拝啓、ラインハルト様 (うささん)
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一章 溶けない翼で羽ばたいて
【1話】生まれ変わりのベジータさん


 一人の老人が病院のベッドに横たわっていた。先ほどまでその体を繋いでいたチューブは取り除かれ、ただ家族が寄り添うようにして立っている。

 彼は老いていた。そして自らが死を迎えようとしていることもわかっていた。

 人生の死。それも誰かに、家族に見守られて送られるなど考えたこともなかった。 

 これまでの半生はひたすら闘いの日々。大切なものとは何なのかを家族に教えられた。

 今は心電図のモニタが彼を監視している。生命維持装置のすべてを取り除かれ、今は自由を感じている。

 もはや延命のための処置も拒否し、自らの意思で旅立つのだと決めて医師に告げている。

 

「パパ……」

「お爺ちゃん」

「具合悪いの?」

 

 白髪もかなり増えた娘。そして孫に幼いひ孫たちの声。だがもう目を開くこともできない。老衰が彼からすべての力を奪っていた。

 かつては大地と宇宙すらも震わせた肉体は今や朽ちようとしている。

 目を閉じたまぶたの裏に先に旅立った友らの顔が浮かんでは消えていく。彼らもまた、一人一人天寿を全うして死んでいった。

 カカロット……悟空。最後まで勝ち逃げしやがった……次は絶対勝ってやるからな。

 だが、俺の人生に悔いはなかった──

 すべての記憶が走馬灯のように流れすぎていく。

 果てることのない戦いの中で出会った妻ブルマとの思い出。その子どもらとの日々。

 今こうして家族に囲まれている。生きた証がそこにあった。娘と孫とひ孫が握る手に感じる温もりが彼の生きた証明でもある。

 娘達に見守られて死ぬ道を選んだことに後悔はない。

 

「ベジータ…お父さん……」

 

 娘の手の温もりを感じながらベジータは最後の時を迎える。

 誇り高きサイヤ人の王ベジータは愛した家族に見守られて死ぬのだ。

 ブルマ、待ってろ。すぐに逝くからな──

 妻の元に旅立つのだ。もう何も怖くない。

 電子機器が異常音を立てる。激しく波打っていたモニタの線は一本になり、徐々に平行線となって最後に一本の線となっていた。

 

「ご臨終です」

 

 立ち会った医師が告げ、遺体にすがる家族。

 肉体から霊魂が抜けてベジータは自分自身を見下ろす。

 そして、ベジータの意識はあの世へと繋がるのだった。

 

 

「あの世か……」

 

 ベジータは手を開いては閉じ、久方ぶりの地面を踏みしめる。

 体には力が満ちている。その姿も老人ではなく若かりし頃の肉体に戻っていた。

 老いて死ぬと、あの世では全盛期の体に戻る。

 そしてでかい門を見上げる。ここはあの世の閻魔大王の間に通じる場所だった。

 ベジータは迷うこと無く生前の罪を裁く道を選んでここまで来ていた。

 

「本日の死者番号39972入れ~」

 

 門が開かれてベジータは閻魔大王の前に立つ。遥か上から大男がベジータを見下ろしている。閻魔大王である。

 

「久しぶりだな、閻魔大王よ」

「何度も貴様の顔は見たくなかったが、今回ばかりは甦りはなしだ。何せ寿命で死んだのだからな」

「俺は生前、ずいぶんと人を殺した。女、子どもも容赦しなかった。俺は地獄送りだろうな。閻魔大王よ?」

「ベジータよ、お前の所業はすべて閻魔手帳に記されている。お前は大炎地獄級の男に間違いない」

 

 閻魔大王はあの世での刑罰でもかなり厳しい刑の名を挙げる。

 それに対しベジータは口元に笑みを浮かべるのみだ。

 

「さあ、何年だ? 百年か、千年か? 地獄の刑は俺をその程度で満足させられるか?」

 

 鬼も聞けば逃げ出す刑罰もベジータからすれば修練程度にしか聞こえていない。

 

「ベジータよ、貴様ほどの魂を裁くのはさすがの地獄も骨が折れるというもの。昨今は人件費もきついのだ」

「役所のような戯言はやめろっ!」

 

 腕組みをしてベジータは閻魔大王を睨みつける。

 

「言ったように貴様は寿命で死んだのだ。新たな命の循環に加えた方が地獄は助かる。収監している刑罰者から苦情が来るのも面倒でな」

「ち、厄介払いか……」

「サイヤ人ベジータには円環の転生法により新たな生を与えるものとする。それでよいな?」

「では、さっさと済ませろ」

 

 ベジータは吐き捨てると、その剣幕に護衛の鬼が震え上がるのだった。

 現在、ベジータの存在感だけで地面が軽く振動している。

 

「そう言うな。貴様が次の生で善行を積めば家族の魂を持つ者に会いやすくなる。本来ならば、お前は地獄行きで家族にも会えぬ。少なくとも320年の刑罰だ。転生すればお前の行動次第で魂を持つ者と出会うこともあろう」

 

 ベジータの眉が上がる。そして腕組みを解いて閻魔大王を見上げる。

 

「一つ聞いておきたい。ブルマやカカロット達はどうしている?」

「すでに転生を経て新たな人生を歩んでいるわ。前世のことは忘れてな」

「そうか。転生といったな? 新たな生とはどういうものだ?」

「少なくともサイヤ人とは違う生き方だ。戦いに満ちた人生ではない」

「いや、断る」

「何だと?」

 

 閻魔大王は面食らう。

 

「俺には戦いが必要だ。魂が震えるくらい強烈な奴だ」

「戦闘民族サイヤ人というのは実に救いがたいな。良かろう、闘争に満ちた生を望むのであれば取り計らおう。これは特別例だぞ?」

「恩に着せたようなことをいう。良かろう。転生してやる」

「とことん上から目線だのう。まあいいか、可決!」

 

 巨大な判子が振り下ろされ、サイヤ人ベジータの魂は次の生に向けて転送されていた。

 

◆ 

 

 ベジータが新たな生を受けて何年かの歳月が流れる────

 ここは銀河帝国の中枢である首都オーディン。新区画の市民街にある一件の家に彼は家族ともども引っ越してきたばかりだった。

 前の家ほど大きい家でもないが、家族三人が住むには十分なくらいだ。

 

「ふんふふーん♪」

 

 鼻歌が聞こえる。それは厨房からだ。極普通の庶民の家といった作りの家で築二十年ほどだが新居である。

 高級官僚というわけでもない父親と姉との新生活は美味しい匂いから始まった。

 熱く熱されたフライパンと、その上でジュージュー焼けるのは黄色い卵。

 少し細いが、慣れた手つきがそれをひっくり返し、頃合いを測って用意してあった皿に鮮やかな手つきでそれを盛る。

 用意してあったサラダにトマトを添え、ココアの用意も終わらせる。

 

「さあ! 朝ご飯の用意ができたぞ~~」

 

 エプロン姿の金髪の少年が大きく声を上げた。

 すると、扉が開いて閉まる音が聞こえた後、親娘が揃って顔を見せる。二人ともまだ寝ぼけ眼だ。

 

「お早う、ラインハルト……早いな。日曜なのに」

 

 父のセバスティアンがアクビをしながら席に座る。

 ボサボサの金髪は天井を向いている。パジャマ姿で冴なさは倍増だ。

 フルネームはセバスティアン・フォン・ミューゼルという。冴えない風貌だがこう見えても帝国騎士ライヒリッターの名を持っている。

 もっとも爵位も領地もない名ばかり貴族というやつだ。

 

「ウフフ、ラインハルトのオムレツ大好き~~」

 

 ほにゃらかと笑ってスプーンを取るのはアンネローゼ。五つ上の俺の姉である。このところ、色々と仕草が母さんに似てきたようだ。

 穏やかな性格で争いごとは大嫌い。

 料理の腕は俺の方が上であるから食事の分担は引き受けていた。

 アンネローゼのウェーブした柔らかな髪は毎日の手入れを怠らない。

 女って生き物はいまだによくわからん。

 昔、ブルマからは、ダメねあなたは、と何度もダメだしされたが変える気などないぞ。

 

「ほれ」

 

 ラインハルトは熱々のココアに砂糖を溶かして二人に渡す。近頃は朝食は俺が作るのが日課となっている。

 早寝早起きという単語が家族で通じるのは俺だけだ。

 

「俺が切るよ」

 

 フォークを持ったラインハルトがオムレツの真ん中に切れ目を入れる。

 

「うわぁ……」

 

 次に上がるのは感嘆の声だ。真ん中から切ったオムレツからトロリとした中身がこぼれ落ち皿の上を飾る。

 絶妙な量のケチャップが卵から垂れてご飯と混ざり合う。

 緩すぎず硬すぎない柔らかさを誇るそれはあったかな湯気を立てている。

 まさに今すぐ食べて、すぐ食べてーっと二人の食欲を刺激して止まないのである。

 要であるオムレツは蕩けるような黄金色で見る目を楽しませるのだった。

 

「ラインハルトのお料理教室もすごい進歩だな……」

 

 賞賛なのか呆れなのかわからない父のつぶやきだが、家族の健康を保つのは俺の役目だ。

 姉さんの料理は……母さんと比べたらかなりの修行を必要とするレベルにある。

 

「ラインハルト、今度作り方教えて~」

「教えてやらんこともない……」

 

 姉に向かってこの口調。実のところちょっと恥ずかしいのだ。

 そのとき玄関からチャイムが鳴り響きラインハルトは顔を向ける。

 

「ん? 誰だ?」

 

 セバスティアンが顔を上げる。

 

「あら? 昨日のラインハルトのお友達じゃない?」

「昨日?」

「あのね、お隣の子で──」

「赤毛のキルヒアイスというやつだ。面白そうなので仲間にしてやった」

 

 偉そうに告げ、立ち上がったラインハルトが玄関に向かうと、昨日知り合ったばかりの赤毛の少年を出迎えるのだった。

 

「やあ、ラインハルト。これ、うちの両親から」

「キルヒアイス、飯は食ったか?」

「僕は済ませたよ。いい匂いだねえ」

 

 赤毛のキルヒアイスが鼻をひくひくさせる。

 キルヒアイスが持ってきた見舞い品を受け取る。

 

「上がれよ。食後のココアを飲ませてやる」

 

 朝の来訪者を二人も歓迎し、食後の温かいひと時を過ごした。

 

 

 俺の名前はラインハルト・フォン・ミューゼル。元はベジータ様だ。

 見ての通り俺は転生した。この国の人間として生を受けてもう十年近くになる。

 もうベジータじゃない新しい人生というやつだ。

 銀河帝国という世界の片隅で貧乏貴族の息子として生まれた。

 父親は貴族だが末端の貧乏貴族でしかない

 俺は貴族という連中が大嫌いだ。むしずが走るくらいにな。

 俺達が前住んでいたところに住めなくなったのも、親父が転勤するはめになったのもお貴族様が原因だ。

 あいつらは俺達の母親を殺したんだ。

 母さん、クラリベルは善良な女で良い母だった。

 だが、母は車に引かれた。引いたのは貴族の車で乗っていたのも貴族だ。

 場所はショッピングモール。公衆の面前でだった。

 母は俺達を家に置いて昼の買い出しに出かけたんだ。公衆の面前でその車は母さんを容赦なく轢き殺した。

 抗議なんか誰も聞いてくれなかった。犯人はわかっているのに訴訟すら起こすこともできなかった。

 連中は圧力を親父の勤め先にかけて転勤までさせたんだ。

 そのときの怒りが俺が俺であることを思い出させた。

 ラインハルト・フォン・ミューゼルではなく、ベジータとしての俺の記憶をだ。

 きっかけが怒りだったのは間違いない。

 生まれ変わっても俺を生んだ人として彼女があった。

 だから、俺は母を奪った貴族というやつが大嫌いだ。

 ベジータの記憶が戻ったものの、これまでのラインハルトとしての記憶も共有している。

 そして俺自身は普通の人間にすぎない。

 力の使い方を憶えてはいるが、今のところ何もできない。

 鍛錬すれば多少は使い物になるかもしれないが、そのためには、まずは体を鍛えることからしなければならない。

 食って、早く成長するのが目下の目標だ。

 そして権利だけを貪り続ける貴族どもにいつしか報いを受けさせてやるつもりだ。

 

 

 青い空が広がる町並み。二人は町に繰り出していた。

 

「よし、キルヒアイス。あの塔まで走るぞっ!」

「待ってよ、ラインハルト──」

 

 ラインハルトは石畳の道を走る。そのすぐ後を赤毛の少年が追いかけてくる。

 昨日知り合った隣の家に住む同い年の少年。名前はジークフリード・キルヒアイスだ。字面の響きが妙に気に入ったのである。

 

「ハハッハっ!」

 

 緩やかな丘を駆け上がると、大きな声でラインハルトは笑うのだった。




OTRにあるものをかなり手直しして投稿


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【2話】キルヒアイス、肉だ! ピーマンも食え!!

 ラインハルトがキルヒアイスと知り合って一か月後……二人は同じ学校に通う同級生となっていた。

 ラインハルトの王様的態度や貴族嫌悪主義は、裕福な家庭に育った同学年の少年達にとっては鼻持ちならないモノだった。

 とうてい仲良くなるきっかけすら掴めないものであったが、不思議とキルヒアイスだけが腹を立てなかった。

 この聡明な少年は、ラインハルトの傲慢ともいえる態度に関心を持って、その言葉一つにもきちんとした意味を持って考えるようにして答えていた。

 ラインハルトにとってキルヒアイスは貴重だ。それゆえに、常に側にいるのが当たり前のようになってきている。

 

「ラインハルト……また怪我をしてきたのね」

 

 呆れ声を上げるのはアンネローゼだ。ガーゼに薬品を染み込ませてラインハルトの鼻先を吹く。

 弟は出かける度に傷をこさえて帰ってくるのだ。慣れたものの、その度にアンネローゼが手当をしている。

 

「いつっ……」

「喧嘩なんかするからよ」

「喧嘩じゃない。ただの決闘だ」

 

 ラインハルトは不敵に笑みを浮かべて応える。今日の勝利に比べればこれくらいの痛みは怪我ではない。

 とっくに服は着替えているが帰ってきたときはかなりボロボロだった。本日は学校で学年の上級生に大立ち回りを演じていたのだ。

 キルヒアイスも巻き込んだが、あいつは意外と腕っぷしが強い。鍛えればいい戦士になるかもしれない。

 

「もう……上級生相手に怖いもの知らずなんだから。ジークまで巻き込んで」

 

 そのジークフリードは向かいのソファでココアを啜っている。

 ラインハルトはジークフリードと呼ばず、ずっとキルヒアイスという呼び名で通している。

 ジークフリードからすると、父さんにはキルヒアイスさん。母さんにはキルヒアイスのおばさんと呼びかけるのに自分だけ呼び捨てなのだ。

 ラインハルトいわく、「お前はキルヒアイスだからだ。それ以上でもそれ以下でもない」というものであった。

 出会って始めからそんな調子なので、キルヒアイスもラインハルトと気安く名前を言い返すことにしたのだった。

 

「あいつらが先にちょっかいをかけたんだ」

「こらっ!」

「痛いっ!」

 

 アンネローゼがラインハルトの赤くなった額を叩く。まったく遠慮がなかった。

 サイヤ人と違って普通の人間はあまり頑丈ではない。痛みにも弱い。

 わかってはいるが鍛錬するにはもう少しの成長が必要だ。

 俺がこの歳の頃には惑星の一つや二つ軽く落としていたが上手くいかないものだ。

 ガキの頃は常に戦場にいた俺からするとこの世界はまるで緊張感がない。戦をしているのに日常では戦場の匂いが薄かった。

 軍服姿の士官や憲兵の姿も見ることはできるが、戦闘力などたかが知れている。

 といっても戦う敵には事欠かなさそうだった。

 世間では帝国に仇なす叛徒と戦いお国のために働こうというプロパガンダに溢れている。そのせいもあって、クラスメイトの半数くらいが大人になったら軍人を選ぶという回答だ。

 戦争を百年以上も続けてよく飽きないものだが、サイヤ人から見れば特需景気に沸いたことだろう。

 敵の名前は自由惑星同盟。民主主義を掲げる叛徒国だ。

 国家同士の戦いとなればラインハルトの興味は薄かった。

 強いやつと戦って勝つのが信条のサイヤ人気質である。自由惑星同盟が強敵であればいずれ戦うときが来るだろう。

 そのときに備えておのが肉体を鍛えあげるのだ。

 

「ラインハルトは明日のバーベキュー抜きね。お父さんに言いつけてやるんだから」

「それは困る……」

 

 ショックを受けた顔で姉に言い返すが威勢は弱々しい。

 肉!

 BBQ!

 ピクニック!

 大自然ヤッホーだ!

 

「もうしない。これでいいか……」

「もうしません、でしょ?」

 

 反省の色がないラインハルトの態度にグリグリとアンネローゼの拳が脳天を揺さぶる。

 この破天荒な弟はちょっと叱ったくらいでは言うことを聞かないのだから。

 

「……もう、しません」

 

 屈辱のラインハルトが謝罪を口にする。その様を興味深げにキルヒアイスが眺める。じろりと睨み返すと視線はすぐに引っ込んでいた。

 内心楽しみにしていたBBQのためならば頭だって下げるのだ。

 そして、ピクニック&BBQ当日。ミューゼル家、キルヒアイス家揃って国立公園での一泊二日のキャンプデー。

 

「ここで肉をっと」

 

 石組みかまどで肉を焼くのはセバスティアンだ。その横では肉切り役のラインハルトが細かい指示を出す。

 肉焼きはホスト側の家長の勤めと決まっている。

 こんがりウェルダンに焼くのが望ましい。見ていないと親父はすぐに焦がす。

 

「さあ、どうぞ」

 

 セバスティアンがキルヒアイス家の面々に肉を焼き、もう片面の鉄板でラインハルトが野菜を管理する傍らで、アンネローゼの皿に自分で焼いた肉を放り込む。

 

「あつあつ~」

 

 肉を頬張るアンネローゼは幸せ顔で高級肉を味わう。

 

「ジーク、野菜を食べなさい」

 

 キルヒアイス家のテーブルでは両親が息子にピーマンを食べるよう勧めているが捗っていない。

 実はジークフリードは野菜が苦手だ。

 ラインハルトは一段落つくと皿に取り分けた自分の分を持ってジークフリードの隣に座る。

 

「キルヒアイス。苦手な物を美味く食うコツを教えてやる」

「あー、ラインハルト。これは無理だよ……」

「その程度。まあ見ていろ」

 

 ラインハルトの皿には、肉、野菜、肉、野菜が均等に並べられている。

 

「どうするの?」

「まずは肉だ」

 

 最初の一口を頬張る。自分で焼いただけあって焼き加減は上等。

 セバスティアンが焼いた分は点数をつけるなら70点。見た目は普通だが、焼き加減にむらがあって所々焦げている。

 いずれは家長として肉焼きマイスターになるまで精進してもらうつもりである。

 

「そして野菜。わかるぞ、独特の苦みがあって、肉を食った爽快感が失われる、が。次にまた肉だ」

 

 また一口頬張る。溢れる肉汁。ピーマンで味わった苦みが肉一色に変わる。

 

「わかるか? 最後に肉がある」

「ええ? うん」

「交互に食い、最後に肉を持ってくる」

 

 最後になるピーマンの欠片を頬張り、わざと苦そうな顔をして飲み込むと、最後の肉を放り込む。

 

「今、俺の口の中はジューシーな肉そのものだ。まさに肉だ! ピーマンなぞ敵ではない!」

「本当かい?」

「俺は、嘘は言わん……」

 

 行儀悪い食べながらの一言であるが、キルヒアイス夫妻は何も言わない。

 

「じゃあ、試してみようかな……」

 

 ジークフリードがセバスティアンのところに行って新たな肉と野菜を注文すると、戻ってきてラインハルトの真似をして食べ始める。

 

(あなた、野菜嫌い。しかもピーマンだけは絶対食べないってごねてたあの子が!)

(お前、これは奇跡だよ!)

 

 夫妻の感嘆するような視線がラインハルトに注がれるのだった。

 

「行くぞ、キルヒアイス」

「うん」

「もう出かけるの? 怪我しないでね!」

 

 お腹いっぱいに食べ、アンネローゼの注意はそこそこに広い公園を駆けだす二人。

 公園でも一際大きい木を見つけるとそこに向かった。目的は木登りだ。

 

「見ろ、キルヒアイス。あそこが宮殿だろう?」

 

 青い空が真上にどこまでも広がっている。

 ラインハルトは大きな建物の群れを指さして問うのだ。

 

「新無憂宮(ノイエサンスーシ)はもっと奥側だよ。あれは宮殿の外側の建物だね」

「ふん、貴族は無駄にでかい建物を建てる」

 

 現在、二人は丘の上の高い木の上だ。ラインハルトは頂上てっぺんで腕を組み、ジークフリードはその真下で恐る恐る体重を預ける木の枝に足をかける。

 父さんたちに見つかったら大目玉かもしれない。

 

「銀河皇帝という奴は臆病者か? 日がな宮殿に閉じこもって兵を鼓舞するでもなく花を摘んでいるという」

「ラインハルト……シー」

 

 ジークフリードが口に指を当てるがラインハルトはお構いなしだ。不敬罪などまったく畏れぬ発言だ。

 

「誰も聞いてないさ。キルヒアイス、数百万の兵が銀河帝国に従って戦っているのになぜ皇帝は前に出て自分も戦わない? 皇帝なのだから力を示すべきだろう」

 

 ラインハルトもはっきり言ったことは今までなかった。

 

「皇帝陛下は一度も戦争に行ったことがないからかな? それに優秀な兵士がいっぱいいるから自分が表に出なくてもいいんだ」

「ハハっ! 何もしない奴が死にに行けといってホイホイと戦場に行くか。キルヒアイス、お前はどうだ? 手本を示さぬ皇帝に従うのか?」

「お国のためになるなら僕は行くよ」

 

 ジークフリードは真っ直ぐにラインハルトを見返して言った。ラインハルトに従うように見えて、ジークフリードは自分なりの意見をちゃんと持っている。

 

「俺は多分、将来は軍人になる。そう決めた」

「そうなんだ」

「お前はどうだ、キルヒアイス?」

「僕は……よくわからない。でも、大人になったら軍に入るかもね? 戦争で人手はいつも足らないし、戦争を早く終わらせればみんなが平和に暮らせる。今だって誰かが犠牲になって、僕とそう変わらない歳の子どもが孤児になったりしているし」

「お前はいつも誰かのことを心配するな。きっと、ゴミ溜めの中にも美点を見出すんだろうな。それはお前の長所であり欠点でもある」

「そ、そうかな?」

 

 そんな風に誰かに言われるのは、両親以外ではラインハルトだけだ。この少年は見るべきモノの本質を理解する力を持っているのだろうか。

 強い風が丘に吹き木がざわめいて木立を大きく揺らす。

 

「あっ!?」

 

 そのとき、ジークフリードの体がバランスを崩す。

 次の瞬間には、足元の太い枝から転がり落ちていた。優に十数メートルの高さからの転落だ。

 

「キルヒアイスっ!」

 

 手を伸ばすが届かない。瞬時の決断でラインハルトも落下を選ぶ。

 ジークフリードは自分の運命を悟って目を閉じる。

 落ちれば──

 だが、いつまで経っても衝撃がやってくることはなかった。

 キルヒアイスと呼ぶ声が遠くで聞こえて、ジークフリードは自分が気絶していたのだと気がつく。

 

「あれ? 落ちたんじゃ……」

 

 目の前にラインハルトの顔があった。ジークフリードは下生えの草の匂いを感じとる。

 

「平気そうだな」

「あれ、僕は……」

「落ちた」

「ああ、うん」

 

 落ちて、なぜ無事であったのかを知りたいのだが、ラインハルトはすぐにそっぽを向いてしまう。

 答える気はまったくないようだ。 

 ジークフリードは立ち上がって土埃を払う。どこも怪我はしていないようだ。

 

「銀河帝国の創始者のルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは皇族でも何でもないただの軍人だったそうだ。一介の身分から銀河帝国を創り上げるに至った。自分の力と強い意志で成し遂げたんだ。ルドルフにできたことが俺にできぬはずもない。俺はもっと強くなりたいんだ。この世界で誰よりもだ」

 

 ジークフリードを見返すのは強い眼差しだ。その強い太陽のような眼差しにジークフリードは吸い寄せられるかのような気持ちになる。

 ラインハルトは熱い太陽そのものだ。近くにいればその熱で焼かれてしまう。ろうで固めた翼では溶けて落ちてしまう。

 側にいたければ本物の翼を手に入れなければならない。その勇気はほんの少し手を伸ばした先にあるような気がした。

 

「ラインハルトならできるんじゃないかな」

「そうだ、俺は強くなる。今よりもずっとだ。そしていつか──俺はあいつを越えてみせる」

 

 その言葉は誰のことをさすのか。何となくだが皇帝ではないように思えた。

 ラインハルトの目は遥か宇宙の星々に向けられている。なにか大きなものをこの人は目指しているのだろうか?

