ネギ&千雨アフター (◯岳◯)
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1話:day after tomorrow

最初はヒロインのターン


2011年、春の季節が舞い踊る麻帆良学園。嫌味なほどに青い空の下で大学四年生(22歳)の長谷川千雨はある建物のバルコニーの上でぼんやりとしていた。背後から聞こえる元3-Aのクラスメイト喧騒をBGMにしながら、眼下に見える満開の桜を漠然と眺めながら。

 

「明後日に同窓会、か……はええよ、おい」

 

というか、ちょこちょこ会ってるだろ。千雨はツッコんだ。

 

だが、開催は確定となった。連絡を取った結果、最も忙しい委員長こと雪広あやかと那波千鶴まで、出席可能だという回答があったからだ。それを聞いた千雨は「決まりかな」と呟きながら、ポケットから紙の箱とライターを取り出した。

 

「おっ、煙草か? 1本くれよ」

 

「煙草じゃねーよオッサン」

 

千雨は苦笑しながら続けた。

 

「見た目と仕組みはタバコだけど、中身()は魔法の香草だ」

 

最近になって魔法世界から輸入した香草だと答えながら、気配もなく現れた顔見知りに千雨は香草の葉巻を渡した。

 

それを受け取った巨躯かつ褐色の大男―――ジャック・ラカン は指を擦るだけで火を点けた。無色の煙が漂う中で、千雨は何ともなしに言った。

 

「久しぶりだなオッサン。決戦での活躍はバッチリ聞かせてもらったぜ。相変わらずのデタラメっぷりで」

 

「そんなに褒めるなよ。……千雨嬢ちゃんも成長したな。背だけじゃなく色々と――」

 

「いきなりセクハラすんな訴えんぞ変態オヤジ!」

 

千雨はいつかの明日菜の時と同じように、胸に触れんと伸びてきたラカンの指を寸前で回避すると、半眼で睨みつけた。ほんと変わってねーな、と呟きながら。

 

ラカンは視線を気にもせず不敵な顔のまま受け止めた。そして「久しぶりと言えば」と後ろに居るネギと笑いあっていたナギを見た。

 

「2年前の決戦じゃ、嬢ちゃんの姿は見えなかったけどな。なんだ、地球に居残って勉強に宿題か?」

 

「そんなもんだ。つーか私をアンタ達みたいなデタラメーズと一緒にすんなよ。こちとら貧弱で運動不足な、か弱いただの一般女子大生なんだから」

 

宇宙大決戦とかガラじゃないし、現場に出た所で踏み潰されて死ぬ未来しか見えない。心底嫌そうな顔で千雨は呟くと、細い煙を吐いた。ラカンは豪快に煙を吐きながら笑った。

 

「天下のISSDA(国際太陽系開発機構)の特別顧問がただの、って事はねーだろ……それとも、あれか」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()の仕事があったのか、と。ラカンは眼前に見える世界樹と、その隣にある建設中の軌道エレベーターを見ながら告げた。

 

「俺としたことが、ちっと驚かされたぜ。まーチサメ嬢ちゃんらしいっちゃらしいけどな?」

 

「……なにがだよ。らしくねーよ、まったくもって私らしくねえ。そんな大役ななんざ似合わねえ、端っこでイーッ、って言ってるモブで良かったんだ」

 

千雨は心底嫌そうな顔で、いつもより多くの煙を吸い込んだ。

 

「でも、嬢ちゃんはそうする道を選んだ―――坊主のためか?」

 

「そうじゃない、私のためだ。あの時とは違ってな」

 

千雨は細く、長く煙を吐きながら答えた。

 

最初は安全を確保するためだったと、眼鏡を押し上げながら。

 

そして、思い出していた。

 

卒業式の翌日、麻帆良学園の学園長である近衛近右衛門に呼び出された日のことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学園長室の中、セキュリティがガチガチに固められた一室。その中で千雨は正面に居る近右衛門に向かって呆然と呟いた。

 

「それは……どういう意味ですか」

 

「……申し訳がない、としか言えん」

 

もう一度繰り返すが、と渋い顔をしながら近右衛門は嗄れた声で告げた。

 

「長谷川千雨くん。君は将来、命を狙われる可能性がある―――魔法世界における総督府での1件が、漏れてしまったようなのじゃ」

 

千雨はその情報を聞いて訝しんだ後、顔を歪めた。ネギと宮崎のどか、朝倉和美と4人でゲーデル総督と対峙した時のことを示していると分かったからだ。

 

オスティアの総督府の特別室の中だった。意図的に情報を隠していたゲーデルから共闘を求められ、色々と会話と拳が交わされた後に、ネギは明確に拒絶した時のことだ。

 

ネギ・スプリングフィールドが遂に後戻り不能地点(ポイント・オブ・ノーリターン)を越えた時のことであるため、千雨ははっきりと覚えていた。

 

「あの変態眼鏡総督が先生……いや、元先生にやり込められておしまい、ってだけでしょう? 私は特に何をした覚えも―――」

 

そこで、千雨は思い出した。交渉が決裂した後のことを。

 

アーティファクトを使って総督幻灯室にハッキングを仕掛け、セキュリティをオールカットしたことを。ゲーデルが用意した幻想空間を強引に解除したことを。

 

「あれは……いや、犯罪かもしれません。ですが、緊急避難だったでしょう? なんで、私なんかが………ねら、われる………」

 

千雨は自分で答えながら、気づいた。

 

―――メガロメセンブリアで見た、圧倒される高層建築物の群れ。

 

―――SF映画で見るような、近未来的な街中。

 

―――地球より文明が進んでいると、問わずとも確信できるような。

 

「……そういう、事ですか」

 

千雨は歯が軋む音が漏れないよう、自分の口元を手で抑えながら、答えを告げた。

 

地球(こちら)より遥かに進んだあっち(魔法世界)のセキュリティを……それだけじゃない、総督府っていういかにも超重要な機密が集まってるっぽい場所のハッキングを短時間で成功させた、から」

 

「………隠すのに意味はないから正直に答えるが、その通りじゃ。自分で気づけるほどに敏いのであれば、その理由も分かるじゃろう」

 

「っ!」

 

千雨は、顔を完全に青ざめさせていた。今は2004年、パソコンもかなり普及して来ている。その性能が認められ、様々な所にコンピューターやネットワークの技術が活用されてきているのだ。インターネットの普及は終わったが、むしろこれからが発展の時期だと言っても過言ではない。

 

だが、所詮は再発展の過渡期でしかない。こちらの電子技術が魔法世界には到底及ばないレベルであることは、千雨にも分かっていた。蓄積されてきた年月の違いも、想像できた。当然、今の地球で問題視されているウイルスやハッカーへの対策も、相当な時間と費用をかけて練り上げられたものだろうことも。

 

それを、自分は打ち破った。

 

ならば、地球ではどうなのか。銀行だけではない、オスティア総督府のように国の機密を奪えるような存在が居れば。

 

「っ、でも! あれは私の力だけじゃない、力の王笏(アーティファクト)と超の未来技術があったからこそで、私なんか……っ!」

 

「……超鈴音の存在は、秘匿する。それが、関東魔法協会の総意じゃ」

 

「な………どっ、どういう事だよ!」

 

千雨は驚きつつも、頭の一部で納得する自分が居るのに気づいていた。魔法という存在と同じぐらいに、未来の技術というのは世界にとってのイレギュラーに成り得るもの。自分が魔法に深く関わるようになった事件を、協力者が居たとはいえ一個人があれだけの規模のテロを起こせたことを思えば、公開されるべきではないという方針は納得できるものだからだ。

 

―――だが、それは。

 

「……未来の技術だと言い訳できなくなる……だから“長谷川千雨はアーティファクトがあれば、どんなクラッキングをも成功させられる”って思われるのか」

 

「もちろん、わし達は君がそんな真似をするような人物ではないと信じておる。だが、君を知らない人物は違う」

 

そう思う者が出る可能性がある、ということが問題になる。近右衛門の言葉を聞いた千雨は、目の前にあるテーブルを勢い良く拳で叩き付けながら、立ち上がった。

 

「ふっざけんなよ! なにを他人事のように言ってんだよ! 元はと言えばアンタ達が…、アンタ達のせいで………っ!」

 

千雨は目尻に涙を浮かばせながら、近右衛門を睨みつけながら罵倒しようとした所で、口を閉ざした。

 

「……いえ、すみません」

 

続けて下さい、と千雨は椅子に座った。近右衛門は痛ましい様子でそれを見ると、促された通りに続きを話した。

 

「そう、悲観するような話だけではない。この街に居れば、君が害されることはない。元よりこの学園都市に不貞を働かんとする者は居た。その外敵よりこの都市に住まう人々を守るのが、ワシ達の役目であり使命じゃ」

 

「つまりはいつも通り、って訳ですか………でも、それだけじゃないですよね」

 

わざわざ呼び寄せた、というからにはその理由がある。大人は暇じゃない、時間を使うのには意味があるからこそ。それを知っている千雨の言葉に、近右衛門は軽く目を見開いた。

 

「千雨くんの言う通り、いくつか理由はある。何も報せないままでは、君が都市の外部に赴く際に危険が及ぶからの。次に……その能力についてじゃ」

 

「……言われなくても、悪用はしませんよ」

 

「それは分かっておる。しかし、悪用ではなく―――その能力を良い方向に活かしてみないか、という話じゃ」

 

「は?」

 

「ネギ君が今も積極的に動き回っているのは、君も知っているじゃろ?」

 

「……はい。何度か、先生本人から話を聞かされたこともありますので」

 

魔法世界が崩壊する原因は、火星の魔力不足にある。ならば魔力の源である生命を火星に満ち溢れさせてしまえばいいというのが、ネギ・スプリングフィールドが出した、魔法世界の12億人を救う唯一の解決策。

 

Blue Mars計画(プロジェクト・ブルーマーズ)の名前で動き始めていることは、千雨も知っていた。

 

「それで……質問じゃが、千雨君は無謀な試みだと思うかの?」

 

「……スケールが大きすぎてピンと来ませんが、大丈夫だと思います」

 

「ほっ? それは、どうしてかの」

 

「先生は“男子一生の仕事”と言いました……それに、協力する味方も大勢います」

 

千雨は思った通りのことを告げた。

 

ネギ・スプリングフィールドはいついかなる時も、最終的には勝利を収めてきた。その溢れる才能に胡座をかかず、血の滲むような努力を重ねるだけでなく、仲間と一緒に困難に立ち向かい、その度にどんな強固で高い壁だろうと打ち破ってきた。

 

今までよりも、遥かに困難な壁になるかもしれない。でも先生ならばどうにかするだろう、という奇妙な確信を千雨は持っていたからだった。

 

「……ふむ。ワシも、そう信じている―――じゃが、それを良くないと思う者が居れば、どうかの? 例えばじゃが、敵なる者が居るとしての話じゃ」

 

「敵の視点から、ですか……つまり、どうやって先生を止めるか、っていう質問ですか?」

 

「いかにも」

 

千雨は近右衛門の言葉を聞いて、考え込んだ。

 

(ネギが敵……厄介ってレベルじゃねえ。天賦の才、諦めない精神性、有能な味方、強固な絆………真正面から戦っても割に合わねえ、よな)

 

戦った所で、勝機は薄い。ならば、と考えた所で千雨は漫画やネット小説を思い出しながら、ぽつりと呟いた。

 

「戦術で無理なら、戦略で………いや、違う。戦ったら負けちまう、なら……」

 

戦いのリングに上がられれば負けるのだ。ならばどうすべきかと千雨は考えた挙句に、ハッした表情になった。

 

「リングに上がらせる前に、決着を付ける……盤外戦術じゃない、その前に白黒を付けるような」

 

「……本当に察しが良いのう。そして、外からは攻略が困難な守りであれば?」

 

「内部の混乱を煽る。つまりは、先生の本拠地である麻帆良学園を狙う………っ」

 

破壊不可能な概念結界に覆われていた神楽坂明日奈を助けた時と同じように、中に訴えかけて、中から破壊させる。麻帆良学園の全てが、ネギの味方ではない。そんな空想は有り得ないことを、千雨は知っていた。

 

そして、ようやく気づいた。自分の能力を活用する方法に関して。

 

「内部に干渉するためには、戦闘員じゃない、諜報員を直接送り込む必要がある―――つまり、情報戦になる」

 

諜報員の暗躍を防ぐためには、学園都市自体の防諜能力が必要になる。都市のセキュリティを高めるのが、急務とも言えた。

 

「……餅は餅屋。壊す方に詳しいのなら守る方にも詳しいだろう、ですか」

 

「それだけではない。何よりも裏切られる心配がない優秀な人材、という点が最も重要なのじゃよ」

 

セキュリティを司る人間に用意周到に裏切られれば、その時点で何もかもが詰むからだ。言外に近右衛門は語り、千雨は鼻で笑って答えた。

 

「裏切られない? ……まだ分からないですよ。私が欲に負ける可能性が無いって、なんでいい切れるんですか」

 

「ほっほっほ。ま、それだけはいい切れるぞい。君は我欲に負けても、ネギ君を裏切ることはできんじゃろうしな」

 

近右衛門の信頼を裏付ける回答を聞き、千雨は言葉に詰まった。先生を裏切ることができるか、と自分に問いかけるまでもなく答えが分かっていたからだ。

 

(……ネギ先生のためにもなる、か。もし私が断れば、どうなっちまうんだ?)

 

千雨は考えてみた。諜報員の工作により、戦う以前に敗北を叩き付けられてしまったネギの姿を。これからの戦いは政治的な面が大きいという。本人から相談を受けていた千雨は受けた話の全てを理解できずとも、その一部を覚え、隠れて勉強をすることで理解できるように努力を重ねていた。

 

(付け焼き刃の知識だが……政治の分野じゃあ、情報戦は特に大事で重要になる、んだよな)

 

各国が諜報機関を持っているのはそのためだと、千雨は聞いたことがあった。内部工作うんぬんで、というのは映画の世界だが、何度も見たことがあった。

 

これからの展開など、その情報を抜かれることで他国に先んじられる事になってしまえば。それだけではない、スキャンダルをでっち上げられればどうか。千雨はそうなってしまった後の―――全てが“終わって”しまった後のネギがどうなるのかを、想像してしまった。

 

(……先生も、自分が不老なのはわかっている筈だ。その上で男子一生と言った戦いが、できなくされた先生は……)

 

千雨は両の掌を強く握りしめた。闇の魔法の暴走により、黒い獣になってしまった―――それでも身体は年齢詐称薬を使う前の、11歳の小さいネギが―――暴れることなく虚空に向かって吠えているような、そんな光景を想像してしまったからだ。

 

何もない。何もできない。不老不死になっても、と挑んだのに、何も掴むことができずに終わる。

 

千雨は、顔を上げた。

 

 

「……分かりました、とは言えません。今は、ですが」

 

「ひょっ? どういうことかの」

 

「能力は……確かにあるかもしれませんが、判断力が足りない。それ以前に、知識が足りない」

 

単純に組み上げる、壊す能力はあるが、それを扱う自分自身が未熟過ぎる。千雨はだからこそ、それを鍛える機会を与えてくれ、と訴えかけた。

 

「防諜に関しても………詳しくは知りませんが、一人でやるもんじゃない、と思ってます。そういった意味でも、私は現場とか、判断する基準とか、そういったものを知る必要があると思うんです」

 

「……ふむ、分かった。急ぎ、手配しよう」

 

「次に、私の正体は可能な限り伏せて下さい。もちろん、先生にもです。表向きは守られている生徒、として扱ってくれれば」

 

「狙われる機会は減らしたい、という事かの。ネギ君に報せないのは何故か、聞いてもいいじゃろうか」

 

「―――今でさえ殺人的なスケジュールでしんどい思いしている子供に、変な心配かけたくないだけです」

 

千雨は少しぶっきらぼうな口調で答えながら、近右衛門を睨みつけた。

 

「あとは、細かい話になりますけど」

 

雇用条件、給料の話。今の防諜体制がどうなっているのか、どういった学園都市結界が組まれているのか。テロ事件の際に触れた覚えはあるが、全てを把握している訳ではないし、ネットワークに関しても魔法世界における特殊な技術があるかどうかが分かる教材があれば、それも用意して欲しいと千雨は次々に思い当たる事を告げていった。

 

それらが終わった後、一息をついた千雨に近右衛門は尋ねた。

 

「こう言ってはなんじゃが、最後までやりきるという、本気が見えるの。先程とはまるで違うように見えるんじゃが、どういった心変わりかの?」

 

「別に……私にも責任があるって、それだけです」

 

「ふむ、クラッキングの事かの?」

 

「……いいえ。闇の魔法のことです」

 

千雨はネギがラカンの元で、闇の魔法を習得すると決めた時の状況を説明した。自分が最後の一押しをしたことも。

 

「もし、先生が戦う前に負けたら………戦うことさえ許されなくなったら、不老不死のガキだけが残される。生きて、成長して、あんな時もあったんだな、って言えなくなっちまいそうな」

 

死ぬことさえ許されなくなった悠久の時の中を、無為に過ごす羽目になるかもしれない。負けた所で、そうならない可能性もある。再び立ち上がる可能性も。だが、事態に対する時は有限だ。間に合わなければ多くが死に、そこからまた戦争が起きる。

 

そんな可能性が見えてしまったら、と。千雨は語り、眼鏡を外しながら近右衛門に告げた。

 

「先生は、あの時に選んだ。今も選び続けてるんだ……なら、私だけが選ばないってことはできない」

 

傍観者のまま、ネギの活動を遠くから眺めていることの方が。世界的な事業であるテラフォーミング計画に関わらず、時々会うことになるだろうネギの話を聞くだけで、あとは普通の高校生として、女子大生として、会社員として居る方が当たり前で普通の、現実的な選択だ。

 

でも、と千雨は言葉を続けた。

 

「責任は取ります―――英雄の息子だかなんだか知らねーが、ガキ一人に重荷背負わせて送り出した、あんたらのような無責任な大人になりたくないからな」

 

「ほっ―――言うわい。だが、正鵠を射ておる」

 

「大上段からすぎんてムカつくんだよ、狸じじい。……あんたの話に乗らざるをえないあたりも、最高にムカつくぜ」

 

千雨は全てではないが、今までの話の流れから、こう決着が付くように誘導されている自分に気づいていた。

 

ネギの事もだ。ネギとクラスメートから赴任、京都で起きた話を聞くと、英雄の息子として成長させ、旅立たせるまでは既定路線だったとしか思えない。

 

全ては、世界樹の下に居たナギのために。結果的には正しかったのかもしれないが、11歳の子供に背負わせるようなものではないと、千雨は更に苛立ちをつのらせていた。

 

その苛立ちの対象は、自分をいいように使おうとする大人だけではない、自分に対してもだ。反発する事はできるが、勝つこともできない現状に関しても、怒りを覚えていた。

 

「ふむ、自分に説明もなく蚊帳の外にしようとするネギ君に対しても、かの?」

 

「心を読むんじゃねえよ。見た目の通り妖怪か、このフ○ーザ様第三形態が」

 

「ワシ宇宙人になっとるよ!?」

 

「おかしくねえだろ。あれだ、地球人らしいデリカシーがないから孫にもトンカチ食らうんだろ?」

 

木乃香の話はわりとクリティカルだったのか、近右衛門は盛大に凹み始めた。千雨はそれを見ながら、へっと鼻で笑った。

 

「あとは、葉加瀬にも話を通しといてくれ。マシンを新調するにも、未来技術のアドバンテージは活かすべきだし」

 

「ふむ、手配しておこう。というか、最初と態度が違いすぎるのじゃが」

 

「……これが私だよ。癇に障るようなら、排除する事を推奨するぜ?」

 

千雨は眼鏡をかけ直すと、苛立ち混じりに答えた。

 

「それで……他に言いたい事とかは?」

 

「ふむ……言いたいことはないが、尋ねたいことはあるの。ネギ君の話じゃが」

 

「覗き見が趣味かよ、ストーカーじじい」

 

「君もそこに加わるんじゃが……いや、話が逸れた。それで、どうして自分の気持ちを誤魔化したのか、聞いてもいいかの?」

 

卒業式の日、ネギから告白を受けたのに振った理由は。尋ねられた千雨は舌打ちをしながら答えた。

 

―――相応しくないからだ、と。

 

「先生は、いい男になる。こんな変な女が足を引っ張るべきじゃねえだろ、どう考えても、誰が見てもそう思うぜ、きっと」

 

「ふむ……つまりネギ君のために、かの」

 

「ああ。それに、これからが忙しいって時に、色恋沙汰にうつつを抜かしてる場合じゃねえし……」

 

千雨は最後まで言わずに椅子から立ち上がった。

 

「それじゃあ、失礼します……学園長」

 

「うむ。おって連絡をするので、よろしく頼むぞい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……最後まで、全部くそじじいの思惑通りだったんだよなぁ、アレ」

 

当時の事を振り返った後、千雨は遠い目をしながら呟いた。それでも、恨み言は吐かない。今の自分なら同じ方法を取るだろうと考えているからだ。

 

指導者は感情で動いて良い時もあるが、悪い時の方が圧倒的に多いと、実地で学ばされてきたから分かる理屈だった。

 

あの時、近右衛門は自分の不安を煽り、救いの手を差し伸べるかのようにみせて試したのだ。もしも提案を即座に受け取り、自分の力不足を認識していないようであれば、どうだったか。

 

(いや、救いがないのは、それでも私の力を利用するしか無かった、っていう点だな)

 

聞けば、超の事件でも茶々丸からのクラッキングに対し、学園側は対抗することさえも出来なかったそうだ。

 

力の王笏というアーティファクトがあったとはいえ、最終的には茶々丸の防壁を抜いた長谷川千雨という人材を、学園側は必要としていた。千雨はそれだけは否定できない、客観的事実であったように思えた。具体的には、着任からこれまでの仕事量とか。

 

「で、それからずっと坊主に悟られないようにしながら裏方勤めか」

 

「……途中で放り出す訳にもいかねーからな」

 

千雨は答えながらも、放り出して良かったんじゃないかな、とも思っていた。具体的には、遠くに見える軌道エレベーターが原因だった。

 

(テロ対策に、って魔法世界の技術を使うのが決定してから……忙しさが5倍になったんだよな)

 

テロを未然に防ぐために、最善な方法は何か。それは計画か、準備段階で潰すことだ。だが魔法というものがテロを起こす側の選択肢に入ってくると、起きる前に阻止するのが極めて難しくなってくる。

 

爆弾であれば、爆薬の手配から専門技術を持つ人間の動員、運搬といった様々な手間がかかる。この中で一つでも情報の網に引っかかれば、防ぐことができるのだ。

 

一方で、魔法は違う。極端な話を言えば、犯罪歴ゼロのそれなりの魔法使いを呼び寄せるだけで、計画は完遂できたも当然になるからだ。

 

観光と告げて普通に入り込み、詠唱して魔法を放つ。それだけで何千億か、果ては何兆まで行きかねない価値を持つ建造物が破壊されることになってしまう。

 

それを防ぐために、魔法の力を防御に活用できないか、という案が出たのだ。

 

(と、いうよりもそれしか無かったんだよな。世界樹もあるし……それに、ここには魔法世界とのゲートもある)

 

流通の拠点としては、この上ない。警備体制も、麻帆良学園の防備のために整えられているため、それを下地に出来た。地脈を利用するという意味でも、世界樹があるこの都市は一級の候補に上がっていたのだ。土地問題も、関東魔法協会の所有だから解決できる。

 

日本は治安も良いため、通常の爆弾も防ぎやすい。島国であり、極秘裏に大きな爆発物を持ち込み難い、というのも利点となっていた。

 

「で、ようやく落ち着いたのが最近で………そろそろ引退すっかなーとか考えてる」

 

「年寄り臭いが、あっちのバカ(ナギ)がほざくように疲れちまったから隠居か?」

 

「……相変わらず見てねーようで、人を見てんなオッサン」

 

千雨はジト目で睨みつけた。まったくもって図星だったからだ。

 

発端は、2年前の決戦。そう、麻帆良が保有する戦力が全てナギ=ヨルダとの決戦に向けて宇宙に飛び立った時のことだ。

 

軌道エレベーター建設の開始は、規格外の力を持つヨルダ=バオトを討伐するまでは、という結論でまとまっていた。どんなに強固なセキュリティでも外から飛び込んでくる核爆弾を防げないからだ。使われる各種部材も、ヨルダクラスの魔法に耐えられるような構造にはなっていなかった。費用対効果から見ても無駄があるとして、討伐後にGOがかけられるよ予定だった。

 

―――つまり、どう考えてもテロリストにとっての、絶好の好機である。

 

千雨は、それを防ぐために残ったのだ。結果的に、ここぞとばかりに仕掛けてきた敵を全て排除することには成功した。だがその代わりとして、長谷川千雨=防諜の要である、という機密がバレてしまった。

 

「それ以前にも、色々と防いできちまったからな……」

 

「後悔をしているようには見えねえけどな」

 

