β Ewigkeit:Fragments (影次)
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Fragments:黎明Ⅰ

この作品は二年前長編に挑戦し見事に破滅自滅したエター拙作のリメイクとなります。
キャラ設定もろもろ書きやすさに特化し改変、削減を行っています。
二年前に作成した設定を基礎に、ノベル版のキャラクター設定を流用、一部統合しています。
主人公は第2次大戦期、ラインハルトの幕下で終戦まで生き残ったある将官となります。

ベア子は犬。

以上、本作の解説となります。


 僕にとって、あの男がどんな存在だったか?

 ……別に。あっちは上司で、こっちは部下でしかない。

 なんていう、ありきたりな回答は望んでいないんだろうな。

 そうだな、この言い方はあの道化のような友人にも当てはまるんだが。

 歪んだ鏡の向こう側を見ている気分だったよ。

 あの、世界そのものに倦み疲れきった目。

 鋼鉄で出来ているんじゃないかとも錯覚する仏頂面。

 それはひょっとすると『本当の僕もあんな顔をしているんじゃないか?』と思わせるもので、だからこそ、時折僕に無茶を要求する時の微かな笑みが際立った。

 自惚れの類かもしれないが、この男にとって、自分という存在が何か特別な意味を持っているのではないか、そう思うようになった。

 そして、なら或いは僕にとってのこの男も、何か特別な意味を持っているのではないか。

 欺瞞の仮面を生来より持ち生まれた僕が。

 あの愉快げな笑みと同じような何かを、この男から得られるのだとすれば。

 まあ、なんだ、なし崩し的に仕えるようになってしまったこの仕事も、いくらかやってやろうとかと思ったわけさ。

 それだけだ、ああ、それだけ、この話はこれで終わり。

 何故かなんて言うまでもないだろう。

 あの大馬鹿は、それらを全て切り捨てて、ひとでなしに成り下ったんだから。

 ひとでなしになるだけなら別に知ったこっちゃなかったんだ。

 僕が許せなかったのは、それまでの全てを切り捨てたことだった。

 だからここから先は、別の話だ。

 

 

 いつか、どこかで 青年と少女の会話

 

 

 

 

 かつ、かつ、と冷えた靴音が廊下に響く。

 日も沈みかけている時分、冷え切った音と空気に相応しい、冷え切った表情と眼差しをした金髪の野獣が、秘密警察庁舎の廊下を歩いていた。

 ラインハルト・ハイドリヒは歩きながらも片手で手紙を開き、表向きは無表情に、内面では預かり知れぬ不快感を懐きながら、その文面を読み上げる。

『此度の争乱、中々に強力な星が関わっておりますれば、並のもので歯が立ちますまい。閣下の星は王者の星なれば下の者を用いることこそ本分でありましょう。ですが、人選を間違えてはいけません』

 カール・エルンスト・クラフト。

 ゲッペルス宰相が愚かにも牢獄から引きずり出した占星術師を名乗る詐欺師。

 その出会いから今に至るまで、慇懃無礼が人の形をして歩くが如き様の男である。

 感情無き身であると己を定めたラインハルトが、『あの男』に対する奇妙な共感以外で感情を抱くこととなった、その事実がラインハルトを苛立たせる。

 それが彼を今こうして歩かせている。

 平時であれば無駄の極みと切り捨てるはずの行動を取ってしまっている。

 不快感という、人を逆撫でするようなものであるが故に質が悪い。

『例えば、それは破軍の星を有する者ら。弓を取り、剣を構える乙女らが件に関わろうとしている模様。それに誘引されるように、蠍の大火星と黄道の第四星と縁が繋がるようです。特に後者は貴方にとってなくてはならぬ影の星であれば』

 不快、不快と思いながらも、その歩みは止まらない。

 まるで光に吸い寄せられる虫のようだ。

 詐欺師への不快感と、その程度のことに己の心すら制御できぬ自身への自嘲が湧く。

 それでも、その歩みは止まらず。

 

『そして――御身の栄光ある将兵たちより、その懐剣二人が。乙女の守護星たる者と真なる磨羯宮の主が、あなたを出迎えるでしょう。努、お見逃しのなきように』

 

 その一文を読みきった所で、ラインハルトは目的の扉を開ける。

 そこは、十三号室、と銘打たれた場だ。

 この庁舎の構造のみで語れば、それは数ある一室に過ぎない。

 しかし、この建物に務める軍人たちは誰もが知っている。

 この部屋を訪れる人間が、極めて限られていることを。

 この恐るべき金髪の野獣が手ずから集めた懐剣が、或いはそれに一時でも追従することを認められた者のみが集う場であると。

 支配者たる『金髪の野獣』、機密を奪い納める『怪人』、扉の鍵と機密を守る『番兵』、そして支配者の不在時その代行権を持つ『将軍』。

 懐剣十三号室、そのように呼ばれるこの一室は、平時に訪れるものはなく、有事にはラインハルトを含めたった四人が集う場だ。

 扉を開けた金髪の野獣、ラインハルトは室内を睨む。

「中将閣下? どうなされましたか」

 融通の効かぬ、いかにも仕事人間といった声が一つだけかかる。

 四つの席の内、三つが空席であった。

 自身の椅子は当然として、『将軍』と『怪人』の不在。

 それは、手の中の忌々しい手紙から想起された二人が、正しくその人物であろうことをラインハルトに実感させた。

「アイヒマン大尉。シェレンベルク少佐とナウヨックス少佐は」

「哨戒です。いつもの如く、ナウヨックス少佐がシェレンベルク少佐を引き連れて」

 ただ一人残っていた『番兵』、アドルフ・アイヒマン大尉は、手元の書類の束を机に立て整えながら返事を寄越した。

「……ちっ。仕事は」

「終わらせています。本日は情報整理のみとのことでしたので。……恐らくですが、件の反逆者騒ぎに首を突っ込むつもりかと。シェレンベルク少佐はともかく、ナウヨックス少佐が」

「場所の目処は」

 アドルフはいつものラインハルトらしからぬ奇妙なものを感じながらも、上官の問いに答える。

「ベルリン大聖堂付近に当たりをつけた様子です。僭越ながら、連れ戻してきましょうか」

「不要だ。表に車を用意しろ」

「ですがしかし……は。了解(ヤヴォール)

 答えを待たず背を向けたラインハルトに、アドルフはそれ以上を求めず、自身は求められたことのみをこなすべく行動を開始した。

 アドルフ・アイヒマンはそのような男だった。

 番兵として、完璧な上官の下で完璧な仕事をこなすことがこの男の誇りであった。

 席を空けている『将軍』と『怪人』からすれば同調の余地などないものだろうし、自身もまたあの二人と同調する余地などない。

 故に、十三号室の各々が担う役目に隙きはなく、完璧である。

 今日もまた、いつものことであると。

 あの様子のおかしい上官も違うように見えるだけで、唯一の例外であるあの『将軍』に向ける嘲笑と同じような何かなのだろうと、そう納得してしまった。

 その後、アドルフはそれを後悔することとなる。

 ラインハルトを引き止めなかったこと、そして、その後をあの男に託してしまうことを。

 

 

 秘密警察庁舎にて 金髪の野獣と詐欺師の手紙、番兵の会話

 

 

 

 

「ここが中尉の友達の方のハウスね!」

「友人などではない、そう言ったはずだキルヒアイゼン」

「はいはいツンデレツンデレ」

「意味不明な俗語を使うな」

 ベルリン市街にて、首都を騒がす凶賊とやらを独自に追う二人の戦乙女がいた。

 中尉と准尉の階級を示す軍服をまとった二人は紛れもない軍人であり、特に赤髪で長身の女性からは周囲を威圧する気配が滲み出ているようだった。

 対象的にそれに付き従う金髪の小柄な女性はひたすら朗らかで、二人揃って丁度いい、そう言われるような組み合わせだった。

 赤髪の中尉、エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグと、金髪の准尉、ベアトリス・ヴァルトルート・フォン・キルヒアイゼンは、凶賊の手がかりを追うべく、軍から外れながらもこの街の情報を握る機関、レーベンスボルンへとやってきていた。

「しっかし中尉の顔の広さなんて正直これっぽっちも当てにしてなかったので驚きましたよ。足で探すぞとか言われちゃうのかと戦々恐々としてましたもん」

「貴様、私を馬鹿にしているようだな。この程度の情報収集も行えぬ痴愚であると」

 そんなベアトリスの軽口はエレオノーレの怒りに絶妙に燃料を注ぐ。

 その様子に慌てて弁解を行うのがこの二人の通例だ。

「そそそそんなこと言ってませんって! 私じゃあもういっそ開き直ってゲシュタポに捜査状況を聞きに行っちゃおうかなーとか思う程度でしたし、いやー優秀な上官を持てて幸せだなあ!」

「阿呆。我らは軍人の責務として動いてはいるが、腹ただしいことに貴様の言った通り部署が違うことは事実だ。そのような情報漏洩を、ハイドリヒ中将率いるゲシュタポが行うはずもあるまい」

「ですよねー。あの人も、そういう所厳格な人だし……」

「……あの人? 妙に馴れ馴れしい表現を使う。貴様よもや中将閣下に学生の時分無礼でも働いたのでは」

「え、いや違います違います! ちょっとゲシュタポに知り合いの先輩がいるってだけで! ユーゲントの頃から色々話を聞いて貰ってる方でして……まあ」

 てへへと頬を掻くベアトリスからは、件の先輩とやらに対する親愛の情が感じて取れた。

 その腑抜けた様子にエレオノーレは眉をひそめる。

「ユーゲント時代から現場の声を積極的に聞き学んでいた、ならともかく。おいキルヒアイゼン、よもや単に男にうつつを抜かしていたと言うまいな。返答によっては貴様をこのレーベンスボルンの奥深くに投げ捨てていくことになるぞ」

「前者です、前者ですから! そりゃあ先輩が男性なのは事実ですけど……うつつとかそんな関係じゃごにょごにょ……そういえば今日ってクリスマス……そんな日に仕事以外アテのない私って一体……いっそ本当に先輩を誘うべきだったか……」

 いちいち突っ込んでたら長くなると判断したエレオノーレは、いつもの変な発作を起こしたベアトリスの対応をやめてさっさと門をくぐることにした。

 走っているかのような早足で行くエレオノーレ、反応が遅れるベアトリス。

「ああー待ってー! 足の長さで私を置き去りにしないでくださいヴィッテンブルグ中尉ー! 私の上官は貴方です、浮気じゃありませんから!」

「この建物の中で、次にその類の頭の悪い言葉をほざいたら、処す」

「アッハイ」

 レーベンスボルンの門をくぐり、その先へ。

 受付もそこそこにずかずかと踏み入る、という表現が正しいだろう。

 エレオノーレはこの場所がどういう場所かを知る故に、そう、嫌いに嫌う腐れ縁が在籍しているからこそ、誰よりもよく知る故に、この場に敬意を払う気など微塵もない。

 そんな振る舞いにベアトリスはハラハラするが、特に何も言われることはなく、エレオノーレは目的の人物がいる場所へと辿り着いた。

「ふん、少し痩せたかブレンナー」

「そういう貴女はますます気難しい顔になったわね、エレオノーレ」

 レーベンスボルンの高官、リザ・ブレンナー。

 エレオノーレの知古にしては、随分と対象的な女性であった。

 こう、全体的に女性らしさの塊というか、丸みを帯びているというか。

 そんなことを思いながら、憎まれ口を叩くエレオノーレとそれをいなすリザをまじまじとベアトリスは見つめる。

「……あら、貴方、エレオノーレの部下の人? 随分と可愛らしい後輩を持ったのね」

「ふん、こいつがそんなタマか。これは単なる」

「ええ、はい! 私、ベアトリス・ヴァルトルート・フォン・キルヒアイゼン准尉です! ユーゲントを主席卒業した期待の星! 中尉からも貴様は大成するだろうとのお墨付きを」

「しておらんわたわけ。適当なことを言うな」

 調子に乗ったベアトリスにエレオノーレの蹴りが突き刺さる。

「痛い! 脛を狙いましたね、脛を!」

「仲がいいのね。エレオノーレがこんなにいい反応をすることは少ないわよ。ベアトリスさん、誇っていいわ」

「いやあそれほどでも」

「……とにかく。おい、情報だ。凶賊の一件、知っているのか、知らないのか、話す気があるのか、ないのか、さっさとしろ」

 急かすエレオノーレに対し、リザはひょうひょうと答えた。

「ええ、そうね、知っているわ。つい何時間か前、決定的な確証を得たところよ」

「……どういうことだ」

「言えないわ。けれど、軍内部には『そういうこと』を生業としている人材がいる。そして彼らは組織の貴賎なく、ただ利益を生むためだけにあらゆる情報をばら撒き、決定的な情報を隠匿する。闇の住人。そういう人がね、来るのよ。このレーベンスボルンにもね」

 その言葉に、双方難しい顔をする。

 予想外の繋がりであり、正統派の軍人である彼女らにはまだ馴染みのない闇だった故に。

「……それって、所謂諜報員です?」

「よもやゲシュタポと直接的な繋がりがあるとはな。それも情報の回りが早すぎる、たらしこみでもしたか」

「まさか。彼にその手の手管は通じないわ。気紛れで幼気で道化じみた子供のような人だけど、全く掴ませてくれないもの。あの『怪人』さんは。この情報も、立ち寄りがてらの気紛れで落しに来ただけね、きっと。知られた所で構わないと判断したから」

「どうだかな。まあいい。分かっているのなら案内しろ。ゲシュタポが既に動いているなら尚更だ、遅れを取るわけにはいかんからな」

「はいはい、そう言うと思ってたわ」

「ええ!? 危ないですよ! なんでリザさんまで」

「こいつは信用できん。自身を質に適当なことをほざいてないと証明してもらう」

 一人悲鳴を上げるベアトリスだが、知ったことではないとエレオノーレは急かし、分かっているとリザは既にそれに追従している。

 なんだかなーと思いつつ、ベアトリスもそれに続くのだった。

 

 

 レーベンスボルンにて 乙女たちの会話

 

 

 

 

