着陸速度ときつい進入角度にひかりはただ事ではないと気づいた。

 受け止めようとシールドを展開し、孝美はひかりのシールドを割ることで勢いを殺して停止した。

 ひかりに同行していた水兵や甲板上にいた者が慌てて駆け寄り、孝美とエジェクトされたユニットを回収した。

 純白の士官服には血が染みて、ひかりの手に暖かいものが伝う。

 水兵の1人が持っていた手拭いを傷口に当てて圧迫止血を行い、医務室へとかつぎ込んだ。

 あのときの「姉が死んでしまうのではないか」という恐怖は忘れることはないだろう。

 その後、ネウロイの巣と敵の増援が新たに出現してひかりは一人、姉の代わりに戦うことになったのだ。

 

 

__そして、チドリと初めて大空を飛んだのもこんな風景だったな。

 

 

 打ち出してくれるカタパルトもなく、初めて使うユニットであり、なおかつ大きくて重い狙撃銃を持っているのもあって()()()()()()()()()()()、艦隊の上を飛ぶ。

 羽虫のようなネウロイに向かって必死に撃つも、コアを捉えておらずあっさりと修復されて、そのまま反撃される。

 小型の攻撃であったため弱いシールドでも耐えられたが、おそらく次はないだろう。

 一度ネウロイに激突してコアが見えるも、当てられなければ何の意味もない。

 2機のネウロイに挟み撃ちにされ、もはや撃墜は免れないか……。

 

 

 そこまで思い出した時、ゲームの画面では迎撃に上がって来た敵機を落とし、対レーダーミサイル(HARM)を対空火器の陣地に発射しているところだった。

 

「どーしたんだよひかり、やりてーのか?」

「違います、見てたら初めて戦った時を思い出しました、空母から飛び立った後の景色なんかそっくりです!」

「ああ、あん時か。たかが小型二機に振り回されてる奴がいて、よく見りゃ孝美じゃなかったんだよな」

 

 敵機に挟まれて「もうだめだ」と硬直したその瞬間、真上から銃弾の雨が降り注いだのだ。

 ひかりを捉えていた小型ネウロイはボロボロと崩れて眼下で弾けた。

 もう一機も降下してきた影によってすれ違いざまに光と消える。

 敵機に肉薄する急降下射撃__それが今ゲームで対地攻撃をしている彼女、管野直枝と502JFWの面々との出会いだった。

 その時は異世界に来ることなんかも考えていなかったし、ましてや好きな人が出来るなんて考えてもみなかった。

 

「管野さん……」

「おう」

 

 直枝はひかりがいろいろな想いで声を掛けてきたことを感じ取り、何も言わない。

 

「……えっと、今の空母って凄いんですね、夜でも着艦できるんだー」

「あたりめーだろ、()()()じゃ24時間全天候が基本なんだからよ」

「そうなんですか?お姉ちゃんも夜着艦したことがあるって言ってました!」

「それは孝美が上手(うめ)ぇからだ、並のウィッチじゃ“海にドボン”か“空母に激突”してお終いだ」

 

 結局、言いたいことが思いつかなかったのか、それとも空気を変えようとしたのか画面に映る着艦風景についての話になった。

 

 現代戦では直枝の言うように全天候24時間戦闘が基本であるが、1945年においては大半のウィッチが“昼間戦闘機”であり、夜間戦闘が出来る航空ウィッチは数が少ない。

 サーチライトによる目視迎撃、レーダーや魔導針を用いての航法および戦闘と言うものはある。

 しかし、夜戦が得意な彼女たちであっても、“目印も何もない海上”を数千キロ飛行し戦闘して帰還するのはとても難しいし、さらに波で動揺する飛行甲板への着艦となるととても高度な技量が要求されるのだ。

 孝美が新編された第508統合戦闘航空団、通称:マイティー・ウィッチーズに呼ばれたのもこうした技術を買われてのものであった。

 翔鶴型とエンタープライズ型空母を中核とした扶桑・リベリオン合同のこの統合戦闘航空団は所属こそ太平洋統合軍総司令部であるものの、大西洋を主戦場とし欧州各地の火消し部隊として活動していた。

 

 異世界に来た二人は知らないが、現在、“レーシー調査部隊”として派遣されてきている各国のウィッチの海上護衛などを行っているのも508JFWである。

 最後に来た手紙では新しい統合戦闘航空団に配属となったという事が記されており、直枝の話によるとわざわざ502に来たという。

 ひかりはあの過保護な姉がどうしているか気になった。

 

 

「ほんと、お姉ちゃん何してるんでしょうね」

「今か?たぶん、通路を開こうとしてるんじゃねえか?孝美はおめーが絡むととんでもないことをするからな」

「あはは、そうですね」

 

 今度の無理矢理な転属に加え、“フレイヤー作戦”の時は元帥との交渉をした上できつい態度を取ってまでも妹を最前線(502)から引きはがそうとしたりと、孝美は妹が絡むとやけに行動的になるのだ。

 直枝は雁淵姉妹はやはり本質的なところでは似ているのだなと思う。

 どちらも()()()で、強い意志を持っていてここぞというときにはなりふり構わない。

 それが今度の異世界越境でどう出るのか、直枝は期待していた。

 ラルと孝美がいる限り少なくとも、すぐに捜索打ち切りにはならないだろう。

 そう考えていると、玄関先から車のエンジン音が聞こえてきた。

 尚樹が帰って来たことに気づいた直枝は急いでプレステ3の電源を落とし、食事の体制へと移行した。

 ひかりはすき焼きの入った鍋に火を入れて温めると、炊飯器の中のご飯をかき混ぜる。

 

「ただいま!」

「おかえりなさい!」

「おう、おかえり」

 

 尚樹が洗濯物をカゴに入れる間にひかりは鍋敷きをテーブルに置き、温めた鍋をその上に置いた。

 

「今晩はすき焼きか」

「はい、夏野菜のすき焼きです!お肉もたくさん入ってますよ!」

 

 ダシ多めの割り下を使った夏野菜のすき焼きは、砂糖と醤油で味を調える関西のすき焼きに比べてあっさりとしており、生卵を付けなくとも十分食べられるようになっている。

 直枝はテレビで見たように、冷蔵庫から生卵を三つ取り出して小鉢にのせテーブルへとやって来た。

 新鮮な生卵はめったに手に入らない貴重品という世界で育った彼女たちにとって、生卵にくぐらせる方式のすき焼きはぜいたくな食べ方だったのだ。

 ところが、こちらではスーパーマーケットでお一人様1パック限りなどで安売りが行われており卵製品も至る所で手に入ることから、早速試してみたくなった。

 

「卵はいらねえのか?」

「うーん、味が濃かったら卵を使いましょう!」

「いいんじゃないか、つるつる食べれそうで」

 

 尚樹は二人に先立って小鉢に卵を割りこむとかき回し、卵黄にしらたきや豆腐をくぐらせて食べて見せた。

 甘すぎず、辛すぎずちょうどいい薄味で、冷たい卵黄が熱を蓄えた豆腐などの具材をちょうどいい温度に冷ましてくれる。

 直枝とひかりも続いて卵を割った。

 最初はおそるおそるで、指を突き込んでしまう事もあった二人だが今では綺麗に割って、殻の混入もない。

 

「ひかりちゃんも直ちゃんも上手くなったよなあ……」

「そりゃあこっちに来てからずっと料理やってんだ、上手くもなるだろ」

「そうですよ!コツさえつかんだら片手で出来ます!」

「おめー、それでこの間砕いたじゃねえか!」

「ほう、それで?」

 

 右手だけで卵を割って得意げなひかりに、直枝は悪戯そうな笑みを浮かべてひかりの失敗をバラす。

 ひかりはというとこっそり練習していた時の失敗を暴露されてむくれる。

 

「むー、管野さん言わないでくださいよぉ!」

「あん時、飛び散ったのが俺の顔にひっ掛かったわけだ」

「すみません」

「めちゃくちゃヌルヌルして、ひどい目に遭ったぜ」

 

 ひかりがテレビ番組で見たように卵を掴んで片手で割ろうとしたとき、つい力を入れ過ぎて亀裂から圧壊、思い切りぶちまけて不運にも隣でフライパンを握っていた直枝にかかったのだ。

 尚樹は直近で卵をたくさん使う料理が出たっけ?と考える、すると先週の木曜日の晩御飯と翌朝の朝食が思い浮かんだ。

 だし巻、スクランブルエッグ、フレンチトーストと卵物が続いたのだ。

 

「ああっ、あの卵焼きの晩か!」

「そうです!」

「ひかりと俺で1パック使っちまったからな」

「それであんなに卵焼きがでたのか、頑張ったなあ」

 

 あの2日間は卵を片手で割る練習の産物だという事を知った尚樹は笑った。

 

____

 

 食事が済み、入浴を終えていつものようにくつろぎタイムに入った。

 直枝は和室から持ってきた座椅子に持たれるようにして小説を読み、ひかりは高校の勉強をしながら尚樹とテレビ番組を見て雑学知識などを学ぶ。

 テレビ番組を見ていた尚樹はあることを思い出して、二人に声を掛けた。

 

「ひかりちゃん、直ちゃんに渡したいものがあるんだ」

「えっ、なんですかぁ?」

「何だよ急に」

 

 尚樹はふたつの茶封筒をひかりと直枝の前に置き、ふたりがシゲマツ自動車の茶封筒を開くと樋口一葉の5000円札が現れた。

 

「二人とも家のことがんばってるからさ、お小遣いをあげよう」

「お小遣い……やったぁ!ありがとうございます尚樹さん!」

「おい、良いのかよ。来月帰省だろ?」

「大丈夫、それも見越して多めに引いてるから。欲しいものに使ってよ」

「うーん、何買おうか迷っちゃいますね!」

「文庫本もあと2冊ほど欲しい、でも金は貯めとかないと後々がやべえ」

「必要なものがあったら一緒に買いに行くし、あんまり気にしなくていいからね」

 

 ひかりと直枝は喜んだが、同時にどう使っていいかが悩みの種になってしまった。

 尚樹としては一緒に買い物に行ったら自分が出すものだと考えていたので、最初は5000円で代わりに買えないような物を買って欲しいと思った。

 さすがに女性ものの下着やら生理用品を代わりに買ってやるのは厳しいものがあるのだ。

 

「でもよ、俺達ってアシがねえから街の店まで行けねえよな」

「自転車でもあれば尚樹さんの代わりに買い出しに行けます!」

「そういえばそうだな、給料も入ったことだし明日、ショッピングモールに買い物に行こうか」

 

 尚樹の提案によってショッピングモールに行くこととなった。

 しかし、翌日にかねてより恐れていた事態が起こるとはだれも予想していなかった。

 




ついに就職し、初めの1週間が過ぎました。
更新間隔が空くと思いますがどうかよろしくお願いいたします。

ご感想・ご意見のほどお待ちしております。


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初動

 2017年7月21日

 

 日課である朝のランニングを終え、尚樹たちは朝食をとる。

 朝の情報番組ではあいも変わらず、国有地売却問題と芸能人の不倫報道が流れ、その合間に夏のレジャーについての特集が挟まれている。

 チャンネルを変えても似たり寄ったりな内容で、例外として大阪テレビは朝の子供番組を毎週月曜から金曜にかけて放送しており、尚樹はとりあえずつけておいた。

 連日連日、野党議員が与党や首相批判をしている同じような映像と、どうでもいい他人夫婦の問題ごとを見るのは疲れるので、特に興味はないけれどアニメを見始めた。

 ひかりと直枝も最初の頃こそニュース番組を食い入るように見ていたが2週間もすれば同じことの繰り返しに飽きて子供番組の後に始まるアニメを楽しむようになった。

 2016年の冬アニメの再放送で、擬人化された動物の居る世界で記憶を失った少女が旅する物語だ。

 最初こそ直枝は「ガキ向けかよ、“動物農場”を思い出すぜ」となどと言っていたが、二話、三話と見るうちにすっかり夢中になってしまった。

 ひかりも動物をモチーフにしたキャラクターのかわいらしさに見るようになり、今では直枝と並んで画面に釘付けだ。

 毎朝の放送の影響はすさまじく、ひかりは動物少女たちの容姿を見て思わず尋ねる。

 

「管野さん、サーバルを使い魔にするウィッチって居ないんでしょうか」

「さあ、アフリカ戦線にでも行けば居るんじゃねえのか?」

「アフリカ……熱そうですね」

 

 ウィッチは魔法力使用時にアニメの中の動物少女のように長い耳と尻尾を生やせるのだから、サーバルキャットなどの動物がいてもおかしくないと思ったのだ。

 直枝はアフリカ戦線についてあまり知らないので居るとは言いきれないが、もしかすれば居るかもしれない。

 思いつく限りでアフリカを知ってそうな人物は……ひとりだけ居た。

 ジョーゼット・ルマール軍曹(現・少尉)だ。 

 

「アフリカなら、ジョゼのやつがいた所だ。戻ったら聞いてみろ」

「えっ、ジョゼさんってアフリカに居たんですかぁ?」

「おう。ダカールに脱出したガリア政府の連中をひとりで守ったらしいぜ」

 

 ひかりは下原と二人一組となって行動しいつもお腹を空かせているイメージのある彼女が、孤軍奮闘していたなんて意外だと思った。

 

「へえー。ところで尚樹さん、どうですか?」

「ロボットに動物少女にトンネルかぁ……人が滅亡した系な話か?」

 

 尚樹はいつも出勤した後なのでこの番組を見るのは今日が初めてだったが、どうも不穏な物を感じており、人の残した“遺構”という動物少女たちの明るく楽しい雰囲気とは異なる存在に引き込まれていた。

 地下の迷宮にいた謎の未確認生物と少女たちは敵性体に追われながらも出口を探して彷徨う。

 そこで明かされた人類と動物少女に関する情報に、尚樹は次から録画しようと心に決めた。

 もともとアニメや物語の考察をする方ではないが、ひかり達が来て以降は不自由の少ない生活をさせてあげる方法に元居た世界に帰る方法、ネウロイの特性などと様々な()()をする機会が増えてついつい考えてしまうようになったのだ。

 

__夏休み、帰省が終わって余裕ができたら二人を連れて動物園に行ってみるのも良いかもしれないな。

 

 アニメ番組が終わり、チャンネルを戻すと8時の番組が始まっていた。

 

 ショッピングセンターは大体10時くらいから開くので、それまでの間に家で様々なことができる。

 ひかりは洗濯機を回しはじめ、直枝はというとひかりの手伝いに回った。

 尚樹も洗濯などの家事の手伝いをしようとしたのだが、「やることが無くなるじゃねえか」という直枝の抗議もあって、最近はもっぱら銃やストライカーの目視点検やら洗車をしていた。

 家事を二人に任せた尚樹は洗車用品の入ったカゴをもってカーポートに出た。

 何としても午前中に終わらせようと水を掛けて、撥水コート付きのカーシャンプーでボデーを磨く。

 日が高くなれば暑いし、何よりボデー上の水滴がすぐ乾いて“ウォータースポット”と呼ばれる水玉状の跡が出来るのだ。

 汚れが目立ちにくいシルバー色とはいえ黄砂などの影響で汚くなっているのはよくわかるので、尚樹はマイクロファイバー雑巾の端を持って滑らせるように一方向に引く。

 こうすることで手で拭くより傷つきづらく表面の汚れと水滴を取り去ることができる。

 とりあえず、洗車は汚れを流して水滴を残さず拭き取るというのが重要で、整備士は嫌というほどやることになるのだ。

 大手ディーラー、個人事業の整備工場問わず、洗車はお客様サービスの()()()()であり、入社してから数か月はずっと洗車であるし、お客様へ返す際には絶対にと言っていいほど洗車を行う。

 数か月にわたり一日中洗車をし続けていると、だんだんと飽きてくるというか嫌になってくるもので、そこで“無心になって手だけを動かす”もしくは“別のことを考えながら手を動かす”かの二つに分かれてくる。

 たとえ出庫時の空がどんより曇ってすぐに雨が降りそうとも、洗車の意味を問うてはいけないのだ。

 尚樹はルーフ、ガラス、ピラー、ボンネット、ドアと車体上面から下へと洗って拭いていくが、例外としてタイヤとホイールは先に洗う。

 ブレーキの際に出るブレーキダストがホイールには着いており車体に着くと、黒く汚れてしまい、特にブレーキング性能のために柔らかく摩耗しやすいパット材を使っている欧州車は付く量も多く、1か月くらいで真っ黒になったりする。

 時間が経って赤茶色になったらまず落ちないので国産・外車問わずまずは飛散させないようにホイールの清掃から始めなくてはならない。

 尚樹は何処のショッピングセンターに行こうか考えながら作業を進め、気が付けばワックス掛けと電動ポリッシャーを使った磨き作業まで終わらせていた。

 

「よし、こんなもんかな」

 

 尚樹はホースの水を止めると、先ほどまでホイールに使っていた細い棒付きスポンジと車体を磨くのに使った幅広の柄付スポンジの水を切り、拭き上げに使ったウエス、磨き作業に使ったポリッシャーのスポンジバフ3種類も丁寧に水洗いして洗車用品のカゴに入れて物干し場へと行く。

 その時、ひかりが波板の影から空の洗濯カゴをもって現れた、ちょうど洗濯物を干し終わったのだ。

 

「尚樹さん、こっちは全部干し終わりましたよぉ!」

「お疲れ様、今日はいい天気だからすぐ乾きそうやね」

「はい!洗車はもう終わったんですか?」

「うん、終わったから昼には出かけられると思うよ」

 

 尚樹も物干し竿の余りスペースに洗車用具をさっと吊るし、ひかりと共にガラス戸から居間に上がった。

 居間のテーブルではひと仕事を終えたジャージ姿の直枝がひかりの許可を得て、ポテトチップスと麦茶を手にテレビを見ながらくつろいでいる。

 

『大阪のニュースです、河内長野市の山林に産業廃棄物計700キロを不法投棄したとして解体業の……』

 

 テレビには11時のニュースが映っており、関西のローカルニュースを伝えていた。

 この光景に土曜日や期末試験で学校が午前授業、いわゆる半ドンの夏の昼下がりを思い出す。

 もっとも尚樹は“ゆとり教育”真っ只中世代で、小学校2年生くらいの時に公立の学校から土曜授業が消えてしまい、私立高校で第2土曜、第4土曜のみ4限授業という経験をしていた。

 その時の窓から射す夏の日差しに扇風機のぬるい風、麦茶に塩っ気のある食べ物、そこに少年時代の彼は“夏のにおい”を感じた。

 過ぎ去った時代を思い出してノスタルジックな気分になっている尚樹をよそに、直枝は声を掛ける。

 

「おう、お疲れさん。尚樹も食うか?」

「手を洗ってから食べるよ」

「早く手を洗わねーと全部俺が食っちまうからな」

「管野さん、だめですよ!」

「ま、なるべく早く洗うよ」

 

 悪戯っぽく笑う彼女に、尚樹は手をひらひら振って洗面所へと向かった。

 ひかりは「食べ過ぎると太っちゃいますよぉ」と笑顔でツッコミを入れた。

 ちょっとしたジョークが思わぬ形で帰って来たため、思わずうめく直枝。

 この相棒はペテルブルグに居た時から悪意なく、厳しいところを突いてくるのだ。

 尚樹は軒下で脱いだ靴を玄関に戻すと、手を洗うついでにシェーバーで髭を剃った。

 

 部屋着のジャージを脱いで通気性の良いシャツと薄いハーフパンツという夏の外出スタイルになった3人は昼食をフードコートでとろうと、11時半ごろに家を出て八尾市にあるショッピングモールに向かって車を走らせる。

 

「あぢい……」

「ホントですねぇ、尚樹さん……」

「クーラー付けてるよ。上吹きで風当てたら?」

 

 車の中は日光で熱されて37度にもなり、うめく直枝たち。クーラーをつけているけれどもなかなか冷える気がしない。

 助手席のひかりはクーラーの噴き出し口を自分に当て、それが出来ない後部座席の直枝は窓を開け、熱気を逃がそうとする。

 窓から入る走行風も()()()が閉めきって熱気に包まれているよりはマシだ。

 生活道路から出るくらいに暑さも和らぎ、クーラーが車内を冷やし始めて快適になった。

 そして、府道170号線に出ようと信号待ちをしていた時に異変は起こった。

 

「あれっ?停電か?」

「ほんとだ、信号が消えてます!」

「コンビニの電気も落ちてやがる、停電だな」

 

 信号だけではなく付近の建物の電気も落ちており、どうやら地区自体への送電が止まっているようなのだ。

 ひかりと直枝は停電を頻繁に経験していたため「こんなこともあるよな」と思っていたが尚樹はいやな予感がした。

 電力が安定して供給される現代日本で停電が起こる時は落雷、台風などの大きな自然災害を除いた場合、人為的なミスなどが多い。

 例を挙げると荷物の積み下ろしに使う小型油圧クレーン搭載車がブームを畳み忘れて道路を横切る電線を切ったと言うものや、吊り上げ作業で黄色い保護管の無い架線に接近しすぎて放電、変わったところでは空自の連絡機が河川敷に墜落する際に高圧送電線を切ったとかそういうものだ。

 どのような理由にせよ、現代の都市において停電は重大な影響をもたらす。

 

「どうするんだ?」

「この様子じゃ、ここを抜けるまでに事故るしいったん帰ろうか」

 

 交通量が多いうえ、河内長野市付近は長い直線という事もあってスピードを出す車も多く外環状線にうかつに進入するのは危険だ。

 特に大阪人は“いらち”であり、“せっかち”で“気が短い”という気質の人も多く、「こんなん待ってられへん!」としびれを切らして交差点に進入したところで側方から来た車と衝突した人もいたし、「はよ行かな!」と急いで交差点を抜けようとして事故を起こした人もいた。

 車のラジオでは“大阪で謎の大規模停電”と言った報道がされており、尚樹たちはとりあえず家に帰る選択肢を選んだ。

 ショッピングモールに非常用電源がついているとは限らないし、行ったからといって普通に買い物できるかどうか定かではなく、広域停電による混乱が生じていてもおかしくない。

 無理に行くことよりも重要なことに気付いたのだ。

 大阪府中河内エリアの停電、すなわち自宅の電気機器類も停止しているという事だ。

 

「停電……尚樹さん、冷蔵庫がっ!」

「ってことは俺たちのアイスも溶けちまうじゃねーか」

「それより水が止まるまでにバケツに水汲まんと!」

 

 ひかりは冷蔵している食べ物が痛むことをおそれ、直枝は楽しみにとっていた大きな容器に入ったアイスが溶けることに気づき、尚樹は高所にある住宅街まで水を押し上げている()()()()()が停止することによる断水の前に水を準備しないと水洗トイレすら流せないと考えた。

 非常用ジーゼル発電機や予備電源がある施設は直ちに切り替わったが、そうでないところは阿鼻叫喚の地獄絵図となった。

 なにせパソコンもプリンターも無線LANもみな電気を使う、作成中の書類データは吹っ飛び空調が止まったことでオフィスの室温はどんどんと上がっていくのだ。

 そこで水を出そうにもビルの場合は揚水ポンプが動かず、高置水槽の水が出尽くせばそれで断水となる。

 そうなると仕事どころの騒ぎではなく室内で熱中症になったり、トイレが使えないなどと生命維持に影響が出始める。

 

 尚樹が転回して家へと向かっている頃、6600Ⅴの高圧線に全長15メートルほどの黒い影が手足のようなものでしがみ付き、火花を散らしていた。

 それはまるでゴリラのようであり、送電鉄塔によじ登り映画に登場する“キングコング”を彷彿とさせる姿であったが顔はなく、代わりに赤いパネルが散りばめられていた。

 正体不明の黒い動体は、瞳や口、体毛、爪といったものが無くのっぺりとした外観上の特徴や電気エネルギーを吸収していることから生物かどうかも怪しく、大きさからも猟師が狩れる相手ではなさそうだ。

 結局のところ鉄塔に上った“それ”を取り囲んでいる警察官たちはただ見ていることしかできなかった。

 

 

 監視カメラで見ていた土地所有者からの通報で、大阪府警察は常習的に不法投棄を繰り返していた解体業者の男たちを現行犯逮捕するに至った。

 だが黒い影の出現によって、単なる不法投棄の摘発では終わらなくなってしまったのだ。

 金属ゴミも混ざった廃材を積んだ小山の下から突如現れた巨大なそれは、人間を発見すると複数の車を跳ね飛ばして走り出して、斜面を通る高圧送電線の鉄塔によじ登り始めたのだ。

 電線が切れたことでショートし火花が飛ぶと街へ送られていた電気が止まり、送電停止までの間に黒い移動体は電線や鉄塔を取りこみつつ亀甲模様に淡く発光し始めた。

 そこにひったくりや強盗といった犯罪者を空から追い続ける大阪府警のヘリコプターが、通常の巡回航路を離れて応援にやって来た。

 6機所有するうちの1機で、フランス製の大型ヘリシュペルピューマで愛称は“おおたか”と言った。

 

『府警本部こちら“おおたか”黒い移動体は関電所有の鉄塔上で停止しています、どうぞ』

『おおたか、こちら府警本部。引き続き監視してください』

『了解』

 

 “おおたか”が撮影し伝送してきた映像と、現場の警察官から上がってきた情報は直ちに府警本部に届けられ、大きさゆえに場合によれば害獣駆除として出動するであろうと防衛省にも提供された。

 そこで6月に発生した大阪上空戦、河内長野市における陥没事故及び“情報提供者”が一つの線で繋がったのである。

 そして久々にセルゲイは拘留施設から大阪府警察の本庁へと呼び出された。

 セルゲイの他にロシア語通訳と警察幹部、そして大規模停電に伴う災害派遣として出動準備をしていた防衛省および近畿中部防衛局の人員が集まり、警察ヘリから送られてきた映像を見ていた。

 ヘリからの画像を見ていたのはこうした危機管理要員だけではなかった。

 どこからか話を聞きつけてきたマスコミのヘリコプターが飛来し、規制線から少し離れた所にいる地上のクルーたちからは空撮用ドローンが飛ばされて鉄塔に近づいて行く。

 

「あれは陸上型ネウロイだな、一定以上近づくとまずいぞ!」

 

 セルゲイがそういった時にはすでに遅かった。背中の赤いパネルが光って不用意に近づいたテレビ近畿の取材ヘリコプターはメインローターを焼き切られ一瞬のうちに墜落した。

 地面にほぼ垂直のような角度で落下し爆発、炎上するヘリに地上にいた警察官たちは(おのの)いた。

 一方で同業他社のヘリコプターが落とされるという衝撃的な光景を目にした地上のクルーたちは人的被害が無いドローンをもっと近づけて攻撃シーンを撮ろうとしたが、すぐさま第2射が放たれ、一瞬で焼失する。

 地上のカメラがその様子を捉えており、ニュースに登場したそれはまさしく怪獣映画の中の存在であり、大阪大空戦の悪夢を思わせるものであった。

 第37普通科連隊の中隊事務所のテレビに青いヘリが落ちていく映像が映るか少し遅いかくらいに連隊本部に師団司令部の幕僚から電話が掛かってきた。

 第3師団からの行動命令は以下の通り。

 

 __第37普通科連隊を基幹とした第3戦闘団は河内長野市に展開し“敵性移動体”を撃滅せよ。

 

 テレビニュースだけでなく警察からも情報提供があり、それを情報参謀の第2科長が連隊長に報告をあげる。

 連隊本部の作戦室には河内長野市の地図が置かれ、上に透明のビニール、通称:オーバレイが張り付けられ、集まって来た情報を運用幹部の三尉がグリスペンで書き込む。

 連隊事務所にはひっきりなしに電話が鳴り響き、各中隊からの伝令がクリアファイルやバインダーを持ってバタバタと行き来する。

 オーバレイに被害状況と警察の動向などが記され、現在は報道ヘリが1機撃墜され民間人に死者が出ているらしい。

 こうして着々と「状況図」が出来上がっていった。

 

「偵察隊を出せ、本隊はその後に続く!」

 

 出動部隊編成の完結報告が出るより先に本管中隊の偵察班がオートバイに乗って河内長野市の山林に前進を始めていた。

 

 大規模停電における給水支援の準備をしていた隊員たちは、1トン水タンクを取り外して武器を搬出し即応車輌に乗り込む。

 ようやく災害派遣ではなく、治安出動という形で出動することになったのだ。

 訓練と同じように整斉(せいせい)とした行動でもって即応弾および武器を積み、営庭で編成完結式を行った。

 連隊長の4分半にわたる訓示があり、最後にある一言があった。

 

 

「君たちは故郷と国民を守るという使命を受けてここに立っている、今がその時だ。しかし、これからも身命を賭する機会はあるだろう、だから決して“蛮勇”を振るう事はない」

 

 

 武内晴樹士長は列中でぼんやりと思う。

 “出動”いよいよこの時が来たのだ、もしかすると死ぬかもしれないなと。

 不思議と怖くはなく、むしろようやく終わりの見えない状況から解放されると言った気分だ。

 他の隊員たちも同様で、第3種非常勤務が始まった時点から徐々に高まっていた苛立ちと緊張がようやく、一つの答えを見たのだ。

 車両に乗車し、車列の先頭にはパトロールカーが赤色灯を回して待機しており地下鉄サリン事件以降幾度となく実施されてきた対テロ合同演習を思わせ、常日頃の訓練がようやく実を結ぶ日が来たのだ。

 警察車両に挟まれ、“武装した”装甲車にトラックは続く緩い坂を下り、37連隊勤務隊舎前を抜けて正門に出る。

 信太山駐屯地の正門にはマスコミが待ってましたとばかりにカメラを向けた。

 シャッターが切られ、フラッシュが小窓から薄暗い装輪装甲車の中を照らす。

 パトカーに続いて回転灯を回す小型トラック(パジェロ)が現れ、ミニミ軽機関銃を据えた軽装甲機動車や、40㎜てき弾銃やM2機関銃を装備した装輪装甲車(WAPC)が続き、その後ろに120㎜迫撃砲RTをけん引した重迫中隊の高機動車が行く。

 

「ただいま自衛隊が出発しました!戦車でしょうか?車両には武装が施されています!」

 

 女子アナウンサーの甲高い声がエンジン音を貫くように響き渡り、停電地域以外のテレビ番組に中継映像が流れた。

 晴樹は前を行く小型のブレーキランプや周囲の交通を確かめながら走る。

 車間長は10mをキープして、アコーディオンのように車列が伸びたり縮んたりしないように走り交差点を抜ける。

 停電という事もあって混乱が予想されていたが、事前に警察と白塗りの小型トラック……警務隊が交通整理をしてくれていたようでスムーズに抜けることができた。

 沿道には多くの人が集まり、興味深そうに自衛隊の車列を眺めている。

 その頃、河内長野市の山林ではネウロイが鉄塔を降りて、周囲を囲うパトカーや木々を蹴散らして何かを探すようにのそのそと彷徨い始めていた。

 ラジオにノイズが入ったかと思うと、正体不明の移動体が出現したという情報が入る。

 尚樹がフルセグのテレビ画面に切り替えるとそこには塔の上から降りようとする巨大な4足歩行の何かがいた。

 

「尚樹さん!ネウロイが!」

「こいつはネウロイじゃねえか!やっぱいたのかよ!」

 

 大きさからして、おそらく母艦級だろう。

 金属を食べてエネルギーも補充しているのだからいつ兵隊ネウロイが生産されてもおかしくない。

 直枝は叫んだ。

 

「早くなんとかしねえと増えちまうぞ!」




お待たせしました
いよいよ、自衛隊とネウロイの大決戦が始まります。

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普通科の本領

 2017年7月21日12時40分過ぎ

 

 黒い巨体は紅白に塗られた鉄塔から手足を使い、するすると降りる。

 

「動いた!」

 

 停電という事もあって駆け付けた関西電力の社員の誰かが叫んだ。

 

「あいつ、こっち来よったぞ!」

「逃げろ!」

 

 ネウロイは鉄塔周りにいる社員と作業車の方へと向かって歩き始める。

 歩幅が大きく、このままでは民間人が巻き込まれてしまう。

 警察官たちも報道ヘリの撃墜によって、あれが警察力だけでどうにかできる存在ではないことを実感していた。

 しかし、国民の保護は自衛隊だけではない、警察の使命でもある。

 ある警察官はとっさに腰の自動拳銃を抜いた。

 

「こっちを見ろぉ!」

 

 拳銃の使用は後に適正であったかどうかを問われるが、いま、この状況は急迫不正の侵害が起ころうとしているという状況ではないかと彼は決心したのだ。

 相対するのは逃げ出した闘犬でも、クマなどの猛獣でもない未知の何かで、撃ったら光線で反撃されるだろう、そうなれば死ぬ。

 フッと家族の顔が出てくるよりも先に、体は黒い巨体の中央に照星を合わせ、引き金を絞る。

 いつもの薄暗く狭い射場とは違ってやけに軽い、クラッカーのような音が4度山中に響き渡った。

 

 射弾は跳弾することもなく消えた、貫通したのかそれとも巨体の中へ留まっているのか。

 決死の射撃は何の痛痒(つうよう)も与えていないに等しかったが、何かが放たれたことに気づいたのか向きを変えてやって来るネウロイ。

 警察官たちは電力会社の社員が逃げてゆくのを確認すると、藪の中へと散り散りに逃げた。

 そのまま母艦級ネウロイは主の居ないパトカーを踏みつぶし、のそのそと山間部の道路に出た。

 麓から続く道路の封鎖は完了しているが、あくまで民間車輌の進入を阻止するのが目的であり全高10.5m、長さ約20m近くある巨体の前では足止めにもなりはしない。

 20mとはだいたい電車の1両分ほどの長さで、バランスのとれた太く角張った脚が地面をしっかりと捉え、進路上にある駐車車両を前足で跳ね飛ばしながら進んでゆく。

 府警ヘリ“おおたか”が距離を取って動向を監視しているが、ネウロイと戦った人間からすると距離などあってないようなもので、迎撃しようと思えばいつでも光線が飛ばせる距離にあった。

 どういうわけだかウィッチ世界のように“飛行物を捉え次第無条件に薙ぎ払う”のではなく、一定の距離より離れているものに対しては静観を決め込みただひたすらに何処かへと前進し続けていた。

 

『目標は西進中、このままの速度ではあと20分で市街地に到達します!』

 

 府警ヘリからの情報が、大阪府庁・河内長野市役所内に設置された対策本部や政府の危機管理センターに送られる。

 もっとも、府や市の対策本部は開設されたばかりであり、停電の被害や各所から寄せられる通報などによって情報が錯綜しあまり有効に機能しているとは言いがたかかった。

 内閣総理大臣・安芸信一郎(あきしんいちろう)は外遊先で“黒い脅威”の出現を聞き急きょ官邸に戻り閣議を開いた。

 防衛省自衛隊は大阪府知事による出動要請を受けており、最初は停電に伴う給水支援であったが先日、航空機を撃墜した“敵性体”が原因だと明らかになると、“治安出動”へと切り替わったのだ。

 治安出動における情報収集で出動した第37普通科連隊本管中隊偵察オート班は山中に停車し、目標の姿を捉えた。

 

『目標発見、大きさは目測で10mくらい、長さは15mから18mくらいで赤いパネルがある、送れ』

「了解、引き続き監視せよ。終わり」

 

 座標を告げると、中隊の備品である青いテプラのビデオカメラで撮影する。

 こうした映像が本部や部隊の指揮官たちによって部隊運用に活用されるのだ。

 

 ___

 

 その頃、尚樹たちは電気の止まった家でどうすべきかを話し合っていた。

 室温で温められてぬるい麦茶に、溶けかけのアイスクリームを食べながら。

 

「それで、増えるってどういうことだ?」

「デカいやつは小型の兵隊ネウロイを作れんだ。で、20も30も兵隊がわらわら湧いてくる」

「尚樹さん、兵隊はコアが無かったり歩兵でも撃破できるんですけど……」

「それでも光線やら実体弾を撃ってくるし、回復があるからウィッチみてーにはいかねえけどな」

「マジかよ、となると厄介だな」

 

 ウィッチであれば中型から大型攻略のための露払い程度の相手だが、小銃やよくて対戦車ロケットなどの軽火器中心の軽歩兵部隊にとってはたとえ3~4体であっても部隊壊滅の危険がある脅威なのだ。

 撃ったそばから回復されて、お返しの光線で蒸発する……そんな悪夢のような情景が脳裏をよぎった。

 

「援護に入るとして、武器はひかりちゃんの機関銃が一丁だけ。ストライカーは飛べるかどうかわからない」

「さっきインカムも試したがなんも聞こえねえ」

「これじゃ、飛べませんね」

「通路が開いてりゃエーテルが流入するんだけどな」

「13㎜も30発しかありません……」

「30発か、89式(ハチキュー)の弾倉一個分か」

 

 弾も、ユニットの飛行能力も、魔法力も無い。

 ひかりと直枝の体内に残っている魔法力を底まで出し尽くしたところで、シールド2回分あるいは射弾40発分しかないし直枝の“剣一閃”なんか撃てるはずもない。

 これでは戦いにもなりやしない、そう思った。

 

「くそっ、俺たちが居ながらネウロイをぶっ倒せないなんてよ」

「あきらめたく……ない!」

 

 直枝とひかりは悔しかった。

 倒すべき相手がすぐそこに居るにもかかわらず、何もできず見ているだけ。

 尚樹は考える、魔法力が少ない状況でどうすればふたりが戦えるかと。

 その候補として挙がったのは初動部隊の敗退という結果を織り込んだもので、弟の居る部隊を犠牲にするという発想に尚樹は頭を抱える。

 だが、犠牲無しでネウロイが撃破できたのなら、出番がなくともそれはそれで良いのではないかと開き直った。

 

「最悪な話、銃と弾は撃破された部隊から借りるとして、魔法力はどうするか」

「とりあえずは甘い物食って回復……したらいいけどな」

「大気中のエーテルが少ないから魔法も回復できないかも」

 

 ひかり達ウィッチにとって魔法力の回復方法は甘味による「精神的負荷の軽減」と「カロリー摂取」によるもので、どういう原理で魔法力が生産されて体に溜まっていくのかあまりよく分かっていない。

 ただ、植物の葉緑体が二酸化炭素と日光で光合成して酸素を生み出すように、ウィッチの素養がある女性の体内の何か(諸説あり)が空気中のエーテルと反応し、化学式こそ書けないものの魔法力を作っているという事は知られていた。

 

「ひかりの言う通り、俺たちの魔法っていうのは向こうだからポンポン使えるんだ」

 

 やはり、魔法が使えないただの女の子を危険なところに連れていくのには無理があるのかもしれない。

 そして、ただの町工場の自動車整備士である尚樹は今、無力だった。

 

 ___

 

 信太山駐屯地を出た第37普連が信号も止まった府道を走行している頃、三重県の明野(あけの)駐屯地に所在する第5対戦車ヘリコプター隊ではスクランブル発進の準備が行われていた。

 前方投影面積を絞った細い胴体にシーソー型ローター、そして反射方向を制限するための角型風防が特徴の毒蛇(コブラ)たちは、電源車から電源を貰って離陸準備を整える。

 その両側のスタブウィングには38発の70㎜ロケット弾と8発のTOW対戦車ミサイルを満載し、これが実戦であることを雄弁に物語る。

 AH-1Sは航続距離が短く“満載状態”だとあまり飛べず長時間滞空して攻撃のタイミングを伺うなどと言う運用が難しい、そのため八尾駐屯地を経由して攻撃を行うのだ。

 ヘリパット上にAH-1Sと数機のAH-64D、そしてOH-1観測ヘリが整列して一斉に飛び立ち、攻撃開始前の前線飛行場である八尾駐屯地を目指す。

 

 一方、八尾駐屯地の中部方面航空隊UH-1Jヘリコプターは第3偵察隊の偵察隊員を投入するためすでに飛んでおり、千僧駐屯地で偵察隊員を乗せた後河内長野市付近に展開するのだ。

 

 足の遅い特科や戦車部隊はおそらく間に合わない、そのため情報収集後、機動力に優れた普通科連隊と戦闘ヘリによる機動火力で圧倒し可能であれば撃破、または足止めに徹する。

 そこに築城基地の爆装したF-2戦闘機がJDAMによる精密爆撃を行い、場合によっては空対艦誘導弾を発射する。

 人口密集地において無誘導の500ポンド爆弾をドカンドカンと落とすわけには行かないのだ。

 

 航空自衛隊の記録や情報提供者の話より“ネウロイ”は高度な自己修復機能および自己増殖機能を有するとし、特に大型種においては兵隊と呼ばれる小型種を多数生産することがある。

 したがって大火力を至短時間に集中して小型種の生産前に叩かなくてはいけない……幕僚たちはそう考えたのだ。

 空自の幕僚達にとっても、空対空誘導弾程度ならすぐに自己修復して逆に光線によってF-15が落とされていく大阪上空の悪夢が脳裏にちらついて離れず、今度は安全な距離から高火力の攻撃をしようと決めていたのだ。

 

 

 先頭を走る連隊長車は道の駅兼農協の直売所に停車し、そこを前線指揮所として連隊は接敵に備える。

 先行していた偵察オート班や画像情報収集中のUH-1から情報がもたらされる。

 

『敵は北東方向より時速30キロほどで接近してくる模様』

 

 この情報を受けた各中隊は随行する3トン半トラックより下ろした弾箱(だんばこ)を開梱する。

 基本的に()()()()のため各弾薬は木製の弾箱および紙箱に梱包された状態で持ち運ばれ、射場で武器陸曹および弾薬係が各隊員に渡すのだ。

 開設された“弾薬交付所”で5.56㎜小銃弾と書かれた開梱済みの弾箱から即応弾として30発弾倉がひとり4個で手渡される。

 一方、機関銃手は機関銃弾帯を受領し、金属製の弾薬箱に詰めて車両へと運ぶ。

 

「半装填よし」

 

 小銃班はキャリバー50や7.62㎜機関銃に弾薬箱から引き出したベルトリンクを差し込んだ、これで槓桿(こうかん)を引けばいつでも撃てる“完全装填”となる。

 5.56㎜弾を使うミニミ機関銃手も同じく半装填状態で携行するのだ。

 弾薬交付所の業務天幕から出た晴樹は小銃弾倉を弾納に詰めると、軽装甲機動車に据えられたキャリバー50のための12.7㎜機関銃弾受領に向かった。

 すでに機銃手の亀山士長は“50のガンガラ”を二つ運んでおり、残りひとつであり晴樹も参加する。

 ハッチの真下の銃手台の後ろに二つ積み込み、銃架にセットしているガンガラの弾が切れたらそこから取り出すのだ。

 いよいよ実戦だ、演習であればここまで弾を積むことはまあまあない。

 その隣で重迫中隊は牽引車両から120㎜迫撃砲RTを外して底板をアスファルト舗装の上に下ろした。

 射撃開始線は多くの住民がいる河内長野市主要部の手前に設けられ、警察や消防による住民たちの避難のための時間を稼ぐのである。

 道の駅を出た車列は金剛山方面に繋がる旧道へと向かい、防衛線付近に展開した。

 路肩に停車すると息を潜め、双眼鏡で山道を監視する。

 車載機銃や自動てき弾銃、軽迫撃砲に加え、無反動砲や110㎜対戦車ロケットを構えた隊員と、89式小銃の先端に付けられた小銃てき弾の火力で圧倒し、撃破に至らずとも対戦車ヘリによる航空攻撃、ひいては航空自衛隊機による近接航空支援までの時間稼ぎを行うのだ。

 

『目標、敵脚部付け根、射撃用意、指命(しめい)

 

 連隊長の号令が各車載無線機及び個人無線機から流れてくる。

 

「弾込めよし、タよし!」

「アホッ!こんな時や、連発にせぇ!」

「レよし!」

 

 “射撃用意”に弾倉を小銃に挿すと、スライドが前進し閉鎖されカシャンという金属音が連なる。

 いつもの小火器射撃検定の感覚で“単発”にする者もおり、指摘されて“連発”へと戻す。

 陸上自衛隊が演習場外で射撃を行うのは、1960年の谷川岳宙吊り遺体収容以来であり、初の治安出動、危害射撃の相手がまさか人間ではなく正体不明の存在であるとはだれが予想できたであろうか。

 

 __あと少し、あと少し。

 

 隊員の中は自分が死ぬかもしれない恐怖を、非現実的な状況であることの興奮で覆い隠す。

 ある隊員は無心で照星の先のネウロイを睨み、命令を待つ。

 頭の中でかの有名な『自衛隊マーチ』がエンドレスで流れる者も居たし、家族のことを想う者も居た。

 

 ある隊員は自分の半生について思い返す。

 彼女が妊娠したことから大して好きでもなかった大学を中退し、両親、義両親に養育費を借りながら自衛隊に入隊した。

 ときどき発作のように辞めよう、辞めようと思いながらも子供の養育費のために残って7年……陸曹になってそれこそ“足抜け”は難しくなって今に至る。

 自分は今からわけの分からない怪物と戦って死ぬかもしれない、だが、それでは子供はどうなる?

