ウルトラ川内 (かわうち)
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1せんだい

「せんだいさん、お使いに行ってきてくださる? たまねぎとニンジンと、豚肉もお願いね」

「ウィ」

 

 せんだいは翔鶴(しょうかく)からエコバッグを手渡され玄関へと向かっていく。ぎゅむぎゅむと音を立てながら不敵な笑みを浮かべて歩く彼女を翔鶴は暖かく見守っていた。

 

「あのぅ……大丈夫でしょうか……」

 

 置くからひょっこりと顔を出しつつ、おどおどとした様子で一人の艦娘が言う。

 羽黒(はぐろ)を確認した翔鶴は腕を組みうーんと首を傾げた。

 

「夜は騒がしい彼女だけどきっと昼間は平気よ!」

「そうだと良いんですけど……」

 

 ポワポワとした笑顔を浮かべる翔鶴に羽黒は不安を拭う事が出来なかった。

 

 

 

 

 せんだいは一人町へと向かって歩き続けていた。

 彼女に与えられた任務は『夕食の材料を購入し鎮守府へと帰還せよ!』。普段周りから頼みごとを任されない彼女にとって、艦隊に不可欠な燃料(ごはん)の調達は崇高な使命だ。

 

 せんだいは海岸沿いを歩きながら町へと向かう。手に提げた買い物袋には軍資金の詰まった財布が入っている。彼女が手を振り歩くたびにチャリチャリとカネの音がした。

 

《コチラ哨戒中ノ六番艦駆逐イ級……敵トオモワシキ存在ヲ確認……。ドウヤラ単独デ行動シテイル模様デス……》

 

 漁船の影に隠れ、水面からひょっこり艦首を除かせる黒い艦。その正体は人類、そして艦娘の大敵である深海棲艦である。

 彼らは幾度と無く人類へ攻撃を仕掛け多大な被害をもたらしている恐ろしい存在である。現在世界中の海は彼らに制海権を奪われており、このまま放っておこうものならばあっという間に地上すらも彼らの領地とされてしまうだろう。

 

「……『オモワシキ』? 哨戒艦、報告ハ正確ニ行ナイナサイ」

 

 黒い艦が出現したその場所よりさらに遠方にそれらは居た。

 哨戒艦と同じ魚雷のような形をした『駆逐イ級』、サメのようなやや角ばったフォルムを見せ付ける『駆逐ロ級』、トーチカのように上へと長い胴体にたくましい白腕を下げている『軽巡ホ級』、ライダーのような姿にマスクから見せる耀く瞳が特徴的な『雷巡チ級』。

 どの艦も傾き始めた太陽を背に真っ黒なシルエットを浮かび上げる中、一際目立つ女王のごとき佇まいを見せる彼女は哨戒中の艦を叱責した。

 

「フフ……イイワ、ゴ苦労様。タダチニ艦隊ニ合流シナサイ。敵機ガコチラヲ視認スル前に奇襲ヲ掛ケルワ」

 

 肌理細かな白い肌を見せる彼女はクスリと笑う。クラゲのような大きな帽子に指揮棒のような杖を握り締め、風格溢れる黒いマントを翻す。

 その存在こそ深海棲艦たちの旗艦を務める存在、『空母ヲ級』であった。

 

(ふふふ、上手い具合に獲物が居たものだわ。仲間たちに黙って勝手に海上にきたは良いけど……この当たりは本当に何も無くて困っていたところだったし)

 

「ムフ、ムフフフ……」

「ゴアア……(ヲーちゃんまた笑ってるよ……)」

「キュイイイン(いつもの事よ。放っておきましょ)」

 

 ヲ級の彼女は余程待ちかねたのだろう、随伴艦の部下たちが首かしげるのもいとわずに一人で笑い声を漏らしていた。

 彼女の指揮する艦載機は日が落ちてしまうと飛ばすことが出来ない。日が暮れ始めて焦っていたところ、飛んで火にいる夏の艦娘である。

 今やらねばいつやる。だから今でしょ!

 

「哨戒艦、敵ノオオヨソノ位置ヲ知ラセナサイ。今カラ索敵ヲ飛バスノデハ間ニ合ワナイ、攻撃機ヲ飛バスワ」

『了解……。敵、海岸沿イヲ依然トシテ移動中。時速4キロデ北ヘト直進、当艦トモ距離ハ5キロモナイ……イツデモ攻撃可能デス』

「ムー、シカシ……。イヤ、敵艦一隻ナラバワタシノ航空隊デ攻撃スル方ガ安全ダロウ。オ前ハ何モセズ撤退シナサイ」

『了解。旗艦ノ命令ニ従イマス』

 

 駆逐イ級は自分の砲撃技術には自身を持っている。何より敵は地上かつ徒歩、高速で移動する海上戦と比べれば泊まっているも同然でありいつでも狙撃するのは容易いだろう。

 しかし旗艦であるヲ級の顔を立て、武勲を立てる絶好の機会を譲り渡す覚悟である。指揮官の命令は絶対と言うこともあるが、彼女の直属の部下であるイ級は高飛車な上官の性格を良く理解していた。

 

「ヨシッ! 艦載機、発艦セヨ!」

 

 ヲ級が敵のいる方向へと勢い良く杖を向ける。帽子と思われていた彼女の後頭部から小さな艦載機が排出され、瞬時に機体が大きくなると共に海岸の方向へと飛び去っていく。

 

 

 

 せんだいは相変わらずご機嫌な様子で町へとひたすら歩き続けていた。今日のお使いの品から夕飯のメニューを想像する。

 玉ねぎとニンジン……豚肉も頼まれていた。肉野菜炒めだろうか? それとも、馬鈴薯(ばれいしょ)を加えて肉じゃがだろうか。いやいや、肉じゃががあるならばもしや……。

 そこまで妄想していた彼女は、自分に近づきつつある航空音にようやく気付いた。

 

 艦載機から敵の姿を確認したとの入電が入る。この夕暮では艦載機は二度目を飛ばす余裕は無さそうだ。しかし敵はたったの一艦、攻撃を集中すれば轟沈も決して不可能ではない。

 

(ふふ、もらったわ!)

 

 艦載機が機銃の狙いをせんだいへと定める。空母ヲ級は勝利を確信した。

 次に彼女の耳へと聞こえてきたのは、機銃の掃射による豪快で力強い殲滅の轟音と散り行く艦娘の悲痛に満ちた叫び声…………ではなかった。

 

(……あれ?)

 

 ほんの一瞬だけ『プツッ』と聞こえたかと思うと、その後無線から聞こえてきたのはひたすらに無音だった。

 あれぇー無線壊れちゃったかな? と思いつつ何度か通信を試みる。しかし応答は無い。

 試しにコチラへと帰還中の駆逐イ級の無線へと繋げてみる。鼻歌を歌いながら上機嫌なイ級の声が聞こえてきた。まさか彼も旗艦に鼻歌を傍受されているとは思うまい。

 

「オカシイナ。故障デハ無サソウダガ……」

 

 空母の耳元をトントンと叩くような動きに随伴艦たちはまたも首を傾げていた。

 しかし彼女が妙な行動を起こすのは日常茶飯事なのだろう。誰も彼女の様子に口を出すものはいなかった。

 

「六番艦駆逐イ級、タダイマ艦隊ニ帰還シマシタ」

 

 そうこうしているうちに哨戒艦が戻ってきた。ヲ級は念のために艦載機がどうなったかをイ級へ問いかけてみる。

 

「六番艦。ワタシノ艦載機タチハドウナッタ?」

「エッ? 当艦ガ撤退スル途中デスレ違イマシタガ?」

 

 やっぱりそうだよなぁ、と首を傾げるヲ級。イ級も妙な質問に疑問符が浮かぶばかりであった。

 

 

 

 その時、深海棲艦たちのもとへ岸からとてつもなく恐ろしい何かが近づいていた。

 誰もが悪寒を感じ振り向く。夕暮れ時が暗黒へと移り変わる時分は視界が不明瞭になりつつある。しかし彼女たちは確かに、自分たちのように眼光を光らせ迫り来る怪物を見た。

 

「ゴアアアアアア!?(うわああああ、何だあれは!?)」

「ごあごああ!? ごああ!!(四本足……、いや違う!? 六本足で海上を走ってくるぞ!!)」

 

 艦船が轟沈でもしたかのような凄まじい水しぶきの中心に、蜘蛛のごとく這い蹲る格好で両手足を走らせる艦娘を見た。

 良く見るとその艦娘はツーサイドアップにした髪もせわしなく動いている。どんな原理かは分からないが、確かなのはそれが走る勢いで揺られているのではなく、それすらも手足のように機能し速力上昇と舵取りの役目を担っているらしいと言う事だ。

 

「キュイイイイ!?(なな、なにアレ、何なの!?)」

「ウ、ウロタエルナ!! 全艦砲雷撃戦用意、……撃テェエエエ!!」

 

 旗艦であるヲ級の指示で瞬時に砲撃を開始する。敵の勢いは凄まじいがただ直線でこちらへ向かってくるだけだ。戦力差で勝る深海棲艦隊は直ぐに余裕を取り戻す。

 

(この戦力差で自らこちらの射程距離へと赴いてくるとは……馬鹿め、カケラも残さずに沈めてやるわ!)

 

 亜音速で迫る無数の砲弾がせんだいへと直撃しようとした、次の瞬間。

 一瞬赤黒い光が瞬いたかと思うとバチュン、バチュンと言う破裂音とともに砲弾が消滅した。

 

(えっ、今当たったよね!?)

 

 「ジ、次弾装填!! 用意、()ェ――!!」

 

 ヲ級だけでなく砲撃を行なった全ての艦が、その瞬間何が起こったかを理解する事が出来なかった。しかし空母はすぐさま再度砲撃指示を発令する。

 予想外の事態でも冷静に次の指示を出せる彼女は旗艦の鑑と言えるだろう。

 

 先ほどよりも敵機が近づいた事により命中力は上がっている。それに至近距離での砲撃戦となれば自分を除き駆逐艦と軽巡、雷巡で編成された深海棲艦隊側が圧倒的に有利だ。

 先ほど見えた一瞬の光と妙な音、そして自分の艦載機が戻って来ないことに引っ掛かりを覚えていたヲ級。しかし味方に黙って単独行動を行っている事と未だ戦果を得られていない事に焦っていた彼女は、自分の中に沸いた疑念を無理やり振り払った。

 

(きっと先ほどのは当たったように見えて外していたに違いない! 夜だから見えにくかったし、見間違えただけだよねっ!)

 

 夜戦慣れしていないから誤認をしただけに違いない。

 そんなヲ級の淡い期待は儚くも崩れる。せんだいへと放たれた全ての弾が目に見えないバリアのような物に衝突する。今度こそは見間違いではない、ヲ級たちは目を見開いて困惑した。

 最早命令など忘れたように全員が集中砲火を浴びせにかかる。次第に距離が詰められ、夜目の利く深海棲艦たちはその不可視の防御壁の正体を見た。

 

「ゴアアアアアアアア!!(うわああああ、何だこのバケモノはああああ!!)」

「ゴォォォォォ!?(あいつ、超高速で弾を弾き返してやがる!?)」

 

 せんだいに触れるや否やという所で高速に蠢く手が、足が、髪の毛が。深海棲艦たちの放った攻撃の悉くを消し飛ばしていく。先ほど彼らが視認した光は、弾が摩擦によって流れ星のように燃え尽きていたのだ。

 ニヤニヤと笑顔を浮かべるせんだいの顔はおぞましかった。まるで夜戦が楽しくて仕方が無い。その姿はまさに這い寄る混沌、ナイト・ウォー・フリークスだ!

 

 せんだいのツーサイドアップがヲ級たちへと差し向けられる。一体何をする気だろうか? 疑問に思う間もなく彼らの絶望は始まっていた。

 

「ゴアッ!? ゴアアアアア!!(うぎゃあ!? 主砲が吹き飛んだ!!)」

「キュイイ! キュィイイン!?(ワタシの武器が! 何が起きてるのよぉ!?)」

 

 空気を切り裂く爆音と共に駆逐艦たちの主砲が次々と爆破し破壊されていく。せんだいの髪の毛から放たれたソニックブームが彼らの武器を的確に打ち抜いているのだ。

 

「ごあああああああん!!(あんなの勝てるわけねぇ、逃げろおおおおお!!)」

「キュィイ! キュイイイイイン!!(ああああん! もうやだぁ、おうち帰るううう!!)」

「アッ、チョットアンタタチ!? ワタシヲ置イテ行カナイデヨ!?」

 

 自分を見捨てて全速力で逃げ去る彼らを呼び止めようと振り向いて手を伸ばす。同時にヲ級の肩へぬるりと重い感触が伝わり、続いて彼女の伸ばした右手に肌色の触手のような物が纏わり付く。

 表面に粘膜を纏う彼女たちが、まるで人間が全身になめくじを浴びたかのように硬直する。するりするりと自分の全身を粘膜を纏う触手が纏わり付き始める。

 

「アッ……アッ…………」

「ネーチャンエーチチしてるじゃねぇか。……なぁ。夜戦、しようぜ…………?」

 

 恐怖でまともに声も出せなくなってしまった。空母である彼女は夜戦を行なえるような装備を持たない。

 ――ワタシにも、まだこんな感情が残っていたんだね……。

 思考が真っ白になった彼女の顔面は、一層青白くなっていた。

 

 

「イヤアアアァァァッ――!!」

 

 

 日が沈んだ小さな海湾で上がる悲痛な叫びは水平線の彼方まで響いた。

 彼女らの『ヤセン』は小一時間にも及んだという。

 

 

 

 

「せんだいさん遅いわねぇ……」

 

 時間は1900を指していた。早寝早起きが生活習慣の鎮守府では夕食の時間も夕方5時と比較的早い。

 そのため燃料の切れた艦娘たちが次々とお腹の警鐘を鳴らし始めていた。

 

「翔鶴さぁん、ご飯まだぁ~……?」

「わ、私もお腹が空いてきちゃいました……」

 

 小さな台所にある大テーブルに突っ伏す(あけぼの)は空腹に顔を歪ませる。羽黒も行儀良く椅子に座っているものの限界が近いのかお腹を抑えて恥ずかしそうにしている。

 

「さっきから無線も通じないし……。何かあったのかしら」

 

 心配そうに翔鶴が呟いているとカラカラ引き戸が引かれる音がした。

 その音に気付き駆け足で玄関へと向かうと、そこには心なしかツヤツヤテカテカとしたせんだいの姿があった。

 

「せんだいさん、遅かったじゃない! みんな心配していたのよ!」

 

 翔鶴の後を付け後ろから様子を伺う曙と羽黒は「心配はしてないぞ」と苦笑いを零した。

 せんだいは翔鶴に買い物袋を手渡す。翔鶴は「そういえばお使いをお願いしていたわね」と今更になって思い出した。

 

「……って、アレ? せんだいさん、私が頼んでいた野菜と豚肉は?」

 

 せんだいが渡した袋には何も入っていなかった。彼女は相変わらずニヤニヤと不気味な笑顔のまま何も言わない。翔鶴は何か事情があったのだと察したが、後ろから見ていた曙はそんなせんだいに青筋を立てていた。

 

「ひょっとして買えなかったの?」

 

 口角を上げて小さく頷くせんだい。曙はふざけた態度に怒鳴りそうになったが、空腹のためか声が出なかった。

 

「そう……いいのよ、あなたが無事だったのなら。けれど、今日のお夕飯はどうしましょう……」

「夜戦に補給は付き物だぜ?」

「え? あら、せんだいさん、それは……?」

 

 彼女がおもむろに取り出したるは『ヨコハマ印の海軍カレェー(中辛)』であった。レトルトである。

 

「ひょっとして、食材が買えなかった代わりにそれを買って来てくれたの?」

「殺人的な加速ダ」

 

 翔鶴が目を丸くする一方、せんだいは何故だか勝ち誇ったようにむかっ腹の立つ表情だった。彼女が今日作ろうとしていたのはポトフだったのだが、せんだいに頼んだ食材を思い出し苦笑した。

 

(せんだいさんったら、カレーだと思ってたのね)

 

 翔鶴はせんだいからレトルトカレーを受け取りすぐさま夕飯の支度を始める。

 やっとご飯にあり付けると分かるなり、曙と羽黒は少しばかり元気が戻ってきた。

 

「このクソせんだい! あんたお使いも満足にできないの!?」

 

 曙が厳しく叱るも当の本人はいやらしい笑みを浮かべるばかりだ。羽黒はそんな二人のやり取りにあたふたしつつも苦笑を浮かべていた。

 

 

 

 

「ヲーチャン、大丈夫?」

「ウッ……ウッ……。モウ……オ嫁ニ、行ケナイ…………」

 

 一人海湾に残されていた空母ヲ級は、その後無事に部下たちに回収された。

 中破した姿で海上に浮かんでいた彼女に何があったかは分からないが、駆逐艦たちは上官を見捨てた手前掛ける言葉も見つからなかった。

 

 

 



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2せんだい

 

「ヨーソロー。本日も快晴ナリ、良い天気ですね~」

「まことしやかにささやき続けている」

 

 小さな海湾にて二隻の艦娘が哨戒に当たっていた。前を行く駆逐艦綾波(あやなみ)はやわらかそうなほっぺたをくにゃりと歪め実に楽しそうだ。後ろに続くせんだいも彼女らしく腕を組んだままイナバウアー航行を披露している。

 

「敵艦も見当たりませんし……ふぁ~、眠くなってきちゃいます……」

「ククク、やらねばやられるだけだ」

「あっ……ご、ごめんさないせんだいさん、私ったらつい気が緩んじゃって……」

 

 綾波は後ろに続くせんだいへと申し訳無さそうに頭を下げた。笑みを浮かべたまま大あくびをするせんだいの真意は傍目には分かりかねる物だ。

 

(……フフフ、油断しまくっているな。しかし無理もあるまい。何せこんな小さな海だ、やつらもワタシたちが攻めてくるはずが無いと思っているのだろう)

 

 せんだいたちが哨戒もとい遊覧をする中、遠くから黒いクラゲ帽子が二人を監視していた。

 水面から両目を覗かせる空母ヲ級はせわしなく周囲を見回し警戒する。しかし大きく黒いその帽子のために彼女の努力は水の泡である。

 せんだいたちが話しに夢中のため全く気付いていないのが救いだった。

 

(この前は良くもワタシをあんな目にあわせてくれたわね……。今日はその恨みを晴らしてやる、今にみていなさい!)

 

 ヲ級は先日受けた辱めを思い出し身を震わせる。大破に陥るほどの激戦を味わった事もある彼女であったが、せんだいに襲われた夜ほど恐怖を身に覚えた事は無かったのだ。

 しかし気の強い彼女はただでは終わらない。自分の心情を知らず今もふざけた顔を続けるせんだいを見て、彼女はアイツをぶちのめすまでは絶対に轟沈しないと誓っていた。

 

「ア、アノ~。マダナンデスカ?」

「ウルサイワネー。コノクライ我慢シナサイ」

 

 ヲ級を背中に乗せた潜水カ級は辛くも一所懸命に耐え忍んでいた。幾ら水中とは言え自分よりも大きな身体をもつ空母を負ぶうのは大変だろう。

 しかし空母はせんだいに襲われた事がトラウマなのか、不遜な態度とは裏腹にカ級の背中にガッシリとしがみ付いている。あの時部下に真っ先に逃げられた事も原因の一つなのかも知れない。

 

「ヤハリモウシバラク監視ヲ続ケルワヨ。ヤツラノ燃料ガ切レテ、ヘトヘトニナッタ所ニ奇襲ヲカケルワ!」

「エェ、ソレジャアソレマデズット負ブッテルンデスカ……」

「何ヨ。ワタシガ重イトデモ言ウノ?」

 

 「そりゃお前、空母なんだから重いに決まってんだろ」……とは決して口には出来ず、旗艦の命令に泣く泣く従う潜水カ級であった。

 

 

 

 

 時刻が1200を過ぎた。傾き気味だった太陽はほぼ垂直に位置取りカンカンと照り続けている。

 普段ならば燃料もだいぶ消費し、航行にも影響が出るため一度撤退する頃合だ。ヲ級は自分の腹時計を頼りに敵艦の燃料の消費具合を計算していた。

 

「フッフッフ、見ナサイ! ワタシノ計算通リ、ヤツラハ燃料ガ切レ始メタノカ巡航速度ヲ落トシ始メテイル。今コソ好機ヨ、全艦デ一気ニ強襲シ海ノ藻屑ニ……」

 

 勢い良く水面へと立ち上がった彼女は部下の潜水艦たちの方へと顔を向ける。だが誰もがヲ級の話を聞いていないようで、互いに向き合い円を作って談笑していた。

 良く見ると手には携帯食料と思わしきゼリー飲料のパックを握っている。どうやら彼女たちも燃料が切れてきたらしく昼食を取っているようである。

 

「チョット何シテンノヨ!?」

「何ッテ……補給デスヨ?」

「私タチモオ腹ガペコペコデ動ケマセンヨー……」

「マダ原子力換装シテモラッテナイモンネ、ワタシタチ」

 

 女学生の様にキャピキャピと楽しそうに笑う潜水艦を前にヲ級は脱力せずにはいられなかった。

 手すきの潜水艦を引っ張ってこれたのは良かったものの、何故彼女たちが暇を持て余していたのか良く考えるべきであった。どうやら彼女たちは動力部に原子炉を用いた換装を予定されており、ヲ級はそれを知らずに連れて来てしまったらしい。

 せめて今朝に寝坊さえしなければ確認する余裕くらいあっただろうに……。空母は自分の至らなさを痛感した。

 

(しかし……ワタシもお腹空いたなぁ)

 

 空母だけあって多くの燃料を消費するヲ級は周りの深海棲艦に比べると実に健啖(けんたん)だ。おまけに今朝寝坊した事もありご飯も食べずに出撃してしまった。もちろん携帯食料など持って来ていない。弱り目に祟り目である。

 

(うー……し、しかし今は敵だって同じ条件! 今のうちにさっさと攻め落としてしまえば、すぐに基地に戻ってご飯が食べられる!)

 

 ヲ級は元気を振り絞って敵へと視線を向ける。そして彼女は開いた口が塞がらなかった。

 

「せんだいさん、実は私おにぎり握ってきたんです! せっかくだからここで一緒に頂きませんか?」

「レッツエリミネイト」

「おにぎりの具ですか? 鮭と昆布とせんだいさんの好きなカレーです!」

「ディスティネーション・アメリカ・レェー」

「せんだいさんほんとカレー好きですね」

 

 なんとせんだいたちは水上で昼食を取り始めていたのだ。

 こいつら……揃いも揃って馬鹿にしているのだろうか? 双眼鏡を使えばはっきりと姿が確認できる位置だぞ。何をのんきに戦場でおにぎりなんぞパクついてやがるんだ!