「だから心を読むんじゃねえよ、サトリの能力でも持ってんのかオッサン」

 

図星だけどよ、と千雨は口を尖らせながら小声で呟いた。

 

雪広財閥から派遣された教師役、優秀も極まる教えを泣きながらも習得し、全力を尽くした結果だった。

 

―――新人時代の、年上の部下からの風当たり。

 

―――続く危難の時、それでもと少ない手札で乗り切るしかなかった。

 

―――内部に潜んでいた裏切り者を説得できたのも大きかった。

 

―――時には3-Aのクラスメイトの力も借りて、地球、魔法世界問わずの大国の諜報員による工作活動を防ぎ続けた日々。

 

長瀬には足を向けて寝られないし、心停止したらしい自分を抱えて病院に駆け込んだエヴァンジェリンの顔は見ものだったらしいと、千雨は乾いた声で笑った。止めようとはしなかった。全てを語るには長編アニメ1本は必要なぐらい、波乱万丈でも濃密な7年間を過ごしてきた証拠でもあったからだ。

 

(裏じゃなくて、表もな………あのガキも何だかんだと頼りやがるし)

 

表の仕事として、千雨はネギの秘書である茶々丸を通じて、情報の提供・管理も行っていた。傍受の心配がなく、即応が効くとネギに知られてからは、何回も協力を求められたことがあった。ネギ・スプリングフィールドは天才だが、やはり11歳に過ぎないという部分もある。そして、インターネットは知識の宝庫だ。求める情報を即座に検索してピックアップし、茶々丸に送り届ける、というのは千雨の日課になっていた。

 

防諜のための調査に、勉強の日々。裏を知るという事は、表にも詳しくなるということ。そして、ネギからの依頼や相談でISSDAの活動や、それを邪魔する勢力、障害に詳しくなった千雨はいつの間にか相談役から特別顧問にされていた。

 

(断ろうにも、なあ………子犬のような眼で言ってくるなよ、バカネギ)

 

疲れた、という顔で千雨がため息をつき。直後に携帯電話の着信音に気づくと、手早く取り出した。

 

「っと、またかよ」

 

「どうした、嬢ちゃん」

 

「ボケロボからの―――ああ、おう、オッケーみたいだな……ああ、もう済んだ」

 

同窓会の幹事を任されたらしい茶々丸の要請に、千雨はすぐに答えた。具体的にはエヴァが好きだったらしい魔法世界の料理の手配などだ。

 

「おう、こりゃあ―――どうやったんだ?」

 

「……この7年でちょーっと、な。色々と出来たくもない伝手が出来ちまって」

 

魔法世界側の工作員を麻帆良学園侵入の瀬戸際で食い止めた、同じく魔法世界出身者の傭兵だ。感謝の証として千雨は学園長秘蔵の酒をせしめて、振る舞ったことがあった。狸爺は悲しむし、協力してくれた傭兵に感謝されるし、一石二鳥だったと千雨は満足そうに頷いた。

 

「その傭兵の知り合いが、レシピ持ってたらしくてな。材料の手配は済んでるから、後で四葉の奴にレシピ見せて、作ってもらおうかと」

 

交換条件として、最近入手した魔法世界特有の料理のレシピを提供できる。さっき承認は得た、と千雨は何でもないように答えた。

 

その様子を見たラカンは、もったいねえなあと言った。

 

「引きこもるにはやり手すぎねえか、チサメ嬢ちゃん。坊主は泣くぜ、間違いねえ」

 

「……もう切った張ったはごめんなんだ。私が居なくても麻帆良は回る、この2年でそうなるようにしたしな……って、なんか」

 

ふと、千雨は先程から少しづつラカンに抱いていた違和感が、一つの形になる音を聞いたような気がした。

 

動向を察知し、推測を重ねて結論の精度を上げていく作業はこの5年で特に磨き上げられた技術だ。その経験値を元に、千雨はラカンが何をしようとしているのか、朧げながらにも気づいた。

 

(大人しい、っていうか慎重過ぎるのか。いや、このチート持ちのオッサンがか? 今なら分かるけど、演技力もすげえこのバグキャラをそうまでさせる要因は―――)

 

千雨は、そこで原因に気づき。

 

その口元を喜悦に歪ませながら、言った。

 

「私、ずっと前から思ってたんだよな」

 

「ほう……唐突過ぎるんだが、なにをだ?」

 

「統計は概ねの所で正しい。年月をかけて練られてきた理論は、ほぼだけど正しい」

 

そして()()()()()()()()()()()()

 

千雨が唇だけで告げ、ラカンはそれを読み取った。同時に、その口元が千雨と同じく喜びに歪んだ。

 

 

「それで、なんでだ?」

 

 

“振り”に気づけた切っ掛けは、とラカンは言外に尋ねた。千雨はそんな事か、と眼鏡を押し上げながら答えた。

 

 

「決まってるだろ―――私があいつらとは違う、ひねくれ者だからだよ」

 

 

神様なんて、信じねえ。

 

 

笑うナギの姿を見ながら告げた千雨の、その瞳の奥を覗き込んだラカンは、無言で千雨の頭をくしゃりと撫でた。

 

 

「―――で、準備も仕掛けるタイミングも既に決まってそうだがな、嬢ちゃん?」

 

 

「―――同窓会の後でよろしくだ、チート親父」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★★ おまけ・回想シーン、千雨退室後の学園長室にて ★★

 

 

「それじゃあ、失礼します……学園長」

 

「うむ。追って連絡をするので、よろしく頼むぞい」

 

近右衛門の言葉を受けた千雨は軽く礼をすると、振り返ることなく部屋を去っていった。

 

それを見送った後、近右衛門は自分の白い顎髭を触りながら、隣の部屋に居る者の来室を待った。

 

そうして20秒後に現れた者達に対し、近右衛門は面白そうな顔をしながら尋ねた。

 

「掘り出し物だと思うんじゃが―――どう見るかの、十四朗」

 

「お前さんよりは信用できると思うぜ、近衛の」

 

かつては那波重工にその人あり、と言われた那波十四朗―――那波千鶴の祖父である―――は、近右衛門に率直な感想を叩き付けた。

 

「若えし感情で動きすぎる部分があるが、年考えりゃ大したもんだ。通すべき筋ってもんが分かってる。責任って言葉もな……耳、痛かったんじゃねえか?」

 

「耳だけじゃなく心臓も痛かったぞい。こりゃあもう引退の時期かのう」

 

「心にもないことを言うんじゃないわい、このくそじじいが」

 

「お互い様じゃろ……しかし、ジャック・ラカンが気に入っているとは聞いていたが、納得できる話じゃの」

 

近右衛門は義理の息子である詠春から、酒の席で聞き出したことがあった。ラカンの趣向の話だ。

 

自ら選択し、その結果から目を逸らさずに自分で責任を持とうと思うものを好ましいと思うのだと。それを聞いた十四朗は頷きながらも、疑問を口にした。

 

「しかし、特殊な家庭事情でもあったのか? 責任っちゅーもんが分かる年齢じゃないだろうに」

 

雪広財閥の娘であるあやかや、那波重工の娘である千鶴でもないのに、人の機微に鋭く、頭の回転が早い。そして千雨があやかと千鶴には無いものさえ持っていることに、近右衛門と十四朗は気づいていた。

 

それは、諦めるということ。引き際を見極めるには重要な、しかし若い内には分からないであろうことを、千雨は経験し、学んでいる事を二人は確信していた。

 

十四朗はその言動から―――近右衛門は、長谷川千雨という少女の身辺調査結果から。

 

「……十四朗、すまんが雪広の倅に頼んでくれんか。最も優秀な教師役を、費用は惜しまんとな」

 

「分かった。それだけの価値はあろうな」

 

それだけじゃないのだろうが、と十四朗は長い付き合いから察していたが、口には出さなかった。近右衛門はすまん、と一言だけを告げると、チラリと千雨が去っていった扉を見た。

 

(……“僅かな勇気が本当の魔法”か。そういう意味では、わしはいつまでたっても半端者じゃわい)

 

魔法を上手く扱えた所で、届かないものがある。強いだけでは、救えないものがある。近右衛門は自嘲しながら、そういった意味では千雨君の方が立派な魔法使いじゃわい、と苦笑を重ねた。

 

そして“見ていないようで誰よりも人を見ている”と、ネギが言っていた千雨の人物評を近右衛門は思い出していた。学園祭の時に、名前は言えないが、ある人を泣かせてしまった時に気づかされたのだと。

 

ゲーデル総督と対峙した後に暴走した時に聞いた言葉もだ、とネギは語った。

 

“どれだけ懊悩と孤独の夜を越えたのか知らねえけど、こうじゃねえだろ”と。悪魔に村を焼き払われ、大切な人が石にされ、死にそうな所を父に助けてもらった夜。父の背中を見送りながらも、“心の内に芽生えたものは犯人たちへの復讐とか、そんなくだらねえものじゃねえだろう”という言葉は、驚きと共に喜びに満ちて、ずっと心に残っていると、嬉しそうにネギが語っていた。

 

少ない情報から相手の内面を察し、思いやれる。子供だからじゃない、自分を見てくれているんだ、とネギが語っていた様子を、近右衛門は嬉しさと悔恨と共に覚えていた。

 

(……本人は、自信があるようは見えん。勇気を振るい戦うようなタイプでもないじゃろう―――だが、誰かを想い、誰かのためなら僅かでも勇気を振り絞れる)

 

その根源にあるものこそが、と。

 

近右衛門は言おうとした所で、ため息をついた。

 

 

「………学園結界の機能を全て知られた後が、怖いのう」

 

 

申し訳のなさと後悔の念が複雑に混じった呟きが、学園長室の空気を響かせた。

 

 

 

 

 

 

 




●今回書きたかったこと

・千雨の立ち位置(クラッキングやべえ→協力しない?と勧誘→疲れたから引きこもりへ)

・千雨の八部衆マジすげえ(原作準拠)

・ぬらりひょんは狸爺(褒め言葉)

●書くために原作読み返して気づいたこと

・委員長とまき絵の助けがあったとはいえ、茶々丸の防壁抜いた千雨って……この時、未来技術持ってないんですよね。それで茶々丸と互角とか

・31巻でラカンが消えた時の千雨が泣きながら言った「ヘンタイ“親父”」という言葉に何か含まれているような気がした。

・千雨はラカンみたいな父親が欲しかったんじゃなかろうかと。23巻で言う所の家でも傍観者とかちょっと普通じゃないですし

●おまけその2

・後日、学園長は助走をつけて殴られたそうな

・頭を撫でられた千雨は「積みゲー消化するためだよ」と照れ隠しに言ったそうな


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2話:beautiful glider

7年も裏の世界で情報戦やって、38巻の最終話で死んだ目をしていた
千雨=サンのご活躍をご期待下さい。


「女三人寄れば姦しいとは言うけど、な」

 

千雨は眼前の光景を見ながらため息をついた。麻帆良内にある、魔法世界出身者が最近に建設した店の、その中でも見晴らしが一等美しい部屋を見回しながら。そして、約40名が笑顔で笑いあっている姿を。

 

どこを見ても知り合いばかり。主には3-Aのメンバーで、久しぶりの再会が喜ばしいのだろう、笑顔を交換しあっていた。奥には赤き翼の主要メンバーと、彼らを身内に持つ主役が笑顔で―――喜びの気持ちが極まったのだろう目尻に涙を浮かべながら―――大きな声で笑いあっている。

 

千雨はそのテーブルの中で注目すべき3人が座っている位置を確認した後、自分が来たことに気づいた、最近の飲み仲間に手をあげた。

 

「おっす、柿崎」

 

「あ、長谷川! 遅いって、もう始まっちゃってるよ?」

 

「悪いな。飲み物の手配にちっと手間取っちまった」

 

千雨は魔法世界から仕入れた酒が届いたことを出席者に伝え、浴びるほどの量があるぞ、と伝えた。途端、その銘柄のレア度を知っていた何人かが目を見開いた。

 

「それ、口利き無かったら入手不可能って言われてるやつじゃん! ヘラスの上位貴族でも無理だって聞いたのに」

 

どうやったの、と驚く鳴滝姉妹―――今は魔法世界のとある国の王子に嫁ぎ、一児の母にまでなった、かつてのちびっこな面影が悪戯好きそうな笑顔のみとなった―――に対し、千雨はありのままを答えた。

 

「誠意ある笑顔を差し出したんだよ。あとは領収書を切っただけだ」

 

そして、実際に自らが赴いて顔見せて誠心誠意頼んだとは当たり前のことだから改めて言わずに。

 

「あー、ははは……千雨ちゃん? なんかおじいちゃんの泣き声が聞こえるような気がするんやけど」

 

「大丈夫だ、誠意ある笑顔で訴えた。あっちもイイ具合に笑ってオッケーしてくれたぜ、流石は麻帆良学園の長だな」

 

「そうなんか、おじいちゃん太っ腹やなあ」

 

このかの笑顔に千雨も笑顔で答えた。一部、学園長と千雨の力関係というか裏事情を知っていた葉加瀬聡美などはたらりと額から汗を流していたが。

 

「で、ちうっちはネギ先生の所に行かないの?」

 

「おっ! いざ、お父上に挨拶って訳だね。援護なら任せてよ千雨ちゃん!」

 

「わ、私も頑張ります!」

 

「ちょっ!? ばっ、やめろってお前ら!」

 

千雨は慌てながら朝倉和美、美沙、相坂さよのありがた迷惑を拒否しようとした。だが既に囲まれており、後方という退路は和美と美沙の手で塞がれていた。

 

その騒ぎに気づいたネギが、あっ、という顔で千雨の方を見た。

 

「千雨さん、その、こんな日まで……ありがとうございます」

 

「ああ、って違う。こんな日だろ、私の方はいいからあっち行ってろって」

 

千雨は奥からこちらまで駆けつけてきそうだったネギに対して、そこで大好きな親父さんと話をしていろ、とジェスチャーも交えて押しとどめた。

 

「それに酔っ払った神楽坂を止められんのはお前だけだしな」

 

「ちょっ!? こっ、ここでそれ言うの千雨ちゃん!?」

 

「あー、あははは………」

 

昨年に起きた“事情”を知っているネギが、誤魔化すように笑った。ナギがまだ病院で眠っていた時期のことだ。不安になっていた明日菜を励まそうと、元3-Aの明日菜と親しい面子が麻帆良に集まり、飲み会をした時のことだ。

 

―――大惨事になった。具体的には、ナギの見舞いに来ていたネギが居なかったらどうなっていたことか、というレベルの。

 

ラカンが興味を持って詳細を尋ね始め、明日菜は真っ赤な顔で言い訳を始めた。だがナギや高畑、その時は居なかった木乃香と刹那もその話題に乗っかり―――過去の彼女を知っている高畑などは生暖かい視線になっていたが―――奥のテーブル席は混沌と化していった。

 

「ふうん……策士だ。ねえ、ちうちゃん?」

 

「ちう言うな、朝倉。いいんだよこれで」

 

「えー、そこで退いちゃうの? 待ちに待った本丸が見えてるんだからさー、ズバっと行くべきでしょ」

 

「何がだよ柿崎。……あえて言うのなら、戦略的撤退とでも思っててくれ」

 

「つまりは、結納の品を用意してからですね!」

 

「さよ、頼むからその純粋な目はやめてくれ、なんつーか、胸と肩と膝に来る」

 

それと、年々苦労を重ねるにつれて色々と痛む所が。千雨が疲れた顔をしている一方で、向こうに居た明日菜が真っ赤な顔をしながらナギやラカン達にからかわれていた。

 

「――これで良し」

 

「いやどう考えても良くないでしょ。悪魔かあんたは」

 

ココネを連れて参加していた美空がズビシと手でツッこんだ。千雨はそれをあまんじて受けながら、肯定も否定もしなかった。

 

「いやあっちの方が悪魔だって。クッソ忙しい時にあの騒動はマジでシャレになってなかったからな……お前も被害者だっただろうが、春日」

 

「うん、だから止めなかったんだけどね!」

 

「えーと……聞くのが怖いけど、一体何があったの?」

 

恐る恐ると尋ねたのは、美空の隣に居た釘宮円だ。そして美空があらましと被害者を伝えると、そういう事かと叫んだ。

 

「じゃあ、あの日の夜空を切り裂くように飛んでいた黒髪の犬耳は……!」

 

「神楽坂のハリセンで豪快にかっ飛ばされたコタローだな」

 

「そ、そうなんだ……良かった。あまりの○○○さが暴走して、幻覚見た訳じゃないんだ」

 

ほっとした円が呟いた言葉に、千雨と美空はつっこまなかった。そして興味を持ったのかココネが「○○○さというのはどういう意味なのか」と美空に尋ねはじめた場からそそくさと距離を取った。

 

そこで、千雨は料理を運んできた五月と目があった。クラスメイトがその皿を受け取り、複数あるテーブルに料理が運ばれていく。それを見送った後、千雨はこんな日にまで悪いな、と申し訳がなさそうな顔で五月に告げた。

 

だが、五月は笑顔で首を横に振った。逆に“こういう形で参加できて嬉しいです”と3-Aの面々とネギ達―――特にエヴァンジェリンの方を―――眺めながら答え、千雨は苦笑しながら礼を告げた。

 

「―――ふむ、気配りが上手くなったな長谷川。コミュ障だった昔が嘘のようだ」

 

「うるせーよ銭の亡者宮」

 

「そんな名前を持った覚えはないんだがね……でも、新装備には金がかかるんだ。仕方がないだろう、ケチなクライアント殿」

 

「貴重な情報をせしめた上で言うセリフじゃねーだろ、年齢詐称1号宮」

 

クライアントと、契約条件と賃金に厳しい傭兵は言葉で殴り合う。そこに、横から未来人が仲介を買って出た。

 

「まあまあ、そこまでにしておくヨ。千雨さんが見違えるようになった、というのは間違いないのだかラ」

 

「超? お前まで言うのかよ……って、何だよその意味深な目は」

 

「いやいや。でも、色々と厳しい、という点では変わっていないと思うがネ」

 

超鈴音は含みのある笑顔で、出そうとした言葉を呑み込んだ。

 

―――私は私の現実で今も戦っているよ、と。

 

「ところで、古菲が千雨サンに聞きたいことがあるそうネ」

 

千雨はなんで私にと訝しむも、古菲の話を要約した超の話を聞いて納得し。

 

「要は将来的に麻帆良内に道場を持ちたいが、何かやってはいけない事はないかって話か……」

 

「チサメならそういうのに詳しいって、ユエから聞いたアル!」

 

「……確かに、あいつに探偵事務所用の不動産を紹介したのは私だが」

 

「おお、頼りになるネ。流石はエヴァンジェリンさんと並ぶ“麻帆良の引きこもり”ヨ」

 

「超、お前なんか私だけに厳しくなってねえか?」

 

だが、その異名を千雨は否定できなかった。元3-Aの面々と昔より親しくなった原因の一つでもあった。なんだかんだと麻帆良の街に戻ってくる機会が多い3-Aにとって千雨は、“いつでもあの街に居る”存在なのだ。

 

そして、“長谷川は頼れば何だかんだと相談に乗ってくれるし助けてくれるやつ”という事が口コミで広まってからは、相談を受ける機会が増えていった。

 

切っ掛けは、犬上小太郎が“武者修行や!”と言い残して魔法世界に失踪した時の事。追いかける事を決意して魔法世界に飛び込もうとする夏美に対し、闇雲になったら駄目だと諭したのだ。チート級のアーティファクトである孤独な黒子(アディウトル・ソリタリウス))で物理的な危機は凌げても、バックアップが無いと厳しい。そう思っていた千雨は、当時から異世界の交流を進めていたあやかと千鶴の二人に事情を話し、協力を要請した。

 

首に縄をつけた小太郎を引きずりながらこちらに戻ってきて、ありがとうと笑顔で告げる夏美の姿を見た千雨は、非常に複雑な気持ちになったのだが。

 

(いや、思考が横に逸れたな………しかし、道場か。治安維持の面でも、役に立つな)

 

麻帆良はこれからもっと多くの人間が集まる場所になるだろう。年を経るごとに規模が大きくなっていく格闘大会も、その一つだ。

 

道場とは、地元。地元の人間が格闘大会に憧れ、道場に入り、強くなる。そして地元の人間であれば、麻帆良の治安の悪化を良しとはしないだろう。つまりは、将来的に人員不足が懸念される治安維持の人員を全てではないが、確保できるのだ。

 

同じ理由で、千雨は地球に戻ってきた綾瀬夕映に探偵業を薦めた。

 

麻帆良は人死にまでいかない小規模な事件を解決する“手”が確保できる。夕映は食うに困らない職が確保できるし、地球での実績を積むことができる。

 

本人には知らせていないが、千雨はISSDAに夕映を推薦する予定を持っている。地球というだけではない、軌道エレベーターのお膝元である都市内で実績を積むことで魔法世界での実績を認めたがらない一部の派閥の人間を黙らせる。その上で、職歴や学位によらない民間の実力者として推薦する段取りを組んでいた。

 

(……本人に了承もなく、な。狸爺の案とはいえ、私も汚くなったもんだ)

 

千雨は自嘲しながらも思考を元に戻し、古菲に向き直って頷いた。

 

「分かった……でも、この場じゃあなんだしな。後で資料送るよ」

 

「おお! ありがとうアル!」

 

「良かったネ、クー。目は怖くなったけど、優しいのは変わってない千雨さんで」

 

「お前、やっぱり私に厳しくねえか?」

 

癒やしが欲しい、と千雨はあたりを見回した。だが、腹黒未来人と感謝の証であろうキラキラした目が胸に痛い中国娘と、銭ゲバ傭兵。そして、最近になって変態眼鏡提督と交流する機会が特に増えたらしい葉加瀬聡美だけしかいなかった。

 

どんどん、千雨の目が更に死んでいく。そこに、ささっと現れた者が居た。

 

「まあまあ、二人とも。喧嘩をしていては五月殿の料理が冷めるでござるよ」

 

「―――いたぜ、癒やし枠」

 

千雨はガッツポーズをしながら言った。流石は忍者だ、忍者きた、忍者はやい、これでかつる。

 

対する楓は、苦笑のまま頬をかいていた。

 

「おい……楓と私に対して差がありすぎると思うんだが。銭だのなんだの、先程の嫌味は言わないのかな?」

 

「ばっかおまえ長瀬楓=サンだぞ。忍者だぞ。美女だぞ、くノ一だぞ」

 

具体的には千雨の無茶振りにも笑顔で応えてくれる。少ない依頼料でもクラスメートの危機にあればカカッと参上をリアルにやってくれる、千雨にとっての女神とも言えた。

 

「いやー照れるでござるな」

 

「見ろよ、こんなに謙虚なんだぞ。すごいなー、あこがれちゃうなー」

 

少し壊れた千雨を見て、周囲に居た面々が顔を引きつらせた。葉加瀬は元からその理由をしっていて、真名と楓は仕事柄、超は葉加瀬から聞かされていたからだった。

 

そこに茶々丸が現れ、千雨の頭を斜め42度の角度で殴った。

 

「―――はっ!?」

 

「直りましたか、千雨さん」

 

「その、茶々丸………? なんだか漢字が違うような」

 

「いつもの事ですので」

 

それだけを告げて、茶々丸は元居た位置に―――ネギの後ろに戻っていった。正気に戻った千雨は頭を擦りながら、悪いとだけ謝った、が。

 

「―――また無理をしていますの、千雨さん」

 

「だ、大丈夫だって。問題ないさ委員長」

 

「あなたの大丈夫は当てになりません! 全く、いつもいつもあなたは……!」

 

千雨は一歩下がりながら答えるも、雪広あやかは追撃の手を緩めなかった。その様子を横から見ていた千鶴が、あらあらと言いながら千雨に謝った。

 

「ごめんなさいね。悪気があってのことじゃないの、去年のことがあるから……昨日も、千雨さんは大丈夫かしら、ってあやかはいつも心配してたのよ」

 

「ち、千鶴!」

 

「あー………その、なんだ。ありがとうな、いいんちょ」

 

「……ならば、二度と繰り返さないで下さい。肝が冷えるどころの騒ぎではなかったのですから」

 

ジト目で睨むあやかに、千雨は全面的に降伏した。横で見ていた夏美も深く頷き、千鶴は微笑み、コタローは首を傾げた。

 

「んー、千雨ねーちゃんになんぞあったんか? フェイト、お前は知ってるみたいやけど」

 

「ふん……体調管理も出来ないバカが一人居た、ってだけだよコタロー君」

 

フェイトは酒を飲みながら、何でもないように真相を話した―――あまりの激務に倒れ、一時は心臓が止まっていた千雨のことを。

 

「エヴァンジェリンから緊急の連絡があるというのだから、何があったのかと思ったよ。ネギ君の相談役を自負するなら、そのあたりも注意して―――」

 

「ちょっと待ってくれないかな、フェイト―――千雨さんがなんだって?」

 

