第一次鎮守府ヤンデレ大戦 (笑顔の侍)
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幕間
バレンタインでも甘くない


 

「ぬぅ…」

 

眠気眼を擦り、ゆっくりと起き上がる。

今日は、珍しく秘書艦の娘が来る前に起床できたな。

ここ最近、イベントも近いせいか、肩書きに見合わないほどの書類に忙殺されているので、こんな時間に起きられるのは珍しい。

…特にやることもない、さっさと着替えて執務室にでも向かうとしよう。

そう思い立ち、提督専用の軍服が掛けられている洋服箪笥に向かおうとした。

 

 

 

ゾワッ、と

 

嫌な予感がした。

言葉に表すのは難しいが、こう、人の危機感を最大限煽るような感覚。

咄嗟に私は、自らの本能に従って、目の前の箪笥に身を隠した。

息を潜め、その嫌な感覚が無くなる様に祈っていたその時。

ガチャり、と

私の私室のドアを開ける音、それと共に。

 

「提督、おはようございます。朝ですよ、起きてください」

 

という声が聞こえてきた。

この声は…扶桑か、彼女は今日の秘書艦だし、この部屋に来ていつもの通りに私を起こしに来てくれるのはなんの問題もない。

ならば何故、私はこんな所に隠れているのだろうか?

扶桑の様子は、先程の声を聞く限り、特におかしな所もない。

…急にこんな事をしている自分が恥ずかしくなり、私は箪笥から出る事にした。

 

「あら?提督?…なんでそんな所から…」

「あ、あぁ、いや、何でもない。本当になんでもないんだ。済まない」

「い、いえ、それなら大丈夫ですけれども…」

 

やはり彼女はいつもの通り、何も変わらない。

一体、何故あの様な悪寒がしたのかは分からないが…やはり、気のせいだったのだろうか。

だとしたら、私の勘も鈍ったものだ。

 

「提督、そう言えば、今日は何の日か、知っていらっしゃいますか?」

「今日が、何の日か…?」

 

…何か、あっただろうか、まずい、何も思い出せない。

今日は2月14日…2月の14日?一体、何だったか…

 

「…済まない、何も思い出せない、今日は何の日だ?」

「もう、提督ったら、今日は…バ レ ン タ イ ン で す よ ?」

「っっ!!」

 

扶桑の雰囲気が…変わった?

これは…先程感じた悪寒とまるて同じ感覚だ。

では、やはり、アレは私の勘違いなどでは無かったのか?

しかし、今日がバレンタインだと言うことは思い出したが、扶桑の様子がこんなにもおかしくなる理由がまるで分からない。

バレンタインと何か関係があるのか…?

 

「ふ、扶桑?どう、したんだ?」

「ふふふっ、いえ、何でもありませんよ。それで、バレンタインと言えば、チョコ、ですよね?」

「あ、あぁ、そうだが…」

「なら、提督、私のチョコを…受け取って、貰えますか?」

 

バレンタインと言えばチョコ、当然だろう。

だが、それと扶桑の様子もは全く関係ないだろう。

重い空気が部屋中に広がり、どんよりとした空間になる。

心無しか、気温も下がったように思える。

そんな不穏な空気になる様なことは、ないと思うのだが…

 

「あぁ、よ、喜んで受け取るとしよう」

「まぁ嬉しい!それでは、はい、私からのバレンタインチョコです♪」

 

彼女が私に差し出したのは、リボンが巻かれ、控えめな装飾が施されている、彼女らしさが滲み出ている紙包みであった。

小さめで、何が入っているのかは見当もつかない。

正直、今の扶桑を見ていると、これは受け取らずに今すぐにでも逃げ出してしまった方がいいかと思わんでもないのだが、それは彼女を大いに傷つけるだろう。

だから、それだけは駄目だ。

 

「提督、ワガママを言うようで申し訳ないのですが、今ここで、味見をしてもらえませんか?」

「…味見?」

「はい♪私も事前に味見はしたのですが、提督の舌に合うかどうかは不安で…今すぐ、確かめて貰いたいのです」

 

そういう理由なら、断る必要も無いだろう。

特に何も考えず、私は、貰った包み紙のリボンを解き、中身を開封した。

…何が出るのかと、内心、少し警戒していたのだが、出てきたのは至って普通のチョコだ。

 

「それでは…頂くとしよう」

「はい♪」

 

一言、言ってから、チョコを口に入れる。

…甘い、そして美味い。

味も何も問題は無い、チョコである。

警戒心を抱いていたのが馬鹿のようであった。

…ん?この味は…

舌に違和感、そして拒絶反応。

とっくに口内に浸透しているチョコ、いや、恐らく麻痺毒に驚愕する。

秘密諜報訓練の際に様々な毒を飲まされ、抗体を作った私だからこそ、一口程度の服毒には耐えられたが…恐らくこれは、とんでもなく強力な毒だ。

しかし、一体…

 

「な、何故、こんなものを…」

「……」

「ふ、そう、答えてくれ、何故…」

「ふふふふっ、提督が、悪いんですよ」

「…?」

「私は、これまで毎日のように貴方にアピールしてきました。私の恋心を、淡い、蕩けてしまいそうな感情を、それなのに、鈍感な貴方はいつもそれに気づいてくれないで、他の女ばっかりに目をかけて…貴方の事を一番好きなのは私なの、一番愛しているのは、この私なのに、それなのに提督はいつもいつも……、だから、ここで1度、私の気持ちを分かってもらおうと思ったんです」

「……」

「いくら鈍感な提督でも、ここまでされたら気づいてくれるでしょう?…そう、私は、提督、貴方を愛しています。この世界の何よりも、他の何よりも貴方を愛しています」

「…扶桑」

「だから、提督…私のモノになってください。他の娘達なんか忘れて、私だけの提督に…」

「……扶桑、お前の気持ちは、よく分かった」

「では…!」

「だが!だが、済まない…その気持ちに、答えることは出来ない」

「…どうして、ですか」

「…今は、戦中だ、お互いの命は常に危機に晒されている。いつ死ぬかもわからん世の中で、私は家族を作る勇気など無い。それも、その家族を戦場に送り出すなど…」

「…て、提督…」

「だが!」

「!」

「…だが、この戦争が終わり、平和になった世界ならば、私は安心して家族を持つことが出来るだろう」

 

「だから」

 

「私と一緒に、戦ってくれ、扶桑。そして、この戦争を終わらせよう…いつになるかも分からんが、な」

「て、提督…、はい、はい…私、頑張ります。一生懸命、努力します…!だから、提督、私と…」

「…待ってくれ、その続きは、この戦いが終わった後に、私から、やり直させてはくれないか?…私だって男なのだ、それくらいは…いいだろう」

「……!そう、ですね、その時を、楽しみにしています」

「あぁ、精々、私なりに精一杯やらせてもらうとしよう…さて、まずは、目の前の問題を片づけるとしよう」

「…はいっ!提督!」

 

そう言って私は、涙ぐむ扶桑の肩を抱いた。

彼女の気持ちを知った今、私の心は、今までにないほどに燃えている。

とにかく、この戦争を終わらせ、平和を手に入れよう。

全てはそこからである。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

潮騒の弾む海辺に、一軒の小さな家がある。

そこには、過去の大戦を終戦に導いた英雄と、その彼を支え続けた一人の女が住んでいるという。

その英雄と、女の恋模様を描いた話は、あまりにも有名だ。

愛を誓い合った二人の、長く、苦しい戦い。

終わらぬ戦争にいつまでも、諦めずに挑み続け、遂には全てを終わらせた彼と彼女の物語。

そんな二人は、かつての鎮守府の近くにある海辺にある家に腰を下ろし、静かに平和を甘受している。

時折、彼等と共に戦った戦友たちがふらりとそこに現れては、思い出話に花を咲かせ、今を語り合う。

当時は、英雄を狙っていた彼女達だが、今はその気配もなく、すっかり落ち着き、それぞれ家庭を持っている。

今という時代を作り出した本物の英雄には、あまりにも似つかわしく無い暮らしだが、彼等はその慎ましやかな暮らしに満足している。

曰く、「妻と共に居るのならば、私はどこでだって幸せであろう」との事だ。

熱々カップルである。

そんな二人は、今を作りし英雄と、それと共にある彼女は、今も平和に、日常を過ごしている。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「…ぬぅ」

 

とても長い、夢を見た気がする。

何故だろうか、それは、私の記憶に深く刻まれているにも関わらず。曖昧で、いざ記憶の表面に思い浮かべようとしても、モヤが掛かったようで見えずらい。

しかし、何だかとても暖かくて…

 

「…いい、夢だったのだろうな」

 

と、素直に思った。

…着替えるとするか。

洋服箪笥に手を伸ばし、軍服を羽織る。

皺は…無いだろう。

よし、少し早いが…執務室にでも行くとするか。

そう決心した矢先、コンコン、とドアがノックされる音が聞こえてきた。

声をかけ、入室を促す。

確か、今日の秘書艦は…

 

「おはようございます、提督♪」

 

 

 



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北上ト煙草





煙草など、何時ぶりだろうか。

着任して暫くは普通に吸っていた記憶も有るのだが・・・

大体、一、二年ぶりか。

 

意識して止めていた訳では無い。

気づけば吸わなくなっていた。

 

そもそも、たまに嗜む程度の物だった。

が、それでもアレの臭いはキツイのか、吸うと必ず気付かれる。

すれ違うもの皆指摘してくるものだから、何だか肩身が狭かったのだろうか。

いや、彼女達のそれは煙草を止めて欲しい旨での指摘ではなく、不意に気づいたから聞いてみた程度のものであろうが、それが分かっていてもやはり、どこか気後れしてしまう部分があったのだろう。

 

なんせコレは体に悪い。

その上、吸っている者以外にも被害が及ぶものだから、世間では喫煙者の立場がかなり弱くなっている。

公共の喫煙所なども大分減ってきてるという話だ。

私はその煽りを受けた事は無いが、ううむ。

ここでは経験がない物の、やはり鎮守府外では露骨に嫌がられるものなのだろうか。

 

トントンと灰を落としながら、星の輝く空へ目を向ける。

今日は満月だと、そこで今更気付いた。

 

「あれぇ、提督、たばこ吸ってんじゃん。めずらしー」

「ん?」

 

後ろから声が聞こえ、気配を感じなかった事に少し驚いたが、それ故に声の主が誰かは直ぐに分かった。

北上である。

彼女は何故か気配というか、存在感のようなものが希薄で、こうして後ろから近づかれるなどすると察知できないのだ。

どこか掴みどころのない性格もそれに起因しているのかも知れない。

雲のような、と言えば伝わるだろうか。

 

「まだ寝ていなかったのか?」

 

「今日は夜更かしの気分なんだよねぇ〜、あ、隣失礼するよっと」

 

そう言って、北上は隣に腰掛けてきた。

・・・近い、近いぞ。

どれくらい近いかと言うと、彼女の体温を感じられる程には近い。

流石に恥ずかしいので、少しずれる。

北上もずれる。

もう一度ずれる。

北上もずれる。

・・・何故だ。

 

「・・・この間は「夜更かしは美容の大敵」と言って随分早く寝入っていた気がするが」

 

「女心は秋の空ってねぇ〜」

 

「・・・その使い方は合っているのか?」

 

「間違ってはないんじゃないかな? それより、提督がたばこ吸ってるの、ホントに久し振りに見たんだけども」

 

彼女は私が着任してから直ぐにドロップで来てくれた、所謂古参だ。

なので、まだ煙草を吸っていた頃を知っているのだろう。

 

「・・・そうだな。随分吸っていなかった」

 

「・・・なんかあった?北上さまで良ければ相談乗るよー」

 

「いや、本当に何も無い。思い出したから吸ってみただけだ」

 

「ふぅん・・・なら、アタシにも一本ちょーだい」

 

こちらを見ながら、掌をクイッと突き出す北上。

それを聞いた私は少し面を食らってしまい、反応が遅れた。

 

「・・・吸うのか?」

 

「たまに。意外かね、キミ」

 

「あぁ、意外だ。意外だが・・・納得は出来る」

 

「アハハっ、なんだそりゃ」

 

「いや、なんと言うか・・・。似合うと、思ってな」

 

「それって褒められてるのかなぁ」

 

煙草を渡すと、それを掌で弄び始めた。

それから、時折チラチラとこちらの顔を見るものだから、どうかしたのかと少し考え、気づいた。

 

「済まない。気が利かないな、私は」

 

「やっと気づいた〜?遅いよ、まったく・・・ちょいちょい、ストップストップ」

 

急いでライターを胸ポケットから取り出そうとした、が、北上がそれを止めた。

 

「ど、どうしたんだ?」

 

「いやいや。火種ならあるでしょ、そーこーにー」

 

そう言って彼女が指を指したのは、私が手に持っている吸いかけのモノ。

 

「・・・いや、ライターでいいだろう」

 

思わずツッこんでしまった。

 

「真顔でツっこまれるのは流石の北上様でも結構クルなぁー・・・。まぁそれは置いといて、こんな突拍子も無いことをアタシが言い出したのにはちゃーんと、そりゃもう深ぁ〜い訳があるんだよ」

 

「・・・聞こう」

 

まぁ、彼女がこういう為をする時は大抵前置きに見合わない、くだらない話だったりするのだが。

 

「今、どうせくだらない話だろうとか思ったでしょ」

 

「!?」

 

「フフーン、提督の考えてることなんて筒抜けですよーだ。意外と顔に出やすいんだよね〜。今とか。すごい顔してるよ?」

 

「あ、いや、そのだな」

 

「いぃーって。分かってるよ。別にマイナスなイメージでそう思った訳じゃないでしょ?実際これもくだらない話だし」

 

・・・思考をまるまる読み切られた上に、フォローまでされると、私の立場がないのだが。

こういう点、私は彼女に適わないなと常々思い知らされるものだ。

 

「・・・漫画でね、見たんだぁ。なんとか窮地を脱した主人公と相棒が、疲れ切った顔でシガーキスしてる所を。それを見てアタシ、羨ましーなぁ、なんて。柄にもなく思っちゃって」

 

「・・・ふむ」

 

「ほら、ウチでタバコ吸う奴って少ないじゃん?というかほぼ居ないんだけど。それに女同士でやってもなんかなぁってなるし。そもそもやってくれる人が居るのかなぁって話だし。いい機会だからお願いしたいなぁっていう事なんだけど・・・」

 

それ以降、彼女は黙りこくってしまった。

・・・顔は隠れてしまって見えないが、月明かりに照らされる耳は真っ赤になっているのが分かる。

 

・・・北上は、普段から一歩引いた視点で物を語る性格だ。

だから、漫画の感動するシーンに当てられて、憧れて、それがしたいなど、よっぽどでもない限り言う娘では無かった。

そんな娘が、恥を忍び、勇気をだして打ち明けた願いだ。

無碍にするなど、出来ようはずもない。

 

落ちかけていた灰を落とし、彼女に向き直る。

 

「北上」

 

顔を上げた彼女の目を、真っ直ぐに見る。

言葉にはせず、視線で伝える。

 

「・・・ん」

 

こちらの気持ちを汲み取ってくれたようで、彼女は煙草を口にくわえ、それをこちらに突き出してくる。

顔はやはり真っ赤で、目は強く閉じられていた。

 

身長差がかなり有るので前かがみになりながらも、私はそれに自らの煙草を押し付けた。

 

「・・・」

 

「・・・」

 

暫く、無言の時間が続く。

 

ゆっくりと、時間が流れる。

 

・・・今、私と彼女の間には煙草2本分の距離しか無い。

つまり、恐ろしいほど近いのだ。

これ程近いと、いくら光源が月明かりしか無いとはいえ彼女の顔はハッキリと認識できた。

 

赤く茹で上がり、必死に目を瞑っているその様子は、普段の彼女とは真逆の様相を呈していて。

素直に、可愛らしいな、と感じた。

 

ジーッと見ていると、不意に彼女が閉じていた眼を開けた。

当然目が確りと合い、見つめ合う形となる。

 

途端、既に朱に染まっていた顔が更に赤く燃え上がりーー

 

「ッ!!!」

 

彼女は物凄い勢いで離れてしまった。

 

「ア、アハハ。うん、ありがとね、提督。凄く、嬉しい」

 

「ん、あ、あぁ。それなら良かった。うむ」

 

「・・・」

 

「・・・」

 

「北上」

「提督っ」

 

「すっ、すまん。話してくれ」

 

「いやっ、てっ提督からでいいよ」

 

「・・・煙草は」

 

「?」

 

「煙草は、何時から吸い始めたんだ?」

 

北上が煙草を吸うと聞いた時から聞きたかったのだ。

何がきっかけで吸い始めたのだろうか、と。

 

「それ、聞いちゃう・・・?」

 

「あ、いや。言いたくないんだったら構わないんだ。むしろ言わなくても構わないぞ、うん」

 

「いやまぁ、答えるけどさ〜・・・その、眼を、瞑って、何も答えずに聞いてて欲しい、かなぁ、なぁんて」

 

「・・・分かった」

 

言われた通り、目を閉じる。

視界は閉じ、北上の顔も見えなくなった。

 

「・・・提督の影響だよ」

 

「え?」

 

「答えるの禁止!」

 

「・・・」

 

「・・・提督が吸ってたから、アタシも吸い始めた。・・・これだけだよ、理由は」

 

「・・・目は」

 

「まだ開けちゃだめ。もうちょっとそのままで、うん」

 

そう言われ、開けかけた目を再び閉じる。

私が吸っていたから吸い始めた、か・・・

理由は、分からん。

カッコよかったから、とかなら分かるが。

アレに憧れる者がいるのは知っている。

そんなに良いものではないんだがな・・・

 

「良いよ、目、開けて」

 

「あぁ」

 

許可が出たので、目を開ける。

月明かりが優しく私の目を照らしてくれた。

北上の表情は、少し影になっていて見えない。

 

「それで、北上の話というのは何だろうか」

 

「あぁ、まぁ、提督のそれと似たようなモンなんだけどさ。提督はどうして煙草吸わなくなっちゃったのかなぁ〜って」

 

「あぁ・・・すまないが、それは私自身もよく分からないんだ」

 

「よく分からないって?」

 

「いつの間にか止めていたというか・・・何時吸わなくなったのかすら定かでない」

 

「確か一年八ヶ月と五日前からだね〜」

 

「ん、ん?」

 

「?」

 

「・・・明確な理由を挙げるとすれば」

 

「すれば?」

 

「お前達の健康に配慮して、だな」

 

「っ」

 

「ん、どうした?」

 

「や、何でもないよ?・・・ずるいなぁそういう所・・・」

 

「? まぁ、理由としてはそんなものだ」

 

「ふ〜ん。勿体ないなぁ。提督が煙草吸ってる所、好きだって奴結構居たよ?」

 

「それは・・・良く、分からんな」

 

「あっはは。アタシも好きだったよ?提督の喫煙シーン」

 

「もういい歳の男が煙草を吸ってる絵面を見て何が楽しいのだ・・・」

 

「一部のマニア層にバカ受けってね〜、ふふっ」

 

はにかんだ北上の顔は、既に何時ものような掴み所のないそれに戻っていた。

しかし、わずかに耳が赤い事に気づき、微笑む。

艦娘達の意外な一面を見れた時は、どこか嬉しい気持ちになるのだ。

 

「良し、今夜は呑むか?」

 

「えぇっ、お酒飲ましてくれんのっ、やりぃっ!」

 

上機嫌になった私は、今夜は呑むことに決めた。

こういう時に呑まないで何が酒か、と言った心持ちだ。

 

「でもでも提督、明日の仕事は大丈夫?」

 

「差し支えがない程度に抑える。北上もだぞ?」

 

「えぇ〜、がっつり呑みたいんだけどなぁ〜」

 

そう言えば、北上は酒に強かった記憶があるな。

私もかなり強い方だが、普段は途中で潰れた者のフォローの為に抑え気味であった。

呑めるものと呑むと、ついつい行き過ぎてしまうのだが・・・まぁ大丈夫だろう。

 

 

 







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提督の長い一日
執務室ニテ修羅場アリ






 

 

 

私は、この日本に数ある鎮守府の一つを任されている司令官、提督である、階級は少将だ。

 

この鎮守府に着任して早くも2年ほどの月日が経とうとしている。

着任当初は大変に忙しく、まだまだ指揮官としてのいろはの足りてない私と、初期艦である叢雲とで何とか今日まで深海棲艦共と戦い抜いてきた。

最近は季節ごとにある深海棲艦共の大侵攻、大本営からはイベントと呼ばれるものが来た時以外は安定した時を過ごせている。

そうして厳しい戦いを乗り越えてきた私と彼女たちだが、最近どうにも何人かの様子がおかしいのだ。

 

例えば、今、執務を行っている私の横に置いてある秘書艦用の執務卓に座って黙々と仕事に取り組んでいる、白露型駆逐七番艦、海風。

彼女はとても心優しく、姉のような性格で、同型艦の妹たちや他の型の娘達にも度々お節介を焼いているのを何度も見ている。

そして、何故か彼女、海風の保護欲らしきものは私にも向けられていた。

 

そう、いた、なのだ。

 

着任当初こそ他の娘達にもしている様に、私にお節介を焼いてきてくれていたのだが、少し前からどこか様子がおかしくなっていた。

今はお節介を焼くと言うよりは、何だろうか、それとは別物に、違うものになっている様な、言葉では言い表せないが、こう……

と、頭を悩ませていた間、そんな私の視線に気がついたのか、海風が

 

ぐるんっ!!

