カワルミライ (れーるがん)
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そうして彼は、その部室へ足を踏み入れる。


  自分の中の大切な何かがスッポリと抜け落ちた感覚。

  そう言われて理解できる人は一体何人いるだろうか。多分俺自身、そんな事を言われても理解出来ないだろう。

 でも、今俺が感じている妙な虚無感はそう言わないと説明が出来ない。

 何か、大切な何かを忘れているような。

 例えば、妹の小町の事を忘却してしまったと言うのならこの感覚にも納得が行く。

 だが俺は愛する小町の事をしかと覚えているし、俺が愛する小町の事を忘れるなど、俺がリア充になるのと同じくらいあり得ない事なのだ。

 

 同時に抱く懐古心。

 それは決まってある人物を視界に収めた時だった。

 例えば、クラスのトップカーストに所属するお団子頭だったり。

 例えば、一見不良のように見える青みがかった黒いポニテだったり。

 例えば、ジャージを着て少女のような容姿をした銀髪だったり。

 例えば、あざとらしく振る舞い男子を弄ぶ亜麻色の髪だったり。

 

 そして例えば、今目の前で、猫のブックカバーがされた文庫本に視線を落としている濡羽色の髪だったり。

 

 

 

 

 

 

 職員室で俺の作文を大きな声で読み上げた現国教師、平塚静に連れられて特別棟のとある一室に来ていた。

 巫山戯た作文の罰として奉仕活動を命じるとか言われたから、嫌々渋々不承不承とついて来てみると、その教室には見事に何もなかった。

 隅っこの方には机や椅子が無造作に積み上げられている。倉庫にでも使われているのだろうか。他の教室と違うのはそこだけで何も特殊な内装は無い。至って普通の教室。

 けれど、そこがあまりに異質に感じられたのは一人の少女がいたからだ。

 少女は斜陽の中で寂しげに本を読んでいた。

 世界が終わった後も、きっと彼女はここでこうしているんじゃないか、そう錯覚させるほどに、この光景は絵画じみていた。

 ---不覚にも、見惚れてしまった。

 

 ああ、まただ。

 また、妙な懐かしさに襲われる。初めて見た景色の筈なのに、彼女とは初対面の筈なのに。

 

「平塚先生、入るときはノックをとお願いした筈ですが」

 

 少女の声でハッと我に帰る。

 

「ノックをしても君は返事をした試しがないじゃないか」

「返事をする間も無く先生が入ってくるんですよ」

 

 はぁ、と呆れたようなため息を一つ落とし、その凛とした眼差しを俺に差し向けて来た。

 

「二年F組比企谷八幡くん、ね?」

「え、あ、はい」

 

 突然名前を言われて吃る俺。仕方がない。だって名前を知られてるとは思わなかったし。

 俺もこの少女を知っている。

 二年J組雪ノ下雪乃。

 普通科よりも二、三偏差値の高い国際教養科の中でも異彩を放つのが彼女だ。

 容姿端麗、成績優秀、校内で知る人ぞ知る超有名人。

 一方で俺は知る人ぞ知らないぼっち。何故そんな俺のことを彼女のような生徒が知っているのかは気になるところだが、今はさしたる問題ではない。

 

「なんだ、比企谷の事を知っていたのか。なら話は早い。彼は入部希望者だ」

「えっと、比企谷です。......って入部ってなんだよおい」

「彼は見た通り目と根性が腐っていてな。彼の更生が私の依頼だ。ここに置いてやってくれないか」

「ちょっと待って、俺の意思は?」

「そんなもん関係ないに決まっとろう。異論反論抗議質問口答えは一切認めない」

 

 ふえぇ、この教師横暴だよぉ......。

 つーか、俺の目ってそんなに腐ってる?目を見ただけで腐った根性も丸っとお見通しなくらい腐ってるの?

 

「......分かりました。彼の入部を認めましょう」

 

 少し考える素ぶりを見せた後、雪ノ下は先生の発言に肯定で返した。

 

「意外だな、君なら最初は反対するかと思ったのだが」

「その口振りから察するに、最終的にはその男をここに置いていくつもりだったのでしょう。それに、平塚先生からの依頼とあらば無碍には出来ません」

「そうか、ならよろしく頼んだ。私は仕事に戻る。あとは二人で上手くやりたまえ」

 

 そう言い残して、平塚先生は教室を出て行った。

 上手くやれ、か。雪ノ下はそのスペックから考えうる限り、リア充側の人間だと推測される。そんな俺がこいつと上手くやれるわけがない。

 

「突っ立ってないで座ったら?」

「あ、はい」

 

 思わず敬語で返してしまった。

 隅に積み上げられている椅子を一つ拝借し、置かれた長机の端っこ、雪ノ下と対角の位置に腰を下ろす。

 雪ノ下は文庫本に目を落とし、こちらに話しかける様子はない。まだここがなんの部活だとか聞いてないんだけど。

 

「何をソワソワしているのかしら?」

「いや、この部活がなんなのかまだ聞いていないと思ってな......」

「そう、ならゲームをしましょう。この部活の名前を当てて見なさい」

 

 と、言われても。ノーヒントである。

 そんな中で名前を当てろだなんてこいついい性格してやがるな。

 いや待て、ヒントならこの教室自体がヒントではないか。

 

「部員はいないのか?」

「いないわ。私一人だけよ」

 

 そう言った彼女の横顔はどこか物憂げで、ここではないどこかを見ているように見えた。

 いや、これは俺の勝手な勘違いかもしれないけど。

 

「文芸部、だろ」

「その心は?」

「特別な環境、特別な機材を必要とせず、部員がいなくても廃部にならない。つまり部費を必要としない部活だ。加えてあんたは本を読んでいた」

「残念、ハズレ」

 

 フッ、とこちらを小馬鹿にしたような笑い。

 今だけで俺の中のこいつの印象が更新された。

 こいつあれだ、絶対性格悪い。

 そして部の名前は分からない。

 

「....奉仕部」

「え?」

 

 分からない筈なのに、気がつけば口から言葉が漏れていた。

 なんだ奉仕部って。名前だけ聞くとイカガワシイ部活にしか聞こえないぞ。

 失言だったかと思い、チラリと雪ノ下の方を見てみると、彼女はその顔を驚愕の表情に染めていた。

 え、もしかして当たり?

 

「知っていたの?」

「あ、いや、勘で答えただけだ。以前部活紹介かなんかでその名前を見たことがあったからな。んで、平塚先生には奉仕活動を命じるって言われて連れて来られたし」

 

 早口で答えるが、そんなのは嘘だ。

 何故その名を答えたのか、俺にだって分かっていないのだから。

 

「そう......。あなたの言う通り、ここは奉仕部。途上国にはODAを、ホームレスには炊き出しを、持てない男子には女子との会話を。

 それがこの部の理念よ。

 これからよろしくね、比企谷くん」

 

 先ほど見せた物憂げな表情とは違い、とても柔らかな優しい笑顔で、雪ノ下雪乃は俺を歓迎した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、ぼーっと特に何を考える訳でもなく全ての授業をこなした放課後。

 教室を出ようとしたら平塚先生に捕まった。

 

「さぁ比企谷、部活の時間だぞ」

「言われなくても分かってますよ......」

「なんだ、拍子抜けだな。君なら一目散に家へと逃げ帰ると思ったのだが」

 

 平塚先生の言葉は何も間違っていない。

 いつもの俺なら、部活なんてやってられるか面倒クセェ!俺は家に帰らせてもらうぜ!と死亡フラグじみたことを言いながら逃げようとして、平塚先生のファーストブリットを食らわされているところだろう。

 結局帰れない上にやっぱり死亡フラグじゃねぇかよ。

 

 だが、上手く言えないのだが、あの部室へ足を運ぶことを何故か嫌にならない。

 寧ろ行きたいとさえ思ってる。

 

「ふむ、なるほど......遂に比企谷にも春が来たか。そうかそうか」

「いや、何を勘違いしてるのか分かりませんがそんなんじゃないですから」

 

 これだけはハッキリさせておかなければならないが、断じて雪ノ下雪乃に惚れているわけではない。

 確かに彼女は可愛い。これは覆しようのない事実だ。だが、昨日片鱗を見せた性格の悪さを俺は忘れていない。きっと俺を容赦無く罵倒してくるタイプだと確信を持って言えるね。

 

「そうかそうか、比企谷に春が来たか......。だと言うのに、私は......」

 

 ちょっと、一人で勝手に鬱モード入らないでくれます?しかも春が来たとかそんなんじゃないって言ったでしょうが。

 

「ま、精々励みたまえ」

 

 白衣を翻し去って行く平塚先生の後ろ姿は、昨日の雪ノ下の横顔の数倍寂しく見えた。

 誰か早く貰ってあげてくれ。

 

 

 

 

 奉仕部の部室を開き、まず目に飛び込んで来たのは、昨日はそこになかったはずのもの。

 窓側に置かれたティーセットだ。

 そしてそのティーセットの前では、雪ノ下が紅茶を淹れる準備をしていた。

 

「うす」

「こんにちは。どうやら逃げずに来たようね。今紅茶を淹れるから待っていて」

「......なんで紅茶?」

 

 素直に疑問をぶつけて見た所、返って来たのは意外な言葉だった。

 

「趣味なのよ。折角部員が増えたのだし、振る舞おうかと思って」

 

 趣味、と言うのは嘘ではないようで、雪ノ下は楽しそうに紅茶を二つのティーカップへと注ぐ。

 誰だよ雪ノ下の性格が悪いとか言ってたやつ!めっちゃいい子じゃねぇか!

 

「どうぞ。ゾンビのあなたに紅茶の美味しさが分かるとは思えないけれど」

 

 前言撤回。こいつやっぱりいい性格してやがるぜ。

 

「人をゾンビ扱いするのやめろ。腐ってるのは目だけだ」

「目が腐ってるのは否定しないのね......」

「つか、やっぱりお前性格悪いのな。普通会って二日目の男子をゾンビ呼ばわりとか無いぞ?」

「そう?てっきりあなたは言われ慣れていると思ったのだけれど」

「......お前、友達いねぇだろ」

 

 その質問に対する答えは直ぐに返って来なかった。

 つい、と雪ノ下は視線を窓の外にやると、昨日と同じあの表情で呟いた。

 

「一人、いたわ。とても大事な友達が」

 

 いた。

 過去形と言うことは、今はもう友達では無いと言うことか。それとも、もう会えない人物なのか。

 まぁ俺がそこを詮索しても意味のないことだ。

 答えに窮してしまったので、誤魔化すように手元のティーカップを口元へ運ぶ。

 美味い。

 紅茶のことはよく分からない俺でも美味いと分かる程には。

 

「あー、この紅茶美味いな」

「そう?なら良かったわ」

 

 自分の淹れた紅茶が褒められたのが嬉しかったのか、一転して柔和な笑みを見せてくる。

 やめろよお前見てくれは良いんだからそんな笑顔見せられるところっと惚れちゃって告白して振られるだろうが。って振られちゃうのかよ。

 しかし意外だ。

 俺の勝手なイメージだと、雪ノ下はもっとこう、鋭利な刃物を思わせるような雰囲気だと思ってたんだが......

 いや、手前勝手な幻想を押し付けてはいけない。勝手に期待して裏切られるのは中学時代でもう懲り懲りだ。

 

 基本性格は悪いが優しくて、紅茶を淹れるのが上手くて、時々毒を吐き、時々、凄く寂しげな笑みを浮かべる。

 昨日今日会ったばかりの俺が彼女について知っている事なんてこれだけ。

 知っているなんて言うのも烏滸がましい程だ。

 だから、雪ノ下のことをこれからもう少し知ってみよう。

 なんて、らしくも無いことを思ってしまった。



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やはり、彼女も紅茶の香りに誘われて。

「どうぞ」

「サンキュ」

 

 雪ノ下が淹れた紅茶にふーふーと息を吹きかけて少し啜る。

 うん、昨日と変わらず美味いな。

 

「おいしい?」

「ああ」

「そう、良かった」

 

 ニコッと笑顔を見せる雪ノ下に、何故かそれを見て照れ臭くなってしまい目を逸らす俺。

 それが可笑しかったのか、雪ノ下は尚もクスクスと笑う。

 

「......なんだよ」

「いえ、なにも。それより比企谷くん。明日からはお茶請けを持ってこようと思うのだけれど、何がいいかしら?」

「お茶請けねぇ......。別になんでもいいぞ」

「なんでもいいが一番困るのよ」

「お前が勝手に決めてくれ。トマト以外は基本嫌いなもんはねぇから」

「そう?ならトマトのエキスをふんだんに使ったものにしようかしら」

「ねぇ俺の話聞いてた?」

「冗談よ」

 

 こんななんでもない会話が心地いい。

 俺は元来口数が多い方でもないし、雪ノ下もそうなのだろう。実際、昨日とか殆ど会話なく本読んでばっかだったし。

 それでも、雪ノ下との会話は耳触りのいいものだった。

 だと言うのに。

 まるで何か足りないような気がする。

 一つだけピースが欠けているような。

 

 そんな風に考えながらなんとなしに雪ノ下の方を見てみると、昨日までと違う点を発見した。

 いや、昨日一昨日も別に雪ノ下のことをじっくり見ていたわけではないから俺が気がつかなかっただけかもしれないが。

 しかし、雪ノ下が右手の手首に巻いているピンクのシュシュがやけに目に付いた。

 

「なぁ雪ノ下、そのシュシュ」

 

 それについて尋ねようとした時、コンコンとノックが鳴り、雪ノ下のどうぞ、と言う声が響く。

 因みに二回鳴らすのはトイレであってこの場合三回鳴らすのが正しい。

 果たして我らが奉仕部の部室をトイレと間違ってやって来たのは誰かと来訪者を見てみると、また、妙な感覚が俺を襲う。

 一昨日初めてこの部室を訪れた時と同じ、あの感覚。

 

「し、失礼します......」

 

 恐る恐る扉を潜ってきたのは、ピンクっぽい茶髪をお団子に纏め、制服もイマドキJK(笑)といった感じに着崩している見るからに俺の天敵でありそうな女子。その左手首には、青いシュシュが巻かれていた。

 

「って、なんでヒッキーがここにいんの⁉︎」

 

 初対面の女子に引き篭もり呼ばわりされたでござる。

 本来ならば怒る所なのだろうが、何故だかそのあだ名に不快感は感じない。

 

「初対面の相手をいきなり引き篭もり呼ばわりかよ」

「あら、そのあだ名は似合っているじゃない、引き篭もり谷くん」

「おい、俺は断じて引き篭もりでもニートでもないぞ」

「私もこれからヒッキーと呼ぼうかしら」

「やめて下さい」

 

 俺と雪ノ下のやり取りにほえーとアホヅラを晒しているお団子頭に気がついたのか、雪ノ下が咳払いを一つして仕切り直した。

 

「二年F組由比ヶ浜結衣さんね」

「あ、雪ノ下さん、私のこと知ってたんだ」

「つかなんで知ってんだよ。俺の時もだったけど、全校生徒の名前覚えてんじゃねぇの?」

「たまたま知る機会があっただけよ。流石に全校生徒は覚えられないわ」

 

 雪ノ下に名前を覚えられていたからか、由比ヶ浜は嬉しそうにしている。

 と言うか思い出したぞ。こいつ、クラスのトップカーストに所属しているやつだ。

 恐らくこう言う奴にとって雪ノ下雪乃と言う有名人に名前を知られているのはステイタスになるのだろう。

 

「なんか、ヒッキー、クラスにいる時と全然違うね」

「あ?」

「いや、だってここだとよく喋ってるけどクラスじゃ全然喋らないし、キョドり方とかぶっちゃけキモいし」

 

 おいおい、ヒッキー呼ばわりに続いてキモいとか流石に温厚な俺でも激おこですよ?

 

「......ビッチめ」

「はぁ⁉︎ビッチじゃないし!キモい!最低!そもそも私はまだ処.........ってなに言わせんのよこの馬鹿!」

 

 今の俺悪くないよね?こいつが勝手に自爆しただけだよね?

 

「別に私達のこの歳でバージ」

「わー!わー!ちょ、雪ノ下さん何言ってんの!女子力低いよ!」

「くだらない価値観ね」

 

 うん。実にくだらない価値観だ。

 高2で処女とか別に恥ずかしいことでもないだろう。寧ろ自分は経験豊富ですと声高く言う奴ほど、痛い目を見るのだ。

 

「由比ヶ浜さんの下半身事情はもう良いとして、依頼があって来たのでは?」

 

 下半身事情ってお前はオヤジか。電車内の広告にもそんな表現乗ってねぇぞ。

 

「う、うん。平塚先生に相談事ならここに来ればいいって言われたんだけど......」

 

 ビッチ、もとい由比ヶ浜がこちらをチラチラと見てくる。

 俺は邪魔ってことですかね。

 ま、女子同士でないと話せないこともあるだろう。

 

「俺ちょっとマッカン買ってくるわ」

 

 比企谷八幡はクールに去るぜ、とばかりにその場の空気を察して立ち上がると、背中に声が掛かった。やっぱり紅茶があるのにマッカン買うのはダメでしたかな。

 

「待ちなさい比企谷くん」

「あ?どしたよ」

 

 たったっとこちらに駆け寄ってくる雪ノ下の手には携帯が握られていた。

 

「依頼内容によっては移動している場合があるかもしれないから、その、出来れば連絡先を教えておいて貰えないかしら......」

「お、おう」

 

 そんな恥ずかしそうに上目遣いで言ってくんなよ断れないでしょうが。

 ポケットから携帯を取り出して雪ノ下に手渡す。

 ちょっと嬉しそうにアドレスを入力するな勘違いしちゃうぞ。

 

「はい、ありがとう」

「ん。そんじゃ行ってくるわ」

「私は野菜生活100でいいわ」

 

 ナチャラルに人をパシらせる雪ノ下さんマジパネェ。

 

 

 

 

 

 

 

 奉仕部の部室を出て自販機の前まで辿り着いた俺は、早速黄色と黒のシマシマ模様をこの腐った目でロックオン。

 100円玉と10円玉を投入し、チャリン、と音が鳴る。

 続いて雪ノ下の野菜生活100を購入し、折角だからと由比ヶ浜用に適当なカフェオレを買っておいた。

 

「しっかし、なんだかなぁ......」

 

 独り言(特技)を漏らし、二人の少女、雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣の事を頭に浮かべた。

 どうも、初めて会った気がしない。

 ストーカーとかそんなのでは無く、冗談抜きでだ。

 思い返せば、見ればいつも妙な懐かしさに囚われていたお団子頭は由比ヶ浜のものだっただろうし、雪ノ下と初めて会った時や、今までもその感覚に陥ったシチュエーションはあった。

 それと、二人がそれぞれ違う方の手首につけてあるシュシュ。

 雪ノ下がピンクで、由比ヶ浜が青。

 知り合って間もない俺が言うのもなんだが、普通は逆のイメージがある。由比ヶ浜とかいかにもピンクっぽいぽわぽわした頭悪そうなの好きそうだし。

 しかし、それ自体に違和感は感じなかった。

 寧ろ今ここにそのシュシュがある事自体に違和感を感じたほどだ。

 

「考えても仕方ないんだろうが......」

 

 ぼっちは周りに人がいないため、頭の中で様々な事を考えるのが得意だ。その結果悟りの境地に達してしまうとも言われている。言われてないか。

 なんにせよ、考えまいとしようとしてもどうしても考えてしまう。

 

「ま、今は初依頼があるしな」

 

 切り替えて部室へと戻ろうとした時、ポケットの携帯が震えた。振動の長さからメールの着信だろう。

 

『雪ノ下です。詳細は後ほど説明しますが、家庭科室に移動するのでそちらに来るように。

 それと、それなりの覚悟はしておきなさい』

 

 覚悟ってなんだよ怖いな。

 

 

 

 

 

 

 家庭科室の扉を開き、そこで待っていたのはエプロンを装着した雪ノ下と由比ヶ浜だった。

 因みに、雪ノ下は手首に巻いてあったシュシュで髪の毛をポニーテールに纏めている。

 うなじが見えて非常に良いと思います。

 

「で、なんで家庭科室?」

「クッキーを渡したい人がいるから作るのを手伝って欲しいそうよ」

「それって俺の出る幕無くね?」

 

 自慢ではないが俺の料理スキルは小学六年生で止まっている。

 将来専業主夫を目指すものとしてそれではいけないと思っているのだが、うちの台所は妹任せているのでもう暫くはこのままでも良いかなって。

 

「あなたは毒......味見して感想をくれればいいわ」

「ねぇ今毒味って言いかけなかった?」

「私の料理スキルそこまで酷くないから!て言うかやる前から決めないでよ!」

 

 そうだ、作る前から由比ヶ浜の作るクッキーが不味いと決めつけるのは流石に失礼というものだろう。

 さしもの雪ノ下も申し訳ないと思ったのか謝ってるし。

 

「ごめんなさい由比ヶ浜さん。そうよね、毒は毒になる前は毒ではないものね」

「フォローになってないよ⁉︎」

 

 謝ってる、のか?

 

「兎に角始めましょうか。まずは私がお手本を見せるから、その通りに作ってみて」

「うん、わかった!」

 

 どうやら気合いは充分のようだ。

 女の子の手作りクッキーなんてそうそう食べれるもんでもないし、ちょっとくらいは期待して待ってますかね。

 

 

 

 

 

 

 かくして、出来上がったクッキーは二種類。

 片方は雪ノ下の作ったどこからどう見ても美味そうにしか見えないクッキー。もうね、キラキラとか聞こえてきそうなくらい。

 そして、恐らくではあるが、雪ノ下のクッキーがメチャクチャ美味そうに見える原因でもあろうもう片方のクッキー。

 由比ヶ浜の作ったそれは、最早クッキーとは言えない何かだった。

 あれだ、ジョイフル本田で売ってる木炭みたいだ。

 

 まずこいつ、由比ヶ浜は雪ノ下のお手本を全く参考にしていなかった。

 そして次に、雪ノ下は教えるのがど下手くそだった。

 完璧超人の雪ノ下雪乃は、なんでも出来るが故に出来ないものが何故出来ないのかが理解できないのだろう。

 て言うか桃缶はどっから出したんだ由比ヶ浜。それは隠し味にはならないぞ。

 

 雪ノ下の覚悟しておけ、と言うメールはこれのことだったのか......。

 

「やっぱりこうなるのね......」

「やっぱり?」

「......いえ、こちらの話よ。では比企谷くんは毒味をしてくれないかしら」

「もう毒味で定着しちゃったんだ⁉︎」

「いや、だってこれどっからどう見ても......」

「そ、そんな事ないし!......やっぱ毒かなぁ」

 

 自分の作ったクッキーと雪ノ下の作ったクッキーとを見比べて徐々に自信がなくなる由比ヶ浜。

 

「さぁ比企谷くん。私も一緒に食べてあげるから」

「いいのかお前。だってこれあれだぞ。......あれだぞ?」

「指示語ばかり使ってないでハッキリと言いない。まぁ、言わんとしてる事は分かるけれど......」

 

 うん、伝わってくれて八幡嬉しいです。

 だって、毒やらなんやら言ってはいるが、不味いだろ、なんて直接的な言い方は流石に憚れる。

 しかし、食べて見ないと分からない事だってある。ほら、例えばちょっと甘さが足りないんじゃないか、とか。いやそれ以前のレベルだろとは言わないでくれ俺も分かってるんだ。

 と言うわけで、いざ覚悟を決めて、男八幡行きます!

 

「......うっ」

 

 無理。

 何が無理って、漫画とかによくある食べたら不味すぎて気絶しちゃいました☆みたいな可愛いもんじゃない。リアルな不味さ。

 ほら、隣で同時に食った雪ノ下なんて余りの不味さに俺のマッカンを手に取って飲んでるしって俺のマッカンンンンンンンンン!!

 

「んっ、んっ......ふぅ...。さて、ではどうしたら由比ヶ浜さんの料理が上達するのか考えましょうか」

「おいちょっと待て、なに人のマッカン飲んでそのまま話を進めようとしてるんだ」

「あら、ちゃんと残しておいてあげたじゃない?」

「それが問題だっつってんの!」

 

 こいつはあれか。間接キスとか気にしない奴か。いや、俺だって別に気にしてないし?ただ雪ノ下がそう言うの嫌がるかなぁって言う優しさだし?

 

「別にあなたは口をつけていなかったのだからいいでしょう。なんならこのまま私が全部飲むわよ」

「ああうん、もうそれでいいわ。で、なんの話だった?」

「ちょっと忘れないでよね!私の料理がどうやったら上手くなるか!」

 

 そう言えばそんな話だったか。

 と言っても解決法なんて一つしかないだろう。

 

「由比ヶ浜が二度と料理しない」

「それは最終手段よ」

「それで解決しちゃうんだ⁉︎」

 

 まぁそれでは解決とは言えないだろう。

 あくまでも問題をなかったことにする。

 解消しているに過ぎない。ならば他にいい手はないかと思索していると、由比ヶ浜の弱々しい声が聞こえてきた。

 

「やっぱり、私向いてないのかな。いや、なんてーの?才能がないと言うか......」

「由比ヶ浜さん、まずはその認識を改めなさい。最低限の努力もしない人間が才能ある人を羨む資格はないわ」

「でも、こう言うの今時流行んないって言うかさ......」

「その周囲に合わせようとするのやめてくれないかしら、酷く不愉快だわ。自分の不器用さ、無様さ、愚かさの遠因を他人に求めるなんて恥ずかしくないの?」

 

 うわぁ......

 流石の俺でも今のは引いた。うわぁって声に出ちゃってたかもしれないくらい引いた。

 雪ノ下の言い分は正しい。だが正しすぎる。

 今の発言も、彼女のその愚直なまでの正しさと、依頼人を思う優しさがあっての発言だったのだろうが、それがそのまま言われた側に伝わる訳ではない。

 故に彼女は誤解され、敵とみなされ、それでも尚、その正しさと優しさを損なうことなく生きてきたのだろう。

 

「か......」

 

 帰る、とでも言うのだろうか。

 当たり前か。あそこまで辛辣な物言いされたら誰だってそうする。俺だってそうする。

 

「かっこいい......」

「は?」

 

 思わず素っ頓狂な声が漏れた。

 かっこいいってこいつ、マジで言ってんのか。もしかしてアホの子?

 

「建前とかそう言うの全然言わないんだ。なんかそう言うの、かっこいい」

 

 建前とか全然言わなかった張本人である雪ノ下はと言うと、目を瞑って由比ヶ浜の言葉をしっかりと聞いていた。

 

「お前、こいつの話聞いてた?かなり酷いこと言われてんの気付いてる?」

「確かに言葉は酷かったと思う。正直引いた。......でも、本音って感じがするの。ごめん、次からはちゃんとやる!」

「そう、ならもう少し頑張ってみましょうか」

 

 由比ヶ浜のその言葉を聞いて、雪ノ下はフッと微笑んだ。

 ああ、やっぱり、こいつは優しい奴だ。言い方は突き放すようではあったが、自分を頼ってきた奴を蔑ろにはしない。

 

 

 

 そして再開されるクッキー作り。

 ボウルで二人仲良くダマを溶かしている最中に、ふと由比ヶ浜が呟いた。

 

「なんだか、雪ノ下さんとこうやって一緒に料理してると懐かしい気分になるなぁ」

「なつ、かしい......?」

「うん!なんか、昔にも同じことしてたー、みたいな!」

「......っ。きっと気のせいよ。ただのデジャビュでは無いの?」

「そうかなー」

 

 一瞬、雪ノ下がとても苦しそうな顔になったのを、俺は見逃さなかった。

 ぼっちとして磨かれた観察眼がなければ見逃しそうになるほんの一瞬。

 一体今の由比ヶ浜の発言の何が彼女をそんな表情にさせたのだろうか。

 

「そう言えば雪ノ下さん、私と同じシュシュ使ってるよね!私のは青だけど。なんか雪ノ下さんがピンクって意外だなぁ」

「あー、それは俺も思った。どっちかってーと由比ヶ浜の方がピンクっぽいもんな」

「むー、なんか今のバカにしてない?」

「してないしてない」

 

 いや断じてバカになんてしてませんよ?

 ちょっと頭の悪そうな色とか似合うだろうなーなんて思ったりしただけです。

 これ完全にバカにしてるな。

 

「さっきまでも大事そうに手首に巻いてたけど、誰かからの贈り物とか?」

「ええ。大切な人から貰った、大切なものよ」

「もしかして彼氏とか⁉︎」

 

 なんでリア充は直ぐにそっち方面に話を持っていくかな。

 別に大切な人=彼氏ってわけでも無かろうに。例えば家族とか、妹とか、友達とか。

 その原理で行くと、この前チラッと話していた友達だった人物から貰ったものか?

 

「別にそう言った関係ではなかったわ。寧ろ、彼との関係は明確な名前を定義されたものでは無かったもの。そう言った上辺だけの関係は、私も彼も嫌っていたから」

「友達でもないの?」

「そうよ。でも、少なくとも、私は彼のことを好いていたわ」

 

 また、苦しそうな顔をする。

 昨日一昨日見せた寂しげとも物憂げとも違った彼女のその表情。

 一体何をその瞳に映しているのだろうか。

 

「そっかー、雪ノ下さんにもそう言う人がいたんだ」

「そう言う貴女は、あの青いシュシュをどこで?」

 

 由比ヶ浜は偶然にも、雪ノ下と色違いの同じシュシュを持っていた。

 自分の持ち物と同じものを持っていたことに単純な疑問でも感じたのだろうか。

 

「それがあんまり覚えてないんだよね。誰に貰ったか、とか。いつ貰ったのか、とか。でも、大切なものだってのはなんとなく分かるからいつも手首につけてるの!」

「いつか、思い出せるといいわね」

「うん!」

 

 そんな二人のやり取りを見て、俺は何か大事なことを忘れているんじゃないかと、なぜかそう思った。

 



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雪ノ下雪乃は、強さと優しさと正しさで出来ている。

面倒になって来たので一巻分連投します。


 由比ヶ浜のクッキー作りは、結局あの後由比ヶ浜自身が自分の力で頑張ってみると言って無事終了した。

 奉仕部としての初依頼を終え、その翌日である所の今日は雪ノ下がお茶請けにクッキーを作ってきてくれていた。

 

「おお、昨日の由比ヶ浜のやつとは全然違う......」

「当然よ、私が作ったのだから」

 

 若干ドヤ顔で皿に取り分けるその姿はなんか子供っぽくて微笑ましい。

 どうぞ、と紅茶と共に差し出されたので、先にクッキーをパクリと一口。

 美味い。涙が出そうなほど。

 

「昨日の反動なのか、マジで泣きたくなるくらいうめぇ......」

「大袈裟ね」

 

 いや何も大袈裟ってわけではないんですよこれが。

 まぁ由比ヶ浜だって昨日の最後の方はちゃんと普通のクッキーが作れるようにはなっていた。雪ノ下と一緒だと、と言う但し書きは必要だが。

 強烈なのは初っ端の辺りだけで、徐々に上達はしていたのだ。

 雪ノ下の方も、手の掛かる妹か何かの相手をしているように感じていたのか、由比ヶ浜の事を優しい眼差しで見守っていたし、あとは由比ヶ浜に任せようとも言っていた。

 依頼達成、と言う事でいいのだろうか。

 

「ねえ比企谷くん」

「なんだ?」

「その、少し話があるのだけれど」

 

 長机の対角に座っている雪ノ下が、至極真面目な顔でそう切り出した。

 しかし続く言葉は中々出て来ず、カチカチカチと時計の針が進む音だけが聞こえる。

 

「あの、入学式の日の、事なのだけれど」

 

 息を吸い、次の言葉を口に出そうとして、それを辞めて首を横に振る。

 

「いえ、ダメね。この話は三人でしましょう」

「三人?さっきから話が見えないんだが」

 

 入学式の日と言ったが、生憎ながら俺は入学式に出ていない。

 新生活にウキウキしていた俺は調子に乗って普段よりも早く登校。七時ごろだっただろうか、学校付近で首輪が壊れてリードから離れた犬が道路に飛び出していたのた。

 その犬が車に轢かれそうになった所を俺が庇い、不幸にも黒塗りの高級車と事故った俺は入学式には出れず。

 足を骨折して一ヶ月遅れで高校生活をスタートし、入学ぼっちをかましたのだった。

 まぁ事故がなくてもぼっちだったとは思うが。

 

 仮に入学式の日に何かしらのイベントがあったとしても、残念ながら雪ノ下の話は俺には分からない事だろう。

 

「そろそろかしら」

「あの、雪ノ下さん?説明の一つくらいくれると」

 

 自分一人で話を進めていく雪ノ下に説明を求めるが、タイミング悪くノックの音が来客を伝える。

 雪ノ下の返事を待つよりも前に、扉は元気よく開かれた。

 

「やっはろー!......ってあれ?お取り込み中だった?」

「こんにちは由比ヶ浜さん。ちょうど良かったわ、そこにかけてくれるかしら」

「え?う、うん」

 

 え、なに、そろそろかしらってのは由比ヶ浜が来る事を言ってたの?

 由比ヶ浜の様子からして事前に連絡取ってた訳でもなさそうだし。未来予知か何かかよ。

 

「で、どうしたのゆきのん?」

「あなたたちには、謝らないといけない」

「謝る?何を?」

 

 ゆきのん呼びはスルーですかそうですか。

 そんな風に茶化せる空気でも無く、雪ノ下は俯きながら、途切れ途切れになりながらも話してくれた。

 入学式の日の事故。あの日のあの車に自分が乗っていたこと。その後謝罪に向かおうとしたが、母親に止められていたこと。

 つまり、このタイミングで話を切り出したと言うことは、あの犬の飼い主は由比ヶ浜だったと言うことか。

 由比ヶ浜が依頼に来たことで、この件について話そうと覚悟を決めたって感じか。

 

 その雪ノ下の話を聞いていた由比ヶ浜は、こちらも至極真面目な顔で問い返した。

 

「なんでゆきのんが謝るの?」

「え、何故って、それは、私はあの車に乗っていたし、貴女の家族を傷つけるかもしれなかったのよ?それに、比企谷くんだって骨折と言う目に見える被害を受けているじゃない」

「でもゆきのんは車に乗ってただけなんだよね?」

 

 由比ヶ浜の言い分は最もだ。

 雪ノ下は車に乗っていた。ただそれだけでしかない。彼女が責任を負う理由はどこにも無いんだ。

 

「諦めろ雪ノ下。アホの子の由比ヶ浜相手に理論武装したって勝てねぇぞ?」

「む、アホの子言うなし!」

「でも、比企谷くんだって......」

「確かに俺は骨折した。それで入学が一ヶ月遅れたのも事実だ。でもそれだけだろ。お前の家の弁護士やらが来て話は纏まったらしいし、運転手の人も謝罪に来てたらしい。ま、俺が寝てる間に両方とも終わってたから俺は知らんけど」

「でも......」

「デモもストもねぇよ。お前はあれか?事故を起こしたバスに対して、乗ってた乗客にも責任取れって言うのか?そんな無茶苦茶な話あったもんじゃねぇだろ。でもな」

 

 でも、それでも、一つ俺から言えるとしたら。

 

「それに対して負い目を感じて、俺に優しくしてるんならそんなんは辞めてくれ。いい迷惑だ」

 

 雪ノ下雪乃は信頼に足ると、俺の本能の部分がそう告げている。出会ってまだ一週間も経たないような相手なのに、なんの根拠も無く、俺はこいつを信頼できると根っこの部分でそう判断が下されている。

 しかし、今までのトラウマが、比企谷八幡を形作る理性が、それを肯定しない。

 勝手に期待して勝手に失望するのはもう懲り懲りだ。

 ましてや同情を向けられるなんて、その末の優しさなんて、俺は求めていない。そんなものは偽物だから。俺がこの世で最も嫌う欺瞞だから。

 

「......やっぱり、あなたはそう言う考えに至ってしまうのね」

「は?」

「いえ、なんでもないわ。それと、あなたのその心配は杞憂よ。同情とか憐れみとか、そう言ったものは私もあなたも常に辟易して来たでしょ?」

 

 最初に何を言ったのかは聞こえなかったが、後の言葉はハッキリと、強く告げられた。

 比企谷八幡と同様に、雪ノ下雪乃もまたぼっちだ。その経緯にかなりの差はあれどそれは変わらぬ事実。だからだろうか、俺と彼女の求めるものは似ているのかもしれない。

 

「私、暴言も失言も吐くけれど、虚言だけは吐きたくないの。信じろと言う方が無理な話なのは分かっているけれど、でも信じて欲しい。負い目とか同情とか、そんなもので私は人に優しくなったりしないわ」

 

 ならば何故俺や由比ヶ浜には優しくあるのだ、なんて聞くのは野暮ってやつなんだろう。

 しかし、雪ノ下の今の言い方はズルい。何がズルいって、俺がここで拒絶してしまえば彼女を嘘つきにしてしまう。

 それは、なんか嫌だった。

 

「......別に信じるもクソもねぇよ。お前がそう言うんだったらそうなんだろ。ならそれで話はお終いだ」

 

 信じる、と素直に言う事に照れ臭さを感じてしまったので、偉く遠回りな言い方をしてしまった。

 いや、多分だが、俺は仮に雪ノ下であろうと完璧に信じ切る事なんて出来ないんだろう。

 幾らこいつなら信じられると感じても、最後の最後に考えて出した結論は、理性の下した判断は、きっと他人を信じるなと言うものだから。だから、信じるだなんて簡単には言えない。

 それでも雪ノ下雪乃と言う女の子を嘘つきにしたくなかったから、俺は嘘をつくんだ。

 何より、彼女のことを知りたいと思ったじゃないか。本当に、雪ノ下雪乃が信頼できる様な人間なのか、それを知るのも彼女を知ると言うことではなかろうか。

 

「ちょっと!終わりじゃないし!」

「おぉう、なんだ由比ヶ浜まだいたの」

「まだいたのって何よ!私だって関係者なんだから。それに、これ......」

 

 カバンから取り出されたセロハンの包み。

 中には何やら黒々しい物体が入っているように見える。恐らく、あくまで俺の推測で主観的な見方をするならばだが、それはクッキーだろう。

 いや、こう予防線を張って置かないと本当にクッキーかどうか怪しい代物だし。

 これで、残念!実はジョイフル本田の木炭でした!なんて言われたらヒッキーほんとにヒッキーになっちゃうよ?

 

「サブレを助けてくれたお礼。本当に、ただのお礼だから。同情とか、憐れみとか、そんなんじゃなくて、私がただヒッキーにこうしてお礼を渡したかっただけ。私のただの自己満足」

「別に、俺が個人を特定してあのイヌを助けて恩を売ったわけじゃないんだ。だから別にいいお礼とか、そう言うんじゃないだろ」

「それでも」

「それでも、まぁなに?礼ってんなら受け取らんわけにもいかねぇよな」

 

 自分のただの自己満足だと、由比ヶ浜は言った。ならばそこに俺みたいな他人の思考やら感情やらが入る余地は無い。

 その自己満足とやらに、付き合ってやればいいだけの事だ。

 

「うん......うん、ありがと!」

 

 そう言って笑ってみせた由比ヶ浜の笑顔に、不覚にも一瞬見惚れてしまって、照れ臭くなって視線を逸らす。

 それを見てクスリと笑うと雪ノ下。

 それがこの話はもう終わりと言う合図であるかの様に、由比ヶ浜は雪ノ下の方へと駆け寄っていった。

 

「そうだ、ゆきのんにもお礼のクッキー作って来たんだ!」

「いえ、その、私は何もお礼をされる様な事はしていないから結構よ」

「もーなんてーの?ほら、クッキー作るの手伝ってもらったし。本当、ほんのお礼の気持ちだから!」

「私今は食欲があまり無いから、その、由比ヶ浜さん?聞いてるかしら?」

「あ、そうだ!私放課後とか暇だから部活手伝うよ!ヒッキーと二人じゃ色々心配だし!」

「そこは大丈夫じゃないかしら。彼のリスクリターンの計算と小悪党振りには信頼を置いているもの」

「常識的な判断が出来ると言ってくれませんかねぇ......」

 

 グイグイと距離を詰める由比ヶ浜に、嫌そうな素振りを見せながらも決して拒絶しない雪ノ下。

 そんな二人の仲睦まじい百合百合した光景を見つつ、漸く、欠けていたピースが埋まった様な、そんなよく分からない感覚を抱いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 四限目の授業終了のチャイムが鳴り、昼休みが開始される。

 半日の授業の疲れを癒すために、彼ら彼女らリア充達は群れを成してウェイウェイと騒ぎ始める。

 いや、それは何もリア充に限った話ではない。

 例えば俺の席の前の方に座ってPSPを持ち寄っている二人。名前はなんだったか覚えてない。その二人は、後方に位置するトップカースト集団程ではないにしても、声をあげてゲームを楽しんでいる。

 それも一種の青春模様だろう。

 一方の俺はと言えば、生憎の雨なのでベストプレイスへ向かうことも出来ず、一人楽しくコンビニのパンを貪っていた。

 一人でも悲しくなく楽しいのは重要だ。

 何故なら、ぼっちはその無駄に思考能力が高い。本来ならば対人に向けられるリソースの全てを己一人に向けているからだ。

 今現在も考えてる事なんて、最近爪伸びて来たなーとか、明日はラノベの発売日だなーとか、今日の雪ノ下の持って来ているお茶請けはどんなものかなーとか、そんな感じだ。

 

 ......今ナチュラルに思考の中に雪ノ下が入っていたことに自分でも驚きを禁じ得ない。

 

 そんな俺が一人で悲しく思考の海に耽っている教室の中でも、一際目立つ声を出しているのが、件の後方に位置するトップカースト集団だ。

 更にその中で目立つのが葉山隼人。

 イケメンでスポーツも出来て成績もいいと来た。男子版雪ノ下みたいな奴。

 雪ノ下と違う点をあげるとするならば、こいつはコミュニケーション能力に長けている事だろうか。

 爆発しちまえばいいのに。

 

「隼人も今日行くよねー?今日ね、サーティワンでダブルが安いんだー」

 

 その葉山の相方であるのが、あの集団の女王様、三浦優美子。

 由比ヶ浜以上に着崩した制服に金髪ドリル。

 顔立ちは整っていて美形だとは思うのだが出来ればお近づきにはなりたくない。だってあいつ怖いし。

 そしてその集団の中には由比ヶ浜結衣も所属している。

 

「あーし、チョコとショコラのダブルが食べたいんだよねー」

「どっちも同じじゃないか。そんなに食ってたら太るぞ?」

「あーし太んない体質だから大丈夫っしょ」

「だよねー、優美子本当スタイルいいって言うか羨ましいよー」

「でもさー、あの雪ノ下さんとか言う子の方がヤバくない?」

「確かに、ゆきのんはヤバ......」

 

 由比ヶ浜に突き刺さる三浦の視線。

 ここで雪ノ下の事をゆきのん呼びするのは不味かったのだろうか。三浦は由比ヶ浜の事を薄っすらと睨んでいる。

 

「あーでも優美子の方が神スタイルと言うか、足とかちょー綺麗だし、華やかと言うか、その...」

 

 そのフォローではお蝶夫人のご機嫌は治らなかったのか、空気を察した葉山が口を開く。

 

「ま、部活終わった後なら付き合うよ」

「マジ?んじゃ終わったら連絡して」

 

 爽やか王子の一言で機嫌を直すとか、あの女王も案外単純な奴だな。

 なんて思いながら後方をチラチラと見ていると、由比ヶ浜と目が合った。

 由比ヶ浜はそれから気合いを入れるように頷くと、三浦に切り出す。

 

「あの、私今からちょっと行くところあるから......」

「そうなん?ならレモンティー買って来てくれる?あーし今日パンなんだけど飲み物忘れてさー」

「いや、私五限始まるまでいないって言うか、お昼はまるまるいないかなーって......」

「なにそれ?ユイ最近なんか付き合い悪くない?この前もそんな事言ってバックれたっしょ」

「あの、それには深い事情があるといいますか、止むに止まれぬと言いますか......」

 

 あいつも疲れる生き方をしてんなぁ。

 由比ヶ浜の煮え切らない態度にイライラして来たのか、三浦がカツカツと机の上を他叩く音が響く。

 女王の爆発によって教室内も静かになり、俺の前方でゲームをしていた二人もPSPの音を消している。

 

「あんさぁ、言いたい事があるならハッキリ言ってくれる?あーしら友達じゃん」

 

 友達だから、仲間だから、全てがそれで許される訳ではない。

 そんなものは単なる仲間意識の強要だ。封建社会も良いところだ。

 

「......ごめん」

「だから、ごめんじゃなくて言いたい事あるなら言えって言ってんの」

 

 由比ヶ浜の目が見る見るうちに潤んでくる。

 けっ、精々リア充同士で潰し合っていればいいさ。どうせこんな出来事もそのうち青春の一ページとして刻まれるようになっているんだろう。

 .........だが、なんと言うか、知ってる女の子が涙目になっているのに無視すると言うのは、パンが不味くなる。

 俺はなけなしの勇気を振り絞って立ち上がった。

 

「その辺で」

「るっさい!」

「......その辺で飲み物でも買ってこようかなー。でも辞めとこうかなー......」

 

 怖っ!あーしさん怖っ!今背後に蛇が見えたよ。なに、スタンド使いなの?蛇のスタンド使うの?

 

「あんさー、ユイの為に言っとくけど、そう言うハッキリしない態度ってイライラすんの」

「......ごめん」

「またそれ?」

 

 ハッと呆れと怒りを混ぜたような溜息を零す三浦。

 確かに由比ヶ浜のそのハッキリしない態度は、人によっては少し苛立たしいものかもしれない。

 だが、三浦のように勢いで捲したてるのも正しいとは言えない。

 本当に友達だと言うなら許容してやるのではないか。

 許容せず、強要する方がおかしいのではないか。

 

「さっきから謝ってばっかだけど」

 

「謝る相手が違うわよ、由比ヶ浜さん」

 

 三浦が続く言葉を紡ぐ前に、教室内に極寒の吹雪がやって来た。

 心の底まで凍てつく声色。登場したその瞬間に、三浦の独壇場だったその場の雰囲気全てを掻っ攫う。

 昨日まで俺や由比ヶ浜に見せていた穏やかな表情とは一転変わって、怜悧な表情で、雪ノ下雪乃は教室の入り口に毅然として立っていた。

 最早怖いとか通り越して美しいとか感じちゃう始末だ。

 

「由比ヶ浜さん、貴女自分から誘っておいて待ち合わせ場所に来ないのはどうかと思うわよ?連絡の一つでも寄越したらどうかしら」

「ご、ごめんねゆきのん。でも、私ゆきのんの連絡先知らないし」

「そう言えばこの時はまだだったわね......。なら後で教えておくわ。今後は事前に連絡を頂戴」

 

 だが由比ヶ浜と話す時はその冷たさも抑え、普段と同じ穏やかな表情に戻る。

 随分と器用でいらっしゃいますね。

 

「ちょ、ちょっと!」

 

 三浦の声を聞いた途端、また雪ノ下の纏う雰囲気が変わる。先程登場した時と同じものだ。心なしか、そこには幾分か怒気も含まれてるように感じる。

 

「なにかしら、貴女と話してる時間も惜しいのだけれど。まだ昼食を取っていないのよ」

「まだあーしがユイと話してた途中なんだけど?」

「話す?がなりたてるの間違いでなくて?......あぁ気づかなくてごめんなさい。貴女達の生態系に詳しくないものだから、ついつい類人猿の威嚇と同じものにカテゴライズしてしまったわ」

 

 ひえぇ......。

 今度からこいつの事を心の中で氷の女王と呼ぶことにしよう。この罵倒が普段俺に向けられてなくてよかった。

 いや、待てよ?なんだかんだでたまにする会話の中にもちょくちょく罵倒が挟まれてる気がするぞ?

 なんにせよ、獄炎の女王も氷の女王の前ではその炎を燃やし切れずに凍てつかされてしまうのか、三浦は苦しそうに雪ノ下の言葉を聞いているだけだ。

 

「お山の大将気取りで虚勢を張るのは結構だけど、自分の縄張りだけでしなさい。でないと、貴女の今のメイク同様直ぐに剥がれ落ちるわよ?」

「......っ!意味わかんないし!」

 

 吐き捨てる様に言って、三浦は再び携帯を弄り始める。

 完全に敗者のそれだった。

 一方の雪ノ下はと言うと、今までの舌刀を納めて由比ヶ浜に向き直っている。

 

「先に行っているわね」

「あ、私も」

「......部室で待ってるわ」

「うん!」

 

 由比ヶ浜に柔らかい笑みを返し、雪ノ下は教室を出る前に再び三浦へと言い放った。

 

「本当に会話をしたいのであれば、相手の言い分も聞くことね。でないと、必ず後悔する事になるわ」

 

 穏やかでも、怜悧でもなく、ただただ苦しい表情。

 この前家庭科室で見せたものと同じ表情。

 彼女は時折それを見せる。一体なにを思っているのか。何かを思い出しているのか。

 その雪ノ下の心情も、また知りたいと、傲慢な考えに至る。

 

 なんて考えてるうちに雪ノ下は教室を出て行ったようで、周囲のクラスメイトもここぞとばかりに教室を出て行く。

 乗るしかない、このビッグウェーブに!とばかりに俺も食いかけのコンビニパンを袋に詰めてそそくさと教室から退散。

 いつものベストプレイスは使えないからそれなりにいい場所を探して食うとしよう。

 

 教室を出る寸前、すれ違った由比ヶ浜がか細い声で呟いた。

 

「ヒッキー、さっき立ち上がってくれてありがと」

 

 ......別にそんなんじゃねぇっての。

 

 

 

 

 

 

 

 教室を出て直ぐの所には雪ノ下が壁にもたれかかって立っていた。

 どうやら中の様子が気になるようだが、そこからじゃ教室内は見えませんよ?

 特に行き場のない俺は向かいの窓側にもたれかかった。

 

『あの、ね。私、こう言う性格だから、時々イライラさせてたと思うの』

 

 中から由比ヶ浜の声が聞こえてくる。

 時折嗚咽が混じり、一生懸命、自分の言葉を伝えているのがよく分かる。

 

『いやー、昔からそうなんだよね。おジャ魔女ごっこしてても、本当はドレミちゃんやりたいのに葉月で我慢してたりとか。団地生まれのせいなのか、積極的になれないと言うか......』

『結局なにが言いたいわけ?』

『その、さ。ヒッキーとかゆきのん見てたらさ。今まで周りに合わせてたのがバカみたいに思えちゃって......。だってヒッキーとかマジヒッキーじゃん?たまに笑ってるのとか超キモいし』

 

 ちょっと由比ヶ浜さん?俺泣くよ?高2男子が周りの目も気にせずわんわん泣くよ?

 

「ライトノベル、と言うのが面白いのは分かるけれど、もう少し周りの目も気にして読んだらどうかしら?」

「バッカお前、周りの目気にしてたらラノベなんて読めねぇだろ」

 

 今度から教室で駄女神と爆発バカとドMがヒロインのラノベは辞めておこう。

 て言うか雪ノ下さんラノベ知ってはるんですか意外ですね。

 

『だから、さ。これからはもっと適当に生きていこうかなーとか、そんな感じなんだけど......これからも、友達でいられる、かな?』

『......あーしも、ちょっと言い過ぎたかも。ごめん』

 

 パタン、と携帯の閉じる音が聞こえた。

 あの獄炎の女王が謝った、だと......⁉︎

 一連のやり取りを聞いていて雪ノ下も安堵したのか、いつも部室で見せる優しい微笑みを携えていた。

 

「やっぱり、ちゃんと言えるのね」

 

 ここでもやっぱり、と来たか。

 こいつはたまにそう言う風に、まるで先のことが分かってるかのような発言をする。

 まさか雪ノ下って超能力者⁉︎なんてそんなわけがあるはずも無い。

 ただ、こいつの明晰な頭脳を持ってすれば多少未来のことならば予測できると言うだけなのだろう。

 

「何をアホヅラを晒しているのかしら。さっさと行くわよ」

「いや別にそんな顔してないから。てか、行くってどこへ?」

「部室に決まってるじゃない。昼食を持って来たと言うことは、このまま教室で食べるつもりはないのでしょう?居場所のない比企谷くんに居場所を提供してあげるのよ」

「ひでぇ言い方だが間違ってないから反論出来ねぇ......」

 

 まぁ、たまには誰かと共に過ごす昼休みも良いかもしれない。なんて、そんな風に思った雨の日だった。



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しかし、彼女の助けを求める声は。

 奉仕部へと入部してから数日経ったわけだが、俺の学校生活は激変したと言っても過言ではなかった。

 まず朝、昇降口でたまに会う由比ヶ浜に挨拶を交わされるとキョドリながらもなんとか挨拶を返すわけだが、その際の「あいつ由比ヶ浜さんのなんなんだよ......」と言う周りの男子どもの視線が痛い。

 次に、移動教室などで廊下を歩いてる時に雪ノ下と会うと笑顔で手を振ってくれるわけだが、その際の「あいつ雪ノ下さんのなんなのよ......」と言う2J女子の視線が痛い。

 そして最後に、何故かたまに昼飯を部室で食べることがある。これは毎日じゃないんだけど。

 

 まぁ、この手のマイナスの感情から来る視線には慣れ切っているのでどうこう言うつもりはないが。

 今日だってなんだかんだで部室へと足を運び、雪ノ下の紅茶とお茶請けを楽しみにしてるんだから。

 .........いやマジで奉仕部ってなんの部活だよ。お茶飲んで読書して携帯弄って談笑してるだけじゃん。

 奉仕部の存在理由についてウンウンと考えながら歩いていると、どうやら部室の前まで着いたらしい。

 部室の前では由比ヶ浜が扉を盾にして中を覗いており、「ゆきのん逃げてー!」とか言ってる。

 

「おい」

「うひゃあ⁉︎......ってなんだヒッキーか。ビックリさせないでよ」

 

 不機嫌さを微塵も隠す事ない由比ヶ浜。

 確かにいきなり声掛けた俺が悪かったけども。

 側から見たら今のあなたかなり不審人物ですよ?

 

「あ、そうだヒッキー!ゆきのんを助けて!」

「は?雪ノ下を助けるってどう言う......」

 

 背中を押されて部室の中へ入ると、一陣の風が吹いた。

 その風に綺麗な髪を揺らす我らが部長雪ノ下の前には、でっかい図体を極限にまで丸めて萎縮してるコートの暑苦しい男。

 男の方は俺に気がついたのか、まるで絶望の中に一縷の希望を見出したような目を向けて来る。

 雪ノ下もこちらに振り返り、俺の姿を確認した。

 

「こんにちは比企谷くん。早速で悪いのだけれど、あなたの担当案件よ」

「おい待て、何故それの扱いが俺の担当なんだ」

「だって比企谷くんのお友達でしょう?」

「そんな奴知らん。知ってても知らん」

「ク、ククク、ハハハハハ!ようやく現れたか、我が相棒比企谷八幡よ!」

「なんか相棒とか言ってるけど」

 

 俺たちよりも一歩後ろから由比ヶ浜の声が掛かる。クズはもろとも死ねと言う目をしていた。

 

「別に相棒でもないし友達でもない。で、なんか用か材木座?」

「ぬ、我が魂に刻まれた真名を呼んだな?いかにも、我は剣豪将軍、材木座義輝である!」

 

 こいつの名は材木座義輝。俺が体育でペアを組まされてるやつだ。正直それ以上でもそれ以下でもない。出来るなら他の所にトレードに出したいが、こんなのを引き取ってくれる奴なんていないだろう。

 由比ヶ浜はうへぇ、とか言いながら嫌悪感を露わにしてるし、雪ノ下に至っては紅茶を淹れ始めている。

 

「相変わらず理解に苦しむ生き方だわ......」

「なに、お前の周りにもこんなんいんの?」

「ええ、まぁ、いた、と言ったほうが正しいのだけれど」

 

 ほう、と言うことはそいつは中二病を卒業出来たのかな?だが卒業出来たとしても待っているのは量産された黒歴史に苛まされる毎日だけだ。ソースは俺。

 

「ねぇあれなに?」

「あれは中二病というやつよ」

「ちゅーにびょー?」

 

 由比ヶ浜の今のイントネーションは絶対文字に起こすと全部平仮名だった。

 訳わかんないって顔でアホヅラしてるし。

 

「精神病の一種だと思ってくれれば構わないわ。で、依頼の件なのだけれど」

 

 雪ノ下は適当に説明を済ますと、取り敢えず座りましょう、と言ってから紅茶をそれぞれの所へ持っていく。依頼人の席に座った材木座の分までちゃっかり淹れてある辺りやっぱ優しい奴だわこいつ。

 そのあと、長机の上に置いてあった紙の束を手に取り、俺に渡してきた。

 

「原稿用紙......これ、ラノベの原稿か?」

「そうみたいね。では比企谷くん、後は頼んだわ」

「いやいや、だから勝手に俺の担当にしないでくれます?つーか何、これ読めっての?」

 

 雪ノ下が、そう言えばまだだったわね......とか呟いてるが、特に拾うような呟きでもなさそうだったので材木座に向き直る。

 

「いかにも。それはさる新人賞に応募しようと思っていた作品でな。友達がいないから読んでくれる人がおらぬ。それの感想を聞かせて欲しいのだ」

「さらっと悲しい事言われた⁉︎」

「投稿サイトとか2chに載せればいいだろ」

「それはダメだ。彼奴等容赦無く酷評して来るからな。多分泣くぞ、我」

 

 まずは精神力鍛えろよ、と言いたいが、確かにたまに見る投稿サイトの批評はわりと辛辣だ。中二ぼっちの材木座が耐えられるとは思えない。

 

「......ちゃんと読める作品なのよね?」

 

 確認するように問いかける雪ノ下に、材木座は何故か俺の方を見て答えた。

 

「ふ、それは我が書きあげた『聖なる文字(セイクリッドスクリプト)』。恐らく貴様ら凡人では理解できないであろうな」

「ならなんで俺たちに読ませに来たんだよ......」

 

 冷静に突っ込む俺と、飽きたのか紅茶と今日のお茶請けであるスコーンを頬張る由比ヶ浜。

 しかし、部長様は今の言葉を俺たちのように、何でもないように流さなかったようで。

 

「良いでしょう、その安い挑発に乗ってあげるわ。あなたごときの文章、私が直々に真っ赤に染めてあげる」

 

 負けず嫌いかこいつ。

 あと言い回しが若干中二っぽくなってますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言おう。

 材木座の小説は非常に面白くなかった。

 その癖無駄に長い上、完結していない。最後主人公どうなったんだよ気になるだろうが。

 

 お陰で久し振りに徹夜してしまい、朝から妹に「お兄ちゃん、今日はいつもより目が腐ってるから小町一人で学校行くね」って言われた。泣きそうである。

 

「ヒッキーおはよう!」

 

 ドン、と背中に軽い衝撃を受けて振り返ると、由比ヶ浜が自分のリュックを当てて来やがった。

 随分と元気そうなご様子で。

 

「おはようさん。何でお前そんな元気なの?あれ読んで良く寝る時間あったな......」

「え?あ、いやー、私も超眠いから」

 

 こいつ、読んでないな......。

 まぁ今回の依頼は俺たちが出るまでもないだろう。何故なら、こちらには雪ノ下雪乃がいる。きっと彼女ならメチャクチャな文法からルビふり、展開まで全てにツッコミを入れてくれるだろう。

 それはそうと、今日の授業は全部睡眠学習と言うことでよろしいですかね?

 

 

 

 平塚先生が怖かったので現国の授業だけ寝ぼけ眼で欠伸を噛み殺しながら必死に受け、全ての授業が終わった放課後。

 俺は重い足取りで部室へと向かっていた。

 あの人の授業で寝てたら確実に衝撃のファーストブリットが飛んで来てたぜ。危ない危ない。

 最早噛み殺す事もなく、盛大に欠伸をしてから部室のドアを開ける。

 

「うーす」

 

 いつも通りよく分からない気の抜けた挨拶をしながら部室に入ると、そこには天使が舞い降りていた。

 すうすうと可愛く寝息を立て、暖かい日差しに当てられて雪ノ下は座って寝ていた。

 いや待て落ち着け俺。こいつは氷の女王。いつもは俺に優しく罵倒をしてくる女だ。

 あれ?でも優しくしてくれるし良いやつだし可愛いし、もしかして雪ノ下って天使だったの?

 

 そんな訳のわからないことを考えていると、ん、と雪ノ下から寝言が聞こえてきた。

 

「ひきがやくん......」

 

 おいおいおいおい、なーに寝言で人の名前呼んじゃってんですか?でもこれあれだろ?この後ちょっと幸せそうに笑って罵倒の言葉が出てくるんだろ?八幡知ってるよ。

 白状して申し上げちゃうと今凄いドキドキしてるけどね。心臓やばい煩いちょっと静かにしててくれってくらい。いや、だって校内一の美少女が寝言で自分の名前呟くって中々ないシチュエーションだぜ?

 

 と、そんな俺の期待(?)とは裏腹に、雪ノ下はその綺麗な顔を苦しそうに歪める。

 

「た、す...けて......」

 

 刹那、脳裏にいつかの記憶が過ぎる。

『---い■■、わた■を■すけ■■』

 映像には靄がかかり、音はノイズ混じりでよく聞き取れない。それでも、大切な誰かと大切な約束をしたような。

 それが思い出せなくてもどかしくて。

 

 暫く雪ノ下の顔を見ていると、パチリと目を覚ました彼女と視線がぶつかる。

 急速に赤みを帯びる雪ノ下の頬。それを確認した途端何故か羞恥心がやって来てふい、と目を逸らす。

 

「ご、ごめんなさい。つい寝てしまったみたい......」

「あ、いや、俺の方こそなんか悪い......」

 

 寝顔をマジマジと見てしまったことに対する謝罪なのか、それとも別の何かに対する謝罪なのか、自分でも判然としないままに謝ると、ふふ、と雪ノ下に笑われた。

 

「どうしてあなたが謝るのかしら」

「そりゃ、なんとなくだろ」

「そう?......紅茶、淹れるわね」

「おう」

 

 いつもの、雪ノ下の対角の位置にある椅子に腰を下ろし、雪ノ下が紅茶を淹れる姿をぬぼーっと眺めていると、部室の扉が勢いよく開かれる。

 

「やっはろー!」

「こんにちは由比ヶ浜さん。今紅茶を淹れているから座っていて。それと、お茶請けにチョコクッキーを焼いて来たの」

「やったー!ゆきのんのクッキーだ!」

「同じクッキーなのになんでここまで違うんだろうな」

「ヒッキー、それどう言う意味だし」

 

 今日も今日とて放課後ティータイム。

 一人でなくても心地いい時間を、まったりと過ごす。

 

 

 

 

 だけで終われば良かったんだけどなぁ。

 

「さぁ!感想を聞かせてもらおうではないか!」

 

 由比ヶ浜が雪ノ下のクッキー食べて、今度また一緒にクッキー作りをしよう、と由比ヶ浜が雪ノ下の家にお泊まりの計画を立て始めた所で、材木座がやって来た。

 勿論忘れてた訳ではない。いや、出来れば忘れたかったけど、そもそも雪ノ下が部室で寝ていたのも、俺が寝不足なのも、こいつの小説が原因な訳で。

 と言うか良く良く考えると雪ノ下のやつすげぇな。あの小説を読んで尚今日もお茶請けを作って来てるとか。流石は完璧超人。

 

「ではまず私から」

 

 挙手した雪ノ下の表情は冷たい。この前の三浦との戦いの時のどっこいどっこいだ。

 そんな表情を見たら、感想なんて言わずとも分かるものだが、材木座は無駄に目を光らせてワクワクと待っている。

 

「つまらなかった。読むのが苦痛ですらあったわ。想像を絶するつまらなさ」

「ぴぎゃっ!」

 

 真っ正面から切り捨てられた材木座は気持ち悪い悲鳴を上げて椅子から転がり落ち......あ、ギリギリで耐えやがった。

 早く楽になった方がいいと思うけどなぁ。

 

「さ、参考までに、どの辺がつまらなかったのかご教授願おうか......」

「まずは文法がメチャクチャね。『てにをは』の使い方知ってる?小学校で習わなかったのかしら」

「そ、それは崩れた文体で読者に親しみを持ってもらおうと......」

「そう言うのは最低限まともな日本語が書けるようになってから考えるものではないかしら。

 次にルビ、『能力』に『ちから』と振るのはまだしも、この必殺技みたいなやつ、ちゃんと漢字を文字ってルビを振りなさい。全くもって意味不明だわ。

 あぁ意味不明で言うと、ここの展開。ヒロインが服を脱いだのは何故?必要性を全く感じないのだけれど」

「そ、それはファンサービスと言うか需要に基づいてと言うか......」

「ファンの一人も居ないうちから随分とおめでたい発想ね。それに完成前の作品を読ませるだなんて、文才の前にまずは常識を学んだら?」

「ふぐほっ!」

 

 あ、椅子から落ちた。

 て言うか膝から崩れ落ちたと言った方が正しいか。

 しっかし容赦ないですね雪ノ下さん。俺たちが言う事もう無いんじゃないの?てかこれ以上言ったら材木座死んじゃうんじゃない?

 

「では次、由比ヶ浜さん」

「ほぇ〜......え、私⁉︎」

 

 こいつ、今寝てただろ。流石はアホの子、活字には弱いのか、

 

「えっと、難しい漢字一杯知ってるね?」

「ひでぶ!」

 

 雪ノ下よりも非情な一撃だった。

 悪意がないから尚タチが悪い。

 由比ヶ浜の一言は、詰まる所それ以外に褒めるところはないと言っているのと同義であり、作家志望の材木座にとってはダメージにしかならない。

 

「え、えっと、はい、次ヒッキー!」

「は、八幡!お主なら分かってくれるよな......!」

 

 材木座は最後の希望を俺に見出したのか、縋るような目で見てくる。

 ふ、俺だってアニメやラノベを嗜む世に言うオタクの端くれだ。

 大丈夫、材木座。お前にかけるべき言葉は分かっている。

 そう言外に告げるように、材木座に笑いかけてやる。

 

「八幡......!」

「で、あれなんのパクリ?」

「ぶふっ!」

 

 今度こそ、材木座は完璧に沈黙した。

 と思ったらそんな事なかった。なんか奇声を発しながら地面を転がり、最終的に壁にぶつかって本当に沈黙した。

 

「ヒッキー......」

「あなた、私より酷いこと言ってる気がするわよ?」

 

 流石の二人も材木座の事が哀れに感じたのか同情の眼差しを送っている。

 ここはフォローの一つでもしといてやるかと、未だ倒れ臥す材木座の肩を掴んで、一言言ってやった。

 

「ま、大切なのはイラストだから。中身なんて気にすんな」

 

 材木座、死す。

 フォローになってなかったわ。

 

 

 

 

 

 

「また、読んでくれるか?」

 

 奉仕部の部室をさる間際に、材木座がそんなことを言い出した。

 

「お前......」

「ドMなの?」

 

 由比ヶ浜の目が心底蔑んだ目になって居た。

 その目でまたダメージを受けたのか、材木座がゆらりと巨体を揺らすが、なんとか踏ん張ったらしい。

 と言うか、そうじゃないぞ由比ヶ浜。

 

「あれだけ言われて懲りてないのかよ」

「確かに酷評された。もう死んじゃおっかなーとか寧ろ我以外死ねとまで思ったが、それでも嬉しかったのだ。誰かに自分の作品を読んでもらい、感想を言ってもらうというのは」

 

 そう言った材木座の笑顔は、剣豪将軍なんて意味不明なやつのものではなく、正しく材木座義輝のものだったのだろう。

 そして、そんな材木座の言葉に意外にも雪ノ下が返した。

 

「奉仕部は迷える子羊を導く所よ。あなたが読んでほしいと言うのなら、幾らでもこき下ろしてあげるわ、比企谷くんが」

「俺がかよ⁉︎」

 

 そこは自分とは言わないんですね。

 雪ノ下からしてもあんな量の面白くもない小説を読まされて徹夜するのはお断りという事か。

 まぁ、それでも、

 

「......また読むよ。だから新作ができたら持ってこい」

「あぁ、新作が出来たら持ってくる!では、さらばだ!」

 

 材木座は確かに暑苦しい格好をして痛々しい発言をするどうしようもない中二病患者だが、もう一つ病気を患っているのだろう。

 作家病と言う立派な病気に。

 自分の書いた作品を読んで感想をくれると嬉しい。ましてやそれが人の心を動かしたのなら尚更だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ八幡よ、最近流行の神絵師は誰だろうな」

「いいからまずは原稿仕上げろ。な?」

 

 体育の授業。

 いつも通りペアを組まされ、いつも通り材木座の相手をさせられる。

 ただ、一ついつも通りではないとしたら

 

「ラノベ作家になったら声優さんと結婚できるのだろうか?あやねるもいいと思うが我的にははやみんがイチオシなのだが」

「だから、まずは一つ作品を完成させろよ」

 

 体育の授業は嫌ではなくなった、ということか。

 



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少しずつ、彼の日常は変化している。

 昼休み。

 心地良い潮風が吹くベストプレイスにて、俺は昼食を取って居た。

 目の前にはテニスコートがあり、女子のテニス部が健気に昼練に勤しんでいる。

 俺は持ち前のステルス能力で自身の存在感を消しつつ、微笑ましくその練習風景を見守りながらパンを食べると言うのが高校に入ってからの昼休み恒例行事だった。

 まぁ、最近はたまに部室に誘われてそっちで食うこともあるけど。

 あれはあれで雪ノ下の紅茶が飲めたりするからいいのだが、やはり往来の気質なのか一人でいる方が気楽でいい。

 

「比企谷くん?」

「あん?」

 

 唐突に名前を呼ばれたので振り返ってみると、そこには雪ノ下雪乃が立って居た。

 あれ、こいつ今日も部室で飯食ってるんじゃないのん?

 

「雪ノ下か。どうしたこんな所で」

「それはこちらのセリフよ。......あぁ、教室に居場所がなくてこんな辺境の地まで追いやられてしまったのね、ごめんなさい」

「いや、あながち間違ってもないからいいんだけどよ......」

 

 本当、購買にパン買いに行った隙に俺の席を占領する女子はマジで許さんからな。

 

「こんな所で食べないで、部室にくればいいのに」

「お前らだって女子二人だけで話したい時とかあるだろ?これはあれだ。俺なりの紳士的な配慮という奴だ。で、お前は何してんの」

「......由比ヶ浜さんにじゃんけんで負けたのよ」

 

 うわぁスッゲェ悔しそう。

 曰く、じゃんけんで負けたから罰ゲームとしてジュースを買いに行かされてるそうな。

 由比ヶ浜発案らしいが、あいつ、いつもじゃんけんとかしないで自分からみんなの分買いに行くとか言ってたんだろうなぁ。

 

「なんだよ、罰ゲームって俺と話すことが罰ゲームかと思っちまったじゃねぇか」

「そんな訳ないじゃない......」

 

 頭でも痛いのか、コメカミの辺りを指で抑える雪ノ下。

 どうでもいいけど雪ノ下って部室にいる時とそれ以外の時で結構雰囲気変えてる感じがするんだよな。部室では凄い柔らかい雰囲気なんだが、外にいると冷たい雰囲気というか、周囲に常に気を張ってるというか、何かを警戒しているというか。もう少し肩の力を抜いて適当に生きていこうとは思わないのかね。

 

「あれ、比企谷くんと、雪ノ下さん?」

 

 と、そんな俺たちに話しかける声が。

 テニスラケットを持ったジャージ姿の女子。

 雪ノ下や由比ヶ浜にも負けないほど可愛らしい顔をしている。

 

「あら、戸塚くん。こんにちは」

「うん、こんにちは。僕のこと知ってたんだ」

「えぇまぁ」

 

 雪ノ下にしては煮え切らない返答だが、そんな事よりも気になる言葉があった。

 

「戸塚、くん......?」

「彼は二年F組の戸塚彩加くんよ。どうせあなたのことだからクラスメイトの名前も顔も覚えて居ないのでしょう」

「いや待て雪ノ下。そんな事より、お前今なんて言った?彼?くん?おいおい、雪ノ下雪乃は虚言だけは吐きたくないんじゃなかったのかよ」

「あの、僕一応男なんだけどな......」

 

 照れ臭そうにはにかみながら、上目遣いで俺を覗き込んでくる。

 

「嘘だろ......こんな可愛い子が男、だと......?」

 

 あぁ、神はなんて残酷なんだ......!

 俺の青春ラブコメを彩るであろうヒロインがようやく登場したと思ったらヒロインじゃありませんでした!ってか。

 ギャルゲーのヒロインの親友ポジのキャラが好みのドストライクだったのに攻略できないと知った時の絶望感に似たものを感じる。違うか。違うな。

 

「そこの男は放っておいていいわ。戸塚くんは昼練かしら」

「うん。うちのテニス部、人数少ないし弱いからさ。僕が頑張って上手くなれば、みんなもやる気が出るかなって」

 

 総武高校の運動部は元々そこまで活発ではない。葉山の所属するサッカー部だって、葉山隼人と言うネームバリューがあるからこそ校内でそれなりに有名なのであり、実績的にはイマイチだ。

 剣道部がなんかの大会で優勝したやらなんやらと話を聞いたような気もするが、だからと言って部活動に精力的な生徒が多いわけでもない。

 そんな中で、所属するテニス部のために頑張っている戸塚は健気と言うほかないだろう。

 なんとかして力になってやれないものか。

 

「そう言えば比企谷くん、テニス上手だよね」

「そうなの?」

「うん!フォームとか凄く綺麗なんだ」

「まぁ、壁打ちはマスターしたと言っても過言ではないな。寧ろ壁打ちしかできないまである」

 

 だって、体育のテニスの時間は材木座がいないからペア組む奴もいないし、自然と俺の相手は壁になってしまう。

 あぁ別に壁と言っても雪ノ下さんのその胸部装甲を揶揄したわけではないですよ?

 

「あの、さ。比企谷くんさえ良ければ、テニス部入ってみない、かな?」

「俺が?」

 

 戸塚が言っているのは、ポッと出の俺が入部して活躍してくれれば部にとってカンフル剤的な役割を果たしてくれるだろう、と言うことか。いや、そこまで考えずに単純に上手い人にチームに入って貢献して欲しい、と考えてるかもしれないが。

 しかし、それは出来ない相談だった。

 

「あー、悪いな戸塚。それは」

「それは無理ね。比企谷くんに集団行動が出来るわけないもの」

 

 ......なんでお前が答えるんですかねぇ。いや、事実だけども。俺は強制的な集団行動の中でも孤立出来る天才的な才能を持ってはいるけども。天才でもなんでもないなこれ。ただのボッチじゃん。

 

「それに、彼は奉仕部の大切な部員なの。残念だけれど、テニス部に入部することはできないわ」

「そうなんだ......。ごめんね無理言って」

 

 大切な、と言う部分に幾ばくかの照れ臭さを感じてしまう。

 大切、大切かぁ......。今まで面と向かってそんなの言われたこと無かったからなんかむず痒い感じだ。

 

「けれど、それをお手伝いする事なら出来る」

「お手伝い?」

「ええ。詳しい話を聞きたいのなら放課後、特別棟の部室まで来てくれるといいわ」

 

 丁度タイミングよく、昼休み終了のチャイムが鳴る。どうやら話はここまでの様だ。雪ノ下の言う通り、続きは放課後だな。

 

「部室は由比ヶ浜さんに案内してもらったらいいわ。では私は戻るわね」

 

 うん、妥当な采配だ。俺が案内するとなってしまうと、部室まで二人で歩かなければならなくなる。そうなると話の間が持たなくなり戸塚に気を遣わせてしまうだろうからな。

 

 ふと、雪ノ下の言葉を聞いて思い出したことが一つあった。

 

「おい雪ノ下。お前、罰ゲームのパシリは?」

「あ」

 

 このうっかりさんめ。由比ヶ浜泣くぞ。

 

 

 

 

 

「んで、どうするんだ?」

「どうするとは、何がかしら?」

「戸塚の件だよ。正式に依頼として受理するのかって話」

 

 放課後、戸塚の方は由比ヶ浜に任せて俺はそそくさと部室へとやって来た。

 べ、別に雪ノ下の紅茶が早く飲みたかったとかそんなんじゃないんだからね!キモいか。

 

「戸塚くんが助けを求めるならね。それにしても、随分とやる気じゃない。あぁ、今までの人生で人に頼られることが無かったからなのね。配慮が足りなくてごめんなさい」

「配慮するなら最後まで配慮しろよ。実際マジでどうするんだよ。俺がテニス部に入るわけにもいかないんだろ?」

「そうね......。彼の練習を手伝うのを前提とするなら、死ぬまで走って死ぬまで筋トレ、死ぬまで素振りとか、そんな感じかしら」

 

 そんな事をいつもの優しい笑顔で言うなよ逆に怖いだろうが。このドSめ。

 

「いやそれはやり過ぎじゃね?」

「そう?『獅子は我が子を千尋の谷に落として殺す』と言うじゃない」

「そんな恐ろしい諺は存在しない」

 

 正しくは『獅子は我が子を狩るのにも全力を尽くす』だ。

 

「詳しい所は戸塚くんが来てから決めましょう」

「それもそうだな」

 

 そもそも戸塚が来るとまだ決まったわけではないし。

 しかも俺たちは昼休みの時点でほぼ初対面だったわけだし。そんな奴らの話を真に受けると言うのも馬鹿かよっぽど切羽詰まっているかのどちらかだろう。

 戸塚の場合は後者だと思う。現在五月だが、夏の大会というのは種目によっては六月の頭から始まるものもあると聞いたことがある。

 テニスがどうなのかは知らないが、三年の引退試合が近いのは事実だろう。個人戦だけならまだしも、団体戦もあるテニスは二年である戸塚も出なければなるまい。人数が少ないみたいな事も言ってたし。

 

「やっはろー!」

 

 最早ノックもなしに唐突に扉が開かれる。

 この部室に来るのにノックをしないやつなんて平塚先生か由比ヶ浜くらいのものだ。

 

「由比ヶ浜さん、あまり勢い良く扉を開かないでくれるかしら」

「あ、ごめんごめん!確かにあんまり乱暴に扱っちゃ壊れちゃうよね!」

 

 僕は雪ノ下が肩を震わせてビックリしてたの見逃してないけどね!

 

「それと、さいちゃん連れて来たよ!」

「し、失礼します......」

 

 恐る恐る、小動物を思わせるような動きで入室して来たのは昼休みに会った戸塚だ。

 雪ノ下に言われた通り依頼するために部室へやって来たのだろう。

 

「こんにちは戸塚くん」

「うん、こんにちは」

「ゆきのん、昼休みにさいちゃんとヒッキーと会ってたんだって⁉︎私のジュース忘れて!」

「べ、別に忘れていたわけではないのよ。あのタイミングであそこにいた比企谷くんが悪いの」

 

 ぷりぷりと怒る由比ヶ浜にそれを宥めようとオロオロする雪ノ下。

 そんな様子を見た戸塚が、俺の方に顔を寄せてコッソリ耳打ちして来た。

 ってなんでこんなにいい匂いするんですか。

 

「なんだか雪ノ下さん、昼休みに会った時と雰囲気違うね」

「ん、あ、ああ。確かにそうだな」

 

 戸塚にも分かるくらいあからさまに違うのか。

 それはそれでどうなの雪ノ下。

 由比ヶ浜とは違った意味で疲れる生き方してるよなこいつも。そんな常に周囲に気を張る必要もなかろうに。

 一方でプロのぼっちである俺は周囲の事など全く気に掛けず、俺の世界は全てが俺一人で完結しているのだ。争いが起きるような相手も存在しないので、世界の全ての人間がぼっちになったら戦争は無くなるのではないだろうか。ノーベル平和賞受賞の日も近いかもしれない。

 

 .........まぁ、放課後にこうやって美少女三人じゃなかった美少女二人と美少年一人と過ごしてる時点で、昔の俺は今の俺を見て何がぼっちだ、と鼻で笑うだろうが。

 

「さて、では戸塚くん。ここに来たということは、依頼をしに来たと言うことでいいのかしら?」

「うん。由比ヶ浜さんから奉仕部の話は聞いたんだけど、テニスを強くしてくれるん、だよね?」

 

 由比ヶ浜をなんとか落ち着かせた雪ノ下が戸塚に向き直り、早速依頼の話に入るが、雪ノ下は戸塚のその言葉に首を横に振った。

 

「残念ながらそれは少し違うの。由比ヶ浜さんの所為でいらぬ誤解を与えてしまったみたいね」

「え?違うの?」

 

 当の由比ヶ浜本人もよく分かってないらしい。こいつ部員の癖に活動内容ちゃんと把握してなかったのか。流石はアホの子。

 

「奉仕部はあくまでも手助けをするだけ。

 飢えた人に魚を与えるのでは無く、魚の採り方を教えるの」

「なんだか、凄い部活だね」

「そんな事は無いわ。今までちゃんと解決できた依頼なんて殆ど無いもの」

 

 戸塚の純粋な気持ちのこもった眼差しに、雪ノ下は自嘲気味に返す。

 俺が経験した依頼は由比ヶ浜と材木座の二つだけだが、それ以前にも依頼はあったと言う事だろうか。

 そしてあの完璧超人雪ノ下ですら解決できなかった依頼があったなんて、何それ気になる。

 

「それと由比ヶ浜さん。貴女、入部届がまだ提出されていないわよ。だから今は正式な部員と言うわけではないのだけれど」

「え?か、書くよ!書く書く!そんなのいくらでも書くから!」

 

 カクカク煩い由比ヶ浜がカバンからさっと取り出したルーズリーフに『にゅうぶとどけ』と平仮名で書き始める。それくらい漢字で書けよ。

 

「それでは、依頼の話をしましょうか」

「戸塚は昼休みに練習してるんだろ?それの手伝いとかでいいんじゃねぇの?」

 

 いきなり部外者の俺たちが放課後のテニス部に顔を出しても歓迎されるとは思えない。

 ならば、戸塚の個人的な練習にだけ付き合ってやればいいだろう。

 

「そうね。ただ、昼休みとなると......」

 

 なにか懸案すべき事であるのか、雪ノ下は考える素ぶりを見せる。

 僅か数秒だけ、雪ノ下の回答を待つための沈黙が訪れる。

 

「では、比企谷くんの言う通り昼休みの練習に付き合うとしましょう。練習メニューは私が考えてくるわ」

 

 考えが纏まったのか、うんと一つ頷いて雪ノ下は俺の提案に乗って来た。

 ま、それが妥当だろうしな。

 テニスコートも許可取ってたら問題なく俺たちも使えるだろう。

 

「ありがとう、雪ノ下さん!」

 

 パアッと喜びの笑顔を見せる戸塚。

 俺はそれを心の画像フォルダにタグ付けして保存した。勿論誤って消さないようにお気に入り登録も忘れない。

 

「ではそう言う事で。練習メニュー、楽しみにしていてね」

 

 ふふ、と笑う雪ノ下の笑顔が若干怖かった。

 本当に死ぬまで走らせたりしないだろうな......。



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拒絶は無く、彼女だけは彼を否定する。

 戸塚が奉仕部を訪れた翌日の昼休み。

 今日から早速練習に付き合うことになっているので、俺は速やかに飯を食い、ジャージに着替えてテニスコートへと向かっていた。

 しかし、周りがみんな制服を着てる中で一人ジャージ姿と言うのは目立つ。さっきから俺のステルス能力が発動していない。

 

「比企谷」

 

 そのせいかは分からないが、背後から声を掛けられる。

 振り向いた先に居たのは平塚先生だった。相変わらず歩く姿がカッコよすぎる。

 

「今から戸塚の練習に付き合うのかね?」

「ええ。て言うか先生知ってたんですね」

「雪ノ下がテニスコートの使用許可を取りに来たからな。その際に報告を受けた」

 

 廊下のど真ん中で立ち話と言うのも周りの邪魔になってしまうので、窓際まで寄る。

 平塚先生は胸ポケットへと手を伸ばすが、ここが廊下で喫煙出来ない事を思い出したのか、寸前でタバコを取り出すのを辞める。

 この人ニコチン中毒とかにならないか心配だな。

 

「奉仕部での活動はどうだね?」

「まぁぼちぼちって所です」

 

 活動って言っても基本は本読んで紅茶飲んでお喋りしてるだけだし。

 

「ふむ......君から見て雪ノ下雪乃はどう映る?」

「まぁ、いい奴なんじゃないですかね。結構な頻度で俺に罵倒を浴びせて来ますけど」

「いい奴、か。何を基準にしてそう思う?」

「俺なんかに優しく出来る時点でそりゃいい奴でしょ。ま、そこが信用しきれない所でもあるんですが」

 

 優しさの裏に悪意が潜んでいることなんて珍しくもなんとも無い。

 俺は雪ノ下雪乃を信じてみようと思った訳だが、そう簡単に信じられるなら俺はここまで捻くれた性格になってないだろう。

 いや、雪ノ下の場合はあの優しさの裏に、確かに別の想いがある。それは時折見せる苦しげな表情や淋しそうな表情から見て取れる。

 最初は俺や由比ヶ浜を通して別の誰かを見ているのかと思って居たが、そんな事もない。あの二つの強い瞳は、しっかりと俺たちを映している。

 

「それに、自分の正しいと思った事を貫けるだけの強さも持ってるでしょ、あいつは。そこんところは素直に憧れますよ」

「なるほど。随分と雪ノ下を高く評価しているんだな」

「事実ですから」

「確かに彼女は優しい子だ。優しくて往往にして正しい。だが、世界が優しくなくて正しくないからなぁ。さぞ生き辛かろう」

 

 その言葉には全面的に同意せざるを得ない。

 雪ノ下雪乃は確かに強く、優しく、正しい女の子だ。だが、その優しさや正しさを、世界は、周囲の人間は素直に受け取らない。

 もしくは雪ノ下のその猪突猛進ぶりも原因の一端を担っているかもしれないが。

 それに、ここ数日で知った事だが、雪ノ下は不器用だ。だから彼女の苛烈なまでの優しさは人にはわかり難いのかもしれない。

 

「比企谷、せめて君達だけでも、あいつを信じてやってくれ」

「......うっす」

「さて、私は昼飯を食いに行くとするか。君はせいぜい部活動に勤しんでこい」

 

 バシン、と俺の背中を叩いてから平塚先生は去っていった。

 て言うか背中痛い。強く叩きすぎでしょ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 テニスコートには雪ノ下と由比ヶ浜が既に到着していた。どうやらここで弁当を食ってたらしい。

 俺とほぼ同じタイミングで、別方向から戸塚もやってきた。

 

「ふむ、仲間のために己を磨かんとする心意気、天晴れだ!」

「いや、なんでお前いんの?」

 

 そして何故か材木座もいた。

 マジで何しに来たこいつ。

 

「漸く来たわね。......比企谷くん、練習に無駄なものは持ち込んで欲しくないのだけれど」

「俺が持って来たわけじゃねぇよ。いつの間にかくっ付いてきたんだ」

「あれー、我、モノ扱い?」

「やはり類は友を呼ぶ、と言うのは間違いじゃないじゃない」

「おい待て、こいつと俺を一括りにするな。それだけは止めろ」

 

 絶対零度の視線で材木座を見る雪ノ下の声は冷え切っていた。

 いや、別にいいじゃん材木座くらい。いてもいなくても変わんないし。ちょっと煩いだけだし。あ、ダメだわ。煩くてウザいから邪魔だったわ。

 

「ゆきのーん!さいちゃんも来たことだし早速始めようよ!」

「そうね。では戸塚くん、準備はいいかしら?」

「は、はい!よろしくお願いします!」

 

 ラケットをギュッと握り締めて丁寧にお辞儀をする戸塚。その顔には少し緊張の色が見て取れる。

 

「どんな練習するの?」

「先ずは筋トレからね。戸塚くんはあまり体格には恵まれていない方だから、幾ら技術が向上しても相手に力押しされてしまっては意味がないもの」

 

 ふむ、まぁ妥当な所か。

 雪ノ下の言い分はなにもテニスだけに当て嵌まることでもない。野球のピッチャーだって幾ら制球力が良くても球速が出ていなければ意味がないだろうし、バスケだって背が高いからと言ってボールをうまく扱えなければ意味がない。

 技術とフィジカル、両方が合わさらないとスポーツと言うものは上手くならないのだ。

 

「では手始めに腕立て25回3セット、スクワット30回3セット、腹筋20回3セットを繰り返していきましょう」

「な、なんか多くない?」

「そんな事ないわ。筋肉と言うのは傷付ければ傷つけるほどにより強靭になって行くの。これを超回復というわ。基礎代謝を上げて行くにも必要な事なの」

「きそたいしゃ?」

「何も活動しなくても必要になるエネルギー、消費して行くカロリーの事よ」

「カロリー......消費......つまり、痩せる?」

「まぁそう言うことになるわね」

「なら私もやる!」

 

 なんか凄い頭の悪い思考の末に由比ヶ浜も戸塚の筋トレに参加することとなった。

 

「では先ずは腕立てふせから」

「うん、分かった」

「よーし、痩せるぞー!」

 

 雪ノ下の指示通り、地面に手をついて腕立て伏せを始める二人。

 しかし、筋力の低い二人には腕立て一回でもしんどいらしく

 

「ん......くぅっ......ふっ、はぁ」

「んん...うぅん......」

 

 顔を真っ赤にして、なんだか随分と艶のある息を口から吐いていた。

 何ともない普通の筋トレの筈なのに、何故か見てはいけないものを見ている気分になる。

 

「八幡、何故だろうな。我は今とても心が穏やかだ」

「奇遇だな材木座。俺もだ」

「あなた達も筋トレでその煩悩を払拭して来たらどうかしら」

 

 穏やかな笑顔の筈なのに何故か背筋がゾクッとした。怖いからそれやめて。

 つか煩悩ってバレてんじゃねぇかよ......。

 

 

 

 

 

 

 それから数日間、戸塚はラケットを一切握らず、ひたすら筋トレと走り込みを繰り返した。

 俺と由比ヶ浜と材木座は、雪ノ下のそのスパルタ振りに早々にダウン。だが、戸塚だけは最後までやり切り、今日はいよいよラケットとボールを使った練習だ。

 

 由比ヶ浜がボールをコートのギリギリ端っこに投げ込み、戸塚がそれを打ち返し、雪ノ下がフォームなどに対して指摘して、俺はさらに隅っこでアリと戯れ、材木座にそのアリを殺される。

 許すまじ材木座。

 

「ヒッキー、腕疲れたから変わってー」

「お前まだそんなに投げてねぇだろ」

「由比ヶ浜さん、あなた自分から言いだした事なのだから最後まで頑張りなさい」

「うぅ......、ゆきのんが言うなら......」

 

 雪ノ下には従順な由比ヶ浜であった。

 戸塚もそのやり取りを見て苦笑している。

 じゃあ行くよー、と言う由比ヶ浜の掛け声と共に投げられるボールは、今までよりも更に際どいラインへと投げ込まれる。

 戸塚はなんとかそれに食らいついて打ち返すも、勢い余って思い切り地面にコケてしまった。

 

「さいちゃん大丈夫⁉︎」

 

 ワラワラと戸塚の周りに集まる四人。

 どうやら膝を擦りむいて、その上足を捻ってしまったらしい。

 心配そうな目を向けられるも、それでも戸塚はまだ続けてくれと頼む。

 

「ちょっと膝を擦りむいちゃっただけだから。大丈夫だよ、続けよう」

 

 戸塚自身がそう言いつつも、膝からは血が出ているし、本人は気にしていないつもりかもしれないが立ち上がった時の動きもどこかぎこちない。足首を捻ってしまったせいだろう。

 雪ノ下がしゃがみ込んで戸塚の捻った方の足に手を当てて状態を確認している。強めに手を当てたのか、戸塚は痛ッ、と声をあげた。

 

「いえ、先ずは処置をしましょう。軽い捻挫のようだし、無理に練習を続けて悪化させてしまっては元も子もないわ。由比ヶ浜さん、保健室に行って救急箱を取って来てくれるかしら」

「うん!すぐに取ってくるね!」

「比企谷くんはそこのベンチまで戸塚くんに肩を貸してあげて」

「おう。ほら、歩けるか?」

「うん、ありがとう比企谷くん」

 

 お、おぉう......。戸塚の顔がこんなに近くにある......。なんだこの胸の高鳴りは?もしかして、これが恋⁉︎

 

「比企谷くん。同性相手に鼻の下を伸ばしてないで早く運んであげて」

「ゴメンナサイ」

 

 氷の女王に睨まれたので、戸塚の足を気にしながらもさっさとベンチまで二人三脚のように歩く。

 

 雪ノ下の采配は流石としか言いようが無かった。瞬時に戸塚の状態を把握し、その場にいる人間に的確な指示を飛ばす。俺と由比ヶ浜と材木座だけでは終始あたふたして終わりだっただろう。

 

「さて、残る問題は......」

 

 え、まだ何か残ってるのん?もしかして材木座の処理とかかしら。なら俺も手伝うけど。

 雪ノ下がテニスコートの入り口の方に振り返ると同時、やけにデカイ声が聞こえて来た。

 

「テニスしてんじゃーん!」

 

 雪ノ下が警戒態勢に入る。即ち、このテニスコートが氷の世界へと様変わりする。

 果たしてその声の主は、俺と由比ヶ浜と戸塚の所属するクラス、二年F組の三浦優美子とその御一行だった。

 

「ねぇ戸塚ー、あーしらもここで遊んでいい?」

「み、三浦さん。別に僕たちは遊んでるわけじゃ......」

「えー?聞こえないんですけどー」

 

 威圧するような態度。聞こえないのではなく聞く気が無いんじゃないのかこいつ。

 戸塚の怯えた表情は可愛くて庇護欲をそそられるので抱き締めてあげたいが、今はその時ではない。て言うかその時は一生来ない。

 面倒だが色々と説明しなきゃならんかと思い、俺は口を開きかけるが

 

「部外者は出て行ってくれないかしら」

 

 雪ノ下は俺を片手で制し、ずんと一歩前に出て毅然と言った。

 

「ここはテニス部と奉仕部が許可を取って使用しているの。そうでないあなた達にここを使うことは出来ないわ」

「は?つーか、テニス部の戸塚はわかんだけど、あんた達関係なくない?」

「私達奉仕部は、テニス部員の戸塚彩加くんから正式に依頼を受理して彼の練習を手伝っているの。遊んでるわけではないわ」

「そーなん戸塚?」

「う、うん。僕一人じゃ昼練にも限界があったから、雪ノ下さん達にお手伝いをお願いしたんだ」

「ならこう言うのはどうかな?」

 

 三浦の後ろから、金髪の爽やかイケメンが爽やかに口を挟んで来た。

 爽やかに口を挟むってなんだよ。

 だが、この男が、葉山隼人がこのタイミングで場を執り持つ様に出しゃばってくるのは、何故か俺の中では確信に近いものがあった。

 

「雪ノ下さん達と俺たちでテニス勝負をして、勝った方がテニスコートを使う。戸塚も上手い方に教えてもらったほうがいいだろう?」

「馬鹿馬鹿しい理論ね。そもそもの問題としてあなた達はここを使用できる資格を持っていないのよ?まずその勝負をするための前提条件がクリアされていないわ」

 

 葉山の言い分はこの場を丸く収めるための最適解なのだろう。みんなが納得するためにはどうすればいいか。だが、雪ノ下雪乃にそれは通用しない。

 雪ノ下の言う通り、その勝負をするためにはテニスコートの使用許可が必要で、彼らはそれを持っていない。つまり勝負をする事なんてはなから不可能なのだ。葉山のやつも、それもそうか、なんて言って黙ってしまった。

 

「え、なに?雪ノ下さんもしかして自信ないとか?まぁそーだよねー。あーしに負けるくらいなら最初っから勝負なんてしないか」

 

 あ、おいばか三浦。そんな挑発するような態度取ったら.........

 

「......いいじゃない。そこまで言うならこの私が直々に叩き潰してあげるわ。後悔しても知らないわよ?」

 

 こいつの負けず嫌いが発動しちゃうだろうがよ......。

 

 

 

 

 

 

 

 そして始まったテニスの試合。

 何故か混合ダブルスで、俺と雪ノ下vs葉山と三浦。

 どこからか話を聞きつけて来たのか、いつの間にか観客も増えている。

 特に葉山信者が多いようで

「HA・YA・TO!フゥ!HA・YA・TO!フゥ!」

 謎のコールとか

「葉山せんぱ〜い、頑張ってくださーい!」

 黄色い声援というか甘ったらしいあざとい声とかが聞こえて来たりする。

 うーん、これ完全にアウェーですね。

 だがぼっちに取ってはいつもどこでも完全アウェー。俺と雪ノ下には慣れたものだ。

 

「比企谷くん。あなたは前で構えているだけでいいわ」

「は?いや、そうは言ってもだな......」

 

 タブルスなのだから、なんとか二人で協力しあわなければならないだろう。

 雪ノ下にそう言おうと思って振り返ると、ビュッ、と顔の横を黄色い何かが高速で通っていった。

 

「え?」

 

 それは誰のあげた声だったか。

 俺だったかもしれないし、三浦か葉山だったかもしれないし、野次馬どもの誰かだったかもしれない。

 何にせよ、俺の頬を掠めたそのボールは、相手に反応することすら許さずフェンスへと突き刺さった。

 

「三浦さん。彼女は確か中学の時、それなりのテニスプレイヤーだったそうね」

「そ、それがどうかしたのか?」

「いえ、そのプライドをこれから圧し折ってやれると思うと、楽しくなって来ただけよ」

 

 こ、怖ぇ......。

 このドS、目がマジだよ。ドSのん発動しちゃってるよ!

 

 続けて放たれる雪ノ下のサーブ。

 今度は三浦がなんとかそれに食らいついたようで、こちらもまた強烈なボールを打ってくる。しかもコースも雪ノ下が立っている位置とは真逆。

 それでも、雪ノ下はなんの苦もなくそのボールを打ち返し得点を捥ぎ取る。

 それなりにラリーが続く時があれども、あちらさんの隙を見て雪ノ下の強烈なスマッシュが炸裂するので殆どワンサイドゲームのようなものだ。

 

「お前、よく三浦の球返せるな......」

 

 雪ノ下の活躍がヤバイが、三浦の方も負けてはいないのだ。単純なパワーだけなら三浦の方が上だろう。しかもコントロールも悪くないのでかなり絶妙なラインを攻めてくる。

 

「だって彼女、私に嫌がらせをする女子と同じ表情をしているもの。その手の輩の考えてる事なんて手に取るように分かるわ」

「頼もしいなおい。ならその調子でチャチャッと決めちゃってくれよ」

「悪いのだけれど、それは無理な相談ね」

「は?」

 

 俺が振り返って雪ノ下の方を向いたのと、三浦がサーブを打ったのは同時だった。

 しかし雪ノ下はボールに反応する事はなく、あろうことかその場にへたり込んでしまった。

 

「お、おい雪ノ下、大丈夫か⁉︎」

「ねえ比企谷くん。私ね、テニスだけに限らず大抵のことは、三日もあれば習得する事が出来たの」

「いきなり何、自慢?」

 

 心配になったので雪ノ下の方に駆け寄って手を差し出す。

 その手を取ってくれた雪ノ下は、自嘲気味に話を続けた。

 

「だからかしらね、継続して何かに打ち込むと言うことが無かったから、体力が致命的に欠けているのよ」

「致命的に欠けてるって、テニス一試合持たないのは流石に......」

「聞こえてんですけどー?」

 

 獲物を見つけた肉食獣のように、獰猛な笑みを浮かべる三浦。

 マズイな。次のサーブはこちらからで、俺たちはあと二ポイント取らなければならない。

 一応時間的な問題から五ポイント先取のデュースは無しと決めているが、雪ノ下が動けない以上、俺一人で二ポイント取る必要がある。

 あの三浦と葉山相手に俺一人で?無理ゲーにも程がある。

 

「なんかしゃしゃってくれたけどさぁ、流石にもう終わりっしょ」

「あら、そうかしら?」

 

 雪ノ下の言葉に、その場にいる全員が耳を傾ける中、こいつはとんでも無いことを口にした。

 

「その男が勝負を着けるから、黙って敗北してなさい」

 

 ギャラリーも、三浦と葉山も、戸塚も、いつの間にか戻って来ていた由比ヶ浜も、勿論俺も。

 全員が全員耳を疑う。

 俺が?勝負を着ける?

 

「比企谷くん」

「......あんだよ」

「私を嘘つきにしないでね」

 

 そう言われて仕舞えば、信頼に応えるしか無くなる。

 雪ノ下からボールを受け取り、サーブの位置につく。

 いつもならベストプレイスで心地いい風を浴びつつ飯を食い終わってる頃合いか。

 

 さてと、ああ言われたからには勝つしかなくなったわけだが。

 俺の打った球は、ポーンと力なく弧を描きコートの向こう側へと放たれる。

 

「よっしゃ、貰い!」

 

 前衛の三浦が落下予想地点まで走る。

 しかし三浦、お前は知らない。臨海部に位置するここで、この時間に吹く心地いい風の事を。

 風に攫われたボールは、三浦の向かった先とは正反対に落ち、バウンドしてもう一度宙に舞う。

 それを追いかける後衛の葉山。

 そして葉山、お前も知らない。その風が吹くのは一度では無い事を。

 再び風の影響を受けたボールは、またしても葉山の予想していた地点とは違う場所に落ちる。

 誰もがその一連の流れを見て、口を噤み、目を見開いていた。

 

「そう言えば聞いたことがある......!風を意のままに操りし伝説の技!『風を継ぐもの・風精悪戯(オイレンシルフィード)』!!」

 

 空気を読まない材木座だけが大声を張り上げた。

 なんだよその名前ちょっとかっこいいな。

 

「ありえないし......」

 

 三浦が驚愕のあまり呟く。

 俺の前方に位置する雪ノ下は勝気な笑みを浮かべる。いやなんでお前がそんなドヤ顔なんですかね。

 ギャラリー達も口々に「風精悪戯......?」「風精悪戯......!」と声を上げる。いや、受け入れちゃダメだろ。

 

「やられた。まさしく『魔球』だな」

「......なぁ葉山。お前さ、小さい頃野球ってやったか?」

「ああ、良くやったよ」

 

 ネット越しにボールを渡してくれる葉山は、まるで十年来の友人のような笑みを携えていた。

 こう言う時は本当反応に困る。だから、なんの脈絡もない話をしてしまった。

 

「何人でやった?」

「普通は十八人だろ?」

「だよな。でも、俺はよく一人でやってたぜ」

 

 要領を得ない俺の答えに、葉山は困惑する一方だ。

 

 葉山隼人、きっと、お前は昔から人に好かれていたのだろう。そして色んな人に信頼を寄せられたことだろう。

 だからこそ、お前には分からない。

 周囲に信頼出来るような人間がおらず、何もかもを一人でこなして来た俺のような人間が。

 だからこそ、お前には理解されたくない。

 周囲に俺を信頼してくれるような人間がおらず、何もかもを自分のためだけにこなして来た俺のような人間を。

 そんな俺を、初めて信頼してくれる他人が出来たんだ。ちょっとくらいカッコつけて本気出してもバチは当たらないよな。

 

 感情のままにサーブを打つ体勢に入った。

 体を半身にして弓のように引き絞る。そして、ボールを高く放り投げた。グリップを両手で握り直し、首の後ろへと寝かす。

 さぁ、青春を楽しむ奴らへ俺が鉄槌を下してやろうではないか。

 

「っ!セイシュンのバカヤローーーーーーーーーーー!!!!!!!」

 

 アッパースイングでラケットの最も硬い部分、フレームにジャストミートしたボールは青い空へと吸い込まれていく。

 

「あ、あれは......『空駆けし破壊神・隕鉄滅殺(メテオストライク)』!!」

 

 メテオストライク......、と観客の唖然とした声が。だから、受け入れちゃダメだろ。

 それにあれはそんな大層なもんではない。ただのキャッチャーフライだ。

 リア充どもが群れをなしている間も、一人で黙々と打ち上げた俺の青春の象徴。奴らに下す最強の一撃。

 

「なにそれ......意味わかんないし......」

「優美子、下がれ!」

 

 落下して来たボールはワンバウンドした所でそのエネルギーを爆発させる。

 再び舞うボール。それを追いかける三浦。

 ってやべ、あのままじゃ三浦がフェンスにぶつかる。

 

「っ!優美子!」

「え?きゃぁ!」

 

 ラケットを捨てて走る葉山。

 砂煙に二人の姿が隠される。

 間に合ったか?間に合ったのか⁉︎

 誰もが固唾を飲み、一言も発さず静寂に包まれる中、晴れた砂煙から出て来たのは、フェンスに背をぶつけた葉山と、その胸元に抱きかかえられた三浦だった。

 ドッと湧く歓声。

 先ほどまでの静寂が嘘かのような葉山コール。ファンファーレの代わりにチャイムが鳴る。

 わっしょいわっしょいと胴上げをしながら、彼らはテニスコートを出て行った。

 FIN。

 なにこれ。

 

 

 

 

 

 

「ヒッキー!ゆきのーん!」

 

 試合の途中で戻って来ていた由比ヶ浜が雪ノ下に駆け寄る。

 どうやら試合中に戸塚の怪我の処置はしてくれていたらしい。

 

「もう、びっくりしたよ!戻って来たらなんか優美子達と試合してたもん!」

「私も最初はそんなつもりは無かったのだけれどね」

「いや、喧嘩ふっかけて来たのは向こうだけどそれに乗ったのはお前だろ......」

 

 あの負けず嫌いは直した方がいいんじゃなかろうか。いつか痛い目に遭いそうで八幡心配ですよ。

 

「それにしても......」

「ん、なに?」

「いえ、何でもないわ。由比ヶ浜さん、念の為戸塚くんを保健室に連れて行ってあげてくれるかしら?」

「うん、分かった!」

 

 ベンチに座る戸塚の方に走る由比ヶ浜。あいつ元気だな。

 その後戸塚は俺たちに礼を言い、由比ヶ浜と材木座に連れ添われて保健室へと向かって行った。材木座別にいらなくない?あいつ早く教室戻れよ。

 

「過程は違っても、結果は同じなのね......」

「なんか言ったか?」

「いえ、試合に勝って勝負に負けた、と言ったのよ」

 

 小さい声で呟いた雪ノ下の言葉は上手く聞き取れなかった。多分、全く別のことを呟いていたのだろうが、詮索する必要もない。

 

「そもそも俺とあいつらとじゃ勝負にすらなってねぇよ。あいつらにとっちゃ試合も勝負もどーでも良かったんだろ」

 

 どうせこの試合に勝っても負けても、彼ら彼女らはこれを青春の一ページとして刻むのみ。どうせ深い意味なんてありはしない。

 

「でも、何かを成したのにそれを誰にも見てもらえないと言うのは、悲しい事だわ」

「何の話だよ」

「あなたの話よ」

 

 別に、そんなんじゃない。

 俺は雪ノ下の信頼に応えて試合に勝った。その結果として勝負に負けた。ただそれだけだ。誰にも見られていない、誰にも評価されないなんてのはぼっちである俺にとっては日常茶飯事。悲しい事でもなんでもない。

 

「だから、私が見ていてあげるわ」

 

 であるはずなのに。

 雪ノ下のその言葉は、俺の心に酷く響いた。

 

「今後やってくる依頼を、あなたがどのように解決するのか、否定も反対もしてあげるわ」

「......ちょっとは肯定してくれませんかね」

「それでは意味ないじゃない。あなたのやり方、嫌いだもの」

 

 ふふ、と悪戯な笑みでそう言った雪ノ下。

 口をついてるのはいつもの罵倒である筈なのに、その笑みについ心を奪われそうになってしまった。

 




これにて原作一巻分終わりです。


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2
やがて、彼女もその部屋へ。


今回から二巻の内容となります。


「職場見学の場所は自宅を希望する、か」

 

 職員室の奥にはパーテーションで区切られた応対用の一角がある。

 そこにある黒革のソファに座って、生徒指導である平塚先生は俺の職場見学希望調査票を読み上げた。

 働く事の無意味さを滔々と語ってあったわけだが、どうやら先生にはご理解いただけなかったご様子で。

 ヒラヒラと、平塚先生の手を離れたプリントはテーブルの上に落ち、その上に平塚先生のピンヒールがドン!と置かれた。

 

「なぁ比企谷。お前は私を怒らせたいのか?」

 

 こめかみに血管が浮いてるあたり、マジでお怒りになっているらしい。

 

「や、やだなぁ先生!あんまりイライラすると小皺が増えるって言うから俺は出来る限り先生を怒らせまいと」

「衝撃のォ!ファースト・ブリッドォォォォォ!!」

 

 ゴスッと鈍い音が鳴った。

 俺の腹に先生の拳が突き刺さった音だった。

 

「撃滅のセカンド・ブリッドを喰らいたくなければそこから先は言うな」

「は、はい」

「で?これはどう言う事だ比企谷」

 

 未だ痛みで腹を抑えながら蹲っている俺など見向きもせず、平塚先生は話を進める。

 ちょっと待って、微妙に鳩尾に入って上手く呼吸出来ないから。

 

「あのですね、昨今は男女雇用均等法なんかも出来て、女性が社会の表舞台に出る機会が増えているわけじゃないですか」

「ふむ。続けろ」

「しかし現状としては働いているのは男性の方が多いわけだ。この総武高校の教職員を見てもそれは明らかでしょう?

 なら、俺が働かないことによって少しでも男女のバランスを取るようにと思ってですね」

「はぁ......相変わらず屁理屈がお得意のようだな」

「いや別に屁理屈って訳じゃ」

「屁理屈だろうが。全く、奉仕部での活動は君に何か影響を与えなかったものなのかね」

 

 影響って言ってもなぁ。あそこ、簡単に言っちゃえば問題児を一纏めにしておくサナトリウムみたいなものだし。

 だが奉仕部で、と言えば一つだけ。

 

「まぁ、一つだけ気になることが無いとも言えないですけど」

「ほお?言ってみたまえ」

「その、部室にいる時なんすけど、なんか胸が痛いんですよね」

「は?」

 

 平塚先生は何言ってんだこいつと言わんばかりの呆け顔をしてみせた。失礼な表情だな。

 

「それは私への当てつけか?」

「いや、なんで先生への当てつけになるんすか」

 

 こっちは割と真剣に悩んでるのに。

 奉仕部にいる時、具体的には雪ノ下雪乃が絡んでいるあれやこれやを考えたりする時だ。そう言う時、何故か胸の奥が痛いと言うか、苦しいと言うか、モヤモヤする。

 色々と考えてみたが全くもって原因が分からない。

 

「本当に理解していないのか?」

「分かってたんなら先生に相談してたりしませんよ」

「そうか......。奉仕部以外では?」

「夜にメールしてる時とか、ですかね」

「差し支えなければメールの相手を教えてもらっても?」

「雪ノ下です。俺あいつに呪われてるんですかね」

「成る程......」

 

 いや、分かったような顔しないで教えてくれませんかね。じゃないと今後雪ノ下が丑の刻参りしてる疑惑をかけなければならなくなる。

 平塚先生は一つ頷いて、諭すように言った。

 

「まぁ、ある意味君のそれは呪いだろうな。それもとても厄介なものだ」

「え、やっぱ俺雪ノ下に呪われてんの?あいつに嫌われるようなことした覚えないんだけどな......」

「雪ノ下に嫌われるのは嫌か?」

「そりゃ、まぁ。同じ部活に所属してる以上は嫌われないに越したことはないでしょ」

 

 そうなっちゃったら本格的に学校での居場所が無くなっちゃうまである。

 

「そこを奉仕部抜きに考えてみたまえ。私から言えるのはこれくらいだ。さて、迎えが来たようだぞ」

 

 平塚先生に促される形で背後に振り向くと、俺の所属している奉仕部の部長である雪ノ下雪乃と、部員である由比ヶ浜結衣がいた。

 

「ヒッキーやっと見つけた!探したんだからね!」

「比企谷を探しにきたのか」

「いつまで経っても部室に来ないので、由比ヶ浜さんが探しに行こうと言って聞かなかったんです。電話にも出ないし......」

 

 え、マジで?雪ノ下から電話きてたのん?

 ポケットのスマホを確認すると、確かに着信が一件入っている。これは悪いことをしたな。

 

「あー、悪い。全然気がつかなかった」

「みんなに聞いて回っても『比企谷?誰それ?』みたいな反応ばっかりだし」

「おい由比ヶ浜、今その情報はいらなかっただろ」

 

 いや分かってたけどね?俺のことなんて知ってるやつ、この学校に殆どいないって。なんならクラスの奴らからも名前をちゃんと覚えてもらってないし。誰だよヒキタニくん。

 

「だ、だからさ......連絡先交換、しよ?」

「は?いや、そんな業務連絡程度だったら別にいいだろ。雪ノ下のアドレス知ってるし」

「観念して教えてあげたらどうかしら。私以外の女子のアドレスなんて貴重よ?どうせ私以外とは女子とメールのやり取りなんてしたことないでしょうし」

「ばか、ばっかお前。俺レベルとなると中学の時バリバリ女子とメールしてたっての」

「嘘......」

 

 俺の言葉に驚いたのか、由比ヶ浜がその手から携帯を取りこぼした。

 ちょっと、その反応結構酷いものだって分かってます?

 

「しかもその相手の子もめっちゃ健康的なこだったんだぞ。なんせ夜の七時にメールをしたら翌朝に『ごめーん、寝ちゃってて気づかなかったー』って返ってくるくらいだからな」

「うっ......、ヒッキーそれは......」

「比企谷くん、辛いのは分かるけど現実を見なさい。それは寝ていたのではなくてあなたとメールのやり取りをしたくなかっただけよ」

「言われなくても分かってるよ!」

 

 なんでこいつは態々俺の古傷をクリティカルに抉ってくるのかな。やっぱり俺呪われてるんじゃね?

 

「ま、アドレスくらい別に教えてやっても良いけどな。減るもんでもないし」

「あ、うん。ありがと。って、私が打つんだ......」

 

 そう言って由比ヶ浜に自分のスマホを手渡す。いや、だって赤外線とか無いし。別に見られて困るようなものも無いし。

 

「比企谷、辛かったな......。よし、私のアドレスも登録しておいてやろう!」

 

 やめて!先生のそれは息子を哀れに思った母ちゃんの気遣い的なそれを感じるから!

 

「ああそうだ、三人とも。あとで部室に依頼人を連れて行くから、向こうで待っていたまえ」

「また仕事ですか......」

「諦めなさい比企谷くん。あなたはどうせ嫌よ嫌よと言いながらやってしまう人間よ」

 

 はぁ、自分の社畜根性が恨めしいぜ......。

 

 

 

 

 

 

 奉仕部の部室に戻り、いつものように雪ノ下の淹れた紅茶を飲みながら、読書をしたり携帯を弄ったりと、それぞれが思い思いに過ごしていた。

 俺は案外この時間が嫌いでは無い。

 心地の良い静寂。

 リア充どもに良くある、喋らないといけないと強迫観念に突き動かされる訳でもない。

 だと言うのに、俺の心の中は酷く煩かった。

 チラリと雪ノ下の方を盗み見る。たったそれだけの行為でも何故か胸の奥に言葉にできないモヤモヤチクチクしたものが広がる気がする。

 あまり考えすぎても仕方がないかと、視線を雪ノ下から眼下のラノベに移そうとした時、由比ヶ浜のうへぇ、と言った表情が視界に移った。

 

「どしたのお前?」

「え?あー、ちょっとね。クラスに回ってるメールがあってさ。って、なんかごめんね。ヒッキーに言っても仕方ないよね」

「おい、俺も立派なクラスメイトだぞ」

 

 名前覚えられてないけどね!

 

「チェーンメール、と言うやつかしら?」

「うん。なんか最近こう言うの多いんだ」

 

 それ以上見るのは嫌になったのか、パタンと閉じて携帯をポケットに仕舞う由比ヶ浜。

 て言うかお前のその携帯なんでそんなにキーホルダーとかついてるの?キーホルダーなんだからキーに付けろよ。

 暇潰しの道具がなくなったからか、由比ヶ浜は暇そうにしているが、そんな時になんの前触れもなく部室の扉が開かれた。

 

「邪魔するぞー」

「平塚先生、入るときはノックをと......」

「悪い悪い。さっき言ってた依頼人を連れて来たんだ」

 

 全く悪びれもせずに話を進める平塚先生。

 俺が来た時もこんな感じだったなぁ。普通はノックくらいするのがマナーってもんでしょうに。そんなんだから結婚できないのでは?

 閑話休題

 平塚先生の入って良いぞ、と言う言葉に促されて部室の扉を潜ったのは、亜麻色の髪をした一年の女子だ。因みに学年は上履きの色で判別出来る。

 はて、この女子生徒、どこかで見た覚えがあるような......。

 

「え?」

 

 その声は誰が発したものなのか。

 声の元を辿って目をやると、雪ノ下が酷く驚いた顔をしていた。

 

「一色、さん......?」

「なんだ、雪ノ下と知り合いだったのか?」

「あ、いえ、私が一方的に知っているだけです。少し、知る機会があったので」

 

 そうは言うが、雪ノ下の表情からは未だに驚愕と困惑の二つの色が見て取れる。

 その一方で、隣に座る由比ヶ浜はと言うと

 

「あ、いろはちゃんだ!やっはろー!」

「こんにちはです結衣先輩」

 

 どうやら由比ヶ浜とは本当に知り合いらしい。

 

「由比ヶ浜とは知り合いだったか。なら丁度良かった。こいつの相談はちょっとばかりややこしくてな。まぁ話を聞いてやってくれ。それじゃ後は任せた」

 

 んー、いつも通りこっちに全部投げますか。

 ややこしい依頼って聞いただけでやる気がなくなって来てるんですがどうしましょうか。

 

「一色いろはさんね。取り敢えず、座ってくれるかしら」

 

 言われて依頼人の席に座る一色いろは。

 なんと言うか、その行動にどこか引っかかるものを感じた。俺の長年培って来たぼっちセンサーに反応がある。なにその悲しいセンサー。

 

「それで、依頼というのは?」

「あのですね、私、今はサッカー部のマネやってるんですけどー、次の生徒会選挙で生徒会長やってみたいなーって思いましてー」

 

 無駄に間延びされたキャピキャピと甘ったらしい声色。

 今ので完璧に分かったね。こいつあざとい。

 周囲に自分を可愛く見せようとしている。仮面を被り、男どもを手玉にとって弄ぶ。

 詰まる所、俺の敵。

 

「生徒会長って、いろはちゃんそう言うのやるんだ」

「つーか、会長やるにしてもまずはそのあざといのなんとかしろ。そんな事してたらお前、女子の大半は敵になるぞ」

 

 俺の言葉に、一色は一瞬ボケーとバカみたいな顔を晒していたが、次の瞬間には元に戻っていた。

 

「あざといってなんですかー?私よく分かんないんですけど?」

「そう言うのだよ。そうやって自分は可愛いですよーってアピールして、男の庇護欲を掻き立てられるような言動。他のバカどもなら兎も角、俺には通じんぞ」

 

 頬が引き攣る一色。残念だったな、俺のこの腐った目には貴様の事なんて丸っとお見通しだわ!

 

「で?なんでまた一年から会長なんてやりたいとか思ったんだよ」

「あー、えっと、私にもよく分からないんですけど、入学してからなんか途端にやらなきゃー、みたいな感じに思っちゃいまして......」

 

 随分とふわふわした動機だな。

 中学の頃にもやってたからって訳でも無ければ、野心があってとかでもない。

 ただやりたくなったから。

 志望動機としては弱すぎる。

 

「んで俺たちにどうしろと?」

「平塚先生に聞いたんですけど、この部活って生徒のお悩み相談とかしてるんですよね?なら私もそれを手伝って、今のうちに名前を売っておく、みたいな?」

 

 うーん、打算的だなー。あざといどころか良い性格をしてらっしゃるご様子で。

 聞けば、平塚先生の伝手で生徒会にも顔を出したは手伝いをしたりと、それなりに本格的に動いているらしい。正直そっちだけでも十分だとは思うんだけどな。

 

「どうする雪ノ下。........雪ノ下?」

「ゆきのん?」

「え?あ、ごめんなさい。少し考え事をしていたわ」

 

 珍しい事もあるもんだ。依頼人そっちのけで考え事とは。いや、そう言えるだけこいつと依頼をこなして来た訳でもないんだが。

 先ほどまでの表情は完全に抜け落ち、いつもの凜とした表情に戻ってはいるが、なんだかまだ本調子ではないような気がした。

 

「つまり、一色さんは奉仕部に入部したい、と言う事で良いのかしら?」

「入部とかじゃないんですけど、先輩方のお手伝いが出来ればなーって。それに......」

「どうかしたのいろはちゃん?」

「い、いえ。何でもないです。兎に角、私は選挙に向けて顔を売ることができて、先輩方は依頼をこなす人員が増える。これでwin-winじゃないですか?」

「まぁ、それもそうだけどよ......」

 

 俺としては人手が増える事で俺に割り当てられる仕事の量も減るからそれで良いんだが。

 でも、しかし。彼女が、一色いろはが今この場にいる事が、酷くおかしな事に思えて仕方がない。

 

「一色さんの依頼は、生徒会長になる為のサポート、と言う事でいいのかしら?」

「はい。だいたいそー言う感じです」

「分かりました。では、生徒会の手伝いやサッカー部の方もあるだろうし、来れる時に来てくれたらいいわ」

「りょーかいです!」

 

 手を上げて敬礼のポーズをしてみせる一色。なんだよそれあざといな。

 

「でも、依頼来ない時って大体暇だよねー」

「ま、大概はお茶飲んだり本読んだり携帯弄ったりしてるだけだしな」

「依頼人も今の所四人しか来ていない訳だしね」

「四人?私も合わせて三人じゃない?」

「平塚先生からその男の更生も依頼されてるのよ」

「え、先輩何かやらかしたんですか?」

「別になんもやらかしてねぇよ。変な作文書いた罰で強制的に部活動に勤しんでるだけだ」

「それってどんな作文?」

「あら、丁度いい機会じゃない。比企谷くん渾身の作文をここで読み上げてみたら?」

 

 三人の視線が俺に集中する。や、やめろ、そんな目で俺を見るな!そんなキラキラした目で見られたって読まないからね!て言うか一々書いた内容とか覚えてないし!

 どうやってこの場を切り抜けようかと考えていると、部室の扉がノックされた。

 ふぅ、どうやら依頼人に助けられたらしいぜ。

 俺を辱めるチャンスを逃したからか、雪ノ下は気持ち落ち込んだ様子でどうぞ、と返した。

 

「よかったな一色。早速初仕事だぞ」

「私的にはもう帰る予定だったんですけどねー」

 

 開かれる部室の扉。失礼します、と言って入って来たのは金髪にピンパーマを当てた爽やか野郎、葉山隼人だった。



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彼の、その身に潜む化け物は。

このサブタイトルつけたいがためにハーメルンで投稿したみたいなとこはある。


「葉山先輩じゃないですか〜!どうしたんですかこんな所に?」

 

 来客、葉山隼人が部室に入ってきた瞬間から一色の様子が変わった。

 なんかさっきまでの数倍あざとい感じになった。

 流石の豹変ぶりに雪ノ下と由比ヶ浜もちょっと引いてる。

 こんな所で悪かったですね。

 

「ああ、ここに居たのかいろは。練習の途中で平塚先生に連れていかれたからどうしたのかと思ったよ。お取り込み中なら出直すけど?」

 

 そう言えば一色はサッカー部のマネもやってるって言ってたな。

 ははーん、つまり、一色いろはは葉山隼人目的でサッカー部のマネージャーになったってわけか。葉山に対する態度があからさま過ぎるし。

 

「いえ、大丈夫よ。一色さんとのお話も終わった所だし、お話を伺うわ。こんな所で良ければ、だけれど」

 

 ある言葉をやけに強調してふふ、と微笑をする雪ノ下。だから、その笑い方怖いんだって。一色がひっ、て小さく悲鳴上げてるでしょうが。

 雪ノ下は立ち上がって葉山の分のついでに全員の紅茶を淹れ直してくれた。

 そしてティーカップと紙コップが全員に行き渡った所で、葉山が口を開く。

 

「えっと、平塚先生から相談事ならここに、って言われたんだけど、合ってるかな?」

「ええ。奉仕部は生徒の悩みを聞いてそれを解決する部活動よ」

「なら良かった。俺からの依頼なんだけどさ、実は......」

 

 そう言って携帯を取り出した葉山は、メールBoxを開いてこちらに見せてくる。

 

「あ、これ......」

「さっき由比ヶ浜のとこに届いたやつか」

 

 チェーンメール。

 俺の言った通り、先ほど由比ヶ浜の携帯にも届いたものと同じやつだ。

 そこに書かれている内容は大きく分けて三つで、戸部はヤンキーだとか大岡は三股だとか大和はラフプレイヤーだとか、昔の不良漫画かよって内容だった。

 

「戸部先輩がヤンキーって、流石にそれはないでしょ」

 

 メールを見せられた一色はその内容を鼻で笑っている。確か戸部は葉山と同じサッカー部だった筈だ。流石の小悪魔いろはすも、先輩を悪し様に言われるのは腹が立ったのだろうか。

 

「だって戸部先輩ってちょーいい人ですよ?」

 

 うーん、今のいい人の前に都合の、って付きませんでしたか?大丈夫ですか?

 

「お前の依頼はこいつをどうにかしてほしいって事か?」

「ああ。お陰でクラスの雰囲気も悪くなってるしな。別に犯人探しがしたいんじゃないんだ。丸く収める方法を知りたい。なんとか頼めないか?」

「丸く収めたい、ね」

 

 丸く収める方法なんて一つしかない。

 犯人を特定する。これだけだ。

 チェーンメールと言う奴は出所がわからない故に恐ろしい。目に見えない悪意という奴はどこまでも拡散する。ならばその大元を断ち切らない限りは何度も続くだろう。

 

「ゆきのん、あたしからもお願い。なんとか出来ないかな?」

「そうね......」

 

 由比ヶ浜に迫られてしまっては雪ノ下も断れないのか、少し考える素ぶりを見せる。

 一方で一色は、葉山に戸部以外の二人のことを聞いていた。

 戸部は見たまんま煩い奴だとして、残りの大岡はラグビー部の優柔不断鈍重野郎、大和は周りの目を気にする風見鶏と言ったところか。

 我ながら酷い評価の下し方である。雪ノ下の毒舌が移ったのかな?

