廻る命の輪の中で (まるっぷ)
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短編版
カークさん(女)in ダンまち世界


私なら大丈夫、姉さんがいるもの。

 

だから姉さん。

 

あんまり無理しないで……。

 

さよなら、姉さん。

 

危ない事はしないでね……。

 

 

 

 

 

「……―――。―――――ク。カーク」

 

暗く巨大な空間に、何者かの声が木霊する。

 

その言葉は黒いフードで全身を覆った人物から発せられたものであり、その者の視線はもう一人の人物に注がれている。

 

その者は冷たい石畳の上に設けられた篝火の前で、胡坐をかいた状態で鎮座していた。

 

全身を覆うのは禍々しい鎧。赤錆が浮いたような、返り血が渇いたような、不吉な色合いのそれは至る所から鋭い棘が突き出ており、身を守ると言うよりも他者を傷つける事に特化しているように見える。

 

カークと呼ばれた人物は首を振り、まるで夢から覚めたかのように頭を上げる。

 

「……フェルズ」

 

「済まないが、至急17階層に向かってくれ。例の狩猟者(ハンター)達に動きがあった」

 

フェルズ、と呼ばれたフード姿の人物は手短に用件を話す。

 

その声に含まれた若干の緊迫の色を見抜き、カークと呼ばれた人物は返答もせずに無言で立ち上がる。

 

両手に携えた剣と盾。それすらも鎧と同じく、まんべん無く棘が見受けられる。物騒な獲物を手にカークはフェルズへと近付き、顎でしゃくって催促した。

 

「言っても聞かないだろうが、過激な事(・・・・)はくれぐれも控えてくれ。目立てばそれだけ我々の立場が危うくなる」

 

その忠告を聞いたのかどうか、兜の上からでは判断のしようがない。相変わらず無言を貫く様子にフェルズは嘆息し、魔道具(マジックアイテム)を使用する。

 

瞬く間に黒い煙幕がカークに絡み付き、その全身を覆っていく。

 

数秒後、そこには何者の姿も無く、ただの暗闇があるだけだった。フェルズはカークが行った事を確認し、その場を離れる。

 

「カークはもう行ったのか」

 

「ああ、ウラノス。今頃はもうダンジョンにいるはずだ」

 

暗く巨大な空間に、新たな声が響いた。

 

その人物、否、神物はこの空間に設けられた巨大な石の玉座に坐しており、ピクリとも動かずにしている。

 

2Mはあろうかと思われる巨躯に、白い髪と髭をたくわえたその神物……ギルドの主神、ウラノスは視線をフェルズへと向ける。

 

「忠告はしたが、あれは聞く耳を持たないだろうな。極力、目立たず穏便に済ませてくれる事を祈るよ」

 

「しかし我々だけでは手が回らないのも事実だ。そしてあの者はああいった手段しか知らぬ……狩猟者(ハンター)達への対処に関しては、全て一任するしかあるまい」

 

「ああ……今はそうするしか無いな……」

 

いつになく沈痛な面持ちをするウラノス。それを肯定するフェルズ。

 

一人の一柱はそれから口を開かず、やがてそれぞれの仕事に取り掛かる。あとに残ったのは、元通りの暗闇が支配する無音の空間だった。

 

 

 

 

 

「ここいら辺だよなぁ?あのモンスター共を見たってのは」

 

「ああ、間違いねェ。きっと近くに抜け道みたいのがあるんだろうぜ」

 

ダンジョン17階層。そこの少し開けた空間にたむろする十人程の人影。彼らは【イケロス・ファミリア】所属の冒険者である。

 

しかし冒険者と言っても、その実態は世間一般の認識とは異なる。

 

彼らは自身の欲望のために『異端児(ゼノス)』を狩り、様々な好事家や『怪物趣味』の貴族たちに高値で売っている。

 

故に、フェルズ達からは狩猟者(ハンター)と呼ばれる。

 

ほとんど犯罪者集団と化した彼らが今回狙っているのは、最近聞いたある『異端児(ゼノス)』であった。

 

「最近は中々良い見た目のヤツが()れないな。おかげで金が足りん」

 

「しかもなんだか妙な噂まで流れてやがるしよぉ」

 

「あン?噂だ?」

 

女戦士(アマゾネス)の零した愚痴に、中年のヒューマンが乗っかる。それを獣人が聞き、怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「なんでも最近、妙な格好の冒険者みてぇなヤツを見るんだと。全身トゲまみれの鎧を着込んだ、薄気味悪ぃヤツさ」

 

「なんだそりゃ。俺らが追ってるモンスター共の擬態じゃねぇのか?」

 

「かもな。噂だと急に現れたり消えたりするらしいし、本当にそうかもな」

 

「無駄口叩いてる暇があったらさっさと探せ。今回の標的は良い金になるんだからよ」

 

中年のヒューマンと獣人の会話を中断するように、もう一人のヒューマンの声がダンジョンに響いた。彼はパンパンと手を叩いて団員達を注目させ、標的の特徴を告げる。

 

「分かってるだろうが、今回は人蜘蛛(アラクネ)が目標だ。色白で白い髪、これがソイツの特徴だな」

 

「へへ、人蜘蛛(アラクネ)って事は、つまり上半身は普通の女と変わらねェって事だろ?」

 

「見つけたら少しくらいつまみ喰いしても良いよなぁ」

 

下卑た笑い声が団員達から上がる。さっきまで説明していた男も口角を歪ませ、仲間の軽口に乗って醜く笑う。

 

「オイオイ、アレは商品なんだぜ。つまみ喰いもほどほどにしろよ?」

 

「お前が言うのかよっ、一番楽しみにしてるクセによぉ!」

 

ドッと、団員達に一際大きな笑いが起こる。紅一点の女戦士(アマゾネス)だけが呆れる中、すっかり機嫌を良くした男は更に続けた。

 

「しかもその人蜘蛛(アラクネ)、見た目はまだガキと変わらねぇらしいぜ。ひひっ、俺の大好物だぜ!」

 

待ちきれないと言わんばかりに男の顔が大きく歪む。周りの団員から好き者扱いされている事にも気付かず、男は臆面もなく自身の欲望を口にする。

 

 

 

「ああいう幼い顔を絶望に歪ませるのが最高にたの、シっ」

 

 

 

と、大きく口を開いたその喉の奥から、それは生えてきた。

 

ずぐり、という音と共に、男の口から生えてきた直剣。

 

棘だらけのその刀身は粘質な血でまんべんなく濡れており、ぬらぬらと赤く光っている。

 

男は大口を閉じる事も出来ぬまま、訳が分からないと言った様子で目を彷徨わせる。周りの団員達も突然のこの事態に、ポカンと放心してしまっている。

 

やがて直剣は男の顔を半ば切断するように、無理やり引き抜かれた。口周りを大きく抉られた男の身体はぐらりと傾き、そのまま地面に倒れ込む。

 

ぶくぶくと泡立つ血と髄液の海に沈み、そのまま哀れな骸を晒す事となった。

 

「……お、オーティス!?」

 

ここでようやく事態に反応し、全員が獲物を構えた。

 

そしてオーティスと呼ばれた男が先程まで立っていた、その少し後方。そこからまるで浮かび上がるかのように、鎧姿の人物が現れる。

 

全身を棘まみれの鎧に身を包んだ異様な姿。右手の直剣は血に塗れ、この人物が仲間を殺したのだと団員達は直感した。

 

「って、テメェ!何者だぁ!?」

 

一人の団員が、声を震わせながらも怒鳴りつける。傍らの骸を一瞥する事も無く、その鎧姿の人物……カークは次の行動を取った。

 

「あがっ!?」

 

目にも止まらぬ速度での投擲。カークは手にしていた盾を、正面にいた男の顔面目掛けて投げつけた。

 

棘だらけの金属の塊が直撃すればどうなるか、それは火を見るよりも明らかである。

 

「ひっ!?」

 

隣にいた獣人から悲鳴が上がる。

 

どさっ、と背中から倒れた男の顔は大きくひしゃげ、陥没していた。頬から顎までは大きく裂け、溢れ出る鮮血が止まらない。衝撃で破れた後頭部からは脳が飛び出し、一面に脳漿をぶちまけている。

 

「ぐぁあ!!」

 

バッ!と振り向けば、別の団員が既に斬られていた。棘だらけの直剣では斬るというよりも抉るといった方が正しいのか、傷口はずたずたである。

 

「ち、ちくしょっ!」

 

別の団員がカークの背中を斬り付ける。しかし重厚な金属鎧は傷つける事は出来ず、それどころか斬り付けた剣の方が折れてしまった。

 

「なんっ……びゃっ!?」

 

折れた剣に気を取られていた団員は、カークから強烈な裏拳を見舞われた。それは見事に顎へと吸い込まれ、団員は下顎を吹き飛ばされながら倒れ込む。

 

ビクリッ、ビクリッ、と痙攣するその団員の頭を踏み潰し、とどめを刺すカーク。一気に三人も仲間を殺された狩猟者(ハンター)達は尻込み、知らず距離を開けてしまう。

 

「な、なにをビビッてる!相手は一人、囲んでしまえば簡単に殺せるっ!!」

 

そう声を張り上げたのは女戦士(アマゾネス)だった。萎縮した仲間に発破をかけるような彼女の声に、団員達の目に凶暴性が戻る。

 

「そっ、そうだ!囲んじまえ!」

 

「殺せぇ!!」

 

その声と共に、叫びながらカークの元へ殺到する三人の団員達。横並びになって襲い掛かる彼らに対し、カークが取った行動は僅かなものだった。

 

盾を投擲した左手に、小さな火が宿る。

 

カークはその手から炎を放出させ、それをもって目の前の三人を薙ぎ払う。

 

「へ?」

 

間の抜けた声が一人の喉から出た。その直後、三人は業火に包まれる。

 

「……ぎゃぁぁぁああああああああああああああああああっ!!?」

 

火達磨となった三人は武器を放り出し、滅茶苦茶に暴れ回る。その所為で戦闘の最中に落ち、油が漏れ出たランタンに引火してダンジョンを赤く照らす。

 

「なっ、魔法!?」

 

「詠唱してねぇ!魔剣だっ!!」

 

特攻した三人が火達磨にされ、今度こそ残りの団員達は萎縮してしまった。やがて燃え盛る炎の壁を突き破り、一振りの直剣が飛んでくる。

 

「ごっ……!?」

 

「!?」

 

中年のヒューマンの隣にいた団員の喉に、その直剣は突き刺さった。動脈をやられたらしく、夥しい量の鮮血が溢れ出す。

 

「ひぃぃいいいいい!!だっ、誰か!?助っ!?」

 

「あぎゅっ!!」

 

武器を構えたままうろうろしていた獣人と中年のヒューマン。並んで立っていた二人の顔面を硬質な感触の何かが捕らえた。

 

いつの間にか接近していたカークが、二人の顔面を鷲掴みにしたのだ。自身の身に何が起こったのか理解する間も与えず、カークは両手に呪術の火を宿す。

 