 握る杖に思わず力が入る。わなわなと激昂する空母ヲ級だったが、彼らの姿を見ると今朝やる気に満ちていた自分が馬鹿らしくなってきた。それよりもお腹が空いて力が出ない。

 

「ネ、ネェ……ワタシニモチョットゴ飯分ケテクレナイ?」

「エッ、空母サン携帯食料持ッテ来テ無インデスカ!?」

「ウッソー、アノ大飯食ライノ空母サンガァー!?」

 

 潜水艦たちがヲ級の失態をゲラゲラと笑う。おんどりゃぶち殺したろか、とヲ級はハラワタが煮えくり返る思いだったが、空腹で倒れそうな彼女は必死に耐えて懇願を続ける。

 

「アッチャーゴメンナサイ。ワタシタチモ自分ノ分シカ無クッテ」

「空母サンッテ出撃ノ度ニ重箱持ッテ行クンデショ? ワタシタチノ分ダケジャ全然足リナイヨネー」

 

 誰だよそんな噂流したやつは。ヲ級は呆れと落胆で肩をガックリと落としてしまった。

 だがここまで来たら引き返すわけにもいかない。空母ヲ級は満腹になった部下たちにすかさず戦闘態勢へ移るよう命令を下す。

 

「モウイイ! トニカク今ガ絶好ノ機会、ヤツラガ油断シテイルウチニ強襲ヲカケルノヨ!」

「グゥウウ~……」

「ハ?」

 

 唸るような声が聞こえる方へと顔を向ける。先ほどまでくっちゃべっていた小娘共はいつの間にか深い眠りの中へと潜水していた。

 ――お腹も一杯になったし、この暖かい陽気の中じゃ眠くなっちゃうわよねぇ~……。

 ビキリ、という音と共に空母の手にした杖に罅が入る。ヲ級は目の前の一隻の潜水艦の胸倉を掴み、思い切り揺さぶって目を覚まさせようとする。

 

「コラアアア!! 昼寝ナンゾシテル場合カァ!?」

「ムニャムニャ……モウ食ベラレナイヨ~……」

「ナンダソノベタナ寝言ハ!? オ前サテハ起キテンダロ!?」

 

 何度も叩き起こそうとするも全く起きる気配がしない。相手が潜水艦と言えどいかんせん彼女には火力が無さすぎる。

 すっかり疲れてしまったヲ級は諦めてしゃがみ込んだ。ふとせんだいたちの方へと目を遣ると相変わらず楽しそうだ。疎外感を感じた彼女はやるせなくなり、膝を抱えてじっと目を伏せてしまった。

 

 

 

 

「フアァ~……。ンー、良ク寝タァ」

「アレェ、ココドコ?」

 

 潜水カ級たちが目を覚ました頃には日がすっかり落ちてしまっていた。周りを見渡しても自分たち以外に誰の姿も見当たらない。寝ぼけまなこの彼女たちは自分たちが何故こんな所に居るのかを忘れていた。

 

「確カゴ飯食ベ終タ後ニ急ニ眠クナッチャッタンダッケ」

「久シブリニタクサンオ昼寝シタネー」

「アレ、何カ忘レテルヨウナ……」

 

 一人のカ級がふと思い出しかける。何か大荷物があった気がしたのだが未だ頭が覚醒していない。

 

「アッ、ミテミテ。遠クニデッカイクラゲガ浮イテルヨー!」

「本当ダ! 珍シイネェ~」

「ウオオオ!? 思イ出シタ!! 空母サン、大丈夫デスカァー!?」

 

 仲間たちが指をさしていたクラゲの正体は力尽きて水上に漂い続ける空母ヲ級だった。彼女たちが寝ている間に随分と沖へと流されていたらしく、荒波に揉まれる姿は完全に轟沈間近である。

 カ級が急いで抱え上げると彼女の身体は既に冷たく――いや、元から深海棲艦たちの体温は低いので分からないが、とりあえずぐったりしていた。

 

「ウゥ……カ、カ級タチ……目を覚マシタカ」

「空母サンシッカリシテクダサイ! 傷ハ浅イデスヨ!」

「イヤ攻撃サレテナイシ……。ソ、ソレヨリ、ヤツラハドウナッタ……?」

 

 『ヤツラ』とは敵である艦娘の事であろう。先ほど辺りを見回したときには何者の姿も無かった。おそらく完全に撤退してしまったに違いない。

 

「ゴ安心クダサイ。敵艦隊ハ既ニ退去シタ模様デス。空母サンモオ疲レノ様子デスシ、今日ノ所ハモウ私タチモ帰還……」

《コ、コチラ三番艦潜水カ級! 敵艦隊ヲ発見、交戦ニ突入!》

 

 二人の無線へ味方からの入電。どこかに敵が潜んでいたのだろうか、奇襲を得意とする潜水艦部隊が随分と慌てているように思われた。

 報せを聞いたカ級は首を傾げた。見晴らしの良いあの場所のどこに隠れられる所があったのだろうか? 間違いなく視認できる距離には居なかったはずだが、敵も潜水艦編成で挑んできたのだろうか。

 

「空母サン、申シ訳アリマセンガモウ少々コチラデオ待チクダサイ。我々ハコウ見エテモ精鋭デスカラ、スグニ敵部隊ヲ撃退シ戻ッテマイリマス」

「ウン……。待ッテルカラ早ク戻ッテ来テネ……」

「……了解シマシタ。必ズ、スグニ」

 

 体育座りで力なく頷くヲ級。元気が無いのは疲れと空腹に寄るものだろう。流石にカ級も申し訳ないことをしたと反省した。

 急いで戦闘海域へと向かうカ級の背中を、空母は名残惜しそうに見つめていた。

 

 

 

 

「ギニャアアアアア!!」

「ホゲエエエエエエ!?」

 

 空母に付き添っていた潜水カ級が援護に向かうとそこは地獄と化していた。たった二隻の艦娘が凄まじい速度で航行し爆雷を投下して行く。狙いもへったくれもあった物ではなく、狂気の奇声を発しながらばら撒いていくそれは無差別テロである。

 

「ギハハハハハ!! おらおら、逃げないと沈むぜぇ!」

 

 サイドテールにした髪を勢い良くなびかせ駆逐艦綾波は荒ぶっていた。その笑顔は昼間からは想像できないほどの醜悪さに満ちており、背負う山盛りの大風呂敷にはおぞましいほどの爆雷を抱えている。

 少し離れた場所ではせんだいも暴れており、相変わらず薄気味悪い笑顔で楽しそうに敵潜水艦を追い回している。潜水カ級たちもどちらかというと不気味な成りをしているが、流石に超高速で這いつくばりながら水上を迫るせんだいは彼女たちと言えど恐ろしいらしい。

 

「ヒィィ!! タ、タスケテェ!!」

「オ、オボレルゥ……!」

「魚雷ガ真ッ直グニ進マナイ! ドウスレバイイノヨォー!?」

 

 夜戦において無類の強さを誇る潜水艦。しかし放った魚雷は明後日の方向へと流され、潜水している彼女たちも上手く泳げないでいる。せんだいたちの凄まじい速度による航跡が津波を生み出し、一帯の海域を時化の如く変貌させていたのだ。

 挙句上からは常に爆雷が振って来る始末。不用意に動けば爆雷に巻き込まれ、動かなくても津波で押し流されてしまう。阿鼻叫喚を体現する光景に、助けに来たはずの彼女は呆然と立ち尽くすばかりである。

 

「ド、ドウナッテルノ……。一体全体、何ガ……」

「おやおやおやぁ~ん? せんだいさぁん、またまた美味しそうなコがやってきましたよぉ!」

「フフィーフィフィ!! ふひゃひゃひゃひゃ!!!」

「ヒィィッ!?」

 

 綾波が目を見開きながら満面の笑みでカ級を見つめる。全速力で駆け回るせんだいも首をねじりながら彼女を見た。

 カ級は蛇に睨まれたカエルのように固まってしまった。辺りには大破した仲間たちがどざえもんのように浮かびあがっている。死んではいないようだが完全に気を失っているらしい。

 

「せんだいさぁん、敵艦になら何をしても良いって本当なんですかぁ!? でしたら私、是非とも鹵獲してみたいです! 口と尻の穴に爆雷をこれでもかってくらい詰め込んで、演習用のドラム缶に縛り付けてから演習の的に仕立て上げたいです!!」

「だーめだ! あのコはおらが夜明けまで夜戦すんだから。手ぇ出しちゃダメだかんな!?」

「アヒ……アヒィ……」

 

 可哀想な事にカ級はせんだいたちの会話に恐怖し精神が崩壊しかけていた。海の中に潜ってしまえば彼らが追ってくる事は不可能のはずだが、何故だかどうやっても逃げ切れるビジョンが見えない。

 

 自分は轟沈するよりも酷い目に遭うのだろうか。せんだいが四足(六足)で水上を走ってくる姿を最後に、いよいよ持って潜水カ級が白目を剥いて気を失った。

 その直後、せんだいたちの視界の端に蠢くものが飛び込んでくる。

 

 

「ミンナ~、マダ戻ッテ来レナイノ~……? 今日ハモウイイカラ早ク帰ロ――」

 

 

 ふらふらとした足取りで彼らの前に姿を現したのは空母ヲ級である。彼女は疲れた表情で両手を膝についていた。文字通り限界が近い彼女だったが、帰りが遅い部下たちを心配し様子を見にきたのである。

 

 だが目の前の凄惨な状況と敵艦にいびられ気を失っている部下の姿を見て覚醒する。そして一言も発する事無く、後ろを振り向きすかさず速力を『一杯』にし逃げ出した。空母とは思えないほどの逃げっぷりである。

 

「ウォオオオオオオオオ!! 空母ですよせんだいさん! 空母ぉおおお!!」

「夜戦しちゃう? 夜戦しちゃいますか!? 夜戦ウェェーイ!!」

 

 目の前に上等な獲物を見つけた綾波は文字通り目の色を変えた。

 彼女は『鬼神』『黒豹』などの異名を持つ程の武勲艦でもある。せんだいの影響で夜戦の快感に目覚めた彼女は今や艦娘界屈指の夜のハンターとして名を馳せていた。

 そして彼女の傍に付き添う艦娘界随一の夜戦バカ……もとい夜戦狂せんだい。108の妙技と48の体術を繰り出す夜の彼女に、少なくともこの星の海に敵う者など存在しない。

 

「ヒャッハアアアア!! 待てよ空母おおお、メタクソに××してやるぜええええ!!」

「君と過ごしたあの日が忘れられない……。そう、それはまさにラブロマンス。せんだいのひらめき」

「イヤアアアアアア!! クルナアアアアアアアア!!!」

 

 ヲ級の切実な願いが夜の海にこだまする。だが土台無理な話なのだ。夜の彼女たちはジュラシックパークから逃げ出したティラノサウルスよりも凶暴である。聞く耳を持たないどころの次元ではない。

 

 かくして今宵の夜戦はまたもせんだいたちの圧勝で幕を閉じた。

 空母ヲ級がその後どうなったかは察するまでも無く、

 

 

「ヒギイイイイイイイイイイッ!!!」

 

 

 と言う彼女の悶絶が物語の結末を告げている。

 そのうち意識を取り戻した潜水カ級がほうほうの体で基地へと帰還を開始し、その途中でズタボロにされたヲ級が水上に漂っていた所を発見され、なんとか彼女も帰還する事が出来たという。

 

 

 



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3せんだい

 

 時刻0400、朝日も瞼を擦り合わせる時間帯に曙はせっせと出発の用意を行なっていた。

 玄関で長靴を履いている彼女の横には肩掛けタイプのクーラーボックスが置かれており、傍には長細い筒が壁に立てかけられている。つま先をトントンと地面に打ち付け、小さなウサギさんのワッペンを貼り付けた帽子を被りなおしながら後ろを振り向く。

 

「行ってらっしゃいぼのちゃん。世話かも知れないけど、高波には気をつけてね」

「はい。翔鶴さんも朝早くからお見送りありがとうございます! 特型駆逐艦曙、行って参ります!」

 

 左肘を真っ直ぐに下へ伸ばし、右肘を水平に五指を綺麗に揃えた見事な敬礼だ。口は悪いが根は素直で良い艦娘と評判の曙だが、今日の彼女は特にやる気が満ちていた。

 翔鶴も彼女へ答礼しニコリと微笑む。曙は「ふんっ」と気合を入れるよう小さく唸りクーラーボックスと筒を背負いカラカラと音を立てて出撃した。

 

 

 

「すぅ~……はぁ~……。んっ、清々しい朝ね!」

 

 鎮守府の玄関を出てすぐ、彼女は朝靄を目一杯吸い込むように深呼吸をした。ひんやりと涼しげな空気はすぐに眠気を吹き飛ばしてくれるだろう。最も、今日と言う日を以前から楽しみにしていた彼女には眠気など何処吹く風と言いたげだ。

 

 曙が本日任されている任務は「夕飯の食材となる魚介類を入手し帰還せよ!」。海を理とする艦娘たちではあるが意外にも釣りをしない者は多い。そのためか彼女は一部の界隈で名うての釣り師として知られていたりする。

 彼女も非番の日には朝から釣りに出かける事も少なくない。しかし最近は業務が忙しかった事もあり、休日は専ら疲労を癒すための期間に当てられてしまっていた。

 

(最近は疲れて準備も行く気もする気が起きなかったけど、今日は久しぶりにたっぷり釣りが出来る。こんな機会を用意してくれた翔鶴さんには感謝の念が尽きないわね!)

 

 この任務を命じたのは現在鎮守府を取りまとめる翔鶴だ。もちろん彼女も曙が釣りを得意なのを承知の上で任せている。これは日ごろから頑張ってくれている曙への恩赦も兼ねているのだろう。

 

「それで、どうしてアンタがいるわけ?」

「然るべきところに魂は宿る」

 

 曙の視線の先にはサツマイモの様な足を組み待ちわびたかのようなせんだいが居た。彼女も横にクーラーボックスと筒を持っており、曙と目的を同じくしているだろう事は間違いなかった。

 

「万が一を考えて駆逐艦を一人で行かせる訳にはいかないって事かしら。はぁ、仕方ないか……」

 

 しかし相棒がせんだいでは頼るどころかお荷物にしかならないだろう。これでは守られているのかお守りを任されているのか分からない。駆逐艦の本分を顧みればあながち間違いとも言い切れないが……。

 先が思いやられる気がして曙は大きなため息を吐いた。せんだいはぐにゃりと顔を歪めてゲッゲッと笑っていた。

 

 

 軍用車に乗り込んだせんだいたちは海沿いをひた走る。東の空からは次第に陽光が差し込み始め、橙色の光の先に暁の水平線が映し出されていた。

 

「夜が開け始めたわ。いつ見ても良い景色ね……!」

「夜戦とはいったい……うごごご!!」

「何よ、お腹が空いたの? アンタって本当に風情が無いんだから」

 

 曙が片手でハンドルを操作しながら後ろに手を伸ばす。クーラーボックスのフタを開き中から包みを掴むと左に座るせんだいへと渡した。

 せんだいが包み開けてみると中にはおにぎりが入っていた。翔鶴が握ってくれたのだろうか。

 

「どーせアンタも朝ごはん食べてないんでしょ。一つ残しておいてよね」

「グズグズしてると置いていくぜぇー!」

「それにしても、この子ももう少し座高が高いと助かるんだけど」

 

 曙の身長からではやや視界に難があるようで首を上げるように運転を続ける。

 不満を口にしつつぽんぽんと車のドアを軽く叩く彼女だが、この車――くろがね四起はちょっとした外出の際にも頻繁に利用している。よく釣りに出かける曙も随分と運転には慣れたものであった。

 

「そうだ、今度翔鶴さんにトヨダを支給してもらえるよう頼んでみない!?」

「ほう、そなたこそ我か……」

「あーっ! アンタおにぎり全部食べたの!? 残してって言ったじゃないのよ、このクソせんだい!!」

 

 曙はせんだいを叱責するもその表情はいつもの不機嫌そうな表情ではない。

 彼女らが向かっているのはいつも見慣れている海とは別の岬である。実はそこは曙も初めて行く場所であり、どんな魚が釣れるのかを彼女は楽しみにしていた。

 ギャーギャーと騒ぎ立つ車内にパルパルパル……とマイペースに走り続けるくろがね四起を、東の太陽は優しく照らしていた。

 

 

 

 

「海ニキター!!」

『海ニ、キター!』

「我ラノ海ダー!!」

『我ラノ、海ダー!』

 

 朝っぱらから鬨の声を上げるのは、例に漏れず深海棲艦たち、もとい空母ヲ級である。

 夜戦で痛い目に遭い続けてきた彼女であったが、今だけは自分の時代が訪れたかのようなハイテンションだ。しかし彼女自身はいつもより装備が軽装である。

 

「キュイイン(ヲーちゃん何時に無くご機嫌ね)」

「ギュオオオ(ですねぇ。久しぶりのお休みですからねぇ)」

 

 雷巡チ級と軽巡ホ級がコソコソと話しているのにも気付かずヲ級は笑顔で叫び続ける。調子合わせする駆逐イ級は思わず苦笑いを零していた。

 

「ムフフ、久シブリノ非番ヨ……! 最近ハ本当ニ辛イ事ばバカリダッタケド、今日ハソンナ事ハ全テ忘レテ目一杯休暇ヲ楽シムワ!」

「ヲーチャンガ楽シソウデ何ヨリデス」

「シカシ……何ダカ数ガ少ナイワネ。アト二隻ハドウシタノ?」

「彼ラハ非番デハアリマセンノデ……。確カ今日ハ、敵国ノ言語ヲ学習スル座学ノ日ダッタカト」

「ソウ……。ミンナ一緒ダッタラモット良カッタンダケドネ」

 

 深海棲艦たちにも普段組んでいる編成というものが存在する。特にこの空母ヲ級の場合は自身を旗艦に雷巡チ級、軽巡ホ級、駆逐ロ級、駆逐イ級二隻の六隻艦隊を組む事が多い。

 ヲ級はロ級ともう一隻のイ級がいない事を残念がっていた。いつも一緒の彼女たちは上司と部下の関係性を感じさせないほど仲が良いのだろう。

 

「トニカク! 今日ハ()()()モ居ナイ海ダカラ心置キナクユックリデキル。ミンナモ楽シミナサイ!」

『ハァーイ』

 

 そしてゆるふわザブンな彼女たちの休暇が始まった。

 この時の彼女たちは自分たちが再び悲劇に遭おう事など、全く持って予想していなかったのである。

 

 

 

 

「ここが噂の穴場スポットね!」

「穴ッ!?」

「なんでそこに反応するのよ」

 

 岬へとやってきた二人は高台から風景を見下ろしていた。崖となっている場所では波が激しく打ち付け白い飛沫が舞っている。曙は翔鶴が高波に気をつけろと言っていたのをふと思い出した。

 

「なんだか少し波が強いみたいね。せんだい、アンタも気をつけなさいよ」

「カジュアル指向で行くぜ」

 

 くろがね四起から降りた二人は堤防へと向かった。押し寄せる波もテトラポッドに打ち付けられると飛沫を上げて消えていく。実際に近くで見ると波は大したことも無く釣りに影響は無さそうだ。

 

「そう言えばせんだい、アンタ釣り出来るの? 自分で言うのもなんだけど、艦娘で釣りができる娘なんてそういないはずだけど」

「諸行無常ここに極まれり」

「それなら良いけど……。まっ、もしわかんなかったらいつでも聞きにきなさい、ちゃんと教えてあげるわ」

 

 曙は普段から邪険に扱っているせんだいにもちゃんとフォローをする姿勢を見せていた。彼女自身の機嫌が良いこともあるだろうが、元々曙は心根が優しい娘である。厳しさは優しさの裏返しと言う事だろう。

 

「それより、くれぐれも安全に気を使いなさいよ! 艦娘が海で溺れたなんて笑い話にもならないんだから」

 

 曙の言葉にいつになく素直に頷くせんだい。曙はその素直さにどうも疑念を抱かずにはいられない。

 

(なーんか信用できないのよねぇ……。まぁ、私の邪魔をしないのならば何も言わないけど)

 

 雑談もそこそこに二人は釣りを始める。魚は物音に敏感であり繊細な生き物である。しばらくの間、二人ともじっと黙って獲物がかかるのを待ち続ける事にした。

 

 

 

「ミンナ準備出来ター?」

 

 曙たちが釣りを始めたその頃、深海棲艦たちも本格的に行動を開始し始めていた。全員が一度物陰の方へと身を隠していたが、空母の呼びかけに返事をし姿を見せ始める。

 

「ワァ、可愛イジャナイ!」

「キュイイイン……(な、なんだか恥ずかしいわね……)」

「ムンムンッ」

 

 岩陰から恥ずかしそうに顔を見せる雷巡チ級。マスクを外し、服装はいつものスポーツブラのような姿ではなくフリルの付いた薄いピンク色の水着を着用している。

 続いて軽巡ホ級がやってくる。彼女は首と手足首を除いた全身が縞模様のタイツに覆われていた。たくましい二の腕のせいかはっきり言って囚人にしか見えなかったが、本人は結構気に入っているようだ。

 

「私モ用意ガ出来マシタヨ。ドウデス? 似合ッテマスカ?」

「アンタソレ天冠(てんかん)……イヤ何デモナイワ」

 

 イ級は頭に白い三角ビキニをかぶってやってきた。イ級のような姿では水着を着る事が出来ないため仕方がないだろう。

 しかし何故か頭にビキニの片胸しかつけていないうえに、ヒモを後頭部で結んでいるせいで死装束にしか見えない。

 

「ヲーチャンモ着替エタノデスカ?」

「フッフ~ン、モチロンヨ。コレヲミナサイ!」

 

 「ジャジャ~ン!」と言いいながらヲ級が勢いよくマントを翻す。その姿を見た三隻はおお、と感嘆の声を上げる。

 彼女もまたいつもの服装では無く水着に着替えていた。ボディラインを強調する黒のマイクロビキニは彼女の白い肌がコントラストとなりより美しさを際立たせている。

 

「ヲーチャンスタイルイイナァ」

「キュイイン!(セメテルネー!)」

「ンフフ! 今日ノタメニ新調シタノヨ!」

「ギュオオ……(私の方が胸が大きいな……)」

「オイテメー何カ言ッタカ」

「ムンムンッ。何モ言ッテナイムキッ。気ノセイダムキッ」

 

 各々の水着を披露し合いキャッキャとはしゃぐ彼女たちは普通の女の子たちのように思えた。

 今日だけは彼女たちも生き死にを掛けた戦いとは無縁の、彼らなりの平和を過ごすのだ。この姿を艦娘たちが見ていたらどう思うだろう。きっと彼女たちも、深海棲艦たちと手を取り合い、一緒に笑いあう事が出来る日を夢見るのでは無いだろうか。

 

 

 

 

 日差しがサンサンと降り注ぐ中、曙の頬に一筋の汗が流れ落ちる。かれこれ釣りを開始から数時間経つが未だに獲物がかかる気配がしない。

 隣で釣りをしていたせんだいも飽き始めてしまいテトラポッドに張り付いたヒトデを突っついて遊んでいた。

 

(むぅ~……何でこんなにシケてんのよ! 見たところそんなに波は高くないのに。うぅ、いかんいかん。我慢よ曙、我慢我慢! 釣りは忍耐。敵は己にあり!)

