やはり俺の魔法はどこまでもチートである。 (高槻克樹)
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プロローグ

 青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方を言うのだ。

 優れた想像力、(たくま)しき意志、()ゆる情熱、怯儒(きょうだ)(しりぞ)ける勇猛心。

 安易を振り捨てる冒険心。

 こういう様相を、青春というのだ。

 ――――著・サミュエル・ウルマン「青春」

 

 もし、その心の在り方が青春で。

 俺の周囲の連中が青春を謳歌しているというのならば。

 俺はそんなもの要らない。

 

 もし、その心の在り方が青春で。

 青春を謳歌することが、青少年にとっての正義であるならば。

 俺は正義なんて要らない。

 

 この世界のどこに勇猛心を持った人間がいる。

 この世界のどこに冒険心に溢れた人間がいる。 

 俺を拒絶し、俺を認めず、俺に悪を押し付け、俺を排斥することで、見知らぬ他の誰かが得たもの。

 それが青春と正義だ。

 俺にとって欺瞞と偽善と悪意でしかないそれらのどこに、情熱があるというのだ。

 青春を送ることが綺麗で豊かで愛ある人生であるというのなら。

 俺はそんなもの要らない。

 

 俺は汚く、腐りながらも、独りで生きていく。

 それを惨めだとは言わせない。

 何故ならその生き方の先に欲しい物があるからだ。

 排斥された結果などではない。

 そのために独りでいることが最善だと――俺自身が、俺の意思で、考え、選択し、捨てた結果の道なのだ。

 

 信念をもって、独りでいよう。

 人の優しさを疑い、人の笑顔に失望しよう。

 愛を信じず、けれど憎しみを拒絶しよう。

 他人を理解出来るはずだなんて傲慢さを捨て、

 他人に理解してもらおうだなんて期待せず、

 俺が決めた、俺だけにできる、俺だからできる、俺の生き方を貫く。

 

 その生き方が、たとえ誰かから見て間違っていたものだとしても。

 どれだけ汚く腐り果て、地を這い、血を吐き、泥を啜り、涙が枯れても。

 自己満足の果てに、何も残らないのだとしても。

 

 きっとその先に、俺が求める、俺の本物があるはずだから。

 

 

 ……………………………………

 

 ………………………………

 

 …………………………

 

 ……………………

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フフフフ」

 日時はもうすぐ七時半。あと数時間後に、俺の魔法科高校での生活がスタートする。その俺の高校初日にふさわしい、決意の表明だ。

 日記帳に記した言葉の芸術を眺め、満足げに閉じたその先に――

「お兄ちゃん、それ、なんかとっても中二病臭いよ。黒歴史になるだけだからって、もう卒業したんじゃなかったっけ? 小町的にポイント低いからやめてね。後、さっさとご飯食べちゃわないと入学式遅刻するよー」

「ぐはぁっ!」

 妹の容赦ない一撃が深々と俺の心を抉ったのだった。

 

 

 

 

 

 



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入学編#1  高校でも比企谷八幡がぼっちなのは変わらない。

「……――以上を持ちまして、新入生代表のご挨拶とさせていただきます。ご清聴ありがとうございました」

 

 イイハナシダナー。

 カンドウシタナー。

 はい。すみません。嘘です。ごめんなさい。きれいさっぱり聞いていませんでした。

 なんとなく周囲の連中が呆けている様子を見てそう思っただけだ。俺自身は、まったく別のことに思考を取られていたから、壇上の彼女が何を言ったのかは微塵も耳に入ってこなかった。

 それでも彼女の答辞がいい話なのかもしれないとわずかにでも思ったのは、周りの視線が一つも動くことなく彼女に集中していたからだ。顔を動かさずに確認できるだけでも、相当数の生徒が感動に瞳を潤ませている。思わず引いてしまったほどに。

 本当、なんだこれと言いたい。宗教家の演説でもこうはならないに違いない。いや、知らんけど。

 中学の入学式とは違うということか? 集会になる度に耳にした「はい。皆さんが静かになるまで五分かかりました」って説教はもう聞くことはないのか。寂しいようなどうでもいいような。まぁ、後者なんだが。

 果たして三年という月日は、少年少女が言われるまでもなく人の話を聞ける大人になるに十分な時間だったのです? いやいや、中学の卒業式だってここまで静寂に包まれていたりはしなかった。先生の話も、送辞も答辞も、ほとんどの連中が意識もそぞろだったはずだ。少なくとも自分はそうだった。今もそうだ。変わっていない。あれ? 成長していないのは俺だけってこと? 泣きたい。

 高等学校入学式の新入生総代を務める、壇上の彼女(名前は知らない)を見つめる新一年生達(俺除く)。

 彼らがそうなっている原因は彼女の言葉に感銘を受けたから、などということはない。それくらいは話を聞いていなかった俺でもわかる。

 その並外れて可憐で神秘的な容姿と、透明感のある声。堂々とした立ち振る舞いの中にある、新入生らしい初々しさ。新入生に限った話ではなく、男女すらも関係なく、壁際に位置する教師陣まで感嘆を息を吐く。その場にいるだけで注目を集める稀有な美少女を目の当たりにして、抱くのは敬意か憧憬か。

 とにもかくにも、講堂に集った入学式参列者全員が、たった一人の十五歳の少女に目を奪われていた。呑まれていたのだ。天は二物を与えずなんて諺は、ただ綺麗ごとだといういい見本だった。

 この世に平等も公平もない、なんてことは今更な話だ。

 そうして高等学校入学式は、俺がドン引きするほどの雰囲気に包まれながら、規律正しい進行によって、何一つ淀みなく終了と相まったのである。

 新入生総代の名前は、確か、し……し……なんとか、さん。今後、彼女に関わることはないだろうし、関わってもいいことあるはずもない。だから覚えておく必要もない。エリートの俺は、エリートらしく、孤高に生きるのである。何故ならエリートは理解されないからこそエリートであり、誰とも相いれないからこそエリートだからだ。

 孤独っていうな。ぼっちっていうな。

 知ってるわ。

 だがこの時、俺は気づくべきだったのだ。

 気づけなかったのは、少なからずこれからの高校生活に浮かれていたからか。我ながら性懲りもないとは思うが、新生活に一切の期待を持たずにいられる人間はそうそういないと思う。思いたい。だとしても、己の迂闊さに呆れるしかないわけだが。

 中学同様にぼっちであることを目指すのであれば、そもそも彼女のことを思考してはならなかった。関わることはないという結論は俺が勝手に抱いた希望的観測であり、意思表示であり、高校生活を穏やかに過ごすための目標だ。

 だがそういう思考に至ってしまった時点で、逆説的に彼女を意識しているのと同義だったのだ。

 眠りたいと思えば思うほど眠ることが出来なくなる感覚といえばいいのか。

 別段、彼女に惚れたというようなことはない。美人を見るだけで惚れるなんてこと、エリートの俺がするはずもない。もう懲りたもの。

 だから入学式で彼女には関わるまいとした俺の決意は、ただのフラグでしかなく。

 そしてフラグというものは、得てしてポキポキ折られるものなのだということをもっと早く気付くべきだったのだ。

 

「司波深雪と申します。よろしくお願いいたします」

「お、おう…………」

 

 同じクラスの隣の席でした。

 無視しても、応答しても注目される位置である。勝つことも負けることも許されない。さすがは「高等」学校。ぼっちになるにもハードル高いということか(意味が違う)。

 

「同じクラスになれて光栄です、司波さん!」

 

 而して俺が名乗るよりも先に、彼女と繋がりを持ちたい、つまりは校内トップカーストに入りたい連中に押しやられ、哀れぼっちエリートの俺は、自分の席にすら座れなくなったのでしたとさ。まる。

 いや、自己紹介苦手だし、関わらないっていう意味ではよかったのかもしれないけどね。

 ただ彼女に近寄ることに夢中で俺に気づかず蹴りを入れてくれやがった男子生徒(クラスメイト)は、許さない奴リストに記載しておこうと思う。

 

   ***

 

 国立魔法大学付属第一高等学校。

 現代における魔法使い「魔法師」の育成を目的とした国立の高等専門教育機関のうちの一つだ。国策で設立された魔法科高等学校は日本全国に九つあり、そのうち、俺が入学した関東・東京にある第一高校、通称・一高の定員は一学年二百名で構成されている。さらに成績優秀者から一科、そして二科と別れ、明確に区別されているわけだが。

 

「…………」

 

 入学式開始前に、校内をうろつきまわって見つけたベストプレイスで昼食のパンをかじりながら、俺は遠く食堂から聞こえてくる騒動に耳を澄ましていた。別段、聞こうと思って聞いているわけじゃない。聞こえてくるだけだ。盗み聞きなんてしてないよ、うん。

 

「二科は一科のただの補欠だ!」

「そうだ自重しろよ! 二科は所詮スペアだ! 一科と二科のけじめはつけるべきだ!」

 

 まぁいろいろとツッコミどころの多いセリフではあるのだが、彼ら――おそらくは一科生――の言葉を聞いた時の感想は「あぁ、やっぱりか」でしかなかった。

 補欠だなんだと彼らは言うが、一科と二科の学校の制度上の違いは指導員の有無であり、教員の個人指導を受けられることだけだったりする。カリキュラムは同じだ。しかし現実には校舎は別れ、制服にもわかりやすい区別が設けられている。

 それを区別と取るか、差別と取るかは個人の裁量次第だが、まぁ前者と取るやつはいないだろうな。それは二科をウィードと蔑称することからも明らかだ。一科生を、制服のエンブレムに八枚花弁が刺繍されていることからブルームと呼ぶのに対して、刺繍のない二科生のことを花の咲かない雑草と揶揄してウィードと呼ぶ。それらは表向きは禁句とされる表現であるが、半ば公然の事実として誰もが意識する呼称でもある。

 そして成績優秀者しか一科には入れない現実を鑑みれば、一科生が優れているのは事実なのだ。

 だからこそ先ほどの言葉にも繋がる。

 入試一回こっきりの成績順で何を威張るというのかは甚だ疑問だが、自信を持つこと自体は悪いことではないはずだ。けれどそれが、何をどう拗らせれば成績が劣る二科生をスペアと見下す方向へ向かうのか。

 いや、わからないでもない。

 彼らは不安なのだ。恐怖しているのだ。正しい意味で自信を持ってなどいないのだ。期待はされていても将来を約束されているわけでもない。魔法師として花開く未来を夢見ていながら、その夢が、ふとしたことで儚く消えるものだと知っているのだ。

 そうして、自分達の誇りとしている土台が絶対盤石なものではないことに気づいているからこそ、自分たちより下の者を見て安心したいのである。

 自分は彼らとは違うと、思いたいのだ。

 そしてそれはとても恐ろしい考えだ。

 何故ならそこにあるのは、理屈ではなく感情でしかない。

 故に、中学時代からカースト底辺に位置している俺の感性が告げている。強く、警告を発している。

 彼らは傲慢であることをやめないだろう。

 何故なら優れていることを誇りにしているからではない。自分より下がいて、見下せる存在がいることが誇りになるからだ。

 だからこそ思う。

 勉強、死ぬほど頑張って一科に入ってよかったと。

 そしてやはり彼らと関わり合いになるのはやめようと。

 

「…………」

 

 そう、思っていた時期が俺にもありました。つい昼休みのことだけどね。てへぺろ。

 

「…………」

 

 自己ツッコミを入れて、その内容の痛さに自己嫌悪をしながら前方を見やる。

 

「魔法科高校は実力主義なんだ。その実力において、ウィードであるキミらはブルームの僕たちに劣っている。つまり、存在自体が劣っているってことだ」

 

 誰かは知らないが、一科生らしき男子のセリフである。その堂々とした物言いを向けらえた二科生の反応は、怒りと呆れが半々のようだった。さもありなん。

 だって痛い。あれは痛い。

 ずっと後ろのほうで、無関係に聞いているだけなのに俺も痛い。中二病は卒業したはずだ。なのに腕がじくじくと痛むぜ、何故だ。

 っていうか、なんで校門に陣取っているんだ。もっと端っこでやってくれ。帰れないじゃないか。

 

「優秀な魔法師は優秀な魔法師と繋がってこそ、能力を伸ばせるというものです。そう思いませんか? 司波さん」

「そうだ、二科生風情が思い上がるな!」

「身の程をわきまえろよ、劣等生!」

 

 改めて思う……本当に、あの連中は高校生なのか。

 思春期特有の暴走っていう意味では、完全に病である。魔法師は力を持っているが故に、変な万能感に侵されやすいとはよく聞くが、しかしその自覚がないとこんな形で衆目にさらされることになるわけだ。

 よかった。俺はぼっちで。だってばれてないし。

 しかし困ったことになった。彼らがどかないと帰れない。いくら何でも自分は関係ないからと言って脇をすり抜けてさようならが出来るほど神経図太くないつもりである。むしろ繊細なのだ。ぼっちは傷つきやすいのである。ホントよ?

 どうしたものかと思っていたら、何やら危険信号が灯り始めた。一科生の先頭に立っていた男がCADを抜き魔法を行使しようとしたのだ。攻撃魔法? いくらなんでも犯罪だ。何考えているんだ。中二病。

 CAD。魔法行使のための電子デバイス。現代版魔法使いの杖と言えばいいか。それを抜き、人に向けるということは、対人の攻撃魔法を行使しようとしたと同義だ。だからこそ信じられない。そんな短慮を起こす馬鹿が一科生として入学し、自分を優秀な存在として宣っているとか何の冗談だ。

 一高の校則として、自衛を目的とした魔法行使以外は禁止されている。それを知らないはずはない。それ以前に犯罪行為だ。頭に血が上っているに違いないが、そのことに思い至らない時点で魔法師としては失格だ。

 

「お?」

 

 だが魔法が発動するよりも、二科生の女子が一科生の手にあるCADをはたき飛ばすほうが早かった。踏み込むのは一瞬。ふるった伸縮警棒を手に「この距離なら自分のほうが早い」と言葉通り実現して見せた女生徒の挑発に、一科生のほぼ大半が切れる。

 あり得ないくらいにぷちっと切れた。

 いやいや、君たちちょっと沸点低すぎでしょう。あらやだ、最近の高校生は怖いのねー、とか言っている場合じゃない。

 

「もう、本当に勘弁してください」

 

 漏れ出た言葉は誰に向けたものでもない。強いて言うなら神様だ。いるとは思ってないが、関わらないと決めた途端に出会うトラブルに関しては、もう確実にフラグ回収しに来ているとしか思えないのである。

 くそう。ぼっちにハードル高い事させるなよ。

 念のため繰り返すが俺は無関係である。まったくもってノータッチ。連中だって、これっぽっちもお呼びじゃないはずだ。

 だが見て見ぬふりをして、後でいちゃもんを付けられることの面倒くささと比較した場合、今ここで止めておかないと後が大変になるのも自明なのである。

 いきなりだが、とある不良男子にクラスメイトが絡まれている場面を見てしまった友達の友達の話をしよう。彼はクラスメイトのピンチを救うでもなく、自分に火の粉が降りかかるのを恐れてその場を走り去ってしまった。ところが見捨てられたことに気づいていたクラスメイトが、翌日彼をクラスで責めた。なぜ助けなかったのかと。それはクラス全般に広がり、教師すら巻き込んでの処刑の場へと変貌した。

 クラスメイト達が彼を非難する。土下座しろ! この人でなし! 謝れ! 最低! 死ねばいいのに! キモイ! 八幡! いや待て、八幡は悪口じゃねぇ! と反論したけど聞いてくれる人は誰もいなかった――って、見捨てたのは俺です。ぼっちに友達なんていません。ごめんなさい。

 つまりソースは俺。うん、今思い返しても、確かにクラスメイトを見捨てた俺は最低だ。だから暴力行為を見て見ぬふりをする行為が倫理にもとる行為だ、なんて正義感ぶったことを言う気なんて毛頭ない。

 ただ見捨てた後にやってくる連中が面倒なだけなのだ。そして面倒を避けることは、ぼっちがぼっちであるために必須な能力なのである。

 CADは使えない。使えば気づかれる。気づかれる前に連中を鎮静化させなければならない。ならば俺が出来ることは一つしかない。魔法を行使しようとした連中も、それを迎えようとした二科生も。すまん。二科生の諸君。喧嘩両成敗ということでよろしく(何を?)

 

「頼む、雪乃(ゆきの)

 

 告げた言葉は彼らの誰よりも早く世界に浸透し、瞬きよりも早い刹那の瞬間に魔法が発動する。

 現代において高速化されたはずの魔法発動など比較にならない速度で空間を支配下に置く、俺が『雪乃』と呼んだ、彼女こそが俺の魔法。

 比企谷八幡の()()。その発露。

 あらゆる事象は雪乃の吐息で凍り付く。

 絶対零度の女神が織りなす白一色の空間。それは世界の終わりをシミュレートした概念魔法だ。その閉ざされた空間では、女神の許しなく何者をも自由を得ることは適わない。

 すべてを拒絶し、すべてを否定する。

 

「…………」

 

 なお、俺は断じて中二病ではないのであしからず。

 

 

   ***

 

 

 大層なこと言ってはみたものの、雪乃が凍らせて否定したのはその場にいた連中の『怒気』であり、そこから生み出された『暴走行為』である。それが系統外魔法と呼ばれるかどうかなんて講釈的なことは現時点ではどうでもいいのだ。

 重要なのは、彼らが今の俺の横やりで落ち着きを取り戻したという一点に尽きる。結果がすべてだ。手段は問わない。目的を達成すること優先せよ。

 いい言葉だ。いつか言ってみたいリストに追加しておこう。

 さて。その結果としてどうなったかというと。誰も彼もが怒気を抜かれ、自分たちが何を騒いでいたのか理解できないような顔で戸惑っているようだった。それは攻撃しようとしていた一科生側だけでなく、応戦しようとしていた二科生も変わらない。

 唯一、司波深雪の隣にいた二科の男子だけが、一科生を通り越し、その後方に関係ない顔して位置していた俺のほうに視線をやっていたのが気になった。

 何? あいつ。もしかして俺が魔法を遣ったことに気づいた? まさか。

 だがその考察は、別の方向からの第三者によって遮られた。

 

「貴方たち、何をしているの!」

「風紀委員長の渡辺摩利だ。魔法不正使用の疑いで双方に事情を聴きます。全員、付いてきなさい」

 

 冷たい声色で告げた上級生に、呆然としていた一科生が言葉もなく硬直した。それは二科生も変わらない。

 足早にこの場に現れたのは、上級生と思われる二人の女生徒だ。

 一人はショートヘアの、男装すればさぞかし同性に持てそうな出で立ちの、風紀委員と名乗った彼女。凛とした立ち振る舞いはいかにも風紀委員然としていて、取り締まりのためのCADを構える姿は実に様になっている。

 もう一人はふんわりとしたロングの小柄な少女である。渡辺と名乗った先輩が女子としてはそれなりの身長を有しているからか、対比で余計に小柄に見える。整った容貌に均整の取れたプロポーションは、美少女という表現の代名詞と言ってもいいのではないだろうか。

 どちらも綺麗なお姉さま、という意味では目の保養になる二人だが、今は一年生の暴走にきつい視線をくれていた。

 これはあれだ。説教コースだな。ざまぁ。

 

「…………」

 

 あれ? もしかして俺も? 違うよね? 誰か違うって言って。関係ないよ、俺。

 でも怖くて聞けない。どうしょう。

 と内心であたふたしていたら、例の二科生男子が前に進み出て、いろいろと言い訳を始めた。

 やれ悪ふざけだったとか。やれ森崎一門(誰のことだ?)のクイックドローを見てみたかったとか。

 すごいなあいつ。俺も屁理屈にかけては右に出る者はいないと自負してはいるが、こうまで説得力に欠ける言い訳は初めて聞いた。しかし信じられないことに先輩方はその言い訳を――正しくは、あまり大事にせずに収束したいとする彼の思惑に乗っかったようだった。

 ゆるふわお姉さんのほうは、彼のことを「達也くん」と名前で呼んでいたから、どうも既知の間柄のようだ。その関係は俺には知る由もないが、彼の言い訳を言葉の通り呑み込めるだけの背景があるようだった。

 もしくは、彼の言った「起動式を読み取れる」という言葉に、何かしら含むところを感じたのかもしれない。

 

「そちらの君は? 魔法を使ったように見えたのだけど?」

「ふぇひゃっ?」

 

 まったくもって不意打ちでこちらに会話が投げかけられたせいで、俺の心が飛び跳ねた。

 身体も飛び跳ねた。顔が引きつった。八幡はダメージを受けた。ライフが0になった。弱さこそ八幡クオリティ。

 メンタルが豆腐でごめんなさい。

 

「あ、ああ、いや、驚かせたなら謝る、すまない」

 

 声をかけたほうまで驚き慌てた様子に申し訳なくなる。コミュ障の俺に会話するときは用法・用量を守って正しい手続きを踏まないとダメなんですよ、と言いたい。引かれるだけだから言わないけど。

 

「い、いえ……大丈夫です」

「そうか。で? 君はどうなんだ?」

「は? え? 俺は無関係ですよ? たまたま偶然居合わせただけの赤の他人です」

「いやいや、それはちょっと苦しいだろう」

 

 案の定、渡辺風紀委員長殿は信じていないようだった。くそ、やっぱり俺も同類に見られていた。俺の目は確かに腐ってはいるが、心は綺麗なのである。あそこの連中と同一視しないでいただきたい。

 問題は、それを証明する手段が何一つなく、あったとしてもそれを説明できるだけの手腕があるはずもなく、言葉にする行為のハードルの高さに打ちのめされるしかない状況だということだ。

 ところが。

 

「いえ。渡辺先輩。実際、彼はさっきここへ到着したばかりですので、本当に無関係かと……」

「……そうなのか?」

 

 おいマテ。何故、彼の言葉は信じて俺の言葉は疑うのだ。

 あれか? 美男子だからか? 顔が整っていることが正義なのか? 俺みたいな濁った眼をした男の言葉なぞ聞くも堪えられないとでもいうのか。

 いやいや、冷静になれ。彼は俺を擁護してくれているのだ。それに乗っかるべきだなのだ。がんばれ達也君とやら。俺の平和な放課後は君の手にかかっている。いや、しかし、イケメン爆ぜろと思ってしまう心に嘘はつけない。俺は正直者でいたいのだ。

 

「そ、そうか。わかった。疑って済まない」

 

 俺の内心の葛藤は、普段の淀んだ目をさらに深く暗く沈み込んでしまったらしく、その濁り具合に若干引きつりながら渡辺先輩は不承不承うなずいたのだった。

 

「まぁ、そういうことなら不問とするが、騒ぎを見ていたなら止めるか、風紀委員を呼ぶかしたらどうだ」

「どっちにしても間に合いませんでしたよ。気づいた時にはもう騒ぎになってましたし。俺、今日はCAD持ってきてないですし」

 

 たとえ持っていても、魔法を不正使用すれば今度は俺がしょっ引かれる図式になる。

 止めろというのは無茶ぶりではないか。

 

「そ、そうなのか? え? CAD持ってない? 授業はどうした?」

「見学しました」

「見学って……」

 

 多分に呆れの含んだ渡辺先輩を引き継ぐように、もう一人の先輩が顔をのぞかせる。

 あ、そういえばこちらの名前知らないや。別にいいけど。

 

「その手にある鞄は?」

「昼食時に読む文庫本をいくつか」

「……本?」

「情報端末ではなく?」

「は、はい……」

 

 驚くことだろうか。という気持ちは隠して、俺は鞄のチャックを開く。特に問題のある物は入っていないから、見せても何の支障もない。鞄の中には、朝、読もうと思って選別した文庫本が三冊入れてあった。

 

「うわぁ、本当に紙の本ですね。珍しいです」

「そうですか? 結構出回ってますよ?」

「重くないですか? 電子データが主流になったのであまり見かけなくなりましたし」

「学術書ならそのほうがいいですが、娯楽としての小説とかは紙のほうがいいので」

 

 一体、俺は先輩相手に何を語っているのか。

 

「……も、もういいですか?」

「そうだな。問題ないよ。ああ、いや、問題はあるのか?」

 

 え? 何かある?

 

「明日はCADは忘れずに持ってきなさい」

「はい。すみませんでした」

 

 これはもう何一つ反論出来ない俺のミスだ。が、今日の騒ぎを思えば、逆に良かったのではないかという気もする。変に疑いをかけられずに済んだのだから。

 

「話が脱線してしまったな。今回のことは大目に見るが、以後このようなことはないように。さて、我々はもう退散するとしよう。君たちも帰りなさい」

 

 そう言えば、と立ち去る寸前に渡辺先輩が顔をこちらに向けた。正しくは、達也とやらのほうに。

 

「君の名前は?」

「1-E、司波達也です」

「ふむ…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「おい、聞かれているぞ?」

「え? 俺のこと? なんで?」

 

 本当になんで? 俺何かした? いや、実はしたけど。ばれてないはずじゃ? もしかしてお前の嘘なんてわかっているんだぞアピールなのか。

 それとも実は俺のこと? ……ないな。絶対。

 渡辺先輩の切れ長の瞳が、無言のままこちらを射貫く。やっぱり、怖いよこの人。

 

「1-A、比企谷ひゃ……八幡です」

 

 噛んだ。恥ずかしい。死にたい。帰りたい。

 

「……そうか。覚えておくよ」

 

 いや、本当になんでだよ。忘れてください。お願いします、って言えたらいいな。言えるかな。言いたいけれど、言えないな。年も力も足りないなぁ、でも今すぐ言いたい――って、やめよう、不毛だ。

 帰って寝よう。それがいい。

 

「はぁ……」

 

 先輩たちが立ち去った後、ため息が出てしまった俺は悪くないはずだ。そのはずだ。うん。俺は悪くない。世界が悪い。

 

「司波達也!」

 

 せっかく先輩が流れを断ち切ってくれたのだから、さっさと立ち去ればいいものを、それを台無しにした奴がいた。

 

「借りだなんて思ってないからな」

 

 最初にCADを抜いた一科生だ。喧嘩腰で何を言っているんだ、こいつ。

 

「貸してるなんて思ってないから安心しろ」

 

 いや、今のはどう見ても貸しじゃないか、とはおそらくこの場の誰もが思ったに違いない。しかし空気を読んで誰も何も言わなかった。賢明な判断だと思う。

 司波達也もまた眉一つ動かすことなく応じるあたり、図太いというよりはさっさと彼らと別れたがっているように見えた。激しく同意である。

 

「司波さんは、僕たちと一緒にいるべきなんだ。お前など、認めるものか!」

 

 文字通り捨て台詞を残して去っていく一科生たち。彼らが司波深雪に拘るのは、自身がトップカーストに入れるか否かの瀬戸際だからだろうか。自分たちグループの中心に、学年主席を置いておきたいだけのではないのか?

 それはもうただブランド品で自分を飾りたいのと同じだ。ただの自己愛だ。俺が言うのもなんだが、大分気持ち悪い。

 俺が言うのもなんだが。

 ま、もう関わり合いになることもないか。帰って寝よう。

 

「……んじゃ、俺もこれで。お疲れさん」

「あ、いや、ちょっと待ってくれ。比企谷、だったか」

 

 おそらくこの騒動で最も気苦労を負った司波達也にだけ軽く頭を下げて横を通り過ぎようとした俺を、当人が呼び止めた。

 

「……何だ?」

 

 もういい加減にして開放されたい。そんな感情が渦巻いていたせいか、声がいつもより低くなった。きょどらなかっただけましかもしれないが。相手にはあまりいい印象を与えなかったに違いない。

 案の定、司波達也の表情が少しだけ曇った。

 

「少し聞きたいことがあるんだが」

「……だから、何?」

「お兄様。せっかくでしたら帰りながらお話されてはいかがですか? ここで立ち話もなんですし」

 

 司波深雪の声かけで、司波達也が軽くうなずいた。そう言えばお兄様? 司波? 同じ苗字? 兄妹か、この二人。あまり似てないが、それを言うとウチの兄妹にブーメランが返ってくるので言うのはやめておこう。もっとも、俺に妹がいることを知るやつがいるとも思えないので杞憂に過ぎないのだが。

 

「それもそうだな」

「お、んじゃ、みんなで帰りますか?」

 

 仕切り始めたのは大柄な二科生男子。眼鏡女子も、警棒女子も異論はないらしく肩の力を抜きながら頷いている。と、そんな一同に近づく影があった。

 

「あ、あの! お兄さん、司波さん、私たちもご一緒してもいいですか?」

「……えっと?」

 

 司波達也に声をかけたのは一科生の少女二人組だ。そのうち一人は、先ほど暴走しかけた一科生たちの後方で閃光魔法――起動式を読み取ったらしい司波達也曰く――を起動しようとしていた女子だ。

 

「光井ほのかって言います」

「北山雫」

「先ほどはかばっていただいてありがとうございました。それと、不快な思いをさせてしまったみたいでごめんなさい」

「いや、大したことはしていないよ。それよりもお兄さんはやめてほしい。同じ一年生なんだし」

「わかりました。あの、では達也さんとお呼びしてもいいですか?」

 

 自分の失敗をすぐに反省して素直に頭を下げることが出来る。その美徳に兄妹もこの二人が先ほどの連中とは毛色が違うらしいことに気づいたようだ。司波達也が会釈で返すと、二人は下げた頭をもう一度軽く下げて「ありがとう、よろしく」と告げた。

 

「じゃあ、帰ろうか。レオ、千葉さん、柴田さんも」

「オッケー。あ、そうそう。あたしのこともエリカでいいよ、達也くん」

「私も美月と――」

「了解した。エリカ、美月」

 

 え? もしかしてお前ら、それで友達になれちゃうの? 名前呼びが出来ちゃうの?

 すげぇな。俺には真似出来ない高等テクだ。さすが高校。レベルが違う。

 っていうか、そもそもみんなで帰るのは決定ですか。そうですか。誰も俺の意見聞いてないよね、さっきから。

 

「……………」

「比企谷?」

「あれ? 帰らねぇの?」

 

 ………いや、帰るけど。

 電車に乗るから、結局駅まで帰り道は同じなんだけども。

 なんだか釈然としないのは、やはり俺がぼっちでコミュ障で、ひねくれているからか。

 一緒に帰ったら友達になる? まさか、そんなことはあり得ない。

 小学生の頃、家の方向が同じだからとクラスメイトと一緒に歩いていたら、不意に隣を歩いているそいつに言われたことがある。「そういや最近お前なんで俺たちが帰るときにそばにいんの?」って。たまたま同じ方向だからと勇気を出して裏声になりながら呟いた俺に対してさらにそいつは告げたのだ。「え? マジで? やべぇ。明日から俺ら別の道で帰るか」って。

 同じ方向だから一緒に帰ろうという言外に込めた期待はあっさりと砕け散った。話しかけてくれないと思っていたら、向こうは俺と帰っているつもりなかったっていうオチだ。

 泣いていいですか?

 だから知っている。友達とは同じ方向に帰るとかでは決して出来たりしない。ソースは俺。

 そもそも彼らと友達になるつもりもないのだが、それでも思うのだ。

 歩き出す彼らの背中を追うのではなく、いつか横に並ぶ日が来るのか。

 彼らがそれを許し、俺がそれを望むのだろうか。

 わからない。わからないから、問い続け、考え続けるしかないのだ。人の心がわからない俺には、結局それしかできないのだから。

 

 




勢いで書き始めましたが、入学編くらいは完結させたいと思います。。。。


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入学編#1  -Interlude……

「どう思った?」

 

 自らの執務室――生徒会室へと足を向けながら、七草真由美は隣を歩く友人に話題を投げた。

 水を向けられた渡辺摩利も、何がと主語がなくとも話題の主については察したらしい。すぐに応答が返ってきた。

 生徒会と風紀委員会。生徒主動で活動する委員会のトップ二人を前にして、まったく気負うことなく相手して見せた新一年生、それも二科生の男子のことだ。

 

「喰えない男、だとは思ったよ」

「それだけ?」

「面白そうでもあるな、彼の言う、魔法の起動式が読み取れるというのが本当ならばだ」

「嘘だと思う?」

「いや、信じがたいけれど本当だろうね」

 

 嘘を言うメリットもなければ、そんな場面でもないという意見は一致しているらしい。普通ならば、あり得ないと断じるだけの技能だ。三万文字相当のデータを瞬時に解読して式に込められた意味を理解する。

 少なくとも真由美も摩利も無理だ。また周辺の友人たちにも真似出来る者はいない。

 だからそれをハッタリとして使うには弱い。

 しかし何の疑問もなく呑み込むことが出来るほど容易な技能でもない。

 彼にその技能があり得るかもしれないと思わせたのは、第一高校歴代でもトップクラスの成績を弾き出した妹の存在と、彼自身が弾き出した入試成績によるところが大きい。

 

「司波深雪さん、だったかな。生徒会に入れるんだろ?」

「ええ。彼女が受けてくれたら、だけど。早速明日にでも打診するつもりよ」

「服部がやきもきしていたがな」

 

 本当は入学式の当日に話をしに行く予定だったと聞いている。だが式後の家族との時間を優先した司波兄妹に真由美が遠慮した結果として、まだ司波深雪に生徒会への参加を依頼出来ていない状況だった。

 副会長である服部刑部がそのことに苛立っていたことは真由美も感じ取っていた。だからと言って自分の行動が間違っていたとは思っていないのだが。

 

「本当は達也くんも生徒会に入れたかったのだけれど」

 

 ただ面白そうというだけでない、彼は何かを持ち合わせている気がする。勘と呼ぶには曖昧で、だが根拠を示せるほどには明確でない感覚だった。

 

「二科生では厳しいか」

 

 摩利の言葉は、生徒会は一科生しか入れないという校則を指している。ずっと変えたいと思っている規則だが、校則を変えるには相応に障害が多いのだ。深雪に負けず劣らず優秀な部類の真由美でもまだ辿り着けていないくらいには。

 

「でも繋がりは持っておきたいのよね、達也くんとは」

「なんだ惚れたか? 確かに見栄えはいいな。妹さんを初めて見たときほどの衝撃ではなかったが」

「もう、そんなんじゃないわよ」

 

 摩利の軽口は、自分には愛しい彼氏がいることの余裕から来るものだ。彼氏を前にした彼女は、普段の凛々しい「摩利お姉さま」と下級生の女子から慕われる姿とは一転して乙女になる。それをからかうと怒るくせに、普段はこうして恋人のいないこちらをいじってくるのだから手におえない。

 

「見栄えと言えば、比企谷って言ったかな。達也くんが無関係って言っていた一科の男子のほうだが」

「あー、あの子ねぇ……」

 

 記憶にある男子の容姿を引っ張り出す。

 達也に比べたら言っては悪いが平凡だ。中肉中背で、猫背。そして何より、

 

「なんであんなに目が濁っていたのかしら?」

「ああ。あれにはびっくりした。本当に新入生なのかと思うくらい目が淀んでいたからな」

 

 腐っている、という言葉は使わなかった。本人がいないところで聞いているわけもないのだが、言葉がすぎると思ったからだ。

 

「なんだか随分びくびくしていたわね。摩利、怖がられてたでしょ、間違いなく」

「そんなに怖い顔してたかなぁ?」

 

 だが釈然としない摩利の顔が、不意に真面目に戻った。

 

「その比企谷だが、魔法を遣ったように見えたのは、あたしだけか?」

「いいえ。私にもそう見えたわ。なんの魔法かはわからなかったけれど」

 

 もちろん、起動式を読み取れるわけでもない真由美と摩利では、その詳しい魔法の種類まではわからない。そもそも魔法を遣ったというのも状況予測でしかない。

 だから、摩利は彼の名を聞いたのだ。

 

「暴走しかけた一科の一年たちを鎮めたように見えた。何の魔法を遣ったのはわからなかったが、魔法でしかありえない。とすれば、系統外魔法だと思うのだが」

「CADも持たずに事象に干渉したのなら、BS魔法かもしれないね」

「CAD持ってきてないとか、なにしに学校に来てるんだか」

 

 呆れを多分に含ませて、摩利は嘆息する。それについては真由美も同感だった。

 

「ともあれ、一度彼にも落ち着いた場所できちんと話を聞きたいわね」

「同感だ」

 

 摩利はおそらく、彼の使った魔法に興味があるのだと思う。これから部活勧誘期間だ。魔法の校内使用が解禁されるが故に、風紀委員会としてはもっとも多忙を極める時期が来る。一年のうちで、最も逮捕者が多発する時期でもある。暴走するのはさっきのようなプライドばかりの一年生だけではない。上級生たちも新入生確保ために躍起になるからだ。

 その暴走しがちな生徒たちを鎮められる可能性が、あの比企谷という生徒の魔法にあるなら、風紀に引き込めないか――そう思っていても不思議ではない。

 一方の真由美の目的は少し違っていた。

 提出された個人情報を読んでみた限りでは、その内容に特出したものは何もなかった。一般家庭の出自。過去に有名な魔法師がいた記録もない。家族親族にも、彼以外に魔法を遣える者はいない。本当に突発的な魔法師としての才能の発露だ。

 それが比企谷八幡という少年の背景だった。

 一方の司波兄妹も魔法師の家系というわけではないらしいが、こちらはどこか嘘くささを感じている――というのも、真由美の勘でしかないのだが。何より当人達と接した印象としても魔法師としての立ち振る舞いに違和感がない。だから魔法師の家系、もしくは魔法が日常的に傍にある環境なのだろうということは想像出来る。

 日本の魔法師たちのトップに位置する十師族の一つ。七草家の長女である真由美は、魔法師としてのエリート教育を受けてきたという思いがある。

 だからこそ魔法が日常にないような環境で司波深雪に次いで入試総合成績二位を修めた比企谷八幡の成績は、ある意味、司波兄妹よりも異常に思えた。

 だが決して悲観はしていない。忌避もしていない。むしろウェルカムなのだ。あの腐った目はどうかと思うが、そういう意味では摩利と同じで興味に尽きない。

 筆記一位の司波達也。

 筆記二位、実技一位、総合成績一位の司波深雪。

 そして次いで総合二位の比企谷八幡。

 彼らの成績を思い出して思わず頬が緩む。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、第一高校に新しい風が来たことを予感させるに、十分な存在だった。

 

 




今日のところの投稿はここまでになります。
ただ月曜のこの時間に投稿して読んでもらえるのかちょっと不安ですが。。。。


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入学編#2  意外にも七草真由美は知られていないことに気づいていない。

 その異変は、司波深雪の一言から始まった。

 

「おはようございます、比企谷くん。いきなりのことで申し訳ないのですが、今日のお昼休みに少しお時間いただきたいのです。よろしいですか?」

「………え?」

 

 なにそれ。何の罰ゲーム?

 思わず口にでかけた言葉を飲み込むのには、思いの他、力がいった。それで口元が引きつったせいか、誘ってきた司波が軽く後退る。気味が悪かったらしい。怖がらせてごめんよ。

 数日前の接点以降、彼らとは特に関わりを持ってこなかったはずだ。帰り路での司波兄の問いかけには適当に答えておいたし、それで向こうも取り合えず好奇の矛先は収めてくれたようだった。

 あれからも特に一緒に行動する、なんてリア充的なことにはならなかったし、彼らから一緒に帰ろうと声をかけてくるということもなかった。通学路や校舎で会えば挨拶する程度である。やはり俺の予想は正しかった。

 彼らは友達同士、互いを下の名で呼び合う。だが俺に対しては名字で呼ぶ。つまり俺とは友達ではない。見事な三段論法で証明終了(Q.E.D.)だ。

 一方、あの時に和解した光井と北山はちゃっかり司波グループに入り込んだようで、それを遠目に羨ましがる1-Aの男女の多いこと多いこと。二科生が中心の彼らの輪の中に入れないのは一科としての自尊心が邪魔しているからだろう。

 授業だけでもと、どうにか司波と接点を持ちたがる連中もいるが、それらは完全に光井と北山に――というより、ほぼ光井によってガードされ、それもままならぬ状況だった。完全に自業自得である。

 俺に対してはそういうガードらしきものが設けられているわけではないらしく、机の周りが落ち着けるようになったのはうれしい誤算だった。がんばれ光井。俺の平和はお前にかかっている。

 とは言っても俺が積極的に司波のような美少女と接点を持つわけもない。目立つとか、ぼっちだからとか以前に、話題がない。話しかける理由がない。だから司波とは朝と夕に挨拶をするくらいであり、普段の会話などほぼ皆無と言っていい状況だ。そもそも挨拶にしたって俺から発するわけがない。中学までと同様に、誰とも目を合わせずひっそりと教室に入り、ひっそりと帰宅する。これがルーチンであるはずだったのだ。

 しかし司波はそんな俺のステルスモードなど意に介さず、毎朝、毎夕、きちんと挨拶をしてくる。それすら俺からすれば信じられないという思いだったのだが、どうも彼女は礼儀正しく清廉な性格をしているようで、目が腐っていて挙動不審で女子からすると気持ち悪いだろう俺に対しても接し方を変えたりしない稀有な女子らしかった。

 そして、今朝。

 そういうわけだから、司波が何かしらの罰ゲームで俺に話しかけたということはないはずだ。むしろそういう悪ふざけに嫌悪しそうな空気すらある。

 ではなぜ俺に話しかけたのかと言えば、原因を推測するのはさして難しくない。必要性があるからこその行動であり、それはおそらく彼女には由来しない。

 生徒会だ。

 これまた別の意味で危険だった。

 あんなリア充の巣窟どころか文字通り学校全体のトップカーストが君臨するところに足を踏み入れるなんて冗談ではない。

 

「あー、えー、えっと、何? あれがアレだから……」

 

 だが悲しいかな、誘いを受けた経験がほとんどないぼっちの俺は、だから誘いを断る経験もなく、どう言えばいいのかわからないのでどもるしかないのである。

 そしてそんな口下手な俺のお断りが通じるはずもなく、司波はきょとんと可愛げに首をかしげて見せた。

 

「あれがアレ???」

 

 本当に他意はないことくらいはわかる。わかるが、純真過ぎる問い返しは、逆の意味で刃なのだと、今日初めて知った。

 

「えっと、よくわかりませんが、生徒会長が比企谷くんとぜひお話したいことがあると」

 

 予想的中。敵が来た。しかし話したい事とは何だ?

 比企谷八幡をおびき出す際に用いられる何かの符丁だろうか。

 

「お昼ご飯もご用意できますので、ご一緒にいかがですか? 兄もまた話が聞きたいと申していましたから」

 

 お兄ちゃん大好きな妹としては、むしろそっちがメインの理由なんじゃないですかね。いや、怖くて聞けんけども。

 しかし周囲から浴びせられる嫉妬の視線が痛い。これ以上目立つくらいなら、おとなしく付いていったほうが身のためじゃなかろうか。

 しかし、アレだ。どうしてこうも俺は意志が弱いのか。つくづく思う。ノーと言える日本人になりたいと。

 

「?? ……何か仰いました?」

「いいえ、何も」

 

 お、やったぞ。ノーと言えた。あれ? でもおかしいな? 何も状況変わってない気がするぞ。

 

「ではお昼休み、よろしくお願いしてもいいですか?」

「……お、おう……」

 

 かくして、俺が学内で心休まる大切なひと時は、敢え無く消失したのである。

 

 

   ***

 

 

「突然お呼びたてしてすみません、比企谷くん。どうぞ座ってください」

 

 司波深雪の後に着いて入室した生徒会室。その中には、見知った人物三人と、見知らぬ人物二人がいた。

 向かって右側、手前から書記の中条あずさ。奥に生徒会会計の市原鈴音と、どちらも一科の先輩で初対面だ。

 市原先輩の隣に風紀委員長の渡辺摩利。

 左側に司波達也。つい先日風紀委員に入ったと噂で聞いたから、生徒会入りした妹の深雪共々、ここで昼食をとっていても不思議ではない。

 

「…………」

 

 最後に一番奥の席に座る、俺を迎えたゆるふわロングヘアの、先日の中二病患者が校門で騒ぎを起こした際に、渡辺先輩と共に静止に来た先輩だ。生徒会の人だったのか。

 名前は知らない。だがこの配置に座っていて無関係ではないはずだ。というか、高い確率で組織のトップが位置する場所じゃないか。まさかこの場でお誕生日席というわけもあるまい。

 なのに彼女だけが自己紹介しなかった。さすがに知らないままというのも気が引けると思い、隣に座った司波に問いかけることにする。

 

「……なぁ司波」

「何だ?」

「何でしょう?」

 

 兄に話しかけたつもりだったが、返事は兄妹そろってやってきた。

 

「いや、悪い。兄のほうだ」

「……何だ?」

 

 かすかに声色に剣呑さが含まれたのは、妹をないがしろにされたせいかもしれない。

 あ、こいつもシスコンだと察した瞬間だった。

 

「あの人はどこのどなた?」

 

 唯一自己紹介しなかった先輩のことだと、軽く視線をそちらに向けて問いかける。

 名前を言わないのは自明のことだからかもしれない。もしくは俺なんかに名乗る名前なんてないという暗黙のプレッシャーなのだろうか、とも思ったが、まさかわざわざ呼び出しておいて無意味なことをするほど暇でもないと思う。思いたい。

 失礼にあたるというのは自覚していたから小声で聞いたはずなのだが、俺が司波に問いかける様子をうかがっていたのか先輩たちの会話も途切れたちょうど隙間に俺の声が響いてしまった。

 司波から感じた微かな怒気は瞬時に霧散した。

 司波が絶句しただけにとどまらず、別の意味で室内が凍り付いた。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「……あれ?」

 

 俺、そんなにまずいこと聞いた?

 だがそんな俺の戸惑いを吹き飛ばすように、渡辺先輩が我慢しきれなかった様子で声をあげて笑った。

 

「プッ――ククク、アハハハハハ! まさか、真由美のことを知らない奴がこの学校にいるなんてな! ちょっと自意識過剰すぎるんじゃないかね? 七草生徒会長?」

 

 ああ、やはり生徒会長だったか。しかしさえぐさ? やはり聞き覚えはない。

 

「摩利、笑いすぎ! えっと、比企谷くん? 私のこと、知らないってどういうことですか? 初対面ではありませんよね?」

 

 ご立腹の先輩であるが、ここは断じて言わねばなるまい。

 

「い、いや。はい、お顔は知ってます。生徒会の人だったんですね」

 

 今度は司波兄が顔を逸らした。声は出してないが、その態度でばれてますよ?

 

「え、っと、でも、あれ? 名前、聞いたことなかったような気が……」

「おーい、自己紹介してないのか? 真由美」

「そんなはずありません。ええ、ありませんとも! 第一、入学式で挨拶したじゃない!」

 

 渡辺先輩はまだ笑い続けている。声を殺しているようだが、肩が震えているのでまるっきり隠せていない。隠す気もないのかもしれないが。

 司波兄はもう平常通りに戻っていた。ポーカーフェイス上手いな、こいつ。

 しかし入学式のことを思い出す。挨拶? 司波深雪のことは覚えているが、それ以外になにかあったかしら?

 

「……そうでしたっけ?」

 

 やはり記憶にない。聞いていなかっただけという可能性は高い、というかむしろそれしかない。

 びきっっと先輩の綺麗な額に青筋が浮かんだように見えた。

 あ、これはいかん。ダメだ。パターンレッドだ。謝っておこう。悪くなくても謝っておこう。

 壇上で名乗っただけの上級生の名前を憶えてないことを責められている状況に何で? とか思う気持ちはあるが、何にしても謝れ。きっとそれが正しい選択肢だ。ソースは小町。俺の妹。マイ、エンジェル。

 

「……す、すみません」

「何を謝っているんですか?」

「覚えていませんでした」

「何を覚えていなかったんですか?」

 

 覚えていないものを答えろとか、なんという無茶なことをおっしゃる。理不尽だ。しかしまぁ、普通に考えれば入学式で、おそらく生徒会長と思しき先輩の出番とくれば、答えはおのずと導き出された。

 

「……祝辞、ですかね?」

「そうです。祝辞です。私、名乗りましたよね?」

「多分?」

「なんで不思議そうなんですか。ちゃんと生徒会長として名乗りました。名乗りましたとも。入学式で」

「そうですね」

「だから悪いのは比企谷くんです」

「そうですね」

「……なんか面倒くせぇな、この女。とりあえず謝っておけばいいや、とか思ってませんか?」

「そうですね」

「…………」

「…………エスパー?」

「ちょっとは悪びれてください!」

「こら比企谷、あまり真由美をいじめるな。真由美もちょっと落ち着け」

 

 肩で息をしながら声を荒げる生徒会長殿をなだめる様に、渡辺先輩が笑顔のままに口をはさんだ。

 

「確かにあまり褒められたことではないが、祝辞を聞いていなかったからと言って怒るのは度量が狭いぞ、生徒会長」

 

 そうだ、そうだ! もっと言ってやってください。

 

「うぅ……だってぇ……」

「初対面できちんと名乗らなかった真由美が悪い。だがまぁ、比企谷も、もう少し手加減してやれ。真由美はお嬢様だから、あまりいじられるのは慣れてないんだ」

「摩利は比企谷くんの味方なのね?」

 

 唇を尖らせて友人に抗議する生徒会長殿だが、棘を向けられた渡辺先輩のほうはどこ吹く風だった。明らかに楽しんでいる顔で、お茶目に笑顔を続けている。

 

「面白いものが見れたからな」

「そんな理由!?」

「そうだな。いやぁ久しぶりに本気で笑ったよ。おなかが痛い。ありがとう。だがもういい加減、話を先に進めよう。ほら、自己紹介するなら今だぞ?」

「…………もう」

 

 ぶつぶつと、何やら文句がありそうな表情のまま、生徒会長がこちらを向く。渡辺先輩はニヤニヤと笑ったまま、他の先輩方や司波兄妹は空気を読んで静観していた。

 小さく息を吸って吐き、もう一度大きく深呼吸してからこちらに向き直った生徒会長の顔色は、怒張で赤くなっていた先ほどとは比べて随分と落ち着いたように見えた。

 

「祝辞、聞いてなかったのね……」

「はぁ、すみません」

「結構頑張って考えて会心の出来だと思ったのに」

 

 ……司波妹の答辞に上書きされていた気がするが、とは口が裂けても言えない。

 だが彼女の話をまるっきり聞いていなかったこと自体は、俺の落ち度だ。実をいうと司波妹の話も聞いていなかったのだが、これはもう絶対に秘密にしておこう。そうしよう。

 

「それは、本当にすみません」

「はぁ、まぁ聞いていなかったのなら仕方ありません。仕方がないからもう一度言います」

 

 そんなに前置きしてまで名乗らんでもいいと思うが、それもまた余計な一言だということは自覚していた。

 

「生徒会長の、七草真由美です」

「どうも、比企谷八幡です」

「知ってます!」

「そうですか」

「そうです。いいですか? ななくさと書いて七草(さえぐさ)、です。七草真由美。覚えましたか? 覚えましたね? ではリピートです」

「さえぐさまゆみ。ななくさとかいてさえぐさまゆみ」

「覚えましたか?」

「イエスマム」

「よろしい」

「何を漫才しているんだお前たちは」

「…………」

「…………」

 

 渡辺先輩のツッコミには黙して伏すしかない。今のは俺が説教されていただけですよ? 断じて遊んでなぞいない。いないったらいない。

 七草生徒会長が黙った理由までは図りかねたが、彼女は小さな沈黙を破るように軽く咳払いして、ようやく落ち着いたと言わんばかりの表情で椅子に座り直した。

 

「オホン、さて、では気を取り直して本題に入りましょう。比企谷くんを呼んだ理由についてです」

 

 説明を引き継いだのは、渡辺先輩だった。

 

「単刀直入に言えば、風紀委員の取り締まりを手伝ってほしいからだ」

「え? いやですよ?」

「断るの早いよ!?」

 

 生徒会長のツッコミも素早い。だがその程度では俺の鋼鉄の意思は揺るぎはしない。言ってみたかっただけだ。

 理由が気になるところではあるが、聞けば引き返せない予感しかしない。むしろ「聞いたな、聞いたね、聞いたからには手伝ってもらう」という女王様しか言わないような三段論法で押し切られかねないまである。

 聞きたくはない。だが聞かないことには話を進められないっぽい。そして話を進めない限りは帰れないのだ。え? なにそれ? もう詰んでなくね?