そして、発火。

 

両手で二人を鷲掴みにした状態で発動させた呪術、当然の如く、二人は顔を焼かれる事となった。

 

「………、……」

 

「―――――……」

 

悲鳴すらなかった。叫びたくとも叫ぶ口はおろか、目も鼻も何もかも、顔面にある器官は根こそぎ炭化してしまったのだから。

 

身体を硬直させて丸太のように倒れる二人。カークはやはり一瞥すらせず、残った敵に視線を向ける。

 

「ひっ……ひっ、い……!?」

 

そこには壁に背を預ける女戦士(アマゾネス)がいた。武器はすでに取り落されており、戦闘の意思は感じられない。大きく見開かれた両目には大粒の涙が溜まっており、気の毒なほどに震えている。

 

格が違う。

 

彼女はようやく理解した。目の前のこの棘だらけの鎧を着た奴は、自分達よりもずっと強い。数でどうにかなる相手ではないのだと。

 

震える彼女にカークはゆっくりと近付いてゆく。その足音が、彼女には死神の笑い声に聞こえてしまう。

 

ぐっ、と彼女の首を鷲掴み、カークは無理やり立たせる。自然と首を絞める格好となり、彼女は苦しそうに喘ぐ。

 

「あっ、が……!ま、待って………!!」

 

苦しむ彼女は何とか助かろうと、自身の持つ情報を全て喋る事にした。恐らくこいつは自分達の狩りの邪魔をしてきた奴らの側の人間。情報さえ話せばひとまずは延命できると踏んだのだ。

 

「言う……知ってること、話すから………助け……!」

 

早く、早く離してくれ!と胸の中で懇願する女戦士(アマゾネス)。しかし目の前の死神は何の反応も示さない。

 

聞こえなかったのかと思い、もう一度命乞いをしようとした、その時。

 

 

 

「要らん。死ね」

 

 

 

彼女は()を聞いた。

 

この場に相応しくない綺麗な声は面前から聞こえてきた。兜越しではあるものの、それは紛れも無く女のそれである。

 

「お前……女……?」

 

女戦士(アマゾネス)は消え入るような声でそう呟いた。しかしカークは取り合わずに、空いた手で呪術を放つ。

 

ごうっ、とそこに現れたのは小さな溶岩溜まりだ。そばで倒れていた団員の死体を溶かし尽くす灼熱の暴力は近くにいるだけで肌を焼く。

 

そこへ、カークは女戦士(アマゾネス)を放り投げた。

 

ポカンとした顔の彼女は背中から溶岩に接触し、ずぶりと飲み込まれていった。

 

「――――――――ッッ!!?――――――――――――――ッッッ!!!」

 

声にならない悲鳴が溶岩の中から漏れる。

 

数秒後、溶岩は消失し、そこには全身が焼け爛れた女戦士(アマゾネス)の姿だけが残った。

 

仰向けで胎児のように体を丸め、小刻みに震える彼女。所々は骨が見え、一部はすでに焼失してしまっている箇所もある。それでも息があるのは、もはや不幸以外の何物でもない。

 

カークはそんな彼女を見下ろし、やがて踵を返した。そして落ちた剣と盾を拾い、損傷がないか確認する。

 

それを終えたカークは、その場を後にした。焼けた金属と肉の匂いが充満するその場所が他の冒険者に見つかるまで、そう時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

カークは『隠れ里』付近の泉で鎧を洗っていた。血や肉片をこびり付けたまま彼らに会うのは、何となく気が引けるからだ。

 

鎧を外して落とせる汚れだけを落としていく最中、カークはある事を思い出す。

 

それは、あのヒューマンの言っていた言葉だ。

 

『しかもその人蜘蛛(アラクネ)、見た目はまだガキと変わらねぇらしいぜ。ひひっ、俺の大好物だぜ!』

 

その言葉を聞いた途端、カークの中で何かが弾けた。

 

本来はフェルズから借り受けていた『透明状態(インビジビリティ)』となる魔道具(ヴェール)を纏い、気付かれずに背後から速やかに始末するはずだった。

 

いくら我慢が利かない性格だからと言っても、流石に少しは堪え性が無ければと一人反省するカーク。やがて鎧を洗う作業も終わり、まだ水浸しのそれを躊躇なく着込む。

 

そして、『隠れ里』へと足を踏み入れる。

 

周囲を淡く発光する石英(クォーツ)に囲まれた幻想的な空間に、賑やかな声が聞こえてくる。

 

見れば、そこには様々な異端児(ゼノス)達が居た。

 

蜥蜴人(リザードマン)半人半鳥(ハーピィ)半人半蛇(ラミア)戦影(ウォーシャドウ)。中には竜種の異端児(ゼノス)までおり、それらが一堂に会するこの光景は圧巻の一言に尽きる。

 

「おっ、カークじゃねぇか!なんだ、来てたのかよ!」

 

「あラ、カークさん。お久しぶリです」

 

「来テイタノカ、ゾンビ擬キ」

 

カークの存在に気が付いた異端児(ゼノス)達が、口々に話しかけてくる。蜥蜴人(リザードマン)は陽気に、半人半鳥(ハーピィ)は丁寧に、石竜(ガーゴイル)はぶっきらぼうに。

 

彼らなりの歓迎を受ける中、カークは彼女(・・)の姿を探す。ややあって、彼女(・・)は集団の中からやって来た。

 

「カークっ、来てたの!」

 

てててっ、と八本の脚(・・・・)で駆け寄ってきたのは人蜘蛛(アラクネ)の少女だった。子供用のピンクのワンピースを着ている彼女は嬉しそうに笑いながら、カークの元へとやって来た。

 

「ああ。ただいま、セス」

 

カークは兜を取りながら人蜘蛛(アラクネ)の少女に笑いかける。

 

兜の下から現れた長い黒髪を翻して微笑む彼女……カークの顔は、とても優しげだった。

 

 




このカークさんは蜘蛛姫従者だったダクソ主人公です。

カークを名乗っているのは作者の思い付きです。



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廻る命の輪の中で
プロローグ


息抜きに書き始めたら意外といったので載せました。



娼婦の女の股から生まれた。

 

愛はなかった。

 

娼館で生まれ育った。

 

学は身に付かなかった。

 

14で初めて客をとった。

 

男の扱い方は身に付いた。

 

17で性病を(わずら)った。

 

すぐに娼館を追われた。

 

路上で寒さと空腹に喘いだ。

 

助けてくれる者は誰もいなかった。

 

こんな場所では死にたくない。

 

その一心でひたすらに歩き、街はずれの墓場にやってきた。

 

18になったその日の深夜に、女は死んだ。

 

 

 

 

 

……そして、不死人(わたし)が生まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不死人は一切の例外なく『北の不死院』へと送られ、そこで世界の終わりまで牢に繋がれる。女も当然のようにそれを辿り、数百年間もの間、牢に捕らわれていた。

 

ぼろ布だけを纏った、乾いた死体のような姿に成り果てても死ぬことは出来なかった。せめてもの慰めは、牢の隅に転がっていた奇妙な文字が彫られた指輪を眺める事くらいだった。

 

あの騎士が来るまでは。

 

 

 

ロードラン。不死者の巡礼地。巨大なカラスに運ばれた先はそんな場所だった。

 

曰く、『巡礼を果たした暁には世界から呪いは消え失せ、変わり果てた人々も元に戻る事が出来る』らしい。しかし女はあの騎士の使命を継いでここまで来た訳ではない。

 

ただ単純にあそこで、あの牢屋の中で終わりたくはないと思っただけだ。

 

 

 

旅路は過酷の一言に尽きた。絶えず襲い来る亡者、過去の騎士、醜悪なデーモン。一体奴らに何度斬られ、刺され、潰され、焼かれ、殺されたのかは分からない。

 

それでも女が歩みを止めなかったのは、何故なのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あんた、終わってんな。亡者とかそういう以前によ』

 

『貴公はもう少し自分を労われ。それではいつか壊れてしまうぞ』

 

『なぁ、あんた……。いや、なんでもない。俺の呪術を役立ててくれよな』

 

うるさい、うるさい、うるさい。

 

うるさい……黙れ。

 

 

 

ガクリと蜘蛛の膝を折り、異形のデーモンが斃れる。

 

『あぁ……すまない………■■■■』

 

デーモンは何者かの名前を口にした。

 

 

 

蜘蛛のデーモンを殺した先には篝火があった。

 

中には気味の悪い卵背負いの老人と、異形の白く、儚い少女がいた。

 

 

 

『姫様は、こんな儂らのために泣いてくれた……そしてクラーグ様の言う事も聞かずに、病の膿を飲み込んだんだ……』

 

姫様と呼ばれた白い異形の少女を見る。

 

病の膿を侵されてなお祈り続ける彼女の姿を、何故かとても尊く感じた。

 

名も知らない者たちの為に涙を流し、祈り、身も心も彼らに捧げた少女。

 

生まれた時から誰かの所有物で、他者を理解しようともしなかった私が、ひどく小さく思えてくる。

 

凍えた心が溶け、その内に小さな火が灯るのを感じた。

 

 

 

『ありがとう、姉さん……とても楽になったわ』

 

目の見えぬ白い異形の少女は捧げられた人間性を一身に受け、柔らかく微笑む。私は古びた指輪を外して、彼女から目を背けた。

 

毎度の事ながら自問を繰り返す。何故お前は、そこまで優しげに微笑むことが出来るのか。

 

私はお前の姉ではないと言うのに。

 

お前の姉を殺したのは………私だと言うのに。

 

 

 

『皆殺しのカーク』。言わずと知れた、悪名高い闇霊(ダークレイス)

 

今まで散々私を付け狙ってきた男。ソウルと人間性を得るためならば手段を選ばない執念深さを見せてきた男が、私の目の前で力なく座り込んでいる。

 

『はッ……なるほど。………お前も、俺と同じ………従者、だったのか……』

 

兜の隙間からゴポリと血を吐きながら、カークは自嘲するように語る。

 

『俺は、もう終わる(・・・)……残されたソウルなんざ、これっぽっちもありゃしねぇ………』

 

彼の目の前に膝をついた私の襟首を掴み、カークは自身に引き寄せる。

 

『……お前………あいつを、頼んだ』

 

落ちてゆくカークの手。

 

他者を拒絶するかのように棘だらけの手甲。その鋭い棘が手の甲を貫くのも気に留めず、私は彼の手を強く握り締めた。

 

 

 

『おぬし……その恰好は………』

 

エンジーが僅かに目を見開く。

 

私は彼の死体から鎧を剥ぎ取り、武器を奪った。

 

そして……私は『カーク』になった。

 

 

 

『カーク』を引き継いだ後、私は一層人間性狩りに精を出した。

 

全てはあの白い異形の少女のために。

 

私の中での彼女の存在は、とっくの昔に大きなものとなっていたのだ。

 

そして誓った。

 

必ずや私の手で世界に蔓延する呪いを食い止め、彼女を人間に戻すのだと。

 