「まあそんなわけさ。僕とレーベンスボルンの馴れ初めはね」

「ああ、そう」

「反応うすーい! 世の男性が喜ぶ女性の園だぜ? なんかもっと感想ないの、親友」

「そういう仕事中ならいざ知れず、平時まで愛想を振りまく必要があるとは思えない」

「かーっ! 相棒ってやつは、かーっ!」

「声落とせよ。そろそろ現場だろう。付き合ってるだけ有り難いと思えよ」

 つまらない、と叫ぶのは銀髪に少年の美貌を備えた背の低い男。

 それに対しうるさい、と言うのは一回り大きい、暗みがかった金髪の青年だった。

 隣り合いながら他愛もない話に花を咲かせているように見える彼らだが、市井の民衆などではなく、纏う軍服がその所在を表している。

 その襟章が示す階級は――少佐。

 帝都ベルリンに仕える、選ばれしもの。

 事実彼らは金髪の野獣に見出され、中央の高官の記憶にも新しい軍人の中の軍人。

 ゲシュタポの上層部においては『将軍』と『怪人』とも呼ばれる、ラインハルト・ハイドリヒが有事にのみ招集する『懐剣十三号室』の住人だった。

「番兵くんよかマシだけど、相変わらず気難しいこと。ねえ、ヴァルター。ヴァルター・フリードリヒ・シェレンベルク。僕らの『将軍』(ヘル・ゲネラール)様は」

「その呼び方は好きじゃない、って言ってるだろ。アルフレート。アルフレート・ヘルムート・ナウヨックス。一佐官風情が将軍だなんて呼ばれることは、やましい不都合でしかない」

「そんなものはないさ。だって僕らの中で、君が将官に至らないと思ってる人間はいないよ。でなきゃ、反逆罪あたりを適用されてとっくに檻の中さ」

「お前は悪ノリがすぎる、アルフレート」

「長官殿と番兵くんと君相手にはこのくらいがちょうどいいのさ、きっとね」

 軽口を叩くのは『怪人』アルフレート。

 静かに応対するのは『将軍』ヴァルター。

 二人は裏路地の暗がりを抜け、ベルリン大聖堂へ向け歩みを進めている。

「だいたい、仕事が終われば非番だやっほーと言わんばかりに帰り支度を始めるお前が誘ってくる時点でこっちは嫌な予感しかしてない。よりにもよってなんで今日。俺は親愛なる忌々しい上官殿の許可が降り次第帰るつもりだったんだが?」

「そりゃあ、ビビッときたからね。この一件は絶対に面白いって。だから中将殿に何か言われる前にこうして動いてるわけで。それを親友と分かち合いたいと思うのは人情でしょ」

「お前の言う面白いは結果的に喜ぶことと後悔することが自分でもまちまちだろう。そのでしゃばり癖に俺を巻き込むのは程々にしてくれ」

 アルフレートが強引に誘い、それにヴァルターがついていく。ここ数年変わらないルーチンではあるが、ヴァルターの気分は重かった。

 露骨に溜息を吐くヴァルターに、アルフレートも若干怪訝な顔をし。

「……あー、ひょっとして、僕も今察したんだけど。今日ってクリスマスだよね? ヴァルターの母君、君の家に来てる?」

「…………」

 そして、その原因に思い当たる。

 この質問に対する沈黙こそが、何よりも雄弁な答えであった。

「……ごめんね! 邪魔しちゃって! ヴァルターが軍で働き出したのは母君のためだもんね! ごめんねマザコン野郎! ごめんねママとの時間を削っちゃってふげえ」

 アルフレートの喉を指でつき黙らせる。

 うごごごごごとうなり這いつくばるアルフレートに、かなり蔑んだ目を向ける。

「で?」

「で、でとはなんでありましょう将軍(ヘル・ゲネラール)……」

「凶賊って話だったな。どれだけ殺られてる」

「……現場の尉官クラスはほぼ壊滅、らしいよ。ちょっと気張らないとまずいかも」

「時々見る異常者の類か。今回も貧乏くじに付き合わせてくれる」

「良かれと思って」

「良くないわ」

 聖堂が視認できるようになり、二人にも喧騒が聞こえてくる。

 今も聞こえる同胞の断末魔、炎上しているであろう煙。

 そして、悲鳴が途切れ、後には狂った笑い声しか残らない。

「……急ぐぞ」

了解(ヤヴォール)

 腰元の小剣と拳銃の手応えを確かめ、現場へと急行する。

 厄介な夜になりそうだと、しかし心の中ではそれ以上の悪寒を感じながら。

 その正体を確かめるすべは、今のヴァルターには存在しなかった。

 

 

 ベルリン大聖堂付近にて 将軍と怪人の会話

 

 

 

 

 星が集う、運命の星が。

 今、この時こそが、また新たなる物語の始まりである。

 

「イィィィヤッハアアアアアア!!! 楽しい楽しい楽しいねえ! もっと、もっとだよ!!!」

「クソがぁ、いい加減くたばれよクソガキがああああああ!!!」

 

 この髑髏の帝国が生みし、修羅道の申し子たち。

 或いは、それに立ち向かうものたちが。

 

「何、あれ……」

「キルヒアイゼン、臨戦態勢だ」

「は、はい! って、あれ……先輩?」

 

 凶獣たちと、戦乙女たちと、魔女たちと。

 

「なんという……」

「うわあー面白いことになってるじゃない? あら、あれって……アルちゃん?」

 

 そして我が親愛なる獣殿と、もう二人。

 その懐を暖め、或いは貫くやも知れぬ懐剣たちが。

 

「あ、ごめんヴァルター。ド地雷案件だった。にげたい」

「逃げるなよ。あれは……キルヒアイゼン? ち、よりによってこんな時に」

 

 それは一際煌く星であるが故に必然としてここに集う。

 積み上げてきた全て、ありえたかもしれない全てがここに結実する。

 これは、私の気紛れではあるが。

 我がレギオンは中々に優秀故、これをもって試練としよう。

 全力で抗い、その末に至高の未知を見せておくれ。

 

 さあ、今宵の恐怖劇(グランギニョル)を始めよう。

 

 




・ヴァルター・フリードリヒ・シェレンベルク
SD、ゲシュタポ所属親衛隊少佐。『懐剣十三号室』の住人。
アッシュブロンドの鋭い青年。将軍(ヘル・ゲネラール)。真なる磨羯宮の主。
保有技能:天性の演技力、鋼鉄の精神力、万能防衛術

・アルフレート・ヘルムート・ナウヨックス
SD、ゲシュタポ所属親衛隊少佐。『懐剣十三号室』の住人。
非常に小柄な紅顔の美少年。怪人。乙女の守護星。
保有技能:人間遊び、爆弾作り、上級拳闘術

・アドルフ・アイヒマン
SD、ゲシュタポ所属親衛隊大尉。『懐剣十三号室』の住人。
生真面目な仕事人。番兵。
保有技能:情報整理、静かなる忠誠、軍戦略


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Fragments:黎明Ⅱ

さーてさっくりⅡを書くか、これで黎明終了!
>ふと文字数を確認する
>12000字超過して尚完成せず
>怒りの分割投稿

書きやすさに特化して簡潔に書くって言ったでしょ!!!(憤怒
本日戦闘回(まだ人間)です、はい。


 あれと出会ったのは何年前になるか。

 そう、組織再編の折、無能を切り捨て手ずから人材を集めようとしていた時の話だ。

 ああ、そういった人材というものは良くも悪くも噂に欠かぬ。

 私のようなものでさえ、全力で物事に取り組んでいるというだけのつまらぬ理由で巷から金髪の野獣などと呼ばれる始末であるからしてな。

 例えば、情報整理において決してミスをしないという男がいた。

 生真面目な男だった、私はそれを採用し、鍵を持たせ守らせた。

 例えば、小器用で他者を出し抜くことに秀でたものがいた。

 巫山戯た男だった、私はそれを採用し、密偵として歩かせた。

 そして、そう、あの男。

 例えば……私とよく似た男がいた。

 何足もの靴を履き替え、金のために片手間でパートタイムで親衛隊の仕事をしていながら、非常に卓越した技術の持ち主であると噂されるその男は、しかしそれだけなら所詮組織に忠誠を誓うべくもない存在であると、一瞥もせずに通り過ぎるべき男だった。

 だが、私は見てしまった。

 新兵に対等な目線で、人の良さの手本のような朗らかさで講習を行っているその男の顔。

 その薄皮一枚下にある、不感症の顔を。

 それはまるで、毎朝顔を洗いに洗面所に立った時、鏡の向こうにいる誰かのような。

 似ている――この時私は確かに、そう思ったのだ。

 私の足は自然とその男に向かっていた。

 講習を中断されたその男は表向きは上官に対し慇懃に接しながらも、邪魔だというその目の奥の感情がはっきりと見て取れる。

 それを見て、私は、そう、思わず口元を歪めた。

 この男の反抗的な態度を見るのが楽しいと、自然と嘲笑を浮かべていたのだ。

 この時の自身の心境を、上手く言葉にすることは出来ない。

 ただ、あえて言うのなら『面白い』男だった。

 私はそれを強引に採用し、手元においた。

 男はやがて不本意そうな態度を隠しもしなくなり、その態度に反し地位を向上させていった。

 ああ、今も何故かなど分からない。

 しかし、私が奴を特別扱いしていたのは確かであり。

 事あるごとに奴に重荷を背負わせては、『では、どうするのかね、ヴァルター(友よ)』と隠しきれぬ嘲笑と共に問いかけることが、その時だけはたまらなく愉快だった。

 それから何年たとうとも、私はそれを繰り返した。

 我が心を震わせるのはただそれのみであると。

 あの時までは、そう思っていたのだ。

 あの、『不快』という対極の感情を私に与えた詐欺師。

 カール・エルンスト・クラフトと出会うまでは。

 

 

 ラインハルトの独白、或いは詐欺師との会話

 

 

 

 

 常軌を逸した様相だった。

 親衛隊の士官たちの死体がそこかしこに無残に打ち捨てられ、粉砕された乗用車が路上に火を放ち、周囲一体を炎上させている。

 その中心にいるのは、たった二人の凶獣だった。

「あはは! いいね、いいねえ! こんなに長く楽しめるなんて、君ってやつは最高だあ!」

「そうかい、こっちはいい加減飽きてきたぜ。てめえのパチもん顔を見るのがなあ!」

 路を砕き、壁を蹴散らし、乗用車を蹴り飛ばす。

 裏路地のチンピラ、高官を暗殺した毒婦などという言葉だけでは到底納得できない異次元の行いがそこにはあった。

「あー、あー、あー。正直もっと穏便なのを期待してた。このような事態に直面するとはこの怪人のアルフレートの目をもってしても……」

「お前が節穴なのは知ってるよ」

「ひでえや」

 現場に駆けつけたヴァルターとアルフレートは、軽口で精神を落ち着けつつ、先ず周囲の状況把握に務める。

 先ず、あの中心の乱闘。

 誰が見てもこの惨状の原因である、止めねばならない。

 次に、これを見て尚残っている野次馬。

 くたびれた神父と、赤いドレスを身に纏った妖艶な美女が、遠巻きにそれを眺めている。

 こちらに気がつくと、ドレスの美女は笑顔で手を降ってくる。

 口元を読むに、『はーいアルちゃん、奇遇ね』とでも言っているようだ。

「知り合いか、アルフレート」

「あ、アンナちゃんだ。アーネンエルベの高官の人だよ。ちょっと仕事柄付き合いがあってね。まあ、こういう騒ぎを面白いって形容しちゃう系の人だから避難はしてくれそうにないかなあ」

「要するにお前と同じ穴の狢か」

「僕は後悔してるだけマシだと思いません? それより、あっちはどうやら君の方の知り合いのようだけど、どうなのさ」

 アルフレートがそれとは別の方向を指し示す。

 そちらを見ると、自身らと同じ軍服を纏う女性の二人組と、その背後に一人の貴婦人がいる。

 その片割れ、見覚えのある金髪でポニーテールの小娘が、こちらを見て何やらあわあわと視線を行ったり来たりさせており、上官らしき赤髪の女性にひっぱたかれている。

 青髪の貴婦人はこちらに対しおずおずと、主にアルフレートに対し視線を向けたが、すぐに目前の危険へと視線が戻る。

 アルフレートはそちらにも軽く手を振っていた。

「……何やってるんだ、キルヒアイゼン。管轄外だろうが……」

「やっぱりお知り合い? あーんな若いかわいこちゃんいつの間に捕まえてたのさ、やるねえ」

「後輩だ。先日ユーゲントを卒業して士官したばかりの。お前の邪推するようなことはない。お前こそ、随分と知り合いの多いことだな、人間遊びもほどほどにしろよ」

「彼女はレーベンスボルンのご婦人様。今日は女性の知り合いと縁があるねえ、不思議」

「さいで」

 此処まで来てしまっている以上、もう退かせる事はできないだろう。

 あれも騎士である故に、命令より大義を取るであろうことは察せられる。

 そしておあつらえ向きに、その大義がこの場に存在しているのだ。

 護衛もなしにやってきた、自分たちの上司が。

「……ハイドリヒ閣下ェ。なーんでこんな所にいるの」

「あの人のやることをいちいち理解できてたまるかよ。ともあれ、これでこの場の軍属はあの忌々しい金髪の野獣殿を守護することが最優先任務になったわけ……」

 相変わらずの鉄面皮の、その隣の影に視線が向く。

 それを見て、ヴァルターは硬直した。

「……ヴァルター? どしたの?」

 あれは、何だ。

 否、俺はあれを知っている。

 昔、昔、まだ幼い時分、シェレンベルクの森で。

 血の繋がらない兄弟たちと、強く、優しく、小さな母と暮らしていた頃。

 そう、あの時、母を訪ねてきた男のことを、不気味なほど鮮明に覚えている。

 あの夜、気丈な母が、ただ何も詳しいことを言わず、ごめんなさい、ごめんね、と自分を抱きしめて涙を流していたことを。

 確か、そう、クリスチャン・ローゼンクロイツと名乗っていたその男が――

「ヴァルター!」

 アルフレートの一喝で、ヴァルターは思考の渦から引き戻される。

「あっちばかり気にしてる場合でもないよ、あの女性軍人達が突っ込んだ!」

 あの不気味な男のことをひとまず頭から追い出し、ヴァルターは視線を一つ前に巻き戻す。

 知古の少女、ベアトリスとその上官であろう女性は貴婦人を物陰に避難させた後、帯びていた剣を抜き、凶獣の宴の中へと割って入った。

 それぞれが背中合わせに、一人一殺の構えで対抗しようとしている。

 成程、あの布陣ならいくらかの対抗も可能だろう。

 だが、剣一つでは、あの埒外の怪物相手にどこまでやれるか。

「時間ないね。どうするのか手早く決めよう」

 アルフレートがふざけた様子を潜め、手短に話をまとめる。

「先ず民間人は」

 アルフレートが問い。

「手が足りない。現状無事な位置にいるんなら後は自己責任だ」

 ヴァルターが即座に結論を出す。

 端的にタスクを纏めるための手段だった。

「ハイドリヒ中将は」

「言っちゃ何だが同じくだ。どれほどの危険だろうと凶賊はあくまで二人。側付きで護衛しているよりも、この少ない手数じゃ制圧にでたほうが効率的だ。とは言え、最低限こっちで間に入って気を配ってはおく」