 だから俺にできたのは、諦観をたっぷり言葉に乗せて、聞き返すことだけだった。

 

「あの、なんで俺が……?」

「まぁ答えを急ぎすぎるな。とりあえずこちらの話を最後まで聞いてくれ」

「なるほど。それもそうですね。お断りします」

「文脈おかしいよね!?」

 

 生徒会長はそう言うが、俺の中の論法では何もおかしくない。むしろ理路整然としすぎていて恐ろしくすらある。ここは決して引くことなく、断固として戦う時なのだ。

 

「比企谷」

 

 その俺を冷ややかな目線で見つめながら、渡辺先輩はもはや冷めてしまったはずの紅茶のカップをカチャリと置いた。その仕草一つで、彼女は場の空気を自分もとへと手繰り寄せてしまった。貫禄具合で言えば、七草会長よりも彼女のほうが生徒会長っぽいと思ったのは秘密である。

 

「いいから聞け」

「は、はひ」

 

 やっぱり怖いよこのお姉さん。

 そしてティッシュよりも柔く燃えやすく灰になりやすい俺の意思は、彼女の一言でくしゃりとまるまったのだった。

 

 

 

 



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入学編#3  やはり比企谷八幡の魔法はどこまでもチートである。

 要約すると、俺の魔法によって精神鎮静効果が見られるなら、風紀委員の取り締まりに試してみたいというものだった。

 

「比企谷の魔法が暴発しかけた森崎達の精神に干渉して沈静化させたと達也くんから聞いている。もしそれが本当なら、風紀委員会としてはとても有用だ。

 ぜひ活用したいと思ってな。取り締まりに忙しくなる部活勧誘期間だけでも、手伝ってもらえないか、というのが話の発端だ。

 期間は今日を入れて後、三日残っている。本当はもっと早く誘いたかったんだが、少し立て込んでいてこんなタイミングになってしまった。正直、風紀委員会の業務は猫の手も借りたいというのが本音だが、仕事内容的にそうそう簡単に人員を補強できなくてね」

「今年の風紀委員はもう決まったんじゃないんですか?」

「確かに、前年度卒業生の抜けた枠はすでに埋まっている。生徒会枠に達也くんが、教師推薦枠に森崎が入った。

 あたしとしては、君ほどの入試成績で何故、教師から話がいかなかったのか不思議でならないのだが……」

 

 それはもちろん、成績以外に問題があるからだ、きっと。

 俺の中学時代の内申というものが教師陣に渡っているなら、俺を風紀なんてものに任命しようとは思わないはずだ。試験の成績と違ってこちらはプライベート情報である。いくら生徒会や風紀委員長でも知らなくても不思議ではない。

 とはいえ、やはり話の本題は俺の魔法で、それが司波からもたらされたらしいということだ。

 まぁ口止めしてないし、話されて困ることは司波には告げていない。だからそこから得られた限定的な情報で、俺の魔法を風紀取り締まりに利用したい、という考えた渡辺先輩には、ほんのわずかだけど同意出来なくもない。

 だが無理だ。風紀委員なんて冗談ではない。働きたくないとか、ぼっちだからとか、コミュ障だからとかいう問題――いや、待て、それらは問題か? 俺の個性じゃないのか? ――はともかく、それ以前に魔法不正使用を力づくで取り締まる可能性のある仕事が俺に務まるはずない。

 もう一度言うけど、ぼっちだからではない。ほんとだよ?

 だから端的に、渡辺先輩に答えた。

 

「無理ですよ。俺には」

 

 戦い(・・)なんてできるはずもない。

 

「力づくってところが気になっているなら――これは以前、入るのを渋っていた達也くんにも言ったんだが、別に比企谷がその方面の仕事、つまり要逮捕者を力づく抑える必要はないぞ? 二人組で行動すればいいだけのことだ」

「それもありますけど……」

 

 言うべきかどうかを少しだけ迷ったのは、ただ言葉を探していたからだが、周囲はそれを、勧誘の拒絶のための迷いと思ったようだった。

 迷ってはいません。念のため。お断り一択だ。

 

「乗り気にならないか?」

「もちろんです」

「そこは即答なのね」

「面倒だし、働きたくありません」

「斜め上の回答が来たな」

 

 苦笑したのは七草会長と渡辺先輩だけで、他は全員が呆れた顔で俺を見ていた。解せぬ。

 

「風紀委員創設以来、そんな理由で断った奴いないんじゃないか?」

 

 つまり俺は先駆者ということだ。何それ、格好いい。

 

「そうは言っても、無理なものは無理ですよ。戦うとかはもちろんだけど、それ以前に別の問題もあります」

「ふむ。それは君の魔法に関することか?」

「え? ええ……」

「マナーはあまりよくないとわかってはいるが、聞かせてくれると思っていいのかな?」

「……あー、えっと、そう、ですね……」

 

 相手からしてみれば、肯定とも逡巡ともとれる返事だなと、口にしてから思った。

 魔法師が他の魔法師の魔法を詮索するのはマナー違反だ。例えそこまでのことではないにしても、聞こうとする行為があまりよろしくないとされている。それが特にBS魔法――先天的で潜在的な超能力ならなおさらのこと。少なくとも先輩らはそう考えているだろうことは、こちらを申し訳なさそうに窺う表情と口調で察することが出来た。

 つまり、強制するつもりはないらしい。こう言っては何だが、とても意外だ。

 ならばあとは俺の判断一つと言うことになるわけだが。

 話すか。ごまかすか。拒否するか。

 俺自身、俺の魔法がなんなのかわかっていない。だからそれが解明できるというなら、俺がわかっていない範囲も含めて話してもいいのかもしれない。だがぼっちの俺は、これまで魔法のことを誰かに話したことはない。俺に対して興味を持った奴がいなかったので、話す機会がなかったのもある。と言うかそれしかない。

 唯一の例外が妹の小町だ。理解を示してくれたのも小町だけである。本当、小町ちゃん、マジ天使。

 親は逆に魔法には一切興味を持っていない。知識もない。俺が魔法師になりたいなら親として協力するとは言ってくれたが、それは俺からお断りした。以降、そうして魔法に関する一切合切を除外した親子関係なので、それもそれでいっそ清々しい。俺としては助かっている。

 だから魔法を遣える人たちが、俺の魔法をどう思うかがわからない――というようなことは、実はない。というのも、予測はできているからだ。けれどそれはあくまで予測。ニュースや新聞などを中心にあつめた魔法師業界の情報からの推測でしかない。実証が出来ていない。何故なら俺は以下略――

 ならば余計なリスクは避けるべきではないだろうか。君子危うきに近寄らず。来る者は拒む。拒みまくる。むしろ拒み過ぎて去る者が出ないまである。

 ぼっち、ここに極まれり。

 すみませんが――と、断りの言葉を告げようとして、七草会長と渡辺先輩の顔を見やった。ふいに視線が合った。合ってしまった。後悔した。俺のバカ。なんで彼女らを見た。目が合えば、眼力で負けるに決まってるじゃないか。

 俺の目は確かに腐っているから他者を寄せ付けないように見えるが、その実、外殻はとても柔いのだ。

 彼女らの瞳の奥にある感情に気圧されて、俺は慌てて目を逸らした。同時に、すみませんと断りを入れようとした俺の言葉も引っ込んでしまった。

 

「…………」

 

 何故か二人は黙っていた。断られる可能性が高いことを察している表情だった。けれど話してほしいと思っている目をしていた。俺の発言、俺の表情、俺の行動から、俺の価値を推し量るような目だった。

 ゾクリと背筋に寒気が走った。先ほどまで室内に漂っていたおちゃらけた空気はどこにもなく、ただ何かに試されているような圧力がのしかかってくる。

 彼女らが人の上に立つ人間だから? それとも彼女らの本質なのか。どうして他人をそんな目で見れる? 他人なんて等しく敵であり、等しく無価値としなければならなかった俺にはその真意がわからない。

 その疑問のせいか、ついて出た言葉は先ほど考えていたこととは違っていた。

 

「……先に教えてください。会長たちは、俺の魔法のことを聞いて、どうするつもりですか?」

「え? そうね。達也くんから聞いた効果の通りなら、風紀の取り締まりに便利かなーとか? 実はあーちゃんも似たような魔法を持っているんだけど、ちょっとそういう方面の荒事が苦手なのよね」

「ちょっとというか、ほぼ致命的に苦手だな」

「はぁ……」

 

 ちらりと中条先輩のほうを見ると、何やらすまなさそうに頭を下げていた。

 

「……それだけですか?」

「それだけよ?」

 

 きっとその後には『今のところは』と続くに違いない。けれどある意味、そのほうがわかりやすい。

 誰にでも優しい奴、というのは確かにいる。過去にもいた。だが誰にでもと言うことは誰もが等しく同じであり、十把一絡げにして見ているから、俺のことなんぞ記憶されていないのだ。そういう意味では本当の意味で誰にでも優しい奴などいない。優しくするということは、そこに優しくするだけの利益があるからだ。ソースは小町。

 そしてそれは、間違いなく自分のためだ。利用価値があるから優しくできる。つまり七草会長らが時間を割いてまで俺に接近したのは、今のところ俺に利用価値があると考えているからだ。まぁ、だから何だという話なんだが。

 

「一応、言っておくが、強制じゃないからな?」

「おや? 自分の時は半ば強制だったような気がしますが?」

 

 渡辺先輩の言葉に、司波が皮肉を返す。

 

「先に手の内を晒したのは達也くんのほうだろう? そのくせ色々出し惜しみしているようだし、あまり高校生活を楽しんでそうにも見えなかったからな。ちょっと先輩権限で胸の内を開いてみたくなったのさ。面白そうだったし」

「後者が本音ですね」

「もちろんだとも」

 

 認めながらも、渡辺先輩に悪びれた様子はない。楽しそうにカラカラと笑った。

 

「だが重要だろ? 楽しそうな後輩を見つけたのだから、付き合いたいと思うのは普通のことだ。まぁこちらが年上で、どうしたって君や司波は遠慮するだろうから友達――とは少し違うかもしれないけどな。それにあたしは提案しただけだよ。最後に決めたのは達也くんだ。実際、風紀は君にとっても居心地の悪くない場所だろう?」

「そうですね。森崎以外は」

 

 学年の差異をお互いに気にした風でもなく、軽口の応酬をするくらいには打ち解けているらしい。その森……なんとかが誰なのかは知らないが、俺のほうは、今の話で別に気になったことがあった。

 

「……司波は、なんで風紀委員に入ったんだ?」

「ん?」

 

 会話の流れを聞く限り、奴もまた当初はその気ではなかったのだろうことは見て取れる。そのことに俺は納得していた。むしろ司波が、何故風紀に入ることを受け入れたのかのほうが不思議だった。

 司波達也は、俺とは違う意味で他人との関係を非常にドライに捉えているタイプに見えたからだ。他人に期待していない。他人は他人。自分は自分。自分に害がない限りは、積極的に自分から他人に干渉することも、干渉されることも嫌う。

 

「……学校組織や生徒会に興味を持っているタイプには見えないんだけど?」

「ひどいな」

「クスクス……ですが、反論できませんよね、お兄様?」

「…………」

 

 妹にも裏切られては兄の立場は既にない。司波が黙り込んだのは当然の帰結だった。それをごまかすようにコホンと一つ咳払いをしてから、司波は続けた。

 

「さっきも言った通り、きっかけは半ば強制だったな。比企谷と同じように、面倒だとも思った。うん……いや、今もちょっと面倒だ、とは思っている」

「おいおい」

 

 ぶっちゃけた本音に渡辺先輩のツッコミが入るが、司波はそれを黙殺した。俺も無視した。

 

「なら何故?」

「……当初の感覚としては、決闘までさせられて引き下がるのも癪だから、だと思っていたんだが」

「なんだそれ? どういう展開かよくわからないんだけど?」

「大丈夫だ。今にして思えば俺にもよくわからない。その場の勢いもあったからな。ただ……そうだな。最終的には委員長の言う通り、面白そうだと思った、というのが本当のところなんじゃないかと思う。深雪が生徒会入りしたこともあったしね」

 

 漠然とした意見で済まないが、と苦笑して見せた司波に、俺は答えを溜息で返した。その感想すら他人事のように話す司波の言葉に本音をくみ取るのは難しい。だが一方で、この男は自己すら客観視してやいないだろうかという、うすら寒いものを感じた。

 俺は俺が好きだ。自分のスペックも、性格も、まったくもって嫌いじゃない。嫌いだと思ったこともない。だから誰かに認めてほしいとか、価値を見出してほしいなどとは考えていない。

 司波はどうなのだろうか。そういう意味では司波も同じで、けれど奴には自己愛すら感じられない。自分すら愛さず、他人はどうでもいい。唯一の例外は、きっと隣で兄に笑顔を向けている妹だけ。

 それはそれで歪んでるな、とは思う。他人事ではあるが。

 さて、では俺の場合はどうか。

 昔、俺にも承認欲求を他人に求めていた時期はあった。けれど今は違う。他人に期待し、他人に寄り添い、他人の感情に理由を求める行為はもう過去のことだ。

 孤高なぼっちであることに自己の確立を求めた俺は、他人の価値観などに左右されることはない。

 そしてそれは俺の魔法を他の魔法師に話したとしても、俺の取るスタンスが変わらないことを意味する。魔法を話すことで仮に不利益が出たとして、いやよしんば何もなかったとしても、俺の取る選択肢は何一つ変わらない。

 話しても話さなくても、結果は同じところに帰結する。ならば話してみてみるのもいいかもしれないと、先ほどとは考えを変えた俺がいた。

 俺の魔法に魔法師たちがどのような反応を示すのか興味があった。予測を実証するためだ。自己愛すら薄そうな司波が風紀を、生徒会を、面白そうと感じた背景に興味が出たというのもある。

 ……って、これは言い訳か? 言い訳だな。俺らしくない。

 自分の欲求を、別の何かに押し付けるのは欺瞞だ。ならばやはり俺の取るべき行動は一つしかない。これからも交わらないための線を引く。それがきっとお互いのためだ。

 だから()()()()()、もう少しだけこの会話を続けよう。

 

「……条件があります」

「何かしら?」

「他言はしないでください」

「当然だな」

「もちろん」

 

 渡辺先輩、七草会長に続き、他のメンバーも誓約の言葉を口にした。司波は誓約の後に「済まない」と謝ってきた。どうやら彼なりに、俺の魔法のことを生徒会に話したことに思うところがあったらしい。

 それは口止めしなかった俺の不注意だ。俺の魔法の実態には程遠いのだから気にする必要はないと言うと、司波は軽く頭を下げた。律儀な奴め。

 それが無駄な謝罪だと知りながら、受け入れた俺も人のことは言えないかもしれないが。

 

 

   ***

 

 

 話は、先日の司波たちへの説明を軽く否定するところから始めた。

 

「この前、司波には言いませんでしたが、もともとあの魔法は高揚して自制の外れた心を落ち着かせる、とかそういうものじゃありません。あくまで結果がそうなったってだけです」

「では、どんな魔法なんだ?」

「…………一言で言えば、事象の否定です」

 

 空間を支配してあらゆるものを凍結する『雪乃』という名の魔法の本質は、物理法則ではない『意味』を凍らせることにある。『意味』とはすなわち『概念』と言い換えてもいい。事象の概念を凍らせて破壊することで導き出される結果は、その事象の意味を『否定すること』へと繋がる。

 

「否定?」

「はい」

 

 小さな沈黙が室内を満たす。俺の説明がそれで終わったのを察して、渡辺先輩の眉が怪訝そうに寄った。

 

「……それだけか?」

「ええ」

 

 それしか言いようがないのだから仕方ない。今一つよくわかっていない面々の中で、しかしただ一人、違う様相を表している奴がいた。

 司波達也だ。

 

「お兄様?」

 

 妹も、兄の様子が変化したことに気づいたらしい。

 

「…………比企谷、それはどういった事象を否定するんだ?」

「別に、なんでも」

「例えば――」

 

 俺の端的な答えに納得がいっていないのか。もしくはその先にある可能性に気づき始めているのか。表情が険しい様子を見る限りでは、おそらくは後者に違いない。

 何か面倒になってきたが、ここまで来て答えないというのも、それはまた手間だろうことは想像に難くない。

 司波が指さしたのは、渡辺先輩が先ほど置いたカップだ。まだいくらか残っているが、もう湯気は出ていない。

 

「冷めてしまった紅茶の冷たさ(・・・)を否定したらどうなる?」

 

 そういう聞き方をしてきたことが、この男が勘づいている証拠だった。

 

熱くなる(・・・・)

「では、淹れたての紅茶の熱さ(・・)を否定したら?」

冷たくなる(・・・・・)。つまりアイスティーだな」

「……それは振動系魔法では?」

 

 司波深雪が言った通り、温度を操作する、という意味でならそうかもしれないが。

 

「いや、違うな」

 

 だがその妹の考えを、兄が否定する。

 お前、シスコンなんだからもう少し優しくしろよ。妹はお兄ちゃんをディスってもいいが、お兄ちゃんは妹をないがしろにしちゃダメなんだぞ。

 

「では俺の紅茶はもう飲み終わっているが、それを否定したら、どうなる?」

「え?」

 

 俺にそう聞いたのは司波兄だが、その質問そのものに疑問を呈するように問い返したのは司波妹だった。しかし今はそれをかまう時ではない、というのは司波兄の無言の圧力からわかる。

 というか、この男、本当に一般人か? さっきから感じる重圧が半端ないんだが。

 だがまぁ、どれだけ圧迫されたところで、俺にできるのは結果を答えることだけだ。

 

「淹れたての状態に戻る」

「は?」

 

 今度は俺の言葉に司波深雪がきょとんとした顔になる。

 その仕草すら美人だと思うが、どうにも俺は彼女が苦手だった。

 教室で誰と何を会話していても、一歩引いて、冷静に物事を視ていそうな空気がある。『みんな』の輪の中にいるのに、『みんな』の輪の中にいない俺が『みんな』を見るのと同じ目で『みんな』を見ているように思う時があった。それが唯一崩れるのが兄に関することであるあたり、彼女のブラコン度合いも重症に違いない。

 

「逆に淹れたての紅茶を否定したら?」

「飲み終わった状態になる、いや、誰かが飲んだわけじゃないから、淹れなかったことになるが、正しいか」

 

 ここにきてようやく、理解が追いつき始めた他の面々の顔つきが変わった。

 生徒会長の顔が青ざめ、渡辺先輩から愉快そうに聞いていた色が消えた。

 

「比企谷くん、それは……」

「つまり、あの時、森崎達一科の一年が突然冷静になったのは、比企谷が彼らの激高しかけた精神を否定したからか?」

「正確には、メガネの二科生と、警棒持っていた二科生に煽られて爆発した『怒り』と、攻撃魔法を遣おうとしていた『行動理由』を、です」

 

 名前覚えていないから特徴しか出てこないが、司波達也のクラスメイトだったはずだ。

 

「やはり部分否定すら可能なんだな」

 

 苦渋の表情で司波兄が俺を睨む。ということはやはり気付いている。筆記一位は伊達ではないということか。小声で呟いたため、聞こえたのは隣にいた俺と司波妹だけのようだが。

 

「…………それは本当に魔法なのですか?」

 

 市原先輩の質問も無べなるかな。

 世界そのものの情報記録体(イデア)から、物質や事象の在り方が記録された情報(エイドス)を読み取り、その情報を改変することで現実を塗り変える。そしてそれを技術として体系化したものが魔法だ。

 そういう意味では『雪乃』も魔法だと思われる。多分。きっと。

 以前、小町に魔法について説明を求められたとき、俺はそんな感じで説明したのだが、魔法の素養がない小町は「さっぱり何のことやらわからない」と言った顔をしたので、俺は少しだけ過去の黒歴史を呼び起こしたことがあった。

 すなわち。

 

『現在過去未来、遍く全ての平行世界の事象を記録したアカシックレコード――』

 (訳: つまりイデアのことね)

『我はそのアクセス権を持つ存在なり』

 (訳: 魔法師はそのイデアに記載されたエイドスを知覚することが出来ます)

『三千世界に轟く我が腐敗の干渉力は混沌の海より情報を読み取り!』

 (訳: 魔法師が魔法を遣う場合、まずイデアからエイドスを読み取ります)

『意志の力で情報を改竄!』

 (訳: そして読み取ったエイドスを魔法式で書き換えることによって)

『世界を我が想像した通りに造り変えることが可能なのだ!』

 (訳: その内容に合わせて現実の事象を改変します)

『世界に抗う術などない。為す術もなく世界は我が力の前に屈するだろう』

 (訳: 魔法は物理法則と関係なく事象改変が可能です)

『現に世界は抑止力によって我が力に対抗しようとしたが、無駄なこと! すべてを蹴散らしてくれた!』

 (訳: けれど物理法則に反する魔法の場合、復元する力が働くため高い干渉力が必要です)

『故に我こそが最強! 我こそが世界の支配者! 我が覇道の前に敵はない!』

 (訳: ()()()()』は干渉力と言うか影響力が半端じゃないので、一度否定した効果は永続します)

『さぁ世界よ! 我に従え!』

 (訳: これは言ってみたかっただけ)

 

 最後のほうは大げさに悪ノリした物言いだが、そんなに間違ってはいないと思う。

 実際、この説明で小町は理解してくれたのだ。ただし、

 

「うん、よくわかったよ。お兄ちゃんがキモイってことが」

 

 俺が最後に泣き崩れたのは言うまでもない。

 ともあれ、俺の魔法による『否定』が、では現代魔法としてのカテゴリーにおいてどこに分類されるのかという話をすると、実のところどこにも分類されなかったりする。四系統魔法にも、系統外にも属さない。無系統でも知覚系でもない。否定することによって、逆説的にそれらすべてと同じことが可能ともいえる。

 だから強いて分類するならBS魔法だ、というのは単に消去法でしかない。

 念じるだけで、CADを遣わなくても発動、制御ができる。そういう意味では現代魔法の原点である超能力に近い。

 使っている当人、つまり俺だってそう思うのだ。彼女らが抱いた感想は当たり前のものだろう。

 本当に何なんだろうな、俺の魔法。魔法名が人名っぽい(しかも女子の名前)のは小町が名付けたからなのだが、名で呼ばないと魔法が発動しないのである。

 名前呼ばないと返事しない子なのだ…………あれ? 人に置き換えると存外に当たり前のことだった。

 

「最初は、あーちゃんの『梓弓』に似た魔法かなと思っていたのだけど……」

「確かに、もうそれは全く違う魔法だな。類を見ない、という意味では魔法ではなく能力といったほうがしっくりくる。だがなるほど、無理という比企谷の意見はもっともだ。応用力は高そうだが、危険度も高い」

「ええ。一歩間違えば火事程度では済まなくなります」

 

 渡辺先輩と司波達也の間で視線が交わる。危険性を察した二人と、まだそこまでの理解に達していない他のメンバーの差異がはっきりと現れた瞬間だった。もちろん火事というのは比喩だ。二人が何を想定したのかは、風紀委員としての実情を知らない俺が予測できるものではないし、したって意味がない。

 だが俺の魔法の危険性を察してくれたのは、話を進めていく上で非常にありがたかった。

 

「確かに、使い方を誤ると大変なことになりそうな魔法だとは思いますが、そこまで危険度の高いものでしょうか?」

 

 司波深雪の質問は、理解できていない側の総意でもあった。

 渡辺先輩と司波達也以外の皆が頷いているが、彼女らがその答えに行きつかないのは無理もないと言える。何故なら自分たちの知る魔法で可能な範疇を超えているからだ。だから想像しない。だから想像できない。

 あり得ない、という固定観念が、その理解を拒んでいるからだ。

 

「深雪、比企谷は「対象は何でも」と言った。さっきは『紅茶』を例にしたが、では、それが『人間の生死』ならどうなる?」

「……え?」

「生きている人間を否定したらどうなる? 逆に死んだ人間を否定したら?」

 

 兄から妹への問いかけ。だが、兄はその答えを待たずに予想を告げた。

 

「前者なら死ぬ、後者なら蘇る。違うか?」

「ああ」

 

 それは質問だったが、ほぼ確信を抱いているという風だった。俺が頷き返すと、不意に誰かが息をのんだ。それが誰なのか、確認するのは怖かったので見るのはやめておいた。

 

「それを試したことは?」

「おい、いくらなんでも人間相手に実験とかしたことあるはずないだろ」

 

 それだけはきちんと抗議しておかなければならない。俺は殺人なんて御免だ。たとえ生き返らせられるとしてもだ。

 他者から受ける痛みを知っている。あんな痛みを与えるものを、人に向けたいなんて思うはずもない。

 

「昆虫とか屋台で釣った金魚とか、植物とかで、何度か……動物も、道端で車に轢かれて死んでいた野良猫とかを蘇生させた程度ならある。流石に殺すのは忍びなかったからやってない」

 

 室内に沈黙がおりた。怖がらせてしまったかもしれない。

 その重い空気を何とはなしにさらっと負って立ったのは、案の定、司波達也だった。

 

「これは俺の予想でしかないんですが」

 

 外れてほしい予想ではあるのだけれど、と断りを入れてから司波達也は続けた。敬語になっているのは、妹や俺だけにとどまらず、生徒会室にいる先輩方へも向けての説明だからだ。礼儀正しい奴である。

 そしてそうふるまえるだけ冷静であるとも言える。

 

「事象の否定には、二種類あると考えられます。

 一つは状況の否定。

 これは命であれば、生死に関する結果になります。生者であれば死に、死者であれば生き返る。最初の例のように、対象が温度であれば熱ければ冷めて、冷たければ熱くなるのでしょう。

 そしてもう一つが、存在の否定です。

 最初のほうも大概ですが、より危険なのはこちらでしょう。生者であれば消えてなくなる、という程度ではすみません。おそらく生きていたこと自体、きれいさっぱりこの世界から消えるんじゃないでしょうか」

 

「すごいなお前、ほぼ正解だ」

 

 以前、小学生だった頃に試したことがある。

 夏休みに種を植えた朝顔のことだ。夏休み終了間際に朝顔の存在を否定したら、朝顔を植えたという事実自体が消えていたのだ。家族の誰もが、俺が朝顔を育てていたことを知っていたはずなのに、誰の記憶にも残っていなかった。

 植木鉢は残っていた。朝顔を育てるための土も入っていた。けれど、植えたはずの朝顔がなくなった。

 

「日記帳に朝顔の観察日誌を付けていたんだが、それも消えていたな。日記帳自体は残っていたが、中が真っ白で、何かを書いた跡も、消した跡もなかった」

 

 俺が夏休み初日の朝に植えた朝顔の存在がなくなった、それは言い換えれば、俺が朝顔を植えずに夏休みを過ごした未来ということになる。

 その時の俺の混乱は筆舌に尽くしがたかった、とは小町の証言だ。相当気持ち悪かったらしい。親には白い目で見られた。妄想だと思われたからだ。

 朝顔の観察は夏休みの宿題だ。植えたはずなのになくなったという結果は、見る者が見れば、宿題忘れていただけにしかならない。やったはずなのになくなってた、なんて子供の言い分は、宿題忘れた言い訳にしか受け取られない。

 繰り返したら拳骨が舞い降りた。星が散った。流石に夏休み終了前日に巻き返しはできず、教師にも怒られた。

 まぁそれは余談だが、俺はそれからも植えた朝顔がどうなったのかを結構長い時間を遣って調査した――したが、結果としてわからなかった。

 所詮、小学生。それも魔法の素人に出来る調査なんてたかが知れている。

 だがそれを大人に言う気にはなれなかった。信じてほしいという思いはあったが、信じてくれないときの怖さと痛みを知っていたから。

 なにより、出来る限り俺を信じたいと思ってくれている小町に、信じたいけど信じられないという悲しい思いをさせたくなかった。

 それから決して少なくない時間を遣って、俺は独りで自分の魔法の効果を調べていったのだ。それこそ、亀の足と言われても反論できないほどゆっくりと。誰にも頼れないからこそ、慎重に慎重を期しながら。

 だからこそ余計に思う。

 俺のさっきの拙い説明で、すぐに俺の魔法の効果を予想できた司波達也の思考能力には、感嘆する以上に恐怖すら抱いた。

 

「人の記憶や、紙面上の記録からも消えるって、そんなこと……」

「電子データであっても例外じゃないでしょうね」

 

 司波達也の言う通り、電子データでも同じだ。もちろん試したうえでのことである。小遣いをためてどうにか手に入れた小さなコンピュータを使った実験は、想像通りの結果しかもたらさなかった。

 訪れた沈黙は、先ほどよりもさらに重いものになっていた。

 まぁ当然と言えば当然か。

 そもそも魔法師の出発点が兵器であることは、有名な事実なのだ。俺の力を知れば、それを軍事転用したいと考える連中は、おそらく沸いて腐るほど出てくるだろう。

 そしてそのことを、第一高校の代表格である生徒会面々と、それと対等な力量を持つ渡辺先輩がわからないはずがない。想像できないはずがない。

 わかってしまったから、沈黙するしかないのだ。

 知ってしまったから後悔しているのだ。そんな危険な話を、出会ったばかりの自分たちに何故教えたのだと。

 現代魔法でも、古式魔法であり得ない、魔法師ですら実現できないと思わしき能力。そこに現れるのは、魔法師でない者が魔法師を見るときと同じく違う生き物に対して向ける視線だ。

 自分たちではなしえない、あり得ない能力に対して平然と「へぇ、すごいね」と言える奴がいるはずもない。

 もしそんな奴がいたとしたら、それはよほど無条件に相手を信じられる頭の中お花畑なだけか、またはそいつもどこかおかしい、それに等しい何かを抱えているかのどちらかだ。

 信頼と信用を持って他者の力を受け入れることが出来るのは、その土台があってこそ。魔法師としてのくくりから外れてしまえば残るのが何か、など考えるまでもない。

 化け物扱いして線を引き、関わり合いにならないよう努めるか。または利用目的で俺に過剰な友好を求めてくるか。だから一見友好的な連中をこそ受け入れてはいけない。そうすると、俺への対処で考えられる可能性は二種類二択に別れると推測できる。

 傍観と無視。利用と敵対。友好という選択肢はない。それは先も言った通り二つ目と同義だからだ。

 彼女らはどれを選ぶのだろうか。

 

「比企谷くんの魔法が希少性が高いことも、使い方によっては危険なことも理解しました……ですが……」

「会長が危惧しておられる、何故、これほどの魔法を俺たちにすんなり教えてくれたのか、であるなら答えは明白でしょう」

 

 七草会長の問いかけを覆うように言葉を重ねたのは、やはり司波達也である。言葉には攻撃的な色合いが強かった。

 

「比企谷は、俺たちの記憶すら否定できるからです」

 

 全員に緊張が走る。もう少しオブラートに言えないのか。あ、言っても同じか。なら仕方ない。

 

「俺たちに自分の魔法のことを話した事実を否定すればいい。たったそれだけで、例えば俺たちが他の誰かにこのことを話したとしても、そもそもの最初――つまり出発点自体がなくなるわけですから、どこかに漏れ出ることはありません。お前の魔法の秘密は守られる。違うか?」

「それも正解」

 

 淡々と、解答だけを告げる。

 それに対する反応はまちまちだった。

 

「そんなことが……」市原先輩は静かに息を飲み込み、

「あわあわあわ……」中条先輩は何故かひたすら慌てふためている。なんか可愛い。小動物みたい。新種かしら。

 

 無言でいるのは二人。七草会長と渡辺先輩。この二人の思考も、どちらかと言えば先の二人同様に戸惑いに近いように思う。だがそれらとは明らかに違う毛色を示している者がいた。司波兄妹だ。

 

「お兄様、試されようとか考えていらっしゃいませんよね?」

「本音を言えば、試したくはある。だが同じくらい怖さもある。危険度も高い。だから大丈夫だよ、安易な真似はしないさ」

 

 何故か心配げに兄を見上げる妹と、それをなだめる兄の図が完成していた。そして頭を撫でられ頬を染める妹までもがワンセットである。

 君らいちゃつくの好きだね。

 内容は何を言っているのかわからないが。会話の端々を聞き取るだけだと、どうも友好を装った敵対に見える? だがまぁ、どちらでもいいし、どうでもいいことだ。

 俺が会長たちに俺の魔法のことを話したのは、彼女らが俺に対してどういう風に接してくるのか、その決定権を委ねるためではない。俺自身が、彼女らと距離を置く理由を作るためだ。

 と、俺の目をじぃっと見つめていた七草会長が、不意に俺の核心をついてきた。

 

「比企谷くん、もしかして最初から私たちの記憶を否定して消すつもりだったの?」

 

 無言は肯定と受け取られ、否定は意味をなさない。ならばとれる手段は一つしかない。

 

「……ええ」

 

 素直に頷くことだけだった。

 

「どうしてか、聞いてもいいですか?」

「え? 逆に聞きますが、どうして消されないって思うんです?」

 

 そのほうがびっくりである。

 

「……我々を信用も信頼も出来ないから、というのはわかります」

 

 言葉にすることも苦しそうに、七草会長は続ける。

 

「でも、だったら最初から、魔法のことを話さなければいいことではないですか? あ、いえ。ごめんなさい。魔法のことを聞いたのはこちらからなのだから、私はとても失礼なことを聞いていますね……」

「……そんなことが、気になりますか?」

 

 少し意外だと感じた。彼女の性格を把握しているはずもないので、ただの印象の問題なのだが。

 

「だって話をして、でもそのことを否定してなかったことにするなら、話すメリットがないもの」

 

 真実を話してから記憶を消す。嘘をついてごまかしてやり過ごす。または最初から拒絶して退室する。

 だが結果として俺の取る行動は、彼女らとの接点をなくす行為だ。そこには手間以外の違いはない。魔法のことを話すと決めた時点で、この場で俺が嘘をつくという選択肢は取れない。取れたとしても面倒くさい。

 過去にさかのぼっての否定も可能だが、時間が経てば経つほど条件が複雑化する。それを聞き出す話術が俺にあるわけない。なのでそれも無理。

 雪乃の弱点は意外にも実は多い。その一つが嘘がつけないことだ。いや、少し違うか。意地っ張りだから、一度吐き出したことを虚言にできないのだ。つまり魔法の制約としてみた場合、一度否定した内容をさらに否定することができない。

 

「けれど俺の魔法を話せば、条件は逆にシンプルになります」

 

 つまり『比企谷八幡の魔法を知った起点に至る全ての記憶の否定』だ。

 

「だから否定するなら一度にしてしまいたいと思った、っていうのが主な理由ですかね」

「…………」

「あとは渡辺先輩とか司波とかは、たとえ俺が嘘をつくのが上手かったとしても、言葉巧みに俺を追い詰めてくるだろうなーとか思いましたし……」

「……あたしってそんな印象か? 達也くんならともかく……」

「否定はしません」

 

 渡辺先輩は不本意そうに否定し、司波は渋々だが認めたようだった。

 

「口外しないでほしいとか、絶対に秘密だとか、そういうことほど人間は必ず誰かに言いふらすでしょう。前振りだとでも思っているんですかね、まったく」

 

 別に個人攻撃しているわけではない。不特定大多数の話だ。

 

「だからまぁ、そういった諸々の理由が重なったから、ですよ」

「……納得したわけではないけれど、わかりました。ではもう一つ、これは純粋な疑問なのだけど、ついでに教えてもらってもいいですか?」

「はぁ、何でしょう?」

「比企谷くんは、どういう魔法師になりたいの?」

 

 聞かれた問いは、俺にとって想定外のもの、というだけでなく、七草会長を除く他の面子にとっても意外性あるものだったらしい。険しい顔をしていた司波達也までもが不思議そうに目を見開いている。

 

「質問の意図がよくわかりませんが……」

「気になった、っていうのが本音かしら。

 

 貴方がその魔法で色々なものを否定し続けた先に、肯定しようとしているものがなんなのか、気になったのよ」

 七草会長の物憂げな視線の奥にあるのは同情? それとも憐憫? 気になったというには、好奇の色が薄いのは、それらが綯交ぜになっているからかもしれなかった。

 

「はぁ……そうなんですか。いえ? 俺は別に魔法師になんてなりたくないですよ?」

「え?」

 

 だがみんなの驚きの視線が、俺が発した答えでそっくりそのままこちらに向いた。

 全員の目が一斉に見開かれる、って、実際に目の当たりにするとちょっと不気味だ。夢に見そう。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 そして今度もまた俺の言葉によって生み出された沈黙が場を支配する。

 これはもうあれですね。俺ってばさっきから地雷踏みまくってないですかね? というか、どこに地雷があるのかさっぱりわからないあたり、俺にはやはり他人とコミュニケーションをとる能力なんてものはないのだろう。

 そうしてしばし小さな空白の間をのほほんと楽しんでいたところ、真っ先に再起動したのは渡辺先輩だった。

 

「…………ちょっと待て。

 いや、もう、なんだ。色々と話が難しくなってきていて混乱している自覚はあるんだが、それでも待て。

 ほんっとーに、待ってくれないか?」

「どうぞ」

 

 すぅーはぁー、と深く深く、呼吸を整える様子を見るに、本当に混乱しているらしかった。意外である。もっとさらっとからっと物事を縦に割って見る人に見えていたのだが。

 

「いや、お前、だったらなんで魔法科高校に入学したんだ?」

「渡辺委員長の言うとおりだ。魔法師になりたいわけじゃないのに魔法科高校に入学してまで、いったい何になりたいんだ?」

 

 渡辺先輩と、彼女の問いを追うようにして投げかけられた司波の質問は、この場にいる全員が抱いた共通の疑問らしい。

 頷く皆の顔を見渡す、ような真似は俺には出来ないので、最初から見ていた七草会長のほうに向けて答えた。

 答えは最初から決まっている。これについては迷いなどない。

 

「将来の夢は専業主夫ですが」

 

 …………おや? 何故皆さん、そんな淀んだ目をして俺を見ていらっしゃるのでしょうか。

 まるで俺みたいですよ。

 

「いや、そんなドロドロと目を腐らせながら夢を語られても……」

「夢ってもっとキラキラとしたものじゃなかったでしたっけ?」

「魔法どこにも関係ないような?」

「そもそも家事とか出来るのか?」

「こう言っては何ですが、意外ですね」

「魔法科高校を選択した理由にはなってない気が……」

「一科に入れるほどの成績を修めたのに?」

「深雪さんに次いで総合二位です。実技が二位で、筆記は三位。ともに会長の入試成績を上回るほどの好成績でした」

「なのに専業主夫?」

「別に家事を専門にする仕事が悪いわけではないんだろうけど……」

「信じられん、なんだその才能と努力の無駄遣いは」

「進学はするのでしょうか?」

 

 次々に再起動を果たした他の面子からの質問が飛び交う中で、俺が答えたのは最後の疑問だけだ。正直、誰からの質問かはもう言葉が多くてわからなかったが。

 

「大学には行くつもりですが……」

「魔法科大学?」

「第一志望はそのつもりです。それが無理でもそれなりの大学には進学したいと……」

「そのあとは?」

「主夫になります」

 

 だって働きたくないですし、働いたら負けな気がしてますし。

 

「それ大学行く意味あるの? 第一、なんで魔法科なのか、やっぱりわからないわよ!」

 

 七草会長の疑問はもっともだと思う。だが俺には俺の、崇高な目的があるのだ。

 

「え? だって魔法師って平均収入高いでしょ? 魔法科大学で、美人で優秀で高収入な女子を見繕って結婚しようと思います。最終的には養ってもらおうと」

「それはヒモだろう!」

「渡辺先輩、男女差別はよくないと思います」

 

 夫が働き妻が家を支えるのがよくて、その逆がダメだというのは差別ではないか。

 男尊女卑の時代は、とうの昔に終わりを告げたはずである。

 

「いや、別に差別しているわけじゃないが。それでも何だ、男なんだったらこう、好きになってくれた女の子を自分の手で幸せにしたいとか、自分の手で守りたいとか、その子がいるから俺は頑張れるんだ的な? ものがあるんじゃないのか? あるだろう? ないのか?」

 

 渡辺先輩って、存外に乙女だな。

 

「男に夢見すぎでは?」

「比企谷は女をドライに捉えすぎだ! というか、お前に言われると何故かものすごいショックだ……」

 

 どういう意味だ。

 がくりとテーブルに突っ伏す渡辺先輩の言葉には力がこもってなかった。どうやら本当にショックを受けたらしい。

 第一、前提条件からして間違えているのだ、彼女らは。

 

「そもそも何を言っているんですか? 正気ですか? 俺を好きになってくれる女の子なんているわけないでしょう」

 

 これまた全員が呆気にとられたが、悲しいけど、これ。事実なのよね。

 

「そんな物悲しいことをはっきりと言わないでくれないかしら? 切なくなるから……」

 

 何故か七草会長からは涙目で訴えられた。

 

「事実は事実として受け入れることから始めないと」

「ものすごくいいこと言っているように聞こえるけど、内情は信じられないくらい後ろ向きよね?」

「個性です」

 

 アイデンティティーというやつである。だから苦情は受付ない。

 

「ごまかされているだけのような気が……というか、それだけ自信満々にモテない宣言しておきながら、どうやって結婚するつもりなの?」

 

 ふむ。それもまた俺の道をふさぐ、巨大な壁であることは確かだ。

 だがしかし、それにもちゃんとした対策を考案済みである。

 

「対策?」

「……土下座して頼み込んで、家事全般一手に引き受けることを理由にすれば、一人くらい、頷いてくれませんかね」

「女の子を何だと思っているんですか!」

「え? そりゃあもちろんアレですよ……なんて言うか、俺を見て、

『うわっ、こいつキモい、目が腐ってる、近寄ると菌が移るからどっかいけよ、っていうかこっち向くな、息するな、死ね』

 とか常日頃思っている生き物ですか」

「そんな女の子いるわけないでしょう!」

 

 そんなふうに思えるのは、七草会長がお嬢様だからだ。

 

「少なくとも、俺の中学の女子が全員そうでした。街中でも時折知らない女性にキモイ、死ねとか言われたことありますしね……」

 

 この生徒会室内の女性陣(というか、司波達也以外全員)が、そういうタイプではなさそうだという事実は、俺からすれば、接敵直後に逃げ出す経験値豊富なレアモンスターに遭遇した上に全員逃走されずに倒せたのと同じくらいの驚きなのだ。

 じぃっと、お互いを見つめること数秒。

 

「…………え? 本当に?」

 

 流石にちょっと恥ずかしくなってきたころ、ようやく七草会長が折れてくれた。

 あー、よかった。これ以上目を見ていたら勘違いして惚れてしまうところだった。

 まったく、そういう行為は好きな男にだけしてくださいね。貴女のようなあざとい行為が、馬鹿な男を死地に追いやるのですよ。

 たとえ女性から忌避されたとしても、事実は事実として受け入れることから始めないといけないのである。目を逸らしていては、ぼっちにはなれないのだ。だが他人とは目を合わせてはいけない。目を逸らさなければぼっちになれない。

 ジレンマというやつである。

 

「だからこそ、俺は他人と関わる必要のない専業主夫を希望します」

「専業主夫ってそういう仕事じゃないと思いますが……」

「結婚する秘訣は打算で、持続させる秘訣は惰性です。ソースはうちの妹。お金と食事さえあれば、愛は別のところでも大丈夫」

「お前はもう少し結婚に夢や希望を持て!」

 

 渡辺先輩はそう言うが、理想だけの結婚をしたカップルのどれだけが現実に潰され別れることになると思っているのだ。

 

「いや、だからと言って、現実を見るなと言っているわけじゃないんだが……」

「……百歩譲って専業主夫になれたとして、比企谷くんは家事は出来るの?」

「最近の電子機器って便利ですよねー」

「する気がないじゃないの!」

 

 そうは言うが、便利な道具は使ってこそなんぼじゃなかろうか。

 便利なものが開発されたからには使うべきである。そうでなければ開発者の苦労も浮かばれないというものだ。

 だが七草会長をはじめとして、女性陣――だけでなく司波兄も含めて全員そうは思わなかったらしい。

 

「「「「はぁぁぁ~~~~っ!」」」」

 

 長い長い溜息で、これ見よがしに呆れられてしまった。

 中でも七草会長のテンション落下具合が半端ない。

 目が俺みたく腐り始めていませんか? 俺を見る時だけかもしれんが。

 

「まったくもう、ほんっとぉぉぉーー……に、まったくもう!」

 

 なにそれ、頬を膨らましてぷんぷんするとか、どういうアピールですか? 激おこですか? そうですか。可愛いかもしれないけどあざといので俺には通用しません。きゅんとくるのでこっち見ないでください。

 どきどきしてしまうではないですか。

 

「…………色々最低な言葉が最低な感じで飛び出してきて、魔法のことも含めて、正直、もうなんと言っていいか分からないのだけれど……とりあえず、比企谷くんのことで分かったことが一つだけあるわ…………」

 

 長い長い溜息の後、七草会長は、いったんそこで言葉を切った。

 

「…………???」

 

 不意に空いた間のせいで、俺は思わず彼女の目を見た。見てしまった。

 何やら据わった目をしていらっしゃるのは気のせいでしょうか? という悪寒は、すぐに気のせいでないことを知った。

 

「目が腐ってる。根性が腐ってる。友達いなさそう、っていうか、多分いないわよね? 

 働きたくないとか、働いたら負けとか、捻くれていることが格好いいとか思ってない? いいえ、とても格好悪いわ。

 これは男女差別ではなく、区別よ。

 俺の行動の責任は俺がとるべきだとか、考えてない? 変に悟った雰囲気を出しながら捻くれた論理しか言えないくせに、根っこにあるのが小市民なものだから、出てくる動機や理由が逐一小さいわ。だからこっちも虚を突かれてしまったけど、冷静になってみればとても小さな生き方をしてる風にしか見えないの。

 そんな小さな生き方で、他者を寄せ付けない態度をとろうとするから無理が出てるのね。

 無理をしているのに、その自覚がないものだから、少しずつ自分の心が壊れているような錯覚を覚えているんだわ。

 自分は『みんな』とは違う。自分は普通じゃない。だから、独りでもいいんだって。

 でもそれも嘘。あなたの心はとても正常なままよ。

 そうでなければ他人がどう思うか、どう感じるか、なんてことを気にしたりしないわ。

 正常なのに色々なものを諦めて、正常でないふりをしなければならないから、余計に気になるのね。人を目を見て話せないのはきっとそのせい。傷つきたくない、傷つけたくないって自己保身がそうさせているの。それが悪いとは言わないわよ? けど、それだけじゃ駄目なのよ。誰だって傷ついたり、傷つけられたりしながら生きてるの。

 他人が怖いのね。全部が相手の反応を見てびくびくしている。

 もしかしたら、そうせざるを得ない環境だったのかもしれない。そして比企谷くんにそうさせ続けてきたなら、そういう選択肢を周囲が押し付けていたのなら、貴方にとってはきっと生きにくい世界でしかなかったでしょう。

 でもね、だからこそ、確かに魔法のことは驚いたけど、それと比企谷くんがコミュ障でぼっちで彼女いないのは別問題なのよ。

 女の子の一挙手一投足にきょどりすぎ。キモイのを気にしているなら、まずそこを直しなさい。

 これまで出会った女の子が悪かったのかもしれないけど、正直、同じ女として殴り倒したいとも思うけど、それとは別にもう少し女の子に慣れること。あとは――……」

 

 一つじゃないじゃないか! と口をはさむ余地すらなく、それはあたかも防波堤が決壊したダムのようにひたすら続く。

 あまりの口撃(こうげき)(誤字ではない)に、俺だけでなく全員がドン引きしていた。

 渡辺先輩ですら、顔をあげて「ま、真由美? ちょっと落ち着け? おーい……」とか語り掛けても止まる様子がない。というより、七草会長のそれは既に独り言になっていた。俺に聞かせるつもりもないのか、途中からもう何を言っているのかわからなくなっているのがその証拠だろう。

 彼女が独り、別の世界に突入しているのを見かねたらしい司波達也の目がこちらを射抜く。「お前のせいだぞ?」と。

 そんなことはわかっているが、どうしろというのだ。

 渡辺先輩が無言で催促する。「さっさと止めろ」って? 出来ればそうしたいですが、出来ると思います?

 

「いろいろ言ってはみたけれど、やっぱり私が思うに比企谷くんは――」

 

 あ、止まった。そう思ったからこそ出来た心の隙間に、七草会長の言葉はひどく響いた。

 

「他人を傷つけるのを恐れてる。自分が傷つくのも怖がってる。とても臆病で、とても優しい子」

「………………」

 

 は。

 ………なんだそれは。

 会ったばかりの人間が何を言い出すのかと思えば、いったい何を分かった気でいるのか。

 わかるはずないのだ。

 それは俺に対してだけではない。誰だって同じだ。同じはずだ。もしそれで分かった気になっとしても、そんなものが本物であるはずがない。

 感情に身を任せただけの、ただの思い込みだ。押しつけだ。気持ち悪い。

 だがもっと気持ち悪いのは、七草会長の言葉に何一つ反論できずに黙り込むしか出来ない俺のほうだ。

 否定すればいいと心ではわかっているのに、吐き気すら催しているのに、彼女の言葉に、俺の理解できない『何か』が見えてしまったことに虚を突かれて、どう反応すればいいかわからなくなっている。

 なぜ否定しなかった?

 七草会長の言葉など最後まで聞く必要性すらなかった。司波にお前のせいだと、渡辺先輩に止めろと言われるまでもなかったのだ。

 彼女の言葉を上辺だけのそれだと切って捨ててしまえばいい。

 飾っただけの中身のない言葉として、否定すればいい。

 それは俺には必要ないものだ。必要と思ってはならないものだ。

 何故なら俺は、魔法で何もかもを否定出来てしまう。他人が俺に抱く感情も何もかもを否定できる。する、しない、ではない。出来ることが問題なのだ。そしてその事実だけで、すでに俺と他人は対等ではない。そんな俺が、どうして他人と理解しあえるというのか。一方的に傷つけるしかできないのは俺のほうだというのに。

 そんな気持ち悪い欲求は、とうの昔に投げ捨てた。

 だからこそ強く疑念を抱く。何故、俺は七草会長の言葉を止めなかったのかと。止めようと思えば止められたのだ。

 彼女の言葉が譫言(うわごと)でしかないことはわかっている。あんなものは同情ですらない。なのに何故、否定できないのか。反論に詰まってしまうのか。

 ただ否定すればいい。それで事足りる。会話は終了。俺はこの部屋から出て、今後彼女らと交わることもない。俺の魔法を拒絶などできないのだから。

 彼女が何を言うのか聞いてみたかった? ――違う!

 それとも俺の行動の理由、他人の記憶を消す理由を、俺は無意識のうちに他人に押し付けていたのか? ――違う!

 まさか俺は期待したのか。今度こそ、俺のことを受け入れてくれるかもしれない人かもしれないって? ――違う!

 違う。違う。違う!

 否定しろ。それこそ俺の個性だろうが。そう在らなければならないと、俺自身が決めたことだろうが。

 少しでも、俺を分かってくれるかもしれない、なんて期待は抱いていない。

 期待はあきらめからくる感情だと言ったのは誰だったか。諦めたのだ。もうとうの昔に。誰も彼もが、俺の手を取ってくれないと悟った時に。唯一の例外が家族だ。

 だから俺はわかってほしいなんて思わない。わかりたいと願うことはあれど、わかってほしいなんて受け身は絶対に取らない。

 相互理解なんて必要ない。普通の人間が、普通の人生を歩みながら得られる経験は、普通を否定する俺には関係ないものだ。同情も憐憫も、普通だからこそ他人にかけてあげることが出来るものなのだ。

 だから彼女の言葉は俺にとっては何の価値もないただの問いかけでしかなく。

 だからきっと彼女は、ただ俺のことを――――!?

 

「…………ふざけるな」

 

 辿り着いた結論はただ一言、絞り出すようにして吐き出された。俺の口から漏れ出たはずのその言葉は、けれどどこか他人事の様な響きで脳に響き、しかし間違いなく俺が口にした、俺の感情によって生まれた言葉だ。先輩相手にひどい言い草だとは思ったが、それでも掛け値なしの本音だった。

 誰だって、自分の中の価値観を押し付けている。俺も、そしておそらくは彼女も。自分勝手な傲慢を、けれど彼女は隠す気すらないらしい。

 その笑顔に苛立ちを感じていると、しかし言われた七草会長は失礼だと怒るわけでもなく、またくすりと笑って頷いた。

 

「そう? そうかもしれないわね」

 

 彼女はそんな俺の暴言に対して機嫌を損ねたようではなかった。むしろあっさりと受け入れたようですらある。

 

「は?」

 

 わからない。七草会長が何を考えているのか。その理解不能性は、直後の彼女の言葉でさらに顕著になった。

 

「それはそうと、摩利、最初の話に戻すけど、比企谷くんに風紀委員会の手伝いをさせる件はあきらめて頂戴ね」

「はい?」

 

 突然話を向けられた、思わぬ甲高い声で友人に問い返した渡辺先輩の反応を責める人は誰もいなかった。誰もが心に浮かべたものと同じ対応だったからだ。

 何を言い出すんだ、この人は?

 

「比企谷くんには、生徒会に入っていただきます。いいですね?」

「…………え?」

 

 たっぷり数秒後、言葉の理解は遅れてやってきた。

 なるほど、地雷を踏まれるとこんな感じで意識が持っていかれるのか、という場違いな感想を抱いた。

 

「…………いや……あの、いったい何を?」

「比企谷くんには生徒会に入ってもらい、その捻くれた根性の更生と、腐った目を矯正してもらいます。

 捻くれた孤独体質を改善します。

 生徒会で、生徒に奉仕しなさい。

 生徒とふれあい、生徒を助け、生徒のために行動しなさい。

 その奉仕行動に生徒以外の行動理由が必要になったなら、『私』を使いなさい。

 いいですか? 比企谷くん。わかりましたね?