 ジークフリードはラインハルトの横顔を眺めながら、今よりも少し大人で、軍服を着た姿を想像する。ラインハルトの隣に自分がいるのだ。

 

「ラインハルト~ ジーク~」

 

 遠くからアンネローゼの呼ぶ声が聞こえる。二人を迎えに来たのだ。

 

「行くぞ、キルヒアイス」

「うん、ラインハルト」

 

 振り返れば遠目に姉の姿が見えた。

 二人は夕暮れの丘からキャンプ場に向かって歩き出す。

 キルヒアイスが木から落ちたとき、もうダメかと思ったが、とっさに沸き上がってきた力で地面すれすれで捕まえていた。

 浮いていたのは一瞬でしかなかった。それがキルヒアイスの命を救ったのだ。

 舞空術だが、今の自分ができるのはあそこまで、気を鍛え感じ取るほどになるのもそう遠くないはずだ。

 

「何だ、あの車は?」

 

 丘から歩道に出てしばらくすると、脇を通り過ぎていった車をラインハルトが振り返る。

 高級車で、国立公園内を走っているのは珍しい。

 

「宮内省のランドカーじゃないかな? テレビで見たことがある」

 

 いつだったか皇室関係を映すテレビで同じような車を見たことがあったのだ。その記憶を頼りにジークフリードが答えた。

 

「帰ろう家に」

「そうだね、ラインハルト」

 

 明日からまた退屈な学校が始まる。喧嘩と学業がラインハルトたちの青春の花だ。

 そして……あのすれ違った車が自分達の運命に大きく関わるなど思いもよらぬままに──




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【3話】エロジジイの陰謀

 花の宮殿の一角では貴族達の噂話が絶えることがない。どこぞの貴族が浮気がバレて決闘を申し込まれたとか、もしくは陰謀という後ろ暗い話に顔を寄せあっていたりもする。

 その多くが取りとめもない憶測や噂に過ぎない。

 

「聞いたか? ベーネミュンデ侯爵夫人が生んだ子どもだが死因は不明だそうだ」

「またか? もう四度目じゃないか。噂では邪魔に思うやんごとなきお方達が手を回したらしい」

「しー、声が大きい。そのような噂、どこから出たものやら。さしずめブラウンシュバイク公か?」

「知ってどうなる? くわばら、くわばらよ」

 

 皇帝の寵妃であるベーネミュンデ侯爵夫人が一昨年に男児を出産したものの、その子は泣くことがなかった。

 生まれてすぐに息も絶え絶えに苦しく、腹から出たもののその小さな命を長らえることができなかった。

 喜びに沸いたのもつかの間、宮中は深い悲しみに包まれた。それはベーネミュンデ侯爵夫人に深い影を落とすものであった。

 その前の二人の子は女児であったが育つことはなかった。待望の男児という期待が大きかっただけにその死は深い落胆を伴っていた。

 しかしそれは、一部の門閥貴族にとっては不幸中の幸いだったといえるだろう。

 後ろ暗い噂が立つのも通りで、もし寵妃が男児を産めば、皇族の外戚はその勢いを失う。皇族の誰かが何がしかの手を打ったのだと言えばもっともらしく聞こえるものだった。

 生存していれば、皇帝直系の嫡子として次期皇帝となることが約束されていた。

 ベーネミュンデ侯爵夫人となったスザンナを皇帝の妾として上げたのは、外戚の台頭を嫌ったリヒテンラーデ侯爵だ。

 度重なるベーネミュンデの子どもの死は、リヒテンラーデ侯爵と外戚貴族の争いが発端であろうという推測する者もいる。

 事実、皇族に近い貴族とリヒテンラーデ侯爵との仲は最悪に近い。特にブラウンシュバイク公爵とは宮中では常に冷戦状態となっている。

 ベーネミュンデはまた皇帝の子を身ごもった。そしてまた死産だという。続けての不幸。呪いか、さてまたは陰謀か。

 そして水面下ではリヒテンラーデ侯爵の次なる手が打たれようとしていた。

 

 

 薔薇の園。この小さな庭は皇帝の庭であった。植えられた薔薇はその一本一本が皇帝自らが植え育てたものだ。

 そこに立ち枯れたような一人の老人が立つ。

 この人物こそゴールデンバウム王朝第36代皇帝フリードリヒ四世その人である。

 

「国務尚書。その件だがスザンナはどう思うかの……」

 

 薔薇と向き合ったままフリードリヒは剪定の鋏を止める。

 その背後には畏まった白髪のリヒテンラーデ侯爵がいた。宰相代理にして国務尚書を務め、長年に渡ってフリードリヒを支えてきた帝国の重鎮である。

 この老人に帝国と皇帝のすべてを取り仕切る裁量が与えられていた。

 

「皇帝陛下、ベーネミュンデ侯爵夫人はすでに四度ご懐妊なさりましたが、いずれの子もお亡くなりあそばされました。何卒、ご一考の程を賜りたく……」

 

 皇帝フリードリヒ四世には嫡子がいない。寵妃であるベーネミュンデ侯爵夫人は皇帝の子を身ごもったものの四人の子は育つこと無く失われてしまった。

 現在の帝室の懸念は皇帝の直系の候補がいないということだ。リヒテンラーデが直訴するのは、皇帝に新たな側室を迎え入れよということであった。

 

「いや、よい。そちに任す。女を見る卿の目は確かだからな」

「は、ご英断であります。陛下」

 

 リヒテンラーデが深々を頭を下げる。

 

「うむ」

 

 フリードリヒが頷いてリヒテンラーデが顔を上げるとその場を辞すのだった。

 国務尚書の執務室には莫大な量の資料が運び込まれていた。皇帝の意を受け、次期寵妃選びがすでに始まっていた。

 新たな后候補はリヒテンラーデ自らの選定であった。

 書類という形で提出するのは古式の伝統である。宮中でさえ、電子データでの管理は制限されているほどだ。

  

「閣下、資料をお持ちしました」

「うむ、そこに置きたまえ」

 

 マホガニーの大きな机の前でリヒテンラーデが資料をめくる。

 本来であれば、このような仕事は彼のすることではなく宮内省の役人がする仕事なのだが、彼にとってこれは趣味と実益を兼ねた大事な任務なのであった。

 宮内省に無理を言って数日前から資料を送らせては漁っていた。

 

「何と、三年前のあの清楚なギャルがこんなムッチムチのバデーになるとはなんというけしからん……パフパフしたいのう。グフフ」

 

 ファイルをめくって今年の資料を確認していく。フォトグラフ写真が立ち上がって水着姿の美少女が映し出される。

 皇帝に上げるお妃選びは宮内省の管轄だが、国務尚書にできないことはないのだ。

 これらすべての資料は宮内省の秘密部隊が収集していた。その秘密部隊とは、リヒテンラーデの息がかかったパパラッチ部隊のことで、元より隠密、情報戦に長けたエキスパート達だった。

 リヒテンラーデは自分の権力を駆使して宮内省にお妃選び係という実態のない組織を立ち上げていた。

 自分が思うがままに美少女を盗撮する部隊。つまりは私兵のようなものである。

 銀河帝国国内だけでなく、自由惑星同盟にすらその工作員は存在している。全銀河の美少女から美魔女に至るまでの情報がこの部屋に集められていた。

 それらのデータをせっせと電子データに読み込んでコレクションするのがリヒテンラーデの趣味となっている。

 

「やはり、安産型がよいのお。どれーにしようかな~」

 

 床にファイルを並べて机の上から見定めようとする。

 立ち並ぶ大量の美少女ホログラム達。政敵に見られれば間違いなく失笑モノかもしれないが、すでにリヒテンラーデの趣味を宮中で知らない者はいないので弱みともならない。

 なろうとも当人に影響を及ぼすほどリヒテンラーデの権力は脆弱ではない。

 

「グフフ」

 

 そしてコケた。同時に机の上の大量の資料が雪崩落ちてその中に埋もれる。

 

「痛い! こ、腰が……」

 

 リヒテンラーデが腰を抑えて大量の資料の上でのたうち回る。

 それが収まった頃、散らばったファイルの美少女達に囲まれながら一冊のファイルを手にするのだった。

 何々、本年度の新ファイルか……今年の新人はいい子がいるかのお。

 もはやただの好色スケベオヤジである。この歳にしてエロを忘れないからこそリヒテンラーデはバケモノと呼ばれている。

 ページをめくり、しばらく後にその表情が真剣なものへと変わった。そう、宮中の貴族達が震え上がる顔そのものであった。

 

「何という美少女っ! これは本年度ナンバーワン間違いなしっ! 階級はライヒリッター。申し分ない。歳も十五になるか」

 

 リヒテンラーデが食い入る様に見るのは一人の少女のホログラフである。

 優しげな眼差しと豊かな金の髪を持ち、清楚でありながらすでに女の色香を漂わせている。同じ年頃の娘にしては落ち着いた印象で、リヒテンラーデが側室にと考える美少女像にピッタリと言えた。

 ベーネミュンデ侯爵夫人は度重なる子の死に精神の安定を欠いてきている。元より気の強い女であったから、ますますなだめるのも苦労するようになった。

 手駒としての側室の役割はもう終わっているのだと判断していた。今回の新しい后選びはもっと若く、こちらの思い通りに動かせる駒である必要があった。

 それに、ベーネミュンデに良からぬことを吹き込む連中が出ることも考えると、今後の扱いは気をつける必要もあった。

 外戚連中にでかい顔はさせぬ。このわしが生きている間はだ。

 

「にしてもふつくしいのお。どこぞの男の手が入る前にことを済ませておかねばの。わしだ」

 

 リヒテンラーデは秘密回線を開く。一人の男がリヒテンラーデを認めて敬礼を返す。

 

「これは閣下」

「課長、緊急に「確保」に入ってもらいたい」

 

 課長とは宮内省お妃候補選び係の責任者である。実体がない組織だが、部隊の長として課長という階級が設定されている。

 

「はっ!」

「名はアンネローゼ・フォン・ミューゼル。方法は何でも良い。気取られるでないぞ?」

「承りました。これより確保に向かいます」

「うむ、滞り無くな」

 

 通信が切られると、リヒテンラーデは痛む腰をさすりながら窓の外の暗闇に沈んでいく新無憂宮(ノイエサンスーシ)を見つめる。

 明後日には宮内省から側室としてアンネローゼという少女が皇帝の元に嫁ぐであろう。

 

「にしても胸はモチっと膨よかじゃったらええんじゃが、おっぱい揉ませてくれるかのお?」

 

 ニヘラとよだれを垂らしそうな顔に戻るリヒテンラーデであった。

 

◆その頃のミューゼル家──

 

「ほくほくジャガイモ、美味しくサクサク~ ボクの名前はジャガイモさん~♪ 茹でても揚げても焼いても食べられる~~ ふふん~♪」

 

 鼻歌交じりのアンネローゼが食器棚から人数分の皿を取り出して食卓に皿を並べる。

 真ん中にはまだ湯気を立てるコロッケの山と、カリっと揚がったポテトチップスがてんこ盛りになっている。 

 今夜の食卓はジャガイモ尽くしだ。

 キルヒアイス家からのおすそ分けなのだが、かなりの分量があった。

 キルヒアイス夫人の実家から送られてきた添加物肥料なしの天然有機栽培のジャガイモであったから、ラインハルトが張り切って料理しだしたのだ。

 アンネローゼは新たなレシピが我が家の食卓に上がって大喜びだ。

 お腹はグーグー鳴りっぱなしで我慢できそうにない。 

 

「いただきまーす」

「姉さん、手を洗え!」

「はーい」

 

 アンネローゼはかすめ取ったポテチを頬張る。

 

「美味ひい♪」

 

 塩と揚げ加減は絶妙にしてアンネローゼの肥えた舌によく馴染むのだ。

 これよりメインディッシュはほくほくコロッケさ~

 手を洗い戦闘態勢は万全だ。

 

「姉さん、親父を呼んで」

「お父さん、ご飯だよ~」

 

 父親を呼んでいつもの家族三人の風景だ。

 

「今日はクロケット……コロッケだっけか。この薄揚げも美味そうだな」

 

 就職情報のチラシを置いてセバスティアンが座る。父は現在、新しい就職先を探している最中だ。

 妻のクラリベルの死の後、裁判訴訟に踏み切ったところ、元居た職場に貴族からの嫌がらせがあって解雇されてしまった。

 貴族から和解金という名の口封じの金を掴まされ、引っ越しを余儀なくされたのだ。

 セバスティアンには養わなければならない家族があった。収入源を断たれていたし、泣く泣くその金を受け取るしかなかった。

 それがセバスティアンの心に深い影を落としたものの、この家庭を壊すことだけはできなかった。

 こうして就職先を探せているのもラインハルトとアンネローゼがいてこそだ。 

 夕食は和やかに終わった頃、ミューゼル宅の呼び鈴を鳴らす音が鳴り響く。

 

「ん? 誰か来たみたいだ」

「誰かしら? ジークかな?」

 

 人が訪ねてくるには少し遅い時間だ。

 

「私が出よう」

 

 セバスティアンが立って玄関へ向かう。

 アンネローゼはラインハルトが洗った皿をパスされてそれを拭く係だ。

 きゅきゅっきゅっときれいきれい~

 すぐに戻るかと思った父は玄関先で誰かと話している。

 

「ねえ、誰かな?」

「くだらん勧誘だろう。この間は俺が撃退してやった」

 

 ラインハルトが得意げに答える。

 アンネローゼはその手の訪問者の話を最後まで聞くせいでカモと見なされることが多いので、応対はミューゼル家男子の仕事となっていた。

 セバスティアンもお人よしの気はあるものの、クラリベルのことがあってからこうした訪問者を撃退するようになっている。

 任せておけば安心だが、戻ってきた父親の顔はどこか青ざめている。

 

「どうしたの、お父さん?」

「二人ともすぐに荷物を。バッグに用意して、今すぐに」

「え?」

「どういうことだ?」

 

 二人は顔を見合わせる。奥の部屋にいったん引っ込んだセバスティアンの手には光線銃があった。

 それを見てアンネローゼは息を呑む。

 

「ぐずぐずするなっ! ラインハルト、アンネローゼ!」

 

 声を荒げたセバスティアンにアンネローゼはびくっと身を震わせる。こんな怖い顔をする父さんは初めてだ。

 

「わかった。緊急事態なんだな? 姉さん、支度を」

「う、うん……」

 

 二人は言われるままに出る支度をする。

 アンネローゼは半信半疑に。ラインハルトは、もしかすればこの家にはもう戻らないかもという予感をもってだ。

 慌ただしく家を出た三人はミューゼル家の色あせた中古車へ乗り込んだ。

 セバスティアンは警戒するように周りを見回した後、運転席に乗り込むとすぐに走り出して暗い夜道の向こう側へ走り去っていた。

 その様子を眺めていた男が無線を取る。ミューゼル家を監視していた男達がいたのだ。

 

「課長、ターゲットが逃亡を図るようです。追跡を開始」

 

 そしてミューゼルの車を追って数台の車が走り出すのだった。




★キャラクタ-ボイス
クラウス・フォン・リヒテンラーデ:宮内幸平
亀仙人:宮内幸平
戦闘力=139(´・ω・`)


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【4話】逃亡者の行方

 空港へ向かう一直線のハイウェイで逃走劇は幕を開けた。

 後ろを振り向いたラインハルトが追ってくる車のライトに目を細めた。明らかに標的をこちらと定めて追いかけてきている。

 

「父さん、つけられてるぞ」

「わかってるさっ!」

 

 車は速度を上げるが、後方にピタリと寄せた車はなおも追ってくる。また新たな一台が追っ手の列に加わった。

 空港へ向かう高速道路に入ってからは横道もない。ただひたすら速度を上げるしかない。

 強烈なライトが後方から差す。軍の特殊部隊が使う装甲車両だ。

 子どもだってそれくらいは知っている。その物々しさにアンネローゼは怯えた目で父と弟を見る。

 

「何で軍が俺達を追いかけるんだ! 父さん、説明しろ! あの連中は何を言ったんだ!」

「アンネローゼだ」

「私?」

「宮内省の役人がお前を召し出せと言ったよ! 皇帝の妾としてだ!」

「何?」

「私を?」 

「お前を差し出せば一生は安泰。出世も金も思いのままだとな」

「皇帝の妾? 何で姉さんが?」

 

 息子の問いに応えず、セバスティアンはらんらんと光る眼で前を見据える。

 

「畜生、もう家族は誰にも奪わせないぞ。母さんが奴らに何をされたか! 俺は、俺は!」

 

 ぎらぎらと前を見つめたままセバスティアンは独白する。その言葉は自分自身に言い聞かせているかのようだった。

 今はオート走行は切ってマニュアルでの運転だ。注意をそらせばすぐに事故を起こしてしまうスピードで走っている。

 交通保全管理にあるオート走行システムに介入されれば成す術もなく車は停止されてしまう。

 

『セバスティアン・フォン・ミューゼル。車を停止したまえ。これ以上の逃亡は皇帝陛下への反逆罪と見なす』 

 

 拡声器で呼びかけがあるが、セバスティアンはアクセルを目いっぱいに踏んでさらに速度を上げる。

 後ろがどうなっているかなど気に掛ける余裕すらない。

 

「課長、反応ありません」

「発砲を許可する。止めろ」

「は、撃てっ!」

 

 装甲車の中から命令が下される。そして小銃から光線が放たれる。

 

「父さん、銃だ!」

「くそっ! 手が放せん」

「銃を寄こして」

「ダメだ、ラインハルト。お前には持たせん」

「そんなこと言ってる場合かっ! ほら!」 

 

 強い口調でラインハルトは手を出す。セバスティアンは躊躇った後、片手で光線銃を渡す。

 

「ラインハルト、無茶はするな!」

「緊急時に無茶もあるかよ。スピードは落とすなよ!」

「ラインハルト、ダメよ」

「姉さんは伏せてろよ。あいつらの狙いは姉さんなんだ。姉さんを傷つける真似はするか」

 

 姉の制止を無視して窓を開けると、ラインハルトは外へ頭を出した。

 強風が激しく吹き付けてくる。息をするのも苦しいくらいだが、後ろには追っ手しかいない。

 撃てば当たるピンポンゲームだ。こんな状況だというのにラインハルトは笑っていた。

 そして狙いを定めて引き金を引いた。放たれた光線は装甲車両の表面を掠めて後方の車の駆動系を破損させる。

 一台、追っ手から外れるのを視認する。すぐに応酬があり、車の脇を光線が通り過ぎていく。

 体を車中に戻し、熱を帯びたブラスターを抱える。エネルギーは限られている。ここで撃ち尽くすのは得策ではない。

 また、激しい銃線が車の脇を掠めて車両表面の塗装を焼いた。

 ラインハルトにはただの威嚇だとわかっているが、姉のアンネローゼは目をつむって伏せている。 

 

「こしゃくな抵抗だ。目標に何かあっても困る。威嚇だけにしておけ。封鎖は済んだかね?」 

「課長、5キロ先で完了しています」

 

 そこが運命の分かれ道だった。

  

 

 オーディン湾岸公園区。夜更け────

 地表を照らすのはいくつもの丸いサーチライトの灯だ。その間隙を二つの影が走り抜ける。 

 逃亡者はラインハルトとアンネローゼの組み合わせだった。

 ラインハルトが鋭い双眸を森の向こう側に投げかけて振り返る。交差するライトが二人に迫る。場所はほぼ特定されているに等しい。

 

「こっちだ!」

 

 ラインハルトがアンネローゼを引っ張ると、二人は傾斜のある芝生を転げ落ちていた。

 

「はぁはぁ……」

「姉さん、大丈夫か?」

 

 ラインハルトが差し出した手を息も整わぬアンネローゼが見上げる。

 

「ラインハルト、もうダメ……」

「何がダメなんだ?」

「足が……」

 

 ひねったのか、アンネローゼが立ち上がろうとしてつまずくのをラインハルトが支える。

 

「く……どうにかしないとな」

「もういいの、ラインハルト」

「姉さん、何がいいんだっ! このままだと皇帝の側室にされるんだぞっ!?」

「私が逃げてどうなるの? ラインハルト、あなたの未来に傷がつくわ。それにお父さんも無事だといいんだけど……」

「親父は……」

 

 父セバスティアンを置き去りにして二人は逃げていた。セバスティアンは子ども達を逃がそうとして撃たれたのだ。

 セバスティアンを撃ったのは、アンネローゼを皇帝の後宮に入れようとする連中だった。父はそれに逆らって二人を連れて逃げたのだ。

 そして撃たれた。安否は定かではないがその瞬間がなければ二人は捕まっていた。

 空港に辿り着く寸前で憲兵隊がミューゼル親子を捕縛しようと待ち構えていたのだ。抵抗したが多勢に無勢。

 セバスティアンが崩れ去るのを助けられぬままに二人はひたすら逃げていた。

 

 ここで諦めてたまるかっ!

