【完結】二回目の世界とメアリー・スー (ネイムレス)
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第一章
プロローグ


この話にはアニメ、および特典アニメのネタバレが含まれます。


 冒険者ギルドの片隅にて、今日も今日とて騒動は起こっていた。

「あああ! あの、サトウカズマさん!? 違うんです、これはですね、ギルドの上の方からの命令でして…」

「あああ、私は依頼されただけですから! ああ、でもあの…カズマさんに憧れていたのは本当ですし、えーその…」  涙目になりながらぶるぶると全身を震わせて、顔を俯かせながらも何かに耐える一人の男。

「あ、あの、カズマさんってその…前から思っていたのですが、あの!」

 新人の冒険者の女の子に煽てられ、ギルドの受付嬢に良い様に使われてクエストを受けさせられ、それでも見栄を張って先輩として格好をつけてみれば、待っていたのは新人と受付嬢のグルになっての騙し討ち。

 二人の密会を偶然覗き見て発覚したその事実に、冒険者サトウカズマの怒りと悲しみは臨界点に差し迫る。

「「カズマさんって、そこはかとなくいい感じですよね!!」」

 新人の女の子と受付嬢の保身からの中身のない称賛に、ついに怒りは臨界点を突破した。

 両掌を差し向けてのスティールの連発。復讐の証を両手に握り締め、女二人に悲鳴を上げさせてから、職業的冒険者は滝の様に涙を流しつつ走り出す。もう一秒でもここに居たくはない。こんな裏切りの坩堝の様な場所に居るのはごめんなのだ。けっして、ギルドの職員にセクハラしてしまって、その報復が怖かったからではない。

 途中、自分の仲間達とすれ違う。赤青黄色の三色揃った三人の女性達。冒険の時は頼もしく――は無いかもしれないが、辛い時はいつでも――何時でもその辛さを引き連れて来る疫病神達ではあるが、何度も死線を潜り抜けた果てに信頼関係ぐらいは構築できていると思っていた仲間達。多分、きっと、そこはかとなく、信頼しているはず。

 その全員の目が笑っていた。嘲りの色を濃くした、見下す様な生暖かい視線である。信頼に罅が入る音が聞こえた。

 確かに、ぽっと出の新人の女の子にかまけて最近放置気味だったかもしれない。煽てられて調子に乗って、面倒くさいクエストを押し付けられて来たかもしれない。自業自得だと言われても仕方ないし反省もしよう。

 でも、騙されて傷つけられた時に、何も三人して爆笑しなくたって良いじゃないか。

「ちくしょーー! 女なんて、女なんて! 大っ嫌いだー!!」

「あっ、ちょっ! どこ行くんですかカズマ―!!」

 仲間の一人、赤くてちっこい魔法使いの少女に呼び止められるが、それで止まる様な精神状態ではなかった。冒険者の男は涙を散らしながら、そのまま冒険者ギルドの扉を体当たりで開け放ち飛び出して行った。

 残された女達は互いに顔を見合わせ、しょうがない奴だと苦笑を浮かべる。どうせ帰る場所は同じなのだし、自分達はもう少し酒場でのんびりしようと銘々席に座り直す。

「まったく、カズマはしょうがないですね。騙されていたのは同情しますが、調子に乗り過ぎなのですよ」

「……ん、まあ、私達も笑ってしまったからな。屋敷に帰ったら優しくしてやろうではないか」

「プークスクス! カズマさんったらなっさけない顔して逃げ出していったわ。私達を大事にしない罰が当たったのよ、いい気味だわ! すいませーん、しゅわしゅわおかわりくださーい、カズマさんのつけで!!」

 どうせ明日になれば、また顔を合わせて騒がしい日常が始まるのだから。だから、彼女達は深く考えなかった。

 明日も同じ毎日がやって来るなんて保証は、どこにもないと言うのに。

 

 

 ギルドを飛び出して、前も見ずにがむしゃらに走り続けて、一体どこまで来たのか自分でもわからない。そもあても無く逃げ出してきたのだから、行先など何をいわんやである。

 息が切れて、壁に手を突いてぜいぜいと喘ぐ。かなりの間走った気がするが、それでも涙は途切れずにぽたぽたと滴り、石畳の地面を濡らしていた。

 辺りは人気も民家の明かりもあまりない路地裏の様だ。駆け出し冒険者の集まるここアクセルは、治安の良い街なので辻強盗に会う心配はないが、それでもあまりの人気の無さには不安を覚える。悲しみで弱まった心には特にだろう。

「ちくしょう……、あいつら……ちくしょう……」

 酒場から逃げて来たので酒におぼれて逃げることもできやしない。今家に帰れば仲間の三人も帰っているかもしれないので、素直に屋敷に帰る気にもなれない。今はまさに路頭に迷っている気分だ。

「帰りたい……、もう日本に帰りたい……」

 辛い事があると毎度呟いている台詞だが、今日ばかりは心底に故郷に帰るのを切望してしまう。それほどまでに今の彼は追い詰められていて、弱り切った心には癒しが欲しかった。

 だが癒しと言っても、今は女性に近寄りたくない。もう誰も信用できないし、女には特にその気持ちが強かった。おかげで何時ものサキュバスのお店を利用するのにも、今は忌避感が出来てしまっている。

 こんな気分の時は酒でも買いこんで、個室に引きこもってしまおう。家には帰り辛いから宿屋を利用して、一人で静かに飲み明かそう。

 借金も返済し大金を手に入れたと言うのに、自分はなんでこんな事をしているんだろうと、よけい惨めな気分になりつつも、その足を行きつけの宿屋に向けようとして――

 その場にへたり込んでしまった。路地の壁に背を預けて座り込み、脱力したまま気だるげに天を仰いだ。アルコールが入ったまま走ったせいか、頭がボーっとして全然立ち上がる気力が湧かない。

「はぁーあ……、人生にリセットボタンがあればいいのに……」

 なんだかもう、無性に嫌な気分になってしまった。このまま何もかも投げ出して、いっそのこと何も知らない場所で一からやり直してしまいたい。別に知らない世界でなくても良い、この世界でも最初からやり直せれば、少しはマシな状態に出来るはずだ。

「やり直したい……。最初から……、チート貰って人生ウハウハのバラ色の生活が出来るようにやり直したい……」

 思えば人生やり直しの再スタートで、腹いせに女神を特典に選んだことで大きく躓いてしまったのだ。せめてあの時に戻れれば、そうすれば今度は素晴らしい世界を満喫できる筈なのに! 誰でも良い、どうか自分にもう一度チャンスを、あの頃に戻ってやり直すチャンスをください!

 胸の内で熱く叫んで、祈る様に瞳を閉じた。どうせかなわぬ願いだろうが、願わずにはいられないのだ。

「……では、その願い叶えてやろう」

 唐突に目の前から声がした。男か女か、老いか若きか、くぐもっていて判別は出来ない。だが危機感だけは煽られる唐突な声であった。

 目を見開いて声の方に向ければ、そこに居るのは全身をローブで包み込んだ異彩な姿。そのローブの中から掌が伸びてきて視界を覆われ――

「契約は成立した」

 そこでカズマの意識は途切れた。

 

 

「佐藤和真さん、ようこそ死後の世界へ。貴方はつい先ほど、不幸にも亡くなりました。短い人生でしたが、貴方の人生は終わってしまったのです」

 唐突に掛けられた声により、少年ははっと意識を取り戻す。

 周囲を見渡せばそこは真っ白な部屋で、在るものと言えば小さな事務机と椅子が一つずつ。そしてその椅子には、蒼い髪の美しい女性が悠然と腰かけていた。

 一見すれば、とても人が持ち得るとは思えない程の美貌。普段人と話す事も少なく、女人とまみえる事も無かった少年からすれば、戸惑ってしまう様な美人であるのは間違いない。

 だが、何だろうか目の前の相手には、異性としての魅力をまるで感じない。それどころか、急速に頭も気持ちも冷めて行くのを自覚する。この女の見た目に騙されてはいけない、絶対に何かしら残念な要素を持っている。そんな確信めいた予感が胸中に芽生えていた。

 そして彼女は自身の事を女神アクアと称し、若くして死に至ったものを導く役割を為していると語る。その口からは、如何にして少年――佐藤和真が死に行ったのかも語られた。

「私、長くこの仕事やってきたけど、こんなに珍しい死に方したのはあなたが初めてよ?」

 日本人、佐藤和真はトラックとトラクターを誤認し、轢かれるはずもなかった少女を突き飛ばして怪我を負わせた。その上、自分は轢かれたと勘違いして、恐怖のあまり失禁して失神。そのまま心臓麻痺でぽっくり逝ってしまい、医者や看護婦達に笑われながら看取られたと言う。終いには駆け付けた家族ですらも、泣きだす前に吹き出す始末。

「やめろおおお! 聞きたくない聞きたくない! そんな情けない話は聞きたくない!」

 それを聞かされた少年は頭を抱えて止める様に喚いた。さもあらん、己の恥を改めて聞かされて嬉しい者など居よう筈もない。それを語る女神が大爆笑しながらなので尚更である。

 やっぱりこの女神の性格は最悪だった。可愛い顔してるからって何をしても許されると思いやがって――別に本人がそう言ったわけではないが、指差してまで笑われた方は恨み骨髄に徹すである。少年の中に、最早この女神に対しての尊敬やら憧れやらは微塵も無い。何時か泣かす――そう強く胸に抱かせていた。

「ねー、早くしてー? どうせ何選んでも一緒よ」

 女神はその後、三つの選択肢を突き付けてきた。娯楽も何もない天国とは名ばかりの地獄で暮らすか、記憶を無くしてまた日本で赤子からやり直すか。それとも、剣と魔法の異世界に、チートな特典と共に転生するか。

「引き籠りのゲームオタクに期待はしてないから、なんか適当に選んでサクッと旅立っちゃって」

 無論、選ぶとすれば異世界転生しかないだろう。もとよりゲームの類は、長い引き籠り生活で得意どころかライフスタイルにまで昇華している。実際に剣と魔法の世界に行けるのであれば、何を置いてもこれを選択しない手はない。

 そして今は、女神が変なポーズで床にぶちまけた、転生者用のチート性能なスキルやアイテムの一覧を眺めている。

 この特典達の厳選には手は抜けない。ここでミスをしてしまえば取り返しは効かないし、何より異世界転生のだいご味である俺TUEEEが出来なくなってしまう。

 とにかく必死で頭を回転させ、少しでも有利になる特典を選び抜かなければ――

「何でもいいから、はやくしてーはやくしてー」

「さっきからうるさいな! こっちは今後の人生がかかってるんだぞ、そんな簡単に決められるわけないだろうが!」

 それにつけてもこの女神、他人の人生がかかっていると言うのに不平不満タラタラである。出会った時から思っていたが、見かけはともかく中身の方は本当に最悪だ。

 今まで溜まった鬱憤もあり、ついには荒い語調で言い返してしまった。

「ちょっと、ありがたくも麗しい女神様に向かってずいぶんな口の利き方じゃないの」

「なんかお前とは初めて会う気がしないんだよ。さっきからの態度で尊厳なんかも吹き飛んでるしな、良いからちょっと黙ってろ」

 しっしっと犬でも追い払う様に手を振る。今はこんなのに構っている暇はないのだと、床に散らばる書類を拾い上げて再び読みふける作業に戻った。

 しかし、それを許せるほどこの女神の度量は広くは無かった。

「なっ!? 本来なら姿を見られるだけで感謝される女神アクア様に向かって、黙ってろですって!? 社会不適合者のヒキニートの分際で、いい加減にしないと罰当てるわよ!」

 キーキーキーキーと、金切り声で喚き立てる女神様。慎み深さなど最初から持ち合せていなかった様に、小さな事務机をバンバン叩いてがなり立てている。そのせいで、先ほどまで抓んでいた菓子類が飛び散ってしまっていた。

 だけども少年は取り合わない。無視を決め込んで、ひたすら書類に集中集中。良さそうな特典の乗っている物は、他と分けて脇に置いておく。

 そんな態度が更に癪に障ったのか、女神の叫びは更に苛烈になって行く。

「何よクソニートのくせに無視する気!? この引き籠り男! 童貞! 甲斐性なし! 馬鹿っ! 間抜けっ! えーっと……、大馬鹿ぁ!」

 無視だ無視。どうせもう関わり合いにならないこんな女にかまけるよりも、この先一生付き合っていく大事な特典の方が重要に決まっている。少年は響いて来る雑音に負けず、また一枚書類を拾い上げて――

「そんなんだから将来を誓い合った幼馴染の女の子に捨てられるのよ! はんっ、不良の先輩のバイクの後ろに乗せてもらってるのを見かけて、ショックで引き籠りになるなんて器が知れるわね!!」

 どうやって知ったのか、女神がそんなことを言い出した。死亡した理由も知っていたようだし、少年を罵倒する為にわざわざ彼の過去を調べたのかもしれない。仮にも女神ならばそれ位はできるのであろう。

 言われた少年はぴくりと一瞬だけ反応して、しばしその動きを止めた。

 そして、無言のまま立ち上がると、罵倒し倒して肩で息をする女神に向けて、酷く静かに語りかけた。俯いているのでその目元は見えないが、口元は緩く微笑んでいる様にも見える。

「持って行くモノって一つだけなら何でも良いんだよな……」

「ぜぇっ、ぜぇっ、何よ今更そんな事の確認? そうね、そのリストにない物でも問題は無いわ。って言うか、その前にこの私に謝って! 麗しい女神様を無視してごめんなさいって謝って!」

 謝罪を求める叫びを聞き流しながら、少年は質問の答えに口元の笑みを強める。それから、酷く緩慢にその手が上がり、ぴっと女神の顔を指差した。

「持ってくモノ、決まったよ」

 突然の少年の行動が出来ずに、喚いていた女神も思わず鼻白む。何の意図があるのだろうと顔に浮べ、ついでに頭の上にもハテナマークが浮かんでいる事であろう。

 それでもようやく特典を決めたのかと思い、女神としての仕事を思い出してどっかりと椅子に座り直す。不機嫌さを隠しもしていないが、こんな気分を害する男などさっさと異世界に放り出してしまおう。その後は何処でのたれ死のうが知った事か。憤懣遣る方無しもありありと、目を閉じて男の続きの言葉を待つ。

「あんた」

 少年は――佐藤和真は短くそれだけを呟いた。

 

 

 その日、駆け出し冒険者の町アクセルに、とてつもなく神々しい神気と共に、水の女神が降臨した。

 その気配は普通の人間には感じる事も出来ない物であったが、一部の悪魔、一部の魔族、一部の狂信者達、そして、魔王城の者達に、影響を与える事となる。

 それは誰にも気が付かれない事ではあるが、この物語の始動を告げる物である事は間違いないだろう。始まりの鐘が鳴り響いたのだ。

「ねぇねぇ今どんな気持ち? 散々バカにしてた男に、異世界に持って行く者に指定されてどんな気持ち!?」

「嘘よ、こんなのあり得ないわ! 女神を連れて行くなんて反則よ! 無効でしょ!? 無効よねぇ!?」

「女神ならそのパワーでせいぜい俺を楽にさせてくれよなぁ!!」

「いぃーやあああ!! こんな男と一緒に異世界行きだなんて、嫌あああああっ!!」

「なぁーっはっはっはっ、はぁーぃ!!」

 異世界入りは、勝利を確信した高笑いと女神の泣き声を引き連れて、今始まる。

 

 

 

 世界をやり直すに際して、ルールが二つ。

 ルール一つ目。

 最初から再生される世界では、一週目の記憶は引き継がれない。よってこの制約について説明する意味は無く、契約者に告げる必要性は無い。

 ただし、魂に刻み込まれた経験は消す事が出来ない為、それは違和感や既視感となって現れる。

 ルール二つ目。

 特等席から、やり直した世界を見物させてもらう。このこともまた、忘れてしまうため告げる必要性は無い。

 以上二つをルールとし、契約者には世界をやり直してもらう。

「難儀な契約をしたものだね。せいぜい僕も楽しませてもらおうかな」

 年若いとしか分からない中性的な声色で、誰にとはなしにそんな言葉が囁かれた。これは、『今は』物語の外からの言葉である。

 発言者もまた、行動を開始した。

 

 



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第一話

投稿をしようと思ったら、第一話がプロローグに上書きされていました。
その為この話は一時間ほどで速攻で書いたので誤字脱字があるかもしれません。
先にお詫び申し上げます。


「あああああああああああああああああああああああああああーっ!!」

「うおっ! な、なんだよ、やめろ! 分かった、悪かったよ、後は自分で何とかするからもう帰っていいよ!」

 あまり背の高い建物が目立たない、のどかな雰囲気を漂わせる街並みに、女の絶叫が響き渡っていた。

 叫ぶ女はこの地域では見かけない珍しい恰好の男の胸ぐらを掴み、がっくんがっくんと揺さぶり立てる。およそ女がして良い顔をしていなかった。恥も外聞もかなぐり捨てて、只管に目の前の男に自身の叫びを体ごとぶつけて行く。

 揺さぶられる男はたまらず相手の腕を振り払い、もうお前帰れよと素気無く告げる。それを聞いてさらに女は泣き喚き、今度は頭を抱えて長い青色の髪を振り乱しだす。どこからどう見ても痛い女であった。

「おい、落ち着け女神。まずはこれから冒険者ギルドを探すぞ。今はとにかく情報収集が必要だからな」

 情報収集と言えば人の大勢集まる酒場。そして、異世界の冒険者ギルドは酒場が一体になっている場合が多いのがお約束だ。それはロールプレイングゲームでは常識である。異世界からの転生者であるこの少年、サトウカズマはその事をよく知っていた。

 バカにされた腹いせに女神を転生特典として引きずり込んでしまった為に、今自身が扱える武器は転生前の知識ぐらいしか存在しない。ならば、今はそれを最大限に利用しよう、と人知れず胸に決意する。

「なっ……! 引き籠りのゲームオタクだったくせに、なぜこんなに頼もしいの?」

 そんなカズマに何を見出したのか、青髪の女神は転生者の少年に自分の事をアクアと呼ぶように要求する。女神と言う事がばれると周囲が大騒ぎするので、女神と呼びつけられるのが不満なのだそうだ。

 ついでに大して期待はしていなかったが、冒険者ギルドの場所を知らないか確認してみた。それに女神は、胸を張って知らぬと答える。無数にある異世界の、さらに小さな街の地理など知るわけがないと。

「こいつ使えねぇ……」

「ぬわぁんですってぇ!?」

 期待していなかったとは言え、思わず口に出るほど落胆してしまった。今の言い分だとこの世界の情報をどれだけ引き出せるのやら、そちらにも期待薄である。

 女神があてに出来ないとなると、はてさてどうしたものか。また騒がしくなった女神をしっしっと手を払って追い返しながら、聞き込みでもするかと辺りを見回す。出来ればニートにも優しい様に怖そうな男性や、年若い女性以外の人が居ないものかと視線を巡らせて――

 ふと、こちらの方に歩んでくる人物を見かけた。

 それは、街中だというのにフード付きのローブで全身をすっぽりと覆った、はっきり言って怪しげな人物であった。

正直こんなのに話しかけるのは戸惑われるが、他に人の姿も見当たらないので仕方ない、と自身を納得させる。

 身長がそんなに高くなかったのも、話しかけた理由に含まれるかもしれない。どことなく、華奢な印象を受ける体の大きさであった。

「えっと……、すいませんそこの人、ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが……」

 出来るだけ下手に、怖い人だった時の為に当たり障りのない様に話しかけておく。すると、声を掛けられたのが予想外だったのか、ぴくりとフードの人物の体が跳ねた様に見えた。怪しい外見に似合わず、案外気の弱い人だったのだろうか。それだと少し悪い事をしてしまったかもしれない、そんな風に考えつつも言葉を続けた。

「いきなりで申し訳ないんですが、この街の冒険者ギルドの場所を知って居たら教えて貰えないでしょうか?」

「…………」

 特に失礼な言い方をした心算も無かったが、帰ってきたのは無言であった。何だろう、話しかけたこと自体が何かまずかったのだろうか。

 思わず縋る様な視線を向けた少年に、話しかけた人物はフードを外しながら漸く言葉を返してくれる。それは、涼やかだが力強い声色で、男の物にも女の物にも聞こえる独特な声色であった。俗に言うハスキーボイスと言う奴だ。

「すまない、まさか話しかけられるとは思っていなくてね」

「あっ、いえいえ、こちらこそ不躾で――」

 相手が謝罪してきたので慌てて謝罪を返そうとして、転生者の少年は言葉を続けられなくなってしまう。フードの下から現れた相手の素顔に、図らずも見とれてしまったからだった。

 現れたのは長い黒髪を太い三つ編みに結って肩に掛け、吸い込まれる様な黒い瞳を持った中性的な美人。髪と瞳の色で最初は自分と同じ日本人かと思ったが、それにしては容貌が整っている様に見えた。外人さんかハーフなのかもしれない――そんな風に思ったが、そもそもここは異世界なので元々こう言う種族なのかもと、憶測があれこれ加速する。

 少しの間固まっていたが、不審に思った女神に背中を突かれ正気に戻る。少年は取り繕う様に両手を振って、何でもないと青髪女神に引き攣った笑いを見せた。

「あぶねー…、異世界に来ていきなり何挙動不審になってるんだ俺ぇ……。落ち着けー、相手はそもそも男かもしれないんだぞ、いきなり血迷うなよぉ……」

「ねぇちょっと、本当に大丈夫なの? 今度はぶつぶつ独り言呟いて、正直言ってかなりキモイんですけど」 

「おい、キモイとかかなり傷つくから止めろ。これは精神統一の為の儀式なんだよ。初対面の人に不審に思われたらどうするんだ」

「不審さならもう既にかなりの物なんですけど。なんなの? 自分ではその体からにじみ出る不審なオーラに気が付いてないの? 馬鹿なの?」

「ぷっ……、くふ……」

 挙動不審の転生者の少年に、半眼になってツッコミを入れる青髪女神。まるで漫才の様なやり取りに、ローブの人物から奇怪な声が漏れだした。

 何事かと二人して視線を向けてみれば、口元に手をやってその隙間から声が漏れ出ている。どうやら笑いを堪え切れなくなった様だ。

「あははは、すまない。いや、本当にすまない。でも、二人のやり取りが凄くおもしろくて、ぶっはははははっ!」

 ついには腹を抱えて大声で笑い始めた。笑いすぎて背中が丸まり、外したフードがまた頭にずり落ちるほどの笑いっぷりである。端正な顔立ちのせいで大人びて見えたが、笑うとどこかあどけなさが出て来る様だ。一層年齢が分かり難くなってしまった。

 一頻り笑い終えると、目の端に涙の粒を残しながら、彼なのか彼女なのか分からない人物は、二人の求める答えを口にした。若干、笑いで声が震えていたが。

「冒険者ギルドの場所だったね。僕もこれから行くところだったんだ。よかったら一緒に行かないかい?」

 それは、行先も先行きも分からない二人には、願っても無い言葉であった。格好は怪しいが意外に親切なのかもしれない、そんな風に思って軽く自己紹介をしておく事にした。

 サトウカズマ――自身の名前と、ついでに青髪女神も紹介しておく。相手もまた、己の名を口にして自己紹介をしてくれる。自然に差し出された握手を求める手に、少年は慌てて手を重ねる。

「『はじめまして』、僕の名前はローズル。気軽にローちゃんとでも呼んでほしい」

 そう言って、屈託なく笑っていたフードの人物は、今度はにやーっと意地の悪そうな笑みを口元に浮べていた。

 

 

 

 駆け出し冒険者の集まる街と言うだけはあり、アクセルの街の冒険者ギルドはとても大きな建物であった。

 中は主に二種類の施設に分かれており、その一つは強い酒精と香しい料理の匂いを漂わせた酒場である。クエストやダンジョン探索を終えた冒険者達が、ほぼ時間を問わず集まって騒ぎ立てる溜まり場だ。ギルド直轄経営で、稼がれた分を直ぐに回収するとは商魂たくましい限りである。

 扉を開けた瞬間、ギルド内の視線が一気に集まった。その圧力に一瞬たじろぐも、直ぐに気を取り直して扉を潜る。転生者の少年としては視線の圧力よりも、ギルド内の雰囲気と冒険者になれる事への期待と興奮が上回った様だ。

 入って直ぐに赤毛短髪のウエイトレスが、快活な声と共に出迎えてくれる。どうやら仕事を探しているなら、建物奥のカウンターに行くと良いらしい。

 カウンターへと向かう道すがら、その視線の原因は自分の女神的オーラだと言い出す自称女神。容姿だけは良いのでその意見は当たっているのだろうが、その条件だと女神の隣のローも端正な顔立ちなので女性の目を引き付けているに違いない。その事が面白くない少年に、女神の発言は当然聞き流された。

 騒がしい酒場エリアを抜けて、奥の受付カウンターの傍まで来ると、三人の目の前には四つの受付とそれぞれに待機する職員達が見えて来る。

 転生者の少年はじっと受付に座る職員達を眺めると、一番顔立ちの良い胸の大きな金髪の女性に目を付けた。暫くじろじろと無遠慮に金髪巨乳の受付嬢を眺め、何かを確信するかの様にうんうんと一つ頷く。そして、何も言わずにその金髪巨乳をスルーして、彼女から一番遠い男性職員の居る受付に向かった。

「ちょっと、カズマ。一番美人な受付のおねーさんをなんで無視するの? 美人の受付は人気者で顔が広いはずだから、色々なイベントに遭遇できるって、ここに来る途中で散々自慢気に話をしてたじゃない」

「……なんか、あの人の顔見てると凄い胸がシクシク痛むんだよ。まるで、とんでもない騙し討ちにあった後に、酷い弁解で更に傷つけられたみたいにさ」

 転生者の少年はギルドにたどり着くまでに、異世界転生の何たるかを道すがら道連れ二人に話していた。その中には冒険者登録の時は、美人の受付にした方が良いというのも含まれていたのだが、少年の胸中にはあの女だけはやめておけと言う、既視感の様なものが発生していた。未知の経験則とでも言う物か、少年はそれに従う事にしたのだ。

 青髪女神は最初こそ不満を持っていたが、自分よりも異世界転生に詳しい少年が深刻そうな顔で話すのを見て、それ以上の追及はしてこなかった。フードの人物は特にこだわりが無い様で、無言のまま二人の後について来る。

 転生者の少年は辿り着いた受付で、早速と冒険者登録をしたいと告げた。

「あー、完全新期の冒険者の方達ですか? すみません、冒険者カードの発行はこの窓口では行えないんですよ。お手数ですが、あちらの受付の方でお願いできますか? 彼女はこのギルド一番のベテランなので、初心者の方には適切な助言もしてくれますよ」

 そんな話を聞かされてしまった上に、粘ろうとしたが機器の故障で他の窓口では登録できないとまで言われてしまう。結局少年たち一行は、たらい回しで金髪巨乳の所に戻されてしまった。

 口を引き結んで荒んだ眼をした少年と女神、そしてにやにやしているフードの人物は改めて受付嬢に冒険者になりたい旨を彼女に伝える。あからさまにスルーされた後だと言うのに、金髪巨乳の受付嬢は完璧な営業スマイルで出迎えてくれた。

「はい、それではまず、冒険者登録には登録料として千エリスが掛かりますが、持ち合せの方は大丈夫ですか?」

「……ええ、これでお願いします」

 フードの人物はジャラリと音のする革袋を受付に置いていたが、残りの二人は冷や汗をかいている。登録にお金がかかるなんて聞いてない、その上今は無一文であれば肝ぐらい冷え様ものか。

 転生者の少年は、転生時に金を持たせない神々のシステムを心の中で盛大に呪った。

「もしかして……、お金足りないの?」

 足りないどころか持ってません――とても口には出せずにコクリと頷く少年と女神。フードの人物は快くお金を出してくれると申し出てくれたが、彼の所持金は二千エリスしか無かった。必然的に一人が余る。その上、親切にしてくれた人まで無一文になってしまう。

 流石に全財産を使わせる訳にも行かないと少年が思い悩んでいると、青髪女神はそんな少年を小馬鹿にして、自分の出番だと胸を張って酒場の方へと向かって行く。

 しばしきょろきょろと辺りを見回していた青髪女神は、酒場の客の中から聖職者らしき老人を見つけて側に近寄り――

「そこのあなた、宗派を言いなさい! この私はアクシズ教が崇めるご神体女神アクア! もしあなたがアクシズ教徒ならば……、お金を貸してくれると助かります!」

 上から目線なのか下手なのか分からない金の無心を始めた。

 老人は確かに聖職者だったが、自らをエリス教徒だと名乗る。あてが外れた女神はすごすごと帰ろうとしたが、なんとその老人は困って居るのだろうと多めにお金を渡してくれた。これも神のおぼしめしだと朗らかに笑って、更には信仰熱心でも女神を名乗るのは良くないよと優しく諭してまでくれる。なかなか人の出来たお方だった様だ。

 自分の後輩の女神の信徒に、恵まれるどころか説教までされてしまった女神は、落ちぶれたわが身を嘆いて泣きながら乾いた笑いを浮かべていた。

 紆余曲折合ったが、資金が揃ったので改めて冒険者登録を行う事となる。一連のやり取りに、さしものベテラン受付嬢も苦笑いを隠せなかった。

 最初に冒険者カードを作ったのは、すんなりお金を出したフードの人物。水晶に掌を乗せると、あとは自動的にカードを作り上げてくれるらしい。

「うーん、体力と素早さがかなり低いですが、その代り知力と器用さが物凄く高いですね! 後は平均的なステータスですが、この器用さの高さなからアーチャーやビーストテイマー、高い知力を生かしたセージやウィザードがお勧めできます。あ、それの他にも召喚士の適正もあるみたいですね。召喚士は滅多に居ないレア職ですよ!」

「では、召喚士でお願いします」

 フードの人物改め、駆け出し召喚士の誕生であった。どんな職業かはわからないが、受付の人間が珍しいと言うのであれば期待できる職業なのだろう。

 次に登録をしたのは転生者の少年であったのだが、彼には高めの知力と壮絶に高い運以外、全てのステータスが平均以下という残酷な結果が待って居た。なれる職業もクラスとしての冒険者だけであり、最弱の職業よりも運を生かした商人になった方が良いとまで言われてしまう。

 それでもあきらめきれずに少年は冒険者を選び、最弱職の少年として異世界で生きる事となった。

「こ、このステータスは!? こんなの見た事ありません! 知力と運以外のステータスが異常な数値ですよ!?」

 最後にカードを作った青髪女神は、なんと大絶賛を受ける事になった。知力と運が低い代わりに、他の全てのステータスが異様に高い事が判明したからだ。職業も知力を必要とするアークウィザード以外、ほぼすべての上級職になれるとまで太鼓判を押される。青髪女神は煽てられて調子に乗りながら、支援と回復をこなすアークプリーストの職を選んでいた。

 受付嬢の声を聴いた冒険者達も、優秀な冒険者の誕生に、それもなり手の少ないアークプリーストの誕生に盛大に祝福を送る。もう、ギルド中がお祭り騒ぎであった。

「普通、こう言うイベントは俺の方にあるものだろう……」

「ぷっ……」

 完全に存在を忘れられた最弱職の少年が、ちやほやされる青髪女神を見ながら恨めしげに呟く。その隣で実に愉快そうに、召喚士となったフードの人物が含み笑いしていた。

 

 

 なんやかんやとあったけれども、これで全員が晴れて冒険者として登録する事が出来た。

 ここからいよいよ、異世界での冒険者生活が始まる。



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第二話

 何に付けても金が無い。現状はその一言に尽きた。

 無事に冒険者登録を済ませた転生者の少年。その特典として異世界に引きずり込まれた青髪女神。そして成り行きで付いてきた成り立て召喚士。

 この三人は今、猛烈に所持金が無かった。

「はぁ!? 畑で秋刀魚を取って来いとか舐めんな! 畜生こっちが下手に出てればパワハラか!? パワハラなのか!? アルバイトだからって甘くみんなよこんちくしょー!!」

「いや、違うの! お酒を飲んじゃったんじゃなくて、私が触れた液体はみんな浄化されちゃうだけなの! 私の溢れ出る神聖なオーラの影響なの、お願い信じてよぉ!」

 そこで、とりあえず手ごろな所でギルド直営の酒場で働かせてもらったのだが、あっと言う間にクビになってしまった。この世界の秋刀魚が畑で採れることを知らなかった少年が上司に逆上、自称女神は酒を運ぶ際にうっかり指を入れてしまい酒を水に浄化してしまう。持ち前の器用さを活かして一人黙々とジャガイモの皮むきをしていた召喚士は、飽きたので止めますとクビにされた二人の後を追って行った。

「さあ、安いよ安いよ。川で採れたばかりの……おい、からかってるんじゃなくて本当にバナナが川で採れるのか? くそう、なんなんだこの世界は本当に……。あーもう、いらっしゃいませぇ!」

「さあさご注目! このバナナ達に白い布をかぶせまして―、3、2、1、はいっ! 見事バナナが消えましたー! え? 消えたバナナは何処に行ったかって? そんなの私にわかるわけないじゃない」

 次に着手したのは、商店街でのバナナの叩き売り。川で採れたばかりの新鮮なバナナを、少年が採れた場所に驚きつつも声を張り上げる。沢山の人を前にして興奮した青髪女神が突如手品を披露し始め、売り物のバナナを全て消してしまう。バイト終了のお知らせである。ちなみに召喚士は体力切れで店の奥で倒れていた。

 最後に辿り着いたのは外壁補修の土木作業のアルバイトで、ここに来て今までへっぼこだった青髪女神が大活躍し始めた。優秀なステータスをこれでもかと発揮して、屈強な作業員達に交じり土砂を運び、建材を運び、更には器用に塗装作業までをテキパキとこなす。これで見た目も目麗しいとあれば、彼女はこの現場のアイドルとなっていた。土木作業の女神様と言った所であろう。

 召喚士は最初の内は体力の無さで足を引っ張っていたが、手先の器用さで塗装作業で主に貢献。更には工具や大がかりな装置の簡単な修理なども手掛け、最終的には外壁の設計図のミスを指摘して現場監督のアドバイザーにちゃっかり収まる。知能のステータスの高さを余す事無く発揮していた。

 そんな二人を尻目に、最弱職の少年は只管にピッケルを振るっていた。長い自宅警備員生活で鈍り切った体に喝を入れ、汗にまみれ疲労困憊になりながらも黙々と。最初の内は失敗も多く、へっぴり腰で無様な働きであったが、二週間もアルバイトを続けるとだんだんと体力が付いて、今では一端の作業員らしくなっていた。

 お金の無い三人は宿屋に泊まる事は無く、他の冒険者と同じ様に馬小屋を借りて寝泊まりしている。クタクタの体を公衆浴場で癒し、過酷な一日を労う様に酒場での酒盛りで締める。充実した異世界土木作業員生活であった。

 今日も一日良く働いて、お疲れ様でしたと三人川の字になって、藁にシーツを被せたベッドで横になる。綺麗好きなのか召喚士が毎日、他二人がお風呂に入っている間に馬小屋を清掃してくれているので匂いも気にならない。

 明日も一日忙しい、労働の喜びをたっぷりと味わって目を閉じて――

「って、ちがーーうっ!!」

 跳ね起きた少年の、魂からの叫びが馬小屋に響き渡った。

 

 

「なんで土木作業で満足してるんだよ、俺達は冒険者なんだぞ。異世界にわざわざ壁の修理に来たわけじゃないだろう」

 なけなしのお金でショートソードをひと振り購入し、それを腰に引っ提げて最弱職の少年が言う。言われた女神は掌に握り拳を打ち付け、そうだったと感心した声を上げた。どうやら女神様は、本当に工事現場の女神になりかけていた様だ。

「良いと思うよ。僕もそろそろ召喚魔法を試してみたいし、クエストを受けてみようか」

 普段は進んで発言しない召喚士も、少年の提案に快諾する。冒険者として活動した方が更に面白いものが見れそうだからと、不謹慎な理由で非常に乗り気であった。

「そうね、この私も居るんだから大船に乗ったつもりで居なさい! アークプリーストにして水の女神であるこのアクア様が大活躍してあげるわ!」

 工事現場の女神様も非常にやる気に満ち溢れている。少年と違い無手であるが、格闘スキルを所持しているので問題ないらしい。

 確かに上級職が一緒に居れば心強い事この上ないが、いかんせん中身があの自称女神である。最弱職の少年は張り切る女神を前にして一抹の――いや、多大な不安を胸に浮べるのであった。

 三人が受けたクエストは、三日間でジャイアントトード五匹の討伐。駆け出し冒険者から中級までが好んで受ける、比較的手ごろな物であった。

 ギルドで手続きを済ませて、カエルの出没するエリアへと移動。幸い直ぐに獲物は見つかり、まずは戦闘前に作戦を考えようと少年が提案する。

「まずは各々が何が出来るか確認しよう。アクアが支援職なのは知ってるから良いとして、俺は一応カエルに有効な武器持ちでスキルが無いから前衛しか出来ない。確かローは召喚士だったよな。具体的にどんなことが出来る職業なんだ?」

 事前の情報収集によりカエルに打撃が効きにくいという知識を得ていたカズマは、打撃スキルしか攻撃手段を持たない自称女神には一切期待をしていなかった。そこで目を付けたのが召喚士の扱える召喚スキルである。

 試しに使う様に頼まれた召喚士はこれを快諾し、直ぐ様に呪文を詠唱し何もない草原に魔法陣を浮かび上がらせた。

「レベル一召喚。出番だよフーちゃん」

 魔法陣から眩い光が溢れ出し、召喚された生物がぼんやりと形を持って行く。光が収まる頃には呼びだされた生物が、のそりとその体躯を持ち上げ召喚主へと顔を向ける。

 その生き物は銀の毛並みを持つ、大型犬を優に超える程の体躯を持つ狼であった。

「おおっ! レベル一なのに結構でっかい……、あれ? なんかこいつずいぶんと顔立ちが幼いっていうか……」

「わぁー! かっわいい! 見てよカズマ、この子こんなにでっかいのに子犬よ子犬! すんごいモフモフしてるわぁ、ねぇねぇ撫でさせて!」

 そう、レベル一で召喚されたのは巨大な子犬であった。全身の毛並みは銀色だがもふもふしていて、手足もずんぐりとして寸足らず。顔もまだ鼻筋が通っておらずぺちゃっとしていて、犬歯など生えても居ない。体格がデカいだけのまごう事なき子犬であったのだ。

「あー……、これって戦わせて大丈夫なのか? 確かこのクエストのカエルは、家畜や人も丸呑みにするって話だが」

「カズマカズマ、私この子がパクッと食べられる未来しか見えないんですけど……。なんて言うか、人としてやっちゃいけない事の様な気がするんですけど……」

 お犬様本人はやる気があるらしく、ひゃんひゃんと元気に鳴いて尻尾をブンブン振っている。つぶらな瞳がキラキラ輝いて、三人を見つめ返していた。

 このデカいだけの子犬を、牛より巨大なカエルと戦わせても良いのだろうか。しばし葛藤。

「……無いな。まずは俺とアクアで挑んでみよう」

「カズマがそう言うなら、僕に異存はないよ」

 結局少年は子犬と召喚士を後方に待機させて、青髪女神と共にカエル討伐へと向かった。召喚士と子犬は後方にて待機、いよいよ危なくなったら街へ助けを呼びに行く役割を与えられる。

 そして、改めてカエル退治へと挑んだのだが、その結果は惨憺たる有様であった。先陣を切った少年はカエルのあまりの迫力に逃げ出し、その様子を青髪女神が爆笑と嘲笑で見下す。そして大声で騒ぎ続けた為に、カエルの興味を引いてそのままぱっくりと頭から丸呑みにされる。カエルの口から人の足だけ出ていると言うのは、中々にシュールな絵面であった。

 幸か不幸か、カエルは獲物を丸呑みにする時は動きが完全に止まるらしく、その隙に非力な少年でもカエルの頭を砕く事に成功する。ぜぇぜぇと息切れしながらも、カエルの中から女神を救出する事に成功していた。

 助け出された女神は全身ねっちょりとカエルの中の分泌液塗れになり、流石に捕食は堪えたのかガン泣きしている。泣きながら少年に礼を言って縋りつき、それを嫌がった少年は頭を押さえて突き放そうとしていた。とことん女神の扱いは悪い様だ。

「この調子だと、こっちの人数以上のカエルが一度に来たら、対処のし様が無いな。仕方ない、ここは一度戻って装備を整えよう」

「ぐすっ……っ! 駄目よ! カエル如きに引き下がるなんて女神の沽券に係わるわ!」

 撤退を提案する少年の話をまるで聞かず、粘液女神は再び立ち上がり次のカエルに向かって突撃して行く。今度は初めから攻撃する気満々で、何やら叫びながら己が拳を金色に輝かせている。

「神の力、思い知りなさい! ゴッドブロー! ゴッドブローとは、女神の怒りと悲しみを乗せた必殺の拳、相手は死ぬぅっ!」

 気合を込めた一撃がカエルの腹に突き刺さり、ぼよんと弾力の有る皮膚で受け止められる。打撃に強いという特性そのままに、女神の拳では全く痛痒も無い様だ。

 カエルの無機質な目が女神を見つめ、女神もまたカエルを見上げる。

「カ、カエルってよく見ると可愛いと思うの……わぷっ!?」

 カエルに媚びを売った女神は、ぱくんと頭から食われた。

 ここで観戦していた召喚士がぷぱっと吹き出す。どうせそんな事だろうと思っていた少年は慌てずに、少し前にやった事と同じ作業を繰り返す。動かなくなったカエルの頭を、只管にショートソードでしばくのであった。

「いやー、ほんと退屈だけはしそうにないなぁ……」

 巨大な子犬の頭に手を乗せてもふもふ撫でながら、ローブの召喚士が感慨深げに呟き笑う。それはそれは楽しそうに、泣き喚く女神とそれを宥めすかす冒険者の男を見つめながら。

 

 

「あれね、このままじゃ駄目だわ、仲間を募集しましょう!」

 何時もの様にお風呂に入ってから酒場で合流し、カエル二匹分の換金で手に入れたお金で夕食を取っている時に、女神様がそんな事を言い始めた。

 召喚士は何時もお風呂の前に馬小屋の掃除をしているので、今は二人に遅れて公衆浴場に行っている。そんな席で管を巻く様に言い募る女神だが、聞いていた少年はいきなり募集をして人が来てくれるのかを訝しんだ。

「ふぉのわたひがいるんだはら、なかああんて」

「飲み込め! 飲み込んでから喋れー」

 口いっぱいにカエルの空揚げを突っ込んだままで喋ろうとする、そんな女神に品性を求めるなど絶望的だ。口の中の物を酒で流し込んだ女神は、優秀なステータスで希少な職業の自分が募集すれば簡単に集まると豪語する。そして自分のおかげで仲間が出来るんだからオカズを寄越せと、自信満々の女神は唐揚げを奪って行った。

 言いしれない不安を感じるが、確かに餌と最弱職と子犬召喚士の三人では先の展望は無い。せめて、安定したクエスト攻略が出来る様な人数が集まればいいんだが――最弱職の少年は切実に思い悩んでいた。

 その翌日、ギルドの受付を通してメンバー募集の張り紙を、カウンター横の掲示板に張り出した。青髪女神お手製の、上級職限定での募集である。何でもこのアットホームで家庭的なパーティに入ると、幸運になったりモテモテになったりするそうだ。パーティメンバーが居ないから募集を掛けているというのに、一体この証言は誰から出たものなのだろうか。謎は深まるばかりであった。

「………………来ないわね……」

「だから言っただろう、初心者ばかりの街で上級職限定なんてハードル高すぎなんだよ。もう少し条件を緩めようぜ? って言うか、あのうさん臭い文面も無くした方が良いだろ、どこのブラック企業の求人だよ」

 見事な正論の乱れ撃ちに、女神は小さくなって俯き、だってだってと繰り返す。確かに上級職の青髪女神としては、仲間にするならば同じ上級職が望ましいのだろう。それでもこの街の冒険者にどれだけの上級職が居るのか、それもパーティーを組んでいないフリーの者など更に少ないだろう。

 朝から募集しても一人も来ない辺り、このまま待って居ても恐らく結果は変わらない。ローなどは退屈を持て余して、召喚した巨大子犬の毛繕いをしている始末である。子犬は気持ちよさそうに目を細めて夢見心地だ。

 ともあれ、一度募集文を張り直そうと席を立とうとして――

「募集の張り紙、見せてもらいました」

 背後から掛けられた力強い声に動きを止め、仲間と視線を合わせてから後ろに振り向いた。

「この邂逅は世界が選択せし定め。私はあなた方のような存在の出現を待ち望んでいた……」

 尖がり帽子を被り、真紅の相貌の片方を眼帯で隠した少女。何やらポーズを決めながら、独特の言い回しで朗々と言い放つ。黒いローブの上に羽織る、黒のマントがばさりと翻った。

「我が名はめぐみん。アークウィザードを生業とし、最強の攻撃魔法、爆裂魔法を操る者!」

 己が名をめぐみんと言い放った少女は、その後もつらつらと赤面物の自己紹介を続ける。世に疎まれし我が力を求めるのならば覚悟をせよとか、深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗いているのだとか。そんな台詞の流れを耳にするうちに、最弱職の少年の目は限りなくどんよりと胡乱げになって行く。

「冷やかしに来たのか?」

「ちがわい!」

 まるで演劇の暗唱かとも思える様な言動の、めぐみんと名乗る少女は至って真面目らしい。真面目に今までのやり取りをして、仲間に入れて貰う為にアピールしていた様だ。そう言う意味では、いじましいのかも知れない。

 そうこうしている間に、青髪女神が少女の赤い瞳に注目。その瞳を持つ物は、紅魔族ではないかと言い出した。言われた方はいかにもと胸を張り、またばさりと黒マントをはためかせる。そしてもう一度の自己紹介から、爆裂魔法の有用性のアピールをする途中で倒れ込んだ。何とも忙しない。

 心配して駆け寄った少年に、伏した少女は三日も何も食べてないと告げる。同時に彼女の腹の虫が、ぐきゅーっと可愛げも無く鳴った。

 食事を奢るのはともかく、特徴のはずの赤い瞳が片方隠されている事が気になった少年はそれを指摘し、もし怪我をしているのであれば自称女神が治そうかと提案する。

 少女は得意そうな顔で眼帯はマジックアイテムで、外せば封じられた自身の力でこの世に災いが起こると言う。そのファンタジー的な台詞に、最弱職の少年が期待と不安を覚えてごくりと唾を飲んだ。

 思わずシリアスな流れに行きそうになったが、少女は自らの発言が嘘だと直ぐにネタ晴らしする。眼帯はただお洒落でつけているだけなのだそうだ。それを聞いた少年は、躊躇なく彼女の眼帯を掴んでぐいーんと引っ張った。

「ああっ、ごめんなさい! 引っ張らないでください! やめっ、やめろーっ!」

 騒ぎ立てる少女を尻目に、青髪女神はそのまま紅魔族について解説してくれる。紅魔族とは生まれつき高い知力と魔力を誇り、一族全てが魔法のエキスパートで最初からアークウィザードになると言う。

「あ、ああっ、ちょっと、やめてください。あ、でも放したら、それはそれで痛ーそうだから、そのままゆーっくり、私の元に戻してください」

 どうやらこの少女が変な名前で自己紹介してきたり、変な言動をしてきたのはからかっていた訳ではないらしい。彼女もまた紅魔族として、魔法のエキスパートであると言う事だろう。

 カズマはその説明を聞いて、へーっと気の無い声で返事をする。

「良いですか? ゆっくりですよ? ゆっくりってば! ちょっ――」

 それはそれとしてさっきから煩いので、望み通りに眼帯を放してやった。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ! いったい目がぁー!!」

 ばちーんと良い音を立てて眼帯が戻され、痛みに少女が床をのたうち回る。一連のやり取りに笑いのツボを直撃された召喚士も、その傍で床に倒れて声も出せないぐらい笑っていた。満身創痍である。

 少年は率直に、訳の分からない事言うし変な名前だし、からかっているのかと思ったと素直に謝罪した。少女は変な名前とは失礼だと憤慨し、紅魔族以外の者達の名前の方が変だと思うと語る。ちなみに両親の名前は、母がゆいゆいで父はひょいざぶろーと言うらしい。

 どうも紅魔族とは優秀ではあるが、独特の感性を持っている種族の様だ。思わず沈黙する少年と女神に、何か言いたいことがあるなら聞こうじゃないか――と魔法使いの少女は言い寄った。この少女はどうも、かなり喧嘩っ早い性質である。

 その後、空腹で机に突っ伏した少女から冒険者カードを借り受け、ステータスを確認させてもらったが、確かに魔力と知力がずば抜けている事を確かめられた。習得の難しい爆裂魔法を使えるという事もあり、青髪女神はこの子のパーティ入りに大賛成する。最弱職の少年もまた、異世界に来て初めて、憧れの魔法を見れるかもしれないと乗り気になっていた。

 冒険者カードを見ている最中に分かった事だが、少女は自身の名前に誇りを持っている様だ。彼女とかあのことか呼びながら会話をしていた所、ちゃんと名前で呼んでほしいと抗議してきたのだ。他人から見ればふざけた名前だろうと、本人にとっては大切なものなのだろう。

 突っ伏したままの少女に酒場のメニュー表を差し出しながら、少年がとりあえず食事にしようと誘いかける。それと同時に、自身のパーティメンバーの紹介も並行して行う。

「まあ、まずはなんか頼めよ。俺の名前はサトウカズマ。この青いのはアクアで、笑い転げてるのはローだ。宜しくな、アークウィザード」

 少女は何か言いたげだったが、それでも空腹には勝てなかったのかメニューを受け取った。

 最弱職の少年は時折、唐突にSっ気を発揮する。まるで、気になる女の子に意地悪をする小学生の様だ。もしかするとそれは、彼なりの不器用な歩み寄りなのかもしれない。小手先や口先は器用なのに、人間関係は不器用な男である。

 

 

 カエルの出没する草原へ、再び彼等は戻ってきた。新たな仲間、爆裂の魔法使いめぐみんを伴って。

 待望の魔法使いの少女は、呪文の完成までには時間が掛るので、その間カエルの足止めを頼むと依頼してきた。後衛職としてはもっともな申し出なので、最弱職の少年は自らと女神に前に出るよう指示をする。

「おい、元何とか。お前も少しは役に立て」

「元って何!? 現在進行形で女神よ!」

 事情を知らない少女の前で飛び出した女神発言に、少年は慌てず頭が弱いんだと説明する。魔法使いの少女は自称女神に同情の視線を差し向けた。ちなみに同様の説明は召喚士にもしてあるが、フーンと一言返しただけでそれ以降追及は無かった。自称女神の正体よりも、その笑える行動の方が気になって仕方ない様だ。

 言われっぱなしの女神は堪った物ではない。異世界に無理やり連れ込まれ、挙句の果てに痛い子扱いとは哀れに過ぎる。泣きながら名誉挽回とばかりにカエルに突撃して行った。

「今度こそ女神の力を見せてやるわ! 見てなさいよカズマ! 震えながら眠るがいい、ゴッドレクイエム! ゴッドレクイエムとは女神の愛と悲しみの鎮魂歌! 相手は死ぬ!!」

 汚名挽回とばかりに頭から食われた。今回は何やら蓮の花を模した杖の様な物も取り出していたが、それを振るうまでも無く見事にカエルの体内に侵入を果たす。少年の目論み通り、カエル一匹の足止めには成功した訳だ。

 そして周囲の空気がピリピリと騒めき始める。

 少女が紡いでいた魔力と詠唱が、力と圧力を持ってこの世界へと顕在していた。焔色の魔方陣を遠くに居るカエルの足元に生み出し、次いで黒い風の様な魔力の流れがその頭上へと収束していく。

「黒より黒く闇より暗き漆黒に我が深紅の混淆を望みたもう。覚醒のとき来たれり。無謬の境界に落ちし理。無行の歪みとなりて現出せよ!」

 杖を掲げながら、朗々と少女が唱える。その勇ましい姿に少年が感動し、思わずおおと声を漏らす。

 これが爆裂魔法の詠唱なのかと固唾を飲んで見守っていると、隣に立つ召喚士がちがうちがうと手を振っていた。

「踊れ踊れ踊れ、我が力の奔流に望むは崩壊なり。並ぶ者なき崩壊なり。万象等しく灰塵に帰し、深淵より来たれ!」

 嬉しげに笑う召喚士曰く、爆裂魔法の詠唱自体はもう既に終わっており、少女は待機状態にさせたままでこの長々とした朗読をしているのだと言う。

 つまりは、この詠唱みたいな厨二ワードの羅列は、ただのカッコつけに他ならない。

「これが人類最大の威力の攻撃手段、これこそが究極の攻撃魔法。『エクスプロージョン』!!」

 まるで天空から燃えた空が落ちて来るかの様に、究極の破壊がカエルの頭上から降り注いだ。

 破壊が去った後には、ただ只管焼け爛れた半円のクレーター。目標となったカエルの姿など影も無い。強力無比な破壊の爪痕だけが、爆裂魔法の結果としてそこに残されていた。

「どうしよう、さっきの話のせいで素直に感動できない。でも、威力は確かに凄いな……」

 壮絶に微妙そうな顔をしながらも、少年は爆裂魔法の威力に感心していた。厨二的なセリフを愛し微妙なネーミングセンスを持っていたとしても、紅魔族と言う種族は侮りがたい性能を秘めていると実感できた。

 なによりも、この世界に来て初めて攻撃魔法と言う物を見る事が出来たのだ。例え放った者の感性がアレだとしても、やはり感動せずには居られない。異世界最高!

 だが、その感動に水を刺すが如く、地中からぼこりと土を跳ね上げてカエルが跳びだして来た。両生類の日に弱い肌を地中で護っていた所を、爆裂魔法の轟音に驚き出て来たのだろう。そしてカエルは、少年達を餌と認識して飛び跳ねながら向かって来る。

「……っ! めぐみん! 急いでそこから離れてもう一度魔法……を?」

 咄嗟に判断し、指示を飛ばした少年は、その視線の先で地に倒れ伏す爆裂魔法使いを見てしまった。草原に顔面からの無抵抗着地。斜面だったのでざりざりと、そのまま軽くずり落ちる。

 魔法使いが敵を倒したと思ったら昏倒していた。いったいこの現象は何だろうか、思わず脳が理解を拒んでしまう。

「ふっ……、我が奥義である爆裂魔法は、その絶大な威力ゆえ、消費魔力もまた絶大。……要約すると、限界を超える魔力を使ったので身動き一つ取れません」

 えーっ……――と残念具合が思わず口から漏れ出す。超絶な威力を持っていたとしても、一発でお荷物になるとはピーキー過ぎる。あれだけ自信満々だったと言うのに、蓋を開けてみればとんだネタ魔法であった。

 最弱職の少年の思考の間にも、カエルは喜々として動けない魔法使いの少女へと向かう。

「近くからカエルが湧き出すとか予想外です。やばいです。食われます。すいません、ちょっ、助け……――」

 ぱくんと、カエルが少女を一飲みにしようとした瞬間。その横合いから白銀の毛むくじゃらが駆けて来て、動けない少女の襟首を咥えて掻っ攫った。そのままカエルから距離を取り、首を振ってせっかく助けた少女を放り捨てて、カエルと少女の間に改めて立ち塞がる。ひゃんひゃんと威嚇にもならない吠え声も添えて。

 呆然と眺めていた少年が驚愕してよく観察してみれば、少女を助け出したのは召喚士が呼びだしていた巨大な子犬であった。

 あの子犬、あんなに身体能力があったのか、どうして召喚士は何も言わなかったのだろう。そんな思いでじっと視線を注ぐと、やはりニヤニヤと笑みを浮かべる張本人。

「別に戦えないとは一言も言ってないよ。……僕は君の判断に従っただけぇ」

「こいつやっぱり性格悪い! なんだよ俺の仲間は、どいつもこいつも欠陥だらけなのか!!」

 本人の目の前だが、思いっきり声に出して文句を叫んだ。魂からの慟哭であった。

 子犬を獲物と認識したカエルは、口を大きく開けて舌を鞭の様にしならせ瞬時に巻きつけた。あっと言う間に口内に収まるかと思われた巨大子犬だが、四肢を踏ん張りカエルの力と真っ向から対抗してみせる。最初の印象からは想像も出来ない程の能力を、このでかい子犬は持っていたようだ。

「その子を拘束したいなら、猫の足音でも探すんだね」

 だがこれでは拮抗しているだけ、決定打にはなりはしない。さっきから放置していたが、飲み込まれた女神も助けなければならないのだ。何か手はない物だろうか。

「レベル1、二重召喚。ヨーちゃん、出ておいで」

 拮抗に一石を投じる召喚士の声。また地面に召喚陣が描かれて、呼びだされたモノがその中心へと現れる。

 呼ばれて飛び出たのは人の腰程もある大きな卵であった。しばらく眺めているとぴきぴきと卵に罅が入り、内側からこじ開ける様に二度三度と強く叩かれる。叩かれたが割れない。そして諦めて卵は動かなくなった。

 召喚士が卵に歩み寄り、こんこんと軽くノックする。そこまでして漸く、卵の中身は姿を現した。

 卵を内側から押し上げて、にょろりと鎌首を擡げる細長い姿。卵の殻を頭に乗せて眠たげに瞬膜で目を細めるそれは、大人の腕程の太さを持つ大蛇であった。チロチロと舌を出して、周囲の様子を探って居る。

 呼びだされた大蛇はカエルを認識すると、立派な牙の生えた口を開け、カプリとひと噛みして直ぐにまた卵の殻に引っ込んだ。まるで、仕事は済んだと言わんばかりの態度である。

 噛みつかれたカエルは、最初の内は微動だにしなかった。たが直ぐに噛み付きの効果が表れて、口の端から泡を吹いてその巨体が引っ繰り返る。子犬を捕らえていた舌を弛緩させ、足だけをぴくぴくさせて昏倒していた。

 召喚士に呼びだされた二匹目の召喚獣は、牛の様に巨大なカエルも昏倒させる猛毒の持ち主だったのだ。これには最弱職の少年も口角を上げてお喜びである。

 なんにせよこれでパーティに超ド級の火力と、多彩な召喚術というサポートが得られた訳だ。どうしようもないと思っていた異世界生活だが、やっと光明が見えて来たかもしれない。少年の胸中には、やっと希望の光が灯り始めた。

「あの……すいません。浸っている所もうしわけないのですが、また新しいカエルが、くぱっ!?」

「あ……」

 よそ見して居たら、投げ捨てられたままの魔法使いが食われました。

 

 

「うっ……うぐっ……。ぐすっ……。生臭いよう……。生臭いよう……」

「カエルの中って、臭いけど良い感じに温いんですね……」

「知りたくねーよそんな情報。なんかもう、こんな風になるんじゃないかって予感はしてたよ……」

 結局あの後は、捕食して動かなくなったカエルを最弱職の少年が倒して、女神と魔法使いの二人を救出。毒で昏倒したカエルも結局は死に切らず、少年がトドメを刺す事になった。レベル一ならこんなものなのかもしれない。

 今は動けない上に粘液塗れの魔法使いを少年が背負い、帰り道で体力の尽きた召喚士が巨大子犬の背中にうつ伏せに倒れ込んでいる。その後方を童子の様に泣き喚く粘液の女神が付いてきていた。

 すっかり日の傾いた暮れなずむ街並みを、珍妙な集団がギルドへ向かって歩いていく。

 その途中で、最弱職の少年は半分ぐらい予想していた事を魔法使いの少女に聞いてみる。爆裂魔法以外の魔法は使えるのか、と。出会った時にも感じた妙な既視感が、彼にその質問をさせていた。答えは聞かなくても大体わかる気がするが、聞かずにはいられない。

「……使えません。私は爆裂魔法以外の魔法を習得する気はありません。今迄も、そしてこれからも」

「……マジか?」

「マジです……」

 頼むから予感よ外れてくれと願っていたが、無情にも魔法使いの少女はその願いを踏みにじってくれた。

 それから彼女は如何に爆裂魔法を愛しているのかを、如何に爆裂魔法の道を突き進もうと決意しているかを語る。たとえそれが茨の道だとしても、たとえそれのせいで御飯が食べられない日が続こうとも、彼女は非効率なロマンを追い求めるのだと宣言した。

 泣きじゃくっていた女神もそれに同調し、二人は親指を立て合って互いを称賛する。これが類は友を呼ぶと言う物なのだろうか。

「そっかー、大変だろうけどこれからも頑張ってくれよ。ギルドに着いたら報酬は山分けにして、明日からは別のパーティで頑張ってくれ」

 女神まで同調した事で、少女の危険性を確信した最弱職の少年。さっさかと彼女を切り捨てるべく、一方的に話を持って行こうとする。

 だが敵も然る物。動けない筈なのに両手両足を少年の体に絡みつけ、必死に捨てないでくれと訴える。食費と雑費だけで長期契約を、今ならお得だからと喚き立てる。魔法使いなのに妙に強い握力で、引きはがそうする少年は苦戦を強いられていた。

「ええい離せぇ! うちにはもう回復だけのポンコツ女神と、体力無しの性格悪い召喚士が居るんだ。これ以上ポンコツを養う余裕なんてないんだよ!」

「もうどこのパーティも拾ってくれないのです! お願いします! 捨てないでくださいー!」

 粘液を弾けさせるのも厭わずに、絡み合いながら苦闘する二人。仲が良いというか、争いは同じレベルの物でしか起こらないというか、なんとも微笑ましい限りである。

 そんな二人を見て、通りかかった町人たちが騒めき始める。これだけ目立って居れば仕方のない事だろう。

 町人達の目には少年が小さい子を無理やり捨て様としている様に映ったらしく、少年の事を鬼畜だ最低だと罵り始めた。すぐ傍にぐったりした召喚士と粘液塗れの女神が居るせいで、余計に想像を掻き立てるののだろう。彼はもう目撃者達にとっては、見目の良い娘達を粘液塗れにする変態にしか見えない様だ。

 そして、頭の良い紅魔族はそのチャンスを見逃すはずも無かった。町人達の言葉に戦慄する最弱職の少年に向けて、口の橋を曲げてヘッと嗤って見せて更に戦慄させる。

「どんなプレイでも大丈夫ですから! カエルを使ったヌルヌルプレイにも耐えて見せますか――」

「わかったー! これからもよろしくな、めぐみん!!」

 衆目の中でとんでもない事を叫び始めた少女に、ついに冒険者は屈服するのであった。パーティに魔法使いが正式に加入した瞬間である。おめでとう。

「ねー、そんな事どーでも良いから、私は早くお風呂に入りたいんですけどー……」

「おめでとう。いやぁ、面白い事になったなぁ……。ぶっ……くふふふふ」

 すっかり放置された女神が悪態をつき、子犬の背中で召喚士がプルプル震えながらひっそり笑っていた。

 

 

 魔法使いと女神に金を渡して大衆浴場に送り出し、カエル肉の運搬依頼とクエストの報告を済ませた後。最弱職の少年と召喚士は二人向かい合って、ギルドの酒場の一席でぐったりと脱力していた。

 日も暮れて仕事帰りの冒険者や町人までもが集まってきて、各々に酒宴に食事にと浮かれている。二人の場所にまで香しい香りが漂って来ているので、こちらのお腹の虫も鳴きだした。風呂組には早く帰ってきてもらいたい物である。

 本当に心の底から疲れた一日であった。こんなに疲れたと言うのにカエルの討伐の賃金は十一万五千エリス。四人で分ければ一人二万五千強と、命の価値としてはつり合いが取れない安さである。

 ちなみに報告時の受付は、例の金髪巨乳の受付嬢に換金してもらった。最初は避ようかとも思ったが、だんだん面倒臭くなってきたのだ。何より女に酷い目にあわされているが、別に巨乳が嫌いなわけではない。あんな際どい服を着て、胸を強調させている方が悪いのだ。おっぱい万歳。

「結局カエルにトドメを刺したのは俺ばっかりだったな、結構レベルが上がってる。……本当に倒すだけでレベルって上がるものなんだな」

 今回のクエストは、カエルにトドメを刺した最弱職の少年のレベルが一度に複数上がって居なければ、本当に徒労であった事だろう。転生前は効率の良い狩りを繰り返していた自宅警備員としては、もっと収入の良いクエストを探したい物だ。せめて命の対価として相応しいクエストが良い。

「一応他のクエストも見てみたけど……。碌なクエストもないし、もう日本に帰りたい……」

「Zzz……」

 少年が愚痴を零していると、対面の召喚士がずるずると滑り落ちて長椅子に倒れ込んでいく。そんな所で寝るなよと声をかけても、もう既に返事は無い。ただの屍の様だ。

「しょうがねぇなぁ、この男女は……」

 たとえ男だろうと女だろうと、こんな場所で放置できない。お店の人に迷惑だからだ。

 それにしても、一緒に馬小屋生活しているが相変わらず性別が良く分からない。分かっているのは性格が悪い事と、面白い事を求めてこのパーティに居る事ぐらいか。最初は親切な人だと思ったのに、えらい奴を拾ってしまったものだ。最弱職の少年的にはこの召喚士も、出来る事なら手放したい一人であった。

 とりあえず体だけでも起こそう。頭を掻いて立ち上がりかけて、そんな少年の背後から声が掛けられた。

 それは、確かな力強さを持った声色で、思わず最弱職の少年も振り向いてしまう。

「募集の張り紙を見せてもらった。まだパーティメンバーの募集はしているだろうか?」

 カツカツと自信に溢れた足音と共に、後頭部で結った金の頭髪を左右に振らせ、颯爽と現れる鎧の女騎士。彼女の持つ美貌に少年は自身の頬が熱くなるのを自覚して、それでもなお視線を逸らせずにいた。

 これはついに、自分にもモテイベントとやらが来たのだろうか。こんな美人の年上っぽいおねーさんと知り合いになれるなんて。異世界に来て以来信じていなかった自分の幸運の高さに、初めて期待が持てそうな気がしてきた少年であった。

 しどろもどろになりつつも、まだ募集は続けているがあまりお勧めしていない事を伝える。それを聞いて女騎士は安堵の吐息を漏らし、自身の主張を語り始める。

「そうか、良かった。貴方の様な者を、私は待ち望んでいたのだ……」

 そこで一度言葉を区切り、なぜか頬を赤く染めてほぅっと胸の内の熱を逃がす様に吐息を漏らす。そんな仕草がやたらに色っぽい。女の色香とかはよく知らないが、これが年上の魅力とやらなのか。女性と碌に話せなかった童貞少年には、いささか刺激が強かった。

「……私の名はダクネス、クルセイダーを生業としている者だ……」

 何故か女騎士の息が荒くなる。はぁはぁと喘ぐ様にして、振り絞る様に思いを言葉にして行く。最早、端整だった顔には見る影もない。

「是非私を……、この私を、パ、パパパ、パーティーに!」

 ――ああ、なんかとんでもなく嫌な予感する。

 興奮して捲し立てる女騎士を見ながら、最弱職の少年は己の勘に戦慄を覚えていた。なにせこの勘は、この異世界ではよく当たるのだから。

 

 

 



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第三話

訊ねる


 時刻は現在昼を過ぎて、食後の気だるさをにじませる頃合い。変な疲れで昼まで寝てしまった最弱職の少年は遅めの昼食と、昼からの酒と言う自堕落な生活を送っていた。

「はー……、予想通りひどい相手だったな……」

 昨夜の女騎士には、酒を飲み過ぎたのでこの話はまた何時かと先延ばしにして逃げてきた。軽く話しただけで、女騎士が人様に言えない様な性癖の持ち主である事が分かったからだ。

「美人だと思ったのに、なんだよあの残念な性格は。あれが出会いイベントとか、クソゲーだろクソゲー」

 彼女は攻撃が当たらない不器用さと、モンスターに襲われる事を望むドMという合わせ技の持ち主であった。何をしても失敗ばかりする駄女神、火力はあっても一発屋の爆裂狂、歩くだけで倒れる体力のない召喚士、器用貧乏な最弱職というポンコツパーティに、これ以上地雷は入れたくは無い。カズマで無くとも誰でも思う事であろう。

 幾ら体力と力に自信があっても、敵を倒せないのでは壁役には不向きだ。元の世界のネットゲームでだって、肉盾役も定期的な攻撃で敵の気を引き続ける必要があった。不確定要素の多い現実の世界ならば、なおさら攻撃は必要だろう。ヘイト管理も出来ない前衛に、いったい何の意味があるのだろうか。

 そんな訳で、パーティは未だ前衛不足。クエストの安全性は上昇していないままだ。仕方ないので昼間からギルド内の酒場でパーティ全員でぐだついていた。

 今日はもうこのまま休日にしてしまっていいだろう。先日の稼ぎがあるので一日ぐらいは大丈夫な筈だ。パーティメンバー達も、各々金の有る休日を楽しんでいる。

 青髪女神は有り余るスキルポイントで獲得した宴会芸スキルで、今日も騒がしく遊び呆けて酒場の人々を盛り上げていた。花鳥風月と言う新スキルを取ったらしいが、少年には全く興味は無い。

 宴会芸に興味を示した召喚士とその飼い犬は、宴会芸の助手として頭に花を咲かされている。

 頭に乗せたグラスに種を投げ入れられ、そこへ更に扇子からの放水で水を与えられ一瞬で見事な花が咲く。宴会芸と言うより殆ど魔法みたいな出来栄えだが、観衆は大いに盛り上がり興奮していた。中には、金を払うからもっと芸を見せてくれと発言する者まで居る。

 そんな風に煽てるので、宴会芸の女神様は調子に乗りまくっていた。

「ふふん、芸は乞われて見せる物ではないの。披露したいと思ったその時に、心のままに演じてしまうものなのよ。あー、おひねりはやめてください。芸で身を立てている人達に失礼ですから、お金は受け取れないわ」

 見世物にされている召喚士は機嫌よくニコニコしているが、あいつまで宴会芸を取るとか言い出さないか少し心配にさせられる。あいつもあいつで性格に難があるので、最弱職の少年の中では評価が低かった。何時か追い出してやりたい内の一人である。

 先日パーティ入りした魔法使いの少女――めぐみんは、昼過ぎだというのにまだ食事を続けていた。口元に食べかすを散乱させながら、安い定食を一心不乱でがつがつやっている。きちんとナイフとフォークを使っているのに、なぜここまで汚れるのか理解できない。まるで、飢えと言う物に恨みがあるかの様な食いっぷりだった。

「なぁ、俺もそろそろスキルを習得したいと思うんだが、皆はどうやってスキルを獲得したんだ?」

 最弱職の少年は一心不乱に食事をとる少女の傍らで、彼女に職業的冒険者のスキル獲得についての講義を受けていた。最弱職は全ての職業のスキルを覚えられると説明されてはいたが、彼の冒険者カードにはスキルが一切表示されていなかったのだ。これでは、取りたくても取るスキルが無い。

 紅魔族の少女は食事の手を緩めつつ、片手間に職業的冒険者のスキル獲得についてレクチャーしてくれる。なんでも冒険者は、誰かにスキルを習わないとカードにスキルが現れないのだそうだ。

 全てのスキルを獲得して万能になれる可能性を秘めているというのに、他の誰かに教わらなければスキルすら取れない職。万能であるという事は個で役割を満たすと言う事のはずなのに、人との関わりを強制する様な不可思議な職業である。

「って事は、俺もめぐみんに爆裂魔法を習えば使える様になるわけだな」

「その通りですよカズマ! 爆裂魔法以外に覚えるべきスキルなんてありません!!」

 思い付きの何気ない一言に、少女が瞳を物理的に輝かせて迫る。爆裂魔法への同志になるべきだと、異様に興奮して体を密着させてきた。

 薄い体なのであまり嬉しくないかと思ったが、思春期童貞には劇的な効果があった。心臓が口から飛び出してしまいそうだ。このままでは体に悪いので、少年は少女の肩を掴んで引きはがしに掛る。

「お、落ち着けロリっ子顔が近い。今のポイントはそんなに多くないんだけど、爆裂魔法はどのくらい必要に――」

「ろ、ロリっ子……。この我が、ロリっ子……。へっ……」

 興奮しきっていた熱が一瞬に冷めて、ロリっ子扱いされた魔法使いが意気消沈する。瞳が濁り、心なしかとんがり帽子もしなびている様に見えた。自らの発育に思う所でもあるのだろうが、それにしたって何とも忙しない。

 気分が沈んで教える気が失せたのか、彼女は食事を再開し始めた。やさぐれながら、切り分けた人参をもぐもぐしている。

 こやつもまた性格も性能にも難があると再確認して、少年の口からは盛大なため息が漏れた。どこかに、性格も性能も良い仲間候補が居て欲しいものだ。

「ん……やっと見つけたぞ。こんな所に居たのだな……」

 そんな二人の背中に――正確には最弱職の少年へと声をかける者達が現れた。

 その聞き覚えのある声に、少年は確信する。性格も性能も良い仲間候補なんて居やしない、と。

 

 

 すったもんだの末に、最弱職の少年は話しかけて来た二人の冒険者と連れ立ってギルドの外へと出かけて行った。

 話しかけて来たのは、金髪の女騎士とその連れの銀髪の盗賊達の女二人組。女騎士は先日の話の続きをしたかったようだが、それを銀髪の少女に強引だと窘められた。こっちの盗賊職はまともそうだ。

 そして、その銀髪の少女はクリスと名乗り、スキル獲得に悩む最弱職の少年に盗賊スキルの獲得を提案する。報酬は酒を一杯奢るだけと破格であり、それに少年は喜んで飛びつく。スキルを幾つか習得するだけならば、それほど時間を掛けずに戻って来るだろう。

 未だに冒険者達に囲まれて宴会芸を披露する女神の所から、いい加減に楽しんだ召喚士が抜けだして来た。助手の仕事はそのまま巨大子犬に押し付けて、自らは宴会場から魔法使いの少女のいるバーカウンターへと移る。

 未だに食事している少女の隣に座わると、直ぐに給仕が酒杯とカエルのから揚げの定食を置いて行く。移動する際に前もって注文していた様だ。値段の安いカエルのから揚げは、ちょっと硬いけど美味しいので冒険者に人気なのである。

 そのまま食事に取り掛かろうとすると、ロリっ子呼ばわりから復活した少女がじーっと視線を注いできた。その視線に召喚士は幾許か考えを巡らせ、カエルのから揚げを二つほど彼女の皿に移してやる。

「いえ、視線を注いだ理由は催促ではありません。でも、これはこれでありがたくいただきます」

 もう既に何人分を食べているのかわからないが、健啖な事で微笑ましい限り。また食べかすを飛ばしながら、少女は揚げ立てのから揚げに齧り付く。

 それではなぜ視線を向けてきたのだろうか、召喚士には見当が付かなかった。なので素直に聞いて見ると、今までろくに話したことも無かった事に気が付いたからだと言う。

 確かに、この召喚士は一歩引いた所から、会話に混じらずうすら笑って居る事が多い。このパーティの会話は、主に最弱職の少年を中心にして行われる事も原因の一つであろう。

 それもそうかと思い直し、無難な所でどうして冒険者になったのかを語り合った。困った時はとりあえず共通の話題である。

 魔法使いの少女は言うまでも無く、爆裂魔法を極め、最強の存在として世界に君臨する事。その為ならばいかなる苦難も乗り越える所存であると、身振り手振りも交えて自信有り気に語る。彼女の場合は手段が目的であるので、とても今の人生が楽しそうであった。

 召喚士は面白いものを見る為に、そして今は最弱職の少年が一番気になると嬉しそうに微笑んで語る。最初に出会ったのは偶然で、それ以降も一緒に居るのは成り行きではあるが、青髪女神が騒ぎ少年が嘆くのを見ているのがとても楽しいのだ。楽しいから一緒に居て、新しく加わった魔法使いの少女にも楽しませて欲しいと素直に告げた。

 率直に言われたからか、見目麗しい顔で微笑まれたのが原因か、魔法使いの少女がほんのりと頬を染める。気恥ずかしさを誤魔化す為か、彼女は話題を変える事にした。

「何よりも一番気にかかるのは、あなたの性別です。せっかく綺麗な顔をしているのに、どっちなのか気になってしょうがありません」

「紅魔族も外見には優れている筈だけどね。……ちなみに、どっちだと嬉しい?」

 はぐらかす様に言われて、ぷくっと少女の頬が膨らむ。からかわれたと思ったのだろうか、少々気分を害してしまったらしい。召喚士はそれを見ても、悪気が無いので首を傾げるばかりである。

 笑顔は少女の様で、しかし言動は男の様で、体つきはローブに隠れて分かり難い。直球で性別を訊ねてみても、今の様にはぐらかしてくる。性別すらも仲間に秘匿するこの召喚士は、何者なのであろうか。

「仲間にすら己の正体を秘匿する……。なんですかなんですか! 謎を秘する孤高の人物とか、紅魔族的にポイント高いですよ!」

 なんか変なスイッチが入った。気になるというのはもしかして、そういう意味だったのだろうか。流石の紅魔族の感性、罪深い事である。もちろんネタ的に。

 

 

「ちょっと二人とも、この私を差し置いて何楽しそうな話してるのよ。私も混ぜなさい、このアクア様のありがたい説法を聞かせてあげるわ!」

 暫く二人で他愛ない雑談をしていると、宴会芸を披露するのに飽きた女神が話に加わってきた。玩具として弄りつくされた子犬は、ギルドの隅で丸くなってぐったりしている。可哀想に、後で美味い物でも食わせてやろうと召喚士が思う。

「ローも良くお酒を飲んでいますよね。それはアクアが飲んでいるシュワシュワとは違うようですが」

「これはミード……蜂蜜酒だよ。僕の故郷では良く飲まれていたんだ。濃厚だから揚げ物にも良く合う良いお酒だよ」

「ふーん、あなたって意外とおじいちゃんみたいな物が好きなのね。私は断然クリムゾンビアーよ。この喉越しが堪らないわ! ん……、ん……、んぐ……、っぷはぁ!!」

 しばし、女神も加えて他愛も無い話に花が咲く。魔法使いの少女もお酒を飲みたがるが、まだ早いと言って行って止めさせる。もちろん飲みたがって悔しそうにするのが面白いからだ。

 そんな事をしていると、漸く最弱職の少年がギルドの戸を開いて戻ってきた。背後には例の女騎士と盗賊職の少女達が居るが、その片方の銀髪の盗賊少女が泣いていた。さめざめと、まるで凌辱でもされたかの様に。

「あ、ようやく帰ってきたわね。ちょっとあんた、この私の華麗な芸も見ないでいったい何処に――、その後ろの子はどうしたの? 泣いてるじゃない」

 少年に気が付いた女神が早速彼に噛み付いて、次いで後ろで女の子が泣いているのを指摘する。何があったのかを聞けば至極簡単な事で、微妙に嬉しそうな顔で女騎士の方が説明してくれる。

「うむ。クリスは、カズマにパンツを剥かれた上に、あり金毟られて落ち込んでいるだけだ」

「ちょっとまてぇ! おい、あんた何口走ってんだ。間違ってないけど、ホント待てぇ!!」

 その後は、泣いたままの盗賊少女が続けてくれた。奪い取られた下着を取り返す為に金を払うと言えば、自分の下着の値段は自分で決めろと言われたとか、さもなくばこの下着は我が家の家宝として奉られるだろうとか、色々鬼畜な所業が行われたらしい。

 片や喜び、片や泣き濡れながら告げられたその内容に、魔法使いと女神はドン引きし目元口元を引きつらせる。召喚士は口元を抑えて笑いを堪えていた。大体いつも通りの光景である。

 最弱職の少年は、今やギルド中の女性冒険者やギルド職員、果ては酒場の給仕にまで冷たい視線を向けられる。それを見てひっそりと盗賊の少女は舌を出す。半分ぐらいはウソ泣きだった様だ。

 復讐成ったりと気を良くした盗賊職の少女は、上機嫌に微笑みながら立ち去って行った。財布が軽くなったので、臨時のパーティを探して補充しに行くのだそうだ。強かな上に、まるで突風の様な少女であった。

 こちらも気を取り直して一度集合する。なぜか女騎士も一緒だったが、彼女自身は当たり前の様に堂々としているので誰も指摘はしなかった。

「それで結局、カズマはスキルの習得は出来たのですか?」

 魔法使いの少女の指摘に、最弱職の少年は自信を込めてほくそ笑む。そして見てろよとの言葉と共に、仲間達に向けて掌を差し出した。

 スティールの宣言と共に、辺りに眩い閃光が走る。光が収まって目の眩みが解ける頃には、少年の手には盗み出された品が握られていた。最弱職の少年はそれを両手で広げ、マジマジと観察して――

「なんですか、レベルが上がって冒険者から変態にジョブチェンジしたんですか? スースーするので、パンツ返してください……」

 涙目になった少女が手を差し出し、奪われた下着の返還を要求する。少年のスティールは彼の幸運の高さ故なのか、的確にレアアイテムを狙い撃ちにする様だ。

 それを見て、とうとう耐えきれなくなった召喚士が床に崩れ落ち、腹を抱えて笑い転げる。女神は女神で、改めて少年の所業に流石『クズマ』と納得していた。

「公衆の面前で、こんな小さな子の下着を剥ぎ取るなんて、なんて鬼畜だ許せない!」

 唐突に少年と少女の間に割って入った金髪の女騎士は、その鬼畜の所業に興奮したのかハァハァしている。むしろ自分にこそ、その責めをやってくれと言わんばかりに、瞳を潤ませ期待に頬を染めていた。

「是非! 私をあなたのパーティに入れて欲しい!」

「要らない」

「んんっ!?」

 拒絶されてもそれはそれで嬉しいのか全身をぶるりと震わせる。ドMは無敵なのだろうか。

 召喚士がこのやり取りで、笑いながら床をバンバン叩き始めた。そうでもしないと、笑いで正気を保って居られないのだろう。面白がり過ぎだ。

 閑話休題。一同は視線を集め過ぎたので、隅の方のテーブル席へと移動した。

 そこでパーティリーダーの少年は、皆に話を聞いて欲しいと重々しく告げる。今までに無い真剣な声色に、各々は居住まいを正して聞く体制に入った。

「実は、俺とアクアは真剣に魔王討伐を目指している。俺達と一緒に来るって事は、自ずと魔王の軍勢と戦う事になるって事だ」

 先程まで女人のパンツを盗んでいたとは思えない位に表情を引き締め、自らが冒険者になった目的を継げる。今までの冒険者生活――主にアルバイトの日々――からは想像もつかないが、少年と女神の終着点は魔王の討伐らしい。

「ローも丁度いい機会だから、よく考えて欲しい。このままだと魔王軍と敵対して、酷い目に合うかもしれないんだ。今ならまだ、普通の冒険者に戻れるはずだから」

 だから頼むからこのパーティを抜けてくれませんかねぇ――と心の中で絶叫する。大仰に言ってはいるが、要するに怖気づかせて出て行く様に促したいだけであった。ゲスい事を平然とやる割には、やる事が最終的に小物っぽくなるのは、彼の美徳なのかもしれない。

 今の話を聞いて、それぞれの反応は様々だった。

「我が名はめぐみん! この私を差し置いて最強を名乗る魔王には、我が爆裂魔法をお見舞いしてやりましょう!」

「いかーん、火に油を注いじまった……」

 突然名乗りを上げて、更に魔王討伐を宣言する魔法使いの少女。

「魔王軍と敵対し、捕まった末にエロイ事をされるのは女騎士のお約束だな。くぅぅっ、想像しただけで武者震いが……」

「おい、武者震いに謝れ。お前のはただの妄想での身震いだ」

 魔王に捕まった後の拷問やらエロイ事に、息を荒げて妄想に浸る女騎士。

「僕は君達のやり取りが見れるのなら、このまま一緒に冒険者を続けたいな。こんなに面白い冒険者は、きっと他に居ないだろうからね」

「お前ならそう言うだろうと思ったよ。断っても嬉しそうに付いて来るんだろうな」

 カズマを見てニコニコしながら、今まで通り面白そうだから一緒に居ると宣言する召喚士。

「ねぇねぇカズマカズマ。私、話を聞いてたら何だか腰が引けて来たんですけど。何かこう、もっと楽して魔王討伐する方法とかない?」

「はいカズマだよ。お前は当事者なんだから、もっと積極的になれよ!」

 そして、青髪女神は話を聞いて不安になったのか、本当に魔王を倒せるのかと言い出して少年に怒鳴られていた。当事者意識と言うものは、この女神様は持ち合わせていない様だ。

 銘々が好き勝手に騒いで、結局誰一人パーティから抜けるつもりは無いらしい。少年のツッコミもキレキレだ。このままで脳の血管まではち切れるだろう。

 色々な意味で場の雰囲気がもうだめになった時、ギルド内に――否、町中に大音量の放送が鳴り響いた。

 

 

 放送で呼びだされ、町中の冒険者を狩りだしてまで対処する緊急事態とは、キャベツの収穫であった。

「なんじゃこりゃーーー!!!」

「マヨネーズ持ってこーい!!」

 この世界のキャベツはキャベツと侮るなかれ、なんと栄養豊富に育つと空を飛び食われて堪るかと逃げ出すのだという。そして最後には地の果てでひっそりと朽ち果てる。そんなキャベツ達をひと玉でも多く捕獲して、美味しく頂いてやろうというのがこのクエストの目的であった。

「なんでキャベツが飛んでんだよ! なんで冒険者が真面目な顔で立ち向かってんだよ! なんであんなのがひと玉一万エリスもしやがるんだよ!」

「うむ、今年も豊作の様だな。換金額も高く冒険者達の士気も高い、今年は荒れるぞ」

 報酬はキャベツひと玉につき一万エリス。食べるだけでレベルが上がり、捕まえるだけでも経験値が貰えるという非常識さから、市場では大変人気があるのだと言う。金の在り余った王侯貴族などが、食べるだけレベルアップを施すのに使われるのであろう。

「ちくしょう! やっぱりこの世界は最低だーー!!」

「……嵐が、来るっ!」

 雄叫びをあげて、飛来するキャベツの群れに立ち向かって行く冒険者達。飛来するキャベツに剣や斧を振るい輪切りにし、魔法や放たれた矢が風穴を開けて行く。思いっきり傷モノになっているが、商品価値は大丈夫なのだろうか。

 その後方、街の出入り口では、ギルドの受付嬢達がメガホンで激励と、捕まえた後のキャベツの捕獲場所の指示を行っていた。捕まえられて来たキャベツ達が次々と檻の中に放り込まれ、清く冷たい水に漬けられて鮮度を保たれる。

 まるで辺り一帯がお祭り騒ぎ。これぞ正に収穫祭だ。

「はあ、叫んだらだいぶ落ち着いたわ。俺もう帰って寝るから、後頼むな」

「カズマが帰るなら僕も帰ろうかな。お金には今のところ困ってないし」

 そんな光景を眺めながら、最弱職の少年は馬小屋に帰って寝ても良いかと仲間達に問いかけた。キャベツが空を飛ぶ非常識な光景に、とんでもなくやる気を削がれたらしい。

 召喚士もまた他の冒険者達の様に興奮する事も無く、少年の行動を観察してそれに従おうとしている様だ。

「まあまあ、そう言わずにカズマも参加しましょうよ。捕まえるだけでお金がもらえるクエストなんて、そうありませんよ?」

「そうよ、お金ももらえる上に、捕まえればなぜか経験値まで増えちゃうのよ。ローの召喚獣を強化する、絶好のチャンスだわ! なにより、こんなお祭り騒ぎに参加しないなんて、ありえないわよ!!」

 結局は、稼ぎ時には違いないので参加するだけしてみないかと仲間達に言われ、しぶしぶとクエストに参加する事となる。

「ん……、そうとなればこの機会に、私のクルセイダーとしての力を見てもらおうか」

 まず最初に張り切ったのは、まだ正式加入していない女騎士だった。聖騎士としての実力を見てくれと喜び勇んでキャベツへと突撃し、両手持ちの大剣をブンブンと威勢良く振るう。

 振るう振るう振るう、当たらない当たらない掠りもしない。不器用だと言ってはいたがここまでなのかと少年は天を仰いだ。

「はっ!? 危ない!!」

 だが、防御力だけは一級品なのか、弾丸の様に飛来するキャベツの体当たりではダメージを負っていない様だ。それどころか窮地に陥った他の冒険者を、自らの肉体を盾にして庇って見せた。

「ぐっ、私が耐えている間に、今の内に逃げろ! クルセイダーは誰かを守る為になら、この程度の責め苦など、問題ない!!」

 鎧が剥がれても、その豊満な肉体を曝け出されても、絶対に引かないと言い放ち両手を広げて護り続ける。そんな姿に周囲の冒険者達からは称賛が、女騎士の性根を知っているカズマからはドン引きの視線が送られた。

 どうやら全身を滅多打ちにされる痛みと共に、露わになった肢体に注がれるむくつけき男達の視線まで楽しんでいる様だ。

「くぅぅっ! 汚らわしい……。堪らん!!」

「汚らわしいのはお前の思考だよ、この変態騎士!!」

 次に逸り出したのは尖がり帽子の紅魔族。興奮に瞳を明々と輝かせ、しっかりとポーズを決めながら詠唱を開始する。そして魔法が完成してから改めて名乗りを上げ、それから仕上げのカッコイイ詠唱を朗々と告げるのだ。

「我が必殺の爆裂魔法の前において、何物も抗う事など叶わず! あれ程の敵を前にして、爆裂魔法を放つ衝動が抑えられようか……、いや無い!(反語)」

 一見無駄に無駄を重ねている様に見えるこの流れこそが、紅魔族を紅魔族足らしめる必要な儀式。かっこいい事が全てに優先する、独特の美的センスなのである。

「光に覆われし漆黒よ、夜を纏いし爆炎よ。紅魔の名の下に、原初の崩壊を顕現せよ。終焉の王国の地に、力の根源を隠匿せし者。我が前に統べよ『エクスプロージョン』!!」

 放たれた爆裂魔法によってキャベツが、それに釣られた別のモンスター達が、そしてその余波で冒険者達が無慈悲に吹き飛ばされる。最前戦でキャベツに殴られていた女騎士もまた、嬉しそうな悲鳴を上げて吹っ飛んで行った。

 辺り一面に緑の球と、大の字になった冒険者達が転がった。まさに兵どもが夢の後。

「さーて、いよいよこの私の出番が来た様ね。私も活躍してくるわ!」

 そこで動き出したのは意外にも、労働嫌いの青髪女神であった。倒れ込む怪我人達に次々と回復魔法を掛け、水芸の宴会芸スキルで出した水を振る舞っている。そして、手当てした冒険者達が休憩している間に、転がっている緑の球達をせっせと回収し、ギルド職員の元にある大きな籠に運ぶのだ。

「はいはーい、冷たいお水でもどうぞー。ヒールの代金は、そこに転がってるの一つで良いわよ。んじゃ貰って行くわねー、まいどどうもー!」

 人の戦果を横から掠め取るような手段だが、なるほど施しを受けた相手からは文句は出ないであろう。善意だけでないこの狡すっからい所が、何ともこの女神らしい。

 要するに、いつもの通り好き勝手に遊び回っているのだ。

「異世界に来てキャベツ狩り……。こんなのがカエル二匹分とか、ありえねー……。もう日本に帰りたい……」

「いやぁ、退屈しない世界だなぁ。……それで、君はどうするのかな?」

 とりあえず三人分の仲間達の活躍を見終えて、最弱職の少年は深々と溜息を吐いている。その後ろに控える召喚士は惨憺たる有様にご満悦で、そうして次にため息を吐く少年がどんな行動に出るのかを期待して眺めていた。

「あーもう、しょうがねぇなぁ!!」

「しょーがねーなー」

 さしあたっては、魔力を使い果たした魔法使いの少女を回収しに向かう。潜伏スキルを使いキャベツの目を掻い潜り、一瞬の隙を突いて地に付した体を背負い、安全地帯まで送り届ける。

 その間に召喚士は巨大子犬を呼びだして、爆裂の余波で吹き飛ばされて至福の表情で倒れる女騎士を回収させる。襟首を噛まれてズリズリ引きずられる様は中々悲惨ではあるが、やられている本人は相変わらず幸せそうなので構わないだろう。こいつはもう色々と駄目だ。

「とりあえず、お試しの『スティール』!」

 リタイア組を片付けて身軽になった少年は、次にキャベツに向かい窃盗スキルを試みる。眩い光の後には、その手には活きの良いキャベツが無傷で捕獲されていた。

 教えてもらった盗賊スキルはキャベツに対して有効。となれば――

「こうなったら稼ぎまくってやる。行くぞー!!」

「フーちゃん、ヨーちゃん、出番だよ」

 この後無茶苦茶キャベツ狩りした。

 

 

 主に爆裂魔法のおかげで色々と酷い事にはなったが、街に襲来したキャベツは見事冒険者らの活躍でその粗方が捕らえられた。今は日も落ちて夕餉の頃合い、場所は既に冒険者ギルド内の酒場に移って居る。

 高額の報酬を期待できるクエストの後なので、その報酬自体は後日払いとは言え、冒険者達は大いに浮かれて今は酒場で祝勝会を開いていた。要するに乱痴気騒ぎである。

「皆、ジョッキは持ったわね? それじゃあ、かんぱーい! お疲れ様でしたー!」

 青髪女神が酒の入ったジョッキを高らかに掲げて乾杯の音頭を取り、最弱職の少年達のパーティメンバーもささやかながら宴会に加わった。思い思いに料理に手を伸ばし、快活に杯を飲み干していく。

「何故たかがキャベツの野菜炒めがこんなに美味いんだ。納得いかねえ、ホントに納得いかねえ」

 そんな中、パーティーリーダーの少年だけはキャベツの野菜炒めの味に不満を漏らしていた。美味しい物を素直に喜べないとは難儀な事だ。

「しかし、やるわねダクネス、流石クルセイダーね! あの鉄壁の守りには流石のキャベツ達も攻めあぐねていたわ!」

 酒が回れば口も回るのか、女神が女騎士の活躍について語り、その防御力に称賛の言葉を贈る。褒められ慣れていないのか謙遜しながらも、照れを隠せずはにかむ女騎士もまた、向かいに座る魔法使いの少女の爆裂魔法の威力を称賛した。

「いや、私などただ固いだけの女だ。不器用過ぎて攻撃も当たらないし、誰かの壁になって守るしか取り柄が無い。その点、めぐみんは凄まじかった。キャベツを追って街に近づいたモンスターの群れを、爆裂魔法の一撃で吹き飛ばしていたではないか」

「ふふん、紅魔の血の力思い知りましたか。アクアこそ回復魔法で怪我人を癒したり、宴会芸スキルの水で労ったりと大活躍だったではないですか」

 誉められた爆裂魔法使いはそれに当然とばかりに胸を張り、代わりに自分は戦場の支援をしていた青髪女神を流石アークプリーストと称えるのだった。

「キャベツを倒すために冒険者になったわけじゃないんだぞ……」

「そんな事言って、カズマもローもあの後、大いに活躍していたではありませんか」

 互いを褒め合って満足したのか、次の矛先は椅子の代わりに召喚した子犬に横座る召喚士と、不平タラタラの最弱職の少年へと向かう。

「そうだな、カズマは覚えたてのスキルを実に良く使いこなしていた。まるで本職の暗殺者の様だったぞ」

 潜伏スキルで敵に悟られずに死角を突き、スティールで一方的に無力化する戦法を使い、更には地面に落ちたキャベツまでを大量に確保すると言う、暗殺者もかくやと言った八面六臂の活躍を見せた職業的冒険者。

「ローは召喚獣達をここぞとばかりに暴れさせていましたね。狼と蛇がキャベツを食べるとは思いませんでしたが、あんなに優秀な召喚獣を扱えるとは見事です」

 そして巨大な狼(子犬)と大蛇(殻付き)の召喚獣を操り、大量のキャベツを二匹の胃に収めた召喚士。ただ単に、部下が暴れるのを見ていただけとも言う。倒しやすいキャベツ達を乱獲し、更には食べさせる事で召喚獣達を通して自身も経験値を入手したのだ。無論、ギルド員達は泣いた。

「……そのあとこいつは、キャベツに一発貰っただけでリタイアしていたけどなー……」

 それでもある程度はギルドの方に納品もしたし、復活した女騎士がまたモンスターとキャベツに袋叩きにされるのを救助したりと幅広く活躍してみせた。本人がキャベツの不意打ちで一撃で昏倒しなければ、更に根絶する勢いで狩り立てていた事だろう。

「カズマ……。私の名において、あなたに『華麗なるキャベツ泥棒』の称号を授けてあげるわ」

「やかましいわ! そんな称号で俺を呼んだらひっぱたくぞ!」

 お酒を沢山飲めて上機嫌な女神様は、特に少年の目覚ましい活躍を気に入った様だ。これが完全な善意であるから逆に性質が悪い。

 何もかも上手く行かない。思った通りに行かない事ばかり。前々から感じている既視感とか予感なんて、悪い方にしか役に立たない使えない。

「……ああもう、どうしてこうなった!」

「うふふふ、楽しいねぇ……」

 嘆いても、誰も助けちゃくれません。冒険者は自己責任だもの。

 

 

「改めて……、私の名はダクネス。守る位しか取り柄の無いクルセイダーだが、これからは仲間としてよろしく頼む」

 酒宴の区切りに金髪の女騎士が立ち上がり、パーティメンバーを見回して挨拶をする。場に似合わず畏まっているが、几帳面な性格な彼女らしいとも言えるだろう。この女騎士は性的趣向が変態的な以外、立ち居振る舞いは至ってまともなのである。

 彼女の宣言は、魔法使いの少女と青髪女神に快く受け入れられた。女騎士のパーティ入りは、この二人が強く賛成したからに他ならない。キャベツを狩る内に意気投合し、もう二人はダクネスを仲間として扱っていた。

 それが面白くないのは、パーティリーダーの最弱職の少年である。ただでさえポンコツを抱えるパーティに、何とかして更なるポンコツが加わわるのを阻止し様としたが叶わず。今は諦め顔でため息を吐き、キャベツをフォークでザクザクしている。

 そんな少年を見ながらクスクス笑っている召喚士は、賛成するでも反対するでも無く、純粋に面白がっている様だ。苦悩するカズマを肴にして、蜂蜜酒の入った酒杯を傾けている。優雅に酒を飲む姿がやけに似合っていて、見た目も相まってまるで貴族の様だ。

 そんな態度を取られると、収まりかけていた不満が再び沸き上がって来た。余裕そうな態度だが、この召喚士だって追い出したいポンコツの一人なのだ。むしろこの態度が原因の八割なのだ。

 何より自分の中の既視感は、女騎士が加入した事に異様なまでの危機感を覚えさせている。このままでは今まで以上に酷い事になる。確実に酷い事を起こされて、その処理に奔走させられる予感がする。この既視感は悪い方向にばかりよく当たっているので間違いは無い。未体験の経験則に、胸の内がジリジリ焦がされている様だ。

「選んでいいのは、君だと思うよ」

 何だか胃の辺りが痛む様な気がしてさすっていると、胃痛の原因がそんな言葉を掛けて来た。貴族めいて優雅に酒杯を傾けながら、視線がしっかりと少年の瞳を射抜いている。ドキリとするので、綺麗な顔で真剣に見るのはやめてもらいたい。男か女かもわからないくせに。

 そもそも何の事を言っているのか、少年にはさっぱりわからない。選ぶとはこの先の展開の事だろうか。それとも女騎士を加入させるかどうかという事だろうか。

 確かに、パーティーリーダーの自分が強固に反対して、女騎士のパーティー入りを拒めば流れは変わるかもしれない。理由は問われるだろうが、こちらの話を無下にする様な奴らではないだろう。魔法使いの少女や召喚士はしっかりと相談すれば納得してくれるだろうし、喚き散らすだろう女神は泣かせてしまえば良い。

 金髪の女騎士――ダクネスも、しっかりと説明して本気の本気で断れば、最後には納得してくれる。少し悲しげな表情をしながら、別れを告げて去って――そこまで考えて、胸の奥に痛みを自覚した。

 じんわりと、胸に痛みが浸透する。女騎士が居なくなってしまうのが、確かに寂しいと思ってしまった。あんなにも追い出したいと願っていたのに。

「君の気持に、素直になればいいと思うよ」

 また酒杯を傾けて、飲み干した杯をコトリと置く召喚士。その瞳が挑戦的に語っていた。

 君はどうしたい? どの選択肢を選ぶ?――

「しょうがねぇなぁ……」

 ぶっきらぼうに呟いて、少年もまた酒杯を口に運ぶ。反対の言葉が出てしまう前に蓋をして、吐き出しかけた言葉を酒と一緒に飲み下す。飲み干した後は、また盛大にため息を吐くだけになった。

 その様子を見て、召喚士が鮮やかな笑顔になり、肩を震わせて笑い声をあげた。どうして笑ったのかは少年にも分からないが、こやつが馬鹿笑いしているのはたいてい何時もの事なので気にしてもしょうがない。分かるのは、相当性格が悪いという事だけだ。

「どうしたの突然笑い出して。アレなの、笑い上戸なの?」

 突然笑い出した召喚士に対して、女神が見当違いな推測をし、更には自分達の有用性を語りだす。案外と、少年の自分達への評価を改めさせたいと思っているのかもしれない。それが、子供が保護者に対して大人ぶって見せる様な、見栄の産物なのであろうとも。見栄を張って、褒めて貰いたいだけだったとしても。

「それよりも、カズマ、あんたは幸運よ! これでパーティの五人中三人が上級職で、一人は中々見かけないレア職業。お得感マシマシよね。最弱職のへっぽこには、正直もったいない品揃えだわ。私達に感謝しなさい!」

 一発撃ったら動けなくなる魔法使いに、攻撃の当たらないクルセイダー。活躍してるんだか邪魔してるんだか分からないプリーストに、仲間で愉悦を楽しんでいる虚弱体質の召喚士。そしてそれらを取り纏め、舵取りを任される最弱職の冒険者。

 改めて認識すると、やっぱり不安になってくる。絶対に苦労させられる未来しか見えず、少年は自らの選択を早くも後悔し始めるのであった。

 そんなこんなで、キャベツ退治の祝勝会がそのまま歓迎会へと移行して、各々がまた好き勝手に料理に酒にと手を伸ばす。がつがつと貪る様にキャベツ料理を平らげる姿に、最早女らしさなど微塵も無かった。一人は女かどうかすらわからない。これを見てハーレムだとかいう奴は、ぜひとも立場を代わってもらいたい物だ。

 そんな事を最弱職の少年が考えていると、ふとした拍子に女騎士と目が合った。彼女は変態とは思えない朗らかな顔で笑みを浮かべ、歓迎してくれる事への思いを口にした。それは、彼女なりの意志の表明なのかも知れない。

「それではカズマ。多分……いや、間違いなく足を引っ張る事になるとは思うが、その時は容赦なく強めに罵ってくれ。これから、よろしく頼む」

「こいつアレだ。ただのドMだ……」

 変態性癖の表明に、思った事がついつい口に出る。それすらもまた、相手を喜ばせる事になっても言わずには居られない。全くどうしてこうなった。

 それでも、この幸せそうな顔を曇らせずに済んだ事は、それだけは本意だったかもしれない。



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第四話

 金髪の女騎士が正式にパーティの一員になって、最弱職の少年が最初にした事は自身の強化であった。

 幸いな事にキャベツ狩りのおかげでレベルも上がり、盗賊スキルの他にも便利な技能を覚える余裕が出来ていた。その狩りの最中に知り合った冒険者達に教えを請い、『片手剣』と『初級魔法』のスキルを獲得するに至る。 

 そして銀髪の盗賊娘――クリスから巻き上げた資金を使い、ジャージ姿から異世界に馴染む様な服装へと衣服を変えた。その他にも革製の胸当てや金属製の籠手と脛当て等で防御力の底上げを図る。

 少し短めだがマントも羽織って、これで漸くと一端の冒険者らしい姿になれた。ジャージ姿ではファンタジー感がぶち壊しだと言う、青髪女神による駄目だしも収まる事だろう。

「……ほう、見違えたではないか」

「おおー。カズマが、ようやくちゃんとした冒険者に見えるのです」

「今までお前達の目には、俺はどんな風に映っていたんだよ……」

 最早溜まり場になっている冒険者ギルドの一角で、早速の新装備姿をお披露目する。以前に買っておいたショートソードを腰に差して、盾を持たない魔法剣士スタイルで行こうと思うと宣言もしていた。

 先の発言を見るに、仲間からの評判は概ね良好の様である。金髪の女騎士は腕を組みながら感心し、尖がり帽子の魔法使いは歓声を上げている。

「ふふん、この私のコーディネイトなんだから、貧弱なカズマでも一丁前位には見える様になるわよね」

「調子に乗るな駄女神。他人の金だからって、あーだこーだ無責任に注文付けて来やがって、鬱陶しくて仕方なかったわ」

 懸念の青髪女神は少年の装備一式を買う際に一度見ているので、称賛は自分の手柄だと満足げに頷いていた。コーディネイトとは言うが、実際にしていたのは因縁を付けるかの様にダメ出しをしていただけである。

 特に発言の無かった召喚士は、最弱職の少年の冒険者らしい姿に大変満足してニコニコと笑顔になっている。ご満悦しきりで今にも踊り出しそうだ。何が嬉しいのか理由は良くわからないが、そんなに喜ばれると少年的にも気恥ずかしくなってしまう。なにせ顔だけは良いのに、あどけない少女の様に笑うのだから。

「ゴホン……。あー……っと、せっかく新装備に新スキルを手に入れた事だし、今日はこれから適当なクエストにでも行かないか?」

 気恥ずかしさを誤魔化す様に一度咳払いして、最弱職の少年は新装備と新スキルを試す為に、一同にクエストに行く事を提案する。

 その提案にふむと頷いて、金髪の女騎士が繁殖期に入ったジャイアントトードの討伐クエストが手ごろだと答えた。街道の近くまで来ているし、買い取り価格も高いので確かにお得なクエストである。

「「カエルは止めよう!!」」

 そしてすかさず、青髪女神と魔法使いの少女が異議を唱えた。息ぴったりで叫んだ後に、頭を抱えながら身悶えし始める。まるで身の内から湧き上がる、忘れられない悪夢から逃れようとするかの様に。

「いったいどうしたのだ、この二人は。カエルは刃物が良く通るし、金属製の鎧を着ていれば丸呑みにされる事も無いから危険性が少ないというのに」

「そいつらは前にカエルに丸呑みにされて、それ以来トラウマになってるんだよ。ほら、前に粘液でどろどろになってるのを見たって、ダクネスも言ってただろ? あの時にさ」

 少年の説明になるほどと納得する女騎士。そして頬を赤らめ、目を閉じながら息を荒げ始める。おおかた、自身もカエルに丸呑みにされて、粘液ヌルヌルにされる所を妄想して興奮したのだろう。

「カエルが駄目となると、他に手頃なのは無いかな。なるべく、安全で簡単そうな奴が良いんだが」

 最弱職の少年がそう提案すると、魔法使いの少女と女騎士が依頼の張り出してある掲示板の前に移動した。あの場で話し合うよりも、実際にクエストを見ながらの方が建設的だからだろう。興味を引かれたのか召喚士もその後に続いて、珍しく少年の傍を離れた。

「うーむ、カエルほど手軽となると、やはりゴブリンやコボルトの討伐等だろうか」

「その二種類のクエストは、どうやら貼り出していないようですね。人気のあるクエストですし、先に他のパーティが持って行ってしまったのでしょう」

 冒険者ギルドの一角で、一際目立つ沢山の張り紙がなされた大きな掲示板。その前に立ち、一枚一枚に目を通して、最弱職の少年の要望通りの無難なクエストを探していく。

 幾分か冒険者としての経験のある女騎士がクエストを提案し、それを知力が高く知識もある魔法使いの少女が吟味して判断する。普段の言動はアレだが、己の長所を生かすとなるとこの二人は途端に優秀になるのだ。

 しばし、あーでもないこーでもないと女騎士と魔法使いが相談する中、召喚士は沢山の貼り紙の中から一枚を手に取った。自発的な行動をあまり見せない召喚士が動いた事で、相談していた二人は興味を惹かれ召喚士の手元の紙を両側から覗き見る。

「ん……、深夜の共同墓地に出没するゾンビメーカー退治のクエストか」

「強さ的には程よい感じですね。それにアンデッドモンスターなら、プリーストのアクアのレベルも上げられます。なかなか良い目の付け所じゃないですか」

 女騎士と魔法使いも、このクエストは良い物だと判断した様だ。

 プリーストもアークプリーストも、どちらも支援職である以上、直接的な攻撃能力には恵まれていない。そのせいでレベルが上げにくいのだが、唯一の例外がアンデットモンスターだ。不死の属性を持つ者には、神から与えられた奇跡の力は逆に作用する。なにより不死者相手に有効な呪文もあるので、聖職者達はこぞって悪魔やアンデットを狩るのである。

 そんな事情を知るからこそ、レベルを上げ辛い青髪女神の為にもなるクエストならば、優先させるのに二人は異を唱えはしなかった。

「では、これをカズマに受けて貰える様に説得しないといけませんね」

「説得は私がやろう。カズマは判断力があるから、きちんと説明すれば了承してくれるはずだ」 

 クエストの用紙を召喚士から受け取り、魔法使いを伴って女騎士が少年達の方へと戻って行く。最弱職の少年と青髪女神は何を話しているのやら、ぎゃーぎゃーといがみ合っている様だ。

 いや、女神がテーブルに突っ伏して泣き始めた。恐らく少年に口喧嘩で負けて、反論できなくなったのだろう。とかくあの青髪は良く騒ぎ良く泣く。童女の様に体裁など構わず、火の付いた様に大声でわんわんと泣き喚くのだ。

「……何をやっているんですか? ……カズマは結構えげつない口撃力があるので、遠慮なく本音をぶちまけていると大概の女性は泣きますよ?」

「うむ。ストレスが溜まっているなら……。アクアの代わりに私を口汚く罵ってくれて構わないぞ」

 冷静に状況を分析する魔法使いの少女と、ぶれない性癖を吐露する女騎士。そして、こっそりと泣き真似をしながらチラチラ様子をうかがっている女神に、現状に頭痛を覚えて顔を顰めている少年。

 そんな四人を眺めながら、今日も召喚士は楽しそうに微笑んでいる。嬉しそうに状況を楽しんで、この後の事を思ってもきっと笑うのだろう。

 この召喚士は、その為にここに居るのだから。

「ダクネスさん着やせするタイプなんですね……」

「む。今、私の事を『エロイ身体をしやがって、この雌豚が!』と言ったか?」

「言ってねーよ! ……やっぱり女は顔や体より中身だな……。」

「おい、今私をチラ見した意味を聞こうじゃないか。紅魔族は売られた喧嘩は全て買いますよ」

「落ち着けロリっ子、貴重な一発をこんな所で使うな。おい、アクア。お前も少しは話し合いに参加――ってこいつ寝てやがる!?」

「……すかー…………。むにゃむにゃ……、えへへ……しゅわしゅわもういっぱーい……」

「ぶふっ……」

「ローもそんな所で笑ってないで、こっち来て話し合いに参加してくれ! あーもう、どうしてこうなった―!」

 とりあえず、そこらの大道芸より面白い事は間違いない。

 

 

「ちょっとその肉は私が狙ってた奴なのよ! あんたは野菜でも食べてなさいよ、焼けてる奴取ってあげるから!」

「俺、キャベツ狩りの後から野菜が苦手なんだよ。なんか焼いてる最中に飛び跳ねそうで」

 日が傾いて空に茜が差し始め、夜の帳が落ち切るには少し早い夕餉の頃合いに。今日も今日とて騒がしい最弱職の少年御一行は、町外れの共同墓地の近くまで移動していた。

 今はクエストまでの時間を潰す為に、夕食として持ってきた食材でバーベキューをしている。鉄板の上でこんがり焼かれる肉や野菜を啄んで、アンデットが現れるという夜を待つ。

 戦いに来たと言うにはえらい暢気な雰囲気ではあるが、討伐対象のゾンビメーカーは雑魚の部類で警戒する程でもない。更に此方には対アンデッドのスペシャリストが居るので、心配すらしていないのだ。

「クリエイトウォーターでコーヒーの粉の入ったカップに水を注いで……、ティンダーで下から温める。すると即席のコーヒーの出来上がり、……ってな」

「すみません、私にもお水下さい……。って言うか、どうしてカズマは、魔法使いの私より初級魔法を使いこなしているのですか」

 覚えた魔法を使うのが楽しいのか、水筒代わりに最弱職の少年は器用に魔法を使いこなす。本来ポイントの無駄とまで言われる初級魔法だが、彼が使うと生活力向上に非常に役立ってしまうのだ。

 この世界の常識を知らないが故に、セオリーを無視して柔軟な発想を見せる。平均よりも高い知力を余さずに振るい、類を見ない発想力で他を圧倒する作戦を組み立てる。これは彼の強みであろう。

 そんな才能を遺憾なく発揮して、掌に生み出した土塊を風魔法で撒き散らし、馬鹿にしてきた青髪女神に目潰ししている。正に、魔法使いよりも器用な魔法の運用であった。

「なるほど、クリエイトアースとウインドブレスは、こうやって使う魔法か」

「違いますよ! と言うか、やっぱり魔法使いよりも器用に使いこなしてますよね!」

 そうこうしている間に、夜が更けて行った。

 辺りの気配が完全に静寂になった頃。たき火を消してランタンの明かりに移し替え、一行は暗闇の中を墓地に向けて進行する。明かり一つない周囲には、どこか怖気を誘う冷たい空気が張り詰めていた。職業柄、霊的な物に一番敏感な青髪女神は、己の両肩を抱きながら身を震わせる。

「……冷えて来たわね。何だかゾンビメーカーなんて小物じゃなくて、物凄い大物が良そうな予感がしてきたんですけど」

「止めろよ、そういう事言うの! フラグになったらどうするんだ!」

 相変わらず、緊張感の欠片も無く騒ぐ青髪女神と最弱職の少年。フラグと言う言葉の意味は分からないが、女騎士も魔法使いの少女も呆れ顔だ。

「いいか、今回の目的はゾンビメイカーの討伐と、ゾンビの浄化だけだ。それ以外のイレギュラーがあればすぐ撤退するぞ」

 パーティーリーダーの作戦指示には、流石に全員が素直に頷いた。一番防御力の有る女騎士を先頭にして、いよいよ共同墓地の敷地に侵入する。

 敷地内に入ると直ぐに、少年が敵感知のスキルに反応がある事を告げて来た。

「一体、二体……三体、四体……? おかしいな、ゾンビメーカーの取り巻きは、こんなに多くないって聞いてたのに。もしかして、ゾンビメーカーじゃないのか?」

 最弱職の少年が考え込むそぶりを見せると同時、墓場の中に青白い光が走った。墓場の中心から湧き上がったそれは、墓場全体に広がって辺りをぼんやりと照らしている。原因が分からない事は恐怖ではあるが、その光景は怪しくも幻想的にも見えた。

「あーーーーーーっ!!」

 そんな最中、青髪女神が突然大声を上げて墓場の中心へと走り出す。前衛とか後衛とか、そもそもクエストしている自覚も無い様に、がむしゃらに目的地へ突っ走る猛烈な前進である。そんな女神に悪態をつき、いち早く追従したのは最弱職の少年であった。

 その後に遅れて反応した女騎士が続き、魔法使いと召喚士も歩調を合わせて二人を追いかける。

「よくもこんな所に、リッチーがのこのこと現れたものね! この女神アクアの名に置いて、成敗してやるわ!」

 果たして、駆け付けた三人が見たものは、呆れ果てて肩を落とした少年の背中。そして、青白い光を放つ魔法陣を踏み荒らす自称女神と、その腰に縋りつく黒いローブの人物であった。

「や、やめやめ、やめてええええっ! 誰なの!? どうしていきなり現れて私の魔方陣を壊そうとするの!? やめて、やめてくださいー!」

「うっさいわね! どうせこの怪しげな魔方陣で碌でも無い事企んでるんでしょ、なによ、こんな物! このっこのっくぬぅ!」

 げしげしと、それはもう容赦なく足で魔法陣を消しにかかる自称女神。黒いローブの女性は、必死にその腰に縋りついて止めてくださいと拝み倒している。あまりの容赦の無さに、最弱の冒険者もドン引きの様子だ。これではもう、どっちが女神何だかわかりはしない。

「この魔方陣は成仏できない魂を天に返す為の物なんです! お願いですから壊さないでくださいー!」

「リッチーの癖に何生意気なことしてんのよ! そう言うのは、この高貴なアークプリーストである私がやってやるわ。皆纏めて『ターンアンデット』!!」 

 先程からの言動を見るに、女神の腰に縋りついているのはアンデッドモンスターのリッチーらしい。リッチーは別名をノーライフキング、不死者の最上位に位置する上級モンスター。駆け出し冒険者の街の付近にどうして出没しているのかはわからないが、とりあえず今分かるのは青髪女神がそれに喧嘩を売っているという事だけだ。

 リッチーと言う言葉を聞いて、魔法使いの少女がさっと女騎士の背後に隠れる。袖口をきゅっと捕まれて、強敵との出会いに顔が緩んでいた女騎士の顔もさすがに引き締まった。

 この魔法使いの少女は普段は尊大な態度だが、イレギュラーな事態には不安が隠せなくなる様だ。女騎士もまた、自身の性癖より仲間の気遣いを優先できるだけの分別を持っている。

「あの様子では戦闘にはなりえないかもしれないが、二人は私の後ろに控えていてくれ」

 不安げな少女を安心させる様に力強く言い、女騎士は少年の隣に並び立ち追いついた事を伝えていた。魔法使いの少女はその言葉に頷いて、言われたとおりに身体の陰に隠れて様子を伺う。

 最後尾の召喚士は周囲をキョロキョロと見回して、他に脅威が無いかを確認していた。目の前の光景が派手なだけに、全員の注意が集まっているので念の為の確認作業である。

「きゃー! 消えちゃう、私の体が消えちゃう! やめっやめてー! 成仏しちゃうー!」

「あーっはっはっはぁっ! 愚かなるリッチーよ! さあ、私の力で欠片も残さず消滅するがいいわっ!」

 さながら悪の大幹部と言った邪悪な表情で、不死属性特効の魔法を広域に展開した自称女神。その浄化の白い光を浴びて、周囲に居たゾンビはもちろんリッチー本人も悲鳴を上げて慄いていた。抵抗らしい抵抗もせずに浄化されかけて、身体を半透明に薄れさせている。ひたすら狼狽えて泣き喚くその姿に、ノーライフキングの片鱗など欠片も無い。

「おい、やめてやれ」

 その光景を見て流石に哀れに思ったのか、最弱職の少年はダガーの柄で自称女神の後頭部を強打した。

 油断していた所に思い切り殴られて、言葉も無く自称女神は頭を抱えて蹲る。地の底から響き渡る様な、苦悶の声を長々と上げて頭を撫で擦っていた。少年は割と遠慮なくぶん殴っていたが、ステータスの差からかこの程度で済んだ様だ。

 女神が蹲った事で浄化の白い光が消えて、共同墓地内が再び闇に包まれる。女神の浄化魔法で、地面に描かれていた青白い魔法陣も完全に消滅してしまった。

「お、おい、大丈夫か? えっと、リッチー……でよかったか? うちの狂犬が迷惑かけたな」

「うう……、酷い……。あ、だ、大丈夫です。あの、危ない所を助けていただき、本当にありがとうございました」

 最弱職の少年が半透明のままでへたり込むリッチーに声を掛けると、彼女は黒いフードを外してから立ち上がり丁寧にお礼を返して来た。そう、リッチーの正体は長い亜麻色の髪の、おっとりとした雰囲気を持つ妙齢の美女であったのだ。

 その正体が意外だったのか少年はしげしげと彼女を観察し、そして身体の一点を見つめて鼻の下を伸ばす。そのバストは豊満であった。

 それを見て、魔法使いの少女がわざとらしく咳払いし、少年を乳の世界から引き戻す。ちなみに、女騎士は初対面の女性の胸をガン見する少年に、その鬼畜さにうっとりした表情を見せていた。

「はっ!? えっと、さっき魂を天に返すとか言ってたが、どうしてあんたがわざわざそんな事をしていたんだ? そういうのはそこのアクア見みたいな聖職者の仕事だろう?」

「ちょっと! この偉大な女神様の頭になんてことしてくれんのよクソニート!! それに、そんなばっちいのと話してたら穢れが移っちゃうわよ! いいからこの私に、ターンアンデット掛けさせなさいよ!」

 気を取り直した少年が事情聴取を開始したのだが、それを復活した女神が喚きだして邪魔をする。その剣幕に押されて、体がようやく元に戻ったリッチーは少年の背後に隠れてしまった。それで良いのかノーライフキング。

「そ、その……。私は見ての通りノーライフキング――リッチーなんてやってます。それで、一応アンデッドの王なので浄化の真似事みたいな事が出来まして、この共同墓地の彷徨える魂達を天に送り届けていました。……この墓地は葬儀も上げられない様な貧しい方達が多く埋葬されていて……、その……」

 彼女は言葉を濁したが、要するに金が無いから誰も葬式をしてくれず、成仏できない魂が毎夜野放しになっているので、仕方なしに彼女が代わりに天に送り届けていたという事だ。地獄の沙汰も金次第、いわんや現世の聖職者なら尚更である。

 そんな話を聞いて、その場に居た全員の視線が聖職者の青髪女神に集まった。自称女神はそっぽを向いて、やたら上手い口笛を吹いて誤魔化そうとしていた。

 その態度に腹筋をやられて、召喚士がぶはっと吹き出し倒れ込む。散々聖職者がどうのと言って居た奴が、立場が逆転し追い詰められればさもありなん。

 事情を説明されて、冒険者の少年の中ではこのリッチーを退治する気など完全に霧散していた。それどころか、異世界に来てから初めてまともな人に出会えたと感動し、彼女の人情に涙ぐんでさえいたのだ。こんないい人を、狂犬女神の餌食にさせるわけにはいかない。

「事情は分かったんだが、ゾンビを生み出すのだけは何とかならないか? 俺達はゾンビメーカーの退治を依頼されてきただけなんだ。出来ればそれだけでもなんとかやめてもらいたい」

 そうすれば、わざわざ彼女の邪魔をする必要も無くなる。その様に説得した所、リッチーの女性は困った顔を浮かべながら、ゾンビは自身の魔力に当てられて勝手に動き出しているだけだと説明してくれる。こればかりは彼女自身にも解決できる事ではなく、墓場から新鮮な死体が無くなるはずもない。魂も彼女が浄化しなければ彷徨い続けて、他の事件を引き起こしてしまう可能性がある。

 再び全員の視線が、我関せずとしていた自称女神に集中した。むしろ突き刺さった。

「おい駄女神。神の掟に逆らうリッチーですら、こんな風に街に善行しているのに、女神を自称するお前は何にもできないのか? やっぱりお前はただのごくつぶしのろくでなしなのか?」

「ちょっ! 分かったわよ! この私が定期的に、ここに来て浄化してやろうじゃないの! だから駄女神とか何もできないとか言わないでよ! ちゃんと役に立ってるって証明するんだから!」

 共同墓地の魂の救済は、最弱職の少年の口車により女神様が請け負ってくれることになりました。

 後はこのリッチーをどうするかだが、話してみればこの不死王は今までに一度も人を襲った事は無いらしい。それどころか、アクセルの街の中に魔道具店を開いているとかで名刺まで渡して来た。この街の警備状態は一体どうなっているのだろう。

 彼女の処遇については少年はこのまま解放して見逃すことを提案。女神は強固に浄化を進言し、豊満リッチーを大いにビビらせる。しかし、彼女が一度も人を害していないと言う言葉を聞き、意外にも女騎士と魔法使いの少女も見逃す事に賛成してくれた。

 最後まで成り行きを見守っていた召喚士はちらっと、期待した目を向けて来る青髪女神を見やってニッコリ笑いかけ、そのままの笑顔で少年に賛成する。どうやら一度期待を持たせてから落として、そのリアクションを楽しみたかったようだ。女神は泣いた。召喚士は嗤った。

 賛成多数でリッチーは解放され、別れ際に自身の名前をウィズだと教えてくれる。最弱職の少年の一行は、アクセルの街に住むリッチーのウィズと、こうして知り合う事となった。

「そういえば、ゾンビメーカーのクエストはどうなるのだ?」

「「「あ」」」

「ぶふっ……」

 最後の最後での女騎士の呟きに、女神も魔法使いも最弱職も凍りつき、召喚士が一人だけクスクス笑う。

 その後暫く少年のパーティは、ゾンビメーカーという雑魚のクエストも失敗するパーティだと噂される事となったのだった。

 

 

 キャベツのクエストから数日。今日はその報酬が支払われるという事で、冒険者ギルド内はかつてない賑わいを見せていた。受付カウンターは報酬の受け取りの為に混雑し、併設の酒場では現金を手に入れた冒険者達が朝から飲めや歌えの大宴会だ。隙間を縫う様にして、短いスカートの給仕達が忙しなく動き回っている。

「見てくれカズマ。キャベツ討伐で壊れた鎧を修理のついでに強化してみたのだが、どうだろうか?」

「なんか貴族のボンボンが成金趣味でつけてる鎧みたい」

「んっ……! 私だってたまには素直に褒めて貰いたいときもあるのだが……、カズマはどんな時も容赦ないな!」

 リーダーに新品の鎧を褒められようとして、逆に罵倒されて喜んじゃう女騎士。そんなコントを横目に見ながら、今日も今日とて召喚士は蜂蜜酒を傾ける。

 視線を横に向ければ、今度は新調した杖を足に挟んでくねくねしている魔法使いの少女が見えた。マナタイトで強化され増幅率の上がった杖は、彼女にしてみれば身体を擦り付けたくなる程の宝物なのだろう。だが、これではただの痴女である。妙にハァハァ言っているので、流石の少年でも匙を投げて放置していた。

 そして、一人だけ儲ける為に今回の報酬を個人の物とすると主張した青髪の女神は、報酬の支払われる受付で悲痛な叫び声を上げていた。

「ちょっと、どういう事よ! なんで私の報酬だけこんなに安いのよ! 私がどれだけキャベツ集めたと思ってんの!? 十や二十じゃない筈よ!」

「それが、申し訳難いのですが、アクアさんの捕まえて来た物は殆どがレタスでして……」

「なぁんでレタスが混じってるのよー!!」

 窓越しに、例の金髪の受付嬢の胸ぐらを掴んでがっくんがっくん揺さぶる青髪女神。その度にぶるんぶるん豊満な胸が揺れて、周りの冒険者達とついでに最弱職の少年の視線も上下に揺れる。散々に喚いて食い下がったが報酬が上がる事は無く、青髪女神は肩を落としてメンバーの元に戻ってきた。

「かーずーまー、さん。今回の報酬はおいくら万円?」

「……百万ちょい」

「「「ひゃっ!?」」」

 猫なで声で近寄ってきた女神の質問に、いやそうな顔で応答した最弱職の少年の言葉に、召喚士以外のメンバー全員が驚愕の声を上げた。

 キャベツのクエストは確かに換金率の良いお得なクエストだが、一人で百万もの大金を稼ぐなど尋常ではない。聞けば彼の集めたキャベツは特に栄養価が高く、経験値も豊富で高額で買い取りされたのだと言う。流石は人並み外れた幸運の持ち主である。

 その話を聞いた女神の顔も尋常ではなかった。だが、それを取り繕う様にしなを作って、憂いを帯びた顔で少年にしなだれかかる。本人的には、色仕掛けを仕掛けているつもりの様だ。無駄に演技が上手い。

「えっとその、前から思ってたけどカズマさんって、そこはかとなくいい感じよね!」

「ええーい、黙れ! なんか無性に今の言葉がイラっと来た! 特に誉める事が思いつかないなら黙ってろ! そうでなくても、金なら貸さないからな!」

 口を開いてボロを出した女神の言葉に、少年はまるで一度言われたことがあるみたいな妙なキレ方をした。既視感と言うよりも、これはもう本能的な拒絶に近い。取り繕うにしても、もっと他に言い方は無いのだろうか。

 そっけないどころか、突然罵倒された女神はついにガン泣きしながら少年に縋りついた。テーブルの上に乗り上げて、器用にがくんがくんと襟元を掴んで揺さぶる。これが女神かと言いたくなる、全力での物乞い姿勢であった。

「カズマさん、カズマ様! お願いお金貸してぇ! 私、今回のクエストで大金が入ると思って、この酒場に結構な額のツケが溜まってるの!!」

「知るか! この金でいい加減、住む所を改善するんだよ! 何時までも馬小屋暮らしなんかしてたら、冬には凍死しちまうだろうが!」

「ツケ払う分だけでいいからぁっ! お金使っちゃって全然ないし、ギルドの隅で怖い人達がこっち見てるから、お願いしますカズマ様ぁ!!」

 基本的に、冒険者は定住を好まず住居は格安の馬小屋で済ませる者が多い。家が買えるほど儲かる冒険者が少ないという事もあるが、一定の場所に長く留まる冒険者が少ないというのが一番の理由であろう。

 だが、そんな赤貧の冒険者でも、金を使ってでも宿に泊まる時期がある。寒さが厳しくなる上に稼ぎが少なくなる冬場、暖房も無く隙間風も多い馬小屋で就寝するのは命に係わるからだ。

 馬小屋生活に普段から不満の有る最弱職の少年は、さっさと定住できる家を購入したいと常々思っていた。魔王討伐なんぞ自分以外の転生者がやれば良い。彼にとっては、危険の少ないアクセルの街で過ごすのが一番なのだ。

 そんな少年の発言に何を思ったのか、青髪女神は口元に手を当てて余裕ぶった笑みを浮かべる。腰をふりふり、妙に煽情的な仕草で言葉を続けた。

「まあ、カズマさんが夜中一人でゴソゴソしてるのは知ってるから、早くプライベートの保てる部屋が欲しいのはわかるけど……」

「よし分かった! 五万でも十万でも貸してやるから黙ろうか!!」

 ぶぱっと召喚士が酒杯を傾けたままで吹き出して、酒が気管に入ったのがごほごぼと咳き込みながら床に倒れ込んだ。殆ど息が出来ないのに笑いの衝動が収まらず、目の端に涙を溜めながら命がけで笑いびくんびくん痙攣する。その死にそうな様子に慌てて女騎士と魔法使いの少女が駆け寄り、背中を擦ったり声を掛けたりして介抱し出す。

「あわわわ、今だかつてない良い笑顔でローが死にかけてますよ! 体力が少ないのに咳き込んで、更に呼吸困難になっているみたいです!」

「これはいかん、めぐみん、背中を擦ってやるんだ。アクア、ローが大変な事に、早く回復魔法を!」

「えへへっ、仲間って最高よね! 私達って最高のパーティだわ!」

 そんな惨状を尻目に、カズマから現金を受け取った自称女神は、上機嫌でガラの悪い男達へツケを返しに行くのだった。その最高の仲間とやらは今、一人減りそうになっている。

「はー……、どうして……。いや、いつも通りこうなったな……」

 最弱職の少年の言葉には、色濃い疲労と諦観の感情が山盛りになっていた。

 

 

 ツケは返したが所持金は増えた訳ではない。なので早速クエストに行こうと青髪女神が提案し出した。

 杖や鎧を新調して試したくてしょうがない魔法使いの少女と女騎士はその提案を快諾。前回のクエストで碌にスキルを試せなかった最弱職の少年も、クエストに行く事自体には全く反対は無かった。召喚士はカズマの意見に従うだけである、何も問題は無い。

 問題はクエスト掲示板の方にあった。

「カズマ、これだ! これにしよう! ブラックファングと呼ばれる巨大熊の討伐を!」

「却下だ、却下! おい、何だよこれ! 難易度が高いクエストしかないじゃないか!」

 そう、何時もなら低難易度から高難易度まで所狭しと張り紙がされるクエスト掲示板は、今は高難易度で誰もやらない様な塩漬けクエストしか無く閑散としている。掲示板の前でわいのわいの騒いでいると、例の金髪の受付嬢が近づいてきて理由を説明してくれた。

 曰く、近隣に魔王の幹部が住み着いてしまい、低レベルのモンスターはそれを恐れて皆隠れてしまったらしい。そのせいでクエスト自体が発行できず、その解決には王都からくる腕利きの冒険者を待たなければならないのだとか。要するに、冒険者は暫く収入の宛が無いという事だ。

「な、なんでよおおおおおおおっ!!」

 また青髪女神が悲鳴を上げたが、今回は流石に全員が同情の視線を向けるのだった。

 そんなこんなで、その日はクエストに行く事も出来ずにパーティは解散。各々は自分にやれる事をやるしかないとの方針で、全員バラバラに過ごす事となった。つまり行き当たりばったりである。

 女騎士は、実家で筋トレをしてくると帰って行った。どうやら宿暮らしをしているわけでもない様なので、アクセルの近郊に家があるのかもしれない。

 魔法使いの少女と最弱職の少年は、する事も無く暇なので毎日、町の外に出かけては爆裂魔法をぶっ放している。なんでも具合の良い廃城を見つけたとかで、そこを狙って日課の一日一爆裂を決めているのだとか。最初はしぶしぶ付いて行った少年だが、日が経つに連れてその散歩を楽しみにする様になった。雨の日も雪の日も、二人仲良く出かけては街まで届く爆音を奏でている。

 現金収入が無いと生きていけない青髪女神は、日夜アルバイトに励んでいた。昼は高いステータスに物を言わせて肉体労働に勤しみ、夜は造花作りの内職をせっせとこなして日銭を稼ぐ。もう何処に出しても恥ずかしくない、立派なアルバイトの女神である。

 今回珍しく最弱職の少年について行かなかった召喚士は、そんな女神のアルバイトに付き合っていた。体力を使う仕事は苦手としたが、逆に頭を使う仕事にはめっぽう役に立つ。女神では出来ない様な事務仕事や、その女神がさぼらない様に監視をすると言った貢献を見せる。特に手先の器用さでは女神を上回り、造花の内職は瞬く間に成果を見せるのだった。

 そうして、資金難に喘ぐ女神に儲けの一部を渡して、その余りを更に貯蓄に回す。女神に金を融通したのは、先日に思いっきり泣かせてしまった事へのお詫びらしい。人を嘲笑うばかりだった召喚士のこの行動には、どんな裏があるのだろうと仲間達は首を傾げるばかりであった。

 そんな生活が一週間程続き。最弱職の少年が爆裂魔法ソムリエになった頃、ようやく物語は進展を見せた。

「『緊急! 緊急! 全冒険者の皆さんは、直ちに武装し、戦闘態勢で街の正門に集まってくださいっっ!』」

 冒険者ギルドが発する緊急招集の放送がアクセルの街に響き渡る。普段世話になっている――財布の紐を握っているとも言えるギルドの放送を無視する等、そんな度胸の有る冒険者などそうは居ない。最弱職の少年達一行も他の冒険者達に習い、準備をしっかり整えてから正門へと集合した。実家に行っていた女騎士も、やはり放送が聞こえる範囲に家があるのかしっかりと合流を果たす。

 正門前には冒険者で人垣が出来ており、緊張感を伴いつつおもいおもいにざわ付いている。どうして呼びだされたのか理由を聞かされては居ないが、先に来ていた彼等は既に理由を察知している様だ。後から来た者達も、彼らの視線を辿りその理由に思い至る。

 はたして、そこに居たのは漆黒の騎士であった。街の周囲の小高い丘に陣取って、首の無い馬に跨る首の無い騎士。それはアンデッドとも妖精とも言われる、人々に死を告げる不吉の象徴――デュラハンだ。

 首無しの騎士は人が集まり切ったと見たのか、手に持った己の首を前に掲げ、そしてその首から厳かに言葉を発する。

「……俺は、つい先日、この近くに越して来た魔王軍の幹部の者だが……」

 やがて、首がプルプルと震えだして、続けられた言葉は怒気を孕んでやや上ずった物になった。

「まままま、毎日毎日毎日毎日っっ!! おお、俺の城に、毎日欠かさず爆裂魔法を撃ち込んでく頭のおかしい大馬鹿は、誰だあああああああー!!」

 魂から、心の奥底から、怒りを解き放つような叫び声が響き渡る。魔王の幹部様は、それはもうお怒りだった。

 何かに耐え続けていたが、我慢しきれずにとうとうキレてしまったと言わんばかりのデュラハンの叫びに、人垣を為す冒険者達は再び騒めき始める。皆、犯人に心当たりがあるのだ。

 爆裂魔法と言えば、アクセルの街では有名な使い手が一人いる。一週間の間毎日どこかへ出かけ爆音を響かせていた人物で、それ以前からも爆裂魔法を使って幾つもの逸話を作り出した有名人。周囲の視線が一斉に件の人物、少年のパーティの魔法使いの少女へと集まった。

 視線を向けられた少女――めぐみんは、一瞬たじろいだものの、直ぐに真顔になって視線を逸らした。周囲の視線もそれにつられて逸れて、その先に居た別の魔法使いの女の子に集中する。視線を擦り付けられた女の子は堪った物ではない。自分じゃないと必死な様子で喚き、首無し騎士に命乞いを始めてしまう。

 冷や汗を流して俯いていた魔法使いの少女だが、流石に女の子が不憫になったのか大きくため息を吐いた。そして、心底いやそうな顔でゆっくりと、しかし確かな足取りで前に出る。

 そんな背中を呆然と見送る最弱職の少年だったが、その背中をポンと軽く押す者が居た。視線を向けてみれば、緩く微笑んだ召喚士がじっと見つめ返してくる。その横で金髪の女騎士もまた、青髪女神の背を押して魔法使いの少女の後を追おうとしていた。召喚士の気持ちもまた、同じなのだろう。

 仲間を一人だけ矢面に立たせる訳にも行くまいと、少年もまた腹をくくる。要するに何時もの――

「しょうがねぇな……」

 呟いてから追いついた先では、漆黒の首無し騎士が目前にやってきた少女に怒りをぶちまけている所であった。

「お前が……! お前が、毎日毎日俺の城に爆裂魔法を撃ち込んでくる大馬鹿者か! 俺が魔王軍の幹部と知っていて喧嘩を売っているなら、堂々と城に攻めてくるがいい! その気が無いのなら、街で震えているがいい!」

 この幹部は喋っている間にヒートアップするタイプの様だ。よほど毎日の爆裂魔法が堪えたらしく、激しい怒りが収まらずにだんだん口調が妖しくなって来る。

「ねぇ~、どうしてこんな陰湿な嫌がらせするのぉ? どうせ雑魚しか居ない街だと放置しておれば、毎日毎日ぽんぽんぽんぽんぽんぽん撃ち込みにきおって……っ!! 頭おかしいんじゃないのか、貴様ぁっ!」

 全身を怒りにプルプル震わせて、指まで突きつけながらの大絶叫。溜まりに溜まった物を全て吐き出してやったと、いっそ爽快感さえある名調子であった。

 魔王軍幹部の迫力ある言葉に一瞬たじろぐが、魔法使いの少女は直ぐに気を取り直してマントをばさりと翻す。そしていつも通り、堂々と己が名を突き付ける。

「我が名はめぐみん。アークウィザードにして、爆裂魔法を操る者……!」

「……めぐみんってなんだ? 馬鹿にしてんのか?」

「ちっ、違わい!」

 滅茶苦茶怒っている所に、紅魔族独特の名前を出されれば誰しも勘違いはするだろう。首無し騎士の冷静なツッコミに慌てて反論する少女であったが、直ぐに気を取り直して言葉を続ける。

 自身が紅魔族にして、この街随一の魔法使いである事。爆裂魔法を毎日撃ち込んでいたのは、幹部である首無し騎士をおびき出す作戦であった事。そして、まんまとその罠にはまったのが運の尽きだと杖を突き付ける。

 自信満々な物言いだが、彼女の仲間達は大いに訝しんだ。

「おい、あんなこと言ってるけど、いつの間に作戦になったんだ? 一日一回撃たないと死ぬって騒いでたから、連れてってやってたはずなんだが」

「……うむ。しかもさらっと、この街随一の魔法使いだとか言い張ってるな」

「しーっ! 今日はまだ爆裂魔法使ってないし、後ろにたくさんの冒険者が控えてるから強気なのよ。今良い所なんだから、ここは黙って見守るのよ!」

 散々な言われ様で、それが聞こえたのか魔法使いの頬がほんのり赤くなる。それでも杖を突き付けるポーズを崩さないのは、彼女の紅魔族故の底意地であろう。

「なるほど。そのいかれた名前は、俺の事を馬鹿にしていた訳ではないのだな」

「おい、両親からもらった私の名に文句があるなら聞こうじゃないか」

 種族が紅魔族だと知って、首無し騎士は大いに納得した。爆裂魔法を放てる事も、名前が独特な事も。名前を貶められた少女が何時もの様に激昂するが、首無し騎士は気にした素振りも見せない。

 そもそもからして、この首無し騎士は大勢の冒険者に囲まれても至極冷静だ。流石は魔王軍の幹部と言うことか、それほどの実力を持ち自分自身を信じているのだろう。

「フン……、まあいい。俺はこんな雑魚ばかりの街に用はない。ここには調査の為に留まっているだけだからな。それが終わるまでは暫くあの城に滞在する事になるだろうが、これからは爆裂魔法は使うな。いいな?」

 言葉通りひよっこぞろいの冒険者達など眼中になく、首無し騎士はそれだけ言って立ち去ろうとする。どうやら本当に苦情を言いに来ただけらしい。

 そんな背中に、爆裂魔法少女が声を掛け引き留めた。

「無理です。紅魔族は一日一発、爆裂魔法を撃たないと死ぬのです」

「お、おい、聞いた事が無いぞそんな話。適当な嘘を吐くな!」

 この時点で、この二人の小気味いいやり取りを見守っていた者達は、もっと見ていたい衝動に駆られていた。いかつい鎧の騎士が、ちっちゃな少女に食い付かれてたじろぐ。傍から見ていれば中々に良い見世物だ。

 背後に控える召喚士など、先程から口を抑えながら笑いっぱなしである。その隣の青髪女神も、状況の推移をワクワクしながら見守っていた。完全に傍観者である。

 首無し騎士は掌に頭を乗せたままで、器用にやれやれと肩をすくませた。

「では、どうあっても爆裂魔法を止める気はないというのだな? この俺は魔に堕ちたる身とは言え、元騎士だ。弱者を刈り取る趣味は無い。だが、これ以上の城周辺での迷惑行為には、断固たる手段を取らせてもらうぞ」

 打って変わって剣呑な気配を見せる首無し騎士に、魔法少女がびくりと怯えて後退る。しかしそれも数瞬、背後にいる自称女神をちらりと見てから、薄い胸を張って力強く宣言した。