 答えは出ない。

 

『撃て!』

 

 

 先ほどから公民館のスピーカーがJアラートの放送を流し、スマホが喧しくエリアメールで避難を呼び掛けている。

 尚樹たちはそんな中、おとなしく避難するわけもなくパジェロと居間を行き来して情報収集に務める。

 車にはカーナビの他にエアコンがあり、アイスを食べ終えた直枝らがちょくちょく涼みにきていたため車内は結構冷えている。

 避難したところでネウロイを倒しきれるかどうかわからないし、参戦するにしてもタイミングを間違えれば弾切れあるいは魔法切れであっという間に無力化されるのだ。

 尚樹は弟の晴樹に電話しようかとも考えたが、おそらく出ている暇はないだろうし、なによりも非常事態という事もあってデータなどにも通信制限がかかっているだろう。

 パジェロの中のテレビ画面には駐車車両をぐしゃりと踏み越えて街へと前進するネウロイの姿があった。

 テレビ局のヘリコプターもいつ撃墜されるかわからない中で、懸命にネウロイを追って撮影を続ける。

 画面の端に迷彩塗装の施された車両が映り、機関銃手がハッチに立っている様子がわかる。

 防御ラインを超えたネウロイの脚に対し、赤い曳光弾の火線が集中した。

 

『今、自衛隊が撃ちました!黒い移動体には効いていないようです!バズーカ砲でしょうか?ここからでも発射炎が見えます!』

 

 ヘリコプターに乗っている男性記者が興奮気味にまくし立てる。

 カメラが森に合わせられ、数方向からのカールグスタフ無反動砲の後方発射炎が映った。

 榴弾が命中し、破孔が出来るもじわじわと埋まっていき、ネウロイが金切り声を上げた。

「マズイ!」と誰かが叫んだ時、ネウロイの赤いパネルが光を放った。

 無反動砲射手の居た森へ光線が飛び、2秒間の放射は木々と地表を焼いた。

 直撃すれば跡も残らず消し飛び、当たらなくとも熱で死ぬ。

 

『光線です、光線が撃たれました!』

 

 怪獣映画のような“戦闘”をお茶の間で観戦していた人々はこの非現実的な光景に熱狂した。

 一方、現場の隊員たちはコピー機など高電圧の機器から発生するオゾン臭のような物を感じた。

 武内晴樹士長は2中隊の無反動砲射手の最期を目の当たりにした。

 新隊員教育隊での同期だった柴田士長と後輩たちは一瞬で光に消えてしまったのだ。

 

『各車、射撃後は直ちに離脱し一つの射点に留まるな!』

 

「ツツジ了解!」

「カエデ了解!」

「ツバキ了解!」

「ボタンヒトサン了解!」

 

 第一中隊“ツツジ”、第二中隊“ボタン”、第三中隊“カエデ”、第四中隊“ツバキ”という符丁であり各中隊にはマルマルからヒトヨンまであるが、“ボタン”は先ほどの射撃で歯抜けのようになっていた。

 2中隊の中隊本部のマルマルとWAPCを運用しているヒトヒトは難を逃れるも3トン半から下車して展開していたヒトニ、ヒトヨンは先ほどの射撃で全滅し、応答がない。

 本部管理中隊の施設作業小隊によって事前に地雷処理用の梱包爆薬とバンガロール破壊筒が仕掛けられているポイントにネウロイが差し掛かった。

 

「点火!」

 

 チューブ状の導爆索に点火されるとビニルチューブの中のペンスリットが超音速で燃え、梱包爆薬に巻き付けた雷管に爆轟圧力を伝えて起爆させる。

 梱包爆薬の爆圧によってバンガロール爆薬筒も殉爆しネウロイの接地面と下方を襲った。

 アスファルト舗装の路面を深く抉るような爆発に、第3中隊の軽迫撃砲小隊の81㎜迫撃砲L16が急な放物線を描いて降り注ぐ。

 岩の影など直射火力に曝されない位置からの射撃であり、前足に大きなダメージがあって崩れた前傾姿勢を立て直そうとしているところを押さえこむ。

 

「目標発光を確認!」

「来るぞ!」

 

 苦し紛れに薙ぎ払うように光線を放つネウロイだが、地表よりだいぶ上を掠めて道路標識の一部と少し離れた斜面の擁壁の一部を削るにとどまった。

 確認できた自己修復能力から装輪装甲車の重機関銃や自動てき弾銃によるタコ殴りも効果が薄く、応射によって壊滅する可能性がある事から作戦は次のステージに移行した。

 

 道路が一望できて撃ち下ろせる斜面上に展開していたM2搭載LAVとWAPCも慌てて後退して陣地変換を行う。

 

「各車離脱、予定通り後方射点へ移動!」

「了解、モリ!後方確認せえ!後退用意、あとへ!」

「了解、後方よし!」

 

 車長の小山2曹の号令に森本士長はハッチにしがみ付きながら叫ぶ。

 

「後へ!」

 

 赤い光がパッと視界に入った。むしろ視界が赤く染まった。

 自動速度取り締まり機のフラッシュとは比にならないレベルの閃光だ。

 

 とっさに晴樹はステアリングをいっぱいに回し、Rレンジに入れてアクセルを踏んだ。

 

「うぉお!」

 

 強い遠心力によろける森本士長、そのすぐ上、稜線にネウロイの赤い光が過ぎ去った。

 残像で目をやられそうだ。

 ガツンという衝撃と閃光に軽装甲機動車に乗っていた全員が死んだと思ったが、下り斜面だったこともあり奇跡的に生き残っていた。

 行き過ぎた!とブレーキを力いっぱい踏み込んだが間に合わず底板が岩の上に乗り上げて動かなくなった。いわゆる“カメ”という状態だ。

 

「いてて、みんな無事か?」

 

 小山2曹は後ろを見ながら問いかける。

 演習中の事故においても投げ出されたり、衝撃で体をハッチの縁に強打したりとLAVの中で一番死亡率の高いガンナーズハッチの森本士長を見る。

 彼が生きていれば車中の隊員はまあ無事だろうという読みだ。

 

「森本士長、生きてます!」

 

 彼はしゃがみ、鉄帽を被った頭が車内を見回す。首は付いてるようだ。

 光線通過の熱気とストレス性の発汗で顔に塗ったドーランがどろどろに溶けて落ちかかっていた。

 

「痛った、むち打ちじゃなかったらええなあ……、で、何があった、ぶつかったん?」

 

 左後部座席にいた杉下3曹は衝撃で痛む首を押さえながら言った。

 

「下がり過ぎて岩に乗り上げました、すみません!」

「マジか」

「しゃあないな、全員下車して他に合流するぞ!」

「了解!」

 

 回収は直接支援中隊の装輪回収車に任せ、動かなくなったLAVを降りて戦闘を継続するのだ。

 一般車と違ってドアノブを下におろすと、バムッという音を立てて高張力鋼版で出来たドアが開いた。

 外にはまだ熱気が漂っており、光線通過時の熱で稜線近くの木が燃えていた。

 

「凄い威力だなありゃ」

「よく生きてたよ俺達」

 

 7.62㎜弾や12.7㎜弾に耐えうるとされる装輪装甲車の装甲もあの光線の前ではあっという間に溶け落ちるだろう。

 となると、装甲車に乗っていたところで棺桶には変わりなく、散開して戦った方がまだ生き残れるかもしれない。

 

「マルマル、こちらツバキヒトヨン、車両がカメになった。これより下車戦闘に移る。送れ」

「了解、指定場所に合流せよ。幸運を」

 

 小山2曹がダッシュボード上に置いた車載型のコータム(広帯域多目的無線機)のタッチパネル端末を操作して中隊本部と連絡を取っていたその時、森の向こうに爆発が見えた、おそらく光線が掠めたか何かで焼失してタンクの軽油が燃えたのだろうとクラクラする頭で晴樹は考えた。

 

 読みは当たっており、地面を舐めるような攻撃に不幸にも2台の3トン半トラックが犠牲になり、44名の隊員が殉職した。

 犠牲を出しながら後退したところに、上空から嫌な音が響き渡る。

 重迫中隊の120㎜迫撃砲弾が光線をやたらめったらと乱射するネウロイに降り注いだ。

 

「初弾、弾ちゃーく、今!」

「砲弾落下!」

「来たぞ!」

 

 威力のある迫撃砲弾がほぼ垂直に近い角度で落下し命中、着発信管が炸裂する。

 まるで総合火力演習のような映像に視聴率は58.2%と高く、停電エリア以外の地域では殆どが緊迫の映像をじっと見ていた。

 尚樹たちも例外ではなく、ネウロイが光線を乱射している様子を見ていた。

 

「くそっ、これじゃ戦車が来る前に終わっちまう!」

「戦車でも勝てねえよ、尚樹、俺たちを連れて行ってくれ!」

「そうです!尚樹さんの弟さんも……」

「……アイツがそんな簡単にくたばるタマかよ」

 

 尚樹としても心配だったが、画面の前でうだうだ言っても何にもならない。

 願わくば最初の攻撃で蒸発していないことを祈るばかりだ。

 

「尚樹さん!あれって!」

「“カメ”になってんのか……うん?」

 

 映像の隅の方に岩に乗り上げて擱座した軽装甲機動車が一瞬だけ映った。

 下車して離脱する隊員たち、ガンナーズハッチ上にはM2重機関銃が残されている。

 ひかりはあれを使えば戦えるのではないかと思った。

 戦車大隊に配備されていたものと違い、M2が取り付けられるように改造が施されている普通科のLAVに尚樹は驚いた。

 

「尚樹さん、あれを使えば戦えますよ!」

「マジかよ、キャリバー50って重量38キロあるんだぞ」

「魔法力の補助がありゃ大丈夫だ、リベリオンのウィッチはアレ持って飛んでる」

 

 真剣な表情で覚悟を決めた直枝とひかりの様子を見て、尚樹は決心した。

 このまま我関せずを決め込んだところで、結局は関わらなくてはならなくなる。

 この世界に残ってもらうにせよ、元の世界に帰ってもらうにせよ、ネウロイの脅威はどちらにせよ取り除かなくてはならないのだ。

 

「……わかった。そうまで言うなら行こう。ま、どうにかなるだろ」

 

 尚樹はひかりの九九式二号機関銃を積んで、出発の準備をする。

 その際押し入れにサバゲに使用していたウエストポーチがあったので、救急箱の包帯と絆創膏に加え、ミルク飴を入れて持ってゆく。

 

「まるで陸戦ウィッチだな」

「そうですね!」

 

 直枝とひかりはストライカーユニットを履かずに走り回る陸戦はあまり経験が無い。

 撃墜されてユニット回収班と共に戦ったニパはスオムス人であり、直枝たちにとってはそういう民族であるので自分たちとは違うと思っていた。

 こうしたイメージは主に、アウロラ大尉や出会うスオムスウィッチが原因である。

 直枝の脳裏にいつぞのアウロラ中尉(当時)との会話がぱっと思い浮かんだ。

 

 __弾薬なんてすぐに尽きる、だからそこらにあるものも武器として利用したんだ。

 __必要に迫られればできる。というより、やる。

 

 木や石すら利用して戦ったアウロラの逸話から直枝は考えついた。

 剣一閃こそできないものの、射撃に回す魔法力を何かに伝えて殴ればいいのではないかと。

 

「管野さん、銃はどうしましょうか」

「おめーが使え、俺はこいつを使う」

 

 直枝はパジェロに積んでいた折り畳みシャベルを握った。

 まるで第一次世界大戦の塹壕戦のような装備に、尚樹は思わず尋ねた。

 

「直枝ちゃん、エンピで大丈夫か?」

「ああ、扶桑のウィッチなんだ。最後の決は格闘って決まってんだ」

 

 “最後の決は我が任務”というのは陸軍の歩兵だろうと思いつつ、尚樹は頷いた。

 尚樹とひかりは知らないが、刀を持って戦う扶桑ウィッチも居れば、発射済みの火器で殴ったりするウィッチも居るのだから、あながち間違いとも言い切れない。

 ひかりと尚樹が陽動・射撃を行って引き付け、直枝が遮蔽物に隠れつつ肉薄、回収した銃器で直下より射撃を行うのだ。

 ひかりを突撃させることで接触魔眼によってコアを特定し撃破するというのも考えたが、接触するまでが危険であり、作戦中に生まれたての小型ネウロイ程度であれば魔法力を込めたエンピの刺突で倒せるため、直枝が志願したのだ。

 戦闘のための装備を整え、白銀のパジェロはネウロイの進行方向である河内長野市外へと出発した。

 




お待たせしました。
感想、ご意見等お待ちしております。
明日、4月22日は信太山駐屯地にて 創立61周年記念行事が行われますので興味のある方はぜひ行ってみてください。


最近6連勤が続き、多忙のため感想返しも追いつかないですが楽しみにしております。


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オメガ・ダウン

自衛隊戦闘編、対戦車ヘリコプター回
陸上自衛隊ヘリは一部の部隊を除き、機種によってコールサインが決められています。

アパッチ=AH-64D
アタッカー=AH-1S
オメガ=OH-1
ハンター=UH-1J

ヤマト=第3飛行隊(八尾)


 光線による第2中隊、並びに第3中隊の損耗に連隊(37i)本部、第3戦闘団(3rd RCT)に衝撃が走った。

 斜面や森を薙ぎ払うような光の帯によって、コンクリート製の擁壁がひどく焦げて道路標識を消し飛ばし木々が燃える。

 この凄まじい情景に当初考えられていたような発煙弾による光線威力の減衰は望めず、むしろ我が方の観測が阻害されると発煙弾の投射は行われなかった。

 眼球のような物もなくどのような手段をもって外界の状況を知覚しているのかも見当がつかない。

 ただ分かることは、攻撃されたであろう地点に向かって的確に応射する能力がある事だけだ。

 それによって照明弾から榴弾まで多様な弾を発射でき比較的安価な“84㎜無反動砲(84RR)”も、“パンツァーファウスト3”の名で知られる110㎜個人携帯対戦車弾(LAM)も失ったのだ。

 

「化け物め!」

『目標、重迫の破孔が塞がっていきます!』

「迫でもLAMでもいいから撃ちこめ!」

「……無反動砲射手が先ほどの光線でやられました」

「くっ……誘導弾は!」

「射点に到着しました、遮蔽物の影から射撃します」

 

 岩などで掩蔽された射点に3脚で据え付けられた“中MAT”こと87式対戦車誘導弾、あるいは個人携行型の01式軽対戦車誘導弾、通称“軽MAT”が火を噴く。

 これらがすぐ撃たれなかった理由としては1発あたりが1260万円ほどと()()であるという事に加え、目標がどのような性質を持っているか確かめるためであった。

 特に軽MATは赤外線画像誘導方式であり車両などの高温体に向かってはロックオンおよび射撃ができるが、周囲の地物に比べてあまり熱を発さない陣地などの目標に関しては熱探知ができずシステムが起動しないので射撃できないのだ。

 現在であれば、迫撃砲の直撃を受けて熱を持っているはずであり十分に射撃ができる。

 

「後方の安全確認、目標、“移動体”撃て!」

 

 後方爆風と共に青空にシューンと抜けるようなロケット推進音が響き渡り、青白い煙を曳いてレーザー誘導の目標に飛び込んでゆく。

 別方向より発射された対戦車誘導弾は一度大空目掛けて上昇、ロケットモーターを止めて事前に入力された“それ”をシーカーで捜索する。

 低く、藪を抜けるように飛ぶ低伸弾道の中MATと目標上面を狙うダイブ・モードの軽MATがほぼ同時に突入した。

 中MATが脚の付け根に命中し、きつい放物線を描いてほぼ真上から軽MATの弾体が飛び込んで起爆する。

 ただの偶然か、それとも軽MATのシーカーが大きな熱を捉えたのか光らんとするネウロイの赤いパネルに直撃したことによって反撃を阻止したのだ。

 

「命中、続いて撃て!」

 

 装備の隊員たちはまだ熱い発射筒を交換し、2発目を叩きこむ。

 対戦車誘導弾装備の第4中隊の攻撃はネウロイのパネルをある程度まで破損させたななら光線を阻止できるという知恵を授けた。

 ただ、誘導弾の単価も高く自己再生する相手に延々と撃ちこみ続けるわけにもいかず、81ミリ軽迫撃砲による間接射撃で時間稼ぎと光線発射を阻止する方針に移行した。

 

 

____

 

 

 河内長野市郊外へ向かって尚樹は走る。

 停電と避難指示で街は動きを止めたかのようで、持ち主はどこかに避難しているのか路肩にはキーのささった車が止められており、道路の中央線上をゆく。

 カーナビの画面の中のネウロイに次々と迫撃砲が撃ちこまれる。

 直枝は的確に屈折パネルを撃ち砕く恐ろしいほどの精度に舌を巻く。

 

「全弾命中って嘘だろ……」

 

 尚樹は道路前方を塞ぐようにバンタイプのパトカーが停車しているのを見つけた。

 後部ドアからコーンと矢印表示板を下ろしていた若い警察官が尚樹のパジェロの前にやって来た。

 轢くわけにもいかないので、一時停止してサイドブレーキを引いて窓を開けた。

 もちろん動き出さない程度に軽くアクセルを踏むことも忘れない。

 

「住民の方ですか?ここから先は危険です!」

「わかってるよ、だから行くんだ」

 

 尚樹は警察官がドア側に寄ってきたところでサイドブレーキを放し急発進した。

 避難指示をして、民間人を入れるなと指示を受けていた交通課の巡査はあっけにとられ、叫んだ。

 

「こら!待って!待てや!おい!」

 

 パトカーと矢印表示板の間を抜けて、右折すると追ってきていた警察官の姿は見えなくなった。

 だがすぐに、赤色灯を回して避難を呼びかける消防車とすれ違う。

 避難地域の至る所に警察官や消防官が出動しており、火事場泥棒などの警戒と共に、危険地域に野次馬やマスコミを入れないよう警備に当たっているのだ。

 特に接近経路と思われる山道へ通ずる道路には重点的警備態勢が敷かれ、機動隊が動員されていた。

 青と白色の2色で塗装された“機動隊バス”こと大型輸送車2台が道路を塞ぎ、大型輸送車の間には可搬式の車止めが置かれており、さらに戦闘態勢にある機動隊員が固めていた。

 地域の警察官だけでは強行突破されるおそれがあったためで、今も尚樹の視認情報は報告されていた。

 

『市内にて制止を振り切って走る民間車輌あり、車種はパジェロ、色はシルバー』

 

 機動隊員たちは何処の馬鹿だと思いながらも、道路の向こうを見る。

 戦闘態勢ともあってジェットヘルメットにポリカーボネート製の大楯、ドイツ製のMP5J機関拳銃こそ装備しているが謎の移動体にとっては何の役にも立たないだろう。

 しかし、この緊急事態において指示を無視し住民を危険に晒すものに対しては十分だ。

 武装していることによる示威効果から大人しく避難してくれればそれでいいし、最悪その場で拘束すればいいと彼らは考える。

 

 現に一部マスコミの車両や左派系市民団体の車両が自衛隊の車列に異常接近し、道路交通法違反の現行犯という事で拘束されている。

 大阪15区で当選した国民進歩党のある衆議院議員は、日ごろから戦闘服で「町中を行進するな!」というキャンペーンを行っていた。

 少し前の豪雨災害の被災地でも彼らはトラブルを起こしており、自衛隊の出動が決まってから“警備情報”に上がってきたのだ。

 前回の大阪上空戦についても自衛隊による自作自演説を唱えており、停電ニュースの後で国進党大阪支部から選挙カーが出て行ったという情報も入って来ている。

 突入してくるのが左派団体であったなら活動妨害くらいで済めばまだマシ、過激派が有事の混乱に乗じて武器弾薬を狙っていたとしたならば……。

 沖縄の“米軍基地闘争”に応援として派遣されていたある警察官は思う。

 「人間の敵はやはり同じ人間」なのではないかと。

 

 機動隊員たちが左派団体や過激派の襲撃に身構えている頃、尚樹たちは機動隊による封鎖ラインの手前で停車していた。

 ひかりは機関拳銃を持った警察官を見るが、少なくとも15人はいる。

 抜けるには速度を落とし蛇行して行かざるを得ないバスの位置に、鉄骨をX字状に組んだ車止めが車による強行突破を妨げている。

 尚樹は車止めの効果をよく知っている。手で簡単に移動できるようキャスターとハンドルが付いていて腰ほどの高さしかないが、こと車の突入に対しては威力を発揮する。

 突入車両の接触に半回転して倒れ、そのままラジエターやエンジン下部に刺さった後ボデー下部に潜り込んで路面との間に挟まることによって停止させるのだ。

 

「あれは抜けられんな」

「尚樹さん、どうしましょう」

「どけって言ってもどかねえんだろうなアイツら」

 

 直枝はウィッチが認知されている世界でないことに、歯がゆく思う

 向こうであれば魔法力に目覚めた民間人のウィッチが現地協力者として飛び入り参戦することもごく少数だが起こる。

 そうした時に避難誘導の警察官はウィッチだと名乗ると大人しく道を開けてくれるのだが、ネウロイの居なかったこの世界には魔法力もウィッチもない。

 このとき警察本部では陸戦ネウロイの能力についての聞き取りが行われており、航空・陸戦ウィッチと呼ばれる魔女の存在も同時に伝わっているが最前線にいる警察官たちに伝えられることはなかったのである。

 

「警官も仕事だからね……迂回する道路も無し、監視の緩い森の中を歩いていくしかないか」

「そんなちんたらしてたらアイツが来ちまう」

「そうですね!でも、機銃が重いなあ」

「魔法力節約だったらさすがに重いよな」

 

 かつて戦車に乗っていた尚樹でさえ重量38㎏、運搬時の銃身外した状態で28㎏のM2重機関銃を持って5キロの山野を歩けと言われたら厳しいものがある。

 レンジャー課程修了の偵察隊員ならいざ知らず、何の補助もない小柄な女子高校生には不可能ではないだろうか。

 直枝の発言に尚樹はどう突破するかではなく、どこで待ち伏せるかという事に考えが至った。

 

「逆に、ここまでネウロイが来るのを待つか?」

「尚樹さん、それじゃ街に被害が出ちゃいますよ!」

「ひかりの言う通りだ、でも、あいつらをどうにかしねえと中に入る事すら出来ねえ」

 

 日本の警察の士気は高く、ネウロイが接近しているにもかかわらず忠実に任務を遂行しようとしている。

 それが至る所で戦っていた直枝には“無知から来る呑気さ”と映っていた。

 事実、機動隊員にとってネウロイは未知の相手で自衛隊の出動でも倒せるかどうかわからないが、火力を有する自衛隊が何とかするだろうし突破されたらその時はおしまいだというある種の諦観、楽天的ムードが流れていた。

 むしろ過激派団体の襲撃やら動画投稿のネタ探しにやって来る市民の警戒にピリピリしていた。

 撮影を試みようとしたマスコミのドローンが消し飛ばされたことからもそうした敵性体を刺激するような行動をとられるのは不味いのだ。

 警察の封鎖線で尚樹たちが足止めを食っているところに、遠くから爆発音が聞こえる。

 谷に当たって反響しドン、ドドン、ドンドンと花火大会でもやっているかのようなくぐもった音だ。

 そこに空気を激しく叩くローター音が響き渡る。それも1機や2機ではなく14機のヘリコプターが飛来した。

 

「尚樹、何か来たぞ!」

「ヘリコプターです!」

「対戦車ヘリか!」

 

 見上げると機首下の20㎜機関砲や迷彩塗装の施された胴体に描かれた日の丸、前席のガンナーのヘルメットまでよく見えた。

 細身のAH-1SやOH-1に交じってわずか13機しかいない戦闘ヘリAH-64D、ロングボウ・アパッチも2機やって来た。

 いずれもかなり低く、尚樹たちの頭上をかすめるように編隊は飛び去って行く。

 万が一ネウロイからの射撃があったとしても谷が遮蔽物となるため、編隊は匍匐飛行(NOE)で接近していたのだ。

 OH-1(オメガ)観測ヘリが斜面に張り付くようにホバリングし、キャノピー後方上に設置された赤外線センサー・可視カラーTV複合サイトを向ける。

 

『オメガ1、位置に着いた。指示を乞う』

『こちらオメガ2、目標を捉えた』

『オメガ、周辺警戒と目標の監視を行え』

『ラジャー』

 

 森の中から黒い煙が上がっていて、線状に森林火災が発生していることに乗員は気づいた。

 撃破された3トン半トラックや燃えている木々が一直線になっていて事前情報の光線がいかに高い威力を持つかを証明しているのだ。

 赤外線センサーでざっと捜索したが燃えている車両の近くに人影は見当たらず、破片のような物しか映らない。

 このショッキングな映像は官邸の安芸首相を中心とした内閣、市ヶ谷の陸上幕僚監部、千僧の中部方面総監部に居た人々が息を飲んだ。

 

『ヤマト21、燃料補給に一度戻る、あとを頼む』

『了解、我々に任せろ』

 

 観測ヘリの到着に、命がけで画像を送っていたUH-1が引き継ぐように八尾駐屯地へと帰投する。

 対戦車ヘリAH-1Sは2機ずつに分かれ、その後ろにAH-64Dが待機し戦闘団長からの射撃指示を待つ。

 

『アタッカー1よりキクスイ、配置についた、目標は移動体の赤い部分だな?』

『その通りだ、自己修復を始めているので奴に光線を撃たせるな』

『ラジャー、アタッカー3・4は目標上面を狙え』

『アパッチ1、射撃準備完了、いつでもどうぞ』

『こちら重迫、あと40秒で射撃終了』

 

 120㎜迫撃砲の最終弾がネウロイを打ちのめした時、航空部隊に射撃指示が下った。

 

『射撃開始、繰り返す射撃開始』

『了解、各機、任意のタイミングで撃て』

 

 射撃指示にまずは20㎜からだとばかりに機首下の三銃身20㎜機関砲が火を噴いた。

 大阪空襲ではF-15戦闘機のバルカン(JM61A1)があまり効いていなかったと言う前例があるので、すぐに射撃をやめる。

 続いてアパッチの30㎜チェーンガンが火を噴く。

 こちらは20㎜機関砲に比べて初速も連射速度も遅いが打撃力があり、ある資料では2500mの距離から50㎜の装甲板を撃ち抜ける威力を持っているという。

 アパッチから放たれたM789多目的榴弾は塞がろうとしていた赤いパネルに突入して爆ぜ、ネウロイの白い破片を飛び散らせる。

 それと同時にコブラの20㎜徹甲焼い弾が高初速による運動エネルギーと衝撃で目標の脚の付け根を砕き、ドスンという音と共に胴の部分から崩れ落ちた。

 

『目標、擱座(かくざ)!』

「やったか?」

「さすがにああまで撃たれたら無事では済まないはずだ」

 

 もしここに対ネウロイ戦に慣熟した者が居たらすぐに指摘したはずだ。

 ネウロイはどういうわけか“遺骸を残さない”のだ。

 つまり、原形があるうちはまだコアが機能している。

 

 指揮所内の誰かが言った。

 

「嫌なこと言うなよ、怪獣映画じゃこういう時に……」

 

 彼が言い終わるかどうかというタイミングでそれは起こった。

 崩れ落ちたネウロイが再び、起き上がったのだ。

 赤外線センサーの画像を見るとグレーの胴体の中に白く光るものを見つけた。ネウロイ中央部に高い熱源を感知したのである。

 

『目標に高熱源反応!』

『こちらオメガ2、目標下部に小型種確認10、20、なおも増加中!』

 

 地上に居た偵察隊員からも同様の報告が入る。

 目標はポトリ、ポトリと胴体下から切り離すようにして小型種を生産し始めたのだ。

 カニや蜘蛛の子を思わせるような黒々とした四脚のそれらは、ガシャガシャと音を立てながら散らばって行こうとする。

 セアカコケグモのような黒と赤の毒々しい色合いの小型種は、今まで静観を決め込んでいた大型のものと異なり、観測ヘリを見るやいなや上面の赤いパネルをキラキラと発光させた。

 ネウロイの光線は光よりは遅いため見てからでも避けられ、1.3秒後の本照射が来るまでなら被害は少ないことが救いだった。

 

『撃って来たぞ、回避!回避!』

 

 機体を傾けて斜面に逃げ込んで回避するものの数方向からの光線を避けきれず、OH-1観測ヘリの一機が垂直尾翼に被弾した。

 機体の回転を押さえるフェネストロン型テールローターが半分溶け落ち、ローターの回転トルクによってぐるぐると旋回しながら林へと落ちてゆく。

 

『オメガ2被弾、操舵困難、落ちるぞ!』

『上げろ、上げろ、スティック!』

『あかん!効かへん!』

 

 機首を上げて少しでも緩い角度で降りようと試みているのだろう。

 警報音と共にパイロットの悲痛な声が無線越しに響く。

 辺りに衝撃音が響きわたり、複合素材のローターブレードを撒き散らしながらOH-1は林の中に横倒しになるような形で停止した。

 

『オメガ2墜落、小型目標増加中、一部の集団がオメガ2の方向に変針』

『了解、……アタッカー各機は全武装の使用を許可、何としてもここで食い止めろ』

『了解!』

 

 対戦車ヘリコプター隊は回避機動を取りながら、機関砲を撃つ。

 大型目標と違うのは数発撃ちこむと光となって消える事であり、数こそ居るもののまだマシだった。

 かといって小型の掃討に掛かりきりになっていれば、大型の方の赤いパネルが自己修復を始めるので両方に攻撃をしなければならない。

 

「塞がって来たか、喰らえ!」

 

 あるコブラが機体中央より突き出すスタブウィングにぶら下がっていた70㎜ロケット弾を発射した。

 10発のハイドラロケット弾は塞がらんとしていた赤いパネルを吹き飛ばし、小型種の掃討に機関砲を使っていたアパッチが小型種にもロケット弾を発射した。

 これが功を奏し、小型ネウロイ第一波はあらかた掃討できた。

 生産されたばかりで密集していたことから戦闘ヘリ3機による70㎜ロケット弾の投網をすっぽりと被るような形になり、コアを粉砕されて消滅したのだ。

 

 だが燃料弾薬共に消耗が激しく、いつまでも戦闘ヘリが居続けることはできない。

 航空優勢が保たれている間に墜落機の乗員の救出と決定打となる攻撃をしなければならない。

 大型目標撃破の決定打は74式戦車の装弾筒付翼安定徹甲弾(APFSDS)もしくは航空自衛隊による誘導爆撃となるだろう。

 現在、最も威力がある攻撃手段が重迫撃砲並びに各種誘導弾、ロケット弾であり戦車及び特科群は現在移動中だ、そこで第3戦闘団長の木嶌(きじま)一佐はある決心をする。

 

__37普通科連隊の残存人員をもって墜落機乗員2名の救出及び、攻撃ヘリの補給終了・機甲科の到着まで時間稼ぎを行う。

 

 重迫や対戦車ヘリコプターによる対地攻撃のために後退していた晴樹たちは各中隊混成で墜落機の救出に向かうことになった。

 

「OHが撃ち落とされて20分以上経ってるがまだ望みはある、我々は仲間を見捨てない。行くぞ!」

「応!」

 

 みな怖かったが士気を鼓舞し、救出部隊は山道を行く。

 高機動車3台、装輪装甲車2台と本部管理中隊の救急車2台からなり、車を失った晴樹は1中隊の高機動車に乗っていた。

 シートどころか床に座らないといけないようなすし詰め状態で、携行武器も小銃1丁と心もとないが無いよりはマシだ。

 右へ左へと車が揺れ、車内の蒸し暑さ、幌や汗の匂いも相まって気分が悪くなる。

 

「武内士長、緊張で吐くなよ」

「うるせえ、だったらもっと丁寧に運転しろや」

「定員オーバーで安定感悪いんや、これ以上は無理」

 

 通常10人で乗るところをフル武装の15人で乗っているのだから、重量からコイルスプリングもよくたわみ揺れるのだ。

 装輪装甲車は火力支援として随伴しており、車載40㎜てき弾銃と軽MATが4発積まれているため、人員輸送はもっぱら過積載の高機動車しかいないのだ。

 自隊車両の3トン半やLAVを人員もろとも後退中の攻撃で失った中隊もあり、このような特殊な乗車方法となっていた。

 

「うおっ!撃ちやがった!」

 

 救出部隊の頭上をコブラが飛び、翼下のTOW対戦車誘導弾を発射していた。

 響き渡るロケットの轟音に、誰かが言った。

 ローターが巻き起こすダウンウォッシュで幌がバタつき、窓ガラスがビリビリと震える。

 晴樹はいつだかに見たベトナム戦争ものの戦争映画を思い出した。

 車長が地図と無線で現在地を確認して叫ぶ。

 

「もうすぐで墜落場所だ、下車用意!」

「下車用意!」

 

 低空を飛ぶヘリコプターの凄まじい音の中、叫ぶように復命復唱をする。

 

「下車!」

「下車!」

 

 後部ドアが開くと、自分の小銃を引っ掴み下車して車両後方に集まる。

 救出隊は43人うち衛生隊員は5名の編成で林の向こう側へと前進するのだ。

 ここから800m先では第2波の小型目標が生産・放出されており、小銃手が遭遇すれば命はない。

 それでも、仲間のために彼らはガードレールを超えて林の中へと歩き出した。

 




お待たせしました。

気付けば縁のあった第14旅団が大きく改編されており驚きました。
前々から機動旅団化とは言われていたけれど、いつの間にか14戦や15普連が無くなり新しい部隊になっていたでござる……
なお、ついに3戦車も廃止される模様。さよなら74式。

ご感想・ご意見の方お待ちしております。


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バカ者到着

ワールドウィッチーズ2018買ったはいいけれど508JFWについては全然わかりませんやんか……

修正:いくつかの表現を変更


 2017年7月21日

 

 母艦級大型ネウロイが小型種を生産してOH-1観測ヘリを撃墜したことから救助部隊を編成し向かっているころ、機動隊員が封鎖している道路に動きがあった。

 

「戦車が進入するので、道路を開けられたし……だと」

「いよいよ自衛隊さんも本気だなこりゃあ」

「戦闘ヘリが飛んでるんだ、今更だろう」

「違いない」

 

 敵性体との戦闘開始から3時間、封鎖地域に戦車大隊がようやくたどり着いたのだ。

 74式戦車を乗せた輸送科のセミトレーラー10両、人員車の装輪装甲車(通称:WAPC)が2両、中隊長車の軽装甲機動車(通称:LAV)、燃料のドラム缶と弾薬を搭載した3トン半トラック、そして第3戦車直接支援隊(DS)の戦車回収車(リカバリー)と整備部隊の人員車が続く車列が道の駅に到着し、“第3戦車大隊派遣小隊”が展開される。

 1中隊と2中隊の精鋭で編成された派遣小隊は10両の戦車で構成され、その後方に3DSの戦車回収車が続くのだ。

 戦車大隊の投入によって道路の封鎖は展開を妨げるとして解除されることになり、大型輸送車が道路から離れてゆき障害物は車止めのみが置かれている状態になった。

 

「尚樹さん、バスがどこかに行ってますよ」

「いよいよ警官共もヤバいと思ったんじゃねーのか、いよいよ兵隊が沸いてきやがった」

 

 封鎖場所を監視していたひかりが声を掛ける。

 直枝はテレビでヘリの撃墜を知り、ネウロイが兵隊を召喚して数で押し潰す作戦に出たことに気づいた。

 対戦車ヘリコプターは機動力と瞬間火力には優れるが、回転翼機の性質上、延々と地点を保持する能力には乏しい。 

 そこで投入されるものと言えば、増援部隊、とりわけ火力に優れた戦車部隊だろう。

 

「多分、増援が投入されるからだろうな。時間的に」

「増援?」

「おう、たぶん3戦だ。ちょうど3時間くらいだしな」

 

 尚樹は自分が今津駐屯地から実家に帰ってきたときの事を思い出して言った。

 電車の乗り継ぎで2時間40分、交通状況にもよるが自動車の場合、湖西道路から京都東インターチェンジで名神高速に乗って吹田ジャンクションを経由し、近畿自動車道を通って大阪府に入るのに3時間少々掛かるのだ。

 

「あっ!ヘリコプターが!あぶない!」

「アイツ馬鹿か!動き回んねえといい的だぞ」

 

 ひかりと直枝は対戦車ヘリがTOW対戦車ミサイルを発射する様子を見て叫ぶ。

 誘導兵器についてあまり知識のない直枝は、ロスマン先生のフリーガーハマーみたいな物だろうと思っており、当たるまで見送る新兵のウィッチみたいにパイロットが回避機動を取らないことに驚いた。

 撃ってしばらくは棒立ちのようになってしまうのはコブラのTOWが有線誘導のため目標を捉え続けないとだめだからで、後継であるアパッチのヘルファイヤは撃ちっ放し能力があり撃ってすぐ離脱できるため生存性が大幅にアップしたのだ。

 

 TOWを発射したコブラに数体の小型ネウロイの光線が放たれ、ワイヤが切れないように右へ左へと機体を傾けて回避する。

 援護できる位置にいたアパッチがすぐに30㎜チェーンガンを発砲し、ネウロイは光と砕ける。

 ピタリと空中で静止するようにホバリングして機関砲とハイドラ70ロケット弾、そしてヘルファイヤを撃ち込むAH-64Dと、宙返りこそできないものの機体を大きく傾け機体の機動限界に近いようなマニューバで光線を回避し獲物を狙うAH-1S。

 静と動の組み合わせで兵隊ネウロイの数こそ減らしてはいるものの、どうも決め手がない。

 そのうちにヘリの燃料が切れるか、搭載火器の弾が切れるかの2択が待っているため、このまま20分も30分も戦闘ヘリは使えない。

 惜しみなくロケットや機関砲を使う第5対戦車ヘリコプター隊の様子に尚樹は呟く。

 

「あの様子ならそう長くはもたんだろうな」

「だろうぜ、それで戦車か。でもデカブツの前じゃ歩兵(バタ)どもよりデカい棺桶だ」

 

 直枝の話から、オラーシャにおける陸戦を聞いていたため言わんとしている事がわかった。

 歩兵に比べ正面投影面積が大きい代わりに装甲防護力があるといえ、ネウロイ相手であればその光線出力にあっさり溶かされ、戦車砲も母艦級ネウロイともなると効果はあまりない。

 対人戦争では火砲による衝撃的効果をもたらし、機動打撃力の骨幹である戦車もネウロイという敵性体の前では大きな的にすぎないのだ。

 尚樹は突入した74式戦車が光線の的になって道路上で燃える様を幻視した。

 自衛隊はオラーシャ軍に比べ個々の性能は高いが、火力量自体は遥かに少なく物資の備蓄が少ないことから持続火力がとても小さい。これではいずれは攻撃できなくなり継戦能力を失う。

 介入して被害を抑えるならば今の、このタイミングしかない。

 機動隊員が道路から離れていく様子を見て決心した尚樹はパジェロのシフトレバーをPレンジからDレンジに入れ、サイドブレーキを外す。

 

「じゃあ行くぞ、直ちゃん、ひかりちゃんしっかり掴まって!」

「はい!」

「おう!」

 

 ひかりと直枝はドアやルーフトリムから突き出したハンドルをしっかりと両手で握り込んだ。

 アクセルを踏み込み建物の影から飛び出して車止め前でアクセルを抜き、一瞬だけブレーキを踏んで右、左と荷重移動をさせつつハンドリングで避けると底までベタ踏みで封鎖場所から抜ける。

 キックダウン制御が入ってギアが落ちると、トルクのある3.5リッターのV型6気筒エンジンは2トンと重量のある車体を一気に90キロまで急加速させ、坂道を勢いよく登っていく。

 銃を向けて停車させることも、駆け寄ることもできず呆然と立ち尽くす警察官。

 封鎖解除に伴う車両移動とそれに伴った配置変換の隙を狙って飛び込んできた自動車に機動隊員たちは不意を突かれて突破を許してしまった。

 追うにも隊員を輸送していた大型輸送車は数百メートル離れた駐車場に移動して居ないし、SUVをベースにした指揮車やワンボックスタイプの遊撃車も道路幅確保のために脇道に駐車しているので追跡には間に合わない。

 警察が警戒中のパトカーを向かわせようとしたところに戦車がやって来て、警察は追跡を断念した。

 窓を開けていた尚樹は、爆音に混ざり遠くに“笛吹”と呼ばれる2ストロークディーゼルエンジンの音を聞いた。

 陸士時代、朝から晩まで聞いたヒュオーンという10ZFエンジンの独特の音色はまさしく74式戦車や同じ車台の78式戦車回収車のものであり、味方の戦車の到着に心強いものを感じる。

 

「何の音だ?」

「ナナヨンが着いたのか!」

 

 尚樹たちのパジェロの後方には戦車部隊がいた。

 その戦車には赤い獅子のマークが砲塔前面に描かれ、車体には白い桜花章と3戦1中の文字が記されている。

 

『こちらスズラン、救出を援護する』

『了解!援護頼む!』

『スズラン各車、ヒトマルを先頭に単縦、前方警戒を厳にせよ』

『了』

 

 先頭には1中隊長がおり、2中隊長、中隊長車に続き各中隊の4両となり、10両の戦車は時速35㎞、車間長20mを維持しながら縦陣で戦闘区域に進入する。

 操縦手用ハッチは公道走行という事もあって開けられて顔に熱風が当たる、焦げ臭い嫌な風だ。

 前を行く戦車が路面に付けた黒いゴム履帯の後をなぞる様に続き、速度を一定に保つ。

 

 1中隊の2車の戦車操縦手はどうしてか、ふと新隊員教育時代の事を思い出した。

 後期教育が始まって1か月、機甲科の隊員たちは今津駐屯地で教育を受けていた。

 機甲科の隊員はMOS(モス)と呼ばれる特技に“初級機甲”と言うものがあり、取得のためには戦車・偵察とも()()戦車に乗らなければならない。

 初級機甲MOSは大型特殊免許を取得せねばならず、その錬成を中心にやるのが新隊員後期教育なのだ。

 戦車の装備品や運用について習う“装填手基礎”と実際に操縦する実技演習があり、教育区隊の半数ごとに分けて行われる。

 1区隊が7月から8月の休暇前まで大型特殊免許取得、2区隊が装填手基礎を行い、8月から教育終了の9月にかけては入れ替わるといった具合だ。

 

 彼は“第3戦車大隊新隊員後期教育隊”において1区隊に居た。

 ちょうど7月後半の熱い中、饗庭野(あいばの)演習場内の装軌車訓練場でひたすら戦車に乗っていたのだ。

 班長に怒られながら1・3班が午前操縦、2・4班が午後操縦などと偶数班、奇数班に分かれて戦車に乗る。

 操縦訓練が終われば学科組が冷房の効いた隊舎内で座学を受けている中、普通免許や原付免許などを持っている学科免除組……学免(がくめん)組が、炎天下の中、午前・午後とも訓練場において竹ぼうきでひたすら劣化したゴム履帯が出す“黒いゴムの粉”とコンクリの路面に色濃く着いた“履帯痕”を掃かねばならないのである。

 

 もっとも、大型特殊免許を持っている者以外は大津まで行き免許センターで学科試験を受けなければいけないうえ、内部での小テストでは「常に9割以上とれて当たり前だろ」とプレッシャーを掛けられて落とせばその週の外出禁止が待っている。

 

 学免組には“機械いじりが好きな尚やん”と、“親に反抗して家を飛び出して自衛隊に来た陽平”が居たっけかと思う。

 来る日も来る日も6人で戦車3両、被教育者21人分の履帯痕を掃き続け、“装填手総合”では3人で森の中に潜む敵兵役をやったりと印象深い。

 その時はサルの群れに遭遇し陽平が危うく小銃を奪われそうになったり、立派な角を持った鹿数匹と間近で遭遇して「刺激しないように」と班長や“尚やん”が凍り付いていたりいろいろな出来事があった。

 高島市は山であり、20~30匹くらいのサルの群れが戦車が来ようがお構いなしで我が物顔で闊歩していたりするし、鹿のほか熊も出没する。

 なお、彼は丸一日かけて装軌車演習場整備をやっていた時に、雑嚢(ざつのう)の中の昼飯……携行食をサルに奪われている。

 彼らは3班長が2中隊の陸曹だったことから2中隊に配属となってしまったが、ある年に二人同時に辞めてしまい、その後、クルマ屋をしてるという話を聞いた。

 どうして今になって二人の顔が蘇ったのかわからないが、あの時は大変だったが楽しかったのかもしれない。

 これってアニメやゲームでおなじみの死ぬ前の回想パートじゃなかろうな?などと思いながらも戦車は進んでゆく。

 

______

 

「へくしっ!」

「尚樹さん、大丈夫ですか?」

「誰かが噂してんじゃねえのか?」

「さあなぁ」

 

 尚樹は3戦車もおそらく人事異動で幹部から陸曹に至るまでほとんど別の人間に入れ替わっているだろうと思っていた。

 特に2015年頃より“部隊の機動化”という方針が打ち立てられ、従来までの幹部に加えて「各地域に即応できる隊員にする」という名目で陸曹も全国を転々とするようになったのだ。

 さらに機甲科においては本州から74式戦車を全廃するという方針になって陸曹は九州及び北海道の部隊へと転属になるとともに、陸士は機動戦闘車……MCV教育の後に新編部隊へと組み込まれるようになったのだ。

 「四国を担任する14旅団がその先駆けとして機動旅団へ改編、前期教育の班員が行った日本原駐屯地の第14戦車大隊も解隊される」と、尚樹退職の2014年ごろにはすでにそういう話が出ていたので、同期はもう残っていないんじゃないかと考えていたのだ。

 

 その頃、OH-1乗員救出部隊はうっそうと繁る夏草をかき分け森の中を進む。

 5個班に分かれて進み、先頭を行く班が前方、次の班が右、そして左、後方と上空警戒という風に各班ごとに警戒方向を分担する。

 落下して飛散した大小さまざまな部品が木々の間に挟まり、突き刺さっている。

 上空では未だ戦闘ヘリが射撃しており、誤射はともかくいつ墜ちてくるかわからない。

 むせ返りそうな草の匂いに混じって撒き散らされたオイルの匂い、焦げたような匂い、硝煙の匂いがする。

 

「窪地あり、足元注意!」

「窪地あり、足元注意!」

 

 前方を行く前方警戒員から情報を受け取った救出小隊長が列に向かって注意を喚起する。

 それを列の前から後ろへと伝言ゲームのように逓伝(ていでん)してゆく。

 

「……窪地あり、足元注意!」

 

 どこかで脚色を入れると列の前方と後方で内容が変わってしまうおそれがあるので前の者から聞いた内容を後ろの者へと一言一句そのまま伝えるのだ。

 晴樹は後ろの者へと伝えると、引き続き右方向を監視する。

 もしも敵性体が何かを仕掛けてくるとすれば進行方向に対して2時の方角だ。

 無線からはひたすら小型の敵性体が胴体下部より生産され、攻撃してきているとの情報が入り、戦闘ヘリの残弾も少なくなりつつあるようだ。

 今でこそ小型種の狙いは戦闘ヘリだが、彼らが帰れば次に狙われるのは地上目標……すなわち普通科隊員であり装甲車両である。

 上空援護があるうちに撃墜機に接近しなければ一瞬で多くの隊員を屠った光線と、OHを撃ち落とせる小型種がやって来る。

 

「前方開豁地(かいかつち)、止まれ」

 

 先頭がぴたりと止まり、木々の間の開けた場所を前方警戒員が駆け抜ける。

 道路や開けた場所は敵の監視や火線があるもので、現代戦において一挙に渡ろうものなら発見されて機関銃やその他火砲によって一網打尽にされてしまう。

 そのため回避をするのがベストだが、どうしても横断しないといけない場合においては前方警戒員が安全を確かめて援護を付けた状態で少数ずつ横断するのだ。

 晴樹も低く伏せて藪の中を進むと開豁地の前で停止して、左脚を曲げて左腰を下ろす発進姿勢をとる。

 先に渡った隊員が左右を確かめると、小さく親指を立てた。

 

 __左右よし、前へ!

 

 ハンドサインを見た彼は左手で地面を叩き、左脚で地面を蹴って前方に躍り出た。

 晴樹ともう一人が早駆けで渡る間、渡り切った隊員2人が小銃を構えて左右を監視している。

 幸運にも渡っている最中に小型ネウロイと遭遇することも、死の光線が飛んで来ることも無く、なんとか墜落したOH-1の下に辿り着いた。

 横倒しになり外板はめちゃくちゃ、半分溶かされたテールローターは着地の際折れ飛んで無くなり酷い有様となっておりぱっと見で乗員が生きているかどうかも判断しづらい状況だ。

 

「助けにきました!生きてますか!」

 

 声を掛けながら近寄ると、中から声が聞こえてきた。

 コクピットを覗き込むとシートベルトで固定された2名の乗員がいた。

 

「おう、足が痛てえけど生きてるよ」

「こっちは何とか、あ、いてて」

「要救助者2名意識あり、自力脱出できますか」

「中からじゃ開けられねえ」

 

 前席の浦川二尉が墜落の際に右大腿骨を強く打ち骨折、後席の中野三尉が比較的軽傷で、キャノピーをこじ開けて引きずり出すと自分で立って歩き始める。

 衛生隊員がOD色の担架に動けない浦川二尉を乗せ、来た道を戻ろうとしたとき、それは起こった。

 空で爆発が起こり、救助部隊の方に対戦車ヘリコプターが墜ちてきたのだ。

 思わず伏せる晴樹たちの間近にその機体は突っ込み、ひときわ大きい爆発音がした。

 

「くっ……ううっ……」

 

 土煙が晴れてからよろよろと立ち上がってヘリコプターが墜ちた方を見ると、AH-1S対戦車ヘリコプターは大きく壊れて炎上していた。

 おそらく乗員は助からないだろうし、何より外れたロケット弾ポットが業火に温められておりすぐにでもコックオフ現象が発生しかねないのだ。

 加熱によってハイドラロケット弾が暴発して飛んできたり、あるいは爆発してはたまらない。

 墜落機から離れた所に集合するも人数が4人ほど足りないことに気付いた。

 

「みんな、無事か!」

「2班、今野一士と藤野士長が……ダメです」

「3班、木下士長が……死にました」

「4班、佐野班長が破片の下敷きに!」

 

 コブラの操縦手とガンナーは光線で即死、墜落に巻き込まれ不幸にも3人が殉職し、1人は重体となった。

 晴樹は「嘘だろ」といったが、現実は目の前に広がっていた。

 鉄帽ごと墜落機に頭を持って行かれてだらんと力なく横たわる今野一士、藤野士長と木下士長も医官の診断を待つまでもなく即死だ。

 部品に跳ね飛ばされて血まみれで呻く佐野三曹を担架に乗せて離脱準備をする衛生隊員たち。救出部隊は収容した生存者と重傷者を連れて一度離脱し、体勢を立て直すのだ。

 

「ははっ……何だよこれ……」

 

 晴樹は突然の死に呆然としている一士の肩をバンバンと強く叩く。

 

「今は考えんな、離脱するぞ!」

 

 晴樹の声に彼はフラフラと力なく歩き出す。

 しかし、彼だけでなくこの場にいる生存者全てが強いストレスと7月の暑さによって多かれ少なかれ似たような感じだ。

 

『撃ち漏らした小型が救出部隊の方に行った!』

『アタッカー4、ハイドラが切れた、ガンもそろそろ弾切れだ』

『こちらアパッチ2、アタッカー3がやられた!』

 

 コータムを背負った通信手に入ってくる無線は戦闘ヘリの弾が切れたという事と、生産された小型種の撃ち漏らしが近づいてきているという事を告げる。

 開豁地を抜け、行きに通って踏み荒らしたところを戻る。

 

『クラよりレスキュー、3体抜けてきた!』

「レスキュー了解、回収援護たの……」

 

 誘導弾の発射音や自動てき弾銃のドンドンという音、そして断続的な爆発音が響き渡る。

 装輪装甲車の車長である倉田二曹が救出部隊に撃ち漏らしが行ったと送話し、あと200mくらいで救急車(アンビ)や高機動車の待つ道路に出ると言ったところで、それは現れる。

 爆発音とともに木々がバサバサと大きく揺れて、古い蝶番のドアを開けた時のような金属の軋み音に近い声が聞こえたので横を見ると、8トントラックほどありそうな蜘蛛がいた。

 蜘蛛というには鋭角で角張ったそれは黒曜石のような胴体であり、人間を見るなり赤い透き通ったパネルを輝かせる。

 

 __あっ、光った。

 

 対戦車ヘリを撃ち落とし、同僚を焼き払った死の光に救出小隊の誰もが覚悟した。

 木々の向こうにいるはずの装輪装甲車は燃えていた。

 

「させるか!」

 

 どこからともなく女の叫び声がし、道路の方から機関銃の射撃音が響き渡った。

 次の瞬間、黒板を引っ掻いたかのような断末魔と共に光と消えた。

 

「なんだ?民間車両!」

「キクスイ、こちらレスキュー!民間車両が区域内に居るぞ!どういうことだ」

『たった今警察より連絡があった車両かも知れない、避難させろ。何人いる?』

「了解、乗員は3人いる。女の子がふたりに運転手の男がひとり、えっ?」

『レスキュー、どうした?』

 

 救助小隊の小隊長は困惑した、なぜなら銀色のSUVの窓にはにゅっと機関銃のような物が見えていたからで、どう見ても物見遊山に来た人間とは思えなかったのだ。

 

「さきほど、民間車から射撃による援護を受けました!送れ」

『レスキュー、話がよく掴めない。民間車が何をしたのか再送願う』

「民間車に機関銃のようなものがあり、()()()()()()()を受けた、送れ」

 

 謎の武装車両の出現に連隊本部はまず情報の錯綜を疑い、救出部隊の回収援護についていた装輪装甲車が至近射撃で1体倒したがもう1体の小型に狙われて炎上し、謎の武装車両が現れたのを高機動車と救急車の乗員が目撃しており、同時に警察からの情報提供によって封鎖線を突破した銀色のパジェロが居るという事が真実であると判断した。

 

 

________

 

 

 

 

 時は少し遡って、救出小隊が負傷者を抱えて脱出せんとしている時、尚樹たちは山道を登っていた。

 上空では戦闘ヘリが機関砲やロケットで次々と湧いて出てくる小型種を掃討しているが弾数も少ないため軽微な被害ならばすぐに回復し、カサカサと散らばって行こうとしていた。

 味方の救助部隊への誤射を避けるため、ヘリ部隊は救助部隊から少し離れた地点の小型および、母艦級ネウロイのレーザー発振部にのみ攻撃を集中させていたのだ。

 無誘導ロケット弾では誤爆の危険があるため、近距離の火力支援は個人携行式対戦車誘導弾と装輪装甲車の銃座の自動てき弾銃、そして高機動車の自衛火器であるミニミ5.56㎜機関銃によって行われていた。

 次から次へと生み出されて迫り来る小型種はそれなりに耐久性がありWAPCの40㎜てき弾銃数十発でようやく撃破、5.56㎜機関銃では力不足が目立って撃ったそばから回復されるという状況だった。

 ついに全機70㎜ロケット弾が数発、機関砲も数十発となった。

 救出部隊が離脱できれば重迫撃砲支援とともにAHは補給のために離脱、戦車部隊が展開して石川河川敷に展開した特科の155㎜りゅう弾砲、F-2戦闘機の到着まで時間を稼ぐのだ。

 だが、悪い状況と言うものは重なるもので、AH-1Sが小型種の反撃で撃墜されたのだ。

 機体上部のキャノピーとローターを焼き切られたAH-1Sは攻撃姿勢から機体を引き起こすことも出来ずに林へと落ちていった。

 

「ああっ、ヘリコプターが!」

 

 ひかりはネウロイの光線による撃墜を目の当たりにして叫んだ。

 ヘリコプターの撃墜と共に、数体が林や道路を通って市街地方向へと進み始める。

 今、対戦車ヘリとわずかな普通科部隊で出来た防衛線は瓦解しようとしていた。

 

「尚樹、来るぞ!」

「おう!」

 

 登り坂の上にはてき弾独特の軽い連射音と共にWAPCがおり銃塔に射手が見えた。

 非武装の高機動車と救急車はその後ろに待機しており、何かを待っているように見える。

 次の瞬間、WAPCが炎上してその向こう側から黒い影が現れた。

 尚樹とひかりは間近に見た陸戦ネウロイに息を飲む。

 その時、いち早く何をすべきかに気づいた後部座席にいた直枝が叫ぶ。

 

「窓を開けろ!」

 

 トランクに積んていた九九式二号機関銃を毛布の中から取り出した。

 尚樹が手元の操作部で左後部の窓を開けると、直枝は毛布を挟み窓枠に依託して左前方を狙う。

 敵はパネルを発光させつつあり、助手席のひかりはシールドを張る準備をした。

 

「そのまま突っ込め!」

 

 尚樹は直枝の判断を信じてアクセルを踏み込んだ。

 回転数が上がり、パジェロが吼える。

 路肩に止まる1トン半救急車と高機動車の脇を突き抜け、銀色の矢のごとく陸戦ネウロイに突入した。

 視界いっぱいに見えるネウロイの赤いパネルには光が集まり、道路脇に今にも撃たんとしている。

 

「させるかぁ!」

 

 直枝が引き金を絞ると魔法力が込められた3発の13㎜弾はネウロイの胴体の中央を捉えて光へと還す。

 光り輝くその中を掠めるようにパジェロは抜けてゆく。

 撃たれれば即死、ユニットもなしでの超至近距離射撃にひかりはもちろんの事、撃った直枝でさえも生きた心地がしなかった。

 障害物に向かってアクセルを踏み込むという体験をした尚樹は、耳栓なしの機関銃発射に頭がキーンと痛くなってそれどころではない。

 耳鳴りがすると共に音があまり聞こえなくなり、けっこう痛い。

 

 余談であるが、小火器射撃検定の際に耳栓を忘れて水で濡らしたティッシュを丸めて耳に突っ込んだものがいたが、効果はあったようだ。

 反対に、高音域で高い遮音性を持つと謳っていた某T社の軟質樹脂製の耳栓は付けているにもかかわらず衝撃波が頭に響いたので、以後使う事はなかった。

 __射撃の際に持って行く耳栓は樹脂の傘型ではなく、コーン型のスポンジ製の物がおすすめである。

 

 直枝の判断によってネウロイに決死の突入をした3人に、自衛官たちの視線が集まった。

 パジェロが止まって乗員が降りてきたことを確認すると救出小隊の小隊長である三尉が意を決して問いかけた。

 

「えっと、貴方たちは?」

 

 尚樹が何かを言うより先に直枝が一歩前に踏み出した。

 

「俺たちはアレと戦うために来たんだ」

 

 2人の少女は市販品のヒョウジャージにウエストポーチ姿で、背の低いほうの手には重機関銃のような物とまるで紛争地域の民兵か、平和なところで高校生の部活だ。

 グレーのツナギを着ている男はそれを引率している教師だと言っても納得できそうだ。

 

__この砲煙弾雨の中に、わざわざ突っ込んで来るなんて命知らずのバカだ。平和ボケどころじゃねえ。

 

 そう思った者も多かった。

 そこに一人の隊員がやって来て驚きの表情を浮かべた。

 

「兄貴?何でここに居るんや?その子らは?」

「晴樹か!……あの黒いやつ(ネウロイ)と戦うプロだ」

 

 隊員たちの中にざわめきが広がる。

 なにせ、突入してきた民間人は隊員の家族であり、なおかつ正体不明の存在と戦えるというのだから。

 

「そんなアニメじゃないんだから、それに、学校は?」

「おいテメエ、馬鹿にすんなよ。こっちは弾もねえのにわざわざ出張って来たんだ」

 

 晴樹はその場の代表とばかりに突っ込んだ。

 普通に考えれば女子高生、下手すれば女子中学生が怪物と戦うなんてものはアニメやラノベの世界だけの話で、リアルでそんなことを言われても困惑するしかない。

 そして、いつだかの晩に電話でやたら兄が詳しい話をしていたという事を思い出した。

 

__まあアレだ、とにかく回復する前にそこそこの火力をぶち込む、これだな

 

 晴樹はようやく言葉の意味を理解した。

 兄は怪物の自己回復も、撃破方法も知っていたのだ。

 会話を思い出して考え込む晴樹に対し、ケンカを売ってんのか?といきり立つ直枝

 