 異論反論抗議質問口答えは許しません」

「……いえ、あの……」

「異論反論抗議質問口答えは許しません」

「……だから……」

「異論反論抗議質問口答えは許しません」

「……ちょ、ちょっとまって……」

「異論反論抗議質問口答えは許しません。い・い・で・す・ね?」

「イエス、ユア、ハイネス!」

「よろしい」

 

 ふんすっ! っと鼻息荒く頷き了承した七草会長は、決定! と言わんばかりに満面の笑顔で手を打ち立ち上がった。

 これはいかん。どうにも最初の自己紹介の時にそんな予感はしていたのだが、この人は怒りを静かに沈殿させながらため込み、どこかで爆発させるタイプだ。暴走すると何をしでかすか分からないタイプでもある。

 逆らってはいけない。目が据わっている。

 それは他の面々も同じらしい。誰もが何も言わず、俺と同様に首をコクコクと縦に振っている。

 根性が座っていそうという意味では俺など比較にならなさそうな司波達也ですらそうなのだから、これは相当なものとみていいはずだ。

 

「さて、お互いを理解しあうためにも、さっそく比企谷くんに頼みたい仕事があるの。一緒に行きましょうか?」

 

 誰もが呆気に取られてしまって、七草会長の行動を目で追うしか出来ずにいた。俺も例外ではない。出来れば視線を外したかったのだが、そうすると何されるのかわからない恐怖が自然と彼女の動きを追ってしまっていた。

 

「さ、行くわよ」

 

 唐突にむぎゅ、っと首が閉まる。

 苦しいとか、息が詰まるとか、そんなことを言う暇すら与えられず。

 

「みんなも、ちゃんと授業には遅れずに行くのよー」

 

 そんな朗らかに生徒会長らしい注意事項を部屋に残して、襟首をつかまれたと知った時には俺は引きずられて生徒会室を後にしていたのだった。

 ドナドナがBGMで鳴った気がした。

 

 

 




ここでようやく俺ガイルのプロローグに合流・・・・・?
話の胆なだけに難産でした。
魔法は独自解釈が入っています。理屈あっていると思いたいです。すみません。
八幡はとても好きなキャラなんですが、いざ自分で書こうと思うととても大変だと実感しました……楽しんでいただけたかとても不安です。

中二病全開場所は、江口さん(中の人)ボイスを想像していただけると、なお楽しめるかもしれませんね。


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入学編#3  -Interlude……

 真由美と比企谷が生徒会室を去ってのち、最初に再起動したのは達也だったのかもしれないが、最初に肩の力を抜いたのは摩利だった。

 

「嵐が去った」

 

 端的に、心情を吐露する。

 それが、他のメンバーの凍り付いていた緊張を解きほぐした。

 異性がいるとか(達也のことだ)、後輩がいるとか(司波兄妹にあずさ)などの体面を気にすることなく、摩利は脱力に身を任せて机に突っ伏した。

 だらしないことは自覚していたが、そんなことはどうでも良くなるくらい、心労が身体に重くのしかかっていたからだ。

 それを見た鈴音もまた、椅子からずり落ちない程度に椅子に浅く座りなおして天井を見上げる。

 珍しい反応だった。摩利の知る限りで最も堅物の彼女をしてこのように態度を崩させた張本人たちを思い出しながら、摩利は脳裏で先ほどのやり取りを軽く反芻していた。

 あまりに中身の濃い昼休みだった、と言わざるを得ない。

 比企谷の魔法に始まり、真由美の比企谷生徒会入りの決定に終わる。

 途中、妙なノリツッコミの時間があったような気がしないでもないが、蛇足なので割愛だ。

 

「紅茶、淹れ直しますね」

「手伝います」

 

 力が抜けたという意味では後輩二人の女子も同じだった。

 立ち上がり、ポットに向かうあずさと深雪の背を見ながら、達也が表向き平静を保ったまま、呟く。

 

「結局、比企谷は俺たちの記憶を消しませんでしたね」

 

 額に汗が浮かんでいるあたり、彼も疲労を感じていないわけではないらしい。

 

「魔法の発動時間、有効範囲、諸々、細かい条件は何も話してもらえていません」

 

 鈴音の言う通り、比企谷の魔法にはどこまでも秘密が多い。

 つまり、比企谷八幡が魔法を遣ったのかどうかがわからないのだ。

 遣ったけれど効果が現れるのに時間がかかっているのか。

 遣う条件を満たしてしているのか。

 遣っていないのか。遣っていないとして、今日のことを否定することは、いつまで可能なのか。

 場所は? 時間は?

 

「考えても仕方ないことだな。なるようにしかならん」

「それはそうですが……理由は気になります」

「ああ、それはただ真由美の押しに負けただけだろう」

「明らかに怖がってましたね。最後のほうは、見ていてちょっと可哀相でした」

「というか、真由美のほうが怖かった」

「それはそうかもしれませんが……」

 

 不服そうな達也に、摩利はその心情に同意しながらも、言葉だけで言い返した。反論ではない、何故なら達也もわかっているからだ。

 

「どうせあたしたちには、比企谷の決定に身を委ねるしかない」

 

 それとも。

 

「達也くんには、奴の魔法を防ぐ手段があるのかい?」

「いえ」

 

 答えに淀みはなかったが、それを摩利は胸中で嘘だなと断じた。

 動じてない様子にそう思ったから、ではない。彼の様子から嘘か真かを判断するのは厳しい。

 だが、その隣にいた妹はそうではない。深雪の様子を見る限り、少なくとも何かしら対抗案を持ち合わせているようだった。

 深雪本人のことなのか。それとも達也に、なのかはわからないが。

 その対抗策が確実堅実であるとは言えないのかもしれない。であればその時点で達也の返答も間違ってはいない。

 嘘をついていない、という意味では。

 

(そういう意味では、達也くんのほうがよっぽど裏が読めないから、面白いのと同じくらい恐ろしくもあるんだが……)

 

 比企谷とは違う。あれは性根が捻くれて腐ってはいるようだが、反応自体はわかりやすく読みやすい。考え方が斜め上――いや、この場合は斜め下か? に飛んでいるため、そういう意味では予想外な言動が多いが。

 加えて真由美が言った通り女子に慣れていないのか、押しに弱い。

 それを思い出してみれば、浮かんでくるのは真由美の行動だった。

 

「しっかし、真由美には驚かされた」

「そうですね」

 

 付き合いが最も長い三年生だけが頷きあう。

 

「なにが、でしょう?」

「うん? そりゃもちろん、比企谷のことだよ。あ、紅茶ありがとう」

 

 紅茶を入れてくれたあずさと深雪に礼を言って喉を軽く潤してから、摩利はわずかな呆れと、それとは比較にならないほどの驚きを含ませて続けた。

 

「ああいうダメな男に弱かったんだな、あいつ」

「意外でしたね」

 

 へ? と下級生たちが呆けた顔をする。達也でさえ意味を図りかねている様子も少し意外だった。

 

「七草会長が比企谷に、ですか?」

 

 わずかに頬を染めた下級生女子二人の様子もさることながら、額面通り受け取った達也の反応で知ったのは、彼は思いのほか――というより予想通りと言うべきか? 相当な朴念仁だということだ。

 

「違うよ。別に惚れたとか、そういうことじゃないさ」

 

 いくら何でもそれはない。初対面で比企谷に惚れる要素がないというのはおそらく女子なら誰でも抱く感想に違いない。だからあずさと深雪は驚いたのだろうが、その感性は正しいものだと摩利は思う。

 第一、恋愛方面の話をするのなら、真由美の男の趣味はどちらかというと達也のほうだと思う、とは摩利は口にはしなかった。鈴音も押し黙ったのは同意見だからだろう。()()()()()()()()()()()()、わざわざ踏みに行くことはない。

 そして別段、比企谷を見下したわけでもない。目も根性も腐っているとは思ったが気持ち悪いとまでは思わなかったし、こちらを怖がって言動が挙動不審なのも過去の経験を聞けば納得できるからだ。

 もしこれまでの人生で、比企谷が本当に女子から拒絶しかされてこなかったのなら、それは同情の念を禁じ得ないものだ。心の底から運が悪いとは思う。それが彼の人格形成に大きく影響を与えたのは予想に難くない。

 同情はするが、そこから一足飛びで惚れた腫れたはあり得ない。

 だから摩利と鈴音が言ったのは、そういう意味ではない。

 

「彼自身、とても高い才能を持っていると思います。努力もされているようです。それを惜しいと思われたのでしょうね」

「そういう方面も含めて、あの実は能力高いけど性格残念捻くれ男をどうにかしてまっとうにする、という使命に燃えていると思うぞ、真由美は」

 

 真由美から比企谷を見た印象はおそらくダメ人間の一言に尽きるだろう。

 あ、こいつはダメな男だ。このままだと性根が腐ったままだ。せっかくの才能にせっかくの能力なのになんてもったいない。誰かが何とかしないと、という思考が展開され、半ば暴走気味に感情のままに突っ走った結果が生徒会への強制参加である。

 

「世話を焼いてやらないと、っていう使命感、義務感? まぁ言葉は何でもいいが……」

「母性本能を刺激された、がしっくりきます」

「そう、それだ」

 

 鈴音の補足に摩利はからからと笑った。

 そういう視点で見た場合、真由美の心情はとても分かりやすく理解できる。

 

「そういうものでしょうか……?」

 

 それはもちろん、摩利や真由美、鈴音が比企谷よりも年上だからということもあるだろう。

 年上というカテゴリーならばあずさも該当するのだが、どちらかというと当人の気質的な意味合いが強いと摩利は思っていた。そういう意味では真由美は、三年生組の中でも特に条件に合っているかもしれない。

 日本魔法師達の最高峰に位置する十師族。その中でも四葉と並んで頂点に君臨する七草家の、跡取りではないにしても直系で、長女という立場。加えて十師族の中ですら傑出した才能を持つ魔法師としての将来性。真由美が立つ場所は、普通の人間から見れば贔屓目に見ても雲の上に違いない。

 もちろん、それが本人のたゆまぬ努力もあってのことだというのは、友人である摩利がよく知っている。血筋に胡坐をかくだけの傲慢な人間ならば、摩利は友人にはならなかっただろうし、鈴音は生徒会に入らなかっただろう。

 それでも自然と真由美の視点は上からになることがあるのは仕方のないことだろう。それは本人の性格とは関係なく、能力と血筋が彼女をそういう立ち位置に押し上げているからだ。だから彼女はそうならないよう常に気を付けているし、出来る限り相手に悟らせず、悟られても嫌な気にさせない手腕も持ち合わせているから、そうそう表面化したりしない。

 だから、今日は本当に驚いた。驚いて、おかしくて笑ったのだ。

 まさか七草真由美という存在を知りもしない、立場も出生も気にもしない人間が、この魔法科高校にいたのかと。

 真由美の十師族という出自や、魔法師としての実力、生徒会長という立ち位置をこれっぽっちも気に留めることなく、ただの年上の先輩として接してきた。そのうえで真由美と距離を取ろうとした。そんな男は、間違いなく比企谷が初めてだった。

 二科生のように自分を卑下して諦め、蔑みを受け入れ努力を放棄するタイプではなく、一科生のように他者を見下し下手なプライドばかり満たそうとするタイプでもない。

 自分を卑下しているし、口調は生意気だし、挙動不審だし、女子に慣れていないし、目は腐っているし、根性は捻くれている。だけど、比企谷八幡は普通の男の子だ。魔法師であることが信じられないくらいに、普通の少年だ。

 それが真由美の感情を揺さぶったのだろう、というのが摩利と鈴音の予測だった。

 

「比企谷の魔法のことは気になるが、しばらくは真由美に任せてみるしかないな」

「…………そうですね」

 

 納得がいってなさそうな同意ではあったが、それでも達也は頷いた。

 

「あたしとしては、今日の面白かった話も含めて、忘れないで済むようになればいいとは思うがね」

 

 面白くなってくれればいい。そうなる予感があった。それで双方が笑える未来がくるならなおよい。そんな期待を抱きながら淹れたての紅茶に口を付ける。

 熱が身体の芯にじんわりと広がっていく。舌を包む茶の苦みとは裏腹に口調は軽かったが、それは紛れもなく摩利の本心であり、同時にその場にいた者たち全員の心情を代弁したものだった。

 

 

 




今日のところの投稿はここまでになります。
また次回よろしくお願いします。


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入学編#4  いつものように光井ほのかの思い込みは激しさを増していく。

 

 生徒会の仕事を押し付けられる日々の中では、どうしたって生徒からの声というものは聞こえてくることが多くなる。

 もっとも、俺を見れば大概の人間がこの腐った目のおかげで恐怖するだろうから、もっぱら窓口は同じく新入りの司波深雪、またはどこか話しかけやすい中条先輩が担当することが多い。

 わずか数日、生徒会の仕事を手伝っただけだが、彼女らが多忙だというのは傍から見ていてもよくわかった。なるほど、手が足りない。助けが欲しいと考えるのもうなずける。

 だが七草会長や渡辺風紀委員長が口にした通り、一高における生徒自治力が強いというのは実にその通りで、下手な人選では引き込めないというジレンマを抱えている。

 だったら俺なんかが末席にであれ参列するのはよろしくないと思うのだが、俺は今のところ役職もないただの丁稚だ。

 外聞的にはただの手伝いでしかない。であれば文句を言う者もいないだろうし、責任を取らされることもない。俺にしても気が楽でいい。

 しかしいくら責任が発生しないと言っても、忙しそうな生徒会面々に、担当分の仕事が終わったのでお疲れさまでしたーと背を向ける度量など俺にあるはずもなく、結果、想像をはるかに超えた仕事量に辟易しているのが現状だった。

 そんな中でも基本ハイスペックな彼女らは誰もが涼しい? 顔で仕事をこなしていくのだが――だからこそ思う。

 俺って必要? ねぇ、必要? 

 

「はぁ…………」

 

 七草会長の勢いに負けて生徒会の手伝いに行くようになったが、本当にこれでよかったのかどうかはまだわからない。

 わからないが――

 

 

 ***

 

 

「お兄ちゃんが生徒会役員だなんて、小町、うれしいよ。外に出たくないとか、働く気がないとか、養ってほしいとか言ってはぐだぐだしてたから、いつかそのうち、息するのも面倒だとか言いださないかって、小町、ずっと心配してたんだよ?

 このごみいちゃん、いつ独り立ちするんだろう。いつ小町が面倒みる必要なくなるんだろうって。

 でもやっと……やっと働いてくれる気になったんだね? あれ? 何でだろう。涙が出ちゃう。嬉しいのに変だね?」

 

 そこまで!? いや、さすがに俺も息はしてるよ。止める気もないよ? っていうか、心配してるの俺のことじゃなくて、自分のことだよね?

 それに役員じゃなくて雑用だからね。丁稚。下請け。契約社員。

 

「せっかくの小町の感動に水差さないでよ! まったく! でもまぁ、そうだね。丁稚とかのほうがお兄ちゃんには似合ってるね」

 

 ………泣いていいですか?

 

「自分で言ったんじゃん。でも丁稚でも生徒会だよ? 誰でも入れるところじゃないんだよ?」

 

 ……話聞いてた? 無理やり手伝わされそうなんだってば。

 

「聞いた感じ、原因はお兄ちゃんにあるように思うんだけど……でも、言いたいことはわかるよ。お兄ちゃん、学校の委員会とかとことん向いてなかったもんねぇ……」

 

 通信簿には必ず委員会の仕事に関してダメ出しされてたからな。

 ほれ、心配だろ? 不安だろ? 俺は不安だ。不安しかない。むしろ不安だらけで胃が痛い。いや、マジで。

 

「相変わらず精神(メンタル)が豆腐より柔いね。ホントに腐りかけてるんじゃない? 腐るのは目だけにしてよ?」

 

 ……あれ? なんかちょっとウルっと来ちゃった。悲しくないのに変だね?

 

「――っていうか、小町にはお兄ちゃんが何でそんなに不安そうなのかちょっとわからないんだけど? まぁ確かに、目が腐ってるから生徒受けはよくないかもしれないね」

 

 だろ? そうだろ? 小町もそう思うよな?

 

「ううん。小町、お兄ちゃんって能力は高いから、生徒会業務については何の心配もないよ?」

 

 え? ……………そ、そうかしら?

 

「そうそう、お兄ちゃんが努力家ですごい能力秘めてるってのは、小町が一番よく知っているよ。妹だからね。ずっと見てきたんだから、間違いないよ、うん!」

 

 お、おう。それはありがとうよ。んじゃ、まぁ、小町のいう業務的なことは心配ないとしてもだな。やはり生徒会と言えば学校の顔だ。トップカーストだ。

 そこに関わることのリスクを考えると、どうしてもなぁ……。

 

「うーん……そこをお兄ちゃんが気にするのもわからないでもないけどさ。その生徒会長さんとか、風紀委員長さんとかは、カーストだとかで人を区切って見下したり侮蔑したりいじめたりするタイプの人じゃないんでしょ?」

 

 それはまぁ、そうなんだが……。

 

「その人たちが魔法科高校のそう言ったブラックな部分を知ったうえでお兄ちゃんを誘ったってことは、メリットデメリットを天秤にかけて、メリットに傾いたってことなんだから、大丈夫なんじゃない? 女の人も多いみたいだから、高校生活にちょっとした刺激にはなるかもしれないし。小町的にはぜひに生徒会で働くお兄ちゃんが見てみたい!」

 

 お兄ちゃん、高校生活に刺激なんていらないよ? 平和が一番。安心安全安息安穏安眠がモットーだから。石橋をこれでもかと叩いて渡るタイプよ、俺は。

 

「叩いた結果、結局信じ切れずに渡らないタイプの間違いじゃないの?」

 

 ……言われてみれば、なるほど確かに。

 

「そこは納得するんだ……大体、そうやって渋っているけど、お兄ちゃん暇でしょ? 高校でやりたいこともないんじゃないの?」

 

 そりゃそうだが。いや、待て! 確かにやりたいことはない。だが暇でもない。

 

「たまったラノベやアニメ見るのに忙しいとか言ったら、しばらくご飯抜くからね」

 

 …………。

 

「大体、ラノベもアニメもいつでも見れるでしょうが。それに比べたら生徒会なんて二度とできない体験だよ?」

 

 二度とねぇ……ま、確かにそういう意味ではレア体験かもしれん。

 

「そそ。レアは大事だよね。希少だもの。でも最近、スーパーレアとか、ウルトラレアとか、ウルトラスーパーレアとか、もうレア安売りしすぎなんじゃないの? って感じで、小町的にポイント低いんだよなー」

 

 ちょっと小町ちゃん、言ってる意味が分かんないんだけど?

 

「コホン! まぁそれはともかく、現役の中学生徒会役員の小町の経験的には、生徒会って結構忙しいからね」

 

 いや、だったらなおさら関わりたくないんだけど。

 

「言うと思った。違うよ。そうじゃなくて、忙しいからいいんだよ。その中で仕事する連帯感とか、困難をぶち破った達成感とかがさ、たとえ相手が友達じゃなくったって生まれちゃうもんなんだ。

 生徒会の人たちと友達である必要はないんだよ。仲間でなくてもいいんだよ。強いて言うなら戦友かな? 綺麗な言い方をするなら絆で繋がるんだよ」

 

 それはビジネスライクと言わないか?

 

「そうだよ? ビジネスだよ? 社会ってそう言うものだよ。学校だって結局は社会の縮図なんだし」

 

 うん。お兄ちゃん。ちょっと小町ちゃんの悟り方が大人すぎて引き始めてるんだけど……。

 

「小町が大人なんじゃなくて、お兄ちゃんが捻くれてるだけだよ」

 

 そうかなぁ……?

 

「そうだよ。大体のご家庭でもこんなもんだからそこは気にしちゃ駄目。でね? そういうビジネスライクな関係にだって、目的に向かって行動を共にすれば、連携が生まれるよね? 人と人が繋がるだけの熱量がそこにあるんだよ。小町は、お兄ちゃんにも一度はそういう情熱みたいなものを知ってほしいって思うんだ」

 

 そういう熱血的なもの、俺に似合わないと思うんだが……。

 

「やってみたこともないのに、なんでわかるのさ。そりゃあさ、冷静な観察眼で物事を把握出来るのはお兄ちゃんの長所だよ? でも何の根拠もなく否定するだけなら、お兄ちゃんを意味なく否定して拒絶して見下してきた馬鹿な屑どもとおんなじだよ?」

 

 む。それは嫌だな。心底嫌だな。

 

「でしょ? それにいざとなったらお兄ちゃんには雪乃さんっていう切り札がいるじゃん。通常運転は結衣さんがいるから空気だって読めちゃうし。きっと大丈夫だよ」

 

 ……………………その根拠は?

 

「勘かな」

 

 勘かよ。しかも随分断言するのね。

 

「でも根拠のない勘じゃないよ。お兄ちゃんの話を聞いたうえでの総合的な妹の勘だよ」

 

 妹の勘か。そうか。ならご利益ありそうだな。DHCやカルシウムも豊富そうだ。

 

「勘ってそう言う物じゃない気もするけど、信じてもらえたなら小町も嬉しいよ。っていうか、シスコン過ぎてちょっと引く」

 

 信じないよりましだろうが。

 

「そりゃそうだけど、そこと比べてもなぁ――って、話を戻すけど、だから失敗を恐れてないで試してみれば、ってことなんだよ」

 

 結局、いつものように駄目かもしれんぞ?

 

「高校生だよ? 新生活だよ? 

 せっかく、暗黒時代だった中学とはきっぱりと縁を切った学校を選んで、ちょっとは新しい何かがあるかもしれないって、期待しなかった? 本当に? 微塵も? 

 小町はそうは思わないんだ。思ってほしくないんだ。

 だからもしかしたら上手くいって、お兄ちゃんの腐った目と根性と体質を少しでも綺麗にしてくれるかもしれないじゃん。お兄ちゃん、顔の造形は悪くないんだし。そしたらきっと小町がお兄ちゃんのことを、格好良くて自慢の兄ですって友達に紹介できるしね。

 ダメだったらまた小町が慰めてあげるからさ――お? 今のは小町的にポイント高いかも!」

 

 

   ***

 

 

 思い出されるのは妹とのやり取り。生徒会を手伝った先に何か得るものがある。そんな気がする――というのは、俺が生徒会に入れられたと聞いた後の小町からのアドバイスだ。

 その何かが、何なのかは分かっていない。俺自身には特に何か起こりそうな予感もない。

 けれどお兄ちゃんとしては、そんなことあるわけないと頭ごなしで否定するわけにいかない。『雪乃』で生徒会との関係をリセットするのは、その何かを見てからでもいいと思うのだ。

 それが生徒会の人たちに対してとても卑怯な行為だという自覚はある。言い訳を並べて理由探しをしている自分に吐き気がする。小町の後押しがなければ動けないのも情けない。けれどその吐き気よりも、情けなさよりも、七草会長たちを『これまでと同じ』だと切って捨ててしまうことに抵抗を覚えているからこその葛藤がある。

 俺を取り巻く世界は『こんなものだ』と思っていた――そんな連中と彼女らは違う。

 いや、そんなはずはない。どうせ彼女らもいつもと同じだ。だから傷つけられる前にさっさと切ってしまえ。

 その葛藤が、今の決断力のなさに繋がっている。

 本当、なんでこんなに悩むのかね。

 中学までのように迷わず見限りすべてをさらっと流して関係をリセット出来ないのは、結局、俺の心が弱いからだろう。

 弱いことが悪いとは思わない。だが今の俺は、弱さを盾に決断を保留した状態だ。いつか必ず、答えは出さなければならない。惰性にならないようにだけは気を付けないといけない。答えを出すのをやめることのほうが卑怯だと思うからだ。

 まったく、考えることが多すぎて昼休みだというのに休んだ気になれないのは、どういうことだろうか。俺の悩みはもちろん重要だが、何より物理的な仕事量の多さが疲労が抜けきらない一番の原因であることは間違いない。

 そもそも部活勧誘期間を過ぎたというのに、いったい誰があんなに仕事を持ってくるんだ? 誰かが作らないと仕事なんて生まれないと思うのだが、送られてくる指示メールに対して、文句を言うことなく、言われるがままに働く俺の社畜根性を誰か褒めてほしいものである。

 俺、えらい。俺、頑張った。もうそろそろ休んでいいよ、とか誰か言ってくれないかな――って誰も言ってくれないから自分で慰めるしかないわけだ。

 ところがそんな仕事量に忙殺されかねない危険性を帯びた生徒会の中でも、変わらず聞こえてくるもの、目を逸らしても見えてしまうものがあった。

 一高の中にはびこる、一科と二科の間を流れるギスギスした空気である。

 

「俺の目より空気が濁っている?」

「その比較対象はどうなの?」

「ひぇあ!」

 

 ぽつりとつぶやいた独り言にまさか応答があるとは思わず、俺は思わず身体を硬直させた。

 

「驚かせてごめんなさい。でもそこまでびっくりしなくても……」

「……???」

 

 いつもの昼休み。いつものベストプライス。そしていつものぼっち飯。心地よい風に身を任せ、他者の存在を意識せずに済む癒しであるはずの空間に現れたのは、どこかで見た二人組だった。

 正体はすぐにわかった。クラスメイトの北山と光井だ。何故か二人ともジャージ姿で、何故か猟銃っぽいものをもっている……狩猟中? なわけないか。おそらくCADだろう。ということは部活動の昼練かなにかかもしれない。

 

「ここで何しているの?」

「……ち、昼食中です」

「それは見ればわかる。ではなくて、なんでここで食べてるの?」

「……え? ここで食べてはいけなかったんですか?」

 

 知らんかった。なんてことだ。せっかく見つけた聖域だというのに、立ち入ってはいけなかったのか。彼女らがいるということは部活で使うからだろうか。俺に見られていると気持ち悪くて集中できないからだろうか。でもあれ? それにしては入学からこっち、この辺で部活している連中を見た覚えがないのだが……?

 

「別にそうじゃないけど……というか、クラスメイトなのになんで敬語?」

「……いや、それはその、アレだよ、アレ。アレがあれであれだから……」

「よくわからないんだけど?」

 

 うむ、言っている俺もよくわからん。

 

「ため口でいいよ。同い年なんだし」

 

 しかし北山もさしてそこには興味なかったらしい。隣の光井もコクコクとうなずいている。先ほどから北山の後ろにいるのは俺と距離を取りたいからでしょうか?

 しかし、ため口でいいというのならそうしよう。もともと敬語は苦手なのだ。

 

「あ、そう……では遠慮なく」

「うん、それは構わないけど、それで? なんでここでご飯食べてるの? 教室か食堂で食べればいいのに」

 

 心底不思議そうな顔をしながら聞いてきた北山に、俺は返す言葉を持っていなかった。

 教室で? 冗談ではない。他人を見下し悪口を言うだけの空間で落ち着いて飯が食えるわけがない。わずか数日で俺の許さない奴リストの更新具合が半端ないのだ。

 食堂? この前みたく、一科と二科の衝突で空気が濁りまくっている中で以下同文。

 よしんば一科と二科の壁がなかったとしても、今度は矛先が俺に来るだけだ。「なんでお前、ここで食ってんの?」と、先ほどの北山と同じセリフをさらに何十倍も嫌らしく口にされるまである。

 そういう意味では、北山や光井は、珍しい部類に入るだろう。今の問いかけもただ純粋に興味本位という印象だった。特に俺への攻撃性は見当たらない。

 そんな彼女らに愚痴を言っても仕方ないため、話題を反らすことにした。

 

「それよりそっちは? 部活か?」

「うん、バイアスロン部」

 

 バイアスロン?

 

「……って、あれか。クロスカントリースキーと射撃を組み合わせたスポーツだったっけ?」

 

 一高は魔法を遣った部活動はもちろんのこと、魔法を使用しない非魔法系と呼ばれる部活動も盛んだ――というのは、新入生勧誘の様子を見ればすぐにわかった。渡辺先輩ら風紀委員会も取り締まりが大変だっただろう。

 そのため部も相当数あり、同好会を入れるとさらにひどい数値になる。いや、部員・会員いないなら廃部させろよっていう部活もあったくらいだ。俺は入る気ないので生徒会に届けられている部活動一覧リストをざっと斜め読みしただけだが、一度読んだだけでは覚えきれないほどの数があった。

 その数ある部活の中で選んだものがバイアスロンだというなら、随分渋い選択だと言わざるを得ない。

 

「そう」

「正確には、SSボード・バイアスロン部だけどね」

 

 光井が言葉少なめな北山をフォローするが、よくわからない略称を付けられてもさらに混乱するだけだとわかってほしい。

 

「非魔法系か?」

「ううん。魔法系競技。スノーボードやスケートボードでコースを走破しながら魔法で的を撃ちぬくの」

「へぇ……」

 

 なるほど。だから略称でSSとなるわけだ。

 魔法を使う分、見る分には普通のバイアスロンよりも派手さがあって面白そうな競技ではある。非魔法競技としてのバイアスロンは基本冬季向け競技だったと記憶しているから、夏も冬も実践可能なのは部員としてもありがたいだろう。

 

「それで、比企谷くんは、なんでここでご飯食べてたんですか?」

 

 今度は光井からの質問だった。しかし、それ蒸し返しますかね。

 

「食事は一人のほうが落ち着くから」

 

 一緒に食べる人がいないから、などとは言わない。聞かされた相手に気を遣わせるだけだし、本心でなくても優しい奴なら「じゃあ、一緒に食べる?」とか言いかねない。何故なら優しいからだ。それ以外に理由はない。そしてそれが時として互いに重荷になることを俺は知っている。逆にもしそれを聞いて「いや、一緒に食べる奴いないだけだろ?」的な見下した感想を抱く奴なら俺にはもう接触してこないだろう。

 

「そうなんだ?」

「そうそう」

「…………」

「…………」

 

 あれ? 会話終了? なのになぜ彼女らはここにとどまっているのか。聞く? 聞かない? どうする、俺?

 あーだこーだ悩んでいる俺と、同じように言うか言わないかを押し付けあっているクラスメイト二人という、妙な空間が出来上がったのだが、やはりコミュ障の俺から切り出すことはできず、話題を振ってきたのは北山らのほうだった。

 

「比企谷くんって、生徒会メンバーだよね」

「いや、違うけど?」

「あれ?」

 

 そして会話終了。俺も食事終了。さて行くか。

 

「じゃ、そういうことだから」

 

 というか、俺に話しかけたのはきっとそれが本題なのだろう。だが俺は生徒会の手伝いをさせられているだけで、正規メンバーではない。役職もない。しいて言うならただの丁稚。下請け労働員。またの名を下僕。だから嘘はついていない。

 事実を羅列したところで傷つくはずもない。どうということもない。大丈夫。俺は他人を信じてはいないが、小町は信じている。だからもう少しだけ仕事を頑張っているだけだ。

 

「ちょっと待って。本当に生徒会メンバーじゃないの? 生徒会で仕事してるって深雪が言ってたけど?」

「……ただ手伝ってるだけだ」

「本当にメンバーじゃないの?」

「ああ」

「そう、じゃあ無理なのかな」

「…………なにが?」

 

 聞いた瞬間、しまったと思った。ここでそれじゃあと言って立ち去っておけばそれで終わりだったはずなのだ。

 けれど彼女らが、生徒会メンバーという誤解をしていたとはいえ、話しかける相手に俺を選んだというその理由が気になってしまった。罰ゲームで俺に話しかけている。という線が消えて、ほっとしたというのもある。

 

「うん、実はね……」

 

 そしてやはり聞いて後悔した。

 彼女らの相談内容が、司波達也に関することだったからだ。リア充め、やっぱ奴は爆発しろ。

 

 

   ***

 

 

 場所を移して、学内カフェテラス。

 あれからもう一人、1-B所属の明智英美という赤毛が特徴的な女子とも合流し、女子三人に男の俺一人という、異例の組み合わせで話を聞くことになった。

 周囲の視線が痛い。冷静に観察すれば、種類は違えど彼女ら三人とも十分に美少女の類である。それがこんな腐ったような目をした男と一緒にお茶していれば嫉妬もするだろう。針の筵ではあるが、一度聞くと言った手前、彼女らを無視して立ち去るのは気が引けた。

 そして主に北山と明智が話を進め、時折光井がフォローを入れる形で聞かされた話の流れを要約すると――

 

「司波達也が狙われている?」

「そうみたい」

 

 恋話ではなくてよかったと安堵する一方で、一瞬ざまぁみろと思った俺をだれが責められようか。彼女ら三人に懸想している周囲の男どもよ。彼女らのお相手は俺ではない、ここにいない別のイケメン野郎だ。だからもうちょっと睨むのやめてもらえませんかね? 

 ともあれ、それで済むのは冗談の範疇だけだ。本当に魔法で狙われているのであれば無視できない事態である。もっとも剣道部と剣術部の諍いを無傷で収めるだけの戦闘力が司波達也にあるなら、早々不意を突かれることもないだろうから、即座に事件へと発展するとも思えない。

 しかし、おそらくは彼に好意を抱いている彼女らが、傍から見ていて心配になっても不思議でないくらいには、危険度が高いということなのだろう。

 だから生徒会か。

 部活勧誘期間に、わざと諍いを起こして風紀委員である司波に取り締まりさせ、その隙をついて魔法で攻撃する。攻撃魔法自体はさほど威力のある類ではなかったようだが、それでも陰湿な行為だ。

 思ったより、司波の風紀委員会入りに反発を抱いている人間が多いのかもしれない。

 

「それで、その犯人探しをしたいと?」

「あ、実はそれはもうわかってるんだ! 男子剣道部のキャプテンだったはずなんだよね」

 

 明智のあっけらかんとした物言いに、俺のほうが理解できなかった。

 

「……ん? どういうことだ?」

 

 聞けば彼女ら、最近、双眼鏡片手に司波達也を追いかけていたらしい。その中で目撃したそうなのだ。司波に攻撃を仕掛けた眼鏡をかけたジャージ姿の先輩を。

 

「おい、それっていわゆるスト―……」

「ストーカーじゃないからね! 念のため!」

「お、おおう」

 

 被せる様に叫んだ光井の反応に圧されてそれ以上突っ込むことはしなかった。けれど知ってますか? 光井さん、ストーカーはみんなそう言うんですよ?

 

「はあ、つまりアレか。犯人の顔は知っている。誰かもわかっている。けれど確証がない。生徒会なら、生徒のプライベート情報を扱っているだろうから照会出来るはずだと」

「うん、そんなところ」

 

 北山がマイペースに頷く。若干嬉しそうに見えたのは意外だった。淡泊そうに見えるが、ちゃんと表情は動くんだな、この子。

 しかしそういう意味では、話を持って行った相手が同じクラスメイトで生徒会正規メンバーの司波深雪でなかったのは賢明と言わざるを得ない。理由は極めて簡単で、彼女が極度のブラコンだからだ。兄が攻撃されている情報を教えた後の豹変ぶりを想像しただけで背筋が凍る。

 

「で、それがこの写真だね!」

 

 明智が端末を出して見せてくれたのは、確かに眼鏡をした男子生徒の後ろ姿だった。横顔だが、判別はできるだろう。しかしこれはやはり……。

 

「…………」

「比企谷くんが何を言いたのかわかるから、その先は言わなくていいよ」

「あ、そう」

 

 北山と明智がやれやれと肩をすくめて見せた。自覚してくれているようで何よりである。

 さて、であれば俺から言えることはそう多くない。

 

「結論から言うと、個人情報の開示は無理だ」

「そうなんだ」

「やっぱり」

「そりゃそうだよねー」

 

 三人がそろってがっかりしたように肩を落とした。そして同時に周囲の男どもがざわりと騒めき出す。おい、まて。早まるな。俺は別に三人を振ったわけではないぞ。しかしこの構造は確かにまずい。

 話をする場所間違えたと、心底後悔した。であれば早急に話を切り上げる他ない。

 

「……だが、この写真の生徒、剣道部のキャプテンと言ったな。であればもしかすると、部活動紹介ページに載っているかもしれない」

「部活動?」

「紹介ページ?」

 

 きょとんと三人が首をかしげる。

 

「知らないのか? 広報委員会が学内ページに各部活の活動内容や成績を中心に、部長の紹介もしていたはずだ。授業中はロックされているが、休み時間や放課後なら自由に閲覧できるはずだぞ」

 

 言いながら、俺は自前の端末を学内ネットワークに繋げてIDとパスワードを入力する。いくつかページを渡った先に辿り着いた広報委員会のページから、さらに部活動紹介ページへ、そして剣道部へと移動。

 

「いた。こいつだな」

 

 剣道部主将の(つかさ) (きのえ)。光井たちが隠し撮りした横顔からしても間違いないだろう。

 

「やっぱり!」

「エイミィ、すごい!」

「へへん」

 

 なるほど。明智がこの写真の男子生徒に心当たりがあったと言ったところか。しかし胸張っているところ悪いがそれだけである。むしろそれだけでしかない。喜んでいた三人に水を差すようで悪いが、この写真では何も得るものがないのだ。

 

「で?」

「――で? とは?」

 

 あれ? 気づいていらっしゃらない?

 

「これはただ、司甲が走っている後ろ姿の写真だろう。これで司波達也を攻撃したと言っても、何の証拠にもならないぞ?」

「「「あ」」」

「……おい、まさかとは思うが、本当にこの写真しかないのか?」

「「「えっと……」」」

 

 三人そろって目を逸らしやがりました。彼女らの反応こそが肯定だった。

 

「済まないが、これだけではどうしようもない」

「無理……かな」

 

 いち早く復活した北山の懇願するような視線に、しかし俺が言えることは一つだけだった。

 

「無理だな。せめて魔法を使用している場面……いや、それでも弱い。攻撃魔法を遣っていて、それが司波に向けて放たれたという決定的な瞬間でもなければ、どうとでも言い逃れのできる状況だ」

 

 そういう意味では、非常に厳しい条件と言わざるを得ない。魔法の起動速度、効果範囲等を考慮すると、よほどのプロでなければそんな瞬間を切り取って写真に収められるはずもない。

 個人的には、動画のほうがいいとは思う。だが根本的に、彼女らは勘違いをしている。

 

「やめたほうがいい、と思う」

「どうして?」

「今度はお前たちが危険な状況になるからだ」

「え?」

 

 本当にわかっていないらしい。仕方ないので、最初から順を追って説明していくことにする。

 

「司甲が司波達也を狙ったのだとして、まず攻撃魔法を放ったかどうかを判断するためには、その魔法の種類を判別できるだけの情報が必要だ。写真では厳しいな。

 

 次にそれが司波に向けて放たれたという証拠も必要だ。たまたま魔法の練習をしていて、魔法を放ったその先に司波が突然現れたと言われてしまえば、そうでないという論破はできない」

 事故として厳重注意はされるだろう。反省文数枚。悪くて部活動の一定期間参加禁止といった程度だ。

 

「そんな……でも、こんなところで攻撃魔法を放ったんですよ? わざとに決まってるじゃないですか!」

「それをどうやって証明する?」

 

 わざと? それはただ、彼女らが司波達也の味方という一方向からしか物事を見ていないからだ。光井の物言いは客観的な視点が出来ていない。

 

「必要なのは、わざとかどうかじゃなく、司波を狙ったという証拠だ。司波を狙って魔法を撃った。逆を言えば、魔法を撃つ理由が司波を狙う以外にはないということを証明しなければならない。それが出来なければ事故扱いされるだけだ」

 

 厳しいと言わざるを得ない。

 

「でもそれは、比企谷くんがやめたほうがいいという理由とは違うんだよね?」

「ああ。けれど少し考えればわかる。この司って先輩が司波をわざと攻撃したのが事実なら、そこには理由があるはずだからな」

「理由?」

 

 少し考える間が空く。

 

「二科生なのに生意気だ?」

「嫉妬ってこと? でもこの先輩、F組だよ?」

「そうだね、同じ二科生ならそれはないか。ならなんであいつだけ贔屓にされてるんだ、みたいな? ほら、生徒会の先輩方とも仲良さそうだし」

「あれ? でも達也さんを嵌めようとしたのって一科生じゃなかった?」

「そっちは順当に二科生のくせにってことで説明つきそうだけど」

「敵の敵は味方だってことで手を組んだとか?」

「複数グループが司波君を敵視していて、それがたままたかち合っちゃっただけってこともあるかもよ?」

 

 いやしかし、彼女らが見聞きした物を説明されたわけではないから詳しくはわからないが、司波達也が悪目立ちしているらしいことだけはよくわかる会話の内容だった。

 だが違うのだ。司波が狙われる理由を、司波以外に求めてはいけない。

 と、北山が不意にこちらに目線をやった。

 

「何か、比企谷くんがそれは違うって顔してる」

「…………俺の心を読むのやめて、もらえますか?」

「後半、声に出てたよ?」

「……あれ?」

「よくわからないけど、今の私たちの予想は違うんだよね?」

「あ、ああ、そうだな。違う、と思う」

 

 話を戻そう。俺の心が折れる前に。

 

「こほん、俺の考えでは、司波達也が狙われる理由に一科と二科の諍いは関係しない。理由は司波の方にあるんだ。司波が狙われた理由に、司波を狙った連中のことを考える必要はない。どうでもいいとすら言える」

「達也さんが悪いっていうんですか!?」

「それも違う!」

 

 激昂しかけた光井に慌てて否定する。どうしてそういう思考に行くのか。いい、悪い、の話ではないのだ。

 

「分けて考えてくれ」

 

 狙われる理由は司波のほうにある。狙う理由は狙った側にある。それらが繋がらなければ事件は成立しない。しかし両方をごっちゃにすると途端に訳が分からなくなる。こういうことはそれぞれ独立させて考えたほうがいいのだ。

 

「剣道部と剣術部の諍いを風紀委員である司波一人で抑えた、という事実は運動部全般で広まっている。司波の戦闘力を知らないのはおかしい。何せ司はその諍いの片側の代表者だ」

 

 どうでもいいけど戦闘力とか言うとすごく中二臭い。どうでもいいけど。

 

「司波君への恨み、とか?」

 

 否、明智の思考もまたお門違いである。

 

「あの騒動で言えば剣道部は絡まれた被害者側だが、剣術部に応戦している時点で過剰防衛と取られかねなかった。

 けれど実際には、司波の執り成しで部活連から剣道部側にお咎めはなかったと聞いているから、感謝しこそすれ、恨みも嫉妬も抱くのはおかしい。

 第一その現場を目にしていたなら、司波を不意打ちでどうにかできる相手かどうかくらい、剣道部の主将ともなればわからないはずがない。通用しないのはもとより、嫌がらせにすらならないはずだ」

 だから光井たちが見た、一科生や司が司波を攻撃した行為は、奴への不満が原因ではない(可能性が高い)。

 

「では司波が狙われた原因が何か、と言われると、悪いが答えられるだけの情報が俺にはないので確実なことは言えない」

「でも何か考えがあるんでしょ?」

「……予測はできるが、あくまで予測だ。何の証拠もない。大した話にもならない」

「うん、それでもいいから聞かせてほしい」

 

 北山がまっすぐにこちらを見てくる。それに倣った光井と明智の表情も真剣だ。そんなにまでして司波の何を心配しているのか。そう思うくらいなら、奴本人に直接アタックしかけたほうがいいはずなんだが……。

 

「……あくまで予想だということを念頭に聞いてくれ。まず司波の風紀委員としての仕事振りを、渡辺風紀委員長から聞いたことがあるんだが、あいつCADを二つ遣ってるよな」

「そうなの? あれ? でもCAD二つ同時なんて、お互いのサイオン波が邪魔しあってまともに魔法にならないんじゃ?」

「そのはずだ。だから詳しい仕組みは俺も知らん。けれど司波はその二つのCADを遣って、他人の魔法を起動を無効化しているらしい」

 

 三人が同時に黙り込んだ。それくらい魔法無効化というのは魔法師にとって衝撃的な行為なのだと改めて思う。会長たちは俺を非常識な奴と言わんばかりに扱うが、この予測が正しい場合、司波だって大概だ。

 

「…………それ、本当?」

「魔法無効化ってキャストジャミングだよね? アレって特殊な鉱石が必要なんじゃなかったっけ?」

「アンティナイトっていう海外の軍事鉱石で、レアメタルの一種だ。一般には流通していない。司波が持っているとは思えないから、その線はないだろう」

 

 ないと思いたい。今はその線での可能性を否定することにする。根拠はないが、たかが高校一年生が、実は裏で軍と繋がっているとか考えたくもない。SFやミリタリー小説だってそうそうあり得ない展開である。もしそうなら奴はライトノベルの主人公だ。

 事実は小説より奇なりとか、今は考えないでおこう。

 

「でも、達也さんがそのジャミングが出来たとして、狙われる理由はどうして?」

 

 ここから先を告げるべきかどうか、一瞬だけ迷いが出た。しかし一瞬で消えた。

 

「司甲の腕の部分、拡大してみてくれ」

「…………赤と青のリストバンドをしてるね」

「何? これ」

 

 三人とも知らないらしい。だからこそまた迷う。言うべきか否か。しかし知らないままだと、この三人、好奇心だけで無謀なことをしでかしそうな危険性があった。止めておいたほうがいい。

 

「青と赤で縁取られた白い帯は、反魔法師団体ブランシュの下部組織であるエガリテ所属の証だ」

「反魔法師!?」

 

 大声を上げようとした光井の口を、北山と明智が慌てて防いだ。ナイスだ! どうにか周囲に声が広がる前に抑えきれたらしく、カフェテラス内に特に変わった感じはなかった。

 

「って、え? この人、二科だけど先輩だよ? 魔法師目指して一高にいるのに魔法を否定してるの?」

 

 明智の疑問は当然のものだ。

 

「表向きは『魔法による差別の撤廃』を謳っている連中だから、知らないで参加している奴だって多いと思う」

 

 それは免罪符にすらならないことだけれども。

 

「司って先輩がどっちかはわからない。けれどその活動実態がどういうものか詳しく知らなくても、綺麗ごとを並べて反魔法師なんて差別主義を掲げている連中がまともなはずがない」

 

 ここでようやく両者に因果関係という繋がりが出来る。善悪は除外して考えると、司波に原因があるのは間違いない。

 

「アンティナイトを遣わずに魔法無効化できる技術を司波が持っていることだ。これが原因。

 その事実を知った反魔法師を掲げるエガリテが、結果として司波に目を付けた。鉱石を遣わず魔法師に対抗出来るんだ。連中からすれば喉から手が出るほど欲しがっても不思議じゃない。

 これが俺が予測する、奴が狙われる原因と、奴を狙う理由だな」

 

 確証は何もない。証拠もない。ただの見聞から発展させた想像だ。妄想と言われてしまえばそれまでである。

 だが逆に否定する証拠もないはずなのだ。だからこそ司って先輩を無防備に追うなんてことは危険なだけだと俺は思う。

 

「比企谷くんはどうやって反魔法師団体の情報を手に入れたの?」

「うん? その気になればこの程度、素人でも簡単に調べられるぞ?」

 

 その素人ですら調べられる情報を知らないでいる人間が多いことも問題なのだが。

 

「そうなの?」

「ああ、ブランシュのソースは俺の妹だし」

「妹さんは何者?」

「魔法が使えなくても世界一可愛い女子中学生だな」

「シスコン?」

「当たり前だろう。お兄ちゃんは妹を愛する義務があるんだ。六法全書や広辞苑に載ってるぞ? 知らないのか?」

「初めて聞いたよ……」

「そこで胸を張るんだね」

 

 それはそうだ。妹を愛していることを隠すような奴はシスコンとは認めん。

 閑話休題。

 

「――というわけで、考えなしに司を追うのは賛成しない。警察に言っても証拠はないから、追い返されるのがオチだな。今のところ打てる手があるとすれば、司波本人に言って注意を促すくらいか」

 

 ここから先は自己責任だ。

 危険性は示唆した。それを想像できないで、予測もせず、対策も取らないで飛び込むなら、それはもうどうしようもない。そこまで俺は面倒みられない。彼女らだって、見てほしいとも思ってないだろうけど。

 

「ちなみに、もしこれが事実で、この技術が連中に渡った場合、鉱石を遣わずに魔法無効化できる手段が広まれば、世界はきっと想像できないほどの混乱期を迎えることになるだろうな」

 

 一気にグローバルな問題に発展しかけているが、実のところ、何一つとして誇大表現をしたわけではないあたりにこの事件の怖さがある。

 

「なんかあたしたちが思うよりも大ごとになってる気が……」

 

 決して大げさではないぞ、明智。

 

「ほのか、やっぱり深雪や達也さんに直接言おう。これ以上、私たちだけで抱え込んでいい話じゃない気がする」

「……そっか、そうだよね。うん、深雪に心配させたくなかったんだけど、仕方ないね」

 

 兄が狙われ怪我をするかもしれない、となれば司波深雪は心配するだろうか?

 うん、少なくとも教室の空気は極寒になるでしょうね。明日の予報。教室の天気は局地的猛吹雪になるでしょう。いやいや、局地的すぎじゃね? 天気ですらねぇし。

 だが不思議と狙われている司波達也本人が慌てる様子を全く想像できないのは何故だろうか。

 

「さて、俺は忠告したから、あとはそっちで判断してくれ。あまり軽々な行動をとらないほうがいいとは思うけどな」

 

 あー、なんか疲れた。こんなに話をしたのは久しぶりな気がする。

 会話を切り上げ立ち上がりかけた俺に、唯一、冷静でいた北山が顔を向ける。

 

「比企谷くん、どうもありがとう」

「…………仕事だから」

 

 そうは言ったが、俺にしては珍しく、彼女の礼は素直に受け取っていい気がした。確かに疲れたけれど彼女らが無謀な真似をしないで済んだのなら、働いたかいもあるのかもしれない。なるほど、こういうのが達成感なのだろうか。流石だ小町。

 そうしてカフェを後にしようとした俺の背中越しに、光井の声が聞こえてくる。

 

「比企谷くんって、目が怖いから最初近寄りにくいと思ったけど、優しい人だったね」

 

 おい、それは違う。俺は何も優しいことなどしていない。生徒会の下請けとしての仕事をしただけだ。ちょっと光井さん、貴女はその思い込みの激しいの、何とかしないといつか痛い目見ますよ。

 他人が自分に優しいなんて勘違いは、後で刃になって突き刺さるだけなのだ。特に相手が異性の場合は刃に返しがついているまである。刺さっても抜けず、ぐりぐり傷をえぐっていく。ソースは俺。

 そうやって勘違いして告白して拡散された俺が何度涙したことか。

 でもまぁ、北山がいれば何とかなりそうだと思えるあたり、彼女らはいいチームなのかもしれない。

 それよりも明日の天気が心配である。もう春だけど、防寒具着てこようかな。

 

 

 

 




読んでいただきありがとうございました。
今回は優等生エピソードです。
閑話的扱いのつもりで書いた話ですが、どちらかというとほぼ小町のターンみたくなってしまった感が……。
また次回、よろしくお願いします。


==========
20171206追記
ご指摘を受けてバイトしていたとなっていた部分を変えました。
よく考えたら中学生って基本的にバイトできませんね。
申し訳ありませんでした。


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入学編#5  思った以上に魔法科高校のエリートたちの心は折れやすい。

 

 

 光井、北山、明智のなんちゃって探偵少女チーム(ストーカー風味)に釘を刺した翌日。彼女らがどうしたのかはわからないが、とりあえず教室の空気は凍って()いなかった。

 荒んでいた。

 教室に足を踏み入れた瞬間、自分が猫背だということを改めて思い知るくらいには荒んでいた。それくらいの緊張感に煽られて、反射的に身体が伸びたのだ。身体がつりそう。このままだと胃痛がやってくる(というのも妙な表現だが、他に言いようがない)のも時間の問題だ。体調不良で帰っていいですか?