圧力を感じさせる冷えた声と、物理的な握力がフェイトの肩に襲いかかった。千雨はフェイトにしていた待てそこで止まれというジェスチャーを止めて、隠れる場所を探したが、遅かった。

 

事情を説明されたネギが、雷のような速度で千雨の前に立ったからだ。

 

「――千雨さん? 僕は少し風邪が悪化しただけだ、としか聞かされていないんですが」

 

「あー……いや、その、なんだ。風邪は風邪なんだけどちょっと悪化してだな」

 

千雨は誤魔化そうとしたが、ネギは笑顔で更に一歩踏み込んだ。

 

3-Aの面々は、珍しくも―――というよりは、初めて見る者の方が多い―――怒りを顕にした様子を見て、ごくりと息を呑みながら野次馬根性を全開にしていた。

 

「あれだよ、なんだ。医者が大げさだっただけだ。現にこうしてピンピンしてる訳だし……気にすることじゃないだろ?」

 

千雨は倒れた現場に居て、状態を最も知っているエヴァンジェリンにアイコンタクトで「後で埋め合わせはする」と告げた。

 

だが、エヴァンジェリンは不敵に笑いながらあっさりと裏切った。

 

「大げさじゃないぞ、ボーヤ。心肺停止で、私が全力で病院に運び込まなければ、どうなっていたことやら」

 

「……千雨、さん」

 

「やめろ、そんな……泣きそうな顔すんなって」

 

その顔は卑怯だろ、と千雨は内心で毒づきながら、視線を逸した。だが、そこにあったのは更なる追撃だった。さよにのどか、明日菜に木乃香にまき絵、アキラや亜子、夏美といった純粋に千雨を心配していると一目で分かる、悲しそうな顔だ。

 

それを見た千雨は、ぐっ、と呻いた後に項垂れるようにして頭を下げて謝った。

 

「悪い……でも、お前も親父さんのことで大変だったしな。心配をかけたくなかった」

 

「……千雨さんはいつも卑怯です。そうやって、心配したいのにさせてくれない所とか」

 

「お前だけには言われたくねーよ」

 

千雨がツッコミを入れるも、周囲の面々は腕を組みながら甲乙付けがたいと悩んでいた。どっちもどっちだ、という意味で。

 

「まあ、さっきも言ったけど大丈夫だ。これから先は気をつけるし、二度としない………だからな、先生。笑えって、祝の席だろ?」

 

「はい、でも………その、もう二度と無茶をしないって、約束してくれますか?」

 

不安そうな顔で、ネギが言う。直視した千雨は胸の奥に鋭い痛みを覚えたが、笑いながら、誤魔化すように答えた。

 

「約束、するさ。私だって………好きで無理してる訳じゃねえし」

 

「……分かりました」

 

ネギはホッとした顔で引き下がった。だが、ネギの背後に居た者たちは引き下がらなかった。怒るのではなく、からかうという意味で。

 

「おいおいジャック。真面目っぽいネギがあのお嬢ちゃんに対しては妙に気安いみたいなんだが、どういう関係なんだよ」

 

「一言で言えば、ボーズの初めてを奪った相手だな」

 

内緒話のような声だが、聞こえた者たちが一斉に「はあ!?」と大声を上げた。

 

「おー、やることはやってんだな………少しショックなんだが―――で、ネギは何時大人になったんだ?」

 

「11歳だな。最後に、こう、千雨お嬢ちゃんがドスっといこうとした所をボーズがどうにか止めたんだが」

 

「……何か、表現が逆になってねーか?」

 

首を傾げるナギに、ニヤニヤと笑うラカン。一方少し離れた場所では、早乙女ハルナが「これは売れる!」と鼻息荒くなりながらメモ帳にペンを走らせようとしていたが、夕映とのどかの見事な連携攻撃で阻止された。

 

「ラブコメの中心………やっぱり、リア充? ポヨ」

 

「違うって言ってんだろ、あと無理に姉ちゃんの語尾の真似すんな」

 

千雨はザジの指摘にツッコミを入れて否定するも、加速した場は止まらなかった。やがて闇の魔法を選んだ時のことだと説明されたり、一世一代の告白を持っていったという意味であったり、振られたことも初めてと言えば初めてだな、とラカンやエヴァンジェリンが横槍を入れたりして、更に会場の中は加熱し、膨張していった。

 

急に場の中心に立たされた千雨は、顔を真っ赤にして緊張しながらも、八面六臂の活躍を見せた―――主に、暴走し始めた元クラスメートに対して。

 

「ちょっ、落ち着けって―――メモすんな、なに書く気だ朝倉! トトカルチョ始めんな、何を賭けようってんだよ椎名! 明石は真っ赤な顔で親父さんに連絡してんな! 面白いから許すじゃねーよ春日、さっき見捨てた仕返しか!?」

 

迅速な状況判断に的確なツッコミ。それを見た刹那が見事だと頷き、祐奈が満足そうに頷いた。

 

そして千雨をよく知らない赤き翼の者たちは苦笑しながらも、千雨の方を見た。

 

「災難ですね……しかし、よく人の事が見えている」

 

義父が補佐役としても有能だと言った意味が分かった、と詠春は内心だけで呟いた。

 

「パソコンが得意、とだけしか分からなかったですよ僕は。教師としての力不足を、今になって痛感させられます」

 

教師としては中途半端だった、と高畑は頭をかきながら3-Aの面々を、かつての教え子達を見た。

 

喧騒の中心から離れ、高畑の言葉を聞いていたナギは笑顔でその肩を叩いた。

 

「でも良い子たちじゃねーかよ、タカミチ」

 

「ええ―――そう思う気持ちだけは、ナギさんにも負けませんよ」

 

「……言うようになったじゃねーか。でもまあ、そうだな」

 

ナギは笑いながら、ネギとその教え子達を見ながら呟いた。

 

「本当にネギは良い仲間を持ったんだな……クラスメートとしても鼻が高いか、エヴァ」

 

「……色々と言いたいことはあるが、ここは頷いてやろう。確かに、他にはいないバカ者どもだ」

 

不遜に告げるエヴァの言葉を聞いたナギは、褒め言葉だと受け取り、笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふいー、食った食った。いやーマジで美味かったな……大した腕だぜ、サツキって嬢ちゃんは」

 

腹が破裂しそうだぜとナギが笑い、ネギが嬉しそうに頷く。二人は麻帆良の夜の中を優しい街灯に照らされながら、並んで歩いていた。

 

「しっかし、ラカンの奴も相変わらずだな。まだ飲んで食うってか」

 

師匠(マスター)も呆れてましたね……」

 

私は残ると不機嫌そうな顔で言っていたエヴァンジェリン。気を利かせてくれたのか、どうだったのか。ネギは明日が怖いと呟きながら、後ろに振り返った。まだ騒いでいるのだろう、灯りが消えていない店が見える。

 

嘘みたいだと、ネギが笑う。

 

「でも、無理だけはしないで下さいね。父さんは2年も寝込んでたんだから」

 

「お前の方こそな。そっちの……チサメ嬢ちゃんだったか。彼女の言葉じゃねえが、命は大事にしろよ。なにせ一つしかねーんだから」

 

ナギの優しい声に、ネギは喜びのあまり泣きそうになりながらも素直に頷いた。まだ終わっていない事の方が多いと、自分でも分かっていたからだ。

 

「でも言葉だけじゃ止まりませんよ、こいつは。大好きなパパの言葉なら分かりませんが」

 

「ちょっ、千雨さん?!」

 

「反論できねーだろ。もう私には腕尽くって手以外には思いつかね―ぞ」

 

非力の極みである自分には無理だが。千雨の言葉を聞いたナギは、後ろに居る千雨に振り返りながら尋ねた。

 

「無理無茶無謀って感じか? アイツにそっくりだな」

 

「私としては、いい加減緩急というか、力の抜き所を覚えて欲しいんですが」

 

千雨の言葉に、ネギは黙り込んだ。火星に緑を呼ぶ計画に、対ヨルダの決戦。いずれもやる事は山積みで、普通の人間ならば100回は死ぬだろう激務をこなして初めて成功するだろう、という試算が出されていて、それを越えるために厳しい道を歩いてきた自覚は、ネギの中にもあったからだ。

 

「でも……僕はこれからも止まるつもりはありません。一生の仕事と思って、やり遂げるつもりですから」

 

「そうか……辛いぞ、その道は」

 

「はい」

 

ネギは迷わずに頷き、答えた。

 

「ですが、辞める理由にはならない。僕が辛い思いをすることで、魔法世界の人を、地球の人々の不幸を減らせるのなら――」

 

胸を張って、真っ直ぐに。迷いなく答えたネギの姿を見て、ナギはへへっと笑った。

 

「確かに……お前はアイツの、アリカの息子だよ。俺が保証する。誰よりもな」

 

「はい。そして、父さんの息子でもあります」

 

「当たり前だろ。俺の息子にしちゃあ、良い子ちゃんすぎるとは思うが」

 

「ははは……あ、でもラカンさんからは無茶をやる所とかそっくりだと言われました」

 

「あの野郎……だけどネギ、違うぞ。無茶の方がこっちにやってくるんだ。なら仕方ないだろ?」

 

「それは、分かります。無茶というか無理難題というか」

 

親子はそれからも語り合い、頷き合った。千雨はその様子を見て、泣きそうになっていた。当時5歳の少年が血みどろの道を歩み続け、ついに13年をかけて夢を叶えた光景だったから。

 

そして、羨ましいという気持ちを抑えきれなかったから。

 

「っと、なんだ嬢ちゃん。具合悪そうだけど、仕事の疲れとか残ってんのか?」

 

「あ、いや……少し、飲み過ぎまして」

 

「そうか……ネギの言葉じゃねえけど、気をつけろよ」

 

「はい」

 

千雨は素直に頷いた。

 

「ネギもな。俺に言えるこっちゃねーが……残される、っていうのは辛いからよ」

 

「……はい。師匠(マスター)からも、注意されています」

 

「ぐっ」

 

実際にエヴァンジェリンから色々とぐちぐちと愚痴を突き刺されたナギは、二の句を継げなくなった。誤魔化すように、笑う。

 

「でも……こうして歩いてると実感できるけど」

 

色々と終わったよな、とナギが言う。ネギは喜んで、頷いた。

 

父を助けられたことだけではなかった。同窓会で、かつて自分が勝手に放り出したに等しい教え子達が幸せそうにしていることや、こうして慕ってくれている事も。

 

魔法世界の存亡を考えると、胸のつかえがゼロになった訳ではない。だが、大きなことを果たせたのだという実感と、幸福感が満たされたことにより、気が抜けた部分があるのは確かだった。

 

「……気を張っていないと、疲れを自覚するというのも変ですけど」

 

「俺もだな。やっぱ、完全回復にはもう少しかかるか」

 

ナギはそう告げながら、隣に居るネギから一歩を離れた。

 

自然に、後ろに、一歩だけ。

 

 

―――直後、地面に亀裂が走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜半を過ぎた、その時。月の夜の下、奇襲に必要な条件は全て満たされていた。ヨルダ=バオトは最善を尽くす事を忘れていなかった。人間の力を舐めたことはなかった。愚かではあるが、前に進もうとするその意志を侮ったことはなかった。

 

だから、ネギ・スプリングフィールドが小惑星アガルタにたどり着いた時に、ヨルダは準備を進ませていた。あらゆる者を欺き、何もかもを根底から覆す逆転の一撃を繰り出す下準備を。魂魄の同期さえ外して、絶好の機会を待っていた。

 

『―――お前たちは強い。だが、私は諦める訳にはいかない』

 

究極かつ最高の奇襲とは何か。それは物理的にも意識的にも死角となった場所から、一撃で終わらせる攻撃を放つことだ。

 

例えば、今この時のような。

 

ネギ・スプリングフィールドは天才だ。あるいは、ナギを越える才能を持つ化物かもしれない。だからこそ、ヨルダは真正面から戦うつもりはなかった。

 

対処される前に、全てを終わらせる。手出しができない状況に追い込めば、あとは時間との勝負だ。

 

『私は、全てを救わねばならない』

 

踏み出しは十分。それでも威力ではない、速度を優先してのこの一撃は、致命ではない、植え付けるもの。ネギ・スプリングフィールドの支配にどれだけかかるだろうか。10年か、20年もつかもしれない。それでも、2600年を過ごした自分には短い。

 

『小惑星・アガルタは破壊されたが、ネギ・スプリングフィールドが保有する魔力量とその才能をもってすれば、挽回は可能だ』

 

最後に全てを救えれば―――否、救わなければならないと。我意と想いに突き動かされた妄執は、形となってナギの身体の一時の支配を完了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(が、ぁ―――)

 

声が出ない。自覚したナギは、次に身体が勝手に動いていることに気がついた。自分で動かしたつもりのない身体が、動いてしまって。月日と共に慣れてしまったその感覚は、間違いなく自分に巣食っていた造物主によるものだった。

 

いや、待て、何を、と思うよりも早くナギの身体は予備動作を終えていた。

 

ナギが理解できたのは、踏み込みと同時に右腕に“大きな”ものが宿った―――宿ってしまったこと。それが自分の魂から剥がれた、造物主の核であることを長年の付き合いもあって、ナギは本能で理解してしまった。

 

同時に、戦闘者としての自分が瞬時に理解する。

 

ネギは、気づいていない―――間に合わない。

 

時間にして瞬きの間もない、コンマ以下の世界。それでも、とナギは必死に足掻こうとしていた。

 

こんな結末なんぞ認められないという、絶大なる想いがあったからだった。先程まで溢れていた、ネギを包む優しい世界を潰せるものかと。その想いが、繰り出す右手の速度を、コンマの世界にまで引き上げた。

 

だが、安心しきっていたネギは気づかない。背中に居る父の存在に幸せを見出していたネギには、最後まで察知することが出来なかった。

 

千の呪文の男の高速の右手はネギの心臓を貫く軌道を奔り抜けて―――

 

 

「う、あっ?!」

 

 

鮮やかな赤い血と鉄の臭いが、宙空に舞い散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回避不能で完璧な不意打ちだった。伸ばした手、届けば逆転は成っただろう。

 

だが、人間は居た。その裁定に異議を唱える者が。

 

「―――え?」

 

届かない手。紙一重で静止した手。

 

ネギが乗っ取られるという最悪を防ぐための布石を打っていた者―――長谷川千雨は、輝くカードを片手に淡々と謳った。

 

「広漠の無 それは零 大いなる霊 それは壱」

 

死角からの攻撃。不意打ちの極みであったため、流石のネギも混乱していたが、わずか2秒で気を取り直した。

 

「電子の霊よ 水面を漂え」

 

謳う声と共に、更に1秒。ネギは瞬時に状況を理解した。

 

父が右手でこちらに攻撃を繰り出そうとしていたことを。だが、どうしてか()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ネギはもしこの機械が無ければ、と冷や汗を流しながらも、今の状況をもたらした人物に至るのに更に一秒を費やし、その名前を呼んだ。

 

「―――千雨さん!」

 

名を呼ばれた者は、応えず。ただ、ナギの身体に拘束用の道具を埋め込んだ張本人は不敵に笑いながら告げた。

 

「なればこそ。我こそが電子の王、ってな」

 

千雨は笑った。発動済みのアーティファクトを斜め下に払いながら千雨はナギの右手を睨みつけた。その顔を、苦悶と恐怖で青ざめさせながらも、挑むように。

 

「当たって欲しくない予想に限って直撃してくる。世の中、マジでクソだな―――なあ、そこんとこどう思う?」

 

千雨はナギの右腕の先、ホログラムのような姿を見せた造物主に、ヨルダ=バオトへ告げた。

 

「この期に及んで往生際が悪すぎると思うんだがな。大人しく死んどいてくれ、魔法仕掛けのカミサマよ」

 

千雨は棒読みで文句を言った。ヨルダは防がれたのが意外過ぎたのだろう、混乱のまま呆然と答えていた。

 

『……なぜだ』

 

どうして気づいた、という言葉を千雨は鼻で笑った。

 

「簡単すぎる結論だったよ。私はあんたと同じで性格が悪いし、臆病なんでな」

 

千雨は忌々しいとばかりに、自らの推理を語った。

 

「フェイトの奴から色々と聞いたよ。あんたは優秀ではあるが傲慢じゃない、ただ真摯な願いを持っているだけだってな。そんな奴が潔く死ぬなんて、あり得ないだろ」

 

矜持ではなく夢を叶えるために生きている者は、最後まで諦めない。膝を折るより早く、次の手を打つからだ。千雨はヨルダの本質を見抜いた上で、最悪に備えていた。

 

ネギ・スプリングフィールドの最たる希望が潰えないように。

 

「……あんたは、さ。自身を正義として定義した。エヴァの言う所の“悪”には当てはまらない。だから、何でもやってくると思った。無様に死んだふりなんて、最悪に格好が悪いことさえも躊躇しないってな」

 

『どう、して、貴様ごときが……』

 

「私ごときだからさ。倒された直後、これみよがしに“本体のような大仰なもの”を確かな力と共に放出したそうだな。そりゃあ、思い込まされるよ。放出された力も相応だったんだろ?」

 

二流だな、と千雨はこき下ろした。

 

「これみよがしな演出だった。騙された奴は多い。ナギさんとの魂魄の融合もやめて……共鳴りだったか? あれがなくなれば誰だって死んだって思うよな。だけど、やりすぎだ」

 

『ま、さか………きさま、ていどに……!』

 

「死んだふりをしている以上、狙いは一つしかない。絶好かつこれ以上ないタイミングだった……絶対に仕掛けてくると思ってたぜ」

 

千雨は答えながらも「会話になってねえな」と対話による解決に見切りをつけた。

 

収穫はあった。いくつか、ヨルダとの会話から情報は引き出せていた。何より重要なことも聞けた。

 

ヨルダは確実に弱っている。恐らくは見せかけの本体に力を注いだ結果だろうか。そして、今の状況とヨルダの言動を考えると、核はまだここにあることが分かった。

 

そんな様子はおくびにも出さずに、千雨は会話を続けた。

 

「ここで種明かしだ。お前が何故失敗したか聞きたいか、聞きたいよな?」

 

「……なに、を」

 

「タネは簡単さ。私が、誰よりも雑魚だからだ」

 

断言する千雨に、迷いはない。嘘もない。そのことを知っているからこそ、ヨルダは混乱した。

 

『……意味が分からない、なっとくできない』

 

「分かりたくないだけだろうが。アンタはバカじゃない。常に最善の一手を打とうとするし、無駄はない。つまりは、だ。敵が強かったら強いだけ相応に警戒するだろ?」

 

魔法の一矢が直撃しただけで死ぬ女、長谷川千雨は薬草で出来た煙草を加えながら言った。

 

「ラカンのおっさんの強さを数値に表わして一万二千とするならあんたは二万か、それとも三万か? ―――私はたったの2だ」

 

無理を重ねたこの数年間。運動不足が祟った今では、1かもしれない。自嘲する戦闘能力1以下の女は、自信満々に笑った。

 

「アンタに比べればだたのゴミ以下だ。断言できるぜ。私が2兆人いようが、あんたには毛ほどの先にも傷つけられないって」

 

だからヨルダは、視界に映す価値もないと判断した、そう判断したから見逃されたことを千雨は自覚している。

 

――だから、千雨はそれを利用した。何もできないと、警戒しなかったその死角に意味を見出す方法を模索した。魔法の力を使わないで、一人対策に走った。科学の力だけでのギミックを仕掛けた。

 

特定の人物に対して一定以上の速度で近づこうとすると反応する、千雨が仕込んだ機械に気づけなかった。千雨の言葉を横で聞いていたネギは、いつそんな仕組みを、と言おうとした所で気づいた。

 

「も、もしかして―――アスナさんの、騒動の時に?」

 

「それよりもずっと前だ。私はナギさんが生きていると報告を受けた時点で確信していた。ヨルダが滅んでいないことを」

 

奇跡が起こった、めでたしめでたし―――そんなご都合主義なんざあり得ないだろうと、千雨は奇跡を否定した。誰かの思惑があると思い、徹底的に疑った。

 

そして、誰にも言わなかった。「死んだふりしてるだけか」と自分の心の中だけで推測を固めて、仲間をも騙す覚悟で事に当たった。

 

『貴様も、奇跡を……神の御業に救われたと、そう思わなかったのか』

 

ナギの口が動くも、声は女性のそれになっていた。千雨はその言葉を受け止め、頷き、ハッ、と鼻で笑った。

 

「こちとら神の御業なんてネットの上でしか見たことがねえんだ」

 

煙を吐きながら、遠くを見た。かつてと、今に至るまでの全てを。

 

「……それに、例えあんたが神だとしても、神のような力を持っている存在だとしてもだ。私は、救われたくなんてないね。ずっと前から、決めてんだ。カミサマが()()()()奇跡なんて信じねえって」

 

千雨は煙草の火を、蛍のような灯りを見つめながら宣告した。

 

「みっともなくたって、足掻くって決めたんだ。私は、人間なんだから」

 

その決意は、千雨の信念を構成する文の一つ。ひねくれ者の唯一の矜持で、それでも街を探せば一人は居るであろう、珍しくもない心持ちの。

 

だが、ヨルダ=バオトにとっては無視できない言葉だった。

 

2600年前に、地球で聞いた―――楽園を作るために火星へと飛び立った原因にもなった言葉と、一致していたから。

 

「千雨さん!」

 

増大した殺気に、激変した状況を察したネギが叫んだ。

 

先程までは、均衡状態だったのだ。ヨルダはネギの動きを恐れ、迂闊に動けず。ネギはナギの身と、戦闘能力を持たない千雨を守るために動けず。千雨はそもそも非戦闘員だった。

 

ここで、ヨルダが取る唯一の正答はネギに襲いかかることだった。迂闊に反撃ができないネギを押し切り、右手の一撃を当てれば“共鳴り”は開始していたがために。

 

だが、ヨルダはナギの身体を操り、千雨に掌を向けた。

 

瞬間、ナギが昏睡していた2年間に蓄えられた魔力が掌に集中していく。

 

ネギは必死に防御用の魔力を展開しながら千雨を庇う位置に躍り出る事に成功するも、悟ってしまった。

 

―――完全に防ぐことは不可能だと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(―――しくじったか)

 

千雨は自らの失策を悟った。予定では、膠着状態に持ち込み、次の隠し札が出て来るのを待つつもりだった。感情的になったヨルダが暴走する、というのは全くの想定外と言えた。

 

(調子に乗って、挑発しすぎたか………しまらねえ最後だな)

 

千雨は魔法の威力がどの程度なのかは分からなかったが、ネギの声を聞いて状況を把握した。防げない、ということを。

 

それでも、ネギは生き残る。闇の魔法はネギ・スプリングフィールドに永遠を与えてしまった。千雨はその事実に対し、過去には悔やんだこともあったが、今この時だけは救いになったかと苦笑した。

 

どうして、という言葉を千雨は今更だと思った。ファンタジーの世界は、いつも自分に二択を突きつける。それはどれも過酷なもので、人の意見など聞いてはくれない。厳しすぎる現実のように、どちらを捨てるのかを強要してくる。

 

―――全てを話し、ヨルダが再融合するのを見過ごしてビターエンドになるのか。

 

―――秘して策を進め、命の危険を許容しながらもハッピーエンドを目指すのか。

 

千雨は危険を承知の上でハッピーエンドを目指した。そして、部分的にしくじり、そのツケを払うことになった。それだけの話だと、割り切った。

 

でも、千雨に後悔はなかった。戦う前に負けさせない、自分の責任が果たせたことを知ったからだ。

 

これで、ヨルダは引き出された。戦う舞台は整ったのだ。戦えるのなら、ネギ・スプリングフィールドに敗北はない。3-Aの仲間は、絶対に負けない。ジャック・ラカンが、ナギ・スプリングフィールドまでも居るのだ。自分にできる、場を掻き乱すか、撹乱した上で有利な場を整えるか、それができたのだから後はやってくれると千雨は信じていた。

 

それどころか、3-Aも勢揃いだ。全員が相変わらず良い奴らだったと、千雨はネギのことも心配していなかった。

 

龍宮真名は孤児院のためにお金を集めているだけで、その理由は尊敬できるものだ。春日美空は嫌がりながらも、この街を守るために奔走してくれた。他の誰もが、そうだ。優しくて、気が良くて、大きな輝きを持っているやつらばかり。

 

そんな中で、犠牲は裏方が相応の自分だけ。たった一人で済むのだろう。

 

少し納得はできないが、それを知っていた千雨は、悔やむことなどないと思った。

 

 

「元気でな、先生―――無理はすんなよ、ネギ」

 

 

先程の親子の光景を思い出して、千雨は笑い。

 

 

直後に放たれた閃光による爆発が、千雨の細い身体を吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

轟音。夜の麻帆良を震動させた後、そこには血の現場があった。

 

死ではない、血が流れる場所が。

 

『―――何故』

 