 

という擬音でもつきそうなほどの勢いで私の方を見返してきて。

 

「どうなされました?提督、私の方をじっと見つめてきて、もしかして私が何か粗相をしてしまいましたか?だとしたら、私に、罰を与えてください、罰の内容はなんでも構いません、あなたの思うように、好きなだけ、私の体を蹂躙してください。どんな事だろうと、提督のすることならなんだって受け入れますから、私としては今すぐここで組み敷いて提督の思うように私をぐちゃぐちゃにレ〇プする、というのが一番いい罰だと思います。女の子としての尊厳なんか無視して、思うように、好きなだけ私を犯してください。私はあなたのペットなのですから、悪いことをしたらキチンと躾て下さいね?」

 

と言った。

大半は早口で、あまり聞き取れないのだが、どういうニュアンスの言葉なのかは、まぁ分かる。

なぜ少し見つめただけでここまで話が飛躍するのかは分からないが、最近はこのような娘が増えてきているのだ。

元来、私は口下手で自分の思いを伝えるのが苦手なので、このような時に伝える言葉には四苦八苦するのだが

 

「……大丈夫だ、特に用事は無い」

 

とだけ伝えることが出来た。

罰云々の話は触れてもあまり良くなさそうなので無視だ。

この娘の様な娘が、私の鎮守府には他に何人もいる。

たまに私の目の前で喧嘩を始めるような事もある、以前はこのような事はなかったと言うのに…何故だろうか。

そのような事を一瞬考えている間に、海風が

 

「あら、そうでしたか、申し訳ございません、提督、……所で提督?もう今日の分の執務は終わりましたよね?」

 

と聞いてきた。

彼女に限らずだが、ここの鎮守府の娘達は優秀であり、いつも一六○○程には全ての執務作業は終わっている。

なので私は当然

 

「あぁ、今日の執務は終わっている、秘書艦の任から離れてもいいぞ?」

 

という、当然である、仕事もないのに彼女達を拘束する必要も無い。

そうして今日の業務の終了を伝えたのだが何故か海風はニコニコとした笑顔のままその場を動かなかった。

 

「…?」

 

私は不審に思って声をかけようとした、のだが、そのタイミングは失われた。

何故なら、突然海風が座っていた椅子から立ち上がり、私の方に歩いてきたからだ。

ゆっくり、ゆっくりと、何故かその姿は、歩いているだけだというのに肉食獣が迫ってくるかのような感覚に襲われた。

そうしてこちらに近づいてきて、私の目の前まできた海風はその謎の悪寒を感じる笑顔のまま

 

「じゃあ、御褒美をください」

 

と言ってきた。

御褒美……御褒美か……今日一日海風は頑張ってくれたのだから、その程度ならいいだろう、と思い、何が欲しいのかを聞いてみた。

聞いてみた…のだが、何故か海風は無言で、どうにも答える気配がない。

少し待って、まだ答えないのでどうしたのか尋ねようとしたら、

 

ポスッ、という音と共に、突然海風が私の膝に飛び込み、しがみついて来たのだ。

元来女性に免疫のない私には、理解に数秒を要する出来事だった。

海風は駆逐艦とはいえ、女性は女性である。私は慌てに慌て、海風を引き剥がそうとするも、海風本人のしがみつく力も強い。のだが、触れている体はあまりに細く、あまりに柔らかく、乱暴に扱うと簡単に折れてしまいそうだという考えが先立ち、結果中途半端に引き剥がそうとした体勢のまま固まってしまった。

 

「御褒美は、これがいいです」

 

と海風が言う。

これ…?これとはつまり、この状況のことか?

しかしそれは不味いだろう、万が一他の娘達に目撃でもされたら海風が可哀想だ、それにこれは明らかに上司と部下の行動の範疇を超えている。

なので私が穏便に断ろうとしたその時。

急に海風の抱きつく力が万力のように強くなったのだ、驚いて今言おうとした内容が飛んでしまった私の耳元で、海風は。

 

「駄目…ですか?」

 

と聞いてきた。いつもよりトーンが数段低い、原始的な恐怖を感じる声で。

完全に萎縮してしまった私は

 

「……いや、大丈夫だ」

 

しか言えなかった。

 

「…ふふ♪ありがとうございます、て、い、と、く?」

 

妙に色っぽく、ねっとりとした声で海風が言う、そこからしばらく…十数分程だろうか、私に抱きついていた彼女がこれもまた色っぽい声で言う。

 

「提督?…今度は提督から抱きしめてくれますか?」

「……私がか?」

「はい♪是非♪」

「…分かった…これでいいか?」

 

私は彼女の要望通りに、その柔らかく、細い体を正面からギュッと抱きしめた。

先程から困惑の連続で感覚が麻痺しているのか、元々女性に少し体が触れるのすら怖かった私が、このような大胆な行動に出ていることに自分で驚いた。

この体勢で抱き合うのは不味いかもしれん…と思いながら、しかし海風の願いを優先した

 

「んっ…、あの、提督、もう少しだけ強く…」

「…こうか?」

「あふぅ…も、もっとです」

「このぐらいか?」

「んぅ…! は、い、ありがとう、んっ、ございま、す」

 

求められるままに抱きしめる力を強くして行くと、少しづつ海風の息が荒くなり、唯一見える耳もまっかになっていたり

これはやりすぎたかもしれない!、と焦りながら海風から体を離そうとしたその時

 

「提督ー!夕立、今日の演習でMVPとったっぽいー!ほめてほめ…て」

「ちょっと夕立、もう少し静かにしてよ、提督が仕事中だったら迷惑じゃない…か」

 

執務室に夕立と時雨が入ってきたのだ。

私の膝の上で、顔が真っ赤で、息も荒い海風を、私が正面から抱きしめている所に、だ。

 

「ねぇ、提督さん、一体、何をしているのかしら」

「僕には提督とそこの雌い…海風が、正面から抱き合っているように見えたんだけれど、気のせいかな?気のせいだよね…?」

「……」

 

執務室の扉のすぐ手前ほどでこちらを見つめてくる2人の目は、ドロドロとほの暗く、深淵のように深い闇があり、とてもじゃないが直視出来ない程に恐ろしかった。

この2人もここ最近様子がおかしい娘達で、何故か常に私のそばに居ようとしたり、海風のように早口で何かをまくし立てたりしてくる。

それはさておき、とにかく私は現状、恐らく2人がしている勘違いを正さないと、私はともかく海風が可哀想だと思い、この状況を説明しようとした、

 

のだが

 

「ふふふふっ♪」

 

と上機嫌な笑いを漏らした海風の声に遮られてしまった。

 

「あら、この状況を見て、私達が何をしようとしているのか思いつかないのかしら?空気の読めないおバカさんはさっさと出ていってくれますか?」

「…は?」

「…あ?」

「聞こえませんでしたか?おつむの足りない人はこれだから嫌です」

「…あまり調子に乗らないで欲しいんだけど」

「…姉に対してそんな態度を取るだなんて、品性が足りてないんじゃないかい?」

「いいから出ていってくださいよ、分からない人達ですね、そちらこそ、人としての常識が足りてないんじゃないんじゃないですか?普通こういう空気なら黙って出ていくべきじゃありませんか?…こんなのが姉だなんて笑わせますね」

「…3度目は無いわよ」

「…このクソ売女が」

 

私は完全に置いてけぼりで会話が進む。

……いつもこうなのだ、様子がおかしくなってしまった娘達は。

本当に、少し前まではこんなに剣呑な空気など全くなく、仲良くしていたというのに、…どうしてなのだろうか。

とりあえず、目の前で喧嘩をしているのを黙って見過ごす訳にはいかないので、私は慌てて仲裁に入った。

 

「何故お前達が喧嘩をしているのかは分からないが、それ以上は止めろ、お互い、言い過ぎだ」

「だ、だって…」

「……」

「…分かりました、提督」

 

反応は三者三様ではあったが、喧嘩自体は止めてくれた様だ。

 

「ならばいい…それと夕立、こっちに来い」

「…ぽい?」

 

そう言って手招きすると、夕立はトコトコと歩いてきた、執務卓前で止まってしまったので、もう一度手招きして、今度は私の前まで来させる。

 

「お前は演習でMVPを取ったそうだな」

「!そうだったわ!提督!ほめてー!!」

「…うむ」

 

まるで散歩に連れていってもらう犬のようだな、と思いながら、私は夕立の頭を撫でた。

サラサラした、絹のように触り心地のいい髪だ。

この間、私の友人と久しぶりに会った時に、駆逐艦のような小さい娘を褒めてやる時は頭を撫でたりしてやるといい、というのを信じて、何か戦果を挙げたりした娘にはやり始めたのだ、最初は内心嫌がられてないかと戦々恐々していたのだが、最近は本当に喜んでくれていると分かったので、安心である。

 

「んん~、ぽい!もっと撫でてっぽいー」

 

中でも夕立は満面の笑みでそれを受け入れてくれるので、こちらとしても見ていて楽しいのだ、まるで本当の犬のようで…

ほっぺたの当たりや、首の方なども、わしゃわしゃと撫でていく

 

「んゅっ…んむ…ぽいー」

 

わしゃわしゃ、わしゃわしゃ、と

 

「…提督」

「…少しやりすぎじゃないかな?」

「確かに…そうだな」

 

やりすぎたか?と思いつつ、心が満足している自分がいる。それと同時に大型犬と遊んだ様な奇妙な充実感を覚えていた。

 

「んっ…まだまだ足りないっぽいー」

「いや、そろそろ夕食の時間だろう、先に行っていなさい、私は後から行くから」

「むぅ、分かったわ、だけど…」

 

ふわっ、と、急に抱きついてきた夕立は私の耳元で

 

「次はもっともーっと素敵なコト、しましょう、ね?」

 

と囁いてきた。

なぜだか恥ずかしさよりも恐怖を覚えた私は、曖昧にその言葉に頷いた。

 

「……」

「…ねぇ」

 

…右手側から飛んでくる視線はもっと怖いので無視をした。

 

 

 

 

 

 

 



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食堂ニテ修羅場アリ?

 

 

 

先程の騒動?が終わり3人を退出させてから1時間と少し、現在時刻は一七三〇ほど、私は食堂に向かっていた。

我が鎮守府にはいくつかの軽いルールのようなものがあり、その一つが「食事はなるべくみんなで」というものだ。

 

軽い、と言っているように絶対に守らなければいけない訳ではなく、単に私が着任したての新人だった頃、まだ所属している艦娘達が少なかったので、必然的に皆で食卓を囲んでいた時の名残りがそのまま現在まで続き、ルールのようなものになってしまったものなのである。

そうこうしていると、不意に前方左手の曲がり角から、最上型重巡洋艦三番艦、鈴谷が現れて、私に声をかけてきた

 

「おっ、提督じゃーん、ちぃーっす、提督もこれからご飯?」

「あぁ、まぁな」

「むー、なによその反応ー、ちょっち微妙すぎない?」

「…ぬぅ、すまない」

 

この気軽でフレンドリーな感じから分かる通り、鈴谷は様子がおかしくなっていない方の娘だ。

様子がおかしい娘達は、私と会話するときに、よく分からない空気を振りまき、目がとても恐ろしい光を携えているのである、後、すぐに他の娘達と喧嘩をする。

 

その点鈴谷の様な娘は以前と変わらず、喧嘩っ早くもない、上官と部下の距離としては近すぎるような気もするが、まぁこの程度なら許容範囲だろう。

会話する時も気をはらなくて済むので、正直助かっている。

 

「ねぇ提督ー」

「なんだ?」

「提督の今日の執務が終った一六〇七頃にさー、今日の秘書艦の海風と、突撃してった夕立達が妙に殺気立った雰囲気で出てきたんだけど、あれってどうしたの?なんかあったん?」

「…悪いが、あまり触れないでくれると助かる」

「……ふーん、まいっか」

 

…正直、あのような状況を説明してもあまりいいことも無いしな。

うん?そう言えば……何故鈴谷は私の執務が終了した正確な時間を知っているのだろうか。

 

……

 

小さな違和感はあるものの、考えても詮無きことだ。

ただ単に海風から話を聞いただけかもしれないしな。

その他にも、よく話しかけてくる鈴谷に言葉を返しながら、2年前よりも増築し、大きく長くなった我が鎮守府の廊下を鈴谷と共に歩いていく。

私は口下手なので、自分から話題を降ることはなく、鈴谷が話しかけてくることに反応するだけなのだが、何故か鈴谷はニコニコと、とても楽しそうな顔をしながら隣を着いてくる。

 

私のようなものと話していて何がそこまで面白いのかは分からないが、まぁ鈴谷が笑顔なので何でもいいだろう。

そんなこんなで、他の娘達に会うこともなく、食堂に着いた。

もう既にかなりの娘達が集まっている。

やはり何かしらの任務で腹がすくのだろう、

しかし、いつもは無駄に長い廊下でもう何人かと出会い、一緒に食堂に向かっているのだが、今日は鈴谷1人だったな。

などと無駄な思考を広げていると鈴谷に

 

「あっ、提督ー、今日一緒にご飯食べない?熊野も誘ってさ!」

 

と、食事のお誘いを受けた。

何度も言うが、私は女性が苦手だ、なので、私以外女性しか居ない鎮守府では何かと肩身が狭い、そのうちの一つが食事だったのだが、それは随分と前に解消している、皆が一緒に食事をと誘ってくれるのだ。

これ程優しさが骨身にしみたことは無い、指揮官として皆に慕われているのだな、と本当に嬉しく思う。

 

「そうだな、それではご一緒させて貰…」

 

おうか、と言おうとした時のことである。

突如、食堂のそこら中からとてつもない数の視線を感じたのだ。

そして、気づかなかったのだが、先程まで絶え間無く聞こえていた食器音や話し声が全て止み、いつの間にか食堂全体が全くの無音空間になっている。

 

とても嫌な圧迫感を感じる。

突然の出来事に困惑しながら鈴谷の方を見ると、彼女はまるで気づいてない様子で私の言葉が途切れたのを不思議がっているだけだった。

状況が理解出来ず狼狽するばかりだった。

なぜ気づかないんだ鈴谷!と思いながらも言葉の続きを待つ彼女に

 

「…うむ、いや、何でもない、ご一緒しよう」

 

とだけ伝えた。

瞬間、食堂に蔓延していた圧迫感が爆発的に強まったと思うと、また先程の喧騒が帰ってきた。

 

「?どうしたの?提督」

「い、いや、何でもない、大丈夫だ」

 

本当に、一体何だったのか、強い疑問がある。

先程はどうしたのだ?と近くにいる娘にでも聞けば分かるかもしれない、が、やはり恐ろしいので止めておいた。

分からないのならば分からないままにしておいた方がいい、そう思ったのだ。

そうしていつも通りに戻った食堂で、もう先に来ているという熊野が座っている席を探す。

 

「あ、熊野熊野ー!」

「もう、遅いですわよ鈴谷…、あら、提督、御機嫌よう」

「あぁ、こんばんわ」

 

入口から少し奥の方の席で熊野を見つけ、一緒に食事を受け取りに行く、本日はサバの味噌煮定食のようだ。

食事を受け取り、先程まで座っていた席に戻る。のだが

 

「…なぜ私の隣に座るんだ?」

「ん〜別に〜?」

「…なぜ私の隣に座り直すんだ?」

「あら、駄目ですの?」

「駄目、では無いのだが……」

 

何故か2人が私の両隣に座ってきたのだ。

私としては、熊野の隣に鈴谷が座り、その対面に私が座る形だと思っていたのだが。

…またも食堂の音が止み、視線を感じる。

そして少ししたら元に戻る。

…本当に何なのだ。

 

「そう言えば提督、今日の執務中に紙で指を切っていましたね、大丈夫ですの?」

「あ、そういえばそんなこともあったねー、大丈夫?」

「あぁ、それなら問題ない、元々傷も小さい上に、海風に手当してもらったのでな」

「あら、海風さんが、なら後でお礼を言わなければなりませんわね」

「ふーん、そうなんだ、ならいいけど」

「うむ」

 

…ん?しかし、熊野と今日あったのはこれが初めてのはず、何故それを知っている?

 

……

 

まただ、小さな違和感がある。

あるにはあるのだが、どうにも、心の中に小さなわだかまりがある程度で、言葉には表しにくい。

こういう違和感は、他の娘達と話している時もたまに感じるのだが、それを感じても、よくよく考えれば他の誰かに聞いたのかもしれない、とか、遠目から見ていたのかもしれない、など、最終的には納得のいく所が多いので、すぐに消える。

…それをそのまま聞くのも少し恐ろしいしな。

 

「…所で、今日の出撃はどうだった、何か問題は無かったか?」

「ええ、特には」

「何もなかったよねー、拍子抜けしちゃうくらい」

「…そうか、ならばいいのだが…」

 

露骨に話題を変えたのだが、それに不満を覚えた様子もなく乗ってきてくれた。

やはりうちの鎮守府にいる娘達はいい娘ばかりだ、いい娘ばかりなのだが、な…

 

本当に、どうしてこのような状況になってしまったのだろうか。

私が彼女たちに何かをしてしまった覚えもないのだが…

そんなことを考えながら、ぼーっと食事を口に運んでいると、ふいに熊野に

 

「提督、口元にご飯粒が付いてましてよ」

 

と、指摘してくれた。

全く、私はこの鎮守府を預かる最高責任者だと言うのに、何をやっているのか。

そう思いながら、熊野に感謝の言葉を告げ、付いているという飯粒を取ろうとした。

時に

 

「もう、しょうがないですわね」

 

と言いながら熊野が私の顔に手を伸ばしその美しい指で私の口元から飯粒を拭いとってくれたのだ。

私は、多少驚いたし、恥ずかしくもあったのだが、先に感謝を伝えるべきだろうと思い、済まん、ありがとう、と言おうとしたのだが

 

パクっ

 

と、熊野がその飯粒を口に運んだことで、全ての思考が霧散した。

 

「な、何をやっている!?」

「何って…何がですの?」

「…私の口から取った飯粒を食べたことについて言っている」

「?それが何ですの?」

「だから…いや、何でもない、済まなかったな」

「ふふっ、提督もたまに変な事を言い出しますのね、私、少し意外ですわ」

「…ぬぅ」

 

ま、まぁあの行動が熊野にとって当然のことだったのならしょうがない…のか…?

突然の事に驚いたが、本当に驚いたがそれはもういい。

問題は

 

「…あの〇豚が…」

「許さない、許さないわ、絶対に許さない…」

「……」

 

またも不穏な空気に満たされた食堂の方だろう。

そして、今度は圧迫感というよりも、まるで殺意のようなものまで感じる。

唯一、私の両隣の2人からは何も感じないが、鈴谷の方から一度

 

ギチィリ…ギチギチ

 

と言った歯ぎしりのような音がしたので、驚いてそちらを見たのだが

 

「ん、どしたの?提督」

 

と、鈴谷は笑顔で聞いてきて、何の不穏な空気も感じなかった。

空耳だろうか、最近は少し敵が増えてきたからそちらの対応で疲れが溜まっているのかもしれん。

今日は少し早く休もうか、と考えながら、食事を進めていく。

我が鎮守府の食事は当番制で、その日の出撃ローテから外れている娘達の持ち回りだ。

給糧艦、という艦娘も居るらしいのだが、我が鎮守府にはまだ派遣されていない。

まぁ、来てくれても嬉しいのだが、家の娘達の料理も充分美味いので、特に問題は無い。

 

時々なのだが、味噌汁などに髪の毛が入っていたり、肉料理の時に、下処理が足りなかったのか、小骨のようなものが入っていたりするのだが、その程度のミスならばご愛敬だろう、彼女たちも完璧ではないのだから、ミスをなくすなんて無理だ、最近、少しミスの頻度が高くなってきた気もするが…

 

む、またか、今日も味噌汁の中に髪の毛が入っていた。

透き通るような金色をしている、今日の食事係で海外艦は誰が居たか…

あぁ、グラーフか、彼女はスキがなく、なんでもソツなくこなす娘なのだが、こういうミスもするのだな。

完璧な娘など居ないと言ったが、このような面を見れる機会はあまり無いので、少し驚いた。

 

「ん〜、美味しかったぁ〜」

「ええ、本当に」

「そうだな」

 

その後は特に何事もなく食事を終えた。

やはり2人ともとてもいい娘だな、こんな私との会話でもとても楽しそうにしてくれる。

 

「済まないが、私はそろそろ鍛錬の時間だ、席を外す」

「ん、分かったー」

「頑張ってくださいまし、提督」

 

…そう、だな、やはりこういう時はしっかり伝えた方がいいのかもしれん。

 

「…2人とも」

「?」

「何ですの?」

 

 

「…楽しかった、また食べよう」

 

2人にしっかりと感謝の言葉を伝える、すると2人はポカン、とした顔で呆けてしまい、少しの間を置いてから、顔を真っ赤にし

 

「う、うん…」

「は…い」

 

と、少し曖昧ながら言葉を返してくれた。

断られたら少し虚しいと思っていた私としてはとても安心だ。

 

「あぁ、じゃあこれで」

 

と言って、席から離れ、食堂を出る。

…いきなり過ぎただろうか、かなり困惑していたように見える。

しかし、感謝の言葉などはしっかり伝えた方がいいだろうし、あれで良かったのだろう。

そうして自分を納得させて、私は鍛錬室に向かった。

 

 

 

 

 



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鍛錬室ニテ修羅場…ナシ?