「シケてるな」

「うっさいわね!!」

「えっ」

 

 せんだいがポツリと呟いた言葉に曙が噛み付く。どうやら相当イライラしているのだろう。せんだいも今だけはそっとしてやる事にした。

 ……と言うよりも、素人のせんだいからすると全く釣れないこの状況は面白みに欠けるのだろう。彼女は静かに立ち上がり垂らしていた釣り糸を回収する。

 曙はせんだいには全く気付く様子もなく、眉間に皺を寄せてじぃっと浮きを睨み続けている。彼女は曙を残しより良い場所を求めて移動を開始した。

 

 せんだいはふと昔読んだ釣り漫画のワンシーンを思い浮かべた。筋肉を隆々とさせたふんどし一丁の男性が、竹の釣竿一本で川の主である大マグロを釣る物語である。

 色々とツッコミ所があるが、せんだいはその主人公のように自分も大物を釣ってみたい衝動に駆られた。丁度少し先に行った場所におあつらえ向きの岩場があるではないか。興奮に鼻息を荒くしながら大手を振ってその場所へと歩いて行く。

 

「やるじゃない。この感じ……()()()()がいるね」

 

 岩の上で仁王立ちをし、荒潮を眼下に意味深な言葉を呟く。もちろん何も感じ取れているはずも無く、一人悦に入っているだけなのだが。

 そのまま岩の上に座り込み、まだ大海の主を釣る夢想をしながら勢い良く釣り糸をキャストする。何かを強く引っ張る感覚と一緒に、せんだいの目の前に黒い物体が降って来た。

 

 

 

 

「ヲ級サン、行キマシタヨ!」

「オッケー! 任セナサイ!」

 

 深海棲艦たちはビーチバレーならぬ水上バレーで盛り上がっていた。ビーチボールの代わりに浮遊要塞を飛ばしている。装甲空母姫に怒られないのだろうか。

 

「オッシャーモラッタ! スパァイ――フゴォ!?」

 

 勢いよくジャンプしボールを相手コートへ叩き込もうとした空母ヲ級が突然のけぞり返り落下した。その様子に一同も慌てふためく。

 どうやら、スパイクを決めようとした彼女の顔面に突然浮遊要塞が軌道を変えてぶつかって来たらしい。

 

「ウッグゥ……」

「ダ、大丈夫デスカ?」

「アッウン、チョット鼻血デタケド……」

「キュイイン(少し休んでいたらどうかしら)」

「ウン、ソウサセテモラウワネ……」

 

 顔を抑えトボトボと岩場へ向かうヲ級に一同が苦笑する。ハイテンションだった彼女が怪我をして急に冷める様子は人間味に溢れていた。そして残された者たちも微妙な空気になったりするのも、また。

 

「アレ、浮遊要塞ドコイッタ?」

「ムホッ。ムンムンッ(それより見てくださいよこの筋肉。カッチカチでしょう?)」

「ウルセエナ。テ言ウカアナタ普通ニ喋レルデショ」

 

 岩場にやってきた空母ヲ級はふぅとため息を吐き静かに座った。ツゥと鼻血が垂れているがしばらく抑えていればすぐに収まるだろう。やはり浮遊要塞は姫級の盾を務めるだけあって硬かった。

 

(あー恥ずかし。見っとも無い姿晒しちゃったなぁ)

 

 はしゃいでいた先ほどの自分と今の自分の落差を思い浮かべ恥ずかしくなった。とは言え彼女は高慢な態度とは裏腹にかなりのドジっ子ぶりを披露するため部下たちはとっくに慣れていたりする。

 

「ハァ……マァイイワ。太陽モ随分昇リ始メテキタシ日光浴デモシヨウカシラ」

 

 仰向けにごろんと寝転び真上の太陽に眩しそうに目を細める。深海で生まれたと言われる深海棲艦だが、彼らの生態は未だ闇に包まれている。白い肌を持つ者が多いのは日の光を浴びないためと言う説もある。

 少なくとも太陽の光を全身で浴びるヲ級の表情はにこやかだ。彼女たちも暗く寂しい海の底よりも、大空の日の光の下で伸び伸びと暮らしたいと思っているのかもしれない。

 

 ポカポカの陽気の中、空母はうつらうつらと細めた目の開閉を繰り返していた。部下たちがはしゃぐ声と海鳥の声がほど良い雑音となり一層眠気を誘う。次第に意識が薄れていき、空母は「すぅすぅ」と寝息を立て始めた。

 

 その時ヲ級の寝そべるすぐ傍にある彼女たちの荷物置き場からぶわりと何かが空へ飛び去った。その動きには規則性が見られ、壁のような岬の大岩の向こう側へと消えていく。

 

 その正体は、なんと深海棲艦たちの衣服であった。

 一枚の衣服が消え、一瞬の間が空き次の衣服が飛び去っていく。奇妙な現象が立て続けに発生しているにも関わらず、傍にいるヲ級は寝入っており、他の艦たちも何か別の物を探すのに夢中で誰一人として気付くものがいない。

 

「世界は謎に満ちている……そうは思わんかねワトソン?」

 

 大岩を隔てた彼らの反対側にせんだいは居た。手に握るのは釣竿であり、たった今引っ掛かった()()から針を外している。

 せんだいの目の前には大量の衣服が散らばっていた。そう、全て彼女が釣り上げたのだ。

 

 しかし今回ばかりは彼女も首を傾げている。釣り糸を投げ込もうと勢い良く振りかぶるともれなく何かしらが釣られてくる。

 最初に釣れたのは黒くてでかいたこ焼き。その次はマント、黒のスキニーパンツ、片目だけ開いたマスク。その他にも様々な物が釣られていき、そして釣り針はすやすやと眠るヲ級の帽子へ引っ掛かるとひょいと壁の向こう側へと持ち去ってしまう。

 

「スヤスヤ……クシュンッ! ン~……? ナンダカ頭ガ軽イワネ……」

 

 違和感を感じた空母は流石に目を覚ましたようだ。上半身を起こし頭上をまさぐってみる。まだ寝ぼけているのか、水平線の一点をぼけっと見つめながら何か物足りない理由を熟考する。

 

「アアアア!? ワタシノ帽子ガナイ!?」

 

 帽子が無い事に気づきヲ級は取り乱し始めた。彼女の帽子は艦載機を積む格納庫にもなっているため万が一敵襲があろう物ならば彼女は何も打つ手が無い。

 特に現在の彼女はいつもより軽装な事もあり、知らない者からすれば水着を着た色白の女の子にしか見えない。

 

「アレェ、ドウシタンデスカトレードマークノ帽子マデ脱イデ」

「キュイイン?(幾らなんでも無用心過ぎるわよ?)」

「チチ、チガウノヨォ!! 目ヲ覚マシタラ無クナッテタノヨ!!」

 

 「またヲ級のドジっ子が発動したか」と一同は笑う。深海棲艦の装備は生物型になっている事が多く、物によっては独りでに活動する事もある。空母ヲ級の被るそれも生物型のため、大方彼女が寝ている間に一人で遊んでいるのだろうと一同は推測していた。

 

「ヲーチャンハ大袈裟デスヨ。キット近クデブラブラシテルンデスッテ」

「キュイイイ(ご主人様が一人で寝ちゃうんだもんなぁ)」

「アノ子ハワタシノ許可無ク勝手ニ何処カニ行ッタリシナイモン! ……多分」

 

 部下たちの意見を否定しようとしたが、確かにその考えもあり得なくは無い。

 自分は今起きたばっかりだし、生物型である帽子にも意思がある。確かに彼女の言う事に従順な帽子ではあるがヲ級の自分勝手な行動に呆れる事もあるだろう。

 ひょっとしたら駆逐イ級の言うとおり近くで遊んでいるだけかも知れない。ヲ級は取り乱した事が恥ずかしくなり顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。

 

 とにかく帽子を探さなければ。そう思い彼女が顔を上げた瞬間、何かが下の水着を思い切り引っ張った。

 

「フギャッ!」

「ウワッ!? ド、ドウシマシタ!?」

 

 突然顔面から前のめりに倒れこむ空母に一同はうろたえる。空母が苦痛に顔を歪めていると、なんと彼女の体が上空へと浮き上がり始めた。

 一体何が起きているのか? 部下たちはおろか浮かび上がる当の本人も硬直したままあんぐりと口を開けていた。

 

「ナ……ナ、ナ…………ッ!」

「何ガ起コッテ――」

「ワッ、ワワワッ!? マタ浮カビ上ガッテ……!!」

「エ? ウワッ!?」

 

 空母ヲ級の体が一層勢い良く上空へ浮かびあがろうとする。

 抵抗を試みようとヲ級は必死に空中もがいた。履いていた下の水着が脱げ、同時に彼女の体が部下たちの元へと落ちてくる。

 

「キャアアアアアアアア!!」

『ワアアアアア!?』

 

 深海棲艦たちは岩場から海に転落した。空母を振り落とした黒いパンツは、青い空を背景にヒラヒラと舞いながら壁の向こうへと消えて行った。

 誰もが放心する中ポツリとヲ級が呟く。

 

「……ドウナッテルノ」

「……エット」

 

 何か言うべきだろうか……。動揺しながらも駆逐イ級が言葉を発しようとした時、今度はイ級の全身が勢い良く空へと浮かび上がった。

 

「ウオオオオオオオオオオ!?」

「イ級ウゥゥ――――――!?」

 

 イ級は暴れたが、抵抗むなしく再び壁の向こう側へと連れ去られていく。

 イ級の叫び声に混じり、誰かの声が聞こえてきた。

 

「ヒィェーヒャッヒャッ!! 大物ゲットゥーン!!」

 

 「マ、マサカアノ声……」ヲ級はガタガタと身を震わせた。一体どうしたらその声を忘れられようか。ヲ級にトラウマを植え付けるだけでなく、以前ヤツと邂逅した潜水艦たちは精神を病み未だ入渠施設に入り浸っている。あの『化物』艦娘が何故こんな所までやってきているのか。

 

「ギュオオ(なんてこった)」

「キュイイン……(アイツがここに来てるなんて……)」

「ドドド、ドウシヨ……」

 

 三人は顔を見合わせる。最早疑う余地もないだろう。彼女たちの衣服が消えた事、空母の帽子、そしてイ級までが攫われたのは全てあの夜戦オバケ『せんだい』の仕業だ。

 今の自分たちは休暇中の身でありろくな装備を持って来ていない。挙句空母にいたっては主力の艦載機を奪われてしまった。敵前逃亡は本来許されない事だがやむをえない事情による戦略的撤退であればまだ体裁は保てる。

 しかし……。

 

「……イ級――ドウスル?」

 

 旗艦らしからぬ、情けない声で部下たちに意見を求めるヲ級。雷巡チ級も軽巡ホ級も黙り込んでしまう。彼女たちが「逃げましょう」と言ってくれさえすれば空母ヲ級は喜んで賛成しただろう。

 

「キュイイイン!!(助けに行きましょう!!)」

「ムホッムンムン!(それが定めとあらば!)」

「アッウン、ソウダヨネ。仲間ダモンネ」

 

 しかし二人は逃げようとはしなかった。仲間のピンチには必ず力になる。彼女たちの美しい友情が垣間見えた瞬間だ。

 ノーパンで何が出来るってんだよ、と毒づきたかったヲ級であったが、仲間を見捨てて逃げよう物ならばそれこそ何を言われたか判ったものでは無い。彼女は腹を括るしかなかった。

 

 

 

 

「アーッハッハッハ!! 爆釣れよ、爆釣れぇ!!」

 

 喜びが込み上げるのか大笑いをする曙。辛抱強く待ち続けた結果、幸運の女神は微笑んだらしい。

 既にクーラーボックスにはクロダイ、ボラ、コハダなどでいっぱいだ。これほどの大漁は彼女も珍しいのだろう、もう入れるところが無いのに夢中になってリールを巻いていた。

 

「ふふふ、見なさいせんだい。これがプロの技ってやつなのよ! どーせアンタは一匹も釣れてないんでしょ? 私が沢庵(たくあん)釣りの極意を教えてあげても……って、あら?」

 

 また一尾釣り上げた曙が横を向くとせんだいの姿は見当たらなかった。釣りに夢中になりすぎていたせいか、随分前にせんだいが姿を眩ましたのにも気付かずにいたらしい。

 

「もう、これだから素人は……。釣りは待ち続けることが楽しいって事がわからないのかしら」

 

 「ふんっ」と威張るようにせんだいを小ばかにし彼女を探そうと辺りを見回してみる。すると入り組んだ岩礁の方から手を振って近づいてくるせんだいを見つけた。

 

(もう、あんな所まで行ってたの? 気をつけろって言ったはずなのに全く聞いていないわね!)

 

 いくら軽巡洋艦と言えど勝手な行動は控えるべきだ。曙は不安定な岩礁をケンケンパで歩いてくるせんだいを見ながら一言物申してやろうと考えていた。

 

「ちょっとアンタ! また勝手にフラフラと……って、あら? も、もしかしてアンタも何か釣れたの?」

「バックトゥザフューチャー」

 

 せんだいが肩から下げるクーラーボックスには何かを入れた形跡があった。フタから僅かに飛び出している海苔らしき黒い物が非常に気になるところだ。

 

「凄いわね……ビギナーズラックってやつなのかしら。ねぇ、何釣れたのか見せてよ!」

 

 叱る事も忘れて中を開けてみるよう願い出る。せんだいは肩から箱を降ろしもったいぶるように開いてみせる。まるで宝箱の財宝を確かめるように二人は笑顔で覗き込んだ。

 

「……な、何よこれ。たこ焼き??」

 

 曙の笑顔が一瞬で曇る。せんだいが両手で取り出したのは、サッカーボールよりはあるであろう真っ黒なたこ焼きだった。歯のように白い部分から赤い湯気のような物が漏れ出している。

 

「な、なんか気持ち悪いわね。食べられるのこれ?」

「ナイスバルク! ナイスバルク!」

 

 たこ焼きの真似なのか満面の笑みで歯をむき出して笑うせんだい。曙は昔漫画で読んだドーン!なおじさんの喪黒なんとかと言うキャラクターを思い出す。

 

 続いてせんだいが取り出したのは真っ黒なマントだった。先ほどはみ出して見えていたのはこれだろう。続いて妙な白いマスク、黒くスリムなスキニーパンツなど、どれもこれもガラクタもとい衣類ばかりが収められていた。

 

「ちょっとぉ、アンタ何やってたの!? こんなガラクタばっかり拾ってきて! 何よこの怪しいマントにマスクは。オペラ座の怪人じゃあるまいし!」

「ギィッギィッギィ!」

「何ツボってんのよ! 大体魚なんて一匹もいないじゃない!」

 

 するとせんだいは人差し指を立てて「チッチッチッ」と左右に振る。ちゃーんと魚も釣ってるぜ、とでも言いたいのであろうか。曙はブチ切れコンゴウ五秒前だ。

 せんだいは最後に『取っておき』を用意しているらしかった。しかしクーラーボックスのキャパシティは既に吐き出されたガラクタが9割を締めている。

 今更何も出されようと驚きはしない。ただ一つだけ彼女が心に決めたのは、せめて魚ですらなかったら顔面を思い切り丸太でどついてやろうと言う事だけだ。

 

「濡らすんじゃねぇぜお嬢ちゃん……この張り詰めたセッション、君に送るアツいパトスさ」

「ゴオオオオオオオオオオオ!!!」

「おわぎゃああああああ!?」

 

 驚かないと決めた曙だが思わず叫びを上げて尻餅をついてしまった。最後にせんだいが取り出したのは明らかにクーラーボックスに収まるサイズではない、本マグロ並の巨大な黒い魚であった。オマケにまだ生きているらしくせんだいの小さな腕の中でビチビチと跳ね回っている。叫びまで上げている。

 こんな物をどこに隠していたのか。どうやってこの箱の中に入れていたのか。色々と問いただしたい曙であったが、何よりも気になったのはその黒い魚であった。

 と言うか、魚ですらない。

 

「アンタそれ深海棲艦じゃないのよ!?」

「オイチイヨ!」

「ンな訳あるかぁ!! ドコで拾ってきやがったのよ!」

 

 曙が怒鳴り散らしているとせんだいがやってきた方向の海から大きな音が聞こえ始めた。二人は揃って音の方向へと目をやる。真っ白な航跡を荒々しく巻き上げ、怒りの形相の深海棲艦たちが二人の元へと向かって来ていた。

 

「キュイイイン!(居たわ、あそこよ!)」

「マッスルマッスル、ミンナマッスルゥ!!(殺されたイ級の恨み、晴らさでおくべきか!!)」

「キュイン(いやまだ死んでない)」

「ワタシノパンツ返セエエエエ!!」

 

「げえええ!? 深海棲艦だわ! 逃げるわよせんだい!!」

「ギュルジュポォ、ギュルジュポォ」

 

 曙は急いで荷物を手に取りくろがね四起の元へと駆け込んだ。深海棲艦たちもくろがね四起の背を水上から追いかける。陸地に上がれば車に巻かれてしまうが水面を走れば彼らに分があるだろう。

 

「キュイイイ!(よし、この調子ならすぐに追いつくわ!)」

「ムキムキマッソォー(ククク。この筋肉とくと味あわせてやる)」

「ワタシノパンツウゥー!!」

 

「ま、不味いわ、このままじゃ追いつかれる……!」

「実に不思議ぞい。何故やつらは追ってくるぞい?」

「アンタがそれを持ってるからよ!! さっさと捨てるんだよこのドグサレがぁーッ!!」

 

 曙が般若の面でせんだいを怒鳴りつける。曙の言うとおり深海棲艦たちの狙いは攫われた仲間だ。

 敵の兵器を鹵獲できれば艦娘たちの戦いに大いに役立つ情報が得られるだろう。それは同時に、敵からすれば絶対的に不利な状況に陥ってしまう。なんとしても取り返そうとするのは至極最もだと曙は考えた。

 

 せんだいは曙の言うとおりに駆逐イ級を投げ捨てようとした。しかし何を思ったのか、イ級はせんだいが肩に掛けるクーラーボックスの紐に齧りつく。これではせんだいが手を離そうとも無駄である。

 

「なに、どうしたの!? 早く捨てちゃいなさい!」

「もひもひ。もひも紐にひもついちゃったらどうする?」

「何よ、離れないの?」

 

 車を運転しながらちらりとせんだいを見る。曙も状況を確認し思わず舌打ちをした。何故だか知らないがこの深海棲艦は逃げれるチャンスにも関わらず離れようとしていないようだ。

 

「追イツイタワヨ! サァ、ワタシノパンツ返シナサアアアアイ!!」

「キュイイイイイ!(ワタシのマスクと服も!)」

「ギュオオオ!(見よこの筋肉!)」

 

「ボックスごと捨てなさい!」

「えぇ~?」

「うっさいわね! どうせガラクタしか入ってないじゃないの! 早くしなさい!」

 

 既に敵は飛びかかる勢いだった。曙は咄嗟の判断でボックスごと捨てさせる事にした。

 せんだいはかけていた肩紐を外し、齧りついたままのイ級を片手で投げ飛ばす。投げ飛ばされたイ級は、一直線に空母たちの元へ――。

 

「エッ、チョ」

「キュ――(まっ――)」

『ヘブゥアァ!?』

 

 間の抜けた音を発しながら深海棲艦たちは海に沈みこんだ。その隙にせんだいたちを乗せたくろがね四起が軽快な音を鳴らしながら駆け抜けていく。

 こうして、彼女たちの危機は去った。

 

 

 

 

 翔鶴は曙たちが持ち帰った魚を見て大層喜んでいた。ぐったりした顔をして戻ってきた曙を見たときは何事かと思ったが、どうやら無事に任務を果たしてくれたらしい。

 

「ぼのちゃんご苦労様。これで今日のお夕飯の心配はなくなるわね。ありがとう!」

「い、いえ。任務ですから」

 

 あくまで任務である事を強調し翔鶴に敬礼をする。だが目の前の彼女の笑顔を見て、曙は釣られるように笑顔を見せた。翔鶴も「ふふふっ」と笑い、そんな真面目な曙へと答礼を返すのであった。

 

「ところでせんだいさんも一緒だったわよね? 突然押し付けるようで申し訳ないと思ったんだけど……ちゃんとお守りもこなしてくれた?」

「ああ、せんだいなら――噂をすればみたいですね」

 

 やはり自分がお守りを任されていたのか、と苦笑する曙。せんだいは釣竿を車から降ろしゆっくりとした歩調で二人の下へやってきた。

 何故か、頭には黒いパンツを被っていた。

 

「あ、アンタ何よそれ」

「魅惑のパンティー」

「ぼのちゃん、あなた一体どこへ……」

「ごごご、誤解です翔鶴さん!!」

 

 翔鶴は笑顔だったが目は笑っていなかった。曙自身釣りに夢中になっていた事もありせんだいが何をしていたのかは全く知らない。弁明は難しかろう。

 せんだいは慌てふためく曙を放って、一人でパンツ――水着の匂いを嗅ぐのに勤しんでいた。

 

 

 

「キュイーン(いやー、イ級が無事で良かったわ)」

「ギュオオ(私たちの服も取り返してくれて、感謝ですねぇ)」

「イエイエ、コチラコソミンナガ助ケニ着テクレナケレバドウナッテイタ事カ」

 

 夕暮時となり太陽が海へと帰り往く中、深海棲艦たちも自分たちの基地への帰り支度を済ませていた。

 所々傷を負いながらも彼らは皆一様にやりきった良い顔をしていた。激しい戦いを生き抜いた彼らはより仲間意識が高まったのだろう。夕日に照らされた笑顔はとても生き生きとしている。

 

「ワタシノパンツ……」

「アッ……」

 

 いや。たった一人、哀愁を漂わせ沈み往く太陽を見届ける者が居た。

 彼女も奪われた衣服を取り戻す事が出来たようだがどうもその表情は浮かない。被害を最小限にとどめはしたものの彼女自身が失った物は大きかった。

 

「オニューノパンツ……」

「ヲーチャン、ソノ――」

 

 駆逐イ級が言いかけたとき、雷巡チ級と軽巡ホ級は彼の肩――もとい背に手を置く。イ級が顔を上げると、二人は静かに首を横へ振っていた。

 「声を掛けないこともまた、優しさだ」。イ級には二人がそう言っているような気がした。

 

 

「ワタシノ、パンツウウウゥゥー……!!」

 

 

 空母ヲ級は涙が出るほど美しい夕日に慟哭する。

 儚く沈む夕日は、もう履く事ができない水着のように黒い海へと消えていく。彼女のセンチメンタルな思いは遠くの海へと寂しく響き渡った。



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4せんだい

 

「翔鶴さん、今日新しい艦娘が着任するって本当ですか?」

 

 曙は椅子に座ったまま翔鶴へ問いかける。翔鶴は鍋から汁をひとすくいし小皿へと移し変えて口を付けた。味付けに納得のいくものを得た彼女は、鍋にかかる火を止め花柄のエプロンを外しながら曙に振り返る。

 

「ええ、そうよ」

「珍しいですね。こんな弱小鎮守府に着任だなんて」

 

 曙の辛らつな言葉に思わず苦笑する翔鶴。珍しいなどと、それならば元から配属されている自分たちはどうなのか。

 翔鶴は曙の正面に座り会話を続ける。

 

「確かに最近は敵からの襲撃も無いけどそれがいつまでも続くわけではないわ。横須賀や呉、佐世保、舞鶴といった主要な鎮守府ばかりが狙われる訳ではないもの。私たちの居るこの場所のように、秘密裏に置かれた鎮守府こそ、より一層守りを固めていく必要があるのかも知れないわね」

「そういうものですか……」

 

 曙はせんだいと共に釣りへ出かけた日を思い出した。あの日は帰還間際に敵艦隊と鉢合わせしてしまい大慌てだった。

 あの時は任務とはいえほぼ休暇のような扱いであり彼女たちも艤装(ぎそう)していなかった。敵も直接的な攻撃は行なってこなかったものの、それは敵の兵器(捕虜?)をこちらが確保していたので同士討ちを防ぐためだったのだろう。

 事実はどうあれ、曙はそう捉えていた。

 

「軍令部から直接的な指示が出ていないとは言え私たちの本分を忘れては駄目よ。……あまり不安を煽りたくは無いけど、戦火が広まるのは避けられそうに無いのだから」

「翔鶴さん……」

「悲しいけどこれ戦争なのよね」

 

 翔鶴は悲しそうに目を伏せて言った。艦娘は本来兵器なのだ。釣りに行ったりお味噌汁を作ったりする事が役目ではない。

 悲しい現実だがいずれ戦いの中で散っていく者も増えるだろう。少しでも犠牲を減らすためにも新たな戦力が加わるのは喜ぶべき事だが、その戦力もまた心を持つ艦娘だ。結局のところ戦えば犠牲を完全に失くすことは難しいのだ。

 ……が、そのセリフに悲壮感は感じられない。

 

「翔鶴さん本当に悲しんでるの?」

「てへっ。バレちゃった?」

 

 舌を出してコツンと自分の頭をゲンコツで叩く翔鶴。一瞬同情しそうになった曙は呆れてしまった。

 そもそも彼女たちの生活するこの鎮守府の近海に深海棲艦が攻めてきたことは殆どない。敵が陸上への侵攻を目論んでいるかは不明だが、主要な都市を近くに持たないこの海へ侵攻する旨みは少ないと言えた。

 一応せんだい一人が何度か敵を追い払ったりしているが、どうやら職務怠慢で報告の義務を怠っているらしい。

 

「それより新しい仲間が増えるなんて嬉しいわ! お料理の腕がなるわね。いずれ瑞鶴(ずいかく)もこっちに呼べたら良いのに!」

 

 堅苦しいことを言っても本音はそれか。曙は料理と妹のことばかり考える彼女に乾いた笑いを発していた。

 

 

 

 

「皆さん。今日から私たちの鎮守府に着任するコンゴウさんです。仲良くしてあげてくださいね!」

「AMAZON★で生まれた帰国子女のコンゴウDEATH(デース)!! よろしくお願いしますぅぅUhhooooo!!」

『……』

 

 そのインパクトのありすぎる容姿に一同は沈黙を強いられていた。翔鶴がニコニコとしながら紹介するそれは艦娘というよりゴリラの化物だ。

 

「彼女の艦種は、なんと戦艦よ!」

「まぁどう見ても駆逐艦には見えないわな」

「彼女の自慢は、そのパワーを生かした攻撃力よ! 重巡以上の攻撃力を持つ彼女が居れば、今まで抱えていた火力不足の課題も解決ね」

「物理的なパワーじゃありませんよね?」

 