ヨルダは愕然としていた。ただの人間にとっては過ぎる程に致命の一撃で、間に合わないタイミングだった。結果だけを言えば爆発が起きて、少女の身は傷ついた。人間の身体など千回は蒸発して余りある攻撃は、千雨を傷つけた“だけ”に終わった。

 

「……キレたぜ、俺ぁ」

 

悲劇を防いだ二人の内の一人が、怒りの声を吐き出した。端的に言って、ナギ・スプリングフィールドは劇的にキレていた。不甲斐ない自分に。放たれる直前に見た、諦めと喜びが混じった笑顔を見た後から、我を忘れていた。

 

怒りのままに、本能のまま阻止に動いた。故に間に合ったのだ。操られていない左腕で、ただの魔力の塊を放たんとする右腕を下に叩き落とすことができた。

 

一方で、ネギ・スプリングフィールドもブチ切れていた。父より深く、激しく、広く、どうしようもないぐらいに。

 

不意に出るくしゃみ、その時に発動する無作為かつ強大な魔法でさえ比べ物にならない、魂さえ悲鳴を上げるほどの出力で強引に防御結界を補強した。余波だけは防げなかったが、奇跡的と言っていいぐらいの被害に収まった。

 

それでようやく、千雨は致命傷一歩手前の傷を負うだけに留まり。その結果でも納得できない英雄二人は、更にキレた。

 

ヨルダはそれでも、まだやりようはあると動き出そうとして―――

 

 

「斬魔剣、弐の太刀!」

 

 

―――流星のように現れた近衛詠春の一撃が行動の起こりを潰した。

 

着地どころか受け身も捨てた渾身の一撃はヨルダに確かなダメージを与えた。

 

それでも、行動不能になるまでとは行かなかった。地面に激突して転がっていく詠春を見送り、動けないネギに対して再度攻撃をしかけようとして―――

 

 

「いつぞやの返礼だ、受け取るがいい!」

 

 

詠春と同じように、まるで放り投げられたかのように飛来したのはエヴァンジェリン。その白い両手から幾重にも複雑に重ねられた糸が飛び出し、ヨルダは動きを封じ込められて―――

 

 

「待たせたなぁ!」

 

 

前の二人を店のベランダから放り投げて派遣したラカンは、自らひとっ飛びをした上での全力での拳の一撃をヨルダに叩き付けた。

 

いつもとは異なり、威力の全てを敵に叩き込むようにして。

 

牽制の一撃から動きを封じ込める布石を打った上での本命の激打。それは確実に弱っていたヨルダに、大きなダメージを与えることに成功した。

 

ネギは、その隙を見逃さなかった。

 

上から迫りくる気配を感じると、ナギに視線を。

 

同時に、過去最速で自らの身を雷に変えると、ヨルダに向けて突進した。

 

瞬時に走った雷光は、174。全てが渾身の、ビルをも破壊する一撃がこめられており、次の一秒には更に倍する打撃がヨルダに叩き込まれていく。

 

『ぐ、ぁ―――』

 

遂には、限界を越えて苦悶の声さえも漏れて。

 

生まれた隙を、ナギは見逃さなかった。ヨルダの核があるであろう右腕を気合で手元に引き寄せ、左手でそれを掴み。

 

そして、()()()()()()()()上空へと放り投げ、叫んだ。

 

 

「―――姫子ちゃん!」

 

 

同時、ラカンに先に投げられて、放物線状を描いて落ちてきたアスナがその固有の力を―――火星の白を全開にして、

 

 

「っ、たああああああああっっっ!」

 

 

放たれた一撃が、右手にあったヨルダの核を切断し、完全に粉砕した。

 

 

花火のように、上空でヨルダ=バオトの核が割れて、散っていく。

 

その一つが地面に落ちると、最後の力らしき幻影が地上に現れた。

 

もう戦う力もない、姿だけになったヨルダの声が悲しく響いた。

 

『わ、たしは………こんな、ところで、死ねない………』

 

怒りはなかった。苦しみも、悲しみもなかった。理解できるのは、使命感。どうしても、という想いがその場に居た全員が理解できるほどの密度で。

 

『全ての………救う、ため、に………』

 

四肢を失い、這いつくばりながらも前に。そんな姿を連想させる声に、ネギは一歩前に出て、告げた。

 

 

「あなたにも………人は、弱くても良いんだって。そう言って、許してくれる人が居たら……」

 

 

ネギは闇の魔法を修得した時の自分を思いだしていた。もしもヨルダに、迷うような自分でもいい、逃げてもいい、泥に落ちても尚、と言ってくれるような。そう想わせてくれるような人が居れば、結果は違ったのかもしれない。

 

ひとり、誰も居ない空で明けない夜を飛んでいた至高の愚者。最後まで、一緒に飛んでくれる人さえ見つからず。

 

それでも、今は今でしかないのだ。ネギは共鳴りという能力を持ち、全ての敗者、死者の怨嗟に共感してしまい、狂ってしまった者が居た。それだけは忘れないと誓うように、告げた。

 

 

「おやすみなさい、ヨルダ=バオト」

 

 

良い夢を、と絞りだすような言葉がネギの口から紡がれた。間もなくして吹いた静かな風が、ヨルダだったものの破片を夜の空へと運んでいった

 

木乃香に治療された千雨も、仰向けに寝転びながら、その様子をじっと眺めていた。

 

余波で街灯が消えて現れた星空の一つに溶けていったかのように、去っていった魂を。

 

 

 

 

 




あとがきという名の補足説明

・木乃香は刹那がバッサバッサと飛んで運んできました

・ヨルダはナギと魂魄融合していた。解除不可。なのでヨルダ殺す=ナギ殺すだった。

・で、決戦でナギ生きてんだからヨルダ死んでねえだろ説

・探査阻止したの千雨ちゃんです。判明してしまうと、またナギの身体に逃げられそうなので。

・ラカンには事前に説明してあるため、速攻で仕留める方法を

・その結果が詠春ポイ、エヴァをポイ、ラカンでドカーンのアスナがザシュッ

・超さん、楽園だかなんだか知らねーがという千雨のセリフを聞いたと妄想

・38巻の千雨の目が死んでいるのは、結構な経験をしたからと思ふ。

・なので能力とかコミュ能力は成長しつつ、駄目な方向も成長?していると妄想。こじらせたというか。

・これでバトルは終わーり

・次からは本番のラブコメ……コメ?


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3話:千夜一夜

1話、2話も含めてタイトルの方針を変えました。

路線は書きながらずっと聞いていた歌。

今回は千夜一夜/See-Saw です。


麻帆良で最も大きな病院の中の、とある個室。ネギ・スプリングフィールドは乳白色の清潔さを思わせる壁に囲まれた部屋の中央で、ベッドに横たわっている千雨の顔をじっと見つめていた。外から吹く爽やかな昼の風が、その柔らかい髪を流していく。

 

その時に顕になったネギの表情は、重態の患者を見るようなものになっていた。

 

千雨はヨルダとの戦闘が終わった直後、一言だけを告げるなり気絶した。ナギと一緒に慌てて病院に運ばれ、外傷によるものではないという判断を受けた。事実、木乃香の魔法により怪我は完治していたからだ。

 

精神的疲労やストレスが積み重なった、というのが医師の診断結果だった。だが、ネギの顔は晴れなかった。千雨を独りで追い詰めさせた、という事実が、ネギの心の奥底に抉るような痛みを与えていた。

 

「……千雨さん」

 

呟き、ネギは目を閉じながら思い出していた。先日の戦いの最後、ヨルダが散ってから千雨が発した言葉を。

 

口外はするな、3-Aで知らせて良いのは関係する数名だけ、他には徹底的に隠匿しろ、情報統制の手配は済んでいる、という最低限の情報だけ伝えて昏倒した千雨の姿を。

 

「責任感が、強すぎますよ……必要な事だった、というのは分かりますが」

 

ネギは千雨の意図のおおまかな所を、既に察していた。隠匿に走る理由が、今分かる範囲では、少なくとも二つはあると考えていた。

 

一つは、戦勝ムードになっている魔法世界やこちらの世界に余計な刺激を与えないこと。ヨルダ撃破により、軌道エレベーターの建設計画は加速している最中にある。ここで余計な混乱を与えて、計画を遅延させるのはよろしくなかった。

 

もう一つは、父の、ナギ・スプリングフィールドの暗殺を阻止するためだ。ヨルダが一時的にでも復活してナギの身体を乗っ取った、という情報が漏れれば、ナギには嫌な噂がつきまとう。即ち、実はまだヨルダが潜んでいるのではないか、と。ネギやナギ、エヴァにラカンにアルビレオまでがヨルダの消滅を確認している。ヨルダは二度と蘇らない、それだけは事実だ。

 

だが人間、一度あることは数度あると考えてしまうものである。そして、あるかもしれないという言い訳を盾に凶行に出る人々が出ることこそを千雨は恐れたのだと、ネギは理解していた。

 

未然、予防は政府の仕事。そう信じる人達が多い世界において、勇み足という名前の蛮勇が行使されてきた過去があることを、ネギは否定できないでいた。今までに学んだ歴史の知識と、ここ数年の交渉の経験があったからだ。

 

ネギは、そう考えられるようになった自分の事を思う。成長したのか、退化したのか。それは自身にも分からないものだったが、逞しくはなったな、と呟いた。

 

戦いの日々だったのだ。常人ならば死んでいると、何度もネギは言われてきた。それでも前だけを見て頑張ってきた、その甲斐はあった。

 

「やりきった、なんて。思い上がっていたから、見過ごしたのかもしれませんね」

 

ネギは自嘲し、拳を強く握りしめた。計画は順調で、仲間も元気で、父は死ななかった。満足の只中にあり、故に見抜けなかった。挙げ句の果てには、大切な人達を失いかけた。ネギはもしそうなっていたら、と考えて全身に嫌な鳥肌が立つのを感じていた。

 

(そして、千雨さんが裏で奔走してくれていた事にも、気づけなかった)

 

ネギは立てかけている自分の鞄を見た。その中には、千雨に関連する情報がまとめられた資料が入っていた。今朝に学園長から渡されたものだった。ネギは軽く目を通した後、自己嫌悪で死にたくなっていた。

 

思えば、気づくべきだったと。千雨の処理能力を思えば、心臓が止まるまでの激務など、表の仕事だけでは有り得ない。ネギは違和感を覚えなかった間抜けな自分を、1000発ほど殴りたくなっていた。

 

「……いつも、千雨さんには助けられてばっかりなのに」

 

9年前からずっと、火星緑化計画は言わずもがなで、今回は父まで助けてくれた。右腕の怪我も木乃香の治療により完治した。ボロボロだった身体もヨルダが消えた影響か、以前より遥かに早く快復に向かっているらしかった。

 

貰ったものが多くて、それでも返せなくて。ネギはバレンタインの時のことを連動して思い出していた。

 

そして、支えてくれる千雨の気持ちを嬉しいと思う自分と、応えられないことが情けないと思う自分が居ることを自覚していた。同時に、胸中に生まれた―――9年前からずっと隠していた―――どうしようもない想いが高まることにも気づいていた。

 

その想いをなんと呼ぶべきなのか。ネギは考えるも、同時に昨夜の記憶と告げられた言葉が連動してしまった。そして、深い怒りを覚えていた。

 

元気でな、という別れを告げる言葉。諦めさせてしまったのが自分であっても、ネギは千雨のあの言葉だけは許すつもりはなかった。

 

「そのことも含めて………今は、ゆっくりと眠って。起きたら、たくさんお話をさせて下さい」

 

申し訳ありませんが、とネギは病室から出て次の場所へ向かうために、椅子から立ち上がった。スケジュールに従うのなら昼前に麻帆良を発ち、空港に向かわなければならなかった。残りたいという自分の我儘を優先して千雨の姿を眺めていたが、それも限界だ。

 

倒れた大切な人を置いて、別の場所へ。恩知らずと罵られるかもしれない行為だが、ネギは我儘を通すことを選ぶ方が、千雨を怒らせる行為であると知っていた。

 

「……それでは、また」

 

眠る千雨を見下ろす形で、ネギは別れの言葉を告げた。それだけで人を恋に落ちさせそうな表情を浮かべながら、優しい声で。

 

ネギは答えが帰ってこないことに寂しさと、やっぱり残りたいなあという思いから来る名残惜しさを気合で押さえ込み、部屋を去っていった。

 

ぱたん、というドアが閉じる音が響いて、数分後だった。ネギが病院の敷地から去ったと同時に、千雨は両目をゆっくりと開いたのは。

 

そのまま、千雨はじっと天井を見つめるままで。やがて小さなため息を吐いた後に、白い掛け布団を捲った千雨は、呟いた。

 

 

「―――行くか」

 

 

その一時間後。

 

千雨が退院した事と、その行方をくらませたという情報が、学園長である近右衛門の元に届けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がたんごとん、という音と規則的に揺れる床と背もたれ。千雨はそこに体重を預けながら、窓の外から見える今始まったばかりの夕焼けをぼんやりと眺めていた。

 

周囲に客の姿は少なかった。千雨は何の言葉を発することもなく、ただ目の前に見える茜色の空に思考回路までを預けていた。

 

隣では母親に連れられた少女が、聞き覚えのあるアニメの歌を歌っていた。うろ覚えなのか、歌詞の順番がちぐはぐだった。少女自身もそれがわかっているのだろう、歌の終わり方を見い出だせないままに、ずっと可愛い声を車内に響かせていた。

 

母親の方は注意をするも、微笑ましい顔で見つめ。千雨は少し煩く思っていたが、たまにならいいか、と特に文句を言わなかった。

 

(………その気力もない、か)

 

これからどうするのか、具体的な計画は以前から進めていた。既に借りていた部屋は解約を済ませていた。誰にも言わないまま荷物の移動も完了し、あとはそこに辿り着くだけ。大学も卒業したし、仕事の引き継ぎも余すことなくやり遂げた。

 

障害物は、何もない。電車が線路の上を往くように、自分で選んだ道を進むだけで安寧の時間に浸れる場所へ辿り着くことができる。

 

それでも、この胸中に浮かぶ虚無感はなんだろうか。千雨は考えるも答えが思いつかずに、眼を閉じた。

 

原因は、分かったような気がしていたからだ。眼を閉じて思い出せる、この9年間の思い出があまりにも濃密過ぎた。それがそっくり無くなれば、寂しくもなるか。

 

千雨は内心で呟きながら、色々な出来事を思い出していた。

 

巻き込まれた。取り戻すために手伝った。選んでついていった。助けられた。選ぶ背中を見守った。助け合い、戦い抜いた。止めることをせずに、その選択を尊重した。

 

単語にすれば短いが、付随する思い出は星のように多く、輝いていた。

 

夢のような時間だった。辛いことばかりだったが、それ以上に充実していたし、何より楽しいものがあった。

 

―――だからこそ、残れない。千雨はこの決断は間違ってないと自分に言い聞かせた。

 

(第一、あの場所に戻れる訳ねえだろか………罪、重過ぎるし)

 

人の親の身体に勝手に機械を埋め込んだ。確信も証拠もなく、独りで。上役や責任者に相談もせず、突っ走った。一手過てば、街ごと消える可能性もあった。隣に居る親子のように、何の関係もない人を巻き添えにして。

 

残れば、どれだけ罵られるのか。千雨は考えるも、そんな奴らじゃないよな、と小さな息を吐いた。ナギやネギにいたっては仕方がなかったと言うか、逆に謝られるだろう。上役や責任者も、強く責任を追求する姿は思い浮かばなかった。

 

だからこそ、自分から離れる。

 

千雨は夕焼け空を眺めながら、もう何度になるか忘れるほどに繰り返した決意の言葉を呟いていた。

 

そして、眼鏡を押し上げながら思った。

 

―――また傍観者へ逆戻りか、と。

 

(……何を、気取ってんだが。でも、後悔はしない………また逃げることになるが)

 

千雨は桜を眺めながら、8年前のことを思い出していた。ちょうど同じように桜が咲き乱れる季節の、教室で告げられた言葉を。

 

好きです、という想いを告げる4文字。一番、というのは誠実なのか不誠実なのか。それでも、嬉しかった。千雨はその時の事はずっと忘れないだろうという、女々しい自分を肯定した。視界が揺れるほどに胸中にある感情が乱れたのは、あの時以外に無かったと確信していたからだ。

 

その告白に対し、返した言葉に嘘はなかった。身に余る光栄、というのはリップサービスでも何でもない。ガキが趣味じゃないことも、5年後にまた出直しな、と言ったことに嘘は含まれていない。

 

ただ、言っていないだけだ。

 

―――あの時点で、ネギのことをガキだと思っていなかったことを。

 

―――5年後に出直しな、と告げたのはネギを思ってのことだと。

 

―――そして、告白を受けなかったのは、自分が臆病だったからだと。

 

(眼鏡も外さずに傍観者のまま、か。どうしようもない女だな、ほんとに)

 

今に至るまでの8年、ネギの進む道は辛く苦しいものになることを当時の千雨は既に予想していた。ネギが途中でリタイアするような無責任な子供ではないことを知っていた。計画は立ち上がりこそが重要で、女にかまけることが致命的になりかねないと考えていた。理由も分かりませんが、という無根拠な恋心で暴走するのは良くない結果しか呼ばないと思っていた。

 

そして、千雨は恐れた。学園長にも言わなかった理由があった。

 

重圧に巻き込まれる自分を―――告白を受ければ否応でも渦中に飛び込むことになる未来を、肯定できなかったのだ。

 

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(……だから諦めて逃げる、か)

 

眼鏡をかけた時と同じだ、と千雨はその度数の入っていない眼鏡を触った。現実と非現実を曖昧にする装置だ。傍観者とすることで深入りはせずに、雨のように流れる生き方で良いと割り切った自分を象徴するものだった。

 

同時に、決意の正しさを知った。こんな女が、これから世界を救おうっていう男の隣に立つべきではないと考えていた。

 

8年前、告白を受けた時から成長せずに退化した自分よりも、麻帆良を守るために必要なことだったとはいえ3-Aのクラスメートを利用した自分よりも、相応しい人間が。ネギの事が大好きで、隣に立つに相応しい者は星の数ほど居ると、千雨は信じていた。

 

邪魔する訳にはいかない―――これが今生の別れだ。

 

千雨は呟き、俯いた。泣き顔を他の客に見られないように。

 

(なんだ、これ)

 

止まらない、と千雨は呟くことさえ失敗した。別れを実感することで胸に溢れ出た、ネギ達との思い出に心を圧迫されて。

 

―――武闘会で見た、戦う背中。

 

―――超達との戦いと、その結末。

 

―――魔法世界での決断と、陰謀と、激闘と。

 

―――卒業してからも、ずっと傍に居たように思う。

 

―――ネギ、茶々丸や3-Aの関係者と共に困難に立ち向かった。

 

―――休暇中に行った豪華なレストランで、マナーを気にしつつ食べたこと。

 

―――時間が無いからと学園の一室で、茶々丸とネギと自分3人で真夜中に食べたカップラーメンの味が。

 

千雨は忘れられなかった。いつもその中心に居た少年のことを。千雨さん、と呼ばれるだけで何でもできるような気がしていた。激務と困難の波を越え続けて、青年にさしかかっている今でも、その心は相変わらず優しくて。苦楽を共にした日々は、途方もなく疲れるものであっても、どうしようもなく満たされたもので。

 

それも、終わる。自覚した千雨は口を抑えて、嗚咽さえも噛み殺した。

 

熱くなった感情の奔流は千雨の頬を赤くして。流れ出た涙に映った夕焼けが、千雨の足元に落ちては消えていった。

 

僅かに零れ出た泣き声は線路を走る電車の音に包まれ、消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ん」

 

ベッドから起き上がった千雨は、寝ぼけた顔で周囲を見回した。そしてああと呟き、「夢か」と言いながら目元にあった涙を乱暴に拭った。

 

のろのろと立ち上がり、洗面所に向かう。黒いランニングから白い素肌が見え、短いパンツからすらりとした脚線美が見える格好のままだ。

 

それを気にした様子もなく顔を洗い、ベッドの横にあるデスクに向かった。椅子に座り、パソコンに電源を入れる。暗い部屋の中、小さいモニターの灯りが千雨の顔を照らした。

千雨はインターネット(情報の海)に潜り、色々な時事を頭の中に収めていった。特に多かったのは、先週に開催されたロンドンオリンピックに関連する情報だ。千雨はその中から、ISSDA(国際太陽系開発機構)の事務局長が開場に現れた時の写真を見つけた。

 

年齢詐称薬を使って外見を20代に偽装した、端正な顔立ちのイギリス人の青年が笑顔で各国の指導者を握手を交わしていた。“各国を繋ぐ橋たる国際機構の若き指揮官”と題打たれたそれは見事なアングルで撮られており、ネットでも人気が高いらしい一枚だったが、千雨は別のことに気がついていた。

 

(心なしか、笑顔にキレがないような………いや、まさかな)

 

千雨は気の所為だと思うことにした。今は2012年の夏で、隠遁生活を送るようになった2011年の春は、もう一年以上も前のことだった。

 

今更、と呟き。千雨はインターネットのプラウザを閉じて、ネットゲームを起動するアイコンをダブルクリックした。

 

「……さて今日は、と」

 

吹っ切るように告げた言葉が、他に誰も居ない部屋の中に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様、ネギ君」

 

「あ………ありがとう、フェイト」

 

ネギは投げ渡されたペットボトルを受け取り、中に入った水を飲んだ後、口元を拭った。横に居た茶々丸がハンカチを渡し、ネギはそれを受け取って手元を拭き取った。

 

「ありがとうございます。生き返ったよ……それで、だけど」

 

「……長谷川千雨は見つかっていないよ。目下のところ捜索中だけどね」

 

フェイトは無表情を僅かに歪めた後、尋ねた。だというのに来週にまた、麻帆良に行く必要はあるのか、と。ネギは困ったように笑ったあと、頷きを返した。

 

「麻帆良から出ていないことは確かなんだ……それに、説明したろ? 私的な理由だけじゃないってことは」

 

ネギは建設中の軌道エレベーターの警備状態について言及した。今年に入って既に5件、工作を仕掛けようとした不穏人物に危うい所まで侵入を許したことを。

 

この数年は工作員が近づこうとした時点で対処が済んでいた。今までには無かった事態に対策を練ろうとネギは局員に話を聞いたが、誰もが声を揃えて言っていた言葉があった。

―――情報収拾能力と、入手した情報から危険人物を見出すことに繋げられるようなセンスを持った人が不足している、と。

 

茶々丸もそれに同意していた。情報を収拾するには速度だけではない、その中から必要なものだけを抜き出す能力も必要になる。長谷川千雨はその点に置いて非凡なものを持っていた。

 

「情報を迅速に収拾、最適化して実働班に渡す、というのが千雨さんの役割だったらしい。学園長から聞かされたよ。対策として処理能力を数で補おうとしても、募集をかけた人員の中に工作員が居たらそれこそ致命傷になりかねないから……」

 

ネギの呟きに、胸ポケットに隠れていたカモが飛び出して答えた。

 

「兄貴を力でどうこうしよう、って輩は最近になってめっきり減ったからな。外からが無理なら中から崩す、っていうのは常套手段だぜい。厳しくなってきたのは力による方法を割り切って、そっちに注力し始めたっていうのもあるが」

 

軌道エレベーターの建設を快く思っていない者は一定数存在していた。先日はエレベーターをバベルの塔に見立て、破壊すべきだと主張する団体が騒ぎ始めたのだ。譲れないものがある以上、全て防ぐしかない。一刻も早く対策を、というのがネギとフェイトだけではない、計画に協力している者たちの総意だった。

 

「さりとて、数を揃えるにも時間がかかりすぎる……現状の幹部候補の選抜も、長谷川千雨が行っていたそうだね。認めたくはないが、彼女はそれなり以上に有能だった、ということか」

 

「……前々から思ってたけど、フェイトって千雨さんとすっごく仲悪いよね。何か原因でもあるの?」

 

「……別に、何も。たまたまだろう」

 

フェイトは言葉を濁し、視線をネギから逸した。それを見ていたカモは、にやりとした顔で「そりゃあ言えんよなー」と呟いた。それを聞いたフェイトはすっと片腕を上げて、始動キーを唱え始めた。

 

「ちょっ、その詠唱は石化の!?」

 

勘弁してくれい、と焦った顔でカモは茶々丸の背中に隠れた。それを見たフェイトは舌打ちの後、怒りに傾いていた表情を戻してネギに向き直った。

 

「ん? ……どうしたの、僕の顔になにかついてる?」

 

「顔がついているな―――少し、疲れたような顔が」

 

「……同意、します」

 

茶々丸も頷き、率直な感想を述べた。笑顔に輝きが、弁舌にキレが足りないような気がします、という抽象的だが最近になって思うようになったことを。

 

ネギは自覚していたため、反論できなかった。実際に、交渉の活動時にも影響は現れていたからだ。以前ならしなかったポカが出るようになり、そこから不利な条件を飲まされそうになったこともあった。

 

同席していた千鶴やあやかのフォローもあり、大きな傷にはならなかったものの、ネギはその失態をずっと悔やんでいた。

 