「どっちがどっちに行く?」

「……あの長髪の方、お前に任せてもいいか。俺は短髪の方に向かう」

「友人のお嬢さんの危機に颯爽と参上するって? やるねえ色男」

「何だ、あの怪物相手に生き残る自信がないか? 変わってやってもいいぞ」

「冗談」

 ヴァルターの言葉を受け、アルフレートは凄絶な笑みを浮かべた。

「ゴミ溜めから生まれたバケモノ風情が、戦争の領分で僕に勝とうだなんて十年早いね」

「なら任せた。あの気難しそうな中尉との共闘説得も含めてな」

了解(ヤヴォール)了解(ヤヴォール)、それじゃあ行くとしますか」

 そして、駆け出す。

 ヴァルターはラインハルトと短髪の凶獣の間に入るよう陣取り、アルフレートは赤髪の女騎士に暴威を振るう長髪の凶獣相手に素知らぬ顔で介入を行う。

 

 

 

 

 なれば、先に火花が散るのはアルフレートの方だった。

「やあどうも」

「むっ!」

 幾多のナイフのうち一本を小剣で弾き飛ばし一回転。

 それを回避するため敵は後方へと飛び退く。

「……はあ、また飛び入りかい? 相手が多いのは結構だけどさ、こうも何度も邪魔されちゃうとさあ、ほんと興ざめだよね」

 その女性とも男性ともつかぬ獣は多少の苛立ちを見せながらも溜息をつく。

「はっはー、君の楽しみとかそんな死ぬほどどうでもいいことを気にしてあげるほど暇な軍属じゃあなくってね。失礼、お邪魔しますとでも言っておく?」

 手の中で小剣を遊ばせるナウヨックスはというと軽いもので、その笑みはまるで数刻前この凶獣たちが暴れながら浮かべていたそれのようだった。

 アルフレートは獰猛に笑う。

 先の接触で受けた衝撃を表に出さないように。

(……やっべー右手が痙攣してる。あの細身でなんつー馬鹿力だ、指の間のナイフ一本弾いただけでこれかよ。幸い数分程度で感覚は戻ってきそうだけど……こりゃ僕じゃ防御は無理だな)

「おい、きさ――否、失礼」

 一騎打ちに割って入られたエレオノーレは、この吹けば飛ぶような矮躯の男を引かせようとする。

 が、しかし、気付く。

 その襟章に刻まれた印が決して偽装ではなく、自身こそが控える立場にあることに。

 だがしかし、それでも。

「少佐殿、お下がりを。この凶賊相手に万が一があれば」

「言ってる場合かい? 騎士道も行き過ぎれば邪魔だよ、中尉」

 成程、アルフレートの体格では、どう足掻いても戦うものとして見られはしない。

 故にエレオノーレの対応は正しい。

 しかしそんな正しいだけの対応を、アルフレートは切って捨てる。

「君にも同じことを言おうか。騎士の矜持とかそんな死ぬほどどうでもいいことを気にしてあげるほど暇な軍属じゃあなくってね。失礼、お邪魔しますとでも言っておくよ。君がなんと言おうと、勝手にさせてもらうさ」

「……へえ」

 そんな姿に、凶獣が反応する。

 小柄の体躯、銀白の髪色、その赤銅色の瞳こそ差異があるものの。

 彼の姿形はこの凶獣の心の琴線に触れたのだ。

「いいよ、いいよ、君も愛してあげるよ……お兄さん。僕はヴォルフガング・シュライバー……仲良くしよう。手始めに切り刻んで切り刻んで切り刻んでミンチにしてその肉を詰め込んで僕の友達にしてあげるよおおおおおおおおお!!!」

「ち、狂人が……」

「お断りだね」

 それ以上の問答を交わすべくもなく、凶獣は二人に躍りかかる。

 エレオノーレは再度剣を振りかぶり突進し、アルフレートは手の中の小剣を無造作に投げつけその一歩後を踏み出した。

 

 

 

 

 そして一方。

「ごっ……! てめえ、誰だクソがあ!」

「えっ?」

 短髪の凶獣に押し込められていたベアトリスは、突如敵の右肩が弾けたことで体制を立て直す。

 大きく間合いを空けつつ視線をやると、そこには拳銃を構える見知った顔がいた。

「先輩……ヴァルターさん!」

「外したか、関節をぶち抜くつもりだったんだけどな。勘が良い、面倒な」

 ヴァルターは追撃を行う、でもなく、どうでもよさそうに銃の具合を確かめている。

「駄目です! この男、尋常なものではない! 貴方でもどうなるか! 此処は私が」

「命を懸けて食い止める、か? 馬鹿娘。俺の心配をするより自分の心配をするんだな。それに」

 豹変、そう、それは彼を知る人間にとっては豹変と呼べるものだった。

 ヴァルターはあからさまにその危険な凶獣に対し、侮蔑と侮りの視線を向ける。

「そんなに大したものかよ、なあ。帝都に湧いた蛆虫一匹、ただちょっと目立つ色してるだけの珍種がよ。雑魚ばかり殺して俺は最強気取りか。面白いやつだ、牢屋の中じゃ道化になれるぜ」

「んな」

 それを、ベアトリスは知っていた。

 なにせ『それ』でよくからかわれていた故に。

 ゲシュタポ有数の諜報能力を持つ彼。

 彼は自身のあり方を必要に応じていくらでも偽装する才能を持っている。

 即ち、天性の演技力。

 初対面の人間であれば、その振る舞いを欺瞞と看破することなど到底不可能。

 その挑発は覿面に過ぎた。

「ああ……そうかそうか優男。先に死にたいならそう言えよ。俺も暇じゃねえんだからよ……首をねじ切る時間が勿体ねえだろうがああああああ!!!」

 もとより向かってくる敵は喰らい尽くす、そういう獣なのだ。

 ここまでやらずとも、あの男がヴァルターを標的にするのは当然の帰結だった。

 暴風を纏い、凶獣が突貫する。

「じゃ、キルヒアイゼン、頼んだ」

「あああもおおおおおお! 好き勝手してくれますね!」

 剣戟すら受け止め弾く豪腕は、まともに受ければ骨を持っていかれる一撃だろう。

 故に、まともに受けるつもりはない。

 男の意識から一時的に外れたベアトリスは、横側から振りかぶる腕に対し介入を行う。

「ああ!? 邪魔だどけェ!」

「そうは、行かない!」

 振りかぶって、放つ。

 その初動の瞬間にベアトリスの剣は絶妙に合わせる。

 迎撃に出ざるを得なくなった男の腕の威力は大きく減衰され、しかし止まらない。

 だが、それだけあれば十分だった。

「間抜け」

 正面には、悠々と銃を構えるヴァルターの姿。

 その照準は体幹の中心に向かい――

「チィっ!」

 男が咄嗟に体をひねり、急所を狙えなくなる。

「ああ。だろうね」

「なっ」

 しかしその照準は体幹を通り過ぎ、斜め上に向かい止まる。

 その一瞬後、その照準の先には、体を回転させ無防備に差し出された右腕が。

 その右腕を、数度の銃撃が貫く。

「があああああ! クソがクソがクソがクソがあ! 舐めやがって!」

「……また外された。本気で使い物にならなくなるよう狙ってるつもりなのにな」

「何今も冷静に品定めしてるんですか! 馬鹿! 先輩の馬鹿!」

 ズタズタにされた右腕を抱えつつこちらを睨みつける男を怪訝な顔で見るヴァルターを、追いついたベアトリスが引き離す。

「助けてくれたことは感謝しますけど、あんなの何度も続きませんよ! 油断は禁物です」

「油断してる、そんなように見えるか? ならいい」

「……あのですね、ヴァルターさん。気を抜いてないなら抜いてないで、その味方も騙す偽装はよしてください! 心臓飛び出るかと思いました!」

「保険はあってなんぼだろ。辛いときこそ笑ってみせろ、ってのはあいつのよく言うことだが、割と真理だぞ。結構役に立つ」

「そういうの今いいですから!」

 ベアトリスが前衛に立ち、その穴を埋める形でヴァルターが銃を構える。

 右腕を殺したはずのその男の体からはギチギチと不快な音が響き、先程のダメージがなかったかのように立ち上がる。

「……殺す。あいつもてめえもメスガキも軒並みぶち殺して向こう一週間死体になっても嬲り続けてやらああああああ!!!」

「ち、怪物め。後何発入れてやればいいか。まあ、死ぬまでやるか」

「というか、余裕があるならこっちは離脱してヴィッテンブルグ中尉の救援をお願いします! こちらは私が何とか抑えますので」

「同僚を向かわせた、心配はいらない」

「同僚って……あのちっさい人でしょ!? 何が心配いらんのですか!」

「ああ。なにせ」

 

 

「こういう肉弾戦じゃ、アルフレートは俺より数段強いしな」

 

 

 

 

「ハアアアアアアッハアアアアアアアアア!!!」

 もはや幾度目かも分からぬナイフをエレオノーレは剣で受け弾く。

 その強打は反転し攻勢に移るには単独では至難のものだが、今はもう一手。

 振り下ろされた腕の下に潜り込む影がある。

「甘いよ甘いよ甘いんだよお!」

 無論、それを許すような生易しい獣ではない。開いている手が唸り、隙間を通すように自身の懐の陰を狙うが。

「はははこれでくしざ……ぐべっ!?」

「ああごめん、何か言った? お兄さん疲労困憊で聞こえないわ」

 それよりも早く、獣の顎にアルフレートのかかとが突き刺さった。

 ゼロ距離での真上に対する垂直蹴りは、一切無駄な力を消耗せず正確に急所を狙い撃つ。

「あああ、あああああああああああああああ!!!???」

 それでも、朦朧とする意識の中、或いは『あってはならないこと』が起こり動揺している最中、動かした腕はアルフレートを狙う。

「卑怯くさい身体能力だよね。その一突きに対し何回ステップを踏ませるわけ。かなりギリギリ」

 だが、避ける。

 膝から全身を駆使し、致命の一撃を防ぐでもなくかわす。

 先より、エレオノーレは何度もそれを見た。

 この矮躯の少佐が、あろうことか拳闘でこの凶獣と紙一重で渡り合うのを。

 故に、その届かぬ側に自然と剣を向けるのは当然のことで。

 アルフレートもまた、腕をふるいながら体が流れていく獣に対し拳を握る。

「消え失せろ、下郎!」

「大当たりだ!」

 額を捉える拳と、心臓の間際を貫く刺突が同時に突き刺さる。

 凶獣は、その二つの威力を受け、吹き飛んでいった。

「ひー、危ない危ない。流石に死ぬかと思った。というかエレちゃんがいなかったら死んでた」

「その呼び方はやめていただきたい」

「その要求は僕の上官になってからするんだねえ」

 口だけでは変わらぬ態度を貫くが、その瞳孔が揺れ動き、息遣いは大きく、体は震え、顔からとめどなく汗を流し続けている。

 無理もない、あのナイフさばきを至近距離で回避し続けたのだから当然のことだ。

 ふと、エレオノーレは思い出す。

 ゲシュタポにおいて、ラインハルト・ハイドリヒの信頼厚き者が何人か存在する。

 その一人は時々に同僚からも劣等と蔑まれる矮躯の持ち主だが、ある時自身の身の丈の倍もありそうな屈強な前線兵士数人を拳と足で伸してみせたという。

 情報の達人にして、拳闘術の達人。

 その技量は熟練の兵士すら上回るとか。

 またぞろプロパガンダの類かとその時は思ったものだが、だが確かに今ここにいる。

 自身の剣をもってしても、追い詰めるには苦労させられるだろうと思わせる存在が。

「はー……はー……何とか倒せた。じゃあ起きないうちにさっさとトドメを……」

 気力を使い尽くしたと言わんばかりにふらつきながらも、アルフレートは腰の拳銃を抜き倒れ伏した獣の息の根を止めようと近づく。

 だが。

「……うふ」

 それは嗤いか。

 否、咆哮の前触れか、怒りの咆哮か。

「あ、あ、あ、僕に、僕に、僕に僕に僕に僕にふれ、なぐ、なぐぐぐぐぐぐぐぐぐ、殴ったなああああああああゔぁああああああああああああ!!!!!!!!! 父さんだって、母さんだって、僕を、僕に僕に僕をおおおおおおああああああああああああ!!!!!!」

「ぐっ、これは……!」

「……あ。やば、これ死ぬ」

 狂乱の叫びとともに、獣が跳ね起きた。

 頭を抱え、髪を振り乱し、支離滅裂な言動はますます人間のものではなくなっていく。

 体からあふれる血はどう見ても許容量を越えているというのに。

 凶獣は止まらない。

 彼らの行いは、成程、何れはこの獣を死に至らしめるのかもしれないが。

 死に際の最も恐ろしい命の輝きを、顕現させてしまったのだ。

 

 

 




鉄壁ヴァルターと殴り屋ナウヨックスが加わった凶獣いじめ。
でもまあそんなことしたら覚醒するに決まってるよね!!!
ナウヨックスくんは今後シュライバーに粘着されるのが決定しました。


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Fragments:黎明Ⅲ

これにて黎明終了。
次回より黎明その後と、黒円卓の胎動、ヴァルターの道行き、犬、あたりを書いていこうかと。
やっぱ原作と似たり寄ったりの部分って書きにくいんですよね、書くことは変わらないのに、同じような文章だと許せないというか。

あ、評価感想ありがとうございました、どうやらランキングに浮上したようです。
ベア子ァ! お前の冒頭フラグメント他の倍の量になったぞコラァ!(憤怒)


 ベルリンの町中、貴重な休暇にうまいもん巡りしてた時の話でしたっけ?