 

 

 

早々に食事を終えてから、私は鈴谷と熊野に宣言した通り鍛錬を行うために鍛錬室に向かっていた。

鍛錬室、とは言っても、単にトレーニング器具が置いてあったり、少し手合わせができる広さがある程度の場所だ。

これは、私がこの鎮守府に着任してからの2年間で、皆で着実に戦果を挙げ、所属する艦娘も増えてきた頃に鎮守府全体の増築の際に作らせたものだ。

 

基本、艦娘の強さというのは練度で決まるため、その体を鍛える、という行為自体に余り意味は無いのだが、一部の艦娘達の強い要望があり、ならばついでに作ってもらおう、という流れでできたものである。

元々私は軍人であり、机に座っての事務作業の連続の提督という立場では、身体が鈍ってしまうのではないか、とも危惧していたので、増築当初から有難く使わせてもらっている。

 

食堂から鍛錬室までは余り距離がないので、すぐに着いた。

室内を見渡してみるも、まだ誰もいない。

 

どうやら私が一番乗りだったらしい、鍛錬室は自由に運動をするためにかなり広く作ってもらったので、その空間に1人というのは、多少の孤独感を感じる、が、いつも誰かしらが私のそばに居たりするので、こういう一人の時間は貴重なのだ。

さて、何から始めようか…

まず最初に行うべきトレーニングについて私が決めあぐねていると、ふいに後ろから声をかけられた。

 

「こんばんわ、提督、鍛錬室に行くという話を聞いたので、頼みたいこともあり、伺いに参りました」

「赤城か、こんばんわ」

 

声をかけてきたのは、我が鎮守府で空母最強を誇る、赤城だ。

凛とした佇まいに落ち着いた話し方、強者としてそれ相応の態度も心得ている、何とも頼もしい娘だ。

ただ、残念なことに、彼女もたまに様子がおかしい時があるのだ。

これはつい数日前の出来事なのだが。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

その日の秘書艦は赤城で、いつも通り速やかに業務を終わらせようとしていた、そこに、その日の出撃から戻ってきたて、戦果報告をしに来た正規空母、翔鶴が顔を出したのである。

 

「ただいま帰りました、提督♪」

「む、翔鶴か、おかえり…何故そんなに上機嫌なのだ?」

 

ただ出撃から帰ってきただけだというのに、何があったのだろうか。

今ここで鼻歌でも歌いだしそうな程だ。

 

「ふふふっ、いえ、久しぶりに提督の顔を見れたものですから、嬉しくて♪」

「久しぶり…?何を言っている、たったの数時間前、朝に会ったじゃないか」

「正確には7時間36分50秒ほどですね、…でも、提督、『たったの』、とは、どう言う事ですか…?」

「……ん?」

 

理由はわからないが、翔鶴の様子が変わった、先程まで何も感じなかったのに、いまは、周囲に押しつぶされそうなほど重い、ドロドロとした空気が渦巻いている。

 

「私は貴方とお会いできない時間をこんなにも悲しく、寂しく過ごしていたというのに…私は、こんなにも貴方のことを思っているのに、貴方にとっての私とは所詮その程度の存在だったのですか?数いる艦娘の1人、私等、有象無象の1人だということですか?」

 

とても早口で、捲し立ててくる。

 

「ま、まて翔鶴、私はそのような事を、少しも言っていない、急にどうしたのだ?私が悪かったのなら謝る、だから、一度落ち着くんだ」

「…謝罪なんて要りません」

「…ならば私は、どうすれば許してもらえる?」

「証明してください」

「証明?何をだ」

「提督が、私のことを大切にしてくれているという証明です」

「…どうすればいい?」

「それはもちろん…」

 

そう言って言葉を切った翔鶴は、私が腰掛けている椅子の前までゆっくりと、妖艶に近づき、

 

「あなたのお情けを私に…」

 

ドガッ!

 

突然、何かを全力で殴りつけた様な音が響き、翔鶴の言葉を遮った。

音のした方を見ると、赤城が秘書艦用の机に拳を当てているのが見えた。

殴りつけた様な、ではなく、実際に殴りつけていたようだ。

 

「……あなたの事など心底どうでもいいので先程から黙って聞いていたのですが、もう我慢できません、あなた、今私の提督に何をしようとしているんですか?」

「私の、ですか?っふふ、おかしなことを言いますね赤城さん。提督は誰のものでもありませんよ?」

「…ええ、そうね、少なくともあなたの物では無いわね」

「だから今提督に私の物になってもらおうとしているんですよ、年増のババアは引っ込んでいてください、提督も年若い女子の方がお好きでしょうし?」

「黙りなさい、淫〇のメスガ〇が、あなたの様なビ〇チに提督が靡く訳がありません。ですよね、提督?」

「あら、提督もオバサンよりかは若い人の方が良いですよね?」

 

…流れるように口喧嘩が始まってしまい、止める暇もなかった。

今は口だけで済んでいるが、いつ手が出るかもわからない、2人ともに、私が武道を教えたので、殴り合いになったら私一人で止めるのは厳しいだろう、今のうちに穏便に抑えるしかないだろう。

 

「…2人とも、まずは落ち着…」

「私達は落ち着いています」

「それよりも、先程の質問に答えて頂けますか?」

 

それは、どちらを答えても私には不幸しか訪れない気がするのだが。

どちらにしろ、その質問について答えなければこの状況は終わらないようだ。

しかし、それをこの様子がおかしい娘達に教えるのは危険だと、本能が告げている。

 

…本格的に選択肢がない、正解のない問題に答えろ、ただし間違えたら罰がある、とでもいうような理不尽さだ。

などと、私がくだらないことを考えている間にも、2人からの圧力がどんどん強まってくる。

一体どうすれば……

 

「提督?突然大きな音がしたので様子を見にきたのですが…この状況は一体、どうしたのですか?」

 

切羽詰まった私に救いの手が伸ばされた。

執務室に入ってきた彼女、鳳翔は、この鎮守府の最古参の一人で、まだ未熟だった私の指揮の不手際で、大怪我を負ってしまい、前線を退いて、後方支援、そして空母系艦娘への指導に当たってもらっている人だ。

 

人として私よりも何段階も老成していて、鎮守府の母の様な存在である、この鎮守府に所属している艦娘の大半は、一度は鳳翔に恩を受けた事があるのではないだろうか。

当然、鳳翔に直接指導を受けている赤城と翔鶴は彼女に頭が上がらない。

 

「まぁ、なんにせよ先ずはそちらのお二人を止めるべきでしょうね。…赤城さん、翔鶴さん」

「「っ!!」

「そこに直りなさい」

「「は、はい!!」

 

おお、流石だ、あの二人をあそこまで簡単に黙らせるとは。鳳翔の指導はとても厳しいと聞くからな、訓練時代の癖だろうものが体に染み付いているみたいだな。

…私の話は全く聞いてくれなかったのだがな。

 

とにかく、鳳翔が来てくれたお陰で何とか穏便に収まった。

翔鶴には休むように伝え、もう執務も終わりに近かったので、赤城も業務終了の意を伝えて帰らせた。

無理矢理とはいえ、鳳翔が仲直りさせていたし、そこまで心配も無いだろう。

二人が帰り、静かになった執務室で鳳翔が私に

 

「もう、私が来なかったら一体どうなさっていたのですか、提督」

 

と聞いてきた。

確かに鳳翔が来なかったらどうなっていたのだろうか、想像もつかない。

 

「…どうにも出来なかっただろうな、本当に感謝する」

「…なら、貸し一、です」

「貸し…?まぁ、いいだろう」

「なら、今度、私の部屋に来てくれませんか?」

「部屋にか?まぁ断れる立場でもないので、行くことは約束しよう、だが、何故だ?」

「…一緒にお酒を飲みたいのです」

「酒?」

「はい、この間、鎮守府の外に出かけた時に日本酒を手に入れまして、出来れば二人で飲みたいのですが…」

「それだけで良いのか?積もる話もあるし私としては願ったり叶ったりなのだが」

「はい、それだけです、約束ですよ?」

「分かった、約束しよう」

「ふふっ、有難うございます♪」

 

鳳翔と二人で酒、か…ゆっくり話でもしながら、楽しい酒が飲めそうだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

…ということがあったのだ

そう言えば鳳翔との約束の件はどうなっているのだろうか。

実は私も楽しみなので、少し気になるのだが。

 

「それで、頼みたいこととはなんだ?」

「提督に、模擬戦をお願いしたいのです」

「模擬戦、か」

 

私は、望む娘には古流の武術を教えている。

軍の開催した総合体会では決勝まで残れたので、かなり強いほうだとは自負している。

決勝では負けてしまったのだが。

とにかく、人に教えて差し支えない実力はあるので、問題は無い。

最近は教え子達の成長が著しく、私も負けていられないと思っていたのだが。

 

「私の今の実力を測りたいのです、あなたという目標に、どこまで近づけたかを」

「…なるほど」

 

何だかんだで私が彼女達に武術を教え始めてから半年は経っている、自身もついてきたのだろうが…

 

「ああ、分かった、受けよう」

「ありがとうございます、提督」

 

その程度で私に勝てると思うなどと、甘い幻想を打ち砕いてやろう。

 

ーーーーーーーー

 

お互い道着に着替えてから、構え合う。

始まりの声など無いので、構えた瞬間に試合は始まっている。

どちらが先に動くか、じり貧のなか、私は赤城が先に仕掛けてくるのをただ、待つ。

赤城は私と比べると小柄なので、内に入り込まれたらかなり不味いだろう。

しかし、私は動かず、時折仕掛けに行くようなフェイントを仕掛けて、赤城を焦らさせる。

 

そうしてお互いが構えてから数分、先に動いたのはやはり赤城であった。

自らの有利不利を理解しているため、先手必勝の腹積もりであろう。

だが、私はそれを理解しながら、あえて動かなかった。

その場を動かず、赤城の行おうとしている技に真正面から挑み、へし折る。

 

「っ!?う、動かせない…?」

 

やはり、まだまだ技の洗練が足りない、基礎技の「不動」すら崩せないとはな。

これなら何があっても私の負けはなさそうだな。

 

「はぁっ、はぁっ、んっ、ふっ…」

 

…しかし、先程から赤城の動きがどこかおかしい。

私を打ち倒そうとしていると言うよりは、自らの体を擦りつけているだけのような…

いや、気のせいだろう、そんなはずが無い。

それに、そんなことをしても彼女には何のいいこともないのだ、やる意味がそもそも無い。

 

…それにしても、柔らかいな、こう、体全体がやわやわとしていて、こんなに弱そうな娘に深海棲艦との戦いをさせていると思うと、正直、不安になってくる。

彼女達には偉大なる艦霊が宿っているとはいえ、それでも私達軍人がやるべき事を婦女子に任せるというのは不安が残る。

そのような事をいくら言っても我々には何も出来ず、意味もないのだがな。

 

「んっ…ふぅ、ふぅ、んんっ…!、…はぁっ、満足し…いえ、参りました、提督、まさか動かせすらしないなんて…」

「私はこれを20年はやっているのだ、半年習っただけの小娘が勝てるわけがないだろう」

「はい、少し増長しておりました、精進します」

「うむ、これからもミッチリ鍛えていくから、覚悟しておくように」

「はい!」

 

うむ、人に教えるというのは回り回って自分のためにもなるからな、私が現役の間は、生徒達に負けるつもりは無い。

 

「私はこれから基礎トレーニングを行おうとしているのだが…早速、一緒に練習しないか?」

「良いのですか?私がご一緒しても」

「あぁ、赤城の基礎習熟度も見てみたいしな」

「それでは、ご相伴に預からせて頂きますね、先生♪」

 

その後は加賀や飛龍などが鍛錬室に来て、私達のトレーニングに合流したのだが、特に揉め事もなく鍛錬が終了した。

 

「ふむ、このぐらいでいいか、私は風呂に行ってくるが、お前達はしっかり休憩しておきなさい」

 

…返事すらできないか、少々絞りすぎたかもしれんな。

しかしまぁ、あの程度でへばるのなら、それは鍛錬が足りないということだ。

 

しかし、加賀も飛龍も組み手の際には赤城と同じような行動をしてきたのだが…やはり気のせいだろう。

そうして私は久しぶりにかいた良い汗を流しに、浴場に向かった。

…しかし、何事もなくて良かった。

 

 

 

 

 



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浴場ニテ修羅場アリ

 

風呂場に向かう道すがら、私は一部艦娘達の様子がおかしい事について、改めて考えていた。

 

彼女達はつい数ヶ月前までは、妙に態度が可笑しかったり、すぐに喧嘩を始めたりしない、普通の良い娘達だった、はずだ。

それなのに、色んな艦種の色んな娘達が、急に今の様に様子がおかしくなってしまった。

原因など予想もつかないが、一つだけ、ありうる可能性がある。

それは、

 

(私が、彼女達の機嫌を損ねるような事をしてしまった)

 

というものだった。

と言うよりも、それしか理由が思いつかない。

しかし、仮に私が何かをしてしまった、と考えても、彼女達は何かに怒っているという様子ではない。

それではやはり、私が彼女達を怒らせた、という訳では無さそうなのだが…

 

いくら考えても答えは出ない、が、今すぐ答えを欲しがっている訳でもないのだ。

可及的速やかにこの問題を解決したいとは思っているのだが、今の所艦隊運営に支障はない、どころか、戦果は常に上昇し続けている。

このペースでもう少し戦果を挙げると、中将に昇格出来ると大本営に打診もされたほどだ。

 

それに、この状況は多少危険だとは思うが、誰かが怪我をしたり、問題を起こしたりなど、取り返しのつかない事は起きていないので、今の所は問題解決を急がなくても良いと思っている。

さて、風呂場に着いた、が。

 

「ん、クズ司令官じゃないの、アンタもこれからお風呂?」

 

前方から一人の駆逐艦、霞が向かって来た。

 

「あぁ。霞もか?」

「えぇ、まぁそんなところかしら」

「そうか、ならば私は遠慮しておこう、先に入るといい」

 

どうやら、霞も風呂らしい。

我が鎮守府の風呂は、入りたい時に入れるようにしており、特に制限はない。

長風呂しすぎると注意が飛んでくるぐらいだ。

そんな中で、女所帯に男一人である私としては、当然、難しい問題の一つである。

 

私が入る時は、他の娘達が入れないので、なるべく人がいない、今のようなまだ食堂にあの娘達が集まっていたりする時間帯にそそくさと風呂を済ませているのだが、何故こんな微妙な時間帯に霞は来たのだろうか?

彼女はほかの鎮守府等では、提督に非常に強い態度で当たったり、中々心を開いてくれなかったりと、扱いが難しい娘だという話をよく聞く。

実際、少し前まではここの霞もそうだった。

ここまで来たらもう分かると思うが、彼女も数ヶ月前から様子がおかしくなってしまった娘だ。

 

しかし、霞は他の娘達のどこか恐ろしさを感じる変貌とは違い、私に対する態度が変になったり、という顕著な何かはない、偶にブツブツと一人事を言っている所はあるが、そんなに回数が見られる訳では無いので、問題は無いだろうという程のものだ。

それに、確かに様子が可笑しくなってしまったのだが、それは、元の霞からしたらという話であり、彼女の場合は…

 

「別にいいわよ、一緒に入りましょ?今更アンタと私の関係でそんなこと気にしなくていいったら」

 

…このような感じで、元の彼女より、おおらか、と言うかなんというか…

言葉で表すのであれば、『母性』を、それも飛び切り強い母性を感じる様になったのだ。

確かに霞という娘は、何だかんだで面倒見が良く、母親の様な性格ではあった。

 

しかし、今の霞は、母親の様な、ではなく、もはや本当の母の様に振舞ってくる。

最大級の愛情(?)を感じる笑みで私を見つめてくる様はまるで聖母のようである、が、そんな小さな娘に子供のように扱われるのは、若干30代後半の私としては、なんともむず痒い。

 

いつの間にか私の身の回りの世話を初めていたりすると、私が幼い頃の記憶が蘇ってきて、本当にむず痒いのだ。

完全に子供扱いされている。

霞が私の面倒を見てくれるたびに、せめてその子供扱いは止めてくれ、と言っているのだが、いつも

 

「はいはい、分かってるわよー」

 

と、流されてしまう。

…こちらとしても、多少自分がずぼらだという自覚があるので、そういうのは有難いのだが、うむ、有難いのだがな…

 

「全く、何してんのよさっきから、さっさと入るわよ、他の娘達が来ちゃうじゃない」

「なっ!ちょ、ちょっと待ってくれ!」

「待ちません、早くしなさいな、それとも何?そんなに色んな娘達と一緒にお風呂に入りたいの?」

 

クスクスと笑われた、馬鹿にしている様な目ではなく、何とも、生暖かい目をしている。

 

「そ、そういう訳では無く、単に私が後から入れば良いという事を言いたくて…」

「アンタが後から入るより今私と一緒に入っちゃった方が掃除当番の娘が早くお風呂に入れるでしょ、今終わらせた方が迷惑も掛からないんだから、そっちの方がいいんじゃなくて?」

「それはそうなのだが…」

「じゃあ決まりね、ほら、早く入るわよ」

「…ぬぅ」

 

結局、押し切られてしまった。

まぁ、相手が相手なので、何か問題が起きるというのは無さそうなのが安心できる唯一の点だ。

…そもそも駆逐艦娘と風呂に入ると言うのが問題だという事に関しては、今回は触れない様にしよう。

 

着替えている所は見るのも不味いし見られるのも少し不味いので、脱衣場にまとめて置いてある風呂セットをささっと手に取り、急いで服を脱いで腰にタオルを巻き、風呂場に向かった。

後ろから暖かい視線を感じるが、気にしない様にした。

 

さて、体を流そうか、と行くところで後ろから引き戸が開く音がして、次にヒタヒタと無駄に可愛らしい足音が聞こえてきた。

それはこちらに向かってきており、私の真後ろで止まった。

 

「それじゃあ背中を流しましょっか、ほら、タオル貸して」

「そ、そこまでしてもらわなくても良いのだが…」

「別にこのくらいいいじゃない、それに、他に誰もいないんだから恥ずかしがる必要も無いわよ」

 

またもクスクスと笑われる、慈愛の念を感じる柔らかい笑みで。

 

「むぅ…それじゃあ、頼んだ、が、背中だけでいいからな?」

「えぇ、分かってるわ、それとも…

 

前も洗って欲しかったかしら?ふふふっ」

「ぬおっ!?」

 

急に耳元で囁かれ、驚きから情けない声をあげてしまった。

冗談もそれくらいにして欲しい。

 

「そ、そんなことは一言も言っていないだろう」

「ふふっ、分かってるったら」

「…」

 

完全に遊ばれている、もはや鎮守府のトップとしての威厳の欠片もない。

ここまで子供扱いだと、いっそ清々しいほどだ。

 

(そう、それでいいのよ、アンタの面倒は全部私が見てあげるから)

「ん?何か言ったか?」

「いえ、何にも?」

「そ、そうか」

 

何か聞こえた気がしたんだが…気のせいだろう。

いやしかし、先程から霞がタオルで私の背中を流してくれているのだが、これがまた何とも心地よい。

労わってくれているというか、慈愛というか、そのような感情が直に伝わってくるような優しさは、日々の執務と大本営への対応で疲れた私の体をとても癒してくれる。

 

今は、彼女の容姿も相まって、母ではなく小さな娘に背中を流して貰っている様な気分だ。

…私にも娘がいたら、このような感じなのだろうか。

まぁそんな事は考えても詮無きこと、無駄である。

 

「…はい、終わったわよ」

「うむ、有難う、霞」

「別にお礼なんていいわよ、私が無理やりやったことなんだから」

「それでも感謝の気持ちを伝えるのは大切だろう」

「…ふふっ、分かったわよ、受け取っておくわ、感謝の気持ち♪」

「…?」

 

なぜ急に機嫌が良くなったのだろうか、分からないが、まぁいいだろう。

……む、一つ、悪戯を思いついた。

散々私をからかってくれた事に対しての小さな復讐だ。

 

「そうだ、霞」

「?、何よ」

「次は私が背中を流してやろう、さぁ、後ろを向け」

 

そう、それは、今度は私から霞に背中を流すことを持ち掛ける事だ。

何だかんだで彼女も年頃の女の子だ、私をからかっている内は余裕もあったが、こんな時は対応し切れまい。

霞の焦った顔を思い浮かべ、そろそろ冗談だ、と告げてやろうと思っていたら

 

「あら、イイの?じゃぁお願いしようかしら」

 

…極めて楽しそうな顔でこう言われれば、流石の私も固まるしかなかった。

ど、どうする、、いやどうするも何も、早く冗談だと伝えなければ、しかし、こんなにも楽しそうな顔をしているのに、今更それはどうなのだろうか…いや、しかし…

 

「くふふふっ♪冗談、冗談だってば、そんなに怖い顔しないでよ」

「……そ、そうか、冗談か、それじゃあ、私は先に風呂に入っている」

「分かったわ、ふふっ」

 

そそくさと、逃げるように私は湯の張られた風呂に向かう。

…からかおうとしたら、逆に手玉に取られていつの間にか立場が逆転し、こっちがからかわれてしまった、どう言うことなのだ。

ちゃぽん、という音と共に、体が暖かく包まれていく。

心が安らぎ、今日一日の疲れが吹き飛ぶようだ。

 

やはり風呂はいい、我が国日本の伝統的文化である所の風呂は、本当に素晴らしい。

これだけでも日本に生まれて良かった、と思えるほどだ。

まぁ湯に浸かる、という文化は日本だけのものでは無いが。

そうして暫く湯に体を浸らせていると、隣で水音が響いた。

 

「ふぅ、やっぱりお風呂はいいわね」

「…そうだな、体だけではなく、心まで綺麗にしてくれる、風呂はいいものだ…」

「本当ねぇ…」

 

霞が体を流し終え、風呂に入ってきたようだ。

そこからは二人して、ゆっくりと、特に会話もなく風呂に浸かる。

…うむ、これに関しては特に問題という訳ではないのだが、少しお互いの距離が近すぎではないだろうか。

 

すぐ横を振り向けば、目と鼻の先に霞がいる程だ、肩が少し触れている。

嫌ではない、決して嫌ではないのだが、これは倫理的にアウトだろう。

だから、私は少し距離を取るように横に移動しようとしたのだが、急に霞が私の腕を掴んで、それに抱きついてしまい、動けなくなった。

 

「やっぱりおっきいわねぇ、アンタの手、ゴツゴツしてて、固くて、熱い」

「か、霞?離してくれないか?流石に不味いだろう」

「だーかーら、今の時間帯に私達以外の娘何か来ないわよ、だから大丈夫」

「だから、私が言っているのはそういう事ではなくてだな…」

「もう、少しくらいいいじゃない、それとも、私に触られるのって、そんなにいや?」

「ぬぐっ…い、嫌では、ない、が!」

「ふふふ、ならいいでしょう?」

「…いや、ダメだ、断固拒否する」

「…え?」

 

流石にこれは不味いだろう。

誰かに見られる云々関係なしに、だ。

それに、いくらタオルを巻いているとはいえ、女子は女子。

見た目駆逐艦とはいえ、彼女も女性なのだ。

…この発言には既視感があるが、まあそれはいい。

ともかく、色々な事を言っても、結局は私としてもこれは恥ずかしいのだ。

だから本当に止めてほしいのだが…

 

「……」

「…霞?どうした?」

 

先程から霞は急に黙ってしまい、私の声にも反応してくれない、それに、離してもらうどころか、私の腕に抱きつく力がどんどん強くなっている気がするのだが。

ぬぐっ、そ、それ以上は不味い、関節が!