 

「チェーンメールが発生したのはいつ頃?」

「先週末くらいだったと思うよ。丁度職場見学の希望表を提出した日だな」

「ならそれね」

「あー、職場見学の班決めかぁ......」

 

 思い当たる事があったのか、由比ヶ浜は肩を落とす。

 一色は何の事か分かっていないようだ。

 

「結衣先輩、班決めで何かあるんですか?」

「こう言うのってナイーブになる人いるからさ。班決めで今後の人間関係が変わったりとか。そう言うのあるんだよ」

「へー、そーなんですか」

 

 興味無さそうに返事を返す一色。

 まぁ君はそう言うのとは縁遠そうだよね。班決めとか男子どもが挙って誘って来そうだし。

 

「比企谷くん。取り敢えず、明日一日葉山君のグループを観察して来てくれるかしら」

「え、俺?」

「あら、人間観察はぼっちの得意技なのでしょう?」

 

 いや、そうだけども。そう言うのは由比ヶ浜に任せた方が、いやダメだ。こいつ基本アホの子だからどこでボロが出るか分からないし。

 

「はぁ、分かったよ」

「今回は私はお役に立てそうにありませんねー」

「二年の問題だから仕方がないわ」

「ゆきのん!あたしも!あたしもやってみるよ!」

「あ、その、由比ヶ浜さんはちょっと......」

 

 はぁ、働きたくないなぁ。でも雪ノ下にお願いされた以上、やらない訳にはいかないしなぁ。やだ、俺社畜みたい。

 

「頼むよ、ヒキタニくん」

 

 だから比企谷だっつの。

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、雪ノ下からメールが来た。

 偶に彼女からメールが来るときがあるが、その時は大体猫の話かパンダのパンさんの話だ。

 あいつのメールのお陰でパンさん知識が余計に増えてしまった。

 て言うか雪ノ下さん猫とパンさんそんなに好きなんですか。もはやオタクの域を通り越してマニアとかだと思うんですよ。

 まぁ、あいつとのメールは嫌いでは無い。

 中学時代の黒歴史に名を連ねる女子とのメールのやり取りには無かった感覚。

 あいつとのそんな何気無いやり取りが、心の底から楽しいと思う。

 閑話休題

 さて、今回は猫とパンさんどっちの話かとスマホを起動させると、そのどちらでも無かった。

 

『あなたはどうしても依頼が解決できない時、どうする?』

 

「なんだこのメール?」

 

 全く意図が読み取れない。

 このタイミングで奉仕部としての話をしていると言うことは、昼の葉山の依頼についてだろうが、まさか雪ノ下から解決出来ない事を前提としたメールが来るとは。

 

『そりゃそん時考えるだろ』

『なら質問を変えるわ。葉山君の依頼、あれは解決できない。職場見学当日では遅すぎるから中間考査にしましょう。それまでに犯人を特定するのは不可能よ。それが分かった上で、依頼人である葉山君の依頼を解決するにはどうしたらいいと思う?』

『そんなもんまだわかんねぇよ。明日、言われた通りクラスの連中観察したらなんか分かるんじゃねぇの?』

『そう。なら明日宜しくね。何も出来なくてごめんなさい』

 

 それで雪ノ下とのメールは終わった。

 最後の「何も出来なくてごめんなさい」の一言。そこに、字に表しきれない複雑なものが色々と重なってるように思える。

 何も出来ていない訳がない。今までの三つの依頼だってあいつがいなければ解決出来なかった。由比ヶ浜に料理を教えたのも、材木座に批評を下したのも、戸塚のために練習メニューを組んだのも全部雪ノ下がやった事だ。今回だって、彼女は職場見学と言うキーワードまで絞り込んでくれたではないか。

 きっと、このメールの向こうでは、雪ノ下がまたあの苦しそうな表情を浮かべているんだろう。

 確信なんて無いのにそう思ってしまう。

 それが、俺の胸の奥をキュッと締め付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の昼休み。

 俺はベストプレイスに向かわずに教室で飯を食っていた。いつかのように雨が降ってるわけでもないが、仕事故致し方なし。

 そそくさとパンを食い終えると、音楽を流していないイヤホンを耳に装着。周囲の音に気を配り、腕を枕にしてから寝たふりを決め込む。更に腕の隙間から葉山グループの方を覗き込めば完璧だ。

 

 さて、葉山グループでは現在、葉山を中心として会話が繰り広げられている。

 誰かが話を振ると、それに答え、更にそれに答えるようにドッと笑いが起こる。まるでバラエティ番組に流れるような空虚な笑い声。心から笑ってるやつなんて一人もいない。そんなもので繋ぎ止めなければいけない関係なんて、所詮は偽物でしかない。

 暫くそうして会話を聞いていると、葉山がちょっとごめんな、と言ってグループを抜け出して来た。

 お手洗いにでも行くのかしらん、と思っていると何故かこっちに歩いて来る。

 え、待て待てこっち来んな。

 

「や、ヒキタニくん。何かわかったか?」

「何も。て言うか、ちょっと見ただけで分かったんなら態々俺たちに依頼して来るようなことでもないだろ」

 

 自分でも思ったより低い声が出た。

 どうやら本能的にリア充代表の葉山を敵とみなしたらしい。

 

「それもそうか」

 

 肩を落とす葉山。

 多分、こいつはいい奴なんだろう。

 由比ヶ浜にも言えることではあるのだが、俺みたいなぼっちにも分け隔てなく優しく接してくれるこいつは優しい奴だ。

 だが、その優しさのベクトルは、俺があの部室で知った優しさとは明らかに違う。

 だから、俺はこいつの事を好きになれない。

 

 そんな風に考えながら、ふと葉山の抜けた面々に視線をやってみると、気づいたことがあった。

 一人は携帯を弄り、一人は意味もなくストレッチをし、一人は窓の外をぼーっと見ている。そして三人ともタイミングは違えど、時折葉山の方をチラリと伺う。

 

「なるほど、そう言うことか」

「え、何かわかったのか?」

「放課後部室に来い。最良の選択肢を提示してやるよ」

 

 ここから先は、俺のターンだ。

 

 

 

 

 

 

 

「やっはろー!」

「うす」

「こんにちは」

 

 放課後、葉山と一色は部活があるので、それまではいつもの如く三人で放課後ティータイム。今日のお茶請けは煎餅だ。毎日手作りして来るのは大変なのか、偶に市販のものを持って来る雪ノ下である。

 しかし、紅茶が美味しいのに変わりはない。いつものように淹れてくれた紅茶を少し冷ましてから一口。

 

「ふぅ......」

「ヒッキー、なんか疲れてる?」

「そりゃまぁ、な」

 

 今日は脳味噌を酷使した。

 葉山の依頼云々じゃない。昨夜の雪ノ下のメールだ。正確には、それを発端として考えなければならない事が出来てしまったと言った所か。

 いい加減、あの妙な既視感や懐かしさについて考えなければならない。これまた理由は説明出来ないのだが、雪ノ下とのメールのやり取りで何故かそう思った。

 

「依頼の件、任せきりにしてしまってごめんなさい......」

「そんな謝るような事じゃないよ!あたしなんて優美子とか姫菜に聞いてみたりしたけど、何もわかんなかったし」

 

 たはは、とお団子頭をクシクシする由比ヶ浜。

 しかしその言葉では納得いかないのか、雪ノ下は首を横に振る。

 

「私は、出来ていたつもりでいただけよ。なんでも知ったつもりでいて、本当は何も知らなかった。何も出来てなんかいなかったわ。いつも、何もかも誰かに任せきりで......。

 そう言うのは辞めようと決めたのだけれどね」

 

 あの、苦しそうな表情で、自嘲的に笑う雪ノ下のその言葉の意味を、全て理解出来たわけでは無かった。理解したいと思えても、それが出来ないもどかしさがある。

 それでも、俺から言える事があるとするならば。

 

「お前は自己完結し過ぎだ。雪ノ下雪乃のこれまでやって来たことを評価するのはお前自身じゃない。それをこれまで見て来た奴らだ。もっと自分に自信持て。

 それに、そうやって思うのは、今までの依頼人に失礼ってもんじゃないのか?」

 

 由比ヶ浜にチラリと視線をやる。

 彼女こそがこの奉仕部に来た依頼人の一人目。いや、雪ノ下の言葉を聞く限りでは俺が来る以前にも依頼人はいた様子だが、俺からしたら正しく由比ヶ浜が依頼人第一号だ。

 

「そうだよゆきのん!あたし、ゆきのんのお陰でクッキー作れるようになったし、ヒッキーにもちゃんとお礼出来たんだから!それにさ、ヒッキーの方があたしの依頼の時なんもしてなかったんだから大丈夫だって!」

「おい、何もしてなかった訳じゃないだろ。あの劇物を処理したのは誰だと思ってるんだ」

「さ、最初に比べたらどれもマシなやつばっかだったじゃん!」

「そもそも、雪ノ下と一緒じゃないと直ぐ木炭になっちまうんだから、作れるようになったとは言えねぇだろ」

「前に比べたらマシだもん!ヒッキーのバカ!キモい!死んじゃえ!」

「おい由比ヶ浜、言っていいことと悪いことっていうのがある。特に人様の命に関わることは尚更だ。命ってのは尊いものなんだから軽々しく死ねとか殺すと言ってんじゃねぇよ。ぶっ殺すぞ」

「あ、ごめん......って!今言った!超言ったよ!」

 

 俺と由比ヶ浜がアホなやり取りを繰り広げていると、隣からふふ、といつもの優しい微笑みが聞こえて来た。

 雪ノ下の表情は、先程までとは打って変わっていつもの穏やかなそれへと変化していた。

 

「あなた達を見ていると、悩んでいるのがなんだか馬鹿らしく思えて来るわ」

「おい今俺をこいつと一括りにしたな?訂正を求めるぞ。俺は由比ヶ浜ほど馬鹿じゃない」

「私も馬鹿じゃないし!」

 

 三人、顔を合わせて同時に吹き出す。

 よし、いつもの俺たちの感じが戻って来た。

 悩むことは悪いことではない。考えに耽る事は間違いではない。それはきっと、人間誰しもに必要なことなのだ。でも、何について悩むのか、何について考えるべきなのか。そのポイントを間違えてはいけない。いつか誰かに、そう教えてもらった気がする。

 雪ノ下はそこを間違えていた。だから全てを己の中で完結させる。彼女が俺同様完全なるぼっちならばそうならざるを得なかっただろうが、今の雪ノ下は一人ではない。

 由比ヶ浜がいて、戸塚がいて、ついでに材木座もいるんだから。

 

「私は、ちゃんと出来ているのかしら」

 

 具体的な事など何も示さない言葉だが、それに対する俺たちの答えなんて決まっている。

 

「当たり前じゃん!」

「左に同じく」

「......ありがとう」

 

 そう言って微笑んだ雪ノ下の美しい笑顔に、今度は完全に心を奪われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、なんだかシリアスじみた会話をしてしまったが、今日のメインは葉山の依頼である。

 雪ノ下がああやって悩んでしまったのも、葉山の依頼が原因となってるかもしれないし。なんだよ雪ノ下を困らせるとか葉山のやつ最低だな。

 

「さて、では今日の成果を報告してもらいましょうか」

 

 部活が終わって奉仕部の部室へとやって来た葉山と一色を交え、依頼の話を進める。

 

「あたしはさっきも言った通り、何も分かんなかったよ。ごめんねゆきのん」

「いえ、気に病む必要はないわ。その代わり、そこの男が何か思いついているようだし」

 

 そんな期待の眼差しを向けるな。多分、お前らが思ってるような解決方法ではない。

 

「まず前提を確認しておこう。今回のチェーンメールの犯人は、あの三人のうちの誰か一人だ」

「でしょうね」

「まぁ当然ですよねー」

 

 声には出さないが、控えめに頷いているところを見ると由比ヶ浜も概ね同意らしい。

 だがこれに意を唱えるやつが一人。

 

「ちょっと待ってくれ!これはあいつらを悪く言ったチェーンメールなんだぞ?わざわざ自分の悪口を自分で書くやつがいるのか?」

 

 まぁ、葉山ならそう言うと思ったよ。

 きっと、そんな身近にこんな悪意が潜んでるなんて考えもしなかったんだろうな。葉山は常に集団の中心にいる。故に、彼に向けられる悪意と言うのは集団から外れたものから向けられるものだ。

 更に言えば、今回は彼に直接悪意が向けられた訳ではない。常に好意と善意で身を固めていたこいつには理解出来ないことだろう。

 

「馬鹿かお前。そんなもん自分が疑われないようにするために決まってるだろ。もし俺なら更に他の奴に罪をなすりつけるまでやるね」

「先輩最低ですね」

「ほっとけ。兎に角だ。あの三人のうちの一人が犯人だというのは確定事項としてもいい。だが、その中から一人を絞り込むには現状では情報が足りない。そうだな雪ノ下?」

 

 昨日のメールの内容を思い出して、雪ノ下に確認してみる。

 

「ええ。特定する事自体は難しいことではないのだけれど、今この段階でも既にクラス全体に広がっている。もしかしたら他クラスにまで拡散されてるかもしれないわ。そこまで行ってしまっていては時間もかかるでしょう。そうこうしてる間に他学年、他校とまで拡散されてしまえば元を潰したところで最早無意味よ」

 

 シレッと特定するのは簡単とか言ってるのが怖いが、そこはスルーだ。

 雪ノ下の説明を聞き、葉山の表情に暗い影が落ちる。

 

「じゃあこの依頼解決出来なくないですか?」

「いや、そうでもない。このチェーンメールが職場見学の班決め目的だと分かっているのなら、職場見学が終わった時点でメールとして出回るのは確実に無くなるだろう」

 

 そうなれば、あとは人の噂も七十五日とある通り、自然消滅を待つだけだ。しかし、それでも依頼は達成されない。

 葉山の依頼を要約するなら、クラスの雰囲気が悪くなっている原因であるチェーンメールをどうにかして欲しいと言うこと。

 チェーンメールがどうにもならないのなら、着目点を変えるしかない。

 

「で、こっからが今日俺の気づいたことなんだが。葉山や由比ヶ浜の所属してるグループ、あれは葉山のグループだ」

「は?ヒッキー今更何言ってんの?」

 

 由比ヶ浜に心底馬鹿にした目で見られた。

 一色なんて、何言ってんだこの童貞って目で見てる。

 控えめに言って心が折れそう。

 

「比企谷くんが言いたいのは、あのグループは葉山くんの為のグループだと言うことよ」

「俺のための?」

 

 流石雪ノ下。理解が早くて助かるぜ。

 葉山自身もイマイチ得心がいってないのか、説明を促してくる。

 

「葉山、お前はお前がいない時のあの三人を見たことがあるか?」

「いや、隼人君いないんだから見れる訳ないじゃん」

「先輩さっきから何言ってるんですか?頭大丈夫ですか?」

「お前は俺の頭を心配する前に目上の人に対する礼儀を学んでこい」

 

 こいつ本当に生徒会長になる気があるのだろうか。最低限の礼儀も知らないようなやつがトップに立って大丈夫なの?

 あ、逆に今のうちから下々の者に対する接し方を学んでるとかか。何それいろはす超怖い。

 

「話を戻すぞ。あの三人な、葉山がいなくなった途端に会話が途切れるんだ。全員が全員、各々で違うことをしだす。つまり、あいつらにとってお前は友達かもしれないが、あいつら同士は単なる友達の友達ってわけだ」

 

 友達いたことないからそこら辺の感覚は分からないが、当たらずとも遠からずだと思う。

 俺の言葉を立証するように由比ヶ浜が肯定を返してくれる。

 

「ちょっと分かるかも。会話の中心の人がいなくなったら、どうしたらいいか分からなくなるもん......」

 

 由比ヶ浜らしい解答だ。きっとこれまでに何度かそんな経験があったのだろう。

 一色はその感覚はよく分からないのか、首を傾げているが、雪ノ下は特に反応を示していない。

 

「だからこそ、葉山は気がつく事が出来なかったんだ」

「それが分かった上で、あなたはどのような解決法を提示するのかしら?」

 

 強い凜とした瞳でこちらを見据え対角に座る雪ノ下に、俺は目を逸らさずにこの腐った目をぶつける。

 昨日のメールの答え。それを今ここで示してやろう。

 

「職場見学の班分けは一班につき三人だ。そして、葉山と組もうとするならばあの三人のうちの誰か一人は確実にハブられる事になる。そこで、だ。葉山、お前がハブられろ」

 

 解決出来ない問題ならばその問題自体を取り下げる。原因を削除する。問題の解決では無く、解消。

 葉山隼人を巡って起きた事件ならば、その葉山隼人を取り除けばいい。

 

「俺が?」

「そっか。それならあの三人で班を組んで、職場見学で仲良くなるかもしれないもんね!」

「なるほどー、流石結衣先輩頭いいですね!」

 

 いやそこは俺褒めるとこでしょ。

 

「.........分かった。その提案を受けるよ。結衣の言う通り、これであいつらが本当の友達になってくれたら俺も嬉しいしな」

「では、葉山くんの依頼は解決、いえ、解消したと言う事でよろしいかしら?」

「ああ、ありがとう。助かったよ」

 

 葉山は爽やかな笑顔を残し、部室を去っていった。

 

 

 

 

 

 

 残ったのは俺たち四人。雪ノ下の、今日は終わりにしましょう、と言う言葉を合図に俺たちも帰りの支度を始める。

 

「バイバイゆきのん、ヒッキー、いろはちゃん」

「先輩方、また明日です」

 

 三浦に呼ばれたらしい由比ヶ浜が先に部室を出て、それに続くように一色も帰る。

 残されたのは俺と雪ノ下のみ。

 

「俺たちも帰るか」

「そうね」

 

 部室に鍵を掛けて、昇降口へと向かう。

 雪ノ下は鍵を職員室に返さなければならないので、そこでお別れだ。

 彼女と二人だけの時は、会話してる時間よりも沈黙の時間の方が長い。元より俺も雪ノ下もお喋りではないので、この時間は嫌いではない。

 部室でだったり、こいつとメールのやり取りをしてたりする時は、何故か酷く胸が騒つくのだが、今この時、雪ノ下の隣を歩いてる瞬間は、とても安心する。

 

「あの、比企谷くん」

 

 そんな風に心の中が穏やかになっていると、雪ノ下の方からその静寂を破ってきた。

 別に会話する事が嫌なわけではなく、ちょっと意外だっただけだ。

 

「どうした?」

「いえ、その......」

 

 珍しく歯切れの悪い雪ノ下。

 なんか頬を赤く染めて若干下を向いてモジモジしてる。可愛い。

 じゃなくて。

 もしかしてトイレに行きたいから代わりに鍵を返しておいてくれとかだろうか。確かにその申し出は恥ずかしいよな。八幡納得。

 なんて、そんなわけがある筈もなく。

 

「......その、良ければ一緒に帰らない?」

 

 沸騰しそうになった。全身が。

 上目遣いでそう問いかけて来た雪ノ下に、普段の大人びて凜としている雰囲気は見受けられず、その様相はただの年相応の少女に見える。

 待って、なにこの可愛い生き物。俺知らない。こんな雪ノ下知らない。

 

 いや、落ち着け俺。過去と同じ過ちを繰り返すつもりか。また傷を負うつもりか。

 雪ノ下雪乃は校内随一の有名人。そんな彼女が俺と共に帰宅してる所なんて見られたらあらぬ噂が広まるかもしれない。それは、雪ノ下にとってよろしくない噂となるだろう。

 ここは断るべきだ。だがどうやって断ろうか。半端な嘘を並べてもバッサリ切り捨てられるに決まっている。

 だからと言って、お前と帰りたくないなんてそんな嫌われるような言い方はしたくない。

 待て、何故俺は雪ノ下に嫌われたくないなんて思うんだ。別に構わないじゃないか。でも、嫌だ。雪ノ下雪乃に拒絶されるような事が酷く怖い。どうしてだ。分からない。脳内で立てた仮説が悉く否定される。どれだけ理屈をでっち上げようとしても、そのどれもが違うと心が叫ぶ。

 分からない。自分の感情が分からなくて、怖い。

 

「比企谷くん......?」

 

 雪ノ下の声で、思考の海から引き上げられる。

 ハッとして前を見てみると、雪ノ下は不安そうにこちらを覗き込んでいた。

 

「悪い雪ノ下。今日はちょっと無理だ」

「......もし、周りの目を気にしているのであればそんなものは無視しても構わないわ。それとも、私と一緒に帰るのは嫌、と言うことかしら?」

 

 違う、そうじゃないんだ。だからそんなに悲しい顔をしないでくれ。お前のそんな表情は見たくない。

 

「妹に買い物を頼まれててな。早く買って帰ってやらないと、晩飯の支度が出来ないんだと。だから、すまんな」

「......そう。無理を言ってごめんなさい」

「いや、いい。それじゃあな」

「ええ。また明日」

「おう、また明日」

 

 胸元で控えめに振られる手。

 それに俺も軽く手を上げて返して、逃げるようにして俺は自宅へと帰った。

 

 

 自転車を漕いでる途中、脳内で誰かが囁く。

 

 君はまるで理性の化け物だね、と。



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彼は、その感覚に恐怖する。

 人間は自分の理解が及ばない範疇にあるモノに恐怖を抱くと言う。

 例えば幽霊や宇宙人なんかが良い例である。

 昨今はそこかしこで幽霊を見ただの宇宙人を見ただの言うが、結局の所科学的根拠は無く、しかしそこに在るものとして存在を認識してしまう。その姿も多種多様であり、一定の姿を持たない。正体不明。だからこそ、人は幽霊や宇宙人に恐怖心を抱くのだ。

 例えば人間。世界で最も恐ろしい生き物は人間であると言う俺の持論も、これに当てはまるだろう。自分以外の人間の考えてる事なんて分かるはずがない。その心の中なんて理解出来る筈がない。俺は俺で、他人は他人なのだから。リア充どもがウェイウェイやっているのを見れば明白だ。何を考えているか分からないからこそ、怯え戸惑い、相手に合わせて兎に角喋り続ける。相手の機嫌を損なわないように。嫌われないように。

 

 だから、俺は今明確な恐怖心を抱いている。

 自分の心が理解できない。雪ノ下に抱いているこの感情が分からない。

 彼女の事を考えると、胸がキュッと締め付けられるような感覚がある。

 でも隣を歩いていると、とても安心する。

 彼女に嫌われたくないとは思う。同じ部活の仲間なのだから、仲良くやれるに越したことはない。

 彼女の苦しそうな表情や、寂しそうな表情は見たくない。それを見るだけで、俺まで苦しくなる。

 

 何故、そんな風に思い、感じてしまう?

 それが理解出来ない。どこかに理由がある筈なのに、それが見つからない。

 理論も理屈も何も立てられない。

 いつもなら勘違いと切り捨てる筈だ。

 俺に優しい女の子はみんなに優しい。だから期待して、失望する。

 なのに、それが出来ない。それは俺がこの一ヶ月ほどの短期間だけであったとしても、雪ノ下雪乃と言う少女を知ったからだろうか。

 だがあの優しさの意味が俺には分からない。

 どれだけ考えても、何も分からない。何も理解出来ない。

 

 故に、俺は恐怖する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて比企谷。殴る前に遅刻の言い訳を聞こうか?」

 

 なんて夜中に只管考えているといつの間にか寝落ちしてしまってたみたいで。アラームをセットすることすら忘れており、俺は盛大に遅刻をかました訳だ。しかも運の悪いことに一時間目は平塚先生の授業。

 殴るのは確定なんですか。

 

「いや、これはあれです。重役出勤って言葉があるじゃないですか。だから将来重役になった時のシミュレーションをですね」

「君は専業主夫志望だろう」

「くっ......!そもそも遅刻が悪という概念が間違ってるんですよ!よく考えて見てください、ヒーローは必ず遅れてやって来るでしょう⁉︎警察だって事件が起きてから動く。つまり逆説的に遅刻は悪ではなく正義ということになります!」

 

 我ながら酷い言い分ではあるが、殴られたくないので何も考えずに口に出す。

 すると、平塚先生はどこか遠い目をしながら言った。

 

「......比企谷、力無き正義など悪と変わらない」

「力しか無い正義も悪と変わらないんじゃないですかねって待って!殴らないで!」

 

 悪・即・斬

 俺の言い訳も虚しく、平塚先生の拳が腹にめり込む。

 そのダメージに倒れ伏していると、そんな俺をほっぽって平塚先生はたった今入ってきた女子生徒に、微笑み混じりの声をかける。

 

「君も重役出勤かね。川崎沙希」

 

 そんな呼びかけにも答えず、川崎とやらは真っ直ぐ窓側にある自分の席へと向かって行った。

 この時、この目はしっかりとそれを捉えていた。

 

 黒のレース、だと......⁉︎

 

「川崎、沙希、か......」

「比企谷、女子生徒のスカートの中を覗いて感慨深げに名前を呼ぶのはやめろ」

 

 いやでも黒のレースですよ?あんなものを見せられたら感慨深くもなっちゃいますよ。だって男の子だもん!

 

「この件についても話をしようか。後で職員室に来たまえ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 平塚先生の説教からなんとか生きて帰って来た後、部活停止期間故に部室に行く事もなくさっさと帰ろうかと思っていた時、雪ノ下からメールが来た。

 勉強会をするから駅前のカフェに来い、だそうで。

 正直、雪ノ下とどんな顔をして会えばいいのか分からない。昨日あんな別れ方をしてしまったが故に顔を合わせづらいし、俺の心のうちも全く整理出来ていない。

 だが逆にだ。雪ノ下と会えば、何かわかる事もあるかもしれない。

 そうして言い訳を作り、俺は自転車を駅の方へと走らせる。

 適当な駐輪所に停めてから指定のカフェに向かうと、結構長い列が出来ていた。

 並びたくねぇなぁ、なんて思っていると、最後尾に見知った顔が三つ。雪ノ下と由比ヶ浜、あと一色だ。

 

「では国語から問題。この諺の次に続くものを答えよ。『風が吹けば』」

「京葉線が止まる?」

「いやいや結衣先輩、それは違いますよ」

「あら、一色さんはわかるの?」

「正しくは、『最近は徐行運転で再開する』です!」

 

 ドヤ、と胸を張りながら答える一色に、雪ノ下は頭が痛くなったのかコメカミの辺りを抑えてため息をついている。

 それにしてもレジに並んでる最中も試験勉強とは感心感心。

 

「次!次は答えられるから!」

「では、地理から。千葉の名産を二つ答えよ」

「みそピーと......茹でピー?」

「落花生しかねぇのかよこの県は」

「うひゃぁ!......ってなんだヒッキーか。変な人に話しかけられたかと思った」

 

 しまった、俺の千葉を愛する心が反射的にツッコミを入れてしまっていたようだ。お陰でこの列に並ばなければならなくなった。

 

「なんで先輩いるんですか?」

「雪ノ下に呼ばれたからだよ。それともなに?俺来ない方が良かった?」

「やだなー、そんな事言ってないじゃないですかー」

 

 バシバシと背中を叩いてくる一色。痛いからやめて。

 

「あなたは今の問題分かるのかしら?」

「へ?あ、おう。あんなのサービス問題だろ」

 

 いきなり雪ノ下に話しかけられてちょっと吃ってしまった。しかも声裏返ってたかもしれない。

 

「え、先輩なにキョドッてるんですかキモいです」

 

 いろはす辛辣ゥ

 

「答えなんなの?」

「答えは『千葉の名物、祭と踊り』だ」

「それは千葉音頭の歌詞でしょう。そんなの知ってる人いないわよ」

 

 いやお前も知ってるじゃん。

 流石はユキペディアさん。なんでも知ってらっしゃいますね。

 良し、今の所は最初の一発目以外普通に話せてるぞ。あまり意識しなければ問題はない。問題ないはずだ。

 ふと、由比ヶ浜が何か思い出したかのように俺の制服の裾をクイクイと引っ張る。その仕草一色並みにあざといですね。

 

「ねぇねぇヒッキー。何かおごってー♪」

「あ、いいですねぇ。せんぱーい、可愛い可愛い後輩にも何か奢ってくださいよー☆」

「あーいいぞ。んでなに飲む?ガムシロ?」

「それタダじゃん!」

「ケチケチしてるとモテませんよ?」

 

 そんな俺たちのやり取りを見て、雪ノ下がまたため息を一つ。

 保護者みたいですね。

 

「二人とも、みっともない真似は止しなさい。私、そうやって他人にたかる輩は嫌いなのだけれど」

「雪ノ下に同意だな。そういう奴は最低のゴミクズだと思ってる」

 

 俺たち二人から責められたからか、アホの子二人組はうっ、と言葉に詰まる。

 そうこうしてるうちに俺たちの順番が来たようで、いつの間にか一番前に位置していた俺が最初に注文することに。

 

「カフェオレ一つ」

「390円になります」

 

 ポケットの中をまさぐって小銭を取り出そうとする。が、無い。

 あれー?あれれー?おかしいな、確か昼食用に持って来た500円が入ってたと思うんだけど。あそっかー、昼食用だから全部購買のパンとマッカンで使ったじゃん八幡ウッカリ!

 などと言ってる場合では無い。

 注文したカフェオレはもう出来上がってるからキャンセルは出来ないし。ここは致し方なし。

 

「俺持ち合わせが無いから誰か代わりに払ってくんない?」

「比企谷くん......」

「ヒッキー......」

「最低のゴミクズですね」

 

 三人娘に心底蔑まれた目で見られた。

 やめて!そんな目で見ないで!何か新しい扉開いちゃいそうになるから!

 

「仕方ないなぁヒッキーは」

 

 しかし、女神が一人。

 由比ヶ浜が一歩前に出て財布を取り出す。

 流石はガハマさん。略してさすガハマさん。

 この優しさはユネスコ世界遺産に登録されるべきだろう。

 

「私が代わりに払うよ。ヒッキーなに飲む?ガムシロ?」

 

 全然女神じゃなかった!しかもそのしてやったり顔が凄いムカつく!

 あと一色後ろで笑いすぎ煩い。他のお客さんに迷惑でしょうが。

 

「はぁ、私が代わりに払うからいいわ。比企谷くん、これは貸しね」

「お、おう。サンキューな」

 

 貸しってなんだよなに要求されるんだよ楽しみじゃなくて怖い。

 

 

 

 先に行って席を取っておく旨を伝えて三人から離れる。

 丁度ボックス席に座っていた四人組が退席したので、そこにカフェオレを置き腰を落ち着かせようとしたら、これまた見知った顔とアホ毛が見えた。

 

「およ?お兄ちゃんじゃん!お兄ちゃーん!」

「おぉ小町!」

 

 マイラブリーシスター小町だ。

 その隣には見知らぬ男子がいた。

 

「小町ちゃんや、この男子は?」

 

 場合によっては、お兄ちゃん犯罪の道へと走らなければならないよ?

 

「ん?あー、同じ塾の川崎大志君。ちょっと相談に乗ってあげててさ」

「初めまして比企谷さんのお兄さん、川崎大志っす」

「ふむ、大志。最初に言っておく。小町に手を出したらどうなるか分かってるだろうな?」

「そ、そんな事しないっすよ!」

「おいそんなことってどんなことだ言ってみろ。それともこの場では言えないような事を小町にするつもりだったのか?あ?」

「あーはいはい。みっともない真似はやめてね。所でお兄ちゃんは何してんの?」

「ん?あぁ、俺は」

「ヒッキー、席取れたー?」

 

 小町の質問に答える前に、会計を終えた由比ヶ浜が戻って来た。その後ろには雪ノ下と一色の姿も。

 そしてその三人を見た瞬間、小町が完全よそ行きモードに突入した。

 

「初めまして、それの妹の比企谷小町です!いつもうちの愚兄がお世話になってますー」

 

 どうやら制服から俺の知り合いだと判断したらしい。ニコニコ笑顔で先頭にいた由比ヶ浜に詰め寄る。

 あと小町ちゃん。お兄ちゃんの事をそれとか愚兄とか言わないの。お兄ちゃん泣いちゃうよ?

 

「は、初めまして、由比ヶ浜結衣です......」

「ん?はじめ、まして?」

 

 なんだか由比ヶ浜の様子がおかしい。小町も訝しげにジロジロと見る。

 あー、そう言えばなんか前に小町が話してた気がする。俺の入院中に犬の飼い主が菓子折り持って来たやらなんなら。確実に俺はそのお菓子食べれてないやつですねはい。

 奉仕部の間では既に終わった話だ。その辺はおいおい説明するとしよう。今ここで話すのも面倒だし。

 

「一色いろはです!よろしくね小町ちゃん!」

「はい、よろしくです!」

 

 ......俺はもしかして、引き合わせてはいけない二人を引き合わせてしまったのではなかろうか。

 小町と一色は間違いなく同じタイプだ。

 さしづめ、小町の可愛くないバージョンが一色と言ったところか。面倒ごとが起きる予感しかしないんだよなぁ。

 

「雪ノ下雪乃です。比企谷くんとは......」

 

 少し困ったように小首を傾げる雪ノ下は、本当に困ったように俺に問うて来た。

 

「ねぇ、私とあなたってどういう関係と言ったら正しいのかしら?」

「どうって、そりゃ......」

 

 俺と雪ノ下は、なんだ?

 まず間違いなく友達ではない。知り合いというのも当たらずとも遠からず。クラスメイトでもないし。

 別にそんな深く考えることでも無いのかもしれないが、どうしても考えてしまうのは悪い癖だと自覚している。

 その思考を断ち切るように、無理矢理言葉を紡いだ。

 

「部活仲間、だろ」

「そうね......。比企谷くんの部活仲間の雪ノ下雪乃です。よろしくね小町さん」

 

 取り敢えず全員自己紹介も済ませたしさっさと座ろうと思い、一番奥の席へ。幸いこのボックス席は六人まで座れるようなので、席移動もしないで済む。

 俺が席に着いたのを見て、特に示し合わせたわけでもなく全員が座っていく。

 所で、どうして雪ノ下さんは真っ先に俺の隣を確保したんでせうか。

 

「ほお?ほおほお?なるほどね〜」

「なんだよ小町」

「べっつに〜?」

 

 なんか意味深な笑みを浮かべる小町が俺の向かい側に。その隣に一色が座って、さらにその隣が大志。良くやったぞ一色。こんな中坊と小町を隣り合わせで座らせたらどうなるか分からんからな。俺が。

 そして最後に由比ヶ浜が雪ノ下の隣だ。

 

「そう言えば小町ちゃん達は何しにここに?勉強?」

「いえいえ、ちょっと大志君の相談に乗ってあげてたんですよ」

 

 一色が隣の小町に問いかける。答えはさっき俺に言っていたのと同様だ。

 反対側に座る大志はなんだか居づらそうだ。まぁわからんでもない。こんなに綺麗なお姉様方と同じテーブルを囲むなんて事初めてだろうし。

 と、ここで妙案が浮かぶ。漫画とかなら頭の上に電球が出ている。

 

「なぁ小町、その相談俺たちが聞いてやるよ」

「本当にお兄ちゃん⁉︎」

「おう。丁度そういう部活だしな。いいだろ雪ノ下?」

 

 隣の雪ノ下に確認を取る。一応部長の許可は必要だろうしな。

 そして、小町の代わりに俺たちがこの相談を引き受けることによって、小町から毒虫を剥がすことに成功する。我ながらいい作戦だ。

 

「奉仕部はあくまでも総武高の生徒のお悩み相談所なのだけれど......」

「あ、俺の姉ちゃん総武高の二年なんすよ」

「川崎、と言うことは、F組の川崎沙希さんね?」

「ゆきのん、川崎さんの事も知ってるんだ」

「どうせまた知る機会があっただけ、だろ?」

「えぇ。そんなところよ」

 

 今のところ奉仕部に依頼に来たやつでこいつの知らなかったやつなど一人もいない。

 果たして雪ノ下が凄いのか、他クラスのやつでも知ってるほどの問題児を連れてくる平塚先生が凄いのか。どっちでもいいけど。

 

「それで、どうするんですか?」

「良いんじゃないかしら?総武高の生徒のご家族からと言うのであれば、奉仕部の活動の範疇にも含まれるわ」

「なら決まりだな。大志、相談っての話してみろ」

 

 自分で言ってて結構無茶ぶりだなと思った。

 大志にとってはこの場にいる面子は、知り合いの知り合いでしかない。しかもその全員が年上で綺麗なお姉さんばかりで、そんな中全員から注目を浴びるなんて居心地悪い事この上ないだろう。俺だったら緊張のあまり思いっきり舌噛んでる。

しかし、大志はキョドることも噛むこともなく、ただ沈痛な面持ちで話し出した。

 

「その、姉ちゃん最近帰りが凄い遅くて、俺が聞いても、あんたには関係ないの一点張りで、親とも喧嘩するし......」

 

 いよいよどうしようもなくなったと言う所で、小町に相談したと言うことか。

 思ったより問題がややこしそうだな。

 いや、提起された問題自体は実にシンプルなものだ。

「川崎沙希の帰りが遅い理由を知りたい。また、それをなんとかして止めたい」

 だが解決に至るまでのプロセスがメンドくさい。

 俺たちの中で川崎と一番接点があるのは由比ヶ浜だろう。雪ノ下も名前は知ってはいるが知り合いではないみたいだし。

 

「由比ヶ浜、お前は川崎と話したことあるか?」

「ちょっとだけならあるけど......。ほら、川崎さんちょっと怖いし......」

 

 つまり、事務的な会話程度は交わすが、積極的に自分から話しかけた事はない、と。

 

「この前も、家に『エンジェルなんたら』ってお店から電話がかかって来て」

「という事はアルバイトをしていると言う可能性が高いわね」

「そう言えば、遅くって大体何時くらいなの?あたしもたまに帰るの遅くてママに怒られたりするけど」

「五時くらいっす」

「それもう朝じゃん」

 

 つまり、川崎沙希はアルバイトをするに当たって年齢を詐称している事になる。立派な犯罪だ。

 そのエンジェルなんたらとか言う店でアルバイトをしているとして、その理由は?

 

「大志、川崎の帰りが遅くなったのはここ最近の話なんだな?」

「はい。中学の時とか凄い真面目で、俺の下に弟と妹もいるんすけど、凄いいい姉ちゃんだったんすよ。それが二年になった辺りから急にっす......」

 

 本当に川崎の事が心配なのだろう。大志の表情は苦々しいものに変わっていく。

 

「でもこれって、先生方に相談した方が良くないですか?」

「それではダメよ一色さん。年齢を詐称した上に深夜から早朝までアルバイトしている事が学校側にバレたら、最悪退学処分もあり得るかもしれないわ」

「ならダメですねー」

 

 誰もがどうするべきか分からず口を噤む。

 今回の依頼は過去五回のものとはケースが違う。

 生徒本人ではなく、生徒の家族からの依頼。

 もしも川崎家の事情が絡んでくるとなると、俺たちがあまり踏み込みすぎるのも宜しくない。

 

「川崎さんがそうなってしまった前後で、川崎家で何か変化した事はあったかしら?」

 

 そんな中、雪ノ下が徐に口を開いた。

 

「変わったことっすか......。強いて言うなら、俺が塾に行くようになったくらいっす」

「そう......。名前にエンジェルとついて、早朝まで開店しているお店に二つほど心当たりがあるわ」

「え、マジで?」

「ええ。一つはメイド喫茶だからまずあり得ないけれど、もう一つの方は可能性が高いでしょうね」

 

 なんでこいつ千葉のメイド喫茶とか知ってんの?もしかして通ってるとかないよな。もしくはそこでバイトしてるとか。

 雪ノ下のメイド姿か......。

 

「お兄ちゃん、目が腐ってきてるよ」

「うっせぇ。これはデフォルトだ」

 

 正面の小町に指摘される。流石は俺の妹だ。俺が何かを妄想しているのを目ざとく発見しやがる。

 

「どうせ雪乃さんのメイド姿を想像してたんでしょ?」

「バッカお前!ぜぜぜ全然そんな事ねぇし!」

「......キモい」

「先輩生きてて恥ずかしくないんですか?」

 

 由比ヶ浜と一色の視線が痛い。

 なんだよ、良いじゃねぇかメイド。雪ノ下は絶対似合うと思うんだけどな。

 もう一度雪ノ下のメイド姿を脳内に思い浮かべでいると、クイっと制服の袖を引っ張られる感覚が。

 隣に目を向けてみると、雪ノ下が若干頬を染めて上目遣いで俺の目を覗き込んでいる。

 

「......そんなに見たい?」

「............................................はい」

 

 熟考の末頷いた。

 こんなん断れる訳がないんだよなぁ。

 目を合わせるのが何だか恥ずかしくなったので正面に向き直ると、超絶ニヤニヤ顔の小町。その顔すげぇムカつく。でも可愛い。

 

「あーはいはい。そう言うイチャイチャするのは後にしてくださいね。今は仕事中ですよ?」

「してねぇよ!」

 

 あの、雪ノ下さん?貴女からも否定してくださいません?なんでそこで黙って下向いちゃうんですか。

 ああクソ、心臓が煩い。

 

「んんっ!話を戻してもいいかしら?」

 

 まだ若干顔の赤みが取れていないが、仕切り直しとばかりに一つ咳払いをするお隣さん。この話題は早く切り上げてもらった方が俺的にもありがたいです。

 

「でもゆきのんのメイド姿って見てみたいよね?」

「あー、ちょっと分かります。雪ノ下先輩絶対似合いますよ!」

 

 話は戻らなかった。

 と言うより君ら、俺が想像するのはダメなのに自分達で話題に出すのはありなのかよ。

 ここは一つ悪ノリしてやろうかと思い、口を挟む。

 

「この私に奉仕されるのだから、もっと咽び泣いて喜んだらどうかしら?」

「ヒッキー何今のゆきのんの真似⁉︎」

「ちょ、先輩なんでそんなに似てるんですか!」

「最近お兄ちゃんが洗面所の鏡と睨めっこしながらぶつぶつ言ってると思ったらこれの事だったんだ......」

 

 由比ヶ浜と一色爆笑。

 小町は呆れたように言っているが、笑いを堪えている。あの大志ですら口を抑えて必死に耐えてる。

 どうやら俺渾身の雪ノ下のモノマネは好評のようだ。

 

「どうやら教育が必要のようねご主人様。良いでしょう、この私がメイドとしてあなたの腐った性根を更生させてあげる」

「せ、先輩、もうやめてひっ⁉︎」

 

 ひーひー言いながら笑っていた一色の笑顔が小さな悲鳴と共に固まる。

 気が付けば、全員の視線は俺の隣に座る少女へと向けられていた。

 

「比企谷くん」

 

 平素よりも数倍冷気をまとった声色。

 何度かその声を聞いた事はあるが、こうして直接向けられるのは初めてだ。

 さして暑くもないのに汗を掻く。背筋には悪寒が走り、ギギギ、と壊れた機械のような挙動で隣に顔を向ける。

 そこにいたのは、美しいと思う事すら忘れてしまう、この世のものとは思えない程の笑顔を浮かべた雪ノ下が。

 

 俺の記憶は、ここで途切れている。



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とうの昔から、比企谷八幡は雪ノ下雪乃に。

 千葉有数の高級ホテルであるホテル・ロイヤルオークラ、その最上階にあるバー『エンジェルラダー』

 そこが川崎沙希が働いているかもしれないと言われる場所だ。どうもドレスコードが存在するらしく、それを突破できる服装を持ち合わせているのが俺と雪ノ下しかいなかったため、他は自宅で待機してもらっている。

 俺は親父のスーツを借りて小町に髪の毛とか色々セットしてもらった。その時に、カフェで何があったのか聞こうとしたら

 

『お兄ちゃん、世の中には知らない方が幸せな事ってあるんだよ......』

 

 とどこか遠い目をして言われたので、もうその件に関しては詮索しない事にする。

 

 さて、俺は現在待ち合わせ場所である雪ノ下の家の真下に来ているわけだが、なんかめっちゃ高級マンションだった。

 しかも一人暮らしらしいのだが、俺に家の場所教えちゃっていいの?いや、部屋番号までは聞いちゃいないからまだ良いんだけどさ、もう少し警戒心と言うのを持って欲しい。

 そんなマンションのロビーで待つこと数分。

 下に着いたら連絡をくれと言われていたので先ほどメールしたのだが、これ冷静に考えると雪ノ下と二人きりだよな?

 やばいどうしよう。昼間は周りに他の奴らがいたからなんとかなっていたものの、二人きりになってしまうとどうなるか分かったもんじゃない。

 

「比企谷くん」

 

 透き通るような綺麗な声が聞こえた。

 振り返らずとも誰か分かる。どうやらタイムリミットのようだ。うだうだと悩んでないで、出たとこ勝負で行くしかないか。

 覚悟を決めて振り向いた瞬間、まるで時が止まったかのような錯覚に陥った。

 雪のように白い肌を際立たせる漆黒のドレス。髪の毛はあのピンクのシュシュで纏めて胸の前に垂らしている。

 まるで完成された一つの芸術品のように、雪ノ下雪乃は立っていた。

 普段見慣れた制服とはまた違った服装だからだろうか、胸の動悸が収まらない。

 完全に雪ノ下のその姿に心を鷲掴みにされているのを自覚する。

 

「その......どう、かしら?」

 

 控えめに上げられた雪ノ下の声でハッと我に帰る。目の前に佇む絶世の美少女は、恥ずかしそうにこちらの顔を覗き込む。

 どうやら化粧をしているらしく、いつもよりも大人びた雰囲気のその顔に、またどきりと胸が鳴る。

 何か言わなければと思うが、言葉が上手く出ない。それどころか、脳みそも上手く回っていないのではなかろうか。

 

「あー、なんて言うか、そのだな......めちゃくちゃ似合ってる」

「そう、ありがとう......」

 

 そう言って、雪ノ下は花のような笑顔を浮かべた。

 そんな顔されたらまた心臓が煩くなっちゃうでしょうが。

 

「と、取り敢えず行こうぜ。確かロイヤルオークラだろ?」

「え、ええ。タクシーを呼んであるから。それを使いましょう」

 

 なんだかおかしな空気が漂って来たのでそれを無理矢理霧散させるべく、早速目的地へと向かう。

 雪ノ下が呼んでおいたと言うタクシーに乗り込むも、車内では終始無言。

 いつもの心地いい静寂ではなく、ただ、話すべき言葉が見つからない。

 結局互いに一言も喋らないままタクシーは目的地に到着した。

 

「でけぇ......」

 

 千葉を愛する千葉県民である所の俺だが、流石にこのホテルをここまで間近で見たのは初めてだった。そもそも縁が無かったのだし当たり前だ。

 そんな俺はその高級さとでかさに圧倒されていたが、隣の彼女はそうでもないらしい。

 

「あまりキョロキョロしていたら不自然よ。堂々としなさい」

 

 車内で色々と切り替えたのか、雪ノ下はいつもの凜とした表情で、堂々とホテルの中に入っていった。なんか場慣れしてる感じがする。

 

「すげぇなお前。よくこんな所に来て気後れしないな」

「父が県議会議員と建設会社の社長なの。だからこう言う所は慣れているのよ」

「イイトコのお嬢様だったのかよ......」

 

 普段の所作から滲み出る上品さや、高級マンションに一人暮らし、さらには入学式の日の黒塗りハイヤーなどから実家はそれなりに金持ちなのだろうとは思っていたが、まさかそこまでデカイ家だとは。

 かたや俺はごくごく一般的な庶民である。こいつと一緒にこんな所来て良かったのかと今更ながら思ってしまう。

 

「ほら、エレベーター来たわよ」

「お、おう」

 

 促されてエレベーターに乗る。他に人はおらず、またしても雪ノ下と二人きり。

 そう言えば、彼女に言っておかなければならない事が一つあった。

 

「昨日、悪かったな」

「え?」

「その、一緒に帰れなくて......」

 

 なんか凄い恥ずかしいことを言ってる気がするが気のせいだ。別にそう言うのじゃない。ただ、素直に申し訳ないと思ったからそれを口に出してるだけ。

 一瞬驚いたような顔をした雪ノ下だったが、直ぐに笑みへと変わる。

 

「謝らなくてもいいわ」

「いや、でもだな......」

「大丈夫、分かっているから」

 

 まるで癇癪を起こす子供を宥めるような、そんな優しい声色だった。雪ノ下はそっと俺の手を取り、握りしめてくる。

 

「ちょ、雪ノ下さん⁉︎」

「あなたは人の好意を素直に受け取れないものね。何か裏があるんじゃないかって、直ぐに疑ってしまう。信頼して欲しいとは言ったけれど、それは仕方のないことよ」

 

 繋がった掌から温もりが感じられる。その温もりを離したくなくて、つい握り返してしまう。

 雪ノ下の顔に少し赤が混じるが、また一つ微笑んでから更に握り返してくれる。

 

「分かって欲しいのではなくて、知っていたいのよね。知らないことは怖くて不安になるから。知って安心したい。だから偽物は必要なくて、いつまでも本物を求め続ける」

 

 ガラス張りのエレベーターから一望出来る千葉の夜景を見下ろしながら、雪ノ下は言った。

 俺が最も嫌うもの。

 欺瞞、猜疑、偽物。そんなものは求めない。本物と呼べる関係を、ただそれだけを求めて。

 そんな俺の考えを、雪ノ下は言い当てた。いや、言い当てたのではないのだろう。雪ノ下自身の言葉でもない。それは彼女が話している時の雰囲気で察せられた。

 

「もしかして、そのシュシュをくれた奴の言葉か?」

「ええ。よく分かったわね」

「何となくだよ」

「あの男は、もしかしたら私達がそうかもしれないって、私達がそうだったら良いって、そう思ってくれていた。私も、彼と彼女がそうだったらいいと思っていたのだけれどね」

 

 あんなに人を好きになったのは初めてだったわ、と。

 以前、由比ヶ浜の依頼の時に少しだけ聞いた。

 その男のことを、少なくとも雪ノ下は好いていたと。

 それを思い出した途端に胸の内にモヤモヤしたものが広がる。ここ最近毎日のように感じるものだ。言葉では形容できないような。よく分からない感覚。

 いや、本当は俺もわかってるのかもしれない。分かっていて、分かっていないフリをしているだけなのかもしれない。

 だって、これは今までに何度も抱いてきた感情で、そのどれとも一線を画すような想いで。

 

「人を好きになるって、どう言うことなんだろうな......」

「さぁ、どうなのかしらね。そんなもの、個人によって違うのではないかしら」

 

 エレベーターの扉が開き、最上階へと到着した。

 俺の手を握ったまま歩き出す雪ノ下の顔を見て確信に至る。

 

「お話はおしまいね。仕事の時間の比企谷くん」

「おう」

 

 とっくの昔に、比企谷八幡は雪ノ下雪乃に恋しているのだ。

 

 

 

 

 

 

 さて、それを自覚したところで俺が今やるべきことは変わらない。

 幸いにと言うかなんと言うか、この手の感情からくる胸の昂りへの対処法は心得ている。伊達に黒歴史を積み重ねていないのだ。

 

「背筋が曲がってるわよ。しゃんとしなさい。それと顎は引いて」

「お、おう......」

 

 俺の手を握る隣のお嬢様が怖い。

 エレベーターで見せていた笑顔は既に引っ込んでしまい、いつも部室の外で見せている冷たい雰囲気とキリッとした目つきで、雪ノ下は店内にいる一人のバーテンダーを睨んでいた。

 ウェイターが案内してくれた席は幸いにもそのバーテンダーの前の席。

 

「川崎沙希さん」

 

 そのバーテンダーの名前を、雪ノ下は絶対零度の声色で呼んだ。

 なんでそんな無駄に喧嘩腰になるのん?

 

「......雪ノ下雪乃」

 

 川崎沙希は驚きの表情を浮かべて名前を呼び返す。雪ノ下は川崎のことを知っていると言っていたが、川崎も雪ノ下のことを知っていたらしい。

 まあ、こいつ有名人だもんな。知られてて当然か。

 

「ここはあんたの年齢で来るような場所じゃないと思うけど。まさかそんなのとデート?」

 

 声には必要以上に敵意が混じっている。嘲笑するように、侮蔑するように。

 俺のことをそんなの呼ばわりの時点で喧嘩売ってるようにしか聞こえない。

 いやまあクラスメイトに覚えられていないのは今に始まった事じゃないけどね。

 

「川崎さん、口には気をつけなさい。それ以上比企谷くんの事を嘲笑うのなら」

 

 潰すわよ、と。

 雪ノ下雪乃は最早殺意さえ込めた声と目で言い返す。

 流石の川崎もそれに気圧されたのか、ウッと言葉が詰まる。

 ぼくのおもいびとがこわいです

 

「......ご注文は」

「私はペリエで。彼にはジンジャエールを」

「かしこまりました」

 

 一旦会話は中断。川崎はドリンクを準備する。因みにペリエとはヨーロッパではポピュラーな炭酸水で、それを置いていない飲食店は無いと言われるほどだ。フランス語の俗語ではペリエのボトルの事を胸が小さく尻の大きい女の意味があると言う。別にここでその説明を挟んだのに他意はない。

 はぁ、と隣から溜息が聞こえて来たのでそちらを向くと、雪ノ下はこめかみに指を当てていた。そのポーズ好きですね。

 

「どうした?」

「いえ、なんでもないわ。前と違うようにと心掛けていたのだけれど、難しいものね......」

 

 前とはいつの事を言っているのかを問おうとした時、俺たち二人の前にグラスが置かれる。先ほど雪ノ下が注文したやつだろう。

 

「その様子じゃ私に話があって来たんでしょ?いいよ、聞くだけ聞いたげる」

「あら、随分と素直なのね」

「何しに来たのか、気になるところではあるからね」

「では単刀直入に。あなたの弟の川崎大志君から依頼があったの」

「大志から?」

 

 川崎の目に再び敵意が宿る。どうやらこいつも相当なブラコンのようだ。

 しかし雪ノ下はそれを意にも介さず、話を続ける。

 

「姉の帰りが遅くて心配だ、だからその理由を知りたいとね」

「......そう。大志が迷惑を掛けたみたいだね。一応姉として謝っておくよ。

 それで?私の帰りが遅いのはアルバイトをしてるから、それが分かったわけだけど、それを知ったあんた達はどうすんの?」

 

 言外に、これ以上うちの家族の事情に首を突っ込むなと、そう告げているようだった。

 昼間にも懸念していたことだ。川崎家の事情に、俺たちがどこまで首を突っ込むべきか。

 だが甘いぞ川崎沙希。お前が相対しているのは誰だと思っている?

 お前の目の前にいるのは、過剰な正しさと鮮烈な優しさを併せ持った雪ノ下雪乃だぞ。

 

「アルバイトをしていることはご両親に話しているのかしら」

「それって答える必要ある?」

「ではアルバイトをしている理由は?ただお金が欲しい、それだけの理由ならわざわざ年齢を詐称してまでここで働くことはしないでしょう」

「それだけだよ。私は私のためにお金が欲しい。アルバイトをする理由としては何も間違っちゃいないじゃん」

「......そう言うことか」

 

 合点がいった。川崎沙希が年齢を詐称してまでこうして深夜にアルバイトをしている理由。恐らく、雪ノ下は既にその答えに辿り着いているのだろう。

 

「なに?」

 

 ギロリと睨まれた。

 怖い。

 

「いや、千葉の兄弟姉妹は素晴らしいなと改めて思っただけだ」

「意味わかんない。バカじゃないの?」

「川崎さん?」

 

 ニコリと微笑む雪ノ下。

 こっちも怖い。

 

「なぁ川崎、お前がどうして金を欲しがってるのか、親や大志に何も言わないのか、当ててやろうか?」

「は?」

「確か、大志は四月から塾に通うようになったんだってな。最初はその学費の為かと思ったんだが、現時点で塾に通えてる時点でそこは既にクリアしている」

 

 川崎は黙って聞いている。

 雪ノ下も口出ししてくる様子は無い。

 

「だが、学費が必要になるのは何も大志だけじゃない。総武は進学校だからな。殆どの生徒の進路は進学希望だろう。それはお前も例外じゃない。違うか?」

「......はぁ。だから、大志には関係ないって言ってたのよ」

 

 俺の推理を認めるように大きくため息をついた川崎は、ボリボリと青みがかった黒髪を掻く。

 そう、川崎家に置いて学費の問題がクリアされたのは大志だけだった。大志は高校受験を控えた中学三年。川崎は進路を意識しだした程度の高校二年。どちらを優先すべきかは各家庭によりけりかもしれないが、川崎はブラコンである。ならば自分から固辞したのだろう。自分に金を使うくらいなら、大志に使ってやってくれと。

 しかし、仮にも進路を意識しだしたと言うのであれば塾にも通おうと言う考えにも至る。その学費を賄う為に、川崎はこうして深夜から早朝にかけてまでアルバイトをしている。もしかしたら進学用の資金まで見越してるのかもしれない。

 

「家族に迷惑を掛けたくないから、だから何も説明しなかったってことか?」

「そ。私の勝手な都合なんだから、私自身でどうにかするしかないじゃん」

 

 川崎のその考えは嫌いじゃない。

 人間、自分のことは基本的に自分一人で解決すべきなのである。そこに余人の介入は許されない。人は皆常に一人で生きている。ぼっちだろうがリア充だろうが同じ事だ。だから、誰にも頼らず自分だけで事を済ませようとした川崎のそのやり方は間違いではない。

 

「それは違うわよ川崎さん」

 

 だが、しかし。雪ノ下はそれを否定する。

 

「家族に迷惑を掛けたくなかったら心配を掛けてもいいのかしら?いいえ、答えは否よ。対話もせず、ただ一方的に決めつけて一人で行動を起こす。それは愚かな選択だわ」

「あんたに、うちの家族のなにが分かるっての?あぁ、そう言えばあんたの家、父親が県議会議員なんだってね。そりゃ私たちみたいな家庭の苦労なんて分からないだろうさ」

「そんなもの分かるわけないでしょう。あなたが私の家族の問題を理解できないように、私にはあなたの家族の問題なんて理解出来ないわ。でも、一つだけ言えるとしたら」

 

 一拍おいて、目を瞑る雪ノ下。何かを思い出しているのだろうか。かつての後悔を、かつての間違いを。

 その刹那の沈黙で、俺は手前勝手にもそう感じた。

 そして、再び開かれた目はいつもの強い光を携えており、しかし奏でる言葉は柔らかな声色だった。

 

「家族というのは迷惑を掛けて、心配も掛けて、それでもどうしても離れられないような人達なの。いえ、もしかしたらあの人達にとっては迷惑でも何でもないかもしれないわ。

 無条件に私たちの味方になってくれる。それが家族。だから、あなたもしっかりと対話することね。でないと、お互いにとんでもないすれ違いをする羽目になるわ」

 

 ソースは私、と最後に茶化すように付け加える。

 雪ノ下の家のことも、川崎の家のことも俺は知らない。きっとそれを理解するのはそれぞれの家族だけで十分なのだろう。寧ろ他人が下手に干渉してはいけない。

 だから俺たちは今回、川崎が両親や大志と少しでも対話できるようにと後押しする為にやってきた。

 そのための魔法の道具を、授けてやらなければなるまい。

 

「川崎さん、スカラシップって知ってるかしら?」



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3
期せずして、彼は彼女とデートする。


3巻まで来ましたよー。遊戯部は飛ばします。残念!


「お兄ちゃんお兄ちゃん!ヤバイよお兄ちゃん!」

 

 金曜日の夜。明日からの休みを堪能しようとリビングでゆったりしながらゲームをしていると、妹の小町が新聞紙片手にやたらハイテンションで俺の体を揺すって来た。

 

「どうした小町?お兄ちゃん今ちょっと地球防衛するのに忙しいんだけど」

「それどころじゃないよお兄ちゃん!地球とかどうでもいいからこれ見て!」

 

 いや流石にどうでもいいことはないでしょ。地球にでっかい蟻とか蜘蛛とか攻めて来てるんだよ?ゲームの中だけど。

 vitaちゃんをスリープモードにしてから小町が広げた新聞を見る。そこの広告欄に書かれているのは『東京ワンニャンショー』が開催されると言う内容だった。

 

「おお!良くやったぞ小町!」

 

 東京ワンニャンショーとは、簡単に言ってしまえばペットの即売会だ。

 仔犬や仔猫のみならず、小鳥や小魚などなど、様々な動物が出品されている。

 千葉で開催するのに東京を名乗らなければならない悲しいサダメを背負ったイベントだ。

 我が家の飼い猫、カマクラともここで出会った。その為だけに休みだというのに出動させられた親父が哀れでならない。

 俺たち兄妹もアニマルスキーヤーのはしくれ。このイベントには毎回参加している。

 

「明日開催だってさ!勿論行くよね?」

「当たり前だろ。いや、ちょっと待て小町」

「え、お兄ちゃんもしかして行かないの?」

「いやそうじゃない」

 

 先月、川崎の一件の時に恋心を抱いていることを自覚してしまった相手、雪ノ下雪乃。あいつは確か猫大好きフリスキーだった筈だ。ここは誘ってみるか?いやでも断られたら多分立ち直れない。

 どうするべきかと考えていると、小町がポン、と手を打って閃きましたと言わんばかりの顔をしている。

 どうしたのかと小町を見ていると、徐に携帯を取り出して何処かへ電話をかけ始めた。

 

「あ、もしもし小町ですー!いつもお世話になっております!」

 

 お前はサラリーマンかってくらい遜った挨拶だった。女子中学生とは思えない。つまり俺の妹マジアダルティ。

 

「突然ですけど明日って空いてますか?はい、そうです、ワンニャンショーに是非一緒にどうかと思いまして!」

 

 どうやら電話相手に明日のワンニャンショーに一緒に行こうと誘っているみたいだ。となると小町の友達かな?やだ、今年は小町と行けないとかお兄ちゃん泣いちゃうよ?

 

「そうですか!分かりました。では9時に兄をそちらに寄越しますので!ではでは!」

「ちょっと小町ちゃん?」

 

 電話を切った小町に思わず声をかけてしまう。なんか勝手に明日の予定決められてるんだけど。社畜の皆さんはこうした理不尽のせいで仕事が増えて行くんだろうなぁ、なんて今日も働いてるパパンとママンに想いを馳せる。

 

「どしたのお兄ちゃん」

「どしたのじゃないでしょ。何勝手に俺に仕事をさせようとしてるの?てか相手誰だよ」

「雪乃さんだよ?」

 

 何当たり前のこと聞いてんのゴミいちゃんと言わんばかりの冷めた目だ。

 つかいつの間に雪ノ下と連絡先交換してたんだよ。

 

「いや、なんで雪ノ下?」

「だってお兄ちゃん、雪乃さんのこと好きなんでしょ?」

 

 な、なぜそれを⁉︎雪ノ下本人には勿論のこと、小町にすら言ってなかったのに!

 

「そそそそそんなわけあるかよ」

「いやいや見てたら分かるよ。小町を誰だと思ってるの?お兄ちゃんの妹だよ?小町に分からないわけないじゃんか」

 

 怖い。兄の恋愛事情を勝手に察してしまう妹怖い。そもそも俺と雪ノ下と小町が一堂に会したのは前のカフェの時だけだった筈。その時はまだ雪ノ下の事好きだって自覚無かったし。何故それでわかるし。

 

「だーかーらー、小町がお膳立てしてあげたのです!お兄ちゃんはヘタレだからどうせ断られたらどうしようなんて考えて誘いもしなかっただろうからねー。あ、小町はお兄ちゃんと一緒に行かないから。二人で楽しんできてね!」

「え、小町来ないの?」

「お兄ちゃんと雪乃さんを二人きりにしてあげようって言う小町なりの気遣いだよ。あ、今の小町的にポイント高い〜」

 

 なんか小町にありがたさを感じてる自分が憎い。事実として、多分このままだったら雪ノ下を誘うなんてことはしてなかったからいらんお節介だと切って捨てる事も出来ないし。

 

「それじゃ、明日楽しんできてね〜」

 

 それだけ言い残して小町は自分の部屋へと消えていった。

 明日どうすんの俺。どうなるの俺。

 

 

 

 

 

 

 

 

「よお」

「......おはよう」

 

 翌朝9時。俺の姿は雪ノ下の住むマンションの下にあった。

 雪ノ下は涼しそうな白いサマーセーターを着て、髪の毛はいつものツインテールをアップにして纏めている。

 ツインテールがここまで似合う女子も中々いないだろう。精々がアニメの中のキャラだけだ。

 

「小町さんも来ると思っていたのだけれど、どうやら嵌められたみたいね......」

「なんかすまんな......」

「いえ、別に構わないわ。あの子がそう言う子だと言うのは知っていたし」

 

 流石は雪ノ下。小町の本性をたった一度の邂逅で見破ったのか。

 本当もう兄としても結構迷惑してるんですよ。まぁ今回のことはその限りでもないんですがね。

 

「では行きましょうか」

「そうだな」

 

 まぁいい。今は一人のアニマルスキーヤーとしてワンニャンショーへと赴こうではないか。

 

 

 

 

 

 なんて、簡単に行けば良かったんですけどね。

 いや、別に雪ノ下と二人きりでちょっと心臓がヤバイとかそう言う話ではない。

 いや勿論それも多少はあるのだが、問題はそこではない。

 猫大好きフリスキーと専ら俺の中で定評のある雪ノ下の先導のもと、会場を歩いていた訳だが、猫エリアに全く辿り着けなかった。

 雪ノ下はパンフレットの地図を何度も確認し、周囲を確認し、そして一つ頷きをしてから歩き出すのだが、何故か壁に向かって歩いていったり猫エリアと真逆の方へと向かったり。

 お察しいただけた通りこのお嬢様、真性の方向音痴だったのだ。

 

「いやでも流石に壁に向かって歩き出した時は正気を疑ったぞ......」

「う、煩いわね......」

 

 自分のミスを改めて指摘されて恥ずかしがってるのか、雪ノ下は若干顔を赤くしてそっぽを向く。

 そして俺たちは険しい旅路(主に雪ノ下のせい)の末、なんとか猫エリアが目の前というところまで来ていたのだが、そこで足踏みしてしまっている状況だ。

 さっきまで元気よく歩いてた雪ノ下も何故かここで踏み止まっている。

 体力が切れたのかな?とも思ったが、どうやらそうではないらしく。

 

「まさかとは思うけど、お前犬嫌いなの?」

 

 返事がない。つまり肯定。

 ほほう。ほほーう?あの完璧超人雪ノ下雪乃の新たな弱点発見かな?

 

「別に嫌いというわけではないわ。ただ、そう。少し苦手というだけで」

「世間一般ではそれを嫌いだというんだ」

「あら、世間一般から遠く離れた比企谷くんがそんな事を言うのね」

「お前も大概世間一般から乖離してると思うけどな。て言うか、ここ仔犬しかいないぞ」

「その、仔犬の方が......」

 

 随分と萎縮しちまってまぁ。こんな弱々しい雪ノ下初めてみたぞ。体力切れた時でももうちょいキリッとしてる。

 

「と、兎に角、あなたが先に進みなさい。私はその後ろについていくわ」

 

 つまり俺に盾になれと。いや別に構わんのですけどね。好きな子を身を呈して守る。男としては憧れるシチュエーションではあるだろう。

 ただこの場合、相手が犬と言うのが些か不満に感じたりするが。

 雪ノ下は俺の後ろに隠れ、服の裾を掴んでから俺の後をテクテクとついて来る。

 時折犬の鳴き声が聞こえて来るたびに「ひっ!」と言う可愛らしい悲鳴と共に肩がビクッと震えるのが可愛い。

 

「ほら、猫エリアについたぞ」

「ええ、ありがとう......」

 

 距離にして10メートルも無かったはずだが、雪ノ下は疲弊しきっていた。

 しかしそれも猫エリアに着いてすぐの話で、そこかしこにいる仔猫を見た途端に復活。目をキラキラさせながらフラフラと歩いていく。

 

「......猫、可愛い」

「お前方向音痴なんだから勝手にフラフラするなよ」

「......にゃー」

「......」

 

 マジか。雪ノ下さんマジか。今まで彼女の猫大好きフリスキー振りはメールでのやり取りでしか察することが出来なかった。逆説的に言うと、メールでのやり取りですら十分過ぎる程に猫に対する愛情が伝わってきたわけなのだが、どうも俺の予想以上に雪ノ下は猫が好きらしい。寧ろ愛してると言っても過言ではない。

 見てる限り、彼女の猫の可愛がり方はやばい。そんじょそこらの女子の言う「可愛いー!」なんてレベルを超越してる。最早職人芸の域だ。猫の鳴き真似とかしてる時点でお察しである。

 つかにゃーってなんだよ可愛過ぎるだろおい。

 雪ノ下がモフッている猫はスフィンクスと言う全くの無毛の猫。これモフッてるとはいわねぇな。大きな耳と、毛が全くない事でそれなりに有名である。

 そして雪ノ下さん超笑顔。いつも一色とか由比ヶ浜に向けられるものの数百倍笑顔。その顔はいつもの大人びたものではなく、年相応の少女の笑顔だ。

 

「......雪ノ下」

「にゃ......なにかしら比企谷くん?」

 

 猫との至福の時間を邪魔されたからか、若干不機嫌そうな顔。どうでもいいけど雪ノ下も猫っぽいところあるよね。

 

「あのな、幾ら俺が近くにいるからって、そうも無防備な姿を晒されると困るんだが」

「あ......。ごめんなさい、私ばかり夢中になってしまって」

「いや、夢中になる事自体は別に構わんのだがな。もう少し周りの目線とか気にしろって事だよ」

 

 美少女が猫語で猫と戯れてると言う構図だけで周囲の目線を引くのだ。特に男の。

 更に問題はそれだけではない。

 例えば

 

「あれ?雪ノ下先輩?」

 

 そう、例えば知り合いにこの場面を目撃されてしまったり。

 雪ノ下の名前を呼んで亜麻色の髪を揺らしながらこちらにトテトテとあざとい走り方で近づいて来る女子。奉仕部の部員、では無いか。仮部員って事にしておこう。その仮部員である一色いろはがそこにいた。

 

「おはようございます雪ノ下先輩。あとついでに先輩も」

「おはよう一色さん」

「俺はついでかよ......」

 

 この子俺のこと舐めすぎじゃない?

 ジトッとした目で一色を睨むが、そんな俺の視線などどこ吹く風。一色いろははニヤニヤとした笑顔で雪ノ下に詰め寄る。

 

「さっきから聞いたことのある声でにゃーにゃー聞こえるなーって思ったら雪ノ下先輩だったんですねー」

「なんのことかしら?」

 

 シラを切りよった。一色は声どころか確実に雪ノ下が猫を愛でている姿も目撃しているだろう。じゃないとこんな悪い笑顔をして寄ってこない。

 

「えー?雪ノ下先輩が猫の声真似を」

「一色さん」

「ひゃい⁉︎」

 

 ニッコリと笑顔。いつも部室で浮かべる穏やかな微笑みだ。ただし目は笑っていない。

 だから、その笑い方怖いんだって。

 一色は瞬間的に周囲に漂ってきた冷気に身を震わせて俺の後ろに隠れる。おい、俺を盾にするな。俺だって怖いんだぞ。

 

「あなたは何も見ていない。ちがうかしら?」

「違わないです!」

「よろしい」

 

 最早脅迫である。いろはすガクブルだし。かく言う俺もちょっと震えそうになった。

 別にそんな隠すような事でもないと思うけどな。一色は誰かに言いふらしたりする奴じゃ......奴じゃないと思いたいし。

 それに大変可愛げがあって宜しいと思いますよ?ほら、雪ノ下みたいな完璧超人のこんな一面ってのは、随分と人間味があっていい事だと思うし。

 

「そ、それじゃあ私そろそろ行きますね!」

「あ、おいこら一色逃げるな!」

「ではでは!」

 

 ゆきのんが怖いからって逃走しようとしやがったなこいつ!

 一色はその場で回れ右。スタコラサッサと去っていこうとしたのだが、残念ながらそれは叶わなかった。

 

「わん!」

「ひっ!」

 

 猫エリアなのに何故か犬の鳴き声。そして悲鳴を上げる雪ノ下。その悲鳴を聞いた一色は逃げるタイミングを逃した。と言うか、雪ノ下をまた面白いものを発見したみたいな顔で見てる。

 

「ひ、比企谷くん......!犬が......」

 

 こちらに走って来るミニチュアダックスが一匹。俺を盾にしようとした雪ノ下は腕に抱きついて来る。ちょっとちょっと近いしいい匂いするしなんか腕に柔らかな感触が当たってるんですけど!

 走って来た犬は俺目掛けてピョンと飛んだ。避けるわけにもいかず両手でキャッチ。よく見ればリードが壊れているじゃないか。

 

「ほれ、飼い主はどうした?」

 

 ワチャワチャと頭を撫でてやると手先をペロペロ舐められる。くすぐったい。

 

「先輩、人間には好かれないくせに犬には好かれるんですね」

「ほっとけ。ってうお!」

「あ、ばか!手を離したら」

 

 一色の言葉に軽く返すと、顔まで舐められてしまい思わず手を離してしまう。

 地面に華麗に着地した犬が再び襲って来ると思ったのか、雪ノ下は俺を非難しながら更に体を密着させて来る。ちょっとゆきのん真っ平らだと思ってたのに意外とあるじゃないですか!

 

「なんか、随分と先輩に懐いてますね」

 

 一色の言う通り、着地した犬はあろうことかそのまま寝転んでこちらに腹を見せて来た。

 やはり俺は動物に好かれてしまうのか......。じゃあなんでうちの猫は俺にだけあんな素っ気ないのだろう......。

 なんて感傷に浸っている場合ではない。早くこの犬の飼い主を見つけて俺の右腕に抱きついて来ているこのお嬢様をどかさないと。じゃないと八幡のフジヤマがヴォルケイノしちゃうよ。

 

「すいませーん!うちのサブレがご迷惑をー!」

 

 タッタッタッと元気な声と共に足音が聞こえて来る。聞いたことのある声だなーなんて思ってたら、見覚えのある顔が。

 

「由比ヶ浜さん?」

「あれ?ゆきのん?ヒッキーにいろはちゃんも。三人ともどうしたの?」

 

 犬の飼い主は由比ヶ浜だった。

 と言うことはこの犬まさか......。

 

「比企谷くんとワンニャンショーに来ていたらたまたま一色さんとも会ったのよ」

「え?ゆきのん、一昨日のメールってワンニャンショーの事だったの⁉︎」

「それはこちらのセリフよ。用事があると言っていたから無理に誘わなかったのだけれど......。いえ、そう言えば前はここで......。ごめんなさい由比ヶ浜さん。どうやら私の過失のようね」

「ん?よく分からないけどゆきのんが謝る事じゃないよ!」

「雪ノ下先輩!わたし!わたし誘われてないです!」

「ご、ごめんなさい一色さん。別に忘れていた訳では無いのよ?その、一色さんに声をかける前に小町さんから連絡があったものだから......」

「ダメだよゆきのん!ちゃんといろはちゃんも仲間に入れてあげなきゃ!同じ奉仕部の後輩なんだから!」

「そ、その二人とも?少し近いのだけれど......」

 

 女三人寄れば姦しい、と言うか百合百合しい。

 すっかり忘れられている俺はサブレの腹を撫で回していた。

 

 

 

 

 

 

 

「へー、それって凄くないですか?事故の関係者が三人とも集まるなんて」

「まぁ、普通に考えてどんな確率だよってなるよな」

 

 大体10分くらい百合百合してた三人だったが、途中で由比ヶ浜がサブレと俺の存在を思い出し、一色の「何でこの犬先輩にこんなに懐いてるんですかねー」と言う何でもない一言によって、入学式の事故のことを説明していた。別に隠すような事でもなければ、一色も奉仕部の仮部員。こいつにだけ話さないと言うのも些かおかしいだろう。

 

「もしかして雪ノ下先輩が犬苦手なのってそれが原因?」

「え、ゆきのん犬苦手なの⁉︎」

「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけよ。別に嫌いという訳ではないのよ」

 

 いやいやいや、どの口が言いやがりますかね。さっきもサブレから逃げようと俺を盾にしてくれてたじゃないですか。

 

「それに、その事故が原因という訳ではないわ。小さい頃から仔犬がほんのちょっとだけ苦手なのよ」

 

 雪ノ下のその言葉を聞いて、由比ヶ浜がホッと胸をなでおろす。優しい由比ヶ浜の事だ。事故が原因で犬が嫌いになったなんて聞いたら逆に負い目を感じてしまうだろう。

 

「て言うか、由比ヶ浜は何しに来てたんだよ」

「あ、そうだった!今日サブレの散髪に来てたんだった!」

 

 確かトリミング、と言うやつだったろうか。猫エリアに来る途中に犬のトリミングをしている場所があったはずだ。それが目的で来ていたはずなのに雪ノ下と一色と会った瞬間に頭から吹っ飛ぶとか、流石アホの子。サブレもこんなのが飼い主で大変だろう。

 

「じゃね三人とも!また学校で!」

「おう」

「ええ、また学校で」

「さよならです〜」

 

 サブレを抱えて由比ヶ浜は犬エリアの方へとダッシュで引き返していった。こうして見てると由比ヶ浜は犬っぽいな。

 雪ノ下には猫耳、由比ヶ浜には犬耳......。

 ありだな。

 

「さて、二人とも、この後時間はあるかしら?」

 

 由比ヶ浜を見送った雪ノ下が唐突に口を開いた。突然どうしたのだろうかと一色と目を見合わせる。

 

「俺は別に大丈夫だけど」

 

 ここで帰ったら小町になんて言われるかわからんし。

 一色は手帳を開いてこの後の予定を確認してるようだ。いや、今日の予定とか頭の中に叩き込んどけよ。

 

「6月18日、何の日か知ってる?」

「なんかあんのか?」

「誰かの誕生日とかですか?あ、結衣先輩とか?」

「当たりよ一色さん。6月18日、つまりは週明けの月曜日なのだけれど、由比ヶ浜さんの誕生日なの。だからこれからプレゼントを買いに行こうと思うのだけれど、どうかしら?」

「明日じゃダメですかね?わたし夕方から予定があるので昼過ぎには家に帰らないとなんですよ」

「明日はダメね」

「またなんで」

「ダメなものはダメよ」

 

 随分と頑なだな。

 しかし一色が来ないとなると困ることがある。果たして俺と雪ノ下にまともなプレゼントを選べるかどうか。

 自分で言うのもなんだが、俺は一般的な高校生とだいぶ感覚がズレている。更に小町以外の誕生日を祝ったことなんて無い。それは雪ノ下も同様だろう。悲しいけど俺、ぼっちなのよね。

 

「わたしは明日いい感じのを見繕っておきますので、お二人で行って来てください」

「一色が来れないとなると、小町でも呼ぶか?」

「いやいや先輩、それはちょっと無いですよ」

「なんでだよ俺たち二人でプレゼント選んだらまともなもんやれないぞ」

「まぁ、先輩に分かれってほうが無理な話ですか......」

 

 やれやれと言った風に小馬鹿にして来る。何様だよ。

 

「それじゃ、わたしはそろそろ帰るので、お二人で楽しんで来てくださいね!」

 

 最後にそう言い残し、一色は呼び止める暇も与えずにこの場を去っていった。てか早い。走るの早いよいろはす。周りの人にぶつかっちゃったら危ないでしょうが。

 

「はぁ、んじゃ行くか?」

「ええ。ついでだし何処かでお昼も食べましょうか」

「そうだな」

 

 ん?んん?これって良く考えなくてももしかしてデート?ワンニャンショーに一緒に行って、一緒にお昼食べて、一緒にお買い物ってこれどう考えてもデートじゃね?

 

「どうしたの比企谷くん?早く行くわよ」

「お、おう......」

 

 比企谷八幡16歳、人生初の好きな女の子とのデートです。

 マジでどうなる俺。

 

 



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雪ノ下雪乃は可愛い、それも、かなり。

 ワンニャンショーの会場を離れた俺と雪ノ下はららぽーとへと足を運んでいた。

 流石は休日のショッピングモールだ。リア充どもがウェイウェイソイヤソイヤとそこかしこで叫んでいる。リア充どもだけでなく、家族連れも結構いるみたいだ。小さな子供がキャッキャ言いながら走り回る姿も見受けられる。

 

「さて、んじゃまずは飯にするか?」

「そうね。丁度いい時間だし、いいんじゃないかしら」

 

 ではどこに入ろうかと辺りを見渡す。

 幸いにもここは飲食店が立ち並ぶエリアだ。雪ノ下も体力がそろそろ限界だろうし、そんなに並んでいなくてすぐ座れる、かつリーズナブルで料理の種類が豊富かつ美味い店が好ましい。

 ふ、そんな店、やっぱり一つしかないよな!

 

「なぁ、サイ」

「却下」

「最後まで言ってねぇんだけど......」

 

 なんでだよ。いいじゃんかよサイゼ。ミラノ風ドリア安くて美味いし。ドリンクバーあるし。そんな笑顔で却下しなくてもいじゃんかよ。

 

「あのね、仮にも男女二人で出掛けているのだから、もう少しお店選びには気を遣ったらどうかしら?」

「おいおい雪ノ下、俺だぞ?俺がそんなオシャンティな店を知ってるとでも思ってたのか?」

「まぁ、最初から期待はしていなかったけれど」

 

 期待されてなかったのかよ。それはそれでなんか悲しい。いや、期待されても困るんですけどね。

 

「ついて来なさい」

 

 言われるがままに雪ノ下の後ろにノコノコとついて行く。果たしてどんなお店に案内されるのだろうと思っていたのだが、雪ノ下は直ぐ近くにあった案内板の所で足を止めた。

 

「このお店に行くから案内してくれるかしら」

 

 あぁ、ゆきのん方向音痴だもんね......。目的の場所がどこにあるか知っててもどうやって行くかは分からないもんね......。

 ついつい視線に哀れみの感情が乗ってしまう。

 

「何か不満でも?」

「いいや。ぜひご案内させて頂きますよ」

 

 二人並んで歩き出す。雪ノ下の指定した店まではそう距離があるわけでもない。

 俺と雪ノ下の間には確かな間があって、それでも、手を伸ばせば届く距離。残念ながら俺にはその手を伸ばすだけの度胸がない。

 いつか届けばいいななんて思いながら、足を進める。

 

 

 

 

 

 

 

 雪ノ下がチョイスした店はオムライスの専門店だった。メニューはオールオムライス。セットでついてくるサラダ以外は全部オムライス。だからなのか、店内は殆ど女性客で埋まっており、男性客が居たとしても家族連れか老夫婦くらいのものだった。

 完全に俺場違いなんじゃないのかと思いもしたが、先月のエンジェルラダーに比べたら大分マシだったし、オムライス美味しかったし。美味しそうにオムライスを頬張る雪ノ下の平素よりも若干幼い笑顔が見れたので良しとする。

 

「ではプレゼントを選びに行きましょうか」

「随分気合入ってんな」

 

 昼食を摂った店を出てから、俺たちは飲食店のエリアから移動していた。周りはなんかファンシーなお店ばかりでさっきよりも更に居心地が悪い。一番キツイのは、通り過ぎる店の店員さんが俺のことを警戒した目で見てることか。別に不審者じゃないから、頼むから通報とかはしないでね。

 こんなんじゃいざ店の中に入った時が怖いな。

 

 そして雪ノ下のこの気合の入りよう。多分だが、友達の誕生日プレゼントを選ぶのなんて初めてなんだろう。だから無駄にというか余計に気合が入ってるのか。

 いや、前に一人だけ友達がいたとか言ってたしその時に経験してるのかも知らんけど。

 

「折角だからしっかりしたものを選びたいじゃない?」

「でも、お前がしっかりしたものって言うと、なんかこう、服を耐久性とかで選びそうだな」

「さ、流石にそんな事はしないわよ......」

 

 顔を逸らした。おっと既に前科ありですかな?布の服でいいだろ、布の服で。

 

「それより、あなたは何を買うか決めてあるの?」

「まだ考え中だ」

「なら取り敢えずお店に入りましょうか」

 

 言いながら雪ノ下が入った店はディスティニーショップ。夢と希望の国の出張所である。

 出張所とか言ってる時点で夢も希望もあったもんじゃない。

 その店の中でも大きな割合を占めているのが、ディスティニーの人気キャラクター『パンダのパンさん』だ。

 ランド・マッキントシュ氏の描いた『Hello,Mr.Panda』が原作で、つい最近も映画をしていた。ランドにある『パンさんのバンブーファイト』は超人気アトラクションであり、常に一時間以上の待機列となっているらしい。

 俺のこの知識、何を隠そう目の前で瞳をキラキラと輝かせパンさんの人形を手に取りフニフニと弄ってる少女、雪ノ下からの受け売りである。

 もうね、メールで凄い語ってくるの。時には家にコレクションしてあるらしいパンさんのぬいぐるみの写メとか送ってくるし。その人形がどんなに素晴らしいのかとかも送ってくる。

 

「おい雪ノ下」

「なぁに?」

 

 少し大きめのパンさんの人形を両腕で抱えてこちらに振り向く。その顔はあどけない笑顔を演出していた。あとそれまだ商品だからあんまりフニフニするなよ。

 

「お前、由比ヶ浜の誕生日プレゼントここから選ぶのか?」

「これは私の個人的な買い物だけれど」

「ソッスカ」

 

 雪ノ下の視線の先にはパンさんのストラップ。見れば『期間限定‼︎』と書かれたPOPがある。在庫も残り少ないようで、雪ノ下は抱えていた人形を棚に戻してからその期間限定パンさんの置いてある棚を凝視する。

 目がマジだ。

 俺から見るとどれも同じにしか見えないのだが、恐らく雪ノ下には些細な違いすら見えているのだろう。先程までのキラキラした幼い少女のような瞳は、一転して勝負師のギラギラしたものに変わっていた。いや何と勝負してるんだよ。

 暫くそうしていたのが、やがて棚へと手を伸ばし始める。しかし中々商品を手に取る様子は無く、二つのストラップの間を行ったり来たり。どうやらその二つのどちらにするか悩んでいるようですね。マジで何が違うのか分からん。

 よし、と決意を固めたように一つ頷きをして、なんと雪ノ下は二つとも手に取ってレジへと向かった。

 同じの二つ買うとか流石はブルジョア。趣味に金を全振りする辺り平塚先生と同じスメルがする。

 

「お待たせしたわね」

「そんな待ってねぇよ」

「そう?では、はいこれ」

「は?」

 

 レジから戻ってきた雪ノ下は右手に待つ二つの袋のうちの一つをこちらに寄越してきた。察するに、先ほどのストラップを袋を分けて貰ったのだろうが、何故俺に?

 

「受け取らないの?」

「いや、受け取らないの?じゃなくて。そもそもそれを受け取る理由が見当たらないんだが」

「理由が必要かしら?」

 

 こてん、と小首を傾げる雪ノ下。可愛い。じゃなくて。

 理由が必要かと問われたら答えに窮してしまう。確かに好きな子からこうしてプレゼントを貰うのは嬉しいのだが、今日は由比ヶ浜へのプレゼントを買いにここに来たわけであって俺へのプレゼントを買いに来たわけではない。

 

「その、あれだ。俺がそれを貰っても返せるものは何もないぞ?」

「お返しなんて要らないわよ。私があなたに上げたいから上げるの。ダメ?」

「......謹んで頂戴いたします」

 

 最後の「ダメ?」で完全にやられたね。こんなんセコイやろ。雪ノ下さん上目遣いとかマジあざといわー。一色のやつ移ったんじゃね?

 

「学校のカバンに付けてね」

「......はい」

 

 もう断る気もない。そもこれを受け取ってしまった時点でその言葉に対して断るという選択肢は与えられていないのだから。

 あとあれだ。ここで受け取らなかった場合、雪ノ下が悲しそうに顔を伏せる未来が見えた。それは嫌だった。

 

「さて、由比ヶ浜さんへのプレゼントはあそこで選びましょうか」

 

 指し示されたのはディスティニーショップの斜向かいにある雑貨屋。ふむ、そこならちょっとした小物なんかも置いてあるし、プレゼントを選ぶにはいいチョイスだろう。

 特に異論も無いのでまた雪ノ下の後ろにノコノコついて行き雑貨屋へと入る。

 

「由比ヶ浜さん、あれからまだ料理の練習をしているそうなの」

「それは......、大丈夫なのか?」

「その質問には黙秘権を行使するわ。あまり言いふらして由比ヶ浜さんの尊厳を貶めることはしたくないもの」

 

 その発言自体が由比ヶ浜の尊厳を貶めているとは気付いていないご様子ですね。

 だが、今もまだ努力を怠っていないというのは悪いことではないだろう。もしダメだった時の慰めにはなる。

 

「じゃあそっち関係のものとかか?」

「ええ。エプロンなんていいんじゃ無いかしら」

 

 数種類のエプロンが並べられた棚から、雪ノ下は一つ取り出して鏡の前でエプロンを着ける。

 その場でくるりと一回転。ツインテールが猫の尻尾のようにピョコリと舞った。

 

「どうかしら?」

 

 黒い生地に、白い猫のワンポイントが入ったシンプルなエプロン。シンプル故に、雪ノ下の清楚さをより際立たせる。

 

「どうと言われてもな......。似合ってるとしか」

「そう、ありがとう。由比ヶ浜さんにどうかしらと言う意味で聞いたのだけれど、そう言ってくれるなら嬉しいわ」

 

 え、なに、じゃあ俺今凄い恥ずかしい勘違いをした上で凄い恥ずかしいこと口走ったって事?

 やだ雪ノ下さん俺程度に似合ってるとか言われただけでそんな嬉しそうに笑うなよ照れちゃうだろうが。

 

「由比ヶ浜はあれだ。もっと頭悪そうなポワポワした感じのやつの方が良いんじゃねぇの?」

「酷い言いようだけれど、間違いではないわね......」

 

 かくして雪ノ下が選んだのは、なんかフリフリでカラフルな偏差値25くらいのエプロン。エプロンの偏差値ってなんだよ。

 そのエプロンと、先程俺が似合ってると言ったエプロンを持ってレジへ向かう。

 そのエプロンご購入ですか......。なんか小っ恥ずかしいな......。

 ここは男らしく、俺が買おうか?とか言えたら良いのだが、あいにくと持ち合わせがないのです。

 

「比企谷くんはなにを買うの?」

「あー、一応決めてあるんだが......」

「何か言いにくいもの?まさか卑猥なものでも送るつもりじゃないでしょうね?」

「何故そう言う発想に至ってしまう。首輪だよ首輪」

「首輪?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「にゃー......」

 

 はい、と言うわけでやって来ましたペットショップ。

 到着早々猫の前で鳴いている猫ノ下さんはこの際放っておくとして、俺は早速目的のものを物色しよう。

 

 首輪、と言ったが何も由比ヶ浜本人に首輪を付けようなんて趣味は俺にはない。いや、由比ヶ浜さん犬っぽいから首輪似合うと思うけどね。その場合は素直にチョーカーにするっての。

 俺が買うのは由比ヶ浜本人にでは無く、その飼い犬のサブレにつける首輪だ。あとついでにリードも。

 入学式の日の事故は首輪が壊れていたのが原因の一端だった訳でもあるし、今日だってリードの結合部が壊れていた。だからここは一つ、それなりに丈夫なやつをプレゼントしてやろうではないか。

 

「にゃっ......」

 

 だが選ぶ上で耐久性ばかりを気にすると言うのも愚かだ。誕生日プレゼントとは相手に喜んでもらわなければならない。故に、デザインにもそれなりに気を遣うべきだろう。

 幸いにしてこのペットショップは品揃えも悪くない。

 さて、どれにしようかな。

 

「お、こいつは良い感じだな」

「にゃー......?」

 

 手に取ったのは、犬の足跡がプリントされているリードだ。なんかPOPに丈夫だかなんだか書いてあるかリードはこれで良し。

 あとは首輪だな。ただの革製のやつというのも味気ないし、と言うかサブレの毛の色と被るし。青とかピンクとかの方がいいだろうな。

 なんて思いながら棚を見ていると、一つ目につくものが。青い花柄の首輪。

 うん、これいいな。なんか頭悪そうなポワポワした感じだし。これにするか。

 

「にゃんにゃん......」

 

 レジに向かおうかと思ったのだが、流石に無視出来なくなって来たので一応声はかけておこう。

 

「雪ノ下」

「にゃあに?」

 

 ......あっぶねー。今の雪ノ下の「にゃあに?」で軽く昇天しかけた。可愛すぎかこいつ。

 

「俺買うもん決めたからもうレジ行くけど。そろそろ出るぞ?」

「あ......。そう、分かったわ」

「......あー、いや、やっぱりもうちょい考え直すわ」

 

 そんな名残惜しそうな目をされちゃこうなるのも仕方ないよね!

 

 

 

 

 

 

 

 その後結局一時間以上ペットショップに拘束され、人が多くなって来た頃合いに雪ノ下に声をかけて出て来た。

 

「その、ごめんなさい。少し夢中になり過ぎてしまったみたい......」

「別にいい。お陰で俺もゆっくり選べたしな」

 

 俺がもう少し猫と会話をする猫ノ下さんを見ていたかったというのは内緒の方向で。

 

「んで、これからどうする?目的も果たせたわけだし」

「そうね......」

 

 ふと、雪ノ下の足が止まった。

 顔を横に逸らして何かをじーっと見ている。何を見ているのかと思い俺もそちらを見てみると、意外や意外。そこにあったのはゲームセンター。そして更にその中にあるクレーンゲーム。

 あぁ、成る程ね......。

 

「あのパンさんの人形、取りたいのか?」

「へ?」

「やってみたら良いんじゃねぇの?」

「そ、そうね。では少しだけ......」

 

 両替機に英世を投入。百円玉をスタンバってから、雪ノ下はクレーンゲームの前に立つ。

 負けず嫌いなこいつの事だから取れるまでやりそうだな。途中でブレーキ掛けてやらんといくら使うか分かったもんじゃない。

 だが、雪ノ下は中々筐体に百円玉を入れる気配を見せない。

 どうしたのかしらとその背中を見守っていると、こちらに振り向いて恥ずかしそうに口にした。

 

「ひ、比企谷くん」

「どうした?」

「その、私、クレーンゲームはあまり得意ではないから、取ってくれないかしら?」

 

 ふーん。ほーん。雪ノ下さん、また上目遣いでそんな事を言いやがりますか。

 

「なに、そんなにこのパンさん人形欲しいの?」

「プライズ品は中々手に入らないのよ。ネットオークションでは保存状態もしっかり確認出来ないし......」

 

 まぁ、ゲームセンターでクレーンゲームに躍起になる雪ノ下というのも想像出来ないし、そんなもんかね。

 

「まぁ別にこれを手に入れる事自体は難しくない。しかも百円で済む方法はある」

「店員さんに取ってもらうのは許可しないわよ」

「な、何故その技を知ってる⁉︎」

 

 俺が度重なる小町のおねだりの末に編み出した必殺の技だぞ。その存在を知る人間は限りなく少ないというのに。

 

「はぁ、ま、それじゃ格好がつかないしな。普通に取ってやるよ」

「お金は私が払うから。頼んだわよ」

 

 こんな場面でそこまで頼りにされても反応に困る。もうちょっとあるじゃん。ほら、シチュエーション的に良い感じの場面が。

 それこそテニスの時みたいなさ。

 だけどまぁ頼まれた以上はやってやりますかね。

 雪ノ下が筐体に百円玉を投入。ふえぇ......、と言う音がなってゲームが始まる。この音ムカつくな。

 ボタンを押してクレーンの位置を調整。横の感覚はまだ大丈夫だが、奥の感覚は中々に掴みづらい。ここだと言うところでボタンから指を離し、筐体がまたふえぇ......、と鳴きながらクレーンが下降していく。

 アームはしっかりと目的の人形を掴み上昇。そのまま道中で落とすこともなく、なんともあっさりとパンさん人形を獲得してしまった。

 一回で取れちゃったよ......。

 

「ほれ」

「......ありがとう」

 

 取り出し口から人形を取って雪ノ下に手渡す。

 それをギュッと抱き締めた彼女は、ボソリと小さな声でお礼の言葉を呟いた。

 

「ふふ......」

「なに、そんなにそれ欲しかったの?」

「確かに欲しかったけれど、それよりもあなたが取ってくれたと言うのが重要なのよ」

「さいで......」

 

 真正面から幸せそうに微笑まれて照れ臭くなってしまう。いつものキリッとした凛々しい雪ノ下さんは何処へ行ってしまったのだろうか。

 

「ではそろそろ帰りましょうか」

「ん、そうだな」

 

 人形を抱き締めたまま歩き出す彼女の隣に並んで歩く。

 俺も雪ノ下もなにも喋らない。いつもの心地いい静寂だ。周りの喧騒も聞こえないくらいその静寂に身を委ねていたのだが

 

「あれ、雪乃ちゃん?おーい雪乃ちゃーん!」

 

 それを引き裂くかのように、明るい声色が響き渡った。



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ただ一人、彼女は胸になにかを抱える

三巻これにて終了です。事故の件がないと早いね


 こう言う状況に陥ってしまったからこそ、色々と考える事が出来た。

 

 

 彼のこと

 

 彼女のこと

 

 それから、家族のこと。

 

 

 私の知っている彼と彼女はもうどこにもいない。その事がとても寂しくて、とても苦しい。どうやら私は自分で思っていた以上に二人に、特に彼に依存してしまっていたみたいだ。

 独りなんて慣れていると思っていたのに、いざ二度と会えないとなるとそれだけで心が痛む。

 

 

 きっとこのまま私が何もせずに、同じ時間を辿ろうとすれば彼はまた自らを傷つけて、それでもそれは傷でもなんでもないと言いながら色んな人を救ってしまうのだろう。

 きっと彼女は、私を置いてどんどん彼との距離を縮めて行くのだろう。

 きっと私は、家族と向き合うこともせずにただ反発だけをして、まるで幼い子供が駄々を捏ねるようなことしかしないのだろう。

 

 それは嫌だ。だからこそ向き合わなくてはならない。

 今までの一年にも満たない生活が、私に色んな事を教えてくれた。その経験を活かそう。

 まるでカンニングのように答えを振りかざそう。

 でもきっとそれだけではダメだ。

 答えを知っていても、理解していなければ意味がない。

 だからしっかりと考えなければならない。

 彼が何を思ってあんな方法を取ったのかを。

 姉や母が、何を思って私と接しているのかを。

 私が、何をしたいのかを。

 私だけの答えを、このやり直しの世界で見つけなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その声を聞いた瞬間、身体も精神もフリーズした。

 雪ノ下によく似た声だ。でも、決定的に違う声。聞いたことなんて無いはずなのに、聞いただけで防衛本能が働いてその場から立ち去りたくなる。だと言うのに、動けないでいた。

 

「どうして姉さんが......」

「は?姉さん?」

 

 ゲームセンターの向かいの店から出て来たのは雪ノ下雪乃ととても似た顔立ちで、雪ノ下雪乃が絶対に浮かべない類の笑みを携えた女性だった。

 

「ひゃっはろー雪乃ちゃん!奇遇だねえ。お買い物?それともその子とデートかな〜?」

 

 雪ノ下に詰め寄る女性。雪ノ下は姉だと言っていたが。確かに二人はかなり似ている。顔のパーツはそっくりだし、笑った時に見える八重歯とかえくぼとかもそっくりだ。

 でも、決定的に違うと言える。外面はいくら似ていようが、雪ノ下とこの人はどこも似てなんかいない。

 何よりも、この人が今日ここにいる事自体に違和感を感じてならない。

 

「初めまして!雪乃ちゃんの姉の雪ノ下陽乃です。君は雪乃ちゃんの彼氏かな?」

「違いますよ。ただの部活仲間の比企谷八幡です」

 

 グイッと距離を詰めてくる雪ノ下のお姉さんこと陽乃さん。それに後ずさってしまい、しかも出た声は思ったよりも低く棘を含んだものになってしまった。

 だからだろうか、陽乃さんのその完璧な笑顔が一瞬だけ崩れた。

 

「比企谷......。うん、よろしくね比企谷くん」

「こっちはあんまりよろしくしたく無いんですけどね」

「あはっ、面白いこと言うなぁ!」

 

 更に密着されてなんか体に色々と柔らかいものが当たってる。普段の俺ならばその事に内心慌てふためいていたのだろうが、残念ながら今はそんな余裕すらない。

 笑顔であるはずの陽乃さんのその二つの瞳が俺の腐った目を捉える。ただそれだけの事のはずなのに、背筋に悪寒が走る。

 まるで品定めするかの様な目。その目に俺は一体どのように映っているのかを考えようとして、しかし思考を中断する。

 

「姉さん、もういいでしょう」

 

 雪ノ下の声がやけに大きく感じた。その雪ノ下の声もどこかおかしい気がする。

 彼女の声自体がおかしいのでは無い。それ自体はいつものトーンだ。部室の外で聞く、少し冷気を纏ったかのように錯覚する冷めた声。だがそれだけだ。必要以上に棘を含めているわけでもない、フラットなそれ。

 陽乃さんに向けてその類の声色を出しているのが酷く不自然に感じるのは何故だろうか。

 

「姉さんの言った通り、私今は比企谷くんとデート中なの。邪魔しないでくれるかしら?」

「は?ちょ、お前何言ってんの⁉︎」

 

 先ほどまでの思考が全て吹き飛ぶくらいの爆弾を、雪ノ下はなんの前触れもなく投下した。

 陽乃さんもまさか肯定の言葉が返ってくるとは思わなかったのだろう。酷く間抜けな顔を晒している。かと思えばそれも一瞬の間だけで、次には怪訝そうな表情を雪ノ下に向けていた。少なくとも、その表情は妹に向けられるものではない。

 

「あなた、本当に雪乃ちゃん?」

「さぁ、どうかしらね。ここで私がなんと言おうと、姉さんは信じないでしょう。

 でも、一つだけ言えるなら、私は何も知らなかった頃の私じゃないわ。いえ、今ですら知った気になっているだけなのかもしれないけれどね」

 

 ふっ、と柔らかな笑みが陽乃さんに向けられる。

 先月の川崎の件の時に、雪ノ下が家族絡みでなにかあると言うのは察せられたが、この様子じゃ大丈夫なのだろうか?

 暫く雪ノ下の目をじっと見ていた陽乃さんだったが、こちらも表情を崩して笑みを浮かべる。それは対面した時に見せた強化外骨格みたいな造られたもので無いのは火を見るよりも明らかだった。

 

「そう、雪乃ちゃん成長したのね」

「それはどうなのかしらね。自分では分からないものよ」

「ううん、雪乃ちゃんは成長したわ。母さんとも、話すつもりなんでしょう?」

 

 雪ノ下の肩が微かに震えたのが分かった。

 家族の事情と言うのは各家庭それぞれだろう。例えば俺の家なんかは小町至上主義であり、俺が若干蔑ろにされてる感じは否めないが、だからと言って俺がその事に対して両親に何かを言うつもりなんてない。

 雪ノ下の家の中で、雪ノ下雪乃が一体どう言う立ち位置に居て、彼女にとって母親という存在がどんなものなのか。俺はそのどちらも知らないし、知るべきではないのかもしれない。

 

「夏休み、お盆に入ったら一度実家に帰るわ。その時に母さんとは話すつもりよ」

 

 だが、そのままで終わらせる雪ノ下雪乃ではない。

 母親と上手くいっていないであろうことは今の会話から嫌でも察しがついてしまう。だからこそ、雪ノ下の中の正しさはそれを容認しないのだろう。

 

「分かった。それまで待ってるね。それじゃあ私はもう行くわ。比企谷くん、雪乃ちゃんをお願いね」

「俺なんかにお願いしても何も出来ませんよ」

「またまた謙遜しちゃって〜。じゃあね雪乃ちゃん!夏休み、楽しみにしてるね」

 

 まるで台風のように、雪ノ下陽乃は去っていった。

 今の数分のやり取りだけでドッと疲れが押し寄せてくる。一体彼女は、俺の中に何を見て雪ノ下をお願い、だなんて言ったのだろうか。

 

「お前の姉ちゃんすげぇな」

 

 口をついて出たのはそんな言葉だった。

 何も考えず半ば反射的に出た言葉だからこそ、今のは本心からの言葉だった。

 

「一応、あれでも自慢の姉なのよ。文武両道、才色兼備。コミュニケーション能力も高くて、誰も彼もがあの人のことを持て囃す」

「俺が言ってんのはそう言うんじゃねぇよ。あの強化外骨格みたいな外面のことだ」

 

 結局、彼女が何を考えているのかさっぱり分からなかった。

 俺とて長年ぼっちをやって来た身である。人の機微についてはわりと敏感だと自負している。

 雪ノ下陽乃の場合、その言動の裏を読もうとしても何も見えない。仮面を外したと思えばまた別種の仮面がそこには待ち受けている。まるで底なし沼のようだ。それを暴こうとしてしまったら最後、足を取られて抜け出せなくなる。

 

「それに、そう言う意味でならお前の方が余程すげえよ」

 

 陽乃さんのあれは嘘と欺瞞で塗り固められた偽物の塊。それは俺も、恐らくは目の前の少女も、この世で最も嫌うものだ。

 だが雪ノ下雪乃はそれら偽物を嫌い、正しさを損なう事なく生きて来た。どのような悪意に晒されようと、負ける事なく、強く生きて来た。

 

「お前はあの人に出来ないような生き方をして来たんだから、それだけでもうあの人よりも一枚上手だろ」

「そうかしら。私は今まであの人のやり方をトレースして来ただけ。あの人の影を追っていただけよ」

「でも今は違うだろ?」

 

 それくらいは見たらわかる。

 陽乃さんとは今日会ったばかりだし、雪ノ下ともまだ出会って数ヶ月の付き合いだ。それでも、今の雪ノ下が自分なりのやり方で今を生きていることくらい、俺だけでなく由比ヶ浜や一色にだって分かるだろう。

 

「......あなたはなんでも分かってしまうのね」

「お前が分かりやすいだけだ」

 

 ハッと笑って言うと、雪ノ下もつられて笑みを見せる。

 

「それよりもさっきのはなんだよ」

「さっきのって?」

「雪ノ下さんに俺とデートだとか説明してただろうが」

「あら、男女が二人で出かけているのだからデートではなくて?私はそのつもりだったのだけれど、比企谷くんは違ったのかしら?」

「いや、違わないけども......」

「ならいいじゃない」

 

 いやいいじゃないと言っても妙な誤解をされたり変な噂が立ってしまったりとか色々あるじゃん。

 とは思っても口に出せなかったのは、雪ノ下がそう思ってくれていたことに対する嬉しさがあったからだろう。

 こりゃ本格的にダメみたいですね。

 何がダメって、ここで嬉しいと思ってしまうほどに雪ノ下に惚れてしまってる辺りがダメダメだ。

 

 

 

 

 

 

 

「由比ヶ浜さん、誕生日おめでとう」

「おめでとうございます結衣先輩!」

「おめっとさん」

 

 週が明けて月曜日の放課後。

 いつものごとく部室に集まった俺たちは、それぞれが用意したプレゼントを机の上に並べていた。

 俺の買った首輪とリード。雪ノ下の買ったエプロン。そして一色はなんかよく分からないが化粧品を買ったらしい。

 そしてプレゼントされた本人であるところの由比ヶ浜はと言うと、嬉しさからか一色と雪ノ下に抱きついていた。

 

「ありがとうゆきのん!いろはちゃん!それとヒッキーも!」

「由比ヶ浜さん、少し暑いわ......」

「ふわぁ、結衣先輩なんかいろんなところが柔らかいよぉ......」

 

 口では嫌と言いながらも実際は全く拒絶しない部長と危ない道に走りかけている後輩を、離れた場所から見る。

 仲良きことは良い事だ。しかしゆるゆりは許せてもガチ百合は許容範囲外なので気をつけていただきたい。

 あと俺にはついでにお礼言った感が凄いしたが気のせいだと思いたい。

 

「ケーキを焼いて来ているから。お茶もいれてみんなで食べましょうか」

「ゆきのんのケーキ!」

「雪ノ下先輩ってケーキも焼けるんですか。マジハイスペックですね」

 

 由比ヶ浜の腕の中からスルリと抜け出した雪ノ下はケーキを入れているであろう袋から箱を取り出す。流石にライターとかは誰も持って来ていないのでロウソクは無しだが。

 ふと、雪ノ下を目で追っていると気がついた事があった。

 俺と同じものを一色も目ざとく発見したのか、それについて雪ノ下に問いただした。

 

「雪ノ下先輩、そのパンさんのストラップどうしたんですか?」

「一昨日、由比ヶ浜さんのプレゼントを買う際についでに買ったのよ」

「どれどれ?あ、本当だ!ゆきのんそのパンさん可愛いね!」

 

 パンさんって可愛いのか?

 凶悪な目に凶暴な爪ってもうその風貌だけでマスコットって感じはゼロなんだけど。女子の感性がイマイチ分からない。

 

「せ〜んぱ〜い」

「なんだよ」

 

 なにやら意味深な笑みを浮かべた一色が近づいてくる。そのニヤニヤ顔なんかムカつくな。

 て言うか近い、近いよいろはす。

 俺の耳に顔を寄せる一色。目の前で揺れる亜麻色の髪のせいで妙にくすぐったい。

 

「土曜日、あの後上手くいったみたいで良かったですね」

「は?」

 

 なんでそんな事が分かるのかと一瞬考えた後、一色が俺のカバンを指差すのを見て答えに至る。

 本当目ざといなこいつ。いや、別に隠すようなことでもないんだけども。

 今の言い方からして、もしかして俺が雪ノ下の事好きなのこいつにバレてる?

 

「一色さん」

「ひゃいぃっ!」

 

 雪ノ下の声にビビる一色。

 もうこのくだりも恒例化して来た感じあるな。俺を盾のようにして雪ノ下から隠れるまでが一連の流れだ。

 

「ケーキを切り終わったから、ほら、食べましょうか」

「そそそそうですね!食べましょう食べましょう!」

 

 いそいそといつもの場所、俺と由比ヶ浜の間に椅子を置いてから雪ノ下の配るケーキを受け取る。

 一色の隣の由比ヶ浜は餌を目の前にして待てと言われてる犬のように目を輝かせてる。今度犬耳付けさせてみようかな。

 

「ゆきのん早く食べようよ!」

「そう急がなくてもケーキは逃げないわよ」

 

 紅茶を淹れて配り終えた雪ノ下が座ったのを見計らい、由比ヶ浜は目で食べていいかと問う。

 それを微笑みを浮かべて首肯する雪ノ下。

 

「いただきます!んー、うまー!」

 

 由比ヶ浜が一口食べたのを見て俺も一口。

 おぉ、これは確かに美味い。さすがは雪ノ下。

 

「本当美味しいですねー!雪ノ下先輩、今度レシピ教えてください!」

「なに、お前お菓子とか作んの?意外だな」

「意外ってなんですかー!」

 

 ぷくーとあざとく頬を膨らませる一色。はいはいあざといあざとい。

 まぁ一色の場合はお菓子作りも自分を可愛く見せるために必要な努力なのだろう。そう考えるとこいつスゲェな。多分そのための努力はお菓子作り以外にもあるだろうし。それを維持しようとしているのは素直に賞賛するしかない。

 

「お菓子作りは女の子の必須スキルですよ!」

「必須スキル......。ゆきのん、私にも今度ケーキの作り方教えて!」

 

 うーん、ガハマさんの場合は無理して習得しようとしなくて良いんじゃないかな。

 習得しない事によって救われる命もあるんですよ!

 

「由比ヶ浜の場合はケーキ以前にクッキーをちゃんと一人で作れるようになってからだな」

「ま、前よりかはマシになってるし!」

 

 そんな俺たちのなんでもないやり取りを、雪ノ下は優しい眼差しで見つめている。

 その胸の内にどのような感情を抱いて俺たちを見ているのかはわからないが、彼女にとってこの部室が心休まる場所であるのなら。

 

 取り敢えず、カバンにお揃いのストラップを付けてる事で誤解されても、俺は文句を受け付けないからな。




はるのんとのやり取りはもうちょい書きたかった筈なんですけどね。
当時の自分ではあまりにも力量不足で諦めた過去があります。


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4
彼らの夏は、これから幕が開けていく。


 ミンミンミンと蝉の鳴く音が聞こえる。アスファルトは太陽を照りつけ、熱が陽炎になり揺らめいている。

 暑い。

 

 本来ぼっちの夏休みと言うのは一日中クーラーの効いた家に籠り、宿題を計画的に済ませ、読書したりゲームしたりプリキュア見たりするものだ。ついでにニチアサと時間の被ってしまう朝のこども劇場でやる一昔前のアニメ(るろ剣とか幽白とか)は録画してから見る。

 そんなゆるゆる夏休みライフを満喫していた俺に襲い掛かったのは妹からのおねだりと言う最強の敵だった。

 駅前のモールにある期間限定スイーツが食べたい、と。それがないと宿題なんてやってらんないとか言い出しやがったのだ。

 しかし、俺とて長年小町の兄をやってきた身。この程度のおねだりなどなんて事はない日常茶飯事だ。

 そう、これが真夏の夏休みでなければ、日常茶飯事だったのだ。

 

「暑い......」

 

 雲一つない快晴。太陽を遮るものは何もなく、容赦無く俺を照らす。俺が本当にゾンビだったら死んでる。

 て言うか駅前ってなんでこんなに人多いの?こんな暑い日にわざわざ特に目的もなく集まるとかリア充どもはバカなのかしらん?それとも毎日お友達(笑)と会わなきゃ死んじゃうのかな?

 そんなリア充の群れの間を縫うようにして俺は目的の場所へと向かう。

 貴様らに足りないもの、それは速さだ。

 なんてバカなことを考えつつ、目の前に迫ったモールの入り口。あそこを潜ればそこはクーラーの効いた天国だ。

 さぁ天国への一歩を踏みしめようとしたまさしくその時。

 

「比企谷くん?」

 

 背後から俺を呼び止める声が聞こえた。

 振り返らずとも誰の声か分かる。こんな群衆の中ですらよく通る鈴のような声。

 振り返った先には俺の予想通り、雪ノ下雪乃が立っていた。

 涼しげな白いサマーワンピースは、彼女の清楚さをより際立たせているのだが、先月ワンニャンショーとららぽに言った時と比べて肌の露出が多い。ノースリーブの袖から見える肩はうっすらと汗ばんでいて、いつもの黒いニーソも履いていないのでスラリと伸びた白い手足が眩しい。

 端的に言って目のやり場に困る。

 

「お、おう雪ノ下。奇遇だな」

「奇遇ね。それより大丈夫かしら比企谷くん。こんな猛暑の中出歩いていては腐敗がより進むわよ?」

「いやゾンビの類じゃねぇよ。確かに腐ってもおかしくないくらいの暑さだけど」

 

 奉仕部とか全く関係なく雪ノ下と学校外で会うのはこれが初めてではなかろうか。

 川崎の時は仕事だったし、ワンニャンショーは小町が無理矢理セッティングした上に雪ノ下自身も元々由比ヶ浜と一色を誘うつもりだったらしいし、ららぽは由比ヶ浜のプレゼント選びだったし。

 そもそもこうして偶然街で会うと言うのが珍しい。俺は知っての通り外に積極的に出歩くタイプではないから、雪ノ下に限らず由比ヶ浜や一色なんかと出会う確率も相当低い。

 やだ、夏休みにこうして偶然出会えるなんて、これって運命?

 なんて、そんなわけあるか。

 

「そう言えばお前の家ここから近くだったか」

「ええ。モールの中の本屋さんに行こうと思って。折角の夏休みだし、何冊か買って読もうかと」

「これまた奇遇だな。俺も本屋に寄って夏休み用の本を買い溜めしとこうと思ってたんだよ。夏休みなんて家で本読むくらいしかやること無いからなぁ」

「似たようなことを考えるものね」

「選択肢がお互い少ないだけだろ。ぼっちの収斂進化の結果だ。俺とお前が似てるわけじゃねぇよ」

 

 本当に俺と雪ノ下が似ていると言うのなら、俺はここまで彼女に惚れていないだろうし。

 似ていないからこそ、俺に持っていないものを持っている彼女だからこそ好きになってしまったのだ。

 っべー、今のはちょっと臭すぎてキモかった。心の中で考えてるだけでもかなりキモかった。

 

「ま、本はついでで実際は小町にお使いを頼まれただけなんだけどな。モールの中にある限定スイーツが食いたいんだとさ」

「相変わらず小町さんには甘いのね」

「頑張って勉強してる妹のおねだりを聞くのは兄の特権だからな」

「そう。では行きましょうか」

「は?行くって何処に?」

 

 もしかして行く、じゃなくて逝く?八幡殺されるの?

 

「本屋さんに決まってるでしょう。私もあなたも行き先は同じなのだから、わざわざここで離れる理由もないじゃない」

「ああ、そうかそうだなその通りだ、うん」

 

 突然降って湧いた雪ノ下と二人きりの時間に内心動揺がヤバイ。

 小町、良くぞ今日このタイミングでおねだりしてくれたな。ご褒美にコンビニのアイスも買って帰ってやろう。金は母ちゃんのだけど。

 

 モールの中に入ってエスカレーターへと向かう。中は空調がしっかりなされていてとても快適だ。もうここに住みたい。でも休日になるたびにリア充のウェイウェイ煩い鳴き声を聞かなければならないと考えるとやっぱり嫌だわ。なにより小町がいないのがダメだ。

 クソどうでもいい事を考えながらモール内を歩いていると、最早見慣れた亜麻色の髪を見つけた。友人らしき女子数名と楽しそうにお喋りをしながら歩いている一色いろはだ。

 

「あら、一色さん?」

 

 どうやら隣の雪ノ下も一色を視認したらしい。見つけてすぐは若干驚き混じりの表情をしていたが、それは一瞬のことで、代わりに温かい微笑みを浮かべていた。

 

「安心したわ。ちゃんと仲のいい友人がいるのね」

 

 雪ノ下の言わんとしている事も分かる。

 一色いろははああ言う性格だから、女子は敵ばかりだと思っていたのだが、ああして素の笑顔で接することの出来る間柄の人間が奉仕部以外にもいる。

 少し考えれば当たり前のことかもしれないが、いかんせん部室の外での一色のことなんて知らないし知ろうとも思ってなかった。だが、いざこう言うところを見ると少しばかり安堵するのは俺たちの唯一の後輩だからだろうか。

 

「あいつとは基本的に部室でしか接点ないしな。それも毎日来てる訳でもないし。部長としては気になるところだったか?」

「少しだけよ。以前あんな事があったのだし、心配もしてしまうわ。でも、その心配も杞憂みたいね」

「以前?あいつ前になんかあったのか?」

「......失言よ。忘れてちょうだい」

 

 雪ノ下が忘れろと言うなら忘れるが、こいつでも失言とかするんだな。いや、意外ってほどでもないけど。ゆきのん案外ポンコツな面もあるもんね。

 

 友人と楽しく遊んでいる一色を暖かい目で見送りエスカレーターに乗る。

 このモール内の本屋は二階にあるらしい。実は俺がここの本屋に来るのは今日が初なのだが、雪ノ下曰く品揃えも悪くないとのことで。自分のやつのついでに小町の読書感想文用とか買ってやろうかな。

 ふと、前を見てみると、下り側のエスカレーターに何処かで見たような小太りの男がいた。

 材木座である。

 一緒にいるやつらはゲーセン仲間だろうか。なんか良くわからない言語で会話をしている。多分ゲーセン業界の業界用語とかだろう。

 出来ればお近づきにはなりたくないのでそっと目を逸らそうとしたまさしくその瞬間、材木座の眼鏡の奥の瞳がキランと光って俺を捕捉しやがった。

 

「はちま......ひぃ⁉︎」

 

 てっきりデカイ声でこちらを呼びかけて来るのかと思いきやそんな事はなく、むしろ情けない悲鳴をあげて縮こまっている。

 ツレのゲーセン仲間も何事かと剣豪さん(笑)の様子を伺ってるが、なにどしたの?俺の後ろ見てるけどお化けでもいた?いるのは雪ノ下だけですよ。

 材木座達を乗せた下りのエスカレーターはそのまま俺たちとすれ違う。

 結局何だったんだあいつ。

 

「なんか材木座が悲鳴あげてたけど」

「ざい......?......誰?」

 

 酷いなおい。材木座くらい覚えておいてやれよ。今の所奉仕部に来客として来てる数はあいつがトップだぞ。

 栄えある奉仕部訪問数ランキング第一位の材木座君だぞ。彼にはそのまま二度と来ないでもらいたいけども。

 夏休み前の遊戯部とのイザコザとか酷いもんだったしなぁ。

 

 エスカレーターを登り切り、その目の前にはもう目的の本屋だ。

 一応ここでいいのかと雪ノ下に確認を取ろうと振り返った時、その人物が視界に移った。

 総武高校テニス部のジャージを着てラケットケースとエナメルバッグを背負った銀髪の天使!正直言って一色とか材木座とか声掛けたりとかどうでもよかったけど今回ばかりは声を掛けねばなるまい!