 空港まで逃げれば……

 宇宙船を奪ってやるんだ── 

 

 その瞬間、立ち上がろうとしたラインハルトの頬を熱い熱線があぶった。ブラスターで撃たれたのだと認識し、その男を睨らみ付ける。

 並みの少年の胆力ではない。

 

「そのくらいにしておきたまえ、ラインハルト・フォン・ミューゼル君」 

 

 慇懃無礼にブラスター片手に現れたのは一人の紳士服の男だった。紳士を装っているが中身はゲス野郎だ。

 短い間ではあるがラインハルトがこの男に下した評価だ。追っ手の頭で課長と呼ばれていた。父のセバスティアンを撃ったのはこの男だった。

 非常で冷酷な指揮官である。

 

「まさか、あの囲みを突破した上にここまで逃げられるとは失態の窮みだよ。それも返上させてもらうがね」

 

 課長の背後には憲兵隊。否、彼らは正規の憲兵隊ではない。リヒテンラーデの配下にある確保部隊と呼ばれる精鋭であった。

 

「ラインハルト……」

「姉さん、下がって」

 

 アンネローゼの手を払ってラインハルトは姉の前に立つ。

 

「ゲス野郎どもが、俺の姉さんに手を出してみろ。ただでは済まさんぞ」

「ハハハっ! 小童がたいした威勢だ。出ろ」

「装甲擲弾兵だと?」

 

 課長の呼びかけに装甲服と不気味なマスクをかぶった男たちが数名前に出る。斧こそ持っていないものの、帝国が誇る装甲歩兵を少年少女の捕り物に狩り出すなど尋常なことではない。

 

「皇帝陛下のご寵愛を賜るという臣最大の光栄を賜りながら逃亡を図った罪は重罪である。が、私は寛大な男だ。黙って姉と共に投降するのであれば君の罪は問わぬ。どうかね、飲まないか?」

 

 すべては自分の失態を塗りつぶすための甘言であろうことは確かだ。課長という男はかなり小心な男だとラインハルトは見抜いていた。

 

「誰が──」

「私、行きます。だから、ラインハルト、もう止めて」

「姉さんっ!?」

 

 縋るようなアンネローゼの手と瞳がラインハルトを留めていた。

 

「姉は聞き分けがよろしいようだ。君も意地を張るのは止めたまえ。姉上が皇帝陛下のご寵愛を得れば、君の家も、君自身も出世は思いのままだぞ。それとも、ここで姉共々屍となりたいのかね? 愚かな父親と同じ選択はしてほしくないものでね。さあ、三十秒だけ待ってやる。決断したまえ」

 

 課長が眼鏡を光らせながら畳み込むように告げる。

 殺すというのは脅しに過ぎないとラインハルトは見切る。アンネローゼを殺すならいつでも手を出していたことだろう。

 アンネローゼに死なれるのはこの男も困るに違ない。

 だが、ラインハルトにその保障はない。皇帝に逆らった父同様にここで抹殺されてもおかしくなかった。 

 だが、ただでくれてやるものか。親父を侮辱したこと。そしてしたことの落とし前はつけさせてもらう。

 

「ここで諦めてたまるかよ!」

「だ、ダメ……」

 

 アンネローゼの手を振り切ってラインハルトが構える。

 装甲マスクの下で男達が笑った。無謀というにもおかしすぎる抵抗だった。

 

「そのガキは適当に痛めつけておきたまえ」

 

 課長の宣告と共に装甲歩兵がラインハルトに迫る。

 もう駄目だとアンネローゼは目を閉じる。

 

「はぁぁ~~~~!」

 

 次の瞬間、ラインハルトが跳び、迫る装甲兵の延髄に蹴りを放っていた。遠心を利用して懐に飛び込むと鋭い突きを数発腹に叩き込む。

 

「おらおらおら~~っ!」

 

 着地ざまに連続して叩き込まれる攻撃に男の体がその勢いに浮く。

 

「ぐはぁっ!?」

 

 すぐ背後でアンネローゼが息を呑む気配。衝撃は伝播して男達の動きを止めていた。ありえないようなことが起こったのだ。

 ラインハルトは足元に崩れる男を課長に向かって蹴り上げると、男は何回か転がって止まっていた。男は泡を吹き気絶していた。

 肩で大きく息を弾ませる。殴った衝撃で肩にダメージがかなり来たが、気を循環させているので最小限で済んでいた。

 この程度のやつらなら何人だって相手にしてやるさっ!

 

「な、なんだと?」

 

 課長が数歩下がると周囲の憲兵隊に動揺が広がっていた。装甲歩兵も立ち止まったままラインハルトを包囲するのみだった。

 ラインハルトの強い双眸が課長を貫いて、課長は本能的な恐怖に駆られていた。それは野生の猛獣に睨まれたかのごとくだった。

 殺される。何だ、このガキは。殺さなければ殺される。

 

「つ、捕まえろ。いや、撃て、撃ち殺せっ!!」

 

 恐怖に駆り立てられて課長が叫んだ。戸惑いながらライフルを構える兵達。

 短い人生だったか?

 ラインハルトは目を閉じる。すると、もうやるだけやってやるさという覚悟に変わる。どうせ死ぬのだ。皇帝には徹底的に逆らってやる。

 そのとき、大きな声が周囲に響き渡っていた。突然の闖入者であった。

 

「ああん? 面白そうなことやってるじゃねえか? 大の大人がこぞってガキいびりか? 憲兵もやることが変わったんじゃないか?」

 

 人垣の向こうから現れたのは軍服の男だった。身の丈は二メートルの巨漢。頬には深い傷跡を残し、見るからに百戦錬磨の鍛え上げられた肉体は、制服越しからでも相当なもので、腕周りだけで木の幹ほどもあった。

 只者ではない空気だ。

 

「何だ?」

 

 ラインハルトは構えを解かぬままに大男を眺める。新手の敵だろうか?

 

「な、何者だ」

 

 取り乱した課長が誰何する。相手が誰であるのかも忘れていた。

 

「へ、空港で大騒ぎしてたのは貴様らだろうが? 民間人相手に何をやっておるかっ!」

 

 大男のどうま声が響き渡る。その圧倒的な存在感が周囲の空気まで変えていた。

 

「こ、この者らは恐れ多くも皇帝陛下の……」

「ああ、皇帝陛下の何だって?」

「あ、あんた、オフレッサー大将?」

 

 顔面を課長のまん前に突きつけてオフレッサーはにやりと歯茎を見せて笑う。その頬の大きな傷も歪んで笑う。

 

「おう、俺の顔もずいぶんと売れてきたようだな。久しぶりに凱旋したってのに。出迎えのデモンストレーションがガキいじめか?」

「か、閣下、この者達は皇帝陛下の命に逆らったのであります」

「だからって銃を持ち出すことか? この恥知らずめっ! 貴様らっ! オーディンで今まで何をやっていたかっ!?」

 

 オフレッサーが気絶した男の腹を踏みしめると、男は苦しげに抵抗するがその足は微動だにせず、再び男は気絶していた。

 

「見ていたが、小僧、凄まじい動きだったぞ。同盟のサルどもよりもな」

 

 頭上遥かな巨漢がラインハルトを見下ろす。そしてその向こうのアンネローゼを一瞥する。

 ラインハルトは全身でオフレッサーの威圧を受け止める。その微動だにしない鋼鉄の胆力はオフレッサーをも驚かせるのだ。

 

「身を挺して庇うか。その娘はお前の何だ?」

「俺の姉さんだ」

「そうか、姉か。家族ってのは大切にするもんさ。だがな、小僧、俺もこれで飯を食ってる身でな。見て見ぬ振りもできねえのさ」

 

 オフレッサーは首を軽く捻り上着を脱ぐ。その筋肉の塊がラインハルトの目の前に立つ。

 

「さあて、小僧。男同士のたいまんをしようじゃねえか。お前が勝ったら姉さんはてめえのもんだ。負けたら、てめえの力のなさを悔やむがいい」

「望むところだ」

 

 帝国最強の肉だるま。もとい、最強の兵士を前にラインハルトは言い切って見せた。

 わずか十歳の少年に本気勝負を挑むオフレッサーもたいがいであるが、この場の空気を支配するのはこの二人となっていた。

 その頃、帝国の中枢である新無憂宮(ノイエサンスーシ)でも一つの事件が起こっていたのだが、それはまた次回のお話である。




★キャラクターボイス
オフレッサー:郷里大輔
ミスターサタン:郷里大輔
銀河のちゃんぴおん&世界ちゃんぴおん(´・ω・`)


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【5話】というわけで宇宙を手に入れるぞキルヒアイス!

 対峙し合う二人。ラインハルトはオフレッサーの出方を伺う。

 筋肉隆々たるオフレッサーは戦場では無敵のクラッシャーと呼ばれている。白兵戦においてこれまで負けたことなし。

 戦いに出て斧を振るえば何者をも寄せ付けず、群がる敵をちぎっては投げちぎっては投げ、敵は尻尾を巻いて逃げ出すという。

 いささか誇張されたその不死身っぷりは帝国軍広報部の宣伝により世間に広く知れ渡っていた。募集ポスターにもオフレッサーが使われているくらいだ。

 この貴族社会で、身一つ、腕力だけで出世街道をまい進する、いわば庶民の英雄像というものがオフレッサーにはあった。

 近頃は子ども向けの番組に出演したり、健康食品のCMにも出演したりして無敵の超人っぷりをアピールしながら愛嬌ある姿も見せたりしている。

 街を出歩けば子ども達が付いて歩くという軍人としては破格の人気振りだ。若手の将校にも人気はあるが、アイドルタレントのような大将など言語道断という連中もいた。

 しばらく見ないと思っていたが、どうやら前線に出ていたようだ。

 ラインハルトも直接見たことはなかったもののオフレッサーの出ているテレビのCMはいくつか見たことがあった。

 力任せのデカ物だが、あの筋肉は鎧のように俺の攻撃を撥ね返すことだろう。ここにいる軟弱ものどもとは毛色が二本くらい違う。

 ラインハルトはオフレッサーの戦闘力を見極める。今の自分が勝てるのかと言われれば、骨の何本かを犠牲にしてどうにかなるかもしれないレベルだ。

 それも不意をついての急所をつけばというものだ。ラインハルトの幼い肉体では一撃でも本気のパンチを喰らえば病院送りとなってしまうだろう。

 やられる前にやるだけさ。

 ラインハルトは体内のわずかな気を攻撃に集中させる。防御は完全に捨てるつもりだった。一か八かでやってやる。

 

「おい、小僧」

 

 オフレッサーが詰め寄って小声で声をかける。

 

「何だ?」

「撃たれたお前の親父は生きてるぞ」

「何?」

 

 オフレッサーの予想外の言葉にラインハルトは耳を疑う。父のセバスティアンが二人を逃そうと撃たれたのは見た。が、その後の消息は確かめようがなかったからだ。

 オフレッサーの腕が伸びる。その手を避けて、ラインハルトはオフレッサーの背後に回ろうと動く。しかし、攻撃するのは躊躇われた。

 その動きにオフレッサーが行動に出る。 

 

「おら~」

 

 オフレッサーが両手をクロスさせて振り下ろす。ラインハルトはステップを踏んで躱す。他愛もない動きだが本気の攻撃ではないとわかる。

 ドスン、と地面に両手が叩きつけられる音が響く。

 

「なぜ知っている?」

 

 これはオフレッサーの誘導だ。

 二人は対決を見守る連中から遠ざかり少し離れた位置にいる。ラインハルトはオフレッサーの意図を図りかねるが気になる。

 こいつは本当のことを言っているのか?

 

「小僧めがちょこまかと動き回りおってっ!」

 

 オフレッサーはのそりと立ち上がって怒鳴り声を上げる。獰猛で野蛮さを誇張するように両腕を振り上げた。

 周囲の兵士達は動かない。包囲を解いたわけでもない。ラインハルトは周囲の状況も把握する。これではアンネローゼを連れて逃げるのは至難だ。

 こいつをまずどうにかしないとな……

 オフレッサーは身をかがめて円を描くようにラインハルトの周囲を回り始めた。

 

「おうよ、俺の部下が馴染みの病院まで搬送していったわ」

「それを信じろと? 貴様はあいつらの仲間だろうが?」

 

 皇帝をトップにいただくいけ好かない連中の集まりだ。ラインハルトの軍部に対する感情は今は最悪の評価となっている。

 しばらく前まで軍人になると言っていたのは反故にしていい。今や皇帝など八つ裂きに引き裂いてやりたい気持ちだ。

 オフレッサーが声を張り上げる。

 

「俺と奴らを一緒にするな! いいか、小僧、俺は不死身のオフレッサー様だっ! リヒテンラーデの犬になってる連中と一緒にするな」

 

 リヒテンラーデの名を出したところで小声に変わる。

 見かけによらずたいした腹芸だ。

 

「リヒテンラーデ……」

 

 そいつが黒幕ということか。

 

「国務尚書よ。お前の姉さんも運が悪い。が、俺に勝ってもお前に逃げ場はないぞ。でやぁー!」

 

 どすんどすんと鈍重な音を響かせてオフレッサーが突進する。

 油断していたわけではない。いきなりの攻撃にすれすれで回避しようとするが、ラインハルトは襟元を掴まれ、体ごと真上に抱え上げられていた。

 ちっ! リーチ差が厳しいぜ。

 思ったよりも素早い動きだ。ラインハルトはもがくが、万力のような握力が手足の自由を奪っている。

 文字通り、手も足も出ない無様さだ。

 

「くそ、離せっ!」

「がははっ! このまま背中をへし折ってくれるわ」

 

 ラインハルトを掲げ上げたままオフレッサーが叫ぶ。オフレッサーはこんな子どもにも容赦がないのかと兵達は息を飲んだ。

 戦場におけるオフレッサーを見たことがある者はここにはいない。広報部の宣伝と面白おかしくばらまかれた噂話だけしか知らない。

 残虐で、情け容赦なく敵の生首をはねて並べるのだという野蛮的なイメージが彼らにはあった。

 ラインハルトはどう逃れるかだけを考える。そうだ、目を潰せばいい。だが、このバカ力を振りほどけそうにない。

 もっと油断させるしかないか。

 

「や、止めてください。弟を、どうか離してください!」

 

 アンネローゼが叫んで前に出ようとするが、憲兵の男に押し止められる。

 ラインハルトを掲げたままオフレッサーは笑みを浮かべた。そしてラインハルトに耳打ちする。

 

「弟思いの姉さんじゃねえか。おい、お前はこのままではただでは済まされんぞ? あの男はねちっこい野郎でな。小僧っ子一人、影で始末するくらいわけない冷徹漢よ」

「俺をどうするつもりだ?」

 

 強い。いくら気を練っても万力のような力に勝てない。たかが一般人に毛の生えたデカブツにいいようにあしらわれるとは屈辱だ。

 このベジータ様を舐めるな──

 いまだ諦めず闘志は衰えない。この程度の逆境は屁でもない。

 

「そういう目をする奴ってのはたいがい諦めてねえんだよな。ちっといてえが勘弁な」

「何をする!?」

 

 ラインハルトの体がオフレッサーの頭上高くへと持ち上げられる。

 

「あばよっ、小僧、地獄でおねんねしなっ!」

 

 オフレッサーが両手を振り下ろす。アンネローゼの悲鳴が響き、兵士の何人かは思わず目をつぶっていた。

 その瞬間、ラインハルトは臓腑に激しい揺さぶりを受ける。頭に中が真っ白になって昏倒していた。

 最後に見たのはアンネローゼの姿だった。泣いていたような気がした。

 姉さん──

 ラインハルトは意識を失うのだった。

 

 

 その頃、同時刻の新無憂宮(ノイエサンスーシ)では──

 

「お待ちください。ここから先は……」

「お黙りなさい。わらわを誰と心得るか。控えなさい」

 

 高圧的な口調の貴婦人に侍従達が慌てて下がるとその扉は開け放たれる。ドレス姿の女がずかずかと部屋に入りこむ。

 目の前の机に座るのは一人の老人だ。女の手にはブラスターがあって銃口は老人へと向けられる。

 

「動くんじゃないわよ、爺さま」

「ま、待て、スザンナ、話せば分かる。落ち着くんじゃ!」

「私が聞きたいのは一つよ、私のベイビーをどこに隠したの? さあ、お言いなさいっ!」

 

 そんなやりとりが交わされているのはリヒテンラーデの私室だ。

 銃口はリヒテンラーデの頭に狙いを定めている。

 

「スザンナ、やぶからぼうに何を言う。ベイビーなどおらんよ」

「気安くその名前で呼ばないでちょうだい」

 

 女の名前はスザンナ。もとい、宮廷での名はベーネミュンデ侯爵夫人。皇帝フリードリヒの愛妾として知られている。

 リヒテンラーデは寝間着姿で机に座っていた。ブラスターを構えるベーネミュンデにお手上げのポーズとなっている。

 

「スザ……ベーネミュンデ侯爵夫人、隠したのどうの、わしには何のことやらさっぱりわからん」

「とぼけるんじゃないよ。ジジイ、私の目は盲じゃないんだからね。私のベイビーをどこにやったの?」

「錯乱しておるようじゃの。お主の産んだ子は──」

「死産なんかしていない。そうでしょ?」

「わしは知らん」

「すっとぼけようってのかい。クソジジイ!」

 

 ブラスターごと拳がテーブルに叩きつけられる。派手に音が響く。

 護衛の衛兵はいない。側に置いているのは侍従だけだ。この宮殿でリヒテンラーデの部屋を警護するだけの能力を持った兵士など存在しない。

 しかしここにリヒテンラーデを恐れぬ女がただ一人いる。

 錯乱といったように、ベーネミュンデが産んだ赤子は死産したはずであった。それが生きているという妄言を吐いてリヒテンラーデの部屋でブラスターを突きつけている。

 哀れな女の妄想だといえる。だが、もし赤子が生きていれば? 

 

「さてはて、困ったのう。ベーネミュンデが産んだ赤子がもし生きておれば、次期皇帝に間違いなかろうて。そう、生きておれば黙っておられぬ連中が何をしでかすことやら……」

「政治の話なんてやめてちょうだい。私は答えがほしいのよ」

「わしは答えなど知らぬよ」

「そう、だったら」

「だったら?」

 

 ベーネミュンで侯爵夫人の口元が歪む。そして壁掛けの書類棚に歩み寄り、隠してあった隠しボタンを押す。

 

「あんたがここに秘密の部屋を持ってるって知ってるのは私だけ。随分前に教えてくれたものね」

「ス、スザンナ。何をするんじゃ?」

 

 リヒテンラーデの声に初めて動揺が加わる。

 

「秘蔵のコレクション。また増えたんですってね? これを超音波モードにして拡散するとどうなるか知ってるかしら?」

「ま、待てっ!? 話せば分かる。早まるでない!」

「私のベイビーはどこっ!! 言いなさいっ!」

 

 ブラスターをリヒテンラーデ秘蔵のコレクションが眠る金庫に突きつける。

 人質はリヒテンラーデが50年に渡ってコレクションしてきた美少女達のファイルとデータである。

 

「生きてたとしても言えるわけがなかろうがっ! わしは知らんっ!」

「そう、わかったわ……」  

 

 そう呟き、ブラスターを下ろす。

 

「そうか、わかってくれたか……ほっ」

「んなわけ無いでしょっ! このエロジジイがぁぁ~~~っ!!」

「やめるんじゃ~~ スザンナ~~~~~~~!!」

 

 そして超音波ブラスターが放たれる。すべてのデータは音波攻撃によって一瞬で破壊され、その長かった役目を終えることとなったのであった。

 

「やってしもうた……」

「フンっ! フフフ……あーははははっ! ざまあみなさい。すっきりしたわっ! 私は、私のベイビーを絶対に諦めないわっ!」

 

 そう捨て台詞を決めたベーネミュンデが退室すると、残されたリヒテンラーデの手元で端末が鳴り響く。

 リヒテンラーデはのろのろと手を伸ばしボタンを押す。

 

「課長か?」

『閣下、特上のケーキを無事に手に入れました』

「そうか、ご苦労……」

 

 回線を切り、一人男泣きとなるリヒテンラーデであった。

 

 

 ラインハルトの意識が戻ったとき、とても大きな背中にいた。髭面の横顔にすぐにオフレッサーの背中だと気づく。

 

「おう、気がついたようだな。道はこっちで合ってるよな? ラインズ通り294番地」

 

 坂道を上がりながらオフレッサーが問う。そこはラインハルトが普段見慣れた通学道であった。

 ここまで歩いてきたのだろうか? 数時間はかかる距離だが、その間ずっとお寝んねしていたということになる。

 

「貴様……」

 

 とっさに身を離そうとするが全身が激しく痛んだ。どこか折れているかと思ったが打ち身だけのようだ。

 こいつ、手加減していたのか……

 

「……姉さんはどこだっ!?」

「お前の姉さんは連れてかれちまったよ」

「くそっ! 降ろせ」

「いで、いでで! 髪を引っ張るんじゃねえ!」

 

 オフレッサーの背中から半ば転げるようにラインハルトは落ちていた。まだうまく立てない。

 倒れたときに脳震盪を起こしたのだろう、まだフラフラする。

 

「くそ、くそっ! 俺は絶対に許さんぞぉ~~!」

 

 石畳に膝をつき、ラインハルトは握り拳を地面に叩きつけた。二度三度……皮膚が破れて血がにじむ。そんなのお構いなしだ。

 振り上げた拳をオフレッサーが掴んでいた。

 

「おい、よせ」

「離せっ! 貴様がいなければ──」

 

 ラインハルトの険のある目がオフレッサーを睨みつける。

 その怒りの矛先は、実際はオフレッサーではなく自分自身へ向かっていた。誰も守れない自身への激しい怒りからだ。

 

「逃げおおせたってか? おいおい、憲兵を舐めるのもほどがあらぁ。この星を出れなかった時点で逃げるって賭けは負けなんだぜ? それで、これから姉貴を取り返すつもりか?」

「お前には関係ないっ!」 

「大有りだ。お前の父ちゃん、いや、姉さんも泣くぞ? お前の命があるのも、姉さんが自分から行くと言ったからだぞ。今のお前は命の使い方を知らないガキンチョみてえだぞ」

「何がわかるっ! 知ったふうな口を聞くなっ!」

「わかる。いや、やっぱわからねえな。お前さん達家族のことは知らねえからな。だが、俺でもわかることはある。そいつはよ、お前は生きなきゃいけねえってことだ」

「俺に説教をするな……それと、俺は小僧なんて名前じゃない」

「名前は?」

「ラインハルト・フォン・ミューゼル」

 

 オフレッサーの問いに堂々と名乗る。

 

「立派な名前があるじゃねえか。なあ、ラインハルトさんよ、これからどうする。いや、どうしたいんだ? 姉さんを取り戻したいか?」

「そうだ」

「ただ取り戻そうとするのなら反逆罪さ。まあ、方法は他にもある」

「方法?」

 

 ラインハルトとて皇帝のいる宮殿に乗り込んでいくほど無謀ではない。

 オフレッサーは何を言わんとしているのか。

 

「偉くなりゃいいんだよ。軍人になって手柄を立てて伸し上がる。俺はそうやって登ってきたんだぜ? 貴族どもは気に食わんが、飯の種になるならなんだって利用してやればいいのさ。ときには胸糞の悪いことにも目をつむってな。軍人ってのは特にそうさ。現場のことなど何も知らんぼんくらどもの命令を聞かにゃならん。クソみたいな商売だが、俺は他に生き方を知らんからな」

 

 オフレッサーの組んだ腕は丸太のようでもある。たかが10の子どもが真正面から立ち向かう無謀さを思い知らされる。

 ラインハルトは無言でオフレッサーの言葉を受け止める。

 伸し上がることは考えないでもない。だが軍人として皇帝に頭を下げながらその配下になることに抵抗もある。主として皇帝を仰ぎながらの反逆だ。

 フリーザ──ムカつく野郎を思い出したぜ。

 フリーザもフリードリヒも同じことだ。いつか俺が殺してやる。いや……姉さんは俺が人殺しになることをどう思うだろうか?