 

「か、霞、よく分からんが落ち着いてくれ、落ち着いて、手を離すんだ、霞?」

「…………ねぇ」

「な、何だ?」

「どうしてそんなこと言うの?今までは私に反抗もせずしっかり言う事を聞いてくれてたのにっ!!」

 

な…いったいどうしたと言うのだ、急に黙り出したと思ったら、訳の分からない事を…

これはもしや、霞も他の娘達の様な変貌を遂げていたと言うのか?

だが、それならばなぜ急にこんな事に…

 

「…そう、ね、そうよ、きっとそうだわ、うん、それしかない」

「な、何を言っている?」

「他の娘達の事が頭にあるから私の言うことを聞いてくれないのよね、なら…

 

 

私のこと以外考えられないようにして上げる」

「っ!?」

 

またもブツブツと、先程風呂場の前で会った時とはまるで正反対の様子で何かを呟く霞は、唐突に私の腕を離した、と思ったら、今度は真正面から馬乗りのような体制で覆いかぶさってきて、私の両腕を押さえ込んできた。

 

「くっ!何をする、んだ、霞!止め…んぶ!?」

「んっ…れろっ…んちゅ…」

 

な、何が、起きている、いや、今起きていることを理解はしている、が、頭がそれを拒んでいた。

しかし、現実は非情である。

霞が、私に、キスを、していた、いや、している、今も。

 

「んんっ、ちゅ…ぶはぁ…ふふふっ♪」

「か、霞、何を」

「何って…今ので分からない?そんな訳ないでしょ」

「どうして、こんな」

「…アンタが悪いのよ?今までは私に素直に従っていたのに、他の娘なんかにうつつを抜かして、急に反抗するんだから」

「反抗…?何を言っている、んだ?」

「とにかく、アンタは大人しく私の物になればいいの、さて、続きを始めましょうか」

 

続き、という言葉にとてつもない恐怖を感じた私は、今まで彼女を傷つけないように使わなかった、拘束脱出系の技を使うのを決心した。

もちろん、この道二十年の経験を総動員し、霞を傷つけないようしながらだが。

 

一瞬、拘束されている腕に全力で力を込め、相手がそれに気づき押さえつけようとする僅かな隙を狙い、全力で拘束から逃れる、「落葉」という技だ、相手が力を込め始めるタイミングを見極めるのが非常に困難で、通常、習得には二年を要する技である。

 

「あら、いつの間に抜け出したの?」

「霞、落ち着いてくれ、なにか誤解があるに違いない、話し合おう、そうすれば解決するはずだ」

「誤解なんてないわよ?話し合う必要も無いわ」

 

…これは、一度時間を置くしか無いようだ。

今ここで、ヒートアップしている霞と話し合いを求めても、きっと平行線だろう。

そう判断した私は、全力で風呂場の出口に向かいダッシュした。

 

「霞!一度時間を置けば頭も冷えるはずだ!また今度話し合おう!」

「……」

 

返事は聞こえなかったが、しょうがない、ここでもう一度捕まったら、先程リスクを犯してまで霞から逃げた意味がなくなる。

明日にでもなれば流石に冷静になって、元の…と言ったら語弊があるが、元の母性溢れる霞に戻ってくれているだろう。

…恐らく、多分。

 

そんな楽観的な思考をしながら、問題を明日の私に丸投げし、急いで最低限の身なりを整え、脱衣場を出た。

追ってくる様子はない。

…もし元に戻らず、今の様に暴走したままだったらどうしようか、考えて見るが、答えは出なかった。

まぁいい、自室に戻るとしよう。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「……ふふ、ふふふふふ、なんで逃げるのかしら、まぁいいわ、チャンスなんていくらでもある、他の雌共が多少邪魔だけど、そんなの関係ないわ、彼を本当に愛しているのは、この私だもの、いつか、他の雌の事なんか忘れさせて、私だけのものにして見せるわ、ふふふっ、くふふふふっ♪」

 

彼女は笑う、自分以外誰もいない風呂場で、延々と、果てしなく不気味に、笑い続ける

 

 

 



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二日目~?日目
提督私室ニテ修羅場…ナシ







私は、提督私室、要するに鎮守府内で与えられている自らの部屋で就寝しようとしていた。

提督としての業務に支障は出ていないが、ここ最近、今日のような出来事が増え始めているのを感じている。

 

業務に支障は出ていない、と言うだけで、私個人としてはこの現状に大きな不安を抱えている。

執務中に起きた海風と夕立、時雨の衝突まがいの会話や、先程の一件など、艦娘間での問題のことである。

それらはあの場で収まったから良いものの、今後、さらに大きな問題に発展し、暴力沙汰になどなった日には、流石の私もある程度の処分を言い渡さなければならないのだ。

もちろん私は彼女たちを信頼している、なので、そのような事は無い、と願いたいものだが、私はこの鎮守府のトップ、提督という立場にある。

常に起こりうる最悪を想定しえなければ、既に鎮守府(ここ)は深海共によって私達共々海の藻屑にされているであろう。

だからこそ私は、現状想定しうる最悪、暴力沙汰と言う問題に頭を悩ませている、

 

と、そこで

 

コンコン

 

と言う、ドアをノックする音が聞こえてきた。

…おかしい、今はとっくに自室待機時間の10時を超えている、来客も有り得ず、夜警担当からの緊急連絡ならば個別無線で私室備え付けの電話に飛んでくるはずだ。

ならば、これは何だ?

思考を一瞬で巡らせ、警戒しながらドアに近づいて行く。

ドアノブに手を掛け、一息に開け放とうとした瞬間。

 

「あの、提督、神通です。少しよろしいでしょうか…?」

 

という、どこか自信のなさを感じる、少し弱々しい声が聞こえて来た。

神通、か…声からしてそれは間違いないだろう、が、なぜこの時間に来たのだろうか。

また考え始めようとしてしまったところで、取り敢えず外で待たせるのは失礼だと思い、室内へ招き入れることとした。

 

「うむ、神通、取り敢えず中に入れ、廊下は寒かろう」

「はい…ありがとうございます、提督」

 

そう言いながら部屋に入った神通の様子は、何処かか細げで、触れれば折れてしまう様なものであり、普段とは随分と雰囲気が違っていた。

神通がここまで落ち込むのは、戦闘や、演習で何かミスをした時しか見たことがない。

しかし、神通は一ヶ月ほど前に鎮守府内演習で敗北した時以来ここまで落ち込む様な事はやらかしていないはずだ。

ならば…人間関係で何か問題が?

いや、それは無いだろう…考えても仕方が無いのだから、直接聞くしかない、か。

 

「ふむ、神通、何があったのかを聞きたいところだが、まず、何故このような時間に私の部屋を訪れたのだ、これは鎮守府のルールを明確に破っているぞ?」

「…はい、申し訳ございません、提督、でも、どうしても、私…」

「…うむ、分かった….それで、どうしたのだ?何か個人として問題があったというのなら、提督としてではなく、私も私個人として話を聞くとしよう」

「……ありがとうございます、提督」

 

そう言うと神通は、下を向き、私から目をそらす。

…ここまで言い渋るとは、余程思い問題なのだろうか。

そんなものを彼女が抱える前に、私が背負ってやれれば良かったのだが…

神通が話し出すのを、静かに待つ。

少し経ってから、彼女は、ポツリ、と言葉を漏らした。

 

「私……私、怖いんです」

「…何が、だ?」

「最近、夢を見るんです。…昏くて、冷たくて、深い、水底に、私が沈んでいく夢を…」

「……」

「夢の中の私は、いつも通りに出撃し、海へ繰り出していきます。そうしていつもと変わらない定期殲滅任務に取り掛かろうとした時、()()()は現れるんです」

「…そいつ、とは?」

「分かりません、分からないんです。でも、多分深海棲艦で、ヒトガタの見た目をしていて、ソイツは、毎回、私の夢に出てきます…」

「……」

「私達第一艦隊の全力で挑んでも、いつもいつもソイツの絶望的な力に圧倒され、夢の中の私達あっけなうは水底に沈んでいきます…」

「…神通」

「それが、それが…とても、怖いんです、恐ろしいんです。最初の内は気にしていませんでした、嫌な夢だな、程度にしか思っていませんでした。だけど、その夢はどんどん現実味を増していき、よりリアルな映像となって私の頭の中に残っています。それが、ここ最近、毎晩…」

「……神通」

「一夜一夜事に、より現実的に、写実的になっていく夢の中の映像。絶対の自身を持っていた第一艦隊が、毎回壊されていく、崩されていく。そんな中で、私はいつも最後に殺されます。あの娘達が無惨に沈められていくなか、それを止めようとして。だけど、アレは聞く耳を持たず、私の請願の声も無視して、私の目の前で仲間を潰していく。そうして、いつもの通り最後に残った私に、アレは、こう呟くんです。“仲間ノ命ヲ犠牲ニシテマデ生キ延ビレタンダ良カッタジャナイカ、喜べヨ…、ドチラニシロ、貴様モ今カラ死ヌガナ゛…その一言が、私は、悔しくて、何よりも怖くて、怖くて、怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて」

 

 

 

 

 

「神通!」

「っ!」

 

頭を抱え、俯き、壊れたように言葉を発しながら涙を流す神通を、私は強く抱きしめる。

カタカタと震える、私と比べるべくもない弱弱しい体つき。

この鎮守府でもトップクラスに強い、という理由で、私は無意識に彼女は大丈夫だ、などと勝手に安心していたのかもしれない。

いや、していたのだろう、現に今、私の勝手な信頼のせいで彼女はこうなっている。

…何をやっているのだ、私は。

兵器の力を持つとは言え、心は見た目相応の女子のものだ。

それが、常に死の危険を伴う戦場に向かっているというのに、傷つかないわけが無い。

きっとその夢は、心のどこかに少しづつ巣を広げていた“恐怖“の感情が爆発した結果のものだろう。

それを、姉妹では無く、真っ先に私に相談に来てくれたという意味。

 

「…済まなかった、神通、お前の心の恐怖を予期できなかった私の責任だ、本当に、済まない」

「提、督…」

「これからは、しっかりとその点に留意しつつ、この件への贖罪の意味を込めた何かをせねばな…」

「…」

 

どれほどの時間そうしていたのだろうか、神通の震えが収まり、そろそろ落ち着いてきた、だろうか。

 

「…大丈夫か?…部屋に戻るのなら私が同伴しよう、さぁ…」

「…まって、ください」

「む?」

「提督…今日は…私と一緒に寝てくれませんか…?」

「なっ…」

 

…にを言っているんだ、神通は。

いや、確かに彼女が望むならそうするべきなのだろうが、私よりも川内や那珂と一緒に寝た方が安心すると思うのだが…

それ以前に、風紀的にアウトだろう、彼女の為を考えても、ここは断固たる思いで…

 

「…ダメ…ですか…?」

 

……

 

「……分かっ、た。うむ、…うむ」

 

流石に涙目で哀願されてはしょうがない…よな?これはセーフであろう。

彼女が私と寝ることで、一緒にいることで安心する?のだろうか…とにかく、それがいいのであればそうするとしよう。

…娘の様な存在とは言え、女子と同衾するなんて初めてなのだが…万が一にも間違いは起こらないであろう。うむ。

 

「そ、それでは寝るとしようか」

「…はい、提督」

 

きごちなけ言葉を投げかけながら、ベッドに入ると、神通も続いて入って来た。

やけに緊張するな…落ち着くんだ、彼女は傷心の身だ、少しでも傷を付けるようなことは避けなければならない。

と、無駄な思考を巡らせていると

 

ぎゅうっ、と

 

背中側から神通が私に抱きついてきた。

 

「……じ、神通?何を…」

 

している、と聞こうとしたのだが彼女はもう

 

「すぅ…はぁ…すぅ…」

 

と、寝息を立てているではないか。

…ここで無理矢理に起こして離れろと言ったら、私が彼女を否定しているようで、きっとそれはとても失礼な行為だろう。

かと言って、この状況を放置するのもまずい。

結果、私が考えついたのは、現状の放棄、思考の停止であった。

どうにも出来ないならば、どうにもしなければいい。

もう、どうにでもなるがいい。

今日も疲れた、もう、私も就寝するとしよう。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「…ふふふっ♪あんな簡単な演技で騙されてしまうなんて、提督は本当に…」

 

そう言いながら、自らの体を彼に擦り付ける。

あぁ、なんて愛おしいのだろうか。

この純粋さも、この男らしさも、この寝姿も、何もかもが、愛おしい、愛おしいのだ。

 

狂おしい程に。

 

自分を捨ててでも、共に在りたいと思うほどに

 

「今日は他のヤツらは来ていないみたいですし、妨害も無いですよね…」

「今この瞬間、彼は完全に私の、私だけのモノ…ふふふっ」

 

----提督が見ている普段の彼女、神通の姿は、彼女が演じているものであって、彼女の本質はこれだ。

自らの欲望のために自分すら殺し、目的を達する。

例え、彼女が提督と結婚をしたとしても、提督が今、彼女に抱いているイメージを神通は覆さないであろう。

本当の自分を見てもらう必要などない。

虚像でもいい、ただただ、自分だけを見ていて欲しいのだ。

提督に本当の自分をさらけ出す日など別に来なくてもいい。

何故なら、彼女にとって、本当の自分とは無価値で無意味でなんの必要もないのだから。

全ては、彼と共にある為に。

それだけのために、彼女は自らを演じ、役に徹し続ける。

それは、そのあり方は壊れているのかもしれない。

異常なのかもしれない。

だが、それすらも関係がない。

それを知るものなど、1人も居ないのだから。

 

……

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ーー督、ーーてくださー」

 

「ー提督、ーきてください」

 

「提督!起きてください!」

「ぬぅ…」

 

目を、開ける。

ボンヤリとした頭が少しづつ覚醒し、昨夜の記憶も思い出していく。

 

「ーー神通?」

 

隣に居たはずの神通が居ないため、不意に名前を呼ぶ。

が、これは不用意な行動であった。

 

「…何故、ここで神通さんの名前が出てくるんですか?」

「…むっ」

「提督、もう1度お聞きしますよ?…何故ここで神通の名前が出てくるんですか」

 

ここで私は、自らの失敗を悟る。

これでは、不意に名前を呼ぶ様な何かがあったと自白したのと同意であった。

目の前で不信感?ーー、いや、これは怒気か?ーーを露にした金剛型四番艦、今日の秘書艦の霧島が見つめてくる。

ど、どう誤魔化したら良いのだろう。

流石にあれほど重い話を簡単に説明するわけにも行かないだろう。

しかし、ここで変に誤魔化してもさらなる不信感が募るばかりだ。

…そう言えば神通は、いつ頃私の部屋から出ていったのだろうか。

そんな思考に逃げてみても。目の前の状況が変わるはずもなし。

 

本日も、いつも通りの1日が始まりそうだ。

 

 

 



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執務室ニテ修羅場アリ【2】

「提督、次はこちらの確認をお願いします」

「あぁ、分かった」

 

これは…次回の大規模作戦に向けての概要書類か…必要性は高いが、今観覧しても頭の中にろくに入らないだろう、後で時間をとって読むとするか…

こっちは…外出願い?提出者は、大和と武蔵に…アイオワと、サラトガ?

大和と武蔵、アイオワとサラトガというペアなら分かるが、この四人で、外出?

理由は…ショッピング?、いつの間に仲良くなっていたのだ?

まぁ、海外艦と日本艦の交流は嬉しいことだ、この四人なら問題など起きそうにもない、許可しておこう。

いやはや、それにしても、こういうのを見ると、まだ私の鎮守府も捨てたものでは無いものだ、とも思える。

ここ最近の艦娘達の関係不良を思えば、このように以外な関係性を見つけると、非常に嬉しいものだ。

つい昨日も大勢で王様ゲームなどもやった……もしや、この鎮守府の皆は、私が思っているほど不仲ではないのではなかろうか?

そう思うと、俄然喜びが湧いてくる。

ならば、今不仲な娘達の仲を取り持てば、まだ希望はあるのではなかろうか?

…喜ばしい発見だ、言葉足らずな私ではあるが、精々、力を振り絞って関係修復に望むとしよう。

 

 

 

 

 

…まずいな、思考が脱線してしまった、

今の時間帯や、連日の疲れも相まって、思考がおぼつかない。

現在時刻は一四○○ほど、私は、今日の秘書艦の霧島と書類の山を片付けていた。

昼飯も食べ終わり、ちょうど眠くなってくる頃の書類仕事は、毎度のことではあるが、非常に辛い。

しかし、昼寝などもってのほかであるし、霧島にそのような体たらくを見せる訳にはいかない。

それに、今日はいつもよりも重要な書類が多い、おぼつかない頭でそれらの仕事をして、何かあったら面倒だ。

なので、霧島に一言告げ、冷たい水で顔でも洗いに行こうとした時のことである。

 

「ヘーイ!提督ゥー!もし良かったらアフタヌーンティーとシャレこみましょうネー!」

 

バンッ!と執務室の扉が開け放たれたかと思えば、そこに立っていたのは、金剛型一番艦、金剛であった。

そのあまりに突然の来訪に驚き、その勢いもあって完全に固まってしまったが、何とか今ある疑問を口にした。

 

「…何故、今なのだ?」

「もー、そんなイケズなこと言わないでくだサーイ。提督とワタシの仲じゃないですカー」

「…アフタヌーンティーと言うには、少し早い時間だと思うのだが?」

「そんなの適当でいいのデース!大事なのはワタシ達とお茶するというところにありマース」

 

……今は執務真っ只中なのだが…その上いつもよりも仕事は多いと来ている。

…だが、働き詰めでは駄目だ、ただでさえこの時間帯は辛いのだし、一度休憩をとっても、仕事に支障は…余りないだろう。

しかし、問題は秘書艦の霧島だ、彼女は真面目な性格だし、もし反対されたのなら、流石にアフタヌーンティーを強行など出来ないだろう。

なので、ちらりと霧島の顔を見て、確認をとると

 

「…まぁ、確かに休憩は必要ですから、それぐらいなら」

 

と、許可を貰った、秘書艦の許可が出たならなんら問題もない、なので、執務卓の前にある応接用の机に席を移ろうとした

 

のだが

 

「…霧島は、参加しなくても結構デスヨー?」

 

…何を言ってるんだ、金剛。

何故、煽るような発言をするのか、理解に苦しむ。

とかく、今の発言は流石に酷い。

それを咎めようとした、が、しかし、その声は他の声に遮られてしまった。

 

「は?」

 

という、霧島のドスの効いた声に。

 

「…何故、私が参加してはいけないのでしょうか、姉様?」

「だってー、別にワタシは霧島のことを誘ってなんかないデスヨー?ただ、提督にお茶しようと言っただけで」

「それでも普通、そこにいる人を誘わないというのはないんじゃないですか?」

「ワタシに霧島の普通を押し付けないでほしいデース」

「屁理屈を…」

「第一、ワタシは゛提督と゛お茶をしたかったのヨ、アナタなんておよびじゃないんですよ、元々」

「…前から気になってたんですが、提督の前で露骨にキャラを作るのやめてもらえませんか?男に媚びる気持ちがヒシヒシと感じられて気持ちが悪いんですよ、本当は普通に喋れるくせに」

「……話題転換デスかー?急に話を変えないでほしいネー」

「…ムカつくって言ってんだろクソビ○チ、さっさと提督のことは諦めて素直に他の男の上で腰を振ってればいいんですよ」

「あ?…コホン、霧島こそ、あんまり乱暴な言葉遣いはいけませんネー、そんなんじゃどんな男にも見向きされませんヨー?」

「…チッ」

「…」

 

……

何故、口を開けば喧嘩が始まるのか。

やはり、先程私が考えていたことは、幻想に過ぎなかったのか…

いや、この娘達が、例外であって、他の皆は普通だと、まだ思える。

というより、普通であってくれないと、私が持たない。

精神的な意味でも、身体的な意味でも、主に胃が痛い。

…いや、しかし、今この時こそが、『仲をとりなす』チャンスなのではないだろうか?

喧嘩をしているのなら、まずは話し合わせ、相互理解により不和を解消させる。

それを実行するのが、今ここなのではないだろうか!

そうだ、今しかないのだ、ここで一歩を踏み出し、この鎮守府の問題解決への道を開く!

