海軍特別犯罪捜査局【改】 (草浪)
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NSCI改 #00

伊勢湾海戦と呼ばれる、深海棲艦との戦いの後、艦娘達の砲も魚雷も火を噴くことはありませんでした。

東京湾海上、非武装の客船上で行われた深海棲艦との和平交渉。人類側からは横須賀を治める桐生司令、この国の長である和部総理、護衛についた大和さん、長門さん、伊勢さんが出席されました。その客船を中心に、当時動ける艦娘達とその何倍もの深海棲艦が睨み合っている写真は後になってテレビで見ました。

 

野分はその時、伊勢湾決戦での傷が癒えず、修復ドックの中にいました。

あの時、野分は和平交渉が行われているとは知りもせず、まだ戦えると思っていました。終戦の知らせは先に修復を終え、四水戦を再編しようとしていた那珂さんから聞かされました。那珂さんは笑顔でした。

 

「もう戦わなくてもいいんだよ!」

 

笑顔の那珂さんは泣いていました。それが嬉し涙ではないことはわかります。

傷が癒え、粘土の高い修復液の浴槽から出た野分は、そのまま自分の艤装を解体されるのを見届けました。四水戦のみんなと、明石さんと夕張さんの手によって解体されていく艤装をただ呆然と眺めていました。

 

野分が終戦、和平交渉が行われていたということを知ったのはそれから大分経ってからです。さっきも言いましたが、何となく眺めていたテレビのニュースキャスターが教えてくれました。当事者の野分より、この人の方が知っているのかと少しだけ腹が立ちましたが、横須賀鎮守府では野分は外様艦娘です。話し相手も四水戦のみんなと、舞鶴にいた人達しかいませんでした。

その時の横須賀鎮守府の雰囲気は最悪でした。長門さん、日向さんを筆頭とした元呉鎮守府所属の終戦派と横須賀鎮守府に元々所属していた人達の徹底抗戦派が常に何処かで怒鳴り声をあげていました。野分達元舞鶴鎮守府の所属の人達は中立の立場をとっていましたが、何人かはどちらから派閥に属していました。

 

司令はこの二つの派閥の争いを止めるために日夜鎮守府を駆け回っていました。手を出すこともあったそうです。野分は偶然にも一度だけ桐生大将が伊勢さんを殴り飛ばすところを見たことがあります。司令は一部を除いた全員に解体を受けるように命令を出していました。ですが、それを拒む人達も少なくありません。伊勢さんもその一人でした。

伊勢さんやその現場にいなかった人達は取っ組み合いの喧嘩だった。そう言いますが、野分にはそうは見えませんでした。殴りかかった伊勢さんが逆に殴り飛ばされた。何度も何度も。

物陰から見ていた野分に気がついた司令は、野分にこのことを誰にも言うなと言って気を失った伊勢さんを担いで工廠の方に歩いて行きました。それから伊勢さんの姿は見ていません。

 

司令がこの内乱にも似た騒ぎを鎮めた頃、艦娘による海軍、鎮守府の解体が決定されました。野分達艦娘は軍を離れるか、それとも残るかという決断を迫られました。

軍を離れても、それなりの生活は保障されていました。働かなくても生きていける様に充分な金額が毎月振り込まれ、更には就職先の斡旋までしてもらえる。至れり尽くせりな生活が待っていました。ですが、軍を離れる選択をした人達の多くは就職先の斡旋を断りました。信用できない司令に指図はされたくない。そう思う人も少なくありません。ですが、そうではない人もいました。舞風はダンサーを目指したい。那珂さんは本物のアイドルになりたい。秋雲は絵で生活したい、青葉さんは記者になると夢を目指して軍を去る人もいました。

野分はやりたいことが見つからず、軍に残ることにしました。

 

海軍少尉という新しい立場を得て、海軍で働き始めた頃、司令は軍を去りました。

戦争を終わらせた英雄。そんな風に祭り上げられ、司令は選挙で大勝し政治の世界に入りました。大和さんはその秘書として共に軍を去りました。

戦時中は艦娘として深海棲艦隊と戦うことだけを考えていましたが、平和になり余裕を持つことが出来たことと、一人の人間として軍に所属することでこれまで見えなかった、

見たくなかったものが見える様になりました。

 

「桐生はのし上がるために艦娘を使った」

 

「あいつは昔から上のご機嫌伺いばかり」

 

そんな言葉が飛び交っています。野分も散々酷いことを言われました。抱かれたのか。兵器あがりの娼婦。そんな酷い言葉投げかけられました。

言われるだけならよかったです。ですが、あの深海棲艦との戦争で海軍はあまりにも大きな組織に肥大化していました。それにより多くの人間が権力を持ってしまったことで、海軍関係者が起こす事件が多くなりました。それに元艦娘が巻き込まれることもありました。

司令がここまで嫌われたのには、政治家になったことだけが理由ではありません。司令はこの海軍関係者が起こす事件を撲滅する。そんなスローガンを掲げ、これを取り締まる組織を立ち上げることを公約として出馬しました。そんな司令が当選したのです。快く思わない上層部の人もいたことでしょう。

 

ですが、そんな言葉もすぐに収まりました。

設立された「海軍特別犯罪捜査局」という組織の本質が見えてきたからです。海軍に関する事件を取り締まるこの捜査機関は警察関係者と海軍関係者の天下り先に過ぎませんでした。声を荒げていた人達の手のひらの返しようは滑稽でした。

表面化する事件の数は減りました。ですが、正当な捜査が行われたとは思えません。噂では、お金にものを言わせて揉み消したと聞いています。

司令はこれが目的だったのかと腹が立ちました。ですが、それも一時の感情にしか過ぎませんでした。厳しい上官、毎日の訓練、艦船の整備、終わらないデスクワーク。そんなものに毎日追われているうちにそんなことを考えなくなりました。ですが、忘れたわけではありません。新聞で「海軍特別犯罪捜査局」という文字を見ると、無意識にそれ以上を読もうとは思いませんでした。野分のデスクのゴミ箱には知らず知らずのうちにグシャグシャになった新聞で埋まっています。

 

ーーーー

 

そんな毎日を送り続けていたある日、軍を離れアイドル活動を続けているらしい那珂さんがこちらに帰ってくることを聞き、久しぶりに元艦娘で集まることになりました。ですが、全員の都合がつくはずもなく、その日集まったのは20人前後しか集まりませんでした。

軍を辞めた鳳翔さんが切り盛りしている居酒屋さんに野分が着いたのは集合時間の30分後でした。お店の暖簾をくぐり、中に入ると日向さんと目があいました。

 

「遅かったな。少尉殿」

 

日向さんは野分に手招きをすると、横に置いていた荷物を退けてました。日向さんの作ってくれたスペースに座ると、ある違和感を覚えました。

 

「不思議な席順ですね。皆さんバラバラに来られたんですか?」

 

「あぁ。明石と大淀に遅れて、私と足柄は一緒にな」

 

「珍しい組み合わせですね……」

 

「職場が同じだからな」

 

日向さんの言葉の意味がわからず、首を傾げていると席に戻ってきた足柄さんが野分の横に座りました。どうやら話を聞いていたようです。

 

「私と日向、それとヨドと明石は軍人じゃないのよ」

 

「皆さん、野分よりも階級が上でしたよね?」

 

「あぁ、そうだ。日向に至っては私より上だったんだ」

 

顔の赤い長門さんが割り込んできました。どうやら酔っているようです。

 

「お前の出世が遅れたのは、大事な会議でサングラスをかけていたからだろうが……」

「うるさいな……」

 

野分は私服姿で頭にサングラスを乗せた長門さんをカッコいいと思いましたが、それを聞いて何とも言えない気持ちになりました。

 

「お前の後釜で中将になれたが、毎日小言を言われるわ、現場に行かなくちゃいけないわで大変なんだぞ?」

 

「それは私も変わらん。まぁ、デスクワークは減ったがな」

 

「中将殿が、一捜査員になるとはな……」

 

捜査員。その言葉を聞いた時に嫌な感じがしました。

日向さんはそんな野分を察したのか、野分の頭に手を置きました。

 

「私は捜査員だ。面倒ごとをやっているのは上の人間だ」

 

「本当にそうですよねー。 下っ端が走り回っている中、上の人たちは都内の高価そうなお店でご飯食べてるんですもん」

 

明石さんがケラケラと笑いながらそう言うと、大淀さんも笑い出しました。そんな二人を日向さんは渋い顔で見ていました。

 

「もぉ! お仕事の話ばっかり! 那珂ちゃん、歌っちゃうよ?!」

 

那珂さんは立ち上がって踊るような動きをしました。すると、鳳翔さんがラジカセを持ってきました。

 

「これ、よかったら使って」

 

鳳翔さんは那珂さんにマイクを渡すと、再生ボタンを押しました。可愛らしい音楽が流れはじめます。

 

「じゃあいっくよ〜!!」

 

「あっ、迷惑になるからあんまり大声は出さないでね?」

 

控えめな那珂さんの歌声で盛り上がり、結局その日は遅くまで楽しい時間を過ごしました。

 

 

ーーーー

 

その会がきっかけで、野分は一人でも鳳翔さんのお店に行く機会が増えました。野分は舞風と一緒に暮らしているのですが、帰りが遅くなり、晩御飯がないときは大体鳳翔さんのお店に行きます。

その日も長い洋上演習が終わり、久々の連休を迎えられることに浮かれていた野分は意気揚々と鳳翔さんのお店の暖簾をくぐりました。

 

「野分ちゃん! いらっしゃい!」

 

「あら。のわっち」

 

「一人か? 珍しいな」

 

カウンターに日向さんと足柄さんが座り、厨房から鳳翔さんがひょこっと頭を出してこちらを見ていました。

 

「こんばんわ。ご飯食べにきました」

 

足柄さんの横に座ると、足柄さんは何も言わずにコップにビールを注いでくれました。

 

「野分ちゃん、今日はどうする?」

 

「唐揚げ定食ください」

 

「かしこまりました」

 

鳳翔さんがご機嫌に料理を始めると、足柄さんが不思議そうに野分のことを見ていました。

 

「よく来るの?」

 

「はい。お酒は飲みませんけどご飯を食べに」

 

「そうなの? でもここに来て飲まないなんてもったいないわよ」

 

足柄さんは空になった野分のグラスにまたビールを注いでくれました。心なしか、フワフワします。

 

「それで、そっちはどうだ、少尉殿?」

 

日向さんが野分に尋ねます。

 

「どうもこうも……朝は訓練、午後から溜まった書類仕事で大変ですよ」

 

「嫌なこととかないか? あるなら長門に言っておくが……」

 

「嫌なことしかないですよ。艦娘だったこと……女の子だからって馬鹿にされますし、そうかと思えば力仕事ばっかりやらされることもありますし。舞鶴にいた頃に戻りたいですよ」

 

「そうか……長門に言っておこう」

 

「それに、よくわからない経費の書類を総務に持っていて、おじさんに舐め回す様に見られるのも野分の仕事ですし。まったく責任のなすりつけあいに巻き込まないでほしいものです」