 教室が荒れているといっても、物理的には何一つ変わらない。いつものように、いつものごとく整理された机と端末が並ぶ教室だ。だがその中を漂う空気が痛い。寒さで感じる痛みではない。湿度がなくなり、触れたものを砂塵に帰すような乾いた痛みだ。

 その空気を発している根源は、言わずと知れた超絶ブラコン娘の今年度主席様である。

 もうこれからは司波深雪改め、司波タツヤスキーと名乗ったほうがいいのではないだろうか。

 どうしたものかと迷っていると、ふとそのタツヤスキーの近くにいた、北山と光井が気配を察してこちらを見た。

 あ。って顔した。

 なるほど。やはり原因はお前らか。了解。よし帰ろう。

 

「おはようございます、比企谷くん。教室に来られたばかりでどちらへ?」

「…………」

 

 踵を返そうとした瞬間、背中から声がかかる。いつものように静かで、凛とした、涼やかな声。だが抑揚がない。感情のこもらないマシンボイスのような響きだ。けれどその小さな呟きが、異様な凄みをもって教室内を包み込んだ。

 北山らが残念そうに首を振っている。いや、でも、え? 俺、アレの隣の席よ? あんなのに近づきたくない。今なら誰でもいいから替わってあげる。だから名乗りを上げてください。今すぐに。

 しかし悲しいかな。そんな猛者は誰一人現れる様子がない。

 見上げても天辺見えないほど高いプライドはどこに行った。今こそ発揮するべきだろう。え? まさか折れたのか? 普段、あれだけ「司波さん、司波さん」言ってるくせに。いざ自分に火の粉が降りかかりそうになったら逃げるとか、どんだけお前ら自分本位なのよ。

 いや、俺も人のことは言えんけども。

 そういう意味では、怖れ慄きながらも友人をなだめようと傍に踏みとどまっている北山と光井の根性は、喝采ものだろう。えらい。すごい。格好いい。その友情にしびれるあこがれる。だからそこのスキーさんを可及的速やかに何とかしてください、お願いします。

 

「雫、ほのか?」

「なんでもない、なんでもない」

「うん、私たちよりも比企谷くんのほうが詳しいかも」

 

 かっこいいと思っていた二人が、未来永劫裏切り者として許さない奴リストと恨み辛みノートへの記載が決まった瞬間だった。

 

「そう。では比企谷くん?」

「に、にゃんの、こと、でしゅ、か?」

 

 かみかみだった。だがそんな俺を笑う奴は一人もいなかった。当たり前だ、今声を出せば間違いなくタゲが出来る。タゲとはターゲットの略である。ネットスラングだが、主にゲームなどで使われることが多い。敵が攻撃するための標的にされるという意味だ。念のため。いやいや、そんな豆知識は今はどうでもいい。

 

「…………昨日、二人から事の次第を窺いました」

「あ、ああ、そう。それで?」

「それで? 具体的な情報を知りたいのですが?」

「…………?」

 

 おや? とそこで俺は一瞬冷静になった。

 

「兄貴のほうには言わなかったのか?」

 

 議題は司波達也が襲撃されたことなのは間違いない。だが昨日、カフェで北山らと話し終えた際の印象では、襲われた当人に相談しに行ったのだと思っていた。していないのだろうか。

 俺の問いは北山らに向けたものだったが、答えたのはスキーさんだった。

 

「二人が相談したのはお兄様ですが、その隣で私も聞きました」

「ん? ならもう知ってるんじゃないのか?」

「……いいえ。聞き始めて間もなく残念ながら生徒会の仕事が入り、途中から退席しました。ほのかと雫の三人でお話になられたので、私のほうでは全てを把握していません。お兄様はもう少し情報を整理したら共有するから、とお話しくださいませんでした」

「…………あ。そう」

 

 兄が襲われている事実だけは知り、けれどその事実を知った兄は至極冷静に情報収集と状況整理をすることに決め、それを待ちきれずにイライラうずうずしていたわけですね。このタツヤスキーめ。

 まぁ、お兄ちゃん大好きの妹からすれば、兄が襲われるかもしれない状況下で「そうですか」と流せるはずもない。気持ちはわからないでもないけど、ちょっとは兄を習って落ち着いてほしいものである。

 というちょっとした腹立たしさが口調に載ってしまった。

 

「ならいいんじゃないの? 別に」

「何が別にですか!」

「はひゃぁいいっ!」

 

 びっくりした。いきなり大声出さないでください。俺もつられて奇声あげっちゃったじゃないですか。

 

「す、すみません」

 

 だがさすがに今のはやりすぎたと思ったらしく、頬を赤らめながら頭を下げたスキーさんに、俺も言葉を選ぶべきだったと謝罪した。

 

「いや、俺もなんかすまん」

 

 そして付け加える。

 

「別に、司波がどうなってもいい、という意味で言ったんじゃないぞ?」

「え、ええ。それはわかってますが……」

「じゃ、どういう意味?」

 

 問いかけたのは北山だが、俺が少し無言で視線をやると、汗を垂らしながらそっと視線を逸らした。悪いことしたとは思っているらしい。

 

「教室で具体的な話の明言は避けるけど、昨日、お前らと明智のスト――三人組と話したことなんだろう?」

「それで合ってるけど、いま、何を言いかけたの?」

 

 気のせいだ。

 

「で、だ。その話を北山らから聞いた司波兄本人が、情報収集と状況整理する、って言うだけで済ませたんだろう?」

「そうですね」

 

 三人ともが頷くのを待ってから、俺は結論を告げた。

 

「なら、奴にとってはその程度ってことだ。助けを求めてきてるんならともかく、そうでないなら俺たちがあーだこーだいう必要はないってことなんじゃないの? 知らんけど」

「そ、それはそうなのかもしれないけど……」

「え? それで済む話なの?」

「確かにお兄様にとっては、些事かもしれませんが」

 

 反魔法士団体に狙われるという事態と、そのことへの対処に困惑する二人と違い、実妹のスキーさんは方向性が違う困り方をしていた。兄の力を信頼しているだけではこういう反応にはならない。

 断言するが、反魔法士団体に狙われることが些事などと言うことは絶対にない。

 つまり司波達也は、テロリスト――またはそれに近い反社会的な連中に狙われても対処できるだけの能力があるのか。それとも狙われても対処できるだけのバックがいるのか。または両方? まさか何も考えてない、なんてことはないはずだ。楽観視するとか奴のキャラに合ってないし。

 これが俺ならそうはいかない。みっともなく背を向けて、ゆきのん発動による逃げの一手だったに違いない。

 だが司波当人が言った通り、状況整理したいという気持ちもわからなくもない。

 風紀委員として行く先々で騒動に巻き込まれた上に、わざとかどうかもわからない混戦具合で魔法が撃たれていたという話だ。それをすべてエガリテ構成員の仕業と言い切れるほど、残念ながらこの学校は穏やかではない。司波達也という二科生が権力を行使できることへの反感は根強い。司波に攻撃を仕掛けた中には、おそらくエガリテと関係ない連中も相当数いたはずだ。

 部活勧誘期間中は気も休まらなかっただろう。可哀相にと思う反面、なんだかんだと文句を垂れながらも涼しい顔で躱し切った奴のスペックの高さには脱帽である。俺には真似できん。

 

「雫とほのかに聞いてもお兄様から口止めされているらしいので……」

「だから俺?」

「はい」

「……司波は共有すると言ってたんじゃないの?」

「ええ、お兄様は私に心配をかけまいと『大丈夫だ』と仰ってくださっているのですが……」

「深雪は達也さんが心配なだけなんだよね」

 

 神妙に頷くスキーさんの顔色が陰る。スキーさんのどんな表情でも美人で絵になる容貌は流石と言うべきかもしれないが、発する気配が棘だらけなことが多いので俺的には近寄りたくない人物トップスリーに入る相手なのだ。

 なのに席が隣とか、どんなハードモードだよ。

 

「お兄様の実力があれば、大抵のことは成し遂げてしまわれるでしょう。でもだからと言って、お兄様に負担がないわけではありません。謂れのない中傷や子供じみた悪意でどれほどの心労をため込まれているかと思うと……」

 

 当の本人はスキーさんが言うほどには気にしちゃいないと思うけどね。

 

「何か仰いました?」

「ひえ? にゃにも?」

 

 俺の声帯はどうしてこうも裏返る仕様なのだろうか。鋼の心臓が欲しい。

 

「風紀委員としてのお兄様のご活躍はとてもうれしいのですが、その名声を利用しようとする愚か者が現れたのではないかと心配なのです。そういった煩わしい害意に晒されて、お兄様が自棄を起こしにならなければいいのですが」

「いや、それは大丈夫だろ……」

「……そのこころは?」

 

 聞いてきたのは北山だったが、俺はスキーさんに向けて答えた。

 

「妹が心配してくれていることを知ってるのに、その妹の心配を蹴って無茶な真似はしないと思うぞ」

 

 無茶ではない範囲で行動は起こすかもしれんが。そこは無茶という線引きがどの程度かによる。司波達也のそれがどこにあるかなど俺が知る由もないので言及はしなかった。

 

「そうでしょうか?」

「随分と断言するんだね? 比企谷くんって達也さんと仲良かったっけ?」

「いや。仲は良くない」

 

 悪くもない。仲の良し悪しを語れるほど付き合いがないからな。

 

「けれど、シスコン同志だからわかることだってある」

「え? ……お兄様は、シスコンですか?」

 

 瞬間、スキーさんの表情から怒気が消えた。きょとんとこちらを見やる。そこで何故、妹が驚いた顔をするのか。いやいや奴はシスコンですよ。それもかなり重度の。

 

「間違いなくシスコンだ。シスコンはシスコンを察知する。間違いない」

「限定的なレーダーみたいですね」

「……そう言えば比企谷くんにも妹さんがいるんだっけ?」

 

 そう。小町を愛する俺にはわかる。司波は妹を溺愛している。

 

「愛して?」

「ああ、間違いない」

「そ、そうですか? お兄様が……私のことを? 愛して……周りの人に気づかれてしまうくらい、気持ちを向けていただいているなんて! そんな、お兄様ったら、私たち兄妹なのに! フフフフフ……」

 

 あれ? 荒野のごとく枯れ果てていた教室内の空気が、一気に保湿成分豊かなフローラルな香りに包まれましたよ?

 魔法は確かに物理法則を越える現象を生み出しはするが……どんな事象改変をすればこんな珍妙な事態になるんだ。事象干渉力が高いとかいう次元じゃない気がする。

 まぁあえて突っ込むまい。突っ込んだら負ける気がする。

 

「ナイス!」

「グッジョブ!」

 

 小声で賛辞を送り、親指立てている二人とは真逆に、俺から漏れ出たのは疲労のため息だけだ。

 

「はぁぁぁーー……もうホント、朝から疲れた。これでしばらくはスキーさんもおとなしくなるかね」

「スキーさん? 深雪のこと?」

 

 耳聡く俺の小さなボヤキを聞き取った北山が、きょとんと首をかしげる。

 

「…………俺が勝手に脳内で呼んでいるだけだ。兄貴の方と呼び分け面倒だから?」

「スキー?」

「ああ、深『雪』だから? あれ? でもそれだと『スノー』が正しいんじゃ……」

「いや、司波タツヤスキーの略」

「「ぶふぅっ!!」」

 

 おーい、そこの仲良し二人組。噴き出しているところ悪いけど、本人には言わないでね。

 まぁいらぬ心配か。

 いまだトリップしたまま自分の身体を抱きしめ「いやんいやん」しているブラコン娘が聞いているとも思えない。その隣で笑いをこらえて声を押し殺している友人二人という奇妙な空間を背に、俺は持ち前のステルスモードを発揮してこっそりと教室を出た。

 もうすぐ授業が始まる。だが今、大事なのは俺の心の安寧だ。このままだと授業を受けてもきっと集中できないに違いない。集中力を回復させるためにも、今は休息が必要だ。効率を求めるため、より俺の学習能力を上げるために、今は羽根を休める時なのだ。

 保健室――は、先生がいるからカフェに行くかな。

 甘いものが飲みたい。

 ならば俺が求めるものは一つだけだった。

 

 

   ***

 

 

 チャイムの音で意識を取り戻す。

 時計を見ると……おや? いつの間にか放課後に突入してましたよ?

 時間が経つのは早いね。うん。まぁ、過ぎてしまったものは仕方がない。この学校は単位制だから、一度や二度のさぼりでどうにかなったりはしない。だが癖になるとやばいので、そこだけは気を付ける様にしよう。

 さて過ぎ去ったことは記憶の彼方へと放り投げ、俺は眠る前にしていた試行を再開することにした。

 朝、教室を去った俺が求めたのは、俺が至福に浸ることが出来る至高の飲料水――その名もMAXコーヒーだ。

 缶コーヒーであるが故に、略してマッ缶と呼ばれる俺のソウルドリンク。生まれ故郷である千葉ではよく見かけたのだが、魔法科高校進学にあたって東京に住むことになった結果、全く手に入らなくなった。

 余談だが、MAXコーヒーをペットボトルで飲むのは俺の中では邪道である。

 これまで日常的に手に入った嗜好品(例えばおやつとかでもいい)が、急に手に入れられなくなることへの寂寥感とでもいうのか。口が寂しいとでもいうのか。これも一種の依存症かもしれない。

 飲みたいけれど飲めないことへのもどかしさを募らせていた上に、急に生徒会に入れと言われたのが数日前。入学したてで慣れない学業に加えて、慣れない仕事をさせられる毎日は、地味にストレスになっていたらしい。そして今朝の司波深雪の圧力でちょっと我慢が出来なくなった――というのは、コーヒーに角砂糖を十個ほど投入してミルクと混ぜて飲んだ、すでに液体ですらなくなりかけているそれを口にした瞬間にわかったことだ。

 味はマッ缶とは程遠い。当然だ。元となるコーヒーがまず違う。コーヒーに入れるミルクだって全く別物だ。もとよりマッ缶の甘みは練乳によるものだ。ここのカフェのオリジナルブレンドだっておいしくないわけではないのだろうが、比較にならない。

 どちらが上か下かではない。この場合、分野が違うのだ。

 だから俺の手にあるカップの中には、ただ甘いことだけが共通する飲み物が、俺の息に当てられて波紋を立てている。

 もう一口。匂いを嗅ぐだけでもむせ返るような甘みは、もうコーヒーのものではなくただ砂糖のものだ。けれど何故か、それが妙に心を波打つ。ちょっと舌に砂利感は残るが、まぁ我慢だ。

 思った以上に深い溜息がついて出た。それは決して味が異なることの残念感ではなく、確かな安心感からきたものだ。

 脳髄を殴りつけるような痛みを伴う甘さが身体を駆け抜ける。そうしてようやくほっと一息つくことが出来たことが何よりの証拠ではないだろうか。

 うむ。落ち着けたのはラッキーだったかもしれないが、これはやばい。家ではやっちゃ駄目なやばさだ。何がやばいって、糖分過多で健康に悪いことこの上ない飲み方だ。小町に知られたら絶対に怒られる。

 しかし、マッ缶の代用品がない現状、この甘味を果たして見逃していいものだろうか。

 一高のカフェのオリジナルブレンドコーヒーに角砂糖十個とミルクを少々。それが今回の配合だ。今度、自前の練乳持ち込んでみるかな。砂糖も別メーカーのものを試してみる必要がある。

 ベストではないまでもベターバランスを模索するのに努力を惜しんではいけない。俺の心を少しだけ故郷の地に戻してくれる清涼飲料水になるに違いないのだから。とは言え、ばれたら間違いなく怒られるので、こっそりと、端っこで、ステルスモード状態で実験するとしよう。

 うむ。学校に一つ、癒しの時が生まれた瞬間だった。

 俺は確かに甘い物が好きで、マッ缶を至高としているが、別段、市販のコーヒーが嫌いなわけではないのだ。

 ただこってりしたとんこつラーメンが食べたいと一度でも思った瞬間、口がそれしか受け付けなくなるように。

 マッ缶を飲みたいと思ったら飲みたくなる、それが飲めないとイライラする。そういう不思議な魔力を持った飲み物なのである。

 それをわずかにごまかすための一時しのぎ。自分をだましていると分かってはいるが、代替策が見つからない現時点では我慢するしかない。

 衝動的に生まれた欲求に従って自販機でマッ缶を買い、忙殺される日々の隙間にわずかな憩いを得る。それがまた甘さを引き立てくれる。だからあえて自販機で買いたいという妙なこだわりがあった。

 それが出来ないまでもコンビニや喫茶店などにないか方々を捜してみたのだが、結果として全滅している現状である。

 ……あまり好きではないのだけれど通販でもするかな、そのほうがいい気がしてきた。

 

 閑話休題。

 

 さてそんな改造コーヒーを試行錯誤していた俺に気づかず、カフェに入ってきたのは司波達也だった。その隣に女生徒がいる。見知らぬ人だった。妹ではない。

 二人に気づかれないよう、二人の会話に耳を傾ける。だって聞こえるんだもの。俺は悪くない。

 会話は風紀委員として庇ってくれた司波へのお礼から始まり。

 次に風紀委員への皮肉につながり。

 何故か司波を剣道部に勧誘する話へと流れ。

 最後は一科生を優遇し二科生を冷遇する学校側の批判になった。要約すると

 

「魔法上手く使えないからと、冷遇されるのも、侮られるのも、否定されるのもいやだ」

 

 ってことらしい。非魔法競技系クラブで連帯を取り、同士を集めて学校側に直訴する――と。

 つまり魔法科高校に入学した一科生が優越感に浸り二科生を見下し蔑み、否定された二科生が劣等感に溺れ不平不満を口にする――呆れるくらいにあり触れた淀みが日常と化している、その中の一幕と言うことだ。

 結局そこにまた巻き込まれているあたり、司波のトラブル吸引力も関心を通り越して恐ろしくすらある。

 司波がすげなく断りを入れたせいで会話はさらっと終わったようだったが、残された女子の言動が気になった。

 他者を侮り、蔑み、馬鹿にしたり、罵ったり、ないがしろにする。

 それは確かに、この学校のそこかしこに存在する。

 優遇されていないことと、冷遇されていることは同義ではないが、それを冷静に分別できるほどに生徒が大人であるなら、この学校の空気はここまで淀まなかったはずだ。

 魔法科高校に入学を許されたエリートであり、その教育を受け期待をかけられている一科生。だからこそ己が上位者であるという驕りを抱き、対してその驕りから生まれる侮辱を受け入れ納得し諦めつつある二科の風潮。

 見下し、見下されるという異常が正常であるかのような空気の流れ。

 それを嫌だ、変えたい、どうにかしたい、と考える彼女の言い分は、至極まっとうな感情から生まれたものなんだろうが、俺からすれば面と向かっていじめになっていないだけ、侮蔑なんてものはあってないようなものだ。

 だって、実質被害なんてないんだもの。

 そこは腐ってもエリート。渡辺先輩に聞いても、直接的な暴力やら粘着質ないじめを行うほど頭が悪い奴はいないらしい。部活勧誘期間中の司波への攻撃は、魔法使用許可が下りていたからこその無法だったというわけだ。

 となればやはり、昨日北山らに聞いた司波への攻撃行為は、一科と二科の諍いとは別の問題を孕んでいそうであるのだが、そうとなればそれこそ取れる手段は限られる。

 いじめはないのだ。だから妬み嫉み陰口程度はただのBGMでしかない。初日の――実はクラスメイトだということが最近発覚した――森……なんとかという中二病患者のように絡んできたところで、それが学業に影響するか、と言えば、まったくもってそんなことはないのだった。

 繰り返すが、表立っていじめはない。この場合、表とは実体的な話であり、隠れてやっているとかそういう意味ではない。いや、俺が知らんだけで実はいるのかもしれないが、とりあえずそれは脇に置くとする。

 実体がないからこそ根深い問題なのだろう。七草会長が気に病むのも無理はない。明確な敵が、具体的に行動を起こしてくれていれば対処はしやすいが、そうでないから手を出すのをこまねいているのだ。

 俺が一高を取り巻く現状を再認識している間に、司波と話していた女生徒――見たところ二科生の先輩――には、司波から問いかけがあったようだった。

 

 曰く「学校側に不満を伝えてどうするのか?」――と。

 

 まぁその疑問は当然のものだとは思う。

 あまり司波を擁護する気も味方する気もないが、学校側に不満を訴えたいから協力してくれ、と言われたら、じゃあその訴えた後はどうするのか? という疑問に至るのは自然な流れだ。

 疑問だけ残して、彼女の答えを待たずに司波は席を立った。それきり戻ることもなかった。司波を見送り、席に座ったまま俯く先輩の後ろ姿が妙に寂しさを感じさせる。

 可哀そうとは思わなかったが、司波の取った態度を少し冷たいと思ったのも事実だ。

 会話を知らない者が見れば、司波が彼女を振った、様にも見える光景に違いない。明日噂になってるといいな。そして妹に嫉妬されるがいい。ククク……。

 渡辺先輩にちくっとこう。

 

「ほい。メール送信」

 

 奴の取った対応が冷淡なのか淡泊なのかはさておくとして、司波に振られた彼女の行動を気づかれないようにトレースする。別にストーカーしたいわけではない。本当に。

 彼女が望んでいるものに興味が――というよりは、彼女にそういう思考を抱かせた魔法科高校の現状に、俺自身が居心地の悪さを感じているからだ。

 彼女はどうしたいのだろうか。

 言葉から察するに、彼女は蔑まれたくないのだ。見下されたくないのだ。無視されたくないのだ。それはつまり、ちゃんと自分を見てほしいという他者への訴えに他ならない。

 だからどうしたいのか? と聞かれたら不満を訴えたい、というのが先に出てしまう。「〇〇〇してほしい」「〇〇〇してほしくない」ばかりが意識にあって、自分がどうしたいのかが実体としてないような印象だ。

 それを瞬間で見抜いて、世辞でごまかしながら――それでごまかせるのは司波がイケメンだからだが――彼女自身の願望に水を向けた司波の手腕は大したものだった。

 結局、本題に対して司波は自身の意見を保留にしている。

 それは彼女が司波の問いかけに答えを返したときに口にするのかもしれないが、それ以前に、彼女は答えを返せるのだろうか。

 きれいに飾っただけの見せかけだけでなく、当たり障りのない建前でもない。

 彼女の本音、願望、その先に結ばれるはずの自身の理想像。そこへたどり着くために必要なもの。それが学校側へ抱く不満と関わりがないことに、気づくのだろうか。

 

 無理かもしれない、という予感があった。

 

 彼女の周りにある空気は、一高内を漂うものと同じ。そしてそれは、かつての俺が通った道だ。周囲に拒絶され、独りぼっちを強要された俺が味わった空気だ。

 魔法科高校に入学し、二科生になるまでは『エリート』だった彼女らは、高校生になってようやく挫折した。

 だから耐性がなく、だから折れやすいのかもしれない。

 それがこの高校を歪ませているのか、という結論を得るには、けれどなんだか様子がおかしい気がした。

 折れ方が、みんな同じように見えるというのはあまりに気持ち悪い現象だ。

 

結衣(ゆい)?」

 

 CADは必要ない。名を呼び発動する『雪乃』とは別の魔法。

 彼女――壬生紗耶香という名の先輩の、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、その所属がエガリテとなっていた。エガリテ? しかし彼女はリストバンドをしていない。ブラフだろうか? 

 いやそれより彼女の精神状態の項目が「催眠」と「混乱」になっているほうが重要だ。

 

 …………汚染されている?

 

 気づけば、一高には、同じステータスの人間がごろごろしていた。連中も例外なく所属がエガリテになっている。

 精神が汚染――それはつまり()()()()()()()()()ということだ。

 思った以上に、状況はひっ迫しているのかもしれない。

 

 ここはいったい、どこの魔界村ですか?

 

 

 




お読みいただきありがとうございます。
進みは遅いですが、ようやく魔法科高校入学編後編へ合流。
八幡主体なので、八幡いないところで活躍する魔法科メンバー側の様相が書けないのが一人称の難しさだと痛感しております。
次回は「やはり比企谷八幡の魔法はどこまでもチートである(そのに)」
をお送りします。
次回もよろしくお願いします。


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入学編#6  やはり比企谷八幡の魔法はどこまでもチートである(そのに)。

 

 

 精神干渉を受けている生徒がいる――という事実に対して、俺が取れる手段はそう多くない。

 人の精神に様々な影響を与える系統外魔法。それが精神干渉系魔法だ。使いようによっては他人を操り、道具とすることだって可能であることから、法的にも厳しい使用条件が定められている。

 そんな危険な魔法を、高校生に使っている連中がまともなはずがない。

 『雪乃』で否定して、彼らを正常に戻していくことは可能だ。果てしなく面倒だが可能だ。面倒だが。

 しかしその結果を受けて、生徒の心を支配するようなことを考える奴の次の行動が読めない。俺は人間観察は得意なほうだが、自分とそりの合わない存在を非人道的なやり方で排除しようとする連中の思考までは追えなかった。

 そもそも精神支配を受けている生徒たちのことは、俺一人が抱え込む問題ではない。否定して元に戻したところで、根本的な問題が解決するわけでもないとくれば、安易な行動には走らないほうがいいだろうことは容易に想像できる。

 であれば、結論は一つしかない。仕事は上司の指示を仰ぐべし。ほうれんそうって大事だ。責任負わなくていいし。

 そしてもちろんのこと俺の報告先は、俺の上司である七草会長である。

 

「……精神汚染?」

 

 七草会長の怪訝そうな問い返しは、言葉の意味ではなく、誰のこと? どうしてそうなったの? どうしてそれがわかったの? という三つの質問を複合して短縮して一言にしたうえで、分からないなんて言わないよね? 嘘偽りなく答えなさい、という付加情報までのっけて圧縮した一言ではなかろうか。

 なにそれ、怖い。

 穿ちすぎかもしれんが。

 とりあえずこういう報告には、5W1Hを使うに限る。

 

 When(いつ)

 

「部活勧誘期間の頃からちらほらと。確信したのは司波と壬生先輩って人がカフェでお茶していた時ですかね」

 

 Where(どこで)

 

「もちろん、一高の中で」

 

 Who(誰が)

 

「名前を視たのは壬生先輩くらいですよ。残りは知らない人たちです。数は正確にはわかりません。ただ、現時点で俺が知っているだけでも三十人くらいはいたかな? あぁ、いや思い出した。この前、司波に攻撃魔法打ったってタレコミされてた(つかさ) (きのえ)って二年生の剣道部主将もですね」

 

 What(何に)

 

「催眠と混乱になってました。誰かに催眠誘導でもされていると思います」

 

 Why(何故)

 

「その連中、腕に赤と青のラインで縁取られた白いリストバンドをしてました。あれって反魔法国際政治団体『ブランシュ』の下部組織、エガリテのシンボルマークでしたっけ? ……ってことは、連中、魔法科高校にシンパを増やして何かしでかす気なんじゃないでしょうか。例えば、一高を襲ったりとか? 襲って何がしたいのかってのはわかりませんが、内部手引きがあれば楽でしょうしね」

 

 How(どのように)

 

「具体的な方法まではさすがにちょっと……」

 

 と答えたところで、七草会長から物言いが入った。

 

「ちょっと待って。違うわよ。なんで(ハッ)ちゃんがそんなことがわかるのかって聞いてるの」

「……八ちゃん?」

 

 七草会長の質問に対し、ぽつりと呟きで間に入ったのは司波兄である。

 この野郎。自分は達也くんってまるで恋人みたいな音程と甘い声で呼んでもらえているからって、明らかに丁稚枠の俺の呼び名がそんなに滑稽か。

 

「そうよ。比企谷八幡だから、八ちゃん」

「…………」

「会長。比企谷がただでさえ腐った目をさらに濁らせていますが?」

「うん。だってこう呼ぶと、彼ってすっごく嫌そうな顔するの。フフフフフ……」

「…………」

「…………」

 

 司波を見る。司波は俺を見る。お互いに云わんとしていることは伝わったらしい。ならば言葉にする必要はない。

 意外に執念深いのだ、この人は。

 俺が名前を憶えていなかったのを、ふとした瞬間にチクチクと攻撃してくる。

 別段俺をいじめたいとかやり返したいとかではなく、単にちょっといじって楽しみたいというあざとさがにじみ出ているのだ。そしてそのあざとさを隠そうともしない小悪魔なのである。

 本当、よく玩具にされる服部副会長が不憫でならない。

 ともあれ、こういう時は、彼のように反応してはいけない。挙動不審は彼女を喜ばすだけだ。

 別段『八ちゃん』と言う呼び名に対しては、彼女が思うほど嫌いというわけではない。過去のあだ名――『ヒキガエル』『ヒキガヤ菌』『ぼっちタニ』『タニ菌』とかよりは遥かにましだからだ。そもそも他のメンバーをあだ名で呼ぶ七草会長に親しみとからかいを込めて呼ばれると、得体の知れないくすぐったさを感じてしまう。

 妥協して、ぼっちガードを解除してしまいかねない魅惑がある。俺はMではない。断じてない。

 だから『八ちゃん』呼びを了承出来ない理由といってもその程度でしかない。強いてあげるとすれば、なんかタコっぽいのであまりいい気になれないくらいだろうか。言い訳するときの俺みたく何かぬるぬるしているのが嫌なのだ。味は好きだけど。

 そう言えば八本足の軟体動物は毒を持つ種類が多いときく。そうか。ならば俺の決まり台詞は、俺に触れると毒されるんだぜ、とか? ……うん、普通にキモイ。

 比企谷、毒を吐くってよ。タイトルっぽく言ってみたところでキモイのは変わらわない。やだ近づきたくなーい、薬かけたら死なないかしら、とか言われるんだぜ、きっと。

 俺はやはり菌だったのか。ぐすん。

 こうやって七草会長は、胡乱な方法で俺にダメージを与える作戦らしい。策士め。いつか必ず策に溺れさせてくれる。

 

「それで比企谷くん、精神汚染っていうのは?」

 

 そうして何事もなかったかのように笑顔で話題を元に戻すのも、笑顔の裏側に含むものがあるとばれている自覚がありながら、それすら相手に呑み込ませる。それが七草会長のいつもの手なのだ。

 困ったらかわいい声でおねだりとか、ホント、やめてくださいね。脳内で何度自動再生されたかわからないじゃないですか! 今回は違うけども。今回は違ったけども!

 くそ。あざとい。だが負けぬ。負けてなるものか。

 

「八ちゃん?」

「…………司波が」

「は?」

「はい?」

 

 兄妹揃って反応するのやめてくれませんかね。ホント、ややこしい。

 

「兄のほうが、壬生って先輩を言葉責めにしていた時に……」

「噂の根源はお前か?」

 

 その司波兄が憎々しげに呻くが無視する。

 

「壬生先輩が、異常状態を示していたので」

「異常?」

「状態?」

 

 なんのこっちゃと言わんばかりに市原先輩と渡辺先輩が首をひねる。というか、そう言えばあなた(渡辺先輩)はなんでさも当たり前のように生徒会に入り浸っているんですかね?

 

「状態異常のことですが?」

「それは言い換えただけだろう。じゃなくて、そもそも状態って何のことだ?」

 

 状態が何かと言われても困る。状態とは状態なのだ。人や物事のある時点でのありさま、というのは辞典の言葉そのままの引用だが、おそらく二人はそれを聞きたいわけではない。

 だが説明するには俺の語彙が足りない。どうしたものか。

 言葉に迷っていると、七草会長の顔がふと真面目になった。

 

「うーん……ねぇ、比企谷くん、何か隠してるわよね?」

 

 呼び方が普段のそれに戻った一方で、俺を見る眼力が強まった気がした。笑顔が怖いよ、会長。あと怖い。

 

「……か……」

「か?」

「か、隠ひへにゃんかいはへんにょ?」

 

 …………そしていつものように嘘の付けない俺。そう、俺こそが本当の正直者だ。と格好つけたところでキモイだけであるが。

 

「お前ほど嘘をつくのが下手なのも珍しいが、話せないなら聞かないぞ?」

 

 渡辺先輩の気遣いが、逆に胸に痛い。

 

「………こほん……あー、いえ、なんですかね。アレです。ほ、本当に? 隠すほどのことでもないんですが……」

 

 言葉通り隠すものではない。

 既に『雪乃』という事象否定の魔法を話した今、隠す必要性がないからだ。だからただ本当に、どう説明すればいいのか迷っているだけだ。

 

「状態っていうのは、その人の、その時点でのありさま、というか、様子というか……えっと、健康状態? とか、精神状態とか。そういう情報の総称ですね」

「壬生先輩の精神状態が『催眠』、『混乱』になっていたと」

 

 司波兄の目が細まる。

 

「ああ」

「催眠……はまぁ、なんとなくわかるが、混乱ってなんだ?」

 

 それなら説明は簡単だ。つまり、不明になるということなのだから。

 

「簡単に言うと、自分が何をしていたのか、何をしているのか、何をしたいのかわからなくなる。自分がどこからきて、今どこにいて、どこへ向かっているのか。過去、現在、未来。それらが不明になってしまう状態のことだ。

 壇上で人前に立った時に頭が真っ白になることってあるだろう。あんなのが常態化するって感じだな」

「ん?」

「え? …………え? お前って人前に立っても緊張したことないの? 俺は他人と会話するだけで緊張するってのに」

「それもそれでどうなんだ……」

 

 渡辺先輩の小言はこの際スルーである。

 

「あー、でもそれはちょっとわかります。視線が集まると緊張しますもんね」

 

 中条先輩の温かいお言葉に、ちょっとホコっとする。何だろう。この人、たまに頭を撫でたくなる。

 彼女の不意のフォローに司波が少し思案していたが、すぐに俺のほうに向きなおった。思うに、彼は精神が相当に成熟しているんじゃなかろうか。少なくとも同い年には見えん。

 

「その混乱になるとどうなる?」

「動けなくなるな。何も考えられない、思考できない状態なんだから」

「しかし、壬生先輩は俺を剣道部に誘ったり、風紀委員への苦情や学校側への不満を口にしていたぞ」

「あぁ、だから『催眠』なのね」

 

 司波兄の疑問には七草会長が答えた。彼女も自分の中に浮かぶ疑問を解消しながら、小さくうなずく。

 

「壬生さんを催眠によって思考誘導する。もちろん、催眠だけでも本来の自分としての思考能力は相当低下するわね。でもそれだけだと、それまでの自分の経験、生活環境や、周囲の影響を受けて、記憶や意識の食い違いが発生するかもしれない。それは行動力の低下に繋がる。記憶やら感情やらが邪魔をして、誘導が上手くいかなくなる可能性だってある」

「だから混乱状態に堕としこんだ?」

「…………だと思うわ」

 

 七草会長が頷くのに合わせて、渡辺先輩は深く息を吐いた。事の重さに気づいた疲労以上に、痛ましさを含んだもので、室内のメンバー全員の心情を表しているようにも見えた。

 

「それが本当なら、相当に念の入ったことだな」

「文字通り、操り人形になりますね」

「いったい、誰がそんなことを」

「洗脳、とは違うのでしょうか?」

 

 中条先輩やスキーさんの疑問は俺も感じたことだったが、七草会長と市原先輩はそう捉えなかったようだ。

 

「洗脳とは思想や主義を根本から変えることです。今回のそれとは少し違うのでは?」

「そうね。私もリンちゃんに同意見よ。でも、洗脳でなくてもこれはとても看過出来ることではありません」

 

 俺を除く全員が頷く。それを見届けてから、会長は続けた。

 

「おそらくは精神干渉系の魔法ね。それを使った催眠による思考誘導なんて、人道的に赦されない行為だわ。法的にも重罪よ。しかもそれをテロに利用する可能性が出てきたわ。なんてこと……」

 

 先輩方の困惑も、それに対する憤りも当たり前のものだろう。流石に非人道に過ぎる。

 俺もその意見には賛成だ。決して責任逃れのためだけではないのだ。決して。

 

「……確かにそれは重大な問題ですが、その前に一つ、疑問があります」

 

 と、彼女らの疑問に水を差したのは司波兄だった。

 

「比企谷は、どうやってそれを知ったんだ?」

「ん? 壬生先輩? を鑑定したというか、分析したというか、情報を読み取ったからだけど……」

 

 少し、また室内に間が出来た。

 

「……また聞き慣れない単語が出てきたな。鑑定、って何だ?」

「鑑定って言葉を知らないのか?」

「いや、それくらいは知っている。そうじゃない」

 

 俺のからかい半分の言葉を、司波兄はさらりと無視した。遊び心がない奴め。

 

「壬生先輩って人の状態を魔法で鑑定したんだが」

「…………比企谷の魔法は、例の事象否定ではなかったのか?」

「あれだけが俺の魔法だって、俺、言ったっけ?」

 

 そしてまたも小さな沈黙。別にどや顔をしたわけでも何でもない、ただの事実を告げただけだ。なのに空気が凍ったように思うのは何故だろう。

 

「……………………言ってないわね」

 

 あれ? 唇とがらせてどうかされましたか? 七草会長。

 

「まぁ、待て、真由美。落ち着け。そう拗ねるな」

「拗ねてません。ええ、拗ねてなんかいませんとも」

 

 渡辺先輩の静止に対して言い聞かせるようにして繰り返しているいる時点で落ち着いてないじゃないか、とは誰も口にしなかった。

 

「比企谷、その鑑定? ――分析魔法か? では何が見えるんだ?」

「……え? ええっと、か、鑑定って言っても、正確には、その人の持つ空気を読んだだけで」

「空気?」

「別名、KY魔法とも呼んでますが」

「それは『空気読めない』の略だろうに……しかし、言いたいことはわかった。つまり雰囲気とかそういう類のものだな」

「……まぁ、そうですね……」

「ですが、それでは確実性には欠けるのではないですか?」

「あ、いえ。ステータス画面が出るので、その辺は大丈夫かと」

 

 市原先輩の心配は杞憂だ。きちんと表示されるのだから、俺が読み間違うはずもない。

 

「え?」「はい?」「ステ?」「タス?」

 

 だがそれがさらに生徒会室を混乱させたらしい。全員の頭の上にハテナが浮かんだ。

 

「…………よし。ちょっとみんな落ち着こうか。とりあえず立ったまま話もなんだから、落ち着いて座って話そう」

 

 渡辺先輩に言われて、そう言えば昼食を取った後、紙ベースの書類をデータ化したり、端末のデータ整理をしながら始めた会話だったから、生徒会室を行ったり来たりの間に話していた現状に思い至った。

 司波は生徒会メンバーではないが、妹と食事を共にする都合、よく生徒会に足を運ぶことが多い。その流れで、手伝いを買って出ていた。

 ちなみに、昼休みである現在、服部副会長はこの場にいない。

 本来ならベストプレイスで一人で昼食を楽しんでいるはずの時間を使ってまで俺が生徒会に足を運んだのは、それも理由の一端だ。あの人なんか苦手なんだもの。

 ということを思い出してみれば、俺も話の振り方を間違えた気がしないでもない。というか、確実に間違ってるな。魔法で空気は読めても、タイミングが読めず、結果空気を壊す俺のポンコツ具合には泣きそうになる。

 

「そうね。比企谷くんも座ってもらえるかしら」

 

 しかしそう促す七草会長の口調は重い。決して歓迎していない声だ、と思うのは俺の穿ちすぎか? 声のトーン的には怒っているのではなさそうだが、視線が下を向く。普段はキラキラと輝いているはずの双眸に浮かんでいる色は、今は決して明るくない。

 それと似たものを、俺は昔、見たことがあった。

 

「…………はい」

 

 仕方ない。それで彼女の気が済んで、世界がうまく回るというのなら、俺が下るべきなのだろう。

 そうして改めて椅子に座り直した、七草会長の傍の床に正座する。

 正座した瞬間、何故か後ろから待ったがかかった。渡辺先輩だ。顔をあげて見ると他の面子もぎょっとした表情になっていた。

 

「いや待て、比企谷。お前は何故、床に正座しているんだ?」

「……え? だって……え? これって、アレですよね? 今から俺を弾劾裁判で有罪にするんじゃ?」

 

 違うんですか? あ、でもあれって確か、役職を持つ高官を罷免するためのものじゃなかったか? であれば、ただの丁稚で役職もない俺を対象にする場合、弾劾とは言わないか。

 つまり、今から行われるのは、

 

「…………判決すっ飛ばして処刑?」

「待て待て、ちょっと待て。

 というか、あたしは一体、何回このフレーズを口にすればいいんだ!

 いや、まぁそれくらいは別にいい。じゃなくて!」

 

 こういうのは混乱状態ではなく、錯乱状態というのだろうか。残念ながら、渡辺先輩のステータスは視ようと思っても見れないのだが。

 

「何で裁判とか処刑なんて物騒な言葉が出てくる!」

「七草会長が――」

「え? 私?」

 

 全員の目がそちらを向いたせいで、普段から堂々としている七草会長が珍しく素で引いたようだった。

 

「小学生の頃、クラスの女子の水着を盗んだ冤罪をかけられたときに、捜査とか聴取とか弁護とかも一切なく、クラスのいじめグループの言葉を信じて俺を犯人と断定し、教室裁判で有罪判決を食らわせて土下座させた教師の目に似ていたもので……」

「真由美……」

「会長……」

「七草会長、いくらなんでもそれは……」

 

 アレ? 何故か全員の非難が俺ではなく七草会長に向かったよ?

 ここは「お前は本当に犯人じゃなかったのか」とか「冤罪じゃないんだろう」とか言われる場面かと思ったのに。

 

「え? ちょ、ちょっと待って! 

 いえ。違うわ! 違うわよ! 違うったら!

 別に比企谷くんを責めようとか、いじめようとかそんなこと全く考えてません!

 最初の頃よりちょっとは仲良くなれたかな、信頼してくれたかな、仲間になれたかな、とか思ってたから、今度も魔法のことを話してくれたのはうれしかったのよ? ホントよ?」

「ならなんでそんなに落ち着きがないんだ?」

「…………え? 私、そんなに落ち着きがないように見える?」

 

 全員が一斉に頷いた。

 

「そ、そう? あれ? そんなつもりないんだけど……」

「隠し事されてたことがショックだったのか? まだ付き合い浅いんだから、これ以上は少し欲張りすぎ、というか性急すぎだろう」

「そ、そうよね。うん。それはわかってるわ。比企谷君と仲良くなるにはゆっくり時間をかける必要があることも、理解しているわよ」

「ほほう」

 

 ニヤリと、渡辺先輩の唇が歪んだ。

 

「でもほら、私って、比企谷君の上司でしょう? 今回のことって生徒会業務の流れと言うか、その奉仕活動の一環で発見した問題みたいなものじゃない? ならみんなに話す前に、先に報告を受けていてもいいんじゃないかな、って思っただけよ。ほうれんそうは重要だもの。

 重要……よね?」

 

 自分に言い聞かせる様に呟いた七草会長に対し、しかし同学年である渡辺、市原の先輩ペアの追撃は終わらなかった。

 

「……ああ、つまり、会長は、皆よりも先に自分にだけは話しておいてほしかったと思って拗ねたわけですね?」

 

 こちらも微かに笑みを浮かべながらの市原先輩の発言で、三度七草会長の顔が強張った。

 

「違います! 拗ねてません!」

「本当に?」

「…………そ、そりゃあ、ちょっとは思ったわよ。ええ、確かに思いました! 

 隠し事があるくらいは当然だけど、何で先に報告してくれなかったの? とかは思ったわよ!

 その上、さらにわけのわからないトンでも魔法が出てきそうな感じにちょっとイラっとしたけど! 

 話してくれたからそれで許してあげようかなってちゃんと思ってたもの!」

「……全然ちょっとじゃないですよね、それ」

 

 中条先輩までもが目に剣呑とした色を浮かべているのは、正直なところ意外だった。普段の小動物っぷりからすると似合っていないが、その分、何か負の感情を抑え込んでいるように見える。

 

「なら、なんで比企谷は床に正座しているんだ? まさかあたしや他のメンバーがいないときとかに日常的にさせている、なんてことは……」

「させたことないわよ! そんなこと強要するわけないじゃない! っていうか、なんで比企谷くんも床に正座なんてしたの!」

 

 そして再び、全員の目がこちらに向く。

 

「七草会長の目が、俺に座れと言った瞬間に床に向いたので、お前の座るところはそこだと言われたのかと」

「まぁーゆぅーみぃー?」

「違います! 思ってません! 言ってません! 言ったこともさせたこともありません!

 ちょっとだけ下向いただけじゃない!

 比企谷くんもなんでそんなに卑屈に自虐精神にあふれているんですか! 

 今すぐ立って、椅子に座りなさい!」

「……いいんですか?」

「許可します!」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……真由美、説得力がないぞ」

「え? あれ? どうして?」

 

 渡辺先輩から七草会長への説教タイムが始まった瞬間だった。

 

 

   ***

 

 

「いーもん。誰も信じてくれなくったって。八ちゃんのこといじめるつもりなんてこれっぽっちもなかったのに。八ちゃんは信じてくれてると思ったのに、ふんだ……」

「…………渡辺委員長」

「放っておけ」

 

 生徒会室の隅で椅子に丸まり、こちらに背を向け、いじけモードの七草会長を見かねた司波の具申は、しかし、とりあえずそれで区切りは着いたと言わんばかりに渡辺先輩によってバッサリと打ち切られた。

 

「さて、比企谷。話の続きだ。まずはその魔法の特性から聞かせてくれないか」

 

 ……いいのか?

 まぁいいか。あとが怖いけど、俺が口を出してどうにかなる雰囲気でもなさそうだ。

 

「あー、えっと、この魔法は、さっきも言った通り、空気を読む魔法です。

 ()()()()()()()()()、市原先輩が言った通り、その人の纏う雰囲気をもっと具体的に、もっと踏み込んで読み取ったものになります」

「具体的とは?」

「プロフィールをはじめとして、精神状態や健康状態、身体能力なんかの各種項目が数値で表現されますね。俺はそれをステータス画面と呼んでます。視覚的には、ロールプレイングゲームのキャラクター画面のようなものをイメージしてもらえると……」

「…………ふむ、検索にHITしました。こういうのですか?」

 

 市原先輩が端末を操作してネットから引っ張り出した市販ゲームの画面を表示する。某有名ロール()プレイング()ゲーム()の画面だ。オーソドックスなタイプのキャラクターステータス画面を全員が覗き込み、なるほどと頷いた。どうにかイメージはついてくれたらしい。

 まぁ確かに、あまりゲームとかしそうな感じではないよな、この面子。ギャルゲとか存在すら知らないんじゃないだろうか。

 

「そうですね、そんな感じです」

「このHPと、MPとは何でしょう?」

 

 え? そこから?

 

「……えっと、HPはヒットポイントの略。ゲームの場合、生命力のことを指していることが大概で、これがなくなると死亡したとみなされます。俺の見れるステータス画面のHPは、どちらかというと体力に近いと思います。

 一度試したとき、ゼロになったら寝落ちしましたから」

 

 寝たら回復した。後で小町に説明したら、魔法の仕組みもわからないのにHPをゼロにするとか危険なことしないでと、ものすごく怒られた。

 

「MPはマジックポイント略です。魔法や術技などを発動するためのものです。魔力とか、気力とかに置き換えられるので、俺たち魔法師に当てはめるなら、サイオン量のことですね」

 

 こっちはゼロになると虚脱症状に襲われてしばらく何もやる気がなくなった。やっぱり怒られた。

 

「へぇ……そうなんですね……」

 

 中条先輩の素朴な疑問に、また全員が「ほうほう」とうなずく。会長はまだ拗ねている。

 空気を読む魔法――本来の名称である「結衣」――で得られる状態(ステータス)表示。

 ほとんどのゲームでもサポートされるように、この魔法(結衣)でも基本的なところはすべて見ることが出来る。

 つまりは対象の名前、性別、生年月日、出身地、家族構成をはじめとしたおおよその経歴と現在の所属、所有する資格や技能、賞罰履歴、魔法師であればどのような魔法を遣えるのかまで把握可能だ。

 また先に挙げたHP、MPの数値と並列して、身体能力、所持品、精神状態、健康状態も表示される。

 今回問題に上げた精神は正常――つまり平静であることを基本として、混乱、鬱、激昂などの、通常の喜怒哀楽の枠から外れた極端な精神変化を異常と位置付けているらしい。らしいというのは、俺自身、何が異常なのか詳しく検証したことがないからだ。

 だから表現される状態にどういった種類があるのかも知らなかったりする。

 外部からの魔法による精神干渉であれば、たとえ平静状態であっても異常として認識される――ということを知ったのもつい先日だ。

 健康状態、体力を示すHP、魔法師のサイオン量を示すMPにしてみても、見ればなんとなくそれが何を意味するのかは分かるのだが、画面上の表示がどういう基準で数値化されたり、分類されているのか実のところさっぱりわかっていない。

 他人を分かりたい、分かっていたいと思う俺の醜い願望を具現化したような魔法だが、その魔法でどこまで把握出来るのか――実情を知るのが怖いと思う俺の臆病さが、この魔法解明にストップをかけている。

 そういう意味では、雪乃のほうがわかりやすい。

 どういう原理の魔法なのか、その仕組みがわからないという意味ではどっちもどっちだけど。もう少し、遣い手であるはずの俺に対して優しくなりませんかね? と思うのはぜいたくな悩みだろうか。

 ただ、そうは言ってもやはり雪乃も結衣もとても応用力が高く、とても希少で、俺の人生になくてはならない魔法であることも間違いない。

 組み合わせれば、それこそなんだってできるんじゃないかと言う気さえする。

 だからこそ、俺には過ぎた魔法(ふたり)だ、と思うのだ。

 

「対象者の感情も読み取れるのか」

 

 呻くように、小声で呟いたのは司波兄である。また何かしら眉間にしわを寄せて思考の海に潜っているようだ。それが何を危惧しているのか、という点については誤解しようがない。

 だから一応、念のため、注釈はしておく。

 

「……まぁ、ここまで具体的な表示を見れるのは、敵キャラだけですけどね……」

「敵?」

「キャラ?」

 

 誰でも彼でも見れるわけではない、ということを言いたかったのだが、伝わっていないらしかった。

 最近、若者のゲーム離れが激しいというようなニュースを見たけど、激しいとかいうレベルじゃないのでは? ことこの生徒会室に限って言うと、比率は七分の一。つまり俺一人。さすが俺。こんなところでもぼっちだった。

 

「……空気を読む対象を()()()()()()()()()()()()、その空間内にいる人間が敵か味方か中立か、で区分けされます」

 

 味方はグリーン。中立はイエロー。敵はレッド。中立と敵の間には、さらに細かに段階があって、敵に近づくほどイエローからオレンジ。オレンジからレッドへと濃くなっていく。

 ちなみにパーティーカラーはブルーになるらしいのだが、一度として試せたことはない。理由は以下略!

 では敵とは何か、という疑問は先輩方も気になったらしい。

 

「敵とは?」

「……文字通り、俺に危害を加えるかどうかです。俺を敵視しているか。俺に対して攻撃意志があるか。この場合、俺を取り巻く周囲の人間や生活環境も含みます。統計を取ったわけではないですが、基準はそんなところでしょう」

 

 これは俺の経験則からきている。俺の小学校、中学校時代は周りがオレンジかレッドだらけ。教師ですらオレンジで、唯一、校医だけが中立のイエローだったこと思えば、独りでいたほうが逆に安全だったのだ。

 誰も彼もが俺のことを嫌っている、と思うのは俺の自意識過剰でしかなく、逆の意味での傲慢なのかもしれない。けれど実際、これまでの学校生活で味方が出来たことはなかった。

 だから家族がグリーンなのは、俺にとっての救いだ。

 そして不思議なことに、喧嘩した程度では表示(カラー)は変動しない。これは小町との喧嘩で実証済みだ。

 もしかすると喧嘩した後にそのまま決定的な亀裂が出来て、敵意を持たれてしまえば別なのかもしれないが、悲しいかな、そういった類の決別をするには、決別するだけの関係性を持った相手が必要なのだ。

 ぼっちの俺に喧嘩して決別出来る程、仲の深い相手がいるはずもないので、これは一生かかっても検証出来ないだろう。小町? 俺が小町と敵対するはずもない。何故なら喧嘩しても俺が折れるからだ。

 

「そんな物悲しいことを堂々と語られても反応に困る……」

 

 司波が珍しく困惑した表情で呻いた。

 

「比企谷の自虐はさておくとしてもだ。事象否定の魔法の時も思ったが、またどういう理屈で成立しているんだか全く分からない魔法だな」

 

 渡辺先輩がぼやき、

 

「対象の情報が読み取れると言うことは、つまりエイドスを読み取っている、のだとは思うのですが……」

 

 タツヤスキーさんが意見し、

 

「ですが、読み取ったエイドスの表現方法が奇抜すぎますし、条件定義もよくわかりません。数値は何を基準としているのでしょう? 敵なら視えて、味方なら視えないというのもちょっと……」

 

 この中では最もゲームに慣れていなさそうな市原先輩が困惑した様子で首を傾げ、

 

「でも敵か味方かわかるのって、考えようによっては便利だと思うのですが?」

 

 唯一、肯定的な意見を言ってくれたのは中条先輩である。

 七草会長はまだ拗ねている。

 思考の海から帰ってきたばかりの司波が、きっと聞かれるだろうなと思っていたことを聞いてきた。

 

「敵だけが見える……なら、比企谷。俺たちのステータスは見えているのか?」

「……いや、見えてない。ここのメンバーは全員イエローだからな」

 

 味方ではない。だが敵でもない。彼女らはまだ、俺への対応を保留している状態だ。様子見ともいう。

 意外だったのは、司波兄妹もイエローだったということだ。特に兄のほうは、レッドとまではいかなくてもオレンジになるくらいには俺のことを警戒していると思っていた。

 ステータス画面を見るためには、この状態がオレンジ――中立ではない、だが敵でもない、()()()()()()()()()()()――にならなければならない。グリーンやイエローの場合は当人の許可を取ったうえで、肌を接触した状態でなければ視ること出来ないという制約がある。

 だから現生徒会室内のメンバーの情報は読み取ることが出来ない。せいぜい喜怒哀楽などの簡単な感情が色で見れる程度だ。

 

「……ふむ。思うことは多々あるが、我々のは見えていないんだな」

「ええ」

 

 表示されるプロフィールには、今着ている服(下着込み)の詳細、身長、体重、果てはスリーサイズ等の身体的特徴まで見ることが可能なので、こっそり覗かれていたなんて思われた日には、事実がどうであるとか関係なく、女性陣から排斥されること間違いなしの魔法である。

 空気というものは、上位者、または全体の最大公約数的な価値観によって生み出され、学内のような閉鎖空間においてはその中で己の立場を弁えることが求められる。そこをはみ出した場合、そいつはぼっちになる。

 空気は読めなくても、逆に読みすぎても排斥されるわけだ。

 だから本当の意味で空気を読むというのは、その匙加減が他人の自意識に接触しないぎりぎりを見極められることを言うのではないだろうか。

 つまり人の顔色をうかう八方美人の極致である。

 俺には無理だ。出来る、出来ないではない。俺の場合は読めても読めなくてもキモイと言われる。つまり俺がぼっちであることと、空気が読める読めないは関係がないってことだね。

 逆の意味ですげぇな、俺。

 

「敵だけしか見えない、というのもよくわかりませんが……」

「達也くんの意見には賛成だが、差し当たって、あたしらが比企谷にとって敵認定されていないだけで十分だと思うがね」

「それはまぁ、そうですが……」

 

 軽く息を吐く程度の反応で渡辺先輩が納得すると、他のメンバーも異を唱えることなく力を抜いたようだった。

 その対応の軽さに、逆に俺のほうがぎょっとしてしまった。ちょっとキモかったかもしれない。

 

「……えっと……随分あっさり信じますね?」

「疑ってほしかったのか?」

「……いえ……そういうわけじゃ……」

 

 実をいうと、その可能性は七割から八割近くあるものだと思っていた。今日のこれで、彼女らの敵味方識別カラーがオレンジに傾くと予想していた部分は少なからずある――とは、口には出来なかった。

 

「まぁ、おそらく、ここにいる全員が思っていることだとは思うんだが……」

「はぁ……」

「正直、驚き疲れた」

 

 全員がこくりと頷いた。一番神妙に首を縦に振ったのが市原先輩だというのが余計にそれが事実だと物語っているようだった。

 というか、そんなもん、俺にどうしろというのだ。

 

「理屈とかいろいろ気になりはするし、そもそもお前の魔法は本当に魔法か? とか根本的な疑問もあるにはあるんだが……」

「それを知るには、比企谷くんを解剖しないといけませんね……」

 

 市原先輩、無表情で怖いこと言うのやめてもらませんかね。

 

「そんなことできるはずもないから、いま、あたしらに出来ることは、お前の魔法はそう言う代物だと納得するしかないわけだな」

「それに――」

 

 だから、次いで発せられた司波の言葉は、不意打ち的に俺の心情にストンと潜り込んできた。

 

「お前には事象否定の魔法がある。それを使われたら俺たちには為す術がない」

 

 それは、まさにハンマーで頭を殴られたかのような衝撃をもって俺の意識を混濁させた。

 違った。俺の予測は的外れもいいところだ。傍若無人なのは俺のほうだった。俺のほうが彼女らの敵なのだ。彼女らの反応を試して自分が傷つかないようにしているだけ。俺の考えが、意識が、ふるまいが、ただの浅慮で自己肯定的なものでしかない――なんてことは、言われるまでもなく知っているはずだった。

 知っていたはずだし、理解していたはずだ。俺は俺のことを理解している。ぼっちであるために、集団から自衛するために、自己分析も、人間観察も、客観的思考も絶やしてはならない。

 なのに、どうして俺は、俺が俺でいるための行動理念を意識から除外していた?