「あなたがあの城に居座るせいで、仕事が無くて迷惑しているのはこちらの方です。フッ、余裕ぶって居られるのも今の内ですよ。先生! お願いします!」

 盛大な啖呵と共に、道を譲る様に横に退き、青髪女神を首無し騎士の視線に晒す。なんとあれだけ言っておきながら、最終的にアンデッドのスペシャリストに丸投げしたのだ。

 いきなり話をゆだねられた自称女神は、しょうがないわねーとか言いながら結構乗り気になっていた。先生呼ばわりが結構嬉しかったのかもしれない。

「ほう、プリーストではなくアークプリーストか。駆け出し冒険者の街にしては珍しい」

 だが、自称女神がアークプリーストだと察知しても、驚きはすれどもやはり首無し騎士に動揺は無い。浄化魔法はアンデッドの弱点のはずだが、何か対策でもしているかの様な余裕ぶりである。

「こんな街に居る、低レベルのアークプリーストなど怖くも無い。ここは一つ、紅魔族の娘を苦しませてやるとしよう」

 そんな言葉と共に、首無し騎士が左手の人差し指を魔法使いの少女に差し向ける。その仕草に、咄嗟に自称女神が反応して魔法を唱えようとするが、今からでは間に合うはずもない。指差しの呪いに詠唱は必要ないのだから。

「汝に死の宣告を。お前は一週間後に死ぬだろう」

 指差しの呪いが告げられようとした瞬間、少女を押しのけて女騎士がその前に庇い出た。彼女の全身をどす黒い霧の様な物が包み、だがそれも瞬き程の間に消え失せる。

「なっ! ダ、ダクネス!?」

 自身に被害が及ぶよりも悲痛な声を上げて、魔法使いの少女が女騎士の元に駆け寄った。他の仲間達も心配そうに集まり声を掛けるが、当の本人は確かめる様に手を何度かワキワキと握り、何の痛痒も無いと若干残念そうに告げる。

 そんな女騎士の体をぺたぺたと自称女神が触る中、首無し騎士は勝ち誇った様に宣言した。

「その呪いは今は何とも無い。若干予定は狂ったが、仲間同士の結束が固い貴様らにはその方がちょうど良いだろう。……よいか、紅魔族の娘よ。このままではそのクルセイダーは一週間後に死ぬ」

 その言葉に、今まで強気だった魔法使いの少女の顔が、絶望に染まり青ざめる。そこへ追い打ちをかける様に、首無し騎士の言葉が続いて行く。

「ククッ、お前の大事な仲間は、それまで死の恐怖に怯え、苦しむ事となるのだ……。そう、貴様の行いでな! これより一週間、仲間の苦しむ様を見て、己の行いを悔いるがいい」

 少女は俯いてしまい、帽子に隠れて顔が見えなくなったが、その全身がカタカタと震えているのが分かる。その様子に満足したのか、ついには首無し騎士も上機嫌に笑い出した。

「クハハハ! 素直に俺の言う事を聞いておればよかったのだ!」

「なんと言う事だ! つまり貴様は、この私に死の呪いを掛け、呪いを解いて欲しければ俺の言う事を聞けと! つまりそういう事なのだな!」

「えっ」

 呪いを掛けられたはずの女騎士の言葉に、その上機嫌な笑いが止まった。むしろ何を言われたのか理解できなくて、思わず素で返したらしい。これには最弱職の少年も、理解したくないと顔を渋面に染めていた。

「ああっ! どうしようカズマ!」

「はい、カズマだよ……」

「この私は呪いごときには屈しない、屈しはしないが……。見ろ! あのデュラハンの兜の下のいやらしい目を! あれは私をこのまま城まで連れて帰り、呪いを解いて欲しければ黙って言う事を聞けと、凄まじいハードコア変態プレイを要求する変質者の目だ!」

 変質者はお前だろ――少年の渋面には、そうありありと描かれていた。

 大衆の面前で、突然変質者呼ばわりされた首無し騎士は、えっえっと戸惑うばかりで何も言えない。少し前まで魔王の幹部として絶望を振りまいていたのに、今はもうただの変質者扱いされているので致し方ないだろう。

 その間にも妄想を加速させる女騎士は、どんどんヒートアップして行く。

「この私の体は好きに出来ても、心までは自由にできると思うなよ! ああっ! どうしようカズマ、思ったよりも心が躍るシチュエーションだ! 私も出来る限り抵抗してみるから邪魔しないでくれ! では、行ってくりゅ!!」

「きちぃ……」

 最早女騎士の言動に引き気味の首無し騎士は、愛馬もろとも迫って来る女騎士から後退る。いまだかつて、言動だけで魔王軍幹部をここまで慄かせた者が居たであろうか。居てほしくない物である。

「止めろ行くな! デュラハンの人が困ってるだろうが!」

「ああっ、離せー! 止めてくれるなー! 止めろー!」

 流石に行かせる訳にも行かずに、最弱職の少年が羽交い絞めにして止めに掛った。首無し騎士があからさまにほっとして胸を撫で下ろす。

 女騎士は泣き喚きながらまだ向かって行こうとしているので、首無し騎士は若干早口で捨て台詞を捲し立て始める。最弱職の少年のステータスではこの女は抑えきれない、食い止めていられる時間は少ないのだ。

「と、とにかく、もう爆裂魔法は撃つなよ! それから紅魔族の娘よ、クルセイダーの呪いを解きたければこの俺の城に来るがいい。最上階の俺の部屋まで来れたのなら呪いを解いてやろう」

 その言葉に、俯いていた魔法使いの少女がハッと顔を上げる。その視線を受けた首無し騎士が悪役ムーブを思い出し、尊大な態度を取り戻す。

「だが、城には俺の配下のアンデッドがひしめいている。ひよっこ冒険者達に辿り着く事が出来るかな? ククククッ、クハハハハハハハッ!! あ、もう来た!?」

 ついに女騎士が拘束逃れたのを確認し、首無し騎士は慌てて転移魔法で帰って行った。その姿が完全に消えた所で女騎士が辿り着く、まさにタッチの差での逃亡である。これもまた、『緊急クエスト魔王軍幹部撃退』完了と言う事だろうか。

 あまりと言えばあまりな展開に、その場の全員が呆然とする中、青い顔のままの魔法使いの少女がふらりと歩き出した。行先は街の中ではなく、魔王軍幹部の城がある外を目指している。

「おい、どこに行く気だ。何をしようって言うんだよ」

「ちょっと廃城まで行って、デュラハンに直接爆裂魔法をぶち込んで、ダクネスの呪いを解かせてきます」

 先程まで震えていた少女は、今ではもうその紅の瞳に覚悟を宿していた。このまま放っておけば、本当に一人で行ってしまう事だろう。一日一発しか魔法が撃てないくせに、撃った後は身動きすらできなくなるくせに、それでも彼女は仲間の為に行くのだろう。

「そんなの、俺も一緒に行くに決まってんだろ? お前一人じゃ、雑魚相手に魔法使ってお終いだからな。それに俺も、毎日一緒に居ながら幹部の城だって気づかなかった間抜けだし」

「……じゃあ、一緒に行きますか」

 普段は命がけの行動など金を貰ってもやりたくないと言う最弱職の少年は、引き留めた少女に向かって同行を提案する。巷では鬼畜だ何だと言われていても、仲間の為ならば命を懸けられる、それがこの少年なのであろう。

 言われた少女は暫く渋い顔をしていたが、やがて諦めた様に肩の力を抜いて同行を認める。一人では何もできないというのは自分自身が良く知っていたし、一人きりにさせられないと言ってくれる仲間が居る事が何より嬉しかった。このパーティに入ったのは、間違いではないと確信させられる。

 なんだかいい雰囲気を出しながら、敵の城へと乗り込もうと計画する、そんな二人の肩をぽんぽんと叩く者が居た。それはにやーっと意地の悪い笑顔を浮かべる召喚士で、そのまま二人の視線を女騎士の方へと誘導する。

「『セイクリッド・ブレイクスペル』!!」

 視線の先では蓮の花を冠する杖を構えた青髪女神が、今まさに呪いを解除する為の魔法を唱えた所であった。どんなもんよと自慢げにする自称女神の傍らで、しょんぼりとした女騎士が地面に指でのの字を描く。

 それを見届けた少年少女は、そんな事が出来るなら早く言えよ――と渋面を作るばかりであった。

「せっかく出した、俺達のやる気を返してくれ……」

「ぶはっ! あははははははははっ!!」

 その顔を見て、召喚士は二人を指をさしながら声を出して笑いだす。魔王軍幹部が居た間は流石に声を出すのを自重していた為か、辺りに響き渡るほどの大音量で爆笑し、屋外にもかかわらず倒れ込んで笑い転げる。

「紅魔族は、売られた喧嘩は全て買うと言いました!」

 緊張の糸が切れ、怒りと恥ずかしさで衝動が振り切れた魔法使いの少女が、召喚士に向かって飛び掛かって行った。



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第五話

 魔王軍幹部を撃退してから、何事も無く一週間が過ぎた。

 あれから爆裂散歩に付き合う事も無く、さりとてクエストがあるわけでもなく、暇を持て余した最弱職の少年は溜まり場の酒場の一席で仲間と共に過ごしている。掲示板の内容が復活していないか確認するのが、毎日の日課になってしまった。

 今日も朝から蜂蜜酒を舐める召喚士を横目に見ながら、仕方ないので今日はどうやって過ごそうかと仲間達と相談している。すると、珍しく静かだった青髪女神が机に手をついて立ち上がり、突然喚き始めるのだった。

「もう限界! クエストよ! きつくても良いから、クエストを受けましょう!」

 深刻な顔をして何を言うのかと思えば、もうバイト生活は嫌なのでクエストでガツンと儲けたいらしい。懐の淋しい自称女神とは違い、金銭に余裕のある最弱職と魔法使いの少年少女は難色を示した。

「私は構わないが、私とアクアだけでは火力不足だな……」

 唯一賛成した女騎士も、二人だけでは危険だと言いその視線を最弱職の少年に向ける。この少年さえ動けば、召喚士も自動で着いて来るからだろう。

 見られる少年は、もうわざわざ危険な事なんぞしたくない――と態度で表している。乗り気でないその態度を見た青髪女神は、ついには泣きだし始めてしまった。

「お、お願いよおおおおお! もうバイトばっかりの生活は嫌なのよお! コロッケが売れ残ると店長が怒るの!!」

「……確かに、あそこの肉屋は酷かったね」

 同じバイトに付き合っていた召喚士が、惨状を思い返したのかぼそりと呟いた。自己主張のあまりないこの召喚士が言うのだから、自称女神の被害も相当なのだろう。

「頑張るから! 今回は、私、全力で頑張るからあぁっ!」

 涙ながらの訴えに、反対していた二人が顔を見合わせる。流石に哀れに思ったのか、何時もの『しょうがねぇなぁ』と共に青髪女神にクエストを探して来るよう指令が飛んだ。それを受けて、嬉しそうな顔で青髪女神が掲示板へと駆けて行く。泣いたカラスがもう笑う。喜怒哀楽がはっきりしている所が、このフーテン女神の長所であろう。

「カズマ、一緒に見に行ってあげてくれませんか? アクアに任せておくと、とんでもない物を持って来そうで……」

「……だな。まあ私は別に、無茶なクエストでも文句は言わないが……」

 女騎士と魔法使いの少女の意見に、冒険者の少年は嫌な予感がしたのか慌てて青髪女神を追いかけて行った。追いついた先で早速その青い頭をしばいているが、あの調子ならばまともなクエストを選んでくれるだろう。

「まったくアクアは、手のかかる奴だな」

「悪い人では無いのですけどね。でも、あんな風に元気に騒いでいる方が、アクアらしいかもしれません」

 その意見には召喚士も同意した。あの騒がしさはこのパーティを面白くする要員の一つだし、彼女が居なければきっとこのメンバーが集まる事も無かっただろう。何しろ目立つ女性である故に。

「そう言えば、ローはキャベツの報酬で何か買い物はしなかったのか? 特にそれらしい物を買った様には見えないのだが、良ければ私にも見せてはくれないか?」

「そうですね。防具が新しくなった様にも見えませんし、召喚士は武器や杖を使うタイプでもありませんしね。アクアのアルバイトにも付き合って居るのは、お金を使い切ってしまったからだと思っていましたが」

 もしやそのローブの下に秘密兵器でも隠しているのでは!?――と目を輝かせて興奮し出す魔法使いの少女。紅魔族は物理的に目が光るので分かりやすい。女騎士の方も話に挙げただけあって、召喚士の金の使い道に興味がある様だ。

 熱烈な視線を注がれる召喚士は、くいっと一度酒杯を傾けてから、それをコトリとテーブルに置いた。

「使い道が無いから、今はお金を溜めているだけだね」

 特に隠し事など無く、面白味も無く説明が終わってしまう。貯金をしているだけだと言われてしまうと、いささか肩透かしのある話であった。それでもめげずに、少しでも面白い事を引き出そうと魔法使いの少女は話を続けようとする。 

「何か欲しい物とかは無いのですか? 武具の買い物に行くなら、この私がかっこいいデザインの物を選んであげます!」

「め、めぐみんのセンスでかっこいい物か……。それはともかく、皆で買い物に行くのもたまには良いかもしれないな」

「おい、私のセンスに文句があるなら聞こうじゃないか」

 きゃいのきゃいのと買い物について盛り上がる二人は、やはりこれでも女の子なのであろう。性別不詳の召喚士も皆で出かける事については快諾する。イベントがあると言うのは退屈しなくていい事だ。

「小物を買ったりするのは賛成かな。武具については、僕にはあまり必要が無いから遠慮しておくよ」

 だが、それはそれとして、溜め込んでいるお金は武具に使うつもりは無いとも断言する。召喚士と言う職業には、武器や防具を整える必要性があまりない。モンスターテイマーと違い使役する獣の食費に悩む事も無いので、純粋に使い道が無いだけなのだ。

「きっと、このお金の使い道は見つかるさ。近い内にね」

 そう言って、無駄に整った顔で片眼を閉じて見せる。俗に言うウインクと言う奴だ。

 異性にやられればときめく心もあるのだろうが、何だが同性にやられている様な気がして女子二人には効かなかった。それどころかちょっとムカっとしたぐらいだ。性別を明かさないくせに生意気な事をしやがって。

「……なんだか、ちょっとムカついたので、一発ぶっ放しても良いですか?」

「うむ、私もなんだが一発ぶん殴りたくなった。たまには攻めるのも悪くないだろう」

「ちょっ!?」

 珍しく召喚士が笑顔以外に慌てた顔を見せた。最近は魔法使いの少女から遠慮が無くなり、女騎士もまたからかいに制裁を加える事にした様だ。

 そんなこんなしていると、青髪女神と皆のリーダーが返って来る。

「おーいお前ら、クエストが決まったぞ」

 張り紙を持って声を掛けて来る少年に、召喚士は慌てて駆け寄りその背後に隠れる。女騎士と魔法使いはその後を追って、リーダーを挟んで睨み合う。そんな仲間達に、最弱職の少年は呆れたままで話を続けるのだった。

「何やってんだお前ら……」

「女同士の軽いスキンシップです。カズマは気にしないでください」

「いや、こいつはどう見ても男だろう。って、そんな事よりクエストが決まったぞ。安全にクエストをこなす策も、すでに考えてあるんだ。皆も聞いてくれ」

 そこで一度言葉を区切り、全員に見える様にクエストの用紙を掲げて見せる。そこには湖の浄化の依頼と書かれている。ブルータルアリゲーターが出没する様になったので、居なくなるまで湖の浄化をして欲しいとの事だ。あくまで浄化が目的なので、討伐まではしなくて良いらしい。確かにこのクエストなら、モンスターの対処さえできれば難易度は低いだろう。

 そして、皆のリーダー、最弱職の少年は宣言する。

「この湖に、アクアを檻に入れて浸ける」

 この男はやっぱり鬼畜だと、全員の心が一つになった瞬間であった。

 

 

「ねー……。私、ダシを取られてる紅茶のティーバッグの気分なんですけど……」

 檻の中に入れられた青髪女神が、下半身を水に浸けながらそんな感想を漏らしていた。少し前までは『売られていく希少モンスターの気分』と言っていたので、ずいぶんと自己評価が下がった物だ。

 ブルータルアリゲーターが住み着いたという、濁った水質の湖に冒険者一行は到着していた。街の水源の一つと言う事もあり、その大きさはそれなりの規模を誇っている。この湖を半日で浄化できるというのであれば、やはり自称女神のステータスは優秀なのであろう。

 最弱職の少年の考えた作戦は至ってシンプルな物だった。水の浄化自体は自称女神が一人で行えるが、その間にモンスターに襲われる心配があるため護衛が必要らしい。そこで魔法を使う間自称女神を安全な檻に入れて、モンスターが手出しできない様にしようとこの様な形になったのだ。

「今日はめぐみんが静かだな。何時もだったら中二っぽい事言って、湖ごとぶっ飛ばそうとするだろうに」

「ああ、確かに……」

「二人は私の事をなんだと思っているのですか。フッ……、我が究極の爆裂魔法はワニ如きには使うまでもないのです」

「普段はぽんぽん使いまくるくせに……」

 水の浄化自体は彼女が水に触れていれば自然と行われるらしいので、檻を浅瀬に沈めて水に触れられる状態にした。自称女神は水の中に入れられても呼吸に困らず、まる一日居ても不快感を感じないらしい。流石は女神を自称するだけはある。

 そんな訳で、現在絶賛浄化中。仲間達は少し離れた小高い丘の上で、湖に浸かる自称女神を眺めていた。一応仕事中であり、不測の事態に備えなければならないので監視は怠れない。だが、それ以外にやる事も無いのでぶっちゃけ暇である。

「おーい、アクアー! 浄化は順調かー? ずっと浸かってると冷えるだろ。トイレ行きたくなったら言えよ。オリから出してやるからー!」

「浄化は順調よー! 後、トイレはいいわよ! アークプリーストはトイレなんか行かないし!」

 大声を出せば意志疎通は出来る距離だが、交わす内容が何とも俗っぽい。だがこれで、何かあれば青髪女神の方から、大声で知らせて来るであろう。

 万が一を考えて、檻は湖の傍の大岩に鎖で繋いである。もしも青髪女神がギブアップを申し出るようなら、その鎖を馬に引かせて檻ごと撤退すれば良い。それでも駄目なら、女騎士を囮にしている間に爆裂呪文を詠唱し、準備が整ったら召喚士の狼に女騎士を回収させて一網打尽にすれば良い。完璧な作戦だ、と最弱職の少年は自信満々である。

「あいつは一昔前のアイドルか……。あの様子じゃ、まだまだ余裕そうだな」

「ええ、大丈夫そうですね。ちなみに、紅魔族もトイレ何て行きませんから」

 唐突に、聞かれても居ない事を主張し出す魔法使いの少女。自称女神もこの少女も、普段からモリモリ飲み食いしているのに強気な発言である。

「わ、私も、クルセイダーだから、トイレは……トイレは……。……うう……」

「ダクネス、この二人に張り合うな。トイレ行かないって言い張るめぐみんとアクアには、今度、一日じゃ終わらないクエスト受けさせて、本当にトイレに行かないか確認してやる」

「や、やめてください! 紅魔族はトイレなんか行きませんよ! でも、謝るのでやめてください……」

「……くっ、流石は私の見込んだ男だ!」

「ぶぷっ……」

 トイレ一つの話題でこうも面白おかしく騒げるこの一同。檻を湖に入れる際、女騎士と共に運ぶのを手伝った巨大な狼の毛繕いをしながら、何時もの様に召喚士が含み笑いする。

「しかし、まったく敵が出てきませんね。もしかしたら、このまま何事も無く浄化が完了するかも」

「おいっ! そんなフラグみたいな事を言うんじゃない。そんな事言ってると――」

 立ててしまったら、もう取り消せないのがフラグと言う物。注意しようと思った時にはもう遅く、そして着実に事を為している。立てられたからには、最高の仕事をするのがフラグなのである。

「カ、カズマー!! なんか来た! ねえ、なんかいっぱい来たー!」

 静かだった湖畔に、けたたましい叫び声が響き渡った。

 

 

「とりあえずこっちは四人居るし、二人ずつで交代で見張ろう。最初は俺とめぐみんが見張りで、檻の運搬してくれた二人は先に休憩しててくれ」

「お、おい! この状況でアクアを放っておくのか!?」

 女神様は今、大量のワニに群がられて先程から悲鳴を上げっぱなしでいる。それでもモンスター移送用の檻は頑丈で、歪みはしても中の自称女神には傷一つ無い。だが怖いものは怖いので、悲鳴は上がるし必死な様子で浄化魔法の詠唱が続いていた。あれならば半日も経たずに浄化は終了するかもしれない。

 女騎士の指摘に、鬼畜少年は当たり前だろと言わんばかりの顔を見せる。実際、彼の中では女神の放置は決定事項であった。

「さっきギブアップするか聞いたら、金が欲しいから嫌だと言ったのはあいつだぞ? だったら檻が壊されるかあいつがピンチになるまでは、放っておくしか出来ないだろう」

 浄化を始めてから、まだ全体で四時間ぐらいしかたって居ない。良いとこ半分ぐらいが終わった所であろうか。もう四時間かそこらは掛かる物と思った方が良いだろう。全員で見守っているのも芸が無いので、体力温存の為に交代制で見張りを立て様と提案したのだが、仲間達には不評の様であった。

「こ、この男、真顔で言いきりましたよ……。仲間が魔物の群れに襲われているのに、のんびり休憩なんて出来るわけないじゃないですか!」

 魔法使いの少女は憤慨しているが、仲間の一人の召喚士は言われたとおり、また愛犬の毛繕いを再開している。実際、あの数のワニ達に手を出して、こちらに襲い掛かられても困るだけなのは確かだ。全員一緒に逃げるのでなければ、最初に立てた作戦も使えない。爆裂魔法は一度きりの切り札であるし、何より自称女神を置いて行くなどもってのほかだ。

「今あそこに行っても被害者が増えるだけだし、何とか出来そうな奴は俺に賛同しているみたいだぞ?」

「くぅぅぅっ! なんと言う鬼畜外道の所業……。アクアが羨ましい……」

「おい、あの群れに突っ込んで行ったりするなよ」

 レベルの上がった召喚士は呼びだす召喚獣のレベルも上がったらしく、以前は巨大な子犬だった銀の毛並みの狼も、今は逞しい成犬ならぬ成狼の姿になっている。力はもちろんの事、俊敏性も非常に高く成長しており、最早カエル位であれば余裕で撃破できるだろう。体の大きさも子犬の時の倍程になっていて、抱き付けば体毛に埋もれて見えなくなりそうだ。

 そんな巨狼であれば、確かにワニ達の翻弄位は出来そうではある。問題は飼い主にやる気が全くない事だろうか。

「アクアがギブアップするなら直ぐに助ける。ギブアップしないならこのまま見守る。俺達の仕事は最悪の事態の回避なんだ。気持ちはわからんでもないが、今できる事は体力の温存だぞ」

 諭す様な少年の言葉に、知能の高い魔法使いの少女は、納得は出来なくとも理解はしてしまったらしい。むーっと唇を引き結んで、不満顔のまま黙り込んでしまった。

 女騎士も心配そうな顔をしたままだが、それ以上の追及はしない。なんだかんだで、最終的にはリーダーの意見に従ってくれる様だ。

「『ピュリフケーション』! 『ピュリフケーション』ッッ!! わああああーっ! オリが、オリが変な音たててる! アァーハァーハアアアー! イヤアアアアー! 『ピュリフケーション』! 『ピュリフケーション』ッッ!! 『ピュリフケーション』ッッッ!!!」

 湖畔には相変わらず、呪文の連続詠唱と甲高い叫び声だけが響いている。

 少なくともあの悲鳴が続いている間は、自称女神が元気な証拠であろう。ワニ達に全く相手にされない冒険者達は皆、もう呆然とそれを眺めるばかりである。

「なんか、猿の鳴き声みたいだな……」

「「「ぶふっ!!」」」

 少年の何気ない呟きに笑ったのは、召喚士だけではなかった。

 

 

 湖の浄化が開始されてから七時間が経過。浄化が完了した湖は濁りを完全に取り払われ、すっかりと透明さを取り戻していた。その透明度は湖の底まで見える程で、初めから居たのか帰ってきたのか魚の泳ぐ姿まで見える。

 湖を浄化しろと言うクエストとしては、これ以上ない出来栄えであろう。

「おーい、アクア? ワニ達はもう居なくなったぞ。いい加減出て来いよ」

 その功績を果たした功労者は、今だ檻の中で体育座りをしながら俯いていた。最弱職の少年が話しかけても反応が無い。虚ろな目をしながら、ベコベコになった鉄格子をぼんやり眺めているばかりだ。

「アクアー、アクア様ー。おい、返事位しろよ! いったいどうした?」

 周囲が安全になったので仲間達も全員、檻の周りに集まってきた。反応が無いのを心配したのか少年が強めに声を掛けると、青髪女神の肩がびくりと跳ねて、やがて瞳の端から涙がこぼれて嗚咽が漏れ始める。放心から戻ってきて安堵したら、気が抜けて感情が発露したのだろう。膝を抱えながらくずくずと鼻を啜っていた。

「まったく、泣くほど怖かったんならさっさとリタイアしろよ……」

「アクア、私達で話し合ったのだが、今回の報酬金三十万はお前一人の物にすると良い。私達は何もしていないし、辞退しようと思う」

「帰りましょう、アクア? もう怖いワニ達は居ませんよ」

 未だに立ち上がろうともしない青髪女神を心配して、魔法使いの少女や女騎士が鉄格子越しに優しい声かける。それ程までに疲弊した青髪女神は弱々しく見えていた。普段の溌剌さは見る影もない。

 そんな事をしていると、召喚士が湖岸に荷車を引く馬を横付けし、こちらに向けて手を振ってきた。声を掛ける代わりに、すぐ傍の狼がバウッと良く通る声で一度吠える。それを確認した少年は、多少強引にでも連れだそうかともう一度檻の中を覗き込む。

「……れてって……」

「……何だって?」

 ようやく何かを囁いたかと思えば、掠れ声の上にか細くて聞き取れない。何とか聞き取ろうとして、少年は限界まで檻越しに顔を近づける。

「……おりのそと、こわい……。このまま、まちまでつれてって……」

 青髪女神の心に、また一つ大きなトラウマが刻み込まれたらしい。

 

 

 結局、あの後は頑として動かない自称女神を、檻ごと荷車に乗せる事になる。作業自体は女騎士と召喚士の狼がやってくれた。力のある二人には苦でもなかった様だ。

 帰り道は順調。馬が狼を怖がるので乗り物を召喚して居られず、途中でバテた召喚士が荷車に腰かけている位で、他には問題も無かった。問題と言えば、街の中に入ってからが問題である。

「でーがらーし、めーがみーがー、うられていーくーよー……」

 街中を檻を乗せた馬車が通るだけでもかなり人目を引く。中に居るのが体育座りの女と言うのも、注目に拍車をかけるだろう。その上この女は歌うのだ。己のこれからの境遇を呪うかの様に、暗鬱とした声と音色で旋律を響かせる。そのおかげでもう、冒険者達は奴隷商もかくやと言った佇まいになっていた。

「おい、もう街の中に入ってるんだから、いい加減にその歌は止めろよ。つーか、とっとと檻から出て来いよ!」

「いや……。このなかこそがわたしのせいいき……。このおりだけがわたしをまもってくれるの……」

 町人の視線に耐えかねた最弱職の少年が、説得を試みるもあえなく失敗。ついには宴会芸の女神から、檻の女神へとジョブチェンジした様だ。くたびれた檻の中を聖域にする女神など、見た事も聞いた事も無い。

 さてどうしたものか――と少年が腕を組んで悩んでいると、その思案は響き渡った男の声に遮られた。

「め、女神様っ!? 女神様じゃないですかっ! 何をしているのですか、そんな所で!」

 全身を高級そうな鎧に包んだ男が一人、大声を上げながら駆け寄って来る。何事かと荷馬車を止めると、在ろう事かその男は荷車に飛び乗り、自称女神の入った檻を素手でこじ開けた。数時間もの間、ブルータルアリゲーターの群れの攻撃を防ぎ切った特製の檻だと言うのに、それを飴細工の様に鉄格子をひん曲げるとは呆れた膂力である。

 そのまま闖入者の男は、自称女神に手を伸ばす。男の方は自称女神を知っているかのような振る舞いだが、肝心の女神の方は怪力に呆然としていてそれどころでは無い様だ。

 反応が無い事を気にも留めずに、そのまま男は女神の手を取ろうとして、その前に肩を掴まれて動きを阻害された。

「……おい、私の仲間に軽々しく触れるな。貴様、何者だ? 知り合いにしては、アクアがお前に反応していないのだが」

 邪魔をされた男は振り向いて、阻害してきた相手を見やる。女騎士――ダクネスが、仲間を守る為に珍しく、本当に珍しくきりりと顔を引き締めていた。とても、ワニの群れに襲われる自称女神を羨ましそうに見ていた奴と、同一人物とは思えない凛々しい姿である。

 女騎士に向き直った鎧の男は大仰に肩を竦めて、如何にも厄介ごとに関わってしまったと言わんばかりの態度を取った。いきなり押しかけて来て器物破損までしたというのにずいぶんな態度である。普段、性癖さえ発露して居なければ冷静な女騎士が、苛立ちを顔色に表していた。気障な相手に嫌悪感でもあったのだろうか。

「おい、おいっ、アクア。あれお前の知り合いなんだろ? 女神様とか言ってたし。この状況を何とかしてくれよ」

 女騎士が鎧男を睨み付けている間に、最弱職の冒険者は檻の女神に小声で話しかける。上の空だった檻の女神は、女神と言う単語にだけびくりと反応してみせた。

「……女神……?」

「そーだよ……」

 むしろそれ以外の何だと言うのか。たとえ宴会芸の女神だろうが檻の女神だろうが、女神は女神だと言うのに。

 言葉の意味がようやく浸透したのか、消沈していた女神は檻の中で突然立ち上がり元気よく声を張り上げた。

「ああっ! そう、そうよ! 女神よ! 私は!」

 どうやら、言われるまで自分自身が女神であることを忘れていたらしい。あっけらかんと喜色満面となり、大切な事を思い出したと瞳の輝きを取り戻していた。

「この女神である私に、この状況を何とかしてほしいのね。まったくしょうがないわねー!」

 それから、自分が頼られているという喜びからか、あれ程出たがらなかった檻から脱出を決意する。もたもたしながら何とか檻の隙間から抜け出して、両手を腰に当てて胸を張り、ふんぞり返りながら宣言した。

「さあ! 女神の私に何の用かしら!?」

 そこでようやっと、鎧男と女神の視線が交差する。男の方は少し嬉しそうな顔をしていた。まるで会いたかった憧れの人に再会できた事を喜んでいるかの様だ。

「……あんた誰?」

 その笑顔が、女神の一言で凍り付いた。

 その言葉により女騎士の睨み付ける視線が強まり、最弱職の少年も訝しんでいる。いや、鎧男の驚愕の表情を見て、女神の方が忘れているのだと確信した様だ。自分の正体すら忘れる様な奴なのでさもあらん。

「僕ですよ! 貴女に魔剣グラムを頂いて、この世界に転生した御剣響夜ですよ!」

 流石に面と向かって存在を忘れられたのはショックだったのか、鎧男は大声で自己紹介をし始めた。それでも女神の方はピンと来ない様子で首を傾げている。憧れの人に名前すら忘却された男の姿は、ひたすら滑稽であった。

 最弱職の少年には今のやり取りで鎧の男――転生者であれば若いはずなので青年だろうか――の正体が掴めたらしい。未だに理解できて居ない青髪女神に、鎧の青年の正体をこっそり耳打ちしてやる。

「……ああっ! あーあー、そう言えば居たわねそんな人も! ごめんね、すっかり忘れてたわ。だって結構な数の人を送ったし、忘れてたってしょうがないわよねっ!」

 確かに言ってる事は間違いないが、それを本人に言うのはどうかと思う。言われた鎧の青年は、流石に苦笑いで受け止めるしかなかった。

 ようやく思い出してもらえた青年は、端整な顔立ちに微笑みを浮かべながら女神に話しかける。いわゆるイケメンと言う物だろうか、最弱職の少年が嫌そうに顔を背けた。

「お久しぶりです、アクア様。貴女に魔剣グラムを頂いてから、今日まで精進して来ました。職業はソードマスターで、レベルも37になったんですよ」

 そう言って、宝物の様に腰に下げていた剣を両手で捧げて見せる。傍から見ていれば、確かに女神に拝礼する勇者にも見えるだろう。

「ところで、アクア様はどうしてこの世界に? というか、なぜ檻に閉じ込められていたのですか?」

 何も事情を知らずに見れば、護衛を引き連れた男が檻に閉じ込めた女を移送して居る様にしか見えないのだから、この質問はもっともである。たとえ事実が、女神が自分で檻に閉じ籠っていたのだとしても。

 鎧の青年はチラチラと最弱職の少年に視線を送り、何者なのかと警戒している様だ。この様子だと、本当の事を言っても信用はしないかもしれない。

「はぁ!? 女神様をこの世界に引きずり込んで、檻に入れて湖に浸けた!? 何を考えているんですか君は!」

 それでも、全ての事情を理解した最弱職の少年は、親切にも乱入してきた青年に事実を説明してあげた。そしてその反応として胸ぐらを掴まれて揺さぶられ、至近距離から怒鳴られている。

 それを慌てて止めたのは、話の中心の女神であった。

「ちょちょ、ちょっと! 私はもうこの世界に連れてこられた事は気にしてないし、毎日楽しく過ごせてるから何も問題は無いわ! 檻に入れられてたのはクエストの為だし、報酬はなんと三十万よ三十万! それを全部くれるっていうの!」

 この女神はくだらない嘘を平気で吐くし、間の抜けた隠し事は平気でする。だが、少年に世話になって居る事に感謝しているのは本心なのだろう、この女神にしては最大級のフォローをしていた。

 しかし、鎧の青年はその言葉に憐憫を浮かべて、キッと最弱職の少年を睨み付ける。

「……アクア様、この男にどう丸め込まれたのかは知りませんが、こんな目に合されてたったの三十万ぽっちだなんて……。貴女の扱いは不当ですよ」

 どうやらこの青年は、女神が貰う報酬を少年がピンハネしていると思い込んだ様だ。実際は報酬を全額渡しているのだが、この青年の金銭感覚では三十万と言う金額ははした金らしい。

「ちなみに、女神様は今どちらで寝泊まりされているんですか?」

「え? そ、それは……、皆と一緒に馬小屋でだけど……」

 唐突な話題の変更に戸惑いつつも、女神がしどろもどろに答える。恐らくは、少年と一緒に寝泊まりしていると言うのが言い辛かったのだろう。実際には召喚士も隣に居るとは言え、男と同衾しているとは流石の自称女神でも恥ずかしいらしい。わざわざ皆と言ったのは、そうすればパーティ全員と一緒だと伝わるだろうと思ったのだろう。

 だが、鎧の青年はそうは受け取らなかった。憧れの女神がその仲間と共に、些末な馬小屋に押し込められて居る。ピンハネだけでは飽き足らず、みすぼらしい住居を与えるとは不届き千万。そんな事を思ったのか、少年の胸ぐらを掴む手に、更に力を込めた。

 鉄格子を捻じ曲げる様な力で吊り上げられて、少年から流石に苦悶の声が漏れだす。するとそこで、女騎士が鎧の青年の腕を掴んで吊りあげるのを止めさせた。不器用だが力だけは自慢の、流石の女騎士である。

「……貴様、いい加減にしろ。初対面のカズマ相手に、さっきから何なのだお前は。礼儀知らずにも程がある」

 本当に珍しい事だが、女騎士が怒りの感情を露わにしていた。それなりの期間パーティを組んでいるが、こんなに怒気も露わなのは初めてではないだろうか。

 怒っているのは女騎士だけではなく、魔法使いの少女も杖を構えて何時でも爆裂魔法を撃てる様に構えている。今にも詠唱を始めてしまいそうだ。

「……何だか撃ちたくなってきました」

「おい、それは止めろ。俺も死ぬ」

 冷静にツッコミを入れたが、先程からの言いたい放題な言いざまには、少年自身も怒りを覚えていた。魔剣を貰って楽してきた様な奴に、どうして一から頑張ってきた自分がここまで言われないといけないのかと。

 そんな仲間達の中で、召喚士は怒ってはいなかった。無論、状況を楽しんで笑っている訳でもなく、ただだだ、ひたすらに無表情なのだ。鎧の青年の事を、まるで虫でも見る様な色の無い目で見ている。これが召喚士なりの怒り方なのか、本当に興味が無いのかは分からないが、少しだけ背筋が冷える様な思いがした少年であった。

 女騎士の言葉に熱くなっていた事を自覚したのか、鎧の青年が胸ぐらを掴む手を離す。代わりに最弱職の少年の仲間達を見回して、フンと鼻を鳴らして笑う。

「クルセイダーにアークウィザードに、レア職の召喚士か。それに、みんな凄い美人じゃないか。パーティメンバーには恵まれているみたいだね」

 最早、口調も視線も完全に最弱職の少年を見下した物になっていた。仲間達が全員女に見えて、ハーレムパーティでも築いているとでも思ったのだろう。

 実際はポンコツだらけでまともに機能しない、性能がピーキーも良い所なパーティなのだが。

「こんな優秀そうな人達を、馬小屋なんかで寝泊まりさせるなんて……。恥ずかしいとは思わないのか? その上、自分自身は最弱職の冒険者らしいじゃないか」

 この人から見ると、少年はレベル上げもせずに優秀そうな上級職達に寄生している様に見えるらしい。自分からカエルの餌になったり、自分からタコ殴りにされに行ってドン引きした事ならあるが、楽な思いをした事は無いはずなのだが。

 最弱職の少年の中では、妙な既視感と一緒にとある疑問が思い浮かんでいた。

「……なあ、この世界では冒険者が馬小屋暮らしなのは基本だろう? こいつさっきから、馬小屋馬小屋って言って怒ってるけどやっぱり……」

「ええ、この人は最初から魔剣の力で、バンバン高難易度クエストをこなして、お金に困った事が無いんでしょうね。まあ、特典や能力貰った人なんて、みんなこんなものよ?」

 やっぱりそうか――と、少年の中で既視感がかちりと現実と当てはまる。とりあえず怒っている理由は分かったが、やはりこいつとは解り合えそうもないと確信出来た。正直、もう関わり合いになりたくないとさえ思っている。イケメンで金持ちとか死ねばいいのにと、少年は心の中で毒を吐く。

「君達、今まで苦労をした様だね。これからは僕のパーティに一緒に来ると良い。高級な装備も買い揃えてあげよう」

 そんな思いとは裏腹に、鎧の青年はさわやかな笑みに同情の視線を乗せて仲間達に語り掛ける。酷い扱いを受けている女の子達を、選ばれた勇者が助けなければいけないと本気で思っている様だ。

「よく見れば、バランスの良いパーティになるじゃないか。ソードマスターの僕とクルセイダーの前衛。僕の仲間の戦士と盗賊の中衛に、アークウィザードと召喚士、そしてアクア様の後衛。まるであつらえたみたいにぴったりな構成だね!」

 もう既に、仲間を引きこめるつもりで居るのか、鎧の青年は興奮しながら語っている。パーティの中に最弱職の少年が居ないのは、無意識なのか意図的なのか。どちらにせよ、その言い様は碌な物ではない。

 あからさまに頓珍漢な事を言って、誤解から仲間を悪しざまに扱われ、更には上から目線の同情を投げつけられて、それで靡く様な奴が居たら、それはよっぽどのノータリンか詐欺師だけだろう。

「ないわー……。ちょっと、ヤバいんですけど。あの人本気で、ひくぐらいヤバいんですけど。ていうか勝手に話進めるしナルシストも入ってる系で、怖いんですけど……」

「……どうしよう、あの男は何だか生理的に受け付けない。責めるより責められる方が好きな私だが、あいつは何だか無性に殴りたい」

「撃っていいですか? あの苦労知らずの、スカしたエリート顔に、爆裂魔法ぶち込んでも良いですか?」

「…………」

 少年の仲間達は確かにノータリンだが、よっぽどのノターリンではなかった様だ。全員が鎧の青年の事を、気味の悪い生き物の様に見ている。その内の一人に至っては視界に入れてすらいない。見事なまでの大不評であった。

 すると、不安げな顔で青髪女神が少年の側に近づいて、服の裾をくいくいと抓む。

「ねえカズマ。もうギルドに行こう? 私が魔剣を上げておいてなんだけど、もうあの人には関わらない方が良い気がするの」

 憧れの人から三下り半を突き付けられた、鎧の青年の心中は如何程か。何時もは自分から進んで怖そうなおっちゃん達とでも酒を飲み交わす様な女神だが、誰かを放っといて帰ろうと言い出すとは珍しい事だ。この青年にはよっぽど嫌悪感を抱いたらしい。

「えーと。俺の仲間は満場一致で貴方のパーティには行きたくないみたいです。それじゃあ、俺達はクエストの完了報告があるから、これで……」

 最弱職の少年はそれだけ言って馬の手綱を引き、檻の乗った荷車を引かせ始める。突然現れて訳の分からない理由で憤慨し出した変な奴相手に、これだけ丁寧に対応するのだから立派であろう。

 だが、相手は話を聞いていなかった。

「……どいてくれます?」

 総スカンを喰らった鎧の青年は、立ち去ろうとする一行の正面に回り込み進路を妨害する。最早何を考えて行動しているのかもわからないが、その行動にはきっと自分だけの正義があるのだろう。

「悪いが、僕に魔剣と言う力をくれたアクア様を、こんな境遇には置いてはおけない。君にこの世界は救えない。魔王を倒すのはこの僕だ。アクア様は、僕と一緒に来た方が絶対に良い」

 その本人に拒絶されたにも拘らず、何処からその自信が湧いて来るのか。そして自分自身が勇者であると、頑なに信じている言動。矢面の最弱職の少年でなくても、イラついても仕方がない人間性である。

「……君は、アクア様をこの世界に持ってくる特典として選んだと言う事だよね?」

「……そーだよ」

 この時少年の中では、目の前の鎧の青年が何を言うのか予測が出来ていた。元の世界で読んでいた漫画によくある展開だったからだ。この手の、自意識過剰な人の話を聞かない人間が最後に取る手段と言えば、一つしかない。

「なら、僕と勝負をしないか? 僕が勝ったらアクア様を譲ってくれ。君が勝ったら、何でも一つ、言う事を聞こうじゃないか」

「よし乗った。行くぞおおおっ!!」

 言うが早いか、最弱職の少年は腰の剣を引き抜いて突然襲い掛かった。『何でもする』の言質を取ってから、間髪入れずに斬り付ける見事な奇襲である。いい加減に我慢の限界に来ていた事もあり、正々堂々なんざ糞喰らえとばかりに剣を振り被った。

「えっ!? ちょっ! 待っ……!?」

 慌てた青年はそれでも何とか腰の魔剣を引き抜いて、迫り来る少年の刃を防ごうと反応する。流石は高レベルの冒険者と言った所か。しかし、最弱職の少年はその更に上を行く。

 剣同士が触れ合う寸前で攻撃を止め、逆の手を突き出して本命の策を解き放つ。フェイントを織り交ぜての奇策の一手。

「『スティール』ッッッッ!!」

 辺りを眩い閃光が照らし、鎧の青年がまともに見てしまった為にきつく目を閉じる。そして再び目を開けた時には、彼の両手には自慢の魔剣は握られてはいなかった。

「「「は?」」」

 その間の抜けた声を上げたのは誰だったのだろうか。魔剣の持ち主か、あるいは見守っていた少年の仲間達か、姿の無い鎧の青年の仲間達か、はたまたその全員か。

「……ほい」

 不思議そうに自分の掌を眺める鎧の青年の頭に、最弱職の少年が重い一撃を叩きつけた。青年から運良く一回目で奪い取った魔剣を使い、その横腹で頭頂部を強打する。その一撃で、彼はあっさりと気絶。魔王を倒す勇者を謳っていた青年は、見下していた最弱職に打ち負かされた。

「……ったく、言いたい放題言いやがって……」

 手に入れた剣を器用に逆手に持ち替え、切っ先を地面に突き立てる。自前の剣よりは大きくて扱い辛いが、チート武器を手中に収めて少年はご満悦だった。特典に女神を選んで以来、後悔し通しだったので尚更であろう。

 勝負の前に負けたら何でも言う事を聞くと言ったのだ、ありがたく魔剣を頂いてさっさとギルドに行くとしよう。そうと決めたら少年はまた荷馬車を引く為に、馬の手綱を取りに戻った。

「卑怯者! 卑怯者卑怯者卑怯者ーっ!」

「あんた最低! 最低よこの卑怯者! 正々堂々と勝負しなさいよ!」

 そんな彼に、どこから現れたのか二人の少女が食って掛かった。

 身なりは冒険者らしく旅装であり、クラスは盗賊と槍を使う戦士の様だ。言動から察するに、魔剣を奪われた青年の仲間なのであろう。盛大に喚き散らして文句を言い、息が切れたのか興奮したのか肩で息をしている。

 別段相手をする必要もないのだが、最弱職の少年は律儀に声を掛ける事にした。

「あんた達、こいつの仲間か? 戦う前にこいつが、負けたら何でも言う事を聞くって言ってたのは聞いてたな。それじゃあ、この魔剣を頂いて行きますね」

 それだけ一方的に言うと馬車の方にスタスタと歩いていく。そんな彼を、荷車の上の召喚士が両手を小さく振って満面の笑みで出迎える。こちらも物凄くご満悦の様だ。フェイントからのスティールが上手く行ったので、気分の良い少年も親指を立てて見せた。

「待ちなさい最低男! キョウヤの魔剣を返しなさい! それは選ばれた勇者であるキョウヤにしか使えないんだから!」

 そんな二人に、魔剣を奪われた青年の仲間達はまだ食い下がる。本人もそうだったが、仲間も大概諦めが悪い。おまけに勝負で負けたにも拘らず、ぐだぐだと言い募るとは往生際が悪い事この上ない。

 そんな事よりも少年の関心は、魔剣が使い手を選ぶという点だった。まだ何か喚いている女二人を無視して、確認の為に青髪女神の方に視線を向ける。

「……マジで? この戦利品、俺には使えないのか? せっかく強力な装備を巻き上げたと思ったのに」

「マジです。残念だけど、魔剣グラムはあの痛い人専用よ。装備すれば人の限界を超えた膂力が手に入り、石だろうが鉄だろうがサックリ切れる魔剣だけれど。カズマが使ったって普通の剣よ」

 その言葉に、今まで上機嫌だった少年のテンションが一気に下がった。せっかく念願の優秀なチートが手に入ったと思ったのに、自分には使えないとなれば無理もない。

 しばし、ただの剣と言われた戦利品を手に取り眺める少年。

「ま、一応貰っとくか。せっかくだし」

 今持っている剣よりはマシとでも思ったのか。はたまた別の利用法でも思いついたのか。結局は戦利品は手放すつもりは無い様だ。

「じゃあな。そいつが起きたら、これはお前が持ち掛けた勝負なんだから恨みっこ無しだって伝えといてくれ」

 それだけを一方的に言って、今度こそ馬の手綱を手に取って歩き出した。その際に、怖がっていた青髪女神にも声を掛けるのを忘れない。なんだかんだ言って、面倒見が良い少年である。

「ちょちょちょ、ちょっとあんた待ちなさいよ!」

「キョウヤの魔剣、返してもらうわよ! こんな勝ち方、私たちは認めない!」

 本当にあきらめが悪く、そして鎧の青年が大事なのか、彼の仲間の少女達はついに武器を抜き放つ。街中にも拘らず武力行使の構えである。

 流石に剣呑な気配を感じて、少年の仲間達の顔つきが変わった。特に、荷車に座ったままの召喚士がにこにこしている。

 女騎士が少年を庇おうとするよりも、魔法使いの少女が杖を構えようとするよりも早く、召喚士が掌を二人に差し向けた。

「レベル十召喚。ヨーちゃん、御飯だよ」

 そんな軽い一言と共に、掌の先の中空に魔法陣が現れ、そこから巨大な口が飛び出した。果たしてそれは、レベルが上がり先に召喚された時よりも巨大になった蛇の召喚獣である。真横に向けて召喚し、その勢いで娘二人に向けて大蛇を発射したのだ。

「「う、うわあああああっ!?」」

 人一人を頭から丸呑みに出来るサイズの口が迫って来るのを見た少女達は、大慌てで横っ飛びにそれを躱して難を逃れる。獲物を取り逃した蛇は、チロチロと舌を出してから、すうっと姿を薄れさせて返還された。その無機質な爬虫類の瞳は、最後まで少女達を捉えて離さず、見る者に戦慄を植え付ける。

 殺意満点の攻撃に慄く二人に対し、召喚士は荷車から降りて近づき、更に掌を差し向けて――

「何やってんのお前!?」

 その頭を最弱職の少年が素手ではたいた。スパーンと良い音のするツッコミである。

 ツッコミを入れられた召喚士は目を丸くして、どうして止めるのかと不思議そうな顔で少年を見るが、そんな事は言うまでもなくやり過ぎだからだった。

「お前、街中で召喚魔法で攻撃とか明らかにやり過ぎだろう……。しかも、明らかに殺すつもりで撃ってたよな?」

「……武器を抜いたって事は、殺される覚悟があるって事だよ。そんな覚悟も無しに、剣や魔法を振り回す冒険者なんていないでしょう?」

 何言ってんの?――そんな不思議そうな顔で訴えてくる召喚士に、少年は改めてげんなりした。今まで頭がおかしいのは爆裂魔法狂いぐらいだと思っていたが、こやつは別ベクトルで危険かもしれない。一般人の見ている前で、平然と人間を食わせ様とするなんてとんでもない感性だ。

「幾ら頭に来たからって、いきなり殺そうとするなよ……。仲間が人殺しで逮捕とか、肩身が狭くなるのは御免だぞ」

「……なるほど」

 何がなるほどなのかは分からないが、とりあえず手を下ろす召喚士。少なくとも交戦の意志が無くなったのを見て、最弱職の少年は改めて少女達二人を見やる。

 街中での召喚魔法攻撃を受けた事もあって動揺していた様だが、それでも武器を手放していない辺り向こうの意志はまだ潰えていないらしい。むしろ召喚魔法が飛んで来ないと知って、奪還のチャンスとばかりに少年を睨み付けて来る。

 懲りないなぁと思いつつも、これ以上揉めているとこの二人が逆に危険なので、最弱職の少年は追っ払う事にした。このまま放っておいたら、次は爆裂魔法が街中で炸裂しかねない。

「おい、お前らもう帰れよ。よくよく考えたら、迷惑被ってんのは最初から最後までこっちじゃないか」

 変な奴に絡まれるし、上級職が喧嘩を吹っかけて来るし、撃退したら卑怯者呼ばわりされるしで散々である。もう相手をするのも面倒になった少年は、そのまま畳みかける様に二人に向かって掌を差し向ける。

「いいか、俺はたとえ女の子が相手でも、顔面にドロップキックを平気で放てる、真の男女平等主義者だ。これ以上やるってんなら、公衆の面前で俺のスティールが炸裂するぜ」

 そんな自慢にもならない様な強気な発言と共に、差し向けた掌の指をぐねぐねと卑猥な感じに動かして見せる。その動きに怖気を感じると共に、スティールをされると言うのがどういう意味かを察した少女二人が顔を赤らめた。

「どーする? んんー? ほーれ、ほほほーれ、ほーれっ……」

 指の動きが更に加速し、怪しく淫らに嫌悪感を増長させる。ついでにそれを披露する少年の顔は悪辣で、そしてとても嬉しそうな犯罪者にしか見えない笑みに歪んでいた。それらを見ていた味方の筈の三人娘もドン引きする程に。

「「きっ、きゃあああああああああっ!!」」

「あ、いや……。悲鳴上げる程怖がらなくても良くね……?」

 そんな脅しに屈服して、少女二人は悲鳴を上げながら逃げて行った。殺されるのとはまた違った意味での、女としての危険を感じ取ったのであろう。逃げ出された少年は、こんなに効果が出ると思っていなかったのが困惑気味である。

「……うむ、流石だ」

「ねー、早く帰ろー? 私さっさと報酬手に入れて、シュワシュワが飲みたいんですけどー」

「ぷっ……。ふふふふ……」

「はっ!? ……っ!」

 そして、一連のやり取りを見て女騎士が流石の鬼畜だと感心し、青髪女神はようやくギルドに行けると喜ぶ。召喚士も少年の面白さに満足して微笑む中で、魔法使いの少女だけは以前の己の被害を思い出したのか、ローブの裾を掴んで顔を羞恥に染めていた。

 なんにせよ、これでやっとギルドに行けると言う物だ。改めて馬の手綱を握り、今度こそ報告の為に出発する。

 ちなみに、鎧の青年はその場に放置した。仲間に見捨てられた形になった彼は、本当に慕われていたのだろうか。いと哀れなり。

「……カズマ、その魔剣の事なんだけど……」

 ギルドへの帰り道の途中での事。

 召喚士が珍しく提案をしてきて、少年は軽い驚きと共にその話に耳を傾けた。

 

 

「なぁんでよおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」

 冒険者ギルドの片隅にある何時もの席で、一日の疲れを癒そうと酒杯を傾ける。周囲の騒音をBGMにしながら、思い思いに休息を取っていた最弱職の少年たち一行は、聞き慣れた自称女神の悲鳴を耳にした。

「あいつは、何処に居ても騒ぎを起こさんと気が済まないのか」

「また何か、納得いかない事でも言われたのでしょう。まあ、十中八九あの壊れた檻の事でしょうけど」

 騒ぐ事自体には慣れっことは言え、うんざりすると顔色で語る最弱職の少年。それに相槌を打つのは、安い定食を今日はお行儀良く頂く魔法使いの少女。二人とも、叫び声自体には反応せずに、理由をあれこれ話し合って盛り上がる。

「だから、借りた檻は私が壊したんじゃないって言ってるでしょ! ミツルギって人が檻を捻じ曲げちゃったんだってば! それを、なんで私が弁償しなくちゃいけないのよ!」

 女騎士と召喚士はその隣でワイングラスを傾け、乾きモノを肴に酒を楽しんでいた。何時もは蜂蜜酒を頼む召喚士であったが、今日は女騎士の好みの葡萄酒に付き合ったのだ。少年も自称女神もクリムゾンビア派なのでワインにはあまり付き合ってくれず、女騎士は今回とても嬉しそうにしている。やはり騒ぐにしても、たまには同じ酒を酌み交わしたい物なのだろう。こちらも騒ぐ女神には目もくれない。騒ぐのは何時もの事だからだ。

「……今回の報酬、壊した檻の修理代引いて、十万エリスだって……。あの檻、特別な金属と製法で出来てるから、二十万もするんだってさ……」

 暫くの間、例の金髪の受付嬢をがっくんがっくん揺さぶって、周囲の冒険者達の目を楽しませていた青髪女神だったが、粘れども泣こうとも報酬金が増えずに諦めて戻ってきた様だ。

 聞かれても居ないのにわざわざ説明してくる当たり、慰めて貰いたいのかもしれない。自称女神様は構われたがりであるからして。

「あの男、今度会ったら顔面にゴッドブロー叩き込んでやるわ! そして檻の弁償代払わせてやるんだから!」

 他のメンツに遅れながらも食事をとる為に、憤懣遣る方無しのままメニューを覗き込む。そのメニューに、悔しさのあまりギリギリと指が食い込んでいた。

 あの鎧の男、魔剣の人の出現は青髪女神にとっては本当に災難である。怖がらせられるわ、檻は壊されるわ、挙句に勝手に賭けの対象にされるわ。そんな処遇に、女神に対して辛辣な最弱職の少年も思わず同情してしまう。

 まあ、今日は色々苦労させたし、たまには労ってやるかと思わなくもない所で、その思考は酒場に響き渡った怒声に遮られた。

「見つけたぞ、佐藤和真! こんな所に居たのか!」

 正直もう関わり合いになりたくないと思っていた人物の声が背後から聞こえて、しかもそれが自分の教えても居ないフルネームを知っている事に頭痛を覚える最弱職の少年。

 声のした方を見てみれば、そこにはやはり魔剣を奪われた鎧姿の青年が立っていた。怒り心頭、正義は我にありと言わんばかりの佇まいである。

 逃げ出した筈の二人の取り巻きの女の子達も居るが、二人は何かを恐れる様に距離を取っている。女二人で身を寄せ合って震えていた。怖がっているのは初手で殺しに来た召喚士か、少年のセクハラなのか、あるいは両方か。

 怯える仲間二人を置き去りにして、鎧の青年はずかずかと最弱職の少年と仲間達のテーブルに近づき、両手をバンと叩きつけた。

「佐藤和真! 君の事は、ある盗賊の少女から聞いたよ、パンツ脱がせ魔だってね! 他にも、女の子をヌルヌルにするのが趣味の男だとか。色々な人の噂になっていたよ。鬼畜のカズマだって!」

「おいいっ! その噂、誰が広めたのか詳しく!?」

 大体間違っていない。幸運が高すぎて女性相手にスティールを使うと下着ばかりが的確に盗れる事も、仲間をカエルの餌にしてその間に討伐した事も、両方とも実際にあった事だ。青年の言う盗賊の少女と言うのは、女騎士の友人の銀髪の盗賊本人であろう。未だに、下着と引き換えに全財産奪われた事を根に持っているらしい。

 鎧の青年は表情を引き締めて、話しかける相手を青髪女神に切り替える。

「アクア様、僕は必ずこの男から魔剣を取り返し、魔王を討伐すると誓います。ですから……。ですからこの僕と、同じパーティに――」

「ゴッドブロー!!」

「はぁああああん!?」

 神の怒りと悲しみを乗せた拳が、鎧の青年の頬を打ち抜いた。取り巻きの少女達が悲鳴を上げたが、やはりそれだけで介抱したりはしない。厚い信頼関係である。

 ゆらりと立ち上がった青髪女神は、事前の宣言通りに再開した青年の顔に一発入れ、そこから更に胸倉を両手で掴んでがくがく揺さぶった。そして、怒りの感情をそのままぶちまける様に吠えたてる。

「ちょっとあんた! 壊した檻の代金払いなさいよ! 三十万よ三十万、今すぐ払いなさい!」

「あ、はい……」

 剣幕に押されたのか、女神が言う事だから従ったのか、青年は素直に金の詰まった袋を差し出す。高難易クエストをバンバンこなして、羽振りが良いと言うのは本当らしい。

「すいませーん! カエルのから揚げ山盛りでくださーい!」

 現金を受け取った女神は満面の笑顔で席に戻って、手にした大金で早速豪遊し始める。もう既に頭の中は酒と食い物で埋め尽くされて、怒っていた事も鎧の青年の事も忘却の彼方だ。

 一世一代の告白の様な物を拳で返答された鎧の青年は、よろよろと立ち上がると改めて最弱職の青年に言葉を掛ける。今日一日で、順風満帆だった彼の転生人生はどれだけ荒れたのだろうか。実に満身創痍である。

「……あんなやり方でも、僕の負けは負けだ。そして何でも言う事を聞くと言った手前、こんな事を頼むのは虫が良いのも理解している。……だが、頼む! 魔剣を返してはくれないか?」

 その青年の言葉に、静かに酒を楽しんでいた召喚士がぷっと吹き出した。実際、本当に虫のいい話だったからだ。自分で仕掛けた勝負に負けておいて、その相手にやっぱり無しにしてくれだなんて生っちょろい事を言う。滑稽過ぎて笑いも零れると言う物だ。

「あの魔剣は君が持っていても役には立たない。良く切れるだけの普通の剣でしかないはずだ。剣が欲しいのなら、店で一番良いのを買ってあげても良い。……どうだろうか、返してはもらえないか?」

 何処までも上から目線の言葉であった。この世界に来て活躍し、ちやほやされて挫折を知らないこの脳内勇者様は、物の頼み方すら知らないらしい。お願いする立場の者が、買ってあげても良いとは図々しいにも程がある。

 その青年の発言に一番怒ったのは、誰よりも青髪女神であった。

「ちょっと、人を勝手に賭けの対象にした挙句、良い剣の代わりに魔剣を返せですって!? 虫が良いと思わないんですかー? それとも、この私には店で一番高い剣ぐらいの価値しかないって言いたいの? 無礼者、無礼者! 神様を勝手に賭けの対象にするなんて最低よ! 顔も見たくないのであっちへ行って! ほら早く、あっちへ行って!」

 賭けの対象にされた事よりも、魔剣以下の価値しかないと言われたのがよほど逆鱗に触れたらしい。メニュー片手にしっしっと犬を追い払う様にしながら、鎧の青年を罵倒する。清々しい程の嫌いぶりであった。

 これには流石の自尊心の塊の青年も、顔色を青くして慌てて弁明し出す。救い出そうとしたお姫様に、平手打ちを受けた様な心境なのだろう。身振り手振りを交えながら、みっともなく女神に謝罪と誤解だと言う事を伝え様としている。

 そんな青年のマントの裾を、くいくいと魔法使いの少女が引っ張った。それどころでは無いはずだが、フェミニストの気があるのか青年は律儀に顔を向ける。

「……まず、この男が既に魔剣を持って居ない事について」

 魔法使いの少女は、仲間の少年を指さし、次いでその少年の持つ革袋に指先を移す。

 それを視線で追った鎧の青年は、脂汗を浮かべながら絞り出す様に声を出した。あれだけ見下していた少年に、縋りつき慈悲を乞う様な勢いである。

「さ、ささ、佐藤和真? ぼぼぼ、僕の魔剣は? 僕の魔剣は何処に?」

 尋ねられたら応えてやろう。そう言わんばかりに革袋を突き出して、一度縦に振ってジャラリと重そうな音を響かせた。

そして一言――

「売った」

「ちっくしょおおおおおおおおおおおおっ!!」

 それだけ聞いた青年は、この日一番の大声を上げてギルドから飛び出して行く。もしかしたら、彼は泣いていたのかもしれない。慌てて名前を呼びながら仲間の二人が追いかけて行くが、彼の疾走は留まる事は無かった。

 

 

「……ふむ。なんだったのだ、あいつは?」

「俺が知りてーよ……。いや、やっぱり良い、知りたくもない」

 女騎士の言葉に反応はしたが、少年はもうやるせなくため息を吐くだけである。手の中のずっしりしたお金も、虚しく感じてしまう。

「あいつ、どこの誰に売ったか聞かないで飛び出して行ったけど、どうする気なんだろうな……」

「街中の武器屋でも訪ねて回るんじゃないですか? 買った人間はすぐ傍に居たのに、言う前に出て行く方が悪いのです」

 最弱職の少年と魔法使いの少女の話題に上がった人物は、素知らぬ顔で葡萄酒を燻らせていた。そう、今の魔剣の持ち主は、何に使うつもりなのか召喚士なのである。

 ギルドへの帰り道で買い取りを提案されて、今まで溜め込んでいたほぼ全ての財産と引き換えに少年から魔剣の所有権を譲り受けたのだ。その魔剣を、事もあろうに召喚した蛇に飲み込ませて保管している。

 魔剣は神器だから消化される事もないだろうが、あの蛇は剣なんぞ飲み込まされて大丈夫なのだろうか。使い道と共に召喚士に尋ねてみても、ニッコリ笑顔ではぐらかされてしまった。

 仲間相手に大金をせしめてしまったし、その仲間に隠し事をされてしまっている。少年の胸中に、もやもやした物が残存していて、何だか胃の辺りが重い。

 こんな気分は飲んで忘れてしまおう。邪魔者も涙目になって居なくなった事だし、人心地付こうと給仕のお姉さんを呼び止めて、何時ものシュワシュワする酒を注文する。

 そしてどっかりと腰を下ろした所で、女騎士がそう言えば――と新たな話を切り出した。

「先程から、アクアが女神だとか呼ばれていたが、一体何の話だ?」

 公衆の面前で、何度も何度も女神女神と叫んでいる者が居れば、こんな疑問が出るのももっともな事だ。問われた少年はしばし思案した。このまま何もかも話してしまうか、何時もの様に妄言と誤魔化しておくか。

 少年の視線が、仲間達それぞれの顔を順番になぞって行く。問いかけて来た女騎士はもちろん、魔法使いの少女も緋色の瞳に疑問符を乗せていた。召喚士は、いつも通りにんまりと笑っていて、選択を任せる様に少年の動向を窺っている。

 こいつらになら話しても良いかもしれない。そんな思いと共に、運ばれてきたカエルのから揚げにむしゃぶりつく女神と視線を合わせた。視線を受けた女神は、いつになく真剣な面持ちでコクリと頷いて見せる。口元にから揚げの食べかすが付いていなければ、完璧だっただろう。

「今まで黙っていたけど、あなた達には言っておくわ。……私はアクア。アクシズ教団が崇拝する、水を司る女神。……そう、私こそがあの、女神アクアなのよ……!」

 真剣にして厳かに、そして神々しくも語る女神の言葉を、仲間達は真剣な表情で聞いていた。三者はそれぞれ顔を見合わせ合い、もう一度真剣な表情でアクアを見つめ返して声を揃え返答する。

「「って言う、夢を見たのか」」

「ちっがうわよ! 何で二人ともハモってんのよ!?」

 ……まあ、こうなるわなぁ……――少年は冷めた目で仲間達のやり取りを眺めていた。バイトに明け暮れて、毎晩酒を飲み明かし、酒場への借金に四苦八苦する。そんなのが『自分は女神です』なんて言い出したら、女騎士と魔法使いの少女でなくとも頭の心配をするだろう。事情を知っている少年でも、たまに本当に女神なのか疑う程なのだから。

「ぷっ、ぐふっ……。くふふふふふ……」

「……お前は笑いすぎだろ」

 召喚士はもう笑いすぎてぽんぽん痛くしてしまったらしく、お腹を押さえてテーブルに突っ伏している。びくんびくんと時折痙攣する召喚士の様子を見ながら、少年はようやく運ばれてきた酒で喉を潤すのであった。

 そんな時だった。ギルドに備え付けられた放送設備から、大音量で職員の声が流れてきたのは。

「『緊急! 緊急! 全冒険者の皆さんは、直ちに武装し、戦闘態勢で街の正門に集まってくださいっっ!』」

 それほど多く聞いた訳ではないが、少年は今の放送にまたかという思いを抱いてしまった。またぞろキャベツでも飛んでるのだろうか、次は白菜でも降ってくるのだろうか。何にしても、面倒くさそうで行きたくない。今日は鎧の青年に絡まれて、無駄に疲れているのだから。

 めんどくさいなー、だるいなーなどと考えながら少年がテーブルの上で項垂れて居ると、更に放送が大音量で響き渡る。

「『緊急! 緊急! 全冒険者の皆さんは、直ちに武装し、戦闘態勢で街の正門に集まってください! ……特に、冒険者サトウカズマさんとその一行は、大至急でお願いします!』」

 放送で名指しされた。その事実に、少年の思考は一瞬、状況を理解する事を拒んだ。

 冒険者ギルド内の、酒場に居る冒険者達の、そして仲間達の視線が全て最弱の冒険者に集まる。見られている事を自覚した少年は、辛うじて喉の奥から言葉を絞り出す。

「…………えっ」

 あの放送は、今なんて言った? 詰まった言葉の代わりに、少年の困惑顔にはありありとその言葉が浮かんでいた。

 

 



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第六話

 午後を過ぎて、遅めの昼食を済ませた後の気だるげな時間帯。泣き出しそうな空模様の中、街中に鳴り響く、冒険者を呼びだす緊急放送。それに名指しで呼ばれては、逃げる訳にも行かずにおっとり刀で街の正門に駆け付ける。

 あんな呼び方をされたのだ、よほどの事があったに違いない。足の遅い女騎士と召喚士はとりあえず置いて来た。そのうち追いついて来るだろう。

 そうして、先に来ていた冒険者達をかき分けて人垣の先頭に出てみれば、果たしてそこには熱烈な歓迎が待って居た。

「何故城に来ないのだ、この、ひとでなしどもがあああああああああああっっっ!!!」

 猛烈な怒号と共に跨っていた首の無い馬が嘶き、そしてその全身からどす黒いオーラが立ち上る。最弱職の少年達を出迎えたのは、またもや大変お怒りである首の無い騎士。一週間前に撃退する事に成功した、魔王軍の幹部であった。

 なるほど、これならば確かに少年達のパーティが呼ばれるであろう。首無し騎士の怒りの矛先が、少年達に向いているのだから。まるでギルドに生贄に差し出された様でもやっとする。

 だが、そんな事よりも納得できない事があった。

「人でなしってどういう事だ? 何をそんなに怒ってるんだよ、もう爆裂魔法を撃ち込んでもいないのに」

「爆裂魔法を撃ち込んでもいないだと? 何をぬかすか白々しい!!」

 少年としてはもっともな疑問だったのだが、首無し騎士の怒りには火に油を注いだらしい。怒りのあまり手に持っていた己の頭を地面に叩きつけ、慌ててバウンドしたそれをわたわたと受け止めて脇に抱え直していた。どれだけ怒れば、己の頭を地面に叩きつけられるのであろうか。

 その理由は首無し騎士が、少年の隣に居る魔法使いの少女を指さしながら教えてくれた。

「そこの頭のおかしい紅魔の娘が、あれからも毎日欠かさず城に通って撃ち込んできておるわ!」

「えっ?」

 その言葉を聞いて少年が少女の方を向くと、すかさず顔を逸らされる。ぷいっと、知りませんよと言わんばかりに。

「お前は! 行ったのか!? もう行くなって言ったのに、あれからまた行ったのか!?」

「ひたたたた! ひがうのれふ! ひいてふらはい!」

 怒りに任せた頬の引っ張りという尋問によって、魔法使いの少女はあっさりと自白する。指を離してやると、赤くなった頬を擦りながらぽつりぽつりと自供を始めた。

「実は……。今までならば、何もない荒野に魔法を放つだけで満足できていたのですが……」

 そこから少女は何故か体をくねらせ始め、その顔を興奮に赤く染めてついでに瞳まで輝かせだす。語る口調にもはあはあと荒い吐息が混じり始め、官能の色を醸し出している。

「あの城に爆裂魔法を放つ快感を覚えて以来、大きくて固い『モノ』じゃないと満足できない体に……!」

「もじもじしながら言うな!」

 今日も少年のツッコミは実に切れ味が良い。そして、やはり魔法使いの少女は、女騎士に匹敵する駄目な性格であるのを再認識した。

「大体お前、魔法使ったら動けなくなるんだから、誰か一緒に行った共犯者が居るだろ! 一体誰と…………」

 少年が問い詰めている最中に、ふと青髪女神と目が合った。そして女神は何も言う事無く、ふいっと視線を逸らす。その上、ワザとらしく口笛が吹けない真似までしてみせた。これはもう、自白と同義だろう。

「お前かあああああ!」

「ひたたた、いひゃ、いへはは! わあああっ! だってだって、あいつのせいで碌なクエスト受けられなかったから、仕返ししてやりたかったんだもん!」

 こっちも、頬っぺた引っ張りの尋問であっさり白状する。だもんじゃねーよ、だもんじゃ。更に逃げ様とするので、少年は女神の襟首を掴んで拘束してやった。

「私はあいつのせいで、毎日毎日店長に叱られるはめになったのよ!」

「バイト先で怒られるのは、お前の仕事ぶりのせいだろうが!」

 少年は今日も女神に対して容赦がない。そして、やはりこの自称女神が自主的に起こす行動は、殆どが碌でも無いと言う事を再認識した。

 ここまでのコントを黙って見守っていた首無し騎士は、再び全身から闇色のオーラを吹き出し辺りに風圧を撒き散らす。

「聞け、愚か者ども。この俺が真に頭に来て居る事は、爆裂魔法の事だけではない。貴様らには仲間の死に報いる気概は無かったのか!? この俺も、生前は真っ当な騎士のつもりだった。あの仲間を庇って呪いに掛ったクルセイダー……、騎士の鏡の様なあの者を、みすみす見殺しにする様な真似をしおって!」

 なるほど、この首無しの騎士はモンスターになる前は騎士道精神を貴ぶ者だったのだろう。そんな彼に言わせれば、一週間後に死んでしまう仲間の呪いを解きに来ない事が、何よりも許しがたい行為に思えたのだ。

 その義憤に駆られた言葉を聞いた少年は、背後からがしゃがしゃと音を立てて歩んでくる者に道を譲った。そこには、重い鎧のせいでやっと追いついてきた女騎士が居て、話が聞こえたのか照れくさそうに頬を掻いている。

「……や、やあ……。その……、騎士の鏡などと……」

 首無し騎士の掌の上の首が、兜の奥で目を見開いて驚愕していた。それはそうだろう、死んだと思っていた人物がはにかみながら手を振っているのを見せ付けられたのだから。

「………………あっ、あっれええええーーーーーーーーーー!?」

 魔王軍幹部の口から、すんごい声が出た。それだけ彼の驚愕は大きかったのであろう。想定外過ぎて思わず声が裏返る位に。

「ぷっ……」

「あ、お前もやっと来たのか」

 首無し騎士の声を聴いて、巨躯の狼の背中に腰かけた召喚士が、遅ればせながらいつも通り笑っていたのだった。

 

 

「なになに? あのデュラハン、あれから毎日私たちが来るの待ってたわけ!? あの後すぐに呪い解かれたのも知らないで、何それウケるんですけど! ちょーウケるんですけど、プークスクスゥ!! かわいそー、あはははは!」

 煽る煽る。青髪女神が命知らずにも、魔王軍幹部を指さしながら大笑いしている。ついでに召喚士も一緒になって声を出してゲラゲラ笑っていた。こいつらには怖い物は無いのだろうか――少年は逆に戦慄していた。

 笑われた首無し騎士は、屈辱と怒りに全身をプルプル震わせている。こうなると先程までの義憤も的外れだったと言う事で、更に羞恥の感情が巻き起こって居るのだろう。怒りと羞恥と屈辱の、負のトライアングルである。

「お、お前らっ! 俺がその気になったら、この街の住民なんぞ皆殺しに出来るんだからな!」

 ようやっと立ち直って、威厳を取り戻そうとしたのかそんな事を言って来る。仮にも魔王軍幹部である首無し騎士の恫喝だ、周囲の冒険者達は警戒して色めき立つ。

 だが、一人だけ空気を読めないままに行動する存在が居た。

「はんっ! アンデッドのくせに生意気よ! 聖なる光で浄化されなさい! 『ターンアンデッド』!!」

 青髪女神の突き出した掌から神聖な魔力が溢れ出し、同時に首無し騎士の足元に青白い魔法陣が浮かび上がった。問答無用の浄化魔法の発動だが、首無し騎士は余程自信があるのか避け様ともしない。

「ふっ、駆け出し冒険者の街のアークプリーストの浄化魔法など、神聖魔法対策をしたこの俺に通用する訳が――ぎゃあああああああああああああああああっっ!!」

 女神の生み出した魔法陣から立ち上る聖なる光は、首無し騎士の全身を苛み騎乗していた首無し馬を消し飛ばしてしまった。効果は抜群だ。

 魔法の直撃を受けた首無し騎士は、まるで体に付いた火の粉でも散らすかの様に無様に地面を転がる。今までの威厳も置いて来たかの様に、狼狽え声を出してごろごろする姿は情けない限りであった。

「ね、ねぇカズマ。おかしいわ、全然効いてないみたい!」

「いや、結構効いてた様に見えたんだが。ギャーって叫んでたし……」

 己の魔法に自信のあった女神は、首無し騎士が健在な事に驚愕している。よろよろしながらも相手が立ち上がろうとしている姿を見て、先程までの威勢が消え失せて怯えている様だ。

「お、お前……本当に駆けだしか? 駆け出し冒険者の集まる場所ではなかったのか、この街は!?」

 掌の上の首を傾けて――おそらく首を傾げているのだろう――首無し騎士は困惑しながら声を上げる。

 アクセルの街は確かに、駆け出し冒険者が集まる始まりの街と言われている。そして青髪女神も確かに、低レベルの駆け出し冒険者で間違いはない。ただ、運と知力以外のステータスがカンストして居るだけだ。

「まあいい……。預言者の言う堕ちてきた光の調査なんぞ、街ごと滅ぼしてからやればいい。態々この俺が相手をしてやるまでもない。アンデッドナイト達よ! この街の連中に地獄を見せてやれ!」

 流石は幹部、復帰も早い。自身の足で大地に立ちながら、ばさりと黒マントを靡かせ腕を横に振るう。首無し騎士の言葉に応えて、その周囲の地面から瘴気と共にもぞりもぞりと大量の死体達が這いだして来た。

 召喚された大量の死体達は、その全てがボロボロの鎧や装備に身を包み、手に手に朽ち果てた武器を持って武装している。幹部が単騎で乗り込んできたなんてとんでもない。あっと言う間に、不死者の騎士団が出来上がったのだ。

「あー! あいつ、思ったよりアクアの魔法が効いたんでビビったんだぜきっと! 自分だけ安全な所に逃げて、部下に襲わせるつもりなんだ!」

 他の冒険者達が戦慄する中、やはりこのパーティだけは空気が違う。青髪女神の魔法が有効そうだと思い、最弱職の少年は気が大きくなっていた。青髪女神もその発言に励まされ、うんうんと頷いて同意していた。

「ち、ちがっ!? 違うわ! いきなりボスが戦ってどうする! まずは雑魚を倒してからという伝統を知らんのか!」

 少なくとも魔法が効いたのは確かなので、それを誤魔化す様に首無し騎士は地団駄を踏んでいる。先程からの言動やら行動やらから見ると、意外とコミカルなキャラらしい。

「『セイクリッド・ターンアンデット』ー!!」

「へっ? ひああああああああああああっ!?」

 少年の言葉に励まされた女神が、また神聖魔法を使い首無し騎士の足元から浄化の光が立ち上る。先程よりもより高度な呪文だったのか、溢れ出る光が天にも届きそうな柱となっていた。召喚された死者の騎士達は、その光景をボーっと眺めるばかりである。

 光が収まると、やはり首無し騎士が地面をごろごろして火消しをしている。目がー目がぁーとか叫んでいるので、今度のは相当に堪えた様だ。やはり、その光景を不死の騎士団がぼーっと眺めている。

 本来は一撃で不死者を消し去る呪文の筈が、魔王軍幹部の首無し騎士は未だに形を保っている。その事実に青髪女神は戦慄した。

「どうしようカズマ! やっぱりおかしいわ! あいつ、私の魔法がちっとも効かないの!」

「ひあーって言ってたし、凄く効いてる気がするが?」

 効いてはいるのだが致命打にはならない。それだけでも、この首無し騎士の実力は驚嘆に値するものなのだろう。傲岸不遜の自称女神も戦慄するはずだ。

 不死の騎士団に見守られるその首魁は、よろよろと起き上がると堪りかねたかの様に怒声を張り上げる。

「もういい! アンデッドナイト共よ、街の連中を皆殺しにしろ!」

 今度こそ本当に、不死の騎士団が進軍を開始した。

 

 

 進軍を開始した不死の騎士団は、土煙を上げて一直線に目的地を目指す。その光景の圧力に冒険者達は戦々恐々し、今更ながらに聖職者を求め、聖水の準備を指示し出す。

「はははは、貴様らの絶望の叫びをこの俺に――……ん?」

「え? わっ、わあああ! なんで私ばっかり狙われるの!? 私女神なのに! 日頃の行いもいいはずなのに!」

 不死者の騎士団は一直線に青髪女神に殺到したのだ。その光景には、青髪女神はもちろん、首無し騎士までもが困惑の声を上げる。

「こ、こらっ、お前達! そんなプリースト一人ばかり狙ってないで、ちゃんと他の冒険者や町の住民を血祭りに……! き、聞いてない……。どうなってるんだ一体?」

 声を張り上げて命令するが、不死の騎士団は青髪女神を追いかけるのを止めなかった。不死の騎士団は先程の神聖魔法を見て、本能的に女神へ救いを求めているのかもしれない。

「ああっ!? アクアばっかりズルい! 私は本当に日ごろの行いは良いはずなのに、どうして!?」

「わああああー! かじゅま! かじゅまさん! 助けてえええええっっ!!」

 女騎士が羨ましそうに見守る中、悲鳴を上げ続けて逃げ惑う青髪女神は、己の保護者の元に一目散に駆け寄って行く。なんだかんだ言って一番頼りにしてしまう、最弱職の少年の元へ。

 このままだと突っ込んでくると判断した冒険者の集団が、三々五々散り散りになって逃げだす。もちろん助けを求められた少年も逃げ出す。それに合わせて街に突っ込むかと思われたゾンビ軍団も、女神と少年を追いかける形で綺麗にカーブを描いた。蹂躙されるのを待ち受けた女騎士は、そのことごとくにスルーされる。

「くっ、これもまた一種の放置プレイ……んくぅ!」

 結局何をしても喜んでしまう性質の悪いドMに、召喚士が笑いながらツッコミのチョップを繰り出した。もちろんそれも悦ばれた。

「このバカッ! おい止めろ、こっち来んな! 向こうへ行ったら今夜の晩飯奢ってやるからー!」

「御飯なら私が奢ってあげるから、なんとかしてえええええっ!!」

 街の近くの平原で、少年と女神が不死の騎士団と追いかけっこ。必死で女神が浄化魔法を唱えても、対策が施されているのと数の多さでまるで効果が無い。

 このままではいずれ体力が尽きてしまう。低ステータスな少年の方が確実に先に力尽きる。もはや破れかぶれでも打開をしなくてはなるまい。

「めぐみーん!! こいつらに爆裂魔法を撃ってくれー!」

「ええっ!? しかし、こうも纏まりがないと当たるかどうか……。それに、適当に撃ったら二人も巻き込んでしまいますよ!」

 爆裂魔法を頼るには、乱戦では分が悪すぎる。何時までも走って居られない現状、このまま大量のゾンビに踏み荒らされるのだけは何としても避けたい。走りながら周囲を確認し、何か突破口は無いかと思考を巡らせる。

 焦る少年の目に小高い丘へと避難する魔法使いの少女と、そして戦況を呆然と眺める首無し騎士の姿が映った。

「……っ! めぐみん! 何時でも魔法を撃てる様に準備しておけ! アクア、お前はこっちについて来い!」

 言うが早いか、少年は青髪女神を伴い、呆然とする首無し騎士の方へと走り出す。喚きながら滅茶苦茶な走り方をするもので、少年より先にバテ気味の女神も何とか後に続く。そうして二人は、左右に分かれて首無し騎士を迂回し、敵のボスと配下の雑魚集団を一か所に集めて見せた。

「今だー! めぐみん、ぶっ放せ!」

「なんと言う絶好のシチュエーション……。感謝します! 深く感謝しますよ、カズマ!!」

 敵をまとめて一掃するという機会を得た魔法使いの少女は、歓喜に打ち震え付けていた眼帯を投げ捨ててその真紅の相貌を興奮で輝かせる。そして、お気に入りの杖を天高く掲げ、猛る気持ちそのままに朗々と告げた。

「我が名はめぐみん! 紅魔族随一の魔法の使い手にして、爆裂魔法を操りし者! 我が力、見るがいい! 『エクスプロージョン』ッッッ!!!」

 全速力を出して逃げ出した少年と女神が退避した直後、轟音と共に巨大な爆裂が生み出され全ての者を覆い包む。首無し騎士が放った悲鳴も、救いを求める亡者達も何もかもを飲み込んで。正に会心の一撃である。

 轟音と爆炎が過ぎ去る頃には、アクセルの街の直ぐ近くに巨大なクレーターが一つ穿たれた。

 

 

 地面に大穴を穿った爆裂魔法は、すべての不死の騎士団を跡形もなく消滅させていた。一日一発だけ放てる人類最強の魔法の威力に、その場に居た冒険者達はしんと静まり返っている。

「クックックッ……。我が爆裂魔法を目の当たりにし、誰一人として声も出せない様ですね……」

 最高の舞台で、最高のタイミングで、最高の魔法を解き放つ。そんな快感に少女は打ち震え、恍惚の表情を浮かべて佇んでいた。全身を倦怠感が襲っているだろうに、格好つける為にまだ力尽きるのを堪えている様だ。

「……っはぁ……。凄く……、気持ちよかったです……」

 最後にそれだけ呟いて、地面に顔から倒れ込む。受け身すら取れない程に己の全てを注ぎ込んだ、正に入魂の一撃だったのであろう。

 追手を逃れた最弱職の少年は、倒れ伏す少女に近づき声を掛けてやる。

「……おんぶは要るか?」

「あ、おねがいしまーす……」

 功労賞物の活躍をした少女の体を背負ってやり、少年は改めて爆裂魔法の作ったクレータを見る。青髪女神の浄化魔法二発に、現状考えられる最高の攻撃手段の爆裂魔法。これを立て続けに食らったのだから、死なないにしても撤退位はしてくれると助かると思いつつ。

「うええ……、口の中がジャリジャリする……」

 すると、穴の近くで青髪女神が起き上がるのを見つけた。どうやら、騎士団の一番近くに居たので、爆風で転がされたらしい。ぺっぺっと口の中に入った砂利を吐き出している。

 その光景を見てようやく、周囲の冒険者達は現状を受け止められたようだ。口々に歓声を上げ、そして成し遂げた魔法使いの少女を称賛しだす。

 『頭のおかしい紅魔の娘がやった』とか、『名前と頭がおかしいけどやれば凄いんだ』とか、誰一人名前を言わずに頭がおかしい娘呼ばわりで、傍から見ると貶している様にしか見えない。全員満面の笑顔なので悪気はないのだろうが、少年の背中の少女は気だるい体を突き動かして周囲に鋭い視線を向けていた。

「すみません、ちょっとあの人達の顔、覚えておいてください。今度ぶっ飛ばします……」

「街中では止めろよな……」

 彼女の言うぶっ飛ばす方法が、爆裂魔法でない事を祈るばかりである。

「ぐぬぅ……クックックッ、面白い……。クハハハハハ!! 面白いぞ貴様等!!」

 完全に動けなくなった少女を、召喚士が引き連れて来た巨狼の背中に横たえさせていると、沸き立つ冒険者達の声をかき消す程に、辺りに聞き慣れた声の哄笑が響き渡った。

 声の元に視線を向ければ、そこでは首無し騎士がゆらりと立ち上がり、自らの頭を前に突き出している。もう片方の手には何処から取り出したのか、人の身の丈程もある分厚い大剣が握られ肩に掛けられていた。

 あれだけの猛攻を受けても無事でいる。やはり雑魚とは比べ物にならないのがボスと言う物か。

「まさか本当に、配下を全滅させられるとは思わなかった。それでは約束通り……。この俺自ら、貴様等の相手をしてやろう」

 威風堂々と君臨する魔王軍の幹部に、最弱職の少年はだらだらと冷や汗を流す。

「我が名は魔王軍幹部『チート殺し』のベルディア。この名を胸に刻み、そして恐怖しながら死に絶えるがいい」

 本気になった首無しの騎士は、尋常ではない覇気を放ち、そして冒険者達に向けて駆けだして来た。

 

 

 猛然と駆けて来る首無しの騎士に反応して、女騎士が仲間達を庇う様に前に出る。そして、それを更に庇う様に、今まで静観するばかりだった他の冒険者達が躍り出た。数に任せて、たった一人になった首無し騎士を取り囲む。

「……ほーう? そんなに先に死にたいのか? 俺としては、そこのパーティの連中だけで十分なのだが……」

 囲まれた首無し騎士は特に慌てる様子も無く、悠然と周囲を掌に載せた頭で見回している。

「ビビる必要はねぇ! 直ぐにこの街の切り札がやってくる!」

「ああ、魔王軍の幹部だろうが関係ねぇ!」

「一度に掛れば死角が出来る! 四方向からやっちまえ!」

 口々に冒険者達がそんな事を叫び、そして全方向から一度に躍りかかった。なんと言う死亡フラグ、なんと言うやられ役ムーブ。モブキャラの手本みたいな行動である。

 それを受け立つ首無し騎士は、己の頭を上空高くへと放り上げた。その頭は落下する事無く上空で停止し、その頭部を中心として黒いモヤの様な物が集まり、中空に巨大な瞳の様な物を描き出す。 

 それを見ていた最弱職の少年は、己の中の既視感に戦慄した。あれは知っている。そして、あれがもたらす物もまた知っていた。

 少年の隣で、召喚士がふうとため息を吐く音が聞こえる。

「行くなああああああっ! そいつには死角はないんだああああああっ!!」

 結果が分かり切っていても、叫ばずには居られなかった。届かないと分かりつつも、手を伸ばして飛び掛かる冒険者達に制止を呼び掛けてしまう。

 首無しの騎士は襲い掛かる冒険者達の全ての攻撃を躱し、自由になった片手でも大剣を掴み両手持ちで周囲を薙ぎ払う。

上空の頭で戦況を全て把握して、更に片手が塞がるデメリットを解消し、十全の力で戦闘出来るスタイルを披露したのだ。

 落ちてきた頭が再び掌の上に戻ると、それと同時に取り囲んでいた冒険者達がバタバタと倒れ込む。先程の一振りで全員が即死。まさに埃を払うかの様な、あっさりとした攻防であった。

「……さて、次は誰だ?」

 誰が来ても同じ運命になるのは明白だと言わんばかりに、首無し騎士は掌の上の首で辺りを睥睨する。数の差があてにならないとなると、他の冒険者達、特に後衛職達はしり込みしてしまった。

「アンタなんか、今にミツルギさんが来たら、一撃で斬られちゃうんだから!」

 後衛職の少女の一人が、己に言い聞かせる様に声を張り上げる。何気に、最初に首無し騎士が来た日に爆裂魔法の犯人にされそうになった魔法使いの女の子であった。

 ミツルギ。恐らくは御剣響夜。最弱職の少年が魔剣を奪い、売り飛ばしたあの脳内勇者様の事なのであろう。彼は今頃、自分の魔剣を探して何処を彷徨っているのか。そして、その魔剣を持っているのは少年の仲間なので、勇者様が魔剣を見つけて戻ってくる事は無いだろう。最弱職の少年は、己のやらかしてしまった事に、人知れず脂汗を流していた。

 現れない切り札とやらに嘲笑を漏らし、首無しの騎士は再び進軍を開始する。その声には、殺戮への興奮に喜色が乗る。

「ではそいつが来るまで……、持ちこたえられるかな!?」

 長大な大剣が無差別に獲物を求めて振るわれ、そして翻った刃がその致命の一撃を真っ向から受け止める。甲高い鋼の悲鳴を上がり、鍔競り合う対峙者二人の足元で大地が割れ、その一撃の重さを示していた。

「……ほう? 次は貴様が俺の相手をするのか?」

「よくも……。よくも皆を!」

 首無し騎士の進路に立ち塞がったのは、その変態性癖で首無し騎士を引かせた女騎士であった。その瞳は冒険者をやられた怒りに燃えて、何時に無く真剣みを帯びている。

「よせ、ダクネス! お前の剣では無理だ!」

「守る事を生業とする者として、譲れない物がある!」

 冒険者の少年が思わず叫ぶも、女騎士は引きはしない。片腕とは言え魔王軍幹部の膂力に、ぎりぎりと対抗して両手で剣を押し込んでいる。流石は、力と耐久だけは自慢できると豪語する女騎士である。

 女騎士は力比べに歯をくいしばって耐えながら、ぽつりぽつりと胸中の思いを漏らしていく。

「……その剛腕で、見せしめとして淫らな責め苦を受ける様を、皆の前に晒す積りだろうが。やれるものならやってみろ! むしろやってみせろ!!」

「変な妄想はよせ! 俺が誤解されるわ!!」

 女騎士は、どこまで行っても変態だった。再び首無し騎士は、彼女の変態性癖に戦慄させられている。思わず離れたがる様に競り合うのを止めて、追い払う為に大剣が振るわれ、それを一合二合と女騎士が受け止めてみせた。

 防御に関するスキルだけを突き詰めて、敵の攻撃を受ける事に特化した彼女は今確かに魔王軍の幹部と拮抗している。

「勝負だ、ベルディア!」

「首無し騎士として、相手が聖騎士とは是非も無し!」

 一度大きく距離を開けて構えを取り、女騎士が果敢にも攻勢に出た。首無し騎士は嬉しげな声を漏らし、一歩も引かずに受け止める構えを見せる。なんだかんだで、騎士同士の対決とかには憧れる物があるのだろう。

 剛剣一閃。女騎士が剣を豪快に振るい、首無し騎士の傍らを駆け抜ける。一拍遅れて、二人の周囲の大岩が砕かれ、爆ぜて、崩れ落ちる。そして沈黙……。

「…………ふぁっ?」

 沈黙を破ったのは首無し騎士の間の抜けた疑問の声。剣を振るったままの姿勢で固まった女騎士の顔は、羞恥でまっかっかに染まっていた。

 その光景を見て、一部始終を理解した少年は悶える。女騎士が不器用過ぎて、止まっている敵にも攻撃が当たらなかったのだ。やだもう恥ずかしい、この子俺の仲間なんですけど――そんな思いと共に、少年までつられて真っ赤になる残念ぶりであった。召喚士はいつも通り、ぷっと吹き出している。

「なんたる期待外れだ……。もうよい!!」

 聖騎士と首無し騎士の対決、なんてシチュエーションに燃えていた幹部様は大変ご立腹だ。再び声を張り上げて向かってきた女騎士を、今度は無造作に切り捨てる。元より、天と地ほどの力量差があったのだ、遊ぶのを止めればこの位の芸当は簡単に出来たのだろう。そこからは、一方的な蹂躙であった。

「な、何だ貴様は!? この俺の攻撃を受けて、なぜ斬れない……?」

 振るう振るう振るう。相手の防御を打ち払い、返す刃で胴を肩を腕を、無造作に撫で斬りにする。並の冒険者ならばそれだけでも血達磨になると言うのに、幾らでも攻撃を受け止める女騎士の耐久に首無し騎士は驚愕していた。

「その鎧が相当な技物なのか? ……いや、それにしても……。爆裂魔法を放つアークウィザードと言い、あの規格外のアークプリーストと言い、お前らは……」

 ぶつぶつと呟きながら長考する、その片手間に女騎士は連撃に晒されて行く。見守る者達が思わず目を背けたくなる程の凄惨さであった。

「ダクネス、もういい下がれ!」

「クルセイダ―は、誰かを背に庇っている状況では下がれない……。こればっかりは絶対に!」

 見かねた少年が叫ぶも、やはり女騎士は不退転の意志を固持する。なんと言う固い意志か、これぞ騎士道精神の極みであろうか――と一瞬だけ少年が思ったが、よく見ると女騎士の口元がへらっと笑っているのが見えた。嫌な予感がした。

「そ、それにだ……。それに、このデュラハンはやはりやり手だぞ! こやつ、先程から私の鎧を少しずつ削り取るのだ……! 全裸に剥くのではなく中途半端に一部だけ鎧を残し、私をこの公衆の面前で、裸より扇情的な姿にして辱めようと……っ!」

「えっ!?」

 あまりと言えばあまりな評価に驚愕して、首無し騎士の攻勢がぴたりと止まる。そんな可哀想な首無し騎士に、女騎士はついに剣を捨てて、両手を広げながら迫って行った。

「さあ来い! 魔王軍の辱めとやらはそんなものか!? もっと打って来い、さあ!!」

「ええっ!?」

 突然意味の分からない事を言い出した女騎士の勢いに、困惑した首無し騎士が何歩か後退る。やはり最初に迫られた時から、この女騎士の性癖にはドン引きしている様だった。本当に可哀想に。

「時と場合ぐらい考えろ、この筋がね入りのド変態が!」

「……っ!? ド、変態……? ……くぅっ! くっ……」

 遂には最弱職の少年の罵倒が飛んで、その響きに女騎士の琴線が激しく刺激される。余程罵倒が嬉しかったのか、全身を小刻みにぶるぶる震わせて、溢れ出る快感に耐えている様だ。ちなみに、今は戦闘中である。

「カ、カズマこそ時と場合を考えろ! 公衆の面前で魔物に痛めつけられているだけでも精一杯なのに、これでカズマまでもが私を罵倒したら……っ! お、お前とこのデュラハンは、いったい二人がかりで私をどうするつもりだ!?」

「「どうもしねぇよ!!」」

 すんごい嬉しそうにしている女騎士に、最弱職の少年と首無し騎士が同時にツッコミを入れる。奇しくも、魔物と人の心が一つになった瞬間であった。

「でもよくやった! 時間稼ぎには充分、『クリエイト・ウォーター』ッッ!!」

 少年が叫ぶと同時に掌を突き出し、女騎士が嬲られている間に溜め続けていた魔力を一気に解き放つ。魔力は女騎士と首無し騎士の頭上に突然大量の水を生み出し、そこからバケツをひっくり返した様に二人へと降り注いだ。

 女騎士が無抵抗に頭から水を被る横で、首無し騎士は大慌てで水を回避する。初級魔法で生み出される水はただの無害な水で、聖水と言う訳でもないのにあの慌て様は何だろうか。少年の中に違和感がしこりの様に残る。

「……カズマ。確かに、こう言う不意打ちも嫌いではない。嫌いではないが……、本当に時と場合を考えてくれっ!」

「ち、違う! これは妙なプレイじゃない! これは、こうするんだよっ! 『フリーズ』!」

 ずぶ濡れになった女騎士の見当はずれな指摘に叫び返して、最弱職の少年は新たな初級魔法を解き放つ。掌から放たれた冷気が、首無し騎士の水溜まりを、その足元ごと凍り付かせて釘付けにする。少年が編み出した、魔法同士のコンボが鮮やかに決まった。

「……っ!? 抜かったわ! だが、この程度の氷などで、俺の回避は鈍りはせんぞ!」

 まったく別の魔法を組み合わせて相乗効果を狙うという発想は、流石の魔王軍幹部にも予想外だった様だ。それでも首無し騎士は不敵に笑う。こんな物は児戯の様な物であると。

「回避しづらくなればそれで充分! 本命はこれだ! 『スティール』ッッ!!」

 最弱職である冒険者にのみ許された、多彩なスキルの乱れ撃ち。そして幸運の高さが物を言う窃盗スキルを、少年は自信満々に繰り出した。あのいけすかない勇者候補を慄かせた様に、首無し騎士からも武器を奪って見せると確信して。

「良い手ではあったが……、レベル差と言う奴だ。もう少し力量に差が無ければ今ので窮地に立たされていたかもしれんな。つくづく、貴様らのパーティには驚かされる……」

 スキルで発生した閃光が収まっても、少年の手には何も握られていなかった。この世界に来てから初めてのスキルの失敗に、少年は何度も己の手と相手を交互に見てしまう。絶対に成功すると信じていた計画が崩れ去り、呆然とする間もなく首無し騎士の凶刃が迫る。

「私の仲間に、手を出すな!!」

 女騎士が感情も露わに庇い出るが、首無し騎士はもはや言葉も無く剣を振るう。剣を弾き、体を跳ね上げさせ、中空の体に連続で剣を叩きつけて行く。身を庇う事も出来ない体に、何発も何発も即死級の攻撃が繰り出され、最後に真上からの振り下ろしでその体を地面に叩きつけさせた。

 地面に半分埋まりかけながら、それでも女騎士は致命に至らず苦しげに呻く。あの連撃でも耐え抜いた女騎士の姿に、首無し騎士は驚嘆と共に敬意を抱く。

「……元騎士として、貴公と手合わせできた事、魔王様と邪神に感謝を捧げよう。さらばだ、勇敢で愚かなクルセイダー!!」

 トドメを刺す為に、首無し騎士が大剣を大きく振り上げた。度重なる攻撃でさしもの女騎士も限界を超えて動けず、このままでは確実に殺される。

「ダクネスが! カズマ、ダクネスが!」

 背後から上がった魔法使いの少女の悲痛な声を聞きながら、少年の頭の中では思考が加速する。自分の得意な事は、相手の嫌がる事を的確に当てる事だろう。思い出せ、転生する前の知識でも何でもいい、あいつが今までの行動の中で一番嫌がった事は何かを。目まぐるしい速度で頭の中を思い出が流れて行き、そして少年の中でカチリと一つの答えが出た。

「『クリエイト・ウォーター』ッッ!!」

「くっ!? だから何のつもりだ、小僧っ!」

 思い至った答えを、速度だけ優先してとにかくぶっ放す。そして、少年の手から放たれた水を、何の変哲もない水を、首無し騎士はトドメを中断してまで回避する。その行動で、己の考えが正しい事が確信出来た。

 確信した少年は、あらん限りの声で叫ぶ。

「水だあああああああ!!! 魔法使いのみなさーん! こいつは水が弱点だあああああああ!!」

 

 

「『クリエイト・ウォーター』! 『クリエイト・ウォーター』! 『クリエイト・ウォーター』ッッッッ!!!!」

 今まで遠巻きに見ていた冒険者達も、首無し騎士が水を大げさに避けるのを見ていた。確かに今までは魔王軍幹部の強さに尻込みをしていたが、ここに来て弱点が見つかったとなればする事は一つ。その場に居た水を放立てる魔法使い全員が、雨霰とばかりに水の初級呪文をぶっ放した。

「くぬっ! おおっ? っとっ!」

 どんなに回避力に自信があると言っても、四方八方から飛んでくるでたらめな連撃、しかもそれが弱点であれば回避するのが精一杯となる。こうなってしまえばこっちの物、後はやりたい放題であった。

「盗賊、頼むっ! 誰でもいいからスティールを使えるやつは協力してくれ! あいつの武器を奪えばこっちのもんだ!」

 最弱職の少年の音頭により、無数に居る盗賊職達も窃盗スキルを乱発して行く。例え確率が低くても、何度もやっていればいつかはチャンスがあるかもしれない。そうで無くても、相手が焦ってくれればそれだけでもチャンスになるのだ。

「ええいっ! てめえらまとめてぇ! 一週間後に、死にくされぇ!!」

 必死になって飛び来る水の飛沫を次々と回避しながら、首無し騎士も死の宣告で反撃してくる。それで手を止めてしまう者も居るが、冒険者達はこの呪いをあっさり解除した存在も知っているのだ。水と窃盗の連撃は止まらなかった。

 しかし敵も然る者。頭上から次々と浴びせられる水を、首無し騎士はこれでもかと躱し続ける。このままでは魔力を消費している分、冒険者側が不利だ。持久戦になれば、何時か魔力が尽きてしまう。

 他の冒険者達と一緒に水の初級魔法を連発する少年は、撃っても撃っても当たらないと焦燥感に焦れていた。

「ねえ、一体何の騒ぎなの? カズマったら何を遊んでいるの? バカなの?」

 そんな少年の背中に、空気を読めない青髪女神が声を掛ける。暫く姿を見かけないと思ったらのこのこ戻ってきて、最初に言う事がそれなのかと殺意が湧く。それを押し込めながら、少年は魔法を撃つ手を止めて女神に声を張り上げた。

「あいつは水が弱点なんだよ! なんちゃって女神でも、水の一つぐらい出せるだろう! 見てないで手伝え!」

「あんた、そろそろバチの一つも当てるわよ無礼者! 洪水クラスの水だって出せますから! 謝って! 水の女神様をなんちゃって女神って言った事、謝って!」

「出せるのかよ!? 後で幾らでも謝ってやるから、さっさとやれよこの駄女神!!」

「わああああーっ!? 今、駄女神って言った! あんた見てなさいよ、女神の本気を見せてやるからっ!」

 何時もの様に自称女神を言い負かして、溜飲が下がった少年はフンと鼻で笑う。半泣きになった女神は、何時に無く真剣な雰囲気を纏わせて朗々と詠唱に取り掛かった。

「この世に在る我が眷属よ……。水の女神、アクアが命ず……」

 膨大な魔力が女神から吹き上がり、周囲の水分が霧の様に集まって、それは更に大きな水の球へと育って行く。これは、ひょっとするとひょっとするのではないかと期待が膨らむ一方、いやに予感も同時にひしひしと感じる。この女神がやる気になっている時はだいたい――

 そんな事を考えている最中に、召喚士がちょいちょいと少年の肩をつついて来た。

「あんなこと言っちゃって、良かったの? 多分あの言い方だとあの子、本当に洪水レベルの水を出すと思うよ?」

 女神は確かに、洪水レベルの水も呼べると豪語した。そして、少年はそのすぐ後に水を出せと言ってしまう。少年の顔から、さっと血の気が引いた。あのちゃらんぽらんなら、言葉通りに受け取りかねない。

 気が付けば周囲の魔法使い達も、首無しの騎士でさえも、尋常でない魔力を放つ青髪女神を戦慄と共に見守っている。このままではとんでもない事が起こると、皆が皆直感しているのだ。

「アクアー! 止め、止めろ! そんなに大量の水なんかいらないから、今すぐ魔法を止めろー!」

「……くふっ。しょうがねぇなぁ。……なんてね」

 必死に少年が叫ぶも、詠唱に集中する女神には声が届いていない。剣呑な気配を察して冒険者達も逃げ始める中で、召喚士は何時もの様に薄く笑って、己も召喚魔法の詠唱を開始した。

「今のレベルでの全力召喚は持って五秒……。生命力を継ぎ込んで十秒ぐらいかな? ヨーちゃん……、ちょっと本気出してみようか」

 青髪女神の魔法の影響により、ビリビリと空気が振動し始める。そこで漸く、首無し騎士も撤退を決意して、躊躇なく背中を向けて逃げ出そうとした。

「い、いかん! ぐぅ!? 離せこのド変態騎士が!」

「な、なんと言う罵倒……」

 だが、逃走する首無し騎士の歩みは直ぐに止まってしまう。その足に、打ちのめされて倒れていた女騎士がしがみ付いたのだ。罵倒されて引きずられる女騎士は、この上なく幸せそうであった。この後水攻めも待って居る。

「我が求め、我が願いに応え、その力を示せ! 『セイクリッド・クリエイト・ウォーター』!」

「あああああ!! み、水があああああ!!」

 水の女神の本気で繰り出した水を生み出す魔法が、魔王軍幹部の頭上から滝の様に降り注いだ。

 生み出された水は本気の度合いも相まって、首無し騎士も女騎士ももろともに飲み込み、それだけでは飽き足らずに洪水となって四方へ広がる。このままでは、冒険者達もアクセルの街の城壁も無事では済まないだろう。

「もういい! もういいって! ……あれ?」

 あわや水に飲み込まれると言った寸前で、地響きと共に地面から巨大な何かが競り上がって来る。それはてらてらとした鱗を持った、巨大なる蛇であった。ただしその大きさが尋常では無い。まるでアクセルの街を取り囲む城壁が、外側にもう一枚増えたかの様な光景である。

 直径がそこらの家よりも大きな蛇の体に洪水がぶち当たり、長大な体がその威力を分散させた。本来は冒険者たちもろとも外壁を打ち壊すはずだった水は、やがて潮が引く様に街の外に向かって流れ広がって行く。

 そして、前触れもなくぱたりと召喚士が倒れた。まるで、爆裂魔法を撃った後の魔法使いの少女の様に。

「お、おい大丈夫か!? お前が敵の攻撃以外で倒れるなんて初めてだろ!?」

「うわっ!? あいたっ!」

 心配して駆け寄ってきた少年の隣で、魔法使いの少女が痛みに呻いて声を上げる。見れば少女を乗せていた巨躯の狼が姿を消しており、洪水を防いだ壁の様な蛇もすぅっと薄れて消えて行く。召喚士が魔力を使い果たし、召喚を維持できなくなったのだろう。

「何を考えているのだ貴様……。ば、馬鹿なのか……大馬鹿なのか!? あんな規模の魔法を街の近くで使うなど、とても正気とは思えん!!」

 水が最初に降り注いだ地点に出来た大きな穴から、よろよろと首無し騎士が這い上がってきて青髪女神を罵倒する。その意見には同意だと、少年はうんうんと頷いていた。しかし、まだ生きているとはあっぱれなしぶとさである。

「さあカズマ! 今がチャンスよ、この私の凄い活躍であいつが弱っている、この絶好の機会に何とかしなさいな!」

 結果的には特に被害も無かったが、もう少しで冒険者にも街にも魔王軍以上の被害を出しかけた女神は、どんなもんだと胸を張りながら最弱職の少年に命令を下した。この女は後で、公衆の面前で泣くまでスティールで剥いてやる――と少年は密かに心に決める。

 しかし、絶好のチャンスなのには間違いない。少年は掌を差し向けて、弱点の水で弱った首無し騎士に再び窃盗スキルを試みた。

「今度こそ、お前の武器を奪ってやるよ! これでも喰らえぇ!」

「やってみろ! 弱体化したとはいえ、駆け出し冒険者如きにこの俺の武器は盗らせはせぬわ!」

 少年の己を鼓舞する為の叫びに、首無し騎士はもう一度己の頭を上空に投げ上げた。両手で大剣を扱う本気の戦闘スタイルで、少年を切り捨てるつもりらしい。

 直接叩きつけられる殺意に足が震えるが、それでも少年は全魔力を込めてスキルを発動させる。

「『スティール』ッッッ!!!」

 発動すると同時に、少年の手にはずっしりと重い感触が現れた。勝利を確信しつつ、スキル発動の閃光が収まってみれば、その手に収まっていたのは――

「あ、あの……。…………首、返してもらえませんかね…………?」

 首無し騎士が上空に放り上げた筈の頭が、少年の手の中に盗み出されていた。

 兜の中の困惑を浮かべた両目が、少年の眼と見つめ合う。次の瞬間少年は、これ以上ない程に邪悪な笑みを浮かべる。およそ正義の側がして良い様な顔では無い。

「おーい、お前らー。サッカーしようぜー!」

「さ、さっかー?」

「サッカーってのは、手を使わずに足だけでボールを扱う遊びだよおおお!」

 手の中で聞き慣れない言葉に疑問を浮かべるアンデッドの頭を、そのまま投げだしてボールの様に蹴りつける。蹴飛ばされた頭は悲鳴を上げながら冒険者達の方に飛んで行き、そして今までの鬱屈を晴らす様に様々な冒険者達に蹴り上げられて行く。魔王軍幹部の頭は、最早冒険者達の恰好のオモチャであった。

「あいたっ!? いたっ! たす! たすけ! ちょっ、やめっ! あああっ!」

 延々と響く首無し騎士の悲鳴を聞きながら、少年の元にその仲間達が集まってくる。そのうち二人は最初から地面に倒れているが、今は誰も助け起こす余裕は無かった。

「これだけ弱まれば大丈夫だろう……。ひと思いに逝かせてやってくれ」

 首を本当に失って棒立ちになった幹部の身体を見ながら、女騎士が介錯してやれと提案してくる。たとえ性根からのド変態だとしても、彼女もまた騎士だと言う事なのだろう。嬲られるのを見るよりは、むしろ自分が嬲られたい――という事ではないと思いたい。

「そうだな……。アクアー!」

「任されたわっ!」

「やれっ!」

 それを受けて、まるで飼い犬に命令するかの様に、最弱職の少年が青髪女神に告げる。女神の方は頼られたのが嬉しいのか、喜色満面でそれを引き受けていた。

 青髪女神が街の方に手を向けると、蓮の花を模した杖が回転しながら飛んでくる。それを受け止めた青髪女神は、更に身体に淡い紫色の羽衣を顕現させて完全に本気モードになっていた。フルアーマー女神である。

「『セイクリッド・ターンアンデッド』!」

「ちょっ、まっ!? はあああああん!!」

 以前は効かなかった浄化魔法も、弱体した身体には効果があった様だ。三度放たれた神聖魔法で、首無し騎士は完全消滅。弄ばれていた頭も消えてなくなり、その唐突さに冒険者達が困惑していた。

 この地になにがしかを調査しに来たと言っていた魔王軍幹部は、白い聖なる光と共に神の世界へ帰って行った。

 

 

 周囲の冒険者達が勝利に騒めく中で、女騎士は両目を閉じて跪き祈りを捧げていた。そんな彼女に、倒れたままの魔法使いの少女が声を掛ける。

「……ダクネス、何をしているのですか?」

「……祈りを、捧げていた。あのデュラハンと、そして犠牲となった冒険者達に……」

「そうでしたか……」

 少女の方は納得した様だが、女騎士はなおも胸中の思いを熱く語る。一足先に逝ってしまった、冒険者達との思い出を。

「私に腕相撲で負けた腹いせに、私の鎧の中はガチムチの筋肉なんだぜと大嘘を流してくれたセドル……。団扇代わりに、その大剣で扇いでくれ。なんなら当てても良いけど、当たるんならな。……と私をからかったヘインズ。そして……。一日だけパーティーに入れて貰った時、何であんたはモンスターの群れに突っ込んでいくんだと、泣き叫んでいたガリル……」

 碌な思い出が無い。そんな連中との思い出でも、涙腺を刺激されたのか女騎士の眦に滴が浮かぶ。彼女の脳裏には、今話した三人の在りし日の姿が思い浮かんでいるのだろう。

「皆……。もう一度会えるのなら、一緒に酒でも飲みたかったな……」

「「「お、おう……」」」

 女騎士のささやかな願いの言葉に、件の三人が戸惑いつつも答えてくれた。

 このお返事にさしもの女騎士もビックリ仰天。目をぱちくりさせながら声のした方に振り向き、ピンピンして居る三人を見て二度びっくり。逝った筈の三人は、照れくさそうにしながら口々に謝罪の言葉を口にする。

「私ぐらいになると、死にたてほやほやなら、ちょいちょいっと蘇生よ。これでまた一緒にお酒が飲めるじゃない。良かったわね!」

 自慢げに語る青髪女神のおかげで何が起こったのか察した女騎士は、襲い来る羞恥の感情に顔を赤くして俯いてしまった。そんな彼女を見て周りの冒険者達も、色々事情があるんだな――なんて同情して居たりする。今まで攻撃が当たらないのに防御スキルばかり取る変人だとしか思われていなかったのが、ほんの少しは見直されたのかもしれない。

「死にたい……」

「遠慮するなよ。心配しなくても、三日間ぐらいこの話で責め続けてやるからさ」

 何をしても悦ぶ変態の意外な弱点を見つけた最弱職の少年が、すかさず傷口を抉りにかかる。あらゆる攻撃を快感にする女騎士でも、この追撃には喜ぶ事は出来なかった様だ。この少年の事だから喜々として三日間責め立てるであろう。

「こ、この責めは……。私の望むタイプの羞恥責めとは、違うかりゃ!! ふえーん!」

 遂には耐えきれなくなって女騎士は子供の様に泣き出してしまった。そんな姿を皮切りにして、周囲の冒険者達が一斉に笑みを浮かべ、やがては勝利の勝どきへと変わって行く。

 なんにせよ、これにて魔王軍幹部ベルディアの討伐と相成った。

 

 

 翌日。冒険者ギルドに集まった冒険者の面々は、浮かれ気分の大宴会に突入していた。

 それはそうだろう。彼等は全員で魔王軍幹部に挑み、駆け出しの身でありながら見事それを討伐してみせたのだから。生きる喜びを実感する為にも、手に入れた報酬を使って酒宴に明け暮れるのだ。

「その……、悪かったな色々と。お詫びに約束通り、今日は奢るぜ」

「俺も悪かったよ、腕相撲に負けた位で変な噂たてちまって……」 

「剣が当たらない事、けっこう気にしてたんだな。そら、俺からも奢りだ、飲んでくれ」

 先日の幹部討伐で前線で戦い抜いた女騎士の元にも、件の三人組が集まり次々に酒杯を押し付けている。若干顔を赤くして恥ずかしがっているが、彼女はまんざらでもなさそうに受け取った酒を飲み干して行く。

 そんな風に酒を飲み明かす冒険者達を、恨みがましい目で眺める魔法使いの少女。彼女の座るテーブル席にも、多くの冒険者から食べ物が送られていた。

「まったく、まったくダクネスは私の事を子供扱いして!」

 ガツガツと両手で肉を掴んで口の中に放り込む、その姿はさながら欠食児童である。何をそんなに怒っているのかと言えば簡単至極。彼女には食事は与えられても、酒の類が一切与えられていないのだ。

「私だってお酒ぐらい飲める歳だと言うのに! まったくダクネスと来たら!!」

 飲酒しようとしたら仲間の女騎士に止められてしまい、更には周囲の冒険者達にまで酒の類を与えない様にと広められてしまった。ご立腹な彼女は最早、自棄食いに走るばかりである。

「カズマ、遅いな……」

「んぐっんぐっんぐっ、ぷっはぁああああっ! だぁいじょうぶよ、カズマさんならお昼過ぎたら起き出して、勝手にここに来るわよ!」

 召喚士と青髪女神は各々、蜂蜜酒としゅわしゅわするお酒を楽しんでいた。片方はちびちびと舐める様に飲むのに対して、もう片方は既に何杯目か分からない程に飲み干している。これは後で確実に、胃の中身をキラキラと路地裏にぶちまける事になるであろう。

「よおおおし! 気分が乗ってきたから宴会芸、見せちゃうわよー! 声真似で……、昨日の討伐直後のダクネスの真似……。『もし、もう一度あいつらに会えるなら……』」

「おおおおい!? アクア、止めてくれ! もうあの時の事を思い出させるな!」

 調子付いた青髪女神がやたら上手い声真似を披露して、半泣きになった女騎士がその腰に縋りつく。そんな二人を見て、また冒険者達が笑い声をあげる。宴もたけなわ。これから更に騒がしくなって行く事であろう。

 そんな時になって漸く、誰もが待ち望んでいた最弱職の少年がギルドの扉を開いて現れた。彼はギルド内の熱気に一瞬気圧されたが、それでも直ぐに仲間達の元へと歩み寄って来る。

「待ってましたよ、カズマ! 聞いてください、ダクネスが私にはまだ早いと、ドケチな事を……!」

「いや待て、ケチとは何だ、そうではなく……。いや、それよりカズマ、アクアを止めてくれ!」

「あーっ! 遅かったじゃないのよ、かじゅま! もう皆出来上がっちゃってるわよ」

 遅れてやってきた少年に仲間達が殺到し、そのわちゃわちゃうるさい歓迎にしかめっ面を晒す。ふと見た召喚士もニヤニヤと笑っているので、肴にされていると自覚し渋面が更に深い物になって行く。

 そんな仲間達の他に、顔なじみの冒険者やそうで無い冒険者達にも声を掛けられ、なんだかむず痒さを覚えながら少年は受付カウンターを目指して行った。少年がここに来た目的は、酔っぱらいに絡まれる為ではなく、先日の討伐報酬を受け取る為なのだ。

 辿り着いた受付では、例の金髪巨乳の受付嬢が完璧な営業スマイルで出迎えてくれる。チェンジと言いたくなる気持ちを抑えつつ、先日の討伐報酬を先に来ていた仲間達同様に受け取りたいと告げた。

「お待ちしておりました、冒険者サトウカズマさん。貴方達のパーティには討伐戦の参加報酬の他に、ギルドからの特別報酬が用意されています」

「え? なんで俺達だけに……?」

 最初、最弱職の少年はその言葉が理解できなかった。どうして自分達だけに特別な報酬が出るのか、その理由が分からなかったからだ。

 その理由は、酒場に居る大勢の冒険者達が口々に説明してくれた。

「お前らが居なきゃ、デュラハンなんか倒せなかっただろうよ!」

「そうだそうだ、胸を張れよMVP!」

「俺は初めから、お前の中の輝きを信じてたぜ……」

 皆が皆、少年とその仲間達の活躍を褒め称え、称賛する為に騒ぎ立ててくれる。この世界に来て、ずっと理不尽な目に合い続けてきた少年には、この優しさは身に染みて涙がこぼれそうになった。

「俺の中の輝き……?」

 思わずイケボで反芻してしまうと言う物である。最後には酒場中の冒険者から、少年の名前をコールされる大声援となっていた。そんな扱いを受けては、面はゆい思いと共に、少年の頬が微かに赤らむ。

 鳴りやまぬ大音声の最中で、受付嬢は説明を続ける。

「えー。サトウカズマさんのパーティには、魔王軍幹部ベルディアを見事討ち取った功績を称えて……。ここに、金三億エリスを与えます」

「「「「さ、三億ぅ!?」」」」

 あまりの金額の多さに、少年のパーティーメンバーは一人を除いて驚愕の声を上げた。召喚士はいつも通りニコニコしているだけである。そしてそれを聞いていた冒険者達も、興奮冷めやらぬままにはやし立てた。

「うっひょー! 奢れよカズマ!」

「カズマ様ー! 奢って奢ってー!」

 男も女も関係なく、その場のノリと勢いで奢れコールを繰り出して来る。金持ちには、とりあえず集りたくなるのが人情と言う物であろう。

 だが、最弱職の少年はそれどころでは無かった。

「……集合ー」

 小さく手を上げて、散らばっていた仲間達に集合を掛ける。全員集まった所で円陣を組んで、受付嬢から少し離れた所で今後の作戦会議が始まった。

「おまえ等に一つ言っておく事がある……」

「私の力で勝利したんだから、報酬は九:一で良いわよね!」

 途中で青髪女神が割り込んできたが、無視して少年は話を進める。今からするこの話は、今後の生活にかかわる大事な事なのだから。

「俺は今後、冒険に行く回数をかなり減らそうと思う。大金が手に入った以上、のんびりと安全に暮らして行きたいからな!」

 少年は大金を手に入れた事で、人生守りに入った模様。それに対して、仲間達が口々に文句を言い始めた。

「待ってくれ、強敵と戦えなくなるのはとても困るぞ!」

「待ちません、困りません!」

 女騎士の懇願を無慈悲に打ち捨て、

「私も困りますよ。私はカズマに付いて行き、魔王を倒して最強の魔法使いの称号を得るのですから!」

「得ません!」

 魔法使いの少女の願望を無碍に否定し、

「アンタまたニートに戻るつもり?」

「戻りませ――ニートじゃないから!?」

「私が帰れないじゃない!」

「いーや、もう決めた事なんだ!」

「はぁ!?」

「はぁ、じゃねーよこの堕女神!」

「だ、駄女神って……」

 何時もの様に青髪女神と喧嘩して、

「すいません、蜂蜜酒おかわり」

「お前は話に参加しろよ!」

 召喚士にツッコミを入れる。

 そしてそんな愉快な仲間達を置き去りにして、冒険者ギルドの中はどんどん騒がしくなっていった。もう、返事が無いけど他人の金で飲む気満々にどんちゃん騒ぎである。

「あの、カズマさんこれを……」

 そんな中、ギルドの受付嬢は申し訳なさそうな顔をして、少年に一枚の用紙を手渡して来た。その紙面に描かれた文字を目で追って、内容を理解した少年は凍り付く。

「なになに、小切手?」

 浮かれたままの青髪女神も紙片を覗き込み、やはり同じ様に動かなくなった。訝しむ残りの仲間達にも分かる様に、紙を渡した受付嬢は内容の説明を始める。

「ええと、ですね。今回、カズマさん一行の……、その、めぐみんさんが爆裂魔法を撃ち込んだ廃城がですね、魔王の幹部が倒れた事により完全に倒壊してしまいまして。そしてその廃城は、この街の領主様の別荘でして……。倒壊した城の修理費用を、皆様に請求したいとおっしゃっておりまして……」

 説明中に出てきた単語に、女騎士と召喚士がぴくりと眉根を寄せる。そんな二人には気が付かずに、受付嬢の説明は続いた。

「……まあ、魔王軍幹部を倒した功績もあるし、全額弁償とは言わないから、一部だけでも払ってくれ……と……」

 紙片に掛れた金額を見て、青髪女神が逃げ出そうとするのを少年が髪を掴んで止める。原因となった少女は、ガクガクと震えながら汗だくになっていた。逃げるという発想も無いぐらいに追い詰められている様だ。

 いつの間にか、あんなに熱狂していたギルド内は、お通夜みたいに静まり返っている。最弱職の少年達の様子を見て、その請求額を察してしまったのであろう。

 身じろぎする事も無く、紙面を見つめる少年の肩に、女騎士が優し気にぽんと手を乗せる。

「報酬三億、請求額が三億四千万……。明日からは、割りの良いクエストを探さないといけないな」

「……血で血を洗う魔道の旅は、始まったばかりですね……。ぐすっ……」

「お、女の子の髪を引っ張るとか……。借金は等分で良いわよね……?」

 仲間達の声を聴きながら、少年は目を閉じ心の中で、深く、とても深く魔王討伐を決意した。

 この碌でも無い世界から、脱出する為に!