 

 

巡礼はその後も続いた。

 

最初の死者とウロコの無い白竜を斃した私は、病み村で一人の魔女に出会った。

 

『お前も、私の呪術が目当てなのか?』

 

彼女は『クラーナ』と言った。

 

 

 

クラーナに呪術を教わるうちに、いつしか彼女は自身の身の上話を始めた。

 

曰く、地下深くに広がる廃都イザリスの最奥には、彼女の母親と姉妹たちの成れの果てである『混沌の苗床』がいるという。彼女は母親たちを置き去りにして一人逃れてきた事を悔いているようだった。

 

『カーク、お前にこんな事を言うのは筋違いだとは分かっている……だが、お願いだ。どうか、どうか私の母と、姉妹たちを……』

 

私は震える彼女の手を取り、篝火へと向かった。

 

 

 

『あぁ……そんな………こんな事が……!!』

 

白い異形の少女と対面を果たしたクラーナはその場に泣き崩れた。エンジーは困惑した様子でクラーナと私を見比べる。

 

『カーク、この方はまさか……!?』

 

私は無言で、座り込むクラーナに指輪を渡した。そして部屋を出て、イザリスへと向かった。

 

 

 

混沌の苗床を斃した後、私はその足で小ロンド遺跡へと向かった。

 

道中に現れるゴーストや闇霊(ダークレイス)を棘の直剣で斬り払い、深淵へと身を躍らせた。

 

次々現れる公王は非常に手強く、何度も殺されたが、遂には勝利した。

 

そして篝火を灯そうとした私の目の前に現れたのは、深淵の蛇だった。

 

 

 

蛇は語った。

 

世界の仕組みを。

 

大王グウィンの策謀を。

 

 

 

不死人は絶望した。残酷極まるこの世界に。

 

不死人は呪った。太陽の光の王を名乗る蛆虫を。

 

そして不死人は………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

火継ぎの旅路は終わりを告げた。

 

無意味な旅路を続ける理由もなくなり、深淵を去った私はいよいよ人間性狩りに専念した。全てはあの白い異形の少女のために。

 

最下層のネズミ共では足りない。そもそも人間性を持っている確証の無い雑魚を狩り続けても割りに合わない。

 

ならばどうするか。簡単だ。

 

確実に持っている者を狩ればいい。

 

 

 

『てめぇ!とうとう狂いやがったか!』

 

心折れた戦士が振るう剣を薙ぎ払い、心臓を突き刺す。

 

人間性を奪う。

 

 

 

『このような形で、貴公と再会したくはなかった……』

 

太陽の戦士が放つ雷の槍が身体を貫いたが、構わず突進する。

 

鎧と兜の隙間を狙い、喉笛を抉る。

 

人間性を奪う。

 

 

 

魔術師を、聖職者を、聖女を、商人を、鍛冶師を、教戒師を、珍品売りを、封印の番人を、カタリナの親子を、カリムの騎士を、賢者を、狩猟の団長を、極東の殺し屋を、ハイエナを、他の火守女たちを、他世界の不死人たちを。

 

殺した(斬った)

 

殺した(刺した)

 

殺した(抉った)

 

殺した(焼いた)

 

殺した(燃やした)

 

人間性を奪った。

 

奪い続けた。

 

 

 

『最後は俺、か……』

 

目の前の呪術師は諦めた風に笑う。

 

そして、やがて覚悟を決めたかのように、顔を上げた。

 

『なぁ、あんた。せめて終わらせるなら、あんたのとっておきの呪術でやってくれないか?持ってるんだろう、俺なんかが見たこともない、すげぇ呪術を』

 

一瞬の間の後、私は左手の盾をソウルに溶かして呪術の火を灯す。他でもない、彼自身の手から貰ったものだ。

 

クラーナによって最大強化されたそれはもはや最初の時よりも遥かに強力で、彼の命を燃やし尽くすには十分過ぎる代物だった。

 

ごう、と手に宿すのは、混沌に満ちた巨大な火の玉。

 

彼はそれを眩しそうに眺め、そして口を開いた。

 

『ああ……なんて、綺麗なんだ……』

 

 

 

殺した。

 

人間性を、奪った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後も私は他世界の不死人を殺し続けた。

 

そして奪い続けた、人間性を。

 

全てはあの白い異形の少女のために。

 

人間性を得るために完全に見境をなくした私に、クラーナとエンジーは何も言わなかった。私も何も言わず、聞かず、そこから百年の歳月が流れた。

 

世界に救いがないと分かった以上、ならばせめてこの瞬間を生き続けようと、私は白い異形の少女に人間性を捧げ続けた。

 

彼女の苦しみを、ほんのひと時でも和らげたくて。

 

しかし……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女の症状は日増しに悪くなっていった。

 

いつも苦し気に自らの両肩を抱きしめ、上半身を丸めて震えていた。以前は一日に一つの人間性で足りていたのが二つ、三つと増えてゆき、遂には日に十個でも足りなくなった。もしかすると、それ以上に必要なのかも知れない。

 

だが、私自身にも限界の兆候が見られてきた。以前のように戦えなくなってきたのだ。

 

思えば不死人となってから数百年以上の時が経っている。

 

死という安寧を奪われ、死んだように生き、生きているかのように死に続けた不死人の末路が亡者だ。自我を失い、ただソウルを求めるだけの存在に成り下がる。そしてそれに、一切の例外はない。

 

私自身もその例に漏れず、遂に“終わり”が近付いてきている、という事なのだろう。

 

『カーク』

 

篝火の前で胡坐をかく私に、クラーナが語り掛けてくる。

 

『もう、終わりにしないか……?』

 

彼女の顔はフードによって見えない。しかし傍らのエンジーの悲痛に満ちた顔が、彼女の心境を代弁していた。

 

つまりは、そういう事だ。

 

『これ以上はもう見たくないんだ。妹が苦しむ姿も、お前が擦り切れてゆく姿も。……頼む。どうかもう、休んでくれ………』

 

懇願するように、祈るように。篝火の明かりに照らされたクラーナが、声を震わせて私に語り掛ける。

 

 

 

彼女の言葉に、私は剣を取った。

 

 

 

床に広がった赤い血を篝火の明かりが反射させ、部屋中が赤い光に満ちた。

 

血の海で横たわるのは一人の魔女と、一人の卵背負い。びちびちと跳ねる蛆虫を踏み潰し、私は人間性をすくい上げる。そしてそれを、白い異形の少女に捧げた。

 

『あり、がとう。姉さん……楽に、なったわ』

 

彼女は無理をして浮かべた微笑みを私に向ける。その直後に、私の脳裏に先ほどの光景が蘇る。

 

『ぁぁ、カーク………すまない』

 

エンジーの悲鳴が反響し、胸に剣を突き立てられたクラーナ。彼女から剣を引き抜いた私は、続けざまにエンジーの頭を突き刺した。

 

エンジーから人間性は得られなかったが、クラーナからは得る事が出来た。やはり、より人間に近い容姿をしている者の方が持っている(・・・・・)のだろう。

 

すでにソウルへと還った二人がいた場所を見下ろし、私は他世界の不死人を狩るべく、再び外へと歩き出す。

 

全てはあの白い異形の少女のために。

 

そのために私は彼女にとって、もはや唯一となった姉妹にまで手をかけたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

血が止まらない。

 

思考が白濁している。

 

身体がひどく重い。

 

血痕を点々と残しつつ、私は彼女のいる部屋へと戻った。今日の成果は人間性が二つだけ。そう、たった二つだけだった。残してあったものと合わせても、僅かに五つのみ。これでは彼女の苦しみは一瞬だけしか良くならない。

 

顔を上げれば、そこには痛みに震える彼女の姿があった。その姿に、かつてのクラーナの言葉が頭を過ぎって……………。

 

……………?

 

クラーナはあの時、なんと言ったか?頭をひねって思い出そうとするも、どうしても思い出せない。そもそも“クラーナ”とは、一体誰だ?

 

私は右手を握り締める。が、思うように力が入らない。

 

私は呪術の火を取り出す。が、呪術の使い方が思い出せない。

 

私の名前は?そんなもの、とうに忘れている。

 

私はなぜここにいる?不死人になったからだ。

 

私の目的は?……目的とは?

 

私が集めていたものは……?

 

私は………なんだ?

 

脳の中を白い蟲が這いずり回り、急速に食い荒らしてゆく。穴だらけになった脳の奥底から腐敗した脳漿が溢れ出て、私を押し流してゆく。ああ、これが亡者になるという事なのだと、私は雲のような思考で理解した。

 

もういい、終わろう。

 

どしゃりと前のめりに倒れ込んだ私はある種の心地よさを覚えた。そうだ、世界の理不尽を呪い続けるよりも、こうして亡者になってしまった方が遥かに楽なのだ。

 

私は心地よいまどろみに誘われ、瞳を閉じようとして………。

 

 

 

 

 

彼女の姿が、視界に映った。

 

 

 

 

 

彼女の名前は?知らないが、白い異形の少女と呼んでいた。

 

彼女の従者は?卵背負いのエンジーだ。

 

彼女の姉は?クラーグだ、私が殺した。

 

彼女の姉妹は?魔女クラーナ、私の呪術の師でもあった。

 

彼女に必要なものは?人間性だ。

 

どうやって手に入れた?他世界の不死人を殺してだ。

 

殺した。殺した。殺した。

 

全員殺した。

 

私が殺した。

 

彼女の従者も、彼女の唯一の姉妹さえも殺した。

 

何故?

 

………そんな事、決まっている。

 

 

 

全てはあの、白い異形の少女のために。

 

 

 

剣を地面に突き立てて、私は立ち上がる。

 

鉛のように重い足取りで一歩、また一歩と、彼女のもとまで歩み寄る。

 

そして残された全ての人間性を、彼女に捧げた。

 

『あぁ……』

 

苦悶に歪んでいた彼女の顔が、僅かに和らいだ。

 

私は指輪をはめ、彼女に語り掛ける。

 

 

 

苦しくはないか?

 

『ええ、姉さん。楽に、なったわ』

 

そうか、それは良かった。

 

『……ねえ、姉さん』

 

何だ。

 

『………苦しくない?』

 

何故。

 

『姉さんの声、すごく苦しそうだったから。もし私のせいで姉さんが苦しんでいるのなら………』

 

………。

 

『………姉さん』

 

………何だ。

 

『……私、怖くないよ?』

 

………私は、怖い。

 

『大丈夫。姉さんは、強いもの』

 

強くなどない。私はただの、臆病者だ……。

 

『……姉さん、知ってる?ソウルは、あらゆるものに宿っているの。草にも、木にも、石にも、火にも、私たちにも。そしてそれらは全て、循環している……』

 

………。

 

『たとえ壊れても、ソウルは巡り続ける。何千年経っても、何千年かかっても、必ず私たちはまた会える……』

 

…………。

 

『だから、姉さん。これで終わりじゃないわ。私たちは、新しい命になるだけ』

 

…………っ。

 

 

 

私は彼女の胸に剣の切っ先を突き立てた。

 

白い肌に一筋の赤い線が流れる。

 

しかしそれ以上、前へと進まない。

 

私は刀身を握り締めるも、それでも前に進まない。

 

視界が歪む。

 

呻き声が漏れる。

 

足が震える。

 

赤赤とした血を流す私の手を、彼女がそっと掴む。

 

 

 

『ああ、やっぱり……』

 

ッ!!

