続・冥銭のドラグーン 徳川幕府の落日 (めそ )
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畿内独立編
続章1 畿内独立の新たな手


あらすじ (再掲)
1615年 大坂夏の陣。
徳川本陣15000に真田幸村隊3000が突撃した。
真田幸村隊の中で、囮を担っていたのは真田大助幸昌と鏡風太の分隊であったが、この分隊は壊滅的危機に陥り、大助は鏡風太の提案に従い、本多の伝令に化け、家康本陣に突入。
家康本陣では、銃を落とした幸村が家康本人に討ち取られようとしており、大助と風太はそれに介入。 風太が家康を射殺し、大坂夏の陣は勝利に終わる。

1618年 真田幸村は要所・草津を含む近江江南地方に封じられていたが、家康の敵討ちを狙う本多忠政に攻められる。
本多忠政の軍5000をどうにか撃退するも、本多軍撤退の最中に井伊直孝の刺客に幸村が射殺され、真田家の家臣もかなりの数が離散。 豊臣側でも取り潰しが検討されるも、真田幸村の四女・あぐりの助けを得て、大助は真田幸昌として家督継承に成功。 攻めてきた井伊直孝を撃退し、自身の生き残りのため、豊臣方で畿内を掌握する「畿内独立」に向けて、行動を開始する。
そして大助と風太は、「畿内独立」のため、彦根城奪取を敢行。
彦根城内の商人で大谷吉継の旧臣:竹貞勘右衛門や明石全登旧臣:恩田良澄らの助けを得て、彦根城奪取に成功する。


ーーーー真田が彦根城を占領したーーーーーー

 

この報せは全国に広がった。

 

ある者は「徳川が豊臣方を攻める名分を得た」

 

と嘲り。

 

またある者は「真田幸村亡き後も真田は健在」

 

と恐れた。

 

ちなみに、豊臣方には「中山道を通じて攻めてくる徳川方を食い止める拠点を、草津とは別に設ける」

と説明してあり、一応の納得は得ている状態ではあった。

 

 

 

 

 

そんな中、前田利光(利常)は、江戸にてその報せを受け取った。

 

「…………………これは拙い。」

 

眉目秀麗で知られる前田利光は、その報せに眉を顰める。

 

北陸から京に行く道に、北陸道(北国街道)という道がある。

この北陸道は、中山道の支道であったが、先の大坂夏の陣以降、草津がが豊臣方に落ちて以降、中山道は使えなくなっていた。

 

草津のみならば、真田から中山道を取り返すのは容易だが、彦根城の失陥は、言わば徳川方が西国に圧力をかける拠点までもが失われたことになり、逆に彦根が豊臣方の畿内防衛の橋頭堡になったということである。

 

「……………あの街道の補強を急がせるよう、上様に上奏せねばならぬな。」

 

 

 

 

 

一方、真田大助たち。

 

彼らは、彦根城奪取を経て、旧明石全登の家臣らを登用したので彼らの割り振りや彦根城一帯の支配体制の構築に乗り出していた。

 

「草津に高梨内記や守信達をおいて、彦根に新たに召し抱えた旧明石家臣らの面々をいれよう」

 

「ああ。 そして草津は真田旧来の家臣を主に置き、旧来真田配下の統率を任せる。

我と風太は、竹貞殿と恩田良澄殿を中心として彦根城の統率を図ることにしよう。

 

ついてはあぐり。 お前に草津の城主を任せねばならん」

 

「任されたよ。」

 

「済まんな。 俸禄などの具体的なところはお前に任せるとして、我は大坂に戦勝報告に行くとし………。」

 

 

「真田様。 それは少し早いかと存じますぞ。」

 

大助を呼び止めたのは、大谷吉継の旧臣で、彦根城の豪商である竹貞勘右衛門である。

 

廓に真田兵を匿い、彦根城内に真田を招き入れて以降、彦根城の財政を担う役割を任され、真田家臣として武士に復帰していた。

 

「何故だ。」

 

「実はですね、 あるツテから聞いた話なのですが、敦賀から延びる西近江路。 

あの道が最近、やけに賑わっているのをご存じですかな?」

 

「?!」

 

「左様。 真田様の目標は「畿内独立」とお伺い致しております。

その中で、北陸から延びる西近江路の強化が進んでいる。

これがいかなる意味をお持ちか、お分かりになられますな?」

 

つまり、この西近江路が、畿内独立に打ち込まれる楔になり得るということだ。

 

西近江路は、敦賀へと通じており、敦賀は北陸の要所である。

 

また、徳川方にとっては、西国に通じる最後の道とも言えた。

 

この西近江路を放置しておいた場合、中継地点の大溝城は第二の彦根城になり得る。

 

大溝から西近江路の終点:大津へ抜ければ、真田領草津は前後より挟撃される可能性が高いのである。

 

「つまり、我らが取るべきは」

 

「はい。ひいては現時点で敦賀を抑える京極忠高殿を離反させるしかございません。」

 

「……………難しい話だな。」

 