 

 

 そんな仲間達からとぼとぼと離れて、召喚士は誰に聞かせるでもなくひとりごちた。

「まさか……、こういう形でつじつまを合わせて来るとは。修正力は侮りがたいと言う事かな……」

 そのつぶやきには誰も反応する事は無く、召喚士は給仕の持ってきた蜂蜜酒の酒杯を受け取る。その無駄に整った顔には、いつも通りのにんまりとした笑みが浮かんでいた。

「まあ、僕は僕で楽しめれば、それで良いか」

 結局は、する事は何時もと変わりはない。仲間達の少し後ろについて行き、特等席から眺める。今はそれが楽しくてたまらないのだから、そのままで問題は無かった。

 酒杯をちろちろと舐めながら、召喚士は仲間達の元に戻って行く。存在感が無い様に振る舞っていても、あの仲間達はそれなりに心配してしまうので油断がならないのだ。

「とりあえず、借金どうしよう……」

 最後の呟きだけは、割と切実であった。




一章はここまでとなります。
予定では全四章。二四話程になると思います。
続きは二章が全てかけてから投稿するので一月ほど後を予定。
それまで忘れて居なかったらまたお会いしましょう。


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第二章
第七話


この話から第二章、少々カズマさんから距離を取った話となります。
よろしければお楽しみくださいませ。


 魔王軍の幹部、『チート殺し』のベルディアを討伐してから、季節は早くも冬になっていた。この時期はモンスターの数も減り、普段は馬小屋で暮らす冒険者達も暖を取る為に宿を借りる。凍死の危機を乗り越える為に、溜めていたお金をここぞとばかりに使うのだ。

 今日も冒険者達は酒場で日も高い内から飲み明かし、一日も早い雪解けの季節を待ちわびる。魔王軍幹部との戦いの報奨金で懐が潤っているので、みな一様に明るい表情で怠惰に過ごしている様だ。

 だが、英雄的活躍をした最弱職の少年は、そんな冒険者ギルド内の酒場の一席で、血を吐く様に一言呟いていた。

「金が欲しい……っ!」

「そんなの、誰だってほしいと思ってるに決まってるじゃないの。そもそもカズマは、甲斐性無さ過ぎるのよ!」

 その言葉を聞いて、対面に座る青髪女神は少年に文句を言い始める。女神にとって、慕われ尊敬され敬われる事は当たり前。もっとちやほやして欲しい、もっと甘やかされたいと訴えかける。

「この高貴な私を、馬小屋なんかに泊めてくれちゃって、恥ずかしいと思わないんですかー!?」

「俺が何で金で悩んでると思う? 借金だよ! 内臓売るレベルの借金のせいで、どんなにクエスト受けても報酬が天引きされてんだよ!」

 最弱職の少年はただなじられるだけの男ではない、己の中に溜まった不満をここぞとばかりに相手に叩きつける。そしてそれは青髪女神も同じ、何度泣かされ様とも己の沽券の為には何度だって立ち向かえるのだ。

「今回は私、全く悪くないわ! あの廃城を壊しちゃったのはめぐみんじゃない! 私は今回、超凄い活躍で貢献したのよ? それを褒めて貰う位、当然の権利じゃないの!」

「……そうだな、あの城を吹っ飛ばしたのはめぐみんの爆裂魔法だな。じゃあなにか、お前は自分は悪くないからってあの借金を全部めぐみん一人に押し付ける気なのか? そうすりゃ確かに、お前は助かるよな。お前だけは」

「……う、それは……」

 魔王軍の幹部を倒すまでは良かったのだが、その為に使われた『高度で緻密な作戦』により被害が出てしまうとは予想外であった。まさか、頭のおかしい爆裂娘が毎日爆裂魔法を撃ち込んでいた廃城が、領主の持ち物であったとは。

「お前分かってんのか? あの一件以来流石のめぐみんも落ち込み気味で食欲が落ちてる――いや、あれは遠慮して飯が食えてない様な状態だ。間違ってもあいつの前で、さっきみたいな事言うなよ。これ以上落ち込んだら、骨と皮だけになっちまうぞ」

「う、うう……」

 何よりも予想外だったのは、その領主が城の修理費を一介の冒険者に請求してきたことだ。そのおかげで、魔法使いの少女は落ち込んでしまい、最弱職の少年達のパーティのクエスト報酬は天引きされている。まだ見ぬアクセルの街の領主に、少年はほの暗い殺意を抱かずには居られない。

「俺達には金が要る。このまま本格的な冬が来れば間違いなく凍死するし、借金を早く返さないとめぐみんの心労もヤバイ。ちやほやされたいとか頭お花畑な事言ってないで、お前もちったぁ協力しろよな」

「はい……。謹んで協力させていただきましゅ……」

 なんとか女神をやり込める事に成功し、協力するとの言質が取れた。一仕事を終えたと大きく息を吐く。

「はい、お疲れ様……」

「あ、サンキュー」

 そんな少年の前にコトリと飲み物が置かれ、最弱職の少年は流れる様にそれを手を取り一口啜る。そして、口に含んだ液体を目の前の女神に向けてぶぱっと噴出させた。

「おま、これ、酒じゃねぇか!? 俺達には金が無いって話してる時に、こんな無駄遣いを……。って言うか、金が無いのにどうやって注文したんだよ?」

 突然の毒霧攻撃に女神が目をやられて悲鳴を上げる傍らで、少年は飲み物を持ってきた召喚士に食って掛かる。言われる方は素知らぬ顔で、自らも蜂蜜酒を舐める様にひと啜り。唇をぺろりと舐めてから質問に答えた。

「……ツケで」

「ばっかやろう! 金が無いのに借金をさらに増やしてんじゃねぇよ!」

 もっともな意見ではあるが、召喚士は素知らぬ顔で酒を舐め続ける。むしろ怒鳴り散らされるのが嬉しいのか、いつも以上にニコニコ笑顔になっている。最弱職の少年に構ってもらえるのが、嬉しくてしょうがないと言った様子だ。

 反省なんぞ欠片もしていない様子の召喚士に、流石に説教の一つもかましてやろうかと腰を上げた所で、最弱職の少年は背後から声を掛けられた。

「まったく、朝っぱらから何をそんなに騒いでいるのだ。皆に注目……はされてないか。いい加減お前たちが騒ぐのもみんな慣れてしまったようだな」

 そんな風に声を掛けてきたのは、少年の仲間である金髪の女騎士。今日は何時もの鎧姿ではなく、黒のシャツにタイトスカートと言う私服姿である。何時もと違って我儘なままの胸元に、少年の視線は釘づけであった。

 そして、その背後にもう一人。件の魔法使いの少女も、女騎士の傍に隠れる様にして立っている。借金が出来てからそれなりに経っているが、まだ合わせる顔が無いとでも言うつもりなのだろうか。気になってよくよく少年が見てみれば、少女は口いっぱいにサンドイッチを頬張っていた。

「おい……、借金の原因。お前責任を感じて食欲が落ちてたんじゃないのか?」

「むぐぐ、むぐっ、むむむっ!」

「飲み込めー! 飲み込んでから喋れー!」

 なぜうちの女どもはやたら食い意地が張っているのか、いつぞやに青髪女神にも言った様な気がする。少年はそう心の中で毒づいた。

 もぐもぐごっくんしてから、ようやく少女は弁解を始める。

「確かに責任は感じていますが、やはり空腹には勝てませんでした。この支払い分は、我が爆裂魔法でモンスターを薙ぎ払う事で支払うつもりです。……ツケを払う為に」

「お前もか!!」

 数分前に気遣ってやろうとした自分の首を絞めてやりたい。そんな少年の視線に気が付いているのかいないのか、魔法使いの少女はマントをばさりと翻してポーズを決める。最早、欠片も己を責めてはいない様だ。

「さあ、カズマ。今日も張り切ってクエストをこなしましょう! 先に来ていたのなら、何かいいクエストを見つけていたのではないのですか?」

「いや、今日はまだ見て無いんだ。他の冒険者連中が飲んだくれてるから、お前らが来てからでも良いと思って待ってたんだよ。早速見に行こうぜ?」

 いつも通り厨二病的に元気な少女の姿に、呆れつつも内心ホッとした少年は今日のクエストを探しに行こうと提案する。その提案にはメンバー全員が賛同した。お金が欲しいのは何も最弱職の少年ばかりではないのである。

 しかし、そのお金が、順調に稼げるとは限らない。

「報酬は良いけど、本気で碌なクエストが残って無いな……」

 実際に全員で大きな掲示板の前に来てみれば、確かに依頼の用紙は無数に張られてはいた。その用紙のどれもが、ドクロマークだらけの高難易度の物でなければ素直に喜べたであろう。

「カズマカズマ! これはどうだ、白狼の群れの討伐、報酬百万エリス。無数のケダモノ達に囲まれてもみくちゃにされると思うと……くぅん……」

「カズマです。却下……。お前が突っ込んで行って、収拾がつかなくなる未来しか見えん」

 女騎士の被虐趣味を一刀両断する。その言い方が琴線を刺激したのか、彼女は断られたのに嬉しそうにしていた。

「カズマカズマ! このクエストはどうです。一撃熊の討伐! ふっ……、我が爆裂魔法とどちらが強力な一撃なのか、今こそ思い知らせてやりましょう!」

「カズマだよ。そんな危険そうな名前のモンスターに関わりたくない。首を撫でられただけで即死しそうだからな」

 今日も頭の中まで爆裂している魔法使いの少女の提案も却下。少女は心底悲しそうに項垂れていた。

 却下してばかりでは示しがつかないので、少年も真剣になってクエストの内容を吟味する。だが、どれもこれもが危険と隣り合わせの高額報酬の依頼ばかり。金の為とは言え、命を捨てる様な真似は御免である。

「ふーん……。機動要塞デストロイヤー接近につき、進路予測の為の偵察募集……。デストロイヤーって何だ?」

 特に気に入る様な依頼は無かったが、少年の興味を引いたのは物騒な名前の機動要塞とやらであった。一体全体何者なのかと問えば、女騎士は『デストロイヤーはデストロイヤーである』としか答えてくれず、魔法使いの少女は『わしゃわしゃ動く、子供達に妙に人気のある奴』としか教えてくれなかった。

「なるほど、わからん」

 分からない事が良く分かった。分からない物はしょうがないので次の依頼書を読み進める。するとそこで、少年は興味深いクエストを見つける事が出来た。

「雪精の討伐……? 出来る限り多くの討伐を望む、報酬は出来高払いで……一匹につき十万エリス!? なんだこれ、凄いお得なクエストじゃないか。雪精ってどんなモンスターなんだ?」

「雪精は雪深い山奥に住む冬の精霊ですね。すばしっこいですが特に強くも無い、子供にも捕まえられてしまう様なそれ自体は無害なモンスターです」

 最弱職の少年が驚いて声を上げると、魔法使いの少女が的確に解説してくれる。彼女の知識はとても広く、様々なモンスターの事を良く教えてくれるのだ。これで爆裂狂いで無ければ完璧なのだが。

 説明を聞いた少年はすっかりやる気になり、仲間達にこのクエストに行く様に提案する。仲間達も乗り気で返答し、青髪女神は準備してくると言い放って先に出て行ってしまったぐらいだ。

「雪精か……。ふふっ……、ワクワクするな」

 この時、最弱職の少年は強い敵と戦いたがる女騎士が、弱い筈の雪精の討伐に対して、特に文句を言わなかった事に疑問を持った。だが、大した理由でもないだろうと胸の内で片付けてしまう。

 彼はこの時の判断を、後に死ぬ程後悔する事になる。

 

 

「……カズマ。申し訳ないけど、僕は今日、クエストに参加できない」

 さあこれから皆で冒険だ――と言う時になって、唐突に召喚士がそんな事を言い始めた。普段はどんな事があっても最弱職の少年の傍に居たがる、そんな召喚士にしては珍しい言葉である。

「また、えらい唐突だな。何か予定でもあったのか? なんだったら、クエストの日をずらすぞ?」

「今日は人と会う予定があるんだ。それに僕が参加しない分、天引きされても報酬は多く分配できるから、僕の事は気にしないで行って来てほしい」

 そんな会話の後も、仲間達は口々に予定をずらそうと提案してきたが、召喚士は頑として譲らなかった。また明日も同じクエストがあるかはわからない。それに借金の為にも一日でも稼ぎはあった方が良い。そんな言葉で仲間達を説得して、召喚士は一人だけ残ると言って聞かないのだ。

「それじゃあ俺達は行って来るけど、何をするか分からんがお前の方も無茶はするなよ?」

「ありがとう。それから、手伝えなくてごめんね?」

 結局根負けした少年達はクエストに出発し、それを召喚士が一人手を振って見送る。最弱職の少年のパーティに、この召喚士が参加しなかったのは今日が初めての事であった。

 仲間達が去ってから、召喚士は元の席に戻って酒杯をまたちびちびと舐めて行く。

「探したよ、ローズルさん……。今日は佐藤和真や、アクア様達は居ないみたいだね……」

 半刻も経たぬ内に、待ち惚けていた召喚士の背中に声が掛けられた。

 振り向いた先に居たのは、高級そうな鎧に身を包む一人の青年と、その両脇に立つ二人の少女達。三人とも目つきを厳しくして、視線を合わせる召喚士を睨み付けている。

「やあ、やっと来てくれたね。……魔剣の勇者さん? ああ、元魔剣の勇者だったかな、今は……」

 召喚士の待ち人は、かつて最弱職の少年に敗れ、魔剣を奪われた転生者の青年であった。飄々とした召喚士の態度に、青年の両脇に居る盗賊職と戦士の少女達が食って掛かる。

「ずいぶん舐めた真似してくれたわね、アンタが魔剣を持って居る事は調べが付いてるのよ! さっさとキョウヤの魔剣を返しなさい!」

「そうよ、私達あの時に騙されてから、王都の武器屋まで探しに行ったんだから! あなたが魔剣を持ってるって、なんであの時に言ってくれなかったのよ、この卑怯者!」

 聞いても無い事をべらべらと、よほど鬱憤が溜まっていたらしい。その激しい罵声を受け止める召喚士は、涼しげな顔で酒杯を傾けている。そんな態度でまた二人が激高した。

 最早聞くに堪えない高音でキーキー喧しくなった二人に、召喚士はスッと手を差し延ばして――

「落ち着いてくれ二人とも……。僕は彼……いや、彼女? えっと、ローズルさんと争いに来た訳じゃない」

 召喚士が手を動かした瞬間、一目散に青年の背後に隠れた少女二人に、鎧の青年は諭す様に言い聞かせる。流石に青年に言われては、怒っていた二人も引き下がるしかない様子だ。これも惚れた弱みと言う奴か。

 そんな三人に対して、召喚士は差し出した手でピースサインを作って見せ付ける。いぶかしげな視線がそれを捕らえると、にまーっとした笑みを浮かべながら――

「マイナス二点。あと八点マイナスしたら、この交渉は打ち切りにさせてもらうよ」

「「なっ!?」」

 一方的なその宣言にまたもや熱が上がる少女二人。鎧の青年はそんな二人を仕草で制し、ただ首肯するだけでそれに応える。

 相手の反応に満足して、いやらしい笑みを浮かべながら召喚士は宣言した。

「では、交渉を始めようか」

 

 

 魔剣を返却して欲しいと要求する鎧の青年に、召喚士が提示した条件は三つ。

 一つはこちらの指定するクエストを受けて貰う事。二つ目はそのクエストに挑む際は防具を全て外し、武器も店売りの一番安いものにする事。そして三つ目は、クエスト対象のモンスターは召喚士が用意するのを認める事。

「ジャイアントトードの討伐クエストを受けて、指定された条件でクリアできれば魔剣を返す。……今の三つの条件は、そういう事でよろしいのでしょうか?」

 召喚士の条件を聞いた鎧の青年は、疑念を押し込める様にして確認をしてくる。高レベル冒険者の自分達に対して、今更ジャイアントトードの相手など児戯の様な物。そんな事をわざわざ条件にするなど、疑惑があるとしか思えない。鎧の青年の視線にはそんな感情が込められていた。

「この季節にジャイアントトードを探すのは大変だろう。だから、対象は僕の召喚術で用意させてもらうよ」

「……こんな簡単な事を条件にして、あなたは一体何を企んでいるんです? 僕達の事を馬鹿にする為だけに、態々大金を用意して魔剣を買ったとでも言うのですか?」

 質問に答えてもらえなかった青年は改めて、飄々とする召喚士に疑問をぶつけた。相変わらず人の話を聞かない、我を押し通す人物である。

 召喚士はそんな青年に嘆息すると、人差し指を一本立てて見せた。

「これでマイナス三点」

「くっ! いえ、余計な事を聞いて申し訳ありませんでした……」

 青年のしおらしい態度を見てご満悦の召喚士と、ぎりぎりと歯噛みする少女二人。その間に挟まれて、鎧の青年はじっと交渉相手を見つめていた。

 最初から徹頭徹尾、目の前の召喚士は青年達を挑発してきている。まるでワザと怒らせてマイナスを付け、交渉を討ち切らせる為かの様に。この相手は本当に魔剣を返す気があるのだろうか、いっそ力尽くで取り返してしまった方が良いのではないか。そんな考えが何度も頭をよぎった。仲間の二人もきっと同じ事を考えているだろう。

 だが、女神に選ばれた勇者として、そんな卑劣な真似は出来ない。卑劣な方法で負けてしまったあの日を思えば、それは断固とした決意となる。僕はあの男とは違う。必ず使命を果たさなければならないのだ。そんな想いで、青年は屈辱に耐えていた。こんな妨害など何するものかと、奮起さえ起こると言う物だ。

「じゃあ、早速クエストを受けてきてもらおうかな。依頼は僕の名前でギルドに登録してあるし、報酬もしっかり正規の額を用意してあるから安心してね。はい、これクエストの用紙」

 最後にそんな事を一方的に告げて、アクセルの街の外にある平原に行く為、先に正門で待って居るとギルドを出て行ってしまった。

 魔剣さえ奪われていなければ、こんな交渉受ける必要すらないと言うのに。口惜しさを胸に秘めながら、鎧の青年はクエストを受領しに、渡された用紙を受付に持って行くのであった。

 

 

 アクセルの街の正門で待ち合わせ、そこから周囲に何もない平原へと移動する。季節は冬ではあるが、この辺りには雪が積もって居ない。山岳地帯に行けば一面雪景色であろうが、少なくともここでは雪に足を取られる心配はしなくても良いだろう。

「それじゃあ、ここらへんで良いかな。討伐対象を召喚するから、頑張って倒してね」

 移動の為に召喚していた巨大な狼に腰かけながら、召喚士はニヤニヤしたままで青年に告げた。距離を取った所でも、いやらしげに笑う顔が良く見える。

 青年は今、何時もの鎧を宿に置いてきて私服姿となっていた。鎧の青年改め、これではどこにでも居そうなただの青年である。一応腰に帯剣しているが、店売りの安いショートソードとこちらも心許ない。

 それでも、青年はこのクエストを失敗するとは微塵も考えていなかった。例え装備が弱くとも、今の自分のレベルは三十七もあり、ソードマスターとしてのスキルは問題なく扱える。初心者が狩る様な大ガエルに、負ける可能性など微塵もないのだ。

「特殊召喚。ジャイアントトード、レベル三十七」

「…………は?」

 事も無げに呼びだされたジャイアントトードを前にして、ただの青年は召喚士の言葉が理解できずに硬直していた。対象を自分で用意するのを認めろとは言われたが、まさかレベルの指定まで出来るなんて事前に聞いていない。

 そして、ただの青年はその硬直した隙を突かれて、大ガエルの延ばした舌に捕縛され頭から丸呑みにされた。

「キョウヤ! しっかりして! キョウヤー!」

「うわっ、生臭い……。うう、でもキョウヤを助けないと……」

 程なくして、ただの青年を飲み込んで動かなくなったカエルを、仲間の少女二人が袋叩きにして倒し、口の中から青年を引きずり出して助けす。その全身はねっちょりと生臭い汁に覆われていた。

「うーわー、一匹目から幸先悪いね。まるで、あの日のアクアみたいになっちゃったね」

「ごほっごほっ! くっ、聞いてないぞ! レベルの指定が出来るなんて!」

 青年が咽ながら抗議するが、召喚士の答えは決まっていた。聞かれてなかったから答えなかっただけだと。あまりの性格の悪さに頭に血が上り、怒りのあまり顔から火が出そうだ。

 だが、情けない倒し方だったが確かにジャイアントトードは討伐した。これで文句はないだろうと、魔剣を早く返してくれと青年は告げる。

「うん? ジャイアントトードの討伐は最低でも五匹だよ? まだまだ、一匹しか倒してないじゃないか」

 それじゃあどんどん行ってみようか――そんな言葉と共に、召喚士はまた新たに高レベルのカエルを召喚してみせる。まるで、畑でサンマを取って来いと言う位に、実に気軽な物言いであった。

 呼びだすカエルのレベルはまたもや三十七、丁度青年のレベルと同じである。幾ら弱いカエルと言えど、これではレベル一で戦わされているのと同じではないか。思った事をそのまま口にして、青年はあらん限りに抗議した。

「そうだね。でも、駆け出しの冒険者がレベル一でカエルと戦うのは、この街じゃ当たり前の事なんだよ?」

 レベル一の駆け出し冒険者達が、こんな思いで戦っているなんて青年は知る由も無い。この世界に来てから、最初から最強の武器で高難易度のクエストを楽々こなしていたから。仲間も防具もすぐに揃い、苦労らしい苦労なんて何一つしてこなかったから。

 そして、さっき召喚士は『アクアみたいになった』と言っていた。もしかしたら、女神様もこんな思いをしたというのだろうか。最弱職の冒険者と一緒に、こんなクエストを受けさせられて……。

 そんな事を考えた青年は、それからひたすらにカエルと激闘を繰り広げた。仲間達が捕食されない様に前に立ち、自分と同じレベルの相手に粗末な装備で立ち向かう。そんな、初めてのチート抜きの戦闘を。

「……思ったより早かったね。カズマは二日かけて五匹倒したけど、流石は魔剣の勇者様だ」

 カエル五匹の討伐を終えた青年は、草原に大の字になって倒れ込み荒くなった呼吸を必死に整えていた。仲間の少女達も青年ほどではないが粘液に晒され、疲労困憊で今は背中合わせに座り込んでいる。きっと、今日の戦いはエンシェントドラゴンとの戦いよりも、三人には堪えたのではないだろうか。

「クエスト達成おめでとう。魔剣は既にギルドの人に預けてあるよ。カエル討伐の報酬と一緒に受け取ると良い。なんと報酬金額は十万エリス。カエルの一匹の買い取り価格は五千エリスで、合わせると十二万五千エリスも貰えちゃいまーす。やったねー、すっごーい」

 召喚士は戦いを見届けても、ニヤニヤした笑みを止めなかった。最初から最後まで、人の苦労を見て嘲笑う、そんな印象を受ける人物だ。今もわざとらしく棒読みになって、あからさまにこちらを馬鹿にしてきている。

 だが――と青年は心の中で、そんな印象を否定する。

「最後に、一つだけ教えてください。あなたはどうして、こんな回りくどい事を、しようと思ったのですか?」

 息も絶え絶えのままに紡がれる疑問に、召喚士はふっと遠くを見つめる様な表情になった。顔から笑みが消えて、冷たい怖気を振るう様な美貌が際立つ。

「昔の友達がね、君に似てたんだよ。力を持って、その力に溺れて結局死んじゃった友人と、ね……。うん、よし、帰ろうかな」

 急に変わった印象に三人が息を飲むと、召喚士はまたへらっと笑い顔に戻って、ブンブンと手を振ってきた。どうやらこのまま帰るつもりらしく、召喚士の腰かける狼が街の方へテクテクと歩み始める。

「あとねー、あの日アクアが受けたクエストの報酬は全額で三十万だったんだよ。カズマは本当にアクアに全部の報酬を上げるつもりだったんだ。勘違いしてるみたいだったから教えといて上げるねー」

 本当に最後にそんな事を叫んで、そして召喚士は三人の前から立ち去った。最後の最後まで一方的で悪辣な、まるで天災の様な人物であると、残された三人は頷き合って意見を一致させる。

 その日、元魔剣の勇者御剣響夜は公衆浴場で身を清めてからギルドへと帰り、初めて受けたジャイアントトード討伐の報酬を受け取った。その報酬は彼にとってはした金ではあったが、苦労に見合った確かな重さが在るのを青年は感じ取る。

 こうして、元魔剣の勇者は魔剣を取り戻す事が出来たのだった。

 

 

 最弱職の少年は真っ黒な空間に居た。

 いつかどこかで見たような光景。己の座る椅子の対面に、小さな事務机と豪奢な椅子が在るだけで、後は只管に空虚があるばかり。

 そして、自分以外にもう一人、対面の椅子に美麗な女性が腰かけているのを少年は認識している。

「少しは落ち着く事が出来たでしょうか?」

 ゆったりとしたローブに身を包んだ銀髪の少女。彼女は自らを女神エリスだと名乗り、そして少年を来世に導く為に居ると告げて来た。

 彼女はどこかの青髪女神とは違い、志半ばで倒れた少年の死を酷く悼んでくれた。それどころか、モンスターに殺されてしまった少年を、今度は裕福な家庭で不自由なく過ごせる様に取り計らってくれると言う。

 少年は思った。ひっどい外れ女神を掴まされたと思ったが、ここで漸く本物の女神に出会えたと。

 死んだ当初は確かに慌てたが、転生後の人生は安泰、女神様のお墨付きである。となれば次に浮んでくるのは今まで居た世界への不平不満だった。

 やれ女神は我がままだの、魔法使いは頭がおかしいだの。女騎士の変態ぶりにはドン引きさせられたし、召喚士には指差して笑われたし。次から次へと文句が出て来る。

 何時までも沸き上がる不満と思い出に、少年はいつしか涙を零していた。どうやら口ではどうこう言っていても、彼はあの碌でも無い世界が好きだったらしい。拭っても拭っても、熱い雫は止まらずにとめどなく滴り落ちて行く。

「……あなたに、来世でも良き出会いが有ります様に……」

 涙を零し続ける少年に、銀髪の女神は慈愛の笑みと共に祝福の言葉を贈る。そして少年の体は足元からあふれ出した白い光に包まれ、ゆっくりと天に向けて登り始め――

 その溢れ出る光を、突然少年の前に現れた幼い少女が足で踏みつける様な仕草で霧散させた。魂を天に導く筈の光が消えて、当然少年の体は落下して来る。無様にビターンと伸びた少年を、現れた少女は無機質な目で見降ろしていた。

 その少女は艶のある黒髪を腰まで伸ばしていて、その両目は左右で色の違う赤と青のオッドアイ。身に纏う衣装はなぜかフリルの沢山ついたメイド服で、とんでもないちぐはぐさを演出している。

 まるで中二病の設定そのままの姿で、この少女を少年の仲間の一人が見たら大喜びするであろう。

「なっ!? 貴女どうやってここに……。いえ、それよりも女神である私の力をあんな無造作にかき消すなんて、一体何者――」

 当然、職務を邪魔された銀髪の女神は警戒の色を露わにし、唐突に現れた少女に詰問をぶつける。しかし、少女の方はそれを省みず、少年の無事を確認するとスッと姿を薄めて消え去ってしまった。

 忽然と現れ消えた幼げな少女に、銀髪の女神は驚き戸惑っているが、倒れ伏す少年には何が何だか全く分からない。一体全体、少年のあずかり知らぬ所で何が起きているのだろうか。考察しようとしても情報が少なすぎてさっぱりである。

「『ちょっとカズマ! いつまで寝てんのよ、早くこっちに戻って来なさい!』」

 突然響いた青髪女神の大音声に、そんな思考も中断される。まるで頭の中に直接響いて来る様な、加工音声みたいだが確かに青髪女神の声であった。

 突然の大声に驚いた銀髪の女神が、狼狽しながら虚空を見上げていた。儀式を邪魔された事よりも、唐突な先輩の出現に狼狽え、既に思考はシフトしてしまっている様だ。

「凄く先輩に似てるプリーストが居ると思ってたけど、もしかして本物の先輩!?」

 どうやら、この女神は向こうの世界に居る自称女神の後輩らしい。己の職務も忘れて慌てふためき、その結果少年は宙ぶらりんの扱いだ。

 そして、その後はもう酷い物だった。

「『アンタの体に復活魔法かけたから、さっさと目の前の女神に頼んで地上に戻してもらいなさい』」

「マジか!? 俺、またそっちの世界で冒険できるのか!」

「だ、駄目ですよ! あなたは一度死んで転生しているので、天界規定により蘇生は出来ません!」

 地上の青髪女神は死んでしまった少年に蘇生魔法を掛け、転生など許さないから帰って来いと言い放つ。それに後輩である銀髪女神が天界規定で蘇生は許されないと反論、生き返れると喜んだ少年をぬか喜びさせてくれた。

「なんだ、駄目なのか。おーい、アクアー! なんか天界規定とやらで、俺はもう復活できないんだってー! このエリスって女神様が言ってるんだけどー!」

「『はぁー!? どこの田舎者がこのアクア様に舐めた口きいてるのかと思ったら、よりによって上げ底エリス!? ちょっとカズマ、その娘がこれ以上ガタガタ言うようだったらその胸パッド――』」

「パッドなんですか!?」

「わああああっ! わかりました! 認めます、特例で認めますからああああ!!」

「パッドなんですね!?」

 後輩に自分の行いを邪魔された青髪女神はそれはもうお怒りになり、少年に目の前の銀髪女神はパッド装着者であると機密漏洩を慣行。慌てた銀髪女神は思わず天界規定を捻じ曲げて許可を出してしまう。

「パットでも構いませんよ?」

「違います!」

 本当にもう、青髪女神の存在一つで幻想的な天界も、てんやわんやの大騒ぎあった。

「こほん……。サトウカズマさん、貴方の足元にゲートを開きました。これで地上へと戻れるはずです」

「えっと……、なんかすみませんうちの女神がご迷惑を……」

 咳払い一つでグダグダになった空気を切り替え、銀髪の女神は有言実行してくれた。地上に帰れるのは嬉しい事だが、なんとなく罪悪感が湧いて出てしまう。少年は思わず、何時もの様に青髪女神に代わって頭を下げていた。

「先輩に無茶振りされるのには慣れてますから……。あの、こんな事を言うのもおかしいかもしれませんが、先輩の事よろしくお願いしますね?」

 なんだろう、少年には目の前の女神が天使に見える。異世界に来て初めて、まともな感性の女性と出会えた様な気がするのだ。さっきと違う意味で泣きたくなって来た。

 銀髪女神はぽりぽりと頬を掻いてから、先程のセリフの気恥ずかしさを誤魔化す様にさらに言葉を続ける。

「本来なら、たとえ王様だろうと蘇生の回数は一度きり。絶対の絶対である規則なんですから、今回だけの特別なんですからね? ……まったく、カズマさんと言いましたね?」

 銀髪女神はそこで一度言葉を切り、少年に歩み寄って来る。そして悪戯っぽく片目を瞑りながら人差し指を立て、少しだけ嬉しそうに囁いた。

「この事は、内緒ですよ?」

 その言葉を皮切りにして、少年はまた足元から沸きだした光に包まれ、今度は天では無く地上へと帰ってく。それを見送った銀髪の女神は椅子に座り直して、疲れを吐き出す様に大きく嘆息するのであった。

「それにしても……、あの女の子は……」

 この死者の魂を導くあの世とこの世の狭間の世界は、言ってみれば女神にとっての領域である。そんな場所に察知されることなく表れ、そして追跡も許さずに逃走せしめるなど、よほどの存在でなければ不可能なはずだ。

 そこも気になるが、それ以上に――

「あの女の子、どこかで見た事がある様な気がするんだけど……。何処だったかなぁ……?」

 そんな呟きは誰にも聞かれる事は無く、やがて女神自身も先輩女神の後始末に追われ、忘れ去って行くのであった。

 

 

「と言う訳で、カズマは冬将軍に首チョンパされました」

「…………」

「うわっ!? ロー、お前驚き過ぎだろ。お姉さんすいませーん、こっちに拭く物貸してくださーい」

 無事にクエストが終わり、全員がまた集合する頃には日もすっかり落ちて、ギルド内はがやがやと冒険者や一般人の客で喧しく賑わっていた。

 その騒ぎの一角で、一日にあった事を報告されていた召喚士は、衝撃的な事実を告げられて思わず酒杯を取り落としていた。そして、テーブルや床の掃除をしようとする最弱職の少年を捕まえて、首や体に異常が無いかべたべたと無遠慮に弄り出す。事情を説明していた魔法使いの少女や他のメンバーも、召喚士の動揺ぶりに目を丸くしていた。

「おいちょっと、やめろ! 無事だから、首はちゃんとつながってるから! 服を脱がすな! やめっ、やめろー!」

「ん……。こんなに動揺するローを見るのは初めてだな。……まあ、仲間が一度死んだと聞かされれば、こうもなるか……」

「意外と仲間思いなのですね、ローは。人前で服を脱がすのは、いかがなものかと思いますが」

 一通り確認が終了すると落ち着きを取り戻し、今度は召喚士が一日の報告をする事になる。召喚士は今日あった事を、魔剣の勇者に条件をつけて依頼をこなしてもらい、その報酬として魔剣を返却したと説明した。

「ふーん。結局あの魔剣は元の持ち主の所に戻ったのか。でもよかったのか? あの魔剣買うのにそれなりに金を使ってたのに、殆どタダ同然で返しちまって」

 最弱職の少年の疑問も尤もであった。その上、召喚士は雪精討伐の賞金も貰っていない。実質、今日一日タダ働きの様な物である。報酬金の事を考えればマイナスと言ってもいいだろう。

 少年の言葉に、召喚士は袖の中から革袋を取り出してジャラリと鳴らして見せた。中身は音からして硬貨であろう。

「あの勇者さんは魔剣の行方を探す為に、情報に賞金を懸けていたのさ。僕は持ち主として、親切心から魔剣のありかの情報を提供しただけだよ」

 つまりは、盛大なマッチポンプ。魔剣を探し求める相手に情報を売り、そこから報酬を支払ったという事だ。仲間達の召喚士を見る目が、ドン引きしたものになる。

「やっぱ性格悪いなこいつ……」

「昔から良く言われたよ」

 召喚士はどこか昔を懐かしむ様な表情で、悪びれもせずに新しく注文した酒杯を傾けた。

 そうして一日を終えてみれば、纏まったお金を手に入れる事が出来たと言っても、借金が劇的に減る事は無い。むしろ最弱職の少年など一度命を落としている分、赤字と言っても過言では無い成果であろう。

 やはり冬のこの世界は、過酷な環境で生き残れる強さが無ければ生き残れないという事なのだ。

「はあ……、借金は返せないし、住む場所も馬小屋だと厳しいし……。このままじゃダメだ……」

 厳しい現実を実感して、一人ため息を吐く最弱職の少年。ちらりと視線を仲間達に向けると、どいつもこいつも楽観的に騒ぐばかり。借金に追い詰められている様子など微塵もない。

 青髪女神はこっそり持ち帰った瓶詰の雪精を見せ付けて自慢しているし、女騎士はそれを見て砂糖を掛けたら美味しそうだとか言ってるし。召喚士は相変わらずニコニコしながら酒を飲んでいて、魔法使いの少女は一口だけくれと縋りついている。

 そんな面子らと、死後の世界で出会った女神様をついつい比べてしまう。あの女神様は少年が死んだ事に深く悲しみ、そして生き返る時には優しく微笑んでくれた。どうせこの世界に持って来るのなら、あっちの女神様の方が良かっただろうと切に思う。むしろ今からでも交換してほしい。

 そんな風に思考の波に溺れていた少年の意識を、青髪女神の言葉が現世へと連れ戻す。

「カズマ、アンタは食べないの? 早くしないと無くなるわよ」

 無くなるって何が――意識をテーブルの方に戻すと、そこは大量のごちそうが所狭しと並んでいた。そして少年以外のメンバーは、そんなごちそうを一心不乱にガツガツと貪っている。本当に女としてどうなんだこいつらは。

「おいっ、どうしたんだよこの料理は!? 何処にこんな金が……、まさか今日の報酬使ったのか!?」

「うるっさいわねぇ。私、今日は活躍したんだから良いじゃないの。自分へのご褒美って奴よ」

 思わず叫んだ最弱職の少年に、青髪女神がそんな事を言って来る。確かに復活魔法を使ってくれたのは確かだが、それで稼いだ分を無駄遣いされたらそれこそ死に損ではないか。

「冬を越す為の金なんだよ! それをおまえ等、こんなに注文して……」

「何、金が無くなったらまたクエストを受ければいい。次はどんな相手が良いか……、汚らわしい触手やヌルヌルの粘液を分泌するのとかが良いな! くぅん……、考えただけで武者震いが!!」

 ――等と女騎士は供述しており、少年の必死の訴えは黙殺される。魔法使いの少女など、会話に参加するつもりも無く、両手で口に食い物を捩じ込んでいた。最早完全に借金への負い目などなくなった様だ。

 最後に召喚士と目線が合う。先程までは必死に心配していた癖に、今ではニコニコしながら何時もの蜂蜜酒を啜っていた。きっとあの顔は、少年の事を酒の肴にしているに違いない。相変わらず性格が悪い奴である。

「はぁ……、選択肢間違えたかな……」

 人生は選択肢の連続で、そしてゲームの様にセーブ&ロードなどは無い。全ては自己責任と言う名の、神様から押し付けられた贈り物である。

 最弱職の少年は自らの選択と、そしてその結果を苦々しく受け入れるしかなかった。

 

 



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第八話

 最弱職の少年の首が胴体から離れ、彼が二回目の死から復活してから数日が経った。季節は相変わらずの、冒険者に厳しい冬のままである。

 少年を復活させた女神の忠言により暫くクエストを休み静養していた少年だったが、そろそろ簡単な荷物運び位のクエストなら受けても良いだろうと一行は冒険者ギルドにやって来ていた。

 そして今、少年は激怒している。

「お前今なんつった!? 俺が恵まれてる!? 羨ましい!? 上級職の美人ばっかりに囲まれて、良い思いをしているだって? ふっざけんじゃねーぞおめぇ! この俺のどこが恵まれてんだよ!」

「えっ、お、おお? ちょっ、待って、待ってくれ。おち、落ち着いて……」

 最弱職の少年はこの日、くすんだ金髪をした戦士職の青年に絡まれ、己の職と境遇を揶揄されて侮辱されていた。要するに、酔っぱらったチンピラに絡まれていたのだ。

 最弱職が上級職に囲まれて、ずいぶん恵まれた環境に居る。上級職におんぶにだっこで恥ずかしくはないのかと、散々な言われ様をした。外側から見ると、少年の境遇は羨ましく見えたのだろう。

 だが、そこまでは少年も耐えられた。酔っぱらいの戯言など態々怒る様な事でもないし、自分が最弱職で回りが上級職ばかりであるのは確かな事だったからだ。

 許せなかったのは、美人ばかりに囲まれて楽をしていると言われた事。そして何よりも、ポンコツだらけの仲間達に囲まれた苦悩の日々を、羨ましいと言われた事だった。

「何処に美人が居るっていうんだよ! おめーのその二つ目はビー玉なのか!? こいつらが美人に見えるなんて良いビー玉だな、俺の濁った眼と交換してくれよ!!」

 今日までに蓄積されてきた鬱憤が一気に炸裂した少年は、それはもう大層お怒りになってチンピラの胸元を掴んでがくがく揺さぶる。最初は威勢の良かったチンピラも、少年の勢いに飲まれて酔いが冷めてしまった様だ。

「お前変わって欲しいっつったよな!? 喜んで変わってやんよ! おら、今すぐ変わってくれよ! 俺はもう、こいつらの面倒なんざ見るのは御免なんだよ!! あああああああああああっ!!」

「わかっ、分かったから。じゃあ一日だけ、一日だけ変わってくれよ。なっ、お前らも良いだろ?」

 少年の気迫に押されたチンピラは、自らの仲間達を振り向いて了承を取ろうとしていた。彼の仲間達は全員この手の騒動には慣れているのか、興味も無さそうにメンバー交換を受諾する。

「あの……、私達の意見とかは……?」

「そんなものは無い! あ、おれサトウカズマです。宜しくお願いしまーす!」

 実は少年が激高している間も何度も話に加わろうとしていた青髪女神の最後の確認すらも軽く流し、最弱職の少年は喜び勇んで新たなパーティーメンバーの元に向かって行ってしまった。なにか憑き物が落ちたかの様な、清々しい笑顔で駆けて行く。そんなにメンバー交換が嬉しかったのだろうか。

「ぷふっ……」

 その場にぽつーんと取り残されたチンピラと少年の仲間達を見て、召喚士は今日もいつも通り含み笑いしていた。

 

 

「あー……、えっと、一応自己紹介しておこうか。俺の名前はダスト。職業は戦士をやっているぜ」

 気を取り直した面々は、とりあえず集まって各々自己紹介をする。しかし、それを聞くチンピラ戦士の視線は常に、彼女達の胸に固定されていた。まだ彼は、このパーティがハーレムだと思っている様だ。

 意外な事にこの手の視線を喜びそうな女戦士が、チンピラの視線にはまるで反応を見せていなかった。不思議そうな仲間達の視線に晒されると彼女は、さもあらんと腰に手を当てて更に胸を強調する。

「うむ、普段からカズマの隠しつつもチラチラと盗み見て来る、ねっとりした陰湿な視線にさらされていたせいか、こうも堂々と見られていると琴線に響かなくてな。やはりこう言うのは背徳感が無いと……」

 良く分からなかったが、分かった事にしておこう。その場の全員がそういう事にしておいた。

「よし、それじゃあちゃっちゃと、クエストを決めてしまいましょう! この私に相応しい、派手でお金になる様な奴を選ぶのよ!」

 自己紹介もそこそこに、青髪女神が掲示板へと向かって行く。むしろ彼女は、チンピラの自己紹介を聞いていたのかさえ怪しい物だ。普段彼女の行動を制御している最弱職の少年が居ないので、今の彼女はまさに糸の切れた風船よりも自由である。

「ちょっ、まっ、待ってくれよ。アンタらは上級職かもしれないが、俺はまだ戦士なんだぜ? あんまり難易度の高いクエストは辛いから、ゴブリン退治とかにしてくれないか?」

 いきなり高難易度のクエストの張り紙を取ろうとした青髪女神に、慌てて追いかけて来たチンピラ戦士が訴えかける。彼の所属するパーティはいわゆる中級であり、上級職の行く様な難易度のクエストには荷が勝ち過ぎるのだと言う。

「ちょっとあんた、この私にゴブリン狩りなんて地味な事させようとは、良い度胸してるわね」

「そんな事言わずに頼むよ。季節外れのゴブリン狩りって事で、討伐報酬も割高なんだしさ」

「もう、しょうがないわね。まあ、ゴブリン程度なんて、この私に掛ればいちころよね。サクッとクリアして、カズマを見返してやりましょう! そして手に入れたお金で宴会よ!」

 チンピラ戦士の必死な訴えに渋る青髪女神ではあったが、報酬の割りが良いと聞くと何とか納得をしてくれた。実に現金である。

「ゴブリン狩りか……。沢山の亜人共に囲まれて、健闘虚しくも倒れ伏し……くぅん! 楽しみだな!」

「ふっ、我が禁断の力を小鬼ごときに使うのはもったいない気もしますが、群れを一撃で壊滅させるというのも面白そうですね」

 その他のメンバーも非常にやる気のようです。思い思いに好き勝手な事を言って、期待に打ち震えたり、マントをはためかせながらポージングしたりしている。

 ここに来てようやく、チンピラ戦士はこのパーティーメンバー達が曲者であると言う事に気が付き始めていた。冷や汗を流して狼狽するがもう遅い。最弱職の少年はとっくに出発しており、曲者達はどいつもこいつも出かける気満載なのであるから。

「いやぁ、君もなかなか面白いよね……。ぷっ、ふふふふふ……」

 そんなチンピラ戦士の背後で、彼を観察していた召喚士が笑っている。何時もとは一風変わったイベントに、召喚士もまたご満悦であった。

 チンピラ戦士の苦悩は、まだまだ始まったばかりである。

 

 

 冒険者ギルドでクエストを請け負い、街を出発してからそれなりに経った頃。

 既に周囲は草原となり、辺りはすっかりと冒険者のフィールドとなっている。アクセルの街近郊は既に危険なモンスターが狩り尽くされているので、モンスターの姿さえめったに見かけられない。

「おお、やっぱりあんた、その赤い瞳は紅魔族だったからなのか! すげえな、紅魔族って言えば、魔法のエキスパートなんだろう?」

「ふっふっふっ、その通りですとも。我が名はめぐみん。紅魔族随一の魔法の使い手にして、人類最強の魔法、爆裂魔法を操る者!」

 チンピラ戦士に煽てられて、魔法使いの少女はすっかりと舞い上がっていた。

 ゴブリンの出没する地点まで敵の姿も無く暇を潰す為に、青髪女神によって中断された自己紹介の続きをしていたのだが、これが思いのほか盛り上がる。滅多に自分の里から出る事が無い紅魔族を間近で見られたと言うもあるのだろうが、やはり最強の魔法や強大な魔力と言うのは男心を擽るのかも知れない。チンピラ戦士もまるで少年の様に目を輝かせて、少女の名乗りを持て囃していた。

「くぅー、やっぱり上級職の魔法はスゲエ威力なんだろうな。名前はともかく、魔力の数値もえらい高さだしよ!」

「おい、私の名前に言いたい事があるなら聞こうじゃないか」

 名前の事を持ち出されるとやはり怒らずには居られないのだろうが、こうまで素直に褒め称えられると悪い気はしない魔法使いの少女。そんなに凄いと言うのなら、少し位サービスしてやろうじゃないかと杖を振り回す。

「そんなに興味があると言うのであれば、我が力見せてあげましょう」

「え? いや、別に今じゃなくて敵が出てからでも十分なんだけど……。まあいいか」

 凄いやる気になっている少女を止めるのも無粋だと思ったのか、チンピラ戦士は詠唱を始めた少女を特に止めようとはしなかった。彼はこの選択を、後に泣く程後悔する事になる。

「括目して見よ! これぞ人類に許される最強の呪文の威力。我が全身全霊を込めた必殺の一撃! 『エクスプロージョン』ッッ!!」

 呪文が解き放たれた瞬間、何もない草原は焔に染まる。爆風が何もかもを吹き飛ばし、爆炎が草原を抉り抜いてクレーターを作り上げた。大空高くまで紅蓮の炎は立ち上り、後には塵一つ残さない。だって、最初から目標など何もないのだから当然だ。

 そして、全ての魔力と生命力を限界まで注ぎぎった魔法使いの少女は、親指を立てながらぱたりと倒れ伏した。どうだい見てたかい、これが私の全力全開でございますととても良い笑顔である。

「え、何で倒れてんの? っていうか、何でこんな何もない所で最強の呪文使ってんの!?」

「ふっ……、最近の戦いでレベルアップを果たした事により、以前よりも格段に威力が上がった我が爆裂魔法。そこへ更に全霊の魔力を込める事により、その破壊力はまた一段昇華するのです。もちろん魔力はからっけつ。なので、身動き一つ取れません……」

「はあああああああああああっ!?」

 チンピラ戦士は頭を抱えて絶叫した。こんな頭のおかしい奴が本当に居るだなんて、噂には聞いていたが実際に目にするまでは眉唾だと思っていたのに。誠に遺憾ながら、チンピラは噂の真偽を痛感してしまった。

「ん……。おい、今の爆音を聞きつけたのか、目的地の方から何かが走ってくるぞ」

「っ……! おい、戦闘準備だ。頼りにしてるぞ上級職のねーちゃん達」

 女騎士が唐突に言いだしたその言葉に、チンピラ戦士は顔色を変えて剣を抜き放つ。腐っても中級冒険者か、即応性はそれなりにある様だ。

 目を細めて向かってくる相手をよく観察する。次第に見える様になる、四足で黒い体毛を持った獣の姿。虎やライオンなどを優に超える体格を持った、立派な牙を持った猫科の猛獣であった。

 チンピラ戦士はそのモンスターに見覚えがある。

「やべぇ、あいつは初心者殺しだ。アークウィザードが動けないんじゃ分が悪い、逃げた方が良いぜ!」

「ほう、初心者殺しか……。あの体格の繰り出す一撃……、さぞ強力に違いないだろうな!」

 撤退の提案を無視して、女騎士は単身向かって来る猛獣に突撃して行った。チンピラ戦士は再度頭を抱える事になる。何故なら今の彼女は――

「おい、ちょっと待てえええええ!! アンタ今丸腰、って言うか鎧も着てねぇだろうがよ!」

「ふっ、どうせ剣を持っていても当たらんからな。それに、鎧が無い方が気持ちい――緊張感で身が引き締まると言う物だ」

「アンタ今なんつったぁ!?」

 信頼していた上級職が、丸腰で敵に向かって行くとは夢にも思わなかっただろう。叫んでも喚いても女騎士は止まらない。耐久力の有るドMに、怖い物などあんまりないのだ。

 圧倒的強者である己に向かって来る、丸腰の女騎士の姿を見た猛獣は何を思うのだろうか。喜々として向かって来る女騎士を、猛獣はなんとスルーした。

 初心者殺しと呼ばれるこの猛獣はかなり頭が良い。一度仕掛けられた罠を見破ったり、誘い込みを利用して逆に奇襲を掛けたり等、そこら辺に居るモンスターを遥かに超えた知略を見せるのだ。

 そして、無視されて悲しそうな悲鳴を上げる女騎士を置き去りにして、黒い猛獣が目指したのは敵が現れてもボーっとしていた青髪女神だった。

「おい、プリーストのねーちゃん! 避けろ!」

「はー? ダクネスが向かったんなら、わざわざ私が何かする必要も――んぎゃあああああああああ!!」

 完全に油断しきっていた青髪女神の頭に、ガブリと黒い猛獣が噛み付いた。ぱっくりと、それはもう見事に頭が半分、猛獣の口の中に潜りこんでいる。

 その光景に一番驚いたのは、おそらく噛み付いた猛獣自身だっただろう。牙を突き立てて油断しきった獲物を食い殺すつもりで噛み付いたのに、この獲物は異様に硬くて歯が食い込む程度で止まってしまったのだから。

「っでえええい!!」

 青髪女神に齧り付いた為に動きの止まった猛獣に、チンピラ戦士が振り被った剣で斬り付けた。どこかぎこちない剣の扱いだが、威力自体は高かったのか黒い獣がビクンと反応して跳び退る。

「びええええええ! がまれだああああああ!!」

「だーもう、何で無事なのか知らんが泣くな! まだ相手はやる気なんだから、支援魔法の一つでも掛けてくれよ!」

 跳び退いた猛獣は、全速力で駆けだして次の獲物を探す。一度噛み付いた青髪女神は蹲って泣きべそをかいているが、チンピラ騎士が背後に庇っている。身動きの出来ない魔法使いの少女は、いつの間にか召喚されたのか白銀の巨狼が襟首を噛んで保持していた。召喚主はその背中に腰かけてひらひらと手を振っている。

 数瞬だけ逡巡してから、黒い猛獣は一人孤立した女騎士へと飛び掛かった。

「よぉし! 来い、幾らでも受けて立ってぐほぉ!? こ、これは強烈で、んはあああっ!」

 爪で、牙で、時には体当たりまで駆使して、徹底的に攻撃を加えて行く黒い猛獣。その重く鋭い攻撃の数々が命中するたびに、女騎士は女を捨てた様な嬌声を上げて喜んでいく。

「うわぁ……」

 終いには咥え付かれてブンブン振り回され、びたんびたん地面に叩きつけられるのを喜ぶ女騎士を見て、チンピラ戦士はドン引きの表情を見せる。なぜ自分はこんな奴らを見て、羨ましいなどと言ってしまったのだろうか。幾ら後悔してもし足りない。

 やがて猛獣は、自分の攻撃がまるで効かない事に気が付いて、状況を不利と見たのか勝手に立ち去って行った。初心者殺しは本当に頭が良い、ドMには関わらない方が良いと判断したのだろう。

 嵐の様な黒い猛獣の襲撃の後に残ったのは、頭を齧られて泣きべそをかくアークプリーストと、魔法の無駄遣いで戦闘不能になったアークウィザードと、ボロカスにやられて嬉し過ぎて白目をむいて失神したクルセイダーだけだった。

「ぶはっ! あははははは! くーっ、はははははは!!」

 そして最後に残った召喚士は、このありさまを見てそれはもう楽しそうに笑っていた。腹が捩れそうなほどに笑い転げて、思わずずるりと腰かけていた巨狼の上から落ちる。そして頭から地面に落ちて、それきり動かなくなった。

 これにて、チンピラ戦士を残しパーティーは全滅。もはや乾いた笑いすら起こらない大参事である。

「…………謝ろう。誠心誠意謝ろう……」

 途方に暮れたチンピラ戦士は心の中で固く決意して、とりあえず動けない臨時の仲間達を回収に向かうのであった。

 

 

 日もすっかり落ちた夜半ごろに、待ち望んでいたパーティが帰還する。長かった。とても長い間待った様な気がする。それほどに待ち望んでいたのだ。それがようやく報われようとしている。

 ギルドの扉を嬉しそうに開いたその人物に、青髪女神が泣きながら飛び掛かって行った。

「ぐすっ、ひっぐ……うええ……。ガ、ガジュマあああああ!!」

 そしてギルドの扉は無情にも閉じられる。それを見て今度はチンピラ戦士が慌てて扉に手を掛けて、見なかった事にしようとしている最弱職の少年を引き留めた。

「おいっ、待ってくれよ! 気持ちはわかるけど扉を閉めないでくれ! そして話を聞いてくれ!」

「嫌だ聞きたくない。なんか凄く何があったのか分かるから、何も聞きたくない離れろ」

 殆ど涙目のチンピラ戦士を見て、何があったのかを全て察した最弱職の少年はあからさまに渋面を作る。

 チンピラ戦士の背中でぐったりする魔法使いの少女と、愛犬の背中に蹲る召喚士。そして、白目をむいて気絶する女騎士を背負ったまま、子供みたいに泣きじゃくる青髪女神と来て、少年の嫌な予感は最高潮だ。

「そんな事言わずに聞いてくれよ! 俺が悪かったから! 謝るから聞いてくれ!!」

 それからチンピラ戦士は、今日あった事を説明してくれた。説明と言うより一方的な苦情の様な物言いだ。如何に自分が今日酷い目にあったのかを、感情を込めてきっちりと訴えて来る。

 そんな風に訴えられても、最弱職の少年の心は既に決まっているというのに。

「おーい皆、初心者殺しの報告はこいつがしてくれたみたいだから、俺達は新しいパーティー結成のお祝いに行こうぜー!」

 最弱職の少年がそんな事を言うと、チンピラ戦士の元仲間達は声を揃えてその意見に賛同する。どうやら少年等の方のクエストはとても上手く行って、全員意気投合したらしい。チンピラ戦士の事など見向きもせずに、クエストの報告をしに受付へ向かってしまう。

 それを見たチンピラ戦士は絶望の表情を浮かべ、立ち去ろうとする少年の足に縋りついた。

「待ってくれ! 謝るから! 土下座でも何でもするから、俺をもとのパーティに戻してくれぇ!!」

 恥も外聞も無く、良い歳した男がマジ泣きすると言う現場に出くわした少年は、痛ましそうな表情になり縋りついて来るチンピラの肩に優しく手を置いた。一縷の希望を感じて顔を上げたチンピラに、少年は諭す様に告げる。

「これからは新しいパーティーで頑張ってくれ」

「俺が悪かったから!! 今朝の事は謝るから許してくれぇ!!」

 その後、チンピラ戦士はとても綺麗な土下座を慣行。最弱職の少年にもそのパーティメンバーにも、それから自分自身のパーティメンバーにも謝罪を尽くしてようやく許してもらえた。

 その日以降、最弱職の少年をお荷物扱いして馬鹿にする冒険者は皆無となる。その代りに、やり取りを見ていた者達の間では、鬼畜のカズマの異名は更に根強く浸透するのであった。

 

 

「明日はダンジョンに行きます」

「嫌です」

 そんなやり取りで始まった新たなる一日。最弱職の少年一行は、今日もギルドの片隅を溜まり場にして集まっていた。今は厳しい冬のクエスト以外で、お金を稼ぐ方法を話し合っていた所である。

「いいえ、行きます。いい加減に借金を何とかしないと、このままじゃ凍死だからな。どうあっても明日はダンジョンに行くぞ」

「嫌です嫌です! ダンジョンなんかに行ったら、私の出番が全くないじゃないですか!」

 そんな事は魔法使いの少女を仲間にする時に既に指摘済みである。その時の彼女は『荷物持ちでも何でもする』と言ったのだが、言った本人は覚えていないのだろうか。

「安心しろよ。ダンジョンに入るのは俺一人だけで良い。おまえ等には、ダンジョンまでの道中の護衛を頼みたいんだよ」

 あまりにも反対する魔法使いの少女を説得する為か、少年は今回のダンジョン攻略の説明を始める。そもそも今回挑戦するダンジョン攻略は、新しいスキルのテストも兼ねているのだと少年は語った。

 罠感知スキルと罠解除スキル、そして以前に仲良くなったアーチャーに千里眼スキルを伝授された少年は、以前から覚えていた潜伏スキルや敵感知のスキルも併用し、ダンジョン内を隠密行動でクリアする方法を思いついたのだと言う。千里眼スキルは遠方を観測する他に、暗所を見通す副次機能がある。真っ暗なダンジョン内で潜伏スキルを行使すれば、モンスターに見つからず安全に探索が出来ると踏んだのだ。

 もし上手く行ったのであれば、徐々にダンジョンのランクを上げて一獲千金を目指して行こうと言う、保守的な少年にしては前向きな計画であった。

 借金の返済に目処が立つならと、少年の仲間らも賛成し早速出発する事となる。

 目指すはアクセルの街近郊にある初心者用ダンジョン、通称『キールのダンジョン』と言われる枯れ果てたダンジョンであった。距離的には徒歩で半日なので、それなりに離れてはいる事になるだろう。案の定その道のりだけで召喚士はへばって、召喚した狼の背中に乗る事になった。

 キールとは大昔に実在した偉大なアークウィザードであり、理由は定かではないが王家に弓を引いた大悪人であったという。そのキールは一人の令嬢にかなわぬ恋をして、されども諦めきれずに姫を誘拐してダンジョンに籠ったのだとか。王家は幾度もキールに対して討伐隊を繰り出したが、その事如くが返り討ちに合い遂には姫の奪還は成されなかったらしい。

 そんな伝説も廃れて久しく、今はそのダンジョンも財宝も取り尽くされ、すっかりと寂れていた。

「よし、それじゃあ後は俺だけで行って来るから、お前達は留守番を頼むな。一日経っても戻らなければ、街に戻ってテイラー達に救援を要請してくれ」

 少年が言った人物は以前のチンピラ戦士の仲間であり、そのパーティーのリーダーを務めている人物だ。少年が今最も仲が良く、同時に尊敬している冒険者パーティでもある。暗に『お前達だけでは絶対に追いかけて来るなよ』と言っている訳だが、それは二重遭難を恐れての事だと思いたい仲間達であった。

 今日はお試しだからすぐ戻るから心配するなと語り、最弱職の少年は軽快な足取りでダンジョンに入って行ってしまう。あとはもう、残された側は待つ事しか出来ない。

 山の麓の岩肌をくり抜く様にしてあるダンジョン入り口の傍には、頑丈な作りのログハウスが存在している。そのログハウスには避難所と言う看板が設置してあり、そこでなら一晩過ごすぐらいは問題無いであろう。

「ん……。とりあえず小屋の中の様子を見て、後は暖を取る為の薪を集めて来ようか」

「ダクネス、大変です。アクアの姿が見えません。恐らく、カズマの話を聞いていなくて、一緒に入って行ったのではないでしょうか」

 いざ行動しようと言う段になり、青髪女神の不在に気が付く一行。だが、今更あの自称女神の奇行に慌ててもしょうがないと言うのが、メンバー内の共通認識であった。

「まあカズマが追い返して、すぐに戻ってくるだろう。私は薪を集めて来るから、めぐみんとローは小屋の方を頼む」

「それもそうですね。わかりました、軽く掃除でもしておきましょう」

 いつも通りの固い信頼関係で青髪女神の放置が可決され、決めてしまえば後は各々行動をし始める。

 まだ雪の残る林の中へ消えて行く女騎士を見送り、小屋の扉を開ける魔法使いの少女の背中を見ながら、召喚士は狼の背中の上で新たな召喚術を唱え始める。

「レベル一、二重召喚。ヘーちゃん出番だよー」

 いつも通りのやる気のない呼び出しで、地面に描かれた魔法陣から三番目の召喚獣が現れた。

 それは一言で言えば、メイド服を着た幼女。赤と青の二色をしたオッドアイを持ち、召喚主と似た艶のある黒髪を今は頭の後ろで馬の尻尾の様に括っている。何とも言えない微妙にやる気のない表情で、背中に掃除道具の入った籠を背負っていた。

「なっ!? 左右で瞳の色が違うなんて、すごくカッコイイ……。名前はヘーちゃんと言うのですか、その響きも紅魔族的にポイント高いですよ!」

 魔法使いの少女は例によって高評価である。紅魔族はオッドアイとか眼帯とか、無意味に巻いた包帯とかが大好きなのだ。

 そんな高評価のメイド幼女は、開けられた扉から率先して小屋の中へ入って行く。小屋の中には簡素な机と椅子が四つ程有るだけで、ベッド等は備え付けられてはいない。本当に最低限の避難施設として作られたのだろう。

 物が無いなら掃除が捗ると言う事で、メイド幼女はサクサクとハタキを取り出し掃除を開始した。

「前にアクアが、ローは綺麗好きで馬小屋の清掃をしてくれていると言っていましたが、こう言う事だったのですね。あの子は掃除用の召喚獣なのですか?」

「綺麗好きなのは本当だよ。ヘーちゃんにはお手伝いをしてもらっているだけさ。もちろん、あの子はあの子で、ちゃんと戦えるよ」

 ログハウスの窓を開け放ちながら、少女の質問に答える召喚士。そして、通りがかりのメイドの背中から箒を抜き取って、自らも床の掃き掃除を始める。綺麗好きと言うのは間違いではない様だ。

 魔法使いの少女もまた、部屋を見回して暖炉を見つけ、使えるかどうかその中を覗き込んでいた。

「外見とは裏腹に立派な暖炉がありますね。枯れたダンジョンの避難所なので、ろくな設備も無いかと思いましたが、これで凍える心配はなさそうです」

 自分から進んで煤汚れに塗れて行く魔法使いの少女は、実はこのパーティ内で一番サバイバル力が高い。下手なモンスターよりも生存能力に優れているのではないだろうか。

「煙突も詰まってはいないようですし、後はダクネスが薪を拾ってきてくれれば暖まれますよ」

 そんな事を言いながら這い出してきた少女は、所々が煤けて汚れてしまっていた。そんな少女にメイド幼女が近寄って、容赦無くハタキで煤を払っていく。干された布団の様な扱いに、さしもの少女も悲鳴を上げる。

「うわっぷ。ちょっ、ちょっと。やめっ、やめろー!」

 そんな事をしながら掃除を進めていると、扉を開けて丸太を抱えた女騎士が入ってきた。薪を取りに行った筈なのになぜ丸太なのか。そんな視線が女騎士へと突き刺さる。

「ん……。すまないな、掃除をしてくれていたのか。ってなんだその目は!? べ、別に生木を切り倒してきたわけではないからな! 手頃な薪が見当たらなかったから、倒木を丸ごと持って来ただけだぞ!」

 最近分かってきた事なのだが、このどうしようもないドMでも自らの失敗や勘違いから来る羞恥心には弱いと言う一面がある。今も丸太を持って来たのを見咎められて慌てて言い繕っているが、頬が羞恥で赤く染まっているのが良く分かった。恐らく以前に生木を集めてしまった事があるのだろう。指摘しても居ないのに、自分から過去の恥を曝け出している。

「ダクネス、寒い中お疲れ様でした。掃除している時に薪割り用の手斧は見つけておいたので、申し訳ないですがもう一働きお願いします」

「ん……。そ、そうだな。薪割りぐらいなら、不器用な私でも何とかなるはずだ。任せてもらおう」

 ともあれ、冬の季節の山裾で暖房無しと言うのはいささか辛い。三人とメイド一人は、やいのやいのと喧しくしながら暖を取る為の準備を進めて行った。

 

 

 小さな部屋の中にぱちぱちと薪の爆ぜる音が響く。慌ただしく清掃や暖炉の準備に追われていた三人は、今は備え付けのテーブルに着いて寛いでいた。

「ふう……、ようやく人心地つけましたね。火起こしも簡単に出来ましたし」

「うむ。ローの召喚した娘が初級魔法を使えて助かったな。へーと言ったか、ありがとうな」

 女騎士に声を掛けられたメイド幼女は無表情のまま、今は暖炉の中の火を分けて三脚を立て小鍋でお湯を沸かしている。言葉自体は聞こえているのだろうが、ちらりと一瞥しただけで返事はしない。まるで仕事中に話しかけるなと言わんばかりである。

「む、無口な娘なんだな……」

 小さな子供に無視されるのが堪えたのか、女騎士は若干涙目になっていた。これが最弱職の少年辺りにされたのであれば、放置プレイだと言って喜んでいただろうに。

 そうこうしている間にメイド幼女は沸いた湯を、茶葉の入ったポットに移してテーブルの上に乗せる。それを人数分のカップに注げば、茶葉の香りが白い湯気と共に部屋へと広がって行く。

 三人がいただきますと言ってから茶を啜り始めると、メイドはまた暖炉に向かい少なくなった湯の残りに指先を向けた。そして、その指先に明かりが灯るとトポトポと鍋の中に水が注がれて行く。先の会話にも出た、初級魔法のクリエイトウォーターである。

「しかし、本当に初級魔法と言うのは便利だな。カズマも器用に使いこなしていたが、他の魔法使いはなぜあまり習得しないんだろうな?」

「スキルポイントが有限だからですよ。基本的に才能のある人間ほどスキルポイントには余裕が出る物ですが、それでもなるべく節約して欲しいスキルにつぎ込むのが一般的です」

 魔法使いの少女の生まれ故郷でも、持って生まれた魔法の才能を活かす為に、普通は皆上級魔法から獲得する物である。彼女らの様な紅魔族は、上級魔法を覚えてからようやく一人前となるのだ。

 才能あふれる紅魔族でさえポイントは節約するのだから、一般的な魔法使いは更にそれが顕著であろう。

「この娘を見ていると改めて思いますが、ローの使う召喚術は何だか普通の物とは違う様に感じますね」

「そうだね、僕の扱う召喚のスキルは、僕に縁のある物しか呼びだす事が出来ないからね」

「ん……? では、あの狼のフーと大蛇のヨーとは何かの縁があって呼びだせているのか?」

「もちろん、ヘーちゃんもね。ふふ、どんな縁だと思うかな?」

 さらりと言ってのけたが、質問をされると質問を返すと言う、何時ものごまかしを繰り出して来る。二人がじーっと非難の視線を向けるが、言われる方はニコニコしているばかりだ。

 そんな召喚士の頬を、両側からぐにーっと女騎士と少女の二人が引っ張った。これには流石に召喚士も慌てるが、その顔を見れた二人はご満悦である。

「それにしても、カズマは突飛な事を思いつきますね。たった一人でダンジョンに挑んで、戦闘を全て回避してお宝だけ奪って来るなんて……。とても冒険者がする発想とは思えません」

「うむ……、敵と切り結ばずに利益だけを出そうとする。あの発想は商人に近い物だな。本人は冒険者をやりたがっているが、やはりあの幸運は商売人に向いているのだろうな」

 制裁を終えた二人の話題は、今度はここには居ない最弱職の少年の物になる。案外、追及されたくない話題だったのかと、召喚士に気を使ってくれたのかも知れない。

「そもそもカズマは一般常識から、どこかズレがある様に見えます。出身は遠い異国のニホンと言っていましたが、ダクネスは聞いた事はありますか?」

「ん……。ニホンと言う国に心当たりはないが、ニホンジンを名乗る人物になら心当たりはあるな。黒髪で黒い瞳をし、特徴的な名前を持っている冒険者がたまに現れるのだ。そして、ニホンジンはその殆どが王都で活躍できる様な優秀な能力を有している」

「それなら私も聞いた事があります。最前戦で『チート』と言う物を使って大暴れして、魔王軍を撃退しているそうですね。私の故郷にもそんなのを扱った絵本がありました。おそらく、魔王を倒しうる最有力の戦力ですね」

 でも……――と、二人の口調が揃った。言わんとする事が分かる召喚士もククッと喉の奥で笑う。

「カズマは全然そんな風に見えないけどな。魔王を倒すのが目的と言っていたが、活躍している所が想像できん」

「ええ、まったく見えませんね。王都どころか、アクセルの街から出る事も出来なさそうです」

「……二人とも、カズマの事まったく評価してないんだね」

 普段セクハラやいやらしい視線に晒されいるせいか、二人からの少年への評価は中々に辛辣だ。そんな女騎士と魔法使いの少女に対して、召喚士はにんまりした笑みで分かり切った事を言う。

「そ、そんな事は無いぞ? カズマは作戦指揮に掛けては優秀な所がある。性格も私好みな鬼畜だしな。時折向けて来るねっとりした視線は中々の――ごほん……」

「まあ、ダクネスのアレは置いといて……。カズマは初級魔法の応用や、突飛に見える独創的なアイデアには驚かされますね。それに、なんだかんだ面倒見が良い人ですから、そういう点では評価できます」

「めぐみん、アレとか言わないでくれ。流石に傷つくぞ……。まあ、カズマの良さはこんな私達を結局は受け入れてくれる、そんな優しい所にあると言うのは同意だな」

 そう、この二人がいまさらあの二人を嫌う訳もない。反応が分かり切った言葉であった。予想通りのフォローに、くっくっくっと召喚士が楽しげに笑う。

 笑われる事が面白くない魔法使いの少女は、口を引き結びながら唸ってから、今度は逆に攻勢に出始めた。

「ローの方こそ、カズマの事をどう思っているのか聞かせてもらいたい物ですね」

「そうだな、私達ばかりが笑われるのも不公平と言う物だ」

 一転してニヤニヤしながら言って来る二人に、召喚士は一瞬きょとんとした表情になる。それから少しだけ思案する様にうーんと唸ってから、ずずずっと入れられたお茶を啜って焦らしを入れた。答えを待つ二人も間を持たせる為に、それに合わせて手元のカップに口を付ける。

 そして、二人がお茶を口に含むと同時に召喚士の答えが飛び出した。

「そうだね、彼の子供を孕んで見るのも面白そうだ」

「「ぶふぅっ!!」」

 女騎士と魔法使いの少女の口から、ものの見事にお茶が噴出される。それを見て、暖炉の傍に居たメイド幼女が眉根を寄せた。自分の淹れたお茶で、自分の掃除した場所を汚されれば嫌な顔の一つもするだろう。

 だが生憎と、吹き出した二人はそれどころでは無い。ごほごほと激しく咽て、顔を真っ赤にしながら涙目になっている。

 そして召喚士はそんな二人を眺めながら、更に楽し気に語り続けた。

「能力的には期待はできないかもしれないけど、きっと彼に似て口先の上手い子になるだろうな。二人はそういう事は思わないのかい?」

「ごほっ、げほっ! ば、バカな事を言うな! わわわ、私がカズマとその……あにょ……ううぅ……」

「かはっ、はあ……。ロー、あなたはまた、私達の事をからかおうとしてますね?」 

 黙々とテーブルを布巾で拭うメイド幼女を横目に見つつ、素早く立ち直った魔法使いの少女はジトーっとした目で召喚士を睨む。女騎士は耳まで赤くなって慌てていると言うのに。

 召喚士が認める様にクスクスと笑い始めると、少女はため息を吐いて改めてお茶を啜る。

「ふう……。まったく、ローのそのからかい癖は困った物ですね。ですが、今回は良い事も聞けたので許しましょうか」

「そうだな……。ローもやはり、女性であったという事か」

 うんうんと頷き合い、感慨深げに納得している魔法使いの少女と女騎士。召喚士はニコニコと笑っているだけで、否定も肯定もしない。何時もの事と言えばそれまでだが、この召喚士の場合油断ならない事が多いので曲者だ。命が掛かる様な重要な事柄を、聞かれなかったから答えなかったで済ませる様な奴である。

「……なあめぐみん、先程のローの発言だが……」

「言わないでください、ダクネス。女性としての発言なら、全く問題は無いのですから……」

 だが、男としての発言だった場合はどうなのだろうか。深く考えるのが怖くなった二人は、意見を一致させてその事を頭の中から追いやった。

 しばし、気まずい沈黙。ずずずずっと茶をすする音だけが室内に響く。

「……ホモが嫌いな女の子なんていません……」

「「!?」」

 今まで一言も喋らなかったメイド幼女が唐突にぽつりと呟き、女騎士と少女の二人を驚愕させた。召喚士はそんな状況が楽しくて仕方が無く、テーブルに突っ伏して笑い転げている。

 そんな事をしている間に、時間は瞬く間に過ぎて行った。

 

 

 最弱職の少年は日が陰り、夕闇が山間に被さる頃になってから帰ってきた。

 ログハウスの外から声を掛けられて、一番に魔法使いの少女が出迎えに外に出る。その後を女騎士が追い、召喚士は仕事を終えたメイド幼女の頭を撫でて送還してから向かう。

 はたして、そこには少年の背後でガン泣きする女神の姿が確認できた。

「なんとなく予感はしてましたが……、一体何があってアクアは泣いているのですか?」

 出迎えた三人の意見を代表して、魔法使いの少女が少年に詰問する。少年は言い辛そうに頬を掻いていたが、代わりに泣き喚きながら少女に縋りついた女神が説明してくれた。

「うあっ、うわああああああ!! ガズマがぁ! ガジュマさんがぁ!!」

 訂正、説明しようとしたが言葉になって居ない。これではまるで、最弱職の少年が青髪女神に狼藉を働いた様にしか見えないのだが、少年は人聞きが悪いとそれを一蹴した。

 その後語られた二人の話を総合すると、少年の後に勝手に着いてきた女神は、その体から溢れる聖なるオーラでアンデッドを呼び寄せ散々苦労を掛けてくれたらしい。他にも、罠には引っかかりそうになるわ、ハンドサインを指芸と勘違いするわ、枚挙にいとまが無い。

 そんな事を暴露されても反省の色を見せない女神に、少年も怒りを爆発させて罵り始めた。

「こいつ全然反省して居やがらねぇ! お前今すぐ戻って、あのリッチーとお嬢様の爪の垢でも探して来い! あの二人の謙虚さをちったぁ見習えよ! この駄女神!」

「女神様にアンデッドを見習えとか言ったあ!? 不敬者! 背信者! ヒキニート!」

 そして取っ組み合いを始める攻略組二人。待機組はそれを温かく見守るばかりだが、ふと女騎士が気が付いたキーワードが有った。

「リッチーとお嬢様……?」

「あ? ああ、その事か……。実はダンジョンの一番奥でな……」

 女騎士の疑問の呟きを耳にして、最弱職の少年は泣き喚く女神を片手で押し止めながら、ダンジョンの奥で起こった事情を説明してくれた。

 ダンジョン最深部で隠し部屋を見つけ、その奥に居たキールと名乗るリッチーに出会った事。そのリッチーが王家から虐げられていた令嬢を連れだして、逃避行の末にこのダンジョンを作り上げた事。そして、既に満足した死を迎えた令嬢の元へ、青髪女神がリッチーを浄化して送り届けた事を、仲間達に話聞かせてくれた。

 遠い昔に在ったお伽噺の続き。誰もが詳細を忘れてしまった物語の結末を、少年達は知る事が出来たのだった。

「私は彼女を幸せに出来たのだろうか、なんて言ってたけど、実際お嬢様はどう思っていたんだろうな」

 贅沢を知っている貴族の令嬢を荒事の世界に引きずり込み、厳しい逃亡生活を強いてしまった事をリッチーは後悔して居のだろう。しかし、話によればその令嬢はリッチーのプロポーズを喜んで受け、その死後も未練も無く成仏したと青髪女神が太鼓判を押している。リッチーの後悔と心配は、全くの杞憂であろう。

 そして、その話を聞いた女騎士が、少し寂しげな笑みを浮かべながら断言する。

「幸せだったに決まっているさ。そのお嬢様は、逃亡生活の間が人生で一番、幸せだったに違いない」

 まるで、令嬢と自身の境遇を重ねている様な、理解者特有の力強い肯定の言葉であった。

 

 



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第九話

 キールのダンジョンを攻略してから数日。本日は朝から冒険者ギルドの片隅に陣取って、良いクエストが無いかの見張り番を言い渡されている。

 待機の任に当たるのは、金髪の女騎士とフードの召喚士の二人。魔法使いの少女は所用があるとかで、行先は告げずに出かけて行った。

 そして、待機を命じた最弱職の少年もまた、青髪女神と共にとある店舗へ赴いている。何でもスキルポイントが溜まったので、バランスの悪いパーティを補える様な、有効なスキルを習得して来るのだそうだ。

 そんな訳で現在は絶賛暇を持て余し、女騎士と召喚士は盤上遊戯で無聊を慰めていた。

「ん……。アークウィザードの前にクルセイダーを移動して守らせ、その後に魔法で敵前衛を薙ぎ払う……」

「ダークプリーストの支援魔法により魔法耐性を増加。ガーゴイルの弓兵により後方のアークウィザードを刈り取る。チェックは掛けずに、そのまま戦闘を続行。クルセイダーの攻撃をオーク戦士に耐えさせ、こちらも魔法攻撃を開始する」

「うぐ……。ロー、お前本当にこのゲームをやるのは今日が初めてなのか……?」

 戦績は現在、召喚士が有利。初めの内は駒の役割も知らなかった召喚士だったが、負け続ける度に女騎士の戦術を覚え、改良しながら反撃に出る。持って生まれた知能の高さが、知的遊戯にコレでもかと発揮されていた。

 現在は逃げ回る王を無視して、周りの戦力を削り捲ると言う嫌がらせを敢行している。女騎士も必死に頭を悩まされているが、駒の数が倍近くの差が出ると反撃のしようが無かった。

「くっ……、初心者に教えていた立場から一転、追い詰められて嬲られるこの状況……。しかもクルセイダーがオークに嬲り者に……くぅんっ! なかなかやるな、ロー!」

 召喚士は嬉しそうに負ける女騎士に、ニコニコと笑顔を向けるばかりである。なんせこうでもしないと女騎士は負けを認めないので、途中から容赦と言う物は投げ捨てられた。ちなみに女騎士は、途中での降参を認めてはくれない。どうあっても屈辱的な負け戦になるまで粘るので、召喚士にとってはもうほとんど接待の様な状況だ。

「ふう……、また良い勝負をしてしまったな。時間も結構経ったし、私はまた掲示板を見て来るとしよう」

 一人だけホクホクと喜びに頬を緩ませた女騎士が、スキップでもするかの様に軽やかな足取りで掲示板に向かう。ようやく接待から解放された召喚士は、珍しく疲れた様子でほうっと大きく息を吐いていた。流石に五回も六回も、殲滅戦ばかりはしたくない物であろう。

「災難だったね。ダクネスもあの癖が無ければいい子なんだけど……」

 そんな疲れ気味の召喚士の背後から、明るい調子で語りかけてくる者が居た。椅子に腰かけたまま振り向いてみれば、そこに居たのは銀髪の盗賊職の少女。その胸は平坦であった。

「やあ、お久しぶり。覚えてるかな、前にカズマにスキルを教えた時以来だよね」

 召喚士はもちろん覚えている。こんなにも特徴的な人物を忘れられるはずもない。思わず指を指しながら、記憶にある特徴をそのまま口にする。

「お久しぶり、カズマにパンツ盗られた人」

「クリスだよ、クリス! っていうか、その話はやめて!」

 あらん限りに叫び声を上げて、テーブルをバンバン叩いて自己紹介する銀髪少女。名前はもちろん知っていたが、あえて言わなかった召喚士はご機嫌である。

 まったくもうと疲れた様子を見せながら銀髪少女は召喚士の向かい席、いままで女騎士が腰かけていた場所に腰を下ろした。挨拶に声を掛けただけでは無く、何かしら用事がある様だ。友人である女騎士になら分からなくも無いが、ほぼ面識しかない召喚士に何の用があるのだろうか。

「いやあ、この間の魔王軍幹部との戦いでは大活躍だったそうだね。聞いたよ、城壁みたいに大きな召喚獣で、洪水から町を守ってくれたんだってね。その、ありがとう」

 何の用かと素直に訪ねてみれば、お礼が言いたかったとの事。しかし、何故彼女からお礼を言われねばならないのかは分からない。その事についても突っ込んで聞いてみると、先輩がどうのとごにょごにょ言ってから、結局は誤魔化されてしまった。

「ま、まあ、要件の一つはこれでお終い。それで、もう一つなんだけど……」

 そこで銀髪少女は言葉を区切った。言い難いと言うよりは、まるで覚悟を決めるかの様に表情を引き締める。

「メアリー・スーって名前に聞き覚えはないかな?」

 召喚士は少女の唇から紡がれた単語に、口元をにやっと歪めさせた。それを見て、銀髪の少女の視線がスッと細められる。

 メアリー・スー。言葉の意味だけで考えるならば、それは人の名前と言うのが一般的だろう。更に言えば、これは二次創作における符号の様な物でもある。創作者の自己投影とも言われる、限りなく蔑称に近い物。

 銀髪の少女はどんな意味を持って、この単語を使っているのだろうか、召喚士にはわかりかねる。

「君って黒髪に黒目だよね。この辺じゃ珍しい、一部では有名な人達の特徴に似ている……。君はもしかしたら、ニホンジンって奴なんじゃないかな?」

 まるで探りを入れる様に、慎重に言葉を選びながら尋ねて来る銀髪少女。召喚士はその言葉に首を振って応えるが、少女の疑惑は晴れなかったらしい。

「君の使っている召喚術、非常に珍しい物だよね。アレって、誰かにもらった物なんじゃないのかな……。例えば……」

「……女神様からの贈り物、とか?」

 召喚士が少女の言葉を代弁し、反射的に少女がガタッと腰を浮かせる。そんな過剰な反応にも、召喚士は喉の奥でクックックッと笑って喜んでいた。

 笑う召喚士に一方的に警戒する少女と言う絵面だが、一触即発の空気は召喚士が言葉で崩す。両手の掌を見せひらひらと振り、降参の意志を見せながら。

「僕はニホンジンではないし、この召喚術も自前の物だよ。君が何を探って居るのかは分からないけど、そんなに警戒しないで欲しいな」

 ニヤニヤと信用出来そうも無い笑みを浮かべながら言う召喚士に、銀髪少女は何とか気持ちを落ち着けて浮いた腰を下ろした。値踏みする様な視線はそのままだが、今すぐ飛び掛かって行くつもりは無い様だ。

「物語は、眺めている方が好きだよ。誰かの居場所を奪うなんて、僕の趣味じゃないな」

「……君はやっぱり――」

 召喚士の言葉に反応した少女が言葉を返そうとして、ハッと何かに気が付き途中で口を噤ませる。

 召喚士が視線を掲示板の方に向けると、女騎士が掲示板の確認を終えてこちらに戻ってくる姿が確認できた。銀髪少女も同じ様にそれに気が付いたのだろう、追及の言を止めて盤上遊戯の駒を指先で転がしている。

「ん……。クリスではないか、久しぶりだな。息災の様で何よりだ」

「やほー、ダクネス。そっちも、新しいパーティにすっかり馴染んでるみたいだね。ちょっと妬けちゃうなー」

 女騎士が戻って来る頃には、銀髪少女は何時もの明るい調子に戻っていた。先程まで見せていた剣呑さを隠しきった、大した演技力である。微塵も険を感じさせずに、友人同士の会話を楽しむ。

 昔からの友人同士会話が弾むかと思ったが、銀髪の少女は次の用事があると言い立ち去る素振りを見せた。去り際に召喚士に対して、にこやかな笑顔で告げるのを忘れない。

「今日は有意義なお話をありがとね。今度会った時に、メイド服の女の子の事も紹介してよね」

 そんな事をウインクと共に告げて、銀髪の少女は風の様に去って行った。召喚士はそれを笑顔で見送り、手まで振って見せる。表面上は穏やかだが、二人は静かに冷戦へと突入したのだった。

「相変わらず、忙しない奴だ。たまに会った時ぐらい、ゆっくりして行けば良いのにな」

「まあ、あの様子なら直ぐに、また会う事になるんじゃないかな?」

 女騎士は呆れながらも、どこか嬉しそうに友人を語る。それに返す召喚士は、何処までも適当であった。緩く緊張する素振りも無く、いつも通りにんまりと笑って余裕を見せる。

「カズマが納得しそうな依頼も無かった事だし、まだまだ待機時間は長くなりそうだな。わ、私は一撃がきつそうなのや、大群に囲まれる奴は歓迎なのだが……」

 そう言うのは、最弱職の少年に言って貰いたい。大仰に肩を竦める召喚士であった。

 

 

 結局、最弱職の少年がギルドに顔を見せたのは、半日過ぎた昼頃になってからだった。その頃には出かけていた魔法使いの少女もギルドに顔を見せており、一足先に安い定食をモリモリと貪っている。

 他の面々も各々昼食を頼み、卓を囲んで腹を満たしている場で、最弱職の少年は出先での出来事を語り、そしてこれからの行動予定を提示してきた。

「幽霊退治のクエスト、ですか? 現場が屋敷の中だと、爆裂魔法の出番はありませんね」

「アクアの悪戯で動けなくなったウィズの代わりに、か。それで報酬の代わりに屋敷に住んで良いとは、何だかウィズに悪い気がするな」

 話を聞いた魔法使いの少女は自らの出番がないと言うのに、今回は意外にも冷静であった。否、話よりも食事に夢中でそれどころでは無いだけなのかもしれない。今日も、彼女の口元は食べかすだらけである。

 そして、女騎士の言葉の中に出て来た青髪女神は、自らの名を呼ばれてびくっと肩を竦ませた。傍若無人の女神様にも、一端の罪悪感と言う物はあるらしい。

「何にしても、これから本格的な冬が来る前に、居住問題が解決するのはありがたい。おいアクア、普段役に立たない分、今回はきっちり働いてもらうからな」

「わ、わかってるわよ! って言うか、この高貴な女神様を役立たず扱いとか、甚だ不敬なんですけど! 謝まりなさい! 女神様、御免なさいって! 謝って!」

 罪悪感を紛らわせるためか、最弱職の少年に青髪女神が噛み付いて、何時ものいがみ合いが始まる。口で少年に勝てるはずも無く、直ぐに泣いて黙る事になるだろうが、それでも女神にも譲れないものがあるのだろう。

 そんな日常の光景を見て、召喚士は決心した。今までは出来なかったが、言い出すならばここしかない。

「すいません、ミード……蜂蜜酒ください」

「おまっ! 昼間から飲んでんじゃねー!」

 待機の間は自制していたのだから、これぐらいは許してほしい。召喚士は少年の叫びを馬耳東風、運ばれてきた酒杯に嬉しそうに口を付ける。それを見た青髪女神も酒を注文して、収拾がつかなくなって行く。

 そんな風にワイのワイのとしながら、作戦会議を兼ねた昼食は賑やかに進んで行った。

 

 

 問題の幽霊が出ると言う元貴族の屋敷は、アクセルの街中心部から外れた郊外に建っていた。幽霊屋敷の悪評が付いているとは言え、元貴族の別荘は最弱職の少年の知る一軒家とは比べ物にならない程に大きい。不動産屋の話では部屋数が少ないとの事だったが、今のパーティメンバー全員を住まわせても尚部屋は余る規模であろう。

「ふふん、なかなか立派なお屋敷じゃない。女神たるこの私が住むには相応しい所ね」

「ほわー……、今日からここに住んで良いのですね。なんかこう、わくわくしますね!」

 屋敷への仲間達の評価は上々。青髪女神は自らに相応しいと豪語して、普段は冷静な魔法使いの少女も今日ばかりは年相応に興奮で頬を赤らめていた。召喚士は郊外まで来るのに疲れたのか、いつも通り狼の上でぐったりしている。

「外門は、仕掛け等は特に無い様だな。カズマ、門の下側に杭があるから、それを持ち上げてから一緒に動かそう」

 女騎士はこう言った屋敷には慣れているのか、門の開け方などを少年等に教えてくれたりと、意外な教養を見せて周囲を驚かせた。彼女は普段からも立ち居振る舞いに気品を見せる事があり、とても普段からいじめられてハァハァしている人物とは思えない。

「とりあえず、中の様子を見てみようぜ。幽霊も出るとしたら夜になってからだろうし、もし出て来たらアクアに任せれば大丈夫だろうからな」

 屋敷に入って行った一行は、うきうきと各々の部屋を決めてから清掃に移った。日も既に傾き掛けていたので、宿泊の準備に取り掛からねばならなかったのだ。

「見える……。見えるわ、この屋敷に住み着いている幽霊の姿が。この私の霊視によるとこの屋敷には、昔貴族がメイドとの間に遊び半分で作った女の子の幽霊が――」

 ちなみに、主に夜に活躍するであろうと期待された青髪女神は、玄関先で霊視を開始して只管胡散臭い事を話し続けている。いつまでたっても霊視と言う名の設定披露が終わらないので、放置して先に屋敷内へ入ってきてしまった。荒唐無稽な細やかな設定を聞いて、少年達は本当に信用して良いか悩み始めてしまった程だ。

「定期的に清掃は行われていた様ですね。これなら、そんなに時間はかからず住める様になるでしょう」

「屋敷全体の掃除はまた明日にしよう。今日のところは、とりあえず寝られる様にだけすれば良いだろう。フフッ、仲間達との共同生活とか、なんかもうドキドキするなあ!」

 そんなこんなで青髪女神を除いた一同は、屋敷の窓を開け放ち簡単に埃を落として寝具の準備を進めている。女騎士は家事自体には不器用さを見せているが、そのテンションは初めて友達の家にお泊りする乙女もかくやであった。

「はあ……、やっと一人の空間が手に入ったな。別にやましい気持ちは無いけど、思春期男子には雑魚寝はきつい物があるよな。別にやましい気持ちは無いけど」

 少年もやはり個室が嬉しいのか、イソイソと自分の部屋を決めて荷物を運びこんでいた。長い馬小屋生活では、心休まる暇も無かったのであろう。

「レベル五召喚。へーちゃん、出番だよ」

 案の定、呼びだされたオッドアイのメイド服。今回はレベルが高くなって姿が幾分か成長して、幼女から少女に少しだけ背が伸びている。長い黒髪は今回は両サイドで縛られてツインテールとなっていた。

 彼女は何を言われるまでも無く、諦めた表情で背中に背負った掃除道具で埃と戦い始める。彼女の戦場は長い間放置されていた台所。作戦目標はキッチンを機能させる事であった。初級魔法を駆使して、室内で激戦が繰り広げられる。

 それはそれとして、最後に全員で大きな暖炉のあるリビングの清掃を始めた。流石貴族のお屋敷と言った所か、なかなかの広さでソファーも完備している。人の集まれる場所を用意しておくに越した事はない故、仕上げとばかりに全員で取り掛かった。

「ふー……、ここがひと段落したら今日は飯食って寝るか。もうすっかり日も暮れたな――げっ!?」

 換気の為に居間の窓を開けた最弱職の少年が、なにやら奇妙な声を上げて凍り付く。その視線の先には、未だに霊視を続けてペラペラと喋り続ける青髪女神の姿が……。

「名前はアンナ・フィランテ・エステロイド。好きな物はぬいぐるみ人形、そして冒険者の冒険話! でも安心して、この子は悪い幽霊じゃないわ。おっと、子供ながらにちょっぴり大人ぶって、甘いお酒を飲んだりしてたみたいね。お供えするならお酒を――」

 パタンと少年の手によって窓が閉じられる。そんな背中にどうしたのかと仲間達が声を掛けるが、少年はかぶりを振るばかりで何も答えはしない。

「見なかった事にしよう……」

 そういう事になった。

 

 

 若干一名を除いた掃除の後に、機能を取り戻した台所を使って簡単な食事を済ませた一同は、今日はもう就寝してしまう事にした。青髪女神は掃除が終わってからノコノコとやって来て、置いて行かれたのを一人でプリプリ怒っていたが、そんな事は食事をしている間に忘れてしまう。おそらく思考が食べ物で埋め尽くされた為だろう。

 彼女の選んだ部屋は全員が食事をしている間に、呼びだされたメイド少女が死んだ魚の様な眼をしながら清掃してくれた。何も問題なく、一同は床に就く。

「ああああああああ!? わあああああああーー!!」

 そんな全員の寝入り端を叩いたのは、つんざく様な青髪女神の悲鳴であった。

 何時に無く深刻な悲鳴の上げ方をしていたので、仲間達は寝間着姿にも構わず慌てて彼女の部屋へと集まる。ジャージ姿の最弱職の少年が扉を開けると、その中には果たして酒瓶を抱きかかえる青髪女神の姿があった。

「ふえええええ、カジュマあぁぁぁぁ……」

「えっと……、俺には空の酒瓶を抱えて泣いてる様にしか見えないんだが、一応何があったのか説明してみてくれ。酔っぱらって奇声を上げたとかだったら、頭からクリエイトウォーターぶっかけて目を覚ましてやる」

 割り合い本気で心配して駆け付けた少年は、物凄い微妙そうな表情で唇を引き結んでいる。そんな状態でも一応話を聞いてあげる彼は、きっと女神並みの慈悲の心を持って居るのだろう。

 そして話を聞いてみれば、青髪女神は楽しみに取っておいた高級酒を、知らない間に悪霊に飲まれてしまったのだと言い張った。そして、このお酒が如何に貴重で、如何に楽しみにしていたのかを力説する。身振り手振りも付いた、正に魂からの訴えである。

 幽霊がお酒を飲むのかとか、借金があるのにそんな高級な酒をどうやって手に入れたのかとか、いろいろ聞きたい事はあったが、それを問い詰める前に青髪女神は部屋を飛び出して行った。酒を飲んだと思しき悪霊を、目についた端から浄化して来るらしい。

「そうか、じゃあお休み。また明日な」

「もう結構遅い時間なんですから、勘弁してください……」

 最弱職の少年と魔法使いの少女の二人は、欠伸を隠しもせずに各々の部屋へ戻って行った。面倒見のいい少女まで帰って行ったのは、おそらく眠気に勝てなかった為だろう。

 残されたのは意外と可愛らしい寝巻の女騎士と、何時もと変わらないローブ姿の召喚士のみ。今日は何かと縁が在る組み合わせである。

「ふむ。私もクルセイダー、聖職の端くれだ。微力ながら、アクアを手伝ってやろうか。ローはどうする?」

「楽しそうだから、付いて行こうかな」

 二人が連れ立って部屋を出ると、青髪女神の姿は既に無かった。そう広い屋敷でもないが、既に日も落ちて久しい夜の廊下に紛れては、人一人探すのは億劫そうである。

 だが、そんな心配は杞憂に終わった。

「『ターンアンデッド』ッ! 『ターンアンデッド』ッ! 『ターンアンデッド』ッ! 『ターンアンデッド』ッ! 『ターンアンデッド』ッ! 『花鳥風月』ぅ~! 『ゴッドブロー』オオオオッ! 『ターンアンデッド』ッ! 『ターンアンデッド』ッ! 『ターンアンデッド』ッッ!!」

 屋敷全体に響き渡る青髪女神の奮闘の声。これならば、何処に居ても簡単に見つける事が出来るであろう。とりあえず声を頼りにして、応援の二人は歩きだした。

「今、宴会芸スキルが混ざって無かったか?」

「きっと間に宴会芸を挟むと、次の技の出が速くなるんだよ」

 そうして追いついた時には、青髪女神はぜーはーと肩で息をして大変お疲れ気味であった。アレだけの勢いで魔法を連発していたのでは、声の出し過ぎて息が切れるのも無理はない。

「順調の様だな、アクア。二人だけだが加勢に来たぞ」

「あら、ダクネスとローだけなの? お子様なめぐみんは仕方ないとしても、カズマは一体何をしているのかしら」

 追いついてきた二人に気が付くと、青髪女神は最弱職の少年が居ない事に怒り始めた。彼女的には、従者である少年は手伝って当たり前だと言う考えがあるのだろう。

「カズマとめぐみんは寝たよ。まあ、あの二人は幽霊相手には有効なスキルが無いから、問題は無いと思うけど」

「まったくカズマさんったら、女神の信徒としての自覚は無いのかしら。麗しい女神様だけを働かせて、自分はグースカ寝てるなんて、不敬よ不敬!」

 少年はあっさりと眠りに着いたと召喚士が伝えると、女神の怒りは光の如く加速して、それはそのまま悪霊にぶつけられる事になる。

「こうなったら、ダクネスとローだけでも手伝ってもらうわ! このまま屋敷中の悪霊を浄化してやるわよ!」

「もちろんだ。依頼の事もあるし、眠る時間が無くなるまでには終わらせてしまおう」

 無論、ここに居る時点で手伝わないと言う選択肢は無く、二人はそれを快諾した。寝間着姿ではあるが、女騎士の気合は十分である。

「レベル十召喚。出番だよ、ヘーちゃん」

 やる気があるのかないのか判然としない召喚士は、ニコニコと笑顔のままで召喚魔法を使う。呼び出されたのは、狼や蛇では無く、赤青オッドアイのメイド少女。今回もまたレベルが上げられた事により、背が伸びてより成長を見せていた。小柄な魔法使いの少女よりも、既に身長は超えて容姿も大人びている。髪型は右側だけのサイドテールだ。

「ふーん? その子を見るのは初めてね。どんな事が出来るのかしら」

 呼びだされたメイドの娘を前にして、青髪女神は初対面でも何時もの様に尊大に振る舞って見せていた。が、途中で何かに気が付いたのか、首をひねってスンスンと鼻を鳴らしている。まるでメイド娘から、嫌な臭いでも嗅ぎ取ったかの様に。

「うん? アクアはまだ会った事が無かったのか? 彼女はローの身の回りの世話を、以前から色々してくれている様だったが……」

「会った事は無いわね……。ねえ、それよりもその子ってもしかして、アンデッドとかだったりしないわよね……?」

 女騎士も女神も別々の意味で訝しげにしているが、どちらも視線は召喚士へと向けられる。視線を向けられた方は、にっこりと笑顔で答えた。

「もちろんアンデッドだよ」

「『ターンアンデッド』ッッ!!」

 答えを聞くが早いか、青髪女神の浄化魔法が炸裂しメイド娘が浄化の光に包まれる。それを見て慌てたのは、前々からメイド娘を知っている女騎士であった。

「あ、アクア!? いくらアンデッドだからと言っても、仲間の召喚獣にまで問答無用とはあまりにも容赦がなさすぎるぞ!」

「るっさいわねぇ、アンデッドなんてこの位するのが丁度良いのよ。それに御覧なさいな。この子、私の浄化魔法にピクリとも反応してないわ。ロー、アンタまた私達をからかったでしょ」

 言われてびっくりな女騎士が顔を向けると、メイド娘は健在で二度びっくり。召喚士は女騎士の様子にご満悦だが、メイド少女は死んだ魚の様な眼でそんな召喚主をぼんやり見つめるばかりである。

 からかわれたと理解した女騎士に頭を掴まれてミシミシ締め付けられながら、召喚士はとても安らかな笑顔でメイド娘の正体を教えてくれた。

「うふふふ、この子は半分死んでいて半分は生きている。暗く冷たい氷と霧の国の住人だよ」

 ちなみにメイド服を着せているのは、それを本人が嫌がっているから。プラーンと片手だけで吊り上げられながらも、嬉しそうに自らの召喚獣に施した嫌がらせを語っていた。とんでもない主人も居たものである。

 と、件のメイド娘が廊下の奥をちらりと見やると、主人を吊り上げていた女騎士の手を引いてサッとその陰に隠れた。戸惑った女騎士がつられて視線を廊下に向けると、なんとその顔面に飛んできた壺が直撃。陶器が砕ける音と共に、女騎士の悩まし気な喜びの声が廊下に響き渡る。

「んはぁん! な、なんと言う雑な扱い……」

「ポルターガイスト!? 生意気に、浄化されまいと反撃してきたのね。この麗しの女神様に、悪霊如きが良い度胸じゃないの!」

 パカァンと見事な音を立てて粉砕したそれは飾られていた調度品で、廊下の奥から独りでに飛んで来た様に見えた。それを悪霊の仕業だと看破した女神はすぐさま反撃の構えを取る。

 しかし、女神が魔法を放とうとした時には、メイド娘が掌を向けて悪霊が居ると思しき場所に魔法の光を放っていた。直撃した悪霊を強制的に天へ昇らせる聖なる光。

「ヘーちゃんは魔法と名の付くものはほぼ使えるんだ。だから、このパーティでは戦闘には出して無かったんだよ」

「ああああ、アンデッドの癖に半分アンデッドの癖に浄化魔法が使えるですって!? 生意気よ、生意気だわ! なによ、私の方が支援でも浄化でも役に立てるんだから!!」

 どうして今まで青髪女神に会わせなかったのか、女騎士はその理由を一瞬で理解した。嫌がらせのタイミングを計り、ここぞと言う所で暴露して青髪女神を涙目にしたかったのだと。ニヤニヤと、実に幸せそうに笑う召喚士を見て確信していた。

「こうなったら、どっちが悪霊を多く倒せるかで勝負よ! 見てなさい、この女神様の力を見せ付けてやるわ!!」

 そうして始まった、悪霊退治と言う名の争奪戦。飛び交う浄化魔法、けたたましく騒ぐ自称女神。そんな光景を見やりながら、女騎士はしみじみと悟る。

 ああ、これは朝まで寝られない展開だ――と。

 

 

 深夜近いと言うのに騒がしい事を除けば、除霊作業は至って順調に進んでいた。浄化魔法を使える戦力が二人も居るし、攻撃自体は出来ないが霊の位置がなんとなく分かる前衛も居る。若干一名は戦力外だが、ゴーストバスターには過剰戦力と言っても過言では無いだろう。

「はぁ……はぁ……、ようやく数が減ってきたか。先程の様に、集団で纏わり付かれる攻勢が無くなってきたな」

 そう言って頬を上気させながら嬉し気に言う女騎士は、メイド娘に借り受けたハタキを装備して前衛を務めていた。文字通り体でポルターガイストから味方を護り、途中から大量のアンティーク人形に乗り移った悪霊に全身這い回られてとても元気である。何でも、動けなくされた後に、体中を弄り回されるのが堪らないんだとか。

 競い合う様に悪霊を浄化し続けた為に、流石に出会う頻度が減少してきた。そう思い狩場を一階から二階へと移そうかとしていた所、その二階から雑巾を引きちぎるかの様なけたたましい悲鳴が響いてきた。

「……今のはカズマか。かなり深刻そうな悲鳴だったな」

「まったく、しょーがないわねぇ……。カズマさんを助けて、この私のありがたみを教え込んでやりましょう!」

 そんな事を言って、返事も待たずに駆け出していく青髪女神。何だかんだ言って、自分の有用性を売り込みに行きたいらしい。

 そんなこんなでまずは、悲鳴の聞こえて来た最弱職の少年の部屋へと向かう。そこで出迎えてくれたのは蠢く人形達。どうやら少年はこれに襲われて、既に部屋から逃げ出したらしく姿が見えない。

「『ターンアンデッド』ッ! っと……、カズマさんったらどこに行ったのかしら。せっかくこの私が、直々に来てあげたって言うのに」

「ん……。おそらく、抵抗手段が無くて逃げたのだろう。めぐみんも似た様な状況だろうから、一応部屋を確認してから探しに行った方が良いだろうな」

 居ない物はしょうがないと、とりあえずは魔法使いの少女の部屋に寄ってから探索を再開しようと意見が纏まる。しかし、青髪女神はなぜかその場から動かずに、じーっと少年の部屋のベッドを眺めていた。

「どうした、アクア? まだ室内に悪霊が残っていたのか?」

「いいえ、違うわ。ねえねえダクネス、男の子ってやっぱり自分の部屋のベッドの下には、恥ずかしい物を隠したりするものなのかしらね?」

「うえ!? そ、それは……。だ、だめだぞアクア! 勝手に人の部屋を漁るなど、プライバシーの侵害と言う物だ!」

「なぁによう、ちょっと位いーじゃないの。それにダクネスは興味ないのかしら、カズマさんがどんな娘が好みなのかとか、どんな汚らわしい妄想をしているのかとか。これは弱みを握るチャンスでもあるのよ!」

「えっ、あ……う……、それは……。いいや、駄目だ駄目だ! 騎士としてそんなハレンチな振る舞いは……」

「ダクネスの振る舞いなんて、今更だと思うんですけどー」

 話が長くなりそうだったので、メイド娘は心底どうでも良さそうにため息を吐きながら、一人で魔法使いの少女の部屋を確認しに向かった。召喚士は目の前のコントに夢中で、口元を抑えて笑いを堪えているので動けない。

 程なくして、メイド娘が部屋主の不在を確認し戻って来ると、残して来た三人は興味深げにベッドの下を覗き込んでいる。女騎士も好奇心には勝てなかったらしい。メイド娘、再び盛大なため息。

 そして、そんな馬鹿な事をしていると再び悲鳴が響き渡った。

「はっ!? しまった、ついアクアの口車に……」

「ちょっと、人聞きの悪い事言わないでちょうだい。ダクネスだって興味津々だったじゃないの」

「二人とも、たぶんカズマとめぐみんが一緒に襲われてる」

 確かに聞こえてきた悲鳴は二人分。少年と思しき声の他に、甲高い少女の物も一緒に聞こえていた。

 こんな事をしている場合じゃねぇ――と召喚士の指摘で気が付いた一行は、悲鳴の聞こえた方を目指して部屋を飛び出していく。少年はともかく、あの気丈な魔法使いの少女が悲鳴を上げるなど、ただ事ではないからだ。

 悲鳴のした方向に加えて、悪霊の対処を求めるだろうと鑑み、二人の居るのは青髪女神の部屋かと当たりをつけて急行する。辿り着いてみればそこは既に、ドアが開け放たれてもぬけの空。既に二人は別の場所に逃げ出してしまったらしい。

「ああもう、じれったいわねえ。さっきから空振りばっかりじゃない。こうなったら屋敷全体に結界でも張ってやろうかしら!」

「お、おい。そんな事をしたら、無害だと言っていたこの屋敷の地縛霊の女の子まで浄化してしまうんじゃないか?」

 置き土産の様にわさわさと蠢く人形達が数匹居るばかりで、とうの本人達が居ない事に青髪女神が苛立つ。それを諌めている女騎士だが、内心では魔法使いの少女が心配で焦れているのは同じだろう。

「こういう時、カズマならどうやって敵をやり過ごす?」

 今まで何をするでもなく、ただ後を着いてきていた召喚士が久々に口を開く。そして、その言葉にハッとして女騎士と女神は互いに顔を見合わせる。

「カズマは潜伏スキルを持って居るが、アンデッドや悪霊の類には通用しない。ならば、物理的に立てこもれる場所を選んで逃げ込むだろうな」

「ヘタレヒキニートのカズマさんなら、わざわざ立ち向かうなんてことはマズしないわ。きっと鍵の掛けられる所に、めぐみんと一緒に引きこもっているはずよ」

「付け加えるなら、この部屋みたいに窓のある部屋は避けるだろうね。いざという時に、敵の来る方向を限定する為にも、外から見られる可能性を下げる為にも」

 この屋敷の中で自室以外で、鍵の掛けられる場所はそう多くない。その上、敵に追われている状態で視線が通る場所に逃げ込むとも思えない。慎重過ぎる臆病な性格で、石橋を誰かに叩かせる最弱職の少年ならばなおの事である。

「身を隠せるものが沢山あって、尚且つ鍵の掛けられる窓の無い場所……。……物置か!」

「難しい事はよくわかんないから、とりあえずそこに行きましょう!」

 今の推理に根拠などは無い。だがなんとなく、少年ならばそうしそうだという信頼がある。ならばあとは行動あるのみだと、一行は二階の物置をしらみつぶしにして行った。

 幾ら広い屋敷と言えども、物置部屋はそう多くない。そして少年少女が襲われている以上、この上ない目印がそばに居る筈だ。

 果たして、探していたものは見つかった。蠢く不気味な人形が、大挙してドアにぶち当たっている物置部屋を。

「アクア、私が引き付けている間に頼む。『デコイ』ッ!」

「纏めて片付けてやるわ! 『セイクリッド・ターンアンデッド』ッッ!!」

 女騎士がスキルを使って敵を集め、青髪女神の強力な浄化魔法が悪霊の宿った人形をまとめて光に包む。無論、人形に集られている女騎士もまとめて包まれるが、浄化魔法は人間には無害であるため人形だけがぼとぼとと落ちて行く。女神の魔法から逃れた取りこぼしは、メイド娘が浄化魔法を連射して駆逐する。召喚士は全力で観戦だ。

 程なくして、物置部屋の前に居た人形達は全滅した。その中心で青髪女神がどんなもんだと胸を張る。アンデッドが相手ならば、実際この女神の実力は比類なき物だろう。

「よーし、部屋の中で蹲ってぶるぶる震えてるカズマさんに、盛大に恩を売りつけるのよ。もしかしたら、感謝してお酒の一つも奢ってくれるかもしれないし!」

 そんな自分に都合の良い事を言い放ち、ドアノブに手を伸ばす。周囲の仲間達は苦笑して、そんな様子を見守っていた。活躍したからご褒美が欲しいとは、何ともこの自称女神らしいモノである。

 たったったーっと子供の様に無邪気な笑顔で扉に駆け寄り、そしてドアノブに手が届くかと言った瞬間――

「だりゃあああ! 掛かってこいや、人形共!! あとでうちの狂犬女神けしかけてやっかんなああああっ!!」

 そのドアが内側から勢い良く開け放たれ、女神の顔面を強かに打ち据えた。無防備な所への攻撃で、哀れ女神は一撃でノックダウン。目を回して人形達とご一緒に床の上で伸びてしまった。

「お、おいアクア! 大丈夫か!? しっかりしろアクア!」

 女騎士が慌てて声を掛けるも反応は無い。メイド娘も何が起こったのか理解できず、驚きに目を丸くしている。召喚士は面白い物が見れたので、指を指しながらけらけらと笑っていた。本日一番の大笑い。

 一方、扉を開け放った最弱職の少年は、自分がしでかしてしまった事を察して顔を引きつらせている。他の面子も、もう言葉すら出ない。何ともグダグダな結末と相成った。

「あの……、皆が居るという事はもう悪霊は退治し終わったという事でしょうか?」

 そんな場の空気を控えめな声で断ち切るのは、最弱職の少年の背後から現れた魔法使いの少女。何故かパジャマの上だけの姿で、ズボンを履いていなかった。上着の裾を握ってもじもじして居るので、下着すら履いていないのかもしれない。

 そんな格好の少女と物置部屋で一体何をしていたのか、そんな視線が少年へと突き刺さる。特に女騎士は表情を引き締めて、割とご立腹であった。

「まて、落ち着け。俺達はトイレで襲われて、そこから逃げて来ただけだ。誤解するんじゃない」

「そんな事より、誰か一緒にトイレについてきて欲しいのですが……」

 必死に弁解する少年を押しのけて、少女がオズオズと手を上げながら申し出て来る。付き添いはメイド娘に任せる事になり、二人は連れ立って廊下の奥に消えて行く。

 そして、残された者達は――

「……暗がりでめぐみんの下履きを脱がせて、あげく二人きりで何をしていたのか、きっちり話してもらおうか」

「何にもしてねえよ! おまえ、俺達がどんだけ必死に人形達から逃げ回ってたと思ってんだ。トイレの鍵ぶっ壊す事になるわ、めぐみんには花瓶手渡されるわ。大変だったんだからな!」

 ぼきぼきと指を鳴らして詰め寄る女騎士と、若干顔を赤くしつつも反論する少年。パジャマの下を脱がせた事については、特に否定はしないようである。

 そんな様子を眺めていたい気持ちもあったが、召喚士はとりあえず気絶した女神を運搬する為に低レベルの狼を召喚した。あとは巨大な子犬が首根っこを噛んで、ひょいっと器用に振り回して背中に乗せてしまう。

「めぐみんの様な小さな子にいかがわしい事をするなんて、恥ずかしいと思わないのか! まったく、暗がりで押し倒す様な真似をするならこの私に! 是非この私に!!」

「結局お前がやられたいだけじゃねーか! ふっざけんなよ、人をセクハラ常習犯みたいに言いやがって。おめーこそ、変態性癖のどうしようもないドMじゃねぇか。ちったあ反省しろ、反省!」

「んっ……! なんと言うキレのいい罵倒……。良いぞ、もっと来いカズマ!」

「話を聞けえ!! お前は本当に駄目だな! 何て言うか本当に駄目駄目だな!」

 背後からの名残惜しい会話を惜しみつつ、召喚士は愛犬と共に女神の部屋を目指す。急いで女神を部屋に寝かせて戻って来なくては。妙な使命感に燃えて召喚士は急いだ。

 そして、眠れぬ夜が明けた。

 

 

「結局、原因はアクアの怠慢だったという事ですか。私はその為にあんな恥ずかしい思いを……」

「ちょっ! 私が墓地の浄化サボったのは違わないけど、恥ずかしい思いをさせたのはカズマさんなんですけど!?」

 翌日。適度に睡眠を取って昼過ぎに起きだした一行は、屋敷のリビングに集まって流石にぐったりと過ごしていた。

早々に気絶して休めた青髪女神と、夜更かしに強い最弱職の少年は朝からギルドに悪霊退治の報告に出かけていたが、今しがた帰ってきたところである。

「まあ、なんにせよだ。今度からはきちんと、ウィズとの約束を守りに行かないといけないな」

「わかってるわよう……。でも、共同墓地があんなに遠いのが悪いと思うの。あんな所にあるから、定期的に通うのが面倒になっちゃうのは仕方のない事よね?」

 そしてその二人が仕入れて来たアクセルの街で起きていた悪霊騒ぎの原因は、公共墓地に仕掛けられていた強力な結界のせいだと言う情報を聞かされた。無論その事に心当たりがあるのを少年は見抜いて、青髪女神を問い詰め結界の仕掛け人である事を暴いている。そのおかげで臨時報酬を手に入れ損ねてしまったが、責任を追及されるよりはマシであろう。

「頑張って除霊しないと、カズマにまた怒られちゃうよ?」

「ローまでそんな風に言わないでよ。もっと私に優しくしてくれてもいいじゃない。もっと甘やかしてくれてもいいじゃない! 私女神なのに! 女神様なのに!」

 なお、屋敷の管理者には既に、マッチポンプじみた真相は話して謝罪している。話を聞いた管理者は特に怒り出すでもなく、なおの事この屋敷に悪評が消えるまで住んで欲しいと依頼をしてきた。その代りに条件を二つ程追加されたが、それでも破格の対応には違いない。そんな慈悲溢れる管理者に、少年も女神も思わず土下座したと言う。

「はあ、アクアはいつも通りですね。爆裂散歩に付き合ってもらった事もありますし。私で良ければ一緒に行きますから、ちゃんと頑張りましょうね?」

「うぐ……、分かったわよ。でも、寂しいから本当についてきてね?」

 その条件の一つは、冒険を終えた日の夜に、夕食を食べながらでも冒険話に華を咲かせてほしいとの事。そしてもう一つは、今窓の外で冒険者の少年が行っている、庭の片隅にある墓標の清掃であった。

 事情は語られなかったが、青髪女神の話も併せて考えると、屋敷の管理者は屋敷の地縛霊の少女を気遣っているのかもしれない。死を悼むのは、何時だって死者の為であり、また己の為であるのだから。

「ん……。そろそろ良い頃合いだし昼食にするか。キッチンは昨日、ヘーが清掃してくれたのだったな」

「そのへーちゃんが、今はカエルのから揚げを作っていると思うよー」

 そんな少年の傍には、顛末の確認に来たのかリッチーの女店主の姿がある。にこやかに談笑しているが、少年の視線が胸元をちらちら見ているのが遠目でも良く分かった。流石は鬼畜と名高い少年である。

 程なくして台所の様子を見に行った女騎士が戻り、食事の用意が整ったので食堂に移動しようと告げて来た。それを聞いて顔を綻ばせた青髪女神が庭に面したバルコニーに出て、大声で最弱職の少年に呼びかける。全員揃わないと食事が出来ないから、さっさと戻って来いと催促している様だ。

「あまり遅くなる様なら、カズマの分のから揚げは一分に一つ没収してしまいましょう」

「ふふっ、そうだな。そう伝えれば、あわてて帰って来るだろう」

「っ!? カズマー! めぐみんが一分遅れる毎に、唐揚げ一個没収するって言ってるわー!」

 そんな二人のやり取りを聞いて、更に青髪女神が大声を出す。から揚げが欲しいからむしろ戻ってこなくて良いとのたまって居る。これなら食卓に全員が揃うのも直ぐであろう。

 早く早くと捲し立てる青髪女神に促され、各々は食堂へと向かって行く。

「退屈しない事だけは保証するよ。……ま、これからよろしくね、お嬢さん」

 最後に残っていた召喚士が、部屋から立ち去り際にぼそりと呟く。仲間達とプラス一。奇妙な共同生活がこれから始まって行くのだと、改めて確認する様な呟きであった。

 

 



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第十話

 パチパチと音を立てて暖炉の中で炎が躍っていた。

 華美な装飾の施された大型の暖炉は、一番大きな部屋であるリビングの中を十分に温めてくれている。効率の悪い熱交換ではあるが、火を眺めるだけでも疲れが取れる様な、じんわりと癒される風情があった。

 そんな暖炉の一等近くにソファーを置いて、青髪女神がぬぼーっと炎を見つめている。もう既に日も高いというのにパジャマ姿のまま、完全にだらけ切ったくつろぎのスタイル。そこに女神の威厳など欠片も無い。

「おいアクア、ちょっと場所譲ってくれ。今から内職したいんだが、手がかじかんで上手く行かないから温めながらやりたいんだよ」

 そんな自称女神に最弱職の少年が近づいていく。何やら両手に荷物を抱えて、場所取りの交渉をしている様だ。話を聞いていると、借金返済の為にわざわざギルドから内職の依頼を取ってきたらしい。空いた時間でそれらをこなして小銭を手に入れる、そんな効率を求めるのは彼らしいと言うべきか。

「嫌よ。ここは、この私が自らソファーを運んできた特等席なのよ。それを無償で譲るなんて、とんでもない事だわ。譲ってほしければそうねぇ、まずは美味しいお酒を奉納する所から始めなさいな」

 はたして、そこは自分が可愛い女神様、当たり前の様に暖炉前の特等席を譲りはしない。素っ頓狂な場違いの発言に、ピキリと少年のこめかみが引き攣った。

 しかして、ここで怒っても仕方ないと自制する。そもそもこの自称女神に、まともな交渉など期待してはいけないのだ。これまでの経験も、そして謎の既視感もそう訴えている。

 なので無駄に口論するよりも、手っ取り早く実力行使に出る事にした。

「なによやる気なの? この暖炉前の聖域を守る為になら、私だって実力行使を――おおおおおおおお!?」

 無防備な首筋と背中に向けて、冷却の初級魔法を繰り出され青髪女神がソファーから転げ落ちる。持ち主の居なくなったソファーに少年は悠々と座り、手を温めながら内職を開始した。

「と言うか、お前手先が器用なんだから手伝ってくれ。その気がないなら、向こうでダクネスみたいにあの二人の対局でも眺めてこいよ」

 理不尽な物の言い方だが、今の少年の頭には借金返済しかないので致し方無い。冬越えの為の拠点を手に入れた今、もう一つの懸念は廃城の修理代として請求された莫大な借金のみ。これを解決したいと思うのは、少年にとっては当然の事であった。

「あ、あんた……、他にも色々言いたい事はあるけど、あれを観戦しろって本気で言ってるの?」

 青髪女神が冷気のダメージから復活しつつ、そんな事を言ってきたので思わず視線をリビングの中央へ移す。そこでは今、熾烈な戦いが行われていた。

 少年にとっては見慣れないこの世界の卓上遊戯。チェスや将棋に似たそれは、異世界らしく魔法などの特殊な要素も取り入れられており、少年が一度やった時にはキングを盤外へテレポートされた為に、二度とやらないと誓った程奇異な物である。

 その四角い盤を挟んで差し向かい、魔法使いの少女と召喚士が互いの駒を操っていた。だがその顔に遊戯を楽しむという余裕は無い。少女の方は眉間に皺を寄せて瞳を赤く光らせており、召喚士も常の余裕ぶった笑みを無くして無表情になっている。

 そして二人とも、無言のままに手を動かして、凄まじい速度で駒を獲ったり取られたりを繰り返しているのだ。鬼気迫るとはまさにコレである。

 少女も召喚士もステータスでは共に知力の高さが目立つ。それ故の高速思考、高速遊戯。観戦している女騎士はしきりに頷いているが、本当に理解しているのか怪しい物である。そもそもこの二人はこんなに緊迫して打ち合って、本当に楽しいのであろうか。

「……ごめん。俺でも、アレは眺めてても面白くないと思うわ。ほんと、ごめんな?」

「えっ? あ、うん、わたしもごめんね? じゃなくて! ちょっとこれ見なさいよ!」

 何だかいたたまれない気持ちが湧いてきて少年が素直に謝り、つられて青髪女神まで謝ってしまう。それからハッと我に返り、パジャマの胸元から首に下げていた冒険者カードを取り出し見せ付けて来た。

「レベルの欄を見なさい。私は今やこのパーティーで一番の高レベルなのよ。レベル二十にも満たない弱者が歯向かうなんて、おこがましいと思わないのかしら?」

 少年が目を凝らしてカードを見てみると、確かにレベルの欄には二十一と表記されている。レベルだけを見れば、最弱職の少年の何倍も上なのは確かだろう。魔王軍の幹部や、少し前でのダンジョンでのアンデッドの群れや、リッチー迄もを浄化しているので、このレベルアップの速さも頷ける。

 だが、少年の視線はステータスのある一点を注視して離れなかった。以前に見せてもらった時より、知力の欄が全く伸びていない事に気が付いたからである。

「なあ、アクア……。お前のステータスが全く伸びていない様に見えるんだが……」

「はぁ? なに馬鹿な事言ってんのよ。ステータスなんて最初からカンストしてるに決まってるじゃないの。この私は女神様なんだから、当たり前じゃない」

 薄々分かっていた事だったが、少年は女神の言葉に脅威的な事実を確信した。ステータスがカンストして居ると言う事は、もう伸びしろが無いという事であり、彼女のただでさえ低い知力はもう永遠に上がる事は無いのだ。

 全てを理解した少年の瞳からは涙が流れ始めた。絶望とか失望とかを超越して、ただただ悲しみだけが胸の内を支配している。今なら何もかもを許してしまえそうな位に。

「えっ、どうしていきなり泣き出しているの? どうして急に暖炉の前を譲ってくれたの? どうして優し気な仕草で肩を叩くの? 一体全体何が起こっているの!?」

 最早内職する気も消え失せて、少年は女神に場所を譲るとフラフラとリビングを出て行ってしまった。取り残された青髪女神は、ぽかーんと口を開けたままである。

「……チェック」

「ぐっ、テレポート!」

「テレポートでゴブリンアーチャーを移動。再度チェック」

 盤外に逃げ出したキングの駒を更に盤外まで追いかけ、そこで魔法使いの少女の万策が尽きた様だ。がっくりと項垂れて投了を示す。ようやくついた決着に、観戦していた女騎士はパチパチと諸手を打ち鳴らしていた。

「凄いぞ二人とも。こんな高度な接戦は初めて見た。どっちが勝ってもおかしくない対局だったな!」

「くっ、エクスプロージョンさえ使えていれば……」

 上級者同士の対局に興奮冷めやらぬ女騎士と、対照的に気落ちする魔法使いの少女。実はこの対局は三戦目で、勝敗は一勝一敗一分けである。

 初戦は魔法使いの少女が喜々として駒を動かし圧勝をしたのだが、二戦目には一戦目で得た知識を基に召喚士が逆に追い詰めた。あわや詰みかと思われた時に、魔法使いの少女は盤を引っ繰り返して勝負をうやむやに。ルールにも認められている、エクスプロージョンと言う少女の得意技である。

 そのまま勝ち逃げしようとした少女であったが、それを言葉巧みに召喚士が引き止め、あまつさえ挑発して三戦目に乗せてしまった。喧嘩っ早い少女の性格を利用したのである。

 エクスプロージョンは一日一回と、ルールに定められて居る為にもう使用できない。そこで両者が本気を出して、先程の知力での殴り合いの様な試合を見せたのであった。

「はー……、もう暫くこのゲームはしたくないですね。頭が疲れました……」

「そうだな、お茶でも入れて少し休憩しようか。アクアも一緒に飲むだろう?」

 少女がテーブルに突っ伏してぐんにょりと伸び、その肩を軽く揉んでやりながら女騎士がお茶を提案する。声を掛けられた青髪女神も、ソファーに寝そべったまま気の抜けた返事をして賛同した。

 それを見た召喚士がおもむろにパチンと指を鳴らす。すると程なくして、メイド姿の娘がワゴンを押しながら部屋に入って来た。配膳ワゴンの上には簡単な焼き菓子と、人数分のティーセットが並んでいる。

「ああ、いつもすまないな。へーの淹れてくれるお茶は美味しいから、ありがたいよ」

「疲れた頭に甘い物はありがたいですね。お茶に入れるお砂糖は四個でお願いします」

 最早異種族のメイドの給仕には皆慣れたもので、青髪女神ですら手渡されたお茶を寝そべったままで受け取っていた。初めの内は半分アンデッドの娘の給仕なんて――と渋っていたが、三日ほどで順応し今では気の抜けた姿を晒している。美味しいお茶と料理には勝てなかったよ。

 お茶の用意は当然とばかりに少年の分もあったのだが、その本人は部屋を出てから音沙汰がない。呼んできた方が良いだろうかと女騎士が思案すると、それをメイドの娘が遮った。

「おと――……マスターのお気に入りの人は、さっき着替えて外に出かけて行った」

「む、カズマは出かけて居たのですか。一声ぐらいかけてくれればいいのに、薄情な人ですね」

 メイド娘からの情報で不在を知った面々は、少年の態度に少々ご不満の様子。それを女騎士がまあまあと窘めるが、話題は次第に少年の物へと変わって行った。

「そもそも、カズマは女性との集団生活だと言うのに、デリカシーと言う物に欠けているのです」

「そうねえ、ダクネスとかに向けてる視線とかが露骨よね。まあ童貞のヒキニートには、この麗しの美女達との生活は刺激が強すぎるんでしょうけど。プークスクス!」

「ん……。ま、まあ、あのねっとりした視線は、私は嫌いではないのだが……」

 各々の評価は極端に低かったり高かったりするが、やはり男性の視線と言う物は女性を過敏にさせる物なのだろうか。やいのやいのと騒ぎが続き、少年への愚痴の様な不満の様な品評会が続いていく。

 そんな女子会めいたお茶の席にしれっと参加している召喚士は、少年の分のお茶をメイド娘に飲ませつつご満悦であった。参加する事に意義がある――そんな雰囲気を纏わせて、いつも以上にニコニコ笑顔だ。

 そんな様子の召喚主を眺めて、メイド娘は死んだ魚の様な眼をしたまま、口元だけを緩く綻ばせるのであった。

 

 

 お茶もお話もだいぶん進んで茶菓子が無くなりかけた頃合いに、ソファーから皆の居るテーブルに移って居た青髪女神が唐突に声を上げた。

「そうだわ! このお屋敷に結界を張りましょう!」

 あまりにも唐突な言葉だったために、皆が暫しその意味が理解できずに思わず発言者の顔を注視する。それを自身の意見への賛同だと勘違いした青髪女神は、得意げな顔で話しを続けた。

「ふふん、この私の素晴らしい提案にみんな声も無いようね。そうよ! この女神様が住まうお屋敷なんですもの、対悪魔用の立派な結界が必要だと思わないかしら? 今日はこれからおっきな結界を張って、この私直々にこの屋敷全体を守ってあげるわ!」

 説明を受けてようやく全員が話の内容を理解した。

 ああ、これはまた自称女神が何か思い付きで張り切っているのだな――と。みんな仲良く、心の内で思う事が一つになった瞬間である。最近良くあるこの一体感。

「……じゃあ手伝おう」

 その話に最初に食いついたのは、なんと何時もは傍観者で居ようとする召喚士であった。その姿に女騎士や少女だけでなくメイド娘まで奇異な物を見る様な視線を向ける。

「良く言ったわ、ロー! やっぱり自分の住む所は、安心して暮らせる様にしなくっちゃ駄目よね!」

「んーむ。ローは何だか、アクアに甘い様な気がします。アクアにお金が無い時、アルバイトの手伝いまでしていましたよね」

 言われる召喚士はそれ以上応える事も無く、少女の指摘にもにやにやと笑うばかり。まともな返答は期待できないかと悟り、少女は立ち上がって己も着いて行くと宣言した。

「アクアには爆裂散歩に付き合ってもらった恩もありますから、私もお付き合いしますよ」

「では、私はここの後片付けをしておこう。用意ばかりしてもらっては申し訳ないからな」

 そんなこんなで役割分担、召喚士と少女は青髪女神のお守りへと出かける。メイド娘は女騎士に付き添い、むしろ率先して後片付けに台所へと向かう。こころなしか、女騎士は自分で家事をするのが少し嬉しい様だ。二人は茶器を片付けて、連れ立って部屋を出て行った。

「よし、それじゃあ飛び切り強力な奴を設置しに行きましょう!」

 そんな事を宣って、青髪女神はパジャマ姿だと言うのに張り切って作業に向かう。少女と召喚士は顔を見合わせて苦笑し、元気の良い気分屋の後に続いて部屋を出るのであった。

 

 

 屋敷の廊下にしゃがみ込んで、カリカリと羽根ペンを走らせる。描き込まれるのはこの世界では見かけない幾何学的な模様で、それを興味深そうに魔法使いの少女と青髪女神が横から覗き込む。召喚士が文字を書き終わり立ち上がると、黙って見ていた少女が待ち切れないとばかりに言葉を掛けた。

「先程からアクアの指定した結界の起点に何やら書き込んでいますが、魔術に長けた紅魔族の里でもこんな文字は見た事がありません。この文字と行動には一体どんな意味があるのですか?」

 自分の知らない事が知れるかもしれないと言う、知的好奇心から来る期待と興奮に少女の瞳が赤々と燃える。興味があるのは青髪女神も同じな様で、彼女もまた少女の言葉にうんうんと頷いていた。

「これは力ある言葉。僕の故郷でのおまじないに使われてた物だね。一文字一文字に意味があって、その組み合わせでさらに複雑な意味を持たせられる。今書いていたのは、これから張られる結界を補助する為の言葉さ」

 説明が終わると召喚士は女神に、文字の描かれた場所へ結界の起点を作る様に指示をする。言われた女神は頼られたことが嬉しいのか、顔をにやけさせながら魔法を行使してみせた。

「ふっふーん。この私に掛れば、こんな魔法はちょちょいのチョイってね。ほーら、結界を維持する為の起点が――あら? こんなに力を込めたつもりは無いのに、何だかずいぶんと強力になってるわね」

「おお、文字が輝いています。本当に効果があるのかと思っていましたが、この光景を見るとなかなか信憑性がありますね。これで起点作りはお終いなのですか?」

 興奮した様子の少女の質問には、得意満面の青髪女神が答える。結界の起点は中心に一つと、出来ればその周囲に六つは欲しいとの事。その一つ一つにしっかりと力を籠めれば、大規模な結界でも半永久的に張っておけるのだと言う。実力だけならばやはり、この女神は超一級なのである。

「中心部はここで良いとして、後は私がなんとなく場所を指定して行くわ。さあ二人とも、この私にしっかりと付いて来なさい!」

 そして女神はしゃかりきに、大手を振るって屋敷内を練り歩き始めた。なんとなくとは言っていたが、おそらくは感覚的に必要な場所に起点を設置して行くのだろう。所謂、天才肌と言う物である。

 頼もしいんだか不安なんだか、張り切る女神の姿は信用しきれない。片や苦笑、片やにやけた笑みを浮かべつつ、残りの二人はその背中を追いかけた。

 そうして時折騒がしくしつつも、結界の起点は順調に設置されて行く。合計七つの設置が終わると、もう一度中央に戻りいよいよ結界を発動させる。青髪女神の詠唱に魔力が乗って、解き放てばその瞬間には屋敷の周囲を一瞬だけ半円のドームの様な物が覆い包んだ。そして、それも直ぐに見えなくなる。

「ふーっ……、これで良しっと! 屋敷の中の幽霊の女の子には影響はないけど、悪魔やそれに連なるモノは捕らえて動けなくする結界よ。ローの補助のおかけで、思ったよりも上質なのが貼れたわね」

 いい汗掻いたと言わんばかりに額を拭う青髪女神。実際は汗どころか、軽く散歩した程度の範囲しか動き回っていない。それでも彼女は満面の笑顔で誉めて誉めてと全身で語っていた。

 そんな青髪女神の頭に召喚士が手を置いて、ぐしぐしと撫でてやるとへへーんと腰に手を当てて胸を逸らした。

「うんうん、ローは女神様に対する労いって物を良くわかってるじゃないの。デリカシーと配慮の無いカズマと比べたら雲泥の差ね。もっともっと褒めて甘やかしてもいいのよ!」

「ローのしているのは労いと言うより、幼い子供をあやしている様にしか見えないのですが……」

 今までの扱いが余程不服だったのか、魔法使いの少女の呟きは黙殺された。

 そうして騒いでいると、にわかに屋敷の外が騒がしくなる。どうやら屋敷の正面に人が集まっている様だ。一体何事なのだろうと、その場の三人で顔を見合わせる。

「様子を見に行ってみましょう。もしかしたら出かけたカズマが、街で何かしでかしてしまったのかもしれません」

 魔法使いの少女の意見に賛同し、一行はとりあえず玄関まで向かう事になった。

 辿り着いた玄関先では、先に女騎士とメイド娘が来客を迎えており、大柄な体格の労働者達が幾つもの木箱を運び入れている。大の男二人がかりで運び入れるとは、一箱ずつがなかなかの重さの様だ。

 それを指揮する女騎士は何やら複雑そうな表情でいたが、三人に気が付くと笑顔を浮かべて出迎えてくれた。

「お前達も来たのか。すまないな、我が家の者が騒がせてしまった。今運んでいる荷物で最後の筈だから、直ぐに騒ぎも収まるだろう」

「その口振りから察すると、こちらの方々と荷物はダクネスのご実家からですか?」

 知力の高い魔法使いの少女が言葉から情報をくみ取り、女騎士へと確認の為の質問を返す。受ける側の女騎士は表情を引き締め、その質問に答えてくれた。

「ああ、引っ越し祝いとかで送り付けて来たようでな。家の者はもう既に帰してしまったが、私の事を宜しくして欲しいと言っていたぞ。まったく、余計な気を回しおって……」

 口では悪態をついているが、その表情はまんざらでもない。彼女もまた人の子と言う事であろう。たとえ真正のド変態だとしても。

 そんな女騎士を見る魔法使いの少女の顔にもまた、郷愁の色が現れ少し寂しそうになる。尊大な態度を取って見せても、やはり家族が恋しくなることもあるのだろう。

「ねえねえ、ダクネスの実家から送って来たものの中身が気になるんですけど。あんな大きな箱に一体何が詰まっているのかしら! 早速開けてみましょうよ!」

 だが、少女の寂しさを吹き飛ばす様に青髪女神が騒ぎ始める。こんな時だけには、彼女の能天気さがありがたい物である。無邪気にはしゃぐ様子を見て、女騎士と少女の顔に純粋な笑みが戻った。

「まったくアクアはしょうがないですね。あんまりはしゃぎすぎて、引っ繰り返したりしない様に気を付けるのですよ?」

「ふふっ、アクアはそそっかしい所があるからな。荷物はキッチンに運び込ませたから、一度様子を見に行くことにしようか」

「早く早く! もう気になって仕方ないの! ローもそんな所でニヤニヤしてないで、一緒に確認に行くわよ!」

 そんな事を言い合って、赤青黄の三色娘達は台所へと向かって行く。姦しいとはまさにコレだろう。

 作業を終えた労働者達を正門の外まで見送ったメイド娘が玄関の戸を閉めると、それを待っていた召喚士もまた台所へと向かう。

「ムードメーカーは大事だね。少しだけ昔を思い出したよ。三人で旅をしていた頃を……」

 何の話か分からないメイド娘は小首を傾げるが、召喚士はそんなメイドの頭をくしゃくしゃと撫でる。召喚士の表情には郷愁は浮かばず、少しだけ過去を思い出した事が忌々しそうであった。懐かしいはずの思い出が、今はとても苦々しい。そんな複雑な気持ちが現れている。

「ロー! 早く来てー! 早く来てー! 先に開けちゃうわよー!!」

「……ほら、ムードメーカーは大事だ」

 ああも呼ばれては、急がなければ仕方がない。郷愁の念を打ち払い、召喚士はメイド娘と連れ立って駆け出した。

 

 

 辿り着いた台所には四つ程の大きな木箱が並べられていた。通常の家の物よりも広い台所ではあるが、流石にこれだけの荷物があると手狭に感じてしまう。

 何が入っているのだろうかと言う好奇心には勝てずに、青髪女神と魔法使いの少女が早くも箱に張り付いていた。

「なにかしら、なにかしら? 早く開けてみましょうよ、ねえ、ほら!」

「むむ、なんだかひんやりしていますよこの箱。中に氷でも詰まっているのでは無いでしょうか」

 わちゃわちゃとやっている姿は正にお子様。これには召喚士も女騎士も苦笑いである。

 あまりにも二人がはしゃいでいるので、ようやく女騎士が動き始めて木箱の封を剥がし始める。それを見て各々が手分けして箱の封を剥がし始めた。まるでプレゼントの包装紙を破り開けるお子様の様に。

 そして、箱の中に詰まっていた物に、わっとその場が賑やかしくなる。

「こっ、こここここここれはもしや、超高級品と言われる霜降り赤ガニなのでは!? しかも箱にいっぱい! それも三箱分!」

「おお、これは見事な蟹だな。丸々太って食いでがありそうだ。おと――家の者はずいぶん奮発してくれたようだな。これは一度顔を見せに行かねばならんか……」

「見て見て! こっちの箱には、酒屋さんのバイトの時に見かけた超高級なシュワシュワがあったわ! しかもこんなにたくさん、ああ幸せえ……」

 四箱の内三つには、立派な大きさの蟹が手足を縛られて生きたまま入れられており、緩衝材のおがくずの中で泡を吹いていた。そして最後の一つにはやはり緩衝材の藁が敷き詰められて、その中に大瓶の高級酒がこれでもかと詰め込まれている。奮発どころか、これだけで軽く家でも建つのではないかと言う様な品々であった。

 だが、そんな輪から外れてぽつんとしている者が一人。召喚士だけは蟹をじーっと見つめるばかりで、何時もの様な薄笑いすらもしていない。

「見てみなさいよローも! 藁を掘り返したら八瓶も出て来たのよ! ……どうしたのロー? 滅多にお目に掛れない様な高級品ばっかりなのに、どうしてそんなに複雑そうな顔をしているの? お腹痛いの?」

「…………蟹って何? それ……、食べられるの?」 

 珍しく真顔で小首を傾げて見せる召喚士。その隣でメイド娘も首を傾げている。なんとこの二人の知識の中には、蟹と言う食べ物は存在して居なかったのだ。

「えっ、ローは蟹を食べた事が一度も無いのですか? 私も霜降り赤ガニは流石に食べた事はありませんが、川に居た蟹ならわりと良く食べていましたよ」

「そうか、ではこの機会に是非とも賞味してくれ。運ぶ時に魔道具を使って冷やしていたのだろう、鮮度も良いし味は保証するぞ」

 両手に蟹を持ってその味をお勧めしてくる二人に、召喚士はぽりぽりと頬を掻く。今までの食習慣にいきなり新風を迎え入れろとは、なかなか酷な事をおっしゃる娘さん方である。

 そんなこんなで、その日の夕食は蟹尽くしの豪華な物となる事が決定した。

「これだけあるとやはり鍋にするのが一番だろうな。とりあえず蟹は足を落として、野菜もたくさん切っておこうか」

「私も手伝います。甲殻類はまず綺麗に磨いてあげないと、出汁の味に雑味が出るのですよ」

 決まる事が決まれば、後は欲を満たす為に前準備に取り掛かる。こうなれば対応が速いのが、一部分だけ高スペックなこの一味。テキパキと役割分担を決めて、夜の豪勢な食事の為に動き始めた。

「ふふん、今日は特別にこの私もお手伝いしてあげるわ! あれ? ちょっとロー、どうして家の中でフーを呼んでいるの? どうして私の襟首を噛んで持ち上げているの? ちょっ、私今日は本当にお手伝い――」

 とんでもなく張り切って腕まくりし始めた青髪女神は、ちょっと大きめに召喚された巨大狼に連行され退出させられた。速やかな排除にぱちぱちと拍手が起こる。

「よし、ではへーも野菜を切るのを手伝ってくれ。まだ仕留めていない白菜があったはずだから、反撃されない様に気を付けるんだぞ」

「ローには食器の用意を任せても良いですか? 野菜に攻撃されて、一撃で動けなくなっても困りますからね」

 体力が生まれたての子猫並みの召喚士ならば、活きの良い野菜に再起不能にされる可能性は高いだろう。適材適所と言う事で、召喚士もメイド娘もコクリと頷き作業を手伝い始めた。

 がちゃがちゃと騒がしい宴の準備は、何時もの夕餉の時間に合わせて進められて行く。その頃合いになれば、出かけていた最弱職の少年も戻って来るだろう。

 蟹を味わう為に、仲間達は共同で作業に勤しむのであった。

 ちなみに青髪女神は暖炉の前に連行されて、巨大狼にじゃれつかれる内に遊ぶ事に夢中になり、その内遊び疲れて眠ってしまう。夕食の準備が終わるまで、実に平和な時が過ぎて行った。

 

 

 完成した料理を食器の並べられた食堂へと運び、見た目も気にしつつ配膳して行く。邪魔する者も居ないので、料理の数に反して作業は滞りなく進む。酒瓶もしっかりと配膳させて、これにて準備万端。

 後は人が集まるのを待つばかり。そして待機の時間はそう長くは続かない。

「ただまー……。帰ったぞー、ってウワッ! なんだこりゃ!?」

 帰って来て自室で着替えてから食堂に現れた最弱職の少年は、ジャージ姿で挨拶もそこそこに驚きの声を上げた。それは驚くであろう、今彼の目の前には大量の蟹料理が並んでいるのだから。

「あっ、お帰りなさいカズマ! やっと帰って来たわね! ごらんなさい、今日の夕食は蟹よ! 蟹! それからすんごい高級なシュワシュワまで、こんなにたくさん! 早くカズマも座りなさいよ!」

「私の実家から、引っ越し祝いにと送られてきてな。料理も丁度出そろう所だ。先に掛けて待って居てくれ」

 帰って来た少年を先に集まっていた面子が出迎え、料理が待ち切れないのか早く早くと促す。午睡から戻ってきた青髪女神は、もう既に酒瓶を抱えて頬擦りしている程である。

「はわわわわわ……、貧乏な冒険者生活でまさか、最高級の霜降り赤ガニが口に出来る日が来ようとは……。今日ほどこのパーティに入って、嬉しいと思った事はありません」

「なんだよ、そんなに美味しい蟹なのか?」

 魔法使いの少女が両手を頬に当ててうっとりとする姿に、最弱職の少年は興味を惹かれて話しかける。尋ねられた少女は何を言うのかと、オーバーアクション気味に熱弁を振るった。

「当たり前ですよ! この蟹を食べる為に爆裂魔法を我慢しろと言われたら、大喜びで我慢して、食べた後に爆裂魔法をぶっ放します! それ位に高級な蟹なのですよ!!」

「おーそりゃ凄――ん? お前今、最後なんて言った?」

 結局ぶっ放すって言いました。

 台所から人数分のグラスを召喚士が持ってきて、最後にグラグラと煮立った土鍋を女騎士が置く。これにて夕餉の準備が整った。

 余談だが、土鍋や小さめの七輪まで置いてある様子を見て、少年はまるで日本の旅館の夕食みたいだなと心の中でひとりごちる。これもまた異世界に来た日本人が、蟹料理はこうあるべしと伝えた文化なのかもしれない。

「口に合うと良いのだが、皆存分に食べてくれ」

 女騎士の音頭と共に、全員がいただきますの挨拶をするやいなや食事が始まった。

 真っ先に食らいついたのは、食欲旺盛な魔法使いの少女と青髪女神。立派な足をステータスに任せてパキリと折って、するりと取り出したピンク色の肉を酢に浸けてからパクリとやる。二人の顔が幸福に緩まり、うっとりと瞼を閉じて口の中の幸せを堪能していた。

 対面で見ていた少年の喉がごくりと鳴る。そして自分も蟹の足を気合を入れて割り折ると、現れた肉厚の身を一息に貪る。ソイッと折って貪る。ソイッと折って貪る。飽くなき食への衝動はまるで火力発電所だ。

「ウォン! と、止まらん……。これはあかーん!」

「カズマカズマ、これにちょっと火を頂戴。これからこのお酒の、本当に美味しい飲み方を教えてあげるわ!」

 もう両手に蟹を持って、口の中にひたすら蟹肉をほおり込む事に没頭する。そんな少年に、中にある蟹味噌を食べ尽くした甲羅を七輪に乗せた青髪女神が火着けを依頼した。

「ふぉら、『てぃんだー』」

 蟹の美味さの為に心が広くなっていた少年は、蟹を頬張ったままで初級魔法を唱えてやる。炭に火が付き直ぐに網の上の甲羅が炙られて行く。

 そこへすかさず注ぎ込まれる高級酒。クツクツと甲羅の中で酒が泳ぎ、味噌の風味が移った熱燗が出来上がる。

「そろそろね……。ん……、ほふう……」

 熱々の甲羅酒を胃の腑に落とし、青髪女神が満足のため息を吐く。もう既に女を捨てた様なオヤジ臭さではあるが、これは確かに美味いと言わざるを得ない飲み方であった。

 再びごくりと少年の喉が鳴る。ついでに魔法使いの少女と、女騎士までも喉を鳴らして興味を示す。

「お、俺も……! はっ!?」

 イソイソと七輪に同じ様に甲羅を乗せた所で、酒を注ぐ寸前に少年の動きが固まった。まるで、忘れていた大切な事を思い出したかの様に。

「どうした飲まないのか? それでは私が先に……」

 遂には両手を組んで悩み始めた少年の手から酒瓶を取り、女騎士が女神の真似をして甲羅酒を楽しむ。ほぉっと幸せを吐息に乗せて、女神の飲み方に称賛を送る。

「これは美味い! 確かにイケるな!」

「わ、私にもください! 今日くらい良いじゃないですか!」

「駄目だ。子供のころから飲むとパーになると言うぞ」

 遂には魔法使いの少女までお酒を求め出す。だがこれは、女騎士が飲酒はまだ早いと酒瓶を遠ざけてしまった。小柄な体格の少女は、女騎士にとっては幼く見えるのであろう。

「っぷはぁ!! じゃんじゃん飲むわよ! 気分良くなってきたから、初披露の宴会芸行くわ! 指芸で……、機動要塞デストロイヤー!!!」

「おおっ、その動き! 形! まさにデストロイヤーです!」

「あの姿形を指で再現するとは、見事だな!!」

 苦悩する少年を置いて、酒を飲みまくってぱっぱらぱーになった女神が指芸を披露する。わしゃわしゃ動く指の動きに魅了されて、女騎士と少女は思わず立ち上がるほどに大興奮だ。

「くっ……、だからデストロイヤーって何なんだよ……」

「ん……。どうしたカズマ、私の実家からの物は口に合わなかったか……?」

 外野の煩さに更に少年が苦悶し眉根に皺を寄せていると、それを心配した女騎士が悲しげな表情で声を掛けた。今日はもてなす側として、女騎士なりに気を使っているのだろう。

 問われた少年は慌てた様子で首を振る。

「いやあ、今日は昼間にダストとキース達と一緒にしこたま飲んで来てさ。もう飲めそうにないんだ。明日、明日また飲ませてもらうよ」

「そうか……。ならせめて、蟹だけでもたくさん食べてくれ。こっちは気に入ってもらえたみたいだしな」

 少年の弁解を聞きホッとした後に、にこりと微笑みを浮かべる女騎士。今日は何時もの鎧姿ではなくパジャマ姿でもあり、黙っていれば超絶な美人である為に、こうして微笑みを浮かべるだけで少年はドギマギされてしまう。

 その上に、謎の罪悪感で少年の胃がキリキリと刺激されていた。激しい苦悩と葛藤を重ねて、悩みの果てに遂には少年は無心で蟹を貪り始める。鬼気迫るとはまさにコレだ。

「そう言えばローはどうした? ずっと静かだが、蟹は食べても大丈夫だった……か……?」

 蟹初体験の召喚士に視線を向けた女騎士は、そこに異様な光景を見た。

 召喚士は蟹を相手に壮絶な戦いを繰り広げていたのだ。カニの殻を鋏や道具で割り開き、中に詰まった身を皿に取り出す。そこには既に山盛りになった蟹肉が鎮座していた。

 召喚士は無心になって作業を繰り返す。手先の器用さを生かしてひたすらに蟹を解体する。甲羅の中の蟹味噌は、深皿に取ってそちらもたっぷりと盛られていた。

 食べる訳でも無く、只管に、只管に、只管に、指を動かす。

「その……、楽しそうだな?」

「……楽しい」

 本人が楽しそうなので、そっとしておく事にした。

 そんなこんなで食が進むと、がたりと音を立てて少年が席を立つ。たっぷり蟹を食べた彼は、にこやかな笑顔になってごちそうさまを告げた。目だけが笑って居ない、どこか歪な笑顔を浮かべて。

「それじゃあ、ちょっと早いけど俺は寝るとするよ。……お前ら、おやすみ」

 告げるが早いか真顔になり、妙に早足になって少年は食堂を後にした。

 暫し呆然とその背中を見送った一同は、だが直ぐに目の前の蟹と酒に思考を戻す。あの少年が少し不思議な言動をするのは、とりわけ珍しい物ではない。妙な事を知っているのに常識は知らないというのが、このパーティの共通認識なのである。

「ふう、やり切った……」

 一連の流れを気にも留めずに解体作業に勤しんでいた召喚士が、ほぼ全ての蟹を解し終えて満足げに息を吐く。てんこ盛りになった蟹の肉は、魔法使いの少女がガツガツと口に放り込んでいる。相変わらずの食欲だ。

 そして、メイド娘も席に座って相伴に預かっていた。もぐもぐと口を動かして、死んだ魚の様な目のままだがどことなく嬉しそうにしている。

 その足元では、子犬状態の狼が山盛りの蟹肉を貰って、嬉しそうに尻尾をパタパタと振っていた。子犬とは言え体格は大型犬並で、もりもりと良く食べる。

 更にその隣では、首だけ魔法陣から出した大蛇が、蟹肉には目もくれずに蟹の甲羅をごくりと丸呑みに。どうやら甲羅に残った味噌の方が好みの様だ。蓋の開けられた高級酒の一升瓶を口に咥えて、ごくりと器用に飲んですらいる。蛇の癖にやたら渋い好みである。まさにうわばみ。

 すっかり満足した召喚士は、フォークに刺した蟹の足の肉をじーっと眺めながら、グラスに注がれた高級酒をちびちびとやっていた。メイド娘と違って、こちらは食べる勇気がまだ出ない様子だ。

「少し心配だったが、皆楽しんでくれて居る様で良かった。こう言う宴の様な夕食も、たまには良い物だな」

「相変わらず甘い男ねカズマ! この私が明日までお酒を残しておくと思っているのかしら! あ、ちょっと! ヨーにそんなに飲ませたら、私の分が無くなっちゃうでしょ!」

「もくもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ」

「ん……、はむ。……あ、これ悪くないな」

 騒がしいままに蟹の甲羅酒を楽しむ青髪女神。無言のままひたすら蟹肉を両手で口に突っ込む魔法使いの少女。恐る恐る口に蟹を入れて、初めての味を気に入る召喚士。

 賑やかしい食卓に憧れでも持って居たのか、女騎士はまた口角を上げて微笑んだ。用意した料理と酒が尽きるまで、がやがやと続くのであった。

 

 

 食器を全て洗い終え、残った酒を持って暖炉のある居間へと移る。流石に騒がしい宴会と言う訳でもなく、豪勢な食事の後の充足感に浸って一同は寛いでいた。召喚獣達は、巨大子犬以外は既に送還されて姿は無い。

「ふぅ……、良い酒だ。ここまで良い物には、氷や水を入れるのは無粋だな」

「ミードも良いけど、これも嫌いじゃないね。カズマにも、一本だけ残しておこうよ」

「くはー……。こんなに高級な物をお腹一杯に食べられるなんて、なんと言う幸せぇ……」

 歓談と共に酒を燻らせるのは如何にも大人の時間といった風情だが、今だけは魔法使いの少女は満腹で騒ぐ事も無い。むしろ食べすぎたのか幸せそうに絨毯の上に寝ころび、同じくたっぷり食べて寛ぐ巨大子犬を枕にして食休みしている。

「ん……。私はそろそろ湯あみに行って来る。めぐみんもアクアも、ここで寝ない様に気を付けろよ。ロー、すまないが見張っててやってくれ」

 女騎士と召喚士は暫し他愛も無い話を肴に晩酌と洒落ていたが、召喚士に後を任せて風呂場に向かって行った。

 寝るなとは言ったが、青髪女神は酒瓶を抱えてソファーで横になり既にまどろみ掛けである。魔法使いの少女も満腹感と子犬のモフモフにより、うつらうつらと既に意識は半分夢の中であろう。

「…………見張れとは言われたけど、具体的に対処しろとは言われてないよね」

 召喚士は酒を舐める作業に戻った。女の子二人をベッドに運ぶなんて体力が持たない。なにより、それをすべきなのは、今はここには居ない少年であるべきだろう。

 決して面倒臭い訳ではない。決して、面倒くさい訳では、ない。

 とりあえず、そうと心に決めたのならば、今はただ良い酒を楽しもう。再びグラスに口を着けて、香り高い液体を喉へと流し込み――

「ん? 何か引っかかったかな?」

 そんな事を呟いて、ふと天井を見上げる。

 それと同時にすかーっと寝息を立てていた青髪女神がカッと目を見開き、横たわっていたソファーから跳ね起きた。勢いに任せて抱えていた酒瓶を投げ捨てようとして、それが高級品なのを思い出してそっとソファーの上に寝かせる。

 そして、キッと虚空を睨み付けると、屋敷中に響き渡る様な声量で高らかに宣言した。

「皆、この屋敷に曲者よ! 出会え、出会えーい!!」

 その凄まじい声量に、微睡んでいた魔法使いの少女と子犬が跳ね起きる。青髪女神はそんな事には目もくれずに、本能のままに突き進みリビングを飛び出して行った。

 暫し、ぽかーんとして思考が停止する残された面子達。少女は子犬と視線を合わせてから、優雅に酒杯を傾ける召喚士にも視線を送る。

「えっと、アクアが今言っていたのは……」

「今日仕掛けた結界に、何か引っかかった感覚があったから、本当に曲者が居るんじゃないかな」

 そりゃあいかんじゃないかと、少女と子犬が連れ立って女神の後を追う。召喚士はしっかりグラスを飲み干してから、悠々とその後を追いかけるのであった。

 

 

 追いついてみれば、状況は実にシンプルである。曲者らしき人物を取り囲む二人と一匹。そして、力無く床に伏している曲者が一人。

 その曲者は、一見すれば少々扇情的な衣装の少女にしか見えない。短い銀髪に赤い瞳の端麗な容姿をしていた。されど、見た目は幼い容姿をしているが、邪悪なる者を拒む結界に反応したのであれば妖魔の類で間違いない。侵入者の銀髪から飛び出す一対の蝙蝠の羽は、おそらく髪飾りなどではない種族の特徴なのだろう。

 そんな者がどうやって侵入したのかと思えば、妖魔には翼を持つ物が少なくは無い。今いる場所は幾つも窓の並んだ二階の廊下なので、文字通り空を飛んで侵入したのだろう。まさか入って直ぐに、結界に捕縛されるとは思って居なかったのだろうが。

「ふっふっふっ、どうしてくれようかしら。ねえどうしてくれようかしら、この不届きな侵入者は!」

「その格好と結界に反応した状況を見るに、どうやらサキュバスの様ですね。大方、カズマの精気を狙って侵入したのでしょう。上級悪魔は何度か目にしましたが、流石にここまで扇情的な格好はしていませんでしたから」

 握った拳をボキボキと鳴らしつつ、とても女神とは思えない表情をしている青髪女神。その隣では魔法使いの少女が、冷静に相手の素性を推測している。

「ええ、この曲者は間違い無くサキュバスね。この女神様の神聖な領域に、土足で踏み込んで来るとは不届き千万! 全員揃ったら、この私の神聖魔法で魂まで消滅させてくれるわ!」

 もう青髪女神が魔王みたいな事を言い始めた。聞かされる曲者は大き目な瞳に涙を溜め、ガタガタと恐怖で震えているのでどちらが悪魔なのか分かった物ではない。

 召喚士はとりあえず、子犬の背に腰かけて状況を見守る事にした。なぜなら、こちらに近づいて来る足音を耳にしたから。見守った方が絶対に面白い事になるに違いない。

「おい、アクアー! アクアはどこだー!」

 廊下の端から現れて声を上げたのは、何故か全裸で腰にタオルを巻いただけの姿の最弱職の少年。それを視界に収めたので、召喚士は思わずぶふっと吹き出してしまった。

「あ、カズマ来たわね。ここに私の結界で身動き取れなくなった曲者が……。ここにも曲者が居た!?」

「だ、誰が曲者だ! ……あれ、何でサキュバスの子がそんな所に……?」

 喜々として己の活躍を報告しようとした自称女神であったが、少年のタオル一丁の姿にドン引きして言葉を止める。男性の裸を見てしまった魔法使いの少女など、両手で顔を覆って真っ赤になってしまった。普段の漢らしい言動とは裏腹に、意外と純情な所もある様だ。

 召喚士はしげしげと少年の体を眺めて感心していた。普段の軟弱そうなイメージとは異なり、それなりに筋肉が付いた体つきをしている。メイド娘が召喚されていれば、実に掛け算が進んだ事であろう。

「実はこの屋敷には結界が貼ってあってね? 反応があって見に来たら、このサキュバスが身動き取れなくなっていたの。きっとカズマの精気を狙って現れたのよ! サクッと悪魔祓いしてあげるから、もう大丈夫だからね!」

「我等が前に現れたのが運の尽き。さあ、大人しく滅されるがいい!」

 気を取り直した青髪女神が状況を説明する。ここぞとばかりに、少年に自身の有用性を売り込む事も忘れていない。それに便乗して、魔法使いの少女もかっこいい台詞とポーズを披露していた。言われたサキュバスの子は、ヒッと息を飲んで慄いている。

 一連のやり取りを聞いていた少年は顔を俯かせて、何やら決意した様に歩み出す。その顔は何時に無く真剣で、纏わせる雰囲気が歴戦の勇士もかくやと精悍な物へと変わっている。

「観念するのね。今とびきり強力な対悪魔用の――えっ?」

 そして最弱職の少年は、両手を広げて女神達とサキュバスの子の間に立ち塞がった。まるでサキュバスを守る様に、その背後に庇いながら。

「なっ、なにやってんの!? そいつはあんたの精気を狙って現れたのよ!」

「正気ですか、カズマ?」

 少年は応えない。ただ、背後に庇うサキュバスに向けて、何やら小さく呟くのみ。それに対してサキュバスも涙をぬぐいながら微笑みかけるが、それでも少年は首を振って庇うのを止めはしない。

 そのやり取りが、女性陣の癇に障った。

「どういうつもり? 仮にも女神な私としては、その悪魔を見逃す訳にはいかないわよ。カズマ、袋叩きにされたくなければ、さっさとそこをどきなさいよ……」

「いくら可愛い姿をしていると言っても、その子は悪魔、モンスターなのですよ? 何とち狂ったんですか?」

 凶悪な面構えで脅しかける女神に、呆れつつも見下す様に突き放す少女。それでも少年は退きはしない。男には、退けない時があるのだとばかりに。

「っ……、今のカズマはそのサキュバスに魅了され、操られている! 先程からカズマの様子がおかしかったのだ! 夢がどうとか設定がこうとか口走っていたから間違いない! おのれサキュバス……、あんな辱めを……。ぶっ殺してやるっ!!」