 ベジータからラインハルトとなっての十年という月日は、新たにできた家族に対する執着も生み出した。

 もはやミューゼル家はベジータの、いやラインハルトの家族なのだ。

 それゆえに、アンネローゼが悲しむことをするのは避けたい。

 皇帝はいつか倒す。その権力の座から引きずり下ろしてやるのだ。そして姉さんを取り戻す。そう考えてラインハルトの腹は決まった。

 宇宙をこの俺のものとしてやる。

 

「お前の思ってることわかるぞ。皇帝の手下なんて真っ平だろう? だがな、選択肢なんてのは最初(はな)っからそれしかないんだぜ? わかるだろう?」

「なぜ、俺にそんなに構う。帝国の軍人だろう? 皇帝に歯向かうという俺にそんなことを言うあんたも反逆者だぞ?」

 

 ラインハルトにはオフレッサーという男が不思議に映る。

 あの現場でラインハルトを気絶させていなければ、今頃はラインハルトはろくでもないことになっていたかもしれない。

 そして今、ラインハルトに暗に皇帝を倒せばいいとほのめかした。

 狙いがわからない。

 

「ガハハっ! 俺が反逆者か。ラインハルト、俺が戦場に出たのは15の時だったぜ。怖くてキンタマ縮み上がってたっけな。だがよ、初陣で運良く俺は手柄を立てた。それからだ。俺はただ、生き残るために斧を握った。俺よりつええ奴がいたらそれで終わり。それだけ言い聞かせてがむしゃらだったよ。それで、気がついたらこれよ」

 

 大将を示す勲章を指で差す。数多の戦場を駆け抜け、多くの功績を上げた証拠だ。

 それがオフレッサーという男のすべてだ。

 

「臆病者だった自分が大将になるなんざ思ってもいなかったさ。しかし、今じゃ俺は不死身のオフレッサー様だ。人間、何になるのかなんて誰にもわからねえ。お前さんがただの反逆者で終わるか、大元帥様にまでなるか、そんなの誰にもわからねえ。大事なのはお前が何者になりたいかだ」

「思ったより口が回る。軍人なんかよりセールスマンにでもなったほうが良かったんじゃないか?」

「はは、ビジネスやるなら俺はもっとでかくやるぜ。俺はな、でっかい夢があるんだよ」

 

 オフレッサーが星空を見上げる。

 筋骨逞しい野獣の如き男が夢を語る。そのギャップがラインハルトの気を削いでいた。

 妙な野郎だ。

 

「どんな夢だ?」

「この宇宙の星を見ている子ども達みんなにでっかい夢を届けるってのが俺の夢よ」

「は?」

 

 途方もなくでかいような計画には具体性が全くない。戦うことしか知らない武力一辺倒の筋肉ダルマが言う言葉とは思えなかった。

 

「フフン、俺様のどでかい夢はないずれ達成してやるつもりだ。そのために金がいる。だから俺はこの商売をまだ辞められねえ」

「そうか……」

 

 その後、二人は無言で歩いた。しばらく歩くと家が見えてきた。ほのかな照明が玄関先を照らしている。

 

「おう、あそこにいるのが俺の部下だ」

 

 家の脇にランドカーが止まっている。そこに軍服姿の青年が二人と隣家のキルヒアイス夫妻がいた。

 そして赤毛の少年が振り返り、街路を歩いてくるラインハルトを見つけていた。

 

「ラインハルトっ! 全部聞いたよ。ひどい格好だね……」

 

 駆け寄ってきたジークフリードがラインハルトを眺める。

 服は破れ、草の跡や擦り傷もいっぱいだ。

 

「キルヒアイス、姉さんが連れて行かれた」

「うん……」

 

 頷いてジークフリードは唇を噛んだ。すべては真夜中に起こり、自分だけが事件から取り残された。

 アンネローゼとはもう会えないのだということがまだ信じられずにいる。

 

「親父さんのこと……」

 

 言いかけて口を閉じる。これ以上、どうラインハルトを慰めればいいのか言葉が続かない。

 

「おう、じゃあ俺は行くぜ。ラインハルト、明日また来るぜ。入院してる親父さんに会わせてやる」

 

 そう言うと、オフレッサーがランドカーへ歩き出す。

 

「オフレッサー大将、世話になった」

「え、え? オフレッサー?」

 

 ジークフリードが隣で驚きの声を上げる。

 オフレッサーは手だけ振ってランドカーへ乗り込むと、走りだした車は道の向こうへと走り去っていく。

 夫妻が遠くで二人を待つ。

 

「ラインハルト、その……」

「キルヒアイス、話がある。ついてこい」

「う、うん。父さんっ! ラインハルトと話してくるよ!」

 

 歩き出したラインハルトにジークフリードがその後に続いた。

 

「ここでいい」

 

 家から近くの公園だ。夜明けまで少し間がある。ラインハルトはライトアップされたルドルフの像の横に立った。

 その像をラインハルトはじっと見つめる。その横顔を見つめたままジークフリードは立ち尽くす。

 

「俺がいつか言ったこと憶えているか?」

「え? なんだい、ラインハルト?」

「ルドルフにできて俺にできないことはない」

「ああ、うん、憶えているけど……」

 

 ジークフリードはそう答えてラインハルトを見つめ返す。いつか木の上でラインハルトが言った言葉だ。

 

「笑うなよ、キルヒアイス」

「笑わないさ」

「俺はこの宇宙で誰よりも偉くなってやる。銀河皇帝など目ではないくらいにでっかくなってやるんだ。そして、皇帝をその椅子から引きずり下ろして言ってやるんだ──」

 

 ラインハルトのわずかな間。

 ジークフリードが問う。

 

「何て?」

「姉さんは返してもらうってな」

「……本気?」

 

 大きく目を見開くと、ジークフリードはルドルフ大帝の像を見上げる。 

 途方も無い打ち明け話だ。でも、何だかわくわくするような気持ちにもなっていた。

 

「俺は冗談は嫌いだ」

「あの星を全部自分のものにするんだよ?」

「そうだ。俺のものにする。おかしいか?」

「ううん、ラインハルトならきっと掴めると思うよ」

 

 根拠などない言葉だ。それを言ってから、ジークフリードはそれが現実のものになるとどこか予感めいたものを感じていた。

 ラインハルトならばそれができるかもしれない。

 そして、その途方も無い夢を自分も共有し、共に並び立ってアンネローゼを取り戻すのだ。皇帝など尻から蹴飛ばして。

 そう思うと、どこか愉快で、戻ることのできない道を行くことに何の迷いもなくなっていた。

 この人が僕の人生の主なのかもしれない──

 忠誠はただ一人でいい。皇帝は自分にとって大切な人を奪った。だから許せない。そして、友人の企みを自分だけが共有しているのだ。 

 

「宇宙を手に入れてください。ラインハルト様」

「そうだ、俺は宇宙のこの星々を全部掴んでやるっ!」

 

 夜空の星々に手を伸ばしたラインハルトの宣言を数多の星が遠い空で瞬きながら受け止めていた。

 そしてラインハルト・フォン・ミューゼルとジークフリード・キルヒアイスの長き戦いの日々が始まるのであった。

 そして、銀河の歴史がまた一頁紡がれる──




第一章完結

★キャラクターボイス
ラインハルト:堀川りょう
ベジータ:堀川りょう

ベーネミュンデ:鶴ひろみ
ブルマ:鶴ひろみ

鶴さん追悼の気持ちでいっぱいです(´・ω・`)


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二章 白銀の谷へようこそ!
【6話】燃えろ鉄板!! 銀河ヤキソバ対決っ!?


 首都オーディン。大通りから一歩入ったうらぶれた路地の通りにその喫茶店がある。

 コーヒーが美味い隠れた名店であるが、立地的な条件が悪いのか人で沢山ということの方が珍しい店だ。もっともコーヒー以外のランチなども悪くないし、来るのは固定客ばかりであった。

 店の二階を学生達に貸していて、バイトすれば賄い飯はタダであったからお腹を空かせた学生にはもってこいのバイトとなっている。

 実家を出たラインハルトとジークフリードがここに宿を借りたのは軍学校の通学に便利だったからだ。

 遠くから寄宿生として寮に入る者も多いが、こうして学校の近くに宿を借りて通う学生は意外と多い。学生専門のアパートもあり、オフレッサーの知り合いが経営していると聞いて決めていた。

 

「三番テーブル、出来たぞ。店長、キルヒアイスはどこに?」

「今ね、食材切らしちゃったから買い出しなのよ。ミューゼル君、頼めるかしら?」

 

 頼んだのはオーナー兼店長で未亡人であるクラウスナー夫人だ。

 夫を戦争で亡くして、残された動産を危うく詐欺で取られそうになったが、それをどうにか守って始めたのが学生宿舎と喫茶店の経営であった。

 五十代半ばほどだが、若い頃は相当な美人であったろうと思われる。実際、夫人目当てで通ってくる常連も多いが、ハレンチなことをしてくる輩などいない。 

 ラインハルトとジークフリードは育ち盛り。料理は問題ないのだが、夫人に食事風景を見とがめられ、もっと栄養バランスを考えなさいと諭された。

 それもあってジークフリードなどは夫人に頭が上がらない。

 その見かけによらず強気で物怖じしない性格は、ラインハルトからすれば亡き妻のブルマに重なって見えたものだ。

 価格も良心的で、量があるので財布には優しいが、経営的に内情が苦しいのはバイトしてわかったことだ。

 

「三番テーブル。注文の品だ。食え」

「あ、はい……」

 

 ドン、と置き、有無を言わさぬぞという目で客を見た後にラインハルトは厨房に戻る。

 ふん、キルヒアイスなどいなくても給仕くらいわけない。

 

「ちょっと、ミューゼル君? お客様にあれはないんじゃないかしら?」

 

 にっこり笑って夫人が厨房で出迎える。そう言いながら見事な包丁さばきでじゃがいもをつるんと剥いている。

 

「仕事をしただけだ」

「お客様にきもちよーく利用してもらうのもお仕事なのよ、ミューゼル君~~?」

 

 それから夫人の説教であるが、ラインハルトには馬に念仏。最後に「わかりました」と言って理解を装うが本人はおそらく直す気はない。

 何せ、このやり取りも何度目になることか。

 シフトもジークフリードを給仕専門でラインハルトは厨房という図式となりつつある。

   

「ただいま戻りました」

「ええ、ありがとう。ちょっとポスト見てくるわね」

「はい……」

 

 厨房の雰囲気に戻ったジークフリードの頬が引きつる。

 心なしかすれ違った夫人のオーラが殺気だっている。温厚な夫人を怒らせて平気なのはこの店ではラインハルトしかいない。

 夫人が出ていくとジークフリードはラインハルトに詰め寄る。

 

「もしかして、またやりました?」

「またも何も……お前などいなくても仕事はできると示しただけだ」

「不味いですよ、ラインハルト様。アルバイトの身の上なうえに夫人は宿のオーナーなんですから」

「媚びを売るのが仕事か」

「それで食べさせてもらってるんですよ! はい、これ」

 

 ジークフリードが買い出ししてきた袋をラインハルトに押し付ける。

 ころっと玉ねぎが落ちて転がるのをラインハルトは片足で器用に蹴ってテーブルに転がす。

 夫人はすぐに戻ってくると手に持った封筒を二人に見せた。

 

「あなた達に手紙が来てたわよ。まー懐かしい。オフレッサー大佐……じゃなかった上級大将よね。いつも間違えちゃう」

 

 夫人が二人に差し出したのは金の縁取りが入った招待状だった。

 

 

 ラインハルトとジークフリードの二人は幼年学校卒業を間近にしている。

 制服姿で休日を外出するのは久しぶりだ。しかし、今日は少しばかり高尚なパーティ席での参列だった。

 制服であればどこでも礼服で通用するのは昔から。というわけで二人とも軍学校の制服で通している。後数ヶ月でこの制服を脱ぎ正式に帝国軍人の士官として赴任することだろう。

 

「くそったれだ。キルヒアイス、俺はもう帰りたい」

「でも、僕達もお腹ペコペコです。ここまで来たら覚悟を決めましょう」

 

 来てしまったのに今更である。ジークフリードがなだめるように言う。

 不機嫌なラインハルトは額にしわを寄せた。

 この五年で二人は大きく成長している。上背も伸び、胸板も厚くなった。

 とりわけラインハルトは生まれ持った美丈夫さに精悍さが加わり、鍛え上げた体はすでに完成された一人前の男となっていた。

 男女関係なくラインハルトの存在感を無視せずにいられない。

 今この場にいて、誰よりも目立っているのは金髪と赤毛の少年二人である。

 絶世の美男子かつその逞しい男らしさに、先程から、何人もの婦人や令嬢方がラインハルトを見てはささやき合ったり、目が離せずに連れ合いを苛立たせたりしている。

 ジークフリードもまたラインハルトとは方向性が違う美男子であったから嫌でも目立たざるをえない。 

 ラインハルトとしては見せ物にされている感がある。嫉妬じみた視線は言いがかりに近い。

 こんなことならアルバイトして夫人に説教食らわされる方が百倍マシだったぜ。

 

「ダンスなどこの俺様がやってられるか」

「そんな顔をしていると禿げますよ?」

「誰が禿だっ! 俺のどこが禿げている?」

 

 禿げてないのに額の後退的なことを指摘されるとラインハルトは怒るのだ。もっとも、今は気を紛らわせておかないと場が持たない。

 今いるのは貴族の中でも上級貴族であるリッテンハイム公爵の屋敷だ。

 ジークフリードもこれほど大きな邸宅だとは思っていなかった。案内がなければ迷いそうだった。

 

「オフレッサー上級大将がせっかく招いてくださったんです。楽しみましょう」

「それが何でリッテンハイムの屋敷でなんだ? ブラウンシュバイクまでいるなんて聞いてないぞ?」

 

 公抜きの呼び捨てだが、ラインハルトがジークフリードに遠慮することはない。

 表のテラスでは着飾った貴婦人やら紳士達が談笑をしている。数百人の貴族がリッテンハイムの富に群がるように集まっている。

 ラインハルトにはそのようにも見えた。

 肝心の二人を呼びつけたオフレッサーはここにいない。

 しばらく窓際の座席でくつろいでいるとそのオフレッサーが姿を現す。

 

「おお、いたいた。ラインハルトにジークフリード」

 

 オフレッサーが待ち合い部屋に入ってくると二人に声をかける。

 

「おお、オフレッサー上級大将だ」

「まあ、英雄のご登場ね」

 

 たちまちのうちにオフレッサーの周りには人が溢れていた。その人気振りは近頃はますます盛んなようだ。

 最近ではビジネス業界にまで人脈を作っているらしく、着々と独立の基盤を作っているらしい。そんなことを姉のアンネローゼから聞いていた。

 ああ見えても女心を掴むのが上手く、アンネローゼのところにもお茶を飲みに顔を出しているようだった。

 ヴェスパトーレ男爵夫人がオフレッサーのファンであったこともあってか、オフレッサーとはそれなりに親しいらしい。

 この間、男爵夫人や姉にまだ話していないことをすでに知っていたから、オフレッサーあたりから聞いたに違いない。

 

「もっとも、ここではピエロの人気のようなものだ」

 

 ラインハルトの呟きにジークフリードが頷く。オフレッサーに悪気はないが、客寄せ動物のようにオフレッサーが見られているのも事実だ。

 しかし、あからさまにオフレッサーを嫌う者もあまりいない。ピエロのようにも見える振る舞いさえもオフレッサーの処世術なのかもしれない。

 

「おおっと、すまん。子ども達が待ってるんで。俺は行かねば」

 

 オフレッサーが二人に向かって手振りをする。そして隣の小部屋に入る。二人はオフレッサーの後をついていく。

 

「俺達は暇じゃないんだが?」

 

 折角の休日を筋力トレーニングで過ごそうと思っていたのに呼び出されたのだ。ジークフリードは買い物に行きたがっていたが、招待状までもらっては後に引けない。

 それに、少しばかり貴族どもの暮らしぶりに興味があった。もうどうでも良くなっているが。

 オフレッサーは表に出て、止めてあった車のトランクルームを開ける。

 

「お前達に手伝ってもらいたいことがあるんだよ。ほれ、これだ」

「これは……鉄板ですね」

「鉄板だな」

 

 ラインハルトが鉄板を一瞥する。甘ったるいクレープでも作るのだろうか?

 

「焼き方は俺が教える。何、作り方は簡単だ」

「何を作る?」

「焼きそばって知ってるか? ソースで作るんだ」

「知りません……」

 

 ジークフリードにとっては未知の味だ。

 焼きそばは地球発祥の鉄板料理だが、ここ十年ほどで銀河文化振興会による食文化復興が進んでいて、地球からの食レシピが流入してきている。

 ゴールデンバウム王朝成立後は何百年かの地球文化の断絶の歴史があったのだが、近頃は地球流のものが見られるようにもなってきたのだ。

 

「説明など不要だ」

 

 ラインハルトは自信満々に答える。

 何を作ろうが鉄板などとっくの昔に俺が征服したものである。鉄板で作れないものなどない。

 

「ラインハルト様……焼きそば焼けるんですか?」

「無論だ。この程度、造作も無いことだ。百人前でも千人前でも持ってきやがれ」

 

 腕組みをして答える。もはや勝ったも同然である。焼きそばで俺に勝てる奴などいない。

 誰と勝負するのやら。ジークフリードは突っ込みたい気持ちは押さえて鉄板の厚みを測る。普通にバーベキューも出来そうだ。

 

「そうか、じゃあ、焼いてもらおうか。見せてもらうぞやきそばの出来栄えをな! この俺を超えてみろ、ラインハルト!」

 

 この日にオフレッサーが子ども達のために用意して特訓してきたのだが、たかが小童に超えられてはオフレッサーの名が泣くというものだ。

 

「無駄に熱いですね……」

「ふ、望むところだ」

 

 腕まくりをして不敵に笑い返すラインハルトだった。

 

 

 色とりどりの風船がパーティー会場に何十も浮かんでいる。

 リッテンハイム公のホームパーティには貴族の子ども達も多く参加している。その子ども達にオフレッサーが用意したのが大量の風船と鉄板焼きそば実演だった。

 熱々に熱された二つの鉄板の前で白いエプロンとコック帽子をかぶったオフレッサーとラインハルトが腕組みをして構えている。

 時間まで待機中である。

 

「風船ちょうだい」

「はい、どうぞ」

 

 ジークフリードが風船を手配りする。特にやることがないので子どもに風船を配る役目を引き受けていた。

 

「さあ、みんなっ! これから焼きそばを焼くぞーっ! 腹ペコ諸君集まれ~~~!」

 

 オフレッサーが声を張り上げた後、二人は同時に動き始めるのだった。

 用意された食材はキャベツと麺とソースだ。ラインハルトの前で熱せられた鉄板が気を立てている。

 いいかお前ら、焼きそばは麺を焦がさないことが最重要だっ!

 そのために必要なのが水とキャベツ!

 手早く!

 素早く!

 機を見て攻める!

 鉄板の上には山盛りに盛られたキャベツの山がある。そして投入された水が大量に白い蒸気を上げる。

 麺が見えないが、その真下には蒸される最中の麺が敷かれているのだ。

 忘れるな、この蒸し焼きのための時間が超重要っ!

 やりすぎても短すぎてもダメだっ!!

 9、8、7……今だ!

 時間を測って静止していた姿勢から一転。

 ラインハルトは握った起金を駆使して麺をかき混ぜてはひっくり返す。何十人分もの大量の焼きそばを扱うには鍛え上げられた手首が必要である。

 ひねり出されたソースが迸り、鉄板がソースと焼きそばを焼いて香ばしい匂いをまき散らす。

 その匂いが広がって、思わず見ていたジークフリードも口に唾が湧くのだった。

 

「さあ、焼きそばの出来上がりだ~~!」

 

 オフレッサーが宣言すると、子ども達と風船の群れが鉄板の前に集まる。

 オフレッサーの前に子ども達が多く集まっている。対し、ラインハルトの前に来た子どもは、少しためらった後にオフレッサーへと流れていった。

 

「何…だと……」

 

 馬鹿なっ! 何故だ。俺は完璧な焼きそばを作ったというのに!?