 そうですそうです、懐かしいですねー、先輩と初めて会った時。

 一年でしたっけ、それとも二年くらいありました?

 私はまだユーゲントの学生で、先輩はその頃からバリバリ働いてる尉官さんで。

 ああ、えーっと、ぶつかったんですよ、はい、町中で。

 その日の収穫に満足してた私が不注意状態で駆け足してたのが悪いんですけどね。

 こう、曲がり角から飛び出す形になった私が、こう、むぎゅっと。

 あーなにかぶつかったなーやっちゃったなーって混乱する中はて壁にしては弾力があるような……とか思って目を開けると、体は密着したまま頭と肩をがっしり掴まれて運動エネルギーを相殺されてましたね、ええ。

 しかし密着した体の間には、無残に潰れてしまった菓子袋が。

 で、そのお詫びということでちょっと奢ってもらえることになって。

 ……思えば私あの時形だけとはいえ抱きすくめられていたのでは?

 な、なんか思い出したら急に恥ずかしくなってごにょごにょごにょ……

 はい、なんです?

『いい年こいた女子が潰れた菓子袋一つで大仰に膝をついてえぐえぐ泣き出せばまともな大人なら妥協するに決まってるだろ意地汚いやつめ』ですと?

 そんなこと思ってたんですか、ひどい!

 

 え、えーと、ともかく、私はそれにかこつけて色々話してみるわけですよ。

 よく馴れ馴れしいとかうるさいとか形容されるのは自覚してますけど、お喋りとか好きな私ですから、やらかしたこともこれも機会だーって感じで。

 あの時の先輩どんな感じでしたっけ?

 あ、思い出しましたよ、いかにも人好きしそうな微笑みでお嬢さんいかがされましたとかサラッと口にしてましたけど、あれ今思えば私を適当にあしらおうと一般女性受けする感じに偽装してましたよね、話の中身もはぐらかしてたし!

 忘れろ?

 嫌ですぷー、日記につけときます痛い痛いつねらないでつねらないで!

 はあ、とにかくその日は適当にはえー紳士な人だなあって感じで奢るだけ奢ってもらって、お気をつけてお嬢さんとか言われて別れ痛い痛いわかりましたもうあの時のセリフ再現はしませんから手を離して!

 ちょっとあっち行っててください、あっち!

 女同士の話に男性が聞き耳を立てるのは無粋ですよ!

 

 ……ふーやれやれ、行ってくれました、これで存分にお話できます。

 さてまあ、それだけならそれだけだったんですけどね。

 休日の行動範囲が妙に合っていたのか、次の月も会っちゃったんですよ。

 見覚えのある顔が横切るのを私が咄嗟に呼び止める感じで。

 私も初対面の時からなにか気になる顔だなーって思ってたんで割とすぐ思い出しました。

 まああの人『誰だお前』って返してきやがったんですけどね、ええ。

 初めて会った時紳士的だった人が、半眼でドスの利いた声でなげやりに言ってくるわけですよ。

 そりゃあまあ私でも呆然とするってもんです。

 粘り強く食い下がって、ようやく思い出してもらいました。

 『あー……あの時の不注意な小娘』とか不名誉な思い出し方されましたけど!

 怒った私は暇ですか暇ですねよし来いって感じで先輩を引き摺っていってですね。

 怒りのままにお菓子を注文してですね、改めて色々聞き出そうとしましたよ。

 

 支払い?

 先輩持ちでしたけど?

 

 まあとにかく前回とは打って変わった様子に、憤慨以上に興味も湧きまして。

 こう、構いたくなる、って言うんですかねえ、こういうの。

 透き通った目、影の差す表情、どことなく疲れてるようないないような。

 あ、分かります?

 ですよねー、やっぱりお兄さんってそういう所ありますもんねー。

 ああ、そういえば先輩って呼び出す前は、お兄さんって呼んでたんですよねえ。

 実家に兄はいるんですけど、なんというかあの人は喧嘩の対象であっても慕う対象ではないというか……まあやんちゃしてた頃の弊害というか……

 え、なんで笑うんです?

 は、はあ……まあその日にようやく、あの人の顔を見たんです。

 きっとそれが普段の顔だっていうものを。

 でも……それでも、まだ気になって。

 

 ……あの、これからちょっとおかしなことを言います。

 不快にさせてしまったらごめんなさい。

 これは何ヶ月か先輩の顔を見てようやく気づいたことなんですけど。

 あの人、ずっと何か無理をしてるような。

 私が平常だと思っていたときでさえ、絶えず苦労し、心を削り続けているような。

 一体何が先輩をそうさせているのか、私には分かりません。

 けれど、いつかのある日、『あらゆるすべての感情が抜け落ちてしまったような』先輩の顔をほんの一瞬でも見てしまった時から、言葉にできない疑問のかけらは形容できない恐ろしい確信に似た何かに変わったんです。

 ああ、この人の側にいてあげないとって。

 なんでもない次の朝、突如消えてしまっていてもおかしくない、そんな恐怖を感じたんです。

 

 何言ってるかよくわからないですよね、ごめんなさい、私も言っててよく分からなくて。

 変なこと言いました、やっぱり忘れて……え。

 ええと……その……何で私は抱きしめられて撫でられてるんでしょうか……いえ、その嫌というわけではなく、むしろ心地良いですけど……

 

 ……ええ、はい、勿論です。

 私はこれからも先輩と仲良くやっていきたいと思いますよ。

 だって、私はこうしないと、なんていう義務感よりずっと前から。

 私は好きでお兄さんにつきまとってるんですから!

 嫌われようが食いついてやりますとも!

 

 

 ベルリンの一軒家にて 金髪の乙女と、小さな母の会話

 

 

 

 

「あー、あれやばいわね。いくらアルちゃんの加勢があっても無理があるわ」

「な、何と……うっ」

 狂奔する戦場に神父、ヴァレリアン・トリファは口を覆いうずくまり、ドレスの女性、アンナ・シュヴェーゲリンは尚の愉悦の態度を崩さない。

 その牙がいつ向いてもおかしくはないというのに、アンナはのうのうと品定めをしていた。

「唯でさえ9点の怪物くんが完全にプッツンしてるわ。何が引き金だったのかは知らないけど、ここからはもう闘争というより戦争の域ね。もう一人の方も大分キレだしてるし、ああいう魔道によらない魔性っていうのはこういうことがあるから怖いわ」

「彼らでも、もうどうしようもないのですか?」

 ヴァレリアンが、恐る恐る聞く。

 しかしアンナの回答は煮えきらないものだった。

「どうかしら、あの半端ない軍人さんとアルちゃんの7点コンビは即席っぽさは抜け切らないけど、或いはアルちゃんが懐にしっかり準備を抱えた上で『戦争状態』に入ればワンチャンあるかも」

 彼女は、アルフレートのことをそれなりによく知っている。

 彼の『趣味と実益を兼ねた工作』の産物のこともだ。

 それが懐にあるのであれば……大怪我は避けられないだろうが、まあ勝てるだろう。

「あっちのお嬢さんとイケメンの5点コンビはー、割りと安定してるわね。身体能力を知恵と勇気で補ってる感じ? あのイケメンさんが付かず離れず戦ってるから、お嬢ちゃんが大分楽できてるわねー。攻撃よりも防御に秀でてるのかしら、その点で言えばひょっとすると8点あるかもしれないわ。まだ一発もいいのを貰ってない」

 対し、ヴァルターとベアトリスの方は既に余裕を無くし乱戦にもつれ込んでいるものの、互いに硬直する瞬間をカバーし、痛打を通さず押し留めている。

 即席の連携ではあるまい、あれは互いの動きを知る故の動きだ。

「しかし……では、双方未だ危機的な状況であることに変わりはないのでは」

「うん、まあ、そうとも言う」

「どうにかならないのでしょうか」

「なーに、私に何かできると思って? それともどうにかしたいと思う? あなたが? 言っておくけど、貴方マイナス10点よ、あんなところに何かしに行ったら、木っ端微塵になっちゃうわね」

 くすくす、と傍観者気取りを崩さないアンナに、さしものヴァレリアンもむっとする。

 確かにその身は何の役にも立たぬ身ではあるが、このような恐ろしいものを目にして何もせず笑っていられるような悪人ではないつもりだった。

「……では、彼らは」

 そして、指し示してしまう。

 この争いを同じように眺める二人を。

「……え」

 そして、彼女も見てしまった。

 見てはならないものを。

 常人であろうと、魔性であろうと。

 そのすべてを知る賢者でさえも、知り得てはいけないものが。

「あ、あ、あ」

 ああ、黄金の輝きがその目を焼く。

 焼いた先には暗闇しか残らない。

 暗闇が続く先に、淡い光が差し込んでくる。

 それはまるで頭の中を紐解くような、紫色の月明かり。

 

 けたけた、けたけた、けたけた、げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげら。

 

 あれは、何?

 

 

 

 

「いやはや、相も変わらずこの国は面白い。外を歩けば宝の山、時代が産んだ混沌のるつぼ。人間という種の、文明と本能を併せ持った極限。ああ、何度も見た光景ではあれど、されどやはり心が躍る」

 その影は、まるで歌うように言葉を語る。

 しかして、人間味を一切感じさせない無機質な声だ。

 それこそ、そう、歌劇でも眺めているような。

 お気に入りの歌劇を何度も、何度も何度も何度も回し見し、決まって同じ感想を呟くような。

 人を人と思わぬ視界、感慨。

「どうですかな。あなたにも、何か感じ入るものがあれば幸いですが」

 そして、そのようなものに魅入られ、こうして語りかけられている自分とは。

 ラインハルトは一瞬そのような考えが頭をよぎり、しかし馬鹿なことだと完結する。

 この道化のやることに、意味などあるものか。

 自分の存在に、意味などあるものか。

「卿が私に何を見出し、何を期待しているのかは知らないが。そのようなものはまやかしだ」

「ははは。僭越ながら、あなたは勘違いをされておられる。否、目を逸らしていると言うべきか」

「何?」

「あなたは既に知っているはずだ。胸を掻きむしる衝動を。鏡の向こう側を。ただ、その正体を覗く気がないだけ。そう、始まりは私と出会う前より。あなたは自分と相似した可能性に、喜悦という感情を覚えていたはずだ」

 それは。

 この男、カール・クラフトの言うそれは、ラインハルトの瞳を揺り動かす。

「なんともいじらしく、頑なだ。稀有であるからこそ、それを失うまいと、その先を見通すことを無意識に避けておられる。だが、それはあなたの本質を妨げるものでしかない。何せ、あれとあなたでは、向いている方向が違う。元より、あれはそうあれかしと期待され、彼女が育み、私が選んだ存在故に」

「何が、言いたい」

「守る側に座り、その拳を握らぬ故の倦怠感、絶望感。ああ、何故だ。何故だ。何故私は」

 両手を広げ、躍り出るように数歩。

 カール・クラフトは語る。

 それは、意味不明な言葉だ。

 意味不明でなければならぬ、そうでなければならぬはずの言葉だ。

 しかし、水銀の毒はその胸に染み渡り、際限なく広がっていく。

 

『何故私は、私を破壊しないのか。何故私は、あれを破壊しないのか、自制してしまうのか』

 

『その面の皮を、その面の下を。一思いに引剥してやれば何と心のすくことか』

 

『失ってしまうやも知れぬ、ああ、だがそれが? そうしなければ、行動無くして何故自覚ができようか、何故証明ができようか』

 

『だがすべてが壊れゆく、それが指を動かす以前に最早知れてしまう。何と口惜しい世界の脆さ』

 

『私は、すべてを――』

 

「黙れ」

 聞くに耐えぬと最後の言葉を遮った。

 一体それを『何度』聞かせるつもりだと。

 そんなものはとうに知っている。那由多の果て、幾星霜も前から、この身を苛むそれの正体を。

 ラインハルトは、分からないが知っているのだ。

「卿の戯言には『飽いている』。それ以上雑音を歌うようなら、牢獄の中に引き返すことになるぞ」

「おやおや」

 そう言いながらも、ラインハルトは歩みを進めていく。

 それは興味が失せこの場から去るのではなく、その争乱の中心へと向いていた。

「では、閣下。このめでたき門出に一つだけ」

 カールはその背中に対し笑みを向け、尚も言葉をもって送り出す。

「あなたはすべてに倦んでいる。あなたはすべてに堪えている。その意味を、言葉として形にすねばなりますまい。存分に歌いなされ、何度でも、何度でも、この既知感のみが愛おしいと」

 

「そう、あなたは、すべてを壊したい(愛したい)のだ」

 

 

 

 

「ぐっ、おのれ……!」

「ごほっ……ごほっ……」

「ああああああああああああああああッゔぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 最早それは言葉の羅列でも獣の叫びでもないだろう。