 その膠着した状況を、駆け寄って来た女騎士が加速させた。何やら大変ご立腹して居る様で、叫ぶ声が後半裏返ってる程だ。

「どうやら、あんたとは一度決着を付けねばならない様ね。良いわ、掛かってらっしゃい! あんたをけちょんけちょんにしてから、そのサキュバスに引導を渡してやるわ!」

 赤青黄色の女性陣と、タオル一丁の少年が対峙し互いに構えを取る。その様は、か弱き乙女を護るタオル一丁の勇者と、凶悪な顔の三人の悪党だ。召喚士の笑いの耐久も天元突破で、子犬の上で蹲り腹筋にダメージが入る。

「ふー…………、行くぜ……」

 少年が呟き、体を小刻みに跳ねさせ始めた。ファイティングスタイルからのフットワークでリズムを刻む。三対一という絶望的な状況でも、彼の決意は不退転。裏切っては成らない物の為に、最弱職の少年は戦うのだ。

「掛かってこいやーーーー!! シャオオオオオオオオッ!!」

 女性陣に果敢にも飛び掛かり、少年は気勢を上げる。奇声も上げる。

 全員の注意がサキュバスから反れた所で、蹲りながら笑う召喚士がパチンと指を鳴らす。その瞬間、サキュバスを拘束していた結界が輝きを弱めフッと消失した。

 一瞬呆然としたサキュバスの子であったが、次の瞬間には窓を突き破って逃走を図る。そして、背中から翼を生やして飛び去って行った。あどけない容姿とは裏腹の、的確な行動力である。

 後に残されたのは、無残にもボッコボコにやられた少年だけであった。容赦など欠片も無い、顔面も体もベコベコになる程に攻められている。呻き声すら出せない徹底ぶりだ。

「サキュバスには逃げられましたね」

「塩撒いておくわ」

 少年を捨て置いてサキュバスの逃げ出した窓に集まった女性達は、その実あまり悔しそうではなかった。少年を袋叩きに出来たので、案外すっきりしてしまったのかもしれない。

 何処から取り出したのか清めの塩を窓の外に振りまいて、その夜の騒動は終息したのであった。

 

 

 翌日。召喚士はぼんやりと窓から屋敷の庭を見下ろしていた。

 視線の先には箒でお墓の周辺を掃く最弱職の少年と、その後ろで恨めし気に少年を睨み付ける私服姿の女騎士の姿がある。どうも二人は昨日の夜に何某かのいさかいがあったらしく、今もああして女騎士の無言の抗議が続いて居るのだ。起きてからかれこれ数時間はあのままなので、少年にはさぞうっとおしかろう。

「まったく、昨日はすっごい気分良くお酒が飲めていたのに、あのサキュバスのせいで台無しだったわ。今夜はしっかりと飲み直さないといけないわね」

「アクアたちばっかり、ズルいですよ。今度は私にも少しくらい分けてください。私だってお酒を楽しんでみたいのです」

 リビングの中では相変わらず、今日も仲間達が騒がしくしている。沢山のイベントがあり、たくさんの笑いを提供してくれる今の生活。召喚士は、口には出さないがこの生活がとても気に入っていた。

「何時までも、こんな生活が続けばいいのにね……」

 そのつぶやきは誰にも聞かれる事は無く、そして――叶う事も無い。

 視界の中でやっと和解して、何時もの様に女騎士が少年にからかわれる様子を見ていた所で、街中に轟く轟音でギルドの放送が流れ始めた。

「『デストロイヤー警報! デストロイヤー警報! 機動要塞デストロイヤーが、現在この街に接近中です! 冒険者の皆様は、装備を整えて冒険者ギルドへ! そして、街の住民の皆様は、直ちに避難してくださーいっ!!』」

 それは平穏を終わらせる警告。次のイベントへの招待状だ。拒否権の無いその招待に、召喚士は溜息を吐いて立ち上がる。面倒ではあるが、起きてしまったものは仕方がない。

 警報を聞いて、仲間達が慌てて自分の部屋に戻って行った。おそらくはデストロイヤーに対処する為に、荷造りを始めるのであろう。それがこの世界の常識なのだから。

 召喚士の大好きな少年は、この状況にどんな反応を示すのだろうか。常識を知らない彼ならば、どんな答えを出すのであろうか。それを確認する為に、動かなければならない。

「まあ、答えなんてわかり切っているんだけどね」

 それは信頼なのか、確信なのか。そこまでは召喚士は語らなかった。

 

 




すみません、一章ごとの投稿にしたかったのですが第二章はもう一話続きます。
残りは完成したらの投稿となります。


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第十一話 前編

第二章最終話の予定でしたが、長くなったので前後編に分けました。
去年の内に完成させようと思っていたのにそれも叶わず。
大体、地球の平和を守っていたせいです。


「『デストロイヤー警報! デストロイヤー警報! 機動要塞デストロイヤーが、現在この街に接近中です! 冒険者の皆様は、装備を整えて冒険者ギルドへ! そして、街の住民の皆様は、直ちに避難してくださーいっ!!』」

 街中に響き渡った冒険者ギルドからの放送は、平穏だった日常を一撃で粉砕してくれた。その事を今一番痛感しているのは、平穏の街しか知らない最弱職の少年であろう。

「逃げるのよ! 遠くへ逃げるの!」

「住処も何もかも失うというのなら、いっそ魔王の城にカチコミでも掛けてやりましょうか」

 リアカーに手当たり次第に家財を乗せた青髪女神がそれを引きながら、殆ど恐慌した状態で少年に逃亡を訴えかける。屋敷の玄関から現れた魔法使いの少女も、風呂敷に包んだ荷物を背負って何やら物騒な事を言っていた。

 仲間達の見た事も無い様な狼狽振りに、最弱職の少年は戸惑うばかりである。

「どうしたんだよお前ら、放送は聞いてたんだろう? さっさと準備してギルドに行こうぜ」

「カズマったら一体何を言ってるの? まさかあんた、機動要塞デストロイヤーと戦うつもりなの?」

 またもや飛びだして来たデストロイヤーと言う単語。最近よく耳にするそれに少年は眉根を寄せる。一体全体、機動要塞デストロイヤーとは何者なのか。この世界の常識を知らない少年には、未だその存在は未知の物である。

「機動要塞デストロイヤーとは、それが通った後にはアクシズ教徒以外、草も残らないと言われる最悪の大物賞金首の事です。はっきり言って、これと戦うとか無謀も良い所ですよ」

「ねえ、どうして私の可愛い信者達がそんな風に言われているの? この間ウィズにも言われたんだけど、あの子達はみんな普通の良い子達なのよ? 何でそんなに怯えられてるの!?」

 この少年が世情に疎い事は周知の事なので、見かねた魔法使いの少女がこの街に迫る危機について簡潔に説明してくれた。悪名高いアクシズ教徒以外の全てを蹂躙すると言われれば、大抵の者は納得するしかない事実である。

 しかし、アクシズ教徒の恐怖をまだ知りえぬ少年には、いまいちピンと来ない例えであった。今の説明でどうして街を捨てて逃げ出す事になるのか、納得が行かないと言う表情をしている。

 青髪女神も納得いかないと喚いていたが、こちらは誰にも相手にされずに黙殺された。

「その大物賞金首は、めぐみんの爆裂魔法でもどうにもならない相手なのか?」

「無理ですね。デストロイヤーには強力な魔法結界が備わっています。いかに最強の爆裂魔法と言えど、一発だけではどうしようもありません」

 負けん気の強い少女のあっさりとした敗北宣言に、いよいよ少年も事態の深刻さが理解できて来た。少年が知る限りでは正に最強と言う名にふさわしい威力の爆裂魔法を凌ぐとは、何者だと言うのかまだ見ぬデストロイヤー。

「ねえ聞いて! 私の信者達が悪く言われているのは、心無いエリス教徒の陰謀だと思うの! エリスって実はけっこうやんちゃな所もあって、悪魔相手だと私より容赦がなかったりするし。皆誤解してるけど、あの子達は全員良い子達なのよ!」

「アクア……。女神を自称するならまだしも、エリス様の悪評を広めるのは感心しませんよ。ダクネスは間違いなく怒るでしょうし、なによりバチが当たりますよ?」

「自称じゃないわよ! お願い信じてよー!」

 ここまで説得された少年だったが、今の所まったく退くつもりは無かった。半泣きになった自称女神が、ガクンガクン少女を揺さぶって喚くが知った事ではない。最弱職の少年にはせっかく手に入れた屋敷も、馴染み始めた街の商店も投げだして逃げるなど、とてもでは無いが受け入れ難いものだったのだ。

 何よりも、この街で少年はとても大切な物を見つけてしまった。それを守る為には、たかが大物賞金首程度で逃げ出してなど居られない。少年は魔王軍の幹部すら退けたのだ、怖い物などあんまりない。

「ん? そう言えばダクネスはどうしたんだ? 俺より先に屋敷に戻って行った筈なんだが」

「ダクネスなら、自分の部屋に駆けこんで行きました。流石のダクネスでも、デストロイヤー相手には立ち向かう事も無いと思いますから、荷造りをしているのではないかと」

 迎撃賛成派の最弱職の少年は、仲間達の体たらくに露骨に顔をしかめた。この薄情者共には、長い間世話になった街や屋敷への愛着と言う物は無いのだろうかと。街には数か月、屋敷は一日しか過ごしていないが、この際そんな事はどうでも良い。

「まったく、どいつもこいつも! お前らがそんななら、俺一人でもギルドに行くからな!」

「まあ待て、カズマ。ギルドに行くならば私達も一緒に行こう」

 もう我慢ならんと少年がいきり立ち、仲間を置いてでも一人ギルドに向かおうとした時、その背後から声を掛ける者が居た。振り返ればそこには、何時もよりも重装備な女騎士といつも通りのローブ姿の召喚士が並び立つ。

「はい、カズマはこれがあれば特に用意も要らないよね」

「おっ、サンキュー。って、俺の部屋に入ったのかよ!?」

 女騎士の方は何時もの全身鎧に帷子の編み込まれたマントを羽織り、更に左手の籠手に脱着式の盾まで付けての完全迎撃の姿である。召喚士は恰好こそ何時もと変わりないが、少年に向けて彼の装備であるショートソードを投げて寄越した。こちらもまた、迎撃に行くのにやぶさかではない様子である。

「ったく……。まあ、非常事態だからしょうがないか。よし、お前らギルドに行くぞ! この街と屋敷とあのお店は、俺達で守り抜くんだ!」

「ねえカズマ、どうして今日はそんなに燃えているの? なんか、目の奥がキラキラしてるんですけど」

「……あのお店……?」

 やたら張り切っている少年にドン引きする女神と、少年の発言に疑問を浮かべる少女達だったが、最終的にはギルド行きに賛同してくれた。魔法使いの少女は元々面倒見が良い事もあり、仲間達が決意を決めているならば付き合ってくれる度量を持ち合せている。

 青髪女神は最後まで渋っていたが、一人だけでと言う辺りが仲間外れにされているみたいだったので折れた。自称女神様は、淋しいのには耐えられないのである。

「ま、こうなるよね……。ふふっ、ふふふふふ……」

 分かり切っていた答えを確認できた召喚士は、いつも通りニヤニヤと頬を緩ませるばかり。期待通りの反応が見れたので、もう今にも軽やかに踊り出しそうな程である。面倒だから踊りませんが。

 そうして、半分は無理矢理用意をさせられた者達と一緒に、パーティの一同は連れ立って冒険者ギルドへと向かって行った。機動要塞デストロイヤー、その討伐に赴く為に。

 

 

 おっとり刀で駆け付けた冒険者ギルドには、既に大量の冒険者が集まり物凄いざわめきと熱気に包まれていた。女神も裸足で逃げ出す様な大物賞金首が迫っていると言うのに、ほぼ全ての冒険者が集まっているのではないだろうか。それ程の人だかりと、そして熱意を感じる。

「おう、やっぱり来たな。お前は来ると思ってたぜ、カズマ!」

 そう言って、入り口でやや気圧されていた最弱職の少年に声を掛けて来たのは、いつぞやのくすんだ金髪をしたチンピラ戦士であった。あのパーティ交換以来、何かと少年と吊るんで意気投合したらしい。今ではすっかりと悪友の様な間柄になっている。

 チンピラ戦士の傍には彼のパーティメンバー達もそろっており、彼等もまたアクセルの街を守る為に重武装をしている。無論彼等だけではなく、今この場に居る冒険者達は誰もが何時も見ない様な重武装で参じていた。誰もかれもが立ち向かうためにここに居る。これだけの者達が逃げ出さずに、この場にとどまっているのだ。

 何だか男性冒険者の比率が多い様な気がするが、きっと気のせいだろう。

 そして、見知った顔の中に魔剣の勇者を見つけた最弱職の少年は露骨に顔をしかめた。向こうはまだこちらに気が付いていない様だが、なるべくなら関わり合いにはなりたくない相手である。少年はあまり目立たない様にしようと心に決めた。

「お集りの皆さん! 本日は、緊急の呼び出しに応えて下さり大変ありがとうございます! 只今より、対機動要塞デストロイヤー討伐の、緊急クエストを行います」

 ある程度人が集まったのを見計らい、冒険者ギルドの受付員である例の金髪巨乳が声を上げる。その声には緊迫が滲み出ており、職員ですらも機動要塞の脅威に平静ではいられないらしい。

 続いて職員達は総出でギルド内の酒場部分の机を寄せ集め、即席の会議場を作り上げ冒険者達を座らせた。クエストを開始する前に、作戦会議を執り行うらしい。

 テーブルに座るとお互いの顔が良く見える様になり、最弱職の少年は魔剣の勇者に見つけられてしまった。鎧姿の青年はじっと、暇を持て余してコップの水で遊んでいる青髪女神を見つめている。話しかけて来る事は無いが、何とも熱烈な思いを視線に乗せているご様子だ。

 そしてその視線がついと動いてすぐ傍の召喚士を捕らえると、一瞬複雑そうな表情を浮かべたがぺこりと会釈して見せた。召喚士も気が付いてひらひらと手を振ると、何故だか取り巻きの少女二人が怯えて鎧の青年に抱き付く。少年には良く分からないが、召喚士が居れば彼等はこちらには近づいて来ないだろうと理解した。

 そんな事を気にして居たら、いつの間にか対策会議は始まっていた。

「ではまず、この中にデストロイヤーについて、改めて説明の必要な方はいらっしゃいますか? ……若干名いらっしゃるようですね。では簡潔に説明させていただきます」

 ギルドの金髪受付はまず、デストロイヤー自体の説明をしてくれる。最弱職の少年も手を上げた内の一人なので、前々から気になっていた事もあり身を入れて聞く事にした。

 機動要塞デストロイヤー。それは、古代の技術大国が生み出した対魔王軍用の兵器である。その容姿は蜘蛛の様な形をしており、小さな城ほどの大きさを持った超特大のゴーレム。それが、当時の開発責任者により奪われ暴走してしまった成れの果てが、かの大物賞金首なのだと言う。

 常時発動している強力な魔法結界によってあらゆる魔法攻撃を無効化し、見た目よりも軽い重量なので馬よりも早く駆ける事が出来る。接近戦など挑もうモノならば、人も魔物も区別なくミンチにされてしまうそうだ。

 遠距離戦では投石機などでは早すぎて当てる事が出来ず、弓矢など焼け石に水程度にも役に立たない。空から攻めようとすれば自立起動した戦闘用ゴーレムに小型バリスタで撃ち落とされ、仮に乗り込んだとしてもその戦闘用ゴーレムに囲まれてしまう。

 あらゆる悪路を八本の足で走破して、もう既に大陸のほとんどの土地を蹂躙している。その存在は既に災害として扱われており、一度狙われた街は踏み荒らされてから再建するしかないとまで言われていた。

 並べれば並べる程に、その理不尽さがありありと伝わって来る。肝心かなめの魔王の城には、貼ってある結界で手出しが出来ずにいると言うのだから目も当てられない。

 この兵器は、一体全体何の為に生まれたのだろうか。

「現在、機動要塞デストロイヤーは、この街の北西方向からこちらに真っ直ぐ進行中です。……では、ご意見をどうぞ!」

 受付嬢は最後にそう締めくくり、冒険者達に意見を求めた。だが、初めの内に騒めいていた冒険者達は、今やしんと静まり返って黙り込んでいる。それはそうだろう、散々理不尽な存在であると言うのを認識させられたのだから。

 最弱職の少年もまた、攻略法が思い浮かばず無理ゲー等と呟いている。

 その後も散発的にぽつぽつと意見が出たが、生みの親の技術大国に対応させようとしても真っ先に滅ぼされていたり、巨大な落とし穴に嵌めようとしてもジャンプで脱出されたりと、上がる意見は既に失敗してしまった物ばかりだ。

 結局、あーでもないこーでもないと会議は難航して行く。たまに出る冒険者からの作戦も、ギルドの職員達が過去の例を出して否定してしまう。にっちもさっちもいかない状況だ。

 素早く動き、魔法を弾き、罠をも凌ぎ、空から来るものを撃墜する。こんな無敵の兵器をどう攻略しろと言うのか、冒険者達にも職員達にも諦めの雰囲気が満ち満ちていた。

 早々に会議に飽きた青髪女神はグラスのコップで色紙にお絵かきを始め、会議の途中で飽きた召喚士はその完成した絵に砂を掛けている。やたら手先が器用なコンビで、二人して一体何をしているのだろうか。

「なあ、カズマ。お前なら何か良い案を思いつくんじゃないか?」

 最弱職の少年と仲の良い、チンピラ戦士の仲間の聖騎士の男がそんな風に声を掛けて来る。彼も答えの出ない会議に飽きたのか、突飛であるが効果のある少年の作戦に縋りたくなったのだろう。

「テイラー、そんなこと言ったってなあ。めぐみんの爆裂魔法が結界のせいで効かないんじゃ……――ん?」

 聖騎士の問いかけに答える少年ではあるが、流石に今回は相手が悪い。そう答えようとして、ふと自分の言葉に引っ掛かりを覚えた。

「なあアクア、お前って魔王の城の結界でも、幹部の数が減って居れば破れるってウィズに言われてたよな。もしかしてお前なら、デストロイヤーの結界も破れるんじゃないか?」

 そう、少年はかつて魔道具店の店主にスキルを教わりに行った際に、その店主から様々な秘密を打ち明けられていた。魔王城に張られた結界は幹部が維持を担っており、尚且つ魔道具店の店主もなんちゃって幹部であると。そして、幹部が二人か三人まで減ってしまえば、青髪女神の力で強引に破る事も可能であるとも。

 つまり、このなんちゃって特典のなんちゃって女神の力でならば、デストロイヤーの魔力結界も解除してしまえるのではないかと思いついたのだ。

「ああ、そんなこと言ってたわね。でも破れるかどうかは、実際にやってみないと分かんないわよ?」

「うわっ、なんだその絵、すげえ上手いじゃねぇか! 後でもらおーっと……」

 少年の興味は結界の破壊よりも、青髪女神が作り上げた水絵に移行していた。女神自体は気軽に描いている様だが、その出来栄えは芸術作品もかくやと言った腕前である。それを保存しようと工作している召喚士の指先も器用なので、思わず部屋に飾りたくなる様な出来栄えの作品に仕上がっているのだ。

「破れるんですか!? デストロイヤーの結界を!?」

 最弱職の少年が青髪女神と戯れていると、話を聞きつけた例の金髪巨乳の受付嬢が騒ぎ始めた。確約は出来ないと伝えても、可能性があるなら試してほしいと懇願されてしまう。最早、藁にも縋る思いなのであろう。

「これで結界は何とかなるとして……、後は撃退できる火力があれば……」

 結界は排除できると仮定して、会議の内容は如何にして機動要塞を攻撃するかと言う話に推移する。駆け出しばかりの集まるこの街の冒険者の魔法では、火力不足であるとギルド職員達は悩んでいる様だ。

 だが、そんな悩みはとある冒険者が漏らした呟きでかき消された。

「火力持ちなら居るじゃないか。頭のおかしいのが」

 その言葉を皮切りに、冒険者達も職員達もざわめきを取り戻す。皆が口々に、爆裂狂が居たとか、頭がおかしい子がとか囁いていた。アクセルの街中に知らぬものは無いという程の爆裂狂。一日一回聞こえてくる爆音は、もはやこの街の風物詩と言っても過言では無いだろう。

「おい、その頭のおかしいのと言う呼び方は止めてもらおうか。さもなければ今ここで、いかに私の頭がおかしいのか知らしめる事になる」

 言われた当の本人がその特徴的な瞳を赤く輝かせて言うと、ギルド内は再び水を打ったかの様に静まり返った。全ては以前現れた魔王軍幹部の首無し騎士が悪いのだ。あの語呂の良さは確かに癖になる。

「で、実際の所どうなんだ? 結界の無いデストロイヤーなら、爆裂魔法で破壊できそうなのか?」

「うう……、いかに我が最強の爆裂魔法と言えど、あの大きさだと一発では仕留めきれないと……思われ……」

 埒が明かないので最弱職の少年が率直に尋ねると、魔法使いの少女は狼狽しながら答えてくれた。やはり自身が誇る爆裂魔法で仕留めきれない物が在ると認めるのは、彼女にとって耐え難い物なのであろう。別に、注目を集めて照れているなんて事は無いと思われる。

 今一手、攻撃手段が足りていない。この状況を打破するには、もう一人強力な魔法使いが居なければ話にならない。

「そう言えば、ローの召喚魔法はどうなんだ? 確か城壁みたいにデカい蛇を呼びだした事があったよな。あいつで直接デストロイヤーに攻撃とか出来れば、かなり楽になると思うんだが」

「最大召喚を維持して攻撃すれば、たぶんどの子でも単独でも何とかなると思うけど。その頃には、僕は魔力が枯渇してミイラみたいになって死んでいるだろうね」

 駄目じゃん。少年は言葉ではなく、表情でそう応えていた。

 さもありなん、人死にが出る様な作戦を、この少年が許容するとは思えない。少年自身は苦虫を噛み潰した様な渋面になったが、召喚士は目を細めてなんだかホッコリしている。

 結局問題は解決せずに、会議の場を沈黙が支配してしまった。

「遅くなりました! ウィズ魔道具店の店主です。私も一応冒険者の資格を持って居るので、遅ればせながらお手伝いに参りました」

 このまま無策で飛び込むのかと、その場の誰もが沈痛な面持ちで俯いて居た時、ギルドの扉を跳ね開けて一人の人物が飛び込んで来る。同時に発せられた声に、その場の全員の視線がその人物へと集まった。

「店主さんだ! 店主さんが来てくれたぞ!」

「元凄腕アークウィザードの貧乏店主さんだ!」

「店主さん、いつもあの店の夢でお世話になってます!」

「来た! 店主さん来た! これで勝る!」

 今さっき慌てて飛び出てきましたと言わんばかりの、黒のローブの上にエプロンをつけた服装。全力で走ってきた為に息切れをしてしまい、緩くウェーブの掛かった亜麻色の髪と豊満な胸を揺らしている。彼女こそ、知る人ぞ知るアクセルの街の貧乏店主。売れない魔道具店を営む、なんちゃって魔王軍幹部の瑞々しいリッチーである。

 その美しくも優し気な容姿の為か、はたまたかつての名声の為か、この場に居る冒険者達からも職員達からも歓声が上がっていた。

「なんだ、皆ウィズの事知ってるのか? えらい人気みたいだけど、そんなに有名人だったのか。って言うか、可哀想だから貧乏店主は止めてやれよ。あの店って、そんなに儲かって無かったのか?」

 世情に疎い最弱職の少年は、どうして魔道具店の店主が人気者なのかを知らない。貧乏店主と呼ばれる理由も含めて、その疑問をすぐ傍の聖騎士の男に訊ねていた。

「知らないのか? ウィズさんは、元は高名な魔法使いだったんだ。」

 聖騎士の男が言うには、あの魔道具店は駆け出しの街に似つかわしくない高級品ばかりが並び、この街の住人では手が出ないのだと言う。しかし店主があの美貌の持ち主なので、冷やかしに行く冒険者はとても沢山居るのだとか。

 そして、かつては王都にすらその名声が轟く程の凄腕パーティの一員で、一時期行方不明になっていたのが突如この街に現れたのだと説明してくれた。

 彼女がリッチーである事は、冒険者達はもちろん街の人達は全く知らないのであろう。魔王軍幹部である事も、何をいわんやである。それでもその美貌と強さに、人々の信頼を集めている。知らぬが仏とはこの事か。

「覗きに行くぐらいなら何か買ってやれよ……。今度行ったときにでも、なんか買ってやるか」

 最弱職の少年が呟いている視線の先では、歓迎を受けた魔道具店の店主がぺこぺこと頭を下げている。ついでにちゃっかり店の宣伝をしている辺り、売り上げが相当厳しいのかもしれない。

「ウィズ魔道具店の店主さん、お久しぶりです! ギルド職員一同、歓迎いたします! それでは、店主さんはこちらへ。店主さんの為に、一度会議の内容を纏めますね」

 ギルド職員にまで歓待されて目立つ席に案内され、店主が着席すると今までの話し合いの経過を説明し始めた。

 青髪女神が魔法結界を解除し、頭のおかしいのが爆裂魔法を放つ。決まったと言ってもこの程度だが、それを聞いた店主はふむふむと感慨深く頷いている。

「……爆裂魔法は、足を狙って放つのが効果的でしょうね。私も爆裂魔法は使えますから、左右の足を四本ずつ担当して破壊しましょう」

 流石は元凄腕の現不死王。爆裂魔法まで扱う事が出来るとは、その実力の程が窺えると言う物である。少年が感心してうんうんと頷く横で、魔法使いの少女は人知れずぎゅっと杖を胸元に抱きよせていた。

 魔道具店の店主の案を取り入れて、いよいよ本格的な作戦が組み上げられる。最悪の場合を考えて、街の前に気休めのバリケードなどを設置する案や、召喚士が以前洪水を受け止めた時の様に巨大な蛇で時間稼ぎをする案などが提案された。無論、するのは時間稼ぎだけで、命を懸ける様な真似は禁止だと、少年に小声で釘を刺されている。

 そして、最終的な作戦がギルドの受付嬢によって発表された。

「結界解除後に、爆裂魔法で足を破壊。それで止まらない時は、召喚獣によっての足止めを行い、ハンマーを装備した冒険者一同で残った脚部を破壊する。万が一を考え内部に突入する事も想定し、アーチャーの方々はフック付きの矢を配備しますので装備を。身軽な軽装の方々は、内部に突入する準備を整えておいてください!」

 練りに練った作戦だが、結局は突出した実力者任せの強引な殴り合い。出たとこ勝負と言う物である。そもそもが、駆け出しの街の冒険者には手に余る大物賞金首なのだから、一般の冒険者に期待ができないのは仕方の無い事ではあるが。

 泣いても笑っても、機動要塞に対する策謀は出尽くした。後は実行に移し、撃滅せしめるだけだ。

「それでは! 機動要塞デストロイヤー討伐クエスト、開始です! 皆さん、よろしくお願いしまーすっ!!」

 最後に金髪受付嬢が始まりの宣言を告げて、ギルドの冒険者達が声を張り上げる。こうして、一度たりとも為された事がない、大討伐クエストは始まるのであった。

 

 

 機動要塞を待ち受ける決戦場に選ばれたのは、アクセルの街の正門前に位置する広大な草原。その正門前では殆ど気休めの為のバリケードを、どこかで見た事のある建設会社の人々があくせくと築き上げている。

 その他にも罠設置のスキルを持つ者達が無駄と知りつつ罠を設置していたり、クリエイターの集団が即席のゴーレムを作り上げる位置を話し合っていたりと細々作業が行われていた。

 そんな光景を眼下に見下ろしながら、召喚士は正門の上に設置された物見台の上で頬杖をついている。召喚士の他には俯いて杖を抱く魔法使いの少女。左右二つある物見台の反対側には、青髪女神と魔道具店の店主の姿があった。

 この四名は作戦の第一段階の要。この場所から機動要塞を撃破する為に、万全な状態を維持出来る様に待機させられているのだ。

「私は強い……。私の魔法は強い……。私の魔法は通用する……。大丈夫……大丈夫……だいじょうび……」

 魔法使いの少女はこの場所に来てからずっと、緊張と精神的圧力で体をガチガチにしながらぶつぶつ呟いていた。そんな少女を慰めるでも落ち着かせるでもなく、召喚士はあえて放置している。

 実は既に落ち突かせようと声を掛けて、彼女の杖に魔法を強化する文字を描いて一度は安心させたのだ。だが、時が経つにつれて、少女はまた今の状態に戻ってしまった。

 自分では落ち着かせる事は出来ても、彼女の実力を発揮しきる様に導く事は出来ないと、経験を持って理解していたから放置している。

 何よりも、やはりその役目は自分では無い、とも思っていた。

「ふふっ……、気の多い事で……」

 召喚士の視線の先では、遥か彼方に最前線から動かない女騎士に、何やら話しかけている最弱職の少年の姿が辛うじて見えている。少年は危険な場所から動こうとしない馬鹿を説得して来ると言っていたが、あの女騎士は言葉程度で己の信念を曲げる様な相手では無いだろう。

 どうせならすぐ傍で観察して楽しみたかったと言うのに、こんな離れた場所から覗くしか出来ないとは退屈至極である。終いには、召喚士はくわぁっと口を開けての大欠伸。緊張感の欠片も無い姿であった。

「ちょっとウィズ、あんた頭から煙が出てるわよ。この私相手に、宴会芸でも披露しようってんじゃないでしょうね。だとしたら生意気よ!」

「いえ、違いますアクア様。これは良いお天気なのに長時間外に居るので……」

 聞こえて来た声にお隣を見ると、青髪女神とリッチー店主が楽しそうにワイワイ騒いでいる。ちょっと向こうが羨ましい。

 視線の先で、最弱職の少年が女騎士に何やら怒鳴られていた。話の内容は分からないが、どうやら説得は失敗した様だ。少年が戻ってくれば、少しはこの退屈も紛れるだろうか。召喚士はまた、大きく欠伸をしてしまっていた。

 

 

「残念ながら説得は失敗してしまった。こうなったらあの頭の固い変態が怪我する前に、デストロイヤーを止めるしかなくなったな」

 戻って来た最弱職の少年は、開口一番に交渉の失敗を伝えて来た。予想できた事だったので特に驚きはしなかったが、今の言い方は少々問題がある。召喚士はついと視線を魔法使いの少女に向け、少年もそれに釣られて少女の惨状を目にした。

「だいじょうび、だいじょぅび、わたしはつよい、わたしはすごい……」

「大丈夫かこいつ……? おいめぐみん、あんまり気を負いすぎるなよ」

「わわわっ、わがばくれつまほうで、ふきとばしてくれるわーっ!!」

「ちょちょちょちょ、早い早い早い」

 案の定、プレッシャーが増えた魔法使いの少女が更に壊れ始めた様だ。それを治そうとする少年であったが、そのやり取りがとても小気味良い。召喚士は大満足で、口元を押さえて笑いを隠していた。

「いざとなったら、あいつの重い装備をスティールで引っぺがして、身軽にしてから力尽くでも連れて帰るから安心してくれ!」

 背後で騒ぎ続ける心地良いやり取りを耳にしながら、召喚士がまた階下を覗いてみれば、そこにはすっかり準備を整えた冒険者達が立ち並んでいる。アーチャー達はフックとロープの付いた特性の矢を装備し、クリエイターはバリケード前に魔法陣を書き終えていた。前衛職の各々はゴーレムに有効な打撃武器を手に手に、今か今かと相手が現れるのを待っている。

 そして、その時は来た。

「『冒険者の皆さん、もう間もなく機動要塞デストロイヤーが見えてきます。街の住民の皆さんは、直ぐに街の外に避難してください。それでは、冒険者の各員は、戦闘準備をお願いしますっ!』」

 魔法で拡張されたギルドの受付嬢の声が、招かれざる強大な敵の襲来を告げる。

 それは、端的に言えば蜘蛛であった。八本の足を規則的に動かして、地平の彼方から歩み寄って来る。しかし、その大きさがバカバカしいまでに巨大なのだ。一歩一歩を踏みしめる度に、微かにだが大地が揺れている。

 その異彩を見て、誰かがぽつりとつぶやいた。こんなものを本当に倒せるのかと。

 戸惑いは直ぐにさざ波の様に周囲へと広がり、あっという間に冒険者達は狼狽え始める。物見台から見下ろす最弱職の少年も、目前から迫る冗談の様な存在に口を開けて驚いていた。

「ちょっとウィズ! 大丈夫なんでしょうね!? 本当に大丈夫なんでしょうね!?」

「大丈夫です、任せてくださいアクア様。コレでも私はリッチー、最上級のアンデッドなのですから。もしダメだった時は、皆で仲良く土に還りましょう」

「冗談じゃないわよ! 冗談じゃないわよ!!」

 お隣の物見台では女神とリッチーが仲良く騒いでいる。初見での出会いは最悪だった二人だが、こうして見ると意外と仲良くなれるのかも知れない。

 それは兎も角として、今はあの青髪女神にはしてもらわねばならない事がある。

「アクア! 今だ、やれっ!!」

 何故かギルドの職員達から作戦の指揮官に任命された最弱職の少年が、作戦開始の指示を青髪女神に飛ばす。その指示を受けて青髪女神が天空へ手を差し延ばし、そしてその手をめがけて何処からか蓮の花を象る杖が落下してきた。

「『セイクリッド・ブレイクスペル』ッ!!!!」

 杖を頭の上で旋回させながら魔力を極限まで高め、迫り来る脅威めがけて杖を振るう。性格は兎も角、その内包する無限大の魔力に後押しされて発動した呪文が、杖の先の虚空に魔法陣を浮かび上がらせた。

 一つ二つではない、その強大な威力を予感させるかの様な光輝く五つの魔法陣。その全てが互いに互いを高めさせ、

限界まで張り詰めた結界破壊の魔法が光線となって吹き出し目標へと向かう。

 五つの極太の魔力の本流は、中空で混じり合って一つとなり、更に巨大な光線へと変わった。その魔力の一閃が機動要塞の手前で突如現れた巨大な魔方陣にぶち当たり阻まれる。恐らくは、これが機動要塞の魔力結界。

「ぬうううううううっ!! んどりゃあああああああああああああ!!!!」

 拮抗した魔法と結界に、青髪女神がおよそ女としてどうかと思われる表情で更に気合を込めた。瞬間、五つの魔方陣から吹き出す光が勢いを増し、猊下の冒険者達を吹き飛ばす程の衝撃を伴って魔力結界に突き刺さる。

 恐らくは、少年が初めて目にする青髪女神の本気。数多の転生者に送られた特典にも引けを取らない程の強大な力が、遂に魔力結界に罅を入れ粉々に打ち砕くのであった。

「今だぁあああ!!」

「めぐみんさん、同時発射です!」

 機動要塞を覆う薄い膜の様な魔力結界がガラスの様に砕けたのを見計らい、最弱職の少年が追撃の指示を飛ばす。それを受けてリッチー店主はすぐさま魔法の準備に取り掛る。

 だが、肝心の魔法使いの少女からの返事は無かった。

「ああ……、あああ……。あううう……」

 杖を胸に抱いて、顔を青ざめさせながら少女は体を震えさせている。普段は尊大な態度で妙に漢らしいと言うのに、いざと言う時の度胸はまるでミジンコだ。

 そんな少女の肩を掴んで、少年は無理やり視線を合わせて声を張り上げる。ここまで来て、実力を出せずに終わるなんて絶対に許せない。そんな決意が乗った鬼気迫る表情で。

「おい、お前の爆裂魔法への愛はそんなもんなのか!? 何時も爆裂爆裂言ってるくせに、ウィズに負けたらみっともないぞ! お前の爆裂魔法は、アレも壊せない様なへなちょこ魔法なのか!?」

 最弱職の少年は、長い付き合いで魔法使いの少女の性格は良く分かっている。この少女が喧嘩っ早い事も、何よりも爆裂魔法にプライドを持って居る事も、全部既に知っているのだ。胸の奥にある既視感もそう語っている。

 だからこそ、それを貶される事に、何よりも怒りを覚えるのは当然なのだ。

「なっ!? 何おぅ!? 我が名を馬鹿にするよりも、最も言ってはいけない事を言いましたね!? 良いでしょう見せてやりますよ! 爆裂魔法がどれだけ最強なのかを、その目に焼き付けると良いです!」

 最愛の爆裂魔法をへなちょこ呼ばわりされた少女は、その瞳を爛々と赤く燃やして怒りに口元を引き攣らせた。先程までの緊張や震えなど既に吹き飛んでいる。闘争心に火が付いて、機動要塞を見る目にはもう怯えなど欠片も無い。

 魔法使いの少女は杖を高々と掲げて、爆裂魔法の詠唱を淀み無く唇から滑らせる。少女が立ち直ったのを見届けたリッチー店主も、既に完成させていた魔法を何時でも発動出来る様に身構えた。

 そして、もちろん何時ものアレも忘れてはいない。

「「黒より黒く、闇より暗き漆黒に、我が深紅の混淆を望みたもう。覚醒のとき来たれり。無謬の境界に落ちし理。無行の歪みとなりて現出せよ! 『エクスプロージョン』ッ!!!」」

 紅魔族特有のカッコイイ謎詠唱。それをなぜかリッチー店主まで一緒に唱えていた。付き合いが良い物である。

 二人の頭上に爆裂魔法の魔法陣が現れ、そこからそれぞれの魔力に染められた色の輝かしい光が目標に向かって照射される。二条の光はそれぞれ機動要塞の左右に向かって飛翔し、その脚部にぶち当たる寸前で炸裂。二つの紅蓮の塊を生み出して、その爆発的威力で八本の足は全てが粉々に吹き飛ばされた。

 突然脚部を失った機動要塞はその巨体を地面に着底させ、そのまま慣性の法則で進行方向に向かって滑って行く。ガリガリと地面を削り、それでも勢いは止まらずに冒険者達の最前列へと迫る。今も一歩も引く事は無く、機動要塞を睨み付ける女騎士に向かって。

「……ん。駄目だな。思ったよりもデストロイヤーの速度が速い。爆裂魔法が強すぎて押し出されたんだ」

 その様子を見ていた召喚士がぽつりと呟いて、物見台の欄干によじ登り立ち上がる。このままでは本当に、女騎士が機動要塞に体当たりされてしまうだろう。幾ら防御力が高いと言っても、あの質量差の前ではどうしようもない。

 ならば、こんな時の為の備えを発動するときだろう。召喚士は掌を差し向けて、特に緊張感も無く魔法を発動させた。

「全力召喚。ヨーちゃん思いっきり飛び出してきなさい」

 勢いの止まらない機動要塞の手前に巨大な召喚用の魔方陣が現れ、その巨体が重なった瞬間に呼び出されたモノがこの世界に飛び出した。

 それは途方も無く巨大な蛇の頭。勢いよく飛び出して来たそれが機動要塞の底部にぶち当たり、その巨体を上空へと突き上げさせたのだ。

 時間にしてわずか数秒。機動要塞を跳ね上げた巨大蛇は、頭にたんこぶを作りながらその姿を薄れさせ送還される。去り際に召喚士を見たその目が、どこか恨めし気だったのは気のせいでは無いだろう。

 前方に掛かっていた慣性はこの頭突きで全て削がれ、今度は重力に引かれて真下に堕ちて来る。超大重量の自由落下。機動要塞の巨体は粉塵を巻き上げて、大地にまたその底部を叩きつけた。

 女騎士はやはり動かない。新調した大剣を地面に付き立て、両手をその柄に乗せたままの堂々とした姿で仁王立ちのままである。

 巨大要塞は彼女の目と鼻の先で地面に叩きつけられ、その衝撃波が彼女を襲ったが微動だにもしないのだ。彼女の背後にはクリエイター達の生み出した土のゴーレム達が居たが、その大半は衝撃波を受けて倒れ伏していると言うのに。なんと言う防御力、そして不退転の決意揺るがぬ胆力か。

「ふぅ……、あぶねえ……。もう少しずれてたら、潰されたダクネスが大喜びしてたぞ。でも、やったな。良くやったぞ、めぐみん。それからローも」

 女騎士の無事を千里眼のスキルで確認した最弱職の少年が、作戦の成功を確信して大仰に息を吐く。とりあえず近くに居る二人に労いの言葉を掛けるが、その二人はそれに応えず魔力の消耗で崩れ落ちた。

 召喚士は以前と違い、出現が長くは無かったので全魔力は消費せず欄干に座り込む程度で済んだ。だが、魔法使いの少女はいつも通り、全ての魔力も体力も使い果たしてうつ伏せに倒れ込んでしまっている。その状態で少女は、悔しさに歯噛みして怨嗟の声を上げていた。

「くぅぅぅ……、流石はリッチー。杖も無い状態で、増幅のまじないまで掛けられた我が爆裂魔法を上回る威力を出すとは……。悔しいでぇす……」

「よしよし、良くやった良くやった」

 そんな悔しがる少女を抱き起して、最弱職の少年はその活躍を誉めてやる。たとえ威力が負けていようとも、それは相手が不死王であればこそ。実際、彼女は確かな成果を出したのだ。

「うー……、次のチャンスがあれば、次こそは私の方が最強だと言う事を証明して見せますから! お願いしますカズマああああっ!」

「わかったわかった、次があればしっかりと見ててやるから。おいこら、ズボンを掴むな。やめろ、離せ、脱げるから。はなっ、離せえええ!」

 せっかく街を守ったというのに、この二人は一体何をやっているのだろうか。イチャイチャして居る二人を、欄干に腰かけたままの召喚士がにやにやと見守っていた。

 動かなくなった機動要塞を眺めていた冒険者達は、最初は騒めき、やがて歓声を上げ始める。無理も無かろう、目の前で難攻不落と言われていた大物賞金首が無残にも破壊され動けなくなっているのだから。

「やったか!?」

「あれ程の攻撃を喰らえば、いかにデストロイヤーと言えども無事ではすむまい!!」

「俺……、この戦いが終わったら結婚するんだ……」

 気が緩んでそんな台詞もついつい出てしまうと言う物。それに釣られてか、青髪女神までもが能天気に自らの活躍を誇示し始める。

「やったわ! 何よ、デストロイヤーなんて大げさな名前のくせに、案外大したことなかったわね! さあ、さっさと帰って、賞金でぱーっと宴会を開きましょう! 国を滅ぼす様な大物賞金首ですもの、きっと物凄い報酬に違いないわ!!」

「この馬鹿ーっ! 何でお前はそうお約束が好きなんだ! そんなフラグになる様なセリフを言ったら――」

 物語では、言ってしまうと相手の生存フラグになる台詞と言う物が存在する。慌てて最弱職の少年がツッコミを入れるがもう遅い。既にフラグは立っている。

「『被害甚大に付き、自爆機能を作動します。乗組員は、速やかに機体から離れ、避難してください。……被害甚大に付き――』」

 沈黙していた機動要塞から、突如大音声で警報が流れ始めた。機械的な音声のそれは、浮かれ切っていた冒険者達に一気に冷や水を叩きつける。

「「「ま、まじかよーーーー!!??」」」

 ほぼ全ての冒険者達が一斉に叫び声を上げた。クエスト内容が機動要塞討伐から、自爆の阻止へと変わった瞬間である。

「ほれ見た事か! お前は一つ良い事をしたら、二つは物事を悪化させないと気が済まないのか!」

「待って! ねえ待って! これ、私のせいなの!? 今回私、何も悪い事してないんですけど!」

 隣の物見台に居る青髪女神に怒鳴りつけてから、最弱職の少年は大慌てで階下へと向かって行く。それを青髪女神とリッチー店主が追いかける。それはもう、階段を転げ落ちるかのような勢いで。

 青髪女神はいわれの無い物言いに弁明しつつ。店主は元々青白い顔を更に青くして、お店がお店がと呟いていた。どちらも己の沽券に係わるので、かなり切実である。

 置いて行かれる形になった召喚士と魔法使いの少女は暫し見つめ合い、お互いに何も言わずにコクリと頷き合う。

「レベル二十、召喚。フーちゃん、そーっと出ておいで」

 召喚士が無造作に手を差し延ばして、少女の真下から巨躯の狼を出現させる。少女の体を背に乗せたまま、のっそりと姿を露わにした狼は、何時もより更に大きく物見台を埋め尽くす様な大きさになっていた。

「また、ずいぶんと大きさが変わりましたね。どこまで大きくなるのですか、この子は」

「さぁ? 神様を一飲みにするぐらいじゃないかな?」

 少女の問いかけに答えた召喚士は欄干の上に立ち上がり、そのまま足を一歩前に踏み出す。少女の見ている前で中空を一歩一歩、テクテクと歩いて狼の背に辿り着き、少女を片手で支えながら狼の背に跨った。

「……今、空中を歩いていませんでしたか?」

「だってフーちゃん背が高いから、よじ登るの大変でしょう?」

「それもそうですね……。って、そんな事で納得できるわけが――ああああああっ!!」

 少女の追及は最後まで続けられなかった。手綱代わりに召喚士がもふもふの毛皮を掴んだ事で、巨躯の狼が物見台の上から飛び出したからだ。魔力と体力が切れた事での脱力感に、胃の腑が持ち上がる様な浮遊感がプラスされ、少女はあっさりと目を回して静かになる。

「さて……。仕掛けてくるとしたら、このタイミングもあり得るかな。誰だ誰だ、メアリー・スーは、だーれだー。……なんてね」

 数十メートルは有ろうかと言う外壁を飛び降りながら、召喚士は楽し気に口元を歪ませていた。その呟きは誰にも聞かれず、今はまだ何の意味も無い。

 

 



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第十一話 後編

 最弱職の少年が駆け抜ける冒険者達の人混みは、阿鼻叫喚のパニックとなっていた。倒したと思った機動要塞が、もう直ぐボンとなると言うのであれば致し方ない事だろう。

 幾人かの冷静な冒険者が声を張り上げて落ち着かせようとしているが、一度巻き起こった混乱はそう簡単には治まるものでは無い。諸手を上げて逃げ出す者すら出始める始末だ。

「ダクネスー! おい、ダクネス! 今度こそもう駄目だ、一緒に避難するぞ!」

 人をかき分けて倒れたアースゴーレムを避け、何とか最前線に佇む女騎士の元に辿り着くと、少年はその背中に声を掛ける。いかに頑固な脳筋聖騎士でも、街ごと吹っ飛ぶ様になれば逃亡を選ぶしかあるまい。嫌だと抜かすなら、実力行使も辞さない覚悟で少年は説得を試みていた。

 声を聴いた女騎士は、表情を引き締めながら少年に応える。

「私は最後まで退く訳には行かない。領民よりも先に騎士が逃げるなど、あってはならない……」

 その背中には、並々ならぬ決意が漂っていた。思わず少年に息を飲ませる程に、固い決意をもって言葉を絞り出しているのが伝わって来る。

「それに、街を吹き飛ばす程の爆発に巻き込まれるかと思うとどうだ……。この胸の内に湧き上がるかつてない興奮……。はたして私は耐えられるのだろうか。いや、幾ら頑丈だとは言え、耐えられる保証は無い。ああ……、もう辛抱堪らん……」

 だんだんと、語る言葉が妖し気になり、息も荒くなって行く。おかしい、少年は少し前まで立派な騎士と話していたはずなのに、目の前にはもう変態しか居ない。

「カズマ! 私は突撃するぞ!」

「はいはいカズマです。うぇっ? おいっ!?」

「いってくりゅっ!! どっ、ひーっ、ひひっ!!!」

 言うが早いか女騎士は剣を翻しながら、とんでもなく嬉しそうに頬を緩ませて駆けて行く。最後の方は興奮し過ぎて呂律が回らず、殆ど奇声の様な不気味な笑いになっていた。アレは聖騎士ではない。変態騎士だ。

 最弱職の少年は微妙な表情で見送ったが、同時にそれを見ていた冒険者達に変化が訪れた。

「おい、ダクネスさんが突撃しているぞ!」

「そうか! 爆発する前に止めるつもりなんだ!」

「この街を守る為に……?」

 女騎士はその振る舞いから、冒険者ギルドでは騎士の鏡のような人物だと誤解されている。口を開けばエロ願望が漏れ出す事を知っている一部の人間を除き、彼女を尊敬している冒険者達にはその行動は英雄的に映ったのだろう。

 アレだけ混乱し、恐慌していた冒険者達は落ち着きを取り戻す。そして、大切な事を思い出していた。

「俺はやるぞ! このまま逃げたら、あの店の子達に顔向けできねぇ!」

「俺も……。もう既にレベル三十を超えているのに、未だにこの街にとどまっている理由を思い出した」

「むしろ今まで安くお世話になった分、ここで返さなきゃ終わってんだろう!!」

 一部男性冒険者達が異様な熱気を伴って、周囲を巻き込みながら機動要塞へと突撃して行く。用意していたフック付きの矢でロープを掛け、わらわらと要塞の上部建造物に乗り込んで行った。日々鍛えて来たのはこの日の為だと言わんばかりの、猛烈な気合と士気を伴わせて。

 対機動要塞戦、第二ラウンドの開始である。

「この様子なら私達の出番はないわね。それなら今日はもう帰りましょう。帰ってまた明日頑張りましょう! ねっ? ねっ!?」

「何バカなこと言ってんだ。俺達も行くぞ駄女神。お前はこの状況の原因なんだから、黙ってついて来い」

 楽な方に流れようとする青髪女神を一喝し、少年も機動要塞に乗り込む事に決めた様だ。すぐ傍に居るリッチー店主も思いは同じの様で、自分も着いて行くと豊満な胸を張っていた。こんな時だが少年の視線は釘づけだ。

「カズマさん、制御装置を見つければ何とかなるかもしれません」

「ダクネスの奴……、そんなこと考えもしないで突撃して行ったんだろうな……。しょうがねぇなぁ!」

 リッチー店主の助言に従い内部を目指す為、嫌がる青髪女神を引きずりながら少年達も機動要塞の上層へと昇る。ロープを登り切った先に見えたのは、既に怒号飛び交う激戦場であった。

 上部施設を護る古めかしいが大きな体のゴーレム達を、冒険者達が多勢で群がり撃退している。ロープを掛けて引きずり倒したり、足を執拗に狙って動けなくさせたり。そうして行動不能になったゴーレムを、装備していた鈍器で滅多打ちにして倒すのだ。その様は、小さな集落に襲い掛かる野党のそれを想起させる。

 これではもう、どちらが侵略者なのだかわかりはしない。

「やっと上って来たね、カズマ。今はもう少しで、中央の施設の扉が壊される所だよ」

「ロー!? お前もこっちに来てたのか。何時の間に追い越したんだよ。めぐみんは一緒じゃなかったのか?」

 やや引き気味に暴れる冒険者達を眺めていた少年達の背後から、ニヤニヤした表情の召喚士が声を掛けた。召喚士は質問に答える代わりに、戦場の一角を指さし少年達の視線を誘導する。そこでは見慣れた巨躯の狼が、女騎士を背に乗せて次々にゴーレムを薙ぎ倒す姿が見られた。

 それは一見すると、人騎一体のウルフライダー。重装甲の騎士が巨躯の狼を操り戦場を駆け抜ける、華々しき戦果に見えただろう。だが、現実は違う。

「あれ……、ダクネスの奴は操縦されてるだけなんだろ。さっきから見てるとトドメしか刺してないし、攻撃は全部ダクネスが受け止める様に誘導してるし」

「フーちゃんは頭が良いからねぇ。ダクネスには、フーちゃんが敵の動きを止めたら、真上から剣を振り下ろしてって指示してあるんだ」

 巨躯の狼がゴーレムを体当たりで転倒させて、起き上がれないように体を押さえつけ、その間に女騎士が頭部を狙って薪割りの様に大剣を振り下ろす。敵の攻撃や小型バリスタでの射撃は、的確に女騎士を盾にして掻い潜る。

 不器用な女騎士でも、剣を振り下ろすだけなら命中率も何も無いだろう。弾避けにされる事については、彼女のキラキラした笑顔を見れば大満足である事がうかがえる。多分、動物に無碍に扱われている辺りも、ポイントの高い部分ではなかろうか。女騎士が幸せそうで何よりです。

「めぐみんは連れてきていない。ヘーちゃんに任せて下に置いて来たよ。フーちゃんに乗せて外壁から飛び降りたら、目を回してしまったからね」

「あの高さを飛び降りたのか……。そうか、それなら俺達はこのまま内部に行って来る。あの頑固な変態の面倒は、お前に任せるからな」

 魔法使いの少女の居場所を聞いて安心した少年は、召喚士に後を任せて内部に突入する事を告げる。その後ろにリッチー店主も続き、嫌がる青髪女神は手を掴まれて無理やり引き摺られて行く。

 召喚士は言われた通りにその場に留まった。ただ、去り行く少年の背中に向けて、何時に無く真剣な表情で言葉を掛ける。

「カズマ。君がどんな選択をしたとしても、僕は君の選択を尊重するよ」

「…………え、なに? 急になんでそんな事、言いだしたの? そんな事言われると、なんか怖いんだけど」

 投げかけられた言葉の意味が分からずに、肩越しに振り返った少年が訝し気な視線を返して来る。召喚士はそれに対して、いつも通りの胡散臭い笑顔に戻ってひらひらと手を振ってみせた。

「今は何でもないよ。さあ、時間も無いし、頑張って来てね」

 それ以上何か言う訳でも無く、完全にお見送りの態勢の召喚士。最弱職の少年はしばしその笑顔を見つめていたが、時間が無いのは確かなので溜息を吐くだけで要塞内部に侵入して行く。

「お前……、やっぱ性格悪いよな」

「うふふふふふ……。良く言われるよ」

 最後に苦笑と共に投げかけられた捨て台詞に、召喚士は自信を持って言葉を返す。その日一番の、嬉しそうな微笑みと共に。

 

 

 最弱職の少年が多勢の冒険者達と内部施設に突入してから暫し。上部施設に展開していた戦闘用のゴーレムは、粗方片付けられてその残骸が辺りに散らばっている。

 その残骸の一つに腰かけて、召喚士は遠巻きに女騎士の姿を眺めていた。

「そうか、カズマ達は動力炉に残ったのだな。話してくれてありがとう。私は――私達はここに残るから、あなた達は先に逃げてくれ」

 チンピラ戦士のパーティのリーダー、聖騎士の男に内部の状況を聞いた女騎士は、目礼をしながら彼に逃げる様に伝える。言われた聖騎士の男は深く頷いて、仲間達と共に機動要塞からロープ伝いに降りて行く。彼らのパーティには年若い少女が居るので、万一を考えて撤退する事を選んだのだ。

「カズマ達は最深部の動力炉で、マナタイトの処理をするそうだ。どう処理するかは分からんが、ウィズが居れば問題は無いだろう」

「そっかー、それなら終わるまで待っててあげないとね」

 話を聞き終えた女騎士は召喚士の元に歩み寄り、簡単に伝え聞いた最弱職の少年達の状況を説明してくれる。それを聞いた召喚士は当たり前の様に待つ事を決めて、女騎士もそれにあえて言葉を掛けるような事はしない。わかりきっていた答えに未練など無いのだから。

「……ん。世界を蹂躙した機動要塞の暴走の、その首謀者がまさか孤独死しているとはな……。酔って悪戯した挙句に国一つ滅ぼすとは、何ともはた迷惑な話だ」

「んふふふ、僕は嫌いじゃないよ。こう言うとんでもない事をしでかしておいて、大満足で大往生するお調子者って。死に際は華々しい方が楽しいよね」

 女騎士は召喚士に、この機動要塞を乗っ取ったと言われている開発責任者の顛末と、書記に残された暴走の原因を掻い摘んで説明する。そうして最後に出て来た感想は、各々の性格が現れていた。

「死に際か……。そうだな、女騎士としては醜悪なモンスターの苗床になって散るのも、忘れてはならない美学と言う物だな!!」

「それは僕の趣味じゃないなぁ。そう言うのは、カズマに言って困らせてあげないと」

 この二人では深刻な話題になる事も無く、会話は自然と他愛もない物になる。そして、話の流れは名の上がった最弱職の少年の物となった。

 女騎士は面映ゆい、背中がむず痒くなった様な表情になって言う。

「カズマ……、あいつは不思議な奴だな。とんでもない小心者の筈なのに、時折思い掛けない大胆さを見せる」

「……何か言われたの? 少し嬉しそうな顔してるよ。まるで恋する乙女みたいな」

「んんっ!? そんな顔なんてしてない。してないから!」

 慌てて否定するのは表情の事だけなので、何か言われた事は確かな様だ。召喚士がニッコニッコしながら慌てふためく女騎士を眺めていると、彼女は誤魔化す様に一度咳払いをする。

「少しだけ、嬉しい事を言われたのは確かだ。……いつか、めぐみんやアクア達にも言わねばならないと思っているが……」

 そこで一度言葉を止めて、女騎士は表情を引き締めて召喚士を見つめた。召喚士はその視線を正面から受け止め、口元を何時も通りにんまりと綻ばせてそれを眺めている。

「なあ、ローは私が……、私の産まれや育ちが……」

「僕は、対立する二つの種族の間に生まれた」

 覚悟を決めても逡巡してしまう、そんな女騎士の言葉を遮る様に、召喚士は唐突に己を語り始めた。その唐突さにも驚いたが、女騎士は何よりも飛びだして来た情報に目を剥く。

「どちらの種族にも疎まれる存在として生まれたけれど、たった二人だけは親友として、そして家族として僕を受け入れてくれた」

 驚きで思わず口を開けてしまっている女騎士に、召喚士は正面から視線を合わせて言葉を続ける。召喚士の表情は変わらないけれど、その声音だけは優しく諭す様な物に代わっていた。

「僕にだって受け入れてくれる人達が居たんだ。ダクネスなら、もっとたくさんの人が受け入れてくれるはずだよ」

「…………ん。そうだな……。このパーティの仲間達なら、きっと――」

「今更ダクネスの正体が、魔族だろうが裸族だろうが貴族だろうが誰も気にしないさ。僕達皆、ダクネスがどうしようもない性癖を拗らせている、って言うのは知ってるんだから」

 割とみもふたもない事を言われて、女騎士が笑顔のまま凍り付く。召喚士の方は、最高のタイミングで言いたい事を言えたので大変ニッコニコだ。

 暫しの沈黙。それから、女騎士は頬をぷくっと膨らませて、召喚士の両頬をぐにーっと引っ張った。

「ほんとに! お前はもう、ほんとに!! ら、らっらっらっ、裸族じゃないし!!」

「あは、あはははははははっ!! ぶはははははははっ!!」

 涙目で言い募る女騎士に対して、召喚士は何が面白かったのか爆笑している。引っ張られる頬はかなり痛いのだが、それよりもこの状況が楽しくて仕方ないと言った様子だ。

 そんな風にじゃれ合っていると、不意に長々と続いていた機動要塞の自爆を告げる放送が途切れた。それは放送の途中で無理矢理途切れたと言った体で、恐らくは動力が途切れた事で機能を停止したのであろう。

「どうやら、カズマ達は上手くやったようだな……」

 頬を引っ張るのを止めて、再び女騎士が表情を引き締めた。彼女は召喚士の頬を開放すると、一度だけ周囲を見回して状況を確認し、そして直ぐに剣を杖にして両手を乗せて待機に移る。

 動力炉に残った最弱職の少年達を出迎えに向かうと言う風でもなく、その立ち姿にはぴりぴりとした緊張の色が見受けられた。召喚士はそれを見て、まだ赤いままの頬をにやりと吊り上げる。

「まだ、まだ何か、危険が終わっていない気がする。杞憂であればいいのだが……」

「奇遇だね、僕もそう思う。どっちが来るにせよ、このままで『はいお終い』とは思えないな」

 根拠の無い緊張を伝えてくる女騎士であったが、軽い調子で召喚士もまたそれに同調して見せた。となれば後は待つだけ、二人は最弱職の少年達が中央の建物から現れるのを待つ事にする。

「やっぱり、終わりは華々しく、派手に行かなくっちゃね」

「……ふっ、そうだな」

 女騎士は召喚士に背を向けて、遠く彼方の守るべき街並みに視線を向けていた。振り返らずとも召喚士は何時も通りの笑みを浮かべていると思ったから、女騎士もそのお道化た様な言葉に微笑みを浮かべる。

 だからこそ、気が付かなかった。

「…………親友達の最後は、悲惨だったからね」

 最後の呟きは酷く小さくて、それを吐き出す表情は無色。苦々しく思う事も無く、悲しむでも無く。ただ、淡々と事実を思い浮かべるだけと言う表情だ。

 女騎士はそのどちらにも、気が付く事は無かった。幸いにも。不幸にも。

 

 

 程なくして、待ち人たる最弱職の少年が二人の美人を引き連れて姿を現した。両脇の美人二人、青髪女神とリッチー店主も健在の様で、彼等は召喚士と女騎士に気が付くと三人そろって歩み寄って来る。

「二人ともこんな所に居たのか。こっちは全部終わったぞ」

「まだだ……」

 青髪女神と召喚士が両手のハイタッチでイェーイと笑い合い、それをリッチー店主が微笑ましく見守る脇で。最弱職の少年の言葉に、厳しい表情のままの女騎士が否定を告げる。

「この私の強敵を嗅ぎ付ける嗅覚が、まだ香ばしい危険の香りを嗅ぎ取っている……」

「はぁ? 何バカな事言ってるんだよお前。普段から割と世間知らずで馬鹿な事言ってるけど、こういう時にそんなフラグめいた事を――」

 女騎士の真面目な顔をほんのり赤くさせる、そんな少年の罵倒は突然の振動に遮られた。そして直ぐに、全員の足元が、機動要塞自体が尋常では無い熱量を放ち赤熱化し始める。

 その予想外の異変に、要塞の上に残っていた冒険者達は慌てて退避を始める。ロープを伝い降りるのも面倒だと、勇んで次々と飛び降り始めた。

「ロー! 頼む!」

 少年の短い言葉に召喚陣が展開し、すぐさま巨躯の狼が再召喚される。全員が呼び出された毛皮の塊にしがみつき、あるいは首根っこを咥えられて少年のパーティーも要塞から飛び出した。

「ああっ! この雑な扱いが、また堪らな――へぶっ!!」

 首根っこを咥えられて連れ去らわれる形になった女騎士が歓喜の声を上げるが、それも地面に激突する事で中断される。最弱職の少年の視線が汚物を見る様な物になっているが、今はその視線すら喜ぶ変態に構っている暇は無い。

 全員は機動要塞から離れると、その赤熱し始めた全体像を観察し始めた。

「これは……。恐らくは内部に溜まった熱が、外に飛び出そうとしているのではないでしょうか」

 この中でも一番冒険者としての経験の長いリッチー店主が、機動要塞に起こった異常をいち早く推測して周囲に告げる。彼女はそのまま熱が吹き出せば、アクセルの街は火の海になるだろうとも言う。爆裂魔法と召喚獣の攻撃で生まれた機動要塞の前面部の亀裂が、丁度街の方を向いているからだとも説明してくれた。

「なんだそりゃ! コロナタイト飛ばした意味ねぇええええええええ!!」

 最弱職の少年は絶叫した。動力部に有った爆発寸前の希少鉱石を転移魔法で飛ばして、事件の全てを解決したと思ったのに、それが無意味どころか更なる災厄を呼び寄せるとは。幸運のステータスが高いとは、いったい何だったのか。

「動力源が取り外されて、今まで生きていた冷却機構も止まったんだろうね。結果抑え込んでいた枷が無くなって、溜め込まれていた物が出口を求めて暴れ出した、と」

「冷静に考察してる場合か! こうなったらウィズ、もう一度爆裂魔法を!」

 召喚士がこんな状況でも緊張感無く、薄ら笑いを浮かべて機動要塞の異常の原因を推察する。だが原因が分かった所で、それは解決には繋がらない。動力源はリッチー店主の転移魔法で、座標を定めずに何処かへ飛ばしてしまったのだから。

 少年は必死に頭脳を巡らせて街を守る方法を考え、思いついた方法を即座に口にした。ツッコミも忘れないのが少年クオリティである。

「駄目です、魔力が足りません! 爆裂魔法を放つには、先程よりも更に多くの魔力が無ければ……」

「くそっ、魔力か……。魔力……、魔力……、はっ!?」

 リッチー店主の爆裂魔法は魔法使いの少女を上回る威力。それを使えば吹き出す熱を相殺できるかと思いついたが、彼女は今日はもう大量に魔力を消費してしまっていた。少年の提案は本人に否定されてしまう。

 激しい焦燥に駆られながら、少年は苦悶と共に考え抜く。そして、はたと何かに気が付いて、視線をある一点へと向ける。

 その視線の先には、青髪女神が立っていた。少数とは言えども国教であるエリス教に匹敵する、アクシズ教徒の信仰を受けたほぼ無尽蔵の魔力を持つ女神が。

「よく考えたら……、私達の借金はこの街のギルドが立て替えてるんだから……。このまま町がボンってなっちゃえばー……」

 当の青髪女神は借金について不穏当な事を言って、女騎士に怪訝そうな目でじーっと見つめられている。この期に及んで考えている事が自分自身の保身のみとは、見上げた自己中心的性格であると言えるだろう。

「おい、自称元何とか」

「ああん!? なによカズマ、今忙しいからアンタに構ってる暇なんてな――あああああああああああああああ!!!」

 つかつかと青髪女神に近づいた少年が、問答無用で彼女の手を握る。突然手を取られた青髪女神は文句を言おうとするが、その最中に突然魔力を吸い上げられて悲鳴を上げる羽目になった。リッチー店主から教わったドレインタッチのスキルである。

「ヒキニート、いきなり何すんのよ!! この私の神聖な魔力を奪うなんて不敬も不敬! 天罰どころか死罪よ死罪!!」

「うるさーい!! お前の魔力をウィズに注いで、爆裂魔法を使ってもらうんだよ!!」

 少年の考え付いた策は至極簡単。歩く魔力の吹き溜まりから、その膨大な魔力を頂こうと言う訳である。しかし、その作戦の欠点を、奪われる側の青髪女神が指摘した。

「ちょっと待って! 私の神聖な魔力を大量注入なんかしたら、この子多分消えちゃうわよ?」

 意外にもこの女神の指摘を、リッチー店主が顔を青ざめさせて肯定する。頭をぶんぶんと上下させる、この上なく必死な肯定であった。以前に少しだけ吸った時に、具合が悪くなったらしい。

「マジか!? お前の魔力はリッチー相手だと腹下すのかよ。病原菌みたいな奴だな」

 面倒臭い状況になった事に、最弱職の少年は歯噛みする。たまには役に立つかと思った青髪女神は、その特性ですら少年を邪魔すると言うのかと。若干、被害妄想の様な気がしないでもない。

 他に方法は無いかとまた悩み始めるその背中に、自信満々な言葉が投げかけられたのは次の瞬間であった。

「話は全て聞かせてもらいました……。真打ち登場!! この私が真の爆裂魔法と言う物を見せてやりましょう!」

 振り返った所には、マントを片手で翻し不敵に口元を歪める魔法使いの少女の姿がある。メイド娘の背に負ぶさっていなければそれなりに格好は付いたのだろうが、今はまだ魔力が戻らずに歩く事もままならないので台無しだ。

 だが、これで確かに状況は整った。

「ちなみに、何時頃から二人はこっちに近づいていたの?」

「だいぶ前から……。頼まれて出番のタイミングを計っていた……」

 召喚士とその召喚獣のメイド娘により、容赦ない暴露が行われていたが詳しくは割愛する。ただ、魔法使いの少女の頬はほんのりと赤くなっていた。

 

 

 爆裂魔法を使用する事を周囲の冒険者達に告げ、全員で機動要塞から程よく離れた街の入り口付近まで退避。固唾を飲んで周囲の者達が見守る中で、着々と最後の爆裂魔法の為の準備が進められていた。

「ねえ、カズマ分かってる? 吸い過ぎないでね? 絶対吸い過ぎないでね!?」

「分かってる分かってる、宴会芸の神様の前振りだろ?」

「ちっがうわよ!! 芸人みたいなノリで言ってるんじゃないわよ!」

「はいはい……。はいはい……。大丈夫、任せておけよ」

 青髪女神と最弱職の少年が、何時ものコントでイチャイチャするのを遠目で眺める。召喚士と女騎士、そして役目を終えたメイド娘はする事も無いのでギャラリーの一員となっていた。

「カズマさん。ドレインタッチはなるべく皮膚の薄くなっている心臓に近い場所から行うと、魔力の吸収と伝達が効率良くなりますよ」

「なるほど。皮膚が薄いって言うと、首筋か背中とかか?」

 ぎゃあぎゃあ騒いでいる少年達にリッチー店主が近づいて、少しでも役に立ちたいのかスキル使用のアドバイスを送る。それを聞いた少年は空いた方の手を、なんと無造作に魔法使いの少女の襟元に突っ込んだ。

「ああ……、日に二回も爆裂魔法が撃てるなんて――うはああああああああああああっ!!??」

 冬の空気で冷やされた指先が肌に触れたので、少女はそれはもう盛大に悲鳴を上げた。召喚士の隣に居た女騎士が、それをちょっと羨ましそうに見つめている。

「いきなりなんですか! ビックリして心臓止まるかと思いましたよ!! なんですか、セクハラですか!? この非常時にセクハラですか!?」

「違うわ! 効率を考えてのドレインタッチだよ。って、お前も逃げんな!!」 

 当然びっくりさせられた少女は烈火の如く怒り出す。涙目で手にした杖をブンブン振り回して、それはそれはもうご立腹である。そのどさくさで青髪女神が逃げ出そうとしたが、それを逃がす様な少年では無かった。

「何をやっているんだあいつ等は……」

「うふふ、見飽きないなぁ……」

 少女と女神と三人でわちゃわちゃし始めた少年達を、女騎士が呆れた様に眺めている。召喚士は頬に手を当てて、それをニヤニヤしながら見詰めていた。

「妥協してここだ。前に手を突っ込まれないだけありがたいと思え」

 結局、ドレインタッチは首筋から行われる事になった。並んで立った少女と女神の後ろから手を伸ばして、二人のうなじに少年の掌が当てられている。

 初めの内は男性に触れられると言う事に顔を顰めていた少女であるが、女神から吸い上げられた魔力が少年越しに伝わって来ると、その表情は直ぐに恍惚とした物へと変わった。

「おお……、来てます。来てます……。これは過去最大級の爆裂魔法が放てそうですよ!」

「ねぇ、めぐみん? まだ満タンにはならないのかしら? もう結構な量を吸い取られたと思うんですけど」

 対する青髪女神の方は終始不安顔である。そんなに自分自身の信仰と言う名の魔力を、他者に分け与えるのが嫌なのだろうか。

「もうちょい、もうちょい行けます。あっ、ヤバいかも……。やばいです、あふれそう……」

「おい、大丈夫かよ!? いきなりボンってなったりしないだろうな?」

 うっとりと目を閉じて己の中の魔力に感じ入る少女の言動に、最弱職の少年は不安をついつい口にしてしまう。それもそのはずで、魔法使いの少女の体内には既に、少年ですら危機感を抱く程の膨大な量を送り込んでいるのだから。

「光に覆われし漆黒よ。夜を纏いし爆炎よ……」

 ようやく完全に魔力を溜め込んだ少女の、何時もの詠唱が始まった。彼女はその途中で感極まった様に左目の眼帯を毟り取り、自身の周囲にも機動要塞の直上にも幾重もの魔法陣を展開させる。それは、先のリッチー店主の物にも見劣りしない、高効率で展開され更に巨大さも兼ね備えた物となっていた。

「他はともかく、爆裂魔法のことに関しては私は誰にも負けたくないのです! 行きます! 我が究極の破壊魔法、『エクスプロージョン』!」

 興奮に赤い瞳を輝かせ、杖を振りかざした少女から、凄まじい魔力が撃ち出される。機動兵器の直上にある何重にも重なった魔法陣に届いたそれは、次の瞬間には直下に純粋な破壊力を振りまき大爆発を引き起こした。

 それは、今まで見てきたどんな爆裂魔法よりも巨大で圧倒的。文句の付け様も無く、魔法使いの少女の爆裂魔法が一番だと全ての人々に刻み込んだ一撃であった。

 機動要塞を粉々に吹き飛ばし、その爆風が周囲の物を撫で回す。後に残ったのは、機動要塞を形作っていたわずかな破片と、でかでかと穿たれた巨大なクレーターだけだ。

 何時も以上のバカげた威力を目の当たりにして、勝利を確信した冒険者達は一斉に勝どきを上げる。大物賞金首討伐クエストと機動要塞の自爆阻止クエストは、今ここに成功したのである。

「待ち人は来たらず……。故に物語は続く……、か。帰ろうかへーちゃん、僕はまだ楽しんでいられるらしい」

 割れんばかりの歓声に包まれる冒険者達の波の中で、召喚士は隣のメイド娘にぽつりと告げた。二人はそのまま人波を避けて街に戻ろうとしたが、魔法使いの少女や最弱職の少年が持て囃されている場に押し戻されてしまう。今回も少年のパーティーは、大物賞金首討伐の立役者とされてしまったらしい。

「ああ、大量の男達が押し合いへし合いしている……。掛け算が進む……」

「へーちゃんったらすっかり悪い文明に染まって。これが腐女子……?」

 いいえ、彼女は半腐女子。

 結局、その日はそのまま祝勝会と言う名の大宴会に突入。召喚士もメイド娘も完全に巻き込まれて、格好つけて立ち去るのは失敗してしまった。ままなら無い物である。

 

 

 機動要塞を文字通り爆散せしめてから、既に幾日かが経っていた。

 天下泰平、世は事も無し。始まりの街アクセルには、遠く果ての魔王軍の脅威などその陰りすらない。鳥達が群れを成して高く飛び、街に日が差せば人々は活気を伴って動き出す。

 その幾日かの間も日常は続き、それは最弱職の少年達も例外ではない。

 青髪女神が洗濯の途中で庭で昼寝をしたり、魔法使いの少女が密かに杖を新調していたり。女騎士が街中で子供達の遊ぶ様子を眺めたり、召喚士が頭にたんこぶを作った蛇の召喚獣にぺこぺと頭を下げていたり。

 皆、概ね平和な日常を送ってる。もしかしたら魔王軍のなんちゃって幹部と地上に遊びに来た女神が、お互いの正体を知らずに談笑していたり、何てことが起こっているかもしれない。

 だからその日も何時も通り、最弱職の少年も自分の部屋で唯一の武器であるショートソードの手入れをして過ごしていた。そんな少年の元に、どたどたと慌てた様子で青髪女神が飛び込んでくるまでは。

「ちょっと、大変よカズマ! 今ギルドに王都から騎士がやって来ていて、カズマの事を呼んでるらしいのよ!」

「ああ、直々に報酬を渡そうってのか? だろうな……。今回の俺達の活躍は相当な物だったから、ようやく俺達の価値も認められたんだろう」

 手入れしていた剣を鞘に納め、少年はうんうんと感慨深げに頷く。少年の陣頭指揮はギルド員にも冒険者達にも絶賛された程であるし、機動要塞の阻止の鍵となったのは自身のパーティメンバー達で間違いはないのだからさもあらぬ。

「漸く俺の冒険が始まる訳だ。長いチュートリアルだったぜ……」

 剣を腰から下げて何時もの緑のマントを羽織り、最弱職の少年は準備万態意気揚々とギルドに向かうのであった。

 そして、辿り着いた冒険者ギルドで、過酷な事実と相対する事となる。

「冒険者、サトウカズマ! 貴様には現在、国家転覆罪の容疑が掛けられている。自分と共に来てもらおうか!!」

 直前まで、自分達を表彰されるものだとばかり思っていた少年達パーティ一同は、突然突き付けられた勧告に全員凍り付く。否、召喚士だけは笑っていた。割と何時も通りである。

 その勧告をしたのは長い黒髪とピッチリした制服を着こなした三角眼鏡の女性。彼女は両脇の一歩引いた位置に二人の騎士を従えたまま、親の仇でも見る様に最弱職の少年を睨み付け言葉を続ける。

「貴様の指示によりテレポートさせたコロナタイトが、大領主アルダープ様の屋敷を吹き飛ばしたのだ」

 大領主アルダープ。アクセルの街を納める貴族の名が告げられ、更にはその屋敷を偶然とは言え損壊させてしまった。その事を聞いて、少年はこれ以上ない程に驚愕した。

「それは、流石に……」

「なに? 報奨金貰えるんじゃないの?」

 女騎士は聞かされた言葉に二の句が継げなくなり、青髪女神は状況を理解できずに首を傾げている。魔法使いの少女は帽子を目深に被り、こそこそとその場を離脱しようとした。

「次の冒険が私を呼んでいる……」

「おい、逃げんな!」

 そして、少年に襟首を掴まれて取っ捕まる。これには女騎士も思わず苦笑い。

 つまりどう言う事なのかと言うのを、召喚士がその脇で青髪女神に説明していた。偉い人の家吹き飛ぶ。少年責任とる。警察に逮捕される。実に分かりやすく簡潔に。

「カズマさん、犯罪者だよ! もう魔王討伐どころの話じゃないじゃないの!!」

 状況を理解した青髪女神は泣き喚きながら、少年の胸ぐらを掴んで揺さぶりだした。それはもうガックンガックンと。無抵抗に揺さぶられる少年は、魂が抜けたかの様に茫然としている。

 無理も無かろう。この広い世界、まさか無作為に飛ばした先が貴族の屋敷であろうとは、正に神ですら知りえなかった事に違いない。

 少年は激しく後悔していた。全責任は俺が取る等と言い放ったことではない。この世界に来てしまった事を、改めて後悔していた。ああ、もし本当に神様が居るのなら、次はもっと自分が活躍できる世界に送って欲しい。そんな事を願う程に。涙声になる位、切実に願っていた。

「結局こうなる運命。予定調和ならあと半分か……。まだ楽しめそうで何よりだね」

 召喚士だけがその場で唯一、楽し気にへらへらと笑う。泣いても笑ってもあと半分。終わりが見えてきた事に、笑いながら悲しむ折り返し地点であった。

 

 




次の投稿はまだプロットも出来ていないので未定です。
お気に入りがじわじわと増えており感謝の極み。ありがとうございます。
文字の多い作品ですが、これからも楽しんでいただければ幸いです。


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第三章
第一二話


まったく筆が進みませんでした。
全てモンハンが悪いんです。


 最弱職の少年を唐突に容疑者扱いした眼鏡の女性は、王都から来た王国検察官のセナと名乗った。彼女は手にした書類の様な物を少年に突き付けて、厳しい表情のまま朗々と一から状況を説明してくれる。

 少年には今、貴族の屋敷に爆発物を送り込んだとして、テロリストないし魔王軍の協力者ではないかと疑われていると言う事。そして、裁判を受けさせるかどうかを尋問で判断する為に、警察署まで連行する予定である事を告げて来た。手にしている書類は、この話の内容からして逮捕状なのであろう。

「カズマさん、早く謝って! 私も一緒にごめんなさいしてあげるから。ほら早く、謝って!」

「待ってください! カズマは先のデストロイヤー戦で、見事な指揮を取った功労者ですよ。カズマが居なければ、恐らく被害は更に出ていた事でしょう。それに、この男はセクハラや小さい犯罪は犯しても、そんな大それたことをするような輩ではありません」

 青髪女神や魔法使いの少女が彼女達なりに擁護するが、検察官の眼鏡は一顧だにしない。ただ黙して、眼鏡の奥の瞳を冷徹に細めるばかりである。

「この男にそんな度胸は無い。何かの間違いだろう検察官殿。こやつは屋敷で薄着でうろつく私をいやらしい目でガン見する事は出来ても、夜這いの一つも仕掛けられない様なヘタレなのだからな」

「お前らふざけんなよ! さっきから聞いてれば擁護してるんだかケンカ売ってるんだか分かんねぇ事ばっかり言いやがって! 俺にも選ぶ権利位あるんだからな、この自意識過剰共め!!」

 見かねた女騎士も積極的に擁護に走ったが、その言い様についに少年も怒りだした。検察官そっちのけで言い合いを始めてしまう。

「貴様、風呂場ではこの私にあんな事までさせておいて……っ!」

「あの時はサキュバスに操られていたからな! お前だって雰囲気に流されて、俺の背中流したりしてただろ。なんだ期待でもしてたのか、どんだけチョロいんだよこのお手軽女め!」

「お、お前やっぱり記憶があるじゃないかっ!! エリス様に仕える清い体のままのこの私が、チョロいお手軽女だと……。ぶっ殺してやる!」

 女騎士と少年が取っ組み合いを始めたが、それはさておき話を聞いていた他の冒険者達も騒ぎ始めた。彼等もまた、最弱職の少年が最前戦で活躍していた所は見ていたのだ。口々に少年の無罪と、国家権力の横暴に対して抗議の声を上げて行く。冒険者は自由なのだと連呼する。

「……国家転覆罪は主犯以外にも適応される場合がある。この男と共に牢獄に入りたい者が居るなら、止めはしないが……」

 検察官の女性が眼鏡をくいっと押し上げながらそんな事を漏らすと、騒いでいた冒険者達は水を打った様に静まり返った。その場のノリで声を上げたとしても、誰もが自分は犯罪者にはなりたくない物である。

 そしてそれは、少年の仲間達も例外では無かった。

「確かカズマはあの時こう言ったわ。『大丈夫、全ての責任は俺が取る。俺はこう見えても運がいいらしいぞ』って。確かに言ったわ!」

「も! もし私がその場に居たら、カズマを止める事が出来たのに。しかし私はその場に居ませんでしたので、仕方ありません、ええ仕方ありませんね……」

 いち早く少年から距離を取り、女神と少女は少年に全ての罪をおっかぶせる策に出た。自分を切り捨てる為の言葉に、少年は分かっていたよと瞳の色を濁らせる。そうだ、こいつらはこんな奴だ、と胸の内で納得してしまったのだろう。取り乱す事無く絶望していた。

「はっ、そうか! 主犯は私だ、私が指示したのだ! だからその牢獄プレ――いや、激しい責めを負わせるならこの私に!!」

「はぁ? 貴方は巨大な狼に振り回されて、肉壁にされていただけだと報告されていますが」

「肉っ!? っはぁっ!」

 女騎士も女騎士でなんかもう駄目だった。むしろ、検察官に肉壁呼ばわりされて喜んでいる。やっぱり駄目だった。

「あのっ! テレポートを使ったのは私なので、連れて行くなら私を――」

「しーっ! 駄目よウィズ、犠牲が一人で済むならそれに越した事はないわ。私達はカズマさんが、無事にお勤めを終えるのを待っていてあげるのよ!」

 魔道具店のリッチー店主が名乗り出ようとするのを、青髪女神が素早く口を押えて押し止める。元より庇うつもりでいたからリッチー店主の方は良いが、少年をお勤め確定に考える青髪女神の態度に、更に絶望が深まった。

 最後に周囲の冒険者達を見回すが、誰もかれもが最弱職の少年から視線を外して擁護はしてくれない。それどころか一部は少年の悪行を暴露し、何時かやると思っていた等と囃し立てる始末だ。

「お前ら……、覚えてろよ……」

 分かっていた。全部分かっていた。ただ、それを認めたくは無かったのだ。それでも、現実は変わらない。

 最弱職の少年は肩を落としながら検察官の前に歩み出て、自ら両手を揃えて差し出した。最早逃げ出す気力すらも消え失せている。さっさと捕まえて、この場から連れ出してほしいとさえ思う。

「僕も、一緒に捕まえて貰おうかな」

 今まで黙り通しだった召喚士が、久々に口を開いてそう言いだした。周囲は当然ざわつく。こいつは一体、何を言い出しているのだと。

 検察官の女性は眼鏡をまたクイッと持ち上げて、不躾な視線でじろじろと召喚士を観察し始めた。

「貴方は……、先の戦いにおいては召喚魔法で被害を減らす役割を担ったと聞いている。今の所、そちらの男以外に容疑はかかって居ないと言うのに、わざわざ自分から捕まると言うのか?」

「僕はカズマに言ったんだ。『カズマが何を選択しても、僕はそれを尊重する』って。彼が責任を負う事を選択したのなら、僕はそれを大いに尊重する。それで同じ罪に問われるというのなら、謹んでこの身を預けようと思う」

 検察官の女性の至極真っ当な物言いに、召喚士は真っ直ぐ視線を逸らす事無く思いを告げる。何時もの様なにやついた表情は影を潜め、ひたすらに真摯な態度で相対する。これは本当に何時もの召喚士か。周囲の者達は奇異な物を見る目で状況を見守っていた。

 召喚士の視線を受ける検察官の女性は、小馬鹿にした様に鼻を鳴らす。

「ふん……、よかろう。そんなに容疑を掛けられたいと言うのならば、この男と同じ牢に入れてやる。拘束しろ!」

 両脇に居た二人の騎士に命が飛び、最弱職の少年と召喚士は後ろ手に縄で拘束される。

 その際に召喚士の腕が少し強めにひねり上げられ、その痛みに召喚士が軽く呻いた。そして、体から力が抜けてぱたりとその場に倒れ込んでしまう。

 拘束していた騎士はそんなに強くした自覚は無く、どうせ演技だろうと召喚士を乱暴に起こそうとし、そこで気が付いてしまった。脈が無い。

「し、死んでいる……」

「ちょっ、ちょっとーー!!??」

 部下の唐突な言葉に、真っ先に驚愕したのはなんと検察官の女性であった。今までの冷徹で厳しい印象をかなぐり捨てて、大声を上げて部下の騎士を糾弾し始める。

「何やってるんですか!? 容疑者を拘束しただけで死なせてしまうなんて、とんでもない不祥事ですよ! ああああ、誰かヒールを! いえ、リザレクションを!!」

 鉄面皮だった表情は涙目になり、わたわたと大慌てで周囲に助けを求める。この検察官、意外と素は可愛らしい人なのかもしれない。

 今までのシリアスな空気をぶち壊し、周囲の冒険者達も巻き込んで大わらわする様子を眺め、最弱職の少年は拘束されたままで心の中で強く思っていた。その思いが、思わず唇の隙間からこぼれ出る。

「帰りたい……、もう日本に帰りたい……」

 切実に、涙と共にこぼれ出る郷愁の念であった。

 ちなみに、召喚士は青髪女神が試しにヒールを掛けたらあっさりと復活。腫れものを扱う様な丁寧さで警察署に連行されました。

 

 

 アクセルの街、その中央区にある警察署。余程素行が悪くない限りはお世話になる事は無い施設だが、今は最弱職の少年と召喚士がとてもお世話になっている。

「取り調べは明日行う。裁判が終わるまでは、ここがお前達の部屋だ。せいぜい大人しくして居ろ。特に召喚士の方は、壁とかにぶつかって死んだり、転んで頭を打って死んだりしない様に気を付けるんだぞ」

「こいつは水槽に入れられたマンボウか」

 鉄面皮でキレのある女も、流石に目の前で脈を止められたのは堪えたらしい。少年がすかさずツッコミを入れるが、検察官とその部下達は取り合わずに去って行った。

 少年と召喚士は今、警察署奥の薄暗い牢屋に閉じ込められている。部屋の中には薄っぺらい毛布が有るだけで、他には部屋の隅に小さな簡易トイレがある程度。季節は冬だと言うのに石造りのその部屋は、吹きっ晒しの格子窓のせいでひんやりと程よく冷たくなっていた。

「はぁ……、どうせ泣いても叫んでも無駄だろうし、とにかく今は体を休めようぜ」

 最弱職の少年には意外にも冷静であった。恐らく一人で連れてこられたのなら、不安で咽び泣いていただろうが今はそうではない。その事で心に余裕が出来ているのだろう。

 床には申し訳程度に藁が敷いてあるので、少年はその上に座り壁に背を預ける。召喚士もそのすぐ傍に座り込んで、畳んであった毛布を膝掛け代わりに乗せていた。

「それにしても、お前も律儀な奴だな。あの時の言葉を守る為に、わざわざ自分からとっ捕まるなんて」

「それを言ったらカズマも同じだよ。ウィズを庇おうと思って、名前を出さなかったんでしょう?」

 元々馬小屋暮らしで慣れているので、寒い事もあって二人は自然に肩を並べている。その上で、二人の距離は何時もより微妙に近づいていた。召喚士はその上、何時も目深に被っているフードを下ろして、閉じ込められていた長い黒髪を下ろす。太い三つ編みに編まれたそれがまるで尻尾の様に垂れ下がり、ふわっと蜂蜜の香りが部屋に広がった。

 そんな状況に気が付いて、少年は一人だらだらと冷や汗を流し始める。何だこの状況は、距離近くね? 男同士なのに近くね? 等と心の声がくっきり表情に現れてしまう。

「落ち着けー俺ー。こいつは男、こいつは男……。惑わされるなー……」

「君がそう言うのならそうなのだろう。僕はどちらでも構わないのだけれどね」

 体育座りでローブに包まれる召喚士は、何時も通り唇を歪ませてけらけらと笑う。からかわれている事に気が付いた少年は、唇を引き結び膝を抱えて蹲ってしまった。

「でも、お前のおかげで助かったよ。俺一人なら今頃、どうしていいか分からなくて狼狽えてただろうからな」

 見知った人間がすぐ傍に居る。これは少年の心に掛る重圧を、確実に軽減させてくれていた。本来なら泣いて縋りたい程だが、素直になれない少年はぶっきらぼうに顔を逸らして言うのが限界だ。

「カズマには沢山楽しませてもらっているからね。それに、辛い時に誰かが傍に居てくれるありがたみは、骨身に染みて知っているから……ね?」

 召喚士は口元で笑っている時も、その黒の瞳がどこか寂し気に遠い場所を見ている時がある。そのおかげで平静を取り戻せた少年は、ぽりぽりと頬を掻いて前々から思っていた事を聞く事にした。

「なあ、ローはどうして俺達のパーティに入ってくれたんだ? 元々は道を尋ねただけの間柄だったのに、気が付いたら一緒にバイトして馬小屋生活する様になって……。その後も、当たり前みたいに同じクエストに出かけてたよな」

「…………迷惑だったかい?」

 珍しく、眉根を寄せた表情で言う召喚士に、少年は頭を振ってみせた。

「違うよ、そんな風に思ってるわけじゃない。ただ、ローは体力が無いだけで召喚術は最初から優秀だっただろ? だから、うちみたいなポンコツパーティ以外でもやって行けたんじゃないかなって思ってさ」

 言ってからどうにも居心地が悪くなって、少年は両手を後ろ頭で組んで壁に寄りかかる。これではまるで、召喚士を糾弾か問い詰めている様ではないか。

 しかし、横目で盗み見た召喚士は、気分を害す事も無く薄く微笑んでいた。

「楽しそうだった。僕も、輪の中に入りたかったんだ。昔みたいに、わいわいと集まって騒いで。馬鹿みたいに騒いで……。それが凄く、楽しくて……、楽しくて……」

 目を閉じて思い出の中に浸る。どこまでの昔を思い出しているのかは分からないが、少なくとも少年の目には幸せそうに見えていた。なんだろう、そんなに嬉しそうにされると今度は背中が痒くなって来る。

「そ、そうか、無理に付き合ってる訳じゃないなら良いんだ。ローが居ると、何かと召喚獣にフォローしてもらえるからな」

「ふふっ、そう言って貰えるなら、僕も心置きなく楽しめるよ」

 そう言ってにっこりと笑う召喚士に、少年も思わず口角を上げてしまった。召喚士の幸せそうな雰囲気が、少年にもうつってしまった様だ。

 せっかく二人きりで話す機会が出来たのだ、どうせ明日までする事も無いのだし、たまには珍しい組み合わせで語り合うのも悪くない。最弱職の少年はそんな事を考えて、召喚士と共に他愛の無い会話を楽しむ事にした。

「ローってぶっちゃけ、俺と同じ所の出身かと思ってたんだ。目と髪が黒いしー、すげえ召喚術とか使えてるしー」

「それ、盗賊の女の子にも同じ事を言われたよ。僕は残念だけどニホンジンって奴じゃないな。カズマはニホンジンなのかい?」

「あー、まあそうだな。ちょっと事情があって、アクアと一緒にこっちに来る事になって――」

 話題は尽きずに夜も更けるまで語り合い、二人はほんの少しだけ今までよりも仲良くなれた気がする。狭い牢獄の中が、少しだけ暖かく思える時間であった。

 

 

 夜も更け切って、深夜に差し掛かった頃。牢に入れられた最弱職の少年は語り疲れ、毛布に包まってぐっすり寝入っていた。召喚士も同じ様に寝入っていたが、こちらは座ったまま毛布を体に巻き付けて、壁に寄りかかった姿勢で横にはなっていない。警戒心が強いのか、ただ器用なだけなのか。

 何も無ければ朝までぐっすりと言った寝付き方だったが、床に寝ていた少年は地震の如き振動を感じて目を開け、同時に聞こえて来た轟音に体を起こすのであった。

 まるで町全体が揺さぶられるかの様な振動と爆音。これは――

「ちょっとカズマ……、カズマ起きなさいよ……」

 聞こえて来た声に、ふいと顔を格子窓に向けると、そこには昼間に少年の事を見捨てた青髪女神の顔が。彼女は少年と目が合うと、びしっと親指を立てて見せた。

「アクア!? ああ……、お前がここに居るって事は、今の揺れと音はめぐみんの爆裂魔法か」

「良く分かったわね! そうよ、めぐみんが街外れで爆裂魔法を使ったから、署員達は大慌てで皆出て行ったわ。今頃ダクネスが、動けなくなっためぐみんを回収している頃でしょうね。さあ、今のうちに脱走するわよ!」

 まさか見捨てておいて今になって助けに来るとは。全く想定して居なかった少年は、ほんのちょっぴりだが嬉しくなってしまった。でも、そんな事は素直に口に出来ない。

「それなら昼間にもっと庇えよな……。それに、脱走なんかしたら余計に疑われるんじゃないのか?」

「国家転覆罪は最悪死刑になるってダクネスが言ってたわ。身元の怪しい冒険者なんて、事実を捻じ曲げられて有罪にされるに決まってるでしょ。良いからこれで、さっさと鍵を開けて逃げるのよ」

 流石は文明が中世レベルの異世界、司法関係までいい加減だ。そんな風に戦慄する少年に、窓の外から女神は曲がった針金を一本投げて寄越す。

「それを使って鍵を開けたら、後はカズマの潜伏スキルで二人一緒に表に逃げ出すのよ。それじゃ、私は外で待ってるから。早く来てよね!」

 言うだけ言って青髪女神は引っ込んでしまった。簡単に言ってくれたが、少年は鍵開けスキルなぞ持ってはいないと言うのに。まあ、せっかくなのでやるだけやってみようかと、針金を拾って鉄格子の出入り口に歩み寄る。

 鉄格子の扉を縛めるのは、数字の並んだ円筒形の錠前であった。

「ダイヤル式じゃねーか……」

 早々にやる気をなくした少年は、それーっと窓から針金を放り投げる。そのまま再び毛布に包まって、青髪女神を省みる事無く寝入ってしまった。

 一連のやりとりの後、もぞもぞと召喚士が毛布の隙間から手だけを出してパチンと指を鳴らす。それだけやってから、再び毛布に潜り込んで座ったまま寝息を立て始める。終始マイペースな奴であった。

 

 

 翌日、まずは主犯の前におまけを片付ける為か、召喚士が一人で取調室に連れて来られていた。

 簡素なテーブルと椅子が中央に置かれ、部屋の奥に書記の為の更に小さな机があるだけの小部屋である。この中に人が四人も入れば、中はたちまち息苦しさを感じる狭さになってしまう。

「さて、容疑者サトウカズマを最後まで庇った貴様には、奴の容疑を固める為の尋問を行わせてもらう」

 冒険者ギルドで二人を捕らえた時と同じく、あの時の検察官の女性が取り調べを担当する様だ。彼女は前置きと共に、机の上に小さな魔道具を置いて召喚士に見せつける。

「知っているかもしれないが一応説明しておく。この魔道具は嘘を暴く物で、一切の隠し事は出来ない様になっている。発言にはせいぜい気を付ける事だ」

 威圧的に言う検察官の女性の表情には、魔道具への絶対の信頼が見て取れる。恐らくは、この魔道具で何度も容疑者の嘘を見破り、有罪判決を勝ち得て来たのだろう。

「ではまず、名前と職業から証言してもらおう」

「僕の名前はローズル『チリーン』」

 召喚士が名前を言った瞬間に、早速魔道具が反応した。秒殺の経歴詐称がカリカリと書記の手によって記入される。

「貴様、偽名を名乗っているのか? いや、しかしギルドカードにはしっかりとローズルと……」

「僕は偽名なんて名乗ってはいませ『チリーン』」

 今度は食い気味に鳴りだした。だが、この魔道具を信用するならば目の前の人物は名を偽っているという事になる。検察官の女性は視線をより厳しくして、再度問いただす事にした。

「……まあいい、証言を続けろ。今度は本当の事を証言するのだぞ」

「僕の名『チリーン』。職業は召喚『チリーン』。性別は男『チリーン』。実は女で『チリーン』。昨日の天気は晴れ『チリーン』。くふっ、あはははは!『チリーン』『チリーン』」

 何だこのふざけた状況は。目の前の笑い始めた召喚士を見て、検察官の女性は戦慄する。明らかに矛盾した言葉にも、笑い声にすら魔道具が反応して音を出しているではないか。

「ぽっぽっぽー『チリーン』『チリーン』『チリーン』」

「ええい、止めんか! 貴様、この魔道具に何をした!? こんな反応が起こるなんて、初めての事だぞ!!」

 終いには、歌の調子に合わせて鳴りだす始末。原因と考えられる召喚士に疑問をぶつけるが、問われる方も頭を掻いて困惑を見せている。

「そんな事を言われても、僕には心当たりは何一つありません『チリーン』」

 この世に嘘しか言わない人間がいるものだろうか。それとも、目の前の召喚士は息をする様に嘘を吐いているとでも言うのだろうか。でたらめしか喋らない犯罪者はいても、口から出る言葉が全て嘘と言うのは……。

 結局、初めて見る魔道具の異常な反応に、検察官の女性は魔道具の故障を疑った。

「暫し待て。魔道具の調子がおかしい様だ。予備の物と交換してから尋問を再開する」

 そうして新たな魔道具が持ち込まれ、召喚士の声全てに反応する様になった物と交換される。これで仕切り直せると大きく息を吐き、女検察官は再度の詰問を開始した。

「まずは……、名前だ」

「僕の名前はローズルです」

 今度は、魔道具は反応しなかった。その事実に女検察官はホッと息を吐く。これで確信出来た、先程の魔道具の反応は故障であったのだと。

 女検察官はうんうんと満足げに頷いて、漸く取り調べに集中する事が出来た。

 途中までは。

「ちなみに、本当の所性別はどっちなのだ?」

「どちらでもあり、どちらでもない。……どっちの方が嬉しい?」

 必要な質問を聞き終えて、やはりこの召喚士は義憤に駆られて仲間を庇っただけだと確信出来た。魔道具はこの召喚士を、テロリストでも魔王軍の者でも無いと判別したのだから。

 そして、その中性的な容姿が気になって、何気なく尋ねてしまった他愛無い一言。その答えに、召喚士は真面目に答えていないと女検察官は思った。しかし、予想に反して魔道具は反応しない。

 嫌な予感がした。

「私は……、女性だと嬉しいと思う……『チリーン』」

 女検察官の言葉に魔道具が反応し音を立てる。そう、こんなに綺麗な顔をした人物が、男であった方が女としては嬉しいに決まっている。自分の心に嘘を吐いた結果、魔道具は正常に作動したのだ。この魔道具は故障していない。

 では、今の質問の答えは一体。いや、それ以上にこの召喚士は一体なんだと言うのだろうか。

「貴様は一体……?」

 その質問には召喚士は答えず、にやりと口元を歪めるだけ。ぞくりと背筋を悪寒が這い上がる様な、得体の知れなさを感じさせる笑みだった。

 そして、いつの間にか女検察官の視界の端に、メイド服を着た女の子の姿が――

 

 

 その日尋問を受けるのは、結局召喚士だけの様だ。取調室から帰って来た召喚士が牢に戻されると、連れて来た騎士達は何も言わずに立ち去って行く。

 こちらに背を向けて歩き去るその姿は、ふらふらとしてどこかおぼつかない様に見えた。

「なんかあいつ等、様子が変じゃなかったか? 取り調べで何かあったのか?」

「さあー? 僕はずっと質問に答えていただけだよ」

 しれっと語る召喚士は、出て行く前と同じ位置に戻り座り込む。寒い寒いと言いながら、ローブと毛布に包まって膝を抱える姿はどこか年寄りじみて見えた。

「なんかローって、昔話とかいっぱい知ってそうなイメージだよな」

「んー? 物語は確かに好きだよ。いきなりどうしたんだい?」

 まさか、老けて見えたなんて真正面から言い辛い少年は、いやぁと頭を掻いて言葉を濁した。召喚士は小首を傾げていたが、やがてとつとつと語り始める。

「そっか、退屈だからお話しが聞きたいんだね。そうだなぁ、旅をする三人の神様の話をしてあげようか」

 この召喚士は本当に極まれにだが、青髪女神の様なお節介の焼き方をする事がある。頼られるのが嬉しいのか、どちらもニコニコしながら的外れな事をする辺りが良く似ていた。

 たが、退屈していたのも確かな事実。最弱職の少年は特に止めようとは思わずに、語られる話に耳を傾ける事にした。

「むかしむかしあるところに、三人の神様が居ました。一人は脳筋で、一人は頭でっかち。最後の一人は大ウソつきでした」

「どっかで聞いた事がある様な特徴のキャラだな、それ。その話、今作ってる訳じゃないよな?」

 そうして語られた『お話』は、楽しげに語る召喚士の様子も相まって少年を夢中にさせる。巨人の国の冒険や、小人を騙して武器を作らせる話等、胸躍る展開に時間が瞬く間に過ぎ去って行く。語られる話の内容に時に感心し、時に鋭いツッコミを入れて、二人は互いに笑顔を浮かべ合う。

 夕食が運ばれて来て中断されるまで、少年と召喚士の語らいは続くのだった。

「ふう、それにしても頭でっかちの神様は酷い奴だな。嘘つきの神様に面倒な事を押し付けて、自分は良いとこ取りばっかりとかムカつく」

「うふふ。その神様はきっと、それが解決への一番の近道だと思っていたんだよ」

 食事を食べ終えて、眠るまでのつかの間に、先程聞かされた物語を反芻する。娯楽の少ないこの世界、更に本すら無い今の状況では、語り合える仲間の存在がありがたい。

「カズマも物語が大好きなんだね。こんな話で喜んでもらえるなんて嬉しいよ」

「まあ、ネトゲの元ネタとかはそれなりに調べた事はあるし、ラノベとかはよく読んでたからな。って、こんな言い方じゃお前は分からないか」

 苦笑いを浮かべる少年に、召喚士は変わらない笑みを見せ続ける。否定も肯定もしないが、笑っているのは何時もの事なので少年は気にしない事にした。深く突っ込んで、ボロを出すのも面白くはない。

「まあ、お前風に言うなら、物語を良く読んでいたって事だな」

「物語を良く読んでた……。それならカズマは、メアリー・スーって言葉に聞き覚えはあるかな?」

 それは、唐突な質問であった。今までの楽し気な歓談の流れのままに、どこか毛色の違う違和感を少年に感じさせる。だが、それも一瞬の事で、これも他愛の無い話題の一つなのだろうと言葉を返す事にした。

「メアリー・スーってあれだろ? 二次創作とかでとんでもない性能の人物を登場させて、ハーレムしたり原作キャラの活躍を奪ったりとかするキャラの事だろ? 魔剣のえーっと、マツルギ? みたいな奴の事だな」

「広義的な意味では、概ねその解釈で間違ってないね。理想化されたオリジナルキャラクター。作者の願望を形にした存在とも言われている」

 そんな話をどうして今するのだろうか。最弱職の少年にはその理由が分からなかった。だから素直に聞いてみる事にする。こういう時はシンプルな方が近道と言う物だ。

「そのメアリー・スーがどうかしたのかよ? もしかしてマツルギに何かされたって話か?」

「ううん、彼にはあれから何もされていないよ。ただ単に、そのメアリー・スーに関したお話があったんだ。けど、もうずいぶん遅い時間になってしまったね。この話はまた時間が出来た時にしてあげるよ」

 確かにもう星明りが差すばかりの牢の中は、相手の顔が見え難い程に暗くなっている。ここまで振っておいてお預けと言うのも無碍な話だが、ドMの女騎士でもあるまいしと思い直して少年も寝る事にした。

「まあ、裁判までまだ幾らでも時間があるからな。さっさと寝るのも良いだろう。おやすみ、ロー」

「うん、おやすみ。カズマ……」

 毛布に包まって横になると、あっと言う間に眠気が襲って来る。存外、話し疲れていた様だ。少年はそのまま目を閉じて、あっさりと意識を手放すのであった。

 

 

 轟音と振動。寝入ってからどれぐらい立ったのか、最弱職の少年は先日も感じたその二つに、来るモノが来たかと体を起こした。

「カズマ、起きなさい! ちょっとカズマったら!」

 そして聞こえてくるおなじみの声。昨日に引き続き、格子窓から青髪女神が顔を出して、それを見上げる少年に手招きをしている。

「おう、また来たのかお前。昨日はあれからどうした?」

「あっ、そうよ! 昨日はどうして出てこなかったの? あれからずっと表で待ってて、頭に雪が積もったり、何度も職質されて大変だったんだから! あのメイドの子、へーが傘を持って迎えに来てくれなかったら、きっと風邪引いてたわよ」

 馬鹿は風邪引かないんじゃないかとか、どうしてメイド娘が召喚されてるのかとか、言いたい事は色々あったが少年はそれらを全て飲み込んだ。この青髪女神と問答をしても、まともな会話は成立しないと思ったからだ。

 とりあえず、向こうの質問にだけ簡潔に答えておく。

「鍵がダイヤル式なんだよ。針金でどうこうする以前の問題だ」

「……この世界の警察もやるわね。ちなみに昨日の爆裂魔法も、私達が犯人だってあっさりばれちゃったわ。誰にも見られてない筈なのに、物凄い捜査力ね。でも今回は大丈夫! 嫌がる二人に覆面を被らせたから、絶対にばれないわ!」

 爆裂魔法を使うからだろう。その一言も少年は飲み込んでおいた。今はもう、この疲れる会話をさっさと終わらせたい。

「それで、今日はどうやって脱走するつもりなんだ?」

「ふっふっふっ、今日はこれよ。こいつを使って鉄格子を切って脱出するの。タイムリミットは朝までだから、カズマも一緒に手伝ってよね!」

 少年が催促すると、青髪女神は独房の中に持ち手の付いた糸ノコギリを投げて寄越して来た。金属製の格子を手作業で切断しろと言うのか。

「っていうか、そもそも窓が高すぎて届かないんだけど」

「ふっふーん、その点は抜かりないわ。ちゃんとカズマの分の踏み台も持って来たのよ」

 それはそれは見事なドヤ顔で、青髪女神は木箱を見せ付けて来る。その木箱の大きさは、とてもじゃないが窓の格子を潜れそうにもない。

 どうやってそれを中に入れるんだと、今度ばかりは言葉を飲み込めずに少年が尋ねると、青髪女神はちょっと待っててと言い残して頭を引っ込めた。

 やがて、警察署の表が騒がしくなる。

「違うんです! えっとこれはその、カズマに必要な物で差し入れに!」

「踏み台の差し入れなんて聞いた事ないですよ。それにこんな時間になんですか。貴女昨日も署の前で座り込んでいましたよね?」

 まさか正面から行くとは恐れ入った。問答はそのまま職務質問に移行したので、おそらく今日はもう女神は戻っては来ないだろう。

 微妙な表情で表の騒ぎを聞いていた少年は、手にした糸ノコギリを始末して寝る事にした。

「ま、あいつのあの前向きな所は嫌いじゃないけどな。それーっ!」

 格子窓からノコギリを捨てて証拠を隠滅。後はもう、外からの音を遮断する様に頭から毛布を被って、少年は夢の世界へと逃避する。

 壁際で膝を抱えた姿勢で寝入っていた召喚士が一度もぞりと動いたが、今夜は何もせずにそのまま再び眠りに着いたのであった。

 

 

 翌日。

 ついに少年は取調室に連れ出され、今は女検察官と差し向かいで椅子に座らせられていた。背後には暴れた時の為なのか騎士の一人が立っており、部屋の隅にはやはり書記の男が小さなテーブルに着いている。

 きつい眼差しの女検察官は、間にある机に小さな魔道具を置いて、眼鏡の位置を直してから口を開いた。

「この魔道具は嘘を見抜く。裁判での心証を少しでも良くしたいのであれば、昨日の召喚士の様に正直に聞かれた事に応えなさい」

 部屋の雰囲気と周囲から与えられる圧力で、少年の胃は既に鉛を飲んだ様に重くなっている。そのせいで最弱職の少年は、女検察官が召喚士の話をした辺りで少しぼんやりとした事を見逃してしまっていた。

 そして尋問が始まる。

「では、まずは出身地と、冒険者になる前に何をしていたかを聞こうか」

「出身地は日本です。そこで学生をしていました『チリーン』」

 尋問は最初から嘘で始まった。女検察官の視線が余計に厳しい物になり、出身地と経歴詐称を書記官がカリカリと調書に記して行く。

「待ってくれ! 別に嘘は言ってない筈だ!『チリーン』」

 弁明しようとした少年の言葉も、魔道具は容赦なく嘘だと訴える。もう言い訳をする気力も無くなって、項垂れた少年が証言を訂正して発言し直す。

「出身地は日本で、毎日家に引きこもって自堕落な生活を送っていました」

「…………どうして学生などと見栄を張った……」

 別に見栄を張った訳ではない少年の眦からは、涙が一滴零れ落ちた。もはや彼のプライドはずたずたである。

「では次に、冒険者になった動機を聞こう」

「魔王軍に苦しめられる人達を救うため『チリーン』。……冒険者ってなんか格好良さそうで、楽して大金稼いで、女の子にモテモテになれると思って目指しました…………」

 ちくしょうこの魔道具嫌いだ! 心の中で魔道具を罵倒する少年の、悔し涙がまた一滴。

 最弱職の少年の証言に若干引き気味になった女検察官は、更に領主に対して恨みを持っていないかも問いただして来る。少年に国家転覆罪を企てる動機があるかどうかを確認したいのだろう。

「一応高額な賞金も貰ったし、街の修繕費と引き換えなら仕方がないと納得『チリーン』。正直、そう言って仲間を納得させましたが、街を救った英雄にこの仕打ちかよ、ぶっ殺してやる! と思いました……」

 あまりと言えばあまりな証言の数々に、女検察官も言葉を失って冷や汗を流す。恐らくは、ここまであからさまに嘘を吐く様な相手は初めてだったのだろう。あまりの情けなさに、少年の顔からは火が出そうである。

「あの、ちょっといいですかね? いっその事、ストレートに聞いてくださいよ。『お前は魔王軍の手の者か?』とか、『領主に恨みがあって指示したのか?』って。何度も言ってる様に、あの時のテレポートの指示は街を守る為にした事です。本当ですよ?」

 最弱職の少年は紳士な表情で訴えた。その発言には、嘘を見抜く魔道具は全く反応しない。当たり前の事だ、あの時点では本当に街を護る事しか考えていなかったのだから。

「……どうやら、自分が間違っていた様ですね。貴方に関しては、悪い噂ばかりを聞いていたもので……。申し訳ありませんでした……」

 魔道具の反応で少年を無実だと確認した女検察官は、まるで別人の様に態度を軟化させた。言葉だけでなく、頭を深々と下げて謝罪までしてきたのだ。それどころか、口調を変えた事が気恥ずかしいのか、居心地が悪そうにモジモジとしている。

 今までのきつい態度が仕事用の物だと理解した最弱職の少年は、それに安堵すると同時に意趣返しがしたくなってしまった。

「はっ! まったく、人を噂だけで犯罪者扱いするなんて、検察官として恥ずかしくないんですかねぇ!?」

「すっ、すみません、すみません! これも仕事な物で……」

 今まで散々偉そうにしていた相手が怯えながらぺこぺこして来る。その快感にますます調子に乗ってしまう。

「俺の今までの功績を知ってますか? 魔王軍幹部の討伐に、デストロイヤーの破壊! この街の危機を何度も救った英雄に対して、感謝の言葉も無く責め立てるだけなんてねぇ!」

 この上なくふんぞり返って、座った椅子をぎしぎしと軋ませる。それに相対する女検察官は、汗顔の至りと言った有り様だ。

「くっ……、本当に申し訳ありません。もちろんサトウさんの功績は存じております。しかし……」

「しかし!? しかし、なんですかね!? というか、この警察署は容疑の晴れた相手にお茶の一つも出ないんですかね! なんならカツ丼でも良いのだけれど」

 カツ丼と言う物が分からなかった女検察官だったが、恐縮しきっていた彼女は言われるがままにお茶の用意をしに向かってしまう。

 やがて、用意されて来たマグカップのお茶をひと啜りして――

「ぬるい!! ここの検察官はお茶の一つも入れられないのか!?」

「すっ、すみません! 申し訳ありません!」

 もうやりたい放題である。

 ペースを握ると悪知恵が働くのがこの少年。的確に相手の嫌がる事を思いつき、そしてそれを非情に実行してしまうのが彼の真骨頂である。絶好調の少年は、弱り切った女検察官に追い打ちをかけた。

「そのきつそうな態度と相まって、どうせ彼氏の一つも居ないんだろう。せっかくだから魔道具に聞いてみようか、男っ気の一つでもあるのかね?」

「ありません」

 部屋の温度が下がった。女検察官の表情が仕事モードの物に戻り、地雷を踏んだ事に気が付いた少年の顔から血の気が引く。

「ええ、ありませんとも。この性格が災いして、この年にもなって男っ気の一つもありません。これで満足ですか? あまり調子に乗らない様に……」

「あ……、はい。すみません……」

 女検察官の力を取り戻した眼光に、最弱職の少年が完全に委縮させられてしまった。

 攻守がまた入れ替わるかと思われたが、女検察官は深々と溜息を吐いて気分を入れ替える。魔道具で無実が証明されたのは確かなので、これ以上少年を責め立てるつもりは無いようだ。

 その様子に安堵しつつも、少年には気になる事がある。

「だいたい、悪い噂っていったい何なんだ? 捕まった時に他の冒険者達が言ってた様な事か?」

「それもありますが、他には年若い少女の下着を公衆の面前で剥ぎ取ったり、同居しているクルセイダーにお風呂で強引に背中を流させたり、役に立たないプリーストをダンジョンの奥に置き去りにしたり等、人間性を疑うような噂が……。噂ですよね……?」

「噂です『チリーン』」

 女検察官の中で、少年の人間性は地に堕ちた。最早視線は絶対零度に近い物となっているが、仲間内での問題にまで口出しをする程検察は暇ではない。

「……貴方が巷ではなんと言われているか知っていますか? カスマとかクズマとか――」

「ひっ、ひどい! 一体誰なんだそんな事を言いふらしている輩は!」

 弄れば弄るほどに、少年の尊厳はボロボロと剥がされて行く。目の前の少年が大それた事が出来る悪人とは思えなくなった女検察官は、徒労感を溜息にして吐き出すと尋問を纏めに掛かった。

「まったく。最後に念のため確認しますが、貴方は本当に魔王軍の関係者ではないのですね? 魔王軍の幹部と交流を持ったりはしていませんね?」

「ありませんよ、当たり前じゃないですか。俺がそんな大それた事『チリーン』が……、できるおとこに……みえ……ます……か?」

 最後の最後でやらかしてしまった。女検察官が無表情になり視線を冷たい物にするのを見詰めながら、最弱職の少年は頭の中で一人の人物を思い浮かべる。

 魔道具店のリッチー店主、なんちゃって魔王軍幹部のぽわっとした表情を。

 

 

 魔王軍の幹部と交流があると暴かれてしまった少年は、あっと言う間に翌日を迎えて処刑台の有る丘にまで連行されていた。

 取調室から牢獄に戻った後は失意のどん底にあり、同室の召喚士に縋りついて泣いていた記憶しかない。泣き疲れて眠ってしまい、気が付いたらこの場に居たような状態だ。

 今は処刑場の側に仮設された簡易裁判所で、青空の元裁判が始まるのを待たされている。裁判所の中央には例の嘘を見破る魔道具が設置され、言い逃れも許されない状況が出来上がっていた。

 いよいよ目の前に迫って来た処刑への圧力が、胃の底から湧き上がって今にも喉から迸りそうだ。

「おぅえええええええええええええっ!!!」

 迸った。幸い反吐が出る様な事は無かったが、それでも胃がキリキリと締め付けられるのには変わりない。

「緊張しているのですね。無理もありませんが、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」

 緊張で過呼吸気味になっている少年の背中を撫でながら、魔法使いの少女が優しげに声を掛ける。彼女と、そして他の仲間達も、少年の弁護をする為にこの場に集まっていた。無論、青髪女神も少年の弁護人だ。

「紅魔族は知能が高いのです。あの検察官が涙目になる位に論破してやりますよ!」

「今回の件は、お前は何も悪くない。いよいよとなったら、この私が何とかしてやる。安心していろ」

 女騎士も落ち込む少年の肩に手を置き、力強く励ましてくれる。頼もしい、実に頼もしい弁護人達だ。問題は最後の一人。

「まあ、この私に任せなさい! 聖職者である私の言葉には凄い説得力があるわよ! ドンと任せればいいと思うの!」

 そう言って張り切る青髪女神の言動は、最弱職の少年の胃にトドメを刺しかねない。確実な不安要素を抱えたままで、容赦なく裁判開始が宣言された。

 法廷の正面、一番高い位置に裁判長と思われる中年の男が座り、手にした木槌を振るって静粛を呼びかける。仲間達は同じ被告人の召喚士を残し、弁護人席に戻って行った。

「これより、国家転覆罪に問われているサトウカズマへの裁判を執り行う! 同罪ほう助を疑われているローズルは、今は弁護人席に戻ってよろしい。告発人はアレクセイ・アーネス・アルダープ!」

 あくまでこの場は最弱職の少年の裁判と言う事で、傍に居た召喚士は仲間達の元に戻る様に促される。そして、同じ様に名前を呼ばれた検察側に座る男が立ち上がった。

 でっぷりとした大柄の体に、好色そうな表情の頭を乗せた、毛深い中年の貴族の男。これが悪名高いアクセルの街の大領主、最弱職の少年を訴えた屋敷を破壊された張本人なのであろう。

 領主の男は少年には目もくれずに、ねっとりとした視線で美人ぞろいの仲間達を見詰めていた。特に女騎士に向ける視線が、露骨で熱烈である。

「なんか、おっきいおじさんが超こっち見て来て、流石に気持ち悪いんですけど」

「まるで屋敷を薄着でうろつく、ダクネスを見てる時のカズマみたいな視線ですね」

「おや、僕も含まれてるのかな。あの顔はちょっと趣味じゃないんだけどな」

 言いたい放題だなこいつら。この仲間達に怖い物は無いのだろうか。少年が軽く戦慄する傍らで、こういう視線を喜びそうな女騎士が真顔でいるのに気が付いた。じっと領主の男を見つめ返しているが、もしかしたら知り合いなのかもしれない。

 そんな事をしている間にも裁判は進む。

「被告人サトウカズマは、法律で禁止されている危険物のランダムテレポートを指示し、告発人であるアルダープ殿の屋敷を吹き飛ばしました。検察側は告発人の受けた被害と、領主である人物の命を脅かした事実を鑑みて、これに国家転覆罪の適用を求めます!」

 女検察官が起訴状を読み終えたタイミングで、青髪女神が嬉しそうに手を上げて何かを叫びそうになった。だが、それは召喚士が後ろから口を塞ぐ事で阻害される。それを目撃した少年は、枷を付けられた手で思わず親指を立てて称賛してしまった。

「裁判長。検察側は被告人の人間性を証明する為、証人の用意があります」

 女検察官は眼鏡を光らせて宣言し、証言台に許可された証人が歩いて来る。その証人は、少年達には非常に見覚えのある人物であった。

「あはは……、なんか呼び出されちゃって……」

 証言台に立ったのは盗賊職の少女。女騎士の友人であり、最弱職の少年もスキルを習うなどして世話になった恩人でもある。彼女は少年と目が合うと、気まずそうに頬にある刀傷を指先でぽりぽりと掻いていた。

「貴女は被告人に窃盗スキルを教えた際、下着を窃盗された挙句、その返却と引き換えに金品を強請られた事があるそうですね?」

「ああ、うん。でも過ぎた事だし、私はもう気にしてない……」

「事実確認が出来ればそれで結構です。ありがとうございました」

 盗賊職の少女は何とか弁護しようとしたが、それを遮る為か女検察官は証言を切り上げさせてしまう。盗賊職の少女は少年達に両手を合わせて頭を下げ、謝罪をしながら退廷して行った。

 次に検察側の証言台に立ったのは、蒼い鎧に身を包んだ青年。やはり見覚えのあるその人物は、魔剣の勇者その人であった。

「貴方は被告人に魔剣を盗まれ、挙句に売り払われたそうですね」

「ま、まあ、そうです。ですが、あれはもとはと言えば僕から先に挑んだ――」

「はい、ありがとうございました」

「ああ、ちょっと!? もっと喋らせ――」

 魔剣の人、出番終わり。その代りに、彼の取り巻きの女の子二人が証言台に立つことになった。

「そして貴女達二人は、被告人が魔剣を奪う際に窃盗スキルで脅されたのですね?」

「そうなんです! 『俺は真の男女平等主義者だから、女の子相手でもドロップキック出来る』とか言われました! この卑怯者!」

「『公衆の面前で俺のスティールが炸裂するぜ』って脅されました! この最低男!!」

 以前に酷い目に合された事もあり、取り巻き二人は盛大に最弱職の少年を非難し始める。この二人は私怨目的で証言しに来たので間違いないだろう。

 あまりにもギャーギャーうるさいので、召喚士が掌を差し向けて黙らせ。それを幸いにと、女検察官がさっさと下がらせてしまった。

「……検察は、証言者の選定にも気を配るように」

「すみません……」

 誰の目から見ても彼女らの証言は私怨が混じっていたのが分かるので、裁判官から検察へ口頭での注意が入った。流石の鉄の女でも、勇者の仲間があんなに私怨交じりで証言するとは思うまい。

 最後の証人は、なんと以前にパーティ交換の時に酷い目にあったチンピラ戦士であった。最弱職の少年とは、苦労を共有した者として、あれ以来なにかと交友を持っている。しかし、世間での彼の評価は散々で、その素行はそれこそまさに、チンピラと言われるに相応しいと言えるであろう。

「おう、カズマ! この俺がしっかりとお前の無実を証言してやるからな!」

「この男は冒険者のダスト。素行が非常に劣悪で、何度も逮捕歴があり裁判でも有罪判決を幾つも受けています。被告人はこの男と深い交友があると言う事で間違いありませんね?」

「いいえ、ただの知り合いです」

 親し気に話しかけて来るチンピラ戦士に対し、少年は女検察官の質問に即答した。ちらりと横目で、魔道具を見るがまったく反応が無い。

「……失礼しました。友人もこの様に素行の悪い者ばかりと言う事を証明したかったのですが、どうやらこちらの勘違いの様でした。この様な男の友人呼ばわりをしてしまい、非常に申し訳ありません」

「おうこらぁ! 何て言い様だ! っていうかカズマ、俺とお前の友情はこんなもんだったのかよ!?」

 一人納得しかねるチンピラ戦士が騒いだが、裁判長に退廷を命じられて騎士達に羽交い絞めにされて連行されて行った。何でもこの次の裁判で裁かれる予定があるらしい。

 それはそれとして、今の所裁判長からも傍聴席にいる冒険者達や一般人達からの視線はかなり冷たい物になっていた。改めて、最弱職の少年が如何に鬼畜なのかが暴かれてしまっている状態だ。ざわざわと群衆が騒めいて、クズだ変態だと囁き合っている。

 刻一刻と近づいて来る有罪判決に、少年の冷や汗と過呼吸が止まらない。

「もう良いだろう。さっさと極刑にしろ」

 長くなってきた裁判に飽きたのか、ここでずっと傍観していた領主が口を挟んできた。ここで裁判長に、はいわかりましたと言われては堪らない。

 これには、今まで大人しくしていた魔法使いの少女が大声を張り上げた。

「異議あり! カズマの性格が捻じ曲がっているというのは認めます。ですが、こんな証言などなんの証拠にもなりませんよ!」

「めぐみん……っ!」

 魔法使いの少女は言った通りに頼もしく弁護を開始する。最弱職の少年はその姿に、胸が熱くなる思いだ。

「もしテロリストだと言うのであれば、もっとましな根拠を持ってきてください!」

「そうそれ、根拠よ!」

 ぴしっとポーズを決めて女検察官に指を突き付ける魔法使いの少女。青髪女神も良く分かってないけど、少女の真似をして指を突き付ける。

 指を突き付けられて女検察官は、いたって冷静であった。

「根拠ですか……、よろしい」

 掛けていた眼鏡を中指で押し上げて、突き付けられる指に真っ向から相対する。

「一つ! 共同墓地に巨大な結界を張り、街中に悪霊を溢れさせて幽霊騒動を引き起こし!」

 根拠の一つ目で青髪女神が耳を塞いで俯いた。心当たりしかないので、ぐうの音も出ません。

「二つ! 領主殿の持ち物でもある街外れの廃城に爆裂魔法を撃ち込み倒壊させ、あまつさえここ数日にも深夜に爆裂魔法を使い騒音騒ぎを引き起こし!」

 二つ目で威勢の良かった魔法使いの少女も耳を塞いで蹲った。碌な事をしていないパーティである。

「そして三つ! 被告人はアンデットしか使えないスキル、ドレインタッチを使用したと言う目撃情報があります!」

 三つ目にはついに最弱職の少年も、枷を嵌められた手で必死に耳を塞ごうとする。ここでリッチー店主の事を話しては元のもくあみ。全力で黙秘権を行使する。

「耳を塞いでも無かった事にはなりませんよ! 更に最も有力な根拠として、被告人に魔王軍幹部との交流は無いかと尋ねた時、嘘を見抜く魔道具が反応しました!」

 これでもかと言う程に、少年と仲間達の悪行を根拠として並べ立てた女検察官は、今度は少年に対して指を突き付けて見せた。先程とは真逆の状況にして、反論の余地の無い正論である。

「これこそが、証拠なのではないでしょうか!」

「もうだめ、もうだめよ! カズマさん犯罪者だよー!!」

 追い立てられているのは少年の筈なのに、先に諦めた青髪女神がとうとう子供みたいに泣き始めた。目の幅の涙を流して、大口を開けて泣き喚く。思わず周りの女騎士が慰めに入り、召喚士が何時もの笑い顔で頭を撫でていた。

「さいしょはただのひきにーとだったのに、いつのまにかへんたいになってて、いまとなってははんざいしゃー!!」

「神よ……、一体どうすれば……」

 今まで女神には何人か会って来た最弱職の少年だったが、この時ばかりはまだ見ぬ神に祈ってしまう。具体的に助けてくれる神様が、切実に欲しい。少なくとも、泣き喚くだけの女神じゃないのを。

「もう良いだろう。このワシの屋敷に爆発物を送り付けたのだぞ。殺せ! 処刑しろ!」

 勝利を確信した領主が、いい加減長くなった裁判をさっさと切り上げさせようとする。このままでは本当に犯罪者として、少年は極刑に――

「カズマ。君は本当に魔王軍の関係者なのかい?」

 絶望し項垂れる最弱職の少年の耳に、酷く落ち着いて優し気な声が掛けられた。声の方に視線を向けると、召喚士が何時も通りの表情で少年の事をじっと見ている。

 本当に、魔王軍の関係者なのかだと? なぜそんな事をわざわざ尋ねるのか、少年はその意味を瞬時に理解した。

「んなわけねぇだろー―――!!」

 こうなってはもうやけくそだ。最弱職の少年は指先を魔道具に突き付けながら、精一杯に声を張り上げて宣言する。

「良いか良く聞けよ! 俺は、テロリストでも、魔王軍の関係者でも何でもない! 俺は街を救う為に、テレポートを指示したんだ!!」

 それは、騒めいていた会場が、しんと静まり返る程の大音声であった。そのおかげで誰もが理解できた。最弱職の少年の魂からの叫びに、嘘を見抜く魔道具が反応しなかった事を。

 その事実に領主は言葉に詰まり、女検察官は悔し気に唇を噛む。

「魔道具による嘘の判定は、この様に曖昧な物なのです。これでは検察の魔道具の反応を、証拠として扱う事は出来ませんね」

「そ、そんな……。くっ……」

 裁判長は一連の流れを鑑みて、魔道具の反応を証拠にする事は出来ないと判断を下した。この裁判はあくまでも、最弱職の少年がテロリストか魔王軍の関係者であるかが焦点である。それを真っ向から否定されれば、もう議論の余地も無い。女検察官も最大の証拠を潰されて、反証できずに歯噛みしていた。

「それでは、被告人サトウカズマへの国家転覆罪の求刑は、証拠不十分として――」

「だめだ、裁判長。このワシに恥をかかせる気か?」

 今まさに、無罪判決が下されようとした瞬間。領主がにやついた表情で裁判長に言葉を向ける。言外に恥をかかなくて済む様にしろと、裁判長に圧力を掛けているのだ。

「ぐ……、被告人サトウカズマへの国家転覆罪の請求は妥当と判断し、被告人は……有罪……。よって死刑を……」

 相手は街一つを任される大領主にして貴族。一介の裁判長の人生をどうにかするなど、鼻歌交じりでやってのける相手だろう。裁判長は圧力に屈して、苦悩しながらも発言を翻した。

「お、おかしいだろおおおおおおおっ!!!!!!」

 後はもう、木槌が下ろされれば少年の命運は決まる。たった一言で逆転してしまった状況に、最弱職の少年は理不尽さに対する慟哭を喉から迸らせた。こんな結末があって良いのだろうかと。

「裁判長。少し、私の話を聞いてもらえないだろうか」

 もはやこれまでかと思われた時、凛とした声が裁判長の木槌を押し止めた。その声はいつの間にか立ち上がり、少年の側に近寄った女騎士が発した物だ。彼女は懐から紋章の様な物が付いたネックレスを取り出し、裁判長に向けて見せ付けている。

「そ、それはダスティネス家の紋章!?」

 裁判長や女検察官、領主などはその紋章を知っている様だった。傍聴席の冒険者達も、裁判長の発したダスティネスと言う家名には聞き覚えがあるらしくざわつき始める。

「ダクネス、お前……」

 最弱職の少年もまた、女騎士の正体を知る内の一人。不安げな表情で声を掛けるが、女騎士はそれを横目で一瞥しただけですぐに視線を逸らした。

「どうだろうか、裁判長。この裁判、私に預からせてもらえないだろうか」

「それは……! し、しかし、いくら、貴女の頼みでも……!」

 女騎士の交渉に応えたのは、裁判長ではなく領主だった。身分に差があるのか、かなり狼狽しているが、それでも領主は抗議の声を上げる。

 女騎士は領主に改めて視線を向けると、たじろぐ男に対して表情を引き締めたままで言葉を続けた。

「無かった事にしてくれと言って居る訳ではない。貴方には借りを作る事になるな。私に出来る事ならば、一つ、何でも言う事を聞こう。何でもだ……」

「な、ななな、何でも!? いいでしょう、ほかならぬ貴女の頼みならば……」

 女騎士の言葉に領主は生唾を飲み込み、その肢体を舐める様に見つめながら申し出を了承した。その頭の中では一体どんな欲望がぶちまけられているのか、口に出したら女騎士は案外喜ぶかもしれない。

 推移を見守っていた裁判長は、貴族同士の話し合いが纏まったのを見越して、改めて判決を告げた。

「ほかならぬダスティネス家のご令嬢の頼みです。あなたの事を信用いたしましょう。……被告人サトウカズマへの判決は保留とする!」

 首の皮一枚で、少年の命は繋ぎ留められた。薄氷の上を歩く様な危うさではあるが、確かに処刑への道は回避できたのである。

「やったわね、カズマ! よく分かんないけど、死刑じゃないって事はつまりめでたいってことよね!? よっ、祝いの『花鳥風月』ぅ~!!」

「この私の頭脳と弁護が功を奏しましたね!」

 青髪女神が感極まって少年に飛びついて抱きしめて来た。それから、舞い踊る様にしながら宴会芸スキルを披露する。その横では魔法使いの少女が謎のポーズで己を称賛していた。

「お前らは早々に諦めてただろ……」

 少年はそれを見て、調子の良い二人に突っ込むのを忘れない。だいいち助かった訳ではなく、保留されただけなのだから、少年は手放しで喜ぶ気にはなれなかった。

「うおおおお、カズマが助かったぞ!」

「信じてたぞカズマ! あの店の割引券もくれたしな!」

「変態だけど犯罪者じゃないって証明されたな!!」

 傍聴席に居た顔見知りの冒険者達が、一斉に大歓声を上げた。確かに、一度は見捨てたり、証言で見る目を変えたりしたが、皆何だかんだで少年を好いている連中である。最弱職の少年が助かった事に、素直に笑顔になって誰もかれもが祝福していた。

「静粛に! 静粛に! まだ裁判は終わってはいません。気持ちはわかりますが皆さん静粛に……、静粛にっつってんだろボケェ!!」

 歓声はやがて少年の名を連呼するシュプレヒコールへと変わったが、裁判の妨げになったので裁判長がキレて木槌を投げつける。傍聴席の冒険者に向けて投げられた木槌は途中で失速し、にこにしていた召喚士の頭に当たってそのまま倒れ伏した。

「ああっ! ローがまた死んでますよ!?」

「このひとでなしぃ!! 『ヒール』ッ!!」

 閑話休題。

 その後、最弱職の少年の裁判は粛々と閉廷され、少年達はあっさりと解放された。女検察官辺りにもっとネチネチと絡まれるかと思ったが、向こうは既に次のチンピラ戦士の裁判の準備で忙しいらしい。

 それから少年達は、もう既に夕暮れ時となっていたので、久々の我が家へと戻ってきていた。ほんの数日離れていただけなのに、もう何年も帰っていないかの様な気さえしてくるものだ。

「……ん。私は今日はこのまま、領主の泊まっている宿に向かう。カズマとローを家に送り届ける事も出来たしな」

 屋敷の前に辿り着いた所で、女騎士は仲間達から離れて立ち止まる。彼女はこれから、少年を助けた代償を領主に要求されるのだと言う。ここまで一緒に来たのは、少年達が家に帰るのを見届けたかった為だ。

「今日ばかりは礼を言わないとな。ありがとう、助かったよダクネス」

「まだ油断は出来ないがな。だが悪い様にはさせない、アルダープの事は任せておけ」

 自然と女騎士に手を差しだして、二人はぎゅっと握手を交わす。今回少年が命拾いしたのは、女騎士が公然と秘密を暴露してくれたおかげだ。感謝の気持ちをしっかり込めて、少年は意外に柔らかな女騎士の手を握る。

「でも、お前本当に大丈夫か? あの領主のおっさん、お前を見る目がヤバかったぞ。すんごい事要求されるんじゃないか?」

「す、すごい事……。ごくり……」

「……俺の心配を返せ」

 心配して掛けた言葉だったが、女騎士は息を荒げて凄い事の妄想に浸っていた。本当に任せて大丈夫なのだろうか、最弱職の少年は女騎士の性癖のせいで安心しきれない。

「こほん……、大丈夫だ。では、行って来る」

 それでも女騎士は仲間達に背を向けて、立ち去って行った。立ち去る姿は、背筋を伸ばして凛々しく見える。

「……ララティーナ」

「その名前で呼ぶなぁ!!」

 秘密が周囲に暴露されたので、口止めされていた女騎士の本名を少年が面白半分に口にした。それなりに距離が離れていたのに、聞きとがめた女騎士は激昂する。結局、彼女は肩を怒らせて立ち去って行った。

「素直になり切れないね、カズマも……」

「何の事かな。俺はあいつの弱みを握れて嬉しいだけだよ」

 照れ隠しの意地悪を召喚士が指摘するも、最弱職の少年はすまし顔で屋敷の玄関へと向かう。その態度が素直ではないと言うのに、知らぬは本人ばかりなり。

 女騎士と領主の交渉の結果、少年が課せられた課題は二つ。魔王軍の関係者と言う容疑を晴らし、身の潔白を証明する事。そして、吹き飛んでしまった領主の屋敷の弁償である。

 一介の冒険者に対して要求するには、いささか理不尽な要求ではある。だが、少年達はやり切らねばならない。

「ダクネスの為にも、なんとかして課題をこなさないとな。ここから俺の冒険の、第二章の始まりだ!」

 と、少年達が玄関の戸を開けた瞬間、背後から少年達を追い抜いて大勢の騎士達が屋敷の中に突入して行った。

「裁判所からの命により、被告人の借金を、私財より差し押さえる事となった!!」

 屋敷内に突入した騎士達は、無慈悲に、容赦なく、徹底的に、家財道具を差し押さえ、屋敷から運び出して行く。青髪女神の大切にしていた高級酒も、少年が保管していたあのお店の割引券も何もかもだ。

 抵抗しようと爆裂魔法を唱え出した魔法使いの少女を止めている間に、一切合切の家具も衣服も運び出されてしまった。後に残ったのは、全て奪われて泣き喚く青髪女神と、絨毯を剥がれた床に這いつくばる魔法使いの少女。そして、何とか死守する事が出来た、日本の思い出である少年のジャージのみ。

「部屋の中が広くなってしまったね」

 召喚士は呼びだした巨大な子犬の背に腰かけたまま、のほほんと微笑んでいる。

「おれのぼうけんの、だいにしょうの、はじまりだっ……」

 ジャージを抱えて床に倒れ込んだ最弱職の少年は、涙を流しながら震える声で呟くのだった。

 

 




今回はこれだけです。
続きは書き上げ次第、順次追加して行きます。


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第一三話

じわじわとお気に入りが増えて行く喜び


 最弱職の少年の裁判が、判決保留になった次の日。アクセルの街にはしんしんと雪が降り積もり、辺りを白一色に染め上げていた。少年達の屋敷も例外ではなく、こんもりと雪化粧が施されてる。

「うううう、寒い……。寒いよぉ……。誰か私を温めてよぉ……」

 全ての家財道具を没収された寒々しいリビングでは、なけなしの羽衣を身に纏った青髪女神が泣きながら寒さに凍えていた。彼女は暖を求める為に暖炉に手をかざしているが、借金を背負った彼女等にはもう既にくべるべき薪も無い。今はもう、灰となった燃え残りに、僅かに火種が残るばかりである。これもやがて消えゆくだろう。

「ああああああああああああああああああっ!!!!」

 リビングの床に空き箱を置き、それを椅子代わりにしていた最弱職の少年が突然大声を上げ始めた。頭を両手で抱えてブンブンと振り、何かを追い払うかの様にして声を振り絞っている。

「な、なに!? いきなりどうしたのよ!?」

「分からないのか!? あの領主の元に向かったダクネスが、一晩帰ってこなかったんだぞ。今頃は……」

 突然の奇声に驚いた女神だったが、帰ってきた返答はここには居ない女騎士の境遇を連想させるものだった。少年の言葉に何を想像してしまったのか、青髪女神の顔から徐々に血の気が引いていく。

「「ああああああああああああああああっ!!」」

 そうして、二人仲良く頭を抱えて叫びだす。そんな二人を、召喚した巨大な狼の背中にモフモフと乗りながら、召喚士がにやにやとした顔で部屋の隅から観察していた。

「なーお」

 そんな騒がしい部屋の中に、また別の生き物の鳴き声が響き渡る。三人が声のした方に視線を向けると、そこには何かを両手で抱える魔法使いの少女の姿が。

 抱えられているのは、一匹の黒猫であった。

「めぐみん? なんだそいつ、飼いたいって事か?」

「迷惑はかけないと思うのですが……」

 少年と女神は少女の元に集まって、各々抱えられた黒猫に手を伸ばす。少年が喉元を擦るとゴロゴロと鳴き目を細めるが、女神が触れようとすると爪で引っ掻いて牙を剥き始めた。

「痛っ! ちょっと、何で私にだけ!? この漆黒の毛皮と言い、ふてぶてしい態度と言い、何だか邪悪なオーラを感じるわね……。ねえ、この魔獣の名前は何て言うの?」

 自分だけ引っ掻かれたのが気に入らないのか、黒猫を魔獣認定し始める青髪女神。実に大人げない。

「ちょむすけです」

「……今なんて言った?」

「この子の名前は、ちょむすけです」

 黒猫の名前に付けられた紅魔族的ネーミングのセンスに、少年と女神は唇を引き結んで言葉を失った。その様子にぶふーっと吹き出して、喜んでいるのは召喚士だけである。

「そう言えば二人とも、先程は何を騒いでいたのですか?」

「お前、落ち着いてるな。ダクネスは今頃、何されてるか分からないってのに……」

「あの領主の良くない噂は耳にしますが、ダクネスが簡単にどうこうされるとは思えませんよ」

 魔法使いの少女は、心配する二人を大げさだと窘める。彼女は彼女なりに女騎士の事を信頼しているのだろう。だが、そんな少女を最弱職の少年は鼻で笑う。

「これだからお子様は! お前はまだあの変態の事が分かって無いのか。『くっ……、例えこの体は好きに出来ても、心までは自由に出来ると思うなよ!』とか言って、大喜びで凄い事されるに決まってんだろうが」

「はっ!? ど、どどどどうしましょう、ダクネスが酷い事に! どうしましょうカズマぁ……」

 少年の身振りまで加えた迫真の声真似に、魔法使いの少女は容易に女騎士のくっころシーンを想像したのか、黒猫を取り落として酷く狼狽し始めた。突発的な出来事に弱い彼女は、簡単に涙目になって少年に縋る様な声を掛ける。

 最弱職の少年もそんな声を聞いてしまうと、胸が痛み自然と熱い物が込み上げてきてしまう。

「どの道、もう手遅れだ……。せめて俺達は、普段と変わらずに優しく接してやろう……」

「分かったわ! 大人の階段上っちゃったダクネスには、何があったか聞いちゃいけないって事ね!」

「あ……、ああ……、あああああ……。ダクネスが……、ダクネスが……」

 掌で顔を覆って涙声になる少年に、任せてくれと青髪女神が胸を張る。魔法使いの少女は終始狼狽えて、最早返答もままならない。

「皆はダクネスを信頼してるのか馬鹿にしてるのか、どっちなんだろうね」

 召喚士が伸し掛かっている巨大な狼に尋ねてみても、そんな物には興味が無いとばかりに足の間に顔を埋めて目を閉じている。獣には人の騒ぎなど、おやつ以上の価値も無いのであろう。