 

『姉さんが危ないことをしてるのは、知ってたの。そしてそれが、良くないことだってことも………』

 

ぁ………あぁあ……!

 

『ごめんなさい、名前も知らない人。……そして、ありがとう。姉さんの意志を継いでくれて……』

 

 

 

私の手は引き込まれるように、彼女の胸へと剣を突き立てていた。

 

彼女は苦悶など少しも感じさせない顔のまま逝った。少なくとも、そう見えた。

 

火の消えた篝火の前で、私は崩れ落ちるようにして座り込む。そしてソウルから一振りの曲剣を取り出した。

 

クラーグの魔剣。結局一度も使わなかったそれを、彼女のソウルの隣に寄り添うようにして地面に置く。その反対側には、クラーナによって強化された呪術の火を。

 

私が殺した三人がせめてまた巡り合えるように。そんな見当違いにも程がある願いを残して、私は立ち上がる。

 

目的地はない。強いて言うならば、彼女たちから少しでも離れた場所か。

 

私は振り返らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もはや身体は動かない。

 

終わるのも時間の問題だ。

 

私は祭祀場まで来ていた。その消えた篝火の前でいつものように胡坐をかき、最期の時を迎えようとしている。

 

思考は途切れ途切れになり、目はもう光を映してはいない。流す血もとっくになくなり、腐りかけた肉が鎧の下に広がっている。もはや立派な亡者も同然だ。

 

思わず自嘲が漏れる私に、いよいよ終わりがやってきた。感じるのだ、自分が自分でなくなるのが。

 

やがて自我の無い亡者となった私は、どこかの不死人に殺され続けるのであろう。『皆殺しのカーク』と恐れられていた男には申し訳ないが、私には似合いの結末だ。彼の意志を引き継いだにも関わらず、結局は彼女たちを殺してしまったのだから。

 

無くなってゆく意識の中、私は彼女の最期の言葉を思い出した。彼女らしい、実に優しい言葉を。

 

『あなたともいつか、どこかで巡り会えますように』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悪いが、私にはそんな権利はない。

 

お前たちを殺した私には、地獄の責め苦ですら生温い。

 

ああ、神どもよ。

 

貴様らが真に万能だと宣うのなら私を、どうか私を()いてくれ。

 

肉も、骨も、ソウルも。

 

何一つ残さず、巡ることなく灼いてくれ。

 

彼女たちを殺した私を……どうか罰してくれ。

 

………その思考を最後に、私の意識は消え失せたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地中の底の、さらに底。

 

壁に亀裂が生まれる。モンスターの生まれる前兆だ。

 

まず出てきたのは手だった。不思議な事にこのモンスターは最初から武装しており、冒険者が身に着けている防具を身に着けていた。

 

次いで上半身、下半身と出てきて、ついに全身が地面へと晒された。防具は全身くまなく棘が生えており、近付く者を拒絶するかのような見た目をしている。

 

モンスターはぴくりと指先を動かし、やがて両手を地面について上体を起こした。首を左右に動かし、周囲を確認するように見回した後に、兜に覆われた口を開く。

 

「ここは……」

 

それは低く、しかし美しい女の声だった。

 

 




見切り発車なので何とも言えませんが、とりあえず書いてみました。今書いてるのがある程度区切りがついたら、こっちも話を考えてみたいです。

モチベアップの為に感想を頂けたら嬉しいです。


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第一話 目覚め

鎧を鳴らして地面に手をつく。カラカラに乾いた地面を掴む手甲の表面にはびっしりとトゲが生えており、それは全身を覆う鎧も同様だ。

 

そんな奇妙な鎧の持ち主は緩慢な動きで立ち上がり、周囲を見回してみる。

 

砂煙が吹き荒れる広大な荒野は、命が息づくにはあまりに過酷な環境だ。地上にある全ての生命が枯れ果てた後の世界を彷彿とさせる、まさに終末じみた光景。

 

そういったイメージがぴったりと当てはまる場所に、彼女は……『カーク』は立っていた。

 

「……ここは……」

 

禍々しい兜の奥から発せられた声。それは潤いを忘れたかのように掠れ切ってはいたが、それでも彼女の持つ元の低い美声は失われていない。

 

無人の大荒野に一人立っていたカークは、やがて足を動かし始める。

 

行き先などない。そもそもここが何処なのかも分からないのだ。気が付けば別の場所にいた経験なら何度かあったが、今回はどうも毛色が違うらしい。

 

(私は……確かに終わった(・・・・)はずだ)

 

蘇ってくるのは最期の記憶。

 

誰一人いない、篝火の残滓だけが残った祭祀場。そこで静かに胡坐をかいて不死人としての終わり……亡者になる瞬間を静かに待っていた。人間性もソウルも尽き果て、立ち上がる力すら無くなっていたはず。

 

しかし今は違う。鎧の内側こそ亡者のそれだが、身体にはソウルが満ちている。久しく味わっていなかった快調と言える感覚だったが、カークがそれに喜びを覚える事はなかった。

 

(今更力が戻ったところで……一体何だと言うのだ……)

 

カークの目標はすでに潰えた。否、自分の手で壊したのだ。

 

あの白い異形の少女を元に戻す、それだけを目的に人間性を奪い続けてきた。数多の亡者や不死人、果てには彼女の従者と、たった一人残された姉さえも殺し、ひたすらに人間性を捧げ続けた。

 

しかし結局、最後には彼女を殺してしまった。あろう事か、自分の手で。

 

「………」

 

彼女はもういない。

 

カーク()にはもう、何もない。

 

彼女がいない以上、カーク()という存在に意味はない。

 

歩みを止め、再び朽ちるその瞬間まで待ち続けよう……そんな思いが脳裏に過ぎった、その時だった。

 

ビキリ、と。壁が音を立てて割れ始める。

 

場所はカークの立っている場所から10M程離れた場所。灰褐色の壁に生まれた(ひび)は瞬く間に広がってゆき、蜘蛛の巣状の亀裂を生じさせた。

 

そんな亀裂の中央から、巨大な手が出現する。虚空でもがいていたその手は壁の表面を掴み、次いで肩、頭部、上半身と、その姿を露わにした。

 

それは(まさ)しく異形であった。

 

頭部から伸びる捻じれた二本の角。知性を感じさせない真っ赤な双眸。筋骨隆々な上半身、それを支える蹄の二足。大の大人を軽々と超える巨躯を持った化け物が、壁を破って生まれ落ちたのだ。

 

馬面である事を除けば『山羊頭のデーモン』を彷彿とさせる化け物は壁を壊しながら、二足の蹄で地面を踏み締める。

 

鼻をひくつかせて周囲を確認していたそれは、すぐにカークの存在に気が付いた。その姿を視界に収めるや否や、真っ赤に染まった双眸を吊り上げる。低い唸り声を放ち、当然のように戦闘態勢をとった。

 

『ヴヴゥ……!』

 

そんな化け物に対し、カークは即座に自らのソウルから武器を呼び寄せる。

 

左手に『トゲの盾』を、右手には『トゲの直剣』を。身に着けている鎧と同じく表面にびっしりとトゲが施されたそれらを構えた次の瞬間には、カークは走り出していた。

 

敵対すればどちらかが死ぬまで終わらない。であれば相手よりも先に動き、確実に息の根を止めるに限る。不死人として生きてゆく中で身体に染みついた、策とも言えない雑な戦法であった。

 

が、それは確かに効果的だ。

 

『!?』

 

馬面の化け物は迫りくるカークに反応しそこねたのか、間近まで接近を許してからようやく腕を振り上げる。

 

得物を持たない無手だが、それは一般人であれば容易く肉塊に変えてしまう程の威力を持っている。それどころか、この階層(・・・・)までやって来た実力者をも返り討ちにしかねない。

 

『オオォッ!!』

 

雄叫びと共に振るわれた剛腕。対するカークは、トゲに覆われたその直剣を振るう。

 

馬面の化け物にとって小枝のようなそれは、わざわざ防ぐまでも無いように見えたのだろう。こんなもので傷付くハズがない。諸共に叩き潰してやろうと、口の端を醜く歪めた。

 

直後、剛腕と奇剣は交差し。

 

 

 

その太い腕は、鮮血をまき散らしながら宙を舞った。

 

 

 

『……?』

 

突然軽くなった片腕の感触に、馬面の化け物の思考に空白が出来上がる。

 

その隙間を埋めるように……激痛の信号が脳内を駆け巡った。

 

『オッ……アアアアアァァアアアアアアアアアアアアッッ!!?』

 

苦悶に満ちた絶叫を轟かせ、馬面の化け物は地面に倒れた。ズタズタに切断された断面からは鮮血が噴き出し、乾いた大地を真っ赤に染め上げる。

 

何が起こったのか理解できない。ただ一つ分かるのは、この激痛は確かに本物であるという事だけ。点滅する視界の端に転がる自らの肉体の一部を見れば、それは否応でも理解させられた。

 

故に、馬面の化け物は失念してしまったのだ。

 

自身にこの激痛を与えた者が、まだ目の前にいる事に。

 

「……」

 

無様に悶え苦しむ馬面の化け物に対し、カークはその足で喉を踏みつけた。それだけで暴れていた馬面の化け物は地面に縫い付けられてしまう。

 

『ガッ……ア゛ァ……ッ!?』

 

血の混ざった泡を吹き、見開いた双眸は天を睨みつけた。カークはそれを無感動に見下ろし、そしてごく自然な動作で馬面の化け物の額に剣を突き立てる。

 

『ヅ―――――……』

 

断末魔はなかった。気道を踏みつけられ呻き声すら満足に上げられなかった哀れな命は、ここに新たな骸を晒す事となった。

 

事切れたのを証明するかのように、極限まで開かれた双眸はぐるりと白目を剥いている。それを確認したカークは、ようやく踏みつけていた足をどかす。

 

が、ここで奇妙な事が起こった。

 

「……?」

 

血に塗れた馬面の化け物の死体。それが瞬く間に灰へと還っていったのだ。体毛も、肉体も、流れ出た血すらも。悉くが灰へと変質するその光景は、かつて倒した黒騎士たちの散り様にも似ていた。

 

やがて残ったのは小さな灰の山と、その中に埋没した淡く輝く結晶石。“光る楔石”かとも思ったが、どうやら違うらしい。奇妙には思ったものの、一先ずカークはそれを拾い上げる。

 

その結晶石を自身のソウルへと溶かし、カークは先の戦闘を振り返った。とは言っても、およそ戦闘と言える程のものではなかったが。

 

(体格は『山羊頭』と似ていたが……随分と弱かったな)