「管野さん!」

「まあまあ、直ちゃん落ち着いて」

「オメーはどっちの味方なんだよ!」

 

 それを宥めようとする二人の様子を見た3尉は、民間人の避難と負傷した人員の搬送をするために声を掛けた。

 

「と、とにかく君達、危ないからこの下の連隊本部まで来てくれないか」

「わかりました、どれだけ力になれるか分からないけれど協力します」

 

 隊員たちは案内のために尚樹のパジェロにひとり乗り、高機動車3台と救急車に分乗して道の駅まで戻ることになった。

 情報提供者から聞いていた魔法力を持った乙女、そして空自が遭遇したという“ウィッチの出現”に連隊本部は騒然とするのであった。




お待たせしました。

最近感想も増え、楽しく読ませてもらっています。
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増援到着まであと…… (改)

大幅に加筆修正したので再投稿となります
法的根拠などについて


 2017年7月21日

 

「えっと、前のアンビ……救急車に着いて行ってください。」

「はい」

 

 助手席にこの春部隊に来たばかりの幹部自衛官が乗り、直枝は後部座席に座っている。

 

「後ろって大丈夫ですか?」

 

 ひかりは左側の2列目座席の背もたれをフラットになるまで倒してその上に機関銃を置き、前席の背もたれに背中を預けるような形で後ろ向きに腰かけていた。

 前席と後席の間にあるセンタピラーに設けられた乗降を補助するグリップとドアのグリップを掴んで体を支えるのだ。

 こうしたどこか不安定な姿勢になるのは車体左後方に銃を突き出して射撃できるようにと考えられたためで、全周に射撃できるガンナーズハッチのある軍用車両ではないが故の策だった。

 

「俺たちは戦いに来たんだ、ドライブじゃねえ。おめー、そこの所わかってるんだろうな?」

「ええっと、その質問には今すぐにはお答えできかねます、はい」

「尚樹さん、準備オッケーですよぉ!」

「わかった、じゃあ動くぞ」

 

 機関銃は危険防止のため高機動車で預かることになっていたが、そこで直枝が小隊長に噛みついたため、いわゆる「ややこしい人」扱いである。

 我が国において許可なく銃器を所持・使用していた場合、銃刀法で処罰されるおそれがあるという法的根拠、同時によく分からない民間人に武器を持たせたくないという不安からの提案であった。

 しかし、軍人である直枝からするとネウロイが跋扈する戦場で自衛火器一つないというのは自殺行為に他ならず、「先ほどまで蹂躙されかかってたのは誰だ!」とキレたのだ。

 間近で援護射撃によって救われたのは事実であり、小型種が射撃ラインを数匹抜けてきていたという事から、救出小隊長は“見なかった事”にしてとりあえず指揮所の指示を仰ごうと考えた。

 

 そこで不幸にも「ややこしい人ら」の案内役に選ばれてしまったのが、部隊に来て数か月の若手……嶋田(しまだ)三尉である。

 先頭車と中間の高機動車の間にアンビが2台、そして尚樹のパジェロ、最後尾に幌をまくり、車体後方に向けてミニミ機関銃を据え付けた高機動車が付く。

 後退してゆく対戦車ヘリコプターや偵察ヘリからの情報によると小型種の生産が止まると共に破孔の回復が先ほどまでに比べ大幅に遅くなっているという。

 この状況の変化に指揮所では被弾及び攻撃と小型種の生産で目標内部のエネルギーが減り、活動に必要な量が確保しづらい状況なのではないかと推測されていた。

 そこで到着部隊による波状攻撃を行う事でエネルギー切れ、またはコアと呼ばれる結晶状構造物を破壊できるかもしれないと部下を多く失った幕僚たちの間に希望の光が差したような気がした。

 

 そのため、『ウィッチ』を名乗る少女たちの出番はないのではないかという声が聞こえたし、救出部隊が戻ってきたら、少女とその随行者には大人しくして貰って警察に引き渡そうと考える者も居た。

 

 一方、前線では撃ち漏らした小型ネウロイの影におびえつつ、救出部隊の離脱が始まっていた。

 ひかりが機銃手になって窓の外を警戒監視し、直枝はというとひかりの反対側の警戒と共に前席の“新品少尉”にプレッシャーをかけていた。ウィッチにとって、見てくれが少女だからと男の兵士共に舐められたら負けなのだ。

 和やかなムードとは程遠い緊張感溢れる車内。

 雰囲気を変えようと尚樹がつけたラジオは非常事態を告げる放送がくりかえし流れており、山間部であるからか、はたまたネウロイの磁性によるものか、ちょっとしたノイズが混ざるくらいだ。

 緩いカーブの続く坂道を下っていると入れ替わるように鋼鉄の獅子達が登って来た。

 

「止まってください」

「分かってますよ」

 

 前を行くアンビがウインカーを左に出してハザードを焚いた。

 救出部隊の車列は戦車に進路を譲るためにコーナー手前で道路の左側いっぱいに寄せて停車するのだ。

 

「ようやく戦車が投入かよ」

 

 直枝はちらりと一瞥し、隊伍を組んでやってくる戦車の姿にオラーシャ陸軍の戦車に似ていると考える。

 避弾経始を意識した鋭角な車台に曲線を描く砲塔、T-34戦車の76㎜砲搭載型がああいった見た目だろうか。

 しかし、つるりとした砲塔に角張った大きな投光器、砲口制退器のない大口径の戦車砲。

 その姿は今までに見たことが無く、直枝は「やっぱり見たことねえな」と思った。

 うなり声をあげて勢いよく登ってくる戦車の迫力はすごいものがある。

 74式戦車は長さが9.42mで幅が3.18mと大きく、38トンの車体では軟弱であろう路肩を走れないため必然的に中央線をはみ出して走ってくるのだ。

 キューポラから中隊長が車列に対し敬礼をし、車列の脇を抜けていく。

 続く戦車の車長も敬礼し、操縦手や装填手たちも車列に混ざる銀の民間車をまじまじと見ていく。

 カクカクと多角走行をして、オレンジの中央線に黒々とした履帯痕を残しながら過ぎ去っていく様子に、ひかりは“戦車ってこんなに大きいんだなあ”と思ったが、すぐに言い知れぬ嫌な感覚がやって来た。

 兵力の出し入れが行われ、警戒監視が手薄になった時が一番危ないという無意識的な戦術的思考とウィッチとしての実戦経験が告げていた。

 

「尚樹さん、ネウロイはまだ近くにいるはずです!」

「了解」

「えっ!」

 

 尚樹と助手席の三尉が振り向くと、ひかりの頭にリス耳が生えてジャージの腰ゴムの上から尻尾が顔を覗かせていた。

 コスプレグッズとして販売されている獣耳カチューシャに比べて自然で、ぴくぴくと動くそれに気を取られる彼に、同様に白い耳が覗く直枝は言った。

 

「この感じだともう一匹ぐらい居るぜ、少尉さんよ」

「いました!」

 

 携行していた個人携行型無線で敵の接近を告げようとしたその瞬間、銃声が轟いた。

 74式戦車の車長用M2機関銃だろうか、それとも後ろの高機動車だろうか、否、ひかりの持つ九九式13㎜機関銃が火を噴いたのだ。

 金切り声を上げて光と化す小型ネウロイの姿があった。

 フロアカーペット上に敷かれたブルーシートにキンキンと空薬莢が落ち、硝煙の匂いが車内に広がる。

 

 最後尾の高機動車の操縦手は前のパジェロの窓からスッと銃身が飛び出て、銃口がこちらを向くのを見た。

 

 __撃たれる!

 

 紅い銃口炎を目撃すると共にピーン、ピーンという弾丸の風切り音に風防ガラスが震え、ついに撃たれたかと思った。

 無意識のうちに脚を突っ張って身構えていると、荷台に居る者の声が聞こえた。

 

 

「後方に敵!」

 

 だが、時すでに遅し。

 戦車部隊を撃破せんと釣り出されて道路脇から現れた小型ネウロイが白い破片を撒き散らしながら消えていく様子がミラー越しにちらりと見えた。

 

「敵撃破!」

 

 ひかりの撃った射弾は高機動車の脇を抜けて、出現したネウロイの中央をしっかりと捉えていたのだ。

 

「やりましたっ!」

「ひかりちゃん、お見事!」

「止まってるから楽だろ」

「そうですね!」

「でも、凄いと思うよ」

 

 撃破に思わず尚樹は手を叩くが、直枝にツッコミを入れられた。

 航空歩兵は魔法力による補正や反動軽減があるとはいえ空中で機動しながら射撃をするのだ、地上での静止射撃で当たらないようでは飛んで撃ったところで弾の無駄である。

 助手席の三尉は絶句した。

 なにせ、女子高校生くらいの少女が50口径ほどの機関銃を手持ちで連射したうえ撃破したのだから。

 さらに小型ネウロイとの距離はおおよそ150mであるだろうか。

 新隊員教育で始めて射撃をする場合、少し前の隊員ならば64式小銃を使って25m射撃から行う。

 7.62㎜弾でさえ反動でまともに撃てず命中しないことも多々あり、小柄で軽量な隊員であれば膝撃ちの際に後ろに転びそうになる。

 小口径弾でさえそういった状況なのであるから、12.7㎜弾などの機関銃で少女が手持ち射撃にて敵撃破がいかに異常な状況であるかはよくわかるだろう。

 ウィッチたちは地上では150~200m先の()()()()()()()に命中させられる精度を要求され、ひかりや佐世保航空予備学校の生徒たちもそうした訓練を行っていた。

 リネット・ビショップ曹長や雁淵孝美中尉といった狙撃手タイプのウィッチであれば2000m以上先の標的を撃ち抜けるという。

 魔法力による補正などがあるとはいえ、十分驚異的な精度なのだ。

 ひかり達が実戦を経験しているウィッチであると知っていた尚樹はともかくとして、初めてウィッチの射撃を見た三尉は困惑した。

 

「ええ……」

「どうだ、俺たちはこういう訓練受けてんだよ。これで素人と言えんのか?」

「す、すごいですね」

 

 戦車が通り抜けたことによって車列は再び動き出し、道の駅に設けられた指揮所目指して進まんとする。

 直枝とひかりの二人が陸戦ネウロイと戦える存在であるというのはこうして証明されたのだ。

 

 ______

 

 

 

 指揮所のある後方段列補給所に戻って来た車列は異様な雰囲気を見せていた。

 陸上自衛隊の2色迷彩塗装の中に、あきらかに民間車だと分かる白銀のパジェロが混じっているのだ。

 だが、すべての窓は全開にされ2列目のドアには養生のためか毛布が掛けられており、そこから機関銃を持った少女が見えて、これは『セーラー服と機関銃』ならぬ、“ジャージ少女と重機関銃”だなどと思った隊員も居た。

 さらに自衛官たちを驚かせたのが、少女たちが小型ネウロイをこの時点ですでに2匹倒しているという事だ。

 パジェロは小型トラックが並ぶ駐車場に案内され、運転手の男と少女二人が降りてきた。

 すぐに見慣れぬ“古めかしい形の機関銃”は隊員の一人によってリアカーに乗せられて業務天幕へと持って行かれた。

 

「こちらへどうぞ」

 

 道の駅の施設内の小会議室に設けられた面談場所に案内され、彼らは指示に従ってついて行った。

 

 ____

 

 引率の嶋田三尉が小会議室と書かれたプレートのある部屋のドアを三度ノックした。

 

「嶋田三尉ほか3名の者、入ります!」

「入れ」

「失礼します!」

 

 中に入ると、戦闘服に身を包んだ壮年の男性が4人いた。

 低視認性のOD階級章だったが桜花が3つ、線の入った四角い階級章に輝いており彼らが佐官であることを示していた。

 

「嶋田三尉、ここからは下がっていいぞ」

「はい、嶋田三尉、帰ります!」

 

 嶋田三尉が回れ右をして部屋から退室したのを確認すると、椅子に座るように向かって左端の男性が促す。

 

「まずは自己紹介を。私が37連隊長の木嶌(きじま)一佐です」

「副連隊長の新川(しんかわ)二佐です」

「2科長の住野(すみの)一尉です」

「3科長の西三佐です」

 

 折り畳み長机の右端から順に自己紹介が行われる。

 連隊長クラスから情報や通信を司る“S2”、教育・訓練と部隊運用を司る“S3”の幹部が勢ぞろいしていることに尚樹は緊張する。

 

「私は、武内尚樹と申します、現在は自動車整備士をしています!」

「俺は……私は第502統合戦闘航空団、管野直枝中尉です」

「私は、同じく502の雁淵ひかり軍曹です!」

 

 民間人の男女の自己紹介に顔を見合わせると、連隊長が穏やかな調子で語りかけてきた。

 

「緊張しなくて結構。ええと、菅野中尉、普段通りの話し方で大丈夫だよ」

「はい、ありがとうございます」

 

 珍しい直枝のかしこまった姿にひかりは意外だなと思った。

 502にいた頃はラル少佐や上官に対しても節度こそあるもののいつもの口調だったイメージが強い。

 直枝はというとウィッチであるという特別性と、相手の寛容さが無ければただの小娘にしかすぎないと自覚しているため“制服の外交官”たる海軍軍人としての振る舞いをしようとしていたのだ。

 雰囲気が原隊である343空の“親父”にそっくりであり、つい直枝はボロを出してしまったが。

 副連隊長がさっそく手元の資料を基に質問する。

 

「あなたたちが報告にあった人ですか?」

「どういった報告かはわかりませんが、おそらく、そうだと思います」

「連隊長、次、よろしいですか?」

「構わんよ2科長」

 

 住野一尉が代表して、この場にいる自衛官全員が自己紹介で気になっていたことを尋ねた

 

「お二人は階級をお持ちのようですが、どう言った組織か教えていただけませんか?」

「俺たちは扶桑海軍所属の航空歩兵で原隊は第343航空隊だ。ヨーロッパがネウロイに押されてるんで、多国籍部隊である502に出向してるわけだ」

「わたしは佐世保の予備学校に通っていましたが、遣欧ウィッチに選ばれたので502で任官いたしました!」

 

 直枝とひかりの話が正直よくわからんという顔の自衛官を見て、尚樹は手を挙げた。

 

「はい、発言いいでしょうか」

「どうぞ」

「まず、“扶桑”というのは異世界における日本に相当する国の名称であり、彼女たちはそこの軍人をやっております」

「異世界ですか?」

「はい、現在暴れている敵、“ネウロイ”はその世界の敵で人類は“ウィッチ”と呼ばれる魔法少女をもって生存戦争をしているそうです」

「にわかには信じがたいが、現在の状況を見るにはそうなんだろうな」

 

 副連隊長は物語の世界でしか聞いたことのないワードが急に飛び出してきたことによって混乱する。

 しかし部下たちを死に追いやった光線を放つ敵がいて、報告に上がっていた機関銃だけで小型の敵性体2体撃破という事実が魔女の存在を雄弁に物語る。

 

「となると、アレは魔法少女じゃないと倒せないという事かい?」

「ウィッチがいなくても倒せるかもしれねえが、あんな大型が出てきてる場合なんて一個師団が壊滅なんてザラだ」

「一個師団?規模は?」

「ああ、何人いたかまでは覚えてねーけど師団には歩兵から戦車、砲兵、陸軍航空隊がいたが、投入される傍から磨り潰されていったぜ」

「そんなことが」

「こっちじゃヨーロッパのほとんどがネウロイ共の手に墜ちてんだからよくある話だ」

 

 木嶌一佐は自分たちが相手にする怪物にどう抗っていたのかと尋ねるも、一個師団が壊滅も珍しくないという話を聞かされ考え込む。

 よく「自衛隊における師団は他国における連隊で、方面隊は他国における師団だ」という表現がされるが、まさにその通りで他国の編成単位より規模が小さいのである。

 例えば京阪神を主な担当地区としている第3師団は、「政経都市型師団」であって8個駐屯地に13の隷下(れいか)部隊しかない。

 これはゲリラコマンド部隊との市街戦などを想定した編制で、特科や機甲戦力よりも機動力に優れた普通科連隊が中心であり、さらに将来的には特科および戦車を削減した機動旅団化も行われる。

 諸外国の連隊戦闘団(RCT)を複数有する歩兵師団どころか、冷戦期のソ連機甲部隊を想定した北方師団に比べても圧倒的に規模が小さい。

 人類の危機とあり増強されているであろう師団でさえ壊滅させるような敵なのだから、今、多くの犠牲を払ってまで戦えているのは相手が“たった一体”だからという事だろう。

 

「ヨーロッパとは、えーっと、何処まで?」

「ガリア、カールスラント、オラーシャ、スオムス……尚樹さん」

「えっと、こちらで言う所のフランス、ドイツ、ロシアではなく()()、フィンランドです」

「ソ連?」

「彼女たちの世界は1940年代なんで、ソ連です」

 

 ひかりと尚樹の証言は手元にある警察からの重要参考人の聴取内容と合致しており、虚言とするにはあまりにも設定が出来過ぎている。

 重い空気の中、3科長は魔法という言葉が気になり質問を投げかけた。

 

「魔法と言うものはどんなもん?飛んだり変身したり?」

「魔法ってのは空を飛んだり、シールド張ったりいろいろできるけどこっちじゃエーテルがねえから大したことは出来ねえな」

「あとは銃弾に魔法力を込めて撃つと、ネウロイの回復を遅らせることができます」

 

 2科長は情報を司る部署の長という事もあって、手元の資料の『ウィッチ』と照らし合わせながら突っ込んだことを尋ねてみる。

 

「ほうほう、それで、エーテルって何ですか」

「魔法力を生成したり、空を飛ぶときにかき回す物質だ。向こうじゃ炭酸ガスみてーに空気の中に混じっているものだな」

「飛ぶって、生身ですか?」

「昔の魔女は箒で空飛んでたらしいが、今の俺達はストライカーユニットで飛んでる」

 

 直枝の説明を補足する尚樹、直枝やひかりの常識・軍事用語はこちらでは聞き慣れない未知の物なのだ。

 

「ストライカーユニットとは、ウィッチの足に装着する形式の飛行機械の総称です」

「あなたは……こちらの世界の人間ですよね。見たことがあるんですか?」

「ええ、整備して飛行テストまでしたけれど、エーテル不足という事で飛行は難しいと」

「では、乗用車に乗って現れたのは、飛行が出来なかったから?」

「おう、エーテルが無えからユニットも飛べねえし、魔法力も回復しねえ」

「それで、ネウロイをやっつけるなら近づいて残り少ない魔法力で攻撃しようって事になりました」

「それは無謀だな、どうしてそこまで?」

「ひかり……雁淵軍曹が消失する事件が起こり、その調査中にネウロイがどこかの異世界に通路を繋げていることがわかった」

「そして、通路の先にあったのが日本で、尚樹さんの家の近くだったんです」

 

 男一人と少女二人の突如始まった同居生活。

 思い出話に出来そうな出来事はいくらでもあったが、いつまでも長話をしていられる状況ではないので端的に話す。

 

「俺がこっちに来たのはだいぶ後だったが、こっちは色んなモンがあるし、いい所だよ」

「そうです、ご飯は美味しいし、色んな物があるし、あと尚樹さんは優しいし!」

「だからこそ、ネウロイの野郎をぶっ倒さなきゃいけねえんだ」

「私たちはウィッチだから!」

 

 しかし、ひかりや直枝の様子からその生活が楽しかったであろうことは連隊長にも伺い知れ、いま、生活を壊そうとする怪物に対して燃えるような怒りを持っていることに気づいた。

 異世界から来て、「現地住民のため」と他人事ならば、彼女たちの戦闘参加を認めるつもりはなかった。

 だが、戸籍こそないものの今の彼女たちはこちらの世界に根を張って生活をしているれっきとした住民だ。

 自らの街を、自らの故郷を、愛する人々を守り抜くのが軍人としての使命なのだと二人は目で語る。

 

 連隊長は出来る事なら生活を守ろうとしている少女の手助けをしてあげたいと思ったが()()()()がないため公に直枝たちを戦闘に参加させ、武器弾薬を使用させるわけにはいかず、今から陸幕を通して官邸に居る防衛大臣に話を通そうにも時間が無い。

 準用される“警察官職務執行法”において「防衛大臣の指定する者」=自衛官のみが武器の使用を許されており、当該部隊指揮官の命令によらなければならないと自衛隊法八九条の2で規定されている。

 副連隊長は自分の娘ほどの少女を砲煙弾雨の中から遠ざけたいと感じていた。

 築城基地から発進したF-2と戦車の攻撃で怪物が沈黙するのであればわざわざ少女を危険に晒すことが無くなる。

 

「ふむ、家の近くにあんな怪物が現れたら仕方ありませんな」

「連隊長、空自の対地攻撃が終わるまでは休んでもらいましょう」

「私もそう思います。爆撃が終わってまだ生きているようならその時は」

 

 連隊長、副連隊長、3科長ともに「手伝ってもらう」とは一言も言わない。

 自衛隊は法的根拠がないと動けないため、許可のない民間人に“武器”を持たせて銃刀法違反及び自衛隊法違反を教唆・命令したとあれば方面総監の首どころか安芸政権を揺るがしかねない大問題となる。

 民間人3名に実弾の装填された89式小銃を試射させた“東富士演習場違法射撃事件”どころの騒ぎではない。

 ネウロイの脅威が迫って国が崩壊寸前、常に義勇兵や魔女を募っているような状況ではない自衛隊は平時の組織であると共に、訓練どころか入隊・退職一つとっても膨大な書類と手続きを要し審議にも時間のかかる“紙の軍隊”だった。

 ゆえに、この場をもって2名の少女を『「専門的な知識経験を有する者」として専門的な知識経験が必要とされる業務に従事させる場合』の隊法“第三十六条の二”における「防衛大臣の承認を得て、選考により、任期を定めて自衛官()()の隊員に任命する」ことも難しい。

 なにより、自衛官ではないのだから“子供の権利条約”にこそ引っかからないものの、小銃を貸与し射撃させるという事は出来そうにない。

 

_______

 

 

 面談しているさなか、軽迫撃砲などによる嫌がらせ砲撃を浴びていたネウロイは奇妙な沈黙を保っていた。

 光線で迎撃するでもなく、兵隊ネウロイを生み出すわけでもなく自己修復も程々に天を仰ぐ。

 その様子を本管情報小隊のカメラ越しに見た連隊の最先任上級曹長(CSM)の斎藤(さいとう)准尉は傍にいた上級陸曹に尋ねる。

 

「意外と抜けへんな、火力支援の方は?」

「空自の近接航空支援があと20分ほどで到着します!」

「よし、戦車を安全圏まで退避させろ。連隊長は?」

「例の住民と面談中です」

「そうか、この爆撃で何とかなればええけどな」

 

 怪獣映画などのお約束では、爆撃が無効化されるかあるいは反撃で攻撃機が撃墜されるかであり、斎藤准尉が子供の頃に見た映画では防衛軍のF-86F戦闘機やF-104J戦闘機が大怪獣にやられていた。

 壮年の陸曹たちも同じ発想に至ったようで、観測ヘリおよび対戦車ヘリの撃墜という前例もある事から航空攻撃の成功を祈った。

 

 普通科連隊が接敵して無反動砲射撃後、光線による反撃で2個中隊が壊滅という知らせは福岡県に所在する築城基地の第8航空団にも届いており、大型敵性体が120㎜迫撃砲に耐えきったという段階で発進準備が行われていた。

 急行できる地上火力だけでは阻止が難しいという判断がなされ、翼下のパイロンにJDAM4発と600ガロン増槽2つを取り付けたF-2A戦闘機4機に発進指示が下った。

 対艦攻撃ができることから青い洋上迷彩が施された戦闘機は蒼穹に溶け込むように4機編隊で離陸してゆく。

 雲を抜け、瀬戸内海を横断するように飛んで大阪湾方向より進入するのだ。

 今日は右手のジョイスティック越しに操る機体がいつもより重く感じる。

 対地攻撃訓練であれば、トリプルエジェクターラック(以下、TER)に青い模擬弾1発ずつ懸架(けんか)して飛ぶ。

 しかし、今日のソーティーは両翼のTERに500ポンドの実弾を2発ずつ搭載し、燃料も満載だ。

 機体の重量もさることながら、これは()()であり死ぬかもしれないという事が何より重かった。

 

『貴機の任務は“Neuroi”の撃破(キル)である』

 

 

 何より相手はF-15J(イーグル)を謎の光線で撃墜し、現在も陸自の隊員を蒸発させている怪物なのだ。

 今度は地上目標だからと言って、奴に対空射撃性能が無いと誰が壮語出来るだろうか。

 股の間にある液晶ディスプレーにデータリンク画面が表示され、高度をぐっと下げると立ち上る煙を目標に進入する。

 グレーに見える雑多な街並みとまばらな緑が眼下を流れるように過ぎてゆき煙たなびく斜面の奥、木々茂る山中に黒く巨大な目標がいた。

 幅広のHUDに地を這うそれを捉え、爆撃用のキューが目標に合った。

 

『スカル11、ターゲット ビジュアル』

『ツー』

 

 編隊長機、2番機が目標を視認したため一度目標上空をパスし、外れたとして誤爆のおそれのない方向より突入する。

 

『奴め、撃って来たぞ!』

『構わん、突っ込む!』

 

 ジェット戦闘機という脅威を察知したのか、ボロボロのパネルを発光させる。

 割れた屈折体は集束率が低くジェット戦闘機の飛行高度であれば大した威力こそないものの、顔にレーザーポインターを当てられるが如き不快感と目つぶしほどの効果はある。

 だが、目視照準の急降下爆撃機ならともかく、GPS誘導方式のJDAMを装備した高速・水平爆撃のジェット戦闘機の前では何の意味も持たないうえ、光線の追従性が足りずに当てる事さえ難しい。

 

『スカル11、クリアードアタック』

 

 寄せ来る敵機を必死に落とそうと断続して放たれる光線よりも前に出て、2機のF-2は右手のスティックに備えられたウェポンリリースボタンを押し込んだ。

 

『ファイヤ、ナウ』

 

 左右のパイロンに装着された4発のJDAMが切り離されて落ちてゆく。

 投下してしまえば、地上の観測所からの報告通りの座標へと後付けの誘導キットが導いてくれる。

 

 __この弾はお持ち帰り厳禁です!

 __ドカンと一発!

 

 風を切り、整備員たちによって落書きされた実弾が吸い込まれるようにネウロイの直上へと落ちてゆく。

 地上からは一瞬で命中したように見え、音速を超えて燃える爆薬の衝撃波とジェット戦闘機の爆音が遅れて届く。

 空気が揺らめき、地表を舐めるように爆風と衝撃波が駆け抜けると路上に放置された主なき自動車のガラスが割れ、薄さ0.6㎜の外板パネルが爆風や飛来物によって音を立てて凹む。

 道路を一望できる離れた観測地点の擬装材を激しく揺らす。

 前線に進出していた74式戦車にも500ポンド爆弾の衝撃は伝わって来ていたが、数十ミリ厚の圧延装甲によって遮られており、戦闘室内にいた乗員は“思ったより音が小さいな”と言う感想を抱いた。

 

 土煙が晴れると地上の偵察隊員が各種機材を用いて爆撃損害評価(BDA)を行う。

 双眼鏡のレンズに刻まれたミル目盛に映る黒い移動体の上半分が無くなっていた

 目盛の数と目標との距離から三角比を用いて長さを計ることができ、胴体の半分であるおおむね幅5m、高さ2m、長さ10mくらいの立方体が吹き飛んだ事がわかる。

 いよいよ赤く輝くコアが露出し、虫の息と言ったところだろうか。

 

『爆撃命中!コア露出を確認!』

「やったぞ」

 

 大きく抉れた移動体の様子に反復攻撃は不要という判断が下され、距離を取って空中待機していたスカル14、スカル15の2機は投下せずに離脱する。

 

『スカル11、ミッションコンプリート、RTB』

「戦車砲でとどめを刺す。全車、前へ」

 

 4機のF-2が飛び去って行くと共に、離隔距離を取っていた戦車部隊が露出したコアを破壊せんと単縦陣を取って突入していく。

 目標はきついS字カーブの向こうにおり、爆撃で木々が無いため目標に火力を集中させることができる。

 車長がキューポラの操作盤で砲塔をグリンと右旋回させ、砲手が測距用のルビーレーザーを放った。

 

 __右前方約1540m

 

 そのデータは()()()射撃統制装置にて処理され、そのデータが砲手や車長用の照準眼鏡に表示されるのだ。

 射統と連動した上下方向の砲口安定装置こそあるものの74式戦車は行進間射撃には適さず、()()()()()移動間の装填動作が禁じられているから短停止射撃を命じた。

 

「目標、正面の敵上部コア、徹甲、短停止!」

 

 中隊長からの指示に、各戦車の車長は一挙に停止を命じた。

 

「止まれ!」

 

 車体が勢いよくつんのめり、中の乗員も慣性の法則で前へと力がかかる。

 しかし、装填手は慣れない左方向への慣性にも負けず砲弾を砲塔内後方の弾薬架から引き抜き、体をひねり砲弾をグーパンチで薬室に挿入する。

 薬莢で抽筒子が押し下げられると閉鎖器がガシャンと金属音を立ててせり上がり、流れるように体を引いて右手はハッチ脇のグリップ、いっぱいに伸ばした左手は砲尾の下の装填完了ボタンを押す。

 

「装填よし!」

 

 すると砲手の覗くJ2照準眼鏡の端に“装填完了”を示す黄色い印が浮かび上がった。

 

「撃てッ!」

 

 先頭を行く1車のキューポラから身を出した中隊長がサッと迷彩手袋をはめた手を振り下ろした。

 砲口を上げた6発の105㎜戦車砲が中隊長の命令で火を噴き、勢いよく砲尾が後退する。

 徹甲弾はネウロイに命中し、通常の鋼板で出来た戦車用標的(通称:鉄的(てってき))のように命中を示す火花がキラリと見えた。

 短停止すぐの初弾はネウロイのコアの近くをえぐり取っただけだったが、微修正の後に第2射が放たれた。

 

「命中、続いて撃て!」

 

 装填手は慣れた動作でハンドルを差し込み、閉鎖器を開放すると押し出されてきた空薬莢が床に落ちるが無視し、2秒から3秒42くらいで次弾を装填する。

 新隊員時からの反復訓練によって4秒以下で装填できるのが陸自戦車の装填手であり、機械の限界で絶対に4秒以下にはならない自動装填装置より優れている面である。

 

「装填よし!」

 

 __再び砲口よりタングステン合金製の装弾筒付翼安定徹甲弾(APFSDS-T)が放たれ、弾芯後部から赤い光を曳いて毎秒1,490mで飛翔する運動エネルギーでもってネウロイのコアをたたき割る。

 方面戦車射撃競技会で培った、流れるような短停止射撃によってさらに4発の徹甲弾を撃ちこまれた母艦級大型ネウロイは光となろうかとした最期の瞬間、咆哮した。

 

 勝利を喜ぶ暇もなく突如として電波にノイズが入り、隊員たちが上空を見上げると大空に穴が空いていた。

 その向こうから何かが降ってくるのを彼らは見たのだった。

 見慣れない黒い機影は航空自衛隊の戦闘機ではない、だとすればそれは敵だ。

 

「対空警報!」

 

 死に体のネウロイが最期に残していった置き土産は、制空戦力の無い自衛隊を窮地に追いやるものだった。

 

 爆撃成功の知らせに幕僚達は急いで指揮所に戻り、尚樹たちの監視を兼ねた“護衛”の隊員が代わりに会議室に残る。

 警務隊に引き渡されるまではこの道の駅にてじっとしておくように言われたが、やけにゆるい。

 自衛隊としてはどうともできないが、 “個人として勝手にやった事”ならば多少の事は知らぬ存ぜぬで通そうという逃げがあった。

 尚樹も37連隊側のそういった思惑に気づいており、()()()()()()などを尋ねたりしていた。

 

 普通科隊員だけでおおよそ5分の1ほどがたった3~4時間ほどの中で殉職してしまったのだから、人数も少なく混乱の中にあった。

 生き残った隊員を集め小銃班を再編して爾後(じご)の行動に移ろうとしていた矢先に“対空警報”が発令された。

 ピー・ピ・ピと長音に短音が2つ続く笛の音が聞こえ、ひかりと直枝、尚樹がとっさに会議室の窓から空を見上げる、空の中にぽつぽつとゴマ粒大の何かが見えた。

 

「空にネウロイが!」

「ホントか……どこから湧いてきやがったんだ」

 

 騒然とする雰囲気のさなか、ひかりと直枝は身体に力が湧いてくるような感覚がやってきた。

 まるで乾いたスポンジが水を吸うかのように、じわじわと満たされるような感覚。

 魔法力を底まで使い切り、“グリゴーリ”に乾坤一擲(けんこんいってき)の肉薄攻撃を仕掛けた後のような。

 

「魔法力が戻ってやがる」

「はい!」

 

 飛行型ネウロイの出現と、魔法力の回復が意味することはただ一つ。

 エーテルも共に流入しているという事であり、そうなれば彼女たち(ウィッチ)の本当の戦いができる。

 尚樹たちは“お手洗いに行く”事に決め、ストライカーユニットを回収する方法を考え始めた。




ネウロイ地上型は撃破……いよいよ決戦も残りわずか

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空に上がる者達

 無人航空機を思わせる黒い三角形の()()は青の一際濃い穴の中から飛び出してきて、何かを切り離す。

 それが敵の爆弾だと気づいた頃には、道路脇の森から集中豪雨のような音を立てて土が降って来ていた。

 ガードレールと斜面、密な木々によって路外機動のできない戦車などは上空から見ればよく目立つ格好の餌食である。

 直掩の戦闘機、反撃の高角砲もなく悠々と我が物顔で飛べ、初弾こそ命中しなかったものの一度通過してなおゆっくりと照準が付けられる。

 各戦車の車長は砲塔上部のM2機関銃の仰角を一杯まで取るが、45度より上には撃てないため弾幕を張れない。

 

 飛行型中型ネウロイは体の一部を切り離す実体弾タイプで、どういうわけだか戦車を狙っていた。

 このままでは小松基地のイーグルがたどり着くまでに戦車が全滅する。

 そこで要撃機として八尾駐屯地にて補給を受けているAH-64DとOH-1に白羽の矢が立ったのだ。

 どちらも自衛用の空対空誘導弾を装備しており、アパッチはスティンガ、OH-1は国産の91式対空誘導弾を発射できるためだ。

 アパッチは空対空モードがあり対空目標識別能力に加え30㎜機関砲などでの射撃も可能な戦闘ヘリで、OH-1は増槽を外せば連装発射機を最大4つまで搭載でき、8発まで発射できる。また、91式対空誘導弾はパッシブ赤外線画像方式以外にCCDカメラを用いた可視光画像誘導機能がついていて命中率も極めて高い。

 こうした条件から、本業ではないものの戦闘ヘリによるスクランブル発進が行われることとなった。

 

 

____

 

 

「すみません、お手洗いに行きたいんですけど」

「俺も行けるときに行っときたいから、よろしく頼むよ」

 

 ひかりと直枝がトイレに行きたいと申し出ると、栗色の髪に、外ハネのショートカットがよく似合っている本部管理中隊の若い女性陸士長が、部屋にいる中年の男性隊員に許可を取る。

 

 

「わかりました、守山班長、この子たちをお手洗いに連れて行っていいですか?」

「おう、行ってこい。行ってこい」

 

 最前線で保護した住民としか聞いておらず、人間との戦闘というわけでもないので守山二曹は女性隊員に行くように促した。

 道の駅の館内にあるトイレまで女性隊員引率のもと、世間話をしながら向かう。

 小柄で、赤十字の腕章を付けた彼女は直枝たちの半歩前を行き、振り返りながら話しかけた。

 

「私は衛生小隊の武藤春香(むとうはるか)って言います、よろしくね。ところで、幾つなん?」

「か、雁淵ひかりです!15歳です!」

「管野直枝だ、俺も15だよ」

「へえ、二人とも15歳なんだ、高校生?」

「えーっと、佐世保の航空系の学校に通っています」

「俺は中学卒業して働いてるけどな、アンタはどうなんだよ」

「もう働いてるんや!すごい。えっと、私は高校卒業して去年自衛隊に入ったんやで」

 

 最初は少女たちの不安感をほぐそうという気遣いだったが、後輩の女の子に似た雰囲気を持つひかりと、気が強い同期に似た直枝にいつの間にか舌が回る。

 話しながら直枝は年齢と階級の差に不思議なものを感じていた。

 ちょうど19歳と言えばウィッチで言えば“あがり”が近くベテランで尉官どころか佐官クラスの者も多い、ラル隊長も19歳で少佐である。

 同じ年齢でも一人は兵長、もう一人は少尉という事は軍隊ではよくある話だ、ウィッチに関しては年齢が20歳に近づくにつれてだいたい似通ってくる。

 それは戦時下という事もあって昇進は早いが空に居られる時間も短く、平和な日本の女性兵士みたいに高等女学校卒業などの高等教育まで経たのち入隊では遅い。

 ここでいう中学校や高等女学校は扶桑皇国の“中等学校令”に基づくものであり、現代日本の教育制度とは異なるが、直枝たちはあえて勘違いをさせたままにしておいた。

 なにせ、航空予備学校やら兵学校出身というのを明かしたところで事情を知らない彼女にとっては意味の分からない話にすぎないのだから。

 トイレの入り口の前まで案内されたひかりと直枝はおしゃべりな武藤士長に心の中で謝ると一気に駆け出す。

 

「えっ、待って!」

 

 武藤士長も陸曹教育隊に行くために体力錬成を行っていたから、一気に離されることはない、しかし、ひかりはもちろんのこと直枝も毎朝の日課としてランニングしていたからそう易々とは捕まらない。

 “体力お化け”のあだ名もあったひかりと、“負けじ魂”の直枝はペテルブルグの502基地で走っていたように並んでトップスピードを競う。

 ジャージで身軽な二人の少し後ろに鉄帽をがくがく揺らし、へとへとになりながら走ってくる彼女が見え、直枝たちはどうパジェロに着くか考える。

 いくら距離が空いているからと言ってもこのままではパジェロに乗り込む前に捕まってしまう。

 それ以前に尚樹がいなければ自動車は動かせない。

 

「尚樹、早く来てくれよ!」

「管野さん!上!」

「うぉおおお!」

 

 ひかりが指さしたところを見上げると空からネウロイの対地攻撃弾が降って来た。

 当たれば、死。直枝は無我夢中で両手に力を込めた。

 

 

 

______

 

 

 ひかりと直枝がお手洗いへと行った後、尚樹は見張りの本管中隊の隊員と話していた。

 

「あの子らは武内さんの姉妹ですか?」

「いえ、知り合いの娘さんで今は僕が面倒を見ています」

「いやぁ、うちにも高1と中2の娘がいますが、あの年ごろの娘さんって大変でしょう」

 

 守山(もりやま)二曹は思春期に入って気難しくなった次女と、母親譲りの気の強さでよく衝突する長女を思い浮かべながら話を振った。

 尚樹は孫娘の話をする社長や、先輩の整備士を思い出しつつ対応する。

 

「そうですか、よくできた子たちで非常に助かっております」

「へぇー、それは羨ましい」

「甘えられる実の父親と、預かってくれてるおじさんじゃ一緒にはいきませんよ、ははは」

 

 尚樹は万が一にも近くに着弾した時のために窓ガラスから離れつつ会話を続ける。

 守山二曹も出入り口側に移動して椅子に腰かけた。

 

「今日はどうしてこちらへ?」

「墓参りに行こうとしてましてね、僕が月曜定休なんで……」

「そうですか、なんと間の悪い」

 

 尚樹と守山二曹が世間話を始めて数分たったころ、空の様子が変わった。

 旋回しながら地上を攻撃していたネウロイが急に指揮所の方へと向かって飛来してきたのだ。

 おそらく、車両や人員が多い場所があることに気づいたのだろう。

 そしてネウロイの最初の爆撃は施設の近くに着弾した。

 地響きと衝撃ですべての窓ガラスが割れて飛び、守山二曹と尚樹は最初の爆音とともに机の下へと潜り込んだ。

 

「何があった!」

「爆撃です、すぐ近くに落ちました」

「民間人を安全な場所へ……避難場所はどこだ」

「屋内の方が遮蔽物もあって安全なのでは?」

「それもそうか、あれ?武内さんは何処に?」

 

 道の駅周辺に航空攻撃に対する逃げ場はない、そのため屋外に居るよりはまだコンクリート製施設内部の方が安全なのではないかと守山二曹を初めとした自衛官は考えた。

 何処が安全かなんてことは誰にもわからなかったし、ネウロイの爆撃に混乱していたのだ。

 だが、尚樹にとっては好都合で爆撃の混乱に乗じて施設を飛び出すことに成功したのである。

 正面玄関近くのトイレからすこし離れた所に落下したようで、敷き詰められている煉瓦は煤けて真っ黒に、爆風を受けた案内看板が曲がっており、本館と車いす用の駐車スペースまで繋がった通路の屋根は爆圧を受けて大きくひしゃげ、吹き飛んでいた。

 ()()()()()妙にきれいな状態である事を除けば自爆テロが行われた現場と説明されても疑わないであろう光景だった。

 

「負傷者はいるか!」

「軽傷が何人かは!」

「さっきこの辺りにWACがいただろ!」

 

 数人の自衛官がおり、爆発のあった地点と空を見ていたため低い姿勢で通路を横切り、停車している3トン半トラックの影に飛び込む。

 幸いにも車両周辺に居たであろう隊員たちはどこかに行っていない。

 武器監視の陸士すら残せないほどに光線で消耗したのか、あるいはろくな対空火器が無いから近くの森に退避しているのだろうか。

 空を見上げると三角形のネウロイは胴体内で爆弾を生成するためか、それとも狙いを付けているのかひらりひらりと上空を旋回していた。

 誘導されて止めた駐車場に辿り着くと、直枝とひかりがすでに待っていた。

 

「尚樹、ずいぶんと遅ぇじゃねえか」

「管野さん!」

「悪い、見つからないようにしてたからな」

 

 そこまで言ったとき、車の影からおずおずといった感じで女性自衛官が現れた。

 彼女、武藤士長は少し躊躇しつつも2人の保護者と思われる尚樹に声を掛ける。

 

「あのっ……」

「あなたは付き添いの……」

 

 尚樹はこの数分で何があったのかは分からず、「トイレに行きたい」と言った二人の付き添いとしての彼女しか知らないので確認程度にとどめた。

 女性自衛官とひかり達のすぐ近くにネウロイの対地攻撃弾が降って来て、ひかりと直枝はとっさにシールドを張ったのだ。

 

「私はお二人に助けられたので、貴方たちが何しようとしているのかは聞きません」

「そうですか、でもどうして?」

「私は何もすることができなかったんです、誰かを守ることも」

 

 雨避けの屋根の上で炸裂した対地攻撃弾の爆風と破片で死ぬことも負傷することもなかったが、それは二人の少女が危険を顧みず庇ってくれたからだ。

 その事実を認識した彼女はショックを受けた。

 ひかりと直枝は守られる無力な少女ではなく、むしろ自分が何もできない存在なのではないかと。

 

「気にすんな、俺たちはウィッチだから出来ただけだって言ってんだろ」

「そうですよ、魔法が使えなくてもできることはいっぱいあります!」

「私にできること……」

「おう、俺たちはネウロイと戦える。でも武器がねえ」

「お願いします、私の銃、知りませんか?」

 

 魔法と呼ばれる能力もなく、空を飛ぶ敵に有効な攻撃手段もない。

 そんな自分ができる事とは、戦える彼女たちの邪魔をしないことだと気づいたのだ。

 

 ひかりと直枝は武藤士長に機関銃を置いた業務天幕まで案内してもらった。

 誰か居れば彼女に人払いをしてもらうつもりだったが業務天幕の周りに居たはずの隊員はおらず、緑色の武器毛布の上に転がされていた九九式13㎜機関銃を回収した。

 ひかりたちはシールドを張ったためケガ一つないが、威力も破片手榴弾とは比にならないほど強力で、迫撃砲弾を撃ちこまれたようなものであり半径25mほどの人間は即死するほどの爆発だ。

 そんな爆発があってなお、その場から動かないのは爆風から身を隠すタコツボ壕でもなければ無理というもので、武器監視をしていた隊員も退避していたためである。

 

 爆撃から武器の回収までの顛末をひかり、直枝そして武藤士長から聞いた尚樹は陸曹候補生である彼女の肩の桜花章に彼女の覚悟を受け取った。

 自衛隊において懲戒処分は重い順に「メンコテゲンカイ」とある。

 免職・降格・停職・減給・戒告であり、飲酒運転や重犯罪を犯せば免職でありわいせつ事案やパワハラなどで停職となる。

 停職と言っても自室謹慎だけで済むと思えば大間違いであって自衛官や警察官にとっての停職は昇進おろか昇給も絶たれたと同義であり、また、部隊に悪評が広まり大変居心地が悪くなるため依願退職をするものが殆どだ。

 引率していた民間人を見失い、あまつさえ保管武器を持ち出されたとなれば厳重注意どころか戒告、特に武器持ち出しの手引きをしたとあれば減給、停職といった処分もありうる。

 どちらにせよ陸曹候補生の資格は取り消しになるだろうし、ほとぼりが冷めるまでの数年間は陸曹候補生のチャンスもやって来ない。

 それを彼女が知らないはずはない、陸曹候補生の一選抜に選ばれなかった尚樹でさえ先任や班長達から口酸っぱく言い聞かされてきていたし、陸教前に服務事故や重過失を起こして失格となりそのまま依願退職などは失敗例としてよく聞いていた。

 尚樹はパジェロのドアを開け、2人が機関銃を積み込むとそのまま車に乗り込んだ。

 

「あなたは爆撃があって、退避した。俺とひかりちゃん、直ちゃんはその間に脱走したんだ。いいね」

「はい、私は何も聞いていないし、見てません!……だから、この国をお願いします」

「わかりました!」

「ああ、任された!」

 

 尚樹は車を出し、高機動車の陰に立っている彼女がルームミラーの中で小さくなっていく。

 自衛官たちが尚樹の脱走に気づいた頃にはもう道の駅の出口で、追いかけようにも指示が無く、航空ネウロイが飛び回る下で派手に動きを見せるのは危険だった。

 

 ネウロイによる空襲が始まりいよいよ警察官にも退避指示が出たのかまったく人気のなくなった街を飛ばす。

 信号も消え、他の走行車両も居ないことからメーターの針は時速90キロを超えていた。

 助手席の直枝は思ったより速度が出ていることに気づいた。

 戦時下で生産されている自動車の最高速度は60キロから80キロくらいまでが多く、扶桑、スオムス、オラーシャは街中でも土がむき出しの道が多く、舗装された道など両手で数えるほどで、郊外に出ればさらに凹凸激しいあぜ道ばかりだ。

 軍用車・民生向け自動車問わずサスペンションもトーションバーやリーフスプリング式で乗り心地は悪いし、前後のブレーキも未熟なドラムブレーキという事もあって制動力も弱いため、出せない。

 なかにはカールスラント製のビートルという例外がいたものの、ネウロイの侵攻によって生産が止まり、多くが灰燼に帰した。

 直枝の知っている国産車やリベリオン製の軍用車ではこんなに速度は出ない。

 

「こっちの車ってこんなにスピード出るんだな」

「普通は下道でこんなに出せないけどね」

「そうなんですかぁ?」

 

 大阪上空にネウロイが現れた時に家まで飛ばし、ひかりが助手席に乗っていたことを思い出す。

「ああ、ひかりちゃんは前に乗ったことあったっけ」

「たしか、ネウロイが来た時だ!」

「尚樹!前!」

「わかってる!」

 

 家の前に出る生活道路との交差点に差し掛かり、尚樹はアクセルを抜きブレーキング、そして道路幅をいっぱいに使い、縁石にぶつけるようなつもりでアウト・イン・アウト。

 メーターの針は60㎞/h以上をキープしたままで、ノーマルタイヤを滑らせながら車はぐるんと左折し次のコーナーまでの直線で加速する。

 こうして交通法規を無視し、車の性能限界に挑戦するかのような運転によって30分もしないうちに家に帰り着いた。

 

「うう、目が回っちゃいそうでした」

「ひでえ運転だ……気ぼちわりい……」

 車のドアを開け、フラフラと家の中に入っていく二人。

 運転していた尚樹はともかく、助手席と後部座席にいた直枝とひかりは高速旋回による横Gや流れる景色に車酔いをしたため直枝の顔は真っ青で、ひかりの顔色もあまり良くない。

 自らの意思で行う空戦機動と違ってただ乗っているだけなので、気分が悪くなったのだ。

 

「ふたりともごめんよ、さて、ユニットの発進準備だ」

「そうだな……」

「頑張りましょう……」

 

 トイレから出てきた直枝と、温くなったお茶を飲んだひかりは居間に置いていたユニットを持って家の前の道に出る。

 

「まずは俺が空に上がる、ひかりはその後に続け」

「わかりました、尚樹さん!」

「よし、直ちゃんからやな」

 

 脚立に立て掛けられ、“再始動用蓄電池の端子”にバッテリーパックが繋がれる。

 これでスタータモータが回転し、魔法力の流入によってユニットは始動するのだ。

 直枝は久しぶりに強い風を感じる、さっきまでの気分の悪さが幾分か和らいでいることに気づく。

 

「いつもよりいい感じじゃねえか」

 

 魔法力を流し込むといつも以上にエンジンが回り、生成された呪符が力強くエーテルをかき回している。

 ハイオクガソリンの燃料添加剤によって筒内に溜まっていたカーボンが洗い落とされることでよく燃えるのだ。

 

「戦時の航空ガソリンとはオクタン価も質も違うからな」

「いいじゃねえか、それじゃあ行くぜ!」

 

 尚樹の合図で、直枝は坂をスキージャンプの選手のような前傾姿勢で下ってゆき、大空に舞い上がる。

 続いて、チドリが簡易の発進台に立て掛けられ、脚立に上がったひかりは靴を抜いてユニットに足を通す。

「エンジン回せ!」

「エンジン回します!」

 

 チドリのエンジンに火が点り、呪符が展開され、回転が一定を保つ。

 

「ひかりちゃん、気を付けてね」

「はい、尚樹さんこそ無茶しないでください!」

「遅ぇぞ!いつまで掛かってんだ!」

 

 声の先を見上げるとやけに活き活きとした直枝がいた。先ほどまで車酔いで真っ青な顔をしていたとは思えないほどに。

 ひかりが発進準備を終えるまでに、感覚を確かめるようにぐるりと一周して2人の近くでホバリングして今か今かと待っていたのだ。

 

「今行きます!」

「尚樹、ひかりの事は俺に任せろ!」

「ああ、頼んだぞ」

 

 脚立の脇に置いた機関銃を手に取ったひかりは前方に障害物が無いことを確かめると発進を宣言する。

 

「雁淵ひかり、発進します!」

 

 脚立から離れ、チドリも滑るように坂を下って行き、飛び上がる。

 ウィッチが空に上がってしまえば、整備士たる尚樹に出来ることはもう何もない。

 あとは二人が無事に帰ってくることを祈るだけだ。

 

 

 

____________

 

 

 

 八尾駐屯地では補給を終えて空対空誘導弾(AAM)を搭載したAH-64DとOH-1が離陸した。

 たった4機のヘリコプターでどれほど時間が稼げるのか分からないが、少なくとも今のように一方的に爆撃されるよりはマシだ。

 10分間の飛行を経て到着した戦闘ヘリ隊は指揮所の直掩に回る。

 

「目標確認」

「スティンガ発射!」

「発射!」

 

 2機のアパッチのうち1機が飛び回る黒い目標にロックを合わせ、後席の兵装担当がスティンガーを発射する。

 スタブウィング外側の上下2連ランチャーから撃ち出され、機体前方10mでロケットモーターに火が付いたスティンガは白い煙を曳きながらネウロイに食らいつく。

 逃げようと急旋回をするネウロイ、しかしマッハ1.5ほどの飛翔速度を持つ誘導弾からは逃れられずに直撃、胴の半分を失ったネウロイはそのまま光と消えていった。

 

「目標撃破!」

 

 だが、中型ネウロイ撃墜に喜ぶ暇もなく通路から増援がやって来たのだ。

 比較的小さい三角形のものが4機、エイのような形状の大型種が1機の計5機編成で、先ほどのネウロイと違って全機光線を持っているタイプだった。

 先ほどのネウロイは威力偵察も兼ねていて、爆撃タイプが空戦によって落とされたことから制空戦闘に適した種を投入してきたのだろうか。

 