 すると、巨狼の耳がぴくりと反応し、続いて伏せていた頭を上げてドアの方を見やった。耳を澄ますと、何やら少年の名を呼ぶ声が微かに聞き取れる。続いて、ズカズカと無遠慮な足音も聞こえてきて、リビングの扉が不躾にバーンと開かれた。

「サトウカズマ! サトウカズマは居るかあああ!!」

 扉を両手で跳ね開けて部屋に飛び込んできたのは、少年が裁判の時にえらい目に合された女検察官であった。彼女に対してあまり良い思い出が無い最弱職の少年は、露骨に顔を顰めながら何しに来たのかと尋ねる。

「まだ身の潔白を証明するには期間があるはずだろ。昨日の今日で何しに来たんだよ」

「何しに来ただと!? ぬけぬけと、魔王軍の手先が良くも言ったな! カエルだ! 街の周囲にジャイアントトードが溢れ出しているのだ! 心当たりがないとは言わせんぞ!」

 走った上に大声を出したせいで肩で息をする女検察官は、少年達の露骨な態度に怒り心頭と言った様子だ。彼女は相変わらず、最弱職の少年を魔王軍の関係者と疑っているらしい。

 その剣幕に若干呆れを交えた声で、魔法使いの少女が反論をする。沸点の低い彼女は、喧嘩なら買うぞとばかりに矢面に立つ。

「言いがかりも甚だしいですね。私達がカエルを操っているとでも言うのですか? 流石に何でもかんでも、私達のせいにされても困るのですが」

「冒険者ギルドの報告では、冬眠していたカエル達が何かに怯える様にして地上へと這い出して来たそうです。……怯えると言えば、ここ連日、街のすぐ傍で爆裂魔法を連発して住人を脅かしてくれた人達が居たと思いまして」

 青髪女神と少女が女検察官の説明で逃げ出し、その襟首を最弱職の少年が掴んで引き留める。捕まった二人はじたばたともがきながら、少年に弁明を始めるのだった。

「待ってください、私はアクアに命令されて爆裂魔法を放っただけです。主犯はアクアです、私は悪くありません!」

「ちょっと、めぐみん! あなた話を持ち掛けた時はノリノリだったじゃないの! 我が力を見るがいいとか言ってたクセに!」

 責任の擦り付け合いに必死な二人ではあるが、状況はどちらが主犯かなど求めてはいない。それが分かっている最弱職の少年は二人の襟首を掴んだまま、黙らせる為に怒声を張り上げた。

「醜い争いをしてる場合じゃないだろ! お前らがやらかした後始末をしに行くんだよ!」

 流石に一喝されると暴れるのは止めるが、カエルにトラウマのある二人は渋い顔をしている。それを半ば引き摺る様にして、最弱職の少年達は雪の積もる郊外へと赴く事となった。

 

 

「いいやあああああああああああああああ!! もう、カエルに食べられるのは嫌ああああああああああ!!!」

 雪の積もった丘の上を、巨大なカエルが元気よく跳ねる。そして、その跳ねるカエルから、全速力で青髪女神が逃げて行く。更にそれを、最弱職の少年が腕組みをしながら見守っていた。

「この寒さなのにまったく動きが鈍っていないな。この世界の生き物は野菜やらカエルやら、どいつもこいつも逞し過ぎるだろう……」

 青髪女神を捕食する為に元気に飛び跳ねるカエルの様子に、最弱職の少年は嫌そうに顔を顰める。そんな少年の背中を眺めながら、着いて来ていた女検察官がドン引きしていた。

「貴女の仲間がカエルに襲われて、助けを求めていると言うのに、そんなに落ち着いていていいのですか?」

 そんな事を言われても、壁役が居ない現状ではこれが最善手。カエルに対して有効打を持たない青髪女神には、ああして囮になっていてもらうしかないのだ。

 ちなみに、攻撃手段を持っている面子はと言うと――

「私達も負けてはいられませんよ。もっともっと強くなって、過酷なこの世界を、生き抜くのです!」

 その内の一人、魔法使いの少女はカエルに肩まで飲み込まれながら高らかに宣言していた。彼女を飲み込んでいるカエルは天を仰ぎ、されど少女はそれ以上飲み込まれる事は無い。体の中で長い杖が引っかかっているのだろう。

「めぐみん、今助けるぞ」

「いえ、アクアからで良いですよ。私は既に爆裂魔法を撃ってしまっていますし、外は寒いですからね。カエルの中は意外とぬくいのです」

 特に抵抗もしていないのは何時も通り魔力を使い果たしたからで、落ち着いているのはそれ以上飲み込まれる心配がない為か。寒いから助けるなと言われてしまった少年は、特に何も言わずに引き抜きかけた腰の剣を鞘に納めた。

「えっ!? 本当に放っておくんですか!?」

 女検察官がやはり何か叫んでいるが、この場でそれを気にするものは一人も居ない。

「おい、ロー。もう体は動くようになったか?」

 そしてもう一人の攻撃手段持ちは、そんな彼らのすぐ傍で毛玉になっていた。正確には、座った巨躯の狼の足の間に収まり、もふもふの尻尾で体を包み込まれている。雪原の上に居ると言うのに、召喚士だけは限りなく暖かそうだ。

「……いやー、まさか町から出るだけで寒さで行倒れるとは思わなかったよ」

「お前はどんだけ体力が無いんだよ……。その格好でも魔法は使えるだろう? アクアが根を上げる前に、助けってやってくれ」

 はいはーいと軽い調子で了承し、毛玉の中からローブに包まれた腕がにゅっと出て来る。その掌には直ぐに魔法陣が浮かび上がって、緩い調子で召喚を告げる言葉が紡がれた。

「レベル二十召喚。ヨーちゃん、出番だよー」

 掌に次いで地面に輝かしい召喚陣が描かれ、まばゆい光と共に呼び出された者が雪原に降り立つ。それは見上げる程に大きな体躯を持った野太い大蛇――ではなく、寒そうに肩を抱いたメイド姿の娘であった。今回の髪形は腰まである髪を、そのままストレートに垂れさせている。

「伝言、『寒いから、行きたくない』だって……」

 現れた青と赤のオッドアイを持つメイド娘は、呼び出すはずだった大蛇からの伝言を読み上げ、そして自らも寒いから帰ると勝手に送還して行った。

「よし、次行ってみよう」

「ええっ!? これもスルーなんですか!?」

 騒ぐ女検察官を無視したままで、最弱職の少年は腰に下げていた弓を取り外す。背負っていた矢筒から一矢取り出して番えれば、なかなかどうして堂に入った弓手の姿がそこにはあった。

 かねてより、少年は自身の役割を作戦指揮と仲間のサポートだと思っている。一部に特化した能力を持ち、何かしらの欠点を抱える歪な面子。その空いた穴を埋めるのに、全てのスキルを覚えられる職業冒険者はうってつけなのだ。

「かじゅまさあああああああああん!! もーむり、もーむり!! 早くしてえええええええ!!」

 構えた弓を引き搾り、根を上げて少年に助けを求める青髪女神、その向こうに居る巨大なカエルに狙いを定める。パーティの火力を補いつつ、自らの高い運のステータスを活用できるスキル。その名は――

「ン『狙撃』ッ!!」

 解き放たれた矢が風を切り裂いて飛び出し、中空に舞う雪の粒に偶然当たって軌道を修正し、青髪女神の頭のチャームポイントを潜り抜けて、狙い通りにカエルの脳天に直撃した。

 狙撃スキルとは運のステータスが高い程に命中率を増す、仲良くなった冒険者から教えてもらったアーチャーのスキルである。狙い通りに脳天に矢が突き刺さったカエルは動きを止め、頭の上を矢が通過した青髪女神は足をもつれさせて雪原に顔から突っ込んだ。新スキルが命中した少年は、得意満面に目を閉じて口元を歪めて笑う。

「ちょっと! 今私の頭のチャームポイントに矢が掠め――はぷっ!?」

 起き上がって文句を言おうとした青髪女神が、矢を受けたカエルにパクリと咥えこまれた。そのままカエルは天を仰いで女神を丸呑みに掛かる。カエルの口から足だけがはみ出していた。

「あ、アクアー!? うおおおおおおっ!!」

 腰の剣を引き抜いて、少年が救助に走る。そのまま無抵抗のカエルをしばき倒して、カエルの分泌液塗れになった青髪女神を引きずり出す事になった。

「うぐっ、ううっ! えぐっ、うえええっ!!」

「スキルが……、俺のスキルが……っ!?」

 粘液を撒き散らしながら雪原に横たわった青髪女神が泣きじゃくり、せっかく獲得したスキルがカエルに通用しない事に少年がうろたえる。魔法使いの少女と召喚士は置物化しており、これでパーティは全滅だ。

「貴方達は、いつもこんな戦い方をしているんですか……? これが本当に、国家転覆を狙う魔王軍の関係者……?」

 そんな少年達の姿を監視していた女検察官は、自分自身の仕事にバカバカしさを感じてしまっていた。この惨状を目の当たりにしては無理からぬ事である。

「ああっ!? 見てください、カエルが! カエルが!」

 カエルに咥えられたままの魔法使いの少女が声を上げ、その声に周囲を見回せば丘の向こうからやって来るカエルの群れ。それぞれが違う体色の三匹のカエル達が、飛び跳ねながら真っ直ぐに少年達を狙って向かって来ていた。

「おいアクア、もう一度囮を頼む。お前が引き付けている間に、何とか数を減らしてみるから!」

「これ以上カエルに食べられるのは嫌よ! あんたが囮になりなさいよ!」

「お前じゃカエルを倒せないだろうが! 何とか一匹倒せれば残りは二匹だ、そうすればお前とセナさんで足止めできるだろ」

「ええっ!? 私は貴方達の監視をしているだけなので、囮にされるいわれは在りませんよ!」

 少年と女神の罵り合いに女検察官まで加わって、騒いでいる間にも巨体のカエル達は迫っている。巨躯の狼に包まれている召喚士と既に食べられている魔法使いの少女はともかくとして、剥き身の三人は刻々と命の危機が迫っていた。

「あの、なんだか少しずつ飲み込まれ始めたので、そろそろ助けてはもらえないでしょうか……――ぷくっ!?」

 ついでの様に、魔法使いの少女がついに口元まで飲み込まれてしまう。最早、誰もかれもが絶体絶命である。

 そこで、ピクリと巨躯の狼が反応した。耳をピンと立てたかと思うと、雪原の一方をじっと見つめる。そしてすぐさま、その方向から強烈な閃光が迸った。

「『ライト・オブ・セイバー』ッ!!」

 それは迸る閃光で形作られた剣。術者の掌に浮んだ魔法陣から生れ出て、翻された光の剣が魔法使いの少女を飲み込むカエルを直撃する。攻撃されたカエルは堪らず少女を吐き出し、それから胴体を横一文字に切り裂かれた。

「『エナジー・イグニション』ッ!!!」

 それとほぼ同時に、迫って来ていた三匹のカエル達も、突然体の内から吹き上がった青白い業火に包まれて炎上する。流れる様な上級魔法の連撃であった。

 警戒する巨躯の狼には魔法は飛んでは来ないが、それでも油断無く理性ある瞳は雪原の一点に注がれ続けている。その視線の先には黒のローブに身を包んだ、一人の少女が佇んでいた。

「誰だか知らないけど助かったよ。ありがとな」

 粘液塗れになった魔法使いの少女に、凄く嫌そうにしながら魔力を分け与えた後。最弱職の少年は黒いローブの少女に向き直り、素直に礼を言っていた。

 それは、魔法使いの少女よりも背が高く発育も良かったが、彼女と同じ赤い瞳を持った少女。黒いローブの少女は、最弱職の少年の言葉に軽く頬を染め、恥ずかしそうにチラりと彼を見る。

「べ、別に助けた訳じゃないですから。ライバルがカエルなんかにやられたら、私の立場がないから仕方なくで……」

 次第に声が小さくなり、もじもじしながら俯いてしまう。どうやらかなりの恥ずかしがり屋の様だ。

 ライバルとは誰の事かと気になった少年だったが、黒いローブの少女の視線がチラチラと、未だ粘液の海でもがく魔法使いの少女を見ていたので得心が入った。彼女は魔法使いの少女の既知であるのだろう。

 黒いローブの少女はやや恥ずかし気に、それでも口元を綻ばせて魔法使いの少女に語り掛けた。

「ひ、久しぶりね、めぐみん! 約束通り上級魔法を覚えて帰って来たわ! さあ、この私と改めて勝負を――」

「……どちら様でしょうか?」

 嬉しそうに語る黒ローブの少女の言葉を遮って、魔法使いの少女は仏頂面で問い返す。既知では無かったのかと仲間達が訝しみ、黒ローブの少女も驚愕の表情で凍り付く。毛玉の中の召喚士だけが、ぶふーっと吹き出して楽しそうにしていた。

「そもそも、名前も名乗らないなんて、おかしいじゃないですか。これはきっと、以前カズマが言っていたオレオレなんとかというやつですよ」

「えええっ!? えっ……、ええ……。わ、わかったわよ! 知らない人の前だと恥ずかしいけど……」

 とうとう詐欺師扱いにまでされてしまった黒ローブの少女は、目に涙を溜めながら両手を振り回し意を決する。そうして始まったのは紅魔族特有の名乗り上げ。恥ずかしいと言いつつも、身振り手振りを加えて大変な気合の入れ様だ。やはり、根っこの所では紅魔族と言う事か。

「我が名はゆんゆん! アークウィザードにして、上級魔法を操る者! ゆくゆくは紅魔族の長となる者!!」

「とまあ、この子はゆんゆん。紅魔族の長の娘で、自称私のライバルです」

 びしぃとキメポーズをして締め括られた名乗りを、魔法使いの少女は憮然とした表情のままで軽く流して少年に補足の紹介を加える。堪らないのは、恥ずかしさを乗り越えてまで名乗った黒ローブの少女であろう。

「……っ!? ちゃんと覚えてるじゃない!!」

 涙目になって訴える黒ローブの少女の剣幕にも、魔法使いの少女は素知らぬ顔である。この一連の流れだけで、彼女達の関係がどの様な物であったのかが良く分かると言う物だ。

「なるほど。俺の名前はサトウカズマ。めぐみんの冒険者パーティで、一応リーダーをやらせてもらってる。よろしくな、ゆんゆん」

「あれ? ……えっと、私達の名前を聞いても、笑わないんですね?」

 軽く手を上げて自己紹介をする最弱職の少年に、黒のローブの少女は目を丸くする。紅魔族の独特な感性に悩まされ続けて来た彼女にとって、自己紹介とは相当な羞恥を伴う行為であった。それを目の前の少年は、意にも介さずに軽く受け止めるのだ。思わず尋ね返してしまう程に、黒ローブの少女にとっては衝撃的であった。

「世の中にはな、変わった名前を持っているにもかかわらず、頭のおかしい爆裂娘なんて不名誉な名で呼ばれてる奴も居るんだ。それに比べたら、何てことはないさ」

「私ですか!? それって私の事ですか!? 私が知らない間にいつの間にか、その通り名が定着しているのですか!?」

 己の不名誉な呼び名に激昂した魔法使いの少女が、妙に悟った様な表情で語る少年の胸ぐらを掴んでガクガクと揺さぶる。悪いのは全て、妙に語呂の良い通り名を考え付いた首無し騎士のせいであろう。

「さ、流石ね、めぐみん。どうやら良い仲間を見つけた様ね……、それでこそ私のライバル!」

 そんなじゃれ合いを傍目に、黒ローブの少女は少年の言葉にいたく感心していた。紅魔族の名前を馬鹿にせず、そして気難しい魔法使いの少女と親し気に罵り合う。そんな光景に、素直に称賛を送った。

「私は貴方に勝って紅魔族一の座を手に入れる! さあめぐみん、この私と勝負しなさい!!」

 気を取り直した黒ローブの少女が指を突き付け、魔法使いの少女に向けて高らかに告げる。これぞライバル同士の決闘の幕開け。この一戦に、己の全てを賭ける価値があると言わんばかりの輝いた表情をしている。

 それに対する魔法使いの少女の返答は簡潔だった。

「……嫌ですよ。寒いですし」

「えーっ!? なんでぇ……? お願いよぉ、勝負してよぉ……」

 あっさりとした、しかもどうでも良さそうな理由での拒否の言葉に、黒ローブの少女のそれまでの自信はどこかへ吹き飛んでいた。いきなり幼い子供の様に縋りつき始め、それに対して只管魔法使いの少女が拒否を繰り返す問答が始まってしまう。そんな光景に最弱職の少年は、一歩引いてから徒労感に溜息を吐いてしまった。

 そんな少年の背後から、二人分の声が掛けられる。

「こほん……。何やら積もる話も有るようですので私はこれで……。今日は何とかなりましたが、これが私の目を欺く演技と言う可能性は捨ててはいませんから。それでは……」

「私も、カエル肉をギルドに運んでもらう様に依頼して来るわね……」

 きりりと表情を引き締めた女検察官が釘を刺しつつスタスタと歩み去り、その後ろに粘液塗れで達観した様な眼をした青髪女神がとぼとぼと続いて行く。正直こんな状況で置いて行かれたくは無い少年だったが、少しでも金が手に入るならとその場は諦める事にした。

 そこまできて、そう言えばもう一人いたなと思い至る。

「おーい、ロー。お前ももう屋敷に戻ってていいぞ。それで悪いけど、風呂の用意と暖炉に火を入れて部屋を暖めておいてくれ」

「…………わかった。カズマも、あまりはしゃぎ過ぎない様にね」

 このまま凍える中に置いておくのも気が咎める為に、最弱職の少年は毛玉に包まれる召喚士に雑用を頼む事にした。少しだけ、何か言いたげにした召喚士であったが、少年に言われると素直にコクリと頷いて屋敷へと帰って行く。

 毛玉状態だった巨躯の狼が立ち上がり、己が主の首根っこを咥えて街へと向かう。その様子はさながら、子供を運ぶ親の様であった。

 それを見送ってから、最弱職の少年は改めて言い合いをする二人の少女に向き直る。もっともそれは言い合いと言うか、最早そっぽを向いた魔法使いの少女に黒ローブの少女が只管半泣きで勝負を催促しているだけなのだが。

「はぁ……、しょうがないですねぇ……」

 流石に大きな赤い瞳から涙が溢れそうになっているのを見かねたのか、魔法使いの少女が溜息を吐いてついに折れる。ぱっと花が咲く様に笑顔になった相対者に、少女は勘違いするなとばかりに注文を付け始めた。

「しかし、私は今日はもう魔力を使い果たしています。勝負すると言うのなら、貴女の得意な体術でどうですか?」

「ほ、本当にいいの? 紅魔の里の学校では、何時も体育の授業をサボっていためぐみんが……。昼休みになると、これ見よがしに私の前をちょろちょろして、勝負を誘ってお弁当を巻き上げていた貴女が……」

 せっかく勝負を受けて貰い、有利な内容にしてもらったのにもじもじし始める黒ローブの少女。魔法使いの少女の優しい提案が、それ程までに意外だったと言うのだろうか。

 むしろ学校ではどんだけ不利な条件で勝負をさせてたのかと、少年はじーっと非難の視線を差し向ける。魔法使いの少女は少女で、つーんとその視線を顔を逸らして受け流していた。

「おまえ…………」

「私だって死活問題だったのです。家庭の事情で、彼女の弁当が生命線だったのですよ」

 あまりのふてぶてしさに少年が絶句すると、魔法使いの少女は思わず弁解の言葉を口にしてしまう。漢らしい彼女にも、仲間に見栄を張る部分は残っていたらしい。

 そんな二人のやり取りを意に介さず、勝負できると言う事に喜ぶ黒のローブの少女が張り上げる。

「わかった、体術勝負で良いわ!」

「え、いいの……?」

 それには少年が思わず疑問を漏らしてしまった。この少女は昔からこんな風に、魔法使いの少女に手玉に取られてきたのだろうかと。そして何より、今の魔法使いの少女の全身は――

「よろしい……。では、どこからでもかかって来なさい!」

 高らかに宣言した魔法使いの少女マントをばさりと翻し、わざわざ眼帯を取り出して左目を塞ぐ。そして二人の少女は互いに構えを取った。

 最弱職の少年が見守る先で、二人の少女達は向かい合ったままじりじりと間合いを測り合う。

 黒ローブの少女は習っていた経験からか、きびきびとした動作で実に慣れている様だ。対して魔法使いの少女の方は、ゆらりゆらりと緩慢に、しかも見栄えを気にするかの様な独特な動きをしている。体格的に見ても、体術では魔法使いの少女は分が悪いだろう。

 その時、空を分厚く覆っていた雪雲の隙間から太陽が顔を出し、二人の少女が日の光に照らされた。 

「はっ!? ……め、めぐみん。貴女の体がその……、テラテラしてるままなんだけど!」

「そうですよ……。この全身ねっちょりは、全てカエルのお腹の中の分泌物です……」

 黒のローブの少女はようやくと気が付いたのだ。自分が体術勝負を挑んだ相手の体が、悪臭を放つヌルヌルの粘液塗れであるという事に。思わず顔が引き攣り、足が自然に後退してしまう。

「さあ、近づいた瞬間に……、思い切り抱き付いて、そのまま寝技に持ち込んであげます!」

「う、嘘でしょ……? 私の戦意をくじいて降参させようって言う作戦よね……? でしょう!?」

 恐る恐る、口元を引き攣らせながら黒ローブの少女が問いかけると、魔法使いの少女は構えを解いてにっこりと微笑んだ。それはそれは見事な笑顔で、全身からキラキラを振りまいている。きっと粘液に日が反射しているのだろう。

 そして彼女は言うのだ。

「私達、友達ですよね? 友人と言う物は、苦難も分かち合う物だと思います」

 一拍の間。

 黒ローブの少女は諸手を上げて逃走を開始した。そしてその背中を、奇声を発しながら粘液塗れの少女が追いかける。片や必死の形相で、片やスキップするかの様にるんるんと、捕まればヌルヌル地獄の追いかけっこが始まった。

「いいいいやあああああああああっ!! 降参、降参するから、こっち来ないでっ!!」

「るーん……、るーん……、るーん……」

 女の子二人が取っ組み合って格闘技。そんな光景を少しでも期待していた事が、只管にバカバカしい。最弱職の少年は雪の上で走り回る二人を見て、妙に納得してしまう胸の中の既視感を持て余していた。

 今までの経験上、こうなる事は明白だったであろうに。己の中の未知の既視感が、少年を妙に落ち着かせていたのだ。どうせこうなるだろうと、達観めいた物を想起させる。結果、色々な思いが溜息となって口から零れ落ちて行く。

「きゃあああああっ!!! ああ……。降参、降参したのにぃ……」

「ぬへへへ! ぬっふっふぅ! 今日も勝ちぃ!!」

 逃避行の果てに捕まった黒ローブの少女は、文字通り粘液に塗れて泣かされる。捕まえた側の魔法使いの少女は、不敵な笑みを浮かべながら対戦相手の腰にしがみ付いていた。後はもう、腹いせの為に粘液を塗り付ける行為が続くばかりだ。

 邪悪な表情で勝利に酔っている魔法使いの少女のせいで、粘液ヌルヌルの女の子が二人いるのにまるで嬉しくない。少年は悟りを開いた様な心境で、この状況も何時ものどたばたの一環なのだと傍観していた。こんなのは、望んでいた異世界生活とは違うのだと。

 でもきっと、次の『あの店』でのアンケートはヌルヌルプレイになるに違いない。それはそれ、これはこれ、などと考える少年であった。

 

 

 黒ローブの少女が全身ねっちょりにされて泣いて帰り、今は日もすっかりと暮れて時は夕刻。最弱職の少年と魔法使いの少女が連れ立って、アクセルの街へと戻って来ていた。

「あの子、泣いて逃げちゃったな」

「ガズマ。戦利品です、借金返済の足しにしてください」

 道すがら何とはなしに胸の豊かな少女の事を思い出していた少年に、魔法使いの少女はそんな彼女から巻き上げた宝玉の様な物を差し出す。それはマナタイトと呼ばれる魔力を肩代わりさせられるアイテムで、非常に高価な物だと少年は認識していた。だからこそ、二つの意味で詰問がしたくなる。せっかくの戦利品で、しかも高価な物だと言うのに。

「いいのか?」

「ふっ……、私程の規格外の大魔導士には無用な物なのです」

 わざわざ瞳を光らせてドヤ顔をしているので、少年はありがたく貰っておくことにした。だが、それはそれとして、言いたくなった事はとりあえず言っておく。

「はぁ……。なあ、爆裂魔法以外のスキルを覚えるつもりは――」

「ありません」

「ですよねー……」

 答えなど分かり切っていた事なので、新たに落胆などしない。ただただ只管に虚しいだけである。

 一発芸の為に命を賭ける少女と、先程の上級魔法を操り大活躍していた少女。頭の中で二人をどうしても比較してしまう。覚えた魔法も、ついでに体つきも、どうしてこうも差が付いてしまったのだろうか。

 そんな思いが視線に現れていたのか、魔法使いの少女に見咎められてしまった。

「……なんです?」

「さっきの娘より、めぐみんの方が、美人だなって」

 二人の間に、長い沈黙が下りた。

 棒読みで誉められた事が嬉しかったのか、少女は不敵に笑いながら両手を広げて再び構えを取る。何時でも飛び掛かれる態勢で、じりじりと少年に詰め寄って行く。大事にしている杖まで取り落として、もう少年に飛びつく事しか考えていない様だ。瞳も爛々と赤く輝いて、大変興奮して居る事を伝えていた。

「それはどうもありがとう……! お礼にぎゅっとハグしてあげますね」

「おいこっちくんな!」

「もっと喜んでも良いのですよ? ヌルヌルの女の子に抱き付かれるだなんて、場合によってはお金を払う人だっていますよ!!」

 粘液塗れの少女が近づいてくる様子に、思わず少年が身構えながら後退する。逃げの態勢に入った少年に、魔法使いの少女は勢い良く飛び掛かって行った。有無を言わさない、肉食獣を思わせる急激な加速で。

「ああん……。カエル臭いっ!!!」

 こうして、ヌルヌルにされた被害者がまた一人。

 

 

 街中を粘液塗れになったまま通り抜け、道行く人の怪訝な視線に耐えながら二人は屋敷へと帰還した。二人が立ち並ぶ玄関は、早くも滴り落ちる粘液でべっとりと汚れ始めている。

「ううう……、こんなにうれしくない抱擁は初めてだ……」

「ただいまー! ロー、戻りましたよー! ……居ないようですね?」

 玄関に出来た粘液の水たまりの中で、肩を落としながら少年が呟く。同じく肩を落とす少女が、先に戻ったはずの仲間を呼ぶが返答は無かった。

「なおなーお」

 代わりにそんな二人を、黒猫が出迎えてくれる。飼い主に似て、中々に知能が高い様だ。

 魔法使いの少女はしゃがみ込んで、自らの使い魔に触れようと手を伸ばす。

「おお、ちょむすけ。良い子にしてましたか?」

「うにゃぁぁぁん!?」

 しかし、ねっちょりと張り付いた粘液の放つ異臭のせいか、黒猫は猛烈な勢いで後退して行った。飼い猫に見捨てられた少女が、手を差しだした姿勢で茫然としてしまう。

「じゃ、俺風呂に入るから……」

 そんな少女に構う事無く、最弱職の少年はスタスタと風呂場に向かおうとする。そんな少年の服の袖を、復活した少女がむんずと掴んで引き留めた。

「なんだよ……」

「レディ・ファーストって、知ってますか……?」

「俺は真の男女平等を願う者……。都合の良い時だけ女の権利を主張し、都合の悪い時は男のくせにとか言う輩は許さない性質だ」

 少女の問いかけに対して、少年が迷いなく己の信条を答える。その後は、お互いに無言。

「「……っ!!!」」

 そして二人は同時に駆け出し、我先にハァイと風呂場の脱衣所へと飛び込んだ。唐突に始まる一番風呂争奪戦。

「そもそもレディ扱いされたいと言うのなら、まずは一端のレディになってからにしたまえ!」

「今私を子供扱いしましたね!? 一応言っときますが、三つしか違わないのですよ!」

 少年が風呂場への戸を開こうとするのを、少女が後ろから掴みかかって妨害をする。少年は少女の頭を押しやって抵抗するが、ステータスに差がある為に少女を振りほどけず、逆に問答で興奮した少女に押され気味になってしまう。

 思わぬ抵抗に浴場への突撃を諦めた少年は少女から距離を取り、それを見た少女もまた謎の構えを取って格闘戦に身構えた。

「俺の目には、今のお前は子供にしか映らないから無駄な事だー!」

「こ、この男本当に脱ぎ始めました!?」

 少年は離れたのをこれ幸いと、少女が目の前に居ると言うのにズボンを一息に下ろしてしまう。驚愕する少女を尻目に、装備も上着も剥ぎ取って床にばらまく悪辣さだ。伊達に鬼畜とは呼ばれていない。

「俺は絶対に譲らない! そう、絶対にだ!! 分かったのならすぐここから出て行きたまえ!」

「なるほど、カズマが私の事を女として見ていないのは理解しました……」

 かなり大人げない事を高らかに宣言されるが、少女も黙ってやり込められるほど大人しくはない。羽織っていたマントをばさりとなびかせて外し、不敵な笑みと共に宣言して見せる。

「ならいっそ、一緒に入りましょうか!」

「そうだな、一緒に入れば解決だな」

「あれっ!? す、すいません、普通はこういう時って『バ、バカ、そんな事できるかっ!』とか、照れて順番を譲るものでは……?」

 いつの間にか腰にタオルを巻くだけとなった少年が提案をあっさり飲んで、やり込める筈の少女が逆に硬直してしまった。間近で見る男性の裸体と、あっさり快諾された事に思わずドン引きしてしまう。

 そこにすかさず少年が畳みかける。

「先に言っておくが、俺にお約束とかは通用しないからな。例えばだ。俺にめぐみんが惚れて、俺が他所で他の女の子に迫られたとする。そんな俺に嫉妬して理不尽な暴力を振るおうものなら、俺は遠慮なく反撃する」

 少女に指を突き付けながら朗々と告げる少年の言葉に、少女は最早ドン引きを通り越して消沈していた。少年の想像を絶するゲスさに、心が完全に打ちのめされてしまったのだ。

 それでも少年は止まらない。

「俺はやる時はやる男だからな! そこら辺ちゃんと覚えておけよ!!」

「あ…………。やる時はやるの使い処が間違っている気もしますが……、まあいいです……」

 少年の言動にヤラレてしまった魔法使いの少女は、もうすっかりと風呂に入るのを諦めて背を向けて退室しようとした。もう、口論するのも馬鹿らしく虚しい、そんな表情であった。

 そんな背中に、勝ち誇った少年が更なる追い打ちをかける。口喧嘩で勝った高揚感で、何か一言いいたくなってしまったのだ。

「なんだ、アレだけ挑発しておいて一緒に入らないのか。とんだ根性無しめ!」

「なにおうぅっ!? この私が根性無し!? 言ってくれますね、何ですか、入りますよ、入れますよお風呂くらい!!」

 少年の言葉に少女は瞬間的に沸騰した。纏っていた粘液に濡れたマントを剥ぎ取って、腰に手を当てて勝ち誇る少年の顔面に、怒りの感情に任せて叩きつける。更に少女は、少年の腰に巻かれたタオルにまで手を伸ばして引っ張り上げた。少年の抵抗にも負けじと、全身を使ってのヤケクソの引っ張り合いである。

「さあ、こそこそタオルなんか巻いてないで、とっとと入りますよ!! のびーる! のびーるっ! 伸びるハイ!!」

「ちょちょちょ、何してんだおい。引っ張るなよスケベ! もっと慎みを持てよ!? あはぁん……」

 ステータスの差とはやはり顕著な物。抵抗虚しく、少年の身に着けていたタオルは宙を舞った。この二人は一体何をしているのだろうか、それはきっと本人達にもわからない事柄であろう。

 本当に、何をしているのか、分からない。

 

 

 風呂場ではどうしてカポーンと音が響くのか。それは風呂場に音響効果があるからである。

「ふぅ……」

「はふぅ……」

 結局タオルを身に着けて入る事を妥協した二人は、今は仲違いする事無く湯船に浸かっていた。風呂の縁に寄りかかり手足を伸ばす少年と、対面の縁に顎を乗せて無防備に寛ぐ少女。

 そして、もう一人。

「……服に粘液が付いてるなら言って欲しかった…………」

「あー……、悪かったよ……。まさかローが居ないのに、お前だけ居るなんて思わなかったしさ」

 今、屋敷の広い浴槽には三人目、メイド服を着ていないメイド娘――否、レベルが低くなっているのか幼女姿に戻っている――が一緒に浸かっていた。今はメイド服ではないので、青と赤のオッドアイが一番の特徴となっている。今日の髪形は湯に浸からない様に頭の上でまとめられ、更にタオルで包まれて実にコンパクトだ。

 オッドアイの娘は少年と少女の衣服を洗濯する為に現れ、そこで自身も粘液に塗れてしまったので風呂場に突入してきたのだ。あまりにも堂々とした姿だったので、先に入っていた二人は一瞬驚いただけで受け入れてしまった。

 三人はのんびりと湯の温かさに身をまかせ、混浴だと言うのにだらけ切っている。

「なあ……」

「はい……?」

「へーの肌って、なんか上半身と下半身で色ちがくね?」

「この子の種族は半アンデッドとの事なので、その特徴が現れているのでしょう。と言うかカズマ、セクハラですよ」

 少年の発した質問に、何故か本人ではなく少女が回答していた。当の本人は気にした様子も無く、二の腕を掌で擦って肌を磨いている。肌の色の違いなど、弄られ慣れていると言わんばかりの余裕振りであった。

 話題にされた本人がのんびりしているので、浴場の雰囲気も再びそれに倣う。

「なあ……」

「はい……?」

「あの子、放っといて良かったのか?」

「どうせまた会えますよ。ライバルを自称する私の追っかけですから……」

 再び訪れたくつろぎの時間に、少年と少女の話題は先程出会った紅魔族の少女の物になる。自然と少年の脳裏に思い出されるのは、目の前の少女と同い年とは思えない育ちの良い肢体。そのバストは実際豊満であった。

「あの子、めぐみんと同い年なんだよな……」

 対する目の前の少女と、ついでにオッドアイの娘の肢体は実に幼げ。そのバストは平坦であった。

「おい、今私達を見て思った事を、正直に言って貰おうか」

「フッ……、成長は人それぞれだよなって思って――」

「「黒より黒く……」」

「おい、やめろ!?」

 要求された通りに思っていた事を少年が話すと、事も有ろうに少女と娘は爆裂魔法の詠唱をし始める。魔力を使い果たしている魔法使いの少女はともかく、召喚獣のオッドアイの娘はシャレにならない。そうで無くても爆裂魔法の威力を目の当たりにしている少年としては、自分に向けられる爆裂魔法の詠唱など聞きたくもない物だ。

「お前ら二人とも、心臓に悪いんだよ!」

「ふん……、私だってあと一、二年もすれば、ゆんゆんが泣いて謝る体になって……」

 抗議する少年の言葉には取り合わず、勢いに任せて少女は不満を吐き出している。薄い胸を逸らしながらそんな事を言う少女に、少年は腕を組んで無遠慮な視線をぶつけた。

 じーっと見ていると、少女が己の体を抱いて背中を向ける。

「マジマジと見るのは止めて欲しいのですが!」

 抗議されても少年の視線は止まらない。そして観察と熟考の果てに、一つの疑問を導き出した。

「……なんで俺達、みんなして風呂に入ってんの?」

「何故今更!? どうして急に冷静になるんですか!?」

 疑問と疑問がぶつかり合い、暫しの間浴場を沈黙が支配する。

 一年もすれば目の前の少女は一四歳。十分に少年の射程範囲となるのだ。おまけにマイペースに寛ぐオッドアイの娘は、召喚時のレベルが上がればどんどん成長する。

 改めて考えれば、この状況はとんでもなく気恥ずかしい物ではないかと、少年はじりじりと少女達から距離を取った。露骨に視線を逸らされた少女もまた、相手を意識してしまい同じ様に距離を取る。気にしていないのは、二人の間に居るオッドアイ娘だけだ。

「いや、だって……、この状況見られたらシャレにならない――」

「ただまー!」

 少年が言い訳にもならない事をもにょもにょ言っていると、屋敷中に威勢良く青髪女神の声が響き渡った。

 声を聞いた少年少女の体がビクンと跳ねて、思わず湯船の中で臨戦態勢を取ってしまう。少年は片膝をついて何時でも動ける様に備え、少女の方は縁に身を隠して無意味にブクブクと口元を泡立てていた。

「あれー、誰も居ないの? カエル肉を売ったお金、貰って来たわよー?」

 青髪女神の能天気な声は響き続ける。そこでハッとした少年が、少女に向けて控えめに声を掛けた。

「鍵は!? 脱衣所の鍵は閉めたっけか?」

「し、閉めてませんよ。どどっ、どっ、どうしましょう!?」

 話している内に状況を理解してしまった少女が頭を抱える。抱えるどころかわしゃわしゃと頭を掻き毟る。ここぞと言う時の動揺ぶりは、機動要塞退治の時から変わってはいなかった。

「カズマー、めぐみーん、ただまー! おかえりを言って欲しいんですけどー? んー、お風呂ー?」

 そうこうしている間にも、青髪女神の声は着実に近づいてきている。あの女神の事だ、こう言う時に限って的確に風呂場に突撃して来るであろう。あれはそう言う存在だ。

「……っ! 『フリーズ』ッッッ!!!」

 次の瞬間、意を決した少年が湯船から飛び出し、タオル一枚のままで脱衣所に駆け込んだ。内扉を跳ね開けて、そのままの勢いで突き出した掌から、渾身の魔力を込めた冷気を噴出させる。

「俺が破滅するか! 魔力が持つか! 勝負だ!!」

「おー……、おおー……」

「持ってくれ俺の魔力! アクアに見つかったら、ロリニートだのロリマさんだの、不名誉なあだ名を広められてしまうぅぅぅぅぅっ!!!」

 まるで命を懸けた決戦に挑むかの様な形相で、最弱職の少年は全ての魔力を初級魔法に注ぐ。その甲斐あってか、脱衣所と廊下を繋ぐ扉はものの数秒で氷漬けとなった。

「……もう立つ力も残ってねぇ……。ンウウウウウッ!!」

 呆然と声を漏らす魔法使いの少女が見守る前で、少年は全てをやり切ったとばかりに脱力する。そして、成し遂げた少年は顔から床に倒れ込んだ。その際、受け身も取れ無かったので、激痛のせいか物凄い声を出していた。

「めぐみーん、お風呂からあがったらご飯食べに行きましょう。って言うか、早く上がってよ? 私もヌルヌルなんですけどー」

 丁度そのタイミングで青髪女神がやって来たらしく、ドアの外から声を掛けて来る。そして、そのまま扉を開く事無く立ち去って行った。アレだけ少年が騒いでいたのに、彼女は中に居るのが魔法使いの少女だと思った様だ。

「別に……、どちらか片方がドア越しに声を掛ければ、わざわざ中にまで入ってくる事は無かったと思うよ……」

 ほっと安堵の吐息を漏らす少年少女達に、ぼそりとオッドアイ娘がごく当たり前の事を呟く。テンパっていてその発想に至らなかった二人はハッとしたが、何はともあれ危機は去ったのだ。

「危ない所でしたね。あのままでは――」

「危うく俺がロリコン認定されてしまう所だった……」

 一緒にお風呂に入っている所を目撃されるピンチを脱した少女が倒れ伏す少年に声を掛け、それを継ぐ形で少年はついつい本音を漏らしてしまった。

 その言葉にピクリと二人の女性が反応したが、それに気が付かずに少年は寝転がったまま言葉を続ける。

「あ、めぐみん。悪いけど動けないから体拭いてくれよ。ん……?」

「おい……。私達と一緒にお風呂に入ったらロリコン認定される件、そこら辺の話をちゃんとしようじゃないか……」

「しようじゃないか……」

 動かない体の中で首だけを何とか動かして背後を確認すると、少年の視界には怒気を纏わせたロリっ子が二人。どちらも拳をボキボキ言わせながら、ゆっくりと少年に近寄って来る。

「おい、こら、止めろ。何するって気だよ、痴女認定するぞ!? ちょ、アクア! アクアー! ロリっ子達に悪戯されるーーっっ!!」

 結局、最後に少年が頼るのは青髪女神。困った時の神頼みとはまさにこの事だろう。

 結果的に、最弱職の少年は悪戯の危機を免れたが、助けに来た青髪女神によって不名誉な称号を付けられてしまった。これだけは遠慮したいと思っていた、最弱職の少年にとって最悪の肩書を。

「ロリニート……」

「ひっ!?」

 身を清めた四人が冒険者ギルドの酒場で夕食を取っている間も、青髪女神は非難の視線と共に称号を囁く。同席する魔法使いの少女もメイド娘も、侮辱された側なので少年を助ける事は無かった。

 憮然とした表情の女性三人に囲まれる夕食。召喚士が後から送れて合流するまでの暫くの間、少年はこの称号で呼ばれる事に恐怖する事となる。

 

 

 時は少し遡って、少年と少女達が雪原で戯れていた頃。彼等から離れて一足先に屋敷に戻ったはずの召喚士は、アクセルの街に入った所で路地裏に連れ込まれていた。

 街の中で巨大な召喚獣を出して居る訳にも行かず、巨躯の狼を送還した所を狙われてしまったのだ。碌に抵抗する事も無く、連れ込まれた先で壁に押し付けられる。こんな状況になっても絶えない微笑みの真横に、ドンと掌が叩きつけられた。

「やあ、また会いに来たよ。正体不明の召喚士君?」

「存外、遅かったね。銀髪の盗賊さん」

 召喚士を路地裏に連れ込んで、壁に手を付きながら追い詰めているのは、いつぞやに会った盗賊職の少女であった。陽気で快活な性格の彼女の表情は、今は口元が布で覆われていて鋭い相貌しか見えていない。少なくとも、召喚士に友好的とは言えない様だ。

 あえて素顔を隠すのは変装のつもりなのだろうか。ならば今の彼女は、ただの銀髪盗賊であろう。

「ここなら邪魔は入らない……。さあ、君の持っている神器を回収させてもらおうか」

「ふむ……、また唐突だね。理由を聞いても良いかな?」

 真剣な声色で迫る銀髪盗賊に対して、召喚士はへらへらとした笑みを引っ込める事は無い。そんな態度に若干眉をひそめながらも、銀髪盗賊はわざわざ己の考えを述べてくれた。

「アタシは『宝感知』と言うスキルを習得している。それによると君は、複数の神器を所持しているのが分かった。神器とは本来転生者には一つだけ与えられる特典だ。それを複数所持している時点で、真っ当な事はしていないと分かるのさ。何より、アタシは女神様からの啓示を受けているからね」

 銀髪盗賊は長々と行為に至るまでの理由を説明してくれる。特に最後の部分は得意げに、薄い胸を張りながら宣言していた。悲しいまでに、薄い胸を。

「啓示?」

「君の名前は転生者のリストには無かったそうだよ。それなのに複数の神器を所持して、さらに強力な召喚術までも扱う。そんな君は確実に怪しい奴だね。そう、それこそ――」

 まるで魔王軍の手の者の様に。そう告げた銀髪盗賊の視線は、召喚士を完全に敵対者として捉えている。それを受ける召喚士の表情は――

「ぶっ、あはははははははははっ!!!!!」

 路地裏に響き渡る大爆笑。壁ドンされているにもかかわらず、体をくの字に折り曲げて笑いの衝動に身を任せていた。フードがずり落ちる程体を揺らし、膝をバンバン叩いている。

「そ、そんなに笑わなくても良いだろう!?」

「ひーっ……、ひーっ……。あー……、僕が魔王軍か……。そういう設定でも面白かったかもしれないなぁ」

 あまりにも激しく笑われたので、顔を赤くして銀髪盗賊が距離を取る。涙目になって痛み出したお腹を抱える召喚士は、壁にもたれ掛かって荒くなった息を整えていた。

 指で涙をぬぐいながら呟く言葉には、偉く胡乱げな臭いが漂っている。それをあえて指摘せずに飲み込み、銀髪盗賊が改めて声を張り上げた。未だに頬を少し赤らめながら、びしりと指を突き付けつつ。

「ともかく、女神の代理人として、本来の持ち主の手を離れた神器は回収させてもらうよ。拒むと言うなら、最悪神器に封印を施して――」

「別に、良いよ。封印しても」

「悪用出来ない様に――……今なんて言った?」

 別に良いよと言いました。その唐突過ぎる言葉を理解した時、銀髪盗賊は面食らってしまう。それはそうだろう、今まで敵視していた相手が特に理由も無く無条件降伏したのだから。

「……何か企んでいるのかい?」

「滅相も無い。ただ、封印は受け入れるから、没収は勘弁してほしいかな。あと、路地裏に連れ込まれるのはこれっきりにして欲しいな」

 ピッと指を一本立てて、注釈を入れる。機能を止められてもその物は渡したくはないと言うのだ。更に訝しむ銀髪盗賊に、召喚士は立てた指を左右に揺らす。

「僕の懸念は君ともう一人だけなんだ。神器を封印する程度でその片方が納得してくれるなら、幾らでも神器の恩恵なんか捨て去るさ」

 正直信じられない。銀髪盗賊の目がそう語っている。召喚士からにじみ出る胡散臭さに、信用しろと言う方が無理に近いだろう。

 だが、これは彼女にとってチャンスである。

「そこまで神器を手放したくない理由はわからないけど、大人しく封印されてくれるなら好都合だよ」

 そう言って銀髪盗賊は、紋章の付いたペンダントを取り出した。それはエリス教徒の持つ信徒の証。彼女はそれを手にして突き出し、キッと召喚士を見据える。

「同調率上昇……。神器、封印っ!!」

 証を構える銀髪盗賊の体が神々しい光に包まれ、やがてそれは召喚士に向けて迸る。光が召喚士を包み込むと、一瞬辺りを眩く照らし、そしてそれは次第に収まって行く。光が消え去った後には、不思議そうに己の体を眺める召喚士の姿だけが残った。

「……これで君の持つ神器は、全て使い物にならなくなった筈だよ。そんな物を持っていても意味は――」

「レベル一召喚。ヘーちゃん、お願いね」

 神器の封印を遣って退け、またもや薄い胸を張る銀髪盗賊の目の前でそれは起こる。いつの間にか召喚士の横に現れたメイド服の娘が、その掌から光を溢れさせて自らの主人に差し向けていた。

「…………封印、解除……」

 そして、眩い光が収まると召喚士は靴をしげしげと眺めてから、おもむろに足を踏み出して空中に足を掛ける。そのまま階段でも上る様に、一歩ずつ体を空中に登らせて行った。

「な、なああああああああっ!!??」

「うん、ちゃんと機能しているね。ありがとうへーちゃん」

 お気に入りの靴の調子を確かめて再び地に降り立った召喚士は、仕事を果たしたメイド娘の頭を撫で回す。ホワイトプリム越しに撫でられて髪型が崩れるが、メイド娘は死んだ魚の様な眼のまま無抵抗にそれを受け入れていた。

 その後、風呂の準備をする様に言いつかって、メイド娘は一足先に屋敷に戻る。それに手を振りつつ見送ってから、召喚士は呆然とする銀髪盗賊に向き直った。

「じゃあ、封印されるって要求は呑んだので、僕も屋敷に帰るね」

「ちょっ!? 待って待って、おかしいおかしい! おかしいよね、これ!?」

 銀髪盗賊に声を掛ける為だけに残った召喚士もまた、手を上げたのを挨拶として立ち去ろうとする。それを慌てて引き留めて、胸倉掴んでがくがく揺さぶりながらがなり立てる銀髪盗賊。いや、口元の布を取り払って正体を露わにしたので、今は盗賊職の少女に戻ったか。

 召喚士は揺さぶられるままで返答する。口元をとてもとても嬉しそうに歪めながら。

「僕は封印を受け入れるとは言ったけど、その封印を解かないとは一言も言ってないよ」

「なあっ!?」

 言葉に絶句している間に拘束から逃れ、改めてくつくつと喉を鳴らす様に嗤う。最高の悪戯が成功したとばかりにご機嫌である。

 驚愕から戻って来た盗賊職の少女は、言葉の意味を理解するにつれて顔を怒りで紅潮させた。しかし、咄嗟に言葉が紡げずに歯噛みする。それも当然だろう、まさか封印が解けるとはつゆ程も思っていなかったのだから。

「まったく、君達は進歩しないなぁ。高い所から見下ろすばっかりだから、こうやって簡単に足元を掬われるんだよ」

 目深に被ったフードの奥で、口元だけを三日月の様に歪めて召喚士が嗤う。先程までのいやらしい笑みではない。どこか怖気を誘う様な、暗がりに浮ぶ赤い月。その光景に底知れなさを覚えて、盗賊職の少女は思わす戦慄した。

 その赤い三日月の上に、金の瞳が見えた様な気がする。目の前の人物の瞳はニホンジンの様な黒目だった筈なのに。

「君は……、一体何なんだ……?」

 悪魔では無い。悪魔であるのなら盗賊職の少女には直ぐに分かる。彼女はそういう存在だ。だが、とてもでは無いが人にも見えない。何か超常的な、それこそ神族の様な――

「僕が何者か、か……。くっくっくっ、はっはっはっはっ、はーっはっはっはっはっ!!」

 思考する盗賊職の少女の目の前で、唐突に召喚士が見事な三段笑いを披露する。続いてフードの中から黒の瞳が視線を合わせて来て、いよいよ正体を語るのかと少女が息を飲む。

「…………じゃ、僕帰るから」

「おおーいっ!? ここで帰るの!? 普通ここは自分の正体を語る場面だよね!?」

 少女の緊張をどこ吹く風と受け流し、召喚士はニッコリ笑顔で帰還を告げる。それに食いついて足止めする盗賊職の少女。召喚士は笑みを苦い物に変えて、やれやれと肩を竦めてみせた。

「もー、我儘だなぁ。どうしてカズマにも言ってない様な事を、今ここで話さなきゃいけないのさ。そう言う小物臭いムーブは、魔王軍の幹部にでもやらせといて欲しいな」

「え、悪いのアタシなの!? 今のってアタシが悪い場面だったの!?」

 狼狽する少女の姿を見る召喚士は実に楽しげだ。まるで、最高の玩具で遊ぶ子供の様に。

「もー怒った! こうなったらスティールで、神器も財布も奪い尽してやる!!」

「へえ、カズマに大人げなく窃盗スキル勝負を仕掛けて、挙句にパンツ剥がれて泣いてたくせに良く言うね」

「ああああっ!! 最近やっと忘れて来たのにまた言った! もう絶対許さないよ!」

「こういう時の正しい返答は『やれる物ならやってみろ』って言うんだっけ。素の状態だとカズマ以下の幸運値で、どこまでやれるのか見ものだね」

 盗賊職の少女がむきーっと憤慨して、召喚士がくすくす笑う。先程までの剣呑な雰囲気など微塵も感じさせずに、路地裏でギャーギャーと騒ぐ二人。まるで子供同士の意地の張り合いだ。

 互いの目的は既に、どれだけ相手をやり込めるかに移り変わっていた。

「『スティール』ッ! 『スティール』ッ! なんだよこれ、同じ金の腕輪が幾つも盗れるなんて、一体君は何を持っているのさ!?」

「残念、それも本体じゃないな。そんな滴り落ちた欠片で良ければ、幾らでも持って行くがいいさ。やっぱり一発で本体を盗めないとは、口程にも無い幸運値だったね」

「…………同調率上昇、『ブレッシング』……」

「待とうか。それはちょっと大人げないんじゃないかな。そっちがその気なら、いけっ、フーちゃん」

 煽るだけ煽られた盗賊職の少女が小声でぼそぼそと呟くのを見て、さしもの召喚士も顔色を変える。そして指示されて現れた巨躯の子犬が少女に飛び掛かり、尻尾をブンブン振りながら彼女の顔やむき出しのお腹を舌で蹂躙して行く。堪らずに笑い転げる盗賊職の少女だが、子犬はそんな事には構わずに無邪気にじゃれつくのであった。

「ちょっ、やめっ! あひゃはは、うわっ! あはははははっ! 降参、降参するから止めてっ! うひゃははははははっ!!」

「…………。フーちゃん、食べちゃだめだからね」

 そんな事が小一時間ほど続きました。

 そして後に残ったのは、唾液塗れでぐったりする少女と、その隣で満足げに座る巨大な子犬。そして、金の腕輪を投げつけられて、見事に撃沈されて倒れ込む召喚士。

 この勝負、引き分けである。

「ぜー……、ぜー……。さ、最後に一つだけ聞かせてよ……。君は一体何者なのさ……」

「君も大概しつこいね……。僕が何者かは、君が前に自分で言ってたじゃないか……」

 お互いに路地裏に転げながら、それでも何とか体を起こして盗賊職の少女はいぶかしげな視線を送る。大の字に倒れたままの召喚士は、口元にまたいやらしい笑みを浮かべて答えを口にした。

「他人の物語に現れて、常識はずれの力を使い、意味深な台詞を言って、そして肝心な事は包み隠す。そんな存在は、メアリー・スーって呼ばれるモノじゃないのかな?」

「そう……、どうあっても話すつもりは無いって事だね。分かった、今回の所は引いてあげるよ」

 出来ればこれっきりにして欲しい物なんだけど――そうぼやきつつ召喚士も立ち上がり、二人は向かい合ったままパンパンと埃を払う。最早お互いに、やり合う気力など残ってはいなかった。

「今、皆ギルドの酒場に夕食に行ってるらしいけど、一緒に来るかい?」

「止めておくよ。アタシは流石に、そんなにすぐに割り切れそうにないから。子犬君のせいで、お風呂にも入りたいしね」

 召喚獣との繋がりでメイド娘から情報を貰った召喚士が提案するが、盗賊職の少女は少し寂しそうな顔で断りを入れる。こんな事をした相手と酒を酌み交わせるほど、彼女はまだ老獪では無い様だ。

「いつか、君の正体を暴いて見せるよ。信用するには、謎が多すぎるからね」

 そうして、盗賊職の少女は立ち去って行った。現れた時と同じく唐突に。最後に一言だけを残して。

 神は何時だって貴方を見守っていますよ――その言葉だけは、口調を変えて静謐に告げられた。盗賊と言う職業に見合わぬ、聖職者の様な物言いである。まるで人が変わった様な印象だ。

 残された召喚士は、変わらない。変わらない笑顔で、この場に居ない相手に向けて忌々し気に囁いた。

「……だから嫌いなんだよ。神って奴は何時だって、遥か上から見下して来るから……」

 呟きは無論、誰にも届かず、召喚士は仲間達の居る冒険者ギルドへと向かう。非情にささくれ立った気分だ。仲間達の、大好きな少年の顔を見て落ち着きたいと早足になる。

 大型犬程の大きさになった狼を引き連れて、謎を抱える召喚士は足早に立ち去るのであった。

 

 

 そして合流した召喚士は、女性陣に囲まれて肩身を狭くする少年を見かけると、開口一番に指を指して大爆笑する。やはり、この少年達は面白い――改めて思う召喚士だった。

 

 




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第十四話

このお話は、ちょっと投稿するか迷いました。
物語の根幹の部分がちょいとだけ入ります。


 最弱職の少年が不名誉な称号を手に入れた翌日。

 朝食時を過ぎた時分にようやく起きて来た頃には、屋敷の中には仲間達の姿は殆ど無く。残っていたのは、居間の大半を占める位に大きくなった狼のブラッシングをする召喚士だけであった。

「おはよう、カズマ。他の皆は朝早くから出かけてしまったよ」

「ああ、おはよう、ロー。お前も朝から精が出るな」

 嬉しそうに微笑んだ召喚士が、そんな風に言いながらブラシを放り投げて駆け寄って来る。一緒にブラッシングしていたメイド娘がそのブラシを拾い上げ、溜息を一つ落としてから死んだ魚の様な眼で作業を再開した。どうやら、召喚獣に召喚獣の世話を丸投げする様だ。

「なんだよ、二人ともこんな朝早くから出かけたのか」

 そんな事をぼやいた少年は、自らも出かけるので付いて来るかと召喚士に問いかける。朝食を自分で用意するのも億劫なので、出先で適当に済ませるのだと言う。召喚士はそれに二つ返事で了解して付いて行った。

 昨夜に全員で話し合った結果、真っ当に冒険をするにはやはり、壁役である女騎士の存在は不可欠と言う結論に至る。その為に、今日は各々自由に過ごす事になっていた。

 仲間の一人が食卓に居ない淋しさには、何時まで経っても慣れそうには無い。今晩も帰って来なかったら、何かしらの行動を起こそうと少年は密かに決意する。

 それはそうと、目下の悩みは召喚士が腕に身を摺り寄せる様に近くに居る事だろうか。油断すると腕に抱き付かれそうな程に近い。なんだか蜂蜜みたいな甘い香りもするし、この状況は少年的になんと言うか凄く困る。

「なあ、ちょっと近過ぎじゃないか。その、あれだ、もうちょっと距離を取っても……」

「……迷惑だったかな?」

 別に迷惑だと言う程ではない。ではなぜ少年は拒もうとしているのだろうか。そう、隣に居る召喚士は同性の筈なのだ。少なくとも少年の中ではそうなっているので、ここで流されるわけにはいかない。

「迷惑とかじゃなくて、……そう歩きにくいだけだ、うん。と言う訳でもうちょっと離れよう。な?」

「はーい……」

 最弱職の少年がやんわりと告げれば、召喚士は素直に頷いてほんの少しだけ距離を開ける。その代り、マントの端をちょんと抓まれてしまった。流石に振り払う気も起きずに、少年はその距離で妥協する事にしようと思う。

 思えば警察署で一緒に投獄されてから、距離が近くなった様な気がする。それまでは仲間同士でも遠巻き見る様な、一歩分壁を作った様な付き合い方だったのに。今ではその壁が無くなって、むしろ引っ付いて来そうな距離感である。

「こいつは男……、こいつは男……。多分……、きっと……、おそらくは……」

「うふふ……。楽しいなぁ……」

 ぶつぶつと呪文の様に繰り返す少年の後ろで、召喚士は無邪気な笑顔を浮かべるのであった。

 

 

 特に目的地があった訳では無くぶらぶらしていた二人だが、散策する内に街の雰囲気がいつもと違う事に気が付く。普段から露店が立ち並ぶ通りに来ていたのだが、今日はなんだかその露店や路上でパフォーマンスする大道芸人が増えている様な気がするのだ。

「気のせいじゃないと思うよ。ここ最近は機動要塞デストロイヤーの討伐報酬で潤っている冒険者目当てで、色んな商売人がこの街に集まってるみたいだからね」

 思った事を話してみれば、召喚士がさもあらんと説明してくれる。それを聞いた少年は複雑な気分になってしまった。少年達は血を吐きそうな借金を抱えているというのに、参加してただけの連中が金持ちになるとか世の中やっぱり間違っている。

 適当な露店で朝食を買い求めようと物色していると、ふと街並みに見知った顔を見かけた。それは先日知り合った黒いローブの少女。少年達の仲間である魔法使いの少女と同じ、黒髪赤眼を持つ紅魔族の女の子であった。彼女はおどおどとした態度で串焼きの露店を眺めている。

 特に買う訳でも無く、けれどチラチラと視線を送りながらうろうろしているので、あれでは露天商も非常に迷惑だろう。やがてその串焼き屋に他の客が並ぶと、彼女はその様子をじっと観察する。どうやら、買い方を見て学んでいる様だ。露店を利用するのは初めてなのだろう。

 露店で買い物を終えた先客が立ち去ると、黒ローブの少女は意を決して露店に並ぶ。やがて望んだ物を手にした彼女は、幸せそうに串焼きを口に運んで立ち去って行った。

 最弱職の少年は、珍しい動物を見守るかの様に、それを観察するだけである。

「気になるなら、声を掛ければよかったのに。……カズマは巨乳の方が好きなの?」

「いや、そっとしておこう……。それから、俺は胸に貴賤は無いと思っている。べべべ、別に胸見てたわけじゃねーしぃ?」

 もちろん、少年の言葉に説得力は微塵も無かった。男の子故に、致し方無し。

 閑話休題。

 珍獣観察を終えてから、適当な露店で空腹を満たしていると、少年達は道端の会話を耳にする。それは冒険者同士の他愛も無い情報交換。その内容は、ここ最近奇妙なモンスターを見かけると言う物であった。

「ふーん。引っ付いて自爆するモンスターなぁ……。やっぱりこの世界は、おかしな生き物が多いな。…………ロー、どうかしたのか?」

 少年が盗み聞いた話の内容を反芻していると、目の前の召喚士の様子がおかしい事に気が付く。どこか遠くを見つめる様な眼をして、非常に珍しく笑いもせずにボーっとしているのだ。訝しんだ少年が話しかけても反応がない。

 目の前で掌をぶんぶんと振って見せると、ようやく意識が戻って来たのか黒の瞳が少年を捕らえた。

「おい、大丈夫か? なんだかぼんやりしてたぞ?」

「あ……、うん、大丈夫。……ちょっと向こうの露店が気になったから、それを見ていただけだよ。ほら、あの射的のお店、楽しそうじゃないかな?」

 心配そうに覗き込んでくる少年に何時もの笑みを返して、召喚士は離れた所にある一つの射的屋を指差す。それは日本で見掛ける様な空気銃等では無く、異世界らしく弓矢で行う方式の射的らしい。日本では見かけないその方式に、最弱職の少年は確かに興味を引かれた。召喚士も乗り気なので覗きに行く事になる。

 朝食を終えてから射的屋に近寄ってみれば、そこには果たして見知った顔が先客として居た。黒いローブの紅魔族の少女である。

 彼女はまたもや露店に興味を持った様だが、先に遊んでいるカップルを気にしてか逡巡している様だ。デートコースに一人で遊びに行くのが恥ずかしいのか、じっと忍耐強く先客が居なくなるのを待ってから射的屋に駆け寄った。

 数回本格的な作りの弓矢で景品を狙うも、魔法使いではやはり上手く行かないのか景品は落ちない。そうこうしている内に再びカップル客が現れて、黒ローブの少女はそれを避ける為に射的屋を離れてしまった。

 離れはしたが景品が気になるのか、やはりカップルが居なくなるまでじーっと様子を伺っている。見ていて非常にもどかしい少女だ。

「カズマ……」

「ああ、しょうがねぇなぁ……」

 言葉は無くても同調した少年達は、連れ立って射的屋に近づいて行く。黒ローブの少女の背中にようと声を掛け、そのままの流れで射的屋の店主に金を渡して弓矢を受け取った。

「……? あっ! あの、カズマさん、こんにちは……! えっと、そちらの方はお仲間の……」

「ローズル。ローちゃんって呼んでくれるとうれしいな」

 慌てた様子で挨拶をしてくる黒ローブの少女を召喚士に任せて、少年は間髪入れずに弓を構え獲物を狙い見る。目標は少女が何度も狙っていた、蒼い武者鎧の様な人形だ。

「『狙撃』ッ!」

 スキルを使って放たれた矢は、高い幸運に導かれて獲物を打ち落とす。落ちた景品は傾斜を転がって客の元まで転がる仕組みらしく、それを取り上げて少年は少女に人形を差し出した。

「ほら、これが欲しかったんだろう?」

「あ……。あの、ありがとうございます……!」

 差し出された人形に、受け取っても良いのかと逡巡してから、それでも手を伸ばして少女は人形を受け取る。そしてぱっと華やぐ様な笑顔を浮かべて礼を言ってきた。

「駄目ですよお客さん。アーチャーと狙撃スキル持ちはお断りって、看板に書いてあるじゃないですかー。景品はあげますけど、料金は倍払ってくださいね……?」

 そして、それを見届けてから文句を言ってきた店主に、謝りながら追加で料金を払う少年は非常に恥ずかしげに俯く。全てを一歩引いて見ていた召喚士は、少年の顔を見てニヤニヤしていた。

 格好つけようとして格好がつかない少年は、実に少年らしいと言えるだろう。

「えっと、それじゃあ俺達は、他の奴らを探してるからこれで……」

「えっ? あっ……。あの……」

 気恥ずかしさも有り、片手を上げて立ち去ろうとする最弱職の少年。その姿を見て黒ローブの少女は、一瞬淋しげな表情を浮かべるが、直ぐに諦念した様な表情に変わり伸ばしかけた手を下ろす。

「あのっ、これ! 冬将軍、ありがとうございました!」

 ぺこりと頭を下げてお礼を言って来る。そして、礼を言ったのが恥ずかしかったのか、頬を桜色に染めながら雑踏に逃げて行く。本当に身近な紅魔族とは対称的な少女だ。

 それはそれとして、冬将軍に碌な思い出がない少年は、人形の正体を知って微妙な表情を浮かべていた。

「優秀な魔法使いで、謙虚な性格の女の子か……。何で俺、先にあの娘と出会わなかったんだろう……」

「…………トレードしたくなった?」

 立ち去る背中を眺めながらぽつりと漏らした少年の言葉に、召喚士はフードの奥で小首を傾げながら尋ねる。それに対して最弱職の少年は、ハッと鼻で笑って肩を竦めて見せた。きっと、それはそれで物足りないと思ってしまうだろうから。

「さあて、さっさと『俺達の仲間』を探しに行こうぜ。目立つからすぐ見つかると思ったのに、全然見当たらないんだもんな」

「ふむ……。素直じゃないなぁ……」

 素直ではない少年の精一杯の返答を聞いて、召喚士は嬉しげに微笑むのであった。

 

 

 黒ローブの少女と別れてから暫し街の中を散策していると、威勢の良い呼び込みの声が聞こえて来た。見ればずいぶんな人だかりが出来ており、何やら巨大な鉱石の様な物を取り囲んでいるのが見える。呼び込みの声は、どうやらその鉱石を砕ける者が居ないかと呼び寄せている様だ。

「ああ、お金を出して挑戦して、成功出来たら賞金が貰えるって出店か。こっちにもそう言うのがあるんだな」

 興味を引かれた少年が近づいて行くと、幾人もの屈強な冒険者風の男達が鉄槌を振るうも失敗を繰り返していた。力自慢がいくら鉄槌を振るおうともびくともしない、あの鉱石は余程の硬度を誇っているのだろう。

「あんな平べったいハンマーじゃ割るのは無理だよ。石の類は継ぎ目に合せて杭を打ち込んで、剥がす様に割るのが正しい方法なんだから」

「へー、じゃあ魔法使いでもないと、力尽くでどうこう出来るもんじゃないのか」

 召喚士が披露する謎の雑学に相槌を打ちながら出店に近づいて行くと、最弱職の少年は人垣の中に三度見知った顔を見つける。それは言わずもがな、黒のローブの少女であった。

 流石にこれだけ短時間に見かけたのであれば、仲間の一人のライバルであろうとも無視する訳にも行くまい。少年は素直に声を掛ける事にした。

「…………また会ったなゆんゆん」 

「あっ! さっきはどうもですカズマさん、ローちゃんさん! 見てください、アレ! アダマンタイト砕きですって!」

 黒のローブの少女は挨拶もそこそこに、目前で行われる競技をハラハラと手に汗握って観戦している。興奮しているのか、紅魔族特有の赤い瞳が文字通り輝いていた。恐らく、彼女の故郷ではこういった催し物は珍しいのだろう。

 ちなみに召喚士は、自分の名前の呼び方がツボに入ったのか、声を押し殺しながら肩を震わせていた。少年はそれをあえて見ない様にして、熱中している少女に話しかける。

「ゆんゆんはアレだろ、上級魔法も使えるんだろう? 何だったら挑戦してみたらどうだ。魔法使っても良いって言ってたぞ」

「私では無理ですよ、アダマンタイトなんて……。それこそ高破壊力を持つ、爆発系の魔法でもないと。爆裂魔法なんて無茶は言いませんが、爆発魔法か、せめて炸裂魔法位は使わないと」

 言ってから思い当たる人物がいたのか、少女は苦笑を浮かべていた。少年も非常に心当たりがある。その人物がこの場に居れば大惨事間違いなしだろう。

 二人が会話を交わしている間にも、鉱石砕きへの挑戦は続いて観衆が騒めく。召喚士の指摘した通り、未だに成功者は出ずに、賞金は積もり積もって二十万の高額へと至っていた。

 懐が潤って調子に乗ったのか、店主の囃す口上も挑発的な物になる。この街の冒険者には、アダマンタイトは荷が重かったのかと。機動要塞を仕留めたと聞いたので、わざわざやって来たのにと。

 周りを取り囲む冒険者達は流石に逡巡していた。力自慢が幾人も挑戦しても敵わない。とは言え、ここまでコケにされては諦めも付かないので、少しでも可能性のありそうな相手に挑戦しろと押し付け合う。

 そんな時、騒めく群衆の中から一人の少女がスッと前に出た。

 何時もの赤いローブとマント姿では無く、お出かけ用の黒いワンピース姿。とんがり帽子も無いけれど、それは紛う事無き少年達のパーティメンバーの魔法使いの少女である。

「――真打ち登場」

 対機動要塞時にも見せていたドヤ顔で囁いた少女は、その瞬間に周囲の冒険者達に飛び付かれ拘束された。その場の全員が心を一つにした、今までに無い程の連係プレーである。

「おい、まだ何もしてない女の子相手に、この仕打ちはあんまりと言えばあんまりじゃないか」

 魔法使いの少女は両手をそれぞれ屈強な冒険者に捕まれ、更には詠唱を防ぐ為に最弱職の少年に首元を羽交い絞めにされていた。流石の負けん気の強い少女も、これには抵抗のしようも無い様子だ。

「おいおっちゃん、コイツに見つかった以上、その商売はもう止めとけ! コイツは街で噂の爆裂狂だ。その商売は、コイツの琴線を刺激し過ぎる!」

 続けて少年は露店の主人に忠告する。拘束されている少女が如何に危険かを。店主の商売が如何に危険人物を刺激するかを。

 話を聞いた店主は、顔色を青ざめさせて荷物を纏め始めた。

「ああっ! 破壊出来るのに! 我が爆裂魔法なら、間違いなく破壊出来るのに!」

「逃げろ! 早く、早く逃げろおっちゃん!」

 逃走しようとする店主を――正確には運び去られる鉱石を見て、じたばたともがきながら声を張り上げる少女。それを見た少年が急かす声を上げ、哀れ怯えた店主は悲鳴を上げて逃げ去って行った。

 店主が無事に逃げおおせたのを確認すると、拘束されていた少女は自由にされる。集まっていた人垣が目的を失って解散していく中で、最弱職の少年が呆れた様子で少女に声を掛けた。

「……まったく、目を放してるととんでもない事をしでかすのはアクアだけにしてくれよ。て言うか、アクアとは一緒じゃなかったのか?」

「いえ、何だか行きたい所があると言っていましたので別行動を。アクアなら先程、芸人さんの隣で凄い芸を無償でやり、泣かせているのを見ましたよ」

 あの女神は一体何をしているのだろうか。最弱職の少年は表情にありありと呆れを露わにする。その芸人には同情するが、関わり合いになるのを避ける為に少年はあえて探し出すのは止めて置く事にした。絶対に、厄介事になる予感しかしない故に。

「せっかくなので、一緒に街を回りましょうか。向こうにも今の露店と似た様な商売してた人が居たので、店主の目の前をうろうろして怯えさせてやろうかと」

「俺、お前の事を、爆裂狂なとこを除けば、もっと常識ある普通の子だと思っていたよ」

 少年の袖をクイクイと引いて同行を求める少女に、最弱職の少年は悟りを開いたかの様な微笑みを浮かべて言葉を返す。マントを召喚士が抓んでいるので、引っ付き虫がまた一人増えた形だ。

「あ……」

 言い合いながら立ち去ろうとする一行を見て、それを眺めていた黒ローブの少女が淋しげな呟きを漏らす。寂しさを感じても、自分からは前に出ない。それが彼女の性質だ。

「……一緒に来るか?」

 見かねた最弱職の少年が声を掛けると、黒ローブの少女はぱっと表情をほころばせた。しかし、その笑顔も少年の傍らに居る、己がライバルの姿を見て消える。ハッと気を取り直して、首をブンブンと左右に振り、己の在り様を語るのだ。

「わ、私はめぐみんに勝つためにこの街に来たのよ! 馴れ合いに来たんじゃないわ! さっきの射的の事はお礼を言います。どうもありがとうございました! ……でも、一緒には行かないわ!」

 そう言い放ってから、景品の人形を胸に抱いて一歩後退る。その目に宿るのは明確な敵意。そして決意だろう。

「だ、そうです。行きましょう、二人とも」

「お、おう……」

 睨み付けられる魔法使いの少女はどこ吹く風。些末事と受け流し、少年とついでに召喚士を引っ張って、ライバルの少女を置き去りにして行く。置き去りにされる方もまた背を向けて、ライバル同士はお互いを拒絶し合った。

「…………はぁ…………」

 やがて、張った意地が溜息となって零れ落ちる。黒ローブの少女は肩を落としながら、とぼとぼと当てもなく歩み始めた。自分で拒絶したとは言え、一人は淋しいと思ってしまうのだろう。

 その思いが後ろ髪を引かせて、少女はもう一度ライバルの去って行った後方を振り返り――

 数歩後ろを堂々とついてくる、己のライバルと目が合った。

「…………え、えっと、何でついてくるの?」

 驚愕した黒ローブの少女は思わず尋ねてしまう。それはそうだろう、あんな態度で別れたライバルが後をつけて来て、尚且つ露店で買ったであろうクレープの様な物を食しているのだから。これではまるで、見世物にされている様ではないか。

「相変わらずボッチなゆんゆんの、寂しそうな泣きっ面を拝もうかと」

 見世物にしていると言い切った。いけしゃあしゃあと臆面も無く。むしろ言い放つ魔法使いの少女の顔には、満面に底意地の悪い嗜虐心が浮かんでいる。

 聞かされたボッチ少女が、己がライバルの少女に掴みかかって行った。

「なんとなく、こいつらの関係が分かった気がする。やっぱりこいつらは、苛めっ子と虐められっ子か」

「うふふふ。昔から仲が良かったんだねぇ……」

 二人の少女が取っ組み合うのを横目に、最弱職の少年がぼやく。召喚士は取っ組み合いに際して、魔法少女が放り出したクレープをキャッチして保護していた。もちろんその顔には、状況を思いっきり楽しむ薄笑いが浮かんでいる。

 そんな事をしていたからか、いい加減周囲の視線が痛くなってきた。こんな所で騒いでいれば、確かに営業と通行の邪魔であろう。

「おいお前ら、喧嘩するなら人の居ない所に行くぞ。付き合ってやるから、一旦やめて付いて来い」

 見かねた最弱職の少年が声を掛け、取っ組み合いは一旦お流れ。少女二人は、互いにそっぽを向き合いながら少年の後へと続く。とりあえずは、街の外れに向かう事にした様だ。

「二人とも、何だかじゃれ合うのに慣れてるみたいだね。故郷に居た頃も、こんな風に戯れていたのかな?」

「ゆんゆんは、自分の名を恥ずかしがる変わり者でして。学園では大体一人でご飯を食べていました。その前をこれ見よがしにうろうろしてやると、それはもう嬉しそうに何度も挑戦してきて……」

 歩きながらの召喚士の質問に対して、魔法使いの少女は律儀に過去の事を説明してくれる。どうやら黒ローブの少女はぼっち少女だった様だ。最弱職の少年などは、説明される悲惨な過去にうへぇと呻いていた。

 それに異を唱えるのはもちろんぼっちの少女。彼女は両手を握り締めて精一杯訴える。

「待ちなさいよ! そ、そこまでひどくは……。友達だって居たもの!」

「今、聞き捨てならない事が……。ゆんゆんに、友達……?」

 訴えられた主張に、魔法使いの少女は眉根を寄せていぶかしがる。言外に、お前に友達なんて存在したのかと言っているのだ。

 それに対するぼっち少女は、自信満々に豊かな胸を張りながら応えた。それはもう、たゆんと。

「居るわよ、私にも友達ぐらい! ふにふらさんとかどどんこさんとかが、『私達、友達よね?』って言って、私のおごりでご飯食べに行ったり……」

「おいやめろ! それ以上は聞きたくない!!」

 飛びだして来た悲惨過ぎる過去に、耐えきれなくなった少年が遂に待ったをかける。何かしら少年の琴線を刺激した様だ。無論悪い方向に。

 変人ばかりに囲まれる中で、ただ一人常識的な思考を持ってしまい、それが原因で孤立する。ぼっち少女の不憫さに、彼の眼には深い憐憫が混ざっていた。

「で、今日の勝負内容はどうするのですか? 爆裂魔法しか使えない私としては、魔法勝負は避けたい所なのですが」

「いい加減他の魔法も覚えなさいよ。スキルポイントだってあれから溜まったはずでしょう?」

「溜まりましたよ? もれなく『爆裂魔法威力上昇』や『高速詠唱』等につぎ込もうと……」

「バカッ! どうしてそんなに爆裂魔法に拘るのよ!」

 浪漫の為に己の全てを賭けると、悪びれも無く宣言する魔法使いの少女。ぼっちの少女はその様子に、呆れた様に苦言を漏らす。最弱職の少年はそれを聞きながら、もっと言ってやれとぼっち少女を心の中で応援していた。

「でも困ったわね……。一体何で決着を決めようか……」

「別に何でもいいですよ? 私はもう、勝負事に拘る程子供でもないですから」

 悩むぼっち少女に対して、余裕たっぷりに魔法使いの少女は告げる。その言動に思う所があったのか、ぼっち少女は口元を歪めて少し意地の悪い笑みを浮かべた。

「子供じゃないって? そういえば昔、発育勝負をした事があったわね。子供じゃないって言うのなら、またあの勝負をしても良いわよ?」

 己の体に自信があるのか、指を突き付けて挑発するぼっちの少女。対する魔法使いの少女は、激昂する事も無く目を閉じて静かに頭を振る。

「子供じゃないというのは、別の意味での、子供じゃないという事ですよ。だって、私は……」

「うん?」

 大人びた表情で少しだけ瞳を潤ませ、一度言葉を区切ってひと溜め。そして言葉を続けながら、最弱職の少年の隣に並び立ち彼を掌で指示す。

「ここに居るカズマと、一緒にお風呂に入る様な仲ですから」

「ちょっ!?」

 唐突な大胆告白に、最初に驚いたのは最弱職の少年であった。さもあらん、唐突に幼げな女子と風呂で同衾する様な輩だと言われては、思春期的にも社会的にも死んでしまう。

「おま、ふざけんなよ! この口か、この口が俺の悪評をまた広めるのか!?」

「んー、そう言えば僕やアクアはまだ一緒に寝ただけだね。めぐみんやヘーちゃん達ばっかり、ズルいなぁ」

 激昂した少年が魔法使いの少女の両頬を掴んで、親指を口に突っ込みながら左右に引っ張りがなり立てる。やられる側の魔法使いの少女は無抵抗のまま何か言っているが、不自由な口元では何を言っているのかさっぱりだ。

 そんな仲良く戯れる少年少女を見ながら、召喚士はニヤニヤしながら火に油を注いでいた。

「ん……? え、ええええええええええええっ!?」

 暫く告げられた言葉が理解できなかったぼっちの少女は、ようやくと理解が追い付くと共に驚きで叫ぶ。両腕をぶんぶんと振りながら、何を想像したのかその顔と瞳は真っ赤っかである。

「きょ、今日の所は私の負けにしといてあげるからああああっ!! うえ、うえええん!」

 最後に捨て台詞を叫び、ぼっちの少女は泣きながら走り去って行った。

「賑やかな子だねぇ……」

「まったくだ……」

 見送る召喚士は実にほのぼのと、傍らの少年は精根尽き果てた様に溜息を吐く。気が済んだのか諦めたのか、少女の唇を報復から解放したらしい。

 解放された少女は何処からかメモ帳とペンを取り出し、サラサラと何やらしたため、最後に大きく白丸を付ける。沢山の白丸とわずかなバツ印が並ぶそれは、どうやら少女達の対戦記録の様だ。勝負に対してそっけない態度を取っていたと言うのに、本心では彼女もライバルとの対戦を強く意識していたらしい。

「今日も勝ちぃ!!」

「お、おまえ、本当にそれでいいのか……?」

 自らも羞恥で顔を真っ赤にしながら、ヤケクソ気味に勝利宣言する魔法使いの少女。その自爆も厭わぬ勝利への姿勢に、最弱職の少年は問い掛けずにはいられなかった。

 

 

「そう言えば、二人はずいぶんと仲が良くなりましたね。以前よりも距離が近くなったというか、隔たりが無くなった様に見えます」

 勝負も終わったという事であの後も露店を冷やかし、だらだらとした買い食いでお腹も膨れたので、一行は腹ごなしに川原へと赴いていた。未だ寒々しさの抜けない季節であったが、日当たりの良い傾斜の草原は食事で火照った体には居心地が良い。

 そんな寛ぎの時間に、魔法使いの少女が唐突に話を切り出したのだ。

「んー? 藪から棒だな。確かに距離は近くなった気はするけど、前々からこんなもんだっただろう」

 特別何かをしたという事も無い。あった事と言えば、裁判の前に一緒に投獄された位だろうか。誰一人少年に味方する事無く見捨てる様な雰囲気の中で、召喚士だけが味方になって着いて来てくれた。あれは確かに嬉しかったと、最弱職の少年は思い返す。

「そう言えば刑務所に居た時は、他にする事も無いからずっと語り合ってたな。ローが聞かせてくれた、三人の神様の話とかは面白かったからよく覚えてる」

「なんですか、神様のお話って? そんなに面白いのなら、私も気になります!」

 仲良くなった様に見えるのだとしたら、きっとそれだろうと少年は少女に話した。すると知的好奇心が刺激されたのか、少女は傾斜の草原で大の字になる召喚士に顔を向け話を強請り始める。

「んー? しょうがないなぁ……」

 そんな事を言いつつも、召喚士は上体を起こすと乗り気で話をしてくれた。ただ、同じ話を聞かせるのも芸が無いと言う事なので、今日は以前に話し損ねた話をすると言う。

 魔法使いの少女は少しだけ渋ったが、後日機会を設けると言う事で納得してもらった。

 そして語り始められた物語は、むかしむかしなんて変わり映えの無い始まり方。だけれども、どこか心に残る不思議なお話であった。

 

 

 昔々、ある所に三人の冒険者が居りました。三人はとても仲の良い幼馴染で、どこへ行くのも三人一緒。願わくば、終わる時も三人一緒と誓い合う。そんな、特別な三人でした。

 三人は天界の天使から三つの特別な力を授かり、魔王を倒す為に毎日を過ごしていました。

 一人は魔物や動物を本にする能力。一人は読んだ物語の英雄の力を取り込む能力。そして最後の一人は、とても口には出来ないおぞましい能力。

 来る日も来る日も三人は協力して、魔王軍や危険な魔物と戦い続けます。どんな危機をも乗り越えて、三人は何時までも一緒に過ごすかと思われました。

 しかし、やがて三人の関係に変化が訪れました。本を作る能力を持つ少女が、おぞましい能力を持つ少年に恋をしてしまったのです。

 恋する少女は思い悩みました。三人の関係を壊したくは無い。けれども、恋心を抑える事は出来ない。苦悩した少女はもう一人の幼馴染、英雄を取り込む少年に相談を持ち掛けました。

 英雄を取り込む少年は、本を作る少女に言いました。お前の能力を使って好きな男を本にして、自分をどう思っているのか確認すれば良い。気持ちを知れば、悩む必要は無くなるのだと。

 それは少女にとって、天啓にも似た高揚感をもたらしました。何より好きな人の全てが手に入る。その一点に思考が霞み、彼女は簡単に人の道を踏み外してしまったのです。

 こうして、おぞましき能力の少年は本へと変えられました。少女は気持ちを確認したらすぐに元に戻す気でいましたが、一度手に入れた愛しい人は中々手放す事が出来ません。だって、その本には少年からの、少女への恋心が綴られていたのですから。

 愛しい人の本を手にした少女は、助言をくれた英雄を取り込む少年に言いました。私達は相思相愛だった。この気持ちを確認できてとてもうれしい。助けてくれてありがとうと。

 英雄を取り込む少年は、やっぱりそうに違いないと思っていたと頷きます。そして、次の瞬間には少女の手から本を奪い、自身の力として取り込んでしまったのです。

 混ざり合った少年は言いました。二人が好き合っていた事は知っていた。自分だけが除け者にされているのは知っていた。憎い、憎い、憎い。僕だって君を好きだったのに。どうして僕じゃないのか。どうしてアイツなのか。許せない、許せない。だから唆してやった。だからこうして取り込んでやった。ざまあみろ。ざまあみろ!

 吐き出される慟哭に、そして愛する人を失った悲しみに、少女は悲鳴を上げました。頭の中がぐちゃぐちゃになり、ついには狂ってしまった少女は自分自身を本に変えました。もう何も見たくない、何も聞きたくない。現実から逃げる為に、彼女は本の世界へと閉じ籠ったのです。

 混じり合った少年達は、喜々として少女の本を取り込みました。これで三人は何時までも一緒。終わる時までも、どこまででも一緒。もう二度と、離れたくても離れられない。

 けれども、混じり合った少年と少女は満足できませんでした。胸にぽっかりと穴が開いた様な気持ちが消えないのです。こんなにも三人は近くに居るのに。誰よりも深く重なり合っているのに。

 混じり合った者達は、周囲の生き物を手当たり次第に本にして取り込んでいきました。胸の穴を埋める為に。人も獣も魔物でさえも、次々に取り込み混ざって行きます。

 やがて全てを飲み込みつくして、一つの世界と言う物語は終わりを迎えました。もう取り込む物が無くなった混じり合った者達は、それでも次の物語を求めます。

 新しい物語を見つけては取り込み、また新しい物語を求めてさ迷い歩く。物語に入り込み、好き勝手に暴れては去っていくその存在は、何時しかこう呼ばれるようになりました。

 物語を食い荒らす、誰でもない誰か。災厄の魔神器メアリー・スーと……。

 

 

「これでお終い……。めでたしめでたし」

「「めでたくないよ!?」」

 最弱職の少年と魔法使いの少女は、最後の締め方に同時に突っ込んだ。迫真の演技も交えて語られた物語に引き込まれていたのもあって、その締め方は無いだろうと一気に酔いを醒まされたような気分になってしまった。

「なんだか……、不思議なお話でしたね。でも、ローの語り口のおかげで確かに楽しめました。仲間内でのドロドロの愛憎劇とか、なかなか刺激的で爆裂的ですね」

「サスペンスドラマみたいで、今回はドキドキしたな。なんか、どっかで聞いた事がある様な設定だったけど」

「はー……。カズマに話したかったお話しも出来たし。僕としては大満足だよ……」

 お話に満足したのか魔法使いの少女は胸に手を当てて余韻に浸り、最弱職の少年は顎に手を当てて話の内容を思い返す。雰囲気を大事にする少女と、考察を楽しむ少年との差異が良く見て取れた。

 語り終えた召喚士は満足げに微笑み、んーっと伸びをして体を解している。牢屋で聞いた時も思ったが、妙に語り口が上手くて聞き入ってしまう。これも高い器用さのなせる業なのだろうかと、少年は胸の内で感心していた。

「さあて、結構長い間話してしまったね。今からもう一度露店を冷やかしながら帰れば……、夕暮れ頃には家に帰り付けるんじゃないかな」

 そう言いながら立ち上がる召喚士に促され、少年と少女も立ち上がり服に付いた草をパンパンと叩いて落とす。そうして帰り際に、ぽつりと魔法使いの少女が気になった思いを零すのだった。

「そのメアリー・スーは、今はどこに居るのでしょうね?」

「さあ……、それは僕にも解りかねるかな。でも、案外近くに居るのかも知れないね……?」

「不吉な事を言うなよ。厄介事で悩ませられるのは、うちの駄女神だけで十分だ」

 魔法使いの少女の問いかけに、片眼を閉じて肩を竦める召喚士。最弱職の少年は、身内に居る災厄を思い返して疲れた溜息を吐く。

 そうして一行は、川辺を離れてもう一度賑わう雑踏に紛れて行った。

 

 

 色々疲れた一行が屋敷に戻って来ると、居間では青髪女神がいつもの暖炉前で寛いでいた。見れば彼女は、何やら芸人が扱うジャグリング道具を喜々として扱っている。無数の輪っかを放り投げては次々に受け止め、持ち替えて更に放ってお手玉していた。

 それを見た召喚士が嬉しそうに青髪女神に駆け寄る。そして、青髪女神と目くばせしただけで、二人で息を合わせたジャグリングを開始して見せた。お互いに向けて無数の輪を投げ合う姿は、正に宴会芸のプロフェッショナルだ。

「おまえ等はどんだけ器用なんだよ。そう言うコンビネーションは狩りの時に発揮してくれよな……」

「あ、カズマ見てよコレ! なんか旅芸人のお兄さんが、『僕にはもう必要のない物ですから』って言ってくれたのよ。なんか良く分からないけど、ツイてたわ!」

 喜々として語る青髪女神。その旅芸人は、心を折られて田舎で農家を継ぐらしい。無邪気に人の夢を叩いて壊す辺り、この女神もやはり神であるのだろう。名も知らぬ元旅芸人に、最弱職の少年は心の中で黙祷を捧げた。

「ダクネスはまだ帰っていませんね。……今晩こそ、帰って来るでしょうか」

 二人係りのジャグリングを見物していると、少年の隣で魔法使いの少女がぽつりと零す。その顔を見なくなってからすでに二日。たった二日だと言うのに、もう何か月も会っていない様に思えてしまう。何時もは気丈な魔法使いの少女も、淋しさを隠せなくなってきている様だ。

 本来誰よりも仲間思いの彼女の事。仲間が何をされているか分からないと言う不安は、誰よりもひとしおだろう。

「やっぱり、全員揃ってないと面白くないよね……」

「……そうだな。帰って来れないのなら、帰って来られる様にしなきゃいけないよな」

 青髪女神とのジャグリングをしたままで、召喚士が現状への不満を漏らす。顔はにや付いているが、心情的には魔法使いの少女とそう変わらない気分らしい。

 それに応える形で少年も決意を新たにし、魔法使いの少女の頭を無造作に撫でる。それから何やら思案する顔で、居間から自分の部屋へと戻って行った。

「ふう、おしまいっと。ロー、あんたなかなかやるじゃない」

「手先は器用だからね。……カズマもようやく動く気になったみたいだし、僕達は僕達で出来る事をしようか」 

 ジャグリングの締め括りは、青髪女神が全ての輪っかを己の両腕に通して回収し、最後に二人そろってぺこりと聴衆の少女に頭を下げる。青髪女神は楽しみ終わった道具を持って、そのまま何時ものソファーに戻って行った。

 召喚士は部屋に戻った少年を追うべく、居間を立ち去ろうとする。その道行で、未だに所在なさげに佇む少女の肩に手を置いて、何時に無い優し声色で囁く。

「大丈夫。まだ今日も戻らないとは決まっていないし、大丈夫じゃなくてもカズマが何とかしてくれる。だから、そんな顔をしなくても良いんだよ」

 それは幼子をあやす様な声色だったが、不思議と少女の心を落ち着かせていた。落ち着いた少女は、そうですねとだけ答えて若干明るくなった表情で部屋に戻る。何をするにしても、余所行きのおベベを部屋着に着替えなければならないだろう。

 魔法使いの少女が部屋を出て行くと、今までジャグリングの輪っかを磨いていた青髪女神が話しかけて来る。自分だけ蚊帳の外に置かれるのはお嫌な様だ。面倒事は嫌う割に、寂しいのは我慢できないのがこの女神らしい。

「なになに、皆で何かするのかしら。今日は気分が良いから、私も少し位手伝ってあげても良いわよ?」

「それじゃあ、アクアは今日の食事当番のめぐみんを手伝ってあげてくれるかな。僕はカズマの様子を見て、しようとして居る事を手伝って来るから」

「わかったわ。この私が手伝うんだから、今夜のおゆはんはごちそうに決定ね!」

 やたら張り切って台所へと向かう青髪女神。召喚士はその背中を見送りつつ、無言でメイド娘を召喚して監視に付けることにした。日頃の信頼関係のなせる業である。

 膨大な借金に帰らない仲間。しかし、悲嘆に暮れる日々は長くは続かないだろう。仲間達は思い思いに、一人欠けた時間を過ごす。

 

 

 結局、その日の晩も、彼らの仲間の女騎士は戻って来なかった。

 

 




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第十五話

本来の予定では四月には終わって居る筈だったのですが、ままならない物ですね。
きっとスパロボのせいではないかと思われます。


 アクセルの街はその日も、冷え込みの強い寒空であった。

 なけなしの稼ぎを使い暖炉に薪をくべてはみても、あっと言う間に燃え尽きて部屋全体を温めるには至らない。徐々に冷えて来た部屋の温度に、室内に景気の良いくしゃみが響き渡る。

「おやおや、風邪かい? 気を付けるんだよ?」

「カズマさんこそ、鼻声じゃない。早くこのジャージ、直してあげるわね」

 くしゃみをした青髪女神に、鼻の詰まった声で最弱職の少年が語り掛ける。首元にマフラーの様に羽衣を巻き付けた青髪女神は、少年の持ち物である緑のジャージをせっせと繕っていた。

「それ暖炉に入れて燃やしたの、お前だけどな?」

 ジャージには見事に焦げ跡が付いており、青髪女神はその部分を寄り合わせて穴を塞いでいる。少年の指摘に無反応な彼女の頭には、冗談みたいに大きなたんこぶが出来て赤々と腫れ上がっていた。

 そうこうしていると今度は、青髪女神のお腹がグーッと元気に鳴く。

「おやおや、お腹空いたのかい?」

「そう言えば、まだ朝ご飯食べて無かったわね」

「調子に乗って有り金全部酒代に使ったの、お前だけどな?」

 恐ろしい事にこの一連のやり取りは終始、笑顔でたおやかに執り行われていた。軽く狂気じみた光景である。そうで無ければ、底抜けに面妖な喜劇か。

 とりま、現在この屋敷が暖房もままなら無い程に素寒貧なのは、青髪女神の浪費が原因だと明らかになった訳だが、その張本人は指摘にプルプルと小刻みに震え――遂には泣き喚き出すのであった。

「だって、皆嬉しそうに飲んでたんだもん!! しょうがないじゃない!」

 それはどう見てもただの逆切れ。自らの行為を棚に上げて、非難してくる方が悪いとばかりに涙と罵声を撒き散らす。自分本位が青髪女神の信条である。

 それを見た少年は、地獄の底から滲み出る様な吐息と共に、一本の酒瓶を取り出して見せつけた。その酒瓶は、青髪女神が自室に隠していた最高級の逸品である。

「それ……、私がベッドの下に隠してた高級シュワシュワに見えるんだけど……」

「質屋ー……、開いてるよなー……」

 少年の取り出した酒瓶を見て戦慄する青髪女神。最弱職の少年は幽鬼もかくやな声で、街の質屋に売り飛ばす算段を口にする。それに反応して、青髪女神は少年に飛び掛かり酒瓶に手を伸ばした。

「返してぇ!! その子が最後の一本なの! 最後の希望なの!!」

「今すぐ金に換えて来てやる! じゃなかったら今すぐ飲んでやる! 少しはこの冷えた体も暖まるだろうよ!!」

「止めてぇ! 私その子を抱いてないと、眠れないの!!」

 そうして始まった何時もの喧騒。それは最弱職の少年が一方的に青髪女神を泣かせると言う物ではあるが、寒さとひもじさに耐える身には中々に辛い物があった。

「おいで、ちょむすけ……」

 二人の騒ぎを同じ部屋で見ていた魔法使いの少女は、己が愛猫を呼び寄せてその腕に抱く。寒々しい気温と目の前の光景に、暖かさが恋しくなったのだろうか。

「いやぁ、流石に稼いだ分だけ使われるとは思わなかったねぇ……」

「……油断大敵…………」

 その隣では召喚士がメイド娘と共に卓代わりの裏返した木箱に向かい、せっせせっせと内職の造花造りを執り行っていた。二人とも器用さが高いのか凄まじい速度でノルマを消化し、それが終われば今度は写本作成に取り掛かる。

 青髪女神が使い込んだ酒代もこうして地道に作られた物だったが、召喚士はニコニコしながら騒ぐ二人を眺めていた。メイド娘は何時も通り死んだ魚の様な眼をしているので、うんざりしているのか楽しんでいるのか判然としない。

「人のジャージ燃やしておいてよく言えたな!? じゃあその羽衣、ちょっと売って来い!」

「何言ってるの!? この羽衣は私の女神としてのアイデンティティーだから、売れるわけないじゃない。馬鹿なの? 何馬鹿言ってんの?」

 罵り合いはついに最高潮を迎え、互いの持ち物を売り飛ばすところまで行ってしまう。青髪女神はもちろん拒否するが、最弱職の少年は鼻で嘲笑ってから掌を差し向けた。

「ふん……、『スティール』ッ!」

「え……? わああーっ!! カズマ様ああーっ! 調子に乗った私が悪かったから、やめてやめて!!」

 そして、窃盗スキルを発動して幸運にも羽衣を奪い取る。泣き喚きながら女神が縋りついて来るが、羽衣と酒瓶を両手にした少年は一顧だにしない。

「うるさーい! 借金は減らないし、ダクネスも帰って来ないんだぞ! 少しは緊張感持てよ!」 

 要するにこれは、制裁でもあり八つ当たりでもあるのだ。

 多額な借金と浪費が直らない駄女神。加えて未だ帰ってこない、領主の元に行ったままの女騎士。最弱職の少年で無くとも、心労でストレスが溜まると言う物だ。

「せっかくこんな設計図まで用意したのに、カズマが解決したいのは借金返済じゃないんだよね……」

「うん? なんですそれは、カズマが書いた物なのですか?」

 あっと言う間に本の複製を作り上げて、召喚士が次に木箱の上に取り出したのは幾枚かの製図であった。それを見ると知的好奇心が刺激されたのか、魔法使いの少女が黒猫と共に横から覗き込んで来る。

「昨日カズマが書き出した草案を、幾つか製図に起こして実用レベルまでに設計し直した物だよ。カズマの故郷ではごくありふれた物らしいけど、こっちの方では王都にも無い珍しい物だから価値は出ると思う」

「ほう、これがカズマの故郷の……。ふむふむ、これは魔法を使わずに火起こしをする道具なのですね」

 知能が高い故か、図面とそこに添えられた注釈だけで魔法使いの少女には完成品が予想出来たらしい。興味深げに設計図を覗き込んでは、うむうむと頷いて発想の独特さに感心している。

「凄く簡単に言うと、蝋燭と火打石をくっ付けた物だね」

「この歯車の様な物を回すと火花が出るのですね。実に面白い道具だと思います。売れますよ、これは!」

 図面はほぼ完成し、召喚士による細かい修正も入って、後は実物を少年が作るだけと言った所。その矢先に女神の浪費が発覚した訳で、この諍いは必然的に苛烈な物となったのだ。

 設計図を確認し、軽く手直しや走り書きを加えた後に、召喚士はよっこいせと腰を上げる。いい加減にあの二人を止めないと、このままでは勢いに任せて貴重な神具を本当に売り払いかねない。

 二人の間に割って入る為に召喚士が近づこうして、それは屋敷に響いた大仰な声で妨害される。

「大変だ! 大変なんだ!!」

 居間のドアをドバーンと開け放ち、一人の女性が息せき切って飛び込んできた。

 その女性を見た瞬間、全員の視線が集まり、同時に頭の上に疑問符が浮かぶ。すなわち――

「「「……誰?」」」

「ンン!?」

 召喚士とメイド娘以外の三人から首を傾げられ、突入してきた女性は面食らってからぶるるっと全身を震えさせる。

彼女は何だか、驚きつつも少しだけ嬉しそうだった。

 召喚士だけが、ぷっと短く笑っている。

 

 

 闖入者の女性は冒険者ばかりのアクセルでも特に風変わりな、上等な生地で作られたドレスを身に着けていた。ドレスに着られる事も無く上品に着こなして見せ、更には金糸の様な見事な長い髪を三つ編みにして束ねて肩から下げている。頭の上にはドレスに合わせた鍔広の帽子が乗せられ、その姿はどこからどう見ても貴族のお嬢様であった。

 ドレスの女性は切羽詰まっていた事を思い出したのか、ハッとして今度は最弱職の少年に声を掛ける。

「カズマ、大変なんだ。実は――」

「あんた誰?」

「んんぅん!?」

 話し入りを挫かれる形で少年に疑問をぶつけられた女性は、今度は体を軽く反らせて歓喜に震えた。何故か顔を赤らめて悦ぶ女性の姿に、少年は怪訝な表情を浮かべるばかりだ。

「あれ、喜んでる……?」

「カズマ、そう言ったプレイは後にしてくれ!」

「あ、はい……。っ!? お前、ダクネスか!? 心配させやがって!」

 少年の知りうる知人の中で、プレイとか言う奴はそんなに居ない。そこまで来てようやくドレス姿の女性の正体に気が付いた少年は、仲間の帰還に声を喜色で弾ませた。ストレスを感じるほど心配していたのだ、その喜び様は当然であろう。

「ダクネスゥ! カズマが……かじゅまがぁ! 私を無理やり脱がせて、私の一番大切な物を売り飛ばそうと!!」

「んなっ!?」

「おおぉい、言い方!?」

 ドレスの女性が仲間の女騎士だと知るや否や、青髪女神が泣きながらその胸に飛び込み、豊満な谷間に顔を埋めて少年の暴挙を告げ口する。どう聴いても誤解する様なその言い草に、ドレスの女騎士は羨まし気に驚愕し、少年は誤解させるなと憤慨した。

「ダクネス……。おかえりなさい」

「ああ、ただいま。ん? その猫……」

 軽いコントの切れ目を突いて、黒猫を抱き上げた魔法使いの少女がドレスの女騎士に歩み寄る。女騎士は告げられた帰還への挨拶に言葉を返し、少女の腕の中の黒猫に気を引かれるが、けれども少女は悲しげに微笑んで言葉を続けた。

「何があったのかは聞きません。まずはゆっくりとお風呂にでも入って、心と体を癒してきてくださいね……」

「ん? いや、何を言っている……。というか私は、アクアの言っていた特殊プレイの方が……」

 言葉かける途中で、込み上げてくる物に耐え切れず、少女は涙ぐみ口元を手で覆ってしまう。それに対する女騎士はやや困惑し、そして直ぐにその興味は青髪女神の生んだ誤解へと移る。

 そこで名前を呼ばれた青髪女神が、視線を向けて来た女騎士の手を取り、身に纏うドレスの生地を撫でて確かめ始めた。憂い顔で労わる様に撫でながら、声に悲壮感をにじませてぽつりと呟く。

「間違いないわ……。高級品よ……」

「ぐすっ……、苦労を掛けたな……」

 そして耐え兼ねたかの様に顔を背ける物だから、少年も少女も遂には涙を堪え切れず、部屋に幾人もの嗚咽が響きだした。何だかんだ言って、皆仲間の境遇に胸を痛める感性の持ち主なのだ。

「何を勘違いしている! 私が領主に弄ばれているとでも思っていたのか!?」

 そんな悲しむ仲間達を真っ先に否定したのは、他ならぬドレスの女騎士であった。彼女は否定するのだが、少年はその言葉を『仲間を心配させまいとする優しい嘘』と受け取る。

 そして、ついには少年も女騎士に歩み寄り、その肩に手を置いて優しげに語りかけた。

「帰って来ただけでもよかった。ほら、暖かい風呂にでも入って、泣いて来ると良い……」

「違う! 領主も私相手にそこまでする度胸は無い!」

 流石はドM、優しくされるのは心外だとばかりに女騎士は少年の手を払い除ける。何より彼女にとっては、今はそれどころでは無い。

 ドレス姿の女騎士は、腕を払われて微妙な表情をする少年の眼前に、一枚の肖像画を突き付けて見せた。

「それよりも、これを見てくれ」

「ん、なんだこれ? おおー、何だこのイケメンは、むかつく」

 最弱職の少年は差し出された肖像画を受け取ると、見た瞬間に力を込めてそれを引き裂く。それを見て悲鳴を上げたのは渡した側の女騎士。悲鳴を上げられた少年は、自らの行いに茫然とした様子で答えていた。

「何をするんだ!?」

「おお? 手が無意識に……」

 何かとイケメンには良い思い出の無い最弱職の少年は、イケメンを見るとついやってしまうんだ。一連の流れに、傍観していた召喚士がついに笑いを堪え切れずに吹き出した。

「あのイケメンが、領主の息子ねぇ……」

「奴め、カズマへの猶予の代償として、息子との見合いを申し出て来た。このところ帰ってこなかったのは、この見合いをどうにか阻止しようと頑張っていたからなのだ」

 結局の所、女騎士が持ち帰ってきた大変な事とは、彼女自身のお見合い話だったのだ。お見合い相手は大領主の息子で、先の肖像画はお見合い写真だと言う。

 少年の手によって裂かれた肖像画は、ただいま青髪女神がご飯粒で鋭意修復中。その様子を、黒猫とメイド娘が興味深げに眺めている。

「私の父も、アルダープの息子は高く評価していてな。一番乗り気なのが父なのだ。頼む! 私と一緒に来て、父を説得してくれないか!?」

 憂い顔を浮かべてとつとつと零していた女騎士が、ついには仲間達へ協力を懇願する。今日になって帰って来たのも、最早独力ではどうにもならないと思えたからだろう。

 だからと言って一介の冒険者が権力者相手に何が出来るのか。話を聞いていた最弱職の少年と魔法使いの少女は、うーんと唸り声を上げて考え込んでしまう。

 と、そんな話し合いの場に、青髪女神が修復を終えた肖像画を持って現れた。

「はいこれ。どう、完璧でしょ?」

「お前……、こう言った事に掛けては本当に多芸だな……」

 肖像画を受け取った少年はその出来具合に感心しつつも呆れ、そしてそれを両手で持ったまま長考に入る。久し振りに顔を合わせた三色娘達は、そんな彼を蚊帳の外にしてワイワイと集まっていた。

「ありがとうアクア。危うく見合いを断る事が出来なくなってしまう所だった」

「この位の事、この私に掛かれば造作もないわ。繋ぎ目も見えない程の修復技術はまさに神技! もっと崇めても良いのよ?」

 見合い写真を送り返さねば見合いを断れないので、女騎士にとっては青髪女神の修復技術はとてもありがたかったのだろう。素直に褒められると、女神は褒められただけ胸を逸らして尊大に振る舞う。そしてそんな二人を魔法使いの少女が慈しみながら眺めて安堵する。ようやくと日常が帰って来た、そんな風景がそこにはあった。

「これだああああああああああああああっ!!!!」

「「「あああああああああっ!?」」」

 そして、そんな和やかな風景を吹き飛ばす様に少年が絶叫を上げ、手にしていた肖像画を今度こそ真っ二つに引き裂いた。三色娘達が各々驚愕しつつ、少年に向かって飛び出していく。

「……ああ、やっぱりこっちの方が日常って感じがするねぇ」

「なーお」

 木箱を卓にして召喚士とメイド娘が並んで座り、久々に喧々轟々とする仲間達を眺めている。メイド娘の膝の上で、黒猫が呆れた様に鳴き声を上げていた。

 

 

 居間ではその後ひと悶着あったが、話し合いの結果パーティは三つに分かれる事となった。

「では、私はゆんゆんとの約束があるので出掛けてきますが。カズマの考えとやらが、凄く嫌な予感しかしないのですが大丈夫ですよね? ……ダクネスの事は任せましたよ?」

 元々本日は同郷の幼馴染と約束事があったと言う魔法使いの少女が、後ろ髪引かれつつ何度も振り返りながら立ち去って行く。仲間の事は心配だが、ボッチな少女との約束を反故にするのもそれはそれで後が怖いとの事で、彼女は泣く泣く出掛けて行ったのだ。

 『きっとあの子は、雨が降ろうと雪が降ろうと約束の場所でいつまでも待ち続けるでしょうからね』とは、彼女を良く知る魔法使いの少女の談である。その事を容易に想像できてしまった仲間達は、少女を快く送り出すのだった。

 そしてもう一人。

「……ごめんねダクネス。僕も今日は行かなくちゃいけない場所があって、一緒には付いて行けないんだ。代わりにヘーちゃんを付けるから、何かあったらこの子越しに知らせてね?」

 非常に珍しい事に、召喚士もまた別行動をとる事になったのだ。引き留める間もなく召喚士は巨躯の狼に跨り、街の外に向けて駆け出して行った。後に残されたのは、呆然とする少年と女騎士。そして死んだ魚の様な眼のメイド娘と、引き裂かれた肖像画を持って泣きじゃくる青髪女神だけである。

「うううう……。せっかく……。せっかく元通りにしたのに……」

「……よしよし…………」

 大粒の涙をぼろぼろと零す青髪女神の頭を、メイド娘が背伸びしてよしよしと撫でて慰める。とりあえず女神の事はメイド娘に任せておくとして、少年と女騎士は気を取り直して今後の事を話し合う事にした。

「見送りも終わったので今一度聞こう、見合いを受けろと言うのはどういう事だ!」

 出掛けて行く仲間を見送る為に一度は落ち着いた女騎士だったが、少年の言いだした見合いを受けろと言う考えに再び瞬間的に熱くなる。

 それに対応する少年の方は、剣幕に及び腰ではあったがいたって冷静であった。

「落ち着けよ。見合いを断った所で、あの領主はより一層無理難題を吹っかけて来るに決まってる。だったら、見合いを受けたうえで、それをぶち壊す! もちろん、ダクネスの家の名が傷つかない程度にさ」

「それだ! それで行こう! 上手く行けば、もう見合い話が持ち上がるたびに一々父を張り倒しに行かなくて済む!」

「お、親父さん可哀想に……」

 口から先に生まれたかの様な少年の作戦を聞き、女騎士は存外簡単に乗り気になる。彼女の口から飛び出した父への扱いに、少年は心の中でまだ見ぬ彼女の父に深く同情した。

「なるほど、それは良いわね! 私、『手の掛かるのが一人嫁に行ってくれれば、その分新しいメンバー入れて、楽が出来るぜヒャッハー!』みたいに考えてるのかと思ったわ!」

 メイド娘の慰めにより復活した青髪女神が、突然割り込んで来て大声で賛同し始める。その発言に、最弱職の少年がビクリと反応してしまった。

 良い具合に丸め込まれそうだった女神と女騎士の視線が、挙動不審になった少年へと突き刺さる。

「ち、違うよ? ダクネスみたいな優秀なクルセイダーを、今更手放せるわけがないじゃないか? ……や、止めろよ前ら、そんな目で見るなよ、半分ぐらいは本気だから……」

 じりじりと距離を狭めて来る二人に気圧されて、少年はボーっとしているメイド娘の後ろに隠れるのであった。

 

 

 アクセルの街の中央通りに面した大きな屋敷。何とも貴族の屋敷然とした作りの豪奢なお屋敷に、最弱職の少年一行はお邪魔していた。今は屋敷の中の、応接間の様な一室に全員が集められている。

「ほ、本当に? 本当にいいのかララティーナ! 本当に、見合いを前向きに考えてくれるのか!?」

「本当ですお父様。ララティーナは、此度、このお見合いを受けようかと思いますわ」

 部屋の中ではドレス姿の女騎士と、彼女と同じ金髪碧眼の中年の貴族の男性が向かい合い言葉を交わしていた。彼こそが大貴族にして女騎士の父。王家の懐刀とまで言われるダスティネス家の当主、ダスティネス卿その人である。

 そして、女騎士の背後に付き従う様に居る最弱職の少年と青髪女神は、今猛烈に込み上げる笑いの衝動を堪える為に俯いて肩を震わせていた。

「ね、ねえカズマさんカズマさん、今、お父様って呼んだわよ」

「ば、ばっか、それよりお前、ララティーナだよ。自分の事をララティーナって言ったぞ」

 クツクツと声を押し殺しながら笑う二人に、顔を赤くしたドレス姿の女騎士の射殺す様な視線が突き刺さる。だが、笑ってしまうのも無理からぬ事だろう。普段は『うむ』とか『む』とか言ってる女騎士が、深窓の令嬢そのままに振る舞っているのだから。ギャップが凄いのでどうしても笑いを誘う。

 女騎士が後ろの連中を睨み付ければ、話し相手だった父君の視線もまた仲間達へと向かう。その視線は若干訝しげだ。

「ララティーナ、この三人は?」

「わたくしの冒険仲間です。今回の見合いに、臨時の執事とメイドとして同伴させようかと」

「ふむ……」

 娘に紹介された冒険仲間とやらを眺める父君の視線は鋭い。だがそれは、闖入者を見る様な敵対の視線では無く、思慮深い親と言う物の視線だった。それが、少年達を見定める為に向けられている。

 結果から言えば、少年達は見合いへの同伴を認められた。それどころか、見合いの成功を手伝って欲しいと依頼までされる次第だ。父君は余程、娘の将来を心配していると見える。

 屋敷の使用人に衣裳部屋へと連れられて、少年と青髪女神にはそれぞれ執事服とメイド服が支給された。流石は大貴族の屋敷に仕える使用人、二人の体にきっちりと合う物を見繕ってくれる。

「似合ってるじゃないか。ちゃんと一流の使いっぱしりに見えるぞ」

「カズマさんこそ、背伸びしてる執事見習いって感じで良いと思うわ」

「おっと、ここが貴族の屋敷じゃなかったらえらい目に合せていた所だぞ。なぁ、ララティーナお嬢様?」

「ら、ララティーナお嬢様は止めろぉ!!」

 着替え終わったお互いを悪意を込めて褒め合い、少年と女神が互いをけん制し合う。少年はそれに巻き込む形で、女騎士への弄りも忘れない。おかげでお嬢様呼ばわりされた彼女は、涙目で頬を膨らませそっぽを向いてしまった。存外、可愛らしい所もある様だ。そんなお嬢様はパーティ最年長。

 ちなみに、もともとメイド服で着替える必要の無かったメイド娘は、今は使用人の一人に捕まって髪型を弄られている。両側に髪を纏められてツインテールにされるのを、何時もの死んだ魚の様な目で受け入れていた。

 ともあれ準備は万端と言う事で、一同は屋敷の玄関ホールへと移動する事となる。女騎士もまたドレスをお色直しして、先程まで以上にお嬢様らしく着飾っていた。

「手筈は分かっているな、頼んだぞ?」

 堂々と先頭を歩みながら言って来るドレスのお嬢様は、二つの意味で見合いに挑む意気込みが違う。まるで決闘に赴く様に気合を入れていて、余程見合いを破談にさせたいらしい。

 玄関ホールの大階段前に当主とその娘が並び、その背後にずらりと使用人達が並ぶ。少年達も使用人の列に交じり、ドレスの女騎士の背後に待機している。

 見合い相手がまだ見えずとも、娘の結婚が近い事が嬉しいのか、当主である父君が娘に優しい声色で語り掛けた。

「お前が見合いを受けてくれて、本当に嬉しいよ……。幸せになるんだぞ、ララティーナ」

「いやですわお父様。ララティーナは、見合いを前向きに考えると言っただけです」

「なに……!?」

「うふ……。そして考えた結果、やはり嫁入りなどまだ早いとの結論に達しました」

 それに対して娘が涼しい顔して言ってのけたのは、肯定では無く明確な否定の言葉。当主の顔に戦慄が浮かび、娘の顔には歪んだ喜色が浮かび上がる。

「もう今更遅い! 見合いを受けはしたが、結婚するなどとは言ってはいない! ぶち壊してやる! 見合いなんぞぶち壊してやるぞぉい!! ひゃははは! うひゃはははは!! うひゃひゃひゃ!!」

「ら、ララティーナ……」

 狂った様に哂う己の娘の姿に、当主の顔に絶望がはっきりと広がる。嫁に行くと思っていた娘に裏切られたのももちろんあるだろうが、自分の身内がこんな風に笑って居たら誰だって絶望の一つもするだろう。

「はしたない言葉遣いはおやめください。先方に嫌われてしまいますよ」

 哄笑するお嬢様を止めたのは、冷静に執事としてふるまう最弱職の少年の言葉であった。一介の冒険者だったはずなのに、いきなり上品に振る舞うその姿に貴族の親子も、左右に居る青髪女神とメイド娘さえギョッと目を見張る。

「貴様裏切るのか!?」

「今の自分は、ダスティネス家の臨時執事。お嬢様の幸せが、自分の望みです」

「カズマ貴様ぁ!!」

 激昂して食い掛かる女騎士に対して、少年はあくまでも執事として徹してキリリと表情を引き締める。依頼通りに娘を窘めてくれている少年の振る舞いに、当主の父君は思わず感激してしまった程だ。

 裏切り者の少年に女騎士がステータスに任せて掴みかかっていると、屋敷の玄関口が厳かに開かれた。ついに見合い相手が到着した様で、一人の青年が従士を伴いゆっくりと屋敷の中に入って来る。少年が破り捨てた肖像画とそっくりのイケメンを見て、待ち望んでいた父君が歓喜の声を漏らした。

「おお、バルター殿……」

「よく来たな、貴様が私の見合い相手か!」

 見合い相手を確認した女騎士が、先制攻撃とばかりに飛び出して行く。モンスター相手でも見合い相手でも、とにかく飛び込んで行くのがこの女騎士なのだ。

「我が名はダスティネス・フォード・ララティーナ。私の事はダスティネス様と――」

「お嬢様、御足元にお気を付けて!!」

 そして、その突進を諌めるのも少年の何時もの仕事。ドレスの裾を豪快に踏みつけて、女騎士はつんのめって顔面から床に倒れ込んだ。

 父君も他の使用人も、もちろん見合い相手も愕然と口を開ける程の、見事な手際と顔からの着地であった。

 きっと自分の召喚主なら、空気を読まずに大爆笑しているだろう。そんな事を考えつつ、死んだ魚の様な目のメイド娘は、一人退屈そうに欠伸を噛み殺していた。

 彼女は子犬程寛容でも無く、大蛇よりは怠惰ではない。只管に観察するのが、自分の務めであると認識する。大事なのは、主人の代わりにこの騒ぎを目撃する事なのだから。

 

 

 お嬢様が不幸にも転んでしまった為に、その場は一度仕切り直しとなった。婚約者殿は父君が客間へと案内して、女騎士も化粧を直してからそこに向かっている。

 もちろん少年は女騎士に廊下で呼び止められ、一連の裏切りと妨害を問い質されていた。

「手助けをしてくれるのではなかったのか!」

「家の名前に傷をつけないって所を、すっかり忘れてるだろ」

 涙目になって迫って来る女騎士に、少年はしれっとうそぶいて見せる。自らの目的の為なら、幾らでも悪辣な手を使えるのがこの少年の強みだ。

 だが、女騎士は挫けなかった。むしろ、それがどうしたと威風堂々と告げる。

「悪評が立って嫁の行先が無くなれば、心置きなく冒険者家業が続けられる。勘当されるのも覚悟の上だ!!」

 彼女にとって冒険者とはそんなにも得難い物なのか、思わず押し黙った少年達に女騎士の独白は続く。

「それでも必死に生きようと無茶なクエストを受け続けた私は、力及ばず魔王軍の手先に捕らえられ、組み伏せられて……」

「……ん? それは魔王軍じゃないよ色魔だよ?」

「私はそんな人生を送りたい!」

「お前……、とうとう言い切ったな」

 決意表明の様な宣言が、だんだん趣味色に染まり始めた。少年と、ついでに青髪女神の表情までげんなりとした物に変わる。

 更に女騎士は、今回の見合い相手は好みではないと断言する。人柄が物凄く良く、誰に対しても怒ず努力家で、最年少で騎士に叙勲した程の腕も持つ。青髪女神が良い相手じゃないかと漏らす程の優良物件だ。

 対して女騎士は、貴族とはもっと貴族らしく、常に下卑た笑みを浮かべていて、女を見たら見境なくいやらしい視線を送る物だと豪語する。失敗したメイドに、お仕置きと称して悪戯するのは貴族の嗜みなのだそうだ。

 ドン引きする少年と女神を置いておき、女騎士は己の好みの男を熱く語り始める。そもそも自分の好みは、あのような出来る男とは正反対だと前置きして。

「外見はぱっとせず、体形はひょろくても良いし太っていても良い。私が一途に思っているのに、他の女に言い寄られれば鼻の下を伸ばす意志の弱いのが良いな。年中発情して、スケベそうなのは必須条件だ」

 何だかどこかで見た事がある様な人物像だが、その事にはドン引きしている少年も青髪女神も気が付いて居ない。女騎士の独白は、握り締められた拳が振るわれ更に熱が籠って行く。

「出来るだけ楽に人生送りたいと、人生舐めている駄目な奴が良い。借金があれば申し分ないな。そして働きもせずに酒ばかり飲んで、俺が駄目なのは世間が悪いと文句を言い。空の瓶を私に投げてこう言うのだ!」

 そこで一旦言葉を区切り、女騎士はわざわざ声色を変えつつ熱演して見せる。もうここまで来ると、彼女の格好も相まって演劇の様である。もちろん喜劇の。あるいは悲劇か。

「『おい、ダクネス。そのいやらしい身体を使って、ちょっと金を稼いで来い』……にゅふぅん!! ああっ、はあっはあっ! ああ……」

 ――ちくしょうこの女はもう駄目だ!!

 自分の妄想に感極まって体を震わせ、涎を零しながら荒い息を吐く女騎士の姿に、最弱職の少年は心の中でそう絶叫していた。

 これにはさしもの青髪女神も、傍観するメイド娘も声は無く。目の前の駄目な女の有り様に、ただ只管に戦慄するばかりである。

 これを真面目そうな貴族の青年に押し付けて良い物か、少年は少しだけ悩み始めてしまうのだった。

 

 

 いい加減に見合い相手を待たせておく事も出来なくなり、嫌がるお嬢様共々客間へと集められた一行。こうして父と娘、付き添いの少年と婚約者それぞれに思惑の異なるお見合いが開始された。

 まず口火を切ったのは婚約者の青年。まずは無難な所から自己紹介から始める様だ。

「では、自己紹介を。アレクセイ・バーネス・バルターです」

「わたくしはダスティネス・フォード・ララティーナ。当家の細かい紹介は省きますわね。成り上がり者の領主の息子でも知っていて――とうじぇええん!!」

 返答の最中に当たり前の様に不穏当な事を言い出したお嬢様が、その途中で突然とんでもない奇声を上げた。当然、父君も婚約者も目を見張るが、女騎士は取り繕って更に言葉を続ける。

「ど、どうしました……?」

「い、いえ……。バルター様のお顔を見ていたら気分が悪――きゅぅうん!!」

 続けようとしたがまたもや奇声を上げて、失言が食い止められる。ついには顔を赤くして、息も絶え絶えになってしまった。そんなお嬢様をフォローする為に、背後に控えていた少年がすかさず状況を説明する。

「お嬢様はバルター様にお会いできて、少々舞い上がっておられるのです」

 すまし顔で告げる少年の指先には、今しがた使った初級の冷却呪文の残滓が纏わり付いていた。見合いをぶち壊す為に行動する女騎士の耳元に、容赦無く冷気を吹き付けた証拠である。

「そう言えば顔が赤いですね。いやあ、お恥ずかしい……」

 人が良いのか少年が堂に入っていた為か、婚約者の青年はあっさりと少年の言葉を信じ込んだ。照れて頬を赤らめている所を見ると、本当に純真なのかも知れない。

「おい、お嬢様。これ以上要らん事言ったら、もっと強めに冷やすからな……」

「ご、ご褒美だ……」

 少年がお嬢様にだけ聞こえる様に潜めた声で囁きかけると、彼女は望む所だとばかりに口元を歪ませてくる。人前でこっそりと魔法攻撃される事さえ、彼女には快感になっているのだろう。

 当家のお嬢様は、何時だってぶれない――今は使用人の少年は、心の中でそう呟いていた。

「あはははは……、私が居てはお邪魔かな? どうだね、庭の散歩でもしてきては」

 唐突にそんな事を言い始める父君。これはお見合いで良くある、後は若い者同士でゆっくりと、と言う奴であろうか。

 幾らなんでも唐突過ぎると思った少年が父君の方を見ると、彼は少年に申し訳なさそうな、それでいてどこか助けを乞う様な視線を向けて居た。今のやり取りで何が起こったのかを察して、フォローを入れるつもりで場所を変える様に勧めたのだろう。

 どうせ手助けするなら、娘の性癖の方を何とかして欲しかった少年だが、ここはありがたくフォローを受け取っておくことにした。見合いの成功を望むのであれば、何度だって仕切り直したい物なのだから。

 少年は部屋を去る間際に、父君から一言『頼む』と告げられる。それは、色々な感情が籠った重い一言であった。 

 

 

 ダスティネス家の中庭は、真冬だと言うのに色取り取りの花に溢れていた。手入れもしっかりと行き届いており、大貴族の名に恥じぬ様相を見せている。

 庭園には大きな池も有しており、その中を錦鯉の様な魚が悠々と泳ぐ。池の縁に青髪女神が立って口笛を吹き、更には手をパンパンと叩いて鳴らすと、鯉達が続々と集まり女神に向けて口をパクパクさせる。

 更にはメイド娘が手を差し延ばして、くるりと円を描く様に腕を動かすと、集まっていた鯉の数匹が腕の動きに合わせて飛び上がる。着水して大きな水柱を立てるのを、女神とメイド娘は楽しそうに眺めていた。

 ――何あれ凄い。後で教えてもらおう。

 見合いそっちのけで、青髪女神とメイド娘の芸が気になる少年であった。誰だって変態のフォローより、イルカショー見たいな出し物の方に興味が引かれるのは致し方なし。

「……ご趣味は?」

「ゴブリン狩りを少々……――んぐっ!」

 少しを目を離していた隙に、見合いの定番である趣味の探り合いが始まっていた。令嬢にあるまじき趣味を語る女騎士に、少年の制裁の肘鉄が食い込む。

「んっ……。ずいぶんと、仲がよろしいですね」

 それを見咎めた婚約者の青年が、流石に距離が近い事に対して疑問を持った様だ。あからさまにやり過ぎただろうかと少年が冷や汗を流していると、それを見て女騎士がフヒッと哂う。フヒッてなんだよと、少年が訝しんでいると、女騎士は得意顔で語り始めた。

「……ええ、この執事とは常に一緒におりますの。食事やお風呂も一緒。も、もちろん夜寝る時も……。んくうぅぅ……」

 普段はとんでもない性癖の妄想を口にしているくせに、夜に一緒のベッドで同衾するのは恥ずかしいらしい。この変態の羞恥心の基準は何処にあるんだと少年が呆れていると、もじもじして俯いて居た女騎士は突然大声を上げだす。

「ええい!! こんな事、何時までもやって居られるか!!!」

 いい加減に我慢の限界だったのだろうか、少年にとっては聞き慣れた口調に戻りながら、女騎士は身に纏っていたドレスのスカートを力任せに引き裂いた。大胆にストッキングに包まれた足を曝け出し、それどころか下半身がほぼ丸出しになってしまう。

 最弱職の少年は露骨に、婚約者の青年は恥じらいつつも、女騎士のあられもない姿に視線が行ってしまった。

「おい、バルターとか言ったな。今から修練場に付き合ってもらおう。そこでお前の素質を見定めてやる!!」

 最早貞淑な令嬢の面などかなぐり捨てて、冷徹な声で告げながら女騎士は見合い相手に指先を突き付ける。まだるっこしい事を全て取っ払っての宣戦布告。脳筋らしい実に直情的な考え方であった。

「おい、ダクネス……ぅ……」

 流石に暴走し過ぎだとたしなめ様とした少年の語尾が、フリフリと揺れる女騎士の下半身に釣られて掠れて行く。女騎士はそんな欲望に忠実な少年に、注目せよとばかりに指を突き付ける。

「見ろ! 貴族たるもの、常日頃からこのカズマのいやらしい目つきを見習うが良い!!」

 ついにお嬢様は、先程語っていた不満を本人にぶちまけ始めた。文句の一つでも言ってやろうと少年が身構えるも、それに先んじて婚約者の青年が言葉を発する。

「ララティーナ様、僕は騎士です。女性に剣を向けるなど……」

 豹変した女騎士の態度に言及するでもなく、青年はただただ紳士に己の考えを述べた。騎士として、守るべき女人に向ける剣は無い。目を閉じて逸らされた顔には、確かな決意と矜持が現れていた。

 それを見た女騎士は激昂する。そして、またもや少年の方に指を突き付けて、これこそが男の見本だとばかりに力説するのだ。

「なんと言う腑抜けな! そこのカズマはな、自称男女平等主義者で、女相手にドロップキックを喰らわせられると豪語してる奴だぞ!!」

 青年がその言葉に視線を送ると、少年は気まずそうに俯きながら視線を逸らす。向けられる視線が、なんだかとても痛かった。

「実は……、ここには見合いを断る為に来たんです」

 意を決した様な表情の婚約者の青年が、唐突にそんな事を語り始めた。そんな予想外の告白に、少年も激昂していた女騎士も虚を突かれてぽかんとしてしまう。

「でも、貴女を見て気が変わった」

 呆けている二人を前にして、青年は更に己の胸中を言葉にして行く。それは、ある種の確認作業なのかもしれない。自分の気持ちを言葉にして、自分自身で確認して行く作業だ。

「豪放にして、それでいて可愛い一面もある。物事をはっきり言える清々しさに、執事に対しても同じ目線で接するその態度」

 再び目を見開いた時、青年は新たな決意を抱いた様に見えた。まるで、自分は今恋に落ちたのだと言わんばかりの清々しさで言葉を続ける。

「僕はあなたに興味が沸いた!」

 力強く宣言した青年の目には、強い希望の光が灯っていた。

 

 

「もう良いでしょう!? なぜ諦めないんですか、貴女は!?」

 狼狽えながら叫んだ青年の目には、強い困惑の色が浮かんでいた。

「どうした! 遠慮などせずもっとどんどん来い!! 徹底できる強さを見せろ!」

 中庭から屋敷の中の修練場に場所を移して、早くも三十分程が過ぎている。部屋の中央では木刀を持った女騎士と婚約者の青年が向かい合っているのだが、それはもう練習試合とはとても言えない様相を呈していた。

 青年が女騎士を一方的に攻めて叩き伏せる。こんな光景が三十分の間に幾度も繰り返されて、女騎士はその度に嬉しそうに何度も向かって行く。どんなに実力に差がある事を見せ付けても、お嬢様は諦める事を知らずに顔を赤らめてハアハアと息を荒げて悦んでいた。

「参りました……。技量では勝っていても、心の強さで負けました。これ以上貴方を打つ事は出来ません。……貴女は、とても強い人だ」

 お嬢様はまだまだやる気の様だが、婚約者の方はついに木刀を取り落として俯く。精神での敗北を認め、これ以上の攻撃を振るえぬ自分を恥じる彼は、やはり立派な騎士なのだろう。最後には、けっして挫けなかったお嬢様を称える様に、青年は朗らかに微笑んで見せた。

 一見すれば感動的な場面なのかもしれないが、そんな立派な騎士の相手はただのドMである。内情を知っている少年は素直に感動できず、非常に微妙な表情を浮かべていた。

「この腑抜けが! 良しカズマ、お前の容赦の無さと外道さをバルターに教えてやれ!!」

 ここで最弱職の少年にご指名が入る。女騎士が何を言っているのか理解したくない少年は、両腕を組んで全力で聞いてないふりをしていた。

「僕も見たいな。ララティーナ様が信頼を寄せる君が、どんな戦いをするのか」

 追撃の婚約者殿のインターセプトで、何だか戦わなくてはいけない雰囲気が出来てしまう。余計な事を言いやがってと思いつつ、最弱職の少年は落ちていた木刀を拾い上げた。

「どうせ見合いは失敗だしなぁ……。それに、アンタはお嬢様の悪い噂なんぞ流さないだろうし」

 しょうがねぇなぁと言わんばかりに、最弱職の少年は渋々と対戦する心積もりになった様だ。その姿に女騎士は顔を赤らめる程に興奮して声を張り上げる。

「よし、良いぞカズマ! 実は一度お前とやり合いたかったのだ! さあ、全力で掛かってくるが良い!」

「『クリエイト・ウォーター』ッッ!!」

 木刀を突き付けつつ勝負の開始を宣言する女騎士に、最弱職の少年が差し向けた掌から大量の水をぶちまけた。のぼせ上がった女騎士の顔面に正に冷や水。これにはずっと黙って見学していた青髪女神も、そして少年の近くに居た婚約者の青年も驚きの声を上げる。

「ん? どうかしたか?」

「木刀の試合で魔法は使わないだろうと……」

「……そう言う物なのか?」

 最弱職の少年はこの世界の常識に疎い。と言うよりも、騎士だの貴族だのの習わしやらしきたり等は、少年でなくとも冒険者や平民では知らぬ事だろう。

 全身ずぶ濡れになった事で女騎士のドレスは肌に張り付き、体の線をくっきりと浮き上がらせ、更には生地が透けてより扇情的な格好になる。露骨な少年の視線が向けられて、青年の方は頬を染めて顔を逸らしていた。

「はぁっ……くぅんっ!!」

「ひくわー……。流石はセクハラに掛けては並ぶ者が無いカズマさん、ホントにひくわー……」

 その事で女騎士の羞恥は高まり、身を苛む水の冷たさも相まってドM的には大好評だ。青髪女神は薄ら寒さを覚えたのか、自分の体を抱いて少年から距離を取る。

 メイド娘もこっそりとその背後に身を隠して、死んだ魚の様な目でじーっと少年を警戒して見つめていた。こう言うのが一番地味に傷つくから性質が悪い。

「そんな積りじゃ――」

「見ろバルター! この男のこう言う所をちゃんと見ておけ!!」

「あー! もうっ!!」

 弁明しようとしたら、絶好調の女騎士にそれすら遮られ、少年は頭を抱えて叫び声を上げる。どうしてこう、ややこしい方向にばかり事態が推移してしまうのか。

 そもそも、ルールが決められている訳でも無いと言うのに、それを卑怯だなんだと言われるのは心外である。少年にとって使える物を駆使する事は、勝負において当然の事であるだけだと言うのに。そんな思いが思わず口から飛び出した。

「全力で来いと言ったんだから、全力で行かせてもらうぜ! 『フリーズ』ッッ!!」

「っ!? にゅぅぅぅんっ!!!」

 叫びと共に少年の掌から冷気が迸り、水に濡れていた女騎士の全身に浴びせ掛けられる。肌を刺す様な冷たさに、彼女は思わず仰け反りながら嬉しそうな悲鳴を上げた。

「お、鬼だ……。真冬に水を掛けるだけでなく、まさかの氷結魔法!」

「まあ、伊達に世間でカスマさんだのクズマさんだの言われてませんし……」

 青年があまりの鬼畜さに戦慄し、それに便乗した青髪女神がここぞとばかりに悪評を伝えてくれる。少年はそんな外野の煩さに、口を引き結んで無視を決め込んだ。

「ふははははっ!! この容赦の無さ……、これが……良いぃぃぃぃっ!!」

 すると、暫し目を閉じて閉口していた女騎士が、またもや狂ったような顔で笑い出し、はあはあと息を荒げて行く。そしてそのまま謎の奇声を上げながら、木刀を捨てて最弱職の少年に向けて突進して行った。

「いいっ!? どぉっちょんぎいいいっ!!」

 突然の奇襲に驚いた少年は、思わず木刀を手放して女騎士を押し戻そうと手をの延ばす。女騎士の方は壮絶な笑顔でその手を握り、がっちり組み合って力比べの構えに持って行く。そんな二人の様子に、青髪女神がチアリーダーの様に小躍りしつつ、優位に立った女騎士に声援を送った。

「良いわダクネス! 組み合えば貧弱なカズマと貴女じゃ勝負にならないわ!」

 歯を食いしばりながら女騎士からの圧力に耐える少年は、心の中で青髪女神の羽衣を売っぱらってやると決意する。

 そんな事よりも今は、圧倒的に不利になった状況の打開が必要だ。少年はなけなしの腕力を絞り出しながら、必死に頭を巡らせて勝負に勝つ方法を模索する。

「私に力で勝てる気か? 舐められたものだ! クルセイダーの私と冒険者のお前では力の差が――んにゅぅぅっ!!」

 僅かながらに腕を押し返す少年を見て、女騎士は余裕の表情で高説を語る。語るその途中から、少年が発動させたスキルによってまたもや悲鳴を上げてしまった。紫色の輝きと共に、女騎士の体に脱力感が襲い掛かる。

「ん~ぬはははっ! 俺が真正面からやり合う訳ねぇだろう! 長い付き合いなんだから理解しろよ――痛ぁっ!?」

 スキルの発動で優位を奪い返した少年が勝ち誇った瞬間、女騎士に捕まれた掌を捻られてゴキリと嫌な音がした。あまりの痛みに少年が悲鳴を上げ、女騎士が押され気味だった体を何とか持ち直させる。

「ぬ、ぬふふ、くくくっ! ど、ドレインタッチか……。だが、私の体力を吸い尽す前に、お前の腕をへし折ってやる!!」 

「んぬぬぬ、や、やれるもんなら、いてぇ!? いたたたたたっ!?」

 女騎士の不敵な宣言に余裕を持って返そうとしたが、さらなる痛みが襲い掛かり少年が今度は押され気味になってしまう。このままでは、不死王に習ったスキルと言えど、底なしの体力を持つこの女騎士相手では分が悪い。何か対策を思いつかなければ、両手の骨が砕かれてのたうち回る事になるだろう。

「お、おい、ここは一つ賭けでもしないか? 勝った方が相手に何でも一つ、言う事を聞かせられるって条件でっ!」

「良いだろう。私が勝ったら貴様に土下座させてやる!」

 精一杯に強がって、不敵な笑みと共に出した提案を女騎士が快諾したのを見て、最弱職の少年は勝機を確信した。内心と表情が合致して、より一層不敵な笑みが壮絶な物となる。

「ホントだな……? 約束したぞ。俺が勝った後、泣いて謝ってもやめないからな」

「な、何を望む気だ……?」

 案の定、酷い目に合う事に興味津々な女騎士は、少年の物騒な物言いに引っかかった。ここは勝負を詰めに掛かる時。口から先に生まれた様な少年の、正に真骨頂が発揮される。

「お前が恥ずかしがって泣いて謝る事だよ、あははははっ! お前が必死に許しを請う姿が、目に浮かぶぜ。勘弁してくださぁい、許してくださぁい、って謝らせてやる。おっと、気が早いぞこの、ほ・し・が・り・め! お前が想像してる事よりも、凄い事命令してやるからなぁ!!」

 半ばもうやけくそになりつつも、つらつらと口を滑って脅し文句が飛び出して行く。そして、それを聞かされた女騎士はもう、なんと言うかとても駄目だった。

「なっ!? や、やめろー……。てっ、抵抗し様にも、ドレインタッチで力を吸われて……。あ……、ああ……、このままでは、負けてしまうー……」

 凄いワザとらしい演技でピンチを装い、勝手に力を抜いてなよなよと少年に組み伏せられそうになって行く。先程までの脳筋姿はどこへやら、荒く息を吐いて追い詰められる様に、婚約者の青年が食い入る様に見つめながら『凄い……』と呟いてしまった。何が凄いのだろうか。吐息の度に揺れるたわわな胸だろうか。

「気を失うまで体力を吸わせてもらうっ! 目が覚めた時、どんな凄い目に合うのか、楽しみにしておくんだなぁ!!」

 もう放っておいても勝手に負けを認めそうな状況だが、最弱職の少年は手を抜かない。これ見よがしに脅し付け、舌を長く伸ばしてレロレロと卑猥に動かして見せつける。

「くっ、たとえどんな辱めを受けても、私の心までは屈しは――はっ!? 凄い事……? 凄い……事……」

 くっころ寸前の女騎士の脳裏に、その時電流走る。

 思い返すのは、今日一日だけでも何度も繰り返されてきた少年からの酷い仕打ち。頭から冷水を掛けられ、更に氷結魔法で追撃されたり。スカートの裾を踏んづけて、顔面から床に転倒させられたり。見合いを断るのに必要な肖像画を、目の前で滅茶苦茶に破られたり。

 そんな彼女が最後に思いついた凄い事は、屋敷に帰ってから少年に掛けられた一言。

 『ほら、あったかい風呂にでも入って、泣いて来ると良い……』――彼女の中で繰り返されたその言葉を放つ少年は、何故だかやたらと美化されてキラキラ光り輝いていた。多分、彼女の中では改めて鬼畜さをブレンドした所、好みドストライクに映ったのかも知れない。

 当然、彼女の中で膨れ上がったその妄想は、彼女自身を完全にのぼせ上らせオーバーヒートさせた。

「かかかかか、かじゅま! わ、私が風呂に入った後の残り湯を、どうする気だぁ!!!」

「……は?」

 沸騰した頭から繰り出された意味の分からない言葉に、少年は演技も忘れて素で返してしまう。それでも女騎士は止まらない。煮え上がった頭が遂に許容を超えて、己が主人の体に牙を剥く。

「しゅっ……、しゅっ……、しゅごいことおおおおおおおおっ!!!!」

 呆然として見つめる周囲の視線の中で、女騎士は叫び声を上げて体を仰け反らせる。そしてびくんびくんと小刻みに全身を震えさせて、終いには背中から床に倒れ込み四肢を投げ出した。妄想で暴走した結果、嬉し過ぎて気を失った様だ。

「か、勝ったー……」

「クズマとは良く言ったものだ!」

「し、失礼な!」

 とりあえず倒した事は変わりないので少年が勝どきを上げる。それを横目に見て、婚約者の青年は戦慄と共に、妙に納得して囁いていた。そんな事で感心されたくも無いので、少年は一応抗議の声を上げておく。

 何にせよ、女騎士と最弱職の少年の対決は、一応の決着を見せたのだった。

 全身をずぶ濡れにされ、ドレスは無残にも破かれ、あられもなく肌を晒しながら頬を上気させて倒れ込む。やっていた事は馬鹿らしいいさかいなのに、事後の姿はまるで襲われた様にしか見えない。こんな現場、とてもでは無いが親には見せられない姿だろう。貴族の恨みを買えば、命が幾らあっても足りはしない。

 そんな事を考えていると、訓練場のドアを開け放ち、使用人を伴った父君がタイミング良く現れた。現実は非情である。

「ちょっとした飲み物の差し入れに――」

 恐らくは、値段はちょっとしたで済まないだろうワインのボトルが、父君の手から滑り落ちて砕け散った。その瞳が映すのは、無残な姿の自分の娘と、直ぐ近くに居る二人の男。

「……あの二人がやりました」

「…………ました……」

 青髪女神とメイド娘が二人して男二人を指さし、自分達は関係ないと主張する。それを聞いた父君は佇まいを直して、腕を払いながら短く告げた。

「良し、処刑しろ」

「「違うんです! 誤解です!!」」

 少年と青年が同時に叫んだ。初めてこの二人が心を合せた瞬間であり、その後も二人係りで父君を説得する事となった。命懸けになれば、わだかまり等捨て去れるのが真に強い人間なのだろう。 