「はい。 ですが、早急にやらぬことには。」

 

「そうだな。 よし。

大溝城攻めの許可と京極忠高の調略の依頼をせねばならぬな。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「真田幸昌。 彦根城攻め、大義であった。

 

…………豊臣は彦根城を得たことにより、更に安全になったということで間違いないな??」

 

「はっ  ですが、あともう一仕事する必要が出て参りました。」

 

「一仕事…………とな??」

 

淀殿が食い気味に真田に近寄る。

 

「西近江路という道をお方様はご存じですか?」

 

「西………近江路??」

 

「西近江路とは、近江国西部から、敦賀に通じる道でございます。

この道は、徳川が西に進出する、最後の切り札たる道として、現在、道の拡大整備が進んでおります。

もし、この道が完成してしまっては、我が真田領は前後に敵を受け、右府様をお守りすることが出来なくなる恐れが高くなりまする。」

 

「それで、真田はどうするつもりか?」

 

「ですので、西近江路に通じる北陸の要所・敦賀を抑える大名・京極忠高殿を豊臣方に引き入れるべく、調略をお願いしたいと思いまして。」

 

「現時点で豊臣方にはなくて徳川方にあるものがございます。

それは、親戚勢力です。

京極忠高殿は淀のお方様の妹君、常高院様の義理の息子にあたりますゆえ、右府様にとっての親戚勢力になり得ます。

そして、この親戚勢力こそ、豊臣方にとって、信のおける配下になることは間違いないと思います。

つまり、京極忠高殿を引き込むことは、右府様にとって、畿内の安全を確立する以上の意味を持つことと相成る訳です。」

 

 

「確かに……………。」

 

「加えて、仮に京極殿の調略に成功しても、京極殿の領地が飛び地となってしまいますので、高島一帯の中心である大溝城攻めを長宗我部盛親殿に命じて頂けませんか。」

 

長宗我部盛親は大坂五人衆の中で、戦死した後藤又兵衛、戦傷で死んだ明石全登を除けば唯一、領地を持たぬ人物であった。

 

「そういうことであれば、大溝城攻めをやらせてもらおう。

盛親を呼べ。」

 

「は」

 

秀頼は少しずつ、真田大助幸昌を信用してきているのであろう。

 

「ご英断です。 これで豊臣の安泰は盤石でございます。」

 

「要件が以上ならば、下がってよいぞ」

 

「は!」

 

 

 

大助は大坂城を辞去した。

 

 

 

 

「…………さて、京極が豊臣方に寝返った場合に備えて、早く草津に戻り、次の手にとりかかろう。」

 

大助は草津への道に急ぐのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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続章2 若狭国、離反する

大助達が大坂城を辞去した後。

 

長宗我部盛親は兵2000を率いて大溝城を攻め、これを落とした。

 

もともと大溝城は、京極高次が転封されて以降、空白地であり、密かに前田が派遣していた武士が数百人いる程度でしかなかった。

 

かつては暗君と呼ばれていたとは言え、改易以後、将として大きく成長していた長宗我部盛親には楽な仕事であったのだ。

 

 

 

 

「大溝城攻めは上手くいきましたが…………京極の調略が果たして容易に行くでしょうか母上??」

 

秀頼は淀殿に対して、不安を漏らしていた。

 

「我が妹、初の息子なのですから、当然でしょう?」

 

「忠高と叔母上は血は繋がってはいないのでは?

それに対して、忠高は徳川の姻戚で、幕府の信頼も篤いですよ。

それに、もし仮に寝返ったとしても、若狭の近隣には

120万石を有する前田がおりますから今一度慎重に………。」

 

「忠高は庶子ですから、先代の正室の初には頭が上がりませぬ。」

 

「……………だと、良いのですが…………。」

 

秀頼の懸念の半分………加賀の前田については、越前の松平忠直が大坂夏の陣以降、秀忠と険悪であり、越前・越後両国に睨みを利かせねばならないため、身動きは取りにくいのが現状であり、京極忠高離反を受けても直ちに若狭へ侵攻できるとは言い難い状態であった。

 

しかしながら、忠高と常高院は血の繋がりが無く、忠高自身の繋がりとしては徳川家との方が繋がりが強いと言えた。

 

「この件については、初を小浜城に派遣することにします。

良いですね?」

 

「はい、母上…………。」

 

秀頼は尚も淀殿に逆らう事が出来ずにいた。

 

だが、そんな秀頼にも

 

(儂は………いつまでも母上の傀儡ではいけない)

 

そういう思いも芽生えつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………と言う訳なのじゃ。

忠高殿。 豊臣方に付いてはくれぬか??」

 

数日後、常高院は小浜城にて義理の息子・忠高を説き伏せていた。

 

常高院は、浅井三姉妹の真ん中であり、大坂冬の陣でも徳川と豊臣の調停を担っていた。

 

その心中には、姉妹で争って欲しくないという気持ちが十二分に秘められていたのである。

 