 生命の本能さえ捨て去ったその形は、血を振り乱し肉体が自壊するのも顧みない。

 さらなる圧倒的暴威で、二人を甚振っていた。

 放っておけば自滅するだろう、だが、それまでに果たして自分たちが生きていられるのか。

 そのような戦術を見通す故にたどり着いてしまう結論を、エレオノーレは思考の中でねじ伏せ、己を奮い立たせる。

 このような薄汚い敗北者の汚泥と共に沈むなど、誰が許そうか、何より自分が許そうか。

 フルコンタクト状態で接近戦を行った結果、アルフレートがエレオノーレより先に沈みかけていようと、例え一人であろうとだ。

「……あ゛ー」

 そうした決意を彼女が固める中、もう一方は諦めが凝固したような呻き声を発する。

 それは一概に、もういいや、とか、知ったこっちゃない、とか、どうにでもなれ、とか。

 大凡聞き覚えのある、敗者の泣き言に似た、しかし何かが違う音だ。

 エレオノーレは無意識に、何が違うのかを把握する。

 そう、この音からは諦めこそ感じるものの、負けた、という想念だけが感じられない。

 今まさに凶獣の手で命を奪われようとしているアルフレートは呑気に懐を弄り。

 何か手のひら大の球体をぽいと真上に投げた。

「死ねよ」

 直後、破裂音が響いた。

「ぎゃあああああああああああああああ!!!」

「がふっ!!!」

 アルフレートが投げた球体が耳をつんざく音を発し、爆発する。

 その衝撃で凶獣は吹き飛び、至近距離で爆発を浴びたアルフレートにもはじけ飛んだ破片が突き刺さり、互いの血が入り交じった。

「……爆弾、だと?」

 エレオノーレはそれに瞠目する。

 現在軍で採用されている爆弾に、あれほど小型で且つ実用段階の爆弾は存在しない。

 よしんば秘密裏に開発されている実験兵器だったとしても。

 今、エレオノーレが見ている光景はことさら異常なものだろう。

 幽鬼のようにふらりと立ち上がったアルフレートは軍服の襟を開き、袖からガチンガチンとなにか鋼鉄じみた音を発している。

 そこから取り出したものは先の球体であったり、拳銃のカートリッジにも似た立方体であったり、何かよく分からない仕掛けを施されている彫刻じみた物体であったり。

 それら全てが、アルフレート・ナウヨックスが抱える『爆弾』であった。

「はは、もういい、もういい、どうせもう炎上してるんだ、路上を吹き飛ばしたり更に炎上したり建物がぶっ壊れたりしてもさあ……関係ないよね、もう関係ないよ」

「ぐ、が」

 起き上がろうとする凶獣に対し、アルフレートはその両手に一杯の爆弾を抱え込む。

 それは、先程死ぬ死ぬと喚いていた時とはまるで違う、何かスイッチが入ったかのようで。

「本当にやってくれたよね。僕が一方的に死ぬなんてさあ……ありえないんだよ、ありえないんだ、それでも死ぬっていうんならさあ……お前も一緒に死ぬんだよ!!!!!!」

「っ! おい、待て!!!」

「待たないねえ!!! 焼けたくなけりゃとっとと失せな!!!」

 静止をかけるエレオノーレに構わず、アルフレートは爆弾をあたり一面に放出する。

 まるでどこに逃げようと吹き飛ばしてやると言わんばかりに、距離さえ構わず、更には自分が巻き込まれるであろうことにも構わずに。

 狂騒は、さらなる狂騒によって誰の勝利もない状況に押し込まれ始めた。

 

 

 

 

「あの、馬鹿!」

 その轟音は愚か爆発の余波さえも、ヴァルターとベアトリスには伝播していた。

 風は熱を帯び、血と鉄の香りが肌を撫で付ける。

「ひー! なんですなんです!? これまでも十分におかしいですけど、これはちょっと意味分かんないですよ!」

「アルフレートが完全にキレやがった! 自分毎相手を消し飛ばすつもりかあいつは!」

 獣の吠え声にひゃははははははと甲高い狂い声と折り重なる爆発音が混ざる。

 歯を食いしばるヴァルターにと慌てふためくベアトリスに対し、凶獣は愉快げに笑う。

「ああ? 何だそっちにも随分キレたやつがいるじゃねえか。軍服が泣くぜ、同類がよ」

「……そろそろ倒れてくれないか、あれを止めるのも俺の仕事でね」

「は、つれないこと言うなや優男。行くってんなら両腕を代金に置いてきな」

「ゴミめが。相手にしている価値がないっつってんだよ」

「おっと、もうそれは聞く気はないぜ。さっきはしてやられたが、安い挑発と分かれば適当に聞き流せばいいだけだ」

 内心で舌打ちする。

 情報が足りない故に、これ以上はどこを突けば自尊心に触れられるのかが不明瞭だ。

 言葉とは探る以上に探られる起点でもある、多言が過ぎればそこからつけ込まれる。

 本能で生きる故の敏感さを侮りすぎたか、此処に来て既に正攻法以外の方法は効力を失いつつあった。

 一刻も早くこの男を打倒し、キレたアルフレートを落ち着かせなければならない。

 どうするべきか、再度ヴァルターは取捨選択の思考に視界と肉体は警戒しつつ沈みかけ。

 その視界に、悠々と歩を進める黄金の姿を捉えた。

「……は? あいつ何を――」

 何の気まぐれかこの場にいるにしても後方でふんぞり返っているべき忌々しい上官の姿を見て一瞬この場を放棄し駆けつけかけたが、しかし踏みとどまる。

 怖気が、走った。

 恐らく、この場の誰もが同時に感じ入るものだった。

 目覚めてはならないものが目覚めてしまった。

 この場の全てが捻じ曲げられる、否、■される。

 だがしかしそれは、ヴァルター・シェレンベルクにとっては微妙に違う意味を持っていた。

 それは忌むべき(祝福すべき)対なる聖遺物(同種の聖遺物)の覚醒。

 運命に繋がれた何かが、それを知覚してしまったのだ。

 

 その背の向こう側で、影法師がゆらりと笑った。

 

 

 

 

「邪魔だ、ナウヨックス」

「あ、がっ!?」

 爆風の中、ぐしゃ、と何かが潰れたような音がした。

 エレオノーレは危機感のままその音の先に振り返る。

 そこには、なにかを蹴り飛ばしたかのように足を掲げている黄金の中将と、まるで車にはね飛ばされたかのように地面を無残にバウンドする、先程まで勘気のままに爆弾を起爆させていたアルフレートの姿があった。

「が、ぐっ」

 アルフレートは石畳に全身を強打し、震えたまま沈む。

 そしてラインハルトはそのまま滂沱の血溜まりに未だ立つ凶獣へと歩みを進める。

「一体なにを……お下がりください中将閣下!」

「どけ」

「なっ、があっ!?」

 その明らかに異常な行為をエレオノーレは止めようとするも、振りかぶった腕を払われるだけで、尋常ならざる威力が彼女を襲った。

 かろうじで差し込んだ腕が盾となり、しかし先のアルフレートと同様彼女も吹き飛ぶ。

 自らが綿毛にでもなったかのような錯覚、それほどの暴威。

「ア……ア゛?」

「ふん、どうした。ナウヨックスに散々嬲られたとて、貴様まだ動けるだろう」

 凶獣、ヴォルフガング・シュライバーは、骨砕け血を撒き散らし最早死の道行きを暴走する以外のことが頭にないその存在は、今まさにそれ以外の何かを頭に叩き込まれた。

 なんだ、これは。

 自身が人を超えたケモノであるならば、これは一体なんなのだ。

 元より理解というものを放棄しているが故に、誰よりも鮮烈にその本能に刻まれる。

 本能が屈してしまったならば、後は膝をつくしかないのだ。

「止まるか。なら――壊すか。その目、要るまい」

「ガッ、あ、あああああああああああああああ!!!???」

 その片目、包帯に包まれた、最早機能していない方の目を、ラインハルトは容赦なく突く。

 否、抉ったのだ、それは人道にもとる破壊だった。

 たとえ腐敗していようとも、ただ単純な暴力によってその目玉を抉られた凶獣は、どれだけの肉を削がれ血を流そうと決して上げなかった心からの悲鳴を上げる。

「ふん」

 それは恐怖か、その恐怖こそが祝福か。

 ことは終わったと『次』へ向かうラインハルトの背後で、ヴォルフガング・シュライバーは、枯れた火花のような後数分の命のみを残しその一切の動きを停止させた。

 黄金の輝き、ただそれのみが失った眼孔の奥に残ったまま。

「う、ぐっ」

 エレオノーレは防御に使った腕が完膚なきまでに折られていることを自覚しつつ、何とかその上体を起こし、ラインハルトを視線で追う。

その先は、ある意味予想できたことではあるが……もう一人の凶獣と、自らの部下が戦う戦場だった。

 あの破壊の化身は、そこに向かうため果敢に戦う二人の軍属の背後へと迫っていた。

「……け、退け! キルヒアイゼン!」

「……え?」

「!!! お前、何をっ!」

 あるがままに叫んだそれが、果たして届いたのか。

 それとも、あのもう一人の少佐が、片方の視界でラインハルトの行いを追っていたが故か。

「きゃあっ!?」

 修羅場の最中だと言うのに、ベアトリスは味方がいるはずの背後から、肩を力の限り押し出され突き飛ばされる。

「せ、先輩……? 何を……」

「何をしてる……お前は何をしている! ラインハルト・ハイドリヒ! お前のその目は何だ! 止まれ、そして答えろ!」

「…………」

 一瞬、一瞬のみラインハルトは動きを止めた。

 眉を顰め、ヴァルターを見る。

 微かに、口元が動いたかに見えた。

『卿が、それを、言うかよ。ヴァルター』

「ぐ、がっ!」

 そう見えた次の刹那には、彼もまた先の者たちと同じ運命を辿る。

 この狂乱の中ただの一度も拳を通さなかった防戦の練達は、それでもベアトリスを庇うように彼女を背に暴虐に倒れる。

「先輩!」

「立つな……まだ!」

 そして、その場に立っているのは、ラインハルトともう一人。

 暴れに暴れていた、最後の一人。

「な、なあっ……なんだよ、なんだてめえは」

「さあ? 貴様にはどう見える。貴様はなんだ」

「お、おれ、俺は……」

「下らん、血と暴虐を好むのなら、先ず血を吐き暴虐を受け入れるがいい」

「うごぁあああッ!!!????」

 男もまた、ケモノである。

 ならば、先の焼き増しになることは言うまでもない。

 恐怖がそこにはあった。

 あらゆる暴虐、あらゆる背徳、あらゆる傲慢を是とし、行ってきたと自認するヴィルヘルム・エーレンブルグは、今宵その価値観のすべてを破壊される。

 黄金の輝きに、目を焼かれたのだ。

 腹を貫かれ、肉と骨を潰され、血を吐いた。

 しかしそれも、その破壊こそが新生の証だというように。

 獣達はその暴虐(祝福)の中に沈んだ。

『ふ、ふっくくく、くくくくくく、はははははははははははははははははははははははは』

 何処より哄笑が聞こえる。

 それは何だ、言祝ぎ、嘲笑うものは。

 天より響くかのように錯覚するそれが、月の嘲笑が黄金の獣の生誕を祝うのだ。

 おめでとう、さようなら、ケタケタ、ケタケタケタケタケタケタ。

「こんな……」

「こ、これは……我々は助かったのでしょうか、それとも」

「黄金の、輝き……あんなの、あんなの、ありえない」

 傍観者に徹していたリザも、ヴァレリアンも、アンナも、誰もがそれを前に動けずにいた。

 最早、早まったと目を塞ぎ逃げ出すことも出来ない。

 足元を縫い止められたように、王たるものの言葉なしに動けば死んでしまうと言わんばかりに。

「……くそ」

 まだ立ち上がれない者、或いは呆然としている者の中で、ヴァルターは真っ先に膝立ちの状態まで身を立て直す。

 何が起こったかは分からない、だが、あれは止めねばならないものだ。

 あってはならないものだ、覇道の王だ。

 ヴァルター・シェレンベルクはその身命をかけて、それを阻まねばならない。

 それが、『自身が背負った使命』――

「やあ、久しぶりだ」

 だがその激情も、唐突に投げかけられた一言によって凍てつく。

 ラインハルトの隣に控えていたその男、影を切り取ったかのようなその男が。

 ヴァルターに三日月の如き笑みを向けているのだ。

「どうだったかな、今宵の運命は。愛すべき王の覚醒は」

「お前は、なんだ……なにをした、なにをしようと……」

「まだ、語るべきときではない。その身が抱いた数々の疑問も、解き明かすときではない。もう暫く、そう、暫くのことだよ、ヴァルター。シェレンベルクの森の子よ」

 その男は、あの日、二十年も前から変わらぬ姿で立っている。

 それはまるで――

「故、今は眠るがいい。ああ、そうそう。母君に、よろしく伝えておいてくれたまえ」

 視界が暗く落ちていく。

 そして、ヴァルターの意識は水銀の雑音の中に途絶えた。

 

 

 ベルリン大聖堂にて 人と獣と神と歯車と

 

 

 




黄金の野獣先輩閣下による邪拳・夜の戦果

エレオノーレ:変わらず腕をへし折られる。
シュライバー:ナウヨックスによってミンチ寸前まで追い込まれてたんでミンチになりました。
ヴィルヘルム:変わらず内臓と背骨を潰される。
アルフレート:お前は殴らずに蹴る。その方が痛いだろ(真顔)
ヴァルター:防御姿勢が間に合ったものの水銀の電波攻撃によりブラックアウト。
ベアトリス:ヴァルターが庇ったので無傷。野獣先輩がヴァルターを殴って満足したのもある。
傍観者の皆さん:特に変わらずこの後連行される。


どれだけ肉の塊になっててもギリギリ生きてれば永劫破壊埋め込めば再生する。
何も問題はないね、と水銀卿はおっしゃっている。



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Fragments:黎明After

あまり話が進んでない、悲しい。
でもここで一つ挟まないと流石に急ピッチすぎるというか。
今回は閑話的な感じでダラダラご覧ください。
次からサクサク話を進めたいなあ。


 唐突だけど言わせてもらおう。

 ヴァルター・フリードリヒ・シェレンベルクは怪物だ。

 彼は人間ではない、それ以外の何かだ。

 そして、僕の相棒であり、親友であり、魂の片割れと表現できる、愛すべき隣人だ。

 別段、出会いが劇的だったわけじゃない。

 僕とヴァルターとアイヒマンくんはゲシュタポにおいては所謂同期、と言える間柄だ。

 それも、あの先輩たる黄金の野獣閣下から直々に引き抜かれたという特別な縁で集った。

 その時顔合わせをして、よろしくねって感じで。

 僕らのうち誰かしらが無能であればこの縁も自然消滅したんだろうけど、そんなことはなく、僕らは閣下から与えられた十三号室を寄り所に度々集まることとなった。

 尉官になって、佐官になって、それからもそうさ。

 野暮ったい異名なんかつけられたり、将官達のご機嫌取りに伺うようになったり、遂には戦争の引き金とか引いちゃったり、まあそれなりに働いたさ。

 自分で言うのも何だが、僕はいい直感を持ってるつもりだ。

 世界の表も、裏も、はたまた闇の中にある底知れない何かさえ、僕はそれを知らぬまでも感じ取り、世の中を上手く渡り歩いてきた。

 アーネンエルベの人食い女さんともビジネスライクにやってきたし、図ることさえ烏滸がましい何かを抱えている黄金の野獣先輩閣下の部下であることも、まあそういうこともあるでしょうって感じで、心の中の冷や汗と悲鳴はおくびにも出さずに生きてきた。

 

 その上で、やはり言わせてもらおう。

 ヴァルターも、それと同質の怪物だ。

 極めて強固で堅牢な精神の怪物であり、闇の怪物だ。

 果たしてその本質を見た人間が何人いるか。

 ラインハルト・ハイドリヒはそれを無意識に見抜いた上で自分と重ねているのだろう。

 あの金髪の少女は、ほんの微かな違和感を危機感として捉えている。

 それは何れも正解であり、しかし理解には到底及ばない。

 そして理解した所でどうにかなるようなものでもない。

 彼はあらゆる仮面を被り、あらゆる人格を演じる才能を持っていた。

 天性の演技力、と人は呼んだか、その才能について本人は不快そうな顔をするが。

 そう、そこだ。

 僕には分かる、それこそが本質であり、偽りであると。

 演技力?