 

 

 命懸けの説得で事無きを得た後に、一行は再び客間に集められていた。

 見合いが完全に失敗した事も有り、最弱職の少年は父君にその事の謝罪をした後に、婚約者の青年にも自分達の正体を明かす。

 もっとも青年は早い段階で、少年が執事ではないと見抜いていたし、父君も特に見合いの成否についてはとがめはしなかった。どうせこうなる事は、最初からある程度覚悟していたのだと言う。

 使用人達によって部屋着に着替えさせられた女騎士は、まだ気絶したままでソファーに横たえられていた。そんな女騎士を膝枕しながら、メイド娘が甲斐甲斐しく頭を撫でている。

 その娘を見ながら、大貴族の父君はとつとつと語り始める。その声色は、娘を思いやる深い滋味に溢れていた。

「娘は元々人付き合いが苦手で、クルセイダーになってもいつも一人きりでなぁ。毎日エリス様の教会に通い詰め、冒険仲間が出来ます様にと祈って居たら、ある日『初めて仲間が出来た、盗賊の女の子と友達になった』と喜んで帰って来たよ……」

 昔の思い出を、娘の笑顔を思い出してか楽しそうに語る父君。その思いは語る内に後悔の物へと変わり、肩を落としながら沈んだ表情を浮かべる様になる。

「うちは家内を早くに亡くして、男手で甘やかしながらも、とにかく自由に育てて来た。それが悪かったんだろうなぁ……」

 いや、あれは真性ですよ――思わず飛び出しそうになった言葉を、少年は寸での所で飲み込んだ。大貴族相手に喧嘩を売る様な度胸は、今の所持ち合せていない。

「ララティーナ様は素晴らしい女性だと思いますよ。カズマ君が居なければ、僕は本気で妻に貰いたいと思っています」

「すいません。ちょっと何言ってるか分かんないです」

 度胸は無いがプライドまで無いわけではない。何だか知らない間に女騎士が恋人みたいな扱いになっていたので、最弱職の少年は発言が理解できずに素で返した。

 そんな少年の様子に気が付いているのか否か、青年は目を閉じ顔を背けながら分かっているよと言った表情を浮かべる。そんな仕草も様になるイケメン具合だ。

「君の方が、ララティーナ様を幸せに出来るだろう……」

「お前ちょっと表に出ろ。領主の息子だろうが関係あるか!」

「ああっ! カズマさんやめて、私まで一緒に処刑されちゃう!!」

 青年の決めつけに少年が静かに激怒して、腕まくりしながら凄みを入れる。誰が相手だろうと、あんな変態を押し付け様だなんて言語道断だ。貴族相手に戸惑い無く喧嘩を売りに行くその姿に、狼狽した青髪女神が縋りついてがくがく揺さぶっていた。

「ふっ、ふははは、あははははっ!! カズマ君、これからも娘を宜しく頼むよ」

 貴族の娘をその親の前でも特別扱いせずに接する少年の姿に、父君は何を見たのだろうか。宜しく頼むと言われても、少年としては今回の見合いで是非とも青年に押し付けたかったのだが。

「これが馬鹿な事をしないよう、見張ってくれ。頼む……」

「うぇ……? あ……、はぁ……」

 言われずとも計画が失敗した以上は、少なくとも自分の生活の為に面倒を見なくてはならないだろう。何よりも、言葉と共に大貴族が庶民に頭を下げて来たのだ、戸惑いつつも最弱職の少年は、無碍に出来ずに了承の返事をしてしまった。

「うっ……、んん……」

「おお、目が覚めたか」

 そんなやり取りをしていると、ようやく女騎士が身じろぎをして目を覚ます。父君が嬉しそうに声を掛けるが、メイド娘の膝枕から起き上がった女騎士は、それよりもまず己の身に興味が行っていた。

「ん……? この状況は事後なのか……? はっ!? 意識を失っている間にいかがわしい事を!?」

「してねーよ! まだ何もしてねえよ! お前が寝てた間に、今微妙な空気になってんだよ!!」

 彼女の意識は完全に、勝負に負けた時の凄い事に傾倒している。その事に少年が思わず何時ものノリでツッコミを入れるが、少年を視界にとらえた女騎士は唐突に表情を歪ませフヒッと哂う。フヒッて何だよと再び訝しんでいると、女騎士はスクっと立ち上がって父親と婚約者に向き直った。

「お父様、バルター様、どうか今回の見合いは無かった事にしてください」

 唐突に語り始める女騎士は頭を下げてから、自らのお腹を愛おしげに撫でて頬赤らめる。そしてとんでもない事を言い放った。

「今まで隠してきましたが、私のお腹にはカズマの子が……」

「ごおっ!? オメー、童貞の俺に何言ってんだコラァ!!」

「ぷっ……、あっはっはっはっ!」

 女性経験も無いのに父親にされた少年は、当たり前の如く怒り心頭、怒髪天。そんな唐突な告白を聞かされた婚約者の青年は、意外にも快活に笑ってその事実を受け入れた。

「そうか、お腹にカズマ君の子が……。父には僕からお断りをしたと言っておきます。その方が都合が良いでしょうから」

 まるで、こちらの事情は全て察しているとでも言う様な配慮まで見せて、婚約者だった青年は少年にウインクしてから立ち去って行く。最後まで本当に、貴族では珍しいぐらいの人の好さであった。その部屋を出て行く背中を見送ってから、少年は心底あの青年に女騎士を押し付けられなかった事を悔やんでしまう。

 ちなみに、見合いが無事に破談になったので、女騎士はあからさまにフヒッと黒い笑顔を浮かべていた。

「孫……。初孫……。ここここ、このワシに可愛い孫が……っ!」

 そして、女騎士の発言を真に受けた父君が、嬉しさなのか悔しさなのかボロボロと落涙溢れる漢泣き。更には、もう一人話を信じてしまい、ワタワタと狼狽えながらも部屋の出口へ向かう者の姿が。

「はわ、はわわわ……。二人がいつの間にかそんな関係になってたなんて……。ひ、広めなくちゃ。早く、街の皆に広めなくちゃ! カズマとダクネスがあわわわわ……っ!!」

「何でお前まで信じてんだよ!!」

 街中に誤解をばら撒こうとする青髪女神に、最弱職の少年は壮絶な疲労感と共にツッコミの絶叫を上げた。この面子らしいドタバタしたオチに、ソファーに座ったままのメイド娘が気だるげにため息を吐くのであった。

 

 

 父君と青髪女神の誤解を解く為に少年と女騎士が説得を試みていると、ずかずかと廊下を乱暴に歩む音が聞こえて来た。その足音が客間の前で止まると、次の瞬間には両開きの扉が跳ね開けられる。そして響き渡るのは、最近ではお馴染みになってしまった良く通る凛々しい声。

「サトウカズマ! サトウカズマは居るかあああああ!!」

 部屋に居る全員、泣いていた父君までもが飛び込んで来た者達に目を丸くする。客間の中に飛び込んで来たのは、少年に最近付き纏っている女検察官と、友人と出かけた筈の魔法使いの少女であった。

 大貴族の屋敷にも関わらず突撃して来るとは、この女検察官は怖い物が無いのだろうか。そんな事を考えていると、一緒にやって来た黒猫を抱えた魔法使いの少女が慌てた様子で少年に駆け寄って来る。

 よく見ると扉の所には、一緒に出掛けたボッチ少女の姿もあった。彼女は開いた扉に寄りかかる様にして、さめざめと泣いて居る様に見えるのだが、一体全体何があったのか少年には全く予想が付かない。

「めぐみん? ゆんゆんも一緒みたいだけど一体どうしたんだ? って言うか、あの子泣いてないか?」

「そんな事は、今はどうでも良いのです! それよりもローが!」

「どうでも良い! どどど、どうでも良い……! わ、わああああーっ!」

 事情を聞こうとしたら、魔法使いの少女の言葉に反応してボッチ少女が更に泣き喚き始める。これでは話をするどころでは無いと判断したのか、魔法使いの少女は忌々し気に渋面を作った。

「ああっ! まったくもう、なんて面倒くさい……! すみませんカズマ、先にちょっとあの子と二人で話してきます」

「……では、事情は私の方から説明させていただきましょう」

 ボッチ少女を放置するのを諦めた魔法使いの少女が二人で扉の外に消え、代わりに屋敷の主である父君に挨拶と非礼への詫びを済ませた女検察官がずいと前に出て来た。相変わらず神経質そうな鋭い眼差して、敵意剥き出しに少年の事を睨み付けている。

「今度はなんだよ。何でもかんでも俺達のせいにされちゃ敵わないぞ」

「最近発生している奇妙なモンスターが、調査の結果キールのダンジョンから溢れている事が分かった。そして、そのダンジョンに最後に入ったのは、記録では貴様達と言う事になって居る」

 要するに、モンスターが大量に湧いているのはお前達がやったんだろう、と難癖を付けている訳だ。当然、少年達の仲間達は全員不満顔になる。少年だっていい加減ウンザリしてしまうと言う物である。

「そんな理不尽な事言われてもな。と言うか、今回は全く心当たりがないぞ。お前らも、そうだよな?」

 少年の確認にはコクコクとみんなが頷く。魔法使いの少女が今は扉の外だが、彼女が何かやらかすのは爆裂魔法絡みの時だけである。召喚士の代わりとしてなのか、メイド娘も死んだ魚の様な目で頷いていた。

「私も心当たりはないな。日頃からあまり問題は起こしていない筈だ」

「私も今回は何もしてないわよ。むしろあのダンジョンに関しては、むしろ私のおかげでモンスターは寄り付かない筈よ!」

 女騎士の日ごろから問題は起こしていないという発言にも突っ込みたかったが、少年には何よりも青髪女神が自信満々に言った言葉に引っかかりを覚えた。

「……ちょっとこっち来い」

 静かに告げながら、青髪女神を伴って女検察官から距離を取る。充分距離を取ってから、自分の手柄を自慢したい子供みたいに目を輝かせている青髪女神に話の続きを促した。

「……続けて?」

「でねでね、リッチーの居た部屋に作った魔法陣は本気も本気。今でもしっかり残ってて、邪悪な存在が立ち入れない様になって居る筈よ!」

 つまり、少年達が疑惑をもたれているダンジョンに、青髪女神お手製の魔方陣が今もしっかりと残っていると。魔法陣の効果は兎も角として、何か仕掛けを施した証拠がしっかりと残っていると……。

 念の為に、少年はもう一度確認を取る事にした。どうか聞き間違いであってくれと願う様に。

「……今お前なんつった?」

「な、何よ急に? 言った通りよ。あそこには私が本気で作った魔法陣が、今もモンスターを寄せ付けない様に――」

「――こんの……、馬鹿がああああああああああああああっ!!!!」

 聞き間違いでないと理解した時、少年はあらん限りの声で叫んでいた。部屋中の人間どころか、扉の外に居た魔法使いの少女までが驚いて部屋の中を覗いて来る程に。

 少年達のパーティのこの後の行動が、確定した瞬間であった。

 部屋の中に戻って来た魔法使いの少女が見たのは、頭に漫画みたいに巨大なたんこぶを作って頭を抱えて蹲る青髪女神の姿であった。

 ボッチ少女は一緒ではない。どうやら、無事に話し合いが終わって帰された様だ。

「屋敷中に響き渡る様な声でしたが、何かあったのですか?」

「気にするな、またアクアがやらかしただけだ。めぐみんの方こそ、あの子はもういいのか?」

「ゆんゆんは先に帰らせました。居ても面倒くさいだけですからね。そんな事よりも、大変なのです!」

 正直紅魔族二人の間に何があったのかの方が気になるが、ぐっと堪えて少年は少女の言葉を待つ。もう既に面倒事は起きているのだ。一つや二つ増えた所で変わりはあるまい。

「実は、ローがキールのダンジョンの方に向かったのを、守衛さんが見ていたらしくて……。ローが一人で、ダンジョンに入っているかもしれないのです。小突かれただけで倒れるあのローがですよ!?」

「そして、その召喚士がキールのダンジョンに向かったのと時を同じくして、ダンジョンから沸き出すモンスターの数が増加しました。それゆえに、私はあなた達がモンスター発生に関わっていると判断したのです」

 少女がもたらし、女検察官が後を継いだ説明を聞き、少年は話を聞いた事を後悔する。自分の幸運値が高いなんて、絶対に嘘だと強く思うのだった。

 

 

 キールのダンジョン。今はもう枯れ果てた、初心者も近づかない様な寂れたダンジョンである。

 少年と女神がかつて潜った際には暗闇ばかりが支配する空間であったが、今はほんのりと明るさを保って内部を見渡せるようになっていた。

 そして、そんなダンジョンの中を響き渡る爆音、爆音、また爆音。その静寂を打ち破る耳障りな音に、ダンジョンの最奥一歩手前で土を捏ねていた存在は意識を手元から通路の奥へと向ける。

「ほう、こんな所にまでやって来る者が居るとは、まだ準備も出来ていないというのに忙しない事だ……」

「……ありがとうフーちゃん。良く爆発から守りながら、ここまで走り抜けてくれたね。助かったよ」

 跨っていた巨躯の狼から降りて、その頭を撫でながら送還をするのは召喚士。その瞳は今は、ダンジョンの奥に座する存在へと向けられている。左右を白と黒で分けた奇妙な仮面を被る、燕尾服を纏ったこれまた奇妙な人物へと。

「ふーむ、これはまた珍妙な存在が現れた物だ。神でも無く、かと言って悪魔でも無い……。汝、まともな生まれでは無い様であるな。おっと、中々の苛立ちの悪感情。んー……、美味である」

「はじめまして、僕の懸念事項その二さん。凄く会いたくなかったよ」

 互いに互いの話をまともに聞くつもりは無く、言いたい事だけを言い合う様な言葉のぶつけ合い。召喚士はにんまりと口元を歪ませて、さっさと本題を切り出す事にした。

「さあ、僕と契約してもらおうか。仮面の悪魔さん?」

 それは丁度、最弱職の少年達がお見合い騒動を起こしていた頃のお話。

 少年達はまだ、この話を知る事は無い。

 

 




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第十六話 前編

陽光が厳しくなってまいりましたが皆さんいかがお過ごしですか。
私は毎日、誰か太陽撃墜してくれないかなと思っています。
そんなわけで第三章最後のお話です。
後編は抜萃と誤字修正が終わり次第投下いたしますので、まずは前編をごゆるりとお楽しみください。


 鬱蒼とした森の中を一塊となって通り抜ける。強行軍で森を抜ける面子は最弱職の少年のパーティ。目指すはもちろん、召喚士が消えたというキールのダンジョンである。

「うっく……うう……、私のせいじゃない筈なのにぃ……」

 未だに屋敷でつけられたたんこぶを頭に乗せたまま、何時もの格好に戻った青髪女神が歩きながらぐずる。その両脇に居る魔法使いの少女と女騎士も、流石に同情する様な視線を女神に向けていた。

「毎度毎度あれか、活躍の差し引きをマイナスにしないとどうにかなる病気なのか」

 たんこぶの原因である最弱職の少年だけは、泣きじゃくる青髪女神には優しくない。こうしてダンジョンに赴いている理由の半分は、青髪女神に有るので仕方ないのだが。

「何とか誤魔化せたが、魔法陣を消さないと……」

 女検察官を口先で丸め込み、善意で協力する様に見せかけたが、どうにかして誰よりも先にダンジョンの最奥へと行かなければならない。青髪女神の残した魔法陣を見られれば、余計な疑惑を女検察官に持たれるだけだろう。その事も少年の気分をささくれ立たせる要因となって居た。

 もちろん、一番の原因は、今はこの場に居ない仲間のせいであるのだが。

 

 

「うーん、確かに……。謎のモンスターだな」

 辿り着いたキールのダンジョンの入り口は、数か月前に見た時と変わらずに岩肌にぽっかりと口を開けていた。そして、その入り口からは人の膝までも届かないような大きさの、人形の様な物体がぞろぞろと溢れ出してきている。あれが最近増加していると言う奇妙なモンスターなのだろう、と少年は当たりを付けていた。

「サトウさん!」

「はい、佐藤です」

 木陰からダンジョンの入り口を偵察していると、同じく森の中で雇い入れた冒険者と共に待機していた女検察官に声を掛けられる。彼女達は既に準備万端の様で、少年達に近づくと作戦の方針を説明し始めた。

「ご協力感謝します。どうやら何者かが、モンスターを召喚しているようです」

 その何者かは、もしかしたら少年達の良く知る人物かも知れない。女検察官はそう思っているのだろうが、今この場ではそれをあえて口にする事は無い。

「ですから、術者を倒し、召喚の魔方陣にこれを張ってください。強力な封印の札です」

 術者を倒す。その一点だけが気に入らなかったが、最弱職の少年は封印の札を受け取った。要は女検察官に雇われた冒険者達よりも先に、最深部の魔方陣を消して、召喚士も見つけ出せばいいだけの話である。

「私、あの人形の仮面が生理的に受け付られないわ。何故かしら……、どうにもムカムカして来るんですけどっ!」

 一方、話し合う少年や仲間達とは少し離れた場所で、マイペースな青髪女神はダンジョン入り口から沸き出す人形の様なモンスターをじっと眺めていた。どうやら彼女には、この人形の存在は酷くお気に召さないらしい。

「ん? えっ、ちょっ、な、何……?」

 足元に落ちていた小石を拾ってぶつけてやろうと振り被ると、人形の内の一体が青髪女神に視線を合わせトテトテと近づいてきた。そして、ひしっと青髪女神の足に抱き付く。

「って、あら? なにかしら、甘えてるのかしら。見てるとムカムカする仮面だけど、あれ、何だか可愛く見えて――」

 人形が赤く発光し出したかと思うと、突然大爆発を引き起こした。無論、引っ付かれていた青髪女神は爆発に巻き込まれ、哀れ全身を煤けさせて地面に倒れ伏している。ただ、身に纏う衣服のせいかステータスのおかげか、それほど大怪我を負っている様には見えない。

「御覧の通り、このモンスターは取りつき自爆すると言う習性を持っていまして……」

「ふぅ……、なるほど」

「何でそんなに冷静なのよ!!」

 一部始終を眺め終わってから、女検察官はモンスターの特徴を少年達に説明する。少年も全く心配する事無く納得し、やはり無事であった青髪女神は自分で思わずツッコミを入れていた。

 そんな騒がしいやり取りの傍らで、鎧姿に何時もの後ろで高く纏めた髪型に戻った女騎士が、無造作に人形達が集まっているダンジョン入り口に歩み出す。

 すぐさま、女騎士の体に人形がしがみ付き爆発するが、煙が晴れた所には掠り傷一つない女騎士の姿があった。

「ふむ。私が露払いの為に前に出よう。カズマは後ろを着いて来い」

「お、おう……」

 己の体を眺めて何やら納得した様子の女騎士がダンジョン探索の露払いを買って出る。その姿の頼もしさに、戸惑いつつも少年は了承してしまう。本当に、防御面だけにおいては完璧に近い性能である。

「カズマカズマ。私は足手纏いになりますし、ここで待機しておきます」

 続いて、自らの役割を爆裂魔法のみだと自覚している魔法使いの少女が、ダンジョン内部で出来る事は無いと待機を申し出る。今回は探索が目的ではないので、荷物持ちも必要ないだろうと少年はそれを快諾した。

「それじゃあ私も――」

「おい、お前は一緒に来るんだよ!」

 流れに便乗する様に青髪女神もサボろうとしたが、それには少年から待ったが掛かる。幾ら女騎士が頑丈だと言えど、何が待っているか分からないダンジョン内に入るのに回復役は必須だろう。それ以上に、楽をして怠けようとする青髪女神の性根が、少年は気に入らなかった。

「いやっ! もうダンジョンは嫌なのっ! ダンジョンに入るときっとまた置いて行かれるわ!! ダンジョンはいや……、いや……」

 先程まで何ともなさそうだった青髪女神は、突然頭を抱えて蹲り出す。どうやらダンジョン恐怖症はいまだ健在だった様だ。若干演技臭いが。

 以前ダンジョンの奥で置き去りにした手前、そこを前面に出されると非常に極まりが悪い。最終的に演技が本当のトラウマを呼び起こしたのか、膝を抱えて蹲ってしまった青髪女神を、最弱職の少年は仕方なしに置いて行く事に決めた。

「となると、俺とダクネスのみか」

「カズマと二人きり!? モンスターよりも、カズマの方に身の危険を感じるのだが……」

「お前もダンジョンの奥に置いてって、アクアと同じトラウマを植え付けてやってもいいんだからな……」

 ダンジョンの中に二人で入る事に難色を示したのは、なんと意外にも女騎士であった。いや違う、女騎士はチラチラと少年の方を気にして、何やら興奮してモジモジしながら息を荒げている。彼女は先のお見合い騒動の時に少年と約束した、すんごい要求とやらに期待しているのだ。

 こんな時でも変態性を見せる女騎士に、少年は抑揚を無くした声で淡々と脅し文句を並べるのだった。

「お前ら、もうちょっと緊張感持てよな。ヘーが屋敷で強制送還されてから、もう結構時間が経ってるんだ。ローが中でどうなってるのか、全然わからないんだぞ」

 そう、今この場にメイド娘の姿は無い。お屋敷で女検察官がだまくらかされている時に、えらく驚愕した表情を浮かべながら光と共に消え去ったのだ。少年はそれを、召喚主の危機に関連する物だと考えていた。

 改めて、ダンジョンの入り口を見やる。人形が溢れ出すその岸壁に開く穴の奥に、少年達の仲間が居るのは間違いない。ダンジョンの異変を調査する探索クエストの傍らで、行方知れずの召喚士を見つけ出さねばならないのだ。

 少年は確かな決意と共に、再びダンジョン攻略へと緊張の面持で挑む。

 

 

 挑む、筈だったのだが。

「ふははははは! 当たる! 当たるぞ! カズマ、見ろ! こいつらは私の剣でもちゃんと当たるっ!!」

「凄く嬉しそうだなー……」

 ダンジョンにいの一番に飛び込んで行った女騎士は、大量の人形に張り付かれ大爆発で歓迎された。見ていた他の冒険者も少年すらも引く位の、盛大な纏わり付かれ様と大爆発だ。

 そしてそれをものともせずに走り抜け、飛び掛かって来る人形を剣で払ったのだが、これが珍しくまともに当たってしまってからがさあ大変。二度三度と振るう剣が、避けるつもりもなく飛び掛かる人形達を薙ぎ払い、景気良く倒されて行く。

 気を良くした女騎士は、自身の剣が敵に当たる喜びを全身で表現して哄笑していた。もちろん人形から反撃に自爆されるのだが、頬や鎧に煤が付く程度で彼女はびくともしていない。

 今までの彼女は攻撃スキルを一つも取っておらず、また生来の不器用さから攻撃が全く当たらないポンコツとして知られている。それが今は、群がる敵を剣の一振りで払い除け突き進む、無双の英雄が如くの立ち居振る舞いだ。笑う女騎士の瞳はキラキラと童女の様に光り輝いていた。

 これでは緊張も何もない。何時も通りのドタバタ大喜劇だ。

「おおい、ちょっと待ってくれ! もうちょっとゆっくり……!」

「ああああ、張り付かれた! おい誰か、コイツを剥がしてくれ!」

「おわあ、来んな! こっち来るなあ!」

 少年達の遥か後方で、女騎士が闇雲に突撃した事で離された他の冒険者達が、通路の横道から沸き出して来る人形の群れに襲われている。防具でしっかりと身を固めているので死にはしないだろうが、彼等にはこの人形達の相手は難儀らしい。二十人近く居た冒険者達は、溢れ出す人形の処理に忙殺され立ち往生していた。

「よし、ダクネス! そのまま進め!」

「任せろ! ああっ、何だこの高揚感は! 初めてクルセイダーとしてまともに活躍している気がする!」

 少年にとってこの状況は正に千載一遇。今のうちに最深部まで行って、女神の魔方陣を消して証拠を隠滅するしかないと決断する。

 女騎士は興奮していて、背後の冒険者達には気が付いていない。まるであつらえられた様な機会だが、少年達は一気に最深部までの道を駆け抜けて行った。

 

 

 一度最深部まで攻略した少年の記憶を頼みに、順調すぎるほど順調にダンジョンを突き進む。少年達は早くも、リッチーが潜んでいた最深部の部屋の近くまでたどり着いていた。

「……居た。あのローブはローだ、間違いない。けど、あんな所で何してるんだ、あいつ……」

 通路の曲がり角からそっと様子を伺うと、少年のスキルを発動した目は地面に座り込んで土を捏ねる人物の姿を確認する。フードを目深に被って表情は窺えないが、そのローブ姿はまごう事なく自身の仲間だと少年は確信した。

 けれども不用意に駆け寄る事はしない。まずは何をしているのか確認する為に様子を見ていると、召喚士と思われる人物は鮮やかな手つきで土塊を成形し、ダンジョン内で蔓延っていた人形を作りだしていた。

「あいつ、やっぱりあの人形を作ってやがったのか。何だってこんなダンジョンの奥でそんな事を……」

 心配していた相手が見つかった事に安堵すると同時に、モンスターの発生原因がやはり召喚士であると知ってしまった少年は頭を抱える。何の目的があってやっている事なのかは分からないが、これでは女検察官にどう申し開きをすればいいのやら。面倒事がまた一つ増えてしまった。

 どうした物かと少年が戸惑っていると、傍らに居た女騎士が剣を引き抜いたまま角から飛び出す。少年が止める間もなく、彼女はそのまま召喚士と思しき人物の前に踏み出した。

「おい貴様、その体から発する禍々しい気配。姿こそローだが、一体何者だ!?」

「えっ、こいつローじゃないのか!?」

 座したままの人物に剣を突き付ける女騎士の言葉に、後を追ってきた少年が驚愕する。確かに姿形は召喚士だと思っていたために、別人だと言われてもにわかには信じられない。

 少年が訝しげに眺める先で、ローブの人物はゆっくりと立ち上がり、大仰に両手を広げて見せた。そして、俯いていた顔を上げて、その面を少年達に見せつける。そこにあったのは、人形達が付けていたのと同じ、左右黒白に別れた仮面であった。

「ふぅむ、ようやっと来たか。待ちかねたぞ、この体の持ち主の仲間達よ」

 発せられた声は、聞き慣れた召喚士の声では無く、良く通る溌剌とした男の声。そこまで来てようやく少年にも、目の前の人物が召喚士とは別人である事が理解できた。

「我がダンジョンへようこそ冒険者よ。我輩こそが諸悪の根源にして全ての元凶。魔王軍の幹部にして、悪魔達を率いる地獄の公爵」

 語りながらまるで演劇の様に仰々しく手振りを行い、胸元に手を当てながら片手を差し延ばす拝礼をしてみせる。口元以外を隠す仮面が、まるでそれこそが己が自身だと言わんばかりに威圧感を放っていた。

「この世の全てを見通す大悪魔、バニルである……」

 目の前の仮面の人物から飛び出した単語。その余りの大物ぶりに少年の顎を緊張の汗が滴り落ちる。

 こんな枯れ果てたダンジョンで魔王軍幹部と遭遇するなど、ゲームの序盤である負けイベントその物ではないか。昨今その手の強制イベントは流行らねーんだよと、心の中で制作神――制作陣にあらず――を罵倒する。

「おい、逃げるぞ! 俺達だけじゃ相手が悪すぎる!」

「女神エリスに仕える者が、悪魔を前にして引き下がれるか! それに、こいつは我々を『この体の持ち主の仲間』と言ったんだぞ。ローの体を取り返さなければ!」

 相手の肩書から少年は即座に撤退を進言、しかし女騎士はそれを受け入れずに剣を構える。彼女の信奉する幸運の女神は、悪魔と不死者には滅法苛烈な事で有名だ。それは無論、その信徒にも受け継がれている。その上で、自分達の仲間が悪魔に取りつかれているなど、彼女には言語道断なのだろう。

 険のある表情と共に剣を向けてくる女騎士を前に、仮面の人物はにやりと口元に笑みを浮かべる。いつも笑みを浮かべている召喚士の体ではあるが、その表情には召喚士が仲間達に向ける親しみは含まれてはいなかった。

「ほう、魔王より強いかもしれないバニルさんと評判の我輩を……?」

「く……っ!」

 まるで正気を疑うとばかりに言われて凄まれると、口惜しさと圧迫感に女騎士が歯噛みする。大悪魔は神々にも匹敵する力を持つと言う。先の言葉は、あながちはったりとも思えなかった。

「まあ、落ち着くがいい。魔王軍の幹部とは言っても、城の結界の維持をしているだけの、言わばなんちゃって幹部でな。魔王の奴に、ベルディアの件で調査を頼まれたのだ」

 仮面の人物の言葉に出て来た名前に、少年がビクリと体をこわばらせた。間違いなく、以前に討伐した魔王軍幹部の首無し騎士の名であろう。

「ついでにアクセルの街に住んでいる、働けば働く程貧乏になると言う不思議な特技を持つポンコツ店主に用があって来たのだが……」

 これもまた、心当たりのある人物の話であった。なんちゃって幹部の貧乏店主には、少年達もよく会いに行っている。少年が女騎士の方を見れば、彼女も同じ人物を思い浮かべたのか思わず二人で顔を見合わせてしまった。

「そして、我輩は世間で言う所の悪魔族。悪魔の最高の御飯は、汝ら人間が放つ嫌だなと言う悪感情だ。汝ら人間が一人産まれる度、我は喜び庭駆けまわるであろう!」

 要するに、自分は人に危害を加えるつもりは無いと言う事が言いたいのだろうか。話すうちに興が乗ったのか、仮面を付けた頭が天井を見上げ、仰け反る様にして両手を開いている。ついでに、先程作っていた人形も、己が主を真似て同じポーズをしていた。その拍子に目深に被っていたローブが落ちて、中に納まっていた三つ編みに編まれた黒髪が零れ落ちる。

 何はともあれ、少年は今の話で思い浮かんだ疑問をぶつける事にした。

「ダンジョンからその人形がポコポコ出て来て、その人間が難儀しているんだが?」

「んむ、それはこの体の持ち主に言われて知っている。もともとは、このダンジョン内部のモンスターを駆除する為にこの人形をばら撒いていたのだが、それを途中で止めてしまえば、汝等をこの中に誘い込む事が出来ぬからな」

 最後の発言に、今度こそ少年の頬を冷たい汗が伝い降りた。この仮面の悪魔は少年達を内部に誘い込んだと言った。魔王軍幹部が、同じ幹部を倒した者を誘い出して何をしようと言うのか。

「そう怯えるでない、鎧娘が数日帰ってこなかっただけで自室を熊の様にうろうろしていた男よ」

「おおい、止めろよ! 何で見て来た様に言うんだよっ!? お、お前もモジモジするのはやめろ!」

 少し前まで緊張感を保っていたはずだが、仮面の悪魔の一言でそれは崩壊した。少年は顔を赤くして大いに狼狽し、女騎士は隣を気にして口元に手をやりながらチラチラ少年の事を見ている。

「まあ、この人形どもはもう必要ないか。この体の器用さのあまり、つい大量に作ってしまったが、とっとと次の計画に移行するとしよう」

 召喚士がダンジョンに行った途端に人形の数が増えたのは、体を乗っ取られた召喚士の器用さの高さが原因であった様だ。仮面の悪魔は人形に手をかざし、役目を終えたそれを土塊へと戻した。

「お前は一体、何を企んでいるんだ?」

「企んでいる等とは失敬な。我輩にはな、とびきりの破滅願望があるのだ」

 それから語り出された仮面の悪魔の計画。それは、自分だけのダンジョンを手に入れて、配下の悪魔や数々の罠を配置した高難易度の迷宮を作り出す事だった。

「それに挑むは、歴戦の凄腕冒険者達。やがて、苛烈な試練を潜り抜け、勇敢な冒険者達が最奥の部屋へとたどり着く……。待ち受けるのはもちろん我輩!!」

 だんだんと語る言葉に熱が籠り、芝居じみた身振り手振りが激しくなって行く。余程この計画に心酔しているのだろう、その語り口から力の入れ様が窺えると言う物だ。

「『よくぞここまで来たな冒険者よ! さあ我を倒し、莫大な富をその手にせよ!』そんな台詞と共に、遂に始まる最後の戦い! 激戦の末、とうとう打倒された我輩の背後には、封印されし宝箱が現れる……」

 熱く語る悪魔は戦いの情景を思い浮かべているのか、力んだ体に光り輝く紫色のオーラが溢れ出して来る。こっぱな冒険者など吹き飛ばしてしまいそうなその余波に、少年達はその戦いの熾烈さを否応無しに思い浮かべた。

 何よりも、それ程の存在が守る財宝とは何なのか、話に引き込まれた少年達も固唾を飲んでしまう。

「苦難を乗り越えた冒険者がそれを開くと、中には!! ……スカと書かれた紙きれが」

 固唾を飲んだ事を酷く後悔した。凄い迷宮を乗り越え、強大な悪魔を打倒して出てきた宝箱にそんなものが入っていたら、少年ならきっと『舐めんな!』と叫んでいた事であろう。

「それを見て呆然とする冒険者達を見ながら……、我輩は滅びたい……」

 正に己の破滅願望を満たしきった場面を想像したのか、仮面の悪魔は両手を広げながら仰け反り感極まった声で言葉を紡ぐ。実にはた迷惑極まりないその願望に、最弱職の少年はげんなりした顔で『それだけは止めてやれよ』と思っていた。

 仮面の悪魔は語り切ったとばかりに姿勢を戻し、急に冷静に戻った口調で話しを続ける。

「その計画を実行する為、友人の店で金を溜め巨大ダンジョンを作ってもらうつもりだったのだが……。偶然ここを通りかかり、主が居ない様だったので『もうこのダンジョンで良いかな』と」

 壮大な計画だった割りには、場所決めが行き当たりばったりだった。あの熱い語りは何だったんだろうか。凄くどうでも良い理由でこの場所が選ばれた事に、少年はもう何度目かもわからないが脱力した。

「一つ誤算があったのは、この奥にけしからん魔法陣があった事だが。安心するがいい小僧、あの魔法陣はこの体の持ち主が既に綺麗に消しておるわ」

 先程から少年の内心が、見て来た様に丸裸にされて会話が進んでいる。とは言え、少年が懸念していた魔法陣の問題は既に解決していると言う。

 であるならば、本当にこの悪魔は何が目的で仲間の体を奪い、少年達をこの場に誘い込んだと言うのだろうか。語られた内容からは、まったくその事を窺う事は出来なかった。

「なぁに、汝らを直接害そうと言う訳では無い。魔王の頼み事やベルディアの事など、我輩には些末事。我輩の今の目的は、『確認』と宿敵の排除である」

 確認と言う部分に力を込めて、そして嬉しそうに排除という言葉を紡ぎ出す。魔王より強いと言われるような大悪魔の宿敵、そんな者が居るとしたらそれは神と称される者達に相違ないはずだ。少年には身近に一人、神を名乗る人物に心当たりがあった。

「では……、ちょっと拝見……」

 仮面の悪魔は一方的に言い切ると、指でフレームを作りそこから少年の事を覗き込む。仮面に描かれた亀裂の様な眼が赤く輝き、ぞくりとした感覚が最弱職の少年に襲い掛かる。根拠はないが、自身の内面を覗き見られていると言う、確かな確信が少年にはあった。このままではまずい事になるという予感も、ふつふつと沸いて来る。

「フッ……。フハハハッ! フハハハハハハハハッ! なるほどなるほど、これは難儀な契約であるな。この体の持ち主も、我輩の所へ来ると言う物か。それはそれとして、あの迷惑な魔方陣を張ってくれた者が、今どこに居るかも確認できた」

 突然の哄笑と共に、一人で勝手に納得をする仮面の悪魔に、危機感を感じたのか女騎士が少年を庇う為に前に出る。それを気にも止めずに、仮面の悪魔は口角を吊り上げ言葉を続けた。

「見える、見えるぞ! プリーストが茶を飲んで、寛いでいる姿が見えるわ!!」

 散々トラウマを発症させて怖がっていたくせに、青髪女神は今優雅にお茶を楽しんでいるらしい。自分が魔王軍の幹部と対面していると言うのにと、最弱職の少年の中で青髪女神への苛立ちが募る。

「その男との賭けで負け、『すんごい要求』とやらが気になり、先程から色々と持て余し、ずっとモジモジしてる娘よ!」

「も、持て余していないしモジモジもしていない! 適当な事を言うな! いいい、言うなあっ!!」

「この件が終わったら、そこの娘にどんな要求をしようかそわそわしている男よ!」

「そ、ソワソワしてねーしぃ! しし、してねーし!!」

 それぞれの顔に指先を突き付けてポーズを決めながら、実に不名誉な事をズバリと言い当てる仮面の悪魔。少年も女騎士も否定はするが、どちらも顔が真っ赤に染まり動揺が隠しきれていない。

「そこを通してもらおうか! なぁに、『人間は殺さぬ』が鉄則の我輩だ。ああ、人間は殺さんとも……、人間はなぁ……。こんな迷惑な魔方陣なぞ作りおって! 一発きついの喰らわしてくれるわ!!」

 仮面の悪魔はとてもご立腹であった。たとえ既に魔法陣が消えていようとも、それに害された事は未だに根に持っている様だ。何よりも、人間は殺さぬと言いながらも不敵に笑う姿に、少年は目の前の悪魔が言う宿敵が青髪女神であると確信した。

「アクアに危害を加えると言うなら、退く訳には行かない! ローの体も返してもらうぞ!」

 この悪魔を放置していると青髪女神が酷い事になる。そう考えたのは女騎士も同様で、剣を両手で構え直し戦闘態勢に入った。何よりも、今は悪魔が扱う体も仲間の物なのだから、取り返さずには話にもならない。

 仮面の悪魔はその仲間の体でへらりと笑い、道化の様な仕草で煽りながら言葉を紡ぐ。

「腹筋だけでなく脳まで固そうな娘よ! 今すぐ帰れば、二人とも誰にも邪魔されず、『すんごい要求』は期待通りになる事間違い無しだ!」

「っ!? 耳を貸すな、悪魔のささやきだ、惑わされるな!?」

「なっ、誰が惑わされるか!? カズマこそ、時と場合を考えろ!」

 ものの見事に精神攻撃に翻弄される二人。鼻の穴を膨らませて動揺する少年に、女騎士は顔を赤らめながらも一喝する。そしてついには剣を振り被り、闘う意志を明確に突き付け会話を討ち切ろうと襲い掛かった。

「もういい、貴様と話をしていると頭がおかしくなりそうだ!」

「おい! 体はローなんだぞ、攻撃するなら慎重に!」

 激昂して襲い掛かる女騎士だが、それを慌てて制する最弱職の少年。そして、それを許してくれないのが仮面の悪魔。あっさりと攻撃を躱して更なる挑発を続ける。

「フハハハ! 何なら、そこの魔方陣の有った部屋で『ご休憩』でもして帰るがよい」

 小馬鹿にする様にわざわざ声色を変えてまで入れたその言葉が、休息しろと言う意味でない事は十分に伝わって来る。多感な時期の男の子には色々と辛い攻撃が続き、少年の精神はもういっぱいいっぱいだ。

「んんんんっ!?」

「おおい、カズマ葛藤するな! 同じ屋敷に住んでいるのに、そんなおかしな関係になってどうする!? しっかりしろ!!」

「はっ!? 見てくれが良くて体が好みでも、中身がアレのダクネスだ。しっかりしろ、俺!」

「か、帰ったら覚えていろよ……!」

 的確に弱点を責め立てる口撃に屈しかける少年だったが、女騎士の外見と中身の差を思い出し何とか踏み止まる。ぼろくそに言われた女騎士は涙目になった。

「ふむ、そなたらの悪感情を貪るのも悪くは無いのだが、そろそろこの体の力を試させてもらおうか。来るべき時に向けての試運転をな……」

 告げる言葉と共に、悪魔が操る召喚士の体が諸手を前に突き出し、中空に二つの魔法陣を浮かび上がらせる。召喚士の体が持つ能力と言えば、一つしかないだろう。

「レベル六十召喚、現れよ『ミドガルズオルム』、そして『フローズヴィトニル』」

 ずるりと、中空の魔方陣から飛び出したのは蛇と狼。召喚士が普段から呼び出していた、あだ名で呼び習わしていた怠惰な蛇と巨躯の狼に相違無いだろう。

 だが、二匹の姿は少年達の見知ったものでは無かった。

「これは……、フーとヨー達なのか? ローが召喚した時とはまるで違う、何と言う禍々しい姿なのだ」

「ミドガルズオムって……。おいおい、って事はフーの方はまさか!?」

 召喚主の状態のせいか呼び出されたレベルのせいか、巨躯の狼は何時も以上に身体を巨大な物にさせ銀の体毛を逆立たせながら低く唸り声を上げている。

 更に顕著なのは、魔法陣から頭だけを露わにしている大蛇の方だろう。彼の体躯は胴回りだけで、ダンジョンの通路を埋め尽くしてしまいそうになって居る。尾まで露わになった時どれだけの強大さを誇るのか、想像するにも勇気を必要とする巨大さだ。普段は気だるげにしている相貌も、今は金色の瞳が見開かれている。

 女騎士は印象の違いに驚き、少年は召喚時の文言で何かに思い至った様だ。どちらにせよ普段の姿を見慣れた少年達には、まるで悪魔のせいで凶悪な姿形になった様に映っていた。

「ふむ、世界蛇の方はこのダンジョンに呼び出すには大きすぎたか。では、自由に暴れられる所まで、エスコートしてもらうとしようではないか」

 仮面の瞳が赤く輝く。刹那、魔法陣から通路をほぼ占める程の大きさの蛇が飛び出した。

 その状況に最初に反応したのは女騎士で、彼女は剣を構えたまま真っ向から受け止める構えを取る。それを見た最弱職の少年が通路脇に跳び退いて、両者のぶつかり合いを見届け叫ぶ。

「ダクネーース!!」

「ぐっ、くおおおっ! これはもしかして、丸呑みにされるチャンスなのでは――ああああああっ!?」

 少年が最後に見た女騎士は、巨大な口に横咥えにされて連れ去られて行く姿であった。何処となく嬉しそうにして何やら叫んでいたので、そんなに深刻では無いかもしれない。

 それよりも深刻な物は、少年の背後に迫って来ていた。

「案ずるな小僧。我輩は無論、彼の大蛇もあの鎧娘を害するつもりは無い。それよりも、呆けているとこのまま地下でお留守番する事になってしまうが、良いのかな?」

「……えっ?」

 振り向けばそこにはずいと迫って来た狼の鼻面。その上にはいつの間にか召喚士の体が跨っており、悪魔の仮面の下で口元が楽しげに歪んでいた。

 そうして、次の瞬間には地を這う様にして巨躯の狼が駆け出す。ともすれば、一瞬にして視界から消えそうになる銀の流れに、最弱職の少年は慌てて手を伸ばし辛うじてモフモフした尻尾にしがみ付く。腕が千切れるかと思う衝撃と共に、少年の体もまた狼と同じ速度に乗った。

 仮面の悪魔が何故あんな忠告をしたのかは分からないが、確かに置いて行かれればその間に何もかもが終わってしまうかもしれない。だから少年は、がむしゃらにしがみ付くのだ。

「……きっと、外ではもっと面白い事になるよ。……頑張って色々な事を覚えてね、カズマ」

 必死で毛皮に埋もれる最中に、最弱職の少年は聞き慣れた声を聞いた様な気がする。だが、それも直ぐに風の音に掻き消えた。そもそも、今の少年に些細な違和感を気にしている余裕は無い。

「さあ、ダンジョンから無事に帰還した仲間との、感動の対面である! 貴様らの仲間のプリーストに、きついの一発喰らわせてくれるわ!! フハハハハハハハハッ!」

 高笑いと共に、舞台は地上へと移る。仮面の悪魔が、二匹の巨獣を引き連れて。

 翻弄される少年は、仲間達の事ばかりを強く思うのであった。

 

 




こんなの私のバニルさんじゃない!!
そう思う方、私もそう思います。
アニメのあの軽快なコントを全て書きたかった。
誰か素晴らしいバニルさんを書いてくださいお願いします。


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第十六話 後編

お待たせしたかたもそうで無い方も、第三章の最後のお話後編です。
どうぞ、ごゆるりとご堪能下さいませ。


 出迎えは真正面にて構えを取る、蒼い髪をした女性が一人。

「『セイクリッド・エクソシズム』ッッ!!」

 長い長い階段を一息で駆け上がると、少年と仮面の悪魔を運んでいた巨躯の狼は、足元から沸き上がった聖なる光に反応して、急激に方向を変えて飛び退る。

 その急な動きにとうとう最弱職の少年が振り落とされて、痛烈に尻を打ち付け悲鳴を上げた。

「あ痛ぁっ!?」

「おおっと!! いきなりご挨拶であるな、悪名高いアクシズ教のプリーストよ!」

 手荒い歓迎を受けた仮面の悪魔はそれでも笑みを崩さず、余裕たっぷりに狼から降り立ち青髪女神と対峙する。その傍らでは、常の如く召喚主を守る為に、巨躯の狼が身を低くして唸りながら護衛に付いていた。

「なんか邪悪な気配が近づいてきたから、撃ち込んでみたんだけど。くっさ! 何これ、くっさ!! 間違いないわ、悪魔から漂ってくる匂いね!」

 普段はポンコツだと言うのに、不死者や悪魔に対しては非常に頼りになるのがこの女神。しかし、痛みから立ち直った最弱職の少年の目には、魔王軍幹部相手に無謀に喧嘩を売っている様にしか見えなかった。

「おいこら、いきなりぶっ放すなよ! ローは今、魔王軍の幹部に身体を乗っ取られているんだ!」

「魔王軍の幹部!?」

 少年のたしなめる発言に反応したのは、女神の後方に控えていた女検察官であった。彼女は目つきを更に鋭くして、じっと召喚士の顔に張り付いている仮面に注視する。まるで、己の中の記憶と比べ合わせるかの様に。

「まずは初めましてだな、忌まわしくも悪名高い、水の女神と同じ名前のプリーストよ」

 そうしている間にも仮面の悪魔は、目の前の宿敵に対して悠然と語り掛ける。指先を突き付けながら、仮面に描かれているはずの顔を顰めさせて非難の言葉を連ねて行く。

「我が名はバニル。偉大なる大悪魔、地獄の公爵である。出会い頭に退魔魔法とは、これだから悪名高いアクシズ教の者は忌み嫌われるのだ。礼儀と言う物を知らんのか?」

「やっだー、悪魔相手に礼儀とか、何言っちゃってるんですか? 人の悪感情が無いと存在出来ない寄生虫じゃないですか。プークスクス!!」

 生理的に受け付けられない悪魔相手だからか、青髪女神の煽りは普段よりもキレが良い。悪魔の方も、少年達に見せていた優雅な振る舞いも笑顔も無く、不機嫌さを前面に押し出している。両者共に、お互いを不倶戴天の宿敵として認識していると言う事なのだろう。

「『セイクリッド・ハイネス・エクソシズム』ッッッ!!!」

 不意打ち気味に青髪女神が退魔魔法を発射した。両手を額に掲げる独特のポーズで、先程よりも強力になった退魔魔法が破壊光線もかくやと迸る。それを見た少年は、特撮の光の巨人をなんとなく思い出していた。

 青髪女神の不意打ちに最初に反応したのは、護衛に控えていた巨躯の狼で、召喚主と光線の間に踊り出て射線を遮る。頭から光線を浴びた瞬間に、物理的な破砕を伴って着弾点が爆発。退魔魔法の筈なのに確かな殺意を伴って、狼の頭部は煙に包まれてしまった。

「あぶなっ!? おい、ローを殺す気か!?」

「あ、そっか、身体はローなんだったっけ。でも大丈夫よ、もし死んじゃっても直ぐに復活魔法掛けたげるから!」

 神にとっては人の生き死になどこの程度の認識なのか、あっけらかんと忠告を受け流す青髪女神に少年はただただ疲弊する。人間を大事にすると言う悪魔よりも、よほど悪魔らしいと思ってしまった。

「ふん、いつの世も神が人間に向けるのは、不躾な好奇心と一方的な正義のみよ。小僧、神なんぞに期待するだけ無駄であるぞ」

「ちょっと、うちの信徒を誘惑するのは止めてちょうだい!! 汚らわしい悪魔と口を聞いたら、そのくっさい匂いが移っちゃうわ。えんがちょね、えんがちょ!」

「ふっ、この小僧の中には、水の女神への信仰心など欠片も無いではないか。貴様への態度を見ていれば明白、見通すまでもない。すぐばれる様な妄言を吐きおって、これだからアクシズ教徒は頭がおかしいと言われるのだ!!」

「なぁんですってぇ! この高貴な私に喧嘩を売るなんて、寄生悪魔の癖に良い度胸じゃない。今すぐ地獄に送り返してやるわ!!」

 どちらかが口を開けば、とどまる事を知らない口喧嘩へと発展する女神と悪魔。まるで水と油である。

 眺めている分には非常に小気味良いやり取りだが、巻き込まれている方は気が気ではない。片方はポンコツでも、もう片方は魔王軍幹部なのだ。人に危害を加えないなどと言う保証は、何時までも信用して居られないと少年は判断した。行動を開始しなければならない。

「こんな時に、ダクネスとめぐみんはどこに行ったんだよ!」

「ダスティ――ダクネス殿は先に飛びだして来た大蛇に咥えられたまま、今は森の中で奮闘中です。めぐみんさんは彼女を心配して、他の冒険者と共に援護に向かいました。あれは確かに、手配書にある見通す悪魔に違いありません。こんな事ならば、冒険者の皆さんを少しは残しておくべきでしたね」

 焦る少年に応えるのは、同じく悪魔と女神のプチ戦争を見守る女検察官。攻撃の要と防御の要が既に不参加で、他の雇われ冒険者達もあてに出来ないとは、状況の詰み具合に少年の胃が捻り上がりそうだ。

 こうなれば青髪女神だけが頼りなのだが――

「ふふん、この私の強力な退魔魔法で今すぐ消滅させてやるわよ。覚悟なさい!!」

「おっと、流石にこの体で退魔魔法を受けては、我輩も無事ではすまぬだろうな。なので、ほーら出番であるぞ」

「ちょっ、ちょっとズルいわよ、フーをけしかけるなんて! 卑怯者! 卑怯者! 人でなし、鬼、悪魔!!」

「その通り、我輩は悪魔である。さあ、きついの一発喰らわせてやれい!!」

「ひっ、嫌、来ないで! お、お座り! ぎゃわああああ! カズマさん! かじゅましゃーん!!」

 仮面の悪魔の号令一下、巨躯の狼が吠え声を上げて青髪女神に躍りかかる。数秒ほどは威信に賭けて対峙していた青髪女神だが、勢いが止まらないと見るや背中を見せて逃走。あっさりと追い付かれて、巨大な肉球で背中を踏み踏みされるのであった。そして、動きを止められた青髪女神に、巨躯の狼の牙の並んだ大きな口が迫る。

「アクアー!? 今助けに――」

「ひいいいいいっ! やめっ、ちょっ、あははははははっ!! ぎゃははははははっ!! うひゃははははははははっ!!!」

「……あれ? ええー……」

 怯え惑う青髪女神の声に、最弱職の少年が助けに入ろうとし、その足が困惑と共に止まった。悲鳴の方向性が、途中で変質したからだ。

 大きな口に収まっていた巨大な舌が、べろんべろんと女神の顔やら脇腹やら背中やらを舐め回す。まるで水を飲むかの様に、犬科特有の小刻みな舌の動きが青髪女神を襲っていた。その感触がくすぐったいのか、怯え顔も吹っ飛んで今は只管笑い転げる。夜の帳も落ち切った闇色の空に、青髪女神の品の無い笑い声が響き渡るのだった。

「うむ……。我輩が思っていた物とは違うが、これはこれでいい気味であるな」

 痛い目と言うよりも、笑い過ぎてお腹が痛いと言うべきか。涙目になって笑いながら悲鳴を上げる宿敵の様子に、仮面の悪魔の溜飲も幾許か下がった様だ。

 だが、少年の立場では、事態は一向に改善してはいなかった。

「フッ……、この体はなかなか面白い術を持っているな。本体自体は大した能力は無いが、それを補って余りある召喚獣の性能。小石が当たった程度で倒れる体力の無さと中途半端な魔力と言う弱点はあるが、そのどちらも我輩の魔力と見通す力があれば補える」

 己が両手をまじまじと見詰めながら、仮面の悪魔は乗っ取った体を楽しげに評価する。確かに、ポンコツだと思っていた召喚士が、今では凶悪な性能の魔王軍の幹部へと様変わりしていた。

「堅牢な防御を誇る鎧娘も、強力な退魔魔法を使うプリーストも無力化された。さあ、もう後が無いぞ小僧よ」

「くっ、こうなったらセナを囮にして一時撤退を……」

「ええっ!? わ、私は冒険者でも無いただの役人なんですよ!? しかも撤退って、自分だけ逃げるつもりなんですか!?」

 最弱職の少年は何時でも鬼畜だった。そんな少年に女検察官が食って掛かり、あまりと言えばあまりな発言に首元を掴んでがくがくと揺さぶる。彼女も突然現れた魔王軍幹部の存在に、良い具合に頭が煮えてしまっているのかもしれない。

「ふははは、自分自身に派手な活躍が出来るスキルが無い事に思い悩んでいる男よ。そこの、以前にアクシズ教徒のセクハラに悩まされてマジギレした女をワザと怒らせ、我輩の注意を逸らさせた隙に、窃盗スキルでこの体から仮面を引き剥がそうと考えている様だが、止めておくのが吉。我輩と汝ではレベル差があり過ぎて、まともな物は盗めんだろう。魔力の無駄であるぞ」

「…………ちっ、やっぱり駄目か」

「サトウさん、あなた……。と言うか、人の過去を勝手にばらさないでください!!」

「んー……、汝らの悪感情、美味である……」

 少年が現在できる悪あがきも、事前に見通されて暴露されてしまう。少年は企みを見透かされた落胆を、女検察官は羞恥心をおやつ代わりにぺろりと行かれてしまった。

 このままでは状況が進展しない。少年の中の強い焦燥感が、いよいよ胃壁に穴の一つも開けてしまいそうだ。どうしてこう、自分には次々と厄介事が舞い込むのか、隣の女検察官に八つ当たりで、説教の一つもしてやりたくなると言う物である。

「カズマ、戻って来ていたのですね! 今アクアの悲鳴と、その後に品の無い笑い声が響いて来ましたが、一体何事ですか?」

 そんな状況に風穴を開ける、紅の爆風――魔法使いの少女が森の中から戻り、早速見かけた少年へと語り掛けて来た。そんな少女を出迎えて、最弱職の少年の顔にも喜色が浮かぶ。

「めぐみん、戻って来たか! 今こっちはアクアが戦闘不能にされて、かなりやばい事になってる。そっちはなんとかなったのか? ダクネスはどうした?」

 戻ってきてくれた魔法使いの少女に、少年は矢継ぎ早に状況を語る。気になるもう一人の仲間の事を尋ねると、少女は未だにペロペロされ続け、もはや声も出せずにびくんびくん痙攣するばかりの青髪女神を見て、うわぁと引いた声を上げた。そして少年に向き直り、高い知力で状況を理解した少女が質問に答えてくれる。

「ダクネスを咥えていた大蛇――ヨーなのですが、冒険者に攻撃されても全く意に介さずにダクネスを捕まえていまして。たまに尻尾の先で冒険者達を追い払う以外は特に何もせず、アクアの悲鳴の事も在ったのでこちらに戻って来ました。ダクネスはなんか、嬉しそうに『丸呑みされてしまう』『焦らされてるのか』『んほおおお』とか言ってたので、多分大丈夫ではないかと思います」

「何やってんだあの変態は……」

 命の危機に瀕して居ながら己の性癖を優先するとは、見上げた根性の変態である。少年は素直に感心すると共に、正直にドン引きしていた。

「ほう、その幼少の頃より金を使い込む父親のせいで食費に困り、幼い妹を養う為にパン屋でパンの耳をせっせと集めていた娘が、話に聞く爆裂魔法の使い手か」

「ちょおおおお!? いきなりなんて事を言うんですか、この素敵な仮面を付けている人は!! カズマ、私もあの仮面が欲しいです! あのデザインは、紅魔族の琴線にびんびん響きますよ!!」

「落ち着け、あれが奴のやり口だ。ローの体を魔王軍の幹部が乗っ取っているんだよ。あの仮面が奴の本体なんだ。見通す力を持った大悪魔で、こっちの情報はほぼ全て把握されているみたいだな」

 自らの恥ずかしい過去を暴露された事で錯乱した少女を宥め、最弱職の少年は手早く情報を交換する。敵を目前にして悠長な事だが、その相対者は口元を歪めてこちらを観察していた。まるで、少年の次の手を待ちわびるかの様に。

「ふむ、流石の我輩でも爆裂魔法が相手では消滅は必至。ではその対策として、この召喚士の奥の手を出させてもらうとしようか」

「なっ、まだ召喚出来るのか!? ローは同時に二体までしか、戦闘では使ってなかったぞ」

 これ以上戦力が増えてしまうのか、少年の驚愕は声にも表情にも如実に表れる。戦闘時以外でならば三匹同時に召喚していた事もあったが、魔力消費の関係で戦闘では二匹までしか召喚しない様にしていた物を、この仮面の悪魔は易々と行って見せるらしい。

「言ったであろう、我輩の魔力があれば補えると。この召喚士も忌避する程の召喚獣、括目して見ているが良い。レベル六十召喚、現れよ『冥府の女王』よ!」

 仮面の悪魔が両手を広げ、地面に赤く輝く魔法陣が画かれる。そして、その魔法陣からゆっくりと起き上がる様に姿を現したのは、漆黒のドレスに身を包んだ一人の女性。長い髪をだらりと地面にまで垂れさせて、左右で色の違う赤と青の瞳を鋭く細めている。

 その女性は少年達にも見覚えのある顔立ちで、何時も召喚されていたメイド服姿の娘と同一であると直ぐに理解できた。しかし、今の姿は普段からはかけ離れており、背中の大きく開いたドレスや豪奢な貴金属を身に着けている事も有って、大人の魅力をこれでもかと発揮する煽情的な姿に成っていた。

「この召喚獣はほぼ全ての魔法を操る事が出来るらしくてな、上級魔法はもちろん回復魔法や支援魔法もお手の物。我輩の魔力があれば、そちらの切り札である爆裂魔法も連発出来よう――おおっと、今の一言で汝等から強烈な悪感情が。んんーん、ごちそうさまである!!」

 爆裂魔法が連発できる。そんな事を聞かされれば、爆裂魔法を放つ事に文字通り人生を賭けている魔法使いの少女は、心中穏やかではいられないだろう。少年がちらりと視線を送ってみれば、少女の顔色は血の気が引いて居ながらも、悔しさで歯噛みすると言う愉快な事になって居た。

「うぬぬぬぬぬ。連射……、連射だなんて羨ましい……。私もあの悪魔に取りつかれたら、爆裂魔法を撃ち放題に……。そして、あのカッコイイ仮面を私も着けられる!」

「お前は自分の趣味の為に、人類を滅ぼしたいのか」

 語る内に興奮し出したのか、少女の瞳だけが爛々と赤く輝き出す。あくまで自分の好みを優先する少女に、思わず最弱職の少年はツッコミを入れてしまった。

 そもそも爆裂魔法は威力が強すぎて連射をする必要が無い魔法である。それを連射したいとは、彼女の爆裂魔法好きには際限が無い様だ。

 それはそれとして、対魔王軍幹部戦としては、戦況は更に悪化したことに間違いはない。敵が爆裂魔法を使えると言う事は、こちらも迂闊に切り札を使えなくなったという事。少年の仲間は、これですべて封殺されたと言っても過言では無いだろう。

「くそっ、どうにかして触れられれば、ドレインタッチで無力化できるのに……」

 そう、少年の中では既に問題を解決する方法は浮かび上がっていた。しかし、その為の道筋を切り開くための戦力が全く足りていない。

 それぞれが尖り過ぎた性能のせいでポンコツでも、集まれば高い性能を発揮するのが少年達のパーティ。少年もまた、単独では高い性能を発揮できるわけではないと、今更ながらに自覚させられてしまう。

「ふうむ、まだ諦念の感情は沸いてはおらぬか。何やら思いついたようだが、速やかに実行に移さねば上級魔法が炸裂してしまうぞ?」

 仮面の悪魔の言葉にハッとして召喚されたドレスの女性を見てみれば、片手に魔力を集め呪文を詠唱しているのが見えた。魔法の種類は分からないが、何を撃たれても惨状になる事は間違いない。

 破れかぶれでも仕掛けるしかないか。少年がいよいよ覚悟を決めようとした時、正面に居るドレスの女性がパチリと片目を瞑って見せたのに気が付いた。呪文を詠唱しつつも死んだ魚の様な目で少年を見つめる女性の顔は、少年には何時ものメイド娘に重なって見え――

「…………『ボトムレス・スワンプ』……」

「なんだと!?」

 発動した上級魔法が、仮面の悪魔の足元を泥沼へと変貌させる。主に足止めに使われる泥沼魔法。ドレスの女性は自らの召喚主にその魔法を使い、唐突な行動にさしもの見通す悪魔も驚愕の声を上げた。

 そして魔法の発動と同時に森の中からずるりと大蛇が姿を現し、同時に鎌首を振るって咥えていた物を放り出す。大蛇に咥えられていたと言えば、もちろん一人しか少年には心当たりはない。

「んはあああああっ!! 爬虫類に良い様に振り回されるこの感覚がまた堪らな――ぐぼおっ!!??」

 猛烈な速度で投げ飛ばされた女騎士が、恍惚の表情のまま頭から仮面の悪魔に飛び込んで行く。流石に飛んで来るのが見えていた悪魔は、泥沼に足を取られつつもそれを躱し、哀れ女騎士は顔面から泥の中に突っ込む事となった。それでも、きっと彼女は酷い扱いに喜んでいるのだろうが。

「今しかないっ!!」

 そして、その一連の流れの中で、最弱職の少年は勝機を確信し既に走り出していた。泥沼の端から跳躍し、鎧娘を躱す為に姿勢を崩した仮面の悪魔へ手を差し延ばす。

 手が触れる、その瞬間に仮面の悪魔の口元がにやりと歪んだ。崩れていた態勢をするりと戻して、飛び付いて来る少年から身体を反らせて距離を取ってしまう。

 これも読まれていたのか。そう少年が心の中に思い浮かべたが、一度飛んでしまった体はもう動かせない。少年が浮かべてしまった落胆の悪感情に、その甘美さに仮面の悪魔の笑みが更に深まる。

「うきゃああああああああああっ!! かじゅまさん、どいてええええええええっ!!!」

 猿みたいな鳴き声を上げて、そんな所にもう一人飛んで来た。

「ちょっ、え? ぐはあああっ!!」

「なんと、ピカピカして何も見えん!?」

 飛んで来たそのもう一人は、空中の少年の背中にぶち当たり、少年もろとも仮面の悪魔に伸し掛かる様にして飛び込んだ。いったいどんな力で投げられたのか、物凄い速度で飛翔してきたのは、先程まで狼に弄ばれていた青髪女神であった。

 もつれ合う様にして今度こそ直撃した一同は、泥沼から飛び出してゴロゴロと地面を転がる。ようやく止まった時には、全員が倒れ込み手足を投げ出す事になって居た。

「い、いててて……。思いっきり顔ぶつけたぞ……」

 何だか柔らかい感触から体を起こし、周囲をキョロキョロと見回す。直ぐ近くに目を回した青髪女神を確認し、遠くの方で満足げにお座りする巨躯の狼を発見できた。女神を投げ飛ばしたのは、どうやらアヤツらしい。

 続いて少年はようやくと、自分が誰かを押し倒していた事に気が付いた。見下ろしてみれば、自分を呆然と見上げる黒の双眸と目が合う。仮面を付けていない、素顔の召喚士がそこには居た。

「ロー! 元に戻ったのか!?」

「あ、うん……。体は動かないけどね……」

 最弱職の少年が喜色満面に語り掛けるも、召喚士は何やら様子がおかしい。体力が無くなって気だるげにしながらも、片手で口元を押さえてボーっとしている。よく見れば額や鼻が赤くなっているので、少年と同じ様に顔面をぶつけてしまったのかも知れない。少年はそう判断し、とりあえず召喚士の上から退く事にした。

「そう言えばあいつは……、魔王軍の幹部はどうなったんだ? まさか今ので倒しちまったなんて事は……」

 居なくなった仮面の悪魔の姿を求めて、少年は再び周囲を見回す。すると視界の端で動く物を見つけ、注視してみればそれは泥沼から立ち上がる女騎士の姿であった。彼女もまた健在だったのかと、少年の心に安堵が広がる。

 その顔を見るまでは。

「最近腹筋が割れ始めたのを気にしている鎧娘だと思ったか? 残念、我輩でしたー!!」

 召喚士の顔から剥がれた悪魔の仮面。どこに行ったかと思えば、今度は女騎士の顔面に張り付いていた。身体を新たにした仮面の悪魔は、不敵に笑いながら体に付いた泥を払って沼から這い上がって来る。

「フハハハ、汝等の落胆の悪感情、美味である。さあ今度はこの娘の体を(わわわわ、私の腹筋は割れてなどいない! いい加減な事を言うな!!)使って、そこのピカピカしたプリーストに(と言うか、カズマカズマ! どうしよう体を奪われてしまった!! 今度は私の体が仲間達から攻撃を受けるのか、これは絶好のシチュエーションだ!!)喧しいわ!! なんなんだお前は!?」

 新しい体になった悪魔は、一つの体で二種類の声を発しながら漫才をし始めた。

「馬鹿な、何だこの(麗しい)娘は! いったいどんな頑強な精神を(まるでクルセイダーの鏡のような奴だな!)ええいっ、やかましいわぁ!」

 辺りには既に、シリアスな空気など欠片も無く、倦怠感を伴ったコント的空間が広がっている。最弱職の少年は両肩を落として茫然と悪魔と女騎士の漫才を眺めるばかりであった。

「はーっ……、はーっ……。我輩の支配力に耐えるとは、なかなかどうして大した娘よ(い、いやぁ……)だが、耐えれば耐える程、やがてその身には抗いがたい激痛が(な、なんだと!?)フハハハハ! さあ、どこまで耐えられるのか――なんだこれは、喜びの感情が……?」

 叫び過ぎて息切れを起こした悪魔は、それでも気を取り直して演劇の様に身振りをしながら語るのだが、合間合間に茶々が入ってかなり滑稽になっている。更に激痛など与えた物だから、ドMにはご褒美以外の何物でもないだろう。大悪魔すら困惑させる女騎士の性癖、恐るべし。

 ともあれ、魔王軍の幹部が足止めされた状態には違いが無い。状況は召喚士の時よりも、切迫はしていなかった。

「さて、どうした物か。肝心のアクアは、まだあの様だしな」

 青髪女神は依然目を回したまま、今は森の奥から戻って来た大蛇が、舌をチロチロと出しながらじーっと見守っている。別段食べようとしている訳では無いのだろうが、なかなか不安を煽る絵面であった。何時目が覚めるのか分からない為、これでは退魔呪文を当てには出来ないだろう。

「仮にアクアが無事でも、ダクネスは聖騎士。光に属する魔法には、特に強い耐性があるはずなので、退魔魔法は通用しないかもしれません」

 悩む少年に魔法使いの少女が、その豊富な知識で助言をしてくれる。その顔色は女騎士を案じてか、不安げに青ざめ杖を縋る様に掻き抱いていた。

 そうなると、自ずと取れる手段は限られて来る。少年の頭には、既に解決策は思い浮かんでいた。

「冒険者の皆さん! 魔王軍の幹部です、魔王軍の幹部が現れました。応戦をお願いします!!」

「フハハハ! 掛って来るがいい、木っ端冒険者共よ。この体を操る我輩に、貴様等程度が幾ら集まろうと無駄な事よ。(うむ、今の私は誰にも負ける気がしない)さっさと帰って、女共には言えない秘密のあの場所にでもせこせこと通うがよいわ。(うん? 女に言えない秘密の場所とは何の事だ?)うむ、それは――おおっと、男冒険者の諸君、悪感情ごちそうさまである!」

 森の奥に大蛇を追いかけて行っていた雇われ冒険者達が戻って来て、女検察官の号令で今度は仮面の悪魔へと挑んで行く。そして、それを笑いながら軽やかにあしらう仮面の悪魔を見て、もう女騎士が殆ど支配されかけている事を少年は悟ってしまう。以前から感じていた知らない筈の既視感が、冒険者達が絶対に勝てないと告げて来ていた。

「カズマ。君の考えている通りの事を、君の望むままに実行して良いんだよ」

 葛藤する少年の前に、不意に召喚士が現れる。未だに身体が動かせないのか、巨躯の狼に襟首を咥えられてぶら下げられた姿ではあったが、脱力する体の中でも黒の瞳だけは力強い意志の力を宿しているのが見て取れた。

「終わってしまうその時まで、僕は君を肯定する。一緒に、居るよ」

「言葉の意味はよく分からんが、とにかく頑張れって言いたいんだよな? ……しょうがねぇなぁ」

 少年の何時ものお決まりの台詞。ぶつくさと文句を言ったり嫌がったりしても、最後には出て来てしまうこの言葉に、吊り下げられた召喚士はにっこりと微笑みを返した。

「それはそれとして、お前後で説教だからな」

「ん……。待ってる」

 なんとなく、微笑んでいる召喚士を見るのが気恥ずかしくなり、少年は逃げる様に暴れる女騎士の方へ向かって行った。何時も飄々としているくせに、たまに女の子みたいな表情になるのは止めてもらいたい。少年には、同性にアレコレする様な性癖は無いのだから。

 逃げ去った先で見たのは、大勢の冒険者達が力無く横たわる姿。そして、その中心に立つ女騎士と、それを取り囲む幾人かの冒険者達だった。

「ダクネス! お前、ちょっと攻撃が当たる様になったからって、調子に乗りやがって!」

「俺、アンタの事はあのパーティで、一番まともだと思っていたのに!」

「囲め囲め、このへっぽこクルセイダーを取り囲め!」

「(ああ……、普段気さくに話しかけてくれる冒険者達が、こんなにも蔑んだ目で……)何故か感じる喜びの感情。これはどういう事なのか……」

 どうやら、今残っている冒険者達は女騎士の顔馴染みらしい。彼女の感じている倒錯的な快感はひとしおだろう。そんな冒険者達も、仮面の悪魔が操る女騎士の剣に、一人また一人と昏倒させられて行った。

「へなちょこ冒険者共め、他愛も無い。(すまない皆……。でも、私がこの数に圧倒できるのがなんだか嬉しい……)さて、ピカピカうっとおしいあのプリーストは何処に行ったのか。今のうちにトドメを刺そうと思ったのだが……」

 手近な敵が居なくなった事で、仮面の悪魔は逃した宿敵の姿を求めて辺りを見回す。雇われ冒険者達を一人も死なせずに無力化した悪魔も、やはり青髪女神は例外の様だ。

「それは困るな」

「むっ!? 小僧、貴様何時の間に。(カズマか、潜伏スキルを使ったのか。どんどん暗殺者の様になって行くな)何だこの札は、触れんぞ。(これは、セナが渡していた封印の札?)なに、我輩を鎧娘の中に封じたという事か? 一体何を企んでいるのだ(カズマの事だ、どんな手段を使って陥れて来るか分からないぞ)」

「お前らもうすっかり、いいコンビになってんじゃねぇか」

 潜伏スキルを使って不意打ち気味に仮面の額へ札を張り付けた少年が、悪魔と女騎士の息の合った様子に呆れて肩を竦める。仮面の悪魔はそんな少年の鼻先に、女騎士の体を操り剣の切っ先を差し向けた。

「それ以上近寄るな、小僧! 我が支配を拒むこの娘の体には、常に激痛が走っている。このままでは精神の崩壊を招く事になる故、さっさと札を剥がすのが吉。(うむ、私もこれほど強力なのは初めてだ。流石の私も堕ちてしまいそう……。ああ、もうらめえ……)こ、こらっ、おかしな声を出すでない!」

「……ダクネス」

 相変わらず漫才を続ける仮面の悪魔達に、務めて平坦な声でぽつりと呟く。青髪女神の退魔魔法も当てに出来ない状況での、現状持ちうる唯一の対抗手段を。

「爆裂魔法を受けてみたくはないか?」

「フッ、フハハハ! 何を言うかと思えば、生身の人間に爆裂魔法を受けろなどと(う、受けりゅううううううううっっ!!!)正気か貴様!? 悪魔ですら滅ぼす呪文を人の身で受ければ無事では(お構いなく)……今何と言った?(お構いなく!)」

 神も悪魔も平等に吹き飛ばすと言われる爆裂魔法。少年が思いつくのはやはり、人類最高峰の威力を誇るこの魔法しか無かった。幸いな事に、女騎士本人は喜んで爆裂魔法を受け止めてくれるらしい。後は、彼女の高い防御力に賭けるしかないと、少年はいつの間にか滴りそうになっていた手汗を払う。

「サトウさん! 仲間の体の中に悪魔を封じるだけでなく、爆裂魔法を使わせて諸共に滅ぼそうなんて! あなたと言う人は、あなたと言う人は!」

「本気なのですかカズマ!? 無理です!! 私の爆裂魔法は経験を重ね、以前よりさらなる高みに上りつつあります。幾らダクネスでも、無事で済むはずが在りません!!」

 女検察官が非難しながらドン引きし、魔法使いの少女は顔面を蒼白にして首を振っている。人一倍仲間思いの少女には、仲間を消滅させかねない魔法の行使は絶対に避けたい事柄なのであろう。

 そんな事は、最弱職の少年だって思っているに決まっている。だからただじっと、魔法使いの少女を正面から見つめ返すだけであった。少女は涙目になって、イヤイヤと首を振る。

「よし、落ち着くのだ。話し合おうではないか。今日の所は引き分けと言う事でどうか? 魔王の幹部にして地獄の公爵である我輩と引き分けたとなれば、きっと周りに自慢できるぞ!」

 流石の仮面の悪魔にも余裕がなくなり、何とか女騎士や最弱職の少年を説得しようと試みている。そんな仮面の悪魔に、憑依されている女騎士は至って冷静に言葉を返した。

「(……バニル。僅かなひと時だったが、共にいた時間は悪くはなかった。だから、せめて……。選べ。私から離れて浄化されるか、共に爆裂魔法を食らうか……)」

 告げながら、女騎士は一歩一歩と歩みを進め、周囲に人の居ない場所を選んで突き進んで行く。彼女の中では、もう既に覚悟が完了しているのだろう。だから、彼女は悪魔にどう滅びるか選べと選択肢を突き付けるのだ。

 そんな女騎士に、仮面の悪魔は重々しく答えた。

「フフフ……。破滅主義者にとっては、正に至高の選択である。我輩の破滅願望が、この様な形で実を結ぶとは……。我輩とて汝への憑依は、なかなか楽しかったぞ」

 一度言葉を区切って立ち止まり、天を仰ぎながら両手を広げ、最後まで芝居っ気タップリに仮面の悪魔は吠えて見せる。

「我輩は悪魔である。敵対者である神に浄化されるなど、まっぴらだ!(さあ、めぐみん!!)」

 仮面の悪魔が宣言し、女騎士が自らの意志で爆裂魔法を望む。けれども、魔法使いの少女は小さく首を振って、更に抵抗の意志を見せる。

 それを見た最弱職の少年は、最後の一押しの為に動き出した。もう今は、状況を顔を青くしながら見守るばかりになった女検察官の肩に手を置いて、真剣なまなざしで女騎士を見つめながら少年は決意の言葉を口にする。

「もし万が一の事があったなら、提案したのは俺だ、俺が指示したって事で、あんたが証人になってくれ。今回も、全責任は俺が取る!」

 その言葉を受けて、女検察官はコクコクと何度も頷き、女騎士は仮面の下で笑みを浮かべて一度だけ頷く。狼にぶら下げられたままの召喚士が、ほうっと熱の籠った吐息を漏らして少年を見つめていた。

 そして、魔法使いの少女は――

「めぐみん!!」

 少年の決意を聞いて深く閉じていた双眸を、少年に名を呼ばれて見開き、両手で杖をぐっと握り締めた。その貌には、未だ緊張が垣間見えてはいたが、覚悟を決めた色が強く表れていた。

「空蝉に忍び寄る叛逆の摩天楼。我が前に訪れた静寂なる神雷。時は来た! 今、眠りから目覚め、我が狂気を以て現界せよ!」

 呪文の詠唱とは別にした、少女自身の詠唱。譲れない彼女のこだわりは、彼女を支える強固な柱。そして、信頼へ応える為の確かな返答なのだ。

「穿て! 『エクスプロージョン』ッッッ!!!」

 夜空を煌々と染め上げる、縦方向に無数に重なり合った積層魔法陣。女騎士の足元にも狙いを定めるかの様に魔法陣が展開し、茜色に染まる夜空を見上げる彼女に向けて爆裂の奔流が降り注いだ。

 夜を朝にするかと見まごう程の光と、山々を震撼させる轟音が響き渡り、森の木々が衝撃で薙ぎ倒される。人類最強の魔法によって、魔王軍の幹部の討伐は果たされた。

 

 

 数日後。

 冒険者ギルドには多数の冒険者達が詰めかけ、広いはずの室内はやや手狭となっていた。そこには無論、最弱職の少年達の姿も在り、むしろ集まった冒険者達の視線が集まっている。

「冒険者、サトウカズマ殿! 貴殿を表彰し、この街から感謝状を与えると同時に、嫌疑をかけた事に対し、深く謝罪をさせていただきたい」

 横一列になって並ぶ仲間達と、一歩前に出る少年に向かい立つ女検察官が、言葉と共に頭を下げて感謝状を差し出して来る。それを受け取って少年は、少しだけ面映ゆそうに口角を上げていた。

 あの夜の爆裂魔法により、魔王軍の幹部を倒した事で、少年に掛けられていた嫌疑は全て解消された。あれ程身を犠牲にして幹部を討伐した者が、魔王軍の関係者であるはずが無いと、女検察官によって判断が下された為だ。

 あれ程までに少年に冷たくしていた女検察官も、今では軽く頬を染めて笑顔を向けて来てくれている。彼女の中では、ずいぶんと少年の株は上がってしまった様だった。

「続いて、ダスティネス・フォード・ララティーナ卿」

 表彰されるのは少年だけではない。むしろこちらの方がメインであろう、大活躍して見せた女騎士が一歩前へと押し出される。当の本人は何時もの鎧姿では無く、タイトなレディーススーツの様に見えるインナー姿であった。

 彼女は爆裂魔法により瀕死の重傷を負い、大事にしていた鎧も失ってしまったが、復活した青髪女神の活躍により完全に回復していた。取り付いていた仮面の悪魔だけが、見事に討伐されると言った結果を残した立役者である。

 そして、今の彼女は居心地悪そうに顔を赤らめて、しきりにモジモジしていた。

「今回における貴公の献身素晴らしく、ダスティネス家の名に恥じぬ活躍に対し、王室から感謝状並びに、先の戦闘によって失った鎧に代わり、第一級技工士達による鎧を送ります」

 女検察官の言葉に合わせて、背後に控えていた騎士達が真新しい鎧の一式を抱えて前に出る。デザインこそ以前の鎧に合わせてあるが、王室からの贈り物とあれば比べ物になら無い程の上質品である事は間違いないだろう。

 だが、それを送られた側の女騎士は、あまり嬉しそうにはしていなかった。

「おめでとう、ララティーナ!」

「ララティーナよくやった!!」

「流石ララティーナだぜ!!」

「ララティーナ、可愛いよララティーナ!!!」

 表彰される女騎士に対して、周囲の冒険者達が騒めきそれを称賛する。彼女の隠したがっていた本名で。

 何を隠そう、最弱職の少年は賭けに勝ったすんごい事として、彼女の本名を冒険者達にばらし、その名で呼んでやる様に吹聴して回っていたのだ。

「こ、こんな辱めは、私の望む凄い事ではない……!」

 当然、女騎士の羞恥心は否応無しに責め立てられるのだが、彼女はついに涙目になって顔を両手で覆ってしまった。

更には、現実を否定する様にイヤイヤと頭を振るう。

「ねえダクネス、私はララティーナって名前とっても素敵だと思うの。ララティーナって名前を面白半分に広めたカズマは、後で叱っといてあげるから! だから、ララティーナって名前に自信を持って!!」

 状況を全く理解していない青髪女神が、善意百パーセントの笑顔でフォローと言う名の追撃を繰り出して行く。しまいには泣き出してしまった女騎士を慰める様に、肩に手を置きその身体を揺さぶる魔法使いの少女も、顔を真っ赤にして震えながら、笑いだすのを必死に堪えていた。最弱職の少年はその様子に、してやったとばかりに満足げである。

「そして、冒険者サトウカズマ一行。機動要塞デストロイヤーの討伐における多大な貢献に続き、今回の魔王軍幹部バニル討伐はあなた達の活躍無くば成し得ませんでした」

 場の空気を切り替える為か、表情を改めた女検察官が大きな声で表彰式を再開する。この流れは予想外だったのか、少年はぽかんとして向けられる言葉を聞いていた。

「よって此処に、貴方の背負っていた借金及び、領主殿の屋敷の弁償金を報奨金から差し引き、借金を完済した残りの分、金、四千万エリスを進呈し、ここにその功績を称えます!!」

 その宣言と共に、一緒に拝聴していた冒険者達が一斉に声援を上げる。少年の体を雁字搦めに縛っていたしがらみが、全て解き放たれたと同時に大金が転がって来たのだ。少年達の境遇や不運を目の当たりにしていた冒険者達も、その事実に素直に喜び祝福してくれていた。ついでに奢れコールも飛び交うのは、これはご愛嬌と言う物だろう。

 魔法使いの少女も女騎士も青髪女神までもが、喜びに瞳を輝かせて少年に縋りついている。喜びを実感していないのは、未だにキョトンとしている少年と、この場に居ない召喚士ぐらいな物だろう。

 青髪女神が大喜びで宴会芸を披露して、魔法使いの少女は黒猫を抱き上げて喜びを分かち合う。爆裂魔法に耐えるという偉業を成し遂げた女騎士は、冒険者達に囲まれて大人気となっていた。

 そんなお祭り騒ぎの中で、少年は一人静かに出口に向かう。騒ぎ出すでもなくただ静かに、仲間達に背を向けてギルドから出て行ってしまう。それを見た女検察官は、敬礼で彼を送り出していた。

 建物を出て直ぐに、少年は冬空から降り注ぐさんさんとした陽光に出迎えられる。その空に向けて、両手を掲げ上げながら一度大きく息を吸って、少年は叫び声を上げるのだった。

「自由と言う名の翼を手に入れたああっっ!!!! あうっ!! ああうっ! ああああはははぁっ!!」

 それは、この世界に来てからずっと、ずーっと苦しみ悩み苦労してきた少年の、魂からの叫びであったのだろう。少年は誰にはばかる事も無く、大声を上げて目の幅の涙を零して泣いていた。

 

 

「お疲れ様、カズマ……」

 そんな少年を見守る影がただ一つ。否、二つ。

「…………一緒に表彰されなくてよかったの……?」

「僕は迷惑を掛けた側だからね。表彰される様な事は何一つしてないさ」

 ギルドが良く見える路地裏から泣き喚く少年を見守りつつ、召喚士は壁に寄りかかりながらメイド娘の質問に答えていた。必要な事だったとは言え、悪魔に操られて仲間や冒険者達に迷惑を掛けてしまった事実は変わらない。

 そんな状況で能天気に表彰されるわけにはいかないと、召喚士はしきりに仲間達に誘われたが表彰式を辞退していたのだ。

「それにしても、今回は惜しかったなぁ。あの時カズマにドレインタッチされていれば、僕の目的は果たせていたのに。どうして邪魔をしてくれたのかな、ヘーちゃん?」

「…………あれは練習、カズマに学んでもらうだけの筈だった……」

「早いか遅いかの違いでしかないと思うんだけどなぁ……。まあ、もう少し余裕が出来たんだから、少しだけ感謝しているよ。フーちゃんは兎も角、ヨーちゃんまで協力するとは思ってなかったから、ビックリしちゃったけどね」

 練習と学習。召喚士は仮面の悪魔に身体を預ける事で、少年に対して学ばせたい事があったのだと暗に言うメイド娘。それに対して、召喚士は特に感慨も無く、何時も通りの軽薄な笑みで口元を歪めてみせた。

「もう少し。もう少しで一巡だ。それまでは僕も、一緒に楽しんでいられるよ」

 最後の言葉は誰に対して呟いたのか。ほとんど無意識に唇を指先でなぞりながら、召喚士は楽し気に笑い続けている。メイド娘はそれを死んだ魚の様な目で、じぃっと見つめ続けるのみである。

 すると、ふとした拍子に見守っていた少年が、ついっと召喚士の方に視線を向けた。まるで何かに誘われたかの様に。見守っていた召喚士と、少年の視線がばっちり合ってしまった。

「へーちゃん……?」

「…………帰るね……」

 そんな状況に心当たりがあった召喚士はメイド娘を振り向くが、彼女は手を振りつつ勝手に送還されてその場から消えてしまう。取り残された召喚士は、若干笑みを引き攣らせて溜息を吐いてしまった。

「はぁ……、召喚は出来ても支配は出来ない。とんだ欠陥能力だよねコレ。だから、縁と絆が大事になってしまうんだ……」

 溜息と共に零れ落ちた言葉は、もちろん他に聞く者は居ない。これはただ、油断して零れ落ちてしまった独り言に過ぎないのだ。

「おーい、ロー! そんな所で一人で何してるんだよ、いいからお前も一緒に来いよ! どうせ寂しくなって様子見に来ちまったんだろー!? 俺もそろそろギルドに戻るからさぁ!」

 そして、そんな召喚士に対して、最弱職の少年が遠くから大声で呼びかけて来た。彼の目には、召喚士がやっぱり仲間に加わりたくて、遠くから様子を見ていた様に映った様だ。

 どこかのボッチ娘でもあるまいし、そんな事実は全くないのだが、召喚士は呼ばれた事に純粋に喜んでしまっていた。きっと、尻尾があればパタパタと巨躯の狼の様に振っていただろう。

「君の縁と絆は心配なさそうだね、カズマ」

 観念して少年の方に向かい始めた召喚士は、何時も通りの笑顔を浮かべながら、何時もとは違って少し照れくさそうに頭を掻いていた。顔の熱さが、ひたすらに気恥ずかしさを狩り立てて来る。

 少年に手を引かれてギルドに連れ込まれた召喚士は、危惧して居た様に文句を言われる事は無く受け入れられた。むしろどうして表彰式に出なかったんだと、迷惑を掛けた筈の冒険者達に揉みくちゃにされてしまった程だ。

 女騎士には周りの皆と少年が虐めると泣き付かれ、青髪女神は能天気に酒を進めて来る。魔法使いの少女はおかえりなさいと迎えてくれて、最弱職の少年には無遠慮に背中を叩かれてしまった。そんな皆に釣られてしまい、召喚士もまた何時も以上に笑みを深めてお祭り騒ぎに加わって行く。

 召喚士の縁と絆も、そう悲観する物でもないのかも知れない。

 

 




誤字を探していたはずなのに、なぜか加筆をしてしまう。
そんな訳で、長すぎて分割したはずなのにまた長くなってしまいました。
毎度読んでいただけている方には頭が上がらない気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます!!


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第四章
第十七話


UAとお気に入りがじわじわと増えていますね。
皆さんありがとうございます。

自分で踏んで増やしているとかじゃない事を切に祈るばかりです。


 苦労をして。

 苦労を重ねて。

 そうして、その果てに大金を手に入れた人間は、果たして高潔なままで居られるのだろうか。

 この時得られた答えは、否である。

 

 

 あくる日の良く晴れた朝に、最弱職の少年は女騎士と召喚士を引き連れて、とある魔道具店の前にまで来ていた。

 各々表情は三様だが、女騎士は特に真剣な眼差しを建物の出入り口に向けている。彼女には、この中に居るであろう店主の女性に、伝えねば成らない事柄があるのだ。

「バニルの事は私から報告しよう。ほんの一時ではあったが、体を共有し暴れ回った仲だ」

 最弱職の少年と召喚士は、そんな女騎士に向けてコクリと頷いて見せる。召喚士も身体を乗っ取られた仲ではあるが、女騎士の思い入れを優先する事にした様だ。

「エリス様に仕えるクルセイダーが、こんな事を言ってはいけないのだろうが。まあ……、嫌いな奴では無かったよ……」

 居なくなってしまった者を悼む気持ちは、例え敵に対してであろうと尊い物であろう。共感した少年は俯いて顔を陰らせ、召喚士もまた小刻みに体を震わせる。

 そんな後ろ向きな空気を払う為にも女騎士は前に進み出し、店の扉をノックしてから勢いよく開け放った。

「ウィズ、話したい事が――」

「ヘイラッシャイ!」

 扉を開けた所に、何やら大柄で黒の燕尾服を着こみ、その上から更にピンクのエプロンを付けた男が立っていた。女騎士を出迎えてくれたその男は、どこかで見た事のある仮面を付けており、ついでに聞き覚えのある声でそのまま呆然とする女騎士に語り掛ける。

「店の前で何やら恥ずかしい台詞を吐いて遠い目をしていた娘よ、汝に一つ言いたい事がある。『まあ……、嫌いな奴では無かったよ……』との事だが、我々悪魔には性別が無いので、そんな恥ずかしーい告白を受けても、どうにも出来ず――おっとぉ! これは大変な羞恥の悪感情。んーん、美味である!」

 その身振り手振りを交えた話しぶりに加えて、話の内容からその男の正体を察してしまった女騎士は、顔を真っ赤にして狼狽してしまう。終いには顔を両手で覆ってしゃがみ込んでしまった。

「どうした、膝を抱えて蹲って!? よもや、我輩が滅びたとでも思ったか!? アハハハハ! フハハハハハハ!!」

「よしよし……」

 羞恥心で死にそうになっている女騎士に、仮面の悪魔はさらに追い打ちをかける。最弱職の少年は慰める言葉も思いつかず、肩をぽんぽんと叩く事しか出来なかった。

「ぶはっ、あははははは!!」

 そして、一連の様子を眺めていた召喚士は、笑いを堪えて震えていたがついに吹き出し、遠慮の欠片も無く笑い始める。こじんまりとした店内に、仮面の悪魔と召喚士の二種類の笑い声が響き渡るのであった。まるで悪魔が二人居るかの様だ。

「まあ、皆さんいらっしゃいませ」

 そんな女騎士の羞恥責め会場へ、新たな人物が現れ声を上げる。この魔道具店の店主であり、働けば働くほど貧乏になると言う異名を持つ、なんちゃって幹部のリッチー店主その人である。

 彼女は来客の中に最弱職の少年を見つけると、その豊かな胸元で手を打ち合わせ、ぽわぽわした笑顔を浮かべて話しかけて来た。

「カズマさん聞きましたよ、バニルさんを倒してスパイ疑惑が晴れたとか。おめでとうございます!!」

「ああ、ありがとう。いや、それはいいんだが、なんでこいつピンピンしてんの? 見た事ない姿になってるけど、こいつバニルだよな? 無傷ってどういう事だよ!?」

 話しかけて来たリッチー店主に近づきながら、最弱職の少年は仮面の悪魔を指を指しながら矢継ぎ早に質問を飛ばす。その指の先では、仮面の悪魔が挑発する様にくるくる回ったり、ポージングをして無駄に存在感を示していた。はっきり言って、存在が喧しい。

 事も有ろうに、少年の疑問には件の仮面の悪魔が堂々と答えてくれた。

「あんなものを食らえば、流石の我輩とて無傷でおられるはずが無かろう。この仮面を良く見るが良い」

 そう言って悪魔は仮面の額を指さし見せ付けて来る。少年が訝しみながら見てみれば、そこにはくっきりとⅡの文字が刻印されていた。数字を見せ付けた悪魔は、そのまま仮面の瞳に横向きのピースサインで再びポージングして、げんなりとした少年に向けて言い放つ。

「残機が一人減ったので、二代目バニルと言う事だ!」

「なめんな!!」

 ただでさえ倒しにくい相手が残機制とか、本当にこの世界は素晴らしく理不尽である。少年の慟哭が店内に響くのも、詮無い事であろう。

「ちなみに、今の姿は僕が最初に見かけた姿だね。この体はあの爆発する人形と同じ様に土塊で出来ていて、人に憑依してない時はこの姿が基本形態らしいよ。壊れても直ぐに元通りになるんだって」

 そう言って、今の仮面の悪魔の姿に付いて補足するのは、女騎士をさんざんっぱら笑い飛ばして床にのの字を書かせてしまった召喚士。最弱職の少年の隣に並び、今までよりも少しだけ距離感を詰めている。

「そう言えばお前、一番最初にこいつの事討伐に行ったんだったな。ったく、幾ら借金返済の為だからって、今度また一人で危ないことしたらもっと長く説教だからな」

「うん。ちゃんとカズマの言う事は聞くよ」

 そう言ってにっこりと微笑む召喚士に、最弱職の少年は思わずついと視線をそらしてしまった。最近、こういう事が増えた様に少年は思う。借金が無くなったあの日から、劇的に。

「ほう……」

「まあ……!」

 そんな二人の様子を見て仮面の悪魔が何か言いたげにして、リッチー店主は微笑みながら驚いてみせた。そんな反応をされた少年は、またぞろおちょくられては敵わないと、未だにいじける女騎士の方に行ってしまう。

 取り残された召喚士は、仮面の悪魔についと視線を送り、それからリッチー店主に向き直り口を開く。

「そうそう、忘れてた。ダクネスが思ったより深く落ち込んでしまったから、ウィズに何とか慰められないか相談したくてこっちに来たんだったよ」

「あら、そうだったのですね。では、せっかくですのでお茶の用意をしてきましょうか。たまに居らっしゃるアクア様の為に、色々と茶葉を用意してあるんですよ!」

 まるで取って付けた様な召喚士の言葉であったが、リッチー店主は素直に聞き入れて喜々としてお茶の用意の為に店の奥へと引っ込んでしまった。

 それに合わせて、召喚士が店の奥の棚に興味を引かれた様に歩いて行き、その後を仮面の悪魔が追って適当な商品を手に取って見せて来る。一見すると接客している店員と客と言った様子だが、二人が交わす言葉は商品の事などまったく含まれてはいなかった。

「……悪魔が契約を守ると言うのは本当だったね。報酬はもう既にカズマに教えているから、期待していてほしい」

「悪魔にとって契約は何よりも優先される物。それは人間が眠りに付くのにも等しいごく当たり前の事。我輩にも利益のある契約であるならば尚更なのである」

 そこで店の奥からリッチー店主が戻り、彼女はそのまま盆に乗せたティーセットを入り口近くの小さなテーブルに乗せる。そして、一度仮面の悪魔と召喚士の方を見たが、商品の説明を受けていると判断したのか、少年と女騎士をお茶の席に誘う事にしたらしい。

 そうして、召喚士が世間話に興ずる三人から意識を外し、仮面の悪魔に向き直った所でその悪魔が向こうから声を掛けて来る。それは、一部とは言え、同じ先を知る者としての疑問であった。

「汝、物語の終焉をもたらす者よ。もっと己の欲望を前に出して、物語を好きに書き変えれば良い物を。ただそこに在りて、共に歩むだけとは謙虚に過ぎるのではないか?」

「……そんなことして、何が楽しいのさ。僕は誰かの活躍を奪うなんて、そんな無粋な事に興味はないんだよ」

 つまりは現状に満足していると、召喚士は仮面の悪魔ににやりと口元を歪めて見せる。少年や仲間に見せる様な柔らかさなど欠片も無い、目の前の悪魔よりも悪魔の様な攻撃的な笑顔。

 仮面の悪魔はその返答を聞いて何を思ったのだろうか。ふむと一度唸ってから、直ぐに踵を返して少年達の方へと向かって行く。

「では、我輩は契約の代償の一部を取り立てに行くとしよう。汝の悪感情も悪くはないが、やはり人の物には比べるべくも無いのでな」

「……僕、君の事嫌いだよ。全部知っている癖に、全部言わせようとするんだもの」

 最後に、悪魔はごちそうさまであると言い残して、召喚士の傍から立ち去って行った。彼はそのまま雑談している少年達に交じって、己の目的の為の商談を始める。

「遠い彼方の地よりやって来た男よ。我らの商売に協力するが吉と出た。良い話があるのでな、お一つどうか?」

 仮面の悪魔が離れた事により、商談の声は途中から聞こえなくなってしまった。どの道、その話の内容は既に知っている。仮面の悪魔に最初に持ちかけたのは、召喚士なのだから当然だ。

 召喚士は商品棚に向き合う様にして、出入り口付近で騒いでいる少年達に背を向ける。そのまま棚に飾られたポーションの小瓶を一つ手に取り、誰に聞かせるでも無くひとりごちた。

「どうせもうすぐ終わるんだから……、少しぐらいは好きにさせてもらうけどね」

 また、無意識に自分の唇を指先で撫でる。それはもう、あの仮面の悪魔を倒した日から、癖の様になってしまった仕草だった。

 すると、手にした商品を棚に戻そうとした時、意識が手元から離れたためか、小器用なはずの召喚士の指先から小瓶が零れ落ちた。落ちて行く小瓶を視線で追い、同時に棚に記された商品名が視界に入る。

 商品の名は――封を開けると爆発するポーション。

「……あ」

 床に落ちた小瓶が甲高い音を立て、その拍子に蓋が外れて中身がこぼれ出す。そして、空気に触れた薬液は次の瞬間に、大きな音と白煙を上げて爆発。それまでの空気を粉微塵に打ち砕き、哀れ召喚士は床に倒れ込む事となった。さながら、栽培男に自爆された元山賊の様に。

 流石に仲間が爆発したとあれば、最弱職の少年が驚きながらも安否の確認のために声を張り上げる。

「ちょ、おおい、ロー!? 大丈夫か!?」

「おおっと、我輩とした事がついうっかり、お客様に危険物コーナーの説明をするのを失念してしまった。ところで、この店には火傷にもよく効く回復ポーションもあるのだが、おひとついかがかな?」

 結局、落とした小瓶はもちろん、爆発で破損した他の商品や、召喚士の回復の為に買った回復役などの代金を支払う事になってしまった。

 この状況で金を稼ぎに来る仮面の悪魔は、召喚士等及びも付かぬほどに悪魔的である様だ。

「ぐすっ……。爆発、羨ましい……」

「……ぶれないな、お前も」

 いじけ虫のままの女騎士が、爆発で煤けた召喚士を羨み、最弱職の少年がドン引きする。そんな事がありながらも、何とか少年と悪魔の商談は成功したのであった。

 

 

 仮面の悪魔との商談より幾許か時が経ち、世界は暦の上では春を迎えていた。

 まだまだ寒さが残るにも関わらず、モンスターが活発化し繁殖期に入り、冬の間活動を休止していた冒険者達も動き始める。

 そんな季節のあくる朝に、最弱職の少年達の屋敷には甲高い悲鳴が響いていた。

「いーやー! 嫌よ! だって、まだ外は寒いんだもの! どうしてそんなに外に出たがるの!?」

 暖炉の前の暖かい位置に置かれたお気に入りのソファーにしがみ付いて、青髪女神が女騎士と魔法使いの少女の二人係りで引き剥がそうとするのに抵抗をしている。

 職業補正と高レベルが理由で、それなりに力のある二人が必死になっても、ステータスの差なのか青髪女神はなかなか剥がれない。その事に気が付いた二人は、一度離れて質問に答える事にしたらしい。

「外じゃないと、爆裂魔法が撃てないじゃないですか」

「春先になるとモンスターが活発化するから、冒険者の出番だ!」

 爆裂狂は兎も角として、女騎士の言い分は至極真っ当であるだろう。だが、そんな事は青髪女神には通用しない。むしろその理由を聞いて、更に外に出る気が無くなってしまったようである。

「子供なの!? 二人とも外で遊びたがる子供と同レベルなの!? そんなにお外に出たいって言うのなら、二人だけで行って来て!!」

「誰が子供ですか!?」

「今のアクアの方が子供みたいだぞ! このままでは――」

 腕をブンブン振るって、正にわがままを言う子供の様に振る舞う青髪女神。そんな言い草に、二人の引き剥がしが再開されて、女三人がソファーの上でわちゃわちゃとする。

「「あんな風になるぞ(なりますよ)?」」

 その途中で、引き剥がそうとしていた二人は動きを止めて、振り返りながら冷たい視線を背後に送る。その視線の先には、四角いテーブルに布団を生やした物――コタツが鎮座しており。垂れ下がった布団から、最弱職の少年が首だけを出して寛いでいた。これはもう立派なコタツムリである。

 ついでに、コタツの一角には召喚士が正座して座っており、コタツの上で丸くなる黒猫を眺めながらのんびりととミカンを剥いている。食われまいと汁を飛ばして来るミカンを指先で弾いて気絶させ、白い筋が全て取れるまでじっくりと丁寧に作業に集中していた。

 説得しようとしていた二人は無論、青髪女神までもがそんな少年を見て心底呆れ果てる事となる。

「流石に私だってああはなりたくないけれど……。でも、私を説得する前に、あっちのダメな方を何とかしてよ!」

「おいお前ら。幾ら温厚な俺でも、怒る時は怒るぞ。さっきからなんだ、人の事をあんな風だとか、駄目な方だとか、失礼だろ」

 自分に矛先が向けられたためか、コタツムリの少年が反論を開始した。口だけは一丁前のこの少年だが、もちろんコタツから出る様な事はしない。

「文句があるなら、そこから出て言いなさいよ……」

 青髪女神がそう言えば、少年は遂には頭までコタツの中に引っ込んでしまった。意地でも外に出るものかと、態度で示す引き籠りっぷりである。

 そして、少年の代わりにコタツの中から一匹の猫が姿を現す。

「うん? ちょむすけではないな。どこからか迷い込んだのか……?」

 最初は魔法使いの少女の飼い猫かと思った女騎士だったが、かの黒猫はコタツの上で丸くなって緩い顔をしている。コタツの中から現れた猫は茶虎の毛並みをしており、日の陰る室内だと言うのに酷く細い瞳孔の眼をしているので、まったく別の猫であろう。

 女騎士は自分の事を気だるげな眼で見て来る茶虎の猫を構おうと、抱き上げる為に両手を伸ばして――

「ダクネス、その子は持ち上げない方が良いよ」

「え……? ふぐっ!?」

 ミカンを剥いていた召喚士が忠告を発したが時すでに遅く、女騎士は持ち上げようとした姿勢で固まり、その腰がぐきりと嫌な音を立てた。

「おもっ、重たいっ!? 腰が、腰っ!? い、痛くて気持ちいいいいい……」

「……その子は、ヨーちゃんだよ。元の姿のままだとコタツに入れないから、ルーン魔術で姿を変えさせてたんだ」

 腰を押さえてビクンビクンする女騎士に構わずに、すっかり綺麗にスジ取りされたミカンを口に放り込む召喚士。そのそっけない態度にも、女騎士は興奮してさらに身体を痙攣させるのだった。

 そんな人間達が騒ぐ姿を一瞥した大蛇が変じた茶虎猫は、眠たげな顔のまま暖炉の前に行って丸くなってしまう。姿が変わっても、怠惰な性格は全く変化しないようだ。ただし、足音はズシンズシンと重量級である。

 閑話休題。

 高い耐久力のおかげで腰の痛みから復帰した女騎士は、魔法使いの少女と共についに実力行使へと打って出た。

「カズマの国の暖房器具が優秀なのは理解しました。でも、そろそろ活動を再開しましょう?」

「そうだぞカズマ。ほら……」

 コタツの中に隠れてしまった少年を表に誘う為に、少女が説得を続け女騎士が布団をまくり上げる。優し気な声音と共にコタツの中を覗き込んだ女騎士は、次の瞬間内部から触手の様に繰り出された少年の腕から、首筋に思い切り冷却呪文を浴びせ掛けられた。

「にやあああああん!!??」

「こ、この男、反撃してきました!? カズマ、いい加減にしてください! これ以上抵抗しないで大人しく――」

 魔法使いの少女も布団に手を伸ばすが、布団をまくり上げる前に中から伸ばされた少年の手に捕まり、今度はドレインタッチで体力と魔力を吸い上げられる。

「うわっはあああ!? いっったぁい……、あたまが……あたまが……」

「うーわー……」

 突然の吸収に驚いた少女は、そのまましめやかに転倒。後ろ頭を思い切り打って、頭を抱えながら悶絶する事となる。その様子を見ていた青髪女神は、少年のあまりのせこさにドン引きして、女神がしちゃいけない類の顔をしていた。

「この俺を甘く見るなよ。魔王の幹部や数多の大物達と渡り合ってきた、カズマさんだぞ! もっとレベルを上げてから、出直して来い!」

「……僕は、カズマが行くなら出掛けても良いよ。はいカズマ、ミカン」

 わざわざこたつから頭を出して、悶絶する二人を挑発する最弱職の少年。そんな少年の口にミカンを持ってく召喚士も、今の所外に出るつもりは無さそうだ。少年は差し出されたミカンをあーんっと頬張り、余裕たっぷりに咀嚼して見せている。

「くっ、そんな小手先の技にこの私が屈服するとでも思って――にゅうううん!?」

「我が魔力を勝手に奪うなど、万死に値し――ああっはあっ!? また打った……」

 女騎士と魔法使いの少女の二人は果敢にコタツの中の魔物に挑んだが、悉くが小癪な戦法で返り討ちにされてしまう。魔力と体力を吸われた少女は床にうつ伏せに倒れ込み、女騎士は力無く仰向けに倒れて悩まし気に息を荒くしていた。もちろん女騎士は、色々な方法で責められて喜んでいた。

「ぬへへへへへっ……、今の俺は誰が相手でも負ける気がしない――ぬっ……!?」

 こたつから頭と腕だけ出して、両手を卑猥に蠢かせていた少年が、突如何かに気が付き動きを止める。その貌は、深刻な事態の為か酷く狼狽している様に見えた。

 その余りの動揺ぶりに、倒れ伏していた二人も思わず少年に目を向けてしまう。そんな二人に、少年は声を震わせながら語り掛けていた。

「おい、緊急事態だ。虫が良いとは思うが、ちょっとだけ休戦しよう。悪いんだが、二人でコタツの下のマットを持って、このままトイレの前まで運んでくれないか?」

 そんな事を宣った少年に、倒れていた二人は粛々と立ち上がり、言われた通りにコタツの下のマットを両側から持ち上げ始める。

 ちなみに体力が無い召喚士は元々選考外で在る為、邪魔にならない様にコタツから出て、ついでにミカンと黒猫を抱えて青髪女神の方に退避していた。

「お……、意外と素直だな?」

「この男は、コタツごと外に捨ててしまいましょう」

「そうしよう。アクア、ちょっと窓を開けてくれ」

 そういう事になった。

 頼まれた青髪女神は面倒くさそうにブチブチ言いながらも、窓自体はしっかりと開け放ってくれた。彼女もまた、コタツムリには思う所があったのだろう。

 開け放たれた窓に向かって、コタツごと少年を運び、二人は息を合わせて投げ捨てる準備を始める。色々嫌がらせされたのも合わさって、二階から人を放り投げる事に全く躊躇は感じられなかった。

「や、やめろお! お、お前らには人の心が無いのかよ!? お、お、おい、やめっ!? 待って、待てっ!」

「「せーっのっ!!」」

「いっ、やはははーっ!?」

 力を合わせて投げられたコタツ入り少年は、かなりの距離をまっすぐ飛んで屋敷の庭へと落着した。コタツムリ討伐クエスト、完了である。

「……じゃ、お出かけの準備しようか。アクアも、一人仲間外れでお留守番はいやだよね?」

 少年が外に出たので、召喚士も青髪女神を唆して出掛けるつもりになったらしい。何やかんやと時間はかかったが、本日は新春初のクエストへと赴けそうである。

 

 

 そうして出かけて行った最弱職の少年のパーティ一行。寒い寒いと文句を言う青髪女神を宥めながら、最初に向かったのは冒険者ギルドでは無く、商業区にある武具屋であった。

 最弱職の少年は仮面の悪魔に持ちかけられた商談の事もあり、少年の世界の便利グッズや家電製品などを本格的に再現する為、鍛冶スキルや裁縫スキルを習得していた。なにかと横から口を出して来る召喚士の助言も受け入れ、商品開発と発展は順調に進んでいる。

 その縁で知り合った武具屋の主人に、新しい武器や防具の作成を依頼しており、せっかくクエストに出るならとその受け取りに向かったのだ。

 そうして作り出された少年の新しい相棒。それは、少年の拙い知識で無理矢理再現した刀である。それを腰に差して格好をつける少年の姿は、それなりに見栄えする物になり、仲間達は最初の内は感嘆の声を漏らしていた。

 だが、今までの獲物との長さの違いを把握できておらず、やたらとそこらの物に引っ掛けて難儀する事になる。それを見て、仲間達の視線はすっかりと冷めたものに変わってしまい、召喚士は指差して笑い転げていた。

 ちなみに、同時に作成を依頼していたフルプレートメイルは、重すぎて装備出来ず返品の憂き目を見る。自らの残念な性能に落ち込む少年は、仲間達どころか武具屋の主人にまで同情的な視線を送れる始末。

 もちろん、召喚士は笑った。指差して涙目になりながら大爆笑だ。

 そんな事も在ってから冒険者ギルドにやって来た少年は、思っていたのとは違う現実に打ちのめされ酒場のテーブルに突っ伏して項垂れている。その前では、早くもお腹を空かせた魔法使いの少女が、小リスの様にカエルのから揚げを貪っていた。召喚士は笑い過ぎてお腹が痛くなったダメージで、少年の隣に座りながら瀕死状態である。

「ずいぶん短くなりましたね、相棒」

「うるさいな! せめて名前ぐらいはカッコイイのを付けてやりたい物だが……。ムラマサ……、マサムネ……、コテツ……」

 あまりにも引っ掻ける事が多いために、少年の刀はショートソードの様な長さにまで短縮されている。これではまるで脇差だ。

 そんな相棒の名前に、最弱職の少年は優柔不断に悩み続けていた。それを見て何か思う所があるのか、魔法使いの少女は副菜のアスパラをカジカジと齧りながら何やら思案している。

「カズマー! めぐみーん! おーい! おーい!」

「良いクエストが在ったぞ」

 そんな二人に向けて、クエストを探しに行っていた青髪女神と女騎士が、手を振りながら声を掛けて来た。名前は決まっていないが、せっかく青髪女神がやる気になっているならと、少年はさっさと席を立ちあがってそちらへ向かう。

 魔法使いの少女も皿の上の残りを手早く口の中に詰め、そして立ち上がろうとして顔を上げた所で召喚士に一枚の札を差し出されているのに気が付いた。その札は、武具屋で渡された装備に銘を刻み込む、魔法が掛けられた札である。いつの間にか、少年の持ち物から抜き出したのであろう。

「……カズマだと永遠に名前が決められそうにないから、ね?」

「もぐもぐもぐ……。ん、ふう……。任されました」

 二人は同時に親指を立てて突き出しあい、それから少年の後を追ってパーティが全員集合する。

 その後、いつもの受付嬢からクエストの説明を受けていた途中、勝手に名前を付けられてしまった少年が絶叫したのは言うまでもない。

 銘刀、ちゅんちゅん丸の爆誕である。紅魔族のカッコイイの基準は計り知れず、召喚士は大いに笑うのであった。

 

 

 リザードランナーと言うモンスターが居る。姿は二足歩行するエリマキトカゲが大きくなったままの格好で、特に害になる様な危険性は無い。ただし繁殖期になると生息地を爆走し、姫様ランナーと言う雌を求めて、複数の雄達が一番足の速い王様ランナーを決めると言う特殊な性質を持っているらしい。

 ギルドで受付嬢が、その豊満な胸を揺らしながら身振りして説明してくれた情報を元にして、最弱職の少年は今回ばかりはしっかりと作戦を立ててクエストに挑んでいた。

「皆、用意は良いな!? よし、手筈通り行くぞ!」

 リザードランナーの生息地域にて、小高い丘の上に一本立派に育った大木を見つけ、その上に上った少年が改めて自身のパーティメンバーへと作戦を伝えて行く。

 最弱職の少年の立てた作戦は、至ってシンプルであった。まず、木の上に上った少年が姫様ランナー及び王様ランナーを弓矢で狙撃。それに失敗したとしても、魔法使いの少女が爆裂魔法を撃ち込み群れ全体を撃破する。更にそれが失敗したとしても、青髪女神の補助魔法を受けた女騎士が足止めし、控えていた召喚士が巨躯の狼と大蛇を使い各個撃破して行く。青髪女神は最後尾に控えて、全体の補助を行う。

 正に完璧な作戦計画だと、少年は心の中で自画自賛していた。

「こっちは何時でも大丈夫よ!」

「うん。アクアの支援も掛けてもらったし、これなら何匹でも耐えられる!」

「撃ち漏らした時は、この私に任せてください。皆纏めて吹き飛ばしてあげます」

「……ヨーちゃんが、『コタツを作ってくれた礼はする』って言ってるよ」

 仲間達の士気もおおむね良好。予測不可能な事態が起こらない限りは、早々失敗する事は無いだろう。

 木の上から千里眼のスキルを発動して、対象のモンスターの群れを確認。集団の先頭を走るのは一匹だけ色の赤い個体で、おそらくはアレが姫様ランナーだろうと当たりを付ける。

 しかし、他の全ては全て同じ配色で特徴も無く、どれが王様ランナーなのか判断が付かなかった。なので少年は、素直に仲間達に頼る事にする。

「おーい、アクア。王様はどいつなんだ?」

「一番豪そうなのが王様なんじゃないの?」

 とりあえず一番近くに居たので頼ったのだが、知識等の情報はやはり青髪女神には荷が重い。こういうのは魔法使いの少女か召喚士に頼るべきだったと少年は後悔した。

「お前に聞いた俺が馬鹿だった……」

「そうだわ! 王様ってのは一番速いわけよね? モンスター寄せの魔法であいつらを呼んで、一番にここに辿り着いたのが王様よ!」

「ああん? ああ……。は? ちょっ!? おい、お前は何を言って――」

 また青髪女神が何か言い始めたと適当に聞き流していた少年だったが、話を理解した瞬間に制止の言葉も待たずに彼女は有言実行してしまった。

「『フォルスファイア』ッ!」

 青髪女神の掌から放たれた輝く炎が上空へと昇って行き、その光を見た走りトカゲ達が動きを止める。そして、猛烈な敵意を持って、青髪女神めがけ群れの全てが走り出した。その速度は今までの比では無く、あっと言う間に距離を詰めて来る。予想外の事態が起こった。

「「「速っ!?」」」

 迫り来るトカゲ達のあまりの速さに、少年と少女、そして女騎士は思わず声を上げる。唐突な事態に動揺し、何よりもトカゲ達の速さに驚愕してパーティ全体が混乱した。

 何よりその混乱が顕著に表れたのは最弱職の少年。最初に立ち直るべきリーダーである彼は、混乱のあまり青髪女神を罵倒する事を選んでしまった。

「いやー!? このクソ馬鹿!! 毎度毎度何かやらかさないと気が済まないのか、お前は!? 王様と姫様だけこっそり討ち取れれば無力化できるのに、なんでわざわざ呼び寄せるんだ!?」

「な、なによいきなり! 私だって役に立とうとしてやってる事なんだから怒んないでよ!! どうせこの後の展開何て何時もの事でしょ! きっとあのランナー達に私が酷い目に合されて泣かされるんでしょ!? わかってるわよ! 何時もの事よ! さあ、殺すなら殺しぇええええっ!! うわっはっはああああっ!!!」

 罵倒された女神は逆切れしながら泣き喚き、更にはヤケクソになって大の字に寝転がってしまう。自分のキャラクターと言う物を理解していると言うべきか、こんな状況でも理性的に動けないと言うべきか。これこそ正に、愚の骨頂と言う物である。

 あまりにも酷い様を見ると、逆に冷静になると言う物で、少年は混乱から立ち直る事が出来た。

「そんな所で寝るな! 本当に踏まれて、死ぬぞ!!」

 言いながら番えた弓を引き絞り、放つ。最弱職の少年が狙撃スキルを使い撃ち出した矢は、高い幸運に導かれる様に群れの中で一番足の速い雄の額に直撃した。

 自身の勢いと矢の威力で即死した仲間の死体を避けて、しかし他の雄達は一層走る速度を速め出す。むしろ、より攻撃的になって迫って来ていた。

「おおい!? 王様っぽいの倒したはずなのに、かえって凶暴になってるんだけど!?」

「王様を先に倒すと、新しい王様ランナーになれるチャンスが出来たトカゲ達が張り切り出すわよ……。倒すなら先に姫様ランナーから倒さないと……」

「先に言えよ!?」

 小出しで与えられる情報になど、現状ではまったく意味はない。ありがたい情報なのは確かだが、この女神に言われるとどこか腹が立つ少年であった。不貞腐れながらそんな事も知らないのかと言うニュアンスで言われれば、小馬鹿にされている様にしか聞こえないのもさもあらぬ。

「任せてください!」

「おおっ、めぐみん!」

 そんな少年と女神のやり取りを他所に、自信満々に迫り来るトカゲ達の前に立つのは魔法使いの少女。彼女は素早く混乱から立ち直り、密かに爆裂魔法の詠唱を終わらせていたのだ。

「わっはっはっはっはぁっ! 我が爆裂魔法を食らうが良い! 『エクスプロージョン』ッッ!!」

 杖を構えてさあ発射、と勇ましく吠えたはいいが魔法は発動せず。魔法を使えなかった少女は杖を抱きしめ、涙目になって最弱職の少年に報告をしてくる。

「魔力がぁ!! カズマぁ、爆裂魔法発動に必要な魔力が足りません!」

「はぁ!? 何でこんな時に――って、俺のせいかー!!??」

 出かける前にコタツムリと化して、散々魔力を吸っていたのは最弱職の少年であった。その事に気が付いて、思わず頭を抱えて絶叫してしまう。

 文字通り成す術がなくなった少女は、迫り来るトカゲ達に背中を向けて走って逃げだす。何時もはさっさと動けなくなってしまうので、必死になって逃げる彼女はの姿はなかなか珍しい光景である。

「ふっはっはっはっは!! 来ーい!!」

「……フーちゃん、めぐみんの回収に行くよ。ヨーちゃんは、ダクネスと一緒に足止めをお願いね」

「おおっ、ダクネス! ロー!」

 逃げ遅れそうになっている魔法使いの少女を、巨躯の狼に乗った召喚士が回収に向かう。襟首を咥えてさっさと回収を済ませ、巨躯の狼はそのまま女騎士の傍らをすり抜けて安全な場所まで後退する。

 迫り来る大量のトカゲ達は勢いを止めず、両手を広げて迎え撃つ女騎士に突っ込んで行く。彼女は最早剣すら装備してはいない。全ての攻撃を己の体で受け止めようと、期待と興奮で輝かしい笑顔を浮かべていた。

 そして、案の定数の暴力に巻き込まれ蹂躙される。

「だあああああ!!!」

「わああああ、カズマさん!? かじゅまさん!?」

 女騎士は嬉しそうに悲鳴を上げ、寝転がったままでいた青髪女神もトカゲ達の群れに飲み込まれる。魔法使いの少女と召喚士は巨躯の狼に連れられて逃げおおせていたが、飲み込まれた二人は容赦なくトカゲ達に踏まれている様だ。

 ちなみに、女騎士と共に足止めに残った大蛇だが、とぐろを巻いて鎌首を擡げる彼の周囲には、トカゲ達は一切近寄っては来なかった。どうやら大き過ぎてあまり動かないので、トカゲ達には障害物としか認識されなかった様だ。

 あまりにも敵が襲ってこないので、仕方なしに首を伸ばして一匹だけをパクリと飲み込む。そして、それ以降は面倒くさくなったので、大蛇は考える事を止め、寝た。春先の寒さは変温動物には辛いのである。

 さて、戦況は混迷を迎えたが、最弱職の少年は諦めてはいなかった。木の上から敵の姿を眼で追いつつ、揉みくちゃにされる女騎士に声を掛ける。

「ダ、ダクネス、もうちょい耐えてくれ! 今、コイツを仕留めるからっ!」

「おっ、おお、お構いなくっ! ははっ、ゆっくりでいいぞ! あぐぅんっ!」

 何だか嬉しそうにサムズアップしているので、女騎士の心配はしなくてもいいだろう。青髪女神もなんだかんだ言ってステータスが高いので、今は救出せずに放置を決める。

 腰の矢筒から新たな矢を取り出して弓に番え、大木の周りを周回してもう一度接近して来る先頭集団へと狙いを定める少年。もう既に一端の弓手の風格を見せながら、引き絞られた弓がきりりと軋む。

 と、そこで狙われている事に気が付いたトカゲの姫様が、少年を睨み付けながら飛びあがった。そのまま怪鳥の様な奇声を上げて、トカゲの癖に飛び蹴りをかまそうと急降下して来る。

 少年は流石に驚いて一度は構えを解いたものの、慌てずに再度弓を弾き搾りしっかりと姫様の眉間へと狙いを付けた。深く息を吸ってから呼吸を止め、発動の為にスキルの名を呼ぶ。

「すー……。『狙撃』ッ!!」

 放たれた矢は真っ直ぐに打ち上げられ、カウンターの要領で飛び込んで来る姫様の眉間に突き刺さり絶命させる。中空で力の抜けた体が仰け反って背中を見せ、そのまま落下して行くのを確認して少年は勝利を確信した。

「紙一重だったな……。ん? おおっ!? なああああっ!?」

 格好つける為では無く、内心ビビっていたために思わず呟いてしまった囁きが、途中から驚愕の物へと変わる。勢いのついた姫様の死体が、そのまま少年の登っている樹の幹に衝突したのだ。完全に油断していた少年はその衝撃に耐えきれず、足を滑らせて木の枝から落下してしまった。

「あ……。あ……。あっ……、ぐべぇっ!?」

 そのまま、地面に向けて真っ逆さまに墜落した少年は、ものの見事に首から着地し其のまま動かなくなる。下にアレだけいたトカゲ達は、落ちてくる少年に気が付くとササッと素早く避けてしまいクッションにもならなかったのだ。

「か、カズマ!? 大丈夫ですか!? アクア、カズマが変な態勢で落ちました! 回復魔法を……――」

 どこか遠くから魔法使いの少女が叫んでいる声が聞こえたが、それも直ぐに聞こえなくなり意識が霧散した。

 

 

 気が付くと最弱職の少年は、無限に闇が広がる場所に立ち尽くしていた。背後には小さな椅子が一つあり、少年の姿は緑のジャージ姿に変わっている。

 そして目の前には、豪奢な椅子に腰かけながら困惑した表情を浮かべる美しい銀髪の少女が一人。

「気を付けて生きてくださいね。以前規約を曲げて生き返らせた時、凄く苦労したのに……」

「すいません。今回に関しては、何も言えません……」

 右頬を指先でぽりぽりと掻く癖を見せながら、使者の魂を導く幸運の女神は少年に向けて苦言を零す。今回の死にかたに関しては、油断以外の何物でもないので、少年は腰を直角に曲げて頭を下げ謝罪した。

「はあ……。冒険者と言うお仕事をしていらっしゃるのですから、危険が付き纏うのは分かりますが……。今回は油断し過ぎですよ」

 少年の素直な謝罪を見せられて、銀髪女神は深いため息を零す。呆れたと言うよりも、しょうがない人だなぁと少年の事を定義した様だ。少年の心構えを正そうと、更に注意の言葉が飛んで来る。

「えっと、俺が死んだ後、皆大丈夫でしたか?」

「ええ。あんな所に寝ころんでいた先輩は、トカゲ達に踏まれたり蹴られたりして、途中から泣いて居ましたが。ダクネスが耐えている間に、姫様ランナーを倒された群れは解散してしまいました」

 面と向かってお説教されるのがなんとなく恥ずかしくて、少年は話題を逸らす為に仲間達の安否を尋ねる。そして、例え回避の為の話題でも仲間の無事を知らされて、少年の顔には喜色が浮かぶ。

「めぐみんさんとローさんも、あの大きな狼に守られて無事です。今は先輩が、あなたの体を修復しています」

「よかったぁ……。そういう事なら、このまま暫く待たせてもらって良いですかね?」

 仲間全員の無事が確認できた少年は、心底ほっとした様に椅子に深く腰掛けた。返事も待たずに、堂々と居座る気満々である。

「構いませんけど、ずいぶんと落ち着いていますね」

「まあ、この展開もいい加減、何度も経験しましたし」

 日本で一回。この世界で二回も死んでいれば、そろそろ慣れて来ると言う物だろう。それに、死ぬ度にこんなに綺麗で可愛らしい女神に会えるなら、それはそれで役得だろうと少年は考えていた。

 美少女と二人きりで居る事を意識したら、急に間が持たなくなってしまったので、気恥ずかしくなった少年は慌てて会話を絞り出す。

「……こんな何もない部屋にずっと居て退屈なんじゃあ……?」

「私が退屈しているという事は、それだけ皆さんが元気でいると言う事。暇に越した事はありませんからね」

 そう言って屈託なく笑う銀髪女神に、少年の胸は一際強く高鳴った。こう言う王道的な優しくて清楚な女性は、今まで知り合った女性達の中にはいない貴重な存在で、彼女は少年の心に強く訴えかけるものがある。

 心の中で思い返す少年の仲間達。皆外見は良いと言うのに、揃いも揃って一癖も二癖もあるポンコツぞろい。一人に至っては、未だに男か女か良くわからない始末だ。

 それと比べると目の前の美少女はどうだ。これぞ正に女神ではないか。メインヒロインは彼女であると、少年は心の中で大絶賛である。

「実はですね、私もずっとここに居る訳では無いんですよ。たまに、こっそりと地上に遊びに行ったりしてるんです。この事は……、内緒ですよ?」

 まるで少年の心にトドメを刺すかの様に、人差し指を立てながら片眼を閉じてあざとく責める女神様。少年は瞳を見開いて、その姿の愛らしさに感動していた。

「『かーずまー、カズマ聞こえるー? リザレクションは掛けたから、もうこっちに帰って来れるわよ。エリスに門を開けてもらいなさーい!?』」

「………………ちっ……!」

 突如黒い世界に響いてきた青髪女神の大音声に、最弱職の少年は露骨に舌打ちをする。せっかくメインヒロインと思える女性と過ごしていると言うのに、相変わらず邪魔をしてくる青髪女神には心底怒りが沸いていた。

「もーちょっと後で良いよー! エリス様と色々話とかしたいし、俺の体を大事に取っといてくれー!」

 以前の経験からどうせ声は伝わるだろうと、少年は黒い世界の上空に向かって声を張り上げる。自分と話をしていたいと言われた銀髪女神は、少年の言葉に驚いてほんのりと頬を染めていた。

「『はぁっ!? ちょっと、馬鹿言ってないで早くこっちに帰って来なさいよ! さっさと帰って来て、私を天界に返す為に魔王をしばいて来てちょうだい!!』」

 自分達より他の女を優先すると言われた青髪女神は、もちろん激昂して喚き散らす。少年も銀髪女神も、その喧しさに思わず両手で耳を塞いでしまう程だ。更には余りの声量に、何も無かったはずの世界の天井に罅が入って青い光が漏れだしてきていた。

「『ちょっとー、カズマー? 聞こえてんのー? エリスも、あんた何言ったのよ!』」

 耳を塞いだままで少年は思案する。青髪女神が言った様に、あの世界に戻れば魔王討伐を目指してまた色々と苦労するのは確定事項だ。

「『カズマ、騙されないでよ。そいつはパッド女神なのよ! 言ってる事だって、どこまで信用できるか分かったもんじゃないわ。きっとあらゆる事を胸と同じ様に盛ってるんだから気を付けなさい』」

 何故、何の力も道具も無い自分が、何度も何度も死ぬ思いをしながら魔王軍と戦わねばならないのだろうか。しかも、仲間には苦労ばかりを掛けられて、つい最近までは借金苦にまで喘いでいたのだ。

「『なんなら、パッド以上にもっと凄い事教えてあげても良いわよ。そのパッド女神はね、本当は――』」

「……っ、……っっ!! あ、あの! カ、カズマさん!?」

 このまま生き返ったとしても、良いことなんてこれっぽちも無いではないか。鬱積する疑問が、少年の心を一つの結論へと導いた。

「おい、アクアー! 俺もう人生疲れたし、生まれ変わって赤子からやり直す事にするわー! 皆に、よろしく言っといてくれー!」

「ええっ!?」

「『アンタ何馬鹿言ってんの!? ちょ、ちょっと待ってなさいよ!!』」

 少年の唐突な決断に、女神二人が同時に狼狽した。せっかく蘇るチャンスをふいにした上に、今までの苦労まで台無しにされるのは、どちらの女神にとっても驚愕に値する事であろう。

 言い出した少年はそんな事はお構いなしに、転生する気満々で銀髪女神相手に転生先の希望を述べて行く。

「それじゃあそういう事なんで、一つよろしくお願いします。あまり贅沢は言いませんが、次も男の子として生まれたいです。あと、綺麗な義理の姉と、可愛い義理の妹のいる家庭に生まれたいです!」

「えええっ!? ちょ、ちょっと待ってくださいね!?」

 それはもう、我儘を越えたただの妄言だろう。謙虚さをかなぐり捨てた少年の要求は置いておくとして、請われた銀髪女神は先輩である青髪女神の手前了承する訳には行かない。出来る事と言えば、ひたすらに狼狽えるぐらいである。

「…………本当に、それでいいの……?」

 このまま乗りと勢いで第三の人生をスタートさせるかと思われた矢先。次の人生に思いをはせる最弱職の少年の背後から、静かな声色で疑問の言葉が掛けられた。

 少年の視線の先で、銀髪女神が驚愕の表情を浮かべている。背後に何かが居るのは間違いなく、少年は恐る恐る背後を確認した。

「…………あの世界は君に優しくはないかもしれないけど、それでも全て捨ててしまえる程簡単に諦められる世界なのかな……?」

 少年に問いかけているのは、仮面の悪魔との戦闘でも呼び出されたドレスの女性であった。長い髪を地面にまで垂れさせて、背中の大きく開いたドレスで豊満な姿態を包み、死んだ魚の様な眼で赤と青の瞳を少年へと向けている。少年はこの女性を、召喚士が呼び出すメイド娘の成長した姿だと認識していた。

 そして、巨躯の狼と大蛇の正体から推測するに、この冥府の女王と呼ばれた女性の正体にも当たりを付けている。

「女神ヘル。管轄外の貴女が、どうしてここに居らっしゃるのですか? 以前は姿があまりにも変わっていたので気が付きませんでしたが、私の領域に無断で侵入したのはこれで二度目ですよね?」

 表情を引き締めた銀髪女神が、ドレスの女性に詰問をする。その言い方から、彼女はドレスの女性の正体を知っており、実際に女神であると断言した。その正体は、少年が予想した物に相違ない。

「…………死後の世界は私の領域。管轄外など存在しない……」

「そんなの詭弁です!」

 いかにも面倒臭そうに放たれた言葉に、銀髪女神は当然の如く反発する。生真面目な性格で規約に拘る所のある彼女には、飄々とするドレスの女性の言動が気に入らない様だ。

「…………それに、今の貴女に話しても意味はない……」

「え? それはどう言う……?」

 さらに追加された言動は、銀髪女神を困惑させる。しかし、それで答えを返す様な殊勝さは、鬱陶しそうにする黒髪の女神には無かった。

 もうそれ以上銀髪女神に取り合う事はせず、ドレスの女性は再び少年へと語り掛けた。

「…………もう一度よく考えて。そして、自分の幸運を信じなさい。あの世界での出会いは、まさしく幸運の賜物なのだから……」

 子供を諭す様な物言いで、しかし頬に優し気に手を添えて囁かれた言葉は、呆然とする少年の胸の内にすとんと落ちて行く。

 そうして、言いたい事だけ一方的に告げたドレスの女性は、現れた時と同じ様に瞬きの間に消え去っていた。

「ああもう! 先輩の女神はどうして皆……、皆もう! もう!」

 翻弄された上に放置されてしまった形の銀髪女神はご立腹だった。椅子に腰かけたまま両手を小さくブンブンさせて、顔を真っ赤にさせてプリプリと怒る。そんな姿も愛らしいですと、少年にそう思わせていた。

 それはそれとして、少年は言われた言葉を心の中で思い返す。本当にそれでいいのかとは、生まれ変わりの事だろうとは解る。だが、幸運を信じろとはどういう事なのだろうか。あんな、ポンコツだらけの仲間達との出会いが幸運の賜物? 鼻で笑うとはこの事だ。

 あんな、ポンコツで、迷惑を掛けられてばかりの、仲間達なんて、どうでも――

「……っ! くそっ、俺また勝手に泣いて……」

「……か、カズマさん?」

 いつぞやの様に、少年の眦からは涙が零れ落ちていた。唐突な様相の変異に、癇癪していた銀髪女神も思わず困惑の声を上げる。

 少年にも訳が分からない事だったが、仲間達の事を思うと勝手に溢れて来るのを止められない。皆の顔を思い浮かべる度に、とめどなく溢れて来るのが止められなかった。

 ちなみにその中に青髪女神は居ない。その事に気が付いて改めて青髪女神の事を考えると、やっぱり涙は溢れてはこない。その代り、口元に笑みが浮かんでいた。

 ぐしぐしとジャージの裾で目元を擦り、最弱職の少年は心境の変化を銀髪女神に伝えようと口を開く。

「すみません、エリス様。俺、やっぱり――」

「『カズマぁ! ダクネスが早く戻って来ないと、アンタの顔に落書きするって言ってるわよ! ペンを片手にウキウキしてるんですけどー!』」

 久し振りに話し出した青髪女神が、ちょっとしんみりし掛けていた空気を粉砕した。

 相変わらずの仲間達の頭のお祭り具合に、流した涙を返してもらいたくなる少年。そんな彼の心を、仲間達は更に抉って行く。

「『あ、ローはカズマの財布に入ってる割引券を、全部燃やしちゃうって言ってるわ! ねえ、それなんの割引券なの? え、カズマが大好きなお店の割引券?』」

「ちょお!? それは本当に止めろー!!」

 割引券はどうでも――良くはないが、あのお店の事が女性陣にばれるのは不味い。例え転生したとしても、他の男冒険者達に本当に面目が立たなくなってしまう。

 慌てる少年を他所に、追い打ちは最高潮を迎えた。

「『ん、めぐみん何してるの? カズマの服をどうする――えっ、めぐみん!? ちょっと、めぐみん!?』」

「おい、やめろよ! 俺の体に何してんだ!? 仏さんに悪戯すんな、罰当たるぞ!!」

 最早少年の顔には悲壮さも笑みも無く、仲間に振り回される何時もの顔になっている。だが、これが一番『らしい』表情だろう。シリアスよりも、この騒ぎ様が少年と仲間達『らしい』。

「『めぐみん、めぐみん! ちょ、カズマさん! 早く来て、早く帰って来て!!』」

「おい、やめろ! アクア、めぐみんを止めろ! 止め――え、エリス様、おねがいします、門を開けてください!!」

 一度は自分を転生してくれとさえ言った少年は、もはや第二の人生など気にも留めずに必死に帰還を望み出ていた。

彼と仲間達のやり取りが小気味良くて、銀髪女神はクスクスと楽しげに笑いながらパチリと指を鳴らす。

 次の瞬間には少年の足元から青白い光が沸き上がり、彼の体を粒子と共に上空へと昇らせて行く。この浮遊感も三度目と慣れた物で、少年は自分を見送ってくれる女神に視線を向けた。

「それではカズマさん。もうここには来ない事を、陰ながら祈っています」

「エリス様、俺は……!」

 優しい微笑みと共に、例え会えなくても元気でいてほしいと言って来る。自身を気遣う為の言葉だとしても、少年は何とか思いを伝え様と言葉を放つ。

「では、いってらっしゃい」

「パッドも好きですよーーーー!!」

 伝えるべき言葉はそれでよかったのだろうか少年。

 そうして、天空に渦巻く光の乱舞の中へと、最弱職の少年は吸い込まれ消えて行った。

 

 

 ふと目が覚めると、目の前には眦に涙を溜めた魔法使いの少女の姿があった。彼女は最弱職の少年の上に馬乗りになり、両手で彼の服をやや乱暴に着つけさせている。

 空はすっかり茜色に染まっており、少年が倒れてからそれなりの時間が立っているのを感じさせていた。見上げる少女の瞳も、茜色の空に負けないほど赤くきらめいている。

 とりあえず少年は、直ぐに動かせる口を使って思っている事を伝える事にした。

「おい、何やってんの? お前は爆裂狂な所と名前を除けば、唯一常識的な奴だと思ってたのに。俺にいったいなにした?」

 魔法使いの少女は少年の問いかけには直ぐに答えず、不機嫌そうな表情のまま立ち上がり少年を見下ろす。そして、少しずつ視線を逸らしながらそっぽを向きつつ、少年の言葉に彼女は答えて行った。

「おい、私の名前に文句があるなら聞こうじゃないか。……帰らないとか、馬鹿な事言ってるからですよ。次にそんな馬鹿な駄々捏ねたら、もっと凄いことしますからね」

 それきり背中を見せて、魔法使いの少女は沈黙してしまった。

 少女が退いた事により自由になった少年は、立ち上がりつつ周囲を見渡し状況を確認しようとする。そして、視線を向けた先で、顔を両手で覆ってしゃがみ込む女騎士を見つけた。何やら呻いているが、どうも少年の方を見ないようにしているようだ。

「あんた、神聖な女神様の口から何言わせる気……?」

 両手を組んで憮然としている青髪女神に、問い掛ける様な視線を送ったが、答えは芳しくなかった。彼女もそれきりそっぽを向いてツンとしてしまう。

 最後に、召喚士がポンと少年の肩に手を乗せて、ぐっと親指を立てて見せて来た。強く生きろとでも言いたいのだろうか、しかしその行為は少年の混乱を増長するだけである。

「俺、ほんとになにされたの?」

 その少年の言葉に応える者は居ない。小高い丘の上で、とぐろを巻いた大蛇が怠惰に欠伸をするばかりであった。

 

 

 その日の夜半。

 屋敷にようやくと戻ってから、のんびり風呂にでも浸かろうかと思って玄関で装備を外していると、ふと女騎士が物陰から観察してきているのに気が付いた。

 視線を向けて目が合うと、彼女は顔を赤くしてあたふたと逃げ出してしまう。なんだかなぁと思いながらも、最初の予定通りに風呂場へと向かう。

 お湯を沸かす魔道具に魔力を込めて、湯船になみなみと湯を張り終わらせ。服を全て脱いで気分も良く鼻歌を歌いながら、ふと何とは無しに姿見にか映った自分の姿を見た所で――

 ようやく少年は自分の体に起こった事態に気が付いた。

「めぐみん! めぐみんは何処だ!?」

 腰に手拭いを巻き付けただけの格好で、最弱職の少年はリビングの扉を跳ね開けて室内へと滑り込む。寝間着姿の青髪女神が寛ぐソファーに一緒に座り、適当な雑誌を読んでいた女騎士が、少年の言葉に応えながら少年へと視線を移す。

「めぐみんなら、何日かゆんゆんの宿に泊まって来ると言っていた――ああああああああ!!!???」

「うるさーい!!」

 視線を移して直ぐに、ほぼ全裸の少年が目の前に居る事に気が付いた女騎士が悲鳴を上げて、怒り心頭だった少年は理不尽にも彼女を罵倒する。

 再び両手で顔を覆ってしまった女騎士を他所に、呆れた様な視線のまま寛ぐ青髪女神が少年に語り掛けた。

「ねえカズマ」

「なんだ!?」

「自分に自信があるのは良い事だけど、そう言った自己主張はどうかと思うわ」

「ば、馬鹿! お前、めぐみんが俺の体にこれ書いてる時、一緒に居たんだろうが!!」

 青髪女神の的外れな言葉に、少年は更に激高して自身の腹部を指さしながら訴えかける。少年の裸身の腹部には、ペンを使ってでかでかと落書きが施されていた。その文字を少年読み上げながら怨嗟の叫びを上げる。

「ち、ちくしょおおおおおっ!! ぬぁにが!! 聖剣エクスカリバーだあああああああ!!!!! あ……」

「…………フッ……」

 叫ぶ余りに緩んだ手拭いが少年の腰から落ちて、丁度視線の先に少年が居た青髪女神は、何をとは言わないが鼻で笑った。何をとは言わないが。

「ぶっ。くっ。くふっ、くはっ……! あはは……く、くるしい……!!」

 一連の流れをコタツに入りながら見ていた召喚士は、遂に堪え切れなくなって腹を抱えながら蹲ってびくんびくんと痙攣する。また笑い過ぎてダメージが発生し、一人で勝手に瀕死になっている様だ。

 何処までもやかましい少年達の騒ぎを横目に、再び猫の姿になった大蛇はじっと誰も居ない筈の部屋の一角を見る。そから、にゃあと見えない誰かに声を掛けてから、暖かいコタツの中に潜りこんで行った。

 きっと、この屋敷のもう一人の住人も、この騒がしい連中が帰ってきた事を喜んでいるに違いない。

 

 




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第十八話

もっと早く書けるようになりたいですね。
今回はおまけつき!