 

「なにそれ? おもしろそう。ちょっと詳しく聞かせてよ」

 

足柄さんが笑いながらそう言いました。けれど、目が笑っていません。鳳翔さんが黙って野分の前に唐揚げ定食を置きました。なんだかすごく他人行儀に感じます。

 

「不正でもしているのでしょう。以前気になって調べてみたのですが、訓練で使われた燃料と帳簿上の燃料があわないことが何度かありました。きっと弾薬類もあわないでしょう。訓練で用いられるのは空砲ですが、書面上は実弾演習になっていたりしますし」

 

「そこまでわかっていて、何故動かない?」

 

日向さんが野分のことを睨む様に見ていました。けれど、不思議と怖くありません。

 

「野分は一人の兵隊さんですからね。それに、そういうお仕事は日向さん達のお仕事じゃないんですか?」

 

「……どうやってどこまで調べた?」

 

「簡単ですよ。書類を提出する前に中を覗いてメモをするんです。それを後で照会すればいいんですから」

 

「でも数が多ければ時間がかかるでしょう?」

 

「野分は元四水戦ですから。何隻もの敵の動きを見ながら砲雷撃戦するよりも、動かない書類の数字をメモする方が全然簡単ですよ」

 

「そこまで集中して紙は見れんが……足柄に爪の垢でも煎じて飲ませたいな」

 

日向さんはそういうと興味深そうに野分を見ました。

 

「そうね。次の獲物は決まったわね」

 

「あぁ。明日から動く。絶対に逃すなよ」

 

「了解したわ……ほら、のわっち。食べたいものがあったら好きなだけ頼みなさい」

 

「野分はこれだけでお腹いっぱいです」

 

結局、唐揚げ定食と足柄さんが頼んだフライドポテトと、日向さんの頼んだゲソ揚げのおかげで翌日の野分の胃はとても重たかったです。

 

 

ーーーー

 

連休が明け、勤務五日目のことでした。どんな時でも、連休明けの仕事はリフレッシュしたし頑張ろうとは思いません。その日の業務を終え、明日のお休みに舞風と買い物でも行こうと思いながら正門をくぐると、例の総務のおじさんに呼び止められました。

 

「野分くん。ちょっといいかな?」

 

「…………はい。何でしょうか?」

 

「食事でもどうかと思ってね」

 

正直嫌でした。けれど、このおじさんは階級は上でした。断れば何を言われるかわかりません。

「わかりました。お供いたします」

 

「そう言ってくれて嬉しいよ。じゃあ行こうか。何が食べたい?」

 

「野分のよく行くところでもいいですか?」

 

「あぁ。構わないよ」

 

野分はそう言い、歩いていける鳳翔さんのお店に向かいました。あそこなら何かあっても鳳翔さんがいるからなんとかなる。そう思ったからです。

 

「いらっしゃいませ……お二人ですか?」

 

「はい。二人です」

 

「出来れば奥の座敷に上げてもらえるかな?」

 

「…………かしこまりました」

 

鳳翔さんは笑顔で応対していましたが、目が笑っていませんでした。奥の座敷に案内され、襖を閉められると二人きりに感じてしまいとても嫌な感じがしました。

 

「何飲まれますか?」

 

「とりあえずビールを貰おうかな。野分くんは?」

 

「同じのにします。食べるものは適当でいいですか?」

 

「構わないよ」

 

野分は席を立ち、鳳翔さんに注文に済ませると、もう一つある隣の座敷から楽しそうな声が聞こえてきました。羨ましい。そんなことを思いながら襖を閉めると、後ろから急に抱きつかれました。

 

「野分くん。今日呼んだ理由がわかるかい?」

 

「いえ、検討もつきませんが」

 

いくら成人男性といえど、野分は元艦娘です。力任せに振り解くと、彼は楽しそうにこちらを見ました。

 

「野分くん。君、特捜に何か言ったかね?」

 

「いえ、何も」

 

「そう。それが嘘でもいいんだ。これが何かわかるかい?」

 

彼はそう言うとジャケットの内側のポケットから一枚の書類を取り出し、野分の目の前に置きました。それを手に取り、内容を読むと、そこには野分が経費を横領している。との旨が書かれていました。

 

「これは?」

 

「君には横領の容疑がかけられている。私ならそれをもみ消すことができる。そうすれば君は特捜に捕まることもないし、尋問を受けることもない」

 

「野分はやっていませんが?」

 

「そこに書いてある名前を見たまえ。いくら君がやっていないと言っても、上の人間がやったと証言しているんだ」

 

「……野分を脅すつもりですか?」

 

「君がとても優秀なのは知っているよ。君のパソコンからデータベースにアクセスしたログも全て見させて貰った。私達を脅かそうとしているのだろう?」

 

「……何のことでしょうか?」

 

鳳翔さん。随分遅いですね。先に飲み物だけを頼んでおくべきでした。

 

「君にとっても悪いようにはしない。元駆逐艦の艦娘というだけで他よりも階級が低いことを不満に思ったことも少ないないだろう? 私なら君の力になれると思うがね」

 

「つまり、野分に不正を口外するなと言うのですか? それならご心配なく。告発するつもりなんてありませんから」

 

「……最近、どうも特捜が嗅ぎまわっているらしくてね。それに野分くん。私は君の罪を無かったことにしてやろうと言っているんだ。口外しないなんて約束だけじゃ釣り合わないと思わないかい?」

 

「……野分にどうしろと?」

 

「君を私の好きにさせてくれたらそれでいいのだが?」

 

「……最低ですね」

 

「お待たせしました〜」

 

突然襖が勢いよく開くと、陽気な声が聞こえてきました。それは鳳翔さんのものではありません。

 

「なんだ?! 君たちは!」

 

「ご注文されてたビールと、刺身の盛り合わせ……それとこちら、逮捕状でございます」

 

声の主である足柄さんは野分の目の前に料理やジョッキを置くと、彼の目の前に逮捕状を置きました。

 

「特捜か……馬鹿馬鹿しい。証拠はあるのかね?」

 

彼は逮捕状を見ると鼻で笑いました。続いて日向さんが座敷にあがってきました。

 

「その件に関しては機会があれば長門中将にでも聞いてみろ。今のお前は容疑者ではなく現行犯だ」

 

「なんだと?」

 

日向さんは足柄さんに合図を送りました。足柄さんは頷くと、机の下に手を伸ばし箱状の機械を取り出しました。

 

「ここでの会話は全て聞かせて貰ったし、録音もさせて貰ったわ」

 

「……野分くん。君は私をはめたのか?」

 

「…………野分は何も」

 

野分には何が起こっているのかわかりませんでした。どうしてここに日向さん達がいるのかも、こんなものが仕掛けられていたのかも。

 

「野分は何も知らんさ。お前が私達の策にはまったんだ。そもそも私達はお前らに感づかれるような杜撰な捜査はしない。お前が捜査対象であることを匂わせておいて、泳がした。そうしたらお前は野分を強請った。そこを私達が抑えた。それだけのことだ」

 

「……じゃあどうしてこの店だとわかったんだ?」

 

「簡単なことよ。あなたみたいに女の子をいやらしい目で見る人と、二人きりでディナーに行きたいなんて誰も思わないってことよ」

 

足柄さんは彼の手を掴むと、そのまま手錠をかけました。

 

「……こんなことをしても無駄だ。私を誰だと思っている」

 

「さっき言ったろう。機会があれば長門に聞けと。もうお前は総務の長でも軍人でもない。ただの犯罪者だ。足柄。連れて行け」

 

「ちょっと。か弱い乙女一人に連行させるわけ?」

 

「…………暴れるようなら足にも手錠をかけてトランクにでも放り込め。私達もすぐに行く」

 

「せめて何か言って欲しいものね……わかったわ。また後でね」

 

「私達? 野分もですか?」

 

足柄さんが引きずるように彼を連行して行くのを横目に、野分は日向さんを見ました。日向さんはポケットから綺麗に畳まれた紙を野分に渡しました。

 

「…………これ、本物ですか?」

 

「コピーだ。原本はオフィスにある。署名してもらわないといけないから来てもらえるか?」

 

「そういう問題じゃないのですが……」

 

その紙には、野分が海軍特別捜査局に異動しろとの辞令で長門さんと日向さんのサインも書かれていました。一瞬偽物かと思いましたが、長門さんのサインは何回か見たことがあります。恐らく間違いありません。

 

「日向さん、意外と可愛らしい字を書くんですね」

 

「……それが捜査員になったはじめの感想か?」

 

「まだ署名してませんから……」

 

「あら? 足柄ちゃんは?」

 

鳳翔さんが様子を見に来ました。

 

「足柄は諸用で帰った。私達もそろそろおいとまさせて貰おうかと……」

 

「え? 野分ちゃんの栄転祝いなんでしょ? せっかくお店も閉めたのに……」

 

鳳翔さんは残念そうな顔をしました。野分は何も悪くありませんが、すごい罪悪感を感じています。

 

「野分。明日は暇か?」

 

「はい。午前中は暇してます」

 

「なら明日の朝、足柄を迎えによこす。今日は私の奢りだ。楽しんでくれ」

 

日向さんはそう言うと先程まで男が座っていた場所に座りました。野分も元いた場所に戻ります。

こうして野分は捜査員としての一歩を踏み出しました。



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NSCI改 #01 好奇心(1)

 

窓から横須賀海軍基地、旧横須賀鎮守府だった建物が見渡せる。私達、海軍特別犯罪捜査局は横須賀海軍基地から車で十分ぐらいの場所に立地している。二年前に建てられたこの近代的な建物は内装もモダンで、出入りする職員も皆お洒落をしている。

 

「ねぇ、日向。オフィス引越しの件はどうなっているの?」

 

私達、捜査一課七係のオフィスの上座にデスクを構える日向に声をかけると、日向は書類で顔を隠した。つまり、どうにもなってない。そういう意味でしょう。

 

「なんで私達のオフィスは小会議室なんて窓のついた物置みたいな場所なのよ。他の子なんて、公務員の働く場所とは思えないほどお洒落な部屋で、机もお洒落で、コーヒーメーカーまで完備されてるのよ?」

 

「必要なものが全て揃ったこの部屋で、パソコンが置ける机に、給湯室に行けば珈琲もお茶も好きなものが飲める。それで満足じゃないか?」

 

「……きっと今日入ってくる子達も私達よりも恵まれた環境で仕事をするというのに」

 

そう。奇しくも今日は四月一日、新しい職員が入ってくる日だった。朝、のわっちを迎えに行き、地下の駐車場からエレベーターに乗っていると、真新しいスーツを身にまとい、自分たちの将来に輝かしいものを信じている若者達が乗り込んできた。

 

「5階をお願いします」

 

操作盤の前に立つ私に彼はそう言うと、同じくスーツを着ているのわっちに声をかけた。同じ新入職員とでも思ったのでしょう。のわっちの銀髪を見て驚きの声をあげていた。そんな会話の中で、小声で聞こえてきた言葉がある。

 

「エレベーターにも専門の職員さんがいるんですね」

 

誰がエレベーターガールよ!