 才能?

 天性?

 ああ、そうなんだろうよ、本当にその通りだ。

 何せ、生ける時間すべてを偽装しているような男なのだから。

 

 ヴァルターに人間性は存在しない。

 ヴァルターに感情は存在しない。

 ヴァルターの一挙一動は作りものであり、人間に混じったおかしな人形だ。

 閣下に対する不満も、少女に対する微かな安らぎも、僕に対する友情も、すべて。

 すべて、そう、すべて。

 あらゆるものは意味を持たず、ただかくあれかしと演じている欺瞞に過ぎない。

 それが彼の本質であり、諸君が抱いた堅実でシビアで、でも少しだけ優しい、そんな人物像はすべてすべて間違いだ、何もないのさ、真実ね。

 そんな恐るべき人形が、何故こうして人として振る舞えているのか。

 それは簡単な話。

 彼が生まれ落ちたその時から、貴方は人間だ、とその背を懐き続ける人がいたから。

 ヴァルター・フリードリヒ・シェレンベルクは、彼女の望むように、正しい人であるべきと、そう演じることを第一に生きている。

 感情無き身であるはずの彼が、まず最初にこの人だけは、この人の願いだけは受け入れようと、生じ得ない筈の心のような何かを抱いた対象であり、彼の原風景。

 

 つまるところ、あれだ。

 母の愛、ってやつだよ。

 彼がその病理を打ち砕くようなことがあるのだとしたら、それ以外に、ありはしないのさ。

 

 

 アルフレート・ヘルムート・ナウヨックスの独白、或いは闇の中の誰かへの

 

 

 

 

「いーつーまーでー、私達は此処に拘束されてないといけないのよう!」

 耐えかねたアンナが足をばたつかせ叫び出す。

 この部屋に現在いるのはアンナと、ヴァレリアンと、リザと、もう一人。

 扉を封鎖し鼠一匹通さないという頑なな姿勢を取っているアドルフ・アイヒマンのみだ。

「閣下は諸君らをここに留めておけと命じた。閣下の沙汰がない限り、ゲシュタポの門は開くことはない」

「この石頭! アルちゃんくらいの柔軟性を見せなさいよ!」

「ナウヨックス少佐の態度をこのゲシュタポにおける軍人の平均と捉えるな、不名誉な」

 いくらドタバタと騒ぎ立てようと、番兵はピクリともしない。

 脅しも威圧もなんのその、まるで壁そのものと言った態度だ。

「仕方のないことでしょう、首が落ちていないだけ有り難いというものです」

 ヴァレリアンがアンナを諌める。

 それは打算抜きにしてもそうしていただろうが、事実ヴァレリアンの特殊な知覚が、この男はたとえ死に瀕しても態度を変えることはない、と察しているからだ。

 それは恐るべき鋼鉄の忠誠であり、砕こうが溶かそうが鉄以外になれぬ男の心だった。

「ナウヨックス少佐によると遅くとも明日には、ということですし、もう暫くの辛抱ですよ」

「その暫くが長いのよー、こんな所にいるとお肌と髪が荒れちゃうわ。というかそうよ、アルちゃんよ! 私の事ほったらかして何してるのよあのチビっ子!」

「医務室で寝ているんでしょう、無理を言うものじゃないわ」

 次にそれを諌めるのはリザだった。

「彼、酷い有様だったじゃない。全身ズタズタの包帯まみれで、歩けたり笑ったりできてるほうが不思議な事よ。エレオノーレも腕の骨が折れちゃってるけど、彼のほうがよっぽど酷いわ」

「ですねえ。見ている方がハラハラしますよ。おとなしく療養していてくださるなら、こちらの心にも優しいというものです」

 あの争乱が終わり。

 あろうことかラインハルトはズタボロのアルフレートを蹴り起こした。

 エレオノーレとベアトリスとともに拘束に参加し自らの足でゲシュタポに帰還しろと。

 何の冗談かと、その場にいた全員が思ったものだ。

 しかし、彼は錆びついたブリキのように立ち上がり、血を流しながらその命を守った。

 その有り様に、あの凶獣達とは別の意味での怖気を感じたものだ。

 不可解な存在だ、とヴァレリアンは思う。

 あの恐ろしき凶獣も、計り知れない黄金とその影もそうだが。

 そう、まるで何重にも意識を別の色で塗りつぶしたかのような。

 まるで前衛芸術のような不可解さを、ヴァレリアンは彼に感じていた。

 同じく、倒れ伏しその後の行方が知れぬもう一人にも。

「…………」

 その分、この空間はまだましというものだ。

 一人程定期的に人間を食い物にしているらしいおぞましい魔女こそいるものの、逆に言うとそれだけで。

 平時なら一刻もはやく離れたいと思っていたろうに、ヴァレリアンの感覚はそれ以上のなにかを見てしまった故にすっかり麻痺していた。

 彼のみではない、きっとあの黄金の輝きを目にしてしまった誰もが、その価値観という目に見えないものを破壊されてしまったのだろう。

 それこそが地獄への道行きの始まりの一歩だということを、この時点では誰もが自覚しようもないことだった。

 

 

 ゲシュタポ庁舎、十三号室にて 番兵と拘束中の民間人の会話

 

 

 

 

「ぬあああああああああん暇なんだもおおおおおおん! ごろごろごろごろごろごろおぐっ!? あ、ヤバ傷がちょっと開いた」

「何やってるんですか……」

「…………」

 本来怪我人が療養すべき清潔な部屋にて、迷惑千万極まりない喚き声が響いている。

 全身包帯まみれのミイラ男状態のアルフレートにベアトリスは呆れ、エレオノーレも無言で不快気な目線を寄越している。

「あのですね、ここには腕が折れちゃってるヴィッテンブルグ中尉もいらっしゃるので、静かにしていただけると……えーと、少佐」

「アルフレートが呼びづらいなら、ヘルムートでも、ナウヨックスでもいいよー。後僕はそんな上下関係とか気にしないから。気に入らないやつには階級をひけらかすけど」

「……じゃあナウヨックス少佐で」

 幼馴染みと同じ名前であるこの上官は、その気質はまるで真逆。

 騎士に凝り固まったようなカッチコッチの男と違い、どこまでも道化じみている。

 ベアトリスもエレオノーレもこの少年のような上官に対する態度を掴みかねていたが、一日この部屋で相対していてなんとなくスタンスが固まりかけてきていた。

 そう、アルフレートは他人から見て蔑ろに扱ってもいいかなーと思わせてしまう男なのだ、それが天然なのか意図的なのかはさておき。

 共闘を行いその実力を認めたエレオノーレさえも、やはりこの男に敬意といったものは不要かもしれぬと既に思い始めてしまっているくらいだった。

「とにかく、安静にしていないと治るものも治らないでしょう。ここは静かに……」

「え? へーきへーき、僕ってなんでか知らないけど傷の治りが早いし。このくらいの負傷なら、まあ一週間あれば復帰できるかな、多分」

「ええ……? そんな馬鹿な……」

「だからこうして持て余した熱情を動きとして反映することにも何の問題は……」

 踊るアルフレートは柱に激突し包帯の下から血が吹き出した。

「ぎゃあああああああああ! 痛い痛い痛い!」

「本当に何やってんのあんたは!」

「まーたお前か! アルフレート・ナウヨックス少佐! いい加減にしろ!」

 怒り顔の医務官が包帯を持ってかけつけアルフレートをベットに再度投げ込む。

 それは非常に慣れた手つきであった、いつものことであるかのような。

「やめろぉやめろぉ! ベッドの脚に手錠で僕を繋ぐのだけはやめるんだ! 分かった、僕が悪かった! 医務室の主は歴戦の将官さえ拳の一撃で意識を沈めるゴリラだって噂は取り下げておくから、ごはぁ!?」

 どごん。

 そんな言い方が適切な音が鳴り響き、ベッドが静かになった。

 やりきって虚無顔の医務官が去った後、そこには片足をベットの足にて上で繋がれて気絶しているアルフレートの姿があった。

「……こわっ。逆らわないようにしよう」

「ふむ、あの医務官、中々できるな」

 ベアトリスはゲシュタポって怖いところばかりだなあという感想を、エレオノーレは成程医務官も歴戦の経験をもつ実力主義の職場だなという正反対の感想を抱いた。

「まあ、閉じ込められて退屈っていうのは分からないでもないですけどねー。中尉はどうです、腕を治すまでの間、何かお見舞いに欲しいものとかあります?」

「体がなまる、折れた腕を使わなくてもいい鍛錬器具が欲しいな」

「あー……ですよねー了解(ヤヴォール)

「何だ、何か言いたいなら言ってみろ」

「いえ、こういう時くらい読書とかどうでしょうと思っただけで」

「本くらい読むぞ」

「戦術論とかはナシで」

「ではなんだというのだ」

「そりゃあまあ、ラブストーリーとか? 部下の身としてはそういう趣味の一つでも持っていてくれたほうが安心できるというか」

「ブレンナーのような女の屑が囃し立てるようなものを誰が読むか」

「いやいやそれは偏見ですって。そうだ、この際だから私のをちょくちょく持ってきますね! 他にやることもない今だからこそ是非呼んでもらいましょう!」

「おい……私は鍛錬」

「リハビリ? 鍛錬? ダーメダメダメ許しませーん! 残 念 で し た !」

「貴様キルヒアイゼン、私の片腕と両足は健在だということを忘れてはいまいな……?」

「無理したら治るの遅くなりますよ? 然るべき休息も軍務のうちって、いたたたたたた頭を鷲掴みにしないでいたたたたたた分かりましたやめますよう!」

「分かればいい」

 今回も中尉の乙女心を引き出す作戦は失敗かー。

 ベアトリスは残念がりつつ頭を擦る。

 まあ、諦めるつもりはないのだが。

 この人は初心すぎるというか、度を超えて振り切ってしまった乙女というか、なんというか、先輩とは別の意味で見ていられないのだ。

 その気高きあり方が憧れだからこそ。

 自分はなにかと誰かを支えたい補佐役気質なのかなあ、とベアトリスは思った。

 そうだ、先輩といえば。

「ヴァルターさん、どうなったんだろう」

 あの日、不気味な影の如き男に背中から声をかけられ、ヴァルターはその意識を失った。

 そしてあの凶賊達と同じようにあの場に置き去りになったのだ。

 ラインハルト・ハイドリヒは、というよりあの影の男は、ヴァルターを背負い連れて行くことを許さなかった。

 いまゲシュタポにいる自分たちが曲りなりとも許されたのなら、あの場に残されたヴァルターは、よもや許されなかったということでは。

 そんな不安がベアトリスを襲う。

「シェレンベルク少佐、か。件の知り合いの上官とやらが、そこまでの男だったとはな。キルヒアイゼン、貴様を見くびっていたようだ」

「先輩のこと、ご存知で?」

「噂程度だ。ハイドリヒ中将閣下の懐剣の一振りであるとか、地方の二等兵から恐るべき速度で成り上がり、今や中将の側で将官の方々の覚えも高い第二の獣であるとか。そんなところか」

「ええ、はい。噂はだいたいそんな感じですね」

「その人格はともかく、やはり中将閣下の手にはそれほどの人材が揃っているということだ」

 その人格はともかく、のところでベッドに沈んでいるアルフレートをちらりと見る。

 エレオノーレにとっては現状、あのやかましい上官に親友だの相棒だの言われていた男、という印象があるからか。

「いやいやヴァルターさんは真面目な人ですよ。自分のやることに一途で、折れない人です。中尉もお話すればきっと気に入りますって」

「どうだかな」

 またきっと会えますよね、と不安を紛らわしていると、扉の開く音が聞こえる。

「失礼、ナウヨックス少佐の療養場所はこちらですかな?」

 背の高い男だった。

 痩せこけた体躯と顔は骸骨のようにも見える、異様なまでに手足の長い男だ。

 昆虫じみている、とでも言おうか。

 その形容方法なら、そう、蜘蛛のような男、と表現するのが適切か。

 その男は医務官の指示す先にあるアルフレートのベッドへと紙袋を抱え移動する。

「あー、少佐。ナウヨックス少佐、起きてください」

「……ん、んー? 何かゴリラに殴られた夢を見たような……」

「意識をしっかりしてください、毎度毎度寝ぼけられても困るのですが」

「ああ、はいはい、えーと。なんだベッポくんか。何の用?」

「貴方が書き置きを残したのでしょう! 療養中暇を潰せるものを調達してこいと!」

「そういえばそんなことをしたような気もする。うむ、ご苦労。さすがはゲシュタポが誇るお茶汲みベッポくんだ、ありがてえー」

「そろそろ本業に戻りたいのですが……ああ、それと。『本題』の方も確認してきましたよ」

「ホンダイ? なんだっけ」

「暇だからって話を引き伸ばすのはやめてください。シェレンベルク少佐の行方ですよ」

「ヴァルターさんの!?」

 その話に、ベアトリスが食いついた。

 アルフレートと、ベッポくんと呼ばれた男が振り返る。

「ヴァルターさん、無事なんですか!?」

「おや、このお嬢さんは……?」

「色々あってね。まあヴァルターのガールフレンドとでも思っておけばいいと思うよ」

「ほう……かの将軍(ヘル・ゲネラール)殿も中々やりますねえ」

「ガールフレンド……てへへ……ってそうでなくて! 先輩の行方!」

「どうどう落ち着きなさってお馬さん」

「誰がお馬さんですか!」

「行方って言っても、別にそんな大したことじゃないんだよ。だって僕はベッポくんに、ちょっとヴァルターの家を確認してきてって頼んだだけだもん」

 初歩の初歩の初歩でしょ、とアルフレートは言う。

「ええ、はい。ナウヨックス少佐の名代としてシェレンベルク少佐の住まいを確認してきました所。未だ意識を失っているものの、確かに自宅に戻っておられました。外傷や疾患の心配もなく、後は目覚めるのを待つだけと」