 ヒソヒソと言いたいことを言い合う艦娘たち。ざわ付く空気を翔鶴は「みんな新しい子に緊張と期待をしているのね!」とプラス思考に捉えていた。一方渦中のコンゴウも、彼女たちの声が聞こえているのかいないのか、ひたすらパンプアップに忙しそうだ。

 

「さてと。それじゃあみんなお仕事に戻ってちょうだい。コンゴウさんはまだ着任したばかりで勝手を知らないだろうから、今日は一日鎮守府内の説明を受けてもらうわ。それで――」

 

 ぐるっと首を回し翔鶴が曙を見る。その動きと視線に曙は肩をびくりと跳ねさせた。

 

「ぼのちゃん。コンゴウさんの案内係はあなたに任せるわね」

「えぇーっ!! 何で私なんですか!?」

「白羽の矢……もとい翔鶴の矢よ」

 

 クスクスと翔鶴が笑うが曙は面白くなさそうだ。曙が嫌がるであろう事は承知の上だ。彼女は少し捻くれた所があるが、それでもちゃんと命令には従ってくれるとても良い娘なのを翔鶴は知っている。

 ただ、心の底から嫌がっていることまでは見抜けなかったらしい。

 

 ――こんなとき、せんだいが居れば押し付けてやるのに。

 あたりを見回してもせんだいの姿はない。彼女は早朝からどこかに出かけているらしく、着任式には参加していなかった。

 

「ヨロシクお願いしマッスルゥ!!」

「よ、よろしく……」

 

 コンゴウからゴリラのように大きい手を差し出され、それに応えようと曙はハムスターのように可愛らしい手を差し伸べる。ゴキゴキッ、と嫌な音が鳴り響き、曙は必死に悲鳴を堪えて悶絶した。

 

 

 

 

 真っ赤に腫れ上がった手を大事そうに抱え曙は歩いていた。

 鎮守府の案内と言えど、そもそも案内するほどの規模も無ければ設備もない。少し広めの一般家屋程度しかないこの鎮守府は、知らない人間が見れば複数の女性が寝泊りしている寮程度にしか見られない。

 

「HAAaaaa!! AMAZON★の密林と違ってこのラビットハウスは実に興味深いDEATHネェ! チンまいバニーたちがキュートDEATH!」

「ラビットハウスって何よ」

「ミス・アケポノ。次はドコへ行くのDEATHか?」

「アケポノじゃねぇ曙だこのクソゴリラ!!」

 

 宿舎にあるコンゴウの部屋を案内し、次に二人が向かったのは共用の小さな台所だ。コンゴウはどこからか掠めてきたバナナを剥いてモリモリと食べ始める。

 曙が憤慨しているのはこのような身勝手な行動だけが理由ではない。先ほどから何度このやり取りを行なったことだろう。案内の前に互いに自己紹介を行なってから一度正しい名前で呼ばれない。対抗意識からか彼女もコンゴウの名前を呼ばずに『ゴリラ』と言い続けている。

 

「ウホッウホッウホッ! 面白い事言うネーボノボノ。ワタシのどこがGorillaに見えるんDEATHカァ?」

(どこからどう見てもゴリラにしか見えないわよ)

「アー、喉が渇きマシタ。バナナジュースが飲みたいネー」

 

 耳が腐っているのか。もしくはジャングルで産まれたらしいので耳の中にも無駄な毛が生い茂っているのかもしれない。握手の恨みか、名前を覚える気の無いコンゴウを曙は心の中で侮辱した。

 二人が次の施設へと向かおうとしていると、玄関を開けて台所へと何者かが駆け込んでくる。

 

「ねぇねぇ! 新しい艦娘が着任したのぉ!?」

 

 元気な声を張り上げてやってきたのはつるぺったんなお胸が特徴的なポニーテールの少女であった。朝から外出していたらしく手にはビニール袋を提げている。その台詞からも着任したのがコンゴウだと知らないようだ。

 

「その子は今ドコに居るの!?」

「あ、瑞鳳(ずいほう)。丁度良いわ、着任したのはこの――」

「Heeeey! ドウモォ、コンゴウと申しマァアアアアス!! これはこれは実にキュートなリトルベイビーネ。思わず食べちゃいたくなりマアアアアアアス!」

「えっ――」

 

 曙が紹介するより早く瑞鳳の元へと忍び寄り真上から顔を覗きこむコンゴウ。どんなに少なく見積もっても身長2メートルを凌駕する恵体の持ち主からすれば誰でも子供に見えるだろう。

 瑞鳳は軽空母たちの中でも小柄のため、彼女たちの構図は親鳥が雛鳥にエサを与えようとしているかのようだ。しかしコンゴウが与えたのは、瑞鳳が喜ぶようなエサではなく、恐怖だった。

 

「ふぇっ……」

「ふぇ?」

「びえええええええええええええん!!!」

「ちょっ」

 

 手にしていた袋を落とし瑞鳳は大声で泣き始めた。袋の中身は卵だったらしく落下の衝撃で割れて黄身が見えてしまっている。幼稚園児のように大泣する瑞鳳は(おおとり)どころかまさしくヒナのようだ。

 

「あーあ。コンゴウがずいほー泣かしたー。わかったぞ、あいつ悪いやつだ」

「せんだい! アンタ何処にいたのよ!」

「ワタシはまだ何もシテマセーン」

「まだってなんだよ。何かするつもりだったのか」

 

 のたのたと歩みってきたせんだいが瑞鳳の頭を撫でようとする。が、背伸びをしても身長が届かないのか背中をぽんぽんと叩いている。

 せんだいも一緒に買い物に出かけていたらしく瑞鳳と同じように片手に卵のパックを掴んでいた。

 

「アンタ何でコンゴウの事知ってるのよ。今帰ってきたばかりでしょ?」

「たわけ。卵を射止めるにはまず値段からと言うことが、貴様にはわからんのか」

 

 「ホホウ、アナタが『せんだい=サン』ネ? お噂はかねがねヒアリングしてマース」コンゴウがあごに手を当てて見下すような目つきを浮かべ言う。「何でも戦闘能力に自信があるとカ?」

 

 赤白色の崩れ巫女装束にふんどし一丁といったゴリラの、その風格溢れる威圧的な視線は瑞鳳でなくても泣きたくなるほどだ。先ほどの噛み付くような態度も忘れ、曙は瑞鳳に寄り添うように引く。

 入れ替わるようにせんだいがコンゴウの正面へと歩む。見上げるせんだいに見下げるコンゴウ、もの言わぬ両者の対立は明白だ。

 

「申し訳アリマセンが、このシマは今日からワタシが支配下に置かせていただきマース! アナタのようなちんちくりんはシコシコ夜戦でもやってるとイイDEATH!」

「くっ。このアセロラせんだい、ぬしのような胸毛ゴリラにはまだまだ負けんよ」

「ウホホッ! そこまで言うのならば今すぐ雌雄を決しようではアリマセンか! まさかエスケイプしようだなんて思っていませんヨね?」

「良いだろう。来い、決戦のバトルフィールドへ!!」

「あ、アンタたち待ちなさ――」

「びえええええええええええええええん!!!」

「瑞鳳うるさい! 離しなさいって!」

 

 せんだいたちは揃って玄関から外へと出て行く。曙は二人を止めようとしたが、泣き喚く瑞鳳が曙を逃がすまいと服の裾をがっしりと掴んでいた。

 瑞鳳をなだめてすぐに後を追ったが、二人の姿は既にどこにも見当たらなかった。

 

 

 

 

《もしもし、ぼのちゃん? こちら翔鶴よ。ひょっとしてせんだいさんたちを探してたりする?》

「翔鶴さん!? 二人が何処に行ったかご存知なんですか!」

 

 姿を眩ましたせんだいたちを探し始め少し経過した頃、突然曙へ翔鶴から入電があった。焦る様子の曙に対し翔鶴はいつも通りのマイペースな調子で話す。

 

《せんだいさんとコンゴウさんなら鎮守府近くの海岸に居るわよ。私たちも一緒にね》

「か、海岸? 分かりました、すぐに私も向かいます!」

《あっ、そうそうぼのちゃん。ついでに台所からビール持ってきてくれる? あとおつまみも何かあれば嬉しいわ!》

 

 何でビール……。無線が切れた彼女はわけが分からなかった。

 せんだいとコンゴウの仲は険悪で、今にも喧嘩に発展しそうな雰囲気まであった。いや、間違いなく既に見過ごせない事態になっているだろう。兵器である艦娘同士が本気で争えばただでは済まない。

 

(一刻も早く止めなければならないというのに、翔鶴さんは何を考えてるの!?)

 

 「ふんっ!」と怒りを露にしつつも、しっかりと台所からビール半ダースと柿の種を持って件の海岸へと向かう曙であった。

 

 

 

 曙が到着するとすぐにせんだいとコンゴウの姿が飛び込んできた。互いに砂浜の上で距離取りにらみ合っている。決闘でも始めようという雰囲気だ。

 

「ぼのちゃーん。こっちこっち!」

 

 曙を見つけた翔鶴が大きな声で呼びかける。翔鶴の他にも艦娘たちが集まっており、全員が――誰が用意したのか――海に面して設けられた即席のベンチに腰掛けている。

 

「翔鶴さん、これは一体……」

「わぁ、ありがとうぼのちゃん。ビールとおつまみ持って来てくれたのね」

「あっ、ビールじゃーん! 一本もーらい!」

「ずるーい! 瑞鳳も飲むーっ!」

「それじゃあ折角だから私もいただこうかしら」

「私も一本いただきます!」

「わ、私も貰ってもいいですか……?」

 

 放心する曙の腕から瞬く間にビールとおつまみが奪い去られていく。ハッと我に返り酒とつまみが消えている事にショックを受けたが、それよりも今はせんだいたちの方が重要だ。

 

「し、翔鶴さんどういうことですか!」

「あら、ひょっとしてぼのちゃんもビール欲しかった?」

「違いますっ!! せんだいたちは何をしようとしてるんですか!? どうしてみんなこんな所にいるんですか!」

 

 捲くし立てる曙を「どうどう」と翔鶴がなだめる。曙を自身の横へを座らせ説明する。

 

「なんか、今から二人で演習を始めるそうよ」

「え、演習?」

「コンゴウさんの希望なのよ。『この鎮守府でMOSA★と噂に名高いせんだい=サンと拳を交えてみたいのDEATH! UhhoooooHAaaaaaa!!』って言われてね? せんだいさんは構わないって言うから許可したのよ」

 

 翔鶴の熱意の篭ったコンゴウの口調に苦笑しつつ、何故許可したのかを問い詰めてみる曙。先ほどの成り行きを知る彼女は、コンゴウたちが演習と言えど手加減するようには思えなかった。

 

「きっと彼女はみんなに自分の実力を知ってほしいのよ。……実は、彼女にも事情があるみたいでね」

 

 そう語る翔鶴の目には言い争うせんだいたちの姿が映っていた。少し離れている事と他の艦娘たちの声がうるさいため良く聞き取れない。

 曙はせんだいたちの無線を傍受してみる。

 

《HAaahhHAaaaa!! 夜戦しか脳の無い軽巡にド級戦艦のワタシのPowerを破れるワケがアリマセェーン!》

《ぎゅぶぎゅぶううう。貴様の脳みそはさぞピンク色なことだろうのぅ。ワシが残さず舐め取ってやるけぇ……安心しぃや》

 

 曙が二人のクソみたいな言動にあきれ返るのも厭わず翔鶴は続ける。「戦艦と言う立場上、彼女は他の艦娘たちからも一歩引いた目で見られる事があるみたいなの。彼女はきっと寂しいんだと思うわ。だからこそ新しいこの地で、みんなと少しでも早く馴染もうとしてるのよ」

 

《なかなか主張してくるじゃねーか。でもアマゾン臭ぇーから死刑だな》

《ノープロブレム! せんだい=サン亡き後はワタシが彼女たちのテーソーを頂いて差し上げマース!》

 

 ぜってーちげぇよ。曙は口には出さなかったが顔面で思い切り否定した。

 

「さぁて、それではそろそろ始めまShow! YASUKUNI★へ行く覚悟はカンリョーしてますネ!?」

「カカカ・・・! コココ・・・! キキキ・・・! その時、せんだいに電流はしる」

「AhhHAaaaa!! 先手必勝DEATH!!」

 

 ドンッ!と言う音を共にコンゴウが先に動いた。砂浜と言う足場の悪い条件にも関わらずジェット噴射のように飛び出す。

 

「コンゴウ・クレストッ!!」

 

 コンゴウが勢い良く頭を振りかぶる。突進力を生かしたヘッドバッドのようだがコンゴウの体格から繰り出されるそれは相当の威力を持つだろう。

 せんだいは無駄な動き無くひょろりと躱す。しかし、躱されたコンゴウの頭が砂浜に激突すると魚雷でも破裂したかのような大爆発が巻き起こった。

 

「どわっ!! な、何が起きたの!?」

「おーっと、コンゴウ選手早速勝負を決めに行ったか!? 得意技であるコンゴウ・クレストが炸裂だぁー!!」

「長身と恵体を生かした重量級の頭突きですね。シンプルでありながら艦娘が繰り出すそれは現代兵器にも勝りますよ」

「アンタたち何してるのよ」

 

 長波(ながなみ)千歳(ちとせ)が実況と解説の真似事を始めた。しかし片手にビール、柿の種を握る様子から思い切りふざけているのが分かる。

 

「おや? せんだい選手は無傷です。流石は夜を統べる者、アイエエエって感じですなぁ!」

「せんだいさんも錬度は高いですから。しかしコンゴウさんの実力も想像以上。これは面白くなってきましたよ」

 

「ウッホホ、逃げるだけじゃ勝てないヨ! それともワタシにDestroyされたいネ?」

「一富士二鷹、三なすび……」

 

 せんだいのツーサイドアップはコンゴウへと差し向けられる。目では捉えられない速度で髪の毛が振動し破裂音が炸裂する。せんだいのソニックブームが放たれたのだ。

 だがコンゴウは意にも介さずにせんだいへと殴りかかる。一体どういうことなのだろう。

 

「せんだい選手負けじとソニックブームで応戦しています! しかしコンゴウ選手は全く怯む様子を見せません! 凄まじいタフネスです!!」

「まさに野生の力、とでも言いましょうか。生まれ育った環境が彼女を彼女たらしめているのでしょう。仮にですが、彼女の産まれが英国だったとすればあそこまで肉食な動きは不可能のはずです」

「本当に艦娘かあいつら?」

 

 コンゴウの暴虐の限りを尽くすラッシュだがせんだいには無意味だった。爆音と共に砂を巻き上げるパンチは当たれば必殺だろう。しかしせんだいは無脊椎動物のようにのらりくらりと躱し続けている。

 

 「Hum、流石一筋なわでは行きませんネ」コンゴウは自ら距離を離す。何か仕掛けるつもりだろうが、せんだいはいつも通りにやにやとするばかりで動こうとしない。

 

「近接攻撃が当たらないのであれば、遠距離から纏めて吹き飛ばすまでDEATH!」

「え、遠距離攻撃!? まさかあのゴリラ、砲撃するつもりじゃないでしょうね!」

 

 コンゴウは着任したばかりのため艤装されていない。彼女の装備は鎮守府の武器庫に収められている。

 しかしこちらへ着任してから彼女の装備チェックはまだ行なっていない。非常時のための携行武器を所持しているかもしれない。ましてや、艦娘となれば砲の類を持っていてもおかしくは無いだろう。

 

「Non、Non。モチロン武器なんて使いまセーン。ワタシの艤装は鎮守府に預けている物で全てDEATH」

 

 曙の危惧を否定するコンゴウ。「ただし……」呟きながら右腕を左肩まで上げる。ミシミシ……と言うおよそ人体――人間ではないが――から発せられるとは思えない、縄をきつく縛り上げたような音が聞こえ始めた。

 

「ワタシの武器が艤装だけとは限りまセン。そう、ワタシ自身が武器なのDEATH!!」

 

 「ダイアモンド・カッター!!」筋肉により肥大化した右腕が勢い良く振り下げられる。その速度は音速の域へ到達しているようだ。彼女の右腕からも「ボッ」と言う音が聞こえた。

 

 いや、聞こえたのはそれだけでは無かった。

 艦上爆撃機による艦爆でもあったかの様な大爆発。右腕の軌跡をなぞる様に海岸の砂、そして海水までもが吹き上がる。

 

「うおおおおお!? 海が割れたああ!?」

「ここ、これは凄まじい!! まるでモーセの奇跡です! コンゴウ選手の放ったダイアモンド・アッターにより、海が割れ道が誕生しました!!」

「ソニックブーム……と言いたい所ですが、どうやら厳密には違うようですね。どうも良い言葉が見当たらない。さしずめ『気』を放ったとでも言いましょうか」

 

 コンゴウの放ったダイアモンド・カッターは、その名の通り超鉱物金剛石(ダイアモンド)を断ち切る、転じて万物を両断すると言う意味が込められているのだろう。陸を裂き海を割る衝撃は、見上げると空に浮かぶ雲すら両断していた。

 

「あ、あぁっ!! ごご、ごらんください!」

 

 缶ビールをマイクに長波が大袈裟に声を張り上げる。煙が晴れたそこには一つの人影が……。

 

「笑止千万、バイバイキング」

「せんだい選手、無傷!! それどころか相変わらず薄気味悪い笑みを浮かべています。王者の余裕と言うものでしょうか」

 

 王者ってなんだよ、曙は突っ込みたくなったが我慢した。

 コンゴウは攻撃を避けられたにも関わらず満足そうだ。避けて当然と言わんばかりにせんだいへ侮蔑の視線を送る。先ほどの強烈な一撃すら手心を加えていたというのか。

 

「フフン、そうこなくては面白みがアリマセーン。DEATHが、次からはどうでShow?」

 

 今度は両腕をクロスさせたコンゴウ。再び筋肉が肥大化しミシミシと音を立て始める。

 放たれた『気』は二つだけでは無かった。両腕から繰り出されるは、まるでダイアモンド・カッターの鎖鋸。連続する見えない刃がせんだいへと襲い掛かる!

 

「HAaaHAaaHAaaHAaaaa!! シュレッダー、などと生易しい物ではありまセン。原始レベルで消え去りなサーイ!!」

「おいこれ演習だよな?」

 

 コンゴウはしばらく攻撃を続けていたが、突然攻撃の手を辞めると一瞬でせんだいの居た場所へと飛び込んだ。

 艦娘たちがしきりに服を払ったり口に入った粒を吐き出している。一同は二人の姿が見当たらない事を不思議がったが、再び煙が晴れたときその状況に誰もが驚愕した。

 

「Heeeeeey! せんだい=サン、気分はDoネ?」

 

 彼女らが目にしたのは、コンゴウの眼下で白い布に巻かれて身動きが取れなくなっているせんだいであった。

 せんだいは相変わらず余裕ぶった笑みを崩さないが、必死に抜け出そうとしてもがいている。コンゴウはそれが愉快なのか馬鹿にするように大笑いをした。

 

「AahHAaahHaa! どうやらここまでのようDEATHネ。ワタシの奥の手である『鬼金剛ふんどし縛り』は捕まったが最後、誰も逃げられまセーン」

「新しい快感に目覚めそう……びくんびくん」

「最早アナタの時代はEndingを迎えマシタ。そして今日この時より、ワタシの時代のOpeningが始まるのDEATH!」

 

 「これでトドメDEATH!」せんだいに巻きついているままのふんどしを左足で押さえつける。これによりせんだいはコンゴウの足元から這い蹲る事も出来ず、正真正銘身動きが取れなくなる。

 高だかと持ち上げられる右足。土踏まずが綺麗に天を突き、コンゴウの股裂きは180度を超えていた。

 

「かつてない戦いを披露してくれたせんだい=サンへ、感謝と敬意を込めてお見せしマス。これこそワタシの最終必殺技! 『鬼金剛ふんどし縛り』から続く絶対必滅コンボ、その名も……『鬼股落とし』ッ!!」

 

 コンゴウが思い切り右足を振り落としせんだいを踏みつける。タンッと小気味良い音を響かせ超振動が木霊する。二人を中心に、火山のマグマのように砂が噴出した。

 

「コンゴウ選手の超必殺技がクリーンヒットォ!! これは勝負あったか!?」

「せ、せんだいっ!!」

 

 衝撃により上空へと押し出された砂と海水が激しく降り注ぐ。粒子の壁が晴れ一同の視界が良好になる。

 彼女らが再び目にしたのは、ハガンするコンゴウ一人であった。

 

「UhhooooHAaaaaaa! 跡形も無く消し飛びましたカ!」

「そ、そんな、せんだい……!」

 

 曙がガクリと肩を落とした横で、突然他の艦娘たちが感嘆の声を上げた。つられて彼女もうな垂れていた頭を上げる。

 そこに佇む影を見て、曙もまた驚嘆と喜びの声を発した。

 

「せんだいっ!」

「ナッ……!」

 

 コンゴウが驚き後ろを振り向く。そこに立っていたのは先ほどと一切変わる事無く、下卑た笑いを向ける無傷のせんだいの姿があった。

 

「ゴヒュッ、ゴヒュッ、ゴヒュッ、ゴヒュッ!」

「Shit! あのコンビネーションから抜け出すだなんて、まさか!?」

「勝負はここからだぜイエローモンキー。嬉し恥ずかし山椒の木」

 

 せんだいはカエルの様にしゃがみ込むと大きく口を開いた。いつも薄笑いを浮かべる口がそのキャパシティを超えて裂ける。せんだいの口内に黄色い光源が収束し始めた。

 

「な、何を」

「エクスプロージョン・夜戦・バースト」

「うっ――ウオォアァッ!?」

『きゃあああ!!』

 

 「ギュンッ」と弦が弾けるような音と共に光源から一本の巨大な線が放たれる。コンゴウは慄くあまり避ける事もできず光に飲まれてしまった。

 せんだいを中心に衝撃波が広がり曙たち観覧席をも巻き込んだ。彼女たちは髪の毛を押さえたりおつまみが飛ばされないようにするのに尽力する。

 

 せんだいが放った『光』はコンゴウを飲み込み、そしてはるか先に見据える山へ直撃した。数十キロ離れた位置から崩壊の始まりが告げられ、音が鳴り止んだそこに山は無く、ポッカリとマヌケなくぼみが設けられていた。

 

「これは……勝負あったようですね」

「せんだい選手、あのピンチから奇跡的な脱出を成し遂げ、なんと大技にて一発逆転! 流石は王者、彼女こそ真の()()()()にしてエンターテイナーだぁあああ!!」

 

 沸きあがる観覧席とふてぶてしく仁王立ちするせんだい。彼女は――少なくとも彼女自身にとっては――最高とも言える笑顔を浮かべ、自分を賞賛する甘美なる賛辞を享受していた。

 

「……な、なんなのよこれ…………」

 

 艦娘なら砲雷撃戦やれよ。曙はボサボサになった頭を直す事すら忘れ呆然としていた。

 

 

 

 

「イヤァー、流石はせんだい=サン! この度はワタシの完敗DEATHネ!」

「君の愛は十分に伝わったよ。夜戦しようや」

 

 時刻は1800、せんだいたちは皆で卓を囲み夕食を取っていた。

 煮付け、焼き魚、漬物、お味噌汁と言った定番のメニューに加え、一際存在感を放っていたのは大量の卵焼きだ。曙はその一つを箸で掴みながら、今朝の瑞鳳が割ってしまった卵を思い出した。

 

「それで、アンタたちは知り合い同士だったの?」

「Non、Non。それは違いマスよミス・コニシキ。実際にワタシたちが会ったのは今日が初めてDEATH!」

「コニシキじゃねぇアケボノだ!! アンタわざと間違えてるな!?」

「ワタシはさっき申し上げた通り、せんだい=サンのお噂はヒアリングしていましてネ。せんだい=サンもワタシの事をどこかでご存知だったのでShow。光栄のキワミ、アッー!」

 

 コンゴウがハガンコンゴウな表情で喜びを露にする。つまりこいつ等は始めから本気で喧嘩しようと言う気は無かったと言うことか。曙は面白くなさそうに頬杖を付いた。

 それよりも、何故あのせんだいの攻撃でピンピンしていられるのかが不思議で仕方が無い。

 