若者達は五階で降りていく。降りないのわっちを不思議そうに見ていたが、私は閉ボタンを連打していた。

 

「……野分はそんなこと思ってませんから」

 

のわっち。フォローの仕方が下手じゃないかしら?

そういうことがあって、今、私は彼らに嫉妬している。私もお洒落なところで働きたい。

 

「しかし、野分は遅いな。建物の案内だけのはずだが……」

 

日向は壁にかけられた大きなモニターを見た。パソコンの画面を共有できるように設置されたそれには、大きく時刻が表示されている。もう昼の休憩も残りが少ない。

 

「ヨドに連れられてご飯でも食べてるんじゃない?」

 

「だといいが……」

 

日向はそう言うと、席を立ちあがった。軽く身支度を整えると、私の方を見た。

 

「少し離れる。野分が来たら、ここでのことを教えてやってくれ」

 

日向はそう言い部屋を出た。私は残っていた珈琲を一気に飲み干すと自分のデスクに積まれた書類の山を見た。

 

「午後から頑張りましょうか……いえ、午後もね」

 

ーーーー

 

のわっちがヨドに連れられてオフィスに戻ってきたのは三時前だった。二人ともやつれたような顔をしている。

 

「何かあったのかしら?」

 

「いえ、途中で局長につかまりまして……小言をたくさん言われた後に、食堂に向かったら新入職員の歓迎会が行われていまして……外に食べに行こうと思ったのですが、そこで野分さんがつかまりまして……結局付き合う羽目になりました」

 

「初日から心が折れそうなのですが……」

 

「大丈夫。私もここに来た初日に心は折れたわ」

 

新しく用意したデスクに座らせると、のわっちは何も置かれていないデスクにぐでーっと突っ伏した。

 

「足柄さん。ここに来た日は日向さんが溜め込んだ書類を徹夜で仕上げてましたもんね」

 

「そうね。まさか自分で自分の転属届けを書くことになるとは思わなかったわ」

 

「日向さんって意外とズボラなんですか?」

 

のわっちが顔だけあげてこちらを見ている。

 

「ズボラではないわ。他の部署は20人近くいるのだけど、その仕事量を二人で回すからどうしても人手が足りないのよ」

 

「私も手が空いてる時は手伝うんですけど、明石の申請書の処理で手が回らないことの方が多いですね」

 

「だからこんな倉庫みたいな部屋なんですか……」

 

のわっちはまた顔を突っ伏した。どうやら想像していた場所とはかけ離れているようね。

 

「倉庫みたいな部屋でも、設備は他の部署より整っている」

 

いつの間にか戻って来た日向が扉の所に立っていた。

 

「足柄、車を表にまわしてこい。野分、装備を渡す。付いてきてくれ。どうやらここの新人は初日は帰れないらしい」

 

「ちょっと! 説明ぐらいしなさいよ!」

 

「今は時間が惜しい。説明は車内でする。急げ」

 

のわっちは慌てて席を立つと、日向のあとを追った。私は部屋の恥に置かれた施錠されたロッカーから自分の装備と日向の装備を引っ張り出す。ライトのついたシグを収めるホルスターを二つ。それと弾、予備のマガジン、防弾チョッキを大きいボストンに放り込む。

 

「……あの」

 

振り返ると不安そうな顔をしたヨドがいる。

 

「どうしたの?」

 

「野分さんのこと、よろしくお願いします」

 

「わかってるわ。じゃあ行ってくるわね」

 

私はヨドの肩を叩いて部屋を出た。

 

ーーーー

 

正面玄関に車をつけ、二人を待っていると、仏頂面をした日向と緊張でガチガチののわっちが出てきた。のわっちのスーツのジャケットの脇の下が不自然に盛り上がっている。日向は後ろの席にのわっちを乗せると、乱暴に助手席に座った。のわっちが何かしたのかしら。

 

「何かあったの?」

 

「何もどうもない。頼んでおいたはずの装備がまだ来てなかったんだ」

 

日向は私に車を出せとアイコンタクトをする。私はギアを入れ替えて車を走らせる。日向はナビを操作しながら愚痴をもらす。

 

「でも装備は受け取れたんでしょ?」

 

「あぁ。P46をな」

 

「……はぁっ?!」

 

「前を見ろ」

 

思わず隣に座る日向の顔をマジマジと見てしまった。そもそもどうしてそんなものがうちにあるのか。それに弾は。様々な疑問が浮かぶ。

 

「あの……野分はこれをどうしたら」

 

バックミラー越しにのわっちと目が合う。私も写真でしか見たことないそれを脇の下に収めるのわっちはとても不安そうな顔をしていた。

 

「私の許可なく抜くな。私が許可しても抜くな」

 

日向がそう言うと、のわっちは更に不安そうな顔つきにいなった。そりゃそうよ。意味がわからないもの。

 

「それで、これはどこに向かっているの?」

 

ナビの指示に従って車を走らせてるけど、目的地まではわからない。都内に向かっているのはわかる。そもそも説明を受けていない。

 

「今朝、都内のホテルで衣笠が何者かに連れ去られた。なんでも取材だとかで待ち合わせをしていたらしい。まだ確認はしていないが、複数人のグループに連れ去られ、そのまま外で待機していた車に乗せられたらしい。私達はとりあえず現場に向かう」

 

「衣笠さんは大丈夫なんですかっ?!」

 

席の間からのわっちが顔を出す。その顔は不安と焦りで白くなっていた。

 

「危ないから大人しく座っていろ」

 

日向は冷たく言い放つ。のわっちは言われた通り元の場所に戻ったけど、ソワソワしている。日向は仕事の時は対応が冷たくなる。私もはじめの頃はそれに腹が立ったが、今では馴れた。こういう時の日向は常に何か考え事をしている。私には何を考えているのかはわからない。けれど、常に次のことを考えていることだけはわかる。

 

「衣笠は無事だろう。というより、普通の人間が力付くでどうこうなる相手じゃない。もし相手の中に現役の艦娘、もしくは戦艦、空母の元艦娘がいるならわからんが……そういう報告も受けていない」

 

「……深海棲艦かもしれません」

 

「私もそれは考えた。だが、やつらに解体された衣笠をさらう理由がない」

 

「衣笠って青葉と一緒に事務所立ち上げたわよね。ジャーナリズムがどうのこうのって言って。青葉は何か言っているの?」

 

「いや、こちらは青葉からは何の連絡も受けていない」

 

「どういうことですか? だとしたら何故衣笠さんがいなくなったことがわかったのですか?」

 

のわっちが鋭い指摘をする。気が動転しているのは顔をみればわかるけど、私にも気付かなかったことを指摘するとはこの子、なかなか出来る子かもしれない。

 

「私達、艦娘は国、軍、そして私達特捜の監視下に置かれている。私にもどういう原理かはわからないが、おそらく体内に残された艦娘としての機能の何かがあるんだろう。その衣笠から発せられる信号が追えなくなった。原因を調べたら今朝の誘拐事件と繋がった。そういうわけだ」

 

「信号が追えなくなったって……あなた、それ死んでるんじゃないでしょうね?」

 

私は迂闊なことを喋ってしまった。ハッと気がついて、恐る恐るバックミラーを見る。のわっちが今にも泣きそうな顔をしていた。日向はそんな私の左のももを叩く。結構痛い。綺麗な手形が残っている気がするわ……

 

「後学のためにおしえてやる。足柄の信号は二週間に一回は追えなくなるらしい。だいたい水曜日の夜から土曜の昼までだ」

 

「どういうことかしら? 私はやましいことなんて何もしてな……」

 

言いかけて途中で気がついた。二週間に一回のその日程は私が貯めに溜め込んだ書類を徹夜で仕上げている時間だ。

 

「そういうことだ。信号は本人の体調の影響を受ける。つまり健康のバロメーターだと思っていい」

 

「なら衣笠さんの体調が悪いってことじゃ……」

 

「……単純に寝てないってことでしょう?」

 

「眠らせないような拷問を受けているとか……」

 

のわっちの思考がどんどんまずい方に向かっている。頭はいいけど考えすぎる傾向があるようね。

 

「それはお前のせいだろう。行けば何かわかる。急げ」

 

日向、人の心を読むのはよくないわよ。私はグッとアクセルを踏み込む。前の車が道を譲る。煽っているつもりはないのだけど。

 

「こういう時に白いクラウンは便利ね」

 

「そういう使い方をするんじゃない」

 

バチンッ! またももを叩かれた。

 

ーーーー

 

白黒のパトカー、銀色の覆面、その後ろに車をつけるとスーツを着たお兄さんに声をかけられた。女の子二人と小難しい顔をした女性がのる車を見た彼は笑顔で私に声をかける。

 

「はい、これ」

 

身分証を見せると、引き締まった顔で返礼された。なかなかいい顔してるじゃない。

 

「ご苦労様」

 

先に車を降りた日向は白い手袋をはめて立ち入り禁止のテープを潜る。私は野分を連れて後に続く。世俗的に超高級と言われるこのホテルのロビーは天井も高く、豪華なシャンデリアが吊り下がっていた。その脇に目立たないように監視カメラがある。

 

「映像を見せてもらえるかしら?」

 

近くにいた捜査員に声をかけ、カメラの映像を記録してある部屋まで案内してもらう。日向は現場が見たいと言いロビーに残った。

従業員に操作で録画してある映像を再生すると、衣笠が座って誰かを待っていると映像が映し出された。

 

「随分と粧しこんでるわね……誰を待っていたかわかってるの?」

 

「いえ、そこまではまだ調べがついていません」

 

「そう……わかったわ」

 

映像は続き、五人のガタイのいい男性に囲まれ、そのまま玄関の方へと歩いていく。

私は爪を噛んでいた。なぜ衣笠が素直について行ったのかわからない。それに、こういう突っ込んだ取材をするなら性格的に青葉がするはず。どうして衣笠なのかしら。

 

「足柄さん! これ!」

 

のわっちが画面を指差した。画面を覗き込み、よく見る。ピンク色のポニーテール。恐らく間違いはない。青葉だ。

 

「青葉の居場所はわかっているの?」

 

「いえ、青葉氏とも連絡がついておりません。現在そちらの行方も追っています」

 

「……そう」

 

使えない。そう思ったけど、彼らに青葉が見つけられるとは思わなかった。好奇心が旺盛で、自分の体力が続く限り自由奔放に動き回る。そして偏ったジャーナリズムで面白おかしく記事を書く。そんな青葉たちを胡散臭い連中は快く思わないでしょう。それでも好き勝手やれる彼女たちだ。そう簡単に見つかるわけがない。これは面倒なことになってしまったわ。

 

「ほぼ、さっきの日向の言っていた通りだったわ」

 

「ほぼ?」

 

入り口に立ち、外を見ていた日向に声をかけると、日向は眉をひそめた。

 

「えぇ。最後に青葉が映っていたわ」

 