 

武器を持っていなかったというのもあるだろう。しかし腕を切断された程度で(・・・・・・・・・・)あそこまで転げ回る様は、悲惨と言うよりむしろ滑稽にすら思えた。

 

亡者であろうがデーモンであろうが、奴らは己の身を鑑みずに襲い掛かってきた。

 

何度斬られようが折れた剣で斬りかかり、焼こうが刺そうが全く意に返さない。だからこそ強さの差に関わらず、それらとの戦いは気を抜く事が出来なかった。

 

しかし、今しがた倒した馬面の化け物はどうだ?無様にも痛みに転げまわり、そしてその隙を突かれて殺されてしまった。こうも弱い癖に、まるでそれが使命であるかの如くカークへと殺意を向けてきたが、その行動自体は亡者やデーモンと似ている。

 

「……分からんな」

 

この場所に関してもそうだ。

 

壁から化け物が出てくるなど、カークは聞いた事がない。そういった存在がいる事も否定は出来ないが、やはりどこか腑に落ちない感じがする。

 

そしてやはり一番の違和感は、自身がこうして存在している事だった。

 

「………」

 

繰り返すが、もはやカークは生きる事に対する執着はない。

 

自らが定めた使命を壊してしまった以上、存在する意味はない。

 

しかしその足は、おぼつかなくも歩みを再開させていた。

 

「………」

 

ふらふらとした足取りでその場を後にするカーク。やがて彼女は上に通じていると(おぼ)しき階段を見つけると、躊躇いなくそこを昇って行った。

 

彼女が何を思っているのかは誰にも分からない。

 

己が存在している理由を探しに行ったのか、別の死に場所を探しているのか。それとも何も考えてなどいないのか。

 

理性を喪い、ソウルに()えた不死人の成れの果て―――亡者。幽鬼のように彷徨う今のカークの姿は、まさしくそれと同じに見える。

 

こうしてカークは……一人の不死人は、この大荒野を去って行った。

 

オラリオに存在するダンジョン。その『第49階層』を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日も仲間は見つからなかったな」

 

「はイ……」

 

「ソウ気ヲ落トスナ、レイ」

 

薄暗いダンジョンの中で、三つの声が響いていた。

 

流暢なものと若干片言なもの、そして違和感を覚えるもの。全く異なる話し方をするこの者たちは、実は人間ではない。

 

大柄な爬虫類をそのまま二足歩行させたような外見のモンスター、蜥蜴人(リザードマン)

 

左右の腕がそのまま大きな金色の翼になっているモンスター、歌人鳥(セイレーン)

 

ごつごつとした岩で形成された異形のモンスター、石竜(ガーゴイル)

 

そう。彼らはダンジョンに潜る冒険者たちが狩る存在……モンスターだった。

 

「しっかし、流石にこの時間帯なら冒険者に出くわさずに済むな」

 

「ダガ油断スルナヨ、リド。少ナイトイウダケダ」

 

「分かってるって。そこまで楽天的な考えはしてねぇよ、グロス」

 

本来モンスターは言葉など話せない。そもそも思考と言えるほどのものを有していないものが大半を占めるのだが、彼らは違った。

 

互いを種族名ではなく名前で呼び合い、きちんとした理性を併せ持っている。それらは外見さえ除けば、暴虐なモンスターのイメージとは全く異なる印象を抱かせる。

 

そんな異端とも言える彼らの事を総称する呼び名は、『異端児(ゼノス)』。

 

今から約7年前にダンジョンで発見された、地上でもまだ知られていない“未知”であった。

 

「どうする?今日の所はもう引き上げるか?」

 

「そウですね。他の仲間たちモ心配している頃でしょウ」

 

リドと呼ばれた蜥蜴人(リザードマン)が、歌人鳥(セイレーン)のレイにそう尋ねる。

 

彼らは現在、他の同胞の捜索に来ていた。と言っても行方不明になったのではなく、未だ見つかっていない仲間がいないか冒険者たちの目を掻い潜って巡回しているのだ。

 

彼らは偽装のためにダンジョン内で見つけた冒険者の防具や武器(そのほとんどが遺品である)で身を包み、怪しまれないように行動している。リドは大柄な全身鎧を、レイはローブで身を覆っていた。

 

石竜(ガーゴイル)であるグロスはその姿が人間とは大きく異なるため、周囲を警戒しつつそのままの恰好でいた。リドも鎧に入り切らない太い尻尾を丸め、腰から垂れる金属板で上手く隠している。

 

擬態できる者は工夫を凝らし、そうでない者は周囲を常に警戒する。加えてダンジョンという薄暗く視界の悪い地形を利用し、彼らは周囲に溶け込むようにして目立ちにくくしていた。

 

「デハ私ハ先ニ戻リ、仲間タチニ伝エテ来ヨウ。レイ、オ前ハドウスル?」

 

「私はリドと共二歩いて帰ります。もウ少し、歩いていたイです」

 

「……ソウカ。デハ、リドヲ頼ンダゾ」

 

「おいおい、普通逆じゃないのか?」

 

「オマエハ飛ベナイダロウ。イザトイウ時ハレイニ運ンデモラエ」

 

そう言ってグロスは岩の翼を広げる。

 

ぶわっ、と地面の砂を巻き上げながら、彼は一足先に帰還していった。熟知した地形を警戒しながら飛んでいく彼が向かう場所はダンジョンの中にある『未開拓領域』。異端児(ゼノス)たちが肩を寄せ合う『隠れ里』だ。

 

小さくなっていく彼の背中を見送り、リドとレイは再び歩きだした。大柄な鎧姿が先頭を行き、そのすぐ後ろを小柄なローブ姿が着いて歩く光景は、要人を警護する従者のようにも見えなくはない。

 

「全く、グロスは心配性だなぁ」

 

「彼なりの優しさト言うものでしょウ。あの仏頂面でなけれバ、無暗二怖がられる事もないのですが」

 

「にっこにこしてるグロスなんて逆に不気味じゃないか?」

 

「あラ。リドも初対面の同胞にハ怖がられていたじゃありませンか」

 

「お、オレっちはだってほら、蜥蜴人(リザードマン)だし!?確かにちょっと顔は怖いかも知れねぇけど、こうやって笑ってやれば……!?」

 

「ふふっ、冗談でスよ」

 

鉄兜のまま満面の笑みを作ろうとするリド。そんな慌てふためく様を見て、レイはくすくすと声を漏らす。頭まですっぽりと覆ったフードで見えないが、その奥ではエルフにも負けない美しい顔が可笑しそうに笑っていた。

 

ダンジョンには不釣り合いにも思える朗らかな空気。

 

しかしそれは唐突に、二人の前方からやって来た者によって霧散してしまった。

 

「!」

 

先ほどの慌てっぷりから一転させて緊張の糸を張り詰めさせるリド。急に立ち止まった彼にレイも何事かと思い、その背中越しに前方を覗き込む。

 

そして、見た。

 

 

 

全身を真っ赤な血で染め上げた、禍々しい鎧姿を。

 

 

 

「ひっ……!?」

 

先ほどグロスが飛んでいった通路。その横に空いた穴から出てきた血塗れの姿に声を上げそうになるレイだったが、既のところで押し留める。激しく鼓動を上げる心臓をどうにか落ち着かせ、彼女は小声でリドの名を呼ぶ。

 

「リ、リド……」

 

「心配すんな、レイ。いつも通りにやり過ごそう」

 

落ち着き払ったリドの声は彼女に僅かな余裕を与えた。こういった場面に遭遇した際、彼の持つ冷静さは非常に頼もしい。

 

そう、ここはダンジョン。冒険者がいる事に何の不思議もないのだ。今まで出くわさなかっただけで、常にその危険は孕んでいる。

 

リドは冷や汗を感じつつも、努めて冷静に頭を働かせる。その内容はもちろん、前方にいる冒険者についてだ。

 

(確かに全身真っ赤だが……鎧に傷はついてないな。って事は、ありゃ全部返り血か?)

 

ふらりとした足取りで歩いてくる鎧の冒険者は、リドとレイの事など眼中にないかのような様子だ。トゲだらけの異様な鎧を鳴らしつつ、顔を伏したまま歩いてくる姿は、“亡霊”や“亡者”といった単語を連想させる。

 

モンスターにパーティごとやられた冒険者かとも思ったが、鎧に付着しているものは全て返り血らしい。とするとこの冒険者は一人でダンジョンを歩ける程の力を持っているという事になる。

 

ダンジョンは下層に行くほどモンスターの力も数も増えていく。だからこそ冒険者たちは仲間を募り、パーティ単位での行動を取るものだ。にも関わらずこの冒険者は単独で、しかもダンジョンの下の方から上がって来たのだ。仮に戦闘になれば、もしかするとリドは勝てないかも知れない。

 

(大丈夫だ……何食わない顔で横を通り過ぎれば……)

 

こんな事は何度もあった。今回も同じだ。そう自分に言い聞かせたリドはレイと共に息を潜めて、何食わぬ風を装い鎧の冒険者との距離を詰めていった。

 

「………」

 

「………」

 

そして、何事も無くすれ違う。

 

漂ってくる血の匂いにぞっとしながらも、その歩みは止めない。一瞬がやけに遅く感じるが、決して表には出さないように細心の注意を払った。

 

ざっ、ざっ、……と背後に聞こえる足音。ようやく過ぎ去った緊張の瞬間に、リドとレイは僅かに息を漏らした。これでもう安心だ。そう確信し、急ぎ足でその場を後にしようとする。

 

……その時だった。

 

「おい」

 

「ッ!」

 

低い声が背中に投げかけられる。その声にピタリと動きを止めてしまった二人は、恐る恐る後ろを振り返った。

 

そこにあったのは、やはりとも言うべきか……血塗れの異様な鎧姿の人物が、無言の視線を送っている光景であった。

 

 




次回の更新はいつになるのか分かりませんが、書け次第投稿していきたいと思います。


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第二話 誘い

リドとレイの二人は、喉の奥がひりつくような感覚を味わっていた。今すぐにでも駆け出したいという感情とは裏腹に、自身の足は全く動こうとはしてくれない。

 

その原因はただ一つ……彼らの目の前に立つ、異様な鎧を身に纏った人物である。

 

「お前たち」

 

「っ……な、なんだよ……」

 

兜越しのくぐもった声が投げかけられる。リドはなんとか返答するも、その声は上ずってしまっている。このような人物に話しかけられれば、まぁ無理もないのだが。

 

そんな心境など知る由もない鎧姿の人物は、淡々と口を開いた。

 

「ここはどこだ」

 

「……?」

 

唐突に出されたその問いに、レイまでもが頭に疑問符を浮かべる。てっきり正体を怪しまれての飛び止めだと思っていた二人は、一先ず怪しまれてはいないのだろうと安堵した。

 

「ここは、どこだ」

 

「あ、あぁ。すまねぇ、ちゃんと聞いてるさ」

 

鎧姿の人物は再び問いかける。詰問じみたその声に、我に返ったリドが慌てて返事を返す。

 