 

「とつコポォ」

 

 思い切って勇気を振り絞り声をかけようとした所で、寸前でそれに急ブレーキをかける。

 お陰で物凄く変な声が出たし、近くを通りがかった女の人に奇異な目で見られて足早に去られていったし。隣の雪ノ下には心底蔑んだ目で見られるし。

 俺が呼び声を中断したのにはちゃんと理由がある。戸塚に駆け寄る、同じジャージ姿の男子。恐らくは戸塚と同じテニス部だろう。

 そうだよな......。当たり前だけど、戸塚には俺以外との人間関係があって、コミュニティにも所属してるもんな......。そんな中で声を掛けても、迷惑なだけだよな......。

 

「突然奇声を発した挙句、勝手に落ち込まないでくれるかしら。さしづめ戸塚君が友達といるのを発見したと言った所だろうと思うけれど。あまり公共の場で変態的行動はしないほうがいいと思うわよ?もう少し公共の福祉に気を遣ったらどうかしら」

「今の俺の一連の行動は公共の福祉に害を齎すレベルなのか......」

 

 雪ノ下さんエスパーか何かですか。なんで俺が戸塚一人で一喜一憂してるって分かっちゃったんだよ。この場合は俺が分かりやすいだけですね。雪ノ下も戸塚を発見していたのならこれくらいは考えるまでもなく分かってしまうだろうし。

 

 とまぁなんやかんやで本屋に突入。

 取り敢えず雪ノ下の後ろについて歩いて本屋の中を物色。

 なるほどこれは、確かに中々の品揃えのようだ。ライトノベルもかなりの種類置いてあるし、一般文芸なんて聞いたこともないような作家の作品もある。かと思えばメジャーどころはしっかりと抑えてあるな。

 

「ライトノベルはあちらよ?」

「俺がラノベしか読まないみたいに言うなよ。いや、あながち間違いでもないけどよ」

 

 でも割と一般文芸とか純文学とかも読んだりするんですよ?ただし恋愛小説、お前だけはダメだ。あの『頑張って青春してます!』みたいな感じが鳥肌立つ。

 

「んじゃ、取り敢えず別行動でいいのか?」

「ええ。お互い買い物を済ませたら入り口で落ち合いましょう」

「了解」

 

 雪ノ下と一旦別れ、案内板に沿ってラノベコーナーへ。確かガガガ文庫の新刊が幾つか発売されてた筈だ。

 ふむ、新しいものは特にめぼしいのはないか。取り敢えず『妹さえいればいい』の新刊だけ買って行くかな。

 後は小町の読書感想文用に一冊。そう言えば家に『人間失格』置いてなかったっけか。昔置いてあったらしいけど親父が読んだ後に売っちまったって言ってた。とりあえずこれでいいや。

 

 レジを済ませて本屋の入り口で待つこと十分。流石に長い。もしかして何かトラブルでもあったのか?あり得ない話ではない。なにせ雪ノ下は可愛い。その見てくれに騙されて本屋だろうと構わずにナンパするやつとかいるかもしれない。

 一度そんな考えに至ってしまうと心配と言うのは尽きないもので、本屋の中に確認しに行ってしまった。

 まずは雪ノ下と別れた辺りから探すとしよう。確か雑誌コーナーだったか。

 が、そこにはいない。

 まず順番に見て行くかと思い、少し早足で隣の百科事典コーナーに足を向ける。ここは主に小学生用の百科事典なんかが置いてあるらしい。

 俺も小学生の時、恐竜百科とか昆虫百科とか読んだわ。何故か小学生男子は必ずと言っていいほどその類にはまってしまうんだよな。恐竜かっこいいし仕方ない。

 

 果たして、俺がそこで見た光景は。

 最上段に置いてある本を精一杯背伸びして、しかし微妙に指先が届いていない雪ノ下雪乃だった。

 彼女が取ろうしてしている本は『にゃんにゃん大百科マル秘版』。つい最近発売されたばかり、とPOPに書いてある。

 控えめに言って超絶可愛い。

 

「雪ノ下」

 

 背後に回って声をかける。

 雪ノ下の肩がビクッと猫みたいに跳ねた。

 

「ひ、比企谷くん?その、買い物が終わったら入り口で落ち合いましょうと言ったはずだけれど......」

「それより、これでいいのか?」

 

 ひょい、と俺の身長からすると容易く取れるその本を取って雪ノ下に手渡す。あのまま雪ノ下が無理して取ろうとしていたら、隣の本まで雪崩形式でバサバサと落ちてしまいかねなかった。ここで見つけられて良かったと言うべきだろう。

 が、比企谷八幡痛恨のミス。

 雪ノ下がつい今さっきまで取ろうとしていた本を俺が取ったと言うことは、雪ノ下に覆い被さるような体勢になってしまうと言うことであり、雪ノ下は俺の胸にスッポリと収まる形になってしまうと言うことであり、側から見るとそれは抱き締めている構図にした見えないということであり......。

 

「わ、悪い!」

「い、いえ、別に構わないわ......」

 

 バッと後ろに飛び跳ねるようにして雪ノ下から距離をとった。

 急激に頬が赤くなるのを自覚してしまう。

 チラリと雪ノ下の方を伺って見ると、雪ノ下は頬どころか顔全体、耳まで赤くなっていた。

 おいおい、周りは小学生ばかりだってのに高校生がこんなところで何やってんですか。

 

「それより、その、ありがとう。レジに行ってくるわね」

「お、おう。そうか」

 

 去り際にそんな嬉しそうに微笑まないで下さいよ勘違いして告白して振られちゃいますよ?振られちゃうのかよ......。

 

 

 

 

 

 

 

 仕切り直しだ。

 なんか変な雰囲気になってしまったので仕切り直しである。

 

 さて、雪ノ下は当初の目的を果たし、俺はと言えば本命の小町用のスイーツをまだ買っていない。残念ながらここでお別れだろう。

 

「比企谷くん、あなた今から小町さんの為にお菓子を買って帰るのよね?」

「ん、まぁそうだが」

「なら私も付き合うわ」

「は?いやいや、お前がそこまで付いてくる義理はないだろ」

「私も今日は一日暇なのよ。このまま家に帰って無為な時間を過ごすなら、この後比企谷くんに付いて行ったほうが余程有意義だわ」

 

 嬉しいこと言ってくれんじゃねぇかコンチクショウ。そもそもそんな言い方されてしまっては断れないだろうが。

 

「......好きにしてくれ」

「ええ、好きにさせてもらうわ」

 

 本屋を離れて目的の店を探すべくモール内を歩く。一応、ある程度の場所は小町から教えてもらっているが、俺はここに来る事自体が少ないので館内の構造も分からないし、隣を歩く雪ノ下は方向音痴なので聞いたところで意味はない。度々案内板で現在地を確認しながら進んでいく。

 念の為、雪ノ下がちゃんとついてこれているかはこまめに確認していた。この人混みの中では逸れてしまう可能性もあるし、そうなってしまってはこの方向音痴さんを探すのも一苦労だ。いや、携帯で連絡取れば良いんだけどね。

 そうしてまたチラリと隣を見てみると、雪ノ下は薄っすらと汗をかいていた。その表情にも若干の疲れが見える。首筋から滴る汗が照明で反射している。なんだかエッチいです。

 

「ちょっと休憩するか」

「そうね。少し、疲れたわ」

 

 丁度空いているベンチを見つけたので雪ノ下をそこに座らせ、俺は飲み物でも買って来るかな、と目の前の自販機に向かおうとした時、そこにいたお団子頭と目があった。

 

「あ、ヒッキーとゆきのんだ」

「よお」

「こんにちは由比ヶ浜さん」

 

 自販機から『い・ろ・は・す 桃』を取り出した由比ヶ浜がトテトテとこちらに駆け寄って来る。その後ろを見てみると、一緒に遊びに来ていたっぽい三浦がいた。

 

「ヒキオじゃん」

 

 うーん、二文字しか合ってない!なんならヒキタニの方が近いまである。

 

「ユイー、あーし海老名に電話してるから」

「わかったー!」

 

 空気を読んでくれたのかは分からないが、三浦は携帯片手に少し離れたところに移動する。

 

「どうしたの二人とも?お買い物?」

「まぁそんな所だ。小町に限定スイーツをねだられてな。んで、ここに来たらたまたま雪ノ下と会ったんで、ついでだし一緒に行動してる」

 

 なんか言い訳してるみたいになってしまった。誰にしてるとか何に対してとか聞かれると答えられないが、なんだか自意識過剰みたいで恥ずかしい。どうも、自意識高い系男子こと俺です。

 

「そうなんだ。って、ゆきのん大丈夫?なんか疲れてる?」

「人混みにあてられただけよ。そんな心配する程の事でもないわ」

「心配するよ!ほら、いろはす飲んで!」

 

 その言い方だと一色いろはを飲めって言ってるみたいでなんだか卑猥ですね。

 

「ありがとう由比ヶ浜さん」

「水分補給はちゃんとしとかないとダメだよ!じゃないと『だっすいしょうじょー』になるんだって!」

 

 こいつ、脱水症状って漢字で書けないんだろうな......。イントネーションが完全に平仮名のそれだったし。

 

「て言うか、こんな暑いのにヒッキーが外に出るのって珍しいね」

「アホ、妹の頼みとあらば何処へだって行くぞ、俺は」

「出た、シスコン......」

「小町さんも小町さんで相当なブラコンだから、この兄妹は手に負えないのよね......」

 

 千葉の兄妹なんてどこもそんなものだ。何故なら千葉の妹は世界の妹。俺の妹は宇宙の妹だからな。シスコン万歳。

 

「逆に小町ちゃんのお願いじゃないと家を出ないってのがなんか超ヒッキーだよね」

「その言い方だと俺が引きこもりみたいに聞こえるからやめろ」

「なにも間違っていないじゃない」

「折角の夏休みなんだしさ、遊びに出かけたらいいじゃん!」

「やだよ暑いし」

 

 なんで暑い日にわざわざ外に出なきゃならんのだ。そもそも一緒に遊びに出かけるような友達なんて一人もいないし。外はこんなに暑いのに俺の人間関係は相変わらず寒々しいとか温暖化防止に貢献しすぎだろ俺。省エネ大賞受賞もそう遠くないのではなかろうか。

 いや、温度下げれば温暖化防止になるわけじゃないってのちゃんと分かってるよ?八幡そこまでバカじゃない。

 

「よし!じゃあ今度いろはちゃんと小町ちゃんも誘って五人でキャンプ行こう!」

「やだよ暑いし」

「じゃあ海!」

「やだよ暑いし」

「なら花火は⁉︎」

「やだよ暑いし」

「じゃあじゃあ、バーベキュー!」

「やだよ暑いし」

「さっきから同じ言葉しか繰り返していないじゃない......」

 

 壊れたラジカセみたいに同じ言葉ばかりを繰り返す俺に、負けじと由比ヶ浜はウンウンと考えているが、なにを言われたところで俺の返答は変わらない。そもそもそう言う所に行ったら120%の確率で大学生やら高校生やらのウェイウェイ集団とかち合ってしまう。海なんて特にヤバイ。ヤバすぎて最早ヤヴァイのレヴェルだ。なにより海で懸念すべきはナンパ遭遇率の高さだろう。こいつら、見てくれだけは美少女だから確実にナンパ被害に遭う。

 まぁ、雪ノ下はこの舌刀で相手の幻想をぶち殺すだろうし、由比ヶ浜はあれで結構身持ちが固いところがあるっぽいので頑として断るだろうし、一色は相手の男から金を搾るだけ搾ってそのままどっかにポイしそうだし、小町にナンパしたやつは俺が始末するし。

 あれ?思ったよりも心配する必要なくない?

 

「そう焦らなくとも、どうせ今年の夏休み中に全部出来るわよ」

「本当⁉︎」

 

 まさかここで雪ノ下がそんなことを言うとは。こいつの事だから俺みたいに反対意見を出すと思っていたんだがな。

 

「その代わり海ではなくて川遊び、バーベキューではなくて飯盒炊爨、花火は手持ち花火でキャンプと言うよりは部活動だけれど」

「え、夏休みなのに部活すんの?」

「当たり前よ」

 

 休みなのに休めないの?何そのブラック。そんなの聞いてない。しかも休日手当も時間外手当もどうせ出ないんでしょう?

 

「まぁその件については後日私か平塚先生から連絡が行くと思うから、それまで楽しみにしていてちょうだい」

「うん!」

「はぁ......」

 

 別にこいつらと一緒にいる事自体は嫌と言う訳ではない。寧ろ、あの部室や今みたいな時間は心地よくも感じる。

 が、しかし。それとこれとは話は別だ。休みは休むためにあるものだ。単純に、こいつらとキャンプに行くと言うのであれば俺もここまで嫌がってはいなかっただろうが、部活動であると聞かされては素直に喜べない。

 

「ユイー!もう行くよー!」

「あ、うんー!じゃあね二人とも!ゆきのん、またキャンプのこと教えてね!」

 

 トテトテーと三浦の方に走り去って行く由比ヶ浜。コケそうで見ていて不安になる。

 

「あ、そうそうヒッキー!小町ちゃんの言ってる限定スイーツ、さっき見たけど売り切れてたよ!」

 

 それを先に言えよ馬鹿......。

 



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ここでも、雪ノ下雪乃はなにかを見据えている。

千葉村です。戸塚outのいろはすin


「小町ー準備できたかー?」

「うんー、今行くからちょっと待ってー」

 

 部屋の方からリビングに向けて小町の声が届く。

 リビングで待機している俺の傍らには二泊三日分の荷物が入った旅行バッグが置いてあり、小町の準備が終わるまで淹れた紅茶を飲んでいる。中々雪ノ下みたいに美味しく淹れる事が出来ない。

 

「おまたせー!」

「おう、そんじゃ行くか」

 

 動きやすそうな格好にベレー帽を被った小町が旅行バッグを持ってリビングに入ってきた。どうやら準備が完了したようなので残っていた紅茶を飲み干して立ち上がる。

 

「行ってきまーす!」

「行ってきます」

 

 特に誰もいない家の中にそう告げて、太陽が燦々と輝く外へと身を投じる。

 ヤバイもう帰りたくなってきた。暑すぎる。

 

「なーにやってんのお兄ちゃん!遅れたら雪乃さんに怒られるよ!」

「そいつは勘弁......」

 

 今日から、二泊三日で奉仕部の合宿だ。

 

 

 

 夏休みが始まって二週間。

 街で雪ノ下達に会ってから一週間とちょっとが経っていた。

 あの日の雪ノ下の宣言通り、その二日後くらいに夏休みの奉仕部の活動についてのメールが来ていた。

 

『奉仕部の合宿としてボランティア活動を行います。場所は千葉村で二泊三日の予定です。自由時間は近くの川で遊んで良いそうなので水着を持って来ておくといいかもしれません。

 最も、視姦谷くんは私たちの水着姿を見る事で頭が一杯になって川遊びなんてしてる暇はないのでしょうけれど。

 一応由比ヶ浜さんにお願いして戸塚くんにも声をかけてます。比企谷くんの方から小町さんにも声をかけておいてもらえるかしら?

 当日は駅前のロータリーに集合です。

 遅れないように』

 

 みたいな内容だった。勝手に犯罪者じみた扱いを受けていたが、実際結構水着姿楽しみだったりするので否定できない。悲しい男の性だ。

 しかし、そんな事どうでもいいくらいの情報がこのメールには詰まっているではないか。

 戸塚が、戸塚が来る!!戸塚とキャンプとか夢にまでみたシチュエーションだ!

 小町がいて戸塚がいて雪ノ下もいるとか何この俺得な合宿。夏休みに部活あって良かったー!

 ......ナチュラルに雪ノ下が名を連ねていたのには突っ込まない方向性でお願いしたい。

 

 因みに平塚先生からも連絡が来ていたのだが、あの人のメールは怖いので見ていない。

 何が怖いって、やたらと文字数が多い上に連続で何回もメール送ってくる。メールに反応しなかったら直接電話かけてくるし。それが二日間続いたし。本当怖い。あの人が結婚できない理由の一端を垣間見てしまった気分になった。

 

「さて比企谷、電話に出なかった言い訳を聞こうか」

 

 とまぁ、平塚先生からの連絡を全部スルーしてたら勿論こうなるよね!

 ロータリーの一角に停めてあるワンボックスカーの前に仁王立ちしている平塚先生。見るからに怒ってらっしゃる。

 

「いや、連絡は雪ノ下から受けてましたし遅刻せずこうしてちゃんと来てるんですから別にいいじゃないですか」

「それでも返信の一つくらい寄越すものだろう。全く、返事がなければ何か事故に巻き込まれたのかと心配してしまうよ。雪ノ下からお前が参加する旨を聞いていなかったら妹君にまで手を回していたところだった」

「確認のしかたが一々こえぇよ......。そんなんだから結婚できな」

 

 最後まで言い切る前に、平塚先生の拳が俺の腹に減り込んだ。

 

「三発殴って比企谷を倒せ」

「一発じゃねぇか......」

 

 あとその技そんな力技じゃないからね?

 しかし、俺たち以外のメンツが見当たらない。まだ来ていないのだろうか。

 俺が辺りを見渡したので察したのか、平塚先生がタバコに火をつけてから口を開く。

 

「他のメンバーは買い出しに行っているよ。なんだ、雪ノ下が来ないと思って不安になったか?」

「なんでそこ雪ノ下に限定するんですか」

 

 そのニヤニヤ顔辞めて。近所のおばあちゃんの「若いっていいわねぇ」みたいな生暖かいものを感じてしまう。うわ、これ本人に言ったら殺される。

 そんなやり取りを俺たちがしてる間に、小町も他のメンバーを探していたようで、おっ、と小さく声を上げる。

 

「結衣さーん!雪乃さーん!いろはさーん!」

「あ、小町ちゃん!やっはろー!」

「やっはろーです結衣さん!」

 

 小町の視線の先には買い物袋を持った由比ヶ浜と一色、その数歩後ろに雪ノ下が。

 そのアホみたいな挨拶外でするの辞めてくんないかな。

 

「雪乃さんといろはさんも、やっはろー!」

「やっはろー小町ちゃん!」

「やっ......、こんにちは小町さん」

 

 アホの子三人に釣られて思わずアホの挨拶を口に出し掛けた雪ノ下だったが、すんでの所思いとどまったらしい。見てる間に頬が紅潮していく。

 

「雪乃さん、今日は誘って頂いてありがとうございます!でも小町もご一緒させてもらってよろしいんですか?これって奉仕部の合宿なんですよね?」

「気にすることは無いわ。由比ヶ浜さんがこのメンバーでキャンプに行きたいと言っていたし、一色さんも部員では無いから」

 

 あ、やっぱり一色は部員扱いじゃないのね。いつも入り浸ってて気がついたら部員になってました!ってパターンでは無いのね。

 ありがとうございますー!と叫びながら雪ノ下の右腕にに抱きつく小町。

 

「ちょっと雪ノ下先輩、その言い方ってなんだか私だけ仲間はずれみたいじゃ無いですかー」

 

 あざとく頬を膨らませながら小町の反対側の腕に抱きつく一色。

 

「べ、別にそう言った意図があっての発言では無いわ。一色さんは部員でなくとも、大事な後輩には変わりないし......」

「ゆ、雪ノ下先輩ー!」

 

 感激した一色は更に密着度を上げる。抱きつかれてる雪ノ下は迷惑そうにしながらも、引き剥がそうとしはしない辺りを見ると満更でもないらしい。

 そして由比ヶ浜はそれを遠巻きに愛でるように見ている。

 

「お前も混ざれば?」

「え?いや、わたしはいいよ。こうやって眺めてる方が楽しいし」

 

 そう言った由比ヶ浜の顔はどこか大人びて見えて、違和感を感じた。いつもの感じと違うと言うか、平常運転の由比ヶ浜ならここぞとばかりに雪ノ下にくっつきに行ってゆるゆりしてるのに。

 流石のガハマさんも暑さにやられたか。犬って暑いの苦手だもんな。凄い伸びるもんな。ガハマさん犬っぽいもんな。

 一方で常にマイペースな猫じゃなくて雪ノ下は未だに小町と一色の二人とゆるゆりしてる。これで由比ヶ浜も混ざってたら雪ノ下ハーレムの完成だ。

 

「さて、全員揃ったようだな」

「え、全員ってまだ戸塚が」

「あぁ、戸塚にも由比ヶ浜の方から声を掛けてもらってたんだがな。部活だそうだ」

「なん......だと......⁉︎」

 

 戸塚が来ない?戸塚とお風呂入ったり戸塚と川遊びしたり戸塚と夜同じ布団で寝たり出来ない?じゃあ俺なんのために合宿行くの?

 

「あぁ、もうなんでも良くなってきた。早く行きましょう......」

 

 戸塚が来ないってだけで全てがどうでも良くなってきた。

 

「先輩何いきなりやる気なくしてるんですか」

「まぁ、ヒッキーがこうなる時って大体決まってるしね」

「そうね、放っておいても構わないわ」

「まぁお兄ちゃんですしねー」

「はぁ、そうですか......」

 

 昨日それだけが楽しみで夜眠れなかったまであるのに、ここに来て神は俺を見放したのか......。戸塚と川遊びしたかったなー。

 だが待て。俺にはまだ天使が二人残っているではないか。水着姿の雪ノ下に、手持ち花火を持ってはしゃぎ回る小町。あれ、想像したらなんか楽しみになってきたぞ!ヤバイ!早く千葉村行きたい!

 

「先生何してるんですか早く行きましょう!」

 

 小町と雪ノ下がいるってだけで全てがどうでも良くなってきた。

 

「え、なんで今度は唐突にやる気出してるんですか......」

「まぁ、ヒッキーがこうなる時って大体決まってるしね」

「そうね、放っておいても構わないわ」

「まぁお兄ちゃんですしねー」

「はぁ、そうですか......」

「なんでもいいが、比企谷の言う通りそろそろ行くとしようか。あまりここで時間を使っても仕方がない」

 

 平塚先生が運転席の方に移動するのを見て、俺も後部座席へと乗り込む。

 が、何故か移動していたはずの平塚先生に襟首を掴まれた。

 

「比企谷、お前は助手席だ」

「ちょ、なんでですか」

 

 そうしてるうちに他のメンバーが車に乗り込んで行く。あっという間に助手席以外の席は埋まってしまった。

 

「べ、別に比企谷とお話がしたいとかそんなんじゃないんだからね!」

「うわぁ......」

 

 キツイ。色々とキツイ。アラサー教師のツンデレとか誰得だよ。需要ねぇよ。

 

「ただ助手席が事故した時に一番死亡率が高いってだけなんだから!」

「最低だなこの教師!」

 

 なんて事言いやがるんだこの人。メールの件といい趣味といい、この人本当に結婚する気があるのかってくらい結婚出来ない理由が明々白々なんだが。

 

「冗談だよ。比企谷と話すのは嫌いではないからな。君との会話は楽しいものさ」

「......そうっすか」

 

 そんなことを正面から言われてしまっては断れない。もう、最初からそう言ってれば八幡断らなかったのに。

 素直に助手席へと乗り込む。俺がシートベルトをしっかり締めるのを確認すると、平塚先生はエンジンを始動させて、一路千葉村へと車を走らせる。

 

 

 

 

 

 お盆前だからだろうか、高速道路は意外と空いている。後部座席では女子たちがガールズトークに花を咲かせ、由比ヶ浜は早速買ってきたお菓子を広げていた。それ、向こう着いてから食べるやつじゃなかったのかよ。

 因みに、真ん中の座席が雪ノ下と由比ヶ浜、一番後ろが一色と小町だ。

 數十分しないうちに千葉を抜け、トンネルを飛び出したその先は山、山、山。辺り一面山だらけ。その頃には由比ヶ浜は既に寝ていた。雪ノ下の肩を枕がわりにして。そこ代わってほしい。

 そこから更に数十分。合計一時間ほどで千葉村に到着だ。

 

「んー!空気が美味しい!」

「人の肩を枕がわりにしていたのだもの。さぞ美味しいでしょうね」

「ごめんってばゆきのんー!」

 

 車を降りた俺たちを待ち受けていたのはやはり山。もう本当山しか見えない。働かざる事山の如し系男子こと俺からするとなんだか親近感が湧く。無いか。無いな。

 全員が降りたのを確認した平塚先生が、車のトランクを開ける。どうやら荷物を下ろすらしい。メンバー唯一の男手だし、誰かに何か言われる前に自分から手伝いに行くか。

 

「手伝いますよ、先生」

「ぬ、比企谷が自ら仕事をしに来るとは珍しいな」

「一応唯一の男手ですからね。あいつらに重いもん持たせる訳にもいかんでしょう」

 

 車の中には各々の荷物の他にも、飲み物の入ったクーラーボックスや川遊びで使う用であろうオモチャの入った袋、後は花火なんかもある。各自の荷物はそれぞれで持って貰わなければならないが、これらの荷物は俺が持った方がいい。

 働きたくは無いのだが、後々なんか言われるよりかマシだ。

 荷物を全部下ろし、これからどうするのかと平塚先生の方に向き直ると、もう一台別の車が目の前にやって来た。はて、千葉村の職員の方々ですかな、とか思ってると、中から出て来たのは爽やかな笑顔。

 我がクラスの王様、葉山隼人だ。

 

「あれ、隼人君だ」

「葉山せんぱ〜い!」

「やあ結衣、いろは」

 

 ちょっと聞きましたか奥さん!さらっと下の名前で呼んでますよ!

 葉山に続いて、車の中からは同じグループの三浦、戸部、あと海老名さん?だっけか。まぁその三人がぞろぞろと出て来る。

 

「あれ、ユイいんじゃん」

「みんなどしたん?」

「ふむ、全員揃ったようだな」

 

 互いに相手側がここにいる理由も分からずハテナを浮かべていると、平塚先生がザッと一歩前に出て説明を始める。

 

「君たちにはこれより三日間、小学生の林間学校のサポートを行ってもらう」

「あーしタダでキャンプ出来るって言うから来たんですけど」

「俺はボランティアで内申点が貰えるって聞いたぞ?」

「BBQじゃねーべ?」

「山の中の新鮮なハヤ×ハチが見れると聞いてhshs」

 

 どうやら向こうさんは全員が全員とも、自分に都合の良いところしか聞いてなかったっぽい。てか最後、海老名さんなんて言ったの?

 

「自由時間はしっかり設けてあるから、その時は好きに過ごしたまえ。それに、働きいかんによっては葉山のように内申点を追加するのも吝かではない。さて、早速移動するぞ」

 

 平塚先生を先頭としてその後ろに俺と雪ノ下が。更に後ろに他のメンツが話しながらついてくる。一色さん随分と嬉しそうですね。

 

「ちょっと、なんで葉山達まで来てるんですか。俺たちだけて十分でしょ」

「どうせ葉山くんの言う通り、内申を餌に募集を掛けていたと言うところでしょう。人手が多いに越したことは無いわ」

「大体雪ノ下の言う通りだ。地域のボランティア活動の担当が私に回って来てしまってなぁ。若手はなんでもかんでも任されてしまって辛いよ」

 

 今無駄に若手って所を強調したのに他意はありませんよね?

 

「形だけ募集の張り紙を貼っていたのだが、まさか本当に来るとは思わなかったさ」

「形だけって、それでいいのかよ社会人」

「君たちばかりを贔屓しているように見られるのもあまり気持ちのいい話ではなかろう。

 丁度いい機会だ。二人はあそこら辺のメンツと上手くやる術を身につけたまえ」

「いや、上手くやるって言われても......」

 

 かたやリア充トップカーストのグループ。

 かたや孤独と孤高を極めたぼっち。

 上手くやれる気がしない。

 

「仲良くやるのではなく、さらっと無難にやり過ごせと?」

「その通りだ雪ノ下。社会に出ると、嫌でも他人と関わらなければならなくなるからな」

「マジかよやっぱり働きたくねぇ」

 

 人と上手くやる、なんて事は別段難しい事では無い。

 相手の顔色を伺い、無理に話を合わせて場を繋ぐ。それは彼らが学校でやっていることとなんら変わりない事だ。

 畢竟、他人と上手くやると言うのは相手を騙し自分を騙す。それは俺が嫌う欺瞞、猜疑、偽物だ。

 だけど、だとしても

 そんな偽物だらけの中でも、彼らなりに大事なものがあり、守りたいものがあるのだと。

 俺はそれを、どこかの竹林で知った気がする。

 



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等しく、人間と言うのはかくも愚かで。

ルミルミ登場です。


 目の前の光景に戦慄する。

 林間学校と言う日常からかけ離れた非日常に身を置かれていることでテンションがうなぎ登りな小学生達。声を大きく張り上げ、会話に花を咲かせている。きっと彼らにとっては意味のある言葉、音として耳に入るのであろうが、傍から見ているとそれは最早雑音以外の何者でもない。

 ヤバイな小学生。あの由比ヶ浜や一色ですらそのはしゃぎように若干引いてるし、雪ノ下に至っては血の気が引いてる。かく言う俺も雪ノ下と変わらない反応ではあるが。

 

 小学校の教師陣はなにも言わずにただ前に立っているだけだ。時折腕の時計を見ては、また生徒の方に視線を戻す。その異様とも言える雰囲気を感じ取ったのか、喧噪は徐々にやんでいく。

 完全に静まり返った後、教師が口を開いた。

 ま、まさか、あの伝説の言葉が炸裂すると言うのか......⁉︎

 

「はい、皆さんが静かになるまでに3分かかりました」

 

 で、で、で、出たー!小学校教師必殺の説教する時の決まり文句!

 その後も教師は林間学校ではしゃいでる小学生共にいっちょかましてやろうかと言わんばかりの説教を暫く続けた後、エリエンテーリングの説明をする。

 

「では、最後に今日から三日間サポートしてくれるお兄さん達に挨拶しましょう」

 

 拡声器を持って一歩前に出る葉山。いつの間にかあいつがボランティアの代表になってるらしい。

 

「今日から三日間、お願いします。みんなで素敵な思い出をたくさん作りましょう」

 

 小学生特有の間延びした声での「よろしくお願いします」

 葉山の方が奉仕部の部長っぽいんだけど。

 

「お前も挨拶しとけば?」

「......」

「雪ノ下?」

 

 隣の雪ノ下に声をかけるも反応がない。まさかの無視ですか?とも思ったがどうやら違うようで。

 雪ノ下は小学生の集団のある一点を凝視していた。それもなにやら深刻そうに考えごとをしている表情で。

 

「......え?あ、ごめんなさい比企谷くん。何か言ったかしら?」

「いや、何でもないんだけど、どうかしたか?」

「少し、考えごとをしていただけよ」

「ならいいが」

 

 深刻そう、とは表現したが、もっと具体的に言うのであれば、何か苦々しい記憶を思い返しているような、そんな表情だった。久し振りに雪ノ下のその顔色を見た気がする。

 葉山の挨拶が終わると、教師の号令のもとオリエンテーリングがスタート。予め決めてあったのか五、六人に分かれて小学生達は森の中へと入っていく。

 何をすればいいのか分からない俺たちは自然と一箇所に集まってそこに留まっていた。

 

「いやー小学生マジ若いわー。俺たちとかもうおっさんじゃね?」

「ちょ、やめてよ戸部ー。あーしがババァみたいじゃん」

「んなこと言ってないでしょー!」

 

 戸部うるせぇ......。

 女王のご機嫌とりも大変結構だが、その無駄に長い茶髪のせいかウザさと煩さがマックスである。

 

「でも小町から見ても高校生って大人って感じですよー。兄を除いて」

「バカお前、俺なんか超大人っぽいだろ。愚痴をこぼしたり、汚い嘘をついたり、卑怯なことをしたり」

「ヒッキーの大人のイメージってそんなのなんだ⁉︎」

「イメージが悲惨すぎますよ先輩」

 

 ドン引きされていた。

 

「でもでも、クラスでのヒキタニ君ってちょっと大人っぽいよね。クールと言うかいつも落ち着いていると言うか」

 

 思わぬところからフォローが入った。戸部と三浦の横で話を聞いていた海老名さんだ。俺この人と話したことないんだけど。なんならクラスのほぼ全員と話したことないまである。

 

「落ち着いてクールなヒキタニ君を無理矢理攻め立てる隼人君......!嫌々ながらも徐々にそれを受け入れてしまうヒキタニ君は禁断の関係へと......!」

 

 ぶはぁっ!と海老名さんの鼻から鮮血が舞う。それに慣れた手つきでティッシュで介抱する三浦。

 海老名さんとの会話にすらなっていないような初会話は、出来れば今後二度と会話したくないような代物だった。

 

「それじゃあ、俺は平塚先生にどうしたらいいか聞いてくるよ」

 

 苦笑しながら去る葉山。指示を仰ぎに行ってくれるのはありがたい。きっと奴もこれまで海老名さんの妄想の被害に遭っていたのだろう事を考えると、なんだか同情の視線を向けてしまう。

 

 

 

 

 

 平塚先生から受けた指示は、小学生をサポートしながら先にゴールまで辿り着き、そこで昼食の準備をしていろとの事だった。

 小学生達は元気に楽しくチェックポイントを巡りながら駆け回っている。よく体力持つなぁ。

 そんな中で、一つだけ異様な雰囲気の班を見つけた。

 班のメンバーから一歩離れた場所に立っている首からデジカメをぶら下げた、紫がかった黒髪の女の子。そしてその他の四人は茂みの方を見てキャーキャーと悲鳴をあげている。

 それを見て襲い掛かる猛烈な既視感。久しく感じていなかったあれだ。だが何故いま?

 いや、ただ単に、スタンド使いとスタンド使いが惹かれ合うように、ぼっち同士で何か惹かれ合うものであっただけかもしれない。

 

「何かあったのかな。ちょっと見てくるよ」

 

 俺たちから離れていく葉山。

 どうやらアオダイショウがいたらしい。手で掴んで茂みの向こうに放り投げる葉山に小学生達は黄色い声援を上げている。

 一色がさっきから凄い舌打ちしてるんだけど相手小学生だからね?

 

「ねえお兄さーん。次のチェックポイント教えてよー」

「ダメだよ。それじゃあルール違反になっちゃう」

「えー、ここだけだからいいじゃーん」

「しょうがないな。今回だけだよ?みんなには内緒な」

 

 やったー!と喜びの声が上がる。

 秘密の共有、なるほどこれも平塚先生の言っていた人と上手くやる、と言う事の一つなのだろう。

 キャイキャイとはしゃぐ四人を尻目に、葉山はもう一人の班員の女の子の前に立つ。

 

「チェックポイント、見つかった?」

「......いえ」

「名前は?」

「鶴見、留美......」

「留美ちゃんだね。じゃあ一緒に行こうか」

 

 さりげなく名前を聞き出し、更には背中を押すと言うさりげないボディタッチ。俺には一生掛かっても出来そうにないリア充スキルに戦慄していると、隣の雪ノ下がため息を漏らした。

 その気持ちはわかる。一人でいるものを無理からに集団へとねじ込むのは正しい選択ではない。事実として、あの子が合流した後の他の四人はヒソヒソチラチラと厭らしい目線を送りながら会話を交わしている。

 明らかに悪意のある孤立。

 

「小学生でもあんなのあるんだな」

「小学生も高校生も変わらないわ。皆等しく同じ人間なのだから」

 

 そう言った雪ノ下の視線は鶴見留美から外れ、葉山隼人へと向けられていた。

 

 

 

 

 

 山の中腹辺り、飯盒炊爨のための炊事場が設けられた広場に着いた俺たちは、先に到着していたらしい平塚先生からの命令で昼食の準備を進める。

 程なくしてから小学生達もチラホラとゴール地点に集まり始め、本格的に飯盒炊爨が始まった。

 

「では、よく見ておきたまえ」

 

 ライターと新聞紙を持った平塚先生が火をつける手本を小学生に見せている。

 カチッ、カチッ、と何度かライターを着火させる音が聞こえ、薪に燃え移ると団扇でパタパタと仰ぎ始める。

 やがてそれが億劫になったのか、なんとサラダ油をぶっかけやがった。一瞬だけ燃え上がる炎。

 危険だから小学生にそれはやらせないでくださいよ。

 

「なんか随分手慣れてますね」

「大学時代はサークルの活動でよくキャンプをしたものさ。私が鍋に火をかけてる間、リア充共はイチャコライチャコラ......」

 

 目の腐り具合に定評のある俺ですら若干引くくらいに平塚先生の目が澱んでいく。

 腐り具合に定評あるってなんも嬉しくないな。

 

「チッ、気分が悪くなった。男子は火の準備、女子は食材を取りに行きたまえ」

 

 ここで男女を分けたのは私怨が混じってませんか。大丈夫ですか。

 

 さて、俺たちも自分達のカレーを作ろうかとそれぞれが分担された役割を全うしている。

 女子達には食材を切ってもらったりとしてもらい、俺と葉山と戸部の男子三人で火の番をしていた。

 

「まあ、小学六年生の野外炊事としては妥当なメニューよね」

 

 その妥当なメニューすらこなせそうにない方が貴女のお隣にいますよ?

 因みにその当人であるところの由比ヶ浜は包丁を持つことを禁止された。さっきの梨の皮むきとか何故かボンキュッボンのナイスボディーな梨が出来上がってたし、妥当な判断だろう。

 

「家カレーだと家庭によって個性出るよな。母ちゃんの作るやつなんかだと色々入ってて、厚揚げとか」

「あるある、ちくわとか入ってるべ!」

 

 隣の戸部がいきなり声を上げる。

 あんまり気安く話しかけるなよ友達かと思っちゃうだろ。

 ぼっちはそう言った経験が少ないので「お、おう」くらいしか返す言葉が見つからずなんだか申し訳なくなる。申し訳ないので今後二度と話しかけないようにしよう。

 

「でも確かに色々あるよねー。こないだもなんか変な葉っぱ入っててさー。うちのママってたまにボーッとしてる時あるから」

「結衣先輩、それ多分ローリエですよ」

 

 由比ヶ浜の隣の一色が手際よく野菜を切りながら指摘する。どうやらこの前言っていたお菓子作りが出来るってのは嘘ではないらしい。料理すること自体に慣れているって感じだ。

 しかしローリエ、ローリエか......。なんか新しい萌えキャラみたいだな。葉っぱの擬人化。カレーの妖精ロリエたん。

 

「一応説明しておくけれど、ローリエと言うのは月桂樹のことよロリコンさん」

「ロリコンじゃねぇよシスコンだよ!」

「それを堂々と認めるのは小町的にポイント高いんだけど、なんだかなぁ......」

「ローリエ......ティッシュ......?」

 

 それはエリエールじゃないですかね由比ヶ浜さん。

 しかし火の前にずっと座りっぱなしってのもキツイもんだ。この暑さに付け加えて火の熱さ。結構汗が出てきた。

 

「俺と戸部で見ておくから、ヒキタニ君は休憩してきたらどうだ?」

「ん?あぁ、悪い」

 

 女性陣から回収してきた具材をドボドボと鍋に入れていると、葉山にそんなことを言われた。

 ここはお言葉に甘えさせてもらおう。なんならこのままフェードアウトしたいまであるのだが、それをしたら後が怖いのでやめておく。

 近くにある適当な椅子に腰掛けて汗を拭おうとすると、真横からスッと白い腕が伸びてきた。

 

「軍手で汗を拭うのはやめなさい。みっともないし顔が更に汚れて醜くなるわよ?」

「その言い方だと元から醜いみたいに聞こえるんですけど?」

 

 雪ノ下だ。どうやら自分に振られていた仕事は全部片付けてきたらしい。

 その手に握られているのは洗顔ペーパー。それを俺に差し出すでもなく、そのまま顔に当ててきた。

 

「ちょ、これくらい自分でできるから」

「いいからジッとしてなさい」

 

 ちょっとちょっとセクハラじゃないんですか奥さん⁉︎なんでそんな無駄に距離近いんだよいい匂いするじゃねぇか!

 

「はい、出来た」

「......サンキュ」

 

 なんだか気恥ずかしくて目を逸らしながらではあったが、一応お礼は口にしておく。

 そのまま俺の隣に座る雪ノ下。だから、距離が近いんだって。いや嬉しいし若干幸せな気分になってるのは否めないけども。

 

「暇なら見回りでもしてきたらどうかね?」

 

 俺が小さな幸福を噛み締めていると、平塚先生からそうお達しがあった。いまだ澱んでいる目で俺を睨みながら。またイチャコラしているリア充でも発見したんですかね(すっとぼけ)

 

「そうだな、小学生と話す機会なんてそうそうないし、行くか」

 

 鍋の具合もいい感じになって来ているのだろう、葉山が率先して立ち上がった。

 今の葉山の言葉を俺がそのまま言うとロリコン扱いで通報されるのだから世の中というのは理不尽だ。

 

「じゃあ俺が鍋見とくわ」

「なら私も」

「遠慮するな二人とも、鍋なら私が見ていてやろう」

 

 そう言った平塚先生の目は澱んでこそいなかったが怖かったので素直にその場を立ち去る。

 後ろから聞こえた「リア充爆発しろ」の声は聞いていないことにしよう。

 ぼくはかんけいないからね

 

 と言っても、キングオブぼっちたる俺と氷の女王様が小学生と上手くお話が出来るわけでもない。いや、氷の女王様はO☆HA☆NA☆SHIなら得意かもしれないけど。

 まぁつまりは行く当てなんて無いわけで、炊事場から離れて行く雪ノ下に着いて行き、二人して遠目から小学生と高校生(あと一人だけ中学生)のやり取りを眺めていた。

 雪ノ下がこちらに来ていることで地味に心配していた由比ヶ浜だが、どうやら小町と一色が着いているみたいなので大丈夫だと思いたい。

 ついでにこの心配は由比ヶ浜本人の心配ではなく、その被害を被るであろう周りの心配だ。もっと言うとなんだかんだで巻き込まれてしまいそうな俺自身への心配である。

 

 由比ヶ浜の料理スキルへの憂いで心が持っていかれそうになっていると、雪ノ下がまた一つため息を零した。

 俺も先ほどと同じく同感である。

 葉山隼人が、また鶴見留美に話しかけている。

 ダメだな葉山。それは悪手だ。

 悪意によって孤立させられている子に、みんなの前で話しかけると言うのは吊るし上げでしかない。

 例えば体育の時間にペアを組めず一人余ってしまい先生と組まされる感じだ。半端な優しさが何よりもキツイ。

 ただ一人でいるだけなら無色透明のノーダメージだが、体育の時間に先生とペアを組まされたりすると無職童貞くらいのダメージを受ける。ソースは俺。

 ぼっちに話しかける時はあくまで秘密裏に行わなければならない。

 

「カレー、好き?」

「......別に。カレーとか興味ないし」

 

 この場においてそもそも鶴見留美には選択肢が与えられない。

 好意的な返事をすると「チョーシノッテル」となるし、否定的な返事をすると「何アイツ、チョーシノッテル」となる。

 切れる手札は元から戦略的撤退しかないのだ。

 そのまま彼女は人の輪の外、つまりは俺や雪ノ下のいる方まで歩いてくる。

 一方の葉山は困ったように爽やかな笑みを浮かべるのみ。困ってんのに爽やかとかふざけてんのかこいつ。

 

「よし!じゃあカレーに隠し味いれてみようか!何か入れたいものがある人!」

 

 仕切り直すように、全員に聞こえる明るい声で話し出す。これで鶴見留美に向けられていた視線は全て葉山の下へと集まった。

 小学生達はあれを入れたいだの、これを入れたいだの、言いたい放題。

 

「はい!あたしフルーツ入れたい!桃とか!」

 

 ......ふざけた事をぬかしよる高校生がいるが、他人のフリをしておこう。

 て言うかあいつマジで大丈夫なのか。料理スキル云々のレベルじゃないぞ。最早発言が小学生どころか小学生よりも劣ってる。

 流石の葉山さんも表情が強張ってるし。

 

「結衣先輩、ここもういいのであっち行っててください」

「うぅ......」

 

 容赦ない後輩の言葉により肩を落として由比ヶ浜はこちらにヨロヨロと歩いてくる。

 

「馬鹿かあいつ......」

「本当、馬鹿ばっか」

 

 いつの間に隣に来ていたのか、地べたに腰を下ろした鶴見留美が呟いた。

 

「世の中大概馬鹿ばかりだ。早めに気づけて良かったな」

 

 返事が返ってくるとは思わなかったのか、驚いた目をしている。

 あれ、もしかしてただの独り言だった?拾っちゃいけないやつだった?

 

「あなたもその大概でしょうに」

「あまり俺を舐めるなよ。大概とかその他大勢の中ですら一人になれる逸材だぞ俺は」

「最近のあなたを見ているとその言葉も信憑性がないわね」

「いや、そんなことは......」

 

 無いとは言えないような事に心当たりがあり過ぎた。クラスでは戸塚や由比ヶ浜、たまに川崎なんかと話すし、廊下で一色に見つかれば絡まれるし、部室に行けば雪ノ下がいるし。

 材木座?知らない子ですね。

 

「......名前」

「あ?名前がどうした?」

「名前聞いてんの。普通さっきので伝わるでしょ」

「名前を尋ねる時はまず自分から名乗りなさい」

 

 常と比べると比較的冷たい声色で話す雪ノ下。子供にも容赦ないとか流石です。いや、もしくは子供と接するのが苦手なだけかもしれない。知らんけど。

 その雪ノ下に少し怯えた様子で、彼女は名乗る。

 

「......鶴見留美」

 

 鶴見留美だからルミルミで良いや。

 

「私は雪ノ下雪乃。彼は比企谷八幡よ」

「そんでそこのが由比ヶ浜結衣だ」

 

 俺の名乗りを雪ノ下に取られたので、代わりにすぐ近くまで歩いて来ていた由比ヶ浜を紹介する。

 

「なに?どしたの?」

 

 うむ、相変わらずのアホヅラで余は安心じゃ。

 

「えっと、鶴見留美ちゃん、だよね。よろしくね」

「......」

 

 しかし留美は由比ヶ浜に返事をせず、俺と雪ノ下、それから由比ヶ浜をもう一度見てから口を開く。

 

「なんか、この二人は違う感じがする。あの辺と。私も違うの」

 

 主語が無く、具体性のかけらもない言葉だったが、言いたい事は分かった。

 あの辺、とは葉山達リア充のことを言ってるのだろう。そして俺や雪ノ下、そして自分はそう言うやつらとは違うと、明確な線引きをした。

 

「違うってなにが?」

「だって、みんなガキなんだもん。だから、別に一人でもいいかなって」

 

 その目は小学生とは思えないほどに冷め切っていた。この子は、すでに諦めたのだろう。自分を取り巻く環境、人間関係を。

 

「でも、小学校の時の思い出とか大切じゃん?」

「思い出とか別にいらない。中学に入れば、他所から来た人と仲良くなればいいし」

 

 だから、先に希望を持つ。

 だが留美は知らない。いや、本当は知っていて目を逸らしているだけなのかもしれないが。

 その先に待つのは希望でもなんでも無い事を。それが当然のように、世界の理のように当たり前に裏切られる事を。

 

「残念ながらそうはならないわ」

 

 それを、雪ノ下雪乃は容赦なく指摘する。

 

「中学に入っても他所から来た子と一緒になって、今と同じことが起こるだけよ。あなたが変わろうとしないのならそれは高校に入っても同じこと」

 

 公立の中学へと進学するのなら、小学校からメンバーはそのまま繰り上がりになる。現状が変わるわけではない。

 だからと言って、今の留美のまま高校に上がれば待っている結末はぼっちだ。

 ただ一人でいるだけなのに、お高くとまってるだの調子乗ってるだのと言われる。

 それはまるで、誰かを想起させるようだ。

 

「やっぱり、そうなんだ......。ほんと、バカみたいな事してた」

 

 俯いて地面を見つめてそう吐き捨てる留美に、恐る恐る由比ヶ浜が尋ねる。

 

「なにが、あったの?」

「誰かをハブるのは何回かあって、でも暫くしたら終わるし、そのあとは普通に話したりする。マイブームみたいなものだったの。私も、仲のいい友達とそれで距離を置いちゃってたんだ。いつも誰かが言い出して、なんとなくそんな雰囲気になる。それが今回は私だったの」

 

 なにそれ、小学生怖いな。

 特に理由のない悪意。

 みんながそうしてるから。みんなが言っているからと、そんな言い訳をしてただ一人をその『みんな』から除外する。

 

「中学になっても、こんな風になっちゃうのかな......」

 

 涙を堪えるように空を見上げ、嗚咽を噛みしめるように呟いたその言葉、雲一つない青空へと消えていった。

 

 

 

 

 

 全員で夕食のカレーを食い終わり、小町の淹れてくれた紅茶で食後のティータイムを過ごしている。

 雪ノ下が端に座り、その隣に俺、小町、由比ヶ浜、平塚先生と続き、向かい側には海老名さん、一色、葉山、三浦、最後に戸部だ。

 見事に奉仕部側と葉山側で別れてるかと思ったらそうでも無かった。葉山を挟んで一色と三浦が火花を散らしている。怖いから仲良くしてくれませんかね。

 

「大丈夫、かな」

 

 だがそれもカレーを食っていた時まで。今ここに流れているのは沈痛な雰囲気だ。

 由比ヶ浜の言葉に、席を離れて紫煙を燻らせている平塚先生が反応した。

 

「何か心配事かね?」

「ちょっと、孤立しちゃってる子がいて」

 

 思わず鼻で笑いそうになった。思った通り、葉山は事態の本質を正確に把握できていない。

 

「違うな葉山。一人でいること自体は別にいいんだ。問題は、悪意によって孤立している事なんだよ」

「は?意味わかんないんだけどなにが違うわけ?」

 

 葉山に言ったはずなのに三浦から返ってきた。怖い。

 

「好きで一人になっているのか、そうじゃないのかってことか?」

「まぁ、そう言う解釈でいい」

 

 うーん、三浦が食って掛かってくるんなら雪ノ下には大人しくしておいて欲しいんだけど、そうもいかないだろうなぁ......。

 雪ノ下と三浦とか究極的に相性悪いし。

 

「それで、君たちはどうする?」

「出来る範囲の事で、なんとかしてあげたいと思います」

 

「あなたでは無理よ。そうだったでしょう?」

 

 雪ノ下の凜とした声が響く。絶対零度の声音と視線。氷の女王の降臨だ。

 大人しくしといてくれと願った瞬間これである。

 

「そう、だったかもな......。でも今回は」

「今回も無理よ。みんなで仲良く、みんなで話し合えば。選択肢を多く与えられるくせに、そんな最低な方法しか選べないあなたには何もできないどころか事態を悪化させかねない。違う?」

 

 雪ノ下の言葉に、葉山は何も答えられずに俯く。その表情には幾ばくか影が差していた。

 そしてそんな氷の女王の主張に食いつくのは、俺の予想通り炎の女王様。

 

「ちょっと、それの何がいけないわけ?みんなで仲良く出来たら良いに決まってんじゃん。なのにそれが最低とか、意味わかんないんですけど」

「意味がわからないのはあなたの思考回路の方ね。つい今しがた比企谷くんが言った言葉を忘れたの?集団から悪意を持ってして孤立させられている子を、その悪意の渦中へと引きずり落とそうと言うのよ?」

 

 それではなんの解決にもならないし、誰も救われないと、雪ノ下はそう言う。

 

「雪ノ下、君はどうしたい?」

「一つお尋ねしますが、今回は奉仕部の合宿を兼ねていると聞いています。この案件も、奉仕部として取り扱っても?」

「合宿中に起きたトラブルであるのならば、原理原則としては問題なかろう」

「ならば私は奉仕部として、助けを求められればそれに応えるだけです」

 

 おぉ、雪ノ下が凄いカッコいい。小町も由比ヶ浜も一色もキラキラと尊敬の眼差しを送ってるし。

 

「で?実際助けは求められたのかね?」

「あの......」

 

 ここで声をあげたのは由比ヶ浜だ。どうやら、昼に交わした留美との会話の中で何か思うところがあったらしい。

 

「多分、言えなくても言えないんだと思います。留美ちゃん、自分も同じような事やったって言ってたし、自分だけ誰かに助けを求めるってのが、多分嫌なんだと思う......」

 

 恐らく、由比ヶ浜にも似たような経験があるのではないかと思った。空気を読むのに敏感な彼女。今は随分とマシにはなったものの、周りの空気を察してそれに流されると言うことは昔から多々あったのだろう。その中で、今回と似たようなことが。

 

「では、君たちでよく考えたまえ。私はもう寝る」

 

 タバコの火を消し、欠伸を噛み殺しながら平塚先生は立ち去っていった。

 

 

 

 

 第一回ルミルミ救出大作戦(俺命名)の作戦会議は恙無く進行、と言うわけにはいかなかった。

 雪ノ下が葉山の「みんな仲良く」作戦を拒絶した事で、その代案として適切なものが何も出てこない。

 

「つーかー、みんなで仲良くすんのがダメなんだったら、他に仲良く出来る子探したらよくない?あの子可愛いんだし、そっち系とつるめばいいじゃん」

「それだわー!優美子マジ冴えてるわー!」

「だっしょ?」

 

 ふふん、と得意げに胸を張る三浦だが、そもそもそれが出来るのならば留美はこんな状況には陥らない。三浦が言うところのそっち系とやらも一緒になって留美を孤立させているのだろうし。端的に言えば、クラスの女子が一丸となって、とやらだろうか。小学生ともなればカーストなんて言う概念はまだ存在しないだろうから、グループが明確に分かれてしまうこともないだろう。だからこそ、クラスの全員が敵になってしまう。

 なにも今回の林間学校で組んでいる班員との間で起こっている、と言うわけではないのだ。

 

「それは優美子だから出来るんだよ。留美ちゃんも、そう出来るならもうしてると思うし」

「でも、足掛かりを作るって意味では間違いではないかもな。そうする事で段々とクラスに溶け込んでいくって言うかさ」

 

 やんわりとした言い方で三浦の意見を否定する葉山。次に海老名さんが挙手して、葉山が発言を促す。なんでお前が仕切ってんの?

 

「大丈夫、趣味に生きればいいんだよ。イベントとかに参加して、そうしたら学校じゃない、本当の居場所っていうのが見つかると思うんだ」

 

 意外とまともな意見だった。その声に真剣みを帯びているのは海老名さんの実体験だからだろうか。

 そして、俺もその意見には十分に賛成できる。

 所属してるコミュニティで上手くいかないのであれば、別のコミュニティへと参加したらいい。小学生と言うのは認識している世界が狭い。学校の中でそれを否定されてしまっては、全てが否定された気にもなるだろう。

 ここに来て漸くマトモな意見が出たなぁ、なんて思ってると、海老名さんはガタッ、と音を鳴らして立ち上がる。

 

「私はBLで友達が出来ました!だから是非雪ノ下さんも」

「優美子、姫菜と一緒にお茶を取って来てくれないか?」

「ん、オッケー。ほら海老名行くよ」

「あぁ!まだ布教の途中なのに!」

 

 葉山が無理矢理話を打ち切った。

 海老名さんは三浦に引き摺られて行く。

 マトモだと思ったらこれかよ......。

 布教されかけていた雪ノ下はと言うと慄然とした様子で海老名さんを見ていた。

 

「......二回目と言えど恐ろしいわね」

「ゆきのんも勧められた事あるの?」

「ええ、前に一度、別の人に......」

 

 隣の由比ヶ浜もげっそりとしているあたり、彼女も被害にあったのだろう。

 それよりも雪ノ下の昔の交友関係とやらが気になるんだが。シュシュを上げるような男だったり、雪ノ下が親友だったと呼ぶような女子だったり、中二病患者だったり腐女子だったりがかつての話から察せられるが。いや、なんか知ったら知ったでその時が怖いから知らないままでいいや。

 

「やっぱり、どうにかみんなで話し合うしかないのかな」

 

 葉山が漏らしたその言葉に、何故か笑う気にはなれなかった。

 いつもの俺ならば嘲笑ともとれるような乾いた笑いを浮かべていたに違いない。だが、不思議とそうはしなかった。

 

「それは不可能よ。ひとかけらの可能性もありはしないわ」

 

 その葉山の言葉に答えたのは雪ノ下だ。

 その声はやはり先ほどと同じく冷たい。俺も雪ノ下と同じ意見である。

 みんな仲良く、なんてのは呪いでしかない。留美はその呪いの被害者だ。みんなで仲良くする為に生まれた犠牲者だ。

 だが、それはきっと、葉山隼人も同じなのではないのか?

 そんな下らない思考を頭を振って搔き消す。

 

「ちょっと、雪ノ下さんさっきから何な訳?折角どうにかしてみんな仲良くする方法を考えようってのにさ。あーし、あんたのことそんなに好きじゃないけど、折角の旅行だから我慢してんじゃん」

「まぁまぁ優美子、落ち着いて」

 

 またしても三浦が食ってかかる。こいつ、さっき雪ノ下にあれだけ言われて懲りてないのかよ。流石は女王。由比ヶ浜も大変そうだなー。

 

「あら、意外と好印象だったのね。私はあなたの事嫌いだけれど」

「雪ノ下先輩も!どうどうですよ、どうどう」

 

 一色、お前そんな馬みたいな扱いしてると雪ノ下に潰されるぞ。しかし緩衝材の二人がいてくれて助かった。由比ヶ浜と一色がいなければこのまま氷の女王vs炎の女王の戦いへと発展してしまうだろうし。

 

「と言うか、そもそもその留美ちゃんは今のこの状況をどうしたいんですかね?」

「いろは、それはどう言うことかな?」

「いやですね、留美ちゃん自身はみんなともう一度仲良くなりたいのか、それとも仲良くならなくてもいいから、周りからの悪意をどうにかしたいのか、これって結構大切だと思うんですよねー」

 

 一色の癖になんかそれっぽいこと言ってる。

 しかもその疑問は実に正鵠を射ていると言えるだろう。

 俺たちは留美自身の意思を確認していない。彼女がどうしたいのか、どうなりたいのか。それを知らない限り、そもそもとして奉仕部は動けない。

 俺たちはあくまでも魚の採り方を教えるのであって、ならばどのような魚を採りたいのかを聞かなければ教えようがない。

 

「つーか、あの子の態度にも問題があるんじゃ無いの?いちいちこっちのこと見下してるっつーかさ。どこかの誰かさんみたいに」

「それはあなた達の被害妄想よ。劣ってる自覚があるから、見下されると勘違いするのではなくて?」

 

 少なくとも俺はどこかの誰かノ下さんより劣ってる自覚はあるが、彼女に見下されてると思ったことはない......とも言い切れない、ような......。

 

「だからさぁ、そう言うのが......!」

「優美子!......やめろ」

「隼人......」

 

 更に食いつこうとする三浦を、葉山の低い声が制する。正直言ってかなり怖かったです。

 本当、仲良くしてくれないかな。高校生の俺たちが仲良くできないのに、小学生にそれをさせようだなんて無理だろ。

 

「あぁ、今日も星が綺麗だなぁ」

「お兄ちゃん、ちゃんと現実見ようよ......」

 



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星空の下、彼と彼女の始まりが再び。

 結局話し合いは纏まらず。

 いや、逆にあれで纏まってたら凄いんだけど、そんな事有り得るはずもなく、そのまま解散、明日に持ち越しとなってしまった。

 その後は男女で別れて入浴し、寝泊まりするバンガローへと戻ってきている。

 

「はーやとくん!何読んでんの?エロ本?」

「違うよ。教材のPDFファイルだ」

「隼人君っべーわー。こんな所でも勉強とかマジっべーわー」

 

 凄くいづらい。戸塚が今日来ててくれればこのアウェー感も無かった筈だが、今更そんな事を言っても仕方がないだろう。

 ......戸塚とお風呂入りたかった。

 

「てか、隼人君頭いいのにこれ以上良くなってどうすんべ?国語とかめっちゃ順位上じゃん」

「そんなことはないよ。まだ上に雪ノ下さんがいるからな」

 

 はい、分かりましたー。分かっちゃいましたー。俺がどうして万年三位なのか。そりゃ上二人が常にその順位をキープしてたら万年三位になっちゃうよな。

 しかし、イケメンでスポーツ万能の成績優秀とか、俺に可愛い妹がいなければ負けてる所だったぜ。

 

「そんな事よりも、折角なんだし恋バナしようぜ!」

 

 そんな事ってお前が葉山に勉強の話振ったんだろうに。

 クソ、本格的に居場所が無くなってきたぞ。戸部の事だからこっちにも話振ってきそうだし、そうなったらキョドッて碌に返事も出来なさそうだし。

 ここは戦略的撤退しかあるまい。

 

「俺ちょっと外で涼んでくるから。勝手に消灯しといてくれ」

「あ、ああ分かった」

 

 一応一言断りを入れてからバンガローを出る。よし、これで戸部の追求は免れた。いや、あのままあそこにいても何も話しかけられない可能性もあるんだけどね?その考えは悲しいので持たないことにしている。だからと言って話しかけてくれるかも、と期待しているわけでも無いが。

 

 千葉村の夜は涼しい風が吹いている。遠くでは鈴虫の鳴き声が聞こえ、空には満天の星空。

 こう言えば聞こえはいいが、実際は月と星の明かり以外にこの山の中を照らすものはなく、暗闇が広がっていて超怖い。

 そんな中、とても微かな歌声が聞こえてくる。静寂に包まれた夜だからこそ、俺の耳に届いたのだろう。

 雪ノ下雪乃は、空を見上げながら歌っていた。

 それはとても美しい一枚の絵のようで。何ものにも犯されない神聖さを感じさせる。

 だと言うのに、その瞳は悲しみの感情に塗れていて。彼女一人で完成させられているはずの絵は不完全なままだ。

 俺はその理由を知っている気がする。でも、どうしても思い出せない。

 俺は一体、何を忘れて

 

「森の中でゾンビに襲われる美少女。まるでB級ホラーね」

 

 唐突に聞こえた言葉でハッと我に帰る。

 雪ノ下は未だ空を見上げたままだが、今の言葉が俺に向けられたものだと言うのはなんとなく分かった。

 

「居場所が無くて部屋に居づらくなった?」

 

 顔をこちらに向けた雪ノ下はクスリと笑った。その笑顔にまた心を奪われてしまう。

 

「元から居場所の少ない可哀想な子なんでな。て言うか、自分のこと自分で美少女とか言っちゃうのかよ」

「あら、美的感覚は主観でしか無いのだから。ここでは私の言うことが正しいのよ?」

「無茶苦茶な理論だが筋は通ってる気がする......」

 

 言いながら雪ノ下の前に躍り出て、近くに生えている木に寄りかかるようにして腰を下ろす。すると、雪ノ下はムッとした様子でこちらに歩いてくる。

 え、なに?俺なんかした?怖い怖い怖い。

 

「そんなに離れる必要もないでしょう」

「いや、そんなに近づく必要もないよね?」

 

 俺の隣に腰を下ろす雪ノ下。なんか凄い近い。風呂上がりなのか、シャンプーのいい匂いが鼻腔を擽り意識が持って行かれそうになる。木が太いものだったから良かったが、もう少し細かったらヤバかった。

 

「で、お前はこんな所で何してたの?」

「お風呂から上がったら三浦さんがまた突っかかって来て......」

 

 なんだまた三浦か。シュンと肩を落とすのを見るあたり、まさか丸め込まれたのだろうか。流石は炎の女王様。本気を出したら氷の女王に勝てるとかやるじゃん。

 

「三十分かけて完全論破して泣かせてしまったわ。大人気ないことをした......」

 

 氷の女王強すぎだろ。

 

「さしもの雪ノ下雪乃も涙には弱い、か」

「まさか泣くとは思ってなかったのよ」

「それで居づらくなって出て来たってわけか?」

「ええ。今は由比ヶ浜さんが宥めてくれているわ」

「居場所が無いのはお互い様じゃねぇか」

「本当ね」

 

 顔を見合わせて、自然と笑みが零れる。

 距離の近さなんて気にならないほどに、今この瞬間がとても心地良い。

 そのはずなのに、脳の片隅では嫌な考えが過ぎる。

 雪ノ下雪乃は、明らかに俺と由比ヶ浜に隠し事をしている。

 嘘は吐きたくないと宣言した彼女だが、雪ノ下だって俺たちと変わらない人間だ。言いたくないことがあったらはぐらかすし、間違えたことを言うときだってあるかもしれない。

 変な幻想は押し付けるな。身勝手に相手の気持ちを決めつけるな。でないと、決定的な勘違いをしてしまう。

 

「あの子のこと、何とかしてやらねぇとな」

「......あなたからそう言うなんて、珍しい事もあるのね」

 

 暗い思考をぶった切るように口を開く。

 雪ノ下は本当に意外そうに目を丸くしていた。

 

「でも、そうね。何とかしなければならないわ。きっと、彼もあの時のことを気にしてる」

 

 彼、とは葉山のことだろう。とすれば、昼間のあの行動についてだろうか?

 昼のあの時、雪ノ下は留美には一瞥するだけで、その後は葉山へと視線をやっていた。一体どのような心持ちで葉山を見ていたのかは彼女のみぞ知るところだが。

 

「なぁ、お前葉山となんかあんの?」

「小学校が同じなだけよ。うちの会社の顧問弁護士が彼の父親なの」

 

 所謂幼馴染ってやつか。

 ふむ、イケメンでスポーツ万能の成績優秀おまけに可愛い幼馴染がいると来た。

 こう、上手く言葉に出来ないんだが、死なないかな。

 一方の俺はと言うと顔はそこそこで文系教科が得意で国語が学年三位おまけに可愛い妹がいる。

 ......よし、互角だ!可愛い妹がいなければ危なかったぜ。負けを知りたい。

 

「あなたは何か、策を思いついてるの?」

「無いってわけじゃないが、今の状況だと何とも言えないな。せめて明日の予定さえ分かればそれに沿うようにしてある程度組み立てが出来るんだが......」

 

 それに、一色の言った通りに留美の意思もしっかり確認していない。そんな状況で動いて良いものかどうかも判断しかねる。

 

「明日は小学生は昼に自由行動。私達は夜にやるキャンプファイヤーと肝試しの準備。それが終われば自由行動よ。その上で、あなたの考え、聞かせてくれるかしら?」

 

 肝試しか。それは使えるな。

 だが、話してしまっても良いのだろうか。今俺の頭の中にある解決方法は我ながら最悪の一言に尽きると思う。だが、俺にはそれしか取れる選択肢がない。最も効率的に、合理的判断を下すならば何も間違ってはいないはずだ。

 

「......やる事は至極簡単だ。鶴見留美を取り巻く人間関係を一度徹底的にぶち壊す。みんながぼっちになれば争い事も起きずに万事解決だ」

「それは、誰が手を下すの......?」

 

 俯いて、こちらの顔を覗き込むように目だけで俺を見る雪ノ下。その表情からは彼女の心理は読み取れない。ただ、その声色は、口に出した言葉とは全く違うものを問うてるように聞こえた。

 

「出来るやつがやるしかないだろ。葉山達はそもそも認めないかもしれないし、お前や由比ヶ浜にやらせる訳にもいかない。一色なんかはそう言う腹芸に向いてそうだが、生徒会長になりたいって言うあいつの本来の目的から考えるとやるべきじゃない。小町は言わずもがな。なら、残った俺しかいないだろ」

 

 考えなくてもわかる事だ。今のメンバーの中で、俺の策を誰が実行するかなんて。そもそも立案者が俺だと言うなら、俺がやるのが筋ってもんだろ。

 雪ノ下は何も答えない。ただ立ち上がって、俺の前に立つ。俺も自然と腰を上げていた。

 もしかしたら呆れられたかもしれない。こんな最悪な考えしか思い浮かばないんだ。それも当然っちゃ当然か。

 

「あの修学旅行の時の焼き直しね......」

「は?」

 

 修学旅行?焼き直し?こいつは一体何を言ってるんだ?

 その言葉はまるで理解できないのに、次に言われる言葉が何となく分かってしまう。

 

「あなたのやり方、嫌いだわ」

「......っ!」

 

 冷たい目で、冷たい声で、雪ノ下雪乃は俺のやり方を否定した。

 今までも何度かそれを向けられて来たが、そのどれとも違う。敵意すらも滲ませる明確な否定の言葉。

 

「あの時はちゃんと言葉に出来なかったけれど、今なら出来る」

 

 瞬間、周囲の景色が一変する。森の中に居たはずなのに、そこは灯篭の置かれている竹林になっていて、雪ノ下も俺も制服を着ていて。

 いや、これは錯覚だ。そもそもこんな場所、見覚えが......、ない、のか?本当に?

 いや、違う。確かに俺はここに来たことがある。思い出せ。忘れてはならない記憶の筈だ。

 

「自分を傷つけてまで、周囲を救おうとするそのやり方が嫌い。あなたはそんなものなんともないって言うかもしれないけれど。でも、嫌なの」

 

 たどたどしくも言葉を紡ぐ雪ノ下。ともすれば余計なことまでスラスラと口にする彼女が、自分の気持ちを言葉にしようと必死に口を動かす。

 

「比企谷くん一人が傷ついて、他の人はハッピーエンドだなんて、私は認めない。効率的だとか、合理的だとか、そんなものはどうだっていい。あなたがそのやり方しか知らないのも、あなたに与えられた選択肢がそれしか無いのも知っている」

 

 そう、同じ言葉を、あの竹林で投げかけられた。今とは違って、否定ではなく拒絶の意思を持って。

 

「でも、それでも、嫌なのよ!あなたが一人で傷を負う事が、あなたが周囲から貶される事が!」

 

 叫びが木霊する。これが、雪ノ下雪乃の本音。偽らざる本物の心。

 

 ---そうか、こいつはあの時、そんなことを言おうとしてたのか。

 

 漠然とそんな思考が脳裏をよぎる。

 あとは芋づる式に、あの時の雪ノ下の言動の真意を図る事が出来てしまった。

 

 修学旅行での俺の行動を必死に拒絶して、だから自分の思う最も正しいやり方で生徒会選挙に立候補して、生徒会長になれれば、俺にも陽乃さんにも持てないものを持てれば、彼女が本当に救いたい何かが救えると思っていた。

 でも、それではダメなんだと彼女は気がついたんだ。きっと、彼女が救いたいと思っていたのはそんな事をしなくても救えるもので。

 ただ、拒絶せずに受け入れて、否定するだけで良かったんだと。それを、この二度目(・・・)の世界で知ったんだろう。知ってくれたんだろう。

 

「雪ノ下」

 

 なら、俺が返すべき言葉は一つのみだ。

 

「ありがとう」

 

 あの日々を経て、あるいは今の日々があって、俺だって少しは素直になった。なら、これはちゃんと伝えなければならない。捻くれた言葉なんていらない。飾らずに、ただ自分の気持ちを口にすればいい。

 

「俺を否定してくれて、俺を受け入れてくれて、俺を知ってくれて、ありがとう」

 

 一瞬、驚きから目を見開いていたが、雪ノ下はクスリと笑って穏やかな表情へと戻っている。

 きっと、この世界でずっと独りきりで怖かっただろうに、寂しかっただろうに。それでも、あの部室で俺たちに向けていたあの笑顔だ。

 

「私の方こそ、ありがとう。私を、知ろうとしてくれて。だから、これからもっと私を知ってね。私も、比企谷くんのこと、もっと知りたいから」

 

 月明かりに照らされた彼女の笑顔は、まるで憑き物が落ちたかのように見えた。

 

 



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ここから、彼の青春ラブコメは再び始まる。

サブタイの日本語おかしい気もするけどまあ気のせいです。


「ヒッキー!起きてー!」

「うるせぇ......」

 

 本来ならここで聞こえるはずのない元気な声で目が覚めた。しかもめっちゃうるさい。

 布団もひったくられ、窓から差し込む朝日が俺を照らす。

 

「おはようヒッキー!」

「なんでお前ここにいんの?」

 

 その朝日にも負けないくらい明るい笑顔の由比ヶ浜結衣がそこにいた。いや、ここ男子のバンガローだよね?君女子だよね?てか葉山と戸部は?

 

「ヒッキーが起きてくるの遅いから、様子見に来たの!」

 

 携帯の時間を見ると、起床予定とされていた時間はとうに過ぎている。どうやらアラームちゃんがストライキを起こしたらしい。

 

「みんなもう起きて来てるから、ほらヒッキーも早く準備して」

「......由比ヶ浜は優しいな」

 

 つい、口にした言葉はそんななんでもないものだった。

 でも今の俺はもう知っている。

 由比ヶ浜結衣の優しさは、彼女が言うところの卑怯でズルい考えに裏打ちされたものだと言うことを。

 だが、それでも由比ヶ浜は優しい女の子だ。

 

 よし、大丈夫だ。全部覚えてる。俺がこれからやるべき事。やらなければならない事。全部把握出来ている。

 

「......あたし、そんなに優しくないよ?」

「由比ヶ浜?」

 

 呟いた言葉は、何度か聞いた事のある声色だった。あの水族園の時にも、確か似たような会話をしたのだったか。

 

「なんでもない。ほら、早く着替えてね!朝ごはんの準備出来てるから!」

「お、おう」

 

 パタパタと走ってバンガローを出ていった。

 先程の言葉に、千葉村へ来る前のあの時の表情。まさか、由比ヶ浜も?

 いや、しかし、だとしてもいつからだ?少なくとも夏休み前まではそんな様子を微塵も見せていなかった。

 ......今考えても仕方がないか。そもそも、雪ノ下にしたって、俺が全部思い出したことを正確に把握してくれているのかイマイチ微妙な所だし。昨日のあの会話で分かってくれたと思いたいが、ここで疑ってしまうのは俺と言う人間のどうしようもない部分だ。

 さっさと着替えて食堂に向かうとしよう。

 

 

 

 

 さて、昨夜の雪ノ下との会話で俺は全部思い出したわけだが、俺の脳内は荒れに荒れている。

 だって時間が巻き戻ってるんだぞ?そんな現実離れした出来事が起きているなんて普通なら信じられないのだが、俺は確かに未来に起こるであろう出来事を記憶している。

 修学旅行での決定的な別離、生徒会選挙後のあの空虚な部室、クリスマスで願った本物、入試の日に水族園で聞いた彼女の依頼。

 そのどれもが鮮明に思い出せる。思い出せるんだけどこれあれだな、どれもこれも中々に恥ずかしい事してるな俺。高校生活でも順調に黒歴史を積み上げるあたり流石俺としか言いようがない。

 

 とまぁ、色々と思い出して覚えてるわけだが、現状俺を最も悩ませているのはそのどれでもなく、この二度目の世界における雪ノ下のあの発言だった。

 

『少なくとも、私は彼のことを好いていたわ』

 

 雪ノ下と由比ヶ浜のシュシュの話になった時、確かに彼女はそんなことを言っていた。

 さて、ここで問題です!雪ノ下と由比ヶ浜にあのシュシュをあげたのは誰でしょう?答えは俺!正解者には八万ポイントプレゼント!

 ......はぁ、現実逃避してもどうにもならんもんなぁ。マジで雪ノ下とどんな顔して会えば良いんだよ。

 いや、記憶が戻ったからって雪ノ下の事が好きなのは変わらないんだけどさ。寧ろ色々と思い出したお陰で更に想いが強くなってるまである。でも、でもなぁ......。

 

 どうやらこんな風にヘタレながら歩いていたら食堂に着いてしまったみたいで。もう覚悟を決めるしか無くなったわけなんだが。

 

「あ、おはようお兄ちゃん」

「おはようございます先輩」

「おう、おはようさん」

 

 食堂に入ってすぐ、飯の配膳をしている小町と一色と目があったので軽く挨拶。

 座ってる由比ヶ浜はこちらに小さく手を振っている。それに手を上げて返してから、もう一人、由比ヶ浜の向かい側に座ってる奴に目を向けた。

 

「おはよう比企谷くん」

「お、おう。おはよう雪ノ下」

 

 さてどこに座ろうかと考えていると、配膳を終えた小町と一色が揃って由比ヶ浜側に座りやがった。いや君達そこに三人で座るのは窮屈じゃないですか?ほら、雪ノ下の隣空いてるんだからそっち座れよ。

 

「何やってるんですか先輩。早く座って下さいよ」

 

 しかし配膳は既に終わっているわけで。雪ノ下の隣に置いてあるのは恐らく俺用であろう山盛りの白飯。これ以上一色からお小言を貰われるのも癪なので、素直に雪ノ下の隣の椅子に腰掛ける。

 はぁ、前回は戸塚がいたのになぁ......。なんで戸塚いないんだろ......。しかも戸塚の代わりにいるのが一色ってどう言う事なの。

 

 朝食のメニューは前回と変わらない。まぁそりゃそうか。一々こんな所が変化していても仕方ないしな。

 つまり、俺の食べるペースも変わらないという事で。

 

「比企谷くん、ご飯のおかわりよそって上げましょうか?」

「ん?悪いな、頼む」

 

 お言葉に甘えて、雪ノ下に茶碗を渡す。確か前は由比ヶ浜がよそってくれたんだったっけ。

 ダメだな、タイムリープしている事を自覚してからと言うもの、一度目との相違点を嫌でも探してしまう。それが果たしていい事なのか悪い事なのかは分からないが、少なくとも必要な事ではあると思う。

 その辺りも、雪ノ下と話してみないとダメだな。思い返してみれば、今までの依頼だって一度目と違った点は割とあった。

 由比ヶ浜の依頼の時は、雪ノ下から事故のことを切り出してくれたし、戸塚の時も最初から雪ノ下が試合に出た。チェーンメールの時は大した変化はなかったものの、一度目の時よりも早期に対応する事が出来たし、川崎の件に至っては、エンジェルラダーに由比ヶ浜は付いてこなかったと言う違いがある。

 そして何よりも違う点と言えば、一色いろはの存在だろう。

 俺たち奉仕部が一色の存在を正確に認識したのは修学旅行よりも後、生徒会選挙の時だ。だが二度目の今回、一色は生徒会長になるための地盤作りとして奉仕部に来た。そこから考えられるものとしては、彼女が実は全部覚えているのか、もしくは昨日までの俺のように、断片的に思い出しかけているのか。

 なんにせよ、一色の存在はかなりのイレギュラーだと言う事は頭の片隅にでも置いておこう。

 

「比企谷くん」

 

 どうやら随分と長いこと思考の海に沈んでいたらしい。

 雪ノ下の声で我に帰り、目の前には既に白飯を山盛りにされた茶碗が置いてあった。

 

「前も確かこれくらいの量だったかしら?」

 

 なんでもない一言。実際、他の三人には特に意味のある言葉には聞こえなかった筈だ。

 しかし、俺にとっては違った。

 まるで確認するかのように。雪ノ下はその澄んだ瞳で俺を見据えて言った。

 

「そんな前のこと覚えてねぇよ」

 

 だから、俺は肩を竦めてそう返した。

 ちゃんと覚えていると。もう忘れたりはしないと。そう伝えるように。

 そう、と呟いた雪ノ下の声色には喜色が隠しきれていない。

 かく言う俺もどうやらニヤニヤが抑えきれそうにないらしい。

 

「え、どうしたんですか先輩。いきなりニヤニヤしだすとかちょっとキモいですよ?」

「おい一色、言うに事欠いてキモいとはなんだ」

「いやいやお兄ちゃん。食事中に目の前の人がいきなりニヤけだしたらそりゃキモいと思うよ」

 

 何故だろうか。唐突に死にたくなった。

 上げて落とすとか流石世の中は甘くない。

 その後も他愛のない会話を交え、俺の精神に定期的にダメージを与えながらも朝食は無事に終了。それを見計らったかのように平塚先生が食堂に入って来た。

 

「おはよう。全員朝食は済ませたようだな。では今日の予定を説明する。

 小学生は昼間は自由行動。夜に肝試しとキャンプファイヤーをやる予定だ。君たちにはその準備を頼みたい」

「おお、キャンプファイヤー!みんなでフォークダンスするやつですね、ベントラーベントラーって!」

「オクラホマミキサーと言いたいのかしら。最後の長音しか合っていない......」

 

 呆れたように言う雪ノ下。確かこのやり取りもあの時と同じだったか。ならば俺もその流れに乗らせてもらおう。

 

「別に間違ってねぇだろ。宇宙人相手にしてるようなもんだし」

「あなたの場合はエアオクラホマミキサーだったのでしょう?」

「やめろ、俺のトラウマをほじくり返すな」

「ほ、本当にそうだったんだ......」

 

 由比ヶ浜が若干哀れみの目で見てくる。

 あぁ、戸塚がいないから癒しがない......。

 

「兎に角、この後はキャンプファイヤーの準備だ。その後は夕方の肝試しの準備まで各自自由に過ごしてもらっていい。では早速行こうか」

 

 各々が食器を片付け、平塚先生に着いて行く。

 戸塚に会いたいよぉ......。

 

 

 

 

 

 道中、葉山達を回収してから山道を進み、暫く歩いていると広場に出た。どうやらここでキャンプファイヤーをするらしい。

 男子三人は平塚先生のレクチャーを受けて薪を割ったり木を積み立てたり。女子はフォークダンス用に白線で円を描いている。

 

「こうやって一人で木を積み立ててると、ジェンガしてるみたいだな」

「え?ジェンガって一人で出来るのか?」

 

 独り言のつもりで呟いた言葉を、近くにいた葉山に拾われた。

 あぁ、そう言えばこのやり取りも前にやったな。

 でもジェンガは一人でやるものだと思います。

 

 その後も只管木を積み立てていく。余りの暑さに途中何度か休憩しながらだったが、どうにかこうにか完成させることが出来た。

 

「ほら、やっぱり一人で出来るじゃねぇかよ、ジェンガ」

 

 違うか?とばかりに振り返ってみると、前回と違ってそこには既に誰もおらず。俺だけが一人取り残されていた。

 

「違う、のか......?」

 

 俺の言葉は誰に届くわけでもなく虚空へと消えていく。

 前回は平塚先生と葉山がいたはずなのに、何故に今回は誰もいないんだ......。

 いや誰かいようがいまいがこれから向かう場所に変わりは無いんですけどね。

 どうせ部屋に戻っても葉山と戸部と鉢合わせてなんだか居づらくなるのは目に見えてるし。汗もだいぶ掻いてしまったから顔を洗いに川へ向かおうそうしよう。その結果として美少女達の水着姿を偶々目にしてしまっても仕方ないよね!俺は顔を洗いにいくだけだからね!

 

「お、あったあった」

 

 記憶を頼りに山の中を歩き、無事に川へと出る。確かもう少し上流の方に行けば彼女らが居たはずだ。

 川のせせらぎに耳を傾けながらボーッと歩いていると、聞き覚えのあるはしゃぎ声が。

 小町と由比ヶ浜と一色が水を掛け合って遊んで居た。

 

「あ、お兄ちゃんだ!お兄ちゃーん!」

「うわ、先輩だ!」

「え、ヒッキー⁉︎」

 

 こちらに気がついた小町が大きく手を振ってくる。由比ヶ浜は恥ずかしいのか、小町の後ろに身を隠した。あと一色、うわってなんだ流石の俺も傷つくぞ。

 ったく、呼ばれてしまっては行くしかないな!いや本来の目的は顔を洗う事なんだけど可愛い妹に誘われてしまっているのだから仕方ない!

 

「お前らこんなところでなにやってんの?」

「川遊びに決まってるじゃん!それよりどうお兄ちゃん?小町の新しい水着は?」

 

 小町は黄色いビキニで決めポーズしてこちらを見てくる。正直妹の水着姿なんて見てもなんとも思わない。家でも似たような格好してるし、

 

「はいはい、世界一可愛いよ」

「うっわ適当だなー」

「せんぱーい。わたしはどうですか?わたしも水着新しいの買ってきたんですよ〜」

 

 一色の水着はピンクのなんかフリフリが付いてるやつ。なんて言うのかは知らんが、そのフリフリが彼女の幼さを演出していて非常に可愛らしいと思う。

 

「あー、まぁ似合ってんじゃねぇの?」

「え、なんですか口説いてるんですか。ちょっと素肌を見せただけでコロッと落ちるような軽い人は無理ですごめんなさい」

「えぇ......」

 

 久しぶりに一色のそれ聞いた気がするんだけどなんで俺は今振られたの?なんて答えれば正解だったの?

 

「じゃあじゃあ!結衣先輩はどうですか?」

「そうだよお兄ちゃん!結衣さんはどうなのよ!」

「ちょ!いろはちゃん⁉︎小町ちゃん⁉︎」

 

 一色と小町のあざとシスターズに押されて前に出てくる由比ヶ浜は、青いビキニを着ていた。

 先ほどまでの水遊びのせいで濡れている体には水が滴り、首筋から胸元へと雫が落ちる。

 目を逸らそうと思っても本能に逆らえずなんか凄い目が泳いでしまう。

 これが万乳引力の法則か......。流石は乳トン先生だな......。

 

「うん、まぁ、なんだ。よく似合ってるんじゃないか?」

「そ、そう......?」

 

 由比ヶ浜は照れ臭そうに頭のお団子をクシクシと掻いている。

 よし、なんでもなさそうに無難な言葉でなんとか逃れる事が出来たぞ。取り敢えず頭の中煩悩を一旦洗い出す為に顔を洗おうそうしよう。

 四つん這いになって川の水を掬い、バシャバシャと顔を洗っていると、背後から聞き慣れた声が聞こえて来た。

 

「あら、川に向かって土下座?」

「んなわけねーだろ。向こうに聖地があって一日五回の礼拝をだな......」

 

 振り返った瞬間、時が止まった。呼吸する事すらも忘れてしまう程に、目を奪われてしまう。

 雪のように白い肌は滑らかな脚線美を描き、腰は恐ろしいほどに細くくびれている。そのまま視線を上に持って行くと、控えめながらもしっかりと主張している胸がパレオで隠されていた。

 その姿を見るのは二度目だと言うのに、それでも俺は彼女の美しい立ち姿から目を離せない。

 

「......あまり見られると流石に恥ずかしいのだけれど」

「あ、ああ。そうだよな、すまん......」

 

 頬を赤らめて本当に恥ずかしそうに言う雪ノ下の言葉に時間は動き出した。

 いや、しかしヤバイな雪ノ下の水着姿。前回はそこまで意識してなかったけど、今現在こうして恋心を自覚してしまったからか、どうにもその姿を直視できない。

 

「それで、その、どうかしら?」

「どうって......?」

「だから、水着よ。似合ってる......?」

 

 察しの悪い俺に一瞬ムッとした様子だったが、言葉の最後は自信なさげな蚊の鳴くような声だった。

 

「あぁ、水着な!似合ってる似合ってる。もう似合いすぎて思わず見惚れてしまったまであるから!」

 

 ......って何を口走ってんだ俺は⁉︎ほら雪ノ下さん顔真っ赤になってんじゃないですか!

 と思ったらちょっと嬉しそうにはにかんでるし。やめろよ勘違いしちゃうだろ。

 問題はそれが勘違いじゃない可能性が示唆されてる事なんだよなぁ......。他の誰でもない雪ノ下自身の言葉で。

 

「お、なんだ比企谷も来てたのか」

 

 テンパる俺に声をかけたのは平塚先生だった。黒のビキニでその豊満な体を惜しみなく演出している。

 後ろには三浦と海老名さんも侍らしていた。

 

「先生、なんだやればできるじゃないですか!それならまだアラサーって言っても通じますよ!」

「私はまだ立派なアラサーだ。歯を食いしばれ。はらわたを ぶちまけろ!」

 

 ゴスッと鈍い音と共に平塚先生の拳が俺の腹に突き刺さった。歯を食いしばった意味ねぇし......。

 

「どうして前回と同じ過ちを繰り返すのかしら......」

 

 俺の傍では雪ノ下がコメカミを抑えて頭イターのポーズ。そう言えばこれも前回と同じやり取りだったか。

 本当、なんで同じ過ちを二度繰り返すんですかね。でも思ったことを正直に口にしただけだしね。

 一方でこの雪ノ下雪乃は俺と違って同じ過ちを繰り返さないやつだ。

 ほら、今回は三浦に笑われないようにそっと木陰の方に移動したし。

 俺も別に水着を着用しているわけでもないので、立ち上がって雪ノ下の方に移動する。

 

「お前、折角水着着てるのにあっちであいつらと遊ばないのか?」

 

 木陰で腰を下ろしている雪ノ下の隣に座り、ワイワイキャアキャアとウォーターバトルに興じてる面々を指差して聞いてみた。

 前は由比ヶ浜とか三浦の攻撃にムキになって反撃してたと思うんだが。

 しかし、こう言う時、いの一番に雪ノ下を連れ出しそうな由比ヶ浜がなんのアクションも起こしていないと言うのも不思議だ。

 

「あそこに混じるには流石に体力が足りないわよ」

 

 苦笑交じりに言う雪ノ下。

 俺にはその姿が若干衝撃的だった。彼女はいつも弱さを見せない。多分彼女にとっての弱さとは弱点と同義なのだろうから。

 しかし、雪ノ下は今、自分は体力が無いと認めた。それを俺が指摘しようものなら意固地になって中々認めようとしない彼女が、だ。

 いや、体力が無いことに関しては前から認めていたっけか。だがそれを理由にして、最初から何かをしないと言うのは今まで無かったのではないだろうか。

 テニスの時も一試合続けられないほどでありながらも試合に臨み、マラソン大会も途中で棄権させられたと言っていたことから、途中までは真剣に走っていたっぽいし。

 

 それは、雪ノ下が確かに変わっている証拠なのだろうか。一度目の世界のあの日々を経て。あるいは二度目の世界の今の日々を経て。

 

「なにか?」

「いや、なんでもない。つか、だったらなんで水着なんて着てきたんだよ」

 

 怪訝そうな目で見られたので思考を中断する。その代わりに別の質問を投げかけた。

 最初から川に入るつもりがないのであれば別に水着を着てくる必要も無かっただろうに。

 

「..................ょ」

「え?なんだって?」

 

 言っておくが、俺は別に難聴系主人公ではない。なんなら別に主人公って器でもない。

 今のはただ普通に聞き取れなかっただけだ。だって雪ノ下さん本当に声ちっちゃかったし。マジで口の中で呟いたとかそんなレベル。

 

「あなたに、見て欲しかったのよ......」

「え?なんだって?」

 

 繰り返すようだが、俺は難聴系主人公ではない。つまり今のは聞こえてた。わざとである。

 雪ノ下はそれに腹が立ったのか、こちらをキッと睨め付ける。怖いです。でも顔が真っ赤になってるからその怖さも半減。ただ可愛いだけだ。

 

「だから、あなたに見て欲しかったのよ」

 

 ハッキリと、ちゃんと俺に届く声でそう口にした。

 その言葉が耳に届き、その意味をしっかりと咀嚼してから、頬に熱が集まるのを自覚する。

 ......これはいよいよ勘違いなんて言ってられないな。マジで。

 ちゃんと、向き合わなければならない。彼女とも、彼女達とも。

 

「それで、どうなのかしら?」

「え?」

 

 今度はその言葉の意味を理解するのに少し時間を要した。いや、文脈的に考えて水着の事を言ってるに決まってるのだが......。でも水着の感想はさっき言ったし。あぁダメだ。さっきの自分の言葉を思い出して恥ずか死にそう。

 

「だから、その......。あなたは、私にそう言われて、なにか思うところはないの......?」

 

 ......ほーん、そんなこと聞いちゃいます?そんなこと聞いちゃいますか雪ノ下さん。

 て言うか耳まで真っ赤になってますよ?恥ずかしいなら聞かなきゃいいのに。

 かく言う俺も似たようなもんだけど。

 ここではぐらかしてしまうのは簡単な事だ。一般論に逃げて、彼女の気持ちからも、自分の気持ちからも逃げて。それで波風立たずに終わらせることができる。

 でも、それではダメだ。向き合わなければならないとつい今しがた決めたばかりではないか。いい加減、自意識の化け物は卒業しなければ。理性に振り回されるのは辞めにしなければ。

 それよりも何よりも、比企谷八幡は雪ノ下雪乃の事が好きなのだ。

 その気持ちだけは偽物ではない。偽物にしたくない。

 だから、しっかりと答えなければ。

 

「......ないわけないだろ。その、そう言ってくれてるんだったら、素直に嬉しいよ......」

「......っ!そう......。なら、私も嬉しいわ」

 

 だから、そうも幸せそうにはにかむなって可愛いでしょうが。

 でも、それすらも嬉しいと感じる。こうして彼女の笑顔を見る事が出来るのが。いつも超然としている雪ノ下雪乃の、ただの年相応の少女である一面を見せてくれる事がこの上なく嬉しいと。

 

 

 

 

 

 

 そんななんとも言えない雰囲気に包まれている中、背後の草むらがガサガサと揺れた。

 そこからピョコリと顔を出したのは鶴見留美。

 ある意味では、俺の記憶が戻ってくれたきっかけの少女。

 

「よお、一人か?」

 

 分かりきった質問だ。そもそも俺は彼女が一人でここに来ている事を知っているし。

 うん、と頷いた留美は俺の隣に腰を下ろす。

 右側には超絶美少女で想い人の同級生、左側には小学生のくせに大人びた可愛さを持つ幼女。

 ふむ、両手に花とはこの事か。今の俺なら葉山に勝てる。何にかは知らんが。

 

「今日、私たちは自由行動なんだって。それで朝ご飯食べて部屋に戻ったら誰もいなかった」

「相変わらずえげつねぇ......」

 

 小学生本当怖い。あいつら容赦なくアリを虫眼鏡で焼いたり、丸まったダンゴムシをビー玉がわりにして遊んだりするからな。本当怖い。

 

「二人こそ、何してんの?あそこら辺の人と遊ばないの?」

 

 未だ川で遊んでる由比ヶ浜達を見て言う留美。気がつけば葉山と戸部も来ていた。

 

「昨日お前が言ったんだろうが。俺たち二人はあそこら辺と違うって」

「うん。でもさ、今日の八幡と雪乃さん、昨日と違う感じがする」

「私も?」

 

 まさか自分に飛び火するとは思わなかったのだろう。雪ノ下は少し驚いた様子で留美を見ている。

 て言うか相変わらず俺は呼び捨てなのね。

 うん、と一つ頷いて留美は言葉を続けた。

 

「あそこら辺とは違うんだけど、私とかとも違う感じ。よくわかんないけど、なんかそう思うの」

 

 多分、それは俺が色々と思い出したお陰で、色々と変わったからだろうか。いや、まだ何も変わってなんかいない。ただ思い出しただけ。その結果、世界がガラリと変わっていただけだ。

 

「でも、あの人が一番違う感じがする」

 

 そう言った留美の視線の先には、由比ヶ浜と一色がいた。

 二人はキャッキャと楽しそうに遊んでいたが、やがて由比ヶ浜が一色になにか言ってからこちらに歩いてくる。

 留美が差しているのは多分一色の事だろう。由比ヶ浜とは昨日対面してるし、その時にハッキリと葉山達リア充側に分けていた。

 だが何故一色?確かにあいつは俺や雪ノ下みたいなぼっちではないし、由比ヶ浜や葉山のように場の空気を読めるリア充というわけでもない。

 鶴見留美は一体一色いろはに何を見たのか。

 今それを気にしても仕方ないか。

 

 川から上がった二人は、すぐそばに敷いてあるビニールシートの上のタオルで軽く体を拭くと、トテトテとこちらに駆け寄って来た。

 

「ねえ、留美ちゃんも一緒に遊ばない?」

 

 座っている留美に目線を合わせるようにしてしゃがんだ由比ヶ浜だったが、留美は首を横に振る。

 

「そ、そっか......」

「だから言ったじゃないですか結衣先輩。多分無駄だと思いますよーって」

 

 ガックリと肩を落とした由比ヶ浜に容赦ない言葉をかける一色。

 

「ねえ、八幡はさ、小学校の頃の友達って何人いる?」

「んなもん一人もいねぇよ。あいつら卒業したら一度も会わないぞ」

 

 なんなら現在進行形で一人も友達いないけどね!

 

「それはヒッキーだけじゃん」

「私も彼と同じだけれど」

「あ、わたしもですよー」

 

 俺に賛同するように雪ノ下、一色が続く。

 雪ノ下は分かってたけど、一色もそうなのね......。いや、まぁなんとなく察しはつくけどさ。

 

「る、留美ちゃん。この人たちが特殊なだけだからね!」

「特殊で何が悪い。英語で言えばSpecialだ。なんか優れてるっぽいだろ」

「日本語の妙よね......」

 

 前回と同じく雪ノ下に感心された。

 実際、俺と雪ノ下の現在置かれている状況がマジでSpecialだからね。

 しかし留美はイマイチ納得いかないようで。となれば今回も理論武装しかありませんな。

 

「なあ由比ヶ浜、お前小学校の頃の友達で今でも会う奴って何人くらいいる?」

「え?目的にもよるけど、単純に遊ぶってだけなら一人か二人くらいかな」

「一クラス何人だった?」

「三十人三クラスだったけど」

「なら一学年九十人。八方美人の由比ヶ浜ですらこの人数だ」

「え、美人?」

「結衣先輩、別に褒められてないですよ」

 

 ふへへ、と変な笑顔を浮かべていた由比ヶ浜を一色が現実に戻す。

 

「普通の人は大体二方美人くらいだから、単純に四で割って、まぁ大体1%くらいだ。こんなもん切り捨てていい。四捨五入と言う偉大な言葉を知らないのかよ。五と四なんて一つしか違わないのに四は何時も捨てられちゃうんだぜ?四ちゃんのこと考えたら一なんて切り捨てられて当然だ」

「相変わらず滅茶苦茶な理論だわ......」

 

 はい、雪ノ下さんの頭イターのポーズ頂きました。まぁ自分でもこの理論はおかしいとは思うよ、うん。

 

「小学生の私でもそれは違うって分かる」

「ようは考え方の問題だよ。別に全員と仲良くなんてしなくていいんだ」

「でも、お母さんはそれで納得しない......」

 

 留美は首から下げているデジカメを両腕で抱えて、俯いたまま話す。

 

「今日も、友達とたくさん写真撮って来なさいって言って、デジカメ渡してくれたの」

「どうしてあなたはそれを受け取ったのかしら?」

 

 そんな留美相手に、雪ノ下は相変わらず容赦のない言葉を並べる。

 

「そもそも、あなたは自分の事を嘘偽りなく母親に話しているの?肉親だからと言って何も話さなくても伝わると言うのは大きな間違い。それではすれ違うばかりよ」

「ゆきのん......」

 

 その強い眼差しは小学生には少々厳しすぎるだろう。実際、留美は怯えたように喉を詰まらせて言葉を紡げない。

 由比ヶ浜が制止したからなんとか止まったものの、あのままだったら留美のこと泣かしてたんじゃないだろうな。

 

「留美ちゃんはどうしたい?」

 

 問いを投げかけたのは一色だ。常の彼女からは想像できないような真剣な表情で、更に続ける。

 

「今の状況のままでいいの?それとも、もう一度あの子達と仲良くなりたい?もしくは、あの子達を排除したい?」

「......もうどうしようもないの。私も他の子の事見捨てちゃったし、ああ言うのがまだ続くんなら、もういいかなって」

 

 でも、と嗚咽をかみ殺すかのような声で呟き、留美はその本心を吐露する。

 

「今のままは嫌だな......。惨めっぽいし、見下されてる感じがして、自分が一番下なんだって思う」

「惨めなのは嫌か?」

「うん」

「肝試し、楽しめるといいな」

 

 そう言い残して立ち上がり、その場を去る。

 人はそう簡単には変わらない。だが、世界を変える事は出来る。

 きっと前回の俺たちは間違えたんだろう。留美の世界は、留美自身が変えるべきだった。あの偽物の関係を終わらせるのは、彼女の手によって行われるべきだ。

 しかし、偽物だと分かっていても、そこに手を差し伸べた留美を俺は知っている。

 そんな彼女の背をほんの少しだけ後押しする為に、俺はこの記憶を全力で振りかざしてやろう。

 



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けれど、彼はもう独りじゃない。

「なにこの安っぽいコスプレ......」

 

 それを見て最初に口を開いたのは三浦だった。

 宇宙人に魔法使い、化け猫に雪女に巫女装束。果てはよくわからないアフロやら馬の被り物やら。

 うん。これも前回と同じだな。全くもって意味の分からん衣装が集められている。

 戸塚の魔法使い姿、もう一度見たかった......。

 その戸塚の代わりに魔法使いのコスプレをしているのは一色だった。

 頭に被ったとんがり帽子のツバを手で抑えて不思議そうに呟く。

 

「魔法使いってオバケなんですかね〜?」

「まぁ、広い意味ではオバケなんじゃねぇの?」

 

 キュルン、と上目遣いであざとくこちらを見てくるが無視だ無視。ちょっと頬染めてこっちに寄ってくるんじゃねぇよ後ろからなんか冷たい視線を感じてるんだよ!

 

「でも怖くなくないですか?」

「そんな事ないんじゃねぇの」

 

 本当に怖い。こいつのあざとさがとどまる所を知らなさすぎて本当怖い。

 俺のそんな本心も知らず、一色は両手で肩を抱いてバッと後ろに飛び退く。

 

「なんですか口説いてるんですか。魔法使いだけに君に魔法をかけてあげるよとでも言いたいんですか。かなりセリフが臭くて無理ですごめんなさい」

「あぁ、そう......」

 

 俺はこいつに通算何回振られたら良いんだよ。

 

「お兄ちゃーん!」

「ん?」

 

 後ろを振り返るとそこには化け猫のコスプレをした小町。これも前回と同じだ。そして小町の後ろからユラユラと幽霊のように接近する雪女さんも前回と全く同じように、耳をもふり手をもふり尻尾もふり、そして最後に一つ頷いた。

 

「あの、雪乃さん......?」

「小町さん、よく似合っているわよ」

「あ、ありがとうございます」

 

 雪ノ下の猫大好きっぷりには流石の小町も若干引いてる。今度猫と共鳴してるところでも動画に撮って小町に見せてやろうか。

 

「あら、比企谷くんもよく似合ってるじゃない、ゾンビの仮装。目なんて凄いクオリティよ」

「残念ながらこれはノーメイクだ。お前こそその着物よく似合ってるじゃねぇか。雪女とかキャラ的にもピッタリ」

「最近はそこまで冷たくした覚えはないのだけれど」

 

 うん、まぁ確かに二度目の世界での雪ノ下は結構、というかかなり優しい。あの氷の女王っぷりは鳴りを潜めた、と言うほどでは無いが、以前と比べると天と地の差がある。

 奉仕部部室内でのみ、と但し書きは必要ではあるが。

 

「それとも比企谷くんは冷たい態度で罵倒されるのがお好みかしら?流石はドMね。気持ち悪い」

「ああ、それそれ。そう言うのが雪女っぽいんだよ」

 

 一転して氷点下の言葉を投げかけてくる雪ノ下にウンザリしながら溜息を吐くと、姿見の前でポーズをキメては落ち込んで、を繰り返す由比ヶ浜が視界に映った。

 

「忙しいやっちゃな、お前」

「あ、ヒッキー。どうかな、これ」

 

 由比ヶ浜が着ているコスプレもまた前回と同様で、恐らくは小悪魔コス。某弾幕ゲームに登場するキャラでは無い。

 小悪魔で言うともっとピッタリなやつがそこで魔法使いになっているが、それは言わぬが花だろう。

 

「似合ってなかったらはっきりとそう言うんだがな。それが出来なくて残念だ」

「へ?えっと......。あぁ!もう、素直に褒めてくれれば良いのに」

 

 暫く俺の言葉の意味について考えたようだが、合点がいったのか嬉しそうにえへへ、と笑みを見せる。

 

「出たよお兄ちゃんの捻デレ」

「こらそこ、変な造語を作るな」

 

 他に辺りを見回してみると、海老名さんは巫女装束を着てなんだか本格的な感じになってるし、葉山に至っては戸部がなんでもかんでも着させる所為でよく分からないものになっていた。キメラのコスプレですかね。

 

「先輩、先輩」

「あ?どうした?」

「あの子のこと、どうするつもりですか?」

 

 一色のその一言で、楽しいコスプレ会場の雰囲気は一気にテンションだだ下がり。お通夜みたいな空気に包まれる。

 

「やっぱり、留美ちゃんがみんなと話すしか無いんじゃないかな」

 

 葉山の言葉だ。沈痛な表情で言うが、その格好も相まって真剣に見えない。いや、本人は至って真面目に発言したつもりなんだろうが、申し訳ない事に巫山戯てるようにしか見えないのだ。

 そして、その発言内容も巫山戯たものであるのに変わりはない。

 

「葉山、一つ確認しておくが、その『お話』は一体どうやって実現させるんだ?」

「それは、俺たちが仲介するしか無いんじゃないかな?現状だと留美ちゃんか他の子達からって言うのは難しいかもしれないし」

「それじゃダメですよ、葉山先輩」

 

 否定の言葉は意外な所から。一色は、自分の想い人であろう筈の葉山の意見を真っ向から否定した。これまで見てきた一色いろはと言う人物からは想像がつかない発言だ。

 

「一色の言う通りだ。俺たちが仲介に入ってしまっては意味がない。大人たち、いや高校生の俺たちの手前表面上は取り繕って仲良くする振りをするかもしれないが、その後はどうする?仮にそれで留美が上手くいったとしよう。だが留美の代わりの被害者がまた現れたら?お前はそこまで考えて発言したか?」

 

 葉山に返す言葉は無い。俺の言葉だけでなく、一色からも否定されたのが効いているのかもしれない。

 

「今回の件、お前たちは手を引け」

「はぁ⁉︎ちょっと!それどう言う意味だし!」

 

 突っかかってきたのは三浦だった。その目に浮かんでいるのは驚きと怒り、だろうか。どうやら納得いかないご様子で。

 

「どう言う意味も何も、言葉の通りの意味だ。留美の現状は俺がどうにかする。だから、お前らはもう何もするな」

「ふざけんなし!そもそも、友達もろくにいないあんたにどうにか出来る訳が」

「少し黙りなさい」

 

 三浦の怒声を遮る、酷く落ち着いた声。だがそこに籠められた感情は三浦と同じ、怒りだった。

 瞳の奥には青い炎が揺らめき、雪ノ下雪乃は静かに激怒している。

 

「三浦さん、あなたに比企谷くんを貶す資格はないわ。昨日の一件でまだ懲りていないのかしら。だとすれば愚か、いやいっそ哀れですらあるわね。そもそも」

「雪ノ下」

 

 続けようとする雪ノ下を制する。まだ言い足りないのか、不満げに俺を睨め付けるが、一つ溜息を零してから引き下がってくれた。

 三浦は雪ノ下を若干震える目で見ているが、彼女のトラウマにならないことを祈ろう。

 が、別に雪ノ下を止めたのは断じて三浦のためでは無い。俺が自分の言いたい事を言いたいだけ。

 

「ま、三浦の言う通り俺には友達なんて一人もいないがな。でも、味方になってくれる奴はいるんだよ」

 

 少しくらい、素直になってもバチは当たるまい。

 俺と同じものを欲した後輩がいて、俺を十数年に渡り見てきてくれた妹がいて、俺に叱咤激励してくれるクラスメイトがいて、俺の事を否定してくれる部長がいる。

 今の俺にかつてのやり方は選択できない。ならば、今の俺にしか出来ないやり方を見つけよう。

 俺の味方になってくれる奴らと一緒に。

 

 

 

 

 

 

「それで、何か案は思い浮かんでいるの?」

「いや、全く」

 

 コスプレ、もとい仮装の衣装が置いてあった講堂を出て、現在は肝試しのコースを下見している。

 時間もまだ余裕があるので、雪ノ下達も一旦元の服に着替え直していた。

 いや、余裕なんてないか。肝試しは今から三時間後程したら開始される。肝試し前の前座として怖い話を小学生に聞かせるらしく、葉山や三浦達にはそちらの打ち合わせをしてもらっている。勿論俺たちが戻ったら次は葉山達がコースの下見へ行くのだが、俺たちが前座に関わることは無い。留美の件をこちらに任せるのだから、前座は全部任せてくれと葉山に言われたためだ。

 

「え、何も考えてないのにあんな啖呵切ったんですか?馬鹿なんですか?」

「うっせぇ。今から考えるんだから別に良いだろうが」

「まぁまぁいろはちゃん。ヒッキーなら何かいい考えを思いついてくれるから大丈夫だって!」

 

 心底馬鹿にした目で一色に見られたが、由比ヶ浜がそれとなくフォローしてくれる。しかし、そこまで期待されても困る。

 前回の千葉村で取った行動は採用するわけにはいかない。あの時のあの方法は当事者である全員が等しく嫌な思いをしただけだ。

 また、文化祭や修学旅行、生徒会選挙の様に問題を解消、若しくは先送りにして回避する方法も取れない。

 そのやり方は昨夜雪ノ下に否定された。

 だから、考えなければならない。こいつらと一緒に。

 

「で、どうするのお兄ちゃん?どうせお兄ちゃんの事だから一つくらい、いつもみたいな碌でもないの思い浮かんでるんでしょ?」

「おい、俺が常に碌でもない事しか思いつかないみたいな言い方するな。

 ......まあ思い浮かんだっちゃそうなんだが、それは雪ノ下に却下されたからな」

「因みにどんなやつだったの?」

「教える必要性を感じない」

 

 えー教えてよー、と由比ヶ浜が近づいて来て腕をグイグイと引っ張ってくるが教えたところで芳しい反応が返ってくるわけがない。

 と言うか由比ヶ浜さん近い近い。近いしいい匂いするしなんか柔らか......

 

「比企谷くん」

「ひゃいっ!」

 

 雪女、じゃなかった雪ノ下に名前を呼ばれた。

 それだけなのに背筋に嫌な汗が走るとか雪ノ下さんマジっべーわー。

 声色と言いタイミングと言い、もしかして俺の思考読まれちゃってる?

 

「折角だからあなたの名案を披露してあげたらどうかしら?言い辛いなら私から言ってあげましょうか?」

 

 すっごい良い笑顔でそんな事を宣った。

 

「はぁ......。いいよ、自分で話す」

 

 それから俺は他の三人に、昨夜雪ノ下に話した内容と全く同じ事を聞かせた。

 聞く前こそ興味津々と言った様子の三人だったが、話が進むにつれて徐々に苦いものでも噛み潰したかのような表情へと変わって行く。俺の話が終わった頃には、まるでゴミを見るかのような目になっていた。

 やめて!そんな目で俺を見ないで!その目で俺を見て良いのは雪ノ下だけなんだからねっ!

 今のは流石にキモいか。

 しかし、由比ヶ浜だけはそうでは無く、下を俯いていてどんな表情をしているのかは見て取れない。

 

「なんて言うか、最低ですね先輩」

「まぁ、いつも通りのゴミいちゃんだね」

「それ、ヒッキーがやるつもりだったの......?」

 

 一色と小町の声は耳に入ってこなかった。

 ただ、由比ヶ浜の力のない震えた声だけが、俺の脳に響く。

 あの時と、生徒会選挙の時と同じ。

 

「俺以外にできる奴がいないからな。それに発案したのも俺ってなったら、やる奴なんて決まってるだろ」

「でも......」

「でも、その案は没だ。雪ノ下には否定されたし、俺自身やりたくないしな」

 

 その先を言わせまいと、無理矢理言葉を紡いだ。これ以上、由比ヶ浜のそんな表情を見ていたくなかった。

 

「そっか......。なら安心だ」

 

 本当に心底安堵したように微笑む由比ヶ浜。

 なんだか照れ臭くなってしまってその顔を直視出来ない。

 仕切り直しとばかりに、一つ二つ咳払いをしてから話を転換する。

 

「雪ノ下、お前はなんかないのか?」

「あら、早速人任せ?もう少し脳を働かせてはどうかしら」

 

 冷たい目でジロリと睨まれる。心なしか少し不機嫌に見えないこともない。

 

「脳を働かせた結果、何も浮かばないんだよ」

「そう、数ビットしか容量のないあなたの脳みそでは仕方のない事ね」

「せめてバイトにしてくれ。てかなに、なんで不機嫌なの?」

「別にそんなことはないわ。......でも、そうね。比企谷くん、一つ確認しておきたいのだけれど」

「なんだ?」

「鶴見さんを取り巻く世界を変える為に、私達が直接介入する必要はあるかしら?」

「無いな」

 

 即答する。

 鶴見留美が、既に諦めた関係にも手を差し伸べる事が出来る事を前回の千葉村で知った。

 そして、周囲の子も受け入れてくれる事もクリスマスの時に知った。

 だから俺たちはお膳立てするだけでいいんだ。留美が一歩踏み出すために。

 

「では考え方を変えましょう。鶴見さんの現状をどうにかする為に、では無く、鶴見さんが現状をどうにかする為に、と」

「ん?え?あれ?変わって無くない?」

 

 いやいや結構な差があったぞ由比ヶ浜よ。確かに言葉だけを受け止めればそこに差異は無いが、その意味合いは全くと言っていいほど変わる。

 昨晩から俺たちや葉山たちが考えていたのは、『鶴見留美を救う為に、俺たちは何をすればいいのか』だったが、雪ノ下が言っているのは『鶴見留美を救う為に、鶴見留美自身が何をすればいいのか』だ。俺たちが直接介入しないと言うことは、問題の解決は留美自身に委ねられる。では留美がどのように解決していくのか。その為に俺たちは何をすればいいのか。

 と言った感じのことを掻い摘んで由比ヶ浜に説明する雪ノ下。由比ヶ浜もそれで納得いったのか、なるほどー、と頷いている。

 

「でも、留美ちゃんは実際にどうするんでしょうね?今の惨めな状況が嫌だってお兄ちゃん達に言ってたって聞きましたけど」

「なら、その状況をひっくり返しちゃったら良いって事ですよねー?」

 

 いつも通りの間延びした声で一色が言う。

 

「だから、その状況を変えるのにどうしたら良いかを話し合ってるんだろうが」

「いえいえ、そう言う事じゃ無くてですね。て言うかこんな事も分かんないんですか?アホなんですか?」

 

 え、なんで俺今馬鹿にされたの?馬鹿にされる要素無かったよね?

 

「......なるほど、そう言う事ね」

「あー、そう言う事ですか。いろはさんも結構小狡いこと考えますねぇ」

 

 どうやら雪ノ下と小町は一色の言わんとしてることに察しがついた模様。

 一方で一色にアホの子呼ばわりされた俺と元祖アホの子由比ヶ浜は何を言ってるのか全く分かっていない。

 

「せーんぱーい」

 

 一色の甘ったるい声色が耳に届く。

 八幡知ってる、これ碌でもないこと言い出すときのいろはすだ!

 

「そこに分かれ道がありますよねー?」

「そ、そうだな......」

 

 中央に大きな岩。それを起点として道が左右に分かれている。

 千葉村の事務室から借りてきた、肝試しのコース用の地図に雪ノ下が何やら書き書きしている。多分、誘導用のカラーコーンを置く場所のメモだろう。この下見にはそれをする目的も含まれている。

 

「これ、間違えた道に進んじゃうとどうなると思いますー?」

「そりゃ、迷子になるだろ」

 

 小学生達が肝試しの目的地としている祠は、この分かれ道を右に進んだ先にある。

 左側にも道は繋がっているし、ある程度の舗装もされているが、この山の中の夜となれば周囲に明かりも無く、文字通り真っ暗だ。ソースは俺。昨日の夜はマジで真っ暗で若干怖かったまである。

 そんな暗闇を、俺たち高校生なら兎も角小学生達が歩くとなれば、必然的に迷子になってしまうだろう。そのための誘導用カラーコーンだ。

 

「じゃあじゃあ、迷子になった後はどうなると思います?」

「そりゃまずパニクるだろ」

「ああ!そう言うことか!」

 

 隣で大声を上げる由比ヶ浜。

 え、まさかガハマさん分かったの?

 

「先輩、まだ分かりません?」

「いや、ちょっと待て、由比ヶ浜に分かって俺に分からない筈が無い」

「ヒッキーあたしのこと馬鹿にしてない⁉︎」

 

 いや、一つだけ浮かんだ考えはあるが、流石にそれは無いと信じたい。一度あんな方法を取っている俺が言うのもなんだが、割と最低な部類に入る手段だろう。

 

「お前、まさかとは思うけど、あの子達を迷子にさせるとか言わない、よな......?」

「んー、まあ結果迷子になってしまうかもしれませんけど、正確に言うならば」

 

 にこー、と近年稀に見る極上のあざとスマイルで、我らが愛すべき後輩は実にシンプルに、一言でその作戦を説明した。

 

「下克上、です♪」

 

 

 

 

 

 

 暗闇に包まれた森の中、俺は一人で息を殺すようにして繁みに隠れていた。

 聞こえてくるのは鈴虫の鳴く音と風の音くらい。周囲に灯りは存在しないが、道が分からなくなるほどでは無い。

 それでもこんな真っ暗闇の中で一人は若干怖いし淋しさを感じてしまう。一人でいることに対してそんな感情を抱くとは、もうぼっちを名乗れないかもしれないな。

 いや、そもそも三浦達にあんな事を言った時点で、自分はぼっちでは無いと言っているようなものだ。

 不思議と悪い気はしない。

 そんな感傷に浸っていると、後ろからガサゴソと音が聞こえた。誰か来たのかと振り返ってみると、そこには白い着物に身を包んだ雪ノ下が。

 

「雪ノ下」

「ひっ......!」

 

 こりゃまたなんとも可愛らしい悲鳴な事で。そう言えばこいつ幽霊とか暗い所とか苦手だったっけ。

 

「ひ、比企谷くん?」

「俺以外の何に見えるんだよ」

「幽霊かと思ったわ。目が死んでいたから」

「俺の目は腐っちゃいるが死んではいない」

 

 言いながら俺の隣まで来て腰を下ろし繁みに隠れる雪ノ下。

 

「しかしお前、本当着物似合うな」

「どうしたの突然?」

「いや、思った事を言っただけだが」

「比企谷くんが素直に思った事を言うだなんて怪しいわね。何を企んでいるのかしら」

「ひでぇ言い草だなオイ」

 

 たまに素直になってみればこれである。まぁ、こう言う会話をする方が俺たちらしくて良いかもしれない。

 

「今度、浴衣姿も見せてあげましょうか?」

「浴衣?」

「ええ。夏休み中に花火大会があるでしょう?由比ヶ浜さんも誘って三人で行きましょう」

 

 一色と小町は誘わないのかとか、お前から誘うなんて珍しいなだとか、言いたいことは色々とあったが、それよりも何よりも、確か前回こいつは......。

 

「家のことなら大丈夫。それまでに決着をつけるわ」

「だから、なんで俺の考えてることわかるんですかね......」

 

 あれか、二度目の世界に来てから超能力に目覚めたとかか。テレパシーでも使えるのかしらん?

 

「もうそれなりに長い付き合いなのだから、浅はかなあなたの考えてることなんて分かるわよ」

「どうして今余計な一言を加えた。別に浅はかでも良いだろ。底が深くて足がつかない方がよっぽど怖い」

「それで、どう?」

「話聞けよ。はぁ......。ま、花火大会くらいなら別に良いよ。前は由比ヶ浜とも行ったしな。小町のお使いしに」

「そう」

 

 嬉しそうに微笑む雪ノ下。その笑みは、雪女や氷の女王だなんて揶揄するのが失礼だと思うほどに、暖かいものだった。

 その笑顔に見惚れていると、ポケットに入れた携帯が震える。

 小町からの連絡だ。どうやら留美達の班が出発したらしい。

 

「さて、そろそろって事だな」

「そうね」

「心配か?」

「......何も言っていないのだけれど」

「それなりに長い付き合いだと相手の考えてる事なんて分かるんだろってちょっと待てその携帯から手を離せ一体どこに掛けるつもりだオイ!」

 

 してやったり顔で、雪ノ下自身の言葉を返してやると何故か通報されそうになった。解せぬ。

 

 

 

 

 

 

 

 一色の考えた作戦は非常にシンプルなものだった。

 先程の分かれ道、あそこに置いてあるカラーコーンを反対側に置き留美達の班を迷子にさせる。

 彼女達はまだ小学生。一応ライトを持たされるとは言ってもこの暗闇の中、安全だと信じて歩いた道がまさかゴールの見えない迷路だと分かった時、まずパニックに陥ってしまうだろう。だが、留美はそうならないと確信があった。

 前回のあの状況下においても冷静にその場を逃げ切るための判断を下せた少女だ。たかが迷子程度なら大丈夫だろう。それが、俺と雪ノ下が一色の案を採用した理由だ。

 自分以外の人間がパニックに陥る中、鶴見留美は一体どのような判断を下すのか。

 果たして班のメンバーを見捨てるか、それとも彼女達と手を取り合い共に脱出しようとするか。

 一色が言った下克上の意味とはつまり、普段虐められてる留美が上に立ち、虐めてる側の少女達が下につくと言う構図がどうしても出来上がってしまう、そう言う事だった。

 そこまで考えていた一色には素直に感嘆するばかりだが、何故彼女は、留美がパニクらないと確信していたのか。肝試しが始まる前にそれを聞いてみた所

 

「あの子、多分わたしと同じ種類の人間だからですよ」

 

 と、なんでもないように言って見せた。

 しかしその時の一色は完全なる無表情。いつものようなあざとい仮面でも、あどけない年相応の素の表情でも無い。

 その表情を消した顔で、一色はこうも続けた。

 

「わたしも、昔留美ちゃんと同じような事になった時があったんですよ。誰かをハブってって言うのを繰り返してたら、いつの間にか自分がハブられてて。その時やっぱり思いましたよ。今のわたし、すっごく惨めだなーって。だから見返してやろうかと思ったんです。それで、わたしでこのしょーもないお遊びもお仕舞いにしちゃおうって」

「一応聞くけど、何したんだ?」

「知りたいです?」

「いや、いい。なんか嫌な感じするし」

「失礼ですね。ただ男子達を使って、わたしをハブってた女子達のヘイトを高めただけですよ。お陰で女子達のヘイトはわたしに固定されましたけどね」

「えげつねぇ......。だから聞きたくなかったんだよなぁ......」

「ま、この際わたしが何をしたのかとかはどうでもいいです。要は、留美ちゃんはわたしと同じで何か行動を起こすことが出来る子って事ですよ。わたしは結局その時どこかで間違えたんだと思うんですよね。だから今こんなんだし」

「......」

 

 一色の語ったその話。その中で彼女のとった行動はどこかで聞いた事のあるようなものだった。それもそうか、今までの俺自身が全く同じ事をして来たのだから。

 周囲の悪意や害意を利用して、それらの向き先を自分へと変える。そうする事で解決へと繋げてしまう。

 それを、間違ったんだと一色は断じた。

 あぁ、全くもって耳に痛い。

 

 それに加えて、昼間の留美の言葉を少し理解した気がした。彼女は一色を指して『違う』と称した。

 俺や雪ノ下なんかのぼっちとは違い、由比ヶ浜や葉山なんかのリア充とも違う。言うなれば精神的ぼっち、と言ったところか。

 対外的にはリア充だが、対内的にはぼっちのそれ。

 ふと、夏休み開始当初のショッピングモールでの光景が頭に思い浮かんでいた。

 

「お前、夏休み始まってすぐの時に駅前のモールにいただろ?」

「え、そうですけど、なんで知ってるんですか?ストーカー?」

「ちげぇよ。偶々見ただけだ。そん時雪ノ下も一緒にいたから後で確認なりなんなりして見ろよ」

「あ、デートですか」

「それも違う。話を戻すぞ。その時、一緒に友達といただろ?」

「えぇ、まぁ」

「そん時雪ノ下が言ってたよ。あんな風に仲の良い友達がいて安心したってな」

「まぁ、同級生では唯一素を見せても大丈夫な子達ではありますね」

 

 ここで素直に友達と言わないあたり、こいつも相当捻くれてるな。

 

「普段お前が見せている『一色いろは』の仮面も理解した上で、お前と友達でいられるって事は、偽物のお前も本物のお前も受け入れてくれてるって事だ」

「はあ、で、何が言いたいんですか?」

「偽物だと分かっていても手を伸ばしてくれて、お前もそうしたいと思えていたなら、それは本物なんじゃねぇの?知らんけど」

「本物、ですか......」

 

 そう呟いた一色はどこか彼方を見るように空を見上げていた。

 かつての彼女が、また今の彼女がその言葉にどのような意味を見出しているのかは分からないが、本物を求めようとするその気持ちだけは間違いなく嘘偽りのないものなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「ヒッキー、ゆきのん」

 

 数十分前の一色とのやり取りを思い返していると、肝試しの仕事も全て終わったらしい由比ヶ浜がやって来た。

 そういやこいつ、こんな格好でガオーとか叫んでたな。しかも小学生から凄い笑われてた気がする。流石アホの子。

 一方の俺はノーメイクノーチェンジなのにバッタリ出くわしてしまった小学生からガチでゾンビだと思われて全力で逃げられてしまった。うん、流石は俺。悲しい。

 

「一色と小町は?」

「打ち合わせ通り、念の為ゴール地点で待機してもらってるよ。でもどうして二人は待機なの?」

「彼女達には、タイミングを見計らって鶴見さん達の迷子を小学校の先生達に報告してもらう為よ」

 

 もし、この作戦が俺の思っている通りの展開、留美と班員が和解したとして、しかしそれだけではダメなんだ。留美の問題はクラス単位で行われている。つまり、留美とあの四人が仲良くなったとしても、次はその五人全員を攻撃対象にするかもしれない。

 そうならない為にも、どういう経緯があって和解したのかを匂わせる程度でもいいから小学生達には知っておいてもらわなければ困る。その為に教師を使う。

 もしそれで、留美の優しさに周りが気付いてくれたなら、彼女を取り巻く状況は好転するかもしれない。

 

 こんなものはただの希望的観測でしかないと分かっている。俺らしくない考えであり、やり方であろう。

 それでも、これが今の比企谷八幡の選択だ。

 

「やっぱり、怒られる、よね」

「そん時は俺が謝りに行くさ。その為にこんなもんも用意してあるんだしな」

 

 ポケットから取り出したのは、昼間の下見の時に使っていた地図だ。カラーコーンの設置場所や人員の配置なんかが書かれている。

 その中の、今現在俺たちがいる分かれ道を示した箇所。そこにはしっかりと俺の名前が書いてある。

 つまり、これで責任を追及された時、追及されるべき人物は俺になるという事だ。

 

「ダメだよヒッキー」

「ええ、ダメね。流石は比企谷くんだわ。呆れるほど変わらないのね」

 

 由比ヶ浜がめっと子供を叱るように言えば、雪ノ下がやれやれと溜息を吐きつつ否定する。

 だがそれでも、二人は優しく微笑んだ。

 

「あたしとゆきのんも一緒に謝りにいくよ」

「もうあなた一人に背負わせたりしない。昨夜の会話、忘れたとは言わせないわよ」

「......悪いな」

 

 二人の視線にむず痒さを感じていると、向こうから灯りが見えた。恐らくは留美達の班が持つライトだろう。

 どうやら、ターゲットがご到着のようだ。

 五人は何の疑いを持つこともなく、間違えた道へと誘導されていく。

 

「では、行きましょうか」

「おう」

「うん!」

 

 雪ノ下のその言葉を合図に、俺たち三人は留美達の後を追った。

 今の俺が選んだこのやり方で、果たして鶴見留美を救えるのかどうか。それはここから先の展開にかかっている。

 



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誓いをここに、彼女は定めた道を往く。

 フォークダンスの時間も終わり、小学生達はキャンプファイヤーの炎を前に思い思いの時間を過ごしている。

 俺が見た限りだとエアオクラホマミキサーは見当たらなかったので、最近の小学生の間では流行ってないのかな?とか思いもしたが、シンプルにいじめられっ子がいないだけだろう。

 

 そう、いじめられっ子はもういない。

 鶴見留美は班員の四人と楽しく談笑していた。

 あの泣きそうな顔はもう見せず、本当の笑顔を見せていた。

 

 さて、お分りいただけた通り、一色の考えた作戦は頗る上手くいった。もう上手くいきすぎて怖いくらいに。

 予定通り迷子になった留美達を追いかけるように俺たちも移動。彼女らが迷子になったのを察した時点で、近くに小石を投げたり、周囲の草を揺らしたりして恐怖心を煽る。

 そうこうしている内に留美以外の女の子達は耐えきれずに泣き出す子まで出た。一人冷静な留美はその子達を励ましながらも、動かずに助けを待とうと判断を下し、それから暫くしてから由比ヶ浜が探しに来たと言う体で留美達と合流。俺が行っちゃったらまたゾンビと勘違いされるかもしれないし。

 留美に助けられた彼女達は先程留美に謝り和解したところだ。

 

 一方の俺たちは小学校の教師達に平謝り。平塚先生も一緒に謝ってくれたお陰で大きな問題にならずに済みそうらしい。

 

 全部が全部、上手くいった。

 上手くいきすぎてこの後に何か特大の爆弾が落ちて来るんじゃないかと疑うくらいに。

 

「八幡」

「ん?」

 

 キャンプファイヤーから撤収する小学生達の様子を一人眺めていると、いつの間にか留美が俺の前に歩いて来ていた。

 

「あれ、八幡の仕業でしょ」

「何のことだ?」

「カラーコーン。私たちの時だけ場所が変わるの普通おかしいもん」

「だったらどうしたよ。迷子にさせられたから俺を非難する為に来たか?」

 

 小学生をわざと迷子にさせた挙句泣かせる高校生なんて常識的に考えて最低な奴だ。そのことで責められても文句は言えない。

 

「違う。お礼言いに来た」

「お礼?」

「うん。八幡と雪乃さんのお陰で、また仲良くなれそうだから。だから、ありがと」

 

 それだけ言って、留美は去っていく。

 歩いて行った先には同じ班の女子達。何処と無くギクシャクしてる感じは否めないが、それも時間が解決してくれるだろう。

 なんて、こんな考えもかつての俺なら持たなかったんだろうな。

 

「お疲れ様」

「......葉山」

 

 去っていった小学生達を見送ると、葉山がやって来た。その手にはマッカンが握られており、俺に差し出している。一応の礼は言ってそれを素直に受け取ると、葉山は隣に座って来た。

 ちょっとちょっと、なんで自然に隣に座るんですか?友達だと思っちゃうでしょうが。

 

「結衣に聞いたよ」

「なにを?」

「全部だよ。......君は凄いな」

「なんだよそれ、嫌味か?全部聞いたんなら知ってるだろ。俺はなんもしてねぇよ」

 

 そう、本当に何もしていない。

 考えたのは一色だし、作戦の細部を詰めたのは雪ノ下だ。教師達に知らせたのは小町で、留美達を迎えに行ったのは由比ヶ浜。

 俺は最後に謝っただけ。それも雪ノ下と由比ヶ浜と平塚先生が一緒に謝ってくれたし。俺のしたことなんて、本当に何もない。

 

「いや、凄いよ。俺には真似出来ない」

 

 葉山の目は虚空を見つめていて、何を考えているのかなんて分からない。別に分かろうとも思わないが、一つだけ思ったことがある。

 葉山隼人、きっとこいつも、目に見えな『みんな』とやらの被害者なんだろう。

 みんなの期待に添える為に動くが故に、誰か一人を選べない。それで救える何かがあるのかもしれない。だから、それが間違っているとは俺には言えない。

 

「だからかな。だから、俺は......」

 

 ---比企谷の事が、嫌いなんだろうな。

 

 苛烈さすら潜めた瞳で、葉山隼人ははっきりとそう口にした。

 なるほど、俺はこの時から葉山に嫌われていたのか。悪い気分じゃない。寧ろこいつに好かれるなんてたまったもんじゃ無いし。

 

「そうかよ。俺も、お前のこと嫌いだわ」

「ふっ、ふふ、そうか」

「何笑ってんだよ」

「いや、面と向かってそう言われるのは初めてだからな」

 

 腹を抱えて笑い出した葉山。人に嫌いって言われてここまで嬉しそうに笑えるというのもおかしな話だ。

 でもちょっと笑いすぎじゃありません?

 

「君ならきっと、彼女を救えていたんだろうな......」

「あ?」

 

 ボソッと呟いた言葉は、きっと俺に向けられたものじゃないだろう。

 葉山の言う彼女が誰なのかなんて知らないし、俺が気にすることでもない。だから、それ以上問い詰めはしない。

 

「いや、何でもない。結衣達が花火の準備をしてたから、そろそろ行くよ」

 

 結局、笑いを抑える事もなく葉山は立ち去って行った。

 いや、あいつマジで笑いすぎだろ。そんなに俺に嫌われるのが嬉しかったの?