そうして黙り込んだネギを見ていたフェイト、茶々丸、カモは同時にため息をついた。

 

これは重症だ、と。

 

「……しかし、見事なまでに痕跡を消されている現状じゃあね。少しルール違反だけど、家族に連絡は取ってみたのかい」

 

「うん……でも、何の手かがりも得られなかったよ。変装して、中等部に入る前の同級生にも話を聞こうとしたけど……」

 

ネギはそこで言葉を濁した。フェイトは訝しむも尋ね、代わりに調査に同行していたカモが答えた。

 

「千雨の姉さんは、当時から影が薄かったらしいけど……なんか、変に目立ってた時期があったらしいぜい。確か―――“ほら吹きちーちゃん”だったか」

 

「カモくん」

 

間髪入れずに、ネギから珍しくも硬質な声で、カモへ制止の言葉が放たれた。だが、フェイトが話の続きを促した。茶々丸も頷き、言い触らすことはしないという約束をした後、カモの口から小学生の頃の千雨のことが話された。

 

―――真面目だけど、嘘をつくことがあったこと。

 

―――世界樹のような大きな樹があるのはおかしい、あんなに早く走れる人が居るのはおかしい。その他、様々な違和感について千雨は言及していたという。

 

―――その度に否定され、からかわれ、果ては嘘つきと言われるようになった時期もあったこと。

 

「………ネギ君、それは」

 

「うん……千雨さんには、認識阻害が効いていなかったみたいなんだ。思えば、格闘大会の時もおかしいと言えば、おかしかった」

 

観客の中で千雨一人だけが、格闘大会の違和感に気づいていた。魔法という存在を認識していたからこそ、唯一それを広げようとしていた動きに気づくことが出来た。茶々丸もネギの言葉に同意し、これはマスターから聞いた話ですが、と語り始めた。

 

「麻帆良学園内には、そういった違和感を緩める作用が施されています。都市に張り巡らされた結界が、非日常的、非常識的なものをそのまま認識させないように阻害するのだとか」

 

「……長谷川千雨は、その阻害の対象外だった。先天的なものか後天的なものかは不明だけど」

 

弾かれた世界に、ただ独り残される。どちらにせよ、多数からは異物としか認識されない存在になってしまう。フェイトの言葉に、ネギは頷きながら9年前のことを話した。

 

「ザジさんのお姉さんの幻術にも、千雨さんは囚われなかった。まき絵さんも囚われなかったことを考えると、本人の意志によるものだと考えられるけど………」

 

「いや、違うだろう。あの時ああしていれば、という想いは長谷川千雨こそ強いのではないかな……嘘つきと言われた頃があったという話が本当であれば」

 

フェイトはザジの姉が使ったという術式を知っているからこそ、千雨は意志ではなく体質で幻術を弾いたのだという結論を出した。

 

もしそんな経験があるにも関わらず、僅かな緩みさえも見逃さない疑似的な完全なる世界への誘惑を断ち切れるのなら、千雨は聖人か、狂人の類だといえる。どちらでもないことを知っているフェイトからすれば、体質という方が納得できる理屈だった。

 

「……現実を強く認識………だからこそネギ君から逃げた、のか。いや、違うか………?」

 

何か、見落としがあるような気がしてならない。フェイトが首を傾げ、同じように違和感を覚えていたネギが頷き、茶々丸も考え込み。

 

 

「そういった細かいことはどうでもいいだろ、坊主ども」

 

 

―――褐色肌を持つ巨躯な男は現れるなり、二人の少年の頭にゲンコツを落とした。いきなりの事に反応できなかった二人は回避しきれず、すごい勢いで頭を地面に埋めた。

 

「っ……って、ラカンさん!?」

 

「く……どうしてあなたがここに」

 

「そういうこまけえこたぁどうでもいいんだよ、ガキども」

 

ラカンは腕組をしたまま、膝立ちになっている二人を見下ろした。そして、ネギに向かって指差しながら告げた。

 

「前に、嬢ちゃんが言っていたことがあってな―――お前は面倒くさいだとよ」

 

「―――――」

 

致命の一撃に、ネギが硬直する。4秒あと、崩れ落ちたネギは呟いた。死のう、と。

 

「って、間違ったか。言ったのは俺だったな。ボーズがそっちの若造に叩きのめされた後だったか」

 

ラカンは当時のことを語った。強くなりたいというネギに対し、千雨が「強迫観念か逃避かは分からないけど、無理にしているようにしか見えない」という感想を述べたことを。そしてラカンは面倒くさいの一言で片付けたことを。

 

「で、言わせてもらうが―――どっちもどっちだな。チサメ嬢ちゃんもボーズと同じぐらい面倒くせえ」

 

「え………千雨さんが?」

 

「見りゃ分かんだろ」

 

何でもないようにラカンが告げ、茶々丸とカモが同意を示した。どちらかというと、というレベルではなく長谷川千雨は面倒くさい女であることを。そして、茶々丸は頷きながらも、反論した。

 

「確かに、我が親友は面倒くさいです―――そこが好きですが」

 

からかうと楽しい、と語る茶々丸は笑っているようだった。後にカモはそう語るが、それは置いて話は次に移っていった。

 

「とにかくアンバランスだった。たかが14の、平和な世界の学生らしくないというのが、嬢ちゃんに対する当時の感想だったからな」

 

妙に現実的で、ネギの適正としては闇の魔法の方が高いと看破するも、子供っぽい所が残っている。とはいえ無邪気に無責任を主張する訳でもなく、その時になれば身を削ることも厭わない。

 

ラカンはそれらを説明した上で、告げた。

 

「で、ここからはさっきの話を聞いていた俺の推測だが………嬢ちゃん、家族とうまくいってねーぞ」

 

「………え?」

 

「お前さんが闇の魔法を修得している時に聞いたからな。クラスでも“家”でも傍観者だった、ってな」

 

家、つまりは家族に対しても傍観者だった。その言葉を聞いて、ネギは絶句した。ネギにとって、頼れる最も大きな存在が家族だった。ネカネに守られながら幼少時を過ごし、父に憧れて修練の日々を過ごした。

 

それを遠ざける、という行為は理解の外となる。戸惑うネギに、ラカンはそういった人間も居るこった、と何でもないように告げた。

 

「で、本題だが………厳しい現実に挟まれた生真面目な奴がどういった行動に出るかは知ってるか?」

 

「……僕と同じ、逃避ですか」

 

ネギは話の流れから、ラカンの言いたいことを察していた。子供だった長谷川千雨が、逃避を選んだことを。

 

「あの眼鏡は、一種の仮面だな。お前さんもさっきまで付けてただろ?」

 

「……僕でいう、仕事の時に必要となる表情に意識。千雨さんは、眼鏡でそれを切り替えて……?」

 

そういえば、とネギは思い出していた。まだ2-Aだった頃、千雨が発した「眼鏡をつけずに人と会ったりするのは駄目なんだ」という言葉を。

 

「……フィルター、のようなものか。あるいは乖離した自分を、無理やりにでも目の前の風景に嵌め込ませるための装置か」

 

本当の事を言っているだけなのに、一方的に嘘つき呼ばわりされる。成人ならばともかく、その違和感は10やそこらの子供にとってはあまりにも大きいと言えた。

 

肉眼で、そのままでは耐えられない―――ならばフィルターを通して、無理やりにでも“自分”を押さえ込む。そうすることで眼鏡は防壁となり、仮面となり、フィルターとなって揺らいだ“長谷川千雨”という認識を正しいものに置換する効力を持つことになる。

 

ネギはそんなフェイトの分析に頷きながら、理解した。

 

―――どうして千雨が、自分が経験した孤独な夜や懊悩した日々を、何を伝えるでもなく察することができたのかを。推測したのではなく、自分に当てはめて連想したことを。

 

その女の子が現在、独りで居る。工作員に狙われる恐れがあるからと、麻帆良学園から出ることも出来ずに。そして、誰かを頼り巻き込むことを良しとせず、独りで居るのだ。

 

「……ようやく、見れる顔になってきたな」

 

「―――ラカンさん」

 

「礼はいらねえ。ただ、分かってるな?」

 

「はい……一人前の男なら女を守って世界を救え、ですね」

 

9年前、オスティアの総督府で告げられた言葉をネギは笑顔のまま反芻した。自分のためではなく、誰かのために力を使うのが男の進むべき道だと。

 

「俺様が勝てなかったあの女郎をたった一人で出し抜いて、結果的には全部守り抜いたんだ………見事、の一言だな。そのままにしちゃあ、男が廃るぜ?」

 

「分かっています」

 

そして、とネギは宣言した。

 

「隠すのはもう、止めることにしました―――何をどうしても、会いにいきます」

 

「はっ! あーんなにちっこかったボーズが言うようになったなぁ」

 

だが悪くねえ、とラカンは豪快に笑った。フェイトはため息をつきながらも否定はせず、ラカンに尋ねた。

 

「あなた程の男が、戦闘力も皆無な女性をここまで気にかけるとはね……人間として、という奴かい?」

 

「そんな小賢しい理屈はねーよ、若造。だが、あの嬢ちゃんは面倒くさいが、それに見合って“重い”ってだけだ」

 

「………深い苦悩を持つものほど、誰かを思うことができると」

 

「あー、分からんがそういうことじゃね?」

 

がはははは、とラカンが豪快に笑う。つられてネギが笑い、フェイトが口元を僅かに緩めた。

 

 

「それで、どうする―――ネギ君」

 

 

「決まってる。というか、さっき言ったよ」

 

 

何がどうしても会いに行く。そう告げたネギに、茶々丸が応えた。

 

 

「世界を揺るがす精鋭(クラスメート)は既に揃っています―――局長」

 

 

命令を、という言葉にネギは応えた。

 

 

「まずはご協力に感謝を―――そして」

 

 

長谷川千雨捜索作戦を、これより開始します。

 

 

ネギの宣言に、通信向こうの元3-Aの生徒達は一斉に、かつバラバラな言葉でネギの要請に応える大声を叫んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで―――ご要望通りになったぞ、ナギ」

 

「ああ、すまねえなラカン……というより、お前自身ノリノリだったようだけどな」

 

あのお嬢ちゃんに思う所でもあるのか、とナギが尋ね。ラカンは、その質問に答えることなく、ただ問いを返した。

 

「なあ、ナギ」

 

「なんだよ」

 

「お前、自分が死んだっていう時に膝を崩してまで泣いてくれる奴が居るか?」

 

「………居るぜ。っていうか、なんだ。お前にとってあのお嬢ちゃんが、その」

 

「そういうこった―――という訳だが、盗み聞きしてんじゃねーぞロリババァ」

 

「ふん、煩い。しかし、その、なんだ………アレは本当なのか?」

 

「ああ、後頭部なげえジジイから聞いたが、間違いないらしいぜ。寝込んでた頃のこのバカの暗殺計画を実行される前に阻止したのは、チサメ嬢ちゃんだ」

 

決戦時、ヨルダに乗っ取られていたとはいえナギの姿をした者は艦隊の多くを吹き飛ばした。それを怨みに持つ者が動き出した計画があり、当時はまだ麻帆良内の治安維持にテロ対策を担当していた千雨が、ナギの危機を未然に防ぐように人員を動かした。

 

ラカンの説明を聞いたナギが笑い、エヴァンジェリンが小さく笑った。

 

「たかが人間、されど人間か………やるものだ」

 

「嬉しそうな表情で言うもんじゃねーぞエヴァ、っておまっ!?」

 

顔を真っ赤にしたエヴァが氷の魔法でナギを追いかけ始めた。

 

ラカンはそれを眺めて頷いた後、ナギ達が去っていった方向を見ながら告げた。

 

 

「―――見せてもらうぜ、ネギ。お前なら面倒くさい千の雨だろうが、全部受け止められるだろ」

 

 

雨を害ではなく水の恵みとして飲み干せるお前なら。

 

それだけを告げて小さく笑ったラカンは、言い合いを始めたナギとエヴァンジェリンの横顔を見ながら、喧嘩を囃し立てるようなヤジを飛ばした。

 

 

 

 

 

 





言い訳という名前の愚痴。

書いていて思ったけど………ナギとネギってすっげー誤字ます。
パット見で全然気づかない………修正、ありがとうございます。


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4話:happy☆material

麻帆良の街の外れにある、ここ数年で建設された大きなマンション群。その中でも最も高い建物の屋上で、元3-Aの仲間とその教師が集まっていた。

 

それぞれがそれぞれの役割、目的を持って両の足で立っていた。その中心で、情報を統括する役割を担っている、かつては報道部に所属し、今はフリーのジャーナリストとして活動している朝倉和美はマンション群を指差し、告げた。

 

「さて、まずは情報の共有から―――私達、探して捕まえる人。千雨ちゃん、捕まえられる人、ここまではオッケー?」

 

軽い言葉に、全員から頷きが返された。和美はにひひと笑いながら、話を続けた。

 

「種目的にはかくれんぼに鬼ごっこかな。ただ問題なのは相手が情報処理のスペシャリストってこと。それも大国の諜報員を相手にできるぐらいの、ね」

 

23,4歳という大学を卒業して間もない年頃には見合わない、世界的にも一流とされるスキルを保持している。その言葉に、雪広あやかが補足をした。

 

「個人的なツテを―――千雨さんの師だという彼からも話を聞きましたが、断言されましたわ。この麻帆良の中、本気で隠れた彼女を見つけるには5年はかかるそうです」

 

人数に物を言わせたローラー作戦をもってしても、察知されて逃げられる可能性が高い。あやかも、千雨の師のことはよく知っていた。冗談を言うような性格ではないことも。

 

「でも、そんなに時間はかけていられませんわ! 5年ですって? ―――それを5分に縮めてこその、私達でしょう」

 

あやかは集まった面々に語りかけた。

 

相坂さよ、朝倉和美、明石祐奈、綾瀬夕映、春日美空、神楽坂明日菜、絡繰茶々丸、近衛木乃香、桜咲刹那、早乙女ハルナ、長瀬楓、葉加瀬聡美、宮崎のどか、村上夏美。ネギとあやか、フェイトに犬上小太郎を加えると総勢18名もの、捜索に参加した全員が声の大小の差はあれど「応」の言葉を返した。

 

「良い、返事です。いえ、当たり前ですわね、ネギ先生のためならば例え―――」

 

「いいんちょ、話逸れてるよー。で、こっからはまた私が説明するんだけど……」

 

和美は千雨が失踪した当日のことを説明した。その経緯までを。

 

「なーんか知らないけど、まーたちうちゃんにぼっち病が再発したらしいのよ。でも、そんなの私たちにかんけーないじゃん?」

 

「……ですね。9年前とは違いますです」

 

クラスのイベントにも参加しない千雨のことを、『いつもああですから良いんです』と見送ることができるようになるには、全員が彼女のことを知りすぎていた。

 

綾瀬夕映は、笑顔を張り付けて宣言した。

 

「ちょっと、私も話したいことがあるので―――全力で協力させて頂きます」

 

「お、おう………で、話の続きだけど」

 

和美は失踪した日の情報―――主に移動に使ったと思われる交通機関から仕入れた―――をかき集めた結果から、このマンション群のどこかに千雨(ターゲット)が居る可能性が非常に高いことを告げた。

 

その話を聞いた面々はマンション群を見た。そして1000部屋はありそうな光景を見た後、和美の方に視線を戻した。その瞳は物語っていた。これを一つづつあたるのかマジですか、と。

 

「ああ、違う違う。それに居留守使われたら為す術がないしね。かといって不法侵入はシャレにならないし」

 

「幽霊騒ぎもだめって言われましたー……」

 

すり抜けたら良いと思ったんですけど、と相坂さよが呟いた。

 

「いやいや、流石に駄目っしょ。まーたシスターシャークティが駆り出される羽目になるし」

 

「先の死霊術師によるテロの一件でござるな。千雨殿が何度も嘆いていたでござるよ、“事故物件が増えて良いことなんて一つもねえな”と」

 

楓の言葉に、刹那が深く頷いた。人外や妖魔を相手にする神鳴流として、刹那は幾度かそういった方面での問題を聞かされたことがあった。

 

「うんうん。それに、さよちゃんばっかりにやらせるて私達は観客席で優雅にお茶を、って訳にもいかないじゃん?」

 

「ですね。祐奈さんはここに居ていいのか、という思いもありますけど」

 

「あ、あはははは~………ちなみに誰から聞いたのかな、聡美ちゃん?」

 

「ゲーデル総督ですよー。総督は高音さんから報告があった、と言ってましたが」

 

明石祐奈は現在、メガロメセンブリアのエージェントとして見習い修行中だ。だというのにいきなり三日間の有給を申請した件は、推薦者であるゲーデル総督まで話が上がっていた。当然と言えば、当然でもあった。

 

「うーん、でも大丈夫じゃない? ゲーデルってなんとなくだけど元3―Aのみんなに弱い所があるしね」

 

明日菜の何気ない言葉に、事情を知る何人かが内心ツッコミを入れた。3―Aに弱いのは主にアンタとネギが居るからだ、と。

 

「……いつの間にか話が逸れているね。当時の君たちの騒ぎっぷりを思い出して、頭が痛くなるよ」

 

あの頃に何百発、白チョークの螺旋の弾丸を放ったのか思い出したくもない。ネギから担任の役割を引き継いでいたフェイトは珍しくも疲れ果てた声で告げた。元生徒たちは聞いちゃいなかったが。

 

「でも、フェイトの言い分にも一理あるで―――いい加減始めようや、なあネギ」

 

「うん―――わかってるよ。えっと……今日は本当に、ありがとうございます。僕の我儘に付き合ってくれて」

 

頭を下げたネギに、当たり前ですわ水臭いこといわんといてー私は一発ガツンといいたいですええとゆえほどじゃないですけど私も良いラブ臭を放っておく手はないわくわくするよねといった。

 

途轍もなくバラバラな反応だが、全体的には「気にしないでいいよ」で包括できる言葉で、女性陣はネギの申し訳ない気持ちを微笑みで返して潰した。

 

ネギは苦笑しながら、礼と共に告げた。

 

「それでは、これより作戦を開始します―――とはいっても、一軒づつ当たるのは無茶なので」

 

「なら、千雨さんのアーティファクトの反応を?」

 

仮契約をしているのなら、追跡用の術式を開発したのか、あるいは。尋ねられたネギは、そういった術式を開発するも、既に対策されていることを告げた。

 

「ジャミング、というやつだと思います。9年前の時点で、千雨さんは待機状態のアーティファクトにハッキングを仕掛けられる腕を持っていましたから」

 

「ぱねえ。あ、でも、それじゃあ普通に探すのは無理なんじゃ……」

 

「はい。正攻法は無理でしょう、ですから―――」

 

ネギはお願いします、と葉加瀬聡美を見た。

 

「はいはーい。じゃあ超さん特性のプログラムを組んで、と」

 

聡美がノートパソコンのキーボードを高速で叩く音が周囲に響いた。最後、エンターキーが押されたと同時に、モニターにある画像が浮かび出た。

 

それを聡美とネギの背後から覗き込んだ面々が、絶句した。代表して、明日菜がネギに尋ねた。

 

「―――ネギ、これは」

 

「この日のために用意しました。釣り上げるには、餌が必要でしょう?」

 

 

ネギはにっこりといい笑顔を浮かべ、それを見た全員がその本気を悟った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん? なんだ、こりゃ」

 

千雨はモニターに映った画像を見るなり、訝しげな表情になった。飲んでいたコーヒーを横に置いて、慎重に画面を見る。

 

ネギに関する情報で、非常事態に繋がるようなニュースが入ればすぐに分かるようにしていた設定が、最高レベルで緊急を告げていた。千雨は青ざめた顔で操作し、やがて現れた画像に絶句した。

 

「―――ネギ・スプリングフィールド氏が、危篤状態!? なっ、ど、どういう事だ!」

 

千雨は焦った顔でアーティファクトを起動した。電子精霊を駆使して、情報収拾を始める。間もなくして、違和感に気づいた。

 

「大きなニュースの割に、各メディアには一切ノータッチ―――いや、これは」

 

誤報というまではいかない、悪戯か。千雨はほっと安堵の息を吐いて、椅子の背もたれに体重を預けた。

 

だが、直後に勢い良く身体を起こし、画面を食い入るように見つめた。

 

「ただの誤報という割には、手が込みすぎてる………ハッキングか? それに、なんで麻帆良の一部の地域だけに限定して………いや、まさか!」

 

 

千雨は天井を見上げ、告げた。

 

 

「―――誰だか知らねえけど。これは、予告状代わりってことか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「電子精霊の活発化を探知。あちらの建物の、806号室です!」

 

光速の風流たる電子精霊の動きを拾い上げた聡美は、千雨の居場所を割り出し、指差した。それを聞いた二人が立ち上がり、頷きを返した。

 

「了解でござるよ」

 

「はい!」

 

ネギの危篤という情報を流し、驚く人達は大勢居る。だがその中でも、電子精霊を使ってまで事の真偽を確かめようとするのは一人しかいない。

 

その場所を探知した聡美は楓とさよに指示を出し、二人は即座に了承をすると共に行動を開始した。

 

「しっかり捕まってるでござるよ、さよ殿」

 

「わかりまし―――わわっ?!」

 

余波さえも完璧に抑え込まれたその瞬動は、一種の極みとも言えた。踏み込みで発生する音や風を全て推進力に変えた、長瀬楓の瞬動は音を5度は置き去りにする。

 

続けて虚空を足場として、二度目の瞬動を。そうして指示から1秒の後に、楓は目的の部屋の扉の前にたどり着いていた。

 

さよはあまりにも早く、目まぐるしく変わる視界に驚いたが、すぐに調子を取り戻すと部屋の番号を確認した。

 

「806号室―――行きますっ!」

 

幽霊ならではの技である、壁抜け。さよはそれを使って、扉を破壊することなく部屋の中へと侵入した。

 

そのまま、奥にある部屋まで一直線。そこでたどり着いたさよは、言葉を失った。

 

直後に、携帯電話の音が鳴る。さよは即座に応答のボタンを押した。電話口の向こうから、和美の声が響いた。

 

『どうしたの、千雨さんを発見したの―――さよちゃん?』

 

「―――大変です、和美さん」

 

『え?』

 

驚く和美に、さよは見たものをあるがままに語った。

 

―――生活感のない、デスクと椅子しかない部屋の中。

 

―――さよには分からないが、何か大きなパソコンに似た機械。

 

情報を受け取った和美は、叫んだ。

 

餌に引っかかったのはこっちだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……私を追跡するなら、当時の映像を収拾するしかない。あるいは、目撃情報か」

 

侵入した部屋とは全く違う場所に居る千雨は、呟いた。人物追跡のセオリーも、そこから相手を出し抜くための方法も学ばされてんだよ、と。

 

「確かに、一度はそこに行ったさ―――だが、そこに居ると言った覚えはない。あくまで経由地点だ」

 

居場所を見せかけるための、と呟いた千雨は壁にかけていた認識阻害用の眼鏡がある方を見ながら、当時のことを思い出していた。夕焼け空の下を歩いて、囮であるマンションに到着し。間もなくして、今度は徹底的に隠れるようにしながら今の自分が居る場所へたどり着いたことを。

 

「―――でも、腑に落ちねえ。いったい誰だ? 並じゃない奴でも、餌にまで辿り着くだけで、侵入から数ヶ月程度はかかると思ったんだが」

 

千雨はコーヒーを飲みながら考え込んだ。情報処理を得意とする工作員が麻帆良に入り込んだという情報を、千雨は得ていなかった。千雨が知らない、という事は有り得ない事と同義になる。この隠遁生活でも、自身が狙われる危険のレベルは変わっていないからだ。過去の怨みだと捕まってしまえば、そこで終わりになる。だから千雨は特に自分を捕まえられるような存在には、過敏になっていた。

 

「……米国は違うな。ロシアでもない。欧州は、今更だしな―――そうなると」

 

千雨は、そこで先程の画像を思い出した。文字は偽装されたもの。しかし、映像にあったネギの顔には画像の改竄が仕組まれていないように思えたからだ。

 

そうなると、答えは一つしかなくなる。千雨は慌ててパソコンに向かい、舌打ちを重ねた。魔法世界であっても、自分に匹敵するハッカーは数えるほど。だが、その例外としてある者が存在する。千雨はその人物の―――かつてクラスメイトだった未来人の顔を思い出しながら、叫んだ。

 

 

「っ、超の技術を使った葉加瀬か、あるいは茶々丸か――――くそっ、拙い!」

 

 

もしそうならこれで終わるはずが、と身体を起こした千雨は、急いでキーボードに指を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ふふふ、これで全部終わるなんて思ってませんよ、千雨さん?」

 

「ハカセ、こちらの逆探知は順調に進んでいま―――いえ」

 

対応が早い、と茶々丸が呟いた。直後に、ダミーであった端末とのリンクが途絶えた。

 

「……早い。過ぎると言っていいほどに。長谷川さんも、もっと油断をしてくれたら助かるのですが」

 