 何故それを忘れて、彼女らに俺の魔法を公開した?

 

「比企谷」

 

 そんなつもりはなかった、なんて言い訳がしたいわけじゃない。謝りたいわけではない。事実は一つなのだ。強者であることを示せばいい。この場で優位に立っているのは俺のほうなのだと言えばいいのだ。最底辺の人間らしく、傲慢に、卑屈になりながら、誇示すればいい。

 

「比企谷!」

「……あ、え、あ、ぁえっと…………あの……」

 

 思考に没頭していたためか、すぐに言葉が出てこない。ただでさえ口下手なのだ。不意打ちとかマジ無理です。

 

「落ち着け。そうじゃない。責めたわけじゃないんだ。そう聞こえたなら謝る。だから一度深呼吸でもして落ち着け」

 

 俺は今、落ち着いていないように見えるのだろうか。

 違う。落ち着いてはいる。思考を整理できていないだけだ。

 

「いいか? つまり、お前が俺たちに嘘を言う必要がないってことなんだ」

「…………へ?」

「逆説的に、比企谷くんの話は信頼がおけるってことね」

 

 いつの間にか復活していた七草会長が、先ほどとは打って変わって優しげに微笑む。決して俺を篭絡しようとしてのものではない。からかってすらいない。嘘もついていない。何故なら彼女らのカーソルがオレンジへと傾いていないからである。

 だがそれでも、彼女のとてもあざとい笑顔を見て思う。

 

「みんな、貴方のことを信じてるってことよ、八ちゃん」

「…………」

 

 もう、この人、ホント小悪魔だ。

 一瞬で思考がクリアになる。なった。なってしまった。

 え? いや、本当に、我ながら「え?」だよ。なんだそれ。俺ってば、ちょっとチョロ過ぎないやしないですか? 

 優しい言葉を疑えって、あれほど自身に言い聞かせていたのにこれですか。自分の学習能力のなさに愕然とするしかない。

 他人を信じるな。他人に信じてもらおうとするな。俺が、俺として生きるために誓った、俺の中の約定。けれど今、俺はそのどちらの信念も手に取れないでいる。

 否定したくて、七草会長の言葉を受け止めてしまったことを認めたくなくて、大きく吸い込んだ息を吐きだすのに、信じられないくらいの労力が要った。

 彼女らの真意を知ることはできない。ステータスは視れないまま、敵味方識別子がイエローなのも変わらないまま。

 だからこそ七草会長の言葉を鵜呑みにして、信じたりはしない。受け入れたりはしない。けれども彼女が俺の心を落ち着かせてくれたことは疑いようのない事実なのだ。

 その事実に対してだけは、一言、礼だけは言わねばならなかった。

 相変わらずニコニコと、小悪魔的に笑う彼女の視線を直視できないままに、こちらの反応をずっと待っているらしい彼女に向かって。

 

「………………………………そ、それは、ど、どうも……」

 

 軽く頭を下げた。

 クスリと、誰かが笑った。

 

「あ、赤くなった」

「照れてます?」

「こういうの、ツンデレっていうんでしょうか? お兄様」

「比企谷の場合、ツンはないから違うんじゃないか? 捻くれてはいるが」

「なら捻デレですねー」

 

 生徒会メンバーにクスクス笑われている状況に、思考が追いつかない。

 その苦笑と微笑のまじりあった笑い声に、中学までによく感じ取れた冷たく凍えていくような感覚がない。目を覆い、耳をふさぎ、自分ではないと、自分には関係ないと、意識をシャットアウトするような雑音がない。

 俺を見てみんなが笑っている。その状況は同じはずなのに。

 恥ずかしさに身体が熱を持つ。心がどくどくと痛みを覚えるほど脈打ち、けれどその痛みを心地よいと思う自分がいる。顔を背けてはいるが、目を閉じたくない。笑い声に不快を抱けない。魔法を遣うまでもなく、この空間の空気はとても暖かい。熱いくらいだ。むしろ熱すぎる。暑い。熱い。何がとか聞かないでほしい。

 チリチリする後頭部を、乱暴にガシガシとかきむしると、それをまた照れ隠しと受け取ったかのような笑いが起きた。

 あれ? まさか俺、本当にMに覚醒したとかないよね?

 いやいや、待て待て。

 そもそもそういえば、これって何の話から発展したんだっけか?

 そうだ、壬生先輩の異常状態の話だ。

 本題は、壬生先輩をはじめとしてブランシュにより催眠誘導されている生徒が最低でも三十人以上にいるということである。その問題に対してどう対処しようかという話をすべきなのだ。

 俺が何デレなのかとか、時の彼方に放り投げてくれればいい。永遠に忘れてください。本当に。

 誰も何も言わないのだから仕方ない。あまり脱線するのも迷惑だろう。迷惑に違いない。だから出来るだけ早く話を戻す。戻すべきだ。戻そう。そうしよう。戻させてくださいお願いします。

 どうにか落ち着いて、ようやく、話題を元に戻そうと提案しようとしたとき、唐突な校内放送が俺の意思を遮った。

 

「全校生徒の皆さん! 僕たちは、学内の差別撤廃を目指す有志同盟です!」

 

 どうも、先に手を打たれたらしかった。

 

 

 




お読みいただきありがとうございました。
今回は八幡魔法披露パート2。前回予告通りのガハマさんの登場回となります。
達也の精霊の眼とは異なるタイプの分析系能力になりますね。
その1もそうでしたが難産でした。八幡の自虐っぷりと七草会長いじりに不快にさせてしまったらすみません。
ここからもう少しオリジナル要素増えていきますのでタグにオリジナル展開を追加しました。

ゆきのんとガハマさんの本領発揮は次回以降になります。
また次回、よろしくお願いいたします。


=======
追記
いつも誤字脱字報告ありがとうございます。



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入学編#7  気づかぬうちに壬生紗耶香は渦中に引き込まれていく。

 

 

 有志同盟とやらが放送室を占拠した、という前代未聞の事態は、しかし機転を利かせたというよりは悪知恵を働かせた? 司波の功績で解決することになった。

 学校側に待遇改善を要求する同盟員は風紀委員に拘束された。

 それで解決、よかったよかった。めでたしめでたし。働かなくて済んだ、また来週――とほっと一息つく間もなく。

 七草会長が何を思ったのか、同盟側と交渉に応じようと言い出した。今回の件をすべて引き受けるとして学校側と調整、風紀委員会に対して拘束済みの同盟員の解放を指示。

 そして交渉のための打ち合わせをすべく彼らを生徒会へ招き入れた――というのが現状である。

 俺の怠惰な放課後を返してほしい。

 ……まぁ、この件がなくても、きっと仕事が待っていただろうことくらい予測はできるが。いいじゃないか。夢くらい見たって。

 そもそも何故、俺が付き合わされるのか。市原先輩、服部先輩はまだいい。生徒会正規メンバーだもの。だが中条先輩と司波深雪改め司波タツヤスキーはどこ行った? 

 ちらりと市原先輩を見ると、質問の意図を察したらしい彼女はいつものポーカーフェイスを保ったまま、一言「帰らせました」と言った。人数の都合らしい。生徒会全員がそろってしまうと同盟側に圧力をかけているように見られるからだと。

 なるほど。なら俺も帰っちゃだめですかね? と目線で訴えたがスルーされた。

 そんなこんなでこちらの不平不満などどこ吹く風で七草会長と同盟員たちの打ち合わせは進んでいく。ちなみに、同盟員たちの不平不満すら、このひとたちにはのれんに腕押しだ。

 というか、連中は先ほどから文句しか言ってない。どうしたいのかと聞かれても言葉を濁し、問題をすり替えようとする。

 その自覚すらないのかもしれないが。

 カフェで見た壬生先輩と同じような思考回路だ。不満はある。改善してほしい。改善しろ。だがどう改善するべきなのかはわかっていない。どうしたいのかが見えていない。これは催眠による弊害だろうか?

 七草会長の問いかけに対して答えず、質問を質問で返す。これでは会話は終わらない。無限ループである。って、ちょっと待て。やめてくださいね? エンドレス残業タイム突入とか、マジで勘弁願いたい。

 しかし、その押し問答になりかけた空気を、七草会長はやんわりと軌道修正した。

 

「貴方たちの要求が一科生と二科生の平等な待遇であることはわかりました。

 ですがそのための改善策については、やはり今すぐ詰め切れるとは思いません。また、もし詰め合わせが出来てたとしても、この場で決定することは後々のしこりを残してしまいかねません。

 皆さんは待遇改善を希望する同盟の代表者でしょう? であれば、きちんと同盟員全員の前で、説明をすべきだと考えます」

「それはもちろんです」

 

 同盟員の男子が鷹揚に頷いて見せる。だがわかっていない。お前は自分で考えて同意していると思っているかもしれないが、完全に七草会長に誘導されている。

 

「ですから――そうね、明後日の放課後、講堂で公開討論会を行いたいと考えていますが、いかがでしょうか?」

「……討論会、ですか?」

「ええ。同盟員でないけれど学校側に不満を抱く生徒たちもたくさんいるでしょう。学校側がすべての生徒たちの要望に十全に対応できているわけではないですからね」

 

 それは一科生であってもです。

 七草会長は口にはしなかったが、そう言いたげな間を開けた。

 

「ですから、彼らにも伝わるように話し合いをしましょう。貴方たちの不満も、要求も、学校側や生徒会側の不備も、そしてそれらを解決するための議論も。

 きちんとみんなの前で」

「なるほど。学校がどうあるべきかは生徒全員の問題です。異論はありません。生徒たち全員に伝えたい思いは我々も同じです。隠し事をされたくありませんしね」

 

 最後のは嫌味っぽく笑んだつもりかもしれないが、七草会長に届いたとは思えなかった。服部副会長の空気が少しだけ剣呑になったがそれだけである。この人、意外に短気なのか?

 それが決まれば後はすぐだった。時間、場所、討論会進行に関する簡単な方向性、壇上に上がる人数は五人程度、同盟員以外の勧誘は問題ないか? もちろん問題ありませんよ。そちらは生徒会全員で? いいえ、私一人の予定です。あ、服部副会長には司会進行役で壇上に上がってもらいますが、よろしいですか? もちろんです――等々。

 その会話を聞きながら、もしかすると会長たちは最初からそのつもりだったのかもしれないと思った。

 同盟は生徒会を表舞台に引きずり出したと考えるかもしれないが、それは逆だ。討論会という形で、生徒会は同盟の不平不満を受け入れ、理解を示し、解決する姿勢があることを示すことが出来る。

 そのうえで、同盟員どころか生徒全員を納得させられたら完勝だ。

 この人ならそれくらいのことはやってのけるだろう。

 七草会長はあざとい小悪魔で、実は計算高い腹黒だったりする――というのは、討論会を明後日の放課後に行うという提案からしても明らかだ――が、やはり基本は高スペックなお方なのである。けど最初から決まっていたのなら、中条先輩の代わりに書記をしている市原先輩や補佐の服部副会長はともかくとして、本当に、俺はいらなくないですかね?

 とか胸中で愚痴っている間に打ち合わせは終了。

 鼻息荒く明後日の討論会に向けて意気込んでいる同盟員が生徒会室を出ていく中で、少しだけ彼らと温度差があるように見えた壬生先輩を七草会長が呼び止めた。

 

「壬生さん、少しだけお話がしたいのだけれど、いいかしら」

「……あたしだけ、ですか?」

「そう警戒されなくても大丈夫ですよ。ちょっと個人的に貴女に興味があって。お話ししたいなって思っただけですから。女の子同士っていう意味でもね。ではリンちゃん、後の手続きお願いできますか?」

「了解しました。では服部副会長、行きますよ」

「え? いえ。自分は残り……というか、比企谷は?」

「お願いね、はんぞーくん」

「お任せください、会長!」

 

 軽い。軽すぎる。なにがとか聞かないでね? 悲しくなるから。服部副会長が。

 では俺もこの辺で。声に出さないのは鉄則である。ぼっち認定テストに出るので覚えておくように。

 

「八ちゃんは残ってね」

 

 八幡は逃げ出した。しかし回り込まれてしまった。

 

「…………」

 

 何故だ。服部副会長の後ろを、さも金魚のフンみたくステルスモードでついていこうとしたはずなのに。

 

「というか、残ってもらった理由はもう察しているでしょうに。意地が悪いわよ、八ちゃん」

「…………」

 

 そりゃまぁ? 壬生先輩と俺を残す意味なんて、少し考えればわかることではありますが。

 

「あの?」

「ああ、ごめんなさい。座ってください。紅茶淹れ直すわね。私は深雪さんみたいに美味しく淹れられないけど……」

 

 ちらりとこちらを見やったので、首を横に振って否定した。

 

「紅茶はちょっと……コーヒーなら何とか?」

 

 パックのでよければ淹れられるが、生徒会室にあるのはみんな上質なものばかりだ。もうちょっと庶民に優しくしてください。

 

「そう? 壬生さんは? 何か飲みたいものありますか?」

「……では、紅茶で」

「了解よ。ちょっと待っててね」

 

 先輩に働かせるのは心苦しいが、俺が動いてまずいものを出すわけにもいかない。ここは適材適所だ。いい言葉だ。

 会長がお湯を沸騰させ直している間、壬生先輩と二人で対峙することになったわけだが、俺に会話スキルなんてあるはずもなく、ただ無言で会長のお帰りを待つ。しばしの沈黙が下りるのは当然だった。

 だが問題ない。俺は沈黙すら楽しめる男なのだ。なんなら黙したままですらある。

 

「あの……」

 

 だがぼっち慣れしていない壬生先輩は違ったらしい。耐えかねたというよりは、どこか不安気に眉を寄せている。そんなに俺と二人でいるのが気に入らないのでしょうか? と思ったが、どうも違うらしかった。

 

「大丈夫?」

「……? 何が、ですか?」

「えっと、顔色は悪くなさそうだけど、目が? 死んでるって言うか、その……疲れてるんなら早く帰って休んだほうが…………」

「ぷっ!」

 

 背中で聞いていた七草会長が噴き出した。肩震わすほどおかしかったですかね? 受けたようなら身をネタにしたかいがあったというものだ。

 

「……いえ、この目は、デフォなので?」

「……え? デフォ? デフォルトってこと? 普段から? え? なんで?」

「い、いや、なんでって聞かれても……」

 

 え? 何? この人、俺に黒歴史をここで暴けとでも仰りたいんですか? 違うな。違うね。あのなんで? は『何故目が死んでいるのか』と聞きたいわけではない。『何故目が死んでいるような奴がここにいるのか?』だ。

 意訳すると、さっさとどっかいけってことですね。

 

「駄目よ」

 

 八幡は逃げ出そうとした。しかし回り込まれてしまった。っていうか、会長背中に目でもついて……ああ、そう言えば、この人はついてましたね。

 マルチスコープ。会長の得意な知覚系魔法。実体物をマルチアングルで知覚する、多元レーダーのようなものだ。

 要はこの人に死角なんてない。後ろ側のことなんて見てなくても容易に把握できる。つまり覗きし放題。俺の魔法より質が悪い気もするが、誰からもそういう疑惑を持たれないあたりは人望の差という奴だろう。

 

「……ま、まぁ、体調が悪いわけじゃないならいいんだけど……」

 

 俺は壬生先輩のことなど知らない。彼女が本当に心配してのことなのか、実は本気で俺のことをキモイと思っているのかはわからない。けれどそれを隠すことが出来るくらいには、良識と常識を持っているということだ。

 プライドばかりの一科の連中も見習ってほしいものである。

 世の中、建前って大事だからね。

 

「さ、どうぞ」

 

 会長に礼を告げて口を付ける。苦い。砂糖ほしい。

 

「それで、会長? お話って?」

「昨日、達也くんと話をしたと伺いました」

「……そのことですか」

 

 何故か、壬生先輩の感情に波が生まれた。怒りではない。けれど苛立ちにも似た何か。何だ?

 

「達也くんには詳細は聞いていません。でも、というのは変だけど。壬生さんの個人的な見解を聞いてみたかったの」

「あたしの?」

「ええ。どうして達也くんを同盟に誘おうと思ったの?」

「それは……彼は二科生ですし……。剣道部と剣術部のトラブルを収めてくれたところも見て武道の心得があるのは知ってましたし……その……」

 

 ああ。わかった。なぜ司波が選ばれたのか。最初は部活間トラブルのお礼とか、顔だけかと思ったが。そうじゃない。今年度新入生主席である妹の存在を知ったからだ。

 優等生、それも最優秀な妹。対して劣等生の兄。兄妹であるからこそ、比較は必ず生まれる。年の差があったって少なからず比較されるのだから、まして同じ学年であるなら避けて通れない道だ。

 そして壬生先輩は、妹と比較されて侮辱される司波達也を見たのだ。だから自分たちに共感してくれるはずだと踏んだのだろう。

 壬生先輩はその先を言いよどんだが、七草会長もその黙した先を追及することはしなかった。俺と同じ結論に達したからだと思ったが、壬生先輩の見解は違ったらしい。

 

「司波君も学校側には不満があると言ってましたよ」

 

 声に攻撃的な色合いが強くなった。そもそも、今の答えは七草会長の問いに対してのものではなかったのだが、壬生先輩は気づいていない様子である。

 

「ですが勧誘は断った、と聞いています」

「それは……そうですが。でも! 彼は学校側に期待してないって言ってました」

「期待していない?」

「ええ。ただ魔法大学系列でのみ閲覧できる非公開文献の閲覧資格と、卒業資格さえもらえればいいと。教育機関としては期待していないと言っていました」

 

 それはきっと、司波が言った言葉そのままなのだろうとは予測できた。言いそうなことだし、ここで壬生先輩が嘘をついてもすぐに露呈する。

 

「それに――」

 

 特に反論も意見も言わない七草会長をやり込めていると思っているのか、壬生先輩の声にさらに熱が帯びる。

 司波の言葉を借りているだけの、子供じみた反論だ。いや、司波が七草会長や生徒会への文句を言うために口にした言葉ではないから、冷静になってみれば攻撃にすらなっていない。

 だが七草会長を攻撃することで夢中になっている壬生先輩は気づいていないらしかった。

 

「学校側が禁止する隠語を使って二科生を見下す一科生のことを幼児的だとも言ってましたね」

「……残念ながら、現状では反論できませんね」

 

 七草会長が悲しみのこもった息を吐いた。確かに、生徒会長として学校側の意向を汲んでいる――汲むことの出来る、汲まざるを得ない彼女はそう答えるしかない。

 家の立場やらなにやら抱え込むことが多そうな彼女とは違い、俺の方はそこに対して忖度(そんたく)する必要はない。

 だからこそ俺は司波の意見――正しくは、その意見を会長への攻撃に使う壬生先輩を否定できる。

 司波がそう言ったこと自体は意外ではない。一面から見れば事実だからだ。では一科生を幼稚と評した奴は、果たしてどんな意図でその言葉を口にしたのだろうか。

 司波は確かに大人びている。視野も広い。客観的に物事を捉え、感情を理性で整理することが出来る。だが一方で、高校生らしくないとも言える。よく言えば達観している。悪く言えば、若者らしさがない。

 学校に期待していない、諦めている、というのは、ただ割り切っているだけだ。それもまた大人として社会を渡っているために必要なものなのかもしれないが、その結論に至った理由があるはずだ。俺が友達を作ることをあきらめたように。

 その理由は、俺には知る由もない。

 けれど司波が学校側に期待しない理由は、そこにはないと俺は踏んでいる。一科生が幼稚であるからとは何も関係ない。二科生に対する学校側の待遇がよくないから、でもない。司波はきっと、その程度のことは些事にしか感じていないのではないだろうか。

 俺の勝手な思い込みかもしれないが、そう感じたからこそ、司波の言葉を自分の言葉として七草会長への攻撃に使っている壬生先輩の言い分は腑に落ちなかった。

 

「幼児的、ねぇ……」

 

 壬生先輩の言動に対する違和感が、自然と否定的なニュアンスを含んで声に出た。予想通り、先輩二人ともが怪訝そうな顔をした。

 

「違うと言いたいの? えっと、そう言えば名前……」

「1ーAの比企谷八幡です」

 

 もう自己紹介で躓かなくなったのは進歩と言っていいかもしれない。

 

「いえ、一科生が幼稚だっていうのは俺も賛成ですよ。でも、ねぇ。あれです。なんですか? 俺は二科生も大概だと思ってますけど」

「あたしたちも同じだって言いたいの?」

「まぁ……そうですね……」

「比企谷くん」

 

 ずっと自分の目の前にある紅茶に目を向けていたから、七草会長に呼ばれてそちらを向くと、目線で静かに「やめなさい」と言われた。

 そうか。それはそうだ。俺がここででしゃばる必要はない。決着は明後日、会長がつければいいのだから。

 別に壬生先輩をやり込めたくてここに残っているわけではないのだ。

 

「…………すんません。忘れてください」

「いいえ、会長。彼の意見も聞かせてください。貴方は一科生よね?」

「…………」

 

 ちらりと七草会長を見る。彼女は軽く息を吐いた後、しぶしぶ認めてくれた。意に沿わない会話だということはわかったが、俺もここで黙りたくはなかった。何故だろう。「いじめ」という負の部分に関しては俺のほうが一家言あるからだろうか。

 我ながらいやな一家言だ。

 

「単に、視点と物差しの違いだと思って聞いてください」

「え? ええ……」

「俺には妹がいて、そいつは魔法の素養は一切ないんですが、その妹に、うちの学校で一科と二科の軋轢があって、今回のような差別撤廃? みたいな運動が起こっているのを話したんですよね。そしたらこう言ったんです。

 なんでその人たち、普通科に行かなかったの? ――って」

 

 間接的な小町からの問いかけに、壬生先輩は即答した。

 

「それはもちろん、魔法師になるためでしょ?」

「そうっすね。ここって魔法科の高校ですからね。ってことは、全ての評価が魔法で判断される業界に進もうとしているってことでしょう? なら、魔法師としての評価基準で語られても当然じゃないですか?」

「魔法の実技が劣ることについては、そう評価されることは仕方ないと思っているわ。

 でも高校ってそれだけじゃないでしょう? これは司波君にも言ったことだけど、魔法の腕が劣るからって、侮辱されたり無視されたり、否定されるのは間違っているわ。少なくともあたしは耐えられない。他の二科生だって同じはずよ。そんなことを強要してくる一科生を幼稚だと言った司波君には同意見だわ」

「そうっすね。その点については俺も賛成です。でも高校ってそれだけじゃない、っていうのは違うと思います」

「比企谷くん?」

 

 その真意を問うように聞き返してきたのは七草会長だったが、俺は壬生先輩のほうを見て続けた。

 

「例えばここが調理の専門学校ならどうですか? デザイナーや芸術系、そのほかの専門的な技術分野の学校ならどうですか?

 壬生先輩って剣道部ですよね?

 例えば剣道部でどれだけ成績を残したところで、調理の腕が上がらなかったら評価されないのは当たり前じゃないですか? むしろ剣道に力を入れる余力があるなら、調理の上達に時間を割くべきだって考えませんか?」

「そ、それは…………」

 

 案の定、彼女は言葉に詰まった。

 

「もちろん、それだけで人間性や他の能力が決まるわけじゃないっていうのは当然のことです。その人を侮辱したり無視したりしていい理由にはなりません。言い訳にもなりません。でも、先輩が今言った通り、高校なんですよね、ここって」

「そうね?」

 

 相槌は打ってくれたが、俺が何が言いたかったのか伝わらなかったようだ。

 

「中学上がって、最高学年ですらたった三年しか年を重ねていない未成年です。社会からすればガキです。幼稚で当たり前でしょ?」

「それはそういう視点から物を見ればそうなるけど」

 

 だから最初に言ったはずだ。

 

「そういう幼稚な部分が抜けない、大人になり切れていない高校生を、きちんと指導しないのは明らかな学校側の怠慢だと思うんですよね?」

 

 ちらりと七草会長を見やる。

 …………あ、私、ちょっと怒ってるモードに入っていらっしゃる?

 続けるべきか否か。どうしよう? とか迷ってたら、七草会長にコクリと頷かれた。続けてもいいらしい。「任せるわ。あ、でも後で説教ね?」 みたいに微笑みを浮かべるの怖いのでやめてください。

 

「だから、一科生が幼児なままなのは学校の所為だと、俺は思います。指導する教師が、一科生をきちんと指導しないってことですから」

 

 指導する教師にそのつもりがないのか、その能力がないのか。どちらかと言うと前者のようである。

 一科と二科の溝を改善する気がない時点で学校側の職務怠慢以外の何物でもないのだ。競争意識を煽りたい? それこそナンセンスだ。同じ舞台にすら立てていない者同士で、どうやって競争しろというのか。

 しかし、一方の二科生側のほうには違う問題が孕んでいると思う。

 

「では二科生は? 彼らは指導する教師がいませんよね? でもそれは、入学前からわかっていたことです。

 そして最初に云いましたけど、ここは魔法科高校で、魔法の技量という物差しで評価される場所です。それらを知っていたうえで、二科生として入学したんですよね? 先輩も、二科生のみんなも」

 

 一科と二科の関係だって同じだ。

 冷遇されている。厚遇されていない。差別されている。下に見られている。侮辱される。無視される。少し学校の校風を調べたら、それくらいのことはすぐにわかったはずなのに。

 そういうことを調べなかったのか。それとも知っていたけど、取るに足らないことだと思って気にしなかったのか。

 どちらにしても――

 

「二科生にも他の学校に行くという選択肢があったのに、それを蹴って魔法科高校に入学したはずです。

 魔法という完全実力主義の世界に自ら足を踏み入れたのに、入学してみたら自分と思っていたのと違ったからって文句を言うなら、それは単に大人に甘えたいだけでしょう。それを幼稚って言わずになんて言いますか?」

「…………そ、それは………」

 

 きっとその程度のことも想像しなかったのだ。出来なかったのだ。学校側に声高らかに文句を口にした同盟の連中は特に。

 現在校生で、入学前に一高の学風を調べた人間が何人いただろうか。絶対的少数派に違いないという確信がある。

 何故ならこの学校は、日本に九か所しかない魔法師育成高校、その中でもさらにトップクラスの成績を誇る魔法師の卵が集まる場所だ。そこに入学できること自体がすでにエリートの証である。

 そう――二科生の彼らだってエリートだ。

 入学前はそういう立場だった。だから知らなった。知ろうとしなかった。

 きっと信じたくないのだ。世界には自分よりも上が大勢いて、そしてその上に自分たちが上がれないことを考えたくないのだ。

 それは彼らの弱さだ。けれどそれは原因ではない。弱さが悪いこととは思えない。

 魔法の技量が優れていることは正義ではない。

 魔法の技量が劣っていることが悪であるはずがない。

 

「でも、まぁ、さっきも言った通り、高校生は所詮ガキですから、俺はそれでもいいと思います」

「「はい?」」

 

 ん? あれ? なんで二人とも目を鳩のようにしていらっしゃいますかね?

 というか、俺の言ったことは議論のすり替えでしかないのだ。問題解決出来るようなものではなく、問題解消するものですらないのだから、そう驚くこともないと思うのだが。

 

「比企谷くんは一科生も、二科生も幼稚だって言いたいのよね?」

「そうっすね」

「なのに、それでいいの?」

「ええ。別に悪いことじゃないでしょ? 高校生っすよ? ガキですよ? 幼稚で当然でしょ?」

「じぃーーーー……」

 

 擬音を言葉に出すのはやめてください、会長。あざといから。

 

「い、いや、別にだから、幼稚なままでいいとか、そういうことじゃなくてですね。幼稚をさも悪いとかいうことが間違っているって思うんですよ。子供なんだから。けど肯定するだけじゃ、甘やかしているのと同じになる。だからほら、ちゃんとダメなところは叱って、いいところは褒める。当たり前だけど当たり前にできてないのが一高の問題なんじゃないんですか?」

 

 知らんけど。

 後、沈黙が怖いですよ、会長。

 

「だから、高校生のそういう弱さもちゃんと肯定してやらないといけない。綺麗な部分だけが人間じゃないって、きちんと理解しなくてはならない。一科生は教師が教えるべきだし、二科生は大変だけどそれを独力で理解しないといけない」

 

 わかった気になって、わかった様な口を利く。それはきっと俺も同じなのだ。

 今だって変わらない。俺は俺の中にある、俺がわかっているつもりになった俺の考えを押し付けているだけに過ぎない。

 

「みんな、言葉や口では知っている、わかっているって言いますけど、たぶん、きちんと実感を伴っている人間なんてほんの少数でしょう。壬生先輩だってそうじゃないですか?」

 

 けれどそこに、わずかにでも共感が得られたなら。そこに、微かにでも感情を揺さぶられる何かを見つけてくれたのなら。

 後で思い返して悶絶しかねない恥ずかしい俺の話も、きっと報われるはずなのだ。

 

「…………そうね。この学校に来て、自分が虐げられる立場になってわかったことって、少なからずあるわ」

「なら、先輩は一足先に、そういう部分も知れたってことです。良かったじゃないですか。社会に出る前で」

「なるほど、そういう物の見方や考え方もあるのね」

 

 深く息を吐き出した壬生先輩の顔から、少しだけ険しさがとれたように見えた。

 ふう……とその様子を見て軽く安堵の息を吐いた七草会長に、壬生先輩には聞こえないように小声で進言する。

 

「こう言う考え方が出来る俺は超大人だと思うんですよね。だからそろそろ帰ってもいいですか?」

「いいわけないでしょ!? 今までの会話の流れ、全部台無しにする気?」

 

 さすがに物言いが入った。やはりだめか。

 

「……まぁ、あれですね。後、俺から言えることがあるとすれば、壬生先輩が気にしてる一科から二科への侮辱とか無視とかなんて、ただの雑音でしょう。俺は温いって思いますけどね」

「ざ、雑音?」

「ぬ、温い?」

 

 何故か七草会長まで驚いていた。何故に?

 

「え? 違います? 実力で二科生を排除したり、陰険なことして追い詰め自主退学させたり、屈服させたり、下僕扱いしたりするような奴がいないじゃないですか」

「え、いや、でも、そこまでいったらいじめでしょ?」

「今の状態がいじめじゃないって思っているなら、その認識も温いと思いますが」

「うっ」

 

 だが実際問題、一科生が二科生を侮辱しようと無視しようと、それで二科生の進路や課外活動に影響があるとは思えない。生徒会や風紀委員会、部活連からの指示であれば別だが、それにしたって学生に出来ることなどたかが知れている。影響すると思うこと自体が間違っている。影響すると思ってしまうのは、やはり俺たち高校生がガキだからだ。

 

「エリートだから、もう少し陰険ないじめとかあるのかなと思ってみてたんですが、そういうのもなさそうですし。ネチネチ悪口言われるくらいなら雑音程度に聞き流せばいいんじゃないかって俺は思うんですが……」

「それって陰険じゃないんだ?」

 

 壬生先輩はそう言うが、その程度で陰険っていうと本物の陰険な連中に失礼である。

 

「これはあくまで一例ですけど」

 

 と、断りを入れてから続ける。

 

「まず持ち物を捨てられる、隠される、燃やされるの基本は外せませんね。

 代表格は上履きとか、鞄、教科書、弁当とかです。持ち物は学校に置かず、常に所持するべきでしょう。

 上履きを入れる靴箱や、教室の机の中にごみや虫の死骸を捨てられるのは、少し手間がかかるし、誰かに見られる確率が高くなるので、最初は続きますがすぐに廃れます。

 その辺を耐えきると次は直接攻撃に移行します。校舎のそばを歩くと上からごみが降ってきたり、唾を吐きかけられます。

 ただこれもよけることが可能なので、あまり効果はありませんけどね。

 美術の授業で絵具で誤って汚れた水をかけられたり、トイレに個室に入ると上から水をかけられるようになります。なのでトイレは学校では行くのをやめましたし、美術の授業は全部さぼって補習で乗り切るのが最善策です。

 学業方面で言うと、提出したはずのプリントやら宿題を捨てられたり、データを壊されたりしますね。連絡網でうちにだけ連絡がこないってこともありました。

 それから……」

 

「待って! ちょっと待って! えっと……その……比企谷くん?」

 

 止めたのは七草会長だが、二人そろって顔を青くしていらっしゃる先輩方に、俺のほうは至極淡泊な反応しか返すことはできない。

 

「はぁ、何ですか?」

「さも当然のように口にしているけどそれって……」

「俺の実体験ですが」

 

 何か?

 

「「…………」」

「二人とも引いていらっしゃいますけど、まだ序の口ですよ? こんなのはいじめに慣れていない素人の手口です。陰険というには全く足りてません」

 

 何故なら、その程度であれば犯人特定がそう難しくないからだ。

 

「「……………………」」

 

 さらに顔色が悪くなった二人に、本命を告げる。

 

「さて、少しこなれた中級者になると、自分では手を下さず仲介業者を雇って――」

「だから待って、比企谷くん、ごめんなさい、謝るからやめて。ちょっと人間不信になりかねないから、それ以上は言うのはやめてください! お願いだから!」

「ごめんなさい! あたしが悪かったです。世間知らずでごめんなさい。所詮あたしは甘ちゃんでした」

 

 何故、二人が謝るのか。

 いえ、別に先輩方が俺をいじめたわけではないので、謝ってほしいわけではないですよ。

 そうは言っても、俺も自分の暗い歴史をあえて暴露したいわけではない。俺がその入り口を微かにでも口にしたのは、壬生先輩に言いたかったことがあるからだ。

 

「だから無視とか侮蔑とか、嘲笑とかで済んでいるうちは、本当の意味ではいじめにすらなってません。気にするところはそこではないんです。無視されたり、侮蔑されたり、嘲笑されたりすることが問題なんじゃないんです」

 

 見下すことが悪なのか。違う。

 見下されることは悪なのか。それも違う。

 理解されないことが悔しいわけじゃない。

 認められないことが惨めなわけではない。

 確かに理解されたい、認められたいと思う気持ちは誰にだってある。けれどその本質は――その根幹はある欲求は何なのか。

 

「きっと、今の自分に満足してないんです。それがどういった形なのかはわかりませんけど……」

 

 充足していないのだ。だからその埋め合わせを他者に求めてしまう。

 友達がいて、恋もして、ひょっとしたら恋人もいて、リア充でありながらも、充たされていないこともあるのだろう、きっと。

 贅沢な連中である。誰にも期待も迷惑もかけないエコな俺を見習えと言いたい。

 

「学校側に差別をなくすよう待遇改善を要求して、それを叶えてもらえれば、先輩は満足できますか? それが先輩のしたいことですか? 先輩のしてほしいことですか? 俺は、そうは思いません」

「比企谷くん……」

 

 それは少なくとも、他人に求めるものではないと思う。

 けれどもし分からないというのなら、探せばいいのだ。壬生先輩の思う、壬生先輩が満足できる、本物の高校生活と言うものを。

 

「そうか。そうだね……」

 

 そう頷いた壬生先輩は力なく息を吐いた。

 司波を勧誘した時のように、自分の意志を持たないような空虚さは感じられない。放送室を占拠した時のように周囲への反発から生まれる荒々しさもない。ただ今の自分の感情をようやく受け止められたような、ほっと一息付けた表情だった。

 

「……一高に入学して、思うように魔法の技量が伸びずに悩んでいるところを侮辱されたの。

 あたしのこれまでの全部が否定された気がしたわ。手を伸ばしても届かなくて、伸ばした手は振り払われて……たくさん悲しんで、泣いて、怒って……最後にその怒りで我を忘れていたのかな、あたし」

「さぁ、どうでしょう……怒るのもパワーが要りますから、それはそれで持続していたならすごいとは思います。少なくとも俺は嫌ですね。面倒なんで」

「あははは。怒るのが面倒って初めて聞いたよ」

「そうですか? ……ところで、七草会長、もう終わりましたよ?」

「え? 何が?」

 

 何がって、いや、あんた、()()()()()を忘れとるんかい。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()

「…………うん、忘れてないよ、ありがとう、八ちゃん」

 

 忘れてやがったな。

 

「え? なんのこと?」

 

 まぁ、当然ながら壬生先輩はそうなりますよね。

 

「そのことはこれから説明しますね」

 

 そして七草会長は事実だけを淡々と、出来るだけ端的に告げていく。そのことに思い当たることがあったのか、壬生先輩の表情が青くなっていくのが手に取るように分かった。

 そこからの会話の流れは速かった。

 壬生先輩が催眠暗示を受けていたこと。

 その暗示を施したのが、おそらくは剣道部の主将・(つかさ) (きのえ)の異母兄である(はじめ)であること。

 主将に紹介されたセミナーに参加してからというもの、時折自分の意識が混濁することがあったのだという。

 催眠で混濁させられ、記憶をすり替えられたようだが、異常を取り除けばきちんとその齟齬を認識できているらしかった。既にイエローになった壬生先輩のステータスを俺は見れていないが、それは彼女が正常に戻った証拠だろう。

 催眠下にあっても、その間に得た記憶は消えたりしない。自我を取り戻した彼女が掘り起こした記憶では、第一高校の有志同盟同志たちに決起を促したのも、(はじめ)の指示だという。

 近いうちに第一高校を襲撃する予定だとも。

 

「……明後日の討論会はもしかしたら……」

 

 七草会長の懸念はアタリかもしれない。

 討論会で生徒が一堂に介している状態は、魔法師の卵を排斥するという意味ではとても効率的だろう。

 

 と、そこで壬生先輩が口をはさんだ。

 

 襲撃の計画は時期だけの問題で、作戦や役割は既に決まっているらしい。(はじめ)の部下たちを一高の図書館内の特別閲覧室に案内することが、鍵の入手も含めて壬生先輩に与えられた指示なのだそうだ。

 

「むしろそちらが本命かしらね」

 

 特別閲覧室から引き出せる情報は、すべてが非公開の魔法研究の最先端資料だ。それら秘匿情報を公開することで差別撤廃を目指すことがお題目らしい。なんともおためごかしの綺麗ごとだと思った。

 そして肝心の目的達成の為の人員と手段は用意されている。今夜、今日の同盟決起の結果報告のために一度集まりがあるそうだ。

 討論会の報告をすればきっと高い確率で襲撃日に決定される、というのは壬生先輩の予測だが、会長も俺も異論はない。

 

 ちなみに、図書館担当には対魔法師用にアンティナイトが手渡されるのだそうだ。

 

「アンティナイトなんてものまで用意できるってことは、その連中の目的は、ただ研究資料を盗みたいだけ、ではないわね」

「何故ですか?」

「今回の件については(つかさ) (はじめ)が黒幕なのでしょう。彼はブランシュの人間とみて間違いないだろうけど、でもデータを盗むことが反魔法師の目的につながるとは思えないわ」

 

 反魔法国際政治団体ブランシュ。司甲や壬生先輩が所属するエガリテが、その下部組織であり、ブランシュ自体も裏でテロ行為を行う非人道的な集団だと聞かされると、壬生先輩の顔色が今度こそ真っ青になった。

 

「あたしはなんてことを…………」

「あなたに罪はないわ。壬生さん。実際、まだ何も犯罪行為をしてないでしょう?」

 

 それもその通り。彼女はまだセミナーに参加しただけだ。一高の内部事情を多少漏らしたのかもしれないが、そんなものは部外秘扱いですらない取るに足らないものなのだから、それで犯罪に問われることはない。

 

「それに司がブランシュの人間だとしても、簡単にアンティナイトを手に入れられるとは思えません。さらに後ろ盾がいそうね。壬生さん、セミナーに参加した際に、彼以外に思い当たる人物はいましたか?」

「いいえ。強いて言うなら彼以外であたしたちに指示していたのは司主将ですけど……」

(つかさ) (きのえ)くんね。彼もまた、壬生さんと同じようにお兄さんに催眠をかけられているのかもしれませんが、これは今は結論を出せません。

 ですが壬生さんの話を総合すると、明後日の討論会でブランシュが襲撃してくるのは間違いないでしょう。武力行使による非人道的なテロ行為です。当校の生徒や教職員をはじめ、無関係な人への人的被害は絶対に避けねばなりません。私たちはこれから至急、対策を練らなくてはなりませんが、そこで私から壬生さんへお願いがあります。

 これは生徒会長としてはもちろんのこと、何より十師族の七草家の人間としてのお願いでもあります」

 

 こくりと、壬生先輩の喉が鳴った。

 

「は、はい……」

「壬生さん、せっかく催眠が解けた状態なのに申し訳ありませんが、今日は予定通り集会に参加して、彼らブランシュに接触してもらえますか? 司一に催眠を受けているよう装いながら、明後日は指示に従って彼らを一高に襲撃させてください」

「……え?」

 

 これには俺も自分の耳を疑った。この方は何をおっしゃっているんでしょうか?

 

「警察に言わないんですか?」

「十文字くんにも協力を要請します。彼の十文字家であれば警察にも伝手があるでしょう。だから要請してすぐ動いてくれるならそうします。でもきっと、それは難しいと言わざるを得ません。裏を取っている時間すらありませんしね」

「あたしにスパイをさせる気ですか?」

「そういう方向への期待がないというと嘘になりますが、どちらかというと、こちらに計画が漏れたことをブランシュに悟られたくないという方が強いですね。

 大まかな概要については壬生さんから話が聞けましたから、今夜の集会で彼らから聞いた情報も流していただけると助かります。でもこれは可能ならで構いません。壬生さんは自分の身の安全を最優先にしてください」

「七草会長……ということは、つまり――」

 

 後輩二人の疑問の視線に応えるかのように、七草会長は力強くなずいた。

 

「もちろん、ここで迎え撃ちます」

 

 誰一人、被害がないように、万全の態勢で迎撃する。

 戦いを忌避する感情はもちろんある。それでも戦わなければ守れないのならば、戦うしかない。七草会長の意思表示だ。彼女はもう覚悟を決めている。そして誰も傷つかずに済む方法を模索して、それを確実に実行に移せると踏んでいる。

 可能なのか? いや、可能だとして、俺は戦えるのだろうか。

 

「だから、比企谷くん、壬生さん。私に手を貸してください。お願い」

 

 決して笑顔ではない。けれど悲壮でもない。自分で決めた選択に対して、きちんと正面から向かおうとする力強い視線が俺たち二人を射抜く。

 

「はい、もちろんお手伝いさせてください!」

「い、いや、でも、俺は…………」

 

 即答した壬生先輩とは違い、俺のほうは応えられなかった。

 正直、女子が戦う意思を決めているのに、まったく覚悟が出来ないのは男として情けないことこの上ないが、それでも首を縦に振るのは容易ではなかった。もちろん働きたくないという思いはあるが、誰も傷つかないようにと願う七草会長を前に怠け者を誇示するような度量はない。

 首肯出来なかった最大の理由は、ただ戦いを嫌だと感じたからだ。

 そもそも喧嘩だって嫌なのだ。殴り合いなんて御免だ。痛いのは嫌だ。過去、散々いじめられてきた経験が、俺を痛みに敏感(・・)にさせた。それが心であれ身体であれ、俺自身は痛みには慣れている。慣れてしまった。だから我慢は出来る。俺が被った傷や痛みは我慢できるのだ。

 だけど、それは我慢できるだけだ。

 本音は嫌だ。当たり前だ。傷つきたくない。傷つくのを嫌がって何が悪い。

 それと同じくらい誰かが傷つくのも見たくないのだ。

 自分が与えられた痛みを知るからこそ、他人の痛みも想像できてしまう。そして、それによって感じる痛み(・・)を、俺は我慢できないだろう。一万歩譲って俺が傷つくのはいい。けれど他人が傷つくのを見るのは無理だ。

 だからきっと、俺は戦いなんて出来ないと思っている。

 命を奪いに来ているテロリスト相手に、そんな考えを抱くことは甘いどころかお門違いだということは承知している。銃を眼前に構えて命を奪いに来ている相手に、反抗出来ないのが馬鹿だということもわかっている。

 それでも俺は――

 

「ごまかしはしないで言うけれど、明後日の討論会では、比企谷くんにはとても重要な役割をお願いしたいと思ってるわ。それはきっと、一高のみんなを守るための防衛の要となる」

「…………」

 

 その代わりに、テロリストを傷つけることになる。それに忌避感を抱く俺は、やはり人として間違っているのかもしれない。

 

「当日、比企谷くんが動かなくても、きっと一高を守り切ることは可能よ。ただその場合、誰も怪我なく、ということはできないと思ってるわ」

 

 効率を考えれば、俺が頷くことでその問題は解決する。だがその方法はつまり――

 

「お、俺に背負えってことですか?」

 

 他人の命を? 生徒だけじゃなく、関係のない見知らぬ誰かの命を? 出来るはずがない。言葉に思い切り剣呑さを含ませて問い返すと、けれど七草会長は首を横に振った。

 

「いいえ。一高のみんなの命を背負うの学校側と、私や十文字くんよ。摩利や達也くん、深雪さんでもない。もちろん、比企谷くんに背負わせたりもしない。それは壬生さんも同じ。でも、私たちだけじゃ足元がおろそかになるかもしれない。だから支えてほしいの」

「それは!」

 

 詭弁だ。ただの気休めだ。おためごかしじゃないか、とは口にできなかった。

 俺に七草会長の何がわかる。会長としての責務も、十師族の重みも、何も知らない。戦いが怖いと感じた俺の感覚を、彼女が知らないとでも? 誰だって嫌だ。誰だって怖い。そんなわかったような口を利いて、彼女の決定に異を唱えるだけの覚悟が俺にあるのか。

 本来なら、彼女も守られる側なのに、戦うと、背負うと言った彼女の覚悟に口をはさむ資格が俺にあるのか?

 

「……考えさせてください」

 

 あるはずもなかった。

 言葉はない。声には出ない。

 

「ええ。明後日の朝、答えを聞かせてくださいね」

 

 その優し気な、俺を気遣ってくれているだろう七草会長の声には、どこにも俺を叱責する色などなく。

 だからこそ、俺には守るもの、譲れないものが何もないのだと言われた気がして。

 俺は、生徒会室を出るまで、ついぞ彼女の顔を見ることが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 




お読みいただきありがとうございました。
シリアス突入回です。
戦うことをすんなり受け入れる八幡は八幡らしくないと思っての展開でしたが、賛否あるかもしれませんね。
でも尻込みしているだけですので、誰かが危険な目に合いそうなのを見て見ぬ振りできるタイプではない八幡なのです。
次回、「こうして比企谷八幡は覚悟を決める。」

紗耶香の催眠が先に解けてしまったけど、桐原くん、出番あるかな……?
次回もよろしくお願いします。

P.S.
一話アタリ文字数がどんどん増えています。
読みにくかったらすみません。


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入学編#8  こうして比企谷八幡は覚悟を決める。

 

 

 時刻は深夜。

 春先でも、この時間帯になるとまだ肌寒さが残っている。部屋のベランダに出て、柄にもなく夜空を見上げる。嘲笑されるかもしれない。何をおセンチになっているだと。似合わないことくらいは自覚している。長居すれば風邪をひくかもしれないことも。

 それでも頭をクリアにするには冷たい空気が必要だった。

 思考を続ける。

 俺には魔法で空気は読めても、魔法で人の感情が視えたとしても、それを理解できる頭がない。経験がない。理屈でしか人の行動を説明出来ないから、感情から起こる動機が理解できない。

 だから、理解できないなら、考え続けるしかない。考えるべきは俺の感情。俺の動機だ。

 俺が何をしたいのか。どうすべきなのか。

 その答えを出すために道標をくれた小町の言葉を思い出す。俺には何も守るものがない――そんな俺の独白を聞いた小町が心底意外そうな顔をしたのは、俺にとっても意外だった。

 

  

   *** 

 

 

「え? お兄ちゃん、もし小町が襲われかけても守ってくれないの?」

 

 馬鹿言うな。そんなわけあるか。何を捨て置いても小町は守るに決まっている。

 

「襲った相手を傷つけてることになっても?」

 

 もちろん、小町が最優先だ。相手のことなんぞ知らん。むしろ小町を襲ったことを心の底から後悔させた上で、子々孫々償わせるまである。

 

「小町嬉しい。お兄ちゃんは、やっぱり小町のお兄ちゃんだね!」

 

 もちろんだ! 俺が世界で一番愛しているのは小町だからな!

 

「ありがとう! 気持ちはありがたくいただいておくね。小町はそれほどでもないけど」

 

 おうふ!

 

「それにちょっと愛が重いから、ほどほどにしてくれると小町嬉しいなー」

 

 そんな器用なことが出来ると思いますか?

 

「ああ、うん。無理だね。ごめんね」

 

 そこで納得されるのも複雑な気分だ。

 

「愛は重すぎると引くだけだからね、気を付けてね、お兄ちゃん」

 

 俺の愛は今のところ小町にしか向いていないからなぁ。

 

「今後、他の方向に向くことってあるの?」

 

 俺が小町以外に愛を語るなんてことがあると思うか?

 

「はぁーーー、そうやって開き直っているうちは無理だね。ってことは、お義姉ちゃん候補の出現はまだ先か。どこかにポップしてエンカウントしたりしないかな」

 

 俺の未来の奥さんはモンスターか何かですか?

 っていうか、架空の存在に期待したって疲れるだけだぞよ?

 

「冗談だよ、冗談! まぁ、お兄ちゃんの存在が冗談みたいなのはさておき……」

 

 ちょっと小町ちゃん? お兄ちゃんは実在しますからね。架空の存在じゃないからね。え? 違うよね?

 

「そこは自信をもって違うって言おうよ」

 

 お、おう。そうだな。確かに俺は実在する。俺、思う、故に俺あり。

 

「どこかから拾ってきた格言をそれっぽくアレンジするのやめようね、中二臭いから」

 

 ぐはぁっ!

 

「話を戻すとね。フフフ。頭で難しく考えるのではない。心で感じるのだよ。ならば解は既に出ている。何故ならこれはお選択の問題だからだよ、八幡くん」

 

 ……お洗濯? ん? ……いや、選択か? 「お」を付けると別の言葉になるからやめなさい。っていうか、いきなりそのキャラ付けは何なんの? いや、待て。低い声出してそういう言い回しはどこかで聞いたような……?

 

「え? これ? お兄ちゃんが昔、中学生特有の病気だった頃の口調を真似ただけだよ」

 

 ぐふぅっ!

 

「まぁ、いい加減お兄ちゃんをチクチク刺すのも飽きたから今度こそ話を進めるとね。要は、お兄ちゃんが本当に望むことは何なのか、考えてみればいいと思う」

 

 俺が望むこと?

 

「働きたくないとか、外出たくないとか、養ってほしいとかそういうことじゃないよ?」

 

 まだ何も言ってませんが?

 

「言おうとしたくせに」

 

 ぎくり。

 

「ったく。あのね、小町が襲われかけたら、お兄ちゃんは守ってくれるんだよね? 何で?」

 

 そりゃあ、あれだ、小町が大事だからに決まっている。

 

「うん。それは素直にありがとう。お兄ちゃんは、小町のことが大事だから戦ってくれるんだよね?」

 

 そうだな。

 

「お兄ちゃんが戦うことで相手を傷つけるかもしれない、その結果自分も傷つくかもしれないよ? それでも?」

 

 もちろんだ。

 

「うん。だからね、今回のことも同じだと思うよ?」

 

 え? ……同じ……か? いや、違う気がするけど?

 

「小町は同じだと思う。テロリストと戦うことが目的みたいになっちゃったから、勘違いしているんだよ。お兄ちゃんがしたいのは、テロと戦いたいわけでも、テロから学校を守りたいわけでもないんじゃないかな」

 

 それならやはり、俺にできることはないんじゃなかろうか。

 

「あー、もう、そうじゃないってば! 『全は一、一は全』ってどこかの漫画の主人公が言ってたけど、今のお兄ちゃんは、全と一の区別が出来てないんだよ。ごっちゃになってるの。キケンなの。混ぜちゃダメ」

 

 漫画の名言を洗剤見たく言うのやめてね?

 はぁ……で? なんだっけ? 

『全は一、一は全』? この場合『全』は学校か? では『一』ってなんだ?

 

「そりゃあ学校の生徒個人でしょ?」

 

 まぁ何だ……確かに、俺は学校に特に愛着があるわけでも何でもないから、戦ってまで守りたいかと言われたらそれは違うと否定するだろう。どうでもいいとまでは言わんが、どうしても守り切りたいと思うほどでもない。

 ならば『一』は? 個人? 生徒? 