 なんだか複雑な感情を抱きながらも葉山から受け取ったマッカンを口に入れる。

 うん、美味い。

 やはり一仕事終えた後のマッカンは格別だぜ。

 なんなら全国の会社にマッカン専用自販機を設置しても良いのではなかろうか。もしそうなったら全国の社畜の皆さんに少しでも癒しを届ける事が出来る。

 

「また随分と気持ちの悪い笑みを浮かべているわね。気持ち悪い」

「ちょっと、気持ち悪いって二回言う必要あった?なんで一々オーバーキルを狙ってくるんだよ」

 

 聞こえてきた声に、最早反射的に言葉を返す。振り向いた先に居たのは雪ノ下雪乃。

 俺の好きな女の子で、今までずっと一人で戦ってきた強くて弱い女の子。

 

「比企谷くん、少し着いてきてくれるかしら?」

「別に良いけど、由比ヶ浜達は?」

「もう少しでここに来るわ。その前に、あなたと二人で話がしたいの」

 

 いつになく真剣な表情でそう言われてしまっては、着いて行くしかなくなる。

 よっこいせと重い腰を上げて辿り着いた先は、俺たちが寝泊まりしているバンガローだった。

 どこからか鍵を入手していたのか、男子用のバンガローに迷いなく入る雪ノ下。

 いや、マジでどうやって入手したんだよ。確か葉山が戸締りした後に平塚先生に渡してたと思うんだけど。

 平塚先生の相変わらずな杜撰さにまた結婚出来ない理由を見つけてしまった。

 

「んで、話って......」

 

 その言葉を最後まで告げる事は出来なかった。

 ふわりと揺れる黒髪。全身を襲う柔らかい感触。

 端的に言うと、雪ノ下に正面から抱きつかれていた。

 

「ちょ、雪ノ下⁉︎」

「比企谷くん......!」

 

 あまりの急展開に脳が回らなかったが、俺に抱きついてきた雪ノ下は、よく聞くと嗚咽を漏らしている。

 それを知覚した瞬間に、冷静になれた。

 

「突然こんな状況に陥って、あなたや由比ヶ浜さんはもうどこにもいなくて、その事が、その事だけがとても不安で、怖くて、寂しくて......」

 

 雪ノ下雪乃は決して強い女の子なんかではない。怖い事だってあるし、嫌な事だってある。ただ、そう言ったものから逃げずに真っ向から立ち向かうから勘違いしてしまいそうになるだけ。雪ノ下はどこにでもいる普通の女の子と変わらない。

 

「だから、一人で頑張ろうって思ったのに、あなた達がいなくなっても、私なりに頑張っていこうって思ったのに、そんな時に思い出してくれるなんて、卑怯よ......」

 

 雪ノ下の泣き声だけがバンガローの中に響く。

 彼女は変わった。かつてのように誰かの影を追うような真似をしなくなって、自分で考えて行動する事が出来る。それは今この状況故にだとは思うけれど。

 それでも、雪ノ下が変わったのは事実だ。

 ならば俺は。比企谷八幡は。

 

「雪ノ下、聞いてくれ」

 

 良い加減、変わらないといけないのかもしれない。

 それはとても難しいことで、簡単に出来るような事ではないのかもしれないけど。

 でも、あの日々を無かったことにしないように。

 ここに一つ、誓いを立てよう。

 

「俺は、お前が好きだ」

「......え?」

 

 顔を上げた雪ノ下は、酷く呆気に取られた表情をしている。それもそうか。雪ノ下が今までの不安や恐怖を吐露したのに比べて、俺は何故かこのタイミングで告白しているのだから。

 

「あぁ、返事が欲しいんじゃない。これは宣誓みたいなもんだ。もう勘違いしないために、お前達と向き合って行くために。その為の、身勝手な誓いだ」

 

 本当、面倒くさい男だと思う。

 こうでもしないと、他人の感情とやらと向き合うことさえ出来ないのだから。

 それでも、これが俺と言う人間なのだから仕方がない。

 

「でも、私は......!」

「分かってる、て言うのは烏滸がましいかもしれない。でもな、まだ、今じゃダメなんだ。まだ、あいつと向き合っていない」

 

 俺が誰のことを指して言ったのか、雪ノ下には伝わっただろう。ハッとなった彼女の表情を見れば一目瞭然だ。

 俺はまだ、あいつと、由比ヶ浜と向き合っちゃいない。彼女が俺に対してどのような感情を抱いているのか、分からないなんて言えない。それが100%正しいのかと言われるとイエスとは答えられないが、それでも、分かる。分かってしまう。

 もう分かっていないフリなんてしていられないんだ。

 

「......そう。あなたがそのつもりなら、私にも考えがあるわ」

 

 バッと俺から離れた雪ノ下は、目元の涙を拭って、澄んだ空を思わせるその瞳で俺を捉える。

 

「私は、あなたが好き。あなたの事がとても好きよ、比企谷くん」

 

 迷いのない一言。万感の思いを込めて、雪ノ下はそう口にした。

 

「あなたがそうやって自分のために誓いを立てるのは構わないわ。好きにしなさい。でも、私がそれに付き合う道理はどこにもないわよね」

「いや、それはそうだけど」

「もう通算で一年以上の付き合いになるのだから、あなただって知っているでしょう?私、待つのも待たされるのも性に合わないの。だから、こっちから行かせてもらうわ。確かに彼女達には抜け駆けみたいな真似をして申し訳ないとは思うけれど、恋は戦争なのよ」

 

 だからこれは、その最初の一歩。

 

 そう言った雪ノ下は再び俺へと近づいてきて、やがて、その距離をゼロにした。

 

「なっ......!おおおお前!」

「今のキスは私にとっての誓いのようなものよ。これから覚悟しておく事ね」

 

 ウインクを一つしてから雪ノ下はそそくさとバンガローを出て行く。

 俺はと言うといきなりすぎる展開に思考が追いついていなかった。

 

「マジか......」

 

 未だ唇に残る感触を指で確かめるようになぞって、そう呟くことしか出来ない。

 結局、俺がバンガローを出たのはそれから十分以上経ってからのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 千葉村での全ての仕事が終了し、我が愛すべき千葉へと帰る車の中。

 行きと同じで助手席に乗せられた俺。後部座席の女子達は疲れからか全員夢の世界に落ちている。

 俺はと言うと、昨夜から一睡も出来ていないのにここでも睡魔が襲ってくる気配がないので、悶々と昨日のあの雪ノ下の行動に悩まされ続けていた。

 

「何か悩み事かね?」

 

 そんな俺を見兼ねてか、平塚先生が優しく声をかけてくれる。

 運転に集中してくださいね?

 

「ええ、まぁ......」

「私でよければ相談に乗るぞ?」

「いや、こればっかりは自分で考えないとダメなんで」

「ふむ、雪ノ下もそうだが、君ももう少し周りの人間を頼ったらどうだ?君達はあまりにも自分だけの世界に閉じこもり過ぎる節がある」

 

 平塚先生の言うことは正しい。

 俺も彼女も、常に自分の世界には自分一人しかいなくて、誰かに頼るなんてそもそも選択肢に存在していなかったのだから。

 

「だが、聞くところによると今回はそうではなかったみたいじゃないか」

「今回って言うと、留美の件ですか」

「ああ。まさか君がそう言う行動を取るとは思わなかったよ」

 

 今回の俺の取った行動は、確かにかつての俺からは考えられない事だろう。

 他人に意見を求め、更にはそれを採用する。

 それが平塚先生の言うところの、誰かに頼ってる事になるのだろうか。

 

「君が何に悩んでいるのかは無理に聞き出さない。だが、それが何であるにせよ、大いに悩みたまえ。その結果出た答えが正しかろうが、間違っていようが、それは必ず君の財産になる」

「いや、間違ってちゃダメでしょ」

「そんな事はないさ。間違い続けるからこそ、得るものだってあるんだよ」

 

 間違い続けるからこそ得るもの。

 きっと俺は、その答えのようなものを一度目の世界で垣間見たんだ。

 何度も間違って、何度も壊れそうになって、その度に誰かが必死に繋ぎ止めようとしたもの。それは果たして、俺の求める本物足り得るものなのだろうか。

 

「でも、失うものだってあるじゃないすか」

「当たり前だ馬鹿者。でも、正しい選択をしたって失うものが無いとは限らない。何かを失う時、それは失われるべくして失われる。選択をすると言うのはそう言うことさ」

 

 何かを懐かしむかのように目を細める平塚先生。きっと、この人にも失ったものがあって、得たものがあったんだろう。いつか、この人の話も聞いてみたいものだ。

 てか本当にちゃんと運転に集中してください。ちゃんと前見て。危ないから。

 

「君がしっかりと悩み、考え抜いた結論。これが大事なんだ」

「考えるときは、考えるべきポイントを間違わないこと、ですか」

「よく分かってるじゃないか」

 

 あなたが教えてくれたんですよ、とは言わない。それは、暫く先の時間での事だから。

 

「選び取った選択が間違っていてもいい。だが、その考えるべきポイントを間違えていると、得るものは何もない。何もかもを失ってしまう事になるからな」

 

 あの時の俺はそれを間違えていた。

 だから、あの空間も、俺の持っていた信念も、何もかもを失いかけていた。そんな時にこの人がヒントをくれなければ、きっと失ったままで、俺はその事にすら気がつかなかったんだろう。

 と言うならば、俺はこの人に感謝してもしきれない。

 

「む、そろそろ眠たくなってきたかね?」

「えぇ、正直言ってかなり」

 

 本当、良く見てくれている。

 

「なら眠っていたまえ。着いた頃に起こすよ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 俺たちの事を見守ってくれている平塚先生の為にも、俺はもっと考えて悩み続ければならないのだろう。

 そんな事を思いつつ、夢の世界へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 平塚先生に起こされて目を覚ましてみると、既に総武高校の校門前についていた。夢のひとつもみなかったことからかなり深い眠りに落ちていたらしい。

 軽く伸びをしてからシートベルトを外し、車から降りる。

 

「さて、家に帰るまでが合宿だ。各員事故のないよう気をつけて帰るように」

 

 解散を告げた平塚先生は一服していくらしく、タバコを取り出して火をつける。

 

「お兄ちゃん、買い物して帰ろうよ」

「ん、いいぞ」

「雪乃さんも一緒にどうですか?」

 

 ちょっとちょっと小町ちゃん?今雪ノ下を誘われると俺かなり困るんだけど。どんな顔して雪ノ下と話せばいいか分からないんだけど。

 

「いえ、私は......」

 

 しかし、雪ノ下の返事は芳しくないものだった。あぁ、そう言えばこの後は......。

 

 校門の前に颯爽と現れる一台のハイヤー。俺にも、由比ヶ浜にも見覚えのあるものだ。

 そのハイヤーから出てくるのは白いワンピースを着たとても綺麗な女性。雪ノ下陽乃。

 

「ひゃっはろー!雪乃ちゃん、迎えに着たよー!」

「姉さん、やっぱり来るのね......」

「え、雪ノ下先輩のお姉さん⁉︎」

 

 出て来た陽乃さんに、一色が驚愕の声を上げる。

 凄い美人だー、なんて言ってるが、あれの中身は悪魔というか魔王というか、君の完全上位互換なんですけどね。

 

「帰るのはお盆だと言った筈だけれど」

「んー、そうなんだけどねー。お母さんが早く雪乃ちゃんに会いたいって言うから迎えに来ちゃった!それに、雪乃ちゃんだって特に予定があるわけでもないでしょ?あ、もしかして比企谷くんとデートの予定でもあったかな?」

「そんなわけないでしょう。寝言は寝て言いなさい」

 

 このこのー、と雪ノ下に詰め寄る陽乃さん。

 雪ノ下も途轍もなく嫌そうな顔をしている。

 そう言えば、前回会った時はまだ何も思い出していない時だったから特に何も考えなかったが。今現在の雪ノ下雪乃を見て、雪ノ下陽乃は一体何を思ったのだろうか。

 考えようとして、辞める。どうせ考えたところでこの人のことなんて分からない。それで分かってしまえば、今までこの人に振り回されたりしないだろう。

 

「あ、あの!ゆきのん嫌がってますから!」

 

 陽乃さんを引き剥がすように、由比ヶ浜が雪ノ下の手を引く。

 その行為で彼女の存在を認知した時、陽乃さんの表情が一瞬だけ変わった。あの、一切の感情を感じさせない、品定めをするようなものに。

 

「あなたは......」

「由比ヶ浜結衣です!ヒッキーのクラスメイトで、ゆきのんの友達です!」

「雪乃ちゃんの友達、ねぇ......。それは良かった!それにしても比企谷くん、ヒッキーなんて呼ばれてるんだー。私も呼んでいい?」

「勘弁してください」

「陽乃、その辺にしておけ」

 

 平塚先生の一声で、陽乃さんの動きが止まる。これで止まってくれるならもう少し早く声をかけて欲しかったです。

 

「久しぶりー静ちゃん!」

「平塚先生、お知り合いなんですか?」

「昔の教え子だよ」

 

 一色の問いに答えた平塚先生は心底呆れたかのような声色だ。陽乃さんが在学時にも苦労をかけられたのだろう。

 

「さ、雪乃ちゃん、行こっか。お母さん待ってるよ」

「分かってるわ。小町さん、折角お誘いしてくれたのにごめんなさい」

「いえいえ、そう言うことでしたらお構いなく!」

 

 流石の小町もこの場面で強く言うことはできない。

 雪ノ下は一つ大きく深呼吸をして、それから俺たちに向き直った。

 

「では、お先に失礼するわ。また会いましょう」

「はい、また学校で!」

「ゆきのん、またメールするね!」

 

 彼女らに優しく微笑みかけてから、雪ノ下はハイヤーへと歩いて行く。

 きっと、彼女は戦いに行くのだろう。姉と、母親と、なにより自分自身と。

 

「雪ノ下」

 

 ならば一言くらい、声をかけておこう。

 乗り込む寸前の彼女に、たった一言だけ。

 

「またな」

「......ええ、また」

 

 声には出さず、言葉にはしなかったけれど。そんな無言のエールが、彼女に届く事を願って。

 雪ノ下姉妹を乗せたハイヤーは、来た時と同じように颯爽と去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 去り際に彼から届けられた無言のエール。

 私の思い違い、勘違いかもしれないけれど。それでも、彼が『頑張れ』と言ってくれているような気がした。

 それだけで、どれ程の力が湧いてくる事だろう。

 今も母さんと話すことに些かの怖さはあるけれど、あの人と向き合わないことには何も始まらない。

 

 千葉村で、一つの誓いを立てた。

 

 私が、私であるための誓い。

 自分勝手で傲慢なものであるそれは、きっとかつての私なら絶対にしなかったであろう行いだった。

 でも、それも悪くない。

 

 ああやって初めて自分の気持ちを彼に打ち明けるのは恥ずかしくて、今思い出すだけでも顔が真っ赤になってしまいそうになるけれど。それでも、どことなくスッキリしている自分もいる。

 

「雪乃ちゃん、着いたよ」

「ええ」

 

 姉さんの後に着いて行くようにして車を降りて、久し振りの実家を歩く。

 こうしてこの人の後ろを歩くのを、今までずっと続けていたわけだけれど。今の私はそんな事をしなくても自分の足で、自分だけの道を歩けているだろうか。

 不安になるのも仕方ないと思う。でも、彼は、こんな私でもこの人には出来ない生き方をしていると言ってくれた。

 たったそれだけの言葉でどれだけ救われただろうか。

 余りにも単純な自分に嫌気がさすどころか、寧ろ心地いい。

 彼が認めてくれた私だからこそ、ここまで頑張れるんだ。

 

「姉さん、ここからは一人で大丈夫よ」

「......ほんとに大丈夫?」

 

 母さんの待つ部屋の前まで来て、姉さんに声をかける。

 返ってきた言葉はある意味驚くべき言葉ではあったけれど、けど、今までのこの人の行動の意味を考えると当然の言葉のように聞こえた。

 姉さんはいつだって私の味方をしてくれていた。それに気がつかなかったのは私の罪だ。

 だから、もう大丈夫だと。あなたの力を借りなくても、一人で歩けると言うように、その手を離す。

 

「もう、誰かの手を借りて歩くのは卒業したいから」

「そっか......。雪乃ちゃん、本当に変わったね」

「私は何も変わってないわ。変わったつもりでいただけ。ただ、そうね。一つだけ、彼に誓いを立てたから。それを裏切らないようにしたいだけよ」

 

 私は嘘をつきたくない。かつては虚言は吐かないなんて大それた事を言っていたけれど、人間なのだから生きている間に嘘の一つ吐くことだってある。だから、嘘を吐かないのではなくて、嘘は吐きたくない。

 それは私自身のために、と言うのはある。でも、なによりも、私を信じてくれた彼のために。私は虚言を吐きたくない。

 

「なら、お姉ちゃんが出来るのはここまでだね」

「......姉さん。その、今はまだ上手く言うことが出来ないけれど、それでも、あなたには感謝しているわ」

「......うん、その言葉が聞けただけで十分だよ」

 

 姉さんはそれだけ言ってこの場を去って行く。

 その表情は、今までの得体の知れないものではなく、本当に姉としての笑顔だったように見えた。

 さて、ここからは本当に私一人だけ。

 正々堂々と一対一の勝負だ。

 

「失礼します」

「久しぶりね、雪乃」

 

 その部屋の奥に座っている女性、私の母親に当たる人物は、娘との再会を心底嬉しく思っているように思えた。

 いや、実際に嬉しく思っているのかもしれない。この人の真意は計り知れない。そもそも、私は今の今までこの人と本当に相対した事が一度もないのだから。この人の、母の真意なんて計れるわけがない。

 ならば、私のやることはただ一つ。私の今の気持ちをこの人にはぶつけるだけだ。

 

「母さん、話があるの」

「雪乃からそう言ってくれるなんて嬉しいわ。あなたは中々自分の近況を教えてくれないから」

「そうね。それは悪かったと思っているわ。だからこそ、今までの高校生活で得たものを、母さんに話そうと思ってきたの。何から話せば良いのか悩むところなのだけれど、一つだけ明確に言える事があるとすれば」

 

 さぁ、始めよう。私の戦いを。

 他の誰のためでもない、私自身のための、私の戦いだ。

 そこには嘘も偽りも入り込む余地のない、本心からの私の声を届けるために。

 

「私、好きな人が出来たの」

 

 あの誓いを、嘘にしないために。

 

 

 




これにて千葉村編終了!


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5
なんとしても、その約束は違えぬように。


 千葉村から帰ってきた数日後、お盆が過ぎたあたりの日に雪ノ下からメールが来た。

 内容は至ってシンプルなもので、由比ヶ浜と三人で花火大会へ行こうと言うものだ。

 千葉村でも軽くそんな話をしていたので、特に断る理由なんて無い。なにより、前回も由比ヶ浜と花火大会行ったし、多分ここで断ったら小町に根回ししそうだし。

 その後待ち合わせ場所とか時間とか決めて、俺は現在待ち合わせ場所である駅の改札前に来ていた。

 最初は現地集合で良いんじゃないのかとか思ってたんだが、それをすると約一名確実に合流できそうにない奴がいるので却下したのだ。

 

 それにしても人が多い。

 花火大会当日なので仕方のないことかもしれないが、こうも人が多いと一刻も早く家に帰りたくなってしまう。

 雪ノ下の家から見下ろしたら『人がゴミのようだ!』とか叫べるかもしれないレベル。でも残念なことに俺がゴミ人間なのでそれも叶わない。

 そんなしょーもない事を考えていると、人混みがバサっと二つに割れた。

 え、なに、何があったの?怖い怖い。

 割れた人混みの間を歩いて来たのは二人の美少女。

 一人は桃色の浴衣に身を包んだ雪ノ下雪乃。

 浴衣には何かの花の模様が一つ大きく描かれており、それを着る雪ノ下は浴衣の魅力と彼女自身の魅力を最大限に引き出していた。まさにシナジー効果である。

 もう一人は青色の浴衣を着た由比ヶ浜結衣。

 まず目が行くのは帯を締めている事によって普段よりも強調されてしまっている二つの大きなメロン。まさかこんな所でも乳トン先生の偉大な教えを活かすとは流石ガハマさん。今日の彼女と普段の彼女との違いはそこだけではなかった。髪の毛はお団子にせず、アップスタイルで纏めてある。しっかりと見えてしまうウナジに妙なエロスを感じてしまう。

 

「あ、いたいた!ヒッキー!」

 

 俺を視認したのか、由比ヶ浜が元気よくこちらに手を振って来る。隣の雪ノ下も控えめに手を上げている。

 やめて由比ヶ浜!ただでさえお前らは注目浴びてるんだから!そんなさらに目立つような事したら俺のステルスヒッキーが機能しなくなっちゃうから!

 

「お待たせ!」

「ごめんなさい、待たせてしまったかしら?」

「いんや、俺も来たばっかだ。て言うか集合時間までまだ三十分もあるだろ」

 

 十八時待ち合わせなのにまだ十七時半なんですよね。俺は小町に家から叩き出されたからだけど。雪ノ下はこの時間に来ることはなんとなく想像がついていたが、まさか由比ヶ浜も一緒に来るとは思わなかった。前日から泊まってたのかな?

 

「あら、遅刻するよりかはマシだと思うけれど」

「あたしもちょっと早いかなーって思ったんだけどね。ゆきのんが『比企谷くんなら三十分前から来ているに違いないわ。この日照りであれ以上腐ってしまっては可哀想だから、私たちも早めに出ましょうか』って」

「お前、雪ノ下の物真似絶望的に似てないな」

「そりゃヒッキーには負けるよー」

「......随分と愉快な会話をしているわね」

 

 ハッハッハと笑い合っていた俺と由比ヶ浜だったが、途端に妙な寒気を感じたのでこの話題は早々に打ち切った。

 

「では、予定より少し早いけれど行きましょうか」

「そうだね!」

 

 花火大会の会場へはここから電車で数駅ある。早速三人で電車に乗り込んだわけなのだが、視線がヤバイ。道行く人々全員が俺の隣を歩く二人の美少女へと向けられる。老若男女問わず、あらゆる人間が雪ノ下と由比ヶ浜の浴衣姿に見惚れていた。

 そしてその隣を歩く俺に向けられる嫉妬の視線。どうしてお前みたいなゾンビがそこにいるんだと言わんばかりに憎悪にも似た何かを向けられる。

 

 電車の中も外と同じく物凄い人混みだった。椅子に座ることなんて出来るはずも無く、三人並んで吊革を支えにして立つ。

 流石の由比ヶ浜も電車の中ではお喋りしないらしい。まあそれくらいのマナーは守るか。

 ふと、右側に若干の重みを感じた。ともすれば気にするほどのものではないそれ。そちらに目を遣ると、雪ノ下が俺のTシャツの裾を控えめに摘んでいる。

 由比ヶ浜が気付いている様子は無いし、雪ノ下本人も素知らぬ顔をしている。

 それでも、彼女の指はしっかりと俺の服の裾を摘んでいた。

 なんだかその姿がいじらしくて、その上とても可愛らしくも見えてつい笑みが溢れてしまう。

 先日の千葉村であんな事をして来たやつと同一人物なんて俄かには信じられないな。

 

「ヒッキー何笑ってんの?」

「ん?いや、なんでも無い」

「比企谷くん、無闇矢鱈と公共の福祉を害するのはやめなさい。通報するわよ」

「笑っただけで通報されるとか、俺の人権は何処へ行ったんだよ」

 

 全く、誰のせいで笑ってしまったと思ってるんだか。

 

 

 

 

 

 電車が目的の駅に到着すると、乗っていた人達は吐き出されるかのように電車を降りて行く。

 俺たちもそれに流されて無事に電車から脱出する事が出来たが、降りた先にも溢れんばかりの人、人、人。

 今からここを突破して行くのかぁ、と憂鬱になりなっていると、グイッと左腕が引っ張られる。

 

「えへへ、逸れたらダメだから、さ」

 

 どうやら下手人は由比ヶ浜だったらしい。彼女の左側には、俺と同じく引っ張られたのであろう雪ノ下が腕を抱きかかえられていた。

 

「ま、そうだな」

「そうね、逸れたらダメだものね」

 

 二人して苦笑しながら、由比ヶ浜に腕を引かれるがままに歩いて行く。

 こうして二人して彼女に腕を引かれたのは、クリスマスでのディスティニー以来か。

 あの時も今と同じで不意打ちだったけど、なんだか悪く無い気分ではある。

 

 改札の前まで来ると由比ヶ浜も腕を離してくれたが、残念なことにこの人混みから抜けられる訳では無い。

 恐らくはここにいるほぼ全員が同じ場所を目指しているのだからそれも当たり前か。

 

「で、花火の開始までまだ時間ある訳だがどうする?帰る?」

「帰らないし!なんでそんな簡単に帰宅を提案出来るかなぁ」

 

 いやだってこの人混みだし。さっきから歩くスピードもかなりゆっくりなもんで遅々として進まないし。

 

「そもそも今のあなたに帰れる場所なんてないわ。小町さんは人質に取ったわよ?」

「人質ってなんだよ、こえぇよ......」

 

 実際ここで帰ったところで小町に家に入れてもらえないのは目に見えてるし。更にはゴミを見るような目で俺のことを蔑んでくるに違いない。

 それもありかもしれない。

 

「小町ちゃんにお土産のリスト、メールで送られて来たんだ。だから最初は適当に屋台回ろうよ」

「お土産ってあいつ......」

 

 妹の図々しさが怖い。

 確かに前回も、一応は小町の為に屋台の食いもんを買いに行くって名目で来たけども。

 そして由比ヶ浜の携帯に書いてあるのも前回と同じ。

 だから、花火を見た思い出ってなんなんだよ。修学旅行の時もそうだったけど、そんなに兄の見て来たものとか気になるの?だったらお兄ちゃんと一緒に行こうよ。

 

「一応、花火を見る場所はもう取ってあるから、時間までゆっくり出来るわよ」

「おい雪ノ下、それってまさか」

「そのまさかよ。有料エリアの貴賓席。母さんが用意してくれたわ」

 

 と言うことは、つまり。

 雪ノ下雪乃が抱えていた実家との問題はもうクリアしたという事なのだろうか。

 いや、そんなもの考えるまでもない。

 だって、そう口にした時の彼女の柔和な表情を見れば一目瞭然なのだから。

 

 

 

 

 

 

 それから二十分ほど経過して、俺たちは漸く花火大会の会場へと到着する事が出来た。

 到着してみれば案外混雑はマシになっているもので、先程までに比べて幾分楽に歩ける。

 体力の無い雪ノ下がバテていないか不安になったが、その顔に疲労の色は出ていなかったので大丈夫だと判断する。

 もしかしたら無理しているのかもしれないが、彼女自身が今この時を楽しもうと思っているなら、俺が何か言うのは野暮だろう。きっと、由比ヶ浜もそれを察している。

 

「わー!見て見てゆきのん!ここの景品凄い豪華!」

「そ、そうなの?私にはあまり分からないのだけれど、そうなのかしら?」

「まぁ、景品だけ見ると豪華だな。だが、こう言う場合は大体にして紐はどこにも繋がってないとかだぞ」

 

 宝釣の屋台の前で声を上げる由比ヶ浜とそのテンションに困惑する雪ノ下。そして屋台のおっちゃんに軽く睨まれる俺。

 だって実際にどこにも繋がってないでしょう?

 

 祭りの雰囲気に充てられてか、常よりも更にはハイテンションな由比ヶ浜。

 そんな彼女とどう向き合うべきなのか。

 俺は別に鈍感な訳では無い。寧ろ敏感で、過敏で、過剰に反応してしまう。故に今まで、勘違いしないようにと自身を戒めて来た。

 だがもうそんな事は言ってられない。今俺たちが陥っている状況が、そうはさせてくれない。

 いや、違うな。周囲に理由を求めようとするな。それは俺の悪癖だ。確かにこの状況はきっかけの一つかもしれないが、それは俺の行動の理由には出来ない。

 ただ、俺がそうしたいから。

 雪ノ下雪乃の事が好きだから。由比ヶ浜結衣の事が大切だから。

 この三人で、この先もずっといたいから。

 だから俺は動く。理性の化け物だか自意識の化け物だか知らないが、そいつらには大人しく引っ込んどいて貰おう。

 

 だがしかし由比ヶ浜にはどう切り出したものか。

 出来れば二人だけで話がしたいが、その話の内容自体も、由比ヶ浜が何かを覚えているのか否かで変わってくる可能性がある。

 そもそもこれって俺から切り出していい話なのか?やっぱり雪ノ下にもいてもらった方が良いんじゃ......。いやしかしそれはそれで恥ずかしいし......。

 

「ヒッキー」

「ん?」

 

 徐々に頭の中がヘタれていくところで、由比ヶ浜から呼びかけられた。

 近くに雪ノ下の姿がないんだけど、大丈夫?

 

「あたしあそこのりんご飴買ってくるから、ゆきのんの事見ててくれる?」

 

 由比ヶ浜が指差した先にあったのは射的の屋台。雪ノ下の姿もそこにあった。どうやら景品にパンさんの人形が出ているらしく、その目はハンターのそれへと変化している。

 パンさんの事になると人が変わるのは今更だが突っ込まない事にするが、そんな雪ノ下から由比ヶ浜が自ら離れていくとは珍しい。

 いつもなら雪ノ下の隣で苦笑いしながら時折突っ込んだりしてるのに。

 

「了解だ。俺らはここいるから、さっさと買ってこい」

「分かった!」

 

 俺の返事を受けて、射的屋からそう遠くない位置にあるりんご飴の屋台へと向かおうとする由比ヶ浜だったが、その足が二歩目を踏み出す事はなかった。

 

「あ、ユイちゃんだー」

 

 誰かの由比ヶ浜を呼ぶ声。

 誠に遺憾ながら、俺にも聞き覚えのあるその声。

 あちゃー、みたいな顔した由比ヶ浜と二人して声のした方に振り向いた先にいたのは、ある意味では因縁のある相手、友人らしき人物と共にいた相模南だった。

 

「あ、さがみん、久しぶりー」

 

 どうやら由比ヶ浜がここを一人で離れようとしたのは、相模を予め発見していたからっぽい。

 由比ヶ浜が一人になれば、仮に彼女らと遭遇したところでそれはただ友達と出会っただけに終わる。俺や雪ノ下の方も、由比ヶ浜がいなければ相模から絡んでくることなんて100%無いし。

 だが残念な事に由比ヶ浜がここを立ち去る前に、相模は絡んで来やがった。

 こうなったら前回と同じく俺は木の役に徹するとしようか。

 

「それで、今日は誰と来てるの?」

 

 おっとその質問はいけないぞ相模。俺のステルスヒッキーが作用しなくなるじゃないか!

 

「あ、うん。えっと」

 

 俺を紹介しようと由比ヶ浜がこちらに視線を向けた事で、相模も俺を視認する。

 その瞬間、相模南は確かに嗤った。

 

「同じクラスの比企谷君。それと......」

「へぇー。私たちなんて女だけで花火大会で、超寂しいんだよねー。いいなー、私たちも青春したいなー」

「あ、えっと、そんなんじゃないんだけどな......」

 

 由比ヶ浜は恐らく雪ノ下も紹介するつもりだったんだろうが、それよりも前に相模があの厭らしい笑みで言葉を紡ぐ。

 きっと、俺だけでなく由比ヶ浜の事も馬鹿にして嗤っているのだろう。

 ここは女子にとって社交場と同義だ。一緒に来ている相手ですらステータスとして認識されてしまう。

 だが残念だったな相模。お前は今、この場で、由比ヶ浜に話しかけるべきではなかった。

 

「あら、由比ヶ浜さんのお友達?」

 

 俺の背後から聞こえてくるのは、夏の暑さすらも吹き飛ばす程の冷たい声色。

 その声の主を視認したのか、相模達の表情が一瞬凍りつく。

 それもそうだろう。まさかこの場に、校内の有名人である雪ノ下雪乃がいるだなんて思いもしなかった筈だ。それが俺たちの連れだというのなら尚のこと。

 俺からすれば実に白々しいと言えるセリフを吐いた雪ノ下は、悠然とした足取りで俺と由比ヶ浜の隣に立つ。

 

「うん、こちら同じクラスの相模南ちゃん」

「そう、同じクラスなのに認知されていないなんて、流石は比企谷くんね」

「お前いつから見てたんだよ......」

 

 その口振りから察するに、こちらへ来る少し前から状況を見ていたらしい。

 

「少し前からよ。具体的には、彼女があなた達の事を嗤ったあたりから、かしら」

 

 鋭い眼光で相模達を射抜く。

 その目に気圧されたのか、半歩ほど後ろに下がっていた。

 最近の、と言うか今の雪ノ下は俺や由比ヶ浜の事を馬鹿にしたやつに対して容赦無く敵意を見せている。三浦の時しかり、川崎の時しかり。

 それはちょっとばかり嬉しかったりするのだが、それでもやっぱりちょっと怖いです。

 

「由比ヶ浜さん、そろそろ行きましょう。小町さんへのお土産を買わないといけないのだから、花火の時間に間に合わなくなるわ」

「あ、そうだね。ごめんねさがみん。じゃあまた学校で」

「う、うん、また学校でね」

 

 一転してどこか苦しそうな笑みを見せる相模を尻目に、俺は二人の後についていくように歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 小町へのお土産を無事に買った後、雪ノ下の案内のもと俺たちは有料エリアの貴賓席まで来ていた。

 雪ノ下の案内、とは言ってもご存知の通りこいつは方向音痴。間違った道に行こうとする度に、前回の記憶をなんとか掘り出した俺が道を間違えていることを指摘してしては睨まれ、みたいな感じだったが。

 

「それにしてもゆきのんやっぱり凄いね!こんな所顔パスとか初めて見たよ!」

「そうかしら?」

 

 有料エリアの入り口、更にはこの貴賓席の入り口と、立て続けに雪ノ下の顔パスでやって来たが、俺と由比ヶ浜はその後ろでボケーっとついていく事しか出来なかった。

 たまに忘れそうになるけど、こいついいところのお嬢様だもんな。

 そして本人もそれを変に気取ろうとしないから嫌味にもならない。まぁ、こいつの場合は実家との折り合いが悪かった故、だろうが。

 そしてなんの因果か皮肉か、俺たちが現在座っているのは、前に陽乃さんと由比ヶ浜と三人で花火を見た場所と同じだった。

 

「それより、そろそろ始まるんじゃないかしら?」

 

 携帯で時間を確認してみると、確かに花火が打ち上がる時間までもう後一、二分と言うところだった。

 有料エリアで人が少ない故、と言うのもあるのだろうが、先ほどまでの喧騒は止んでおり、会場の全員が今か今かとその瞬間を待ちわびている。

 そんな奇妙な静寂の中、ドンッ!と言う大きな音と共に空に大きな花が咲いた。

 俺の両隣からは綺麗だわ、と小声で聞こえて来たり、おおー!と感嘆の声が上がったりしている。

 暫くそうやって三人で花火を眺めていたのだが、唐突に雪ノ下が口を開いた。

 

「ごめんなさい、父に顔を見せるように言われているから、少し外すわね」

「別に構わんが......」

「心配しなくても直ぐに戻るわ」

 

 クスリと笑って、雪ノ下はテントがある方へと向かった。そこには椅子だけでなく机も設置されている事から、お偉いさん達が食事をしながらお話しているのだろう。

 

「ゆきのん、家族と仲直りしたみたいだね」

 

 去っていく雪ノ下の後ろ姿を見て、由比ヶ浜が言った。

 彼女は何も口には出さないが、それでも今日ここに来られている事実、どこか肩の荷が下りたかのような雰囲気から察するに、母親との戦争は無事に勝利したのだろう。

 

「雪ノ下から聞いたのか?」

「ううん、聞いてないよ。でも、見てたら分かるよ」

 

 ---もう一年以上一緒にいるんだし。

 

 由比ヶ浜のその言葉は、思ったよりも俺に衝撃を与えなかった。

 千葉村でのこいつの言動はそれを推論させるには十分過ぎたし、きっと、俺も心の何処かで由比ヶ浜に思い出していて欲しいと言う願望があったのだろう。

 

「ねえ、ヒッキーはさ、ゆきのんの事、好き?」

「............ああ」

「そっか......」

 

 噛み締めるように呟いた後、俯いた。

 多分俺は今、何か決定的に大きな選択をした。

 何かを選ぶと言うことは、何かを選ばないと言うことで。俺は、雪ノ下雪乃を選び、由比ヶ浜結衣を選ばなかった。

 由比ヶ浜は顔を上げ、何処か泣きそうな表情で花火を見上げる。

 

「千葉村の最後の日の夜にね、ゆきのんと話したんだ。あたしのこと、ゆきのんのこと、それからヒッキーのこと」

「なんだよ、本人のいない所で陰口か?」

 

 こうして茶化しでもしないと、由比ヶ浜の顔が見れなかった。

 

「違うよ。色々話したんだ。色々と」

 

 その時の事を思い出しているのだろうか。その目は花火を見ているようで、どこか別の場所を映しているようにも見える。

 やがて少しの間の後、由比ヶ浜は強い力を持った目で俺を見つめてくる。

 そこから決して目を逸らしはしない。俺は由比ヶ浜と向き合うと決めたのだから。

 

「あたしはヒッキーが好き」

 

 心臓が痛いほどに高鳴った。

 由比ヶ浜の気持ちを今まで察せなかった訳ではない。でも、こうして改めて口に出されると、やはり動揺してしまう自分がいる。

 

「でもね、それと同じくらいゆきのんの事も好き。あたしはただ、三人でずっと一緒にいたい。今までみたいに、これからもずっと一緒に。二人の友達でいたいの。ヒッキーは、どう?」

「お前が、それを望むなら......」

「違うよ。あたしが望むとか望まないとか、そんなの抜きにして、ヒッキーはこれからどうしたい?」

 

 まただ。また、自分以外の何かに理由を求めて、それを免罪符にしようとした。それは辞めようと先ほど決意したばかりなのに、どうしても自意識の化け物が顔を覗かせる。そんな自分が、たまらなく嫌になる。

 それはしてはいけないことだ。由比ヶ浜に対する何よりの冒涜であり、俺がこの世で最も嫌う偽物だ。

 俺が、比企谷八幡がどうしたいのかなんて決まっている。

 

「俺は雪ノ下のことが好きだ。多分、今までもこれからも、こんなに人を好きになることなんてないんだと思う」

「......うん」

「でも、お前も、由比ヶ浜も、俺にとっては大切な存在なんだ。今更俺たちのうちの誰か一人で欠けるなんて、想像できない。したくもない」

「......うん」

「だから、許されるなら、俺は、お前達とこれからも一緒にいたい」

 

 雪ノ下の事が好きだからと言って、じゃあ由比ヶ浜のことは嫌いなのかなんて聞かれてもNOとしか答えられない。どちらも、今の俺にとっては大切な存在で、ただ好意のベクトルが違うだけ。

 それでも、俺はこの目の前の優しい少女を選ばなかった事実は変わらない。

 

「じゃあさ、一つだけ約束して」

「約束?」

「そう。ゆきのんのこと、大事にしてね」

「あぁ、言われるまでも無いさ」

 

 この話はこれで終わり、とばかりに由比ヶ浜はニッコリと笑い、その視線を花火の方へと戻した。

 

 やはり、由比ヶ浜は優しい女の子だと、改めてそう思った。それは俺が勝手に決めつけて、幻想を押し付けているだけなのかもしれないけれど。

 だからこそ、その約束は違えないようにしよう。

 



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6
確実に、彼らの未来は変わりつつある。


文化祭編です


「なん、だと......⁉︎」

 

 夏休みが明けて、二学期が開始されてから数日が経ったある日の事。俺は黒板の前で絶句していた。

 そこにチョークで書かれているのは

『文化祭実行委員 男子 比企谷八幡』

 と、俺に残酷なほどの事実を知らしめるものだった。

 おかしい。前回の教訓を活かして保健室でサボらずちゃんと教室にいたのに。確かに戸塚には適当に決めておいてくれ、とは言ったが。

 

「次の授業が始まると言うのに、まだ実行委員を誰がやるのか決めていなかったようなのでな。だから、比企谷にしておいた」

 

 俺の肩をポンと叩き、凄いいい笑顔で言ってのける平塚先生。

 

「いやでも先生、それはあんまりじゃ......」

「LHR中に本気で居眠りする方が悪い。さぁ席に着きたまえ。授業を始めるぞ」

 

 あれ、ひょっとしなくてもこれって俺の自業自得?折角保健室のベッドじゃなくて硬い机の上で我慢したって言うのに。いや、そもそも寝るの前提なのがダメだわ、うん。

 

 しかし、文化祭、である。

 八幡知ってるよ。この後放課後に女子の委員決めようにも中々決まらなくて結局葉山の推薦した相模が委員になって実行委員が立ちいかなくなるんでしょ?

 そして文化祭が終わった頃には俺も一躍時の人!

 

 ......やだなぁ、やりたくないなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後になってから俺は教室に残る事なく、足早に会議室へと向かっていた。

 どうせ女子の委員が誰かなんて分かりきったことだし、教室に残る意味はない。

 俺からしたら丁度一年前に通い慣れた会議室の扉を開く。

 まだ委員会までに時間があるからか、人は疎らだったが故にか、いち早くその人物を見つけることが出来た。

 そいつの座っている席の近くまで行き、声をかける。

 

「よお」

「こんにちは」

 

 座って静かに本を読んでいた雪ノ下雪乃は、顔を上げて挨拶をしたあと、心底意外そうな表情をする。

 

「意外ね。あなたならなんとか委員にならないように逃げようとするものだとばかり」

「俺もそうしたかったのは山々なんだがな。そう言うわけにもいかんだろ」

 

 今日の会議の途中から委員長となったものが座るであろう席を見る。

 俺としても、文化祭実行委員なんて非常に面倒でやりたくなんてないのだが、その先を知ってる者としてはそうもいかない。

 何より、どうせやらなかった所で平塚先生に奉仕部として引っ張り出されるのは目に見えている。体育祭がいい例だ。

 

「んで、どうすんの?」

「どうする、とは?」

「まだ決まってすらいない委員長だよ。お前のことだから手をこまねいているだけ、って訳じゃないんだろ?」

「私はやらないわよ」

「それは知ってる」

 

 雪ノ下は姉の陽乃さんと比べられる事を嫌う。

 彼女が委員長になれば、必然的に類を見ないほどに盛り上がったと言われている陽乃さんの代と比べられるだろう。

 

「文化祭の準備中の部活だよ。無しにするのか、休みにするのか」

「どちらも同じじゃない......」

 

 はぁ、と溜息を吐かれた。

 だって仕方ないじゃん。俺働きたくないし。

 

「それよりも、そろそろ座ったら?」

 

 いつの間にか結構な人数が集まってきていたようで、殆どが各々の席に着いている。

 立って話をしているのは俺だけな上に、その話し相手があの雪ノ下ともなれば嫌でも視線を集めてしまう。

 居心地が悪くなったので、雪ノ下にまた後で、とだけ言ってから彼女と少し離れた場所、と言うか前回と同じ場所に腰を落ち着かせた。

 辺りを見回してみると、やはりと言うかなんと言うか、俺の五つくらい隣の席には相模南が座っている。

 こりゃ本格的にどうするか考えんとなぁ、なんて思っていると、ちょんちょんと肩を叩かれた。

 こんなぼっちに何の用ですかな、と振り返ってみると。

 

「こんにちはです。せーんぱい♪」

 

 一色いろはがそこにいた。

 

「お前なんでこんな所いんの」

「そりゃわたしも実行委員だからに決まってるじゃないですかー」

 

 え、こいつ前回いたっけ?いたら流石に気付いて......いや気付いてないか。あの頃はまだ他人に無関心だったし。なんなら今も無関心だけど。

 

「先輩こそ珍しいですね。こんなんする人でしたっけ?」

「俺は半ば強制なんだよ。平塚先生の策略でな」

「なら納得です」

 

 納得されちゃったよ。実際、平塚先生のせいでもない限りはこんな面倒な仕事は普段やらないのだが、今回は事情が変わってくる。

 恐らくはこの後に奉仕部に持ち込まれるであろう依頼のことを考えると、俺が文実にいた方が色々と都合がいいのだ。

 

「前に文実委員長を屋上で泣かせたのって、やっぱり先輩だったんですねー」

「は?」

 

 唐突に、一色がとんでもないことを口走った。

 こいつは、今なんて言った?

 

「そんな事より、そろそろ会議始まりますよ」

「いや、お前」

「後でお話ししますから」

 

 先の発言について問い詰めようとしたが、会議が始まってしまうのも事実。

 恨みがましい視線を一色に送っていると、会議室の前の方に置かれたホワイトボードの前に我が校の生徒会長が立つ。

 

「それでは、文化祭実行委員会を始めます!生徒会長の城廻めぐりです」

 

 三つ編みおさげとおでこがチャーミングなほんわかめぐりん☆パワーでお馴染みのめぐり先輩だ。この人も久しぶりに見た気がするが、相変わらずのめぐりっしゅ効果である。

 そしてその傍にはメガネを装備した現生徒会役員の人達が佇んでいる。あの人達も相変わらず忍者みたいと言うか、めぐり先輩に忠実と言うか。

 

「それでは早速、実行委員長の選出に移りたいと思います。実行委員長は例年二年生がやる事が決まっているので、二年の人で誰かやりたい人は挙手してね」

 

 誰も挙手しようとしない会議室内を見渡してみる。席順なんて特に決まってる訳でもないので誰が二年かとか分からないが、見渡す限りモブっぽいやつばっかだった。その中でも俺は抜きん出たモブ感を持っている。なんなら明日からフェードアウトしてもバレないくらいのモブ。存在感的にも超モブ。

 この中で主役、つまりは委員長に相応しいだけの存在感を放っているやつなんて片手で数えて足りるくらいだ。

 雪ノ下雪乃と一色いろは。

 この二人くらいだろう。指二本で足りちゃった。

 

「それって絶対に二年じゃないとダメなんですかー?」

 

 俺の隣から発言が。

 一色が挙手しながらめぐり先輩に確認するが、取り敢えず発言していいかどうかは確認しようね?

 周りの生徒たちは、突然一年生が発言した事とその内容に驚いているようだ。

 

「ごめんねいろはちゃん。二年生がやるってきまりなんだ。もしよかったら副委員長とかどうかな?」

「んー、考えておきます」

 

 一色の依頼内容、と言うか目的を考えたらここで実行委員長に名乗りをあげるのは当然といえば当然か。一年で生徒会長になると言う彼女の目的から察するに、実績作りでもしておきたかったのか。

 しかし、さっきのこいつの言葉といい、こいつの存在自体といい、一色いろはについては分からない事が多い。これも、しっかりと話し合わなければなるまい。

 

 その後めぐり先輩や実行委員顧問の厚木先生が呼びかけるも、立候補する者はおらず。

 前回と同じく、二人は雪ノ下を見つけて声をかけていたが、こちらも前回と全く同じ言葉で流していた。

 

「あの〜」

 

 そんな中、一人の生徒が手を挙げる。

 分かっていた事ではあるが、心の中でだけ溜息を吐いてしまう。

 

「誰もやらないなら、うちやってもいいですけど......」

「わ、本当⁉︎えっと......」

「二年F組の相模南です。こう言う人前に出るのとか苦手なんですけど、ウチもこの文化祭を通して成長したいなって」

 

 相模の言葉に委員会のメンバーは心を打たれたのか、暖かい拍手が送られる。三人を除いて、だが。

 雪ノ下はほぼ無表情のままだし、俺もあからさまに興味無さそうにしている。そしてもう一人、一色は超白けた目で相模のことを見ていた。あ、今誰にも聞こえない程度に舌打ちしたぞ。

 

「うんうん!それも文実の醍醐味の一つだね!」

 

 そんな感じで嬉しそうに笑うめぐり先輩には申し訳ないが、俺としては相模には立候補して欲しくなかった。

 この文実を正常に機能させ、文化祭を難なく開催するのに最も手っ取り早い方法は相模南以外の人間が委員長を行う事である。

 別に期待していた訳ではないので、相模が委員長になってしまったのはこの際仕方がない。問題は、この後俺が、いや俺たちがどう動くかだ。

 相模が奉仕部に持ってくるであろう依頼。それは奉仕部の理念に反するものであるのは分かっている。

 前回は俺と雪ノ下の間でちょっとした問題を抱えていたが故、雪ノ下が一人で依頼を受けることを容認してしまった。更には陽乃さんの介入による雪ノ下、相模両名の暴走を止められなかったし、その結果として雪ノ下が体調を崩すことになってしまった。

 この中で最も懸念すべきは、雪ノ下陽乃の介入だろう。これだけは今回も避けて通れない筈。

 今から気が重いな......。

 

「城廻先輩、わたし副委員長やりたいんですけど、いいですか?」

「勿論だよ!いろはちゃんなら安心して任せられるし、よろしくね!」

 

 どうやら俺が考えごとをしている間に一色の方も自分で考えを纏めたらしく、改めて副委員長に名乗りを上げる。それを快諾してくれるめぐり先輩。どうやら一色の事を高く評価しているようだ。

 実際、こいつはやれば出来る子だしな。一度目の世界でもひいこら言いながらも生徒会の仕事はこなしてたみたいだし。

 ......いやでも大体の面倒ごとは俺たちに押し付けられてたような気もするぞ。あと副会長。

 

「じゃあ早速二人に会議の方は任せるね!」

「え、あ、はい......」

「分かりましたー」

 

 まさか初日からやらされるとは思っていなかったのか、相模は若干驚いたような声を上げ、一色はいつも通りニコニコと人好きされそうな笑顔を貼り付けたまま二人はめぐり先輩の立っていたホワイトボードの前へと向かう。

 その席に座った瞬間、全員の視線を感じ取ったからか相模は緊張で身動ぐ。

 ま、人前に立つことに慣れていないやつがいきなりこんなところに引っ張り出されたらそうなるわな。そして相模の運がなかったのは、隣に一色いろはがいることだ。

 緊張で強張る相模と比べ、一色のやつは周りからの注目なんぞどこ吹く風とばかりに堂々としている。そんな二人が並んでトップに居座っていたら、比較されるのも当然。今はまだ大丈夫かもしれないが、これは時間が経つにつれて問題になっていくだろう。

 

「相模委員長、始めちゃいましょう」

「うん。えっと......」

「まずは各部署への配属決めからですよ」

「そ、そうだね。じゃあ、宣伝広報やりたい人」

 

 その声に応えて挙手する人は誰もいない。特に一年生なんかは具体的にどの部署がどんな感じの仕事なのかなんて説明されないとわからないかもしれないし、当たり前っちゃ当たり前か。

 相模の方も黙り込んでしまっている。

 

「宣伝広報だったらいろんな所に行けちゃいますよー。テレビとかラジオとか」

 

 一色のその補足説明でチラホラと手をあげるやつが何人か。

 因みに宣伝広報だからと言ってテレビだかラジオだかは関係ない。総武の文化祭は確かにここ近辺の他の学校と比べたら割と規模も大きなものだと思うが、一介の公立高校の文化祭程度でテレビやラジオに出れるわけがない。

 

「えっと、次は、有志統制」

 

 今度は何人もの生徒が挙手する。余りにも多くて相模はキャパオーバーしたのか、またも固まってしまう。

 

「ちょっと多過ぎですねー。後ろの方でじゃんけんして決めてもらっていいですか?」

 

 そしてまたも一色のフォロー。

 生徒会役員の人が挙手したやつら全員を後ろに集め、決まったメンバーをメモに書いていく。

 

 しかし、ここまで相模の対応が前回と同じだとなんだか笑いが溢れそうになる。

 フォローしてくれる相手がめぐり先輩から一色に変わっているが、後輩にフォローされていると言う事実はプライドの高い相模にとってどう影響を及ぼすか。一色の場合はあいつもあいつでいい性格してるので、見ててハラハラするというのもある。

 このまま何事も起こらない事を祈りたいが、そう言うわけにはいかないんだろうなぁ......。

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局その後も、相模が話して、それを一色がフォローして、と言う感じで会議が続いていき、所属部署決めと部署ごとの顔合わせをして会議は終わった。

 俺と雪ノ下は前回と同じく記録雑務である。出来ればこの後も雪ノ下が記録雑務から離れるような事態に陥らない事を願うばかりだ。

 別に雪ノ下と同じ部署がいいとかそんなんではない。

 

 一抹の不安を残しながらも会議室を出ると、雪ノ下と一色、それとクラスの方が終わったのか由比ヶ浜もいた。

 どうも一色から俺たちに話があるらしく、その三人に連れられて部室へ移動する。

 どうやら一色は会議が始まる前の自分の発言を忘れていなかったらしい。

 

「それで、話とは何かしら一色さん」

 

 全員の紅茶を淹れていつもの椅子に腰かけた雪ノ下が口火を開く。

 その向かいに座っている一色は少しの間言いにくそうに口ごもっていたが、やがて決意したかのように言葉を発した。

 

「先輩方は、全部覚えてるんですよね......?」

 

 具体的な主語は無かったが、俺たち三人には何の事を指しているのか分かる。

 そして、一色自身も俺たちが覚えている事を分かった上でのこの質問だろう。恐らくは会議前のあの発言、あれで確信を得たに違いない。俺が何も知らなくて覚えていないと言うなら、わざわざ反応するような台詞では無かったからだ。

 

「ええ、私も、由比ヶ浜さんも、比企谷くんも、みんな全部覚えているわ」

「本当ですか?」

「本当だよ、いろはちゃん」

 

 一色に微笑みかける雪ノ下と由比ヶ浜。

 そんな慈愛に満ちた二人の表情を見た一色は

 

「うぅ......。よかった......、よかったよぉ......」

 

 突然ボロボロと泣き出した。

 

「いろはちゃん⁉︎」

「い、一色さん?どうしたの突然?」

 

 オロオロしだす先輩二人。

 なんかオロオロする雪ノ下と由比ヶ浜って凄い新鮮な感じがする。

 一色は立ち上がって二人の方へと歩いていき、そのまま二人に抱きついた。

 

「だって......だってぇ......」

 

 ぐすぐすとガチ泣きしだす一色とそれを宥めようとどうにか四苦八苦する雪ノ下と由比ヶ浜。

 そんな三人を見て、俺は思わず口角が上がるのを自覚した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、文実のことなんですけどー」

「お前よくそこまで切り替えできるな......」

 

 一通り泣いた一色は雪ノ下達から離れて、暫く恥ずかしそうに俯いていたが、雪ノ下の紅茶で一度インターバルを置いた後、何事もなかったかのように話し始めた。

 

「何の事ですかー?」

「いや、さっきまでわんわん泣いて」

「何の事ですかー?」

「あ、うん。もういいわ」

 

 どうやらなかった事にしたいらしい。雪ノ下が猫と共鳴してるのを初めて見てしまった時の表情に似ている。

 つまり、それ以上言ったら殺すと、目が語っている。

 

「で、文実のことなんですけどー」

「私もその事について話そうと思っていたの」

「文実で何かあったの?」

「何かあったも何も、なぁ?」

 

 同意を求めるように雪ノ下の方を見ると、頷きの代わりにアタマイターのポーズが帰ってきた。

 

「そうね、何かあったと言えばあったわね。ねぇ一色さん?」

「そ、そうですねー」

 

 バツが悪そうに目を逸らしている一色だが、そんなことではゆきのんの攻勢は止まらないぞ。

 

「先程の話をする予定だったのなら、副委員長就任は明日からでも良かったのではないかしら」

「え、いろはちゃん副委員長なの⁉︎」

 

 凄いじゃん!と身を乗り出す由比ヶ浜。確かに一年にして文実副委員長、それも今日の相模に対するフォローぶりを見ると凄いのだが、それは一色個人の話をした場合だ。

 今後文実を正常に機能させていくには不安要素の一つである。

 

「なぁ由比ヶ浜。相模の性格を考えて見てもそんなことが言えるか?」

「どゆこと?」

「前回、相模は雪ノ下に対する対抗心故にあんな暴挙に出た。それはあいつのちんけなプライドと、雪ノ下の暴走が原因だ」

 

 視界の端で雪ノ下が顔を逸らしたのが見えた。

 

「別に雪ノ下を責めてる訳じゃねぇよ。問題は、相模のプライドの方にある。

 年下の一年生である副委員長にフォローされ続ける自分。そんなのあの相模南が許容出来ると思うか?俺は思わん」

「あー、確かに......」

「今回、一色が前の雪ノ下みたいに委員長を置き去りにして会議を進めようが、委員長を立てて動こうが、文実の他の連中には年下の一年生にフォローされ続ける情けない委員長として映るのは明らかだ」

 

 今はまだ問題にならないかもしれない。

 相模自身も立候補の時に、人前に立つのは慣れていないと言っていたからだ。一方で一色いろはは人前に立つという事に慣れている。その上、一度目の世界での生徒会長の経験もある事から、相模以上に会議を進めるのは上手い。

 勘のいいやつなら早々に気づいてしまうかもしれない。委員長に相応しいのは誰か、という事に。

 

「相模さん自身に変革が訪れない限り、中々難しい案件になりそうね......」

「でもそれって殆ど無理ゲーじゃないですか?」

 

 雪ノ下の言うことは最もではあるが、一色の言う通りでもある。あの相模南がそう簡単に変わるとは思えない。

 八方塞がりと言うほどではないが、メンドくさいことには変わりないなこれ。

 

 どうしたもんかと考えていると、部室の扉がノックされた。雪ノ下のどうぞ、と言う声に応じて扉が開かれる。

 

「失礼しまーす。平塚先生から聞いてきたんだけど、ここって雪ノ下さん達の部活なんだ〜」

 

 入ってきたのは相模南。前回と同じく、同じ文実の友人であろう女子生徒二人を引き連れてやってきた。

 その顔には、狡猾な蛇にも似た厭らしい笑みを貼り付けている。

 花火大会の時と同じだ。雪ノ下達が、俺と言う相模にとっては無価値に感じる人間が一緒にいることに対して優越感を感じている。

 

「何か御用かしら?」

 

 それを彼女らも感じ取ったのか、雪ノ下の発する声は明らかな敵意の込められたものになっているし、由比ヶ浜は少し複雑そうではあるもあまりいい表情とは言えない。一色に至っては完全無表情である。

 

「ほら、うち実行委員長やることになったじゃん?だから、それの手助けをしてほしいの」

 

 そんな三人が醸し出す雰囲気なんぞ気にする様子もなく、相模は依頼内容を口にした。

 ここまで空気を読む能力に欠如してるとか、よくトップカーストでやってこれたな。

 

「自身の成長、と言うあなたが掲げた目的とは外れるように思うのだけれど」

「でも、失敗したくないじゃん?それに、誰かと成し遂げるのも成長のうちっていうか?」

「それならば副委員長である一色さんだけで十分なのではなくて?今日の会議も、上手くあなたのフォローを出来ていたように思うけれど」

 

 痛いところを突いてきたな、流石は雪ノ下。

 前回との大きな違いは、既に一色いろはと言う委員長の補佐役、副委員長が存在していることだ。しかも今日の会議で一色は見事に補佐としての役割を果たした。

 

「ほら、保険って言うの?一色ちゃんも一年生だし、まだ色々と慣れてないと思うんだよね」

 

 今の相模の言葉を要約すると、『一年生程度が今後も私の補佐が務まる訳ないじゃん』である。よくもまぁ本人を目の前にそんな事言えるな。(言ってない)

 てかいろはす顔怖い。ブチ切れそうなのを必死に我慢してなんとかニコニコ笑顔を作ろうとした結果凄い怖い顔になってるから。般若かよってくらい怖いから。

 

「......そう。そう言うことなら、お引き取り願えるかしら」

 

 雪ノ下の言葉はしっかり相模達に届いたようで、まさか断られると思っていなかったであろう彼女らは固まってしまった。

 

「ど、どうして?うち、なんも変なこと言ってないと思うんだけど」

「自覚が無いのならそれで結構。その程度で委員長に就任だなんて笑わせるわね」

 

 ふっ、と心底バカにしたかのような笑いを見せる雪ノ下。この笑みはあれだ。入部当初の俺に向けられてたやつだ。

 人差し指をピンと天井に向けて差した雪ノ下は、懇切丁寧に説明を始めた。

 

「まず一つ、何もしないうちから失敗を前提として話を進めていること。

 二つ目、今日の会議の一色さんの働きとそれに伴う結果。

 三つ目、委員長と言う責任ある立場に対するあなたの意識の低さ。

 最後に、そうやって始めから誰かに頼ろうとする時点で、成長するわけがないでしょう?」

 

 投げかけられた言葉は辛辣だが、事実を的確に捉えてそれを言葉にしただけである。

 結局、奉仕部が相模の手伝いをすることは誰のプラスにもならないのだ。

 俺たちにとっても、相模にとっても、文実にとっても。

 

「それに、奉仕部は現在別の依頼を受けている最中なの。同時進行なんて言う無責任な真似は出来ないわ」

 

 実際、修学旅行では戸部と海老名さんの依頼を同時に受けて痛い目にあってるわけだしな。

 て言うかそれを最初に言ってたら良かったんじゃないですかね。わざわざ相模に喧嘩売る必要あった?

 

「そ、そっかー、なら仕方ないよね。じゃあ行こっか、ゆっこ、遥」

 

 取り巻き二人を連れて、相模は素直に部室から出ていった。

 外からは『なんなのアイツ!』『ホント感じ悪いよねー』なんて言葉が聞こえてくる。

 

「良かったのかよ、依頼断って」

 

 部室の前から人の気配が無くなったのを見計らって雪ノ下に尋ねる。

 前回のことを考えるなら断るべきかもしれないが、雪ノ下が補佐につかなければ文化祭が成功していなかった可能性があるのもまた事実。

 

「構わないわ。考えがない訳ではないもの」

「そう言えば、今って何か依頼あったっけ?さっきさがみんにはそう言ってたけど」

 

 確かにそんなことも言っていたか、この嘘つかない系お嬢様。

 二学期に入ってから依頼者どころか来客の一人も無かった奉仕部はいつも通りの平和を噛み締めながら平穏な日々を送ってたはずだが。

 

「あら、そこにいるじゃない。私たちが現在請け負っている依頼の、依頼主が」

 

 雪ノ下の視線の先。

 俺と由比ヶ浜は揃ってそちらを見る。

 

「え、わたし?」

 

 三人から視線を集中させられて、一色は何の事か分からないと言った風に戸惑うが、雪ノ下の言いたい事は理解出来た。

 

「一色さんの依頼は、生徒会長になるための実績作りでしょう?なら、今回副委員長に就任した彼女の補佐も奉仕部の仕事の範疇だと思うのだけれど」

「要は、間接的に相模の補佐をしようってわけか」

 

 相模の補佐をする一色の補佐をする。

 前回の教訓を踏まえると、俺たち奉仕部があまり表に出てやるよりも裏でこそこそと動いた方がいい、と言う事か。

 

「だが、それは奉仕部の理念に反するんじゃないのか?俺たちはあくまでも魚の採り方を教えるだけ。一色に生徒会長になるための実績作りの機会を与えるだけで、その実績作り自体を手伝ったらダメだろ」

「なら言い方を変えましょうか。奉仕部としてではなく、私は私の友達の手伝いをしたいと思っている。だから、比企谷くんや由比ヶ浜さんにも手伝って欲しい、と」

 

 したり顔で微笑む雪ノ下に、思わず溜息が溢れる。

 柔軟な考えが出来るようになったと褒めるべきなのか。やはり、雪ノ下雪乃も変わったと言うことなのだろう。

 かつての彼女ならば、こんな屁理屈で動かなかった筈だ。

 

「えへへー」

「な、なにかしら由比ヶ浜さん......?」

 

 なんだかやたらとニヨニヨしてる由比ヶ浜に、若干引き気味の雪ノ下。

 

「なんだか、今のゆきのんの考えってヒッキーみたいだなって」

「あ、それわたしも思いました!先輩もいっつもこんな感じのこじつけっていうか屁理屈言いますよねー!」

「訂正を要求するわ。彼と同じ考えな訳がないでしょう?そもそも、比企谷くんは屁理屈を捏ねて仕事を回避しているのであって、私はそんな事していないのだもの。彼と同じ考えだなんて最早悪寒が走るまであるわ」

「そこまで否定せんでもいいだろ......」

 

 雪ノ下の言う通り、彼女のそれは俺とはかけ離れている。屁理屈を捏ねると言う一点についてのみ言うのならば同じなのだろうが、彼女はそうでもしてまで自分の為すべきことをやろうとしている。

 一方の俺はやるべきことすら屁理屈捏ねて回避しようとする。ただのダメ野郎だわこれ。

 

「ほら、喋り方まで似てきてるし!」

「よく言いますよねー。好きな人の喋り方とかって影響を受けやすい」

「二人とも?」

「「ひっ」」

 

 一気に部屋の温度が低くなった気がした。

 ちょっとー、まだ九月なんだけどー?これ雪ノ下一人で地球温暖化防止できるんじゃねぇの?

 なんて心の中で茶化してはいるが、マトモに顔を上げられない。

 一色と由比ヶ浜の言葉のお陰で俺の顔は真っ赤に染まってる事だろう。特に一色のせいで。

 

「あ、あたしそう言えば優美子達と打ち合わせがあったんだった!だから今日は先に帰るね!それじゃ!」

「わ、わたしも用事があるの忘れてましたー!それではお二人とも!」

 

 逃げるようにしてカバンをひっ掴み部室から退散していく二人。

 はぁ、と隣から溜息を漏らす音が聞こえた。

 

「全く......、困ったものね、あの二人には」

 

 言葉とは裏腹に、その表情は穏やかだ。

 まぁ、彼女の気持ちは分からないでもない。

 嬉しいのだ。俺も雪ノ下も。

 あの間違いだらけの一年間と言う時間がなかったことになっていない証拠が、確かにここにあることが。

 この何よりも大切な空間が失われていなかったことが。

 そんな穏やかな笑みを携えた雪ノ下を見ていて、ふと思った。

 俺と雪ノ下って今どんな関係なのだろうか。

 俺が由比ヶ浜と向き合うと言って引き延ばしにされていたが、あの時確かに俺と彼女は互いに好きだと言い合った。

 そして夏休み中に由比ヶ浜としっかりと話し、向き合い、ケリはつけた、つもりだ。

 ......このまま、曖昧な関係で終わらせるつもりは毛頭ない。

 しかし悲しいかな。自他共に認めるヘタレである俺はあと一歩踏み出す勇気がないのだ。

 

「私達も帰りましょうか」

「そうだな」

 

 雪ノ下に促され帰る支度をしてから部室を出る。

 そのまま互いに無言で歩き出した。このままいけば、職員室と昇降口への分かれ道でそのままお別れとなるだろう。実際今までもそうだった。

 ......らしくは無いが、ヘタレならばヘタレなりに頑張ってみるか。

 

「なあ雪ノ下」

「なに?」

「あー、そのだな......」

「はぁ......。言いたいことがあるならハッキリ言えばどうかしら。さしづめ、先ほどの私のやり方に文句があると言ったところかしら」

 

 違う、そうじゃねぇよ。今言うからちょっと待ってくれよ。

 

「その、一緒にかえりゃないか?」

「......」

 

 噛んだ。盛大に噛んだ。

 そして雪ノ下さん無言である。あ、ちょっと肩震わせてますね奥さん。笑いそうになるのを必死に耐えてらっしゃるのかな?

 ちょっと恥ずかしくて死にそうです。

 

「一緒に帰らないか?」

「ふふっ.......良くもまぁ、ふっ、なかった事にしようと、っ......、出来るわね、ふふふっ......」

「悪かった。俺が悪かったから。だから笑わないで。羞恥心に殺されるから」

 

 なんだよ!笑うなら笑えよ!しょうがないだろ慣れてないんだから!あ、ぼっちだったから他人を誘う機会なんて今までなかったし慣れるもクソもねぇわ。悲しいなぁ......。

 

「それは困るわね。ええ、あなたに死なれては困るわ」

「そ、そっすか......」

「本当、先日千葉村で私に愛の言葉を囁いた男と同一人物とは思えないわね」

「本当すいませんでした......」

 

 な、なんで俺謝ってるんだろう。別に悪いことしてないのに......。いや確かに雪ノ下を待たせてる事を言うのであればそれは悪いことかもしれないけども。

 悪いと思ったからこうして帰りに誘ってるわけでして。

 誰に言い訳してんだこれ。

 

「そうね......。悪いと思っているのなら、今日うちに寄って行きなさい。晩御飯をご馳走してあげる」

「ちょっと?前後の文脈がおかしいよ?」

「あら、断るの?」

「いや、流石にお前んちに寄るのはちょっと......。それに小町が晩飯用意してくれてるかもしれんし」

「そう言うことなら......」

 

 徐に携帯を取り出した雪ノ下は、ササッとそれを操作する。一分も経たない内にピロン、と携帯が音を鳴らし、画面を確認して少し頬を染める雪ノ下。え、何が書いてあるの?怖い怖い。

 戦々恐々としてると、俺にその画面を見せてきた。画面は小町からのメールを表示しており

 

『どうぞどうぞ!小町のことは気にせず好きに扱っちゃって下さい!不束者な兄ですがどうぞよろしくお願いします!小町も早く姪か甥の姿が見たいのです(*'▽'*)

 あ、今の小町的にポイント高い(*´∀`)♪

 それと兄には今日は帰ってきても家に入れないと言っておいて下さい( ͡° ͜ʖ ͡°)』

 

 と書かれていた。

 てかレスポンス早いし姪とか甥とか気が早すぎるし顔文字がなんか腹立つし。

 あとなんでそんな簡単に兄を売れるの?最近妹からの愛情が冷めていってる気がする、どうも俺です。

 

「小町さんから許可は取ったわよ」

「いや、でもなぁ......」

「比企谷くん」

 

 未だ言い淀んでヘタれる俺に、澄んだ空を思わせる蒼い瞳が向けられる。

 でも、その目はどこか不安げに揺れているようにも見えて

 

「嫌、かしら......?」

「......嫌じゃ、ないです」

 

 そんな目をされると断れるわけがない。

 

「そう。なら楽しみにしていてね。これからは遠慮なんて一切しないから」

 

 どうやら俺は今日、学内一の美少女にお持ち帰りされちゃうようです。

 

 

 

 

 



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そこには、あたたかな家族の姿がある。

『これからは遠慮なんて一切しないから』

 

 そう宣言した雪ノ下雪乃。

 一体俺はどんな目に合うのだろうかと期待半分怖さ半分だったのだが。いや、正直これは予想外ですね。

 

「どうかしたの、比企谷くん?」

「......いや、なんでもない」

 

 あの宣言をした直後に雪ノ下は俺の手をしっかりと離さないように握ってきた。俗に言う恋人繋ぎと言うやつで。職員室に鍵を返しに行った時に平塚先生の表情が般若のように歪んでいたのは言うまでも無いだろう。

 つまり学校にいる間も靴を履き替える時を除けばずっと手を繋いでいたので、下校中の生徒にめっちゃ見られた。

 流石の雪ノ下も注目を浴びれば羞恥心から手を離すかと思ったが、その逆。周囲からの視線を自覚したであろう瞬間に、まさかまさかの腕に抱きついて来やがったのである。まるで、所有権を主張するように。

 勿論注目は更に集めることになってしまい、そこかしこで上がるキャーキャーと言う黄色い声。そして男子どもから嫉妬の目で見られる俺。

 なんとも言えない居心地の悪さから逃れるように学校を出ても、雪ノ下さんは俺の腕を離してはくれなかった。

 

「なぁ、いつまでひっついてんの?」

「家に着くまで、かしら」

 

 聞いても幸せそうに微笑みながらそう言われるだけだ。

 正直な話、雪ノ下がそう笑って言ってくれるだけで俺的には十分満たされるんですけども流石に腕に当たる感触による刺激が強すぎてですね。

 

「途中でスーパーに寄っても良いかしら?」

「ん、別に構わんぞ」

「何が食べたい?」

「じゃあハンバーグで」

「ふふ、意外とお子様なのね」

「悪かったな......」

 

 そんなやり取りをしながらもスーパーへ。

 買い物してる最中も雪ノ下さんは俺の腕を離してくれないようでずっと引っ付いてた。

 そしてスーパーの中でも集めてしまう周囲の視線。学校内と違ったのはその視線の種類だろうか。校内では嫉妬混じりのものだったが、ここではなんだか生暖かいものを感じる。若いっていいわねー、的な。凄くむず痒かったです。

 雪ノ下の方もそう言ったものには慣れていないのか、途中から耳まで真っ赤に染まってたし。恥ずかしいなら離せばいいと思うんですよ。思っても口に出せない俺も悪いか。

 

 そんなこんなで無事(?)に買い物を終えた俺たちは尚も腕を組みながら雪ノ下の家へ。

 ここに来るまでに随分と精神的に磨耗してしまった気がする。最早錬鉄の英雄もビックリのレベルで磨耗してる。いや、あれは記憶が磨耗してるのであって精神的には問題ないのか。まぁその段階まで行っても只管戦ってるあたり問題ないとは言い難いけど。

 閑話休題

 なんとかエレベーターで15階まで到着。雪ノ下がカバンの中から鍵を取り出し、ガチャリと扉を開いて、

 

「ひゃっはろー雪乃ちゃん!」

 

 バタン!と速攻で扉を閉めた。

 

「なぁ雪ノ下。今中に」

「気のせいよ。錯覚だわ。きっと疲れているのね比企谷くん。まさか私の家の中に姉さんがいるわけがないわ」

 

 いや姉さんって言ってるじゃん。お前も今中にいた人見たじゃん。え、て言うかなんでいんのあの人。まさか小町から情報がリークされてたとか?いやいや小町と陽乃さんが連絡先を交換したと思われる時期は文化祭の打ち上げの時だった筈。てことは偶々?

 スッと俺の腕を離して、深呼吸を一つ。それから再び扉を開く雪ノ下。

 玄関には恐らく雪ノ下のものではないであろう靴が二つ並んでいる。二つ?

 

「なぁ雪ノ下。この靴は」

「少し黙っていて頂戴」

「アッハイ」

 

 雪ノ下の後ろに続くように玄関の廊下から、リビングへと繋がる扉の前へ。

 その扉を雪ノ下が思い切って開くと。

 

「おかえり雪乃ちゃん!」

「おかえりなさい、雪乃。今晩御飯の支度をしているから、少し待っていて頂戴ね」

 

 リビングのソファに座る雪ノ下の姉と、キッチンから顔を覗かせた雪ノ下の母親。そしてコメカミに手をやって溜息を零す雪ノ下。

 どうやら俺は、ここに来るタイミングを間違えてしまったらしい。

 

「取り敢えず、姉さんはいいとして。どうして母さんまでいるのかしら?」

 

 そう、雪ノ下雪乃の母親。一度目の世界で二度ほど対面したことのある、雪ノ下とよく似た実年齢よりも若く見えるその女性が、なんと晩御飯の支度をして娘の帰りを待っていた。

 失礼ながら、以前会った時はそんな事をするような人には見えなかったのだが。

 

「さっき静ちゃんから電話が来てねー。雪乃ちゃんと比企谷くんが手を繋いで帰ってたって!もうこれは本人に直接聞くしかないじゃない?だからお母さんも誘ったの」

「大体陽乃の言う通りよ。偶にはあなたに私の料理を食べて欲しくて」

 

 ヤバイ居辛い帰りたい。さっきから陽乃さんが俺に何も言ってこないあたりが凄い怖い。何時もなら真っ先にこっちにちょっかいかけて来るような勢いなのに、どうしてこんな時に限って何も言ってこないのか。

 

「来るなら来るで連絡の一つくらい寄越したらどうなのかしら。さっきスーパーで買い物しちゃったじゃない」

 

 はぁ、と再び溜息を零す雪ノ下のその反応は、俺からすると心底意外なものだった。

 母親と姉の間に蟠りを残していた雪ノ下雪乃。夏休みの花火大会の時、ある程度は解決したと見ていたが、まさか自宅に来る事自体を拒絶しないほどに和解していたとは。

 

「それで、そちらの方がこの前言っていた比企谷さんかしら?」

「あ、はい。比企谷八幡です」

 

 突然雪ノ下の母親から声をかけられた。返事の言葉が裏返らなかったのは奇跡だろう。まさか陽乃さんからではなくママのんから仕掛けて来るとは思いもよらなかった。

 

「丁度良かったわ。少しお料理を作りすぎてしまったと思っていたの。もう少しで出来るから、お話は夕飯を食べながらにしましょうか」

 

 それだけ言い残してキッチンの奥へと消えていくママのん。話ってなに?怖い、助けて小町!

 

 

 

 

 出て来た料理はどれも絶品だったとだけ言っておこう。

 雪ノ下家に囲まれた中での食事は緊張のあまり味なんて分かりはしないと思っていたのだが、その緊張すら吹き飛ばすくらいに美味しかったのだ。いや緊張してたのに違いはないんだけど。

 そして現在はソファに座ってママのんと陽乃さんと対面している。俺の隣に雪ノ下がいるから良かったものの、ここで雪ノ下に離席されてしまっては多分マトモに話なんて出来ないだろう。

 

「では改めて、初めまして。雪乃と陽乃の母です」

「は、初めまして。比企谷八幡です」

 

 今回ばかりは折角雪ノ下が淹れてくれた紅茶も味が分からない。どれだけ口に含んでも喉が乾く。

 雪ノ下の家にお泊まりと言うだけで相当緊張してたのに、まさかこんなイベントが待ち構えているなんて想像できるわけもないのだから。

 

「早速ですか、単刀直入にお聞きしましょうか。比企谷さんは雪乃と男女交際をしていると言う事でよろしいのですか?」

 

 マジで単刀直入に切り込んで来たなオイ。

 しかしその質問は困る。俺も雪ノ下も、互いに想いを伝えあったわけだが、付き合うとかそう言うのは一切口にしていない。まあそれも俺がメンドくさい性格してるせいなのだが。

 隣をチラリと盗み見てみると、顔を真っ赤にした雪ノ下が。さっき人前であんな事をして来た奴とは思えませんね。

 

「ダメだよお母さん。二人とも馬鹿みたいにウブなんだから、そんな直接的な聞き方」

 

 助け舟は思わぬところから。

 対面でママのんの隣に座っている陽乃さんは至極真面目な表情でそう言った。

 

「そうですか。なら、質問を変えましょうか。比企谷さん、あなたは雪乃の事をどう思っていますか?」

 

 それ実質変わってないよね。言い回しが変わっただけだよね。

 しかし、その質問に対してはぐらかす訳にはいかない。彼女の事を好きでいるのなら、言葉にしなくてはならない。

 

「その、上手く言えないんですけど。俺は雪ノ下......、雪乃さんの事をとても大切に思ってます。付き合うとか恋人とか、そんなのはよく分からないんすけど。それでも、この先もずっとこいつの事を好きであり続けられるって。それだけはハッキリと言えます」

 

 ヒュー、と場違いな口笛が聞こえた。なんだか凄い恥ずかしい事を言ってしまった気がするが、それでも俺の本心に変わりはない。

 雪ノ下のお母さんは瞑目してそうですか、と小さく呟いた後に俺と目を合わせる。雪ノ下と良く似た、澄んだ空を思わせる瞳だ。

 

「いつも、雪乃の幸せを思ってこの子と接していました。雪乃の為に、雪乃らしく自由に生きて欲しくて。でもこの前、私たちがしていた事は間違っていたのではないのかと気づかされました。初めて親子らしい会話をして、雪乃の気持ちを全部聞かせてもらって。それも全部比企谷さんのお陰よ。あなたが雪乃と出会ってくれたから、雪乃は変わる事が出来た」

「......買い被り過ぎですよ。俺は何もしてないです」

 

 雪ノ下雪乃に変化があったと言うのなら、それはこの『やり直し』と言う状況があってこそだろう。人的要因が絡むと言うのならそれは由比ヶ浜や一色のお陰だ。

 

「比企谷さん、雪乃をお願いします。この子はとても弱い子だから」

「はい」

 

 それでも、そこに俺も入っているのだとしたらこれ以上ない程に光栄なことだ。

 何かを出来ているとか、成し遂げられているとか、そう言うのは主観的ではなく客観的に見て初めて分かるもので。だから、この人がそう言ってくれるのであればそうなのだろう。

 

「では、私たちはそろそろ帰るとしましょうか」

「ええー、もう帰るの?」

「当たり前です。あなたはいつ迄いる気ですか?余り構ってばかりだと二人に嫌われるわよ」

「母さんっ!」

 

 立ち上がった母親を呼び止める雪ノ下。

 その顔は以前のような母親に怯えるものではなく、なんとも晴れやかな笑顔で。

 

「また、近いうちに帰るわ」

「ええ。その時は比企谷さんも連れてらっしゃい。主人も会うのを楽しみにしているから」

 

 そう返す雪ノ下のお母さんも笑顔で、それは何処にでもいる普通の親子のやり取りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ママのんと陽乃さんが帰宅した後、精神的な疲れからか俺と雪ノ下はソファでぐったりしていた。

 いや本当マジで疲れた。つかこれってあれなの?親公認ってことでいいの?まだ付き合ってすらいないのに。いや付き合ってないのか俺たち?マジで分かんなくなって来た。

 

「疲れたわね......」

「本当にな......」

 

 俺の肩に頭を預けているのでなんだかいい香りがして来て現在進行形で俺は疲れてるんですけどね。嫌なわけではないけども。

 

「ねえ比企谷くん」

「ん?」

「好きよ」

「ゴホッ!ゴホッ!」

 

 あまりにも突然過ぎて盛大にむせた。紅茶飲んでる途中じゃなくて良かったわ。

 

「随分と唐突だな」

「そうかしら?こうしてもう一度しっかりと言葉にしないと、あなたははぐらかしそうだから」

「はぐらかさねぇよ。そう言う曖昧なのは、もう辞めたって決めてるからな」

「そう。なら、あなたもちゃんと言葉にして?」

 

 俺の顔を覗き込むように、上目遣いでそう言ってくる。あんな事があった後だから羞恥心なんて今更出てくるはずも無く、言葉は予想以上に喉を通って口から出せた。

 

「好きだ雪ノ下」

 

 絡まる視線。何を言うでも無く、自然と唇と唇を触れ合わせる。一秒にも満たない短いキス。ただそれだけでこんなにも満たされてしまう。

 顔を離して彼女を見ると、その目からはハラリと雫が落ちている。そんな姿ですらも美しく愛おしいと感じてしまう。

 

「とても嬉しい筈なのに、何故かしらね。涙が止まらないの」

「嬉し泣きってやつじゃねぇの」

「そうかもね。なら、泣かせた責任はちゃんと取ってね?」

「おう」

 

 顔を見合わせて二人してプッと吹き出す。

 全く、らしくないにも程があるだろう。俺も、雪ノ下も。でもこれがこの二度目の世界で得たものなのだとしたら。それはきっと何よりも尊いものだ。

 

「お風呂、沸かしてくるわ」

「ん。あぁそう言えば、俺の着替えどうしたらいいの?」

 

 スルリと離れていく感触に若干の寂しさを覚えつつも、今更な質問を投げかける。さっきまで色々あったせいですっかり頭から抜け落ちていた。

 

「男物の着替え一式なら置いてあるわ。女性の一人暮らしなら当然よ」

「そんなもんなのか?」

 

 俺が知らないだけで結構当たり前だったりするのだろうか。まぁ最近は物騒な世の中だし、こんな高級マンションの高層階で下着泥棒なんかが現れるとも思えないが。

 

「お風呂、一緒に入る?」

「..................」

「そこまで熟考されても困るのだけれど......」

 

 いやだって思春期男子の俺としてはそんなお誘いを受けてしまうと理性と本能が戦争を始めてしまうわけでして。辛うじて理性が勝ってくれたからいいものの、ここでYESと言ってしまったらどうするつもりだったんですかね。

 

「その、なに、そう言うのはまだいいだろ」

「そう、まだ、なのね」

「.........」

 

 どうやら言葉の選択を致命的にミスったらしい。いや確かに将来的にはそう言うのも吝かではないと言いますかむしろどんと来いと言いますか。

 

「その時が来るの、楽しみにしてるわね」

 

 ふふ、と悪戯が成功した子供のように笑う雪ノ下を見てもう色々とどうでも良くなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 結局風呂はしっかり別々に入る事になり、雪ノ下が入った後に俺も渡された着替えを持って風呂に入ったわけなのだが。さっきまで雪ノ下が入ってたと思うとマイサンを収めるのに必死になったのは仕方がない事だろう。

 風呂から上がってリビングに戻ると、雪ノ下はノートを広げてなにやら思案しているご様子。勉強してるのかなん?と思って後ろから覗き込んでみると別に勉強していたわけでは無かったようだ。

 

「文化祭のやつか?」

「ええ。一色さんに渡すのに、理想的な進捗と前回の経験を踏まえたアドバイスをと思って」

 

 主に対相模用のアドバイスだろう事は書いてある内容に少し目を通しただけで分かった。

 ソファの隣に腰掛けると、雪ノ下はまたしても俺の肩に頭を乗せて来る。その態勢気に入ったのかな?

 

「あんま無茶すんなよ。また体調壊したとかなったら由比ヶ浜とか一色が心配するからな」

「あら、あなたは心配してくれないのかしら?」

「するに決まってんだろ」

 

 まあ今回に関してはそこはあまり心配していない。雪ノ下が体調を崩してしまった要因は、副委員長になってしまった事にある。その他にも幾つか上げられるものの、遅れる一方の仕事の殆ど全てを一人で処理しようとしていた事だからだ。

 だが、今回は大丈夫なはず。一色が副委員長をしてくれるし、俺も可能な範囲で一色と雪ノ下の手助けはする。

 不確定要素としては陽乃さんの存在があるが、あの人は本当に不確定要素なので考えるだけ無駄だ。考えて分かったんならあの人の存在にここまで苦労しない。

 

「そろそろ寝ましょうか。明日も学校はあるのだし」

「そうだな。んじゃ俺ソファで寝てるから、出来れば掛け布団くらい貸してくれ」

「なにを言ってるのかしらあなたは?」

 

 本当に何を言ってるのか分からないと言った様子で俺を見る雪ノ下。え、俺今何か変な事言った?

 

「同じベッドで寝ればいいでしょう?」

「いや流石にそう言うわけには」

「そう言う事はまだしないと言ったのはあなたなのだから、何も問題は無いと思うのだけれど」

 

 問題だらけなんだよなぁ......。確かにそうは言ったけども、本当にそう言うシチュエーションになってしまったらどうなるのか分からないのが男という生き物であってですね。

 

「私としては別に襲ってくれても構わないのだけど」

「......襲わねぇよ。お前が傷つくようなことはしない」

「なら良いじゃない」

「いやでもだな......」

「だめ?」

「............だめじゃないです」

 

 だからその上目遣いは卑怯だと思うんですよ本当に!

 その後引き摺られるようにして寝室へと向かった俺とどこか嬉しそうな雪ノ下。

 ベッドに入ってからと言うものの、雪ノ下の抱き枕にされた俺は只管般若心経を心の中で唱え続ける事となったのだった。

 理性の化け物よくやった。

 

 



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彼女は、本当に救いたい人を救うために。

 何時もと違う風景の流れる何時もと違う通学路。更に何時もと違うのは、一緒に登校する相手。常ならば妹を自転車の後ろに乗せて中学まで送ってやったりしているのだが、今日は徒歩で、しかもガッチリと手と手を絡めて繋いでいる恋人が。

 

「どうかしたの、比企谷くん」

「......いや、なんでもない」

 

 昨日の帰りも同じやり取りをしたなぁ、なんて現実逃避してみるがそれも無駄なこと。周囲の視線が刺さる刺さる。

 繋がれた手を見て幸せそうに隣で微笑むお嬢様は、どうやらこの視線は気にならないらしい。嫉妬や好奇の視線には慣れっこという事だろう。

 

「なぁ、いつまで手繋いでんの?」

「取り敢えずは下駄箱に着くまで、かしら」

 

 ああうん。学校はもう目の前だもんね。学校に着くまでだったらもう離さなきゃいけないもんね。取り敢えずは、って事はそっから教室に行くまでもまた繋ぎ直すんですかね。

 いや別に手を繋ぐ事自体が嫌なわけではないんだよ。そこは勘違いしてもらっては困る。

 

「ヒッキー!ゆきのーん!」

 

 後ろから最早聞き慣れてしまった元気な声が。振り返ってその姿を確認するよりも早く、そいつはガバッと雪ノ下の左手、つまり俺と繋いでるのとは逆の手に抱きついた。

 

「えへへ、おはよ二人とも!」

「おう、おはようさん」

「おはよう由比ヶ浜さん。あの、少し暑苦しいから離れてくれるかしら?」

 

 なんか凄い上機嫌な由比ヶ浜は、雪ノ下の言葉に聞く耳なんて持たずに更にギュッと密着する。うんうん、仲良きことは素晴らしきかな。でもねガハマさん。それ以上はゆきのんが謎の敗北感に打ちひしがれるからやめてあげて欲しいな!

 

「なんでお前朝っぱらからそんな元気なの?」

「んー?だって、昨日小町ちゃんから色々聞いちゃってさー」

「あの、由比ヶ浜さん?一応聞いておきたいのだけど、小町さんからなにを聞いたのかしら?」

 

 雪ノ下が恐る恐る尋ねるが、由比ヶ浜は尚もニマニマと笑みを深めるのみ。

 

「ふふーん。ヒッキーとゆきのんがようやく素直になれたーって!それで、さっき手を繋いで歩いてる二人見たらさ、なんか凄い嬉しくなっちゃってさ」

「なんでそれで嬉しくなっちゃうんだよ」

「だって大好きな二人がようやく結ばれたんだから、当たり前じゃん!」

 

 屈託のない笑顔でそう言ってくれる。

 ああ、全く。やはり由比ヶ浜には敵わない。俺も雪ノ下も、きっとこの子には生涯をかけて敵うことなんてないのだろう。

 こんなにも強くて優しい女の子が俺たちの友達でよかったと、心の底から思う。

 

「でもあたしだってゆきのんとイチャイチャしたいんだからね!ヒッキーに独り占めはさせないから!」

「おい、ゆるゆりは許せるけどお前ガチ百合は辞めろよ。流石の俺も許容範囲外だぞ」

「ゆる、ゆ......?ごめんなさい、比企谷くん。出来れば日本語で話してくれると助かるのだけれど。流石の私も恋人がヒキガエルの言語を使っていると思うと......」

「日本語だから。めっちゃ日本語だからね?俺別にヒキガエルの言語を理解できてるわけじゃないからね?」

 

 そんないつも通りのやり取りと、いつも通りじゃない歩き方で学校へと向かう通学路。

 柄にもなく、幸せだなんて思ってしまった。

 

 

 

 

 

 念の為、昨夜は一睡も出来ていないとだけ記しておく。

 これも全部雪ノ下雪乃って奴の仕業なんだ。

 それ即ち午前の授業は全て睡眠にあてられるというわけで。目が覚めた頃には既にお昼休み。移動教室が無くて助かった。

 今日は部室で三人でお昼を食べようと誘われているため、さっさと部室へ向かおうと席を立ち上がる。

 チラリと由比ヶ浜の方を見てみるとまだ三浦達と話に花を咲かせていた。一瞬だけ目があった時に先に行ってて、と口の動きだけで言われたので素直に教室を後にするために扉を開こうとしたが、それは叶わなかった。

 扉に手も触れていないのに勝手に開いたからである。

 一瞬自動ドアになっちゃったのかなん?とか思ったがまさかそんな事があるわけもなく。

 扉の向こうにいた、見慣れた亜麻色の髪の少女が開いたのだろう。

 

「あ、こんにちはです先輩」

「おう。どうしたこんな所に」

「いえ、相模先輩に用があったんですけど。その前にちょっと先輩に一つだけ確認したいなーって」

「確認?」

「ですです。ほら、あの噂ですよ」

 

 噂、と聞いても俺にピンと来るものはない。

 一色の口ぶりからするに、今日の朝から発生した噂だと思われるが。残念なことに俺は教室に入って自分の席に着いたと同時に夢の世界へ落ちていたのだ。そんな俺の耳に入って来るはずもなく、そんな話はここで初耳である。

 

「え、先輩知らないんですか?今朝雪ノ下先輩が見たこともない男子生徒と手を繋いで笑顔で歩いてたって話ですよ!」

 

 んー、それ俺ですね。自分の存在感の無さは自覚していたのだが、まさか見たことのない、とまで言われてしまうとは。若干凹む。

 

「あー、その話なら放課後にでも雪ノ下に聞け」

「嫌ですよ。前に葉山先輩とのことを聞いた時のを忘れたんですか?」

 

 どうやら一色にとって軽くトラウマになってるらしい。でも君最近も事あるごとにあの視線向けられてるよね?

 

「じゃあ由比ヶ浜にでも聞け。それと相模ならそこだ。文実の件か?」

「まぁそんな所です」

 

 一色の手には一冊のノート。昨日の夜に雪ノ下の家で見たものだ。どこかのタイミングであいつが一色に渡したのだろう。

 

「なんか手伝えるようなことあったら言えよ。出来る範囲でならなんとかしてやる」

 

 言って立ち去ろうとするも、目の前の一色はポケーっとしてそこから退こうとしない。

 

「なに、俺なんか変なこと言った?」

「いえ、先輩がそんな積極的に仕事をしようとするなんて考えられなかったので......。はっ、まさか今の口説いてましたか。頼れる先輩面とかちょっと似合わないので無理ですごめんなさい」

「うん、もうなんでもいいよ。取り敢えず退いてくれない?」

「ちょっと反応が適当すぎませんかねー!」

 

 プンプンと頬を膨らます一色を尻目に部室へ向かう。

 あまりあいつに構っていると昼休みがどんどん短くなっていってしまうからな。早く雪ノ下に会いたいし。

 なによりも、なんと今日は雪ノ下が弁当を作ってくれているのだ。ワクワクしないわけがない。

 なんかキモいくらいテンション上がってんな俺。

 そんな謎のハイテンションを心の中だけで維持しつつ、特別棟へ向かおうと足を踏み出すと。

 

「随分一色さんと仲がいいのね?」

 

 鉄血にして熱血にして冷血の我が愛すべき恋人が正面に立っていた。

 

「お、おう雪ノ下。え、てかなんでここにいんの?」

「いたら悪い?」

「いや、そんな、ことは、無いです......」

 

 なにこの悪いことはしてないのに何か悪いことをしてしまったかのように感じてしまう気持ちは。え、俺なにもしてないよね?一色と話してただけだよね?

 

「折角だからあなた達と一緒に部室へ行こうと思っていたら、あなたが随分一色さんと楽しそうに会話していたものだから、つい話しかけるのを躊躇ってしまったわ」

「いやいやいや。そんなに楽しいもんじゃないぞ」

 

 と言うか、なんだ。こいつはもしかして、嫉妬してるのか?

 やばい、そう考えるとなんか嬉しさと言うか愛おしさと言うかその他諸々がこみ上げてきて、思わず笑ってしまいそうになる。

 

「何を笑っているの?」

「いや、なんでもないよ」

「全く、あまりだらしのない顔はしないで頂戴」

 

 そう言って俺の隣にピッタリとくっつくようにして手を繋いで来る雪ノ下。

 その顔はどこか拗ねているようにも見える。

 

「あなたは私のものなのだから」

「......お前は俺を殺す気なのか」

「なんの話?」

「いや、こっちの話だ」

 

 本当、トキメキ過ぎてキュン死しちゃうところだったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日間、特に何事もなく文実はスムーズに機能していた。勿論今の段階でサボりなんぞ出る事もなく。

 いや、何事もなかったことは無いんだけどね。流れていた噂のお陰で雪ノ下と俺に刺さる視線。何故俺にまでその被害が及んでいるのかと言うと、俺と雪ノ下が手を繋いで仲睦まじそうに会議室に現れたことに起因している。

 噂が流れた当日。雪ノ下に噂のことを話したら、何故か「なら堂々と見せつけてやりましょう」と言う結論に至ってしまったのだ。そのせいでなんか視線が気になって仕方がないのだが、作業に支障をきたすほどのものでもなかったので気にしないことにした。

 

 スムーズに行っている要因としては、俺と雪ノ下の働きが大きいと思える。いや、自慢じゃないから。

 一度目の記憶を引っ張り出して回されて来る書類を華麗に捌いていた。一度経験したが故にある程度勝手も分かるため、仕事は随分と楽になり他の奴らよりも手早く割り振られた仕事が終わる。お陰様で多部署で少しでも遅れてるような仕事があれば副委員長様がニッコリ笑顔でこちらに回して来るのだ。これは雪ノ下も同様。

 まぁ、今のところは致命的な遅れがあるわけでもなし。自分のペースでゆったりと書類を片付けていたら問題はない。

 

 そうしてやって来た定例ミーティングの日。

 確か前回では雪ノ下が正式に副委員長に就任した日だったか。

 この数日の間、奉仕部で出来る限りの対策を話し合ったわけだが。相模がどのようにして委員長の役割を果たしていくのかによって細部は変更を余儀なくされるだろう。

 

「それでは、定例ミーティングを始めます!」

 

 委員長の席に座った相模南の掛け声でミーティングが開始される。

 やることは進捗確認程度だ。宣伝広報から始まって記録雑務まで、各部署の進捗は正直言って予定よりもだいぶ余裕がある報告が上がった。これなら十分なバッファを持たせた上で作業を進められそうだ。

 恐らく一色が上手い具合に立ち回ってくれているのだろう。先日のような昼休みの相模との打ち合わせだけでなく、文実の作業中も各部署の代表と話しているのを何度か見かけた事がある。元来年下上司と言うものは嫌われやすい傾向にあるのだが、そこは流石の一色いろは。男女で器用に演じる自分を切り替える。『一年生だけど副委員長を一生懸命頑張っている私』をこの短い期間で確立させたのだ。

 

 さて、この調子で文化祭まで進めばいいなぁ、なんて楽観的な考えがないわけでもないのだが。そうは問屋が卸さない。

 

「ではミーティング終了の前に私から一つだけ提案があります」

 

 各部署の進捗報告も終了し、これからミーティングを終えてそれぞれの作業に戻ろうと言うタイミングで相模は切り出した。

 

「皆さんのお陰で予定よりもかなり順調に作業が進んでいるので、少しペースを落とすって言うのはどうですか?」

 

 一度目の時よりもかなり早くに出されたその提案。思わず笑いそうになってしまう。

 そしてそれに食ってかかるのは副委員長の一色いろは。

 

「相模先輩、それはそれは少し違いますよ。まだ文実が始まってから一週間も経ってないですし。なによりバッファを持たせるための前倒し進行であって」

「一色ちゃんはまだ一年生だから分からないと思うけどさ、実行委員が文化祭を最大限楽しまなくちゃ他の生徒たちも楽しめないじゃない?クラスの方も大事だと思うし、だからここで少し作業のペースを落とそうかなって思うんだけど」

 

 一年生だから。

 そのセリフに他の文実メンバーはどう思っただろうか。

 ここまで順調に進んでいるのは委員長が頑張っているからであり、年下の副委員長よりも委員長の方が信じるに値する、とかか。

 相模の持つ実行委員長と言う肩書きと、一色の持つ一年生と言う覆しようのない事実。その固定観念がある限り、この場で尊重されるのは相模の言葉だ。

 その相模の提案に同意を示すように拍手が上がる。疎らだったそれはほぼ全員から。

 それに満足が行ったのか、相模はウンウンと満面の笑みで頷いてミーティング終了を言い渡した。

 

「では、これで定例ミーティングを終わります!これからはクラスの方も大事にして頑張っていきましょう!」

 

 ミーティング終了後会議室を出て行くものは少なくなかった。クラスの方の手伝いにでも行くのだろう。

 そうして残ったのは半分ほど。俺も自分の仕事をやりますかな、と机に書類を広げたところで、雪ノ下と一色がこちらに来た。

 

「なんだよ。俺は今からお仕事なんだけど?」

「いいから、少し外に出なさい」

「えぇ......」

「まあまあ良いじゃないですか先輩。今後についての確認ですよ」

 

 二人に背を押される形で会議室の外に出される。

 美少女二人を侍らせているのだから、残っている文実メンバー男子からの嫉妬の視線が痛い。

 

「んでなに?」

「言ったじゃないですか。今後の確認だって」

「まさかこれ程までにあなたの言う通りコトが運ぶとは思ってもいなかったわ......」

 

 はぁ、とコメカミを手で押さえてため息を漏らす雪ノ下。一色の方は若干不機嫌な顔をしている。

 

「て言うか、本当にこれで良かったんですか?相模先輩程度ならあそこでどうとでも論破出来たと思うんですけど」

「そりゃそうだ。あいつはただ自分がサボりたいだけに提案してるようなもんだしな」

 

 前回は雪ノ下に対する優越感を得るため、と言うのもあったかもしれないが。今回はその対象が一色に変わっているだけだろう。

 相模南はこの数日で一色いろはの優秀さを思い知ったはずだ。そしてその過程で劣等感を覚えているはず。

 その行動原理はどちらも同じ。このタイミングであの提案は読めない事ではない。

 

「それで、取り敢えずは打ち合わせ通りでいいのね?」

「ああ。暫くは俺たちの掌の上で踊ってもらうとしよう」

 

 ニヤァ、と口角が上がるのを抑えられなかった。きっと今の俺はかなり悪い顔で笑っている事だろう。その証拠に目の前の二人は若干引いてるし。

 その反応はさすがに傷つきますよ?グスン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰り道を二人並んで歩く。前までは自転車通学だった彼も今は電車と徒歩での通学だ。

 当初は電車賃が云々と言っていたが、小町さんが両親に事情を詳らかに語ったところ彼自身も思わぬ程にすんなりと定期代が与えられたらしい。

 特に示し合わせたわけでもなく自然と繋がれた手。彼の温もりを感じる事が出来て、心の奥がとてもポカポカする。ああ、私はこの人の事が心底好きなんだと思える。

 言葉は無くとも心地のいい下校途中。

 

「......悪いな」

 

 そんな中で比企谷くんはポツリと言葉を漏らした。

 一体何に対する謝罪なのか、いまいち理解できなくて首を傾げてしまう。

 

「どうしたのかしら突然?もしや漸く自分がこの世界に与える害を自覚することができたの?」

「違えよ。存在するだけで世界に害を与えるとか俺どんだけ世界にとっての害悪なんだよ」

「安心して、それでも私は離れたりしないから」

「......さいですか」

 

 こんなセリフも、彼の照れたような顔を見るためだと思えば恥じらうこともなく言えるようになった。

 ふふ、とついイタズラ混じりの笑みが零れる。

 

「それで、本当に突然どうしたのかしら?私、あなたに謝られるような事した?」

「いや、そうじゃなくて。文実の件だよ。俺だけなら兎も角、お前にも負担を強いちまうことになったし。何より雪ノ下はこんな方法嫌いだろ?」

「ええ、そうね。全くもってその通りだわ」

 

 比企谷くんが立案した作戦。

 やる事は至極単純。相模さんを一度徹底的に追い詰めること。

 現在の文実の作業進捗は驚くほどスムーズにいっている。一色さん曰く、このままだと文化祭開催の五日前までには全ての作業が終了しそうだ、とのこと。勿論五日前に終わったのだとしても、本番に向けて機材の扱いの練習やオープニングセレモニーのリハなどもしなければならないが、書類仕事はその時点で終わる見積もりだと。

 そのような進捗状況の中で、相模さんがあの提案を早期に出すのは想像に難くなかった。

 本来ならばその提案は止めなければならない。まだ文実が始動してから数日。今後どのようなトラブルに見舞われるかも分からない上に出席者が減ってしまえば確実に間に合わなくなる。

 だが、比企谷くんはそれに敢えて乗るのだと言った。

 

「自分は他の人達よりも作業の勝手が分かるから他の人よりもスムーズに出来るだなんて、そんなもの私だって同じなのよ?」

「すまん......」

 

 私と比企谷くんは一度目の世界で文実の作業を経験済み。しかもやる事なんて全く同じ内容なのだ。その時の記憶を引っ張り出せば、正直他の人達の倍以上の仕事は問題なく行える自信がある。それは比企谷くんも同様だろう。彼は頭がいいから。もしかしたら私よりも効率的に作業を進めてしまうかもしれない。それは少し腹立たしいわね。

 そんな中である程度人員が削減されたところで、多少の遅れはあれど大きなものにはならない。

 だが、相模さんの提案に乗った上で敢えて仕事を遅らせようと彼は言った。

 

「最初にあなたがもっと仕事をよこせ、だなんて言った時は耳を疑ったわ」

「だろうな。俺も自分の発言を疑ったよ」

 

 相模さんに足りないものは自覚だ。委員長と言う立場に立った自分のその言葉が、どれほどの責任を帯びているのか彼女は理解していない。

 文実を欠席する人が増える中での仕事の遅れ。それを相模さんが目の当たりにした時、彼女はどう思うだろうか。流石の彼女も自覚するはずだ。自分がどれほと愚かな選択をしたのかを。文化祭の開催すらままならない程の遅れを引き起こしたのは自分のせいだと、自分を責め立てるかもしれない。

 そうして彼女を追い詰める事で相模さんの成長、変革を促す。

 

 ただそれだけでは一手足りない。

 仮に相模さんが己の失態全てを自覚し変わったとしても、本当に文化祭が開催出来なければ本末転倒だ。

 故に、私と比企谷くん、それと一色さんは仕事の量を減らすどころか倍増させ、私達三人のみで来るべき遅れを取り戻すためのバッファを作る。

 どうも最初は比企谷くん一人で他の人の五人分くらいの仕事をしようとしていたらしいが、勿論私たちが止めた。

 全く、そうやって一人でやろうとする癖、いつになったら治るのでしょうね。

 

 これが比企谷くんの立てた作戦。

 彼が今言ったように、このやり方はあまり好きではない。

 以前のように比企谷くん一人が傷を負って全てを救ってしまう、と言うようなものでもないが。

 ただ、私のポリシーに反すると言うだけ。

 ある意味で相模さんを騙すこの作戦。嘘を嫌う私としては思いつかないであろう搦め手。

 それでも私が彼の作戦に乗った理由はただ一つ。

 そんなポリシーを無視してでも守りたい人がいるから。

 

「比企谷くん」

「どうした?」

 

 名前を呼べば返事が返ってくる。それだけの事なのにどうしようもなく嬉しい。

 

「なんでもないわ。ただ、呼んでみただけよ」

「......なんだよそれ」

 

 繋がれた手にギュッと力を込める。

 もう離さないように。もう失わないように。

 

 散々彼に助けられて来て、私に出来ることは何もないことを知ってしまった。でも、それではいそうですかと納得できるような人間ではない。

 本当に救いたい人を救うために、私にしか出来ないことをしよう。

 



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徐々に、崩壊へのカウントダウンが始まっている。

て言うか既にこの文実崩壊してね?


「なん、だと......⁉︎」

 

 放課後、徹夜で持ち帰った仕事をしていた為帰りのホームルームが終わるまで見事な爆睡を決め込んだ俺は、黒板に書かれたその文字を見て驚愕する。

 

『ミュージカル 星の王子様』

『飛行士(ぼく) 比企谷八幡』

『王子様 葉山隼人』

 

「説明が必要かね?」

 

 固まったままの俺の背後に現れるのは腐ったオーラを醸し出した海老名さん。そして俺の隣では葉山が困ったように苦笑している。

 完全に忘れてたがそう言えば一度目の時も俺と葉山でキャスティングされてたんだっけか。

 

「いや、俺文実あるし無理だから」

「えぇ⁉︎でもでも、薄い本ならハヤハチはマストバイだよ⁉︎て言うか、マストゲイだよ!」

 

 何言ってんだこの人。

 

「やさぐれた感じの飛行士を王子様が温かい言葉で巧みに攻める!」

 

 いや原作そんな話じゃないから。フランス人怒るぞ。

 因みに俺たちの背後では男子達が屍となっている。それぞれが海老名さんの割り振った配役に絶望し、生きる気力を失っていた。

 

「うーん、でも確かに少し厳しいかもな。ミュージカルなら演劇の稽古とかもしなきゃだし」

 

 おお、ナイスフォローだ葉山!もっと言ってやれ!

 

「だからさ、一度全体的に配役を見直してみたらどうかな?王子様役とか!」

 

 この野郎やはりそれが狙いか。

 暫く考えるようにうんうん唸っていた海老名さんは黒板に書かれた文字を乱暴に消し、その上からこれまた乱暴に新たなキャスティングを書く。

 

『飛行士(ぼく) 葉山隼人』

『王子様 戸塚彩加』

 

「やさぐれ感は少し足りないけど、まぁこんなところかな」

「俺は結局出なきゃいけないのか......」

「お、そのやさぐれてる感じ、いいねぇ!」

 

 ざまぁ葉山。せいぜい腐海に沈むがいい。

 

「王子様役かぁ......。僕に出来るかな?」

 

 突然メインの役を貰ってしまった戸塚が困ったように呟く。

 うん。全然いけるよ。戸塚なら大丈夫!

 

「ま、そこまで気負う必要もないんじゃねぇの?」

「そっか。頑張って練習しなきゃ」

「いやこの海老名さんが書いたのは大分脚色されてるから、勉強するなら原作読んだ方がいいと思うぞ。なんなら貸そうか?」

「本当?ありがとう八幡!」

 

 い、癒される!この笑顔を見ると徹夜で疲れ切った体もフル回復してしまう!

 戸塚の笑顔で癒されたところで、そろそろ文実の方に向かうかなと思いながら教室の端に視線をやる。

 

「ちょっと男子〜、もっとしっかりやりなさいよ〜」

 

 そこでは相模南が背景となる道具を作ってる戸部達に叱咤を飛ばしていた。本人は特に何も作業していないのに。

 

「あ、ヒッキーこれから文実?」

「おう」

 

 教室を去ろうとしている俺は見かけた由比ヶ浜が耳にペンを掛けて声をかけてくる。お前は競馬場のおっさんか。

 因みにこいつも前回と同じで全体の予算管理なんかをやってる。

 

「ねぇ、大丈夫なの?」

 

 一応、由比ヶ浜にも今回の俺の作戦については話してある。由比ヶ浜の心配はその事に関してだろう。

 正直、かなり賭けの要素が強い。相模が己の失態に気づくことが無ければ、俺は容赦なくあいつを切り捨てるつもりでいる。それでもこの方法を選び取ったのは、一度目の世界での経験則からだ。

 体育祭でも委員長の座につき、友人からも見放されてしまう所まで追い詰められた相模はなんでかんでと最後までしっかりやり遂げた。それであいつの人間が変わったのかと聞かれると否と答えるしかないのだが。

 

「ま、大丈夫にして見せるさ。それに、もしヤバかったらお前にもちゃんと頼るよ」

「そっか。なら安心だ。あ、でもちゃんとゆきのんとかいろはちゃんにも頼るようにしなきゃダメだよ!」

「分かってるよ」

 

 まるで子供を叱るように言ってくる由比ヶ浜に苦笑交じりの返答をしてから教室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 大きな欠伸をしながら入った会議室には、半分ほどの文実メンバーしか来ていなかった。

 半分いれば仕事的には特に問題ないのだが、流石に意識低すぎてビックリ。ちょっとは海浜総合の生徒会を見習ってほしいものだ。あそこまで意識高くされても困るけど。

 

「だらしないから欠伸くらい我慢しなさい」

「ん?あぁ、雪ノ下か」

「こんにちは比企谷くん」

 

 入口の所で会議室を見回していたら雪ノ下に背後から声をかけられた。

 そして俺と同じく会議室を見回した彼女は溜息を一つ。

 

「まさか翌日から既に半分が来なくなるなんてね。少し意識が低すぎるのではないかしら」

「俺も同じこと考えてたわ」

「ただ、何故かしら。意識を高く持つのは良いことの筈なのだけれど、あまりそうはなって欲しくないわね......」

「俺も同じこと考えてたわ......」

 

 何事も程々が一番って事だ。今の文実みたいなのも御免被るが、だからと言ってクリスマスイベントの時みたいなのはもう二度と経験したくない。アグリーって言っときゃなんとかなるとか思ってんのか。

 

「所で比企谷くん」

「な、なんだよ」

 

 責めるような声色で呼ばれ、若干後ずさりする。俺なんかやばい事したっけ?

 

「あなた、ちゃんと睡眠は取っているの?お昼の時も思ったのだけれど、少し眠たそうよ」

「それなら問題ない。ちゃんと授業中に寝てるからな」

「授業中は睡眠に当てる時間ではないのだけれど......」

 

 はぁ、とまた一つ溜息を零した後、雪ノ下は俺の胸に手を当てて来た。

 

「あまり無理はしないでね?」

「......分かってるよ」

 

 心配そうにこちらを見上げる彼女に、そう返す他なかった。

 大丈夫、持ち帰ってる仕事も許容範囲内だ。こいつらよりも少しその量が多いだけで、特に無理をしていると言うほどでもない。

 

「そう、それならいいわ」

 

 ニコリと微笑む雪ノ下を見て、何故か恥ずかしくなってしまい顔を逸らす。

 ああもう心臓煩いぞちょっと静かにしろ。てかこれ心音聞かれてんじゃねぇの?

 

「ゴホン!」

「うおぉ⁉︎」

「......っ!」

 

 突然近くから大きめの咳払いが聞こえて来たので驚いて振り返ってみると、そこにいたのは一色いろは。なんか凄いニコニコ笑顔なんですけど。ちょっと怖いくらいなんですけど。

 

「お二人とも、イチャイチャするのは良いんですけど場所考えて下さいね?」

「別にイチャイチャしてたわけじゃ」

「あーはいはい。言い訳は見苦しいですよ先輩。ほら、雪ノ下先輩も、さっさと仕事して下さいねー。ただでさえ人少ないんですから」

 

 隣をチラリと見てみると、雪ノ下が顔を赤くしながら俯いてプルプルと震えている。

 え、なにこの可愛い生き物抱きしめてもいいですか?てか人前で腕に抱きついて来たりする癖に今のは恥ずかしいのか。雪ノ下の羞恥の基準がよく分からん。

 因みに俺は腕に抱きつかれるのも今さっきのも両方恥ずかしいから結果的に人前でああ言うのはやめて欲しいなって!

 

「ちゃっちゃと仕事始めるか......」

「......そうね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日間、文実の出席者は減っていく一方だった。記録雑務や保健衛生のような、当日に主な仕事がある部署はまだいいのだが、有志統制や宣伝広報などの欠席は流石に痛手となる。

 相対的に増えていく俺と雪ノ下、一色の仕事量。めぐり先輩を始めとする生徒会の人達も俺たちと同じくらい働いてくれてはいるが、彼女らにまで俺の都合で仕事を押し付けるわけにはいかず、結局持ち帰る仕事の量は以前の倍以上に膨れ上がっている。

 お陰様で更に睡眠時間を削られ、ここ最近は徹夜が当たり前となってしまった。

 

「一色さん、作業進捗の方はどうなっているかしら?」

「だいぶ遅れが出て来てますねー。入場門は完成まであと二日くらい掛かりそうですし、有志の方も地域賞のお陰で少し増えては居るんですけど、校内の有志がまだ増えることを考えるとその調整とかも入って来ますし。クラスの出し物にしてもまだ申請書が出てない所とかありますし。正直このままのペースで進めてると本番まで間に合うかどうか......」

 

 一色と雪ノ下の会話だ。そこから察するに、一応は当初の予定通りの遅れが出て来て居るらしい。問題は、俺たちがそれをカバーしきれるだけのバッファを組めているのかどうか、と言うところか。

 二人の会話を耳に挟みながらも黙々と仕事を続けていると、コンコンと扉をノックする音が。文実メンバーはノックなんてしないから来客だろうか。

 

「失礼します。有志の申し込みに来たんだけど」

「あ、葉山先輩!お疲れ様です〜!」

「やぁいろは、お疲れ」

 

 入って来たのは葉山隼人。ふむ、もう葉山が有志の申し込みに来るような時期か。

 前回と比べて少し早い、か?正確な日付を覚えているわけでは無いが、こいつが申し込みに会議室を訪れたのは陽乃さんが襲来して来た数日後だったはず。しかし現在陽乃さんは文実に姿を現していない。

 

「有志の申し込みは奥の方でお願いします」

「分かったよ」

 

 いや、あの人は来ないなら来ないで構わないんだが。寧ろ来て欲しく無い。前回の陽乃さんの行動の理由を推測するのならば、それは雪ノ下の成長を促す為に敢えて相模を焚き付け、雪ノ下を挑発し、文実を間接的にめちゃくちゃにしたと取れる。あくまでも俺の推測であり、それになんの意味もありはしないが。

 しかしそう考えるのならば、陽乃さんは今回干渉して来ないのでは?あの人が偶に現れては仕事を適当に片付けていっていたのも、前回文実がなんとか機能していた一端ではある。今回はその陽乃さんがやってた仕事量を俺や雪ノ下が代わりに担っているから、今はなんとか回っているのだ。

 

「人手、足りてるのか?」

 

 唐突に前から声を掛けられたので顔を上げてみると、葉山がそこにいた。そう言えば書類の精査に時間が掛かってるんだっけか。

 

「下っ端は担当部署で手一杯だからな。他のとこまではよう知らん」

「担当部署って?」

「記録雑務」

「似合うな」

 

 喧嘩売ってんのか。

 

「でも、そこの書類は記録雑務担当には見えないけどな」

 

 葉山がそう言って指差したのは、他部署から回された書類の山。確かにこれは記録雑務の仕事では無い。中には、本来ならば他部署に回すべきでは無いような内容のものまで含まれている。この書類の山自体が、今の文実の実態そのものとでも言えるだろう。

 

「俺がやった方が効率が良いんだ。だったら担当部署がどうとか言ってられないだろ」

「下っ端は担当部署で手一杯、じゃ無かったのか?」

「一々言葉の揚げ足取りをしてくるんじゃねぇよ」

 

 気がつけば、会議室内の誰もが俺たちのやり取りを聞いていた。俺の言葉に気まずげに目を逸らす奴までいる。

 別に俺が言ったことは特に嘘というわけでもない。前回と全く同じだ。

 効率を優先した結果、俺や雪ノ下に仕事が回されて来ているだけ。そこに違いがあるとしたら、俺たちは一人でやっている訳ではないと言うこと。俺には一色や雪ノ下がいるし、雪ノ下には俺や一色がいる。

 しかし、それでも手が回らなくなる所というのは出てくるわけで。

 

「手伝うよ」

「あ?」

 

 葉山がこの提案をするのは至極当然なことと言えた。

 

「有志の申し込みだけ、有志側の代表ってことでさ。流石に毎日は無理かもしれないけど、どうかな?」

 

 一瞬だけ一色と雪ノ下の方に目配せする。前回と状況が違うゆえに俺一人で判断を下せる事ではないし、実行委員としての決定権は相模がいない今一色にあるから。

 二人が頷きをこちらに返してくるのを確認して、俺は葉山に告げた。

 

「だとよ、副委員長。どうする?」

「是非是非お願いします〜!もう葉山先輩がいれば百人力ですよ〜!」

「はは、そこまで期待されると困るんだけどな。出来る限り力になるよ」

 

 苦笑しながらそう言う葉山は、早速俺のところから書類をいくつか取って仕事を始めた。

 ......俺の隣で。

 

「おい」

「どうかした?」

「なんで態々隣に座るんだよ。空いてる席なら幾らでもあるだろうが」

「別に特に理由は無いよ。強いて言うなら、知り合いの近くにいた方が幾らか気が楽だろ?」

 

 出たよリア充理論。全く理解出来んが、群れる習性を持ったこいつらからすると誰か知ってるやつが隣にいた方が作業が捗るのだろうか。

 いやでも俺の場合は雪ノ下が隣にいた方が作業効率は上がるかもしれない。ただしその理由は隣から発せられる謎のプレッシャーになるのだが。あいつは編集者とかにならせたらダメなタイプだ。作家が泣く。

 

「お疲れ様でーす!」

 

 ガラガラ、と。今度はノックも無しに扉が開かれた。現れたのは相模南。どうやらクラスの方の手伝いから一度抜け出して来たらしい。

 

「あ、葉山君こっちにいたんだ?」

「うん。相模さんもお疲れ様。そっちはどう?」

「うん、クラスのみんなも頑張ってたよ!」

「ああいや、クラスの方じゃなくてさ。文実、どうなのかなって」

 

 葉山の言葉に込められた微量の毒。しかしそれに気がつく相模では無く、なんともあっけらかんとした顔で言い放った。

 

「大丈夫だと思うよ?一色ちゃんとか一年生なのに凄い頑張ってくれてるし!」

「相模先輩、これに決裁印お願いします」

 

 そんな二人の会話を遮るようにして一色が相模の前に立つ。手渡そうとしているのは俺たちが終わらせて決裁を待つだけとなった書類達。勿論、俺の立てた策の通りにそこにある書類は、本来俺たちが済ませた仕事のうちのほんの一部だ。

 

「あーうん。ありがと」

 

 それを特に中身も確認せずに決裁印を押していく相模。誰がどう見ても、それは委員長の取るべき行動ではない。

 

「て言うか、うちの判子預けとくから一色ちゃんであとはやっといてよ」

「相模さん、流石にそれは......」

「ほら、委託って言うんでしたっけ、こう言うの。うちがやるよりも一色ちゃんに任せた方が効率良いじゃないですか?」

 

 めぐり先輩が相模の行動を咎めるも、この状況において効率が云々と言われてしまうと何も言えなくなる。

 と、ここでチャイムが鳴った。最終下校時刻を知らせるチャイムだ。

 

「楽しいことやってると時間過ぎるのがはやーい!ではみなさん、お疲れ様でしたー!」

 

 結局相模が今日やった業務なんてのは幾つか決裁印を押した程度。

 これは明日から更に人が少なくなるかもしれないな。上の人間が適当に仕事をしていると、下の人間もそれで良いのかと思ってしまいサボリがちになるのは最早自然の摂理とも言える。相模があのままだと、文実崩壊も時間の問題だ。

 

「比企谷くん」

「ん?どうしたよ」

 

 さて俺も帰るかな、と机の上の書類を鞄に詰め込んでいると雪ノ下に声を掛けられた。

 因みに隣に座ってた葉山は雪ノ下がこちらに来たのを見計らって早々に退出していった。流石は空気の読めるリア充の王。

 しかし、いつもならば特に互いに何を言うでも無く合流して二人で帰ってるのに、今日はこうして声を掛けてくるとは何かあったのだろうか?

 

「文化祭、必ず成功させましょう」

 

 随分と唐突で、改まって言うほどの事でもないその言葉。

 それは彼女の願いなのか。はたまた宣誓なのか。

 彼女のその強い瞳を見ればそんなもの問わずともわかる。それは彼女の願いであり宣誓である。とするならば、俺のやる事なんて決まっている。

 彼女がその願いを叶え、その誓いを果たすために、俺は力を貸すだけ。

 

「当たり前だ。ここまで来て成功しなかったら、こんだけ仕事してる俺が報われない」

「そこで自分一人に当て嵌めるあたり、あなたらしいわね」

 

 さて、そう言われたからには精々こっからもう一踏ん張りさせてもらうとしますか。

 

 

 

 

 



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結局、どうあっても彼は自分を顧みない。

「なん、だと......⁉︎」

 

 更に数日後、俺は自宅のベッドの上で驚愕していた。

 手に持っているのは体温計。なんかダルいなーしんどいなー学校行きたくないなー、と寝起きに思うのは誰しもが一度ならず何度も経験したことがあるだろう。俺の場合は毎日そう思っているのだが、今日は一段とその気持ちが強かったのでちょっと体温測ってみようと思ったら。

 

「38度2分......。ガッツリ熱出てんじゃねぇかよ......」

 

 見事に風邪をひいて発熱してしまったのである。

 確かにここ最近徹夜続きで若干無理してるかなーって感じが無きにしも非ずだったのだが、まさかこんなになるまで気がつかなかったとは。

 しかも残念なことに今日は休む訳にはいかない。今日中に提出しておかなければならない書類が幾つかあるのだ。これで休んでしまって提出出来ない、なんて事になったら一色に迷惑を掛けてしまう。いっつも迷惑掛けられてるからちょっとくらいこっちからも迷惑掛けてやろうかなんて気持ちも無いことは無いが、その皺寄せが雪ノ下にまで及んでしまうかもしれない事を考えるとやはり休むわけにはいかない。

 取り敢えずリビングに向かおうと思い立ち上がると、想像以上に体が重い。しかし真っ直ぐ歩けないほど弱っているわけでもないので、なんとか体を引きずるようにしてリビングに辿り着いた。

 

「おはよーお兄ちゃんって、どしたの?なんか顔色悪いよ?」

「あー、おはよう小町。ちょっと寝不足なだけだから気にすんな」

「本当に?最近お兄ちゃん夜遅くまで文化祭のお仕事してるんでしょ?あんまり無理したらダメだよ。あ、今の小町的にポイント高い!」

「最後の一言が無ければ本当にポイント高いんだけどな」

 

 食欲は少なからずあるので、小町が準備してくれた朝食を口にする。と言っても元気な時に比べるとそりゃ少しは食欲も劣るもので、いつもよりも時間をかけての朝食となってしまった。

 このまま雪ノ下の家の下に行って二人で登校するとなれば、確実にこの顔色を指摘されて心配を掛けることとなる。だからと言って一人で行っといてくれなんて言おうものならそれはそれで何事かあったのかと心配されるし、雪ノ下と一緒に登校しない事を小町に指摘されてやっぱり小町にも心配掛ける。

 うーん、これ詰んでますね。そもそも体調崩す時点でもう色々と終わってる。

 とするならば、取れる選択肢の中から選ぶべきは

 

「あー、小町」

「んー?」

「お兄ちゃん今日ちょっと体調悪くてな」

「熱測ったのー?」

「おう。8度2分だった」

「ふーん......、って!大変じゃんお兄ちゃん!」

 

 うるせぇ......。体調崩して熱もあるっていってんのに大声だすなよ。余計に頭痛が痛くなるでしょうが。

 台所の方でなにやらガサゴソとしてると思うと、小町は薬と水を持ってきてこちらに差し出した。

 

「ほらお薬飲んで!今日は学校休まなきゃ!」

「いや、薬は飲むけど学校には行く」

「なんでさ!言っとくけど今のお兄ちゃんいつもの倍以上に目が腐ってるからね⁉︎そんなの小町はまだしも学校の人に見せたら病人が出るよ!」

 

 あの、小町ちゃん?流石にそれは言い過ぎじゃないかしら?あと病人は俺だから。なに、比企谷菌とか言いたいわけ?手始めにこいつから感染させてやろうか。こいつも比企谷か。

 

「今日休むわけには行かないんだよ。今日中に提出しなきゃいけない書類もあるし、俺がここで休んだら雪ノ下と一色に今以上に負担を掛けることになっちまう。それだけは避けないとダメだからな」

「でも......」

「大丈夫だよ小町。ヤバイと思ったら早退なりなんなりするから」

「......分かった」

 

 めっちゃ渋々ながらも頷いてくれた小町。さて、本題はここからな訳だが、俺が切り出すよりも前にニコッと笑顔を見せた小町に先に言われてしまう。

 

「それで?お兄ちゃんは小町に何かお願い事でもあるんでしょ?」

「なんで分かるんだよ......」

「そりゃ小町は妹だからね。お兄ちゃんの事で分からないことなんてないのです!今のも小町的にポイント高いでしょ!」

「あーはいはい高い高い」

「うわぁ適当だなー」

 

 流石は俺の妹。兄の行動心理をよく把握してらっしゃる。でもそれが転じて兄の行動自体まで逐一把握してなくてもいいからね?