とにかく、一刻も早くこの場を離れなければならない。その為には穏便に済ませる事が第一であると知っている彼は、聞かれた内容について答えた。

 

「ここは21階層だ。上の階層まで行くんだったら、この先の通路が近道だぜ」

 

答えた内容に偽りはない。近道を教えたのも、早く行ってくれればという願いからである。恐らく下層から上がって来たと思われるこの人物の目的地が地上だと当たりをつけた、というのもあるが。

 

しかし当の本人は、リドの言葉に何の反応も示さない。ただ黙り、微動だにせずこちらを見ているだけだ。

 

その姿に何か良くないものを感じ取る二人。レイはローブ越しにリドの鎧に触れ、必死に恐怖に耐えているようだ。リドも鱗の走る背中に、浮かぶはずのない冷や汗の感覚を味わってしまう。

 

やがて鎧姿の人物は再び口を開いた。その口から発せられた言葉は、しかし二人の想像を超えたものであった。

 

「“階層”……やはり、ここは地下か」

 

「……は?」

 

思わず素で間の抜けた声が出てしまった。何と目の前の人物は、この場所が地下である自覚がなかったようなのだ。しかしそんな事があり得るのだろうか。リドは困惑すると同時に、緊張感を更に高める。

 

ダンジョンにいるという自覚すらないのに、返り血に塗れたこの姿。自身は傷ひとつ負っていないという事実が、その強さを証明している。ひょっとするとこの血はモンスターのものではなく、冒険者のものなのでは……という考えさえ浮かんできた。

 

まともな思考が出来ているのかも分からない狂人。それがリドの下した評価だった。

 

(レイ、オレっちの合図で一気に走るぞ)

 

(分かりマした……!)

 

リドは背後に立つレイに小声で語りかける。幸い目の前の人物は動く気配はなく、タイミングさえ間違えなければ振り切る事が出来る程度には離れている。その機会を見逃さないよう、全神経を尖らせた。

 

時間にしておよそ数秒。しかし何倍にも伸びた時間を味わった後、ついにリドの口が合図を告げようと動いた―――――それと同時に。

 

 

 

バキリ、と、周囲の壁に亀裂が走った。

 

 

 

「!?」

 

その異変にリドとレイの肩が大きく揺らぐ。その間にも亀裂は壁一帯に、三人を取り囲むようにして広がっていった。

 

生まれ落ちてからダンジョンの外に出た事のない彼らであってもそうそう経験のないこの事態に、レイは震える声で呟きを漏らす。

 

「も、怪物の宴(モンスター・パーティー)……ッ!!」

 

その呟きと入れ替わりとなって、新たに生まれ落ちたモンスターたちの雄叫びが響き渡った。

 

壁より這い出たモンスターは虫の姿をしたものが多い。蜻蛉(トンボ)や蜂、硬い外皮で覆われた甲虫など、生理的嫌悪を掻き立てる醜悪なモンスターたちだ。

 

彼らは一様に三人に殺意を孕んだ赤い瞳を向けてくる。そうしている間にも壁からの誕生は続いており、徐々に通路に溢れ返ってくる。

 

「くそ、こんな時に……!」

 

そう毒づきながらも、リドはこの状況を切り抜ける事が先決であると決めると腰に差した得物に手を伸ばす。ロングソードとシミター、どちらもダンジョンで手に入れた冒険者の遺物だ。

 

僅かの間に覚悟を決めるリド。兜越しに目の前のモンスターの群れを睨みつけ、いざ切り込もうとした彼の目に……突如として、小規模な爆発が飛び込んできた。

 

「なっ!?」

 

瞠目するその視線の先。そこには件の人物がいた。

 

手にしている奇剣……トゲが生えた異様な直剣を切り上げた格好のこの人物の前方には、バラバラになったモンスターの残骸が散らばっている。それらは片端から灰へと還り、その中に淡く輝く魔石を遺していった。

 

一体何が起こったのか。信じ難い事ではあるが、この状況が全てを物語っている。

 

なんとこの人物は剣による切り上げの衝撃のみで、爆発と見紛う一撃を放ってのけたのだ。斬られた個体は言うに及ばず、後方にいたモンスターも纏めて吹き飛ばしたその威力に、リドの背に冷や汗の感覚が蘇る。

 

モンスターたちは鎧姿の人物に殺到する。どうやら派手に暴れている方に気を取られ、リドとレイの事など眼中にないようだ。リドとレイもまたその常識離れな光景に、逃げる事も忘れてその場に立ち尽くしてしまう。

 

繰り広げられたのは暴虐の嵐と言っても良かった。

 

鎧姿の人物が繰り出す一撃は、その度にモンスターたちを屠っていった。千切れ飛ぶ手足、胴体、頭。体液を伴ったそれらはダンジョンを汚し、そしてすぐに灰へと変わる。石の地肌が見えていた地面は既に、その大半が灰によって隠れていた。

 

モンスターたちも黙ってやられている訳ではないのだが、その抵抗すらも些細なものだった。鎧姿の人物は身体に纏わりつくそれらを、まるでゴミのように引き剥がす。

 

引き剥がし放り投げ、踏み潰し、時には壁を使って挟み潰す。更には左手にある、これまたトゲの生えた盾でもって叩き潰す。その戦いざまに、レイはフードの中で顔を青くさせた。

 

リドもまた絶句していた。まるで暴力が人の形を得たかのようなその光景に、これが本当に冒険者の戦い方なのか?という思いが湧いてくる。

 

リドも詳しい事は分からないが、冒険者とは本来“未知”を求めて探究するものであると聞いている。彼らはその為に己を鍛え、仲間と共にダンジョンを攻略するのだと。

 

その中にはお伽噺や英雄譚に出てくる主人公のような流麗な剣技を使う者もいるらしい。もちろんそれはほんの一握りの実力者だけであり、大半の冒険者は泥臭い戦い方をしている事も知っている。

 

しかしこれは、余りに壮絶に過ぎる。

 

群がるモンスターたちに向けて剣を振るい、力任せに斬り殺す。纏わりつくモンスターは強引に引き剥がし、そして潰す。戦法とも言えぬこの戦い方は、誰の目から見ても異様に映る。

 

(これじゃあまるで……)

 

もはやリドには、目の前の人物を冒険者として見る事は出来なかった。

 

モンスターの群れに囲まれ、周囲には死骸の灰と魔石が散乱している。その中心でひたすら殺し続けるその姿はまるで……。

 

(……まるで、モンスターじゃねぇか)

 

 

 

 

 

湧き出たモンスターも残り僅か。鎧姿の人物はそれでも勢いを止めず、最後まで剣を振るう。その時、背後にいた一体のモンスターが、鎧姿の人物の頭部目掛けて牙を剥いた。

 

ガキッ!という金属音と共に体勢が僅かに崩れるも、即座に身をよじって押し倒されるのを回避する。モンスターはドシャリと地面に叩きつけられ、その身体を強かに打ち付けられた。

 

同時にゴトリ、と、トゲだらけの兜が地面に転がる。

 

鎧姿の人物が残りのモンスターを片付け、即座に地面に叩きつけたモンスターの頭部に剣を突き立てた。冒険者たちが恐れる怪物の宴(モンスター・パーティー)は、こうして呆気なく終わりを迎える。

 

断末魔の叫びと共に絶命するモンスター。突き立てた剣を引き抜き、鎧姿の人物はゆっくりと立ち上がる。地面に転がる兜はリドとレイの足元近くにまで転がって来ており、二人は自然にその顔へと視線を向けた。

 

「ッ!?」

 

そして、見た。

 

兜に包まれていた、その人物の顔を。

 

「なっ……!?」

 

「お、お前。その顔……ッ!!」

 

レイが言葉を失い、リドはあらん限りに両目を見開く。その原因は、兜によって隠されていたその素顔にこそあった。

 

水分を失い、カラカラに干乾びた肌。その下にある筋線維の色なのか、顔全体が赤黒く見える。恐らくそれは全身も同じなのだろう。それでいて腰まで届く長い黒髪だけは妙に艶があり、かえって不気味さに拍車をかけている。

 

落ち窪んだ眼窩に光はなく、がらんどうの穴が開いているだけ。常識で考えればものを見る事は出来ないはずだが、今までの動きがそれを否定している。顔全体に刻まれた亀裂と見紛う程の深い皺はとても目立ち、ミイラのような様相を呈している。

 

まさしく『亡者』……リドとレイの脳裏には、そんな共通の単語が浮かんでいた。

 

しかし件の人物は二人の動揺などはどこ吹く風で、隠す素振りもなく二人の元へと近付いてゆく。落ちている兜を拾う為なのだろう。

 

「……っ」

 

ごくりと唾を呑み込む。そしてリドは一歩前へと足を進めた。

 

「リド……!」

 

「レイ、少し待ってくれ。どうしても確かめてぇんだ」

 

こちらの身を心配するレイに断りを入れるリド。更にもう一歩進むと、彼はそこでしゃがみ込んだ。そして地面に落ちていたトゲだらけの兜を注意して持ち上げ、それを鎧姿の人物へと差し出す。

 

「ほらよ」

 

「………」

 

鎧姿の人物は無言を貫いていたが、やがて差し出された兜を手に取った。

 

トゲだらけのそれを慣れた手付きで片手で扱い、空いたもう片方の手で長い黒髪を雑に後ろで纏め上げる。その様子を真正面から眺めていたリドだったが、ここで不意に、自分が被っている鉄兜へと両手を伸ばした。

 

その意図を知るレイの頬に、一筋の汗が流れた。自分たちの正体を明かすこの瞬間だけは、やはり何度やっても慣れないものだ。

 

そして露わになったその素顔。蜥蜴人(リザードマン)の顔に真剣な面持ちを浮かべて、リドは目の前の人物へと交渉を試みる。

 

「なぁ、あんたは……オレっちたちの同胞(なかま)、なのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カークは現状を正確に認識出来ていなかった。

 

目覚めてから度々出くわしたモンスター。それら全てを切り伏せ、ひたすら上を目指した。苦戦する事はなかったものの、そもそもこの場所が何処なのかが分からない。露出した岩肌からして、恐らく地下墓地のような所なのだろうが。

 

このまま彷徨っていても良かったのだが、途中で鎧とローブに身を包んだ二人組を見つけた。鎧の方はバーニス兵の亡者かとも思ったが、どうやら違うらしい。ローブの方も同様だ。カークは備えていた剣を握る手から、密かに力を抜いた。

 

二人組はそのまま何事もなく通り過ぎようとした。が、カークはその背に待ったをかけた。

 

別に殺すつもりはない。ただ単純に、この場所についての情報を手に入れようと思っただけの事。そういった程度の思考を、カークはまだ持ち合わせていた。

 

しかしここで先程の怪物の宴(モンスター・パーティー)である。

 