 すぐさまアパッチのスティンガで新たな目標を捉え、発射した。

 2発の対空誘導弾が赤外線画像誘導でネウロイ目掛けて飛翔していき、命中。

 続いてOH-1が対空誘導弾を発射した時、大型ネウロイの赤いパネルが発光した。

 妨害に強い赤外線画像方式であったが、画像を塗りつぶすような強い熱源に目標を見失い、1発が攪乱されて外れ、続いて発射した誘導弾が照射終了後のインターバルに命中した。

 空自機を屠った連続光線と、護衛であろう小型ネウロイの短い連発光線がヘリを撃ち落とさんと放たれる。

 宙返りもできる全間接ローターのアパッチと無間接型ハブ・ローターのOH-1は高い機動性を誇り、駐屯地創立記念行事などでの展示でしかしなかったような動きをもって光線を回避し、対空誘導弾を発射する。

 小型の空戦ネウロイは急上昇と急旋回で逃げるが、あっという間にスティンガが最短距離を追ってきて爆散、炎上しながら落ちてゆき光と消えていく。

 普段相手にしている1940年代のレシプロ戦闘機に比べ小回りが利いて速度もそれなりにでる現代のヘリコプターと音速を超える速度に恐ろしいほどの正確さで追尾してくるロケット兵器の組み合わせから逃れるのは至難の業であった。

 小型の三角形のネウロイとドッグファイトにもつれ込む陸自ヘリ、対空誘導弾の攻撃で次々と撃破することに成功した。

 しかし、誘導弾の残りが少ないうえ光線で誘導装置が妨害を受けることから大型目標に対してはアパッチの30㎜チェーンガンによる対空射撃が行われた。

 が、エイのような形状の大型ネウロイには効果が薄く、自己回復能力が高いことから誘導弾3発の直撃に耐えて30㎜機関銃で穴だらけにしても飛び続けた。

 

 

 普通の航空機であれば揚力を失うような大穴が空いても飛び続け、それどころか自己回復能力によって埋まっていく破孔を目にしたアパッチのガンナーが思わず呟く。

 

「おいおい……嘘だろ」

「大型、発光中!」

 

 操縦手はとっさにレバーをいっぱいに倒し機体を傾けた。

 すぐ真横を赤い光線が抜けていき、ガンナーは無心で機関砲を撃っていた。

 発光部を抉られ光線が撃てなくなった僅かな隙に弾の無くなった4機は離脱する。

 大地を舐めるように飛び、起伏を遮蔽物にするのも忘れない。

 

「お空さん、あとは任せたぜ!」

 

 航空自衛隊からは小松のF-15Jが8機、援護のために新田原から増槽をつけたF-15が8機やって来る。

 大阪上空戦で多大なる損害を受けて、殉職した隊員たちの部隊葬がようやく終わったばかりの303飛行隊に再び、悪夢のような敵と戦う機会がやって来たのだ。

 

 あの時、空に居たジーコもスクランブルに上がって大阪を目指す。

 データリンクに表示される敵を見ていると、どうしてかあの時の少女と出会えるような気がしていた。

 あの後、飛行隊のオフィスは歯抜けとなったように空席が出来て、基地中に重い空気が流れ、整備員やパイロットたちの口数も減って飲み会なども軒並み中止となった。

 いよいよ葬儀が終わって主の居なくなったデスクから“私物品”が消えると、逃避するようにジーコは空飛ぶ少女が名乗った“第343航空隊”について調べた。

 すると、管野直枝の名前はなく代わりに菅野直という男の名前が現れた。

 

 菅野直は1945年8月1日、北九州目掛け飛ぶ爆撃機の邀撃において行方不明となっている。

 それがどうしてか突如現れた彼女を彷彿とさせてジーコの興味を引いたためか休憩室でも『最後の撃墜王―紫電改戦闘機隊長菅野直の生涯』という書籍を何かに憑りつかれたかのように、時間を見つけては繰り返し読んでいた。

 そんな彼の様子を見た周囲はカラ元気のようにからかう者、気遣う者など様々だった。

 もっとも直枝と共に戦ったイーグルドライバーたちはジーコほどではないが皆、一度は彼女について調べようとし、「戦闘の恐怖から見えた幻なんかではなく、彼女は確かにそこに居たのだ」と口をそろえていた。

 平時であれば幻覚が見えている、あるいは僚機の撃墜による心的外傷とされウィングマークを失うおそれもある発言だったが、情報提供者の証言や無線の記録などから空飛ぶ少女の実在が明らかになったため正常だという事が証明された。

 

__今度こそ、俺たちの手でネウロイを撃墜してやろう。

 

 自機のレーダーが捉えたため地上からのデータリンク表示が消えてHUDにターゲットデジグネータのボックスが表示された。

 はるか遠くの空に米粒ほどの黒い点が見え、数秒で大きくなって眼下を抜けていく。

 

「マグヌス12、ターゲットオン ビジュアル!」

 

 あの時のネウロイに似た奴を目視で確認したとき、()()()()はやって来たのだった。

 



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リインフォース

 機関銃を持っているひかりと、背中に背負った負い紐付きのシャベルしか武器がない直枝は電線に引っかからないように低く飛んでいた。

 行動不能となった自衛隊車両に残されているM2重機関銃などの火器を回収するためだ。

 この際撃てればミニミ機関銃でも89式小銃(ハチキュウ)でもよいのだが、個人で携行できる火器は皆脱出時に持ち去られており、残ったのは重量があって卸下・運搬しづらいM2重機関銃のみとなった。

 M2重機関銃は38kgあって本来手持ちで撃つ火器ではないが魔法力による補助があるウィッチにとってはさして問題とならず、リベリオンのウィッチが持っていたことから運用できると直枝たちは考えていた。

 母艦型ネウロイの居た場所は破壊された車両の煙や、燃えた木々によって大まかにつかむことができたため、岩に乗り上げている軽装甲機動車を目指して、右へ、左へと機体を振りながら木々の間を抜けるように飛ぶ。

 遮蔽物の多い木立に入ることによって上空や遠距離から狙い撃たれにくくなるし、発見されづらくなるため、最前線のウィッチにとって敵の攻撃方向を絞れる地を這うような低空飛行は必須技能でありお手の物だ。

 戦闘ヘリコプターから放たれた誘導弾で中型のネウロイが撃墜され、それを受けてか通路の向こうから複数の増援がやって来たので、悠長に飛んでいる時間はない。

 

「ひかり、木に当たんなよ!」

「大丈夫ですよ!」

 

 ひかりは直枝の後ろをぴったりと着いていき、上空を飛ぶネウロイに気づかれないことを祈る。

 残弾が少ないとはいえ銃を持っているひかりはともかく直枝は素手であり、今攻撃されると圧倒的に不利だ。

 空対空誘導弾を装備した陸自ヘリと空中戦をしている間に武器を調達できるかどうかが勝負の分かれ目だ。

 

 __たしか道路が一望できる坂道の脇だったよな。

 

 直枝はテレビで見た車両の周りの地物を思い出し、森から道路上に出た。

 幌を外した小型トラックの上に戦場監視用の偵察器材を積載していた隊員たちはエンジン音を聞き、振り向いた。

 

「うおっ!」

「えっ……女の子?」

 

 ジャージ姿に獣耳を生やした少女が何かを履いて頭の上をかすめるように飛んでゆく。

 エンジン音と風を残してあっという間に抜けてゆき、その後ろに銃を持った少女が同じように続く。

 初めて見る二人のウィッチに撤収中の偵察隊員は驚き、あっという間に過ぎ去って行った二人の後ろ姿を呆然と見ていた。

 

「エンジン音が聞こえる……」

「おい、女の子がこっちに飛んで来るぞ」

 

 道路から脇に逸れると、先行する直枝の目の前に突如戦車が現れた。

 爆撃から身を隠すために擬装網を砲塔に巻き付けて息を潜めていたのだ。

 

「管野さん!前に戦車が!」

「ちっ!」

 

 砲塔上部に据え付けられたキャリバー50を握りしめた上空警戒の車長と目が合った。

 直枝は上体を起こして上に逃げる、あやうくユニットの先が重機関銃に引っかかりそうになるもギリギリで回避した。

 反射的に頭を戦闘室に引っ込めた車長の上をひかりが通過する。

 

「ごめんなさいぃぃ!」

 

 尾を曳くようなひかりの声が耳朶を打ち、車長がおそるおそる頭を出すと少女たちはすでに飛び去っていた。

 

「キクスイ、こちらスズラン、空飛ぶ少女が東に飛んでいったぞ!送れ」

『彼女たちは協力者だ、決して撃つな』

 

 現在進出中の戦車部隊より東側に行けば、普通科隊員による遅滞戦闘が行われていたポイントであり晴樹の乗っていた軽装甲機動車は近い。

 ネウロイの対空攻撃が激しくなり、マスコミのヘリコプターに退避命令が下る前の映像に映っていたあぜ道に直枝とひかりは到着した。

 

「あったぜ!ひかり、援護を頼む」

「わかりました!」

 

 直枝は状態を引き起こして立姿にすると、岩の上に乗り上げて車輪が浮いているLAVに近づくと溶接で取り付けられたM2機関銃用銃架にM2機関銃は載ったままで銃弾もありそうだ。

 ユニットを履いたままでは車体上部の銃架にアクセスしづらいため脱いで、車体に立て掛けると直枝は車体後部の足掛けから登り機関銃を銃架から降ろした。

 直枝は“ブラウニーM2”を撃ったことが何度かあったがいずれも銃架に設置されている物であったりウィッチ携行用に改造されたものだったので、銃架から車載用を下ろして手持ちで撃つというのは初めてだ。

 取り外し方法は至って簡単で、機関部下面2か所に設けられた穴と銃架側に通っているピンを2本引き抜くだけで機関銃は外れるのだ。

 銃架から思ったより単純に外れたはいいが、いざ重機関銃を使おうという段になって問題が発生した。

 一つ目は大きさと重量ゆえに車からどう持って降りようかと言うもので、12.7㎜弾の発射に耐えうる肉厚で長い銃身だけで10㎏、成人女性の胴くらいはあろうかという大きさの鉄塊である機関部は28㎏あって、それにベルトリンクで繋がれた100発近くの12.7㎜弾が付く。

 これらをライフルやら軽機関銃のように持って気軽に降りるには長く、重く、大きすぎるのだ。しかも降りる際に指などが機関銃と車体の間にでも挟まれた場合潰れる。

 

「直ちゃん、キャリバー50は重いからいざとなったら銃身を外しや。俺らも機関部抱えて降りてから後で銃身受け取ってたし」

 

 尚樹の言っていた意味がよく分かる時が来た、力を補助し重力を軽減する魔法力無しでこの機関銃を下ろそうとなると相当力が要りそうで同時に戦車兵はこんなものを毎回積み下ろししてんのか?と思った。

 さらに、ウィッチ用航空機銃型AN/M2のような追加グリップが無いためとりあえず機関部の後端にあるグリップを右手で掴んで、左手は給弾口の手前に回して抱える様に撃つしかない。

 何よりドラム弾倉ではなく剥き身のベルトリンクで、車載型や歩兵携行型の弾薬箱は銃の方ではなく銃架の方に取り付けられているのだから飛行中にベルトが捻じれたりでもすればすぐさま給弾不良となる。

 だが、ベルトリンクがむき出しという事もあって難易度は高いものの、抱え込んでいる左肘を張ったり引いたりすることでベルト送りを支えながら連射することも出来た。

 カギがかかっているため、車内の予備弾は手に入らなかったもののとりあえず100発は撃てそうだ。

 だが、取り回しにくいので20発くらいでリンクを外し、残った80発ほどは飴や包帯が入っている迷彩のウエストポーチに仕舞った。

 

「こんなもんでも無いよりはマシか……」

「管野さん、どうですか?」

「ひかり!いいところに来た!こいつを持っててくれ」

「はい!」

 

 軽装甲機動車に手をついてホバリングするひかりにM2機関銃を受け渡し、車両から降りてユニットを履く。

 再始動スターターを回して始動させ、立姿勢で浮き上がるとひかりからM2機関銃を受け取り高度を上げる。

 

「ひかり、アイツをやるぞ」

「はい!」

 

 エイのような大型ネウロイが我が物顔で悠々と飛び、光線を撒き散らしていた。

 陸自のヘリはそれを躱しながら空対空誘導弾を発射していたが、1発が命中せず森へと落ちてゆき2発目がネウロイの表面で爆発した。

 パリパリと黒い破片を撒き散らすも、すぐに穴は塞がっていく。

 そう言った光景は直枝たちからすれば見慣れたもので、大型ネウロイによっては艦砲の直撃でさえ耐えきるようなものが居るのだから多少高性能なロケット弾くらいでは撃墜も難しい。

 効果があまりない様子だが、直枝たちは突撃のタイミングを見計らう。

 

「ヒートシーカーだっけか、アレがあると危なくて近づけねえ」

「そうですね、ゲームみたいにギューンってきてどかーんです!」

「お前、後ろ見とけ。後ろ弾なんて笑えねえ」

「はい!」

 

 下手に今肉薄してコアを探ろうものなら、自衛隊の30㎜機関砲やら誘導弾に誤射される危険性が高い。

 特に赤外線誘導方式の誘導弾はユニットの発する熱を捉えかねないのだ。

 直枝とひかりはミサイルに熱源を捉えて誘導する方式やレーダー波で誘導する方式がある事をいくつかのFPSで知った。

 誤射された場合ストライカーの速度や機動力では逃げ切れず、先刻撃墜されていたネウロイのようにあっという間に追いつかれて撃墜されるだろうし、攪乱のための銀紙やら火の玉など持っていない。

 ネウロイは護衛機の撃墜から学習したらしく、光線を赤外線・可視光線ジャマーとして運用し始めたようでヘリではなく明らかにミサイルに向かって発射している。

 だが、自己防御手段があって当たり前の陸自のヘリパイも気づいたのか攻撃手段を機関砲に切り替えた。

 直枝は30㎜機関砲を浴びるネウロイを見ながらコアを探る、コア周りは僅かに自己再生の速度に差が出ておりよく見なければ分からない。

 魔眼持ちでないエースは敵火閃く激しい戦闘のさなか、冷静に回復速度を確認して撃ち抜くことで戦果に繋げているのだ。

 一方、ひかりはヘリコプターの動きを見ていてある事に気づいた。

 

「管野さん、ヘリコプターが離れていきます!」

 

 アパッチ2機が機関砲射撃をネウロイの屈折体に集中させている間にOH-1が後退、2機のアパッチも射撃終了後に離脱していった。

 

「行くぞ!」

「はい!」

 

 後ろ弾の危険が無くなったとみるや直枝は大型ネウロイに突入していく。

 屈折体目掛けて蝶型の押し金を押すと重機関銃のボボボという発射音が響き渡り、手を回した銃下部の廃莢口から薬莢とリンクを吐き出した。

 いくつか直枝の手に当たるが航空手袋のおかげで熱くもなく、飛行していることもあって一瞬で眼下に消えてゆく。

 2番機のひかりも直枝の左後方につき、直枝が撃つあたりに射弾を集中させる。

 ウィッチ2人によって魔法力の込められた攻撃を受け屈折体の回復が間に合っていない大型ネウロイは高度を一気に上げて雲の中に逃げようとする。

 だが、それを許す直枝たちではない。

 胴の中にあるコア目掛けて射撃を浴びせるひかり、その間に直枝はM2の給弾口に80発弾帯を突っ込み、槓桿を勢いよく引いた。

 M2の装填が終わった直枝がネウロイに弾を浴びせかけようとしたとき、インカムから男性の声がした。

 

『敵性体付近を飛行する2名に告ぐ、こちらは日本国航空自衛隊、貴機の所属及び飛行目的について教えられたし』

 

 国際周波数を用いた扶桑語とブリタニア語での呼びかけに、直枝はあの時のやつかとピンときた。

 

「こちらは第502統合戦闘航空団、飛行目的はネウロイの撃墜だ!」

『今はどういう状態だ』

「アイツの屈折体ぶち壊したけど、やれる程弾がねえ」

「コアに届く火力もありません!」

『了解、攻撃するから離れてくれ』

「おう!ひかり!」

 

 ネウロイが雲を抜けると遥か上空にグレーの制空迷彩が施された戦闘機が見えた。

 4機編隊の彼らは一度ネウロイとひかり達の上を航過して、反転して攻撃態勢に入る。

 常日頃の領空侵犯機対応ではなく純然たる空対空戦闘ということもあり、従来のイーグルにはスパローが左右のパイロンランチャーに4発搭載され、形態Ⅱ型と呼ばれる近代化改修の施された機体には国産のAAM-4を4発、サイドワインダーを胴体下に4発装備した8発装備である。

 九州の新田原基地より飛来する機体には作戦時間の延長のためか上記の8発の誘導弾のほか、両翼下ランチャーに二つ、胴体下に大きな増槽が懸架されていた。

 

 直枝とひかりは対空誘導弾の誤射を避けるため、雲の中に離脱した。

 扶桑の九九式艦戦、零式艦戦やらFW190戦闘機などを見ていた直枝とひかりにとっては翼下にいろいろ吊るしてよく動けるなと思うのも無理はない話で、大型ネウロイ攻略戦などに投入される男たちの戦闘機隊がバタバタと落とされてゆく様子を思い出す。

 爆弾などを搭載できる戦闘爆撃タイプのFw190F-8やA型でロケット弾ポットを搭載した機体も見たがいずれも翼下に懸架している時には動きが鈍い。

 さらに大型ネウロイ攻略のために火力と装甲を強化した“シュトゥルム・ボック”と呼ばれるタイプなどに至っては空戦が出来ないため護衛のウィッチが必ず付いていたが、搭載火器の一斉射が終わるまでに半数が小型ネウロイの餌食になっていた。

 だが目の前を飛ぶF-15Jは、重そうな見た目に反して軽やかに、そして力強く飛び去ってゆき、大きく機体を振って旋回して誘導弾を発射した。

 現代のジェット戦闘機にはパイロン懸架をしてなおマニューバ出来る出力があるのだから当然である。

 

『マグヌス11、フォックス1』

『マグヌス12、フォックス1』

 

 翼下のAAM-4とスパローが発射されるとネウロイに直撃し、破孔を作る。

 爆発音に合わせ直枝とひかりが飛び出し、全弾撃ち尽くす勢いでコア目指して射撃する。

 大型ネウロイのコアにヒビが入ると、金切り声を上げながら落ちていき光と砕けた。

 

 対地攻撃を行っていたネウロイが撃墜されたことによって、応援に到着したF-15は旋回しつつ陸自からの報告にあった謎の通路とおぼしき空間の情報収集に当たる。

 すると通路に戦闘機が近づいていることに気づいたのかグライダーや偵察機のような胴体の長さに対し細長い翼の大型1機、その護衛と思われる“要撃型ネウロイ”が15~20機侵入してくるのが見えた。

 

「思ったより速いぞアイツ」

「撃って来た、敵だ」

 

 大型ネウロイは見かけと違って翼のような部分をしならせながら高速で飛び、その周りにはジェット戦闘機のようなシルエットの敵が固める。

 涙滴型のキャノピーの向こうの点のようなものがどんどん近づいてきて、それが何であるか確認する前に敵方から光線が降って来た。

 防空指揮所から『撃て』という命令か来る前に相手が撃って来たため正当防衛射撃を行う。

 

『アンノウン9、いや10機以上接近中、交戦に入る』

 

 一瞬のうちに肉眼で捉えたその敵機は黒と赤のヘックス模様こそあるものの特徴的な低翼に太い胴体、下半角の付いた尾翼でイーグルドライバーたちは既視感を覚えた。

 姿はDACT(異機種間空戦訓練)で相対したF-4EJ改戦闘機(ファントム)のようだ。

 

「ターゲットブレイク」

 

 通路を抜けるかどうかという所でネウロイが散開(ブレイク)し、光線を放ってくる。

 しかし光線は進行方向にまっすぐ飛び、空中で曲がったり追尾してこないため回避は容易である。

 機動も単純な旋回や上昇、下降の組み合わせであり僚機との連携も何もない。

 戦技競技会で相対する飛行教導群(アグレッサー)のF-15の方がよほどいやらしい。

 

「ブレイク、ブレイク」

 

4機編隊(ダイヤモンド)2機編隊(エレメント)に分かれ、出現位置が近いことから有視界下での格闘戦に突入した。

 

 緩い弧を描いて飛ぶ第305飛行隊のF-15が2機の要撃型に追われている、しかし追われている彼は機体を揺さぶり、光線を当てさせない。

 

『ヒコネ、俺の右後ろだ!』

『よし、フォックスワン、ターゲットツーキル!』

 

 馬鹿正直に尻を追うネウロイを挟み込むように僚機のヒコネが後ろに付きスパローを発射、放たれたレーダー誘導方式のミサイルはネウロイを捉えて飛翔。

 苦し紛れの光線発射にも惑わされずスパローは命中し、コアを砕かれた要撃型ネウロイは砕かれ消えてゆく。

 

「アイツ、後ろにも撃てるのか!」

 

 TACネーム“ヒコネ”こと都築二尉は進行方向に対し後方40度くらいにも撃てるネウロイの射角の広さに驚いた。

 だが所詮は動きの単調な“ファントムもどき”でありHMDのキューは尾を曳いて捉えていた。

 ジーコも他のパイロットたちに負けてなるかとばかりに、敵を追い立てる。

 同じ空にはあの日から探していた空飛ぶ女の子が居るのだから、日本男児の意地を見せなければならない。

 天と地が幾たびも入れ替わり、首を大きく動かし後方を見ながら機首を引き上げる。

 上昇速度でも、旋回力でもF-15Jはネウロイに勝っているが、速すぎて追い越してしまうため、大きくロールして光線に狙われないようとフェイントを入れつつ後ろを取る。

 ただ後ろをとっても機関砲を使ったガンキルでもなければレンジが近すぎる

 そのため、長機が一度速度を上げて敵の横を追い抜いて、2番機と挟むサンドウィッチ戦法と、大きく蛇行しながら飛んでいる機体を追う敵機の後方上部から撃つサッチ・ウィーブを中心とした戦技で次々と撃墜してゆく。

 ジーコは左へ旋回し、緩降下し始めた僚機を追うために前に躍り出たファントムもどきの後ろから短距離ミサイルを撃ち込む。

 

「マグヌス12、フォックスツー」

 

 サイドワインダーが胴体のランチャーから真下に切り離され、赤外線の目はネウロイをしっかりと捉えて、ロケットモーターと動翼を用いてネウロイを追い越さんばかりの勢いで命中した。

 16機、4個編隊のF-15と23機の要撃型ネウロイの対決はほぼ一方的なものであった。

 あっという間にファントムもどきは数を12まで減らし、その他には耐久力が段違いに高い大型ネウロイを残すのみとなった。

 

 

________

 

 

 上空で戦闘機と要撃型のドッグファイトが始まったとき、直枝たちは一度地上に降りざるを得なかった。

 携行している火器の弾が切れたのだ

 離陸前に直枝はある事を口酸っぱく言い聞かされていたからである。

 

「直ちゃん、ひかりちゃん、自衛隊から借りた武器は絶対捨てんなよ!いいね」

 

 尚樹はブレイクウィッチーズの逸話を聞かされ続けたため、念を押しておく。

 ひかりと直枝はいつもの尚樹と違う様子に驚くと共に、理由を尋ねる。

 

「サーシャみてーだな……おう、わかったよ」

「どうしてなんですか?」

「自衛隊の武器管理はヤバいんだ、武器どころか薬莢ひとつでさえ捨てたらそれの捜索で帰れなくなるからな……見つかるまで」

 

 尚樹の悲痛な声に直枝は軽く引きながら聞く。

 

「どういうことだよ」

「俺の同期がある夏にテッパチのネジを演習場にポトっと落としたんだ、そしたら」

「そうしたら?」

 

 まるで怪談話のようなテンションにひかりも思わず顔を近づける

 尚樹は地面に四つん這いになる。一昔前の絵文字で言う所のOTLで、膝をついていることから腕立て伏せに比べればまだ楽なのか?と思うが大間違い。

 

「広い演習場に横隊組んで、延々と地面を探るんだ。7往復くらいやった時、夜になってたね」

 

 迷彩作業服の膝が擦り切れ、曲げっぱなしの腰は歩くだけで痛み、食事もいつとったのか覚えていない。

 日光が背中を焼き、乾いた砂地からの反射光で目が痛い。休憩もなくただひたすら地面を眺め続けるのだ。

 銃器ならば犯罪に使われるおそれがあり、銃社会ではないわが国においては脅威となりうる。

 

「エンピもあったし、64式の剣ヒモも……」

 

 しかし、鉄帽の顎紐を帽体に止めるためのネジやらOD色に塗られただけのシャベル、銃剣の鞘に結ばれているだけの緑色の紐にそこまでする意味はあるのだろうか?

 

「なんでそこまでやるんだよ」

「自衛隊は武器、官品管理に異常なまでの厳しさで……どうしてかは知らん」

 

 それは日本人の美徳とされる“きっちり”“きれいに”精神の極致であり、物が無かった時代の名残ではなかろうか。

 尚樹は借用した武器の所管部隊に多大な迷惑をかけるので、使うなら必ず持ち帰れと言ったのだ。

「武器受領の手続きが……」と言うサーシャのそれより現実味があって切実なそれに直枝は必ず持ち帰ると約束したため、撃ち切った重機関銃を投棄せず指揮所である道の駅に降りた。

 そこに回転灯の付いた白い小型トラックに乗り、“MP”と書かれた黒い肩章を着けた隊員たちがやって来たため彼らに銃火器を預けた。

 緊急時という事もあり、連隊長より連絡を受けていた第131管区警務隊の警務隊員は自衛隊の装備を使用して戦闘に参加している直枝とひかりを自衛隊法違反の現行犯で逮捕することはなく、ユニットを履いてホバリングするひかりたちを駐車場の方向に誘導する。

 ユニットを脱いだ二人はオリーブ・ドラブ色の業務天幕が立ち並ぶ指揮所、後方段列群から少し離れた所にある天幕に案内され、入室する。

 

「管野中尉、他一名の者入ります」

「失礼します!」

「よく来たね、先ほどの戦いを見ていたよ。見事だったよ」

 

 テーブルの上には89式小銃と弾帯、弾納(だんのう)が2セット置かれていた。

 

「ここからは独り言であるから、君たちの中にとどめておいてほしい」

 

 そこに居た幹部自衛官は彼女たちに対してねぎらいの言葉を掛けると、独り言を言い始めた。

 

「この小銃は、私の部下のものだった。だが、みんな光線で死んでしまった」

 

 彼の所属する第2中隊は、地上型ネウロイの光線によって中隊本部要員を残して壊滅した、そこで2丁の小銃を“戦闘損耗による滅失”という扱いにして()()()とすることにしたのだ。

 

「敵に焼かれて部下もろとも燃え尽きたこととなっている、どうか、一矢報いてくれ」

「……分かりました、がつーんとやりますよ」

「おう、あいつは俺達に任せろ」

 

 かつて、ネウロイに押されていたころに幾度も見た“大人の兵士”の顔だ。

 民間人への小銃、弾薬の提供というのは平時の自衛隊では考えづらいような行為であった、しかし杓子定規で居続けるには犠牲があまりにも大き過ぎたのだ。

 促された直枝とひかりはジャージの上に弾帯を巻き、89式小銃を手に取った。

 

「……よし、使い方は見ての通り、スライドを引いて切り替え金を回すだけだ」

 

 30発入り弾倉は弾納(大)に2つ、弾納(小)に1つ入り、弾帯には大小2つずつ、計4つが取り付けられており最大180発携行できる。

 ふたりは弾倉をひとつ抜き取ると銃の左側についている撃針止めを押し、スライドをカシャンと前進させた

 彼女たちが兵士であることを聞かされては居たものの、実際に見ると不安になってついつい装填動作に待ったをかけた。

 

「装填は外でやってくれよ」

「はい」

「わかったよ……暴発させるようなヘマはしねえ」

 

 実弾を装填した小銃を持った二人はストライカーユニットを初めて見る隊員たちに見送られながら駐車場内から飛び立ち、敵味方入り乱れる乱戦の中に突っ込んでいった。

 

「待たせたな!ひかり、俺たちは大型をやるぞ!」

「はい、管野さん!」

 

 ウィッチの接近に気づいたネウロイが向かってくるが、直枝は冷静に89式小銃の切り替え金を連発まで回し、引き金を絞る。

 力強くバンと響くような12.7㎜弾や7.62㎜弾に比べて甲高いキン、キンと金属を打ち合わせる音のような銃声が響く。

 反動が少ないためどうもパワーに欠ける気がすると直枝は感じたが、NATO制式採用小型高速弾は魔法力をもって要撃型ネウロイを正面から捉えて3つの穴を穿った。

 破片を撒き散らしながらネウロイは落ちてゆき光に消えるが、直枝は一瞥もせずに大型のネウロイに飛び込んでゆき、ひかりも直枝の後ろについて接近してくる敵に向かって撃つ。

 ファイターたちはすぐさま二人の援護に切り替え、要撃型ネウロイの後ろをとるや否やスパローで撃墜する。

 異なる世界で作られ、技術体系も全く違うジェット戦闘機とレシプロストライカーが同じ空で戦うという本来ありえない、奇妙な光景が広がっていた。

 

「生身で飛んでる……すごい」

 

 __テレイン、テレイン、プルアップ

 

 あるパイロットは体をしならせ、自由自在に空を舞うウィッチに見とれており対地接近警報に我に返った。

 直枝の横を抜けての急降下から、引き上げ動作に入った彼に要撃型ネウロイの一機が狙いを付けようとした。

 光線がF-15の鼻先を狙い、6秒後の未来位置に向かって放たれた時、近くを飛んでいたひかりが援護に入った。

 左手に小さく作ったピンポイントのシールドで光線を受け流し、小銃で撃ち返す。

 ひかりの射撃は命中しなかったものの、隙が出来たところに別のF-15が放ったサイドワインダーが直撃した。

 大型ネウロイは前部の頭のような膨らみに設けられた屈折パネルから盛んに連続光線を放ち、ウィッチや戦闘機、赤外線画像誘導ミサイルを近づけまいとする。

 だが、レーダー誘導方式のスパローや機関砲、ウィッチの射撃の前には目くらましにもならない。

 光線に撃たれる前にアフターバーナーを焚くF-15の高速性能を活かした一撃離脱と誘導弾自体の速度、そしてウィッチの実戦で培った胆力と経験、光線の間をすり抜けられる機動力のまえに、途中で曲がったりもしない上インターバルも15秒と長い連続ビームなど初見でもなければ当たるわけが無かったのだ。

 

 

 ひかりと直枝は大型ネウロイの周りに纏わりつくと銃撃を浴びせてコアを探る。

 ひかりの接触魔眼を使おうにもまずは手で触れる距離まで近づかなくてはならないがこれは案外難しく、走行中の自動車の窓から手を出して電柱の表面を撫でるようなものである。

 また、車の窓から自動券売機のチケットを受け取れるのは両者の()()()()()()()()()かあるいは非常に小さい物であるからで、時速40キロで手を出そうものなら腕が折れるような大けがだ。

 このように目標との相対速度が合わなかったり、触るために接近しすぎて激突すれば大けがどころか墜落する。

 そのため、非接触型の魔眼とは違って接触魔眼は取り付けるような目標や、それ以外の方法が無いような目標のみに使用され今回も射撃による探索法を用いるのだ。

 撃っていると長い主翼の付け根にちらりと結晶体の赤い光が漏れた事に気づく。

 

「管野さん!真ん中よりの付け根に!」

「でかしたひかり!」

 

 二人がかりで掃射したその時、コアが急に移動したのだ。

 

「なんで……そういう事か」

「いつものやつですね!」

 

 オラーシャでさんざん変わり種のネウロイを見てきた二人にとってはコアが移動することくらい珍しくもなく、続いて対処方法を考える。

 移動式コアや真コアタイプの対処法は大きく分けて二通りある。

 一つ目は魔眼もちによるコア移動パターンからのピンポイント特定による集中攻撃で、もう一つは全体にダメージを与え、回復が速い辺りを丸ごと吹き飛ばしてしまう方法だ。

 前者は魔眼というレアな固有魔法を持ったウィッチが必要で、なおかつ()()()()にそのポイントを撃ち抜けるかどうかにかかっている。

 後者はというと、大量の弾薬並びにネウロイの外板を砕くような大火力が必要だ。諸兵科連合に組み込まれているウィッチが他の兵科といるときはこの方法を取ることが多い。

 

『戦闘機乗りの皆さん、この大型を倒すのにお手伝いお願いします!』

 

 少女の声にファイターたちはちらりと大型ネウロイを見る。

 そこには光線をかいくぐり、執拗に死角に飛び込んでは射撃をする二人のウィッチの姿があった。

 ひかりは懸命にタイミングを見計らい、タッチするとひんやりとした感覚と共にそのたびにコアの位置が動いているのがわかる。

 4回ほど触った時にようやく法則性が見つかったが、戦闘機パイロットたちにネウロイの座標を伝えても分からないだろうし、姉との502残留をかけた戦いのような取り付いて指し示す指示方法もできない。

 そこで戦闘機の火力でコアの逃げ場を制限してやれば攻撃が当たるのではないかという考えが浮かんだのだ。

 

『このネウロイはコア移動型で、長い翼のようなところを往復するような感じで動かしています!』

 

 戦闘機パイロットの頭に彼女たちの意図がパッと浮かび上がった。

 

「要はアイツの翼のようなところを砕いてくれって事か」

 

 ジーコは残るAAM-4とサイドワインダーをあるだけ撃ちこんでやろうと考え、今、ファントムもどきと戦っているパイロットたちは20㎜機関砲を使おうと考えて返信する。

 

__了解

 

 直枝は弾の切れた89式小銃を投げ捨てようとしたが、尚樹の顔がふっとよぎったことでひかりに小銃を預けることにした。

 

「コイツを持っててくれ、俺はこいつを使う」

「スコップですか!」

「ああ、扶桑ウィッチの最後の決は抜刀突撃と相場が決まってんだ」

 

 足りない火力を補うための扶桑刀による大物喰いは前述の相対速度の話にもあったように、距離感を誤って衝突するとほぼウィッチ側が重大な損害を負って墜落することから、上層部によって「極力避けるように」という勧告があった。

 しかし、501のウィッチをはじめとする扶桑ウィッチの一部は扶桑刀で戦果を挙げており憧れる者も多い。

 中途半端に真似されるくらいならばいっそ実際に体験させようと各養成機関でそういった訓練が実施された。

 ひかりの通っていた佐世保航空予備学校においても“航空剣術”なる授業があり、飛行標的を竹刀で殴るという内容だ。

 刀剣が使える者は非常時の最終手段に、他の者にはそこで空中での刀剣使用は難しいことを実感させ、銃火器の方が扱いやすく()()だと考えさせるという目的があった。

 ひかりはその授業を受ける前に欧州に渡ったが、素手で殴る直枝が居たことからネウロイとの肉薄戦闘は当たり前なのかと納得していた。

 エンピを持って突入し、破孔から攻撃を中に徹すのは扶桑軍伝統の抜刀突撃というよりはどう見ても欧州、さらにはユーティライネン大尉に影響を受けているのだが、直枝とひかりは気づかない。

 直枝は先の尖った剣スコップを振り回し、接近してきた要撃型を切り裂くとインカムとスコップで攻撃タイミングを指示する。

 

「俺がエンピを振り下ろしたらぶっ放せ!」

 

 要撃型ネウロイの最後の一機を撃墜したファイターは誤射しないように距離を置いた直枝の合図に、誘導弾を発射する。

 誘導弾8発が次々と大型ネウロイの翼のような場所に命中し、さらに20㎜機関砲で“機首”から垂直尾翼らしき突起まで掃射され自己修復を始めようとしたところに、光り輝くスコップを持った直枝と89式小銃を2丁小脇に抱えたひかりが目標上面から反転、急降下して突っ込む。

 胴にスコップが突き立って、大きく切り裂かれたことによって逃げたコアが機関砲の破孔から見えた。

 

「ひかり、今だ!」

「はい!」

 

 89式小銃を動きの止まったコアに向かって撃ちこみ、ようやく大型ネウロイは夕焼け空に光と消えた。

 いつの間にか深い蒼の通路は消えており、気づけは午後7時半を回っていた。

 自衛隊にとって、長い一日はようやく幕を閉じたのである。

 




おまたせしました。
前回の投稿が疲れのあまり無意識だったのか変な時間で驚きました。

感想・ご意見お待ちしております。


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戦いの後で

“歓迎会の夜”と加筆分割しました。


 2017年7月25日

 

 大阪に怪異が現れてから4日が経ったが、いまも一部地域では停電している。

 金剛山、信貴山(しぎさん)と大阪の背骨を縦断する500KV送電鉄塔や変電設備が大きな被害を受けており、鉄塔の物理的破壊に加えて架線からのエネルギー吸収で起こった瞬間的過負荷に伴う変電施設の破損が復旧を遅らせていた。

 決戦の舞台となった道の駅や河内長野市から奈良県に通じる峠道は砲爆撃、ネウロイの攻撃によって至る所が崩壊し通行止めとなり復旧のめどはたっていないどころか、自衛隊や警察による行方不明者の捜索が今も続けられている。

 こうした直接的に被害を受けた地域のほかにも、波及して断水などの状況にある地域には奈良や和歌山、遠いところで宮城県など複数の都道府県警察の広域緊急援助隊が駆けつけ、災害派遣に動く自衛隊も中部方面隊だけでなく他の方面隊からも生活支援部隊を南大阪に送っていた。

 ネウロイ撃破の立役者であるひかり、直枝、そして尚樹はというと重要参考人となり、連日事情聴取を受けていた。

 

 ネウロイを撃破した後ひかりと直枝は指揮所付近に降り立ち、生き残った隊員たちから歓呼の声で迎えられた。

 そこで終わればよかったのだが機関銃の所持、ストライカーユニットという“超軽量動力機”による()()()()()などの航空法さらには自衛隊法に抵触していたため、2人を迎えに来た尚樹ともども拘束され、駐屯地の一室で警察に引き渡されたのち事情聴取をされることになった。

 同時に紫電2機とひかりの13㎜機関銃は自衛隊において一晩を過ごした後、署内保管という形で一時押収されてしまった。

 ふたりの少女の雄姿は地上からも見え、映像などに収められており、そうした映像をもとに取り調べが行われる。

 そして、所在を明示し逃走のおそれも無いことから警察署で2日以上拘留されることもなく、監視こそつくが3人は自宅から通えることとなった。

 

 今日は朝早くから事情聴取が行われ昼過ぎに終わって、その後、シゲマツ自動車に顔を出すことになっていた。

 ひかりと直枝を乗せて泉佐野市へ向かう道中、ハンドルを握りながら尚樹は戦闘終了後の拘留期間に面会しに来た社長と両親の顔を思い出した。

 尚樹からの電話を受けた陽平が父、陽士郎を乗せて河内長野署までかっ飛んできたのだ。

 車中で「くだらねえことしやがって、一発ぶん殴ってやる」と息巻いていたが、ケンカや人の道を外れた行いをして拘留されているわけではないと知ると、理解を示してくれた。

 何より効果があったのが尚樹と共に拘留されていたひかりと直枝の存在だった。

 陽士郎に尚樹との出会いや日々の生活、今回の拘束に至るまでの経緯を二人は説明すると、納得し一つ頷いた。

 そして「お前、こんなかわいい子二人と暮らしてんのかよ!ハーレムかよ羨ましいぜ」と茶化し半分のツッコミを入れた陽平は尚樹に「陽菜さんに言うぞ」と言われ、隣にいる陽士郎にジロリと睨まれる。

 電気が無ければ整備工場は動かせないので変電所の送電再開までの3日~4日はほぼ休業に近い。

 とはいえ全く何もできないわけではなく、出張修理や電気を使わない作業は出来るため出勤はしないといけないのだが、尚樹の事情を酌んで警察署通いのための休暇をくれたのだ。

 

 

「社長には迷惑かけたなあ」

「優しそうな、いい人でしたね!」

 

 尚樹の呟きに助手席のひかりが応える、ちらりとルームミラーで後ろを見ると直枝は疲れたのか後部座席で眠っていた。

 

「おう、そうだな」

「困ったことがあれば電話しなさいって電話番号も貰っちゃいました」

「いつの間に……」

 

 ひかりは尚樹の自宅の購入先やら、普段の仕事の話を聞いていたため面会室においても人懐っこく話しかけていったのだ。

 陽士郎としても可愛いと思ってにこやかに接したため、ひかりの中では“優しいおじいちゃん”像が出来上がっていた。

 隣に座っていた直枝が無愛想で可愛くないかというとそうでもなく、話題が見つからないというのとどう接していいのか測りかねているだけであり、会う機会があればまた違ってくるのだろうと考えていため感触は悪くない。

 到着時の険しい顔から一転、孫娘ほどではないがにこやかなお爺さんになった社長が帰った後、両親がやって来た。

 

 大津から駆け付けた両親はというと二人の少女に頭を下げて、差し入れのまんじゅうを警察官に渡そうとして止められていた。

 ひと段落つくと母親は「ひかりちゃん、私の若いころに似ているわ」とはしゃぎ、父親は「可愛いやん、どっちが彼女?」と息子をいじって楽しむ態勢に入り、母に止められるまでそのやり取りが続いた。

 尚樹、晴樹が学校や職場の女性の話をしないのは、親父のそうした絡みが嫌であるからだ。

 テレビを見ても女子アナやアイドルを見て「何々ちゃんは可愛いな」、「アレはブスやな」となどと言っては母に「人様の娘さんに何言ってるの」と怒られるデリカシーの欠けたオヤジ化している父に二人を会わせたくなかったというのもあった。

 

「そういえば、尚樹さんってお母さん似なんですか」

「おう。まさか、帰省前に親バレしてるとは思わなかったけどな」

「弟さんが電話してたんですよね」

「そ、晴樹のやつ、俺が同棲してるから帰らないとか言ってたらしいな」

「でも、一緒に住んでますよぉ」

「まあ帰省後に説明する手間が省けたと考えようか」

「そうですよ!あと、お饅頭おいしかったなぁ」

「ホントに、赤木屋のミルクまんじゅうが別物に思えたよな」

 

 拘留が解かれて自宅に帰る際に尚樹の母からの差し入れが警察官によって手渡され、3人は2日ぶりの甘味に舌鼓をうち、久々の制限された自由の下の味、いかに不自由がモノの価値を上げるスパイスになるかを体験した。

 ゆえに尚樹は冷えたものを手土産にしようと考え、停電エリア外である大和川以北のスーパーでアイスクリームを買い込み、ドライアイスを詰めたクーラーボックスに入れた。

 冷蔵庫が動かない地域の人々にとって、冷たい食べ物は癒しになるだろう。

 

「やっぱり、暑いときはアイスがおいしいですよね」

「クーラーのない事務所は暑いからなマジで。ひかりちゃん、気分悪くなったら言ってね」

「大丈夫ですよ!」

 

 車がシゲマツ自動車の前に来ると、整備工場の屋根や道路と二柱リフトを繋ぐ金属製スロープに陽炎が立ち熱気が充満しているのがよくわかる。

 大阪湾からの少し冷えた風が入ればいいなとばかりに窓は全開で、中にはツナギを着崩した先輩たちと社長が居た。

 体中から吹き出る汗でグレーのツナギは濃淡まだらの2色迷彩風になっていた。

 

「おっす、暑いところでごめんやで」

「よう来たな、ひかりちゃんと直枝ちゃん」

「皆さんお疲れ様です、この二人がいま面倒を見ている女の子です」

 事務所に入った三人が応接用のソファーの前に並ぶと社長によって“怪獣騒ぎ”の影響によって尚樹が隣に立つ二人の少女の面倒を見ていることと、それに伴って休みと少しの間遅出になる事の説明があった。

 テレビ、ラジオ、新聞などで50名を超える自衛官や報道関係者の死亡が伝えられ、なかでも光線の直撃によって死んだ者は遺骨すら見つからないようなありさまであることが報じられた。

 当然、彼らにも遺族遺児がおり、尚樹や陽平が元自衛官であることも考えれば、遺された誰かの子供の面倒を見ていてもおかしくはない。

 社内の人たちはネウロイの出現によって家や家族を失った誰かの遺児を尚樹が引き取ったというストーリーを作り上げて、まさか二人が異世界でずっとネウロイと戦っていたその道のプロだとは考えもしなかった。

 報道では自衛隊が大打撃を受けた「正体不明敵性体に対する治安出動」通称“怪獣騒ぎ”は自衛隊の戦闘機と戦車部隊によって解決したことになっているが、一部の週刊誌がその陰に隠れた謎の飛行機械の存在とまことしやかに囁かれる“協力者”の存在に目を付けていたが、ネタ元の精査などでまだ誌面には載せていない。

 この場においてウィッチの存在を知っているのは面会に来た重松親子と尚樹だけである。

 尚樹に促されてひかりと直枝は一歩前に出ると自己紹介を始めた。

 

「はじめまして、雁淵ひかりです!尚樹さんにはいろんなことを教えてもらいました!」

「俺は……管野直枝だ。いろいろあって尚樹やひかりと住んでる。よろしく頼むぜ」

 

 食事はどうしているのか、着るものは満足に与えているのかという質問に一通り答えていると先輩のうちの一人がもう“お手付き”したのかとオッサン節の下世話な質問をして、「『アレ』ってなんですか?」とよく分からないひかり、質問の意図を察した直枝に「ねえよバカヤロウ」と切り返され、社長と事務員のおばちゃんたちに睨まれるという一幕はあった。それ以外はおおむね和やかなムードで3人一緒の質問タイムを終えることができた。

 いったん解散して通常業務に移行すると、差し入れのアイスを片手に何人かは外に出ていき事務所に残ったメンバーとの雑談タイムとなった。

 尚樹は、浮いた話ひとつない男が若い女の子との共同生活ということもあり、先輩たちにいじられにいじられる。

 

「タケ坊、ふたりも女の子がおると何かとやりづらいやろ」

 

 ふたりいる営業のうちのひとり、ヒデさんが尋ねる。

 

「いえ、生活自体は何とかなるんでいけますよ」

「ホンマかいな」

「よっしゃ、今度信太山行こか」

「信太山はこないだ行きましたって……」

「尚樹、たぶん違うで」

 

 陽平は真顔で頭を掻きつつ言う尚樹の様子を見て、間違えていると感じた。

 事実、尚樹は駐屯地に開かれた生活支援窓口の事だと思っていた。

 駐屯地には防衛共済組合の支部も設けられていることから、隊員遺族に対する生活相談が行われ、尚樹たちの場合は協力者としての生活支援の相談ができる。

 ヒデさんは保険業務もやっており、そうした質問かと思っていたが尚樹の2コ上の先輩の発言によって察した。

 

「ヒデさん俺も行きたい」

「タケ坊は童貞やけどお前はちゃうやろ」

「山ってそっちの……」

 

 陽平は二人の少女の方を見るとにこやかに言った。

 中年男たちの下ネタにいたいけな少女二人を巻き込むのは娘を持つ親父としては許容できない。

 

「はーい、ふたりは教育によろしくないからおばちゃんの方に行っとこか」

 

 尚樹とカレーを作って、ダシのないみそ汁を作り、肉じゃがを作り、つい最近は中華ポテトを作ろうとしたことなどの話から、ひかりは家庭的な女の子として。

 直枝は読書が好きで博識、それでいて元気があるスポーツが得意そうな女の子というイメージで二人はおばちゃんに気に入られ事務所の飴玉をもらったり、普段の生活についての話で盛り上がっていた。

 いつまでも話しているというわけにもいかないので30分くらいで帰ることとなった。

 

「尚樹、もう帰るのか?」

「おう、朝早かったから。二人も疲れてるだろうしな」

「そうか、じゃあ今度うちに来いよ。その頃にはたぶんクーラー復旧してるぜ」

 

 流れる汗を粗品のタオルで拭う陽平と尚樹の隣ではおばちゃんが、2人の手を取る。

 

「ひかりちゃん、直枝ちゃん、また来てな!」

「はい!今日はありがとうございました!」

「おう、また機会があれば来るかもな」

 

 おばちゃんや陽平と言った事務所の皆に見送られ、事務所を後にした。

 尚樹の家の電気が復旧したのはその日の晩だった。

 久々に熱い風呂に入り、風呂上りにアイスを食べた三人は電気に感謝したのだった。

 

 

 2017年7月28日

 

 出頭日ではなく、シゲマツ自動車が定休日ということもあって久しぶりの休日だ。

 家の外には公安警察や情報本部の人員が派遣されており、監視要員は不審な接触であるとか逃亡する様子が無いかなどを所属の長に逐一報告している。

 気配こそ悟らせないようにしているものの、やはり監視がついているのはわかるもので必要以上に外出する気が起こらないため尚樹たちは家でゴロゴロすることに決めた。

 

 テレビのニュースは“怪獣騒ぎ”一色で、ネウロイの能力やら大規模停電がどうして起こったのかを各局が繰り返し放送し、“ブラックアウト”は防げなかったのかという電力会社への批判もあった。

 貯蔵できない交流電力は「同時同量」といい電力需要と発電量がおおむね合うように調整されている。

 発電量が多すぎても少なすぎてもダメで、発電量が需要に満たなければ周波数が()()()、電力が需要を上回っても周波数が()()()()停電する。

 鉄塔に上ったネウロイのエネルギー吸収によって周波数が急激に低下し、発電機のタービンブレードなどを守るために安全装置がかかってなお破損し同じ送電網内の送電が停止したのだ。

 ネウロイによって高圧送電線が破壊されていたうえ、送電再開しても需要と供給のバランスが崩れるとまた停電するために段階的復帰が行われたことから停電の解消には時間がかかった。

 

 一方、国会においても“怪獣騒ぎ”が議題に上がっており、直枝が国会中継にチャンネルを変えると自衛隊員の死者58名、報道ヘリコプターなどに乗っていた記者などの民間人死者8名という人的損害を出した安芸総理は退陣すべしという共産主義系政党の主張が流れた。

 

「こいつら、何と戦ってんだ」

「いつもの野党だよ。“安芸(あき)政権を許さない”と主張するしかできないんだよな」

 

 直枝は知らないが日本の野党あるいは特定の政党はスキャンダルはもちろんのこと、天災が起こった後の対処にまで喰らい付いてきたあげくデモンストレーションをするのだ。

 初動に遅れが、復興予算が、迷彩服で飯を炊くな、などなど枚挙にいとまがない。

 テレビの中では安芸信一郎総理の答弁が行われ、「ウソつき!」とヤジが飛ぶ。

 国民進歩党の議員が自衛隊の段階的投入によって犠牲が大きくなった、最初から全部隊を投入するべきだと言い、「そうだそうだ!」とか「最初から戦闘機で空爆すればよかったんだ」と議場のあちこちから声が聞こえ、議長から注意が入る。

 大阪上空戦で戦闘機の撃墜と、市街地被害について騒いでいたことを忘れてしまったのだろうか。

  “国軍化したい安芸政権の軍事演習目的もあったのではないか”という批判をする団体もおり、団体と繋がりがある議員の公式の発表を元にした後知恵批判が続く。

 重迫撃砲や対戦車誘導弾と言った普通科火器に耐え、対戦車ヘリコプターの攻撃に耐えきり、航空爆弾に耐えたような化け物だったという事を忘れたかのような熱弁に安芸総理は苦笑いのような表情だ。

 テレビの前の尚樹たちも同様で、地理的条件や装備の運用に全く考えが至っていない批判にあきれ返っていた。

 

「ネウロイとの戦いでウィッチでもねえ奴の死人が60人とちょっとなんて奇跡だ」

「今津から河内長野まで何キロあると思ってんだコイツら」

 

 ツッコミを入れながらテレビを見ている二人の前に青い江戸切子の器が置かれた。

 窓から入る光を受けて深みのある茶色の液面がキラキラと輝く。

 

「尚樹さん、管野さん!そうめん出来ました!」

 

 ひかりが台所から持ってきた水切りボウルには手延べそうめんが小山のように盛られ、薬味を盛った小皿、ガラスポットに入れて冷やした麦茶を冷蔵庫から取り出して並べる。

 

「いただきます」

 

 茹で上がったそうめんはモチモチとしており、まさに家で茹でたといった雰囲気だ。

 しょうがとねぎの風味、鰹と昆布のだしが効いたつゆの味と共に喉を過ぎてゆくそうめんに直枝やひかりも扶桑の夏を思い出す。

 

「やっぱり扶桑の夏はそうめんが無きゃ始まらねえよな、ひかり」

「そうですね、管野さんまだまだありますよ!」

 

 ひかりが腕まくりをして言った時、尚樹が笑う。

 そうめんの入った木箱はまだ4個ぐらいあり、ひと箱14人前なので単純計算で56人前くらいある。

 