「自宅……そっか……よかった……」

 ひとまず、無事であったことに安堵の息を吐く。

 処断されていないのなら、復帰もするということだろう。

 最悪の可能性が潰えたことは素直に喜ばしい。

「母君が献身的にお世話をしてらっしゃったので、近いうちに目が覚めるでしょうね」

「あ、やっぱり来てた? カマかけたけど、正解だったねえ」

「ええ、驚きました。美しい方でしたねえ」

 そう、お世話をする人もいるなら尚万全。

 と、ベアトリスはその時非常に気になる単語を聞いた。

「え、と。母君っていうのは?」

「そりゃあ勿論ヴァルターの母君さ。僕は去年のクリスマスに会ってね。ベルリンで仕事する息子を健気に心配して様子を見に来るいいお母さんだったよ」

「なにそれ。すっごい気になる!」

「おいキルヒアイゼン。他所の家の事情に姦しく聞く耳を立てるな、下品だぞ」

「でも気になるものは気になるんですもん!」

 

 

 ゲシュタポ併設医務室にて 怪我人達の会話

 

 

 

 

「……う」

 カーテンの開いた窓から差し込む光に瞼が焼かれる、いつもの一日のような起床だった。

 意識が覚醒し、直前の記憶が鮮明に蘇る。

 凶賊、共闘、ラインハルト、影の男、そしてこの身に抱いた――

「…………!!!」

 思考が戻ると同時に跳ね起きようとして。

 肩に触れている小さな手を認識し、その勢いを止める。

「ヴァルター? ヴァルター? ああ、よかった。目が覚めたのね、でも一旦落ち着いて」

 懐かしい、森のせせらぎ。

 鈴の鳴るような美しい声に、ヴァルターは自身の現状を自覚する。

 ここは自身の自宅であり、そしてこの人は。

 そうだ、クリスマスだから、また元気な姿を見に来ますと手紙に書いていた。

 もうお節介かな、でもこれが私の生き甲斐で、楽しみだから許してね、と毎年のように彼女は言い、自分もそれを決して拒むことはない。

 日差しとは別の、暖かな。

「……母さん」

「ええ、はい。去年ぶりですね、ヴァルター。時間に帰ってこなかった時は心配したけれど、無事でよかったわ。痛みはない? 目眩はないですか?」

「……ない、大丈夫」

「そう、なら安心。あなたは正直な子だから、あなたがそういうのならきっと心配ないのね。けれど、一先ず着替えて朝食にしましょう? 色々と話すのも、それからでも遅くはないわ」

「仕事は、どうなって」

「真面目なのはいいことだけれど、ええ、でもそうね、これは先に言っておくわ。あなたが目を覚ましてから一日迄、お休みしていいって、貴方の上官さんが仰っていたから。だから、心配しないでいいの」

 念押しするように額を指で押される。

 それから、とてとてと小さな足音をたて、彼女は部屋を後にする。

 いつもの白いブラウスに、黒のコルセットスカート、頭の後ろ、リボンで束ねたポニーテールがゆらゆらと揺れて。

 何年経とうとも忘れない、その後姿。

 そう、何年経とうとも変わらない(・・・・・)、小さな母。

 シェレンベルクの森で、血の繋がらない兄弟たちと過ごしていたあの頃から。

 美しく、気丈で、ぼくのようなばけものを決して見捨てなかった母の姿。

 何時だって変わらず、自分を慈しんでいる。

 カテリナ・リディア・シェレンベルクという女性の姿だった。

「…………」

 少しばかり、目を閉じて。

 それから、着替えて階段を降りた。

 テーブルには燃費の良い自分に誂えたパンと紅茶が用意されていて、母は用意された席の対面に、自分の分に手を付けず待っていた。

「わざわざ待たなくても」

「一緒に食べたい、はもう駄目?」

「いや……駄目じゃない」

「ありがとう」

 そうして、静かに食べ始める。

 森にいた頃は毎日、ベルリンに来てからは年に一度の。

 自分がパンを食べ、母は嬉しそうにそれを見て、自分も食べ始める。

 皿の中が空になるまで、そのまま。

 そんな静かな食卓が、ヴァルターにとっての原風景だった。

 最後のひとかけらを紅茶で流し込み、皿の中が空になる。

 それを見届けて、カテリナが口を開いた。

「クリスマスの夜から、丸一日。あなたは眠っていたの」

「……一日」

「あの夜。あなたの上官さん、ハイドリヒ中将が気を失ったあなたを背負って家を訪ねてきたわ。凶賊の制圧で気を失ったって、目に見える外傷はないから自宅まで送り届けたって」

 ハイドリヒ中将が、というところでヴァルターは訝しむ。

 あの夜、そう、あの夜だ。

 あの男の中身が変生した、と感じた。

 あってはならぬ、許してはならぬ、そんな思いに支配された。

 そう、支配されたのだ。

 ありえないことだ、何故なら自分は――

「……無理に聞くつもりはないわ。けれど、何があったのか、話してみませんか」

 それが、何か意味の分からないものであったとしても。

 ヴァルターは自然と、あの時感じたなにかを、とりとめもなく口にする。

「ラインハルト・ハイドリヒは。俺にとって、まるで歪な鏡のような存在だった。違いなんて、隠しているかいないか、飢えているかそうでないかくらいのものだと思う。この世界に何も感じない、感じようがない。その差はきっと……いや、それはともかく。俺はあいつに共感を抱いていたし、あいつもそうだったと思う。けれど」

 その瞬間というものは、いつまでも脳裏に焼き付いている。

 きっと、これから何年経とうとも。

 これはそういうものだという確信があった。

「鏡が、割れたんだ。あの瞬間、決定的に違えた。そう、あの男。そうだ、あいつだ」

 あの影の男。

 地の底から、空の果てから嘲笑う水銀の蛇が。

「かつてクリスチャン・ローゼンクロイツと名乗ったあの男が。ハイドリヒの側にいた」

 その一言をはいて、ヴァルターは母を見る。

 一瞬だけその目を見開き、視線を落とす母がいた。

 ああ、やはりそうなのか。

 『終わりを感じている』自分は、間違いではないのか。

「……これが、何を意味するのか。今の俺には分からない。これから何があるのかも。この身のうちにある衝動も、母さん、あなたが二十年を経て尚変わらずにいることも、あの影の男もそれと同じ存在であろうことも。けれど」

 分からなくても、分かることは、ある。

 だから、もしそうなのだとしたら。

「母さん、ぼくは、あなたが望むのなら、この命を――」

「ヴァルター!」

 カテリナの悲鳴のような呼び声が、その先を言葉にすることを止めた。

 母はその身を震わせ、悲しみの目でヴァルターを見やる。

「ごめんなさい、まだ、私からは言えない。でも、それでも。その先は、言わないで」

「……分かった」

 どうすればいいのだろう。

 自分の言動が母を悲しませることなど分かっていた。

 けれど、それでも、出来損ないのこの身は、それくらいしか。

 例え神なるものが己の宿命を定めていたのだとしても。

 ヴァルターにとって、カテリナこそが自分の命だから。

 何か、もともと存在しないなにかが急速に失われていくような感覚を、ヴァルターは自覚することなく部屋へと戻った。

 

 

 ベルリンの一軒家にて 母と子の会話

 

 

 

 

「……やはり、間違いないのですね。聖槍が起動した」

 無言でそれを見送ったカテリナは、祈るように手を組み、目を瞑る。

 思い出す、思い出してしまう。

 二十年前、水銀の蛇が訪れ、それを知ってしまった時。

「私では、もう駄目なの? メルクリウスの言う通り、あの子が対の柱に立つしかないの?」

 否、知っていたのだ、知っていて、手元に置いたのだ。

 ただ、直視したくなかっただけだ。

 愛すべき子が、時代の犠牲となることを知りながら、目を逸らしてきた。

 なにが母だ、なにが、なにが。

「でないとあの子は、これから急速に自己を失っていく。使徒として、その胸に聖痕を穿つべく、機構として完成していく。そうなったら、もう。あの子は、ヴァルターは人として戻ってこない」

 それでもと自分に言い聞かせ、時の流れるままにその成長を見守ってきた。

 もう小さな幼子ではない、大きくなって、友人に恵まれ、人生を歩んでいけると言うのに。

「私は……私は、あの子を、本当の息子だと。決して、心無き歯車にはさせたくない」

 だから、もう手遅れだとしても、祈らずにはいられないのだ。

 あの子の、母として。

「人間なのよ、ヴァルター。心なき身でも、偽りでも。あなたが望み、あなたが為すすべてが。あなたという人間なの」

 

 




所々のフレーズに見覚えがある気がする人、それは間違いじゃないです。
人間なのよギュスターヴとかまるっきりイメージしてたからね。


超絶ネタバレ
カテリナ・リディア・シェレンベルク=ヴァルターの聖遺物
お茶汲みベッポくん=ナウヨックスに拉致られ仮兵長の身分を与えられてしまったシュピーネさん



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Fragments:1939~1941

お待たせニキ。休日は寝てたんだ、悪いな。
今回は黒円卓始動直前もとい黄金の野獣先輩爆殺大作戦を上層部がウキウキ計画する直前。
まあ前回と同じく閑話だよね、正直。
しかしベア子とママ上殿がイチャイチャしてる部分で半分費やしてるんだけどどういうことなの。


 ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒは飢えていた。

 ヴァルター・フリードリヒ・シェレンベルクは、飢えず、しかし求めていた。

 故に彼らは惹かれ合い、しかし歪んだ相似故に比較はならず。

 互いにその根幹は『理解できない己自身』であり。

 しかし求めるものが決定的に違っていた。

 獣殿はその起源である破壊の愛を自覚できないことにあり、それは先天的な問題だ。

 しかし我が眷属たる彼は、後天的な問題だ。

 そう、先天的な問題など生じようもないのだ、そのように創ったのだから。

 その原因は感情への憧憬であり、それを示す何者かがいなければ発生し得ないもの。

 だからこそ、私はあれを彼女のもとに導き託した。

 すべては、来るべき歌劇のため。

 そう、私は知っている。

 彼女は決してあれを見捨てはしない。

 ひとを慈しみ愛する彼女は、当代の覇者を阻む防御機構、対の聖遺物の次代に相応しいと選定され、それ故に先代を超え完璧すぎる機構と化していくあれを、決して見捨てない。

 必ずそれは起こりうるだろう。

 空虚の胸に孔を穿ち、白痴の心に感情という名の波が湧き出す。

 ああ、感謝しているよ、感謝しているとも。

 私はかつて、それを知らなかった。

 その輝かしい、美しき愛をこの目で見たからこそ、私は女神を求道から覇道へと変生させる術を見出したのだから。

 槍を阻む王冠をその身に秘めるカテリナ・リディア・シェレンベルクが、我が旧き息子、私がこの世界にて新たに創造した眷属、『黒の王』たるヴァルター・フリードリヒ・シェレンベルクにそれを受け継がせることで、あれは完成する。

 完成し、そして……破壊されるのだ。

 白痴の末端は母の愛によって人間性という不完全を得、不完全な完成に至る。

 そして、『月の王』たる彼もまた、それに呼応し目覚めるであろう。

 その時こそ黒円卓第十位が埋まり、第六位を外敵より守護する影が生まれる。

 どちらも主君を頂かぬ反逆の星にして、獣を落し女神の贄となる真なる供物の星。

 女神の地平への、礎。

 

 ふふふ、ははは、ははははははははは。

 げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげら。

 

 

 神座、或いは黄金螺旋階段の果てにて 水銀、或いは月の嘲笑

 

 

 

 

「ここが先輩のハウスね!」

 どっかで聞いたような台詞を威勢よく玄関先で吠える人影があった。

「うーんこの後輩。佐官を躊躇いなく荷物持ちとしてこき使うとは将来有望だねえ」

「気にしないって言ったのはナウヨックス少佐じゃないですか」

「まあそうなんだけど」

 ベアトリスとアルフレートは非番に乗じ、ヴァルターの住まいへ訪問しようとここまでやってきていた。

 中央通りからはやや離れた、素朴さを感じる一戸建てである。

「ヴァルターさんは最近忙しそうですれ違ってますし……様子もちょっと変だし。少佐だって心配だと思いません? 日がな親友とか相棒とか自称してるんですから」

「そりゃあ、まあ。でもねえ……ヴァルターがなんか変になった時期が時期だろ? 色々嫌なこと勘繰っちゃうよなーって」

「それは……」

 そう、あの日だ、あのクリスマス。

 凶賊を追った結果黄金の輝きに目を焼かれ、この身柄を掌握されてしまったあの日。

 あの時誰もが、その身の歯車をずらされてしまったと実感した。

 ゲシュタポに所属し、何か生き急ぐように力を求めだした上官のことも。

 なにやらおどろおどろしい存在らしいアーネンエルベの女性のことも。

 苦悩し篭りがちになってしまった神父様たちのことも。

 そして……顰め面を通り越し何やら日々無味無感情になっている気がする先輩のことも。

「……さて。野獣先輩閣下があの宣伝省の胡散臭いのと何企んでるかは、さしもの僕もまだ知るところではないよ。断片的にしか見えてこないね」

「やっぱり、考えても仕方のないことですかね」

「まーねー」

 アルフレートは玄関先の植木鉢を弄りながら気のない返事を返す。

「というか今更なんですが……訪問しに来たのはいいんですけどひょっとして誰も居ないのでは? 少佐が妙に確信的だったんで乗っちゃいましたけど……って、何やってるんです?」