 

「フハハ、さあ、いっぱい食うんだぞ~~」

 

 オフレッサー自ら皿に持って子ども達に手渡していく。

 勝負は焼きそば消費量で売り切ったもの勝ちだ。このままでは圧倒的にオフレッサー有利だ。

 

「あの、学生さん。私達にもそれ、下さらない?」

「あ、ああ」

 

 ラインハルトの前に立つのはご婦人方である。恐る恐るといった感じである。

 残念ながら、愛嬌という面ではラインハルトには才能がない。売り子としては仏頂すぎるのだ。

 

「どうぞっ! 沢山ありますから、皆さんも食べていってください」

 

 ジークフリードが割り込んで持った皿に焼きそばを盛ると婦人達に差し出していた。キラリと光る歯と甘いマスクで婦人方の胸をときめかせる。

 

「あら、赤毛さん。ありがとう~」

 

 二人の婦人が笑いながらそれを持って席に戻ると、次から次に婦人方が二人の元へ殺到するのだった。

 

「ラインハルトめ、やりおるな……」

 

 オフレッサーとラインハルトの焼きそばはあっという間に完売。麺の一つも残すことなくみんなの腹へと収まるのだった。 

 

「ああ、なんてことかしら。ソースの香ばしい匂いに引き付けられて来てしまったと思ったら、いるのは筋肉ゴリラ……しかし、ここに天使が現れたの! まさに天使っ!」

 

 一人のドレスの少女が皿に盛られたヤキソバを手によろよろと女性陣の群れから現れると、ヤキソバを口に運びながら片手で上手く撮れたかしらと端末カメラを確認する。

 少女の年の頃は九つか十ほど。色気より食い気が勝る年頃なわけだが……そこにはキラッと爽やかフェイスの赤毛の超美少年様がバッチリと映っているのです。

 その相方であるラインハルトの方は湯気のせいか、写真がぶれているのかピントはぼやけているが顔だけはどうにか判別できる。

 

「キャーっ! ヤバイヤバイ、何という美・少・年っ! 一体この赤い髪のお方は誰なんですの~~~!? はあはあ……そうよ! 招待客リストを確認すればきっとわかる……ああ、ザビーネちゃんったらなんて頭がいいのかしら! こっちの金髪さんはエリザベートお姉さまに上げるわ。メール送っとこうっと」

 

 二つ上の親戚にメールを送り、赤毛美少年はしっかりとフォルダに保存する。

 

「今週の婦人討論の若き軍人さん特集に送るネタは決まりましたわ。これで賞を取れれば記者デビュー間違いなし、ですわ~」  

 

 焼きそばを平らげ、軽やかにステップを踏みながらザビーネはその場を後にするのであった。

 そして貴族たちの騒ぎを遠くから見つめる冷酷な目が二つある。

 

「貴族のご機嫌取りか……帝国の英雄など虚像か」

 

 そう呟きウェイターにグラスを返すのは酷薄な眼差しの青年だ。

 長身痩躯。その顔色は悪いが、彼はいたって健康体である。その両目は義眼で、普段は気付かれないが、たまに不具合を起こす。

 貧乏貴族の端くれとして会場に出席していたがすでに帰ろうと背を向けていた。明日から新しい赴任先に旅立たねばならない。

 喧騒に背を向けて門前近くまで歩く。そのときだ。

 

「あ、僕の風船!」

 

 風に風船を飛ばされた男の子が叫ぶ。青年が見上げると風にさらわれる風船が見えた。

 次の瞬間、青年の姿が地上から消えていた。

 

「え?」

 

 子どもの疑問の声。そして青年が着地する。その手には遥か空に消えたはずの風船が握られていた。

 

「僕の風船?」

 

 呆気にとられて少年は首を傾げる。その手に青年は風船の糸を握らせていた。

 

「ありがとう、お兄さん!」

「礼には及ばん」

 

 表情も変えずに告げると、青年は背を向けると門を出ていた。その時、路上から聞こえてきた声に青年は振り返っていた。

 

「水の献金をお願いしますっ!」

「辺境の惑星ディナールでは水が大変不足しています。私達の力で水に困っている人達の役に立ちませんか!」

 

 募金活動をしている少年少女達だった。

 立ち去りかけた足が反転すると、募金箱の前に背の高い影がさして紙幣が突き出される。

 

「あ、あの、こんなに?」

「不足か?」

 

 また義眼が不具合を起こす。チカチカ光る光に子ども二人は怯えながら目配せする。

 

「いえ……そういうわけじゃ……」

 

 躊躇う声を無視して紙幣は箱の中に落ちるのだった。

 

「ありがとうございましたーっ!」

 

 その声を背中に聞きながらパウル・フォン・オーベルシュタインは去っていた。

 

 

 その一週間後の喫茶店では……クラウスナー夫人がこっそりと店内を窺っていた。

 

「ねえ、キルヒアイス君、今日はなんだかいつもと客層違わない?」

「そうですか? 確かにちょっと違うような……」

「四番テーブル、できたぞ」

「あ、はい」

 

 ラインハルトから注文の皿とカップを受け取りジークフリードが給仕に向かう。

 いつもより店内は少しざわめいている。いつもと違うのはときおり起こる笑い声に囁き合う声だ。

 それはジークフリードが現れると何人かが明らかにガン見してくるのだ。それも若い娘ばかりがだ。

 客席の半分以上が若い女性で埋まっているこの店始まって以来の異常事態。

 こ、これは一体何が……

 

「すいませーん、注文願いしまーす」

「はい、ただいま!」

「こっちもお願いしまーす!」

 

 注文をするのは良いが、ジークフリードが受けようとするとなぜか迷いながら注文を選んでいる。まるで、わざと時間を稼いでいるかのような……

 だが、ここは接客のプロとして耐えねばならないと笑顔で待機するのであった。

 

「つ、疲れた……何だったんだろう……」

 

 ようやく閉店を迎え焦燥した顔でジークフリードは呟いた。

 

「お疲れ様、今日一日ですごい売り上げよっ! 何か今日はイベントでもあったのかしら?」

 

 不思議、と夫人が首を傾げる。 

 

「ああ、良かった……」

「キルヒアイス、飯でも食え。明日はしごくぞ」

 

 ところで、ジークフリードでさえ気が付かなかった共通点がそこにはあったのだ。

 婦人討論……戦争未亡人や夫が戦地にいる女性を応援する雑誌である。その今週の見出しのページでは、今後を背負うであろう若い軍人さん特集が組まれてはトップを飾っていた。

 今週のトップは、子ども達の焼きそばを焼くオフレッサーとカメラ目線で微笑みかける好感度ナンバー1の美少年が映っていたのである。

 送ったのはザビーネ・フォン・リッテンハイムだ。

 雑誌の運営には未亡人支援などに携わる婦人方が多くいる。その中には貴族の妻や娘が支援者としても多く含まれていた。

 ザビーネが写真を撮って投稿し、これは誰だという問い合わせは必定であった。

 美少年成分に飢えていた女性陣のハート胸キュンさせるには十分すぎるほどであったといえよう。

 赤毛の美少年の情報漏洩は、うちの娘が撮ったのよ、というザビーネの母親がうっかりと雑誌の応援をする婦人方に口を滑らせたことから始まって、赤毛と金髪の居場所はすぐに割れた、ということである。

 投稿したのはザビーネなので、すべての元凶はザビーネにあるともいえよう。

 そしてそれが、傾きそうだった喫茶店の経営を間接的ながら一気に回復させることになるのであった。 




★キャラクターボイス
ちょい見せの謎の義眼青年(´・ω・`)
オーベルシュタイン:塩沢兼人
ナム:塩沢兼人

相手の後頭部に手刀を浴びせる「修羅激烈拳」と、空高く舞い上がる「天空×(ペケ)字拳」の使い手である(´・ω・`)
塩沢さんももうお亡くなりになってるので、もうあの声が聞けないとなるとすっごいさびしいです(´・ω・`)


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【7話】出征だ! 行くぜ、カプチュランカっ!!

「お嬢様はまだ見つからないのか? 空港内にいるはずだ」

 

 イラつくように部下の軍人に指示を下す若い将官がいる。彼の名はアントン・フェルナー。ブラウンシュバイク公爵直属の配下である。

 オーディン空港は軍服姿の男たちで溢れかえっている。新たな任地に赴く者。帰還した者。出迎えや見送りの家族が抱き合う姿を見ることができる。

 それらの群れの中に目的の人物は見つからない。

  

「アントン・フェルナー様が小娘の子守とはな……」

 

 フェルナーは眉をしかめる。その小娘とはブラウンシュバイク公の一人娘であるエリザベートのことだ。

 エリザベートの警護役に任じられたが、年頃の娘の子守役など引き受けるものではない。 

 特にリッテンハイム家のザビーネとちょくちょく家を抜けだすようになり、遅くまで家に帰らないなど、ブラウンシュバイク公に知られると困ることばかりするようになった。

 それというのもエリザベートが若年軍人の、それも卒業したばかりのひよっこの追っかけなどを始めたせいである。

 金髪に赤毛の少年の身元はすでに調べがついている。その二人に関わっていることが主君にバレれば雷一つでは済まないだろう。

 特に金髪はマズイ。皇帝陛下の寵姫の弟とあっては……

 今のところ問題は起こっていないが、起こってしまっても対処するのはフェルナーである。己の進退に関わる重要事項でもあった。

 

「フェルナー様、ターゲットを補足。ホシが近くにいます」

「よし、手出しはするな。私が行くまで待て」

「了解」

 

 やれやれと頭を振ってフェルナーは歩き出す。

 

 

 オーディン空港。同時刻──

 

「ラインハルト、体には気をつけるんだぞ」

「ああ、それは問題ない」

 

 それはどこにでもある風景。出征する子を送り出す親の姿がある。周りでも同じように別れを惜しむ光景がいくつもあった。

 父のセバスティアンは五年前からするとだいぶ痩せた体つきとなっている。杖をついているのはあのときの怪我の後遺症だ。

 命を取り留めたのはオフレッサーの部下らがすぐに病院へ運んだからだ。足は不自由になったものの日常生活には支障がない。

 きちんとした治療を受ければ機能を回復できたはずだが、セバスティアンは選択しなかったのだ。

 

「ラインハルト、姉さんとは会ってきたのか?」 

「まあな」

「元気だったか?」

「自分で会って来たらどうなんだ?」

「ああ……いや」

 

 セバスティアンはアンネローゼが後宮へ上がってから一度も娘に会っていない。会えないのではない。会おうとしないのだ。

 娘を守れなかった弱い父親だと今も自らを責め続けている。

 それが会わない理由かはラインハルトにはわからないが、まだしばらくの時間が必要だろう。

 セバスティアンには宮廷へ登城する許可と男爵の地位を下賜されている。しかし、アンネローゼの輿入れ金は一切受け取らなかった。

 それもあって生活はあまり豊かではない。この体なので今は職もなく月々支払われる国からの生活保証金で暮らしている。

 ラインハルトも学校を卒業するまでろくに家に帰らなかった。今の父がどのような生活しているのかはわからない。

 だが、よれよれのシャツを見ればその暮らしぶりは推察することができた。その眼の奥に潜む影は濃さを増していた。その暗さは五年前から宿ったものだ。

 セバスティアンが胸の奥にあるものを息子へ吐露したことはない。それが何であるのかをラインハルトは知らない。

 

「オフレッサー上級大将から聞いたぞ、陸戦連隊の猛者と張り合えるくらい腕っ節が強いそうじゃないか。逞しくなったなあ」

 

 父の手が鍛えられたラインハルトの肩を叩く。息子を見る目が優しく笑う。

 

「ああ……」

 

 ラインハルトとキルヒアイスは、時間を見ては陸戦連隊に出入りしてオフレッサーの部下と一緒に修練に励んでいた。

 連隊に出入りした本当の目的は、訓練施設の重力制御室で行う何倍もの重力下での特訓だった。その厳しい環境で自らの気を高め、体内を循環させてコントロールを確かなものとしていったのだ。

 この施設は学校にはないものだったから連隊への出入りは必要不可欠だった。おかげでオフレッサーの部下とはすっかり顔馴染みとなっている。

 装甲服を着て近接戦で手合わせをすれば誰にも負けなかった。

 オフレッサーの部下の間ではそのことで賭けが行われるくらいで、うちの大将とどっちが強いかなどと対象になっていた。

 もっとも、幼年学校すら卒業していないヒヨッコなど相手になどならんわ、と、オフレッサーは訓練室に来てもラインハルトがいると相手にしなかったから対決は実現していない。

 顔を立ててやっただけだ。だが、いつぞやの借りを返させてもらうつもりではいる。俺はもう無力なガキンチョではない。

 陸戦連隊への出入りも、オフレッサーでなければ一学生にすぎないラインハルトの厚かましいお願いも許諾されなかっただろう。

 訓練室での厳しい特訓で、キルヒアイスも若干ながら気の運用を覚え始めたところだ。

 

「じゃあ、もう行くぞ」

「ラインハルト」

 

 父の呼び止めにラインハルトは立ち止まり顔を向ける。

 

「何だ?」

「帰ってきたら、母さんの墓参りに行かないか。もう、だいぶ行ってないだろう」

 

 母クラリベルの墓はここ三年で二回しか訪れていない。学業や自分の目的を理由に疎かにしていた。

 訪れるときは一人だ。その度に墓はきちんと手入れされて花も添えられていた。

 

「わかった。帰ってきたら行こう。ただしだ、条件がある」

「何だい?」

「姉さんに会いに行ってもらうからな。それから墓参りだ」

「わかったよ。そうするとも……」

「約束したぞ」

 

 やり取りを終えてラインハルトは後ろは振り返らずに搭乗口へ向かう。多くの新兵が同じように搭乗口に向かって歩いている。

 ラインハルトの横に早足で歩いてきたジークフリードが並んだ。

 キルヒアイスも両親と会っていたはずだが、こいつはいつの間にか俺の隣にいる。いつからそうだったか。それがもう当たり前だ。

 

「カプチュランカはずいぶんと寒いと聞きます」

「らしいな」

 

 惑星カプチュランカ。そこが二人の初任務先だ。

 

「ようやく初陣です」

「カプチュランカはそれほど最前線じゃない。あまり期待できないかもな」

「でも、ようやくですね」

「そう、ようやくなのですわ~~っ!」

 

 シャッターが切られフラッシュに二人は目を細める。ラインハルトらを出迎えたのは少女二人組だ。

 

「またお前か……」

 

 ラインハルトは不機嫌に呟く。目を向けた先にザビーネとエリザベートがいる。

 いつかのパーティ以来。下宿先に押し掛けてくるわ。バイト先の常連になるわ。とラインハルトの視界に入らない日はないくらいだ。

 ザビーネは典型的なパパラッチで写真を撮りまくるし、エリザベートはザビーネに引っ付いているだけで何が目的かは不明である。

 ラインハルトにはそのように見えている。

 公爵家の令嬢であろうが厳しく接しているのだが改める気配はまったく見えない。それというのもキルヒアイスの奴が女の子に甘いせいもある。

 

「ご、ご出征。お、おめでとうございましゅー……」

 

 ラインハルトを前に、はわわ、と舌を噛みそうになりながら真っ赤になったエリザベートが進み出て挨拶をする。

 憧れの金髪の君を前にエリザベートは緊張しきっているのかガチガチだ。 

 記者志望のザビーネが雑誌に投稿してから、エリザベートはラインハルトに夢中である。金髪さんと赤毛のカップリングを夢想せずにいられず、ドージン誌投稿のための小説を執筆していた。

 

「これはつまらないものですがジークフリード様のために焼いたお菓子ですわ!」

「ありがとうございます。わざわざの御見送り恐縮です」

 

 ザビーネが差し出した包み紙を受け取り、キルヒアイスが至極まっとうに返す。ラインハルトからすればこんなの放ってさっさと搭乗してしまいたいところだ。

 

「これも専属記者の務めなのです。ジークフリード様っ!」

「は、はあ……」

 

 ザビーネが目をハートマークに薔薇を背負ってうっとりとなる。専属記者というのも本人が勝手に名乗っているだけだ。

 ここだけなぜか世界が違うが、エリザベートがラインハルトに向ける目線もかなり熱い。

 出征する前に二人の姿をまなこに刻み付けてドージン投稿への意欲を高めるためである。まさに腐女子の鏡といえよう。

 

「そろそろ出立の時間なので我らはこれで……」

「あーん、名残惜しいですぅ~~~」

「そこまでです。お嬢様方っ!」

「げげ、アントン。ここは逃げるのです!」

「はわわ……」

 

 アントン・フェルナーが登場し、手を取り合った少女らが逃げ出す。

 子守役が来たかとラインハルトは搭乗機に向かって歩き出すのだった。

 ラインハルトが足を止めてジークフリードはその横に並ぶ。そして二人してこれから乗り込む艦船を眺める。

 

「俺はここからバリバリ出世してのし上がってやる。見てろよ、皇帝っ!」 

 

 振り上げた拳でラインハルトが宣言して二人は船に乗り込んでいた。向かう先は惑星カプチュランカ。白い氷に閉ざされた極寒の地であった。

 

 

 二人が旅立った同時刻のブラウンシュバイク邸。この日、二人の男が豪奢なソファで顔を突き合わせていた。

 

「金髪の小僧……オムツも取れてない小童め」

 

 ブツブツ呟く男が注いだ酒をあおる。

 

「公、何を悩んでいる? たかが子どもではないか?」

 

 悩み顔のオットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵と対面するのはウィルヘルム・フォン・リッテンハイム3世侯爵だ。

 テーブルに並ぶのは高級な酒ばかり。グラスが乱雑に並んでいる。

 

「グリューネワルトが懐妊したらどうする?」

 

 赤ら顔でブラウンシュバイクが呟き、驚いたとリッテンハイムが顔を上げる。

 

「ほう? まさか懐妊したのか?」

「いや、その徴候はない」

 

 リッテンハイムは眉をかすかに曲げる。懐妊などしたら一大事だ。

 皇帝の寵姫であるグリューネワルト伯爵夫人の登場で門閥貴族はその気勢を削がれたのだ。

 皇帝、もしくは最も次期皇帝に近い人物に娘を嫁がせようと考える者は多い。その皇帝が寵姫に入れあげてしまえばその選択が潰れてしまう。

 今の皇室でこれといった次期皇帝を担う人物が存在しない。それゆえにグリューネワルトが懐妊すれば、今度こそ門閥勢は止めを刺されることだろう。

 その影にはあのリヒテンラーデ侯爵がいる。宮廷きってのバケモノである国務尚書が絡んでいた。近頃はその専制も目に余りいつかは排除すべき敵となっていた。

 日頃仲が良いわけでない二人が顔をつきわせるようになったのもリヒテンラーデという共通の敵がいるからだ。

 

「エリザベートがこんなものを持っていた」

 

 ブラウンシュバイクが携帯端末を操作してリッテンハイムに見せる。

 金髪の隣にブラウンシュバイクの娘エリザベートがいて、赤毛の隣にリッテンハイムの娘であるサビーネが写っていた。

 手書きツールでハートマークや花が描かれている。

 いつぞやのオフレッサーイベントの場面であった。

 リッテンハイムの穏やかな顔が一転して険しくなる。サビーネの肩に赤毛の手が置かれていたのだ。

 このがきゃぁ、うちの娘の肩に馴れ馴れしく手など置きおって~~

 内心芽生えた殺意を仕舞いこんでリッテンハイムはいつもの顔に戻るのだった。

 

「これがどうかしたのか? ただの写真ではないか」

「大問題ではないか! ただでさえ父親としての威厳が落ちっぱなしだというのに!」

 

 両家庭における父親の権威はその肩書に比して落ちっぱなしである。年頃の娘は難しい。宮中での陰謀に身を置く男達を汚らわしいという目で見るのだ。

 

「ははあ、貴公、その程度で目くじらなど立てるものではない。ただのピンナップであろう」

 

 リッテンハイムは平静を装ってグラスの液体に気をそらす。

 男にエリザベートが入れあげたとして、若い少女の一時的な感情であろう。入れ上げすぎて駆け落ちでもしてくれればライバルが減るのだが、娘のサビーネがそんなことになったら終わりである。

 皇帝がダメでも、娘を皇帝周囲の有力な候補に嫁がせるという企みまで消えたわけではない。

 事故に見せかけて消えてもらえたら。いや待てよ、生還不可能な任務に放り込んでしまえばいい。この二人は前線に出るだろう。もう出ていたか?

 こちらが直接手を汚す必要はないのだ。ほんの少しの工作で十分に殺せる。

 ここにいる二人とも皇室に娘を嫁がせて権勢をほしいままにしようと企んでいる。はっきり口には出さないが公爵の考えなど透けて見える。

 だから、余計な虫がついてもらっては困る。相手があのグリューネワルトの弟であればなおさらだ。

 ブラウンシュバイクを炊きつけてやるか。リッテンハイムは意地の悪い笑みを浮かべる。もちろんのこと、自分は表に立たないことが肝要だ。

 

 

 惑星カプチュランカは同盟と帝国が天然資源のプラントを奪い合う不毛の地だ。吹雪と凍れる大地。常に雪が降る白銀の世界だ。

 その日、基地最高司令官ヘルダー大佐は不機嫌な顔で通信を受け取っていた。

 

「これはブラウンシュバイク公……」

 

 ヘルダーは席を立って敬礼する。画面の向こうに尊大な男の顔が映る。

 

「貴君に頼みたいことがあってな……」

「頼みたいこと?」

 

 こんな辺境で公爵が依頼など何の冗談であろうか。貴族の権力などここでは何の役にも落たない。

 しかし、ヘルダーもその権威に隷属している身である。

 

「グリューネワルトの弟がそちらに赴任するはずだ。殺せ」

「閣下、それは……」

「敵と遭遇しての戦死でも良い。奴をカプチュランカから生きて返すな」

「わかりました。皇帝陛下の后の弟を殺す……なかなか手がかかりますな」

 

 ヘルダーは乾いた笑みを見せる。基地司令とはいえ同じ軍属を一人殺すのは簡単なことではない。

 

「貴君には十分な報酬と望む地位を用意しよう。私が約束するのだ。やってくれるな?」

「かしこまりました」

「もし、ことが露見してもわしの名前は出すな。ベーネミュンデの名前を出せ」

「ベーネミュンデ侯爵夫人……」

 

 こんな基地にいてもオーディンの情報は伝わってくる。グリューネワルト伯爵夫人の登場で皇帝のベーネミュンデへの寵愛は薄れているという。

 それを命じたのがベーネミュンデとあれば、露見すればあの女もおしまいだろう。露見せずにグリューネワルトの弟を殺せば出世は間違いなし。 

 

「約束してくれますかな?」

 

 成功すれば報酬は思いのまま。だが保身もある。ことが露見すればどうなるのかを考える頭はある。 

 

「もちろんだとも。それと大佐、計画を遂行するためだ。この通信記録は消しておけ」

「はっ!」

 

 敬礼するヘルダー。通信が切れる。

 何でも自分の都合のいいように解釈するお貴族様だ。だが、こんな基地にいつまでもいたいわけでもなかった。

 ヘルダーは呼び出しボタンを押す。片腕のフーゲンベルヒを呼び出していた。



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【8話】キルヒアイス、寒いときは鍋焼きうどんに限るな!