「ははは、帰省した時にそうめん持って帰らされるからまだ増えるぞ」

「そうなんですか?」

「ああ、1人暮らしすると言ったときに箱でもらったからな」

 

 面会室でのミルクまんじゅう差し入れを思い出した二人は納得する。

 何処も母親は押しが強いもので、ひかりの母親である竹子も心配性で特に末の娘であるひかりは初めて家を出るとあって、遣欧艦隊に乗る前に娘二人に着物やらお小遣いやらいろいろ渡そうとしていた。

 ひかりは兵営暮らしも経験している高給取りの姉がいなかったらおそらく大風呂敷一杯の荷物を持たされていただろうと思う。

 ペテルブルグ基地でこそ個室が与えられたものの、空母のベッド下や普通の2段ベッド下にはそんなに荷物は入らないのだ。

 結局、「孝美がいれば大丈夫ね」ということになり、無事に寝台下に収まる荷物となった。

 

「あの木箱ってみんなそうめんなんですね!」

「そう、お中元とかそんなんじゃなくて仕送りで来たやつ」

「こんなに腹いっぱいになるまでそうめん喰ったのにまだあんのかよ」

 

 ボウルに山盛りだったそうめんはもう半分を切っていた。

 黙々と食べ進んでいた直枝の箸が止まる。

 麺から出た水分によって味が薄くなったので麺つゆを足そうと考えたのだ。

 

「ひかり、めんつゆ取ってくれ」

「はい!」

「そうだよこれこれ」

 

 めんつゆの入ったポットを受け取り、器に注いで麺をひとつかみさらりと食べようとした。

 

「ブフゥ……これ麦茶じゃねーか!」

「ごめんなさい!」

 

 派手にむせる直枝、めんつゆと麦茶が入ったポットはセット販売で同じデザインだ。

 めんつゆが入った方のガラスポットは尚樹の前にある方で青い花の模様が入っている。

 麦茶は赤い花の模様が入った方であるが、買ってすぐという事もあってそこまで注意が至らなかったのだろう。

 尚樹はガラスポットを見て思った。

 

 __お茶くれって言って麺つゆが来たらヤバかったな。

 

 この手の麺つゆトラップは保存容器の少ない田舎の家において起こりがちで、見た目が茶褐色の液体でよく起こるのだ。

 お茶だと思って飲んだ干ししいたけの戻し汁などは強烈で、最悪の場合嘔吐する。

 直枝はむせただけで済んだようで、流し台で器の中身をめんつゆに交換してそうめんを食べ進む。

 3人がそうめんを食べ終わる頃、議題は変わり財務大臣が補正予算案について答弁をしていた。

 尚樹は昼がそうめんだったし久々に晩御飯を外食にしてみようかと考えるのであった。

 

 尚樹たちが自宅でそうめんを食べている頃、ストライカーユニットは派遣されてきた技官たちによって調査されていた。

 レシプロ戦闘機のような外見から4ストロークガソリンエンジンだと推測され、メンテナンスパネルやエンジンカウルパネルを取り去ると魔導エンジンがあり、各気筒は昔ながらの星形配置だ。

 尚樹やひかりたちの証言から飛行している動画の解析が行われ、空気中の“エーテル”を掻くことで飛んでいる様子にガソリンは呪符生成器といった回転部位を回したり魔法力の使用を助けるために用いられている事がわかると、次は飛行術式生成装置やフィールド生成器などにどうやって魔法力が送られていて、どう制御しているのかという疑問が浮かんだ。

 魔法技術についてはわからない事ばかりであったが、“こちら側”で存在しないか観測できない物質……仮に物質Xと呼称する、物質Xがあった場合に機能するであろう構造となっていることについてはわかったのだ。

 銅線に混じり何かの合金で出来た線や、同じ合金で出来た文様のようなものもあることから技官たちは物質Xには電気のような伝導性があり、なおかつプリント回路のような技術があると推測した。

 魔法力が電子のような物質であればイオンクラフトやイオンエンジンのような電場が原子に働きかけることでイオン風を発生させ、推進力を得ているという説明がつく。

 

「これを飛ばそうとしたらね、それこそコンデンサみたいにエネルギー貯めなきゃ無理ですよ」

 

 アルミ箔とバルサ材を使ったイオンクラフト数十グラムを浮かせるために2万ボルトとかの高圧電源が必要なのだ。

 自動小銃や少女、エンジンの詰まったユニットを浮遊させるにはどれほどのエネルギーが必要なのだろうか。

 ある大学教授は“魔導工学”が発展している世界や、ウィッチがストライカーを浮遊させるためにどれほどのエネルギーを保有しているのか興味を示していた。

 魔法力が人体で生じさせることができ、なおかつ電子よりも優れたエネルギーとして作用するのであれば、これはエネルギー革命を起こすだろうと。

 もっとも、そのエネルギーを制御・生成できるのは成人前の女性が殆どであり、魔女なしで運用する場合動力源に今回大きな被害をもたらしたネウロイのコアなどが無ければ実用化は困難である。

 同時に魔女世界の人間からの証言によって、魔法技術が浸透した世界とネウロイの動力源を知ることとなったが、アニメやラノベといった作品に触れたことがある人々ならこれは嫌な予感しかしなかった。

 

 適性のある女子が優遇されることには生体実験はびこる強化服世界、ネウロイのコア利用兵器は暴走して手が付けられない展開になるのが容易に浮かぶ。

 ウィッチが現行の装備群を凌駕するかと言えばそうでもなく、いくらシールドがあっても艦砲や大口径対空機関砲に撃たれれば即死するため、女しか使えない強化服の世界のような女尊男卑の風潮になることはないだろう。

 しかし、倫理観のないところで魔法力を抽出するためだけの女子が養成されたりする可能性は否定しきれない。

 ネウロイコアを動力源とするのはそれこそ暴走リスクが高すぎる。

 日本の技官たちはウォーロックの暴走こそ知らないものの、未知の技術に振り回されて暴走するアニメを知っている。

 事あるごとにオペレーターの女性が「ダメです」と叫び、暴走して制御が効かなくなる装備など信頼性のかけらもないし何より危険だ。

 こちらの世界において人的損耗を避けたければ、無人機を投入すればよいのだ。

 

 余談であるが日本におけるネウロイの出現に最も早く反応したのは日本に基地を擁するアメリカ合衆国であり、日米安全保障条約に基づき出動準備まで整えていたのだ。

 その中に北朝鮮監視任務に就いていたRQ-4グローバルホークなどの無人航空機(UAV)が含まれており、光線を顧みず情報を収集するつもりだったのだ。

 無人機による情報をもとに岩国基地から海兵隊のF/A-18戦闘攻撃機が、グアムからB-1Bランサー爆撃機が出動し、自己回復速度を上回る飽和攻撃を行うというプランがあったがネウロイが撃破されお蔵入りとなったのである。

 日本政府から支援要請も出ていなかったため実際には航空自衛隊が撃ち尽くした時点で行われたのだろうが、その頃には絨毯爆撃が行われずとも進行地域が焦土と化しているため被害は甚大であり、ウィッチによるネウロイの早期撃破は結果的に街を救ったのだ。

 公表された動画を元に中国軍、ロシア軍なども母艦級陸戦ネウロイ出現におけるシミュレートを行ったが、砲爆撃による飽和攻撃がもっとも効果的であり光線攻撃の射程外から攻撃力の高い中・短距離巡航ミサイルを打ち込むというのが最も人的損害が少ないため、対ネウロイ戦には巡航ミサイルが不可欠だという結論が出た。

 魔女世界における欧州の状況を知ったらおそらく、戦術核の集中投入を提言するくらいには。

 もしもこうした想定を超空間通路の向こう側に居る人間が聞けば恐れるであろう。

 ある日通路が開いたかと思うと数百のミサイルや編隊を組んだ超音速爆撃機、戦略爆撃機が飛来しネウロイ支配領域に何万トンの爆弾や、大量破壊兵器を投下していくのだ。

 ネウロイがおらず世界大戦を行い、大規模侵攻、核抑止のもと冷戦構造を経て発展した技術が存分にその威力を発揮するだろう。

 幸いにも日本上空に超空間通路が出たがゆえに、そうした悪夢のような光景が起こることはない。

 

 とにもかくにも、魔法力という謎のエネルギーとそれを用いた機械の箒の実物を目にした技官や大学教授たちは新しい可能性に心を躍らせたのであった。

 

 

 “参考情報”止まりだった魔女の存在だが、ネウロイ撃破から魔女の存在は防衛秘密となった。

 そういう事もあって、大っぴらにするわけにもいかず尚樹やひかり達の行動を罰するわけにはいかなくなったのだ。

 ゆえに、自衛隊法や銃刀法、航空法違反に対し超法規的措置が取られることとなったのである。

  内密にしようにも37連隊だけでなく多くの隊員が目にして事情聴取やなにやらで二人と関わっていたことから“公然の秘密”となっていた。

 公然の秘密となった彼女たちをいつまでも拘束するわけにもいかず、監視という対応にしたのはある種の忖度が働いた結果であった。

 

 某テレビ局が自衛官と称する男にインタビューし、「服務の宣誓ではあんな化け物と戦うとは思っていなかった、約束が違う。この流れで戦争に行かされるかもしれない」などと言わせて番組に登場させていても、彼女のことについては触れられない。

 居室のテレビに映る男を隊員たちは冷ややかな目で見ていた。

 多くの仲間が死んで震えもしたがあの時に現場にいた隊員であれば、空を飛んでやって来た少女たちの姿に奮い立ったはずなのだ。

 テレビに出て、「妻子がいるにもかかわらず戦争に行かされるかもしれない」などと言っている奴は年端も行かぬ女の子を戦闘に立たせて見ているだけしか出来なかった無力を知らないのだ。

 “秘密”であるからひかり達の存在をメディアに話すことこそないものの空飛ぶ美少女は隊員たちの間ではアイドルのような扱いになりつつあった。

 

 多くの隊員を失ってガランとした生活隊舎にラッパが響く。

 窓の外で誰かが君が代ラッパを吹いていた。

 それはラッパ錬成を終えて帰ってきた隊員による自主練習ではない、その音色は湿っぽく聞こえまるで弔いのラッパだ。

 晴樹は居室をでるとすっかり空室が増えた廊下を歩く。

 左右には明かりの点らぬ部屋が並び、二度と帰らぬ住人が居ることを示していた。

 不気味なほどの静寂に足音がパタパタと響き、ドアがキイと開いた。

 隊舎の裏でラッパを吹いていた男に声を掛けた。

 

「おい」

 

 男は振り返ると、ラッパを持っていないほうの左手を上げた。

 

「武内か」

「森本」

 

 それきり二人は何も言わずに明かりもまばらな生活隊舎を見る。

 まるで長期休暇の間のようだが、部屋の住人達は二度と帰ることはないのだ。

 部隊葬でらっぱ手を務めた森本士長は、友人であった亀山士長を失った。

 元ボクサーの亀山士長は目つきも鋭く、「見た目チンピラやんけ」とよくいじられていたが風体にそぐわず困っている者を進んで助けるような気のいい男だった。

 格闘検定では特級を取るような猛者だったが、彼の最期はあっけないものだった。

 WAPCより下車して戦闘に移る直前に、光線の流れ弾が掠めて即死したのだ。

 死の光に消えていった彼らを思い出すと、目頭が熱くなる。

 森本士長は鼻を鳴らしながら言った。

 

「明日から、また訓練だな」

「ああ」

 

 泣きそうになっているお互いの顔を見ないようにして、ふたりは隊舎へと戻る。

 晴樹たち自衛官は多くの知り合いを失い1週間。心の整理がつかぬまま次の準備に掛かろうとしていた。

 

 



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歓迎会の夜

『戦いの後』と分割しました。


 1945年8月26日

 

 悪夢のような夜襲のショックも和らぎ始め、同時に敵襲もぱったりと途絶えて1週間

 そんな中、大損害を出したオラーシャ軍の戦力を補填するかのように海を渡って来た派遣部隊、レーシー調査団が合流することになった。

 バレンツ海、白海を経由し送り込まれてきたブリタニアの航空歩兵連隊、リベリオンの機甲師団と海兵隊、そして正規空母と輸送船に便乗していた扶桑陸軍のウィッチがペテルブルグ南部戦線に投入されたのだ。

 

「今日から諸君らの後方には、扶桑、ブリタニア、リベリオンより派遣された部隊が配置される」

 

 アルチューフィン中佐の声が臨時飛行場に響く。

 営庭に並ぶウィッチたちは微動だにせず、中佐の方を向いている。

 壊滅したいくつかの連隊の穴を埋めるためペテルブルグ軍は再編され、6月のトロイカ作戦発動以降最前線で奮闘してきたウィッチ戦闘団も例外ではなかった。

 121、129、317の各飛行隊からは計9名の戦線離脱を出し、エース揃いの502からも管野直枝が未帰還となった。

 いずれも戦死ではなく、負傷または敵の空間通路を通ったが故の離脱である。

 これでも消耗率はかなり低いほうであり、ウィッチが制空に上がるのも難しく地上部隊が潰走していた従来までの撤退戦とは異なり、航空歩兵と空地の各兵科の連携が機能しているうえに上空のウィッチ個々の能力向上と数による援護があったためで被害こそ出たもののまだ攻勢作戦には参加可能だ。

 そんな活きた師団級ウィッチ部隊を使わない手はないとマンシュタイン元帥より再編の声がかかったのだ。

「よって、我が戦闘団改め、統合魔導師団には空地両面よりネウロイ根拠地の襲撃、可能であれば敵通路向こうの地点確保が命ぜられたのだ」

 

 アルチューフィン戦闘団は一度解隊され、“統合魔導師団(JMD)”と名称が変わっただけではなく今度は空地一体となった攻勢を仕掛けるために陸戦ウィッチ部隊も戦闘団の隷下に組み込む方針となった。

 502のユニット回収班のほか、各地方で壊滅した部隊の生き残りである陸戦ウィッチを集めてレーシーに突入する強襲部隊が編成されたのだ。

 

「そこで君たちの足元を守り、時には深く敵陣に斬りこんでもらう部隊の紹介を行う」

 

 昨晩トラック数十台と装甲車両数台で前線飛行場に到着し、新しくできた隊舎に入っていった新顔の少女たちで、見慣れたスオムス、オラーシャ、カールスラントの軍服のほかに見慣れぬ戦闘服の少女たちが居た。

 三突やT-34と言ったユニットに比べ装甲が少なく若草色の軍服に鉄帽をつけた普通の歩兵のようないでたちで、角張った三色迷彩の陸戦ユニットを履いていることからようやく装甲歩兵であるという事に気づく。

 よく見ると右足には白文字で部隊の通称号である、“(こん)”の文字が入っていた。

 そう、人数合わせで扶桑義勇軍の陸上装甲歩兵が組み込まれたのである。

 ユニットもT-34/76からT-34/85、三号突撃装甲脚、ウラル山脈の向こう側ではもう見る事も少なくなった旧37㎜砲を携行する九五式装甲戦闘脚(前期型)とバラバラで、人種も扶桑人だけでなく東南アジア系や東欧の小国の出身者など様々だ。

 

「彼女たちが空陸統合打撃部隊……通称名は“スラム・ウィッチーズ”だ」

 

 隊旗こそまだないものの、一糸乱れず整列した四十機を超える陸戦ユニットとそれぞれのパーソナルマークが単なるあぶれ者の寄せ集め集団ではなく、個々の精強さを物語っていた。

 指揮官として銀の髪を風に靡かせて立つのは“モロッコの恐怖”と名高いユーティライネン大尉で、その隣には美しい黒髪を後ろで束ねている背の高い女がいた。

 

「第一中隊長はユーティライネン大尉、第二中隊長は辻野大尉、自己紹介を」

 

 欧州派遣初期の従軍記者も死ぬような泥臭い後退戦で戦ってきたがゆえに、扶桑本国ではあまり知られていないが、扶桑義勇軍の中では有名人である“辻斬りの辻野”と呼ばれる女だ。

 彼女の後ろには自らを“抜刀隊(ばっとうたい)”と名乗り、白いタスキに軍刀を携えた十四名の陸戦ウィッチと扶桑軍の装備を付けたアジア系の少女たちが並ぶ。

 ちらりと左翼側に立つ扶桑人たちを見ると、アウロラは“面倒だな”とでも言いそうな雰囲気で言った。

 

「諸君は私の事をよく知ってるだろうから省略だ、ツジノ大尉」

 

 アウロラの態度を咎める者はいない、なぜならスオムス軍きっての有名人であり丸太やらスコップで押し寄せるネウロイを壊滅させるのはペテルブルグ軍全軍のなかでも彼女だけだろうから。

 

「はい、私は扶桑陸軍の辻野政子(つじのまさこ)大尉だ。リバウからこの方撤退戦か死守戦闘しかしていなかったもので攻勢部隊に呼ばれたことには驚いた」

 

 一般に攻勢時より撤退戦や守備戦闘時の方が多くの犠牲を出すものだ。

 師団級の部隊でさえ潰走する状況で一個小隊15人と少人数の部隊を存続させ数年間戦い抜いた彼女たちはただ者ではない。

 なにより本国からの輸送路が長大で弾薬の乏しい扶桑軍において剣術や銃剣術を使うウィッチは多いが、確認戦果だけでネウロイ250体斬りという狂気じみた戦果を持つのは“辻斬り辻野”だけであり陸戦ウィッチの中でもここまで近接戦闘に特化したウィッチはそうそういない。

 

「名誉ある攻勢部隊という事で、たとえ死せども諸君らの突破口を拓く。よろしく頼む」

 

 エース揃いの航空部隊に近接戦に特化した強襲部隊の組み合わせはレーシーのコア攻撃や超空間通路越境作戦の中核を担うには最適だったのだ。

 拍手が起こり、各中隊長の自己紹介をもって“スラム・ウィッチーズ”の編成完結式が終わった。

 

 

  久々の式典が終わると、補給品としてリベリオンの海兵が運んできたアマゾナスのコーヒーを片手にラルは指揮官室で寛いでいた。

 サーシャとロスマンもおり、香り高いコーヒーを楽しむがどうにも机の上のシュガーポットが気になって仕方ない。

 ラルがひとりで半分くらいまで使ったのだ。

 

「しかし、新しい部隊のウィッチは猛者揃いだな。サーシャ」

「そうですね、扶桑の人はユーティライネンと違って真面目そうですね」

「資料によるとなんでも、刀を使うらしい。坂本タイプだ」

 

 通常の銃火器を主にする孝美や下原、拳で戦う直枝と接触魔眼のひかり、いずれも扶桑ウィッチだが刀使いは居ない。

 “サムライ”という東洋の神秘を体現したようなウィッチたちを目にしたラルは興味深そうにしていた。

 一方、サーシャはというと彼女たちの履いていた陸戦ユニットが古い形式なのに大きな損傷もなく動いているという点に着目した。

 

「近接戦であんな古いユニットを運用できるのは、それだけ“ユニットを壊さない”という事ですね」

「ほう」

 

 僅かに上がった口元を見て、ロスマンはまた何かを考えているなと当たりを付ける。

 

「隊長、陸戦ウィッチですよ」

「エディータは心配性だな。わかっている、誰でも彼でも引き抜くわけではない」

「マンネルヘイム元帥を使って無理にアウロラさんを引き抜いたのに?」

「ああ、極寒の冬季戦ができるユニット回収班には不可欠な人材だったからな」

 

 強引な引き抜きによってスオムス軍のラガス少将を怒らせたことを忘れたのか悪びれもせずにいうラルに、ロスマンは戦闘団の再編目的を思い出した。

 扶桑語の聞こえる異世界に繋がる通路と、その向こうの確保が目標となったのだ。

 

「今度は()()()()()()()()()()()()ウィッチが必要だからとか言い出さないで」

「ふむ、それは良いな」

「隊長!やらないでくださいよ。もう扶桑とベルギカからの電話は嫌です」

 

 ロスマンの言葉にラルはニヤリと笑い、それを見たサーシャは悲鳴を上げた。

 下原や()()に終わった宮藤芳佳、飛び出してきた孝美の件で扶桑軍の将校やらヴィルケ中佐といったあらゆる方面からの電話を受けたのだ。

 

「ふっ……冗談だ」

「あなたが言うと冗談には聞こえないわ」

()()()()声を掛けない、信じてくれ」

 

 平然と言うラルに、ロスマンとサーシャはまた良からぬ企みをしているんだろうなと諦めムードを漂わせる。

 手元のコーヒーは残り少ない砂糖を入れたはずなのにやけに苦く感じた。

 

 

 式典が終わるとクルピンスキーはふらりとどこかに姿を消し、孝美とニパは三角兵舎地区の外れに新設されたスラム・ウィッチーズの隊舎前で、隊長二人と会うことになっていた。

 陸戦ユニットの並ぶかまぼこ型のハンガーの横に小屋が並んでおり、毛筆で“空陸統合打撃部隊”と書かれた木の看板が入り口に下げられていた。

 扶桑軍の基地施設や宿営地でよく見る光景であり、孝美がドアをノックしたところ

 中から扶桑陸軍の作業服に身を包んだ女性が出てきた。

 設営作業をしていたようで、室内では指揮所要員と思われる人々が資料の入った箱を運んでいたり、作戦図を壁に貼り付けている。

 辻野大尉は場所を変えようと言って、隣接するハンガー内の待機室に孝美を案内した。

 待機室は椅子が4脚に机がひとつの小部屋で、引っ越し2日目という事もあってまだ物が無くてがらんとしている。

 椅子に腰かけると、

 

「あなたが噂に聞く佐世保の英雄、雁淵中尉ですね。初めまして」

「ええっと、辻野大尉、私が雁淵孝美中尉です」

「最後まで脱出路を守ってくれたと聞いております」

「そんな……辻野大尉はどちらに?」

「私たちはヴォロジノにて、リバウ方面への後退を支援していました」

 

 孝美は当時ブリーフィングルームで毎日聞いていた状況を思い出す。

 欧州戦域の至る所から近接航空支援や直掩の要請がかかり、様々な場所へと飛んだ。

 輸送船団までたどり着けず壊滅する戦闘団、遅滞戦闘でいくつかの部隊を全滅させつつ命からがら港になだれ込んだ避難民たちの姿をよく聞いて、あるいは見ていた。

 後退戦は地形や避難民、部隊の移動速度、戦闘の状況などに大きく影響され、航空ウィッチが15分で飛ぶ数キロの距離を地上軍は半日、ひどいときには二日前後かかって移動するのだ。

 だが、銀色や新型の黒い地上ネウロイは山野を土石流のような勢いで突進してきて、実体弾や光線を逃げる住民の背に降らせ、死守命令を受けて残存する守備隊を喰らいつくす。

 飛行タイプのネウロイが現れて航空優勢すら奪われるとそれこそ絶望的であった。

 辻野ら装甲歩兵、孝美たち航空隊も各戦区の火消しに回され、傷つき、斃れていった。

 いよいよ扶桑陸軍第56装甲歩兵連隊(通称号:昆部隊)も3個大隊からたった2個中隊を残すまでに減じ、拠点守備隊としての任務が解かれ住民と共に脱出命令が下った。

 絶望的な戦況の中で大小合わせて100体以上の迫り来るネウロイに扶桑刀にて斬り込み攻撃を敢行した部隊があった。

 それが56装歩連隊であり、当時の第一中隊長が辻野中尉であった。

 彼女たちは弾のない37㎜砲を捨てて抜刀、あるいは着剣した歩兵用小銃を装備して廃墟の陰より飛びかかったのだ。

 結果は2個中隊員のほぼ半数が戦死したものの大型2、中型17、小型29体を撃破し、三日間足止めすることができたのである。

 だが、辻野中尉らがここまで奮戦できたのは、上空に扶桑の航空ウィッチが現れて対地攻撃型を撃墜してくれたからという面が大きい。

 今となっては海軍の零式か、陸軍の一式戦かまでは分からないがとにもかくにも航空支援があったことは事実である。

 

「……戦果を喜ぶ暇もなく、北へ、北へと、リエパヤ港を目指して後退している時にあなたの名前を聞きました」

「何度か地上攻撃や輸送船団の護衛に回りましたが、ひょっとしたらお会いしているかもしれませんね」

「そうですね。とにかく、上空援護はありがたかった」

 

 ふたりの扶桑ウィッチはかつての激戦を思い返し、雑談に花を咲かせていた。

 一方その隣では扶桑ウィッチの他に数か国のウィッチがおり、夜に向けて歓迎会の準備だ。

 音頭をとっているのはアウロラであり、酒の力は国境を超えるとばかりにハンガーの片隅に持ち寄られた様々な銘柄が集積されていた。

 補給物資に詰め込まれているリベリオン産ウィスキーやらウォッカ、扶桑の芋焼酎などに始まり、地酒やどこから手に入れたのか分からない戦前の1910年物ガリアワインなんかもある。

 

「ねーちゃん、サーシャさんがほどほどにしろって言ってたよ」

「ニパ、ポクルイーシキンの『ほどほどに』というのは()()()()()という意味なんだ」

「絶対違うと思う」

「なぜなら、本当に止めに来るときはいきなり乱入してきて酒を持って行くんだ」

「それで前にサーシャさん具合悪そうだったのか」

「ポクルイーシキンはああ見えて結構飲める口だからな」

 

 消灯時間が近づいてきたため酒盛りを止めようとしたサーシャに酒を勧めた結果、いつの間にか酒が無くなりお開きとなってしまった。

 スオムス兵や整備兵たちと皆で煽っているうちに、飲み干されたのである。

 翌朝、頭痛と共にサーシャは場のノリで飲んでしまったことを後悔したのだった。

 

「サーシャさんって飲めるんだ……」

「という事でニパ、今晩は盛大にやろう。あっちのツジノも誘ってな」

 

 ニパは扶桑のウィッチたちを見て、ひかりと管野、今ここに居ない二人が居たらどうなってたんだろうと考えて南の空を見る。

 天まで続く雲の塊、“レーシー”は大規模な夜襲以降、全くと言っていいほど静止して動かない。

 人類側も雲の中の超空間通路の攻略に備え、間引き作戦すら行っておらず定時の偵察飛行に出るくらいだが一向にネウロイと遭遇しない。

 ネウロイ、人類両軍とも一大決戦に備えて力を蓄えているのだろうか?ニパにはそれがとても不気味に思えた。

 

 

 ___________

 

 

 20時ごろに歓迎会が始まり、警戒シフトに入っていない者が中心となってスラムウィッチーズ隊舎前にぞろぞろと集まり出した。

 502のメンバーもニパ、クルピンスキー、孝美のほか下原、ジョゼが参加する。

 

「すごい人だねー」

「そうね、こんなに賑やかなのは久しぶり」

「どの子も可愛いなあ、あっ、孝美ちゃん、ニパ君、僕はこれからあいさつ回りに行ってくるよ!」

「ええっ?」

 

 クルピンスキーはニパと孝美から離れるとハンガーの方へと消えていった。

 いきなりの事に驚く孝美だったが、ニパはクルピンスキーの行動予測が出来たためため息交じりで言った。

 

「はぁ……中尉の事だからナンパして、ワインでも飲んでるんじゃないかな」

 

 とりあえず、知り合いに挨拶しようと二人は隊舎の方へと足を向けた。

 司令部前にはテーブルとベンチが並べられ、ビアガーデンのような形態となっていた。

 木々に囲まれた空間に並べられたベンチにはウィッチの他に整備兵、本部付要員などの兵士たちが食べ物をもって集い、ビールやその他酒類を酌み交わしている。

 特に、ビールの本場にしてビアガーデン発祥の地であるカールスラント人にとっては、ミュンヘンや故郷を思い出す雰囲気であり、郷愁からか酔いが回り出し涙を流す者も居た。

 

 辻野大尉は司令部前の小さなテーブルに着いており、飯炊き部隊が腕によりをかけて作った握り飯、南瓜の炊きもの、牛缶を肴に清酒を開けていた。

 

「よく来てくれた雁淵中尉、そして君は……」

「ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン曹長です。えっと、長いからニパって呼んでください」

「わかった、ニパ君。二人とも、ここが開いてるから掛けてくれ」

「わかりました」

 辻野大尉はニパの自己紹介にひとつ頷くと、年若い従兵に二人分の杯を取りに行かせた。

 ほどなくして、お盆に白い杯を乗せて従兵の少年がやって来た。

 扶桑人は比較的アルコール分解の酵素が弱く、酔いやすい人も多いとあって辻野大尉は孝美に問いかける。

 

「雁淵中尉、酒は飲めますか」

「ええ、すこしなら」

 

 孝美も軍に入隊して16歳を過ぎると酒が振る舞われる機会も多く、少しは飲めるようになった。

 とはいえども度数の高い酒類を何本も呷るのは出来ず、今現在そのようなことをしているのはハンガー近くに陣取っているスオムス軍の一団と、オラーシャ人の一団くらいである。

 

「あちらの席じゃあ、倒れるまで飲ませるみたいだが、私は程々にするので安心していい」

「お気遣い感謝します」

「ありがとうございます」

 

 礼を言うと、杯に清酒が注がれ二人に手渡される。

 

「今日の会に乾杯」

「乾杯!」

 

 孝美、ニパと辻野大尉は杯をかるく触れさせると一口目を味わう。

 辛口の酒が握り飯と合って、実に美味しく感じた。

 

 遠くから『ハッカペーレ、ハッカペーレ』という煽りが聞こえて孝美たちがそちらを見ると、スオムス人対オラーシャ人の飲み比べが始まっていた。

 オラーシャ側の厳つい大男と戦っているのは第一中隊長にしてユニット回収班の長であるユーティライネン大尉だった。

 ニパは「ねーちゃん……」と引き気味にみると我関せずの方針を取ることにした。

 今、声を掛けてしまうと間違いなく飲まされて潰されるか、あるいは面倒なことになるのがわかりきっていたからだ。

 

「ニパ、そんなところで何をしているんだ、こっちに来い!」

 

 だがついてないニパであるから、飲み比べをしているはずのアウロラに声を掛けられてしまう。

 ねーちゃんと慕うアウロラに呼びかけられたニパが無視できるわけもなく、辻野大尉に一声かけると席を立ってスオムス軍の方へと歩いて行った。

 

「知り合いか?」

「ニパさんの相棒がユーティライネン大尉の妹さんなんです」

「そうなのか、あれは飲まされるな」

「そうですね、もう酒瓶突き付けられていますね」

 

 孝美と辻野大尉はスオムス軍の輪の中でもみくちゃにされているニパの姿に同情した。

 

「そういえば、私も故郷に(のぶ)という弟が居るんだが、どうにも腕白坊主でな。雁淵中尉には妹さんが居ると聞くが」

「ええ、ひかりっていう妹が居て、とても元気な子なんですよ」

 

 扶桑人たちが自分の身内をネタに話を弾ませてちびちびと飲んでいる頃、下原とジョゼは調理場で持って行くおつまみを用意していた。

 材料があまり無いので飲み屋で出されるようなものは作れなかったがソーセージや、ベーコン、扶桑軍の戦闘糧食に入っている乾パンなどと言ったものを金属製の容器に詰める。

 ビールなどには塩辛い肉系がよく合うもので、オラーシャやカールスラント人の多い欧州戦線においてソーセージ、ベーコンはハズレない。

 

「定ちゃん、味見するよ!」

「ジョゼったら、もう三枚目よ」

 

 焼いたソーセージやベーコンの香ばしく食欲を誘う脂の匂いに味見と言って手を出すが、それも織り込み済みとばかりに手早く焼いていく。

 何処の部隊も考えることは同じなのか、炊事場には複数の部隊が集まっており、部隊の野外炊具などで軽食やつまみを作っていた。

 パンの良い香りが辺りに漂い、パンを焼いている扶桑軍の軍服を着たアジア系の少女にジョゼは思わず声を掛けた。

 

「“クロックムッシュ”だ、懐かしい!」

「ええ、貴方はガリア軍の人?」

「そうです、あなたは?」

「私はビルマ軍出身で、パリに派遣されていたんです」

 

 下原は傍においてある具材からサンドウィッチ系の食べ物であることに気づいた。

 サンドウィッチはブリタニアが発祥だと言われているが、具材を挟むという食べ物はガリア、カールスラントでもあったことから厳密にどこが発祥であるというのは誰にも分からない。

 扶桑においても1892年に大船駅の大艦軒が駅弁にサンドウィッチを販売すると、この手軽な食べ物は流行し、内地では食パンの耳を切ったパンが主流となった。

  派遣軍においては諸外国のウィッチたち同様、バゲットやクロワッサンなど何にでも具材を挟んでサンドウィッチを作っていた。

 中にはカツなどの揚げ物を挟む者が現れ、いわゆる“カツサンド”も扶桑軍で流行してしまったのだ。

 そんなありさまであるから、下原もパンに具材をはさむ料理=サンドウィッチの図式が出来ていたのだ。

 

「クロックムッシュ?サンドウィッチとは違うの?」

「定ちゃん、クロックムッシュはサンドウィッチより豪華なんだよ!」

 

 クロックムッシュとは1910年ごろにガリアのカフェやバーで提供されていた軽食であり、ガリア語で「カリッとした紳士」という意味である。

 その名の通りカリッと焼いたパンにハムとチーズを挟み、ペシャメルソースという小麦粉とバターを煮詰めて牛乳で溶いたソースを塗って食べる料理だ。

 “クロックマダム”という目玉焼きが乗っているバージョンもあり、こちらは暖かいまま席に座って食べるものだ。

 

「良かったらお一つどうですか?」

「いいんですか?やったね定ちゃん!」

「こら、ジョゼったら。こちらからもひとつどうぞ」

 

 ソーセージ数本とクロックムッシュのトレードがきっかけとなり、下原やジョゼはビルマ人の少女と仲良くなったのである。

 

 一方、クルピンスキーはというとスラムウィッチーズの少女たちに声を掛けていた。

 片手にどこかから頂戴してきたワイン、遠方の女の子からの貰い物のチーズを持って誘うのだ。

 

「ねえねえ君、僕とおしゃべりしない?」

「ええ、いいですよ」

「君がどんなところに居たのか知りたいなあ」

 

 携行容器から出したチーズの小さなブロックをナイフで削ぎ、声を掛けた女の子の皿に盛った。

 そしてクルピンスキーは赤ワイン、カールスラント陸軍の制服を纏った少女はビールで乾杯する。

 

「私は海辺の村に居ました……」

「そうなんだ、僕はペテルブルグに居て」

「あっ、502のクルピンスキーさんですよね、ラジオで聞きました!」

「君みたいなかわいい子に知られてるなんて光栄だなあ」

 

 こうして声を掛けてお互いの経験を話し合って、つながりを作るのである。

 抑え役になりそうなロスマンとサーシャはというと夜間警戒班に志願してサーチライトや夜間戦闘機と共に哨戒飛行をしていた。

 

「ロスマンさん、良かったんですか参加しなくても」

「私が行っても、仕方ありませんから」

 

 空の彼方を見て呟くロスマンに、ある部下との複雑な関係を読み取ったサーシャはそれ以上聞かないことを選んだ。

 

「サーシャさんこそ行かなくて良かったんですか?」

「……そうですね、行っても騒ぎが起こる時は起こりますから」

 

 血の気の多い直枝が居ないからケンカ沙汰はないだろうが、誰彼構わず声を掛けるクルピンスキー、いい子だがとにかくツイてないニパ、そして酒で騒ぐユーティライネン。

 心配で仕方ないが、サーシャは行っても止められないかあるいは巻き込まれるだろうから夜間警戒を志願したのだ。

 その時心配される筆頭であるニパはオラーシャ軍のウィッチが酔った勢いでやった火吹き酒の火が引火し、髪の毛が焼けてチリチリになるといった漫画じみた災難に見舞われていた。

 不幸中の幸いで大きなやけどなどはなく、10分もすれば回復能力によってすぐにさらさらヘヤーへと元通りになったのだが、「どうしてこうなるんだろう」と涙目になった。

 

 

 指揮官室に居たラルは書類にハンコを付き、いくつかの工作した書類にサインをする。

 他の統合戦闘航空団に送られるはずだった補給物資の一部は輸送伝票上では“輸送中の空襲によって焼失した”こととなったのである。

 あとは協力者を使って集積場から現品を持って帰り、偽の輸送記録と伝票を本物と差し替えるだけだ。

 こうすることでユニットの補給部品や食料、弾薬、時には新型ユニットが502にやって来るのだ。

 

「うん、退屈だ。私も気分転換に行こうか」

 

 ラルは指揮官室を出て酒宴へと飛び込む、すると直枝によって持ち出された秘蔵の酒と同じ銘柄をハンガーの片隅で見つけた。

 持ち寄った部隊の許しを得て、ようやく一口目が味わえる。

 

「……うまい」

 

 喉を過ぎて体に染みわたるアルコール、あと少し経てば酒も回り気分も高揚してくるだろう。

 おもわず、顔がほころぶ。

 周りを見ると、ビアガーデンに居る将校や下士官はもちろんのこと、兵卒に至るまで楽しそうだ。

 思えば、ネウロイの巣の攻略作戦が始まって2か月近くも経とうかというのに決定打となるような成果は出ていないし、それどころか夜襲などで大きな犠牲を払った。

 ゆえにこうした大規模な酒宴が開かれることはなかった。

 各国から増援が送り込まれ、いよいよネウロイの巣に斬り込むとなってようやく出来た機会なのだから、楽しまなくては損だろう。

 ラルは杯に入った酒を一気に飲み干した。

 

「うまい、もう一杯」

 



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ゴーラス・ス・ニェーバ

今回の要点

・部隊改編に伴って大演習やるよ!
・ちょっと機材壊し過ぎちゃうか?
・食う寝るところに住むところ、補給は大事!


 1945年9月1日

 

 統合魔導師団所属のウィッチたちに連合軍ペテルブルグ軍集団司令部よりある命令が下った。

 

 “大規模攻勢作戦に備え、各隊は実働演習を実施せよ”

 

 アルチューフィン中佐を通して命令を受けた各部隊の指揮官は「この忙しいときに」と思ったのだが、命令であるし何より実戦で連携を取るためには普段の訓練がモノを言うのだから無駄というわけではない。

 師団長であるアルチューフィン中佐、副師団長となったラル少佐をはじめとした各部隊の将校や指揮官、スラムウィッチーズの本部付将校、その他部隊の参謀級将校が一堂に会し訓練計画を立てる。

 作戦司令部における図上演習ではなく、部隊を動かす実働演習という事もあって詰めるべきポイントも多く命令受領から1週間のあいだ指揮官たちは部屋に缶詰となった。

 そこで、ある日の会議の内容を見てみよう。

 擬装が施された三角屋根が特徴の司令部の小屋(ログハウス)に15人を超える将校が会し長机を囲む。

 

「各部隊、報告を」

 

 アルチューフィン中佐に現状報告をした後に議題に入る。

 

「502部隊、装備の稼働率75%、即応態勢にあります」

「121連隊第1飛行隊、装備稼働率82%、即応態勢にあります」

「第2飛行隊、稼働率87%、同じく即応態勢にあります」

 

 このように報告が入るのだが、ここ数日は戦闘が無かったうえ事故損耗が少なかったため比較的良い数字を出している。

 装備の稼働率であるが、直ちに出動できるユニットや武装が保有装備に対してどれくらいあるかであり、故障物品の割合が増えると一気に下がることになる。

 10機のユニットがあったとして1機のユニットが故障すれば装備稼働率は90%となり、

 仮に1人1機予備機があり20機配備されているうち1機故障した場合、稼働率は95%だ。

 だが、実戦となると予備機で出てなお損耗し2機も3機も故障または撃墜などで戦闘損耗を出し、20機中7機破損うち部隊修理可能2などとなってしまう。

 そうなると20機中5機が修復不能の損耗となり75%となってしまう。

 実際はそれに“中破か小破か”、“ASSY(アッセン)交換可能か交換不可か”などと修理度合いを示す係数などを掛けるのであるが、ここでは割愛する。

 ブレイクウィッチーズが揃っている状態で、なおかつ激戦があった場合稼働率が45%を切ってくる。

 こうした数字上の部隊運営に対し、502が優れているのは配備数に入らない“員数外”の装備などによって数字が減らないところである。

 例えば4機中3機が大破(用途廃止(リタイヤ))となってもどこからか現れた2機がおり、報告においては4機中1機用廃、2機損傷という比較的軽いダメージになっている。

 さらに、用途廃止機部品による交換という名目でさらに1機復活して4機中用廃1機損傷1となるのだ。

 実体は、空襲によって行方不明になったユニットが輸送部隊の“手違い”で502に届いたためそのまま作戦機として運用、元あった新品の予備機を1機作戦機に回すのだ。

 例で言えば配備数は“4機+予備機”だが実際は“謎の2機”と“すでに鉄屑になった()()の機体の部品ストック”が多量に存在している。

 つまり、全損級は裏工作で機体交換、少しの損傷ならば過去にブレイクウィッチーズが壊した機体の残骸からヨンコイチ、ナナコイチなどでしぶとく復活するのだ。

 部隊状況と稼働率の報告が終わると、さっそく本題に入る。

 

「各部隊の演習における割り当てについてだが、各部隊のLPを元に組み立てようと思うがどうか」

 

 アルチューフィン中佐は、実施要領の大綱を示し、大きな枠組みを作ったうえで各部隊長に作成させた教育計画(LP)を元に配置を行おうと考えたのだ。

 

「異議なし」

「はい、ウィッチの皆さんはそれでいいかもしれませんが、業務隊や後方段列の部隊はどうすればいいのか?」

 

 317連隊から抽出された師団司令部(JMD HQ)付の将校が挙手して疑問を述べる。

 ウィッチ出身の指揮官によるウィッチが主体の作戦では往々にして後方部隊の扱いがおざなりになることが多いため、こうした意見を出せる男の軍人が参謀本部などでは重用されるのだ。

 

「そう焦るな、せっかちな男はモテないぞ。ソコロフ少佐」

「ラル少佐!」

 

 アルチューフィン中佐は手元の書類に目線を落とし、ズレたメガネを人差し指でクイと持ち上げて言う。

 

「各部隊付業務隊は直接支援を担当、これまで通り各担任部隊の支援を行ってくれ。師団業務隊も部隊運営のためのGS業務を実施」

「はっ」

「後方段列は師団司令部の統制下に入り、各部隊への直接支援を行う。これでよいか?」

「わかりました、そのように伝えます」

「諸君らには上級司令部との連絡や武器弾薬の調達など我々にとって必要不可欠な任務があるのだ、心してほしい」

 

 業務隊は全般支援(GS)といって被服や給食、入浴などの補給に始まり、演習場や駐屯地の管理補修、会計隊が実働演習に必要な資材の調達、給料の計算などを行うのだ。

 いわば生活に直結する部隊で、軍隊が“究極の自己完結型組織”であるとされるのは業務隊や会計隊が居るからなのである。

 自衛隊の駐屯地業務隊(GSVC)とは異なり、多国籍で共同戦線を張っている都合上、各軍の建制があるため部隊ごとに業務隊が編成されている。

 つまり502JFWの全般支援は502の業務隊がやり、オラーシャ陸軍の121連隊付の業務隊が502の運営や生活支援に関わってくることはない。

 

 ただ、多国籍軍集団において相互不干渉だけでは部隊運営が成り立たないため各部隊から人員を抽出して“師団業務隊”を編成したのである。

 連合軍司令部からの指示を受けて行動する際に各部隊間の調整や福利厚生、補給などを行うのが主たる任務だ。

 今度の演習においては演習参加部隊の後方に輸送隊と師団司令部付の補給本部を置き、補給本部から統制のとれた輸送と補給を行う事となっている。

 

「次に参加部隊だが、統合魔導師団ほか、リベリオン軍、ブリタニア軍となる」

「中佐、彼女たちの役回りは?」

「我々の演習によって誘引されてきたネウロイの一掃だ」

 

 演習で手薄になったエリアに派遣されてきたブリタニア軍、リベリオン軍が配備されることになっている。

 彼らには対ネウロイ戦の花形である航空・陸戦ウィッチのほか通常戦力、戦略爆撃機部隊などがおり、大規模侵攻に備えている。

 

「演習のつもりが()()と当たったらどうするおつもりですか?」

 

 司令部付のある将校が発言した。

 周囲を警戒していてもいきなり現れるのがネウロイなのだ、たとえ派遣軍が欧州軍有数の戦力であったとしても万全不抜の警戒網などありはしない。

 

「演習弾は携行せず、実弾のみ携行する」

「では発射や着弾状況の現示(げんじ)、対抗部隊との交戦はどうされるのか」

 

 通常の演習であれば、ペイント弾などの演習弾や発射できない擬製弾(ぎせいだん)が搭載されており彼我(ひが)の攻撃の現示に赤や黄色と言った発煙弾が用いられる。

 赤い発煙弾周囲何メートルは敵の砲撃効果内であるとか、黄色は味方の戦闘攻撃ウィッチによる対地爆弾投下であるとかの想定がなされ、演習の統裁部がそれを見て判断するのだ。

 各種火工品を持たず、実弾だけを携行するという事は演習部隊の発射状況がわからず、また、演習弾薬だと思い誤って装填して発射するなど誤射事故の原因となってリスキーだ。

 

「ベルリッツ少佐、今度の演習においてウィッチによる対抗部隊との交戦は行わない」

「ラル少佐、それでは対空戦闘の想定は……」

 

 模擬空戦もしないのか?と問いかける将校にラルは笑みを浮かべる。

 

「標的機を使う、もっとも、貴方たちの言う通り“本物”が出てきたらそいつで実弾演習だ」

 

 ユングフラウで曳航されたグライダー標的や吹き流し標的に突入しての一撃離脱などやってもつまらないというのがウィッチたちの主流で、ウィッチ同士での模擬空戦をやってこそ練度が上がると思っているウィッチが多い。

 そんな彼女たちの中からわざわざ標的機を使うという意見が出たのに発言者の将校は驚いた。

 

「標的の修理代を考える必要が無くなるな、いいことじゃないか」

 

 ラルの笑みに冗談で言っているのか、本気で言っているのかわからなくなった彼はそれ以上追及するのをやめた。

 ラルとしては今のウィッチ連中なら実弾演習だろうが模擬空戦だろうがやってのけるだろうし、なによりどちらにしてもユニットが壊れるのだ。

 

 標的射撃においても「実戦的な射撃法ってんのを見せてやるぜ」と急降下射撃をした管野に影響されたクルピンスキーがユニットを曳航標的の曳航ワイヤーに接触させて切断、続いて突入したニパと衝突した。

 当然のように曳航標的は木っ端微塵になりニパは墜落、ユニット1機と曳航標的1機が失われてサーシャの顔色が悪くなった。

 模擬戦ではペイント弾を受けたニパのユニットが壊れて()()、あるいは熱くなって激しい空戦機動に突入したところエンジンがオーバーヒートし()()したクルピンスキー、そして()()()()()しユニットや銃を壊した管野。

 

 繰り返すが……なにかとユニットが壊れるのだ。

 

 他の飛行隊の指揮官級のウィッチたちも自分の部隊の問題児を思い出して複雑な表情だ。

 121連隊のブダノワ、317連隊のトリガーハッピーと何処の連隊、飛行隊にも一人は必ずいるものであり、とても目立つ。

 129連隊の指揮官はというと「うちはいないな」と他人事のように考えていた。

 だが、歓迎会の晩以降ウィッチの中では129連隊には「酒癖がとても悪いウィッチ」がいると有名になったことを彼女は知らない。

 その後、何をするのかの大まかな実施要領と、演習準備の分担について話し合って会議はお開きとなった。

 

「実施の細部についてはまた後日に通達する、本日はこれで解散」

 

 1945年9月17日

 

 ゴーラス・ス・ニェーバ(天からの声)と名付けられた演習が開始された。

 空には航空ウィッチが編隊を組んで上がり、地上には陸戦ウィッチを満載したハーフトラックと戦車部隊が土煙を上げて走る。

 その遥か後方に設けられた補給本部には、武器や弾薬の入った木箱が集積されストライカーや弾薬を積んだトラックのほか油槽車(ゆそうしゃ)や電源車と言った補給車両が列を組んで待機していた。

 補給部隊の経路上には憲兵隊が交通整理や周辺警戒のために展開しており、道路脇には通信隊が敷設した有線電話の電話線が長く、長く延びる。

 その先に陣取った無線通信隊の車載アンテナが上空を飛ぶウィッチの無線を捉え、師団本部に中継する。

 前進拠点の航空優勢のために投入されたのは121連隊とエース揃いの502JFWであり、幾度も最前線で突破口を作った実績より割り当てられたのだ。

 

「これよりポイント・ゴーリキーの確保を行う、全機続け」

「了解!」

 

 先頭を行くアーニャに続いて121連隊のウィッチが敵の警戒網に飛び込んでゆく。

 早速、黒く塗装された数種類の戦闘機に遭遇し、交戦となった。

 ネウロイを模して黒く塗られ、胴に赤い識別帯を施された戦闘機はラジオコントロールで操作され複雑な機動はできないがウィッチの訓練には十分だ。

 これらの無人標的機は高速化し曳航型の標的では演じきれなくなっていったネウロイをよく演じており、単価も旧式化した航空機の転用という事もあってそこそこに抑えられているのだ。

 ただし、標的機を使った模擬空戦の場合標的に命中させてはいけない。

 標的機に喰らい付いた第一飛行隊のウィッチは早速射撃を始める、狙う所は標的機後方に吊るされた紅白の吹き流しだ。

 

「一撃で落とすなよ……」

「アーニャ隊長!至近弾です!」

 

 あるウィッチの放った短連射が標的機の翼端をかすめていったようで外板にめくれが見えた。

 Bf109やJu-88を改造した標的機を撃墜してしまえば、その時は部隊で弁償しなくてはならないためアーニャの顔から血の気が引いた。

 新人の三人がJu-88爆撃機改造型の“中型ネウロイ”に飛び込んでゆく。

 実戦慣れしてしまった彼女たちは一人を囮に、二人がかりで撃ち下ろすコースを取る、引き金を引けば間違いなく標的の中心を捉えて撃ち落としてしまうだろう。

 

「ひぃいい!射撃止め!」

「これからだったのに!」

「あれを落としたらしばらく給料なしだぞ!」

 

 サーシャはというと、隊長職に就いた後輩の悲鳴に改めて502の面々を見る。

 

「どうしたのサーシャちゃん」

「クルピンスキーさん、ニパさん、標的機に近づき過ぎないでくださいね」

 

 ニパかクルピンスキーが接触して標的機を撃墜してしまう光景が頭に浮かんだ。

 

「はい!」

「ニパ君、()()()()()()()()良いんだよ」

「そうだね……」

「孝美ちゃんはこういうの得意?」

「ええ、扶桑にいた頃から()()は得意なんですよ」

 

 苦笑いするニパに、へらへらしているクルピンスキー、そしてニコニコとS-18を撫でている孝美の様子にサーシャは大丈夫かなと警戒する。

 

「1時方向、ネウロイ増援接近中、機影は4機」

 

 下原の声に1時方向を見ると、4機の機影が近づいてきた。

 1機はグレー系のカールスラント軍迷彩が施された誘導母機で状況外、黒っぽい3機が無線誘導の標的機であろうか。

 よくよく見ると無線操縦の戦闘機と曳航標的の混成だったようで、先頭を飛ぶBf109タイプの翼下のポットと吹き流しのような筒状の曳航標的がワイヤーで繋がっているのが見えた

 

「隊長も考えたねえ」

 

 扶桑軍などでよく用いられる帆布で出来た吹き流し標的なので、グライダーと違い()()()()()させたり()()しても被害が少ない。

 孝美と下原は久しぶりに“鯉のぼり”を見て懐かしく感じた。

 保安塗装が施されたユニットを駆っていた新兵の時、よく木刀で斬りつけたり、訓練銃を持って白い吹き流しに色を付けたものである。

 

「502、交戦開始……先頭の標的機には()()当てないでくださいね!」

「わかってるよ、サーシャちゃん」

 

 下原、ジョゼ、ニパ、クルピンスキーが前衛を務め、孝美とロスマン、サーシャは後方から援護を行う。

 バタンという音とともにフラップが遠隔操作で動いて標的機が大きく宙返りをすると2つの曳航標的がその後をついて行く、その様子は三機がくさび形編隊を組んだように見える。

 普通は編隊の長機である先頭を狙う所であるが、間違って当てて撃墜してしまうと弁償になるため曳航標的を狙った。

 射撃した曳光弾が標的の前後を抜け、いくつか当たった弾も布に穴を開けて飛び去ってゆく。

 

「命中、Eの21、撃破」

 

 演習の統裁部であることを示す白い旗を付けたジープに乗った統裁官が標的機を双眼鏡で観測して撃墜判定を下す。

 