「それよりアンタ、あんな戦と……演習の後なのにどうして無傷なのよ」

「ディナーの前に入渠しまシタ! ワタシの筋肉はコアさえ破壊されなければ幾らでも再生可能DEATH!」

「お前は人造人間か……いや、艦娘か」

「はいはい、みんな話が盛り上がるのは良いけど冷めないうちに食べなさい。それとぼのちゃん、テーブルにヒジを付かない!」

 

 翔鶴に注意され不満そうにヒジを直す。それを見た一同が楽しそうにクスクスと笑った。

 せんだい含む弱小鎮守府の艦娘たちは今日も平和な一日を過ごしていた。

 

 



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5空母ヲ級(番外編)

※ 番外編のため、キャラクターの会話を読みやすいように変更しています。


 地上の光が一切差し込まない暗澹(あんたん)たる海域、深海。

 人々のあずかり知らないその奥地では、今日も平和に深海棲艦たちが暮らしているのだ。

 

 

 

「ガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミ!!!」

「しゅん……」

 

 いつも静かなはずの深海基地の一室は今日にいたってはとても騒がしい。

 天井には室内照明としてハロゲンランプが提げられているが、どうも部屋の広さと明かりの数がつりあっていないようだ。それでも部屋の中で怒鳴りつける者と正座しながらうな垂れている者を照らすには申し分ない。

 

「全くもう!! 勝手に私の浮遊要塞を持ち出して! みんな大騒ぎだったのよ!?」

 

 透き通るように美しい銀髪を赤いリボンで後ろに結わえた女性。全身が白い肌の彼女は、その容姿だけを見れば間違いなく人間と紛うだろう。

 しかし彼女は決して人間ではない。それどころかその姿とは裏腹に、人間にとっては不倶戴天の敵である深海棲艦たちの将を務めるのだ。

 

 彼女の名前は『装甲空母姫』。数多の深海棲艦たちを率い戦場を恐怖の色に染め上げてきた存在である。

 

「この前も誰の許可も無く勝手に地上に上がって、挙句ボロボロになって帰ってきたじゃない! あなたは夜戦出来るような艤装を積んでいないでしょう!?」

「むー……」

「むー……じゃない! あの時はアナタの部下が無事だったから連れ帰ってもらえたけど、運が悪ければ轟沈はおろか、敵に捕まっていたかも知れないのよ! アナタはその危険性を良く理解してるのかしら!?」

「だって……」

「だって……じゃないっ!!」

 

 装甲空母姫の緋色の目が一層赤く光輝く。正座する相手をキッと睨みつける容姿は『姫』と言うより『鬼』そのものだ。

 姫が怒鳴り散らす度に目を固くつむりながら肩をびくつかせていた空母ヲ級は、そ~……と上目遣いで口を開いた。

 

「で、でも、最近ワタシ召集かからなかったし……」

「私たちには私たちの考えがあるの。近々また地上に侵攻するつもりだし、その時はちゃんとアナタにも手伝ってもらうわ」

「むー、いつもそればっかじゃない……。お姉ちゃんのイジワル」

「『お姉ちゃん』じゃなくて『空母姫』さん!」

「くーぼきさぁん」

 

 頬をむくれさせ拗ねる()に姉である空母姫はやれやれと首を振った。妹を大切にするあまり出来るだけ戦闘に駆りださないようにしていたが、その見返りで随分と我がままに育ってしまったらしい。

 分かってはいても一向に治らない自分の妹バカぶりにあきれてしまう。

 

「と・に・か・くっ! これからはワタシの許可無しに地上に出る事を禁止します! もちろん休暇中もよ」

「えぇ~! そんなぁ!?」

「当たり前ですっ! 勝手にワタシの浮遊要塞2号まで連れ出して、あまつさえビーチボール代わりにするなんて」

 

 空母姫の言葉に思わず鼻を押さえるヲ級。以前浮遊要塞を勝手に持ち出したとき、自身の顔面にぶつかって鼻血を出した事を思い出した。

 

「それから謹慎処分として、今日から一週間の間、深海基地から外へ出る事も禁止します!」

「えぇーっ!!」

「分かったら下がってよし。当分はおとなしくしてなさい」

 

 ピシャリと言い放ちしっしっと追い払う動作でヲ級を下がらせる。空母姫に背中を見せてとぼとぼと歩く様子から相当応えたものと推測できる。

 これだけで済めば良いのだけれど……。空母姫は部屋を出て行く妹に大きなため息を吐いて見送った。

 

 

 

 

「もぉー!! お姉ちゃんのワカラズヤ! 頑固者! 露出狂!!」

 

 ぷんすかぷんと頭に湯気を立てながら空母ヲ級は基地内を歩いていた。将の悪口など言おうものならばたとえ妹の彼女と言えど厳しく注意されるはずだ。

 しかしヲ級を注意する者は一人も居ない。現在は皆出払っているらしく、謹慎中の身である彼女からするとむしろつまらない気持ちが勝った。

 

「そうだ、ワタシの部隊のメンバーは基地内に居るはずよね!」

 

 自分の直属の部下たちに会いに行こうと彼らのナワバリへと向かう。彼らの基地では宿舎と言うものは存在せず、基地内にある共用スペースを『ナワバリ』と呼び、複数の艦がそこで共に暮らしている。

 なお鬼級や姫級、flagship級やelite級と言った艦は例外的に特定の個室を支給されていたりする。

 

 ヲ級がまず向かったのは最も近場にあった雷巡チ級のナワバリだった。

 入り口までやってきたヲ級は「チ級、いる~?」と声を掛けながら中を覗く。しかし、そこに居たのはチ級では無かった。

 

「あら、リっちゃんじゃない。元気?」

「……」

 

 無言でコクリと頷く重巡リ級。突然声を掛けてきたヲ級に驚く様子も無く椅子に座ったまま本を読んでいる。

 普段は両腕に大きな砲を一門ずつ抱える彼女だがその日はオフらしくラフな格好だ。動きやすい水着のような姿ではなく、ヲ級のようなスキニーパンツにカッターシャツを羽織っている。

 

「あなた相変わらず無口ねぇ。そうそう、チ級はどこ行ったか知らない?」

「……」

 

 知りません、とゆっくりと頭を左右に振るリ級。同室の彼女なら居場所も知っていると思っていたヲ級は肩透かしを食らったようだ。

 

「そっ。今日はワタシもお仕事無いし彼女も部屋でゴロゴロしてると思ったんだけどなぁ」

「……」

「え? 彼女は今朝からどこかに出かけたみたいです、って? それなら早く言ってよ。仕方ない……他を当たってみようかしらね」

 

 ヲ級が一人で呟きながら部屋を出て行く。リ級は空母が出て行くのを見届け再び本の世界へと戻ろうとした。

 ……何やら視線を感じる。だがしかし彼女は全く気にする様子も無くそちらを見ようともしない。

 

「……ちょっとぉ、気付いてるんでしょ。無視しないでよ」

「……」

「何、まだ何か用なのかって? どうせあなたも暇なんでしょ。付き合いなさいよ」

 

 ヲ級が高慢な言い方でリ級に命令する。彼女の直属の部下たちならば即刻拒否するかいや~な顔を浮かべて暗に否定するかのどちらかだろう。反してリ級は、手にしていた本を閉じると無言でヲ級の命令に従った。

 

「ふふ、流石リ級は良い子ね! 全く、みんなあなたみたいに素直ならワタシの負担も少なくて済むんだけどね~」

 

 無表情のリ級だったがヲ級に褒められて少しだけ頬を赤らめる。しかし内心では「みんなもあなたにそう思っていますよ」と考えているのであった。

 

 リ級たちのナワバリを出た二人は雑談を交わしながら次の目的地へと向かっていた。

 とは言っても相変わらずリ級はだんまりで、ひたすらにヲ級が一方的に話しているだけだ。最も、彼女は話を聞いてくれるだけで満足らしい。

 

「それで、この前の休暇で海に行ったのよ! お姉ちゃんの浮遊要塞を借りてみんなでビーチバレーしたの! だけど今日その事がバレちゃってね。おかげで私は謹慎処分になっちゃって……はぁ」

「……」

「大体さぁ、ちょーっと浮遊要塞借りたくらいであんなに怒る事無いと思わない!? それにワタシが水着無くした事を話したらそれについてもすーっごく怒ってさ。『女の子がノーパンで公衆の面前に立つんじゃアリマセン!!』って。良く言うよ、自分だって普段はノーパンのくせに! どーせワタシがノーパンになったら自分とキャラ被るとでも思ってるのよ。あのくーぼ鬼さんは!」

「ほほう? ノーパンキャラが被るねぇ……」

「ぎくっ!」

 

 艶のある声はどことなく重みを帯びている。耳から入った声が全身に重力をもたらすかのように重たい。

 肩をすぼめながら空母ヲ級はゆっくりと後ろを振り向く。美しく白い顔肌が怒りかまたは恥ずかしさからか紅潮し、笑顔とは対照に目が笑っていない。

 またもや『鬼』と化した装甲空母姫が二人の後ろに立っていた。

 

「おお、お姉サマ……」

「ほうほうナルホドねぇ……。ヲーちゃんは私の事を、そーゆー風に見てたんだぁ」

「ち、違うんです違うんですぅ! これはそのぉ……リッちゃんが喜ぶからこういう話し方なだけで!」

 

 「えっ、私!?」と口にせんばかりの表情で重巡リ級は焦る。普段無表情の彼女には珍しい困惑振りだが、ヲ級も装甲空母姫も気付く様子は無い。

 

「アナタはまたそうやって人に罪をなすりつけようとして!!」

「ひぃっ! ごご、ごめんなしゃい!!」

「正座っ!!」

「はひぃぃ!!」

 

 「ガミガミガミ……」と先ほどと全く同じ光景が始まってしまった。ヲ級が姉の空母姫に怒られるのは日常茶飯事だが、やはり空母が叱られているのを見るのは気まずい。

 しばらく二人の『お話』は終わりそうも無かったため、リ級は先に目的の場所へと向かう事にした。

 

 

 

 リ級が向かったのは第三会議室だった。そこそこの広さを有する割りに本来の用途である会議には殆ど使用されない不遇な部屋である。

 ただこの部屋、別の意味ではとても人気のある部屋なのだ。

 

「……えーですから、相手に理解してもらえたかを聞くときは、『どぅーゆーあんだすたん?』と言うのです。それでは一緒に言って見ましょう。サン、ハイ!」

『どぅーゆーあんだすたん?』

 

 第三会議室から多くの深海棲艦たちの声が聞こえてくる。リ級は様子を確かめるように顔を覗かせる。

 そこには教壇に立ち何かを板書しながら説明をしている戦艦と、背の低い平机の前に座る――座っているのかは分からないが――駆逐艦たちが居た。

 

「はい、みんな発音が良くて上出来よ! それじゃあ今日はここまで。各自次の講義の時間を間違えない様にね」

『はーい、タ級せんせー』

 

 駆逐艦たちがぞろぞろと部屋を出て行く。彼らは情報戦の一環で敵国の言語を日々学習しようとしているのである。

 深海棲艦の中にも言語能力に長ける者とそうでない者がおり、特に軽巡や駆逐艦と言った比較的小さい艦は拙い傾向があった。深海棲艦同士の会話でも「ゴオオオオ」だの「ゴアアアア」と言った叫び声のようなものばかりで意思疎通には大変苦労させられている。

 

 この時間には敵国語講義を受けていた空母ヲ級の直属部下である駆逐艦たちも居る。ヲ級はリ級と共にこちらへ来る予定であった。

 

「あれ、リッちゃんじゃないですか。こんにちは」

「……」

 

 仰々しい見た目とは裏腹に丁寧な言葉遣いで挨拶をする駆逐イ級。リ級は彼に無言で頭を下げて挨拶を返した。

 

「リッちゃんがこんな所に来るなんて珍しいですね。どうかしましたか?」

「…………」

「えっ? 空母さんが呼んでるんですか?」

 

 リ級が懸命に身振り手振りで状況を説明する。無口な彼女が多くの情報を伝えるときの常套手段だ。

 イ級は忙しそうな動きをするリ級を見て「口で説明すれば良いのに」とは言わなかった。

 

「そうでしたか、それはわざわざすみません。全く自分の部下でもない人をパシらせるなんて。私の方から良く言い聞かせておきますね。……それで、肝心の本人はどこに?」

「……」

「ふむふむ、またあの人説教されてるんですか。今度は何をしたんだか」

「そこ、どうかしたの? この部屋は次の講義があるから早く出なさい」

 

 リ級たちは自分たちへと声を掛けた主へと振り向く。先ほど教壇に立ち教鞭を執っていた戦艦タ級が二人の下へと歩み寄る。

 

「あら、リ級じゃない。お元気かしら?」

「……」

「相変わらず無口な子ね……。あなたらしいけど」

 

 身振り手振りで「元気ダヨー」と伝えるリ級にタ級が苦笑いする。タ級は他の艦に比べ人間の姿に近く、そのためか言語能力にも非常に優れていた。その能力を買われ時間のある時にこうして駆逐艦たちに敵国語の講師を務めている。

 ちなみに以前重巡リ級もタ級の講義を受けていた、言わば生徒の一人でもある。

 

「すみませんタ級先生。すぐに出て行きますから」

「それなら良いわ。けどリ級がこっちに来るのは珍しいわね。何かあったの?」

「いえいえ、リッちゃんはウチの空母さんの代わりに私を呼びに来てくださったんです」

「あらそうなの。そういえば彼女とも最近ずっと会ってなかったわね」

「良かったらタ級先生もご一緒しませんか? どうせ空母さんの事ですから暇なだけでしょうし」

「ありがとう。それじゃあお言葉に甘えようかしら」

 

 「それと、講義中以外は先生と呼ばないでね」タ級の言葉にイ級たちが笑う。女学生のようなひと時は人類の敵とは思えないほど微笑ましかった。

 

 

 

 

「やだぁー!! ちょっとやーめーてーよー!!」

「いーから寄越しなさい!!」

 

 リ級たちが空母の所へ向かうと、さっきと変わらず空母姉妹は居た。どうやら説教は終わったらしく先ほどリ級が感じていた気まずい空気は薄れていた。

 しかし二人で互いにパンツを引っ張り会っている様子は、なんとも言いがたく異様な雰囲気だ。

 

「……なにこれ」

「さ、さぁ……。リッちゃん、これは一体?」

 

 イ級に問われたリ級もお手上げだった。そもそも何故お互いに相手のパンツを引っ張り合ってるのか。俗に言うキャットファイトでも中々見られないシチュエーションである事は間違いない。

 

「ち、ちょっとあなたたち何してるのよ」

「あっ、タッちゃん久しぶり! ちょっと聞いてよ! お姉ちゃん酷いのよ!?」

「だから、人前でお姉ちゃんと呼ぶなと言ってるでしょ! 空母姫さんと呼びなさいと、何度言えば分かるの!」

 

 ぎゃーぎゃーと喚き言いたい放題の二人。その様子からも二人が姉妹と言うのが実に良く実感できる。

 ともかく落ち着かせる必要があると、三人はヲ級と空母姫を引き離す。イ級とリ級は空母ヲ級を、タ級は装甲空母姫をその場に座らせた。

 

「まずは落ち着きなさいよもう。そもそも、始めはヲーちゃんが空母姫さんに説教されてたんじゃないの?」

 

 何故タ級がそれを知っているのか。顔を赤くしたヲ級がキッとリ級を睨みつける。リ級は明後日の方向を見ながら口笛を吹いていた。

 

「むー……ま、まぁいいわ。ちょっとお姉ちゃ――くーぼきさんと口論になったのよ。経緯は……()()()なリッちゃんから聞いてるでしょ」

 

 空母ヲ級が顔をむくれさせリ級から目を反らす。リ級はごめんなさいと言うように両手を合わせて必死で頭を下げていた。

 苦笑いしつつもタ級は質問を続ける。

 

「けれどそれは空母姫さんの悪口を言っていたからでしょ? 一体どういう流れで……その、パンツの引っ張り合いを……」

 

 戦艦タ級が装甲空母姫へと目を遣る。空母姫も目線を反らしながら頬を膨らませる。しかし自分でも恥ずかしいのかやや頬を赤く染めていた。

 

「そ、それは……そもそもヲーちゃんが私の事をノーパンキャラとか言うから……」

「事実だもん」

「なんですってぇ~!?」

「ちょっとちょっと、話が進まないからヲーちゃんは黙ってて。けれどそれだけでしたら叱って終わりだったのでは?」

 

 タ級の質問に気まずそうにうつむく空母姫。イ級とリ級は上司が部下に諭されている光景に苦笑する。

 

「……だって、この子ったら私が怒ったら逆ギレして、『そもそもパンツ履かないお姉ちゃんが悪いんじゃん! 私だって脱ぎたくて脱いだわけじゃないもん! 露出狂の妹の身にもなってよ!!』とか言うから」

「……言うから?」

「『だったらアンタもノーパンの気持ちを味あわせてやる!』って」

「はぁ……何してるんですかあなたは……」

「だ、だって! 私のアレはノーパンなんじゃなくて全身タイツなだけなのよ!? 酷いじゃないそんな、ぞんな、ろじゅづぎょうだなんでぇ……っ」

「ち、ちょっと、泣かないでください!」

 

 空母姫の声が尻すぼみになり次第に声には嗚咽が混じり始める。まさかタ級たちも空母姫が泣くとは思わずオロオロし始める。

 イ級はそのメンタルの弱さを見て「やっぱりヲーちゃんの姉妹だな」と一人納得するのであった。

 

 結局その後、姉がメソメソと泣く姿が居た堪れなくなりヲ級自ら謝って解決を迎えた。空母姫も「私もちょっと言い過ぎたわ」とヲ級の謹慎処分を破棄する事を約束した。

 仲直りした後の二人はより一層仲が良くなったようで、その二人の様子に部下の面々も嬉しそうだ。

 

「全く、いつも騒がしい二人ですね」

「けれど二人が羨ましいよ。姉妹と言うものは憧れるね」

「……!」

「『私たち深海棲艦はみんな姉妹でみんな家族みたいなもの』……ですか?」

「……ふふふ、確かにそうかも知れないな! 良い事言うじゃないリ級!」

 

 日の明けない深海には日が沈む事も無い。

 しかしそれはまるで深海ように静かで、ときどきちょっと騒がしい平和な毎日が、いつまでも続く事を暗示しているかのようだった。

 

 

 

 なおその後ヲ級はまたもや問題を起こし姉の空母姫に叱られ、結局一週間の謹慎処分を喰らう事になるのだが……、今の彼女たちには知る由も無いのであった。

 

 



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6せんだい

 

 その日いつにも増してせんだいは不気味に笑っていた。虫歯一つ無い彼女の歯は白く耀いており、ある報告書によると彼女の笑い顔を深海棲艦と間違えて攻撃しかけた事もあったそうだ。

 

「な、何だか今日のせんだいさん不気味です……」

「いつも不気味の間違いよ」

 

 羽黒と曙は鎮守府鎮守府の窓から空を見上げて微笑むせんだいを見つめていた。

 せんだいは先ほどからずっと空を見続けたまま動かずに居る。どうもその様子からは何かを待ちわびているようにも思えたが、いつもニヤニヤとしている彼女の心を読むことは深海を見通すよりも難しい。

 

「あら、この音は……?」

 

 遠くよりゴオオオ……とエンジン音が聞こえ始める。ヒーターを稼動させているかのような切れ目の無い音は車の類ではなさそうだ。

 次第に耳障りに感じ始めた二人は窓から音の原因を探す。海の向こう側から黒い点が鎮守府の方へと向かってくる。どうやら飛行挺のようだが彼女たちの知ってるものとは少々異なっていた。

 

「な、何? あれってまさか水上機!?」

「ここ、こっちに来ます!!」

 

 耳を劈くジェットエンジン音が小さな鎮守府全体を振動させる。飛行艇は着水し始めるもその勢いは中々衰えず、かなりの速度を持って鎮守府へと迫り来る。

 

「わっ、わっ!! ぶ、ぶつかるっ!?」

「キャアアア!!」

 

 巻き上げられた海水が飛沫となって鎮守府へと降りかかる。思わず抱き合って身を竦める二人。彼女たちは死を覚悟した……。

 しかし突如襲来した飛行艇は間一髪鎮守府の手前で停止する。

 

《ふふふふ、ふふふふふ~》

 

 優しさの中に戦慄を潜ませる笑い声。無線から聞こえてきた謎の声に羽黒と曙は薄ら寒くなった。

 

「な、なに今の声……」

「なんだかとても不気味で……いや~な予感がします」

《……こちらはK200型『大仙(だいせん)』、じんつう及び睦月型五番艦『皐月(さつき)』、十番艦『三日月(みかづき)』到着しました》

 

 「大仙?」近距離向けに発せられた無線を受信した曙は聞きなれない名前に首を傾げる。そんな機体は海軍の飛行艇に存在しないはずだった。

 しかし使用されている周波数は海軍用のものであり、何よりその後に挙がった三名の名前は曙も知る物だ。

 

「ら、来客!? ぼのちゃん、翔鶴さんから何か聞いてる……?」

「いいえ、何も……。それよりも私の聞き間違いでなければ、何かヤバイやつが来ちゃったんじゃないかしら……」

 

 

 

 

 鎮守府内に残っていたメンバーが建物裏の海岸へと集まった。

 先ほど突然襲来してきた飛行艇は随分と大きく見た目もその場に居る誰もが知る物とは似つかなかった。大きさは二式飛行艇――二式大艇とは比較にならないほど凌駕しており、こんな物が鎮守府にぶつかっていれば艦娘たちの根城は廃墟と化していただろう。

 特に目を引くのが前方に設けられた6発のジェットエンジンだ。艦娘たちの扱う艦上戦闘機とは異なり先進性を感じさせるそれは、古き良き飛行艇と一線を画する奇抜さである。

 

「しっかし大きいねぇ。この飛行艇は一体なんだろう?」

「良くもまぁこんな大きな飛行艇でこんな小さな海に来たよね」

 

 マイペースな長波と千歳は興味深そうに飛行艇を眺めている。先ほどの無線をしっかりと聞いていればそんなマイペースな事を言っている場合ではないはずだ。曙は思わず頭を抱えた。

 

神通(じんつう)は神通でも、寄りによって()()じんつうだなんて……」

「通りでせんだいさんが喜んでいる訳ね。確かじんつうさんってせんだいさんの姉妹艦よね」

 

 二人が顔を向けた先では興奮のあまりヘッドスピンをしながら地面に埋まっていくせんだいが居た。コンゴウはその様子を見て「ウホッウホッ!」と両手を叩いて喜び、綾波は何を勘違いしているのか必死にメモを取っている。

 せんだいとじんつう。姉妹艦にして「混ぜるな危険」を砂煙を巻き上げながら地で行く彼女らは海軍の中でも扱いに困る存在だ。

 

 機体先端の乗降口が開かれ黒髪と金髪の二人の少女が降りてくる。黒いセーラー服は艦娘の証。先ほど無線で告げていた三日月と皐月の両名である。

 

「お出迎えありがとうございます。ラバウル基地より参りました三日月です」

「僕は皐月だよ! よろしくね!」

「え、遠路よりお越しいただきご苦労様です。鎮守府の副官を務めている羽黒です。ただいま提督代理の翔鶴は席を外していまして……まさか、本日来客があるとは私たちも知らされていませんでした。すみません……!」

「御気になさらずに。しかし連絡が行ってなかったとは……。おかしいですね、うちのじんつうから入電があったかと思ったのですけど」

 

 三日月が眉をしかめてふぅとため息を吐く。どうやら鎮守府へはじんつうが行なう手筈だったようだ。羽黒と曙は「せんだいの姉妹艦だけあってどこか抜けているな」と苦笑する。

 

「あら、そう言えば肝心の本人は?」

「飛行艇の操縦は彼女が取っていたのでもうすぐ降りてくるかと……」

 

 三日月が曙へと説明している間に「ふふふふ~」と不気味な笑い声を上げて一人の艦娘が降りてくる。左右に分かれた前髪はタコの足のようにも見え、こめかみの上からは耳を隠すように長髪が下りている。髪型以外の身体的特徴はせんだいと瓜二つだ。

 曙はその姿を見るなり「ゲッ」と顔を歪ませる。彼女はじんつうとも面識があるようだが、噂にしか聞いていない羽黒は不思議そうにじんつうの姿を追っていた。

 

「なんか不気味さに拍車がかかってるわ……」

「そ、そうなの? 私には良く分からないけど……」

 