 

「ほら、言ってみそ」

「今日学校には一人で行くから、アリバイ作りを手伝って欲しいんだ」

「つまり、雪乃さんに嘘を吐けと?」

「そういう事」

「んー、本当は嫌なんだけど......。分かった、他の誰でもないお兄ちゃんの頼みだからね」

 

 テーブルの上に置いてある携帯を取ってスルスルと操作する小町。一通り終わった後俺に見せてきたのは雪ノ下へのメールだった。

 内容は自分が寝坊しちゃったので今日の朝だけ兄を借りますテヘペロ☆みたいなやつ。

 

「悪いな」

「いーよいーよ。その代わり、本当にヤバかったらちゃんと雪乃さんとか結衣さんに言うこと。分かった?」

「分かったよ」

 

 小町には申し訳ない事をさせてしまったな。今度アイスでも奢ってやるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 家を出て久方ぶりに自転車で登校。

 果たしてこんなに辛かっただろうか。ペダルを踏む足が酷く重い。今まではなんて事ない距離だったのに、今は三千里彼方へと向かっているかのように錯覚してしまう。

 そうして学校に着いた頃にはかなり息が上がっていた。これ風邪悪化してないだろうな......。

 

「ヒッキー!」

 

 背中にドン、と衝撃。あ、頭がぁ......。頭痛がぁ......。

 下手人が誰かなんぞ問うまでもなく、俺の事を引きこもりみたいなあだ名で呼ぶやつなんて一人しかいない。

 

「おう、おはよう由比ヶ浜」

「うん、おはよ!」

 

 朝はやっはろーじゃ無いんですね。あれはお昼限定なのかな?多分やっほーとはろーを掛け合わせているだろうからお昼限定なんだろうな。

 

「今日はゆきのんと一緒じゃないんだ。なんか自転車のヒッキー久しぶりだね」

「今日は小町が寝坊してな。送ってやってたんだよ」

「出た、シスコン......。それより、ヒッキーなんか顔色悪い?」

「あ?」

 

 ヒョイと俺の顔を覗き込む由比ヶ浜。ちょっとちょっと近いですよお嬢さん。頭痛とは違った要因で頭がクラっとしちゃうじゃないですか。

 とまぁ、こんな巫山戯た事を考える余裕があるくらいには大丈夫なのだ。こいつに心配掛けるような事もあるまい。

 

「あーあれだ。久しぶりの自転車通学で疲れてるんだよ」

「そんなに体力落ちてたの⁉︎」

「ばっかお前、体力無いのは雪ノ下の特権だろうが。暫くまともに身体動かしてなかったらこうなるんだよ。多分」

「いや、ヒッキー前から割と身体動かしてないじゃん」

「マラソン大会での俺の頑張りを忘れたのかよ」

「そういや隼人君と途中まで一緒に走ってたんだっけ」

 

 そんな毒にも薬にもならないような会話をしながら教室へ向かう。

 彼女ほっぽって女友達と一緒にいるってのもおかしな話だが、まぁ由比ヶ浜だから大丈夫。これは浮気には入らないよ。

 

 教室に着くと由比ヶ浜は三浦達グループの奴らの方へ行き、俺は少しでも体を休ませる為に机に突っ伏していた。なんだいつも通りじゃないか。

 このまま一時間目が始まるまで、なんなら昼休みまで爆睡決め込もうかと思っていたら、チョンチョンと肩を控えめに叩かれる。

 

「おはよう八幡!」

「......毎朝俺に味噌汁を作ってくれ」

「え⁉︎」

 

 いかん、風邪で脳が回らないからかつい本音を口にしてしまった。いやこれも割といつも通りだな。え、俺っていつも戸塚に愛の言葉囁いてたの?......悪い気はしないな。

 

「すまん、間違えた。おはよう戸塚。どうかしたか?」

「えっと、これ。読み終わったから八幡に返そうと思って」

 

 戸塚が差し出してきたのは貸していた『星の王子様』。何度も読んでいたから変な読み癖がついていたり所々汚れていたりする。戸塚に貸すならもっと綺麗なものを貸したかった。なんなら新しいのを買えばよかった。

 

「おう、勉強になったか?」

「うん!」

「それなら良かった」

 

 ま、眩しい......。戸塚の笑顔が眩しいよ!またさっきとは違う要因で頭がクラっとしてしまう!

 そんな戸塚の眩しい笑顔が、次の瞬間に曇ってしまう。戸塚の笑顔を曇らせるとは、原因であるやつを即刻排除せねばなるまい。

 

「八幡、具合悪そうだけど大丈夫?」

 

 原因俺でした!

 いつも通りにしてたつもりなんだが、戸塚も由比ヶ浜もどうして分かっちゃうかな。やっぱり小町の言う通りいつも以上に目が腐ってるのだろうか。でもそればかしはどうしようもないしな。目が腐ってない俺とかただのイケメンだし。

 

「ちょっと疲れてるだけだから大丈夫。気にすんな」

「そう?八幡、実行委員頑張ってるみたいだからさ。僕は何も出来ないけど、何か困ってたら言ってね?ちょっと頼りないかもだけど......」

「いや、頼れるさ」

 

 そう。戸塚が頼りにならないなんて事はない。思えば俺に初めて出来た友達であり、初めて俺が自分から頼った友達でもあるのだ。

 それに、今は頼ろうと思える人も沢山出来た。

 そんな人達に無遠慮に頼って甘えない為にも、今日一日くらいは頑張らなければ。

 

「だから本当に困ってたら、ちゃんと頼る」

「そっか......。うん、ありがと!」

 

 ここで朝のチャイムが鳴り担任が教室に入ってくる。

 戸塚もこちらに手を振りながら自分の席へと戻っていった。

 さて、今日はどうやら移動教室も無さそうだし昼休みまで爆睡するとしますかね。

 

 

 

 

 

「うす」

「こんにちは」

 

 結局午前中の授業は全て寝て過ごしお昼休み。あのお泊まりの次の日以来毎日来ている部室へと足を運んだ。

 家のベッドで寝てる時程ではないが、約四時間も睡眠を取れたら少しは体調もマシになると言うもので。戸塚にも少しマシになったとお墨付きを貰った。

 

「毎日すまんな」

「いいのよ。私が好きでやってる事なのだから」

 

 あれ以来雪ノ下は俺の弁当を毎日作って来てくれている。朝と晩は小町の飯が食えて昼は雪ノ下の飯が食えるとか本当もう胃袋がずっと幸せな気分。

 いつもは由比ヶ浜も交えて三人で昼食を取っているのだが、今日は三浦達と食べる約束をしてるらしい。ついでに文化祭の打ち合わせも兼ねるのだとか。まあうちの演劇のトップはあのグループで固められてるしな。その内のトップ3は海老名さんが一人でやってるし。

 そこには恐らく川崎も混じってる事だろう。つい先日、ソワソワしてたあいつを衣装係に推薦してやったばっかだ。一度目の時と同じことをしただけだが。まぁ、これであいつも多少は海老名さんや由比ヶ浜と仲良く出来るだろう。由比ヶ浜に至っては記憶あるからもうサキサキ呼びだったし。あいつちょっと迂闊過ぎやしませんかねぇ......。

 ん?三浦?ああ、それは無理じゃないですかね。川崎と三浦とか確実にソリあわなさそうだし。ソースはバレンタインイベント。ここに雪ノ下を加えると総武最恐女子三人衆の完成である。

 

「比企谷くん」

「ん?どした?」

 

 名前を呼ばれたので振り返ってみると、雪ノ下がとても心配そうに俺を見ている。あれかな。巫山戯たこと考え過ぎてたのがバレたのかな。いやそれで心配そうにするって何を心配するんだよ。俺の脳みそですね分かります。

 

「あなた、具合が悪いのでしょう?」

「な、何のことだ?」

 

 バレテーラ。

 だから、なんでみんな分かっちゃうんだよ。

 てか俺のバカ目を逸らしちゃったらもうその行為自体が自白してるようなもんだろうが。

 

「いつもよりも目の腐りが酷いもの。目が合ったら比企谷菌を感染させられそうなほどよ?」

「小町と同じこと言ってるし俺と同じこと考えてるし」

「やっぱり、体調がよろしくないみたいね」

「うぐっ......」

 

 しまった、ツッコミが仇となってしまったか。いやでもマジで、こうやっていつも通りの軽口を交わせるくらいには体調もマシではあるのだ。

 

「観念して白状したらどうかしら。ネタは上がっているのよ」

「ネタってなんだよ」

「小町さんからメールがあったのよ。あなたの体調がよろしくないから気にかけて欲しいと」

 

 小町の奴め、雪ノ下にチクりやがったのか。確かに小町にはアリバイ作りを頼んだが雪ノ下に言うなとは言っていない。いや、雪ノ下に俺の体調のこと言っちゃう時点でアリバイ作り成立してないじゃん。嘘バレバレじゃん。妹に裏切られた。八幡悲しい。

 

「それに、メールなんて無くても今のあなたが体調を崩している事なんて一目瞭然よ」

「なんで分かっちゃうんだよ......」

「あら、恋人が体調を崩していたら普通は直ぐに分かるものではなくて?」

 

 悪戯な笑顔を見せる雪ノ下に、頬が紅潮するのが分かる。ちょっとちょっと余計に体温上がっちゃうじゃないですか熱が酷くなったら責任取ってもらいますからね⁉︎

 まぁ、確かにこいつが体調崩しても学校に来ようものならいち早く気がついて速攻で家に帰す自信がある。そもそも体力のない雪ノ下が体調を崩した時点で家の外に出られるのかは甚だ疑問ではあるが。

 それはそれとして、ここは素直に謝らなければなるまいと頭を下げる。

 

「......悪かったよ、嘘ついて」

「本当よ。お陰様で午前中の授業は何も手につかなかったのよ?」

「......すまん」

「それに、久しぶりに一人で歩く通学路は少し寂しかったもの。どうやって補填してもらおうかしら」

「......ごめんなさい」

「そうね......。比企谷くん、あなたこんな話は知ってるかしら。風邪は移せば早く治る、って」

「は?」

「んっ......」

 

 余りに唐突で突飛で素っ頓狂な提案に頭を上げた途端、とても柔らかくて甘い感触が唇に触れた。

 え?は?え、えぇ⁉︎

 

「これで私も比企谷菌に感染してしまったわね」

「ちょ、おま、いきなり⁉︎」

「話すのなら日本語でお願いできるかしら」

 

 なんでこいつこんな堂々としてんの⁉︎まだ3回目ですよ3回目!いや回数とかは問題ではないんだけども!あ、ちょっと耳の下赤いですねお嬢さん本当はかなり恥ずかしかったんですね。ってそうじゃなくて!ああだめだのうみそがうまくまわらないよ

 

「それで、今ので治りそうかしら?」

「......ダメそうって言ったら?」

「じゃあ、もっとこの治療法を試してみるしかないわね......」

 

 今度は流石の雪ノ下も頬を染めていた。

 こんな返答をしてしまったのも、きっと熱にうなされているからなのだと。心の中で誰に対してでもなく言い訳をした。

 

 

 

 

 

 

 

 昼休みが終わって五時間目。

 十分にハピネスチャージされた俺はと言うと、風邪を引いている事なんて忘れて普通に授業を受けていた。

 平塚先生の授業だったから寝れないと言うのもある。殴られる云々の前に、あの人に体調不良がバレたら問答無用で早退させられそうだったからだ。普段の素行から忘れそうになるけど、あの人実際にはとても面倒見のいい人なんだよな......。ちゃんと俺たちの事を見てくれているし、考えてくれてもいるとてもいい先生だ。なのに、なのに何故まだ結婚出来ないんだ......。早く誰か貰ってやってくれ!

 

 そして六時間目。今日最後の授業は体育。結論から言おう。

 俺の風邪は悪化した。それもかなり。

 五時間目の勢いそのままに普通にいつも通り体操着とジャージに着替えて普通に授業を受け始めた時にはもう時すでに遅し。

 あれ、俺風邪引いてんのになんで普通に体育受けてんの?

 と、馬鹿みたいな自問自答をする羽目に。

 途中で抜けようと思ったが、ペアを組んでいる材木座が泣きそうな目でこちらを見てきたためにそれも叶わず。結局風邪の体を圧して一時間普通に体育の授業を受けてしまった。

 

「ゴホッ、ゴホッ」

 

 これはちょっと本格的にヤバいかもしれない。

 現在は会議室に向かう途中。道すがら保健室に寄ってマスクだけでも貰ってきたものの、足は覚束ないし視界は歪んでいる。オマケに周りの音も何処か遠く聞こえる始末。それでも会議室までの道を間違えないのは遺伝子レベルで刻まれている社畜根性故か。

 ここまで来て途中リタイアなんて選択肢を取るつもりは毛頭なかった。朝小町にも言った通り今日中に提出しておかなければならない書類もあるし、せめて最低限の仕事だけでもしていかないと、幾ら俺たち三人である程度のバッファを持たせていたとしてもマジで間に合わなくなる。

 

「ようやく着いた......」

 

 自宅から学校までよりも遠く感じた廊下を歩き終え、会議室の扉に手を掛ける。鍵なんてかかってもいないのにそれが途轍もなく重く感じた。

 今日来てる文実は、えっと、何人くらいだ?半分いるのか?あぁ、最早数えるのも億劫だ。そもそもこんな歪んだ視界の中では相手の顔さえしっかりと視認できない。

 そんな中、会議室の中央付近に立っている人物だけはしっかりとこの目に映る。

 雪ノ下雪乃だ。

 彼女が話しているのは......、なんだ一色か。今後の打ち合わせかなんかだろうか。

 取り敢えず二人に適当に挨拶だけしていつもの席へと向かう。その途中でこちらを心配するような声を掛けられたが、取り敢えず大丈夫だ、とだけ言って席に着いた。

 

 さて、最後の力を振り絞れよ俺。今日一日頑張れば明日は......。明日は?明日も平日じゃね?つまり学校あるよね?文実も勿論あるよね?あれ、俺これヤバくね?

 はちまんはいつになったらやすめるのー?

 辞め辞め、この考えはいけない。只でさえ体が怠くてなけなしのヤル気を振り絞っていると言うのに、そんな事考えてたら今度こそヤル気失くすぞ。

 早速仕事に取り掛かろうと生徒会から借りている備品であるパソコンを立ち上げ、手元の書類にしせんを落とす。

 が、書類に何が書いてるのか全く分からない。文字が読めなくなったとかではなく、そこに書いてある単語、文章の意味を咀嚼するのにいつもの五倍ほどの時間が掛かってしまっているのだ。その事実を冷静に理解すれど、書類に書かれている文字の意味が理解に至らないのがもどかしい。

 

 こんな事ではマトモに仕事なんぞ出来ない。

 取り敢えず先に一色の方に持ち帰ってた書類を提出しておこうかと思い立ち上がり歩き出す。

 それと同時にバタン、と音が聞こえた。視界に映るのは横になった椅子や長机。これらが倒れたのだろうか?でも椅子は兎も角、長机も倒れるっておかしくないか?

 

 遠くから、声が聞こえる。

 

 とても愛しい人の声だ。

 

 その人の顔を見たくて、目を向けて、気づく。

 

 真っ青な顔と、涙を堪えた瞳。

 

 その人の姿すらも横たわって見えて。

 

 

 

 ---あぁ、倒れたのは、俺の方なのか。

 

 

 

 

 



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彼女のやるべき事、やりたい事とは。

ゆきのんのターン


「比企谷くんっ!しっかりして、比企谷くん!」

「起きてください先輩!」

 

 会議室で比企谷くんが倒れた。

 一色さんとスローガンについて話し合っていた時に会議室に現れた彼は足取りも覚束ないもので、私達がどれだけ今日は帰れと言っても大丈夫だからの一点張り。

 少しでも危ない様子を見せたら保健室まで強制連行しようと言う事で一色さんと決めたその直後の出来事だった。

 突然の事に、会議室にいた文実メンバーは皆何が起こっているのか把握できていない様子だ。

 斯く言う私も混乱していると言う他ない。突然物音がしたと思ったら彼が倒れていたのだ。一瞬、その状況を脳が把握出来なかった。

 

「ゆき、の、した......?」

「比企谷くん⁉︎」

 

 こちらに少しだけ顔を上げて、手を伸ばして来る。その手を包むように両手で掴むと、彼は力なく笑って言った。

 

「悪い、今日はちょっと仕事出来そうに無いわ......」

「そんな事どうでもいいから!早く保健室に......!」

 

 彼を担ぎ上げようとするも、非力で体力のない私では立たせることすらままならなかった。

 堪えていた涙が止まらなくなる。彼を保健室に運ぶ。そんな事すら出来ないのか、私は。

 もしも、もしもこのまま比企谷くんが衰弱する一方になってしまったらどうなる?

 ああ、ダメだ。この思考パターンはいけない。分かっているのに、止まらない。もし彼がこのまま臥してしまって、目を覚まさなかったら、私は......。

 

「何かあったのか?」

「葉山先輩!」

「っ!比企谷⁉︎」

 

 どうやら葉山君が会議室にやって来たらしい。彼は有志の取りまとめを手伝ってくれていたから、今日もそれで会議室へ来てくれたのだろう。

 こんな事ばかり冷静に理解出来るのに、この状況をどうしたら良いのかは全く分からない。

 

「比企谷、しっかりしろ!」

「葉山君、お願い。比企谷くんを助けて......!お願いだから......比企谷くんを......」

 

 気が付けば私は葉山君に泣きながら縋っていた。こんなみっともない姿、目の前で倒れてる彼と今も教室にいるであろう彼女にしか見せることはないと思っていたのに。

 でも、私には彼を助ける事が出来ないから、葉山君なら

 

「雪ノ下さん!!」

「っ⁉︎」

 

 彼からぬ大きな声が会議室に響いた。それで我を取り戻してハッとする。

 会議室の扉の周りには騒ぎを聞きつけたのか、多くの生徒がいた。室内の文実メンバーは仕事も放り出して心配そうに、しかし遠巻きにこちらを見ている。

 私の隣には一色さんが。平塚先生に連絡しているのか、携帯を耳に当てていた。

 葉山君は比企谷くんの肩を担ぎ、そして責めるような瞳で私を見据えている。

 

「落ち着いたかい?」

「......えぇ」

「比企谷は俺に任せてくれ。一先ず保健室へ連れて行く」

「私も......!」

「ダメだ」

 

 一緒に行く、と言う前に葉山君に遮られた。普段の彼からは想像も出来ない、苛烈さすらも思わせる声色と瞳にたじろいでしまう。

 

「もう一度言う。比企谷は俺に任せてくれ。君には、君にしか出来ない事があるだろう」

 

 その言葉で、今度こそ脳みそが瞬間的に冷却されていく。

 不幸にもこの場には城廻先輩と平塚先生がいない。平塚先生は保健室へと直行するだろうし、現時点でこの場の最高責任者は一色さんだ。流石の彼女もこのような場面に直面するのは初めてであるのか、動揺を隠せていないし冷静に判断を下せるような状態ではなさそうだ。

 それは私も同じなのだけれど、でもそうも言ってられない。

 

「ありがとう、葉山君」

「気にしないでくれ」

「......彼を頼むわ」

「あぁ、頼まれた」

 

 この男に助けられる日が来るなんてまさか思ってもいなかった。それに対して今はとやかく言う暇は無い。

 葉山君が比企谷くんを保健室へ運ぶのを見送ってから、それと入れ違いになるように城廻先輩が生徒会の方々を引き連れてやって来た。その様子は少し焦っているようにも見える。

 

「雪ノ下さん!比企谷くんが倒れたって本当⁉︎」

 

 どうやら事情を把握しているらしい。恐らくは平塚先生か。比企谷くんの名前もその時に顔と一致したのだろう。

 

「はい。先ほど葉山君に保健室まで運んでもらった所です。平塚先生もそちらに向かっているかと。それで、このような状況ですし今日の委員会は中止という事で宜しいでしょうか?どの道碌に仕事も出来なさそうですし」

「勿論大丈夫だよ!ちょっと余裕は無いけど......」

「その点は心配いりません。副委員長、号令を」

「え、あ、はい!皆さん、今日は解散です、解散!」

 

 生徒会長の判断もあってか、文実メンバーは一色さんの号令に素直に従って会議室を出ていく。

 元よりその人数は少なかったので、室内に残るのが私と一色さん、それから城廻先輩含める生徒会の方々だけになるのはそう時間が掛からなかった。

 

「二人も、早く比企谷くんのところに行ってあげて!後のことは私達に任せてもらっていいから!」

「お気遣いありがとうございます。でも、そう言う訳にはいきません」

「え、先輩の所行かないんですか⁉︎」

 

 一色さんが驚きの声をあげる。それも当然か。この子は彼のことをとても慕っているから。

 

「ええ。想像してごらんなさい一色さん。私達が彼のところに行ったところで、どうせあの男の事だから『こんな事してる暇があるなら俺の分まで働いてくれ』なんて言うに決まってるわ」

「あー、なんか想像できちゃいました......」

 

 寧ろこれを良い機会と捉えて今後サボり倒すまであるかもしれないわね。

 まぁ、そんなことはさせないのだけれど。

 

「城廻会長、明日文実を全員召集するように呼び掛けて貰っても良いでしょうか?スローガンの事でミーティングを開きたいと一色さんと話していた所なので」

「うん、分かった!みんな、お願い」

 

 城廻先輩の号令の下、生徒会の方々が動き出す。いつだったか比企谷くんがこの方達を指して忍者みたいだと言っていたけれど、強ち間違った比喩でもないかもしれない。

 

「一色さん、この後時間はあるかしら」

「はい、大丈夫ですけど......」

「なら私の家に寄って貰っても構わないかしら。少し人を集めて話したい事があるの」

「......分かりました」

 

 一色さんが頷いてくれたのを見て、私はポケットから携帯を取り出す。

 そのアドレス帳に登録されている番号の数は、彼に負けず劣らず少ない私だけれど。

 今問題なのは量よりも質。

 ここに登録されてある名前は、その誰もが今の私が信頼出来る数少ない人達。

 一つ深呼吸をしてから、まずはその中でも最も頼りになる親友へと電話を掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゆきのん!ヒッキーが倒れたって本当⁉︎」

「由比ヶ浜さん、まずは落ち着いて」

 

 私の部屋に上がってすぐ、彼女、由比ヶ浜さんは私にそう言って詰め寄ってきた。電話でも同じようなやり取りをしたと思うのだけれど、それも仕方のない事だと思う。

 

「雪ノ下先輩がそれを言いますか......」

「一色さん?何かあったかしら?」

「ひっ!ななな何も言ってないですはい!」

「て言うか!二人ともなんでそんなに落ち着いていられるし!兎に角早くヒッキーのところに行かないと!」

 

 あわあわと慌てる由比ヶ浜さんを見てると、逆に冷静になってしまう。取り敢えず由比ヶ浜さんにはしっかりと説明しなければならない。

 

「結衣先輩、取り敢えず深呼吸ですよ。ほら、ヒッヒッフーって」

「ヒッヒッフー......、ヒッヒッフー......」

「落ち着きましたか?」

「う、うん......。それで、ヒッキーは?」

「先ほど病院に運ばれたそうよ。40度の高熱が出ていたみたい。葉山君と平塚先生が付き添いで向かってくれてるわ。ご家族の方も向かっているみたいだから、取り敢えずは安心してくれて大丈夫よ」

 

 平塚先生に連絡を取った時に説明された事をそのまま由比ヶ浜さんに伝える。

 きっと彼は小町さんに大激怒される事だろう。もしかしたら、私も小町さんに怒られるかもしれない。彼女には比企谷くんを見ててくれと頼まれていたのにこのザマだ。

 

「あたし、ヒッキーが体調悪いの朝から気付いてたのに、止めてあげられなかった......」

「結衣先輩......」

 

 まるで自分を責めるように彼女は言う。由比ヶ浜さんは比企谷くんと同じクラスだし、彼女の事だから彼の体調が良くないことなんて一目見て気がついただろう。

 

「由比ヶ浜さん、それは私も同じよ。私も小町さんから頼まれていたのに、結局なにも出来なかったもの......」

「それならわたしもですよ!会議室に先輩が来た時、無理矢理にでも保健室に連れて言ってたら......!」

 

 誰も彼もが自分のせいだと自分を責め立てる。

 本当は私も、きっと二人も分かっている筈だ。悪いのはこの場にいる誰でもない。だからと言って一人で全部背負った比企谷くんが悪いわけでもないし、あんな無責任な事を口走った相模さんでもない。

 これはきっと起こるべくして起こってしまったことだ。

 どれだけ助け合いだ、支え合いだと言ったところで必ず誰かが貧乏くじを引く。彼自身の言葉だけれど、それが今回比企谷くんだっただけ。

 そう分かっていても、頭で理解していても、心はそう簡単にはいかない。

 

「雪乃ちゃーん。そろそろいいかなー?」

 

 お通夜のような雰囲気に包まれた部屋に場違いなほど明るい声が届く。

 私が連絡した私の頼れる人。私の姉、雪ノ下陽乃。

 姉さんはキッチンから顔を覗かせてこちらに声を掛けていた。

 

「は、陽乃さんいたんですか⁉︎」

「勿論ずっといたよ。雪乃ちゃんが私にお願いがあるって言うから急いで来たら雪乃ちゃん達よりも早く着いちゃったくらいなんだから」

 

 しかも夕飯の用意までして待っていてくれたわね......。こちらに声を掛けたと言うことはその用意が出来たと言うことだろうか。

 

「ご飯の準備は出来たけど、もうちょっと待ってね。雪乃ちゃんはもう一人呼んでるみたいだから」

「もう一人?」

「ええ。だから本題に入るのはもう少し待ってくれないかしら」

「本題って?」

「その会話の中心となる項目の事ですよ、結衣先輩」

「それくらい分かるから⁉︎」

 

 いつもの様なやり取りをしていると、チャイムの音が鳴った。チャイムを鳴らした人物がその待ち人であるのを確認し、一言二言交わしてから一階エントランスの扉を開く。

 それから数分と経たないうちに今度は玄関からチャイム。こう言う時はしっかりとノックなりチャイムを鳴らすなりしてくれることに何処か安堵して、その人を部屋に通した。

 

「すまない、少し遅れたかな」

「平塚先生?なんで?」

 

 私が信頼を置いている最後の人、平塚先生。

 由比ヶ浜さんは先生がここに来た事に困惑を隠せない様だけれど、実際このメンバーを集めた理由はここの誰にも話していない。

 そもそも、今から話すことを実行しようと決意したのはつい先程、比企谷くんと葉山君を見送った時だ。

 

「雪乃ちゃん、お話はご飯食べながらでもいいかな?あんまり遅くなるといろはちゃんとガハマちゃんのご両親も心配するだろうし」

「陽乃の言う通りだな。帰りは私が送っていくが、遅くならないに越したことはない」

「ええ、構わないわ」

 

 あまりお行儀がいいとは言えないけれど、二人の言うことはごもっともだ。私の都合で時間を取らせてしまっているのだから。

 姉さんの運んで来た料理はどれもこれもが見ただけでお腹の空く様な品ばかりだった。

 別に私もこれくらいなら作れるけれど、流石としかいいようがない。

 

「お、美味しそう......」

「ねえねえゆきのん、あたしもこんなの作れる様になるかな?」

「え、ええ。努力すればいつかは作れる様に......なるんじゃ......ない、かしら......」

「そこまで自信なさげに言うなら無理って言ってくれた方がいいよ⁉︎」

 

 いえ、でも可能性としては0%ではない筈。流石の由比ヶ浜さんでも努力さえすればなんとか......。

 

「結衣先輩、料理は真心ですよ。相手を思いやる気持ちが大切なんです」

「お、いろはちゃん良いこと言うなぁ!」

「それ前にも聞いたんだけど⁉︎」

 

 賑やかな食卓だ。こんな風にして自宅で夕食を取るのは初めてかもしれない。

 先日母さんと姉さんが訪ねて来た時は比企谷くんがガチガチに緊張していたし、実家ではお行儀が悪いからと食事中のお喋りは母さんに禁止されていた。

 こんな食事風景も、悪くはないのね。

 

「賑やかなのは良いことだが、早く頂こうではないか。雪ノ下からの話もあることだし」

「そうだね。それじゃ、いただきます」

『いただきます』

 

 揃って食事の挨拶。

 近くにあった品を一つ口に運ぶと、絶句してしまう程に美味しかった。

 悔しいけれど、やはり姉さんの方が料理も上手いみたいね......。

 皆が銘々に姉さんの料理を頬張って絶賛した後、平塚先生が徐に口を開いた。

 

「では雪ノ下、話というのを聞かせてもらおうか」

 

 全員の視線が私に集中する。

 大丈夫、自分のやりたい事を口にするだけ。今までそれが出来なかった私だけれど、今はそれが出来る。やるんだ。

 

「このメンバーでバンドを組みます」

「へぇ......」

「バンド?」

「ゆきのん、それって......」

「なんだか最近のアニメの冒頭にありそうなセリフだな」

 

 私の言葉に各々違った反応を見せる。

 姉さんはとても楽しそうに。一色さんは本当に何故か分からなさそうに。由比ヶ浜さんは前回の事を思い出しているのかワクワクと。残念ながら平塚先生は何を言ってるのかよく分からなかったけれど。

 まぁバンドをすると言うのは結果的にそうなってしまうだけであって、それ自体が私の目的ではない。

 

「で?雪乃ちゃんはどうしていきなりバンドを組みたいなんて言い出したのかな?」

 

 試す様な視線を姉さんから向けられる。そこから目を逸らす事なく、私は言葉を続ける。

 

「伝えたい想いがあるから」

 

 言葉にすればすれ違って、食い違って。

 それを分かっているから。だから普段は無駄に饒舌な彼も私も、本当に大切な気持ちを伝えるときに躊躇して言葉が出なくなる。

 もう二度ほど彼に私の想いを打ち明けたけれど、それでも伝えきれない程に大きなこの気持ち。

 学年主席、国語一位が聞いて呆れる。自分の気持ち一つ言語化できないなんて。

 それでも、伝えたい。彼に届けたい。

 彼と出会ってから感じたモノ、得られたモノ、貰ったモノ。その全てを。

 きっとこれは酷く傲慢で浅ましい願いだ。それでも、それでも伝えることが出来るのなら。届けることが出来るのなら。

 それは私にとっての”本物”だから。

 

「だから、私に力を貸してください」

 

 頭を下げる。この人たちにプライドがどうとか今更言っても仕方がない。

 こんな自分勝手なお願いを果たして聞いてくれるのだろうか。一人でやれと見放されるかもしれないし、本番まで二週間しかないこの時期に無理だと呆れられるかもしれない。

 でも、この人たちなら。こんなどうしようもない私をいつも見てくれていた彼女たちなら。

 

「ゆきのん」

 

 由比ヶ浜さんの優しい声が耳に届く。顔を上げて彼女の方を伺うと、その表情はとても晴れやかな笑顔で。

 

「そう言ってくれるの、今回も待ってた」

 

 どうやら私は、本当に素敵な親友と巡り会えたらしい。嬉しくて涙が溢れそうだ。

 でもこのタイミングで泣いてしまえばからかわれるのは火を見るよりも明らか。

 

「雪ノ下先輩に頼られるなんてそうそう無いですしねー。わたしも頑張ってお手伝いしますよ」

「それが雪乃ちゃんの本当にやりたいことだって言うなら、お姉ちゃんとして手伝わない訳にはいかないね」

「他でもない君の願いだ。無論私も力を貸そう」

 

 見回してみると他の三人も同じ様な表情で笑っていて。

 

「......ありがとう」

 

 いつかこの人たちにも恩を返さないといけない。何を要求されるのか怖いけれど、それでもそれはある意味楽しみな未来だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、私は小町さんからあるものを受け取る為に比企谷くんのお家を経由してから学校へ向かった。

 昨日はあの後演奏する楽器の振り分けと曲を決めてから解散となった。由比ヶ浜さんと一色さんは平塚先生に送られて帰ったけれど、何故か姉さんはうちに泊まると言って聞かなかったのでもう好きにさせた。

 ......まぁ、それが間違いだったのだけれど。まさかこの歳になって姉さんと一緒にお風呂に入ることになるなんて思いもしなかったわ。実際に何があったのかは決して口外しないけれど、酷い目にあったとだけ言っておこうかしら。

 

 そして迎える本日の文化祭実行委員会。

 生徒会からお知らせが行った為か今日は久しぶりに文実メンバーが全員揃っている。

 勿論比企谷くんはお休みだ。今日一日検査入院して明日退院らしい。と言っても、小町さん曰く今週は家で絶対安静にさせると言っていたので、今週は比企谷くんには学校で会えなさそうだ。それは少し、いやかなり寂しいけれど。補填と称して土曜日か日曜日は彼のお見舞いにでも行こうかしら。流石に土日になれば回復してるだろうと小町さんも言っていたし。らしくもなく目一杯甘えてみるのも良いかもしれない。

 

 閑話休題

 会議室内には比企谷くんを除く文実メンバーがもう揃っていると言うのに、委員会が始まる様子はない。まだヒソヒソと話し声は聞こえるし、委員長である相模さんも補佐についてる友人と話している。

 その内容は昨日倒れた比企谷くんの事だろう。噂として広まった昨日の一部始終。誰が倒れたのかまでは広まっていない辺り、比企谷くんの存在感の無さを痛感する。

 昼休みに由比ヶ浜さんから聞いた話では海老名さんがちょっと興奮で危なかったらしい。

 

「あの、相模さん。みんな揃ったけど......」

「ああ、ごめんなさい」

 

 痺れを切らした城廻先輩に声を掛けられるも、相模さんは悪びれた様子もなく委員会を開始した。

 

「それでは、文化祭実行委員会を始めます。じゃあ一色ちゃん」

「はい。今日の議題は文化祭のスローガンについてです」

 

 開始の号令だけしてあとは一色さんに丸投げするその様を見て腹立たしく思いながらも、私はその進行を遮るように堂々と挙手した。

 

「少しよろしいでしょうか」

 

 初日に委員長を勧められて以降沈黙を続けてきた私が突然発言したせいか、周りにざわめきが起こる。事前に話を通してあった一色さんは特に何かを言ってくることもなく、私の発言を促してくれた。

 

「相模さん、あなたは昨日文実で起きた事を把握しているかしら」

「え?えっと、誰か倒れたんだよね。いやーごめんね雪ノ下さん。うち委員長なのにその場にいれなくてさ」

 

 余りにも軽い発言にふつふつと怒りが湧き上がってくるのを自覚する。

 ここで感情に任せて相模さんを言い負かし、委員長の座から引きずり下ろすのは容易な事だ。でも、それをしてしまえば今まで比企谷くんがやって来た事を否定するだけでなく、その全てを無駄にしてしまう事になる。

 彼が新しく見つけた、彼らしいやり方。

 ならば私も私らしく。奉仕部の、私の理念を貫かせてもらおう。

 途上国にはODAを、ホームレスには炊き出しを、責任感のない委員長には、それが芽生えるように促す。

 

「誰が、何故倒れたのか、それは知っているかしら?」

「ごめんねー、それも知らないんだ」

「そう。なら教えてあげる。倒れたのは二年F組比企谷八幡。あなたと同じクラスの実行委員よ。その理由はこれ」

 

 カバンから取り出した数十枚に及ぶ書類を相模さんの前に、叩きつけるようにして置く。

 いけない、感情的になっている。抑えなければ。

 

「これは?」

「中身を見れば自ずと分かるわ」

 

 ペラペラとその書類の束をめくっていく毎に、相模さんの顔は青ざめていく。どうやら肩書きだけの委員長でもそれの意味くらいは理解出来たらしい。

 

「まさか、これをあいつが一人でやってたの?」

「そうよ」

 

 今朝、小町さんから受け取ったこの書類。これは今まで比企谷くんが一人でこなして来た仕事の数々だ。その量を見たときには流石の私も驚いた。私や一色さんの倍どころではない。三倍以上の仕事を一人で、ここ数日は家で一睡もせずにやっていたと言う。

 

「彼が倒れたことの責任を追及しようと言うわけではないの。そんな事今更したところで無意味だもの。ただ、あなたは今まで一体何をやっていたのか。それだけは考えて頂戴」

 

 相模さんは書類を見つめたまま動かない。果たして彼女がそれを見て何を思ったのかは分からないが、良いように転ぶ事を祈ろう。相模さんにとっても、文実にとっても。

 

「お時間を取らせていただきありがとうございました。私からは以上です」

 

 もう話すことはないとばかりに着席する。

 一色さんに委員会を続けるように目で促すと、彼女は少し怯えるようにして頷いた。

 はて、今の私のどこに怯える要素があったのかしら。

 

「で、では委員会を再開します!新しいスローガンを考えていくので、皆さん是非案を出してください!」

 

 再開される会議。私にやれる事はやった。

 果たしてこれが正しい事なのかは分からないけれど、それでも私がやりたいようにやった結果だから。それがどのようになったとしても後悔はない。

 

 

 

 

 

 

 結局スローガンは決まる事なく、前回と同じく翌日に持ち越しとなってしまった。

 相模さんはあの後も心ここに在らずといった様子だったし、私があんな事をしてしまった後なのだから話し合いが円滑に進む訳もない。

 

「やっはろー!」

「こんにちは」

「こんにちはですー」

 

 会議が終わった後私と一色さんは部室へ向かい、たった今由比ヶ浜さんがクラスの仕事を終えてやってきた。

 いつも通り四人分の紅茶を用意しようとして、気づく。そう言えば今日から暫く彼はいないのだった。

 

「そう言えば、ゆきのん文実どうだった?」

「やれる事はやったわ。後は彼女次第ね」

 

 昨日有志でバンドをすると決めたばかりなのに、こうして三人で部室へと来たのはしっかりと理由がある。

 恐らくは来るかもしれない依頼人を待つため。

 

「あの時の雪ノ下先輩かっこ良かったですよー!......ちょっと怖かったけど」

「一色さん?」

「じょ、冗談ですよぉ」

 

 そんなに怖がれるのは心外なのだけれど。

 集団を短期間で纏め上げるには確かに恐怖統治は有効的だけど、この二人とは対等でいたいと思うから統治だなんてする訳もないし。

 

「さがみん、来るかな......?」

「来なければそれまでじゃないですか?もう私達だけでやるしかないですし」

 

 由比ヶ浜さんの不安も分かるし、一色さんの言うことも事実だ。

 一度目の世界の文化祭、体育祭であそこまでやらかした相模さんがそう簡単に変わるとは思えない。

 それでも、比企谷くんは僅かな可能性に賭けた。ならば私達もそれを信じるしかない。

 

 暫く無言の時間が流れる。

 いつものように文庫本を読んだり、携帯を弄ったり、手鏡を覗いたり。しかしその静寂はいつもの心地のいいものではなく、どこか緊張が張り詰めたもの。

 そんな緊張の糸を切ったのは扉をノックする音だった。

 

「どうぞ」

「し、失礼します......」

「さがみん!」

 

 扉を潜ったのは文化祭実行委員長相模南さん。

 どうやら、私達は賭けに勝ったらしい。

 

「それで、何か御用かしら?」

 

 心持ち落ち着いた声音で話しかける。この場で無駄に喧嘩腰になる事はないし、そんな事をしてしまえば全て無駄になる。

 先ずは対話からだ。

 だから由比ヶ浜さんに一色さん、私の声を聞いただけでそんなに怯える必要はないのよ?ええ、今の私はとても穏やかな心で相模さんに話しかけているのだもの。

 

「ご、ごめんなさい!!」

 

 長机の依頼者側に立っていた相模さんは、勢いよく深々と頭を下げて謝罪した。背中は曲げずにピンと伸ばしながらも直角90度。謝罪の際のお辞儀は45度〜60度が基本なのだけれど、今はそれを指摘するような時でもない。

 

「雪ノ下さんに言われて、色々考えたんだけど......。うち、本当最低な事してた。ただチヤホヤされたいだけに委員長になって、その自覚も足らずに下らない見栄を張るために一色ちゃんに迷惑掛けて、そんなうちのせいで比企谷が倒れちゃって......。本当にごめんなさい」

 

 正直とても驚いた。これがあの相模さんと言うのが信じられないほどに。

 前回の記憶や夏休みに見た時の彼女の姿。そこからは凡そ想像もつかない。だとしたら、彼女の中で何かが変わったと言う事だろうか。その変革が果たしてどの様なものであるのかは彼女自身にしか分からないことではあるけど、これは今まで比企谷くんがやって来たことの証明の一つだ。

 そこに少なからず自分が携われている事がこの上なく嬉しい。

 

「あなたの謝罪の意味は理解したわ。それで、あなたはこれからどうしたいのかしら?」

 

 頭を上げ、こちらを見据えてくる。まさかこんな風に相模さんと視線を交わす事があるだなんて。

 

「うちは、文化祭を成功させたい。誰もが楽しめる最高の文化祭にしたい。そのために、あなた達に、奉仕部にもう一度依頼をさせて欲しい」

「依頼、と言うのはあなたが前回持ち込んできたものと同じと捉えてもいいのかしら?」

「うん。うちの成長を助けて欲しいんだ」

「そう。そう言う事なら構わないわ」

「え?」

 

 私が即答したのが意外だったのか、相模さんは目を丸くして驚いている。

 確かに彼女からすれば随分と拍子抜けする事かもしれないけど、私たちからするとこれは既に決まっていた事だし。

 そんな相模さんに、今まで会話に加わっていなかった由比ヶ浜さんが声をかける。

 

「大丈夫だよさがみん、ゆきのんは頼って来た人を見捨てたりはしないから!」

「でも、うち前に来た時に一回......」

「確かに帰るようには言ってましたけど、依頼を受けないなんてことは言ってなかったと思いますよ?」

「......あ、確かに」

 

 元より私達は相模さんを間接的に補佐しようと言うことで動いていたのだから、ある意味では依頼を勝手に受理していたと言う事になる。

 

「一色さん」

「はい、あれですねー」

 

 一色さんはポケットの中からあるものを取り出す。それを相模さんに差し出した。

 

「うちの判子......」

「明日からお願いしますよ、相模委員長」

「クラスの方はあたしと優美子達に任せてくれたらいいからさ!」

 

 手に取ることを躊躇っていた相模さんだが、決意したように頷きを返してそれを受け取った。

 

「仕事の遅れは充分取り戻せる範囲内。明日からは私や一色さんも全力で補佐するわ。だから、必ず文化祭を成功させましょう」

「うん。よろしく!」

 

 比企谷くん、残念ながらあなたの出番はもう無さそうよ。だからゆっくりと休んでなさい。その代わり、回復した時を楽しみに待っていることね。

 

 

 



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それぞれの、胸の内に宿す決意は。

 目を覚まして知らない天井を見た時、人はどの様な反応をするか。

 少なくとも「知らない天井だ......」なんてことは呟かないだろう。そもそも寝起きの頭でそれを判断出来るのかも怪しい。

 そして俺の脳は常よりも稼働状態が悪いようで、天井はおろか現在寝ている部屋を見渡してもここが何処なのかはイマイチ判断が付かなかった。ただ、なんとなく見たことあるなー程度である。

 この場所が俺の知らない何処かである事を確認出来たのは、ベッドの隣に置いてある椅子に腰かけた金髪を視界に捉えたからだろう。

 

「目が覚めたみたいだな」

「......葉山?」

 

 葉山隼人である。

 成績優秀、スポーツ万能、イケメンの三拍子が揃うだけでなく可愛い幼馴染までいやがると言う漫画の中から出て来たとしか思えないような奴。まぁこの可愛い幼馴染の片割れも今や俺の彼女なんですけどね!

 ......よし、だいぶ脳が動くようになって来た。少なくとも脳内でこんな茶番が出来るほどには。

 て言うか、ここは普通可愛い彼女が心配そうに俺の目覚めを待ってる所じゃないの?なんで男なの?

 

「ここは、病院か?」

 

 周囲の景色に見覚えがあるのは、一年前にも同じような場所を見た事があるから。最もあの時は雪ノ下家の計らいで個室だったのだが。

 

「君が倒れたところに俺が偶々会議室に到着してね。平塚先生の車でここまで送ってもらったんだ。あまりに酷い熱だったから今日はここで安静にしておくように、との事だよ」

 

 段々と思い出して来た。

 自分の体の調子が悪化していた事。俺を心配そうに見ながら声をかけてくれた雪ノ下と一色。倒れた時に散らばった書類。そして、彼女の悲痛な叫び声と涙。

 

「はっ......」

 

 思わず乾いた笑いが出る。

 一体お前は何度同じことを繰り返すつもりだ、比企谷八幡。

 これでは何も変わっていない。それで良いのだと、それが最も効率的なのだと思い行動した結果が彼女達を悲しませる。変わらない事を良しとし、変わらない事こそが俺だとあの頃ならばそう思っていただろう。寧ろそんな俺が誇らしくも有ったはずだ。心地よさすら感じていたのかもしれない。

 けれど、今は只管に苦痛でしかない。

 俺の取った行動が、雪ノ下を泣かせる結果へと繋がってしまったのは紛れもない事実だ。

 

「やっぱり、君は凄いやつだよ」

 

 そんな思考が頭を過った直後の言葉だった。

 葉山隼人は、まるで尊敬の念を抱いているかの表情で俺を見つめる。

 

「何処がだよ。自分の出来ることの範囲を見違えて、あいつらに余計な心配を増やして、挙句倒れて病院に搬送。ダメダメもいい所じゃねぇか」

「違うよ、そうじゃない。俺には、誰かにああまで想って貰うことはできない。そんな資格もないからな」

 

 それでも、と言葉を繋いで。葉山の表情は一転した。

 

「救われた気がした。今日、彼女にああやって頼られて。初めて彼女を、誰かを助ける事が出来た気がしたんだ」

 

 まるで長い旅を終えた後の人間のような声だった。人生の終焉に立った老人のようでもあったかもしれない。

 それ程までに、この男に取って今日という一日は価値があったのだろう。

 

「それも君が倒れてくれたお陰かもな」

「随分と嫌味な言葉だな」

「千葉村で言っただろ?俺は君が嫌いだって」

 

 らしからぬ皮肉な笑みを浮かべる葉山。そんな顔ですら様になってるのだからイケメンはマジで死ぬべきだと思う。

 

「んで、なんでお前残ってんの?平塚先生は?」

「平塚先生なら用事があるとかでここを任されたんだよ。それに、雪ノ下さんからも君の事を頼まれたからね。もう少ししたら彼女も来るんじゃないか?」

「いや、それはねぇよ」

 

 俺の返しが予想外だったのか、葉山はキョトンと小首を傾げる。本来男がやっても気持ち悪いだけのその行動も様になるとかマジでイケメンは(ry

 とまぁそんな事を考えながらも、よく分かっていらっしゃらないご様子の葉山さんに、俺はドヤ顔で教えてやった。

 

「あいつにはやるべき事があるからな。それを放り出して俺のところに来るなんてことは無い。雪ノ下雪乃ってのはそう言うやつだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

『千葉の名物、祭と踊り!同じアホなら踊らにゃsing a song!』

 

 文化祭のスローガンが決まった。

 やはりと言うかなんと言うか、一度目と同じもの。いえ、別に文句があるわけでは無いのだけど。千葉音頭、嫌いではないし。

 委員長の席に座った相模さんは昨日までとはまるで違っていた。

 未だ一色さんのフォローが抜けきれていないとは言え、自ら積極的に会議を動かしている。まあそれでも進め方に粗があるのも否めないのだけれど。これまでに比べると天と地の差があるだろう。

 そんな相模さんのやる気に当てられたのか、会議室内は騒然としている。相模さん本人も会議室を右往左往と慌ただしく働いている。

 

 さて、私も手を動かさないと。今まで溜めていた書類のお陰でかなり余裕を持つ事が出来たとは言え、スローガンの変更一つでも全部署に影響が出て来る。私の所属している記録雑務も例外ではない。

 ......比企谷くんはちゃんとお薬を飲んで安静にしているかしら。今日一日は検査入院との事だったけれど、病院で寂しがっていないかしら。葉山君は元気そうだったと言っていたし、小町さんからもメールで大事には至っていないと聞かされているけれど、やはり心配になってしまう。

 

「雪ノ下せんぱーい。手が止まってますよー?」

「......あ、ごめんなさい」

 

 一色さんの声で我に帰る。今は仕事を片さなくては。幾ら心配に思っても私のやるべき事をやらなければ、彼に会いに行けない。

 

「もしかして、先輩のことでも考えてました?」

「一色さんの方こそ手が止まっているようね。良ければ少し書類を分けてあげましょうか?」

「冗談じゃないですか、冗談!」

 

 全く、困った後輩だわ。一色さんこそ副委員長としての自覚が足りないのではないかしら。決して図星とかではないのだけど。

 改めて手元の書類に視線を落とし、ペンを走らせキーボードを叩く。今はそこまで急ぎの仕事が割り振られている訳でもないので、今までよりもペースを落として。

 そうやって暫く仕事に没頭していたが、ひと段落ついた所で手を止める。流石に目が疲れて来た。

 

 そう言えば、と思い出して少しカバンの中を漁ってみる。目の疲れを抑制するのにうってつけのアイテムを私は持っている。いや、正確には持っていた。今も手首に巻いているピンクのシュシュを見つけた時にまさかと思いそれも探してみたのだけれど、家のどこにも見当たることは無く結局諦めたもの。勿論このカバンの中だって探しているし、この中にない事もその時に確認済み。

 だと言うのに、私の宝物であるブルーライトカットのメガネは当たり前のようにそこにあった。

 何故今になって出て来たのかと疑問に思いつつもメガネを手に取る。

 それは間違いなく冬休み明けの部室で、比企谷くんが私にくれた誕生日プレゼントだった。いえ、私のカバンに入っていて私のじゃないだなんてことはあり得ないのだけれど。

 疑問は止まないが、今すぐに答えが出る筈もなく。そもそもどうして時間が戻っているのか、その理由すらも不明なのだから追求した所で無意味だろう。

 

「雪ノ下さん、お疲れ様」

 

 一先ずメガネを机の上に置いて改めて休憩しようと思ったら城廻先輩が声をかけて来た。両手に持っていた紙コップの内の片方を差し出されたので素直に受け取ってお礼を言う。

 

「お疲れ様です、城廻先輩。お茶ありがとうございます」

「気にしなくていいよー」

 

 この人はいつもおっとりとマイペースだ。姉さんや葉山君とはまた別種のカリスマを持っている。現生徒会役員の方達が彼女に忠実とも言える働きを見せるのも納得してしまう。

 

「今回はご迷惑をお掛けしました」

「いいんだよ。相模さんのためにやってた事なんでしょ?」

 

 今日の会議が始まる前、城廻先輩には比企谷くんの作戦を全て詳らかに話した。普通ならあんな作戦を聞かされたら怒られたりするものなのだが、城廻先輩は笑って受け入れてくれた。

 でも先輩の言う事には一つ間違いがある。

 私達は別に相模さんのためにやっていた訳ではない。私も、比企谷くんも、一色さんも、自分のために動いていた。それぞれがそれぞれ思惑を持っていた。ただ文化祭を成功させようと思索を重ね、更に先の未来を見据えて思案を巡らせ、かつての間違いを問い直すために思考を続けた。

 その結果として相模さんのためになっているだけであり、事実として私達は彼女をいつでも見限るつもりだった。

 ただ、それをわざわざ城廻先輩に話す必要はない。完全に自分本位の考えなのだから、私だけがそれを知っていたらいい。

 

「本当は私も後悔してたんだ。あの時相模さんをちゃんと止められてたらなって。そうしたら比企谷くんもあんな事には......」

「城廻先輩が責任を感じる必要はありません。そもそも、誰も悪い訳ではないですから」

 

 この話は先日そう言うことで落ち着いている。勿論納得した訳ではないが、城廻先輩に関して言えば本当に責任を感じる必要なんて無い。そもそも今の二度目の世界で比企谷くんと先輩にまともな接点があった様には思えない。そんな殆ど話した事もない様な彼のことを案じてくれているだけでも充分ではなかろうか。

 

「それでも、今度彼のお見舞いに行った時に城廻先輩が心配していたと伝えておきます」

「うん!ありがと!」

 

 こんな可愛い先輩にまで心配をかけるなんて、比企谷くんも罪な人ね。城廻先輩だけではない。由比ヶ浜さん、一色さん、平塚先生に姉さん、それから葉山君。由比ヶ浜さんに聞いた話だと、三浦さんや海老名さん達も。

 それだけの人達に心配されている。これではもうぼっちなどとは言えないのでは無いかしら。

 

 その後も暫く城廻先輩と談笑してから再び仕事に手をつける。この後の予定の事を考えると仕事のペースは今の遅いスピードを保っていたいのだけど、どうも私の性分がそうはさせないようで気がつけば片付けられた書類の山が出来上がっていた。

 

「相模さん、こちらに決裁印をお願いしてもいいかしら?」

「うん、分かった」

 

 真面目に自分の仕事に取り組んでいた相模さんがこちらを見上げて返事をするが、私を見て直ぐにギョッとした表情になった。

 

「雪ノ下さん、まさかこの短時間でそれ全部やったの......?」

「? えぇ。なにかおかしかったかしら?」

「いや、幾ら何でも早すぎるって言うか......」

 

 別に早いに越したことは無いと思うのだけれど。何か不都合でも生じるのだろうか。

 相模さんの言葉の意図するところが分からず小首を傾げていると、会議室の扉が勢い良く開かれた。文実メンバーであそこまで勢いをつけて扉を開く人なんていないし、来客ならばノックをする筈なのでついそちらへと視線を向けると。

 

「雪乃ちゃーん!ひゃっはろー!」

「姉さん......」

 

 恥ずかしげもなく恥ずかしい挨拶を大きな声で叫ぶ姉さんがいた。名前を呼ばれた私はもっと恥ずかしい。と言うかこの人は何しに来たのかしら。

 

「あ、はるさんだー!」

「やーやー、めぐり。久し振りだね。元気にしてた?」

「勿論ですよー。ところで今日はどうして総武に?」

「実は雪乃ちゃん達と有志に参加する事になってね。だからついでに可愛い妹と可愛い後輩の様子を見に行こうかなって」

「そうだったんですか〜」

 

 そう言えば城廻先輩には有志について詳しく話していなかったかしら。もう申請書類は通してあるから一応把握はしていると思ったのだけれど、直接言うべきだったわね。

 

「そう言えば雪乃ちゃんは委員長じゃないんだよね?誰が委員長?もしかしていろはちゃん?」

「わたしじゃないですよー」

「あ、うちが委員長の相模南です!」

 

 サッと立ち上がって自己紹介。相模さんは少し萎縮しているようにも見える。

 そんな彼女を見つめる姉さん。まるで全てを見透かすかのようなその瞳は、相模さんでなくてもつい後退りしてしまうだろう。

 

「成る程、これが雪乃ちゃん達が頑張った成果ってわけね」

 

 とても小さな呟きだったが、直ぐ隣に立っていた私の耳にはなんとか届いた。

 とても透明な声色。そこから姉さんの感情を読み取ることなんて出来ない。一体姉さんが相模さんを見て何を思ったのかなんてのは本人にしか分からない。分かったところで私がどうこう言えることでもない。

 だが、その表情は一転して笑顔へと変わる。

 

「うんうん。いいんじゃなあい?委員長に相応しい顔と目付きだよ!」

 

 言葉だけを捉えたなら、それは適当な褒め言葉に聞こえたかもしれない。しかし、姉さんのそれには聞いたものに自信を与える不思議な力を持っていたようで。相模さんは嬉しそうにはにかんでお礼を言う。

 

「あ、ありがとうございます!」

「楽しい文化祭にしてよ〜?期待してるからね、相模委員長♪」

「はい!」

 

 きっとこれこそ、雪ノ下陽乃が雪ノ下陽乃たる所以。あらゆる人間に一言で自信を与えてしまう圧倒的カリスマ。

 私には無いものだけど、それを欲しいとは思わない。

 

「それじゃ、そろそろ帰るね。雪乃ちゃん、いろはちゃん、また後で」

「ええ」

「はい」

 

 まるで台風の様に会議室を去っていく姉さん。本当に何をしに来たのかしら。

 その姉さんの後ろ姿を見送っていた相模さんが徐に口を開いた。

 

「雪ノ下さんのお姉さんの代ってさ、確か総武の伝説になるくらい文化祭が盛り上がってたんだよね?」

「その様に伝え聞いているけど」

 

 最も、私は当時見に行っていたのだが。それに伝説と言ってもあれからまだ二、三年しか経っていないのだから。良くて歴史に残る、くらいでしょう。余り変わらないかしら?

 

「今年の文化祭、その時よりも盛り上がるようにしたいね」

「......そうね」

 

 文化祭なんて元々過去のものと比べられがちだ。それが類を見ないほどに賞賛されたものなのならば尚更。だからこそ、彼女のプライドから来る発言だったのだろうけど、それは相模さんが委員長としての自覚をしっかりと持てている何よりの証拠だ。

 それに文化祭を成功させようと比企谷くんと約束した。これは違えたくない。

 それに何より

 

「姉さんに負けたくないもの」

 

 

 

 



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休日は、休むためにあるのである。

 休日が素晴らしいものであると言うのは全人類にとって共通認識だろう。行きたくもない学校や会社の束縛から解放され、時には自宅で本を読み、時には自宅でテレビを見て、時には自宅で妹を愛でる。そして好きなタイミングで寝て好きなタイミングで起きられる。なんとも至福の時間ではないか。

 そんな休日と呼ばれる最高の時間。俺は今日で四日目を迎えていた。

 

 水曜の放課後、会議室で過労のため倒れてしまった俺は木曜の検査入院を経て金曜に無事家へと帰還。今週は家で絶対安静と小町からのお達しを受け、そして今日は土曜日。

 体のダルさはまだ完全に抜け切った訳ではないが、熱は下がったし頭痛、吐き気などの症状も出ていない。一応は健康な体へと戻ることが出来たようだ。

 枕元の目覚まし時計は10時を示している。

 ちょっと遅め朝食を食うためにリビングへ向かおうかと思い、のそりのそりとベッドから出たら部屋の扉がノックされた。

 母ちゃんと親父は仕事だろうし小町だろうか。でもこの時間だと小町はもう塾へ向かってるから家には誰もいないはず。

 え、怖い怖い。じゃあ誰だよ誰が家にいるんだよ?

 そんな俺の恐怖心など扉の向こうの奴が慮る事もなく、ゆっくりギリギリと錆びた音を立てながらも扉は開かれ。

 

「......なんで?」

 

 俺が発した言葉は酷く間抜けなものだった。

 

「あら、起きていたのね。朝食が出来たわよ比企谷くん」

 

 腕に我が家の愛猫カマクラを抱えた雪ノ下雪乃がそこに立っていたから。ホットパンツからスラリと伸びた脚は黒タイツで包まれており、秋口らしく長袖のシャツを着ている。髪の毛は例のシュシュでポニーテールに纏められていた。

 こいつでもこんな感じの服着るんだな、なんて思ってみる。

 

「オーケーまずは説明してもらおうか」

「説明? 何かあなたに説明するような事があったかしら?」

 

 小首傾げんな可愛いだろうが。猫を抱えてるからその可愛さは最早神がかって見えちゃう。うはー俺の恋人可愛いー。

 まあそんな今更な事実確認は一先ず置いておくとして。

 

「だから、なんでお前がうちにいるんだよ」

「私がいたらおかしい?」

「普通に考えておかしいから。ここ俺の家。お前の家違う」

「取り敢えず朝食を食べに行きましょう。頑張って作ったのだから」

 

 結局なんの説明もないまま雪ノ下についてリビングへと向かう。道中ずっとカマクラを撫でていたが、その度に「ふにゃ〜」と気持ち良さそうな鳴き声が聞こえて来た。おいカマクラそこ代われ。

 二階のリビングに到着すると、テーブルの上には雪ノ下が作ったらしい朝食が並べられており、香ばしい匂いが鼻腔を擽る。

 

「ほら、早く席に着きなさい」

「お、おう」

 

 案の定家には誰もいなかったのは僥倖。しかしそうなると更に疑問が生まれてしまう。

 

「お前どうやって家に入ったの?」

「小町さんが入れてくれたけれど」

「何時からいたんだよ......」

「8時くらいかしら。その時にお義母さまとも挨拶を済ませておいたわ」

 

 ん? なんか今『お』と『母』の間に『義』って付いた気がするけど気のせいだよね? てかこいつ母ちゃんと会ったのかよ。てことは親父とも会ってそうだよなぁ。

 

「今日はお仕事もお休みにしていたみたいなのだけれど、小町さんが塾に向かうのと一緒に出掛けてしまったわ。気を遣わせてしまったのかしら......」

「あぁ、うん。別にそうでも無いんじゃないかな......」

 

 順調に外堀埋められてますねこれは。いや別に良いんだけどさ。

 取り敢えず大人しく席に着いて朝食を頂くことにしよう。腹減ったし。

 

「んじゃまぁ、いただきます」

「どうぞ召し上がれ」

 

 メニューはシンプルなもので、鮭の塩焼きに卵焼き、味噌汁とあと白米。和食よりも洋食がイメージに合う雪ノ下なのだが、多分に漏れず非常に美味だった。

 

「ヤベェ、これ白飯何杯でもいけるぞ」

「ふふ、あまり焦って食べすぎると喉を詰まらせるわよ」

 

 あっという間に白米の入った茶碗は空っぽに。俺がお代わりを言うよりも前に雪ノ下が茶碗を回収して白米をよそってくれる。

 

「どうぞ」

「......っ。さ、さんきゅ」

 

 柔らかい微笑みを正面から直視してしまってつい言葉が詰まる。顔が赤くなってないか心配だ。最近全く会ってなかったから耐性が無くなってしまったのだろうか。つーか俺病み上がりの寝起きだし、まあ仕方ないよね、うん。

 しかし、だ。雪ノ下が予想以上に優しい。

 いやこいつが優しい奴だってのは知ってたけども。先日の会議室での一件についてお小言を頂戴するとばかり思っていたからなんだか拍子抜けだ。何も言われないに越したことは無いのだが、それはそれで逆に気にしてしまうと言うもの。

 意識を失う寸前に見たこいつの泣き顔を鮮明に覚えてるからこそ余計に。

 

 結局朝食中は雪ノ下も終始ニコニコとこちらを眺めているのみで、向こうから何か切り出してくる様な事は無かった。

 もしかしてあんまり心配されてなかった? 流石にそれは悲しいぞ。

 現在は食後のティータイム。雪ノ下の淹れてくれた紅茶を片手に雪ノ下と隣り合わせでソファにゆったりと腰を沈ませている。

 

「やっぱり、あなたのやり方は好きになれそうにないわ」

 

 そんな折に発せられた言葉だった。

 膝の上に乗せたカマクラを撫で視線もそちらから動かさずに。

 胸にズキッ、と痛みが走る。

 行動の結果だけを見るならば、俺が今回した事は過去の俺となんら変わりないもの。そこに持ち込まれた信念が違ったとしても、それは俺以外の誰にも理解しえぬことだ。

 

「私、怖かったのよ? あなたが倒れた時、あのままあなたが目を覚まさないんじゃないかって」

「......悪い」

 

 このやり方で後悔なんぞする筈もないと思っていたのに。隣に座るこの少女を泣かせてしまったと言う事実だけで胸が引き裂かれるように痛む。

 

「ねぇどうして? どうしてまたそうやって一人でやろうとしたの?」

 

 言い訳を並べるのは簡単だ。その方が効率がいいとか、たまたま仕事を溜めてしまってたとか、いくらでも浮かんでくる。

 けれど、不安そうに揺れている雪ノ下の綺麗な瞳と目を合わせてしまうと、言い訳をするよりも先に本音で話してしまった。

 

「......お前が文化祭を成功させようって言ったからだよ」

 

 だから柄にもなくやる気が湧いてしまって。自分でも思っていた以上に仕事のスピードが速くなって。気がつけばこいつらの何倍も仕事してて。結果体調を崩した。

 雪ノ下の力になりたいと思った。こいつが願った事を叶える為に支えてやりたいと思った。他の誰でもない、俺が。由比ヶ浜でも一色でも無く、比企谷八幡が雪ノ下雪乃の為に。

 俺の今回の行動理由なんてそれだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 

「ふふっ......」

 

 照れ臭くなって視線を明後日の方に泳がせていると、耳障りのいい笑い声が聞こえてきた。馬鹿みたいに笑い転げるわけではなく、クスクスと静かに笑う声。

 

「なんで笑ってんだよ......」

「いえ、なんだかおかしくて」

「なにがだよ......」

「そもそも、あなたが倒れてしまっては本末転倒じゃない」

 

 口元に手を当てて上品に微笑む彼女は、一頻り笑い終えた後に俺と目を合わせる。

 

「ねえ比企谷くん。どうして私が文化祭を成功させたいのか、分かってる?」

「どうして、って......」

 

 思い当たる理由は勿論ある。だが、改めて雪ノ下にそう問われると俺の考えはもしかしたら間違っていたのではと思ってしまい、それを口にするのは憚れた。

 

「あなたと文化祭を楽しみたいからよ」

 

 それを聞いた瞬間に、胸の奥から途轍もない嬉しさが込み上げてきた。

 かつての彼女からは想像出来ないような酷く自分本位な願いを聞けたことに。その願いの先に俺がいたことに。

 かつてない程の感情の渦が俺の内で巻き起こる。

 ヤバイ、滅茶苦茶嬉しい。どうすればいいだろう。どうしたら、この言語化出来ない気持ちを彼女に伝えることが出来るだろう。

 感情を己の中で持て余した結果、気が付けば俺は雪ノ下を抱き締めていた。

 

「ひ、比企谷くん?」

 

 彼女の膝の上に乗っていたカマクラは急に寝床が動いたことに驚いて、ピョンと跳ねて何処かへと走り去っていく。

 突然抱き締められた雪ノ下は一瞬驚いていたものの、またクスリと笑ってから俺の頭に手を伸ばして撫で始める。

 

「......ごめん、雪ノ下。それと、ありがとう」

 

 口に出した言葉はとても短い簡素なものとなってしまった。そこに込められた気持ちの全てなんて他人に伝わるわけがないのだけど。

 でも、今目の前で薄く微笑む彼女には全部伝わってるような。そんな気がする。

 

「馬鹿ね。あなたが私のために頑張ってくれた。私はそれだけでもこんなに満たされているのだから。謝る必要なんてないのよ」

 

 お前こそ、俺が今どれだけ満たされているのか分かってないだろ。

 思っても口には出さない。こんな恥ずかしい言葉を言ってしまえば茹で蛸が二つ出来上がるだけだ。

 

「だから、私の方こそありがとう」

 

 明日死んでしまうのではないのかと思ってしまうほどに幸せだ。その幸せを手放したくなくて、腕の中の暖かさをもっと感じたくて、抱き締める力をキュッとキツくする。

 んっ......、っと小さな声が上がったものの、拒絶の言葉は聞こえてこない。その事に安堵しつつ、彼女と同じように目の前の綺麗な黒髪を撫でる。

 

「あっ......」

「嫌だったか?」

 

 平素よりも少し高い雪ノ下の声が聞こえた。あれ、もしかして八幡ちょっと調子に乗っちゃった? 髪の毛触るのはNGでした?

 

「いえ、違うの。寧ろ気持ちいいくらいよ。だから、続けて?」

 

 ね? と、懇願するかのような声色。

 一瞬死にそうになった。

 なにこの子こんなに甘えた声出せるの? てかこんなに甘えてくるの? 雪ノ下さんキャラ崩壊してますよ?

 しかしここで萌え尽きるわけにはいかない。撫でるのを続けてくれと言われたからには引き続き撫でてやらねば。

 

「んっ、ふぁ......あぁっ......」

 

 おっかしーなー。頭撫でてるだけなんだけどなー。なんでそんな色っぽい声出してるの? え、本当に俺頭撫でてるだけだよね? 無意識の内になにかイケナイところに触ってるとかそんなToLOVEる起きてないよね?

 

「あなた、頭撫でるの上手なのね」

「まぁ、小町に偶にするし......」

「そう。小町さんが少し羨ましいわ。今度からは私のことも偶に撫でてね?」

 

 この後めちゃくちゃナデナデした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど。まさかあの相模が本当にそうなるとはなぁ......」

「ええ。あなたが倒れてくれたお陰で予想以上にスムーズにいけたわ」

「怪我の巧妙ってやつだな」

「今のは皮肉のつもりだったのだけれど」

 

 俺の肩に頭を乗せた雪ノ下がため息混じりにこちらを睨んでくる。

 因みにあの後お互いに顔真っ赤にして10分くらい無言の時間が続きました。流石にそれに耐えかねた俺が、俺が倒れた後どうなったのかを質問して今に至る。

 更についでに言っちゃうと、雪ノ下が肩に頭を乗せてきたのは説明中とても自然に。気がついたらもうそこに雪ノ下の頭が乗ってた。こいつ俺の肩好き過ぎじゃない?

 

「だから、取り敢えずはもう大丈夫よ。あなたが何か余計なことをする必要はもうないわ」

「そりゃ良かった。これ以上働きたくなかったしな」

 

 マジで今回は働き過ぎた。もう一生分の労働をしてしまったのではないかってくらい。反動でこの先の人生二度と働かなくても良いんじゃないかしら。

 しかしそんな事を隣のこの少女が許してくれるわけもなく。

 

「何を勘違いしているのかしら? 書類仕事はまだ後少し残っているし、当日の見回りやタイムキーパーなどもやらなければいけないのよ?」

「えー、またタイムキーパーやらんとダメなの?」

「一度やっているのだから構わないでしょう? 私だって副委員長でも無いのに一色さんからオープニングセレモニー中の統括を任されているのだし」

 

 それはダメだろ副委員長。確かに雪ノ下がやった方が色々とスムーズに行くとはいえ、仕事を他人に押し付けるのはどうなんだ。

 

「そう言えば雪ノ下さんは?」

「......姉さんがどうかしたの?」

「いや、前回は文実に顔出してたけどまだ見てないなと、思い、まして......」

 

 本当にそれだけだから! だからそんな鋭い視線で睨まないで! 怖いから!

 

「姉さんなら一度顔を出しに来たわ。今回も有志で出るからと言って直ぐに帰ったけれど」

「そ、そうでしゅか......」

 

 あまりにも怖くて噛んでしまった。だって本当に怖いもん。

 

「それと一つ教えておいてあげるけれど、恋人と二人きりでいると言うのに他の女性の名前を出すのは控えた方がいいわよ?」

「いやでも相模の時は」

「分かった?」

「ハイ......」

 

 拗ねたようにこちらを見上げてくるその様はまるで幼い少女のようだ。こいつのこんな姿、由比ヶ浜でも知らないんだろうな。

 見せてやりたい気もするが、俺の前だけで見せてくれるその姿を誰にも見せたく無いと言う独占欲もある。

 

「ふふ、分かればいいのよ。紅茶、淹れなおしてくるわね」

「ん、おう」

 

 空になったティーカップ二つを持って雪ノ下は立ち上がる。

 肩に乗っていた重みが離れて行くことに幾許かの寂しさを感じるも、それを顔に出そうものなら何を言われるか分かったもんじゃない。

 台所へと向かう雪ノ下の背中を見ていると、突然雪ノ下が振り返ってクスリと微笑んだ。

 

「そんなに寂しそうにしなくても直ぐ戻るわよ」

「............」

 

 やだ顔に出てた?恥ずかしすぎるだろおい。

 紅くなってるであろう顔をプイと逸らして手で早くいけとジェスチャーする。

 もう一度クスリと聞こえて来たのでもう本当どうしよう。ちょっと雪ノ下に惚れ過ぎじゃないの俺。

 気を紛らわそうと立ち上がってリビングの本棚を物色する。ここにあるのは基本親父のもので、俺が自分で買った本は部屋の本棚にあるのだが、偶にここから拝借したりする。

 ラノベの存在を知ってしまってからは殆どそっち系しか読んでなかったのだが、久し振りに普通の小説を手に取ってみてもいいかもしれない。

 所狭しと並べられた蔵書の数々を見回していると、ふわりと、最近嗅ぎ慣れたいい香りが漂って来た。

 

「恋人と二人きりだと言うのに本でも読むつもり?」

「わひゃいっ⁉︎」

 

 隣を見ると雪ノ下が紅茶を淹れなおしたカップを二つ持ってそこに立っていた。

 お陰でビックリして超変な声出たんですけど。成る程、漂って来た香りの正体は雪ノ下の匂いでしたか。ってこれじゃただの変態じゃねーかよ。なんだよ嗅ぎ慣れたって。俺は由比ヶ浜間違えた犬じゃねぇんだぞ。

 でも由比ヶ浜さんあんなに雪ノ下とくっ付いてたら雪ノ下の匂い覚えてそうだよね。

 

「突然鳴き声をあげないでくれるかしら。こっちが驚いてしまうじゃない」

「いや、鳴き声じゃないから。てかこの世のどこ見渡してもあんな鳴き声の動物いないから」

 

 ゲンナリしつつそう返すと、雪ノ下はカップを一旦テーブルに置いてから再び俺の隣に立つ。しかもなんか妙に距離感が近いからさっきと同じ匂いが鼻腔を擽ってなんだか変な気分になってしまう。いや変な気分になったらダメだろ自重しろ俺。

 

「本当に本が多いのね」

「ここにあるのは全部親父が買ったやつだけどな」

「......私も一つ拝借して読ませてもらおうかしら」

「別に良いんじゃねぇの?」

 

 顎に手を当てて考える素振りを見せる雪ノ下。少しの間そうした後に手に取ったのは、俺も一度読んだことのある恋愛小説。『僕たち青春してますよ!』感を全面的に押し出して来てるようなやつで、前に読んだ時は途中で蕁麻疹が出て来る寸前にまでなってしまったものだ。まあ話の作り方とか展開は悪くなかったので最後まで読んでしまったのだが。

 しかし、雪ノ下でもそう言うの読むんだな......。

 

「なんか意外だな」

「? 何がかしら?」

「いやお前でもそんなん読むんだと思って。ほら、いっつも小難しそうなもん読んでるイメージだったから」

「あなたは私をなんだと思っているの? 私だって恋愛小説くらい読むわよ。それに、この本は一度だけ読んだことがあるの」

「じゃあ尚更なんでだよ?」

「今と昔では、色々と違った感じ方が出来そうだからよ」

 

 悪戯そうに微笑む雪ノ下を見て、その言葉の意味を察してしまった。

 今日何度目かも分からないが、またしても頬が紅潮してしまう。そろそろ体温上がり過ぎて蒸発して消えてしまうんじゃなかろうか。

 

「ほら、座って読みましょう?」

「お、おう。そうだな」

 

 したり顔の雪ノ下に促され、適当にタイトルも見ずに本を取る。

 隣り合わせで座るのは最早当たり前。今までどこぞに姿を消していたカマクラが雪ノ下の膝の上に飛び乗り、何度かカマクラをもふった後雪ノ下は本を開いた。

 俺も素直に読書しますかね、と視線を手元に落とす。何も見ずに適当に取ったからどんな本でもバッチコイと思っていたのだが、まさかまさかの三国志ですか。いや好きだけどね三国志。無双持ってるし。王元姫ちゃん可愛いし。

 まあこんな事でもないと改めて手に取って読もうなんて思わないし、精々楽しむとしますかね。

 

 なんて思ってページを開き右手で本を持っていると、ソファの上に置いてある左手に這い寄る影が。

 チラリと盗み見てみると、細く白い雪ノ下の指が俺の左手の指に当たっていた。こりゃ失礼と左手の位置を置き換えると雪ノ下の指は再びこちらへと這い寄って来る。

 本に夢中であるはずの雪ノ下の横顔を見ても視線は真剣に活字を追っているだけだ。

 なんと言うか、本当に不器用だなこいつ。

 先程あれだけ抱きしめあったり、今まで何度か口づけだって交わしたと言うのに、手を繋ぐと言うことだけが口に出して言えないなんて。

 それは多分、俺だって同じくそうであるのだろうけど。しかも今までの俺なら例え手が届くとしても伸ばそうとはしなかっただろう。

 

「......セクハラよ」

「なら通報でもするか?」

「いえ、今は気分ではないから辞めておくわ」

 

 果たしてこれが変わったと言うことなのだろうか。手を伸ばし、離れないように繋ぎ止めておきたいと思えるようになってしまったことは。

 重なった手と手を見て、そんな事を思いつつも改めて手元の本へと視線を落とした。

 



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それぞれの舞台の幕が上がり、二人の祭はフェスティバる。

文化祭開催です。八雪がイチャコラしてるだけです。


 暗闇の中、生徒たちのざわめきが響く。一つ一つの声はきっと意味のあるものなのだろうが、それが無数に集まると意味をなさない。

 張り巡らされた暗幕は隙間ができないよう、周到に目張りされている。誰かの携帯電話や非常口の明かり程度の頼りない光源ではせいぜい掌程度までしか照らせない。

 真っ暗で、何もはっきりとしない。

 

 あぁ、本当にその通りだ。

 中途半端に見えてしまうから尚のこと余計に。

 変わりたい。変えたい。そんな思いばかりが先行していて、結局何も変わらずいつも通り。

 本当に?

 果たして本当にそうだったのだろうか。

 来るべき未来を見据えて。それに対する最も合理的で効率的な手段を用いて。確かにそれは同じだった。彼女らに何度も諌められたやり方。

 でも違う。今ならそうはっきり断言できる。

 

 生徒たちの声がまた一つ、また一つと消えて行く。

 手元の時計が示すのは九時五十七分。

 そろそろ時間だ。

 一度目と同じくタイムキーパーとして客席の前に配置された俺。インカムはスイッチを押してから声を拾うまでに若干のラグがあるので、一呼吸置いてから発報した。

 

「--開演三分前、開演三分前」

 

 数秒と待たず、耳に嵌めたイヤホンにノイズが走る。

 

『--雪ノ下です。各員に通達。オンタイムで進行します。問題があれば即時発報を』

 

 落ち着いた声音が話し終えると、ブツッと通話が切れる。

 それから立て続けにノイズが走った。

 

『--照明、問題なし』

『--こちらPA、問題ないです』

『--楽屋裏、キャストさん準備やや押しです。けど、出番までには間に合いそうです』

 

 いくつもの部署から連絡が入る。正直把握しきれないが、彼女のことだからその全てを把握出来ている事だろう。

 と言うか問題があればって言ってんのに、問題無いなら無駄な発報は控えろよ。リア充は本当こう言うの好きね。

 

『--了解。ではキュー出しまで各自待機』

 

 それらの情報は全て雪ノ下へと統合されて行く。この様子を見てると一色にやらせなくて正解だったかもしれない。

 因みにその一色はと言うと、雪ノ下の隣で補佐に努めている。

 雪ノ下も人の事言えないくらいには一色のやつに甘い。本来なら一色の仕事だろうに。

 そんな思考も頭の隅に追いやり、俺は時計とにらめっこする。

 開演まで一分を切ると、体育館は静かの海と化した。

 誰もが囁くことを忘れ、同じ時を生きている。

 インカムのボタンを押す。

 

「--十秒前」

 

 指はボタンから離さない。

 

「九」

 

 目は時計に釘付けだ。

 

「八」

 

 思い起こされるのはこれまでの日々。

 

「七」

 

 新たに問い直した答えが正しいのか間違っているのか。

 

「六」

 

 それは例え、間違っていたとしても良いのだろう。

 

『五秒前』

 

 誰かがカウントを奪った。

 

『四』

 

 もう随分と聞き慣れた、透き通るような声。

 

『三』

 

 そしてカウントダウンの声が消える。

 ただ、誰かの指が『二』を刻んでるはずだ。

 二階のPA室をなんとなしに見上げてみると、雪ノ下と目が合った。その力強い瞳から目を逸らさず、頷きを一つ。

 この場の誰もが心の中で『一』を数えたはずだ。

 

 瞬間、ステージ上で目が眩むほどの光が爆ぜる。

 

「お前ら、文化してるかーーー⁉︎」

「うおおおおおおお!!」

 

 ステージに突如現れためぐり先輩の叫びに、観客席から怒号が返される。

 

「千葉の名物、祭りとーー⁉︎」

「踊りいいいいいい!!」

「同じアホなら、踊らにゃーー⁉︎」

「シンガッソーーー!!」

 

 おいおい、随分とノリいいじゃんうちの生徒。てか文化してるかって何ですか。こちとら色々と疲れて全然文化出来てねぇよ。

 しかし社畜を生み出すブラックな労働環境が日本の文化であると言うのなら、今回の俺は相当文化していたことになる。

 めぐり先輩が舞台袖にはけるのと入れ替わりでステージに現れるのはダンス部とチアリーディング部の皆さん。

 彼女らのダンスが明けたら委員長の挨拶なのだが、舞台袖に既にスタンバイしている相模はここからでも緊張でガチガチになっているのがよく分かる。

 

「--おい、相模のやつ大丈夫かよ」

 

 思わずいつもの調子でインカム越しに雪ノ下に向かって発報してしまっていた。

 

『--リハーサルではしっかり出来ていたし、一色さんが横についてくれてるから大丈夫だと思うのだけれど』

「--なんか緊張を紛らわせる良い方法とかユキペディアに載ってないの?」

『--あなた、その胡乱なあだ名をまだ使っていたの?でも、そうね......。会場にいる全員が比企谷くんだと思えば良いんじゃ無いかしら?あなたの腐った目に見つめられてると思うと緊張なんて吹っ飛ぶのではなくて?』

「その代わりに気持ち悪くて吐き気がするとか言うんじゃねぇだろうな⁉︎」

 

 思わず食い気味に返してしまった。言葉の最初の方はインカム拾ってないかもしれない。

 

『--あら、誰もそんなこと言ってないわ。ヒキペディアには載っていないの?』

「--掌に人って書いて飲み込むとか?」

『--面白味のカケラもないわね。却下』

「--別に面白味は求めて無いんだよなぁ......」

 

 うーん、猛烈なデジャブを感じるんだが。てか今の会話って全部......。

 

『--お二人とも、夫婦漫才は他所でやってくれませんか?』

 

 インカム越しにちょっと苛立ったような一色の声が聞こえてきた。

 案の定、今の会話はインカムを付けてる文実全員に聞こえてるっぽい。前回と同じ過ちを繰り返してどうするんだよ俺。今回は最初に話しかけた俺が悪いけど。

 どうやら相模もインカムを付けていて今の会話を聞いていたらしく、こちらを恨みがましく睨んでいる。

 

『--.........。間も無く曲が明けます。相模委員長、スタンバイを』

『--了解。二人とも、仲良いのは別に良いんだけど仕事はちゃんとしてね』

 

 まさか相模にそんな事を言われる日が来ようとは思いもしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月曜日、登校した初っ端に教室内にて相模に思いっきり謝罪されたとだけ説明しておこう。

 いつもの様に雪ノ下と登校して、教室に着くなり戸塚とお話をしていた時の出来事だった。

 体調を崩した事をとても心配してくれていた天使との朝の逢瀬を邪魔したことに最初はイラっとしたものの、クラスメイト全員が注目されてる中で頭を下げられたとあっては無視することもできない。

 由比ヶ浜の入れ知恵だったらしい。

 勿論素直にその謝罪を受け入れる俺では無いのだが。そもそも謝られる謂れがない。俺が体調を崩したのは体調管理を怠った俺の自業自得だし、こいつがサボっていたことに関しては俺だけに謝られても困る。

 

 とまぁそんな事があって、無事に開催する事が出来た文化祭一日目。

 二日に渡って行われるこの総武高校の文化祭は二日目のみ一般公開される。よって校内をあげての内輪ノリである今日、一日目は文実の仕事もそこまで多いわけではない。精々が見回り程度。

 一応クラスの方に行こうと思ったのだが、由比ヶ浜に「ゆきのんのとこ行ってきて!」と言われたので、現在はJ組の教室の前で雪ノ下が出てくるのを待っている。

 そんな奴が俺の他にいる訳もなく、通りすがる生徒から訝しげな視線をこれでもかと言うくらいに頂戴してしまっている。

 しかも時折「もしかしてあいつが噂の?」とか「あんな奴が雪ノ下さんと?」とか聞こえてくるからマジで帰りたい。

 しかし今の俺に帰る場所なんて用意されているはずも無く、ここであいつを待つ以外の選択肢は無いのだ。クラスに戻ったところで由比ヶ浜に追い出されるし。

 

「あら」

「よお......」

 

 教室の扉が開くと、目的の人物が一番に現れた。なんでここにいんの?みたいな目で見られた。泣きたい。

 

「どうしたの?クラスメイトに追い出された?」

「強ち間違いでも無いんだけどな。由比ヶ浜に追い出されたよ。やる事ないんだったらお前と回ってこいだとよ」

 

 せめて戸塚に一言かけたかったのだが、ガハマさんはそんな暇すら与えてくれなかったのだ。

 そして雪ノ下の登場により周囲の視線が更に刺さる。なんならJ組の女子達からも睨まれてる。そりゃ片方はクラス内で女神の如く扱われている雪ノ下嬢であり、片方はクラス内で空気の如く扱われているただの元ぼっち。雪ノ下クラスタであるJ組女子に睨まれるのも頷ける。なんなら夜道に刺されそう。

 

「取り敢えず移動しましょうか」

「そうだな......」

 

 その視線を雪ノ下も感じ取ったのか、困ったように笑いながら提案してくれた。正直助かる。

 移動と言っても行き先が決まってるわけでもなく、だからと言って互いに目的地を定めることも無くフラフラと適当に歩き出した。

 

「私もF組の方に向かおうと思ってたのよ」

「なんでまたうちのクラスに?」

 

 尋ねずとも答えは出てきそうなものだが。多分由比ヶ浜目当てだろう。ここ最近は文化祭が近づいてたこともあり、部室にも中々行けていなかった。百合ノ下間違えた雪ノ下的にも暫く親友と会えなかったのは寂しかったのだろうか。

 

「あなた、それ本気で言っているのかしら?だとしたらタチが悪いわね」

「は?」

「......一緒に楽しもうって言ったじゃない」

「............」

 

 突然のデレに思わず言葉を失ってしまった。

 ほんともー雪ノ下さんそんな事言っちゃってー。八幡的にポイント高過ぎてどうしたらいいのか分からないじゃないですかー。

 

「うん、まぁ、そんな事も言ってたな」

「まさか忘れていた訳ではないでしょうね?」

「んな訳ねぇだろ。なんなら昨日楽しみにし過ぎて寝れなかったまであるぞ」

「そ、そう......」

 

 今の台詞は必要なかったな。うん。

 

「あー、どこから回る?折角だしうちのクラスの演劇見に行くか?」

「そ、そうね。折角だし、見に行きましょうか。由比ヶ浜さんにも挨拶しておきたいし」

 

 と言う事で、目的地は二年F組に決まりましたとさ。

 こんな感じで二日間乗り切れるのだろうか。

 

 

 

「これ、本当に星の王子様だったのよね......?」

「多分な......」

 

 F組の演劇を観終わっての一言である。

 登場人物は全員男。主役二人の友情を描いた筈なのに、それ以外の何か邪な思惑が見え隠れしているのは脚本が海老名さん故致し方なしと言うほかない。

 それにしても、戸塚が可愛かった。途中で葉山を殴り飛ばして俺が代わりをやってやろうかと思うくらい可愛かった。ただしそんな事をすれば学校中の女子から非難を浴びた上に隣に立っている氷の女王から絶対零度の視線を頂戴すること請け負いなのでやらない。

 

「視界の端で赤い何かが飛び散っていた気もするのだけれど、大丈夫よね?」

「......多分な」

 

 劇が終わってから同じ言葉しか口にしてないぞ俺。この調子だとタブンナとか言う新しいポケモソになる。タブンネの進化系かなんかじゃないかな。

 

「あ、ゆきのーん!」

 

 重々しい雰囲気で劇の感想を言い合っていた中、それを裂くような明るい声が聞こえてくる。

 言わずもがな、由比ヶ浜結衣である。

 教室から出てきた彼女は所謂クラスTシャツを着ていた。

 

「こんにちは、由比ヶ浜さん」

「うん、やっはろー!演劇、観てくれてたんだ」

「ええ。内容は兎も角、よく出来ていたのではないかしら」

 

 実際、内容を無視してしまえばかなり上出来だったと言えるだろう。俺が演劇の何を知っているのかと問われれば何にも知らないのだが、葉山と戸塚と言う主人公二人を全面的に押し出し、一定の層の需要を完璧に満たしている演出は一介の高校生にしては上出来と言わざるを得ない。

 問題はその『一定の層』とやらなのだが、そこに口出ししても栓無きこと。監督脚本演出全てが海老名さんになった時点で諦めるべきだ。

 

「そっか、良かった〜。ゆきのんが褒めてたって言ったらみんなやる気出るよ!」

「別に私一人の評価でどうこうなる訳ではないでしょう」

 

 雪ノ下雪乃から好評を得たと知ったら男子どもはやる気出ると思うけどな。ソースは俺。

 

「二人は?文化祭デート?」

「一応見回りって事になってるんだけどな」

「ええ。これも仕事の範疇よ。なにより、隣の彼がサボらないかちゃんと見張っていないとダメなのだから」

 

 信用ないなぁ俺。今回はかなり働いてると思うんだけど。

 

「相変わらず素直じゃないなぁ二人とも。そこはデートって事にしておいたら良いんだよ!」

 

 そう言われても困ると言うかなんと言うか。

 雪ノ下とこう言う関係になってからと言うもののデートなんてした事ないし。事実文実の仕事もあるし。

 

「はぁ......。まあそう言う事にしておいてあげるわ」

「うん!じゃあデートなんだからちゃんと手を繋いで歩かないとね!」

「は?」

「はい?」

 

 何を言い出しているのだろうかこのアホガハマさんは。いや別に手を繋ぐこと自体は登下校の時にしてるけどこうも衆人環視のある中でと言うのはちょっと事務所を通してもらわないとですね。

 

「ほら、さっさと行った行った!」

 

 由比ヶ浜の手によってF組の教室を押し出される俺と雪ノ下。背後にはニマニマと笑顔を携えた由比ヶ浜。これあれだ。俺たちが手繋いでここを離れないとずっと監視してるやつだ。

 

「......ん」

 

 え、何今の「......ん」って。可愛すぎかよおい。雪ノ下さんちょっと最近幼くなってません?

 

「はぁ。わかったよ」

 

 しかしまぁ、向こうから手を差し出されてしまっては握り返さないわけにはいかない。

 噂が云々はもう手遅れだろうし。対峙するのは己の羞恥心のみだ。

 こんな何でもないことの筈なのに妙に照れ臭くて隣にある雪ノ下の顔を直視できない。恐らく互いに顔真っ赤であろう。

 

「うんうん!じゃあ二人とも、楽しんで来てね!あ、一Cのハニトーオススメだよ!じゃあねー!」

 

 それだけ言い残して由比ヶ浜は教室の中へと消えて行った。

 

「んじゃまぁ、行きますか」

「そうね」

 

 

 

 一応見回りと言う仕事もあるので、雪ノ下と手を繋ぎながらそこら辺をブラブラしつつ一年C組の教室へと向かった。

 道中特に問題行動を起こしているクラスは見当たらなかったが、周囲の注目をこれでもかと言うほどに集めてしまった。

 それも当たり前の話だからもう何も言うまい。

 

「あ、お二人とも来てくれたんですね!」

 

 一年C組の教室に入ると、そこには文化祭実行委員副委員長であるはずの一色いろはがいた。

 いや、こいつのクラスだからここにいるのは別に間違いじゃないんだけどさ。仕事は?

 

「一色さん、あなた仕事はどうしたのかしら?」

 

 射竦めるような雪ノ下の視線が一色に刺さる。それを受けて少し怯む一色だが、持ち直して少し不満そうに唇を尖らせた。あざとい。

 

「わたしも見回りする予定だったんですけど、相模先輩がクラスの方に行ってても良いって言うんで、仕方なくですよ」

「相模が?」

「はい。今日は仕事も少ないからって」

 

 つまり明日からよろしく頼むと。確かに一般公開のある二日目の方が文実的には忙しいが、副委員長が仕事してなくていいのか?

 別に相模の事を信頼してない訳ではないが、やはり体裁と言うものもあるだろうに。

 

「そんな事よりも!うちのハニトー食べて行ってくださいよ!」

「そんな事ってお前......。まあハニトーはいただくけどよ。元からそのつもりで来てるんだし。幾らだ?」

「600円です!」

「高いな......」

 

 ハニトーの相場とか知らんけど高くない?いろはすそれちゃんとした値段だよね?先輩からぼったくろうとしてないよね?

 どうせ何を言ったところで暖簾に腕押しなのは分かっているので、言われた通りの金額を渡してハニトーを受け取る。

 

「ちょっと。半分払うわよ」

「いい。これくらい俺が出す」

 

 案の定隣からなんか言われたが、こう言うところでくらい格好つけたいと言うのが男という生き物だ。

 

「先輩ってそういう所本当あざといですよね」

「お前に言われたかねえっての」

 

 俺程度であざといとか言っちゃうと目の前の後輩とか隣の奴の姉とか俺の妹とかに失礼だろうが。全く、可愛いからもっとやれ。ただし魔王は除く。

 

「中に席用意してるので、どうぞ食べて行ってください」

「どうする?」

「ではお言葉に甘えましょうか」

 

 見回りはどうしたんですかね、とは言わない。多分それを言ったら二方向から同時に睨まれるから。八幡学んだからね。

 一色に案内されるがままに教室内の席についたのだが、その途中で一色がなにやら雪ノ下に耳打ちしていた。その時雪ノ下の顔が赤くなってたあたりなんか面倒な事なんだろうなぁ。ここで食うことに決めたのを早速後悔してきたぜ。

 

「ではでは、ごゆっくり〜」

 

 そう言いながら席から離れていく一色だが、今もなおこちらをガン見してやがる。お前本当に雪ノ下になに言ったの?

 

「では比企谷くん」

「お、おう」

「はい、あーん」

「......は?」

 

 差し出されているのはハニトー。誰に?勿論雪ノ下にだ。むしろそれ以外の誰かだったら怖い。

 てかやっぱりロクなこと吹き込んでなかったなあのあざとい後輩!雪ノ下が顔真っ赤にしてたのはこう言うことかよ!

 

「待て待て雪ノ下。ここでそれはちょっとハードルが高い!」

「煩いわね。あなたは黙って口を開けなさい」

「いや、そう言われてもだな......!」

 

 教室内の注目を集めていることにこいつは気づいていないのだろうか。

 あの雪ノ下雪乃が。顔を赤く染め上げて。見知らぬ男子生徒にハニトーを食べさせる。

 そりゃ注目浴びるわ。

 

「それとも、私の手からは食べられないと言うの?」

「そんな事一言も言ってねぇだろうがよ」

「なら構わないでしょう?ほら、あーん」

「............」

 

 結局食べた。ただし恥ずかしいのであーんとは言わずに。

 めちゃくちゃパサパサしてるし。やっぱこれただの食パンじゃねぇかよ。もうちょいパン感消す努力しろよ。

 

「ふふ、ほら、もう一つどうぞ。あーん」

 

 今度は顔を赤くせず、薄く微笑みながらハニトー(食パン)を差し出される。それを黙って受け取る俺。

 俺が雪ノ下の手から食う度に周囲から黄色い声援が上がるが、この際無視だ。ここには俺と雪ノ下しかいないと思え。じゃないと羞恥心に殺される。

 

「なんだかペットに餌付けしてる気分ね」

「俺はペットじゃねぇぞ......」

「そんな事分かってるわよ。あなたは私の恋人なのだから」

 

 雪ノ下が思いの外ノリノリになってた。

 その後も終始同じテンションのままハニトーを食し、教室を出る時に一色から嫌という程揶揄われたのであった。

 つかハニトー殆ど俺が食ってたんだけど。飲み物が欲しいです。

 



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一番後ろから、今度は最後まで。

 文化祭も二日目となると俺たち実行委員は全員が駆り出される。

 一般公開ということは校外の人、つまりは受験生や地域の人なんかがやって来るので、問題行為には一日目よりも一層目を光らせる必要がある。

 そんな中で俺は記録雑務としての仕事を全うしていた。あちこち回って写真として記録を残しているのである。俺が撮った写真は文化祭終了後に各生徒が望むものを購入したり、卒業アルバムに掲載されたりする。そして何故かどの写真にも写り込んでいない俺。もしくは変に見切れてて幽霊扱いされる可能性も。あれ本当酷い話だよな。思い出を残すための写真なのに全く思い出を残せないどころか黒歴史を作り上げてしまうだなんて。やはり写真は悪い文明。

 労働による疲れからか思わず黒塗りの歴史と衝突してしまったが、まぁつまりはそう言うことである。いやどう言うことだよ。

 そもそも俺が写真を構えるとレンズの向こうに写っている人たちが不審者を見るような目をするのはマジで解せない。ちゃんと文実の腕章してるでしょうが。

 そんな現実にうんざりしながらも仕事故に再びカメラを構えていたら、横合いからドンッと衝撃が。

 

「お兄ちゃーん!」

「おぉ、小町。来てたのか」

 

 マイスウィートシスター小町だ。中学の制服に身を包んだ小町はこの世界で一番可愛い笑顔で俺に抱きついて来た。

 あ、ちょっとそこのお姉さん通報しようとしないで。

 

「一人か?」

「うん。お兄ちゃんと二人きりで会いたかったし!今の小町的にポイント高いし!」

「ああそう」

 

 相変わらず余計な語尾が付いて回ってるが、それも愛嬌。うちのあざとい後輩と違って小町はあざとい上に可愛いのだ。

 

「結衣さんとかいろはさんは?」

「由比ヶ浜はクラスの方にいるんじゃねぇの?一色はどっかで仕事してるだろ」

「ふーん。じゃあ雪乃さんは?」

「あいつも仕事だろ」

「え、二人で一緒に回ったりしないの?」

「いや、仕事あるから。それに昨日一緒に見回りしたし......」

「へ〜」

 

 なにその色々察したと言わんばかりのニヤニヤ笑顔は。やめて、兄の恋愛事情を推察しないで。恥ずかしいから。

 

「で、お兄ちゃんは何してるの?居場所がないの?」

「彷徨える孤高の魂は拠り所を必要としないんだよ」

「わーかっこいいー。で、なにしてんの?」

 

 無視ですか......。最近の小町ちゃん、お兄ちゃんに対して辛辣過ぎない? やだ、小町の俺に対する愛が冷めていってる。でもその分俺が小町を愛せばプラマイゼロどころか寧ろプラスになるまであるから心配ない。

 

「はぁ......。仕事だよ、仕事」

「ふーん。で、なにしてんの?」

 

 こいつは壊れたラジカセかよ。

 

「仕事だって」

「......お兄ちゃんが、仕事⁉︎」

 

 え、なんでそんなに驚くの? 準備期間からめちゃくちゃ働いてたの小町も知ってるよね? それでお兄ちゃんが倒れたのも知ってるよね?

 

「なーんて、冗談だよ冗談。お兄ちゃん、今回は頑張ってたもんね」

 

 今度は二ヒヒ、と笑いながらこちらの顔を覗き込んでくる。ええい小っ恥ずかしい。そう言うの同級生の男子にしちゃダメですよ。死人が増えるから。

 

「......まあそうだな。なんなら一生涯分働いたまである。これで将来専業主夫になってもなにも言われないな」

「いやいや、流石にそれはないよ」

 

 急に素のトーンで返さないでくれますかねぇ......。冗談に決まってるじゃん......。

 

「と言うことで、小町は色々見て来ます!じゃあねお兄ちゃん! ちゃんとお仕事するんだよ!」

「おう、小町も気をつけろよ。変な奴に声掛けられたりしたら直ぐにお兄ちゃんを呼ぶんだぞ」

「その過保護っぷりは流石にキモいかなぁ」

 

 最後に俺の精神へとダメージを与えてから、小町はスタコラサッサと雑踏に消えて行った。

 そうか......。キモかったのか......。どうしよう死にたい。

 

「また随分と面白い顔を晒しているわね」

「うへぃっ⁉︎」

 

 突然声を掛けられて自分でも何て言ったのか分からないくらい珍妙な声が出た。お陰で周囲の視線が滅茶苦茶刺さる。なにあの気持ち悪い人、みたいな感じの視線。

 しかし今のは俺は悪くない。突然声を掛けて来た奴が悪い。果たして下手人は誰か、なんて確認せずとも分かるのだが。

 振り返った先には案の定、雪ノ下雪乃がいた。

 

「相変わらず奇天烈な鳴き声ね」

「やめろ。珍獣扱いやめろ。てか今のはいきなり声を掛けたお前が悪いだろうが」

 

 頭痛を抑えるようにコメカミに手を当てる雪ノ下だが、その格好をしたいのは俺の方だ。

 て言うか気配も無く人の後ろに立つのやめてくれませんかね。お前は暗殺者かよ。なに、唐突に背後から心臓鷲掴みのハートキャッチとかされちゃうの?こいつの場合は心臓氷漬けとかしそうで怖い。そんなサバーニーヤは嫌だ。

 

「んで、お前こんな所で何してんの?」

「仕事に決まっているでしょう。今日も各教室の見回りをしているのよ」

「それって副委員長の仕事なんじゃ......」

「一色さんなら所用で外しているわ。私はその代役」

「あいつ本当仕事してねぇな......」

 

 俺も妹にキモいって言われたから帰りますって言ったら帰らせてくれるかな。ダメか。ダメだな。

 

「少し仕方ない所もあるのよ。彼女、有志に出るみたいだから」

「え、そうなの? 初耳なんだけど」

「誰も言っていないのだから当然ね」

 

 つまり、準備期間中の一色は副委員長の仕事をこなしながら有志の練習もしていたと言うことか。確かに名前を売り出すと言う彼女本来の目的を考えるなら有志に出場することは効果的だろうが、それなら昨日も練習しとけと言う話である。それはそれで文化祭を楽しめなくなるから酷な話か。

 

「あなたは?」

「俺も仕事だよ」

「そう。なら少し付き合ってもらえるかしら」

「何処に?」

「行けば分かるわ」

 

 結局今日も雪ノ下と行動を共にすることとなってしまった。

 いや個人的には嬉しいんですけどね。ただ文実の仕事的にこれでいいのかと疑問に思ってしまうこともある。

 そうして辿り着いたのは、三年E組『ペットどころ うーニャン うーワン』。

 あぁ、そう言えばこんなんあったな。しかも昨日行けなかったですもんね。オマケに犬もいるから雪ノ下さん一人で行けないもんね。

 

「......何かしら、その生暖かい眼差しは」

「いや、なんでもない」

「そう?なら早く入りましょう。ボディガードは任せたわよ比企谷くん」

「へいへい」

 

 犬に対するボディガードってのが少し情けないが、文句は言うまい。ワンニャンショーの時にも一度経験していることだ。

 教室に入ると、そこには多種多様な動物達がいた。犬猫のみならず兎やハムスター。果ては蛇まで。蛇飼ってるやつとかアニメでしか見たことなかったんだけど。とあるの婚后さんとか。

 そしてそれらの動物(主に犬。てか犬だけ)から雪ノ下を守るように歩き、無事に猫がいる元へと辿り着いたわけだが。

 

「何をしているの。仕事よ雑務」

「今はお前も記録雑務なんだけどな」

 

 雪ノ下はその猫と戯れようとはせずに俺の後ろに隠れながら目で愛でている。しかし溢れ出んばかりの猫欲は抑え切れておらず、今にも飛びつきそうだ。

 

「触りにいかねぇの?」

「え?」

 

 純粋な疑問を口にしたら目を丸くして驚かれた。そんなに意外な質問でもあるまいに。

 

「いや、いつもなら周りのことなんて気にせずいの一番に猫と戯れに行くだろ?」

「あぁ、そう言うことね」

 

 ......いの一番に戯れに行くことは否定はしないんだな。まぁ今更否定されても無理があるのだが。

 それに雪ノ下は周囲から見た自分の姿と言うのを、なるべく崩さないようにしている。校内のアイドルどころか女神の雪ノ下が猫を前にしてにゃーにゃー言ってる姿なんて見られたらそのイメージも崩壊待った無し。

 そこら辺を上手いこと言い訳にするのかにゃーと思っていたのだが、そんな俺の想像に反して雪ノ下は少し頬を赤らめてから俯きがちに呟いた。

 

「その、ここで猫達の相手をしてしまうと、時間を忘れてしまいそうになるから......」

 

 思ってもいなかった言葉だった。

 猫と会話してる姿を見られては必死にそれを誤魔化そうとしていた雪ノ下が、誤魔化しも言い訳も無く素直に本心を口にしたのだ。

 しかも恥じらいつつ言ってる辺り八幡的にポイント高い。

 これもきっと彼女が変わったと言うことなのだろうかね。

 

「......んじゃ今度またうちに来い。好きなだけカマクラをモフらせてやるよ」

「そう。それは、魅力的な提案ね」

 

 ダメだな。素直な雪ノ下とかダメだ。核爆級に可愛すぎて俺の心臓が持たない。

 

 

 

 

 

 三Eで一通り猫の写真を撮り終えた後、同じく三年のフロアを回っていると何やら人集りが出来ているのを見つけた。

 列の整頓はしっかりなされているから一見問題無さそうだが、教室の中からはキャーキャーと悲鳴が聞こえる。

 

「あー、思い出した」

「どうやら仕事のようね」

 

 確か『トロッコロッコ』だったっけか。教室内部を様々な装飾で彩り、その中を手製のトロッコで回ると言うものがジェットコースターになってたんだったか。

 前の時は雪ノ下と一緒に中に押し込まれたんだっけ。

 

「このクラスの責任者はいますか?」

 

 三年の先輩相手にも物怖じせず堂々と取り締まりに向かう雪ノ下の後ろについて行く。

 でも八幡知ってるよ。この後二人して押し込まれるんだけど雪ノ下の方だけ女子生徒に運ばれて俺は厳つい男子生徒に運ばれるんでしょ?しかもお尻触られるし。どうせ押し込まれるなら綺麗なお姉さんに押し込まれたい。

 

「ヤバイ!文実に見つかった!」

「どうするどうする⁉︎」

「えっと、取り敢えず乗せちゃえ!」

「え、ちょっと......!」

 

 案の定と言うか予定調和と言うか。雪ノ下は三年の先輩方に無理矢理教室内へと運ばれていった。

 

「そっちの子も文実⁉︎」

「腕章してるから取り敢えずその子も乗せちゃえ!」

 

 俺を取り囲む厳つい男の先輩方。綺麗なお姉さんを期待してなかったと言えば嘘になる。

 しかし、俺は同じ失敗を繰り返す男ではない。この状況をなんとか脱して見せるぜ!

 

「あ、こら!抵抗するな!」

「取り囲めぇ!」

「三人に勝てるわけないだろ!」

 

 馬鹿野郎お前俺は勝つぞお前。

 とか言ってる場合じゃねぇぞこれ! 普通に取り押さえられたんですけど! ちょっと! お尻触ったの誰ですか! ネタがネタじゃ無くなっちゃうでしょうが!

 結局抵抗虚しく俺はトロッコの中へと放り込まれる事となってしまった。

 

「はぁ......。大丈夫か雪ノ下?」

「え、えぇ......」

 

 なんか歯切れの悪い返答が返ってきたなと思ったが、それもそのはず。今ここはトロッコの中で、かなり狭い車内に身を寄せ合って座っているわけで、故に互いの顔が超至近距離にあるわけで。そのことを正しく認識した途端に顔に熱が集まってくる。

 今更その程度でなに恥ずかしがってんだと言われそうなものだが、そんなこと言われても仕方がない。だって雪ノ下の超絶綺麗な顔が直ぐ近くにあるんだぞ? しかもここはトロッコ内と言えども学校の中。普段勉学に勤しむ場所で抱き合うような体勢になってしまっていると言うことにちょっとした背徳感すら抱いちゃう。

 更に言っちゃうと雪ノ下は暗い所とか絶叫系は苦手だ。そのせいと言うべきか、お陰と言うべきか、俺が中に放り込まれてからと言うものの俺の制服をギュッと握って離さない。

 なんかもう萌え死にそう。

 

「お前本当に大丈夫か?」

「大丈夫と言ってるでしょう。......きゃっ!」

 

 雪ノ下が強がったのとトロッコが動き出したのはほぼ同時だった。どうやら俺がこの状況を冷静に分析してる間に『地下の世界をお楽しみください』的なアナウンスが流れていたようで、スタートするタイミングが完全に分からなかった。

 てかこれ人力で動かしてるんだよな。そう思うとめっちゃ怖え。怖いのは雪ノ下も同じなようで、密着度がさっきよりも増している。なんかもう柔らかい感触とかいい匂いとかで頭がクラクラして恐怖は一瞬で吹っ飛んでしまった。

 俺が煩悩と戦ってる間にトロッコは無事ゴール。完全に動きが停止したのを見計らってから、この短時間で憔悴した雪ノ下の手を引いて外に出る。

 

「どうよ!うちの『トロッコロッコ』!」

 

 自慢気にそう言ってくるが、問題だらけだ。

 個人的には非常に役得だったけど。しかし文実としては見過ごせない。

 

「申請内容と異なることは認められません。今直ぐ元の内容に戻すか、追加書類を書いてもらいます。よろしいですか?」

 

 まだ復活しきってない雪ノ下がキリッとした眼差しでそう告げるが、どこか迫力が欠ける。結構怖かったもんな。

 その後追加書類を提出することを責任者に約束させてからその場を離れた。取り敢えずこいつを休ませる場所に移動しなければ。

 

「どっか座れる場所探すか」

「そうね。流石に今のは疲れたわ......」

 

 相変わらずの体力の無さである。今日はこれからエンディングセレモニーなどの仕事も残っているので、今の内に体力を回復させておいた方がいいだろう。

 

 

 

 

 

 そんなこんなでまたフラフラと歩いて結局中庭のベンチへと辿り着いた。

 出店は基本的に校内や正門付近となっているため、ここは人が少ない。

 近くの自販機で適当に紅茶とマックスコーヒーを買ってから、紅茶を雪ノ下に手渡す。

 

「ほれ」

「......ありがとう。幾らだった?」

 

 紅茶を受け取った雪ノ下は財布を取り出そうとしたが、それを手で制する。

 

「いや、いい。病人から金を巻き上げるのは気がひける。......って、このやり取り前にもしたな」

「そう言えばそうね」

 

 あれはクリスマスイベントの前だったか。ディスティニーで、こいつの初めての願いを聞いた後の話だ。

 あの願いを、果たして俺は叶えてやる事が出来ているのだろうか。

 

「その時にも、前にも似たようなやり取りをしたって話になって、それで、姉さんやあなたの話になったのよね」

「やめろ雪ノ下。あの人の話をすると本当にどっかから登場するかもしれん」

 

 てか陽乃さん有志に出るとかこいつから聞いてるけど、勿論それって今現在校内にいるって事だよね? マジで登場するんじゃねぇのこれ。

 

「確かにそんな気がするわね......」

「まあ所詮はそんな気がするってだけだけどな。まさかこんな何もない中庭で遭遇するわけが」

「あー!やっと見つけた!ひゃっはろー二人とも〜!」

 

 oh......。

 流石にフラグ回収が早すぎませんかね。もしくはフラグなんぞ立てなくとも魔王とは遭遇してしまう運命だと言うのか。

 きっと今の俺と雪ノ下は全く同じ感情を表情に出してしまっている事だろう。

 

「どうも、雪ノ下さん」

「比企谷君久しぶりだね〜。もう体調の方はいいのかな?」

「お陰様で快調ですよ」

「それは何より」

 

 皮肉のつもりで言ったのだが陽乃さんはそんなものどこ吹く風。そもそも俺程度の皮肉なんてこの人は意にも介さないだろうし。

 

「姉さん、何をしに来たのかしら?」

「雪乃ちゃんを迎えに来たんだよ。そろそろ時間だよ?」

 

 ゲンナリした様子の雪ノ下だったが、中庭にある時計を見て一転。慌てたように立ち上がった。

 

「もうこんな時間じゃない!」

「まさか雪乃ちゃんが遅刻なんてとは思ってたんだけど、比企谷君と一緒にいたから時間も忘れちゃってたのかな?」

「そう言うのは今はいいから急ぐわよ!ごめんなさい比企谷くん。少し用があるから失礼するわ」

「お、おう」

「て事だから、雪乃ちゃん借りてくねー。あ、そうだ。比企谷くん、ちゃんとステージ見ててよ?」

 

 じゃあね〜、とひらひら手を振って去っていく陽乃さんと全力疾走で駆けていく雪ノ下。あいつあんなに全力で走って大丈夫なのか。用があるって言ってたけど、体力尽きるんじゃ?

 

「一応雪ノ下さんの演目確認しとくか」

 

 後ろのポケットに入れてある文化祭のパンフレットを取り出し、ステージの演目を確認しようとして、探すまでもなく陽乃さんのグループだと思われるものを見つけた。

 

『はるのんと愉快な仲間たち』

 

 ......うん。実に分かりやすいことこの上ない。しかもちゃっかり大トリだし。

 しかしこのグループ名で今この時間に陽乃さんが雪ノ下を迎えに来たと言うことは......。いや、流石に無いだろ。考えすぎだ。雪ノ下からは何も聞いてないし。

 

「てかあいつ、紅茶置いて行ってるじゃねぇか......」

 

 ベンチの上には雪ノ下が飲みかけた紅茶の缶が。さて、これをどうするべきか。持ち上げて見たところそれなりに中身は残っているし、このまま捨ててしまうのも勿体無い。

 でも俺が飲んじゃうってのもなんか疚しいことをしてるみたいであれだし。

 いや、疚しいと思うからダメなのだ。そう、これは言わば残飯処理である。拉致られた雪ノ下が残していったこれを俺が飲むのは、購入した俺の義務であり権利であろう。

 誰に言い訳してんだよこれ。

 と言うわけで、いざ飲み干さんと缶に口をつけようとしたその時。

 

「いた!比企谷ー!」

 

 急に遠くから声をかけられた。

 思わず咄嗟に紅茶を隠してしまう。なんで隠してんの俺。

 声をかけられた方に振り向くと、相模がこちらに走って寄って来た。え、なんで委員長様が俺を探してんの?

 

「何か用か相模?」

「何か用かじゃないでしょ。さっさと体育館行くよ!」

「まあ俺も今から行くところだったからいいけどよ。なんでお前が呼びに来てんの?」

「いいから!」

「あーちょっと待て。まだマッカン残ってるから。あとこいつも処分してくれ。さっき雪ノ下が置いていったんだ」

 

 後ろ手に隠し持ってた紅茶の缶を相模に渡す。思いの外素直にそれを受け取ってくれたことになんとなく安堵。別に惜しい事したとか思ってない。

 マッカンを飲み終えた後、相模に連れられるがままに体育館へと向かった。

 

「比企谷、ごめん」

 

 その道中で、相模がポツリと呟いた。

 

「いきなりなんだよ。文実のことなら謝らなくていいって言っただろ?」

「それじゃなくて。夏休みの時と、部室に初めて行った時。笑ってごめん」

 

 どうやら、俺の知ってる相模南と言う人間は本当にもういないらしい。かつて俺はこいつの事を、俺と同じ最底辺の人間だと言った。

 確かに文実始動時のこいつはその通りだったかもしれない。しかし、相模はその最底辺から這い上がろうとする思いがあり、実際にそこから這い上がってみせた力がある。

 最底辺から這い上がる気も無ければその力もない俺とは違う。

 

「それと、ありがと。お陰でいい文化祭になりそう」

「......それは雪ノ下達に言ってやれ。あいつらがいなかったら成功してねぇよ」

「あんたならそう言うと思った」

 

 それきり互いに無言のまま体育館への道を歩く。

 どうやら周りの生徒達も目指す場所は同じなようだ。ステージの大トリが終わればそのままエンディングセレモニーへと移行するので、自然と皆が同じ方向に足を向けるのだろう。

 生徒達だけでなく校外のお客さん達も体育館へと向かっているのは、陽乃さんの影響だろうか。

 そうして辿り着いた体育館。

 スポットライトの当たるステージの上には、見知った顔が並んでいる。

 葉山達のグループだ。どうやら演奏が終わった後らしく、観客席から葉山に向かって黄色い声援が飛んでいる。一緒にステージに立っている三浦からはなんかメラメラしたものが見えるし。

 そして葉山達が退場した後、大トリのグループがステージへと上がって来た。

 陽乃さん、だけではない。その他のメンバーも全員が知っている奴だ。

 

「予想的中かよ......」

 

 白衣をなびかせながら登場した平塚先生。ニコニコと強化外骨格を貼り付けた陽乃さん。珍しく若干テンパってるように見える一色。緊張した面持ちの由比ヶ浜。

 そして最後に出て来たのは、堂々とした足取りでステージの上を歩く雪ノ下。

 

「ほら、委員長権限で前の席取ってもらってるから行くよ」

 

 職権乱用じゃねぇかよおい。

 しかし折角用意してもらって悪いが、その提案には乗れない。

 

「いや、ここからでいい」

「はあ?何言ってんのあんた」

「ライブとかは一番後ろから見るって決めてんだよ。良いからお前はエンディングセレモニーの打ち合わせ行ってこい」

 

 俺にはスポットライトはおろか、飛び跳ねるアリーナすらも似合わない。

 だから一番後ろで見ていよう。彼女達のステージと、それが作り出す熱狂を。

 今度は最初から最後まで。

 

 

 

 



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彼はいつまでも求め続ける。

文化祭編ラスト。つまり最終話です。
続きの嫁度対決は番外編という事で投稿するかもですが。
ライブシーンは「変わる空の下」を弾いてると思ってください。


「雪乃ちゃーん。だいじょうぶー?」

 

 姉さんの声が聞こえる。その声色は心配していると言うよりも玩具を弄ってる時のそれに近い。この場合は玩具と書いて比企谷くんと読むのだけれど。

 だが残念なことに、今の私にはその声に返事をするだけの余力が無い。今私達がいる場所、体育館のステージの舞台袖まで全力疾走で駆けて来たからだ。到着するなり置いてある椅子に座り込んで、もう何分経っただろうか。

 いやはや、しかし。自分の想像の埒外にある出来事に対して弱すぎないかしら、私。今回は時間を忘れて楽しんでしまった自分が完全に悪いのだけれど。

 

「ゆきのん、本当に大丈夫?」

「これ飲んでください、雪ノ下先輩」

 

 今度は気遣わしげな声が聞こえてくる。

 顔を上げると、本当に心配した様子でこちらを覗き込んでくる由比ヶ浜さんと一色さんが視界に映る。一色さんから差し出された『いろはす』を素直に頂く。

 そう言えば、比企谷くんに買ってもらった紅茶はあそこに置いて来てしまった。

 比企谷くんの事だから間接キスがどうのこうのと言い訳して処分に困っているのではないかしら。そうして言い訳を繰り返した後に結局飲む姿がありありと眼に浮かぶわね。

 

「ありがとう、二人とも」

 

 心配してくれている友人と後輩の二人に薄く微笑みかける。

 少しは回復してきたようだ。

 

「ちょっとー、私の時と反応違うくなぁい〜?」

「おちょくるような声で話しかけるからだろうが。雪ノ下、もし本当に辛いようならば由比ヶ浜にボーカルを全て任せてしまうのも手だぞ」

「いえ、本当に大丈夫ですので」

 

 ここまで付き合ってもらったのに私一人の都合で迷惑を掛けるわけにはいかない。

 確かに一曲弾きながら歌い切る自信はないのだけれど、弱音は吐いていられない。私が、私の声で届けたいから。

 よし、もう大丈夫。体力は一応回復したし、やる気も十分。緊張は、少し。普段人前に立つ事なんてあまり無いからかしら。

 

「一色さん、練習はしっかり出来たかしら?」

「はい!まだちょっと自信ないかもですけど、大丈夫です!」

「由比ヶ浜さん、最後にもう一度歌詞を確認しておきなさい。もう私のパートで歌い始めたらダメよ?」

「うっ、流石にもうしないよ⁉︎」

 

 練習中特にミスの目立っていた二人に確認を取るが、この様子だと心配いらなさそうね。

 特に一色さんはキーボードは疎かピアノも弾いたことがないと言うのに、この二週間と言う短い期間でよく頑張ってくれていた。副委員長としての仕事もあると言うのにも関わらず。

 平塚先生と姉さんは心配いらないだろう。曲は違うと言っても、前回演奏した曲と同じ歌手の曲だ。曲調も全く違うなんて事はなかったので、この二人は私達の中でも早期に演奏をマスターしていた。

 

 事前に持ち込んで立てかけていたギターを手に取る。今回の件で一番驚いたのは、母さんが協力を申し出てくれたこと。

 どうやら姉さんから話を聞いたらしく、実家の完全防音の部屋を練習場所として貸してくれた上に、楽器まで新調してくれた。

 協力してくれたのは母さんだけではない。相模さんには無理を言って順番を調整してもらったし、城廻先輩は一色さんのキーボードの練習を手伝ってくれていた。

 色んな人の協力があってステージの上に立てるのだ。

 

「む、どうやらそろそろ出番のようだな」

 

 平塚先生の言葉を聞いて、少しだけみんなの雰囲気が変わる。

 私達の一つ前、葉山くん達のグループの演奏が終わったらしい。ここまで聞こえてくるくらいの大きな歓声を受けながら退場してきた。あそこまで盛り上がると無駄にプレッシャーが増してしまうわね。

 

「ひゃっはろー隼人。お疲れ様」

「陽乃さん?......あぁ、大トリか」

 

 舞台袖へとはけて来た葉山くんに姉さんが絡みに行く。何故いるのか分かっていない様子だったが、どうやら私達の登録されたグループ名を思い出したらしい。

 あれは本当にどうにかならなかったのかしら......。

 

「てっきり大学の友人達と出るものだと」

「流石に校外からの有志を大トリには出来ないでしょ」

 

 一緒に演奏していた三浦さんが心なしか睨みながら二人のやり取りを見ている。

 そう言えば姉さんと三浦さんの間に面識はなかったか。本番前に無駄な衝突が無ければ良いのだけれど。

 

「それに、今回は雪乃ちゃんからのお願いだからね」

「雪ノ下さんの?」

「そ。可愛い妹の頼みとあらば力になってあげるのがお姉ちゃんってものでしょ?」

 

 葉山くんは少し驚いたような顔をしている。彼の気持ちは分からないこともない。何せあの姉さんが、どこにでもいる普通の姉に見えるのだから。

 それは私が今まで見たことのなかった、いや、見ようとしてこなかった雪ノ下陽乃と言う女性の一面。実の妹だと言うのに姉のそんな顔を知らないなんて、なんだか今まで損をしていた気分にすらなる。

 

「陽乃、そろそろ時間だ」

「あらま、もう少し隼人と話してたかったんだけど仕方ないか。隼人もちゃんと見てなさいよ〜?」

「分かってるって」

 

 やや苦笑気味に返しながらグループの人達と退出しようとする葉山くん。

 今回は彼にも助けられた。きっとあの時葉山くんが来てくれていなかったら、私はまた間違った答えを出してしまっていただろう。

 であるならば。

 

「葉山くん」

 

 扉に手を掛けていた所を呼び止める。三浦さんが睨んで来ている気がする。たった一言声を掛けるだけなのだから、そう喧嘩腰にならないで欲しい。

 

「あの時は助けてくれてありがとう」

 

 であるならば。

 ここで全て清算しておくべきだろう。過去に起きた出来事も。それに伴う私と彼の間に存在する蟠りも。

 もう互いに気にする必要はない。

 過去を無かったことにしたい訳ではない。

 ただ、それよりも大事な今があるから。

 私も、葉山くんも。

 

「............。あぁ、どういたしまして、雪ノ下さん」

 

 葉山くんは一瞬驚きに目を丸めていたが、そのすぐ後にいつもの爽やかな笑顔と穏やかな声でそう言って来た。

 

「それじゃ、そろそろ戻るよ。頑張ってな」

「結衣ー、頑張んなよー」

 

 今度こそ本当にこの場から退出していった。

 さて、そろそろ舞台の準備も完了する頃か。振り返った先には、今日まで文句の一つも言わずに私の我儘に付き合ってくれた人達。未だ彼女達の力を借りなければ自分の気持ちも満足に伝えられない私ではあるけれど。

 それでも、今の私の持つ全てをもってして

 

「行きましょうか」

 

 彼に届けに行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 葉山グループの演奏による興奮は未だ冷めやまず、相変わらず会場は喧騒に包まれている。

 ザワザワと蠢く理由は、しかしそれだけが原因ではないだろう。

 ステージの上に立った見た目麗しい彼女達もその一端を担っている。

 何故、と言う疑問は確かにある。何も聞かされていなかったし、そんな素振りを見たことも無かった。

 しかし、それでも。俺は彼女の立ち姿にただただ目を奪われていた。

 背筋を伸ばし整った姿勢で佇むその姿は既に見慣れている。彼女の姿を目にする度に見惚れているのかと問われると、まあYESと答えるわけなのだが。

 敢えてこの場に限って理由を挙げるのであれば、彼女の瞳か。いつも強い意志を伴っていた、俺のものとは正反対の凛とした瞳。

 何よりも美しいそれは、俺が見て来た中のどれよりも強く美しく、輝いてすら見えた。

 そんな彼女の、雪ノ下雪乃の瞳と目が合った。

 この会場内には多くの人がいて、もしかしたら俺の勘違いかもしれないけれど、雪ノ下は確かに俺を捉えていた。

 

『二年J組の雪ノ下雪乃です』

 

 演奏前の挨拶だろうか。スタンドマイクのスイッチを入れて雪ノ下は自己紹介を始める。

 校内で有名人な彼女の事は改めて自己紹介されなくとも、会場にいる殆どの人が知っているだろう。自己紹介しなければならないのは寧ろ陽乃さんじゃないだろうか。いや、今の三年生は陽乃さんをギリギリ知ってるんだっけか。

 

『大トリを務めさせて頂く訳ですが、皆さんには一つ謝らなければなりません』

 

 硬い! 話し方が硬いよゆきのん!