「やはりそうか……」

 

日向はそう言うと入り口の脇にある窓に面した花壇を指差した。そちらの方を見てみると、土の部分に足跡がいくつかある。

 

「あの位置からなら衣笠が座っていた場所が見える」

「青葉らしいわ……」

 

「お前らは青葉を探してくれ。私はもう少しここに残る。後でオフィスで落ち合おう」

 

「わかったわ。のわっち。行きましょう」

 

「わかりました」



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NSCI改 #02 好奇心(2)

 

「ご苦労様です!」

 

車に戻ると、制服を着た婦警が私達に声をかけてきた。

本来、立ち入り禁止テープの中にはスーツを着ている警察官しかいない。なのに何故制服を着た婦警が中にいるのか。答えは明白。

 

「青葉さん……? 何をやっているんですか?」

 

のわっちが正解を言う。そもそも婦警帽を被っていても、ピンク色の髪の毛がまったく隠れていない。まったく意味を成していない。どうして誰も気がつかないのだろうか。

 

「私は青本巡査であります! お探しの青葉の居場所がわかりましたのでご案内いたします! 乗ってください!」

 

青葉改め、青本巡査は躊躇なく後部座席に乗った。私はこの青本巡査を日向の前に突き出そうかとも考えたけれども、大人しく指示に従う。のわっちに青葉を逃さない為に後ろの席に座らせる。けれどもエンジンはかけない。

 

「……それで。巡査。どこに向かえばよろしいので?」

 

「とりあえず車を出しましょう!」

 

元気よく車に乗り込んだ青葉は、はやくこの場所を離れたいようだ。

 

「行き先をナビにセットしないといけないのだけど?」

 

「青葉が……いえ、私がご案内します!」

 

「心配ご無用よ。最近のナビは優秀だからね」

 

私はナビを適当に弄りながら時間を稼ぐ。

 

「いいからはやく出してください!!」

 

青本巡査が私の肩を掴んだ。振り返ると、その顔は焦っていた。私はため息をつくと、エンジンをかけた。こちらを見ているお兄さんおじさん達に一礼し、ホテルから車を出す。

しばらく走り、ホテルからだいぶ離れた場所で青本巡査に声をかけた。

 

「それで、巡査殿。どちらに向かうので?」

 

「とりあえず適当に走ってくださいな」

 

「あんた、今からでも引き返して日向につきだしてあげましょうか?」

 

「そんなモテないからってピリピリしないでくださいよ。足柄さんはきっと美人だから交際相手ぐらいいるだろうって思われてるんですよ」

 

ちょうど信号が右折信号出した。ここの交差点はUターンができる。私はあたりに車がいないことを確認し、一気に右車線までうつると、ギリギリのタイミングで交差点に侵入しハンドルを一気に右に切った。

 

「わっ!! 冗談です!! 足柄さん!!」

 

「……青葉さん……退いてください」

 

バックミラー越しに、左の窓に張り付くのわっちの上で、青葉が涙目で訴えているのが見えた。そんな青葉を、のわっちが力づくでどける。

 

「次はないわよ」

 

「お二人とも手厳しいですね……あっ、そこ左に曲がってください!」

 

青葉の指示に従い、車を走らせる。無茶苦茶な指示をするのかと思えば、青葉の指示はタイミングも的確でわかりやすかった。ちゃんと、曲がった後の車線まで教えてくれる。

 

「そこの時間貸しの駐車場に停めてください」

 

青葉が最終的に案内した場所は先程のホテルからそれほど遠くない、人気の少ない路地の駐車場だった。空いているスペースに車を入れると、青葉がグイッと身を乗り出してきた。

 

「さて……足柄さん。取材してもいいですか?」

 

「私があなたを取材したいのだけど?」

 

「後でいくらでも。足柄さんが先です!」

 

青葉はそう言うと、グイッと手を伸ばし、ナビの画面の下の部分に手を引っ掛けた。

 

「何をする気かしら?」

 

「緊急企画! 気になる噂を検証! 元M型重巡Aは本当に派手な下着を着けているのか?! です!!!

 

青葉はそう言うと、力任せにインパネを引っ張り剥がした。バキッ!!っと嫌な音を立てる。

 

「あんた何してんの?!」

 

「大人しく剥かれてください!!」

 

「馬鹿やってんじゃないわよ! のわっち! 抑えて!」

 

「青葉さん!!」

 

のわっちが青葉の肩を掴み、引っ張り戻そうとするも、青葉を更に身を乗り出す。剥がしたインパネを助手席に放ると、中の配線部分まで手を突っ込んでいた。私も青葉を押し戻そうとするも、青葉は配線を引っ張り出すのをやめなかった。

 

「さぁ! 観念してください!」

 

青葉の力が緩んだ。そのまま青葉を後ろの席に押し込む。ブチブチっと何かを引きちぎる音がした。のわっちに抑え込まれた青葉は自信満々な顔で手に持っている黒い箱を掲げた。私はそれが何かすぐにはわからなかった。見覚えのあるそれは電源を失い、点滅していなければいけないライトが消えていた。

 

「青葉、見ちゃいました!!」

 

「……のわっち。そいつを外に出しなさい」

 

「わかりました」

 

のわっちに引きづられるような形で青葉は車を降りる。どっと疲れが押し寄せる。

 

「どうしてあんなものが……?」

 

私は大きなため息をつき、車を降りた。

 

ーーーー

 

青葉はのわっちに羽交い締めにされていた。しかし、青葉の顔は自信に満ち溢れている。

 

「のわっち。離してもいいわよ?」

 

「えっ? いいんですか?」

 

「構わないわ」

 

私はボンネットに腰掛け、青葉を見た。のわっちの拘束から解放された青葉は私に取り外された黒い箱を渡した。

 

「足柄さんはこれが何かわかっているようですね」

 

「えぇ。前に見たことがあるわ。海軍高官の車が盗難から奇跡的に無傷で帰ってきた時に取り付けられていたものと同じものだからね」

 

「なんなんですか? それ?」

 

のわっちが興味深かそうに私の持つ機会を見ていた。

 

「車用のGPSと盗聴器。電源が車から供給されるから常に電源が入ってる厄介なやつよ」

 

「恐らくこの場所も車内での会話も漏れているでしょう。面倒になる前にここを離れましょう」

 

青葉はそう言うと精算機に向かった。料金を支払うと、出しやすい場所のロック板が下がった。その上には派手な羽根をつけた車が鎮座していた。

 

「下品なリアウィングね……」

 

「何を言いますか! この子は崩落事故から記者の命を守った凄い車なんですよ! それにラリーでも証明された高い走破性能もあります! どんなとこにも取材に行けるんですよ!」

 

「私は丸目の時の落ち着いた羽根の方が好きだわ」

 

「あれは丸目だからいいんです。 青葉のは最終型ですからこれが純正なんです」

 

ニ代目最終型インプレッサ。鷹目インプと呼ばれるそれの運転席のドアを開けた青葉がこちらに早く乗れというジェスチャーをしている。私は助手席に乗り込む。マフラー以外、純正で手が入れられていない外装に対し、中はバケットシートにロールバー、追加のメーター類まで付いていた。のわっちなんて乗り込む時にロールバーに頭をぶつけている。

 

「記者のインプって初代よね?」

 

「本当は初代の二枚板のが欲しかったのですが……衣笠がこの子の方がカッコいいって譲らなかったんですよ」

 

「野分は前の車の方がいいです」

 

のわっちがぶつけた頭を抑えながら、抗議の声をあげる。私もそう思うわ。

 

「車の趣味は人それぞれですからね」

 

青葉はそう言うとエンジンをかけた。野太い低音がうるさくも心地よい。

 

「でも野分さん。運がいいですよ。今度四点式を入れようと思っていたので」

 

「そうしたら今度あなたをしょっぴきに行くわ」

 

「野分には何が何だか」

 

青葉は苦笑いをすると車をゆっくりと発進させた。段差を乗り越える振動がモロにくる。

 

「衣笠もよくこんなにするのを許したわね」

 

「アハハ……いつも文句ばっかりですよ」

 

ーーーー

 

青葉が向かった先は横須賀のはずれにある彼女の事務所だった。一階部分がまるまる駐車場になっている。三台ほど停められるスペースには原付とオフロードタイプのバイク、そして乗ってきた車が停められていて、一台分は空いている。

 

「随分と広い事務所ね。他にも誰かいるの?」

 

「青葉と衣笠だけですよ。どうぞ」

 

青葉に案内され、中の応接用のスペースに通された。

 

「それで……衣笠さんはどうしてあそこに?」

 

「日向さんと足柄さんは特捜に移ったことをしっていましたが……野分さんはいつから特捜に?」

 

「今日からよ」

 

「そうでしたか……それはまた……」

 

青葉はのわっちから顔を背けると何か考え始めた。

 

「これについても話した方がいいですね」

 

青葉は机の上に置かれた盗聴器を見た。

 

「なんであなたがこれが車にあったのか知っているか聞きたいけれども、そこは私から話すわ」

 

「じゃあ青葉は飲み物をいれてきます」

 

青葉はそう言うとパーテンションの裏に消えていった。

 

「それで……」

 

「えぇ。さっきも話したけれども、これは海軍高官の車につけられていたものと同じものだわ。日向と私が上から盗難車の捜査を押し付けられてね。実物を見たことがあるから間違いないわ」

 

「それが何故あの車に……いったい誰が?」

 

「そもそも、これが取り付けられた理由も外部の人間が海軍内の情報を得ようと取り付けたものなのよ。ここで言う外部っていうのは民間だけじゃなくて、役人さんも含まれているわ」

 

「どういうことですか?」

 

「のわっちも知っているとは思うけど、海軍はいまや大きな組織になりすぎたわ。知られたくない情報もたくさんある。それを知りたい人間はいっぱいいるってことよ」

 

「その知られたくない情報というのは私達艦娘についてが多いです。どうぞ」

 

コーヒーカップを三つ乗せたお盆を机においた青葉が補足する。私はその一つに口をつけた。のわっちもそれを飲む。みるみるうちに渋い表情に変わっていく。

 

「……濃いですね」

 

濃い? 私は薄いと感じたのだけど。

 

「青葉はいつも濃いめに淹れるので薄めたのですが……牛乳でよければお持ちしますよ?」

 

「……お願いします」

 

「足柄さんは?」

 

「私は粉を足してほしいわ」

 

「わかりました……というか、お客さんたち随分とわがままですね!」

 

青葉は何かがおかしいといった表情をしながらまたパーテンションの裏に消えて行く。私は青葉が置いていった青葉用の珈琲に口をつけた。これぐらいでちょうどいい。

 

「それで、艦娘に関する情報を欲しがる人たちって誰なんですか?」

 

「経済界の権力者、議員、大臣……要するに自分の権力を誇示したいおじさんたちね」

 

「……どういうことですか?」

 

のわっちの眉間にシワがよる。

 

「桐生大将が大和を連れていったでしょう? あれが羨ましいのよ」

 

「男女の仲が羨ましいんですか? いい歳した大人が?」

 

「……的を得ているようで得てないわ。そうね……じゃあ例え話をしましょう。のわっち。あなたは普通の人間でとっても偉い人になった。そんなあなたの秘書はこの私、足柄よ。どう思う?」

 

私は胸を張ってのわっちを見た。対するのわっちは訝し気な目で私を見ている。どういうことかしら。答えは一つしかないと思うのだけど。

 

「なんか嫌です」

 

私の想像すらしていない答えが帰ってきた。

なんか嫌?