 『良く』は分からないが『なんとなく』不気味なのは伝わる。言葉を濁してはいるが彼女もじんつうに近寄りがたさを感じているのは間違いなかった。

 

「うちのじんつうがせんだいさんに会いたいと言いだしましてね。彼女は普段そのような我がままを言わないんですが……新しくなった自分を姉に見て欲しかったのかも知れません」

「新しくなった?」

「ええ。実は彼女、この度『怪一』になったもので、そのお祝いも兼ねて彼女の要望を叶えようかと――」

「ごめんなさい、今なんと?」

「お祝いも兼ねて彼女の要望を――」

「あっいえ、そっちじゃないです」

 

 三日月の言葉に妙な単語を見つけた曙。発音だけ聞けばおかしな所は何も無い。羽黒が首を傾げるのも当然だろう。

 しかし曙はせんだいと言う異形を知っている。そしてその姉妹艦に成されたそれがただの改装で無い事も察しが付いていた。

 

「『改装』したのよね?」

「ええ、『怪装』ですね」

「『改一』よね?」

「『怪一』ですね」

「どうしたのぼのちゃん、同じ事を何度も聞くなんて」

 

 曙は頭を抱えたくなった。三日月は平々凡々としているが、間違いなく、じんつうはせんだいと同じ道を歩んでいる。

 そもそも一体何が原因でこうなってしまうのか。どうして彼女たちは普通の艦娘らしくしてくれないのか。そもそも普通とは何なのか。曙は考える事をやめた。

 

「もういいわ……私知らないわよ」

 

 曙のこの世の終わりの様な表情に不安感を抱く羽黒であったが、同伴者の三日月と皐月が平然としているので何も問題は無いだろうと捉えていた。

 三人が話をする傍ら、せんだいはじんつうの元へと近づいていく。長波と千歳もじんつうを迎えようとせんだいに続いた。

 

「ジンツゥ↑! 夜戦やってっか?」

「センダァーイ↓。やってるわぁーよ?」

「ゲッゲッゲ。なぁ今度探照灯一個くれよ。あれ夜戦に持って来いだからよ」

「クックック。じゃあ代わりに九八式のサンプルちょうだい。ラバウルで魔改造するから」

「なんか物騒な話してるな?」

 

 対顔するなり揃って不気味な声で笑いあう二人。互いに相手の名前を呼ぶ際のイントネーションが独特なのはわざとだろう。

 じんつうがふと長波と千歳へと目を付ける。そのいやらしい視線に二人はびくりと肩を跳ねた。

 

「ふ~ふ~ふ~ふ~。可愛いわねぇ、夜戦しない?」

「おい千歳、こいつやっべーぞ」

「ええ。物凄く嫌な予感がするわ」

 

 じんつうがしずしずと滑る様に二人へと近づいてくる。地上より3ミリほど浮いているのか、砂浜に足跡すら付けない歩行方法は一層二人に警戒心を高めさせた。

 

「どうも初めまして。せんだい型二番艦じんつうと申します」

「あっ、ど、どうも。夕雲型四番艦長波サマだよ」

「千歳型一番艦、千歳です」

「イーチチしてんじゃないのよ」

「「ぎゃあああ!?」」

 

 互いに挨拶を済ますと同時にじんつうが長波と千歳の胸を揉む。揉みなれたじんつうの危険な手つきに砲雷撃戦でも始まったかのような叫びを上げ、二人は速度を『一杯』にして反抗戦の構えを取る。

 

「ななな何すんのよぉ!!」

「ギョホホホ。お嬢さんたちパイオツカイデー」

「ちち、千代田にも揉まれたことないのに……!」

「ギギギ、流石我が姉妹や。わしが育てた」

 

 続けざまにじんつうが砂浜へと這い蹲る。コモドドラゴンのように舌をチロチロとさせながら二人のスカートの中を覗き込もうとしているようだ。

 気色悪いじんつうの格好に全身を震わせながら長波と千歳が抱き合う。この構図は二人にとってT字不利か。

 

「せんだい=サン、何してるんDEATHカ~?」

「あっ、じんつうさん! お久しぶりです!」

 

 助け舟と言わんばかりに登場するコンゴウと綾波。長波と千歳は瞬時に二人の背後に回って盾とする。

 じんつうは新しく現れた二人に興味津々の様子でコンゴウたちをしげしげと眺める。

 

「ホッホウッホッホ、あなたが『じんつう=サン』ネ? この噂名高いせんだい=サンの妹と聞いてマアアス! どれ程の戦闘力をお持ちなのか、気になりマスネェ!!」

「ふふふふ~。枕営業はお断りよ」

「わぁ! じんつうさん、ひょっとして改装されたんですか!? 滲み出るオーラが以前とは比べ物になりませんよ!」

 

 「アンタの目には何が映ってるのよ」と長波が引きながら呟く。一応綾波はまだ普通の艦娘ではあるが、いつしかせんだいたちの様にならないかが心配だ。

 

 

 

 

 じんつうたちを乗せた超大型飛行艇『大仙』がせんだいたちの鎮守府へと降り立つより少し前。空母ヲ級の上げた報告を頼りに、彼女の仇討ちを画策する戦艦ル級一向は敵陣潜伏海域に向けて帆を進ませていた。

 ル級本人としては正直気の乗らない話であった。現在向かっている泊地は個人の民間漁船が停泊できる程度の港湾しか無く、主要となる都市への距離も随分と離れているいわゆる田舎だ。そんな場所にわざわざ戦艦が出張る程の理由が何処にあると言うのだろう。

 

(……はぁー気だるいなぁ。ヲ級がやられたって言うからどんな戦況激しい海域かと思えば、哨戒艦も居なければ対艦ミサイルすら無いど田舎か。山が多いから列車砲でもあれば面白かったんだが……)

 

 ため息を吐きながら部下たちを先導するル級。深海棲艦と言えど戦艦の総数は多くない。たった一艦だけでも敵艦隊に大打撃を与えうる力を持つ彼女たちは、より威烈な戦場でこそその本領を発揮する。

 大人びて落ち着いた性格の彼女であるが、今回の戦場はやはり自分には役不足と言わざるを得ない。この程度の小さな海域であれば随伴している重巡リ級さえいれば十分なほどだ。

 

「…………」

「ア……イヤ、スマナイ。今ハ作戦ニ集中シナクテハナ」

 

 不満が顔に出ていたらしくリ級が旗艦に心配する仕草をする。いつも無口な重巡リ級だがコミュニケーションの取り方が独特な彼女は深海棲艦たちの人気も高い。戦艦ル級も初めは全く喋らないので随分と困惑したものだが、慣れさえするとその一生懸命な仕草に愛くるしさすら覚える。

 リ級の頭を撫で単縦陣を維持する部下たちへと振り向く。これより敵警戒海域に突入する事を伝え全員が今一度気を引き締め直した。

 

(しかし先ほど上空を飛んでいた巨大な飛行艇が気になるな……。敵艦の輸送機だとすれば、少しは面白い事になるかもな)

 

 期待を裏切らないで貰いたいものだ。ル級が不敵な笑みを浮かべ速度を上げる。

 せんだいたち艦娘が座する鎮守府近海へは間もなくだった。

 

 

 

 

「……ええ、分かりました。直ちに」

 

 神妙な顔つきで無線を切る羽黒。その様子を曙と三日月は心配そうに見つめていた。

 

「鎮守府近海に敵艦隊を確認したと翔鶴さんから入電です。ただちに部隊を編成し敵艦隊を迎撃します」

「深海棲艦……磯釣りに出かけたとき以来ね。翔鶴さんと瑞鳳はまだ戻ってないけど、それ以外のメンバーは全員揃ってるわ。どうするの?」

「……もしご要望であれば私たちも編成に加わります」

「いいえ、三日月さん方は来客です。ラバウル基地から通達があった訳ではありませんし、万が一何かあったらこちらの責任問題になります」

 

 三日月の申し出に羽黒は申し訳無さそうに断った。彼女らはあくまで客であるため戦闘を行なわせるのは忍びない。そして何より、羽黒の言う通り別鎮守府に所属の艦を上の許可無く指揮する訳にはいかないのだ。

 戦闘を行なえば公的な記録として軍令部に報告する必要も出てくる。報告を怠ったり隠蔽しようものならば軍法違反だ。何より自分たちの力で解決できないとなれば鎮守府の信頼性を失う事ともなり軍令部からの評価は下落するだろう。

 

(最近は特に敵も攻めてこなかったし上層部からも費用削減の声があがってると翔鶴さんも言ってたもの。このチャンスを生かさないといけないわ……!)

 

 しかし羽黒は悩んでいた。評価を上げる目論見はあれどこちらに被害が出ては元も子もない。だが翔鶴の報告によれば敵艦隊に戦艦がいるとの事。このような小さな鎮守府に戦艦を持ち出してくるとなると本気で潰しきているとも考えられる。

 こちらにも戦艦コンゴウが居るが重巡洋艦は自分一人。あとは軽巡洋艦のせんだいに水上機母艦の千歳、駆逐艦の曙、長波、綾波の三名だけだ。火力不足は否めず、何より羽黒本人は翔鶴の居ない今司令官を務めなければならない。

 

 目を瞑り難しい表情を浮かべる羽黒を見かねた三日月は彼女へ打診した。

 

「羽黒さん、そう悩まずに。それならばうちの『じんつう』を使ってください」

 

 

 

 

 戦艦ル級率いる深海棲艦隊はいよいよ敵制海権内へとやってきていた。見渡しの良い海のため小ぢんまりとした鎮守府が遠目からでも確認できるほどだった。

 

「モウスグコチラノ射程距離圏内ダ。ヌ級、艦載機ヲ飛バシナサイ!」

 

 ル級の指示に従い軽母ヌ級が艦載機を発艦させる。どこかイカを彷彿させる小さな艦載機がヌ級の口から次々と飛び立つ。それらは空へと飛び上がると巨大化し、機体後部に取り付けられた航空レーダーが怪しく緑色に耀き始めた。

 艦載機はそのまま鎮守府へと迫る。艦娘たちと扱うものと異なる深海棲艦の艦載機は機銃とロケット弾を標準装備している。艦爆が行なわれようものならば艦娘たちに甚大な被害が及ぶ事は想像に難くない。

 

 だが艦載機がもうすぐ鎮守府上空へと到達しようとしたその時、爆発の音と共に艦載機たちから次々と火の手が上がり始める。

 様々な箇所から煙が出ている事から敵の攻撃を受けたものと予測するも、ル級たちの目には敵の対空射撃が行なわれた様には見えなかった。

 

「ピキャアアア!(艦載機、次々と墜とされていきます!)」

「敵ノ攻撃カ!? シカシドウ言ウ事ダ、発砲音ハ無カッタハズダゾ!」

 

 ヌ級が撤退指示を出すもあっという間に全機が落とされてしまった。ル級はすぐさま部下たちに砲雷撃戦の用意をするよう命令を下す。

 トラブルはあったが少しも慌てる様子の無いル級艦隊。その姿からも彼らが実に経験豊富な戦士たちと言うことが分かる。張り詰めた空気を肌で感じつつ直進する。

 ――ル級の射程距離圏内へ入った!

 

「艦載機ヲ落トサレタノハ予想外ダッタガ……コレバカリハ受ケ流センゾ。遠距離砲撃ノ恐ロシサ、味ワウトイイ!!」

 

 ル級の両サイドに設けられたニ連装三基の砲台は戦艦だからこそ扱える代物である。それが今、耳を抑えたくなるほどの轟音を轟かせ勢い良く火を噴いた。

 高火力も然る事ながら、ル級の真に恐るべきはアウトレンジからの長距離射撃を以って標的を精確に打ち抜くことだ。彼女はこの特技を持って絶大な戦果を誇り、直に『elite』の称号を授かる勢いである。

 

 発射された砲弾が一直線に鎮守府へと迫る。艦爆が無くとも大口径主砲における一撃は弱小鎮守府を容易く壊滅させるだろう。放たれた弾を止める術はない。ル級は勝利を確信した。

 

 

『ずぇええええええい!!』

 

 

 野太く力強い怒声が海を渡り深海棲艦たちの耳へと流れ着く。何事かと思い当たりを見回すル級の傍で、部下の一人があっと声を上げた。

 彼らの視線の先では俄かには信じがたい光景が広がっていた。艦娘が『空を飛んでいる』……!

 

 

 

「Heeeeey! 流石DEATHネェ。まさか放たれた敵の砲弾を叩き斬るトハ!!」

「すごいですねぇ~。アレが噂の『居合い』と言うものですね!」

「ジャアアアアアアアップ!!」

 

 コンゴウが花火でも見上げるように空飛ぶじんつうを眺めていた。珍しいものを見たとでも言わんばかりにご満悦な表情はとてもではないが緊張感が毛ほども感じられない。

 後ろに続く綾波も感心した様子で落ちてくるじんつうを見届けている。そもそも抜刀もしてなければ剣でも無く、探照灯で砲弾を叩き割るそれが居合いなわけが無いが、この面々にその事を理解している者が居るはずもなかった。

 

 

 戦闘開始より少し前。

 羽黒は三日月の言にひどく驚いた。ありがたい申し出ではあるが先ほど羽黒が言ったように簡単に了承出来ることではない。三日月はすぐさま自分の放った言葉の意味を説明する。

 

「羽黒さんの仰る事はしっかりと理解しています。しかし現実問題そちらの鎮守府の面々だけでは、幾らせんだいさんと戦艦が居ても戦力が心許ないでしょう。私が出撃せずともじんつう一人で少なくとも戦艦一人分の活躍は出来ます」

「ですが……」

「上には彼女の出撃は私の判断と報告します。何より、私ならばともかくじんつうが勝手に暴れたとでも言えばラバウルも軍令部も納得するでしょう」

 

 そんな馬鹿なと羽黒と曙は言いかけたが、自分たちの所にもせんだいが居るのを思い出し閉口する。思えばせんだいもどこぞの鎮守府に所属していたと聞くが、あまりにも手に負えないがためこの鎮守府に異動されたとか。

 

「……かしこまりました。それではお言葉に甘えさせていただきます」

 

 羽黒がはにかみながら敬礼し三日月も笑顔で返礼する。ぎゃあぎゃあと喚いているせんだいたちへと向き直し、普段のおどおどとした態度を一変させ羽黒は大声で指示を出す。

 

「司令部より伝令です! 鎮守府近海にて敵艦隊を確認。直ちに迎撃部隊を編成し鎮圧にあたります! 編成はせんだいさんを旗艦としじんつうさん、コンゴウさん、綾波さんでお願いします!」

「よりによってその編成なの!?」

「えっ!? だ、駄目ですか……!?」

 

 曙が思わず大声を上げて驚くと羽黒が叱られた子犬のようになった。その場に居た全員がじーっと曙を見つめる。責めているつもりは無いだろうが、ばつが悪くなった彼女は発言を撤回する。

 

「い、いや、良いと思うわ?」

「ほ、本当ですか……! それでは……時間がありません、今指示のあった四人はすぐに向かってください! 他のみんなはいつでも出れる状態で待機を! 千歳さんには偵察機を飛ばしていただき、他に敵部隊がいないかを――」

 

 曙の同意を得られた事で自信が付いたのか、打って変わりすぐさま的確な指示を出していく羽黒。曙も一足先に三日月を安全な場所へと誘導するために行動を開始する。

 

(よりによってあの四人とは……)

 

 現在考えられるであろう最強最悪の編成に、むしろ襲来した深海棲艦たちに同情を禁じえない曙であった。

 

 

 そして時は戻り現在。

 羽黒の編成した超凶悪殲滅部隊は邪悪なオーラを纏いながら戦艦ル級率いる強襲部隊へと迫っていた。何処からとも無く黒い雲が立ち込め始め、鎮守府の上空からは次第にゴロゴロと音が広がり始める。ただ事ではない事態に流石のル級艦隊も焦りを見せる。

 

「ピキャアア……!(敵が来ます……!)」

「ゴオオオオ(なんか俺怖くなってきた)」

「……」

「怯ムナ! 敵ハ四隻、戦艦ト思ワレル固体モ一隻ノミ。戦力的ニハ圧倒的ニ有利ダ」

 

 少しの躊躇いも見せず敵部隊に接敵する戦艦ル級。確かに彼女の言う通り敵が四隻に対し自分たちは六隻と有利な状況ではある。戦いは数からと言うように戦況の土台は物量から始まる。例え()()が一体居ようと、早々に随伴艦を落とし六隻の集中砲火を浴びせれば良いだけの事だ。

 そう、()()が一体であれば……。

 

「砲雷撃戦用意!」

 

 敵にも戦艦がいると分かった以上遠距離戦に拘るのは悪手だ。一気に距離を詰め全艦の攻撃で早々に攻め落とすのが得策と判断する。

 戦艦ル級、重巡リ級、軽巡ト級、駆逐ハ級二隻の計五隻が砲撃態勢に入る。

 

()ェエエエ!!」

 

 全員が射程距離に到達、旗艦の合図により一糸乱れぬ斉射が開始。反動により波を躍動させ砲に火が灯る。大気を劈く破壊の雨が曲線を描きせんだいたちへと降り注ぐ!

 

ド級波動(ドレッド・ヴォイス)!!」

 

 コンゴウの口から発せられた咆哮が空気を伝播し砲弾の雨へと伝う。超振動に晒された鉄塊はまるでガラスのように罅が入るなり無残に空へと散っていく。

 爆音が津波を引き起こし海の流れを一時的に変える。せんだいたちを中心とした波紋が耳を抑えるル級たちへと押し寄せた。

 

「ゴオッ、ゴオオオ!?(ぐわっ、津波がぁ!?)」

「ピギイイイ!?(私たちの放った弾が掻き消された!?)」

「ア、慌テルナ!! 魚雷ダ、雷撃戦ニ持チ込メ!」

 

 「慌てるなって言う方が無理だろ」と思いつつ雷撃戦の構えに移る重巡リ級。戦艦ル級と軽母ヌ級を覗いた四隻が一斉に魚雷を射出する。

 波の荒れも一時的だったためか海中を進む魚雷は寸分の狂いなくせんだいたちへと迫って行く。対し綾波ただ一人がすぐさま()()()()に入った。

 

「ヒャッハアアアアア!! んだそのシナチ○魚雷は!? ブチ××してやるぜファッ○ン共!!」

 

 荒ぶる綾波のボンバイエ、予算度外視の四連装酸素魚雷が惜しみなく投下される。一度では飽き足らず繰り返し放たれるそれはたった一人で四隻分の量に達している。一体何処に積んでいるのであろうか。

 綾波の魚雷は次々に敵魚雷へと命中しせんだいたちへ到達する前に巨大な水しぶきを上げる。水中に目でもついてんのかと言いたくなるような正確無比な雷撃に深海棲艦たちの頭は狂いそうだった。

 

「……っ! …………っ!!」

「ゴアアアア!!(もう何がどうなってんだあああ!!)」

「砲撃ダ、砲撃!! 撃テッ撃テェェェ!!」

 

 最早互いの距離が間近と言う中、深海棲艦たちが半ば()()()()しながら斉射する。せんだいとじんつうがコンゴウと綾波の前に立つと、見えない何かが彼らの身を守る。せんだいのツーサイドアップとじんつうのおさげが全ての砲弾を弾いていた。

 

 然しもの熟練の戦士たちと言えどこの光景には顔を青ざめた。艦爆も駄目、魚雷も駄目、最後の手段の超至近距離の斉射も駄目。これ以上どうしろと?

 

「……ピキャアア(……私、逃げて良いですか)」

「ゴオオオ(駄目に決まってんだろ)」

「…………」

 

 重巡リ級が判断を仰ぐようにじっと戦艦ル級の顔を見つめる。ぶっちゃけル級も逃げたかった。目の前に漂うそれらはすべてが艦娘の皮を被った化物だ。ル級は腕を汲んで熟考する。

 どこの世界に砲弾を一瞬で塵芥にする者が居る? どこの世界に放たれた魚雷を寸分の狂いなく相殺する者が居る? どこの世界に砲撃を髪の毛で弾く物が居る? 居るわけないだろ常識的に考えて。

 

(降参したら命だけは助けてくれるかな?)

 

 敵を目の前にして目を閉じて黙りこくるル級。これまでずっと戦線を共にした部下たちは上官を信じていた。全てを投げ出したかのように見えるその立ち姿は敵を油断させ活路を見出す作戦に違いない。きっと、いや間違いなく、我らの旗艦はこの絶体絶命の状況を打破してくれるはずだ!

 一方、旗艦は部下を見捨てて自分だけ生き残ろうと画策していた。

 

「ヨシ!」

 

 旗艦が目を見開き気合を入れる。いよいよ決断の時だ、部下たちは固唾を飲んで見守った。

 

「敵艦隊ニ勧告スル! 貴様ラ、コノ場ハ痛ミ分ケトシナイカ!」

 

 「この圧倒的不利な状況で痛み分けはないだろう」ル級以外の深海棲艦全員がずっこけた。しかし旗艦はいたって大真面目な表情で交渉に望んでいる。

 思い返すとこの海域の情報を持ち帰った空母ヲ級も今もなお入渠施設で重病患者の烙印を押された潜水艦一派も、彼らと会敵したにも関わらず轟沈と言う最悪の事態は免れている。

 ル級は一縷の望みから彼らの温情に縋る決断を下したのだ。

 

「解せぬ」

「ソウ言ワズニ、ドウカ」

「駄目だ。夜戦する」

「後生デスカラ」

 

 頼み出るたびに腰が低くなるル級の姿に部下たちは哀れみを隠せなかった。彼女がここまで無様な姿を晒しているのは他でもない自分たちの為だろう。

 部下たちは見事な単横陣を敷き旗艦に倣って頭を下げ始める。海上で展開される真一文字はせんだいたち単縦陣に対し反抗戦を強いる。

 

「コレダケ言ッテモオ聞キ入レ頂ケマセンカ」

「夜戦だ、夜戦が足りない」

「アナタ方ニ心ハ無イノデスカ!」

「何で責められてるんですか私たち?」

 

 話が纏まる事無く次第に暮れ始める空。暗がりが広がるのを見計らい、まるで諦めたようにせんだいが一つのため息を洩らす。

 まさか、あのせんだいが折れると言うのだろうか? コンゴウと綾波が驚きの表情を向ける。よもやな事態に深海棲艦たちの期待も高まった。

 

「……全く、日が暮れちまったぜ。往生際の悪いヤツラだと思わねぇか、ジンツゥ↑?」

「全くねセンダァーイ↓。見上げた根性だと思うわ。皐月にも見習わせて上げたい」

「……オ願イシマス。ドウカ御慈悲ヲ」

「どうしようもねぇ馬鹿共だ。ホント戦争は地獄だぜ」

 

 夕日が沈みきり辺りは夜へと移り変わった。

 せんだいの指を鳴らす合図と共に突然じんつうの全身が輝き始める。おお、見よ! これこそまさに『()じんつう』! かつてコロンバンガラ島沖で行なわれた海戦を彷彿させる神々しさこそ、彼女が熾烈な戦いを演じて見せた艦の血統を示しているのだ。

 

「ウオッ眩シッ」

「ふ~ふ~ふ~ふ~ハァアアアアアアア!!」

「残念だが時間切れ(ゲームオーバー)だ。ここからは俺たちの夜戦時間(ショータイム)や」

「オオ、神ヨ……」

 

 やはりこうなるのか、ル級は神を呪った。そもそも深海棲艦に神がいるのかどうかすら怪しいものだが。

 そこから先は実に悲惨な物であった。無事に逃げられた艦はただの一隻も無く、全てが艦娘四人の毒牙にかかる。あられもない姿にされ身体中のあらゆる箇所がウィークポイントとなった深海棲艦たちは、翌日別働隊によって大破した状態で回収された。

 

 

 

 

「それではお世話になりました。次に向かわせていただく際は今回のような失態をせぬよう心がけます」

「こちらこそ、お二人のご協力に感謝いたします。またいつでもいらっしゃってください。私たちの鎮守府はいつでも歓迎いたします」

 

 三日月の敬礼に翔鶴たち全員が返礼する。三日月とじんつうは大仙へと乗り込み、ジェットエンジンを吹かしながらゆっくりと動き始める。

 鎮守府を背にした格好から加速し始め、巨大な飛行艇は上空へと浮き上がると瞬く間に点へ変わっていく。翔鶴たちは一仕事をやり遂げたと言わんばかりに「ふぅ」と大きく息を吐いた。