 

「おい、二人共…

「て、提督!金剛型三番艦、榛名です!少々お時間よろしいでしょうか!!」

 

……

またも、声を遮られた、が、まぁいいだろう、この二人とは後でゆっくり話し合わせるとして、先に彼女を部屋に入れてやろう。

 

「あぁ!いいぞ、入ってくれ!」

「失礼します!榛名です!」

「榛名?一体どうしたんですカー?」

「…用事なら早く済ませて下さい、榛名」

「…チッ、なんでこの二人が…コホン、はい、提督、今から、私と、一緒にお茶などどうでしょうか?」

「あ、あぁ、それならちょうどいい、今この二人と始めるところだったんだ、榛名も一緒に、どうだ?」

「…分かりました、榛名、頑張ります!」

 

…何をだ?、とも思わなくもないが、この何故か緊迫した空間の、金剛と霧島の間に榛名という緩衝材を入れられるのはとても大きい、是非彼女には、その持ち前の明るさを活かして頑張って貰いたい。

 

「…はぁ、ねぇ榛名?今はお願いだから空気を読んで出ていってもらえマスかー?これから、提督と、ワタシで、アフタヌーンティーと洒落込むんですから」

「榛名、なんでこのタイミングで来るのよ…」

 

「…」

 

「チョット、榛名?」

「榛名?」

 

「…あっ、二人とも居たんですね!今気づきました!あまりにも影が薄くて気づきませんでしたよ~」

「ア?」

「はぁ?」

「居るなら居るって言ってくださいよ~、まぁ、どうせこの後、榛名と提督のいちゃラブ空間に耐えきれなくなってすぐに負け犬としてし逃げ出すんだから居ても居なくても一緒ですね!」

「…へー?」

「……」

「大体、もう提督は榛名のモノだって確定してるんですよ?それなのに鎮守府(ここ)の雌共はもう決まった勝敗を認めようとしないで、惨めったらしくウジウジウジウジ…いい加減、諦めてほしいんですよ、榛名も。今すぐにでも提督とこんなクソみたいな所から抜け出したい、けれども、それを今やったら提督はおそらく悲しみます、提督は、優しすぎるんです。まぁ、そんな所も榛名は愛してるんですけどね…ふふっ、ふふふふっ、ふふふふふふふふっ」

「「……」」

「は、榛名?」

「ダメデスねー、完全に自分の世界を展開しちゃってマース」

「…気持ち悪い…、妄想が激しすぎます。こうはなりたくないですね…」

 

先程までハキハキといつもの様子で喋っていたはずの榛名が、いつの間にか下を向いてブツブツと何かを呟くようになってしまった。

しかし、ついさっきまでこの部屋に漂っていた不穏な空気は晴れた、なので、今声をかければ、この娘達にしっかりと通るのではないだろうか。

 

「ん゛っ!…3人とも、とにかく、今は落ち着け、何がそんなに気に触るのかはさておいて、お茶会?ならば今ここにいる全員でやれば済む話だろう」

「で、でも提督ゥー!」

「…私は最終的には、提督の発言を尊重させていただきます」

「……もー、やっぱり提督はやさしすぎますよ。そんなに他の艦娘(雌豚)に優しいと、榛名、嫉妬で、狂いそうです。…本気ですよ?」

「と、取り敢えず、時間も勿体無いし、早く始めてしまおう。それでは、準備を始めるか」

「…分かりましター。()()提督の言う通りにしマース」

「仰る通りに」

「はいっ!榛名、頑張りますっ!」

 

…やはり、聞き分けの良い、素直な娘達ではないか!

喧嘩をしていても、こうして言葉を投げ掛ければ素直に私の話を聞いてくれる。これ程嬉しいことは無い。

ここ最近、彼女達の論争がヒートアップすると私が声を掛けてもまるで聞こえない様子で罵声を飛び交わさせているからな。

…いや、実際に聞こえていないのだろう、根はいい娘達なのだから、少なくとも良好な関係を築けている私の言葉を聞こえているのに無視するなんてことは流石に無いであろう。

もしも無視されているのであれば、私は過去最高に傷つくだろう。

短い期間ではあるが、私はここ2年間、彼女達を(むすめ)であるかのように接してきた。

本当の娘など、いない私ではあるがな。

とにかく、なので彼女達にもしもそのような冷たい対応をされているという事実があるのなら、とてもではないがいつものように提督業を出来はしないだろうな。

…また思考が脱線してしまったな、とにかく今は、彼女達とのお茶会を楽しむべきであろう。

目の前の少し小さめなテーブルに広がるのは、色彩豊かな洋菓子。

私には、これらが何なのかなど、全くわからないし、予想もつかないが、芳ばしい匂いから、焼き菓子の類であろう事が分かる。

全くもって…美味そうではないか。

様々な菓子類が置かれている皿の横には、控えめの装飾が施されている…ポット?なのだろうか。があり、恐らくその中身は英国と言えば、の紅茶であろう。

 

「本来なら、アフタヌーンティーとはこんなに沢山の焼き菓子だけじゃなくて、サンドイッチとかケーキとか、もっと多様なものがあったり、ルールや作法もあるんですけど、今回は特にそういったしきたりとかに囚われず、提督が気軽に楽しめる様にそこら辺のは全部無視して楽しむネー!」

「成程、そう言えば榛名が持ってきてくれた菓子も焼き菓子の類ばかりだったが、それは?」

「丁度、榛名の手待ちがこれしか無かったので…提督がいつも楽しんでいるのはどちらかと言うと和菓子とか、そういった方のものですので、お口に合うかは分からなかったのですが、お茶がしたいのに何も持っていかないわけにも行かないと思い、これを持ってきました。が…もしかして、お嫌いでしたか?それならば金剛お姉様の分も今から私が捨ててきて…」

「あぁ、いや、大丈夫だ、私は好き嫌いなど特にない。洋菓子だろうが何だろうが、問題なく頂ける」

「なら良かったデース!」

「よ、良かったぁ…」

「…私だってこんな事になるならしっかりと準備をして来たのに…」

「アレ?()()()()()()()お茶会に不躾にも入ってきて、それなのに出せるものが何も無い、厚顔無恥が何か言ってるデース」

「正直常識知らずですよ…()()()()()()お茶会なのに…」

「…ギリッ」

「ま、まぁまぁ、それを言うなら私だってそうなのだから、あまりに霧島を攻めてやるな。な?」

「提督はワタシに誘われる側だったからしょうがないんですヨ。だけど急に入ってきた人が何も無いというのは余りにも無いんじゃないかなって思ったんデス」

「…榛名は、提督がそういうなら我慢します。…どこかの聞き分けのないエセ英国ビ○チとは違って」

「ハァ?誰がエセですって?」

「あなたの事ですよ、()()()

「…ワタシは寛大なのでその程度の言葉は許します。でも、榛名も大分人のことを言えた口ではないて思いマース。前から言おうと思ってたんですケド、その妄想癖、やめた方がいいと思いますよ。提督とのありもしない思い出を語られるのは何よりも不愉快ですし、見てて憐れですから、()()()からの忠告デース」

「…」

「…」

「あの二人は放っておいて、私たちはお茶を楽しみましょう。提督。はい、アーンです」

「え、あ、霧島、何をやって…分かった、食べるからその目をやめてくれ」

 

何とも、嫌なお茶会であろうか、いや、楽しいことには変わりない、ないのだが、そこに満ちる空気は、私の求める暖かい、家族のようなものとはまるで別であり、まるで戦場の様な空気であった。

が、皆と触れ合えて、楽しくないわけがないのも事実、なので、私なりに精一杯楽しもうと思った。

 

 

 

 

 

 

--この後、時間にして約1時間ほど、彼女達とのお茶会を楽しんだ。

皆、自分からあまりに話題を振れない私に対し、積極的に話しかけてくれて、改めて私と艦娘間で結んでいる関係性の強さを感じられた。

 

…が、しかし、この1時間で、彼女達が話題を振るのは私に対してだけであり、彼女達が話すのは決まって彼女達同士で喧嘩をする時だけであった。

4人で同じテーブルを囲んでいるのに、他の娘にそれぞれ絶対に見向きもせずに私の方だけを見て話していた時の目は、とても明るい色をしていたが、一歩、何かを間違えればその明るい色が全て剥がれ落ち、内にある暗い、昏い光が漏れでそうで、そのように感じてしまって、私はこの時間、素直に楽しみながらも一瞬も気が抜けないという意味の分からない状況に晒された。

正直に言って、とても疲れたが、この後もまだ仕事はある。執務中にお茶など、本来は許されないことをしているのだ、仕事の遅れなどあってはならない。

さて、残りの書類を片づけるとしよう。

 

 



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憩イノ場所ニテ修羅場…アリ?

現在の時刻は一九○○、丁度夜ご飯を食べ終わった皆が思い思いの場所で時間を潰している中、私、朝潮型一番艦、朝潮は、自室で一人、頭を悩ませていた。

その悩みというのは、最近、どれほど訓練を重ねても、自分の成長をあまり強く実感できないというものだった。

自分で言うのも何だけれど、私は訓練にも真面目に参加しているし、自主練も欠かさない、自らの進歩の為に、これまで努力は惜しまなかった。

そうした生活をこの鎮守府に着任してからずっと続けて来て、実戦経験も多分に積み、改二換装という強さの1つの指標に至ることも出来た。

けれど、そこから先が全く伸びない。

いくら努力をしても、もう一歩先へ踏み出すことが出来ないのだ。

一体、どうしたら、この停滞状態から脱せれるのか。

こんな時、自然と口をついてでるのが

 

「はぁ…司令官…」

 

そう、この鎮守府を纏める人、司令官の名だ。

彼は、私がこの鎮守府に着任する少し前に()()と一緒にここに着任し、そこから2年程で瞬く間にここを国内でも有数の国防の要と言わしめるほどの辣腕の持ち主だ。

初期の頃から司令官の近くで彼の仕事ぶりを見ていた私の感想は、一言、凄い、としか言えなかった。

革新的な新しい艦娘の訓練形態の発案や、天才的な作戦立案能力など、その才能を遺憾無く発揮した彼の姿は、私の眼にはまるで英雄に見えた。

でも、それらよりも更に彼の素敵な所がある。

それは、その性格だ。

一見、大柄で強面の彼は、その印象から思いもよらないほどの好青年だ。

優しく、不器用な内面は、見た目も相まってとんでもないギャップを生み出す。

しかも、あれで女性に対して苦手意識を持っていて、私達を娘の様だと言っておきながら、時々、一人の女を見るような眼で私達を見たりと、そのピュアな内面もとても素敵だ。

周囲に他に彼以外の男の姿はない鎮守府(ここ)では、当然、恋愛の対象としても司令官しかいない。

まぁ、居たとしても彼よりも魅力的に映るかなど、考えるまでもないのだけれど。

もにかく、私は司令官に恋愛感情を持っている、と言うのは変わりない事実である。

自分の気持ちに気づいたのは、確か今から5ヶ月程前、私が作戦中に敵戦艦の砲撃を受けて大破し、そのまま撤退を余儀なくされた時の話だった。

意識が朦朧とし、視界もおぼつかなかったあの時、撤退し、鎮守府に帰港した時の、司令官の顔は今でも覚えている。

必死な顔で仲間に運ばれてきた私を抱き込み、そのまま修理ドッグへ全力で連れていってもらった。

…今、思い出しただけでも顔のニヤケが止まらない程の出来事だった、少なくとも私にとっては。

司令官が必死の形相で、切羽詰まった声で私に「大丈夫、大丈夫だからな」と声を掛けてくれた時は、場違いながら「あぁ、私は司令官に、一人の男にこれほど大事にされているんだ」と心の中で思った。

 

尊敬している人物にそこまでされて、私の様な小娘の心が揺るがないはずもなく。

 

こうして、英雄に憧れる身の程知らずの構図が出来上がってしまったわけだ。

けれども、私はこの想いを司令官に伝えるつもりは毛頭なかった。

彼は司令官、自らの上司であり、私は艦娘、その部下だ。

司令官はその辺を割としっかり線引きしていて、私達を一人の女として見ることは…たまにあっても、決して手は出さないし、過激…行動力溢れる人達が彼に突撃しても、彼は冷静に窘めている。

まぁ、たまにそれでも御しきれず、面倒なことになっているのを見たことがあるけれど。

その上、彼は若くして異例のスピードで将官クラスまで昇格した為、大本営の一部から疎まれており、その立ち位置はかなりめんどくさいことになっていると聞いている。

けれども、その才能と将来性はかなり認められているらしい。その為、恐らく今後、大本営内の何処かの派閥が、彼を自派閥に引き入れるために、血の繋がりを得る…要は政略結婚をさせられる可能性がかなり高いだろう。

だから私は、そういうことになった時、傷つかない為に、司令官とは一線を引いている。

他の皆は誰もが「提督は自分のモノになる」と思って行動しているけれど、私はそうは思えない。

自分に自信が無いために、辛いし、苦しいけど、我慢しているのだ。

だって、今後彼のことがますます好きになって、その後に名前も知らぬ誰かと結婚…だなんてことになったら、きっと私は耐えられない。

だから、ここ最近は少しの距離を置いていた。

けど、やっぱり

 

「……会いたいな、会って、話をしたいな」

 

……これ以上、部屋に篭って考え事をしていると、更に思考が悪い方に向かいそうだ。

 

「…散歩でもしよう」

 

そうして、思考を入れ替えよう、このままこの事を考え続けても、自分にダメージを与えることにしかならなさそうだから。

そうと決めたら、外の空気を吸いに行こう、善は急げ、だ。

一応、外に出るので、鏡の前で軽く身だしなみを整え、問題ないと判断してから、部屋の外に出る。

駆逐艦寮は現在あまり人はいないのかな、なんて考えながら、存外に静かな廊下を歩き、玄関をくぐって外に出る。

もういい時間なので、日の光はなく、代わりに月の光と、夜道は暗いからと、司令官が妖精さんに頼んで作ってもらった外灯が、暗いはずの夜道を柔らかく、暖かく照らしてくれる。

と言っても、気温は下がっていて、少し薄着だったかなと後悔する。

それでも今から上着を取りに自室に戻るのは面倒臭く感じて、そのまま進む。

そして、広い鎮守府内の端の当たりにある、丁度駆逐艦寮から真反対の位置にある、お気に入りのベンチまで来て、それに腰掛ける。

ここは、私達が出撃する港とは距離を置かれて作られた憩いの場であり、周囲には美しい花、そして眼の前に広がるのは、広大な海と言う、何とも幻想的な景色が広がっていて、心を休めるのには最適の場所だった。

ぼんやりと海とその上に浮かぶ月を見ながら、私は先程の考えを打ち消す。

嫌な予想を消し飛ばす。

…何分ほどそうしていたのだろうか、急に、背後から声を掛けられた。

 

「朝潮、か?随分と放心していたようだが、どうしたんだ?」

 

その声は、間違いなく、司令官の声だった。

驚きから声が出なかったが、なんとか一言を絞り出す。

 

「な、何故ここに司令官が!?」

 

…声が上ずってしまったけど、まぁいい。

それよりも、今はこの場をどうすべきかを考える。

あまり、司令官と長く一緒に居たく無い。

…これ以上、自分にウソを付けるとは思えないから。

 

「ま、まぁ、なんだ、急に海が見たくなってな。それで思いついたのがここで、いざ来てみたら朝潮を見つけた、というわけなのだが」

「そ、そうだったのですか…」

 

会話が、途切れる。

でも、私としてはそれで良かった、司令官て顔を合わせてから、先程、自室で考えていたことが少しずつ戻ってきて、折角忘れられたのにまた苦しめられることになりそうだから。

こうして対面して話すだけで、胸が苦しい。

締め付けられる様な胸の痛みに、急かされるように私は別れの言葉を彼に告げる

 

「あの、それでは司令官、私はこれで…」

 

失礼します、と言いかけた時。

 

「あれ~、提督と…朝潮じゃん、どうしたの、こんな所で」

「ん?北上か?お前こそ、どうしたのだ?」

 

横から声が掛けられ、私の言葉が遮られる。

声を掛けてきたのは、北上さんだった。

ふわふわとした発言と緩い空気で、なんだか独特の存在感を放つ人だ、私はあまり彼女の事を知らないけれど。

そんな彼女はふらっとこんな所に来たかと思えば、司令官と突拍子もない会話を始める。

とは言っても、話題を降るのは殆ど北上さんで、司令官は聞き手に回っている、と言うより怒涛の話振りに、聞き手に回らざるを得ないと言った感じだ。

 

「それでさ~、大井っちが急に夜ご飯のおかずを私に渡してきてさ~、頼んでもないのに困ったもんだよねぇ~」

「そ、そうなのか…その割には、楽しそうに見えるが」

「そりゃそうだよ、だって〜〜」

 

会話が、続いている。

北上さんは北上さんで、いつもの剽軽な感じを思わせる軽い空気ではあるが、それでも、あまり彼女のことを知らない私から見ても、いつもより余程のこと楽しそうに見える。

それに対する司令官も、困り顔では有りながら、その顔色は柔らかく、北上さんとの話をなんだかんだ言って楽しんでいそうだ。

 

その楽しそうな顔を見て、私は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心の深く、暗い所が、急に私の中で、ぶわりと燃え上がるのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はいつも我慢しているのに、どうして北上(オマエ)はそんなに気軽に司令官と話せるの?

 

私は司令官のことが大好きなのに、どうしてその楽しそうな顔をこちらに向けてくれないの?

 

私はこんなにも司令官(あなた)の事を思っているのに、どうしてこっちを見てくれないの?

 

私はーー

 

私はーー

 

 

 

……

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「じゃあ私はそろそろ行くよ、じゃねー、提督」

「あぁ、気をつけて戻るんだぞ」

 

急に北上が来て、驚いたのもつかの間、マシンガントークを披露した彼女は、満足したのか、ある程度話したらさっさと戻って行ってしまった。

まぁ、掴みどころのない彼女を縛り付けるのなんて不可能だ、そもそもここに縛り付ける理由もないが。

…そう言えば、私と北上が話している間、朝潮が黙っていて、一言も発しなかった事に疑問を感じた。

どうした、と、声を掛けようとそちらを向いた

 

ーー何だ?

 

妙に空気が重い、まるで身体中に鉛を載せられているかのような重圧。

それと、気温も幾ばくか下がったように思える、確かに今日の夜は冷えるが、ここまで酷くはなかったはずだ。

暗鬱とした感覚が背筋を走り抜け、嫌な予感が胸を騒ぎ立てさせる。

 

「……朝潮?」

 

一言、確認の言葉を発する。

何を確認したいのか、一体どういう意図で確認しようとしたのかは分からないが、とにかく、言葉を掛けなければという感覚に襲われたのだ。

 

「…して」

 

「…どうして…か?」

 

「…どうしてなんですか?」

 

何がだ、等とは聞けない。

何故なら、今の彼女からは、少しの手違いですぐにでも爆発する危険物のような、そんな気配を感じたからだ。

 

「朝、潮?」

「私は、これまでずっと我慢してきた。我慢して我慢して、司令官と、アナタと一緒に居たいのも我慢してきた。なのに、なのにどうして!!そんなのズルい!私だって司令官ともっと一緒に居たい!もっとお話したい!…それなのに…そんなの、ズルいよ…」

「…」

 

彼女の、心の中の思いをぶつけられ、思わず戸惑う。

今まで私は…何をして来たというのだ。

彼女達と過ごした時間で、多少なりとも分かった気になっていた。

自惚れていた。

だがどうだ、これは。

まだこんなにも小さな少女にの心に、これ程の強い思いを溜め込ませる程に、私は慢心していた。

その事実はひどく衝撃的で、頭をガツンと、横から殴られたような感覚だった。

…謝らなければ、なるまい。

ここまで彼女を追い詰めたのは、私だ。

一体、何を皮切りにこの思いが私にぶつけられたのかは分からない、だが、そんなことはどうでもいい。

とにかく、朝潮に謝意を見せ、落ち着いた後にしっかりと話を聞きたい。

 

「…朝潮、お前がそこまでになるほどの我慢を強いてきたのは、私のミスだ、本当に、…すまない」

「…いえ、いいんです、司令官」

「…ありがとう、朝潮、この件に関しては、また後日…」

「大丈夫です。えぇ、だって、今すぐ司令官。私のモノにすればいいんですから、謝罪なんて必要ありません。私のモノにさえなって頂ければ」

「っ!?」

 

顔を俯かせており、表情の見えない声で、朝潮が私に飛び込んできた。

まるでタックルのような勢いで、避けることは出来たが、それをすると彼女が怪我をする、なので正面から受け止める。

急に様子が変わった、それはまるで、昨日の霞の様でありーー

 

顔を上げ、こちらを向いた朝潮の眼を見て、確信する。

これは、不味い気配がする、なんとか彼女を説得して、落ち着かせ…

 

「司令官…、私との間に子供が出来たら…ずっと私の事を見てくれますか?私の事だけを考えてくれますか?」

「なっ…」

「艦娘は、体の作りは普通の人間の女と変わりない、つまり、子供を作る事だって…出来るんですよ?」

「あ、朝潮、落ち着け、取り敢えず、一旦離れるんだ、朝潮!」

 

朝潮は、その見た目とは裏腹に、とても力が強く、簡単には脱出できそうに無い。

『落葉』を使って脱出しようとも考えたが、軍服のベルト部分を掴まれていて、離れることが出来ない。

くっ、どうすれば、この状況を納めることができるんだ!