泣いてもいいかしらね。

 

「頼もしいとは思いますけど」

 

本当についで。そんな具合の言い方でのわっちは付け加える。私の求めていた答えはそれよ。

 

「野分さん。そういうことですよ。さっきも言いましたけど、足柄さんはモテないだけで美人さんです。そんな女性が自分の側近にいたら周りからは羨望されますからね」

 

戻ってきた青葉が余計な一言を添えて補足する。でも悔しいけれど青葉の言う通りでもある。妙高姉さんは大手民間企業の社長秘書として引き抜かれたし、那智にもその手の話がたくさん来ているのは知っている。だけど、何故か私には来なかった。モテないの意味は違うけれども、美人ではある。

 

「いくら美人でも……」

 

「のわっち。なに?」

 

「なんでもないです。なんとなく話はわかりました。それで衣笠さんは?」

 

のわっちが早口に話題を切り替える。なんか悲しく思えてくるわね。

 

「青葉と衣笠はある海運の会社の社長さんが艦娘に興味があると聞いて取材しようと考えていたのですが……先にこれについてお話ししましょうか」

 

青葉はそう言うと、盗聴器を手に取った。

 

「実は、特捜に納品されている車両が不自然な運送ルートを辿っていたのがわかったのです。捜査車両としてメーカーに改修され、納品されるはずなら本来メーカーと特捜との間でやりとりされますよね?」

 

「えぇ。私もそうだと思っているわ」

 

「ですが、新たに設置された特捜車両。日向さん達が七係を設立する少し前から間に何か不思議な動きがあったんです」

 

「なによ。不思議な動きって」

 

「わかりません。ですが、明らかに不自然です。それまで陸路で運ばれていたはずの捜査車両が急に海路で運ばれはじめたんですから」

 

「……海の上なら身内以外の人目につかないから?」

 

のわっちがボソッと呟く。青葉は黙って頷いた。

 

「おそらく足柄さん達の車両にもなんらかの手が入れられているとは思いました」

 

「なるほどね……それで?」

 

青葉に続きを促すと、青葉は真面目な口調で話しを続けた。

 

「おそらく、衣笠がさらわれたのは口封じのためでしょう。ですけど、青葉も衣笠もこうなることを予想していなかったわけではありません」

 

「わざと連れ去られたわね」

 

「はい。もう少し情報を集めてからお伝えしようと思いましたが、青葉の予想よりもはやく日向さんが動かれまして……こうして協力することにしたわけです」

 

「ただのジャーナリストがよくやるわ……」

 

「じゃあはやく助けに行きましょう」

 

のわっちが興奮気味に立ち上がる。

 

「待ちなさい。一度オフィスに戻って日向に指示を仰いでからよ」

 

「そんな呑気なことを言っている場合ですか? 野分だけでも行きますよ。青葉さん、場所を教えて……」

 

私はのわっちの腕を掴んだ。のわっちが私のことを睨む。クールに見えて、意外と熱い子みたいね。嫌いじゃないわ。

 

「野分さん。衣笠は大丈夫です。落ち着いてください」

 

「そうよ。それにあなたの上司は私であり、私の上司は日向よ。言うことを聞きなさい。あなたの独断専行で捜査を引っ搔き回さないで頂戴」

 

のわっちは納得していなさそうな顔をしていたが大人しく座った。

「大丈夫よ。日向なら今頃全てを解決する算段をたてているわ……私にはわからないけどね」



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NSCI改 #03 好奇心(3)

 

納得していない、どこかの航空戦艦の様な仏頂面をしたのわっちとオフィスに戻ると、本家仏頂面が退屈そうに座っていた。

 

「遅い」

 

「青葉と話し込んでしまってね」

 

日向はパソコンを操作し、壁に掛けられたモニターが時計から日向のパソコンの画面に切り替わった。

 

「衣笠を攫ったやつらの身元が割れた。全員、雇われ者だ。犯行に使われた車両も特定したし、どこに行ったのかもわかった。明日の朝、陸奥の部隊と突入することが決まった」

 

「陸奥の部隊? 彼女、今は神奈川県警のお巡りさんじゃないの? 制服を着てミニパトに乗って、違法駐車のタイヤに落書きする仕事してるって前に聞いたけど」

 

「あのプライドが高い陸奥がそんな雑務をするわけないだろう……公安の一つの部隊のまとめている。ここの前身みたいなものだ」

 

「ふーん……公安と合同でなんて私達も偉くなったものね」

 

「本気でそう思っているのか?」

 

日向の眉間に深いシワが刻まれた。どうやら、相当機嫌が悪いようだ。そういえば、朝からそうだったわね。

 

「何かいけないことでもあるんですか?」

 

のわっちが不安そうに呑気なことを言う。

 

「マズイわね。もし立場上は向こうの方が上だから。終わった後の処理、それ以降がとてもめんどくさいわ」

 

のわっちは未だによくわかっていなそうな顔をしている。そんなのわっちを見て、日向はモニターを切り替えた。

 

「詳しい説明がまだだったか。私達、海軍特別犯罪捜査局、長いから特捜と略すが、特捜は昔の憲兵みたいなものだ。捜査権があり、武装も許容されている。だが、その捜査権は海軍に関することまでと限定されている。ここまではいいか?」

 

「はい」

 

「私達七係は主に元艦娘、及び深海棲艦に関する事案を取り扱う」

 

「それと雑用ね」

 

私が口を挟むと、日向は嫌そうな顔をした。だが、間違ってはいない。

 

「雑用に関しては先程聞きました」

 

「お前は新人に何を教えているんだ……」

 

「事実でしょう?」

 

「……話を戻そう」

 

日向め。強引に終わらせたわね。

 

「さっき言った仕事をこれまで引き受けていたのが陸奥の公安の部隊だ。私も正式名称は知らないが、便宜上、陸奥部隊とでも呼ぼうか。陸奥部隊は公安の際限ない捜査権が与えられている。つまり、主に元艦娘、深海棲艦に関することを主に調べていただけで、それ以外の厄介ごとも請け負っている捜査部隊になるわけだ」

 

「なら同じ目的を持ったもの同士、協力出来ますよね?」

 

「昔から言うでしょう。警察と軍隊は仲が悪いって。向こうにしてみれば、仕事を一方的に取り上げられて、もう関わらないでって言われたようなものよ」

 

「仕事が減るならいいことじゃないですか?」

 

「足柄の言い方を変えよう。利益を一方的に取り上げられて……私達も向こうも仕事は捜査と称した情報収集にある」

 

「……そういうことですか」

 

ようやくのわっちも納得したようだ。でも日向、あなたも新人に何を教えているのかしらね。今朝会った若い子達もそんなことを教えられていないと思うのだけど。

 

「私達はそういった権力から元艦娘を守る。そういう立場にいる」

 

日向は立ち上がるとのわっちの上着の上から隠れているホルスターを触った。

 

「お前のここにあるこれは、彼女達が彼女達らしく生きるためにお前のここにある。使い方を間違えるなよ」

 

「わかりました」

 

なかなか感動的な場面だけど、そんなことをしている場合かしら。

私は手を叩いて、二人を自分たちの世界から呼び戻した。

 

「私からの報告は必要かしら?」

 

「あぁ。頼む」

 

私は先程の青葉との話を日向は黙って聞いていた。私が話し終えると、目を瞑りしばらく考えこむ。

 

「車の方はお前に任せる。明石と一緒に新しいものを用意してくれ。私は何も言わん」

 

私は何も言わん。ということは好き勝手にしていいと言うことね。青い一航戦じゃないけど気分が高揚するわ。

 

「うちの上が絡んでいるとなるとそれ以上の立件は出来そうにないな」

 

日向は大きなため息を漏らした。

 

「作戦を変える。明朝、陸奥部隊よりも先に、私達単独で衣笠を救出する。陸奥には申し訳ないが……まぁ、長門から根回ししてもらうとしようか」

 

「あら? 日向のことだから、徹底的に調べ上げるのかと思ったけど?」

 

「今回は青葉達の手柄も大きい。なら彼女達が望むものを与えようじゃないか」

 

日向は悪戯な笑みをもらす。その後自分の財布からお札を取り出して私に差し出した。

 

「初日から悪いが、今日は泊まりだ。足柄、これで野分と何か食べてこい。私はやることがある」

 

「後で請求するからとっておいて」

 

「お前の酒代は出さん」

 

「ケチな上司ね……」

 

私は日向の出した一万円札を受け取る。ここら辺で二人でご飯を食べるなら多すぎる額だ。私はこの時間までやってる安売りのディスカウントストアを思い浮かべた。

 

「……安物で悪いけど、我慢してね?」

「何の話ですか?」

 

「スーツのまま寝るわけにはいかないでしょう? それに化粧品とか必要なものもあるでしょうし」

 

「野分は構いませんが……それに野分はすっぴんですし」

 

同じ元艦娘のはずなのに。

 

「……羨ましいなぁ、足柄」

 

日向がニヤニヤしながらボソッと呟く。えぇ。まったくもってその通りよ。

 

ーーーー

 

のわっちの寝間着と私が選んだ必要最低限の化粧品を買いこみ、近くのファミレスに入った。注文を追え、先に出てきた珈琲を飲んでいると、のわっちが口を開いた。

 

「思っていた場所とは随分違うのですね」

 

「海軍の上層部とつるんで悪いことしてると思った?」

 

「はい……正直に言うと」

 

のわっちはオレンジジュースを飲んでいる。子供っぽい。選んだ時にそう言ったが、珈琲よりもこっちの方が頭が働くとのわっちは言っていた。

 

「当然、悪いことをしている人もうちにはいるわ。けれど、日向はそれを変えようとしている。だから私もここにいるのよ」

 

「先程、艦娘と深海棲艦に関することを取り扱う。そう日向さんは言っていましたが、雑用というのは押し付けられたらやらなきゃいけないんですか?」

 

のわっちの含みのある言い方に別の意図を感じる。もしかしたら、この子は日向と似ているかもしれない。

 

「……基本的には、やらなくちゃいけないわね」

 

「なら例外的に断ってきた雑用もあると」

 

「……ちなみにだけど、断ってきた雑用の方が多いわね」

 

先にのわっちが聞きたいであろう答えを先に言ってみる。のわっちは納得したように頷いた。

 

「……日向さんは、先程の陸奥部隊の様なチームを作りたいと考えているのですか?」

 

「それはわからないわ」

 

嘘はついていない。私にはわからない。けれど。

 

「足柄さんはどうお考えで?」

 