それでも位置は絞れました、と。大人気ないという表現が見合うほどの演算能力を持つPCを怪しく光らせながら、聡美は叫んだ。

 

「出ました―――ポイント、5付近に千雨さんが居ます!」

 

聡美や茶々丸、ネギは大人しく千雨が捕まるとは思っていなかった。偽装もしているだろうと考え、潜んでいるだろう場所の候補を考えていたのだ。

 

5、というのは第五候補のこと。有り得ないだろうと思っていた場所であることに、流石ですね、とネギが呟いた。

 

そこで、楓とさよが戻ってきた。一行は動けるものは単独で、そうでないものは動けるものに担がれて移動を開始した。

 

その中で最も早いのは、楓だった。忍者らしく音もなく、麻帆良の空を流星のように駆け抜けていった。

 

(―――全て、千雨殿の依頼があってのことでござるが)

 

楓は、千雨から懇願された時の事を思い出していた。

 

ネギにとって3―Aは特別だ。その特別を悪い意味で捉えている奴らが居る。守るためには、神出鬼没な奴が必要だ。

 

(どこに居るのか分からない、いつ現れるのか分からない。そういった不気味さを感じさせることで、相手は迂闊に行動できなくなる、でござるか)

 

戦闘になるのが嫌だから、と答えた千雨に対して、楓が理由を問いかけた。その後、視線を逸し顔を赤くしながら答えた千雨の言葉を、楓は忘れていなかった。

 

巻き込まれて傷つくのは嫌だろ―――長瀬も含めて。

 

「ツンデレ、という奴でござるなぁ………素直になった千雨は、それでらしくないでござるが」

 

苦笑しながら、楓は思う。それでも千雨がこれで発見されるような者であれば、長い間の麻帆良を守ることはできなかっただろうと。

 

その予想通りに、向かう先―――開発が途中で中止になったマンション群の中から、魔法の始動キーが詠唱される気配を楓は感じた。

 

「―――千雨殿ではない、これは!」

 

目を見開いた楓に、一斉に発射された魔法の矢が襲いかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「楓さん!」

 

「大丈夫やネギ、楓姉ちゃんがあれぐらいでどうにもなるかい。それよりも、や」

 

「……見覚えある。確か、メガロメセンブリアに居た指名手配犯」

 

襲い掛かって来た相手のことを、明石祐奈は見覚えがあった。魔法世界の住人ではなく、こちら出身の犯罪者として見たことがあったのだ。

 

「それも、完全なる世界の信奉者だった人達だよ!」

 

「人気のないこの場所に潜伏していたのか……いや、まさか長谷川千雨を?」

 

フェイトの言葉に、ネギが形相を変えた。だが、のどかから制止の声が入った。

 

「お、大技は控えましょう。街に被害が出ることは、良くないと思います」

 

「隠れてる千雨ちゃんを巻き込んだら、本末転倒だしね。ということで、落書帝国(アーテイファクト)の出番かな、って」

 

夕映から地面に降ろされた早乙女ハルナの行動は早かった。即座にスケッチブックを取り出し、流れるような動作で絵を完成させていく。

 

他の面々は牽制と防御に努め、襲い掛かってきた相手に攻撃は仕掛けずに、ただ被害が小さくなるよう捌いていった。

 

間もなくして量産された、いつもとは違う“小柄で女性型の炎の魔人”が敵に襲いかかっていく。その姿を見たフェイトが眉間に皺を寄せた。

 

「気の所為だと良いんだが………あれ、火のアートゥルをモチーフにしてないかい?」

 

「ふっふっふ、オマージュと言ってくれたまえ。それに相手が完全なる世界の信奉者ならダメージでかいかなーって」

 

「なんで全員半裸なんですかパルーーッ?!」

 

「いや、そっちの方が動揺するかなって」

 

さらりと極悪な事を言うハルナに、フェイト達が顔を引きつらせた。

 

「あ、でも小型だから弱いです………相手がかなりの手練ということもありますが」

 

「問題なーし! 足止めと時間稼ぎが目的だからね」

 

ハルナの声にのどかが頷き、笑った。

 

「行きます―――我、汝の真名を問う(アナタノオナマエナンデスカ)!!」

 

鬼神の童謡という魔法具による名前看破と、名前の呼びかけによる読心能力(いどのえにっき)というアーティファクトの能力が遺憾なく発揮された。重ねての質問に、この場所に居る理由と目的を問いただしたのどかは、全員に聞こえるように大声で告げた。

 

「敵は祐奈さんが言っていた通り、完全なる世界の残党です! 目的は、起動エレベーターを魔法により破壊すること!」

 

「重犯罪者予備軍って訳だ―――なら、遠慮はいらないね」

 

遠慮なく仕掛けても良い相手であると認識したフェイトは、瞬動で距離を詰めると次々にテロリストを石化していった。

 

3-Aの面々も同様に、次々に攻勢へと出た。春日美空はその速度で相手を撹乱し、楓が飛び道具で牽制、そこに刹那が切り込んでいく。集まって数を頼りにしようとする相手には、綾瀬夕映が次々に余波が少ない魔法を炸裂させていった。

 

小太郎は影で相手に攻撃を仕掛けると同時に、余っている影を使って村上夏美や宮崎のどかといった非戦闘員を守っていた。ネギは夕映と同様に、遊撃と小太郎の援護をしながら、戦況の推移を見守っていた。万が一の時には、いつでも入り込めるように。

 

「これなら、あと5分で無力化を―――」

 

「非常事態です、マスター。千雨さんから緊急通信が」

 

いきなりの事に驚き、ネギが硬直した。だが、次の情報を聞いた途端に青ざめ、急いで明日菜が居る方向へ移動した。

 

「アスナさん!」

 

「何よネギ、そんな顔して………何かあったの?」

 

察したアスナが尋ね、ネギが簡潔に説明した。自棄になった相手が、エレベーターを破壊するために用意していた術式を使うつもりであることを。

 

「っ、誰がそれを?!」

 

「情報は千雨さんから、相手は―――あそこです!」

 

ネギは敵集団から離れた場所で、主犯格らしき男が大きな爆弾をセットしているのを目にした。位置を見るに、味方もろともこちらを攻撃するようにも見えた。

 

だが、遠い。ネギは雷天大壮を使って倒すことも考えたが、その余波で起爆しないとも限らないと判断し、断念した。

 

「―――雷天大壮よ。ネギ、やりなさい」

 

「な、それは……危険ですよ!?」

 

「大丈夫よ! 絶対に、一人じゃないならきっと何とかなるから!」

 

対ヨルダとの決戦の時と同じ、無根拠な言葉。ネギはそれを聞き、頷きを返した。

 

(最初に決意を。次に、行動を―――その上で、なんとかする。一人じゃない、誰かと一緒に!)

 

覚悟を決めたネギは千の雷を掌握し、自身を雷に変換した。そして、止めるべき主犯格との間に居た敵を拳で、蹴りで薙ぎ払っていった。

 

それに追随して、感卦法を発動したアスナが距離を稼いでいく。

 

だが、二人は同時に悟った。2秒遅い、間に合わないと。

 

そこからは、瞬きをすればこそ。

 

ネギは全員を守るために方向転換をしようとして、アスナは諦めずに突っ走り、主犯格の男は狂ったように笑いながら起爆用の術式を発動して―――その笑みが止まった。

 

「なっ?! ばかな、なんで起爆が―――」

 

直後、驚愕に男が硬直した。起爆用の術式が、何をどうされたか分からないが、虫食いになっていたからだ。

 

―――そして。

 

 

「てやあああああっっっ!」

 

 

追いついた明日菜から放たれた無極而大極斬(トメー・アルケース・カイ・アナルキアース)の一撃が、爆弾の中にこめられた爆発術式と魔法力を完全に消し去った。

 

間もなくして士気が挫かれたテロリスト達が、次々に捕縛されていった。

 

 

「―――戦闘終了。そして逆探知も完了しました、ネギ先生」

 

「え……ひょっとして、先程のアレから?」

 

「ええ。余程焦っていたようです……まあ、彼女なら焦りますか。とにかく、場所は割れました。こちらは私達に任せて、急いでください」

 

私の親友をお願いします、と茶々丸が頭を下げる。

 

ネギはその姿にぐっとなるも、ありがとうと頷きを返した。

 

視線を上げれば、全員が同じように笑って親指を立てていた。早く行ってこい、という意味だろう。ネギは皆に対して頭を下げると、急いで千雨が居る半ば廃墟のようなマンションの中へと走っていった。

 

「あれ……住人が、居ない訳じゃなかったんだ」

 

ネギは道中、少ないが何人かの人間が居ることに気がついた。戦闘の音に怯えているのかその顔色は良くなかったが、紛れもなく一般人だった。

 

ネギは仲間たちが居る方向を案内しながら、千雨が居る場所へと歩を進めていく。

 

そして、最後の曲がり角を曲がろうとした時だった。

 

先程と同じであろう、避難をしようとしている女性が小走りで近づいてくるのをネギは感知した。間もなくして、すれ違った。ネギは、その顔を見ながら感想を述べた。

 

見覚えはない。間違いなく会ったことも無い人で―――と思いながらもネギは反射的にその女性の手を掴んでいた。

 

そうする前までは、何故こんな行動をしたのか、というのはネギ自身にも分かっていなかった。だが、手を握った後は違った。

 

立ち止まったネギは部屋がある方向ではなく、見覚えのない女性へと視線を向けていた。女性はその視線を受けながら怒ることもなく、戸惑うこともなく、諦めたように言葉を返した。

 

「―――まいったな。どこで気づいた?」

 

「掴むまでは、勘ですが………掴んでからは、掌から伝わる感触で」

 

「……相変わらず女を勘違いさせるような台詞使ってやがんな。いつか刺されるって何度も忠告しただろ」

 

「大丈夫です。今はもう、刺されても良い相手にしか言うつもありません」

 

ネギの笑顔の答えに、女性は大きなため息を吐いた。そして、観念したように認識阻害の効果がある眼鏡を外した。

 

その顔を見て、ネギは更に笑みを深めながら告げた。

 

 

「お久しぶりです、千雨さん」

 

 

「ああ。久しぶりだな、ネギ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

30分後、テロリストは捕縛されて学園長が手配した人員に連行されていった。その手続と報告は、あやかを筆頭とした残った面々が行っていた。ネギと千雨の二人は追い出されるようにしてその場を離れた後、麻帆良学園の中を歩いていた。

 

互いに、口を閉ざしたまま。無言を破ったのは、半眼になった千雨の方だった。

 

「それで………私に何の用だよ。お前も顔色悪いし、疲れて……じゃなくて。なんだ、あれだよ、困ってるから復職してくれってか?」

 

「違います……困っているのは正真正銘紛れもない真実ですが。というより、どうしてそう思ったんですか?」

 

「けっ……麻帆良は私の庭だ。何が起きているのか、すぐに分かっちまう。この8年で、そうなるようにしたのは他ならぬ私だ」

 

少し情報を収拾すれば、何時どこで何が起きているのかを把握することができる。そこから千雨は今年に入ってからの問題について言及して、告げた。

 

「でも、敵の攻撃はまだ防げてるだろ………正直、私はもうゴメンなんだ。8年で一生分は働いただろ? 後はゲームしてネットして……と、とにかくこれからは楽に生きさせてもらう。引きこもりバンザイだ。悠々自適に過ごすんだからな」

 

「それは……特別顧問からも退いて、ですか?」

 

「ああ。こんな私なんかより、適任は大勢居るだろうからな」

 

千雨はネギが特別顧問、という立場に居る人間に役職ではない、特別な感情を持っていることに気がついていた。いわば相談役だ。ネギの事を知り、計画のことを見据え、両方が良くなる方向へと導くように言葉を交わす必要がある役割であるとも。

 

(恋人候補、が一番良いんだろうけど)

 

身内では雪広あやかから、国外でもネギの人柄に惚れた女性が大勢居たことを千雨は知っていた。政略結婚にはなるが、いずれもこれからの計画に大きく貢献できると断言できる程の政治力、資金力を持った良家の、それも一級に美人な女性が。

 

「そうだよ……居るはずだ、私以外の適任なんて、探さなくなって見つかる。だってのに、なぜだ? なんで私みたいなハズレをわざわざ……裏で私が何をしていたのか、もう知ってんだろ」

 

防諜に努めた日々の中で、全てが白く正しく美しく、という訳にもいかなかった。最悪のケースを防ぐために、千雨は犯罪スレスレの方法も取ったことがある。騙すような形で3-Aのクラスメートを利用したこともあると、千雨は沈痛な表情で語った。

 

「そうだ、私は8年前よりも()()()んだ……それだけじゃない。何も言わず逃げ出したんだ、バックレたんだ。論外だろ、こんな女なんて」

 

千雨は胸ポケットから香草入りの煙草を取り出し、火を点けた。私はここで帰らせてもらうと、千雨は煙で目元を隠しながら少しだけ声を震わせることで告げた。

 

間違っていないはずだ。そう確信しながら去ろうとする千雨に対して、ネギは言葉を投げかけた。

 

「―――『あんた、本当にその親父を探さなきゃ駄目なのか』。あれだけ意表を突かれたを言葉は、後にも先にもありませんでした」

 

静かに語るネギに、千雨は立ち止まった。それは自分が告げた言葉を覚えているという証拠だった。ネギは嬉しそうに、言葉の続きを諳んじた。

 

「『この学園で奴らと楽しくバカやってるだけじゃダメなのか、わざわざ危険に飛び込んでまで』……続く言葉は予想がつきました。そこまでして父さんを探すのか、といった所だと思います………眼鏡を外しながら、千雨さんは言ってくれました」

 

眼鏡、という単語に千雨はぴくりと反応しながら顔を逸した。

 

「ああ、覚えてるぜ……眼鏡の方にまで言及されるとは思ってなかったけどな」

 

「あの、それは……ラカンさんが」

 

「はあ?! くっ、あのオッサン……!」

 

千雨は顔を赤くしながら怒りに震えていたが、諦めるようにため息をついた後、答えた。

 

「なら、余計に私なんか気にしてる場合じゃないだろ。それに、私の言葉はただの一般論だ。単純な疑問を言葉にしただけだって」

 

「そう、かもしれません………ですが、僕には初めてでした。いえ、久しぶりだったのだと思います。何を求めるでもなく、純粋に問いかけてくれる人は、ネカネ姉さんか、スタンじいちゃんだけでしたから」

 

子供ではなく、英雄の息子ではなく、憧れの先生ではなく、そういった記号を取り払ったネギという個人を心配しての言葉。懐かしくも新鮮で、以外なものだったとネギは語った。

 

その上で、子供という記号さえ取り払われた『ネギ』という個人を見ていたのは千雨だけだったかもしれない。ネギは今になって思うのだ。立場も何もなく語りかけてくれたのは貴女だけだったかもしれないと。

 

「思えば……僕が魔法世界に行って父さんを探す、という選択をすることを学園長やタカミチ、アルビレオさんや詠春さん。みんな、全員が疑っていなかったように思えるんです。英雄の息子として、魔法世界で活躍して、いつしか………といった風に、期待されていた証拠かもしれませんが」

 

確かなのは、誰もネギ・スプリングフィールドが“止まる”ことを望んでいなかったということ。危険など跳ね除けられるだろうと、その背中を押され続けてきた。自分で選んだことですけど、と自嘲しながらネギは言葉を続けた。

 

「光栄なことだと思います。何を贅沢な、と言われるかもしれません。実際、僕に迷いは無かった……だからこそ、貴女の言葉に僕は驚き、戸惑いました」

 

「……そこは変な女の屁理屈で片付けとけよ」

 

「無理ですよ。千雨さんは、一番先に僕に世界の広さを与えてくれた人ですから」

 

「は? ………魔法世界に行く前にだろ、身に覚えがねえんだが」

 

「千雨さんにとっては当たり前だったから、自覚がなかったのかもしれません。衝撃を受けたのは『魔法を使わなければ人を幸せにできない』なんて思い込んでいた、僕のような子供だけでしょう―――驚いたんですよ。ネットアイドルとして活躍して、視聴者の皆さんを笑顔にする千雨さんの姿に、僕は」

 

映像で、言葉で、人の喜び、楽しさといった明るい感情を引き出す。ネギにとっては、それこそが魔法に見えていた。

 

「武闘会の後も、超さんの事件の時も………凄い、と思いました。周囲を見る力も、物理的に対抗するような力は持っていないのに諦めない所とか……ホームページの運営もそうですけど、誰かに頼らない強さというものに憧れました」

 

苦しみ、悩んだことは間違いない。だけど逃げず、諦めずに立ち向かった。

 

ネギは、『当時の僕は自分の精神的な弱さを自覚していたから』と答えながら自嘲した。そして、心情を吐露した。

 

―――自分の信念の元に立っている千雨の背中に憧れていたんだと。

 

「……僕は。僕は英雄の息子として、誰よりも強くなければならなかったんです……だから、闇の魔法(マギア・エレベア)を選んだ。“みんなと一緒に歩いて行くために、僕自身が強くなる”なんていう建前を並べて、裏に潜んだ感情に気づかずに」

 

ネギは呟き、わかっていたんですよね、と尋ねた。千雨は無言のままで、それが答えとなった。

 

「沈黙は肯定ですよ、千雨さん。やっぱり気づいていたんですね」

 

「……おかしなことじゃないだろ。父親のように強く成りたい、っていうのは」

 

千雨は淡々と事実だけを答えた。

 

「自分でなんとかできる力を求めた―――仲間に頼り切りなんて情けない真似はできない、っていう選択は。感情は、間違いじゃないだろ?」

 

千雨の言葉にネギは苦笑するも頷き、肯定した。まほら武闘大会の時、父に自分の道を歩けと言われた。自分はそれに頷いたものの、ずっと迷っていたことを。

 

「色々な人から、多くの言葉を貰いました……でも、僕の原点はやっぱり父さんなんです。それ以外に、何も無かった」

 

“弱いナギ・スプリングフィールド”など許されない。ネギはずっと思い続けていたことを明かし、複雑に微笑んだ。

 

「結局の所、僕は分かって無かったんですよね。千雨さんの言葉も、師匠(マスター)の言葉も。父さんを神聖視していた。ああなりたいって。憧れにままに輝かしいほどの強さを僕は求めてました」

 

だから、とネギは言う。闇の魔法の適正が高くても死にかけた原因はそこにあると。あの究極技法を修得するのに一番大事な部分は、善悪や強弱に囚われず、全てを受け入れること。目の前の問題を敵視し、打破すること。それが父の道に繋がると信じていたから、答えを見出すのに長時間かかったと、ネギは拳を強く握りしめた。

 

心の問題に代表される胸中の葛藤は打ち壊すことはできない。なくなることはないのだ。泥のような汚いものを抱えながらも、人はずっと戦っていかなければならない。

 

「“デカイ悩みなら吹っ切るな。胸に抱えて前に進め”……答えは、既に教えていてくれていたのに」

 

本音は違うのに、吹っ切ったつもりになって、ちぐはぐで。迷惑をかけました、と頭を下げるネギに、千雨はすっとぼけた。

 

「覚えてねえよ………そんな言葉」

 

「僕は覚えていますよ。ずっと、ずっと、忘れていません」

 

「そうか……でも、価値はねえだろ。所詮は無責任な小娘の言葉だ」

 

「何を言ってるんですか。千雨さんは、ずっと誰に対しても責任を果たそうとしてくれたじゃないですか」

 

「麻帆良のことだったら、自分のためだぞ。ああでもしなけりゃ、いつか自分の身も危うくなる、そのついでだ」

 

「……でも、みんなを守るために奔走したって学園長も」

 

「―――違う」

 

泣きそうな声で、千雨から否定の言葉が差し込まれた。千雨は俯いたまま、全身を震わせながら答えた。

 

「違う、そんなもんじゃない……ただ、ガキがはしゃぎ過ぎてたから、見てられなかっただけだ。怒るんじゃねえ、注意しただけだ」

 

「……千雨さん」

 

ネギの納得していない声色を聞いて、千雨は顔を上げると眼鏡を外しながらキレた。

 

「ラカンのおっさんからも聞いたんだろ、私はずっと傍観者だったって。全部、無関係だから外から好き勝手に言ってただけだ」

 

吐き出すように、叫んだ。

 

「出発前のあんたを止めようとしたのは、羨ましかったからだ。こうも思ってたぜ。どうせ頑張っても無駄に終わるんだから必死になってもしょうがねえだろ、って。迷いを吹っ切るな、っていうのも私が失敗したからだよ」

 

千雨は、小学生だった頃に犯した自分の過ちを語った。

 

「認識阻害に関しちゃ、言うまでもないよな。私はそれを何となく察してた。私は色々と違うんだ、って。そんで、割り切ったつもりになってた………全然、そんなことなかったのに」

 

泣きそうな声で、言う―――無かった事にしたかったんだと。

 

「吹っ切ったんじゃねえ、見ないことで無かったことにしたかったんだ。でも、そんな歪な真似が長い間続く訳ねえ。それで………我慢できずに爆発した。家族とソリが合わなくなったのは、それからだ」

 

違和感に気がづかなかった最初の千雨は、世の中の嘘を暴こうと訴えた。両親は気がつけず、戸惑い話を合わせた。

 

千雨はそれに気がついて、遠慮を覚えた。自分がおかしいのだと言い聞かせることで、割り切ったつもりだった。

 

子供だった千雨にそんな無理が続けられる筈もなく。最低最悪の切れ方をした結果、家族との絆に亀裂が入った。

 

千雨はそれに気が付きつつも、修復する努力を怠った。傍観者として距離を保つことを選んだ。なぜなら、その方が楽だからだ。

 

千雨は泣きそうな顔で、ネギの胸ぐらを掴んだ。

 

「滑稽だろ? 勝手で、お高く止まってたんだよ。眼鏡をかけたのもその一環だ。目の前の光景を遠くに見てて、自分だけは違う、って言い聞かせた。クソ生意気に気取って好き勝手に遠くから色々と思ってた……つまりは、逃げたんだよ。8年前の、先生の告白もそうだ。私は、あの時もアンタから逃げたんだよ。ついていく自信がなかったから、それらしい言葉を積み上げるだけで」

 

取り繕うだけに虚飾を重ねるだけ。苦難を乗り越えてきたあんたとは違うと、千雨は羨望のままに表情を歪ませた。

 

「ずっと、アンタを妬んでた。闇の魔法の時だってそうだ。無責任に選択させて、結果はどうだ? あんたは不老不死になっちまった。永遠に外見はガキのままだ。あの時に光の道を歩けば、もっと良い結末が待ってたかもしれないのに」

 

「……千雨さん」

 

「応援してたよ。そこに嘘はない。でも、どこかで失敗しろって思ってた私が居る。私だけがどうして、って。自分の歪さを思い知らされてからはずっとだ。全部、終わってから気づかされる。どうして私だけこんなに捻くれちまったんだ、って………諦め癖もついちまった」

 

困難に対して方法を考えるクラスメートとは違い、諦めの言葉が先に浮かんでしまう。千雨は情けないと信じている自分の身を守るように、両手を胸元に、抱えるようにして縮こまった。

 

目を逸らすということは、問題から逃げることを意味する。自身を左右する問題に、千雨は逃げることを回答とした。眼鏡を壁に、遠巻きに眺めることを良しとした。自身の夢のために真正面から戦い続けているネギとは違う、臆病者で薄情者の怠け者だと自分を恥じていた。

 

そんな女が、ネギに相応しいか。千雨は頭からそれを否定し、結論付けていた。

 

「私は、お前に相応しくない。だから……もう、良いだろ? ネギ先生、あんたを好きな奴は大勢いる。だから、今更私なんかに構わないでくれよ」

 

千雨が、最後の拒絶の言葉を吐いた。明らかなそれは、否定以外の意味はない。

 

―――だがネギは一歩も引かず、思うがままを言葉にした。

 

「………逃げた、と主張する千雨さんの言葉を僕は否定できません。それは、本人にしか分からないことだと思いますから」

 

でも、とネギは言った―――千雨の主張の中で一部分だけ、誤りがあると。

 

「千雨さんは、無責任なんかじゃないです。きっちりと責任を果たしてきた……筋を通してきた人ですよ。この意見だけは、誰が何を言おうとも変えるつもりはありません。唯一の、絶対です」

 

「何を………いや、だから。麻帆良を守ることは私自身の―――」

 

「違いますよ。それよりずっと前に―――僕が暴走した時のことを覚えていますか?」

 

忘れていない、掌の感触はそれです、とネギは笑った。

 

「僕が闇の魔法に呑まれて暴走を………総督府で過去を見せられた時と、デュナミスにやられた時でした。多くの人が僕の腕にしがみついて止めてくれました。でも暴走した僕の正面に立って、頬を叩いてくれたのは千雨さん、貴方だけです」

 

腕を支えるにも、命の危険があった。戦闘力の無い人ばかりで、下手をすれば死んでいた。だからネギは、止めてくれたすべての人に心からの感謝をしていた。

 

