もし天国で逢えたなら (一日)
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もし天国で逢えたなら

 佐為と分かれてからもっとずっと、誰にも負けないほどに強くなろうと決心した。そうすればきっと、囲碁に執着して千年の時を放浪したあの幽霊と天国で再会できると、あの優しく透き通るような声でヒカルと呼んでくれると信じていたから。

 

 終生のライバルである塔矢アキラとは七大タイトルを争い続けたし、不惑の頃には何度か七冠も達成した。もっと年老いて複数のタイトル戦を争うのが体力的に厳しくなってからも本因坊だけは防衛し続けたし、棋士を引退してからはかつての塔矢行洋のように気ままに強い相手と打ちつつ、アキラの子と自分の子のタイトル戦の検討なんかをして腕を磨き続けた。

 

 そうして人生の最後に、アキラと心の底から納得できる一局を打ってこれならきっと佐為に逢えるとそう思っていたのに。

 

 何故、この前にいる長い黒髪の麗人はかつてのようにヒカルと呼んでくれないのだろうか。

 

 「私の中には佐為だけでなく、本因坊道策や丈和を始めとする歴史に名を遺した強者たちの全てがいる。この姿なのは単純に佐為の影響が最も強く出ているだけだ。といっても影響を受けているのは姿と打ち方だけで記憶や性格はまるで残っていないがな」

 

 囲碁の神を自称する男の話をヒカルはまるで聞いていなかった。思うのはただ一つ、佐為に酷似した姿で佐為とまるで違う話し方をするな、それだけだった。

 

 神の姿が視界に入らないよう碁盤にだけ視線を向けて、石をニギる。結果はヒカルの白番だった。

 

 

 

 打ち始めてすぐに、目の前の神が凄まじい強さの持ち主であることは分かった。しかし、決して楽しいとはヒカルには思えなかった。ただひたすらに最善の手を打つその碁は、まるでAIと対戦しているかのようで、人間味を感じない冷え切ったものだった。一手一手に意思を、こちらを打ち負かそうという気概を感じないのだ。まるで命のやり取りをしているような、ヒリヒリした感覚こそを好んだヒカルにしてみれば、AIも神の相手もただ強いだけのつまらない打ち手でしかなかった。

 

 中盤に入っても盤面は互角。互いにほとんどノータイムで、それでいて深く鋭く研ぎ澄まされた一手を打っていく。

 

 不意に、相手の打ち方が変わったことに気づいた。三手も打てば自分の知っている誰かに似ているのにも気づいた。

 

 誰に似ているのに考えている間も互いの手は決して止まらない。

 

 ようやくヒカルが心当たりに行きついたとき、唐突に黒石の碁笥を渡された。視界を上にあげる間もなく、見覚えのある扇子が次の一手を指し示していた。

 

 思わず、息を呑む。溢れだした涙を拭って、もう一度集中する。盤面は一手足りとも緩めることのできない緊迫した戦況だ。この相手にだけは、決して無様な姿は見せられない。

 

 時折互いに長考を挟みながら、どれほどの時間打ち続けただろうか。終局までたどり着いた盤面は持碁。序盤に僅かながら築いた優勢が無ければ果たしてどうなっていたことか。途中からの敵はそれほど強かった。

 

 「強くなりましたね、ヒカル」

 

 涙でぼやける視界の先には、一瞬たりとも忘れたことのない、優しい笑顔があった

 

 

 




執筆BGMは書くまでもないかもしれないけど、エリッククラプトンの「Tears in heaven」


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