 流石は氷の女王。折角葉山達がいい感じに前座で盛り上げてくれてたのに会場のテンションも下がっちゃう。

 そして雪ノ下の言葉に動揺が広がる。殆どの人間が何を言ってるのか分かっていない様子だった。かく言う俺もである。

 

『これだけ人が集まってくれていますが、私がこの演奏を届けたいのはたった一人に向けてだけです』

 

 更に大きくなる騒めき。その中には「まさか噂の......」とか「あれって本当だったんだ」とか、まあ色々と俺の耳にも届いてくる。

 しかし、俺は目を逸らさない。視線を外さない。それは恐らく雪ノ下も。

 

『その人はとても捻くれていて、目が腐っていて、控えめに言って気持ち悪い。そんな男です』

 

 それ控えめに言えてねぇよ。寧ろ160km/hストレートど真ん中だよ。あとお前も人のこと言えないくらいには捻くれてるって自覚した方がいい。

 

『でも誰よりも優しくて、強いのに弱くて、色んな人を救ってしまう。自分が傷つくことを厭わず、それで私達が傷つくことも知らないようなバカな男』

 

 そんな事はない。優しさなんて微塵も無かった。常に状況に追われて、その場に最も適した手段で依頼をこなして来ただけだ。

 

『そんなあなたの事が分からなかった。どうしてそんなに人に優しくなれるのか。どうして自分の事を蔑ろにするのか。何も知らないのに知った気になって』

 

 俺も同じだった。お前達のことを知った気になって勝手な理想を押し付けてしまった。

 俺が中学時代に何度も繰り返し、だからこそ辟易していた事を、あろうことかお前達に向けて行ってしまった。

 

『でも、今は違う。私の思い上がりかもしれない。あなたに幻想を押し付けているだけなのかもしれない。それでも、例えそうなのだとしても』

 

 一拍置いて深く息を吸った後、雪ノ下はスポットライトの下で薄く微笑んだ。

 会場中の人間全てがその姿に見惚れる中、ただ一人のしがない男子生徒に向けて、言葉を発した。

 

『---今はあなたを知っている』

 

 それはあの時と同じ言葉。

 いつの日かの焼き直し。

 

『もっとあなたを知りたいし、私を知って欲しい。私があなたと、あなた達と出会って得たものを、感じたものを、その全てをあなたに伝えたい。私が私だけの本物を得るために。だから、その腐った目と耳と脳みそを総動員してしっかりと見届けなさい』

 

 最後に勝気な笑みを浮かべた次の瞬間。

 音が、爆ぜた。

 

 

 

 

 

 

 会場はとてつもない熱狂の渦に包まれている。一つ前の葉山達の演奏なんぞ比にならない。

 観客達は飛び跳ねたり、どこからか持ってきたペンライトを振り回したりヘドバンしたり。もうやりたい放題だ。

 

 その渦の中心。ステージの上から音を響き渡らせるのは五人の女性。

 ドラムがマイペースに叩かれれば、キーボードがそれに追従するように自由気ままに音を鳴らす。それをベースが叱りつけるように響かせられ、遅れないようにとボーカルは時折声が跳ねっ返りながらも一生懸命喉を震わせる。

 その全ての音が、たった一人が奏でる音を後押ししていた。

 正確無比なピッキングは一つのミスも許さず、冷たい氷を思わせるような高いソプラノはしかしそこに情熱を潜ませ。

 体育館の一番奥へと形にならない言葉を届ける。

 

 演奏されているのは俺でも知っているくらい有名な曲だ。確か一度目の時に彼女達が弾いた曲と同じ歌手だったと思う。

 あの時は即興で演奏していたが、今回はしっかりと練習を積み重ねたのが感じ取れる。

 今この時だけは、彼女達の曲だ。

 間奏に入ると一歩前に進み出たギターが激しくメロディを奏でる。

 それに呼応するかの様に更に盛り上がる観客達。打ち鳴らす手や踏みしめる足は一つのリズムを作り、会場にいる全てが一体となっていた。

 

 それら全てが、これでもかと言うほどに伝えてくる。

 俺の心の奥底に、届けて来る。

 言葉に出来なくて、それでも抱えきれない想いが溢れてしまって、戸惑いながら、不器用 ながら。必死に。

 

 ドラムが挑発的に加速すると、キーボードが貪欲にそこへ食らいつき、スラップベースがそれを抑えつける。

 ボーカル二人は寄り添うように立って声を上げていた。

 スポットライトが二人を照らし、天井から吊るされたミラーボールは辺りに光を散りばめる。

 それがまるで星のように輝き、彼女達の演奏を視覚的にも存分な程演出させる。

 

 今なら確信を持って言えるだろう。

 俺の求めたものはここにあったのだと。

 けれど、俺と言う風景には余りにも眩し過ぎるから。

 だから俺は求め続ける。

 これからも、ずっと。

 

 

 

 

 

 大トリである雪ノ下達の演奏が終了すると、宴もたけなわ。そのままエンディングセレモニーへと移行した。

 相模委員長から有志の地域賞や最優秀賞などが発表され、講評と締めの言葉を舞台袖で聞きつつ、文化祭は恙無く幕を閉じた。

 いやはや全く。本当に恙無く、である。

 委員長は逃げ出さなかったし俺の悪評は広まらなかったし。

 ただ一つ問題点があるとするならば。

 

「お前さぁ、一曲歌い切る体力すら無いって流石にどうなの?」

「う、うるさいわね......」

 

 今俺の目の前で糸が切れたように椅子に座り込み、らしくなくダラけた格好になっている我が恋人であろうか。

 演奏が終わると同時に観客からは惜しみない拍手が送られた『はるのんと愉快な仲間たち』だが、ギター兼ボーカルの氷の女王様はその場で倒れ伏してしまったのだった。

 突然の出来事に驚く観客。思わず体育館の一番後ろから猛ダッシュで舞台に駆け上がった俺。更に巻き起こる突然のラブコメイベントに沸く観客。ステージ後方から聞こえる魔王と小悪魔とクラスメイトと顧問からの冷やかしの声。

 思い出しただけでも顔から火が出そうだ。

 お陰で俺は、雪ノ下雪乃の想い人である謎の男子生徒から、雪ノ下雪乃の想い人である二年F組のヒキタニ君へとランクアップエクシーズ。

 結局名前間違って広まってるし。

 

「それで?」

「あ?」

「私の演奏に対して何か感想は無いのかしら?こんなになるまで必死に頑張ったと言うのに、あなたと言えば労いの言葉すら無いのだから」

 

 ただ単に声をかけるタイミングを見失ってただけである。

 しかし、どう声を掛けたものか。正直分からない。

 雪ノ下が自分の気持ちを言葉に出来ないからこそ音と言う手段を用いて伝えてくれたように、今の俺も自分の気持ちをどう言葉にすればいいのか分からない。

 きっとそれは、形を得た瞬間に酷く安っぽいものになってしまいそうな気がして怖いからだ。

 ならば俺はどの様な手段を用いるか。幸いにして今俺たちがいるのは舞台袖。雪ノ下が動けないので俺も動いてない。

 他の委員の奴らは表の片付けに追われている。

 少し恥ずかしい上に古典的かつ俺の嫌うリア充っぽいやり方だが、これしか頭に思いつかなかったので仕方がない。

 

「雪ノ下」

 

 名前を呼ぶと、先程よりも幾分かマシになった顔色がこちらを見上げる。

 驚く隙も与えない様迅速に、その唇を奪った。

 

「あっ、なた......! いきなり何をっ......!」

「労いが欲しいって言ったのはお前だろ?」

「私は労いの言葉と言ったはずだけれど」

「言葉に出来ない程だった。だからお前と同じで行動に移した。ダメだったか?」

 

 顔を真っ赤にしながらあたふたする雪ノ下に問いかけると、俯いてしまった。

 あれ、もしかして失敗? まーた調子乗っちゃた感じ?

 

「............ダメね。ダメダメよ」

 

 マジか。やっぱり場所か。学校の中はダメだったか。でもこの前部室でハピネスチャージした前科あるし。

 

「一度ではダメ。全然伝わらないわ。だから、もう一度しなさい」

 

 真っ赤な顔のまま肩をわなわなと震わせつつもキッとこちらを睨む様に見上げてくる。

 控えめに言って超絶可愛い。その可愛さと言ったら世界遺産に登録された後全世界の人が癒され全ての争いが無くなるレベル。その後にこの可愛さを求めて再び争いが起きるまである。やはり歴史は繰り返すと言うのか。

 て言うか。

 

「もう一回したいなら素直にそう言えよ」

「べ、別にそう言うわけでは......」

 

 また言い訳をつらつらと並べようとする前にその口を塞ごうと再び顔を近づけた所で、ガシャッと、心地よいほどにハッキリと音が聞こえた。

 二人して錆びた機械の様にギギギと振り返ると、そこにはスマホを構えた文化祭実行委員長の姿が!

 

「あ、うちに気にせず続けていいよー」

「おい」

「相模さん?」

 

 ごめんごめんと笑いながら近づいてくる実行委員長こと相模南。こっちは笑い事じゃ無いんですけどね。まさか一回目もそのシャッターに収めてたとか言わないよね?

 

「二人とも中々出てこないから様子を見に来たんだけど、まさかあんなシーンを見せられるとは思わなかったなー」

「相模さん、忘れて。お願いだから。忘れてください」

 

 どうしよっかなーなんて言ってるが、まあ拡散の恐れは無いだろう。だからと言って許せるわけでも無いが。

 雪ノ下が必死に懇願してる中、相模は唐突に真剣な顔をした。雪ノ下も何か察するものがあったのか黙ってその顔を見る。

 

「二人とも、今回はありがとう。お陰で凄く良い文化祭に出来た」

 

 数刻前にも礼を言われたが、その時よりもその言葉には実感が籠っていた。

 今回の文化祭が終わり、相模なりに思うところがあったのだろう。

 

「別に俺たちは」

「何もしてないだなんて言わせないよ。特に比企谷にはね。あんたが倒れるまで仕事してくれなかったら、多分うちはあのまま文実を潰してたと思う」

 

 それは間違いなくそうなっていたであろう。

 俺たちはその結果を、この目で見ている。

 

「本番の前日にさ、夢で見たんだ。うちが文実を滅茶苦茶にして、屋上に逃げ込む夢を。その時の比企谷どうしてたと思う? うちに罵詈雑言を浴びせた挙句泣かせたんだよ?」

 

 笑いながら冗談交じりに話す相模だが、俺たちからすると強ち冗談では済まない。事実として一度そうしてしまってる上に、今回の場合はもっと手酷いことをしていた可能性だってあるのだから。

 

「多分、その夢の中のうちと今のうちとは本質的にまだ何も変わってないんだと思う。こうして文化祭を成功させて、委員長としての賞賛だとか栄誉だとか貰ってすごい嬉しいもん。きっと雪ノ下さん達と話した後も、それが一番の目的だった。でもさ、成長は出来たかなって、実感できるんだよね」

 

 いや、相模は確かに変わった。こうして俺たちに自分の気持ちを語ってくれている事こそがその証左だろう。文化祭を通して、あるいは俺たちとの交流を通して。

 しかし奉仕部的に考えるとするならば

 

「なら、無事に依頼達成という事ね」

「そうだな」

 

 変わった変わらなかったはどうでもいい。

 相模南の成長を手助けする。それが、俺たちが問い直すべき依頼だったから。

 ニッと三人笑い合う。

 途中色々と面倒な事が起きたものの、相模の依頼は無事に達成。

 未来は確かに、着々と変わりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 周囲からの視線を一身に浴びながらも部室へと向かう。その視線が意味するのは好奇心か嫉妬心か。多分その両方だろう。

 文化祭を無事に終えた総武高生はその最後の最後に最高の肴を手にしたと言える。

 何せあの雪ノ下雪乃のゴシップだ。興味のない者などいないのではなかろうか。

 しかしあれだな。嫌悪から来る視線には慣れてるんだが、嫉妬の視線を向けられる側に来る日がまさか来ようとは。いやはや、これはかなり居心地が悪い。

 教室内でも同じ感じだったし。それを見て笑いを堪えていた実行委員長様もいやがったし。

 まさか一度目の時と極端なまでに違う立ち位置になってしまうなんて思いもしなかった。

 

 特別棟に入ると生徒の数も減り、必然的に視線も少なくなって幾らか気が楽になる。

 その中でも更に人の少ない四階の奥。最早周囲には誰もいないその場所にようやく辿り着いた。

 何も書かれていないプレートには、これまでの道程を思わせる夥しい数のシールが貼られている。

 どうやらあのお団子頭は一度目のやつも含めてシールを貼っているらしい。

 特に意味がある訳でもないが一つ深呼吸をしてから扉に手を掛けた。

 

 部室の中は相変わらずものが少ない。

 中心に長机と、その周りに椅子が四つ。窓際の机に置かれた紅茶セットくらいのものだ。

 しかしそこが異様に思えたのは一人の少女がいたから。

 少女は斜陽の中でペンを走らせていた。

 世界が終わった後も、きっと彼女はここでこうしているのではないかと、そう錯覚させる程に、この光景は絵画じみていた。それを見た時、俺は身体も精神も止まっていた。

 

 でもそれを、不覚にも、だなんて思わない。

 それは俺がこの少女を知ったからだろうか。

 何度も間違い続け、求め続けたものに確信を持てたからだろうか。

 だとするならば、俺はきっと生涯この少女に目を奪われ続ける事だろう。

 扉の前で未だ立ち尽くしてる俺に気づいたのか、雪ノ下はペンを置いてこちらを見た。

 

「ようこそ、校内一の妬まれ者さん」

「誰のせいだと思ってるんですかね」

 

 その声に俺の時間がようやく動き出す。

 クスクスと笑う雪ノ下を横目に定位置へと腰を下ろした。

 

「どう? 自分の忌み嫌っていたリア充とやらの仲間になった感想は」

「思ったよりも悪くないな。お陰様で漸く周囲に存在を認知してもらった」

 

 ハッと笑いながらカバンから書類を取り出す。実行委員としての最後の仕事は引き継ぎの書類を作ること。仕事が終わってもまだ仕事が残ってると言うこの矛盾。こうして世の中は社畜色に染められていくのである。

 

「そもそも、お前が倒れなかったらこんなことにはならなかったんだけどな」

「その事はもう忘れなさいと言ったはずだけれど?原因を質すのであれば私をあんな時間まで連れ回していたあなたが悪い訳であって私には一切の過失は無かったわ」

「そう言う事にしといてやるよ。......で?今何書いてんの?」

「知っていてそんな質問をするのは意地が悪いわね」

 

 そう、俺は今雪ノ下が書いている紙の正体を知っている。

 進路希望調査表だ。

 二年のこの時期に第一希望を決めるなんてのは流石に時期尚早だろうから、あくまでも意識調査程度。三年からの文理選択を本格的に決定するのはマラソン大会前後のあれだ。

 しかし、雪ノ下雪乃に限って言えばそれは大きな意味を持つ。

 実家が俺たち一般市民と違って少し特殊な家庭なのだ。葉山の家なんかとも繋がりがある上に、かつての彼女の言葉を借りるならば雪ノ下家は葉山家と繋がりを断とうとは思っていないとも言っていた。

 陽乃さんと言う長女がいるとしても、次女である彼女の進路はどうなるのであろうか。

 

「......まだ、確定して決めてある訳ではないわ。取り敢えずは適当に志望校を書くと言った所かしら」

 

 そんな俺の不安が伝わったのか、雪ノ下は苦笑しながら口にした。

 一度目のマラソン大会後にて彼女は文系を選択していたはずだ。国際教養科である彼女に文理選択はあまり意味をなさないものであったが、それでも俺にはそう伝えてくれた。

 

「将来のことなんて具体的にはまだ考えられない。文系の大学に進むかもしれないし、理系の大学に進むかもしれない」

 

 かつて雪ノ下陽乃は己の妹の持つものを、信頼よりも酷い別の何かだと評した。

 ならば今の彼女はどうだろうか。

 きっと、あの頃の彼女ならば迷わず私立文系なんて巫山戯た選択肢を取っていただろう。俺の自惚れで無ければ、の話だが。

 しかし、今の雪ノ下はどうなるか分からないと答えた。それは間違いなく、彼女が彼女自身の意思で答えを出そうと四苦八苦している証拠だ。

 

「でも、その先であなたが隣にいてくれるのなら。私はそれで十分よ」

 

 薄く微笑みながらそう言われてしまっては、照れ臭くて目を逸らしてしまう。

 数刻前にあんな大胆な行動をしておいてこんな事で照れてしまうなんてどうかと思うが、こう言う何気ない仕草が一番グッと来るのだ。

 

「そうかよ......」

「ええ。そうよ」

 

 逸らした目をそのまま、取り出して放ったらかしにしていた机の上の書類へと移動させる。

 今はこれを片付ける事に専念しよう。

 

「やっはろー!」

「やっはろーでーす!」

 

 仕事をしようと思った瞬間にこれだよ。

 扉を元気良く開いて入って来たのは由比ヶ浜と一色だ。二人とも何故か凄いニコニコ笑顔を見せながらの入室。

 

「いやー、文化祭凄い疲れたけどお陰でいいもの見せて貰ったよー。ねーいろはちゃん!」

「そうですねー!まさか最後の最後にあんなサプライズが見れるなんて思ってなかったですよー!」

 

 あぁ、お前らそれくらいにしとけよ......。じゃないと向こうに座ってる氷の女王が......。

 

「二人とも、一体何を見たと言うのかしら?」

「ひっ......!」

「あっ、えっと、その、ゆきのんの凄いカッコいい姿が見れたなーって!」

 

 ほら、言わんこっちゃない。

 目が笑ってないんだよ、目が。あれ未だに俺も怖いんだから辞めてくれよ本当に。

 

「あ、そうだ雪ノ下先輩!今から後夜祭に行くんですけどどうですか⁉︎」

 

 一色が雪ノ下に詰め寄りながら問いかける。

 ナイス判断だ一色。ゆきのんは身体的接触に弱いからな。そうやって攻めていればいずれ陥落するぞ。

 着実に雪ノ下攻略ヒキペディアが完成しつつある。

 

「っ......。その、今日は流石に疲れてしまったから」

「えー、ゆきのん来ないのー?」

「あ、えっと......」

 

 おい、こっちを見るな。そんな助けを乞うような目で見られても俺は行かないぞ!

 

「あ、小町ちゃんに連絡はしといたので先輩は絶対参加でーす」

 

 ちょっとー?俺の人権はー?行方不明になったまま帰って来ないんだけどー?

 小町に本格的に嫌われてしまった可能性が微粒子レベルで存在してる件について。そうなったら俺生きていけないんだけど。

 

「はぁ......。分かったよ。行けばいいんだろ?」

「ヒッキーは行くみたいだけど、ゆきのんは?」

「彼が行くのなら、仕方ないわね......」

「て言うか二人とも何してるんですか?」

「進路希望調査表」

「仕事。て言うか一色お前引き継ぎの仕事とか無いのかよ?」

「あー、全部記録雑務の方に任せちゃいました」

 

 キャピッ☆と横ピースでもしそうな勢いで堂々と宣う一色。ちょっとイラッ☆としちゃったぞ☆

 

「お前も手伝いやがれ」

「なんでですかー!わたしはちゃんと自分の仕事終わらせて来たんですよー⁉︎」

「うるせぇお前のせいで俺の仕事が増えてるんだから文句言わずに手伝えやこら」

「それはちゃんと最初から雑務の仕事だったって相模先輩から聞いてますー!先輩の仕事は増えてないですー!」

 

 わいわいきゃあきゃあと騒ぎ立てる俺と一色を、微笑ましく見守る雪ノ下と由比ヶ浜。

 問い直した答えは果たして正しかったのか間違っていたのか。それを断ずるには第三者の意見が欲しい所ではあるが、当事者である俺たちしかその意味が分からない以上第三者なんぞいるはずもない。

 だから、問い続け、求め続ける。

 今日確信を得た答えを、ずっと永遠に。

 



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番外編
彼も彼女も、幸せを求める。


番外編、嫁度対決編です。


 結婚、それは人生の墓場だ。

 既婚者は例外なく、その素晴らしさを誇らしげに語る。

 やれただいまを言う相手がいると嬉しいだの、子供の寝顔を見ると明日も頑張れるだの......。

 いやマジで素晴らしいわこれ。

 家に帰ると笑顔で俺を迎える雪ノ......、奥さんが『おかえり』って玄関で言ってカバンを預かってくれたり、その後に雪ノし......、奥さんが『ご飯にする?お風呂にする?それとも、わ・た・し?』なんて言ってくれるのだ。男子諸君ならば必ず一度は妄想した事があるだろう。

 雪ノ下との子供なんて彼女に似た美人になるに違いないから溺愛するに決まってるし。もう雪ノ下って認めちゃったよ。

 が、待て。しばし。

 そんなものは所詮新婚ホヤホヤのラブラブ夫婦だけだろう。妄想はすれど、それを望もうとは思わない。

 そう言う夫婦に限って三年目辺りから急に冷め出して、すれ違いの生活を送る末に子供も出来ずに離婚してしまうのだ。

 別にラブラブ夫婦だったり子供がいる事が幸せの全てではない。

 幸せって言うのは、ほら、こうなんていうの。こうさ、何時もの部屋で愛しい人が紅茶を淹れてくれる後ろ姿を眺める、こんな感じのことを言うんじゃないかな。

 そんな光景を前に、俺は昼休みの部室で欠伸を噛み締めながらも雪ノ下がお茶を淹れるのを今か今かと待っていた。

 これぞ幸福であろう。誰だよ結婚は人生の墓場とか言ったやつ。こんな可愛い嫁さん貰ったら墓場に行けるわけがない。

 

「はい、どうぞ」

「おう」

 

 お茶と一緒に差し出されるお弁当箱。

 文化祭の準備中、俺たちが今の関係になってからの昼食はいつも雪ノ下が用意してくれたお弁当を、雪ノ下と由比ヶ浜の三人で部室で食っていた。

 今日は残念なことに由比ヶ浜がおらず、雪ノ下と二人きりである。三人で過ごす時間も心地いいものだが、やはりこうして彼女と二人で過ごすのもいい。

 

「いつもすまんな」

「それは言わない約束でしょう、あなた?」

 

 揶揄う様に微笑まれてつい視線を逸らしてしまう。今の『あなた』のイントネーションが常日頃俺を呼ぶ時のそれと違っていて、まるで特定の関係となった者に対する呼び方の様だった。

 今さっきまでまさしくそんな事を考えていたのも照れを助長させている。

 冷静に考えてさっきの俺の思考は流石に無いわ。キモいわ。まあ嘘は一つも言ってませんけどね!

 取り敢えずさっさと弁当を食おうと思い蓋を開けて見る。色とりどりのオカズと白米が所狭しと並べられているそこに、奴の姿を見つけた。

 

「ちょっと? 今日トマト多くなぁい?」

 

 どこからか俺のトマト嫌いと言う情報を得た雪ノ下は、毎回の様にプチトマトを一つ弁当に入れてくる。彼女なりに俺を思ってくれての行動だと好意的に解釈しているのだが。

 俺がプチトマトを食べて顔を顰めた時に雪ノ下が嗜虐的な笑みを浮かべていたのなんて断じて見ていない。ドSのゆきのんも可愛いと思うけど残念ながら俺はそこまで完成していないので。

 さて、その問題のプチトマトなのだが、なんと今日は三つも入っているではないか。

 流石の俺もそれには抗議せざるをえない。

 

「他意はないわよ」

「そのセリフが最初に来る時点で他意有りまくりって認めちゃってんだよなぁ......」

「いいから食べなさい。それとも、私が折角作って来てあげたお弁当を残すと言うのかしら?」

 

 随分と上から目線だが、実際俺は作って貰ってる側だから何も言えない。それに雪ノ下はこれくらい上から物を言っている方がらしいっちゃらしいしな。

 

「そんな事一言も言ってないだろうが」

「あなたは好き嫌いが多過ぎるのよ。人も食べ物も」

「それ小町にも言われたことあるんだけど......」

 

 それに人の好き嫌いに関してはあなたも同様ですからね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 文化祭が終わり、体育祭も大過なく過ぎ去ると、厳しかった残暑は鳴りを潜め涼しい風が吹いていた。朝方は少し冷えるくらいで、布団を被れば丁度いい感じに微睡める心地のいい季節だ。

 そんな心地いい季節に居心地のいい空間で今日も今日とて紅茶を啜っていたのだが、その依頼は唐突に舞い込んで来た。

 

「ラブマリッジ千葉ウエディング......?」

 

 ぽけーっとした表情と声色で由比ヶ浜が机の上のペラ紙をめくる。

 その冊子は俺にも彼女らにも見覚えのあるものだ。由比ヶ浜は覚えてるか分からんが。

 

「若者の結婚特集、ね......」

 

 デカデカと書かれたその文字を読んでチラリとこちらを盗み見る雪ノ下。ちょっと恥ずかしいのでやめて下さい。そう言うのはまだ早いと思うな!

 

「地域活性化の一環でタウン誌を作るんだそうだ。若い世代に結婚について深く知ってもらおうと、行政や付近のブライダル会社、式場を持つホテルなんかが提携して作るらしい」

「それ俺たち関係なくないっすか?」

 

 問いかけると、平塚先生は言葉を詰まらせて肩身が狭そうに明後日の方を向いた。

 

「その、我が校もなんらかの形で協力するようにと上から言われてしまってな......」

「何故総武高が......」

 

 こんなもん海浜総合のやつらにでもやらせてたらいいだろ。漏れ無く意識高そうな返答がくるぞ。ただし意味が分からなさすぎて誰も手に取らない可能性が大。

 平塚先生は視線をそのままに、どこか遠い目をして呟いた。

 

「理由か。そうだな......。上からの命令に理由なんて求めてはいけない。働くとはそう言うことだ」

「聞きたくなかった。そんな話は聞きたくなかった......」

 

 そろそろ専業主夫の道も諦めるしかないのかと思ってしまっていた矢先にそんな話を聞かされてはやっぱり専業主夫になるしかないなと思いました。

 いやだなぁ......。働きたくないなぁ......。

 

「でもそれ平塚先生のお仕事ですよねー? 私達本当に関係なくないですか? 先輩達を除いて」

 

 俺たち三人からすると分かりきった質問ではあるのだが、当時いなかった一色が間延びした声で質問する。聞かない限りは話が先に進まないので仕方がない。

 いや本当、分かりすぎて辛いのだが、聞くしかないのだ。

 あと一色の台詞の最後の言葉は聞かなかったことにする。

 

「だって......、結婚とか、どうしたらいいのか分からないし......」

 

 嗚咽が漏れそうな悲痛な声が、部室に反響した。

 この場の誰もがその声と表情に胸を痛めた。まあ約一名痛めるほど胸が無い人もいますけどね!

 

「ゆきのん......」

「雪ノ下先輩......」

 

 いや雪ノ下何も悪くないよね? 寧ろ追い込んだのは一色だよね?

 その二人から見つめられると弱るのが雪ノ下であり、やはり今回も例外では無かった。

 

「はぁ......。私もこう言ったことにあまり詳しくはないのですが、出来る範囲でお手伝いします」

「うん、ありがと......」

 

 その年齢と姿には似つかわしくない可愛らしい言葉が返って来た。

 マジで誰か早く貰ってあげてくれ。俺はもう無理だから!

 

 

 

 

 

「さて、ではどこから手を付けましょうか」

 

 あれから平塚先生を必死で宥め、雪ノ下が紅茶を淹れ直してから俺たちは再び顔を突き合わせてウンウンと唸っていた。

 前回もそうだったが、一ページ担当しろと言われても何をすればいいのか分からないものである。

 

「一応聞いときますけど、納期は?」

「入稿が来週。校了までに一週間だな」

「なんか早くないですかー?」

 

 いや、前に君がフリーペーパー作るの依頼しに来た時も結構締め切りまで早かったよ? 人のこと言えないよ?

 

「仕事ってつい手元で寝かしてしまうんだよなぁ......。手がつけづらいやつならなおさら......」

 

 わかる。超わかる。夏休みの宿題とかそのパターンだよね。本当計画性って大事。あ、計画性が無いから結婚出来てないのか。これ本人に言ったら絶対殴られるやつだ。

 

「それで、結局どうするんですか? 結婚に対しての高校生らしい意見なんて何書けばいいか分からないですし」

「ま、俺も雪ノ下もお前も高校生らしくないからなぁ」

「遺憾ながら同意ね......」

「ちょっ、それ何気に酷くないですか⁉︎」

 

 いやだってその計算高さとかあざとさとかはダメだろ。ある意味高校生らしいのかもしれないけど、タウン誌を読む人達はそんな意見期待してないし。

 

「取り敢えずアンケートでも取ってみるか? 意識調査とかそんなんで」

 

 前回と同じく、とは言わない。リープしていなさそうな平塚先生がいる以上は、それを推察されそうな発言は控えるべきだろう。

 理由を問われれば明確な答えを返せるわけでもないが。

 俺のそんな意図を察してくれたのか、雪ノ下はコクリと頷いた。

 

「ではこちらで幾つか設問を用意しましょうか」

「うむ。試しに我々で答えてみようではないか」

 

 ここも前回と同じく、それぞれが適当な質問を考えて雪ノ下がそれを取りまとめ、平塚先生が紙をコピーして来てくれた。

 それからまた用意された質問にそれぞれが答えを書き連ねていく。

 

「じゃあ早速見てみよっか」

 

 由比ヶ浜が手近な紙を手に取って読み上げた。

 

【Q 結婚相手に求める年収は?】

【A 1000万以上】

 

「比企谷くん......」

「ヒッキー......」

「な、違うぞ!俺じゃない!」

 

 シラーっとした目を向けられるが、今回はマジで俺じゃない。前に書いてドン引きされた上に雪ノ下から扱き下ろされたから書いてないぞ!

 

「あ、本当だ。よく見たらヒッキーの字じゃないね」

 

 紙の上を黒で走っている線はあざとさ全開の丸文字。どう見ても男子が書くような字体ではないし、こんなあざとい字を書くやつなんて決まっている。あざとい字ってなんだよ。

 

「え、なんで皆さんこっち見るんですか⁉︎ 私がこれを書いた証拠なんて無いじゃないですか!」

「犯人ってのは往々にしてそんなセリフを吐くもんだ。『自分はやっていない』『大した推理だ。小説家にでもなったらいいんじゃないか』『殺人鬼と同じ部屋になんていられるか』てな」

「昔の私のセリフを盗らないで貰いたいのだけれど......」

「しかも最後はただの死亡フラグだろう」

「て言うか! そんなの証拠になってませんし!」

 

 此の期に及んで未だに反論を続ける一色に向かって、諭すような声音で決定的な証拠を突きつけてやった。

 

「フリーペーパー、ケンケン、編集者。これを聞いてもまだ証拠がないって言うか?」

「うっ......」

 

 言葉を詰まらせる一色。ふっ、勝った。

 ところであの体験記を書いたケンケンは元気にやってるだろうか。彼の就活が上手くいくことを心の片隅で祈っておこう。

 

「ま、まあまあ、他のも見てみようよ」

「結衣先輩......!」

 

 取りなすように言ってくれた由比ヶ浜が次の紙を取る。

 

【Q 結婚後の休日はどう過ごしたいですか?】

【A 比企谷くんとゆっくりする】

 

 

 

 

 ..............................。

 

 

 

 

 悶え死ぬかと思った。

 

「な、なによ。言いたいことがあるならはっきり言いなさい」

 

 いつものキリッとした表情で見事に開き直っていやがる世界で一番可愛い女の子。あ、よく見ると耳真っ赤ですね。結構無理して耐えてるのかな?

 と言うかさっきからニヨニヨと気持ち悪い笑みを浮かべてる由比ヶ浜と一色と平塚先生はなんなの? 恥ずかしいからその笑い方やめて欲しいです。

 

 うん、まぁ。なんと言うか。今度の休みの予定は決まりですね、としか。

 

 

 

 

 

 

 先程の謎の雰囲気漂う空間に耐え切れなかったのか、雪ノ下は仕切り直すように全員の紅茶を淹れなおしていた。

 その間に由比ヶ浜がうちのクラスへとアンケートを取りに行っている。

 あと平塚先生が哀愁漂う感じで遠い目をしてました。

 

「アンケート答えてもらってきたよー!」

「ありがとう、由比ヶ浜さん」

 

 由比ヶ浜を待つ間文庫本を読んでいた雪ノ下がアンケート用紙を受け取る。

 それを全員が見れるように机の上にサッと広げた。

 

「では順番に見ていこうか」

 

【Q 希望する結婚相手の職業は?】

【A 声優さんと結婚したい】

 

「はいはい、次々。てかこいつうちのクラスじゃないだろ」

 

 なに、暇なの? やる事ないの? そんな事してる暇があるならさっさと原稿仕上げろよ。

 材木座の書いた紙を撥ねて次の紙に目を移す。

 

【Q 結婚後の不安は?】

【A 料理とか無理。あと掃除、マジ無理】

【A 嫁姑関係とか同居別居とか遺産相続とか。うち兄弟多いから】

【A 葉山×八幡の行く末とか心配】

 

「見事に誰が書いたか分かるな......」

「まあうちのクラスだし......」

 

 と言っても、実際に不安に思う事があるのは如実に感じられる。

 三浦のやつは結婚する上で避けて通れない家事に関するものだし、川崎のやつも彼女のような家庭ならではの、と言ったところだろう。

 海老名さんは論ずるに値しないよね。

 

「やっぱこれをそのまま載せる訳には行かんよなぁ......」

「回答にリアリティが無さすぎるのが問題だな」

 

 結婚出来てないあんたがそれを言いますか......。

 

「でも、結婚って言われてもイマイチ分からないよね。まだそこまで意識出来ないって言うかさー」

 

 高校生なんて大体そんなもんだと思うが。

 俺たち子供が結婚について得られる情報なんて一番身近な両親くらいなものだ。その両親の身になって考えて見たらいいのかもしれないが、俺がそうした所で働くことの無意味さを痛感するだけ。

 最近まで折り合いの悪かった雪ノ下はそう言ったことを想像するのは難しいだろうし、由比ヶ浜の所はガハマママを見る限り夫婦仲円満っぽいけど果たしてガハマさん本人にそこまでの想像力があるかどうか。一色は知らん。

 

「んー、ここは助っ人でも呼んじゃいますか」

 

 そんな事を言いながら携帯を操作しだす一色。その助っ人とやらにメールでも打っているのだろう。

 暫くもしないうちに返事が来たようだ。

 

「お、今から来れるみたいですよ」

「誰呼んだんだよ......」

 

 最早半ば答えが分かっているような質問なのだが、一応聞いてみる。

 人差し指を口元に持って行き、ウインクをしながら一色は答えた。

 

「ヒ・ミ・ツ、です!」

 

 嫌な予感しかしねぇ......。

 



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いつだって、雪ノ下雪乃の手料理は最高である。

 一色が助っ人にメールを送ってから約十分後。紅茶を飲んだり本を読んだり携帯をぽちぽち弄ったりで時間を潰してた俺たちの前に現れたのは二人の人物。

 

「と言うわけで、助っ人として来てもらいました。小町ちゃんとはるさん先輩でーす!」

「小町ちゃんでーす!」

「はるさん先輩でーす!」

 

 三人揃って敬礼とかしなくていいから。

 てかレスポンス早過ぎだろこの二人。なんなの? サラマンダーよりずっと速いの?

 

「なんでこの二人呼んじゃったんだよ」

「だって捻くれ者のお二人の面倒を十年以上見て来てるんですよ? これ以上ないくらいに適任じゃないですかー?」

「一色さん? 捻くれ者二人とは具体的に誰のことを指しているのかしら?」

「ひいっ⁉︎ 冗談じゃないですか冗談!」

 

 雪ノ下の冷たい視線から逃げるようにして陽乃さんの影に隠れる一色。こいつも本当学習しないな。いや、寧ろ雪ノ下のあの反応を見て楽しんでる節すらある。

 

「それでー? 雪乃ちゃん達は何に困ってるのかな?」

「別に姉さんの手は借りなくても問題ないわ」

 

 睨み合う雪ノ下姉妹。君達仲直りしたんじゃなかったの? 文化祭の時のあれは表面上だけだったの? なにそれ怖い。

 

「まあまあ雪乃さん。取り敢えず例のアンケートとやらを見せてください」

 

 小町が二人をとりなすように間に入る。流石は俺の妹。あの姉妹の間に入るとか俺じゃ絶対に無理。ほら、由比ヶ浜なんてさっきから苦笑いしか浮かべてないぞ。

 陽乃さんから視線を外した雪ノ下が小町にアンケート用紙を渡す。それを受け取った小町に覆い被るように背後から抱きついて一緒に用紙を見る陽乃さん。首元に当てられた膨よかな感触に小町は感嘆の声を上げている。

 あの、うちの妹が変な趣味に目覚めそうなので辞めてもらっていいですか。

 

「なるほどねー。みんな結構しっかり考えてるじゃん。それで、雪乃ちゃんは何か悩み事とか無いのかな? お姉ちゃんが相談に乗るよ?」

「別にそんなものは無いわ。そもそも、私達はまだ学生なのだから、しっかりと考えている人の方が少ないでしょう」

 

 一々突っかかる姉を素気無く遇らう妹。

 どうやら先程の自分のアンケート用紙は既に処分済みのようですね。

 まあしっかり考えてくれてても八幡的には問題ないと言うか。いや本当にそうだったとしたら逆に困るんだけどね。

 

「はっ! 小町閃き!」

 

 さっきから陽乃さんのお胸に埋まっていた小町がいきなり声を上げて手を打った。

 こいつちゃんとアンケート用紙読んでた?

 

「このアンケートを見る限り、みなさんには絶望的に嫁度が足りません!」

「嫁度ってなに......」

「細かいことは気にしない。つまり、どうすれば嫁度が上がるかに企画をシフトチェンジ!」

 

 やはりそうなってしまいますか......。

 陽乃さんと一色はノリノリで拍手なんかしているが、その他の俺たちは訝しげな視線を小町に投げかける。

 

「小町さん、折角提案してくれて悪いのだけれど、もう少し他に無いのかしら?」

 

 雪ノ下が小町の巫山戯た企画を阻止しようと抗議の声を上げるが、それに対抗するのは勿論姉。

 

「あれれ〜? いいのかな雪乃ちゃん。そんなこと言っちゃって」

「......どう言う意味かしら?」

「私的にはこの中で一番嫁度が低いのって雪乃ちゃんだと思うんだよね」

「私が? バカも休み休み言いなさい。少なくともそこの二人よりかは家事全般は得意だと自負しているわ」

 

 そこの二人こと由比ヶ浜と平塚先生は何か言いたげだったが、否定出来るほどの材料を揃えられないのか言葉に詰まっている。

 

「じゃあそれを証明して貰わないとね。もしかして、そこの二人に負けるのが怖いだなんて言わないでしょ?」

「良いでしょう。その安い挑発に乗って上げるわ」

 

 チョロい! ゆきのんチョロ過ぎるよ! 即落ち2コマかよってくらいチョロい。

 まぁ相手が陽乃さんの時点でこうなる事は最早必然だよね。

 

「まあ良いんじゃないのか? さしずめ、花嫁修行特集といったところか」

「お、良いですねそのフレーズ! 小町いただき!」

 

 特に平塚先生には必要な修行ですよね。

 

「ヒッキー、あたしもう諦めたよ......」

「奇遇だな由比ヶ浜。俺もだ......」

 

 疲れたような表情の由比ヶ浜と俺。小町と陽乃さんと一色が手を組んだ時点で俺たちに出来ることなんて最早無いに等しいのである。

 

「それでは、今日から始める花嫁修行! ドキドキ☆嫁度対決!ドンドンパフパフー!」

 

 イェーイと盛り上がるその三人を見て、俺は溜息と共に呟きを漏らしたのだった。

 

「だから、嫁度ってなに......」

 

 

 

 

 

 

 

 小町企画の嫁度対決は日を改めて行われることになった。

 前回の記憶があるので、大体何をさせられるかは予想出来るのだが、どんな展開になってしまうのかは全く予想出来ない。

 何せ今回は陽乃さんと一色がいるからだ。まず間違いなく120%俺と雪ノ下を揶揄うような何かを仕組んでくること間違いなしだろう。

 由比ヶ浜がそれをどうにか止めてくれればいいのだが、多分彼女も色々と諦めてるから悪ノリしてくる可能性も大。

 この後に巻き起こるであろうあれやこれやを想像して一人ため息を吐く。

 現在は部室で一人悲しく待ちぼうけ。俺の得意なお留守番中だ。普段なら一人でいることに苦痛など感じないのだが、先も述べた通りにこの後の事があるので心の中ではドキドキが止まらない。悪い意味で。

 

 内心そんな感じで手元のラノベの文字列を追っていたのだが、ポケットの中の携帯が着信を知らせた。

 どうやら小町からのようだ。そこには家庭科室まで来いと書いてある。

 行きたく無いなぁ、なんて思いながらもここで行かなかったら後が怖いので渋々重い腰を上げて嫌々ながらも部室を出て家庭科室へ。

 その扉の前まで来ると、中から声が聞こえる。多分前と同じで料理でもしてるんだろうが、だからなんで叫び声が聞こえるんだよ......。なに、もしかしてガハマさんがまた何か錬成しちゃった?

 意を決して家庭科室の扉を開くと、案の定そこにはエプロンをつけた女性陣の姿が。

 

「あ、お兄ちゃんやっと来た。さっそく始めるよ」

「始めるってなにを......」

 

 俺のそんな質問なんぞ聞く耳持たず、小町は手に持ったお玉をマイクに見立てて高らかに宣言した。

 

「今から始める花嫁修行!ドキドキ☆嫁度対決〜!まず最初の対決は料理です!」

 

 料理対決ってなに。食戟でもするの? 俺のおはだけとか誰得だよ。

 

「審査員の皆さん、よろしくお願いしまーす!」

 

 家庭科室の奥には審査員として呼ばれたであろう人物が二人。その片方は言わずと知れた嫁度MAX(俺調べ)の戸塚だった。

 

「なんで呼ばれたのかは全然分からないけど、みんな頑張ってね!」

「ふむぅ、説明をしなければしないほど深いのが最近の設定。良かろう、この剣豪将軍、甘んじて受け入れようではないか!」

 

 なんか材木座もいた。

 この二人は小町が呼んだのだろう。なんかこんな茶番に付き合わせて戸塚には申し訳ない。

 

「じゃあお兄ちゃんもあっちの審査員席に座ってね」

「なぁ、戸塚ってこっちの席でいいの?」

 

 取り敢えず疑問に思った事を口に出したのだが小町には無視された。辛い。

 因みにエプロンをしているのは雪ノ下、由比ヶ浜、小町、一色、平塚先生の五人だ。陽乃さんはエプロンしてない。なにしに来たんだこの人。

 

「ではトップバッターは結衣さん! お題は男子が求めるお袋の味です!」

 

 なんか高級レストランでありそうな銀色のアレを持って自信満々に前に出て来る由比ヶ浜。

 が、俺は忘れていない。この中に入っていたのは和風ハンバーグとは名ばかりの木炭じみた何かである事を。

 

「ふふーん。前までのあたしだと思わない事だよ、ヒッキー!」

「その自信はどこから来るんだ......」

「では結衣さん、どうぞ!」

 

 かくして開かれた蓋の先にあったのは

 

「じゃじゃーん!ミートソーススパゲッティ!」

「え」

 

 思わず絶句してしまうほどの代物だった。

 ソースが黒い。イカスミパスタかと見間違えてしまいそうなくらい黒い。お陰でそこに入っているであろうミートの要素がどこにも見当たらない。

 マジであの自信はどこから来てたんだ。

 

「えー......」

 

 ご覧の通り小町も思わずドン引きしてる。

 こんな有様になるまでどうして放ったらかしにしておいたのかと、由比ヶ浜の後ろに立っている面々に非難の視線を向ける。

 

「ごめんなさい、私は自分の料理に手一杯で......」

「いや、お前はいい。問題は恐らくなにもしていなかったであろう雪ノ下さんだ。参戦しないならせめて由比ヶ浜の状況を見てて欲しかったのですが」

「んー? 私はちゃんと見てたよ? でもガハマちゃんが余りにも一生懸命だったから邪魔するのもどうかなーって」

「マジで見てただけなのかよ......」

 

 せめて止めて欲しかった。

 いや、逆説的に言うと陽乃さんが止めなかったと言うことは命に関わるような調理法ではなかったと言うことだ。よし、これでまず最初のハードルがだいぶ下がったぞ。

 俺がそんな風に決意していると隣から鬱陶しい咳払いが聞こえて来た。

 

「ごらむごらむ! 昔から言うであろう。我を見た目で判断してはいけないと。おそらくこの料理もその姿の奥に輝きを秘めて......」

 

 材木座がなんかかっこいいこと言ってる風だったけど全然そんなこと無かった。こいつ女子の手料理に浮かれてるだけだ。

 由比ヶ浜のミートスパゲティ(仮)に颯爽と手を伸ばした材木座はそれを口に運び、咀嚼して嚥下した。

 

「こ、これは......!」

 

 そして目を見開き

 

「ぶべらっ!」

 

 沈黙した。

 小町も隣で絶句している。

 順番的にも次は俺が食べるべきなのだろうが......。目の前のこの真っ黒な麺類と材木座の惨状を見てしまったら躊躇してしまうのは仕方のない事だろう。

 だが、ここで俺が食べなければ戸塚がこれを食う事になってしまう。

 橋を持ち上げた右手を皿の前でプルプルと震わせていると、横から白い腕がニュッと伸びて来た。

 その腕で持たれた箸はミートスパゲティもどきを掴むと、可愛らしく開かれた小さな口まで運ばれ、咀嚼したのちに飲み込まれる。

 

「......んっ、んんっ......」

 

 戸塚は、少し苦しそうにしながらも由比ヶ浜の作ったミートソーススパゲティをしっかりと食べた。

 

「と、戸塚? 大丈夫なのか? どこかおかしな所とかないか?」

「もう、失礼だよ八幡。折角女の子が作ってくれたんだから、男の子はちゃんと食べてあげなきゃ」

「さ、さいちゃん......。別に無理しなくても」

「大丈夫だよ由比ヶ浜さん。確かにちょっと独特でミートソースの味は全然しないけど、まぁ、食べられないってわけじゃないと思うから」

 

 天使や、天使がおるで......。

 戸塚の額には薄っすらと汗が滲んでおり、由比ヶ浜製スパゲティを一口食べるごとに苦しそうに飲み込んでいる。

 無理して食べているのは目に見えて分かったのだが、何故か手伝うのは躊躇われた。

 おそらく口内では味覚の地獄甲子園が開催されているであろうに、戸塚は嫌な顔一つせず、そのスパゲティを完食してしまった。

 

「うん、ご馳走様、由比ヶ浜さん」

 

 にっこりと微笑んで言う戸塚の勇姿にこの場の誰もが感動した。小町なんか横で超涙ぐんでるし。

 

「戸塚さん......、婿度高い......」

「婿度ってなに......」

 

 嫁度の次は婿度かよ。確かに嫁が作ったけど失敗してしまった料理を文句も言わずに食べるのは旦那としてと言うか男としてかっこいいとは思うけど。

 でも戸塚は嫁度の方が高いと思うな!

 

 

 

 

 

 

 

「では次はいろはさんどうぞ!」

 

 小町に呼ばれた一色が若干ドヤ顔で一歩進みでる。こいつは確かお菓子作りが得意だった筈だから、由比ヶ浜のような心配もいらないだろう。

 

「ふふふ、先輩の中のわたしのイメージを払拭させるようなものを見せてあげますよ!」

「はいはい。そう言うの良いからさっさと出して」

「なんでそんな適当なんですかー!」

 

 態とらしく頬を膨らませてもダメ。こいつが出して来そうな料理なんて粗方予想が出来る。どうせ男ウケのいい肉じゃがとかそんなんだろ。

 

「そんな事を言っていられるのも今のうちですからね!」

 

 机の上に置かれた銀パカが開かれると、嗅ぎ慣れた香りが家庭科室内を蹂躙した。まさかと思い、恐る恐る銀パカの上に乗った料理を覗き込んでみる。

 

「こ、これは......⁉︎」

「ふふーん、どうですか! 一色いろは特性こってりギタギタラーメン!」

 

 そう、ラーメンである。

 それを見た雪ノ下と由比ヶ浜は軽く引いてる。

 嗅ぎ慣れているのもそのはず。この俺がこよなく愛するなりたけととても酷似したラーメンなのだ。

 強烈なまでの匂いはこれでもかと言うほどに味覚中枢を刺激し、思わずゴクリと喉を鳴らしてしまう。

 

「お前、もしかしてなりたけハマっちゃった......?」

 

 今にもがっついてしまいそうになるのを誤魔化すようの質問すると、一色はつーっと視線を横へとずらしていった。

 

「せ、先輩には関係ないですよ......」

 

 おっとこれは正解を引いたようですね。

 愛想笑いを浮かべなが呟いた一色の表情はどこか悔しそうだ。

 

「取り敢えず、食べてみてください!」

 

 料理である以上見た目だけで判断するのも作り手に失礼というものであろう。ここは千葉のラーメンマスターことこの俺が直々に食べて採点してやろうではないか。

 ではまず一口。パクリ。

 

「なん......だと......⁉︎」

「は、八幡? どうしたの?」

 

 驚愕した。あまりにも驚きすぎて目を見開いてしまった。俺の腐った目が見開いているから戸塚を驚かせてしまった。許すまじ一色。

 いや、冗談はこれくらいにしておこう。俺が一色の作ったラーメンに驚愕して目を見開いた理由はただ一つ。

 

「な、なりたけのラーメンだ......」

「そうでしょうそうでしょう!」

 

 俺のコメントに満足したのか、一色は喜びながら飛び跳ねている。なんだよそれ可愛いなおい。

 しかし、本当になりたけのラーメンそのままなのである。

 麺に絡まったギタギタのスープをここまで再現してしまうとは。恐るべし、一色いろは。

 

「ふむ、比企谷を唸らせるほどとは興味があるな。私にも一口貰えるかな?」

「で、出たー! ラーメン界の生き字引! いや、生き遅れ!」

「言い方が間違ってるぞ、比企谷♪」

 

 可愛らしく軽快な口調とは裏腹に、ごすっと地味な音を立てて平塚先生の拳が俺の腹を抉る。

 事実を言っただけなのにこの仕打ちとは酷い。しかしそれを口に出した所で撃滅のセカンドブリッド以上が飛んでくるのは明白である。

 

「さて、では頂くとしよう」

 

 俺の隣に椅子を持って来た平塚先生は、胸の前で手を合わせてからまずは蓮華でスープを掬った。それを淑やかな態度で口元に運んでいく。

 おそらくリップが塗られてるであろう鮮やかな唇を見るのがなんだかイケナイコトな気がして思わず目を逸らしてしまった。

 どこかから冷ややかな視線を注がれてる気がするが、八幡君は鈍感なのでそんなの気がついていない。

 

「こ、これは......⁉︎」

 

 カッとペルソナばりに目を見開いた平塚先生は、それきり何を言うでもなく一色作のラーメンをガツガツ食い始めた。

 あの、俺まだ一口しか食べてないんですけど......。戸塚に至っては一口も食べてないんですけど......。

 

「一色」

「は、はい?」

 

 結局ラーメンを完食しやがった平塚先生が一色の肩を優しく叩くと、更に優しい表情でこう言った。

 

「君には歩くなりたけの称号を与えよう」

「なんですかその微妙に嬉しくない称号⁉︎」

 

 不満だったのかギャースカ喚き出す一色。

 微妙の嬉しくないとは失礼なやつだ。なりたけはパリにも進出している千葉が誇る世界のラーメンだと言うのに。

 いや、この称号は貰っても嬉しくないな。

 

「てかお前、あれからまたなりたけ行ったの?」

「行ってないですよ。女の子一人で行くわけないじゃないですか。仮に女子一人でラーメン食べにいく人とかいたらあれですよ、あれ。超ドン引きですよ」

「ごはっ!」

 

 おっと流れ弾がラーメン界の生き遅れさんに直撃してしまったようですね。でも大丈夫! 平塚先生は女子って歳じゃないから一色の言葉のうちには含まれないよ!

 うわっ今背中がゾクってした、

 

「だ・か・ら......」

 

 ふわりと柑橘系の香りが鼻腔をくすぐった。気がつけば見慣れた亜麻色の髪が目の前まで来ており、それが首筋にサラリと触れてゾワッと妙な感覚が背筋を駆け巡る。

 

「先輩だけ、特別ですよ......?」

 

 甘ったるい声音が脳髄を刺激した。

 視界がクラリと揺れそうになって、刹那の間に正気に戻る。いや、正気に戻らざるを得なかった。

 あの、正面に立っている般若のような表情をした我が恋人を見てしまっては。

 

「一色さん?」

 

 恐怖を感じる、なんて言葉では表せられないような感情が全身を撫でる。まるで酷く冷え切った手に首根っこを掴まれ、自分の命の行く先を握られたような。

 これまでもその声音に恐怖を感じたことはあれど、ここまでのものだっただろうか?

 否、断じて否。

 氷の女王、雪ノ下雪乃はその背に黒い炎を燃やして己の後輩の名を呼んだのだ。

 呼ばれた一色は俺と同じように感じたのだろう。恐怖のあまり、と言うよりも恐怖を通り越した何かを感じて声も出せずにいる。

 

「私、猫は大好きだけど、一つだけどうしても嫌いな猫がいるのよ」

 

 薄く微笑んだその顔に思わず見惚れそうになるが、静かに響くその声がそれを許しはしない。

 一色は口を魚のようにパクパクさせて、目尻に涙を溜めている。

 

「泥棒猫って言うのだけれど、知っているかしら?」

「存じ上げております!」

 

 漸く絞り出したであろう声は上擦っており、その言葉は普段の一色が発するようなものとはかけ離れたものになっている

 

「そう、知っているのなら良かったわ。一色さんは、違うわよね?」

 

 ゆっくり。ゆっくりと。冷淡な声で紡がれた言葉が耳朶を打つ。

 コクコクと全力で首を縦に振る一色。それを見て満足したのか、雪ノ下は長い髪を払いのけた。

 

「雪乃ちゃんは可愛いなぁ〜」

 

 息が詰まりそうなその空間を切り裂くように陽気な声が鳴る。陽乃さんは雪ノ下の頬をツンツン突きながら滅茶苦茶笑顔で妹に構い出した。

 

「嫉妬かな? 嫉妬なのかな?」

「姉さん黙って。彼は私のなのだから所有権を主張したまでよ」

「またまた〜。照れなくてもいいんだぞ?」

 

 正直助かった。陽乃さんがここで声を出してくれなかったら俺と一色が死んでた。

 一色は主に恐怖で。あのまま続けてたらいろはす心臓麻痺起こしてもおかしくなかったよ?

 俺はまあ、羞恥心とか嬉しさとか色々なものに押し潰されて。

 だってあの雪ノ下が独占欲を持ってくれてたんだぞ? さっきまで確かに怖かったのを通り越してもうちびりそうになってたけど、今となっては気を抜いたら頬が緩みそうだ。

 

「結衣先輩......。怖かったです......」

「あー、よしよしいろはちゃん。確かにさっきのゆきのんは怖かったね......」

 

 抱きついてくる一色を苦笑いを浮かべながらも優しく受け止める由比ヶ浜。

 ガハマさんのダブルメロンに埋もれた顔は隙間から見る限りにへらと歪んでいた。

 ちょっと? あなたさっきまで泣きそうになってましたよね?

 この場合一色の強かさを恐るべきなのか、恐怖を一瞬で和らげるダブルメロンを褒めるべきなのか非常に悩ましい。

 

 

 

 

 

「で、では気を取り直して、雪乃さんの料理を見てみましょう!」

 

 段々と百合百合しい空気に包まれてきた家庭科室だったが、小町の一声で嫁度対決が再開される。

 個人的にはこのまま流れてしまった方が嬉しかったんですけどね。

 

「私は秋刀魚の塩焼きを......」

 

 机に乗せた銀パカが開かれると、なんだかんだよく見たことのあるお魚さんが。

 八月下旬あたりから市場に出回る今が旬の魚、秋刀魚だ。

 皿の端っこに盛り付けてある大根おろしも合わせて、テンプレートのような秋刀魚の塩焼きだった。

 

「んじゃ先ずは一口」

「待ちなさい」

 

 早速身をほぐして一口頂こうとしたのだが、これを作った雪ノ下から待ったがかかった。

 え、なに? もしかして秋刀魚食べる時の作法とか存在する感じ?

 

「比企谷くん、お箸を貸しなさい」

「お、おう」

 

 有無を言わせぬ謎の迫力に負けてしまって思わず言われるがままに箸を渡す。

 一体何をするのかと思いきや、俺から箸を受け取った雪ノ下は、先程平塚先生が座っていた椅子に座り、秋刀魚の身をほじくり出した。

 暫くその様子をジッと見ているとあら不思議。秋刀魚の骨が綺麗に根こそぎ取り出されたではありませんか!

 いや、これまじで綺麗に取れてるぞ。もう残ってるの身だけだぞ。文字通り骨抜きにされてるぞこの秋刀魚。

 やっぱりネコ科の雪ノ下さん的にはお魚の骨好きなのかな? とかふざけたことを考えてると、抜き取った骨を別の皿に置き、一口分の身を箸で摘んでこちらに差し出してきた。

 

「はい、あーん」

 

 

 ......................................................。

 

 はっ! ヤバイ思わずトリップしてしまった。

 危ない危ない。雪ノ下との老後の人生まで妄想しちまったぜ。もう少し遅ければ手遅れになってるところだった。

 いやこれもう手遅れだわ。

 頬を染めて若干恥じらいつつも幸せそうに微笑みながら箸をこちらに差しむける雪ノ下。どうなら魚の骨を抜いただけに飽き足らず、俺すらも骨抜きにしてしまうらしい。

 もうこいつが優勝でいいんじゃないかな。

 ではなくて。

 

「あの、雪ノ下さん? みんな見てるんだけど?」

「ええ、それがなにか?」

 

 あ、これあかんやつや。何言っても無意味な時のゆきのんや。

 持ち前の負けず嫌いを発揮させちゃったのかな?

 取り敢えず後ろでカメラを構えている大魔王とあざと小悪魔は無視するとして。今なんかカシャってシャッター音鳴った気がするけどそれも無視するとして。

 

 元来ぼっちの俺には取れる選択肢と言うものが少ない。今までもその少ない選択肢を更に取捨選択し、最も効率のいい方法を取ってきた。

 今回もそれに漏れず、俺に与えられた選択肢はただの一つだけ。

 それ即ち、強情になってしまった雪ノ下の前では諦める以外にないと言うことである。

 

「さあ比企谷くん、あーん」

「あー......」

 

 ん、と一口。

 普通に美味い。由比ヶ浜のようなインパクトがあるわけでもなく、一色のような眼を見張る完成度を誇る訳でもない。

 しかし、その二つ以上に美味しく感じられたのはどう言った理由からか。問わずとも分かりそうなものだが。

 しかしその理由の内の一つには、素材の良さがあるだろう。

 脂がしっかり乗った旬の魚は、雪ノ下の目利きだろうか。そこらの店で出るものよりもいい秋刀魚を使ってるかもしれない。

 

「もう一口どうぞ」

「おう」

 

 最早恥じらいなんてどこへやら。雪ノ下が差し出してくる箸にパクリと食らいつく。

 塩気がよく効いていて白飯が欲しくなるが、ここでガッツリ食べてしまえば晩飯を食えなくなるので我慢。

 なにより雪ノ下があーんしてくれていると言う事実だけでもうお腹一杯だ。

 

「戸塚くんも是非どうぞ」

「あ、うん。じゃあ遠慮なく」

 

 やっぱり戸塚にはあーんしないのね。そりゃそうか。もししたらしたで俺が複雑な気持ちになってしまう。

 いや、俺が戸塚にあーんすれば万事解決なのでは?

 

「凄い美味しいよ。雪ノ下さん料理上手なんだね!」

「これくらい当然よ。ミートソースがイカスミのようになってしまったり、嫁度を測るのにラーメンを作るような人達とは違うもの」

「うっ......」

「ぐぬぬ......」

 

 後ろで悔しそうにしてる由比ヶ浜と一色だが、雪ノ下は正論を言っただけですよ?

 特に一色。お前完全に勝負の趣旨を理解してなかっただろ。

 

「はーい! ではお兄ちゃんと雪乃さんのイチャイチャも見れたことで、大トリの平塚先生!」

 

 大トリと言うか大オチと言うか。

 つか今回は小町ちゃん参戦しないのね。小町の肉じゃが久しぶりに食べたかったんだけど。

 

「私の料理は、これだ!」

 

 銀パカが開かれた先に現れたのは、夥しい数の肉、肉、肉。先程一色のラーメンの時にもあったあの感覚、味覚中枢が強く刺激される感覚が蘇る。

 そう、皆さん御察しの通り一度目と同じ。

 適当に焼いた肉ともやしに焼きタレぶっかけただけである。

 

「どうだ比企谷? 私も中々やるもんだろ?」

「いや、確かに男子的には大好物の一品ですけど。嫁にこれ出されるのはちょっと......」

 

 いつだったか、奉仕部の部室で男受けする料理はなにかと言うメールに対して『適当に焼いた肉と白飯』なんて答えた気もするが、実際これを妻から出されたらなんかちょっとアレだよね。

 取り敢えず採点の手順的に食べなければならないので肉を一枚摘み、口へと運ぶ。

 

「焼きタレうめぇ......」

「私を褒めろ、私を」

「でも確かにお嫁さんっぽくはないよねー。静ちゃんもうちょっと他に無かったの? こんなのばっか作ってるから彼氏逃げていくんだよ?」

「ぐはっ!」

 

 陽乃さんがトドメを刺して先生はついに膝から崩れ落ちた。超正論なだけに何も言えない。

 て言うか、陽乃さんはマジで何しに来たの? 今のところ雪ノ下にちょっかいかけた以外何もしてないけど、暇なんですか?

 何もしないなら帰ってくれないかなぁ......。

 

 

 



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願わくば、彼と彼女の人生に多くの幸せを。

嫁度対決ラストです。つまり本当に最終回。


 料理対決が終了した後、材木座の亡骸をそのままに嫁度対決は次のステップへと移行する。

 

「では二回戦! 嫁度クイズ『こんな時、あなたならどうする?』です!」

 

 先ほど料理を振る舞った女性陣が長机に並んで座り、机の上にはフリップとサインペンが用意されていた。

 調達先が気になる所だが、聞いたところで教えてくれないだろう。

 因みに俺は参加しない。だってあそこに並ぶのなんか怖いし。それだったら戸塚の隣に座っていたい。

 

「これはあんまり深く考えずに、自分ならその場でどうするのか正直な答えを書いてね」

 

 陽乃さんの注釈に全員が頷きを返す。

 まさかとは思うけど、これ陽乃さんが問題考えてたりしないよね? ね?

 

「では第一問!『夫が会社をクビに⁉︎ まさかのリストラで家計に大きなダメージが......。夫は落ち込んでしまってハロワにも行かない』さあこんな時どうする?」

「問題の内容が重い......」

 

 なにこの問題? 考えたの誰ー?

 まあそこでニヤニヤ笑ってる大魔王ですよね。うちの妹がこんな問題考えるわけないし。

 いや、案外考えるか。

 そもそも一度目と問題違う時点で考えたの小町じゃないってわかる。

 解答者である女性陣を見回してみると、全員案外スラスラとサインペンを走らせていた。この程度の問題ならば悩む必要もないと言うことだろうか。

 そして四人が書き終わったのを見計らって陽乃さんが声をかける。

 

「それじゃあ順番に見ていこうか。いろはちゃんから順番にお答えドン!」

 

 いつものにこやかあざとスマイルを貼り付けた一色はフリップを立ててあざとボイスで断言した。

 

「離婚する」

 

 冗談に聞こえねぇ......。

 いや、確かに会社クビになるような男お断りかもしれんけどさ。いろはすもしかして旦那のことを自分の財布と思ってる?

 そして隣に移って次は由比ヶ浜。よいしょといいながらフリップを持ち上げた彼女は優しい表情でこう言った。

 

「今は頑張らなくてもいいよって慰めてあげる」

 

 うん。非常に八幡的にポイント高い解答だ。

 きっとハロワにも行かないと言うことは、それなりに気を沈ませていると言うことであり、そんな奴に頑張れと言っても余計に頑張れなくなるだけである。

 勉強しろって母ちゃんに言われるとやる気なくなるあれだ。

 ただ、由比ヶ浜の場合は慰め方がなぁ......。

 こいつ時折無自覚に地雷を踏み抜いてくるし。旦那が余計に凹まなければ良いのだが。

 お次は雪ノ下。冷めた表情でフリップを捲る。

 

「一生奴隷として家事に勤しんでもらう」

 

 怖い、怖いよゆきのん! 奴隷ってなんだよそれもう夫婦の体をなしてないじゃねぇかよ。

 しかし捉え方によってはそれって専業主夫なのでは? ......一回就職してからわざとリストラされようかな。

 そしてオチは平塚先生。

 

「朝まで飲み明かす」

 

 うーん。これはダメ人間ルート一直線ですね。そのまま酒に溺れて人生棒に振る未来が見える。

 平塚先生はそう言うダメ男でも矯正間違えた更生させようとする面倒見の良さを持ち合わせてはいるが、同時にそう言う男に引っかかりそうで不安でもある。

 

「取り敢えずいろはちゃんと静ちゃんはペケね」

「なんでですかー⁉︎」

「いやそりゃそうだろ......」

 

 当たり前なんだよなぁ。

 離婚は最終手段というか、臭い物に蓋理論ですよそれ。

 しかしこれ正解なんてあるのだろうか?

 そう思って二人に視線を向けると、小町が背後からフリップを取り出した。

 

「因みに小町的模範解答はこちら。『そもそもそんな人と結婚しない』です」

「問題の前提崩れちゃってるじゃねぇかよ......」

「煩いよお兄ちゃん」

「細かいこと気にしてたらハゲるよ比企谷くん」

「やめて、俺の生え際に憐れみの視線を投げつけないで」

 

 親父はまだ禿げてないから大丈夫、な筈だ。

 ていうかこの歳で禿げるとか悲しすぎる。そんな奴はさぞ毎日のように罵倒されてる奴に違いない。

 

「ではお次の問題に参りましょう!」

 

 随分と重い出題内容だったにも関わらず、小町は軽い感じで進行する。

 

「第二問!『今日は結婚記念日! 日頃の感謝も込めて贈り物をしたいけど、何を贈る?』では解答をフリップにどうぞ!」

 

 おぉ、一問目に比べると随分マシな問題が出てきたな。こういう感じのでいいんだよ。てか全部こんな感じでお願いします。

 

「それではお答えドン!」

 

 一問目と同じくトップバッターである一色は声の調子を確かめるように少し咳払いした後、さっき以上のあざとくて甘い声で解答した。

 

「プレゼントは、わ・た・し♪」

 

 うわぁ......。流石にそれは無い。それは無いよいろはす。新婚ホヤホヤの夫婦でもそんなのしないよ。寧ろそれで旦那の目が覚めるまである。

 

「手作りクッキー!」

 

 それもダメだよガハマさん。結婚記念日が命日とか誰も喜ばない。それじゃ目が覚めるどころか目を覚まさないぞ。

 

「センニチコウ」

 

 センニチコウ? 確か花だっけか。なんかの本で花言葉を見た事がある気がするが思い出せない。

 しかし、記念日に花を渡すなんて流石は雪ノ下。可愛らしいことをしてくれる。

 

「名作アニメBlu-rayBox」

 

 それ平塚先生が見たいだけですよね。

 いや俺も貰えたら嬉しいけど記念日にそれはダメでしょ。

 

「またまた個性的な解答が出揃いましたねー」

「ねえねえ雪乃ちゃん、センニチコウの花言葉ってなんだっけ?」

 

 陽乃さんが食いついたと言うことは、それの花言葉は大層な意味をお持ちになってらっしゃるのだろう。

 でもその花言葉がこの場で明かされたとしても辱めを受けるだけなので詮索しないであげて欲しいな!

 

「なんでもいいでしょう。気になるのなら帰ってから調べなさい。寧ろ今すぐ帰りなさい」

「相変わらず冷たいなー雪乃ちゃんは」

 

 素気無くあしらわれても大して懲りた様子を見せない陽乃さんも相変わらずのようですね。

 しかし、センニチコウか。帰って調べてみよう。

 

「では陽乃さん、模範解答をお願いします!」

「はいはーい。はるのん的模範解答はこちら! 『赤ちゃん』!」

 

 おい。

 何言っちゃってんのこの人。解答席に座ってる女性陣全員赤面してますよ。って平塚先生、あんたもかよ。

 雪ノ下はこっちをチラチラ見ないで。何人が良いかしらとか呟かないで。俺も恥ずかしくなっちゃうでしょうが。全くもう。子供は二人がいいと思います。

 

「ここまで見てきて、審査員の戸塚さんとお兄ちゃんどうでしたか?」

 

 俺が小っ恥ずかしい想像をしていると、小町がこちらに話を振ってきた。

 それを受けて戸塚がニコッと笑って答える。

 

「記念日に花を貰うのってなんだかロマンチックで素敵だな。ね、八幡」

「戸塚になら毎日贈るぞ」

 

 はっ、思わず即答してしまった。でも仕方ないよね。戸塚と会った日は毎日が何かしらの記念日なのだから、毎日花を贈らなければなるまい。

 

「出ましたよ先輩の病気......」

「まあ、相手がさいちゃんだからね......」

「ええ、あれはもうどうしようもないわ......」

「お二人ともそれでいいんですか⁉︎」

 

 うーん、これは諦められてますね。雪ノ下にも諦められてる辺り末期ということなのだろう。ただ恋人としては諦めて欲しくなかったかな!

 

「次の問題行くよー」

「次が最後の問題となります! 皆さん頑張って答えてくださいねー」

 

 咳払いをして声の調子を確かめた小町はまた小芝居を始める。

 

「『最近、夫と姉の仲が前よりも良くて頻繁に会ってるみたい......。まさか、浮気⁉︎』 さあこんな時あなたならどうする⁉︎」

 

 なんですかこの特定の人物を狙い撃ちにしたかのような問題は。

 解答者の中で姉がいるのなんか一人しかいないんですが。

 問題の内容にドン引きしながらも長机の方を見てみると、一色は鼻歌でも歌い出しそうな程楽しそうに書いており、由比ヶ浜はうんうん唸りながら、雪ノ下は冷めた表情で書いているが時折ニヤリと笑みを浮かべ、平塚先生はぶつぶつと何事か呟きながら指を鳴らしていた。

 ちょっとー、この女性陣怖いんだけどー?

 

「それではお答え、ドン!」

「慰謝料と養育費ふんだくって離婚後絶縁」

 

 本性が出てる一色。

 

「困る」

 

 言い方がもう困ってる由比ヶ浜。

 

「衆人環視のある公共の場で問い詰めた後泣く」

 

 書いてある答えとは裏腹に酷く冷め切った声と表情の雪ノ下。

 

「鉄拳制裁!」

 

 最早論外な平塚先生。

 答えの書かれたフリップを見渡してみて思わずため息が漏れる。どうしてこう、うちの女性陣は怖いことばかり思いつくのだろうか。

 

「泣くってなんだよ、泣くって......」

 

 中でも一番特異なのは雪ノ下の解答だろう。こいつが泣くとか想像できない。

 いや、もう既に何回か泣き顔見たことあるけどさ。

 

「だって、これが一番効果的でしょう? 誰にとは言わないけれど」

「雪乃ちゃんを泣かせたら多分私も泣くよ、比企谷君?」

 

 いやこの問題における雪ノ下の場合の姉って貴女の事ですからね。て言うかそれって遠回しな脅迫? やだ、千葉村の時に既に一度泣かせたなんて言えない。

 

「んー、みなさん良い線いってますが、小町的模範解答はこちら。『信じる!』 これ小町的に超ポイント高い♪」

 

 解答者全員がおー、と感心の声を上げているが、雪ノ下と由比ヶ浜は二度目なんだからこの答え知ってただろうが。

 いや、ガハマさんは忘れてたかもしらんけど。

 

「そんなんでいいのか?」

 

 戒めと警告を含めて小町に問いかけた。

 誰かを信じる、と言うのは存外に難しい事だ。それは諸刃の刃でもあり、裏切られた時のダメージは信じているほどに大きくなる。

 今でこそ、俺にも無条件で信じられるような相手が出来たものの、基本的には他人なんて疑ってかかるのが正しい。それが自分に対する絶対的な防衛措置になるのだから。

 

「うーん、小町が好きになる人は浮気しそうにないと言うか、変に律儀で真面目な捻デレさんだと思うから心配いらないと思うな」

「いるかよ、そんなやつ......」

 

 律儀で真面目な捻くれ野郎ってどんなやつだよ。本当にいるのなら会って見たいね。そして俺の小町を嫁に貰う代償として泣くまで殴るのをやめない。寧ろ泣いても殴り続けるまである。

 

「案外いるものですよ」

 

 何故そこでみんな揃ってこっちを見るんだよ。

 

「では嫁度対決はここまで! 最後にアレをやって締めましょう!」

 

 いや、だから結局嫁度ってなんだったの......。

 

 

 

 

 

 

 

 

 陽乃さんからとある服を渡され、それに着替えて先に部室に戻っていろと言われた。

 現在は言われた通り制服から着替えて部室で一人待ちぼうけだ。

 戸塚は部活の合間に抜けてきてもらっていたらしく、既に部活へと戻ってしまった。

 俺が今着ている服は結婚式で新郎が着るフロックコート風のあれ。所謂『タキシード』と言うやつである。

 本来タキシードとは夜間、宴席などで用いられる略式の礼服であり、新郎が着る服をタキシードと呼ぶのは日本だけらしい。

 本場のイギリスや欧州諸国ではディナー・ジャケットやスモーキングなんて呼ばれている。

 さて、何故俺がこれを手渡されて、あまつさえ着るはめになってしまったのか。家庭科室での小町の『締めのアレ』という言葉に関係しているのは考えなくとも分かる。

 そして一度目の世界での嫁度対決、この場にいない女性陣。導き出される答えはたった一つだろう。

 

「ごめんね比企谷君、お待たせ」

 

 これからの展開に期待半分恐れ半分な心持ちでいると、部室の扉が開いて陽乃さんと由比ヶ浜、一色と小町が入ってきた。

 平塚先生がいないのは予想外だったが、恐らくあの人が割り振られたであろう役を考えると悲しくなって来たのでこの思考は断ち切ろう。

 

「今日雪ノ下さんが来たのはこれが目的ですか?」

「なんのことかな?」

 

 問うてもニコニコと笑顔で受け流される。

 超絶シスコン大魔王なこの人の事だ。今日来たのは最初からこれが目的だったのだろう。

 どうせこのタキシードも雪ノ下家の力を使ってちょちょいのちょいだったに違いない。

 

「ヒッキー、ちゃんと胸張ってないとダメだよ!」

「先輩タキシード似合わないですねー」

「うぅ、お兄ちゃんがついに貰われる日が来るなんて......。小町嬉しくて涙が出て来たよ......」

 

 後ろから飛んでくる野次を右から左へ華麗に聞き流していると、再び部室の扉が開かれた。

 白衣を脱いでスーツ姿になった平塚先生にエスコートされて入って来た雪ノ下は、純白のドレスに身を包んでいた。

 ドレス自体はオーソドックスなタイプのものだ。一度目の時平塚先生が着ていたものに近い。

 背中の部分は大きく開かれ、そこから流れるように見える体のラインは華奢な彼女をより美しく演出している。

 ベールの向こうに隠された顔は化粧を施しているのだろう。いつもより少し大人びて見える。

 その姿は真っ白な雪のように儚く、美しい。

 雪ノ下雪乃と言う少女の持つ魅力全てに打ちのめされた。

 自分は本当にこれ程までに綺麗な子の恋人なのかと、現実を疑うまであった。

 

「酷い顔ね」

 

 気がつけば雪ノ下が目の前にいた。

 恐らく間抜けな顔をしているであろう俺を見てクスリと微笑む。そんな顔ですら、いつも見ている笑顔とは違って見えて、なんだか現実味が薄く感じる。

 

「まるで夢でも見てるかのような表情をしてるわよ?」

「......強ち間違ってもねぇよ」

 

 実際、今この瞬間は夢なのではないのかと思ってしまう。

 平塚先生の腕から離した手をそのままこちらに差し出される。

 割れ物を扱う時よりも丁寧にその手を取り、陽乃さんが待っている教卓まで歩いた。

 距離にして数メートルも無いはずなのに途轍もなく長く感じてしまう。

 教卓の前まで辿り着くと、陽乃さんが咳払いを一つして真面目くさった顔で口を開いた。

 

「汝、比企谷八幡は、この女雪乃を妻とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、妻を想い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」

「ち、誓いましゅ......」

 

 噛んでしまったのはご愛嬌。だって仕方ないじゃん。別に本物の結婚式ってわけでもないのに隣に立つ彼女の存在だけで緊張がマックス大変身してるんだから。

 

「汝、比企谷雪乃は、この男八幡を夫とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、夫を想い、夫のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」

「誓います」

 

 情けない俺とは違い、雪ノ下は平素と同じ少し冷めたような、しかし確かに熱を帯びた声で返事をした。

 て言うか即答っすか。ちょっと吃った挙句噛んじゃった俺がマジでバカみたいじゃん。

 

「指輪の交換、は今は無理だから、誓いのキス行っちゃおうか」

「え」

「え」

 

 二人して神父役の陽乃さんを見る。さっきまで真面目な顔をしてたのに、今や有無を言わせぬニコニコ笑顔だ。

 誓いのキスってあれですか。今この場でですか。それはちょっとハードル高すぎじゃありませんこと?

 観客側をチラリと見ると、小町と一色はキラキラした目で期待してますよと言わんばかりの顔をしており、由比ヶ浜はあははと苦笑いしつつもちゃっかりカメラを構えて、平塚先生はなんかもう色々と不安定だった。

 どの辺りが不安定って、なんか泣きそうな顔してるのに必死に笑顔を繕ってるし、でも目は笑ってないし、ポケットに突っ込んだ拳は恐らくギリギリ音を鳴らしてるし。

 本当早く誰か貰ってあげてください! てかなんでこの人の前でこんなことしちゃったの! 後で殴られるのは俺なんですよ⁉︎

 

「ほら比企谷君、雪乃ちゃんも待ってるよ?」

 

 隣に視線を戻すと、そこには頬を真っ赤に染めながらも上目遣いでこちらを見てくる雪ノ下が。

 覚悟を決めるしか、無いのだろうか......。

 

「...............ふぅ」

 

 長い長い深呼吸を一つして、観客側に向き直る。突然黙りこくった俺を見て観客四人はおろか、雪ノ下と陽乃さんもどうしたのかと不思議そうに首を傾げている。

 そんな面々に、俺は堂々と大きな声で言ってのけた。

 

「俺はな、こう言うなんでもノリと勢いに任せようとする頭の悪い大学生の飲み会みたいなノリが!いっちばん!大っ嫌いなんだよ!寧ろ憎んですらいる!!」

 

 突然の宣言に誰もがポカンと呆けた表情をしていた。あの陽乃さんですら。

 それを好機と捉え、隣の雪ノ下をヒョイとお姫様抱っこで担ぎ、足早に部室から退出した。

 ふっ、決まったぜ......。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょ、ちょっと!比企谷くん......!」

 

 部室を出た後特に行く宛も無く、特別棟の廊下を彷徨っていると、我に帰った雪ノ下からお声が掛かった。

 それと同時に俺も正常な思考を取り戻し、雪ノ下を地面に下ろす。

 

「何やってんだ俺......」

「自分のやったことに自分で疑問を持たないでくれるかしら......」

 

 冷静に考えたら別に雪ノ下連れて部室から出る必要全く無かったじゃん......。しかもよりにもよって陽乃さんがいる前でとか......。

 

「全く、帰った後が怖いわね」

「マジそれな......」

 

 しかし、あまりここに長居するわけにもいかない。時間が時間なので校舎に残っている生徒は少ないと思うが、万が一にも今の雪ノ下を見られるわけにはいかない。と言うか見せたくない。

 

「それで、私と誓いのキスをするのが嫌だった比企谷くん」

「やけに嫌味ったらしく言ってくれるじゃねぇかよ」

「あら、違うの?」

 

 クスクスと笑う雪ノ下はどこか楽しそうだ。

 こいつもしかして今のシチュエーション楽しんでない? まあ結婚式から逃げ出す花嫁の役を演じられた、と解釈してしまえば中々出来るもんでもないしな。

 しかし、雪ノ下の言葉にはしっかりと反論せねばなるまい。

 

「別に嫌だったわけじゃねぇよ。ただ、なんだ。こう言うお遊びで誓いのキスなんてしたくないっつーか、ちゃんと来るべき時の為に置いておかないとっつーか......。そもそもそのベールは生まれてから今までの間親から受けた愛情を形にしたものであって、それを捲る度胸が今の所俺にはないっつーか......」

「つまりあの土壇場でヘタレた、と言うことね」

「うっ......」

 

 当たらずとも遠からず、どころか直撃してた。

 まあ確かに端的に言ってしまえばヘタレてしまったと言うことですね。なんか、ごめんね?

 

「まあ、その方があなたらしいと言えばらしいのでしょうけれど。それに、その言い方だと来るべき時が来たら、してくれるのよね?」

「......もしその時が来たらな」

「なら誓いのキスはその時の楽しみにしておいてあげる。でも......」

 

 そう言って自らベールを捲った雪ノ下は、一気に俺との距離を詰めて来てそのままゼロにした。

 あまりにも突然の出来事過ぎて避ける暇すら無かった。

 

「......期待させておいてそのまま何もしないだなんて、つまらないでしょう? これは私が今したかったから。だから変に責任感を持つ必要も無いわね」

「......そうですか」

「ええ、そうよ」

 

 尚もクスクス微笑む雪ノ下。

 その顔はありふれた幸せを噛みしめる普通の女の子だ。いつかの未来に想いを馳せているのだろう。

 いつか、なんて不確定な未来を指し示す言葉ではあるが。

 それでも、いつか。

 この少女と誓いを交わす事が出来る未来があるのなら。

 願わくはその未来が幸多からんことを祈っておこう。

 

 

 

 




と言う事で、これにてハーメルンでのカワルミライの更新は一旦終了となります。
現在渋の方で修学旅行編を更新している途中なので、良ければそちらもどうぞ。修学旅行編全部書けたらこっちに投稿するかもです。
ここまで読んでくださった方、評価やコメントをくださった方、ありがとうございました。


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7
やはり二度目も、何事もないわけがなく。


修学旅行編、登校開始です!
原作のようなラストにはならないのでご安心を!


 女子は夏服よりも冬服の方が可愛い。そう感じるような季節になって来た。

 あの嫁度対決とか言う謎の企画から数日。秋も深まり始め、今や涼しいを通り越して若干寒いくらいの風が吹いている。臨海部に位置する我が総武高校では殊更にそれを感じられると言うものだ。

 コートを出すにはまだ早いが、マフラーを巻いて登校する生徒も少数ながら見かける。

 それくらい寒々しい季節となって来た。

 文化祭が終わってから一ヶ月以上が経過している。人の噂も七十五日とある通り、当時総武高校を騒がせていた『雪ノ下さんの恋人のヒキタニ君』の噂も最近では滅多に聞かない。そもそも聞く相手がいないけど。

 しかしそれでも、完全に消え去ったと言うわけではない。

 未だクラス内の男子たちからは腫れ物のように扱われている俺。ただのぼっちだと思っていたら校内の女神の恋人だったと言うのだから、扱いに困って当然であろう。

 その証拠に、教室中央に位置する俺の席周辺は、まるでドーナツ化現象のようにポッカリと穴が空いていた。

 クラスのリア充どもは挙って教室の隅の方に寄り集まって、今月の修学旅行についての話に花を咲かせている。

 わいわいぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるその姿はさながらドラミングのようだ。

 

「っべー。修学旅行どうする?」

「京都じゃん?USJで決まりだろ!」

「それ大阪やないかい」

「出た!本場大阪のツッコミやで!」

 

 どうやらあそこには少し早めの冬が到来してるようですね。

 関東人が関西弁を喋る時の薄ら寒さは異常である。関西人いたら灰皿で殴られた挙句に謎の可変式階段から滑り落ちること請負だ。

 戸部、大和、大岡の三馬鹿は今日も今日とて元気なご様子。その中にあの男の姿がないと言うことは、やはりそう言うことなのだろう。

 

「てか大阪まで出るのめんどいでしょー」

「せやな」

 

 そもそも京都へ修学旅行に行くと言うのに大阪まで出るのは許されるのだろうか。流石にそれは自由過ぎて学校側に止められると思うのだが。

 そのままエセ関西弁で話し続ける三馬鹿。時折女子の方を向いて『俺たち今めっちゃ面白い話してるぜ?』的アピールが悲しい。

 

「そう言えば戸部、あれどうすんの?」

「っかー、それ聞いちゃう? 聞いちゃうかー」

 

 態とらしくペチンッとデコを打つ戸部は一転して真剣な表情を見せて長い襟足を靡かせる。

 おぉ、お前もそんな表情出来たんだな。

 

「いやー、正直? まだいいかなって思ってんだよね」

「え、マジかお前」

 

 驚いたような声を上げる大岡。

 俺も驚いていた。

 戸部たちが今なんの話をしているのかは察しがつく。海老名さんに告白云々だろう。

 今日の放課後にでも葉山が三馬鹿を連れて奉仕部を訪ね、戸部が海老名さんに告白するサポートをするようにとの依頼を受ける。

 それが一度目での出来事だった。

 

「でも、今行かないでいつ行くんだ?」

「いやー、今行っても多分決まらないって言うか? もちっと距離を詰めてからの方が良さげっつーか?」

 

 重々しく口を開いた大和にそれっぽい事を言い連ねる戸部だが、こいつ要はヘタレてるだけなのでは?

 いや、その依頼が奉仕部に来ないと言うのであれば何も問題ない。寧ろ来て欲しくない。

 一度目の世界で全てが狂い始めた切欠は、そもそも戸部の依頼を受けてしまったことにあると言っても過言ではないだろう。

 何も戸部の気持ちを否定するわけではない。その原因を追求するのであれば、奉仕部の理念から外れた依頼を受けてしまった俺たちにこそあるのだから。

 戸部たちはそれきり声を潜ませて会話を始め、俺の席まで話の内容が届くことはなくなった。

 特にやる事も無くなったので、このまま寝る体勢に入ろうかと思っていると、視界の端でヒラヒラと何かが揺れた。

 

「おはよっ」

 

 毎朝アラームにして目を覚ましたいランキング堂々の一位(俺調べ)の天使じゃなかった戸塚だ。

 その笑顔を見てしまえば先程の戸部たちの会話なんぞ頭からすっ飛んでしまった。て言うか誰だよ戸部。

 

「おう。なんかあったか?」

「次のLHRで修学旅行の班決めるんだって」

「そうか。まあ大体みんな誰と行くのかなんてもう決まってるだろ」

 

 こう言った班決めにおいては大抵が所属してるグループのメンバー同士となる。一々改めて決める程でもないのだ。

 

「そうなのかな......。僕、まだ決まってないんだけど」

 

 周りの連中がある程度決まっている中、行き場がないことが恥ずかしいのか、戸塚は恥ずかしそうに俯いた。

 そして奇妙な間が生まれてしまい、その空白に気づいた戸塚は誤魔化すようにえへへ、と笑った。

 

 守りたい、この笑顔。

 

「......なら、一緒の班にするか?」

「うん!」

 

 喜びを噛みしめるように頷く戸塚。誘って良かった。その笑顔を見ると生きてて良かったと思えるのだから不思議だ。

 

「そしたらあと二人だね。どうしよっか?」

「まあ、他の二人組しか作れなかった所と合併だろうな」

「そうだね。後はどこに行くのか考えないと......」

「それは追い追い考えようぜ。ほら、そろそろ授業始まるぞ」

 

 もうすぐ授業が始まってしまうので、そう言って戸塚をやんわりと席に戻るよう促す。勿論その際に肩をさりげなくタッチすることも忘れない。

 頷いて席へと戻って行く戸塚を穏やかな眼差しで見送っていると、教室に二人の生徒が入ってくるのが目に入った。

 葉山と海老名さんだ。

 恐らくは戸部の件だろう。

 二人は秘密めいて二言三言交わした後にそれぞれのグループへと戻っていった。

 どこか安堵したかのような表情の葉山を見る限り、戸部の判断を予め聞いていたのだろう。

 なんにせよ、奉仕部に厄介ごとが舞い込んでこないのならばそれでいい。

 今は二日目のグループ行動と三日目の自由行動をどうするのか考えておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 見慣れたティーポットからシュッと音が鳴る。お湯が沸いたことを知らせているようだ。

 それに気づいた雪ノ下は読んでいた雑誌の端を折って立ち上がる。所謂ドッグイヤーというやつである。猫好きの雪ノ下なら「これは犬の耳では無くスコティッシュフォールドの耳よ」なんて言いそうなものだが。

 因みにスコティッシュフォールドは猫の中でも珍しく折れた耳、即ちドッグイヤーで有名な猫だ。

 それぞれのティーカップに紅茶を注いでいる雪ノ下の姿は相変わらず様になっている。

 これが仮に、紅茶では無くコーヒーや緑茶なのだとすれば。確かにその姿すらも雪ノ下雪乃は魅力的に見えるだろう。しかしそれは、こうして紅茶を淹れている姿には到底かなわないと思う。

 もう雪ノ下ボトルとと紅茶ボトルでベストマッチ。Are You Ready? って感じだ。その名も「残雪のティータイム」 無いな。

 寧ろ雪ノ下は俺を罵倒でデストロイしてる時凄い輝いてるのでゴリラモンドでいいだろう。

 そう言えばタイムリープしちゃってるから今の仮面ライダーはお医者さんなんだよな......。物理学者の方の続き凄い気になるってのに......。いや好きだったけどねお医者ライダー。デンジャラスゾンビとか親近感湧くし。寧ろ俺がデンジャラスゾンビのバグスターなまである。

 そうか、俺が神だったのか......。

 

「あ、おやつの時間だね!」

「わたしもちょっと休憩です......」

 

 などと心底どうでもいい事を考えていると、由比ヶ浜がカバンの中からお菓子を取り出し、一色は握っていたシャーペンを放り出して机に突っ伏した。

 

「どうぞ」

「ありがとー」

「どうもですー」

「サンキュ」

 

 長机の中心に置かれたティーカップをそれぞれが手を伸ばして受け取る。

 

「そういや一色、お前何書いてんの?」

 

 部室に来てからと言うもの、ずっと何かの紙と睨めっこしながら書いては消して書いては消してぇぇぇぇ! リライトしてぇぇぇぇ! を繰り返していた一色に問いかける。

 宿題か何かかしらん? と思って覗き込んでみるが、それら俺の予想とは全く違うものだった。

 

「選挙の公約考えてるんですよー。でも中々ウケがいいのが思い浮かばなくて......」

「公約を考える基準がおかしいと思うのだけれど......」

 

 持っていたティーカップを置いてコメカミに手を当てる雪ノ下。

 いや全くもってその通りですね。ウケがいいってなんだよ。もうちょっとオブラートに包んで表現しなさいよ。

 

「前と同じじゃダメなの?」

「前は雪ノ下先輩が考えたのをそのまま使いましたから」

「別にそれでもいいんじゃねぇのか? 所詮は高校の選挙だ。公約掲げたところで誰もそんなの見ないだろ」

 

 学校の選挙なんて言わば人気投票のようなものだ。選ばれる基準はカーストの高さ、その人個人の人気度、などなど、実際の選挙とは色んな意味で大きく違う。

 あいつのこと好きだから入れておこう、とか嫌いだから不信任、とか。いや、寧ろ一色は嫌われてたからこそああ言う羽目になったのだったか。

 とまあ、その他諸々の理由で公約なんぞ考えてもそれに惹かれて投票しました! なんて物好きな輩がこの学校にいるわけがない。

 本来なら既に新生徒会が立ち上がっていなければならないこの時期に、未だ立候補者が出揃わず選挙の日が延期されたのがその証拠だ。

 

「今回は、わたしがわたしの意志で会長になりたいって思ったんです。だから、ちゃんとわたしで考えないと」

 

 しかし、一色は力強くそう宣言した。

 彼女がどうしてそこまで会長と言う立場に拘るのかは知らないが、それでも諦めきれずなりたいと心底から思っている。それは彼女の目を見たら理解出来た。

 

「まあ、お前がそれで良いんなら良いんじゃねぇの?」

「はい」

 

 どうせこいつの他に会長候補はいないんだ。

 また一色が会長になって、俺たちがその手伝いに振り回される未来は見えている。

 

「あ、そう言えばいろはちゃん。推薦人はもう集まったの?」

 

 煎餅をボリボリと頬張りながら由比ヶ浜が尋ねる。

 若干頬が膨らんでるのでリスに見えなくもない。でもものを口に入れてる最中は喋っちゃダメだって習わなかったのかしらこの子は。

 そしてその質問に対して一色は。

 

「まあ、そのうち、追い追い、って感じですかねー......」

 

 目を逸らしながらそう答えた。

 いや、推薦人集まってないって事はこいつまだ正式な立候補も出来てないんじゃ.....。

 俺も由比ヶ浜も雪ノ下も呆れたように一色を見ている。雪ノ下なんかさっきから手がコメカミから動いてないぞ。くっついちゃったんじゃないの?

 

「だ、大丈夫ですよ! なんたってわたしですよ? その気になれば推薦人の100人や200人は余裕ですって!」

 

 うんまあ、一色の人気を考えると200人とかは言い過ぎでも普通にかなりの数が集まるだろう。

 文化祭では実行委員副委員長を務め、体育祭では運営委員長を務めた。実績は十分だし、現生徒会長のお墨付きもある。

 今や雪ノ下やめぐり先輩に並ぶ総武の有名人だ。その自信が湧いてくるのも仕方ない。

 

「て言うか、先輩達は今度修学旅行ですよね? 京都でしたっけ?」

 

 流石にバツが悪かったのか、一色はあからさまに話題を逸らす。

 そしてそれに乗っかったのは由比ヶ浜だ。

 

「そうそう! 京都って凄いんだよ! 紅葉が、こう、バーって!」

「なんの説明にもなってないぞそれ」

「でも、京都行ってもどうしようもなくないですか? お寺とか神社とか見て何しろって話ですよ」

 

 こいつ由比ヶ浜と同じこと言ってんな......。

 流石はイマドキ女子高生。ミーハーなのは誰も同じと言うことですかね。

 さて、ここは一つ俺がご高説を垂れ流してやろう。

 

「いいか一色、修学旅行ってのは」

「一色さん、彼の戯言には耳を貸さなくてもいいわよ」

「っておい......。ちゃんと最後まで言わせろよ」

 

 向かい側から制止の声が掛かってしまった。

 折角一度目と同じこと言おうと思ったのに。

 

「でも、行ってもどうしようもないなんて事はないわ。修学旅行と言うのは遊びに行くのではないの」

「でもでも、先輩方はもう既に一度修学旅行に行ってるわけじゃないですかー? 前の時に印象的だった事ってあります?」

 

 一色のその言葉に三人揃って言葉に詰まってしまった。それを見て怪訝そうな顔を浮かべる。

 うーん、いろはすの地雷処理能力がこんな所で発動しちゃうかー。

 

「そう、ね......。私はあそこが良かったかしら。ほら、嵐山の竹林の道」

「あ、確かにあそこ良かったよねー。あたしもよく覚えてるよー」

 

 ちょっとー。二人してこっち見ながら古傷を抉るのやめてくれますー? て言うかなんで君達そんなケロッと言えちゃうの。俺なんてもう思い出したくもないんだよ?

 

「あんなの忘れろよ......」

 

 溜息と共に精一杯の感情を込めて漏らした言葉だったのだが、向こうからも溜息が返ってきた。それも二つ。

 

「忘れられる訳が無いでしょう。そもそも、あの時私がどんな気持ちでいたと思っているのかしら?」

「そうそう。ゆきのんの気持ちも考えてあげなよヒッキー。好きな人がいきなり目の前で別の女の子に告白したんだよ? そりゃ根に持つよ」

「あの、由比ヶ浜さん? 別に私はそこまで言っていないのだけれど......」

「え? でもあの頃からじゃ......。え?」

「なっ......。どうしてそれを......」

 

 段々と頬が真っ赤に染まって行く雪ノ下と無意識的に雪ノ下を虐める由比ヶ浜。

 あの、僕も照れるのでそう言うのは他所でやってもらえませんかね......。

 若干寒かった筈なのに今やサウナの中にいるのかってくらい顔が熱い。

 二人の方を見ていられずに視線を彷徨わせていると、ニヤニヤ笑った一色と目が合った。

 

「先輩愛されてますねぇ」

「うっせぇニヤニヤすんな選挙の時不信任にすんぞ」

「なんでそんな辛辣なんですかー!」

 

 ピーチクパーチク煩い一色を無視して、取り敢えずあの二人を止めねばなるまいと少し大袈裟に咳払いをする。

 

「あー、その事でちょっと話があるんだがな」

「その事って? ゆきのんがいつからヒッキーのこと好きだったかって話?」

「ばっかちげぇよ。依頼の話だ」

 

 由比ヶ浜さん本当に無意識だよね? わざとじゃないよね? これわざととか怖すぎなんだけど。ガハマさんは奉仕部の良心なんだから頼むぞ本当。

 

「今ってなんか依頼ありましたっけ?」

 

 修学旅行での一件を知らない一色は首を傾げていたが、雪ノ下と由比ヶ浜の二人には伝わったらしい。少し表情が強張るのが見て取れた。

 二人を安心させる意味でも、教室での戸部達のやり取りを教えてやろうかと口を開こうとした時、部室の扉が叩かれた。

 雪ノ下のどうぞ、と言う声の後に入室して来た人物を見て、小さく溜息を零す。

 どうやら、今回も一筋縄では行かないらしい。

 



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それでも、三浦優美子は知りたいと願う。

「今ちょっといい?」

 

 開かれた扉の先にいた人物は、どこか不機嫌そうな顔と声色をしていた。

 恐らくは彼女のプライドのようなものが、ここを訪ね、頼ることを是としていないのだろう。

 その証拠とでも言おうか。いつもより自前の金髪縦ロールをみょんみょんする回数も多いように思える。いや別に普段からどんだけみょんみょんしてんのかは知らんけど。

 

「あれ、優美子? どうしたの?」

 

 そう、奉仕部の扉を叩いたのは誰あろう、我らがオカン三浦優美子だ。

 三浦は並んで座る俺たちに一瞥くれた後、女王らしく悠然たる足取りで室内に入ってきて、長机の前に立つ。

 

「取り敢えず座ったら?」

「あんがと」

 

 流れ出した微妙な雰囲気の中、由比ヶ浜が後ろに段積みされている椅子から一つ取り、三浦に座るよう促す。

 短く礼を言って、やや乱暴にそこへ腰を下ろした。その尊大とも取られるような態度は流石女王と言ったところか。

 一方で奉仕部の女王様はと言うと、冷え切った無表情で粛々と紅茶を淹れていた。

 分かっていたことではあるが、どちらも女王様タイプなのにビックリするくらい正反対だなこの二人。

 三浦はもうまさしく女王様! って感じなのだが、雪ノ下はどっちかって言うと女王様よりもお姫様とかの方が似合う。

 世界で一番お姫様である。そう言う扱い心得なきゃ......。

 来客用の紙コップに紅茶を淹れ終えた雪ノ下は、それを三浦の前へと運んでいった。

 

「どうぞ」

「ん」

 

 酷く簡素なやり取りだった。会話にすらなってない。

 由比ヶ浜との落差すげぇなこいつら。三浦に至っては礼すら無いし。

 さっきの「ん」が三浦なりの礼だとは思うんだけど、君たちもうちょっと仲良くしてくれません? 心なしか雰囲気がギスギスして来たよ?

 ほら、一色なんてまるでライオンに睨まれたチワワみたいに震えてますよ?

 

「それで、用件はなにかしら」

 

 そのギスギスした雰囲気の中で雪ノ下が尋ねる。

 冷えた声色ではあるが、そこに敵意は見られず、どころか少し気遣わしげな声だったかもしれない。

 なんで声色だけでここまで分かっちゃうんだよ。そろそろ雪ノ下検定一級が取れそうな、どうも俺です。

 

「あんたら、文化祭ん時隼人となんかあったん?」

「へ? 文化祭?」

 

 間抜けた声で疑問符を浮かべる由比ヶ浜だが、それは俺も同じだ。恐らく雪ノ下と一色も頭に疑問符が浮かんでいることだろう。

 修学旅行前のこの時期に突然やって来たかと思えば文化祭の時の話。しかも葉山に関わる話ときた。

 三浦が奉仕部を尋ねる時は大体葉山関連だったので、そこに驚きは無いのだが、何故文化祭まで遡って話をするのだろうか。

 

「ヒキオが倒れて運ばれた時あったっしょ。そん時、なんかあったんじゃないの?」

「......葉山がどうかしたのか?」

 

 三浦の言葉を聞くだけと言うのも埒があかない。まずは三浦の目的、延いては依頼を確認しなければなるまい。

 そう思って確認のための言葉だったのだが、あちらさんの質問に質問で返す形となってしまったからか、キッと睨まれた。三浦さん怖いです。

 

「最近、隼人の様子がどっかおかしいって言うか、なんか前までと違う感じって言うか。文化祭くらいからずっとそんなんだから、あんたらならなんか知ってんじゃないの?」

 

 思い返されるのは、あの時の葉山の表情。

 俺が病院に運ばれ目が覚めた時の会話。

 しかし、あの時の会話が原因で葉山の様子がおかしくなるとは考えられない。

 そもそも今日の休み時間に見かけたあいつからは、そう言った不調などは見られなかった。人間観察が趣味の俺が言うのだから間違いない。

 他のメンツは今の三浦の言葉にどう思ったのかと隣を見てみるが、由比ヶ浜も一色もイマイチピンと来ていない様子だ。

 しかし、雪ノ下だけはそうでないようで、少し考え込む素振りを見せている。

 

「葉山君の不調の原因を調べる、と言うのが依頼という事で良いのかしら?」

「まあ、そんな感じ......」

 

 どうやら意外と乗り気なようだ。

 しかしこの依頼を受けるには、問題点が一つある。それを三浦に確認しておかなければなるまい。

 

「彼が誰にも言わないと言うことは、誰にも知られたくない悩みなのかもしれない。もしかしたら、拒絶されるかもしれない。それでも、あなたは知りたい?」

 

 どうやら俺と同じ考えに至ったらしい。

 雪ノ下は、冷たい目で三浦を見据え、突き放すような言い方で問いかける。

 要はマラソン大会の時と同じだ。

 あの時も、なにも言わぬ葉山の気持ちが知りたくて、三浦は奉仕部を訪れた。

 ならば今回もきっと。

 

「......知りたい」

 

 告げられたのは、たったの一言だけだった。

 しかし、その一言には三浦優美子と言う少女の思いの全てが込められているのだろう。

 そう感じる程に、強い一言だった。

 なにより、雪ノ下のあの目に見つめられながらも、目を逸らさないと言うのがそれを証明しているだろう。

 俺だったら目を逸らした挙句恐怖でちびりかけるね。

 

「そう......。分かったわ、依頼を受けましょう。修学旅行が終わる頃までになんとかあたりをつけてみるから」

 

 言うと同時、今まで張り詰めていた雰囲気がようやく弛緩したものとなった。

 自然と安堵のため息が漏れてしまう。どうやらそれは一色も同じだったようで、隣から同じようにため息が聞こえてきた。

 まあ仕方ないよね。この二人怖いもんね。

 とまあそんな訳で、今回の修学旅行も仕事に振り回されるらしい。

 ......自由行動の時くらいは大丈夫だよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 三浦が部室を去った後、早速葉山の不調についての話し合いが開かれたのだが。

 

「でも、あたしはよく分からなかったかな。隼人君、見た感じいつも通りだったけど」

「ですです。部活の時とかも、どっちかと言うといつもより気合入ってる感じですし」

 

 俺と雪ノ下よりも葉山と交流のある二人に聞いてもこの様な答えしか返ってこなかった。

 この場合は逆に、あの由比ヶ浜が気付かない程度のレベルの不調や違和感を感じ取った三浦が凄いのだろうが。

 

「まあ、ポーカーフェイスくらいあいつなら余裕でこなすだろうし、部活に打ち込んでる方が気がまぎれるとか、そんなんじゃねぇの? 知らんけど」

「そんなもんなんですかねー」

 

 僕としては一色がちゃんとサッカー部に行ってる事に驚きを隠せないけどね!

 君最近うちの部室にずっといるけど大丈夫? 生徒会とか行かなくていいの?

 

「それより、葉山について探るっつっても、修学旅行中は難しいと思うぞ」

「なんで?」

「なんでってそりゃ、今回は戸部の件が無いだろ。だからグループは別になるだろうし、そもそも仕事でも無いのにあいつらと同じグループってのが嫌だ」

「めっちゃ個人的な理由だし......」

 

 だって俺あいつのこと嫌いだし。向こうも俺のこと嫌いだし。利害の一致ってやつだよ。

 

「それより、戸部君の依頼が無いと言うのは確定なのかしら?」

「て言うか、なんで戸部先輩? あの人関係なく無いですか?」

 

 そう言えばそこから説明せねばならんのか。

 一色の言い方にはどこか引っかかるものを感じたが、まあ戸部なので当たり前であろう。

 

「一度目の時は戸部から依頼があったんだよ。んで今日の休み時間中、その依頼を持ってこない的な発言を聞いた」

「え、先輩って戸部先輩と話すんですか?」

 

 んー、その言い方だと「そもそも先輩と話すような相手が教室にいるんですか?」って聞こえるよ?

 最近では割とクラス内で喋る人間増えてきた方なんだけどな。戸塚は言わずもがな、由比ヶ浜とか相模とか、たまに川崎とか。

 

「いや、そう言う話をしてたのが聞こえて来ただけだ」

「あー、確かにそんな話してたね」

 

 どうやら由比ヶ浜も聞いていたらしい。てか女子共に聞こえていい話じゃないだろこれ。あいつらもうちょっと気をつけろよな。

 もしこれが由比ヶ浜や三浦でない別の女子だとしたら、

『え、なに比企谷誰かに告んの? ウケる』

『誰に告るか知らないけど、絶対無理っしょ(笑)』

『あたしだったりしてー(笑)』

『いやいや、あんたはあり得ないから(笑)』

 なんて陰で言われる可能性があるんだぞ。

 って、これ俺の話じゃねぇかよ。戸部はどこいったんだよ。

 

「成る程、そう言うことね。なら話は簡単よ」

「え、なにが?」

 

 俺が心の中で黒歴史を振り返って勝手に鬱になっている間に、雪ノ下は考えを纏めたらしい。

 

「葉山君に直接尋ねればいい事だわ。彼の不調の原因には一応心当たりがあるから」

「心当たり? ゆきのん何か知ってるの?」

「ええ。と言うより、この話はこの場の全員に関係のあることね」

 

 言われて、はたと思いつく。

 雪ノ下と葉山の間でなにかしらあったとして、この場の全員に関係のあること。

 可能性としてはこれが一番高い、どころかこれしかないのではなかろうか。

 

「葉山が記憶を保持していた場合、か」

 

 俺の言葉に雪ノ下は首肯した。

 未だ謎だらけのこのタイムリープと言う現象ではあるが、こうして三人もの人間が一度目の記憶を思い出している。まだ他にいたっておかしな話では無いだろう。

 敢えて無理矢理に共通点を見つけるとするなら、誰もが雪ノ下雪乃と浅からぬ関係にあると言うことか。

 そして俺の場合、その雪ノ下の言葉が引き金となって全てを思い出した。

 文化祭の時の何かしらのやり取りで葉山が全部思い出していたとしても不思議ではない。

 

「ただ、今聞きにいっても上手くはぐらかされてしまうでしょうね」

「どうしてですか?」

「彼も少し一人で考え過ぎるきらいがあるのよ。何処かの誰谷くんと同じでね」

「ゆきのんそのあだ名は無理あるよ⁉︎」

「そうだな。どこかノ下誰乃さんと同じでな」

「先輩の方がもっと無理ありますよそれ」

 

 自分の進路ですら他人に話さなかったあの男の事だ。

 どうせ今回も、色々と考えてはどうしたらいいのかを見いだせず迷っているんだろう。

 

「でもさ、今聞いてダメならいつ聞くの? 多分隼人君、どのタイミングでも言わないと思うけど」

「そうね。チャンスがあるとすれば、修学旅行の三日目の夜かしら」

「なんでです?」

「不安、と言うものは誰しも心に隙を作るものよ。今回、戸部君の依頼が無いにしても、葉山君からすると戸部君が自分に相談の一つもせず独断専行で海老名さんに告白する可能性がある。つまり、三日目の夜まではその不安を抱えたまま過ごすと言う事」

「じゃあ今聞いても同じじゃないの?」

「同じじゃ無いんだな、これが」

 

 突然雪ノ下の説明に横槍をいれたせいか、長机の向かいから鋭い視線が飛んでくる。

 しかし由比ヶ浜と一色に視線で先を促されているので、それを無視しながら言葉を続けた。

 

「単純な話だ。それまでの期間よりも、当日になった方がその不安も大きくなる。マラソン大会の時、ああも頑なだった葉山を崩すには、少しでも可能性の大きい方に賭けた方がいいだろう。後は、適当な理由をつけて戸部と海老名さんが二人きりになっている、とか言う情報をあいつに与えたら尚更だな」

 

 となると、海老名さんにも協力を仰がなければならなくなるが。

 あの人はあの人で、何を考えてるのかさっぱり分からないから難しいだろう。

 

「流石は比企谷くんね。誰かを貶めることに関しては右に出る者がいなさそうだわ」

「褒められ方が微妙過ぎる......」

 

 要約するなら、奴の不安を煽りに煽って心に隙を作る。その不安が頂点に達するであろう修学旅行三日目に仕掛けたら、今回の依頼は難なく終了、と言うことだ。

 問題は、仮に葉山が記憶のことで悩んでいたとして、それを三浦に話したところで信じてもらえない可能性が高いと言うことか。

 て言うかこんなん当事者じゃなかったら誰も信じないっての。

 

「一応他の可能性も探ってはみる」

 

 あくまでもこれまでの話は、葉山が記憶を持ってるって仮定した場合の話だ。別の可能性だって大いにある。

 そのことは雪ノ下も分かっているのか、特に異議もなく頷いてくれた。

 

「ええ。では、当日のその辺りの根回しは由比ヶ浜さんにお願い出来るかしら? 私と比企谷くんで葉山君に聞いてみるわ」

「うん、任せて!」

「わたしはお役に立てなさそうですねー」

 

 いいからお前はさっさと公約考えるかサッカー部行くかしろって。

 

 

 

 

 

 

 

 修学旅行中での奉仕部の方針を確認した翌日である所の今日は、修学旅行でのグループを決めるLHRがある。

 前回は依頼のこともあったので、割と早々にグループが決まったのだが、今回はあぶれた二人組を見つけるまで待機という事になるだろう。

 最初のうちは、俺もそう思っていたのだ。

 

「なんでこうなってんだよ......」

 

 俺の机の周りに集まった面々を見て、重々しくため息を吐いた。

 まずは困ったように可愛く笑ってる戸塚。

 そしてウェイウェイ騒いでいる戸部。

 最後に、爽やかに笑いながら戸部に相槌を打っている葉山。

 戸塚はいい。元々同じグループなる約束をしていたし。なんなら戸塚と二人だけのグループが良かった。

 だが葉山と戸部。お前らどっから来た。

 大和と大岡はどうしたんだよ。なに、喧嘩でもしたの?

 

「いやー、このメンバーで修旅とかマジアガるわー!」

「確かに、いつもとは少し違うメンバーだしな」

「いやいやいや、なんでお前らと組む事になってんの? 俺が寝てる間に一体何があったの?」

 

 LHRが始まる前、確かに戸塚には適当に決めといてくれとだけ声を掛けて俺は夢の世界へとヒアウィーゴーした訳だが、よりにもよって何故この二人?

 俺が怪訝そうな表情を葉山と戸部の二人に向けていると、戸部がちょいちょいと手招きをしてきた。それに反応して葉山と戸塚が更に机に近づいて来て、小さく円を作る。

 隣の戸塚からいい匂いがしてくるが、なんとか煩悩を抑えて、秘密めいて言葉を発する戸部に耳を傾けた。

 

「ここだけの話なんだけどさ。なんつーの? 俺、海老名さんの事結構いい感じに思ってるっつーか? だから、この修旅でいい感じになっときたいっつーか?」

 

 驚くくらい要領を得ない内容だった。

 いい感じってなんだよどんな感じだよ。そこ具体的に言わんと何もわからんだろうが。

 まあ、俺は一度目のことがあるので、ある程度理解は出来た。しかし戸塚はイマイチ分からなかったようで、可愛らしく小首を傾げている。可愛い。

 

「つまり、海老名さんに告白するまでは行かなくとも、ちょっと距離を詰めたいとか、そんな感じか?」

「そう、それ! いやーヒキタニくん話が早くてマジ助かるわー」

 

 俺の言葉に肯定を示すかのように、戸部はパンッと手を打ってみせた。

 やはりそう言うことか。恐らく、昨日の休み時間に大和と大岡に言っていたのは嘘ではないのだろう。実際こいつ告白する気なさそうだし。

 しかしまた何で俺個人に言うような形を取っているのだろうか。

 その疑問を視線に込めて、戸部の隣の爽やか野郎を睨みつける。

 

「悪いな比企谷。力になってやれないか?」

「俺なんかよりもお前の方が力になれるだろ」

「雪ノ下さんと付き合ってる比企谷が味方になったら戸部も心強いかと思ってね」

 

 その表情、その声色はいつもの葉山隼人だ。

 そこに不調や違和感は感じられない。一見すると三浦の勘違いのようにも思えるが、そうではないだろう。

 もしこいつが思い出しているのだと仮定したら、こうして俺へ個人的に頼みに来たのが証拠となる。

 

「それは奉仕部への依頼か?」

「そうだとしたら部室へ行ってるよ」

「それもそうか。あいつらには言うなよ。変な心配掛けたくないからな」

「分かったよ」

 

 まあこの後部室で俺から言うんですけどね。

 ここであいつらに相談しなければ一度目と同じ失敗を繰り返す可能性もある。

 なんにせよ、修学旅行中の仕事は戸部の監視、延いては葉山の観察と言ったところか。

 

「マジあんがとねヒキタニくん!」

「頑張ってね戸部君! 僕も応援してるよ!」

「おう、戸塚もあんがとな!」

 

 両手を合わせて礼をしてくる戸部だが、名前間違えたままだからね?

 

「で、その海老名さんは?」

「優美子と結衣、後は川崎さんと同じグループだよ」

「そこは変わらず、か......」

 

 試しにわざと口に出してみた。これで反応があればもう確定したようなものだが、さてどうかね。

 

「変わらず、って言うのは?」

「いや、何でもない。ただの独り言だ」

 

 ビンゴ。

 葉山は一瞬だけ、あのらしからぬ苛烈な瞳でこちらを見ていた。本当に一瞬。俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。

 さて、葉山の心にはこうして揺さぶりを掛ければ良いとして、ある意味本題である修学旅行の話へと戻ろう。

 

「二日目行く場所は適当に決めといてくれ。別に由比ヶ浜達のグループと同じでも構わんから」

「ああ、分かったよ」

 

 葉山と戸部が三浦や由比ヶ浜達の元へと行くのを見送って、さてどうしようかと考える。

 別に依頼の件ではない。三日目の自由行動の事だ。

 由比ヶ浜はどうやら三浦達と色々回るらしいと言うのは今日の朝本人が言っていた。また変な気を使ってるんじゃないかと思ったが、一度目は俺たち三人で回ったから、今回は三浦達と回りたいんだと。

 さて、三日目の自由行動。まず雪ノ下を誘うのは前提としよう。まだ誘えてないけど。

 どこを回るか以前の問題だが、今の俺なら大丈夫、なはず。今更その程度で恥ずかしがっていては恋人なんてやってられない。

 問題はどこを回るかだが。これに関しては俺が事前に決めておいた方が良いだろう。

「あなたから誘って来たのだから、エスコートくらいしてくれるのでしょう?」とか如何にも言いそうだし。まあそんな所も可愛いと思いますけどね。うわなに言ってんだ俺恥ずかしい。

 

「ねえ八幡」

「ん?」

 

 心の中で気持ち悪さ全開にしていたら戸塚に話し掛けられた。もしかして顔も気持ち悪くなってたかしらん?

 

「八幡は、三日目は雪ノ下さんと回るんだよね?」

「ん、まあその予定だけど」

 

 あくまでも予定である。無いとは思うけど、断られたりしたら泣く。泣いて小町に電話するまである。

 

「そっか......。僕も八幡と回りたかったんだけど、やっぱり、ダメだよ、ね......」

「そ、そんな事ないぞ!」

 

 思わず叫んでしまった。

 戸塚は目を潤ませ、頬を染めながら上目遣いで尋ねてきていた。戸塚のそんな顔を見て拒否すると言うのが無理である。

 いや、でも雪ノ下とも回りたいし......。しかしここで断ってしまえば戸塚を悲しませることに......。

 

「なんて、冗談だよ。冗談」

「へ? 冗談?」

「うん。流石に彼女さんと一緒にいる所には僕も行けないよ。それに、三日目はもう一緒に回る人決まってるからさ」

 

 と、戸塚に俺の純情な心を弄ばれたと言うのか......? なんだろう、何故かゾクゾクする。もっと俺の心を弄んで欲しい。

 

「テニス部の連中か?」

 

 尋ねた言葉に、戸塚は首を振って、あり得ない事を口走った。

 

「材木座君だよ」

 

 この瞬間、俺の絶対に許さないランキングトップに材木座がブッチギリで躍り出た事を記しておく。

 Aroma Ozoneのウォーターサーバーで感染の刑も辞さないレベル。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、その日の放課後。修学旅行も目前に迫っている訳だが、部室には俺と雪ノ下しかいなかった。

 由比ヶ浜は三浦達と遊びに出掛け、自由行動やグループ行動でどこを回るのか話し合うらしい。

 一色は生徒会の方に向かった。あの子ちゃんと推薦人集められたのかしらん? なんか心配になって来たな。

 そんなこんなで久し振りに二人きりの部室となった訳なのだが、折角恋人と二人きりだと言うのに、今の所仕事の話しかしてないです。

 

「そう、葉山君と戸部君が......」

「多分、俺を監視役かなんかにしときたいんだろうな。戸部自身は告白しないとは言っていたものの、実際当日になったらどうなるか分からないし」

 

 一時の気の迷いで突貫する可能性だって十分に考えられる。

 裏返せば、今回のこの行動は葉山の不安が如実に現れていると言えるだろう。

 

「奉仕部を訪れなかったのも、記憶を持っていると仮定すれば頷ける」

「そうね......。それに、あなたが葉山君と同じグループならこちらとしても都合がいいわ」

「ああ。ある程度観察はしてみるが、恐らく確定的な情報は引き出せないと思うぞ」

「今日のやり取りで既に十分過ぎる程引き出しているじゃない」

 

 今日のやり取り、と言うのはグループ決めの時にカマをかけたあれの事だろう。

 確かにあいつが記憶を持っているのは殆ど確定という事でいいのだが、それに転じて、あいつが何で悩んでいるのか。そこまで調べてみなければなるまい。

 人のプライバシーを調べるような真似はあまり好きではないのだが、依頼である以上は仕方がないことだ。

 調べて、それを伝えた上でどうするのか。それは三浦次第だろう。そこに手を出してしまえば、それは奉仕部の流儀に反する。

 

「この話はここまでで良いでしょう。後は当日どうするか、ね」

「そうだな」

 

 そう言って雪ノ下は机の上にある雑誌を広げた。よく見ると、一度目の時にも持って来ていたじゃらんだった。

 内心凄く楽しみにしているのだろうか......。

 まあ雪ノ下さん一度目の時もめっちゃ事前に調べてましたもんね。龍安寺の石庭めっちゃ真剣に見てたし。

 

「......なにか?」

「え? あぁ、いや、なんでも」

 

 どうやらジッと見ていたのに気づかれたようで、思わず言葉に詰まる。

 雪ノ下は尚もこちらを怪訝そうな目で見ている。誘うなら、ここか。

 

「あー、雪ノ下」

「なあに?」

「そのだな......。えーっと、三日目、一緒に回らないか?」

 

 よし、なんとか噛まずに言えた!

 多分目とかめっちゃ泳いでたけど大丈夫! 今も雪ノ下と目を合わせられないけど大丈夫だ!

 後は雪ノ下の返事を待つのみ。いや、断らないよね? 僕達一応付き合ってるもんね?

 内心不安でドキがムネムネしている。

 中々返事が来ないので、余計に不安になって長机の向かいにに視線を戻すと、そこにはコメカミに手を当ててため息を吐いた雪ノ下が。

 え、僕何か変な事言いました?

 

「私はずっとそのつもりだったのだけれど......」

「え、そうなの?」

「それとも何? 許可を得なければあなたは私と一緒にいられないとでも?」

「いや、そういう訳じゃ、無いですけど......」

 

 鋭い眼光が俺を射竦める。お陰で言葉尻は随分と弱々しいものになってしまった。

 いや、だって俺だけその気になってて実は雪ノ下は別の人と回る、とかってなったら悲しいし......。

 ネガティブな思考で脳内を染め上げられていると、少し上ずったような咳払いが聞こえて来た。

 

「んんっ......。その、あなたと一緒に回るの、ずっと楽しみにしているのだから、少しは察しなさい......」

 

 白磁のような肌が朱に染まって見えるのは、差し込む夕陽のせいだけでは無いのだろう。

 そっぽを向きながら、随分と上から目線で言ってくれたものだが、俺にはその言葉がとても嬉しくて、つい笑みが溢れてしまった。

 

「何を笑ってるのかしら」

「いや、なんでも無い。んじゃまあ、精々エスコートさせて頂きますよ」

「ええ、宜しくね」

 

 修学旅行が、楽しみだ。



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こう見えて、雪ノ下雪乃は少し寂しい。

 明日は待ちに待った修学旅行だ。

 八時に東京駅集合との事なので、いつもよりかなり早目に家を出なければならない。従って寝るのも常より早くなければならない為、現在夜の七時ながらも既に晩飯を食い終えて、明日の準備をしていた。

 と言っても、持って行くものなんて着替えくらいしかないので、準備にも然程時間は掛からない。

 荷物を詰め込んだ旅行バッグをリビングに持って行くと、小町がソファに寝そべってテレビを見ていた。

 

「あ、お兄ちゃん準備終わったの? 忘れ物とか無い? ちゃんと確認した?」

「お前は俺の母ちゃんか。ちゃんと確認したし、忘れ物は無いよ」

「やだなーお兄ちゃん。小町はお兄ちゃんのたった一人の可愛い妹でしょ? ふふん、今の小町的にポイント高い〜♪」

「自分で可愛いとか言ってるあたりポイント低いな」

 

 まあ可愛いのは事実なんですけどねええ。

 こうやって兄の心配をしてくれてるのもポイント高い。

 

「それに、小町がお母さんだったらこんな息子に育てないし。てかこんな息子いらないし」

「お、おう......」

 

 まあそうだよね。こんな息子いらないよね。ごめんねママン、こんな息子になっちゃって。でも今は可愛い彼女いるし捨てたもんじゃないと思うよ!