この子、本当に鋭い。

 

「それ以上のチームを作ろうとしているのじゃないかしら?」

 

「そうですか」

 

「お待たせしました!」

 

ちょうど料理が運ばれきた。私はカツカレー。のわっちはナポリタン。のわっちは考えるのをやめ、フォークとスプーンを持つ。私はスプーンで乗っているカツを一口大に切り分けた。

 

「……意外ですね」

 

「何が?」

 

「もっと大胆に食べると思っていました」

 

のわっち。あなた私のことガサツな女だと思っていないかしら? でも思い当たる節がないわけではない。

 

「急いでなければ……ね」

 

私は切り分けたカツとカレーを一口食べる。まぁ、こんなものよね。

黙々と食べていると、先にのわっちが食べ終わった。私は見ていた。上品にスプーンの上でパスタを巻いていたけど、その一口が大きい。のわっちは躊躇うことなく呼び出しボタンを押した。

 

「デザート?」

 

「いえ……主食を」

 

のわっちは恥ずかしそうに言った。初日なのにこんなにバタバタしてたらお腹空くわよね。

 

 

ーーーー

 

オフィスに泊まった私達は日が昇るよりも早く起きていた。

 

「おはようございます」

 

灰色のスウェットを着たのわっちが眠たそうな目をこすりながらオフィスに入ってきた。どうやら朝は弱いようだ。

 

「おはよう。顔を洗うなら給湯室を使ってくれ」

 

先に着替えも済ませている日向が答える。のわっちは黙って頷くとフラフラと給湯室に向かっていく。そんなのわっちを見た日向は苦笑いをしている。

 

「足柄と同じで朝は弱いようだな」

 

日向の口から私の名前が出る。そういう私も寝間着のまま自分の椅子に座りボーッと珈琲を飲んでいる。考えてみると、昨日からこれしか飲んでいない気がする。いや、いつもか。

 

「足柄。いつまでもボヤッとしてないで着替えろ」

 

日向の声を聞いて、私は机の上に置かれている服を見た。上下黒のBDU。色気の無い服。私は日向を見る。艦娘時代の制服のイメージとは全然違う日向がそこにいる。

 

「なんか……男みたいね」

 

ふらっと日向が立ち上がり、こちらに歩み寄ってくる。

ゴンッ!

私の頭に鈍い音が広がる。それに遅れて頭に鈍痛がくる。

 

「いったぁ〜〜い!!」

 

私は頭を抑えた。それで完全に目が覚めたけど。

 

「起きたか。足柄捜査官。早く着替えて用意をしろ。これは命令だ」

 

「なにもぶつことはないでしょう!!」

 

「人を男扱いした罰だ」

 

「そんじょそこらの男よりよっぽど男らしいわよ……」

 

「何か言ったか?」

 

「なんでもないわよ!」

 

私は慌てて寝間着を脱ぐ。するとちょうどのわっちが帰ってきた。顔を洗い目が覚めたのだろう。いつもの凛々しい目をしている。

あら? どうして顔を赤くしているのかしら?

 

「……せめて人目につかないところで着替えてくれませんか?」

 

「いいじゃない。女しかいないんだから」

 

「やっぱり足柄さんは足柄さんですね」

 

「野分。言ってやるな」

 

どういう意味よ!

私はそのまま着替えを続行した。野分は自分の机に置かれた服を持って部屋を出る。

 

「お前も少しは野分を見習え」

 

「善処してあげないこともないわ」

 

上司に殴られて、部下には蔑まれる。

なんて清々しい朝なのかしらね。

 

ーーーー

 

防弾ベストを着込み、その上にプレートキャリアを着込む。

艦娘だった頃はこんな装備は必要なかったけど、今は違う。人間よりもとっても頑丈に出来た元艦娘とはいえ、銃弾を直接受けたらただじゃ済まない。それに今は艤装がない。だから人間と同じ装備が必要になる。

 

「足柄さん……これ……」

 

のわっちを見ると、ブカブカのプレートキャリアをつけて困り顔をしている。まるで前掛けのようで少し可愛らしい。

 

「野分、後ろを向け」

 

日向はのわっちの後ろにしゃがむと、背面で調整をしてあげた。

 

「細いな……ちゃんと食べていたのか?」

 

日向が調整用の紐を括りながらたずねる。日向の位置からして、限度いっぱいのところまで締め込んでいるはずだ。

 

「昨日はパスタ食べた後にリゾットを食べて、デザートまでしっかり食べていたわよ」

 

「昨日はお腹が空いていて……」

 

「太らない体質か……これでいいだろう」

 

まだ少し余裕があるけれど、さっきよりは断然マシになった。日向はそのまま背面の装備をつけていく。

あら? 私や日向とは違い、随分いろいろつけるわね……ちょっと待ちなさい。

 

「そのゴツくて、黒く光るそれはなにかしら?」

 

「何って……お前が知らないとは思わなかったな。M320だが?」

 

「いや、それそのものは知っているわ。どうしてそんなものがのわっちの背中にくっ付いているのかってことを聞いているの」

 

「昨日の夜、装備科からの善意で頂いたんだ。野分は恵まれているな」

 

何もわかっていないのわっちは日向のされるがままだった。私は手を動かすのをやめ、そっちに見入ってしまう。

前面に並んだマガジンはP46と同じ弾薬を使う、MP7のものだ。レッグホルスターには昨日のP46が収められている。

 

「専用装備……羨ましいわね」

 

「そんなすごいんですか?」

 

「気にしなくていい。銃器マニアの戯言だ」

 

のわっちが来てから私の扱いが物凄く雑になった様に感じるのだけど。というより、小さい日向がいる。そんな感じね。

のわっちの取り出しやすい様に相談しながら装備を一通り取り付け終えると、のわっちは装備を外しお花を摘みに行った。

私が外された装備を眺めていると、日向が私の肩を叩いた。

 

「野分としては初めての現場だ。よろしく頼む」

 

「あら? あなたが面倒見るんじゃないの?」

 

「私と組むよりもお前と組んだ方が相性はいいだろう。今日は三人……いや、五人で動くかもしれんが、お前ら二人には前衛を任せる」

 

「新人いきなりの大仕事ね……」

 

「そう気張らなくてもいい」

 

日向は含みのある言い方をする。本当にのわっちと日向は似ているわね。私、この板挟みに耐えられるかしらね。



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NSCI改 #04 好奇心(4)

 

「どもども! 青葉です!!」

 

オフィスの目の前に止められた青くてうるさい車を見て私は持っていた大きなボストンを落としそうになった。中には三人の装備と弾薬の他にも精密機器が入っている。落とした程度では壊れないけれども、私は慌ててそれを抱え直す。

 

「あんた……こんなところで何やってんの?」

 

「私が呼んだんだ。車が使えなくなってしまったからな」

 

日向は涼しい顔でそう言うと、後ろの座席に滑り込むように座った。青葉はさも当たり前の様にトランクをあけると、私の荷物をそこにしまうように促した。あぁ……頭が痛い。

 

「あの……まずいですよね。これ?」

 

のわっちが不安そうに私を見る。

 

「えぇ。マズイわ。もしこれがバレたら、私達は報告書でしばらく帰れなくなるわ」

 

「報告書? 始末書の間違いですよね?」

 

「ここでは始末書のことを報告書と呼ぶのよ……いつも書いてるから」

 

私は深いため息をついた。日向が決めたことならもう覆らない。それに青葉もここまで来たら意地でも帰らないだろう。私はトランクに装備を放り込む。もうどうにでもなってしまえ。

 

「日向さん。例のものは?」

 

「あぁ。持って来た」

 

私が助手席に座ると、日向の手が後ろから伸びてきた。その手には黒い棒状の何かが握られている。

 

「懐中電灯?」

 

「そうですよ。ほらっ」

 

「眩しっ!!」

 

青葉は日向からそれを受け取ると私に向かって照射した。私の目から視界が奪われる。

 

「おぉ! 効果は絶大ですね!」

 

青葉は興奮気味にそう言うとライトの電源を消した。奪われた視界が元に戻る。

 

「そんなもの何に使うのよ……」

 

まだ視界の真ん中がボヤけている。そんなものと言ったそれは軍や警察で使われているようなフラッシュライト。要はすっごく明るい懐中電灯だ。

 

「山登ったりとか……あとは夜道を歩く時ですかね。暴漢に襲われるかもしれませんし」

 

「暴漢対策ならもっと直接的なものでしょう。それにあなたが襲われたところで……」

 

「青葉だってか弱い女の子ですけど?」

 

どの口がそれを言うか。青葉はジトッとした目で私を見ている。

 

「雑談はそこまでだ。早く向かってくれ。先に動かれたらかなわん」

 

振り向くと日向は腕を組んでこちらを見ていた。隣にいるのわっちはどこか緊張気味だ。

 

「じゃあ向かいましょうか。足柄さん。シートベルトをしてください」

 

青葉が楽しそうな声でシフトを操作する。本当に緊張感がない。まるで遊びに行くみたいだわ。

 

 

ーーーー

 

「あら? 予定より随分早い到着ね」

 

港湾地区の倉庫街、その中の衣笠を拉致した集団が立て籠もっているとされているこじんまりと倉庫から少しは離れたところに車を止める。

さすがに青葉もフリーでジャーナリストをやっているだけのことはある。マフラーにサイレンサーを仕込み、静かに車を走らせる技術は大したものだと日向でさも感心していた。

 

「予定が変わってな」

 

日向はそうそうに車を降りると、陸奥達の公安の車両に乗り込んだ。それに陸奥も続く。

 

「私達は何をすればいいでしょうか?」

 

トランクから装備の入ったボストンを取り出し、中から専用のタブレットを取り出しのわっちに渡す。

 

「陸奥のところに行ってこれに建物の内部構造のデータを貰ってきてちょうだい」

 

「わかりました」

 

タブレットを受け取った野分は小走りで先程の車両に向かう。本来なら日向の仕事なんだけど、日向はそれを忘れていってしまった。

 

「青葉はどうしましょうか?」

 

「あなたはここまでの運転手じゃないの?」

 

「またそうやって青葉をいじめてぇ!」

 

青葉は私の肩をバンバンと叩く。

 

「取材してもいいって条件で車出したんですよ?」

 

「なら取材してくればいいじゃない。公安の方も、これが片付いたらさっさと帰っちゃうわよ?」

 

「青葉は公安の人たちを取材しに来たんじゃないんですけど?」

 

青葉はそう言うと、トランクに入っていた商売道具を取り出した。でもそれは私の知っているジャーナリストの商売道具ではない。

 

「……随分と頑丈そうなチョッキね」

 

「自前です! 危ない取材もありますからね!」

 

そういえばこの子、どうやって入手したのかは知らないけど、婦警の制服も持っていたわね。

 

「もしかしてあんた……」

 

「もしかしなくても、同行させて頂きます!!」

 

元気一杯の返答だ。逆に清々しくも思える。

 

「データ貰って来ましたけど……」

 

のわっちがタブレットを抱えて小走りで帰ってきた。その顔はとても不安そうだ。

 