 ネウロイの巣を意識した“ポイント・イーゴリ”を目指して中央を飛ぶウィッチたちが交戦状況に突入したころ、地上に居るスラム・ウィッチーズも接敵する。

 小型ネウロイの集団が進撃路を左右から挟撃してきたのだ。

 動かない立て看板相手に対ネウロイ砲を向け、あるいは小銃を向けるのはどこか間抜けな絵面だが、仕方ない。

 

「11時方向に小集団発見、小型14、中型7」

「さあ、馬鹿ども突っ込め」

「おーっ!」

 

 アウロラの号令に大地を踏みしめた陸戦ユニットが跳躍し、藪を飛び越えてゆく。

 攻撃部隊の右翼側の守りを担当している辻野大尉は左翼側の様子を見てある決心をした。

 

「スオムス軍に負けるな、全機吶喊(とっかん)!」

 

 草葉などで擬装(カムフラージュ)を施した陸戦ウィッチたちは対ネウロイ砲や小銃を撃ち、突き進んでゆく。

 ネウロイを模した木製の標的を数枚粉砕すると、あとは実弾の温存という面から近接戦闘に突入する。

 これらの継戦能力を考えた訓練はアウロラや辻野といった歴戦のウィッチが作って提出したLPを元に取り入れられたものである。

 

「やーっ!」

「とぉー!」

 

 扶桑軍のウィッチたちは腰の軍刀を抜き、喊声とともに木々に取り付けられた巻き藁を切ってゆく。

 あるウィッチは銃剣道の五段錬士であり、三十年式銃剣を着剣した九九式短小銃で美しい直突をしてみせた。

 ここでは巻き藁相手であるから魔法力こそ込めないものの、心・技・剣(しん・ぎ・けん)が一体となった斬撃はネウロイを真っ二つにするような威力を持つためこうした形稽古も馬鹿には出来ない。

 スオムスのウィッチたちも扶桑軍に負けるなとばかりに、自作の棍棒(メイス)やら銃剣で敵を制圧していった。

 

 一方で防御の弱い場所から“優勢なる中型ネウロイ群”が戦闘団の後方を襲撃する。

 そこで登場するのが予備戦力であり、121飛行隊の第2飛行隊による近接航空支援や、317連隊による緊急発進で次々と撃破されていった。

 その様子を各連隊付の情報班や偵察小隊から受け取った指揮所要員が指示を出す。

 

 演習初日の演目である“敵前哨部隊による攻勢”を凌ぎ、“ポイント・ゴーリキー”を確保した戦闘団はそこを足掛かりにして、総攻撃を仕掛けるのだ。

 降着した航空ウィッチや地点確保の陸戦ウィッチたちは前進補給を受けて、総攻撃のための攻撃部隊再編の訓練を行う。

 攻撃部隊の再編は壊滅的な被害を受けた時などに行われることが多く、消耗率の高い実戦ではよくある状態だ。

 各飛行隊とも初戦において2.3機が損失したという想定、つまりは10機中1機から2機が被撃墜または重傷という状態で、5個飛行隊による再編成が実施されるのだ。

 

 指定された木々の切れ間に着陸したウィッチに、ユニットケージを牽引したジープが近づく。

 脱がれたユニットに整備班が一斉に取り付き、点検ハッチを開くと作動油やプラグの点検を始めてあっという間にユニットケージへと収めてしまう。

 電源用発電機の付いた牽引式ユニットケージからは電気が供給され、始動時にタービンを回転させるための高圧空気を送るエアホースが接続された。

 こうした各飛行隊付整備隊などの直接支援部隊のほか、牽引式のフィールドキッチンと食材を積んだトラック、そして人員車に分乗した業務隊烹炊班が前進補給のために次々とやって来る。

 

「定ちゃん、このボルシチ美味しいね」

「そうね、前よりも大分美味しくなってる」

「下原少尉、ここしばらくは支援もあって食材がよくなりましたからね」

 

 烹炊班の兵士が笑って言った。

 海上補給線が断たれたうえに食糧庫が破壊され食糧難に陥ると、業務隊長のツテで仕入れた謎のカンヅメや生き残っていた農場との交渉で仕入れた野菜で給食業務をしていたのだ。

 鮮度も怪しく、出所もよく分からない食材群と僅かな補給物資で基地の胃袋を満たさなくてはならなかったのだから万人受けする味どころではなかったのだ。

 ウィッチが夕食を取っているところに、車両に乗ったカールスラント陸軍の野戦憲兵がやってきた。

 前線の規律維持を分担任務とするオラーシャ軍憲兵と何かを話し合った後、交差点や道路の端に次々と展開していく。

 

「止まれ、運航許可証を見せろ」

「よし、行っていいぞ」

 

 設けられた検問所ではMP40機関短銃を持った憲兵が本物の車列かどうかを確かめ、一台一台運航許可証を持っているか、そして正しい経路で司令部の印が捺されているかどうかを確かめていた。

 ネウロイによる擬態車両や反ウィッチ派の工作員といった人間の敵から守るためであり、実際、ガリアやブリタニアといった西部戦線においては反ウィッチ派や政情不安をもたらす工作員の摘発など発生していた。

 

「止まれ!」

「進め!」

 

 白い係止紐で道路と歩道を区切られた交差点にも憲兵はおり、腕を上げたり水平にしたりと手信号で行き交う車両を整理している。

 薄暗い中に笛の音が響き、棒の先に丸い紅白の板がついた交通整理指示棒や赤いレンズを入れたライトを振っての交通統制のもと油槽車を含む補給隊が到着する。

 車両や電源車の発電機に用いられる軽油およびガソリンを満載した油槽車が止まり、注油ノズルを出して前線給油所を開設すると陸戦ユニットを満載したハーフトラックやら偵察用オートバイ、無反動砲を乗せた偵察ジープといった車両が給油所の前に列をなす。

 宿営地の外れに星形アンテナやテントの骨組みのようなアンテナが付いたハーフトラックが数台停車していた。

 これらは無線機や暗号化装置が搭載された指揮車両であり、各部隊の指揮官が乗車して前進する部隊に追随するのだ。

 指揮官のラルやサーシャは502の自隊車両であるハノマークSd.Kfz.251/3指揮車の中にて業務隊長から上がって来た“補給物品受領伝票”や部隊日報の処理を行っていた。

 

「しかし実務において、航空団の長が業務隊の長より強いというのはどういうことだ。なあサーシャ」

「隊長、手が止まっています。早くしないと眠れませんよ」

 

 第502統合戦闘航空団の部隊長と基地司令は兼任であり戦闘指揮をする一方、基地であるペトロ・パウロ要塞の管理やら、あるいは移駐先での部隊運営全般の責任者であるのだ。

 こうした隊員の衣食住の決済印はみな部隊長と副官に委ねられており、それが嫌で隊長職につかないウィッチも多い。

 指揮官が書類と戦っている頃に各種補給を終えたウィッチたちは哨戒シフトを組んで眠り、翌朝の再編成に備えるのである。

 

 

 

 1945年9月18日

 ゴーラス・ス・ニェーバ演習二日目

 

 地点確保における戦闘で各部隊から撃墜などの損耗が出ており、戦闘団長アルチューフィン中佐より戦闘団再編命令が下る。

 稼働率の低い部隊同士を統合し、あるいは欠員の多い部隊に補充したりと戦力の平均化を図るのである。

 作戦の間、人数の少ない502は欠員の多い部隊に振り分けられ、121、129、317連隊に組み込まれるのだ。

 ロスマンとクルピンスキーは121連隊第1飛行隊、ニパ、孝美は129連隊に、ジョゼ、下原は317連隊へと編入され、サーシャは本部指揮要員としてラルの補佐に回った。

 各飛行隊ともここ2か月くらいの共同戦線によって、顔見知りばかりであり特に抵抗はない。

 

 改編が終わると、“ネウロイ第2波が接近している”ため直ちにこれを粉砕し、ネウロイの巣への足掛かりを作るのだ。

 各連隊所属の指揮車の前でブリーフィングを終えると、ウィッチたちはユニットケージの並ぶランチパッドへと向かう。

 見上げると上空警戒のウィッチが時計回りに緩旋回をしている。無防備になりがちな発進直後を奇襲から守るためだ。

 一方、ユニットの方は発進前の点検が済んで、発進台脇のアーム式ガンラックのロックピンが引き抜かれていた。

 

「第一飛行隊、全機発進。回せーっ!」

 

 アーニャの号令と共に、固定されたストライカーに足を通す。

 エンジン始動タービンを回すための魔法力が伝達されると発進台が自動で高圧空気を吹き込んで勢いよく回し、エンジン始動を助ける。

 ガンラックを呼び出すと保持クリップで固定された機関銃が胸の前に引き出され、銃を取るとアームは格納された。

 障害物がないことから発進支援の魔法陣が淡く広がり、赤灯が消えて発進可能であることを示す青灯が点る。

 

「一番機、発進」

 

 MiG-60と発進台を繋いでいた固定具とエアホースのバルブが外れ、ほぼ垂直にアーニャは飛び出していった。

 続いて二番機、三番機、ロスマン、クルピンスキーと空へと上がる。

 ウィッチの編隊飛行は目視距離が中心であり、先に上がった編隊長機に後から上がったウィングマンが集合する形態をとっていることが多く、オラーシャ陸軍航空隊もその形態をとっていた。

 

「こちらクリフチェンコ少尉、貴機の発進援護感謝します。以降はこちらでやります」

「こちらパコウスキ大尉、了解。貴隊の武運を祈ります」

 

 121の先頭機に上空警戒を引き継ぐと、大きく緩旋回していた129連隊所属の哨戒ウィッチが髪をなびかせ離れていった。

 攻撃部隊のウィッチが次々と上がってきて、前進拠点の外側で合流する。

 

「ロスマン曹長、クルピンスキー中尉は編隊後方にお願いします」

「わかった、子猫ちゃんたちがはぐれないようにしっかり見守ってあげるよ」

「アーニャさん、今は貴女の方が上位者なんだから気を使わなくていいわ」

「はい!」

 

 後から発進しアーニャたちの様子を見ていたニパは言った。

 

「孝美さん、ロスマン先生に指示って出しづらいだろうな」

「そうね、アーニャさんも教え子みたいなものですものね」

 

 孝美とニパは129連隊の一員として前を飛ぶ121連隊の援護が主な任務だ。

 

「よし、明日が終わればまた飲めるわ……がんばろう」

 

 歓迎会で酔った勢いで火を噴き、ニパを燃やしたウィッチがにこやかに呟いた。

 それを耳にした二人のウィッチはひきつる。

 

「アイツ、酒癖悪いの自覚してねえからなあ……」

「酔ってないときとのギャップが激しすぎるよね」

 

 普段は穏やかでマトモそうだが、ウォッカやら清酒といったアルコールが入った時彼女は変わるのだ。

 アウロラと飲み比べをしたり飲んで暴れまわった記憶はなく、多幸感のみがあるらしい。

 

「ニパさん、まあ、頑張りなよ」

「ええ……」

「あのユーティライネン大尉と一緒にいるあなたならいけるはず……」

「ワタシは酔っ払いのブレーキじゃないよ!」

 

 寄って来た129連隊のウィッチにいじられながらも楽しそうなニパに、アウロラや直枝から「人付き合いが苦手」と聞かされていた孝美はニパが無事に溶け込んでいるようで安心した。

 孝美としても妹と直枝が異世界に行ってしまい、ひとり残されたニパがどうなるか心配だったのだ。

 

 「もう少しで標的機の一群が接近してくるだろう」と演習に参加していた者が思っていた時に、それは起こったのだった。

 

「監視哨より報告、地中より母艦級航空ネウロイおよび中型が多数出現しました!」

「警報鳴らせ!これは演習ではない!これは演習ではない」

 

 オラーシャやベルギカ、ロマーニャなどで同時多発的に大型ネウロイが出現したのである。

 



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ファースト・アタック

大変お待たせしました。
ようやく仕事がひと段落つき、BFVをやり込み気づけば正月も終わっている状況……。


 ネウロイは突然やって来た。

 地中から迫撃砲弾の様な紡錘形のネウロイが飛び上がり、煙突に手足が生えたようなタイプのネウロイが大地を割って現れる。

 急いで通報しようとするも無線、および有線電話のいずれもが不調となり連絡が取れない。

 敵の奇襲に通信の妨害、現れたネウロイの光線照射で施設や武器兵員が焼き払われ、前線はパニックに陥った。

 西部戦線ではネウロイ勢力圏との境界にして警戒線であるライン川を易々と突破され、地上部隊が大打撃を受ける。

 

 一方502及び統合魔導師団のいるペテルブルグ軍管区内でも西部戦線の新型ネウロイに呼応するように六角柱の様な地上型ネウロイ、翼を広げた怪鳥のような大型の飛行型ネウロイが出現したのだ。

 大型ネウロイの周りを護衛機とばかりに邀撃型などの速度に優れた中型や、電子戦型と思われる歪な形状をしたネウロイが固めていた。

 

「こちら121、ネウロイと遭遇した、ネウロイと遭遇した」

 

 敵を目視したブダノワは、インカムに向かって叫ぶウィッチと一向に返事のない演習統裁部(とうさいぶ)、ひいては師団司令部の様子からすぐにあたりを付ける。

 

「どうやら通信を妨害しているらしいな」

「どうする、隊長」

「決まっているだろう、奴らを撃滅する。我に続け」

「あの!中佐からの命令は!」

「演習において()()()()()()()()は許可されているんだ……おっと」

 

 ブダノワは実弾演習用の通常弾フリーガーハマーを小脇に抱えると、左手で吊るしていたPPSh機関短銃を握って戦闘態勢に移る。

 目の輝き方から大物を狙おうとしているのは一目瞭然であり、第2飛行隊の面々は援護に回ろうと機関銃を構えた。

 

 敵方に目をやると、発進母機と思しき大型飛行ネウロイの腹より翼の生えた電信柱のような中型ネウロイが20、30と吐き出され、高速で突進してきた。

 放射される赤黒い光線が空中に閃き、実体弾が黒々とした爆炎の花を咲かせる。

 

「全機、散開せよ」

 

 ブダノワの号令で四方八方に散開したウィッチたちはシールドで光線を受け流し、突進してきた高速型のネウロイをいなす。

 

「新型かぁ、ずいぶんと速いねぇ、よーし、ひとつやってみようか」

 

 固有魔法を発動したクルピンスキーのBf109Gの呪符がひときわ青く光り、高速型のネウロイの尻に張り付いた。

 そしてStG44小銃を短連射し撃墜、すぐさま近くを飛ぶ次の目標に取り掛かる。

 

「クルピンスキーさん、飛ばし過ぎです!」

「定ちゃん、お願い!」

 

 ジョゼのブレン軽機関銃が短く数回に分けて火を噴き、要撃型ネウロイ(ファントムモドキ)の機首に弾幕を張って損傷させる。

 そこを下原がコアを撃ち抜き、続いて2機、3機とやって来た敵機をあっというまに撃墜する。

 なかでも502のウィッチは接敵後15分以内に9機を撃墜し、クルピンスキーが4、ジョゼ、下原が合同戦果1とそれぞれ2機ずつ撃墜したのだ。

 そんな最中、下原の遠距離視が速度に劣る増援を捉えた。

 

「……敵増援、40以上です!」

「あの黒いのみんな敵かっ!」

 

 下原の報告を傍で聞いたアーニャは思わず叫んだが、来たものは仕方ないと切り替えて敵の進路上に弾幕を張る。

 こうしてクルピンスキーやジョゼ、下原、アーニャといった前衛型のウィッチは敵味方入り乱れての乱戦に飛び込んでいった。

 

 高速戦闘にあまり向かない対戦車狙撃銃などを装備した中距離型、榴弾を持った火力支援型のウィッチはというと各部隊に居る新兵たちの援護を行っていた。

 

「目標捕捉、修正射」

「孝美さん、後ろッ!」

 

 新兵と狙撃支援をしている孝美に近づいていた敵の一団をニパが撃墜する。

 技量の足りないウィッチは事前に取り決められていた通り、2機単位で編隊を組んでネウロイから身を守る。

 縦横無尽に飛び回る高速型の後ろからよく見慣れたエイ状の中型ネウロイが光線を撒き散らす。

 編隊を組んでまっすぐ飛び、薙ぎ払うような連続照射を振り回すエイ型など孝美にとってはただの的だ、狙撃を受けて爆散し光と化していった。

 

「敵が、落ちていく……」

 

 次々と目の前でエイが消えていく様子を見ていたあるウィッチは呟いた。

 そこに高速型が直上から彼女に体当たりせんと迫る。

 

「あっ!」

 

 そこに黒い影が飛び込み、一連射。

 

「お前、ボンヤリ飛んでんな!落ちるぞ!」

「はい!」

 

 森林迷彩が施されたMiG-60を駆るベテランウィッチによって事なきを得たが、あと数秒遅ければ撃墜されていただろう。

 ほっと胸をなでおろす暇もなく、121のウィッチはそのままの勢いで要撃型ネウロイを2機血祭りにあげた。

 

 同時刻、地上ではスラム・ウィッチーズの陸戦ウィッチや情報班が主力部隊に先立って展開され、降着地点の確保に務めていた。

 尾を上げたサソリのようなシルエットの “対空砲型”ネウロイを先頭に、人類側の兵器を模倣したいびつな戦車もどき、兵士型ネウロイと続き、その数およそ150。

 、わらわらと数と強力な光砲を頼みにして迫り来るネウロイ群に対し、扶桑軍のウィッチはわずか42名、火力に乏しい対ネウロイ砲と小銃、機関銃しか持たない。

 

「先頭に火力集中!」

「撃てッ!」

 

 こちらが1発撃てば光線20発のお返しというような状況であったが、見通しが悪く密な植生が光砲の射線を制限することで燃える木々の隙間を縫うように接近する陸戦ウィッチに対応しきれていなかったのだ。

 辻野大尉の“抜刀隊”は火力があってなおかつ射程の長い対空砲タイプの中型ネウロイに砲撃を集中させ、その流れ弾で随伴歩兵と思しき小型ネウロイが吹き飛んだ。

 

「よし、総員突入!」

「応ッ!」

 

 砲が向首する直前に脚の付け根に37㎜砲弾を叩き込み、姿勢を崩した所を魔力を纏わせた扶桑刀で袈裟斬りにする。

 ウィッチたちに切り付けられたネウロイが光へと溶けてゆき、躍り出た彼女たちは見届けることもなく刀や銃剣で後続の小型ネウロイを次々と屠っていった。

 スオムス軍のウィッチは砲の火力こそあるものの扶桑同様、物量に乏しい経験から砲を節約し近接戦闘に突入していた。

 最新型のT-34/85戦闘脚を身にまとったレーヴェシュライホ少尉は先陣を切るアウロラの援護に手斧と集束手榴弾を使い、木々の隙間から見えたクモ型ネウロイを撃破する。

 

「お前たち、空の奴らが安心して降りられるように地点を確保するぞ」

「隊長、もし囲まれたらどうするんです?」

「その時はその時だ、ウォッカでも飲みながらぶち殺せば穴は空く」

 

 非正規のルートで手に入れたオラーシャ製魔法質量(MM)85砲弾は数十発しかないのだ。

 その後方に続く情報班の男性兵士たちはというと、双眼鏡と地図をもって敵の観測を行っていた。

 偵察車の車載無線機が妨害を受けて使えないため、偵察班に4台いるオートバイを使って伝令を出した。

 木々の向こう側の実態がよくわからなかったものの、土埃を立てて動く大型の目標と視認できた敵先鋒集団の大体の数を通信文に記す。

 通信文を図嚢に入れた2組の伝令兵はオートバイに跨るとエンジンを吹かし、戦闘で全滅しないようルートを分けて師団本部の設けられた前線宿営地目指して走り出した。

 自衛用の火器は背中に背負ったPPSh機関短銃、よくてパンツァーファウストであり、戦闘になればひとたまりもない。

 敵と近接戦闘にこそならなかったものの、流れ弾の光線が頭上の木々を焼き、実体弾が空中で炸裂して破片が降り注いで辺りをボロボロにすることから生きた心地がせず、走りながら祈りをささげる者も居た。

 

「ネウロイ見ゆ、“水晶”4目視、その他中小40以上出現」

 

 偵察隊や本部付情報班が命がけで収集し、持ち帰った情報をもとに各連隊本部の参謀たちは動き始める。

 長距離魔力波通信、無線、有線通信網の妨害並びに断線による不通は各戦線で阿鼻叫喚の地獄絵図を展開し、ここ東部戦線においても奇襲によって一時間あまりで1個師団相当の兵力が灰燼と帰した。

 アルチューフィン中佐以下統合魔導師団司令部は想定していたシナリオより悪い状況に、作戦計画を練り直さなくてはならなかった。

 作戦室のテントにアルチューフィン中佐と方面軍の幕僚たちが集まり、伝令兵から得た情報をもとに反攻作戦を立案していた。

 師団長不在の間に次席指揮官、ウィッチ部隊指揮官としてラルは指揮所にいた。

 指揮所として使われているテントに入れ代わり立ち代わり各部隊の連絡将校が集まって来る。

 

「少佐、ウィッチ隊の一部が戦線を押し上げているという報告が」

「まあ、うちの連中ならそういう事もあるだろう」

「ラル少佐、彼女たちの携行弾薬では1時間も持ちません」

「当初の想定通り、Nの27を緊急降着地点とする。補給部隊と整備中隊はどうなっている」

「油槽車と弾薬運搬車が降着地点におりますが、弾薬は梱包されております」

「整備はテントにて待機してありますが、予備機は補給本部ですので発進可能までは時間がかかるかと」

 

 そこに上級部隊で作成された書類を抱えたサーシャが戻って来た。

 記憶能力をフルに活用し、各部隊からの報告書の内容を覚えていたサーシャが将校たちに尋ねる。

 

「317連隊は予備機が4機あったと思いますが、どうですか」

「ポクルイーシキン大尉、4機ですが部品取りが1機あるので即応は3機です」

「ではケージにセットして降着地点に準備しておいてください、おそらく脱落機が多いですから」

 

 激戦のさなか披撃墜、故障での喪失機は当たり前であり全力で稼働させればブレイクウィッチーズでなくとも3~4機は壊れるのだ。

 被弾、不時着すれば傷つくのはユニットだけではない、それを纏うウィッチも負傷する。

 

「軍医と衛生兵たちはどうだ」

「はっ、先ほど降着地点に向かいました」

 

 前線飛行場に併設された野戦病院の軍医と衛生部隊が装甲救急車6台に分乗して出発したという。

 ちらりとテントの外を見ると、大きく赤十字の書き込まれたハーフトラックが土煙を立てて走って行くのが見える。

 ラルと副官のサーシャの指示を受けた連絡将校が指揮所を飛び出していった。

 

 接敵して以降、天地がひっきりなしに回転するような激しい空中戦に、あるウィッチのLa-5はついに音を上げた。

 高速性能に優れた重戦闘機のようなネウロイは一撃離脱戦法とばかりに光線を撃ちながら突っ込んで来る。

 後ろにつかれた彼女は大きく身体をひねってストライカーを左右に滑らせることで光線を避け、身を起こして急減速。

 オーバーシュート。下を抜けていった要撃型ネウロイの尾部に弾を浴びせて撃破した時にそれはやって来た。

 

「何っ、一発貰ったの?違う……」

 

 カカカカという耳障りな異音に右脚のユニットを見ると、呪符発生器がいびつな回り方をしている。戦闘被弾ではない。

 機動性の高さを活かしたハイGマニューバの連続に粗悪な戦時生産品の部材、軸受けが持たなかったのだ。

 ユニットは双発機でありどちらか一方が不調を起こしたとしても飛行を続けることはできるがバランスを取るのが難しく空中戦をするのは難しい。

 推力差と保護フィールド表層の流体移動の関係で右に流れつつある体を左に傾け、左脚の出力を落とすが思うように飛べない。

 これ以上推力バランスのために出力を落とせばウィッチはいともたやすく失速しそのまま墜落する。

 こうなっては戦闘継続は不可能だと意を決した彼女はインカムを使った近距離魔力波通信で飛行小隊長を呼び出す。

 

「こちらリュドミラ、右が故障を起こしたわ。左脚はまだ回ってるけどこれもあやしい」

 

 広い帯域の無線、魔力波に投網を被せるようなバラージジャミングが酷く、ハンドサインや接近しての会話での意思疎通を行う。

 すぐ傍まで接近しリュドミラ機の不調を目視で確認した129連隊の飛行隊長は護衛機をつけて降着させる判断をした。

 

「了解、緊急降着地点まで後退せよ……カタヤイネン曹長!白煙が!」

「これはオイルが漏れたんだ、でも飛べるよ」

「ニパさん、私はいいから彼女の援護に回ってください」

「孝美さん、どうするの?」

 

 一方、なぜか壊れることに定評のあるニパのBf109Kはというと、カンカンとノッキングを起こし左脚ユニットから白煙を吐きつつあった。

 どうやらオイルがシリンダー内に流れ込んでいるらしく、ガソリンと一緒に燃えてまるで煙幕のような状態だ。

 このままだとじきにオイル潤滑が切れてピストンが焼き付き動かなくなるだろう。

 クルピンスキーのユニットもマジックブーストなどによる酷使によって回転数が上がりすぎてピストン、クランクシャフトが壊れる一歩手前となっていた。

 だが、ブレイクウィッチーズの面々にとっては左右の不揃いやエンジン破損などと言ったものは日常茶飯事であり慣れ切っている。

 

「私はこれがあります」

 

 そういうと孝美は狙撃銃を背負い、腰に付けていたホルスターから拳銃を抜いてスライドを引いた。

 M1911A1というリベリオン製の自動拳銃であり、45ACP弾とともに補給物資の箱に梱包され海を越えてやって来たのだ。

 かつては威力もあまりない、腰などの重量増加、あるいは拳銃・ホルスターの触感の冷たさなどから敬遠されていた。

 しかし、拳銃携行に対する意識が変わったのは、ひとえにグリゴーリ撃破の最終局面において雁淵ひかり軍曹の携行していたリベレータピストルが役立ったからである。

 直枝の越境以降、孝美やロスマンは近距離用で、ニパは不時着の際の自衛用に携行していたのだ。

 航空機関銃や小銃に比べ火力は乏しくとも、無いよりはマシである。

 

「みんな、こっちに来るわ」

「雁淵中尉に近づけるな!撃て!」

 

 周りに居る129連隊の新兵たちのDP28機関銃やシモノフ対戦車銃といった火器が火を噴き、中型ネウロイを撃墜していく。

 機関銃の弾幕をすり抜けて突入してきた2機の小型ネウロイに孝美は拳銃を片手にドッグファイトに飛び込んでゆく。

 くさび形の小型ネウロイはビームを先端から放ちつつ高速で接近して1機がそのまま、もう1機が一度飛び上がるホップアップ機動を取って対象を上下から挟みこむ戦術をとった。

 経験の少ないウィッチであれば上下どちらを優先するか逡巡してもう一方の接近対処が遅れるのであるが、孝美は両方に対処する。

 直感で相手の進行方向に2発ずつ発砲し、下方から接近してきたネウロイには当たらなかったものの進路を変えることに成功し、上から突入するネウロイには全弾命中した。

 魔法力の込められた銃弾が貫通こそしなかったもののネウロイの外板に抉れを作ると空気抵抗が一瞬変わり、その高速性能から尾部を振る“尻振り運動”を起こして側面を見せて飛んで来る。

 すれ違いざまに横倒しになったネウロイを至近距離から的確に撃ち抜き、爆散させる。

 一方、下方から突入したネウロイは右に進路を変えるも、高度を落として離脱しようとするニパが張った弾幕に飛び込んで撃墜された。

 

「リュドミラ少尉!こっちへ!」

「あっ、助かるわっ!」

 

 バンクを振るように何度も傾いて左右に振れながら飛ぶリュドミラの手をとってニパは地面から撃ち上げられる実体弾と光線を掻い潜る。

 木々の隙間が煌めいたかと思うと1秒後には本照射がやって来て、時限信管のようなものが組み込まれているサナギ状の黒い実体弾が空中で爆ぜ、黒煙とともにガラスのような破片を撒き散らすのだ。

 

「さすが502ねっ……こんな状況に慣れているの?」

「はい、ワタシたちはいつも何処かしら壊れちゃうことが多いんで」

「噂はよく聞いていますよ、壊したらポクルイーシキン大尉が独特の懲罰を与えるって」

「正座のことだ、恥ずかしいな……」

「今度、飲みながらじっくり聞きたいですね」

「あはは……それは遠慮しまーす」

 

 リュドミラは実際に体験したブダノワ含む121のウィッチや飛行隊長からも聞かされていた扶桑式懲罰法について尋ねる。

 ニパは正座がオラーシャ軍のウィッチに広まっていきそうだなと感じると共に、お酒の席を拒否する。

 穏やかそうな彼女も酒の席になれば火を噴き、水のように飲み、はしゃぐのだ。

 話していた視界の端に一瞬輝く物を見つけた。

 

「曹長、4時下方に敵です!」

「はい!」

 

 航過する際にちらりと見えたそれは対空砲型の砲身で、初弾を撃たせまいとニパのMG42が火を噴いた。

 パラパラと辺りに機銃弾が着弾したことで飛行するウィッチに気付いたのか、木々をへし折りながら二人に対して向きを変えようとしたとき、爆発した。

 ニパが作った隙に気付いたスオムス軍の陸戦ウィッチが懐に飛び込み、近距離で梱包爆薬を投げつけたのだ。

 

「爆発?ねーちゃんたちだ!」

 

 上空から陸戦ユニットこそ見えなかったが、木々の隙間から発射炎が見えて爆音が轟く。

 そう、シールド魔法が使えることから集束手榴弾や機関銃に加え、通常の兵士ではほぼ死ぬような対戦車地雷、梱包爆薬を用いた肉薄攻撃が行われていたのだ。

 

 二人が降着地点に辿り着いたとき、外周部で地点確保の陸戦ウィッチが進攻を食い止めていることから補給部隊が2台、3台と集結しつつあった。

 枝葉の束が巻きつけられて上空擬装が施されており、目を凝らしてみるとユニットケージを牽引した車両もいた。

 

「整備中隊、来てますね」

「よかった、この子じゃちょっときついから」

「ワタシももう危ないかな」

 

 そういった瞬間、ニパのユニットは耳をつんざくような異音とともに“両脚ともに”停止した。

 オイルが燃えたことに加え、“どこからか漏れたこと”によってシリンダーが焼け、ピストンが噛んでしまったのだ。

 

「やっぱりこうなるのかぁ」

「ええ……」

 

 こうして片肺飛行のリュドミラと二人森の中へと落ちてゆき、ユニットは全損した。

 

 

 統合魔導師団初の戦闘はこうして幕を開けたのである。

 



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今津駐屯地
召集


お待たせしました、今回から日本サイドです


 ペテルブルグで“ゴーラス・ス・ニェーバ”演習が行われている時、日本では次の遭遇に備えた態勢作りが行われていた。

 

 2017年8月4日

 

 尚樹はひかりと直枝を連れて陸上自衛隊、今津駐屯地に向かう。

 警察の聴取が一通り終わり、ひかりと直枝は口述試験や筆記試験を受け予備自衛官に準ずる身分となった。

 一般には伏せられた技能公募により採用されたことになり、また年齢下限である18歳よりも若いことから表向きは“戦闘職種”ではなくあくまで“ネウロイ災害”に知見がある者としての採用だ。

 これも“武力紛争への子どもの関与に関する条約の選択議定書”に批准しているためで、きわめてグレーゾーンであるが、日本政府としてもネウロイの出現は災害であり“武力紛争”ではなく()()()()に参加させるものではないという見解を示したためである。

 そうした法解釈の下、ウィッチの二人と随行者の尚樹は訓練招集を受けた。

 もっとも、軍人に元隊員という事もあって一般の予備自衛官補とは内容が異なり、基本教練などはさらりと流され、武器訓練を中心に行うことになったのだ。

 訓練招集に近隣の信太山駐屯地、第3師団司令部のある伊丹駐屯地、教育大隊有する大津駐屯地と候補があった中で、どうして大阪から遠く離れた今津駐屯地になったのかというと、近畿圏で最も広い饗庭野演(あいばの)習場が隣接しているからであり、研究資料となっていたストライカーユニットのデータ取りも並行して行われるからである。

 三人は大阪城公園の近くにある総合庁舎4号館から地方協力本部のワゴンに乗せられ、今津駐屯地目指して走る。

 運転手は広報官が務め、短く刈り揃えた頭にワイシャツ姿の30代前半くらいの男性だ。

 見た目はガタイの良いサラリーマン風だが、首から下げているライムグリーンの身分証明書と、名札が自衛官であることを主張していた。

 

「今回の訓練に同行させていただく、長原と申します。よろしくお願いします」

「はい、よろしくお願いします」

 

 森之宮から阪神高速に乗るためにワゴン車は大阪城公園の前を走り、左手に大阪城が見えた。

 助手席に座るひかりは初めて見る城に釘付けとなっていた。

 

「お城だぁ」

 

 木々の向こうに見える大阪城に、直枝は雑然とした印象を抱いた。

 

「あれが大阪城か、なんだかゴチャゴチャしてんな」

「まあ、観光施設化しててエレベーターもついてるんだけどな」

「えっ、大阪城ってエレベーターもついてるんですか?」

「エレベーター?そんなもん城じゃねえだろ」

 

 時代考証も何もねえなと眉をひそめる直枝の様子に、運転手の広報官、長原三尉が尋ねる。

 

「お二人とも、城を見るのは初めてですか?」

「ええ、こちらに来てからは。」

「お城なんて時代劇でしか見たことありません!」

「でしたら、姫路城が一番イメージ通りだと思いますよ」

「そうですね、こっちでは戦乱で燃えて、姫路城は無事に生き残ったんや」

「姫路城は建立からの天守が残ってて、文化遺産になってますね」

 

 扶桑においては織田信長が天下統一し、安土城が主たる拠点であったがゆえに大阪城はこじんまりとしたものであったが、日本では豊臣氏が徳川氏に負けて落城し、徳川氏によって作り替えられ、昭和に入って鉄筋コンクリートで再建されるも城下の陸軍施設とともに大空襲を受けたのである。

 8月に入り、ネウロイ災害の特集とともに太平洋戦争の特番がちらほら流れ、直枝もひかりも少し知識を得ていたため、世界大戦かと納得する。

 連日の戦略爆撃、原子爆弾投下とネウロイに焼かれた欧州の光景に匹敵する地獄絵図を人間が人間に対して作り出したと聞き、戦慄したものだ。

 

「年寄りや身体的弱者にやさしいバリアフリーか、歴史再現かの二者択一で大阪城はバリアフリーを取ったわけやな」

「行政としては無視できませんからねえ」

 

 直枝たちがヨーロッパに派遣されていたことを思い出し、尚樹は遊園地やらゲームに登場するような城を連想して、直枝に尋ねる。

 

「そういや、ヨーロッパの城ってどんなの?ホグワーツ城みたいな感じ?」

「俺たちが見る限りじゃ、城っていうよりは砲座の据えられた要塞だ」

 

 扶桑を離れ、ネウロイによって蹂躙された欧州に派遣された直枝たちにとって城というと、502の基地であるペトロ・パウロ要塞のイメージが浮かんでくる。

 周囲を石造りの城壁に囲まれ、尖塔のある聖堂やら砲座などがある西洋型の城郭で、ファンタジー物に登場するような立派な城というよりは函館の五稜郭に近い。

 

「そうなん?」

「ああ、立派な城があるのは軒並み激戦地。派手な城なんかはすぐ更地だ」

「そういえば502基地もお城だったって聞きました!」

「ああ、ペテルブルグは昔の要塞で、今も滑走路や高射砲が増築中だ」

「ペテルブルグ……ああ、ロシアの方におられたんですね」

 

 ガリア・カールスラント・ダキアなどの「ここに名城あり」と言われた場所のほとんどがネウロイの手に落ちた。

 撤退戦においては城内いっぱいに傷病兵や市民を収容することも多く、住民を背にして抵抗する駐屯部隊もろとも跡形もなく破壊された。

 かろうじてネウロイの侵攻を食い止めた地域であっても、被害の少ない古城は軍事的拠点として利用され司令部や高射砲陣地などが設けられ、派手な尖塔や城壁は増改築によって別の用途に転用されていた。

 501統合戦闘航空団の基地にはブリタニアやロマーニャの古城が用いられ、502の駐屯しているペテルブルグも例外ではなくウィッチ運用のため滑走路が作られ、かつての城壁の外周には高射砲陣地がいくつも建設されたのである。

 

「大阪城も陸軍の工廠があったし、第4師団司令部もあったんやで」

「城の有効活用ってやつだな。戦時に考えることは何処も一緒なんだなオイ」

 

 城と軍事施設の話をしているうちに業務車のETCがピッという電子音を立て、料金所を抜けた。

 隣のレーンでは停車し、運転手が係員に料金を支払っている様子を見てひかりは広報官に尋ねる。

 

「あの、料金所で止まらなくても良いんですか?」

「ああ、これか。ETCだから止まらなくていいんですよ」

「いーてぃーしー?」

「ETCっていうのは車にデータの入ったカードを挿して、電波で勝手にお金払ってくれる機械なんだよ」

「すごーい」

「勝手に会計するからいちいち止まらなくていいのか」

「そういう事ですね、僕の私有車にもつけてますよ」

「長原さんは何に乗ってはるんですか?」

「キューブですよ」

 

 ひかりの質問に答えたことによって、どこか緊張気味だった車内の空気が少しだけ和らぎ、尚樹も話を膨らませる。

 

「そうですか、幹部は全国転勤があるから大変ですねぇ」

「便利なんですけど、転勤の度にどこで車検だそうか悩みます」

「登録もしないとあかんし、市ヶ谷とか練馬じゃ置く場所に困りますしねえ」

「かといって売っちゃって日本原みたいなところにいったら足が無いしね」

「ああ、ニッパラはたしかに外出も一苦労ですね」

 

 幹部自衛官は基本的に営外居住であるのでマイカーは必須だ。

 都内などの本省勤めであれば交通事情や駐車場などの関係で自転車や徒歩で通勤することが多い。

 しかし幹部自衛官の怖いところは、本省からいきなり地方の連隊に転勤になり、数年後にまた別の地方の部隊、あるいは都会の司令部へと転々と転勤してキャリアを積まされるところにあるのだ。

 特に特科や機甲科の所在する駐屯地は騒音や広い敷地が要り、演習場と隣接しているような都合上、ほぼほぼ僻地である。

 例を挙げるならば、かつて第14戦車大隊がいた日本原駐屯地やこれから向かう今津駐屯地、そして戦車教導隊のある富士学校や駒門駐屯地も車無しでは外出に苦労する立地なのだ。

 自衛隊の駐屯地について知らないひかりは尚樹に尋ねる。

 

「今から行くところはどんなところなんですかぁ?」

「今津は近くに湖西線があるからまだマシだよ、それでも駅までの行き帰りに2000円くらいかかるけど」

「2000円、それだけでお野菜がたくさん買えますね!」

「2000円……文庫本3冊は買えるじゃねえか」

 

 尚樹は二人はずいぶん現代の物価に馴染んだなと思った。

 

「まあタクシー使ったら歩きで25分の距離を10分で行けるからな。時間を買うようなもんだよ」

「タクシーってどんなヤツだ?」

「管野さん、事件を解決するドラマの!」

「ああ、あれか」

 

 昼間にやっているサスペンスドラマ“タクシードライバーの推理日誌”の主人公の職業であり、客を乗せるシーンより駆け回っての推理パートが長いためひかり達の中では探偵に近い存在だった。

 扶桑、オラーシャでは民間の自動車があまりなく、現代日本のタクシーに乗ったこともない二人にとって、路線バスはともかくタクシーはあまりピンとこないものである。

 広報官はそんな2人の様子に日頃どういう生活をしているのかを垣間見て、微笑ましく思った。

 

「尚樹、これ何キロくらい出てんだよ」

「高速は時速80キロから100キロくらい出してるよ」

「ここはアウトバーンみてえなもんか」

「そんなに速度は出せないけどな」

「十分出てんじゃねえか」

 尚樹のイメージは現代のドイツなどヨーロッパ各所に設けられ130㎞/h以上で巡航することが当たり前のものだったが、直枝の中ではネウロイがカールスラントに現れる以前の……1937年頃のものであり100㎞/hを超える速度で走れる車両はほぼなかった。

 もっとも、直枝の伝え聞くアウトバーンは3800㎞整備されるまでに開戦を迎えてネウロイの支配下に落ち、クルピンスキーやラルくらいしか知らないのだが。

 

「あうとばーん?何ですか?」

「カールスラント語で“自動車専用道路”だな」

「日本の高速道路よりめっちゃ飛ばせる道路」

 

 その時、追い越し車線を大きな車体を揺らして運送会社の

 4トントラックが抜けていく。

 

「尚樹さん、トラックってあんなにスピード出るんですね!」

「あいつ110くらい出してるんじゃねえかな」

「あの図体であんだけ出るのか」

「管野さん、軍のトラックって全然スピードでなかったですよね」

「アレはシャフト折れたりエンストしたりするからそれどころじゃねえよ」

 

 直枝はかつての調達作業を思い出す。

 自隊車両として配備されているトラックに乗って物資集積所に向かった際、坂道を上ったところでプロペラシャフトが折れたのである。

 バンという破断音に加え、折れた端部が暴れたのかガガガと轟音がした。

 エンジンから後輪に動力を伝達するシャフトが折れたことから車は動かなくなり、同乗していたニパ、クルピンスキーとともに回収部隊を待つことになった。

 もう冬に入ろうかという季節で、奇跡的に吹雪こそ吹かなかったもののレッカー車が到着するまでの間寒くてエンジンの熱で暖を取ろうとしたのだ。

 そこで隙あらばスキンシップを取ろうとするクルピンスキーがにじり寄る。

 

「ニパ君、直ちゃん寒いし、温め合わないかい」

「うるせぇ、気持ちわりい、近づくな」

「中尉がただ単に抱きつきたいだけじゃないか!」

「だんだん冷えてこないかい、ホントに」

「オメーとくっつくくらいなら排気ガスで黒くなる方がマシだ!」

「ああっ、雪玉を投げるなんて酷いなあ」

「わっ!カンノ、しっかり狙ってよ!」

「ニパ、こうなりゃ誰が一番雪玉を当てられるか勝負だ!」

「いいねえ、動けば体も暖まるかもしれないしね」

「中尉まで……ワタシだって雪国出身なんだから負けないよ」

 

 救援要請を受けて到着した装輪回収車と、先導してやって来たサーシャは動かなくなったトラックと雪玉を持って雪原で駆け回る3人を目撃し、頭を抱えて言った。

 

「何をしているんですかあなたたちは!こっちは遭難していると聞いて……」

 

 ひかりは物資調達に向かう直枝たちブレイクウィッチーズの姿が容易に想像できた。

 尚樹はトヨタ自動車をモチーフにしたドラマを思い出す。

 ドラマで坂道でプロペラシャフトが破断して出張修理をしていたシーンがあり、1930年代のトラックはよく壊れただろうなあと思った。

 

「へぇ、そんなことがあったんですね」

「ああ、ぬかるみとかで負荷がかかり過ぎたんだなあ」

「雪道でシャフトが折れるって、吹雪の中だったら死ぬぞおい」

「吹雪と言えば、北海道で死人出てますよね」

「長原さん、彼女たちはロシアで戦ってたんですよね」

「うわあ」

 

 オラーシャでの戦いやウィッチの日常生活などで盛り上がり、気づけば車は天王山トンネルに差し掛かっていた。

 

「この先の桂川パーキングエリアでトイレ休憩挟みます」

「まだ掛かんのか?」

「そうですね、あと1時間くらいは」

「京都抜けて湖西道路をずっと走るからね」

「俺、京都って行ったことがねえんだよな、金閣が見れるのか」

「私も初めてです!お寺とか多そう」

 

 金閣、祇園、嵐山、河原町と古都に目を輝かせる二人の様子に、尚樹は申し訳なさそうに言う。

 

「二人とも期待してるところ悪いんだけど、市内走らないから京都っぽいのは見えないと思うぞ」

「なんだ、つまんねぇな」

「ざんねんですね、あ、でも売店でお土産とか売ってるかも」

「ひかりちゃん、これから訓練だし帰る時に買おうか」

「そうですね!」

 

 長いトンネルを抜け少し走って桂川パーキングエリアに入ると比較的空いており、すぐに停めることができた。

 ひかりと直枝は売店の方に興味を示しながらも、トイレに行く。

 尚樹と長原は自販機でカップコーヒーを買って飲む。

 駐車車両を見回すとバスやトラックに混ざり、3トン半トラックや高機動車がいた。

 饗庭野演習場には各地から様々な部隊が過密スケジュールで演習にやって来るので、見

 慣れない部隊がいることも珍しくない。

 ついつい車両のバンパーに視線をやってしまう。

 白文字で“47普連本管”と記されていたため、尚樹は近傍の普通科連隊を思い出す。

 伊丹の36連、福知山の7連、信太山は37連だったはずだ。

 

「47普連ってどこだっけ」

「方面混成団のコア部隊ですね、即応予備自の」

 

 コア部隊とは、常備自衛官による指揮所(コア)要員だけで平時は運営され、有事の際に招集した予備自衛官で編成される形態をとる部隊である。

 教育大隊と同様に方面混成団直轄部隊であり、中方では善通寺の47普連と豊川の49普連がコア部隊だ。

 

「コア部隊ってことは善通寺からここから来たのか」

「そうなりますね、お二人も即応予備自衛官扱いという事でコア部隊に編入されるかもしれないですね」

「その場合階級も扶桑軍の物の上に即応予備がつくのかな」

「戦時階級ですからどうでしょうかね。少尉相当の管野さんの場合、いきなり即応三尉ですね」

「指揮所要員といきなり肩を並べるなぁ、直ちゃん」

「元自の即応と違って、実戦を経験している“軍人”ですからねえ、その辺は考慮されるんじゃないですかね」

 

 尚樹は退職後1年以上経過しており即応予備自衛官の資格が無いため、部隊編入となった場合、ひかり達と肩を並べて戦う事は出来ない。

 それこそ一般採用枠の予備自衛官()を受験して任用されるしかない。

 もっとも、予備自補は前線に出されることはなく後方で警備等を担当することになるが。

 対ネウロイの出動においては自衛官部隊、予備自衛官問わず高い損耗が想定されるため、予備自衛官と予備自補で編成されたコア部隊が投入される可能性が無いとは言い切れない。

 部隊編入と階級について考えていたところにウィッチ二人がやって来た。

 

「終わったぞ」

「尚樹さん、売店見てきていいですか!」

「あんまり時間ないからちょっとだけだぞ」

「はーい!行きましょう、管野さん!」

「おう、ちょ、待てってひかり!」

「若い女の子は元気ですね」

「あの二人はめちゃくちゃ体力ありますから」

 

 尚樹はひかりが来てから朝ランニングが習慣になったことを思い出す。

 最近では朝ランニングに直枝も加わりにぎやかだ。

 はしゃぐウィッチ二人の後に続いて売店に入ると、お土産コーナーや飲食スペースが出迎えてくれる。

 ひかりはさっそくまんじゅうに吸い寄せられており、直枝はパック詰めの生八つ橋に引き寄せられていた。

 

「尚樹さん、お茶まんじゅうとかいろいろあるんですね」

「そうやね、……帰りに買おうか?」

「いいんですか、12個入りで970円ですよぉ」

「観光地料金だから仕方ないよ」

 

ひかりは財布の中の2千円をしまう。

一方、直枝は生八つ橋の試食を食べていた。

 

「これが噂に聞く生八つ橋か、なかなかイケるじゃねえか」

 

あるエッセイ集に登場し、「八つ橋を買って帰る」と言った父が買って来たのはしっとりした求肥のような生八つ橋とはかけ離れたもので娘はがっかりしたという話だ。

 

「これが八つ橋なんだ」

「こんな焼き菓子じゃ、炭酸せんべいと一緒じゃん、お父さんの馬鹿」

 

直枝はこの一節が頭の片隅にあったため、娘が期待していた“生八つ橋”に出会えたことに感動した。

娘はこの桂皮の香りのする柔らかな食感を求めていたのかと。

口の中に広がるニッキの味とぱりりと砕けた八つ橋の食感に、かつての父との思い出がよみがえる所でエッセイは終わるのだ。

直枝は不器用な父と娘の関係、そして出張先で買った“八つ橋”が心に残ったのだ。

焼いた八つ橋と生八つ橋を食べ比べていると、年取った娘の最後の言葉が蘇る。

 

__お父さん、ありがとう。

 

直枝が感動しているところに、ひかりがやって来た。

 

「管野さん、それ買わないんですかぁ」

「うわっ、か、買うよ!それよりいきなり声掛けんな、びっくりするじゃねえか!」

「どうしたの、直ちゃん」

「なんでもねえ」

「ホントですか、目が赤いですよぉ」

「なんでもねえよ!」

 

飲み物を買ってワゴンに戻ると、出発予定時刻の直前になっていた。

 

「それじゃ、今津駐屯地に向かって出発します」



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武器訓練

お待たせしました!