 

「そう言えばこれ、持っていきなよ」

「ん? なに、カメラ?」

 

 小町から差し出されたのはデジカメ。わりかし古い型のやつで、我が家で使っているカメラは確かこれよりも新しいやつだったはずだ。

 

「そ、カメラ。折角だから雪乃さんとの思い出撮ってきて小町に見せてよ」

「お前に見せるかどうかは置いとくとして、取り敢えず持って行くわ」

 

 受け取って、旅行バッグの中に詰め込む。元からすっからかんのバッグなので特に難なく入った。

 

「えー、頼むよお兄ちゃん。小町が一番楽しみにしてるお土産なんだから」

「そんなもん楽しみにせんでいい。てか八つ橋とかはいいのかよ」

「八つ橋なんてそこら辺のデパ地下とかで買えるでしょ」

「身も蓋もない事言うなよ。京都の老舗に怒られるぞ」

「あ、でもあぶらとり紙は宜しくね。ママンの分も」

 

 まあ小町に頼まれてしまっては仕方がない。俺は妹の言うことなら大抵のことは聞いちゃう兄の鑑だからな。

 妹のためなら火の中だろうと水の中だろうとあの子のスカートの中だろうと余裕で行けちゃう。いや最後は行ったらダメだろ。マサラタウンどころかこの世からサヨナラバイバイしちゃうわ。

 

「でも、お兄ちゃんが楽しんで来たなら、小町はなんでもいいよ」

 

 にっこにっこにーと可愛らしく笑う小町。

 そういや、結局前の世界では小町の受験がどうなったのか分からんままなんだよな。

 ......学業の神様のとこ行っとくか。

 

 

 

 

 

 

 

 修学旅行当日となった。

 この歳になって、まさか前日に楽しみで中々寝付けないなんてことがあるとは思わなかったけれど、楽しみなのは事実だし。そこは嘘をついても仕方がない。

 だから比企谷くんとの待ち合わせの時間よりも早く来てしまったとしても、それも仕方ない事だ。三十分くらいは誤差よ。

 いや、一度目の時も出発前はそれなりに楽しみにしていたのだ。過去、小学校と中学校の二度とは違い、親しい友人もいたし、想い人だっていた。

 最終日のあれさえなければ、実に充実した修学旅行であったのは間違いない。

 さて、こうして無意味に過去を振り返るのはやめにしておくとして。振り返るならば別のものにしよう。

 今回と前回の相違点だ。

 奉仕部にやって来た依頼、一度目の時は二つの依頼が重なった。

 戸部君の告白のサポートと言う依頼。

 海老名さんの男子同士の仲を良くさせると言う依頼。

 本来なら切り離して考えるべきこの二つの依頼は、明確に一つへと繋がっていた。

 ならば二度目である今回。

 やって来た依頼は一つのみ。

 三浦さんからの依頼。葉山君の様子がおかしいので、その原因の究明。

 そして奉仕部とは別に、比企谷くんが個人的に受けた葉山君からの依頼。

 戸部君と海老名さんの仲を少しでも進展させる。

 三浦さんからの依頼については当たりがついている。

 恐らく、ではあるが。文化祭の二日目、ステージ裏での私とのやり取りで、一度目の記憶を取り戻したのだろう。この場合は取り戻したと言う表現で良いのかは分からないけれど。

 そしてその葉山君が比企谷くんに依頼した件についても、さして大きな問題にはならないと思う。何も確証が無くて言っているわけではない。

 一番の理由としては、今回海老名さんが奉仕部を訪れなかった事だ。

 あの人はあの眼鏡の奥に何か仄暗いものを隠している。比企谷くんや姉さんには劣るけれど、私だって人を観察する事は出来なくもない。千葉村でもその片鱗を見せていたし、彼女の行動原理を考えるとわかる事だ。

 その海老名さんがグループ存続のために依頼に来なかったと言うのは、一度目からの大きな変化であると思う。

 問題が全く無いと言えば嘘になるけれど、一度目の時に比べれば随分と可愛いものだ。

 ただ、クラスが違うと言うだけで出来る事が少なくなってしまうのがどうしても歯痒い。

 

「また、あなたに頼ってしまわないといけないのね......」

 

 俯いて独り言を漏らす。

 ここは海浜幕張駅の改札前なので、人通りも多いのだけれど、私の独り言に反応する人なんていない。

 ただ一人を除いては。

 

「誰に何を頼るって?」

「っ......⁉︎」

 

 突然声を掛けられて思わず跳ねるように後ずさってしまった。

 顔を上げると、今の私の奇行に対して怪訝な目を向けた比企谷くんがいた。

 

「突然声を掛けないでくれるかしら?」

「悪い悪い」

 

 ククッ、と喉を鳴らし声を殺して笑っている。そ、そんなに今の行動おかしかったかしら?

 いえ、確かにいきなり話しかけられたからと言って、まるで猫のように跳ねて後ずさるのは人から見るとおかしいわよね......。

 

「時間はまだ余裕だけど、もう行くか。早いに越した事は無いしな」

「そうね」

 

 彼の言葉に首肯してから地面におろしてあった荷物を取ろうと思うと、それをヒョイと横から掻っ攫われた。

 

「ちょっと。自分の荷物くらい自分で持つわよ」

「いい。お前体力無いんだから今のうちにちょっとでも温存しとけ。東京駅は魔窟だぞ。つか重いなこれ。なに入れたらこんなに重くなるんだよ」

「女性の荷物の中身を詮索するだなんてとんだ変態ね。逆にあなたの荷物が軽すぎるだけなのではないかしら。どうせ着替えしか持って来ていないのでしょう?」

 

 女性には色々とあるのだ。色々と。

 それを詮索するのは男性としてあるまじき事だと思うけれど。まあ言ったところで無駄か。

 しかも虚を衝かれた顔をしているあたり、本当に着替え程度しか持って来ていないらしい。

 

「......どうしてあなたが私のカバンの中身を知っているのかしら。もしかしてストーカー? 迷惑防止条例って知っている?」

「あなた、まだその程度の低いモノマネを続けていたの?」

「ごめんなさい」

 

 気持ち鋭く睨んだら直ぐに謝罪の言葉が返って来た。謝るくらいならやらなければいいのに。

 と言うか、最近私までも少し似ていると感じてしまうから尚更腹立たしいのよね。

 

 

 海浜幕張駅から京葉線で東京駅へと向かう。道中、車内では殆ど会話が無かった。

 そもそも電車の中で会話をするのはあまり褒められた行為では無いのだから、当たり前なのだけれど。

 そして到着した東京駅は、着いた瞬間から私の気力を根こそぎ奪うだけの混雑を見せていた。

 

「大丈夫かお前。まだ着いただけだぞ」

「え、ええ。問題ないわ」

 

 まだ集合時間である八時には少し早い時間ではあるが、疎らに総武高の生徒も見られる。

 その誰も彼もが、これから向かう京都の地に想いを馳せているようで、随分と騒いでいるのが見て取れる。

 一度目の時は都築に送ってもらえたので、直接新幹線口まで向かうことが出来たのだが、ここから歩くとなると結構な距離があるらしいし、比企谷くんと逸れてしまったらそのまま迷子になってしまう自身がある。

 そうね......。ここはさっき驚かされた仕返しも兼ねて......。

 

「あの、雪ノ下さん?」

「何かしら?」

「何をしてらっしゃるので?」

「手を繋いでいるのだけれど。何か文句でもあるのかしら?」

「いや、別に文句とかは無いけどよ......」

 

 彼はこう言う不意打ちに弱いと知ったのは、つい最近のこと。周りからの視線や揶揄いには慣れたと言っていたけれど、私が直接接触するのにはまだ慣れていないらしい。

 全く、何度も口付けを交わしておいて今更この程度で恥ずかしがってもらっても困るのだけけれどね。

 ほら、今だって頬を赤く染めてしまって、目だってとても泳いでいる。控えめに言ってかなり挙動不審なのだけれど、何故だかこんな姿がとても可愛らしく見えてしまうのだから、私自身も始末に負えない。

 

「ほら、早く行きましょう。あまり立ち止まっていると周りの迷惑だわ」

「へいへい。......っておい。そっちじゃねぇぞ」

「わ、分かってるわよ......」

 

 比企谷くんの手に引かれて、今私が進もうとしていた道とは真逆の方向を歩いていく。

 道中、総武高の生徒と何人かすれ違ったりしていたが、その度に不躾な視線が向けられる。

 ただそこにマイナスの感情は無く、殆どが好奇心などの類であったと思う。比企谷くんに嫉妬などの敵意を込めた視線が送られていないことにどこか安堵しつつも歩き続ける。

 こう言う時に周りにアピールしておかないと、どんな輩が彼に近づくか分かったものではない。

 と言うことで、もう少し近くに寄ってみましょうか。衆人環視の中で腕を抱いたりするのは恥ずかしいので、あともう半歩、彼との距離を詰める。

 

「お前今日どうしたの?」

 

 比企谷くんが困惑した様子で尋ねてきた。

 ふふ、良いわねその表情。ちょっと顔が赤くなってるのも雪乃的にポイント高いわ。

 

「別になんともないわ。気分なのよ」

「そうですか......」

 

 私は思いの外、修学旅行というイベントに浮かれているらしい。まあ、昨日中々寝付けなかったり、今日待ち合わせよりも早く来てしまっている時点でそれは明白なのだが。

 それから暫く互いに無言で歩いていると、やがて新幹線口に到着した。

 集合時刻まではまだ時間があるが、生徒達は既にそれなりの数が集まっている。

 クラスによって集合場所も違うので、彼とはここで一旦お別れだ。

 

「そんじゃ、俺のクラスあっちだから」

「え? ......あぁ、そうね」

 

 スルリと離れていく彼の手。

 先程まで感じていた温もりが冷めていくように錯覚して、つい彼の手を後ろ髪引かれる思いで見てしまう。

 

「そんな顔すんなって」

 

 微笑み混じりの声が聞こえてきたかと思うと、視線を注いでいた手が持ち上げられる。

 一体何処へ行くのかと思ったら、それはなんと私の頭の上に着地した。そのまま横にスライド。

 つまり、今、私は比企谷くんに撫でられている?

 その事実を確認した途端、頬が急速に熱を持ち始める。

 

「な、何をしてるのかしら......?」

「ん? 頭撫でてるだけだけど」

「だ、だからどうして......」

「.........」

「あ、あの、比企谷くん?」

「.........」

「ん、はうぅ......。あなた、良い加減に......」

「.........」

「しにゃしゃ......いぃ......」

 

 何これ。

 何なのかしらこれは。

 比企谷くんが私の頭を撫で続けていることはこの際無視しよう。いや、決して無視できる案件ではないのだけれど。

 問題は、どうして頭を撫でられてるだけなのにこんなに気持ちよくて満たされた気分になってしまうのかだ。

 別に嫌と言うわけではないのだけれど、それでもこの行動の意図を問いかける意味で、彼に視線を投げる。

 

「そんな寂しそうにしなくても、新幹線乗るだけだ。向こう着いたらまた会える」

「ぁ......」

 

 返ってきたのは、優しい声と優しい微笑。

 そうか、私は寂しかったのか。

 たった数時間会えないだけでこれとは、いやはや、我ながら情けない。

 確かに、いつもの下校時とは違い、直ぐ近くにいるのに彼と接する事が出来ないと言うのはなんだかもどかしいけれど。

 まさか寂しいだなんて。

 と言うか、こんなことをされれば余計に寂しさが募ってしまうのだけれど。彼はそれを理解しているのかしら?

 自分の心情を察せられていることに対する照れ隠し故か、ついいつもの様に口の悪い言葉が飛び出てしまう。

 

「べ、別に寂しいだなんて思ってないわよ。自意識過剰が過ぎるのではなくて?」

「まあ俺は自意識高い系男子だから。寧ろ自意識以外のあらゆる物が最底辺なまである」

「それより、あなたの方こそ大丈夫かしら? 私に会えなくて寂しくて泣きべそかいても知らないわよ?」

「ふっ、その心配は要らないぜ。なにせ俺には戸塚が」

「次に余計なことを言おうとしたらその口を縫い合わすわよ」

「ごめんなさい」

 

 全く、恋人と会えなくて寂しいどころか、別の人の名前を口にするだなんて。しかもその相手が女子ではなく男子だと言うのだから手に負えない。

 さて、そろそろクラスの集合場所へと向かわなければならない。

 その前に一つだけ、爆弾、と言うほどでもないけれど、小さな意地悪をして行きましょうか。

 さっきから生温かい視線を向けられているからこちらとしてはこそばゆいばかりなのだ。

 ここは一色さんから伝授したあの技を使う時だろう。少し恥じらったようにモジモジとして、胸元から彼の目を覗き込むように上目遣いで、若干頬を赤らめて。

 いざ、

 

「その、本当の事を言うと......、少し寂しいわ」

「え」

「で、ではまた後で」

 

 呟いた後、逃げる様にその場を去った。

 去る前に見た彼の顔はこれでもかと言うほど紅潮していたので、どうやら仕返しは成功みたいね。ありがとう一色さん。あなたの教えはしっかりと活かされました。

 ふふ、これで車内でも戸塚くんにうつつを抜かす事も無いでしょう。

 こう見えて私、独占欲は強いのよ?

 

 

 

 

 

 

 予定の時刻となり、クラスの点呼を取った後新幹線へと乗り込んだ。

 新幹線自体は初めてでは無い。過去に何度か乗った事がある。けれど、こうして学友と共に乗ると言うのは初めてだった。

 車内の席は通路を挟んで二人用と三人用とに分かれており、私は特に迷う事もなく空いている席へと腰掛ける。

 周りでは誰が誰と何処へ座ろうかと言う会話が繰り広げられているのだろう。さしたる興味も無いので、私は目を瞑って、先程の事を思い返していた。

 私の頭を撫でる、比企谷くんの手。

 男の人らしく、少しゴツゴツした掌から伝わる熱。それがとても温かくて。

 その熱は、今も尚私の頭に残っている。

 それだけじゃない。

 彼の優しげな眼差しは今も網膜にこびり着いて離れはしないし、彼の穏やかな声音は何度もリフレインして私の耳に響く。

 あの時、あの瞬間は、私の長くない人生の中でも指折りに満たされた時間だった。

 頭を撫でられただけで大袈裟に思われるかもしれないが、これが困ったことに大袈裟でもなんでもないのよ。

 だって、とても気持ち良かったもの。まさか呂律が回らなくなるほど心地よく、満たされてしまうだなんて。あれは癖になってしまう。

 お願いしたら、もう一度してくれるだろうか。

 優しい彼のことだから、少し不思議がった後に、なんだかんだと言いつつもしてくれるかもしれない。

 良く考えてみると、ああして誰かに頭を撫でてもらったことなんて、今まで何度あったことだろう。

 幼少の頃はもしかしたら父や母にされたことはあったかもしれない。けれど、今の私の記憶には残らないほど昔のこと。

 姉さんがふざけた様に撫でようとして来ることならあったが、それも私が冷たくあしらっていた。

 もし。もしも今。あの人たちにお願いしたら、撫でてくれるだろうか。

 自分の中だけで思考を巡らせても答えは出ない。それも当たり前か。考えて分かるほど、私はあの人たちと向き合ってこなかったのだから。

 けれど、最近は少しだけ、未だぎこちないながらも、普通の親子や姉妹のようになれている気がする。

 それもこれも、彼のお陰、なのだろう。

 修学旅行が終わったら、あの人たちにも少し甘えてみよう。

 

「雪ノ下さん、お隣いいですか?」

 

 声を掛けられて、瞑っていた目を開く。

 クラスメイトが控えめながらも相席の許可を求めてきた。私が座っているのは二人掛けの席なので、これから二時間は彼女と隣り合わせとなる。

 まあ、別に誰でも良いのだけれど。

 これが男子ならば遠慮していたところだが、相手は女子である上に、見た感じ大人しそうな子だ。

 断る理由は特にないし、私だってクラスメイトとはある程度仲良くしていたい。

 

「ええ、構わないわ」

「あ、ありがとうございます!」

 

 ふと、彼女の後ろを見てみると。そこには悔しそうに己の握り拳を見つめるクラスメイト達が。はて、一体何があったのかしら?

 

 その後十分もしないうちに新幹線は東京駅を出発。一路京都へ向けて走り出した。

 一応暇つぶしように本を持ってきてはいるけれど、早々に本の世界へ落ちると言うのも相席してくれた彼女に些か失礼だろう。

 だからと言って、彼女との話題なんて無いに等しい。勉強やテストなどの類の話くらいでは無いかしら。それにしたって、私は今後学年末までの全テストの内容を覚えてしまっているし、あまり盛り上がりはしないだろう。

 

「あ、あの......」

 

 そんな風に少し困っていたら、向こうから話しかけて来てくれた。

 さて、どんな話題になるかしら。

 

「何かしら?」

「その、雪ノ下さんって、今お付き合いしてる男性がいらっしゃるんですよね?」

 

 ......ええ、この質問が来るのはある程度予想していたわ。けれど、余りにも直球過ぎないかしら?

 取り敢えず、ここでシラを切っても仕方ないので肯定しておくとしよう。そもそも文化祭のステージを全校生徒に見られていたのだから、否定しても意味のないことだ。

 

「ええ、そうね。確かに私には恋人がいるけれど、それが何か?」

「えっと、その人って、どんな方ですか?」

 

 ふむ、中々難しい質問ね。

 彼の魅力を列挙しろ、と言われたら簡単に出来るのだけれど、それを相手に伝えろと言われると途端に難易度が跳ね上がる。

 何せ、彼の魅力は悉くが分かりにくいものだ。

 彼の優しさも、強さも、愚直さも。

 それを全て知っている人なんて片手で数えて足りるのではないかしら。

 

「あ、ごめんなさい。いきなりこんな不躾な質問しちゃって......」

「いえ、大丈夫よ。少し驚いただけだから。それより、彼がどんな人か、だったかしら」

「はい。私も文化祭のステージを見てたので、少し気になりまして」

「そうね......。改まって説明するとなると少し難しいのだけれど......。一言で言うとすれば、彼は私のヒーローなの」

「ヒーロー、ですか......?」

「ええ。何度も彼に助けられたわ」

 

 どうやら要領を得なかったようで、首を傾げている。まあ、私の言葉も分かりにくいものだったのは否めない。

 

「ふふ、ごめんなさい。少し分かりにくかったわよね」

「い、いえいえ! 雪ノ下さんからそんなお話を聞けただけでも光栄です!」

 

 光栄、とは言い過ぎではないかしら。けれど、そういった話を今までクラスメイトにして来なかったのも事実ではあるし、そもそも進んでするような話でもない。

 

「やっぱり、雪ノ下さんの彼氏さんって素敵な方なんですね!」

「......やっぱり?」

「はい! さっきも言いましたけど、文化祭の時とか一目散にステージの上に走って来てましたし、さっきも、別れる寸前に雪ノ下さんの頭を撫でてましたし!」

 

 み、見られてた⁉︎

 いえ、確かにあんな場所だったのだし、勿論周りからの視線も感じ取ってはいたのだけれど、まさかクラスメイトに見られているなんて......!

 

「あの時の雪ノ下さん、とても幸せそうな顔をしてましたから。きっと彼氏さんは雪ノ下さんに似合うだけの素敵な方なんだろうなって!」

 

 向けられる純粋な眼差しが、なんだかチクチクと私の胸を刺す。ごめんなさい、彼はあなたが思っているよりもよっぽどクズでダメ人間なの。恐らく、あなたの言うところの、私に似合うだけの男、と言う意味ならあれほど外れた男も中々いないわ。

 

「あ、あの、良ければ馴れ初めなんかも教えて頂けませんか⁉︎」

「え、ええ。別に構わないけれど......」

 

 思っていた以上にグイグイ来るわね。大人しそうな感じだと思ったのだけれど、まさかこんなに質問してくるなんて。

 果たしてどこまで問い詰められるのだろうかと一抹の不安を抱えながら、私達を乗せた新幹線は京都へと走る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと、目を覚ました。

 何か妙な夢を見ていたような気がする。具体的には雪ノ下がドMになる夢。うん、あり得ないな。

 それよりも俺の隣で戸塚が寝ていることの方が問題である。一瞬朝チュンしちゃったのかと思っちゃった。

 

「寝すぎよ」

「どわぁっ⁉︎」

 

 突然隣から声を掛けられ、驚いて変な声を出してしまった。三人掛けの通路側の席には、何故か雪ノ下が座っていた。

 俺が大きな声を出してしまったからか、隣に座って寝ていた戸塚が「うぅん......」と言って目を覚ましてしまった。

 

「驚き過ぎではないかしら?」

「いや、そりゃ驚くだろ。なんでいるんだよ......」

「あれ、雪ノ下さん......?」

「おはよう戸塚くん。彼に何もされなかったかしら?」

「おい」

「うん、大丈夫だよ。それどころか八幡に肩も貸してもらっちゃって」

「......そう」

「ちょっと? なんかお前対抗意識燃やしてない?」

「別にそんな事はないわ」

 

 いやそんな事あるだろ。今も背後にメラメラと炎が揺らめいてますよ。戸塚は男だから。男に嫉妬するなよ。

 つーか俺の質問に答えてもらってないんだが。そう言った意図を含めた視線を投げ掛けると、雪ノ下はどこか疲れたようにため息を吐いて、こめかみに手を当てた。

 

「クラスメイトからの追求が少し激しくてね......」

「それで逃げて来たと」

「逃げて来た訳ではないわ。戦略的撤退よ」

「それを逃げて来たって言うんじゃないっすかね」

 

 相変わらずの負けず嫌いさんめ。

 しかし、あの雪ノ下雪乃が敵前逃亡するほどとは、一体何を追求されたのだろうか。気にはなるが、それを問おうとは思わない。返答いかんによっては俺にトバッチリが来るかもしれない。俺のサイドエフェクトがそう言ってる。

 

「あ、二人とも、そろそろ富士山が見えて来るよ!」

 

 戸塚の元気で可愛い声に促され、窓を覗き込む。ちょっと見えにくそうにしていると、戸塚が横にズレてくれたので、それに甘えて距離を詰める。すると新幹線の外には見事な富士の山。

 一度目にも見ている景色だが、やはり何度見ても心を打たれるのは日本人としては当たり前だろう。

 

「凄い大きいねー」

 

 耳元でそんな声が聞こえて来たかと思うと、戸塚の男子とは思えないほどにきめ細かい肌を持った顔が直ぐ隣にあった。清涼剤を使っているのだろうか、爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。

 お、落ち着け、落ち着くんだ比企谷八幡。こんな所で俺のフジヤマをヴォルケイノさせるわけには行かない! まず何より戸塚は男だぞ! ......男だよね?

 

「私にも見せてくれるかしら」

 

 ふわりと、戸塚と反対の方からサボンの匂いが香る。続け様に、制服越しでも分かるほど柔らかい感触が肩に置かれ、垂れ下がった長い髪が俺の首筋を撫でるように触れた。

 そちらに振り返ると、美の女神すら嫉妬する程に美しい雪ノ下の顔が。

 ヤバイ。窓側には戸塚、通路側には雪ノ下とかなにこれ。なにこのサンドイッチ。ここって天国だったっけ? 前回のガハマさんと比べて圧迫感が無いだけ精神的に大分楽である。

 とか思ったのも束の間。俺の肩に置かれた雪ノ下の手がどんどんと力を込めていき、次第にメキメキとかあり得ないな音まで聞こえ出した。

 

「痛い痛い痛い!」

「あら、ごめんなさい。こんなところに掴みやすそうな肩があったものだから、つい力を入れてしまったわ。それより、今何か妙な事を考えなかったかしら?」

「べべべ別にそんな事ねぇし」

 

 うそん。なんで僕の思考筒抜けなんです?

 

「あはは! 二人ともやっぱり仲良いんだね」

「別にそんな事ないわ」

「否定すんなよ哀しくなるだろ」

 

 富士山の辺りを新幹線が通り過ぎてしまったので、三人揃って元の姿勢で座り直す。

 って、いや雪ノ下は自分のクラスのとこ戻れよ。

 

「お前いつまでここいんだよ」

「あなたが気にする事ではないわ。肩、少し借りるわね」

「ちょっ......」

 

 俺の質問ははぐらかして答えながら、肩に頭を預けて来る。雪ノ下お気に入りの体勢だ。

 幾ら周囲からの視線にはある程度慣れたからと言って、そこに羞恥心が全くない訳でもなく、しかも隣に座ってる戸塚からガン見されてる。流石に恥ずかしいですよ。

 

「ふふ、顔真っ赤よ?」

「うっせ。てか何、まさかこのまま寝るの?」

「三十分ほど経ったら起こしてくれるかしら」

「おい」

 

 その言葉を最後に雪ノ下は目を閉じて、完全に寝る姿勢に入ってしまった。まあ、今朝は何時もより早い時間だったし、東京駅でもかなり疲弊してたし。休める時に休ませておくのは当たり前だけども。

 

「雪ノ下さん本当に寝ちゃったね。ちょっと静かにしてようか」

「ん、おう。すまんな」

「ううん、別にいいよ。雪ノ下さんも疲れてたみたいだし」

 

 戸塚は優しいなぁ。全世界の優しさと言う概念がここに全て詰まっているのではと錯覚するくらい優しい。

 さて、京都まではまだ時間がかかる。その間、こいつが安らかに寝ていられるように。そう思いを込めて、艶のある黒髪をそっと撫でた。

 



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変わったものを、彼と噛み締めるようにして。

 ふと、目が覚めた。

 首元の枕がいつもと何処か違う感触で、今が修学旅行中なのだと気がつく。

 と言うことは、ここは旅館?

 はて、いつの間に旅館へ着いて、更にいつの間に私は眠ってしまっていたのか......。

 

「あ、おはよう雪ノ下さん」

 

 声のする方に首を向けてみると、そこにはクラスメイトで同じグループの女子が。

 どうやらトランプに興じていたらしい。それぞれが手札として何枚かのカードを持ち、畳の上にもカードが雑に捨てられている。

 

「ええ、おはよう」

「ご飯食べ終わったら直ぐに布団に入ってたけど、大丈夫? もし気分が優れないなら先生に言いに行くけど」

「いえ、大丈夫よ。少し疲れただけだから」

 

 言いながら、記憶を掘り返す。

 あぁ、そうだ。一日目のクラス単位での移動で余りにも歩かされたから、体力のない私は夕飯を終えて直ぐに横になったのだった。

 まず始めにバスで清水寺に移動した。私たちJ組より少し早く移動していたF組を見つけて、比企谷くんが戸塚君や由比ヶ浜さん相手に鼻の下を伸ばしていたのを覚えている。

 非常にヤキモキさせられた。確かに戸塚君は中性的な容姿でとても綺麗な顔立ちをしているし、由比ヶ浜さんも魅力的な女性といえど、彼女がいると言うのにあの反応は少しどうかと思うのだ。

 あと印象に残っているのは、恋愛関係の場所全てで平塚先生の姿をお見受けしたくらいか。

 清水寺の滝で4リットルペットボトルを用意していたのには流石の私も苦笑いしか浮かべられなかった。

 その後も色々と歩き回り、旅館に着いた頃には私の体力も殆ど尽き、夕飯とお風呂を終えた後に脇目も振らず布団へダイブしたのだった。

 いやはや、情けないことこの上ない。

 恐らく、修学旅行と言うことでいつもより早起きだったのも原因の一つだろう。

 本格的に体力のなさを克服しなければならないかもしれない。

 

「雪ノ下さんも大富豪する?」

「いえ、私は遠慮しておくわ」

 

 大富豪にはあまり良い思い出がない。まさか二度目もあの地獄のような大富豪をやらされる羽目になってしまうとは思わなかったし。けれど、比企谷くんの裸を見れたと思ったら......。

 いえ、この思考はいけないわ。これでは変態じゃない。

 

「そう言えば雪ノ下さん、新幹線の中で途中いなくなってたけど、どこ行ってたの?」

「あー、確かに。一時間くらいずっといなかったよね」

「そう言えば清水寺とか回ってる時も、偶に凄い形相でどこかを見てたし」

「もしかして、これは噂の彼氏さんかな?」

 

 マズイ。話題の矛先がこちらに向いてきた。

 高校生というのは、何故かこう言った話題が大好物だ。そこにはかつてのように悪意が潜んでいるわけでも無く、ただ単に彼女らの好奇心なのかもしれない。

 けれど、それを向けられる側としてはたまったものじゃない。

 

「誰だっけ? 確かF組の......」

「ヒキタニくん、だった?」

「そうそう、確かそんな名前」

「まさか私達の雪ノ下さんの彼氏になるなんてねー」

 

 別にあなたたちのものになった覚えはないのだけれど......。それも、私に対して好意的な感情を向けてくれている、と解釈しておこう。

 しかし、流石は比企谷くんね。この私の恋人として噂の渦中に放り込まれながらも、名前を正しく認識されていないだなんて。

 確かに読みにくい名前ではあるけれど。

 しかし、しっかりと訂正しておかなければなるまい。私の恋人が間違えたまま名前が広まると言うのも、癪ですもの。

 

「ヒキタニ、では無く比企谷よ。2年F組の比企谷八幡」

「あれ、そうだっけ?」

「あー、あれヒキガヤって読むんだ」

「なんかゴメンね、雪ノ下さん」

 

 よし。これで正しく覚えてくれた筈。私ほどでは無いにしても、J組の子達はみな優秀だから、記憶力も十分な筈。これで覚えていなかったのだったら、逆に彼が凄いと言うことにしましょう。

 いや、学力がどうこうと言ってしまえば、彼の苗字は地名にも使われているのだから、それを読めないのは些かどうかとおもうのだが。

 

「それでそれで、雪ノ下さんはヒキガヤ君のどこが好きなの?」

「あ、それ気になるかも! 今日もずっとヒキガヤ君の方見てたんでしょ⁉︎」

「新幹線の時もヒキガヤ君のところに行ってたとか!」

 

 ど、どうしましょう。追求の手が止むどころか、悉く事実を言い当てられてしまっているのだけれど......。

 それは違うと言うこと自体は簡単だが、嘘は吐きたくない。だからと言ってここで肯定してしまえば、クラスメイトからの冷やかしは増すばかりだろう。

 ......ここは戦略的撤退しか無いようね。

 

「ごめんなさい、少しお土産を見てくるわね」

「あ、逃げた!」

「これから愛しのヒキガヤ君と秘密の逢瀬ですか⁉︎」

「と言うか雪ノ下さんにそこまで惚れられてるとか、一度私たちもヒキガヤ君からお話を聞かなければならないのでは?」

「むしろヒキガヤ君が雪ノ下さんに見合うだけの相手かどうか見定めなければならないのでは⁉︎」

 

 そんなクラスメイト達の声を背中に受けながら、私は部屋を出る。

 さて、部屋を出たのはいいがどこに行こうかしら。宣言通り土産物を見に行くか、それとも彼に連絡して少し出て来て貰うか。

 いや、確か一度目の時は彼もあそこにいた筈。連絡するまでも無いかもしれない。

 取り敢えず向かってみよう。居なかったら居なかったで、メールなり電話なりしてみたらいいことだし。

 と言うことで、旅館の一階へ。

 前に会った自販機の付近を見渡してみるが、彼の姿は見当たらない。

 ならメールをして降りてきて貰おうかしら、と。そう思った時、それが目に入った。

 

「まぁ......!」

 

 お土産コーナーの一角に陣取った、白と黒のヌイグルミ。凶悪な目つきに凶暴な爪は見慣れたものだが、ご当地限定、京都限定の新撰組の服を着たそれ。

 そう、パンダのパンさんがそこにいた。

 私としたことが不覚だった。確かに、一度目の時もこのパンさんを見かけ、これを買おうとしたところで彼の視線に気づいてしまったのだった。なんとか二日目に別の旅館で同じものを買うことは出来たけれど。

 どうしましょう。あぁ、本当にどうしましょうか。

 ポケットの中を確認してみるも、そこに財布はない。残念ながら部屋に置いて来てしまったようだ。

 今すぐ部屋に取りに戻る?

 ええ、そうした方がいいわ。寧ろその選択肢以外はあり得ないわ。

 そうと決まれば善は急げ。早速部屋に戻りましょう。

 そう決めて踵を返したところで。

 

「あら」

「ん?」

「お?」

 

 二人の男子生徒と目が合った。

 これまた随分と珍しい組み合わせだ。

 一人は比企谷くん。先の部屋での話題の中心人物であり、ある意味私の目的の人物。まぁ、会って何をしようとか何を話そうとか、特に決めていたわけではないのだけれど。

 もう一人。もう一人は、戸部君だった。

 

「あ、なに? もしかしてヒキタニ君、そう言う感じ? っべー、言ってくれたら俺も直ぐ部屋に戻ったっしょー」

「いや、別にそう言うんじゃねぇから」

 

 どうやら戸部君は何か勘違いしているらしい。確かに私が呼び出したり、彼に呼び出されたりしたわけではないけれど、彼もそこまで否定することは無いのではなくて?

 

「あー、戸部。さっきの話、一応雪ノ下にもしといていいか?」

「ん? 別に全然大丈夫だべ。寧ろ雪ノ下さんにもお願い出来るとか、マジ百人力ってーの?」

「なんのことかしら?」

 

 イマイチ話が見えてこない。戸部君と葉山君が、彼に依頼した件だろうか。しかし、そうなると戸部君が単独で比企谷くんと話していると言うのも腑に落ちない。

 

「いやー、隼人くんのことなんだけどさ」

「葉山君の?」

「だべ。隼人くん、最近なんか様子がおかしいって言うか、なんか変なんだよね」

 

 隣の比企谷くんを見ると、コクリと頷いた。

 どうやら、三浦さんと似たような話らしい。

 

「俺も最近気づいたっつーか、隼人くんを見て気づいたわけじゃ無いんよ。ちょっと前から優美子がえらい隼人くんのこと気にかけてたからさ。それでちょっち注意して見てみたら、なーんか変だなーって」

「変、とは、具体的にどう言った感じに?」

「悩みがあるってーの? ふとした拍子に、暗い顔すんのよね。でも、俺じゃそれを聞いても、多分はぐらかされて終わりっぽいからさ。だから、ヒキタニくんにお願いしてたあれ、海老名さんとのやつはもういいからさ、隼人くんのこと見といて欲しいわけよ」

 

 驚いた。

 私はかつて、戸部君の事を騒ぐだけしか能の無いお調子者だとか評価を下した事があったけれど、この男がそこまで他人を見ることの出来る人物だったとは。

 いえ、恐らくは、葉山君をいつも近くで見てきたからこそ、だろう。

 きっと、三浦さんとはまた違った角度から。

 

「それは、戸部君自身では無理なのかしら? 側から見ていると、あなた達は十分親しい仲のように見えるのだけれど」

「んー、俺じゃ無理だべ。俺はさ、こんなチャラチャラした奴だから、隼人くんの悩みとか、言われても理解出来ないと思うわけよ」

「ならどうして私達に?」

「そりゃー、ヒキタニ君と雪ノ下さんの部活はあれなんしょ? 隼人くんの一押し的な」

 

 これまた随分と無責任なことだ。

 けれど、戸部君は戸部君なりに、葉山君の事を案じていると言うことか。

 この様子だと、比企谷くんもこの事を承諾したようだし。

 

「......分かったわ。似たような依頼を三浦さんからも受けているわけだし」

「おー! マジ感謝だわー。あんがとね! そんじゃ、俺は部屋に戻るわ。じゃねヒキタニくん、雪ノ下さん」

 

 手を合わせて謝意を伝えた後、戸部君は部屋へと戻っていった。

 

 

 残されたのは私と比企谷くんの二人のみ。

 さて、どうしましょうか。部屋に戻って財布を取りに行くタイミングを完全に逃してしまった。

 二日目に行く旅館にも同じものがある事は分かっているものの、目の前に目的のものがあると言うのに手に入らないのももどかしい。

 

「何ソワソワしてんの、お前」

「えっ? いえ、別に何も無いわよ」

 

 突然声を掛けられたせいか、少し上擦った声で返答してしまった。これでは何かあったと言っているようなものじゃない。

 そんな私を訝しげな目で見て、何か合点が行ったのか、比企谷くんはお土産売り場へと歩いて行った。

 

「ちょいそこ座って待ってろ」

「え、ええ」

 

 言われた通りに自販機の横のソファに腰掛ける。

 やがてお土産売り場から出てきた比企谷くんは、片手にパンさんの人形を抱えていた。

 どうやらそれを買いに行っていたようだが、どうして?

 

「ほれ」

「え?」

「だから、やる」

「......どうして?」

 

 これまた余りに突然過ぎて、どう言う事なのかイマイチ理解が及ばない。

 そもそも、彼からこれを受け取る謂れがないのだが。

 

「どうしてって、これ欲しかったんだろ? 前の時も随分熱心に見てたみたいだし」

「で、でも......」

「あー......。あれだ。折角の修学旅行なんだし、その、彼氏が彼女に、プレゼント的な、そう言うのをしても、おかしくはないと思うんだが......」

 

 若干吃りながらも言葉を紡ぐ比企谷くん。その顔は少し紅潮していて、目も泳いでいる。

 確かに彼の言う事は間違いではないのだが、彼のその口からそんな言葉が出てきたのがどこか可笑しくて、つい笑みが溢れてしまった。

 

「ふふ......」

「何笑ってんだよ......」

「いえ、似合わないセリフだと思って、ね」

「安心しろ、自覚はある」

 

 自覚はあったのね。

 まあ、でも、折角彼が私のために買ってくれたのだから、素直に受け取っておこうかしら。

 

「ありがとう。大事にするわ」

「ん」

 

 彼からパンさんを受け取って、ギュッと抱き締める。

 旅館の中は確かにしっかりと暖房が効いていて、京都の寒さを和らげてくれているのだが、このパンさんからはまた違った暖かさを感じる。

 彼からの贈り物というだけで、とても嬉しい。

 そんな私の様子を、どこか恥ずかしそうに見ていた比企谷くんは隣の自販機へと移動した。

 

「やっぱマッカンねぇよなぁ......」

「丁度いい機会じゃないかしら? あなたも少しはあの味覚破壊兵器から遠ざかりなさい」

「それは俺に死ねと言ってるのか? お前、なんか飲む?」

「いえ、そこまで気を使ってもらわなくても結構よ」

「さいで」

 

 そんな返事をしつつも、比企谷くんは自分の缶コーヒーと、温かい紅茶を買う。

 

「別にいいと言ったじゃない」

「並んで座るのに俺だけ飲んでたらなんか変な感じだろ。取り敢えず受け取っとけ」

 

 どこか釈然としないが、折角買ったのだからありがたく受け取ることにした。

 こういう所は本当にあざとい。一色さんよりもあざとい。

 彼が私の隣に腰掛けたのを見て、本題、と言うよりも、気になっていたことを聞いた。

 

「依頼の方はどうかしら?」

「サッパリだ」

「ごめんなさいね。私が別のクラスだから、あまり役に立てなくて」

「気にすんな。俺だって同じクラスなのに対して分かったことなんてねぇしな」

「それは少し気にしなさい......」

 

 視線はパンさんに固定されている。

 部屋に戻ってからでは、またクラスメイト達に揶揄われるかもしれないので、今のうちに存分に堪能しておきたい。

 パンさんのあちこちをニギニギしていたら、比企谷くんが重々しく口を開いた。

 

「分かったことは何もないが、明日にでも葉山と話す」

「それは、どうして?」

 

 随分と唐突で、彼らしくもない。

 彼はいつもある程度の解を導き出してから動いていた筈だ。それが、何もわからないうちから動き出すなんて。

 

「昔の俺を見てるみたいでイライラする、ってところだな」

「昔のあなた?」

「選択肢が与えられていると言うのに、あまつさえそれを見て見ぬフリをし、自分にはそれしかないと傲慢にも思い上がっている、って事だよ」

 

 それは、確かに。昔の、と言うより、一度目の時の比企谷くんのようだ。

 例えば、比企谷くんには私や由比ヶ浜さん、戸塚君や材木座君がいたように。

 彼にも、葉山君にも三浦さんや戸部君達がいる。

 葉山君が比企谷くんよりもタチが悪いのは、彼は何も選ばない事を選んでいると言うことか。

 何も選ばない。何も選べない。

 既にその選択肢以外が与えられていることに気づいていないのか、気づいていて見ないフリをしているのか。

 

「まあ、何を話すとかはまだ決めてないんだけどな。そこはノリと勢いでどうにかなるだろ」

「随分と行き当たりばったりな考えなのね」

「今までだって大体そうだったろ」

 

 言われてみれば確かに。

 文化祭も、修学旅行も。その後の生徒会選挙やクリスマス合同イベントも。

 何一つとして思い描いていた通りになっとことなんて無い。

 けれど、それまでと違う事もある。

 

「私も行くわよ」

「は? 行くって、葉山と話に?」

「ええ。元はと言えば、彼が思い出しているのは私との会話のせいかもしれないのだから。私だって無関係ではないわ。それに、あなた一人だと何をしでかすか、分かったものではないもの」

 

 今の彼には、私がいる。

 今の私には、彼がいる。

 些細なようで、大きな違いだ。

 

「はぁ......。どうせ拒否っても無駄なんだろ?」

「よく分かってるじゃない」

「なら勝手にどうぞ」

 

 ふふ、と少ししたり顔で微笑む。

 となれば、由比ヶ浜さんにも一応事情を話しておかなければならないわね。彼女も連れて行くかどうかは、明日決めましょうか。

 そんな感じで話がひと段落つき、互いの間に沈黙が流れる。

 私の好きな、心地いい沈黙が。

 奉仕部の部室で感じているそれと同様のものだ。

 暫くその空間に身を預けていると、カツカツとヒールを鳴らす音が聞こえてきた。

 各部屋に繋がる階段やエレベーターの方から歩いてきたのは、サングラスを掛けてコートを身に纏った、嫌でも見覚えのある女性。

 その女性は私達に気がついたのか、こちらに振り返った。

 目が合うこと数秒。今度は居心地の悪い沈黙が流れる。

 その沈黙を断ち切るように、隣の彼が口を開いた。

 

「ひ、平塚先生......?」

「ど、どうして君たちがここに......!」

「それはこちらのセリフなのですが......」

「つか、何してんすかこんな時間に......」

 

 いえ、このタイミングで先生が来ることは分かっていた事なのだけれど。前回の事もあるのだし。

 私達が呆れて何も言えないでいると、平塚先生は少し恥じらったように頬を染めて、言葉を発した。

 

「その、だな......。誰にもいうなよ? 絶対秘密だぞ? その、これから、ラーメンを食べに行こうかと......」

 

 分かりきった答えだったのだが、思わずため息をついてしまった。

 そんな、乙女の秘密を話すかのように言われても、内容が酷く残念過ぎて、最早目も当てられない。

 そもそも、こんな時間にラーメンなんて、それこそ乙女の天敵だと思うのだけれど。

 

「......ふむ。君たち二人なら丁度いいか」

「まさか、俺たちもついて来いとか言うんじゃないでしょうね?」

「なんだ、よく分かってるじゃないか。雪ノ下は兎も角、比企谷は信用ならんからな。どこで誰に言いふらしすものやら」

「そこは心配する必要ないかと。比企谷くんには言いふらすような相手がいませんので」

「いや確かにそうだけどよ......」

 

 どんよりと目を腐らせる比企谷くん。ここで否定の言葉が出ないあたり、悲しいやらなにやら。

 しかし困った。別に私としては平塚先生についていくのは構わないのだけれど、前回と同じく割と薄着であるし、先ほど比企谷くんからプレゼントして貰ったパンさんもいる。

 今回は辞退させてもらおうかしら......。

 

「ふむ、少々待っていたまえ」

 

 私達に一声掛けて、平塚先生はお土産売り場へと入って行った。

 その行動に二人して首を傾げていたら、暫くもしないうちに手に袋を持って戻ってくる。

 

「そのパンさんはこれに入れてくといい。それから、その格好では寒いだろうからコートを貸そう」

 

 どうやらパンさんを入れるための袋をもらって来てくれたらしい。

 差し出された袋を素直に受け取り、そこにパンさんをしまうと、続いてコートを肩に掛けてくれた。

 その対応が余りに紳士的過ぎて、隣にいる恋人よりも男らしく感じてしまう。

 彼にも少しはこういったところを見習ってほしいものだ。

 

「ありがとうございます」

「なに、気にするな。表にタクシーを待たせてある。早速行こうではないか」

「あの、俺まだ行くとか一言も言ってないんですけど......」

「君に拒否権があるわけなかろう。雪ノ下が来るのだから、恋人としてしっかりついて来たまえ」

 

 苦言を漏らす比企谷くんにそう答えながら、平塚先生は颯爽と歩き出す。

 先生の言う通り、旅館の前にはタクシーが止まっており、こちらが近づくと扉が開かれた。

 

「雪ノ下、先に乗りたまえ」

「では......」

 

 お言葉に甘えて先にタクシーに乗り込むと、タクシー特有のなんとも言えない香りが漂って来た。これ、あまり好きでは無いのよね。

 

「さあ比企谷も」

「いや、先生が先にどうぞ」

「おや、レディファーストとは、成長したじゃないか」

「そ、そんな! 幾つになってもレディですよ! もっと自信持ってイダダダダ!」

「後部座席の真ん中は一番死亡率が高いからだ」

 

 平塚先生の手が比企谷くんの頭蓋を砕かんばかりの勢いで握り締めていた。

 あの、そんなのでも一応恋人なので、その辺りにして欲しいのですが。

 完全に悪いのは比企谷くんだけれど。

 

「一乗寺まで」

 

 乗り込んだ平塚先生が運転手に行き先を告げる。どうやら前回と同じ場所に行くらしい。

 それにしても、再びあのラーメンを食べることになる日が来ようとは。

 比企谷くんとのデートの際に何度かラーメン屋に連れていってもらった事があるとは言え、ここのラーメンを上回るほど凶暴なものは何処にも無かった。

 いえ、一つだけあるとしたら、先日の嫁度対決なる時に一色さんが作っていたラーメンかしら。確か、なりたけ、と言うお店のラーメンを真似たと聞いていたが。

 今回こそはリベンジの意味も含めて、しっかり食べてみせよう。前回と比べると少しは食べられるようになっているはずだし。

 心の中で少しだけ気合を入れ、私達を乗せたタクシーは夜の街を走って行く。

 

 

 

 

 

 

 

「相変わらず凶暴な旨味だったわね......」

 

 結論から言うと、惨敗した。

 一口目でKO判定を受けてしまった。

 一度目の時と同じように、平塚先生に少しよそってもらったのだけれど、その僅かな量ですら食べきれなかった。

 いや、しかし、あれは女子が食べるものではないと思うのよ。寧ろあれを食べられる平塚先生がどうかしているんだわ。

 確かに美味であるのは間違いないのかもしれないが、それ以上に人を選ぶものでもあると思う。

 

「凶暴な旨味ってのは的確だな。ありゃこの時間に食うもんじゃねぇよ。まあ美味かったけど」

 

 隣を歩く比企谷くんがどこかゲンナリした様子で返してきた。

 今は帰りのタクシーも降り、彼と二人で旅館へと戻っている最中だ。平塚先生は酒盛り用のお酒を買うといって、近くのコンビニへと入っていった。

 少し視線を下にズラすと、そこには繋がれた手と手がある。

 どうしても一度目の時と比べてしまって、思わず笑みが漏れてしまった。

 

「どうした?」

「いえ、あの時とは随分と違うなと思って」

 

 明確な距離が開いていたあの時とは違い、今はこうして隣に立つことが出来ている。

 それは、存外に幸せな事なのかもしれない。

 そう思うと、自然と彼の手を握る力が少し強くなってしまう。

 

「まあ、あの時とは色々と違うからな」

「ええ。色々と、変わったものね」

 

 それは、私個人の事であったり、彼個人の事であったり、私たちの関係性であったり。

 本当に、色々なものが変わった。

 この世界に一人で放り出されたと思った時は、辛くて、悲しくて。失ったと思っていた。

 けれど、本当はそんな事はなくて。

 今もこうして、彼は私の隣にいてくれる。

 それきり互いの間に言葉なく、ただ寄り添って旅館までの道のりを歩く。

 タクシーを降りた場所は旅館までそう遠くない位置だったためか、あっという間に目的地が見えてきた。

 

「三日目は、どこに行きましょうか」

 

 別れの時間が近づいて来たのが少し寂しくて口を開く。

 本当はもっと一緒にいたいけれど、あそこに到着してしまえばタイムリミットだから。

 

「どっか行きたい場所でもあるか?」

「そうね......。あなたとなら、何処でもいいわ」

「そうか。なら、適当にぶらつくか」

「ええ。偶にはそう言うのも、悪くないわね」

 

 会話が終わるのとほぼ同時。旅館の扉の前へと到着した。

 そこで急に比企谷くんが足を止めたので、不思議に思って彼の顔を見上げる。

 

「どうかした?」

「いや、お前先に入っててくれ。流石にこの時間に二人で外に出てたのがバレると色々問題だろ」

「......それもそうね」

 

 もしクラスメイトなんかに見られていたら、また質問責めに合うだろうし、教師の誰かに見られたら指導があるかもしれない。

 ......本来生徒指導であるはずの先生のことは考えないでおきましょう。

 しかし、このままお別れと言うのもなんだか味気ない気がする。

 何より、この寂しさを抱えたまま夜を越すのは、嫌だ。

 だから、

 

「比企谷くん」

「ん? ......んっ⁉︎」

「ふぅ......」

 

 だから、その寂しさを埋めるために、彼にキスをした。

 こんな所でなんて、自分でも大胆な真似だと自覚はしているけれど。でも、色々と我慢できなかったのだから仕方ない。

 

「お前なぁ......」

「仕方ないじゃない......。どうやら今日一日、由比ヶ浜さんや戸塚君相手にデレデレしていたようだし」

「いや別にそんなことねぇし」

 

 せめてこちらを向いて反論して欲しかった。

 だから、新幹線に乗る前と同じように、ここは一つ意地悪をしてから帰ろう。

 私は比企谷くんに抱きついて、その胸に顔を沈める。

 

「あなたは私の恋人なのだから。他の人にデレデレしてたら嫌よ」

「......悪かったよ」

「分かればいいの。......ん。では、また明日」

 

 最後にもう一度唇を重ねて、私は逃げるようにして旅館の中へと入って行った。

 後ろから聞こえてくる卑怯だろ、なんて言葉にどこか機嫌を良くしながら。

 

 

 

 



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果たして、彼の臨む道は。

 修学旅行二日目はグループ行動となる。

 旅館で朝食を済ませ、荷物を次の旅館に持って行ってもらうよう手配すれば、後はグループで事前に決めていたルートを回るだけ。

 俺のグループは一度目の時と変わりなく、更に三浦グループも一緒に行動するので、前回との違いは殆どないと言っても良い。

 だが、今回も仕事はあるのだ。

 思い出を作る修学旅行でも仕事の呪縛からは逃れられない。寧ろ仕事が思い出。この思い出を胸に三十年は社畜として頑張れるのではないだろうか。

 いや、俺が社畜になる前提で話進めちゃダメだろ。もしかしたら運良くホワイト企業に就職出来るかもしれないし。専業主夫の可能性だってまだ捨てきれない。夢くらい見たって良いよね。

 閑話休題

 さて、前回と同じと言うことは、俺たちはまず太秦映画村へと向かう訳なのだが。案の定、そこへ向かうバスは通勤ラッシュかよってくらい混んでいた。

 座る場所なんてあるはずもなく、俺たちと同じ修学旅行生や観光客でギッシギシ。

 女子連中は大丈夫なのかと目をやるも、三浦と川崎がめっちゃガン飛ばしてて由比ヶ浜と海老名さんは超守られてる。

 そして勿論戸塚は俺の腕の中。足を踏まれたり肘を入れられたりするも、戸塚を守るためならば痛くも痒くも、あっ、待って、今変なところにエルボー喰らった。脇腹めっちゃ痛い。

 そんなこんなで映画村へ到着し、殺陣を見て、池から出てくるネッシーもどきを見て、お化け屋敷で川崎がガチビビリしてて、と。ここまでは驚くほど一度目と同じような流れだった。

 なんなら川崎がビビって走り去っていったタイミングも同じだったかもしれない。

 今は映画村を既に出て、龍安寺に到着したところだ。

 うん、まあ正直に申しますとここに来るのはそれなりに楽しみって言うか二日目はここに来る以外に価値はないって言うか。理由は聞くな。

 境内に入り、各々が色々と見ながらゆっくり歩いていくと、そこに到着した。

 龍安寺の名物とも呼べる、「虎の子渡しの庭」 そこが一望出来る場所に腰を下ろしている、長い黒髪の持ち主を発見した。

 自分でも少し頬が緩むのが分かる。我ながら気持ち悪い顔をしている事だろう。

 顔を引き締め、俺もその彼女の隣に腰掛ける。

 

「あら奇遇ね」

 

 なんとも白々しい言葉が隣から聞こえてきた。顔をそちらに向けると、ジッと庭を凝視している綺麗な横顔が目に入る。

 やはり、雪ノ下雪乃はここに来ていた。

 

「お前もここに来てたんだな」

「ええ。やっぱり、どの辺りが虎なのか気になってしまって」

 

 えぇ......。それまだ気にしてたの? 因みに、俺はちょっと気になって虎の子渡しという言葉を調べてたりする。別にこの庭は虎関係なかったりもする。

 なんでも、中国の故事に由来するそうな。詳しくはググってくれると助かるな。

 俺も暫く庭を眺めていると、ふと、視線を感じた。どこから見られているのかと辺りを見回してみると、その視線の正体は雪ノ下の向こう側から。つまり、彼女のクラスメイトであり同じグループの女子からめっちゃ見られていた。

 それ自体はいい。前回だって随分と訝しげな視線を頂いてしまったものだ。

 しかし、今回は違う。あの目は、好奇心を抑えきれずに輝かせているような、そんな目だ。

 

「あの、もしかしてあなたがヒキガヤ君⁉︎」

「え、あ、お、おう......」

 

 雪ノ下の隣に座っていた女子生徒が食い気味に質問して来た。あまりの押しの強さにしどろもどろになりながらも答える。

 え、なに? 俺なんかしたの? てか雪ノ下なんか喋ったの?

 俺が狼狽えていると、質問した女子が立ち上がって俺の隣に移動して来る。そして残りの二人の女子も、雪ノ下への距離を詰めた。

 しまった、囲まれた......!

 

「ねえねえ、ヒキガヤ君は雪ノ下さんと付き合ってるんだよね?」

「馴れ初めは? 一体どこで出会ったの?」

「て言うか、どうやってこの雪ノ下さんを落としたの⁉︎」

 

 めっちゃグイグイ来るな......。

 あと雪ノ下さん? あなたコメカミに手を当てて「この子達は全くもう......」みたいな感じでいますけど、これ俺が答えたらあなたも恥ずかしいやつですよ?

 

「まずは雪ノ下さんの好きなところを言ってみようか!」

「雪ノ下さんも、ヒキガヤ君の好きなところ言ってみよう!」

「どうして私まで......。ちょっと、近いわよ......」

「ほらほら〜。素直に吐いちゃえよ〜」

「親御さんは泣いてるぞー」

「やっぱり大学は同じところに行くんですよね⁉︎」

「あ、ゆきのーん! って、何この状況⁉︎」

「ん? F組の由比ヶ浜さん?」

「てことはまさか......」

「さ、三角関係⁉︎」

 

 カオス過ぎるでしょこれ......。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう。葉山君におかしな様子はない、と」

「うん。昨日今日見てたけど、いつもの隼人君だったよ」

「まあ、あいつがそう簡単に尻尾を見せるとも思ってないし。そんなもんだろ」

 

 J組女子の追求からなんとか逃れ、乱入してきた由比ヶ浜も伴って、先程の場所から少し離れた位置で由比ヶ浜の報告を聞いていた。

 が、それも収穫なしと言うもの。

 まあ仮にここで収穫があったとしてもやることは余り変わりない。

 

「由比ヶ浜、お前葉山の連絡先知ってるよな?」

「え? うん。勿論知ってるけど、なんで?」

「今日の夜、あいつを呼び出して欲しい。場所はホテル近くのコンビニだ」

「分かった」

「三浦さんの方はどうするのかしら?」

 

 どうする、とは。俺たちの話し合いの場に三浦を呼び出すかどうかと言う意味だろう。

 その質問には首を横に振らざるをえない。

 100%確証がある訳ではないが、話はこの『やり直し』の事になるだろう。そんな場に無関係なやつを連れてきた所で、馬鹿な話をしていると思われるのがオチだ。

 

「三浦は呼ばなくていい。聞かせられる話でもないしな」

「それもそうね」

 

 話がひと段落つくと、雪ノ下は待たせているグループの面々の方へと戻っていった。

 その時、他のメンバーにしつこく迫られているのを遠目から見てしまい、由比ヶ浜と一緒に吹き出してしまう。

 

「大変だな、あいつも」

「他人事みたいに言ってるけど、ヒッキーも無関係じゃないじゃん」

「そうなんだよなぁ......」

 

 結局、彼女たちに振られた質問には何一つとして答えずに出てきたので、その分雪ノ下が質問責めに会う事だろう。もしかしたら昨日の夜には既に被害があったのかもしれないが。

 

「あたし達もいこっか」

「おう」

 

 雪ノ下の背中を見送って、俺と由比ヶ浜も葉山達の元へと戻る。

 その時に見えた葉山の顔は、やはりいつもの、「みんなの葉山隼人」だった。

 

 

************

 

 

 

 龍安寺を出た後も一度目と同じく、金閣やらなんやらと回ってたのだが、交通の便の都合で案の定ホテルに着くのは遅くなってしまった。

 夕飯の時間には間に合ったのだが、風呂の時間には間に合わなかったらしい。お陰で二日連続内風呂。いつになったら戸塚と風呂に入れるんだ......。

 そして現在、俺は待ち合わせ場所のコンビニでサンデーを読んでいた。前回、三浦と偶然出会った場所だ。

 暫くぬぼーっとマギを読んでいると、ちょんちょんと肩を叩かれた。

 

「待たせたわね」

「お待たせ、ヒッキー」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜だ。

 それぞれの手には缶コーヒーと紅茶が一つずつ握られており、どうやら俺が集中して誌面を追っている間に飲み物を買ったらしい。

 そして二人の後ろに、金髪ドリルが見えた。

 

「おい、なんで三浦もいるんだよ......」

 

 呼ばないと決めていたはずの三浦優美子がそこにいた。

 どこか不機嫌そうにしており、俺の言葉が聞こえたのか、ギロリとこちらを睨んでくる。怖い。

 

「なに、あーしがいたらダメなわけ?」

「あ、いや、別にそういう訳じゃないがな......」

 

 萎縮しながらもなんとか言葉を返し、説明を求める為に由比ヶ浜に視線で促す。

 

「ご、ごめんねヒッキー。隼人君にメールしてたら優美子にもバレちゃって......」

「まあ、彼女は依頼人なのだし、同席しても問題ないでしょう」

 

 雪ノ下の声色にはどこか諦めの色が見えた。

 まあ、確かに雪ノ下の言う通り、三浦は今回の依頼人であり、同席する権利も持ち合わせている。バレてしまったのだったら、俺たちにとやかく言うことは出来ない。

 小さくため息を零してから、サンデーを棚に戻す。それを合図とするかのように、女子三人はコンビニから出た。勿論俺もその後ろに続く。

 

「三浦さん。申し訳ないのだけれど、話が終わるまではあそこの草むらに隠れていてくれないかしら?」

 

 コンビニを出てから直ぐ、雪ノ下がそう提案した。同席しても問題ないとか言ってなかった?

 

「は? なにそれ、あーしに聞かれてマズイことでもあんの?」

「何も話を聞くな、と言っているわけではないわ。聞いていても構わないから、少し身を伏せていて欲しいのよ。あなたがいる事で、葉山君も全て話せなくなるかもしれないから」

「......。分かった。結衣、ついて来て」

「あ、うん! はいヒッキー、これ隼人君の分ね」

 

 意外にも、三浦は雪ノ下に食ってかかることもなく、近くの草むらへと歩いて行った。由比ヶ浜も、持っていたカフェオレを俺に手渡しついて行く。

 確かにあそこの草むらなら姿は見えないだろうし、話し声もしっかり聞こえるだろう。

 

「この方があなたも気兼ねなく話せるでしょう?」

「よくご存知で」

「はい、これ。マックスコーヒーでもなければ私の紅茶でもないけれど」

「別にその二つしか飲めないって訳じゃねぇよ」

 

 言いつつも、差し出されたカフェオレを受け取る。なんとか片手でプルタブを開け、ひとくち喉に流し込む。

 マッカン程ではないが、甘ったるい味が口の中に広がる。

 その甘味を楽しんでいると、暗がりから人影が歩いて来た。

 遠目からでも、その金髪はよく見える。

 

「結衣に呼ばれて来たんだけど、やっぱり、君たちだったか」

 

 葉山隼人は、あいも変わらず爽やかな笑みを浮かべて現れた。

 

「俺たちで悪かったな」

「何もそこまで言っていないさ。結衣自身がいないのは少し驚いたけどね」

「あいつから連絡を取ってもらう他無かったんだよ。ほれ」

 

 由比ヶ浜から受け取っていたカフェオレを放り投げると、葉山は難なくそれを片手でキャッチした。特に礼を言うわけでもなく、葉山はプルタブを開ける。

 こいつ、俺に対しては徹底的に嫌な奴だな。まあ分かってたことではあるから良いんだけどさ。

 

「単刀直入に言うわ。葉山君、あなたに関する事で、私たち奉仕部は一つ依頼を受けているの」

「俺に関する?」

「ええ。依頼人の名前を明かすことは出来ないけれど、あなたならどのような依頼か、察しがつくのではなくて?」

 

 雪ノ下にそう問われ、葉山は考えるでもなく小さくため息を吐いた。依頼内容だけでなく、依頼人まである程度察しているのかもしれない。

 

「そうか......。それは、迷惑を掛けてるな」

「ええ、全くよ。私としては、折角の二度目の修学旅行なのだから、何も考えず楽しみたかったのだけどね。それで」

 

 そこで一拍置き、雪ノ下は本題に入る。

 

「あなた、いつまでそうやっているつもり?」

「......そうやって、とは?」

「惚けても無駄よ。私の先ほどの言葉に対して何も言わないというのであれば、あなたも『繰り返して』いるのでしょう?」

「......」

 

 葉山は何も言わない。

 雪ノ下は先ほど、確かに『二度目の』と口にした。そこにツッコミを入れないと言うことは、葉山隼人は記憶を保持していると考えて間違いない。葉山自身、雪ノ下の言葉に否定もしていない。

 尚も葉山は口を開かない。

 ただ、スチール缶を傾け、俺たち二人を見ているだけ。

 恐らく雪ノ下の正攻法では、こいつは口を破らないだろう。いや、そもそも口を破ると言う表現自体が正しい訳ではないのだが。

 ならば、やはり俺が話すしかあるまい。

 

「なあ葉山。前から一つ聞きたかったんだけどよ」

「......なんだい?」

「戸部の気持ちを踏み躙った感想はどうだった?」

 

 それを聞いて、一瞬目を丸くしたかと思うと、あの苛烈な眼差しで俺を睨んでくる。

 隣からは呆れたようなため息が聞こえた。

 これは後で怒られるな、と思いながらも、葉山からの言葉を待つ。

 

「......君たちは、変わったな」

「あ?」

 

 呟き、その顔に浮かべるのは寂しげな表情。

 俺の質問に対する答えとはなんら関係のないその言葉に、思わず聞き返してしまった。

 

 「いろはも結衣も、君たち二人も、確かに変わった。多分それは、この世界故に強制されての事だろうけど、それでも変化があったのは事実。変われていないのは、俺だけだ」

 

 自嘲気味に吐き出されたその言葉には、どこか違和感があった。

 果たして、かつての葉山隼人ならば今のような言葉を漏らしただろうか。常に変わらず『みんなの葉山隼人』であり続けようとした彼が、変化を望むような言葉を。

 

「なあ比企谷。いつだったか、君に言ったよな。俺は君が思っているほど、良いやつじゃないって」

「......ああ」

「今の君に、俺は良いやつに見えるか?」

「これっぽっちも見えねぇな」

「だろうな。人の気持ちを簡単に踏み躙れるようなやつが、良いやつな筈がない」

 

 心底おかしそうに、葉山は笑う。

 その様子を見て何かに気づいたのか、雪ノ下が口を開いた。

 

「葉山君、あなた本当は......」

「......多分、雪ノ下さんが察した通りだよ。俺だって気づいているさ。今はもう、なにも選ばないと言う選択肢以外にも存在することに。でも、怖いんだ。それを選んだ途端、全てが無くなってしまいそうで。その選択が間違いなんじゃないかって」

 

 葉山の言い分はとても理解できる。

 俺も一度ならず何度だってそう思った。

 リセットされたこの世界で、果たして別の道を選ぶことが正しいのか否か。その答えが今の俺を取り巻く環境となっているわけだが、それでも、それが正解だったとは限らない。

 なら、葉山と俺の違いはなんなのか。

 そんなもの、考えずとも答えは出ている。

 

「なあ葉山。お前、自分の周りをちゃんと見たことあるか?」

「グループのみんなのことか?」

「違う。厳密には、お前を見てくれている奴の事を、ちゃんと見た事があるか、って話だ」

「俺を、見てくれている奴......」

「ああ。お前のことは心底嫌いだが、今回ばかりは依頼があるからな。助言くらいくれてやる。お前は自分で思っている以上に、お前のことを大切に思ってくれているやつがいるんだよ。何かを選ぶとかそれ以前に、そいつらのことくらい大切にしたらどうだ」

 

 チラリと後ろを見る。

 そこには、心配そうに葉山を見つめる少女いる。ホテルには今も、彼のことを心配する少年がいる。その二人はきっと、葉山がどんな選択をしてもそれを受け止め、時には賛同し、時には叱咤するだろう。

 俺にとっての、彼女達のように。

 告げることは全て告げたとばかりに、俺はスチール缶の残りを全て飲み干し、ゴミ箱へと捨てる。

 

「行くぞ雪ノ下」

「もう良いの?」

「これ以上言うことはないからな。あとはまあ、なんとかなるだろ」

「......随分と他人事のように言ってくれるんだな」

「実際他人事だからな」

 

 これは彼ら彼女らの問題であり、俺たち奉仕部は本来部外者だ。

 ならば奉仕部の活動理念らしく、魚の取り方を教えたあとは、本人達に任せるしかない。

 

「比企谷」

「あん?」

「すまない。それと、ありがとう」

「やめろ、お前が俺に礼を言うとか寒気しかせん」

「そいつは良かった」

 

 いつものようの爽やかな笑みで嫌味を言う葉山を背に、俺と雪ノ下はその場から去った。

 葉山に駆け寄る足音が聞こえてきたが、もう俺たちには関係のないことだ。

 

 



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この場所で、彼と彼女はもう一歩先へ。

これにて修学旅行編完!
またハーメルンへの投稿は暫くお休みとなりますm(__)m
現在渋で生徒会選挙編執筆中ですので、渋で終わり次第ハーメルンにも投稿しに来ますね。


 修学旅行も三日目の朝がやって来た。

 今日一日は完全な自由行動が許されており、クラスの柵から解放される。各々が部活仲間だったり恋人同士だったりで行動するだろう。

 そんな日の朝に俺はと言うと、未だ惰眠を貪っていた。

 昨日依頼を完了させたことによる安心感からか、疲れがドッと押し寄せて来ていたのである。戸塚に揺り起こされたような記憶もあるが、その時は「俺を置いて先に行け」って超カッコよく言った気がする。

 しかし、何時迄も寝ているわけにはいかない。あまり遅いと朝食を食い損ねるし、何よりも今日は雪ノ下と一日行動する約束をしているのだから。

 数時間後の事に胸を躍らせながらも起床すると、隣から声がかかってきた。

 

「お早う比企谷くん。随分と遅い起床ね」

「おー、おはようさん。疲れてたんだから仕方ないだろ」

 

 どうやら雪ノ下が部屋に入って来て旅館の各部屋に備え付けてあるお茶を飲んでいるらしい。

 もしかして待たせてしまっていたのだろうか。そうだとしたら申し訳ない事をした。さっさと着替えて荷物纏め......、

 

「いやいやいや」

「なにかしら?」

「なにかしら? じゃねぇよ。え、なに、なんでいんの?」

 

 ここは男子の部屋で、雪ノ下は女子で、しかも今は朝食の時間。おかしい。なにがおかしいって、半ばこの状況を受け入れていた俺が一番おかしい。

 

「葉山君に頼まれたのよ。あなたがまだ寝ているから、起こしに行ってくれって」

 

 いやそれでもダメだろ。男子が女子の部屋に入るのが禁じられているのと同様、その逆もまた然りなのだから。

 葉山も雪ノ下もバカなのかなぁ......。

 

「そんな事より、はやく準備しなさい。朝食を食べに行くわよ」

「あぁ、うん。もういいや......」

 

 これ以上深く考えたらダメな気がしてきた。

 なんにせよ、早く準備しないと朝食を食いっ逸れるのは変わらないのだし。それに、俺だけでなく雪ノ下まで朝食抜きになってしまいかねない。体力のない彼女が朝食抜きなんて、流石にそれはマズイ。

 取り敢えず制服に着替えるためにジャージを脱ごうとして、視線に気づいた。

 

「......あの、着替えるから取り敢えず出てってくんない?」

「そ、そうよね......」

 

 チラチラとこちらを見ながらも、雪ノ下は立ち上がって部屋を出ていった。

 ああもうそう言うのやめろよなんか意識しちゃうだろうが!

 もうちょい鍛えた方がいいのかなぁ、なんて考えながらも制服に着替える。後は荷物を纏めてホテルのエントランスへと移動させなければならないのだが、まあ取り敢えず纏めるだけ纏めて、移動させるのは朝食の後でもいいだろう。

 携帯と財布、後一つの手荷物を持って部屋を出ると、雪ノ下はすぐ側のベンチに座って待っていた。

 

「悪い、待たせたな」

「問題ないわ。それより、あなた荷物は?」

「ん? 手荷物は取り敢えず持ったぞ」

「そうではなくて、旅行バッグの方よ。今のうちにエントランスへ移動させておくから、そちらも持ってきなさい」

 

 これはあれか。一度目と同じ感じか。

 ホテルの朝食ない代わりにどっか他の所で食う感じか。

 まあ朝食に有り付けるのなら文句はない。一度部屋に戻って荷物を持ち、雪ノ下の後に続いてホテルを出る。

 そこで気になったことがあったので、一応確認しておく事にした。

 

「なあ雪ノ下。今から行く場所って前回と同じ所か?」

「いえ、また別の場所だけれど。それがなにか?」

「いや、お前道分かるのか?」

 

 京都の道は直角の曲がり角が多く迷い難いのだが、このお嬢様は方向音痴の癖があるからな。白昼堂々二人して迷子とか流石に嫌だし。

 俺の質問にムッと眉根を寄せた雪ノ下。その拗ねた感じも可愛いですね。

 

「誰に聞いているのかしら? 目的地までのルートは昨日のうちに頭に叩き込んであるわ」

「まあそれならいいんだが......」

「つべこべ言わずについて来なさい比企谷くん」

「へいへい......」

 

 本人が大丈夫だと言うのなら信じてついて行くのみだが、本当に大丈夫かな......。今の俺の一言で負けず嫌いの血が騒いでたりしないよね?

 暫くの間特に会話もなく歩き続けていたのだが、そのうち携帯がメールの着信を知らせた。

 

「悪い雪ノ下。ちょっと携帯鳴ってるわ」

 

 コクリと頷いたのを見て、いつの間にか繋がれていた手を離しポケットから携帯を取り出す。

 いや本当いつから繋がれてたんですかね。余りにも自然な動きで俺じゃなきゃ見逃しちゃう所だった。嘘、俺も見逃してた。

 メールアプリを開いてみると、新着メールはアドレス未登録のよく分からないメアドから。てっきり由比ヶ浜あたりかと思ったのだが違ったようだ。

 適当に既読だけして置いておくかと思いそのメールを開いたのだが、件名の欄を見てうんざりとした。

 そこには『おはよう、葉山隼人だ』と書かれていたのだ。

 

「どうかしたの?」

「なんか葉山からメールが来た」

「あなたが葉山くんの連絡先を知っていたなんて意外ね」

「いや、なんか由比ヶ浜が勝手に教えたらしい」

「あの子は......。比企谷くんのだから良いものの......」

「いや俺のだから良いってわけじゃないから。俺のアドレスも勝手に教えちゃダメだからね?」

 

 本文には簡素な文面が。

 由比ヶ浜に連絡先を教えてもらった事。昨日は色々と助かったとの事。後はお礼程度にオススメデートスポットを何個か。

 まあそんな所だった。

 取り敢えず、由比ヶ浜に勝手に人のアドレスを教えないよう釘をさしとけ、とだけ返信してスマホをポケットにしまう。

 

「もういいの?」

「おう。別にあいつとメールのやり取りなんて進んでしたくないしな」

「徹底的に彼のことを嫌っているのね......。あれでも昔よりはマシになっていると思うけれど」

「俺はその昔ってのを知らんからなんとも言えんよ」

 

 それきり会話は途切れ、またどちらともなく、何を言うでもなく手を繋いで歩き始める。

 何度か曲がり角を曲がった所で、雪ノ下が立ち止まった。どうやら目的地についたらしい。

 

「ここよ」

「ほーん」

 

 大通りからちょっと逸れた道にある木造の喫茶店。脇道にあるとは言っても客入りはそれなりにいいらしく、外から見る限りでは満席とまでは言わなくとも、それなりに席も埋まっているようだ。

 店の中に入ると、意外や意外、総武高の生徒も何人か見受けられた。知り合いいたらいやだなー、なんて思いながら通された席につく。

 

「前回行ったところがあるでしょう? そことこのお店とで、女子の人気が分かれてるのよ」

「それで総武の生徒がいるのか」

 

 気づかれない程度に視線を回して見ようかと思うと、逆に俺たちがめっちゃ見られてるのに気づいてしまった。

 まあ、そうなるよな。なんせちょっと前の文化祭やら体育祭やらで色々とやらかしてるし。そりゃ注目集めちゃうわな。

 周囲からの視線に居心地の悪さを感じて身じろぎしていると、しかし雪ノ下は然程気にしていないのが、いつの間にか店員を呼んで注文をしていた。

 あ、いやこいつ気にしてないんじゃなくて気にしないよう努めてるだけだ。耳の下ちょっと赤い。

 

「モーニングセットを二つ。両方ともドリンクは紅茶で」

 

 畏まりましたー、と偉く間延びした声を上げて店員は引っ込んで行く。て言うかなんで俺の分も勝手に注文しちゃってんの?

 

「おい、モーニングセットたら言うもんがなんなのか俺は知らないんだが」

「ハズレではないはずだから安心しなさい。それと、いい加減挙動不審なのもどうかしなさいな。他のお客様があなたを見て気分を害したらどうするつもり?」

「そりゃ好都合ってもんだな。リアル充実してるキャピキャピJKビッチなどども滅んでしまえばいい」

「はぁ......。その辺りは相変わらずというか、そのクズさ加減は見ていて安心するわね」

 

 まあな。最早クズじゃなかったら俺じゃないまであるからな。キングオブクズの名を欲しいままにしてるからな。言ってて悲しくなってきた。

 周りからの視線はなんだかんだ慣れてるので、暫くも経たないうちに気にならなくなった。丁度完全に気にならなくなった辺りで、店員がモーニングセットと紅茶を運んで来る。

 セットは自家製クロワッサンが二つに目玉焼きとウインナーとなっていた。育ち盛りの男子高校生的には量的にイマイチ物足りない感じはするが、喫茶店のモーニングセットなんてこんなもんだろう。

 二人揃っていただきますと挨拶をして、黙々と食べ進める。

 一部の人から見たら、恋人と仲睦まじく食事をしていると言うのにお互い無言なのは異様に見えるかもしれない。

 だがまあ、これが俺と彼女の食事風景。会話があってもそれが広がることもなく。かと言って無言で気まずいこともなく。

 部室で弁当食ってたりしたら由比ヶ浜がいるので、そりゃ煩くもなるしいつもの部活中みたいにもなるが、あいつがいなければこんなもんだ。

 

「美味いな......」

 

 暫く食べ進めた所でポツリと呟いた。

 実際、結構美味い。恐らくこれを作ってる人は、何年も何十年も同じメニューを作って来たのだろう。クロワッサンに目玉焼きにウインナーとシンプルな内容にも関わらず、調理の拘りが見て取れる。

 

「確かに美味しいわね。お店の雰囲気も悪くはないし」

 

 俺の呟きを拾った雪ノ下が、そう言って目を瞑り流れている店内BGMに耳を傾ける。

 流れているのはジャズだろうか。いかんせんその辺りは疎いので具体的にどんな曲かは分からないが、店の内装と見事にマッチングしてると言えるだろう。

 

「紅茶も美味いし、評判に上がるだけはあるってことか」

「そうね。所で比企谷くん。私の作った料理や紅茶とどちらが美味しいかしら?」

「そりゃお前に決まって......、ごめんやっぱ今のなし」

「ふふっ、ダメよ」

 

 思わず即答してしまった。それで気を良くしたのか、雪ノ下はご機嫌に微笑む。

 でも事実だから仕方ないよね! 雪ノ下の紅茶も料理も美味しいもんね!

 なーんかまた周りの視線が気になりだしたなー。しかも生暖かい目に変わってる気がするし。

 ふえぇ......、恥ずかしいよぉ......。

 

 

 

 

************

 

 

 

 

 あんま長居しても恥ずかしい思いをし続けるだけになるので、喫茶店とは早々に別れを告げた。

 あの居心地の悪さが無ければ最高の喫茶店だったんだけどなぁ。最早それ店は関係ねぇじゃねぇかよ。

 そしてその後やって来たのは北野天満宮。

 学業の神である菅原道真を祀っていると言われる神社だ。今日はここに小町の受験合格を願うためにやって来た。

 

「そう言えば、結局小町さんの受験結果は分からないままだったのよね」

「ああ。前もここで参拝したしな。もしこれで俺がここに来なかったと言う理由だけで小町の受験が、って思うと来ないわけにはいかないだろ」

「流石にそこまで変化することはないと思うけれど......」

 

 いや、気を抜いてはいけない。そもそもこれは小町に関わる事なのだ。気を抜いていい筈がない。小町は俺の中では雪ノ下と同じくらい優先度が高いからな。

 

「最後は小町さんの頑張り次第なのだし、今からあなたが気張っても意味はないと思うけれど」

「困った時の神頼みって言うだろ」

「信仰心のカケラも持ち合わせていないあなたがそれを言うと、逆にご利益が無くなりそうね」

 

 会話を交わしながらも天満宮の拝殿までやって来た。

 昨日一昨日も様々な所で修学旅行生を見て来たが、北野天満宮は主に学業系とあってかそれなりの人混みになっている。

 逸れないように繋いでいる手に少しばかり力を込め、参拝の列に並んだ。

 

「そんな心配しなくても、中々逸れるものではないわよ」

 

 隣の雪ノ下がそう言って微笑みかける。

 こちらの心を見透かされたみたいで、どうにも気恥ずかしくなってしまうが、それも今更だ。こいつに隠し事なんて出来るわけもない。

 

「まあ、あれだ。念のためってやつだよ」

「そう。なら、仕方ないわね」

 

 雪ノ下はその微笑みを絶やす事なく、繋がれた手を見ていた。

 ちゃんと好きだと言葉にして伝え、こう言う関係になってから二ヶ月が経とうとしている。勿論恋人同士らしく、好意を言葉にすることもキスをすることだって何度もして来た。

 だと言うのに、こうした何気ない彼女の表情や仕草は未だに慣れない。いつでも見惚れてしまう。果たしてそれは慣れてしまってもいいものなのかどうかは分からないが。

 ふと、彼女の笑顔を見ていると思いついた事があった。

 空いている左手で制服のズボンのポケットから、修学旅行前日に小町から手渡されたあれを取る。

 特に何か合図をするでもなく構えて、シャッターを押した。はい、ピーナッツ。

 

「......何をしているのかしら?」

 

 カシャッとシャッター音がした後、見事に笑顔が消え去り冷たい眼差しを携えてしまった雪ノ下がこちらを向く。

 ポケットから取り出したのは何を隠そう、俺が持って来ていた手荷物の一つ、デジカメである。

 雪ノ下の笑顔があまりにも綺麗で可愛かったので一枚撮ってみたのだが、どうやらお気に召さなかったらしい。

 

「いや、小町にこれ渡されてな。なんか思い出撮ってこいって」

「だからと言って無許可で撮影していいわけではないでしょう。肖像権って知ってる?」

「悪かったよ。今度からはちゃんと言ってから撮る」

「......別に、私を撮るだけなら許可なんて取らなくても構わないわよ」

 

 少し頬を染めて、雪ノ下はプイッとそっぽを向いてしまった。

 ていうか、許可いらないんですね......。まあ言質は取ったしこっからはバンバン撮ってやろう。今日一日でフォルダを雪ノ下だらけにしてやるんだからね!

 

 

 その後無事に参拝も終え、ついでにお守りも買っていこうという事になった。

 それにしても、学業の神を祀っていると言うのに学業成就のお守り以外とか置いといていいのだろうか。ざっと見た感じだと、家内安全だとか無病息災だとか交通安全だとか焼肉定食だとか。まあ色んな種類がある。

 

「こうして見ると、お守りというのも沢山あるのね」

 

 先程有無を言わさず学業成就と無病息災の小さな招き猫を買った雪ノ下が、並べられたお守りを見てほぉ、と息を吐く。

 因みに学業成就が小町へのお土産らしい。無病息災の方は家に飾っておくのかな?

 俺も暫くぬぼーっと眺めていたのだが、雪ノ下の視線がある一点から動かなくなってるのに気がついた。

 俺もそこを見てみて、絶句する。

 視線の先に置いているのは、安産祈願のお守り。

 ...........................。

 反応しづらい......。

 これはスルーした方が良いのだろうか。いやまあ別に俺的にもそう言うのは吝かではないと言いますかなんと言いますか。

 でもほら、僕たちまだ学生だし。そう言うのはちょっと早いんじゃないかな!

 

「あー、雪ノ下」

「へっ?」

「取り敢えず学業成就のだけ買ってこうと思うんだが......」

「そ、そうよね。えぇ、ここには小町さんの受験の成功を願って来たのだもの。別にそれで問題ないと思うわ。私も小町さんへのお土産となる招き猫は買ったのだし、それでいいんじゃないかしら」

 

 えらく早口で捲し立てながらも、視線はチラチラとお守りの方へ。

 俺は小町のためのお守りと、もう一つ受験とは全く関係ないお守りの二つを買う羽目になってしまった。

 

 

 

 

************

 

 

 

 

 天満宮を出た後は二人で嵐山を散策したり、千本鳥居で雪ノ下が死に掛けてたりと色んなところを回った。写真もめっちゃ撮った。

 基本的には一度目の時に行った場所と同じところだ。別に行く場所考えるのがメンドくさかったとかそんなんではない。

 ついでに葉山のメールに書いてあったオススメデートスポットは完全に無視してやった。あいつの言う通りに、と言うのもなんか癪だし。行った先であいつらと出会うとかもっと無理。

 そんなこんなでそろそろ太陽も沈むかと言う時間。

 俺と雪ノ下は、まるで一度目をなぞるかのように、この場所へ来ていた。

 

「やはり、見事なものね」

「そうだな」

 

 渡月橋から天龍寺方面へと歩き、その裏手にある竹林の道。

 俺の嘘告白によって、俺たちの間に決定的な亀裂が入った場所。

 あの時と同じように竹林は天高くどこまでもその背を伸ばし、しかし足元の灯篭は未だ光を灯してはいない。夜になればこれらがライトアップされ、また違った景色を生み出すのだろう。

 

「ねえ比企谷くん」

 

 名を呼ばれ、隣の彼女の顔を見る。

 俺を見つめるその瞳はどこまでも澄んでおり、かつてここであった過去の事など気にも留めていない風だった。

 いや、違うのだろう。雪ノ下雪乃は決して過去を無かった事になどしない。それはこの二度目の世界で、必死に足掻いて来たのが何よりの証左となっている。

 あの時の間違いを思いつつ、しかしその瞳が見つめるのはここから先の未来だ。

 

「その、ね。私達、こう言う関係になってから暫く経ったじゃない?」

「まあ、そうだな......」

 

 改めて雪ノ下の方からそう言われるとちょっとむず痒い。けれど決して視線は逸らさず、言葉の続きを促す。

 

「もう、二ヶ月、経ったのよ。だから、その......」

 

 めいいっぱい頬を紅潮させる雪ノ下を見ていると、何故だか俺の方まで顔が熱くなってくる。

 一体何を言うつもりなのかと黙って待っていると、雪ノ下は声を若干裏返しながらも言葉を発した。

 

「そっ、そろそろ、次に進んでもいいのではないかしらっ......」

「つ、次って......」

 

 次って、まさか、え、まさかの?

 いやいやいや、その、雪ノ下さん? あなた自分が何言ってるのか理解してます?

 だって好きだって言い合ったわけだし、キスもしたわけだし、その次ってもうあれですよ? お茶の間では決して言えないようなあれですよ? さっき買ったお守りが現実味を帯びちゃいますよ⁉︎

 

「待て、待て落ち着け落ち着け待て」

「わ、私は落ち着いているわ」

 

 落ち着けと言った俺も、落ち着いていると言った雪ノ下も、決して落ち着いているとは言い難い。

 冷静になれ、まずはこの困ったお嬢様を説得するのが先だ。

 

「いいか雪ノ下。確かに俺たちは付き合いだしてから暫く経ったって言っても未だ二ヶ月だ。それに、今は修学旅行中だろ? そんな中でってのは流石にどうかと思うんだが......」

「寧ろ付き合いだして直ぐが普通だとクラスの子達は......。それに、修学旅行中はチャンスだとも......」

 

 ちょっとー! J組女子諸君は何でそんなにませてるのー⁉︎ 付き合いだして直ぐが普通ってどう考えてもおかしいでしょ。なに、最近のJKはやっぱりみんなビッチだったの?

 俺が雪ノ下のクラスメイトのいらぬお節介に本気で頭を悩ませていると、雪ノ下は俺の手を握っている力を強め、こう言った。

 

「だから、私たちもそろそろ、名前で呼び合うのはどうかしらっ?」

「は?」

 

 まるで一生の恥を告白したかのように顔全体を赤く染める雪ノ下。

 それに対して本気で間抜けな面を晒している俺。

 えっと、なに。つまり、俺の勘違いという事で、よろしいのでしょうか?

 呆気にとられてなにも言えないでいると、それを不安に思ったのか雪ノ下の表情が見る見るうちに翳り出す。

 

「あっ、ダメ、かしら......?」

「......ダメなんかじゃねぇよ」

 

 こちらを覗き込んで来るその表情を見ていると、拒否するなんて選択肢は浮かんでこなかった。

 なんだか一気に全身の力が抜けた気がする。

 ただ、名前で呼び合うだけ。それだけの事でここまでしなければならない程不器用な女の子。なんだか、愛おしくて堪らなくなってきた。

 今日この場所でこの提案をしたのにも、彼女なりに何か意味があってのことなのだろう。でも、それは彼女だけの決意であり、俺が余計な詮索をするのは違う気がする。

 俺がするべきはそんな事ではなく、ただ、彼女の望みを叶えるだけだ。

 深く息を吸って、それを吐くと同時に、この世で最も愛おしい人の名前を口にした。

 

「............雪乃」

「......っ! ふふっ、なにかしら、八幡」

 

 返ってきたのは極上の笑顔と透き通るような声で呼ばれた俺の名前。

 ああ、これは恥ずかしいな。恥ずかしいけど、なんだか悪い気はしない。

 チラリと周囲に視線をやり、誰もいないことを確認してから、その華奢な体を抱きしめた。

 

「......好きだ、雪乃。ずっと、ずっとお前のことを好きでいるよ」

「ありがとう。私も、あなたのことを愛してるわ、八幡」

 

 抱き合ったまま小さく口づけを交わす。

 こうして不器用な二人は、不器用なりにとても小さな一歩を踏み出し、修学旅行は幕を閉じることとなった。

 



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8
彼女も、その胸になにかを秘めている。


カワルミライ更新再開! 渋の方はまだ生徒会選挙編終わってないんですけど、まあそろそろ終わるので早めにね


 修学旅行が過ぎると、秋は深まるどころか冬の気配がチラついていた。寝起きの朝は中々布団から出ることが出来ないし、比企谷家のリビングには既にコタツが出ている。

 今日も今日とて寒さに身を震わせてリビングに降りると、キッチンで小町が朝食の準備をしているのが見えた。

 

「あ、おはよーお兄ちゃん」

「おう、おはよう小町」

 

 挨拶を交わしてさっさとこたつへ入る。

 こうして兄妹仲良く朝の挨拶を欠かさない辺り、やはり俺と小町の兄妹仲は超良好と言えるだろう。寧ろ良好過ぎてそろそろ妹ルート開拓しちゃいそうなまである。

 まあ開拓しちゃったら血を見ることになるのは明らかなのでしないけど。勿論俺の血。台所に立ってたらいきなり後ろからナイフでメッタ刺しとかやめて欲しい。いや、流石の俺もあそこまでクズではないけどね。キングオブクズの名を欲しいままにしている俺でもあれは真似出来ない。

 俺が朝っぱらから悲しみの向こうへと意識がフライアウェイしていると、キッチンから出来上がった朝食を持ってきた小町がゴミを見るような目で俺を見ていた。

 

「ちょっとお兄ちゃん、朝ご飯できたからこたつから出て」

「まあ落ち着け小町。時間はまだあるんだから、ほら、お前もこたつでゆっくりしていけよ」

「いいからさっさと出て」

「お、おう......」

 

 謎の剣幕に圧されて渋々こたつから出る。

 ふえぇ......。うちの妹が怖いよぉ......。

 のっそのっそとテーブルの方まで歩いて行き、椅子を引いて腰掛ける。寒い。

 向かいに小町が座ったのを確認して、二人揃って頂きます。

 

「ところでお兄ちゃん」

 

 どこからか取り出したのか、はたまた元から持っていたのか、小町はデジカメをテーブルの上に置き、尚もゴミを見るような目で俺に問いかけてくる。

 

「これ、どう言うつもり?」

「どうもこうも、お前が頼んだお土産だろ。修学旅行の思い出」

 

 そう、そのデジカメは何を隠そう俺が修学旅行に持って行き、死ぬほど雪乃を激写したデジカメだ。因みに写真の現像は既に終え、俺の部屋の奥底で大切に保管されている。

 しかしその解答では満足いかないのか、小町は立ち上がってウガーっと吠え出す。

 

「ちっがうんだよ!! 小町が求めてたのはこう言うのじゃないの! もっとこう、お兄ちゃんと雪乃さんがイチャイチャしてるような写真が欲しかったの!」

「別にいいじゃねぇかよ。ほら、この雪乃とか凄い可愛く撮れてるだろ?」

「どれどれ? おぉホントだ! この雪乃さん可愛い!」

 

 やはり小町は分かってくれるか。嵐山の紅葉を背景に撮影した雪乃は、本当に絵画か何かと見間違う程の美しさだ。しかも笑顔でカメラ目線なのが八幡的にポイント高い。

 

「......じゃなくて! って言うかお兄ちゃん、今なんて言った?」

「可愛く撮れてるだろ?」

「その前!」

「別にいいじゃねぇかよ」

「その後!」

「その間は別に何も言ってないんだけど」

 

 やだわ小町ちゃん受験勉強のストレスで幻聴が聞こえてるのかしら。

 なんて、そんな訳もなく。恐らく小町が言っているのは、俺の雪乃に対する呼び方だろう。

 

「いいいいつの間に雪乃さんの事名前で呼ぶことにしたの⁉︎」

「修学旅行中」

「なんで⁉︎ て言うかお兄ちゃん本当に小町のお兄ちゃん⁉︎ あのヘタレ王の比企谷八幡⁉︎」

「おい」

 

 なんだヘタレ王って。そんなんになった覚えないぞ。と言うか最近の俺はそこまでヘタレなわけではない。多分。

 

「まあ色々あったんだよ」

「色々ってなにさ!」

「気が向いたら話してやる。ほれ、はよ朝飯食え」

 

 適当に話を流して朝食に手をつける。うむ、今日も小町のご飯は美味しい。

 つーか、あんな恥ずかしいこと例え小町にでも話せるわけないんだよなぁ......。なんだよ、もう少し先に進みましょうって。そんなん言われたら色々と勘違いしちゃうに決まってるでしょうが。男子高校生舐めんな。

 

 

 

************

 

 

 

 

 今日も今日とて平常運転な奉仕部。

 由比ヶ浜がなんでもない話題を振り、雪乃が微笑みながらそれに答え、時として俺もそこに参戦する。強いて言うなら、ここにあざとい後輩がいないことくらいがいつもと違う点か。京都のお土産を持って来てやったので渡そうと思っていたのだが、一色は選挙のあれやこれやで忙しいと見た。

 紅茶の香りで満ちたこの部室は、しかし一度目のような空虚な空間とは全く違うものとなっていた。

 どうしても一度目と今回とを比べてしまうのは仕方のないことだろう。

 

「いろはちゃん、大丈夫かなぁ」

 

 そんな折に、由比ヶ浜がポツリと呟きを漏らした。ムムッと眉根を寄せ、この場にいない後輩の事を案じている。

 

「別に心配すること無いんじゃねぇの? あいつはあれで結構計算高いって言うか、やることはしっかり出来るやつだし」

「んー、でもさぁ......」

「なにか気掛かりな事でもあるのかしら?」

 

 確か、バレンタインイベントの時だったか。その時は生徒会が企画の立ち上げやらなんやらを全部やって、俺たちは当日の手伝いだけとなっていた。その時に俺と雪乃の二人と違い、由比ヶ浜は一色の事を心配してはいたものの、あいつを信頼して任せていた筈だ。

 その彼女がここまで憂慮するとは、何かがあったに違いない。

 

「いろはちゃん、推薦人がまだ集まってないって言ってたじゃん? 掲示板に貼られた候補者にいろはちゃんの名前が無かったからさ」

「まだ30人の推薦人が集まっていない、と?」

「かもしんない......」

 

 掲示板とか全く見てなかったから知らなかったが、そこに名前が挙がっていないのなら、正式に立候補出来ていないと言うことだろう。

 しかし、そうなるとおかしな事もある。一色いろはは間違いなく、この学校の殆どの生徒がその名前を覚えている筈だ。文化祭実行委員副委員長、体育祭運営委員委員長と、全生徒の代表とも呼べる仕事を二度もこなしている。更にあのルックスと養殖物の可愛らしさ。推薦人を集めるなんて、本来なら造作もないことだろう。

 

「大丈夫よ由比ヶ浜さん。そこの男の顔を見てみなさい。心配なんて微塵もしていないような顔をしているでしょう?」

「うわっ、ホントだ。ヒッキー流石にそれはないよ」

「心配してないなんて一言も言ってないだろうが......」

 

 なーんでこっちに飛び火して来ますかねぇ。流石の俺もそこまで白状じゃねぇっての。

 

「でも、本人に話を聞かない限りはなんとも言えんだろ。もしかしたら選挙管理委員の手違いって可能性もあるんだし」

「それもそうだけど......」

 

 俺の言葉ではまだ納得いかないのか、更に眉根を寄せる由比ヶ浜。

 多分、彼女なりになにかを察知しているのだろう。俺や雪ノ下のような輪の外にいる人間には分からない、トップカーストに所属しているからこそのなにかを。

 

「まあ、本当にヤバいんだったらここに来るだろうし、あんま心配し過ぎるのも考えものだと思うぞ」

「それもそうね。それに、気になるようであれば彼の言ったように本人に尋ねてみればどうかしら?」

「......うん。いろはちゃんにちょっとメールしてみるよ」

 

 雪乃の言葉に頷いて、由比ヶ浜は机に置いてあった携帯を手に取り操作する。言ったように、一色にメールで直接確認するのだろう。

 それを見て俺も文庫本に視線を落とそうとした時、部室の扉が叩かれた。それによって由比ヶ浜の手も止まる。

 どうぞ、と言う雪乃の声に促されて扉が開き入って来たのは、ちょっと意外な人物。

 

「失礼しまーす」

「あれ、さがみん?」

 

 相模南。文化祭やら体育祭やらでなにかと関わりをもったクラスメイト。

 

「やっほー結衣ちゃん。雪ノ下さんは久しぶり」

「こんにちは。取り敢えず掛けて頂戴」

 

 俺には挨拶なしですかそうですか。まあいいんだけども。

 雪乃に視線で椅子を出せと命令されたので、後ろに積み上がっている椅子から一つ引っこ抜いて長机の対面に置いてやる。

 ありがと、と短い礼を言い、相模はそこに腰かけた。

 

「今日はどう言った用件かしら?」

「なんか依頼?」

「うーん、依頼ってわけじゃないし、これうちが言っていいのかどうか悩んだんだけどさ......」

 

 相模はポケットから携帯を取り出し、なにやら操作すると、画面をこちらに見せて来た。

 そこに表示されているのは、『総武高校裏サイト』と題されたサイト。

 雪乃も由比ヶ浜も目を合わせてハテナと首を傾げている。

 俺も似たようなもんだが、そもそも裏サイトなんて言うものがこの学校に存在したこと自体に驚きだ。

 

「お前、こんなん見てんのか......」

「べ、別にいいでしょ。友達に言われてちょっと覗いただけだし。うちはなんも書き込みなんてしてない」

 

 いや、別にお前が書き込みしてるとか疑ってないし。

 

「この裏サイトがどうかしたのかしら?」

「このサイトの、ここのページなんだけどね」

 

 再び一つ二つ操作すると、出て来たそのページに思わず言葉を失った。

 他の二人も同じようで、目を見開いて驚いている。

 そこに書かれていたのは、一色いろはに関する誹謗中傷の嵐。その内容は多岐に渡るため省略するが、そのどれもが根も葉もないものばかりだった。

 

「たまたまゆっこと遥が見つけたらしくてさ。結衣ちゃんはこう言うの見なさそうだし、雪ノ下さんと比企谷はそもそも存在自体知らなさそうだし。一応報告しておこうと思ったんだけど」

 

 そう言う相模の表情は沈んでいる。一色ともそれなりの関係を築いていた彼女からすれば、こう言うものを見ていていい気分にはならないだろう。

 実際、俺も怒りでどうにかなりそうだ。

 

「これは、酷いね......」

「ええ......」

 

 返すべき言葉が見つからないのか、二人は苦虫を噛み潰したような表情でポツリと呟くばかり。

 

「これ、一色本人は知ってんのか?」

「どうだろう......。うちが見つけたのもついさっきだし......。これ、どうにかなんないかな? 一色ちゃん、生徒会長に立候補するんでしょ?」

「これが原因で推薦人が集まらないってことかな......?」

「それもあり得るだろうが......」

 

 いや、推薦人を集めるだけならこのサイトはそこまで問題視されない。現在のめぐり先輩率いる現生徒会、俺たち奉仕部や、葉山グループにサッカー部などなど、30人集めるだけなら簡単に出来る。

 ならどうしてか。考えられるのは二通り。このサイトが俺の予想よりも影響を及ぼしているのか、それとも。

 

「ヒッキー?」

「なにか、思いついたのかしら?」

 

 二人の声によって思考の海から抜け出す。

 その声に首を横に振るだけで答える。まだ考えが纏まったわけでもないし、この場で話すわけにもいかない。それに、出来ればあまり信じたくない可能性ではある。

 

「それで、相模の依頼はそれをどうにかしてほしいってか?」

「だから、別にうちは依頼に来たわけじゃないんだって。一応三人に報告しておこうと思っただけ。でも、どうにかしたいとは思ってる。体育祭の時だけで恩を返せたとは思ってないし、可愛い後輩がこんなこと言われてるのはムカつくからさ」

 

 そう言った相模は、どうやら本気で怒っているらしかった。一度目の屋上で見たあの表情に似た何かを感じる。

 また相模南と言う人間の知らない一面を知ってしまったが、今はどうでもいいことだ。

 

「取り敢えず、教えてくれて感謝するわ」

「ありがとねさがみん」

「うん。うちもなんか分かったらまた連絡するね」

 

 最後にそう言って相模は部室を出て行った。

 あいつがこのことを教えてくれたのは正直助かった。相模の言う通り、俺たち三人では裏サイトなんてもんに辿り着くまで時間が掛かっただろう。彼女の行った通り、俺と雪乃はその存在を知らないままだったろうし、由比ヶ浜に至っては葉山や三浦がその手のものを完全にシャットアウトしてそうだ。

 

「それで、あなたは何を思いついたのかしら?」

「あ?」

 

 突然声を掛けられてそちらを見遣ると、雪乃は紅茶のお代わりを準備し、由比ヶ浜はウンウンと頷いている。

 

「さっきのヒッキー、またなにか思いついたって顔してたよ?」

「どうせ碌でもないことなのでしょうけれど」

「おい、俺が碌でもないことしか考えないみたいな言い方は止めろ」

「......ふっ」

 

 一笑に付しやがったぞこいつ。まあいい。残念ながら否定出来る要素がないのも事実だし。

 

「それで、どうなのかしら?」

「......はぁ。思いついたって言うか、ちょっと疑問に思う点があるだけだ」

「疑問って?」

「裏サイトで書き込まれてるからって、別に推薦人を集められないわけじゃないだろ」

 

 一色いろはにはサッカー部、延いては葉山隼人と言う大きなバックがいる。そこを利用すれば30人程度集められないわけがない。

 

「と言うことは、何か別の原因があると言うことかしら?」

「分からん。それこそ本人に聞きでもしない限りはな」

「......あっ、いろはちゃんからメール返って来たよ」

 

 どうやら相模が来る前にメールは送り終えていたらしい。相変わらず文字打つの早いことで。メールする時だけトランザムしてるのかな?

 

「別に大丈夫です、だって......」

 

 読み上げた由比ヶ浜の顔は浮かないものだ。彼女もその文面をそのままに捉えたわけではないのだろう。

 大丈夫と言うやつほど大丈夫じゃないやつはいない。ソースはうちの親父。仕事の電話してる時に大丈夫です! なんとか間に合わせます! って言った後に電話切ってから大丈夫なわけねぇだろ! って叫んでるのを稀によく見る。

 それとはまた少し違うとは思うが、一色のその言葉をそのまま受け取るものはこの場に一人としていなかった。

 

「なんとかしなければならないわね」

 

 向かいに座る雪乃は、静かに怒りを燃やしながら言葉を漏らした。

 彼女は知ってるんだ。人の悪意なんて理不尽極まりないものに、誰かの意思がへし折られることを。他の誰よりも知っている。

 そして、雪ノ下雪乃と言う人間はそれを良しとしない。

 

「まずは情報の収集、あの裏サイトの書き込みが一度目の時にも存在していたのかどうかも調べておかないとダメね。後は一色さん本人にも話を聞くとして」

「まあ待て。一旦落ち着けよ」

 

 だが、彼女一人に突っ走らせるわけにもいかない。

 ジロリとこちらを睨め付ける雪乃の視線。正直怖いが、逸らすわけにもいかない。

 

「お前が怒ってるのは分かった。けど、あんまり焦っても仕方ないだろ。お前の言った通り、まずは一色本人から直接話を聞いてからだ。俺たちはそう言う部活だろ」

 

 奉仕部は一色本人から依頼を受けたわけではない。本当に一色のやつは大丈夫で、実はさっき言ったみたいに選管の手違いかもしれない。

 なにはともあれ、俺たちが現状出来ることなんて限りなく無いに等しいのだ。

 

「......そうね。ごめんなさい、少し気が立っていたみたい」

「じゃあ、明日いろはちゃんに部室に来てもらう?」

「それが良いかもな」

 

 取り敢えず明日、一色から話を聞くことだけを決めて今日の部活はお開きとなった。

 また厄介なことに巻き込まれないことを祈るばかりだが、まあ、そうもいかないんだろうなぁ......。

 

 

 

************

 

 

 

 由比ヶ浜さんと校門前で別れ、彼と並んで帰路につく。

 今日は少し、いえ、かなり腹の立つ出来事があった。教えてくれた相模さんには感謝している。

 彼女が、一色さんが一年の中でも特異な存在であることは分かっていたつもりだ。そして、そう言った存在だからこそ多くの悪意に晒されることも。

 それともう一つ別件で。今の私は非常に腹が立っている。勿論現在進行形で。

 

「ねえ八幡」

「......なんでございましょう」

「あなた、今日一度も私のことを名前で呼ばなかったわよね?」

「んぐっ......」

 

 そう、この男は今日一日、一緒に登校する時から今の今まで、私のことを一度たりとも名前で呼ばなかったのだ。

 おい、とかお前、とか、指示語や二人称を使ってばかり。折角修学旅行で勇気を出したと言うのに、明けて学校の日になるとこの有様。思わず頭が痛くなる。

 

「それとも、頭の悪いあなたは私の名前を忘れてしまったのかしら?」

「......お前だって」

「なにか?」

「お前だって、今日俺の名前呼んだの、今が初めてだろ......」

 

 なにを言っているのか。そんな馬鹿なことがあるはず......、いえ、言われてみればそんな気がしないでもないような......。

 思わず彼から目を逸らしてしまった。

 

「おい」

「違うのよ」

 

 そう、これは違うの。彼の名前を呼ぶ機会、はあったわね。そうではなくて、相模さんがやって来てそれどころでは、いえ、お昼休みもあったし......。

 え、と言うか、私、本当に彼の名前を呼んでいない?

 

「その、なんと言うか、改めて考えるとあなたを呼ぶ時って名前で呼ばないじゃない?」

「それを言うと俺もだろ。雪乃のことを呼ぶ時、大概名前で呼ばないぞ」

 

 それって、恋人同士としてどうなのかしら?

 いえ、今はそこを論ずるべきでは無いわね。と言うか、今更だし。

 

「それよりも、今は一色の件だろ」

 

 むっ、話を逸らしたわね。

 けれど彼の言う通り、今はそれよりも大事なことがある。私達の大切な後輩について。

 

「明日、本人に直接話を聞くって言っても、多分あいつはなにも言わないと思うぞ」

「でしょうね」

 

 それは分かりきったことでもある。そもそも一色さんに話すつもりがあるのなら、由比ヶ浜さんにあんなメールは送らないだろうし、早々に奉仕部へと泣きついて来ていることだろう。

 それに、恐らくではあるが、一色さんの今の現状、つまりは生徒会長への正式な立候補が出来ていないこの状況に、私は一つだけ見当をつけている。

 ともすれば、一色さんに対して非常に失礼な考えかもしれないが。

 

「今回は、あなたの出番は少なそうね」

「は?」

「多分、八幡がなにかしなくても解決する問題よ」

 

 もしも、もしも私の推測が当たっていたのだとしたら。

 あの裏サイトの書き込みは全くの別問題かもしれない。いや、もしかしたらそれも原因の一つであるのかもしれないけれど。でも、根本はもっと別にある。

 

「それはそうと、明日からは学校でもちゃんと呼んでくれるのよね?」

「......まあ、努力はする」

「そう。なら、楽しみにしてるわ」

 

 まさか、一色さん本人が、生徒会長になることを望んでいないだなんて。

 そんなこと、思いたくはない。

 

 

 



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魔王からは逃げられない、絶対に。

 相模が奉仕部へと来た翌日である今日。

 結論から言うと、一色は部室へ来なかった。

 由比ヶ浜には部活に行く、とのメールがあったらしいが、こうまでして俺たちとの接触を避けるとなると、いよいよきな臭くなって来た。俺の馬鹿みたいな予想が当たってる可能性も高くなってしまっている。

 まさかとは思うが、一色は生徒会長になりたくなんてないんじゃないのか。

 その考えは他の誰でもない一色自身に対して非常に失礼なものだろう。

 俺たちが修学旅行に行く前、彼女は確かに言っていた。一色が、一色自身の意思で生徒会長になりたいと。本人の口から確かに聞いたことだ。

 一色が来ないとの報せを聞き、奉仕部部室内は若干重たい雰囲気に包まれていた。

 由比ヶ浜は携帯の、恐らくは一色からのメールを見つめて浮かない表情をしているし、雪乃はさっきからなにやら考え事をしているようで、紅茶のカップを見つめている。

 

「......八幡、悪いのだけれど、今日は一人で帰ってくれるかしら。少し、やる事が出来たわ」

 

 顔を上げた雪乃の瞳は、いつもの強い光を携えたものだった。その目をした彼女なら、なにも問題は無いだろう。

 

「了解だ」

「由比ヶ浜さんは一緒に来てくれるかしら?」

「うん! ......うん? ゆきのん、今ヒッキーのこと名前で呼んだ⁉︎」

「別に騒ぐようなことでもないでしょう」

 

 そうそう、別に騒ぐようなことでもない。曰く、名前で呼び合うのが普通の恋人らしいからね。つーか、俺今日雪乃のこと名前で呼んだっけ? 呼んでない気がする。

 

「んじゃ俺は先帰るから、そっちは任せたぞ雪乃」

「ええ」

「ヒッキーも名前で呼んだ! ねえゆきのんいつから? いつから名前で呼び合ってるの?」

「由比ヶ浜さん、近いわ......」

 

 今日も仲良くゆるゆりしてる二人を背に部室を出る。

 さて、雪乃からは特になにもしなくてもいいと昨日言われてしまった。だからと言って一色のことが心配なのは変わりない。なにかしてやりたくなるのは、俺のお兄ちゃんスキルの為すものなのか。

 

「どうすっかなぁ......」

 

 久しぶりに放課後の時間を持て余してしまった。と言っても、今日も今日とて雪乃と登校したから自転車はない。どの道駅まで向かわないといけないし、ミスドにでも行こうかな。ついでにちょっと考えたいこともあるし。

 学校を出てから駅まで歩く。そろそろ通い慣れてきたとは言え、隣にはいつも雪乃がいた。彼女がいないと言うだけて一抹の寂しさを覚えてしまうのは、仕方のないことだろう。うん、ほら、手とかいつもよりちょっと寒いし。

 この時期になると日が落ちるのも早くなる。未だ夕方の5時になる手前とは言え、空は橙色に包まれていた。

 あいつら、暗くなる前に帰ってくれればいいんだけど、あの様子だと長引きそうだしなぁ。

 恐らく、雪乃は今から一色のやつを捕まえて話を聞きに行くのだろう。由比ヶ浜を連れて行ったのは、雪乃自身が自分の足りないものを自覚しているからか。

 俺が人のことを言えた義理ではないが、雪乃もあれで物事を理性的に処理するところがある。その雪乃が気付けない部分に、由比ヶ浜が上手いこと気づいてくれればいいのだが。

 そんな風に考えながら歩いていると、駅前のミスドへと辿り着いた。

 早速店内へ入ろうとして自動扉が開くが、その足が店内へ向かうことは無かった。

 

「げっ......」

「ん? おぉ!」

 

 店内でつまらなさそうにコーヒーカップのマドラーをぐるぐると回していた魔王を発見してしまったからだ。

 しかも完全に目が合っちゃったし。これでもう逃げられない。逃げようとするだけ無駄。

 

「ひゃっはろー比企谷くん!」

「......どうも」

 

 魔王、雪ノ下陽乃は俺を見た途端にパァッと顔を輝かせ、大きな声で俺を呼びこちらに歩いてくる。恥ずかしいんでデカイ声出さないでくれませんかね。

 ここで回れ右したくて本当に仕方ないのだが、そうしたらしたで後が怖いので、大人しく店内に入る。

 

「奇遇だねぇ。今日は雪乃ちゃんと一緒じゃないの?」

「雪乃のやつは用事があるそうなんで」

 

 そう言ってから気づく。が、時すでに遅し。

 なんでこの人の前で雪乃呼びしちゃったんだ俺!

 

「ん? いつの間に雪乃ちゃんのこと名前で呼ぶことにしたの? もしかして修学旅行? 修学旅行で二人の距離が急接近した感じ?」

「説明するのめんどくさいんでそういう事にしといてください」

「つまんないなー」

 

 あざとく頬を膨らませる陽乃さんを適当にあしらいつつもドーナツを選ぶ。

 まずエンゼルクリームは必須。あとはポン・デ・ストロベリーにオールドファッション。トドメにエンゼルフレンチで完璧だ。それから気分によって二つほど追加するのだが、今日はハニーファッションとポン・デ・ショコラを追加しよう。

 

「そんなに食べるの......?」

「えぇ、まぁ」

 

 隣の陽乃さんがなんかドン引きしてるが関係ない。今から魔王と戦わねばならないのだなら、糖分補充は欠かせないのだ。

 まあ、とうの魔王が横でドン引きしてるわけだが。

 レジにドーナツを通し、ついでにカフェオレも頼んで、大人しく陽乃さんの隣の席についた。

 

「あら、随分と素直」

「俺が素直とか、雪ノ下さんの目も俺と同じで腐ってるんじゃないすか?」

「ははは、言ったなこいつー」

「ごめんなさい俺が悪かったですだから関節キメないで!」

 

 ちょっと軽口言ったら腕を掴まれて関節キメられたでござる。解せぬ。いや、目が腐ってるとか言われたら誰でも怒るか。陽乃さんの場合目以外は笑ってるけど。

 

「ねえ比企谷くん」

「なんすか」

「なにか面白い話してー?」

 

 腕を解放されたと思ったら最悪な話の振り方をされた。て言うか、そういえば一度目の時もこんなことあったな。あの時は駅前のミスドじゃなくて別のミスドだったけど。しかも日付も違うし。

 つーことはなに、この人二日連続でドーナツ食いに来てんの? あんまり甘いもの食べすぎると太りますよ。

 

「面白い話なんてなにもないですよ」

「えー。修学旅行で雪乃ちゃんとなにか進展あったんでしょー? ほらほら、お姉ちゃんに話してみなってー」

 

 うぜぇ......。しかもなんか妙に距離が近いからいい匂いするし......。

 そもそも、修学旅行で起きたことなんて説明のしようがない。葉山の話でもしてやろうかと思ったが、あれは二度目云々が絡んでくるのでNGだし。

 

「それにしても、修学旅行が終わったらもう行事なんてないよね?」

「いや、まだ生徒会選挙が残ってますね」

「あれ、選挙? この時期ってもう終わってなかった?」

「なんか候補者が揃わないとかで、長引いてるみたいです」

 

 そう、候補者が出揃わない。本来二度目の世界においてはあり得ないと思っていたことだ。一色なら、問題なく立候補して問題なく当選すると思っていた。

 けれど、現実にそうならないでいる。

 果たしてそれは何故なのか。

 ああそう言えば、陽乃さんには一応あの事を聞いておくか。

 

「あの、雪ノ下さんが総武にいた頃って裏サイトとかありました?」

「んー? 裏サイト? また随分と唐突だね」

「いえ、まあ......」

「あったのはあったんじゃないかな。興味ないからよく知らないけど。なにかあったの?」

「ちょっと仕事でして......」

 

 部外者のこの人にはあまり話すわけにもいかない。と言うか話したら最後ややこしい事になるに違いない。

 俺は言葉を濁して答えたが、陽乃さん的にはそれで納得いかないらしく、その瞳で俺を見つめる。どこまでも深く、どこまでも冷たい瞳は、吸い込まれてしまいそうに錯覚してしまう。

 知らず、背筋に嫌な汗を掻く。

 近頃は鳴りを潜めていたと思っていたが、やはりこの人は魔王に違いない。

 

「生徒会選挙ってことは、いろはちゃんかな?」

「っ......」

「差し詰め、その裏サイトにいろはちゃんについて書き込みがあった。比企谷くん達はそれをどうにかしたいって感じなのかな?」

 

 この人は本当に、どこまでお見通しなのだろうか。

 ゴクリと唾を飲んだところで、陽乃さんはクスリと蠱惑的に微笑み、その視線から解放された。

 

「......別に、どうこうしようってわけじゃありませんよ。特に俺はなにもしなくていいって雪乃に言われてますからね」

「そうなの? じゃあ雪乃ちゃんとガハマちゃんがなにかしてるのかな?」

「そうじゃないっすかね」

「ふーん」

 

 口元に浮かべるのは笑み。しかし、それはかつての様な妖しげなものではなく。喜ばしいものに直面した時の様な、偉く好意的な印象を俺に与えた。

 

「雪乃ちゃん、やっぱり成長したんだね。それは君のお陰なのかな?」

「さて、それはどうですかね」

 

 一度目と二度目における雪ノ下陽乃の差。そこにはやはり、雪ノ下雪乃の存在が大きく関わっているのだろう。雪乃と家族との関係は良好なものになったらしいし、その過程で、姉妹同士なにか会話を交わしたのかもしれない。

 少なくとも、今の陽乃さんは、どこにでもいる妹のことを大切にする姉に見える。

 

「俺のお陰でなにか変わったってんなら、それは雪乃自身じゃなくて雪乃を取り巻く世界が変わったんでしょう。あいつ自身が変われたのは、他の誰でもないあいつが頑張ったからですよ」

「......そう言う比企谷くんも、初めて会った時と比べると随分変わった様に見えるけどね」

「そりゃどーも」

 

 それはそうだ。この人と初めて会った時の俺は、まだなにも思い出していない、なにも変わっていない、変わるべきだとも思っていなかった頃の俺。今の俺と違うのは当たり前だ。

 それきり会話は途切れ、俺はドーナツを食い、陽乃さんは何か話しかけてくるでも無くコーヒーカップをチビチビと傾けている。

 どれくらいの時間そうして無言が続いていただろう。俺がドーナツを全て食べ終わったから、それなりの時間が経っていた筈だ。あまり長居する理由もなし、そろそろ帰ろうかと思うと、別方向から声が掛けられた。

 

「あれ、比企谷?」

 

 振り向いた先にいたその人物を見た時、予想していた程の衝撃はなかった。

 予めその可能性を疑っていたこともある。陽乃さんとここで出会った時点で、この展開は予想できたものだ。

 そこにいたのは二人の少女。そのうちの一人を俺はよく知っている。海浜総合の制服に身を包み、緩いパーマの当てられた髪と、そのキョトンとした表情からもわかる快活そうな顔。

 一度目の時に、互いの間の始まってすらなかった何かに終わりを見た、折本かおりがそこにいた。

 

「折本......」

「うっわ久しぶりー! 比企谷とか超レアキャラなんだけど!」

 

 折本は俺との距離を詰めてきて、バシバシと肩を叩いて来る。相変わらず距離感の近いやつだ。

 ただ、その顔を見て特になにも思うことがないのは、何故だろうか。などと、改めて自身に問うのも白々しい。

 

「もしかして、比企谷くんのお友達?」

 

 その言い方だと「友達なんていたんだ?」に聞こえるのは気のせいですかそうですか。

 て言うか、今の俺には友達いるし。戸塚とか戸塚とか戸塚とか、あと由比ヶ浜とか。材木座? 知らない子ですね。

 そしてこの場合の最も無難な返答はこれ。

 

「中学の時の同級生です」

 

 ここで変に「中学の時の友達です」とか言って、実は向こうは友達だなんて思ってなかったとか言うパターンを何度も経験してきたからな。

 

「折本かおりです」

「わたしは雪ノ下陽乃。比企谷くんの......、義理の姉ってところかな?」

「いや、まだ違うでしょ......」

「まだってことはそのつもりがあるってことじゃーん」

 

 折本が叩いてきた方とは逆の肩を叩かれる。

 なんで君達すぐに人の肩を叩くのん? 別に俺の肩、叩いたらご利益あるとかじゃないよ?

 俺が陽乃さんにバシバシ叩かれてる間に、折本はお連れの友達となにやらキャイキャイと会話しており、それが止んだと思ったらこちらに話を振ってきた。

 

「比企谷って総武なんだよね? だったら葉山君とか知ってたりしない?」

「まあ、一応知ってるけど」

「あーやっぱり! ほら千佳、紹介してもらいなってー」

「えー、私はいいよー」

 

 あぁ、思い出した。この折本の友達、仲町千佳って名前だったか。思い出せたことに八幡ビックリ。

 その仲町とやらは言葉の上では否定しているが、実際はそうではないのだろう。そしてそれを見逃すはずのない快楽主義者がここには一人。

 

「はーい! お姉さん紹介しちゃうぞ!」

「え?」

 

 折本達からすると意外なところから声が上がったからか、二人は呆気にとられているが、陽乃さんはそれに構う間も無く葉山へと電話をかける。

 

「あ、もしもし隼人? 今から来れる? て言うか来て」

 

 あぁもう、一度目と殆ど同じ展開じゃねぇかよこれ。まあ、俺が昔折本に告ったことを陽乃さんに知られなかっただけ、マシと言えるか。

 

 

 

************

 

 

 

 待つこと十数分。その間折本達は陽乃さんとあれやこれやと歓談しており、俺は努めて空気になるよう徹していた。ついでにその時、折本から中学の頃のあれやこれやも口に出された。告った云々も。

 まあ、だからなんだと言う話ではあるけれど。

 雪乃だって折本の存在は知っているし、陽乃さんから雪乃にこの話が行ったところでさしたる影響もない。

 そうして暫く俺が空気になっていると、自動ドアが開いて漸く待ち人がやって来た。

 葉山隼人は、奥の席を陣取った俺たちを見て、より正確に言うならば陽乃さんを見て、気付かれない程度の小さな溜息を吐いていた。非常に癪だがその気持ちは痛いほど分かってしまう。

 

「やあ、こんにちは」

「初めましてー」

 

 いつもの爽やか笑顔を戻した葉山が折本達へと向き直る。いつも見ている、『みんなの葉山隼人』だ。折本達も先程までよりも、自分を可愛らしくみせようと声のトーンがちょっと上がってたりして、はたから見るとその姿は少し滑稽にすら見えてしまう。

 葉山が来たところで俺のやることなんて変わらない。只管空気に徹すること。て言うかそろそろ帰りたい。

 折本と仲町の二人はキャイキャイと葉山に話を振り、話を振られた葉山は完璧な笑顔でそれに受け答えをし、なにが面白いのかは知らんが陽乃さんはニヤニヤとそれを眺めている。

 これ、俺マジでいらなくない? もう帰っていい?

 

「あ、そうだ葉山君、今度みんなで遊びに行こうよー」

「ああ、いいね。でも、俺も部活があるからな。中々時間が取れないかもしれない」

 

 遠回しに折本の提案を断る葉山。以前ならここは軽く流して、否定も肯定もしていなかったはずだ。

 そして折本達も今の一言で葉山の真意は伝わったはず。伊達にイマドキJKやってないだろう。

 だがしかし。この場には残念なことに全く関係ない癖して、物事を面白おかしな方向へと進めて行ってしまう魔王がいる。

 

「おー、いいじゃんいいじゃん。みんなで遊びに行きなよ。勿論比企谷くんも、ね」

「いや俺は......」

「そうだよ、折角だし比企谷も来なって」

 

 折本が陽乃さんの言葉に乗っかる。

 こいつが俺を誘う理由は分からないが、どうせ葉山の引き立て役とかそんなんだろう。伊達に昔、雪乃から引き立て谷くんと呼ばれていない。

 

「じゃあ決まりだねー。私はそろそろ帰るね」

「私達もそろそろ行こっか」

「そうだね」

 

 いや、あの、なんも決まってないと言うかそもそも俺行くなんて一言も言ってないんですけど......。

 

「あ、そうだ比企谷くん。父さんが近いうちに会いたいって言ってたから、覚悟しておいた方がいいよ。じゃあねー」

「えっ、ちょっ、雪ノ下さん⁉︎」

 

 最後になにやら超重大なことを言い残して、雪ノ下陽乃は帰って行った。

 折本達もそれに続き、また連絡するねー、みたいなことを言って店を出る。

 正直、遊びに行くだとかどうだとか今この瞬間にどうでもよくなってしまった。

 なんだよ、雪ノ下父が会いたがってるって。まさか俺消されるのん? 東京湾に沈められちゃうのん?

 

「厄介な人を義姉に持ったな」

 

 隣に座る葉山はコーヒーカップを傾けながら乾いた笑みを漏らす。えらく他人事のように言ってくれるが、事実こいつからしたら全くの他人事なのだからそれも当たり前だ。

 

「と言うか、なんで君はまた陽乃さんに捕まってるんだ」

「知るか。日付も店も違うのになんかいたんだよ。これは不可効力ってやつだ。俺は悪くない」

「別に誰が悪いとかの話はしてないだろ。まあ、強いて言うなら断りきれなかった俺が悪いのかもしれないけどな」

「まさしくその通りだ」

 

 しかし、断りきれなかったとは言え、葉山がああして拒絶の姿勢を見せると言うのは確かな変化なのだろう。

 

「取り敢えず、金曜日は付き合ってもらうから、そのつもりでいてくれよ」

「マジかよ......」

「また陽乃さんから直接催促されたくはないだろう?」

「その通りなんだけどよ......。て言うか、雪乃になんて言えばいいんだよこれ......」

「そのまま伝えればいいじゃないか。彼女も、一度目の時のことは知っているんだし。取り敢えず向こうから連絡があったらそっちにも教えるよ」

「へいへい......」

 

 コーヒーカップの残りを飲み干した葉山は立ち上がり、俺に別れの挨拶を寄越すこともなく店を出ていった。

 はぁ、マジで雪乃になんて説明すればいいんだよ。一色の件もあるってのに......。

 つーかなんで俺は葉山と仲良くミスドで会話してたんだ?