「……何かあった?」

 

のわっちからタブレットを受け取り、私はわかりきったことを聞いた。

 

「陸奥さんが怒ってました。野分達単独の突入について……それに青葉さんを同行させることにも……」

 

のわっちは青葉を見た。青葉は元気一杯に敬礼で返礼をする。

 

「日向はなんて?」

 

「まぁ、そうなるな……って言いながらお茶を飲んでました」

 

「そう……もうなんでもいいや。のわっち。後ろ向きなさい」

 

私は考えるのをやめた。今はやるべきことをやればいい。

のわっちの背中にM320をひっつけ、何も入っていないポーチに小型の情報端末を入れ、そこから伸びるコードを肩にかけてやる。

 

「これは?」

 

のわっちがそのコードをどこにさせばいいのか探している。

 

「これかけて」

 

のわっちに透明のサングラスを渡す。のわっちはそれを素直にかけた。サングラスの左の先セルにある入力端子に先程のコードを差し込む。するとのわっちは驚きの声をあげた。

 

「すごい!……なんですか! これ!」

 

「ヘッドマウントディスプレイとでも言えばいいかしらね」

 

私はタブレットを手に取る。画面にはここら辺の地図が表示され、今いる場所に「Nowaki

」と表示されたマーカーがある。私はその少し先をタップした。タップした場所に黄色いマーカーが表示される。

 

「なんか、黄色い矢じるしの様なものが出てきました」

 

「そっちに向かって歩いて見なさい」

 

のわっちは面白そうに歩いていく。歩きたびに感嘆の声が漏れている。少し歩くと、のわっちはしゃがみこみ何もない地面に手を差し伸べて何かを触ろうとしている。

私はタブレットを操作し、そのマーカーの色を黄色から緑に変える。のわっちは驚いた顔で私を見た。

 

「これ、すごいですね……」

 

「すごいでしょう。そのマーカーの高さも大きさも変えられるわよ」

 

私はマーカーをのわっちの目線の高さまで上げる。それにつられてのわっちの顔も動く。なんだか、ラジコンを操作しているみたいで面白い。私はそのままマーカーの大きさを変えた。のわっちが何かから避けるような素振りを見せる。

 

「装備で遊ぶな」

 

私の手からタブレットが取り上げられる。ふと横を見ると、日向がいた。ものすごく機嫌の悪そうな陸奥を連れて。

 

「……説得できたの?」

 

「説得も何も海軍中将殿が決めたことだ。是非もない」

 

私達の有利に動く海軍中将なんて一人しか知らないし、その人はそこで不機嫌オーラ全開な人のお姉さんでしょうね。そんな不機嫌なお姉様は物騒なものを首から下げている。

 

「……なによ?」

 

私の視線に気がついたのか、陸奥さんは不機嫌を隠そうともせずに私を見た。

 

「いえ……その……正気?」

 

私は陸奥が首から下げているストックが取り外されたG36を見た。

 

「大丈夫よ、セレクターは動かせるから」

 

陸奥はそれを手に取ると、軽々と片手で操作してみせた。

腕力があれば誰でも出来る。それにもともとG36のストックは折りたたみが出来るようになっている。そういう使い方も間違ってはいない。

 

「もういい……なんでもないわ」

 

手慣れた操作にクイックリリースがついたマグキャッチ。この人はずっとこのスタイルなんだと私は悟った。それで公安の……陸奥部隊を仕切っているんだから腕は確かでしょうね。私は自分の装備であるベクターを見た。

 

「私もストック外そうかしら……」

 

「あれが特殊なだけだ。やめておけ」

 

日向はそう言い、私の背中に何かを入れ、コードを肩にかけた。先程のわっちに入れたそれだろう。私はヘッドマウントディスプレイをかけ、コードを接続する。

 

「あれとは言ってくれるじゃない。慣れればこっちの方が取り回ししやすいわよ」

 

陸奥の戯言を聞き流した日向はタブレットを操作し、次に左腕に取り付けられた端末を操作した。突如目の前に大きなマーカーが現れる。

 

「大丈夫。ちゃんと接続されているわ」

 

「こっちにも出ました!」

 

のわっちはそのマーカーに触ろうと手を伸ばしている。

 

「私には同期してくれないのかしら?」

 

「それはおたくの装備課に規格を統一するように言ってくれ」

 

「つれないわね」

 

「青葉もそれやりたいです!」

 

のわっちがヘッドマウントディスプレイを青葉に渡す。コードが繋がっているからかけられはしないものの、青葉はそれを楽しそうに眺めていた。

 

「遊びに来たんじゃないだが……そろそろ始めてもいいか?」

 

日向が呆れたような声で言う。のわっちはその声に姿勢を正す。青葉も大人しくのわっちにヘッドマウントディスプレイを返した。

 

「私と陸奥で一階倉庫部分から突入する。私達が一階倉庫を制圧した後に合図を送る。その合図で足柄と野分は二階の勝手口から突入してもらう。最終的には事務所に追い込む形になる」

 

日向はタブレットに目標となる倉庫の内面図を表示し説明する。

倉庫は一階部分がまるまる倉庫になっており、二階には事務所らしき部屋が三つある。二階に登るには中の階段を使うか、外にある階段を使うしかない。私とのわっちは、この部屋の二つを制圧する必要がありそうだ。

 

「向こうだけど、そこまで立派な装備は持っていないわ。けど、ここの壁ぐらいなら9ミリでも充分打ち抜けるでしょうし、油断は出来ないわよ。向こうの人数は25人。これを全て無力化する必要があるわ」

 

陸奥が補足する。つまりは二階の脅威は全て排除しなくてはならない。そういうことだ。

 

「要するに私とのわっちは日向達の追い込み漁から逃れようとする獲物を仕留めろ。ということかしら?」

 

「……おそらく、向こうは逃げることもしないだろうけどな。念には念をいれてということだ」

 

日向の微妙な間が気になったけれども、私は黙って頷いた。隣にいるのわっちを見る、緊張しているのでしょう。顔が強張っている。

 

「そんな気張らなくてもいい。五分後、私と陸奥が突入する。二人と、偶然、居合わせたジャーナリストは配置についてくれ」

 

日向はそう言い、タブレットを背中の専用のポーチに入れた。

 

「まぁ、、大丈夫だとは思うが……殺すなよ」

 

日向はそう言い陸奥と歩いていってしまった。本当に日向の言うことはよくわからないわ。



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NSCI改 #05 好奇心(5)

 

私とのわっちは配置についた。ついでに偶然居合わせたジャーナリストも。

外から直接二階に入れるこの扉の向こうは嫌に静かだった。耳を当てても何も聞こえてこない。

 

「妙ね……」

 

「別に何もおかしくないと思いますけど」

 

青葉が呑気に答える。のわっちは未だに緊張している。

のわっちの肩を叩き、大丈夫だと伝えるとのわっちは顔を一層引き締めた。どうやら逆効果だったらしい。

下から金属の板が倒れる音がする。日向と陸奥が突入した音だろう。すぐに銃声が聞こえる。と思っていたけど、そんな派手な音は聞こえてこない。耳をすますと、反響した二つの足音が聞こえてくるだけだった。

 

『一階は制圧できている。足柄。いつでもいいぞ。そっちのタイミングに任せる』

 

ヘッドマウントディスプレイから日向の無線が聞こえる。当然のわっちにもこれは聞こえている。のわっちの方を振り向くと、のわっちは黙って頷いた。

 

「今回は私がポイントマンをやるわ。のわっち。扉を開けたら私が先行して中に入るからすぐについて……」

 

言いかけた途中、のわっちの後ろにいる興奮気味の青葉が見えた。すっかり忘れていた。

 

「……足柄さん?」

 

「いえ何でもないわ。のわっちはすぐについてきて。二人で青葉の盾になるわ。目の前の敵は全て無力化する。いい? 無力化よ? 間違っても頭なんて撃たないでね?」

 

「わかりました」

 

のわっちはそう言うと立ち上がり、ドアノブに手をかけた。

 

『足柄。まだか?』

 

「もう入るわ。3……2……1……今ッ!!」

 

私の掛け声と同時にのわっちが勢いよく扉をあける。私だったら蹴破っていた。これが性格の差ってやつかしらね。

中に突入すると、奥から日向と陸奥が飛び出てきた。その間には一人もいない。サポートハンドをあげ、日向達に合図を送ると、陸奥が気だるそうに片手をあげて答えた。奥の二人からは一切やる気が感じられない。

 

「静かすぎやしないかしら?」

 

『ガセ情報をつかまされたのかもな』

 

私は青葉を見る。青葉は両手を横に振っていた。

 

「日向さん達が調べた情報じゃないですか。青葉は何の関与もしてませんよ」

 

青葉が小声で言うが、そのジェスチャーは大きい。

 

『わかっているさ。足柄と野分は奥の部屋を制圧しろ。私と陸奥は手前からやる』

 

「……?」

 

のわっちが不思議そうな顔をして三つあるうちの真ん中の部屋を見ていた。

 

「どうしたの?」

 

「いえ、あの部屋から何かを叩くような……そんな音が聞こえます。どこかで聞いたことのある音なのですが……」

 

私はのわっちの見ている部屋を見た。私にはそんな音は聞こえない。

 

『どうした?』

 

「のわっちが真ん中の部屋から音が聞こえるって」

 

『……そうか』

 

日向は少しだけ考える素振りを見せた。

 

『わかった。勝手口側の部屋は私達で調べる。お前達は真ん中の部屋を調べろ』

 

「わかったわ」

 

随分と呑気な作戦だ。私はそう思っていた。まず日向と陸奥に緊張感が感じられない。25人が立て籠もっている建物に入ったというのにだ。それにいくらなんでも静かすぎる。

日向と陸奥とすれ違う時、陸奥はあくびを堪えていた。何かがおかしい。それに青葉の余裕そうな態度も。はめられているのは私の方?