二人組の内の鎧を着た方が動くよりも先に、カークが動いた。振るったトゲの直剣はモンスターたちを纏めて吹き飛ばし、絶命へと追いやった。多くのソウルを糧としてきた肉体をもってすれば、この程度は造作もない。他のモンスターたちも全てカークへと殺到し、その全てを返り討ちにした。

 

最後の不意打ちで兜を飛ばされたが、それだけだった。亡者の顔が曝け出されてしまったが別にどうでも良い事だ。仮にこの場所が“人の世”であったとしても、再び迫害されるだけだ。

 

そんな事を考えていたカークへと差し出された兜。この亡者の顔を見ても逃げ出さないという事は、この二人組も亡者という訳か。そう当たりを付けたカークであったが、その考えは覆される事となる。

 

晒された鉄兜の中身。それは人間のものではなく、どこからどう見ても蜥蜴のそれだった。

 

「なぁ、あんたは……オレっちたちの同胞(なかま)、なのか?」

 

蜥蜴顔はそう言って、真剣な目つきをカークへと向けるのだった。

 

 

 

 

 

痛いほどの沈黙が落ちる。つい先程までの戦闘からは考えられない程だ。

 

リドは無言でこちらを見てくるカークに思わずたじろいでしまう。同胞(なかま)であるかも知れないという期待と、カークが見せた凄まじい戦いぶりから来る不安。二つの感情に板挟みにされながらも、それでも彼は必死に言葉を紡ごうとしていた。

 

「オレっちたちは、その、『異端児(ゼノス)』って呼ばれてるんだ。まぁ知性を持ったモンスターの総称だな。オレっちは見ての通り蜥蜴人(リザードマン)で、こいつは……おい、レイ!」

 

「! は、はイ」

 

リドの目配せに応え、レイは着ていたローブを脱いだ。そうして現れたのは鳥の両手足を有した、女神と見紛うばかりの美貌であった。

 

くすんだ金の長髪の毛先は青く、双眸も同じ色をしていた。胸にはアマゾネスが好むような戦闘衣(バトル・クロス)を着用しており、扇情的な上半身のラインが浮き出ている。

 

「レイは半人半鳥(ハーピィ)なんだ。歌もすげぇ上手いんだぜ!他にもグロスって奴がいるんだけどよ、そいつは石竜(ガーゴイル)で、そんで……!」

 

「………」

 

どうにか言葉を捻り出そうとするも、リドはついに言い詰まってしまう。

 

終始無言を貫いていたカークは無反応で、そんな様子を見てレイも黙ったまま立ち尽くしていた。リドの言葉が空回りに終わり、再び沈黙の時が訪れる。

 

肝心なところで口下手な自分を呪ったリドだったが、このままでは埒が明かないと、意を決して本題に切り込む。

 

「……なぁ、お前もオレっちたちと同じ『異端児(ゼノス)』なんだろ?だったら、その……一緒に来ないか?」

 

やっとの思いで告げる事が出来たその言葉。

 

その提案に対する、カークの返答は……。

 

「………ああ」

 

「!」

 

短い肯定の言葉に、リドは破顔した。牙を剥き出して喜びを露わにするその姿に、緊張が治まらずにいたレイもまた安堵し、そして喜んだ。

 

探していた新たな同胞(なかま)が見つかった事、それは『異端児(ゼノス)』である彼らにとって家族が増えるも同義だ。その喜びは何事にも代え難く、そしてその感情に裏表などは存在しない。

 

 

 

そんな彼らを眺めるカークの目は、冷ややかなものだった。

 

 

 

喜ぶリドとレイ。二人に向ける視線には一切、感情がこもっていない。兜を隔てたただの光景として、カークの脳は淡々と処理していた。

 

元より行き先など存在しない身。それ故に流れに身を任せただけに過ぎない。その結果自身の身に何が起きようとも構わないし、彼らの身に何が起ころうとも知った事ではない。

 

そんな考えをしているなどとは露ほどにも思っていない二人は、いそいそと防具を着直し始める。鉄兜で顔を隠したリドはカークに向けて手招きし、付いてくるよう促した。

 

「ほら、こっちだ!オレっちたちの『隠れ里』に案内するぜ!」

 

こうしてカークは、二人の後に付いてダンジョンの中を進んでゆくのであった。

 

 



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第三話 『隠れ里』

※この物語の時系列について。


現時点での時系列は原作開始の9年前。まだオラリオの表舞台に闇派閥(イヴィルス)がいた頃の話からのスタートとなっています。

原作開始前から始めるのは初ですので、どうしても噛み合わない点などがあれば、宜しければお教え下さい。宜しくお願い致します。




ゴリ、と地面を削り、グロスは第20階層にある『隠れ里』に足を踏み入れた。内部は広大な空間が広がっていて、まばらに置かれた魔石灯(ランタン)がぼんやりと周囲を照らしている。

 

「今戻ッタ」

 

「お帰りなさい、グロス」

 

帰還を告げる彼に声をかけたのは赤帽子(レッドキャップ)をかぶったゴブリンだった。

 

どこか紳士然とした喋り方をするゴブリン……レットは、一緒に探索に出かけた二人の姿が見えない事に怪訝そうな顔をする。

 

「リドとレイは……?」

 

「アノ二人ハ遅レテ戻ル。少シ歩キタイソウダ」

 

「そうですか」

 

なんらかの事故に巻き込まれた訳ではないと分かって安心するレット。リドとレイは『異端児(ゼノス)』の中でも最古参のメンバーであり、それに伴う実力もあると分かっていても、やはり心配はぬぐい切れない。

 

グロスは彼の肩を軽く叩き、奥へと進んでゆく。

 

この広い空間にいる『異端児(ゼノス)』の数はおよそ20前後。大なり小なりの増減を繰り返し、この数に落ち着いている。面子は先ほどの赤帽子(レッドキャップ)のような『上層』出身から、『中層』『下層』の出身まで様々だ。

 

半人半鳥(ハーピィ)半人半蛇(ラミア)戦影(ウォーシャドウ)……統一性のない、しかし全員がその目に理知の光を宿したモンスターの集団。彼らはこうして、ダンジョンの奥にひっそりと息を潜めていた。

 

「やあ、グロス」

 

と、ここで。

 

グロスに声を掛ける者がもう一人現れた。それは真っ黒なローブで全身をすっぽりと覆っていて、手先すらも手袋(グローブ)で隠されている。そして唯一外気に晒されている顔はというと、やはり人のそれとは異なる。

 

皮と肉が剥がれ落ち、その下にある白骨が露出した顔面。骨格標本のような見た目をしたこの人物……フェルズは、目玉のない眼窩でグロスを静かに見据えていた。

 

「フェルズ」

 

「新しい同胞は見つかったかい?」

 

「イヤ。ヤハリソウ易々トハイカンナ」

 

「ダンジョンは広大だからね。まだ見つかっていない『異端児(ゼノス)』もきっといるはずだ。私の方でも出来る限り探してみよう、だから君たちも無理せずに続けてくれ」

 

「スマン、助カル」

 

「構わないよ」

 

これも『ギブアンドテイク』という奴さ。とフェルズは笑い、グロスもふっ、と笑みを零す。

 

しかしこの穏やかな空気も長くは続かなかった。フェルズは笑うのをやめると、やがて硬い声で話し始める。

 

「……この頃、狩猟者(ハンター)たちの動きがきな臭い」

 

「ッ!」

 

狩猟者(ハンター)。フェルズの口から放たれたこの単語に、『異端児(ゼノス)』たちはつぶさに反応した。

 

ある者は肩を震わせて怯え、ある者は拳を固く握り締める。反応は様々であったが、彼らが狩猟者(ハンター)という存在に抱く感情……それは“恐怖”と“怒り”であった。

 

グロスもまた“怒り”を抱いている一人だ。

 

ダンジョンに生まれ落ちて約7年、その間に攫われた、あるいは殺された仲間は決して少なくない。最近は襲撃に遭う事もなかったが、あの悲劇が繰り返されるかも知れないとう事実に、グロスは意図せず低い唸り声を出していた。

 

「落ち着け、グロス。最古参の君が感情的になるのは良くない」

 

「……アア」

 

フェルズの言葉に耳を貸す程度には冷静さが残っていたようで、グロスは心を静めて腹に溜まった空気を吐き出す。

 

そして考えるのはこれからの事だ。同胞の捜索、狩猟者(ハンター)への対策。当面はこの二つを重点的に行う必要があるだろう。他にも考える事は沢山あるが、そこまで手を回す余裕はない。

 

「私タチハ引キ続キ同胞(なかま)ノ捜索ヲシテイコウ。モチロン狩猟者(ハンター)共ニハ気ヲ付ケルガ、今後モ動向ヲ知ラセテクレ」

 

「分かった。急を要する時は、いつも通りに水晶を使ってくれ」

 

そのまま二人は今後の方針について話し合う。

 

『隠れ里』の空気は、少し重かった。

 

 

 

 

 

時を同じくしてリドとレイ、そしてカークはダンジョンの中を進んでいた。

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

どこか重たく感じられる空気を漂わせる無言の三人組。カークは言うに及ばず、先ほどまで喜んでいたリドとレイまでもが一言も発さない。否、発せないのだ。

 

(やべぇ……すっげぇ気まずい……!)

 

リドはかぶった鉄兜の中でそんな事を考えていた。

 

最初は何度か話しかけてみたのだ。どこで生まれたのか、その防具と武器はどうしたのか、どうしてそんなに強いのか、等々。質問ばかりであったが、そこから会話の糸口を探そうとしていた。

 

しかし聞けども聞けどもロクに返事も返ってこない。大抵の質問は黙殺されてしまい、とても会話に繋げられるものではなかった。

 

なんとか返ってきた先の質問に対する答えも

 

『知らん』

 

『奪った』

 

『慣れだ』

 

という一言のみ。これには流石のリドも黙る事しか出来なかった。

 

ちらりと隣を歩くレイを見てもやはり同じ気持ちのようで、口を噤んで若干の困り顔を浮かべている。二人が必死にコミュニケーションを取ろうとしても当の本人がこれなので、もうどうしようもない。

 

(里の皆に頼るか……)

 

リドは密かにそう心に決め、今は目的地への到着に専念する事にした。

 

一方のカークはと言うと、この現状についてぼんやりと考えていた。思い出されるのは先ほどのやりとりだ。

 

いきなり兜を脱いだかと思えば、その下にあったのは蜥蜴の顔。一緒にいたローブ姿の人物に至っては、その下は“ベルカの鴉人”のような姿をしていた。尤も、あの絵画世界の住人と違い、見た目は随分と人間に近かったが。

 

蜥蜴の方は見た目こそ人間から逸脱していたが、話し方は鳥の方よりも流暢なものだった。不死人として長い時を過ごしてきたからこそ驚きもしなかったが、大抵の者はあの姿と話し方との差異には目を疑うのだろう。

 

カークに限った事ではないが、それなりに長く不死人として過ごしたものであれば、二人の容姿は別段驚くような事ではない。喋る猫やら茸やらを見てきたカークにとって重要なのは敵意があるかどうかである。そして襲い掛かってきたら殺す、それだけである。