 走りトカゲの討伐、最弱職の少年が蘇ってから次の日。

 少年達の屋敷には、朝からのっぴきならない大音量の叫び声が響き渡っていた。叫んでいるのは少年自身。その声には、地獄の底から燃え上がる様な、どす黒い怨嗟の色が強く塗りたくられている。

「あんの……ロリガキがああああああああああああ!!!!」

 屋敷のリビングの暖炉前の特等席。ソファーに寝間着姿で寛ぐ青髪女神と、同じく姿勢良く座る女騎士の前で、ジャージ姿の少年は感情を爆発させていた。いかに自分が怒っているのか、身振り手振りも加えてままなら無い憤怒を煮え滾らせる。

「屋敷に帰ってきたら剥いてやる! 絶対に! 絶対にだ! そして、勝気なアイツですら『もう、許してください……』と泣き叫ぶ目に遭わせてやるっ!!」

「そ、その、めぐみんでも泣き叫ぶような目について詳しく!」

 それを聞かされる女騎士は、食い気味に過激な発言の詳細を知りたがる。頬を赤らめ瞳をキラキラさせながら、涎をたらさんばかりの表情でハアハアと興奮していた。

 対して、青髪女神の方はさもうっとおしいとばかりに、半眼になって頬杖を突いている。

「朝から煩いわよ。皆私みたいに落ち着きなさいな。私なんて昨日屋敷に帰って来てから、お風呂の時以外ずっとここから動いていなわよ」

「そこで一日中、食っちゃ寝しているダメ人間に言われたくないぞ!」

 あまりにも得意げに自分の怠惰さを誇るものだから、少年は当然の如く青髪女神に反論する。そのコントの様なやり取りをコタツの中で眺めていた召喚士が、くすっと笑って口を挟んで来た。

「……まあまあ、めぐみんもほとぼりが冷めるまでは帰って来ないと思うよ。そんなに怒っていても疲れるだけだし、コタツでミカンでも食べてた方が建設的じゃないかな?」

「怒るなだって!? んなこと出来るかっ! 接着剤が乾いて、あの後風呂場で大変だったんだからなっ!!」

 コタツにのんびり座りながら設計図に注釈を書き加えている召喚士の言葉に、少年は怒りながら半泣きになりそうな顔で訴えかける。何処とは言わないが、魔法使いの少女に接着剤を使われて非常に難儀したらしい。それを聞いて、使われた場所を想像した召喚士は、あらまあと口元に手をやり説得を諦めた。

「ちくしょうっ! アイツ絶対許せねぇ! 今から泣き喚く姿が目に浮かぶようだぜぇ!!」

「その泣き喚く様な事に付いて詳しく!!」

 もう両手をワキワキさせて、遂には報復時の事を想像したのか不気味に笑い始める少年。その下劣な笑みに興奮を強めて、女騎士は更に食い下がる。

 そんな時、最弱職の少年の耳が屋敷の玄関戸の開かれる音を拾う。こんな朝っぱらから屋敷を訪ねて来る人間など、ついぞ心当たりは無い少年はすぐさまそれを魔法使いの少女の立てた物だと推測した。

「帰って来やがったのか!!」

「詳しく!!」

 思うが早いか、少年は低ステータスを置き忘れたかの様な猛スピードで廊下への扉へ向かう。女騎士が諦め悪く詳細を求めて来るが、そんなものは怒り心頭の少年は完全無視だ。

 衝動のままに叫びながら玄関に向かうべく、リビングの戸を跳ね開ける。

「めぐみん、てめえ!!!」

「フハハハハ! 頭のおかしい紅魔の娘だと思ったか? 残念、我輩でした!」

 廊下に飛び出そうとした少年の目の前に、黒い燕尾服姿の仮面を付けた長身の男が立っていた。もう嫌と言う程存在感を叩き込まれている、元魔王軍幹部の仮面の悪魔である。

「ポンコツ店主に代わり、目利きに定評のある我輩が商談に来た。さあ我輩の登場に喜びひれ伏し、当店に卸す商品を見せるが良い!」

 予想外の悪魔の登場に呆然とする少年の鼻先に指を突き付け、仮面の悪魔はズイズイとリビングに押し入って来る。両手を広げてまるで芝居の様に語るこの悪魔は、今日も絶好調で人の悪感情を食していた。

 そんな悪魔の跳梁を、絶対に許せない者がこの屋敷に居る。ソファーに座っていた青髪女神は、仮面の悪魔の声を聴くとゆらりと体を起こして幽鬼の様な表情で振り向く。

「ねぇ、ちょっと……。どうやってこの屋敷に入ったの……?」

「ああ、あの半端な奴か……」

 この屋敷には、青髪女神が渾身の作と豪語する結界が張ってあった。下等な不浄霊なら即座に昇天し、下級の悪魔ならばその動きを封じる程の強力な代物である。その結界が張ってある屋敷に、どうして悪魔がノコノコと入り込んで来られるのかと青髪女神は問い掛けているのだ。

 地の底から響く様な声で話しかけて来る青髪女神の詰問に、仮面の悪魔は心当たりがある様で素直に返答する。

「なんと、あれは結界であったのか……。あまりにも弱々しい物であったので、どこかの駆け出しプリーストが張った失敗作だと思っておった」

 否、素直に答えたのでは無い。これは大悪魔から女神への挑発であった。

 仮面の悪魔はいかにも申し訳なさそうな表情を作りながら、わざわざ青髪女神の方へと進み部屋の中央へ立つ。

「いや失敬。超強い我輩が通っただけで、崩壊してしまった様だなぁ」

 言外に、お前の張った様な結界が大悪魔である自分に通用するかと言う訳だ。

 それを受けた青髪女神はソファーを離れて仮面の悪魔の前に立ち、自分より頭二つ分ほど高い位置にある仮面を睨み上げる。

 どんな罵声が飛び出すのかと思えば、青髪女神はにっこりと微笑みを浮かべて顔の横で両手を合わせてしなを作って見せた。

「あらあら、身体のあちこちが崩れかかってますわよ、超強い悪魔さん。ま、どうしましょう! 確か地獄の公爵だとか聞いていましたのに、あんな程度の結界でそんなになるなんて……」

 ワザとらしく慇懃な言葉で挑発し、悲しげな顔まで作って仮面の悪魔の体を突っつく。罅だらけの体は青髪女神に少し突かれただけで、ボロボロと崩れて土塊を床に零していた。

「フハハハハ! この体はただの土塊、代わりなど幾らでもある。屋敷の外を覆っていたあの薄っぺらい物に興味が沸いてな。いや、駆け出しプリーストが張った物にしてはソコソコではないか? うん、人間の、それも駆け出しのプリーストが張った物にしては、な! フハハハハハ!!」

 敵も然る者。相手を煽る事に関しては、年季がある分この悪魔を超えるのは難しかろう。青髪女神から表情が消えて、剥き出しの殺意が溢れる程に報復の効果は抜群だ。

「お、おい! ちょっと落ち着こうぜ?」

 尋常でない二人の雰囲気を察して、最弱職の少年が仲裁の為に間に入り込む。仮面の悪魔は大事な商売相手なので、なるべくなら機嫌を損ねたくないと言うのが少年の本心だろう。

「フンッ……! ねえカズマ。コタツだのなんだの作ってたのって、ひょっとしてこれと商談する為なの? 人々の悪い感情を啜って辛うじて存在してるこの害虫と? やだもう笑えない冗談なんですけど、プークスクス!」

「はい。そうだけど……。お前も相当な顔してるよ? はっ、いや、笑ってるし」

 青髪女神の質問の形を取った悪魔への貶めの言葉に、最弱職の少年は一々合の手を入れる。そして、勝ち誇る女神を黙って見過ごす程、仮面の悪魔は寛容では無い。

「我々悪魔は契約にはうるさいので、信頼してもらって結構である。信じるだけで幸せになれるだの純粋な者の足元を見る、胡散臭い甘言で人を集め寄付と言う名の金集めをしている詐欺集団とは違うのだ!」

 容赦が無いにも程があるのではなかろうか。見下している悪魔に自身の教団と、更にはその信徒達を詐欺師呼ばわりされ、青髪女神の表情がまた剣呑な物になる。

 そんな表情には気付いているだろうに、仮面の悪魔の容赦の無い追撃は続く。

「連中の殺し文句は何だったか……。そうそう、『神は何時でもあなたを見守っていますよ』だったか。おお何と言う事だ、我輩それに該当する神とやらを目撃したぞ! 先日覗きで捕まった、風呂やトイレを生温かな目で見守っていたあの男は、神であったか!! フハハハハハハ!!!」

 最弱職の少年は、なんとなく知り合いのチンピラ戦士の事を思い出していた。あの男なら、それぐらいやりかねないと言う確かな信頼からの連想である。

 最早、場の雰囲気は一触即発。何時殺し合いが始まるかも分からぬ雰囲気を察し、最弱職の少年はじりりと気圧されて二人から距離を取る。

 余裕の笑みを浮かべる仮面の悪魔に対して、青髪女神が両手を額に当てて退魔魔法の構えを見せ――

「……そこまで。君達のやり取りはずっと眺めていたいけど、今日は大事な話があるんだからカズマの邪魔しちゃ駄目だよ」

 そんな二人の間に割り込んだのは、いつの間にかコタツから居なくなっていた召喚士。その両手には木箱が抱えられており、中には丸められた設計図やいくつかの『商品』が収まっていた。

「ちょっと、ロー! こんな寄生虫さっさと地獄に送り返してやるのが世の為よ、邪魔しないでちょうだい!」

「ふん、人の信仰心に寄生している輩に言われる筋合いは無いのである」

「あんですってぇ!? アンタ良い度胸――ひゃあん!?」

 ともすれば、今すぐにでも取っ組み合いを始めそうな青髪女神が、突然前触れも無く素っ頓狂な声を上げる。なんだなんだと周囲が目を見張る中、青髪女神は召喚された巨大な子犬に押し倒され、ぺろぺろモフモフの刑に処された。

「ちょっ、まっ、あひっ! まってまって、んひゃあう!? フーのぺろぺろは嫌っ、いやああああああ!?」

「フーちゃん、狙いは首筋とお腹だよ」

「お前も大概、鬼畜だよな……」

「アクセルの認める鬼畜男の汝に言われるのは、流石にその者も心外であろうな」

 召喚士がニコニコしながら巨大な子犬に指示を飛ばし、尻尾をブンブン振る毛玉によって青髪女神は再び笑い地獄へと堕ちて行く。ここの所舐められて笑い転げる展開ばかりを経験した彼女は、しっかりとトラウマの数を増やしているのである。

 そんな訳で喧嘩は仲裁され、ようやくと商談に移れる様になった。話し合いの場は、居間の中央に置かれた炬燵へと移る。

 

 

 四角いコタツの四面に、各々最弱職の少年のパーティと仮面の悪魔が一緒に着くと言う、中々に奇妙な光景がそこにはあった。正面に仮面の悪魔と対峙しながら左右に女騎士と青髪女神を置いて、召喚士はちゃっかりと少年の隣に並んで座っている。

「ふむ、小僧の自作した商品自体もなかなかの価値が出そうだが、こちらの設計図に書き足されている発展型の商品案が更に付加価値を高めているな。うむ、これであれば当店に卸しても、問題無い処か先の展望も明朗であろう。段階的に発売して行けば、それだけ長く商いが出来るからな」

 一通りの商品を見終わり、更には設計図を開いて精査していた仮面の悪魔が満足げに声を漏らす。他の仲間達が大金の予感に目を輝かせる中で、召喚士は自分の付け足した商品案の評価にホッとして息を吐く。

 例えば、少年が思いついた商品の中にはライターが有る。召喚士はそれを貴族や裕福層向けのジッポーライターと、低所得層や一見の客にも求め易い百円ライターに分けて販売する事を提案したのだ。他のこまごまとした商品にも手を加えて、より一つの商品を長く幅広く売れる様にアイデアを出していた。

 どうやら召喚士の目論見は、契約の対価として仮面の悪魔の眼鏡に適ったらしい。

「では商談と行こうか。取り決めでは売れた利益の一割を支払う事になっているが……どうだ小僧、これらの知的財産権自体を売る気はないか? 今なら三億、いや五億エリスで買ってやろう」

「「「五億ぅ!?」」」

 ポンと出て来た破格の提示金額に、召喚士以外の三人が声を揃えて絶叫する。仮面の悪魔を睨み付けていた青髪女神ですら、金の臭いを嗅ぎつければ巨大な子犬以上に見えない尻尾を全力で振る様になった。

「月々の利益還元ならば、毎月二百万エリス」

「「「月々二百万っ!?」」」

 毎月不労所得が入ると言う発言には、更に大きな声が三人から上がる。女騎士は額の大きさに純粋に驚愕していただけの様だが、最弱職の少年は一生働かずに生きられる額を貰ってしまうか、それとも貯金の目減りを気にせずにいられる定期収入を得るかで真剣に悩んでいた。

「月々二百万……。高級シュワシュワ……。沢山の高級シュワシュワ……」

 青髪女神は高級酒がどの位買えるかを必死で計算している。これが捕らぬ狸の皮算用と言う物か。

 召喚士は提示された金額には興味が無いのか、こたつの上で声に反応してクネクネ踊るヒマワリの置物を楽しげに眺めていた。基本的に、余計な事を言わないのであれば、仮面の悪魔については最早憂慮の対象では無いのだ。

「まあ、ゆっくり考えるがいい。では、我輩は店が心配なので帰るとしようか」

「はっ!? 私の神聖な家に悪臭が沁みついちゃうわ。出て行って、ほら早く出て行って!!」

 商談を纏めるにも悩む時間が必要だろうと、仮面の悪魔はコタツから立ち上がる。店に一人にしているポンコツ店主が、またぞろ貧乏になる為の努力をしていないかが心配なのだろう。

 そんな悪魔に、金の誘惑から立ち直った青髪女神がけたたましく噛み付いて行く。どうしてそこまで嫌えるのかと言う程に、二人は犬猿の仲であった。

「ぐぬぬぬぬぬぬ……、フンッ!」

「ヘェッ!」

 最後に二人は盛大に鼻を鳴らして悪態をつき、同時に顔を逸らしての物別れとなる。あの人を手玉に取る悪魔に歯ぎしりをさせるとは、青髪女神も腐っても女神と言う事なのだろう。

 仮面の悪魔が立ち去った後には、緩んだ表情の各々が残るばかりであった。どいつもこいつも皮算用にいとまが無い。特に最弱職の少年と青髪女神の幸せそうな緩んだ顔は一際である。

「……この話をめぐみんが知ったら喜んでくれるかな?」

「そうだな、ゆんゆんの宿に使いを出して、戻って来るよう一報を入れておくか。この調子なら、カズマも昨日の悪戯を笑って許すかもしれないしな」

 緩んだ笑みを浮かべる二人を置いておき、召喚士は比較的健常な女騎士に声を掛ける。気にするのはこの場に居ないもう一人の仲間。それを受けて女騎士は、プチ家出中の魔法使いの少女にも、情報を共有しておこうと提案した。

 同時に、女騎士が言う最弱職の少年からの魔法使いの少女に対する処遇には、同意しかねると召喚士は言葉を続ける。その貌は、鼠をいたぶる猫の様に、意地悪そうに歪んでいた。

「……そうかな。案外、泣き叫びながら謝る目に遭わされるかもしれないよ」

「ん……、それはそれで羨ましいな。私にも是非やってもらいたい!」

 女騎士は、相変わらず、ぶれない。

 

 

 数日後。

 女騎士の伝手を使い知らされた情報にて、そろそろほとぼりが冷めたと判断した魔法使いの少女は屋敷に戻って来ていた。こっそりと自室に戻り帽子とマントを脱ぐと、仲間達の姿を求めてとりあえず居間へと向かう。

 そして、恐る恐るリビングの戸を開けて中を窺い、その中で繰り広げられていた光景に驚愕し目を見開いた。

「最高級の紅茶が入りましたわよ、カズマさん」

「んむ……」

 わざわざ卓上で沸かせたお湯を使い、惜しげも無く茶葉を投入したポットから湯気の立つ液体をカップに注ぐ。それを持った青髪女神がソファーに足を組んで座るガウン姿の最弱職の少年に近づき、お上品な口調で声を掛けながら湯気のくゆるカップを手渡した。

 カップを受け取った最弱職の少年は、目を閉じ香りを楽しむ様にしてからカップを傾け一口。

「……お湯なんだけど」

「ん……? 私とした事がうっかりしていたわ。ごめんなさい、カズマさん」

「もしかして、紅茶を浄化したのかな? なに、また淹れ直せばいいだけさ。ありがとう、アクア。これはこれで頂くよ」

 液体であればほぼ無差別に浄化して、高品質の聖水に変えてしまう青髪女神。普段であればそんな事をすれば罵倒の一つも飛んで来ると言う物だが、今日の最弱職の少年は終始穏やかな微笑を浮かべて彼女を許している。

 これぞ、まごう事なき似非セレブ。将来を約束された途端に、少年も青髪女神も頭の中が綺麗なお花畑となった模様でこの数日を過ごしていた。

「うん……、お湯!」

「気持ち悪いですぅっ!!!」

 それをまざまざと見せつけられた魔法使いの少女は、嬉しそうにお湯を啜る最弱職の少年の姿に絶叫した。両手を頬に当てて身を捩らせ、光を失った瞳で感じた嫌悪感をそのまま声にして発する。

 それを聞いた似非セレブの二人は、彼女に対しておかえりと出迎えた。キラキラとした雰囲気を発散しながら、まるで家で娘を温かく迎える父母の如く寛大に。

 そんな様子を見せ付けられて、魔法使いの少女は神妙な顔つきになり、何よりも真っ先に腰を折って頭を下げた。

「先日の事は謝ります! だから、元のカズマに戻ってくださいっ!」

「先日の事……? ああ、そんな事か。金持ち喧嘩せずってね。それより、めぐみんもお茶でも飲むかい? 良い茶葉が手に入ったんだ」

 唐突に謝られた事を自身の尊厳に対する悪戯の事だと思い至り、しかしそれを最弱職の少年は微笑んで許す。それどころか、優しげな声色で魔法使いの少女にお茶を勧め、気取って片眼を閉じて見せた。

 少年のそんな反応に少女は瞳に大粒の涙を溜めて、がくんがくんと頭を何度も下げる。

「私が悪かったので、お願いですから元のカズマに戻ってください! 今のカズマは、凄く気持ちが悪いです!」

「さっきから何言ってるんだ、俺はいつもこんなじゃないか」

 半泣きの少女が必死になって頭を下げるも、最弱職の少年は取り合おうともしない。数日遭わなかっただけで見知った人物達が豹変していれば、少女の感じている違和感と嫌悪感は計り知れないだろう。

「最高級の紅茶がまた入りましたわよ、カズマさん。ふーっ……」

「んふぅん……。……お湯なんだけど。あっははは、また浄化しちゃったね?」

「あらあら、私とした事がうっかりしていたわ。うふふふふふ」

「いや、また淹れ直せばいいだけさ。ありがとう、アクア。これはこれで頂くよ」

 甘い囁きと共に、また青髪女神が紅茶と言う名のお湯を持って来る。耳に息を吹きかけられてむずかる少年は、やはりお湯を飲まされても怒りはしない。少女は知らない事だが、この二人はこんなやり取りをもう数十回は繰り返していた。流石の召喚士も笑えなくなって、今はこの場には居ない。

 それ程の異様な光景に、いよいよ魔法使いの少女は絶望して言葉を失ってしまう。

「……めぐみん、こっちこっち」

 そんな時に、魔法使いの少女は不意に名前を呼ばれ顔を上げる。すると涙で曇った視界の端で、女騎士と召喚士が固まって手招きしているのに気が付いた。

 招かれるままに少女が女騎士達に近寄ると、二人は少女に数日前に在った商談の話を伝える。その話を聞いてからの二人は浮かれ切って、こんなごっこ遊びに興じているという事も。

「それからずっと、この調子でな……」

「似非セレブな理由がわかりました……」

 その受け取り方はさておいて、どちらにせよ莫大な金が手に入るとなれば、人はここまで堕落できるものなのだなと少女は納得した。

 説明の間中、困った様に眉根を落としていた召喚士も、魔法使いの少女に助けを求めるかの様に言葉を掛ける。

「……紅茶をお湯にして飲むのばかりを何度も見てると、面白いけど流石に飽きちゃうよね。どうせならもっと面白いのを色々と見せてほしいのに、二人のセレブ生活に対するボキャブラリーは意外と少ないみたいなんだ」

「いや、問題はそこでは無いでしょう。ですが、お金があるのは素晴らしいです。さて、討伐にでも行きますか!」

 最初の内は二人を見て何時もの様に大爆笑していたのだが、何日も同じ物を見せられれば飽きてしまう。そんな事を召喚士が訴えて来るが、魔法使いの少女はバッサリと切り捨てた。

 それよりも資金が増えた事を肯定的に捉えた少女は、自身の目的の為にも冒険者としての仕事をしようと提案する。それに異を唱えたのは、陶然としていた最弱職の少年であった。

「え、嫌だよ、何言ってんの? 大金が入って来るってのに、何で今更働かなきゃいけないんだよ?」

「……は?」

 少年の口から飛び出した言葉に、少女は口を開いて呆けてしまい、女騎士は耐え兼ねたかの様に顔を逸らしてコタツの方へ向かってしまった。

 召喚士は少し迷った後に、女騎士を追いかけて自身もコタツに向かう。その口元は、はっきり言って期待に綻んでいた。イソイソと女騎士と共にコタツに入り込み、少年が何を口にするのか目を輝かせて見ている。

「大体、装備も整えて作戦だって練って挑んだのに、俺また死んだんだぞ。決めた、俺はこれから商売で食って行く! 冒険者稼業なんて危険な事はしないで、ヌルい人生を送って行くよー」

「ねえ、カズマさん。それは流石に困るんですけど。魔王を倒してくれないと、色々困るんですけど」

 人生を舐め切った様な少年の言葉に、意外にも青髪女神が最初に反目した。顔はにっこりとしたままだが、魔王討伐が天界へ帰る為の条件である彼女にとっては、このまま少年が冒険者を止めてしまうのは大問題なのであろう。

 そんな青髪女神に対して、最弱職の少年はにんまりと邪悪な笑顔で得意げに提案し出す。

「ならっ、もっと大金を得て、凄腕の冒険者を沢山雇おう! そして、そいつらに魔王討伐を手伝ってもらえば良い!! 冒険者の大群を雇って魔王の城を攻略するんだ! どうだ、現実味が出て来たんじゃないか!?」

「それだわ、流石カズマさん!! 冒険者達のほっぺをお札で叩いてこき使い、魔王を弱らせた所で最後のトドメは持って行く訳ね!」

 青髪女神はすぐさまその話に同調し、少年の意図する所を的確に理解して見せた。両頬をお札で叩く真似をしてみせると、少年はノリ良く叩かれる真似をして二人はどんどんと盛り上がって行く。

「あはっ、あはっ、あーーっ!――そう言う事だ。伊達に一番長い付き合いじゃないな。なははははは!!」

「……くっ! お、お金の力で魔王を倒すとか、そんなものは認めません! 認めませんよ!!」

 おおよそ冒険心と言う物を全否定するかの様な少年の提案に、全身をわなわなと震わせて魔法使いの少女は怒りを覚えていた。紅魔族とはその種族全てが浪漫を追い求める者。彼女はその中でもたった一つの魔法に全てを懸ける、一族きっての頭がおかしいとまで言われる浪漫の追従者である。

 だからこそ、彼女にはセオリーを無視した最弱職の少年の魔王との決戦が邪道としか思えない。怒り心頭の彼女は、そのいきどおりを素直に口にした。

「魔王を何だと思っているのですか! 魔王って言う存在は、やがて秘められた力とかに目覚めたりなんかして、最終決戦の末に倒すのです! それが何ですか、凄腕冒険者を雇って倒すだとか!!」

 しかし、少女の沸き立つ怒りの言葉にも、幸せそうな笑顔を浮かべるばかりで少年も女神もまったく取り合おうとはしない。埒が明かないと判断した少女は、踵を返してコタツに座る二人に加勢を求めた。

「ほら、ダクネス、ロー! 二人も何とか言って――あれ二人とも……?」

 助けを求めて振り返った少女の見た物は、コタツに頬杖を突きながらぶつぶつと何やら呟いて居る女騎士と、にやにやと口元を歪めながら演劇でも楽しむ様に少女達を見ている召喚士の姿。

「……ん? い、いや……。日に日にダメ人間になって行くカズマを見ている内に、将来どんな屑人間になるのだろうかと……。はぁっ、はぁっ!!」

「……やっぱりマンネリはいけないと思うんだ。ダクネスの反応も含めて、皆揃ってる時の方が物語に彩りが出るよね。今すっごい幸せな気分だよ……」

 魔法使いの少女に怪訝な視線を向けられた女騎士は、最弱職の少年の将来に胸を高鳴らせ、召喚士は新たなイベントに満足げにしている。少女は己に味方はいないと悟り、その小さな頭を抱えてしまった。

「ああー! もうどうしたらー!?」

「おい、そこの変態と変人と一緒にするな」

 そこで少女の嘆きに応えたのは、なんと最弱職の少年本人であった。ようやくお花畑から帰還して、少女の相手をする気になったらしい。ソファーから重い腰を上げて立ち上がり、魔法使いの少女の前まで歩み寄って来ていた。

 彼は己の首を労わる様に撫でながら言葉を続ける。

「と言うか、俺は首がぽっきり言って死んだばかりなんだぞ。せめてこの古傷が癒えるまでは安静にさせてくれ」

「……分かりました」

 青髪女神の治療により完璧に治っているはずの首を古傷と言い張る少年の言葉を、魔法使いの少女は意外にも素直に承諾した。

 ちなみにこの時、女騎士は変態呼ばわりに喜んで痙攣しながら倒れ込み、わくわくーとか叫びながら両足を揃えて高く上げると言う謎の行動をしていた。見守っていた召喚士はもちろん噴き出す。

「カズマの傷を癒しに行きましょう」

「いや別に、暫くゴロゴロ遊んでいれば治るから」

 どうやら少女は、少年の首さえ治ればまた冒険が出来ると判断した様だ。危険な事はしたくない少年は当然渋るが、それでも少女は胸の前で両の手をそれぞれ握り、前のめりになりつつ更に言葉を続ける。

「湯治に参りましょう。水と温泉の都、アルカンレティアに!」

「俺の傷の事はお構いなく――温泉と聞こえたが……?」

 温泉と言う単語に、最弱職の少年は盛大に食い付いた。顔色が深刻な物に代わり、聞き返す言葉も低くなる程に。生来風呂好きの少年ではあるが、温泉と言う単語に並々ならぬ拘りが感じられる。

 そしてもう一人、少女の言葉に食いついた者が居た。

「ねえ、アルカンレティアって言った!? 水と温泉の都、アルカンレティアに行くって言った!?」

 水と宴会と大道芸の女神としては、水と温泉の都に思い入れがあるらしく、青髪女神は喜色満面になって聞き返して来る。彼女はもう既に、温泉に行く気満々らしい。

「お、温泉かー。俺達も強敵との連戦で疲れている事だし、たまには贅沢して温泉も悪くないなー」

「カズマさんたら、どうしてそんなに棒読みなのかしら?」

 務めて平静を装うあまり、言葉が棒読みになってしまう少年も温泉行には賛成の様だ。その態度を暖炉前のソファーから離れて来た青髪女神に指摘され、顔の近さも相まって少年はボッと顔中を赤らめさせた。

 少年が温泉に対して何を期待しているのかその貌でまるわかりではあるが、あえて口に出す者はこの場には居なかった。男の子ゆえ仕方なし。

「……温泉か」

「そして私は『捨てないでくださいご主人様ぁぁぁ!!』と――どうした、ロー? 温泉は苦手だったか?」

 期待のあまり妄想の世界に突入していた女騎士が、その妄想の発露を途中で止めて憂い顔の召喚士に声を掛ける。妄想に浸りきっていたはずなのに、温泉に行く話はしっかりと聞いていた様で侮れない。

 聞かれているとは思わずに油断していた召喚士は、両手を慌てて振りつつ自身の健常を訴える。

「……ううん、苦手ではないよ。ただ、良い思い出になると良いなって、そう思っただけだよ」

 そう言って、召喚士は何時もの様に微笑む。胸中に沸いた感情は押し隠して。聡い女騎士はあえて多くを語らずに、そうだなと返すだけで済ませてくれた。済ませてくれたのだ。

 自分がその時浮かべていた表情を、召喚士は自覚する事は無かった。

 

 

 翌日の早朝。

 まだ朝もやも残り日の光も山間に隠れた時分。最弱職の少年達の屋敷には、けたたましい青髪女神の叫び声が響き渡っていた。

「ちょっとー、何時まで寝ているの!? カズマさんなんて、もう馬車の席取りに行っちゃったわよ。ほら、早く起きて! 早く起きて支度をして!!」

 部屋の外から響いて来るキンキンとする声に揺さぶられ、召喚士の微睡んでいた眼が見開かれる。

 周囲を見渡せば使われていないベッドと、調度品の殆ど無い殺風景な部屋が目に映った。有るものと言えば、床へ無数に並べられた酒瓶ぐらいだろうか。

 この屋敷に来てから既に数か月暮らしているが、物を増やす気にはなれなかった。

「ロー! めぐみんもダクネスも起きたわよ、あなたも早く起きて支度なさい! ねえ、聞いてるの!? 寝てるなら入っちゃうわよ!?」

 言うが早いか部屋の戸が開け放たれて、少々苛立ち顔の青髪女神が突撃して来る。そんな彼女の顔は、部屋の窓際にある座卓に座る召喚士を見て、驚きに目を見開く事になった。

 さもあらん。寝ていると思っていた相手が、酒瓶を杯に注いでそれを啜っていれば、驚きの一つもする物であろう。

「何よ、起きてるなら返事ぐらいして欲しいんですけどー! って、お酒臭っ! アンタ朝から――もしかして夜通し飲んでたの!? ズルい! どうして私も呼んでくれなかったのよ!!」

「……アクアは昨日、旅行に備えて早寝するって言って、夕食後にすぐ部屋に戻っていたよね?」

 宴会芸の神様は、どうして誘わないのかとご立腹。だが彼女は昨夜、まるで遠足前日の子供の様に、異様にワクワクしながら自室に引っ込んだのである。それを追いかけて酒宴に誘う程、召喚士は厚顔では無かった。

 それを指摘されれば、青髪女神の怒りも瞬時に引っ込み。しかして、自分が何をしに来たのかを思い出してまた騒ぎ始めた。

「ん? そう言えばそうだったわね。って、そうよ旅行よ! 早く支度しないと置いて行っちゃうわよ!?」

「……支度はもう終わってるさ。それにあまり早く行っても、馬車は荷物の積み込みをしてからじゃないと出発できないと思うよ」

 騒ぐ女神をどこ吹く風と受け流し、召喚士は蜂蜜酒の杯を傾ける。それを見て、羨ましいやら悔しいやらで、青髪女神の頬っぺたはぷくーっと膨れた。

「……はい、一献どうぞ」

「わっ、ありがとう!」

 そのふくれっ面も酒杯を渡されればパっと華やぐ。たった一杯の蜂蜜酒で笑顔満面になった青髪女神に、その貌を眺めていた召喚士は頬杖を突いたままで彼女に言葉を投げかけていた。

「……アクアは、前に自分の事を女神って言っていたよね。……自分を地上に放逐した天界を、君は恨んだりはしないのかい?」

「何よ突然? そうねぇ、ここに送られてきた時は色々混乱して泣いちゃったりもしたわね。私の事を笑顔で送り出してくれた天使のあの子は、天界に帰ったらお仕置きしなきゃとも思ったわ。けど、私をここに連れて来たのはカズマさんなんだから、悪いのは全部カズマさんよ!」

 だから、恨みをぶつける所は天界ではないと堕ちた女神は言う。それは、召喚士にはとても眩しくて、実に――

「……アクアらしいね」

「難しい事なんて、悩んだってどうせ後で後悔するものよ。だったら今は楽な方を選べばいいの! さあ、そんな事より旅行よ旅行! 私、めぐみん達がしっかり支度してるかまた見て来るわね!! ごちそーさまー!!」

 あっと言う間に酒杯を干し、言うが早いか青髪女神は部屋から飛び出して行った。乱暴に閉じられた戸の衝撃で、床に乱立する酒瓶がぐらぐらと揺れる程に。

 そしてまた屋敷中にキンキンした声が響くのを聞きながら、召喚士はようやく重い腰を上げるのであった。

「……あんな神様ばかりなら、今も能天気に暮らしていられたのかな。ねえ、ヨーちゃん?」

 使われて居ないと思われたベッドから、もぞもぞと一匹の猫が這い出して来て顔を覗かせる。大蛇が魔法によって姿を変えられたその猫は、瞳孔が細くなった爬虫類の様な瞳で見つめてから、興味も無さそうに今度はシーツの上で丸くなって眠り始めた。怠惰な蛇にとっては仮定の話など、微睡みの邪魔にしかならないのだろう。

 まるで、楽な方へ楽な方へと流れる青髪女神の様に。

「……案外、ヨーちゃんはアクアに似ているのかも知れないね」

「にゃあぁぁぁ……」

 言われた大蛇の化けた猫は、丸くなったままで嫌そうに鳴いて見せた。アレと一緒にするなと。

 

 

 全員の支度が終わり屋敷を出る頃には、隠れていた日もすっかりと昇り街には活気が溢れ出す。そのざわつきの中を潜り抜け、一同は乗合馬車の受付所までやって来ていた。周囲には既に受付に並ぶ者達や、弁当売りの売り子達の声でにぎわっている。

 支度を待たされる形になった青髪女神だが、召喚士に振る舞われた蜂蜜酒のおかげか程々に機嫌は良い。なにより、旅行への期待感が彼女の気分を高揚させていたのもあるだろう。

 だが、その上機嫌も長くは続かない。先に来て馬車の予約をしている筈の最弱職の少年の、その姿が見受けられなかったからである。

「あのクソニート、何が任せろよ! この私のお願いを無視して、いったいどこに行ったってーの!?」

「まあまあ、落ち着いてくださいアクア。カズマは出かける前に、他に何か言っていませんでしたか?」

 憤懣する青髪女神を落ち着かせつつ、魔法使いの少女が少年の行方の手がかりを問い掛ける。問われた女神は両腕を組んで、目を閉じながら記憶を思い返す。

「……そう言えば、寄りたい所があるとか言ってたわね」

「それですね。きっと、その寄り道が長引いているのでしょう。幸い馬車の席が埋まる様子もありませんから、もう少し待ってあげましょうか。この旅行はカズマの慰安が一番の目的ですし」

 結局、リーダーである少年を待つ事になって、青髪女神の不機嫌は再燃してしまった。への字口で眉は八の字、両手を組んで片足のつま先を忙しなくパタパタ踏み鳴らす。私は不機嫌ですと全身から発するポーズである。

 もっとも、最弱職の少年が受付所に現れたのは、そんなやり取りの直ぐ後だったのだが。

「おーい……、待たせたな皆……」

「ちょっと! 先に行って席取っておいてって頼んだのに――って、何を背負ってるの?」

 早速食って掛かる青髪女神に、疲れた様な苦笑いが返される。遅れて現れた少年の背には、死んだ様に眠るリッチー店主が背負われていた。

 死んだ様にと言うか、彼女は実際に死んでいる訳だが、それにも増して今のリッチー店主には精気が無い。服装も体も所々が焦げており、眠ると言うよりは気絶しているのだろう。

 何があったのかを視線で問われた最弱職の少年は、立ち寄り先の魔道具店で起きた事を説明してくれた。

 そもそも少年が魔道具店に向かったのは、仮面の悪魔に旅行で屋敷を空ける事を伝え、先日にした商談の話を待って欲しいと頼む為。その代りとして、商売の邪魔になるリッチー店主を押し付けられたらしい。彼女が黒コゲなのは、またガラクタ同然の商品を勝手に仕入れ、仮面の悪魔に殺人光線で仕置きされたからである。

 一通り事情を説明された青髪女神は、少年の危惧を他所に不死者が道連れになる事には寛容的らしい。てっきり喚き散らすとばかり思っていた少年は当惑したが、直ぐにそれ以上の困惑を青髪女神の指摘でもたらされる。

「ふーん、お守りをね……。まあいいけど。でもこの子、何だか薄くなってるんですけど」

「おおっ!? おいこれ大丈夫なのかよ!? 回復魔法は――はっ、アンデッド相手じゃ逆効果か!?」

 生命力が枯渇した為に、うっすらとその姿を薄れさせるリッチー店主。種族的な問題で回復魔法に頼れない現状、彼女の命運は正に風前の灯火である。

 それを背負ったままで慌てる最弱職の少年の目に、一同から離れてベンチに座る女騎士の姿が目に映った。そして、その膝を枕にしてベンチに横たわる召喚士の姿も。

「旅か……。子供の頃お父様に王都へと――つうううううううううううううっ!?」

 何やら過去に思いをはせる女騎士の首筋を少年が掴み、問答無用で生命力を吸い上げる。同時に奪ったそれを反対の手でリッチー店主に送り込み、アンデッドを回復させると言う地味に難易度の高い芸当をこなして見せた。

「……ん、あら……? カズマさんじゃないですか!?」

 生命力に満たされ目を覚ましたリッチー店主が見た物は、ビックリさせられた女騎士が怒って最弱職の少年の首を締め上げる姿。そして、女騎士が驚いた拍子にその膝から転がり落ちて、何時もの様に動かなくなった召喚士の末路であった。

「き、緊急事態だ! この中で生命力が一番高いのはお前なんだから、しょうがないだろう!?」

「あ、あの、それよりもローさんがピクリとも動かないんですけど……」

 騒がしさの中でひっそりと終ろうとする命が一つ。リッチー店主の言葉で事態に気が付いて貰えた召喚士は、すぐさま青髪女神の回復魔法により事無きを得る。

 何やかやとあったが、その後少年達一行はようやくと乗り込む馬車を決めた。

「ねえカズマー! この馬車にしましょうよ! 私の目利きによれば、一番乗り心地が良さそうよ! ちなみに私は窓際ね。景色が良く見える席を予約するわ! ほらカズマ、切符買って来て! 他のお客にあの馬車の座取られない様に、早く切符買って来て!!」

 青髪女神の独断により決められたその馬車は座席が既に一席埋まっており、先客として鳥かごに入れられたレッドドラゴンの赤ちゃんが乗っている。そして、そもそもこの馬車は五人分の座席しか無く、一席埋まっている以上六人は座れない。一人が荷台どころかもう一人はあぶれると言った始末だ。

 しょうがないから違う馬車にしようと少年が提案しようとした所、青髪女神はどうしてもこの馬車が良いとそれを頑なに拒んだ。

「……じゃあ、僕は眠いから屋根の上で寝てる事にするよ」

 我儘を言う青髪女神を見かねたのか、召喚士はそう切り出して大蛇を召喚する。呼び出された大蛇は主人の首根っこを咥えると、長い体をひょいと伸ばして子猫でも運ぶ様に屋根に乗せた。

 これにより、後は荷台に行く一人を決めるだけとなる。

「ジャンケンにしましょう! こういう時はジャンケンが良いと思うの!!」

 またまた騒ぎ始めた青髪女神により、座席をめぐり残りの面子でのジャンケン大会が開始された。早々に勝ち抜けようとした最弱職の少年を難癖を付けて青髪女神が止めた為に、勝負は少年と女神の一騎打ちとなる。しかも、青髪女神は三回連続で少年が勝てなければ勝利で良いと言う、思わず我儘な彼女もニッコリ笑顔となるハンデ付きで。

 結果。

「俺……、ガキの頃からジャンケンで負けた事無いんだよな……」

「なぁんでよぉぉぉぉっ!? 卑怯者! 何それズルい! そんなのチートよ、チート能力じゃない!!」

 三回連続で負けた後に泣きの一回を通してもらい、更には自身の運を上げる支援魔法まで使った上で青髪女神は敗北した。少年の運の良さの前では、普段から運の悪い青髪女神に魔法をかけた程度では太刀打ち出来ない。完全敗北とはまさにコレ。零に何を掛けても零でしかないと言う事だろう。

 その後も、チート持ちの癖に自分という恩恵を受け取るのはずるいと、青髪女神が難癖を付けて少年の怒りを買い。お前のどこが恩恵なんだと口喧嘩でも女神をコテンパンにして、少年が青髪女神をガチ泣きさせていたが些細な事だ。概ね、何時もの通りである。

 しかしこれで、本当にようやく出発の準備が整ったのだ。

「アルカンレティア行き、発車しまーす」

 良く響く宣言と共に、御者が手綱をしならせ馬車馬の尻を打つ。幾つもの荷馬車が列を作り、待合所から大通りを抜けて外壁の門を目指して行く。いよいよ、平穏な町から離れて、未知なる土地への旅が始まるのだ。

 少年達が旅立つこの瞬間にも、町の住民達は変わらぬ日常を過ごしている。冒険者ギルドの看板に新たな依頼の紙を張り付ける受付嬢も、酒場で早い酒宴を開くチンピラ戦士達のパーティも。馬車の荷台で手を振る青髪女神を追いかける子供達も、道端で露店を広げる商人達も。

 ただ少年達だけが、いつもと違う境遇と気持ちで、暫しこの街を離れて行くのだ。

 動き出した馬車の天井で荷物に紛れて転がる召喚士は、睡眠不足にもかかわらずぼーっと青空を眺めていた。日射病対策にしっかりとフードを被って、それでもその狭まった視界から雲の縮れる空を見上げる。

 ふと、その視界の端に人影が見えたのに気が付いて、改めてそちらに顔を向ける召喚士。その視線の先では、旅立つ少年達の馬車を見送る銀髪の盗賊の姿が有った。盗賊職の少女は少年達――いやさ旅に出る女騎士の見送りに来たのであろう。

 屋根の上から見下ろして来る少女に気が付いた召喚士は、口元をへらっと歪めて親指をぐっと立てて見せる。そうしてから、手首を回して、親指を下に向かって突き付けた。

 その仕草に気が付いた盗賊職の少女は当然憤慨して、片目に指を当てながらべーっと舌を出して来る。それっきり、ふんと顔を逸らしてしまった。

 そんなやり取りを経てから、少年達の乗る馬車は門を潜り抜けて外の世界へと向かう。目指すは水と温泉の町アルカンレティア。『有名な』観光地である。

 新たな地に思いを馳せる少年はまだ知り得ない。その行く末に、とんでもない脅威が待ち受けている事を。行く道にも、困難が待ち受けている事を。

 特等席からリアクションが見れるのかと思うと、今からあがった口角が戻らない召喚士であった。

 

 

 おまけ

 

 

「た、たのもーう!! さあ今日こそは決着をつけるわよ、めぐみん! 覚悟なさい!! あ、これ良かったら皆さんで食べて? ほんの気持ち……――あれ? もしもーし……?」

 何故か両手に果物の詰まった籠を持って、紅魔族族長の娘であるボッチの少女は少年達の屋敷に向かって声をかけていた。

 当然旅行に行ってしまった魔法使いの少女が出迎える事は無かったが、その代りに屋敷のドアから死んだ魚の様な目をしたメイド服姿の黒髪の娘が現れて一言だけ告げる。

 ちなみに今日の髪型は、左側に纏められたサイドテールであった。

「…………皆、旅行に行ったよ……?」

「え、ええーーっ!? なにそれめぐみんから私何も聞いてない……」

 召喚獣ゆえにどこに居ても呼び出せる為、留守を預かる事になったメイド娘。その言葉に、ボッチ娘は友人から何も聞かされなかった事実を知り大層落ち込んでしまう。

「…………入って。お茶、淹れるから……」

「えっ、良いの!? あ、ありがとうございます! おおおお、おじゃまひましゅ!!」

 その日、ボッチ娘に一人、友人が増えたのだった。

 

 




ご覧いただきありがとうございました。
ご意見ご感想があればよろしくお願いいたします。


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第十九話

今回の話は繋ぎの話です。
温泉はありません。でも、おまけはまたあります。
それでは、ごゆるりとお楽しみ下さいませ。


 見渡す限り、荒野荒野荒野。そして、それを分断する長い長い道が一つ。

 水と温泉の町アルカンレティアへの旅路の初日。まだ日も陰るには早過ぎると言うころ合いで、少年達のパーティの乗る馬車は道を外れて荒野の只中を激走していた。

「ああっ、カズマ! いいっ、良いぞこの感じ、新発見だっ! この物扱いされてる感じっ!!」

 両手を縛られて身動きが出来なくなった女騎士を、ロープで繋いで引き摺ったままで。

 無抵抗に引き摺られて全身を激しく地面で削り、時に激しく叩きつけられる女騎士は、とても晴れやかな笑顔で大興奮。それを馬車の中から見守る仲間達の目は、ドン引きを通り越して最早絶対零度であった。

「カズマは鬼畜だとは思っていたけど、これはあんまりなんじゃないかしら……」

 青髪女神が代表して呟いた一言で、その場の全員の視線が最弱職の少年に集まる。魔法使いの少女はもちろん、リッチー店主までもが犯罪者を見る様な視線だ。元引き籠りの少年には、女性陣のこの圧力は中々に辛い。

「ち、違うから! 俺じゃなくて、ダクネスがぁ……!」

 慌てて弁明するも、誰一人として信用はしていない。これもひとえに、日頃の行いと言う物か。

 そもそも、どうして女騎士を引き摺っているのかと言えば単純明快。少年達の馬車を――引き摺られる女騎士を目的として、大量のモンスターが追いかけて来ているからである。

 鷹の様な姿の癖に、ダチョウさながらに両足で大地を駆ける魔物。彼等の名は『走り鷹鳶』。繁殖期になると固い物を本能的に求めて突っ込んで行く習性を持ち、全振りした防御スキルのせいで下手な鉱石よりも固い女騎士の筋肉を求めて襲い掛かって来た魔物達である。

「……カズマー。このままだと追い付かれちゃうよー」

「まずい……、洞窟はまだなのか!?」

 馬車の窓から逆さ吊りになった召喚士が少年へと声を掛けて来ると、少年もまたその窓から身を乗り出して後方を確認する。その際に馬車の天井からぶら下がる召喚士と少年の顔が触れ合いそうになり、フードの奥で召喚士の頬が赤らむが焦る少年はその事に全く気が付かない。

 後方を確認すれば走り鷹鳶の群れ、前方を確認すれば目的の洞窟は未だ見えてこない。洞窟にさえ辿り着ければ、モンスターを一網打尽に出来る策があると言うのに。

「……洞窟はまだまだ先みたいだね。なら、迎撃に移ろうか、カズマ。はいこれ、弓と矢筒」

「もう駄目だあー!! って、迎撃? うわっと、お前俺の弓矢持ってきてくれてたのか!」

 相変わらず逆様のままの召喚士が最弱職の少年に持って来ていた矢筒と弓を手渡して、一度天井の上に戻ると召喚魔法の詠唱を始める。

「……レベル四十召喚。初お披露目だよ、スーちゃん」

 荒野の只中に青く輝く召喚陣が現れ、その中央から呼び出された存在が飛び出して来る。それは、呼び出される間に馬車と離されてしまったものの、軽くいなないて駆け出すとあっという間に追い付いて並走をし始めた。

 その召喚獣は逞しい体躯を厳めしい鎧に包む、長い首と蹄を持った大型の獣。姿形だけを見れば大層な軍馬であったが、通常の馬との相違点として前足と後ろ足がそれぞれ二対四本、合計八本の足を持った異形の存在である。

「あ、新しい召喚獣は馬か……。八本足でスーって名前だとやっぱり……」

「……さ、行こうカズマ」

 窓から身を乗り出して並走する多脚の駿馬を見つめる少年は、その正体に心当たりがある様で思案顔で居る。そんな少年を尻目に召喚士は馬車から軍馬へと飛び移り、その深紅のたてがみを掴んで手綱代わりにする。そして更に、少年に向けて掌を差し出した。

「『ボトムレス・スワンプ』ッ!」

 その間にも魔物達は距離を狭めて来て、リッチー店主が足止めの為に泥沼魔法を発動させる。いよいよもって余裕が無くなってきたようだ。

「くそっ! やってやるよ、チクショウ!!」

 一瞬逡巡するも、最弱職の少年はその手を掴んで窓から飛び出す。目の前の軍馬が少年の推測した通りの存在であるのなら、その背に乗ってみたいと言う思いが恐怖心を凌駕したのだ。

 少年の低い身体能力では不格好に飛び出す形となったが、軍馬の方が位置を合わせて少年を見事にその背に飛び付かせる。手を繋いでいた召喚士に引き上げられて、その前に跨る様に身体を納めると、少年の視界は軍馬の背丈も合わせてぐっと広がった様に見えた。

「おおお……、これが伝説の馬の背中か……!」

「……僕が支えててあげるから、カズマは弓で足止めをお願い」

 感慨に耽る暇も無く、二人を乗せた軍馬は一度、馬車を追い抜く程に速度を速める。追い越した後に大きく迂回する様に方向を変え、迫り来る魔物達の群れに斜め向かいから突っ込んで行く。

「ン『狙撃』ッ! 『狙撃』ッ! 『狙撃』ィッ!!」

 召喚士に後ろから抱き付かれながら体を支えてもらい、横合いから連続で狙撃スキルで妨害を繰り返す。高速で移動する魔物達は些細な攻撃を受けただけで、バランスを崩して次々と転倒して行く。そして、動揺した群れに向けて軍馬は勢いを止めずに突進し、その屈強な体躯と堅牢な鎧で魔物達を跳ね飛ばして蹴散らした。

「くううううっ!! すっげえ!!! 今俺、すげえファンタジーしてるよ、コレ!!」

 幻想生物の背中に乗って魔物達を蹴散らす。正に王道的な物語の活躍の一端を担い、興奮した少年が叫び声を上げる。嬉しそうにはしゃぐその背中にくっついて、召喚士も口角を上げて微笑んでいた。

 隊列を乱されて大きく馬車から引き離された魔物達が、翼を広げて苛立ちを示すかの様に一斉に声を上げる。その鳴き声はピーヒョロロローっと顔に似合わず甲高く間延びした物であった。

「なるほど……。走り鷹鳶の、鳶の要素は何処に消えたんだろうと疑問に思ってたが……。これでスッキリした」

「カズマー! 洞窟が見えてきましたー!! 私の方は何時でも魔法が撃てますよー!!」

 感激していた所に水を差された少年が口元を引き攣らせていると、再び軍馬が並走した馬車から魔法使いの少女が声をかけて来る。

「よし、御者のおっちゃん、洞窟が見えて来たらそのワキに馬車を止めてくれ! アクア、俺にも筋力増加の支援魔法を!!」

 召喚士と少年が距離を稼いだ為に余裕を持って馬車を洞窟の傍に止め、引き摺られる女騎士に回復魔法をかけていた青髪女神も少年にしっかりと支援魔法をかけてくれた。

 そして軍馬から飛び降りた最弱職の少年は、馬車と女騎士を繋いでいたロープを力任せに引きちぎり、身動きできない女騎士をハンマー投げの要領で振り回して洞窟の前にまで投げ飛ばす。

「だーっ、はっ!! 悪くない、悪くないぞこの仕打ち! 流石カズマだ!」

「呼・ぶ・な!!」

「散々引き回した挙句にモンスターの餌で――はぶっ!」

 空中で今までになく恍惚としていた女騎士が、セリフの途中で顔から地面に落ちて静かになる。そんな変態に名前を呼ばれる事を拒絶した少年だったが、魔物達が次々に女騎士を跨いで洞窟の中に入り込むのを見届けると思わずガッツポーズをしてみせた。

「めぐみん!!」

「『エクスプロージョン』ッッッ!!!」

 最弱職の少年の指示を聞き、魔法使いの少女が既に完成させていた魔法を解き放つ。杖の先から放たれた魔力は魔物達の消えて行った洞窟に吸い込まれ、そして直ぐに自身を炸裂させて洞窟のある小山ごと魔物達を纏めて吹き飛ばす。

 地形が変わる瞬間を目の当たりにした乗合馬車の人々は、ただただその光景に見入るばかり。人類最強の魔法が猛威を振るう所など、アクセルの街の住人でもない限り頻繁に見る事など無いだろう。

 彼等は女騎士の固さが魔物を呼び寄せた事を知らない。彼等は魔法使いの少女が爆裂狂な事も知らない。その誰もがキラキラと瞳を輝かせて、天を焦がす爆炎を眺めていた。

「……他の街の商人さん達、この状況をどう判断するんだろうね」

「今から気が重い……。おいお前ら、こんなマッチポンプみたいな状況で、絶対に礼金なんて受け取らないからな」

 何時も通り動けなくなった少女に魔力を分けながら、最弱職の少年は召喚士の言葉に顔を顰めて仲間達に宣言する。青髪女神だけは不満顔をするが、他の面子は概ね納得している様だ。その青髪女神も、酒でも飲ませれば丸め込めるであろう。

 こうして、少年達の旅路の一日目は夜を迎えて行くのであった。

 

 

 時刻は既に日も暮れて、満天の星空で月が泳ぐ頃。アルカンレティアを目指す馬車の群れは、今は放射状に並べられて野営を行っていた。

 中央に幾つかの大きな篝火を作り、その周囲に人々が輪を作って酒宴を開いている。最弱職の少年達も、その輪の中の一つに加わり、今は商隊のリーダーから歓待を受けている所であった。

「しかし、お見事でした! まさか爆裂魔法をお使いになる程の大魔法使いがおられたとは! しかも、あれだけの負傷者を簡単に治療してしまったアークプリースト様! 走り鷹鳶の群れを前に一歩も引かず、それらを一身に引き受けたクルセイダー様に、上級魔法である泥沼魔法での咄嗟の足止め! そうそう、見た事も無い様な鎧を着けた軍馬を、自ら操って見せた召喚士の方もおられましたな!」

 何某かの良く焼けた肉を少年に差し出しつつ、そのリーダーは少年達のパーティ一人一人を称賛して行く。流石は商人と言った所か、よく口が回る。

「そして、見事な判断で敵を洞窟へと導き、一網打尽にした貴方様の機転! いやー、お見事です!!」

 青髪女神や魔法使いの少女は誉められて照れ顔を浮かべているが、最弱職の少年としては胃が痛くてしょうがない。

女騎士やリッチー店主は苦笑している程度だが、召喚士など冷や汗を流す少年を見てビクンビクンしながら笑いをこらえている有り様だ。

 どうも優秀な冒険者と繋ぎを作っておこうと企んでいる様だが、少年にとっては何時マッチポンプがばれるか気が気ではないのでなるべく関わり合いになりたくない人物である。報酬を手渡そうとしてきたので適当な理由で断ったら、更に勘違いされて今度は感涙までされてしまった。

 せっかくの慰安旅行だと言うのに、少年の心労は何時も通りにかさんで行くばかり。もう勘弁してくださいと、商隊のリーダーと共に涙を流す少年であった。

 何とかボロを出す前に会話を切り上げ、夕食を済ませた後は各々が自由に過ごしている。

 リッチー店主が青髪女神に引っ張られて行き、大勢の前で宴会芸の手伝いをさせられて恥ずかしがったり。女騎士の痛んでしまった鎧を最弱職の少年が、商品開発の為に習得した鍛冶スキルで修繕したり。そんな修繕の様子を両側から、女騎士と魔法使いの少女が興味津々に眺めたり。

 そして召喚士は、そんな仲間達を少し離れた場所から観察していた。その傍らには、本日呼び出された軍馬の姿もある。最弱職の少年よりも小さい召喚士が並び立つと、軍馬の大きさが一層際立った。

 八本足の馬などが居れば、物珍しさに人だかりが出来そうなものであるが、今は誰一人寄って来ようとはしない。その代り、彼らの周囲には奇妙な文字の掛かれた小石が幾つか無造作等に転がされていた。

「人払いのルーンとは、念の入った事だな、は――……いや召喚主よ」

「……こうでもしないと、君の姿はこの世界だと珍しいみたいだからね。おちおちグルーミングも出来やしないよ」

 わざわざ人払いまでして何をしているのかと言えば、召喚士はひたすらに軍馬の纏う鎧を布で磨いて艶を出させている。更にはその深紅のたてがみに櫛を入れて、鎧の無い部位の白い体毛には丁寧にブラシを当てて撫でてやる。本日の召喚をねぎらう為のグルーミングであった。

「……それに、この世界だと馬は基本的に喋らないからね」

「まったく、どこの世界も了見の狭い事だ。神の子が人の言葉程度話さずして、なんとすると言うのだろうか」

 はなはだ不遜であると、軍馬はいななきぶるぶると全身を震わせる。召喚士はそんな彼の様子に苦笑して、話し相手を務めながらも両手を動かし続けていた。

「……君が本当に召喚に応じてくれるとは思わなかったな。スーちゃんの場合は主人が煩そうだからね」

「呼び出しておいて何を言うのか。それに、もう既に居ない者が何を騒ぐと言うのだろうか。それこそ正に、馬の耳に念仏であろう」

 それを馬が言うのだからしょうもない。

 軍馬は手入れされた身体に満足して、尻尾をブンブンと振って喜びを伝え、それから顔を召喚士に擦り付けて甘えた様子を見せる。そんなスキンシップをしながら、変わらぬ声色で軍馬は問いかけを発していた。

「今更になって、惜しくなったのか? そうであるならば、止めてしまえば良かろう。終わる瞬間まで、楽しく過ごしてしまえば良い。召喚主が心を砕かねばならぬ道理など無かろう」

 力強く、それでいて優しさの垣間見える軍馬の言葉。それを受けて召喚士は微笑みを浮かべ、それからすり寄って来る軍馬の頬を撫でながら心中を吐露して行く。

「……それは駄目だよ、それだけは駄目だ。これはもう本能の様な物。僕は僕の信念で、この二回目の世界を終わらせるんだ」

 二週目ではなく二回目。それ故に、繰り返す事に意味など無いと召喚士は言い放つ。それを聞いた軍馬は瞳を閉じて、そっと摺り寄せていた頭を離した。

「ならば私から言える事は、これ以上は無い。後は召喚主の思うままに、埒を明けるが良かろう」

「……ありがとう、スーちゃん。もう残り少ないけど、次の機会もまたよろしくね」

 そうして、優しい言葉を交わしてから、軍馬は送還されて姿を消す。後に残った召喚士はもう用の無い人避けのルーンに線を付け足して無為な文字に変えながら、誰も居ない筈の空間に向けてひとりごちた。

「……後はどうやってカズマと楽しむかを考えないと。ただの殺しあいじゃ面白くないからね……」

 呟きの後に、満天の星空に向けて手を伸ばす。届かない何かを掴む様に、口元を綻ばせて召喚士は強く手を握り締めた。

「……ドラマチックに終われたらいいね。ああ、今からその瞬間が楽しみだ」

 気が付けば騒いでいた商隊の者達も、見張りの冒険者を残して就寝の準備を始めている。少年達も鍛冶を終えて、そそくさと寝床に向かう様である。青髪女神は飲み過ぎでぶっ倒れ、リッチー店主に寝かしつけられていた。

 今日は一日馬車に揺られ、その上戦闘までこなしたのだから疲労もひとしおであろう。召喚士も夜の独り言大会を止めて、仲間達の元へと戻って行く。

 何かを忘れている様な気がしないでも無いが、忘れているなら大した事でもないはずだ。少年達のパーティは、本日を終らせる為に床に就いた。

 そして、それから更に深夜にまで時が進んだ頃。

「ほええええええっ!?」

「ああっ!? しっかりしろ、ウィズ! だ、誰か、ウィズが……!」

 周囲の騒がしさに召喚士が目を覚ますと、辺り一面を神聖な青白い光が照らし上げていた。その光に誘われて、彷徨える死者達が強制的に天に帰って行く。ついでにリッチー店主も半分ぐらい帰りかけている。それを見ていた女騎士が、リッチー店主を心配して悲鳴の様な声を上げた。

「……ああ、ゾンビの襲撃があるの、忘れてた――ふあああああ……」

 忘れていた物を思い出せた召喚士は、言葉の途中で大きく口を開けての大欠伸。先日の寝不足に加えて、寝心地の悪い揺れる馬車の天井などで寝ていた物だから余計に疲れが溜まり眠気で瞼が潰される。

 結局襲って来る睡魔に抗う事無く、召喚士は魔法使いの少女と共に騒ぎを全く気にせずに眠りこけてしまった。

「うっはははは!! この私が居る時に出くわしたのが運の尽きね! さあ、片っ端から浄化してあげるわ!! うひっ、うひゃは、ひゃーはっはっはっ!!!」

 酒瓶を片手に狂った様に哂いながら、青髪女神が次々に亡者達を浄化して行く。その光景を眺める商隊の面々は、何故か非常に好意的に彼女を評価していた。曰く美しいだとか、女神の様だとか、中身を知らない故に青髪女神もまた女騎士と同じく、彼等の中で非常に高く評価されてしまった様だ。

 そう、彼等はこのゾンビの襲撃の原因が、青髪女神に在るとは露ほども思っていないのだろう。全てを察してしまった最弱職の少年は、再び起こってしまったマッチポンプにキリキリと胃が痛むのを自覚する。

 この後に、商隊のリーダーが今度こそ礼金を受け取ってくれと走って来たのだが、最弱職の少年は泣きながらそれを辞退するのであった。

 

 

 翌日。少年達の旅行二日目は快晴に恵まれ、ついに目的の地までたどり着いていた。

 街の周囲をすっぽりと囲むように存在する山岳に彫刻で装飾されたトンネルがあり、そこを潜り抜ければ馬車の列はいつの間にか巨大な橋の上を通る事になる。橋の下には豊かな水源が揺蕩って旅人たちを迎え入れ、前を見れば水を彷彿とさせる落ち着いた色合いの街並みが広がっていた。

 目に飛び込んでくる素晴らしい景色に、少年達の誰もが感嘆の声を上げる。

「来たわ! 水と温泉の都アルカンレティア!」

 中でも一層はしゃいでいるのは、馬車の座席を少年に譲られた青髪女神であった。嬉しそうに声を上げて、窓から顔を出しては街並みと、そこに住む人々を眺めている。

「すげえ、エルフとドワーフだ! これぞ正にファンタジー!」

「景色もアクセルとは全然違うな。すぅ……はぁ……、空気も美味い」

 もちろん、はしゃいでいるのは少年も女騎士も同じだ。少年は目に飛び込んで来る異世界らしい光景に感動し、女騎士は初めて見る街並みに子供の様に目を輝かせている。

「ここは観光客向けの商店街ですか。あれは、名物アルカン饅頭ですね。なかなかの美味と評判です」

「おお、良く知ってるなめぐみん」

「アルカンレティアと言えば、冒険者の間では有名な湯治場ですよ。ここの温泉の効能は大したものですから!」

 魔法使いの少女はその中でも冷静な方で、持ち前の知識を自慢げに披露していた。もしかしたら、以前にもこの街に来た経験があるのかも知れない。

「昔、父に連れられて幾つかの街へ行った事はあるが、この街はそのどこよりも美しい。良い湯治になりそうだな」

「へへっ……。こんな事なら、もっと前からいろんな街に行ってみればよかったな」

 ぐったりしたリッチー店主を膝枕したままの女騎士が思い出を語り、次いでは慈しむ眼差しで少年へと言葉を掛ける。少しだけ照れた少年は、惜しい事をしたかもしれないとその言葉に同意した。

 程なくして馬車の列は街の停留所に辿り着き、早速長旅をしてきた乗客や荷物を下ろし始める。少年達を運んでくれた馬車の御者もまた、『良い休日を』と言葉を残して再び馬車を走らせて行った。

「ああ……、じゃりっぱ……。じゃりっぱが行ってしまいました……。うぅ……」

 視界の中で小さくなっていく馬車に向けて、魔法使いの少女が名残惜しげに手を伸ばす。『じゃりっぱ』とは少年達と共に旅をしたレッドドラゴンの赤ちゃんの事で、彼女はその子に紅魔族的にカッコイイ名前をプレゼントしていたのだ。

 ドラゴンは一度付けられた名前を絶対に忘れず、他の名前を決して受け入れないと言う。『じゃりっぱ』は今永遠となったのだ。

「ふっ……、こいつまた勝手に変な、んっ……、名前付けやがって、はっ……」

 そんな悲し気な様子の少女に対して、最弱職の少年は藪睨みで塩対応をする。彼の言葉が途中で不自然に途切れているのは、背中に背負ったリッチー店主を背負い直す為――に見せかけて、その豊満な胸の感触を背中で何度も楽しむ為であった。男の子だもの仕方がない。

 馬車が見えなくなるまで見送った所で、ついに我慢が出来なくなったのか青髪女神が一同の前に躍り出る。笑顔を満面張り付けて、いつの間にか薄紫の羽衣を身に着けながら、彼女は仲間達に向けて高らかに言い放つ。

「ようこそ、アルカンレティアへ! さあ皆、どこに行く? この街の事なら何でも聞いて! なんせここは、私の加護を受けたアクシズ教の総本山なんだからね!」

「うぇっ!?」

 最弱職の少年は青髪女神の口から飛び出した情報に驚愕した。アクシズ教徒と言えば、女神アクアを信仰する狂信集団と悪名高い、魔王軍もモンスターも避けて通ると評判の連中である。

 この街がそのアクシズ教の総本山だと言う情報を、彼は今初めて知ったのだ。旅情で盛り上がった高揚感など、今の一言で微塵に砕け散ってしまうと言う物である。

「……とりあえず、そろそろ宿に向かった方が良いと思うよ。せっかく商隊のリーダーさんに宿泊券を貰ったんだし、ね?」

「ん……、不本意ながらな。まあ、貰っちまったもんはしょうがねぇから、パーッと楽しませてもらうとするか」

 今までずっと黙り込んでいた召喚士が宿に向かうことを提案すれば、最弱職の少年は気持ちを切り替えてそれを承諾する。湯治や観光をするにしても、まずは身軽になってからと言う訳だ。

 そんなこんなで一同は、この町一番の高級な宿屋へと向かう事にした。

 しかし、少年達は回りこまれてしまった。逃げられない。

「ようこそいらっしゃいました、アルカンレティアへ!!」

「観光ですか!? 入信ですか!? 冒険ですか!? 洗礼ですかぁ!?」

「おお、仕事を探しに来たのならぜひアクシズ教団へ!!」

「今なら、他の町でアクシズ教の素晴らしさを説くだけでお金がもらえる仕事がありまぁす!!」

「その仕事に就きますと、もれなくアクシズ教徒を名乗れる特典が付いて来る!!」

「「「「「どうぞ!! さあどうぞ!!!」」」」」

 少年達の前にアクシズ教の信者達が突然現れ、逃げる間もなく取り囲まれてしまったのだ。彼等は一致団結しての勧誘攻撃を繰り広げ、少年達に問答無用と言わんばかりにズイズイと迫って来る。これが、これこそがアクシズ教だと言わんばかりの勢いであった。

「なんて美しく輝かしい水色の髪! 羨ましい、羨ましいですぅ!!」

「そのアクア様みたいな羽衣も良くお似合いで!!」

 その連中は伝承に伝わるご神体そっくりの青髪女神にも目を付け、信者としてあやかりたいのかやたらとべた褒めして彼女を照れさせている。流石に自分から女神本人だとは名乗らない様だが、最弱職の少年としては何時ボロが出るか気が気ではない。

「うちにはもう、アクシズ教のプリーストが居るもので! 失礼しますー!!」

「「「「「さようなら同志! あなた方に良き一日の有らんことを!!」」」」」

 もう勧誘は間に合っていると告げて、後は全員で逃げの一手を打つ。慌てて全員で逃げて行く少年達の背に向けて、アクシズ教徒達はキラキラとした笑顔で祝福の言葉を送ってくれていた。

 リッチー店主を背負ったままで走りながら、最弱職の少年は早速のアクシズ教の奇襲にだいぶ辟易としている。これからの旅行の日々に、一抹も二抹も不安を抱かずにはいられない。

「……うふふふ。楽しいイベントが盛りだくさんで待ってそうだねぇ。旅行いっぱい楽しもうね、カズマ!」

「お前のそのポジティブさが、今は物凄く尊敬できるわ。別に欲しくも羨ましくも無いけどな!」

 走りながらウキウキとした笑顔を見せる召喚士に、少年はもう半ば自棄になって言い返す。この笑いお化けの言うイベントには、絶対に右往左往する少年達を観察する分が含まれている。もういい加減長い付き合いなのだから、この召喚士の楽しみなど解り切っている事だ。

 なんにせよ、まだ旅行の二日目は始まったばかり。お楽しみはまさにこれからである。

 

 

 そんな訳で、荷物を置いた一同はそれぞれ街へ繰り出す事になった。

 青髪女神は宿に行く前にアクシズ教のプリーストとして教会におもむき、ちやほやされて来ると勝手に行動をし始め。魔法使いの少女はそれが心配だと言って、青髪女神と一緒になって着いて行ってしまった。

 最弱職の少年と女騎士は、青髪女神の浄化魔法でダウンしてしまったリッチー店主の介護の為に宿に残っている。彼女が元気になれば、二人も程なく連れ立って観光に出かける事だろう。

 そして、召喚士は珍しい事に、今は一人で街並みを闊歩していた。

「おめでとうございます! アナタはこの道を通った百万人目の方です!」

「……百万人目って語呂は良いけど、それだけで記念品が貰えるってかなり胡散臭い話だよね。あと、勧誘に入る間隔をもっと空けないと、前の勧誘を見てた人に声をかけてしまうかもしれないよ?」

 あの手この手で勧誘して来るアクシズ教団に、召喚士は時にはダメ出ししてみたり。

「おいお前! 暗黒神エリスの加護を受けたこの俺に、お前みたいな奴が勝てると思っているのか?」

「……アクシズ教徒の心情的に、たとえ演技でも他宗教の宗派だって名乗るのはアリなのかな?」

 時には思い浮かんだ疑問を、率直にぶつけて困らせてみたり。

「あれあれー、ひさしぶりー! ほら、わたしわたし! がっこうのー! 同級生の!」

「……ごめんね、僕学校って言うのには行った事が無いんだ。だから僕と君とは面識はないと思うよ」

 思いっきり真面目に対応して二の句が継げない様にしてみたりと、やりたい放題にイベントを楽しんでいた。そんな事を繰り返していると回状でも回ったのか、召喚士に近づいて来るアクシズ教徒は皆無となる。

 ちなみに、わざわざ目の前に来てからリンゴを落とした女性は、全力の笑顔でスルーしました。

 そうして街の中を歩いていると、不意に召喚士は一人の男とすれ違う。その男は短い茶髪に褐色の肌をした中々の偉丈夫で、何処か野性味じみた雰囲気を漂わせた眼光鋭い人物であった。

 その人物は、特に何かをしていたと言う訳では無い。しいて言えば、観光地にも拘らず周囲を楽しむでも無く、不機嫌そうに肩で風を切りながら歩いて居る位か。

「……みぃつけたぁ……」

 だが、その男を見かけた召喚士は、一層笑みを深めてクスクスと笑い声を漏らす。そして、首だけを逸らして肩越しに背後へ視線を送った。

「……ああ、匂い立つなぁ。水と温泉の香りに交じって、僕の大嫌いな毒の匂いがするよ。不快で不快で堪らないなぁ」

 召喚士はただただ笑う。すれ違った男に対して何をするでも無く、今は見逃してやると言わんばかりに笑うだけ。ここで仕留めてしまっては、せっかくの物語が見られなくなってしまうから。それ以上の理由などありはしない。

「……そろそろ、カズマ達も街に出て来た頃かな? あの二人がアクシズ教徒に絡まれれば、きっと面白い事になるよね。はやく見に行かなくっちゃ」

 そして、召喚士は仲間の姿を求めて歩み始める。楽しい楽しい旅行は、まだまだ始まったばかりなのだ。楽しみ切らねば、悔いが残ってしまうから。

 だから最大限楽しもうと、召喚士は足取り軽く観光の街を歩んで行った。

 

 

 おまけ

 

 

 最弱職の少年達が目的地に着いた頃。

「こ、こんにちはー! これはほんの気持ち、どうぞ召し上がって!?」

「…………友達の家に来る手土産に、豚の丸焼きは普通持ってこないと思う……」

 二日連続でやって来たボッチ少女の手土産は、丁寧に包装された豚をまるまる一頭焼いた物であった。

 先日は屋敷に招き入れて貰い、メイド娘にお茶を振る舞われ、更に盤上遊戯などを二人は一緒に嗜んだ。その喜びを伝える為か、ボッチ気質の少女はお土産に気合を入れ過ぎたらしい。

「…………それに、そんなに気を使わなくても、遊びに来るぐらい気軽に来てほしい……」

「う……、そ、そうかしら? 喜んで遊びに行ったら『ねえ、社交辞令って知ってる? って言うか手土産の一つも無いの?』って言ったりしない?」

 長いボッチ生活と、更には友人に恵まれなかった為に、この紅魔族の少女はかなり面倒臭い性格になっている様だ。

「…………そんなことを言う人は友達なんかじゃない……。…………それより、早く入ってゲームの続きをしよう……?」

「う、うん、ありがとう! おおおお邪魔します!」

 そうして二人は今日も楽しく過ごす事になる。お茶を楽しみながら、白熱したゲーム対戦に勤しむのだ。

「…………今日は負けない……」

「わ、私だって負けないんだから! きょ、今日も勝ち越してあげるわ!」

 実はお留守番のメイド娘の方が、このチェスに似た遊戯に熱中していた。メイド娘が遊戯に慣れていないのもあるが、何よりも一人で――自分自身と――対戦ゲームをし続けていたボッチ少女が強すぎて、彼女が連敗しているというのも原因である。言葉少なく何時も死んだ魚の様な目をしているメイド娘だが、その雰囲気に似合わず意外と負けず嫌いなのだ。

「…………今日の御茶請けはケーキを焼いた……」

「わわっ、手作りケーキ!? おおおお友達にお呼ばれした上に、ケーキでお持て成ししてもらえるなんて……。ねえ、これ夢じゃないよね? ケーキを食べようとしたら、宿屋で独りぼっちで目が覚めるとか無いよね?」

「…………めぐみんが、貴女の事を放っておけない理由が、少しわかった……」

 赤い瞳が三つ、蒼い瞳が一つ。人種は違えど、共に時を過ごすのに支障は無い。二人の少女が屋敷の中に消えても、その中からの楽しげな声は途切れる事は無かった。友好は順調に育まれている様だ。

 メイド娘は今のこの時間を楽しんでいた。例えそれが、何時か儚く散る泡の様な物だとしても。育む事に意味があるのだと、強く信じて。

 

 




埒を明けるの埒は馬などを閉じ込める柵の事らしいですよ。

ご覧いただきありがとうございました。
ご意見ご感想を頂けますと作者は元気になります。


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第二十話

もしかしてお待たせしてしまった方には申し訳ありませんでした。
待ってねーよって方は残念でした。
中々に難産でしたがようやく完成したので投稿させていただきます。


「おらあああああ!! 責任者出て来い! 説教してやるぅっ!!」

 荘厳にして静謐、迷える子羊の隠れ家である教会の戸が乱暴に開け放たれ、そこから怒りの形相の最弱職の少年が飛び込んで来る。その双眸はギョロギョロと室内を縦横に探り、彼のもっとも知るアクシズ教の一番偉い奴を探していた。無論、この教会に行くと言っていた青髪女神の事だ。

 この時の最弱職の少年はとんでもなく怒り狂っていた。アクシズ教徒達の悪質な勧誘の数々が、彼の逆鱗に触れたからである。

 街に繰り出して直ぐに、景色を楽しむよりも先に絡んで来たアクシズ教徒。リンゴを落としてしまった女性を助ければ、そのままアクシズ教の直営店に連れ込まれそうになったり。断ればそのまま縋りついて来て、占いの結果不幸になるから入信しろと迫って来る。

 その他にも、道を通った百万人目の記念と称して入信書に名前を書かせようとしたり、エリス教徒に襲われそうな所を入信して助けさせようとしたり。更には昔の知人を装って入信させようとしたりと、多岐に渡る勧誘方で迫られる。

 だが、そんな中でも一際少年を激怒させたのは、とある幼い少女を使った勧誘であった。転んでしまった少女を助け起こし、仲良くなった所で名前を聞かれ、どんな文字なのか紙に書いてほしいと手渡されたのが入信書。こんな狂信者だらけの町にも、純粋な少女は居るのだなと感動した所でのこの仕打ち。少年は幼い少女までもを使ったアクシズ教の手口に激怒した。入信書はもちろん散り散りに破り捨てられている。

 こうして、怒りのままに狂信集団の巣窟に飛び込んで来た最弱職の少年。そんな彼を、一人の金髪の女性プリーストが出迎える。

「あらー、どうなさいましたか? 入信ですか? 洗礼ですか? それとも、わ・た・し?」

 その女性プリーストは少年の剣幕にさして驚きもせず、意味深な言葉を放ってからクスリと微笑んで見せた。女性に免疫の無い少年は思わず怒りも忘れて、気恥ずかしくなって頬を赤く染めてしまう。

「……わ、私……って?」

「ぷっ、冗談ですよ! 何本気にしてるんですか? 頭大丈夫ですか? あはっ、あははっ!!」

 どうやら、女性はただ単に少年をからかっていただけらしい。こんなに女の人をグーで殴りたいと思ったのは、少年にとって初めての経験であった。握り締めた拳がプルプルと震える。

「最高司祭のゼスタ様は、布教活動と言う名の遊びに――あ、いえ、アクア様の名を広める為、留守にしております」

「おい、今なんつった……?」

 この宗教は最高司祭からして尋常では無いらしい。ついでに、布教活動は彼等にとって遊びとの事だ。根本からこの宗教は頭がおかしいのかもしれない。

「すみませんがまたのお越しを……」

「いや、ここに魔法使いとアークプリーストが来なかったか?」

「ああー、あの二人なら……」

 責任者不在を理由に追い返されそうになったが、少年の目的はその更に上の責任者である青髪女神なのだ。ついでに魔法使いの少女の行方も纏めて聞いてみれば、プリーストの女性は教会の片隅を指差した。

「なっ!?」

 そこには、杖を掻き抱く様にしてガタガタと震えながら座り込む魔法使いの少女の姿が。彼女は目から精気を失っており、その全身のいたる所にアクシズ教の入信書が無数に突っ込まれていた。それを、少し離れて黒猫が心配そうに見つめている。

 恐らくは、彼女も少年と同じ様に熱烈に歓迎されたのだろう。普段の元気さの欠片も無く、すっかりと恐怖で委縮してしまっていた。厨二病全開の紅魔族も恐慌させる、アクシズ教徒の勧誘攻勢恐るべし。

 そんな少女の様子に驚愕していた少年だったが、女性プリーストは更に出入り口の外に向けて手を差し伸べ言葉を続ける。

「ところで、あちらのお連れさん、子供達に石を投げられてますけど?」

「えっ!? こらー、何やってんだー!!」

 言われるがいなや少年は、教会の外で子供達に取り囲まれ、蹲りながら投石されている女騎士の元に駆け出した。今の彼女は何時もの鎧姿では無く、観光地でもあり少年と二人きりと言う事もあってか私服姿である。子供とは言え石を投げられている姿は、痛々しくて見てはいられなかった。

「カズマ! この街は女子供に至るまで容赦無くて、色々とレベル高いな!!」

 だが、助け出された女騎士はハアハア言いながら喜んでいた。

 彼女は自他共に認める敬虔なエリス教徒であり、この街のアクシズ教徒には目の敵にされる存在である。勧誘の邪魔をしよう物なら唾を吐かれて無言で立ち去られ、喫茶店に入れば犬の餌を床に置かれる始末。何よりも、その胸元に下げられているエリス教徒を表す首飾りが、彼女をエリス教徒だと周囲に喧伝しているのだ。

「そのエリス教の御守り、ちゃんとしまっておけ! ワザとか!?」

「断る! ことわーる!!」

 もちろんワザとに決まっている。

 女騎士はこの街が大好きになっていた。老若男女に関わらず、エリス教徒と言うだけでご褒美が貰えるのだ。だからこそ、少年の提案を彼女は即断で却下した。この街は、ドMには天国の様な場所なのだから。

 

 

 探し人のもう一人、青髪女神は懺悔の聞き手として手伝いをしているとの事で、最弱職の少年は一人なかなか立派な造りの懺悔室の前まで来ていた。神の慈悲に縋らんとする迷える子羊の告解を聞く場所としては、粗末よりも立派な方が信者も安心が出来るのかも知れない。

「アクア? おい、アクア! …………。はぁ……」

 人の気配がする方の個室の戸にノックして、外から声を掛けるが返事は無い。仕方ないと思い、少年は溜息を吐きながら対面の個室へと入って行った。

 それと時を同じくして、この教会にローブ姿の人物がひょっこり入り込んで来る。室内に入ったのでフードを下ろしたその人物は、今の今まで教会の外から最弱職の少年を見守っていた召喚士だ。

 キョロキョロと教会の中を見渡して、隅っこに追いやられている女騎士と魔法使いの少女を見つけるとぐっと親指を立てて挨拶して来る。女騎士に箒で埃を浴びせていた女性プリーストは、召喚士の事を見るとピクリと眉を動かしたが、特に干渉はせずに清掃に戻ってしまう。勧誘の見込みがない相手に構う程、彼女等も暇ではないのだろう。

 召喚士はそのまま懺悔室に近づいて行き、不審者丸出しで扉の前にしゃがみ込み、張り付いて聞き耳を立てる。その顔には、期待で張り裂けんばかりの三日月笑顔が浮かび上がっていた。

 分厚そうな造りの個室だったが、耳をそばだてれば内部の声はしっかり聞こえて来る。内部では今まさに、最弱職の少年の懺悔が繰り広げられようとしていた。

「……実は、打ち明けたい話があるのです……」

「っ!? 聞きましょう聞きましょう! さあ、あなたの罪を告白し、懺悔なさい」

 実は召喚士が聞き耳を立てるまでに、優秀なプリーストを演じたがる青髪女神とアクシズ教徒を止めて欲しい少年の間でひと悶着あったのだが、残念ながら召喚士は聞き逃してしまっていた。

 青髪女神はわざわざ真面目な声色を作ってまで役になり切り、迷える子羊を導くべく告解を聞き入れる姿勢を作る。

「クルセイダーの洗濯物に興味津々な事ですか? 魔法使いの黒髪に鼻先突っ込みたいと言う欲望ですか? 召喚士の性別が気になってついつい着替えを覗きそうになってしまった事ですか? 美しくも気高いプリーストに不相応にも劣情を抱いてしまったとかですか?」

 青髪女神が言いたい放題に言い放っているが、最弱職の少年は取り合わず冷静でいる。そして、押し殺した様な低い声で、とつとつと己の罪を告白し始める。

「……仲間のプリーストが大事にしていた、宴会芸に使う専用のコップをうっかり割ってしまいました。あと、滅多に手に入らない良い酒が手に入ったと自慢していたので、そんなに美味いのかと一口のつもりでそれをこっそり飲んだんですが。予想以上に美味くて全部飲んでしまい、どうせ味なんか分かんねーだろうと安酒を詰めておきました」

「はっ!? 何言ってんの!? ねえ、カズマ何言ってんの!?」

 少年の口から飛び出した告解に、青髪女神は演技を忘れてつい素に戻って問い質すも、最弱職の少年は反応しない。その口は変わらぬ口調で淡々と、己の犯した罪を告白して行くのみである。

「そのプリーストがあまりにも問題ばかり起こすので、この街に来る前にエリス教プリースト募集の紙を冒険者ギルドのメンバー募集の掲示板に――」

「へあっ! わはああああああっ!!! 背教者め!!」

 最終的に、我慢できなくなった青髪女神が間仕切りを抉じ開けて、隣の個室の最弱職の少年に食って掛った。完全にガン泣きで、ガクンガクン身体を揺さぶり他の宗教に走るとは何事かと吠え立てる。彼女の中では、少年は自分の信徒扱いの様だ。

「ぶふっ……くっ、くくく……ふぐっ……ふっ……。やば……ここじゃ見つかる……。ぶふぅっ……!」

 ここで、聞き耳を立てていた召喚士も我慢が出来なくなった。大声で笑い出さない様に両手で口元を押さえて、びくっびくっと痙攣しながら何とかドアを離れる。そうしておいて、這う這うの体で青髪女神の居る個室の裏側に回って、壁に寄りかかった所で力尽きてぐったりと崩れた。時折ビクンビクンしているので、未だに笑い続けているのだろう。

 そして、召喚士が隠れた所で憮然とした表情の少年が戸を開けて現れ、そのまま青髪女神の居る方の個室へと入って行く。ようやく青髪女神も少年の話を聞くつもりになった様だ。

 最早プルプルと小刻みに震える召喚士もまた、壁に耳を付けて盗み聞きの態勢に入る。笑い過ぎて低い体力を消耗し尽していると言うのに、聞き逃して堪るかと言う気合だけで体を動かしていた。執念である。

 

 

「ローもダクネスも、よくこんな怖い所で喜んで居られますね……。私は早く宿に帰りたいです……」

「はぁ、はぁ……。ゴミ扱い……。貴族である私がゴミ扱いされて……きゅぅん!」

 瞳から光を失ったままの魔法使いの少女と、やたら興奮して身を震わせる女騎士が、召喚士の姿を横目にしながら言葉を交わす。恐怖と悦楽で対照的な二人だが、その瞳は全力で今を楽しむ召喚士を見つめていた。

「……ダクネス。最近ローの様子が、前にも増しておかしいと思いませんか……?」

「……ん、そうか? 私にはいつも通り、自分の趣味の為に全力で楽しんでいる様に見えるのだが」

 幸せな妄想に浸る女騎士に、少女が何気なく問いの言葉を投げかける。問われた女騎士は緩んだ表情を一旦納め、少女からの問いに戸惑い気味に答えた。彼女の目には、普段と変わりなくおかしい様に映っているからだ。

 そんな女騎士に対して、なんとなくですがと前置いて少女は言葉を続ける。

「何と言うか、楽しもうとし過ぎているというか。まるで何かに焦っている様に見えるのです。生き急いでいるみたいではないですか?」

「ふむ……。確かに、今まではわざわざカズマの後を着ける様な事はしていなかったな。だが、旅行で気分が高揚しているからかもしれないぞ? 何を隠そう、この私もこの街に来てからと言う物、街での歓迎で気分が興奮――高揚していてな!」

 真面目なトーンで会話していたはずが、女騎士はやはり何時も通りの女騎士であった。そもそも、アクシズ教徒に散々な目に遭わされて大喜びしている彼女に、真面目な相談を持ち掛けたのが間違いだったようだ。

 相談した事を強く後悔した少女は、それ以上の会話を諦めて再び視線を召喚士へ戻す。視線の先では懺悔室から恰幅の良い男性が退出し、朗らかな表情で立ち去る所であった。何やら『エリスの胸はパッド入り』と何度も口遊んでいるが、一体懺悔室の中では何が起こったと言うのか。やはりアクシズ教徒は理解しがたく恐ろしい。

「ああ……。カズマ、早くアクアを連れ戻してください……。こんな怖い所から、さっさと宿に帰りたいですよぅ」

 少女の心中をまた恐怖心が支配し始めた。そうなってしまえば、浮んだ疑問もたちまち霧散してしまう。

 もしも、この疑問を浮かべた魔法使いの少女の心が平静であったならば。もしも、相談を受けた女騎士の心が変態性癖で占められていなければ。彼女達はもう少し、召喚士について踏み込んで行けたのかも知れない。

 しかし、現実は無常であり、彼女等は召喚士の変化について気付く事が出来なかった。

 大体の所、アクシズ教徒が悪い。

 

 

 懺悔を終えたアクシズ教徒の男性が退出した音を耳にした最弱職の少年は、一仕事終えて満足げに笑みを浮かべる青髪女神に声を掛けた。

「後輩の女神を陥れて、お前は女神としてそれでいいのか?」

「神にとって信者数と信仰心はとても大事な事なのよ。それがそのまま神の力になるんだから。私の信者達は数こそ少ないけれど、それはもう強い信仰を抱いてくれているわ。その可愛い信者達を守る為なら、私はなんだってしてやるわよ!」

 言われた青髪女神の方は、自分自身のした事に胸を張っている。それが例え、後輩の女神をパット入りだと貶める事であろうとも。

 ともあれ、これでもう青髪女神も満足しただろう。今ならば多少は話もし易いだろう。とりあえず懺悔室を出る様に言うべく少年が口を開きかけた所で、再び隣室の扉が開き誰かが入り込んで来た気配がしてしまった。

 仕方なしに少年は口をつぐみ、青髪女神は気分上々に改めて間仕切り越しの相談者へと向かい合う。そして、荘厳な声色を作って、優秀なプリーストとしての演技を始めた。

「汝、悩める子羊よ……。あなたの抱える悩みを吐露し、胸の内に秘める罪を告白なさい。ここは神の庭、神は全てを聞き届け、あなたを許すでしょう……」

「……ああ、そうか何か懺悔しないといけないんだっけ。面白そうだから入ったけど、何も考えてなかったな」

 間仕切りの向こうから聞こえて来た声は、男の様にも女の様にも聞こえる中性的な声色。男にしては高く、女にしては低いその声は、少年と青髪女神には聞き慣れた物であった。

 少年と青髪女神が思わず互いを見やり、コクリと頷き合う。お互いに、この声の主は召喚士であると確信が持てたようだ。先程から部屋の外で召喚士が聞き耳を立てていた事など、二人は知る由も無い事である。

「僕は本当は、出会うつもりは無かったんだ……」

 そうして、召喚士は何やら思いついたのかとつとつと語り始めた。

「本来は必要な時だけ関わって、さっさと戻るつもりだった。でも、今はこうして出会ってしまい、こんなに長く一緒に居てしまっている。果たすべき使命も放置して、僕は楽しくなってしまったんだ」

 間仕切り越しに聞こえてくる声には、次第に力が込められて行く。今まで誰にも語った事の無かった事を、胸の内にしこりとして残っていた物を吐き出す為に。正に絞り出すと言った声色で、召喚士の告解は続く。

「だってね、嬉しかったんだ。だってね、楽しかったんだ。あの時話しかけて貰えたことが。一緒に過ごせた事が。同じ物を見て同じ気持ちになれた事が。だから僕はもっと、皆と一緒に……、一緒に……」

 言葉に詰まり、どもる。幾度か言いかけた言葉を飲み込んで、結局召喚士は最後の言葉を外には洩らさなかった。

 飲み込んだ物の代わりに、胸の内の籠った熱を溜息として吐き出す。

「……これが僕の罪。僕の抱えている罪の内の一つ」

 溜息と共に心の冷却を終えた召喚士は、先程までの声の震えも微塵も感じさせずに、普段通りの声色に戻って告解の終わりを告げる。そして最後に、この罪をどう受け止めるのか、召喚士は問い掛けた。

「神様は、こんな僕でも許してくれますか……?」

「許すわ!!」

 青髪女神が間髪入れずに大声を出す。隣に居た最弱職の少年が、思考する間も無い程の即答であった。

 彼女はそのまま間仕切りにズズイと顔を近づけて、まるで向こう側が見えているかのように語り掛けて行く。最早荘厳な演技などかなぐり捨てて、すっかり普段の彼女そのままを曝け出していた。きっと、話を聞いている内に気分が盛り上がって、演技していた事など忘れ去ってしまったのだろう。

「言ってる事は難しくて良く分かんなかったけど、アンタが楽しいのならそれは悪い事じゃないわ! アクシズ教はそれが犯罪でない限りは全てを許すの。ローは全然悪い子じゃないんだから、ちょっとくらいわがまま言ったって良いじゃない。もっともっと、皆で一緒に楽しい事をしちゃえばいいのよ!!」

 この時、隣で聞いていた少年は素直に感心していた。言っている事は正直ドン引きレベルの戯言なのだが、その言葉は限りなく善意の塊である。そしてそれを、彼女は一瞬も迷う事無く言い放ったのだ。普段はあんなんなのに、良くも悪くも人を救える存在であると言う事を再認識させられてしまう。まるで本物の女神の様――そんな風に少年は感じていた。本人が聞いたら本物だと憤慨するであろう。

 青髪女神の言葉を聞かされた召喚士は、暫しの間何の反応も見せずに沈黙。そして、最終的に発露した感情は、何時もの通り笑いであった。

「あはっ、あはははははははっ!! アクア、あれだけ張り切って演技してたのに、素が出ちゃっているよ。ぶふっ、ぶははははは!!」

「ちょっ、そんなに笑わなくったっていいじゃない!? 励ましたのに! 私すっごい良い事言って励ましてあげたのに!!」

 召喚士が笑い、青髪女神が泣く。先程までの深刻そうな雰囲気は鳴りを潜めて、懺悔室の中にはすっかりといつも通りの空気が流れる。

 後ろで聞いていた最弱職の少年は、この喧しい状況に溜息を一つ零す。

「なんだ、やっぱりアクアが聞き役だって知ってて入って来たのか。って事は、今の話もからかう為のでっち上げなのか……?」

 少年は元々から、召喚士が入室してきた後の言動で疑いを持っていたので、今の二人のやり取りで抱いていた疑問が確信となっていた。生来、人をからかって指差し笑うのがこの召喚士。今回もそれが行われただけだろう、少年はそう判断した。

 間仕切りに遮られてその顔は見えず、聞こえてくる声も至極明るい物だから。だからこそ、召喚士がどんな表情をしているのか、少年も青髪女神も知る事が出来なかった。

「そっか……、少し位わがままを言っても良いんだ……」

 懺悔室を出て行く時に召喚士が零した呟きは、扉を開く音と重なり誰の耳朶も掠める事は無い。

 

 

 何やかんやと在ったが、日も傾いた事で一行は宿屋へと戻る。青髪女神だけはアクシズ教会の秘湯とやらに入る為に未だ居残りではあるが、恐怖心に取りつかれた魔法使いの少女等は是非も無いとばかりに帰還を了承していた。たっぷりと虐められて満足した女騎士も、いつも以上ににこにこしている召喚士も一緒である。

 それから、心身ともに疲れ果てて宿に戻った最弱職の少年は、復活してすっかり元気になったリッチー店主の勧めもあって温泉に入る事にした。

 入浴直前にさりげなく風呂に行くことをアピールしたが、仲間達には早く行けと素気無くされ、今は一人で混浴の露天風呂にどっかりと浸かっている。

「ふっ……、恥ずかしがり屋なおねーさんだ……」

 そして今は、混浴風呂に運よく居合わせた深紅の髪と長い耳を持つ妙齢の女性を、その視線の圧力で撤退させてしまった所であった。要するに、混浴だからってガン見してたら逃げられたのだ。

 普段は何かと強気になれない最弱職の少年だが、大義名分さえあれば幾らでも自身の欲望に素直になれる。それがこの少年の、良くも悪くも味なのであろう。

 風呂に入る直前に、逃げ出した妙齢の女性と野性味の有る男性が不穏な会話をしていたりもしたが、そんなものは療養中なので一切聞かなかった事にした。厄介事に巻き込まれるのは御免であるし、何よりも合法的に女体が見れるのであればそれが優先されるのだ。

「……まったく、人が下手に出ていれば……。やれ入信だ、やれ勧誘だ、なんだかんだなんだかんだ言いやがって……――くそっ、があああああああああ!!」

「うおわあ!?」

 ちなみに、野性味のある男性はアクシズ教徒への不満を爆発させつつ、せっかくの露店風呂にも入らずに出て行ってしまった。叫びと共に投げ捨てられたアクシズ教印の石鹸が、石畳で跳ねて遠くの空へと消えて行く。

「こんな町……――」

「あの人もだいぶやられてるな……。絡まれない様にしようっと……」

 そんなこんなで、だだっ広い露店の湯には、今は最弱職の少年一人である。

 女の人も居ないのなら、ただ湯に浸かるのも飽いて来るもの。背中を流してくれるサービスでも受けようかと腰を上げかけた所で、出入り口の戸を開く音が少年の耳に響いてきた。

 男か女か。それだけでも確かめてからでも遅くはないだろうと、少年は上げかけた腰を再び下ろしてちらりと出入り口に視線を送る。

 湯煙にくゆる空気を割って現れたのは一人分の人影。ひたひたと素足を鳴らして近づいて来るのを見やれば、それは胸元にまでタオルを巻いて体を隠し、長い頭髪をこれもまたタオルで包んで纏めている人物だと分かった。

「すー……、ふー……。よし!」

 第一印象的に女性である事を確信した最弱職の少年は、表面上冷静を装い風呂の縁に両手を掛けながら大きく深呼吸をする。だが、心の中ではガッツポーズと共に大絶叫。擬態を続けながら、獲物が湯船に浸かりに来るまでを耐える。

 あくまでも優雅に、高鳴る鼓動を押さえつけて務めて平素に振る舞う。がっついて逃げられる様な、無様な行為は許されないのだ。目を閉じて全神経を聴覚へと集中し、その時を待つ。

 やがて、新たに入って来た人物は適当にその身を掛け湯で流し、ゆっくりと湯船の中に身を沈めて行く。意外にも、先に入っていた少年のすぐ近くから入り、更にはちゃぷちゃぷと湯を揺らして近づいてきている様だ。

 少年の両の瞳がカッと見開かれる。今しかない。確信を持っての括目であった。

「……やあ、カズマ。良いお湯だねぇ」

「そんなこったろうと思ったよ、ちくしょう!!」

 現実を知った最弱職の少年は、頭を抱えて盛大に喚き散らす。そう、少年ににこやかに話しかけてきたのは、誰あろう少年の良く知る召喚士であった。

 まだ見ぬ女体に思いを馳せていた少年は、血の涙を流さんばかりに大いに嘆く。期待が裏切られた時の衝撃は、急所を抉り込まれたかのような痛みを伴う物である。

「って言うか、何でわざわざそんな格好で入って来たんだよ……」

「……うん? 何かおかしかったかな。めぐみんやダクネスに混浴に入る時のマナーを聞いたら、ちゃんと胸元まで隠せって言われたんだけど」

 困惑して首を傾げる召喚士の言葉に、最弱職の少年は深々と溜息を吐く。少年以外の仲間達はどうも、召喚士を自身等と同じ性別だと思っている為、まるで女人と見紛う様な恰好を教え込んだのだろう。

 そう、一見すると女人にしか見えない様な細い肩に、濡れて体に張り付くタオルの画く体のライン。ぴったりと閉じられた足も内股気味で、普段は見えないうなじにもほのかな色気を感じてしまい――

「カズマ……。そんなにじーっと見て、僕の体に興味があるの?」

「ばっ!? べべべべ別に見てねーしぃ!? ただちょっと、気になって目が行っただけだしぃ……?」

普段から召喚士を男扱いしていると言うのに、顔を真っ赤にしてそっぽを向く少年の姿に召喚士はクスクスと笑う。笑われた少年は大きく息を吐いて、湯船に改めて身を沈める。せっかくの湯治だと言うのに、なんだか途方もない疲労感を味わっていた。

「はあ……、なんか無駄に疲れたな……」

「……ふふっ、カズマはやっぱり面白いなぁ。だから僕は、君の事が好きになったんだよ」

「おいやめろ、その顔でどきっとする事を言うな。そう言うのはせめて、男か女かはっきりしてからやってくれよ」

 それから少年は、やれやれとぼやきながら再び体を湯船に深く沈める。召喚士もその隣に座って湯に浸かり、暫し二人は湯の熱さと心地よさに吐息を漏らす。

 何だかんだと言って、誰かと大きな風呂に入ると言うのは楽しい物だ。温泉の効能で程よく少年の疲れも取れて、表情からも険が取れてゆるーく弛緩して行く。

「ねえカズマ……」

「あん……? どうしたー……?」

 まったりと寛いだころ合いで、召喚士が再び少年に語り掛ける。少年の顔をじっと見ながら、何故かそっぽを向いて視線を合わせようとしない彼に向けて、落ち着いた口調で言葉を続けた。

「カズマ、顔が真っ赤になってるよ。のぼせてきてるなら、無理せずに上がって休んだ方が良いんじゃないかな?」

「……いや、大丈夫だ。ローこそ体力低いんだから、無理せずに先に上がっても良いんだぞ? 俺はもうちょっと温泉を楽しむとするよ」

 お互いに熱を帯びて肌を赤らめさせているが、指摘通り少年の頬は少し過剰に紅潮している様だ。心配からの召喚士の提案だったが、少年はそれを固辞する。それどころか、少年は更に身を捩って、召喚士に背を向けてしまった。

 そんな反応を返された召喚士は、初めはキョトンとしていたが、直ぐに底意地の悪い笑みを浮かべて少年ににじり寄る。そして、少年の肩に触れて背中に寄り添いながら、その耳元にそっと囁き掛けた。

「……もしかして、立ち上がれなくなっちゃった?」

「ちょっ!? やめろよ! 本当に何でもないから、くっつくなよ!?」

 耳に掛かる息がくすぐったかったのか、はたまた触れ合う肌の柔らかさに気恥しくなったのか、慌てた少年が声を上げて召喚士を離そうともがく。

 もちろん召喚士はその程度では離れない。それどころかぐいぐいと体を押し付けて、普段は出来ない様なスキンシップを満面の笑顔で楽しみ出す。

「ねえねえ、何で前かがみになってるの? ねえねえ、なんでさっきよりも顔が真っ赤になってるのかな?」

「おいこら、本当に止め、やめ、止めろー!! お前、全部わかっててやってるだろ!? てめえ、思春期の男子弄んで面白いのかよ!? いい加減にしないとタオル引っぺがして、男か女か直接確認すんぞこらぁ!!」

 意地の悪い質問に、ついには激情を迸らせる最弱職の少年。それでも、召喚士は縋り付くのを止めはしない。頬を歪めて口角を吊り上げ、心の底から楽しそうな表情でじゃれ付いて行くのだ。

「ねえカズマ……。実は僕ね……、生えてないんだよ……?」

「何が!? 分からない、お前が何を言ってるのかわからないし、理解したくもない!! ああでも、ちょっとだけ期待している自分自身が憎い!!」

「ふふふ……、カズマがこんなに慌てるなんて、あの検察官の人には感謝しないと……。ねえカズマ、僕はカズマになら全部見せても――」

 無邪気なじゃれ合いが何時までも続くかと思われたが、この時少年も召喚士もとある事を忘れていた。ここは、混浴の公衆浴場であると言う事を。

「この石鹸ね、食べても大丈夫なの! 天然素材で神聖だから! 入信すると貰えるから!! 今ならポイント二倍だから!! タダだから!!」

「食えるかああああっ!! 綺麗になっちまうわぁ!! ポイントとか耳障りの良い言葉で、誤魔化すのはやめろぉ!!!」

 離れた所から、捕食者の勧誘と犠牲者の悲痛な声が響いて来る。襲われているのはおそらく、先程風呂から上がって行った野性味の有る男であろう。彼はまたもやアクシズ教徒達の魔手に捕らわれ、更なる恐怖を現在進行形で塗りたくられている様だ。

 そんな叫び声のせいで、少年はこの場所が公共の場だと言う事を思い出した。とてもでは無いが、さっきの続きをする様な度胸はこの少年には在りはしない。

 なにより、召喚士の纏う雰囲気が一変していた。叫び声を聞いた途端に、楽しげだった表情を無くして俯いて行く。

「……ロー? どうした、気分悪くなったのか? 大丈夫か?」

「先に上がるね……」

 急に黙り込んでしまった召喚士に、最弱職の少年が心配げに声を掛ける。だが、召喚士の方はそれに応じる事無く、そそくさと湯から上がって立ち去って行ってしまった。

 後に残された少年は、ぽかんとして暫し温泉の中に佇む。

「な、なんだったんだ……? …………、俺も上がるか……」

 それはきっと、召喚士にしかわからない。少年は首をひねりつつも、自身も風呂から上がる為に腰を浮かせて――

「そぉい!!」

「わっ!? お、おい、めぐみん、泳ぐのはマナー違反だ!!」

「ははっ! まあまあ、そう言わずにぃ!」

「ううっ……、こら、何をするんだ!? あっ、あっ……」

「何をいまさら恥ずかしがっているのですか。荒くれ家業の私達が、そんな女々しくてどうするのです!」

「いや、その理屈はおかしい! ああっ、タオルが!?」

 女湯から聞こえて来た魔法使いの少女と女騎士の声を聞くなり、女湯側の仕切りに張り付いて聞き耳を立て始める。最弱職の少年の湯治は、まだまだ終わりそうにも無い。

 

 

 最弱職の少年から離れた召喚士は、静かに憤慨していた。

「いまいましい毒……」

 頭に乗せていたタオルを解いてぶるりと頭を振るうと、湿気を纏った艶のある黒髪が宙を踊る。続いて、体に巻き付いていたタオルにも手を掛けると、一切の躊躇無く脱ぎ捨てた。

 投げ捨てられたタオルが床に落ちる前に、伸びてきた手にはっしと捕まえられる。その手は、いつの間にか現れたメイド娘の物であった。死んだ魚の様な目が、今日はいつも以上にどんよりとして己が主人を見つめている。

「…………自分の体験でもないのに、ずいぶんと記憶に振り回されている様で……」

「……まったくだよ。せっかくいい気分でカズマと過ごしていたのに、毒に過敏に反応し過ぎてそんな気分は吹き飛んじゃった」

 自分に向けられた言葉に同意し、召喚士は盛大に溜息を吐いて、ついでに悪態も吐く。その間も両手はひっきりなしに動いて、新しいタオルで適当に裸身を拭き上げ。最後に、濡れ髪にも構わずに何時ものローブを引っ被る。

 それを見かねたメイド娘が背伸びしながら頭にタオルを被せて、ガシガシと乱暴に主人の頭髪を拭って行く。

「ん、ついでに結い上げもお願いね。自分でやると面倒臭いんだよ、三つ編みって」

「…………この世界は、女神に厳しいと思う……」

 長い髪は乾かすのにも労力が要る。メイド娘はタオルを幾つも取り出しては甲斐甲斐しく髪を拭い、自分が汗だくになる勢いで言われるままに主人の世話をするのだ。

「あの時、遠慮しないでサクッとぶち殺しておけばよかったかな……」

「…………大きな改変は何が起こるか分からない……。…………もしかしたら、次の幹部の登場が早まる可能性もある……」

「……解っているよ。大きな事をすると修正されるのは、借金の時に嫌と言う程理解したさ。だから……、こんなにものんびりと物語を推移しているんじゃないか」

「…………人払いはしてあるけど、大声で話す様な事じゃない……。…………櫛で梳かすから座って……」

 その会話はきっと、聞く者が聞けば驚愕を露わにする物。だが、この場に居る二人は何の気兼ねも無く言葉を発して、むしろ召喚士に至っては口元に薄く笑みまで浮かべている。先程までの不機嫌な様子もどこへやら、髪を拭われ櫛を入れられるのに上機嫌になってた。

「よし、決めた! 明日はカズマじゃなくて、そろそろ動き出す筈のアクアを手伝おう。可能な範囲内で、思いっきりあの毒の妨害をしてやるんだ」

「…………マスターは、アクアに甘い……」

「そりゃあ、甘くもなるさ。地に堕ちた女神なんて見捨てておけないし、今日は良い事を聞かせてもらったからね。それに何より――」

 丁寧に梳かれた後に、何時もの髪型に編み上げられた髪を揺らして。すっかりいつも通りの姿になった召喚士は、自分を呆れた目で見つめて来るメイド娘に微笑み返す。

 底意地の悪い、どこまでも人を小馬鹿にする様な、この召喚士らしい貌で言葉を返すのだ。

「あの子は甘やかされて調子に乗っている時の方が、もっともっと面白い事をするんだから……」

「…………控えめに言って、最低だね……」

 どんどん人格が見慣れた物になって行っている。まるで昔を見ている様だ。メイド娘は自らの召喚主の姿に、遠い過去を想起させられる。

 本当にこの召喚主は『似て』いる、と。召喚士の正体を知るメイド娘は、思わずには居られなかった。

 

 




四章もぼちぼちと佳境。
このまま最後まで突き進みたく思っております。
ご高覧、まことにありがとうございました。


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第二十一話 前編

長い、長すぎる。
そんな訳で今回は三分割です。
こんな長い物は読んでられなって方以外は、どうぞお楽しみくださいませ。


 アクセルの街を離れた旅行三日目。水と温泉の街アルカンレティアで迎える二日目の朝。

 最弱職の少年達一行は、宿の一階食堂に用意された朝食を堪能しつつ、本日の予定をどうするのか話し合っていた。

「この街の危険が危ないみたいなの!!」

「危険が危ないってなんだぁ……? 頭痛が痛い、みたいな言い方はやめろよ……」

 そんな歓談の席で、食事を終えた青髪女神がテーブルに両手を着いて腰を浮かせて前のめりになり、突然そんなことを宣い始める。それを向かいの席で聞かされた最弱職の少年は、露骨に眉を顰めて言葉遣いの間違いを指摘した。

「……何か根拠があって、危機感を持っているんだよね?」

 至極どうでも良さそうな少年に代わり、少年の隣に座る召喚士が青髪女神に確認を取れば、青髪女神は胸を張って己が考えを披露して行く。

「もちろんよ! 昨日私がアクシズ教の秘湯を浄化しちゃって、管理の人に追い出された時の話はしたわよね? その時温泉の浄化に凄く時間がかかったの。つまり、それだけ温泉の質が悪くなって、得体のしれない物に汚染されているって事なのよ!! これは恐らく、我が教団を危険視した魔王軍による破壊工作に違いないわ! アクシズ教団の財源である温泉を汚染させて、その収入源を断とうとしているの!!」

 何処から込み上げて来るのか、自信満々に魔王軍の策略だと決めつける青髪女神。それを聞いた仲間達の反応は、一様に酷く簡素な物であった。召喚士以外の三人が異口同音に。

「「「そーなんだすごいね」」」

「信じてよぉ!!」

 最弱職の少年は、最初から話を欠片も聞く気が無い。頬杖を突いてそっぽを向きながら、食後のコーヒーを堪能するのに忙しくしている。青髪女神が温泉の水質悪化は同時多発的であり、事件性があるのは間違いないと訴えても聞く耳も無しだ。

「そもそも、幾つかの温泉の質が悪くなったと言うだけで、どうして魔王軍が関与しているという話になるのだ?」

「まあ、アクシズ教団がドン引きされて疎まれているのは確かですが、そこまで回りくどい事をしますかね?」

 女騎士も魔法使いの少女も、少年と同じく青髪女神の話を懐疑的に捉えていた。例え嫌われ者だと言っても、街一つを丸ごと汚染してまで打倒する様な物なのだろうかと。魔王軍であれば、そのまま襲撃してしまった方が余程魔王軍らしいと言う物であろう。

「まったく、昨日は一晩中泣いてたと思ったら……。しかし、あの時の混浴で聞いた話は……」

 この時、最弱職の少年は一人だけそっぽを向きつつも微妙な表情をしていた。まるで、この話に心当たりでもあるかの様に、渋面を作りつつも周囲には聞こえない程度の声でぶつぶつと呟き、何やら思い悩んでいる様子である。だが、その時の周囲の仲間達は、彼のそんな表情に気が付く事は無かった。

「私はこの街を守るために立ち上がるわ!! と言う訳で、皆も協力してくれるわよね!? ……はっ!?」

 そんな間にも青髪女神は話題を進め、自分一人だけでは不安なのか仲間の力を募ろうとする。だが彼女は見てしまった。仲間達のやる気のない表情の数々と、それに裏打ちされた非協力的な態度を。

「俺は街の散歩だとか、色々忙しいから」

「私もアクシズ教徒の恐ろしさは嫌と言う程知ったので、もう関わりたくありません……」

 徹頭徹尾青髪女神の話を聞き流していた少年はもちろんの事、先日に恐怖のどん底まで突き落とされた魔法使いの少女も協力を断った。彼女の膝の上で両耳を弄ばれる黒猫も、同意するかの様に一声鳴き声を上げる。

「なんでよぉ! 散歩とかどうでも良いじゃないの!! めぐみんも、そんなにうちの子達を嫌わないでよ!!」

 そっけなくされた青髪女神が机を両手でバンバン叩きながら抗議するも、やはり二人は取り合おうとはしない。彼女が次に縋る相手は、必然的にすぐ隣の女騎士と向かいの召喚士となってしまう。

「じゃ、じゃあダクネスとローは……?」

「う……、わ、私はその……。あ、アレだ……」

 現在、青髪女神に一番距離の近い女騎士は言葉を濁す。アクシズ教徒に虐められるのは大歓迎な彼女ではあるが、与太話と思っている物に乗り気になる事が出来ないでいるのだろう。昨日とは違って見慣れた普段着姿の彼女は、気まずそうに両手で持つジュースのグラスに視線を落とす。

 そして、そんな弱気な態度を見逃す程、青髪女神は大人しい女ではない。しな垂れかかるついでに女騎士の持つグラスに指を突っ込み、奇声を上げて泣き叫びながら高速でジュースを掻き混ぜ訴えるのだ。

「お願いよぉおおおお!! あうああああうああああああああ……っ!!」

「わ、分かった、付き合うから! 付き合うから私のグレープジュースを浄化しないでくれぇ!?」

 こうして青髪女神は協力者を一人得る事となった。その協力者はジュースを水に変えられて涙目になっているが、上機嫌の青髪女神は欠片も気にしてはいない。

「ウィズならお前に甘いから、付き添ってくれるんじゃないか?」

 一人目の哀れな犠牲者が決まった所で、それまで静観していた最弱職の少年が唐突に助言を投げ与えた。今は姿が見えないリッチー店主だが、確かに彼女であれば青髪女神の要求にどこまでも甲斐甲斐しく応えそうではある。

「ウィズなら、私が一晩中泣き付いてたら朝には消えかけちゃって、今は寝かせて上げてるわ」

「街より先にウィズを救えよ!?」

 割と重大な事を、青髪女神は何でもない事の様にしれっと言う。少年はもたらされたリッチー店主の危機的現状に、思わず大声を上げていた。

 実はこの女神、先日教会の秘湯を台無しにした際に、追い出された事で夜通し大泣きしていたのだ。自分はこの教会のご本尊なのにとか、ただ温泉に入ってただけなのにとか、それはもう盛大に。その際に溢れ出した神気や涙に触れたリッチー店主は、まるで聖水でも浴びたかの様に肌がピリピリすると訴えていたのである。

 そんな彼女が倒れるまで涙を浴びせ続けるとは、青髪女神は無意識にでもアンデッドには苛烈なのかも知れない。仮にも自分を心配してくれた相手だと言うのに、本当に自分本位な性格なのであろう。最弱職の少年が、思わずツッコミを入れてしまうのも致し方無い事である。

「今回は僕もアクアを手伝う事にするよ。ダクネスと二人きりだと、とんでもない事になりそうな気もするし、ね?」

 そして、暫く成り行きを見守っていた召喚士は、青髪女神達に同行すると宣言。それに青髪女神はぱっと表情を綻ばせ、逆に少年達は怪訝そうな顔を見せた。

「なんだよ、何時もはとんでもない事になったのを、離れた所で眺めて爆笑してるくせに。お前って、本当にアクアには甘いよな。こいつは甘くすると何処までも際限なく頭に乗って、挙句色々やらかすんだからあんまり甘やかすなよ」

「そうですね、何時もはカズマを優先するので少し意外です。ですが、ローがついて行ってくれるなら、そこまでひどい事にはならないでしょう。私はカズマの散歩にくっついて行きます」

 結局、少年と少女は言いたい放題言ってから、本当に青髪女神を見捨てて散歩に行ってしまった。少女の方は普段の格好では無く、この日の為にあつらえたのか非常に可愛らしい服装になっていたので、純粋に観光を楽しみたかったのもあるのだろう。昨日のアクシズ教徒から受けた心の傷が、少年とのデートで少しでも癒されて欲しい物である。

 そして残されたのは何やら無駄に意気込んでいる青髪女神と、水になったジュースをちびちびと舐める女騎士。それから、意味深に微笑む召喚士だけである。

「さあ、私達も早速出かけましょう! 深い事は特に考えてないけど、兎に角まずは行動を起こさないと! 心配はいらないわ、賢く麗しいこの私が直ぐにでも名案を思い浮かべる筈だから!!」

「その事なんだけど、アクア。少し行先について提案があるんだけど、聞いてもらっても良いかな?」

 張り切る青髪女神が早速無軌道に動き始めようとした所で、召喚士があらかじめ備えていたかのように提案をする。召喚士らしからぬ行動的な言葉に、青髪女神も女騎士も面食らっていたがそれも最初だけ。青髪女神は頼もしさを覚えて顔を綻ばせ、女騎士は青髪女神の場当たり的な行動が無くなってホッと胸を撫で下ろす。

 性癖を除けば真面目な女騎士に、操縦を誤らなければ優秀な青髪女神。この二人に、自分の楽しみの為には妥協しない召喚士が手を貸せば、何だかんだと言って相性は悪くないだろう。

 強いて難点を上げるとすれば――

「……僕に良い考えがあるんだ。今回の事件解決への方針は任せてほしい」

「ああ、それ知ってるわ! フラグって奴よね!」

「なんだろう、そこはかとなく嫌な予感がするのだが……。ああ、でもどんな酷い目に遭わされるのか、少しドキドキしてしまうこの性癖が恨めしい……」

 この空間には今、圧倒的にツッコミが足りなかった。

 

 

 召喚士の提案した計画は実にシンプルだ。真っ正面から問題の発生している温泉宿や入浴施設に赴き、話を付けてから温泉の浄化を執り行うと言う事である。

「なんだか、交渉とか面倒そうなんですけど。ちゃちゃっと行って私が温泉に入れば、あっと言う間に浄化出来て簡単だと思うんですけど。それに、密やかに善行を行うなんてとっても女神っぽいじゃない!」

 これには初め、隠れて善行を行いたがった青髪女神は難色を示した。だが、温泉を最終的にお湯にしてしまう事を考えれば、最初から正直にデメリットを説明した方が無用な誤解を防げると説得し、多少強引にだが納得してもらっている。

「……隠れて浄化をするのは確かに手っ取り早いけれど、やられた方にしてみれば商売道具に悪戯された様にしか見えないよ。助けようとした相手に怒られたり、賠償を迫られたりするのはアクアだって嫌だよね?」

「う……、確かに昨日秘湯の管理の人に怒られたけど……。わかったわよ。でもその代わり、きっちり私が浄化したって言うのは誉めてもらえる様にしてよね」

 街の住民や自分の信徒に糾弾されるのは嫌かろうと言われれば、幾ら傲慢不遜な青髪女神と言えども納得せざるを得なかった。

 そうして今は、三人で連れ立って浄化をさせてもらう施設を探している所である。

「……ん、この温泉の香りに混じる嫌な匂い……。間違いなくここの温泉がやられているね」

「私の女神としての直感も、この温泉が妖しいと訴えているわ! さあ、ドンドン浄化してちやほやされに行くわよ!!」

 街中を練り歩いて、時々土産物屋に浮気して、更には女騎士がアクシズ教徒に唾を吐かれつつ探し求め。そしてようやく辿り着いたのは一軒の宿屋を兼業する公衆浴場。下手な屋敷よりも大きな宿泊施設と、入り口を同じくする露天風呂がもうもうと湯気を上げている。

「まあまあ、焦って行ってもまともに相手はされないと思うよ」

「はー? 交渉してから浄化しようって言ったのはローじゃないの。まさか適当に言っただけとか言わないわよね? だとしたら謝って! 女神様に無駄足踏ませてごめんなさいって謝って!」

 直ぐにでも活躍しようと張り切る青髪女神だが、それを召喚士が暫し待とうと止めてしまう。当たり前の様に不満を顕わにする青髪女神に、召喚士は口元を歪めて問い掛けた。

「交渉する時に、事前に売っておいた方が良い物は何だと思う……?」

「ええ!? 急になぞなぞ? んー、そうね、交渉を有利にするんだから……。あっ! 喧嘩ね!? 喧嘩を売るんでしょう!?」

 それを売るなんてとんでもない。

「ん……、恩を売る……か? 交渉事では地位や経験も重要だが、やはり相手に弱みや恩義があれば有益に進める事が出来るからな」

 暫し思案していた女騎士が、顎に手を添えながらおずおずと言う。普段は脳筋思考だと言うのに、交渉の心得があるのはやはり彼女も一端の貴族なのだろう。

 その答えに、召喚士は満足してにっこりと微笑む。

「……正解。この場合は顔を売るとかでも問題は無いけどね。この規模の温泉なら、もう何人かは湯に浸かっているだろう。商業施設から病人が出て、それを偶然通りかかったアークプリーストが治療する。その施設の経営者は、それはそれは恩義を感じてくれるんじゃあないかなぁ」

 はたから聞けば非常にあくどい事を、実に鮮やかな笑みを浮かべて召喚士は言う。それには女騎士も思い至ったようで、若干顔を引き攣らせながら諌めて来る。

「そ、それは……。幾らなんでも悪辣すぎるのではないか?」

「なに言ってんのよダクネス! 人助けをするんだから、全然悪辣な事なんてないじゃない! さあ、もしかしたら私の信徒達が苦しんでるかもしれないし、今度こそ突入するわよ!!」

 だが、そんな女騎士の苦言は、既にやる気を通り越して誉められる気満々の青髪女神が一刀両断。次の瞬間にはずんずんと突き進んで、施設の中へと乗りこんで行ってしまう。そしてそれを、召喚士は笑顔で見守るのであった。

 女騎士は諦め悪く、狼狽しながら手を伸ばすも、青髪女神は既に髪の先すら見えない。

「ふふっ、もう賽は投げられてしまったよ。さあ、僕達も一緒に行かないと。アクアだけだと、追い返されちゃうかもしれないよ?」

 そう言われてしまえば、もはや女騎士に抵抗する気力は無かった。項垂れる彼女の背中を両手で押しながら、召喚士は朗らかに宣言する。

「汚染の犯人に、喧嘩を売りに行こうじゃないか」

 つまるところ、売れるものは何でも売ると言う事である。

 

 

 結果から言えば、召喚士と青髪女神の企みは成功した。やはり規模の大きな温泉だった事もあり、汚染されていると思しき温泉の利用客には体調を崩した者が多かったのだ。

「うわっ、本当に具合悪くなってる人がいるじゃない! さあ、この私が来たからにはもう安心よ!! 今すぐ超強力な魔法でちょちょいっと解毒してあげるわ!!」

 そこにさっそうと現れた素性の怪しい三人組に、最初こそ施設の人間は警戒を示したが、青髪女神が解毒魔法を使い具合の悪くなった客を治療し始めればその態度は一変した。

 温泉の質が悪くなったことによる湯中りとたかをくくっていた物が解毒魔法で治療できてしまったという事は、いやがおうでも温泉が毒物で汚染されている事を証明してしまったのだ。

「御覧の通り、これは湯当たりでなく毒物による症状です。何者かは判明していませんが、ここ最近の温泉の質の低下は毒物による物だと我々は掴んでおります。どうでしょうか、こちらのアークプリーストは液体の浄化も短時間で行えます。その際のデメリットに関しては――」

 これにより交渉の切っ掛けを得た召喚士は、畳みかける様に温泉の浄化を提案する。流石に温泉を一時的にとは言え水に変えられてしまう事には難色を示したが、そこは召喚士の口八丁が唸りを上げた。

 このまま汚染された湯を取り除き、洗浄をしてから再度湯を張る等どれほど時間が掛かるか。多少の副作用はあれども、源泉さえ無事ならば湯を張り替えるだけで済むならば青髪女神の力は有用であると説き伏せたのだ。

「本当は私が温泉に入れば自動的に浄化されるんだけど、今は浄化魔法でぱぱっと綺麗にしてあげるわね。でもでも、この先幾つも温泉を浄化して行くなら、そのうちの幾つかは私も入って浄化しても良いと思うの。いいわよね、こんなに頑張ってるんだもの。少しくらいご褒美があっても良いんじゃないかしら?」

 そして、実際に湯を浄化して見せれば、やはり経営側の態度は軟化した。実力のある聖職者はこの世界では尊敬を集める物であり、青髪女神の力は実際に尊敬に値するものであったので当然だろう。人格は別としても。

「大変ありがたい申し出なのですが、報酬は辞退させていただきます。その代わりと言っては何ですが、是非とも紹介状を用意していただきたいのです。この温泉の様に汚染された施設は数多くあり、我々はその全てを浄化してこの問題の犯人を追い詰めたい。なにとぞ、ご協力をお願いいたします」

 あっと言う間に温泉を浄化して見せた一行に、宿の主人は大喜びで報酬を渡そうとしてきたが、召喚士はこれを丁寧に固辞し、代わりに一つだけ協力を取り付けた。他の温泉施設への顔繋ぎ、浄化作業を円滑に進める為の橋渡しを依頼したのだ。

「ありがとうございます。これで他の施設の方々にも、我々の行動を理解してもらいやすくなりました。あなたの協力で、更に事件解決に近づいた事でしょう」

 突然現れた冒険者が浄化を申し出ても断られる確率の方が圧倒的に高い物ではあるが、ここまで大きな施設の主人の紹介があれば話は別であろう。商人同士の横の繋がりとは幅広く強固な物で、儲けている商人とは顔が広いと言うのが相場である。実際、次々と温泉を浄化して回る事が出来たのは、この紹介の力が不可欠であっただろう。

 こうして商人の力を取り入れた事で、青髪女神は短時間で数々の温泉を浄化する事に成功していた。施設を回るたびに増える紹介状が、青髪女神の有用性を証明して行ったのもその一助であろう。

「な、なあ、これは本当に正しい事なんだよな? ローの説得を聞いて居たら、何だかアクシズ教の勧誘にも似た邪な事をしている気分になったのだが……」

 そして今は、三人揃って犯人探しと言う名の街の散策を執り行っている。もちろん犯人に心当たりなど無いので、適当に街の中をぶらぶらしているだけなのだが。けっして観光をしている訳では無い。

「あーに言ってんのよ! 温泉の施設の人達も喜んでたし、具合悪くなった人達も皆ニコニコしてたじゃないの。人の為にした行動が邪なわけないじゃない! っていうか、ダクネスまでうちの子達を悪く言うのはやめてよ!!」

 特に当てもなく、露店や土産物屋を冷やかしつつ歩いていたが、その足はいつの間にか街の飲料水を支える貯水湖へと延びていた。水と温泉の街と言われるだけあって、その湖は透明度も高く街の彩りとして優美な風景を描き出している。湖から吹いてくる風も涼やかで、ここも観光客には人気のあるスポットなのだろう。

「僕は何一つ嘘は言ってないよ。毒の浄化は終わったんだから、後は放っておいたって温泉は元に戻るさ。源泉さえ無事なら、ね……」

 道中ずっと話し合っていた一行は、湖を囲む欄干に寄りかかり暫しの休息を取る。召喚士と青髪女神は勧誘の対象にはならず、エリス教の証を首から下げる女騎士はむしろ露骨に避けられるので静かに過ごせていた。

 ――その大声が聞こえるまでは。

「おおい! 湖で大量に魚が死んでるぞ!! 湖の色もおかしいみたいだ! 誰か人を呼んできてくれーー!!」

 その言葉は誰の物だったのか。だが、それを確認する間も無く、周囲の人間達は一斉に湖の周囲へと殺到し人だかりを作ってしまった。この人垣の中では、身動きするのにも不自由してしまうだろう。ましてや、この中から犯人を捜すのは絶望的だ。

 なによりも、一人張り切っているのが居るので犯人探しどころではない。

「ちょっとちょっとちょっと!!! この湖はこの街の生活水にも使ってるのよ! ダクネス、ロー! 私ちょっと行って来るから!! こうなったら、直接飛び込んで浄化魔法唱えて来るから!!」

「お、おおい、アクア!? せめて小舟を出して貰ってからでも――あちょっ、足を踏まれ、んひぃん! ひ、人混みの中でさりげなく攻撃されて――んきゅぅん!?」

 青髪女神はざぶざぶと湖に突撃し、女騎士はそれを手伝おうとしたが何やら嫌がらせを受けて喜んで居る。こんな時にまでエリス教徒に嫌がらせを敢行するとは、流石アクシズ教徒の狂いっぷりは筋金入りだ。

「……これは陽動のつもりかな」

 人のごった返す騒ぎの中で、召喚士だけは一人物静かに湖面を眺めていた。その視線は周囲を見回してから、諦めたかの様に湖を突き進む青髪女神へと移る。

「アクアの力ならあの規模の汚染でもすぐに浄化できる……。これだけ妨害を繰り返されたら、流石にちまちまと温泉を各個で狙う真似はしなくなるだろうね。問題なのはこの後か……」

 召喚士が重苦しく溜息を吐くのと同時に、周囲の人垣から歓声が上がる。どうやらその身をずぶ濡れにしながらも、青髪女神が湖の浄化に成功したらしい。その光景を見守っていた住人達が、喜びと称賛にやんややんやと喝采を上げているのだ。

 そして、それと時を同じくして、街の外から轟音が響いて来る。微かな振動とともに湖面が揺れて、音の聞こえてきた方向に紅蓮の爆炎がぱっと広がるのが見えた。

 周囲の歓声が再びどよめきと悲鳴に変わり、住民達は蜘蛛の子を散らす様に三々五々と散って行く。

「おい、ロー、今のは爆裂魔法ではないか?」

「カズマとめぐみん達が、街の外に爆裂散歩にでも行ったんだろうね。そろそろ帰って来るだろうから、僕達も一度宿に戻ろうか」

 群衆に紛れたアクシズ教徒の嫌がらせから解放された女騎士が声を掛けて来て、召喚士は気怠そうに頭を掻きながらそれに応えた。

 別段女騎士に話しかけられるのが億劫なのではない。この後の事を考えると非常に面倒に思えてしまうからだ。

 全身びしょ濡れで、しかし快活な笑顔で戻って来た青髪女神を伴って、召喚士と女騎士は宿泊している宿へと戻る事にした。その帰り道で、二人の背後を遅れて歩く召喚士はひとりごちる。

「そうか、めぐみんは爆裂魔法を使ってしまったか……。十中八九、相手は明日を待たずに次に取り掛かるだろうに、困ってしまうな……」

 恩を売って、顔を売って、喧嘩を売って。そして、一日の終わりに仲間の一人が切り札を使い切る。最弱職の少年のパーティは、明日の朝まで大幅に戦力が低下してしまった。

 散々計画を邪魔された犯人は、果たしてこのまま明日まで大人しくして居てくれるだろうか。

「……僕なら、今直ぐにでも、大本を断ちに行くだろうなぁ」

 悪辣な者は悪辣な者を知る。毒を扱い無差別に人に仇為す様な者の思考は、召喚士には手に取るように分かるのだ。

「……犯人が今夜動かない事を、神様に祈りたくなっちゃうね」

 まったく期待していない声色で、皮肉気な笑みを浮かべる召喚士は、まさに天を仰ぐばかりであった。

 

 




中編へ続く


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第二十一話 中編

三分割の中で、この中編が一番長いです。
あと深夜テンションで一気に書いた物なので、整合性が取れているか少し不安な所もありますがアクシズ教の教えの様な広い心でご覧くださいませ。


 宿泊している宿に全員が集まって、夕餉やら何やらを済ませて各々寛いでいた頃合いで、その人物はおもむろに行動を開始した。テーブルに両手を叩きつけて注目を集め、そこから更に元気よく声を張り上げる。

「源泉が怪しいと思うの!!」

 部屋の中に集まっていた者達全員が声を張り上げた青髪女神を見つめ、そして何事も無かったかのように各々が再び雑談に戻って行く。その薄情な有り様に、青髪女神は涙目になってテーブルをバンバン叩いた。

「ちょっと! 少し位聞いてくれても良いじゃない!! 今日わたしすっごく頑張って、沢山活躍してきたのに!! その私が聞いて欲しい事があるんだから、黙って拝聴するべきだと思うんですけど!!」

「おい、机をバンバン叩くのはやめろよ、他の部屋のお客さんに迷惑になるだろ。お前が活躍したのは夕食の時に嫌と言うほど聞いたよ、これ以上何が言いたいんだお前は?」

 黙っていれば何時までも騒ぎ続けると思ったのか、最弱職の少年が観念して青髪女神をたしなめる。もちろんそれで止まる様な青髪女神ではない。眦にたっぷりと涙を溜めたまま、キッと表情を引き締めて語り始めた。

「どうしたもこうしたも無いわよ! 温泉の殆どは浄化出来て、湖も迅速に浄化できたけれど、犯人はまだ野放しになっているの。このままじゃきっとまた同じ事をしてくるに違いないわ。むしろ、もう既に行動を起こしているに違いないでしょうね。だって、私がアンデッドに敵対するなら絶対にそうするし!!」

 悪辣な者は悪辣な者を知る。つまりはそういう事である。

 汚染の犯人は今夜必ず動き出す。そしてそれは、街中の温泉を同時に汚染できる源泉に違いないと青髪女神は主張した。話を聞いていた最弱職の少年は、半眼になってその根拠を尋ねてみる。

「女神としての私の勘よ!!」

「つまり無根拠なんだな。はい解散ー……」

「なぁんでよぉ!?」

 元来、厄介事には関わりたくないと豪語している少年は、青髪女神の話を根拠の無い妄言と一刀両断。泣きながら縋り付かれるが、頭を手で押しのけて一顧だにしない。他の面々も特に言及する積りも無い様で、この話はここで終わるかに見えたが――

 ただ一人、リッチー店主だけが声を上げてそれを阻む。

「あの……。私が口を挟むのはお門違いかもしれませんが、アクア様の仰っている事はあながち間違いではないかと思われます」

 そう前置いてから、彼女は汚染事件の犯人が妨害を受けて焦り、大規模な作戦を開始するのは十分にあり得る事。そしてそれは、早い程に、夜が明ける前のこの時間帯こそが効果的であると説明してくれた。

 リッチー店主は魔王軍幹部にして、元は凄腕の冒険者でもある。その言葉には信憑性があると、青髪女神を放置していた仲間達もいよいよ騒めき始めた。言葉の重みが違うとはまさにこれだ。

 召喚士はその中で、目を丸くして驚きを浮かべていた。その唇から予想外だと茫然とした言葉が漏れ出し、しかし気を取り直してリッチー店主の言葉に続く。

「……僕も七割程はアクアの意見を肯定するよ。僕達の浄化作業で、相手は多少の事で汚染はし切れないと学習した筈。敵が次に狙うとすれば、街外れに在ってこの街を一網打尽に出来る源泉が確実に狙われるだろうね。でも、なるべくなら、今夜戦いになるのは避けたい所だよ」

「それは、私が爆裂魔法を使ってしまったから、ですね……?」

 召喚士の言葉に応えるのは、今まで女騎士と共に状況を見守っていた魔法使いの少女。彼女自身も、自分のパーティでの役割を重々承知している。爆裂散歩で魔力を使い切った彼女では、パーティの火力足り得ない。

「流石にまだ撃ってから日も跨いでいませんし、今の私は戦力にはなりません。申し訳ないですが、爆裂魔法が必要となれば誰かから魔力を分けていただかないと……」

 コクリと頷いた召喚士に、少女は申し訳なさそうな表情でそう告げる。そしてその少女の言葉で、その場の全員の視線がかつて魔力を譲り渡した事のある青髪女神へと集まった。

「何よ、みんなしてこっち見て……。もしかして私の神聖な魔力を、まためぐみんに分けろって言うの? 言っときますけど、これは私の可愛い信徒達の信仰心が集まった物で、おいそれと他人に分け与えて良い物じゃないのよ!?」

「でも、今回はその可愛い子等を助ける為に使うんだよね。その為に使われるなら、信徒達にとっても救いになるんじゃないかな?」

 もちろん難色を示す青髪女神だが、それをすかさず召喚士は丸め込みに掛かる。悪魔の囁きにも似たその言動に、青髪女神はうーんと腕組みしながら唸りを上げる。最終的に彼女は、どうしても必要になったら分け与えると、渋々ながら了承してくれた。

「と言う訳でカズマ! 早速、皆で源泉に乗り込みましょう!!」

「え、嫌だよ。何で休養中なのに、わざわざ危なそうな所に行かなくちゃいけないんだよ。どうしても行くなら止めないけど、俺は残って温泉にでも浸かってるから頑張ってくれよな」

 いざ冒険へ出発と言わんばかりに青髪女神が笑顔で告げて、それを即座に最弱職の少年が拒否して場の空気が凍り付く。本来パーティのメンバーではないリッチー店主すら乗り気になっていると言うのに、少年には今から出かけるつもりは微塵も無い様だ。

「この男……、今更ここまで来て自分だけ居残る気ですよ。控えめに言ってサイテーですね」

「……うむ。相変わらず小気味いいほどのクズっぷりだ。流石は私の見込んだ男だ。はぁ……はぁ……んくぅ!」

 自分だけは安全圏から離れませんとする少年に対して、魔法使いの少女も女騎士も言いたい放題し放題。少女のドン引きした視線にも、女騎士の息を荒げながらの熱視線にも、最弱職の少年はどこ吹く風だ。

 続いてそんな少年に噛みつくのは青髪女神。そして、珍しく行動的になった召喚士であった。

「ちょっとカズマ、この期に及んでまたヒキニートに戻るつもり!? このままじゃ私の可愛い子達が病気になっちゃうわ。お願いだから力を貸してよおおおおおおっ!!」

「だからヒキニート言うな駄女神。あんな危なそうな奴――いや、毒を扱う様な奴相手に、俺が居ても居なくても似たようなもんだろうが。お前らだけで行って来いよ」

 青髪女神の貶めから入る泣き落としは失敗。最弱職の少年が漏らした言葉に魔法使いの少女がピクリと反応したが、それをさりげなく手で遮り、今度は召喚士が少年に近づき声を掛ける。

「……カズマ、これなんだと思う?」

「あん? お前らが昼間浄化して回った時に貰った商人達の紹介状の束だろ。それがどうかしたのか?」

「うん、正解。これだけの数の商人達から今僕達は信頼を得ているって事だね。でも、もしも、源泉が汚染されて全ての温泉が汚染されてしまったら……、この信頼はどう受け取られるんだろうねぇ……?」

 終始にやにやと口元を歪めながら、そんな事を宣う召喚士。最弱職の少年の動きがぴたりと止まり、次第にその額に汗が浮いて来る。

「もう一度信頼して解決を依頼してくれる人ばかりだと良いのだけれど、そんなお人よしはいったい何人ぐらい居るんだろうね。ああ、もしかした賠償を求めて怒鳴り込んで来るかもしれない……。僕達はアクセルでの冒険者パーティとして認知されているから、その責任はきっと……」

「お、おい、待てよ。お前らがやらかした事なのに、責任は全部俺に回って来るって言いたいのか!?」

 召喚士が流暢に告げる言葉の数々に、少年は完全に狼狽して余裕を無くす。誰だって責任なんてものは、軽々しく取りたくない物だ。それが、自身のあずかり知らぬ所で起きた事であれば尚更に。

「ところで、今さっきカズマは『あんな怖そうな奴』って言いかけたよね」

「言ってない」

 更に、動揺で生まれた心の隙間にねじり込むかのような追撃。召喚士の言葉に、少年は目を逸らしながら咄嗟に否定する。だが、その逃避を魔法使いの少女が横入りして阻む。

「私もそこが気になりました。もしかしてカズマは、犯人が誰かもう知っているのではないのですか?」

「いいい言ってないって言ってるだろ!? お、おいなんだよ皆してそんな目で見て。べ、別に隠してた訳じゃなくて、俺達はあくまで湯治に来てたからだな……」

 自分の仲間達どころかリッチー店主にまでじーっと見つめられて、強気だった少年の言葉尻はどんどんと萎んで行く。元引き籠りのニート生活者には、こんな圧力に耐え切れるほどの胆力は無かった。

 結局、先日の入浴時には犯人の会話を盗み聞いていた事を自白させられて、それを面倒だと言う理由で黙っていた少年が仲間達にこっぴどく怒られたのは言うまでもない。

 

 

 アルカンレティアの温泉を支える源泉は、アクシズ教の大教会裏手にある山の中に存在している。最弱職の少年のパーティ一行は今、その山を目指して進行していた。

 少年を先頭にして、その背中に向けて口々に悪態を吐きながら。

「まったく、カスマは怠け者で困ったものですね」

「そうだな、流石クズマと言われるだけはあるな」

「ゲスマさんってば、街の危機より自分の安全が大事だなんて、筋金入りのヒキニート根性で言葉も無いわね」

 少年が汚染の犯人について黙っていた事に、青髪女神はもちろん魔法使いの少女も女騎士も大変ご立腹。宿を出てからと言う物、道中常にちくちくと小言を言い続けていた。

「おいお前ら、いい加減にしろよ。確かに黙ってたのは悪かったけど、何時までねちねち言い続けるつもりなんだよ。これ以上言うつもりなら、幾ら温厚な俺でも実力行使で黙らせるからな」

 最弱職の少年もさる者、ただ言われ続けるだけには甘んじない。やる時はやると普段から豪語しているので、このまま責められ続ければとんでもない仕返しをするのであろう。

「まあまあ、皆さんそれくらいで……。無益な争いを避けたいと思うのは誰にでもある事ですし。私だって、なるべくなら戦いたくないと思っていますから」

 険悪になった空気を見かねてか、苦笑するリッチー店主が仲裁に入る。それでとりあえず悪態は止まるものの、女性陣の顔にはありありと不満が浮かんでいた。

「ふふっ、災難だねカズマ」

「このやろう、他人事だと思って……」

 最後に召喚士が少年の隣に並び立ちからかいの言葉を掛け、それに少年が疲れた溜息と共に恨み事を呟く。それの何が面白かったのか、召喚士は破顔して少年の腕に飛び付いた。

 残りの全員があっと声を上げて、少年が顔を赤くして慌てふためく。その様子が面白くて、召喚士は一人声を上げて笑う。険悪な雰囲気など、一瞬で吹き飛んでしまった。

 そんなこんなをしている内に、少年達一行は山の入り口にある山門へと辿り着く。そこには山門の出入りを管理する二人の騎士が立っており、一行は足止めを余儀なくされていた。

「ねえ、この冒険者カードを良く見て! ほら、私は間違いなくアクシズ教のアークプリーストなんだから、お願いだからそこを通してちょうだい!!」

 関係者以外は立ち入り禁止の一点張りで、二人の騎士はアクシズ教のプリーストである青髪女神すら通せんぼ。泣いても誉め殺しても脅しても、まったく話を聞き入れようとしない。

 試しに召喚士が商人達から預かった紹介状を見せ、街中の温泉の浄化をしてきた事を説明し、協力を求めてみたがそれも断られてしまった。曰く、先に入山した温泉の管理人から、今夜は誰も通すなと厳命されており。例え浄化をしてきた功績があっても、自分達の勝手な判断では入山させられないと言うのだ。少年達にとっては、発揮してほしくない職務への熱心さである。

 さあどうした物かと全員が思案に耽ると同時、その視線が自然と一点に集まって行く。両手を組んで何やら考え込んでいる最弱職の少年へと。

 結局、困った時は何とかしてくれるであろう少年に、みんな頼りたくなってしまうのだ。これもまた、確かな信頼の形だろう。

「おいダクネス、数少ない出番だぞ。お前んちの紋章の描かれたペンダント、こいつ等に見せてやれ」

「か、数少ないとか言うな!? と言うか、私が家はそんな不当な権力の行使などしないぞ!!」

 頼りにされた少年が考え付いたのは、女騎士の実家の権力を使う事。基本的にこの世界の貴族の力と言う物は、時に司法の力を飛び越えてしまえる物なのだ。少年はそれを、裁判に掛けられた時に嫌と言う程理解していた。

 実家の名前や力を使う事を快く思わない女騎士は、当然の如くその少年の要求を突っぱねる。肩を怒らせて怒る彼女のその肩に手を置いて、少年は表情を引き締めて説得に掛かった。