 

「羽黒ちゃん、この度はご苦労様。しっかりと務めを果たしてくれたようね!」

「い、いえ! 皆さんの、おかげです……」

 

 翔鶴に褒められた羽黒が顔を赤くして俯く。いつもの羽黒らしい態度に曙たちも笑う。

 

「三日月さんたちが来たのは驚いたけど……結果的に深海棲艦の撃退に協力いただけて幸運だったわね! この機会にラバウル基地とも繋がりが深まるし軍令部からの評価も回復するはずよ」

「しっかし一時はどうなるかと思いましたよ……。何せあのじんつうですからね、常に肝が冷えっぱなしでした」

「三日月さんがしっかりしていたおかげで事なきを得ましたね。彼女がいるからこそじんつうさんがラバウルに居続けることができるのでしょう」

「あれ、そういえば何か忘れてるような……」

 

 

 

「ふぁ~……。あ、あれぇ、みんなどこ行っちゃったのぉ?」

 

 三日月とじんつうが飛び立った直後、一人遅れて皐月は布団から身を起こした。全員が皐月の存在を忘れていたのか、誰も彼女を起こしに来る事は無かった。

 結局皐月がその後も三日月たちが戻る事は無く、後ほどの入電で急遽ラバウル基地より鎮守府へ皐月の異動が決まった。こうしてせんだいたちの鎮守府に新たな仲間が着任したのであった。

 

 



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7せんだい

 斯くして『皐月を慰める会』は始まった。主役は言わずもがな、ラバウル基地より遥々やってきた挙句姉妹艦に置いてけぼりにされ見事お荷物の烙印を押された不遇艦娘である。

 当の本人は余程ショックを受けたと見える。いつも元気が取り柄の明るい少女は姿を眩ましており、まるで目の前で友軍が轟沈する様を見せ付けられるように顔面蒼白だ。

 

「僕は……僕はね……」

「そ、そんな落ち込まないでよ。ほ、ホラ、経緯はともあれ今日から寝食を共にする仲なんだから自己紹介してって!」

「落ち込んでるわねぇ……。どうしたら良いのかしら」

 

 曙の気遣いにも耳を貸さない皐月の様子に翔鶴も頭を悩ませる。このままでは艦隊全体の士気にも関わるため何とか機嫌を直して貰いたいところである。

 

「皐月ちゃんなら喜んでくれると思ったんだけどなぁ。翔鶴お姉さん悲しい。あ、はぐはぐ。缶ビールもう一本追加ね~」

「翔鶴さん酔ってますよね? けど本当に困ったわね。こんな扱いされたら私でもショック受けるもの」

 

 三日月とじんつうが置き忘れていったのは紛れもない事実だが、皐月がこの鎮守府に残る事になったのはあくまで偶然だ。

 前回敵艦隊を撃退した功績により翔鶴たちの鎮守府も今一度態勢を見直される事となった。今まで厄介者――曲者を回してきた軍令部も、もう少しまともな艦を送ってやるべきと思ったのだろう。

 そこへ偶然取り残された皐月だ。彼女はラバウルでも評判は悪くない。時折旗艦を務めた事のある彼女は信頼が高く、この度の配属はむしろその実力を買われての転任だった。とは言えそんな()()()()()を彼女たちが知るわけもないのだが。

 

「しょーがないわねー。それじゃあ――ぼのちゃん、あなたは明日一日彼女に付き添ってあげなさい」

「えぇーっ!! だから何でわたしなんですか!?」

「翔鶴の矢よぉ。ヒック」

 

 曙は抗議したかったがガブガブとビールを煽る翔鶴に何を言っても無駄であろう。いくら皐月の着任祝いを兼ねているとは言え、こうも気を落としている彼女に対しもう少し遠慮は無いものか。

 

「あーもう! やってられないわよ!」

 

 カシュ、と音を立てて缶ビールを煽る曙。曙の憤懣を他所に他のメンバーたちは宴会を謳歌している。今の曙には彼女らの姿が恨めしく映る。

 ――何かこの子を元気付ける物さえあればなぁ。

 あまり酒に強くない曙はビール一本を飲み終えた所で頭がぼんやりとしてしまう。翌日の職務の事を思いその日は早々に寝る事にした。

 

 

 

 

 翌日、曙は皐月に鎮守府施設の案内をする事にした。昨晩は着任決定すぐと言うこともありろくな説明をできていない。

 とは言え、相変わらずこの鎮守府に難しい説明を要する施設は無い。

 

「それで、ここが入渠施設ね。ラバウルに比べたら本当に小さな所だけど我慢してね」

「いいさ……こんな僕にはお似合いだよ……」

「あんた私たちを馬鹿にしてんのか」

 

 確かにラバウル基地は巨大でこんなちっぽけの鎮守府とは比較にならない拠点だ。とは言え自分たちの古巣をこうも咎されるのは流石の曙も黙っては居られない。

 だが死んだ目を浮かべる今の彼女には『せんだいの耳に軍事規則』、要は受け流されるだけだ。

 

(はぁ……面倒くさいわねぇ。こんな調子じゃこの先やっていけないわよ)

 

 この鎮守府にはせんだいと言う夜戦狂が巣食っておりさらに少し前からはコンゴウと言うAMAZON★ゴリラも住み着いた。左遷まがいの配置換えなど歯牙にもかけない集団の集まりで、常識的な感性を持った曙は不安を抱かずには居られない。

 

「……? あの……あれは何かな?」

「あれ? あれ――は? な、何アレ??」

 

 皐月が鎮守府の外を指差す。その先には長く在籍する曙にも見慣れない謎の施設が建てられていた。

 鎮守府よりは小さな白く四角い建物は現代的な雰囲気を醸し出している。日差しが差し込むよう何枚もの窓ガラスが設けられており、中には何やら見たことの無い機械らしきものが見受けられる。

 

「あれいつからあったの!? 何よアレ、知らないわよ!」

「中から音がするみたいだ。ちょっと行ってみよう」

 

 二人は鎮守府を出て離れへと向かう。立ち聳える白い建物からはなるほど激しい打撃音が響いている。それに混じりコンゴウの「オラオラ」だの「WRYYYY」だのといった奇声が聞こえてくる。薄気味悪い笑い声はせんだいのものだろうか。

 

「すぐに撤去よ。行政処分による立ち退きを決行するわ」

「いきなり!? ま、まずは中に入ってみようよ」

「ゲロ以下の嫌な臭いがプンプンするのよねぇ……」

 

 皐月の提案でしぶしぶ中へと入ってみる曙。入るなりむわりとした暑苦しい空気が二人を包み込む。すっぱさと生物的な生臭さに胸苦しくなった。

 

「くっさ!! な、何よここ……」

「あ。アレってせんだいとコンゴウだよね!?」

 

 皐月が示す方向には正方形のリング上でスパーリングを行なうせんだいとコンゴウが居た。

 激しく打ち合われる拳は砲撃のような爆音を発する。せんだいの身に着けたスパーリンググローブに衝突すると衝撃の余波で建物全体がわずかに揺れた。繰り出される拳の速度は曙たちには残像が映るほど豪速である。

 

「何やってんのよアンタたち……」

「Oh! これはこれは、アケボノ親方にサッチンではアリマセンか!! ついスパーリングに熱が入りすぎて気付かなかったようDETAH!」

「深淵を覗くとき虚淵もまた闇なのだ」

 

 二人に気付いたコンゴウたちが近づいてくる。コンゴウは黒々とした体毛にギラギラと光る汗を滴らせている。発汗の大洪水により彼女の歩いた跡は漏れなく雨上がりだ。

 大してせんだいは一切汗を流していない。あれほど激しいスパーリングの後にも関わらず息の乱れ一つ無い。最早自分たち艦娘とは別次元の新種の生物では無いかと疑う曙であった。

 

「ここは一体?」

「オーイエスッ!! ここは艦娘のコンゴウによるマッスルのためのハッスルジムDEATH! 共にマッスルをハッスルさせまShow! UhhoooooHAAaaaaaa!!」

「KFCカルネージチキンハート」

「うっさいわ。勝手にこんな物作って! 翔鶴さんに言いつけて即刻取り潰してやるわ!」

「曙、その発言すごく悪者っぽいね」

「マァマァそう仰らずに。どうDEATH、最近筋肉でお悩みではアリマセンカ? このジムではバストアップ体操も指南してマスヨ!」

「バストアップ……!?」

 

 コンゴウの言葉に目を耀かせる皐月。彼女は幼児体型であり、貧乳だ。元気一杯で僕っ娘な彼女は乙女の願望とは縁が無いと誤解されるが決してそんな事は無い。胸は無いよりある方が良いし、スタイルグンバツのパツキン美女を何時だって夢見ている。

 そんな彼女の夢は重巡愛宕(あたご)のような淑女になることだ。

 

「む、胸をおっきくできるの!?」

「イエエエエス! ワタシたちウソツキマセーン! 日本人ミナトモダチネ!」

「おい滅茶苦茶胡散臭いぞ」

「あ、あの! 興味あります! 是非指南してください!!」

 

 皐月の純粋さに目が眩む曙。彼女の可愛らしさはきっとその無垢さから来るのだろう。だからこそいたいけな少女を騙くらかす二人を曙は許せない。

 

「うぉい! お前ら、皐月に変な事するつもりじゃないだろうな!?」

「とんでもNothing! 私たちはいずれジムを全国展開させる予定DEATH。これはそのための布石、第一号生徒である彼女にワタシたちのジムの魅力を広めてもらいマアアアアアアス!!」

「あーりゃりゃこりゃりゃ☆ あーりゃりゃこりゃりゃ☆」

 

 こんな胡散臭いジムを全国展開されてたまるかと、曙はすぐさま無線で翔鶴に報告をしようとする。しかし皐月の様子を見て思いとどまる。

 落ち込み続けていた皐月だったがバストアップ体操の話を聞いて少し元気を取り戻したようだ。折角明るさを取り戻し始めたと言うのに話の腰を折ってしまえば逆戻りかもしれない。曙は彼女のため仕方なく様子を見ることにした。

 

 

 

「……と言うわけで、これよりサッチン育成計画を始めたいと思いマアアアアス!」

「よ、よろしくお願いします!」

「肩の力を抜くんだなルーキー。安心しろ、痛くはしねぇぜ……」

「不安だわ……」

 

 心配する曙と裏腹に皐月は緊張しながらも気合が入っていた。コンゴウがまず向かわせた先は『ベンチプレス』。バストアップの根幹を担う大胸筋を鍛える事が出来るウェイトトレーニングの一つだ。

 

「まずはベンチプレスDEATH! バストには大胸筋や小胸筋といったマッスルがありマッスルウウ! まずはオーソドックスなバーベル上げで小手調べといきまShow!」

 

 コンゴウの指示でフラットベンチへと寝そべる皐月。コンゴウは随分と器具を使い慣れているようで、初心者の皐月に対しても丁寧に指導を行なっている。ジムを全国展開すると言う夢はあながち間違いでもないらしい。

 

「まずラックの位置決めDEATH! 背中をピッタリと付け腕を伸ばしマアアス。腕を少し曲げてもバーベルを掴めるくらいがベストネ!」

「こ、このくらいかな……?」

「Non、Non! ちょっと失礼シマアアアス! そうDEATHネェ……この辺りか、いやそれともこの辺り――」

「あ、あの、コンゴウ。ちょっと近いよぉ……」

「ち、ちょっと。なんか怪しい雰囲気になってるけど」

 

 コンゴウがバーベルの位置調節を手伝おうと皐月の寝そべるベンチに跨る。コンゴウの身長が高いため乗りかかってはいないが、その構図は少女が巨大な暴漢――コンゴウはメスだが――に押し倒されているようにも見える。

 曙の一言に「ウホホ! やましい気持ちなどアリマセン!」と言い張るコンゴウだが、ラックの調節が終わったときに「チッ」と舌打ちしたのは間違いなかった。

 

「次にバーベルの上げ方DEATH! バーベルを上げるときは肘を伸ばしきってはイケマセンヨ? 伸ばしきる一歩手前と言うところで留めてクダサアアイ! そしてバーベルを降ろすときはゆっくりと、胸の筋肉を意識しつつやや胸より下側へと下ろしていきマアアス!」

「胸より下側……?」

「そうDEATH! 難しいようでしたら大体乳首あたりで構いマセン!」

「ち、乳首あたり……」

 

 恥ずかしそうにしつつコンゴウの指示通りにバーベルを上げ下げする皐月。その様子をせんだいとコンゴウが注視する。一見すると二人が皐月が怪我をしないよう気を使っているように見えるがどうも様子がおかしい。

 

「……あの辺だな」

「……あの辺DEATHネ」

「何が『あの辺』なのかしらぁ……?」

 

 せんだいたちの声を潜める会話に口を挟む曙。どうやらせんだいたちは皐月のバーベルを降ろす位置で彼女の身体部位の位置を特定しようとしているらしい。あまりにアホらしいセクハラ行為に曙は呆れを隠せない。

 

 曙にぶん殴られたせんだいたちは反省し皐月へのアドバイスに戻る。今度は足の位置について説明しているようだ。

 

「Heeeeyサッチン! ベンチプレスは上半身を鍛えるトレーニングですが下半身を正しい位置に固定する事によりさらに効果的DEATH! イイDEATHカ? 足の裏はしっかりと地面に着け、背中もしっかりとベンチに固定させるのDEATH!」

「うっ……くっ! 駄目だ、僕の力じゃこの姿勢は少し辛いよ」

「フゥム、サッチンにはフラットベンチが少し高いようDEATHネ。ヨロシイ! それでは両脚はベンチの上に乗せると良いDEATH! 効果は減DEATHが構いマセン。この時も身体が丸まったりしないよう気をつけまShow!!」

「うん、これなら僕にも出来るよ!」

 

 両脚をベンチに乗せて再びベンチプレスを行ない始める皐月。そんな必死な彼女の()()へと回り込み、せんだいとコンゴウが態勢を低くして様子を見守る。

 

「……白だな」

「……白DEATHネ」

「お前らぁ!! いい加減にしろ!!」

 

 

 

 

 頭に二つのタンコブを生やしたせんだいとコンゴウが次に案内したのは『チェストプレス』。チェストプレスマシンは左右に設けられたバーを両腕で前方へと押し出すように使用する。ベンチプレスと比べハードなトレーニングには見えないが、これは大胸筋を鍛えるには最も適しているのだ。

 特にバーベルは全体的な筋力増強に向いている反面初心者には少し手を出し辛い。チェストプレスは取り扱いが用意であり安全で初心者も取り掛かりやすく、特に今回のように大胸筋のみを鍛えたいとなればこちらが相応しいだろう。

 

「次はこれ、『チェストプレス』DEATH!」

「なんだかさっきのベンチプレスより簡単そうだね!」

「フッフウウウウン!! そう見えマスカァ? とにかくまずはセッティングからDEATH! チェストプレスマシンでは背もたれと椅子の調節が実に重要DEATH。シロートさんはこの時点で誤っている事が多々アリマス!」

 

 コンゴウはバーを操作し背もたれを前に移動させる。チェストプレスは余程肩が動かない者でなければ背もたれを前にするのが正しい。そうする事で肩の稼働域が広がり効果的なトレーニングが可能なのである。

 

「椅子の高さを調節しまShow! 椅子の高さは自分が握るバーの箇所によって決まりマス。握る手が丁度胸の横へ来る程度がベストDEATHヨ!」

「それじゃあこのくらいかな?」

「Oh、言い忘れていマシタ! 握るバーは幾つかありますが特に先端部のバーを握ると重いウェイトが上げやすくなりマアアス! そちらに合わせた高さがよろしいでShow!」

「うん、わかったよ!」

 

 皐月はコンゴウのアドバイス通り自分の胸の高さとバーの高さを見比べながら丁寧に調節する。意外と真面目に取り組む彼女に曙は感心していた。

 

「意外ね。彼女しっかりとコンゴウの言うことを聞いて実践してる。こう言ってはなんだけど、何でもすぐに『飽きたー!』なんて言ってほっぽり出す性格かと思ってた」

「失われし胸を求めて」

「余程多きな胸に憧れがあるのかしら。……けど、コンゴウのアレはただの筋トレのような気がするんだけど」

「ククク、猫は好奇心をも殺す。余計な詮索は寿命を縮めるぜ?」

 

 椅子の調節が終わりいよいよバーの押し出し動作に入る。ここでも再びコンゴウより注意が入り皐月は頷きながら元気良く返事を返す。

 どうやら随分と元気になり始めたらしい。初めのうちは心配だったが結果的に彼女が元気を取り戻したようで一安心だ。

 

「それではいよいよ実践DEATH! ポイントは肩甲骨を背もたれから離さない事DEATH!」

「けんこうこつ?」

「背中から出っ張る肩の骨の事DEATHヨ! ホラ、ここの事DEATH!」

「ん……んぅ」

 

 コンゴウがさり気なく皐月の背中を触り始める。撫で回すような手つきに皐月もくすぐったさを感じるのか身体をもじもじと動かしている。

 しかし妙な事にコンゴウがしばらく皐月の身体をまさぐり続けている。挙句彼女の吐息が「ハァハァ」と荒くなっているようだ。曙は再び暴走しかけのコンゴウを制止させにかかった。

 

「こらぁ!! このゴリラいつまで触ってるのよ!」

「ウホッ! これは失敬! ついついサッチンのさわり心地が良いものデ!」

「気持ち悪い……もう少しオブラートに包んだ言い方は出来んのか」

 

 早速背もたれに骨を付けてバーを動かし始める。肩甲骨を背もたれに付けたまま、しかし背骨はつけずにアーチを作るようイメージしてトレーニングを行なっていく。

 チェストプレスは確かに初心者でも扱いやすいが、正しくかつ効率的なトレーニングを行なうとなれば一気にハードさが増すのだ。皐月も始めのうちは軽々と行なっていたものの、次第に腕や胸にチリチリとした痛みを感じ始めた。

 

「っくぅ、はぁっ、はぁっ! い、意外と大変だねぇ……」

「そうでShow? しかしキツイと感じると言うことは乳酸が作られ筋肉が傷ついていると言うことDEATH! 筋肉は破壊と再生によって育ちます。サッチン、あなたは今、メリメリと育っているのDEATH!!」

「はぁっ、はぁっ! が、頑張って、僕も、胸をおっきくするんだ……っ!」

 

「……コンゴウや」

「……なんDEATHかせんだい=サン?」

「ナイチチもええな」

「全くDEATHネェ」

 

 息を荒らげながら一生懸命にトレーニングに励む皐月。コンゴウのアドバイスにより胸を突き出す格好の彼女はどこか色っぽさを感じさせるのは確かだ。しかしそれはあくまで効率的なトレーニングによるものであり、コンゴウたちも強要させている訳ではない。

 それでもせんだいたちの、そのような邪な考えが彼女の琴線に触れる。声に出さずにいれば殴られずに済むと言うものを。

 

 皐月が限界を向かえトレーニングを中断する頃、せんだいたちの頭にはバスキンさんとロビンさんが立ち上げた某アイスクリーム屋の名物のような、立派な三段重ねのタンコブが出来上がっていた。

 

 

 

 

「どう皐月? ジムで身体を動かした感想は」

「もうクタクタだよぉ~! 身体のあちこちがズキズキするし……」

 

 曙と皐月はコンゴウのジムを離れ鎮守府へと戻ってきていた。艦娘も兵士と言えど彼女らの戦場は専ら海上だ。砲雷撃戦を行なうのにある程度の筋力は必要だろうが使わない筋肉はいたって普通の少女と変わらない。

 曙は肩を辛そうに抑える皐月の後ろへと回る。何も言わずに肩をもみ始める曙を彼女は黙って受け入れる。

 

「……元気になってくれたみたいで良かったわ。ずっと心配してたのよ」

「そっか……。ごめんね曙、着任早々迷惑をかけちゃったみたいで」

「迷惑をかけられるのはせんだいで慣れてるわ。それより、アンタもこれから忙しくなるわよ。いつまでも落ち込んでるようじゃこの鎮守府じゃやっていけないんだから!」

「ふふふ! ありがとう。やっぱり、曙もかわいいね!」

 

 皐月が首を回し曙へと振り返る。屈託の無い笑顔でお礼を言う彼女に曙もつい顔を赤くする。

 

「ばっ、バッカじゃないの!? う、嬉しくなんかないわよ、このクソ皐月!」

「うん!! これからよろしくね!」

 

 二人はその日、翔鶴の言いつけ通りずっと一緒に行動した。駆逐艦同士通じる所もあったのかもしれない。ともあれ、曙たちの尽力もあり皐月は元の彼女らしい明るさを取り戻す事ができた。

 

 

 

 一方で曙の密告により翔鶴に呼び出されたせんだいとコンゴウ。

 翔鶴が冗談半分で様子を伺いに行った所、『サッチン育成計画』に手ごたえを感じた二人が哨戒任務より帰還したばかりの長波を拉致している姿を目撃する。猿轡を噛まされ逃げられないように荒縄で縛り上げられた姿は完全に身代金目的の誘拐にしか見えなかった。

 

「いつの間にこんな物を……」

 

 そんな翔鶴は今、二人に案内させた件のジムを拝見し開いた口が塞がらなかった。

 昨日まではまず間違いなくこんな物は存在していなかった。しかし建物の内部には豊富な種類のトレーニングマシンが揃っており、サンドバッグやボクシングリングなど本格的なスポーツジムが出来上がっていた。

 

「ワタシたちの野望の第一歩DEATH。翔鶴=サン、どうか大目に見てはいただけマセンカ」

「野望って……。そうしてあげたいのは山々なんだけどぉ、やっぱり軍の敷地に勝手に建てちゃうのは不味いわ」

「ここらで一息パーッと咲かせるのサ」

「でも軍令部の評価がせっかく回復してきたのよ? 新しい仲間も増えたのに、また目を付けられちゃったらこの鎮守府の生活が苦しくなっちゃう」

 

 何かズレた意見の翔鶴だが、彼女は彼女なりに艦娘たちの思いと軍の規律を守ろうとしているのだろう。

 そこでせんだいとコンゴウは翔鶴へと提案する。

 

「それナラバ、このジムを一般市民に開放しまShow! 利用者からお金を頂戴すれば生活も潤い、何よりワタシたちの望みも叶うというモノ!」

「眠らぬ夜に朝は来ない」

「うーん、だけどぉ……」

「ジムはダイエットにも効果的DEATH。最近気になり始めた下腹や垂れ始めた胸ですら、ジムに通う事で瞬く間に若かりし頃に元通りネ!」

「だ、ダイエット……!?」

 

 軽く自分のお腹をつねってみる翔鶴。そういえば最近は事務仕事ばかりでしばらく海上に出ていない。艦娘と言えど動かなければ肉が付いてしまうのも当然で、特に最近はビールを良く飲みすぎるせいか下腹が気になり始めている。

 翔鶴の心が欲望に揺らぐ。せんだいたちはほくそ笑んだ。

 

「翔鶴=サンならモチロンお金など要りマセン! どうかここは穏便に済ませていただき、翔鶴=サンも是非ご利用いただいてみてはDo DEATHカ?」

「グルコサミンコンドロイチン」

「そ、そうね……ジムも悪くないかも」

 

 ……と言うわけで、結局コンゴウジムは存続する事に決定した。

 なお当然の事ながら町より随分と離れたこんなジムにわざわざ訪れる人々も無く、結局コンゴウジムは火の車経営に収まるのであった。

 

 



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8せんだい

 

 

 とある日の夕食後、曙と皐月は鎮守府の台所にて皿洗いを行なっていた。

 小さな台所は二人が立つには少し狭い。小さな体躯の彼女たちですら互いの肩がぶつからないように気を使っている。それでも雑談を交えながら仕事に従事する二人は楽しそうだ。

 

「今日のご飯も美味しかったぁ! 翔鶴さんって本当にお料理上手だよね!」

「得にカレーは絶品よね。せんだいじゃ無いけどあの味は病み付きになるわ」

「そう言えばせんだいってカレー好きだよね。今日も6回くらいおかわりしてたよ」

「……翔鶴さんのカレーのせいであいつはこの鎮守府から離れないのかしら。そう思うとなんだか複雑」

「……よーし、皿洗い終了だね! お疲れ様!」

 