「でも……一撃、受ければ物理的に。バラバラになるどころか血煙に消えてしまうっていうのは千雨さんも分かっていた筈です。なのに前に立って、叱ってくれて……僕の原点を思い出させてくれた」

 

暴走した、闇の魔物の姿を否定することはなく。復讐に思うのも心の一部だろうが、もっと別の。復讐心だけではない、芽生えたものがあると叫ばれたことを、ネギは覚えていた。

 

同時に、自分のサガをどうしようもなく情けなく思う。

 

いつだって、前だけを見ていた。だからこそ立ち塞がってくれる人が一番、心に残った。震えながら、必死に。自分を真っ直ぐに見つめるその女性の瞳を前にして初めて、ネギは父以外のことに心を奪われた。

 

芽生えたものが憧れだったのは、度し難いと思う。だけど、強い意志はどこまでも眩しかった。

 

「……それで良いのか。その言葉を聞いて、思い出さなければ僕は今も闇の魔物のまま無為な永遠を送っていたことでしょう。それに、千雨さんは逃げていたばかりじゃない。訓練の時も、ドン引きしてたじゃないですか。人間の出して良い威力じゃないって」

 

小太郎と喧嘩した時も、ラカンとの訓練の時も、放つ攻撃の威力に千雨が驚愕し、恐怖していた事をネギは知っていた。何時発射されるか分からない戦艦の砲口の前に立つ行為に等しい、それを知っていながらも、とネギは千雨の目を見返しながら告げた。

 

「分かっていた上で千雨さんは前に立って止めてくれた―――3-Aの皆さんと同じです。強くて、とても優しい彼女たちと」

 

告げられた千雨は、反論しようとしたが、できなかった。自分の評価なら否定できたが、3―Aと同だと言われては肯定する他なかったからだ。

 

「身を張って、不甲斐ない僕を。それに、千雨さんの主張をすべて否定できないように、千雨さんにも否定できない僕の心情があります」

 

「……なんだよ、それは」

 

「僕は、そんな……憧れられるような大した人間じゃないんです。いつだって、人の言われるままに進んできた、主体性のない子供なんです」

 

総督府の時もそうだと、ネギは自嘲した。魔法世界の一部を見捨てようとしたゲーデルに対しての答えを。“父さんなら全員を助けるだろう”と主張し、自分がそれに追随したことを。

 

「父さんならこうした筈だ。あの人に教われば、自分は少しマシになれる。その繰り返しでした。責任を何かに委託したまま、僕は進んできたんです………その重さの本当の意味に気づかないまま」

 

だからこそ、魔法世界に生徒を連れて行くという選択をした。助かったのは結果論で、何人か死んでもおかしくはなかった。そう主張するネギの言葉を、千雨は否定できなかった。

 

「軽くて、流されて……明るい方向に、憧れだけで進んでたんです。あの頃の自分の中にあった―――あの時に千雨さんも見た通りの、黒い魔物のような自分の本性から目をそらしたまま」

 

暴走しながら、ネギは自分の醜さを頭のどこかで理解していた。それが、自分に潜んでいたものであるということも。

 

「……でも、目を逸らさずに見てくれました。僕が止まれずに、顔に傷を負っても、血を流しながら止めようとしてくれました。そんなものじゃないだろう、って」

 

情けない限りです。ネギの言葉に、千雨は反発した。

 

「それでも、先生はずっと戦ってきた……困難に立ち向かった上で勝ってきたじゃねえか、私とは違う」

 

「そんなに大した人間じゃないです。僕は……みんなから好かれるような人間じゃない。主体性のない、ちょっと物事に詰まれば落ち込んで迷うだけの。誰にも助けられなかったら、ここまで来れませんでした」

 

だから、とネギは以前に告げた言葉を繰り返した。

 

「感謝を………ありがとうと言いたいんです、本当に。以前にも言いましたが、僕がここまでこれたのは皆さんのおかげですが、何よりも千雨さんのおかげだと思っています。言葉をかけてくれた。ずっと、僕を見てくれていた……1年前のあの時だって、酷く危険だった筈なのに、僕達のために」

 

「……言うな」

 

「8年前は、よく分からなかったと言いました―――でも、僕は子供じゃなくなった。だから色々と考えて、気づくことができたんです。僕はぶっきらぼうで、口が悪くて、それでも頼られれば身を張ってでも応えてくれる優しい千雨さんを」

 

「やめろ……私が頼られて応えたのは、今までにそんな経験をしたことが無かったからだ。浮かれてたバカの行為だよ、勘違いすんな」

 

「しますよ。だって、僕もそうでした。だからこそ分かります。見損なわれるのが何よりも怖いってことが」

 

ぐっ、と千雨は言葉に詰まった。自分と同じ理由だったからだ。自信が無いから、寄りかかられると応えてしまう。こんなものかと、離れられるのが怖いから。嫌われるのが怖いから。千雨はそんな小物で矮小な自分が嫌いだった。だが、ネギもそうだとするならば。違う、ずっと気づいていたのかも、と言い訳は言葉にならずに。

 

「今は、理解した上で言います。勝手だろうか知りません。僕は、こんな情けない僕の事をずっと見てくれていた千雨さんの事を」

 

「言うな! ……委員長が居るだろ。まき絵とか亜子とか綾瀬、宮崎も。古菲や茶々丸だけじゃない、ここ数年の仕事の中で知り合った奴らだって!」

 

「はい。千雨さんが言うとおり、その人達の事は好きですよ………でも、僕は」

 

「私は………っ、こんなに、面倒くさい女だぞ! ここで他の奴らの名前出すとか、今も、逃げることばっかり考えてる! 見た目だって、こんな……!」

 

「全部含めて、僕は千雨さんのことを可愛いと思ってます。から、問題はありませんよ。そして、それ以上に―――綺麗です。美しい。僕の知る、誰よりも」

 

これ以上は言葉では言い表せない。だが、ネギは全宇宙の誰に問われても自信満々で応えられる解答を持っていた。

 

 

ネギ・スプリングフィールドが、宇宙一美しいと思っている人の名前を。

 

 

ふわりと柔らかい声色の、不意打ち気味の言葉に千雨が絶句した。ネギはその一瞬の隙を見逃さずに、千雨を包むように抱きしめながら告げた。

 

「だから―――僕は、そんな千雨さんを誰よりも愛しています」

 

良かったら結婚を前提に付き合っていただけないでしょうか、と。

 

8年前と似た内容だが、それよりも強烈になった告白の言葉が千雨の胸を撃ち抜いた。千雨は、最初は何も応えなかった。答えられなかった、という方が正しかった。視線が揺れるだけでは済まない、全身が沸騰したかのような熱に襲われていたからだ。

 

逃げようにも、離さないという意志がこめられた両腕に対して、千雨は敵う気がしなかった。

 

言い訳もできなかった。あそこまで言葉を尽くされれば、詭弁で逃げることも難しいと考えていたからだ。

 

だから、と千雨は呟いた―――本当に、もう逃げなくてもいいのか、と掠れるように小さな声で。そうしてしばらくした後、千雨はようやく一言、答えとなる呟きを返した。

 

「………さっきも言ったけど………その、私はかなり、いや、めちゃくちゃ面倒くさいぞ」

 

「そこが好きですね。あとラカンさんと千雨さんいわく、僕も面倒くさいそうですし……お互いさまですよ」

 

「けっ、どこがだよ。私はひねくれ者だし。この期に及んで皮肉しか言えないし、輪をかけて臆病者だし」

 

「そうかもしれませんが、僕は大好きです。以上。何も、問題はありません」

 

「……ジメジメした女だぞ、名前の通り」

 

「僕が世界を晴れにするので問題ありません。快晴だと雨も虹になります」

 

「………ヨルダにやられた影響か、魔法ってやつがちょっと……前よりも怖くなった。トラウマになっちまったかも」

 

「大丈夫です、僕が守り通ります。絶対に、これ以上傷つけさせません」

 

「………信じる……しかないんだけどな。私は、そんな事言ってくれる男と会ったことないけど」

 

「――――それを今聞けて良かったと、心の底から思います」

 

「今一瞬ゾワッとしたんだが。あと、周辺の鳩も一斉に逃げたような……あとは、なんだ。きまぐれだとか言って捨てられたら、きっと死んじまうぞ」

 

「まさか、きまぐれなんかじゃありません。僕が何年想い続けてたか、千雨さんは知ってるでしょう?」

 

「……そう、だったな。でも、他に居ただろうと今でも思うんだが」

 

「どちらにとっても失礼になりますから言いますが、千雨さん以外にはいませんよ。それに……なんていうか、僕は千雨さんが居ないとダメなんですよ。この前も大きいミスをしてしまったし」

 

「ミスに関しちゃ何となく察してたよ、調子も悪かったみたいだしな」

 

「……そういえば、顔色が悪いって指摘されましたね」

 

「あとは、軌道エレベーターのことも忘れるなよ。魔法世界を救う方も、私と付き合って計画が遅延するようならお断りだ。それとこれとは話が別だからな」

 

「それでこその千雨さんです。僕も、そちらの方を疎かにするつもりはありません」

 

「今何問目」

 

「10問目、って何を言わせるんですか」

 

「最近は暇過ぎてテレビ見るしかやることなかったんだよ……察せ」

 

「えっ。悠々自適な引きこもりライフを満喫している筈だったのでは」

 

「……退屈だったんだよ。トラブルを持ってこない奴らが居ると、な」

 

「そうだったんですか……千雨さんらしいですね」

 

「あとは……寂しかったからな。どっかの情けないバカが居なくて」

 

本当に悲しそうな声で、千雨は言う。ネギはここで押し倒しても至極合法なんじゃないかと思ったが、ヨルダ戦並の気力を振り絞って踏みとどまった。

 

「先程のクイズ、のようなものですが………全て、正解でしたか?」

 

「え? あ、ああ………まあ、及第点はくれてやっても」

 

素直じゃない千雨は、気づかなかった。ネギの声に何かを企んでいるかのような含みがあったことを。

 

そのネギは千雨の答えを聞くと、両腕を離した。千雨は自分を覆っていた腕が無くなっていたことに喪失感を覚え、あっ、と残念そうな声を。

 

その顔を見下ろしていたネギは、理性を取り払って手を伸ばした。

 

「それじゃあ―――景品を頂きますね」

 

告げると同時、ネギは千雨の顎に手を添えて顔を上げさせると、唇を落とした。

 

完全に意表をついたその行動に、千雨は爆発したかのように耳まで真っ赤にした。だが、それも少しだけのこと。千雨は唇を受け入れた後、一度離れたネギの顔を見つめながら告げた。

 

「私も頑張るけど………私を含めてあいつら全員の身は守ってくれよ」

 

「誓います―――大丈夫ですよ。千雨さんが僕の心を守ってくれるので」

 

「うるさい黙れ」

 

千雨は反撃とばかりに微笑んでいたネギの頭を抱えて深い口付けを交わした。

 

―――直後、夏美のアーティファクトで隠れていた元3―Aのクラスメイトと、潜んでいたナギとラカンとエヴァンジェリンが勢い良く飛び出した。

 

別の地点で潜んでいたテロリストを掃討した、残りの3―Aの面々まで。

 

雲ひとつない鮮やかな青が輝く、晩夏の空の下。30名余名の囃し立てるような声が響いては、上空を飛んでいた飛行機の音にかき消されていった。

 

 

 

 




あとがき

・残すはエピローグのみ

・今話、加筆の可能性あり

・4話の前半は「Life will change」でも良かったかもしれんね


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エピローグ : しあわせのみつけかた

桜の花びらが舞い踊る、雲一つない空の下。椅子に座っている長谷川千雨は純白の衣装に身を包みながら、落ち着かない様子で周囲を見回していた。

 

その様子を見ながら、同じく椅子に座っていた茶々丸はため息をついた。

 

「いい加減に、年貢の納め時だと思うのですが」

 

「だって、その、ほら………分かるだろ!?」

 

「分かりません。大勢の前で熱烈な告白シーンを展開しておいて、何を今更」

 

長いマリッジブルーに付き合わされるのはそろそろうんざりです、と茶々丸は容赦のない言葉で千雨を打ちのめした。

 

千雨は顔を真っ赤にしながら―――胸元と肩が開いている衣装のため、そこも少し赤くなって―――ぶつぶつと呟きを返した。

 

「でも……お前はいいのか? ネギ先生の嫁になるのが、こんな陰険な眼鏡女でよ」

 

「対面倒くさい女友達プロトコルに基づいて最適解を返答します―――“はいはいワロスワロス”」

 

茶々丸が何でもないように答えた。千雨は文句を言うが、どれだけ長い時間一緒に居ると思っているんですか、と茶々丸が慣れた様子でそれをあしらった。

 

「そりゃあ……えっと、なんだ。ひょっとしてエヴァよりも長いのか」

 

「はい……と言っても、ネギ先生には及びませんが」

 

「結局ノロケに自慢かよ」

 

激動の10年の中で誰がネギの背中を支えたのか、という問いかけに対して真っ先に上がる名前が絡繰茶々丸だ。秘書として、常人ならば死ぬであろうスケジュールをきっちりと管理した。その甲斐もあって、遂には軌道エレベーターの開発も峠を越すことが出来た。

 

「ふふ、我が親友には言われたくありませんね……」

 

「照れくさいから止めろって言ってんだろ、その呼び方」

 

10年前より成長し、柔らかい表情を浮かべられるようになった茶々丸に対し、千雨は当時と全く変わらない照れた仕草で茶々丸を止めようとした。

 

それを見た茶々丸は、懐かしいですね、と言いながら窓の外を見た。

 

「あの時、例え話の類でしたが………予知になってしまいましたね」

 

「……ああ、たしか中学最後の体育祭の時だったか」

 

『他の女に先越されても平然としていられんのかよ』という千雨の言葉に対し、茶々丸は『構いません応援させて頂きます、その相手が親友の千雨さんならなお嬉しい』と答えたのだ。

 

それから、12年。遂に二人は、披露宴を行うまでに至ったのだ。茶々丸はその事実を噛み締めながら、呟くように語った。

 

「平然と、なんでもないように………と思うのは難しいですね」

 

「茶々丸……お前、やっぱり」

 

「嬉しさが勝ってしまうんです。苦楽を共にした仲間が結ばれて家族になる。それを近くで見られることが、何よりも嬉しい」

 

笑顔を伴った言葉の不意打ちが、千雨に突き刺さった。たちまち、千雨の顔が真っ赤に染まっていった。

 

「このっ……無駄に成長しやがって!」

 

「そこが嬉しいくせに、とは返さないでおきますね」

 

少し涙目になっている千雨を見て、茶々丸は思った。なんだこの可愛い生き物は、と少しキャラを壊しながら。

 

「しかし、面倒くさい所は変わっていませんね……思えばあの時も……?」

 

茶々丸は言葉を止めると、扉の方に視線をやった。直後に、ノックの音が。茶々丸が入室を促すと、聞き覚えのある声の主達が部屋に入ってきた。

 

「これは……昨日ぶりですね、皆さん」

 

二日酔いは抜けましたか、と尋ねる茶々丸に来客者達は一斉に首を横に振った。綾瀬夕映に宮崎のどか、雪広あやかに古菲は青白い顔をしながらも、千雨のドレス姿を見るなり「また飲みてえ」という表情に変わった後、首をもう一度横に振った。

 

「って、おい……本当に大丈夫か? 先月に開発されたっていう二日酔いを軽減する薬ならあるが」

 

「お、お気遣いありがとうございます。ですが、それはもう飲みましたわ………」

 

「そ、そうか……飲んでそれなのか?」

 

どれだけ呑んだんだ、とは千雨は言わなかった。集まった面々を見ただけで、痛飲に至った理由を何となく察していたからだ。

 

「しかし……綺麗ですね、千雨さん」

 

あやかが、ぽつりと呟く。その直後に、涙を流しながら千雨へと押しかけた。

 

「あの卒業式から10余年……長かったですわね!」

 

「お、おう……そういえばあの時も委員長は」

 

血涙を流してたよな、と千雨が言う前にあやかは千雨の両肩を掴んだ。

 

「おめでどうございます! あれがらいろいろど、ほんどうに色々とありましたが……ようやく、ですわね!」

 

だみ声になったあやかに対し、千雨は顔を引きつらせながらも頷いた。あやかはそこでようやく落ち着くと、深呼吸をした後に千雨に向き直った。

 

「……正直、言いたいことは色々とありますわ。何故あの時に頷かなかったのか、お、追いかけてくれたネネネネネギ先生に対してヘタレ全開な言葉で逃げようとした事など、挙げ始めればキリがありませんわ!」

 

あやかによる矢のような言葉が千雨の急所を抉った。千雨自身も自覚があったため、威力は5倍になっていた。

 

「ですが………お礼を、言わせて下さい」

 

「……え?」

 

胸を抑えていた千雨が、聞き返す。その顔を見ながら、あやかは真剣な表情で千雨に頭を下げた。

 

「ネギ先生のことを……私達は色々と誤解していたと、痛感させられました。千雨さんと先生が話されていたことを聞いて、ようやく分かったんです」

 

ネギが二度目の告白をした時の会話を、あやか達は隠れながらも聞いていた。ネギ自身がそれを望んだからだ。その時にあやか達はネギ・スプリングフィールドが抱える闇や孤独というものの本質にようやく気づいた。

 

「好きという自分の感情だけを優先させていた……そう思うのです。当時、まだ11歳だった先生のことを考えずに……私は」

 

自分の感情を押し付けることだけを考えていた、とあやかは当時の己の未熟だった部分を悔やんだ。好きだった。心配はしていた。

 

―――だが、どこかで“ネギ先生ならば大丈夫”という、あまりにも無責任なら信頼を持っていた。寂しいからと、夜な夜な明日菜の布団に潜り込む子供だったのに。

 

「……買いかぶりだ。ネギも私と同じように、面倒くさい性格をしてたからな。似た者同士だから、察することが出来ただけだ」

 

「でも……自分ではなく、ネギ先生の事を先に想っていたのは確かでしょう?」

 

横から言葉を挟んだのは、のどかだった。

 

「卒業式の日、千雨さんはネギ先生のことが好きだった。感情のままで動くのなら、告白を受け入れいていたと聞いています」

 

「誰から……って、そういえば」

 

茶々丸はその時のやり取りを思い出すと、茶々丸の方を見た。茶々丸はそこでちょうど部屋に入ってきた小動物に視線を向けた。

 

「カモさんからの情報ですね。数値的には、のどかさん達と変わりありませんでした」

 

「ん? ……ああ、あの話か! いやー、おれっちもあん時は自分の未熟さを思い知らされたぜ」

 

「はい……好きな気持ちがあるから近づいていくのではなく―――好きだからこそ、遠ざかる」

 

「……そんな大層なもんじゃない。ただ逃げただけだって」

 

「それもネギ先生のことを思って、でしょう? 私であればできなかったと、そう思います」

 

大人になって、職を持った今だからこそ分かることがある。のどかは苦笑しながら、告げた。もしも、あの時ネギが自分の告白を受けてくれていたら、どうだったか。あの責任感が強い少年は、当時まだ子供だった自分に、どれだけの時間を割いてくれていただろうか。その結果、生涯の仕事だと告げたテラ・フォーミング計画に、どれだけの遅れが出たのだろうか。

 

隣に居た夕映も、同じことを考えていた。当時、告白をするしないで騒いでいた自分達に告げたフェイトの言葉は正鵠を射ていた、と。

 

先生と同じ視線でものを見ることが出来て、同じ場所に立つことができる。それができない者が彼の隣に立つことは許されないと言われたが、あれはある意味で正しかったのだと。

 

「……あの時も今も、貴方だけがネギ先生の教え子(ミニストラ・ネギ)ではなかった。そういうことでしょうが」

 

「綾瀬……」

 

「勘違いをしないで欲しいのですが………恨み言はありません。先生が好きになった女性があなたのような人で良かったと、そう思っているんです」

 

受け入れられず、苦しい思いよりも理解が勝るし、納得が出来た。恋に敗れたことが、その理由がストンと胸に落ちる。それが、夕映達の総意だった。

 

「あの夏の告白事件で、色々と悟らされました……面倒臭さが天元突破していた事とか、色々ツッコミたい部分はありますが」

 

「ぐっ」

 

「人の事を勝手に推薦しておいて本人は姿を消すとか、かなり物申したいこともあったのですが………まあ、委員長が最初に言った通りです」

 

「そうアルな」

 

古菲が、しみじみと頷いた。

 

「千雨はとっくに私達を倒していたアル………ネギぼーずを想う者として、完敗アルよ」

 

「いや、ちょっと」

 

「そうですわね……愛しているからこそ、離れる。遠ざかる。並の“好き”じゃできない事ですわ」

 

「だから、な?」

 

「うん、えにっきを使ったらピンク色に汚染されそうで怖いかも。そんなの無くたって、ネギ先生をずっと見ていて、所々で心を撃ち抜いていたようだし」

 

「お前ら、私の話を」

 

「あと、裏で麻帆良を守ったのは先生のためと聞いています。そしてヨルダの件も……かなり重いですね。一歩間違えればストーカーになっていたのでは? 技能を考えると、シャレになりませんね」

 

「いや、それは」

 

「だというのに、他に女が居るだろ。流石は我が親友、面倒くささと重さは太陽系で最強かもしれませんね」

 

「………」

 

千雨はついに涙目になって、黙り込んだ。千雨をそこまで追い込んだ5名は顔を見合わせた後、おかしそうに笑いあいながら、冗談だと告げた。

 

「別に、責めてる訳じゃないんです……ただ、確認したかっただけで」

 

「……なにがだよ」

 

ジト目になった千雨に、のどかが笑顔で告げた。

 

「先生が、千雨さんのどこを好きになったか……うん、今分かったような気がします」

 

「だから、そんなヘタレな顔をしないで欲しいのです。もっと、堂々としてください―――今更、責めたりはしませんよ」

 

何故自分達は負けたのか、その納得に至るまでを。本当は4年前に分かっていたのだけれど、とは乙女の意地として言葉にせず。

 

同じ想いを持っていた4人は、誤魔化すように腕時計に目をやった。

 

「あっ、もうこんな時間」

 

「そろそろ魔法世界組が来る予定ですね」

 

「それはいけませんわ、すぐにでもいかなければしゅうしゅうが」

 

「おい待て、なんだその棒読みは。特に委員長」

 

「いやー、そういう事アル……しかしここでツッコミとは、千雨はやっぱり律儀アルな」

 

古菲は失踪しながらも道場建設の助言や資料を送り届けてくれた千雨に苦笑しながら、片手を上げた。

 

「それじゃあ、私達は先に行ってるアル」

 

「ですね。あ、もう逃げるんじゃないですよ」

 

「ですわ。そんな事したら、今度こそ我が流派の奥義を」

 

「だね。えにっき使ってみんなの前で朗読会とかしちゃうかも」

 

純朴な者一名に、釘を刺すものが三名。たくましくも見事な連携で言葉を制された千雨は、彼女達が部屋を去る背中を見送ることしかできなかった。

 

入れ替わるように、明日菜が部屋に入ってきた。

 

「こんにちはー。あ、千雨ちゃんここに………うん、綺麗だね」

 

明日菜は太陽を思わせる笑顔で千雨に笑いかけると、腕を組みながらしみじみと頷いた。

 

「ネギから好きな人を聞いた時は、どうなる事かと思ったけど……」

 

「そういや、神楽坂には言ってたんだっけか……意外だっただろ?」

 

「うーん、今思えばそうでも無かったかな。魔法世界でネギと合流した後、初めて闇の魔法を見せられた時のやりとりとか思い出すと、ね」

 

明日菜は闇の魔法という危険な技法を修得したネギを頭ごなしに叱ろうとして、千雨が止めたことがあった。

 

「ああ……あの時は、差し出がましい真似かと思ってたんだけどな」

 

「そんな事無いわよ。あの時に、ちょっと気づいたことがあったし」

 

心配して叱る自分と、経緯を見た結果、信じてやってくれないかと訴えた千雨。明日菜は客観的に見て、腑に落ちることがあったという。

 

「やっぱり、私にとってネギは家族なのよね。すーぐ危ないことしようとする、あぶなっかしい弟って感じの」

 

「……ああ、そんな風だったな。高畑に懸想していた時のように、暴走する事とかあんまり無かったし」

 

「うん……って、容赦ないわね千雨ちゃん。何か、怒られるようなことしたっけ?」

 

「……エヴァの奴がな? 最近、お前のナギさんに対する面会が増えたとかでな? 不機嫌なあいつが、私と茶々丸を一緒にな?」

 

「え……い、いや、そっ、そういうんじゃないのよ?」

 

明日菜は誤魔化すように答えた。だが、千雨は知っていた。最近になって髭を生やしはじめ、渋さが増しつつあるナギに時間が出来れば会いに来ている明日菜の内心を、何となくだが察しつつあった。

 

(まあ、ラカンのおっさんから聞いた、神楽坂の黄昏の姫巫女時代を思うとな……ナギさんは間違いなく、ヒーローだった訳だし)