「ダクネス、勘違いしないでくれ。俺は別に、お前を貴族のお嬢様だから頼っている訳じゃない。同じ冒険者としての、クルセイダーのお前だからこそこうして頼んでいるんだ。頼む、力を貸してくれないか……?」

「う、お、おお……? そ、そうか、それならば、別にまあ……。そうか、仲間としてか……。うむ、うむ……」

 神妙な面持ちの少年の言葉に気圧されて、女騎士は当惑しながらもごそごそと胸元から紋章入りのペンダントを取り出す。何だかんだで少年の言葉が嬉しかったのか、その口元がだらしなく緩んでいた。

「……チョロイな」

「チョロイですね」

「チョロイわね」

 門番の騎士二人にペンダントを見せながら交渉する女騎士の背中を眺め、少年と少女と青髪女神は真顔になって素直な感想を呟く。結局は権力を利用されているというのに、仲間と言う言葉一つでまんざらでもない様子は、彼女の将来が心配になってしまう。

「ぶふっ……、くっくっくっ……」

「み、皆さん……」

 召喚士がそれに満足げに含み笑いして、声を押し殺す為にビクンビクンと痙攣する。リッチー店主は流石に女騎士が不憫になり、それでもどうして良いのか分からずに困惑するばかりであった。

 げに不憫なり、仲間に餓えた女騎士。

 

 

 相手の一人が上級貴族だと知るや否や、態度を急変させた騎士達は一行をすんなりと入山させてくれた。王家の懐刀と言われるほどの大貴族相手では、さしもの職業意識も形無しの様だ。

 切り立った崖の上の山道を幾らか進んで行けば、すぐさま周囲には温泉独特の臭気と湯煙が立ち込め始める。道沿いに設置された配管のおかげで道に迷う事も無く、一行は順調に源泉へと近づいていた。

「おおい、このお湯黒いぞ!?」

「毒なんですけど! これ、思いっきり毒なんですけど!!」

 辿り着いた先で真っ先に見かけた光景は、幾つかのパイプの切れ目にある湯畑の汚染された光景。温度調節をする為だろうその温泉の溜池は、そのどれもがどす黒く変色していたのだ。

「この様子だと、源泉も既に汚染されてしまっているかもしれませんね……」

「急ぎましょう!」

 魔法使いの少女の呟きに全員が同意して、青髪女神が涙目で急かし立てる。こうまで温泉の汚染を見せ付けられれば、犯人がこの先に居るのは間違いないだろう。更に山頂に近い源泉へと向かって行く。

「ん……? まて、誰か居る……って!?」

 湯煙が風で流れて遠くまで見通せるようになると、最弱職の少年が突然声を上げて駆け出す。千里眼のスキルを持つ彼には、遠く離れた人影がふらりと源泉に向かって倒れ込むのが見えたのだ。

 世間ではゲスだ鬼畜だゴミ虫だと言われる少年だが、元々この世界に来たきっかけは轢かれそうになった見知らぬ少女を救おうとした為である。人助けの為なら、躊躇せずに飛び出せるのは彼の美点であろう。

「危ない! 早まっちゃ駄目だぁああああ!!」

「ふぇ……?」

「……ふぇ?」

 少年が慌てて駆け寄り手を伸ばした先で、野性味の有る眼光の筋肉質な男が源泉に手を突っ込んで間抜けな声を上げていた。男の手の周囲ではボコボコと不自然に温泉が泡立ち、しかも色が徐々にどす黒く染まって行く。

 何より最弱職の少年には、この男に見覚えがあった。この男こそ、少年が温泉で聞いた不穏な言葉を漏らした人物その人であったのだ。ついでに、各所でアクシズ教徒に嫌がらせをされていた被害者であるのも目撃している。

「これはこれは、観光ですか! 実はこの温泉、腰痛肩こり疲労回復美容効果その他憂鬱邪念各種呪いなどもろもろ効果がありまして!」

 少年とその仲間達にバッチリと源泉を汚染する現場を見られた野性味のある男は、その外見に似合わない溌剌とした口調で突然セールストークを始めた。どうやら自分を温泉の管理人だとアピールして、この場を乗り切ろうと判断したらしい。

 最早この男が犯人だと確信しきっている少年はもちろん、召喚士とリッチー店主以外の仲間達もこの怪し過ぎる男の溌剌とした営業トークを半眼になって聞き流していた。

「各国の著名な方々からも大変好評いただいておりまして……ですからですね――んん!?」

 そして順調だった男のトークが、リッチー店主の顔を見た所で唐突に中断される。その時に思い切り顔を逸らしたので、男の首からグキリとエグイ音が鳴り響いた程だ。

「この方、見覚えが……」

「見覚えなんてそんな……、初対面ですよ……」

 先程から頬に指を添えて思案していたリッチー店主が、思考の引っ掛かりを探る様にして口を開く。野性味のある男が首を逸らしたままで否定するが、リッチー店主はパンと手を合わせて喜色の声を上げた。どうやら男の正体を思い出したらしい。

「ああ、ハンスさん! ハンスさんですよね!? ハンスさん、お久しぶりです。私ですよ、ウィズです。リッチーのウィズですよぉ!!」

「だ、誰の事ですか? 私はここの管理人の……。ちょ、ちょっと何を言ってるのか……」

 畳みかける様にして自分の事を語り、ひたすら親し気に話しかけるリッチー店主。それに対して野性味のある男は冷や汗を流しながら背を向けて、何とか否定しようと頑張っていた。

 それにとどめを刺すかの様に、リッチー店主の追撃が続く。

「ハンスさんは、確かデットリーポイズンスライムの変異種でしたよね! ひょっとして、ハンスさんが源泉に毒を入れていたんですか?」

 この決定的な一言で、その場にいる全員が男の正体を察してしまう。最弱職の少年はデットリーポイズンと言う単語に眉を顰め、女騎士はなぜかスライムと言う単語に目を輝かせていた。

「ねえ、ハンスさん! どうして私を無視するんですか? ウィズですよ、ハンスさん!」

「な、何ですか、私はあなたの事なんて知らな――ぽあっつ!? ちょっ、揺さぶるのはやめてください!」

 あくまでとぼけ続ける野性味のある男に、しびれを切らしたリッチー店主がガクガクとその体を揺さぶり始める。彼女はこれで悪意がある訳では無く、ただ知人との旧交を温め様としているだけだと言うのだから性質が悪い。

「ひょっとして、私の事忘れちゃったんですか? ほら、昔魔王さんのお城で――」

「だあああああああああああっ!!! っとぉ、急ぎの用で今から街に戻りますんで……」

 もうワザとやってる様にしか見えない程、致命的な情報がリッチー店主から零れ落ちるが、野性味のある男はそれでもこの場を切り抜けようと大声を上げた隙に立ち去ろうと踵を返す。

 そんな彼の行く手を、当然の様に少年達のパーティが遮った。

「何処に行こうと言うのだ、ハンス!」

「ここは通さないわよ、ハンス!!」

「そんな言い訳が通用すると思うのですか、ハンス!」

「悪あがきは止めて、そろそろ正体を現せよハンス!!!」

 剣を構えた女騎士に、一番殺気に溢れて身構える青髪女神。杖を構える魔法使いの少女に、刀を突き付ける最弱職の少年と続き、全員がもうこの男を逃がすつもりは欠片も無い事を見せ付ける。

 召喚士は一連のやり取りに笑いのツボをやられ、お腹を抱えながら地面でビクンビクンのたうって居た。

「「「「ハンス!!!!」」」」

「ちくしょおおおおおお!! ハンスハンスと気安く呼ぶな、クソ共が!!」

 ここに至ってようやく、野性味のある男は誤魔化すのを止めたらしい。それが生来の口調なのか粗暴さを曝け出し、眼光も態度も今まで以上に粗野になっていた。

「ウィズ、お前店出すとか言ってたじゃねぇか! 温泉街をうろついてないで働きやがれ!!」

「ひ、酷い! 私だって頑張ってるんです! 何故か働くほど貧乏になって行くのですが……」

 とりあえずは先程までの意趣返しか、男はリッチー店主相手に毒を吐く。リッチー店主が涙目になった所で、遠い目をしながら前髪を掻き上げ彼女にそのまま問い掛け始めた。

「はー……。年月を掛け、隠密にやって来たってのに……。ウィズ、確かお前、結界の維持以外では魔王軍に協力しない。その代り俺達に敵対もしないって言う、互いに不干渉の関係だったはずだ……。それがどうして俺の邪魔を?」

「ええっ!? 私、ハンスさんの邪魔をしてしまいましたか!? 久し振りに会ったから、声を掛けただけじゃないですかぁ!」

「それが邪魔になってんだぁ!!」

 かつて高名を馳せたリッチー店主は、何故こうもぽわぽわとした天然になり下がってしまったのか。野性味のある男が幾らシリアスをしようとも、それを許さない謎の緩さを彼女は見せていた。

「……うちのシマを荒らしてくれたのはあんたね。覚悟しなさい……」

 モンスター同士の会話に割り込んで、青髪女神がその瞳を怪しく輝かせながらボキボキと拳を鳴らす。自身の象徴とも言える街に危害を加えられた彼女の怒りは、もはや天元を軽く突破している様だ。

「……どうするんだウィズ、俺とやり合う気か?」

 野性味のある男はそれでもリッチー店主しか相手として認識しておらず、あくまで彼女にだけ交渉を続けている。それは既知であるからと言うよりも、それ以外はどうとでもなると言う様な余裕の表れに見えた。

「この人達は私の友人なんです。話し合いとか出来ませんか?」

「相変わらず、リッチーになってからは腑抜けているんだなウィズ。お前がアークウィザードとして俺達を狩りまくっていたあの頃には、話しあいだなんて言葉は出てこなかっただろうに」

「あ、あの頃は周りが良く見えていなかったというか……」

 リッチー店主の発した言葉に、野性味のある男は嘲りを含めた言葉を返す。図らずも自分の過去をばらされてしまった彼女は、指先をツンツン合わせながら恥ずかしげに俯いてしまう。

 そんな毒吐きと緩い受け流しの応酬を、再び遮る者が現れた。

「ウィズ、こいつとは顔見知りなんだろ? 戦い辛い相手だろうから、下がっていてくれ……」

 それは事の成り行きを見守っていた最弱職の少年。彼は自信満々に刀を構え、野性味のある男に凄んで見せる。少年の所作にも、気楽な相手と戦うかの様な余裕が見て取れた。

「俺の名はサトウカズマ。数多の強敵を屠りし者!」

 そのせいか、調子に乗って紅魔族の様な自己紹介までしてしまう有り様だ。今の少年は、かつて無い程にやる気に満ち溢れている。

 そして、その自己紹介を聞いて、初めて野性味のある男は少年の事を視界に入れた。強敵を屠ったという言葉が、どうやら彼の琴線に触れたらしい。

「か、カズマさん? 確かに私としては、戦う事は遠慮したいのですが――ん!?」

 何やら言いかけるリッチー店主の唇を、少年は人差し指を押し当てて黙らせてしまう。この少年、時折こうして女性の唇に気安く触れる事があるのが悪い癖。普段の女性に対しての免疫の無さは何処へ行ったのやら、たまにギルドの受付嬢も被害に遭っている。

「行くぜ……、相棒――」

「ちゅんちゅん丸」

「違う!」

 可能な限り格好つけて手の中の刀に語り掛けるも、それを魔法使いの少女が邪魔をする。だが、否定しようとも彼の刀の名前は、紅魔族的に格好良い名前なのは確かなのだ。

「……良いだろう。誰もが俺の本性を見ると同時にひれ伏し、許しを乞うて来た……。お前は骨が有りそうだ……」

「最弱モンスターのスライムの癖に何言ってんだ」

 少年の余裕な態度に認識を改めた野性味のある男は、少年達一行を己の敵として認識し闘う姿勢を見せ始める。それに対して、最弱職の少年はかなり舐めた態度でそれを受け止めていた。

「デットリーポイズンなんて名からして毒攻撃してきそうだが、こっちには毒を浄化できるアクアが居る。負ける要素が見当たらない」

 どうも少年の認識の中では、スライムとはとても弱いと言う認識なのが原因の様だ。先程から漏らしている独り言からもそれが窺える。日本生まれの彼には、国民的RPGの影響が色濃く表れているのだ。

 先程の少年の自己紹介への返事の為か、野性味のある男もまた名乗りを上げた。それで、状況は一変する事となる。

「俺の名はハンス。魔王軍幹部の一人、デットリーポイズンスライムのハンスだ」

「…………今なんて? 魔王軍幹部……?」

 少年の余裕だった表情が、一瞬にして引き攣り汗まみれ。奇しくもこれで、少年達は四人目の幹部との出会いとなった訳である。

「ハンスさんは、幹部の中でも高い賞金が懸けられている方です。とても強いので注意を!」

 リッチー店主の言葉で情報の裏が取れた。目の前の相手は確実に魔王軍の幹部であり、高額賞金の懸けられた危険な生き物であると証明されてしまった。

「……な、なあ、スライムってのは雑魚だろ? 雑魚だよな?」

「そんな馬鹿な話、誰に聞いたのだ!? スライムは強敵だぞ。まず物理攻撃がほとんど効かない。一度張り付かれたら終わりだと思え。消化液で溶かされるか、口を塞がれて窒息するぞ!」

 最後の望みを賭けて仲間達に確認をしてみるも、帰って来たのは真逆の認識だ。女騎士は表情を引き締めて忠告し、改めて剣を構えて臨戦態勢を取る。

「しかもそいつは、街中の温泉を汚染できる猛毒の持ち主です。触れたら即死だと思ってください!」

 それに続いて魔法使いの少女も、持ち前の知力の高さを生かした考察で助言を送る。今日はもう魔力を使い果たしているというのに、自分の出来る事はしっかりと役割をこなす優秀さだ。

「大丈夫よカズマ。死んでも私が付いてるわ! でも捕食だけは駄目よ。消化されたら蘇生できないからね」

 最後に青髪女神が、頼もしいんだかそうでもないのか微妙な事を力強く宣言する。何時もの様に気楽には死ねないと言う状況下で、しかし仲間達の誰もが強敵を前にして一歩も引こうとはしていなかった。何と言う頼もしい仲間達、なんと言う強敵との激戦の予感。

 体中から毒々しい瘴気を放ちながら、野性味のある男もまた悪党らしく高々と宣言する。こちらも両手を広げてポーズを取っている辺り、魔王軍幹部としての役どころに完全に浸っている様だ。

「フハハハハハハ!! さあ、掛ってくるがいい、勇敢な冒険者よ! この俺を楽し――」

「んうううううううっ!! すいませーん!! ほんとうにすいませーん!!!」

 最弱職の少年はそんな状況で、大声で謝りながら背中を見せて逃走して行った。

 それはもう、迷いの無い大逃走。咄嗟に反応できたのは青髪女神と魔法使いの少女だけで、リッチー店主や女騎士は遅れて後を追いかける羽目になってしまった。

 もちろん、盛大に格好つけた野性味のある男も置いてけぼりだ。

「………………え?」

 あそこまで大見えを切った相手が、まさか逃げ出すなど夢にも思わなかったのだろう。もう既に豆粒の様に小さくなった少年達の背を見つめながら、男の口から間の抜けた声が漏れる。もうすっかり、体から溢れていた毒の瘴気も消え失せていた。

「……何が数多の強敵を屠りし者だ。アイツも所詮は、他の人間共と同じ口だけの輩か……」

「ふふっ、それは本当の事だよ。まあ、カズマが自力で倒したわけではないけれどね」

 やる気をなくした野性味のある男が、悪態を吐きながら再び源泉へと近づいて行く。そんな背中に、のんびりとした声が掛けられる。その場違いな声の主は、先程まで笑い転げていた召喚士の物であった。

「なんだ貴様、あの腰抜けと一緒に逃げなかったのか。まあ良い、どちらにせよ殺されたくなければさっさと失せろ」

「心配しなくても、カズマは直ぐに戻って来るよ。それよりも、これ以上温泉を汚される方が困るんだよ。アクアが泣いちゃうからね」

 シッシッと手を振って追い払おうとする野性味のある男に、召喚士は笑顔を浮かべたままで無造作に歩み寄る。その様子に男は怪訝そうに眉を顰め、そして召喚士の発した言葉に驚き目を見開いた。

「アクア……、アクシズ教の崇めている忌々しい女神の名か! まさか貴様もアクシズ教徒なのか!?」

 長い雌伏の期間は、男の骨身にまでアクシズ教徒の恐怖を刻み込んだらしい。些細な一言にも、まるで親の仇に出会ったかの様に過敏に反応して見せる。召喚士から飛び退って距離を取り、今までで一番の警戒した表情を見せていた。

「んふふふ、それはそれで面白そうなんだけどね。あいにく僕は神を崇める気はないよ。神も邪神も大嫌いだからね」

「なんだ、違うのか。驚かせやがって……。――なら、もう死ね」

 召喚士の否定の言葉に心底安堵した表情を見せ、そして何気ない素振りで腕を薙ぎ払う。そこから紫色の飛沫が散って、ほんの数適が召喚士の体に触れる。野性味のある男にとっては、それで十分だった様だ。

 口元を笑みに歪めたままで、ぱたりと召喚士が地に伏せる。伏せった体の下に、じわりじわりと赤い液体が広がって行った。

「ふん……、雑魚が……」

 吐き捨てた男が再び源泉へと手を伸ばす。この時男は、自分の毒で召喚士は即死したと確信していた。彼の毒は、その名が示す通り猛毒なのだから。だからこそ、次に起こった出来事に理解が及ばなかった。

「……酷いなぁ、死んじゃったじゃないか。これ結構苦しいんだからね? 毒を浴びるのには慣れてるけど、触れただけで死んじゃうなんて最悪だよもう」

「貴様……。毒耐性のスキルでも持っているのか?」

 即死したはずの召喚士が、変わらぬ笑顔で野性味のある男に語り掛けている。口元から吐血の残滓を零し、襟首を巨躯の狼に咥えられて体を弛緩させながら。それでも毒を受けた筈の召喚士は、確かに目を開いて口を利いていた。

「そう言うのはダクネスの役目さ。僕自身には何の力も無い。ただ、時が来るまで、条件が揃うまで、死ぬことが出来ない。それだけの存在だよ」

 召喚士の背後には既に呼び出されていた巨躯の狼と、続いて呼び出された眠たげな瞳の大蛇が立ち並び闘う意志を示している。その二体の姿を見せ付けられ、野性味のある男は改めて全身から濃密な毒気を発散させた。どちらも、もう

互いの事を明確な敵だと認識している。

「はったりなど聞く耳持たん。それならば頭から丸呑みにして、消化され続けても生きていられるか試してくれるわ」

「おお、怖い怖い。ヨーちゃん、フーちゃん、カズマが来るまでおもいっきり時間を稼ぐよ」

 毒気と共に鋭い殺気を放つ男に対して、召喚士はあくまでも持久戦の構えを取る。元より、この二体の召喚獣では決定力に欠けるのだ。最弱職の少年のパーティは、一人一人では成り立たないのが前提である。

「はっ! あんな腑抜けが、本当に戻って来るとでも思っているのか? よしんば戻って来たとして、口だけの雑魚が何の役に立つ物か!!」

 少年が帰って来る事を信じる召喚士に対して、野性味のある男はそれを嘲笑う。役に立たない物にすがるとは、なんと愚かな事かと。

 それに対して、召喚士は自信を持って笑みを浮かべていた。

「わかって無いなぁ……。カズマは本当に誰かが困ってる時には、『しょうがねぇなぁ』って言いながらなんとかしてくれる人なんだよ」

 力の入らない体をだらんと弛緩させ。それでも視線だけは、目の前の男に負けてなるものかと力強く見返し続ける。召喚士が微笑んでいられるのは、先を知っているからではない。強い信頼があるからだ。

「そして、君も最後には倒されるんだ。他の幹部やデストロイヤーと同じ様に、ね」

「ならば、貴様の後にその男も喰らってくれるわ!!」

 叫ぶや否や、野性味のある男の身体が内側から膨れ上がる。明らかに人の身を越えて膨張する体積は、人の皮から溢れ出してその本性を星空の下に露わにさせた。本能のままに貪り喰らう、魔王軍幹部の正体を。

 こうして、召喚士の孤軍奮闘が始まるのであった。

 

 




戦闘不能と死亡。どちらも『死んだ』と表現されるものですね。
システムの違いと言う事でどうか一つ。


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第二十一話 後編

これにて第四章も終了。今までお疲れ様でした。


 時は少し遡り。逃げたした少年達は元の山道を全速力で下っていた。元々山肌と崖以外に何もない一本道なので、迷う事も無くあっと言う間に下山してしまえるだろう。

「ちょおっ! なんで逃げるのぉ!!」

「馬鹿野郎、早く来い! ヤバいヤバいヤバい、アイツは今までで一番ヤバい!!」

 逃げ出すのに否定的な青髪女神を罵倒してまでも、最弱職の少年はひたすらに山の出口に向けてひた走る。例え幾度も強敵を倒して来たと言っても、今回ほど自分の死が間近にある状況など経験が無い事だ。自分が弱者である事を人一倍知っている少年としては、仲間を連れて逃げ出すのが最適解で間違いはないのである。

「ああ……、スライム……、スライムが……」

「ダクネス! 流石にあれは死にます!!」

 女騎士は別方向で何やら落ち込んでいる様だが、魔法使いの少女が諭しているので問題は無いだろう。後は街に帰って冒険者ギルドなりに報告し、全てを他人任せにしてしまえば死ぬ事は無いはずだ。仲間も自分も助かる為には、この撤退は決して間違いであるはずが無い。

「ちょっと、ちょっと待って! ストップすとーっぷ!!」

 しかし、青髪女神が再度騒ぎ出したので仲間達が足を止めてしまった。仕方ないので少年も足を止め、再度逃げ出す為にもまずは話を聞いてやることに決める。

「私達が逃げ出したらその間にあいつはまた温泉を汚染させてしまうわ! 今直ぐ引き返さないと、取り返しのつかない事になっちゃうわよ!!」

「……ん、もう源泉は諦めようぜ。どうせアクシズ教徒なんて要らない子達だし……」

 それは少年の偽らざる本心であった。元々源泉に犯人探しに来るのさえ嫌だったのだ、それが散々嫌がらせを受けたアクシズ教徒の為ならばなおさらである。

「なぁに言ってんの、ねぇ!? この街のアクシズ教団が崩壊しちゃうぅぅぅぅっ!!」

「「良い事じゃないか(ですか)」」

 もちろん青髪女神は泣きながら反論するが、それには少年どころか魔法使いの少女までもが賛同してしまう。二人とも旅行の間に、相当アクシズ教徒に可愛がられたので無理もない事だが。

「わああああああっ!! ああっはっはあああああっ!!!」

「あ、アクア様をからかうのはやめてください!!」

 仲間二人から見捨てられた青髪女神は、その長い髪を振り回しながら泣き喚いてしまう。見かねたリッチー店主が二人を注意する程の錯乱ぶりである。

 と、そこで、今まで傍観していた女騎士が、やや緊張させた声を張り上げた。

「おい、ちょっと待て。ローがついて来ていないぞ」

 その言葉に全員が驚き、ついで視線を戻ってきた山道へと向ける。体力の無い召喚士の事だから、途中で力尽きているかと期待したが姿は無い。前述の通り崖と山肌しかない道なので、隠れている可能性も無いだろう。

 そして、誰かが声を上げる前に、元来た方角からずるりと巨大な物が鎌首を擡げるのが見えた。

「っ!? あれはローが呼びだした召喚獣か?」

「あれは、ハンスさんです! 元のスライムの姿に戻ったみたいですね」

 少年の疑問にはリッチー店主が直ぐ様に答える。これで後の問題は、何故元の姿に戻ったかだが、これはわざわざ口に出す必要も無い事であろう。今はこの場に居ない召喚士が、アレと戦っていると言う以外にあり得はしないのだから。 

「これは……、何と見事なスライムだ! 惜しい!! 毒さえなければ、我が家に連れ帰ってペットにしている所だ!!」

「脳味噌溶かされてんのかぁぁぁっ!? いい加減にしとけよこのド変態が!!」

 とりあえず場違いに喜んでいる女騎士には、ツッコミと言う名の罵倒を入れておく。無論のことその罵声でも、女騎士は大いに悦んで身を震わせていたが些細な事だ。

 全員の視線が、当然の様に少年に集まる。誰もの目が雄弁に語っている。退くか戻るか、どうするのかと。

「……………………、行くに決まってんだろ!! しょうがねぇなああああああああああっ!!」

 誰だって自分の命が大切だ。それを守る為になら、プライドも名誉も捨て去る事をいとわない瞬間が誰しもあるだろう。

 でも、この少年は誰かを助ける為なら動いてしまうのだ。自らの身の安全も顧みず、助ける為に危険に身を投じてしまえるのだ。それだからこそ、彼はこの世界に来る事になったのだから。

 仲間達も、少年の叫びに微笑みと共に頷いて見せる。見捨てるなんて選択肢は、最初からそこには存在していない。何時もは自分勝手な青髪女神ですら、早く行こうと少年の袖を掴むほどである。

 少年達は全員揃って、召喚士が奮闘する場に駆け出した。

 

 

 召喚士の戦況は、端的に言って不利であった。

 元々が決め手に欠ける召喚獣二匹と、動く事の出来ない召喚主。巨躯の狼は軟体生物の振りまく猛毒の飛沫から主を守る為に逃げ回り、巨大な蛇の方は毒こそものともしないが物理攻撃を通す事が出来ないでいた。

 純粋に、相性が悪いのだ。

「せめてヨーちゃんを本来の力で呼びだせれば、丸呑みにして終わりなのになぁ……」

 狼に咥えられながら緊張感無く喋る召喚士だが、その唇からは未だに鮮血が零れて胸元を汚している。死なないと言うだけで、毒が消えた訳では無い。喋る度に、呻く度に、確実に体を蝕まれ、激痛と爛れを生み出していた。

「ごふっ、はっ……。なんて不便な体だ。今回ばっかりは本当にきついよ……」

 この上、生きたまま消化され続ける等と言う、洒落にならない責め苦は味わいたくも無い。いつもへらへらとしていた召喚士だが、この時ばかりは必死にならざるを得なかった。

 しかし、そんな時間稼ぎにも限界は訪れる。

 体当たりと噛み付きで牽制していた巨大な蛇の妨害を掻い潜り、遂に振りまかれる毒の飛沫が逃げ回っていた巨躯の狼を捉えてしまう。

 短く悲鳴を上げた狼は一瞬足を止めてしまい、その体めがけて次々と雨の如く猛毒交じりの消化液が降り注ぐ。最早巨躯の狼に残された選択は、その体で少しでも主人に降り注ぐ被害を受け止める事だけであった。

「あぐっ! お……、おご……」

 体力を失い強制送還される狼が、直撃の寸前に己が主人を投げ飛ばし、召喚士だけは難を逃れたがそれだけだ。元より戦闘不能の主人はまともに受け身も取れずに地に投げ出され、ごろごろと転がってから止まるも身じろぎ一つ出来ないでいる。

 そんな召喚士に向けて、巨大な蛇を半ば飲み込みかけている猛毒の軟体生物が食指を伸ばす。宣言通りに召喚士を丸呑みにして、捕食してしまおうとしているのだ。

「あは……、嫌だな……。カズマに溶かされてる所なんて、見られたくなかったなぁ……」

 何時もは眠たげな瞳を見開いて巨大な蛇が暴れているが、猛毒の軟体生物はものともしない。召喚士に伸ばされる毒の塊の触手は、もう既に眼前まで迫りつつあった。直ぐに召喚士の体も、軟体生物の体の中に漂う無数の生き物の骨と同じ目に遭わされるのだろう。

 召喚士はやはり最後まで笑みを絶やさず、瞳だけをゆっくりと閉じてその時を待つ。

「『カースド・クリスタルプリズン』ッッ!!」

 目前に迫った食指が、後方から一直線に伸びて来た氷塊の柱に薙がれて凍結させられた。数舜遅れて氷塊が砕け散り、巻き込まれた食指も粉々に砕け、その分軟体生物の体積が減る。

 それだけで、召喚士は己の待ちわびていた者達の到着を知るのだった。

「怖いんですけど……。私があのスライムの中に管理人のお爺さんが浮いてるって言ったら、ウィズがすっごい怖い顔になっちゃったんですけど……」

「おい馬鹿やめろ、そんな事言ったらこっちに怒りが向くかもしれないだろ! それより俺達は、今のうちにローを助けに行くぞ!」

 動けない召喚士からは姿が見えないが、青髪女神と最弱職の少年の声が聞こえる。たったそれだけの事なのに、召喚士は胸が熱くなるのを感じてしまっていた。

 複数の足音が近づいて来て、程なく召喚士は待ち人達に救出される事となる。

「ハンスさん……。私が中立でいる条件は、戦闘に携わる方以外の人間を殺さない方に限る……、でしたね? 冒険者や騎士が戦闘で命を落とすのは仕方のない事です。冒険者はモンスターの命を奪う事で報酬を得て、騎士は住民を守る代わりに税を取り立てている。対価を得ているのですから、命のやり取りも仕方ありません……」

 猛毒の軟体生物に魔法を放ったリッチー店主は、その全身から凍える様な冷気を放ちながら、一歩一歩と相対者に向かって歩み寄っていた。彼女が歩む度に、地面に霜が広がり草花が凍てついて行く。

「ですが、管理人のおじいさんは何の罪も無いじゃないですか!!」

 叫びと共に顔を上げた彼女は、普段の緩さなどかなぐり捨てた鋭い眼光を放っている。これこそが彼女の、現役当初に氷の魔女と呼ばれて敵味方から恐れられていた本当の姿なのであろう。

 叫びを受けた猛毒の軟体生物は、しかしそれに言葉では無く吠え声で応じる。最早人の姿だったころの知性は欠片も無く、今あるのは無尽蔵の食欲と言う原初の本能のみであった。

 奇しくも魔王軍幹部同士の対決の様相を見せる戦いの場だが、少年のパーティメンバー達も蚊帳の外でいるつもりはない。しかし、相手が巨大すぎる事と、その身が毒の塊である事で非常に対処がしづらい状況だ。今はまだ、召喚獣の巨大な蛇が拮抗して抑えているが、それも何時まで持つか分からない。

「こんな奴、私の爆裂魔法で木っ端微塵にしてくれます!!」

「止めて! そんなことしたら、この山自体が汚染されちゃう!!」

 戻って来る前に青髪女神の魔力を分け与えられたであろう魔法使いの少女が張り切るも、その青髪女神に爆散させるなと言われてしまう始末である。何より今の爆裂魔法は、機動要塞を粉砕せしめた時よりも強力なのは間違いないのだから。

「くそっ! ウィズ、何とか出来ないのか!?」

「今の私の魔力では、あの大きさを凍り付かせる事は出来ません! 何とか小さく出来れば……」

 最弱職の少年がリッチー店主に解決を求めるも、逆にアレを小さくしてほしいと言われてしまう。毒を撒き散らさずに、尚且つあの巨大な不定形の体積を減らせなど、無理難題と言う物だろう。

「カズマ! 何時もみたいに、小ズルいこと考えて何とかしてくださいよ!!」

「なんだぁ? ……小ズルいとか言うなよ……、こら……」

 さしもの少年もお手上げ状態。魔法使いの少女から頼られたとしても、今回ばかりは都合の良い解決策など簡単には浮かんでこない。

「カズマ……、大きな穴が在れば、爆裂魔法を撃っても毒の飛散は防げるよね……?」

「ロー!? お前、無理すんな! って言うか、一人で無茶しやがってばっかやろうが!」

 そんな時、青髪女神が解毒と回復の魔法を掛けていた召喚士が、少年の腕に抱かれたまま弱々しく声を上げた。少年に怒鳴られてしまうが、それでもなお召喚士は言葉を続ける。少年の手を掴み、じっと視線を合わせたままで。

「僕が、場を作る、から……。カズマなら、思いつくよ、ね……? きっと、ぜんぶ、丸く収め、られる、方法を……」

 途切れ途切れに言葉を紡ぎ、しかし確かな力強さを持って少年に言葉を届ける。血に塗れた唇が、何時もの様に弧を描いて、少年の行動への期待を示していた。

「お前、終ったら説教だからな……」

 少年は短くそれだけ言って、召喚士の体をゆっくりと地面に横たえさせる。召喚士は苦しげな吐息のままで、それでもパッと華やぐ様に笑って見せた。まるで、構ってもらえたのが嬉しい幼子の様に。

 する事を決めてしまったのなら、後はやってしまえばいい。きっと今がその時だ。BGMが掛かるなら、きっと主題歌が流れている頃の筈だろう。

「アクア! 完全に消化されてなければ、蘇生は出来るか!?」

「え、あのおじいさんの事? それだったら骨が残ってるからできるわよ!」

 第一条件として、青髪女神に蘇生の条件を確認しておく。そして、希望通りの解答が得る事が出来た。彼女がしている勘違いなど、一々指摘している暇など無い。

「ウィズ! アイツが小さければ氷漬けに出来るんだな!?」

「え? ええ、今の半分くらいになれば……」

 第二条件として、リッチー店主はどの位まで削ればいいのかの答えをくれる。流石は、優秀な冒険者だっただけの事はある的確な回答だ。

「めぐみん! 撃たせてやるぞ、あっちで待機してるんだ!」

「う、撃って良いんですか!? 撃ちますからね!!」

 肝心要の魔法使いの少女は、確認するまでも無くやる気は万端だ。賢い彼女なら、細かい指示は出さなくても最適な爆裂を見せてくれるだろう。少女は嬉しそうに指示された場所に駆け出して行く。

「私は飛び散るハンスから、皆を守ればいいのだな?」

「そういう事だ、頼りにしてるぞ!!」

 女騎士は自分から何をするべきか確認して来る。少年が期待できる事も、彼女が出来る事もただ一つ。守る事なら、この女騎士の右に出る者など居ないのだから。自然に笑みが浮かんで、互いにサムズアップを送り合う。

「ロー! こうなったらもうお前任せだ! 全力でやっちまえ!!」

「……送還。そして、全力召喚。ヨーちゃん、星空に浮かんでおいで……」

 最後に召喚士に呼びかけて、少年は全力で猛毒の軟体生物に向かって駆け出した。

 それに合わせて、必死に捕食に抵抗していた巨大な蛇の姿がフッと掻き消える。突然対象が消えた事で軟体生物が慌てるが、その頭上にサッと影が落ちて意識を頭上に向けさせた。

 はたして、見上げた先には召喚士が全力で召喚した蛇が浮かんでいる。いつぞやにアクセルの街を洪水から守った、城壁の様な巨大なその姿。それが今、ボールの様に丸まりながら源泉の沸き出す山に墜落してきていた。

 程なくして響き渡る轟音と、襲い来る地震の如き大振動。巨体の軟体生物すら揺るがす程の墜落物は、山肌に巨大な穴ぼこを空けてから、さらさらと空気に溶けるように消え失せて行く。もとより、全力での召喚は数秒程度しか維持できないのだ。

「温泉街に魔王軍の幹部登場とか、ゲームバランスどうなってんだ! こっちを見ろハンス! お前の餌は、俺だ!!」

 あまりの唐突さに我を忘れた軟体生物に、横合いから最弱職の少年が渾身の魔法を叩きつけた。少年はそのまま、全力で生み出されたばかりの穴に向かって走って行く。

 それは初級魔法で生み出した土塊を、同じ初級魔法で生み出した水流で作った泥水だ。初級の土魔法は肥沃な畑を作り出すと言う、青髪女神が馬鹿にし倒した魔法である。だが、肥沃であると言う事は、栄養満点であると言う事で、それを与えられた悪食は歓喜に戦慄きながら少年の後を追い始めた。理性を捨てた本能の塊には、抗いがたい魅力であったのだ。

「爆走、爆走、爆走。最高最強にして最大の魔法、爆裂魔法の使い手、我が名はめぐみん。我に許されし一撃は、同胞の愛にも似た盲目を奏で、塑性を脆性へと葬り去る。強き鼓動を享受する!」

 囮になった少年を追いかける様な形で、紅魔族的にカッコイイ詠唱を唱える魔法使いの少女。彼女の瞳は魔力の高まりと興奮で赤く輝き、宵闇に残光を漏らす。

 やがて足を止めた彼女の眼前では、猛毒の軟体生物を引き連れた最弱職の少年が蛇の作った大穴に飛び込む所であった。

「お前の運の尽きは、この街に来た事じゃない! 俺達を相手にした事だ!!」

 叫びながら飛び降りた少年を追いかけて、軟体生物も穴の底を目指して滝の様に落ちて行く。その先に居る、少年をあっさりとその体内に飲み込みながら。

「後は任せたぞ、皆ああああああ!! がぼぼぼぼぼ!!! うぎゃああああああっ!?」

 猛毒にして貪食な軟体生物に取り込まれ、最弱職の少年はあっさりと衣服と骨を残して消化されてしまう。だが、この時点で少年の策は全て整ったのだ。

「哀れな獣よ、紅き黒炎と同調し、血潮となりて償いたまえ! 穿て! 『エクスプロージョン』ッッッ!!!」

 魔法使いの少女が全力を賭して呪文を撃ち放つ。大穴の上に浮んだ多重魔法陣が、少女の杖から撃ち出された魔力に貫かれ、穴の底へと向かって紅蓮の爆砕を振りまいた。青髪女神の魔力を使い、紅魔族随一の魔法使いが解き放った最強呪文は、かつての機動要塞を粉砕した時よりも数段に大きく、力強く轟音と破砕を轟かせる。

「アクア……。たぶん全部は防ぎきれないから、今の内から浄化の準備を……」

「待て、危ない!!」

 爆裂魔法の暴虐は、軟体生物の体を周囲に飛散させてしまっていた。仲間の元に飛んで来た猛毒の塊を、女騎士は両手を広げて全てを受けきって見せる。その陰に守られながら、召喚士の指示で青髪女神が浄化の為に全身に魔力を漲らせて行く。

 果たして、穴の底には軟体生物の残りカスの様な物しか残ってはいなかった。だが、それは微かにぴくぴくと蠢き、まだ生きている事を示している。

 そうである以上、追撃は止まらない。

「『カースド・クリスタルプリズン』ッッッ!!!」

 穴の底に降り立ち、直ぐ様に高めていた魔力を解放したリッチー店主が、再び上位の凍結呪文を撃ち放つ。掌から迸った冷気は地中から牙の様な氷柱を競り上がらせて、軟体生物の残骸を取り囲む。

 更には地面に巨大な魔方陣が浮かび上がり、それに合わせて氷柱が細かく粉砕、直ぐに渦を巻く氷の嵐へと姿を変える。

「はあああああああああっ!!」

 リッチー店主が気合と共に、冷気を放っていた掌を握り込む。連動した氷の嵐が小さく一点に凝縮して、猛毒の軟体生物はその一遍までもが氷柱の中に閉じ込められた。少年の組み立てた作戦は、全てが全て上手く運び、強大な魔王軍幹部を倒して見せたのだ。

「はぁ……、魔力が尽きる前に、ハンスさんを止める事が出来て……、良かった……」

 全ての魔力を使い果たしたリッチー店主が倒れ込み、それと同時に氷柱がひび割れ崩壊して行く。恐らく、穴の上では魔法使いの少女が、同じ様に魔力切れで倒れ込んでいる事であろう。

 粉々に砕け散り動く事も無くなった魔王軍幹部の傍で、最弱職の少年の骨が早く蘇生しろとばかりに転がっているのであった。

 

 

 ずりっずりっと、這いずる音がする。爆裂魔法の跡地から光り輝く浄化魔法の魔力が迸るのを背に、その軟体生物は這いずりながら逃走している所であった。

「おのれ……、おれのれぇ……、クソ共が……。この俺をここまで追い詰めやがって……」 

 それは毒々しい色をしたクラゲの様な軟体生物だが、確かに数分前まで少年達と戦いを繰り広げていた魔王軍幹部である。

 さしもの魔王軍幹部も、機動要塞を滅ぼしたほどの爆裂魔法が相手ではひとたまりも無かった。身体を爆散させれた際に飛び散った飛沫が、何とかより合わさって復活する事が出来たのだ。

 普通の爆裂魔法であれば、まだ反撃する余力もあったかもしれない。だが今は、恥も外聞も無く、這う這うの体で逃げ出すより他無かったのである。

 それは、この上ない屈辱であった。ほの暗い復讐の念が、今の彼を突き動かす。

「だが、見ていろよ。直ぐに食って食って食らい尽して、再び元の肉体を取り戻してから、奴らをぶち殺してやる!」

 こんな姿になりながらも、この魔王軍幹部は諦めてはいない。本能の赴くままに食欲を満たし、直ぐにでも復讐をしてやろうと画策しているのだった。

 そんな彼の前に、都合良く一人の少女が現れる。

「はっ、アクシズ教徒だろうと構うものか、俺様の血肉となれぇ!!」

 その少女は、メイド服を着ていた。長い黒髪を太い三つ編みにしてから、首にマフラーの様に絡み付けている。そして、赤と青のそれぞれ違う色の瞳を、死んだ魚の様な眼にしていたのだ。

 その少女の事を知らぬ幹部は、喜び勇んで少女へと飛び掛かった。

「…………『デス』……」

 人差し指を差し向けて、ほんの一言呟く。アルカンレティアを騒がせた汚染騒ぎの犯人は、ただ一人のメイド娘に見守られながらあっさりと死を迎えたのだった。

「…………帰ろ……。…………今度こそ、ゲームでゆんゆんに勝たなきゃ……」

 そのメイド娘もまた、虚空に溶ける様にして消え失せ、そして誰も居なくなる。

 

 

 そして、少年達は街を救った英雄として盛大に歓迎され――はしなかった。

 青髪女神が気合に気合を入れて行った浄化作業によって、山の汚染が全てきれいさっぱり取り除かれて、ついでに全ての沸き出す温泉がお湯に変わってしまったからである。

 そうなればもう、街はてんやわんやで歓迎どころではない。浄化を感謝していた商人達も手の平を返して少年達を責め立てて、責任を追及されてしまう始末であった。

「私頑張って浄化しただけなのにぃ!! なんで皆に怒られるのよぉ!!!」

 当然青髪女神は泣いた。泣いたからと言って許してくれる訳も無く、その騒ぎを収める為に賠償金として、魔王軍幹部の討伐報酬は全て街へと寄付する事になってしまったのだ。

 その配当を担う事になったのが、推薦状を集めた商人達だ。彼等は現金な物で、補償金さえ手に入るならばと街と少年達の間を取り持ってくれた。

 だが、金を払ったからと言って、怒りまで綺麗さっぱり消え去る訳でも無い。少年達の一行は、馬車に飛び乗って街を逃げ出す事となり、町の住民達はあらん限りの投擲でそれを見送ってくれる。石やらリンゴやら石鹸やら洗剤やらが投げつけられて、青髪女神はまた盛大に泣いた。

 女騎士は一人だけうっとりしていた。何時もの事なので仲間は全員スルーである。

 帰り道は誰も彼もが疲れ果てて、来た時の様な観光気分など微塵にも無い。誰もがぐったりと席にもたれ、中でもリッチー店主は青髪女神の浄化の影響を受けて半透明になっている。その耳元で、どこかで見た様な首無し騎士が『ほら……、こっち来いよ……』と言っている様な気がするが、恐らく気のせいであろうと少年は思い込む事にした。

「結局、湯治になんてならなかったな……」

「でもまあ、面白かったから良いんじゃないかな?」

「そりゃお前とダクネスだけだろ……」

 馬車の荷台に追いやられた少年が旅の思い出に悪態を吐けば、隣に座る召喚士がニコニコした笑顔で応える。その答えですら少年には深い疲労を感じさせられてしまう。出来ればもう、家に引きこもってのんびり暮らしたい物だと、改めて実感させられてしまう旅だった。

「いっぱい思い出が出来たよ。きっと、もう、満足できちゃうぐらいの思い出が……」

「ロー、お前……」

 その時、召喚士は笑顔を浮かべながら、泣いていたのかもしれない。

 その事を少年が問い質そうとした時、客車の窓から青髪女神が頭を出して大声を上げた。

「ねえねえ! ほら見て、アクセルの街が見えて来たわよ!!」

 その声につられて、召喚士は荷台から身を乗り出して前方を眺めに行ってしまう。そのせいで少年は、問い質すタイミングを逃してしまった。

「まあいいか、時間はいくらでもあるしな」

 そんな風に考えて、少年もまた久方ぶりに見るアクセルの街の景色を眺める事にした。きっとこれからもあの町で楽しい事が起きて行くのだろう。大変な事も起きて行くのだろう。何の変りも無く、ずっと。

 この理不尽で取り留めも無く残酷な、素晴らしい世界に祝福を、なんて心の中で気取って見せる。

 

 

 そんな、在りもしない事を、考えていたのだ。時間など、もう残ってはいないと言うのに。

 

 




この作品は四章までと言ったな。あれは嘘だ。
もうちょっとだけ続くんじゃよって事で、次からは最終章の種明かし編です。

それでは、ご観覧ありがとうございました。
また次も良ければ見てやってくださいませ。


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最終章
第二十二話


最終章一話目。ようやく最初に思いついた話を書けそうです。


 気が付いた時には、彼はその空間に居た。

 見渡す限りに白一色で、自分の体以外はまったく何もない開けた空間。あまりにも世界に色が無い物だから、自分が立っているのか浮んでいるのかさえ分からない。もしかしたら落ち続けているのかもしれないし、逆に登っているのかもしれないが定かではなかった。

「何だここ……、俺また死んだのか……?」

 彼は初め、この空間は死後の世界ではないかと思い浮かべる。しかし、それはすぐさま自分で否定した。

 何時も通い慣れている死後の世界は、こんなに殺風景なものでは無い。満天の星空の様にも見える黒い空間の中に、向かい合う二つの椅子が存在するのが良く知る場所だ。そして用途に応じて、幾許かの家具が追加される様な不可思議さも併せ持っている。

 だからこそ、今居る空間の異彩には動揺を隠せずにいた。

「今度はいったい何に巻き込まれたんだよ……。ラノベやゲームの主人公がする事だろ、こういうのは……」

 軽口を叩いてみても、周囲に応じてくれる者も無し。虚しさばかりか、心細さが沸き上がる始末である。小心者にこの仕打ちはいかがなものだろうかと、内心で泣き事を言っていた。

 だが、いつまでも嘆いている訳にも行くまいと、彼は改めて意識を持ちなおす。とりあえず周囲を見渡し、とっかかりでもないかと視線を彷徨わせて――

「ダメだよカズマ、もう時間切れなんだ。君の物語は、もう終わってしまったんだよ」

 目の前に人が立っている事に、今初めて気が付いた。

 それは黒髪と黒目を持つが日本人とは違う容貌を持つ、全身を見慣れたローブで包み込みフードを目深に被る存在。

一見すると不審人物ではあるが、彼にはそれが誰なのか一目で分かった。

「ロー!? お前もここに居たのか! って言うか、今どうやって目の前に現れたんだよ」

 最初こそ酷く驚愕したものの、見知った顔が見れたのは嬉しく思える。彼は口元に笑みを浮かべながら語り掛けた。一人でなければ、少なくとも心細さは紛れるだろうと。

 だが、それに対する返答は、酷く無味乾燥な物であった。

「残念だけど、仲良しこよしと話している状況じゃない。時間切れだって言っただろう? 忘れてしまったのかい、あの最後の日に何があったのかを」

 言われて思わず両手を組み、うーんと唸りながら頭を悩ませる。こんな風に言うのだから、その最後の日とやらにこの状況を改善する何かがあるのだろう。

 少しずつ思い出して行く。あの日、あの瞬間に何があったのか。

 

 

 その日の最弱職の少年は、非常に上機嫌であった。

 最近出会った、弟子の様な存在の後輩冒険者との仲も良好。ギルドの受付嬢に頼りにされて、紹介された難解なクエストも見事に攻略して見せた。

 数多の強敵達と渡り合い、街で噂になる程に金を稼いでいる実力者。そんな自負の心が、少年の気分を高揚させていたのだ。自分に酔っていたとも言い換えられる。

 ……本当の事実を知るまでは。

 用意された環境と、画策された依頼。ようするに、煽てられて乗せられて、塩漬けクエストの消化をさせられ。慕って来たと思った後輩は、金で雇われただけのハリボテだったと言う事だ。

 それだけならまだしも……。

「プワーックスクスクス!! カズマさんってば、超プルプルしてるんですけど!」

「わ、笑ってはいけませんよ。愛想つかされるどころか、こんなオチだったなんて!」

「くっ、くふっ……。ま、まあ、皆で優しくしてやろうではないか……、ブフーッ!!」

 後輩が出来てそっちに掛りきりだった為に、最近不機嫌だった仲間達にはいい気味だと笑われ。

「あ、あの、カズマさんて前から思ってたんですが、あの!」

「わ、私は依頼を受けただけですし、カズマさんにあこがれてたのは本当で……、あの!」

 自分を騙していた二人が、苦し紛れに自分を誉める為に言った言葉が本当に心に刺さった。

「「カズマさんって、そこはかとなくいい感じですよね!!」」

 もうちょっと何とかならなかったのか。そんなに、自分は誉める所が見つから無い程残念な奴なのかと。それでもう、気分はどん底を通り越して、果ての無い奈落へ一直線だ。

 二人の下着を窃盗スキルで剥ぎ取って復讐し、最弱職の少年は泣き喚きながらギルドから飛び出した。

「ちくしょーー! 女なんて、女なんて! 大っ嫌いだー!!」

「あっ、ちょっ! どこ行くんですかカズマー!!」

 飛び出す時に仲間達が何かを言っていたが、今はそんな物聞きたくも無い。あの『四人』の視線から、今直ぐ逃げ出したかったのだ。だから何を言われても、一瞬たりとも足を止める様な事は無かった。

 その内の一人が、酷く悲しげな眼で少年を見ていた事にも気が付かずに。

 少年が出て行ってしまったギルドの酒場で、少年の仲間達は席に座って各々が愚痴を言い始める。もちろん、その対象は出て行ってしまった少年に対してだ。

 少年が良い気になっていたのも気に入らないし、自分たち以外の人物と仲良くしていたのも気に食わない。だからこそ彼女達にとって、今夜の騒動はとても小気味よい物だった。

「まったく、カズマはしょうがないですね。騙されていたのは同情しますが、調子に乗り過ぎなのですよ」

「……ん、まあ、私達も笑ってしまったからな。屋敷に帰ったら優しくしてやろうではないか」

「プークスクス! カズマさんったらなっさけない顔して逃げ出していったわ。私達を大事にしない罰が当たったのよ、いい気味だわ! すいませーん、しゅわしゅわおかわりくださーい、カズマさんのつけで!!」

 言いたい放題に言いながら、途中だった夕餉を続けて飲み物で喉を潤して行く。先程から一言も話さない、一人だけを除いて。

「どうしたのですか、ロー? さっきから黙ってしまって、具合でも悪いのですか?」

「なになに、お腹でも痛いの? 病気には回復魔法効かないんだから、ちゃんと安静にしてないと駄目よ?」

「大丈夫か? お前はただでさえ体力が無いんだ。辛かったら私が屋敷まで運んでやるからな」

 食事にも手を付けず、ただ只管に暗い表情で俯くその一人に、仲間達は心配して優しい言葉を次々に掛けて行く。だが、心配される方には、その優しさを受け入れるだけの余裕が無かった。

 普段とは比べ物になら無い程に表情を曇らせている召喚士は、仲間達に逆に問いを返して行く。

「……皆は、このままで良いのかな?」

「このままと言うのは、もしかしなくともカズマの事ですか?」

 魔法使いの少女の確認に、コクリと一つ頷く。要するに、このまま逃げて行った少年を放っておくのか、と言いたい訳だ。それに対しては、少女では無く酒杯を一気に飲み干した青髪女神が答える。

「っぷはー!! あんなのぼせ上がってたカズマさんなんて、暫くほっときゃ良いのよ! そんな事より、ローも飲みましょうよ! 蜂蜜酒頼んであげるから! すいませーん、蜂蜜酒とシュワシュワおねがいしまーす!!」

 答えるついでに、頼んでもいないのに酒を注文されてしまった。注文されてしまった物は仕方がないので、両手で酒杯を傾けてこくりこくりと飲み下す。ぷはっと息を次いで、召喚士は酒の力を借りて言葉を続ける。

「カズマは凄く泣いていた。あの二人に裏切られた事ももちろんあるだろうけど、何よりも皆に笑われた事が一番辛かったんじゃないかな。だからもう一回聞くね、皆はこのままで良いの?」

「む……、それは確かに笑ってしまったが……。わ、私は悪かったとは思っているぞ!」

「でも、それを普段から指を差して笑い物にしてるローに言われるのは、なんと言うか釈然としない物がありますね……」

 ほんのり頬を赤くしながら召喚士が訴えれば、気の優しい女騎士は狼狽えて非を認めて見せる。元より仲間思いの魔法使いの少女も、口では何のかんの言いつつ表情に後悔の色が浮かんでいた。

 問題なのはやはり、罪悪感とはかけ離れた次元に居る宴会芸の神様だ。

「んぐっんぐっんぐっ、ぷはーーっ!! ……あによ? 言っときますけど、今回私はなんにも悪くないから。カズマさんが勝手に騙されて、勝手に落ち込んでるだけなんですからね。そもそも、カズマさんは普段から、この麗しい女神様に対する敬意が足りないわ。もっと日頃からこの私に感謝して、もっともっと褒めて甘やかしてくれたって良いじゃないの!!」

 なんと言う言い様か。反省どころか増長しかしていない。そんな飲んだくれに対して、召喚士は何時もの様に口元を歪めながら口を開いた。

「アクアは、カズマに連れられてこの街に来てから、カズマにたくさん助けられているよね? 借金の返済はもちろん、溜まったツケの支払いも助けてくれていた。アルバイト生活をしていた時も、大好きなお風呂を我慢してまでアクアが入浴できる様にお金を分けてくれていたよね。アクアはそんなカズマの優しさや思いやりを、受けてあたりまえだって思ってしまうのかな」

「うぐっ……、しょれは……しょにょ……。もごもご……」

 この言葉には流石に、青髪女神も言葉に詰まり咄嗟に反論できない。彼女自身も分かっているのだ。素直に態度に表しはしないけれど、どれだけあの少年に自分達が大事にされているのかなど。この世界に来てから、一番長く傍に居るのは彼女なのだから。

 青髪女神をやっつけた召喚士は、次に女騎士の方へちらりと視線を向ける。そして、そのまま鮮やかな笑顔になって、普段言えなかった事をつらつらと語り始めた。

「ダクネスはカズマに自分の趣味を押し付け過ぎ。カズマはあれで凄い恥ずかしがり屋なんだよ。幾らダクネスがカズマのきつい言動で性的興奮を得る変態だからって、何でもかんでもそれに関連付けてしまうのは問題だと思う。そうでなくても、ダクネスの家の事情をきちんと酌んでくれているのに。あんまりダクネスの趣味で振り回したら可哀想じゃないかな。もう少し加減してあげましょうよ、お嬢様?」

「お、お嬢様は止めろぉ!! うう……、反論したいけど今の淡々とした言葉責めでも反応してしまう、自分の性癖が悩ましい……。んくぅっ! 新感覚ぅ!!」

 女騎士のフィルターを通すと、今の言動は言葉責めの範疇になるらしい。息を荒げて身震いする女騎士は置いておき、召喚士は続いて魔法使いの少女に向き直る。

 それを予測していたのだろう、魔法使いの少女は不敵な笑みを浮かべて先に口を開いた。

「ふっ、私は普段から大人しくしていますからね。他の二人の様にカズマには迷惑は――」

「爆裂散歩。パーティに入る時に広まった悪評。騒音に対する苦情の処理と謝罪。ギルドや街中での喧嘩の仲裁や後処理……。えーっとそれから……」

 何やら自信満々にしていたが、召喚士がつらつらと言葉を上げて行くと少女の言葉は止まる。それどころか、帽子の鍔を掴んで必死に下に引っ張り、耳を塞いで聞こえないようにする有り様だ。そう、何気に少年が一番手を焼いているのは、規模の大きな趣味に邁進し喧嘩っ早い性格のこの少女なのである。

 見事三人娘をやり込めた召喚士だったが、勝ち誇る様な真似は許されずに、復活した青髪女神が噛み付く様に食って掛った。

「なによ、なによ! そういうローだってカズマさんの事、散々笑い飛ばしてたじゃない!! プギャーって感じに笑ってたじゃないのよ!! それなのに私達だけ責められるのは不公平だわ!」

「もちろん、僕もカズマには沢山楽しませてもらった。いっぱい笑ったし、長い間じっくりと眺められて嬉しかったよ。だからこそ、僕はカズマを放っておけない。もう、どうするかは尋ねないよ」

 それだけ言い放つと、酒杯の残りを一気に覆って立ち上がる。テーブルに自分の分の代金を置いて、そして召喚士は仲間達の前から立ち去ってしまう。突然の事に、残された三人は茫然と見送るしかなかった。

「行ってしまいましたね……」

「ああ、今日は朝から機嫌が悪かったようだが、まさかあんなに責め――ごほん。あんなに言って来るとは思わなかったな」

「ふん、なによ……。カズマさんもローも、探しになんて……」

 ぶれない女騎士は兎も角として、言いたい放題言われた青髪女神はすっかりといじけ虫。少しだけ涙目になって、頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。こうなると後はもう酒に逃避するだけになるだろう。女騎士がやれやれと肩をすくめてみせた。

 そんな最中に、今度は魔法使いの少女が席を立ちあがり、きっちりと小銭で代金を揃えてテーブルに乗せる。

「……ん、どうしためぐみん? もう屋敷に帰るのか?」

「いいえ、屋敷にはまだ帰りませんよ。言われっぱなしでは癪にさわりますので、一言言ってやらないと気がすみません。紅魔族は、売られた喧嘩は買うのです。そのついでに、カズマも拾って屋敷に帰りましょう」

 そう言って杖を掲げて見せる少女は、まるで何時もの召喚士の様に、にやりと不敵に笑んで見せていた。男の子より男前、それがこの少女の魅力の一つである。

「……そうよ、それよ!! 私も色々ぐちゃぐちゃ言われて、むしゃくしゃしちゃったわ! 文句の一つや三つ言ってやらないと気が済まないのよ! めぐみん、私もついてくから一緒にとっちめてやりましょう!!」

 そんな少女に便乗して、青髪女神も椅子を跳ね飛ばして立ちあがった。彼女はテーブルを両手でばしばし叩きながら、非常に良い事を思いついたとばかりに言葉を続ける。

「そのついでにカズマさんも、ほんのちょっとだけ慰めてあげればいいわよね。この私が直々に探してあげるんだから、泣いて喜んで感謝するのが筋ってもんよ!」

 等と供述しており――結局、青髪女神も行く気になったらしい。唯我独尊だがその性根は悪性では無く、ただひたすらに幼稚であるだけ。これが彼女の魅力、だと思いたい。

「ふふ、それなら私も付き合わせてもらおう。何より、言ってしまった手前、カズマには優しくしてやらんといかんからな」

 最後に、まるで小さな子供を見守る様な母性ある微笑みを見せて、女騎士が仲間達に追従する事を決めた。脳筋で世間知らずだが、面倒見は良いのが彼女の魅力。変態性癖を除けば常識人とはよく言った物だ。

「さあ、そういう事なら早速出発しましょう!!」

「「その前にアクアは自分の分の料金を払え(払ってください)」」

「…………カズマさんにツケといて!!」

「「ダメだ(です)」」

 心が一つになる感動的な場面なんてなかった。彼女達が街に出るには、まだまだ時間が掛かりそうである。

 

 

 冒険者ギルドを飛び出した最弱職の少年は、ひたすらに人気を避けて走り続けていた。誰にも会いたくないという思いに突き動かされ、大通りを離れ路地裏へ入り込み、どんどんと薄暗い夜道の深みへと突き進んでいく。その眦からは、未だに悔し涙が溢れて横に流れていた。

「ちくしょう……、あいつら……ちくしょう……」

 そして、何時までも走っていられるはずも無く、建物の壁に手を付いてぜいぜいと喘ぐ様に息を整える。体中から汗が噴き出して、気だるげな体をそのまま壁に預けてずるずると蹲って行った。

 上がった息を整え終る頃には流石に涙も止まり、今度は壁に背中を預けて座り込む。路地裏の汚さは気になるが、今はそんな事はどうでも良い。疲弊した心身が、とにかく休息を求めていたのだ。

「帰りたい……、もう日本に帰りたい……」

 弱気になった心が、何時しか口走った様な事を再び少年に呟かせてしまう。ギルドに居た時に飲んだ酒が回って、頭がボーっとしている。酷く気分が悪い。

 少年はそのまま、更なる弱気の言葉を口にしようとして――

「……あれ? なんかこの状況、前にも有った様な……」

 久しぶりに、既視感を覚えた。

 この世界に来てから何度も感じていた、周囲の状況に感じてしまう既知の感情。あまりにも何度も感じていて、しかも既視感のまま状況が推移すると言う訳でも無いので、少年はその内に気にするのを止めていた。

 だが、今感じているこれは嫌に鮮明に感じると、最弱職の少年は頭に疑問を浮かべる。

「俺、なんか前にもこうして嫌な事があって、泣きながら走ってたことがあったのか……?」

 何時もは浮かび上がった既視感や違和感など気にしはしなかった。だが、この時は何故か、浮かび上がった既視感がとても気になるのだ。このままだと何か、とてつもなく悪い事が起きる様な予感がする。

 とにかくここを離れよう。取り返しのつかない事態が起こらない内に。そう思い、最弱職の少年が腰を上げた所で、少年に向かって声が掛けられた。

「契約は果たされた。二回目の世界は無事に巡り、再生は今終了を迎える」

 その声は、老若男女の声が混じり合った混沌とした声色で。聞き取り辛いくせに、嫌にはっきりと少年の耳に響いて来るのだ。その声を聞いた途端に、少年の背筋に得も言われぬ怖気が走る。

 そして、少年はその声にも聞き覚えがあったのだ。その事実に、少年自身が一番驚く。あんな不気味な声、この世界に来てから一度だって聞いた事は無いと言うのに。

「契約の代価として、徴収を開始する」

 不気味な声が無常な言葉を投げつけ続ける。一体どこから声を掛けられているのか、姿を探して少年が素早く周囲を見回すが人影一つ見つからない。

 千里眼を発動しても見えるものは変わらず、敵感知のスキルにも何の反応も無かった。だと言うのに、声はほとんど耳元で聞かされているかのようでさらに不気味さが増して行く。

「くそっ、どこだ……。何処に居るかも分からないんじゃ、逃げ出す事も――っ!?」

 とりあえず、危なそうな状況では迷わず逃走を選択する最弱職の少年。すると、なんの前触れも無く少年の背後の空間が砕けた。

 建物の壁が砕けたのではない。何も無い中空が唐突に硝子の様に砕け、そこから真っ白い靄の様な物が渦巻いて現れる。そして、そのひび割れは少しずつ広がりながら、少年の体を強烈な勢いで引き付け始めるのだった。

 咄嗟に足を踏ん張って吸い込みに耐えるものの、それだけでは到底抗える気がしない。何とかしなければと少年が歯噛みした時、少年の耳に聞き慣れた声が聞こえて来た。

「カズマぁあああああっ!!!」

「おお、ローか!? 丁度良い助け――ぐぼっ!?」

 その声は召喚士の物で、相変わらず男なのか女なのか分かりづらい中性的な声色。だけれど少年はその声に安堵感を覚え、吸引に耐えつつ声のする方に振り向いた。

 そして召喚士は、あろうことか少年の腹めがけて頭から突っ込んで来ていたのだ。これには助けを求めようとした少年もびっくり仰天。踏ん張るどころではなく、一気に崩壊する空間へと飛び込んでしまった。

 最弱職の少年の意識は、その瞬間に真っ白に包まれて霧散する。最後に覚えていたのは、飛び付くついでに抱き付いてきた召喚士がとびきりの笑顔で、しかもその体が柔らかかったという事だけであった。

 

 

 深い回想の底から帰ってみれば、そこはやはり果てしなく真っ白な何もない空間。暫しの間考え込んでいた最弱職の少年は、パチリと目を見開いて組んでいた両腕を解く。

「思い出した……。全部思い出した……」

 ぼうっと遠くを見る様な視線が目の前の召喚士を捕らえ、最弱職の少年はそのままとつとつと言葉を紡ぐ。それを聞いた召喚士は満面の笑みを浮かべて、うんうんと感慨深く頷く。

「そう……、君の置かれた状況を思い出せたんだね……。思い出してしまったんだね……」

 少年は全て思い出していた。あの日、路地裏で意識を失ってから自分が何をしていたのかを。そして、自分の仲間達の事を。

「俺の仲間は、アクア、めぐみん、ダクネスの三人だった……」

 最弱職の少年が出会った仲間達は、あの屋敷で共に過ごして苦楽を共有した仲間達は全部で三人。その中に、目の前にいる召喚士は含まれてはいなかった。

 それと同時に、はっきりと思いだせる程に、少年は目の前の召喚士の事を知っている。その思い出も確かに胸の内に在るのだ。だからこそ、その違和感は少年の心を急き立てる。

「ロー、お前は……、お前はいったい誰だ?」

 急かされる胸の内をそのままに、少年は問い掛けを発してしまった。あれだけ頼もしかった仲間の存在が、今はひたすらに不気味でしょうがない。

「んふ……。うふふふふ……」

 その問いを受けた召喚士は――――笑っていた。

「あははは、そっか思い出したんだ。あはははははっ!! はははははは!! やっと思い出したんだぁ、ひゃははははは!! あーっはっはっはっはっはぁっ!!!」

 目元を掌で隠しながら召喚士が笑う。笑う。笑い続ける。何時もとは違う、気が違えたかのような哄笑であった。今迄に見せられた事が無い狂気じみた様子に、最弱職の少年の足がじりりと後退する。

 これは、今目の前に居る者は、本当に自分の知る召喚士なのだろうか。ただでさえ、二つの記憶に振り回されているというのに、その記憶さえも頼りにならず疑ってしまう。

「僕が何者であるか。そんなのは、聞かれるまでも無く一つしかない」

 戦慄する少年を前にして、召喚士は唐突に笑うのを止めた。ぴたりと、まるで機械が機能を切り替えるかの様に、笑う度に小刻みに揺れていた体が静止するのだ。召喚士の持つ整った容貌が、その事を更に奇怪に見せていた。

 そしてゼンマイ仕掛けのからくり人形さながらに、召喚士は道化じみた仕草で慇懃に頭を下げて見せる。

「僕は、メアリー・スー……。他人の物語に土足で上がり込み、滅茶苦茶に引っ掻き回して楽しむ傍迷惑な存在だよ」

 そう告げる召喚士は俯き、フードで目元を隠しながら唇だけで笑みを浮かべていた。暗闇に浮ぶ真っ赤な月の様に歪む、怖気を振るう笑みを。

 それはまるで、物語の世界から飛び出して来た魔王の様に禍々しく、少年の目に焼き付きその全身に悪寒を走らせた。

 

 




残りは後二話とエピローグを予定していますが、筆のノリ如何では多少前後する場合がございます。


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第二十三話

さて、この召喚士の正体を予測できた人は居たでしょうか?
回収できているか怪しいですが、複線回収回、始まります。


 人が死後に訪れると言う天界某所。何時か何処かで見た様な二つの椅子だけがある黒い空間で、一人の天使が豪華な方の椅子に腰かけて頭を悩ませていた。

 何を隠そう、彼女は青髪女神と最弱職の少年を地上に送り届けたあの天使。今は居なくなった上司の代わりに、異世界からの転生者を案内する仕事についているのだ。

「うーん、おかしいですねぇ。どうして仕事が上手く行かないのでしょう?」

 小さなサイドテーブルに肘をついて、ぽりぽりとスナック菓子を食い漁るその姿はどこかの青髪女神を彷彿とさせる。天使は能面の様に張り付いた笑顔のままで、指先に付いた食べカスをパンパンと乱雑に払った。

「せっかく、だらけてまともに働かない女神を地上に追放したと言うのに、このままでは私の評価に関わってしまいます。何か対策を考えないと……」

 傍から見ると彼女自身が怠けている様にしか見えないが、その悩みは深刻なのか両手を組んでうんうんと唸り続けている。

「うーん……、そうだ!! 良い事を思いつきました!」

 そして、その悩みは唐突に解消される事となった。大声を上げて椅子から立ち上がり、そのまま二つの椅子の間をうろうろと行ったり来たり。その間も唇は言葉を紡ぎ、その良い事とやらを口走る。

「複数の転生者を同時に送り込んでしまいましょう。特典を選ぶ時に競合出来るようにすれば、間違いなく転生を選ぶようになる事でしょう。一度に裁ける人数も増えて効率もアップ違いなし!」

 とてもとても嬉しそうに、張り付いた笑顔の天使は諸手を上げて己自身を称えていた。あの上司にしてこの部下有り。存外、なるべくしてなった上下関係なのかもしれない。

「ああ、何て良い事を思いついてしまったのでしょう。これで功績が評価されたら、天使から女神に大抜擢されるかもしれませんね」

 ほくほくとした空気を纏いながら、小躍りしつつ天使は再び豪奢な椅子に腰かける。もはや気分だけは女神その物。ふんぞり返る姿はかつての上司にも引けを取らない不遜具合だ。

 この時、このアイデアのせいで並行世界が幾つか滅ぶ等と言う事は、今の彼女にはまったく知る由も無かった。

 

 

 此処は何もない真っ白な空間。最果てまで何も見えずにただ白く染まるその場所に、二人の人物が対峙していた。

「僕は、メアリー・スー……。他人の物語に土足で上がり込み、滅茶苦茶に引っ掻き回して楽しむ傍迷惑な存在だよ」

「メアリー・スーって、前に話してたアレか……? 魔神器だとか言う……。まさか、お前が!?」

 対峙するのは緑を基調とした冒険者装備に身を包む最弱職の少年と、身に纏うローブのフードを目深に被り口元だけで笑う召喚士。

 召喚士の告げた言葉に少年は狼狽え、腰の刀に手を伸ばしつつ警戒心を露わにする。それを見届ける召喚士は、道化を思わせる仕草で両手を広げ、三日月に歪む口元で言葉を謡う。

「魔神器メアリー・スー。それは物語に寄生して、その主人公を食らって生きながらえる魔性の存在。カズマ、君は正にその次なる生贄に選ばれたんだよ」

「ちょっ、ふざけんなよ! 今度は俺を食べようって事なのか!?」

 正に噴飯ものの物言いだ。誰が好き好んで生贄などになりたがろうものか。最弱職の少年は驚愕と同時に憤慨し、そんな少年の姿を見て召喚士はクツクツと笑う。まるで、少年の心など全てお見通しとでも言いたげに。

「ふふっ、カズマは黙って食べられるつもりはないんだね」

「あたりまえだろう!?」

 何時もの様に哂われて、思わず何時ものように返してしまう。習慣付いてしまう程に繰り返して来たやり取り。一つ違う点があるとすれば、最弱職の少年の手が腰の刀に添えられていると言う事だろう。

 しかし、その刀は未だ抜刀はされていない。まだ最弱職の少年の心には、仲間っだった者へ刃を向ける事に葛藤があるのだろう。それを見れば、召喚士はまた笑い声を漏らした。

「ふふっ。それなら、する事は一つだよ、カズマ……」

 諭す様な声色と共に、召喚士はその両腕を差し伸ばして頭上へと掲げる。何をするのかと問う必要もない。召喚士が出来る事など、これ以外には無いのだから。

「『真名召喚』……。全ての枷を取り払い、己が心の望むままにその力を示せ」

 告げると同時、召喚士の背後を埋め尽くす様に巨大な魔方陣が浮かび上がる。それは此処ではない何処かへの門。超常の理の世界から、異形の物を呼び寄せる出入り口。

 ただ、その大きさが、尋常では無い。召喚魔法は幾度も見て来た最弱職の少年であっても、これほどまでに巨大な物は見た事が無かった。

「魔狼『フェンリル』、世界蛇『ヨルムンガンド』、冥府の女神『ヘル』」

 ずるりと、虚空に浮かび上がる召喚陣からそれらは姿を現した。

 最初に目に映ったのは、銀色の体毛と長く豊かな毛を蓄えた尻尾。それは召喚士が一番初めに召喚していた、巨大な子犬なのだろう。しかし、その姿は天を突く程に雄大となり、最早巨躯と言うよりも一つの建物の様な大きさとなっていた。牙の並ぶ唇を引き攣らせながら、敵意をむき出しにして低く唸りを上げている。

 次に視界を埋め尽くしたのは、長い長い全てを見通す事も出来ない様な鱗持つ胴体。初めて見た時は卵の殻を頭に乗せていた、眠たげな眼をした大蛇。それが今は何も無い白い空間を彩る様に、最弱職の少年と召喚士の周囲を取り囲んでいる。ずっと遠くの方に、やはり眠たげに目を細める蛇の頭が、舌をチロチロと出して鎌首を擡げていた。

 殿は、長い黒髪を地面に垂らす黒いドレスの女性。何時もメイド服を着て、レベルが上がるごとに成長した姿で現れていた娘に相違ない。召喚士の隣にそっと佇んではいるが、その全身――特に下半身から周囲を侵食する様に濃い紫の瘴気を立ち昇らせている。それだけは変わらない死んだ魚の様な赤と青の瞳が、最弱職の少年の事をじっと感情を見せずに見つめていた。

「さ、せいぜい頑張って抗って見せてよ。大丈夫、僕は一発殴られただけで死ぬから」

「……………………。ふっ、ざけんなーーーーーー!!!!!」

 無理ゲーここに極まれり。戦いと呼ぶにはあまりにも稚拙な、一方的な蹂躙が始まる。

 

 

 響く哄笑、轟く悲鳴。音も無く静かだったはずの白い空間は、今は蛇の体と激しい戦闘音で満ち満ちていた。

「フーちゃん、ハイドロカノンだっ!」

「無理無理無理無理っ!! どうしろっつーんだよこれええええええっ!!!」

 楽しげな召喚士の指示と共に、巨狼の開いた大口からまるで濁流の様に水の塊が撃ち出される。今まで一度も見た事のないそれは、もてあそぶかのように少年の傍を通り過ぎ、白い世界に着弾後炸裂。弾け飛んだ水の飛沫が雨の如く降り注ぐ。

「ヨーちゃん、しっぽを振る!」

「ポケ○ンか!? ポ○モンバトル気分なのか!?」

 えらい遠くの方にある大蛇の尻尾の先が、ぶーんぶーんとやる気なく振るわれる。それだけで少年の所まで突風が届いて、突然の横風にバランスを崩してしまった。これでは咄嗟に防御の態勢も取れないだろう。

 そんな少年に対して、無情にも追撃が放たれる。

「…………『カースド・クリスタルプリズン』……」

 召喚士の隣に佇んでいた黒いドレスの女性が、詠唱もせずに上級魔法を少年のいる方向へ無造作に放つ。獲物を一瞬で氷の監獄へと閉じ込める冷気の奔流は、無詠唱かつ大雑把な狙いで拡散し少年には直撃しなかった。だが、先程の巨狼の攻撃で発生した水飛沫を全て氷柱へと変えてしまう。

「……っ!? 『潜伏』……」

 白い空間の中を、縦横に氷の塊が浮かび即席の障害物として視界を遮っていた。これを好機と見た最弱職の少年は、得意の潜伏スキルを使って自らの気配を消す。そこら中に転がる氷の塊も、巨大な蛇の体も絶好の隠れ場所なのだ。匂いすらも誤魔化す潜伏スキルによって、巨狼は完全に少年の姿を見失ったのかキョロキョロと視線を彷徨わせていた。

「おや、お得意の潜伏スキルを使ったみたいだね。でも忘れてないかな? そのスキルはアンデッドには通用しないって事を」

 召喚士の方はと言えば、少年の姿が見えなくなっても変わらぬ笑みで余裕を見せる。そして、その傍らに居る黒いドレスの女性がその赤と青の瞳でジッと一点を見つめ、やおら掌をかざして呪文の詠唱に入った。

「(これはまずーーい!!)」

 ドレスの女性の視線の先では、気配を消した最弱職の少年が密やかに戦慄し冷や汗を流す。隠れていても魔法で吹き飛ばされてしまうが、動き出せば潜伏スキルが解けて巨狼に捕捉されるだろう。

 進退窮まったこの状況に、少年の選んだ選択肢は――

「逃げる!!」

 潜伏を解除しての脱兎。後ろを省みる事のない、本能のままと言わんばかりの全力ダッシュであった。

 その動きに一番に反応したのは、直前まで少年の姿を見失っていた巨狼。視覚で、そして嗅覚で少年の存在を認識し、仲間の魔法が放たれるよりも早く主人の元を飛び出す。四足獣の速度に加え、その余りの巨体さに一息で少年との距離を詰めてしまった。

 背後に迫って来る圧迫感を感じて、逃げ続ける最弱職の少年が背後をちらりと顧みる。その瞳には、恐怖の色は一切無し。

「『クリエイト・アース』ッ! か~ら~の~、『ウインド・ブレス』ッッ!!」

 迫る巨狼に突然振り向いて、少年が繰り出すのはお馴染みの初級魔法コンボ。土魔法で生み出した土塊を、風魔法で敵の顔に吹き付けての目潰しだ。

 かつて初心者殺しと呼ばれる強敵を退けたこの技に、繰り出した少年は絶対の自信を持っていた。これで前衛を行動不能にし、敵が動揺している間に召喚士本体を戦闘不能に出来れば勝機はある。

「それは既に知っているよ。前にも言ったろう、フーちゃんは賢いんだよ」

 来ると分かっている奇策など、幾らでも対処は可能だ。今回の場合はただ単に、目を閉じればいいのだから。巨大な眼球に似合いの瞼が固く閉じられて、少年の得意技は簡単に無効化されてしまう。

 それから少年は、悪態を吐く暇も無かった。自分の策が通用しなかったのに驚く間もなく、狼の後方で上級魔法が放たれるのを目撃してしまったからだ。

「…………『カースド・ライトニング』……」

 抑揚のない声で紡がれる魔法名。掌から放たれた黒い稲妻は、雷撃特有の複雑な軌道を描きながら少年の方へと迫り――少年では無くその直ぐ近くまで迫っていた巨狼を背後から打ち据えた。

 稲妻に撃たれた巨狼は、ギャンと短く悲鳴を上げてその場に蹲ってしまう。全身から煙を上げてがくがくと痙攣し、流石に直ぐには動けない様子だ。

「…………は?」

「おやまあ……」

 目の前の出来事に少年は思わず呆けて、召喚士はフードの下で笑みを深める。そんな間にも、ドレスの女性は見かけによらぬ動きで少年の隣まで一足飛びに移動し、巨狼と少年の間に立ち塞がった。まるで、最弱職の少年を、自らの召喚主から庇う様に。

「ちょっと裏切るのが早いんじゃないかな? そういうのはもっともっと主人公がピンチになった場面じゃないと、盛り上がりに欠けちゃうじゃないか」

「…………『インフェルノ』……」

 召喚士が溜息混じりに呈した苦言への返答は、情け容赦もなく放たれた紅蓮の炎。火炎系最高位の上級魔法は、正に問答無用を体現している。

 猛烈な風圧を伴って迫る脅威に対して、反応したのは眠たげな眼の大蛇だった。尻尾の先を主人の前にかざして、壁として猛火を受け止めて見せる。流石に上級魔法を前にしては、怠惰ではいられなかったのだろう。

「お前、ずいぶん雰囲気が変わってるけどヘーだよな? さっきは助かったけど……。な、何で急に助けてくれたんだ……? 召喚獣なのに召喚主に逆らったりして大丈夫なのか?」

 ドレスの女性の背後から、庇われる形となった少年が矢継ぎ早に質問を投げかける。助けてくれる姿勢はありがたいが、正直信用しきれていないと言うのが彼の本音なのだろう。不安が言葉数を増やしてしまうのだ。

 そんな少年に対して、ドレスの女性は背を向けたままでゆっくりと答えてくれた。

「…………マスターが使う召喚術はただ呼び出すだけで、私達は契約に縛られている訳では無い……。…………縁のある存在を呼びだして、協力をしてもらえるかは絆次第……。…………私達はそれぞれのスタンスで、今の状況に対応しているに過ぎない……」

 曰く、白銀の巨狼は積極的協力、世界蛇は消極的協力。そして、こうして最弱職の少年を手助けしようとする黒のドレスの女性は、自らの召喚主に対しての積極的な――敵対。

「ヘーちゃんはやっぱり女神だから、魔神器の存在を許すわけにはいかないんだ。今は絶好のチャンスなんだから、そりゃあカズマの協力をしなくちゃいけないよね」

 対峙する召喚士がドレスの女性の言葉を補う。その傍らには既に巨狼が復活して戻っており、召喚士は余裕を見せてその頭をもふもふと撫でていた。配下に裏切られたと言うのに、何の痛痒も無いと言った様子である。

 そんなやり取りを見て、緊張から顎にしたたる汗を手の甲で拭いながら、最弱職の少年は己を守る背中に向けて語り掛けた。

「……良く分かんねぇ……。さっきから何が何だか全く分かんねぇし、正直他の誰かがやってくれるならそれに任せて家に帰って寝ていたい……。でも、この状況を何とかしないといけないんだよな?」

 少年の最後の質問に対して、こっくりとドレスの女性は頷いて見せる。その肯定を受け取って、少年は己の中で覚悟を決めた。

「だったら、やってやんよこんちくしょーーー!!!」

 ヤケクソ気味の叫び声に、召喚士の口角が更に嬉し気に攣り上がる。これで少なくとも、一方的な蹂躙では無くなったのだから。楽しい楽しい戯れがまだまだ続けられるのだと、思わず笑みがこぼれたのだろう。

 召喚士対少年の戦い、第二ラウンドの幕開けであった。

 

 

 巨狼の唸り声が響き渡り、縦横にその巨体が戦場を駆け巡る。それを追いかけて、雷が炎が氷塊が、次々に繰り出されて白い世界を染め上げた。先程とは打って変わり、場の流れは膠着の様相を見せている。

 召喚士と少年の二人を指揮官としたこの戦いは、駒の数が上回る召喚士が一見有利に見えた。だが、怠惰さを見せる大蛇が防御と妨害以外に動かない為、実質巨狼とドレスの女性の一騎打ちとなっている。その一騎打ちも、巨狼の素早さに魔法が追い付かず、手数の多さに巨狼もまた攻め切れずにいた。

「うーん、流石はカズマの指揮だね。ちょっとずつ、フーちゃんが追い詰められているな」

 戦況を俯瞰する召喚士は思わず唸って見せる。ドレスの女性の背後から使う魔法を指示する少年の指揮は、的確とは言えずとも実に悪辣であったからだ。

 炎の上級魔法で追い立てつつ、氷の上級魔法の氷塊をばら撒いて逃げ道を限定させる。かと思えば唐突な泥沼魔法が足止めをして、弾足の速い雷魔法が確実に仕留めに来るのだ。お手本の様な嫌がらせの嵐に、巨狼も次第に逃げるだけで精一杯になって行く。

「じゃあ此処でもう一手。真名召喚、神馬『スレイプニール』」

「おおい、まだ呼び出せるのかよ!? なんだよその真名召喚って、チートかよ!?」

 まるでチェスの駒を動かすような気軽さで新たな召喚獣が呼び出され、それを見た最弱職の少年が遠くから理不尽に嘆いて叫ぶ。そして、展開した魔法陣からのっそりと、何時か見た八足の獣が姿を露わにする。

「……気が乗らぬ。戦争の神の栄えある騎馬が、このような茶番じみた戦など……」

「まあまあ、スーちゃん、そう言わずに少し付き合ってよ。あの膠着を破ってくれれば、それで良いからさ」

 現れ出でた重厚な鎧を纏う八足の軍馬は、早々に愚痴を零してご機嫌斜めであった。それを召喚士が宥めて、目前の戦場を真っ直ぐに指差して見せる。多くは望まずに、ただかき乱せとの指示だ。

「ちなみに、我が本来の主人が『いい加減勝手に呼び出すな』と立腹しておったのだが……」

「帰ったら伝えておいて。『クソ喰らえ』って」

 戦闘前の軽い掛け合いも、何時もの調子の笑みで受け流される。苦笑と共に承知したと呟いて、八足の軍馬は戦場へと駆けて行った。

 八足から生み出される軍馬の突進力は、さながら砲弾の如く迅速で破壊的だ。猛烈な圧迫感と共に、あっと言う間に少年達の目前へと迫り行く。

「来た!? 本当に来た! 頼んだからな、後は打ち合せ通りに!!」

「…………『トルネード』……」

 女性の背後に隠れながら最弱職の少年が叫び声を上げ、ドレスの女性はそれに応じる代わりに両手を差し出しながら風の上級呪文を解き放つ。何も無い白の空間に、突如として巨大な竜巻が生み出された。

 それは丁度、少年達を取り囲む大蛇の中心で巻き起こり、今まで生み出され続けていた無数の氷塊を巻き込んで行く。巻き込まれた氷塊は互いにぶつかり合い砕けて、それでも人の頭ほどの大きさを保ちながら、竜巻の範囲に居る軍馬と巨狼へと襲い掛かる。

「おっとこれはこれは……。これを見越しての氷結呪文だったのかな? 流石カズマ、作戦がえげつないね」

 氷の散弾が荒れ狂う嵐から主人を守る為に、大蛇の尾が下ろされて壁となった。余裕気に振る舞う召喚士の視線が、それによって戦場から遮られる事となる。

 そんな絶好の隙を、見逃す様な少年では無かった。

 氷の嵐を尾の影でやり過ごす召喚士の肩に、ぽんと軽い力で掌が置かれる。完全に背後を取られた形になってはいるが、召喚士は別段慌てる事無くそのままで口を開いた。

 背後で己の肩に手を乗せている、最弱職の少年に語り掛ける為に。

「……来るとは思ってたけど、ずいぶんお早いお着きだったね」

「ヘーの掛けてくれた速度強化の魔法のおかげだよ。まともに掛けられた支援魔法ってスゲエんだな、潜伏しながらでもあっと言う間にここまで来られたぞ」

 普段通りの軽い口調で語り掛ければ、少年もまた普段通りに返して来る。何でも、目くらましの氷塊を巻き込んだ嵐で注意を逸らしている間に、殆ど背景の様になって居た大蛇の体に張り付いて潜伏で近づいて来たらしい。氷の飛礫に晒されている状態であれば、確かに今の大蛇にとって少年一人張り付いた程度では気にも留めなかったのだろう。

 そうしている間に、嵐を遮っていた大蛇の尾が退けられる。嵐の晴れた後の戦場では、主の危機をいち早く察した巨狼が戻ろうと駆け出すも、そのもふもふの尻尾をドレスの女性に掴まれて引き留められていた。一見華奢にしか見えないドレスの女性だが、女神としての高ステータスに加え自身に筋力強化の支援魔法を掛けて拮抗している様だ。

 軍馬もその近くには居るが、先の発言に従ってこれ以上の干渉はしない様で、犬と女性の引っ張り合いを興味深げに眺めている。大蛇など、己の下で事が起こっていると言うのに、我関せずと大欠伸などしていた。

 つまりは今現在、召喚士を助けられる手駒は存在しないと言う事だ。

「孤立無援だね。さて、どうしようか――なっ!!」

「うおっ!?」

 会話の途中で唐突に召喚士が屈み込み、肩の手を外させてからそのまますかさず少年の足を蹴り払う。堪らず尻もちを突いた少年に向けて、召喚士は口元を歪めたままで躍りかかった。

 飛び掛かる勢いのままに、少年に差し向けられる召喚士の無手。それにどんな脅威があるのかは判然としないが、ただ受けるままでは命の危機があると少年は判断する。尻もちを突いている状態では腰の刀は引き抜けない為、少年もまた無手のままに腕を突き出した。

 互いの腕が交差して、お互いの動きが止まる。少年の手は召喚士の胸元に伸びて、ローブの上から心臓の真上に触れていた。対して、召喚士の手は少年の顔の真横を通り過ぎている。

 最弱職の少年はこれを絶好の好機とみなし、迷い無くリッチー店主から教わったスキルを発動させた。相手の体力と魔力を吸い取るドレインタッチ。体力が紙風船の召喚士ならば、数秒と経たずに昏倒させられるはずなのだから。

「どうだ! これで――」

「これで……、全て計画通りだよ……」

 勝利を確信して冷や汗を流しつつも少年が笑みを浮かべた時、その頬をそっと慈しむ様に召喚士の掌が撫でた。そこまで来て、初めてフードに隠れた召喚士の表情が目に映る。

 口元には変わらぬ三日月の様な笑みを浮かべ、その瞳いっぱいに零れ落ちそうなほど涙を湛えて。召喚士は悲しげに微笑んでいた。

「ざーんねん、騙されちゃったねぇ。ご愁傷さまだよー、カズマぁ……」

 努めて明るく放たれた言葉と共に、少年の胸に滴が零れ落ちる。それに合わせて、力の抜けた召喚士の体が少年の体に覆いかぶさって来た。その状況に慌てた少年は、上体を起こして召喚士の体を支えながら、改めて視線を合わせて言葉を掛ける。

「ちょっ!? おま! 近い近い近い――じゃなくって! 騙されたってどういう事だよ!?」

「おや、残念。もうちょっとくっ付いて居たかったのに……」

 涙を瞳から溢れさせながらも質問を受け流す召喚士に、少年はその肩を掴んで良いから答えろと催促。そんなやり取りすら嬉しいと言った様に哂う召喚士は、しょうがないなぁと嬉しそうに言ってから観念して説明を始めた。

「僕の『役割』は確かにメアリー・スーだった。でも、僕は魔神器メアリー・スーではないんだよ」

 正直意味が分からない。そんな表情を浮かべる少年の顔を見て、召喚士は更に笑みを深い物にする。こうして少年と言葉を交わす事が出来る、それ自体が堪らなくうれしい事なのだから、よろこんで召喚士は言葉を紡いで行くのだ。例えそれが、相手にも、自身にも、悲しみしか与えない物だとしても。

「僕の本当の名前は、『悪神ロキの力と記憶の欠片で作られた仮初の命』。その使命は、身に宿った『特典』を君に受け渡す事……」

 そこで一旦言葉を区切り、召喚士は真っ直ぐに少年の瞳を覗き込む。少年と同じ色の筈の瞳が、一瞬だけ金色に変わった様に見えて、少年は思わず何度も目を瞬かせる。

「僕はね、カズマ。君に殺されるために生まれて来たんだよ」

 告げられた言葉に、少年は目を見開いて驚く事しか出来なかった。

 

 




メガテン的に言うなら分霊的サムシング。
RPG的に言うならイベントNPC。

ポケ○ン的に言うなら、技マシン。


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第二十四話前編

これが書きたかった。
その思いで只管書いてきた話の最終話。
どうぞお楽しみください。


 その場所は、天界でも滅多に訪問する者が居ない、静かな場所だった。

 長大な蛇がとぐろを巻きながら己の尾を食んで微睡み、巨大な銀狼がその頭を撫でられて目を細める。そんな異様な光景の中心に、それら異形の怪物の主とも言える存在が鎮座していた。

「…………おとーさん、またその人間を見ているの……?」

 巨大な獣達に囲まれながら中空に浮かぶ映像を眺めていたその存在に、濃密な瘴気を足元から立ち上らせる黒いドレスの女性が話しかける。声を掛けられた父と呼ばれたその存在は、口元をにんまりと歪めてその金の瞳を好奇の色で輝かせていた。

 この時、女神として冥界を治める役職に就くドレスの女性は、この場に来てしまった事を密かに後悔する。この目の前の己の父親がこんな笑顔を浮かべている時、それは決まって何か悪巧みを考えていると見て間違いないからだ。

 ドレスの女性が死んだ魚の様な赤と青の瞳を更に濁らせていると、手招きをされて一緒に映像を見る様に促される。そこには一人の少年が、路地裏で蹲って泣き咽ぶ姿が映っていた。此処の所よく観察をされている、この父のお気に入りの少年である。

 天界から女神を連れて転生を果たした少年。この父なる存在は、彼の菲才なれど知恵と悪運で強敵を倒す活躍をいたく気に入っていた。初めは女神の泣きっ面を拝むはずだったのだが、今ではもう少年を観察するのが日課になっている。

 そんな少年が、今は映像の中でキョロキョロと周囲を窺っていた。まるで見えない何かに語り掛けられて、その声の主を探しているかのように。ドレスの女性の目には、何か良くない物に絡まれている様にしか見えなかった。

 そして、少年はあれよと言う間にまばゆい光に包まれて、一冊の本へと姿を変えられてしまう。こんな現象が起きる原因に、ドレスの女性は心当たりがあった。天界でも噂になった、とある天使の不手際で生まれた魔神器の仕業に相違ないと瞬時に判断する。

 その事を父親に伝えようと視線を向けてみれば、父は既に行動を起こしていた。掌に眩い光を生み出して、それを捏ね回す様にして手の中でいじくり回している。もちろん、そうしている間もずっと、悪巧みの笑みを浮かべ続けて。

「…………おとーさん、それは……?」

 尋ねてみても答えは返らず、代わりに中空の映像に向けて掌の光が放たれる。すると、映像の中で光が天から降り注ぎ、少年が姿を変えた本に吸い込まれて行った。

 それを見届けた父親は満足したのか、再び掌を狼の頭に置いて撫で擦るのを再開し始める。そして、死んだ魚の様な目で見つめ続けてくる己の娘に、朗々と己の立てた計画を説明し始めた。

 それは、己の一部で作り上げた仮初の命を使い、魔神器に捕らわれた少年を手助けする為の計画。魔神器が少年を取り込む際に、魔神器を撃破できるだけの能力を与えると言う物。その為に、わざわざ転生者に渡される特典から、それを可能に出来る物を盗んで来たのだと言う。

「…………それ管理してるの、私の部下……」

 ドレスの女性の抗議は黙殺された。そんな事を気にするようなら、悪神などとは呼ばれはしない。

 それから、仮初の命が行うべき使命と、それを補佐する為に兄妹達が力を貸す必要がある事を説明される。その事には、ドレスの女性はもちろん、微睡む大蛇も撫でられる狼も否とは言わなかった。どうせこの父親相手に逆らっても、否応無しに手伝う様に誘導されるに決まっているからだ。

 そして最後に、生み出した仮初の命の性別は、最初に性別を指定して来た者によって決められるとドヤ顔で言われた。その情報は必要なのだろうか、それはきっと父親にしかわからない。

 何より、どうせ使い潰すはずの存在に、何故そんなにも凝った設定を与えるのだろうか。思い浮かんだ疑問を尋ねてみて、返ってきた答えは実にシンプルであった。

 ――その方が面白そうだから。

 なるほど、これ以上無い程にこの父親らしい考えであろう。全ての行動は自らの愉悦の為に。それでこそ、悪神と言われるに相応しい精神であろう。

 とりあえず、どんな無茶ぶりを要求されても良い様に、自分の仕事は先の物まで片付けておこう。そう強く思ったドレスの女性であった。

 それはそうと、物語に介入する為に存在を上書きされた人物には、ドレスの女性は多少なりとも哀悼を覚える。居ても居なくても物語にほぼ影響も無く、魔神器の排除に必要な事とは言え、存在自体を物語から排除されるとは哀れな事だ。

 荒くれ者の様な姿をした彼は確か、『ポチョムキン四世』と言う名の機織り職人であっただろうか。彼もまた、間違いなく神の傲慢の犠牲者であろう。

 

 

 

 巨大な大蛇が埋め尽くしている以外は何も無い白い空間で、一人の少年がローブの人物を抱きかかえていた。非力な少年では小柄と言えど人一人は支えきれないので、屈み込んで上体を起こすだけに留まってはいるが、その表情には驚愕と困惑の入り混じった真剣な表情が浮かんでいる。

 対して、抱き支えられる側は脱力し、瞳に涙こそ浮かべてはいるが、口元には楽しげな笑みが浮き上がっていた。

「それが本当の名前……? っていうか、殺される為にってどういう事だよ!?」

 抱き支えている最弱職の少年が、自らの腕の中の召喚士に向かって問う。少年には召喚士が言った本当の名前がとても人の名前には思えず、それよりも自分が殺さねばならない等と言われれば、憤慨し問い質さずには居られなかった。

 問われた方は瞳一杯の涙を浮かべながら、優しく微笑んでそれに応える。怒ってくれるのが少しだけ嬉しくて、頬が思わず緩んでしまうのだ。

「……言葉通りの意味だよ。僕は君に殺されて、スキルを獲得する為の経験値になる為に生まれたんだ。その為にわざわざ体力は最低値、HPが一で固定されて、特定の条件――君からのドレインタッチ以外で減らない様に作られたんだからね」

「なんだよそれ……。なんでそんな……」

 答えを聞かされた少年は戸惑い、言葉が上手く出せずにいる。そんな戸惑う姿すら愛おしいとばかりに、脱力した召喚士は少年の頬に手を伸ばした。

「僕は僕を作った存在に、そうあれかしと命じられてこの世界に来た。この……、君が取り込まれた魔神器の世界に。君と言う物語が描かれた本の中に。二回目の世界で自分自身を演じる君を、陰ながら見守る為に送り込まれたんだ」

 語る口調は弾む様に軽く、その表情は努めて明るく。しかし、ぐったりと脱力した体からは、今も大切な何かが零れ落ちて行く。触れ合う部分から少年へと熱が流れる様に、抱き留める体がとても冷たく感じられるのだ。

「でも、僕はその使命を全うせずに、ついにはこんな所まで来てしまった。本当は、君がドレインタッチを覚えるまで接触するつもりは無かったんだ。けれど、僕はね、声を掛けられてしまったんだ。出会ってしまったんだよ、君達と……。いや、君と……だね」

 少年の事を見つめてにっこりと微笑めば、瞼に押されて溜まっていた涙が零れ落ちて行く。これが喜びの涙なのか、悲しみから来る涙なのか、抱き留める少年にはわからなかった。ただ、心の底から向けられる笑顔は、思わず見とれてしまう程に美しいと思ってしまう。作り物とは思えない、感情を強く感じさせる表情だ。

「あの日、あの時、君に声を掛けられて、僕の認識は変わってしまった。最初はただ、近くに居た方が都合が良いと思っただけ。ついでに、ずっと憧れていた君達の物語を、君の隣と言う『特等席』で見ていられると思ったのも間違いじゃない。そんな生活が、凄く楽しかったんだよ」

 思い返す過去の楽しさが召喚士の笑みを深めさせる。そして、涙に濡れる瞳が楽し気な過去から、現在を見つめる様についと逸らされて、白い空間の何も無い空に向けられた。

 召喚士の視線の先、大蛇に取り囲まれる空間の中心で、空間自体が騒めく様に揺らぎそこへモヤのような物が集まって行く。そのモヤの集まりは、次第にとある形を成して行った。

「そして……、そんな世界を、君を守りたくなってしまったんだよ。あの、忌々しい存在から……」

 召喚士の言葉と共に、中空で形を定まらせていなかったモヤの塊が人型を作り出す。それはゆっくりと白の世界に降り立って、更に凝縮する様にして形状を詳細にして行く。

 形が整い、色が生まれ、次第に見知ったモノに似た何かが産まれ出でる。

「アレが、魔神器メアリー・スーの今の姿……。本の外側と言う『特等席』で君の物語を読んで、君になり替わろうとしている、誰でもない誰かだよ……」

 それは申し訳程度には人の形をしていた。緑を基調とした衣服の上に、丈の短い緑のマント。片側だけに付けた金属製の脛当てと籠手に、腰には長い鞘に納められた刀が吊り下げられている。

 だが、それらを身に着けているのは、人の形に整えられただけの泥人形の様だった。ぼこぼこと沸き立つ様に内側から肉色の顔面が膨れ上がり、弾けてはまた新しい顔が露わになる。頭部と思わしき場所にはぼさぼさの頭髪が備わって、沸き立つ肉の間から真っ赤な光だけが眼光の様に灯っていた。

 その存在を一言で表すのならば、『成り損ない』と言うのが一番適切だろう。化け物が、最弱職の少年のコスプレをしているのだ。

「『オオオオオオオオ!!!! 金! 女! チート!! ハーレム!! ハーレムゥ!! 好きなだけ暴れ回って、好きなだけ貪って、たっぷり異世界生活を満喫してやるぜえええええ!!! チート主人公様がこの世界を素晴らしい物にしてやるぞおおおおおお!!!』」

 成り損ないの魔神器が、赤い瞳の下に亀裂の様な口を生み出して唐突に叫び声を上げる。老若男女、複数の人間の声を束ね合せた様な声色で、およそ理性があるとは言い難い言葉を放っていた。溶け掛けた泥の様な姿と相まって、より一層に気色悪さに拍車を掛ける。

 放たれた言葉の内容よりも、その声に少年は心当たりがあった。あの、路地裏で語り掛けて来た、姿の無い声に相違無いと確信する。

 問題はそんな事より、アレが自分になり替わろうとしているという点だろうと、最弱職の少年は思う。

「あ、あんな姿の癖に、俺になり替わろうってのか? つーか、幾らなんでも、あそこまで欲望に忠実じゃないぞ!?」

「成り損ないって言ったじゃないか。あれはもう人の意識を取り込み過ぎて、理性なんてとっくに崩壊しているんだよ。言うなれば、動物的欲望――イドの塊と言った所だね。チートを手に入れたカズマが、必ずしもああなるって訳じゃないよ」

 少しピントのズレたツッコミを入れる少年に、死にかけているはずなのに楽しそうに説明している召喚士。そんな二人の方に成り損ないの魔神器は、赤の視線を向けてズンと重たげに足を踏み出した。

 そんな二人を庇う様に間に立ち塞がるのは、先程まで敵対していた銀の巨狼にドレスの女性だった。少年と召喚士達を取り囲んでいた大蛇すらも、出現した成り損ないに対して口蓋を晒して威嚇音を響かせている。

「もう時間が無い。カズマ、良く聞いて……」

 成り損ないが腰の刀を抜刀し、無造作に振るうとそれだけで離れた位置にあった大蛇の胴に亀裂が産まれた。痛みに大蛇がのた打ち回ると同時に、銀の巨狼が牙を剥いて成り損ないへと飛び掛かる。

「君にはもう、僕の召喚術は伝わっている。後は必要なスキルポイントがあれば習得できる。それは後で、冒険者カードを確認してね」

 飛び掛かって行く巨狼を援護する為に、ドレスの女性が次々と上級魔法を撃ち放つ。轟雷、氷塊、爆炎が連続して成り損ないを襲い、重ね合わせる様に狼の鋭い牙が喉元目がけて繰り出される。

 迎え撃つ成り損ないは、無数の攻撃魔法をまるでそよ風でも受ける様に棒立ちで浴びて、飛び掛かって来た巨狼を手にした刀で無造作に薙ぎ払う。巨狼の体があっけなく上下に分断され、光の粒となって死体すら残さず消え去った。

「スキルを覚えたら、僕と同じ事が出来る様になる。使い方は、もう知ってるよね。ずっと一緒に居て、一番近くで見て来たんだから」

 老若男女の声がやたらと長い難しい言葉の羅列した詠唱の声を上げ、その突き出した掌から渦を巻く光の螺旋が放たれた。普段は怠惰な目をしていた大蛇が敵意を込めた目を向けながら、その大口から洪水の様な猛毒のブレスを撃ち放つ。光の螺旋とブレスがぶつかり合って拮抗するが、成り損ないがフンと鼻を鳴らして力を籠めれば、掌から放たれる螺旋が太さを増してブレスを押し返し始めた。

 最後まで抵抗を続けた大蛇は、その頭を丸ごと吹き飛ばされて光となってその巨体を消滅させられてしまう。かつて雷神の渾身の一撃を、四度その身で受け止めた大蛇を一撃とは、呆れたチート具合と言う物だ。

「最初に呼び出すのは、君が一番多く傍に居た人だよ。本当なら人の身で召喚なんてもっての外だけれど、君なら絶対に呼び出せる。だって、あの子は君の『特典』なんだから。他のどんな存在よりも、繋がりが強いんだ」

 最後に残ったドレスの女性が、無駄と分かってはいても上級魔法を連発する。それを避け様ともせずに、成り損ないは歩みを進めて行く。

 そんな成り損ないの頭上から、光の尾を引きながら加速した軍馬が突撃した。

「あれは確かに、今まで取り込んだ物語の勇者や英雄の力を使って神すらも屠るだろう。でもね、今のアイツは同時にカズマでもあるんだ。だからこそ、君なら、君達なら絶対に勝てる」

 軍馬の流星の様な突撃を受けた筈の成り損ないは、ヤレヤレと肩を竦めて健在を示して見せる。そして、鎧に包まれていたはずの軍馬の首を刀でひと撫でし、無造作に切り落として見せた。

 光となって霧散する軍馬の体を突き抜けて、ドレスの女性がその両手に魔力で生み出した刃を纏わせて躍りかかる。身体強化の魔法も重ね掛けし、高位の前衛冒険者もかくやとばかりに両手の刃を振りかざす。

「僕は、見たかったんだ。君と言う物語の続きを。君と一緒に歩むよりも、その続きが描き出されるのを守りたいと思った。だから、だからね……」

 両手の刃を振るう、振るう、振るう。踊る様に斬撃を繰り出して、相手の振るう攻撃はその全てを回避する。神技の様な攻防一体の動きだが、敵の体を幾ら切り付けようとも何の痛痒も無く直ぐ様に再生されていた。時間稼ぎにもならないと判断したドレスの女性は、ちらりと背後に庇う己の主人と最弱職の少年を見やる。

 瞬間、その口元に己が主人の様な三日月の様な笑みを浮かべて、ドレスの女性は成り損ないに飛び付きそのまま力任せに押し返して行く。強引に主人達から距離を離させると、その間に唱えていた最強の呪文を解き放った。

「僕の命で、……勝ってね? 君達なら勝てるって、信じてる……」

 至近距離での爆裂魔法。離れていたはずの少年達すら風圧で震わせる程のそれは、成り損ないの魔神器を流石に消耗させていた。爆心地で膝を突き、成り損ないは一時的にその行動を再生の為に止める。

 だが、それだけだ。倒すまでには至らずに、呼び出された召喚獣達はその全てがこの場から消え去っていた。

 再び白の世界に訪れた静寂の中で、召喚士は言いたい事を全て言い尽して深く溜息を吐く。

「はぁ……、時間稼ぎはお終い。僕の出来る事はもう全部お終いだよ」

 満足気に笑いながら、もう体を動かす事も出来なくなって、少年の頬に添えていた腕が落ちて行く。その手を少年は思わず取ってしまい、一方的にぎゅっと強く握りしめていた。こうしていないと、今すぐにでも召喚士が消えてしまう様な気がしたから。あの、光になった召喚獣達の様に。

「あはは、嬉しいなぁ……。死ぬ時がカズマの一番近くだなんて……。めぐみんもダクネスも、きっと羨ましがるよ……」

 今にも消えてしまいそうな、儚げな笑みを浮かべる召喚士を前にして、最弱職の少年は考えが纏まらないままに言葉を掛けようと声を張り上げた。言いたい事は死ぬほどある。伝えたい事だって、文句だって溢れるほどあるのだ。

「ロー、俺は!! 俺は!! ……っ!!」

 思いが溢れて言葉にならず、形にならずに喘ぐばかりになる。それが焦りになって、頭の中も胸の内もぐるぐるとめぐる袋小路だ。

 そうしている間に、召喚士の体を淡い光が包んで行く。召喚士は、ぽろぽろと涙をこぼしながら、少年に向けて何時も通りの笑みを浮かべて見せた。

「ねえ、カズマ知ってた? 実は僕、カズマの事がね、好――」

 結局、お互いに言いたい事も言いきれずに、召喚士は少年の腕の中から消え去っていた。

 霧散した光が白の空間には溶けずに、少年の体に纏わり付く様にして浸透していく。それはまるで、暖かさを分け与えられているようだと、最弱職の少年には感じられていた。別れを惜しむと言うよりも、励まされている様な暖かな光に感じられたのだ。

 気が付けば、ずっと流れ続けていた涙は止まっていた。

 

 




後編へ続く。


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第二十四話後編

最後だからお祭り騒ぎだよ。


 ぐいっと、服の袖で目元を乱暴に拭う。滲んでいた視界をクリアにして、最弱職の少年はその胸元から紐で吊るされたカードを取り出した。

 今まで何度もしていた様に、カードを操作してスキルの項目を選び、習得可能なスキルの一覧から目当ての物を探り出す。そのスキルは項目の一番下に表示されていた。スキル名は『絆の召喚術』。

 何が絆だよと心中で呟いて、少年は苦笑しながらそのスキルを習得する。スキルポイントは計った様に、今レベルアップした分も合わせて丁度足りる様になっていた。最初から最後まで仕組まれていたのだと、強く実感させられてしまう周到さである。

 自分の中で遺伝子が組み変わるかの様な錯覚と共に、少年の胸の内にはスキルを習得できたと言う実感がわき上がって来た。普段なら、適当にカエル退治でもして威力を試すのだが、この場ではそんな悠長な事はしていられない。ぶっつけ本番で、自らが呼び出すべき者の名を呼ぶ。

「お前の力を貸してくれ。真名召喚、水の女神『アクア』ッッッ!!!」

 かつて、召喚士が見せていた様に、高らかに呼び出す者の名を宣言する。ちょっとだけ格好つけてポーズを取って見たりして、新しい力を手に入れた少年のテンションは今限りなく高まっていた。

 少年の足元に青く輝く魔法陣が展開し、その中心から呼び出された者が姿を――表さない。

「………………あれ?」

 召喚陣はきっちりと現れているというのに、呼び出そうとした青髪女神は一行に姿を見せずにいる。スキルはしっかりと発動しているので、獲得に失敗したと言う事は無いはずだ。だとすれば、考えられる事はただ一つ。

「くぉらあ!! シリアスで通して来た場面で、何抵抗なんざしてやがんだ! さっさと出て来やがれ、この『駄女神』がぁっ!!!」

 吠え声を上げて魔法陣をゲシゲシと踏みつけ、改めて召喚スキルを発動させる。すると、魔法陣の中心からにょきりと両足が生えて来て、シタバタともがき始めた。

「こいつ、どこまで抵抗しやがる! おらぁ、出て来いやぁ!!」

 じたばたと暴れる両足を捕まえて、まるで根菜でも引っこ抜くかの様に一気に引き上げる。青髪女神の短いスカートがとんでもない事になっているが、怒り心頭な少年はそれどころではない。掴んだ足ごと後ろに倒れ込む様にして、ついには抵抗していた青髪女神を頭まで引きずり出す事に成功していた。

「いーやー! いやよぉ!! この高貴な水の女神様が、何処の馬の骨とも知れない輩に召喚されるなんて屈辱の極みだわ!! 誰だか知らないけど、さっさとこの私を元の世界に――ってあら? カズマさんじゃないの? さてはアンタが私を呼びだした張本人だったのね! ヒキニートの癖にこの私を呼び付けるなんて、不敬で生意気よ!! 謝って! 麗しの女神様を勝手に呼び出してごめんなさいって、早く謝って!!」

「そうだよこのクソビッチ! 特典召喚獣の分際で無駄な抵抗しやがって、まともに呼び出しぐらい受け付けろよな。あと、この非常時に誰が謝るか! ちょっとは周りの状況見て発言しやがれ!!」

「あんですってー!?」

 ただ知り合いを一人召喚しただけだと言うのに、少し前までの雰囲気が跡形も無く粉砕されて行く。この騒がしさに、穴の開いていた胸元へ、春風が流れ込んで来るかのような気分にさせられる。知らず、少年の口元には引き攣った様な笑みが浮かんでいた。

「良いからあれを見ろ。あの出来そこないの化け物を何とかしないと、今ここに居る俺達も、俺達の居た世界も滅茶苦茶にされちまうらしいんだよ。あの魔神器メアリー・スーにな」

「はー!? なによそれ、どこの厨二病患者が考え付いた痛い物語ですかー? あんな気持ちの悪い奴に近寄るなんて絶対に嫌よ! カズマさん一人で何とかしてちょうだい!!」

 分かってはいた事だが、世界の危機とあってもこの女神は非常に非協力的だ。元々は天界のばら撒いた神器が原因みたいな物なのだから責任を取れと言いたいが、どうせこの青髪女神に訴えても仕方がないだろうと少年は思い至る。

 だから、何も言わずに行動する事にした。

「……ドレインタッチ」

「づあああああああああああああっ!! ヒキニート、あにすんのよ!!」

 無言で首根っこを掴んでからの魔力強奪に、青髪女神が全身を強張らせて悲鳴を上げる。涙目になった青髪女神が文句を言って来るが、これで必要な物はそろったのだ。

 此処で遠方で体を再生させた成り損ないの魔神器が、身体を起こして再び前進を再開するがもう遅い。少年はその魔神器に向かい腕を突き出して、再び呼び出す者の名前を高らかに宣言する。

「真名召喚、クルセイダー『ダクネス』ッッ!!」

 しかし何も起こらなかった。魔法陣すら浮かび上がらずに、思わず己の手と足元を何度も見やってしまう。それに反応したのは敵では無く、隣に居て不服顔をしていた青髪女神であった。

「プークスクスッ! 格好つけてポーズまで決めたのに不発とか、凄いカッコ悪いんですけど! チョー受けるんですけどぉ!! プワーックスクスクスゥ!! って、あら……? カズマさんあいつ来てる、こっち凄い勢いで迫って来てる! かかか、かじゅまさん! かじゅまさーん!!」

「うるさーい!! はっ!? そうか、真名だから本名じゃないと駄目なのか!? ったくもう、さっさと出て来やがれ『ド変態騎士』が! 真名召喚、クルセイダー『ダスティネス・フォード・ララティーナ』ッ!」

 今度こそ、少年の放った言葉に反応して、足元に黄色く輝く魔法陣が展開される。程なくして、魔法陣の中心より鎧を纏う女騎士がその姿を現した。

 金の髪を高い位置で括って靡かせる彼女は、開口一番に思いの丈をぶちまける。

「平民に相手に、一方的に呼び付けられるのはなかなか良かったぞ。でも、恥ずかしいから私をララティーナと呼ぶな! 呼ぶなあああああああっ!!」

「やっと出て来ておいて、言うのがそれかよ!? んなことは良いから、お前はあいつの攻撃を何とか防いでくれ! お前は俺が知る限り最高の肉盾だ、頼んだぞダクネス!!」

「肉っ!? ……っはぁ!! 詳しい事はよくわからんが……、任せておけ!!」

 本名を呼ばれるのが恥ずかしい女騎士は、最終的にはご褒美を受け取って顔を赤らめつつ剣を引き抜き構える。相手は神話の魔獣を軽々と倒して見せる本当の化け物だが、少年には確信めいた自信があった。召喚士に伝えられた言葉が、彼の中で一つの可能性を浮き上がらせているのだ。

 成り損ないが女騎士の目前に迫り、その手にした刀を無造作に振るう。銀の巨狼をひと撫でにして屠った、恐らくはキテレツな名前では無くもっと厨二臭い名前の付けられているだろう刀を。

 斬撃は明らかに女騎士の反応速度を超えて迫り、無防備なその体を肩口から薙ぎ払う。そして、女騎士の体が吹き飛ぶと同時に、刀の方がまるでガラス細工が砕ける様に爆散した。

「ングッ!? つはああああんんんんっ!! 今までにない強烈なこの衝撃っ!!! イイいいいいいいいんっ!!」

 木の葉の様に吹き飛んでごろんごろん転がって行く女騎士はどうやらまったく無事な様で、むしろ与えられたダメージの高さにビクンビクンと悶えて大興奮している。

 この状況に一番驚いているのは、刀と共に絶対の自信を砕かれた魔神器だろう。体中から生えてきている顔と一緒になって、手の中に残る鍔だけになった刀と嬉しそうに悶える女騎士を交互に見返していた。

「やっぱり、思った通りになったな。アレが俺の成り損ないだってんなら、俺がダクネスを一撃で斬り伏せるなんて絶対にありえない!」

 そしてもう一人、この状況にガッツポーズを取るのが最弱職の少年だ。召喚士が言っていた言葉が、今なら全て理解できる。あの魔神器が少年になり替わろうと言うのなら、その性質は限りなく少年に寄るのだ。少年が最高だと信じて疑わない女騎士に、少年自身の脆弱な攻撃が通じる道理など欠片も無い。

「何だかよく分からないけど、楽勝ムードな気配がしてきたわね! 何だったらこの私がトドメを――ぎゅあああああああああああっ!?」

 調子に乗り始めた青髪女神をたしなめるついでに、首根っこから再び魔力と体力を補給。余裕が無い時に何か余計な事をされる位なら、後で文句を言われたとしても強制的に大人しくさせておいた方がマシである。

 視線を成り損ないに向ければ、攻撃が通用していないのが不服なのか転がる女騎士を追いかけて、今度は掌からの光の螺旋やら爆炎やらで追撃を仕掛けている。攻撃が命中する度に女騎士は、とても人様にはお見せ出来ないような顔で喜びの吠え声を上げているので、両方とも放っておいて問題は無いだろう。

 その隙に、次なる仲間を召喚する為、最弱職の少年は思考を巡らせる。

「次に呼び出すのは一人しかいないが、問題はそこじゃない。アイツの本名は『めぐみん』で間違いないんだろうが、今までのパターンだとそのまま呼んで素直に来るとは思えない。考えろ、考えるんだ佐藤和真! アイツが喜びそうな厨二的二つ名とか、今までの自己紹介の言葉とか……。んうううっ!!」

 身を捩る程に思い悩むが、何が正解なのか分からない状況では欠片も前進はしなかった。こうなればする事は一つ、何は何でも試してみるしか手段は無い。

「頼む、来てくれ! 真名召喚、アークウィザード『めぐみん』っ! 『紅魔族最強の魔法使いめぐみん』!! 『人類最強の攻撃魔法、爆裂魔法を操る者めぐみん』!! えーっと……、『数多の強敵を屠りし者めぐみん』!! くそっ、これでも駄目か!?」

 掌をかざして思い浮かぶ枕言葉を付け加えて呼び続けるも、魔法陣が現れる気配のけの字すらない。やはり懸念した通り、一筋縄ではいかないようだ。

 そんな風にしていると、進展しない状況に少年の中では苛立ちが産まれ、それは現れない魔法使いの少女への憤懣へと変換されて行く。

「いい加減にしろよ、あの『ロリガキ』! 『厨二病』っ! 『ネタ魔法使い』っ! 『残念系美少女』っ! さっさと出て来やがれ、この『頭のおかしい爆裂娘』がああああああっ!!」

 最早、召喚の為の呼びかけでは無く、うっぷんを晴らす為の罵倒。しかし、叫びきった少年の足元に赤々と燃える様に煌めく魔法陣が現れる。程なくその中心から、赤い瞳を煌々と灯らせた魔法使いの少女が飛び出して来た。

「…………おい、よくもまあアレだけ盛大に罵倒してくれましたね。この最強の魔法使いたる我に対して、言いたい事があるなら聞こうじゃないか!」

「よし、よく来てくれためぐみん!! これで勝ったも同然だ! 好きなだけ爆裂魔法撃たせてやるから、機嫌直してくれ!!」

「わぷっ、この我の頭を気安く――……って、好きなだけ? もしかして、爆裂魔法が複数回撃てるのですか!?」

 案の定、怒り心頭で現れた魔法使いの少女であったが、少年が帽子越しに頭を押さえつつ言い放った言葉に、あっさりと怒りも忘れて食いついて来る。何時だって彼女を魅了するのは、飽くなき爆裂魔法への愛情のみだ。

「いいか、作戦はこうだ。めぐみんにはあの化け物をダクネスごと、爆裂魔法で攻撃してもらう。今のダクネスは俺が召喚した召喚獣だから、魔法の発動と同時に送還すれば死亡はしない。仮に死んだとしても、召喚獣だから強制送還されるだけだしな。その後すぐに再召喚して、足止めに戻ってもらう。その間にめぐみんにはもう一度爆裂魔法が撃てる様に、デストロイヤーの時と同じ方法で魔力を補充させるんだ。これを相手が倒れるまで繰り返せば勝てる」

「爆裂魔法が何度も撃てるのは魅力的ですし、ダクネスが死ぬことも無いのは理解できましたが……。端的に言って最低最悪な作戦ですね。正直かなり引きますよ……。と言うか引きました」

「なんとでも言え。アイツを倒す為だったら、今の俺は手段を選ばん!!」

 仲間を囮にする戦法を非難されるが、最弱職の少年はそれがどうしたとばかりに言い放つ。この時少女は、少年の言動に少しだけ違和感を感じたが、あえて指摘する事は無かった。普段やる気のない少年が張り切っているのは良い事だと思ったし、何より今は爆裂魔法を何度も唱えられると聞かされては冷静ではいられなかったのだ。

 そして、目下最大の難題は、魔力の供給源を説得する事である。

「嫌よ! 絶対に嫌!! もう二度も勝手に魔力を奪ったくせに、まだ私の大事な魔力を奪うつもりなの!? 言っときますけど私の神聖な魔力は、私の可愛い信者達から受け取った信仰心なのよ。おいそれと他人に分け与えられるようなものじゃないの! 却下よ却下、どぅあーい却下!!」

 魔力のついでに体力を吸われて少しぐったりしていた青髪女神が、復活するなり最弱職の少年に食って掛る。何時もであれば、ここから売り言葉に買い言葉で取っ組み合いにでもなるのだろうが、今の少年は一味違った。

「高級シュワシュワ一年分」

「……っ!?」

 ぎゃーぎゃーとやかましかった青髪女神が、少年の発したたった一言でぴたりと鎮まる。その瞳が忙しなく泳ぎ、だらだらと脂汗が全身から流れ落ちた。

 もちろん、この少年がこれで終わる訳もない。

「それにプラスして、向こう一か月はお前の分の宴会での出費は俺が持ってやる」

「……………………わ、私はお金で信者達の信仰心を売り払ったりはしな――」

「今溜め込んでる方々のツケも、一括で纏めて払ってやる」

「さあ!! あんな奴、私達の合体魔法でばばーんとやっつけちゃいましょう!! デストロイヤーも吹き飛ばした超強力な爆裂魔法で、あんなカズマさんの出来そこないズババーンと消滅よ!!」

 駄女神、堕ちる。最早彼女に、一片の葛藤も無し。

「この段階で素直に協力してくれて、正直助かったよ」

 そんな青髪女神の様子に満足した少年は、軽く嘆息しながら腰の後ろで握っていた手をひっそりと開く。そこからぽろぽろと魔法で生み出された土塊が零れ落ちるのを、すぐ傍に居た魔法使いの少女はしっかり目撃していた。

「こ、この男……。交渉が決裂してたら、実力行使に出るつもりでしたね……」

 魔法使いの少女が少年の鬼畜さに戦慄するのを尻目に、少年自身は次の行動の為に動き始める。まずは、反撃ののろしを上げる為にも、魔法使いの少女にひと働きしてもらわなければならない。

「よし、相手がダクネスを追いかけて離れている今がチャンスだ。めぐみんはとりあえず、あの野郎に一発ぶっ放してやれ!!」

「まだ釈然とはしませんが……、解りました。他でもない爆裂魔法を頼られた場面なんです、全力でやらせてもらいますよ!! その代りダクネスの事は頼みましたからね!」

 短いやり取りだけを交わし、少年と少女はそれぞれに自分の出来る事をし始めた。少年の前に進み出て、魔法使いの少女は己の唯一扱える魔法の為に詠唱を始める。少年はその背後で戦場を俯瞰し、タイミングを合わせて女騎士をいつでも呼び戻せるように気構えを整え、更には開いた手で青髪女神の首根っこを掴んで確保しておく。

「我が振るうは万物の理を超えし超越の力。括目して見よ、これぞ人類が誇る究極の攻撃魔法。超常の存在にも届きうる、三千世界に轟く乾坤の一撃なり!!」

 本来の詠唱の後に、格好をつける為に高らかに謳われる紅魔族特有の詠唱。相変わらず少年には厨二病特有の言語にしか聞こえないが、それで本人のやる気が上がるならばあえて止めはしない。むしろ、散々散歩に付き合わされた爆裂魔法ソムリエとしては、これが無ければ物足りないと言っても過言ではない。

「鳴り響け、『エクスプロージョン』ッッッ!!!」

 宣言と共に高まる魔力が少女の杖から飛び出して、一方的に嬲られ続ける女騎士とがむしゃらに暴れる魔神器の足元に巨大な魔法陣を画き上げる。そのまま垂直方向へと幾つもの魔法陣が多重展開し、後はただ魔法の顕現を待つのみとなった。女騎士を引き戻すならば、ここが限界点だと少年は判断する。

「よし、ダクネス戻って来い! 『送還』!」

「ことわーる!!」

「はあ!?」

 事も有ろうに、土壇場で女騎士が送還を拒んだ。もう既に発動してしまった爆裂魔法は止めようが無い。程なく、女騎士も魔神器も諸共に、魔法陣を中心として生まれた無慈悲な爆焔に包み込まれた。

 何も無いはずの白い空間を紅蓮が染め上げて、爆風が離れた位置に居た少年達を時間差で舐める。思わず閉じていた両目を開けるようになる頃には、爆心地にはぐずぐずになった魔神器と、鎧を大破させられたものの辛うじて直立している女騎士の姿があった。

 こちらに背中を向けているので表情は見えないが、親指を立てて見せているので恐らく大満足なのだろう。

「あいつ、ついに爆裂魔法を普通に耐えやがったな……。『送還』……」

 ピクリとも動かない女騎士を今度こそ光の粒子に変えて送還し、青髪女神から同時に魔力を吸い上げて行く。爆裂魔法を受けていながら形が残っている様な相手に、警戒しない等この少年には在りえない事だ。現に、動く様子は無くともしゅうしゅうと音を立てて、肉体を再生させているのが遠目で見えた。

 敵は未だ健在。ならばする事は一つのみ。

「よし、めぐみんもう一発頼む。それから、念の為にもう一度足止めを頼むぞ、真名召喚『ララティーナ』ッ!」

「待ってましたよ! あー……、良い感じです……」

 吸い上げた魔力をそのまま、魔法使いの少女の首根っこから注ぎ入れる。そのついでとばかりに女騎士を再召喚し、魔神器が襲い掛からぬように前衛を任せる事にした。

「きゅうううううんっ!! しゅごかったのほおおおおおおおっ!! ……ん。足止めは任せておけ」

 再び呼び出された女騎士は恥ずかしい筈の本名を呼ばれた事にも腹を立てずに、突然全身を掻き抱いて身悶えし艶めかしく鳴き声を上げる。そして、一拍の間を置いて急に冷静になると、そそくさと魔神器の方に近づいて行くのだった。まず間違いなく、もう一度爆裂魔法を味わうつもりなのだろう。少年はもう、止める気すら起こらなかった。

「あの、吸い過ぎないでね? あんまり吸い過ぎないでね?」

「ああー……、このポンってなりそうな感じ……。来てます、来てますよー……」

 青髪女神が心配して声を震わせる最中、魔法使いの少女には順調に魔力が行き届いている様だ。不安顔の青髪女神とは対照的に、少女の顔は実に幸せそうに緩んでいる。

 そして再充填が終われば、即座に最弱職の少年は爆裂魔法の発動を指示。物凄い笑顔で両手を振っている女騎士が隣に居る、未だ再生を続ける魔神器にトドメを刺す為に。

「ダクネスは呼び戻さないのですか? 仲間に爆裂魔法を撃つというのは、やはり良い気がしないのですが……」

「あの変態はどうせ言っても引かんだろう。全責任は俺が取る。構わん、やれ」

 仲間に対して限界を超えた一撃を叩き込む事に少女は多少の躊躇があったようだが、結局は自身の爆裂衝動に打ち勝つ事が出来なかった。召喚術で瞬時に復活したのを見た後なので、多少の罪悪感も吹っ飛び頭の中は爆裂魔法の事で一杯だ。衝動に流されるままに、思いの丈をぶっ放す。

「『エクスプロージョン』ッッッ!!!」

 再び白の空間に爆音が轟き、爆炎が魔神器とついでに女騎士を包み込む。強烈な衝撃と爆風に耐えること数秒、再び視線を差し向ければそこにはとても満足気に微笑んで消えて行く女騎士の姿が。

「…………やれ」

「『プロージョン』ッッッ!!!」

 魔力が補充され次第、再び爆裂。

 その間に女騎士が再度召喚されて、自分が爆心地に居ないのになぜ撃ったのかと憤慨する。この女騎士にはもう、少年は掛けるべき言葉が無かった。

「『ロージョン』ッッ!!」

 女騎士がどうしてもと言うので、もう一度爆裂。

 満面の笑みを浮かべる女騎士と、ぴくぴくと痙攣する肉塊がツーショットで爆撃される。流石に人の形を保てなくなった様で、魔神器はこの段階で再生する様子すら見せなくなっていた。

「『ジョン』ッッ!!」

 ちょっとだけ動いた気がするので、念のために爆裂。

 何度も爆撃された女騎士は大満足で、仲間達の足元で大の字になってハアハアしている。青髪女神が流石に使いすぎじゃないかと控えめに声を掛けるが、仲間達は誰も取り合おうとはしなかった。

「『ン』ッ!」

 なんとなく前の爆裂が気に入らなくて、少年の評価で満点を取る為に爆裂。

 立て続けにぶちかまされた連続の爆裂魔法に、ついには白い空間そのものに亀裂が走り始めた。これによって、少年は魔神器に致命傷が入った事を確信する。もうこれ以上は、爆撃の必要はないだろう。

 全員で魔神器がいた場所に近づいて行き、亀裂が縦横に走る爆心地に蹲る肉塊を見下ろす。最早それは少年の真似姿を剥ぎ取られ、無数に湧き出ていた肉色の顔はもう三つだけになっていた。

「『最強のチートを手に入れた筈じゃなかったのかよ!? 俺が負けるなんておかしいじゃねえか!! 話が違うじゃねえかよおおおお!!!』」

「『どうして……。どうして……。あの人と一緒に居たいだけなのに、どうして邪魔するの……?』」

「『やあ、良くこの胸糞悪い奴らを引き剥がしてくれたね。どうせなら、このままトドメ刺してくれると嬉しいんだがね。いい加減、疲れたよ……』」

 三つだけ残った貌が慟哭し、怨嗟をぶつけ、そして溜息を吐く。そんな最後の言葉を残して、最後の三人もその表情を肉の中に沈めて行く。最後には、その肉すらもずぶずぶと溶けて行き、後には三つのアイテムだけが残った。

 ペンダントと、腕輪と、羽ペン。それらが強引に混ぜ合わさったような、歪な姿をした無機物。これが、天使が授けたと言う三つの神器、そのなれの果ての魔神器その物なのだろう。

「……………………、念の為に壊しとくか」

 最弱職の少年が、その腰から刀を引き抜く。そのまま逆手に持った刀を魔神器の中心に突き立てると、特に抵抗も無く刃が通り、その後神器の集合体はあっけなく自壊して行った。

「遂に魔神器にトドメを刺したのですね。ちゅんちゅん丸が!」

「なんて哀れな末路だ……」

 魔法使いの少女が興奮して零した一言に、最弱職の少年は思わず葬り去った相手に憐憫の思いが湧いてしまう。物語を食い漁った化け物が、まさかこんな名前の刃に討たれるとは夢にも思うまい。

 だが、どんな形だとしても、これで天界を騒がせた魔神器はその物語に幕を閉じたのだ。

「はあ、やっと終ったな……」

「ああ、終わったな……」

「はー、やっと終わったわね! まあ、この私の神聖な魔力をあれだけ使ったんだもの、勝つのは当然よね!! よっ、祝いの花鳥風月ぅ~!」

 少年の疲れを吐き出す様な呟きと共に、戦いの終わりを女騎士もまた同意する。青髪女神に至っては、何時も通り調子に乗り尽くして、繰り出す宴会芸が今日も冴え渡っていた。

「見てください、この空間全体に罅がっ!」

 少女の声に導かれて、全員が顔を頭上へと向ける。そこは既に終わりを告げる様にひび割れからボロボロと残骸が落ち始め、その隙間から光が差し込んで来ていた。理屈は分からないが、それを見て少年は終わりの時が来たのだなと思い浮かべる。

「…………終ったよ。ありがとうな、ロー……」

 そして、白の世界が全て砕け散り、最弱職の少年の意識はそこで途絶えた。

 

 




一年近く続いてしまったこの物語もついにエピローグを残すばかりとなりました。
ここまで読み続けて来てくれた方々には、感謝の思いがいっぱいです。

ちなみに現時点でエピローグはまだ書いておりません。
もうちょっとだけ続くんじゃよ。


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エピローグ

エピローグにしては長くね?
そう思った方もいるでしょう。

私もそう思いました。


 暗い微睡みの世界から、最弱職の少年は誰かに呼ばれている様な気がして目を覚ました。

 目を開いて周囲を見渡せば、そこは薄暗い裏路地。覚醒して徐々に血が巡り始めた頭は、この状況を走り疲れて眠りこけてしまったのだと判断する。前後の記憶が良く思い出せないが、冒険者ギルドで嫌な思いをして飛び出したのだけは間違いないので、その判断に間違いはないだろうと納得しておいた。

「あ、いたいた、居ました! アクアー、ダクネスー! カズマを見つけましたよー!」

「……ん。ここに居たのか。ずいぶん探し回ったぞ」

 未だに路地裏の地面に座り込んでいる少年に、聞き知った複数の声が掛けられる。直ぐに少年に近寄る足音と共に、魔法使いの少女を先頭にして青髪女神を背負った女騎士も近づいてきた。青髪女神は顔を真っ赤にして、どうやら自分で歩けない程に酩酊している様子だ。

「あー、かじゅまさん、どこ行ってたのよう。みんなでかじゅまさんがいなーいって探し回ってたんだからぁ。あ、だくねしゅ、ちょっと下ろして。ぎぼぢばるひ」

「ちょっ!? 待てアクア、そこで吐くな! 今下ろすから!」

 慌てた女騎士が路地裏の隅にダッシュして、青髪女神が口からキラキラした物を垂れ流す音が響く。そんな最低なバックコーラスを聞きながら、最弱職の少年はまだ少しぼやける頭を振りながら立ち上がり、ふと思い至った事を魔法使いの少女に尋ねていた。

「……お前達だけか?」

「え? 私達だけですけど……。ああ、カズマがスティールしたあの二人なら泣きながら帰ってしまいましたから、少なくとも今日はもう顔を合わせる心配はないですよ」

「え、ああ、そうか……。それは、助かるな……」

 違う。ギルドの受付嬢と新人冒険者の二人の事ではない。頭の中ではそう思ってはいたが、それを少年は言葉にはしない。ここに居る三人以外に少年の仲間など居ないのだから。いったい、他に誰が居ないと言うのだろうか。

「カズマ……? ぼーっとして、具合でも悪いのですか?」

「ん、いや、大丈夫だよ。じゃあ帰るか、せっかくだし皆で……」

 呆けていると魔法使いの少女が心配して声を掛けて来る。それに対して手を振りながら応えると、少年は少女の手を借りて立ち上がりパンパンと尻に付いた埃を払う。

「そういや、屋敷に帰らないでわざわざ探してくれたのか? 帰って不貞寝してるかも知れなかったのに」

「カズマが飛び出してからそんなに時間も経ってませんし、それならまだ近場に居るだろうと探してみる事にしたのです。せいぜいアクアが一気飲みのし過ぎでヘロヘロになったぐらいですし。それに――」

 歩き出しながら何気なく聞いてみた少年の言葉に、少女は事情を説明しつつ一旦言葉を区切った。何とはなしに視線を上に向けて、夜空を見上げながら思いを探りつつ言葉を紡いで行く。

「なんとなく、誰かに探しに行けと言われた様な気がしたので……」

「……そうか」

 少女の静かに紡がれた言葉に対して、少年は短く返すだけだった。なんとなく思いつくなんて、誰にだってある普通の事だ。それを特別気にしていたってきりが無い。

 ただ、何かが気になって、もう一度路地を振り返る。少年が寝ていた場所に視線を送っても、何もありはしない。これ以上気に留めても、状況が変わる事は無いだろう。

 その日はもう、全員で屋敷に帰って、風呂に入ってから直ぐに眠りに付いた。どうせまた、明日からも騒がしい日々が始まるだろうと諦めつつも、強く願って。

 

 

 幾日か経ったある日の事。

 ここ数日の間、頭の中に以前出した商品の改良案がポンポンと浮かび、どうせならもっと金を稼いでおくかと少年は新たな設計図を書き起こしていた。まるで誰かに教えられたかのような唐突な発想だが、閃きなどと言う物はふっと湧く物だろうと深く考えない事にする。きっと以前に何かで見聞きして、魂にでも刻まれていたのだろう。

 そして今は、それを仮面の悪魔に見せて商談するべく、一人屋敷を出て街中へと向かっている途中であった。

「よお、お前さん今日は一人なのか? アンタにしては珍しいな。ま、たまには自由に羽を伸ばさなくっちゃな! 地獄の様な世界に生きてるんだ、たまの娯楽が生き甲斐って奴よ!」

 途中、荒くれ者の様な姿をした機織り職人と声を掛け合ったりもする。どうでも良いが、彼の姿をずいぶん久しぶりに見た様な気がする最弱職の少年は、自分の中の違和感に軽く首を傾げていた。

 その後、仮面の悪魔との商談は滞りなく終了。店の端でリッチー店主が黒焦げになっていた以外は、実にスムーズに話が付いてしまった。余りのとんとん拍子に軽く訝しさを覚えたが、相手は全てを見通す悪魔なのでどうせ商談の事も筒抜けだったのだろうと気にするのを止める。

 どうせ外に出たのなら酒でも飲みに行くかと、少年の足は冒険者ギルドの方へと向かっていた。もしかしたら、起き出した仲間達も先に行って適当に過ごしているかもしれない。そう思って、自然少年の歩みは早まって行く。

 流石に街の中心部に近づくと人通りが多くなり、すれ違うのも苦労する様な雑踏に流石に歩みが遅くなってしまう。元引き籠りには、人混みと言うのは大変苦手な物だと言うのに勘弁してほしいと言う物だ。

 そんな時、最弱職の少年はスッと一人の人物とすれ違った。

 その人物はローブに付いたフードを目深に被ってはいたが、すれ違う一瞬に少年と目が合い瞬間的に見つめ合う。吸い込まれそうな黒の瞳に、フードの脇から肩へ垂れ下がる太く結われた黒髪。そして、その人物の持つ作り物めいた整った美貌に、その一瞬だけ少年は目を奪われてしまう。

 目が合った事に気が付いたフードの人物は、フッと自然に笑んで見せた。どこか見慣れた気のする、三日月の様に歪んだ微笑みを。

 二人はそのまま、雑踏に流されるままにすれ違って行く。声を掛ける暇も無く、そうする理由も無くただ漠然と。

 少し、何かが気になった少年が背後を振り向いた時には、すれ違ったフードの人物の姿は何処にも見えなかった。そうしてまた、少年は冒険者ギルドへの歩みを再開する。

 何処かで会ったかも知れないなんて、そんな物は大抵が気のせいと言う物だ。そう胸の内で納得して、少年は前を向いて歩み進んで行く。

 すれ違った二人の道は、それ以上交わる事は無い。少しだけねじ曲がった物語は、此処で漸く修正された。これで、本来の姿に戻るのだ。

 

 

 ――と、思っていたのだが。

「わっ!」

「どわあああああっ!?」

 突然背後で大声を出されて、最弱職の少年は飛び上がる程に驚愕した。実際飛び上がって腰が砕け、雑踏の中だと言うのにその場にへたり込んでしまう。周囲の人々が迷惑そうに少年と、そして声を上げた人物を避けて歩きぽっかりと空間が出来る。

「び、びっくりした……、何なんだよいったい……?」

「ぶっ、あはははははっ! あはははははははっ!!」

 腰を抜かしたままの少年を、驚かせた人物は指を差して大声で笑う。酷く楽し気で、そしてどこか、少年に懐かしさを感じさせる笑い声だった。

 しかし、幾ら無様を晒したからと言って、その原因に笑われて良い気がする訳がない。少年が憮然とした表情でいると、笑いが収まった人物は軽い謝罪と共に掌を差し出して来る。よく見れば、それは先程すれ違ったフード付きのローブを着た人物であった。

「ごめんごめん。あんまりにも良いリアクションだったから、ついついツボに入っちゃって……」

「……ま、別に良いけどさ」

 相手があんまりにもにっこりと笑う物だから、不承不承だが少年は差し出された手を取って立ち上がる。そうして並んで立ってみれば、相手は自分よりも背が低く少しだけ見下ろす様になった。

「実は、ちょっと今道に迷っててね。君なら教えてくれるかなって思って、声を掛けさせてもらったんだ。その格好からして、君は冒険者なんだよね?」

「ああ、まあ……、間違いなく『冒険者』ではあるな。『冒険者』では……」

 驚かされた上に突然の話に戸惑ったが、この相手だとなぜかそんなに苛立ちが起こらなかった。むしろ、自分が職業的冒険者である事がばれてしまう方が、何だか居心地が悪い程だ。まるで前からの知り合いの様な、そんな距離感を相手に対して覚えていた。

 ちょっとだけ居心地悪さで視線を逸らす少年に対して、フードの人物はそのフードを外しながら改めて少年に向き直る。そして、真っ直ぐ目を見つめながら言葉を紡ぐのだ。

「よかったら、僕を冒険者ギルドまで連れて行ってくれないかな。なんだか君とは、初めて会った気がしないんだ。向こうで少し、話でもしないかい?」

 乞われた少年は暫し考えを巡らせてから、目を閉じてふうと大きく嘆息する。

「しょうがねぇなぁ。どうせ俺もこれから行く所だったんだ、案内してやるよ」

「ありがとう、凄く助かるよ。えっとそれじゃあ自己紹介でもしようか。僕の名前は――」

 二人は話しながら、肩を並べて歩んで行く。

 この先に何が待っているのかは、この新しく始まった物語次第である。

 

 

 これは、些細な意趣返し。魔神器に捕らわれ、二人の幼馴染に振り回されたとある人物からの、たった一つのIfの返礼だ。

 これにて、物語改変神器『デウス・エクス・マキナ』の全機能を停止。物語の観測と干渉を終了する。

 後はもう、誰にも干渉されないことを切に願う。物語の外より、愛をこめて。

 

 




これで本当に終わり。

乗りと勢いのままに書き上げたそのままを投下したので誤字があったらごめんなさい。
そして読んでくださった方は本当にありがとうございます。

最後だからお願いもしてしまいます。
感想いっぱい欲しいです!最近全くなくて淋しいんですお願いします!

それでは、また会う事がありましたらその時はよろしくお願いいたします。
ではでは…。


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