 

「お兄ちゃんが学校で付き合いのある人たちって言えば、生徒会メンバーでしょ? 後は風紀委員長さんとか? こういう時、お兄ちゃんは交友関係狭いからわかりやすいよね」

 

 おーい、さらりとディスらないでくださいませんかね。

 

「これでも褒めてるんだよ。中学の頃は全く誰とも付き合いなかったでしょ。進歩してるんだから、いいことじゃん」

 

 進歩と言えるのだろうか。俺は、彼女らとどういう感じで接していくべきなのだろうか。

 

「べき、とか言っている時点でまだ固いんだけど……うん、まぁ、前向きに検討している分だけ、まだましか。大丈夫、お兄ちゃんはやればできる子だよ。それは妹である小町がよく知ってる。だからもうちょっと考えてみてよ。生徒会の皆さんのことはどう思う? 例えば七草って生徒会長さんは?」

 

 いやいや、七草会長って、十師族だぞ? すごいんだぞ? 小悪魔だぞ?

 

「意味が分かんないよ。特に最後。とりわけ優秀だっていうのは伝わったけど。学校の話を聞く限りの印象だと、お兄ちゃんの腐った目を見ても引かないし、斜め上のなめ腐った言動や時々気持ち悪い感じで笑うことを知っても接し方が変わるわけでもないし、結構、小町的にポイント高いんだけどなぁー」

 

 だからさらりと俺をディスるのやめてってば。そろそろお兄ちゃん、本気で落ち込みますよ。

 

「それは後にして」

 

 後で落ち込むのは決定ですか。そうですか……。

 

「いいからどう思うの? ほれほれ。隠さずに言ってみ?」

 

 ……むぅ……まぁ、確かに、いい人では……ある……かな?

 優秀だし、才能に胡坐をかかない努力の人だ。あと、意外と言っては失礼だけど、知識欲も高い。イメージ的には市原先輩の独壇場だと思ってたけど、さすが三年主席だけある。

 優しく平等で、人当たりもいいから生徒からの人望も高い。カリスマ性は半端ない。

 俺の目を見ても、言動を聞いても引かない優しい人だな。だけど誰にでも無条件で優しい、というのとは少し違うようにも思う。

 冷静に物事を見て、偏見を持たずに判断して、何が正しいかを考え続け、その過程で、厳しさが見え隠れしているときがたまにあるからだ。

 ただ当人はそう見られるのが嫌なのか、あざとく振る舞ってごまかすことが多い。つまり腹黒い。ストレス発散代わりに男を手玉に取る小悪魔だ。服部副会長がマジで不憫。

 あとやはりあざとい。

 

「何で二回言ったの?」

 

 いや、なんとなく。

 

「ほーん。まぁいいけど。うん、その生徒会長さんがテロリストと戦う場面を想像してみるとして、どんな感じ?」

 

 負ける姿が一切思い浮かばないな。

 

「それだけ?」

 

 ……だと思うんだが……ん? どういうことだ?

 

「お兄ちゃんがテロと戦うのにまだ踏ん切り着かないのはなんで? 戦うのが嫌だからでしょ? 相手がテロリストだとわかっても、それでも誰かを傷つけたくないんでしょ? 誰かを傷つけるために、魔法を遣いたくないんでしょ?」

 

 ふむ……それはまぁ、そうだな。

 

「会長さんは、どうなんだろうね?」

 

 そりゃあ、あれだよあれ。

 好きで戦いたいわけじゃない、と思うぞ。多分。とりわけ戦うことが好きってタイプではなさそうだし。

 いや、スポーツとかテストとかの勝負事が嫌いって意味じゃなくて、この場合は命を懸けたって意味だけど。

 

「そうなんだ?」

 

 まぁ、そうだな。うん。大して深い付き合いがあるわけでもないが、好き好んで誰かを傷つけたがるような人じゃないだろう。

 ならなんで七草会長は戦うことを選んだのか、って聞かれても困る。俺は会長じゃないし。

 でもまぁ、予想するとするなら、だ。

 七草会長にとって、一高を守ることは、生徒会長として、十師族の一員として、何よりこれから魔法師を目指す一人の人間としても、引けない一線なのではないだろうか。

 だから戦うことを決めたのではなかろうか。その先に譲れないものがあるから。

 俺が小町を守りたいのと同じように。

 

「お兄ちゃんがそう思うなら、そうなんだろうね」

 

 いや、けどそれは俺の押し付けかもしれないぞ?

 

「別にいいじゃん」

 

 ……え? いいの?

 

「え? なんでダメなの?」

 

 いや、だって、そりゃ、お前、アレだよアレ。アレがアレで、アレだから……

 

「どれがどれだよ。まったく、これだからごみいちゃんは」

 

 ちょっと、言葉遣いが乱暴よ。

 

「あのね、ここで重要なのはさ、会長さんにも譲れないものがあって、お兄ちゃんにも譲れないものがあるってことなんだよ。お兄ちゃんが、会長さんの作戦に頷けなかったのは、お兄ちゃんの中にも譲れないものがあるからなんだよ」

 

 いや、それはわかっている。俺が戦いを忌避しているからだろう。

 

「ううん。そうじゃない。わかってない。お兄ちゃんは、今、理由を自分に探そうとしているから、わかってないんだ」

 

 いや、普通、戦う理由を誰かに求めたりしないよな?

 

「そんなことないよ。小町は求めてもいいと思う」

 

 それはエゴじゃないのか?

 

「エゴだね」

 

 いやそれは駄目だろう。何かと自己愛にあふれた俺が言うのもなんだが。

 

「何でエゴがダメなの? 自分の利益を中心に考えることの、何がダメなの? 他人より自分。当たり前のことだよ? そもそも戦いなんてエゴのぶつけ合いじゃん」

 

 それを言ったら身もふたもないでしょうよ。

 

「そりゃあね、本当にそれだけだったらダメだと思うよ。人として最低だよ。うん。最低だね」

 

 こら待て。なんで二回言った?

 

「他意はないよ。だってお兄ちゃんは違うよね? お兄ちゃんは他人のために戦える。小町だって、大事な妹だって言ってくれるけど、それはとても嬉しいことだけど、やっぱり究極的には他人なんだ。お兄ちゃん自身じゃないんだよ。でも戦える。小町のために戦ってくれる。

 なのに、今回は嫌だと思うのはどうして?」

 

 それは…………あれ? 何でだ?

 

「その違いの中に理由が隠れてるって小町は思う。だから考えてみてよ。お兄ちゃんが譲れないものって何? わかってると思うけど、今回のことでは小町は関係ないからね」

 

 それはもちろん、小町が関係していたら、俺はこんなに落ち着いていないと思うからな。

 お、今の八幡的にポイント高い。

 

「うん、確かにポイントは高いけど、今、シスコンパワーを発揮されても困るんだけどなぁ……」

 

 …………ふむ。まぁ待て、落ち着け。いや、落ち着くのは俺か。

 俺は俺を信じていないが、小町のことは信じているのだ。だから考えろ。

 俺が、俺以外の理由で、譲れないもの?

 戦いたくない。傷つけたくない。誰かを傷つければ、自ずとそれは自分にも跳ね返る。

 それは結局、自分が傷つきたくないという自己愛からなるもので、誰かが傷つくのを見たくないと思うのは、嫌なものから目を逸らしたいだけの逃避なのだ。

 現実を見ず、空想に逃げ、妄想の果てに己の内側で完結しようとする。誰の言葉にも耳を貸さず、誰にも言葉を告げず、誰とも関わらないでいる引きこもり野郎に他ならない。

 自分を好きになれないくせに自己保身だけはするとか、気持ち悪いにもほどがある。しかし、ならば生き方や考え方を変えられるかというと、やはりだめなのだ。無理なのだ。

 何故ならその最低の引きこもり野郎こそが、俺という人間なのだ。

 俺は俺を変えられない。いつか誰かに、何かに、変えられてしまうかもしれなくとも。俺は俺自身で変わる気はない。

 ならば、少し視点を変えてみることにする。

 俺は、七草会長を守りたいのか? いや、なんか違う気がする。

 渡辺先輩は? 中条先輩は? 市原先輩は? 司波兄妹は?

 守りたいというのとは、どれも違う気がする。

 生徒会に参加させられてからひと月にも満たない短く浅い付き合いだ。仲間だと言うにはあまりにも浅い。友人ではありえない。もちろん身内でもない。だから、彼女らが小町と同じポジションになることはない。それは彼女らも同じはずだ。

 けれど彼女らがいい人だということはわかっている。俺の人生で出会った他人の中では、信じ難いほどに優しい人たちだと思うのだ。俺以外の誰かにも優しさを与えられるいい人たちだ。

 人の優しさに甘えて目を閉じ、耳をふさぎ、犠牲という名の平穏を得る。それが青春だと知っていて、そんなもの、俺はいらないと断じたはずだ。

 ならば俺は。俺の譲れないものとは――

 

「……答え、出せそう?」

 

 もう少し考えてみる。

 

「うん、それがいいよ」

 

 間違いでもいい。押しつけでもいい。そう、小町が言ってくれたから。

 そうだな。押し付けてみよう。結果は何も変わらないかもしれないが。

 七草会長のお願いだって、元は彼女の押し付けだ。優しさには違いなくても、彼女が考える、彼女のエゴとも言える。ならばお互い様なのだ。これがエゴの押し付け合いから始まったものなら、俺も俺の考えと答えを押し付ければいい。

 未練しかない人生の中で、いつだって後悔しかない生き方をしてきたのだ。今更、恥の一つや二つ、知ったことではない。開き直ったぼっちは手強いのだ。

 

 

   ***

 

 

 流石に冷えてきた。身体をさすりながら自室に戻って窓を閉める。ベッドに寝転がって天井を見上げると、思った以上に体力が削られていたらしい。全身から力が抜けて、ようやくほっと一息付けた。

 眠りたいという欲求があるのに、思考はクリアなままだ。

 ――と、ピロリンと手元の携帯デバイスが鳴った。画面を見やると、「おやすみ」のあいさつをして自室に戻ったはずの小町からのメールだった。

 窓を閉めた音で俺が自室に戻ったことに気づいたのか。というか、まだ起きてたのか。早く寝なさいよ、お肌荒れるから。

 

『がんばれ、お兄ちゃん』

 

 ……ああ、頑張る。

 明日――いや、もう時間は深夜を回っているから、今日、決着がつく。

 俺の覚悟がどうあれ、必ず、今日、終わりは来る。

 

 




お読みいただきありがとうございました。
本作カスタマイズ版、ハイパー仕様の小町、再登場。
ほぼ八幡の独白で話進みませんでしたがご容赦ください。

テロリストが襲撃する時間は刻一刻と迫る中で、八幡が心に決めた覚悟。
それは誰にもできない、彼にだからできる、彼の意思表示。
次回、「こうして比企谷八幡の覚悟は試される。」

はんぞーくんがちょっとだけ登場します。仲間外れじゃないよ。ホントだよ。
次回もよろしくお願いします。


P.S.
すみません。長くなりすぎるのでここでいったん区切ります。



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入学編#9  こうして比企谷八幡の覚悟は試される。

 

 

 公開討論会当日の朝。

 まだ始業までには時間があるというのに、学内の至るところで差別撤廃同盟のメンバーが討論会の開催を宣伝してビラ配りに余念がない。

 朝から本当、熱心なことで。

 いや、他人のことは言えないか。

 そういう熱気を避ける様に遠回りしながら、俺は登校するとすぐ、目的を果たすために生徒会室へ向かった。言われずとも朝から自ずから動くとか、いつの間にか社畜生活に慣れてしまった自分が恐ろしい。

 昨日、司波深雪伝手に聞いたところによれば、放課後に行われる討論会の手続きは市原先輩が、講堂の下準備は服部副会長主軸で行ったそうだ。何と言うか、普段目立たないながらもきっちり仕事をこなすあたり、やはりあの人たちはもれなく優秀だった。

 と、人込みを避けてようやく生徒会室に到着したというところで、後ろから声がかかった。

 渡辺先輩だ。「おはよう」「うす」――いつものように挨拶を交わして、いつものように生徒会室に入室する。

 意外なことに生徒会メンバーは、中条先輩を除いて既にそろい踏みだった。今日は服部副会長もいる。司波がいるのは妹の付き添いか? と思ったが、俺の訝し気な視線に気付いた司波が、実は業務メールで早朝に集合するよう指示があったことを教えてくれた。

 え? 何それ俺知らない。もしかしてお呼びでない? 八幡、要らない子? とか帰りたい欲求に苛まれながらデバイスを見ると、何のことはない、俺がメールに気づいていないだけだった。まったくこれっぽっちも見てませんでした。

 あっぶねーっ! 

 メールしたならメールしたよって、メールをちょうだいね。ホント。これだからメール見るのが習慣付いている人たちって。

 ……ま、どのみち見ないんだろうけど。

 最後に入室した中条先輩の姿を確認したところで、全員が揃ったと判断した七草会長が口を開いた。

 

「みんな、朝からごめんね。メールで概要は説明しましたが、改めて今日のことで打ち合わせしたくて集まってもらいました。

 一昨日、同盟側と討論会の打ち合わせをした後、壬生さんから聞いたブランシュ襲撃の予測を受けて、十文字君と私を中心に、学校側と調整しました。

 生徒は全員講堂へ集合。最初は任意参加の予定でしたが、全員参加するよう、今日、これから通達してもらう予定です。

 そして今朝、壬生さんとも改めて連絡が取れて向こうの襲撃人数、襲撃時間も割り出せています。襲撃と同時に講堂内の学生側にも動きがあるでしょうから、内部にも風紀委員を配置してもらいます。配置と人員の選抜は摩利にお願いしました」

 

 みんなの視線を受けて、渡辺先輩が頷く。

 

「討論会には私一人で立ちます。司会にはんぞーくん。摩利とリンちゃん、あーちゃんは裏方で待機。襲撃と同時に遊撃要員として動いてもらいます。

 特にあーちゃん。もし講堂内で生徒たちが混乱したら暴動になる恐れがあります。その場合、梓弓を遣って落ち着かせてあげてください」

「はい」

「それから、達也くんと深雪さんは、討論会開始と同時に図書館へ向かってください。壬生さんと落ち合い、機密文書を狙う方の鎮圧をお願いします」

「了解しました」

「お任せください」

 

 司波兄妹も異論はないらしい。司波は風紀委員だが、指揮は七草会長が一本に握っていた。代わりに部活連は統括の十文字先輩が仕切るらしい。俺は会ったことないけど、結構いかつい人だと聞いたことがある。

 

「また先生方、風紀委員、並びに部活連から十文字君が選抜した防衛部隊が、校内の各所に配置に付きます。バリケードを張ると相手に気づかれるため、CADの常備と防弾チョッキ着用をお願いしました。襲撃地点は予めわかっているので、そこを支点として幾人かはパトロールも行ってもらう予定です。

 カメラとセンサーでの防犯も配備済みです。

 警察のほうには十文字くん経由で動いてもらっていますが、よい返事は来ていません。予想通りと言えばそれまでですが、援軍としては期待できませんね。なので、こちらは計算から除外しました。

 現在の対策はここまでですね。何か意見、質問はありますか?」

 

 一拍、小さな間を開けてから渡辺先輩が溜息を吐いた。

 

「基本は専守防衛とわかっていても、面倒だな」

「渡辺委員長?」

「わかっているよ、市原。襲撃時間も、場所も、規模も判明済み。壬生のおかげでこちらは出来るだけの対策を打てた。文句など言うと罰が当たりそうだ」

 

 肩をすくめて見せた渡辺委員長は、手を出されないと動けない状況に苛立ちを感じているらしかった。

 気持ちはわからなくもない。これから銃とナイフをもって襲い掛かろうとしている相手がいるとわかっているのに、襲ってくるまで待たなければならないのはストレスだろう。

 

「会長、壬生先輩は図書館で何を?」

 

 こちらは壬生先輩と合流を指示された司波の質問である。

 

「そちらはあえて人員を配置しません。壬生さんにもそう連絡しました。彼らの狙いは機密データです。データを壊しかねない強引な突撃はしないでしょう。襲撃後、盗み出すのにも時間がかかるはずですから、その作業時間を狙って鎮圧してください。

 あ、でもそちらにもエガリテに参加している生徒たちが加わるかもしれないから、出来るだけ穏便にお願いね」

「もちろんです。彼らも被害者ですからね」

 

 まったく表情変えずに言っても、説得力に欠けるぞ、司波。

 

「壬生さんからの報告では、剣道部のほとんどは参加しているそうよ」

「壬生先輩、お辛いでしょうね」

「だからこそ、生徒を駒として扱うような連中の手口を許すわけにはいかない。出来る限り怪我をさせずに彼らを取り押さえられるよう努めます」

 

 憂う妹、気合の入った返事をする兄。この二人のコンビで制圧されるテロ側が逆に可哀相になる。

 

「出来る範囲でね。それに気を取られるあまり、虚を突かれてしまっては本末転倒だもの」

「なに、部活勧誘期間中の達也くんの活躍を見ていれば、いらない心配だとは思うけどね」

 

 渡辺先輩の感想についても誰も異論なかった。

 そして。

 

「さて」

 

 七草会長の視線がこちらを向く。

 

「……………」

 

 微かな沈黙。交差した視線で何を解いたのかは察知できた。

 ここから俺のターンだ。息を吸う。不思議と、鼓動は落ち着いていた。

 

「比企谷くんの答えを聞かせてください」

「俺は……反対です」

「比企谷?」

 

 渡辺先輩の訝し気な声には応えず、俺はまっすぐに七草会長を見る。彼女は顔色を変えず、また俺の答えを咀嚼してその裏側の意図を探っているようだった。

 目を逸らしたら負けだ。これはただの意地の張り合いなのだから。

 

「何が反対なのか、教えてもらってもいいかしら?」

「一から十まで全部。何もかもです」

 

 そこでようやく、七草会長の目に微かに懸念の色が灯る。

 

「……どういうことか、説明してもらえる?」

 

 俺は頷き返した。もとよりそのつもりだ。ゆっくりと説明しよう。普段のようにどもったら駄目だ。きょどっても駄目だ。自信がない部分を見せたら駄目だ。

 

「……テロリストは武器を持ってますよね?」

「そうね」

「どうやって鎮圧するんですか?」

「おおよそ、ほとんどの銃火器であれば無効化、無力化は可能だと踏んでいます。また、それが出来るだけの人材は用意しました」

「相手側にも魔法師がいると、壬生先輩から情報が来ていたはずですが」

「それについては不確定情報で、計算に入れるには確実性が足りません。でもだからこそ、十文字くんに動いてもらっています。彼なら心配いりません。またこの学校の教師陣も一流です。相手が軍隊であって引けを取らないでしょう。

 そもそも魔法科高校は、魔法系大学の非公開文献閲覧だけでなく、授業でも色々な秘匿情報が扱われているから、対テロ対策もきちんと取られています。知らないかもしれないけど、マニュアルだってあるのよ? 今回の件で、俄かで手を打ったわけでないわ」

「なるほど。だから、誰も傷つかないと?」

 

 笑みを浮かべた七草会長には悪いが、その対策では不十分なのだ。

 

「不安に思う気持ちもわかるけど、大丈夫よ」

 

 違う、わかっていない。七草会長の言葉は味方にしか向けられていない。それがどれだけ正しくても、どれだけ綺麗であっても、呑み込めないからこそ連中のような存在が出てきているのだ。

 正しいことだからこそ、受け入れられないのだ。

 間違っているとわかっていても、正しく在れないのだ。

 

「……けど、その『誰も』の中に、テロリストの連中は含まれてないでしょう?」

 

 一瞬、七草会長は俺が何を言ったのか本気で図りかねたような顔をした。それは他のメンバーも同じだった。

 

「みんなを守る為。みんなを助ける為。誰も傷つかない。誰も傷つけさせない。七草会長や十文字会頭、この学校の教師陣が動けば可能なんでしょう。それは何も間違っていない、正しい選択なのだと思います」

 

 わかっている。彼女の言い分が正しいのだ。間違っているのは俺だ。

 武器をもって襲い掛かってくる人間は、『みんな』の中には含まれない。倫理的に何も間違っていない。

 

「でもそれは――七草会長の言う『みんな』とは、この学校の生徒や関係者だけに向けられたものですよね? エガリテに参加した学生たちについては、ぎりぎり範囲内なのかもしれない。けれど襲ってくるテロリストがどうなろうと関係ない、って考えてませんか? 会長の対策ではテロリスト達について考慮されていない。それが、俺が反対する理由です」

「…………い、いや、ちょっと待て、比企谷。お前、自分が何を言っているかわかっているのか?」

 

 慌てて声を荒げたのが渡辺先輩だというのは予測済みだった。彼女か、もしくは司波達也のどちらか。二人なら誰より早く冷静さを取り戻してこちらに問い質してくるだろうと思っていた。

 

「はぁ、それはもちろん、わかっているつもりですが……」

「向こうはあたしたちの命を狙ってきている犯罪者だぞ?」

「まぁ、そうですね……」

「無抵抗で奴らの侵攻を受け入れろって言うのか!」

「いや、そんなことは言ってませんって。

 身は守って当然です。防衛するな、なんて言いません。戦うな、とも言えません。分かり合え、なんて綺麗ごとを押し付ける気もないです。

 武器を掲げて、実力行使で排除しにきた相手に話し合いで解決しようとするのなんて、無理に決まってます。

 ただ俺は、この学校の生徒や関係者が傷ついてほしくないのと同じレベルで、テロリストを傷つけるのが嫌だと言ってるんです」

「……それは矛盾していないか」

 

 司波達也の低い声に、俺は肯定の意を示した。

 それはそうだろう。俺は無茶苦茶なことを言っている。それくらいは自覚している。

 

「なら司波。お前は――いや、お前だけじゃないな。会長や渡辺先輩、ここにはいない十文字会頭も、そんなにテロリストと戦いたいんですかね?

 あ、それとも戦いで自分の力を誇示したいとか? 降りかかる火の粉を払うのは当然みたいなふりして、自分より弱い相手を切り捨てるのが楽しいとか、ちょっと引きますね」

 

 瞬間、明らかに部屋の空気が変わった。怒張というには生ぬるい殺気にも似た激情。服部副会長だ。七草会長を侮辱されたことに眉間にしわを寄せ、今にも爆発しそうなほどの怒気を視線に滲ませている。

 確かに怖い。圧力も半端ない。ただその怖さは、何故か他人事のような稚拙さも感じられた。

 

「七草会長や十文字会頭が、好き好んで戦いに臨んでいるとでも思うのか?」

 

 意外なことに、司波深雪のほうは随分冷静にこちらを見ていた。挑発の対象に兄も含めたから、彼女から口撃が来てもおかしくないと思っていたのだが。

 

「違うんですか? 普段は使えない攻撃魔法を合法的に使う絶好の機会ですよ?」

「そんなはずがないだろう! 口が過ぎるぞ、比企谷! 分を弁えろ!」

 

 その怒声は予測の範疇だ。むしろここで激昂してくれたのはありがたい。

 

「はぁ、すみませんが、今、俺からの説明を求めているのは会長で、副会長じゃないんですけど。ただまぁ、それでも黙れというなら黙りますが?」

「……………続けて」

「会長!」

 

 服部副会長の抗議は受け入れられず。これも予想通り。では続けるとしよう。

 

「戦いたいわけじゃないんですね。なら何で戦うんです? 自己犠牲ですか?」

「違います。そうしないと守れないからよ」

「そのために、人を傷つけることになっても?」

「そうね、テロリストだって同じ人間だもの。だから相手が卑劣な犯罪者であっても、人を傷つけて気持ちのいい人なんていないわ。少なくとも私は嫌ね。摩利も、十文字くんも、達也くん、深雪さん、風紀委員のみんなも。そうだと思うわ」

 

 誰も口を挟まない。代わりに、全員が頷いた。服部副会長だけ、慌てたようにワンテンポ遅れたのはご愛敬か。

 

「誰かを傷つけたくないのはみんな同じ。それで済むなら、それが一番よ。でも戦わなければ守れないものがあって、その守りたいものを譲れないから、例え人を傷つけて、それで自分が傷つくことになっても、私は戦います」

 

 そう、それが、七草会長の覚悟なのだ。

 

「そう……ですね。それが正しい人の在り方だと思います。だから俺の言うことは間違いで、とても甘い、理想にすらなっていない、現実を見ないガキの戯言で、我侭なんでしょう」

 

 だが、たとえ戯言であっても、間違いだとしても、それが俺の覚悟なのだ。

 

「誰かを傷つけたくありません。誰かが傷つくところを見たくありません。

 誰かが傷つけば、それを見た他の誰かが傷つく。

 誰かを傷つければ、その誰かを傷つけた人も傷つく。

 誰かが誰かを傷つけるってことは、それだけで、傷つけあいが連鎖する。

 誰も彼もが刃で相対して、誰も彼もが傷つけあう。

 そしてそれを、仕方のないことだからと妥協して享受して、当たり前のように受け入れる。

 そんなのは地獄だ。誰も救えない。誰も救われない」

 

 戦って、テロリストを排除すれば、確かに学校は救われる。学校は守られる。襲ってきた奴らが悪い。そんなのは当たり前だ。でもその当たり前を、当たり前だと切り捨ててしまうことは正しいのか? 社会が当たり前だと思うことを、当たり前だと受け入れることが出来ずにテロなんて行為が生まれたというのに。

 

「だから、その誰かに例外なんてない。学生であろうと、教師だろうと、学校近辺にたまたま通りかかっただけの無関係な人だろうと――テロリストだろうと、例外なく、俺は嫌です」

 

 誰も言葉を発しない。俺もまだ話すのをやめない。まだ言うべきことは残っている。

 

「俺の言い分が、臆病なガキの戯言だと思うなら、それでも結構です。甘いと断じるなら、その誹りは受けます」

 

 汚いものを見たくない、っていうのは俺も同じだ。傷つきたくない、傷つけたくないだけ。そのくせ、安全な場所から言葉だけは巧みに理論を積み重ねて武装するだけの卑怯者だ。

 けれど――いや、卑怯者の俺だからこそ出来ることをするのだ。

 

「会長は言いましたね。戦わずに済むなら、そのほうがいいと。人を傷つけたくなどないのだと」

「……そうね」

「なら、その方法は俺が現実化します」

「比企谷くん?」

 

 そしてここからが具体策だ。

 

「俺の魔法で、第一高校を中心とした半径一キロ圏内にいるキャラクターカーソルがグリーン以外の全ての人間を対象にして、『人に危害を加えたり物を破壊する行為』を否定します。

 テロリストは構内に入って攻撃態勢を取った瞬間、俺が予め展開した事象否定の干渉力に中てられて行動不能になる。

 銃もナイフも、魔法も使えない。肉弾戦も不可能。対人はもとより、対物であっても変わらず効果は発動する。

 そしてそれは会長たちも例外じゃない」

「あたしたちの行動まで制限する気か?」

 

 渡辺先輩の苦言も予測の範疇だ。

 

「言ったはずです。誰かが誰かを傷つけるのを俺は認めない。それはここにいる人たちだって同じだ」

 

 一度、小規模範囲で試行済みだから失敗はない。

 だがそこで、当然の疑問を呈してきた奴がいた。司波である。

 

「しかし、現実問題としてどうやって連中を取り押さえる気だ? 逮捕は必要だろう」

「……それも言っただろ? グリーン以外全員だ。俺は例外だよ」

「比企谷くん!」

 

 その意味するところを、七草会長は察したようだった。青ざめた顔で席から思わず立ち上がるほど慌てたらしい。手をついた勢いで、カップの中の紅茶が飛び跳ねた。

 

「私も言いましたよね? 比企谷くんに背負わせるつもりはないって!」

 

 そう言う七草会長の言葉は本音だと思う。

 本心で、彼女はそう考えている。

 そして同時に、当たり前のように自分がすべきことだとも。

 問題が目の前にあって、自分の力で解決出来るのならば行動すべきだ――進んだその先に自分の嫌悪する何かがあったとしても、出来ることをする。至極当たり前のように思考して結論に導く。

 それが十師族の一員として、何より人として当然の行動だというのが七草会長のスタンスだ。無意識の信念、信条と言ってもいい。だから彼女は自分が生徒たちの命を背負うことを、生徒たちの代わりに自分たちがテロリストと戦うことを自己犠牲だとは考えていない。それが自分の役割だと思っているから。

 もちろん、その思考の内側に、利己的な思惑がないとは思っていない。打算もあるだろう。優しいだけの人でないことは、言葉の端々や生徒会長としての活動を見ていてもわかることだ。誰かのため、だけではなく、何より自分のために、七草会長は意志を曲げない。

 では七草会長の行動の根幹が自分のためなら、それは偽善だろうか――と考えて、だけど俺には彼女が偽善者だとはどうしても思えなかった。

 彼女の言った、俺に背負わせたくないという言葉は、確かに俺を心配してくれたものだ。自分が背負う。だから君は気にしなくていいと。本音を包みこんで本質を隠す。それは嘘ではなく、同情でもなく、欺瞞でもない。気遣いで、思い遣りだ。

 同時にそれはとても甘いささやきだ。心地よいぬるま湯だ。その言葉を信じて目を閉じ耳をふさげば、それはとても居心地のいい、心安らかな世界になる。俺が望む通り、見たくないものを見ずに済む。

 だから、彼女の優しさは毒だ。

 俺のように、優しさを向けられてもそれを信じられず、疑い、裏を読もうとする人間からすれば、七草会長の優しさは、受け入れたらそこから逃げ出せないほど強力な猛毒だろう。

 だけど俺のような人間にすら向けてくれるその優しさを、必要とする人だっている。毒でも、押しつけでも、たとえ悪意だとわかっていても、必要なこともある。

 嘘がない優しさは、優しいままでいてほしいと思う。

 七草会長の、当たり前のように誰かに優しくできる行動が、誰かや何かを切り捨てたものであってほしくないと願う。

 それは俺の願望だ。中身を見ず、真に理解しようとせず、理想を押し付けただけの、独りよがりで醜い感情から生まれた、傲慢な願いだ。

 だから――

 

「俺は別に背負ったつもりなんてないですよ。これはさっきも言った通り、俺の我侭で、願望で、身勝手な物言いです。我侭だから、会長の言い分は聞きません。俺は俺が出来る、俺のやり方を押し通すだけです」

「比企谷くん……」

 

 結果として、俺が魔法を発動した後にテロリストを抑えることが出来るのは俺だけになる。だが発端は俺の我侭なのだから、これくらいの労働は仕方ないだろう。

 そしてそんな俺に、司波は俺の提示した条件の穴を突いてきた。

 

「図書閲覧室の方はどうするつもりだ? 機密文書を盗み出す連中は、他者への危害という条件にカテゴライズされないんじゃないのか?」

 

 本当、なんでこいつ、こんなに頭の回転が速いんだろうな。そしてその指摘の通り、先に挙げた条件では、図書室潜入チームだけは行動阻害出来ないのだ。流石に広範囲に渡って効果を数時間維持しながら、まったく別種の条件を設置するほどの技量はない。

 

「あー、それな。実はどうしようか、悩み中。まぁ行ってみれば、どうにかなるんじゃないか」

「……まだ特に対策がないなら、俺に行かせてくれないか?」

「あん?」

 

 何を言い出すかと思えば、お前さんもイエローだって忘れてませんか?

 

「俺がイエローに分類されているのはわかっている。だが、例外を設けられるなら、そこにもおそらく抜け道があると推測したんだが?」

「…………正解。流石は入試筆記一位」

 

 司波の言う通り、イエローであっても条件から抜けることは可能だ。

 

「パーティを組めば、カーソルはイエローからブルーに変わる。魔法発動後も条件から外れて行動は可能になる。ただし……」

「ただし?」

「パーティリーダーの俺は、メンバーのステータス内容を閲覧することが出来る」

 

 はずだ。多分。きっと。試したことないからわからんけど。

 

「……そうか。それなら構わない。やってくれ」

「お兄様?」

 

 妹の驚く様からすると、こいつの内側には知られたくないことがあるのだろう。それも複数。出生? それとも魔法技能に関して? なんにしても、その秘密を知られることをあっさりと許容したことには素直に驚いた。

 

「……いいのか?」

「実をいうと、俺にも秘密にしていることは多々あるんだが、それを隠すよりも、今は比企谷の魔法への興味のほうが勝っている。後付けの理由であれば、比企谷の魔法ばかり教えてもらっている現状は、あまりフェアじゃないと思うのもある」

「…………」

 

 俺が言葉を返さずにいると、司波はふぅと小さく息を吐いた。

 

「……という建前を用意しても、駄目か」

「駄目なわけじゃないけど、なに? お前、それを建前って認めちゃうのな」

「隠しても無駄なようだからな」

「…………」

「比企谷こそ、本当にいいのか?」

 

 その質問が、司波をパーティに入れてもいいのか、ではないことは直ぐにわかった。だが、そうとわかっていて聞いてくるのは卑怯だ。そしてわかっていてその質問をはぐらかす俺も、司波のことをどうこう言えやしない。

 

「関係ねぇよ。俺の目の前で起こっていることは、いつだって俺の出来事だ。主人公は俺、他はモブ」

「……世界は、それを見る人の主観で出来ている、か。真理だな」

 

 どうやら、こいつも面倒な思考回路をしているようだ。表情筋が乏しくあまり感情が表に出ないタイプだからわかりにくいが、今回に限って言えば、司波の行動の裏はそう難しくない。

 今は理性で思考を切り離しているのかもしれないが、この場が一度仕切り直され、冷静になってみればすぐにわかる。司波は間違いなく俺を警戒している。警戒度が上がれば結果は同じ。イエローでなくなった奴のステータスを視ることが出来る。

 だから逆に自分から言い出した。

 これは奴の意思表示だ。

 後はそれを俺がどうするか、だが。実際問題手が足りてない状況なのだから、手伝ってもらうことは自体は吝かではない。敵対する気があったとしても、直ぐどうにかするとは思えない。俺はこいつの行動理念は知らないが、わかることもある。

 それは妹のタツヤスキーさんの存在だ。妹が兄を慕うように、こいつも妹を第一に考えている。妹が巻き込まれかねない現状に対して、自己を優先する奴ではない。俺のシスコンレーダーがそう告げている。

 その妹の不安げな表情をあえて意識から外してこちらを見る司波に、もう一度問いかけた。

 

「もう一度聞くけど、いいんだな」

「ああ」

「ほーん、まぁ、お前がいいならいいけど、じゃ、まずは握手して――」

 

 手を握り合う。意外とがっしりとした手だった。鍛えているらしいことがわかる手のひらである。

 

「この状態でお前が合言葉を言えばパーティ申請と登録が完了するんだが……」

「合言葉?」

「おう。合言葉は『やっはろー』だ」

「…………すまん。もう一度言ってくれ。なんだって?」

「ん? だから、『やっはろー』だ」

「……何語だ?」

「ヤッホーとハローを合体させて短縮した造語だな。うちの妹が使っている挨拶らしい」

 小町が言いだしたものではないらしいが、では誰だ? こんな頭の悪そうなポヤポヤした挨拶を考え出したのは。まぁ、それは今はどうでもいいことだ。

 

「…………」

「…………」

「……言わなきゃ駄目か?」

「駄目だな。やめるか?」

「……いや、わかった。話の腰を折ってすまない。では言うぞ。『やっはろー』」

 

 いやいや口にしても、声が棒読みでもパーティ登録は問題なく行える。だがもう少し抑揚付けてほしかった気がしないでもない。まぁ、恥ずかしいのはわかる。

 

「これで司波はブルーになった。じゃあ悪いが、放課後の図書室はよろしく頼むわ」

「了解した」

「では会長。そう言うことなので。討論会は頑張ってください」

「………あ!」

 

 俺と司波のやり取りに呆気に取られていたのか、七草会長ははっと何かに気づいたように慌て始めた。

 

「いえ! ちょっと待って! 待ってってば! お願いだから結論を出すのは待って!」

「なんですか?」

 

 もう解は出ている。俺の独りよがりなものではあるが、解は解だ。それを消すつもりはない。

 

「さっきの方法、本当に実践するつもりなの?」

「ええ」

「貴方のほうこそ、それは自己犠牲じゃないの?」

「え? まさか。見も知らぬ誰かのために犠牲になるとか死んでも御免です。あ、いや、死ぬのも御免ですが……」

 

 これは本当に本音だ。何だって見知らぬ連中のために犠牲にならにゃいかんのだ。その他大勢とかどうでもいいのだ。

 さっきも言った。何度も言った。

 俺は俺のためにしか行動しない。

 

「ただ対価を払うだけです」

「対価って『我侭』のですか?」

「ええ、我侭言うんだから、それくらい当然でしょう。ガキじゃないんだから、喚くだけじゃ届かないことがあることは知ってますよ」

「そうじゃなくて!」

 

 七草会長の叫びは、いっそ悲痛な色をはらんでいた。

 

「それだって、誰かに傷ついてほしくないと思うからこそでしょう? 

 誰かを傷つけたくない比企谷くんが、他の誰にも傷ついてほしくないからって、比企谷くん自身が傷ついていい理由にはならないじゃない!」

「え?」

「え?」

 

 見つめあうことしばし。

 

「はぁ…………?」

「えっと…………?」

 

 そして流れる妙な沈黙の時間。

 

「…………」

「…………」

 

 おや? 何かが意思疎通できていない気がするよ。

 

「え? あれ? 違うんですか?」

 

 七草会長がきょとんとした顔でこちらを見やる。様子を見守っていた他のメンバーも同じような顔をしていた。

 ということはつまり、どうも俺の言いたい事は伝わっていないらしかった。小町ちゃん。お兄ちゃんはやっぱりコミュ障です。上手く伝えられなかったよ。

 

「あー、まぁ、何だ、あれですあれ。俺が言いたかったことは、そんなこんがらがるようなややこしいことじゃなくてですね」

「ええ」

 

 後頭部がチリチリする。無造作に頭をかきながら、俺は続けた。

 

「要するに、七草会長に傷ついてほしくないってだけなんですが」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「………………へ?」

 

 何故か、瞬間湯沸かし器みたいに七草会長の顔が赤くなった。

 ……あれ? 何か怒らせるようなこと言ったっけか?

 

「どうかしました?」

「え? あれ? へ? ちょ? ほあぁ?」

 

 なんだなんだ。どうしたどうした。

 

「いや、えっと、本気でどうかしましたか? 急に壊れたレコーダーみたいになってますけど?」

 

 ちょっとかわいいと思ったのは黙っておこう。

 

「気づいてないのか?」

「何が?」

 

 なぜかジト目でこちらを見やる司波に、俺のほうは理解が出来ていないせいで、問い返すしかない。

 

「いや、気づいていないならいい」

 

 しかし、問いかけてきた司波は、特に答えを出すこともなく質問をひっこめた。

 なんのこっちゃ。

 

「ほーん? まぁ、司波がいいならいいけど。

 それじゃあ俺はこの辺で。

 放課後のことで話したいことは全部話しましたから失礼します。また放課後に」

 

 あ、そう言えば十文字会頭には何の説明もしてないな。どうしたものか。まぁなるようになるか。多分。知らんけど。

 そうして生徒会室を出て、小町との約束を守れたことに満足していた俺は、意気揚々と1-A教室へと足を向ける。

 その背中から、どこか遠くの女生徒の叫びのような声が聞こえた。

 部活の朝練かね? 

 朝から元気な人もいるんだな。俺には真似できん。

 

 

 

 

 




お読みいただきありがとうございました。
完全なオリジナル展開です。
こんなの八幡じゃないと思われた方、不快にさせてごめんなさい。
はんぞーくんファンの方、雑な扱いでごめんなさい。

なお#8、#9は本来一つの話だったのですが、長さ的にも区切り的にも分けたほうがしっくり来たので分ける形となりました。
タイトルが似ているのはそのせいですね。安易ですみません。

#9で明らかになった、雪乃と結衣のコンボによる八幡無双。もはや魔法じゃないよな、とか思いながらも書いてます。
これまたすみません。

謝ってばかりですが、次回は、八幡の覚悟を魔法科メンバーがどう受け止めるかっていうお話。
そう、次回は#9Interludeです。
本編じゃありません。まだ煮詰めてるところなので、連続投稿できませんでした。ごめんなさい(またか)。


よければ次回も読んでやってください。よろしくお願いします。


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入学編#9  -Interlude……

 

 

 羞恥に爆発した真由美の悲鳴?が室内に響き渡ったのは、変わらず猫背のまま、変わらず面倒くさそうに、目が淀んだまま、それでもどこか言い切った顔をして、生徒会室を去った比企谷の後ろ姿を見送った後のことだった。

 だがその音波攻撃の直撃を受けたのは、まったくそれを予期していなかった服部だけだ。

 摩利や鈴音はすかさず指で耳栓していたし、深雪とあずさは手で防御していた。服部と同じく防御していなかった達也は、何故か平気な顔で真由美の七面相を眺めている。

 結果、すぐ隣で被爆した服部だけが、驚きと不意打ちに蹲る状況が出来上がったわけである。

 それはそれとして、摩利は口元が緩むのを抑えきれなかった。

 

「まぁ何だ、先日の達也くんと言い、比企谷と言い、真由美はモテ期到来中じゃないか?」

「予想外のところから、予想外の攻撃でしたね」

 

 他人事のようにからかう三年組の感想を聞いて、達也が納得いかないように眉をひそめた。

 

「別に自分は、会長を口説いた覚えはありませんが?」

「それを言うなら、比企谷だってそうだろう?」

「それはそうですが……」

「彼、全くこれっぽっちも下心を込めずにああいうセリフが言えるんですね。正直、意外でした。意外だからこその破壊力でしょうけれど」

 

 鈴音の意見には摩利も同意見である。だからこそ気になったのは、言われた当人の感想だ。

 

「ふむ。では、実際に想いを告げられた女の子としての感想はどうだ? 真由美?」

 

 変わらず顔が真っ赤の友人をニヤニヤしながら見やると、

 

「……………キッ!」

 

 少し涙目になりながら、それでも自分の失態を自覚しているが故に何も言えずに睨むしか出来ない真由美の態度がすべてを物語っていた。鈴音と目があった。頷く。することは決まった。

 

「ニヤニヤ」

「ニマニマ」

「ちょっと! ふたりとも! 言いたいことあるなら何か言ったら?」

 

 うん? 言っていいのか? あえて擬音を口にして濁したというのに? 摩利は緩む口元を隠す気もなく言葉に出した。

 

「比企谷のファインプレーだな。心から褒めたたえたい。写真撮ってなかったのが悔やまれる。もったいないことをした」

「ちょっと摩利?」

「そうですね。先ほどの会長の照れた様子を残せなかったのは失敗でした」

「リンちゃんまで!」

 

 真由美の意見は封殺である。

 聞く気はない。からかえるのが同学年である自分たちだけなのだから、下級生がいじれない分はいじらないともったいないからだ。

 

「諦めろ、真由美。お前の負けだ」

「勝ち負けの問題じゃないでしょう!」

「実際、言い負けたじゃないか。これ以上ないくらいに」

「完膚なきまでに、言い負けてましたね」

「負けてないわよ! 負けてないもんね!」

「子供か、お前は……」

「おや、拗ねてしまいましたね……」

 

 ここらが潮時か。摩利と鈴音は目を合わせて、また笑いあった。

 友人二人がそうやって意思疎通させてからかいに来ていることを察している真由美は、ふくれっ面で黙って抗議するしかない。口を開けばまたからかう隙を作るだけだと自覚していた。

 

「すみません。話を少し真面目に戻しますが……」

 

 流石に見ていられなくなったのか、達也が口をはさんだ。真由美へのフォローも兼ねているのだろう。このあたりの気の配り方は比企谷には出来ないだろうな、と失礼な感想を女性陣は抱いた。

 

「実際問題、比企谷が提示したのはもっとも被害が少なくて済む案ですよ」

「懸念があるとすれば、会長が危惧されたように、彼一人に負荷がかかりすぎる点ですね」

 

 達也の意見も、鈴音の懸念も、言われずとも真由美はわかっているだろう。だがそれを「なるほど、じゃあよろしくね!」と簡単に割り切って任せたくないのだ。

 だがその感情とは逆に、今回に限って言えばとても有用な手段だということも、比企谷の魔法――というよりもはや超能力の実態を知るメンバー全員の一致した意見である。

 

「本当に、比企谷くん一人で、テロリストに対抗するつもりなんでしょうか?」

「対抗と言っても、危険はないと思いますよ。比企谷の魔法があれば、テロリスト程度は全く相手になりません。無敵と言っても過言ではないと思います」

 

 あずさの少しずれた心配は、達也が優しく訂正する。

 

「お兄様、その魔法のことですが……」

「ん?」

「本当に、比企谷くんはお兄様のステータス? を閲覧出来ているのでしょうか?」

「出来ると思うよ。ただ、比企谷が俺のステータスを見たか、というと、たぶんそれはないだろうね」

「どうしてだい?」

 

 これは意地の悪い質問だとわかっていながら摩利は口にした。つまり達也は、自分のプライベート情報を比企谷が見れば、必ず反応を示すほどの何かを隠していると言っているも同義だからだ。

 

「……それはノーコメントで」

「そうか」

 

 摩利はそれ以上追及しなかった。無論、興味がないわけではなかったが、こちらが知る必要があるなら達也は口にするだろうし、現時点では無理に聞き出す必要性もない。

 

「さて話を進める前に、服部に頼みがある」

「はい?」

 

 いきなり水を向けられた服部が、頭を押さえながら呻いた。

 

「教師側に連絡を取り、放課後の討論会は十文字の選抜した防衛チームと風紀委員会以外は全員参加するよう、生徒全員に周知徹底してほしい」

「…………ふぅ」

 

 服部は軽く頭を振った。しかしそれは、摩利の依頼を拒絶したものではなかった。

 

「俺に聞かれたくない話なんですね? それは比企谷のことですか?」

「想像に任せるよ」

「その反応で十分です。聞かせてほしいのは確かですが……ごねても仕方ありませんね。わかりました。手続きはお任せください。十文字会頭のほうにも伝えておきます」

「悪いね」

 

 いいえ、と服部は少し寂しそうに笑みながら生徒会室を退室した。その気配りを二科生相手にもできるようになれば、おそらくは彼の意中の相手も見直すだろうとは思ったが、口にはしなかった。

 その相手は、つい先ほど後輩に不意打ちを食らって赤くなっている生徒会長である。

 その彼女に、摩利は問いかけた。

 

「さて真由美、お前は比企谷をどう思う? 言っておくが真面目な話だ。

 十師族(・・・)()七草家(・・・)としての(・・・・)お前(・・)は、比企谷をどう見ている?」

 

 数秒、軽く逡巡してから真由美は答えた。

 

「…………普通の子」

 

 それがどういう意味での『普通』なのか、問いただすことはしなかった。

 

「魔法については?」

どちらも(・・・・)危険度の高い魔法だとは思うわ。予想していたよりもずっと危ない。みんなはどう思う? 達也くん?」

「その最大規模はまだ不明瞭ですが、俺の予測では戦略級に匹敵すると考えています」

 

 摩利も同意見だ。真由美も鈴音も異論をはさまないところを見ると、同じ結論に至っていたらしい。最低でも戦術級であることは間違いない。それは比企谷本人の口から証明されている。

 あずさが息をのんだ。彼女もようやく、そこで比企谷の魔法がもたらす危険性がどの程度か把握したようだった。

 

「比企谷の魔法は、その仕組みからして疑問が尽きません。発動にCADを必要としないと本人が言っていましたから、魔法というよりは、魔法の起源である超能力に近いものだと思います」

 

 本来ならば思念だけで事象改変する超能力は、現代魔法に比べてその多様性、正確性、安定性に欠ける面があるとされる。唯一速度面でのみ、現代魔法のように起動式を必要としない分だけ優位に立っているくらいか。それを加味しても精神状態に大きく左右されるから、安定性を求めてCADを愛用する超能力者も少なくない。

 対して比企谷のそれはどうだろう。超能力に分類したとしても、あらゆる方面で極めて高レベルだというのが素直な感想だ。

 

「その仕組みがどうあれ、比企谷がその気になれば世界全てを自分の思うが侭に出来るでしょう。彼の能力に秘められた可能性は想像できないほどにとても高い――と同時に、そこには世界を一変させてしまいかねない危険性も孕んでいると思います」

「そうね。私も同意見よ」

「なら真由美、その危険な魔法に対して、七草家はどう動くつもりだ?」

 

 またしばしの逡巡の後、答えた真由美の言葉に、その場にいた全員が自分の耳を疑った。

 

「…………報告してないの」

「……本当か?」

「ええ、家には言ってないわ。事象否定の魔法だけでも、比企谷くんは間違いなくマークされる。いいえ、マークされるだけならまだいいわね。最悪の場合は――」

 

 言い淀んだ言葉の先を想像できなかったのはあずさだけだった。

 

「え? ……え? どうなるんですか?」

 

 真由美の言葉の続きを摩利はあえて引き継いだ。十師族の真由美に言わせたくなかった。

 

「危険視した十師族、十八家、または百家の連中の誰かが比企谷を利用しようとして、何らかの強制手段を使うかもしれない。もっと悪い予測をするなら、秘密裏に処理しようと動く連中だっているかもな」

 

 あずさが言葉もなく黙り込んだ。彼女の善性は好ましく思う。誰もが彼女のように人の善意を信じられるのであればどんなに平和だったことだろう。だが悲しいかな。魔法師を取り巻く現実は、今も昔も、穏やかな波と言うには程遠い。

 そしてそういう最悪の予測が出来ていしまうくらいには、比企谷の魔法は危険性を孕んでいる。それは真由美や鈴音、司波兄妹も同意見の様だった。

 

「家に言うつもりは?」

「ないわ」

 

 真由美は、今度は即答だった。

 

「今日のことで確信したもの。比企谷くんはあまりにも普通の子よ。普通の感性を持った子だわ。あ、ごめんなさい。別に私たちが普通じゃないって言いたいんじゃないのよ?」

「……あいつの感性は普通か?」

「捻くれているとか素直じゃないとか、そういうのじゃなくて。魔法師のそれとは違うってこと」

 

 わかっているよ、と摩利は苦笑を返した。

 

「彼の場合、まるで魔法のことを知らない、魔法師のことを分かっていない子が、いきなり魔法を遣えるようになったみたいな感じがしているな、とは思ってたの。

 前からそんな予感はあったのだけど、今日、改めて納得したわ。

 比企谷くんの魔法は、私たちが遣える魔法とはまったく別のものね。でもその魔法を、彼は自分のためには遣わない。いいえ、遣えないって言ったほうがいいかしら。

 だから――」

 

 一度、真由美は言葉を切った。

 言葉にしたことが自分の本意なのか、もう一度確かめる様に、逡巡するように息を吐く。軽く目を伏せ、意識を鎮め、再び顔を上げた彼女の瞳には、もう迷いはなかった。

 

「だから、十師族の一員としては失格かもしれないけど、私は家には知らせたくないって思っちゃったのよ」

「……迷っていた(・・)のか?」

 

 真由美は首を縦に振った。

 

「そうね、生徒会に引き入れた直後は確かに迷って――いいえ、本音を言えば、ついさっきまで迷ってたわ。どうすればいいのか。どうするべきなのか。私は、どうしたいのか、って……」

 

 では今は? 言葉にせずともみんなが抱いた疑問に、真由美はもう一度首を横に振った。

 

「今はそのつもりはないの。生徒会の仕事を手伝ってもらったり、生徒から来る相談事や悩み事なんかの解決案を一緒に考えてたりする比企谷くんを思い出したら、不思議とね、びっくりするくらい、きれいになくなっちゃったわ。

 それに魔法の危険性とかを抜きにして、ちょっと想像してみたのよね……」

「何を?」

 

 真由美の顔に、仕方ないなぁと言わんばかりの苦笑が浮かんだ。

 

「比企谷くん当人の進路希望がどうあれ、彼が魔法師の枠内に収まって仕事する未来を想像してみて」

 

 真由美の言葉に、全員が少し黙考した。そしてほぼ同時に、揃って首をかしげる。

 

「……否定的、とまでは言わないけれど、難しい? いや、どちらかと言うと似合っていない、とは思うかな」

 

 うんうん、とあずさと深雪が頷いていた。鈴音は答えを保留したようである。

 

「しかし――」

 

 摩利の意見に同意しながらも、不足を指摘したのは達也だった。

 

「力には義務が伴うと、自分は思います。それを制御する義務と、行使して貢献する義務です。後者は百歩譲って見送るとしても、前者がもし出来ていないとするなら、それは見逃すわけにはいかないと思いますが」

「それはそうね、その通りだわ」

「その辺は、生徒会で更生させるついでに真由美にやらせればいいさ」

 

 軽い口調で摩利は言ったが、その言葉には続きがあった。眉間に自然としわが寄った。

 

「これからも、比企谷があたしらと一緒にいる気があるなら、だが……」

 

 真由美は答えなかった。代わりに達也が口を開いた。

 

「同意見です。おそらくは、ここがターニングポイントでしょう。

 あいつにとっても(・・・・・・・・)

 我々にとっても(・・・・・・・)

「お兄様、どういうことですか?」

 

 そう言葉にしつつも、おおよその答えは深雪もわかっているのだろう。声がいつもより低かった。その分、達也が声を和らげた。

 

「今回のブランシュの襲撃を比企谷の魔法で防ぐ。誰も被害にあわず、物損もない。比企谷一人に負担がかかることに目を瞑ればおそらくは最善で最高の手だろうね。しかし間違いなく、この一件で比企谷の魔法は明るみに出る。

 そしてそうなれば、どれだけ俺たちが秘密にしたくても出来なくなる。違いますか?」

 