 

そして現在、カークは二人の言葉に従って行動を共にしている。それは何故か。

 

正直なところ、カークは今自分がいる場所についての見当が全くついていない。そこへ何やら情報を知っていると思われる者からの誘いを受けたのだから、特に断る理由はなかったというだけである。

 

後になって面倒事になるのであれば、さっさと何処かへ行けば良い。そんな考えのもと、彼女はこうして二人と行動を共にしている訳だ。

 

 

 

 

 

そうこうしている内に三人は、行き止まりとなっている広間(ルーム)に到着した。壁も天井も巨大な樹皮で覆われ、当たり一面には大小さまざまな石英(クォーツ)が形成されている。

 

それらはダンジョンに自生しているヒカリゴケの明かりを反射している。また石英(クォーツ)自体の発光も合わさり、まるで魔石灯のように空間を照らしていた。

 

「こっちだ」

 

カークを手招きし、リドとレイは広間(ルーム)の片隅へと歩み寄る。そこだけ発光が弱いが、よく目を凝らさなければ分からない程だ。リドはその石英(クォーツ)の前に立つと、おもむろにそれを蹴り砕いた。

 

粉々になって飛び散る石英(クォーツ)。そうして現れたのは、隠されていた樹穴であった。

 

リドは慣れた調子でその中へと入って行き、続いてレイも樹穴を潜る。目に見えて再生していく石英(クォーツ)を横目に、カークもまた中へと足を踏み入れた。

 

樹穴の中は傾斜の緩い一本道となっていた。ぼんやりとした石英(クォーツ)の明かりだけが照らすその道を抜けると、広がっていたのはまたも行き止まり。今度は小さめの泉があり、それ以外には何もない。

 

「この泉の奥に通路があって、その先にあるのがオレっちたちが『隠れ里』って呼んでる場所だ」

 

「……この先だと?」

 

さも当然のように言ってのけるリド。しかしその言葉を受けたカークは、ここで初めて難色を示した。

 

泉の深さはおよそ5M。息が続かない程深くはないが、飛び込むには若干躊躇する深度だ。ましてやカークは不死人、そして不死人とは総じて水辺が苦手なものである。

 

水に足をとられて動きが鈍り、そして足を滑らせる。不死人が起こす事故として落下死の次に多いのが、この水辺での事故……すなわち溺死だ。

 

「お先に、失礼しまス」

 

そんなカークの心境など知らずに、レイはローブを脱ぎ去るとそれを丸めて持ち、泉の中へと入っていった。リドも兜だけを脱いだ鎧姿のままで泉へと近付き、彼女の後に続こうとしている。

 

「ん?どうしたんだ?」

 

「……本当に、入るのか」

 

「そりゃあ入口はここしかないからな。……もしかして、水は苦手だったか?」

 

苦手どころではない。むしろ下手なデーモンよりもタチが悪い。

 

潰されたり地面に叩きつけられれば一瞬で済むが、溺死は死ぬまでに時間がかかる。数え切れない程の死を重ねてきたカークであっても、極力溺死は避けたいものである。

 

しかしここで躊躇していても埒が明かない。死んだらその時はその時だと割り切ると、カークはリドと共に泉へと足を踏み入れた。

 

「よし、オレっちの後に付いてきてくれ。まぁ、すぐに着くさ」

 

「………」

 

そんなフォローが入るも、カークはやはり無言であった。ハハ、という乾いた笑いをリドが漏らし、そしてついに泉の中へと身を沈ませる。

 

水中は澄んでいたため、視界の確保は容易だった。鎧の重みで水底に着地したカークは、先頭を行くリドを目印に水中を歩いて移動する。

 

少しして突き当たりまでやってくると、二人は水底を蹴って水面まで急浮上した。モンスターであるリドと、人外の膂力を誇るカークだからこそ出来る芸当である。

 

「ぷはぁ!」

 

ばしゃっ、と水濡れになった手で地面を掴み、リドとカークが水面から顔を出す。そのまま泉から這い出た二人を、先に進んでいたレイが出迎える。水濡れになっているローブを丸めて小脇に抱えている彼女は、リドへと労いの声がかけた。

 

「お疲れ様でス」

 

「おう、待っててくれたのか」

 

「一緒に戻った方ガ良いでしょう?」

 

すっかりずぶ濡れになった三人は軽く水を払いのけ、さらに先へと進んでゆく。ここは先ほどの通路とは違い光源はほとんどなく、視界はほぼ闇一色に染まっていた。リドが持っている魔石灯の明かりだけが唯一の頼りだ。

 

数分歩き続けると、何やら話し声が聞こえてきた。男か女かよく分からないものと、石を擦り合わせたような歪なもの。その二つは互いの声に違和感を覚えていないかのように、ごく自然に言葉を交わし合っていた。

 

「グロス!帰ってきたぜ!」

 

リドは大きな声でその声は辺り一面に響き渡った。

 

薄暗くて分かり辛いが、どうやら開けた空間に出たようだ。まばらに置かれた光源の間隔から察するに、かなりの広さを有しているのだろう。

 

「リド、レイ。遅カッタナ……待テ、ソイツハ何者ダ?」

 

リドが話しかけた相手、グロスと呼ばれた者へとカークは目をやった。見た目は完全に動く石像であるそれに対し、こんな奴もいるのかという感想を持つ。

 

「ああ、実はあの後ちょっとな。その時に出会ったんだよ……新しい、オレっちたちの同胞(なかま)に!」

 

「「「 ! 」」」

 

新しい同胞(なかま)、というワードに周囲からどよめきが上がった。

 

よくよくカークが周囲を見渡してみれば、人型や獣型の動く影が確認できる。サイズは小動物程度からカークと同じ背丈のもの、更にはそれよりも遥かに大きなものまで様々だ。全員ではないが、多くの個体は人工物らしき装備を身に着けていた。

 

わらわらと近寄ってくる彼らの瞳には理知の光があり、これまでカークが屠ってきたモンスターとは明確に異なっている。ここがこの蜥蜴が言っていた『隠れ里』か、とカークは確信した。

 

「新しい同胞(なかま)!?」

 

「ヨロシクッ!」

 

「ワォン!」

 

彼らは口々に挨拶の言葉を述べ、喜んでカークを招き入れた。熱烈な歓迎にも無言を貫くカークにリドは苦笑いを浮かべ、レイもまた似たような顔で笑っていた。

 

そこへ重量感のある足音が響いた。リドの前に立っていたグロスが、カークの元までやって来たのだ。この中ではリドと同じくらいに大柄な彼は、必然的にカークを見下ろすような形で挨拶をする。

 

「歓迎シヨウ、新タナ同胞ヨ。私ノ名ハグロスト言ウノダガ、オ前ニ名前ハアルノカ?」

 

「………名前か」

 

兜に遮られたくぐもった声で、カークは小さく呟く。

 

名前。自己を固定する要素。不死人にとっての拠り所の一つでもあるそれを、カークはすぐに名乗る事はしなかった。

 

そもそもこのカークという名前すら、あの従者の男から奪った(・・・)ものだ。あの白い異形の少女に忠義を尽くし、最期の瞬間まで彼女の事を気にかけていた。そんな彼の思いを踏みにじる所業を働いた自分に、一体この名を名乗る資格があるのだろうか。

 

 

 

―――――そんなもの、決まっている。

 

 

 

「………いいや、ない」

 

「ソウカ。デハオ前ノ名前モ決メナケレバナラナイナ」

 

「久々だなぁ、こういうの。なんかわくわくしてくるぜ!」

 

「リド、貴方はこの前ノ名前決めでやったでしょウ。今回は他の者たちニ譲って下サい」

 

「ええっ!?そんな……」

 

新たな同胞への名前を考えるというイベントに、他の『異端児(ゼノス)』たちもにわかに色めきだす。数少ない娯楽であると同時に団結力を強固なものとするこの行為は、彼らにとって非常に重要な意味合いを持つ。

 

名付けの儀式は着々と進められていく。

 

その渦中にいるカークの……否、不死人の心が動いていない事にも気付かずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄暗い空間。ダンジョンにも似た、しかし人工物である事が明確に分かるような場所を、焚かれた松明がぼんやりと照らしている。

 

それはゆらゆらと揺らめく影を作り出していた。その影の元は椅子に座った一人の男であり、彼は手の中にある一冊の古い手帳に目を落としている。傍らには赤い槍が立てかけられ、捻じくれた先端はてらてらと赤く濡れていた。

 

「何だよディックス、このモンスター殺しちまったのかぁ?」

 

そこに一つの声が現れる。

 

声の主は痩身の男神だった。褐色の肌に黒い服、その端麗な顔つきに軽薄な笑みを浮かべつつ現れた神は、ちらりと男から視線をずらす。

 

そこにあったのは檻。中にはモンスターの残骸らしき灰の小山があり、そこに埋もれるようにして魔石が落ちていた。周囲には乾き切っていない赤い血が飛び散っており、この状況から見ても何があったのかは想像に難くない。

 

「良かったのかよ。結構良い金になったんじゃねぇのか~?」

 

「ロクに喋れもしないコボルドなんざ誰も買わねぇ。せいぜいがサンドバックってところでしょうよ」

 

神に対する敬意を欠片も感じさせない雑な敬語で答えた男は、手帳を胸ポケットにぞんざいに仕舞い込む。男は椅子から立ち上がり、そして神の前へと歩み寄ってきた。その右目は松明の火によらない、赤い輝きを宿している。

 

神よりも背が高く、全体的に引き締まったシルエットを持つこの男……【暴蛮者(ヘイザー)】ディックス・ペルディクスは、憶する事なく神へと言葉を告げる。

 

「やっぱり貴族(へんたい)共に売れるのは整った見た目のモンスターだ。今はオラリオ(うえ)での茶番で忙しいんでしょうが、どうか貴方のお力をお貸し下さいませんかねぇ、イケロス様?」

 

「……ひひっ。相変わらず糞生意気なガキだぜ」

 

くつくつと声を殺して笑い合う二人。

 

ディックスがイケロスと呼んだ男神は、やがて笑い声を静めた。しかしその軽薄な笑みは変わらずに、顔に張り付いたままだ。

 

「良いぜぇ、頼まれてやるよ。どうせもう闇派閥(イヴィルス)は長くねぇ、ここらが抜け時だろうよ。タナトスやルドラには適当に伝えて、モンスター狩りに専念出来るようにしてやる」

 

「すいませんねぇ、色々雑用を押し付けちまって」

 

「心にもねぇ事言ってんじゃねぇよ。お前は俺を笑わせてりゃあ良いんだ」

 

「それなら約束しますぜ……絶対に、ねぇ」

 

ひひ。ひひひ。ひひひひひっ。と、不気味な笑い声が響き渡る。

 

二人を照らしていた松明の火は、身を竦ませるように大きく揺らめき、そして消えた。

 

 




何気にディックスは好きなキャラです。

否定しようもない悪人なので、容赦なしに色々出来そうな気がします(笑)。


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