 

「司令官、司令官…」

 

朝潮は、私の声を聞いても決して私に抱きつく力を緩めることはしない。

…しかも、この絵面は非常に不味い。

私と朝潮ではかなり大きな身長差があるため、抱きつかれた時に、朝潮の顔が丁度私の腰辺りに当たっているのだ。

いくら夜で人のあまり来ないとはいえ、先程は北上もここにふらっと来たではないか。

こんな光景を見られたら…ただ事ではすまないだろう。

 

 

…仕方ない、これだけは最終手段として、決して使いたくは無かったのだが。

感情が昂りすぎて、冷静な思考が出来ておらず、暴走している朝潮を止めるためには、これしかないだろう。

 

「すまない、朝潮…今度、落ち着いて話そう、悪い…『堅刀』」

「ふぎゅっ」

 

堅刀(けんとう)』とは、文字通り、手を堅くし、手刀の形で振り下ろす技だ。

今回は、朝潮を気絶させるためだけの効果が必要だったので、『刀』の部分の性質は使わずに、堅くするだけの技として扱った。

万が一にも怪我をさせる訳には行かなかったので、最新の注意を払ったのだが…私が堅刀を打ち込んだところ当たりにが少し赤く、打ち身をしていた。

…もう少し私の腕が良ければ、このダメージすら与えることなく気絶させられたんだが…修行が足りないか…

いや、今はそれはいい、とにかく、朝潮を駆逐艦寮まで運ばなければ。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「ここが朝潮の部屋か…」

 

とても軽い彼女の体を横抱きにして連れてきた私は、今の時間帯、殆どの艦娘が食堂、もしくは娯楽室にいるのが分かっている。

その上、人の気配もしないし、この姿は誰にも見られてないだろう。

鍵を使用し、彼女の部屋に不躾にも入り込んだ私は、ベットを見つけ、そこに朝潮を寝かせる。

…幼く、小さい、このような娘に、ここまで無理をさせていたとは…

 

やはり、一度鎮守府の皆と個別に話し合う必要がありそうだな…

 

すぅすぅと寝息を立てている朝潮の姿を確認した私は、早急に外に出る事にした。

 

取り敢えずは、一度私室に戻るとするか。

 



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執務室ニテ修羅場アリ【3】

 

…………ん

…朝…か。

少し、早く起きてしまったようだな。

まぁ、それ自体は悪いことでは無いのだが…

 

昨夜の件のことで、随分と頭を使ったからだろうか。

気持ちの朝の光を降ろす今日の天気とは裏腹に、私の心は酷く澱んでいて、決していい目覚めとは言えなかった。

 

…当たり前だ。

あんな事があって、私の様なものがさっさど気持ちを切り替えて穏やかに睡眠など取れるはずもない。

あまりに衝撃的な事であった為、いつもより私の思考は回り、目がが冴えて寝付けなかったのだ。

 

取り敢えず身体を起こし、私室の隣にある洗面台に向かう。

…酷い顔だ。

こんな顔で秘書艦の、みんなの前に出たら、きっと心配させる事だろう。

頭に立つものがこんな様子じゃあ、あの娘達を不安にさせてしまう。

せめて、顔つきだけでもいつもの調子に戻さねばな。

顔を洗った私は、完全に睡眠の微睡みから抜け出し、またもや思考の連鎖に陥っていた。

色々と昨日の事を考え直し、時々さらに心にダメージを負うこともあったが、やはり考え事をする中で、一番思考の割合を占めているのは、あの時の朝潮の、言葉だった。

 

あれは、…私の自惚れでもなんでもなく無ければ、間違いなく、私の事を好いている、と、言うことなのだろう。

…いや。あそこまで言われて、まだ疑問形では、彼女に失礼だろうか。

ともかく、昨夜の事は、私の様な者には色々とダメージが大き過ぎた。

 

彼女が、朝潮が、普段のイメージとはほど遠い感情を爆発させながら、顔をくしゃくしゃにさせ、大声で、私に投げ掛けてきた、言葉。

それは、嘘偽りなど全くない、彼女の本心であり、今まで内に秘めていたモノ、間違いなく、抑えていた感情、なのだ。

 

……

 

私は、どうしたらいいのだろうか。

結局は、どれ程思考を重ねたとしても、この問題に尽きる。

情けない男だと思われるかもしれないが、私はこの様な揉め事には一切の免疫がない。

 

告白されたことなど、これが初めて…では無い、が、それでもこの年まで軍人として、その道一本で生きてきたつまらない無骨ものの私には、そのような経験がないのは必然であって、うまく心に踏ん切りもつけられず、彼女の想いにしっかりと答える、なんて事は直ぐには出来そうもない。

 

…実際は、それが一番の正解なのだろう。

私から、彼女に、このようにぐだぐだと無意味にマイナスの考えなどせずに、答えを返すのが、結局は一番の正解なのだ。

そんな事など、分かっている。

 

…分かっている、のだが、…何故か、彼女の想いに対する答えが出てこないのだ。

いや、答えなどとうに出ている、NOだ、彼女と私は上官と部下。

個人的に深い関係を結ぶ事など、許される筈がない。

そんなことはわかっている、だが、分かりきっている答えを、何故か振り絞れない。

 

何故だ?何故私は答えを出せない?返事など、決まっていると言うのに。

何故だ、何故、何故…

 

 

 

 

「提督?おはようございます、起きていたのですね」

 

ハッと、意識が現実に引き戻される。

ベッドに座って下を向き、思考の渦に飲み込まれていた私を現実に引っ張りあげたのは、今日の秘書艦、大和の声だった。

 

「あぁ…、おはよう、大和、もうそんな時間か」

「えぇ、そろそろですね。今日も一日、頑張りましょう!提督!」

「…うむ、そう、だな…」

「?」

 

いかんいかん、一日の始まりに私がこんなに暗くては全体の士気に関わる。

なんとか切り替えて、仕事をせねば…

 

「そういえば、早起きをしたというのにまだ着替えもすんでいなかったな」

「もう、提督~?早くしてくださいね!」

「あぁ、済まないな、それじゃあ…」

「?」

「…」

「…??」

 

じーっと見つめ合うこと数秒、な、何故だ、分かると思ったのだが…

 

「あー、その、大和?」

「はい、何でしょう?提督」

「いや、その、な、私は、着替えるんだぞ?」

「?えぇ、そうでしょうね」

 

…天然か?

いや、彼女は聡明で、察しもよく、頭の良い娘だ、分からないはずもないと思うのだが…

 

「…あぁ、だから、部屋から出ないのかと…」

「あぁ、それなら大丈夫です」

「いや…」

「大丈夫です」

「だから…」

「大 丈 夫 、です」

「…」

 

まぁ、もういいか。

別に私の着替え程度、見られて困るものではないからな。

さっさと済ましてしまおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

確かに、確かに私は男だし、着替え程度見られて困るものでもない、が…

 

だが、あそこまで無遠慮な視線をジロジロと向けられると、その、…流石に恥ずかしいものがある。

 

さて、出だしからつまづいてしまったような気もするが、気を取り直して行こう。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

「ふぅ…終わった、が…」

「?どうしたのですか?」

「いや、少し…いや、いつもより大分片づける書類が少ないと思って」

「そういえば、確かに…今の時間は…まだ二時、ですね」

「いつもより二時間は早く終わっているのか」

「えぇ、そのようですけど…」

 

今までも、書類がいつもよりかは少ないと思うような日は当然あった。

毎日処理する仕事量は必ずしも均一ではなく、日によって変わるからだ。

 

だが、二時間もの時短となると、少し不安が残る。

必要書類の提出を忘れる様な娘に旗艦を任せているつもりも無いし、もし仮に遅れている、忘れているのだとしても、ローテ毎の艦娘による定期出撃の報告書など、1日分のを纏めても、処理にかかる時間は一時間も掛からないだろう。

となると必然的に、

 

「大本営からの業務書類が少ない…という事でしょうか?」

 

うむ…それしか理由は見つからないな。

まぁ、業務連絡と言っても他鎮守府の人員不足による一時的な艦娘の援軍要請や、式典、儀典などへの出席などのものだから、偶然量が少なくなると言うこともあるかも知れないが…

 

ええい、くそ、大本営に連絡を取るか?しかし()()()が出ると厄介なのだ。

 

しかし、私としては少しでも不安要素を排除しておきたいものだ。

現時点では大和にしかこの状況を知られてないし、この件に関して黙っていろと言えば、色々と勝手に察してくれた上で、聡明な彼女は従うだろう。

 

だが、それは彼女の心に一抹の不安を抱えさせることになるのも事実。

それは私としてもあまり望まない事態だ。

…やはり直接確認を取るか…

 

………

 

……

 

…いや、今すぐでなくともいいだろう。やっぱり後で…

 

 

ヂリリリリリリリリ!

 

 

「うおっ!」

「きゃあっ!?」

 

急に鳴り出した電話に、二人揃って声を上げてしまった。

まぁ、大和が驚いたのは、私が急に大声を上げたからだろう。

電話が来ただけなのにここまで過剰に反応する事も無いからな。

 

しかし、このタイミングで電話が来たのなら、恐らくは書類の量に関係する連絡だとは思うのだが…

いや、それよりも問題は、この電話の相手が()()()であるかどうかだ。

出来ればそうでない事を願いたいが…

 

「提督?電話、出ないんですか?」

「ん、あ、あぁ、分かっている、出るぞ」

 

えぇい、ままよっ!

勢いに任せ、電話を取る。

 

『もしも~し?こんにちは~!大本営第二管制室の辻堂ナツメで~す!センパイですかー?ってまぁこの時間は執務室に絶対居るからセンパイがでるって分かってたんですけど一応聞いちゃいました~♪」

「…あぁ、私だ…しかし辻堂中尉、言葉遣いはもういい、今更指摘するのも面倒だ。しかし、せめて私の事は先輩ではなく提督と呼べと何度言ったら…」

『お久しぶりです~、セーンパイっ♪電話越しとは言えセンパイの声が聞けて私は嬉しいですよ~?センパイも嬉しいですよね~?あ、答えなくていいですよ?分かってるので、センパイの事はぜーーーんぶ、ね?』

「…それで、電話を掛けてきたという事は何かあるのだろう?大体察しはつくが、要件を聞こう」

『センパイの声が聞きたかったから掛けちゃいました☆』

「冗談はいいから、早く要件を」

『も~っ、相変わらずせっかちですねぇセンパイは。まぁそんなところも含めて愛してるんですけど♪』

「…辻堂」

『ハイハイハイっ、分かりましたよもぉ~。それではまぁ、本題なんですけど、恐らくそっちの察してる通り、今日の仕事の量について一応説明しろと言われましてね、このナツメちゃんが連絡を取った次第です!』

「うむ、で、何故急に仕事が少なくなったのだ?」

『それがですね~、この間の人類側初の攻勢作戦によって~、日本近海の深海棲艦に結構大きな損害を与えられちゃったみたいで~、そこから数ヶ月くらいは逃げ延びた深海棲艦が結構広い範囲に広がっちゃったから、それに対応する為に一時期仕事が増えてた期間があったんですけど、それらの処理もほぼ終わったので、あとのちょこちょこある細い諸々は大本営がちゃちゃっと請け負っちゃって、これまですこ~し忙しくしちゃった各地の鎮守府に余裕をプレゼント!という事になったんですよ~、なので、問題があったとか、そーいうのでは無いので安心していいですよ!ってな訳です♪どうですか?伝わりました?』

「…うむ、委細承知した」

『…ま~た妙にカタくるしい言葉を…まぁいいです。取り敢えず伝えるべき事は伝えました!…所で、センパイ?このさき、そちらの方で何か忙しかったりとかそういう日って…有りますか?』

「む?仕事を減らしてくれたのはそちらではないか?」

『いやぁ、地域の人達と融和を図るための触れ合いイベントだの何だのってあるじゃないですかー?民間地域と近いとそーいうので忙しくなったりって有るのかなーって…』

「そういう事なら…ふむ、ここ三ヶ月は特にそのような事は無いぞ?」

『…!わっかりました!ありがとうですっ!センパイ!それじゃあ私はこれで!』

「うむ、ではまた」

 

…全く、真面目にやれば出来るのに、何故ああもおちゃらけているのだ…

一度しっかりと説教でもする必要が有りそうだな…

 

「………提督?」

「なんだ、大和…っ!?」

 

大和に声を掛けられ、そういえば、すぐ横に居たはずなのに電話中に姿が見えなかったな、などと思いながらそちらを向いた。

 

 

そこには

 

 

「…先程の電話の相手は、一体、何処の馬の骨でしょうか、まさか…」

 

 

「外に女が居る、なんてこと、あるわけないですよね…?」

「や、大和…?」

 

まるで幽鬼のようにユラユラと揺れながら、少しづつこちらに迫ってくる大和の姿があった。

まるで陳腐なホラー映画の様な光景だが、それを大和の様な長身の日本美人に目の前でやられるとかなり怖い。

 

しかもその表情は、長く美しい長髪によって隠れており、一層不気味さが増している。

 

その上、何よりも私が驚いたこと、それは。

 

彼女が、どこからか持ってきたのか、ナイフを手にしている点だ。

 

 

武器を持つ相手への対処は知っているし得意だ、恐れることなど何も無いのだが…大和の放つ、腹の底から凍える様な寒気に押され、私は一歩も動けず、間抜けに彼女の名前を呼ぶ事しか出来なかった。

 

「私、私…大和は、鎮守府の中では、提督が私以外の娘と喋ったり、近づいたりするのも、我慢出来ないけど、我慢してました」

 

「だって、あんまり過ぎた事をする(メスガキ)には、痛い目に合わせてやればいいだけですから」

 

「でも、でも…鎮守府の外に出られては、私には何も出来ない…」

 

「艦娘は、提督の許可証が無いと、外出来ないから…」

 

「ここの外で提督に近づく畜生には、私には対処出来ません…」

 

「だから、最初から決めてました。私」

 

「もしも、もしも提督がここの外で私達以外の女と恋人になったり」

 

「…ケッコンする、なんて事になったら」

 

「貴方を殺して、私も死のうと」

 

「そうすれば…」

 

「天国で一緒になれますから、ね?」

 

「だから、提督…」

 

「そこで大人しくしていて下さいね?」

 

そう言って、一歩、また一歩と、彼女は迫ってくる。

普段の大和撫子然とした彼女の姿はとうになく、地獄の蓋を開けたかのようなほの暗い感情が感じられる。

どうにかして彼女の勘違いを解かなければ…しかし、この状態の彼女にまともに話を聞いてくれるとは到底思えない。

 

なんとか彼女の心を揺らがせ、私の言葉をしっかりと受け取ってもらう方法は…

いつもの私と違う行動をすれば、彼女が動揺しその注意を私に向けるような事…

 

…一つ、思いついたが、これが効くかは賭けだ。

もし、大和がこれで何も感じなかったならそのままナイフで刺されて終わりだろう。

だが、私の貧弱な発想力では、これぐらいしか思い付かないのも事実。

 

…やるしかない。

覚悟を決め、私は、足に力を込める。

そして、今持ちうる全力を解放し

 

大和に抱きついた。

 

「…ッ!?」

「聞いてくれ!大和!」

「はっ、ハイ!?」

「何故勘違いしているのかは分からん、が!辻堂中尉は私が昔所属していた部隊の仲間であり、不埒な関係など、これまでも、そしてこれからも、一切有り得ん!…だから、取り敢えずそのナイフを置いてくれないか?大和…ん?」

「きゅう…」

 

…大和が、気絶している。

頭に血が上りすぎて脳がパンクでもしてしまったのだろうか…?

 

まぁ、とにかく、この場を収められたのならば、いいか。

 

…疲れた……

 

 



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戦艦寮ニテ一悶着アリ

その後、倒れた大和が起きるのに、そう大した時間は掛からなかった。

起き上がった大和は、状況が飲み込めていないのか、少しの間ボーッとした後、先程の痴態を思い出したのか少しテンパった様子で謝罪してきた。

 

私としては、この様なことには、恐ろしい事に慣れてしまって居るので、確かに驚きはしたが大丈夫だという旨を伝え、本日の執務は終わりにするからもう休むように伝えた。

 

彼女はこれを慌てて拒否し、自分にはまだ秘書艦としての仕事があるから提督のそばを離れるわけには行かないだのなんだのと言っていたが、こちらとしても突然気絶する様な状態の彼女に仕事をさせるなど不安だ。

 

しばらくお互いの意見は平行線を貫いたが、最終的には大和が主張を控え、私にその辺りの判断を委ねると言ってくれた。

 

当然、私の主張は彼女を一刻も早く休ませる事なので、自室に戻る事と、しっかり休むことをもう一度、今度は少し厳しめに伝える。

その後は簡単に事は運び、大和は退室の礼をして執務室からそそくさと退室する運びとなった。

 

…少し落ち込んでいる様だったな、無理もない、普段の撫子然とした彼女からしたら、あんな姿を見られるのはあまり良い心持ちでは無いだろう。

 

後ほど戦艦寮にでも行って、フォローをするべきだろうか…

いやしかし、いくら言葉を重ねたとしても、彼女の受け取り方によっては嫌味に聞こえるような事もあるかもしれん。

だが、これで放っておいたとしても気になって仕方がない。

いや、しかし…

だが…

しかし…

むぅ…

 

 

…やはり、フォローしに行くとしよう。

やらずに後悔するより、やって後悔した方が、マシに決まっている。

…彼女に攻撃的な態度でも取られでもしたら、私の心が耐えられるかどうかは、別だが…

 

えぇい、面倒だ!今、行くとしよう!

このモヤ付きを抱え込んで過ごすのは全くもって頂けない。

精神的な余裕は何事にも直結するのだ。

ならば、さっさと解決してしまうに限るだろう。

決意を固め、執務室を出る。

今の時間は訓練や雑務の忙しさがピークに達する辺りだからだろうか、人の気配が全く感じられない。

ズンズンと歩みを進め、一度外に出て、戦艦寮への道をひた歩く。

 

戦艦寮に着いた、扉を開け、廊下を進んで大和の部屋を探す。

一階を見終わり、二階に登る。

階段を登ってすぐの所に大和の部屋を見つけたので、勢いそのままに扉を開く。

 

「大和!先程の件だが、私は本当に気にしてい、な…」

「…え?」

 

はたしてそこに居たのは、大和、ではなく、その姉妹艦、武蔵であった。

それだけならば、特におかしい所もない。

二人は姉妹艦、どちらの部屋に居ても別段普通の事だろう。

 

私も、武蔵も意外には思うだろうが、それだけだ。

それならばなぜ、両者共に驚きに身を固めているのかと言うと。

 

端的に言えば、武蔵が服を着ていなかったからである。

 

「……」

「……」

 

産まれるべくしてこの場に産まれた、静寂。

物音一つ立たない静謐たる空間に差し込まれた、最初の音は。

 

「きゃあああああああああああああああああっ!!!!」

 

絹を咲くような絶叫、であった。

勿論、それは眼前に映る全裸の彼女による物で。

「何だ何だっ!」

「何事だーっ!」

 

それは、一つの建物に響き渡るには十分すぎる音量で。

 

「提督のっ…」

「まっ、む、武蔵っ…」

「馬鹿あああああぁぁぁっ!!」

 

唸る右腕。

 

ばちぃんっ!という派手な音。

 

脳が揺さぶられる感覚。

 

慌ただしく動く周囲の喧騒。

 

そんな情報過多の世界を最後に、私の視界は暗転した。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

…む

私は…寝ていたのか?

脳が仕事をしない。

 

取り敢えず体を起こそうと無意識の内に考え、身をよじるも、本当に芋虫のようにグネグネとうごくばかりで、起き上がることも出来ない。

 

何故だ?そう言えば、体に違和感を感じる。

そう、腕が動かず、胴に張り付いていて、足も開かない。

久しく味わっていない気がするこの感覚は…

そうか、縛られているのか。

 

……

縛られて、いる?

縛られているのか!?私は!

有り得ぬ展開に全く仕事をしなかったはずの脳みそが急速に働き始め、状況の理解に務める。

 

覚束無い視界もようやく明瞭になり、ハッキリと私の目に映りだした光景は、誰かの足だった。

それも複数。

 

…つまり、転がされている?