初日だけで長くなったんで分割しました。


 京都東インターから国道161号線、通称:湖西(こせい)道路に乗って一時間。

 右手に琵琶の湖を眺め、左手には比叡山が聳え立ち、JR湖西線と並走するように北へと向かう。

 湖西道路の高架部分を抜けると高島市に入って村の中を通る生活道路に合流し、道の駅あどがわの前を抜けてゆく。

 安曇川(あどがわ)町を抜けるともう今津駐屯地であり、尚樹はようやく戻って来たのだと実感する。

 近江今津駅前に続く道路に入り、そこから業務車は山手へと走る。

 青々とした田畑の中を20~30匹の猿が走ってゆく風景が見られ、都会出身者に対して熊出没注意の看板とともに大自然の中に居ることを実感させて来る。

 

「管野さん!サルの群れがいますよ!」

「いっぱいいるなオイ」

「あいつら、糧食狙ってくるから気をつけろよ、もうそろそろ営門だな」

 

 カーブのある長い坂道を登って行き、道の突き当たりに営門があった。

 左手側には白い警衛所が置かれ、正門歩哨の隊員が車に駆け寄って来た。

 

「お疲れ様です、許可証拝見させてください」

「お疲れ様です」

 

 広報官の運航命令を確認した隊員はX型の車止めをカラカラと動かして道を開ける。

 営門を抜ける際に同乗の3人はついつい背筋を伸ばし、姿勢を正す敬礼をしていた。

 営門通過中はトラックなどの荷台座乗中でも“気を付け”が掛かるため条件反射である。

 これは警衛勤務者に対する敬意を表するためとも、武道場や寺社に入る前の一礼の名残とも言われているがどの説が正しいのかは不明である。

 業務車を厚生センター前の路上に置くと更衣のため、この訓練期間中に寝泊まりすることになる外来宿舎に向かった。

 駐屯地に設けられた外来宿舎はとても古い平屋建ての木造小屋であり、外来部隊や新隊員、体験入隊の隊員が生活する宿舎である。

 直枝、ひかりの部屋と尚樹の部屋に分けられており企業などの体験入隊や新隊員と違い少人数である事から、15人部屋を一人か二人で使うためとても広く感じた。

 

 緑の毛布が張られたレンジャーベッド上に置かれていた迷彩作業服に袖を通し、半長靴を履き、作業帽を被る。

 ひかり、直枝には女性自衛官用の迷彩作業服2着づつ貸与された。

 当初、過去の日本に酷似した諸外国の軍人であることを一般隊員に示すために、直枝とひかりに扶桑海軍の制服(ウィッチ用)を着てもらってはどうかという議論になった。

 そこで実際に着用して確認したところ、事情をあまり知らされていない一部の有識者からは「下着(パンツ)を露出しているように見える」という声が上がったのだ。

 これはひざ上まで履く形状のストライカーユニット運用における結果であり、()()()()()()であるという認識であったものの、ウィッチの存在を大々的に公表していない以上理解が得られないとしてウィッチ制服案は立ち消えとなった。

 ウィッチ用軍服に官給品ジャージの下を貸与するという案もあったが、真夏に冬服のようなものを着せるというのも酷だという事もあり結局迷彩作業服に決まったのだ。

 入隊式直後の新隊員のような服装となった三人は第3戦車大隊の隊舎の一室に案内された。

 ザッと室内を見回すと教場となった部屋の片隅には段ボール箱が置かれ、緑色の武器毛布が入っているようだ。

 小銃こそ置かれていないがこの部屋で武器教練が行われるのだろうと思う。

 

「おつかれさまです、助教となった北村三曹です……えっ、尚やん?」

 

 そして入って来た隊員たちに尚樹は驚く。なんと教官はかつての同期であり、戦車陸曹となっていた。

 それは北村三曹も同じであり、事前の説明ではネウロイを撃滅した少女二人とその随行者に89式小銃の分解結合をおおむね習得させるようにとしか聞いていなかったのだ。

 

「マサやん……じゃなくて、北村三曹、よろしくお願いします!」

 

 尚樹は二士時代の愛称で呼びそうになり、すぐさま被教育者の態度に変える。

 

「ええっと、1人は知ってるとして、とにかく自己紹介からしましょうか」

 

 黒縁メガネをかけた北村三曹、襟に桜花章が輝く刈り上げ頭の大男、尚樹、ひかり、直枝の順に自己紹介が始まった。

 

「私は北村正志(きたむらまさし)で、三曹、出身は大阪府、操縦手やってます。趣味は釣りです」

「僕は饗庭利宜(あいばとしのぶ)士長、出身は新旭(しんあさひ)町で、装填手です。えっと、分からないことがあったら聞いてくださいね!」

「饗庭士長は去年入隊の地元民なんでこの辺のことよう知ってるわ」

 

 刈り上げの大男こと饗庭士長は一般曹候補生であり、4月に昇任したばかりだという。

 優秀であり1選抜で陸曹教育隊に行くため、教育前教育を兼ねてひかり達の班付指導に充てられたようだ。

 

「次は、はい」

 

 アイコンタクトで促された尚樹は椅子からすくっと立ち上がる。

 

「武内尚樹です、現在はシゲマツ自動車で整備職をしています。結構忘れていることもあるんでボチボチ思い出せるよう頑張ります」

「武内さん……尚やんはこの部隊の出身で俺の同期やから、基本中のキは知ってるよな」

 

 一般の人に教えるものだと思って身構えていた饗庭士長の緊張をほぐすように北村三曹は話をする。

 まったく知識のない人が銃を取り扱う際には弾が入っていなくとも注意が必要であり、不意に銃口を向けたり部品を脱落させたりと至る所に危険が潜んでいるからだ。

 

「はい、次」

「私は雁淵ひかりです、出身は扶桑皇国の佐世保で、航空学校からペテルブルグの502統合戦闘航空団に着隊して軍曹になりました。えーっと、得意なことは料理と駆けっこです!」

 

 饗庭士長はどういう経緯で軍曹になったのかよくわからなかったので質問をしてみる。

 

「雁淵さんは、飛行学校からいきなり部隊配属で陸曹……じゃなくて軍曹なの?」

「はい、ウィッチの最低階級は軍曹からなんです」

「空飛べるから航空学生みたいなものやね、課程終了後に昇任するやつ」

「どうして尚やんの家に?」

「雲の中を飛んでいたら、いつの間にかこっちに居たんです。不思議ですよね」

 

 尚樹との出会いについて説明を続けると長くなりそうなので、ひかりは切り上げる。

 助教の二人も時間を取り過ぎるのもマズイと感じたので最後の1人に振った。

 

「最後」

「俺は管野直枝、階級は中尉、原隊は扶桑海軍の343空で、今は多国籍部隊の502に所属してる。得意なことはこの拳でネウロイをぶっ飛ばすことだ」

「拳?」

「俺の固有魔法だ。拳に魔法を纏わせてぶん殴るんだよ。デカブツ相手にゃ特に効くんだ」

「魔法が使えるんや、すげー!今ってできますか?」

 

 饗庭士長は“魔法”というフィクションでしか聞かない言葉にテンションが上がった。

 

「出来ねえことはないけど、ここはエーテルが少ねえから無駄撃ちは出来ねえ」

「エーテルとか、マジであるんだ!雁淵さんはどんなん出来るの?」

「私は手足に集中させて壁に上ったり、水の上を渡れます!」

「やっぱ、剣とか使ってる人いるんですか?」

「扶桑のウィッチで刀使ってるのが居るとは聞くけど俺らの部隊には居ねえよ」

 

 自衛隊にはいわゆるアニメ・ゲームオタクがそれなりにいる。

 饗庭士長もその例に漏れずオタク自衛官だったため、二人のリアル魔法少女の実在に鼻息が荒くなっている。

 直枝は「コイツめんどくせえな」と思いつつも答え、ひかりは接触魔眼については不用意に開示せずにできるだけ伏せておこうと考え、ロスマン先生との特訓や自主トレの内容を告げる。

 

「剣と魔法の異世界っすよ班長!」

「尚やん、マジもんの異世界人どうやって拾ったんや」

「庭に落ちてきたんだよ」

 

 あくまで魔法とかそっちのワードでの興奮に尚樹と北村三曹は苦笑いを浮かべる。

 これがJKハアハアとかヤバそうな性癖の物だったら大至急話を遮っていたところだ。

 

 自己紹介と世界間の常識のすり合わせを兼ねた雑談を適当なところで打ち切り、座学を始める。

 日本における銃刀法と武器の使用基準、自衛隊と物品亡失事案における影響、小銃の性能諸元についてだ。

 内容のほとんどは尚樹が常日頃から二人に言い聞かせていたことであり、実例の一部に尚樹たちが新隊員だった頃の鉄帽アゴ紐止めネジ脱落事件が挙げられた。

 鉄帽のアゴ紐を止めるマイナスネジを戦車パークで落として、炎天下の中捜索した件だ。

 話していた北村三曹と尚樹は遠い目をして、舗装されている戦車パークの方角を見る。

 窓からは青い給水塔とプレハブの新隊員教育隊の班長室、そしてエンジン音を響かせ、カクカクと曲がっていく74式戦車が見えた。

 

 ネジは舗装されていない新パークに落ちており、雨と戦車の作った深い轍の中にあったのだ。

 舗装されているパークから順に捜索しはじめ、38トンの車体で練られた泥と、深い轍、そこに溜まる泥水の中から灰色に塗色されたネジを拾い上げた。

 背中は日射に灼けて白く潮を噴き、装甲服の至る所に泥が散って半長靴は輝きを失っていた。

 落としたものが銃とは無関係のネジ1つとってもこうなるのだ。

 ひかりや直枝にとって89式5.56㎜小銃の諸元なんか頭に残らず、新兵時代の尚樹たちの思い出話ばかりが頭に残ることとなった。

 

 座学が終わると休憩を挟み、テーブルの上には武器毛布が敷かれる。

 樹脂と金属で出来たその銃は人を容易に殺傷できる威力を持った小銃弾を発射できる。

 そのため取り扱いには細心の注意が払われ、銃口の向きの統制や離席時に奪われないように武器監視要員を部屋に残すことなどの説明が行われ、実技に入る。

 

 北村三曹を引率者として、5人は武器庫に向かう。

 

「左、左、左、右」

 

 歩調を取りつつ武器庫に向かうと、武器庫前には仕事の途中であろう他の隊員たちがいた。

 尚樹にとって見知った顔とそうでない者が半々くらいだ。

 見物人の中にかつて本部管理中隊に居た陸曹がいた。

 中隊こそ違えど、警衛勤務や消防勤務、行事などで尚樹はよくお世話になっていたので覚えていた。

 被教育者として引率されている者が勝手に話しかけるわけにもいかず、尚樹は目礼にとどめた。

 

「おう、タケやないけ、久しぶりやな。かわいい子連れてきてからに」

本城(もとき)二曹、お久しぶりです。縁がありまして。ところで今はどちらに?」

「ワシ一曹になったわ。今2中の補給陸曹やっとるねん」

「玉野一曹は?」

「タマちゃんはお前らが辞めてから、秋くらいに退官やな。安曇川で農家やってる」

「農家ですか」

「そうや、年末行事の時に近江米の差し入れに来てくれてなあ」

 

 退官された玉野一曹との思い出話に入りそうになったところで北村三曹が止めに入る。

 

「本城二曹、教練中ですんで」

「せやな、ほんなら教練頑張ってな。後ろのお嬢ちゃんたちも」

「はい!」

「おう」

 

 半開きにされた緑色の重厚な引き戸の中から武器係が現れ、準備ができたことを告げる。

 

「搬出物品、89式小銃6!同弾倉!」

「搬出物品、89式小銃6!同弾倉!」

「銃、搬出!」

「銃、搬出!」

 

 北村三曹の申告に武器係が復唱し、銃搬出の号令の後に6人は武器庫に入った。

 そこには武器陸曹がおり、鍵のかかった銃架から一人一丁小銃を手渡す。

 ひかりと直枝は基本形である固定式銃床の物を使い、尚樹に割り当てられたのは折り曲げ式の物だ。

 

「銃!」

「銃!」

 

 胸の前に突き出された小銃を受け取り、武器係から弾倉を受け取って武器庫を出た。

 固定銃床は3TK-HSと書いており、本管中隊から借りて来たもののようだ。

 尚樹の銃の銃床には3TK-2Co40と3戦車2中隊、40番の通し番号が振られている。

 

「尚やん、余り銃だからしっかり整備したってな」

 

 部隊に配属されると一人一丁管理の銃が与えられるのだが中隊員より銃の数が多いため、余り銃が出るのだ。

 こうした余り銃は予備や、予備自衛官や新隊員の教育隊などへの貸与銃として使われるのである。

 

 全員が銃を受け取ると、前を歩く人の踵に銃口が向かないよう左下に向ける__いわゆるローレディポジションを取って教場まで戻る。

 直枝は銃口管理の喧しさに扶桑人の神経質を思い出し、世界が変わってもこの島国の人間の本質は変わらないのかと思った。

 ひかりはというと航空学校の射撃教練が頭に浮かんだ。

 しかし銃口の向きが下という事に疑問を持った、暴発した際に地面に弾が当たり跳弾で周囲の者の下肢を傷つけかねないと思ったのだ。

 

「質問いいですか?」

「どうぞ」

「どうして、銃口を下に向けるんですか?弾が跳ねて危ないって聞きました!」

 

 見た目は女子中学生だが、れっきとした軍人である少女の質問に北村三曹は詰まった。

 饗庭士長も同様で、まさかそういう質問が来るとは思っても居なかったのだ。

 

「……えっと、北村班長」

「……俺らの前期教育隊は銃口上やったなあ、何で変わったんやったっけ。尚やん覚えてる?」

「上方向だと、速い弾がどっかに降ったらマズイからって聞いたような、下方向だとエネルギーが減るからじゃないですか?」

 

 陸上自衛隊も銃口を左上方に向けた控え銃のようなハイレディポジションだったが2015年頃、どうしてかローレディポジションを取るように通達があり教育指導もそれに準じたものへと変わっていったのだ。

 この移動および待機姿勢には賛否両論あり、理由もはっきりわからないため部隊においては通達内容を指導するうえで“それらしい理由”が考えられ伝えられている。

 上方に発射された弾が高速で飛び敷地外に落下した場合、自衛隊施設内の暴発事故で済まない重大な事案になるからという説があり、尚樹たちは“敷地外弾着防止説”で指導を受けていた。

 ひかりの疑問に、饗庭士長は魔法が存在する国の軍隊がどういったものか興味を持って質問した。

 

「お二人はどう教わってたんですか」

「俺たちは“移動時の銃口は控え銃に準ずる”だ。機関銃持ってる航空歩兵は例外も多いけどな」

「えっと、持つのが難しい場合下向きで良いんでしたよね」

 

 ひかりはうろ覚えの軍機を思い出す、地面を歩く男の軍人たちは守っているがウィッチのほとんどが例外扱いとなる。

 重機関銃であったり、対物狙撃銃といったものを装備している彼女たちにも適用されるが、飛行姿勢において維持するのは現実的でないという事であり、式典に参加するとき以外は例外で許可という形が採られていた。

 

「俺たちはユニット脱いで徒歩で行進する事なんてほぼねえから、ずっと“飛行姿勢”って扱いだな」

 

 軍人であるために基本教練を簡略化し、手直しする程度で大丈夫ではないかといった楽観的な見方がくずれた瞬間でもあった。

 執銃時の動作、安全管理、基本教練がまるきり異なると考えるべきだったのだ。

 そんな衝撃を受けた状態で、小銃の普通分解と結合についての教育が始まった。

 

「武器毛布の上に脚を立てて銃を置いてください。銃口は左」

 

 89式の分解結合についての教育はアッという間に終わった。

 

 89式小銃は構成部品がとても少なく、普通分解であれば4分以内に終わる。

 新隊員教育でも64式小銃は結構時間がかかったが、89式小銃は教育時間2時間、分解のための準備時間を考えると実質1時間くらいで終わりだ。

 それくらい単純、あっという間で64式小銃に比べてあまり印象に残らない。

 ひかりと直枝にとっては初めての銃だったが、1930年代の設計である九九式二号二型改機関銃に比べて軽くて簡単だという印象を持った。

 

 89式小銃は大きく分けて銃身部、銃尾機関部、引き金室部、銃床部の4つの部位で構成されている。

 名の通り銃身と発射ガス動力をボルトに伝える規整子(きせいし)、ピストンが入ってあるのが銃身部であり、銃尾機関部に雷管を叩く撃鉄、撃針やら薬莢を引っこ抜く抽筒子(ちゅうとうし)が内蔵されているスライドが入っている。

 引き金室部は握把と引き金の他に撃鉄バネやら制限点射機構といった引き金に関する機構が組み込まれており、銃床部は肩につける部位で、固定式と折り曲げ式のものがある。

 機関部や引き金室部の分解動作は割愛するが、分解と結合を4周ほどすると完全に習得していた。

 ただ、ノーミスとはいかず分解中に一度だけ部品を飛ばしてしまう。

 

「飛ばしちゃいましたー!」

「ひかりテメエ!」

「どっち方向に飛んだ?」

「よっしゃ!見つけた」

「尚樹さんはやーい!」

 

 銃左側の切り替え金を固定するダルマピン、それに嵌っているRのような形のクリップをマイナスドライバー押して外すときに、勢い余って飛ばして部屋中を捜索することになった。

 さんざ物品亡失の事案を聞いていた直枝の脳裏に青筋を立てたポクルイーシキン大尉が浮かぶ。

 

「管野さん、ひかりさん、部品を落とすという事はその銃が使えなくなるという事です……見つかるまで捜索!」

 

 なんと恐ろしいことを。

 幻聴だろうか、直枝は一瞬青くなる。間違っても自衛隊の物品管理について教えてはならない。

 そんな直枝をよそに北村三曹が飛んだ方向を尋ね、金属音とひかりの声に反応した尚樹が瞬間的に這いつくばり、壁際に近づく。

 これらは自分たちがかつて通った道であり、武器整備あるあるなので体が覚えているのだ。

 

「ホントは落とした部品×10回で反省やけど、説明不足やったのもあるし次から気をつけてな」

 

 尚樹たち新隊員であれば腕立て伏せを1つの部品に対し10回という“反省”があったが、ひかりは初回であったため腕立て伏せは免除であった。

 もし自衛隊の反省システムが502に輸入されたとしたら、腕立て400回、V字腹筋200回などの狂気の沙汰とも思える大反省会がハンガーで週何日のペースで行われるのである。

 そしておとずれる筋肉痛はジョゼの治癒魔法で回復させられる。

 負荷→休養日→負荷と一昔前に流行った超回復理論に当てはめると、休養と魔法の併用により回復期間が短縮され、そのスパンと飛行が合えばブレイクウィッチーズは筋骨隆々のマッシブウィッチーズに変わるだろう。

 直枝とひかりはサーシャが容赦なく腕立て伏せを命じてくる様子がありありと浮かんできた。

 

「このことはサーシャには言うなよ、伯爵はどうでもいいけど、ニパが死んじまう」

「そうですね、ニパさんが……」

 

 出撃でなくともユニットが壊れ、何かが起こるニパが過労で倒れかねないと二人は思った。

 

「おっ、もうこんな時間か。そろそろ飯だな」

「班長、武器返納しますか?」

「そうやな、じゃあ武器返納したら食堂に行こうか」

 

 分解結合に邪魔だと取り外していた三点式負い紐を小銃に付け、武器毛布を畳む。

 この三点式負い紐が曲者であり、64式小銃などで使われていた単純な二点式スリングと違い、取り外しできるバックルや縫製してあるものを噛ませて折り返したもので構造に熟知していないと綺麗に張れずに弛むのだ。

 サバイバルゲーム用グッズでは“タクティカルスリング”と言う名称で販売されており、肩から掛けたまま射撃姿勢に移れるというのが特徴である。

 射撃検定などでは負い紐を外していることも多く、武装障害走、演習などでも普通の二点式負い紐同様に弛ませて使用していることが多いためバックルを外して射撃姿勢に移行という機能を使った試しがないのである。

 ひかりたちは三点式スリング特有の樹脂製のサイドリリースバックルと紐の関係に悩みながらピンと張る。

 一方、折り曲げ銃床の尚樹には銃床を折り曲げて張った状態のまま負い紐を外し、また同じように銃床を伸ばして張るという卑怯臭い方法が存在した。

 しかし、その手はみんな知っていることであり尚樹も結局緩めて取ることになったため、張るのに苦戦する。

 

「一番上と下は張れんのに、真ん中だけが垂れてくるってどうなってんだこれ」

「管野さん、私は下がダメでした」

「まったくやり方思い出せねえ、どこ引っ張るんやったっけ」

 

 3点式負い紐は紐の折り返しで弛みが出て、弛みがあると立て掛け銃架に引っかかるし、やり直しがかかることから、一部隊員からは嫌われているのだ。

 なんとか負い紐を張り、武器庫に返納したころには11時58分であり食事ラッパが鳴ろうかとしていた。

 




滋賀地本ェ……どうせなら戦闘服姿のウィッチが見てみたかった
艦艇によくいるイメージの宮藤さんが海、劇場版の静香ちゃん空、持続走クッソ強そうなひかりちゃん陸で



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隊員食堂

 課業終了ラッパと食事ラッパが鳴って隊員食堂が開くと各部隊からの人でごった返す。

 北村三曹と班付の饗庭士長、広報官の長原三尉に先導され、三人は隊員食堂に入った。

 今まで昼を跨ぐ事情聴取などで駐屯地の食堂に入ったことはあったものの、都会の駐屯地の幹部食堂で食事を取ることがほとんどであり、狭くて小さい田舎の駐屯地の曹士食堂は初体験だ。

 どこの駐屯地であっても基本、食堂内は脱帽であるため帽子のツバをズボンの腰に差すか、入り口前に設けられた棚に荷物とともに置く。

 荷物や弾帯といったものを棚の中に入れると行列に並び、トレーを持って台に置かれている物を取っていくのだ。

 

 ドアを開けると、まず流し台と消毒用アルコールが出迎えてくれ、その脇にはトレーが積まれている。

 ひかりと直枝は尚樹の後に続いて手を洗い、入り口すぐに置かれた保冷機から紙パックのりんごジュースを取った。

 ジュースの他には飲むヨーグルトや牛乳が冷やされていることもあり、一人一個取ってゆくのだ。

 次に湯のみ、スプーンや箸、大か小か2種類の茶碗を選んでメッシュのカゴから取る。

 尚樹はもちろんのこと、ひかりも直枝も全員大を取り、後ろにいた中年の女性隊員に「若い子ってよく食べるね」などと言われていた。

 給食などでおなじみのプラスチックで出来た麦缶には2種類のご飯が入っており、普通の白米とマンナンご飯であったり、五穀米とマンナンご飯であったりと選択することができるのだ。

 カロリー制限や運動量の少ない隊員向けのメニューも整備されており、女性隊員なんかだと小茶碗に少しマンナン米が入っているのも珍しくない。

 一方、尚樹やひかり、直枝の三人は他の陸士たちと同じように大茶碗に盛れるだけ盛っていく。

 

「ご飯が紫です、お赤飯みたいですね!」

「五穀米だし、黒米とかから色出てるんじゃない?」

「俺は白米だけどな!」

「直ちゃん、その白米は糖質制限の代用品だぞ」

「でも俺は白いほうが良いんだよ」

「そういうなら、仕方ないよね」

「管野さんはずっと戦ってましたから、普段は銀シャリで良いじゃないですか」

 

 ひかりと直枝にとって混ざりモノの少ない白米は高級品のイメージだった。

 しかし、日本に来ると新米古米こそあるものの大概は廉価であり、むしろ玄米やらアワ、ヒエといった雑穀とされていたものの方が高価という不思議な状況を目撃したのだ。

 理由は単純でコメは進んだ農水技術によって大量生産が各地で行われているものの、雑穀は生産場所も限られている、そんな中、近年の健康食ブームによって注目され始めたからである。

 

 502に着任するまで内地にいて食糧事情がよかったひかりは雑穀米をそんなものかと受け取っていたが、最前線を転々とし食糧難を経験していた直枝にとって雑穀米は代用食の筆頭であり、あんまり食べたくないという忌避感があった。

 扶桑海軍派遣部隊の食事は海路と陸上根拠地の情勢によって左右され、輸送船が二月にも渡って沈められるなどしたときには雑穀を混ぜたり水でふやかしたりと節米に節米を重ねたが結局米も尽きてオラーシャの現地住民から調達した黒パンと野草で飢えをしのぐことになったのだ。

 余裕のある反攻時は共同戦線を張っているオラーシャやカールスラント、スオムス軍からの食糧支援もあったが、寒冷地ゆえに米食の文化が無くてパンや缶詰であったため扶桑撫子たちは白米が恋しくなった。

 ひかりがペテルブルグに来たのは、北海輸送路が安定し比較的食糧事情が若干改善されはじめた頃だったため、あまりひもじい思いをしていない。

 ネウロイの巣が出現して頻繁に海路が襲撃されるようになり、擬態型ネウロイによって食糧庫などに対するピンポイント破壊が行われると状況は一変し、下原や502業務隊の努力をもってしても厳しい局面があったため、ひかりは直枝の言わんとすることもわかるのだ。

 平成生まれの尚樹にとっては赤飯や炊き込みご飯と同様の色付きご飯であり、麦飯、黒米、きびやヒエといったスーパーマーケットでもちょっとお高い雑穀米が大量に食べられるというのはお得な感じがして、多めに盛っていた。

 米飯一つとっても今までの生活の違いがはっきりしたところで、次はカウンターに行きおかずを受け取っていくのである。

 カウンター越しに調理班、あるいは外注業者の調理のおばちゃんが皿によそってくれるのだ。

 本日の昼食の献立は白身魚のフライ、サラダ、ナスの煮物、ヨーグルトだ。

 きつね色に揚がったフライと瑞々しいレタス、トマトが乗った皿を受け取り、次に進んで小鉢に入ったナスの煮物を取り、その傍に置いてあるヨーグルトの小鉢を取って最後の台に進む。

 最後の台にはウォーターサーバーやドレッシングのボトル、トッピングなどが入っているパン皿などがあり、湯吞にお茶を入れたり、いくつか置いてあるパン皿の中に入れられたソースやらふりかけやらを備え付けのスプーンで掛けるのだ。

 尚樹は和風ドレッシングをサラダに掛け、直枝は胡麻ドレッシングをかける、そしてひかりもドレッシングに手を伸ばした時、パン皿の中に赤紫の粉が入っていて良い匂いがすることに気づいた。

 

「尚樹さん、これって何ですか?」

「これはユカリって言って赤紫蘇(じそ)だな。梅干しと一緒に入ってるアレだ、白米限定じゃなかったっけ」

「ああ、昨日ゆかりご飯が出てきてそれの()()やな」

 

 北村三曹が白米でもないのにゆかり出現のワケについて教えてくれる。

 使いきれなかった場合、数日間登場することもある。

 逆にある陸曹のように白米の上に小山ができるくらい狂ったように掛ける者が二人も三人もいなければ早々無くなるものでもないが。

 

「そんなもんも出てくんのか……」

「そういや昔、食べるラー油とか出て来たな」

「あんときは流行ってたしな、ちょっと前にはかけるギョーザが出てきて笑ったわ」

 

 駐屯地にもよるだろうが意外と流行を追っていることもあり、経験談であるが食べるラー油の存在をまったく知らずに入隊した若者を魅了してしまい、帰省時に家族に布教するといった事例まで引き起こしてしまうのだ。

 こうして最後の台を抜けると長い食事机につくのだが、各部隊ごとに集まって食事を取り、どこと決まっているわけでもないが毎日食事をしていると1中隊はこの辺り、2中隊はこの辺り、10戦車はこの辺とだいたい似通ってくる。

 例外としては体験入隊の集団が広報官を引き連れてきたときであり、その場合食堂の一角が取材スペースとして区切られているためただでさえ狭い隊員食堂がもっと狭くなるのである。

 そうなると普段はありえないような、他部隊の人と相席という状況が発生する。

 もっとも会話とかはあまりなくさっと食べ終わり早々に席を立つ。

 そうでなければ部隊ごとにわずかな時間差が設けられているとはいえ座るところが無くなるからだ。

 広報官が居るものの、いつもの大学生やら民間企業の体験入隊とは違い撮影係も居ないし、少人数であるため階級章が無いという点以外では気づかないくらいだ。

 手前から順に埋まって行ったので尚樹たちはカウンターから一番遠い窓辺の席についた。

 10戦新教で後期教育中の新隊員の集団が近くに座っており、かつて自分たちも新教で教育を受けていた時に窓辺の列に座ったなと尚樹は思い出す。

 

「久々に窓辺に座ったな、なつかしい」

「ホントに、この席とか新隊員以来やなあ」

 

 北村三曹は手前の列の2中隊の集団から手を振られたりしながら席につく。

 

「いただきます」

 

 一斉に手を合わせて食べはじめる。

 からりと揚がった白身魚のフライに対しサラダの相性がよく脂っぽさを軽減してくれ、甘辛く味の濃いナスの煮物が汗をかき、特に運動した後の体に染みわたる。

 なお、少数だが生活習慣病予防の減塩メニューなども選択でき屋内勤務などの中年陸曹が主に利用している。

 若く代謝に優れて力仕事をよくやる陸士と同じものを食べていては、あっという間に太り、検診で引っかかってしまうのだ。

 

 食事も終わろうかというとき、10戦大のネームを付けた二人の陸曹が近寄って来た。

 

「武内やん、戻って来たんか?」

「あの武内が女の子二人連れて?でらヤバいっちゃ」

 

 尚樹が振り返ると、かつて同じ3戦車新教で共に学んだ二人だった。

 ソフトモヒカンにオレンジの度入りバリスティックゴーグルをつけているのが高松で、名古屋弁の方が守山だ。

 機甲科の後期教育は隣接する部隊のどちらかが持ち回りで新教を作って、そこでまとめて教育をするため横の繋がりも広いのだ。

 

「高松と守山久しぶり、もうみんな陸曹になってたんやな」

「おうよ、3年もありゃ陸教くらい余裕だがや!」

「で、そっちのかわいい子紹介してくれへん?」

「こら、この子ら一応、曹と幹部やぞ」

 

 かつて、“2区隊のエロ担当”という異名を持っていた高松が二人のWAC?にさっそく食いつく。

 だが、北村三曹が制止に入った。その顔は真面目なものだ。

 

「えっ?」

「マジで?」

「長原三尉、そうですよね」

「はい、彼女たちはネウロイ撃破の専門家として採用となりました」

「武内は?」

「俺は二人の保護者……だな、一緒に住んでるし」

「えええ、噂の“ウィッチ”ってこんな子だったのか」

「どえりゃー展開だったにゃー」

 

 彼女いない歴=年齢の尚樹が二人の美少女の保護者として同棲し、その二人はこの前の敵性体事件、ネウロイ災害に現れたとされる空駆ける少女その人だったという衝撃が二人を襲った。

 

「保護者……そうですよね」

 

 一方、ひかりは保護者という言葉に、少し残念な気分になった。

 告白も何もしていない以上恋人というわけでもないし、尚樹がいるからこそ生活が出来ているのだ。

 

「まあ軍人に保護者同伴っていうのもシャクだけど、こっちじゃ尚樹がいねえとな」

 

 直枝は「だぁれがガキだ!」と言いたくなったがよくよく考えてみると、この国の成人年齢に達しておらず扶桑軍という身分保障の組織もなく、自衛隊に入るまでは収入が無く尚樹の給料で養われていたのだから保護者というのもあながち間違いではないのだ。

 

「こっちの子が雁淵軍曹、こっちが管野中尉。異世界の扶桑皇国から来てる」

 

 尚樹の紹介にひかりは頭を下げる。

 

「私は雁淵ひかりです、尚樹さんに拾われて助かりました、尚樹さんともどもよろしくお願いします!」

「ああー妹タイプだわこの子、よろしく!」

 

 元気な後輩や妹を思わせる雰囲気に高松はにこやかに手を振る。

 

「いつまで手ェ振ってんだよ」

 

 さわやかそうな笑顔がうさんくせえと直枝にツッコミを入れられる。

 ふとクルピンスキーの顔と口説き文句がよぎり、げんなりする直枝。

 気の強そうな瞳と、オレっ子というインパクトにこの子も可愛いなあ、ちっちゃいけどと思う高松。

 

「はぁ、管野直枝中尉だ。雁淵の捜索に来て、尚樹の家に厄介になってる」

「中尉って……二尉?何歳?」

「年齢は……」

 

 守山の質問に直枝が答えようとしたときに尚樹がストップをかける。

 少年兵の条約的に結構グレーな立ち位置なのだ。

 

「生徒とかそのくらいの年齢、ウィッチは年齢制限きついから」

「生徒くらいで幹部って」

「聞くな、向こうは人類の存亡掛かってるんだ」

「あんなモンがいっぱい居りゃーそーなるか」

 

 守山は直枝とひかりを見て、テレビに映る黒い影を指さす。

 食堂のテレビにはネウロイ災害に関しての特集がやっており、軍事専門家とコメンテーターが陸自の運用についてあれこれと話している。

 高松はというとあれこれ質問をしては北村や長原にツッコミを入れられ、直枝に切り捨てられる。

 

「はぁ、はぁ……尚樹、オメーの同期ってこんなのばっかなのか?」

「饗庭士長は俺の同期じゃないぞ。質問攻めってのは共通するけど」

 

 長々と話していると食堂の後片付けが始まるということで質問タイムを打ち切り、直枝たちは食器を返却口に入れると食堂裏の出口に出た。

 後期教育の新隊員たちが出口付近で隊伍を組んで同期が出てくるのを待っていた。

  それを見た北村三曹は、一応指導要綱にあった集団行動を思い出した。

 

「訓練中は集団行動になるんで、隊舎外では2人以上で行動してください」

「はい」

「トイレとかの場合は行先の明示をお願いします」

 

 少人数での男女混合のためトイレなどの集団行動が難しいので、新隊員とは違い行先の明示をすれば一人でトイレに行ってもよいこととなっていた。

 

「武内自補基準ッ」

「基準!」

「一列横隊!短間隔、集まれ!」

「やー!」

 

 北村三曹の号令にひかりと直枝はばね仕掛けのように俊敏に動き、右から尚樹、ひかり、直枝の順に並ぶ。

 左手を腰に当て、肘を90度にまげたその角から拳1個分の間隔を開けて左隣に並んでいくのが“短間隔”である。

 尚樹は外部協力者であって厳密には階級が無いのであるが、そうなると自衛隊法上、あるいは部隊運営上具合が悪いので予備自衛官補に準ずる階級を付与した結果、予備自衛官補と同じような呼称となったのである。

 

「右向け、右」

 

 黒い半長靴のつま先を浮かせると共に右踵を軸に90度向きを変え、左足を引き付ける。

 くるりと向きを変えると背の高い者から並ぶ身幹順となり、縦隊となる。

 

「小隊はこれより、厚生センターに前進する。縦隊前へ、進め!」

 

 歩調を取りながら、3人は食堂脇の道から厚生センターに向けて出発する。

 久々の徒歩行進に直枝は兵学校時代を、ひかりは予備学校を思い出した。

 教範にあるように腕を前方30度、後方15度に快活に振り、歩幅は男性自衛官75センチ、女性自衛官60センチを目指して歩く。

 尚樹は自衛隊式の()()()であったが、ひかりたちのしなやかな指はピンと伸びており皇国軍式であった。

 

「雁淵さん、管野さん、拳!」

「はい!」

 

 統制を取っておかないと見栄えもよくないため、北村三曹が指導する。

 見た目がなまじ日本人に近いため、諸外国の軍人に見えないのだ。

 そんな一幕もあったが、3分もしないうちに厚生センターに辿り着いた。

 

「縦隊、右向け止まれ!」

 

 厚生センターとは駐屯地の業務隊の厚生科が管理している施設であり、売店や図書館、コンビニ、クリーニング店、カレー屋があったりする。

 記念行事や一般開放などの行事においては民間の方も利用でき、まんじゅうなどのお土産のほか、ついつい演習用品もといミリタリーグッズを購入してしまう方も多いことだろう。

 今津駐屯地にはコンビニと売店、クリーニング店が一体となっており、その隣にカレー屋が入っている。

 尚樹たちが入隊したころに某カレーチェーン店が出店し、隊員食堂を利用できない営外居住者を中心に営業しているのである。

 しかし、平日限定で営業時間も短いうえ基本食堂喫食の陸士が利用できることはまずない。

 

「集合時刻は1245、厚生センター前。それでは、別れ」

「別れます!」

 

 尚樹に合わせてひかりと直枝も言う。

 ひとまず解散した尚樹たちは、早速売店に行く。

 街のコンビニのようだが、その一角にはOD色のバッグやら迷彩のシャツ、文房具などが置かれており、自衛官向けの施設であることをアピールしている。

 

「いっぱい種類があるんだ!尚樹さん、買ってもいいですか」

 

 ひかりは普段洗濯物で見る迷彩シャツが袋に入った状態で置かれているのを興味深そうに見る。

 汗をよく吸い、すぐ乾いてさらさらした着心地のため今回の訓練にも持ってきている。

 そんな優れもののアイテムが長袖か半袖かに始まり、ODか迷彩か、そして布地の種類と数種類置いてあるのだ。

 

「いいよ、俺のおすすめは速乾の2枚組のヤツ、WAC向けのSサイズなんかちょうどいいんじゃない?」

「ちょっと小さいのもあるんだ!あっ、この色良いなあ」

 

 ひかりが袋に入ったシャツを見比べている時、直枝は訓練用品のコーナーに居た。

 

「なあ尚樹、この迷彩ランドリーバッグ見たことあるぞ」

「ああ、俺が入浴セットと着替え入れるために買ってたからな」

「この雑嚢なんかよさそうだな」

「ああ、大きすぎず単行本とかいろいろ入るんで結構便利だったぞ」

 

 撥水性のあるナイロン製のポーチを手に取って見て、直枝は結構使えそうなものも多いじゃないかと思った。

 革や帆布で出来た背嚢に比べ、水気に強くて軽いうえ、モールシステム対応のベルトで取り付け取り外しも容易であるから組み替えて運用することもできる。

 弾数の少ないウィッチに多くの弾を持たせることもできるし、格闘戦主体で携行弾が少なくても良いウィッチは弾納を外し、動作に干渉しない場所に組み付けることもできる。

 訓練用品も着替えの類も間に合っている尚樹はというと久しぶりに羊羹を買ってみようとレジの前に行く。

 するとかつて買い占めた一口羊羹が並んでいるではないか。

 そして気づけば10個、カゴに入れていた。

 

「尚やん、また羊羹買い占めて……」

「つい懐かしくて、余ったらひかりちゃんと直ちゃんにあげるし」

「まだ初日の昼やぞ、このペースで行ったら4日目には羊羹の在庫が切れるやつや」

「ここは山で補充遅いから都会のようにはいかんよなあ」

「残留変更からのパン切れとかマジヤバい」

 

 師団司令部があるような駐屯地のコンビニは補充が速いが、山の駐屯地のコンビニの補充は週の初めに1回あるかどうかなのだ。

 仮に予定変更からの土日残留となった場合、日曜日は閉店しているため土曜日にしか使えない。そして行ったら行ったで棚に物が無いのである。

 買えるおやつが無い分にはまだマシだが、外出届を出した後で急遽変更パターンだと喫食申請がなされていないため食堂が使えない。

 そうなると昼食が厳しくなるのだ。

 尚樹も北村三曹も同期や先輩の代わりに残ってやることが多く、けっこう喫食申請無しパターンが多かった。

 個人で出来る対策としては、増加食で渡されるカップ麺やらウエハース、スナック菓子を溜め込んで置き、いざというときに調理室で調理して食べられるようにする方法が一般的である。

 売店前のソファーで時間を潰していると、買ったものをポリ袋一杯に入れた二人が出てきた。

 直枝はポテトチップス、ポーチの他に偵察用バックパックなるものを購入し、ひかりはシャツやら靴下やらの衣料品、そしてお菓子類を買っていた。

 少女たちの買い込みように北村三曹は笑う。

 

「うわ、結構買ったなあ、お金足りた?」

「はい、尚樹さんから使って良いってもらいました!」

「俺も尚樹にはまあまあもらってたしな」

「ちょっと尚やん甘々やん」

「いやいや、旅行に行くとお金がかかるってわかってたし、親父からも貰ったから」

 

 尚樹一人では3万円も渡せない、両親に訓練招集に行くと知らせたら送って来たのだ。

 両親はひかりと直枝を可愛い可愛いと娘のように甘やかそうとするのである。

 

「ご両親ってそういや、修了式で会ったっけ」

「うん」

「孫とかできたら凄そうやな」

「孫以前に、成人式もどうなるかわからん」

 

 同居し始めてすぐの少女を懐石料理付き日帰り温泉宿に連れて行った尚樹も大概である。

 

「この量だったら一度、居室に戻って置いてくるしかないな」

「尚やん、俺らは準備があるから事務所寄っていくわ、1255までに教場におって」

「了解、武内自補ほか二名の者は居室より教場に直行します」

「じゃあ解散、別れ!」

「別れます!」

 

 訓練開始スイッチを入れた尚樹の様子に笑いそうになりながら別れの号令をかける北村三曹。

 しかし、声が震えていて頬が小刻みに動いているので必死で笑いをこらえている様子がよくわかる。

 

「尚やん、急に真顔っやめろっ……わろてまいそうになるやんけ」

 

 直枝とひかり、そしては尚樹は厚生センターのすぐ近くにある外来宿舎内の自室に戻り、三人はそこから教場に直行した。

 時間は1250、もうすぐ午後の課業が始まろうとしていた。

 



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射撃予習と自衛隊格闘

 「目標、正面の(てき)、制限時間25秒」

 

 午後の課業が始まり、尚樹たち三人は体育館に移動して伏撃ちの姿勢を取っていた。

 伏撃(ねう)ち、または膝撃ちで30㎝角のベニヤ板で出来た小さな標的を狙う。

 これは10mで300m先の人型標的、通称F的(エフてき)を撃つシミュレーションをするものである。

 自衛隊ではこれを「射撃予習」と言い、弾を撃たずに射撃姿勢の矯正や射撃手順の確認などが出来ることから教育隊はもちろんのこと、部隊においても時々行われる。

 

「右かた用意、左かた用意」

「右かたよし、左かたよし」

「その場に、伏せ!」

 

 尚樹は教範通りの伏撃ちであり銃に対し左45度の角度に寝そべり、両足を肩幅に開く。

 ひかり達ウィッチはというと、銃に対してあまり角度を取らずに両足もほぼ開かず、“二脚を使う射撃姿勢”に近い。

 自衛官の感覚では肩付けした銃床の分左腕が伸び切り、脚を使わない場合においては銃身先端のブレ止めが難しく感じるので饗庭士長はついつい声を掛けてしまう。

 

「雁淵さん、その姿勢きつくないですか?」

「大丈夫です!慣れてますから」

「管野さん、大丈夫ですか?」

「ウィッチは飛びながら撃ってんだ、こっちの方が慣れてる」

 

 銃床後端の床尾板を肩と胸筋の間の窪みにしっかりと引き付け、脇をしめて銃床に頬をあてがう。 

 

「弾込め安全点検!」

 

号令を復唱しつつ、尚樹たちは塩ビパイプを切ったものを詰めたカラ弾倉を小銃に差し込む。

 

「単発、撃て」

 

 丸い照門(しょうもん)の穴の向こうに薄くぼやける様に円が見え、その中に照星(しょうせい)と的がぼんやり映った。

 これは正しい見出(みいだ)しが出ている証拠で、照門、照星、的のいずれかがハッキリしている場合どれかに焦点が合っており正しい見出しではないので全く当たらなくなる。

 射撃は射撃姿勢の正確さが全てであり、正しい見出しと引き付けが出来た段階で命中率はおおむね決まるのだ。

 息を止め、引き金を絞るように引く。

 バチンというばね音とともにスライドが前進して、止まる。

 実弾だとガス圧で後退して次弾が装填されるのだが、射撃予習においてはカラ撃ちであるから二発目は補助者による手動装填だ。

 

「二発!」

 

 補助者がいないため、自分でスライドを引き次弾を装填する。

 

「三発!」

 

 こうして点検射として三発撃つのを模擬するのである。

 

「撃ち終わりっ!」

 

 最終弾を撃ち切ると、撃ち終わりと言って銃を肩から外して待つのだ。

 その様子を見た射場指揮官が指示を下すわけであるが、ここでは北村三曹がその役を演じる。

 

「撃ち方やめ、弾抜け安全点検」

「弾抜け安全点検!」

 

 小銃のスライドを引いて解放させ、安全係が薬室に人指し指を突っ込んで弾が抜けていることを確かめる。

 なお、64式小銃の頃は薬室を見せるだけだったのだが、89式小銃はスライドと廃莢口が小さいためか指を突っ込むのだ。

 安全係をしている饗庭士長が指を突っ込み肩を叩くと、点検完了で銃を置く。

 

「異常なし」

「了解、その場で立て」

「その場で立て!」

 

 号令を復唱すると立ち上がり、銃を取れの指示とともに銃を取る。

 ここから右向け右の号令が掛かり、射座から退出するのだが射撃予習ではそこで終了である。

 新隊員においてはこうした射撃予習を繰り返した後、ようやく実弾射撃に赴くのであるがひかり達は実状況を経験したのちに射撃予習というなんとも不思議な感じだ。

 その後、魔法力を使わない歩兵の伏撃ちやら膝撃ち、立射などを行った。

 重量が九九式13㎜二号機銃に比べてかなり軽い89Rではいずれも簡単なものであり、小柄な直枝やひかりであっても難なくできる物であった。

 海軍陸戦隊式の構えにかわって自衛隊式の射撃姿勢をしてみた感想としては次のようなものがある。

 

「狙いやすい」

「カールスラント軍みたいだ」

 

 予備学校時代、ひかりは練戦ユニットを履いての射撃は苦手であったが、歩兵銃で行われる射撃基礎では平均より上であったのだ。

 ほかの女生徒に比べ体力があったことから有坂銃の反動を分散させ、抑え込むことができたのである。

 だが、両足を閉じて胸部と両肘だけで左右方向の力に抗する扶桑海軍の伏撃ちはバランスがとりづらく、自衛隊の伏撃ちのように足を開いて全身で接地する方式はとても狙いやすく感じた。

 直枝は地上で見るカールスラント陸軍兵のように感じた。

 扶桑軍の一般歩兵がボルトアクション式の有坂銃を運用しているのに対し、カールスラント軍は連発できる歩兵火器を携行していたのだ。

 近接した際に弾幕を張り、制圧射撃などにも用いられる自動小銃と従来までの単発の歩兵銃が同じ射撃姿勢というのには無理があり、カールスラントはその先駆けだったのである。

 どちらにせよ、航空歩兵たるウィッチにとって主戦場は空の上であって陸戦における射撃姿勢についてとやかく言われる機会はほぼなかったのだ。

 

「ホントはいろいろ段階踏まないとダメなんやけど、実戦経験済みやし次行こうか」

 

 北村三曹はひかり達の構えを見て、教育計画の一部簡略化を行う。

 翌日以降は演習場で技術本部の人員と合同でのユニット着用実験があるため、小火器射撃に延々と時間を掛けていられないのだ。

 教育を行ったという事実は必要であるからさらりと流す程度に指導をする。

 しかし射距離のダイヤルを変更せずに照準を付ける“戦闘照準法”や銃を使った近接戦闘法に至っては自衛官より直枝、ひかりの方が上手いことが明らかとなった。

 高速で飛翔する彼我の距離を認識し、偏差射撃が出来なければ航空ウィッチなどやれないのだ。

 

「次は格闘や。化け物相手にどれくらい効くのかわからないけど……やろう」

 

 腰をひねり、全身で回転力を付け体重を乗せた銃床で下からかち上げる銃床打撃の形稽古に始まり、小銃を振り上げて左肩の上に構えて銃床部を前に突き出すように殴る床尾板(しょうびばん)打撃、そして銃剣を取り付けて敵の喉元目掛けて突く銃剣戦闘と格闘訓練と続く。

 銃剣道と違って銃剣戦闘は突き以外に銃床や床尾板での打撃や小銃に付けた弾倉で殴りつける正面打撃なども含まれるのだ。

 床尾板打撃、銃床打撃、銃剣戦闘に関しては扶桑海軍航空歩兵の教範にもあり、ことブレイブウィッチーズの前衛であるひかり、直枝にとっては馴染みの技術でもあるのだ。

 型稽古が終わり、銃を端に並べると用具入れからクッションマットと握りの付いたクッション棒を引っ張り出す。

 そう、1mの棒の両端にクッションの付いた格闘訓練用の銃剣で実際に組み手を行うのだ。

 尚樹と直枝は腰を落とし、互いの動向を伺う。

 先に飛び込んだのは直枝だった。尚樹は訓練銃剣で受け止めるように突き出す。

 

「おらぁ!」

「うおっ」

 

 魔法力によるブーストなしでも直枝の格闘能力は高く、直枝の鋭い銃床打撃は尚樹の訓練銃剣を跳ね上げる。

 尚樹はとっさにバックステップ、崩れた態勢を立て直そうとするもすでに訓練銃剣が迫っていた。

 

「そこまで!」

 

 実銃であれば床尾板に当たる位置であり、銃の重量と振り下ろす力で強打されている。

 尚樹も正面打撃で攻撃を受け流して床尾板打撃を行おうとしたのだが、結局、防御を崩せる威力の銃床打撃からの床尾板打撃のコンボに負けたのである。

 

「直ちゃん強そうだとは思ってたけど、めちゃくちゃ強いな」

「俺を誰だと思ってんだ……次、ひかり行け」

「はい!」

 

 ひかりは饗庭士長と対戦する。

「まけちゃいました~」

 

 先手を取ったひかりの刺突は饗庭士長にかわされ、銃床打撃を脇腹に入れられてしまったのである。

 無論、寸止めであるがこれが実戦であれば速度の乗った銃床に強打され呼吸困難に陥っていただろう。

 直枝はケンカ騒ぎなどで徒手格闘も多くどうすればいいかパッと戦術を組み立てていけるのであるがひかりにはそういった経験がなく、とりあえず銃剣戦闘で習ったように突きで先手をとろうとしたのだ。

 直線的な攻撃なぞ相手側からすれば懐に飛び込める格好の機会であり、見事に決められてしまった。

 続いて、尚樹と北村三曹が対戦する。

 初戦、第二試合と勝負が一瞬で決まり三戦目はどうなるのかという期待が場を盛り上げる。

 

「こうして徒手格闘とか久々だな」

「先に来いよ」

 

 現役の隊員と、退職してから自動車屋をしていた者という事もあって先手は尚樹が取ることになった。

 ブランクがあり危険であるため、お互いに自衛隊新格闘の神髄でもある投げ技や足払いからの絞め技といった複合技は封印である。

 尚樹はすり足で距離を詰めると銃床打撃を行う。

 訓練銃剣は弧を描き北村三曹の脇腹に飛び込もうとした。

 

「甘い!」

 

 しっかりと前に踏み出し、荷重移動をしながらの正面打撃が訓練銃剣を弾き返し尚樹にたたらを踏ませる。

 しかし、ここで決められては直枝との試合の焼き直しだ。

 尚樹はすぐに踏ん張ると構えを取り直す。

 左足を前にして構え、銃床打撃や刺突がいつでも放てる基本姿勢だ。

 そこに北村三曹は大きく三歩踏み出しわざとらしく大振りの銃床打撃を放つ。

 防御かそれとも反撃か。

 かつての格闘検定の錬成で習ったことを思い出す。

 近すぎると打撃は効力を減じ、そこから肘や膝蹴りを入れたり投げに移行するというふうに次に繋がる。

 

「ええかぁ、怖いと思った時こそ一歩前へ飛び込め」

 

 格闘指導官き章を胸に付けたやたら髭の濃いオッサンの顔が浮かんだ。

 尚樹は入り身、腰を落として左前方に滑り込み、右肘で脇下を持ち上げて攻撃の回転力と軸を傾けることによる体の追従性をもって相手自身が転倒するようにしたのだ。

 背から着地した北村三曹は左手でマットを強く叩く後方受け身を取る。

 そこに尚樹の訓練銃剣の銃床側が突き付けられた。

 実戦であれば床尾板で上から殴りつけられる位置であり、横方向に転がって逃げるか足払いで姿勢を崩しての寝技に持ち込むかという選択肢がある。

 しかしこれは初回の訓練であり足払いからの複合技は安全上禁じ手になっているため試合終了だ。

 

「やめ!」

 

 饗庭士長のコールがかかる。

 

「尚やん、最後の崩しとか覚えてるもんやなあ」

大貫(おおぬき)二曹がフッと出てきたわ」

「アイツかよ!」

「大貫二曹って誰ですか?」

 

 尚樹と北村三曹の共通の知り合いに饗庭士長が尋ねる。

 

「俺らの格闘錬成やってた指導官で、鬼強いオッサンよ」

「口癖は『技を体に染みこませぇ』っていうやつで、人を空中に飛ばせるのが生きがいみたいな……いや、それだけやな」

 

 北村三曹は数年たった今でさえ投げ技で空を舞う班長達の姿が浮かぶ。

 大貫二曹はというと格闘指導官の資格を得て体育学校より舞い戻り、格闘訓練隊という徒手格闘の猛者ばかりが集まるチームに所属しており、来たる方面対抗徒手格闘競技会のために陸曹、陸士の指導に当たっていたのだ。

 ただ、平成中期までの自衛隊の悪習でもある“戦技以外のことはさっぱり訓練隊陸曹”であり、北村三曹が陸教に行くちょっと前に退官したのであるが、実務の方では知識やら経験に乏しかったのである。

 格闘の他に銃剣道、スキー、持続走などにおいても訓練隊は存在し、こうした隊員は“部隊の威信をかけている”ということから優遇され、()()()()()()()()()()()()()という本末転倒感のある訓練隊制度によってそれなりに存在した。

 

「あんなオッサンでも何かは残ったんやなぁ」

 

 北村三曹は訓練バカ陸曹が記憶に残ることでようやく役に立ったんだなあなどと感慨深そうに言った。

 だが尚樹は自分の生活を考えてツッコむ。

 

「でもシャバで徒手格闘の機会なんてほぼないぞ」

「それを言ったら銃剣道とか持続走も使えなくね?」

 

 自衛隊の三戦技こと持続走、徒手格闘、銃剣道であるが民間において使える場所は限られている。

 とくに徒手格闘やら銃剣道は一歩間違えたら死傷するおそれがあり、軽々しく喧嘩沙汰などで使えば逮捕、退職から何年経っていても元自衛官と言われ殺人未遂などで起訴されるのだ。

 尚樹は日常の一部ともなっている持続走についてはやっててよかったんじゃないかと思った。

 

「持続走は朝ランニングに使えるんじゃないか」

「そうですよ!ランニングは健康に良いってテレビでやってました!」

「体力錬成嫌いな尚やんが走るかぁ?」

 

 現職自衛官時代を知る北村三曹は疑いの眼で尚樹を見た。

 そこに直枝が口を挟んだ。

 

「こいつら毎朝走ってるぜ、ひかりはともかく、尚樹なんて出勤前だってのに」

「マジでか」

「ひかりちゃんが来てからな、まあ一人じゃやらねえな」

「くっそ、可愛い子がいたらやるのかよ。リア充爆発しろォ」

「まあ、訓練陸曹に『やれ』って言われるよりはかわいい子に誘われるほうがやる気出るのはわかります!」

 

 在隊中には女っ気のなかった尚樹の近況に思わず吼える。

 そして饗庭士長はその気持ちわかるわかると同意するが、柵の中で誘ってくれる美少女などいない。

 

「なあ、先生に会わせたらどうなるんだろうなコイツ」

「ロスマン先生なら男の人でもきつそうだなあ」

 

 二人の脳裏に指示棒を持ったロスマンが登場し、ひかりへの試練を告げた目で教場のボードを指す。

 

「“陸曹の心構え”を一週間のうちに覚えなさい、出来なかったら外禁です」

 