 この質問に、答えられるのは真由美だけだった。

 

「ええ、少なくとも今回の事件については最低限、報告義務が発生します。私が虚偽報告をしたところで、七草家と十文字くんのところに知られるのは間違いないと思うわ。他はちょっとわからないけど、例外なく情報収集はするはずだから、精神干渉系に強い四葉も乗り出してくるかもしれないわね」

 

 深雪の瞳に暗い影が落ちた。

 

「……そのことに、比企谷くんも気づいているのでしょうか?」

「気づいていると思うよ」

 

 達也の声は重かった。

 

「だから、比企谷は俺たちとは一線を引くはずだ。それは物理的なという意味じゃない。情報としての線だ。このままあいつにすべてを任せていれば、間違いなく俺たちの記憶を否定するだろうね」

「そしてそれは、私たちだけにとどまらず、今回の事件にかかわった全員に言えることね」

「でも会長は、それでいいんですか?」

「そんなわけ――っっ!」

 

 恐る恐る、と言った感じで問いかけたあずさに、真由美は一瞬声を荒げかけて、だがすぐに落ち着きを取り戻した。あずさにあたっても仕方ない。

 二、三度、深く深く、深呼吸してから応え直す。顔色まで戻せた自信はなかったが。

 

「いいえ。少なくとも私は、比企谷くんとここで、こんな形で、関係を終わらせたいとは思ってないわ」

 

 みんなは? と視線を向けると、誰もが頷いた。

 

「うん、ありがとう」

 

 真由美の口をついて出たのは感謝の気持ちだった。少しだけ気が楽になったと思うのは、摩利の気のせいだろうか。

 

「ではどうするか、少なくともスタンスを決めておきたい。ああ、けれど強制じゃないからな。

 比企谷の魔法を十師族に管理させるべきだというのも一意見だ。比企谷が受け入れるかは別としても、それ自体は間違っていないとあたしは思っている」

「否定はしませんし、出来ませんね」

 

 鈴音の同意に対して、摩利は問い返した。

 

「では市原はそうすべきだと?」

「理屈ではそれが一番だと考えています」

「感情では?」

「…………」

 

 鈴音は応えなかったが、それがすでに答えでもあった。

 

「さて、真由美は最後に聞くとして、中条?」

「反対です。比企谷くんは何も悪いことしてません。それがすべてだと思います」

「別に十師族に任せたからと言って、あいつに害があると決まったわけじゃないんだがな……」

 

 最初の脅しがまずかったのかもしれないが、あずさは断固たる意志で首を横に振った。十師族の真由美が困った顔になったのはご愛敬か。

 

「司波?」

「お兄様の意見も気になりますが、個人的には七草会長と同じく、十師族には知らせるべきではないと思っています。推測ですが、十師族に知られてしまえば、私たちが比企谷くんに関与できる隙も自由もなくなるのではないでしょうか?」

 

 普段の彼女らしくない、小さな震えが言葉に含まれていた。その理由は真由美や摩利には図れなかったが、比企谷に対して、彼女もまた何か思うところがあったのかもしれない。

 

「今日のことで、比企谷くんが私たちの記憶を消そうとされるのなら――おそらくそれは、自分のことで私たちに傷ついてほしくないからではないかと、私は感じました」

 

 自分と関わったら傷つける。自分と関わることで傷つける。それを恐れて、だから独りになろうとする。

 得心するものがあった。真由美が比企谷を生徒会に引き込んだ時に彼を評した言葉はおよそ勢い任せのものだったが、的を得たものもあったということだ。

 

「まだ友達とは呼んでもらえないかもしれません。それでも私は、七草会長や私たちに傷ついてほしくないと言ってくれた彼を信じたいと思います」

 

 お兄様は? 妹から視線で水を向けられた達也は、しかし抑揚のない声で、真由美に告げた。

 

「俺は比企谷の考えには賛同できません」

 

 おや? と三年生組が驚いた顔をした。普段は妹が兄に追従することが多い兄妹だからこその驚きだった。別に盲目的に従っているわけでもないので、考えてみれば当たり前なのだが。

 

「比企谷の考えは甘すぎます。俺には、比企谷の言葉が本当に世の中を何も知らない子供が、ただ現実を理解できず、目の前の事実を認めたくなくて喚いているようにしか聞こえませんでした。

 それを自覚して、間違いだと理解しながら、考えを変えようとしない比企谷の生き方は、奴自身が言った通り、人として間違っていると思います。俺が言えた義理ではないかもしれませんが……」

「お兄様……」

「ですが――」

 

 ですが? とても厳しい物言いで比企谷を批判しているはずの達也の顔には、けれど言葉ほどに彼に対して失望した様子はなかった。

 

「比企谷が会長や自分たちに傷ついてほしくないと言った言葉は、紛れもなく本心なのだろうと思います。

 それを間違いとは言えません。言いたくありません。

 その感情から生まれた覚悟が、今日の比企谷の行動起源なのであれば、たとえそれが、人として大事なものが欠落した間違った行動なのだとしても、俺はそれを否定できません」

 

 真由美が「そうね」と小さくうなずいた。達也の言葉はまだ終わっていなかった。再度、否定が入る。

 

「比企谷の魔法のことは、比企谷の問題です。比企谷自身で考え、どうするか決めるべきでしょう。

 その結果、俺たちの記憶を否定し、周囲の認識を否定し、自分と言う痕跡を否定する、なんて結論に至ったというのなら、それも否定できません」

「達也くんは、比企谷くんが私たちの記憶を消して、お別れすることに賛成なの?」

「いいえ。ですから、賛同できないと言いました」

 

 ああ、そう言えば。とみんなが思い直した。

 

「俺たちの記憶を否定することで、比企谷は安寧を得るでしょう。俺たちも危険な魔法のことを忘れて、平穏な日々が戻ってくる。なるほど、お互いに平和になれるのなら、考え方によっては正しい選択なのかもしれません。

 ですがそれは切り捨てたことによって得られた平和です。

 お互いが、お互いを切り捨てて、ただ静かになったことを平和と言う言葉で包み込んだだけでしょう」

 

 それを自己犠牲とは呼ばない。打算でもなければ、優しさでもない。

 問題が目の前にあって、それを解決しないといけないのに、先送りどころか問題自体を消してしまおうとしている。それが比企谷の行動スタンスだ。そこには結果はない。問題がないのだから、どうしたって答えもない。

 だから正解も、間違いも語れない。諦念ではなく、保留ではなく、もちろん解消でもない。

 それが解決策で、それが最善だと信じているのなら、比企谷のそれは傲慢以外の何者でもないだろう。

 達也が言う間違いとはそのことだ。

 自分の行動が周囲に影響を与える、と思ってしまうのは自意識過剰であるが、比企谷の場合、それが逆ベクトルを向いている。自分を取り巻く世界は、いつだって自分を敵としている、なんて考えてしまうタイプの人間である。

 そしてだからこそ、比企谷が危険因子になる可能性を想像できないのだと達也は言った。

 

「人に拒絶されることに慣れ、優しくされても疑うくせに、自分は優しさを失っていない……そんな男が、私利私欲に溺れ、魔法を悪用して世界を混沌に堕とす姿が、正直なところ想像できません」

 

 他者の悪意に利用され悪用される可能性はあるが、それは論じても意味がない。

 

「そういう意味では、中条先輩の仰る通り『何も悪いことをしていない』が、正解だと思います」

 

 ため息交じりの達也の感想に、全員がうんうんと頷いた。

 

「比企谷の魔法は危険な代物です。それは揺るがない事実です。戦略級という表現が誇張ではないという意見も変わりません。しかし――」

 

 と達也は三度断りを入れてから続けた。

 

「会長が仰ったとおり、その魔法を遣う比企谷本人がまるで魔法師らしくありませんからね。

 極めて小心者というか、卑屈で自虐的で面倒くさがりっぽい上に、働くのを嫌がりながらも、自分のせいで迷惑をかけるのがもっと嫌だから働くという、捻くれた性格と捻じ曲がった根性の持ち主です。そのくせ、他人を見捨てられないお人好しです。

 放っておいても害があるとは思えません」

 

 普通なら信じがたいことなんですが……と、達也の言葉はどこか脱力したものになっていた。

 

「当人の反応もとてもわかりやすいので、さほど気にする必要はないんじゃないかという気がしてきています」

「そうなのよねー、わかりやすいわよねー、八ちゃんて」

 

 真由美の相槌で、空気が一気に弛緩した。深雪と鈴音がしみじみとうなずく。

 

「ああ、それはわかります。わたしたちへの態度とかは特に……」

「こちらの言葉を曲解して斜め上に棚上げした上で、見上げるような――というより、自分を見下げるような発言してますからね」

 

 摩利と真由美も嘆息するしかない。

 

「自虐思考が染みついてるなぁ」

「更生の道は遠そうね……」

「あ、でも、頼んだ仕事はきちんと片付けてくれますよ?」

 

 唯一、あずさがフォローに回ったのは、前出の意見に同意しながらも比企谷のいいところを見ようとする彼女の性格だが、言われずともそれは他のメンバーもわかっていた。

 

「それはまぁ確かに。存外に真面目だよな」

「必ず文句を言いながら、ですけどね」

「ありがとうって言うと、すごく照れますよね?」

「そうそう。で、そっぽ向いて『仕事っすから』とか『社畜根性に溢れてるので』とか言うの」

「目をキョロキョロさせながらね」

「実に捻くれている」

「褒められ慣れてないんでしょうね」

「可愛いじゃないですか? わたし、あれで摩利さんが言った母性本能っていうの、ちょっとわかっちゃいましたよ」

「男の目から見ると、挙動不審にしか見えないんですが……」

「いえ、それは私たちもお兄様に同意見です」

 

 達也を除く全員が頷いた。つまり総意と言うことだ。

 

「生徒会は女子ばかりですけど、残念ながら女子に慣れた様子はありませんしね」

「しかもたまーに会長や深雪さんのことをちらちら見ていますよね? 特にその……胸のあたり」

「ふふ、男の子よねー」

「深雪?」

「大丈夫ですよ、お兄様。直ぐにご自分で気づいて、全力で理性を振り絞って視線を逸らしていますから。

 ただその……態度があまりにわかりやすいので、こちらとしても気づいてないふりをしていると言いますか……不思議と嫌な感じではないのでスルーしていると言いますか」

「女の子って意識してるのがすごい分かっちゃうのよねー」

「そうなんだよなぁ。普通なら嫌な気になるところなんだが、あいつのほうが異性に慣れていなさ過ぎて、思春期に入ったばかりの子供かと思う時がある。その点、達也くんは紳士すぎて逆につまらん」

「いや、そんなところで文句を言われても困るんですが……」

「…………なんか、話ずれてない?」

 

 ふと、話題が違う方向に進んでいたことに気づいて真由美がストップをかけた。

 みんなが目を合わせておもわず含み笑いが起こる。比企谷八幡に関して話題が尽きないことが面白かった。

 こほんと、摩利はひとつ咳払いをして空気を切った。

 

「まとめようか。結局みんな、比企谷のことは受け入れるってことでいいんだな?」

 

 みんなの顔に「だってねぇ」と言わんばかりの苦笑が浮かんだ。反論はなかった。

 達也が「あれの根っこはとことん善人でしょう。偽悪は装えても、悪にはなれませんね」と口火を切ると、

 深雪が「理性がとても強い方だと思いますから」と追従した。

「いろいろ素直じゃありませんよねぇ?」というのはあずさの言葉で、

「意外に真面目ですから、仕事の手がなくなるのは痛いですね」との評価は鈴音のものだ。

 

「真由美?」

「うん、やっぱり捻くれていて、優しくて、臆病で、寂しがり屋で……そして、とても心の芯が強い子」

「そうだな」

 

 同じく苦笑を返しながら、摩利は自分の考えを口にした。

 

「あたしの意見はシンプルだ。

 比企谷の魔法を明るみにだすのは反対だ。

 そして記憶を消されるのも御免だ」

 

 考えてみれば、摩利だけでなく、ここにいるメンバーと比企谷の繋がりは、さして大したものではない。

 高校生活のわずかな期間。しかも上級生組は学年が違うから、放課後のわずかな時間を共有しているだけの関係でしかないのも事実だ。達也も二科であることから、普段の接点はない。

 薄い繋がりだ。卒業してしまったら切れてしまうかもしれないほどには。

 例えば今回の件で、比企谷がこちらを見捨てて保身に走ったりしていれば、見限るという意味ではすぐにでも関係は切れたかもしれない。わずかな信頼も、信用も、水泡に帰しただろう。

 けれど違った。そうではなかった。なのに何故、その繋がりをあえて切らなくてはならないのか。

 

「人間関係でどういう結末を迎えるのであれ、それはあたしの意思で決めたい。周りの、それもテロリストなんて阿呆な連中のせいで、付き合い方を見直さなきゃならんとか納得がいかない」

 

 比企谷が生徒会室に赴くようになってから、少しだけ、普段は堅苦しいこの部屋に、ふとしたことで笑いが生まれることが多くなった。その時、決まってそのきっかけを作っているのはあの男だ。

 別段、比企谷がボケているとかではない。言葉巧みに話術で他者を楽しませるようなことは決してない。そんな器用なことが出来る男なら、もっとうまく人生を立ち回っていただろう。

 いや、違うか。真由美への対応と言い、なんだかんだであの男の振る舞いは天然かと思う時がある。

 今日のことは、その典型例だった。

 前に出てテロリストの行動を防ぐ。比企谷はその自分の行動を我侭だと言った。傲慢で、現実を視ようとしない甘い戯言から生まれた、独りよがりな押しつけなのだと。

 それを否定はしない。甘いだと断じた達也の意見にも賛成だ。けれど、それだけのはずがないだろうと、声に出してあの時反論するべきだった――今になって摩利は後悔している。

 それは他人を思い遣った末での我侭じゃないか。とても不器用で、とても分かりにくい、彼らしく、捻くれた優しさから生まれたものだ。それはここにいるみんなが気づいている。

 だから摩利は、おそらく真由美も鈴音も、自分たちに傷ついてほしくないと口にした年下の少年の想いを踏みにじるようなことはしたくなかった。

 

「テロリストのことがなかったとしても、比企谷の魔法のことをどうするかは、比企谷と話して決めるべきだ。あたしらが勝手に決めることじゃない。それは裏切りだと思う」

「摩利……」

 

 真由美の言葉に出せない困ったような表情が、彼女の感情の全てだと摩利は思った。彼女が自分と同じことを考えていることくらいはわかっている。伊達に親友をやっていない。だが十師族という枷がある彼女では言いにくいことだってある。比企谷を生徒会に引き込んだ責任も感じている親友は、おそらく自分たち以上に比企谷の魔法の対処について迷っただろう。

 真由美の背中を押して考えを決めさせたのが、比企谷本人の言葉だというのは、何ともおかしな因果だった。

 

「しかし達也くんが言った通り、このままだと比企谷は間違いなくあたしらの記憶を消して、関係をリセットしようとするはずだ。

 だからそうさせないための、あたしの考えを言うぞ。

 討論会開始と同時にあたしと中条が表に出る。中条には悪いが、テロリストの矢面に立つ。講堂のほうは服部と市原で何とかしてほしい」

「どうされるおつもりですか?」

 

 比企谷の魔法によって行動阻害されるのはテロリストだけではないという鈴音の言外の質問に、摩利はあっけらかんと答えた。

 

「それにはまず第一条件としてあたしらが自由に動けないと駄目だ。ということで、これから比企谷を探してあたしらもパーティに入れてもらう」

「あ、なるほど。いいですね、それ」

 

 意外にもあっさりとあずさが納得した。

 

「あーちゃん、怖くないの?」

「テロリストは怖いですけど、でも比企谷くんの魔法が守ってくれますし」

 

 彼女の中では、プロフィールやステータスを見られることは恐怖ではないらしかった。

 一方、講堂を任された鈴音は深く溜息を吐いた。

 

「分の悪い賭けですね。お二人がテロリストの前に出ることで、比企谷くんの魔法によって得られる効果すべてが、自分たちの仕業のように振る舞う、と言うことでしょう?」

「有体に言えばそうだな」

「魔法に関して詳細を隠匿できたとしても、それを十文字会頭が信じると思いますか?」

「もちろん、そのままじゃ無理だ」

 

 あっさりと摩利は鈴音の言い分を認めた。

 実際問題、その程度でごまかされるような男ではないことは百も承知だ。

 十師族の中で、四葉、七草と次いで実力と実績を持つ十文字家。その跡取りにして当主代理を務めるほどの男だ。魔法師としての実力もさることながら、指揮統率力に優れ、人望もあり、人格者でもある。

 一高では三巨頭などと並列に呼ばれはしているが、魔法師としての立場は摩利では比較にならない。同じ十師族であっても、真由美でさえ届かない立場を持つ男に対して、不必要なごまかしは逆に不信を生む。

 十文字をその程度の稚拙な工夫でごまかせるとは考えていない。

 

「というわけで、何かいい案ないか?」

「そこで丸投げしますか……」

「仕方ないだろう、今すぐそんな効果的で具体的な対策が思いつくはずないじゃないか。ついさっきのことなんだから」

 

 こほんと咳払いするも、全員の視線が摩利を射抜く。さすがにいたたまれなくなって彼女は目をそらした。その彼女の態度に、達也がクスリと笑みをこぼす。

 

「比企谷の魔法を隠蔽するにあたって、最大の障害は十文字会頭でしょう。そして彼をごまかせる可能性があるとすれば、それは同じ十師族である会長以外にはいないと思います」

「あたしや中条では不服か?」

 

 わかっていながら唇とがらせると、同じく名前を挙げられたあずさが「わたしは不服なんてありませんからね!」と冗談を真に受けて慌てて真由美に弁明していた。

 

「いや、すまん。冗談だ、中条」

 

 達也の意見は正鵠を得ている。真由美であれば文句は出ない。それは十文字家だけでなく、七草家やその他十師族に対して偽りを見せるのであればなおさらだ。

 

「ですが、お兄様、会長がテロリストと対峙されるのは、比企谷くんの好意を無碍にしてしまうのではないですか?」

 

 言外に、比企谷が一番気にかけているのが真由美だというニュアンスを含めると、言われた当人の顔が赤らんだ。

 

「そ、そんなことないわよ。八ちゃんはみんなに言ったんだと思うわ。きっと、たぶん……って、摩利? 何で笑ってるのよ!」

 

 ニヤニヤと緩む唇を抑える気もなく、摩利は達也に向き直った。

 

「いや別にぃ? ――で、達也くん? そう言うからには、何か案があるんだろう?」

「ええ。ただそのためには、ここにいる全員が少しオーバーワークになるかもしれませんが……」

「なに、その程度は構わないさ。なぁ?」

 

 誰からも反論は起きなかった。真由美は別の意味でふくれっ面をしていたが無視した。

 

「では――……」

 

 達也の講じた案に、一同が静まり返る。淡々と告げる彼の表情は変わらず、だからこそ不可能ではないことを物語っている。

 

「しかし司波くんの案を採用するには、比企谷くんが課した条件をクリアして、自由行動できる必要があります」

 

 達也のように、パーティ登録してブルーになればそれも可能だろう。しかし、それを比企谷が受け入れるかどうかという問題もある。だが鈴音の指摘に、達也はふと笑みを浮かべて、決定的なことを口にした。

 

「いえ、その必要はありません。

 何故ならここにいる全員が、既にグリーンカーソル(・・・・・・・・)だからです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




お読みいただきありがとうございました。
誤字脱字報告ありがとうございます。随時適用させていただいております。

「主人公が去った後、その時彼らは……」的な場面。Interlude。魔法科キャラの思うことあれこれの回です。
魔法科って一部除き人を見る目のあるキャラばかりなので、八幡のいいところもわかってくれるといいなぁ、とか希望的観測をもとに書いてしまった話です。
原作よりもちょっと人情的にしてしまったかもしれないとは思っています。
ごめんなさい。

次回はついにテロ、襲来!
八幡無双なるか? 

よければ次回も読んでやってください。よろしくお願いします。


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入学編#10  比企谷八幡は生まれて初めて仲間を得る。

 

 

 遠くからマイクのハウリング音を耳して、討論会が始まったのを知ったと同時に、『結衣(ゆい)』を起動――俺の感覚は波紋のように広がった。

 想定通り、魔法科高校の中心部を含む、半径一キロを索敵範囲に収め、その空間内にいるすべての人間の位置を把握する。その空間内全ての空気を読んだと同時に、すかさず『雪乃(ゆきの)』を呼びだす。

 否定するのは、対象、目的を問わず、危害を加えることただ一つ。グリーン以外のキャラクター全てに対して課した、俺の傲慢さが生んだ命令。

 世界は変えられない。自分は変えられる。ならばどうするか。

 答え、俺が神だ。

 

「はっ――」

 

 わかっている。これは自嘲だ。そうやって格好つけていないと心が折れそうになるのをごまかしているだけ。嘘で塗り固められた虚構の神様は、太陽に近づけば翼を焼かれて地に墜ちる。

 だから調子に乗ってはいけない。自重しろ。落ち着け。冷静に前を視ろ。たとえいつか墜ちるのだとしても、いまはただ、堅実に行くしかないのだ。

 数台の車が入ってきた。遅れてトラックがさらに数台。そのコンテナの中に何人も潜んでいるのがカーソルで分かる。

 色はすべてレッド。

 ああ、とうとうお出ましだ。

 風紀委員と部活連からの選抜部隊の姿は見えない。理由はわからなかったが、逆に都合がよかった。

 テロリストたちは車から降りて武器を手にし、一部は講堂に、一部は校舎に、一部は壬生先輩からのリーク通り図書館へ向かったようだ。前二つは陽動。本命が最後であることも承知している。

 中腰で銃を構えた連中の一部は、魔法科の生徒が誰一人周辺にいないことを確認しながら、こちらに向かってきた。

 荒々しい靴音と共に、ライフルを構えた集団が俺の視界になだれ込んでくる。

 

「いたぞ! 魔法科の生徒だ!」

「ひゃひっ!」

 

 分かっていても、銃を向けられたら怖いよね? だから思わず裏声が出てしまった俺は悪くない。銃を向けた彼らが悪い。

 というか勧告すらなく撃つ気かよ!

 しかしその行為は、俺が課した事象の否定に抵触する。

 銃を構えた瞬間、想定通り、彼らの意識は刈り取られた。バタバタとその場で昏倒していく様子を見つめ――見つめて、見つめるだけだった。

 

 …………死んでないよな?

 

 敵さんの部隊は小分けされているらしく、気絶した彼ら以外は別の場所へ向かったらしい。しばらく静かになる。別の場所から足音だけがうっすらと、時折「どうなっているんだ?」という罵声が聞こえ、耳を澄ましてもドンパチは聞こえない。銃声はならない。爆発もしていない。

 そのことにほっとする。

 深く息を吐く。

 吐く。吐く。吐いて、せき込んで、それでも、もう一度、吐き捨てて。のどに痛みを感じてようやく息を吸って、俺は顔を上げた。

 倒れたテロリストたちに忍び足で近づく。及び腰になったかもしれないが、誰も見てないので良しとしよう。その胸部が上下に動いていることを確認して、念のため、適当な一人の首筋に指を這わせて脈を測ると、ちゃんと音が聞こえた。

 

「ふぅぅぅぅぅぅ…………」

 

 思わず肺の中の空気を全力で吐き出した。よかった。息している。気絶しているだけだ。

 大丈夫。俺はやれる。俺はスーパー、俺は最強、俺は神様。よし。

 

「何だどうなっている、他部隊からの連絡はどうした?」

「くそっ! おい貴様! 魔法科の生徒だな! 魔法で何かしたのか! 答えろ!」

「げっ! また来た」

 

 想定外の事態に慌てふためきながら、それでも攻勢をやめない部隊が現れた。銃を構えようとして、やってきたのと同じくらいの勢いでバタバタと気絶していく。

 ちょっと殺虫剤っぽいよな……俺が。

 いや、そんなバカなことはどうでもよくて、あの勢いで倒れたら、ちょっと危なくないか。いや、大丈夫だ。それくらいは自業自得だ。想定内だ。びっくりしたけど、予想通りだ。

 俺は大丈夫。会長たちも大丈夫。生徒たちも大丈夫。ならば続行あるのみ。

 でもこれ、心臓によくない。本当によろしくない。人が脅かしてくるタイプのお化け屋敷に似ている。なので出来れば今から攻撃しますって言ってから気絶してほしい。無茶か? 無茶だな。

 

「まったく、お前はもう少し自分の心配しろ」

 

 後ろからパンっと背中を叩かれる。……え? いや、えぇ? 

 

「は? あ、れ? 何で……?」

 

 振り向いた先にいたのは渡辺先輩だった。中条先輩もいる。渡辺先輩は俺の動揺など素知らぬ顔で俺の隣に立ち、やってくる敵に対してにこやかに、堂々と、一切臆することなく、苛烈なまでの激情を双眸に宿しながら、デバイス操作をして魔法(・・)()発動(・・)した(・・)

 それをきっかけに追撃部隊もまた、何もできないままに気絶する。『結衣』でよく視ればわかるが、渡辺先輩の魔法は届いていない。あれは『雪乃』の効果で気絶しただけだ。

 だから戸惑った。何のために魔法を? いや、そもそも――

 

「うん? あたしらが何でここにいるのかって?」

「それはもちろん、比企谷くんを助けに来たに決まっているじゃないですか!」

 

 ふんっと拳を握りしめて、どやぁ的な顔をした中条先輩の頭を思わず撫でそうになった。

 それはいい。いいのか? いや、じゃなくて!

 

「何で……?」

 

 先ほど背中を叩いたのは攻撃でも何でもなく、ただ先輩が後輩におふざけ的な接触をした程度の勢いだ。実際、痛みなど何もなかったから、危害を加えないという範疇には含まれないのだろうけども。

 問題は、渡辺先輩が魔法を遣ったことだ。

 あれがなんの魔法なのかは司波と違って起動式の読めない俺にはわからない。空気を読めてもきっと分からない。攻撃する意思がなかった? ならなおさら、彼女らが俺の前に出て、テロリスト相手にそのような行動を取る理由がわからない。

 下手をすればテロが闊歩する構内で意識を奪われるってわかってる? ――そんな俺の疑念は、視界に入った彼女らの頭上に浮かぶ、敵味方識別を示す逆三角錐の立体によって遮断された。

 その色が鮮やな蛍光グリーンになっていることに、少しの間、俺は理解が追いつかなかった。

 

「……え? は? グリーン? マジで?」

「どうやらそうらしいな。何だ、気づかなかったのか?」

「…………」

 

 無言を返すしか出来ずにいると、やれやれと渡辺先輩は苦笑した。

 

「空気が読めてもそれに気づかないとか、何とも比企谷らしいなぁ――ともかく、達也くんのようにパーティメンバーではなくても、あたしらも自由に動けるってことだよ。つまり味方だから、そう怯えるな」

 

 いやいや、俺は超冷静、超クール、スーパー冷静ですよ。なんならクールにクールを掛け合わせてみるまである。

 俺はいつだってクール×クール。

 お、ちょっと格好いい。でも最後にパーとかつけると意味が変わるのでしてはいけない。

 ともかく絶対零度の俺の心はちょっとやそっとじゃ怯えたりしませんとも。ええ、まったく、これっぽっちも、怯えるとかありえない。

 ただ、何? 驚き過ぎて挙動不審なだけだ。怯えているとか名誉棄損である。

 

「い、い、いや、でも、それは、えっと……」

 

 いかん。言葉が出ない。落ち着け俺。思った以上に動揺しているらしく、口から言葉がうまく出てこない。こういう時は深呼吸だ。

 

 …………深呼吸ってなんだっけ?

 

「ヒッヒッフー? ヒッヒッフー?」

「何故、唐突にラマーズ呼吸?」

 

 呆れたような渡辺先輩のツッコミに気づく。どうやら違ったらしい。その辺に穴とかないですか? なければスコップでもいい。穴掘って埋まります。

 

「はい、比企谷くん、落ち着いてくださいね。こういう時は深呼吸です。吸ってー、吐いて―、吸ってー、吐いてー」

 

 中条先輩の声に癒されながら、息を吸って吐く。繰り返していると、どうにか鼓動が収まってきた。この人、小柄で幼い容姿のせいで時々忘れそうになるが、年上なんだよなー。お姉さんか。いいかもしれない。

 

「……はふぅ……」

「落ち着きましたか?」

「……えっと、はい、なんとか、どうにか……」

 

 お礼を言おうと頭を下げようとして、しかしそれは中条先輩に止められた。

 

「たくさん頑張りましたね。でもここからはわたしたちにも頑張らせてください」

「え、あ、いや、でも、それは……」

「比企谷。真由美の言葉を覚えているか?」

「え? ……え、ええ。まぁ、その、なんとか……」

 

 え? どれのことだ? とは口には出来なかった。あの人にはいろんなことを言われた。覚えていることもある。忘れているかもしれないことも、きっとある。

 

「なら、わかるだろう? お前が真由美に傷ついてほしくないように、真由美もお前に傷ついてほしくないんだ。それはあたしらも同じだ。だからここに来た」

「…………」

 

 それは、あまりにも単純明快な理由だった。ただそのためにここに来たと、竹を割ったように言い切った渡辺先輩の笑顔を直視できずに、俺はそっぽを向いて黙り込んだ。

 そんなことを言われても困る。何と返していいのかもわからない。

 家族以外で初めてグリーンとなる人が出てきたからと言って、怯える必要も動揺する必要もない。俺は『結衣』を信じている。だから空気を読んだ彼女が味方であると判断したのなら、それは間違いなく、俺の味方なのだ。

 同情? 憐憫? 哀れみ? 彼女らの言葉は一体どこから来た動機だろうか。けれどグリーンなのだ。そこだけは疑いようがなく、だからその言葉に虚構がないことも間違いない。

 だけど、それでも、どうしたって、彼女らの行為の裏側があるのではないかと疑ってしまう俺は、どこまでもあさましく、愚かで、臆病者だ。

 信じるな、疑え、きっと彼女らはいつか俺を裏切るに決まっている。そう思うことで、自己防衛を図ろうとする卑怯者。

 失うくらいなら、最初から手を伸ばさない。だから俺は何もいらない。一人でいい。自分のことは自分で。当たり前のことだ。誰だってしていることだ。頼らず、寄らず、自分の足で歩んでいくしかない。

 その歩みに寄り添ってくれる人がいたとしても、それはただ、たまたま歩く道が並行だっただけだ。交わることはない。ぶつかることもない。伸ばした手は届かず、届いても握り返されることはなかった。

 だから俺はいつだって、どこまでも一人だ。

 それでもいいと思ったから、今、俺はここにいる。犠牲になんてなったつもりはない。お互いが、お互いの道で、平凡ながらも平穏で心休まる道になるための選択だ。近づいても傷つけるだけなら離れた方がいいに決まっている。だというのに、生徒会のみんなとの終わりの分岐が見えている今になって一番距離が近づくとか、皮肉にもほどがあった。

 彼女らの手を取ることはできない。それはすぐに手放してしまう温もりだから。

 落ち着きを伴って、渡辺先輩に向き直ると、彼女はじっと、寂しげ気に、こちらを見ていた。

 もしかしたら、気づいているのかもしれない。俺の次の行動に。俺の考えていることに。俺がごまかすのが下手である以上に、勘のいい人たちだから。

 それでも、そうとわかっていてなお、俺に手を差し伸べてくれるのなら、それは同情でも哀れみでもなく、惜別なのかもしれない。その思いすら嘘なのかと疑うには、彼女らの眼は真剣に過ぎた。

 真剣だからこそ、彼女らの優しさが嘘ではないという事実がひどく胸に痛かった。

 けれど欺瞞でない優しさを向けられても、返す術など俺は持ち合わせていない。もらっても返せないのに、もらうわけにはいかないのだ。施しなんてもっと御免だ。

 拒絶する。そんなものは要らない。そう言い切ってしまえばいい。けれどその一言が声に出なかった。

 そうして思ったことを口にすることすら出来ないでいると、

 

「その反応だけでも十分ですよ?」

 

 中条先輩が、やんわりと俺の言葉を遮った。

 いや、ちょっと、心の声を読まないでください。

 

「お前がわかりやすすぎるんだ」

 

 その苦笑にすら、俺は何も返せなかった。

 

「さて、あまり時間もないから単刀直入に状況を伝えるぞ。奴らが攻勢に入ったのは討論会の終了間際だ。同時に行動を開始した講堂内のエガリテ所属の生徒は、既に全員が気絶して取り押さえてある。

 司波兄妹は予定通り図書館側へ回った。講堂内は市原と服部に任せた。風紀委員と十文字率いる選抜隊も、講堂内で待機させている」

「……え? あれ、それじゃあ、他の場所から聞こえる騒ぎは?」

 

 他の場所へ攻撃を仕掛けたテロリストたちが、俺の魔法に否定されて気絶して生まれた騒動だと思っていたのだが。違うのか?

 当初の作戦では、風紀委員や選抜部隊がテロの相手をするはずだった。その彼らには俺の魔法は伝えていない。だから申し訳ないが、交戦した時点で選抜部隊側も共倒れになったのではないかと予想していた。

 だが改めて『結衣』で察知してみればその通りだった。イエローの集団が塊でいくつか、講堂内に陣取ったまま動いていない。その周囲にレッドはいない。レッド――講堂へ向かったテロリストたち皆一様に講堂の外、点灯する一つのグリーンのもとへ集中している。

 彼らを後方へ下がらせたのは、俺の魔法の邪魔になるからかもしれないが――では、このグリーンは誰だ? と情報を読む前に、渡辺先輩が答えを示した。

 

「真由美が前線に出た」

「………………え?」

 

 想いは声にならない。だから言葉にならず、口をついて出たのはわずかに、息が切れたような音だけ。ただそれだけのこと。届かない言葉などに意味はない、だから黙るしかない。

 そもそも俺が何を言おうとしたのか、俺自身、分かっていないのだ。それを他人に分かれと言うのは傲慢に過ぎる。

 俺の言葉も、意思も、感情も、結局は独りよがりでしかない。そうとわかっていながらも、爆発してついて出た俺の感情は届かず、拾われず、だからどこにも行き場もなく霧散する。

 そう、思っていた。

 

「言っただろ?」

 

 けれど渡辺先輩は、静かに、優しく、ゆっくりと、それを拾った。

 

「お前が真由美やあたしらを守りたいと言ってくれたように、あたしたちもお前を守ろうと思ったんだ。

 真由美だって同じ気持ちだから、鉄壁と呼ばれる十文字を後ろに下がらせて、自分が前に出た。だから比企谷、あたしらにお前を守らせろ。代わりにお前があたしらを守れ」

「…………はい?」

「守ってくださいね」

「……え? いや、ちょっ、え? な、中条先輩まで、前に出るんですか?」

「はい。私と摩利さんと、会長の魔法が、比企谷くんを守るために必要だからです」

 

 いや、何でだよ?

 敬語も忘れてしまうほどの動揺から、口に出ずとも俺の疑問は伝わっていたはずだ。だけど二人は何も言わず、ただ微笑むだけだった。

 

「……なのでちゃんと守ってくださいね。あと、ちょっとだけすみません。比企谷くん、頭下げてもらえますか?」

「え? あ、はぁ……いいですけど。でも、なんで?」

「ちょっとだけ、触らせてください」

「………………ひぇ?」

 

 なんですって?

 え? あ、待って、ちょっと待って、服を引かないで。伸びる。伸びる!

 

「わ、分かりました! しゃがみます! 屈みますから!」

 

 あと顔が近い近い、あと近い! なんかいい匂いがするからもう少し離れてくださいお願いします間近で見ると肌白いしさらさらしてそうだしさっきから息がかかるんですけど甘い香りがうわなにこれ!

 

「ふむふむ」

 

 そうして勢いに圧されて屈んだ俺の頭に彼女の小さな手が乗る。わしわしと、少し乱暴気味に頭が撫でられているのだと知った瞬間、俺の思考は凍り付いた。

 

 ハチマンハ、コンランシタ。

 

「……ナニヲシテイラッシャルノデショウカ?」

 

 駄目だ、さっきとは違う意味で唇が動かない。

 

「ちょっとだけまだ怖いので、勇気をください」

「あ……」

 

 そう言えば、中条先輩はこういった荒事が致命的に苦手だったはずだ。そのことに気づいてぞっとした。悪寒が走った。

 彼女がここにいる理由。ここに来ようと思った理由。俺の頭を撫でるその小さなの手が、僅かに震えていることに気づいた瞬間、身体から力が抜けた。

 

「意外と髪質、固いんですねぇ。もふもふです」

「アホ毛が立っているくらいだからなぁ……」

 

 場違いな渡辺先輩の感想に返答できる余裕もなく、なすがままにされる。反抗? 出来るわけがない。

 中条先輩に撫でさせてくれと頼まれて断れるような男がいるだろうか。いやいまい。いるわけない。いたらそいつは男とは認めん。何ならこちらも撫でさせてほしいまである。撫でていいかな? 駄目かな。頼んでみる? キモイって言われない? 

 言われないかもしれないが、やめておこう。なんか彼女の震えを知った今、そういう態度は不誠実な気がする。でも今度お願いしてみようかしら。

 叶わない願いだ。未練だった。未練が出来た。安いな俺。

 

「……で、中条はいつまで比企谷の頭を撫でているつもりだ?」

「あ、すみません。ちょっと癖になりそうな手触りだったので、つい……」

「真由美ひとりにしておくわけにもいかない。そろそろ行くぞ」

「はい!」

 

 ……え? もう終わり? もうちょっと……いやいや、そうじゃなくて!

 

「お前はそこから動かず、いや、出来ればもっと落ち着いた場所で魔法の展開に集中していろ。ただでさえこういう広範囲な魔法行使は神経を使うんだ。試してみたことはあるらしいが、こんな極度に緊張した状態ではなかっただろう?」

「いや、まぁ、それは、そうですけど……」

「比企谷がその魔法を展開し続けてくれている限り、あたしらは無敵だ。攻撃も受けない」

「い、いや、けど、だけど、前に出るってことは、あれですよ? 連中の的になるってことで!」

「そうだな。けれど、後輩の男の子を独り矢面に立たせて、後ろの安全な場所でふんぞり返るようなこともしたくないんだ。あたしも、真由美も、中条も。前には出てこれなかったが、おそらくは市原もな」

「……………」

「だから、せめてそれくらいはさせてくれないか。それとも、あたしらが信用できないか?」

 

 その聞き方は卑怯だ。

 言葉もなく、首を振る。声に出なかった。

 

 もうわかっている。ごまかしようもない。どんな言い訳を並び立てようと、理論立てた理屈で武装しようと、俺の思考なんてものは彼女らの感情によって容易く砕かれる。中条先輩の震えと、その先にある決意を見て、俺に向けられた感情が欺瞞なのだと切り捨てられるはずがない。

 その優しさを、もう疑えない。そのことが、逆に怖い。

 目に見えない、掴んでも掴めない空虚なものを、疑えないことがひどく怖い。

 だけど彼女らは、その俺の反応すら予想通りと言った感じで、優し気に笑うだけだった。

 

「なら、あとは任せろ」

「行ってきますね」

 

 颯爽と踵を返す、その後姿を呆然と見送る。渡辺先輩、男前すぎやしませんかね? 中条先輩はやはり可愛い。

 あ、いや、そんなことはどうでもよくて。

 あれ? 俺が朝、生徒会室で言った決意とか、覚悟とか、どこに行ったのだろうか。七草会長、渡辺先輩がいるなら、俺なんてこの場にいる必要もないだろうに。

 もとより俺の魔法だって要らなかった。俺が出しゃばる必要もなかった。余計なお世話だった。いや、別に恩着せがましく身勝手な行動に出たわけでもないので、むしろ後で怒られる覚悟くらいはしていた。

 俺の魔法で、誰も傷つかない世界が完成する。

 きっと、それで最後だという思いがあった。

 だから下手な挑発をした。下手な言論で武装した。言い訳を並べて、ただ彼女らと距離を置くことに対して、正当な理由を探した。そして身勝手で周りを見ない独りよがりな行動の末、馬鹿なぼっちが一人、ここに佇んでいるのが現状だ。

 彼女らの世界に俺なんていらない。そう思おうとして、けれど――何故か、沸き起こる気持ちがそれを肯定させてくれない。

 守ってくれと彼女らは言った。代わりに俺を守るからと。

 何から、なんて聞くまでもない。考えるまでもない。答えは決まっている。

 ステータス画面から俺のサイオン残量を見る。テロリストたちの攻勢がいつまで続く分からないが、彼女らが前線に立ってしまった以上、絶対に気を抜けなくなった。

 

 生まれて初めて、絶対に、破れない約束が出来てしまった。

 

 

 

 

 

 




お読みいただきありがとうございました。
誤字脱字報告ありがとうございます。随時適用させていただいております。

八幡無双、またの名を殺虫剤モード(笑)。
スカッとする無双を想像された方はすみません。
ただ格好良く終わるとか八幡らしくないとか思いつつも、でもぼっちでも頑張る八幡に報われてほしいという私の個人的な願望が入り混じった回でもあります。

次回はあっさりとテロ事件収束話。
あれ? 何で達也がキャラクターカーソル見れるの? 的な回。

よければ次回も読んでやってください。よろしくお願いします。
 
 
*****
2017/12/27
そう言えばテロ連中は勧告もなしに問答無用に撃っていたなと思ったので、八幡とテロリスト達のコンタクト部分を修正しました。




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入学編#10  -Interlude……

 

「よかったのか?」

 

 真由美と合流しようとする最中、摩利の言葉にあずさは「何がですか?」と聞こうとして、けれどその問いが比企谷のことだと気づいて言葉を呑んだ。

 これでよかったのか? その思いはまだ渦巻いている。

 比企谷を残してきたこと、ではない。

 自分が前に出てきたこと、だ。そのことで彼が思い遣ってくれたことを踏みにじっていないかと。それだけがあずさにとって心残りだった。真由美や摩利と一緒に前線に出ること自体に異論はない。

 摩利が聞いたのは、そのどちらのことも合わせた問いだった。

 

「はい、いいんです」

 

 けれど、あずさは迷いなく頷き返した。

 まだ震えが収まったわけではないが、鼓動は落ち着きを取り戻し始めている。恐怖はある。これから先に待ち受けるだろう困難も、予想はできている。それでも気持ちがぶれなかったのだから、この感情は本物なのだと、あずさは自信をもっていた。

 摩利が比企谷に言ってくれたこと。あずさにとっても、それがただ一つの答えだ。

 

「わたしと同じくらい怖がりで、他人を傷つけるのをためらう比企谷くんが、震えながらも頑張ってるんですよ?

 一人なんかじゃないのに、一人で頑張る必要なんてないです。会長や摩利さん、鈴音さんや司波くんたちがいます。わたしもいます。

 わたしたちのために頑張ってくれている年下の男の子を、一人にさせたくないじゃないですか」

「……うん、まぁ、そうだな。そうなんだが……」

「どうかしました?」

「これは本人が気づいてないパターンか?」

「はい?」

「いや、何でもない。やはり比企谷を受け入れて正解だったなと思っただけだ」

 

 どういう意味かは図りかねたが、それを問い返す時間はなかった。真由美の背中が見えたからだ。

 

「中条!」

「はい」

 

 あずさの固有魔法『梓弓』は人の情動に干渉する魔法だ。精神干渉系魔法は、数ある魔法の中でも特に厳しく法律で規制されている。本来なら軽々しく使用できるものではない。未成年者が独自の判断で勝手に使えば、後ほど、厳しく処罰される可能性だってある。

 

(だけど――)

 

 それでも、今この時に使わないで、いつ使うのか。

 真由美の演説――討論会は最後は真由美のオンリーステージになっていた――の終わりに行動したエガリテの生徒たちをとどめたときに一度。

 比企谷に会う前に一度。

 そしてこれが三度目。

 普段は首元のチェーンにかけているロケットを手に握る。視界の端にテロリストたちがいるのが目に見えているのに、思いのほか、集中は一瞬で済んだ。恐怖はもうない。

 ただひとり、怯えながら、怖がりながら、震えながら頑張っていた男の子のことを想い、サイオンをロケット型の術式補助デバイスに流し込む。

 自らの手に具象化した、光の弓の弦を弾く。矢はない。澄んだ弦の音が、空間を渡っていく。それはまさに鳴弦の儀。弓に矢をつがえずに弦を引き音を鳴らす事により、霊子(ブシオン)を震わせ、魔気・邪気を祓うが如く世界に浸透していく。

 澄み切った響きは、その場にいた人の情動を直接震わせ、無意識下に働きかけて、感情を平坦にさせる。

 それは理不尽な暴力でもって魔法科高校を攻め入ろうとしていたテロリストたちの激情を、たった一秒にも満たない一瞬で鎮静化させる結果となって効果を現出させた。

 これから自分たちは、世界を欺き、物理をごまかし、人に偽りを見せる。だけど、真由美がいて、摩利がいて、達也と深雪がいて、比企谷がいる。一人じゃない。不思議と恐怖はなかった。

 

 

   ***

 

 

 達也と深雪が向かった図書館は、情報の通り静かな様相だった。その分、陽動が派手に動いている証拠でもあるが、本命の割にはお粗末で杜撰な部隊編成と言うのが達也の率直な感想だ。

 外に見張りはいない。すんなりと抵抗もなく中に入る。

 本来なら、自身の持つ『精霊の眼(エレメンタルサイト)』を使って敵の配置を把握するところだが、今の達也にその必要はなかった。自分の目に映るのは、敵であることを示すレッドカーソルのキャラクター配置だ。

 エイドスを読み取り把握するという点で共通するこれらの力は、戦いでは非常に役に立つ。戦いを望んでなどいない者にこそ戦う力が宿るとするなら、力を渇望してやまない連中にとっては何とも皮肉なことだ。

 だが例え望んでいなくとも、降りかかった火の粉は振り払う。比企谷と違って、達也はそれを戸惑うことはない。遣うことにも躊躇はしない。ただ今回に限っては遣う必要性すらなく目的地を把握することが出来た。

 二階の奥にある閲覧室。そこに数人の男たちと、一人、後方で控えている女子がいた。それが壬生先輩だろう。登録していたパーソナルナンバーにかけて、声に出さずに応答を依頼する。これから突入することを連絡すると、彼女は軽く咳ばらいを一度して、すぐにコールは切れた。

 自分たちの到着に驚いて、慌てて攻勢に移ったのは一高の剣道部員だ。手に持ったのは刃の入った真剣。それをふるうことの意味を、彼らはわかっているのだろうか。それは紛れもなく人殺しの道具だと、わかって手にし、振り下ろそうとしているのだろうか。

 考えて、達也は表情に出すこともなく胸中で否定した。

 耳障りのいい言葉に踊らされた結果が今の彼らなのだとしたら、ブランシュに誑かされたことを差し引いても彼らに同情する余地はない、というのが達也の率直な感想だ。例え自分の才能に未来と価値を見出せず、凡庸であることに絶望した結果なのだとしても。

 その安易な道を選ばず、いまだ苦悩しながらも正道を進む者たちに対する侮辱だ、なんてことを考えたわけではない。

 連中はただ自分の才能が、自分を取り巻く周囲の環境が、人間が、そして社会が気にくわないと考えている連中だ。言い換えればただ単にグレただけだ。お上品に不良化した印象しかない。それがテロへの加担になったのだとしたら、実に笑えない結果である。そんな連中に思慮深く気を遣ってやる気は毛頭なかった。

 制圧するのは容易だし、殺しに来ている連中に手加減する必要もない。殺し返しても正当防衛だろう。

 しかしそれでは、心を痛めながらもテロリストたちに同行している壬生先輩と、そんな彼らすら傷つけることをためらった比企谷の顔をつぶすことになる。

 だから達也は、後ろに深雪を連れたまま、何もせずに彼らの前に歩み出て、そのまま止まることなく閲覧室へと足を向けた。何もしなくとも、比企谷の展開した魔法によって彼らは意識を刈り取られていく。

 

「すごいですね」

 

 深雪の呟きは独り言のようだったが、達也は無言でうなずき返した。その感想には達也も同意見だ。比企谷の魔法の恐ろしさは理屈の上では理解はしていたが、実際に目の当たりにしても、やはり驚きを隠しきれなかった。

 

「文字通り無敵だな」

 

 だからこそ比企谷の魔法が世に知られた時点で、彼の自由は終わるだろうという確信が達也にはあった。十師族だけでは済まない。世界の誰もが欲するだろう力。それを手にすることへの渇望。危険だとする拒絶の意思。

 世界は割れる。世界は荒れる。嫌が応もなく、奴を中心にして。

 

「お兄様、お聞きしたいことがあります」

「何だい?」

 

 閲覧室に向かう最中で問いかけてきた深雪に、達也は穏やかな声で答えた。本来なら占拠された敵の施設内で取るべき態度ではなかったが、今の彼らに危害を加えられる者はいない。油断はせず、けれど気を張りすぎすることもなく、ただいつものように図書館に来た日常の延長のような声色で、妹に視線をやる。

 

「比企谷くんのことです。お兄様は本当は……」

 

 どうするつもりなのか。聞かれるだろうと思っていたが、それが思ったよりも早かったことに達也は少しだけ驚いていた。七草、十文字、という十師族への対処ではなく、自分たち()()()()()()()としてどうするのか、という問いかけだ。

 けれど達也は、微笑みながら首を横に振った。

 

「言うつもりはないよ。生徒会室で言った通りだ」

 

 達也と深雪が、生徒会室で語った言葉に嘘はない。ただし、それは真由美らには隠している出自を差し引いたらの話だ。だからこそ改めて深雪は達也の意向を知りたがった。深雪のほうは、自分たち兄妹に害が無い限りは比企谷のことに対して自分から動くつもりはない。

 

「……理由をお聞かせいただいても?」

 

 達也は深雪の実兄だ。だが一族内の立ち位置としては深雪のガーディアンでしかなく、役職としてはただの使用人に過ぎない。四葉本流の血筋であっても一族として扱われない、末端中の末端でしかない。

 そして今の達也ら二人は、その四葉の関係者であることを隠して第一高校に通う身だ。

 そのことを誰よりも理解し、警戒し、自分の立場が弱いことを知るからこそ慎重に、己の内側を見せることなく壁を作り、情報漏洩を気にする達也が、比企谷にステータスを見られることを許容した理由。深雪が知りたがっていることの本質を、達也は誤解せずに察していた。

 本来なら学内でする話ではない。だがそれでも気にせずにはいられなかった。誰の目も耳もない今だからこそ深雪の口をついて出た疑問に、達也は苦笑を返した。

 

「そうだね……」

 

 達也自身、普段ならガーディアン失格となる行動かもしれないことは自覚していた。だから深雪の抱いた疑問は至極自然なものだ。

 しかし比企谷から聞かされた魔法の力、その先にある結果、そして秘められた可能性と危険性――それらに思考が追いついた瞬間、何よりも大切な深雪のために、比企谷を何としても『内側』に入れなければならないというのが達也の抱いた直感だった。

 

「…………」

 

 そしてその直感は正しかったと、達也は深雪に悟られないように胸中で呑み込んだ。

 達也の視界に映る配置図(マップ)には、比企谷と摩利、あずさのカーソルが映っている。周囲にはテロリストと思しきレッドカーソルが大勢。そのうち閲覧できるのは、レッドである敵を除けば、パーティメンバ―である比企谷のステータスだ。

 比企谷のステータスを見る。HP。MP。特技。そして魔法一覧。

 

「お兄様?」

 

 魔法一覧から見れる限りでは、事象否定の魔法が『雪乃』、空気を読むの魔法を『結衣』というらしかった。

 何故、魔法名が人名――それも女性の名前なのかは気になるが、とても気になるが、問題はそこではない。問題だと思えなくなるくらいに些細なことだ。

 今、達也が、比企谷のステータスを見れていると言う現象自体が、彼の魔法の非常識さを物語っている。

 

「比企谷の魔法の可能性は、会長らに言ったそのままだよ。十師族に知られることの危険性もね。だからこそ、俺は比企谷の魔法を誰かに渡してはいけないと思っている。家族にも、響子さんたちにもだ」

 

 深雪がはっと吐息を短く吸い込んだ。

 達也の言う家族とは、父のことではない。無論、母・深夜(みや)がなくなった後に父が再婚した後妻のことでもない。叔母である四葉(よつば)真夜(まや)――十師族の中でも七草と並び勢力を誇る四葉家の現・当主のことだ。

 そして後者に出した響子とは――藤林響子といい、十師族の一角・九島家に連なる藤林家の長女である。魔法科第二高校出身の、その世代では有名な魔法師で、現在は日本陸軍一〇一旅団・独立魔装大隊に所属する軍人であり、隊長補佐を務める副官であり、()()()()()()()()()()()()()()であり先輩だ。

 つまり達也は、実家(四葉)にも自分の所属する軍にも知らせるつもりはないと言ったも当然だった。

 

「……比企谷くんを、どうされるおつもりですか?」

「どうもしないよ」

 

 それではまるで自分こそが比企谷を利用しようとしているみたいだなと思ったが、深雪がそういう意図で聞いた質問でないことくらい、達也も了承していた。

 

「ああ、でも、少しだけ考えてみたのだけど……いっそのこと、会長らも含めた俺たちで『()()()()』の勢力を作ってしまうというの手かもしれないね」

「お兄様、それは……」

 

 日本を裏で牛耳る十師族。その彼らと対抗するための十一番目という数字の意味を、深雪ははき違えたりしなかった。しなかったからこそ顔を青ざめて、思わず足を止めてまで兄を見つめた。

 つられる形で達也も止まって深雪に向き直る。浮かんだのは笑顔だった。

 

「もちろん冗談だよ。少数精鋭なのもいいけれど、流石に少数過ぎて勢力とは呼べないからね」

「……わ、笑えない冗談ですよ、お兄様。心臓に悪いです」

 

 胸をなでおろす深雪に、そうとわかるように、達也は笑顔で返した。冗談なのは確かだった。けれどその可能性を、ちらりとでも考えなかったのかと言えば、嘘になる。

 比企谷の魔法には、もしかしたら――否、もしかしなくとも、本人すら気づいていない別の本質があると達也は踏んでいる。

 少なくとも『結衣』は空気を読む()()の魔法ではない。

 深雪から視線を外して、達也は気絶した剣道部員の手にある真剣を見た。念じるのは一瞬。その存在を否定する。結果は達也ですら認識できない速度で現れた。

 注視していたつもりだった。瞬きすらしなかった。けれど視線の先には、もう刀は跡形もなかった。消える際の残滓すらなく、消える瞬間は『精霊の眼』ですら認識できなかった。

 

(俺の分解とは全く違う。やはり()()()()()何が起こったのかすらわからなかった)

 

 これが『雪乃』と呼ばれる事象否定の魔法。存在の否定によってもたらされた事象改変。

 達也の『精霊の眼』で視れないということは、エイドスを書き換えているのではないということだ。では、本当にこの魔法はなんなのだろう。

 興味が尽きない以上に、空恐ろしくもあった。

 何故なら起動式も魔法式も公開されていない――つまり仕組みの解明されていない魔法を、他人が遣うことはできないからだ。BS魔法ならばなおさらだ。けれどその常識は『結衣』の前には意味をなさない。

 

 達也は『雪乃』を使えた。

 

 達也の目に映る比企谷のステータス。敵のステータス。キャラクターカーソル。敵味方識別。どれもすべて達也の『精霊の眼』では見れない情報だ。見れるようになった原因は一つしかない。比企谷の魔法『結衣』によるものに違いない。

 ならば空気を読む魔法とは――『結衣』の本質とは何か? 