 吹雪が視界を覆い尽くし四方どこを見ても凍れる世界が広がっている。

 距離感や正常な感覚は麻痺し、やがて、この世界にただ一人自分だけが取り残されたという孤独感に襲われるのだ。

 このカプチュランカは生命をはぐくむすべてのものを停止させる寒さの中で凍結されている。

 だが今は一人ではない。もし残されたのが一人であったならばジークフリードは正常な精神ではいられなかっただろう。

 ラインハルト・フォン・ミューゼルという存在が、ジークフリード・キルヒアイスという個の存在意義を確かなものにしてくれる。

 この白い死の世界にあって、凍れる大地をもラインハルトという存在が太陽のごとく溶かし尽くすのだ。

 自らの前に立つ絶対的なものとしてのラインハルトを置くことで、ジークフリードは自らの意志を揺るがないものとしていた。

 愚かなまでの盲信とは思っていない。ラインハルトも人としての欠点を持っている。それをわかった上で自分は補佐に徹すればいい。

 彼が太陽のように君臨すれば必ず影ができる。自分はその影となることができればいいと考えていた。その背中を守る影にだ。

 それがあのお方のアンネローゼ様の望みなのだから──

 

「これでも食らいやがれ!」

 

 ジークフリードの意識を引き戻したのはラインハルトの掛け声だった。同時にジークフリードは引き金を引く。

 装甲車両がミサイルの一撃を受けて爆散する。使い捨てのミサイルランチャーが雪の中へ投げ捨てられる。

 そして二人は雪の上に伏せる。

 後背からの車両二台が停止すると歩兵部隊が散開し周囲を警戒にあたる。それを二人は少し離れた崖の上から眺めていた。

 

「敵襲だ! 一箇所に固まるな。固まるな、散開しろ!」

 

 車両から降りてきた兵と歩兵部隊が二手に別れる。一部隊四名の編成だ。

 ちょうど今いる崖を回りこむように別れたことがチャンスに思えた。向こうはこちらの位置を捉えかねている。

 

「好都合だなキルヒアイス。一小隊ずつに別れたぞ。銃で援護をしろ。一つずつ始末する」

「はい」

 

 ラインハルトが近くの氷柱を折ってそれを持つ。手持ちの武器がない以上、目の前のあるものが武器だ。

 石ころもないからには折った氷柱を武器にするしかない。

 そして崖からラインハルトが飛び降りた。壁面を蹴って素早く跳ぶ。そして別れた部隊の背後に出る。

 人並外れた身体能力だが、彼は標準的な銀河帝国人に過ぎない。驚異的な動きは気を充実させて指先一本に至るまで張り巡らせているからだ。

 ジークフリードも射線を確保する位置まで背を屈めて移動する。目標を視認し狙いをつけている。

 もっとも、この人数ならばラインハルト様が遅れを取ることはないはずだ。

 その戦闘力は、白兵戦においては陸戦部隊の猛者をも唸らせる格闘センスを持つのだから。

 ジークフリードはラインハルトが負けることなどありえないと確信を持っていた。それは過信でも妄信でもないのだ。 

 ラインハルトが忍び寄って後背を歩いていた一人の背後を取る。完全に首をホールドし、あがくのを手にした氷柱で敵兵の首を貫く。

 ただ白かった世界に鮮血が飛んで赤い雫を雪に刻んでいた。

 ラインハルトの腕の中で敵兵の抵抗がなくなる。あっさりすぎるほど簡単に腕の中で人が死んだ。

 死だ。殺した手応えに何の感慨も抱かずにラインハルトは敵兵に向かって笑ってみせた。

 新兵のようにうろたえたり、感情的なパニックにはならない。そんな感覚はとうの昔に捨ててしまったものだ。

 今や彼は戦闘民族サイヤ人としての本能を引き出して敵の動きを逐一肌で感じ取っている。

 

「て、敵だ」

 

 銃口が向けられると同時に死体を敵兵に投げつける。怯んだ敵兵にラインハルトは走った。跳んだ足元をビームが貫く。

 

「当たるかよ!」

 

 銃を撃った兵士に延髄蹴りを放つ。敵の首の骨が折れる手応えがあった。倒れるのを待たずにその兵が持っていた銃を拾うと、正面から容赦なく銃撃を浴びせる。

 血飛沫が次々に上がって真紅のシャーベットの染みを作る。あっという間に四人の兵士が死体となって転がった。

 鮮やかなまでの手並みであった。

 

「あと四人」

 

 吹雪の中、ラインハルトは白い息を吐き出して不敵に吐き捨てる。

 ラインハルト・フォン・ミューゼルはこの日初めて人を殺した。極めて機械的に敵兵を葬い屠った。 

 ベジータの意識からすれば敵を殺すことにためらいはない。この脆弱な肉体で手加減などすれば、一瞬の判断ミスでこちらが殺されるのだから。

 初任務の初戦闘。手柄といえば手柄だろう。もっとも生きて帰れねば意味は無い。こうなった原因は?

 ラインハルトとジークフリードが敵地に侵入しての哨戒任務に当たることになり、雪の中で孤立することになった経緯は少しばかり時間を遡ることになる──

 

 

 十時間前のこと────

 ラインハルトとジークフリードが惑星カプチュランカに降下し、基地プラントに入ってから早速トラブルがあった。

 着任の挨拶の後、下士官どもが女に乱暴している現場に出くわしたのだ。俺とキルヒアイスで叩きのめしてやったが基地の連中は相当腐っているようだな。

 今、ラインハルトの目の前にいるのは基地司令官のヘルダー大佐とフーゲンベルヒ大尉という男だ。

 バカでもわかるような説明をし、最初に手を出したキルヒアイスの擁護をした。正当性はこちら側にあることを強く主張したのだ。

 

「──では、失礼致します」

 

 敬礼してラインハルトは下がる。 

 そのラインハルトを見送る二人の目はあまり穏やかとはいえなかった。特にフーゲンベルヒは敵対的な態度を隠そうにも隠しきれていない。

 わかりやすい男だ。しかし、あのヘルダーとかいう男も怪しいところがある。ラインハルト達に対して含むところがあるようだ。

 赴任の挨拶でも、寵姫の弟であろうが何たらとくだらぬことを言って抑えつけようとしてきた。ヘルダーはくだらぬ小人に過ぎん。

 

「金髪の小僧めっ! 戦場で弾丸が前から飛んでくるとは思うなよ」

 

 ラインハルトが去るとフーゲンベルヒが吐き捨てた。

 

「卿もそう思うか?」

「あの小僧をどう始末いたしましょう」

 

 フーゲンベルヒはヘルダーの仲間だ。ヘルダーと同様、陽の光ささぬこの地で埋もれるつもりはないということだ。

 金髪の小僧の始末を後押しする存在がその決意を確かなものとしている。

 ブラウンシュバイク公爵といえば門閥貴族でも最上位の皇位に近い家柄である。その権勢をもってすればこのような辺境から抜け出すのはたやすい。

 二人ともこんな極寒の地で終わるつもりはない。目的は一致した。後はどう金髪の始末をつけるかだ。

 

「こうしよう。新任少尉殿には哨戒任務に出ていただく。その際、車両のトラブルで帰還不能になり行方不明。二度と陽の目を見ることなく氷漬けだ」

「なるほど、我々が直接手を下す必要はありませんな。確実な手を打ちましょう」 

 

 ヘルダーの案にフーゲンベルヒが笑うのだった。

 

 

 胸糞の悪い連中だ。もっとも、これくらいの反応は予想済みだ。

 皇帝の寵姫の弟であるということは相当な特権だ。友人二人が一緒に赴任するなど通常の人事では到底ありえない。

 俺とキルヒアイスの目的は同じだ。この手に姉さんを取り戻す。

 そのためなら特権だって利用してやる。いつか、皇帝が俺に特権を与えたことを後悔するまで利用してやるつもりだ。 

 俺が通した願いといえばキルヒアイスといることだ。それがどう皇帝に伝わったのかはわからないが、姉の立場すら利用していることには変わりない。

 それらの代償はいつか俺自身が払うことだろうが、今はツケるだけツケさせてもらう。偉くなるにはまだ時間が必要だ。

 

「ラインハルト様」

 

 エレベーターのところでジークフリードが待っていた。二人してエレベーターに乗り込む。

 

「この基地の連中もあんな男の下とは運がないな。組織は上から腐っていくものさ。下もなし崩しに腐り果てる。同盟も帝国も腐りきった果実のように落ちるのを待っているのさ」

 

 ラインハルトが最下層のボタンを押す。最下層は兵器置き場となっている。

 

「ヘルダー大佐ですか……物資の横流しでもしていそうですね。あのフーゲンベルヒという男も敵意丸出しでしたし」

「皇帝の寵姫の弟が来るなど想定外だったろうからな。こんなところで手柄など立てられるかわからんが」

「最初の赴任地よりはマシでしょう。変えてもらってよかったですよ」

「俺様に事務職などできるか! 体が鈍ってしまう」

 

 二人の最初の赴任地は戦場とは程遠い内勤だった。それを蹴って最前線勤務に変えさせたのだ。

 軍という組織でそのようなわがままが通るのは、やはり皇帝の寵姫の弟という光があるからである。

 

「そうですね、ところでどこへ?」

「厄介払いさ。俺とお前で哨戒任務だとさ。出立前までに車両の点検を済ませておく」

「二人だけですか? 案内はまさかなしで?」

「ああ」

「案内も付けずにですか……」

「生意気な新入りイジメだろう。ただの偵察だ。そうそう危険はない」

「それだけだといいのですが」

 

 ジークフリードは懸念を口にする。この基地でのヘルダー大佐の態度が気になっているのだ。

 哨戒任務というが、敵と遭遇した時どうなるものか……

 

「なあに、同盟軍と鉢合わせたら倒すだけさ。何なら、敵基地を乗っ取ってやってもいい。俺とお前とでだ」

「それは大手柄ですね。一気に昇進間違いなしです」

 

 気軽なラインハルトにジークフリードは肩をすくめて応える。

 階下に到着し二人は装甲車両の置いてある区域に向かう。割り当てられた車両に乗り込むと早速の点検を始めていた。

 

「──キルヒアイス、点検表に漏れはないか?」

「ありません。全部チェック済みです。念のため、電池系をもう一度チェックします」

「ああ」

 

 再度のチェック。すべてオールグリーンだった。

 

「問題ないようだな」

「はい、ところで、後ろの荷物はなんですか?」

「いいものだ」

 

 ラインハルトは笑う。乗り込むとき、ラインハルトが袋に入ったものを積み込んでいた。かさばるものだったので気になったのだ。

 

「失礼致します! 司令よりこれからブリーフィングを行うとのこと。すぐに司令室までお出で下さい」

 

 兵士が駆けてきてそう告げた。二人敬礼を返し兵士を見送る。

 

「ヘルダーめ、どういうつもりだ? 案内は付けないくせにブリーフィングだと?」

「おかしなことですが……嫌な予感がします」

「俺もだよキルヒアイス」

 

 二人が去ると、物影に隠れていた男が装甲車両に向かって走る。

 男はフーゲンベルヒだった──

 

 

 そして時刻は現実時間に戻る。

 雪を掘って作った雪穴は簡易休憩所だ。そこで二人は休憩を取っていた。

 

「あの呼出が工作の時間を与えていたということだ。とことん腐ってやがる。水素電池を抜くとはな」

 

 ラインハルトが口で冷ましたうどんを口に頬張る。

 鍋焼きうどんが熱い湯気を立てて二人を温めていた。

 鍋焼きうどんセットはラインハルトが装甲車両に積んでいたものだ。ジークフリードが気にした荷物がこれであった。

 

「熱いものがありがたいですね」

 

 すする音を立ててジークフリードがうどんを食う。

 ラインハルトが地球マニアな食通なせいで、ジークフリードはこういうのはもう慣れっこだ。箸の使い方もマスターしている。

 

「キルヒアイス、餅だ、餅を食え!」

 

 鍋からとろっとした白い物体がジークフリードの椀に落とされる。

 ジークフリードは噛んで伸びた餅を千切ると口の中で熱い感触を冷ましながら胃に落とす。ラインハルトは豪快に一口で頬張っていた。

 

「最後はリゾットにして食う。汁が美味いぞ」

 

 ラインハルトは白いパック入りご飯を鍋に落としこんで蓋を閉じる。出来上がるまでしばし待つ。

 

「戦車の停止コードを手に入れられたのは幸運でした。きっと、役に立つでしょう」

「敵の基地の場所もな」

 

 二人は別れたもう一つの部隊も片付けた後、敵の車両を使えないかと試したのだが、帝国と同盟では仕様が異なるため無理だった。

 その代わりに手に入れたものは充分に役立ちそうなものだ。

 

「さて、まともな司令官であれば、戦場で哨戒中の部隊が孤立していれば救援の一つでも出すものだが、相手が俺達の死を願っていれば次にどんな手を打つと思う?」

「現場へ確かめにくるのではないでしょうか? 我々を確実に殺すためにです」

「そうだな。救援信号は出している。おそらく動くだろうな。そして油断しているはずだ。水素電池を抜いているから動けないはずと」

 

 同盟軍の装甲車両はIDパス式で操作は不可能だったが水素電池は流用することができた。

 敵を罠にかけるのだ。そして誰が黒幕かを確かめる。

 

「よし、おじやができたぞっ!」

 

 ラインハルトが頃合いを計って、熱い湯気立つ鍋蓋を開ける。白いご飯が汁を吸い込んでくつくつ音を立てている。

 

「実はこんなものもあります」

「ん?」

 

 ジークフリードが包み紙を見せる。出立の際、空港でザビーネから渡されたものだ。

 

「そいつは貴重な食糧だ。朝飯にする」

「了解です」

「冷めないうちに食うぞ」

「いただきます」

 

 二人はおじやをかきこんで英気を養う。

 その翌朝、ザビーネの焼き菓子は二人の胃袋に収まるのであった。



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【9話】ラインハルト様、ウジムシ野郎はキタネエ花火ですね

 白い銀世界にようやく降り注いだ朝の太陽光が眩しい。その日差しを照り返すのは行動不能に陥った車両だ。砲塔から垂れ下がった氷柱が太陽光を反射してキラキラと輝いている。

 ラインハルトは顔を上げて白い息を吐き出す。そして救援信号を受け取ってやってきた帝国軍の装甲車両を待った。

 のこのことやってきやがった。味方だが、本当に味方とはとうてい思えん。

 こちらと対面するように装甲車両が止まった。姿を現わしたのはフーゲンベルヒ大尉だ。その姿を見てラインハルトの疑惑は確信へと変わる。

 こいつが来るとはドンピシャのようだな。まさか、ではないが、こうも予想しやすい人物が当たるとも思っていなかった。

 ヘルダーの奴はそれほど仲間に恵まれているわけでもないようだ。俺達を密かに始末したい連中はいったい誰だ?

 

「これはこれはミューゼル少尉。生きていたとは驚きだ。赤毛の相棒はどうした?」

 

 車両から身を乗り出したフーゲンベルヒがラインハルトを眺める。

 芝居がかった口調にいたわる様子や心配する感情は感じられない。見下すような口調だ。

 

「フーゲンベルヒ大尉。キルヒアイスが誤って谷底に落ちてしまったのです。彼の遺体を収容したい。そしてそちらの車両で基地に帰りたいのです」

 

 弱々しくラインハルトは言葉を振り絞り、谷底に落ちたという台詞に感情を込める。いかにも無念という風にだ。

 

「んー、そうかぁ、赤毛の相棒は谷の底か。これは手間が一つ省けたというものだな」

「大尉、何を言っているのです?」

 

 こんな場所だ。もう隠す必要もないということか。

 

「血の巡りが悪い坊やだな。お前はここで死ぬのだ」

「な、どういうことですか!? 私に銃を向けるとは」

 

 ブラスターを抜いたフーゲンベルヒがラインハルトに狙いを定める。その口元に歪んだ笑みを浮かべる。

 

「姉とは二度と会えんが、なあに、すぐにお前の姉も後を追うことになるだろうよ。皇帝陛下をたぶらかした薄汚い牝狐め。神聖な帝室を汚し権威を脅かす大罪人ども。貴様ら姉弟はいてはならん存在なのだ」

「私を害するということは皇帝陛下に対する叛逆を起こすと同じことだぞ! 俺は皇帝の寵愛を受けるグリューネワルト伯爵夫人の弟だ! こんなことをして無事で済むと思うなよっ!」

「ハハハっ! 姉の寵愛を傘に何でも許されるわけじゃない。あの売女がケツを振るごとにお前はどれだけ甘い思いをしてきたんだ。ええ? そして俺達は永久凍土の土の下で寒さに耐えながら明日の希望さえ枯らしてきたんだ」

 

 フーゲンベルヒの声に怒気がこもる。

 フーゲンベルヒを睨みつけ、ラインハルトは歯を噛みしめた。

 

「売女……だと。フーゲンベルヒ……貴様の発言は侮辱罪だ。法廷に出れば間違いなく有罪だ」

 

 貴様は姉上を何と言った? この蛆虫野郎が……今すぐにでもぶち殺してやりたいが、もう少し喋ってもらう。

 この陳腐な猿芝居に吐き気がするぜ。

 

「くくく、だから坊やだというのだ。宮廷にはグリューネワルトを邪魔に思う方もおられるのだよ。こんな雪と氷の世界から抜けださせてくれる権力を持っているお方が俺達を引き上げてくださるのだ。貴様がここでのたれ死んでも揉み消すことなどたやすいことさ。そうだな、報告書には偵察に出た新任少尉と准尉は敵部隊と遭遇。戦闘の末に銃弾に倒れる。というわけさ。戦いの末にというところが少し花を持たせすぎだが、冥土の土産に美しい死に様ということにしてやるよ」

「わ、私を殺すのか。嫌だ、こんなところで死にたくない。た、助けてくれっ!」

 

 うろたえるラインハルトに興に乗ったのか、フーゲンベルヒは引き金に指をかけたまま撃とうとしない。

 

「命乞いか。無駄なことだがな。ああ、何も事情を知らずただ殺されるというのも不憫な話だなぁ。冥土の土産にもう一つ教えてやろう。貴様を殺すよう命じたのはベーネミュンデ侯爵夫人さっ!」

「ベーネミュンデだと? 本当に?」

「今から死ぬ貴様に真実はどうでもいいだろう。では死ねっ!」

 

 フーゲンベルヒが指に力をかけようとした瞬間、砲塔から放たれた一撃がフーゲンベルヒの乗る車両に直撃する。

 激しい爆風と熱と共にフーゲンベルヒが投げ出される。炎上する車両が崖下まで吹き飛ばされていた。そして転落し爆発する。

 派手な音と黒煙が立ち上がって新雪の世界に黒いシミを作るのだった。

 そして不意打ちに倒れたフーゲンベルヒはまだ生きていた。

 

「ぐあ……はぁぁ……」

「しぶとい。まだ生きているか」

 

 雪を踏んで、ラインハルトは投げ出されたフーゲンベルヒを見下ろす。

 その体に無数の傷を負っている。かなりの怪我をしているが致命傷ではない。

 

「運がいい野郎だ」

「バカ……な……」

 

 倒れたフーゲンベルヒが車両から姿を現したキルヒアイスに驚愕の視線を向ける。

 

「俺達を見くびりすぎたなフーゲンベルヒ。キルヒアイスは死んでなどいない。貴様だろう、水素電池を抜いたのは? 言え、ヘルダーの背後にいるのは本当にベーネミュンデ侯爵夫人なのか?」

「ぐ……お願いだ。て、手当をしてくれないか……この怪我だ。助けてくれ。助けてくれたら話す」

「貴様に生きる権利があるのか?」

 

 そのとき、ブラスターから放たれた熱線がフーゲンベルヒの肩先をかすめた。撃ったのはキルヒアイスだ。

 

「この男はアンネローゼ様を侮辱しました」

「キルヒアイス、まだこいつは殺すな。情報を引き出してからだ」

「わかりました」

 

 静かに答えたキルヒアイスのフーゲンベルヒを見る目はどこまでも冷たい。ラインハルトもそんな目をするキルヒアイスを見るのは初めてのことだ。

 これは相当キレているな。生き延びたことを天に呪うがいいかもしれないぞ、フーゲンベルヒ。

 

「貴様を生かしておく理由などない。第一に貴様は言ってはならない言葉を俺達に言った。姉上を侮辱した。その罪の深さを貴様自身で味わうがいい」

「ま、待ってくれ! ぜ、全部ヘルダー大佐が仕組んだことだっ! 私は命令に従っただけで……」

「その割にずいぶんと饒舌に話してくれたじゃないか。皇帝をたぶらかしただと? ふざけるな、やつが俺達から姉上をどうやって奪ったと思っている? あの日を俺は忘れることはない」

「ゲフっ!」

 

 燃え上がるようなラインハルトの双眸がらんらんとフーゲンベルヒを貫いてその背を踏みにじった。何度も激しく踏みにじり、骨が砕ける音が響いてフーゲンベルヒがのけぞって悶絶しながら雪に埋まっていく。

 

「ラインハルト様、死んでしまいます」

「ああ……そうだった。すぐに殺すのはまずいな。こいつを砲塔にくくりつけろ」

 

 気絶したフーゲンベルヒが砲塔先にくくりつけられる。

 やがて、目覚めたフーゲンベルヒが狂気の叫び声を上げる。

 

「ひゃああ~~ や、やめてくれー! どうか、命だけは~~~!」

「これで最後だ。フーゲンベルヒ、黒幕はベーネミュンデで間違いないな?」

「言います! 本当のことを言いますっ! 命だけは助けてくれ~~」

「言え」

「ヘルダーに命令を下したのは……ブラウンシュバイク公爵だ」

「そうか」

「た、助けてくれるんだよな?」

 

 憐れみをたたえた目でフーゲンベルヒを見返すとラインハルトは鼻で笑う。

 

「キルヒアイス、撃て」

 

 その言葉と同時に砲塔が火を噴いてフーゲンベルヒがもろとも発射される。

 向いの山に弾頭が命中し白い雪山に爆発を引き起こすとその一角で雪崩が発生し雪山の一部が崩落していく。

 呆気無いフーゲンベルヒの最後だった。

 

「ラインハルト様、蛆虫野郎は汚い花火ですね」

「ああ、キタネエ花火だ。行くぞ、キルヒアイス」

 

 処刑を終え、ラインハルトが装甲車両に乗り込むと一路基地を目指して走りだす。

 

「時間を食ったが間に合うか?」

「はい、敵は今頃本拠地を出て、こちらの本陣に向かっている頃です」

 

 二人が昨日遭遇した部隊は先遣部隊だった。

 得られた情報は敵の作戦内容だ。基地本部にあるプラントへ敵が襲撃するというものだ。

 朝まで待ったのは、あまり早く報せては情報の価値を損ねると判断したからで、フーゲンベルヒのことはついでに過ぎなかった。

 もっとも時間は奇跡的にギリギリだ。

 動き出した車両の中で過ぎ行く白い原野を眺めながらラインハルトが相棒に尋ねる。

 

「どう思う、キルヒアイス」

「敵の動きのことですか? それとも……」

「ブラウンシュバイク公爵。その名前をここで聞くとはな」

「ベーネミュンデ侯爵夫人ではなく公爵が動いているとは。アンネローゼ様の身辺が気になります」

「宮廷はくだらん連中の巣窟だ。あんな場所にいつまでも置いて置けるものか。今すぐにでも姉上を取り戻したい」

「いずれ、それは叶えてみせますとも」

「これより、クロスポイントを目指す」

「了解、敵部隊とのクロスポイントへ向かいます」

 

 白い氷の海原を駆けて装甲車両が戦場へと向かう。

 

 

「バカな、奇襲だと?」

 

 ヘルダーが豪勢な食事を終えた後に飛び込んできたのは敵の襲撃部隊の奇襲攻撃だった。

 

「防衛部隊は何をしている。迎撃せよっ! マーテル中佐、敵の数は?」

「まだ不明ですが、敵の地上総戦力に近いのではないかと思います」

 

 答えたのはこの基地でヘルダーに次ぐ権限を持つマーテル中佐だ。堅実な人物で硬いが実務能力に長けている人物でヘルダーもその能力を信頼している。

 砲撃がプラントの貯蔵庫に命中し赤い炎を上げた。

 プラントには軍属以外の人間も多く働いているのだが、その居住区も区別すらつけていないようだ。

 苦々しくモニタを見ながらヘルダーの顔に焦りが浮かぶ。奇襲を許したなど失態もいいところだ。

 

「まだ、出ないのか!」

 

 対応の遅れにヘルダーが歯ぎしりをする。みすみす敵に襲撃を許したことは痛恨の事態だといえた。

 こうしている間にもプラントの採掘場や貯蔵庫が砲撃され続けている。

 

「味方から入電。ミューゼル少尉からです」

「ミューゼルだと?」

 

 ヘルダーは狼狽する。この場面でその名前が出てくることは予想外だ。

 バカな、フーゲンベルヒはどうした?