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正々堂々、真正面から気高く清廉で尊大に。

 先に帰宅した八幡を見送り、由比ヶ浜さんからの追求をなんとか逃れ、私達は一つ寄り道をしてからグラウンドまで出て来ていた。

 やる事はただ一つ。

 一色さんの意思を改めて確認する。

 本来ならば必要のないことだ。話の流れからすると、相模さんに昨日見せてもらった裏サイトの書き込みをどうにかするために考えを巡らせた方が正しいのかもしれない。

 けれど、少しでもその可能性があるのなら。

 私の推測は間違っていると思いたい。一色さんの口から、私達は確かに彼女の意思を一度聞いたのだから。

 完全下校時刻まではまだ時間もあるので、サッカー部は勿論練習中。校舎の方からそれを眺めていたのだが、部員達にゲキを飛ばす部長殿がこちらに気づいて歩み寄って来た。

 

「やあ二人とも。どうかしたかい?」

「こんにちは葉山君」

「やっはろー」

「練習中で悪いのだけれど、一色さんを少し借りてもいいかしら?」

「いろはを? ......あぁ、そう言うことか」

 

 何かを納得したかのように、葉山君は一つ頷く。きっと、一色さんの現状をある程度は把握しているのだろう。裏サイトのこと、立候補していないこと。

 把握していると言うのになんの動きも見せないことに意見するのは少し酷と言うものだろう。彼自身も、あの修学旅行があった故に今は自分のことでいっぱいだろうし。寧ろこれで一色さんを優先するのであれば、何も変わっていないと張っ倒すまである。だって私達の努力が全て水泡に帰すじゃない。

 

「彼がいないのは少し意外だが、直ぐ呼んでくるよ。ちょっと待っていてくれ」

 

 そう言って葉山君はどこかへ小走りで向かう。多分、部室の方へ行くのだろう。

 数分もしないうちに戻って来た葉山君の隣には、目的の人物が。

 私達二人を見て一瞬目を丸くするも、直ぐにいつも通りの表情へと戻る。その顔は、どこか既視感を感じさせるものだった。

 

「待たせたね」

「どうもです、お二人とも」

「こんにちは」

「やっはろー、いろはちゃん」

 

 心なしか、由比ヶ浜さんの挨拶の声もどこか元気のないものに聞こえてしまう。かく言う私の声色も常日頃一色さんに向けているものからはかけ離れていただろう。

 

「少し話がしたいのだけれど、いいかしら?」

「わたしは大丈夫ですけど......」

 

 そう言ってから確認するように隣を向くと、葉山君は一色さんに頷きを返す。

 

「行ってきたらいいよ、いろは。今日はもう大丈夫だから。ちゃんと、話して来い」

「......分かりました、じゃあお先に失礼しますねー」

 

 あぁ、まただ。また、一色さんのその笑顔に既視感を覚える。その正体を、私は知っている。だって、恐らくは、同じ顔をした女性を、私はいつも見ていたのだから。

 

「じゃあ、一回部室に戻ろっか」

「......そうね。一色さん、着替えが終わったら部室へ来てくれるかしら?」

「はい」

 

 サッカー部の部室へと向かう一色さんを見送り、私達も奉仕部の部室へ向かう。

 道中、隣を歩く由比ヶ浜さんと会話は無かった。彼女はなにか思い詰めたかのように俯いていて、その表情も上手く見えない。

 こんな時、なんて声を掛けたらいいのか分からない自分が嫌になる。大切な友達と後輩がこうも思い詰めているのに、私にはその力となれるだけのものがなにもない。

 けれど、自分が無力なんてのはもう承知済みだ。私に出来ることはなにもないと知ってしまったけれど。

 だからこそ、そのままの自分で終わるつもりなんて毛頭無かった。

 部室に辿り着き、会話もないまま数分待っていると、扉が開かれる。

 

「お待たせしましたー」

 

 制服に着替えた一色さんは、貼り付けたような笑顔で、長机の依頼者側へと座った。

 いつも座っていた定位置と化した席。八幡と由比ヶ浜さんの間の席には腰を下ろさない。

 たったそれだけの事なのに、彼女との間に大きな壁を感じてしまう。

 

「それで、お話ってなんですか?」

「取り敢えず、お茶を淹れるわ。話はそれからにしましょう」

 

 立ち上がった紅茶の用意をするために、電気ケトルの置いてある机まで数歩進む。

 出来ることがなにもない、なんてのは言い訳にはならない。だって、そんな状況にありながらも、自分のやり方を貫いた人を知っている。

 ケトルがシュッと音を立て、お湯が沸いたことを知らせる。

 使い慣れたティーカップと紙コップに紅茶を注いで、それぞれの席へと運んだ。

 八幡は八幡のやり方で、斜め下から壁のぶつかることもせず、プライドなんてかなぐり捨てて、それでいて実力をフルに発揮出来るやり方を貫いていた。

 ならば私は。

 私のやり方を貫くしかないのだろう。

 正々堂々、真っ正面から気高く清廉で尊大に。

 途上国にはODAを、ホームレスには炊き出しを。迷っている後輩がいるのなら、それを払拭するために問いかけを。それがこの部の、私の理念だ。

 一色さんの考えてることなんて、結局のところ一色さん本人にしか分かり得ない。当たり前だ。私達は一色さんではないのだから。けれど、それを分からないままで終わらせたくない。知りたいと、そう願ってしまったから。彼のことも、彼女のことも、この後輩のことも。だから。

 

「話をしましょうか、一色さん」

 

 まずは、その継ぎ接ぎだらけの仮面を剥ぎ取るところから始めよう。

 一色さんには悪いのだけれど、そんな出来損ないの仮面を剥がすなんてのは造作もないことだ。なにせ、その上位互換を何年も見続け、その背を追ってきたのだから。

 

「まずは一つ確認しておきたいのだけれど」

「なんですか?」

「あなた、本当に生徒会長になりたいと思っているの?」

 

 笑顔の仮面に、ヒビが入った。

 一瞬だけ表情を硬直させた後、取り繕うようにまた笑顔を貼り付ける。

 

「当たり前じゃないですか。私は生徒会長になるために、今まで奉仕部に来て一緒に依頼を解決してたんですから」

「なら、何故まだ正式な立候補が出来ていないのかしら?」

「それは、推薦人が全然集まらなくて」

「嘘ね」

 

 一色さんの言葉をピシャリと断ち、カバンの中から紙束を取り出す。

 グラウンドに行く前の寄り道、生徒会室で城廻先輩から受け取ったものだ。

 一色いろはの推薦人名簿。

 正直本当に渡してくれるとは思わなかったけれど、これがあるのと無いのとでは大きく違う。なにせ、動かぬ証拠なのだから。

 

「30人まで記入できる用紙が5枚と半分まで、総武高の生徒の名前で埋まってるわね。約150人からの推薦を受けておきながらまだ立候補に踏み切らない。ざっと目を通したところ、葉山君のグループや相模さんに戸塚君、果ては材木座君まで署名しているみたいね。さて、一色さん。もう一度聞くわ。あなたは、本当に生徒会長になりたいと思っているの?」

 

 彼女の表情からは既に笑みが消え、まるで迷い子のように視線をあちらこちらへ泳がせていた。

 

「わた、しは......」

 

 唇はわなわなと震え、続く言葉は紡がれない。やがて顔を俯かせてしまい、その表情も読み取れなくなってしまった。

 誰も言葉を発せようとはせず、部室には重たい沈黙がおりる。

 

「いろはちゃんはさ......」

 

 その沈黙を破ったのは、今まで一言も発していなかった由比ヶ浜さんだった。

 彼女は、いつもの優しい声色で、けれどその顔にどこか悲しさを滲ませながら続ける。

 

「いろはちゃんは、生徒会長になりたいんだよね?」

「......はい」

「じゃあ、さ。どうして......。どうして、私達三人に、最初に推薦人をお願いしてくれなかったの?」

「ぁ......」

 

 その言葉に、一色さんがハッとして顔を上げた。対面にいる由比ヶ浜さんの濡れた瞳に縫い付けられたように、小さく震えている。

 

「それ、は......」

 

 そう。そうだ。私達は誰一人として、この推薦者名簿に名前を載せていない。

 私自身、何故かそのことを、今の今まですっかり失念していた。

 由比ヶ浜さんがいてくれて助かった。八幡ほどではないにせよ、私は人の感情というものを慮ることが苦手だ。理屈や理論で説明できないそれに気がつくことが出来ない。

 けれど、由比ヶ浜さんはそれが出来る。私に足りない部分を補ってくれる。

 

「ねえ、いろはちゃん。いろはちゃんは、本当はどうしたいの?」

 

 私のものとは全く違う、暖かさに包まれた声が耳を撫ぜる。

 一色さんのその表情に作られたものは既になく、泣きそうな顔でポツリと話し出した。

 

「欲しいものが、あるんです......」

 

 思わず、由比ヶ浜さんと目を合わせてしまった。

 あぁ、知っている。似たような表情で、似たような声の調子で、欲するものを語る。それは、なにがあっても忘れられない大切な記憶だから。

 

「ずっと、わたしには到底手の届かないものだと思ってました。そこにわたしの入る場所は無くて、三人で完成してしまっている、暖かくて、紅茶の香りに満ちた部屋。そこに、自分の居場所が欲しかったんです」

 

 一拍置いて紅茶を喉に通す。

 カップを置いた時の金属音が、何故か妙に耳に響く。

 一色さん本人は気付いているだろうか。その目に、今にも溢れそうな程の涙が浮かんでいることを。

 

「手段と目的が逆転してたんですね。出来れば、そこにずっと居たかった。生徒会長になんてなれなくてもいい。ただ、わたしは、先輩たちの特別に、本物になりたかった......!」

 

 膝の上で握り締めた拳が、とうとう涙で濡れた。しゃくり上げて絞り出した悲痛な声は、普段の彼女からは想像できない。

 そんな一色さんに掛けるべき言葉は、考えずとも口から出て来た。

 

「信実、あるいは真実。それが、空虚な妄想でないと、どうして言い切れるのかしらね」

 

 一色さんに取っては予想外の言葉だったのだろうか。上げられた顔は不安に満ちている。

 その不安を払拭させてあげるために、私は口を動かす。

 

「一色さん、私はあなたが好きよ」

「へっ?」

 

 あら、今度は随分と間抜けな顔になってしまっているわね。言葉を間違えたかしら? いえ、私が一色さんに対して抱いている素直な気持ちを口にするには、これ以上の言葉はない。

 猪突猛進。いいじゃない。そうやって脇目も振らずに駆け抜ける方が、私には性に合ってる。

 

「今の言葉で分からない? なら言い方を変えようかしら。あなたのことを愛してる、とか?」

「ゆきのんそれ変わってないよ⁉︎」

 

 思わず、と言った風に由比ヶ浜さんからツッコミが入った。

 やはり、この感情を言語化するのは難しいわね。

 

「あ、あの、雪ノ下先輩......?」

「そうね、正直に言おうかしら。私はね、一色さんが会長になろうがなるまいが、どっちでもいいのよ」

「それは、なん、で......」

「だって、どちらにしても、私があなたのことを好きなことに変わりはないもの」

「......」

「私達が『生徒会長の一色いろは』としてあなたと接していると思った? ならばそれは大きな間違いね。自惚れないで頂戴、あなたの働きでは生徒会長としてはまだまだ不十分よ。あれなら私に任せてもらっと方がいいわね」

「突然の罵倒⁉︎ なんで今わたしバカにされたんですか⁉︎」

「最後まで聞きなさい。私は、私達は、一色いろはと言う一人の人間に触れて、接して、その上であなたのことを好きだと言っているの。生徒会長や後輩だなんて肩書きはそこに必要ないわ。あなたは、もうこの部室になくてはならない特別な存在。私にとっての本物に、あなたはもう含まれてしまっているのよ」

「あっ......」

「分かってもらえたかしら?」

「うっ......ぐすっ......ゆぎのじだぜんばい......!」

「ちょ、一色さん⁉︎」

 

 涙で化粧は剥がれ落ち、みっともなく鼻水まで垂らしてしまって、弾かれたように立ち上がった一色さんは突進する勢いで抱きついて来た。

 危うく椅子から落ちそうになったけれど、なんとか耐える。

 なんとか胸で抱き止めたと思ったら、後頭部に柔らかい感触が。見上げると、いつの間にか立ち上がっていた由比ヶ浜さんが私と一色さんを纏めて抱き締めていた。

 

「言いたいことは大体ゆきのんが言ってくれたけどさ。それでも、言わせてもらうね。私も、いろはちゃんの事が好きだよ。ゆきのんみたいに難しい言葉で纏められないんだけどさ。でも、いろはちゃんの事が大好きって気持ちは、ずっと変わらないの。これからも、ずっと」

「ゆいぜんばいぃぃ......」

 

 ついに大きな声を上げて号泣しだしてしまった。

 そんな可愛い”友達”の頭を撫でながら、由比ヶ浜さんと二人、目を合わせて微笑みあった。

 

 

 

 

 

 

 一色さんは十分かけてたっぷりと大号泣してくれた。そのお陰で私の制服が一色さんの涙やら鼻水やらで濡れてしまったけれど、まあ、今回に限り不問としましょう。

 一旦紅茶を淹れ直し、全員が同時に口をつけて息を吐き出したので、目を合わせて笑い合ってしまった。先程まであんな空気だったの言うのに、それも全て霧散している。

 

「わたし、生徒会長になります」

 

 暫くの間があった後、一色さんが言葉を発する。

 

「先輩たちなら既にご存知かもしれませんけど、わたし、裏サイトに結構書き込まれてるんですよ。それも立候補してなかった理由の一つだったんですけど......。でも、雪乃先輩と結衣先輩がいてくれるなら、頑張れますから」

 

 私に対する呼び名に、一瞬違和感を感じたけれど、今それはさて置き。

 由比ヶ浜さんは一色さんを心配するように見つめて問う。

 

「いろはちゃん、大丈夫?」

「はい。だって、生徒会長になってその人たちを見返してやればいいだけじゃないですか。それに」

 

 私のことを見て、不敵に笑う一色さん。

 その目はどこまでも挑戦的で、その声色はどこまでも甘い、彼の言葉を借りるならあざといもので。

 

「わたしだって、結構負けず嫌いですから。言われたままじゃ終わりませんよ、雪乃先輩?」

 

 実に一色いろはらしく、そんな宣言を残した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あー、もしもし雪乃? 取り敢えずそっちの報告は後で聞くわ。それより俺からも一応報告しとかなきゃならんことがあるんだけど......。折本っていただろ? 海浜総合のやつ。あのなんか煩いの。端的に言うとだな、雪ノ下さんの仕業でそいつと、そいつの友達と、葉山と、金曜日に何故かデートすることになった』

「は?」

 

 

 



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はからずも、彼女らとのデートが齎すものは。

 どうやら一色は生徒会長になる決心を固めたらしい。それを聞いたのは昨日の放課後、部室でのことだった。

 

『と言うわけよ。一色さんの件は無事に終息、彼女自身のやる気も十分ある。私達がやる事はもうないわ』

『あ、あの、雪乃さん?』

『なにかしら、浮気谷くん?』

『その、そろそろ椅子に座ってもよろしいでしょうか?』

『あら、椅子になりたいの? とんだドMね』

『一言も言ってないんだよなぁ......』

 

 うん、まあ、正座で聞かされてたりその後由比ヶ浜が止めるまで俺をマジで椅子にしたりと、なんだかんだあったが、結局雪乃は今日の折本達との件を了承してくれた。陽乃さんのせいなら仕方ない、との事だ。それをもっと早く言って欲しかった。

 いつも通り授業を全て受けた後、部室には向かわずに千葉駅へゴー。久しぶりに自転車を走らせて待ち合わせ場所で待機。

 ぬぼーっと待っていると、先に現れたのは葉山だった。

 肩にぶら下げたエナメルを背負い直し、葉山は少し驚いた風に言う。

 

「早いな」

「どっかの誰かさんに五分前行動を心掛けるよう調教されたからな」

「五分前どころかまだ十五分もあるぞ」

「それを言ったらお前もだろうが」

「ははっ、違いない、な......」

「どうした?」

 

 いつもの爽やかな笑顔が凍りついた。葉山の視線は俺の背後へ向かっているようで、つられて俺もそちらを見ようとしたのだが、それを葉山に遮られる。しかも肩をガッと掴んで。痛いんですけど。

 

「......君は振り返らない方がいい」

「いや、なんでだよ。そんな事言われたら気になるだろうが」

「......後悔、するぞ?」

「こんなんで後悔してたら、俺の人生後悔だらけだよ」

 

 なおも肩に乗っている手を払いのけて振り返ると、そこには。

 

「なあ葉山」

「なんだい?」

「なんであいつらがここにいんの?」

「俺が聞きたいよ......」

 

 にっこりと笑顔の雪ノ下雪乃と、その隣で苦笑している由比ヶ浜結衣がいた。

 おかしい、俺は確かに今日の予定を伝えたが、あいつらがこの場にいるなんて聞いてないし、さらに言えば待ち合わせ場所だって教えていない。

 12月も近づいてきて、肌寒い季節だと言うのに、俺の背中は瞬間的に嫌な汗を大量に噴き出している。

 え? なんで? 怖い怖い、マジでなんでいるのあいつら?

 

「君が伝えたからじゃないのか?」

「この場所までは教えてねぇよ......」

「じゃあ愛の力ってことだろ。ははっ、凄いな君は」

「やめろ、乾いた笑いやめろ諦めるな」

 

 心の中の真矢みきが「諦めないで!」って言ってくれてる気がする。なにを諦めるのかは知らんが。

 しかし、あいつらの目的は一体なんなのだろうか。俺の監視? やだ、だとしたら信頼なさすぎじゃない? まあそんなことはないと思うが。......無いよね?

 

「まあ、海浜総合の子と待ち合わせってなると千葉駅が妥当だからな。その辺りは、結衣が雪ノ下さんに教えたんだろう」

「だとしてもここに来る理由がわかんねぇよ」

「考えるのは後にしよう。ほら、向こうも来たみたいだぞ?」

 

 一旦雪ノ下達の方から視線を外して、元の方向に向き直ると、海浜総合高校の制服に身を包んだ女子二人がやって来た。

 折本かおりと仲町千佳だ。

 近くの時計を見てみると、気がつけば待ち合わせ時間の五分前となっている。

 

「ごめーん葉山君! お待たせしちゃった?」

「いいや、俺たちも今来たところだよ」

 

 いや結構待ったから。今来たところなの葉山だけだから。

 などと口を挟める筈もなく。葉山は女子二人とどこに行こっかーとか話している。あの、どこでもいいけど寒いからさっさと移動しない? 温度的な寒さと背後からの視線の寒さとで倍寒いから。

 

「それじゃあ、先ずは映画見に行こうか。今テレビでCMやってるやつがあっただろう?」

「あ、それある! 映画行こうよ!」

「うん、それいいよねー!」

「比企谷もそれでいいか?」

「ん? ああ、なんでもいい」

 

 こう言う場において、俺のようなボッチは意見を出さない。ただ彼らの後ろをついて歩くのみだ。メリーさんみたいに。

 歩き出した葉山たちの後ろをついて行くと同時、チラリと後ろを振り返る。

 雪乃と由比ヶ浜は、やはり俺たちに付いてくるらしい。

 雑談を交わしながら歩く彼らを後ろから眺めながら歩くこと数分。近場の映画館にて、なんか最近話題らしい映画のチケットを購入して劇場へ入った。勿論あの二人も付いてきている。

 

「あ、この映画! 見に来たかったやつだ!」

「そうなの? 確か原作の小説はそれなりに面白かったはずだけれど」

「へー、ゆきのんってこう言うのも読んでるんだね。もうちょっと難しい感じのやつ読んでるんだと思ってた。てつがくしょ? とかさ」

「あなたと言い八幡と言い、人をなんだと思ってるのかしら......」

 

 うん、楽しそうでなによりです。

 劇場内での席順は一度目と同じ。葉山が女子二人に挟まれ、俺は端っこの通路側の席へ。しかしここで誤算が。

 

「いやー、まさかこんなタイミングで見れるなんてラッキーだよ! しかもゆきのんと一緒!」

「由比ヶ浜さん、劇場内ではもう少し静かにしなさい」

「あ、ごめんねゆきのん......」

「......私も、あなたと見に来られて良かったとは思っているから」

「ゆきのーん!」

「だから、少し静かに......」

 

 通路を挟んで隣の席に、雪乃と由比ヶ浜が陣取ったことか。しかもなんかゆるゆりしてらっしゃるし。流石にここまで大胆に接近して来るとは思わなかった。精々が後ろの方から監視してるくらいだと思ってたのに。

 そしてその二人を目敏くも発見してしまうやつが俺の隣に。

 

「ねえ、比企谷の隣の子、総武の制服着てない?」

 

 折本が、二人を発見してしまった。どうやらその声は葉山にも聞こえてたようで、やつの爽やかな笑いが一瞬で乾ききった。

 

「ああ、まあ、そうだな......」

「もしかして知り合い?」

「いや、うん、どうだろうな......」

「なにそれ、ウケる。でも、あんな綺麗な人が比企谷の知り合いなわけないよね」

 

 ウケない上に知り合いどころか彼女です本当ごめんなさい。あと隣からの視線の温度が更に下がった気がした。絶対零度ってそれ以上下がらなかったんじゃないの?

 

「そろそろ始まるみたいだな」

「私凄い楽しみー」

「ねー、楽しみだよねー!」

 

 葉山の発言で雪乃の方から興味が無くなったのか、葉山を挟んだ二人がまた会話を始める。もう映画始まるって言ってんだろうが静かにしろよ。

 しかしナイスだ葉山。お陰で俺は折本の追求から逃れる事が出来た。

 やがて劇場内の光が完全に消え、映画が始まる。

 今回見るのは原作が恋愛小説のもの。並行世界を題材として、主人公がその並行世界の記憶を断片的に持ちながら、ヒロインと、並行世界でヒロインと付き合っている親友との関係で悩む話だ。

 変なところで今の俺たちと似通っていて、なんだか見ていて不思議な気分になる。

 タイムリープとか言う訳わからん現象に巻き込まれた俺たちからすると、並行世界というのも強ち否定できない。もし、もし本当にそう言うものがあったとして。分岐されるべきはどこにあるのだろう。

 バレンタインの日のあの水族館か。

 クリスマスイベントの前に本音を晒したところか。

 それとも、あの春の日、彼女とあの部室で出会ったところか。

 もしかしたら、中学の時折本に告白したところかもしれない。

 そんな『もしも』の話を考えても仕方ないのだろう。大切なのは今、俺たちがなにを考えなにを感じ、なにを成しているのかだ。

 けれど、そんな事を考えれば考えるほど、今の雪乃や由比ヶ浜との関係が、途轍もなく尊いものなのだと感じてしまう。

 本当に、これが永遠であればいいのに。

 

 

 

 

************

 

 

 

 

 映画上映中は特に何事もなく。雪乃が仕掛けて来るなんてことも無かった。流石にその辺りのマナーは守るらしい。

 映画館を出た後は女子二人の要望を聞いて、前回と同じくモールの中にあるスポーツ用品店に訪れていた。

 そして勿論付いてきている雪乃と由比ヶ浜はと言うと。

 

「ゆきのんはスキーやったことある?」

「ええ。スキーもスノボーもある程度は嗜んでいるわ。昔、家族でよく行っていたから」

「そっかー。わたしもパパとママと行ったことあるんだ〜。そうだ、今度みんなでスキー旅行行こうよ!」

「ふふ、それもいいわね」

 

 随分と楽しそうに冬の予定を立てていた。て言うかあの、そのスキー旅行って俺も連れて行かれるやつですよね? 逆に俺だけハブとかそんなオチじゃないですよね?

 聞こえてくる二人の微笑ましい会話に聞き耳を立てていると、隣からため息が聞こえてきた。

 

「......取り敢えず何事もなくここまで来ているけど、雪ノ下さんはなんのつもりなんだろうな」

「知りたきゃ本人に聞けばいいだろ」

「そんな事出来るわけがないだろ。聞きに行くなら、それは君の役目だ」

「嫌だよ、怖いし」

「間違いない」

 

 はぁ、と今度は二人揃ってため息。

 折本と仲町は楽しそうにスキー用品を見ている。別に買うつもりは無いのだろう。そうして道具を眺めて、先の予定を立てて、結局それは実行されず。ノリと勢いだけで生きてるリア充どもなんて所詮はそんなもんだろう。

 でもそのちょっと離れたところでスキー用品を見ている総武の制服着た子はやたらと真剣な目付きなんだよねー。あいつマジで買うつもりじゃねぇだろうな......。

 

「あれ、止めた方がよく無いか?」

「止めたいのは山々だが、ここで声を掛けるわけにもいかんだろ」

「まあ、そうだな」

 

 どうやら葉山も雪乃と由比ヶ浜がの方を見ていたらしい。スキー用品が具体的にどれほどの値段なのかは分からないが、それなりの額はするだろう。そんな買い物をそう易々とさせるわけにも行かないのだが、まあ、由比ヶ浜が止めてくれることを願おう。

 

「結局、本当に人を好きになったことが無いんだろうな、だったか」

 

 唐突に、葉山がそんな事を言ってきた。

 確か、前回この場でこいつに言われた言葉だ。

 

「でも今はそんなことは無くて、君には雪ノ下さんがいる」

「......お前はどうなんだよ」

 

 問うと、葉山は驚いたように目を見開いて、こちらを見てきた。

 

「意外だな。君がそんな事を聞いてくるなんて」

「修学旅行の延長だとでも思ってくれたらいい。俺だって別に聞きたくはないが、アフターケアまでしっかりやらないと、部長に怒られるかもしれんからな」

「ふっ、そうか」

 

 気にならないと言ったら嘘にはなる。

 あの葉山隼人が。このやり直しの世界でなにを見つけて、なにを成そうとしているのか。少しでも関与してしまった身としては、その結末を見届けてみたいと思っているのかもしれない。

 

「そうだな......。まだ分からないって言うのが本音だ。君と違って、唯一の存在と言うのが俺には無かったから。優美子の好意も、戸部の信頼も素直に嬉しいよ。それに応えられる自信もある」

「それでも、まだ怖いか?」

「......どうだろうな」

「悩むのは勝手だが、優柔不断も大概にしとけよ。じゃないと、いつの間にか外堀埋められて逃げられなくなる。ソースは俺だ」

「ははっ、それこそ怖いな」

 

 これで話は終わりだと言わんばかりに、葉山は立ち上がって折本たちに話しかけに行った。

 葉山隼人が比企谷八幡と決定的に違う点は、その立ち位置だろう。彼はグループの中心であり、そしてそのグループの中には今の関係を壊したくないと願う者がいる。葉山が自分のことよりもグループのことを優先する限り、あいつが誰か一人を選ぶことはない。

 ただ、明らかに前までの葉山と違うのは傍目から見ても分かる。その姿を見て、あのメガネの少女は、変化を望まぬ嘘つきな彼女は、なにを思うのだろうか。

 まあ、俺が詮索しても意味のないことだ。確信はないけれど、今の葉山なら間違えることはないだろう。

 

 

 

 

************

 

 

 

 

 やはりスポーツ用品店でも雪乃は何も仕掛けてくることは無く、そしてモール内で前回のように一色と戸部に出会うこともなく、引き続き三人の後ろにひっつく形で外に出た。

 もしかしたら一色っぽい影を見たかもしれないが気のせいだ。一瞬目があったと思ったら俺の背後を見て固まった後にそそくさと戸部を引っ張って退散したのも気のせい。

 因みに雪乃はマジでスキー用品を買おうとして由比ヶ浜に止められてました。ナイス由比ヶ浜。そこで買ってしまえばマジでスキー旅行確定しちゃうからな。まあどの道行くことになるとは思うんですけどね。悲しいなぁ......。

 その雪乃と由比ヶ浜だが、さっきから姿が見えないのだ。いい加減諦めてくれたのかとホッとしているのだが、前回と全く同じなら、この後に大怪獣はるのんとのエンカウントがある。それだけで気が萎えてくる。

 

「そろそろ、どこかで夕飯でも食べようか」

「あ、それある! どこに行こっかー」

「ここら辺いいお店あったっけー?」

 

 この後の展開を想像して憂鬱になっていると、どうやら夕飯まで食べて行くことになったらしい。それも前回と同じなので、覚悟はしていたが。

 

「比企谷、どっかいい店知らない?」

 

 三人でどこに行こうかと話していたはずなのに、突然折本から話を振られた。君たちだけで決めちゃってよ。俺、ここら辺で知ってる最高の店とか一箇所しか知らないよ?

 

「ならサイゼ」

「そこの店でどうかな?」

「あ、いいね!」

「流石葉山君!」

 

 サイゼを勧めようとしたら葉山が俺の言葉に被せて提案しやがった。そして結局その店に行くことに。うん、まあ分かってたけどね。どうせちゃんと言えたところでバカにされるだけだし。

 

「君はバカなのか......」

 

 女子二人を前に歩かせ、葉山は小声で呆れたように言ってくる。

 

「うるせぇ、いいだろサイゼ。美味いし安いし」

「雪ノ下さんとのデートでもそんなところに行ってるわけじゃないだろうな?」

「......」

「おい」

 

 流石にちゃんとしたデートはまだしたことないなんて言えなかった。いや、お互いの家とかなら何回か行ったことあるんですよ? 順番逆とか言わないでね。

 

「て言うかお前、あの店って前と同じとこじゃねぇかよ」

「何か問題でも?」

「......雪ノ下さんがいるだろ」

「......すまない」

「いや、いい。その代わり、何かあったらお前も道連れだ」

「ああ......」

 

 一応ダブルデートと銘打っているはずなのに、どうして男二人して憂鬱な気分にならないといけないのか。

 憂鬱な葉山ってのもまた珍しいが、それに触れるほど俺も元気が残ってない。寧ろSAN値が残ってないまである。

 店に入り、店員に案内されるがままに二階へ。一応店内を見渡したのだが......。

 

「へぇ〜、スキー旅行かー。いいじゃんいいじゃん。家族で最後に行ったのなんていつだろー」

「小学生の頃じゃ無かったかしら? 確か葉山君のところも何度か一緒に行ってたわね」

「やっぱり陽乃さんってスキーも上手なんですか?」

「そりゃ勿論。雪乃ちゃんよりも上手いよ?」

「あら、それはどうかしら。あの頃は私の方が先に上級者向けのコースに行っていたと思うのだけれど」

「上級者向けのコースに行っては怖くて中々滑り出せなかったもんねー」

「ちょっと姉さん、過去を捏造するのは辞めて頂戴」

「ガハマちゃんも雪乃ちゃんに教えてもらったらいいよ。私よりも上手いらしいからさ」

「はい! ゆきのんとスキー行くの今から凄い楽しみなんです!」

「ちょっと、聞いてるの? ねえ」

 

 なんかいた。

 え、ちょっとマジで? なんで? なんで雪乃と由比ヶ浜だけじゃなくて陽乃さんまでいるの? 聞いてないんだけど。

 

「葉山君? 座らないの?」

「あ、ああ。そうだね」

 

 まさかの光景に流石の葉山君も絶句していたらしい。女子二人は既に席に座っており、俺と葉山もそそくさと座った。

 そして俺たちに気がつくあの三人。

 陽乃さんは面白いものを見るように笑っており、由比ヶ浜は相変わらず苦笑い。そして雪乃は、綺麗な笑顔を形作っているはずなのに、何故か目だけが笑っていなかった。

 待って怖い。それ怖いから。俺まだなにも粗相は働いてないですよ?

 

「比企谷なにキョドッてんの? ウケる」

「いや、ウケないから......」

 

 それにキョドッてるのは葉山も同じですよ? やはりイケメンがやるのと根暗ぼっちがやるのとでは違うと言うのか。流石イケメン葉山君。死ねばいいのに。

 パスタやらなんやらと、頼んだ料理が運ばれてきて漸く夕飯にありつける。その途中も女子二人は姦しく葉山に話を振り、俺は一人黙々とパスタを食っていた。

 このままトイレに行く振りしてフェードアウトしたいのだが、そんなことが許されるはずもなく。飯を食い終わった彼女らの話は、なぜかせ俺の話へと移行する。

 

「そう言えば比企谷、映画見える時ヤバかったよ。もうビックリし過ぎ!」

「あー、それ私も思った。ふふっ、本当おかしかったよねー」

「ふっ、あんまり言ったら可哀想だって、ふふっ」

 

 ど、どうやら俺の道化っぷりは楽しんで貰えたようですね......。

 向こうから「ゆきのんストップ!」とか「雪乃ちゃんちょっと我慢して!」とか聞こえてくるけど気のせい。今のどこに怒る要素があったの?

 

「いやーほんと、比企谷そういう所は中学の時から変わってないよねー」

「あ、そう言えばかおり、中学の時にヒキガヤ君に告白されたんだっけ?」

「そうそう! それまで全然話したことも無かったのに急に告られてさー。もうマジでビックリしたって言うの?」

 

 ピシッと、空気が固まった気がした。

 いや、俺が今いるこの場はなにも変わってない。ただ、別の場所、ここから少し離れた席で。つまり、雪乃たちが座っている辺りの空気が、凍りついた。

 その凍てついた空気はその場に留まることはなく、やがて俺たちが座っている席まで侵食し。

 

「あら、奇遇ね八幡」

 

 氷の女王は、満を持してこの場に降臨した。

 



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愛し愛される、その実感が欲しいから。

 突然だが、雪ノ下雪乃という少女の笑顔について語ろうと思う。

 彼女の笑顔には幾つか種類がある。

 まず、嬉しかったり幸せだったり、そう言った感情の発露としての笑顔。

 俺が一番好きなタイプの笑顔だ。彼女はああ見えて感情表現が豊かであり、ことこのタイプの感情については中々表に出てこないのだが、ここ最近の雪乃はこの類の笑顔をよく見せてくれるようになっていた。めちゃくちゃ可愛いから八幡的にもポイント高い。

 次に、俺を詰る時の笑顔。

 この時の笑顔もまたとてもいい顔をしている。俺を詰ることに喜びを見出している、彼女のSっ気が存分に演出された笑顔だ。可愛らしいのに変わりはないが、その代償として俺の心がやられる。最近は慣れてしまったので自分のドM化が心配である。

 そして、雪のように儚い、壊れそうな笑顔。

 一度目のクリスマスの時に見た、何かを諦めたかのような笑顔だ。正直、あんな雪乃は二度と見たくない。

 最後に、今まさしく浮かべている笑顔。

 

「あら、奇遇ね八幡」

 

 主に怒っている時の、目が笑ってないやつである。

 この笑顔を浮かべた雪乃はマジで怖い。やばい。どれくらいやばいかって言うと、隣に座っている葉山や奥に見える陽乃さんが固まるくらいやばい。

 

「お、おう、奇遇だな雪乃......」

 

 声が裏返りそうになりながらも、なんとか返事をする。折本と仲町の二人は、突然の雪乃の襲来と言う状況に脳が追いついていないのか、ポカンと呆けた表情だ。

 そちらに顔を向けた雪乃は、堂々と言い放った。

 

「初めまして。そこの比企谷八幡の彼女の雪ノ下雪乃です。私の彼氏がなにか粗相を働いてないかしら?」

「え? 彼女って、比企谷の?」

「ええ。それがなにかおかしいかしら?」

 

 信じられないと言った様子の折本。先程映画館の中で見た雪乃の姿と合致したのだろう。

 雪乃は尚も笑顔を浮かべている。そして俺の方を一瞥した後、その笑顔のままで言い放つのだ。

 

「たまたま姉さんと由比ヶ浜さんとこのお店に来ていたら、随分と面白いお話が聞こえてきたものだったから。本当はスルーしようと思っていたのだけれど、つい口を挟んでしまったわ。ごめんなさいね」

「いやー、別に、面白いってことでもないんだけど......」

「ああ、勘違いしないで欲しいのだけれど、あなたが昔八幡に告白されたとか、その辺はどうでもいいのよ。彼の魅力に気がつかず振ったあなたが哀れなだけなのだから。けれど......」

 

 そこで一旦言葉を切り、笑顔をしまう。

 その視線には敵意を込め、ひどく落ち着いた、それでいて冷え切った声色で彼女は言うのだ。

 

「あまり私の大切な人を馬鹿にしないでもらえるかしら? それ以上八幡を侮辱すると言うのなら、どうなっても知らないわよ?」

 

 いつだっただろうか。確か、二度目の川崎の時だ。俺がまだなにも思い出していなくて、けれど雪乃への恋心を自覚したあの時にも、彼女は俺を侮辱するような言葉へ怒りを見せた。

 あの頃はまだなにも思い出していなかったからか、何故彼女がそこまでの怒りを見せるのかイマイチ理解できなかった。

 でも、こう言う関係になってから漸く俺にも理解できる。

 大切な人を、俺にとっては雪乃や由比ヶ浜、一色なんかを侮辱されたら、怒るに決まっている。それが例え誰であれ、だ。

 雪乃の苛烈なまでに敵意を込めた視線と言葉を向けられた二人。仲町は未だ困惑と恐怖が綯い交ぜになったような表情で呆然としているが、折本はその限りではなかった。

 俺を見て、雪乃を見て、そして葉山を見てから奥にいる由比ヶ浜と陽乃さんを見る。

 そうしてまた俺に視線が戻って来たときには、折本には似つかわしくない、随分と穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「そっか、そう言うことか......」

「かおり? どうしたの?」

「なんでもない。行こっか、千佳。修羅場になるとか、流石にウケないし」

「え、ちょっと待ってよ!」

 

 荷物を纏めた折本たちは、飯の代金だけを置いて去って行った。

 彼女のあの表情の意味は分からない。一体俺たちを見て、何を感じたのか。ただ、あの笑みを見る限りは、何か好意的な解釈でもしていたのだろう。

 さて、去って行った折本のことをこれ以上考えても仕方がない。今はこの現状に目を向けなければ。雪乃ははぁ、と溜息を一つ吐いた後、俺に向き直る。

 

「さて、帰るわよ八幡」

「え、帰るってお前......」

「彼女たちも帰ったのだから、もう用はないでしょう?」

「いやそうだけど」

 

 隣の葉山をチラリと見る。こいつに付き合わされた身とは言え、一応は元々の同行者だ。

 しかし葉山はあいも変わらず爽やかな笑みを浮かべて言う。

 

「俺はもう少し陽乃さん達とゆっくりしてるから、ここの代金は俺が払っておくよ。今回付き合ってもらった礼だとでも思ってくれ」

「悪いな」

「いや、いいさ」

 

 お言葉に甘えさせて貰って席を立つ。無言で差し出された手を、羞恥心を押し殺してそっと掴んだ。ヒューヒュー言ってる魔王とかニヤニヤしてるお団子頭とかをスルーして、逃げるように店を出る。

 今日は自転車だから、まずは駐輪場へ向かわなければならない。

 しかし、あの三人を残して来てもいいのだろうか? 葉山と由比ヶ浜だけなら、同じグループだしまだいい。葉山と陽乃さんも問題ないし、由比ヶ浜と陽乃さんの組み合わせでもまあ大丈夫だろう。しかし、三人で、となるとどの様な会話が繰り広げられるのか想像も出来ないし、したくもない。だって三人共通の話題って確実に俺たちじゃん。絶対俺と雪乃の事で会話が盛り上がっちゃうじゃん。

 などと割とどうでもいいことを考えながら駐輪場までの道を歩いていると、不意に握られている右手に力を加えられた。

 

「雪乃?」

 

 名を呼んで隣を見るも、彼女の顔は前を向いたままだ。そのままこちらを見ずに、言葉を発する。

 

「本当は、折本さんとデートなんてして欲しくなかったわ」

 

 彼女の表情はどこか浮かないものだ。今にも俯いてしまいそうで、ともすれば泣き出しそうなほどに。

 

「行かないでって言いたかったけれど、それは私の我儘に過ぎなくて、そんな事を言ってしまったら、またあなたに迷惑を掛けてしまうから......」

 

 確かに、今日のダブルデートに行かなかったら、俺は陽乃さんから何を言われたか分かったもんじゃない。折本や仲町からしたら、俺はお呼びでは無かったかもしれないが、葉山にも迷惑を掛けていただろう。

 でも、雪乃にそう言われたら、俺は行かなかったのも事実だし、実際行きたくなかった。

 

「独占欲が強くて、嫉妬深くて、誰かに愛されたい癖に、誰かを、あなたを愛している実感が欲しい。そんな面倒な女。幻滅したかしら?」

 

 漸く、雪乃と視線が合った。浮かべている笑顔は儚くて壊れそうで、俺が見たくはないと思っていた類のものだった。

 本当に、そんな顔は見たくない。でも彼女にその表情を浮かべさせた原因は俺にあって、だからこそ言うのだ。偽りなき本音を。

 

「さっき、俺のために怒ってくれて、ありがとな」

「......どうして、今その話を?」

「いや、まあ、なんだ。お前が自分の面倒くさいと思ってるところを、俺は別にそうは思わないんだよ。と言うか、全部知ってるし。お前が独占欲強いことも、嫉妬深いことも、愛されてる実感や愛してる実感が欲しいことも。全部。お前も、俺が知ってることくらい知ってるだろ?」

「......まあ、遺憾ながら、ね」

「なら、そう言うところも含めて、お前のことが好きだってのも知ってるはずだ。でも、もし仮に、それでも不安になるんだって言うなら」

 

 ここで言葉を区切って、息を吸う。恥ずかしい事を言ってる自覚はある。その割にはこの後言うセリフがなんでもないものであるのも自覚がある。それでも、言う。

 不必要に長く吐き出して、小さな決意をしてから、続く言葉を紡いだ。

 

「明日、デートしよう」

「......はい?」

 

 予想していたものとはかけ離れた言葉だったからだろうか。先程までの表情はどこへやら。今の雪乃は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。つまりキョトン顔滅茶苦茶可愛い。

 

「あの、どうして今の文脈でそうなるのかしら? 私の話、聞いてた?」

「聞いてた聞いてた。超聞いてたから」

「ならどうしてそうなるの?」

「要はあれだろ? 俺がどれだけお前のこと好きか、お前に分からせたらいいんだろ?」

「......まあ、そうなる、のかしら?」

「だから、明日デートしよう。よく考えてみたら、俺たちってこう言う関係になってからちゃんとしたデートってしたことなかったしさ」

「確かにそうね......」

 

 ワンニャンショーは小町の策略だったし、ららぽーとは由比ヶ浜の誕生日プレゼントのためだし、修学旅行は学校行事だ。

 その修学旅行で、次のステップに進もうと言って名前で呼び合っていると言うのに、そもそも恋人としてのデートという段階を飛ばしていた。

 

「あとは、あれだ。今日の埋め合わせっていうか、まあ、そんな感じだ」

「本当に関係のない話になっているじゃない......」

 

 額に手を当ててアタマイターのポーズ。どうやら、いつもの調子が戻ってきたようで。

 そう思ったのも束の間、雪乃は少しなにかを考える素振りを見せた後、頬を薄く染めてこちらを見た。

 

「その、私からもお願いがあるのだけれど......」

「お、おう。なんだ?」

 

 問ひ返すも、妙に口ごもって中々切り出さないせいで、変に身構えてしまう。なんだろうか、何か変なお願い事でもされるのだろうか。

 

「私は、あなたから愛されている実感が欲しくて、あなたを愛している実感が欲しいの」

「おう」

「それは、あなたも知っている、のよね」

「そうだな」

「なら、その......。今日は、うちに泊まってくれないかしら?」

「......えっ?」

 

 赤面上目遣いとかいうベストマッチの究極コンボで、とんでもない事を口にした。

 それこそ予想外の提案に、俺はなにも言えず固まる。

 雪乃の家に泊まったことはある。文化祭の準備期間中のことだ。だから、ただ泊まってくれとお願いされただけなのだとしたら、まあそれなりに照れたり恥ずかしかったりするが、なにも言えない、なんてことは無かった筈だ。

 つまり、今の雪乃の言い方は、ただ泊まりに行くと言うだけでなく、別の意味も孕んでしまうと言うことで......。

 

「......準備も、覚悟も、出来てるから」

 

 追い討ちのようにそんな言葉を聞かされてしまうと、頷く以外の選択肢は無かった。

 どうやら、デートと言う恋人としての段階をまた飛び越えてしまうらしい。

 




折本がこの場でなにを思ったのかについては、クリスマスで補完する予定です。多分。知らんけど。


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溢れてしまいそうな感情の波を、彼女は優しく受け止め包み込む。

結構際どい描写があるので、R-15タグつけました。


 ベッドの上に深々と腰を下ろし、ふぅ、とため息を吐いた。周囲を見回してみるも、内装は以前となんら変わりない。パンさん人形やら猫グッズやらが所狭しと並べられた部屋。

 あの時はママのんあねのんの相手をしなければならなかった故、かなり精神的に磨耗したが、今回は別の要因で精神がやられそうだ。

 晩飯のハンバーグは絶品だった。その後二人で片付けもしたし、その後淹れてくれた紅茶も俺の心を落ち着かせるには十分だった。

 けれど、風呂に入るとなった途端に、この後のことを想像してしまって、俺も雪乃も、明らかに挙動不審だった。ここが外なら一発で警察呼ばれるレベルで。

 お言葉に甘えて一番風呂を頂き、前回と同じスウェットに着替え、部屋で待っていてくれと言われたので、言われた通りに今は雪乃が上がるのを待っている。

 全く心が休まらない。今は紅茶も無く、いや、例えあったとしても、俺の心を落ち着かせる事は出来なかっただろう。

 彼女が風呂から上がった後、その時にどのようなやり取りが交わされたとしても、最終的にはそう言う事になるのだろう。

 触れる事など叶わないと思っていた、彼女の白雪のような柔肌に触れ、想像すら出来ない彼女の女性としての声を聞く。

 俺と雪乃がそうなると言う事が、頭の中でうまく像を結ばない。けれど、そうなるのだろうと言う意味のわからない確信だけはあった。

 うーとかあーとか気持ち悪い声をあげながら悶えていると、部屋の扉が音を立てて開かれた。

 顔を上げたその先には、勿論雪乃が立っていて。

 

「お、お待たせ......」

 

 身体と精神が、止まったかのように錯覚した。

 いや、錯覚などではない。目の前の彼女を見た瞬間、俺の全ては、確かに停止していたのだろう。それ程までに、見惚れてしまった。

 可愛らしい猫の柄が入ったパジャマを着用きた雪乃は、風呂上がりだからか、火照った顔をしている。濡れた瞳は忙しなく泳いでおり、中々視線が合わない。

 俺の視界が映す世界の全てが色褪せたモノクロに見えてしまい、しかしその中で、彼女だけが極彩飾の輝きを放っていた。

 その姿がいつもより色っぽく見えてしまうのはなぜだろうか。問わずとも答えは出ているが。

 

「そ、その、あまり見られると、恥ずかしいのだけれど......」

 

 雪乃の言葉で、漸く時が動き出す。

 色を取り戻した視界の中で雪乃が動き、黙って俺の隣へと腰を下ろした。しっかり俺と密着して、指先を絡めてくる。

 こんな事にも、もう慣れたはずだった。最初はそりゃキョドりっぱなしだったけれど、何度かそう言う距離感で接していると、それが心地よくなっていたはずだった。

 けど、今は煩いくらいに心臓が高鳴っている。それはきっと、隣で顔を薄く染めて俯く雪乃も同じなのだろう。

 

「ねえ、八幡」

 

 先に沈黙を破ったのは雪乃だった。俯いていた顔を上げてこちらに視線を合わせる。

 

「あなたは、いつから私のことが好きなの?」

 

 問われたのは、随分と唐突とも言える内容。少し思考を巡らせてみるも、しかし明確な答えは出てこない。

 

「......いつから、ってのはよく分からん。お前のことが好きだって自覚したのは、二度目の川崎の時だった。でも、もしかしたらそのずっと前から、それこそ一度目の時から、お前のことが好きだったのかもしれない」

 

 そうでも無ければ、記憶を取り戻していない俺がそう簡単にこいつに惚れるわけがない。て言うかなそうじゃないと、なんか中学の二の舞みたいで嫌だ。

 

「お前は?」

「私?」

「お前は、いつから俺のこと好きだったんだ?」

「私も、よく分からないわ。ただ、自覚出来たのは、二度目になってからよ。目が覚めたら一人きりで、誰もいなくて。その時、真っ先に求めたのは由比ヶ浜さんでも一色さんでもなく、あなただった。それまではこの意味のわからない感情に翻弄されていたけれど。でも、あなたの事が好きだって自覚した途端に、なんだか力が湧いてきたの」

 

 ふふっ、とおかしそうに雪乃は微笑む。俺も釣られて頬が緩んでしまう。その表情のまま、雪乃は言葉を続ける。

 

「分かるものだとばかり、思っていたわ」

 

 それは、一度目の時にも聞いた言葉だ。

 けれど、それが纏う意味も、雪乃と俺の心境も全く違っていて。

 

「言葉にしなくても、か?」

「ええ。でも、そんなわけ無いものね」

「当たり前だ。俺とお前は違う人間で、ちょっと似てるとこが多いだけだからな」

「それでも、あの時よりは、あなたのことが分かる。例えば、私のことが大好き、とか」

「......まあ、間違いではないけど」

 

 不意にそんな事を言われてしまえば、恥ずかしいやらなにやらでつい顔を逸らしてしまう。

 今はあの時とは違う。奉仕部の関係性だったり、依頼に対する状況だったり。

 何より、あの時に願ったものが、確かにここにある。

 視線を彼女の方へと戻せば、そこには吸い込まれてしまいそうに錯覚する程の、澄んだ瞳が。

 お互いになにを言うでもなく、とても短い、触れるだけのキスを交わした。たったそれだけで心が満たされてしまう。

 

「好き。好きよ、八幡。もう、どうにかなってしまいそうなくらい、あなたが好き」

「俺も、お前が好きだ」

 

 言葉は酷く不自由だ。自分の気持ちの全てを伝えられないなんて、あまりにもどかしい。

 溢れてしまいそうなこの想いを、どうしても伝えたくて。今度は深く唇を触れ合わせる。まるで貪るように口内へと侵食した舌を、彼女は優しく受け入れてくれて、溶けるように絡まり合う。

 やがて離した口と口の間には淫らなアーチがかかる。彼女の手が俺の頬に添えられ、その顔を真っ赤に染めながら、どこか困ったように笑う。

 

「どうして、泣いているの?」

「えっ?」

 

 ハッとなって、彼女の手が当てられているのとは逆の方の頬に手を当てた。雪乃の言う通り、そこには雫が伝った跡が出来ていて、今も俺の目から静かに涙が流れている。

 

「俺、泣いてるのか......」

 

 どうして、こんなタイミングで涙を流しているのか。訳がわからない。けれど、きっと、この涙は悪いものではない。寧ろ好ましいものなのだろう。

 白く細い雪乃の指が涙を拭ってくれる。それだけで止まるはずもなく。余計に視界がボヤけてしまった気さえする。

 ああ、ダメだ。止まる気配がない。

 

「好きなだけ泣きなさい。全部、私が受け止めてあげる。今流している幸福な涙も、これから流すであろう悲しみの涙も。私が受け皿になってあげるわ」

「雪乃......」

「だから、まずはその涙から受け止めてあげる」

 

 ベッドに倒れていく雪乃に引っ張られ、彼女の上に覆い被さる。

 優しくキスをされた。それに応えるようにして、俺からもキスをする。

 こうして、俺と雪乃は初めて肌を重ねた。

 

 ---涙が、止まれば良かった。

 

 こう言う時は本来男からリードするもので。雪乃も口ではああ言っていたが、不安や恐怖も少なからずあるだろうに。それなのに。

 痛みと快感で震える華奢な体を強く抱きしめ、何度も名前を呼んで、呼ばれて、深く口づけを交わし、彼女と一緒に果てながらも。俺はずっと、みっともなく泣いていた。

 幸せ過ぎる。俺には到底受け止めきれない。

 彼女は俺の憧れだったから。本当の意味での、初恋の相手だったから。俺程度が汚していい存在だなんて、思っていなかったから。

 不安になる時なんて多々あった。本当に俺でいいのかと。こいつならもっと、他にいい男がいるんじゃないかと。

 でも、文化祭で、欲したものに手が届いて。

 修学旅行で、更に距離を縮めて。

 今こうして、一つになることが出来ている。

 こんなに幸福を感じることなんて、これまでの人生でなかったから。その感情を持て余してしまう。

 けれど、それで流した涙を拭うでもなく、止めるでもなく、そっと包み込むように、受け止めてくれるこの子がいるなら。

 

 ---涙が、止まらなくてよかった。

 

 



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一夜明け、訪れるのは穏やかな日々。

 傍に人の気配。それと、カーテンの開いた窓から注ぐ日差しで目が覚めた。瞼を開いて隣を見ると、生まれたままの姿の雪乃が幸せそうな微笑みを見せていた。

 

「おはよう、八幡」

「ん、おはよう雪乃」

 

 お互い裸なのに羞恥心が湧いてこないのは、昨夜の行為故か。

 心なしか、随分と胸の奥が軽く感じる。大きなつっかえが取れたような、なんだか、晴れやかな気分だ。

 シングルベッドで二人寝ていると手狭になってしまい、雪乃は俺の腕に抱きついて横になっている。羞恥心が湧いてこないと言っても朝から直接腕に当てられる胸の感触は刺激が強くて、八幡のハチマンもやっはろーしてしまいそうだ。て言うかしてる。

 それをチラリと視界に入れてしまったのか、ちょっと顔を赤くする雪乃。なにその表情可愛いなおい誘ってんのかよ。

 とまあ、朝からちょっとあれなので自重するとして。

 

「あー、体の調子とかどうだ? 大丈夫か?」

「え、ええ。少し違和感はあるけれど、特に問題ないわ」

「そ、そうか......」

 

 あ、あれー? なにこの雰囲気? 羞恥心はないんじゃなかったの? ちょっと雪乃さん、なんでそんなに目泳いじゃってるの。俺も似たようなもんだとは思うけど。

 いや、これはあれだ。別に恥ずかしい訳じゃなくて、なんか面映ゆいと言うかなんと言うか......。

 ま、まあ、兎に角、あれだ、あれ。この後どうしたらいいのか分からないって感じ☆

 パチっ、とお互い泳ぎまくってた視線が合うと、自然と笑みが漏れた。それは雪乃も同じで、穏やかな微笑みを浮かべている。

 

「取り敢えず、朝食にしましょうか」

「そうだな」

 

 二人して布団から降りて、取り敢えず服を着る。今は冬と呼んでも差し支えない季節であり、やはり朝は相当冷える。

 ブルリと体を震わせながらも下着とスウェットを着用して、同じく寝巻きを着終えた雪乃とリビングへ。

 

「直ぐに作るから、少し待っていて頂戴」

「手伝うぞ?」

「いえ、いいわ。一人でやった方が早く出来るもの」

「ん、分かった」

 

 そこは流石の元ぼっち。料理だけでなく勉強などもそうだが、そう言った、元来一人ですることを前提とした作業は、やはり自分一人で行った方が効率がいい。

 その辺り、やっぱ俺とこいつは似てるんだな、と思い苦笑してしまう。

 キッチンは彼女にとって聖域である、みたいな理由も付け加えられるかもしれないが。

 やる事もないのでソファに座ってテレビをつける。別に興味の惹かれる番組がやっていたわけでもないのだが、適当なチャンネルの適当な情報番組を流し見ていると、暫くしてから声がかかった。

 

「八幡、出来上がったからテーブルへ運んでもらってもいいかしら?」

「おー、今行く」

 

 テレビを消して立ち上がり、キッチンの方へ足を向ける。

 言われた通り皿をテーブルまで運び、全て運び終えてから席について、二人揃って頂きます。

 朝食のメニューは実に簡素。スクランブルエッグにトースト、あとは紅茶だ。その紅茶を淹れているカップなのだが、いや、そもそもカップでは無かった。

 

「なあ雪乃、これって......」

「ええ、先程キッチンにあったのを見つけたのよ。どうせだから使おうと思って」

「待て、その言い方だと昨日まで無かったって事か?」

「あったら昨日使っているわよ」

「それもそうか」

 

 俺の前に置かれた、紅茶を淹れてある容器。

 それは、パンさんの柄が入った湯呑みだった。見たことがあるどころではない。一度目のクリスマスの時、由比ヶ浜と雪乃から貰った、俺の大切なものの一つなのだから。

 それがどうして今、それも唐突に現れたのか。

 

「メガネと言い、シュシュと言い、どうして突然現れたのかしら......」

 

 朝食を食べ進めながらも話を続ける。こんな簡単な料理でも、雪乃の作ったものはとても美味い。

 

「ああ、そう言えばそんな話してたな」

 

 雪乃が今髪を纏めているピンクのシュシュと、部室でパソコンを見る時に使っているブルーライトカットのメガネ。

 パソコンが部室に導入された文化祭後に聞いた話だが、どうやらその二つも突然現れたらしい。メガネは文化祭の準備期間、俺が倒れた時に。シュシュは二度目の世界で初めて俺が部室に来た日に。

 なんだかゲームのトロフィー機能みたいだな、と思うも、それは強ち的外れと言うわけではないと思う。

 けれど、これはゲームではなく現実だ。今更その程度の不思議現象で戸惑っていたら、そもそも二度目の世界自体の原因まで遡らなくてはならないだろう。だから、ただ単に、俺と雪乃の間で起きた、確かな変化の報酬のようなとのだと思っておこう。

 

「まあその話は置いとこうぜ」

「それもそうね」

「ところで、今日どっか行きたいところあるか?」

「駅前のモールで買い物がしたいのだけれど、いいかしら?」

「了解、モールな」

 

 駅前のモールと言うと、一度目の時にクリスマスパーティのプレゼントをみんなで買いに行ったところか。なにを買いたいのかは知らんが、まああそこならある程度のものは揃っているだろう。

 と、そこまで考えて気がついた。

 

「そういや俺、着替えないんだけど......」

「確かに......。流石に外出用の男性服は無いし......」

 

 これは一回家寄らないとダメなやつかな? 休日に制服で外彷徨くってのも中々目立つし、家帰って着替えた方が得策かもしれない。

 しかし、そうなれば勿論雪乃と一緒に家に行くことになるし、その際小町に揶揄われる&両親からの追求から逃れることは出来ないだろう。雪乃は文化祭の準備期間中にちゃっかり挨拶済ませてるみたいだけど。

 さてどうしたもんかね。俺一人で家に向かうのは時間の無駄になるし。

 

「いえ、制服のままで構わないわ」

「は? 嫌だよ目立つし」

「なにもずっと着ていろとはいわないわよ。まず最初に服屋さんに寄って、そこであなたの服を見繕いましょう。折角だからコーディネートしてあげる」

「えぇ......。マジで?」

「ええ、マジよ」

 

 ふふん、とドヤ顔の雪乃だが、俺は忘れていない。由比ヶ浜の誕生日プレゼントに工具セットを選ぼうとしただけでなく、服は軒並み耐久性で選んでいたこいつの姿を。

 しかし逆に、雪乃自身の服装はとてもセンスに溢れていると思う。これまで何度か見た私服姿は、どれも雪乃の魅力を最大限に引き出していたのだから。まあ俺の予想だと、あの服は殆ど陽乃さんのお下がりか、陽乃さんが買ってきてくれたのか、そのどちらかだろう。もしくは由比ヶ浜の影響か。

 そんな俺の心情を読み取ったのか、目の前の雪乃はムッとした顔をしている。

 

「あら、私のセンスを疑っているのかしら?」

「いや、だってお前、一般的な女子高生のセンスはない、みたいな事昔言ってただろ」

「あの頃の私と一緒だと思わないで欲しいわね。一年も経てば少しはマシになっている筈よ」

「うん、確かに一年は経ってるけども......」

 

 まあ、ここは雪乃のセンスを信じてみますかね。母親が買って来るようなクソダサTシャツを出されたりしたら俺が拒否すればいいだけだし。

 

「ふふっ、どう料理してあげようかしら」

 

 ......これ、大丈夫だよね? 料理ってただの比喩だよね?

 一抹の不安を抱えながらも、なんだかんだでこの後のデートを楽しみにしながら、朝食を食べ進める。

 

 

 

 

************

 

 

 

 

 眼前には渋面を作って顎に手を当てる雪乃が。その高度な頭脳で一体何を考えているのだろうか。高尚な哲学か、はたまた難解な計算式か。

 しかし実態はそのどちらでも無く、皆無に等しいセンスをなんとか振り絞って、男性服をコーディネートしているだけである。

 いやはや、あの完璧超人雪ノ下雪乃が、まさかそんな俗っぽい事に思考を割くとは。総武高校の生徒達からするとあり得ない光景ではあるだろう。

 だけど雪乃さん、由比ヶ浜の影響でなんだかんだ俗世間に染まりつつはあるよね。俺の影響に関しては考えないようにする。

 

「......ダメね。これも似合っていないわ」

「なあ、まだ続けんのか? もうユニクロとかで適当に買ったやつでもいいんだが」

「服を着ていると言うより、服に着られている感じがどうしても強いのよね......。やはりその目が原因かしら?」

「聞いちゃいねぇ......」

 

 さて、現在の状況を再確認してみよう。

 駅前のモールにやってきた俺たちは、雪乃の宣言通りまず服屋へ。そこであれこれと服を見繕う雪乃と、着せ替え人形にされている俺。

 

「ねえ八幡。その目、どうにか出来ないかしら?」

「どうにか出来るならとっくにしてるんだよなぁ......」

「それもそうね......。よし、次はこれとこれを着てみて頂戴」

 

 差し出された服を受け取って試着室へ戻っていく。

 雪乃のセンスも、言うほど無くはないのだ。ただ、問題は俺の方にあるみたいでして。どうも変にカッコつけた服を着ようとすると、明らかにこの腐った目が浮いてしまうらしい。なんだか申し訳なくなってしまう。でも昔に比べたら目の腐りもマシになってると思うの。

 雪乃に渡されたのはシンプルな黒のジーンズに、これまたシンプルなチェックのワイシャツと白いセーター。さっきまで渡され続けていたものよりも大分落ち着いた組み合わせだ。

 ズボンを履き変え、ワイシャツの上からセーターを着る。俺自身もオシャレにそこまで明るい訳ではないので、トップスのこの組み合わせに何の意味があるのかはよく知らないし、多分そんな大層な意味もないと思う。

 着替え終えて試着室を出ると、先程まで一歩も動かずに待っていた雪乃の姿が無い。もしかして見捨てられたのかと思ったが、そんな筈もなく。ちょっと店内を見渡したら直ぐに発見した。

 

「雪乃」

「着替え終わった?」

「おう。こんな感じでいいのか?」

「襟元、もう少し整えなさいな」

 

 手を伸ばして来て、中のワイシャツの襟をセーターの上に出される。あ、これそういう風に着るのね。

 襟を整えた雪乃は一歩下がり俺の全身を眺め、しかしどこか納得いってなさそうな表情をする。

 

「さっきまでより全然マシね」

「そう言う割には納得いってなさそうなんだが」

「当たり前よ。ここまで来たらあなたを完璧にコーディネートしたいもの。という事で、次はこれを着て頂戴」

「へいへい......」

 

 どうせ拒否権は無いので、素直に受け取って再び試着室へ戻る。一体これがあとどれだけ続くのか。彼女の負けず嫌いを考えると、相当続くと思われるが、俺のために考えて悩んでくれていると思うと、不思議と悪い気はしない。

 しかしあんまり長引いて昼飯が遅くなると言うのもゴメンなので、さっさと終わらせるかと次の服に手をかけた時、外から話し声が聞こえて来た。

 

『どうですか? 良い服はみつかりました?』

『いえ、中々彼に似合う服はなくて』

『そうですか。どうぞごゆっくりご覧になってくださいね』

 

 どうやら雪乃と店員の会話らしい。

 こう言う店だと、何故か店員が馴れ馴れしく話しかけてくる。だから俺は苦手なのだが、雪乃はそうでもないらしく、適当に店員の話を受け流して適当に相槌を打っているらしい。

 

『妹さんが選んだ服なら、お兄さんも喜ぶと思いますよ』

 

 おっとこの店員は何か勘違いしてるようですね。俺と雪乃が兄妹って、どう見たらそう見えるんだよ。全然似てないだろ。

 雪乃も同じ風に思ったのか、少し笑い声が聞こえた後に、否定の言葉を発した。

 

『私達、兄妹じゃないんです。彼は私の恋人です』

『あ、そうだったんですか⁉︎ それは失礼しました......。お二人を見てるとまるで家族のような距離感だったので。最初は夫婦かなと思ったんですけど、でもお兄さんは制服を着てたから兄妹なのかなーと』

『そ、そうですか......』

 

 さては雪乃、顔真っ赤になってるな? 俺は詳しいんだ。なんたって、俺も今顔真っ赤だからな!

 ......この店員やばいな。なんで俺と雪乃が夫婦に見えちゃうんだよ。いや、別に嫌と言うわけではないしむしろ嬉しいくらいなのだが、どう見てもそう言う歳には見えないだろ、俺たち。

 いや、まあ思い返してみれば思い当たる節はあると言うか何というか。例えばさっき、俺が着た服の襟元を整えるなんて、昨日までの俺ならば急接近された時点で顔面赤面待った無しだっただろう。そうならなかった理由を問い詰めて行くと、結局顔真っ赤になっちゃうのでやめておく。

 そう、先程雪乃が俺に対して行った行為は、まるで仕事に出かける前の夫の、曲がったネクタイを直す妻のような......。

 うん、そろそろこの思考はやめておこう。考えただけで顔がにやけてしまう。て言うか、試着室の中なら誰にも見られてないしにやけ放題じゃね? やったぜひゃっほい!

 となる訳もなく。いや、一瞬なったけど鏡に映った自分の顔が気持ち悪過ぎてやめた。まあ、そんなこんなで服を着替え、店員が去っていった気配を感じたので試着室から出る。

 そこには想像していたような顔真っ赤ゆきのんではなく、ニコニコと花のような笑顔を浮かべる雪乃だった。え、なんで?

 

「着替えたけど......。なに、お前どうしたの?」

「なにが?」

「いや、なにが? じゃなくてだな......」

 

 あれか、夫婦みたいって言われたのが嬉しかったのか。やだなにそれ俺の嫁じゃなかった彼女超可愛いんですけど!

 

「ふふっ、さっき店員さんがね、私とあなたを見て夫婦みたいだって」

「まあ、俺にも聞こえてたけど」

「あら、そうだったの?」

 

 カーテン一枚しか仕切りがないんだから、そりゃ聞こえるでしょうよ。

 しかし、こいつと夫婦ねぇ......。考えたことが無いなんて言ったら嘘になるどころか、何度考えたか分からない。これから先もこいつずっと一緒にいて、恋人から夫婦へと関係が変わって。それでも、きっと、俺たち二人の在り方は変わらないんだろう。

 そんな未来を、こいつも思ってくれている。それがなんだか嬉しくて、つい笑みが溢れてしまった。

 

「突然笑って、どうかしたの?」

「多分お前と同じ理由だよ」

「そう?」

「そう」

 

 周りからどう見られ、どのような印象を抱かれようが、対してその事に興味はなかったが。けれど、『まるで家族のようだ』なんて言われたら、嬉しいに決まっている。

 

 

 

 

************

 

 

 

 

 服屋で買い物を済ませ、雪乃に全身コーディネートされた後は、いい時間になっていたので昼食を摂ることに。

 適当に選んだパスタ屋だったが、これがまた随分と美味しかった。まあ雪乃の料理とは天と地ほどの差があるのだが。勿論雪乃が天。

 

「なあ、本当に良かったのか?」

「あなたも口説いわね。別に気にすることではないと言っているでしょう」

「つってもなぁ......」

 

 俺が今着ている服だが、購入するに当たって全額雪乃が出してくれた。彼女的には元からそのつもりだったらしいのだが、俺はどうも納得いかない。ほら、こう、男のプライド的に。

 

「そもそもあなた、払えるだけのお金はあったの?」

「うっ......」

 

 それを言われると弱る。どうもあの服屋、俺が想像していたよりも遥かに高価な品揃えだったらしく。とてもじゃないが払えるほどの額では無かったのだ。

 それをさらりとレジに通す雪乃の金銭感覚に突っ込むべきなのか、店に入った時点で気づかない俺の間抜けさを罵るべきなのか。

 

「いいじゃない。妻から夫へのプレゼントだと思えば」

「まだ結婚してないんですけど。て言うか学生なんですけど、あの」

 

 どうやら夫婦扱いされたのがいたく気に入ったようで。さっきから雪乃のニコニコ笑顔は収まる様子を見せない。

 

「はあ......。んじゃまあ、ありがたくプレゼントされときますよ」

「ええ、されておきなさい」

「んで、これどこに向かってんの?」

 

 パスタ屋を出た後は雪乃に手を引かれるまま歩いているのだが、目的地を未だ聞かされていない。買いたいものがある、みたいな事を家で言っていた気がするが、そもそもなにを買うのかも聞かされていないし。

 

「雑貨屋を探しているのだけれど......。このモールにはないのかしら?」

「いや、前のクリスマスで来た時普通にあっただろうが。なに、迷ったの?」

「......違うわよ」

「おい。目を見ろ、目を」

 

 流石は方向音痴ノ下さん。一度来た場所でも迷ってしまうとは。逆に前の時は何故迷わなかったのかを聞きたいくらいである。

 

「雑貨屋はこっちだ。ほれ、ついて来い」

「納得いかないわ......」

 

 今度は俺が雪乃の手を引いて、記憶にある雑貨屋までの道を歩く。

 いくら広いとは言っても、一つの建物の中だ。十分も歩かないうちに雑貨屋には到着した。

 

「結局何買うんだ?」

「一色さん用のティーカップよ」

「一色の?」

「ええ。彼女だけ無いというのも可哀想でしょう?」

「まあ、そうだな」

 

 一色用のティーカップ、ね。恐らく生徒会長に当選するであろうあいつは、これまでに比べると確実に部室へ顔を出す頻度は減るだろう。それだと言うのに、一色のためにティーカップを用意してやるとは。

 

「お前もなんだかんだ言って、ちゃんと先輩してるんだな」

「先輩云々は関係ないわ。これは私の友達が生徒会長に当選した時のお祝いの品なのだから」

 

 これ、一色が聞いたら泣いて喜びそうだな。雪ノ下先輩に友達って呼ばれるなんて感激ですぅ、みたいな。

 店の中に入り、目的の品がある辺りで立ち止まる。雑貨の定義はかなり曖昧だが、ティーカップの品揃えは悪くないらしい。並べられた商品を見て、雪乃は顎に手を当てて小首を傾げる。

 

「どれがいいかしら?」

「お前が思った一色らしいやつでいいんじゃねぇの? て言うか、どれでも喜ぶと思うけどな、あいつは」

「そう?」

「そう」

 

 ふむ、と考えること暫し。雪乃が手に取ったのは、大きく赤いハートマークが描かれたコップ。形状的には雪乃が使っているものよりも、由比ヶ浜が使っているものに近い、普通のコップだ。

 

「これにしましょう」

「一応聞いとくけど、なんでそれ?」

「いかにも一色さんらしいと思ったからだけれど?」

 

 うーん、確かにそのあざとさ全開ハートマークは一色っぽいけども。それを受け取った一色本人がどう思うのか。ハートマークをラブと受け取ってしまったらどうするんですかね。流石にそれはないか。ないよね?

 

「ま、お前がそう思ったんならそれでいいだろ」

「ええ。ではレジに通してくるわ」

「おう」

 

 待っている間なにをしていようかと悩んでいると、視界の端にあるものを捉えた。前に来た時にも見かけ、結局交換用のプレゼントとして買うことになったアレ。そう、人をダメにするソファである。

 もう見た目からして『絶対にダメにしてやる!』と言う気概を感じられる。

 しかし、改めて見るとヤバイなこのソファ。これにカマクラ乗せたら絶対ズブズブと沈んでいくやつだわ。なんなら俺が乗っても沈んでいっちゃう。それでそのまま再び浮き上がってくることはないのだろう。やだ、人をダメにするソファにダメにされてみたい!

 ......これに雪乃を乗っけるとどうなるのだろうか。常日頃はキリッとして、人前ではダメなところ、と言うかポンコツなところをあまり見せない彼女ではあるが、流石の雪ノ下雪乃と言えど、このソファには勝てないだろう。

 この上に座ってズブズブ沈んでいき、安らかな顔で眠ってしまう雪乃。うん、実にいい。想像しただけでもご飯三杯はいけちゃうね。

 ほら、彼女本人も言っていたじゃないか。猫が寝転んだらその猫可愛い、って。別に雪乃は猫ではないけど、猫みたいなやつだし、結局可愛いことには変わりないし。

 どうしようかな、買おうかな......。でも結構高いんだよな......。

 割と本気で購入を検討していると、誰かが隣に並ぶ気配が。そちらを向くと、会計を終えた雪乃が立っていた。

 

「これは......。確か前のクリスマスの時にあなたが購入していたものね」

「ああ、お前が激寒親父ギャグを披露したあれだ」

「なんのことかしら?」

 

 ニッコリ笑顔で凄まれた上にすっとぼけやがった。本人的には忘れて欲しいようだ。

 

「これ、欲しいの?」

「欲しいっちゃ欲しいけど、今はいい」

「どうして?」

「これにお前を乗せるのが目的だからな。その楽しみは将来に取っとく」

「乗らないわよ」

「さて、どうかね」

 

 今買ったところで、別に同棲しているわけでもないのだから、このソファに座ってダメになる雪乃を好きなタイミングで見られるという事はないのだ。ならば今購入してもそこまで意味はないだろう。

 

「それにしてもあなた」

「ん?」

「将来は一緒に住んでいる事を、当たり前のように言うのね」

「悪いか?」

「いえ、悪くないわ。寧ろ好ましいわね」

「そうか」

「ええ、そうよ」

 

 らしくもなく、そうなる未来が来ることは確信している。

 未来だなんてそんなあやふやなもの、信じるたちではなかったと言うのに。それでも、こいつとの未来であれば、なんの根拠が無くとも確信出来る。出来てしまう。

 それはきっと、雪乃も同じなのだろう。じゃなきゃ、こんな穏やかな笑みは浮かべていまい。

 

 

 

 

************

 

 

 

 

 モールを出た後、特に寄り道をすることも無く雪乃の家へと戻ることとなった。

 初デートだと言うのに随分と味気なく思えるが、俺たち二人にはこれで十分だ。だって、これからもデートと称されるようなことは何度だってするのだから。初デートだからと言って、特別なことをする必要なんてなにもない。ただ、こいつと一緒にいれると言うだけで、俺は満たされてしまうのだし。

 

「今日の晩御飯はなにが食べたい?」

「じゃあ唐揚げで。白飯は多めにな」

「分かっているわ」

 

 特に二人で話し合うでもなく、今晩も泊まっていくことは決まっていた。個人的にはそろそろ小町に会いたいのだが、なんか今帰っても追い出されそうな気がするので、小町にはさっき連絡を入れておいた。

 

「スーパー寄るか?」

「いえ、材料なら一通り揃っているから、問題ないわ。それより、今日はお風呂の掃除を任せてもいい?」

「おう、任せとけ。ここらで俺の家事スキル、延いては専業主夫としてのスキルを見せておいてやるよ」

「呆れた。あなた、まだそんな事を言っているの? 寝言は寝て言うものよ?」

「夢くらいは起きてても見させてもらっていいんじゃないですかね」

 

 なんでもない会話を交わしながら、雪乃の家へと歩く。この時期は既に日が落ちるのが早くなっており、18時現在でも外は真っ暗、月と星が空に輝いている。

 かの夏目漱石は、I Love you を「月が綺麗ですね」と訳したらしい。けれど、今の俺の隣には、月よりも綺麗な女の子がいる。

 それは果たして、どれほど幸せなことなのだろうか。

 そんな事を考えていると、つい目は雪乃の方を向いてしまって、それに気づいた彼女がどうかしたのかと視線で問うて来る。

 それに被りを振って前を向くと、マンションが見えて来た。

 

「なんか今日はめっちゃ歩いた気がするな」

「それは普段家から出ないからよ。けれど、私も同感ね。少し疲れたわ」

 

 繁盛期ではないとは言え、なんだかんだでモールの中は人が多かった。体力がない上に人混みが苦手な雪乃は、俺よりも疲労が溜まっているだろう。

 マンションのエントランスを通り抜け、エレベーターで15階まで上がる。

 家の前について雪乃が鍵を差し込み、その途中で何故か手を止めた。

 

「私が先に中に入るから、あなたは2分ほどここで待っていてくれるかしら?」

「またなんで」

「なんでもよ」

 

 理由は言わず、鍵を開けて扉の向こうへと消えていく。

 ここまで来てまさかの置いてけぼりですか......。まあ、ぼっちたるもの置いてけぼりには慣れている。修学旅行では班員達に置いていかれ、クラスメイトの流行にも置いていかれ......。思い出したら涙が出てきた。

 2分経ったのを携帯で確認してから、扉を開く。玄関に入って真っ先に視界へ飛び込んで来たのは、エプロン姿の雪乃で。

 

「おかえりなさい、あなた。ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ、私......?」

 

 頬を薄く染めながら、そんな事を言ってきた。控えめにいって超可愛い。

 て言うか、こいつ夫婦扱いされたからってこれは......。

 

「あの、何か言ってくれないと、困るのだけれど......」

 

 見る見るうちに顔が真っ赤に染まっていく雪乃。恥ずかしいならなんでやっちゃったかなぁ......。まあそんなところも可愛くて好きなんですけどね!

 

「それ、お前って答えたらどうすんの?」

「......夕飯とお風呂が終わるまで待ってくれる?」

「それじゃあ質問した意味ないんだよなぁ......」

 

 つか飯と風呂が終わったらいいのね。ちょっと雪乃さん、昨日一線超えちゃったからってタガが外れてません?

 とまあ、そんなことは置いておくとして、取り敢えず。

 

「ただいま、雪乃」

 

 おかえりと言われたのだから、そう返すのが常識だろう。一緒に帰ってきたとかそんなのは関係ない。ただのごっこ遊びだとも分かっている。けれど、だからこそ、ちゃんと「ただいま」の一言を言いたくなった。

 それを聞いてキョトンとしていた雪乃だったが、すぐにその口は弧を描き、俺の言葉に応えてくれた。

 

「ええ、おかえりなさい、八幡」

 

 これから先、変わっていく未来の中で。

 この笑顔を、毎日玄関で見れる日がいち早く来るように、願わずにはいられなかった。

 



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やはり今回も、責任を取らざるを得ないらしい。

これにて生徒会選挙編終了です!
また暫くは更新が停止しますので、クリスマス編スタートをのんびりとお待ちください


 長机の上にはケーキと雪乃が淹れた紅茶。そしてそれを囲むいつものメンバー。そのうちの一人、由比ヶ浜が小さな声でせーの、と合図を出し、俺たちは揃って祝いの言葉を口にした。

 

「いろはちゃん、会長当選おめでとー!」

「おめでとう、一色さん」

「おめっとさん」

 

 せーのの意味が全くないくらいにバラバラだった。なんの合図だったんだよ。

 そしてそれを受けた本日の主役である一色の目尻には、嬉しさ故かキラリと光るものが見える。

 

「ありがとうございますー。このコップも、とても嬉しいです。本当に」

「気に入ってくれたなら良かったわ」

 

 先日雪乃とモールに行った時に買ったコップを、指でソッと撫でる。雪乃も、それを見て優しい微笑みを浮かべている。

 週が明けて数日後、一色いろはは無事に生徒会長に当選した。まあ、対立候補がいなかったから当然の結果ではある。

 それでも、掲示板に貼られた一色の名前を見た時に、心底安堵したのは記憶に新しい。

 

「それじゃあケーキ食べよっか! これね、あたしとゆきのんで作ったんだよ!」

「おい、俺も一緒に作っただろうが。なにナチュラルに省いてるんだよ」

 

 四等分された小さなホールケーキは、昨日の放課後に雪乃と由比ヶ浜、そして俺の三人で作ったものだ。と言っても、殆ど雪乃の手によるもので、俺と由比ヶ浜はちょこちょこ雑用を手伝っていただけだが。

 それにしても何故ケーキ......。いや、いいんだけどさ。祝い事にケーキは別に間違っているわけでもないし。でも、もうすぐクリスマスだからその時にもまた食べる羽目になるんだろうなぁ。

 

「つまりこのケーキには先輩方三人分の愛情が込もってるってことですね!」

「それはない」

 

 俺が愛情を向けるのは小町と雪乃にだけなんだからね! キモいか。キモいな。

 しかし一色はそんな俺の否定の言葉を華麗にスルーして、フォークでケーキを口の中へと運んでいく。

 

「んー! 凄い美味しいです!」

「そう? それは良かったわ」

 

 誰にも気づかれないように、ホッと小さく息を吐く雪乃。あれだけ味見してやったと言うのに、どうやら上手く作れたか不安だったようで。

 

「しかし、これで漸く一色の依頼も完遂か」

「そうね。あとは一色さん一人でも上手くやっていけると思うわ」

「うんうん。いろはちゃんなら出来るよ!」

 

 文化祭、体育祭とこいつのフォローに回って、今回の選挙本番でもまあなんやかんやとあって、これからこいつが部室に顔を出すのも少なくなると思うと、少し寂しく思わなくもない。

 だが今回は一色自身の意思で、生徒会長へと立候補したのだ。これで漸く、俺も一度目の時に彼女を会長にした責任から逃れられると言うもの。これで俺は自由の身だぜ......。

 と思ったのも束の間、どうやら一色自身はそう思っていないようで。

 

「いやいや、なに言ってるんですか」

「はい?」

「結局今回も、悩んでる私を無理矢理生徒会長にさせたのは先輩方じゃないですかー?」

「いや、ないですかー、じゃないだろ」

 

 おっと? 雲行きが怪しくなってきたぞ?

 

「特に雪乃先輩」

「私?」

「あんな風に無理矢理本音を言わされて、しかもあんな事言われちゃえば、生徒会長やるしかなくなるじゃないですか」

 

 いかにも怒ってますよ、とプンプン頬を膨らませてフォークを横に振る。しかし相手はあの雪乃だ。一色のそんなあざと攻撃が通用するはずもなく。

 

「......確かにその通りね」

 

 つ、通用、するはずも......。

 

「ええ、いいでしょう。そう言うのなら、私が責任を取ってあげるわ。本当に困った時はいつでもいらっしゃい」

 

 あ、あれ〜? 雪乃さん、甘すぎない? しかもなんか無駄にイケメンじゃない? なんだよ、責任を取ってあげるわって。滅茶苦茶かっこいいじゃねぇかよ。ほら、間近で見ちゃったいろはす、顔真っ赤だよ? いろゆき、あると思います。

 そして更に、そこに割って入る影が。

 由比ヶ浜は回り込んで一色の方に立ち、そのまま一色を抱き締めた。

 

「もちろんあたしも手伝うよ! だから、困ったことがあったらいつでも頼ってね!」

「ふぁ、ふぁい」

 

 大きなメロンに顔を埋もれさせて、くぐもった声の返事が聞こえた。隙間からチラリと見える一色の顔は、ニヘラもだらしなくなっている。

 いろゆきゆい、ええ、いいですね。色々と捗る。色々と。

 だが、待て。しばし。

 この流れはいけない。このままだと、なんやかんやで奉仕部に依頼として持ち込まれ、結局俺も巻き込まれるパターンのやつだ。折角自由の身ななれたと言うのに、そんなことになってたまるかってんだ。

 

「おい待てお前ら、あまり一色を甘やかすな」

「あなたにだけは言われたくないセリフね」

 

 おっしゃる通りでございます。

 冷たい視線を寄越されたが、そんなものには負けない。俺は働きたくないんだ!

 

「いいか、そもそも最初に生徒会長になりたいと言って奉仕部に来たのは一色だ。その過程でなにがあっても、結局は一色の意思で会長になったんだから、俺たちは手伝わなくてもいいだろ。それに、そこまで手を出したら奉仕部の活動理念に反する」

「あなたはなにを言っているの?」

 

 心底不思議な顔をされた。え、嘘、なんで分からないの? あなた文武両道の才色兼備じゃなかったの?

 

「文化祭の時と同じよ。別に一色さんの手伝いをすることを、奉仕部の活動の範疇に収める必要はないでしょう?」

 

 無駄に可愛いドヤ顔でそんなことを言われてしまえば弱る。実際、文化祭の時はそれで一色の手助けを許容してしまっているし。

 未だに一色抱きついている由比ヶ浜も、同調するようにうんうんと頷いている。

 

「て言うかヒッキー、なんだかんだ言いながら結局手伝うじゃん」

「あなたも学習能力のない人ね」

「......否定したいが否定出来ない」

 

 君達のそれは学習と言うよりも、調教されていると言った方が正しいと思うんですけどね......。

 恐るべし一色いろは。歳上のお姉様を二人も手玉にとってしまうとは。いや、この場合は一色の方も大分雪乃に絆されてるから、手玉に取ってるわけではないのか。最近は由比ヶ浜とのゆるゆり度も増してきてるし、陽乃さんとも仲良くしてるみたいだし、おまけに小町もかなり懐いている。

 やだ、順調に雪乃ハーレムが出来上がっちゃってる......。

 

「いや、それにしてもだな......」

 

 またぞろ屁理屈をこねくり回そうと口を開いたが、それを遮るように勢いよく扉が開かれた。

 

「邪魔するぞ」

 

 現れたのは白衣の似合う女教師第1位(俺調べ)の平塚先生だ。この人はまたノックもしないで......。

 

「平塚先生、ノックを......」

「ああ、すまない。少し急いでいてな」

 

 やはり雪乃から小言を貰われ、そしてその後に厳しい視線を一色へと向ける。当の本人はと言うと、気まずげに視線を逸らしていた。

 まーたなにかやらかしたのかしら。いや、やらかす要素ないだろ、まだ当選して日は経ってないぞ。

 

「やはりここにいたか、一色」

「いろはちゃんがどうかしたんですか?」

「引き継ぎ作業がまだ全て終わっていないと言うのに、それを放ったらかしてどこかに消えたと思ったら......。君はこれから全校生徒の模範にならなければならないんだぞ。その自覚があるのか?」

 

 それを聞いて、思わずため息が漏れた。流石の由比ヶ浜も庇えないと思ったのか、苦笑いを浮かべている。

 

「お前、今日は大丈夫って言ってたじゃねぇかよ......」

「だ、大丈夫だと思ってたんですよ! それに、ほら! 引き継ぎ作業だって別にいますぐやらないといけないわけじゃないですし」

「一色さん」

「ひっ!」

 

 一色のみっともない言い訳を遮ったのは、酷く冷たい声音だった。

 柔らかい笑みを浮かべた雪乃は、しかしそこに温度らしいものを含めず、一色へと優しく声をかける。

 

「手伝うとは言ったけれど、仕事を放り出すような人の手伝いをする気はないわよ?」

「や、やります! やって来ます! 速攻で片付けて来ますぅ!」

 

 ビシッと立って敬礼までして、一色はスタコラと部室を後にしていった。

 だから、それ俺も怖いからやめてくんない......? なんでそんな優しい声で背筋をゾクッとさせれるんだよ。

 

「はあ......。すみません平塚先生。まさか一色さんに仕事があると知らず......」

「ん? いや、いいさ。一色が君たちと仲良くしているのは良いことだ。それに、会長になったと言えど、彼女も奉仕部の一員だからな。これからも変わらず仲良くやりたまえ」

 

 どうやら、いつの間にか一色は正式に奉仕部の一員になっていたらしい。あいつ入部届だしたのかなん? 出してなかったら部長には部員として認められないけど。ソースは由比ヶ浜。いや、でも俺も入部届出した覚えないな......。

 

「だからと言って、あまり甘やかすのも良くはないがな。君達がいなくなった後、苦労するのは一色だ」

「十分心得ています」

「うむ。分かっているのならいい。差し当たっては、クリスマスに海浜総合から合同イベントのお誘いが来ていてな。それをやらせてみようと思ってるんだ。もしあの子が、本当に助けを求めに来たら、その時は助けてやってくれ」

 

 俺たちを優しい眼差しで見てそういった後、仕事が残っているからと言って平塚先生は部室を去っていった。

 先生に言われなくても、俺たちは一色に頼られてしまえば、なんだかんだと言いながら助けてしまうのだろう。それは、あいつが初めての後輩で、この奉仕部の一員だから。

 だから助けてやるのは構わない。構わないのだが、なーんか平塚先生、変なこと言って帰って言った気がするなー。

 

「クリスマス合同イベント、やっぱりやるんだね」

「そのようね......」

 

 由比ヶ浜はうへーっと机に突っ伏し、雪乃もため息を吐いて肩を竦めている。

 いや本当に全くもって二人に同感だ。

 

「今の一色なら大丈夫、と言いたいところなんだがな......」

「ええ。確かに一色さんは成長しているけれど、相手が相手ですもの......」

 

 生徒会に立候補するようなやつらであれば、文化祭、体育祭における一色いろはの尽力の程は聞き及んでいるだろう。また、そこから転じて彼女の能力にもある程度の信を置いてくれるかもしれない。一色のやる気も自信も問題ない。

 問題があるとすれば、海浜総合側だ。

 更に他の問題もあるのだが......。

 

「まあ、あれだな。一色のリーダーシップ、その他生徒会役員のパートナーシップは問題ないんだ。俺たち奉仕部が生徒会とアライアンスを組むことになったとしても、上手くサポートしてイニシアチブを取れるようにケースバイケースで動くしかない。海浜総合側のリテラシーには期待してないが、方法次第ではwin-winの関係を探って一定のアグリーメントを得ることも出来るだろう」

 

 やべぇ、自分で言ってて意味がさっぱり分からん。俺が分からないのだから由比ヶ浜に理解できるはずも無く、シラっと軽蔑の視線を送ってドン引きしてらっしゃるし、雪乃は頭が痛いのか、コメカミに手を当てていた。

 

「ヒッキー何言ってんの?」

「すまん、一瞬意識が高くなった......」

「今からその調子では、先が危ぶまれるわね......」

 

 まじそれな。本当怖い。もう一度あの会議を体験する可能性があると言うだけで震えが止まらない。

 しかし、クリスマス、か。

 聖夜、恋人と二人きりで、なんてのは世のリア充的には常識なのかもしれないが、残念なことに俺たちのクリスマスは仕事で潰れてしまいそうだ。なにその社畜養成システム。怖い。フフ怖い。

 社畜への道を堂々と邁進している恐怖に内心震えていると、由比ヶ浜があっと声を上げた。

 

「でもヒッキーとゆきのんはちゃんと二人で過ごさないとダメだよ?」

「いや、仕事入ったら無理だろ」

「それでも! イベント終わった後とかあるじゃん! それで、次の日はみんなでパーティするの! これ決まりね!」

「えぇ......」

「ゆきのんも! 分かった?」

「ええ、私は構わないわよ」

「やったー!」

 

 別に雪乃と二人で、そして由比ヶ浜や他の奴らとクリスマスを過ごすことに対して異論はないのだが、そうなると俺は小町と二人きりのクリスマスを過ごせなくなってしまう。

 まあ、あまり欲は言わない方が良いか。

 そもそも一色から助けを求められると決まっだわけでもない。あいつなら上手くやってくれるだろう。やってくれるよね? 頼むから俺と雪乃のクリスマスのために上手くやってくれよ......。



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9
本格的に冬が訪れ、しかし同時に仕事も訪れる。


ハーメルンにおけるカワルミライの更新方法をちょっと変えます。詳細は活動報告の方を見て頂ければ。
まあ早い話が、渋と同時連載で進めるってだけなんですけどね。


  11月の寒さを引き摺るどころか、更に気温をグングンと下げている12月の千葉。マフラーや手袋などの防寒具だけでなく、学校指定のコートまで引っ張り出してこないと厳しい季節となっていた。

  だがその厳しさに反比例するかのように、登校時の雪乃の魅力はグンと上がっているのだ。彼女も登校する時はマフラーをしており、そこにもふっと埋めた顔や髪の毛がとてもチャーミングである。やはり夏服より冬服だよ兄貴。

  まあ、そんな惚気はどうでも良くて。

  外気温はマイナスを記録してはいないものの、殆ど0に近いのではと錯覚する程の寒さではあるが、我が奉仕部の部室はあたたかな香りと雰囲気に包まれていた。

  つまりはいつも通り、平常運転で平和な奉仕部である。

  一色が一度目の時に手伝いを依頼しに来た日から、既に一週間は経過しただろうか。この感じだと、上手く行っているっぽくてなによりだ。

 

「あっ、ねえねえゆきのん。これなんかどうかな?」

「流石に厳しいのではないかしら?」

「んー、そうかなー?」

 

  俺の座る向かい側では雪乃と由比ヶ浜の二人が身を寄せ合って座り、さっきから何やら女子女子した雑誌を読みながら会話を交わしている。

  いつもなら由比ヶ浜にくっつかれて鬱陶しそうな顔しながらもなんだかんだ受け入れる雪乃ではあるが、今日はこの寒さゆえか、特に文句を言うでもなく由比ヶ浜を受け入れていた。

  そしてナチュラルにはぶかれる様にして一人本を読む俺。今日はラノベではなく、小町から借りた少女漫画だ。先日材木座とこの漫画の話になった所為で読み返したくなってしまった。

 

「あ、ならこれは?」

「なるほど、これならなんとかなりそうかもしれないわね」

「でしょでしょ? ねえねえヒッキー!」

「んあ?」

 

  ハブられていた筈なのに唐突に名前を呼ばれた。お陰で随分と間抜けな声が出てしまったじゃないか。

  俺を呼んだ由比ヶ浜は広げていた雑誌と俺を見比べ、うんうんと頷く。いや、あの、結局なんの用なの? 漫画の続き気になるから早くして欲しいんですけど。

 

「ちょっとそこに立ってみて?」

「なんでだよ」

「いいからいいから!」

 

  これまたいつも通り押しの強い由比ヶ浜に言われるがまま、指し示された教卓の前に立つ。そして女子二人がまた俺と雑誌を見比べるのだ。

 

「ほら、やっぱりこれならいい感じだよ!」

「そうね。後はやはり、あの目をどうにかして......」

「それならメガネ掛けたら良いんじゃないかな?」

「メガネ、ね。なら一度私のを掛けさせてみようかしら」

 

  そう言って雪乃はカバンの中からブルーライトカットのメガネを取り出し、こちらに差し出してくる。

 

「八幡、これを掛けなさい」

「いや、別に良いけど......。なあこれなんなの?」

「いいから」

「......」

 

  説明はしてくれないんですね。まあ良いけども。

  言われるがままに雪乃に渡されたメガネを掛けると、女子二人は何故か若干顔を赤らめていた。そしてヒソヒソと交わされる内緒話。

 

「あの、由比ヶ浜さん? あれはどう言うことなのかしら?」

「さ、さあ? あたしもヒッキーがメガネ掛けたの初めて見たとき、すごいビックリしたんだけど......。でも、すごいカッコよくなってない?」

「そうね......。けれど彼がいつもメガネを掛けるとなれば、余計な虫が寄ってくるかもしれないし......」

「それは大丈夫だと思うよ? ゆきのんの彼氏に手を出すとかそんな怖いもの知らず、この学校にいないと思うから」

「......あなたが私をどう思っているのかは後でじっくり聞くとして」

「ひっ!」

「それもそうね。八幡、もう良いわ。メガネは却下よ」

 

  結局何がなにやら分からないまま、メガネを返せと言われた。外したメガネを返す為に雪乃と由比ヶ浜の方に歩くと、どうやら広げていた雑誌は俺が思っていたよりも女子女子したものではないらしく。なんかメンズファッションがどうやらこうやらとか書かれている。

  つまり、ここにあるコーディネートを俺に合わせて似合うかどうか話していた、と。

  うーん、あれかな? ゆきのんはこの前のデートで俺の全身コーディネートにハマったのかな? 母ちゃんとか小町みたいなことするな。

 

「比企谷八幡はメガネを掛けると生き返る。覚えておくわ」

「別に死んでないから」

「でもでも、メガネ掛けたヒッキー、目が生き返ってたよ?」

「元々死んでるみたいな言い方やめろ。いや、否定はできないけども」

 

  てか、メガネ掛けたら俺の目って生き返るんだ。初めて知ったよそれ。一度目の時に雪乃の誕生日プレゼント買った時の由比ヶ浜のリアクションに納得してしまった気がする。

  メガネもちゃんと返した事だし、席に戻って漫画の続きでも読もうかと思うと、コンコンとノックの音が響いた。俺が戻るのも待たずにどうぞ、と雪乃の声。お陰様で戻るタイミングを失ってしまった。

  そうして開かれた扉の先には。

 

「せんぱ〜い!やばいですやばいです、やばいんですぅ!」

 

  恐ろしく語彙力の低下した一色いろはが、涙目で立っていた。

  まあ、なにがやばいかはある程度予想出来るけど。寧ろ予想出来てしまうのが悲しい。

  どうやら危惧していた通り、俺のクリスマスは仕事で潰れてしまいそうだ。

 

 

 

 

************

 

 

 

 

「それで、具体的になにがどうやばいのかしら?」

 

  四人それぞれのティーカップと湯呑みに紅茶を淹れた雪乃が、落ち着いてきた一色に問いを投げかける。

  どうでもいいけど、雪乃の口からやばいって単語が出てくることの違和感がやばい。

 

「聞いてくださいよ雪乃先輩! クリスマス合同イベントの会議が始まったのはいいんですけど、向こうが全然話を聞いてくれないんですよ!」

「つーことは、また一度目みたいなやり取りをしてるってことか?」

「そうじゃないんです。今回は最初から、わたし達と海浜総合で別々にやろうって話をしてたんですよ。生徒会の人達にも事前にその話は通しましたし、今までの会議で毎回その提案はしてるんですけど、全然相手にしてくれなくて......」

 

  聞いている限りでは、やはり総武側の生徒会にはなにも問題はないらしい。その辺りは一色がこの二度目で培ってきたものがあるからだろう。

  しかし、問題はやはり海浜総合側か。どうせまたあのろくろ回しが炸裂してるんだろうし、それさえどうにかすれば良いだけか。

  だが、一色自身に何も問題がないのかと問われれば、首を傾げるところだ。

 

「一色、お前のその別々でやろうって提案は一回目の会議からしてるのか?」

「さっきからそう言ってるじゃないですか」

 

  改めて確認を取り、ついコメカミの手を当ててしまった。向かいを見れば、雪乃も同じポーズをしている。

 

「え、ちょ、なんですか先輩も雪乃先輩も! わたしなにかマズイ事しましたか⁉︎」

「マズイもなにもな......」

「一色さん、今回のイベントはあくまでも合同なの。それがどう言うことか分かるかしら?」

「つまり、どう言うことですか?」

「合同でイベントやろうって言って誘いに乗ったのに、会議初日から私達はあなた達とは別でやりますって言って通じると思うか?」

「......あっ」

 

  どうやら一色も気がついたらしい。未だによく分からないと言った風に首を傾げている由比ヶ浜への説明は雪乃に任せるとして。

  一度目の時、海浜総合と総武で別々に催しを行う事になった原因は、確かなあちら側にある。予算も時間も全く足りない中で、ならどうすれば良いかとなった結果、俺たち総武は海浜総合と袂を別つことになったのだ。

  しかし今回、一色は会議初日から別でやらせてもらうと提案したと言う。そんなもの、海浜総合のあいつらでなくともノーと答えるだろう。なにせ合同イベントなのだ。こんな早期にその提案をするべきではなかった。まあ、どのタイミングで提案したとしてもやつらの一言目はノーだろうが。

  常識人っぽい副会長やらがよく一色の提案を飲んだなとは思うが、恐らくは海浜総合の惨状を見て後々から一色の判断は正しかったと信じるしかなかったのだろう。

  聞けば、一色や他の生徒会役員も意見すべきところは意見しているらしい。それだけはまだ救いがあると見るべきか。

 

「あの徹底した合議制の会議に、早期から否定の流れを作っているのは良い。総武側で、別々になることになった時の具体案を決めてるのも、まあ及第点だ。だけど、提案したタイミングは最悪だな」

「そうね。あの手の輩は一度そうやって否定したことを覆すことはそうないでしょうから......」

「うぅ......」

「一応聞いとくが、小学生や幼稚園生達は?」

「......昨日アポ取りに行って、今日から参加予定です」

「「はぁ......」」

 

  俺と雪乃のため息が重なって部室に響いた。一色は依頼人席で肩身狭そうに俯いている。

  この様子では会議の主導権も向こうが握っているのだろう。二年生の玉縄と一年生の一色。どちらがメインになって会議を進めるべきか、多数決でも取れば直ぐに票は向こうに傾く。文化祭の時と同じく、ここでも一色いろはの一年生と言う肩書きが邪魔をしてしまっている。

 

「ま、まあまあ! 取り敢えずいろはちゃん困ってるみたいだしさ、一回その会議がどんな感じになってるのか見に行ってみようよ!」

「結衣先輩......!」

「ま、実際に見てみないと具体的なアドバイスはなんも出来んからな」

「先輩......!」

 

  んじゃまあ、今回も妖怪ろくろ回しと戦いに行きますかな、と確認の意味も込めて部長の方を見ると、呆れたようにまたため息を吐いていた。そんなにため息してたら幸せ逃げちゃいますよ?

 

「全く......。先日はああ言ったけれど、あまり一色さんを甘やかしても良くないわよ」

「雪乃先輩、ダメですか......?」

 

  一色が瞳をうるわせて雪乃を見つめる。

  それを横目で見つつもたじろぐ雪乃。

  そうして二人が見つめ合うこと数秒。俺も由比ヶ浜も、知らずゴクリと息を呑む。

 

「......雪乃先輩」

「......っ」

 

  トドメと言わんばかりにもう一度一色が雪乃を呼ぶと、雪乃は観念したかのようにまたため息を吐いた。

 

「はぁ......。分かったわ。取り敢えず、一度会議に顔を出して状況を把握しましょう」

「やったー! ありがとうございますー!」

「ちょっ、一色さん、近いのだけど......」

「やっぱりゆきのんは優しいねー!」

「由比ヶ浜さんまで......」

 

  雪乃の肯定の言葉に、一色は喜んで雪乃へと抱きついた。そして何故か由比ヶ浜も反対側から身を寄せる。

  あの、仲良くゆるゆりしてるところ悪いですけど、早く行かないと会議の時間きちゃいますよ?

  最近女子三人が仲良すぎて恋人が取られそうな、どうも俺です。

 

「つか、結局折れるんなら変に断ろうとしなくていいだろ......」

「八幡? 何か言ったかしら?」

「いんや、なにも」

 

  おいさっきまで二人とゆるゆりして満更でもない顔してただろ。なんでそんな瞬時に、いてつくはどうを撒き散らせるんだよ。バフ消えちゃったじゃねぇか。特になにも掛かってないけど。

 

 



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着々としかし無意識に、雪ノ下雪乃はハーレムを作り上げる

話の展開の都合上玉縄くんには瞬殺されてもらいました。勘違いしてもらっては困るんですけど僕は玉縄くん結構好きです。


  何も忘れていた訳ではない、とだけ先んじて言い訳しておく。

  一色が部室へ来た時点でその可能性は疑っていたし、なんなら玉縄対策よりも、こっちをどうしようかと頭を悩ませていた程なのだ。

  先月の別れ際があんな事になってしまい、しかも前回とはかなり違う状況でもあった。故に、彼女が彼女らに対してどのように思っているのか、不安ではあったのだ。

  勿論それが分かったからといって、俺が何かを出来る訳でもない。当事者は彼女達であって俺は部外者、って事もないけど、まあ、こう言うことは往々にして、俺のようなポジションのやつは何もしないのが吉なのだから。

  けれど、だからと言って、流石にこれはないだろう。

 

「あっ......」

「げっ」

「あら」

 

  奉仕部一行でやって来たお馴染みのコミュニティセンター。その入り口。菓子やら飲み物やらを買いに行ってる一色と由比ヶ浜を待っていると、そこに折本かおりが現れた。

  折本は俺たちを見て驚いた顔をしており、俺の隣の雪乃はあくまでも無表情。そして俺は咄嗟の声にも出た通り、とても嫌そうな顔をしていることだろう。

  なにこの最初からクライマックス感......。ダンジョンに入って中ボスを取り敢えず倒そうと思ったら、いきなりラスボスが出てきたみたいな感じなんだけど......。

  俺も折本もなにも言えずただ立ち竦んでいたのだが、その沈黙を破るように隣から凛とした声が聞こえる。

 

「こんにちは。折本さん、だったかしら?」

「うん、こんにちは。雪ノ下さん、だっけ?」

「ええ、改めて初めまして。雪ノ下雪乃よ。今日からイベントの手伝いに来たの。よろしくお願いするわ」

「私も単なる手伝いなんだけどね。よろしく」

 

  ちょっと雪乃さん? なんか声が怖いんですけど? なんでそんな冷えた声出してるの? 縄張り意識の高い猫かよ。

  一方で折本はと言うと、そんな雪乃の雰囲気にも物怖じせず、いつもの快活な、それでいてどこかこちらを揶揄うような笑みを向けてくる。

 

「それにしても比企谷がこんな美人さんを彼女にしてるなんてねー」

「お、おう......」

「中学の時の比企谷からは考えられないよね。あの時の比企谷、正直つまんない奴だなーって思ってたし」

「うん、まあそうだけどさ......。そんな改まって言わんでも良いだろ......」

 

  こいつ、この前雪乃が乱入して来たのがなんでか覚えてないの? お前が俺のことバカにしたからって言ってたでしょ? いや、個人的にはそこまで気にしてないんだけど。言ってることは全部事実だし。

  隣の雪乃がなにを言うか怖いなーと思っていたのだが、しかしそんな俺の心配も杞憂だったようで。

 

「あら、八幡がつまらないのは今も同じよ? 常日頃から専業主夫になりたいだの、働きたくないだの、そんな巫山戯たことばかり口にしているのだから」

「ちょっと? それ今言う必要ある? いやそれも事実だけどさ」

「あはは! なにそれウケる!」

「ウケねえから......」

 

  想像していたような険悪な雰囲気にはならず、それどこらか何故か謎のコンビネーションで俺に攻撃してくる始末。まあ、仲良くしてくれるなら一向に構わないんだけどさ。それにしてももうちょっと別の方法あるでしょ?

  俺がどんよりと目を腐らせていると、折本がフッと笑う。こちらをバカにしたようなものではない。かと言っていつもの快活な、距離感を感じさせない笑みでもなく。

  この前の別れ際に見せた、似つかわしくない酷く穏やかなものだ。

 

「比企谷、やっぱり変わったね」

 

  それを見て、思わず面食らってしまった。それは恐らく、俺の隣に立っている雪乃も同然なのだろう。その言葉自体は一度目にも言われたことがあると言うのに。あの時と同じ言葉でも、そこに感じ取れるものは全くと言っていい程に違う。

 

「今の比企谷の周りには、雪ノ下さんとか葉山君とか、色んな人がいてさ。比企谷もそれを受け入れて。なんか、そー言うの、いいね」

 

  その言葉で、いやでも分かってしまう事実が一つ。

  あの時傷を負ったのは、なにも俺一人ではなかったのだ。俺が告白した翌日にあんな事があって、当然のように俺は一人被害者ヅラして。けれど俺だけでなく、今目の前で微笑んでいる彼女もまた同様に。

  考えてみれば、それも当たり前の事なのだ。

  折本かおりは普通の女の子だ。俺や葉山のように、誰かの想いを平然と踏み潰せるようなやつじゃない。だからこそ、自分がそうしてしまった事に、それにより招いてしまった事に、罪悪感を抱いてしまう。なにも折本のせいで俺が晒されたわけでもないのに。

  俺はそれを、バカな事だとか偉そうだとか、そんな風に思わない。だって、それが人として当然の感情なのだろうから。

 

「だから、比企谷と雪ノ下さん、この前はごめん」

 

  一転して真面目な表情で頭を下げられた。思わず雪乃と顔を合わせ、どちらからともなく頬を緩ませる。

 

「そうね、本来なら八幡をバカにした罪は万死に値するのだけれど」

 

  怖い。怖いよ雪乃さん。なんで今微笑んでたのに直ぐにそんな冷たい声出せるの? 折本さんビクってなったよ?

 

「まあ、許してあげるわ。彼は気にしていないようだし」

 

  しかし次に響いた声音はとても柔らかいもので。雪乃は顔を上げた折本に優しく微笑みかける。そんな雪乃の笑顔をボーッと見つめる折本。

  まあ、雪乃のその笑顔は破壊力抜群だからな。めっちゃ可愛いからな。見惚れちゃうのも無理はない。

 

「どうかした?」

「あ、いや、別になんもない!」

 

  そして本人はこの無自覚っぷり。いい加減、自分がどんだけ可愛いのか自覚してもらいたい。じゃなければ被害者が増えるばかりだ。

 

「つーか、俺折本に謝られるの、これで二回目だな」

「いや、ここで自虐ネタとか、流石にウケないよ」

「お、おう......」

 

  なんか百合百合しい雰囲気が漂ってきたのでそれを霧散させようと思ったらこの反応。世知辛いのじゃ......。

 

「そうだ。雪ノ下さん、携帯の番号教えてよ」

「どうして?」

「んー、強いて言うなら、お近づきの印に? こんな美人さんと友達なんて、私的に結構ありかなーって!」

「え、ええ、別に構わないけれど......。友達......?」

「やったー! これで友達だね!」

 

  困惑しながらも携帯を取り出す雪乃。由比ヶ浜で慣れたものだと思っていたのだが、距離を一気に詰めてくるような相手には弱いらしい。出会った当時の由比ヶ浜はまだ周りの空気を読んで動いていたのだが、折本にはそのような事が一切ない。故に折本と由比ヶ浜ではその距離感の詰め方にも若干の差異があるのも、雪乃が困惑している一因かもしれないが。

 

「よし! それじゃあ今度遊びに行こうね!」

「え、ええ......」

「勿論比企谷も!」

「えぇ......」

「じゃ、先に入ってるから。うちの会長さんも待ってるだろうし。また後でね」

 

  折本は最後に笑顔でそう言って、コミセンの中へと入っていった。いやはや、実に嵐のようなやつだった。しかし、こうして雪乃の交友関係が広がるのも悪いことではないはずだ。折本自身、いい奴であるのに違いはないし、雪乃や、延いては由比ヶ浜や一色とも仲良く出来るだろう。

 

「これ、どうしたらいいのかしら......?」

「別に、普通に仲良くやったらいいんじゃねぇの?」

「まあ、それもそうね」

 

  諦めたかのようにため息を吐き、追加されたばかりのアドレス帳の名前をしげしげと見詰める雪乃。

  なんか、どんどん雪ノ下雪乃ハーレムが築かれていってる気がするけど、気のせいだと思いたい。

 

 

 

 

************

 

 

 

 

  あれから暫く待つと、コンビニから由比ヶ浜と一色が戻ってきた。案の定俺に荷物を押し付ける一色からコンビニの袋を受け取り、いざ四人でコミセンの会議室へ。

 

「では、準備はいいですか?」

 

  一色のその言葉に三人揃って頷き、ついに会議室への扉が開かれる。

 

「こんにちはー」

「やあ、いろはちゃん」

 

  一色の挨拶に真っ先に返してきたのは、皆さんお待ちかね、海浜総合高校生徒会長の玉縄だ。ざっと会議室を見渡してみると、なんか見覚えのある面々がぞろぞろと。あー、あのプロデューサー巻きとかめっちゃ見覚えある。見てるだけで腹立ってくる。

  一方で総武高側はと言うと、それなりに精力的に仕事をしているようだった。副会長と書記ちゃん、それと会計のやつの三人は、書類になにごとか書き込んでいる。

  そして視線を目の前に戻すと、向こうはにこやかな笑顔で俺たちを視認したようだ。

 

「おや、そちらは新しくみるニューフェイスだね。僕は玉縄。海浜総合生徒会長の玉縄だ。よろしく」

 

  どうやら出会い頭のジャブの威力は全く衰えていないらしい。それもそうか。一応はこれが初対面だし。

  そしてその強烈なジャブにカウンターを食らわせるのは、我らが部長殿。

 

「総武高校奉仕部の雪ノ下です。生徒会からの依頼を受けて、このイベントのお手伝いに来ました。どうやら随分と活発に会議をしているみたいなので、楽しみにさせて貰うわ」

 

  冷ややかな笑みと共に皮肉を言い放つ雪乃。それを玉縄はどう受け取ったのか、その笑みを崩さないままに会話を続ける。

 

「そうなんだよ。今回のイベントは総武高校とのパートナーシップをより綿密にしていきたいと思っていてさ。これまでのブレインストーミングは実に有意義なものだったんだ。この調子だと、結果にコミット出来る素晴らしいイベントになると思うんだ」

 

  うーん、これ皮肉が通用してないな? どうやら本当に活発な会議をしていたと思っているらしい。

  まあ、そこは予想の範囲内だ。問題は、これからどのようにして軌道修正していくか、だが。

 

「具体的にどのような会議をしていたか確認したいから、議事録を見せてもらってもいいかしら」

「ああ、勿論構わないよ」

 

  机の上に置いてあるファイルから印刷済みの議事録を取り出し、それを雪乃に手渡す玉縄。その顔はどこまでも得意気だが、果たしてそれがいつまで持つのか。

  雪乃が受け取った議事録を、俺も彼女の後ろから覗き込むが、これまた予想通りの内容だ。

  以前と同じく、反対意見は一つも出てこず、全ての意見を中途半端に取り入れる。こりゃ一色が俺たちのとこに来るわけだ。

 

「どうかな?」

「そうね。所感でいいのなら述べさせて貰うと......」

 

  そこで言葉を切り、その目を更に鋭く冷たくさせた雪乃は、情け容赦なく玉縄へ告げる。

 

「これはなに? 議論の真似事がしたいだけのお仕事ごっこのつもり? 全ての意見を中途半端に取り入れ、否定も対立もなく、そんなものが会議であるはずがないでしょう。あなたたちは現状を理解しているのかしら? 時間も予算も足りず、それでもなお己の自尊心に固執する。自分がどれだけ愚かな事をしているのか理解していて? そもそも、部外者である私達がこうして手伝いに来ていると言うこの状況をおかしくは思わないのかしら?」

 

  会議室内に響いた雪乃の冷めた声は、その場にいる全員の注目を集めるのに十分であった。俺の隣では由比ヶ浜が心配そうにオロオロしてる。海浜総合側では、唯一折本が笑いを堪えていた。

  しかし、目の前の玉縄は雪乃のその言葉を聞いて完全に呆気に取られている。それもそうだろう。これまで絶対的に正しいと思い、それが誰にも否定されずにここまで来ているやり方を、この期に及んで初めて否定されたのだから。

 

「この議事録が正しいのであれば、これ以上の会議は時間の無駄と言わざるを得ないわ。どうやら今日からは小学生や幼稚園の子も来るようだけれど、どうせこの様子だとそちらの対応も考えてはいないのでしょう」

「そ、それは、状況によってケースバイケースで判断しようと」

「それではダメだと言っているの。こちらが依頼した側である限り、相手には最大限の誠意を見せていないといけないわ。相手が子供であってもそれは変わらない。意味もなく小学校や幼稚園を巻き込んだと言うのであれば、愚策と言うほかないわね」

 

  ふっ、と嘲笑を漏らす雪乃。

  八幡知ってる。今の、相手を完全に下に見たときのゆきのんの笑顔だ! ソースは雪乃と初対面の時の俺。

  会議室内はそれきり沈黙が降りる。玉縄は雪乃に返す言葉を持たずになにも言えないでいる。当たり前だ。どう考えても雪乃の方が正論を言っているのだから。これが俺なら適当な屁理屈をこねくり回して言い逃れした挙句に結局雪乃からトドメを刺されるのだが、玉縄がこねくり回せるのはその黄金の左腕のみ。いや、結局俺もダメなのかよ。

  そしてその沈黙を破ったのは、海浜総合側から聞こえて来た笑い声だった。

 

「ふっ、ははっ! も、もう無理! ははははっ! 雪ノ下さん本当ウケるんだけど!」

 

  バシバシと自分の膝を叩きながら大爆笑してるのは、他の誰でもない折本かおり。そんな彼女の様子に、近くにいた海浜総合の生徒も困惑している。

  そして玉縄の方へと歩み寄る折本。

 

「ねえ会長さん。私も雪ノ下さんに同意なんだけどさ、最初にあっちの会長さんが言ってたみたいに、別々でやるしかないんじゃない?」

「それは」

「会長さんがもし反対意見は認めないって言うんなら、総武とはもう仲良くやっていけなさそうだけど?」

 

  ニヤリと笑ってこちらを見る。どうやら、折本はこっちに加勢してくれているらしい。

  そして玉縄にトドメを刺すのも、雪乃ではなく折本の言葉となった。

 

「一応今までは会長の顔を立ててたけどさ、こうなっちゃったら、私は友達の味方になるよ。これ以上あんなの続けても、ウケないしね」

 

  折本にそう言われてしまって、目に見えて肩を落とす玉縄。どうやら、会議そのものが始まる前に、勝負がついてしまったらしい。

 

「じゃ、そう言うことだから。この様子だと私が総武との橋渡し役になるしかなさそうだし、改めてよろしくね、雪ノ下さん」

「ええ、よろしくお願いするわ、折本さん」

 

  ウインクして去っていく折本に笑顔を返し、雪乃は総武の生徒会メンバーの元へと歩いて行った。その後ろに続く俺と由比ヶ浜の表情は、多分戦慄に塗り固められていただろう。雪ノ下雪乃は敵に回してはいけない。それをこんな所で改めて思い知らされるとは。

  玉縄くんは本当御愁傷様ですとしか。



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あの時とは、色んなことが違うから。

お待たせしましたぁぁぁぁぁ!!


「君たち一人一人のマンパワーに期待してるよ」

『よろしくお願いしまーす』

 

  小学生特有の間延びした声が会議室内に響く。それを受けるのは総武高校生徒会長一色いろはと、海浜総合高校生徒会長の玉縄だ。

  あれだけ派手に論破された後だと言うのに全く懲りた様子を見せない辺り、玉縄の心はきっとダイヤモンドかなにかで出来ているのだろう。引っ掻き傷に弱そう。

 

「じゃあいろはちゃん、後は頼んだよ」

「はいー」

 

  玉縄は小学生を一色に預け、自分のテリトリー、もとい海浜総合の面々が座っている方へと戻っていく。

  後を頼まれた一色はというと、小学生達に演劇の説明をしているようだ。

 

「さて、私達も作業に取り掛かりましょう」

 

  雪乃が玉縄を論破してから、既に30分は過ぎていた。

  あれから由比ヶ浜と折本が色々とフォローに回ったりしてくれたようで、正直とてもありがたい。別々にやる事になったとは言え、合同イベントである以上は向こうとの連携も必要になる。お金のこととかお金のこととか。あとはお金のこととか。

  雪乃もさっきはやり過ぎた自覚があるのか、さっき折本がこっちに来た時、一言謝っていたのを見た。自覚があるのはなによりです。控えめに言ってさっきのゆきのんめっちゃ怖かったからね。

 

「うーん、でもあたし達がやることってあるの?」

「そりゃなにかしらあるだろ」

 

  一度目の時とは違い、イベントで具体的になにをするのかは決まっているが、それでもやることがない、なんて事はない。自分の仕事は終わったと思ったら他から回された仕事に追われる。それが働くという事だ。

 

「由比ヶ浜さんは予算の管理を主にお願いするわ。会計の人と相談して頂戴。私は一色さんのサポートに回るから、八幡は......。当日の飾りなどを作っていてくれたらいいわ」

「はーい!」

「なんか俺の仕事だけ適当に決めてない? それ、小学生にやらせるやつだよね?」

 

  いや一度目の時も確かに小学生に混ざってやってたけども。でも僕の事務能力の高さも捨てたもんじゃないと思いますよ?

 

「あら、単純作業はあなたの十八番でしょう?」

「強いて言うなら十四番辺りだ」

「分かったのならさっさとやって頂戴。それなりに量があるから、時間が足りなくなるわよ?」

「へいへい......」

 

  雪ノ下の隣で由比ヶ浜が「オハコ......なんで十四番......?」とか呟いているが、由比ヶ浜には後で説明するとして。いや別に説明いらないな。ボケを説明するとか恥ずかし過ぎる。

  なにはともあれ、割り振られた仕事にさっさと取り掛かろう。

  準備してあった折り紙とノリ、ハサミを手に取って端っこの方に座り、なんかパーティとかでよく見るヒラヒラしたやつの製作を開始する。

  雪乃にああは言ったが、彼女の言う通りこの様な単純作業は嫌いではない。なにも考えることもせず、ただ黙々と手を動かすだけ。脳みそを使わない分事務作業よりもかなり楽だ。

  色とりどりの折り紙たちにハサミを入れ、次々に輪っかを繋いでいく。今この折り紙達の命運は、俺が握っていると言っても過言ではない。どの様な形にするのか、俺の裁量一つで決められるのだ。紙飛行機となって無残にも青い空に飛ばされてしまうか、鶴となって美しい姿を持つことが出来るか。よし決めた。この黄緑の折り紙君には紙飛行機になって貰おう。久しぶりに『超スーパー八幡スペシャルΧマークII』を作ろうではないか。スーパーホーネットにも負けないくらい凄いやつを作ってやる。航続距離4000キロも余裕なやつ作ってやるぜ。

 

「八幡」

「ん?」

 

  ちょっとウキウキしながら折り紙を折っていたら、不意に名前を呼ばれた。俺を名前で呼ぶのは両親と雪乃以外にいない。しかし両親がこんな所にいるわけもなく、聞こえてきたのは雪乃とも違った声。

  顔を上げた先にいたのは、紫がかった黒髪を小さな体で揺らす、鶴見留美だった。

 

「久しぶり」

「おぉ、ルミルミか。久しぶりだな」

「ルミルミって言わないで。キモい」

「んぐっ......」

 

  再会して直ぐにキモいと言われるとは......。俺はその道のプロと言うわけではないので、普通につらい。

  なにも留美のことを忘れていたわけではない。今日小学生が来ると言うのは聞いていたし、その時にちゃんと思い出しもした。しかし雪乃が玉縄を論破した時のインパクトが強すぎて、すっかり頭から抜け落ちていたのである。

 

「で、どうしたんだ?」

「久しぶりだから。一応挨拶はしておこうと思って。雪乃さんのも挨拶したかったんだけど忙しそうだし、八幡は暇そうだったから」

「別に暇なわけじゃない。仕事中だ。お前もなんかやらんとダメなことあるんじゃないの?」

「隣の部屋で演劇の練習だって。あのなんかちょっと変な人に私が主役だって言われた」

 

  変な人て。確か千葉村で、留美は一色を指して「俺たちとも葉山たちとも違う」と言っていたのだったか。だからって変な人は言い過ぎだろう。本人聞いたら怒るぞ。まあ、変な人であるのは諸手を挙げて賛成するけれども。

 

「んじゃさっさと練習行ってこい」

「......うん」

 

  何か言いたげな様子ではあったが、留美は素直に頷いて待っている友人達の元へ戻る。何事か言葉を交わして笑顔を浮かべているあたり、彼女の人間関係は良好なのだろう。

 

「彼女、あなたに何か言いたそうだったけれど」

 

  俺と留美のやり取りを見ていたらしい雪乃が、こちらに近づきながら声をかけてくる。手には何枚かの書類が握られている為、仕事を抜け出して来たわけではないのだろう。

 

「そうみたいだな」

「聞かないの?」

「聞いて何ができるとは限らないだろ。それに、俺たちは助けを求められたら動くんであって、こっちから能動的に助けに行くわけじゃない。そうだろ?」

「ええ。分かっているならいいわ」

「なんだよ、その言い方」

 

  チラリと雪乃の方を見てみると、俺が作業に使っている折り紙の数を数えている。どうやら備品などの確認をしているらしい。数え終えた後、書類になにごとか書き込んだ。

 

「だってあなた、年下には甘いじゃない」

「......まあ、そうかもな」

 

  一色や小町に対する態度を考えると、流石に否定することはできなかった。まあ、雪乃のやつも大概だとは思うが。彼女のようにメリハリをつけて甘やかす事が俺には出来ていないし、そう言われても仕方ないだろう。

 

「自覚があるのは良いことよ。精々、通報されないようにすることね」

「んな事、言われてもやらねぇよ」

「ならいいのだけれど。......ああ、それと。紙飛行機を作って遊ぶのも、大概にしておきなさい」

 

  最後にフッと笑みを残して、雪乃は生徒会の方に戻って行く。なんですか今の笑みは。可愛いのであと5回くらいして欲しい。なんというか母性を感じたよね。なかなか言うことを聞かない息子に対する仕方ないわね、みたいな感じ。いや、俺は手の掛かる子供じゃないけど。違うよね?

 

「さて、やりますかね」

 

  気合いを入れ直し、折り紙にジョキジョキとハサミを入れて行く。みんなが驚くようなヤバイ飾りを作ってやるぜ。

 

 

 

************

 

 

 

  今日の作業もひと段落つき、取り敢えず解散と言うことになった。

  問題点は未だいくつかあれど、それも焦ることなく順番に解決していけばいい。時間も余裕がある、と言うほどではないけれど。一度目のように切羽詰まっているわけではない。

 

「それじゃあ雪乃先輩お疲れ様です。ついでに先輩も」

「ゆきのんヒッキー、またねー」

 

  この後生徒会の人達と少し打ち合わせをする一色さんと、バス通学の由比ヶ浜さんとはここで別れることとなった。

  八幡と二人きりになり、夜の街を歩く。道を照らす灯りは街灯だけで、少し心許ない。

  だからだろうか。隣を歩く彼の手を、自然と掴んでいた。それに彼から何か言われるでもなく、それが当たり前のように、指と指が絡まり合う。

 

「ふふっ」

「どうした?」

「いえ、なんでもないわ」

 

  笑みが漏れるのはどうしてだろうか。きっと幸せだからだろう。一度目にはなかったものを噛みしめる事が出来る。タイムリープなんて言う奇跡が起きなければ、存在しなかったはずの時間。

 

「そう言えば」

「......?」

 

  ふと、思い出した事があった。

 

「あなた、クリスマスプレゼントはなにがいいかしら?」

「プレゼント?」

「ええ」

 

  前は由比ヶ浜さんと一緒に湯呑みを選んだから、正真正銘、私から彼への初めてのプレゼント。

  彼からはシュシュとかメガネとか、色々と貰っているけれど、私から彼に個人的にプレゼントを渡したことは無かった。

 

「そう言うのって、なにも聞かずに当日サプライズで渡すもんじゃねぇの?」

「そうなの?」

「いや、知らんけど......」

「少なくとも、あなたはそうするつもりだった、とか?」

「......」

 

  どうやら図星のようね。本当分かりやすい人。

 

「それで、なにか欲しいものとかないの?」

「欲しいものねぇ......」

 

  そう言って考える素振りを見せる。まあ、いきなり何が欲しいかと聞かれても答えに困るわよね。八幡の事だから、本とか図書カードとか言われてもなんら不思議ではないけれど。

  やがて開いた口からは、私の予想していなかった言葉を紡いで。

 

「お前から貰えるんなら、なんでもいい」

 

  それが耳に届くと同時、頬が熱を持ってしまう。

  どうしてそんなセリフを恥ずかしげもなく言えるのかしら......。八幡の顔を見てみれば、彼も頬を赤く染めていて。恥ずかしげもなく、と言うわけではなさそうだ。

 

「なんでもいいが一番困るのだけれど」

「事実だから仕方ないだろ」

「そう......」

 

  これはハードルが上がってしまったかもしれない。元より適当に決めるつもりなんてなかったけど、一層気合いを入れて選ばなければ。

 

「お前は?」

「私?」

「お前は、なんか欲しいのあるか?」

「サプライズで用意してくれるのではないの?」

「バレちまったらサプライズって言えないだろうが。で、なんかあるのかよ」

 

  彼に贈って欲しいもの。言われて考えてみるも、今まで色んなものを貰ってきた身としては、改めて考えても特に思い浮かばない。

  となればやっぱり、返す言葉は自然と決まってしまう。

 

「あなたからなら、なんでも嬉しいわ」

「結局お前もそうなるのかよ」

 

  呆れたように笑う八幡。彼も同じ気持ちだったから、そんなことを言ったのかしら。私自身、彼に何かを贈ってあげられてるのかは分からないけれど。そうだとしたら嬉しい。

 

「ま、お互いクリスマス当日のお楽しみってことで」

「ええ、そうしましょうか」

 

  二人笑いあっていると、あっという間に駅に着いた。街灯以外にも色んな灯が道を照らしていて。例えば、木に巻きつけられた、鮮やかな色を輝かせる電飾とか。

  駅の前のショッピングモール、マリンピアにふと視線を移して、苦笑が漏れる。

  そんな私を不思議に思ったのか、八幡がこちらの顔を覗いてきた。

 

「どうした?」

「いえ、丁度今くらいの時期だったと思って」

「あぁ、そういやそうだな」

 

  あの時、この場所で。私たちの間にあった何かが、確かに終わりを見せた。

  けれど彼が、どれだけみっともなくても足掻いて、繋ぎ止めてくれた。その結果の今がある。

 

「八幡、今日はここまででいいわ」

「そうか?」

「ええ。少し、マリンピアに寄って行くから」

 

  この場所に何か意味を見出したわけではない。ただなんとなく。彼へのプレゼントは、ここで買おうと、そう思った。

 

「分かった。気をつけてな」

「ええ。また明日」

「おう。また明日」

 

  駅へと歩いて行く彼を見送って、その背が見えなくなってからマリンピアへと足を向ける。

  さて、何を買うのかはまだ決まってはいないけれど、由比ヶ浜さんや一色さんへのプレゼントも、見繕わなきゃいけないわね。

  大切な人達のためにプレゼントを選ぶと言うのは、何故だか少しワクワクした。

 

 

 



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