 

(空気を読んで、()()()()()()()()()()()()()()

 

 それは同時に、比企谷が達也の魔法を使えることも示唆している。

 軍や実家に渡せるはずがなかった。言えるはずもなかった。これらが魔法だというなら、自分たちが遣っているものは何だと言うのか。好奇心による歓喜と恐怖による寒気が同時に襲ってくる不可思議な感覚を、達也は初めて実感した。

 それが達也が実家にも軍にも言わないと言い切った理由の根源だった。

 自分のことすら十分に対応出来ていない現状では、時期尚早だというのが達也の結論だ。力も、知識も、人材も、何もかもが、まだ早い。結論付けることすら出来ないほどに、まだ、何も、整っていない。

 

「ごめんごめん。さ、着いたよ……壬生先輩、司波です」

 

 深雪をなだめながら再び閲覧室へ。扉の前で中の紗耶香に連絡を入れ、開けてもらうよう指示する。

 閲覧室内部は、通路と違ってとてもひんやりとしていた。この図書館でも随一のコンピュータが設置されているから、温度には気を遣っているのだろう。機密資料にアクセスできる校内唯一の端末にハッキングを仕掛けている連中は、その端末からデータを抜き取ることに集中しすぎて、達也らが侵入したことにも気づいていないようだった。

 敵であるはずの達也らを招き入れた紗耶香の行動にすら気を払っていないところを見ると、どうにも素人臭さがぬぐえない連中だと達也は場違いな感想を抱く。

 抱きながらも、降伏勧告をすることすらなく、無言のまま、手元の拳銃型CADを抜き放ち、容赦なく引き金を引いた。

 情報を抜き出し記憶する記録用ソリッドキューブが砕け散った。続いてハッキング用の携帯端末が分解される。ハッキングしていたデバイスから接続が断たれるまでのわずか数舜。彼らは驚き戸惑い、自分たちが犯罪行為をしていることを忘れているかのような顔でお互いを見やり、そうしてようやく思考が回復して達也らを見やった。

 見て、ようやく気付いた敵の存在に驚いて、慌てて懐から武器を取り出すという、その稚拙な迎撃工程を、達也も深雪も何をすることもなくただ見つめ、見つめるだけで事が終わる。

 何もできずに気絶した彼らを、ただ冷ややかな嘆息で切り捨てて、達也は紗耶香に向き直った。

 

「お疲れ様です、壬生先輩」

「あ、ううん。あたしはほとんど何もしていないんだけど、ねぇ、あの、何がどうなったの?」

 

 テロリストたちがいきなり気絶したことを指した紗耶香の質問には、達也は微笑で濁した。

 

「俺の魔法を遣いました。内容は聞かないでいただけると助かります」

 

 こういわれて問い続けられるほど無神経な人間はそうそうそういない、という達也の目論見は正しく、紗耶香も聞きたそうな顔をしてはいるものの、それ以上魔法については聞いてこなかった。

 

「外のほうは?」

「あらかた鎮圧し終えました。壬生先輩が、情報を流してくださったおかげです」

「そう……役に立てたならよかった。その……怪我とかしてない?」

 

 司波くんは? という質問だったかもしれないが、達也はあえてとぼけたふりしてその対象を全員に移し替えた。

 

「ええ、表立った被害があったという報告は受けていません。生徒は一部を除いて全員が講堂に集合していますからね」

「剣道部の……みんなも?」

「気絶しているだけです。悪くても打ち身程度でしょう」

 

 そこで紗耶香はようやく息を深く吐き出した。ほとんどスパイなんて真似をしていたのだから、緊張していて当然だ。深雪が気遣って背中をさすってやると、しばらくして息を整えた紗耶香が顔を上げた。

 

「ありがとう司波さん……もう大丈夫よ。それで、これからどうするの?」

「会長らと合流します。ただその前に、先輩、ブランシュのアジトがどこかご存知でしたら、教えていただけませんか?」

「え?」

「お兄様?」

「まさか、司波くん?」

 

 そのまさかですよ。という言葉を視線だけで返して、達也は無表情のまま紗耶香を見つめ返す。言葉で逃す気はなかった。

 比企谷の顔は立てた。だからここから先の行動は、四葉のガーディアンとして、深雪の兄として、守るべきものを守るための攻勢だ。

 だがそれを問いただすよりも先に、通信が入った。

 

『こちら七草です。テロ集団の鎮圧を完了しました。

 今、十文字君らに手伝ってもらって捕縛しているところです。警察も到着したようなので、彼らに引き渡します』

 

「図書館の司波です。了解しました。

 こちらも連中は全員鎮圧済みです。壬生先輩とも合流しました。彼女に怪我等はありません。ただエガリテに参加していた剣道部所属の生徒が十人弱と、閲覧室にハッキング担当が数人転がっていますので、何人か、捕縛用に人員を回していただけませんか?」

 

『こちら摩利だ。了解した。風紀委員から選んでそちらに行かせるよ。壬生にご苦労様と伝えておいてくれ』

 

「了解です。そう言えば――」

 

 と続けようとして、達也は言葉を呑んだ。

 視界の端に警告と思しき赤い点滅が飛び込んできたからだ。実際、その赤い点滅の中央には文字通り『WARNING』と表示されている。達也は思わず自分の目を疑った。

 

『達也くん?』

 

 赤い点滅は止まる様子はない。つくづく便利な能力だなと感心する一方で、達也は地味に焦っている自分を自覚しながらステータス画面に視線を走らせた。警告をたどって表示されたのは、パーティメンバーのステータスだ。メンバーは達也と比企谷の二人だけ。達也に異常はないのだから、答えは簡単だった。

 何の警告なのかという疑問も直ぐに解けた。あの赤は、パーティメンバーが危険域に入ったことを示す信号だ。比企谷の状態が『虚脱』『衰弱』となっている。MPがゼロになり、HPもそれに合わせて減少していっているようだった。その状態がやがて『気絶』『昏睡』に変わった瞬間、達也は通信機向こうの真由美にアラートを送った。

 

「会長、比企谷が倒れました。場所は――」

 

 通信の向こうで息を呑む音が聞こえ、すぐさま通信は切られた。

 サイオンが枯渇しているとはいえ、命に別状はない、というのはステータスからもわかっている。だがそれでも実際に目にしていない状況では、彼の様子を図り知るのは不可能だ。空気が読めても、理解できなければ意味がないと言った比企谷の言葉通りだった。

 達也の態度と言葉から、何かがあったことを察した深雪と紗耶香を促して、彼ら三人は図書館の外へ向かった。まずは摩利ら風紀委員本隊と合流する必要があった。

 歩きながら、達也は思う。

 これはきっとあいつが無茶をした結果なのだろう。サイオンが枯渇しても気絶するなんて状態は、そう容易く起きることではないからだ。

 

(お前が望んだ、誰も傷つかないで済む結末だ。だがその『誰も』の中に、お前が入っていないんじゃ意味がないだろう)

 

 通信の切れ方からして、真由美の慌て具合はステータスなど見なくとも手に取るように分かった。比企谷が傷つくことで傷つく人がいる。そのことに気づいていない当人の様子を慮りながら、けれど達也は前を歩く二人に気づかれないように、その当人に向かって毒付いた。

 

 あの捻くれ者め。

 

 

 




お読みいただきありがとうございました。
誤字脱字報告ありがとうございます。随時適用させていただいております。

何度目かのInterlude。♯10と同時に挙げられず申し訳ないです。
達也が難しかったです。。。

これにて事件は収束。一件落着。
え? 廃工場? 司一? ブランシュ日本支部?
そんなの達也だけで何とでもなるので、スキップですw
次回はようやく入学編エピローグ。

最後までお付き合いいただければ幸いです。
  
 ***
  
今年最後の投稿となります。
読んでいただいた方、感想・評価いただいた方、誤字指摘いただいた方、本当にありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
皆さま、良いお年が迎えられますように。


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エピローグ1

 

 

 夢から覚める瞬間を感覚として俯瞰しながら目を開けると、信じられないことに周囲は既に暗かった。夜はすっかり更けていて、空には星と月が見える。

 周囲は静かだった。音がないわけではない。夜間特有の冷ややかな静けさだ。時折風に揺られた木々のざわめきが妙に耳に残る。吹いた風が頬を撫でる。ぶるりと身体が震えた。

 渡辺先輩と別れてから、俺が向かったのは読書用に見つけたベストプレイスだ。そこで魔法を遣い続け、いつの間にか気を失っていたらしい。どれくらいそうしていたのかわからないが少しだけ身体が冷えていた。これで風邪ひいたらまた小町に怒られるかもしれない。

 あれから襲撃はどうなったのか――生徒会のみんなは? と考えるより前に、ふと、頭の下にある柔らかいものに気づいた。

 ふにっとした柔らかい、()()()、何か。

 

「あ、気づいた?」

 

 ぼやけていた視界が戻った先。目の前には大きな丘が二つ見えた。声はその丘の向こうから聞こえてきた。

 え? なにこれ?

 

「……………」

 

 あ。これはあれだ。絶対に触れてはいけない奴だ。ラッキーで触れても許されるのはラノベの主人公だけという点から見た場合、俺が触れたら即刻死刑直行すること間違いない。

 それを下から見上げている俺がどんな体勢でいるのか。そのことに理解が追いついた途端、脳が身体に速攻で逃げの一手を命令した。

 

「うおぉあっ!」

「あ、こら! ちょっと、急に起きたら!」

 

 混乱した勢いで力づくで上半身を起こすと、ふらりとすぐに視界がぶれた。体内の血が急速に抜けていく感覚。体温が下がる。頭が重い。あぁこれは貧血だなと、思考の片隅で冷静に分析しながらも、重力に逆らえずにすぐに身体はダウンする。

 身体は脳の命令を無視して、俺の精神状態なぞ気にすることなく元いた位置にポテリと戻ってしまった。この時には、既に起きる前に見ていた夢のことはスコーンとどこかに飛んで行ってしまっていた。

 

「駄目よ、急に起きたら。危ないでしょう?」

 

 再び柔らかい枕の上に頭を倒してしまった俺のおでこを、人差し指でピンっとはじいたのは七草真由美――魔法科第一高校生徒会長その人である。

 

「……あ、あ、あの、えええっと……?」

「うん?」

「な、なな何をして?」

「膝枕?」

 

 事も無げに口にする七草会長が、ひょこっと丘から顔を出す。なるほど、俺から顔が見えにくいということは、会長からものぞきこむ必要があるということだ。そしてお互いの視界を遮っているものが何なのか、彼女がわかっていないはずがない。

 ちょっと、それわざとですかそうですかそうですねそうに違いないわかっていていやっているだろうこの小悪魔め!

 だが狼狽えるな。冷静沈着に思考しろ。膝枕くらいなんてことはないように、普段の寡黙な俺のまま対処すべし。慌てふためけば、それだけで小悪魔の思うつぼなのだ。

 もう手遅れとか言うことなかれ。惜しむ心をガリガリ削りながらも、なけなしの根性で膝の上から移動しようとまだふらつく身体に力を入れる。

 しかし俺の意思を遮るように、七草会長の手が俺の額に添えられた。

 その手が震えていた。

 

「動いちゃダメって言ったでしょう?」

 

 再び、顔が見えなくなる。会長が顔を上げたからだ。鼻をすする音。彼女の涙目が視界に映って、自然と身体から力が抜けた。

 

「心配したのよ」

「…………」

 

 顔が見えなくなった分、声に注意できた。少しだけ、甲高い音が混じった声だった。

 何と答えていいものか、しばし迷う。ごめんなさい。もうしません。ご迷惑をおかけしました。以後気を付けます。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。労災おります? いやいや、いくらなんでも最後のはない。

 

「……すんません」

 

 ぼそりと、それだけが口をついて出た。言い分はある。理由も、考えれば思いつく。だが何を言っても言い訳にしかならないことを、何より俺自身が自覚していた。

 

「私が見つけたとき、比企谷くんは意識を失って倒れてたの」

「…………そうっすか」

「サイオン切れ。体力も激減してて、衰弱一歩手前だったそうよ」

 

 それで気絶したらしい。何と言うか、間抜けな結末だ。締まらない。俺らしいと言えばそれまでだが。

 

「普通はね、サイオンが切れたと言っても、どこかでセーブがかかるものなのよ。でも比企谷くんは意識を失うくらい限界まで使い切ったようなの」

 

 七草会長は俺の返事を期待しているわけではなかったらしい。どこか鼻が詰まったような声色で、続けた。

 

「顔を青くして倒れている比企谷くんを見たとき、目の前が真っ暗になったわよ」

 

 ペシペシッっと軽く額が叩かれる。そのままひんやりとした手が額に置かれて、俺の反応を待たず、小さく彼女は息を吐いた。

 

「気絶して、倒れて、体温もすごく低くて、息も細くて……ひょっとしたらって最悪のことまで考えて……達也くんが疲れて寝ているだけだから、回復には寝かせておいたほうがいいって教えてくれてなければ、今頃病院行き確定で大騒ぎね」

「…………」

 

 司波に借りが出来たかもしれない。

 だが解せない。なぜ俺は、校舎裏のベストプレイスで膝枕なんてことをされているのだろうか。

 

「保健室に運ぼうって思ったんだけど……」

 

 俺の疑問に気付いたのか、七草会長は少しだけ拗ねた音が混じった声でぽつぽつと語った。

 

「こうしたほうが、起きたときに比企谷くんは絶対に慌てふためくだろうからって、達也くんが……」

 

 やはり借りなんてないな。むしろ何してくれてるんだ、あの野郎。グッジョブとか絶対に言ってやらん。

 

「心配させた罰よ。甘んじて受けなさい」

 

 それを言われるとぐうの音も出ません。けれど司波の悪巧みをそのまま受け入れてしまっている七草会長は、俺に膝枕していることを気にしていないのだろうか。

 

「気分はどう? 吐き気とか眩暈はしない?」

「……大丈夫っす」

「寒くない?」

「……風が少し冷たいですが、風邪ひくほどではないですね。今日は暖かいほうだし」

 

 今はもう身体が火照っているのか、心地いいくらいだ。

 

「体力は?」

「全快には遠いですけど、まぁ家に帰って寝れば問題ないかと……」

「そう、よかった」

 

 ほっと一息ついた会長がこちらを向く。

 

「じゃ、これからお説教の時間ね」

 

 …………ホワイ? なぜに?

 

「何で無茶したの?」

「……いや、別に無茶したわけじゃ」

 

 無茶などしていない。本当に、言われるまでそんなつもりは欠片もなかった。俺が、俺自身に課したことを為した。その結果、限界を超えたから意識を失っただけだ。

 

「気絶するまで魔法を遣ったのに?」

「……いや、気が付いたら、気を失っていたって言うか……」

 

 矛盾している物言いだが、あながち間違っていないところが面倒くさい。

 

「MPが数値で見えているから? サイオンが切れても体力が切れても回復できるから? 限界まで絞りつくしても大丈夫のつもりだったの?」

「あー、いや、それは……その……なんですかね。実のところ、考え事をしてたらいつの間にか、って感じだったので……」

 

 数値なんて気にしていなかった。

 限界とか、回復のことなんて意識すらしていなかった。

 ただただレッドカーソルの活動が途絶えるまで『雪乃』と『結衣』を維持することが俺の目的だった。

 だから、言うなれば「いつの間にか」が正しい表現だと思う。

 自分のためと思っていた自己満足な行為に、不意に出来てしまった別の行動理由。魔法を遣っている間、考えていたのはずっとそのことだった。守ってくれと言われた。代わりに守るからと。渡辺先輩の言葉が脳裏から離れない理由をずっと考えて、考えて――

 考えていたら気絶して、気が付いたら膝枕である。俺が動揺するのも無理はない。と言うか動揺した俺は悪くない。司波が悪い。

 

「考え事って?」

「…………」

 

 聞かれても答えるのは憚られた。

 考え事の中心人物に聞かれてもなかなか答えにくいものがある。

 

「言いたくないのなら言わなくてもいいわ……それで、その答えは出たの?」

「…………どうですかね?」

 

 本当にどうなんだろう。気絶する前のことを考えてもしっくりこない。今の俺の気持ちもまだすっきりしない。

 だから答えは出ていない……と思う。

 七草会長らの言動が、欲望や保身などの醜い感情に基づいているなら理解は早かったはずだ。けれど、おそらくはそうでないから答えに行き詰っているのだ。

 俺を守りたいと言ってくれた言葉の裏を理解できていない。損得勘定を抜きにした好意とか友情とか、そんな綺麗な感情は勘違いによる誤解だと知っているからこそ、そうでない可能性を洗い出せずにいる。その原因――答えが出せていない最大の障害。つまり何が難敵かと言えば、彼女らの行動が醜悪な感情に裏付けられたものだと思いたくない、俺自身の感情だ。

 それが一番厄介だった。

 これまでずっと、比企谷八幡の行動に選択肢はなかった。

 ずっと一つの行動しかとれなかった。一人だったから。独りだったから。

 一人だと他人のことを考えなくていいから自由に選べる、なんて都合のいいこと言う奴もいるがそれは違う。答えが一つしかないものを、選んだ気になっているだけだ。

 答えが複数あって、その中のどれが正解か不正解かも分からないものから選ぶなんてことを、俺は経験したことがない。正解があるかもわからない、不正解しかないかもしれない。そんな不安を抱いたこともない。

 不安は恐怖に変わる。

 俺は、彼女らを心から怖いと思ってしまった。俺が手に入れられないものだから。手にしようとしても離れてしまうものだから。永遠はなく、変わらないものはない。失われてしまうから、手を伸ばせない。

 このまま傍にいれば、答えのない選択肢を選んだことのない俺が、きっと間違えた答えを出すに違いないという確信があった。それはきっと彼女らを傷つける。それでも――そうとわかっていても手を繋ぎたいと思うほどに眩しいものだと、気づいてしまった。

 だから――

 

「離れるの?」

 

 その言葉はひどく冷たかった。思わず背筋に寒気が走るほど冷徹に、痛みを伴って俺の全身を走り抜けた。

 

「私の記憶を否定して、みんなの記憶を否定して、今まで関わったことをなかったことにして、比企谷くんは私たちのもとから離れていくつもり?」

「…………」

 

 やはり気づかれていた、とは思わなかった。気づかれていることには、気づいていた。だから俺が意外だったのは、その行為を七草会長が責めるような口調で声に出したことだ。

 

「比企谷くんの魔法が表沙汰になればきっと世界に波紋を投げかけるわね。だから?」

「………まぁ、そうですね」

 

 そういう一面もなくはないのだが、正直そんなのは副次的な面倒くささでしかない。だがなるほど、確かに表立って理由を告げるならそう言うことなのだろう。そう言うことにしておいたほうがいいと思った、俺の逃げの姿勢は、七草会長の次の言葉であっさりと砕け散った。

 

「っていうより、そのことで私たちに迷惑をかけたり、傷つけたりして、嫌われるって思った?」

「…………」

 

 応えに詰まった。彼女の言い分が核心ではないとは分かっていたが、それでも浮かんでいた言葉が思考の底に沈むくらいの威力があった。それはつまり、俺自身が気づいていなかった、俺の感情の裏側でもあるということだ。

 

「甘えるのが怖い?」

 

 ぺち。と額が軽く叩かれた。痛みはない。触れるか触れないかぎりぎりのところで、冷たく、柔らかな七草会長の手のひらが額をかすめる。

 痛くはない。だからこそ余計に心が締め付けられた。苦しくなるくらい痛んだ。

 

「理解できないのが怖い?」

 

 ぺち。

 

「理屈や理論を抜きにして、計算できない感情は怖い?」

 

 ぺち。

 

「優しくされるのが怖い?」

 

 ぺち。

 

「信じるのは怖い?」

 

 ぺち。

 

「間違えるのは怖い?」

 

 ぺち。

 

「でも大丈夫よ」

 

 ぺち。

 

「私も怖いから」

 

 ぺち。

 

「私も、間違えてばかりだもの」

 

 最後は、叩かれなかった。代わりに優しく手のひらが額に置かれる。叩いたところを撫でられる感覚は、言っては悪いが幼いころ母親にされたときのことを思い出した。

 

「間違えたら、ダメなんじゃないですかね……?」

「どうして?」

「いや、だって、ほら……」

 

 高校生の世界は狭い。俺の世界は――俺たちの世界は、驚くほどに、笑ってしまうくらいちっぽけな世界で出来ている。だから一度の間違いが、致命的な損失に繋がることも俺は知っている。間違えてきた俺だから、知っている。

 誰も彼も、大事なものを失いたくないと思う。当たり前のことだ。損なわれるとわかっているから間違えなくないのだ。失うまでいかなくとも、何かが壊れる。誰かが傷つく。

 壊れたものは戻せない。

 手の上には空虚だけが残り、後悔だけが積み重なっていく。

 だから間違えてはいけないという俺の考えを、七草会長はやんわりと否定した。

 

「でも私は、間違えてもいいから本音が聞きたいと思うわ」

「…………え?」

「比企谷くんに出会ってから、考えさせられたことよ。

 私がこの高校生活でどうしたいのか。残り一年も満たない間で何がしたいのか。七草家の長女としての立場は捨てられないし、任期を終えるまでは生徒会長をやめる気もないけれど、そういう立場を抜きにして、私にとって唯一無二のものは何なのか。

 討論会で言ったことはもちろん本当のことよ? 一科と二科の垣根を取り払いたい気持ちも本当。

 進路希望も変わったわけじゃないわ。

 だけど、私が、私の高校生活に求めているものとは違う気がしてるの。

 だからもう一度、ちゃんと向き直ってみようかと思って」

 

 気がしている、と七草会長は言った。まだ彼女自身の中で言葉にできるほど形になっていないのかもしれなかった。

 

「でもいざ考えてみると中々これと言うものが浮かばなくて、解らないことだらけだって気づかされた。自分のことですらこうだもの。周りの人のことをきちんと理解できているだなんて、とても言えないわね。

 だけど――ううん、だからこそ、私は、まずはみんなのことをもっと知りたいと思ったの。

 摩利のこと、リンちゃんのこと、あーちゃんのこと。はんぞーくん、達也くん、深雪さん。

 そして……比企谷くんのことも。

 馴れ合いとかじゃなくて、ちゃんと、みんなの本質を知りたいと思ったの。

 言葉に出してしまえば戻れないことがあることは知ってるつもり。間違えてしまえば壊れてしまうこともあるわね。それで後悔したこともある。でもその言葉が間違いだったとしても、伝わらなかったとしても、本心を知りたい。

 どれだけの言葉を紡いでも、理解には足りないかもしれない。計算しても計算しつくせないかもしれない。感情は割り切れないものだから。

 でもそれでも、みんなのことを知って、解りたいと思った」

 

 小さく、息を吸う音が耳に残った。

 

「私は、比企谷八幡のことが知りたいのよ」

「……俺は……」

 

 何と答えるのが正しいのかわからない。同時に、何が正しいのかと考えている俺の思考が既に間違いでなのかという気すらしてくる。

 これはあれだ。勉強しているときに袋小路に陥った時の感覚だ。どこが解らないのかわからない。解っているのかどうかもわからない。解っている気になっているだけかもしれないし、解っていないと思っているだけかもしれない。

 けれどもし彼女の言うような感情が許されるなら。

 

「他人を理解したいって思うのは、傲慢な自己満足だって思う?」

 

 しばし逡巡して、ごまかしは必要ないと思った。

 

「……思います」

「うん。私も思う。でもそうやって理解が深められるなら、その傲慢さは許せる気がするの。間違えても、悲しくても、苦しくても、それでも手を伸ばして、手を繋ぎ続けられたなら、その関係は素敵なことだと思わない?」

 

 そうなのだろうか。確かにそういう傲慢さを押し付けても許容できるのなら、その関係性がどうあれ、それはとても深い繋がりではないかと思う。しかし。

 

「……いや、でも、どこまでも自己満足ですよね」

「可愛くないわねー」

 

 ぺちぺちと、再び額が叩かれた。

 

「で? 八ちゃんは(・・・・・)私たちと一緒にいるのは嫌?」

「…………」

 

 渡辺先輩の時にも思ったが、その聞き方は卑怯だと思う。

 

「知ってから、理解してから、それでも私たちと相いれないと思ったのなら、容赦なく記憶を否定してくれていいわよ?」

 

 それも卑怯だ。

 

「ごめんなさい、ちょっと狡い言い方だったわね。

 でも、これが私の本音。

 まだ私は――私たちは、八ちゃんがどんなことで喜んで、笑って、楽しんで、悲しんで、傷ついて、怒るのか知らないわ。だから知っていきたいし、逆に私たちのことも知ってほしいって思うの」

「先輩なのに、知らないことだらけですね」

「そうね」

「……俺も知りません」

「うん」

「知りたいと思って観察してわかった気になっているだけだし、仮に言葉で聞いて知れたとしても、きっと俺は信じ切れないと思います」

「捻くれてるわねー」

「物事の裏を読むのがぼっちの習性ですから」

 

 だから言葉が欲しいわけじゃない。

 言葉で言っても信じない俺に、言葉でどれだけ飾ったところで疑心暗鬼しか生まない。厄介なことに、そういう面倒くさいのが比企谷八幡という人間だ。

 

「でも、それが八ちゃんなのよね」

「……うす」

「じゃ、その捻くれた頭でいいから、ちゃんと考えてね。私たちがどう考えているかよりも、八ちゃんがどうしたいのかが大事よ?」

「……わかってます」

「本当に?」

「……いや、はい、まぁ……」

「八ちゃんって、自分より他人の感情を優先しそうなところがあるから……」

「いや、それはいくらなんでも……」

「そのくせ、理論武装して行動理由を他人に求めてはいないとか言うのよねー、まったくもう」

「……あの?」

 

 ぷんすかと愚痴る会長の後ろに、なんだかまた黒々とした感情の渦を見た気がした。

 

「まぁ、何が言いたいのかというと。ちゃんと八ちゃんのしたいことをしてほしいってことよ」

 

 少し意外だと思ったが、口にはしなかった。俺が記憶を否定しても、それはそれで受け入れると彼女は言っている。それは逆に、俺がそうしなかったとしても同じなのだろう。

 意思は聞けた。望みも知った。その冷たい掌から伝わる温もりを知った。

 だから、俺の答えは至ってシンプルだった。

 今の今まで膝枕してもらっていた恥ずかしさを押し殺して、身体を起こす。もう立ち眩みはしなかった。と言うか俺が気絶してからずっと膝枕してくれていたのなら、相当な長時間のはずだ。なのに七草会長は一つもそのことに文句を言うでもなく、愚痴をこぼすでもなく、疲れた様子も見せなかった。

 ありがたさ以上に恥ずかしさがこみあげてきて、彼女の顔を直視できなかった。今が夜でよかったと心から思う。校舎の明かりがわずかに届く程度の薄暗い中では、俺の表情もわかりにくいだろうから。

 

「もう起きられる?」

「……はい、ありがとうございます。もう大丈夫です」

「よかった」

 

 七草会長も腰を上げた。俺の頭を膝にのせて座り込んでいたから、痺れもあったかもしれない。少し窮屈そうにした彼女を助けようと自然と手が出た。不意の行動に少しだけ笑んだ後、俺の手を取って彼女も立ち上がる。

 

「ありがとう」

 

 紳士を装ったつもりはなかった。妹にいつもしていたからこそオートで発動したお兄ちゃんスキルとでも言おうか。けれど会長は年上なのに発動するもんなんだな。

 会長も立ち上がったのでもういいだろうと手を放そうとしたが、きゅっと握り返されたことに驚いて思わず彼女に向き直った。

 

「ちゃんと考えてね」

「……うす」

「どんな答えを出すにしても、自分に嘘はつかないでね」

「……うす」

「よし。それじゃあ、もうお開きにしましょうか」

「……そうっすね、時間も遅いし、俺はもう帰ります。会長は?」

「私は生徒会室に寄ってから帰るわ。家の車を呼ぶつもりだから大丈夫。もう日も暮れてるから気を付けて帰って。比企谷くんも乗る?」

「……いえ、大丈夫です。歩いて帰ります。まだ交通が止まる時間じゃないですし……」

「そうね。お家のほうには学校から連絡しているけど、あまり遅くなりすぎないようにね」

「……はい……その……お疲れ様でした」

「はい、お疲れ様」

「また……明日」

「うん、また、明日ね」

 

 歩き出す気配のなかった会長に一礼して、俺は先に踵を返した。

 手の温もりはまだ残っている。身体の火照りは夜風では冷めそうにない。思わずこぶしを握り締めながら、校門へ向かって歩を進める。会長が動く気配はなく、けれど俺は、後ろを振り返ることはしなかった。

 

 

 

 

 

 




お読みいただきありがとうございました。
誤字脱字報告ありがとうございます。随時適用させていただいております。

そしてついにエピローグですが、題名に番号振っている通り、実はもう一話だけあります。最後までお付き合いよろしくお願いいたします。


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エピローグ2

 

 

 俺が気絶した後のことは、司波から詳細を聞いた。

 一高を襲ったテロリストたちの捕縛し終えた後、司波と十文字会頭、剣術部の桐原先輩がブランシュのアジトに突入し、(つかさ) (はじめ)をトップとする日本支部の連中を一網打尽にしたらしい。

 聞けば一高から一時間ほどの距離の廃工場を拠点にしていたということだ。随分と大胆不敵な連中であるが、同時に高校生を舐めきっていただけかもしれない、というのが正直な感想だった。たった三人に殲滅させられたことがその証拠である。

 ただまぁ、攻め入ったメンバーに司波と十文字会頭がいたと言う時点で詰んでいたのも間違いではないので、一高の戦力を見誤った司の戦術眼が総じてピンボケしていたのだろう。

 ブランシュの連中に対しては全員行動不能にする程度の怪我はさせたとのことだが、誰一人死んでいない、死なせていない――と言うことを司波が俺に態々伝えに来たのは、討論会当日の朝にした生徒会室での俺の発言を気にしたからのようだ。

 的外れで身勝手な俺の言動のせいで、逆に司波の行動を狭めて手間を取らせたのなら、それはそれで申し訳ないとは思う。俺の価値観は俺だけのものだから、俺が押し付けたとしても司波がそれに従う必要はなく、払いのけることだってできたはずなのだ。

 だが奴はそうしなかった。実のところ廃工場には妹も付いて行こうとしたらしいが、司波が首を横に振ったらしい。聞けば俺への義理立てだとか。何と言うか、変に律儀な奴である。

 

「実戦の空気を知るには貴重な機会だったんだがな……」

 

 とか後で愚痴られても俺は知らん。っていうか、実戦っていう言葉が普通に日常会話的に出てくること自体が、もうなんて言うか色々怖いものがある。お前はこれから何と戦う気だ?

 

「お前らにしてみれば、俺のあれは、いらんお節介だったんじゃねぇの?」

「そうだな」

 

 容赦なく、司波が頷いた。顔色一つ変えなかった。だからこそ奴の本心なのだという実感があった。

 

「だが不要だと切り捨てるのに気が咎めたのも事実だ。そう深雪に思わせる程度には、思い遣りがあったと思ったんだが?」

「……はっ。あんなのただの自己満足だぞ? 仮にそんなものがあっても、お前らが気にすることじゃないだろ」

「そうか?」

「そうだよ」

「では、そう言うことにしておこうか」

 

 なんだか引っかかる物言いである。

 

「それよりも重要な話があるからな」

 

 そうして聞かされたのは俺の魔法――『結衣』のことだった。

 司波のステータスを見たときに、奴が四葉家であることや、あのループキャストを開発したトーラス・シルバーの正体であるとか、軍隊所属の戦略級魔法師であることも知って驚きが行き過ぎて絶句して息が止まったりもしたのだが。

 正直なところ、そんなんどうでもよくなるくらいに驚いたのは、司波が告げた『結衣』の魔法特性のこと――パーティ間で魔法を互いに共有できる事実のほうだった。

 驚いたら、逆に驚き返されて、そのあと心底呆れられた。

 

「自分の魔法のことだろうに……」

 

 そんなこと言われても、俺に今までパーティメンバーなんて出来たことないのだ。検証出来なかったことまで俺が知るはずがない。

 俺のぼっち人生を舐めるなよ。

 

「いや、威張るな――ん? 待て、比企谷。それじゃあ、もしかして解除方法も?」

「まぁな。すっかり言うのを忘れてたが実は知らない」

「だから威張るな」

 

 知らないことは出来ない。出来ないものは出来ない。

 そういうことで、もうしばらく司波とのパーティは続くことになった。『雪乃』で否定することで解除できるかも知れなかったが、二度とパーティ登録できなくなる可能性もあったし、変に手続きを間違えて『結衣』そのものを否定してしまえば二度と『結衣』が遣えなくなる可能性すらある。取り返しがつかないので怖くて出来そうにない。

 一応司波のほうでも調べてみるということだが、本当に調べられるだけの能力がありそうな分、奴のポテンシャルも空恐ろしいものがある。

 本当、その出自と所属と能力を知れば知るほど恐ろしいを通り越してお前は本当に人間かと問いただしたくなるようなチート具合だが、魔法についてだけは俺も大概常識外れなので、司波のことをとやかく言えやしない。

 ともあれ、互いに弱み的な裏情報を知ってしまった上に、パーティを解散できない現状ではどちらかが裏切った時点で共倒れ必須である。

 こうして俺は司波兄妹の素性は口外しない、奴も俺の魔法については口外しない――ということで、不可侵条約が結ばれることで一応の決着はついた。

 

 

  

 その一方で――

 テロリスト襲撃事件で遣った魔法の効果についてはもう隠し事できないだろうと踏んでいた俺の予想が杞憂であったと知ったのは、さらに翌日のことだ。

 新聞やネットニュースのどこにも一高がテロリストに襲撃された情報がなかったのである。十師族の情報統制能力は俺の想像以上に凄いらしい。それ以上に恐ろしいのも事実だが。

 生徒、または学内関係者の誰かがSNSにでもアップするかと思いきや、それすら見当たらないのは驚きを通り越して寒気すらした。

 警察の介入も許さず、報道機関も関与させなかったのは十文字家の力だそうだが、それを指示した十文字会頭は本当に高校生かと、司波とは別の意味で疑いたくなる。

 司波曰く、三巨頭の中では一番の人格者なのではないかということらしいが、確かに自分からいろんな苦労を背負い込みそうなタイプかもしれなかった。

  

 そうして、あの事件から二週間が経った。

 

 その十師族の情報収集能力があれば、俺の魔法も俺のしたこともすぐに露見するかと思いきや、こうして俺の日常は事件が起こる前と何ら変わらず、平穏で平和なままである。

 そしてこれこそが七草会長と渡辺先輩、中条先輩が頑張ってくれた結果なのだろうという気がしていた。

 詳細な事の運びは聞いていないから知らない。聞けなかったから解らない。

 これは俺の勝手な想像だ。

 聞けずにいるからこそ、あの日の行動が彼女らに迷惑をかけただけなのではないかと言う思考が渦巻いたままだった。

 もう聞くことは出来ない。

 だからずっと、この疑問は消えずに俺の心に残り続けていくに違いなかった。だけどそれは後悔ではなく、どちらかと言えば未練に近いと思っている。

 もし後悔しているとしたら、生徒会室に行けなかったせいで、彼女らにお礼を言えなくなったことだろうか。

 

「…………」

 

 言いたい言葉があった。柄にもなく、向き合った心のままに、言葉に出したい思いが出来た。

 それを口にするのはこっぱずかしくて、けれど言うことが出来ない心残りに、思わず溜息が出てしまったほどだ。

 ひとえに、俺の勇気がないからなのだが。

 今日もいつものようにベストプレイスで昼食をとる。

 けれどあの事件前と同じようには落ち着けていない。あれからずっと落ち着きとは程遠い中で昼休みを過ごしてきた。何も考えず、ただ思考を空っぽにして一人になる時間ですら、思い返してしまうからだ。

 

 相変わらず、俺の答えはまだ曖昧なままだ。

 

 とはいえ、俺以外の一高の空気は、あの事件を境に少しだけ変化があった。

 校内は変わらず一科と二科の間でギスギスしているものの、討論会前ほど切羽詰まった感はなくなっていた。一科の代表格である生徒会が二科生との差別撤廃を謳ったことで、表立って二科生に対して暴論を吐いたり、いちゃもんを付けたりする光景が減ったように思うのは気のせいではないはずだ。

 まだ高校生活の空気に馴染んでいなかった一年一科生の連中も、ようやく自分たちの行動を客観視できるくらいには落ち着いたらしい。とはいえ、プライドの高さも価値観も変わったわけではないので、ただ周囲の目を気にして行動を控えているというだけだろう。

 解消には程遠い。言うなればただの保留。けれど少しだけ前進したのかもしれないと思わせる保留。

 それがあの討論会の僅かながらの成果だった。

 春風に吹かれながら総菜パンを頬張り、コーヒーで飲み下す。マッ缶がないのが心寂しい。そうして二つ目のパンに手を伸ばしたところで声がかかった。近づいてきているのは足音で気づいていたので、今度は驚きはしなかった。

 

「あれ、またこんなところで一人でご飯?」

 

 現れたのはいつかと同じように北山雫だった。ジャージ姿で手にはデバイスを持っているところから見るに、部活の昼連だろうか。熱心なことである。

 

「あ? いいだろ、静かだし、落ち着くし、風も心地いいからな。何より一人だし、落ち着くし」

「二回言ったね」

「まぁ、大事なことだからな」

「そういうもの?」

「おう、そういうものだ。……で? そっちは部活か? 熱心だな」

「うん、って言っても、ちょっとデバイスの調整と試運転をしてただけだよ。もうお昼休み終わりだし、すぐに戻るつもり。そう言えば比企谷くんは、部活していないんだよね?」

「してないな」

「入らないの?」

「……あー、あれだ、あれ。俺も放課後は忙しいからパスだ」

「え? 暇でしょ? 授業終わったらすぐ帰ってるように思ったけど」

「おい、何で決めてかかってるんだよ。暇を作るのに超忙しいんだよ」

「よくわからないけど、じゃあうちの部、見学してみる?」

「なにが『じゃあ』なのか俺もわからないんだが、そうだな、前向きに検討させていただきます」

「それはお断りの常套句だね」

 

 とは言え、北山も本気で誘ったわけでもないらしく、断ってもさして気にした風でもなかった。

 

「あ、お昼休み終わるし、着替えたいからもう行くね」

「おお、じゃあな」

 

 動く気配のない俺に、北山は軽く嘆息した様子で告げた。

 

「……あまり授業さぼるの良くないよ?」

「おう。また今度機会がありましたら是非」

「返事が雑すぎるよ……」

 

 呆れながらも、着替えを考えれば時間が押していることに気づいて、北山は軽い会釈をして校舎のほうに入っていった。

 それを見送って、俺は昼食の続きを取ろうとパンに手を伸ばす。

 そうは言ってもまだ多少の時間はある。

 春うららかな午後。天気は良く、風も心地よい。こんな日に教室にこもっても勉強に集中できる気がしない。

 大自然の前にはちっぽけな人間は為す術もなく呑み込まれてしまうものなのだ。逆らえないのなら仕方ない。眠気を誘発するこの春の気候が悪いのだ。思わず大きなあくびをして寝転んでしまう誘惑に負けてしまった俺を誰が責められようか。

 

「おおきなあくびね?」

「……そうっすね」

 

 と答えてから、俺はその声が誰なのかを知った。

 

「こんなところでお昼ですか?」

 

 七草会長だった。風に揺れる髪を抑えながら、にっこりと佇む姿は実に様になっている。服部会長をはじめとしてファンが多いのも頷けるというものだ。

 それはともかくこの会話、さっきの北山のそれと全く同じなのだが、そんなにこの場所で昼食取るのは変なのか?

 

「ここは俺のベストプレイスですから」

「ベスト? いつもここでお昼取ってるの?」

「……落ち着くので」

 

 答えながら身体を起こして、俺は七草会長に向き直った。

 言葉が自然と固くなったのは意識してのことではなかった。

 

「……それで、あの、何か御用ですか?」

「あ、そうですね、ごめんなさい。実はあなたを探していたのよ、比企谷くん」

 

 そうして会長もまた改めて姿勢を正す。その割に、不自然な仕草だと思った。

 

「…………」

「ん?」

 

 そして妙な間が空く。眉を顰めた俺の仕草に彼女も気まずいと思ったらしい。一つ「コホン」と咳払いして。

 

「私は本校生徒会長を務めている七草真由美です。『ななくさ』と書いて『さえぐさ』と読みます。比企谷八幡くん。貴方に、生徒会に参加していただきたくて伺いました」

 

 その自己紹介は、初めて彼女に名を聞いたそれと同じだった。

 彼女は笑顔を崩さない。

 丁寧な口調。柔らかい物腰。だけど目線を反らさない彼女の双眸には力が宿っている。吸い込まれそうな瞳だった。綺麗なというよりはかわいい部類の顔つきなのに、どこか不自然さを感じるのは、彼女の笑顔が余所向きだからだろうか。

 普段のあざとさが前にでた小悪魔振りのほうが、幾分かこの人らしいと思ってしまうあたり、俺も服部副会長のことをとやかく言えやしない。

 けれど――いや、だからこそ、彼女が俺に求めている答えもわかってしまった。

 後は俺がそれに応じるだけだ。そしてそういうことであるならば、俺もまた同じように問い返すべきなのだろうという確信があった。

 

「……俺がですか?」

「ええ」

「またどうして?」

「新入生総代の司波深雪さんにはすでに生徒会役員になってもらっています。これは後継者育成の意味もありますが、次期生徒会をさらに盛り立てるために、彼女の入試成績に負けず劣らない比企谷くんにも入ってもらえたらと考えました。駄目ですか?」

 

 何にしても、ここでの俺が応えるべき答えは一つだった。

 

「……すみませんが……」

「出来たら理由を教えてもらえるかしら?」

「あー、えっと、ほら、色々と放課後は忙しくてですね……」

「でも暇なのよね?」

「……聞いてたんですか?」

「ええ」

 

 先ほどの北山との会話もばっちり聞かれていたらしかった。そうするともはや俺が返せるのはため息しかない。

 というか、もうそろそろいいんじゃないだろうか。

 

「会長」

「あら、なぁに?」

 

 首をコテンと傾けて最後に語尾を上げるあたり、可愛いように見えるポーズを熟知しているようにしか見えない。やはりあざといお方だ。

 

「このやり取り、意味あるんすか?」

「様式美だもの」

 

 会長の自己紹介から始まり勧誘を俺が断る部分も含めて、である。

 

「…………」

「…………」

 

 噴き出したのはどちらが先か。思わず笑んでしまったのは、これが茶番だと互いに知っているからだ。

 

「今度はちゃんと自己紹介したから、私のこと知らないなんて言わせないからね」

「いやいや、さすがに今更知らないとかは言いませんて」

「ちゃんと向き合うために、必要だと思ったの。だからいいのよ」

「そうっすか」

 

 まぁ、会長がいいというなら別に付き合うのは吝かではない。特に俺にデメリットがあるわけでもないし。

 そもそも俺を生徒会に引き入れた際に、きちんとした役職を付けて学校側に提出していなかったのが今更ながらに指摘されたからこそ、俺は一度無職に戻る羽目になったのだ。完全に会長の落ち度である。

 とは言え書類上の手続きをするのは、実はほぼ一瞬で済む。俺がサインすれば晴れて正式な生徒会役員になるのだが、タイミング的にテロ襲撃事件のごたごたも重なって、優先度をあえて下げてもらっていた。

 

 俺が答えを出すために考える時間も必要だった。

 

 それもあってちょうどいい冷却期間だったと言えなくもないが、その間、生徒会には近づいていなかった。

 実のところとっくの昔に事後手続きは俺のサインを残したもの以外は終わっている。だがいざ戻れるという状況になってみると、どうにも気恥ずかくて二の足を踏んでしまい今に至っている。

 あれから中条先輩にも渡辺先輩にも会えていない。会うのを避けていたという面もある。意識ばかりが募ってしまい、今更どの面下げて、と考えてしまうのだ。

 こういう時、対人スキルのなさを強く自覚する。「あの事件のとき、俺のためにありがとうございました」とか、そんな気の利いた、捉えようによってはすごく自意識過剰なことを言えるなら俺はぼっちになったりしていない。

 そうして時間を空けてしまったせいで腰が重いのなんの。

 俺の何が厄介って、そのお礼を言いたがっている自分を自覚してしまっていることだ。勘違いだと何度自分に言い聞かせても、気持ちが収まらないのである。

 今更どう話しかけて、どうお礼を言えばいいのかわからない。けれど言わずにいたくない。感謝は伝えたい。ああ、しかし、言うのは恥ずかしい。どう言えばいいかわからない。

 ――という無限ループに陥っているのである。

 我がことながら、本当に面倒くさい思考をしている。

 どこの誰だ、俺をこんな面倒くさい人間にしたのは。ここの俺です。ごめんなさい。

 はいはい、それが言い訳だって言うことは、誰に言われずともわかっていますとも。他にもあーだこーだ、なんだかんだ、と逃げ口上ばかりが思い浮かぶのもこの二週間でずっと繰り返してきたことだ。

 考えるふりして、考えることから逃げていることも、わかってはいるのだ。

 本当に、感情というものはままならない。

 

 結果、そうしてぐずぐずと生徒会に行けずにいた俺を見かねた会長が自ずからこちらに襲来したわけだが。

 

「あれからもう二週間よ? 迷っているようだったからこちらも距離を置いて待ってたけど、全然、音沙汰がないんだもの。待ってても来ない人にはこちらから行くしかないでしょ?」

「……あー、いや、えっと……その……俺も色々考えていてですね」

「いくじなし」

「ぐっ!」

 

 言い返すことが出来ないくらいには、俺自身、へたれていることも自覚していた。

 

「どうせ今更どういう風に戻ればいいか分かんなくて、話しかける勇気も出なくてうじうじしてたんでしょう?」

 

 まるで見てきたようにドンピシャに当てられました。何? この人、俺のストーカー? 

 

「顔を見ればわかるわよ」

 

 前にも思ったがそんなにわかりやすいのだろうか。俺の顔。

 

「あー、その、まだ結論出てないんで……」

「いつ出るの?」

「まだいろいろと考え事が……」

「二週間待ったわ。もうあとどれくらい待てばいい?」

「当方としても、目下最優先で原因を調査中でありまして……」

「それは不祥事起こした政治家の言い訳じゃないの」

 

「はぁー……」と会長は思い切り溜息を吐いた。

 

「いや、けど、ほら、知っているでしょうけど、俺のコミュニケーションスキルはレベルゼロなわけでして……」

「そう? でもさっきだって、久しぶりに会った私との会話でちゃんと空気読めてたじゃない。

 私が自己紹介しだした時、何をしたいのかわかったんでしょ?」

 

 いや、あんなノリツッコミを会話と言われても困る。

 

「っていうか、今も私と会話していて緊張しているようには見えないけど?」

「これは、その、あれです、あれ。言ってみれば、ただの慣れです」

「そう? なら生徒会のみんなも大丈夫よね?」

「へ?」

 

 返す言葉は出なかった。

 

「さて、授業をさぼる気満々で、生徒会に来るにも二の足を踏むくらいヘタレな八ちゃんには、さっそくだけど仕事をお願いしようかしら」

「は?」

「生徒会役員が授業さぼりなんて、体裁悪いもの。仕事しましょ?」

「いやいや、でも、まだ正式に役員じゃないんですよね?」

「書類手続きは終わってるから別にいいのよ」

 

 そう言って前回は失敗したのに懲りんな、この人も。

 

「みんな生徒会室で待ってるわよ。とりあえずもう一度自己紹介からしてみる? 

 摩利も達也くんもいるからちょうどいいし」

 

 いつものメンバーだけどねと笑う会長であるが、最後の二人は生徒会役員じゃないですよね? 

 っていうか、

 

「いや、必要ないでしょ? って、え? それ何の罰ゲームですか?」

「自己紹介は罰ゲームじゃないわよ!?」

 

 いや、あれは間違いなくさらし者にするための行為だと断言できる。特に一人だけ自己紹介させるとか、針の筵以外の何物でもない。

 自己紹介といえば自分のことを語る行為だ。つまり自分語り。言い換えると『俺が』『俺は』である。会話でそういうことする奴って、大概は友達なくすよね。友達いないけどね、俺。

 

「なので断固拒否します。要らんでしょ、明らかに」

「うーん、まぁ確かに今更なんだけどねぇ」

「それよりも気になるんですが。会長、俺の役職って何になるんすかね?」

 

 確か司波深雪は書記だったはずだ。役職的には中条先輩と同じである。

 

「あら、生徒会、来る気になったの?」

「……この流れだと、俺にその気がなくても強制連行でしょ?」

「あたり♪」

 

 楽し気に笑う会長に、俺はそっぽ向いて彼女の横暴さをアピールするしか出来なかった。これがポーズだというのは俺も彼女もわかっていた。きっかけをくれた彼女の笑顔を、俺が直視できなかっただけだ。

 俺はそのことに気づかれているからさらに気恥ずかしくて。

 会長はそのことに気づいているからニコニコと笑顔が絶えない。

 

「えーっとね……」

 

 そうして七草会長に逆らう気力もなく生徒会室へ向かいながら尋ねると、彼女は少し困ったように言葉を濁した。

 

「八ちゃんには庶務をお願いしようかなぁって」

「要は雑用じゃねぇか」

 

 以前とすることは何一つ変わらない。正式に役職名が付いただけである。むしろ正式にメンバー入りした分だけ、責任っていう面倒事が増えてるまである。

 くそ、謀ったな!

 

「ま、いいじゃないの」

  

 軽く笑う会長の声は、本当に楽し気に弾んでいるようだった。

 

「しばらく来てなかったから仕事も溜まってるし、することはたくさんあるわ。やりがいある仕事よ?」

「あの、やっぱり帰っていいですか?」

「だぁめ」

「生徒会の仕事をするなとお医者さんに止められてまして……」

「どうして?」

「鬱になります」

「地味に嫌な脅しね。

 でも大丈夫。放課後も私たちと一緒に、平和で賑やかで楽しいお仕事よ。私も手が空いたら手伝うから。ね? ほら、行くわよ」

 

 思わず立ち止まり及び腰になる俺に、会長はこみ上げる笑いを隠す気もなく後ろに回って俺の背中を押した。

 

 

 

 

 俺の日常はこうしてまた同じところに戻っていく。

 背中に会長の手のひらの温度にくすぐったさを感じながら、逆らえない引力に足は自然と生徒会室へと向かう。錯覚なのだとわかっていても、それを良しと思ってしまうほどには、俺もまたあの場所での日々を既に受け入れている証拠だろう。

 見覚えのある扉の向こう側にあるものが、そう遠くないうちに失われてしまうものなのだということもわかっている。だから俺は手を伸ばさない。その先にあるものを信じ切れていないから。

 答えはまだ出ていない。

 それでも彼女らを傍で見ていようとする俺の浅ましさが、どこかで何かを決定的に間違えてしまうまで――

 きっと、この日常は続いていくに違いなかった。

 

 

 入学編 ~了~ 

 

 

 

 

 

 




お読みいただきありがとうございました。
誤字脱字報告ありがとうございます。随時適用させていただいております。

色々と駆け足でしたが、これにて入学編は完了となります。
中身は、様式美と言うことでご容赦ください。

あまりここで長々と言うのも何ですし、別途一話分使うのも変な感じなので、入学編完了のご挨拶と、これからの本作に関する話などを活動報告にコメントしていますのでよければそちらもご覧ください。

拙い文章ながら、ここまで読んでいただいたすべての読者様に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
高槻克樹でした。


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