 あいつらは死んだはずではないのか?

 

『ヘルダー大佐、敵の偵察任務から得た情報により、敵車両部隊の停戦コードを入手いたしました。これよりコードを送信しますので、停止コードが効いている間に対処をお願いしたい』

「何だと?」

『私はキルヒアイス准尉と共に基地の援護を行います。では』

 

 一方的に通信が切られる。ヘルダーの動揺を他所に停止コードを受けて同盟軍の装甲車両が次々に停止していく。

 

「大佐、ご指示を……」

「あ、ああ、マーテル中佐、現場の指揮は任せる」 

「わかりました。各部隊、敵は沈黙している。今の内にすべての車両を撃破せよ!」

 

 基地から発進した装甲車両が雪原の敵に向けて砲撃を開始する。車両を捨て自暴自棄になった同盟軍の兵らが発砲をはじめて殲滅戦へと移行していた。

 

 

 黒い煙と炎が空を焦がしている。あちこちで銃撃戦が発生し、容赦の無い砲撃が戦場を赤く染めていく。

 

「はぁぁぁっ!」

 

 銃を撃ちまくる兵にラインハルトが掌底を放ち吹き飛ばす。そして逃げ出した兵士数人に気功波を放つ。

 エネルギー波が地面で爆散して派手なクレーターを残した。そこにいた兵士らも動かぬ残骸となってどこかへ飛び散っている。

 

「これで十一人か……まだ、本気すら出していないぞ?」

 

 歯向かってくる敵がいなくなりラインハルトは周囲を見回す。戦況は圧倒的有利だ。もはや戦いといえる戦いとは言えなくなっていた。

 今やただの掃討戦となっている。一切の起動コードを受け付けない戦車から逃げざるを得なかった兵達がただ一方的に狩られるだけの存在となっていた。

 

「どいつもこいつも、同盟の奴らは腰抜けばかりだ」

『ラインハルト様、気をつけてください』

「わかっているさ」

 

 キルヒアイスといえば停止した装甲車両の破壊に回っていた。

 ラインハルトはキルヒアイスの制止など聞かずに嬉々として戦場に素手で降り立っていた。プロテクターも付けずに自殺行為であるが、ラインハルトに対しこの手の苦言はまったく通用しない。

 今やラインハルトは解き放たれた虎のように敵を打ち倒すことだけを楽しんでいた。

 久しぶりの戦場の匂いだ。煤けた焼けた匂いも人の断末魔の叫びもずいぶんと懐かしいものでしかなかった。

 これが本当の戦場での初陣だといえる。ラインハルトはサイヤ人の頃のはじめて戦場に降りたときのことを思い出していた。

 停止したと思っていた敵車両の砲塔が突如ラインハルトに向いて発射される。オート操縦が利かないことから手動で撃ったのだろう。

 

「ちっ……」

 

 だが、その高速の弾頭はラインハルトに命中することなく回避される。

 

「どこを狙っていやがる!」

 

 次の瞬間、宙を舞ったラインハルトがエネルギー弾を放ち敵車両へと叩き込んだ。鋼鉄の戦車が爆発炎上を起こす。

 爆風が降り立ったラインハルトの髪を巻き上げる。その炎が金髪をさらに輝かせ赤金色に染め上げる。

 燃え盛る鋼鉄の残骸と、プラントが燃える空を背に、赤く染まった金髪を熱い風が逆なでし舞い踊る。そのラインハルトの姿はまるで赤い獅子のようであった。

 

「ふはは……あははははっ!! 俺がサイヤ人の王子ベジータ様だっ!」

 

 戦場で芽生えた激しいまでの高揚感がラインハルトを発作的に笑わせていた。



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【10話】男がうじうじしやがってっ! ギャリック砲ですっきりだ!

 帝国軍の資源採掘プラントを狙った、同盟軍の地上部隊による襲撃は半ば成功しかけたがラインハルトらがもたらした戦車の停止コードによって敵戦力は殲滅されていた。

 捕らえた捕虜の情報から敵基地の正確な位置と戦力が伝えられる。睨んだどおり敵地上戦力のほとんどの戦車が投入されていた。

 これを好機と捉え、カプチュランカにおける資源争奪にケリをつけようと基地総出での攻略戦が始まろうとしていた。

 陣頭で指揮を執るのはヘルダー大佐だ。その作戦に帰還したラインハルトとジークフリードも加わっていた。

 

 奴は相当焦っているはずだ。刺客のフーゲンベルヒは戻らず死んだはずの俺達が戻ってきた。 

 フーゲンベルヒの言葉を物証として上げるのは困難だろう。ヘルダーがしらを切ればこちらもそれ以上強くは出れない。

 逆に上官侮辱罪で訴えられるだろう。本人の暴露による確実な証拠が必要だといえた。

 それに奴の尻には火がついている。撃退したとはいえ採掘プラント施設に受けたダメージはことの他大きい。

 ヘルダーも失態の汚名を返上するために実績を上げなければ自身の首が危ういというわけだ。この作戦は奴からすれば命綱だろう。

 俺たちがぎりぎりまで味方に接触しなかったのは装甲車両の停止コードの最大利用を考えた結果だ。それがヘルダーの焦りを生み出したことは副次的な効果に過ぎない。

 奴をここで追い詰める。運命は俺達に味方している。

 

「各部隊、合図とともに迎撃に出た敵部隊を挟撃せよ。敵の地上戦力は基地の砲台と歩兵ばかりだ。組織的な抵抗がなくなるまで突入は待て。では解散っ!」

「はっ!」

 

 各部隊の隊長らが敬礼し持ち場へ戻っていく。

 

「ミューゼル少尉、それとキルヒアイス准尉も残りたまえ。君らには別任務を与える」

 

 来やがったな、ここは敵地だ。戦場ではどんな事故があっても不思議ではない。始末をするならどさくさ紛れに限るか。

 奴が仕掛けてくるタイミングは俺達が部隊と完全に別れたときに違いない。

 

「はっ!」

「二人は反対側のルートを辿り、敵の残存部隊が逃亡するのを防げ。敵を徹底的に叩き制圧するには漏れがあってはならん」

「しかし、二人だけですか?」

「伏兵は多くてはならん。敵を油断させるのだ。こちらに回せるだけの余力はない。それに君らの前回の機転と手腕は見事であった。武勲を期待している」

「このような重要な任務を与えていただきありがとうございますっ!」

 

 思考を隠した能面の顔でラインハルトは敬礼する。ジークフリードと目が合って頷き合う。

 この作戦はこちらの意図通りといえよう。

 二人だけで敵戦力がわからぬままに相手にしろとは死ねと言っているようなものだが逆に好都合だ。

 そこで奴の仮面を剥がし動かぬ証拠を掴んでやる。 

 

「それにしてもあからさまですね」

「奴の化けの皮を剥がす。背後にいるブラウンシュバイクに釘を刺すだけの材料が必要だが、果たしてそれに合うだけのものを手に入れられるかが問題だ」 

 

 任命から一時間後、二人は基地の反対側にたどりつく。向こう側では激しい攻防戦の応酬が繰り広げられているが基地の陥落はもう目に見えていた。

 派手に聞こえていた砲撃はまばらになってきている。そろそろ突入している頃かもしれない。

 攻略部隊の士気は旺盛だ。地上戦力をほぼ失った敵に対してこちらは総戦力を投入している。勝利は確定したも同然だった。

 もっとも、そう早く決着がついてしまっては困るがな。

 

「キルヒアイス、お前はマーテル中佐を出迎えろ。お前以外の生き証人が必要だ」

「はい」

 

 ラインハルトの言うままにジークフリードは来た道を引き返す。

 同盟軍基地攻略のブリーフィングでできたわずかな時間を縫って二人はマーテル中佐に接触していた。

 件の車両工作とフーゲンベルヒのことはそのとき報告していた。確たる証拠がないのでその証拠を見せるということで話はついていた。

 わざと隙を見せるという無謀に思える行動もジークフリードのラインハルトへの絶対の信頼が作戦の無茶さを了解させていた。

 ヘルダーを油断させねばならない。敵の生き残りが出てきたところで俺には屁でもない。

 そして、やはりヘルダーはやってきた。向こうも一人、こちらも一人。ただの新兵であれば歴戦のヘルダーに勝てるはずもない。

 腕組みでラインハルトは出迎える。   

 

「待っていたぞ、ヘルダー」

 

 もはや敬称など不要だ。

 

「ミューゼル、貴様……フーゲンベルヒと会っていないだろうな?」

「あのウジ虫野郎ならとっくに花火になっているぜ。お前も同じ穴の狢だ。奴と同じ末路をたどるか? 罠にかけたつもりだろうが、罠にかかったのは貴様だ、ヘルダー!」

「貴様……誰に向かって口を聞いている? 上官を侮辱しおって、だが貴様一人で何ができる? 腰巾着の赤毛はどうした!」

「貴様など俺一人で十分だ」

 

 ラインハルトはブラスターを抜いて挑発する。

 もうヘルダーの殺意を肌に感じるほどだ。奴は抜くに違いない。

 

「お前はブラウンシュバイクの犬だ。犬に人の言葉など必要あるまい。皇帝の犬の犬など人の形をしているに過ぎないだろうよ」

 

 ヘルダーをラインハルトの双眸が睨みつける。

 こいつ……やはりただ者ではない。危険な男だ。公爵閣下が消せという理由が今わかった。この男は王朝に仇をなす存在。

 そうだ。ここで消して憂いを断つのだ。俺の将来のためにだ。

 ヘルダーのブラスターから光線が迸る。突如始まった銃撃にラインハルトは氷の雪像を盾にする。

 ほう、なかなか速いじゃないか。

 

「舐めてもらっては困るなっ! 私はこれでも幾多の戦場を巡ってきたのだ。実戦経験のない貴様のような新兵風情が私の相手など務まるものかっ!」

 

 適当に撃ち返しながらラインハルトは機会を伺う。

 この程度、正面からであればいくら撃っても当たらない。劣勢を装って撃ち返すが、当てるつもりもないへっぴり腰を装う。

 

「何度も何度も命のやりとりをしてきたのだ。それでようやく得たのが今の地位だ。だが、それもたかが最前線の司令官だ。この雪と氷の極寒の地でいつまでもいなければならない苦痛が貴様にわかるかっ! 中央からは見捨てられ、いつ終わるとも知れない戦いに身を置くなどまっぴらゴメンだっ! 貴様を始末すればこんな場所から抜け出せる。家族に会えず、子や妻に会えない辛さが貴様にわかるか! いや、わかるまいっ! 皇帝の寵姫の七光で出世する貴様になどわかってたまるかっ!! 死ねぇっ!」

 

 一心不乱にヘルダーはブラスターを打ち続ける。猛攻だが、いずれエネルギーは尽きる。

 

「くそっ!」

 

 撃ち尽くしたところでラインハルトは姿を表す。

 

「終わりか?」

 

 ブラスターをぶらりと右手に下げたままラインハルトは前に踏み出す。その無防備な様にヘルダーは拍子抜けする。

 

「馬鹿め、死ねっ!」

 

 神業のようなバッテリーの交換で換装を終えるとヘルダーがブラスターを放つ。その瞬間、ラインハルトの姿がその視界から消えていた。

 

「何?」

 

 白雪をさらう風だけが音を立てている。ヘルダーは狼狽して周囲を見回す。

 馬鹿な、奴はどこだ?

 

「ここだ」

「ひいっ!?」

 

 ヘルダーのブラスターを持つ腕をラインハルトが握りしめていた。

 い、いつの間に? 何という力だ……

 ヘルダーの額に脂汗が浮く。歴戦の勇士たる自分がこんな若造の力に動けないのだ。

 

「どいつもこいつも言うことは変わり映えしないものだな。俺が寵姫の弟だから何だという? 自分の力で何も掴めないやつほどよく吠えるものだ」

「貴様ぁ……」

「貴様は殺さん、貴重な証人だからな」

「証人だと?」

「そうだ。貴様に命じたのがブラウンシュバイクだという証拠だ」

 

 ラインハルトがヘルダーの持つブラスターを握り締めると鈍い金属音を響かせその手の中で銃がバラバラになる。

 雪を踏みしめる音と気配をすぐ背後に感じとる。少し前から到着していたがキルヒアイスには絶対に手を出すなと言っておいたのだ。

 

「ひっ! ば、化け物め」

「貴様はどうなんだクソ野郎。フーゲンベルヒに命じて電池を抜いた車両で新兵を前線に偵察に向かわせ、素知らぬ顔で殺そうとしやがったな。俺もキルヒアイスも敵のまっただ中で苦労したぜ。そのおかげで敵の停止コードを手に入れられたがな。お前程度の腕で俺を殺すことなどできん。フーゲンベルヒも戦車で来たがずいぶんベラベラと喋ってくれたぞ」

 

 ラインハルトはポケットから小型端末を取り出す。

 

「何だそれは?」

 

 ヘルダーの問いにスイッチが押される。

 

『ま、待ってくれ! ぜ、全部ヘルダー大佐が仕組んだことだっ! 私は命令に従っただけで……』

「フ、フーゲンベルヒ……」

 

 ボイスレコーダーから聞こえてきた声にヘルダーは真っ青となる。

 

『ヘルダーに命令を下したのは…ブラウンシュバイク──』

 

 最後の台詞の後にスイッチが切られるまでヘルダーは動けなくなっていた。

 レコーダーはラインハルトが前線の哨戒部隊から接収した物の一つだ。そこにフーゲンベルヒとの会話をすべて収めてある。

 

「し、知らんぞ、わしは証言などせんぞ。何を言っているのかはわからんが、それはフーゲンベルヒが勝手にやったことだ。や、奴が勝手に言っているに過ぎんっ! わしが否定すればそんなもの証拠にはならん!」

「まあそうだろうな。一介の新兵と大佐の証言。軍法会議ではどう判断されるかな? だが、今この場で俺を殺そうとしたことの言い訳はできん。第三者の証言があるからな」

「第三者だと?」

 

 すると隠れていた場所からジークフリードが姿を現す。

 

「ふん、赤毛の腰巾着など。そいつは貴様の忠実な家臣のようなものだろうが、それでは証人の資格などない!」

「いいえ、証人は私ではありません」

「何?」

 

 ジークフリードの後ろからもう一人の男が現れる。現れたのは前線で指揮を執っているはずのマーテル中佐だった。

 

「ま、マーテルどうしてここへ……」

「ヘルダー大佐……」

「マーテル中佐には貴様の発言の証人になってもらう」

「マーテル中佐っ! このような戯言を信じたわけではあるまい? こやつらはわしをはめようとしているのだ」

「この期に及んで苦しい言い訳をするか。だが、第三者の証言者としてマーテル中佐がすべて見ていた。それでも否定するつもりか?」

「わ、わしは悪くない……」

 

 震えながらヘルダーは言い訳を口の中で繰り返す。

 

「寵姫の弟である俺を暗殺しようとしたことは大逆罪に相当する。大逆罪は一族まで死刑だ。貴様の家族は貴様を呪って死ぬことだろうよ」

「ひっ!」

 

 一族もろともという言葉にヘルダーの目が大きく見開かれる。

 断頭台で処刑される自分と処刑される妻と子ども。

 親類縁者はことごとく職を失い末代までその罪は消えることがない。大逆罪ともなれば一族までもその咎を受けるのだ。

 そして錯乱した声を上げて走りだす。

 

「うわぁぁ~~っ! ひっ! いやだぁぁ~~!」

 

 ヘルダーが立ち上がり走りだす。その先は切り立った断崖があった。  

 

「待てっ!」

「うぁぁっ! あ~~~!」

 

 ジークフリードが走りだす。が、間に合わずヘルダーは断崖から身を投げていた。

 

「うわぁぁ~~~っ! ……?」

 

 しかし、いつまで経ってもヘルダーに死は訪れなかった。

 ヘルダーは真下を見下ろしながら呆然とする。空中に宙ぶらりんに浮いているのだ。

 胸元が苦しい。襟元を掴む腕があった。

 見上げればそこにラインハルトがいる。何の支えもなく空に浮いているのだ。

 

「ミュ、ミューゼル少尉?」

「ああ、世話を焼かせる野朗だ。いいか聞け、貴様が死んですべてが終わりというわけにはいかん。お前には使い道があるからな」

「な……」

 

 ラインハルトが舞空術でヘルダーを崖際で引き止めている。浮き上がり崖の上まで行くとヘルダーともども着地していた。

 

「やれやれ、反重力制御装置が役に立ってよかった」

 

 舞空術による飛行だが、堂々と空を飛んだ言い訳がこれである。

 かなり無理があるがそんなものは知らん。

 ジークフリードもラインハルトがそんなものを持っている事実は知らないがあえて何も言わないことにする。

 主人の無茶ぶりはもうスルーするくらいで丁度良い。

 

「ヘルダー、ブラウンシュバイクが命じた証拠は残っているか? 消去したのか、どちらかイエスノーで答えろ」

 

 しばし沈黙の後にヘルダーはうなだれて口を開いた。

 

「……イエス。通話記録が残っている……消去しろと言われたが、相手は門閥の公爵様だ。鉄砲玉の使い捨てへの約束を守るとは思えなかった。暗殺が成功すればわしを口封じに殺すことも考えているのではないかと思ってもいた。もし、約束を反故にするのであれば全部ぶちまけてやるつもりでいた……」

「ヘルダー、俺はお前と取引をしようというのだ。貴様の罪を問わない代わりに暗殺を命じたブラウンシュバイクの証拠を差し出せ」

「な……」

「この氷だらけの土地から抜け出したいのだろう? 俺は寵姫の弟だ。姉上を通じて貴様のこの基地での活躍ぶりを上奏すればお前はここから抜け出せる。俺にはそれを実行できる力がある。皇帝の力を利用するだけの力がな。マーテル中佐、敵基地を壊滅させた功績はいかばかりなものだろうかな? その際にあたってヘルダー大佐は見事な采配を見せたとなれば出世することも可能ではないか?」

「そ、それは……」

 

 マーテルが面食らった顔をする。実直に軍務を務めることに軍人としての責務を傾けてきた男にとっては陰謀の匂いがするやりとりは範疇の外である。

 

「功績は極めて大であると考えますが。失礼……」

 

 通信音が鳴り響いていた。前線部隊からの通信だった。

 

「む? そうか、全軍、突入開始。武装を放棄させ基地を占領せよ」

 

 通信に答えた後マーテルが向き直る。

 

「さあ、どうだ。ヘルダー?」

 

 ラインハルトが取引への返事を迫る。

 

「わ、わしは……で、できん。取引に応じたとして貴様が生きていれば裏切ったと思われよう。例え中央に戻ろうがブラウンシュバイクがわしを生かしておくとは思えん……」

「それで家族はどうなる?」

「え?」

 

 ラインハルトの家族という言葉はヘルダーには意外なものだった。

 

「家族はどうなると言ってるんだこの野郎!」

「ラ、ラインハルト様」 

 

 ヘルダーの襟首をラインハルトが掴んで揺すぶった。キルヒアイスの制止は無視される。

 

「ここで貴様が死んでも同じことだ。貴様の罪が消えることはない。死にたければ卑怯者として死ぬがいいさ。だがな、残された者の苦しみが貴様にわかるか! お前の帰りを待つ子どもはどんな顔でお前の死を聞く? 妻はどんな思いでその死を受け入れる? 一方的に奪われるものの悲しみを貴様は理解したことがあるか! さあ、言ってみろっ!」

「ぐ……」

 

 目に強い光を込めたラインハルトに締め上げられヘルダーはぐったりと膝を落とす。

 

「わ、わしにどんな選択があったというのだ……引き受けなければ、いつ終わるともしれない戦いで命を落としているかもしれず、生き残ったとしても帰ることもできない生活にはほとほと嫌気が差した。生きて家族に会えることだけを心の支えにしてきたのだ。例え卑怯な人殺しに成り果てようともそれだけが唯一の光明に見えたのだ」

「では生き残れヘルダー。貴様が生きる道は俺の後をついてくるのみだ。それ以外の道などない」

 

 基地内部では響いていた銃撃音は散発的になっている。ほぼ制圧は順調かと思われたが──

 

「来やがったな。炙りだされてずいぶんな数だな」

 