 座学の次は体力錬成とばかりに屋外で訓練メニューを告げる。

 

「今からあの山の上まで駆け足、ペース配分と地形に注意して」

「この程度で終わり?その大きな体は何のためにあるのかしら」

 

 そしてひいひい言いながら跳んだり走ったりする自衛官たちの姿が浮かぶ。

 少なくともここに居る三曹と班付の士長よりは教官らしい。

 遠く離れてしまったロスマン曹長に思いを馳せつつ組み手は続く。

 

 

 最後に格闘検定2級の内容である“訓練銃剣を用いた格闘”を実施する。

 格闘検定は技を繰り出す仕手とそれを受ける受手に分かれる。

 検定は受手は一定の間隔で輪を作り仕手(して)である一人を取り囲んでぐるぐると回り、合図と共に停止、1人づつ足元に落ちている武器を拾って輪の中心にいる仕手に対して攻撃を仕掛けるのである。

 どの方向から、何をもって襲ってくるかわからないため対処能力が要求される。

 例えば、真後ろから模擬の棍棒を持って突進され、それをいなして銃床打撃をした直後に斜め前方から模擬銃剣を振りかぶった者が突進してくるのである。

 部隊着隊後に取得する2級程度だと昔ながらの時代劇のような殺陣を演じれば取得できるが、1級や特級になると雰囲気が変わるのである。

 素手に対し武装した受け手が突っ込み、仕手に投げや足技などで転がされた揚げ句に奪われた模擬銃剣で頸動脈を切り刻まれたりとこれぞ殺し合いといった雰囲気が漂うのだ。

 

 16時の休憩が終わると訓練支援に到着した大隊本部付の陸曹たちによって検定が始まった。

 格闘指導官の資格を有する訓練陸曹の認定によって検定の合否が決まるのだ。

 直枝、ひかりは新隊員後期教育と同様の3級から始まり、受け手である陸曹たちや順番待ちのふたり相手に大立ち回りを演じた。

 

 実力があると分かり、続いて2級相当の力があると判断されたため2級の検定が実施された。

 

「うぉりゃあ!」

「負けませんよぉ!」

 

 尚樹は2級止まりであったが、初体験の直枝は模擬銃剣で飛びかかって来た陸曹たちを殴り飛ばし、ひかりも積極的に攻めていく姿勢が見られ気勢が充実していることから格闘検定2級を取得したのである。

 こうして自衛隊格闘の訓練は終了し、時刻は16時半を過ぎていた。

 

「いち、いち、いちにっ」

「そーれ!」

「小隊、止まれ!」

 

 用具を片付けて体育館から10戦車の隊舎裏を抜け、3戦車の勤務隊舎に戻るとき突然停止した。

 ひかり達だけでなく営庭の新隊員たちや、縦隊を組んで歩いていた隊員たちが急に止まり休めの姿勢を取る。

 直枝とひかりはわけがわからずどうしたのか?という表情だ。

 

「国旗降下の時間が来たんだ、そろそろラッパが鳴るわ」

 

 引率の北村三曹はそういうなり、腕時計を見た。

 時刻は1655であり、スピーカーの電源が入ってブーッというノイズが流れる。

 

「国旗に正対する、半ば右向け、右!」

 

『本日のラッパ吹奏は本部管理中隊大野士長』

 

 ラッパ手の紹介が入り、スピーカーからラッパの音色が響き渡る。

 

「気を付け!」

 

 国旗が建物の陰で見えないため、姿勢を正す敬礼を行う直枝たち。

 3戦勤務隊舎屋上の旗竿にひらめく日章旗が見える者達は挙手の敬礼や、銃を持つものは捧げ銃を行う。

 “気を付け”、その後に君が代ラッパが吹奏され国旗は二名の旗衛隊員によって降下していく。

 その間おおむね1分間、レーダーサイトなどの監視要員や飛行中、営外にて操縦中の者を除いては国旗の方角を見つめ、陸海空全自衛隊がまるで時を止めたかのように静止するのである。

 たとえ熱風荒ぶ海外宿営地であっても、あるいは吹雪の舞う日であってもこの儀式は課業があるうちは朝の国旗掲揚と夕の国旗降下で必ず行われるのだ。

 君が代ラッパの何処か哀愁を帯びたような音色にある者は無心になり、ある者は課業終了後について考え、またある者は降下していく日の丸に自分が何者であるかを考える。

 

 直枝は扶桑海軍のものとは違うラッパに異国の“軍”にいることを強く感じた。

 扶桑皇国の天皇陛下のために忠を尽くす軍人たる直枝は扶桑に似て非なる国日本と国民のための護憲の軍隊について考える。

 予備自衛官になるにあたって信太山駐屯地で受けた精神教育において日本の歴史と自衛隊創隊の流れについて学んでいたのだ。

 多くの惨禍を生んだ世界大戦に敗れて国土は焦土と化し、戦力の不保持をうたう平和憲法の下で生まれた自衛隊は軍隊であることを否定されてきた。

 直枝は日本のことをあまり知らない。購入した文学作品や漫画といったサブカルチャーを通して近現代の日本を学んできた。

 そして、ネウロイが出現した時に見た彼らはある作家の言うところの“魂の死んだ巨大な武器庫”とは全く違う印象を受けた。

 

 服務の宣誓においても、“ことに臨めば、危険を顧みず身をもって国民の負託に応える”とある。

 尽くす相手が国民であろうとも直接的、間接的侵略、災害といった国難に立ち向かい、未知の敵であるネウロイとの戦いでも眦を決して挑んでいった彼らはまさしく“軍人”であった。

 軍人の本分は国体の護持ではなく、無辜の国民を守り抜くことであるのだ。

 

 ひかりは左前にいる尚樹を横目で見る。

 日本に来てはや数か月、こちらの豊かな生活に慣れて感覚もだいぶ日本人に近づいてきたように感じる。

 姉とともに船出して息すら凍る厳冬の北欧戦線に着任、そして雲を抜けた先にあったのは故国に似た、されど生活水準の高い異世界だった。

 尚樹と共に暮らすうちに、自分は扶桑皇国の国民であるというアイデンティティが薄れいつの間にかこちらで暮らしていこうという発想になっていたことに気づいたのだ。

 

 異空間通路の先には両親がいて、姉がいて、仲間たちがいる。

 会いたくて仕方がない時もある。しかし、尚樹との生活を捨ててまで戻ろうと考えると途端に胸が苦しくなるのだ。

 なんだかんだと世話を焼いてくれ、何かが出来るようになれば褒めてくれる彼のことが好きなのではないかと実感したのは直枝がやって来てからで、直枝と話す尚樹を見るとどうしてか構ってほしくなるのだ。

 とはいっても漫画のヒロインのようにやきもちを焼き引っ叩こうとは考えられず、気づけば何かしてあげたいと考えて、目で追っている。

 自分はいつの間に尚樹がこんなにも好きになったのだろうかとふと考えた。

 夕刻の君が代ラッパはそんな想いを包み込むかのように吹奏される。

 国旗が降りきって君が代ラッパが終わると、一拍置いて“休め”のラッパ、そして課業終了ラッパが響き渡るのだ。

 

 

 国旗降下が終わって食堂前で分かれの号令が掛かった。

 そのまま飯風呂ルートという事で尚樹たちは夕食を取る。

 夕飯は麻婆豆腐、春雨サラダ、冷凍ミカン、白米に中華風卵スープという献立であった。

 格闘訓練で疲れた体に麻婆豆腐の辛さが食欲を誘い、辛さが口に広がったところを中華スープや白米で中和し、マヨネーズ和えにされた春雨をするりと飲みこむ。

 

「尚樹さん、この春雨って食べ物ってどこで売ってるんですか?」

「スーパーで売ってるよ、ヘルシーだとか言って女性に大人気なんだって」

「スーパーにですか?」

「うん、スパゲッティとか素麺みたいに乾燥してるやつが鍋コーナーに」

「じゃあ今度買いに行きましょう!」

 

 この晩御飯によってひかりは春雨という食べ物を知り、今後武内家の食卓に登場するようになるのだった。

 一方で直枝は冷凍ミカンを首筋に当てて涼感を得ていた。

 薄く氷が張り、パリパリとなった状態で提供される冷凍ミカンはビタミン類を補給する目的で夏の部隊食に組み込まれているのであるが、こうした冷却効果も考慮されている。

 

「冷たくて中々いいじゃねえか……」

 

 ミカンが解凍されて柔らかくなるごとに火照った身体が冷えていくような気がする。

 食堂内はまだ外気に比べて冷えているが外に出れば暑いため、一部の隊員はポケットに入れて居室まで持ち帰ることもある。

 それを知らないひかりは尚樹のトレーの上の冷凍ミカンに気づき、尋ねる。

 

「尚樹さん、おみかん食べないんですか?」

「俺は冷却材代わりに持って帰ろうかなって思ってたけど、ひかりちゃんにあげるよ」

「ええっ、尚樹さんが食べてください!」

「おめーら、いちゃつくのはいいけどよ……」

 

 冷凍ミカンの押し付け合いというカップルじみた様子に数方向から視線が刺さる。

 しかも目を引く美少女が二人も居るのだからなおさらだ。

 直枝は視線に気づくと首からミカンを離して、隣のふたりに声を掛けた。

 

「いちゃついてなんかいません!」

「そうだぞ」

 

 無自覚でこれかと直枝はため息をつきたくなった。

 同時に“リア充かよ”というモテない陸曹士たちのぼやきを聞いてしまい疲れるものを感じた。

 

 普段営内にいる彼らは出会いが無い。時々モテないからと街コンに参加したり、知り合いの知り合い路線で出会いを探したりする者もいるが上手くいくものはごく少数である。

 ときどき、自衛官お見合いパーティーが開かれるが参加できるのは余裕のある陸曹以上が中心で、陸士は営内生活が忙しくそれどころではない。

 もっとも陸曹でも、収入のある幹部自衛官やおしゃれなイメージのある航空自衛官、海上自衛官に負ける印象があり、参加女性も相応の年齢であるため若い女の子は少ない。

 そんな彼らは決まってこう言うのである「シャバでもっと声かけてたらよかった」と。

 俺に出会いがないのは陸士であるのが悪いという自己正当化をしているのだ。

 営内陸曹士の恋愛事情はさておき、とにもかくにも直枝とひかりは目立つのだ。

 このままでは「おい、私物庫まで来いよ、久々にキレちまったよ」という事態が起こりかねない。

 周囲の目に気づいた尚樹たちはそそくさと隊員食堂を後にした。

 

 その後は時間を空けての入浴、そして洗濯、清掃を終えて点呼の後、就寝となる。

 こうして、訓練招集初日は終わったのだった。

 




今回も自衛隊用語が多くイメージしづらいと思うので、YouTubeなどで動画を見てもらえばよく分かるかと。
https://www.youtube.com/watch?v=-EmcuKzrOOc
自衛隊格闘については駐屯地祭の展示UPはあるものの、格闘検定の様子とかがわかるものはないのでイメージでお願いします


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2日目の朝

 目が覚めるともう明るく、腕時計を見ると5時34分だ。

 起床ラッパまであと26分はあって10分単位で二度寝するにはまだ余裕がある。

 そこで尚樹はとりあえずトイレに行って時間を潰すことにし、ベッドから降りた尚樹は用意されていたスリッパでペタペタとトイレに向かう。

 外来宿舎で寝起きする者は外来宿舎内のトイレで用を足すのだが、便器の数が3つくらいと少ないため、ある程度の人数がいると「トイレ待ち」が発生するのである。

 点呼が終わるとすぐにトイレは満員となるため、早起きした場合には起床ラッパ前に行っておくという習慣が身についているのだ。

 外来宿舎で生活していた新隊員後期教育隊の頃はよく早朝トイレに行ったものである。

 

 尚樹は夏の朝の空気と外来宿舎のぼろいトイレに懐かしいものを感じつつ、大便器に座り腕時計を見ると時刻は5時40分、そろそろ布団に戻る頃だ。

 ベッドに戻ると、枕元に靴下を置き、ごろんと仰向けに寝て布団を被ると2段ベッドの上段を眺めた。

 フランスベッドの底の金網と上段のマットレスの染みを見ながらボーっとその時を待つ。

 上に“ベッドバディ”という相方が居れば、彼の寝返りがベッドの振動とともによくわかるのであるが今回は尚樹一人であるために何の変化もない。

 なお、上段の者と事前に打ち合わせしていないとベッドから出た際に彼が上から降ってくるため、ベッド下段の場合注意が必要である。

 

 時刻は5時59分、スピーカーに電源が入った。

 午前6時になると、営内居住の全自衛官が身構える中スピーカーより起床ラッパが流れる。

 尚樹は跳ね起きると靴下を履き運動靴に足を通し、作業服を羽織る。

 そして作業上衣が掛かっていたハンガーをベッドに投げ込むと覆い隠すように掛け布団を被せ、作業帽を被り居室を飛び出すまでで40秒。

 ジャージズボンに戦闘服の上衣だけ着る“ジャー戦”スタイルの場合、点呼集合まで1分30秒以内が目安とされている。

 

 すでに外来宿舎前には当直陸曹と教育隊の班長が整列しており、その前に並ぶ。

 尚樹に遅れて10秒、直枝とひかりが女性部屋から飛び出してきて整列が完了した。

 

「1区隊、集合終わり!」

「点呼!」

「イチ!」

「ニー!」

「サン!」

「総員3名、事故無し、現在員3名集合終わり!」

 

 最右翼の尚樹が教育隊の区隊長である高橋准尉に敬礼をする。

 答礼とともに人数確認が終わると当直陸曹や区隊長からの朝の挨拶があって、点呼は終わりである。

 

「おはよう、昨日は所用で師団司令部に行ってて、着隊した君たちと会うことができなかったが、私が今回の区隊長を務める高橋則文(たかはしのりふみ)だ。よろしく頼むよ。宮田三曹、紹介を」

「はい、私が車両係で今週当直陸曹の宮田です。『夕べの点呼で会ったやろ』ってツッコミは受け付けませんのでヨロシク」

「じゃあ解散しようか……分かれ!」

「分かれます!」

 

 そして解散すると朝食までの間に布団やシーツを畳む「()(とこ)」作業や掃除、身支度がありあまり時間が無い。

 なかでも上げ床作業はシーツや毛布を畳んで整頓する技量により時間が大きく変わり、下手くその場合身支度の時間が大幅に削られるのだ。

 

「管野さん、シーツ持ってくれませんか」

「おう、こいつを二つ折りにするんだろ」

 

 ひかりと直枝は自室に戻ると上げ床作業に取り掛かる。

 ペテルブルグでは滅多に上げ床をしなかった二人であるがだいたいの要領は覚えておりパタンパタンと畳んでいく。

 尚樹はというとベッドバディが居ないため一人で毛布とシーツ、布団を畳む。

 ベッドは茶色の毛布4枚とシーツ2枚、そして掛け布団、枕で構成されている。

 上げ床は毛布4枚を“倉庫畳み”という長方形に収まる畳み方で積み、その上にシーツ、畳んだ掛け布団を乗せ、最後に枕を置く。

 これの難しいところは毛布の角がとれているか、上から下までツライチになっているか、そして掛け布団が綺麗な“ロールケーキ”になっているかである。

 そう、毛布の端末が横から飛び出してるなど不揃いだったり、積んだ際に断面がギザギザとしていた場合やり直しとなるのだ。

 

「水平、直角、一直線……端末合わねえな」

 

 尚樹は久々の“単独上げ床”にてこずったもののなんとか最低レベルの上げ床を作ることができた。

 上げ床が終わって髭を剃り、迷彩作業服に着替えると直枝たちの待つ外来宿舎前に向かう。

 

「尚樹さん、今日からいよいよ飛行試験ですね!」

「おう、演習場にいくから、虫除けとか準備せんとな」

「はい!」

「尚樹、ひかり、そろそろ飯に行こうぜ」

「そうだな」

 

 7時15分に食堂に行って朝食をとると、8時までは自由時間となる。

 営外居住者が続々と駐屯地に登庁してくる頃、営内においては集合まで寝ている士長も居れば、本日の業務に備えて準備をする者、昨晩に出来なかった洗濯物のプレスを当てる者、居室のテレビで情報を収集する者とそれぞれの行動をとっている。

 直枝たちも食堂から帰ってきて訓練のための準備をする。

 ひかり達は貸与の雑嚢(ざつのう)に虫よけスプレー、タオル、キャンディ、筆記用具、そしてユニット運用のための私物のランニングパンツ、スリッパを入れて持って行く。

 ユニットを履かない尚樹はというと真夏という事もあり、500㎜ペットボトル6本とプラスチック製カップ、塩飴などの熱中症対策グッズを詰め込み、虫刺されの薬などの医薬品類も持って行く。

 厚生センターで借りてきたウォータージャグを持って行くものの、中身が甘ったるい薄めたスポーツドリンクなので飽きるだろうとの配慮である。

 部隊に行くと水出し麦茶などのジャグも作ることになるが、若い隊員がほとんどの教育隊ではスポーツドリンクしかないため、口直しが欲しい場合自分で持って行かなくてはならないのだ。

 

 演習場まで車に乗るという事もあり、尚樹は貸与されている中帽(なかぼう)、(通称:ライナー)いわゆるプラスチック製のヘルメットを被る様に言った。

 晩の点呼前の訓練指示受けにおいて区隊付から特に服装の指示が無いときは、部隊の()()()()()()()()あとは()()()()でやってというやつである。

 集合時間の5分前である7時55分、迷彩作業服にライナーを被り、雑嚢を左腰にたすき掛けにするといった基本教練の服装となった三人は3戦車隊舎前のグラウンドに整列していた。

 砂利の敷かれたグラウンドには教育隊の人員に加えて、防衛装備庁(ATLA)航空装備研究所の人員もいた。

 航空装備研究所はエンジンやステルス技術、次世代戦闘機の技術開発を行っている機関であり、未知の技術が詰まったストライカーユニットもここで研究されることになったのだ。

 防衛省の文字が入った水色のツナギの男性技官がひかりの前まで歩いてくる。

 

「おはようございます。航空装備開発官の坂上(さかがみ)と申します」

「よろしくおねがいします」

「こちらこそ。本日はですね、地上滑走試験やらいくつかの試験をしたいので頑張ってくださいね」

 

 坂上技官は「今日も暑くなりそうですね」と世間話を始め、他の技官らも教育隊側の人員と予定やら休憩場所の打ち合わせやらと様々なやり取りをしていた。

 世間話も一通りして大分慣れてきたところで朝礼が始まった。

 

「区隊長に対し、敬礼っ!」

「直れっ! 休め」

 

 答礼を終えた高橋准尉の号令で尚樹たちは休めの姿勢を取る。

 高橋准尉はニコニコとして優しそうな顔を引き締めて、講話を始めた。

 

「いよいよ君たちには空を飛んでもらうことになる。今、我が国は未曽有の危機にさらされている、ストライカーユニットを履いた君たちの献身が我が国を救うのだ……」

 

 高橋准尉はそこまで言うと、表情を緩める。

 講話と言っても最初から最後まで堅苦しい真面目な話ばかりとは限らず、中にはジョーク混じりの講話をする者もいて、毎朝行われる部隊朝礼の講話はわりと自由な感じである。

 

「まあ堅苦しいのはここまでとして、久々の空なんだから気を付けて。終わったら、どんな感じなのか教えてな。以上、講話終わり」

 

 朝礼の内容としては高橋区隊長の講話、区隊付仁科二曹から本日の予定が告げられ、8時15分に国旗掲揚、課業開始である。

 どうして国旗掲揚および課業開始が“8時15分”かというと、8時だと早すぎて8時半だと遅く1時間の四分の一という区切りのいい時間だからという説と、一般に言う終戦記念日に合わせており戦後に誕生した自衛隊を表すという説がある。

 人によって解釈はまちまちであり筆者は終戦日説の方ではないかと考えているが、機甲科隊員の中には17日以降の北千島(きたちしま)におけるソ連軍上陸などを考えると9時3分になってしまうのではないかという意見もあって真相は不詳だ。

 

「気を付け!」

「敬礼!」

 

 今日はラッパ吹奏ではなく、録音のテープと君が代が流れる。

 師団司令部のあるような駐屯地であればらっぱ手による君が代ラッパが毎朝吹奏されるが、地方の駐屯地である場合、人数も少ないためか国旗掲揚に君が代のテープが流れるのである。

 陽光を浴びて日章旗が翻り、白手袋をはめた二名の旗衛隊員が国歌に合わせて大きく腕を回して綱を引く。

 

「直れ!」

 

 国旗が旗竿の頂に揚がりきるところで君が代が終わって、「休め」、「課業開始」ラッパが流れるところから午前の課業が開始となる。

 

「今回は演習場行くし、車両乗るけど中帽はいらんで」

 

 ひかり達ウィッチと尚樹は中隊の武器庫に行って鉄帽と入れ替えるように中帽を棚に置いていき、幌の付いた3トン半トラックの荷台に乗り込んだ。

 演習場に入る際は安全管理上、鉄帽を被らなくてはいけないためである。

 ときどき“首の疲労防止”という名目をつけ、トラックの荷台では中帽を被って降りるときに鉄帽に変えろという指示を出す陸曹がいるが、下車後に使わない中帽が邪魔になるので最初から鉄帽で行かせてほしい。

 奥の運転席側から順に直枝、ひかり、尚樹の順で座り、トラックの操縦手は車両担当の宮田三曹、隣に座る車長は北村三曹である。

 

「尚樹、この鉄カブト軽くねえか?」

「そうだな、前使ってたのより軽い気がする」

 

 ユニットや計測機器を乗せた防衛装備庁の車両と、教育隊のトラックが車列を組んで出発して数分、演習場に向かう中で直枝はぺしぺしと鉄帽を叩いて言う。

 ウィッチも不寝番の際に警備武装として鉄帽を被るのであるが、扶桑軍の九〇式鉄帽やカールスラント軍のM40・M42スチルヘルメットはおおむね0.9㎏から1㎏であり、また陸上自衛隊が採用している88式鉄帽は1.3㎏と少し重かった。

 しかし、尚樹退職後に戦闘職種を中心に更新された改良型(Ⅱ型)のものは少し軽量化されており、1㎏ほどとなったうえクッションパッドの採用や4点式アゴ紐への変更で安定性も大幅に良くなっており、鉄カブトや旧型鉄帽に対して軽く感じるのである。

 指先で叩いた感じも防弾鋼のようなカンカンという感じではなく、コツコツという厚紙のようなこもった音がすることから首を傾げた。

 

「鉄っぽくねえ、まさかボール紙で出来てんじゃねえだろうな」

「鉄帽って言ってるけど鉄じゃないからな」

「ええっ鉄じゃないんですか? それっておかしくないですか?」

 

 鉄帽だけど鉄じゃない、尚樹の言葉に隣に座っていたひかりが驚く。

 カニカマがカニの剥き身ではないことを知った時のような反応に尚樹は笑う。

 

「ケブラー繊維っていう、強度の強い繊維を固めた樹脂で出来てる」

「そんなもんで大丈夫なのかよ」

「一応拳銃弾は止まるらしい、小銃弾は抜けるけどな」

「ええ……」

「破片防護がメインだからなあ」

 

 旧来の鉄帽のモリブデン鋼の硬度、高マンガン鋼の塑性変形によって貫徹を防ぐのには限界があり、重量も過大になっていくことから、同量で鋼の5倍の強度を持つケブラー繊維がヘルメットや防弾ベストの主たる材質になったのである。

 とはいえ小火器の威力向上に対し、ケブラー単体では限られた効果しかなくセラミックプレートやら衝撃緩衝のトラウマプレートを併用しなければ小銃弾は防ぎきれない。

 しかし、ヘルメットにはそうした硬質防弾材を組み込む余地、重量的余裕が無いため破片防護のみなのだ。

 しかし、砲爆撃に伴う破片からの防護は第一次世界大戦から重要な命題でありブロディヘルメットから、現行の88式鉄帽、合衆国軍のACHまで一貫しているのである。

 

「ウィッチはシールドがあるし、攻撃を貰わねえことの方が重要だ。こんなもんいらねえ」

「シールドか……張れたら防弾ベストも要らないよな」

「でも、こんなに良いものがあったら、おねーちゃんもケガしなくて済みますね!」

「うっ……孝美のケガは防げたかもしんねえな」

 

 直枝はゴテゴテと重い装具を付けるぐらいなら機動力を上げて回避することの方が重要だと考えていた。

 一方、かつて魔法が苦手だったひかりは自身の経験や姉の負傷などからシールド依存の危険性について知っていたため、いいなと感じたのである。

 未熟な者やあがりが近づいたベテラン、魔眼発動中といったシールド強度が安定しないウィッチのほか、死角から飛来する砲弾片や実体弾攻撃などによる負傷に対して防弾装備は有効である。

 光線に対してはケブラーは無力であるが、彼我の実弾片や墜落時の枝葉であれば防げるのだ。

 防弾効果も何もない軍服一枚でいるよりはいくらかマシだろう。

 直枝は孝美の3度にわたる負傷原因を思い出して、よくよく考えたら役に立ちそうだと認識を改めた。

 

「ニパさんもケガしなくなりますよ!」

「アイツに渡したらあっという間にボロボロだな」

 

 回復能力があるとはいえ、よく墜落し枝葉などで傷だらけになるニパにもいいかもしれない。

 そんなひかりの思いやりに、ブレイクウィッチーズでボディアーマーを付けるとなったらどうなるだろうかと直枝はふと考える。

 

「カンノ! これちょっとキツイな!」

 

 FPSで見たようなボディーアーマーを着ようとして胸がつかえているニパの姿が浮かんだ。

 大概は脇に胴回りを調節するベルクロやゴムバンドがあるのだが、直枝は知らないのでそのままの状態で上から着るイメージだ。

 クルピンスキーはというと、「なんかこれ、カッコよくないよねえ」などと言って着ようとしないイメージだ。

 一方、ひかりはモールテープに枝葉が絡まり、鉄帽にヒビが入っているニパの姿が浮かぶ。

 

「落ちた時に割れちゃった」

「ああっ、異世界の貴重なヘルメットが……、ニパさん、そこに正座!」

「サーシャさん、わざとじゃないんです! ごめんなさーい!」

「このヘルメットは()()()()()()()()()()()()()んです、という事はもう使い物にならないんです!」

 

 鍵のかかる部屋に収納していることから鉄帽が武器と同じ“管理物品”扱いである点に気づき、損耗したニパとその様子を見て怒るサーシャの姿が……

 直枝とひかりは考えれば考えるほどニパが不憫になって来たので、想像することをやめた。

 尚樹はというと、後ろへ流れていく景色を見ていた。

 トラックは装軌車訓練場の前を抜け、舗装されていない道路の砂ぼこりを巻き上げて走る。

 荷台に舞い込んだ砂で半長靴が白くなるが、後方の幌を閉めると蒸し暑いので我慢すること15分。

 いくつかの支道を経由して空き地のような場所に出たところでトラックが止まり操縦手の宮田三曹が後板を下ろす。

 

「ついたぞ、下車!」

「下車!」

 

 尚樹が幌の後尾についていた落下防止の安全バンドを外し、下車した三人は饗庭野演習場に降り立った。

 区隊長の乗る小隊長車が到着すると、航空装備研究所の3トン半から組み立て式の試作型ユニットケージが下ろされ、組み立てが始まった。

 技官たちが忙しなく動き、動力コードや光学センサー類のセッティングを行っている横で尚樹、ひかり、直枝の3人はというと北村三曹号令の下準備体操をしていた。

 

「その場駆け足の運動!」

「いち、に、さん、し!」

「いち、に、さん、し!」

 

 腿をしっかり上げ、リズミカルにその場で駆け足をする。

 

足前腕斜上振(あしまえうでしゃじょうしん)……いち」

「おい北村! 自衛隊体操は二人にはまだ早い、ラジオ体操やれ!」

「はい!」

 

 何の疑いもなくいきなり自衛隊体操を始めた北村三曹に仁科区隊付からストップが掛かった。

 尚樹はすでに両腕を上に振り上げるとともに左足を前に振り出していたが、尚樹の隣にいるひかりと直枝はキョトンとしていた。

 自衛隊体操は体の可動域いっぱいを攻めていく結構体力を使う運動であるためいきなりやることは難しいのだ。

 見よう見まねでやるにも動作の点数が多く、ひとつひとつの動作の基本を押さえないと意味がないため体育科目をしなければならないのである。

 指示があったため、北村三曹は日本で最もポピュラーな“ラジオ体操第一”を始めた。

 

「あれ、ここでそっくつ? しないんですか?」

「ここは拳振り下げ前屈だろ……違うのかよ?」

 

 扶桑皇国にもラジオ体操はあったものの、当然、日本のものとは内容が異なっておりひかりと直枝は尚樹や北村三曹の指導をうけながら日本式のラジオ体操をおおむね習得したのであった。

 ラジオ体操を通しで出来るようになった時、ようやくユニットの準備が完了した。

 

「それじゃ、ふたりとも飛べる服装に着替えてきて」

 

 ひかりと直枝が更衣のために3トン半トラックの幌の中に入って行ったことを見届けると、尚樹は竹ぼうきをもって飛行コース付近の掃除を始める。

 北村三曹ら教育隊の助教たちもやることが無いため周囲の安全確認であるとか、事故発生時の手順の再確認などをして時間を潰していた。

 

「着替え終わりましたぁ!」

「雁淵さん!」

「噂には聞いてたけど、ジャー戦のランパン版みたいなカッコやなぁ」

 

 着替えを終えてやって来たひかりの格好は、迷彩作業服の上衣に青い“ミズタ”のランパンを履いてサンダルと生足を露出している涼しげなスタイルである。

 饗庭士長は可愛い女の子の生足スタイルにテンションが上がり、北村三曹は凄いカッコだと驚いていた。

 

「ジロジロ見てんじゃねえ、さっさと始めんぞ」

 

 色違いの赤いランパンを履いた直枝が続いて現れた。

 体育訓練で使う事も考えていたため、直枝とひかりの履いているランパンはスポーツブランドのものであり、価格はするものの速乾、通気性のよいさらりとした履き心地だ。

 ふたりは組み立て式ケージの前に行くと、ユニットに手を当てる。

 

「チドリ、ひさしぶりだねっ」

「俺のユニットも良い感じになってるじゃねえか」

 

 原理不明な魔導エンジンの制御系を除くリバースエンジニアリングによってバラバラにされていた。

 コンピューター支援設計いわゆるCADのデータ取りに3Dスキャナでスキャンし、全パーツのデータ取りが終わったため速やかに二人のユニットは再び組み上げられたのである。

 どうして2機同時に分解されたかというと試作型である試製紫電改二(チドリ)と量産配備型である紫電二一型の差異などの調査目的で、部品単位で直枝の愛機である“343-A-15”との比較が行われためだ。

 降着装置の強化や安定翼内防漏タンクの材質など改善などが行われているほか、管野機においてはドイツ語が記された欧州製の部品も代用品として組み込まれ、多国籍部隊による整備、現地改修が行われていたことを雄弁に物語る。

 ネウロイの襲来に備えて急いで組み上げられたユニットは、現代の航空技師たちによって万全の整備が施されていた。

 分解において排出した潤滑油やグリスは新しいものになり、油分や飛行中の日光、空気摩擦等で塗装が剥げて錆が浮いていたパネルなどにも再塗装が施されている。

 

「剥げてたとこ、タッチアップでお色直ししたんだな」

「キレイになってよかったね、チドリ」

「俺の紫電は色が濃くなってやがる」

 

 新しく塗り直され、鮮やかになったマーキングをしげしげと眺めていると坂上技官がやって来て言った。

 

「あと、燃料もアブガス100、民間航空機用入れてます」

「民間航空機? そんなんで大丈夫なのかよ」

「自衛隊には、自動車用かジェット燃料しかないものでして」

 

 自動車用ガソリンは業務車やガソリン動力のエンジン洗車機への給油に用いられ、ジェット燃料JP-4は軽質油、JP-5は灯油に近いものでありガソリンとは別物だ。

 

「自動車のガソリンじゃダメなんですか?」

「高高度を飛ぶと気圧が下がって燃料が流れなくなって詰まったり、車用ガソリンはアブガスに比べて質が悪いから部品を傷める可能性があります」

「質の悪さなら、オラーシャ軍の燃料も大概だけどな」

 

 尚樹が代用燃料として入れていた自動車用ハイオクガソリンから“アブガス”と呼ばれる沸点の高い民間航空機用有鉛ガソリンに交換されたため、気圧、温度の低い高高度を飛行できるようになったのである。

 これは自動車用ハイオクガソリンが高高度で冷やされて粘度が上がり、配管に()()()()送油が止まる可能性があったからである。

 航空ガソリンは析出点がマイナス48度と低く、長時間高高度を飛行しても粘度が上がりにくいのだ。

 もっとも地表近くを飛ぶ分には問題はなく、現代の航空機であれば自動車用ガソリンが使えない機種がほとんどでバルブシートを傷めたりゴム系の部品を侵すおそれがあると言われているが、古いレシプロガソリンエンジン機などでは使える物もある。

 ストライカーユニットの運用されていた1945年当時のアルコール系代用燃料よりはエンジンに負担をかけづらい選択であろう。

 ニパのユニットのいくつかある故障原因の一つにオラーシャ製の航空燃料があり、低温環境に適応させようと添加物を入れ過ぎた結果オクタン価が低くなってノッキングを起こして破損、墜落があるのだ。

 燃料補給も済ませてあり、ふたりはユニットに足を通して動作試験を始めたのだった。

 




愛媛県愛南町の紫電二一型を見に行ってきました。
そこで菅野さんやら鴛淵さん、武藤さんといった方々に関する展示も見て本土防空戦の過酷さについて考えさせられました。
また、実機は全長が9m近くあり、全幅11m、高さも3.9m近くあるため、74式戦車より大きくて、零式艦戦に比べて骨太な印象を持ちました。


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stunt

「電源スイッチ入り、コンプレッサ回せ」

 

 日本製ケージには連合軍で運用されているユニット発進支援の術式がなく、野戦発進をサポートする機能のみである。

 しかし、それすらない最前線での離着陸を幾度も経験しているひかりや直枝にとっては十分だ。

 ユニットケージにセットされたエンジン式コンプレッサーが音を立てて動き出して魔導エンジンに高圧空気を送り込む。

 そこにひかり達の魔法力が流入し、勢いよくタービンブレードが回転することで魔導エンジンが作動、呪符が回転するとエーテルの混じった土埃が立つ。

 ここで使い魔の獣耳と尻尾が出るのであるが、鉄帽とランパンによって見えない。

 

「準備よし、発進どうぞ」

「雁淵ひかり、発進します」

「管野直枝、発進するぜ!」

 

 前傾姿勢で低空を滑るように飛び、右に緩旋回、左に240度急旋回と設定されていた運動パターンを取る。

 空を飛べない尚樹や技官ではない助教たちは演習地域外周で“安全員勤務”をすることになっている。

 安全員とは事故発生に備えて配置される勤務者であり、演習区域に誤って他部隊が侵入しないように注意したり、あるいは行進訓練で急病者が出たり事故が発生したときの対処、球技大会においてファウルボールが直撃しないよう注意を呼び掛けたりと様々な状況で配置される。

 教育隊の助教たちは北の戦車道方向に1班、東側の支道方向に2班と分かれて、警戒監視に務める。

 他部隊の車両が通る戦車道側には、ロープの他に射撃訓練中であることを表す赤旗が掲げられており事情を知らない他部隊からすると実弾射撃訓練のために封鎖している物だと思うだろう。

 尚樹は記録係として軽装甲機動車のハッチ上からカメラを回して二人を追う。

 

「二人とも、楽しそうだな」

 

 ビデオカメラに映るふたりの表情に不安の色はなく、久々の空にどこか楽しそうだ。

 ネウロイとの交戦を考えず、ただただ性能評価試験のためだけに飛べるのである。

 誘導路を滑るような立姿勢飛行から前傾、そして地表を舐めるような匍匐飛行(NOE)をして技官たちにストライカーの飛行を見せつける。

 あっという間に匍匐飛行のコースも終わり、いよいよ航空歩兵の神髄である特殊飛行に突入した。

 

「チドリ、調子いいねっ」

 

 ひかりが魔法力を少し多めに流してスロットルを全開にするとウォーンというエンジン音が高らかに響き、飛行呪符が青く輝く。

 地上滑走に近い地表5mから100mくらいまで高度を上げると、三次元機動を実演するのであるが垂直旋回、その場宙返りなど戦闘機では推力偏向ノズルのある機体でしかできないような不思議な機動パターンを見せていく。

 航空機がラダーやフラップ、エルロンで姿勢を制御するのに対し、航空ウィッチはユニットの補助翼だけでなくその肢体を曲げたりよじったりする事で複雑かつ特異な機動が出来るのだ。

 記録係である尚樹に課せられたのは、ウィッチの体さばきとそれに伴うユニットの挙動を収めることである。

 

「尚樹さーん!」

 

 左右にローリングしつつ手を振るひかりに尚樹は手を振り返し、ひかりが上空をパスしていくのを記録する。

 隣に立っている北村三曹は空を駆ける乙女たちの姿を見て、ネウロイ出現の際に間近でウィッチを目撃した話を思い出す。

 

 __女の子が戦車の上をかっ飛んで行ったんだよ、マジで。

 

 地上から5~10mくらいの高さを飛び、上下左右に体を揺らして時に鋭い旋回力を見せる。

 空力や推力の都合で不安定なのかと思えばそうではない、わざと体を揺らしているのだ。

 照準を付けづらくするためであり、小刻みに軌道をブレさせネウロイの光線を外す動作を行う。

 匍匐飛行の様子に戦車道の饗庭士長、高橋准尉、宮田三曹は見とれていた。

 

「これが、ストライカーユニット……ひかりちゃんすげえ」

「ロス五輪のロケットマンみたいだなあ」

「区隊長、今はジェットパックっていうらしいですよ」

「そうか、俺もおっさんやなあ。君、ボンド映画ってわかる?」

「有名なスパイ映画ですよね」

「あれの何作目かにも出てたな」

「飛ぶだけなら現代技術でどうにでもなるでしょうね」

 

 ロサンゼルス五輪の開会式でロケットベルトを付けて飛行するという演出は空に憧れる少年の心を大いにつかんだのだ。

 1960年代に過酸化水素を利用したヴァルター機関のものが開発され、84年のロス五輪で展示され、2010年代に入ると小型化されたターボファンエンジンなどの物が登場し、自由に飛べるわけではないが高圧水圧の噴射で飛行体験ができる海上アクティビティも登場して一般人でも飛行体験ができるようになった。

 しかし、誰も彼もが空を飛ぶことができるようになったわけではない。

 だからこそ個人用小型飛行機械、空はロマンなのである。

 一方、饗庭士長は可愛い女の子が空を飛ぶというアニメ的な絵面に感動していた。

 3人安全員がいて誰も道路側を向いていないのは不味いと感じた宮田三曹は饗庭士長に声を掛ける。

 

「饗庭、女の子見てないで道の方警戒しろ」

「そんなぁ」

「まあまあ宮田三曹、近づいてきたらエンジン音で分かるよ。……まったく、無茶をする」

 

 そういう高橋准尉の目線の先では、直枝が背面飛行からの垂直急上昇をやっていた。

直枝は木々の上に出て辺りを見回す。

 東側に琵琶湖、今津駐屯地の青い給水塔が見え、北側に箱館山(はこだてやま)やロープウェイ、マキノが見える。

 蒼く広がる琵琶湖から吹くひんやりとした強い風がユニットを揺する。

 保護フィールドがあるからダイレクトには感じないものの、それでもわずかに体感温度が下がった気がした。

 青々とした山々は扶桑の山を思わせ、ここが異世界であることを忘れされる。

 飛ぶだけで楽しい。まるで、飛行訓練を始めたばかりのあの頃のようだ。

 とはいっても飛行学生以来の特殊飛行(通称:スタント飛行)に飽きてきたため、何か一発かまそうかなんて考えていた。

 

「管野さん、そろそろ降りてきてくださーい!」

「……おう!今行くから待ってろ」

 

 上昇してきたひかりの呼びかけに直枝は我に返る。

 

 

「ずいぶん待たせちまったし、いっちょサービスでもしてやるか」

「管野さん?」

 

 直枝は口角を上げると()()()して、技官たちがいる広場に垂直着陸をする。

 地面に激突することのない練度の高いウィッチにのみ許された急降下降着である。

 ユニットをよく壊すブレイクウィッチーズとして忘れられがちだが、管野・クルピンスキー・ニパの操縦技術は決して悪いものではない。

 ただ、戦果を追求して無茶な飛行をしたり、賭け事で悪乗りしたり、謎の不運でユニットが壊れるだけなのだ。

 直枝の紫電は空中で黄色い帯を曳いて頭から落ちてくる。

 技官たちも、助教も、そして尚樹でさえも不具合による墜落かと身構えた。

 空中で前転して両足を前方に投げ出すと一気に急減速して、ふわりと大地に降り立った。

 そのままケージに辿り着き、そこで回転数を落としてユニットを脱いだ。

 

「管野中尉、今のは?」

「急降下降着だ、これが出来ねえようじゃウィッチとしてはまだまだだな」

「心臓が止まるかと思いましたよ……まったく」

 

 ユニットに固定バンドを掛けるときに、ある技官が直枝に言った。

 

「地上に降りるとやっぱ暑っちいな」

 

 直枝は鉄帽を脱ぐとドカッと座り、ケージ脇の技官に預けていた雑嚢からタオルを取り出し、汗をぬぐう。

 そこに、教科書通りの通常着陸でひかりが降りてきた。

 

「管野さん、待ってください!」

「ひかり、おっせーぞ!」

「みんなびっくりしちゃってますよ!」

「あのな、ひかり、こんな芸当は俺たちにしか出来ねえんだ」

 

 技官や隊員たちは直枝やひかりの機動を目にして、従来までの装備と大きく異なる特徴を見出した。

 サイズはおおよそ人ひとり分であり、ヘリコプターに搭載容量(ペイロード)こそ圧倒的に劣るものの巡航速度は時速340キロ、最大時速590キロ近くとヘリコプターより速く飛べるうえ、小回りが利いて垂直離着陸もできることから普通自動車一台分ほどしかないようなわずかなスペースに降着することもできる。

 防御力と言えば合金製装甲は皆無であるが、ウィッチはシールドと呼ばれる魔法的障壁を張ることができ個人差こそあれ小さいもので小口径銃弾、大きいものでネウロイの熱線に耐えうる力を持つという。

 現代において通常の戦闘機のような運用や、対地火力支援などのガンシップ的運用は出来ないものの空挺隊員の直掩(ちょくえん)であったり、()()()()および偵察などの緊急展開能力に関しては有用である。

 対戦車誘導弾や各種爆破器材を携行させ、輸送機から空中発進して対空レーダーを掻い潜る様に低低空を高速で接近、携行している火器で占領部隊に混乱を生じさせて橋頭堡を築くといった戦術も取れるだろう。

 もっとも我が国においては、少年兵に関する条約に批准している都合上ウィッチを島嶼(とうしょ)防衛などに使えないのであるが。

 

「二人ともお疲れさん。戦闘機とは違った凄いもの見せてもらったよ」

「お疲れ様です!」

「だろ?俺たちにかかればあんな機動、ヨユーだ」

「正直、あんなに動けるとは思ってなかったから驚きだ」

 

 興奮した様子で坂上技官が駆け寄って来た。

 実験機ATD-X改めX-2などの開発に関わり、推力偏向ノズルなどの研究を行っていた彼はストライカーユニットとウィッチの姿に感動していた。

 しなやかに体を動かし、ダイナミックに方向や姿勢を変えて飛ぶ姿はまさに海中を遊ぶイルカを思わせる。

 人が動力付き航空機で大空を飛ぶようになって110年が経った、しかし、いずれも彼女たちほど自由に空を舞う事は出来なかったのだ。

 坂上技官を初めとした“航空屋”たちの悲願でもある“空を自由に飛びたい”という想いに対する答えをストライカーユニットは見せてくれたのである。

 ユニットをクールダウンさせる間、ひかりと直枝は冷たいスポーツドリンクを受け取り、休憩タイムに入る。

 その間、尚樹は特にやることもないためにひかりや直枝のそばで待機だ。

 だが、その前に尚樹は北村三曹から受け取ったものを渡す。

 

「ひかりちゃん、直ちゃん。これを」

「お菓子の詰め合わせですね」

「おい、いいのかよ?」

「ああ、マサやんが二人に差し入れだって」

 

 透明なビニールに包まれた菓子の詰め合わせで、チーズ風味のスナック菓子、ココア味のウエハース、カップ焼きそば。キシリトールガム、コアラのマーチが詰められていた。

 ひかりと直枝は中に入っている内容物をひとつひとつ手に取って確かめる。

 中身はカラフルな市販の包装であり、戦闘糧食のようなOD色のパウチではない。

 

「チーズスナックって何なんだろう」

「尚樹、カップ麺も入ってるぞコレ」

「増加食のあまりだろうな、ほんまに謎のセレクトだよな」

「でも、肝油よりはマシだ」

「そうですね、あれは酷かったです」

 

 北村三曹が選んで手づから詰めたわけではない。増加食AとかBとかセットである。

 そう、演習などイベント終了後に隊員たちに配られる“増加食”のあまりだ。

 補給陸曹が倉庫から人数分引っ張り出してきて、営内の調理室か娯楽室のテーブルに積んでいるのだ。中隊によっては受領用の個人用のバスケットを用意していることもある。

 しかし、短いスパンで転地訓練やら訓練支援、師団検閲やらとイベントが続くと“武内士長”などとテプラが張られたバスケットに同じような増加食が2セットも3セットも積まれるのである。

 そして、そうした増加食や「これ要らないからあげる」といったやり取りでもらった物は個人用ロッカーの中に溜まっていき、休日などに消費されることになるのである。

 扶桑海軍においても加給食はあり、一般兵と同じ食事に加えてウィッチや航空機搭乗員の場合おかずが一品増えたり牛乳や卵がついたりする。

 しかし、直枝やひかり、下原など扶桑海軍ウィッチたちがげんなりしたのは肝油である。

 ヤツメウナギやタラから採れる透明黄色、もしくは橙色の肝油は一斗缶やドラム缶に詰められて戦地に送られ、“とり目”の予防、視力維持のために飛行要員は毎日コップ一杯分の肝油を飲まされるのだ。

 ひかりは姉が涼しい表情で飲むものだから、飲みやすいものだとグイっと飲んだところ魚臭く、ぬるっとしたのど越しにむせた。

 それ以降、ひかりは肝油が嫌いだ。

 

「肝油?」

「ああ、鳥目を防ぐために飲まされるんだよ、くそ不味い」

「肝油って甘いイメージあったわ」

「尚樹、魚の油なんだから甘いわけねーだろ」

「そうですよ!あんなの飲みたくありません!」

「マジか、こっちでは肝油ドロップってのがあって幼稚園で配られるんだよな」

「あんなもんガキに喰わせんのかよ……」

 

 古くから海辺の村などで肝油は飲用されてきたが魚臭などがきつく良薬は口に苦しといった代物であった。しかし日本においては明治に入り1908年、精製された肝油に甘味を付けた“高橋氏改良肝油”もとい肝油シロップが誕生した。

 その後、1911年、安定性を増してドロップ状にする技術が河合製薬によって生まれ、肝油ドロップとして販売、戦後の栄養難の時代に学校や保育施設などで配布されると広く普及したのである。

 扶桑皇国においては精製こそされ匂いはマシになったものの液体のまま摂取することが一般的で、精製されて甘く味付けされた肝油シロップ、ビタミン製剤というものは実用化されていないのであった。

 飛行要員の加給食の話題を聞いていた技官たちが話に入ってくる。

 

「肝油ドロップかぁ、懐かしいなあ」

「年代ばれますよ主任」

「いやいや、うちの娘の保育園で今も配られてるよ」

「あれ、一日一粒だっけか、甘いから何個も食べたくなるんだよな」

「お袋がこないだ缶を4つも送って来て、今必死に隠してるわ」

「子供ってよくわからないものが好きですよね、南天のど飴とか浅田飴とか」

「甘いからね」

 

 直枝とひかりは技官たちの話から肝油ドロップは甘く、それでいて摂取制限があり小さい子供に大人気という不思議な食べ物がある事を知った。

 なお肝油ドロップも浅田飴も南天のど飴も“医薬品”である。

 ひかりは“コアラのマーチ”の容器を開けると、ポリポリと食べる。

 高温で溶けて柔らかくなったチョコが張り付くような独特の食感を生み、それを冷たいスポーツドリンクでさっと流す。

 チョコ一つとっても加給食のリベリオン製の物に比べて味がよく、食べる手が止まらない。

 

「ここで全部食うのかよ」

「これ、美味しくてついつい」

「無くなっても後でやらねえぞ」

 

 そういう直枝は12枚入りのウエハースの小袋を開けて食べる。

 チョコレートはもう少し温存しておこうと考えたのである。

 そこに撤収作業を終えた坂上技官がやって来た。

 

「午前中の飛行はこれで終わり、午後からは装備品を付けて飛んでもらうから」

「やったー、お昼ごはんだ!」

 

 直枝とひかりは暑くて脱いだ鉄帽と雑嚢を急いで拾い上げると3トン半トラックに乗り込んだ。

 熱がこもり蒸し暑い荷台にうだりながら、右へ左へと揺られる。

 尚樹はビニロン幌の匂いと砂の香り、そして振動でうとうととする。

 荷台に上級者がいないという事と、午前課業が終わったという開放感もあって眠くなるのだ。

 眠くなるのは直枝やひかりも同様で、ひかりは尚樹に凭れるように眠っており直枝は向かいのベンチシートで雑嚢を枕にして横になって寝ている。

 途中で下から突き上げるような振動が何回かあり、ギシギシと木で出来た可倒式のシートがきしむ。

 未舗装の戦車道を下って駐屯地までおおよそ20分かかり、その間は貴重な睡眠時間となった。

 

_____________

 

 

 駐屯地に戻って昼食をとると、今度は小銃や戦闘装着セットを付けての飛行試験が待っている。

 鉄帽と防弾ベスト2型、89式小銃と銃剣を装備しての模擬空戦であり、実戦に近い出動装備が飛行に影響がないかどうか確かめる試験である。

 飛行試験は駐屯地のグラウンドで行われ、直接支援隊の整備工場と戦車を収めるハンガーに挟まれた空間が主な試験空域だ。

 よく連絡のためにUH-1ヘリコプターや偵察ヘリコプターが離着陸することから広さは十分で、万が一空中で装備が脱落したとしても、広大な演習場の森に比べれば捜索範囲がはるかに狭くなるためである。

 特製冷麺を食べ、腹が膨れた午後からの飛行訓練という予備学校や兵学校のウィッチ課程を思い出すような平和な飛行にふたりの気分は上々だった。

 

「ひかり、模擬戦だってよ」

「はい、負けませんよ!」

「二人とも、装備を壊さないようにね」

「わかってるって」

「大丈夫ですよ!」

 

 黄帯と白帯の入ったユニットを履いたウイッチたちが繰り広げる激しい空中戦は白熱していく。

 最初は相手の後背を一定時間占位して撃墜を宣言するようなものだったが、空中衝突を恐れないような機動に見ていた者達はひやひやしながらも少女たちの空中戦闘技術に感嘆する。

 模擬空戦の見学にやって来ていた駐屯地司令や最先任曹長(CSM)は部隊を救った乙女たちが超近接型のウィッチであることを知った。

 

「“射撃は戦車の表芸”というけれど、彼女たちは格闘もせんといかんから大変だな」

「司令、噂によると、あっちの黄帯の菅野中尉は拳でネウロイを撃墜したとか」

「あんな女の子が向こうの世界には沢山いるのか」

「そうですな、娘ほどの子に頼らざるを得ない、厳しい世界だな」

 

 空では直枝とひかりが回避機動から急速に接近、肉薄しての銃剣戦闘を展示していた。

 

「マジで格闘戦得意なんだな直ちゃん。それについて行ってるひかりちゃんも凄いけど」

 

 尚樹は自宅にある漫画を思い出した。まるで、最終兵器に改造された少女のようだなと。

 この光景は駐屯地中に目撃され、戦車の主砲整備をしていたある隊員は二人の機動に見とれて砲身に取り付けていたサーマルスリーブを落としそうになっていた。

 無人偵察機隊の中ではウィッチが今後現れたら無人偵察機FFRSを飛ばしてみようなどと言う冗談が飛び交ったという。

 飛ばして間近で接写したところで、サービスショットより先に撃墜されかねないのであるが。

 ウィッチ同士での空中戦という“見世物”は今津駐屯地の隊員や技官たちに強烈なインパクトを与えたのであった。

 



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