 

「あけるわよ?」

 

のわっちに一応確認を取る。のわっちは黙って頷いた。

私は片足をあげた。そして不安を拭うように、その扉を蹴破った。驚いたのわっちが一瞬遅れて中に飛び込む。そして盛大に転けた。

 

「……なにやってるのよ」

 

それはのわっちにだけ向けられたものじゃない。中でノートパソコンを両手に抱えて身構えている衣笠も含まれている。

部屋の中には信じられない光景が広がっていた。大の男が18人、気を失って倒れている。のわっちはそのうちの一人に躓いて転けた。

 

「大丈夫?」

 

それでも気は緩められない。サポートハンドでのわっちの首根っこを掴み立ち上がらせる。

 

「すいません。ありがとうございます」

 

「ほら気を緩めないの。もしかしたら衣笠とこいつらグルかもしれないじゃない。急に立ち上がって襲いかかってきたらどうするの?」

 

「ゾンビものじゃないんだから……大丈夫。全員ちゃんと寝てるから」

 

衣笠は大きく一呼吸すると、椅子に座り、パソコンを開いた。

 

「どんな感じですか?」

 

青葉が転がる男達を踏まないように飛び跳ねながら衣笠に近く。

 

「大当たりね。帳簿に載っていない積荷がここに納品されている記録はばっちり残っていたわ」

 

「そうですか。中身は何だかわかりますか?」

 

「わからないけどまだ下にあるはずよ。調べるなら今しかない。警察よりも先に調べちゃいましょう」

 

「二人とも、その前に説明してくれないかしら?」

 

私は呆れていた。この二人はこの状況下でも自分たちの好奇心を抑えようとはしていない。いえ、自分たちの好奇心の為に私達特捜、そして陸奥達公安さえも動かした。

 

「説明は下でします。行きましょう」

 

「ちょっと待ちなさい」

 

青葉と衣笠が動き始めようとした時、いつの間にか私の後ろにいた陸奥が声をあげた。

 

「そのパソコンは置いていきなさい。私達公安で預かるわ」

 

「わかりかした。データを抜き出したらお渡しします」

 

青葉が見当外れな答えをする。でもそれはわざとだ。青葉の目が笑っていない。

 

「……言い方を変えるわね。それをいま、こっちに寄越しなさい」

 

陸奥は青葉にG36を向ける。もう片方の手を差し出し、衣笠にパソコンを渡すように促す。青葉と衣笠の顔が強張っていた。

 

「そこらへんにしておけ。民間人にそんな物騒なもの向けたとなったら世間が騒ぐぞ」

 

日向が陸奥の肩を叩いた。陸奥は関係ないと言いたげな顔をしていたが、日向は話を続けた。

 

「お前が銃口を向けているにはただの民間人じゃない。紛いなりにもジャーナリストだ。世の中に情報を発信する力を持っている」

 

「世間に叩かれる程度で情報を得られるのなら安いものだわ」

 

「……野分。青葉と衣笠を連れて下に行け」

 

「わかりました」

 

のわっちは言われた通り、二人を連れて部屋の外に出ようとした。私もその後に続く。しかし陸奥に肩を掴まれてしまった。

 

「待ちなさい!」

 

「足柄は残れ。私一人じゃ万が一の時に陸奥を止められない」

 

万が一の時って何よ。私の肩を掴む陸奥の手を日向は払いのけた。

 

「考えてもみろ。青葉達から情報端末を取り上げたところで記事にはするだろう。圧力をかけたところでだ。だったら、利用してやればいい」

 

「……どういう事かしら? 話の如何によっては私達はあなた達特捜と敵対することも辞さないわよ?」

 

「既に敵対視しているだろうに……今回の一件、うちの上が絡んでいるのは事実だが、問題はそこじゃない」

 

「あなた達の保身の為じゃないと?」

 

「私達の為の保身なら、今頃全てを暴いているさ」

 

日向がそう言うと、陸奥は怪訝そうな顔つきにいなった。それは私も同じ。日向の意図が読めないからだ。

 

「今回の一件。青葉達に色々暴かれて困るのは例の海運会社の人間でも私達でもない。それを指示した人間だ。そいつは、陸奥、無関係じゃないだろう?」

 

「だからこうして出張ってきてるんじゃないの」

 

「公安は海軍からの圧力で特捜より後に突入せざるを得なかった。書面上はそうなるはずだが?」

 

「つまり、いまここに私は……」

 

バンッ!!

突如一階から炸裂音が響いた。私は飛び出した。当然、日向も陸奥も。

階段から下を見ると、顔を抑える男と、のわっち達が倒れている。思わず頭に血が上った。ベクターを構えたが、それを陸奥が払った。同時にレッグホルスターに収められていたシグを引き抜かれた。

耳元で二つの銃声が響く。男は蹲るように倒れた。

 

「あなたの腕を信用してないわけじゃないけど、万が一のことを考えさせてもらったわ。もう軍属じゃないのだから、銃の使いどころは考えなさい」

 

「足柄の判断は間違っていないさ」

 

日向は私の肩を叩くと、足早に倒れた男を確認した。

 

「大丈夫か?」

 

「はい。全員無事です」

 

のわっちと衣笠の上に倒れこんでいる青葉が答える。その手には日向が渡したフラッシュライトが握られていた。私は行きの車の中で、青葉にライトを当てられた時のことを思い出した。男が顔を抑えていたのはそういうことだったのね。

 

「それなら構わん。もう調べたのか?」

 

「はい。あらかたは」

 

「今の銃声で公安が突入するだろう。ここまでだ」

 

日向がそう言うと、青葉達はつまらなそうな顔をしていた。それに対して、のわっちは今にも泣きそうだ。

 

「すいません。野分がいながら……」

 

「いや、私のミスだ。流石に油断しすぎたな」

 

やはりそうか。日向は最初から中がどうなっているかわかっていた。おそらく陸奥も。

銃声を聞きつけ、陸奥部隊が突入してきた。

 

「大丈夫よ。既に全員無力化したわ。一人残らず身柄を確保をしなさい。任せたわよ」

 

陸奥がそう言うと、突入を指揮したであろう男は無言で敬礼をし、数人を連れてバタバタと走っていった。

 

「それで、ようやく書面上に現れた私はどうすればいいのかしら?」

 

「特捜が衣笠を救出し、公安が全員の身柄を確保した。そういうことでいいだろう」

 

「それだけじゃ私達の方が済まないのだけど?」

 

「まぁ、そうなるな……」

 

「舐めてるのかしら? 長門があなたのことを信用していても、私は違うわよ?」

 

陸奥が睨むように日向を見た。それを受けた日向は苦笑いをもらす。

 

「長門がどうしてお前を海軍から公安に移したか。その理由を考えてみろ」

 

「わかるように説明しなさい」

 

「長門も私もお前の味方だ」

 

日向はそれだけ言い残し、外に歩いていった。

よくわからない。泣きそうな野分の背中をさすりながら、私は日向の背中を眺めていた。

 

 

ーーーー

 

 

あれから一週間が経とうとしている。

私は報告書に追われていた。今回は始末書と呼ばれるものは含まれていない。日向がうまいこと隠蔽してくれたおかげだ。

のわっちも少しずつだが書類仕事に慣れ始めている。もうある程度は任せられる。そんなのわっちも、今は日向とどこかに出かけてしまった。私はサボる為に、外の喫茶店に来ていた。

 

「あら? 一人?」

 

二人がけの席に座る私の目の前にグレーのスーツを着た陸奥が現れた。偶然を装ってはいるものの、私に用があって来たのは明白だった。

 

「どうぞ」

 

私は向かいの席を顎でさした。陸奥は大人しく座ると、私の目の前に週刊誌を置いた。

 

「なにこれ?」

 

「読めばわかるわ」

 

私は週刊誌を手に取り、パラパラとめくる。男女の恋愛相談、芸能人のスキャンダル。これといって私の目の引くような記事はない。

 

「ほら、ここよ、ここ」

 

通り過ぎたページを陸奥が開く。

 

「有名政治家、民間企業と癒着?」

 

よくある話だと思った。だけど、記事を読み込むうちに陸奥が言いたいことがわかった。

 

「これ、書いたの青葉ね」

 

「えぇ、そうよ。この記事のおかげで私達の上が変わったわ」

 

「そんな大ごとになったの?」

 

「そりゃそうよ。今は海軍からの圧力に屈しない人物になったわ」

 

「それは御愁傷様」

 

これで陸奥達とは縁が切れた。私はそう考えていた。

 

「そうでもないわ。これで私達もあなた達と動きやすくなった。感謝しているわ」

 

「どういうことかしら?」

 

「ある議員の秘書の下につく事になったのよ」

 

そういう事か。もう言いたいことはわかった。

 

「日向にありがとうと伝えておいて。それじゃあ」

 

陸奥はそう言うと伝票の上に封筒を置いて席を立った。中を見ると、大きな金額のお札が数枚入っている。

 

「ちょっと。何よこれ?」

 

「私からのお礼と参加費。野分の歓迎会、まだなんでしょ? 先に払っておくわ」

 

陸奥はそう言うと妖しく微笑んで店を出た。

 

 

ーーーー

 

 

後日、鳳翔さんのお店でのわっちの歓迎会が開かれた。

参加したのは私達の特捜の三人と長門、陸奥を入れた五人。陸奥の支払った金額は長門との二人分だったようだ。

 

「そういえば聞きたいことがあるのだけど?」

 

日向はお酒が入ると、よく夜空を見上げている。

今も外の空気が吸いたいと店を出た日向を追いかけて私も外に出た。

 

「なんでわかっていたことを話さなかったか……だろ?」

 

「それもあるけど、どうして衣笠が全員を無力化しているということがわかったの?」

 

「簡単な話だ。衣笠がゴロツキ相手に遅れをとるわけがない。それにわざと捕まったのなら何かしらの策をこうじていたはずだ」

 

「そんな憶測で……」

 

日向は大きく深呼吸をすると、笑って私を見た。

 

「私は確信していたが?」

 

そこからその自信は生まれるのか。私はそう聞きたかったが、野暮なことを聞いても日向は答えないだろうと思った。

 

「それじゃあ、どうしてそれを話さなかったのよ。信用したかどうかはわからないけど、もう少し楽に仕事できたのに」

 

「野分の初仕事を簡単なものにしたくなかったからだ」

 

「結局楽な仕事だったじゃない」

 

のわっちが失敗したことを除けば。日向はそんな私の考え見透かしたような笑顔を見せた。

 

「野分は私よりも勘が鋭い。私があれこれ考えて出した結論を直感的に感じることができる。今はまだ自分に自信が持てていないからなりをひそめてはいるが……将来は有望な捜査員になる」

 

「それとどう関係があるのよ?」

 

「足柄に話したらお前の雰囲気で野分は察しただろう。だから言わなかった」

 

「そんなルーズな女じゃないわよ……」

 

「足柄。お前のいいところは困難にあえばあう程集中力が増すことだ。現に書類の提出締切前日なんて私が話しかけても聞こえてないじゃないか」

 

それはルーズな女になってしまう。私は何か言い訳を考えた。量が多い、期間が短い……ダメだ、日向と同じ仕事してるんだった……

 

「野分が襲われた時、お前は真っ先にベクターを構えた。陸奥はああ言っていたが、私はそうは思わない。仲間の非常事態だ。一瞬でも惜しい」

 

日向は大きく息を吐いた。それほど酔っているようには見えないけれど。

 

「お前と野分はいいチームになれる。期待しているぞ」

 

日向は私の肩を軽く叩き、お店の中へと戻っていった。

私は一人、空を眺めていた。

 

「曇ってて星なんて全然わからないのだけど……」

 

「足柄さん、大丈夫ですか?」

 

「のわっち? あなたも休憩?」

 

「いえ、陸奥さんに呼んでこいって言われました。多分絡む相手が欲しいのでしょう……」

 

のわっちは困った顔をしていた。今度は私自ら酔っ払いの対処法を教えてあげないとね。

 

「わかったわ……いきましょう。のわっち」

 

「はい!……それとのわっちじゃなくて野分です」



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