 ラインハルトは背を向けて基地へ顔を向ける。その基地から逃げ出したと思わしき歩兵たちが姿を現す。

 すぐにこちらを見つけたのか銃の熱線が飛んでくる。その数は数十人という数だ。

 

「ひいい……」

 

 ヘルダーの足元を熱ブラスターが抉った。ヘルダーは尻餅をついたまま後ずさりする。

 

「下がりましょう。いけません。数が多いですね……」

 

 ジークフリードがブラスターを構えるが、基地から出てきた兵士の武装はこちらの戦力を大きく上回る。砲撃音が響いて近くの氷雪像を粉々に打ち砕く。

 基地は陥落すると見てのやけっぱちが見えた。

 

「ミサイルか」

「ひい……」

「大佐、こちらへ」

 

 マーテルがジークフリードと一緒にヘルダーを下がらせる。今の武装では対抗する術がない。

 その中をラインハルトは前に進み出る。敵の射線に入っても悠然と立ち尽くす。だが、その身に一発も当たることなく前に進んでいく。

 ラインハルトにはすべての射線が緩やかに見えていた。ギリギリで躱して足を戻す。それで動いていないように見えるだけだ。

 はたから見れば正気の沙汰ではない。が、その胆力にこの場にいる誰もが舌を巻いていた。もっともジークフリードは少し呆れただけだ。

 ラインハルト様は危険なほどバトルジャンキーになるのだ。

 

「ヘルダーっ! 貴様も男ならいい加減覚悟を決めやがれっ!! はぁぁぁ~~~っ!」

 

 ラインハルトが身の内に蓄えていた気を一気に開放するとその身がオーラに包まれ髪の毛が逆立つ。

 そして両手を腰に構えるとエネルギーの波が収束して光るエネルギー弾が手の中に生成される。

 高純度の気を束ねたそれはピンボール程度の大きさからテニスボールほどになり、さらに大きくなって指から光が溢れ出した。

 光が白雪の世界を包み込んで反射させる。辺り一面が真っ白に染まり近くにいた三人は目を閉じていた。

 的になりに来た愚か者に戦車をも一撃で破壊するミサイルが放たれる。

 それを正面から迎え撃つ形でラインハルトはエネルギーボールを解き放つ。腕を前に突き出しふんじばって標的に放っていた。

 

「食らいやがれっ! ギャリック砲だ~~~っ!!」

 

 破壊の光線がミサイルを破壊しながら基地脇の山腹を貫いた。そのすぐ後、地響きの後に氷河が崩れ落ちて基地下の敵を巻き込み大量の雪崩となって坂を下っていく。

 再びここにいた三人が目を開いたとき敵の姿は消滅していた。轟音を轟かせながら直ぐ目の前を雪崩が落ちていくさまを目撃する。

 その中に巻き込まれた兵士の姿もあったがすぐに見えなくなっていた。

 距離と角度を計算した上でのギャリック砲だった。

 

「キルヒアイス、まだ暴れたりん。裏口から入って基地を制圧する。お前達はそこで待っていろ」

「ラインハルト様っ!」

 

 ジークフリードに背を向けると、たぎる血のままにラインハルトは基地へ飛び込むのだった。

 

 

 カプチュランカの同盟軍拠点が落ちたことによってこの地を巡る争いにいったんの終息が訪れる。が、その平穏は長く続くものではなかった。

 基地拠点の陥落を受けた同盟軍が艦隊を派遣し帝国軍の地上基地を総攻撃したのはその半年後のことだ。

 帝国拠点は失われ再びカプチュランカを巡る争いは白紙に戻ることとなるのだが、それは彼らの運命と物語に何ら影響を与えるものではなかった。

 カプチュランカでの輝かしい功績は報告され、かくして、ラインハルト・フォン・ミューゼルは多大な功績とみやげ話を皇帝に直接奏上申し上げるという栄誉を受けることとなったのだ。

 良くも悪くも宮中にその存在を知らしめることとなったのである。

 それから──

 深夜のオーディン国際空港。ここに死んだはずの男が立っている。コート姿の男の頬を冷たい風が撫でる。

 背後にライトが差して男は振り返った。眩しさに目を細めて手をかざす。

 車両が二台停まり、先頭の車両から軍服姿の男達が降り立った。その二人はラインハルトとジークフリードだ。

 そして後ろの座席から中年の婦人と、まだ十代の少年と少女が共に降りる。親子連れなのは明らかだ。

 

「あなたっ!」

「お前……」

 

 駆け寄った婦人を男が抱きしめる。妻子を前に、その男──ヘルダーの目に涙が浮かんだ。

 

「約束通りだ、ヘルダー。これを渡しておく」

「これは?」

 

 ラインハルトが差し出した包みを見てヘルダーが受け取る。

 

「ヘルダーという男はすでに死んだ。カプチュランカの戦いでな。四人分の新しい身分証と、当座困らないだけの金額がある」

「わかった……」

 

 ヘルダーと目を合わせラインハルトは首を振る。

 

「礼などは無用だ。それはあそこでふんぞってるアフロ眼鏡に言え」

 

 もう一台の車に乗ったままの運転手は大男で、夜中だというのにサングラスを付けたままだ。

 誰であろうオフレッサーその人だ。すべてを承知してヘルダーを逃がす手はずを整えたのはオフレッサーである。

 オフレッサーは変装のつもりなのか、アフロヘアのかつらを付けている。

 その後ろにはもう一人……深いベールで顔を隠した女性がいる。外からではまるで窺い知れない。

 滑走路の向こう側から用意された小型シャトルがやってくるのが見える。

 

「行け、そして二度と戻るな。この世界が変わるまで」

「感謝する、ミューゼル少尉……それと」

 

 ヘルダーが車両に向けて敬礼する。車中のオフレッサーが敬礼で返すと踵を返し、夫人と子ども達の肩を抱いてシャトルへと乗り込んだ。

 シャトルが飛び立つのをラインハルトとジークフリードが並びあって見送る。

 

「例の映像はいつ使われるのです?」

「今は無意味なものに過ぎん。ブラウンシュバイクの権勢が確かなうちはな。奴が失脚し、俺の足元を舐めるまではな。そのときに突き付けてやる。奴の罪状の証と共になっ!」

「恐ろしいことです。ラインハルト様を敵にしたくありません」

「お前は俺の隣にいるんだ。周りが全部敵でもな」

「そうですね」

 

 シャトルが去り、二人が振り返るとドアを開いてオフレッサーが出迎える。

 

「借りができたな、オフレッサー」

「いや、借りを返したのは俺さ」

 

 ラインハルトに返しオフレッサーがサングラスを外す。

 

「借り?」

「もう二十年も前のことになるがな。ヘルダーの奴は青臭い新兵でな。陸戦隊で一緒だったのさ。とある作戦で後続部隊と分断されてな。さすがの俺様も死ぬかと思った戦いだった。奴は若造だったが度胸だけは座っててな。背中を任せるに値する男だったよ。あいつがいなけりゃ俺もここに立ってねえ」 

「そうか」

 

 オフレッサーの昔話に興味はなかったが、オフレッサーにヘルダーの身の処し方を相談したのは間違っていなかったということだ。

 ヘルダーを死んだことにして戦死者リストに加え、冷凍催眠状態にしてオーディンで蘇生させた。

 これには皇帝の寵姫の弟という肩書でも難しかったが、マーテル中佐の助けを借りて実現させたのだ。

 ラインハルトもこうもうまくいくとは思っていなかった。重なった要因も運のうちだ。

 

「尋ねなかったが後ろの女は誰だ?」

「俺達のスポンサーさ。ヘルダーの身分証と金を用意してくださったのさ」

「誰か、と聞くのは野暮か?」

「お前が出世すればいずれ会うことになるだろうさ」

「ふむ」

 

 面白くないと呟くが、すぐに頷いて返す。

 

「じゃあな、ラインハルト。また会おうぜ」

 

 オフレッサーは背を向けて車に乗り込む。

 すれ違いざま、ラインハルトは顔を隠した女に眼差しを向けるが深いベールが二人の間を隔てていた。

 

「行くぞ、キルヒアイス」 

「はい、ラインハルト様」

 

 空港を出た車は二つの道に分かれて走り出す。

 そしてベールの女が口を開いた。これまで一言も発さず沈黙を保っていた口だ。

 

「オフレッサー。あの金髪の坊やがお気に入りなのだね?」

「見込みのある男です。若いが肝が据わっている」 

「皇帝陛下から姉を取り戻すために軍に入り出世しようとな。姉の光を利用する小童という噂であったが、此度のこと、わらわが手を貸さなんだらどうしたことやら。危なっかしいものよ。だが、あの少年の心根は、お前が気に入るのもわかる。姉のグリューネワルトか……一度、姉にも会っておきたいものだ」

「なら、段取りつけやすぜ。薔薇の庭でよござんすか?」

「良きに計らっておくれ」

「へい、ボス」

 

 オフレッサーが笑って手動マニュアルのハンドルを握るのだった。

 そしてここで歴史に残らぬ一幕が閉じる。時に帝国暦482年、今後長きに渡るラインハルトとキルヒアイスの飽くなき闘争への日々はまだ始まったばかりであった──



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【章終】薔薇の館で 

 その離宮の庭園に二人の貴婦人が佇む。

 

「まあ、何と見事な薔薇でしょう……」

 

 アンネローゼが薔薇に手を伸ばし薔薇の刺に触れぬよう花弁に触れた。

 

「グリューネワルト伯爵夫人。この庭園にある薔薇はすべてベーネミュンデ侯爵夫人のものですのよ。皇帝陛下が苗から育てた薔薇がこの小路にある花達なのです」

「そうですか」

 

 雨露残る真っ赤な薔薇を眺めるアンネローゼの隣に立つ貴婦人はヴェスパトーレ男爵夫人だ。見事なまでの赤い薔薇はいかに丹精込めて育てられているかがわかる。

 庭園の真の主人公は庭師達だが彼らを省みるものはここでは少ない。

 二人が揃って宮中の庭園を散歩をするのはそれほど珍しいことではない。

 白い小宮殿の裏手にある薔薇小路は密やかな訪問にはうってつけの玄関だといえた。

 アンネローゼが離宮の薔薇庭園をまだ見たことがないというから男爵夫人が案内を買って出たのだ。

 ところでその口実は建前である。病気だというベーネミュンデ侯爵夫人を密かに見舞おうというのが二人の真の目的だ。

 目的はお目見えであり、庭が広くて喉が渇いてしまいました。お飲み物をいただけませんか? と、ごく自然に小宮殿の主に失礼でない挨拶をするのにそんな言い訳を用意している。

 何せベーネミュンデ侯爵夫人といえば、この数年を自らを幽閉するかのようにこの宮殿に篭もらせてしまっているから、新参の宮廷人の中にはその顔を知らない者までいるくらいだ。

 アンネローゼが輿入れしてから五年あまり。侯爵夫人とははじめの頃に挨拶しただけでそれ以降はろくに顔を合わせたことがない。

 侯爵夫人は宮中の社交界から一切遠ざかって隠棲に似た生活を送っているという。

 

「わたくしのようなものが訪れても会ってくださるでしょうか?」

 

 内心の不安を口にする。無視されているわけではない。他の者に対しても侯爵夫人の態度は同じだが嫌われているのではないかという不安はここまで来てもある。

 

「あら、ここまで来て尻込みなさるの? いいことアンネ。いえ、グリューネワルト伯爵夫人。確かにあなたが来たことで皇帝陛下の寵愛は侯爵夫人から失われました。けれど、それはあなたのせいではなくてよ? 男なんて…」

 

 男爵夫人は一言分だけ言い置く。

 

「皇帝陛下失礼いたしますわ。みんな若いほどいいんです。ベーネミュンデ侯爵夫人は私が知るかぎり宮中一番の知恵者ですわ。こうして引きこもって誰にも会わないことで自分とあなたを守っているんです。口さがない連中があなたと夫人の対決を噂するのを避けているのです。バカな小雀の言うことを真に受ける人ではありませんけどね」

「私、思い違いをしていました。もう少し勇気を持つべきでした。そうならばもっと早くここに来れていたでしょう」

「あなたと侯爵夫人が争っていると何かと好都合な人間がいるのです。陰謀の影でさらりとあなたと夫人に毒を流しこむようなのがね。ああ、また雨ですわ。雨宿りという口実でよろしいわね?」

「はい」

 

 アンネローゼが頷くと二人は白い小宮殿に続く薔薇の小路を辿って歩き出す。

 

 

 ノイエ・サンスーシの南に小さな宮殿。そこは薔薇の咲き乱れる離宮であった。

 皇帝フリードリヒ四世は誰よりも薔薇を愛した。宮廷のどこにいても薔薇を見ることができるようにと自らの庭園から移してまで植え替えた花々がここにある。

 皇帝が自ら手入れをしたこの薔薇はかつては隆盛を極めて咲き誇っていた。今ではそれも寂しいものとなっている。

 近頃ではフリードリヒの姿はめっきりと見られなくなった。出入りする人の姿も身内の者だけに限られた。

 ベーネミュンデ侯爵夫人の第四子は生まれた後に間もなく亡くなった。失意に沈む夫人から遠ざかるようにその寵愛もまた失せてしまったかのようだった。

 栄光の成れの果てと哀れみの目で見る者もいる。

 今や皇帝の関心は若く美しいグリューネワルト伯爵夫人へ移っている。その事実そのものは彼女の重大な感心事ではなくなっていたのだ。

 それは狂気にも似た執着となってスザンナという名を持つ一人の女としての存在を突き動かしている。スザンナさえも知らなかったもう一人の母親という自分であった。

 

「何じゃと? まだ何もわからないと申すか!」

 

 その一室から甲高い声が響きグラスが割れる音がした。言い訳をする声ともうよいという声。

 

「し、失礼致します」

 

 慌ただしく扉を開けて一人の男が部屋を退室する。彼はベーネミュンデのかかりつけ医師であるグレーザーだ。

 元々畑違いの理不尽な命令を受けていたのでようやく開放されたといったところだ。彼とすれ違うように軍服の大男とぶつかりそうになる。

 

「失敬っ!」

「いや、どうも」

 

 それに対し、後ろも振り返らずにグレーザーは侯爵夫人の館から出ると待たせていたランドカーへ秘書と共に乗り込む。

 

「やれやれ、侯爵夫人にも困ったものだ……」

 

 開口一番にグチが口をついて出る。このところ侯爵夫人の要求は苛烈さを増してきている。

 

「母の愛は何よりも強しというではありませんか。お労しいくらいですわ。少し行きすぎという気もしますが……亡くなったお子様が生きておられるという望みは」

 

 手元の端末から顔を上げて秘書が外の景色を眺める。彼女もグレーザーが受けた密命を知る者であった。

 

「死んだ子の年を数えるのは少しばかり狂気を帯びているがね……」

 

 グレーザーが受けた密命とはベーネミュンデの四回目の懐妊で死んだとされる男児の行方を探ることだった。

 死んだ子どもが生きているというのは妄想じみた話である。事実としてベーネミュンデが身ごもった子どもは死産であったという記録が残っていた。

 その検診をしたのは皇室専門の宮廷医師だ。当時のグレーザーは関わることを許されなかった。

 しかし、調べているうちにその死には不審な点が多々見られたのだ。その赤子が確かに死んだという目撃情報がなかった。目撃者そのものもついぞ確認することはできなかった。

 埋葬されたという記録はあるがそこに亡骸があるのか疑わしいものだ。墓を掘り起こすのは倫理に劣ることだが掘り起こしてみれば中身が空っぽなどありそうなことだ。

 それだけではない。そのことを調べた次の日、グレーザーの元に脅しとも取れる文面の書状が送られてきた。

 明らかにその存在に対する警告であると言えた。経験上、触らぬ神にたたりなし。それはこの世界に生きる者の処世術である。

 皇室の触れてはならぬパンドラの箱に触れて身を滅ぼすつもりはなかった。そしてそれは一つの事実を覆い隠すこととなったのだ。

 

「あのことはやはり報告なさらなかったのですか?」

 

 それは彼らが知り得た赤子の行方を探るただ一つの情報だ。

 

「あの方の子に対する執着と取り乱しよう。もしアレを知ればどのような行動に出るかわからん。もう少し状態が落ち着いてからにした方が良かろう。我々の身の保身のためでもある」

 

 門閥貴族や権勢をほしいままにする勢力には決して知られてはならぬ情報だ。この機密は一国の運命を左右する重大なものでもある。

 

「コーネフ運輸商会。ベリョースカ号。当時の出航記録を辿ってようやく行き着いたが……」

「フェザーンの商人ですわね。今は代替わりして子息が会社を継いでいます。星系を渡り歩く運び屋。ここからさらに行方を追うには手が足りません」

 

 秘書の端末に紹介の情報が映し出される。写真は前代のものと跡を継いだというボリス・コーネフのものだ。 

 コーネフはフェザーンの商工組合に登録された実在する人物である。

 危険を承知でどうにか得た情報はひょんなところからもたらされた。この情報は三日前に知ることとなった。

 いったいどこの誰がこの情報をもたらしたのかはまったくの不明だ。

 これは自分達と同じように消えた男児の行方を知る者がいるという証左でもある。敵か味方かもわからない。

 それゆえにこの情報は慎重に扱う必要がある。下手に接触して漏らすわけにはいかなかった。

 

「もし、生きておられるのであれば銀河皇帝の嫡子……誰がどう出るか……いっそ亡くなっていた方が幸せだったのかもしれませんね」

 

 銀河帝国皇帝フリードリヒ四世に嫡子はなくベーネミュンデは四回の妊娠でも子を残すことができなかった。

 その後、グリューネワルト伯爵夫人の登場でベーネミュンデ侯爵夫人の地位は大いに揺らぐ。

 今やベーネミュンデは宮廷では腫れ物扱いである。それというのも子を亡くしてからは精神の安定を損ね妄言を周囲に漏らすようになったからだ。

 社交界からは遠ざかり館にこもっては酒に溺れ遊興に耽っているという噂であった。

 それは誤解であるとグレーザーは知っている。侯爵夫人は聡明でそのように見えるように振舞っているだけなのだ。

 真の狙いは我が子を奪還することにだけ傾けられている。それを狂気と呼ぶか愛と呼ぶかはベーネミュンデに近い者だけが知っている。自分も含めて。

 

 

「はい、ベイビィ~ お勉強はしましたかぁ?」

「はい、ママ。沢山学びました。ご飯、の補給がしたいです」

 

 室内に響くのは人の耳には少し冷たく聞こえる声だがまだ子どもの声だった。

 

「おお、ベイビーはすごいなあ。もうこんなに喋れるようになって」

 

 顔に傷のある巨漢の男がフェンス越しにベイビーを見下ろす。

 ベイビーと呼ばれる硬質の肌を持つ子どもはロボットだ。自律歩行型のアンドロイド。

 

「ほほほ、うちの子は天才ですのよ。ベイビーはもうじき大学教科の学習も終えますのよ」

「そりゃあてえしたもんだ。宇宙チェスの再戦も申し込まなくちゃなあ」

 

 そのロボットの前で語り合うのはベーネミュンデとオフレッサーだ。

 

「ベイビーはスリープモードに入ります……」

 

 そう言ってベイビーは目を閉じる。

 人間の八歳くらいの背丈で人工知能に自律型成長機能を持たせた、とても高価なロボットである。

 人間の子どもが着るような子ども服を着せられている。その姿は歳相応の子どものようにも映る。

 この少年ロボットの名付け親は造り主と同じ人物でもあった。

 

「学習機能そのものは何の問題もありませんわ。二足歩行なだけに安定性を欠くのが難点ね。それと、かなりの軽量化をしていることもあるかしら。それ以外のことなら完璧と言ってもいいくらい」

「さすがはベーネミュンデ侯爵夫人ですな。ベイビーの開発から作製までを技術局のお下がりだけで造り上げてしまうとは」

 

 技術開発局にベーネミュンデは特別なコネを持っている。科学技術総監になったシャフトが総監になれたのはベーネミュンデが知識供与をしたからだ。

 彼の功績とされる指向性ゼッフル粒子の指向性論文を書いたのは彼女自身であった。その後も粒子論の裏付けをしながらシャフトに新たな技術の開発に助言を与えている。

 まさにシャフトは彼女の手駒であった。

 

「世辞はいいの。何が欲しいのかおっしゃいなさいな?」

「はは……フェザーンに建てる工場の敷地の段取りはついたんですがね。その土地を所有していた主人がちょっとした訳ありでしてな……」

「安いと訳あり物件に行き当たるというもの。大方、売主と株主の意見が合わぬとかそういった問題であろう? わらわが口を挟む道理はないのではないか?」

 

 そのような問題はお前の裁量であろうとオフレッサーを眺める。

 

「そのとある子爵殿があなた様のご縁でしてな……」

 

 オフレッサーは恐縮するように申し出る。その名はベーネミュンデの痛いところをつくのだ。

 

「そう……とっくに縁が切れたものと思っていたけれど……金に困った挙句に娘を売り渡し、事業に失敗したとは聞いていたが……」

「もちろんナシはこっちでつけやすがね。一応、お断りしておこうと思いましてね。手荒なことはしませんがね」

「親と子の縁はもうないも同然です。わらわの投資を邪魔するとなれば排除して構いません」 

 

 眉をしかめたままそう告げるベーネミュンデにオフレッサーは頷き返す。

 

「じゃあ、そういうことで手続きをしますぜ」

「ええ、手抜かりなく。今やわらわとお前は一心同体も同じこと。裏切りは許しませんよ?」

「もちろんでさぁ、ボス」

 

 ニヤリとオフレッサーが笑う。彼の長年の夢と夫人の目的が一致した計画はまだ始まったばかりであった。そのために根回しは十分にしてある。

 後はいつ退役して事業を本格的に始めるかにあった。代理人を通しての交渉ばかりだが、事業が本格化すればオフレッサー自ら動かねばならない。

 

『お客様がお見えになっております』

「誰か?」

「これはちょうどよい時間ですな」

「オフレッサー?」

 

 訝しむベーネミュンデへオフレッサーは片目をつむってみせる。

 この後の成り行きは、渋々ながらも館の主人として顔を出したベーネミュンデ侯爵夫人とグリューネワルト伯爵夫人が顔を合わせる運びとなったのだった。

 公式に二人が顔を合わせるのはこれで二回目である。

 オフレッサーとヴェスパトーレ男爵夫人の二人が接待役とお喋り役を引き受けて場をもたせると、はじめは硬かった雰囲気は和らいでお茶の席に笑いが溢れるほどであった。

 二人のはかりごとは成功したのだといえる。

 この後、月に一回程度の頻度で小宮殿へ通うアンネローゼの姿が目撃されるようになるのである。



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