縛られた上に、床に転がされるとは、何という。

しっかりと仕事をしている脳みそが(はてなマーク)で埋め尽くされそうになった頃、先程の記憶が一気に蘇ってきた。

 

決意に燃える自分。武蔵の赤裸々な姿。視界に迫る手のひら。ワラワラと寄ってくる戦艦寮の艦娘達…

 

それらの要素から導く出される結論は…

 

 

「起きたみたいだなぁ?相棒」

 

不意に聞こえてくる、言葉。

何故であろうか、友人に投げかけるような気さく声音であるのに対し、受ける印象はまるで裏腹の物。

まるで、戦友を地獄に引きずり下ろす音叉の声の様な感情を感じる。

それとも、深海共の恨み辛みであろうか。

 

ともかく、そのおどろおどろしい声の主に、情けなくも浮気がバレた亭主のような心持ちで言葉を返そうとした矢先。

 

「む、武蔵、この状況は…」

 

Hey(ねぇ). アナタ、今の『相棒』って、何かしら?聞き捨てならないのだけれど」

「相棒は相棒だ、それ以外に何がある?」

Well,but(そうね、でも). 少し距離が近すぎるのではなくて?」

「近いも何も、コイツはこの武蔵の『相棒』だ。それ以上でもそれ以下でもないが?」

Is that so? But(そうかしら?だけど). 私がその言葉に受けたimageは、何だかアナタの妄想が一人歩きしていると思うの」

「…何が言いたい」

「…少し距離が近すぎるんじゃなくて?Know oneself(身の程を知りなさい)

「…英語にはあまり詳しくないが、罵倒されているのは分かったぞ。いい度胸じゃないか」

「あら?罵倒なんてしてないわ?advice. 助言のつもりだったのだけれど…気を悪くしたなら、ごめんなさい?boar(イノシシ)さん」

「いよいよ死にたいようだな…この三枚舌野郎」

「やだ、野郎だなんて…そのアマゾネスみたいな見た目の通り野蛮ね。もう少し慎みを覚えたらどう?なんなら教えてあげるわよ?」

「貴様っ…」

 

私の言葉を遮って始められた舌戦は白熱し、遂には艤装を展開しかねないほどになっている。

仮にここで二人が砲を交えたら、私はもとより、ここに居る()達にも被害が及ぶだろう。

流石にそれは避けなければ。

 

「ストップ、ストップだ。二人共」

「admiral. そんなに怖い顔をして、どうしたのかしら?」

「止めてくれるな相棒。今この女の横っ面を引っぱたいてやろうと思っていたところだ」

「だから、その「相棒」呼びを止めろと私は言ってるのだけれど」

「ウォースパイト、今は良いだろう。後にしなさい」

「…アナタがそう言うなら、そうするわ」

「ありがとう、ウォースパイト…、兎も角だな、こちらとしても言いたいことは有るんだが、取り敢えず一度起こしてくれないか?床に転がされたままでは色々と不都合が…」

 

こんな体勢で何を言おうと、威厳もクソも無いだろうからな。

だが、それよりも深刻な問題がある。

現在、床に転がされて仰向けになっている私の、頭の少し先辺りで二人が口論しているわけで、そちらに顔を向けると、その、なんというか、…下着が見えてしまうのだ。

先程も見えてしまったわけだが。

武蔵は小さなリボンのあしらわれた可愛いやつで、ウォースパイトは意外にも黒、それも、極めてセクシャルなヤツであった。

…それはどうでもいいのだが、ともかく、そんな状況で話したいと思うものは余程の変態か馬鹿だ、私は変態でも馬鹿でもない。早く起こして欲しい。

 

「いいのかしら、admiral?そのままの床に寝っ転がってれば私達の下着が見放題じゃなくて?」

「っ!?」

「なっ!提督、貴様…っ!」

「待ってくれ武蔵!確かに見てしまったがそれも一瞬で、決してわざとでは…!」

「あら?私、確かに見放題とは言ったけど、本当にadmiralが私達の下着を見ていたの?」

「ハッ!」

「ウフフッ、まぁadmiralも健全な成人男性なのだから、しょうがないわよね。私はそういうのにもしっかりと理解がある女よ?そこに居るアマゾネスと違って」

「提督…貴様には失望したぞ…!」

「待て待て待て、本当に!事故なんだ!偶然!わざと見たわけでは無い!信じてくれ、武蔵!」

「…本当、なんだな?」

「あぁ!本当だ!」

「…分かった、信じよう。…待ってくれ、今起こす」

「ありがとう。武蔵」

 

艤装が展開されていたし、砲門がしっかりとこちらに向けられている中、良くぞ説明しきれたものだ。

艦娘に砲を向けられるなど、全く笑えんぞ。

ただ、まぁ、今回は、武蔵に対してはそれをやられても怒ることが出来ないほどの失礼をやらかしている訳だが…

 

ようやくに体が起こされ、椅子に座らされた。

…実際、この程度の拘束ならば抜けようと思えば抜け出せたのだが、今回は完全にこちらが過失を犯した形なので、そこは自重していたのだ。

 

しかし、部屋の真ん中に踏んじばられて座らされ、艦娘達の視線を浴びながらこれから武蔵に対して弁明を行うなど、まるで裁判が如き、だな。

…笑えないな。非常に。

 

「それで、だな、武蔵…。先程は、本当に済まないことをした。この通りだ」

 

素直に頭を下げ、謝罪する。

一応、少将である私は、もちろんこの頭を軽く扱っては行けないことも心得ているが、今回は事が事だ、確実に私が悪いし、頭を下げて謝意が伝わるのならば、すべきだろう。

 

「ふむ…、正直、言いたいことは色々あるのだが、その姿だけでもはや…」

「足りないわぁ」

「え?」

「私、誠意が足りないと思うの、admiral」

「貴様、何を勝手に…」

 

(良いから、ここは私に任せなさい。アナタにも美味しい思いはさせてあげるから)

(だから、何を言って…)

 

「確かにadmiralは誠心誠意謝ってると思うわ、それは私にも伝わってるもの。でも、一女性として考えるとやっぱり保険が欲しいわ」

「保険、か?」

「そう、それも形あるものとしての保険」

「…それは例えば……」

「そうね、私としては…admiralの財布に痛い目見てもらうのが1番じゃないかしら、と考えるの」

「それは…贈り物、の様な形でか?」

「Exactly!それで、ただ私達の要求を聞いてもらって、って言うのよりも、admiral自身にそのpresentを決めてもらいたいの!」

「私が…か?」

「そう、アナタが選んだ物を、私達のbirthdayにpresentして欲しいの。そうすれば、ここに居る全員に誠意が形として残るし、何より私達も嬉しいわ、どう?」

(どう?こうすれば皆happyよね?)

(うむ…正直言って貴様らにも贈り物を、と言うのは納得出来ないが…、まぁ、良いだろう。良くやった)

(ふん、貴方の為じゃないわ、私の為よ。それに、ここで「全員に」っていう条件にしないと、後々面倒だったしね。これがbestかしら)

 

今この場にいる全員にプレゼント、か…

…正直、そのくらいならば一切の被害もないと言えるほどに、金はある。

 

何故なら、これまた単純だが、使う機会がないからだ。

基本鎮守府に常駐するので、まず買い物などしない。

だから、そっちはなんの問題もないのだが…

 

不味いのは、私が選ぶ物を、という点だ。

女性に贈り物だと?私のセンスでか?

厳しすぎる、とんでもなく幻滅されそうだ。

 

無難なものを、とも思うが、誠意の形としての物なのだし、しっかりとした物を選ばねば…

そう考えると、とても厳しい条件だな、これは…

だが、それで許しを得られるのならば…

 

「…分かった。約束しよう。それぞれの誕生日に、私が選んだ物をプレゼントするとしよう。それで許されるのならば、安いものだ」

「うむ、この武蔵、それに文句はない」

「それじゃあ、解散するとしましょうか。あ、今縄を解くわね」

「スマンな、頼む」

「…ね、admiral」

「…どうした?急に小声で…」

 

小声で話しかけられたからこちらも声を小さく返答したが、なんだ?

 

「アナタが選んだものを、なんて言った手前。少しアレなのだけれど、欲しいものの希望を言ってもイイかしら?」

「あぁ、それくらいなら良いぞ。何が欲しい?言ってみてくれ」

「…私が欲しいものは……」

「…勿体ぶらないでくれ、何だ?」

 

 

 

「…Engagement ringが、欲しいわ」

 

 

 

「エンゲージリング?」

 

ん?エンゲージリング…

 

「……………」

「なっ!?」

 

それは、つまり…

 

「フフッ、期待してるわよ、admiral?」

 

チュッ、と

頬に柔らかい感触がした。

 

 

 



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戦艦寮、大和ノ部屋ニテ修羅場アリ

 

 

艦娘達が立ち去って行く中。惚けた私の頭を駆け巡っているのは、ウォースパイトの恥ずかしげな言葉と、頬に残る感触。

 

…そうか、つまりは、そういう事なんだろう。

 

…何故私の様な無骨ものを……

いや、自分を卑下するのは止めるとしようか。

それは、私なんぞを好いてくれた彼女等にとっての侮辱になりかねん。

 

ありがたい、のだろうか。

…そう、だな。実際、彼女達から、本当の気持ちを感じられる言葉をぶつけられた時、私は何れにしても、悪い気持ちにはならなかった。

 

男の(さが)であろう、あの様に気立てもよく、強く、美しい女性はそうそう居ない。

そんな、魅力溢れる女性に好かれるなんて、望外の幸運だ。

 

…だが、今は戦時中であることを忘れてはいけない。

我が鎮守府は戦力的に余裕があるとはいえ、これは戦争なのだ。

そして、彼女達は兵士で私が司令である。

 

私は、鎮守府(ここ)の提督である。

今までは、上官と部下に、そのような関係性はありえないと思ってきたが、それは唯の、自らを律するために自然と出ていた方弁だと認識する。

 

だが今ならば、一人の男としての気持ちで言える。

もしも私が彼女達のいずれかの好意を受け入れたとしよう。

だが、あの()らは艦娘である。

私が陸で何も出来ずにいる中、鉄と砲弾の戦果で持って戦いを繰り広げるのは、彼女等だ。

 

私は、それが嫌なのだ。

ワガママだとは承知だが、自らが愛した女を、ぬけぬけと戦場に突っ込ませ、傷つかせるのが、たまらなく嫌で仕方がない。

 

それが、「艦娘」にとっての侮辱になるとは、分かっている。

「艦娘」とは、今でこそ可愛らしい女性の姿になっているが、元は誇りある軍艦。

戦いを恐るる道理も無し。

 

そもそも、本来ならば役目を終え静かに眠っている彼女達を、再び戦争の火の海に放り込んだこと自体が随分と恩知らずな事なのだが…

 

…考えれば考えるほど、今度は理性だけでなく感情的な思考も混じっている事からも、どんどん否定的な心情になっていく。

 

それが私の本質だからしょうがないと思うのだが、このマイナス思考を何とかしたいとも考える。

悪いことばかりじゃないのだが、どうも、こういう時には、何処までも最悪を想定してしまうのは、応える。

 

ぼすっ、とベッドに体を横たえ、ため息を一つ。

 

「齢三十を超えて、まさか色恋で悩むことになるとはな…」

 

思わず、苦笑すら漏れる。

全く、こんな情けない男の一体どこが…

 

「っと、自己否定は無しだ。先程そう決意したばかりだろう」

 

……

 

もう、いっその事、寝てやろうか。

もう仕事は終わっている、やるべき事など、特筆に値する程のことも無し。

 

ならば、一度休みをとり、気持ちの面で色々とリセットするとしよう。

…そうと決意した瞬間に、眠気がその時を待っていたと言わんばかりに電撃的強襲を仕掛けてきた。

私はそれに攫われるように甘美なる睡眠への誘惑に…

 

カチャッ、という音がした。

眠くなってきた(まなこ)のまま、そちらに視線を向ける。

 

「……えっ?」

 

そこには困惑の感情が全面に押しでている、大和の姿。

完全に休むつもりだった脳が、何故大和がここに?と疑問を持つが、答えはすぐに見つかった。

 

そもそも私は何をしに戦艦寮(ここ)に来たのだ?

 

大和に、いらぬ世話とも思うが先刻の事をフォローする為である。

 

そもそも、色々とあって忘れていたが、ここは誰の部屋だ?

 

外の壁に掛けられている札の通り、大和の部屋である。

 

ならば、いつの間にか布団すら被っていた、この妙にいい匂いのするベッドは?

 

…大和の物である。

 

互いに、天使が通った後のような沈黙が落ちた。

 

……

 

私は、長い間、重い、と。簡単には下げられぬ。と思っていた頭を、責任やら何やらを放り投げるかのように下げた。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「本当に済まない事をした、この通りだ」

「だから、大丈夫ですって。もう。頭を上げてください、いい加減」

 

その後、驚きに身をかたまらせた大和に話を聞いてもらい、何とか説明しきれた。

起きた事が事なので、なんとも微妙な空気になったが、それはそれ。

大和は許してくれる、と言っているが、やらかした事の事実は消えない。

それに甘える訳にはいかんだろう。

 

「しかしだな、女性の部屋に勝手に押し入って、その上ここまでデリカシーのない事をしてしまうと、流石に…」

「それらを含めて、全部許してあげますよと言っているんです。提督は堅すぎです」

「ぬぅ…」

「疲れているのも事実なのでしょう?少ないとはいえども執務の後にそんなことがあったのなら、それは疲れるのも当然です」

「ま、まぁ、そうだな」

「……」

 

確かに、驚きの連続であった。

一番の驚きは…言わんでおこう。

 

「…そうですね、折角ですし、もうこちらで休んでいっては如何ですか?」

「は?」

「先程、私が部屋に入った時、もう眠る寸前だったでしょう?提督の私室までは多少距離があるし、眠気でぼうっとしている提督を易々と放り出せるわけも有りませんし、…ね?」

「こちらで、とは…ここでか?」

「はい」

「休むとは……()()でか?」

「そうですよ?」

「いやいやいやいや、待ってくれ、大和。冷静に考えてもみろ。ここは、戦艦寮で、その上女性の部屋だ」

「そうですね、大和の部屋です」

「なんだ、分かっているじゃないか、なら…」

「えぇ、その上で、休んでいってくださいと言っているのです」

「……何故だ」

「…あのですね、提督」

 

彼女は眉間を抑えながら、我儘を言う子供を窘めるかのような声音でこう言った。

 

「提督が、激務をこなしているのを私達艦娘は一番近くで見ています。その上で申し上げますと、提督は仕事の能力に対する自己評価を誤っています。普通なら、執務に加えて私達の士気を保つために様々な方向に手を回し、なおかつ個人的な関わりで持って友好を深め信頼を築く…、これらを二年間も続けているのですよ?」

「…いや、友好を築くのは仕事ではないと思うのだが…」

「えぇ、提督のそれが上の命令によるものでは無いと私はしっかりと分かっています。けれど、ここに居るのは提督以外は全て女性です。貴方の私に対する様々な優しい気遣いは、しかしそれだけで疲れも溜まるでしょう」

 

「私は、全て、分かっているんです」

 

「むぅ…」

 

確かに、相手が女性なだけあって、気を回すことは多々ある。

それを明確な負担として感じたことは無いが、知らぬ間に疲れが溜まっていたのやもしれんな…

いや、それでも流石に…

 

「大和、やはり私は…」

 

 

 

「提督?」

 

 

 

すっ…と、大和の大きな目が狭められた。

そこから覗く視線は、成程、慈しみに富んでいて、優しさすら感じる、たおやかな物だ。

だが、なんだろうか、その視線の奥の奥、普段は見えない()()に、射すくめられている。

さながら、優しく語りかけながら臓腑を鷲掴みにされる様な、矛盾した何かに、体が震えた。

 

「……う、うむ、そうだな。ではご好意に甘えるとしようか」

 

「…」

「全くもう、最初からそうと言ってくれれば良いんです」

 

「は、はは、悪いな」

「じゃあ、ベッドに入っていて下さい、私はここに居ますから、安心してお休み下さいね?」

「あぁ、そうさせてもらうと、しよう、か…」

 

言って、横になると、先程までの躊躇が嘘のように睡魔が襲ってくる。

何だかんだ言って、本当に疲れが溜まっていたのだろう。

私自身が分からないことを、見抜いてくれた大和には、感謝しなければ、な…

 

 

 

「ふふ、おやすみなさい。提督」

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

提督が床について…ベッドだから(とこ)じゃあ無いかも?

とにかく、やっと眠ってくれました。

 

今回の件に関しては、本当に偶然でした。

まさか提督が私の部屋に居るとも思いませんでしたが、ここまで持って行けるとは。

武蔵には感謝しないとですね。

 

…まぁ、私の服を勝手に着ようとしてたのは後で怒りますが。

 

あぁ、それよりも、これは何という幸運なんでしょう!

提督が、私の部屋に居る!

あまつさえ、私のベッドで横になっているなんて。

 

気分の高ぶりが止まりません。

これで、提督にまとわりついている不快な奴らの(にお)いを上書きできれば良いのですけど。

 

…本当に、嫌な臭い。

彼に擦り寄ってくる卑しい(オンナ)の臭いが、今日の執務中、私の鼻に強く臭ってきました。

そして、今も。

でも、いいのです。

これで、私でアナタを上書きできる。

他の奴らもここまでやれば気づくでしょう。

提督は私のモノだと。

なら、今はこれでいい。

 

「…可愛い寝顔、普段の姿からは想像もできないくらい、可愛いわ」

 

本当に、無防備な姿。

他の奴らは、こんな姿、見たことも無いでしょう。

その癖好きだのなんだの…笑わせてくれる。

彼の上っ面しか見てない、阿呆共。

 

「いっそ、纏めて消し飛ばせてしまえればどれほど…」

 

だけど、それだけは出来ない。

それをやって許されるとは思えないもの。

今は、まだ。

けれど、何時か。

貴方が私だけを愛し、私だけを見てくれるようになった、その時は。

 

「全て壊して、二人の時間を過ごしましょうね?」

 

…あぁ、いけないわ。大和。

女性としての慎みを失ってしまえば、きっと幻滅される。

でも、こんなの、我慢しろって言う方が無理な話じゃない?

愛する人が、私の物で、私に、包まれて、眠っている。

そんなの、耐えきれるわけないじゃない。

 

「提督…っ、もう、駄目。失礼、しますね…」

 

せめてもの、と一言断わってから、私は静かに手を動かし。

ベッドに潜り込んだ。

 

「はぁ…っ、ごめんなさい、提督、大和は、大和は悪い娘ですぅ…っ」

 

こんなはしたないことをしてしまうなんて…っ。

顔が真っ赤になって行くのが見なくても分かる。

きっと、今鏡を見たら、私はゆでダコの様だろう。

 

「でも、大和…っ、こんなの、我慢できません…っ」

 

提督が、私のすぐ近く、少し顔を動かしたら、唇を重ねてしまいそうな程近くに居る。

この姿は、私だけの物だ。

他の誰にも見せたくない。

今この瞬間、アナタはワタシの物。

私の部屋に居て、私のベッドで眠り、私の隣に居る。

私の、私の物。これは、私のモノ。

私の、わたしの、ワタシの、

 

 

ワタシのわたしの私の私のワタシのわたしのワタシの私のわたしの私のわたしの私のわたしのワタシの私のわたしのワタシの私のわたしの私のワタシのワタシのわたしの私の私のわたしのワタシの私の私のワタシの私のわたしのわたしの私のワタシのわたしの私のワタシの私のわたしのワタシのワタシの私のわたしの私のワタシのわたしの私の私のわたしのワタシの私の私のワタシの私の私のわたしのワタシの私の私のわたしの私のワタシのワタシのわたしの私の私のわたしのワタシの私の私のわたしの私のワタシの私の私のわたしのワタシの私の私のわたしの私のワタシのワタシのわたしの私の私のわたしのワタシの私の私のわたしの私のわたしの私のワタシのわたしの私の私のわたしのワタシの私の私のワタシの私の私のわたしのワタシの私の私のわたしの私の私の私のわたしの私のワタシのワタシのわたしの私の私のわたしのワタシのわたしの私のワタシの私の私のわたしのワタシの私の私のわたしの私の私のわたしの私のワタシの私の私のわたしのワタシの私の私のわたしの私のワタシのワタシのわたしの私の私のわたしの私のわたしの私のワタシの私の私のわたしのワタシの私の私のわたしの私のワタシのワタシのわたしの私の私のわたしの私のわたしの私のワタシの私の私のわたしのワタシの私の私のわたしの私のワタシのワタシのわたしの私の私のわたしの私のわたしの私のワタシの私の私のわたしのワタシの私の私のわたしの私のワタシのワタシのわたしの私の私のわたしの私のわたしの私のワタシの私の私のわたしのワタシの私の私のわたしの私のワタシのワタシのわたしの私の私のわたしの

 

 

私の、モノだ。

 

 

「ウフフフフッ。…ねぇ、貴方、そろそろ消えてくれないかしら。無視するのにも限度があるのよ」

 

いい加減に鬱陶しくなってきていた存在に、声を掛ける。返事もしないならそれでいいけど、もし黙りが続くなら…

 

ズズっ、という音がした、と思ったら、そいつは天井から降りてきた。

意外ね、警告してくるくらいか、黙って消えるものと思っていたけれど。

 

「はぁ、ったく。戦艦は脳筋だけでいいって言うのに。あんたみたいな目端の聞くやつが居ると面倒だなぁ」

「黙って失せなさい、川内。今なら、何もしないで置いてあげる」

「そういう訳にも行かないんだよねぇ、こんな所で出しゃばられても困るって言うか、まぁつまり、そこら辺にしときなよって感じ」

「出しゃばってるのは貴方でしょう?それに、何様のつもりなの?調停者気取りかしら、笑えないわよ、ソレ」

「あーもう、面倒だなぁ。…分かったよ、取り敢えずそれ以上行かなければ、それでいいから、そう約束してくれんなら私もどっか行くよ」

「うるさいわね、分かったわよ。約束するから、早く消えて」

「あいあい、じゃあねー」

 

その声が聞こえた次の瞬間には、川内の姿は消え、天井も閉まっていた。

まるで本物の忍者ね。

…それにしても、ふふっ。

 

「冷静な振りが上手いのね、川内。隠しきれては無かったみたいだけど」

 

さっきまで彼女が居た場所に目を向けると、そこには水を一滴か二滴垂らした程度の、小さな赤いシミ。

 

「感情の面では御しきれていたけれど、体は正直、ってやつかしら」

 

きっと、あの冷徹な面からは想像もできないほど、川内(あの娘)の中身は煉獄のようにぐちゃぐちゃに燃え滾っていた事だろう。

 

あの娘達が考えてる変な事の為に、我慢しているのでしょうけど、本当なら直ぐにでも私に殴り掛かり、提督から遠ざけたかったでしょうね。

 

「私も、そうだもの」

 

提督が他の(メス)と話しているのを見ると、心が真っ黒に染めあがって、どうやってそいつを殺すか、どうすれば提督と引き離せるか、としか考えられないもの。

でも、我慢するの、今はまだ、その時ではないから。

 

鎮守府(ここ)に居る艦娘は皆そうだもの。

その激情を、憎悪を、完璧に抑えることなんて出来ないわ。

 

「私を、私達をここまで狂わせたのは、提督、貴方なんですからね」

 

責任は、とるものですよ?



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大和ノ部屋、マタハ浴場ニテ修羅場アリ?

…何だ。

意識が不明瞭で、覚束無い。

私は一体、どこにいるのであろうか。

考えようとしても、何かがつっかえるかのように思考を邪魔してくる。

 

それに不信感を覚えつつも、しかし、フワフワと優しく抱きとめられているような感覚が続けば、細かいことなどどうでも良くなってきた。

 

あぁ、いっそこのまま、心地よい感覚に身を委ね続けるのも、悪くないだろう…

 

「…く、…とくー」

 

…何だ?何処からか、声が聞こえる。

私を呼ぶ声…なのか?

しかし、この温かくも柔らかい感触にまだ浸かっていたい私は、聞こえないふりをする。

 

「…いとく。て…とくー?」

 

…いや、何をやっているのだ、私は。

これは明らかに大和の声だろう、なぜ聞こえないふりを敢行した。

正気にもどり、どこかで引っかかっていたつっかえの様なものが溶け落ちる。

 

一気に思考が引き戻され、意識は現実に引っ張られた。

 

「…おはよう。大和」

 

取り敢えず、この部屋の何処かに居るであろう大和に挨拶をしておく。

瞼が重く、目を開けるのが辛い。

私は寝起きが弱く、いつもこうなのだ。

 

「ふふ、おはようございます。提督」

 

大和の声がすぐ近くから聞こえた。

…そう言えば、今日の朝も似たような事があったな。

秘書艦だからか、一番に私の部屋に来た大和に気づいた時は、眠気も吹っ飛んだ物だ。

 

…まて、大和の声が()()()()()()聞こえた?