「しかし、義母上。

私の妻は徳川の者でございますし………何より、豊臣方につけば若狭が戦場になりかねません。」

 

京極忠高は秀頼の懸念通り、難色を示した。

 

江南地方・彦根城一帯が既に豊臣方の手に落ちている今、陸続きに通じる唯一の道の要所・若狭を塞ぐのは、西国の徳川勢力の事実上の壊滅を意味するため、徳川は豊臣方を攻める際に主力で中山道・東海道の合流地点である真田領・草津を攻め、北陸の徳川方には若狭を攻めることを画策する筈である。

 

とは言え、現実的には西国の徳川方にとっての生命線である若狭が離反したとしても、徳川方と豊臣方がすぐに争う可能性は無い。

 

加えて中山道・東海道を真田に封じられて使えない秀忠は主に海路を使って西国の大名を統制しており、その為若狭は経済的にも発展しつつあった。

 

「しかし、こうも考えられませぬか?

現在、お世辞にも豊臣方と徳川方では依然として徳川方が有利。

そなたが豊臣方につけば、西国の徳川方は動きが取れなくなり、徳川方の勢力は相当削がれる筈です。

そうなれば、豊臣方と徳川方は勢力的に均衡が取れるようになります。

元から、松平忠輝殿や伊達殿が背後に居て動きにくい徳川方が尚更動きにくくなり、膠着した中ではありますが、平和が成し得ると思うのです。」

 

(……………。)

 

忠高は考えこむ。

 

西国の徳川方とは、琵琶湖を通じれば、長浜→伏見に連絡が取れるため、100%の分断は出来ない。

 

しかし間違いなく西国における豊臣の影響力は高まるし、また、そうなれば福島正則や加藤嘉明、毛利秀就は間違いなく豊臣に付く可能性が高いため、徳川と豊臣の勢力差は縮まり、開戦の可能性は更に低くなるだろう。

 

しかし、そうなれば、徳川方、主に加賀前田からの経済的報復を喰らう恐れもあった。

 

勢力均衡による平和か、経済的繁栄か……。

 

「義母上。 少し考えさせて下さいませ。

…………誰かある。  義母上をご案内さしあげろ」

 

忠高は義母・常高院を下がらせた。

 

 

 

 

「さて、如何したものかな」

 

常高院を下がらせた後、忠高は家臣団を呼び寄せた。

 

「徳川方に逆らわぬ方が得策かと」

 

「しかし、徳川方が小浜にすぐに攻め込んでくるとは言い難いのでは??」

 

「前田殿(前田利光。後に前田利常)に命じればすぐであろう。

前田殿は120万石を有する大大名であり、前田利光殿本人も利家殿に劣らぬ器量人。

我らなど容易くひねり潰せます。」

 

誰かの一言に、途端に一同は黙りこむ。

 

 

すると

 

「若狭の隣国、越前の松平忠直殿と将軍様は仲が悪ぅございましょうから、将軍様も無闇な行動をとれば、忠直殿を刺激することになりますから、攻めてくる可能性は低ぅございますよ。」

 

「信隆?!」

 

その静寂を破ったのは、庶子であった忠高が赤子の時に、忠高を養育してくれた恩人であり、老臣の磯野信隆である。

 

「それに、殿は、唐土の三国時代、張繍が参謀の賈クに袁紹ではなく曹操への降伏を勧められた理由をご存知では??」

 

張繍は、敢えて小さい方の曹操勢力につくことで、自勢力をより大きく売り込むことが出来たのであった。

 

「……………つまり、豊臣方は、今は小勢力だが、後々徳川を凌ぐと?」

 

「左様でございますよ。

豊臣方には福島殿、加藤殿はまず馳せ参じましょうし、先ほど彦根を奪取した真田幸昌殿、4000の兵で前田15000相手に奮戦した大野治房殿、藤堂殿の部隊を寡兵で撃破した長宗我部盛親殿、真田と同じく徳川方に大打撃を与えた毛利勝永殿。

 

豊臣方に確実につかれる方だけこれだけの名将がいるのに対して、徳川方に確実につかれる方は誰がおりますか?

真に名将たるお方は、上杉景勝殿、立花宗茂殿と前田利光殿くらいのものです。」

 

磯野信隆は敢えて豊臣方に巣くう病巣・淀殿には触れてはいない。

 

淀殿は既に50を超えており、長くないと見ているからであろう。

 

「つまり、いつか遠くないうちに徳川と豊臣がぶつかるのだから、今の内に豊臣方についた方が京極としては得策と?」

 

「左様でございます。 秀頼様の御母上と、常高院様は姉妹。 

つまり殿は秀頼様の従弟でございますから、親戚勢力として我らがより重用されるのは目に見えております。」

 

「確かに、徳川方には全国に松平家が点在しているが、豊臣方にはそういう親戚勢力が無いな。

 

よし、決めたぞ!!

儂は豊臣につく!!」

 

「「ははっ!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

秀忠の娘婿…………京極忠高、離反。

 

その報せは徳川家に衝撃を与えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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