 

家族愛か、あるいは。千雨はそこまで考えた後、ふと呟いた。

 

「ナギさん、ロリババァ二人にロックオンされてんのか………強く生きてくれよ」

 

「ん、なんか言った千雨ちゃん?」

 

「いや、なんにも」

 

千雨は今世紀稀に見るほどの綺麗な笑顔で誤魔化した。茶々丸は察知されないよう、千雨の呟きを静かに録音していた。これで宴会時の余興が増えましたね。とナチュラルに外道なことを考えていたりもした。

 

「ともあれ……あいつのこと、頼むわね。私なんかに言われるまでもないだろうけど」

 

「いやいや。ネギにとっての神楽坂の存在は並大抵のもんじゃねーぞ」

 

ネギにとっての神楽坂明日菜の名前は、3-Aの中でも特別な位置にある。信頼と、好意まで。それを聞いた明日菜は、照れたように笑った。

 

「ま、まあ……血縁、って意味でしょ。姉みたいなもんだと思うし」

 

「正式には叔母さんだけどな……いえ、何でもないです」

 

右手に魔力、左手に気と呟いた明日菜を見て、千雨はすぐに自分の言葉を撤回した。

 

「ふーん………あ、でもそういえばだけど、千雨ちゃんがネギと結婚したらさ。私って、その」

 

「……そういや、そうなんのか。あ、でも叔母さん呼ばわりはするつもりねえぞ。違和感が半端ねえし……そうだな、神楽坂姉さん、とか」

 

「うん……でも、もう一声!」

 

笑顔で催促する明日菜に、千雨はため息一つを零しながら、告げた。

 

「それじゃあ……これからもよろしく頼むぜ、アスナ姉さん」

 

「うん!」

 

明日菜は元気一杯に、返事をした。それを見て、千雨はにやりと笑いながら告げた。

 

「姉さんじゃなくて義母さんになる可能性が、無きにしも非ずだけどな?」

 

「えっ?! あ……いや、でも、そんな」

 

「どっちが良いかは、先に決めといてくれよ。若干一名、手強いライバルも居ることだしな。まあ、ナギさんみたいなタイプを手っ取り早く捕まえるには、押して押して押し倒す方法が一番だと思うが………いっちょやっとくか?」

 

「にゃっ!?」

 

明日菜は真っ赤になって絶句した。そのままからかい倒された明日菜は、頭から湯気を出しながら手をわたわたさせ、遂には涙目になった。

 

「うー……千雨ちゃんの意地悪」

 

「悪かったな、それが私だ」

 

「でも、私は好きだよ。3―Aのクラスメイトの、神楽坂明日菜として」

 

先程とは異なる、優しい笑顔。千雨は言われている意味が分からず訝しげな表情になったが、はっと思い出して口を抑えて。

 

「もしかして……誰かから、聞いたのか?」

 

「うん、昨日に………いいんちょからね。“100年とかそんな誇大妄想ファンタジーなんか知らん”、だったっけ?」

 

それは概念結界に囚われた明日菜を助け出すため、クラスメートの皆で明日菜に話しかけた時のこと。姫巫女の100年に比べれば、明日菜の人格は僅か数年の経験により構成されているもの。仮初めだと言われた千雨は、『私達にとっちゃあいつは3―Aのクラスメート神楽坂明日菜だ』と答えた。

 

「……悪口ばっかだぞ。ちょいアホでガサツで、いっつもいいんちょと喧嘩してウザくてはた迷惑だって」

 

「でも自分を曲げない事と底抜けに前向きな所は評価できる―――最後になんて言ったっけ、千雨ちゃん?」

 

「ぐっ、そこまで喋ったのか」

 

その後に続く言葉は、“大切なクラスメート”というもの。千雨はらしくねえ事言っちまったと後悔しながら、視線を逸した。その様子を明日菜と茶々丸がにやけながら眺め、千雨は誤魔化すように扉の方を指差した。

 

「そんな事よりも、早く会場に言った方がいいんじゃねーか、ナギさんとかもう来てるだろうしな」

 

「えー。でも、千雨ちゃんからかうと面白い反応してくれるし」

 

「今日だけじゃねえから、良いだろ。さもなくば披露宴の後にアスナ義母さんとか呼ぶぞ」

 

「へっ!?」

 

「いえ、それは―――マスターが暴走しそうなので」

 

茶々丸が制止するも、一歩遅かった。扉の向こうから春らしくない冷気が漂ってきたからだ。それが誰であるか、よく知っている3人は息を呑んだ。

 

「……じゃあ、私はこれで」

 

「ちょっ?! 引っ掻き回すだけ回しといて―――おいこら、逃げんな!」

 

止めようとするも、アスナは見事な速度で窓から逃げていった。千雨はパンツ見えたぞ、と呟きながらも生き残る方法を模索した。だが、その全てを読んでいたかのように、入室した人物は千雨の前に立ち塞がった。

 

その金髪の美しい幼女は―――エヴァンジェリン・|A・|K・マクダウェル肩を震わせながら千雨に詰め寄った。

 

「おい―――どういう事だ。何故、貴様があのバカの事を母などと呼ぶ」

 

「えっと、それは………ってちょっと待てエヴァ、お前、泣いて」

 

「な、泣いてない! 泣いてないぞ、私は! ええい、それでどうなんだ!」

 

「あー、悪い。なんていうか売り言葉に買い言葉でな。つまり、冗談の類だ」

 

その後、千雨と茶々丸は見事なコンビネーション話術で涙目になったエヴァンジェリンを何とか落ち着かせると、椅子に座らせた。

 

「ふう……そういう訳だ。つーかそんなに泣きそうになるんなら、もっとアタック仕掛けとけよ」

 

「………その結果が落とし穴にニンニク・ネギのコンビネーション、最後に理不尽極まる呪いだとしても貴様はそう言えるのか?」

 

「ごめんなさい」

 

全面的に悪かった、と千雨は素直に頭を下げた。あと、前々から何度も聞かされてたけどやっぱりないわ、と呟いたとか。

 

「でも、ずっとこのままで良いのか? なんつーか、付かず離れずの距離を保ってるようだけどよ。さっきの話、あながち絵空事とは言い切れないんだぜ」

 

「……何度も言うようだがな」

 

「“人並みの幸せを得るには殺し過ぎたし長く生き過ぎた”、だったっけか……何度も聞いたけど、理屈としちゃあ破綻してると常々思ってたんだよ」

 

「ほう? なんだ貴様、幸せの絶頂で上から目線で説教でも垂れようというのか」

 

いつにない強い物言いをした千雨に、エヴァンジェリンが反発の言葉を返した。だが、それなりに付き合ってきた千雨はこれが威嚇ではない拒絶を示すものだと見抜いていたため、言葉を続けた。

 

「殺した、っていっても自分を殺そうとした奴らだけだろ……なんて、平和な時代に生きてる私達にゃあ、そんな世界で生きてきた奴にあれこれ言う資格は無いんだけどよ」

 

「分かっているではないか……いや待て、ならば何が言いたい?」

 

「人殺しって観点なら、ナギさんも同じだろ。別に特別な訳じゃない………私だって似たようなもんだ」

 

防諜の仕事で、直接誰かの命を奪ったことはない。だが、自分が原因で何人の人間が路頭に迷うことになるか―――死ぬことになったのか。千雨は、そこまで理解した上で告げた。

 

「殺したから幸せになる資格が無い、っていうんなら私達みんな同じだ。いや、ずっと前のご先祖サマも同じだろ?」

 

「……なに?」

 

「極端に言えば、戦国時代とかだな。敵を殺して、生き残った。なら、もう誰かを好きになる権利さえ奪われるってのか?」

 

そして大名だけではない、戦場で生き残るために敵を殺した足軽まで罪を思い続けて不幸せにならなければいけないのか。千雨はそう前置いた上で、尋ねた。

 

「だったら、私達は生まれてねえよ。つーか、人類の大半がアウトだろ」

 

「……そんな屁理屈を、私が飲み込むとでも?」

 

「思ってねーよ。ていうか、この問答も何度目だよ。でも……そんなに肩肘張る必要はないんじゃないか、っていつも思う」

 

闇の福音じゃなくて、悪の魔法使いではなくて、真祖の吸血鬼ではなくて、と千雨は告げた。

 

「それ以前に、エヴァは女の子だろ。小難しい理屈を考える前に………好きだ、って伝えることさえ許されないなんて話は、無い。絶対にだ」

 

断言する千雨に、エヴァンジェリンは眼を丸くした。

 

「好き、だと? あいつに、面と向かって、言葉………いいいいやでも態度で何度も示していると思うんだが」

 

「1000%伝わってないぞ。なんていうかナギさんは鈍感で難聴な主人公タイプだからな。勢い余って押し倒すぐらいがちょうど良いと思う」

 

千雨の言葉を聞いたエヴァは椅子ごと後ろに下がった。茶々丸が疑問符を浮かべながらマスターと呟き、首を傾げた。

 

「おっ、押し倒すだとっ!? そそそそそんなことできるはずが……っ!」

 

「いいか、よく聞けエヴァンジェリン。力には力を、だ。言ってもダメなバカはぶん殴ってでも分からせる―――世の真理だぜ、何が悪い?!」

 

「そ、そうか………だが、確かにあいつにはそれぐらいせねば伝わらんような……」

 

「ああ。首根っこひっ掴んででもこっちに向かせる。資格だの何だの語るのは、それからでも遅くはない」

 

千雨はエヴァに熱弁した。横で聞いていた茶々丸は『ネギ先生以外に恋愛経験が無いのにどの口で語るのでしょうか』と思いつつも、話が良い方へ向かっているため、黙って成り行きを見守っていた。

 

「それに……同窓会の前日に、お前も言ってたじゃねーか。“わずかな勇気が本当の魔法、少年少女よ大志を抱け”って」

 

「む、それは……だが、少女という年齢でも無いぞ、私は」

 

「違うぞ、よく聞けエヴァンジェリン―――恋する乙女はいつだって少女なんだ」

 

言葉が、空気を凍らせた。エヴァは戦慄の表情で、答えた。

 

「貴様………よくも素面でそんな恥ずかしい台詞を吐けるな」

 

「冷静になんな、恥ずかしいじゃねえか」

 

パクリだし、とは千雨は言葉にせずに。ただ、誤魔化すように、それでいて挑むように言葉を付け加えた。

 

「だけど………エヴァは魔法使いだろ? 勇気っていう本当の魔法を使えない奴が、最強の魔法使いを語るなんて、片腹が痛過ぎて困るんだけどな」

 

「ふん……それで、上手いことを言ったつもりか?」

 

「まあな。でも……私にできるのは、提案ぐらいだ」

 

「そういうのを無責任な扇動者と言うんだよ、長谷川千雨。いや、もうすぐ千雨・スプリングフィールドになるか」

 

「責任なら取る、というか嫌でもそうなるっつーの。ナギさんと結婚してエヴァンジェリン・(アタナシア)(キティ)・スプリングフィールドになるならな」

 

「なるほど……貴様が義娘になるからか」

 

「そうなったら、無関係とは言えなくなるだろ。それに……いい名前だと思うぜ」

 

春の原(スプリングフィールド)に丸まった、不死(アタナシア)(キティ)っていうのもおつなもんだ。

 

冗談交じりに告げる千雨に、エヴァは呆れたように告げた。

 

「また、そんな言葉遊びを………しかしいつまで経っても物怖じせんな、貴様は」

 

「それは……まあ、クラスメートだからな」

 

「よくも、言う。しかし……まあ、貴様には色々と借りがあるからな」

 

エヴァは呟きながら、色々所ではないが、とひとりごちた。ヨルダの目論見を破ったこと―――最後に忌々しい怨敵に一泡吹かせることが出来たこともエヴァにとっては大きかった―――や、意識を取り戻す前のナギへの暗殺計画を阻止したことなど、長谷川千雨という存在は自分の矜持にかけて無視できないものになっていたからだ。

 

「……幸せになる資格、か。そんなもの、とうに捨てたものだが」

 

「捨てて後悔してるんなら、拾えば良い。それだけの話だろ」

 

「身も蓋もないことを……先程の強引すぎる物言いといい、年々ラカンに似てきているぞ貴様」

 

「はあっ!? 私の何をどうすればあんなバグキャラに似てるって話になるんだよ!」

 

「鏡を見ろたわけ、としか答えようがないな」

 

エヴァは面白そうに笑いながら、そういえば、と千雨を見ながら告げた。

 

「クラスメートとして、言って置かなければならん言葉があったな―――結婚、おめでとう。ぼーやを頼む、というのは今更になるか……あと、非常に似合っているぞ、そのドレス」

 

「……ありがとよ。モノホンの金髪外人のドレス姿には勝てる気がしねえけどな」

 

「こんな時ぐらい素直に受け取れんのか、まったく」

 

呆れるように、少し笑いながらため息をついた後、エヴァンジェリンは去っていった。茶々丸にだけ聞こえるように、「ありがとう」と小さな声で呟きを残して。

 

入れ替わるようにやってきたのは、クラスメートではない人物―――それでもここ数年で関わりが深くなった―――フェイト・アーウェルンクスと、犬上小太郎だった。

 

開口一番、小太郎は驚きの声で告げた。

 

「おー………なんや、こういう時にはなんて言えばいいんやったっけ、フェイト」

 

「馬子にも衣装、という奴だよ小太郎君」

 

「嘘教えんなよ、アーホルンクス。こいつバカだから信じちまうだろうが」

 

「ああ、失礼。ぼくとしたことが、まちがえてつかってしまったよ」

 

「いつにも増して棒読みになってんぞ、おい」

 

はっはっはと乾いた笑いを応酬しあう千雨とフェイト。小太郎はそんな二人を見て、はぁとため息をついた。

 

「また夫婦漫才になってんで。こんな日にまでそれやるのはあかんやろ」

 

「……それも、そうだね」

 

「ああ………酷いことになるからな」

 

具体的にはネギの内心が。以前、完全に誤解なのだが麻帆良の防諜機関の新人にそう言われた時のことを思い出した3人は、顔を青ざめさせた。

 

「……今日は一時休戦としておこう。高価な衣装が汚れるのは、よろしくないからね」

 

「こっちの台詞だ。で、ネギはもう会場の方に行ってんのか?」

 

「いやいや、流石のアイツもそれはせえへんやろ―――って言ってる内に来たで」

 

直後、お待たせしましたと大声で告げながらネギが部屋の中に飛び込んできた。

 

そして千雨の姿を見るなり、駆け足で詰め寄った。

 

「遅れてすみません。でも……似合っています、千雨さん」

 

「あー……べ、別に無理して褒める必要はねえんだぞ? らしくないならはっきり」

 

「なんでそうなるんですか。本当の本気でそう思っていますから……僕の瞳を見て下さい」

 

本気度を伝えるために、ネギは千雨の両手を掴んで顔を近づけていった。フェイトと小太郎はため息をつきながら、茶々丸と一緒に呆れ顔で部屋を去っていった。

 

「お、おい! おまえら、助け―――近い、近いから! それに、今日はこんなことしてる時間は無いって」

 

「分かっていますけど、こうでもしないと―――」

 

続きを言おうとしたネギの鼻に、窓の外から花粉が飛び込んだ。ネギはいけないと思いつつも完全に不意を打たれて、くしゃみをしてしまった。

 

同時に高まった魔力が荒れ狂い、周囲に余波として飛び回った。

 

昔であれば武装解除の魔法も伴い、飛び散っては近づくもの皆すべてを全裸にしていたくしゃみによる一撃。

 

ネギは、いつもの如く抑えきれずに―――だが、成長を遂げたものがここに居た。

 

「ふ………いつまでも昔の私のままだと思うなよ」

 

15歳の時ならともかく―――それでも明確に犯罪だが―――公衆の面前で全裸にさせられる趣味はないと、千雨は20代になってから魔法の研究に手をつけはじめたのだ。そして、先月に完成した。周囲から魔力を吸い上げて自動的に防御の魔法陣を展開する装置が、運用可能な段階にまで至っていた。

 

ネギは携帯端末上に浮かび上がった魔法陣を見て、驚きながら尋ねた。

 

「いや、凄すぎますって……ちなみに、これの名称は?」

 

「魔法アプリ。そのまんま過ぎて仮の名称だけどな。まだ未完成な部分も多いし」

 

千雨が使うのは、周囲の魔力を吸収した電子精霊に魔法陣を展開、携帯端末上に浮かび上がらせ、効果を生み出すものだった。

 

誰でもお気軽に、という段階には至っていないが、それでも画期的と呼べる発明だった。

 

「でも、意外です」

 

「なにがだ?」

 

「千雨さんが、魔法に関する技術を開発されるとは思っていなかったので」

 

「……切っ掛けは学園都市結界を弄った時にちょっと、な。神楽坂を閉じ込めた概念結界にハッキングを仕掛けたことも、ヒントになった」

 

強力極まる結界も、電子精霊を使えば抜け道は見出せた。アーティファクトも、ハッキングを仕掛けることができた。ならば、と千雨は考えたのだ。

 

電子精霊を使いこなせば、魔法に干渉することができるのではないか。

 

―――ネギやエヴァンジェリンの呪いを、不老や不死を何とかすることができるのではないか、と。

 

「それは……いえ、理論上は可能かもしれませんが」

 

「まあ、道は遠いだろうけどな……でも、やる前に諦めるのはもう止めだ。それに……まあ、その、なんだ。私がしたいことだからな」

 

「………やっぱり、千雨さんは千雨さんですね」

 

「そこで謎掛けかよ」

 

ツッコミを入れる千雨だが、ネギは笑顔のまま困っていた。何にも諦めず、打開策を練り続ける強い姿勢を崩さない千雨を見ながら。

 

それでいて、どうしようもなく元気付けられるのは何故だろう―――これ以上好きになれるなんて何故だろうと、答えの出ない問いを考えながら。

 

「敵わない、なんて思わされます………超級のハッカーをウィザードと呼ぶらしいですが、千雨さんは文字通りですね」

 

「言っておくけど、私に魔法の才能はねえぞ」

 

「知っています……そもそも、必要としていないように見えるんですが」

 

長谷川千雨は魔法を使わない。精霊に力を借りない。必要ないとばかりに超常の力を使わず、自分の心と言葉で誰かの中にある何かを変えてくる。

 

「わずかな勇気が本当の魔法、ってやつか? ……でも私は魔法使いじゃねえぞ。所詮は一般人だし」

 

勇気を出してたった一歩、踏み出すだけで世界を変えられる程のものじゃないと、千雨は言う。

 

「ただ………立ち止まって、振り返ることは出来た。怖いものが見えると、確信していた時でも。何もかも勇気が必要だったけど……それだけは、やろうと決めていた」

 

大仰な魔法など使えない。何かを壊すことさえも。

 

ただ、諦めなかった。振り返れば、辛い思いをする。見て見ぬふりをした方が、自分は傷つかない。そんな忘れたいもの、認めたくないものに一つ一つ対処してきただけ。3―Aの中で、ネギと出会ったから漠然と歩くのではなく、時には立ち止まり、振り返ることが出来るようになった。問題を正面から見据え、道を見つけようとしたから、進むことが出来た。

 

一歩だけで変えるのは無理だった。ただ、遅くとも歩くことを止めなかったことだけは自慢できると、千雨は小さく胸を張った。

 

「今でも、足は遅いんだけどな。今も、こうして走りにくい衣装着ているし」

 

「それでも……助かりますよ。足でまで負けたら、僕の立つ瀬がないですから」

 

「ああ、そうだな……面倒くさいだろうけど、引っ張ってくれたら助かる」

 

あの日、部屋の中に居た自分を引っ張り出してくれたように。そう告げながら千雨は手を差し出した。ネギは分かっていたように微笑み立ち上がると、千雨に向かって手を差し伸べた。

 

千雨は顔を赤くしながらもその手を掴み、立ち上がった。

 

自然と、二人の視線が交錯しあう。横からは木漏れ日と、風が僅かに運んできた桜の花びらが二人を包み込むかのように踊っていた。

 

合図するでもなく、ネギと千雨は窓の外を見た。

 

外には、日本の春らしい美しい光景が。

 

「……いい天気ですね。なんていうか、今までも色々と辛い事がありましたけど」

 

「ああ。残業に残業に残業とかな」

 

「せめて今日だけは忘れさせて下さいよ……いえ、千雨さんの方が辛そうなんで何も言えないですけど」

 

「どっちもどっちだ。それでも、計画は本格的に動き始めた……各国との関係も良好だ」

 

「まだまだ油断はできませんけどね……また来月には、別の勢力が動き始めそうだし」

 

色々と未来に対する不安材料は多い。味方ばかりではないため、時には弁舌で相手をやりこめる他に手はなく。その結果から、やりきれない事態や納得できないものは雨のように増えた。もう止まれない、そんな道を進んでいるけれど。

 

「それでも、なんつーか………幸せ、っていうのはこういう事を言うのかもな」

 

「そう、ですね……今、この瞬間に死にたいぐらいに」

 

離れたくない人と、試練ばかりがある世界で、それでもと手を繋ぐ。大切な人達と一緒に、傷を負いながらも前へ、ずっと笑い合うために。

 

掌からその実感を得たネギは、たまらずに千雨に告げた。

 

「なんの脈絡もなくて申し訳ないんですが………愛していますよ、千雨」

 

「……こまかいことはいいんだよ。でも…………わ、わたしも愛してるぜ、ネギ」

 

「………」

 

「無言で泣くなよ!」

 

「いやでもだって、滅多にそういう事言ってくれない千雨さんがこうしてこんなおめでたい日にこんな爽やかな陽気に包まれて」

 

「落ち着けって……まあ、その、なんだ。これから、何度も言ってやるから………私の出来うる範囲で、可能な限りは」

 

「………政治家みたいにそこで言葉を濁す必要はないと思うんですが」

 

「いや、でも、まあ……そういうのは、私らしくないと思うし」

 

「それは、そうかもしれないですけど……」

 

「寂しい顔すんな、って………ほら」

 

千雨は慰めるように、ネギの頭を撫でた。

 

「千雨さん……僕はもう22なんですが」

 

「ああ、私なんて27だ……いや違うぞ、ガキ扱いなんてしないって」

 

「根に持ってる訳じゃないですけど……でも、忘れられないんですよね」

 

ちょうどこんな春の日でしたし、とネギは少し死んだ眼に。千雨はその様子を見て胸に痛みを覚えるも、誤魔化すように笑った。

 

「なんて、いつも通りだな、私達も」

 

「そう、ですね……じゃあ、いつもの流れでしますか?」

 

「……そうだな。」

 

二人は、小さく笑い合うと、見つめ合った。

 

そのまま、二人の唇と唇の距離は段々と短くなっていき。

 

―――直後に、空気感を台無しにするかのような音量での爆笑が、会場から響いてきた。二人は硬直した後、至近距離で呟きあった。

 

「おい……披露宴、まだ始まってないんだが」

 

何が起きた、と視線で問いかける千雨に、ネギは首を傾げた。

 

「僕にも分かりません。なんで、あんなに笑ってるんでしょうね……って、そういえばラカンさんが何かを企画しているとか、聞いたような」

 

二人はしばらく考えた後、頷きあった。このままでは拙いことになると、言葉ではなく心で理解していた。

 

「―――行きましょう、千雨さん。出来る限り迅速に」

 

「ああ、手遅れになる前にな―――って、おまっ!?」

 

いきなり横抱きにされた千雨は、抗議の言葉を発した。

 

「お姫様だっこぉ?! ちょっ、待て! いくらなんでも―――」

 

「急ぎますから、しっかり捕まって!」

 

扉が開かれると同時、ネギは会場に繋がる廊下を走り始めた。

 

千雨の悲鳴がだんだんと低くなっていく。

 

後ろでに押された扉は、ぱたりという音と共にあるべき場所に収まった。

 

 

そうして会場の大きな笑い声は、主役の登場によって更に大きい歓声と変わり、建物の壁という壁を芯から響かせた。

 

 

窓からは、空の果てまで続いている高き塔の勇姿が見え。

 

 

残された部屋の中に舞い込んできた桃色の花弁が、会場の大きな歓声と笑い声に呼応するかのように、舞い踊っては、二人が出会った街の空へと還っていった。

 

 

 

 




あとがき

・最低限しか書いていません。千雨がエヴァンジェリンをエヴァ呼びする経緯とかは、省いています。あとは妄想で補えばいい!(暴論

・その他、大人になった彼女達とかも同じです

・この後、UQ holderの15巻で出てきたあの写真に繋がります

・3-Aの面々から、それはもう盛大に祝われたそうな

・そしてラカンによる、闇の魔法修得時のネギと千雨のやり取りの上映会が開かれたとか

・アスナ→ナギは、15巻の二人を見たから。入院→リハビリ→パーティの、どのコマにも一緒に映っていたので、何となく。惚れる要素は満載だし。

・僭越ながら、感想 or 評価などを頂けると、とても嬉しいです。


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