 

…嫌な予感がする。

なんと言うか、このまま目を開けたらありえない現実に直面しそうでとても恐ろしい。

…というか、先程起きた時からあるこの感触はなんだ。

 

私の頭を包み込むように柔らかく、温い。

その感触は正しく極上の枕も裸足で逃げ出すが如く、だ。

まだ強く眠気があるからか、私はその何かに顔を擦りつけていた。

 

「やんっ…、ちょっ、提督…?いきなり乱暴すぎで、すよ。あっ♡」

 

すぐ近く、本当にすぐ近くから聞こえてくるのは、大和の艶のある声。

いい加減現実を認めるべき、と重い瞼に活を入れ、目を開けるも、飛び込んでくると思われた光は無く、視界一面は暗いまま。

 

視界は暗闇に覆われていたが、それは私が、柔らかい何かに顔を擦りつけたままだからだと気づき顔を離した。

 

「ふぅ…っ。あ、提督。おはようございます♡…随分と、積極的ですね?」

 

そこに居たのは、いや、まず私の目に映ったのは、二つの球状のもの。

現実逃避気味に、眠いからと考えないようにしていたが、私に密接しているかのように近くにいたのは、やはり、大和であった。

 

そして私が顔を擦り付けていたものは、豊かさの象徴、母性の証、などなど様々に表現されるもの。

つまり大和の胸であった。

 

固まっている私の耳に、大和の声が入り込んでくる。

 

「驚きましたよ?私も眠いからとベッドに入ったら、提督が急に抱きついてきたから。…寝ている時は、とても積極的なんですね、提督は」

 

…抱きついた?私から?

それはもう、セクハラとか何とか、そういう次元を超えていて。

不味いどころのはなしじゃないぞ、これは。

普通に考えて、軍法会議ものか…?

 

「でも、提督。あんまり心地よさそうに眠るものですから。私も驚いたけど、まぁ嬉しかったですし…あ、先に言っておきますけど、私、特に気にしてないですよ。だから安心してください、ね?」

「い、いや、しかしこれは…」

「いいんですよ、どうせ提督の事ですから、セクハラ問題だー、とか軍法会議だー、だの考えているんでしょうけど、それって、私達が秘密にしていれば何も問題ないハズですよね?」

「秘密にって…」

「私は少なくとも誰にも言いませんよ?言いたくもありませんし、言う必要も有りませんから。だから、これはふたりの秘密。良いですか?」

「…わ、分かった。ありがとう。大和」

「ふふ、感謝の必要なんか無いですよ」

 

…どうやら、大和はこの不祥事を見なかったフリをしてくれる様だ。

何だかとても悪い事をしている様に思うが、いや実際随分なことをしでかしたが、大和が秘密にしてくれる。というのであれば、素直に私もそれに従おう。

 

わざわざ彼女の好意を無碍にする必要もないからな。

 

「…そろそろ私は行こう。あんまり長居してもあれだからな」

「あら、ずっとここに居てくれても良いんですよ?」

「…出来ればそうしていたかもしれんな、が、外聞というものがある。君の部屋に居るところを見られたら、お互い色々と面倒だろう」

「私は気にしませんけど?」

「…冗談は止めてくれ、私が気にするんだ」

「提督は、やっぱり堅いですね。別にいいのに」

「…あんまりからかわないでくれ、そういうのの対応は苦手だと、知ってくれているだろう」

「うふふ、ごめんなさい?」

「全く…それじゃあ、また」

「えぇ、また明日」

 

そう言うと私は、窓を開け静かに飛び降りた。

なに、ここは二階だ、この程度の高さなら問題にもならん。

…しかし、何とも。

ここまでしていると、まるで疚しいものがある様に見えるだろうか。

実際、誰にも見られないように窓から、なんてことをしている時点で、なんだか悪い事をしているようで落ち着かないな。

 

静かに着地しつつ、悶々と考える。

戦艦寮の裏は庭なので、木々に囲まれていて見えることもあるまい。

というか、思ったよりも長く寝ていたのか、辺りはだいぶ暗くなっている。

もう夜も半ばくらいか?…さっさと本館に戻るとしようか。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「はふぅ…。もう無理、力、入らない」

 

提督を見送った私は、ピンと背筋を伸ばして座っていた姿から、一気に脱力しベッドに倒れ伏す。

川内が去った後、あの人が急に抱きついて来たのには本当に驚いた。

彼女と交わした約束を直ぐに破る形になってしまったが、あくまで彼女が禁じてきたのは私が提督に触る事だもの。

今回は私からじゃなく提督からだから、問題ないわ。

 

「…すぅー、はぁー…」

 

何気ない様子を気取りながら、ベッドに潜り込み深く深呼吸。

…やっぱり、まだ残ってる。

 

提督(アナタ)の温もりと、匂い」

 

何時間もベッドに居てもらったけれど、思ったよりも強く提督を感じられる。

提督がすぐ横にいた時程ではないけれど、何とも、得体の知れない背徳感が身をやき焦がした。

このまま眠りにつきたい思いもあるが、流石に髪も洗わずに寝るのはアウトだろう、そう思い、嫌々ながらもベッドから抜け出そうとした。

けれど、どうにも力が入らない。

 

「…あ、駄目だわ。腰砕けになっちゃってる」

 

…ずっと提督と一緒に居たからって、流石にこれは恥ずかしい。

まぁいいか、と気持ちを入れ替える。

力が入るようになるまでは、このまま提督の温もりを、匂いを、感じているとしよう。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

本館に着いた私は、その足で私室に直行していた。

…寝ていた時に思ったよりも汗をかいていたらしく、どうにも自分の臭いが気になる。

艦娘達に、それも駆逐艦のような見た目幼い娘達に「提督、臭いです」などと言われたら、心が折れる。

 

かなり急いだからか、私室には思ったよりも早くつけた。

道中、彼女たちと出会わなかったのは幸運だったな。

さて、風呂の準備をするか。

 

…と言っても着替えとタオルを持っていくだけなのだが。

艦娘達は、それぞれ自分の石鹸やシャンプーなどを持参している、と前に鈴谷から聞いた。

 

というのも、私が備え付けとして置いておいた物は、どうやら彼女たちのお気に召さなかったらしく、それぞれが自分に合ったものを各自買ってきていて、現状風呂場に備え付けてある物は少しも使われてないそうだ。

 

その話を聞いた時は、やはり彼女達もそこら辺は気にかけているのだな、と感心した思いだった。

つまり何が言いたいのかと言うと、現状、風呂にある石鹸やら何やらは私しか使っていないことになる訳で。

 

予算で大量に買い込んでおいたそれは、未だ山のように積み重なっている。

…これだけは、もっと色々と彼女たちに聞けばよかった、と後悔している。

 

まぁ、私一人で使っているのだから無くなることもそうそうないから、私が自分の石鹸やシャンプーを補充する必要も無いわけで。

 

つまり、私個人としてはそこそこ嬉しい事だった。

予算を私的に使用した様で心は痛むが、まぁそれはそれ。

気にしない事にしよう。

 

…というか、本当に何時になったらあれらを全て消費しきれるのだろうか。

二年間私が使っていても、未だになくなる気配がしないぞ。

 

…まぁそれはともかくさっさと風呂に入るとするか。

一日の疲れや汚れをそのまま洗い流してくれる風呂は、提督としての責務や様々な気疲れを取り払ってくれる。

若い頃は風呂など面倒なだけだと思っていたが、今では心の友と言えるほどに、風呂を愛している。

 

横開きの扉を開け、中に入る。

艦娘達の服がないかは先に確認済みだ、遠慮は要らない。

そのままの足でシャワーに向かい、体と頭を勢いよく洗う。

 

この瞬間もたまらないものだが、やはり本命は、湯船一面に張られた温かい湯に、ざばりと身体を沈ませる瞬間だろう。

ざばん、湯船に入る。身体中の細胞が打ち震え、一日の執務で固まった筋肉が蕩けるように湯に沈み込む。

 

…湯に浸かった事で、なんと言うか、今までフワフワしていた思考が一気に警告を発し始めた。

…あの場では流されるように立ち去ってしまったが、非常に、とてつもなく非常に不味いのではないか?

 

思い出すのは、つい先程の記憶。

起きたら大和が隣で寝ていて、しかも私はそれに抱きついていた。

あまつさえ…駄目だ、これ以上考えると、恐らく色々と大変な事になる。

 

…風呂に入ってまで心安らかで居られないとは、何たることか。

これに関しては私の責任だがな。

 

…そもそもの話として、いくら恐ろしくても、あそこで大和の言葉に乗る方がどうかしているのだ。

いや、それを言ったら、まず私があの時ノックもせずに部屋に押し入り、武蔵の着替えを見てしまったことが全ての原因だ。

 

あれも、私の配慮がもう少ししっかりしていれば、未然に防げた事なのだから。

…何たる事だ、様々な問題が起きてるのも、この気疲れも、全て自分の責任じゃないか。

 

ため息を一つ。

あまりにも辛気臭いそれに、自分で自分が嫌になってくる。

ここ最近、どうにもメンタル面で弱くなってきている気がするな。

 

山篭りでもしたいが、生憎と私は軍属の身。

その上今は戦時中だ。

そんな時間、取れるはずが無い。

 

思わず二度目のため息が零れる。

ままならないものだ、何とかしたいと思ってはいるのだが…

 

「えいっ」

 

「っ!?」

 

正体不明の何かが突然、左腕に飛びついてきた。

 

「とりゃっ!」

 

「なっ!?」

 

間髪入れず、右腕にも飛びついてくるそれ。

 

誰も居ないと油断していた所に、意識外からの攻撃だ。

為すがままに両腕を取られた私は、何も出来ずにただ驚くばかりだった。

 

 

「提督~、さっきからため息ばっかりじゃん!そんなんじゃせっかくの風呂が勿体ないよ~?」

「何か、あったんですか?大丈夫ですよ。私達が、ぜーんぶ癒して差し上げますから、ね?」

「い、イヨに、ヒトミ!?な、何故ここに…」

「何故って、そりゃ、イヨ達もお風呂入りに来たんだよ。提督は違うの?」

「だが、私が風呂に入る時には、他の者が入っている様子は無かったんだぞ!?棚に衣服が置かれても居なかった筈だが…」

「提督の、確認漏れかもしれません、ね。…私達がお風呂でゆっくりしている時、急に提督が入ってきたから、こちらも驚きました」

「…なぜ気づいたのに言ってくれなかったのだ。そうしたら出直したと言うのに」

「そうするだろうなーって分かってたから言わなかったんだよーだ」

「提督は、紳士な方ですから。私達が良いって言っても、きっと、遠慮してしまうと思ったんです」

「それは、当たり前の事だろう…」

 

風呂に入ったら女性が居た。その女性は気にしないでと言ってくる。それで本当に気にせずいられるだろうか?

そんな奴が居たら、余程の朴念仁か、唯の阿呆だ。

 

生憎と、私は朴念仁でも阿呆でも無い、そこら辺にいる普通の男だ。

それが、こんな状況に無心でいられるはずもない。

両手に花、と言えば聞こえはいい。

男だったらさぞかし羨むことだろう。

 

だが、今この状況はそんな華やかで夢のある物じゃない。

一歩間違えば、私の人生は面白いように転落の一途を辿るだろう。

もう少しゆっくりと入っていたかったのだが、これは仕方ない。

早急にこの場を離脱すべきである。

 

「…うむ、体も温まった事だ。そろそろこの辺で…」

「まだ入って5分も経ってないよ?」

「提督は、何時もはもっと長風呂ですよね?」

「きょ、今日は早めに出ようかと思っただけだ。他意は無い、無いぞ?」

「…うふふん、良いのかな~?提督」

「私達、知ってるんですよ?」

 

私が下手な言い訳で何とかこの場を凌ぎ切ろうとしていた矢先の事。

イヨとヒトミが、急に不穏な雰囲気を纏って耳元で語りかけてきた。

 

「…?何をだ?」

「ちょっと前に、提督が~、」

「…霞さんと、お風呂に入って行ったのを」

「っ!!」

 

…余りの驚きで、声すら出なかった。

いや、この場合、それを見られたことに対する恐怖か?

どちらにしろ、私の内面はあっというまに驚愕で満たされた。

 

そう、それはつい先日の事。

私がいつも通りに風呂へ向かった時に、同じく風呂に入ろうとしていた霞と遭遇した。

 

当然、私は後に入ろうと霞に先を譲ったのだが、彼女の好意によって一緒に風呂に入ろうと言われたのだ。

一度は断ったのだが、思ったより押しが強く、なし崩し的に同じ風呂となってしまった。

 

…まさか、それを見ている者が居るとは。

 

「まだ出ていきたいって言うなら止めないけどさー、そうしたらイヨ達の口が滑っちゃうかもな~」

「私達も、お風呂に入ったあとだと、心地が良くて、口が緩んでしまうかもしれません、ね?」

「もちろん、提督がどうしても秘密にしてほしいって言うなら、イヨ達も、お口にチャック!してられるけど」

「どうなさいますか?提督」

「……もう少し、ご相反に預るとしようか」

「うんうん、イヨもそうした方が良いと思うなー」

「お風呂はゆっくり入ってこそ、ですものね?」

「…あぁ、そうだな」

 

どの道、恐らく私に逃げ場は無いのだろう。

ならば、いつもの通りにゆっくり湯へ浸かるとしよう。

…それが出来るかはさておき。

 

「ねぇねぇ提督、喉渇かない?」

「渇いていない訳ではないが…何だ?」

「実はね…じゃーん!」

「…風呂桶?それがなんだと言うのだ。」

「ふっふーん。大切なのは中身だよ、な・か・み!桶の中に何があるか、見てみて?」

「これは…徳利と、小さいのはおちょこか?…まさか!」

「そう!お酒だよ!お酒!一回こういう飲み方してみたかったんだよね~」

「もう、イヨちゃんったら…」

「いーじゃん姉貴!悪いことしてる訳でも無いでしょ?」

「風呂で酒を呑む…か。悪くない」

「あら、提督は意外と乗り気、ですか?こういうのには厳しいと思っていたんですけれど…」

「いや、実を言うと、私は酒が大好きでな。…少しマナーが悪いと思わんでもないが、一度くらいならば良いだろう」

「でしょでしょ!?やっぱり一度はやってみたいよね!露天で静かに月見酒!…私は賑やかにワイワイ呑む方が好きだけど」

「静かに呑むのも悪くないのだがな…酒の味を楽しむのならば、そちらの方が良い」

「私も、どちらかと言えばお酒は静かに飲む方が好きです。賑やか過ぎるのは苦手で…」

「えぇー?そうかなぁ。…ま、イヨはお酒呑めるならどっちでも良いけどね!」

「全く…」

「相変わらず酒好きだな、質より量、と言う奴か?」

「そんな感じかなー。味の微妙な違いとか、あんまりわかんないし」

「イヨちゃん、呑むの量も、速さも私より早いのに、度数の高いお酒ばかり呑んでるんです。だから、いっつも私が介抱してあげなきゃいけなくて、大変なんですよ」

「えへへ、ごめんって姉貴ー….って、お話はこれで終わり!呑み終わるより先に逆上せ(のぼせ)ちゃうよー」

「そうだな、せっかくの酒だ、しっかり味わうとしよう」

 

イヨが徳利から酒を注ぎ、ヒトミがおちょこをもって私の口に持ってくる。…って、

 

「ちょっと待て、何故おちょこを私の口に運ぶ?」

「いーからいーから、大人しくしてなって」

「私達が口にお運びしますから、提督は何もしなくて大丈夫ですよ?」

「いやいやいや、おかしいだろう。どこの王族だ、私は」

「私達は、提督に少しでも疲れを癒して欲しいんです、だから、ここは任せてください」

「そうだよー、何時も激務に囲まれてばかりの提督に、いい思いさせてあげようーっていうイヨ達の気遣いを無碍にする気ー?」

「…その気遣いは素直に嬉しく思う。が、そんな事をさせるのは私自身が落ち着かないんだ。頼むから自分で呑ませてくれ」

「そう、ですか…分かりました。ごめんなさい、少しやり過ぎでしたね、本当にごめんなさい」

「ほらー、姉貴を悲しませないでよー!」

「ぬぅ…」

 

その気持ちが嬉しい、というのは本当だ。

だが、それは流石に不味い気がするのだ。分かってくれイヨ。

 

「姉貴の気遣いを断ったんだから、ガンガン呑んでもらわないとね!ほら、呑んで呑んで!」

「あぁ、それでは頂くとしようか…っ!?」

 

口に含んだ瞬間に、思っていたものよりもかなり強い辛口が広がる。

イヨは度数高めの酒が好きだと言うから、覚悟はしていたのだが…まさかここまで強い酒を持ってきているとは!

 

「待ってくれ…イヨ、この酒は何だ?テキーラかウィスキーか。てっきり日本酒だと思っていたが」

「え?日本酒だよ?」

「いや、しかし、日本酒にはありえない度数の高さに思えるが」

「あぁ、これは、越後さむらいという日本酒です」

「越後さむらい…?何だそれは、初めて聞いたが」

「この間、日本酒で何かいいものが無いかと探していた時に、見つけたんです。なんでも、日本酒で一番アルコール度数が高いらしくて、気になっちゃって…確か、40度くらいだったと思います」

「日本酒で40度!?そんなものが有るのか。しかし、これで日本酒か…どちらかと言うと最早、テキーラやウィスキーに近い味だったが」

「そうですね、でも、その中で少し日本酒の旨みが感じられて、私は好きです」

「…確かに、味は悪くなかったな」

「そうだよ~、美味しいでしょ?ならもっと呑んでってばぁ~」

「いや、しかしだな、度数40を超える酒だ、あんまり早いペースで呑むと、早々に潰れてしまうだろう。そうするとせっかくの月見酒が」

「いいからいいから、ほらほらもう一杯!」

「沢山、味わってください、ね?」

「わ、分かった!分かったからそんなに注ぐんじゃない!」

「ほれほれ~、まだまだ有るんだから遠慮しないで~」

「大丈夫です。潰れてしまっても、私達が介抱してあげますから」

 

それとこれとは別問題だと思うのだが…

次々と注がれる酒を、これまた次々と口に運んでいく。

なんだかんだ言って、酒自体は美味い。

辛口ではあるが、思ったよりも私の好みにあっていたようだ、どんどんとイケてしまう。

 

「おぉ~、いい呑みっぷり!流石だねぇ、提督」

「私達は大丈夫ですから、今はお酒の味に集中してくださいね」

 

…思っていたより、酔いが回るのが早い。

度数が高いのもあるだろうが、風呂に入っていて血行が良くなっているからだろう。

 

体温が上がり、心臓のあたりがぽかぽかとしてくる。

心地が良い…このまま眠ってしまいたい、と思える程にいい酔い方が出来ている。

 

「んふふ、良いんだよ?気持ちよくなって」

「うふふ、良いんですよ?心地よくなって」

 

右側と左側の腕を取っていたヒトミとイヨが、耳元で語りかけてくる。

それは、悪魔の誘惑もかくや、という程に、じっとりと、脳に溶け込んできた。

 

「提督は頑張り屋さんだからねー、キツイ仕事も耐えて、イヨ達の為に努力してくれてる」

「提督は、カッコイイお人ですから、どんな事でも、私たちのために真摯になってくれる。」

 

意識が遠のき、薄らとしてくる。

 

「だから、もう少し、イヨ達に甘えてくれても良いんだよ?」

「もう少し、私たちに頼ってくれても良いんですよ?」

 

だが、その中で腕に引っ付いているヒトミとイヨの感触だけは、強く感じている。

 

「普段頑張ってるんだから、今くらいはゆーっくりと羽を伸ばして」

「いつも溜め込んでる嫌な事も、何もかも、吐き出してしまいましょう」

 

温かい湯の中で、なお暖かく感じるソレ。

 

「ほら、提督?深呼吸してみて?」

「息を深~く吸って…吐いて…」

 

言われるがままに、強く息を吸い込み、吐き出す。

 

「色んなものが、入り込んでた空気によって、外に押し流されて」

「それに合わせて、だんだんと、身体から力が抜けていく」

 

まるで言葉に体が従うかのように脱力する。

 

「ほ~ら、気持ちよくなってきたでしょ?」

「そのまま、心地いいのに身を任せてしまいましょう」

 

抗う気も起きず、ただそれに従う

 

「吸って~、吐いて~。吸って~?吐いて~」

「深呼吸は、続けて下さいね?」

 

深呼吸を続ければ、それだけで気分が良くなる。

 

「ゆ~っくりと意識が遠のく」

「瞼が重く、開かない」

 

また一段と意また遠のいた。

先程まではうつらに開いていた瞼が、とても重たい。

 

「もはや貴方は夢の中」

「静かに、静かに眠りに堕ちる」

 

 

 

『おやすみなさい。提督』

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

パチリ、瞼が開くと同時に、意識が浮上してくる。

私は寝ていた…のだろうか。

記憶の前後が覚束無い。

それにしても、随分と寝覚めが良い。

 

ここ最近はめっきり無くなってしまったがものだが、ここまで爽快な目覚めは初めてだ。

酒を飲んだ翌日は、大体二日酔いに悩まされるのだが…

ん、酒を呑んだ?

 

…そうだ、思い出した。

昨日の風呂での出来事が、次々と浮かんでくる。

だが、酒を飲んだ後辺りのことはあまり覚えていないが…

どうやらその後私は眠ってしまったらしい。

 

ヒトミとイヨには本当に悪い事をした。

まさか風呂で眠りに落ちてしまうとは。

しかも、その少し前に大和の部屋で仮眠を取ったばかりだと言うのに。

 

それ程にいい酒だった、という事だろうか。

ともかく、呑んだ影響もなく一日を迎えられるのはいい事だ。

普段だと翌日のことを気にして、ちびちびとしか呑めんからな。

 

…あの日本酒、ヒトミにどこで手に入れたのか今度聞いてみるとしよう。

 

 

 

 

 

 

 



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