 仕事に一区切りつけた彼女たちはエプロンを脱ぐとテーブルへ腰掛けた。まだもう少し話足りないのだろう。

 時刻は2000へと差し迫ろうとしている。この時刻になると艦娘たちは各々自室に戻っており早々に就寝しているものも居る。海軍の朝夕は早いためだ。

 もちろん夜型生物であるせんだいは例に漏れず騒がしい。流石は夜の女帝と言ったところか。

 

「せんだいは今日も騒がしいね。寝てる人もいると思うけど平気なの?」

「平気な訳無いわよ……あっ、コーヒーでも飲まない?」

「あ、うん。出来ればココアがいいなぁ……」

 

 曙が立ち上がり飲み物を淹れる用意を始める。皐月は少し疲れたのか腕を回したり肩を揉んだりしている。

 

「僕の部屋はせんだいの部屋とは離れてるけど曙は近いんだよね。いつも不思議に思ってたんだけど、せんだいって普通の艦娘と少し違う感じがするよね」

「そ、そうね……」

 

 少しどころか似てる箇所の方が少ないわよ。ミルクを湯煎する曙は背中を向けたまま苦笑した。

 

「あいつの事は私も良く分かって無いのよ。この鎮守府では私も古株だけど、翔鶴さんと羽黒、そしてせんだいはもっと以前から居るみたい」

「へぇ~。コンゴウは僕より少し前に着任したって聞いてるけど……他のみんなは?」

「他の四人は私より後よ。せんだいの事を知ってた綾波以外は、やっぱりあいつを一目見て面食らってたわね……」

 

 沸かしたお湯を錨のマークが描かれたマグカップへと注ぐ曙。ミルクの注がれた皐月のマグカップも程よく温まったらしく、水気をふき取りココアパウダーを掬うと静かにかき混ぜる。

 文月(ふみづき)の髪色のようなホットココアを皐月の前へと差しだし、曙は自分のコーヒーを持って改めて席に着いた。

 

「ありがとう! うわっちっ、ちょっと熱いね……」

「あら、猫舌だったかしら? 皐月はかわいいわね」

「ぼ、僕の真似しないでよ!」

 

 就寝の時間と言う事もあり二人は静かに笑う。コンゴウジムの一件からすっかり仲良くなった彼女たちだったがこのように同じ時を過ごす事はそう多くは無かった。こうしてゆっくり話をするのも数日ぶりの事である。

 

「どう? ここでの生活は慣れたかしら?」

「うん。おかげ様でね。あっ、そうそう! ついこの前、テレビ電話でラバウルに居る文月とお話したんだ! 文月も僕の心配をしてくれてたんだけど、元気でやってるようで良かったって」

「文月ってあなたの妹よね。仲良いのねぇ、ちょっと羨ましい」

「曙は姉妹と仲良く無いの?」

「悪い訳ではないんだけど……ちょっと気まずくてねぇ」

 

 曙はコーヒーを啜りながら苦い顔をする。姉妹たちとは仲が悪いわけではないのだが彼女の事情は複雑なのだ。

 (さざなみ)とはかつての護衛任務が尾を引きずっており姉の(おぼろ)に関しては放浪癖のせいで現在何処にいるのかすら分かっていない。

 (うしお)とは彼女の仕事を引き受けたために酷い目に合わされていており、一時期ギクシャクとした関係になっていた。後に彼女との仲は改善されているものの、現在の曙の扱いを見た彼女が自責の念に駆られそうなため曙自ら連絡を絶っている始末だ。

 

(我ながら悲惨な人生――艦生を送ってるわね……)

「そうだ曙、小耳に挟んだんだけど今度また新しい艦娘が着任するそうだよ! えっへへ、この場所で初めての僕の後輩だ。楽しみだなぁ~!」

 

 嬉しそうに目を細め足をぶらぶらと動かす皐月。艦娘には基本的に上下関係は無い。一兵士としての階級を与える事は彼女たちにとって不都合を与えるだけなのだ。

 姿かたちが産まれたときより変わらない彼女たちは見た目で敬称を付けたり付けなかったりする。一応竣工時期によって年齢差はあるが、皐月のように誰にでも呼び捨てをする者も居れば羽黒のように駆逐艦にもさん付けをする者も居る。

 

「また着任? 何だか最近は珍しいわね。今までは誰かが入って誰かが出て行く事が多かったのに」

「入れ替わりが多いんだね。お世辞にも大きな鎮守府とは言えないし、艦娘が増えると部屋も無いもんね」

「ところで誰が来るのかは聞いてる? きっと駆逐艦や巡洋艦の誰かだと思うけど」

「そこまでは知らないんだ。翔鶴さんと羽黒が慌しそうにしてたけど……」

「結構急に決まったことなのね。まっ、これまでもそんなのばかりだったし大した事にはならないわよね」

 

 新たな艦娘が来るとなれば着任式も行なうだろう。その前には全員に前もって知らされるはずだと曙は思っていた。コンゴウについては前情報が無かったが、あれは翔鶴のサプライズが理由だったので特別だ。

 飲み物が冷める前に飲み干し二人はその後床へと着く。そして数日後、彼女たちは何も知らされないまま着任式当日を迎える事となるのであった。

 

 

 

 

 良く晴れた0600、その日はゴミ出しの日であったためせんだいは一人屋外へと出ていた。

 他の艦娘たちもそろそろ起き始める頃である。翔鶴もいつも通り朝から大人数分の朝食を用意し始めている。給量艦の間宮(まみや)伊良湖(いらこ)が居る鎮守府では彼女たちが給仕を買って出てくれるが、このような弱小鎮守府では全員が交代でこなしている。

 

「……大気が震えてやがる。ヤツが来るか」

 

 せんだいは只ならぬ気配を全身で感じている、気がした。彼女にそんな能力があるはずも無く、しかしせんだいならばもしやと思わせるから不思議である。

 だが丁度タイミングよく海の向こうより一機の飛行艇が鎮守府へと向かってくるのが見えた。せんだいもまたそれに気付き、口の中から双眼鏡を吐き出し正体を確かめようとする。

 

 飛行艇は二式大艇らしい。二式大艇は前線でも活躍し『空飛ぶ戦艦』とまで言わしめる程だ。このような鎮守府へは来客自体少なく、そもそもそのような大型飛行艇がやってくることは滅多に無い事である。斯く言うせんだい自身、この鎮守府に着てからから二式大艇を見たのは二度だけだった。

 コンゴウや他の艦娘が着任する際はいずれも零式輸送機が用いられている。間違いなく小事では無い何かが起こるとせんだいは睨んでいた。

 

「夜戦にはちと早いが――全力でイかせてもらう」

 

 ゴミを捨て終えたせんだいは地面を蹴るとまるでミサイルのようにすっ飛んでいった。以前じんつうが空を飛んだ時のように、艦娘とは思えない脚力を姉妹艦である彼女も持っているという事だ。

 

「あら、せんだいさん早かったわね。みんなを起こしてきてくれるかしら?」

 

 歩いてきた時とは裏腹にものの数秒で鎮守府へと帰ってきたせんだいを何気なく迎える翔鶴。普通ならばもっと訝しむべきだが付き合いの長い彼女は動じない。天然が入っているのだろうか。

 

『ふぎゃああああああああ!?』

 

 せんだいは翔鶴の言いつけ通り一人ひとりの部屋へと勝手に入り込み寝込みを襲う。洒落にならないドッキリをかまされた艦娘たちは朝っぱらから漏れなく悲鳴を上げて飛び起きた。

 

 

 

「おはようみんな! 昨日も良く眠れたかしら」

「ええ、寝起きが()()で無ければ最高でしたね」

 

 髪の毛をボサボサにした曙が翔鶴を恨めしく睨む。しかし彼女は気付かない。天然が入っているのだろう。

 瑞鳳にいたっては可愛らしいひよこ柄のパジャマを乱れさせ泣きべそをかいている。綾波は何故か顔中が粘液でどろどろになっており千歳は頭が某Z戦士のように髪の毛が逆立っていた。

 

「オーイエエエエエス!! まさにBattle Shipに相応しき朝DEATH!」

「あっぶねー。目ぇ覚ましてて助かったわ……」

「翔鶴さん、そのぉ、せんだいさんを(けしか)けるのは止めてくださいね……?」

「災難だったね曙……」

 

 既に起きていた四人は被害にあった四人を哀れんだ。とは言えいつもならば既に目を覚ましているべき時間であるため、ある意味では自業自得と言わざるを得ないかも知れない。

 しかしこうして翔鶴が鎮守府の面々を召集するのは珍しい事だった。朝食は目が覚めたものから順にとるし、何より本日は休暇である艦娘もこの場に呼び出されている。

 疑問を抱いた曙は翔鶴へ何があったのかを問いかける。

 

「一体どうしたんですか。珍しくみんな揃ってますけど」

「そうなのよ。いきなりで申し訳ないけれど、みんなすぐ着替えてくれるかしら。来客なの」

『来客?』

 

 翔鶴の言葉に全員が驚いた声を上げる。当の本人も困った顔であごに手を当てていた。おそらく想定外の事態なのだろう。

 ざわついている彼女らを他所に玄関からはカンカンカンと木を叩く音が聞こえてくる。翔鶴は再度全員に速やかに着替えるよう言いつけるとすぐさま迎賓の準備へ移った。

 

 

 

「これを鳴らすのでしょうか……?」

「変わってるわねぇ。今時木造家屋でもブザー式よ?」

 

 春雨(はるさめ)由良(ゆら)は鎮守府の玄関横にぶら下げられた板木(ばんぎ)をまじまじと見つめる。手作り感溢れる板木には墨字で『御用の方はこちらで三度叩いてください』と書かれている。余程予算が無いのだろうかと二人は苦笑した。

 同じく傍にぶら下げられた木槌で三度叩く春雨。すると間もなくドタドタと言う足音と共にカラカラと引き戸が引かれ、焦りを隠す様に直立不動で敬礼する翔鶴が現れた。

 

「翔鶴型一番艦、翔鶴です! こ、この度はろくなお出迎えも出来ず大変申し訳ありません!!」

「横須賀より参りました。長良(ながら)型四番艦、由良です。艦娘同士ですからそうお気遣い無く。こちらは部下の春雨です」

白露(しらつゆ)型五番艦、春雨です。以後お見知りおきください」

 

 海軍士官の黒い制服に身を包む二人は貫禄ある落ち着いたゆったりとした動作で返礼を返す。二人は艦娘でありながら海軍省より士官としての階級を与えられており、そのため正式な場では士官用の軍服を着用する事が許されている。

 この度は軍令でもあるため艦娘の制服では無く海軍士官の正装で参ったのだろう。いくら艦娘同士で上下関係が存在しないとは言え、軍令部に一目置かれている彼女たちには翔鶴も固くなってしまう。

 

「その、早々で申し訳ありませんが、今日は一体どのようなご用事でいらっしゃったのですか?」

「え?」

「あれ?」

「?」

 

 翔鶴の質問に由良と春雨が顔を見合わせる。翔鶴もまた思わず首を傾げた。

 

「あ、あの、通達が行っていませんでしたか? 新しい艦の着任に関しての……」

「ああ、それならば勿論届いていますよ! 何度も横須賀ともやり取りしていますが、未定とのご連絡を受けています」

 

 皐月が耳にしたように近々新しい艦娘が鎮守府に加わる事になっているも、今度こそは手違いが無いように何度もやり取りをしている。横須賀でもゴタゴタしているらしくあちらからは未だに『赴任は未定』との連絡を受けているが。

 由良と春雨は顔を青ざめる。何か不味い事態が起こっているのだろうか。

 

「今日参りましたのは、その赴任予定の艦娘を送らせて頂いたためなのですが……」

「えぇ!?」

 

 衝撃の事実に翔鶴もうろたえ始める。とは言え彼女はじんつうが来た時と同じく今日来る事など聞かされていない。それは相手の二人も理解しているのか、春雨が自身の手帳を急いでめくり日程の確認を行い、由良は「ちょっと失礼」とどこかへ無線を掛け始めた。

 

 翔鶴が心配そうに見つめる中、支度を終えた鎮守府のメンバーが揃って外へと出てくる。全員が来客に敬礼をしようとするも、彼女らに気付く様子も無い慌しい二人に疑問を抱く。

 

「どうかされましたか……?」

「それが、何か先方に手違いがあったみたいなの。今確認してくださってるわ」

「手違い……ですか?」

 

 一先ず翔鶴の左右へ一同が並んで待機する。皆は直立不動で待機する中、せんだいとコンゴウだけが腕を組み仁王立ちをしていた。

 

「……あの二式大艇から凄まじいPowerを感じマァス」

「感じるかぁ!?」

 

 会話する二人を曙が睨む。目で諌められたコンゴウはそ知らぬ顔で正面を向きなおし、せんだいは相変わらずグギュグギュと笑った。

 

 しばらくしてあるページを見たまま春雨が震え始める。手帳を食い入るように見つめているためその表情は判らないが、ひょっとしたら泣いているのかも知れない。

 由良も確認が取れたのか無線を終えたようだ。しかしすぐに翔鶴たちの方へと振り向かず、大きなため息を着いて俯いていた。両手で顔を覆い隠すと諦めたように首を何度も振る。

 ようやく決心が付いたのか、両手を降ろし一度上を向いて再び大きく呼吸した。春雨の元へ寄り添い震える彼女に何かを耳打ちする。ここまでしてやっと、帽子を被りなおした彼女は翔鶴たちへと向き直った。

 

「……お待たせして申し訳ございません。その……この度は当方の勘違いによりご迷惑をお掛けしました。どうやら日程を誤っていたようです」

「そ、そうでしたか。お気になさらないで? 私たちは問題ありませんから」

「そう仰って頂けると何よりです。不躾ですが、このまま()()をこちらに迎えては頂けませんか?」

「勿論構いません。こちらこそろくに用意も出来ておらず恐縮です」

 

 まるで先ほどとは逆の立場に翔鶴は苦笑する。今では彼女たちがおどおどとしてしまい、反して自分の方は随分と落ち着いてしまった。

 一方、先の事情を知らない鎮守府のメンバーは翔鶴が()()()に頭を下げられる光景に感心していた。

 

 

 

 

 由良と春雨が件の艦娘を呼びに飛行艇へと戻っていく。翔鶴らは彼女らに続き、二式大艇の昇降口の傍で待つことにした。

 前情報を得ておこうと曙は翔鶴に着任する艦娘について翔鶴へと問いかける。

 

「それで翔鶴さん、今日は一体誰が着任するんですか?」

「あら、突然だったから知らせて無かったわね。みんな驚くと思ってしばらく黙ってたの」

「そんなに有名艦なんですか?」

「そうよ。戦艦陸奥(むつ)っていうの」

『えええええええ!?』

 

 予想を遥かに超えたビッグネームに全員が驚く。陸奥と言えば艦娘どころか日本人で知らない者は居ないほどの有名艦でありアイドル的存在である。

 長門(ながと)型二番艦として誕生した彼女は竣工当時日本国内で『ビッグ7(セブン)』と呼ばれた。世界の名だたる超ド級戦艦と肩を並べる彼女は、姉の長門と共に海軍の誇りとして大いに活躍を期待された。

 世界でも有数の41cm連装砲を積んだ彼女は日本国内の教科書にも写真が載ったこともあり、先に生まれた姉よりも知名度が高いのはそれが理由だったりする。

 

 しかし彼女たちは日本の秘密兵器と呼べる存在だ。今は海軍に箱入り娘のような扱いを受けている彼女も、それこそいざと言うときに戦線へと駆りだされる事になっている。

 そんな重要な役割を担う彼女が何故このような弱小鎮守府へとやってくるのか。

 

「むむむ、陸奥って、あのビッグ7の陸奥ですか!?」

「私本物って初めて見るよ。千代田にも見せてあげたいなぁ」

 

 陸奥の名を聞いて騒ぎ始めるメンバーたち。しかし羽黒だけは副官として前以て知らされているため落ち着いたものである。

 ちなみにその事実を聞いた当初、彼女が物凄く取り乱した挙句どこからともなく色紙とサインペンを持ってきて翔鶴に大笑いされたのはナイショだ。

 

「いやー驚いたわね、まさかあの陸奥とは」

「あれ、そう言う割りに長波はあまり驚いてなさそうだね?」

「いやいや、長波サマも驚いてるけどさ? ちょっと不安でもあるんだ。良い噂を聞かないもんで」

 

 長波の言葉に全員が目を丸くする。翔鶴もその事については初耳らしく続きを促すように彼女を見つめた。

 長波は少し気圧されたが注目が集まる事に得意になったか続きを話し始めた。

 

「みんなも知ってるように陸奥は有名だからさ。それに伴って彼女のファン倶楽部(クラブ)みたいな物が存在するらしいのよね。んでもって、彼女自身と言うよりその倶楽部が結構危ないらしくて……確か『ムツリム』とか言ったっけ」

「な、何それ。陸奥りむ?」

「ぬぅ、まさしくそれは世に聞くムツリム……」

「知っているの千歳!?」

「特定の艦娘には有志によるファン倶楽部が創られているのは知っているわね? 彼らはあまりにも陸奥が好き過ぎるため、新興宗教『ムツリム』を立ち上げ自分たちを『ムツリム教徒』と名乗っているそうよ。その宗教の発足時期は定かでは無いけれど、広がりを見せ始めたのはラバウルにて兵器『MNB』なるものが誕生したからだとも言うわね。ムツリムはラバウルを中心に広がり始め、今では各鎮守府の5人に1人がムツリム教徒とも聞くわ」

 

 

 ここで千歳の解説に補足をさせていただこう。

 『ムツリム』は千歳の言うとおり有志によるファン倶楽部もとい宗教である。彼らは唯一神『アラアッラー』を信奉しており、ムツリムは別名『アラアッラー教』とも呼ばれている。

 陸奥がその名を馳せる以前より存在していたと言う文献も存在するが、実際のところそのルーツは深海より深い闇の中だ。しかし広がりを見せ始めたのは千歳の解説の通りラバウルにて『MNB』なる兵器が生まれた頃であった。

 この『MNB』とは一体何か。その名称は何を示しているのか。そもそもそんな兵器は海軍の資料には無く、果たして本当にそのような兵器が存在しているかも謎に包まれている。

 

 ムツリムには三つの宗派があり、それぞれ『MNB過激派』『ヒアソビ・シーヤ派』『ヒアソビ・スンナ派』が存在する。

 MNB過激派は特に各方面の鎮守府への信者拡大に精力的であるが、その行き過ぎる宗教勧誘に海軍でもしばしば問題に取り上げられている。兵器『MNB』を用いて唯一神『アラアッラー』の魅力を広めようとする一派だ。

 ヒアソビ・シーヤ派もまた過激派と言われるが、こちらはMNB過激派とは異なり勢力拡大には拘りが無い。彼らはより神に近づき触れ合わんとするため、またはその信奉心故に過激な行動を取りがちな一派である。

 ヒアソビ・スンナ派は穏健派と言われ、シーヤ派とは対照的に神を尊び、崇め奉る事に重きを置く。神に近づこうとするのではなく神を支える一信者としてあり続け、神の癒しと安らぎを授かろうとする。

 

 また全宗派に共通する事として『アラアッラー』……陸奥を神として崇めている事、近年ラバウル近海で確認された陸奥に似た生物を『ラバウルの霊獣』として崇めている事が上げられる。

 

 

 閑話休題、言帰正伝。

 千歳の膨大な知識に感心すると同時に呆れる曙。確かコンゴウが着任した日に長波と悪ノリで解説者のような事をしていたのを思い出す。

 だがしかしそんな宗教じみた物があるからどうしたと言うのだろう。今度は皐月が理由を聞いてみる。

 

「あたしが心配してるのはその信者たちの事よ。特に過激派の連中ね」

「……ムツリムの宗派には過激派と穏健派があるんだけど、どちらの信者も神の事となると目の色が変わるのよ。私たち艦娘には判らないけど、好きなものには盲目になってしまうと言うことなのかも知れないわね」

「つまりもし万が一陸奥がこの鎮守府に居る事が知れちゃうと信者たちが押し寄せる可能性があるって言うこと?」

「せんだいみたいなやつらね」

「よせやい照れるぜ」

「褒めてないわよ」

 

 彼女たちが雑談を交わしているとようやく二式大艇の方でも動きが見え始める。翔鶴たちは一様に改めて姿勢を正した。

 

「皆さんお待たせしました。さぁ春雨、こちらへ」

「どうぞ陸奥さん。私に続いてくださいね」

 

「……いよいよご対面ね」

「くぅ~、緊張してきたよ!」

「私もわくわくしてきました!」

 

 曙も含め駆逐艦たちが期待に声を弾ませる。彼女たちは容姿が小柄のため大人びた容姿の者が多い戦艦に憧れがあるのだろう。

 しかし翔鶴たちとて胸を弾ませずには居られない。何せ相手はあの『ビッグ7』だ。よからぬ噂を聞くといえど、あくまで彼女自身は海軍でも象徴的な存在であり国民の人気も高い。会うことはおろか共に戦線を張れるとはこの上ない光栄だ。

 

「それではお待たせしました。こちらが今日こちらへ転任とされます陸奥です」

 

 

 

「ふあ~ぁ……。戦艦陸奥でぇ~す。よろぴくねぇ~」

 

 

 

 降りて来た艦娘の姿を見て誰もが呆気に取られた。

 ()()露出多めな制服は何処へやら。陸奥が着ていたのは水玉模様のパジャマであり、右手にはかたつむりと思わしきぬいぐるみが……。

 

「ほら陸奥さん! ちゃんと挨拶しなきゃ駄目ですよ!」

「ねーむーいー」

「もぉ~、夜更かしばっかりしてるからですよ!?」

 

「……」

「あ、あれが陸奥……?」

「予想と違います……」

 

 おお、あの勇ましきお姿は何処。駆逐艦娘たちは未だに現実を直視できず目を擦り合わせている。しかし幾度顔を上げても変わることの無い彼女がそこにいた。

 翔鶴や羽黒も流石に呆気に取られた。まさかあのアイドル艦がこのような醜態を晒して良いのだろうか。

 

 否、そもそもこのような弱小鎮守府に陸奥などと言う有名艦がやってくる事すらおかしい。ひょっとするとこれは軍の我々に対する壮絶なドッキリなのではなかろうか。

 混乱する彼女たちの中は本人を目の前にして疑念が沸々と浮かび上がる。しかしせんだいとコンゴウには彼女が本物であると判っているようだ。

 

「ナルホドォ!! これがかの有名戦艦むっちゃんDEATHカァ!」

「むっちゃんこムチムチしてるやんけ。じゅるり」

「あらあら。むっちゃんって良いわねぇ。今度からそう呼んで?」

 

 波長が合うのかせんだいたちと普通に会話する陸奥。幾らプライベート感丸出しとは言え、臆する事無く彼女と接する事が出来るせんだいたちは流石だった。

 

「それでは、彼女をよろしくお願いいたします。……私たちは、その、これからすぐ戻らねばなりませんゆえ」

「……はぁ、始末書ぉ…………」

「う、承りました。彼女についてはご安心ください。我々が責任を持って預かります」

「……それと、後ほど横須賀及び軍令部から彼女についての取扱説明書が送られる手筈になっております。どうかくれぐれも、説明書を熟読の上彼女の情報漏えい対策に注力していただくようお願いします」

「せ、説明書?? かしこまりました……」

 

 由良の睨むような目つきに遠慮気味に返事を返す翔鶴。怒る様な口調は泣きそうになっているのを無理やり堪えたからだろう。

 とぼとぼと背中を丸めて歩く二人を一同は敬礼しながら見送る。二人は中へと入る前に振り向き、最後は軍人らしいしっかりとした返礼を返した。

 

「由良さぁん、始末書どうしましょぉぉ~……」

「板倉少佐にでもお聞きしなさい……」

 

 二式大艇が飛び立つ直前鎮守府メンバーたちは確かに聞いた。無線から流れる涙声の春雨と暗い声で冷たくあしらう由良の声を。

 

「……襟付きも大変なのねぇ」

「……そうですね」

 

 飛び立っていく飛行艇を見ながら翔鶴と羽黒はポツリと呟く。

 他のメンバーは陸奥と共にはしゃぎまわるせんだいたちを遠目に見つめるばかりであった。

 



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