「んー? もうちょっと待って……あったあった」

 アルフレートが植木鉢の中から掘り出したのは、小さな銀色の何かだった。

「……って、それ、ひょっとしなくても鍵じゃないですか!?」

「有事の際は勝手に入ってもいいって言われてるんだよね。まあ、相棒の特権的な?」

「なにそれずる……じゃなくて、え、いいんですかこれ?」

「いいのいいの、さあ入ろうぜ」

「ええー……?」

 ベアトリスはゲシュタポに所属することになってから、アルフレートとの付き合いもまあそれなりになってきている。

 と言うよりこの上官は最近結構な頻度で庁舎内にいるので必然的に話すことになるのだ。

 暇なのだろうかといつぞや問いかけたらはぐらかされたのだが。

 この小男のやることに疑問符を浮かべ首を傾げるのももう何度目か。

 仕方なしに意気揚々と玄関に進むアルフレートについていくベアトリスだったが。

 アルフレートが鍵を挿す前に、扉が空いた。

「駄目ですよ、アルフレートくん。まずは誰かいるかどうか、確認からでしょう?」

「えっなんでいるの」

 扉から出てきたのは、ベアトリスより少し小さな少女だった。

 白磁のような肌、頭の後ろで束ねられた美しい灰金の髪、海の色を切り出したような青の瞳がこちらを静かに見つめている。

 まるでお伽噺から出てきたような、人形のように美しい少女だとベアトリスは思った。

「話し声、中まで聞こえてましたから。あなたとヴァルターの仲を疑うわけではないけれど、親しき仲にも礼儀あり、ですよ」

「う……まあ、その、まだいるとは思ってませんでした、はい。すいません」

 アルフレートが素直に謝罪を返す。

 はい、よろしい、と少女は言い、次にベアトリスへと体を向ける。

「あなたも、ヴァルターのお客様かしら?」

「あ、その、えーと、ヴァルターさんは私の先輩で……」

「まあ。可愛らしい後輩を持ったのね、ええ、ええ、いいことだわ。これからもあの子と宜しくしてくれると嬉しいです」

「あ、はい……その……」

 ベアトリスは何やら見知らぬ美少女が尊敬する先輩の家の中から現れて動揺していた。

 この人は一体誰なのか。

 髪の色が似ているし、妹さんだろうか。

 まさか恋人……え、お兄さんってそういう趣味?

 ドツボにはまりそうな気がするので、ベアトリスは思い切って聞くことにした。

「あの!」

「はい」

 威勢ばかり強い声に対したおやかに微笑みながら返事を返してくる美少女にくそう可愛いなかわいいいいいいと同性なのにやましい事を考えながらベアトリスが問いかける。

「私、ベアトリス・ヴァルトルート・フォン・キルヒアイゼンと申します。すいません、その……あなたはどちら様でしょう? 先輩との関係は……?」

「……ああ! そう、そうだわ。ごめんなさい、変に疑わせてしまって。アルフレートくんは知ってても、あなたとは初対面ですね。自己紹介から始めないと」

 少女はもっともだと謝罪し、互いに見やすいように一歩下がった。

「はじめまして。私はカテリナ。カテリナ・リディア・シェレンベルクと申します。ヴァルターは、私の息子です」

「あ、やっぱりご家族の方だったんですか。宜しくお願いします、いもう……いも……ゑ?」

 ベアトリスは硬直した。

 今、この少女は、なんと、言った?

「えっと、すいません。私の耳がおかしくなったのでなければ今……」

 そんな反応に少女、カテリナはクスクスと微笑みながら応える。

「ええ、はい。聞き間違いじゃありませんよ。私は、ヴァルターの、母です」

「……うそーーーーーーーーーーーー!!!!!!??????」

 うそー、うそー、うそー、うそー、うそー、うそー……

 こだまが響いたような気がした。

「えっちょっはあ!? だって、どう見ても私より若いようにしか、掛け値なしの超絶美少女じゃないですか!? もしやナウヨックス少佐の仕込みですか!? 私を騙そうったってそうは……」

「知ってる側から補足させてもらうけどね。間違いないよ。この人は正真正銘、ヴァルターの母君さ。いやー若作りなお母さんだよね」

「いやあんたが言うな」

 愉快げな二十代の少年ナウヨックスを見て、ベアトリスが一旦落ち着く。

 そう、この上官もそういう不思議生物だった。

 ならば、二十代の息子を抱えるどう見ても十代半ばにしか見えない母もありうる……?

 いやいやねーよ、御年何歳ですか超羨ましい。

「とりあえず、上がってください。立ち話もなんですし」

 カテリナが二人を手招きしながら玄関に向こうへと上がっていく。

 アルフレートがそれに悠々と続いたので、ベアトリスも駆け足でその後を追った。

 扉をくぐり、右隣に備えられている靴箱に靴を脱いで入れる。

 その正面にある扉を開けると、家庭的なテーブルと、その向こう側にキッチンが見えた。

 大きな窓からは眩しくない程度に日が差し込んでいる

「お茶をお入れしますので、椅子にかけて少し待っててください」

「あ、いえ、お構いなく……」

「私がしたいからする、では迷惑ですか?」

「……えーと、はい、頂きます」

 謙虚に断ろうとするベアトリスだったが、美少女の笑顔に完全敗北した。

 こんなの断れないじゃないですか、いやマジで。

 素朴な内装をキョロキョロ眺めたりと落ち着かないベアトリスをアルフレートがニヤニヤと眺めている。

 数分後、湯気の立つカップが二人の前に置かれた。

「ようこそ、我が家へ……というのは、ヴァルターが言うべきですね。ここは私の家、というわけではないから。けれど、息子の宅にこうして人が訪れてくれるというのは嬉しいわ。手前勝手だけど、ゆっくりしていってください」

「はい……えーと、カテリナさん、とお呼びしても」

「はい、どうぞお好きなようにお呼びください。私は、あなたをベアトリスさんと呼んでもよろしいですか?」

「可愛い」

「?」

「おっとげふんげふん、勿論です! 宜しくお願いします!」

 欲望ダダ漏れなベアトリスにアルフレートがカップを口元で傾けつつチベットスナギツネのような視線を向ける。

「ふーんそうかそうか、きみはそういうやつなんだな」

「なんですか、そういうやつって。私に文句でも?」

「別に? ただ小さくてきゃわいい大人ならここにもいると思うんだけどなー」

 わはーとアルフレートがカップを置いた手で自分を指差し笑った。

「ゲシュタポの問題児、いかれスパイ、くそったれ裏切りボーイと名高いナウヨックス少佐のどこに可愛げを求めろと??? 来世で生まれ変わってからやり直してください」

「このアマ……誰だい可愛い後輩に僕の有りもしない悪評を吹き込んだ悪魔共は」

「尊敬できる人とできない人の区別がついてしまうのは当然ですね」

「くすくす」

 ゲシュタポ色よりも先に、アルフレートをぞんざいに扱うべしという人間関係に慣れきってしまったベアトリスである。

 そんな言い争いにカテリナが楽しそうに笑う。

 ぐぬぬ、そんな口元に手を当てて小さく笑うとか可愛いに決まってるじゃないか。

 私にはできない、性格的に。

 ひょっとしてヴァルターさんもこういう女性が好みなのでは……?

 いやいや別に先輩の好みとか関係ないですし、多分。

 そんなことを考えるベアトリスだった。

「ヴァルターなのだけれど、今日帰ってこれるって。ひょっとして知ってて来たのかしら?」

「え、マジで。ラッキー」

「ほんとですか? じゃあ、待ってれば会えるんですね」

「そうね。あの子、最近忙しくて庁舎を経由してる暇もないって言ってたわ。ハイドリヒ中将に連れられて、色んな所に行ってるらしいし」

「僕ら抜擢組の出世頭だもんねー。我らが将軍(ヘル・ゲネラール)様は。ところで、不躾な質問になるんだけど、母君はなんでここにいるの? 僕が聞いた話だと年に一度、クリスマスに様子を見に来るってヴァルターは言ってたんだけど」

 アルフレートがそう聞くと、カテリナは困ったように笑う。

「そうですね。私も最初はそのつもりだったのだけれど……ちょっとヴァルターが心配になって。暫く、近くにいることにしたの。ヴァルターには迷惑をかけてしまうけれど」

「いやいや、こんな優しい母上に心配して頂いて、先輩もきっと感謝してますよ。いえ、絶対に、絶対ですッ!」

 ベアトリスが紅茶を飲みながら鼻息荒く主張する。

 この女、出会ってちょっと会話しただけでもうすっかりカテリナの味方になっていた。

「ふむ。心配になって、って言うけれど。母君から見て、今のヴァルターはやっぱり前と比べておかしい?」

 アルフレートはすっと表情を消し腕を組む。

 アルフレートも、ベアトリスも感じている違和感を、母である彼女は明確に感じ取っているのではないか、そう予想した上での質問だった。

「…………」

 カテリナは、それに眉根を寄せた沈黙で返す。

 それが遠回しに答えを語っていた。

「やっぱり、最近の先輩ちょっと変ですよね。反応が鈍いというか、なんというか。目の色が違う? 単に元気がないだけならまだいいんですけど、どうもそうじゃないような……」

 それは恐怖の前段階の悪寒のような。

 別に、ヴァルターの対応が大きく変わったわけではない。

 今でもベアトリスにとってヴァルターは先輩であり、頼れるお兄さんで。

 しかしだからこそ、今起こっているなにかが良い変化だとは思えないのだ。

 そんな様子を見て、カテリナはほっと息を吐いて。

「ありがとう、二人共。あの子のこと、心配してくれるのね」

 嬉しそうに、しかし悲しげに笑う。

「でも、大丈夫。そう、そうね。あなた達がこれからもヴァルターを気にかけてくれるのなら、きっと大丈夫ですね」

 それは、悲壮ななにかを隠すような。

 しかし、その時のアルフレートとベアトリスには、分からなかった。

「あの子のこと、これからもよろしくお願いします」

 その言葉と同時に、玄関が開き、家主の返ってくる音がした。

 ベアトリスにとって、人としての最後の平穏の時だった。

 

 

 ヴァルター宅にて 後輩と親友と母の会話

 

 

 

 

「…………」

「…………」

 ガヤガヤと言葉の応酬が繰り広げられる会議室で、二人は沈黙を保っていた。

 そこは帝国の高官が集う場であり、沈黙しているのはラインハルトと、その付き人であるヴァルターだった。

 会議は一人の小うるさい将官ががなりたて始めた段階で主題がねじ曲がり、誰かこいつを黙らせろとほうほうから目配せが飛んできている。

 つまらん、そして下らんとラインハルトは思う。

 あの日、あの時から、この世界の矮小たるやを認識してしまった時から、ラインハルトの景色は一変した。

 景観が色づいたのは良いことだ、しかしそれと引き換えにどこまでも広大な空の下でさえ、まるで犬小屋のような手狭さを感じるようになった。

 それが煙臭い無能が喚く一室でなら尚更だろう。

「…………」

 ラインハルトは隣に視線をやり、テーブルの下でその足を自分の足で小突いた。

「ッ! …………」

 足を蹴られたヴァルターは一瞬びくつきつつ、その目を不満を訴えるかたちに変えてラインハルトを睨む。

 だが、ラインハルトにとっては逆効果であった。

「…………」

 げしっ、げしっ。

「ッ! ッ! …………」

 げしっ、げしっ、げしっ、げしっ。

(ぷるぷるぷるぷる)

 げしっ、げしっ、げしっ、げしっ、げしっ、げしっ、げしっ、げしっ。

 がたんっ!

 遂にヴァルターが無表情で立ち上がり、一秒後温和な表情を作って将官をなだめるべく向かっていった。

 その結果にラインハルトは大いに満足した。

 そしてヴァルターが口八丁でその場を修め、とりあえずその場を解散とした。

 こういった見栄ばかりの無駄な時間を会議という名目で費やすのも国家という集団の悪習であり、まあつまりはいつものことだった。

「御苦労だった、ヴァルター」

「思ってもいないことを言わなくて結構です、閣下」

「いいや? 思っているともさ、卿は優秀だ」

「…………」

 ヴァルターはラインハルトを睨む。

 あの日から、唯でさえ気に食わなかったのに今では非常に気に食わなくなったこの男。

 この身のうちを掻き毟る使命感のようななにかが、ヴァルターには分からない。

 それはあの日までなかったものだ。

 だが、それを受け入れている自分がいる。

「…………」

 そんな様子を、自覚のないヴァルターを、ラインハルトは見つめる。

 あの日解き放たれた自分とは違い、あの日囚われたヴァルターを。

「ヴァルター」

「なんです」

「つまらなくなったな」

「は?」

「さっさと私と同じ景色を知るがいい。今の卿は、見ていてつまらん。そのままでは総身腐り落ちるだろうよ」

「なにを言ってる」

「私を失望させるなよ、ヴァルター」

 そう言って、早足に進んでいく。

 ヴァルターは無感情にその背を眺め、結局『気に食わない』という結論のみに帰結した。

 

 

 会議室にて 目覚めた獣と眠りにつこうとする獣の会話

 

 

 

 

「……なんだ、これは」

 アドルフ・アイヒマンは十三号室で部外秘の作戦資料を纏めていた。

 このゲシュタポで匿う裏の裏の存在、その行動管理をこの男は早くから任されていた。

 それは魔女であり、吸血鬼であり、狼だ。

 カール・エルンスト・クラフトがまず手始めに始めた、魔人錬成の兆しだ。

「ハイドリヒ閣下は、このような者を使いなにを成そうとしている」

 あの日、瞳を黄金に輝かせ始めたラインハルト・ハイドリヒは文字通り人が変わっていた。

 成程、確かに。

 もとよりかの御方は人の範疇に収まるような存在ではなかったのかもしれない。

 しかしこれは違う、違うだろう。

 アドルフの胸のうちに燻る思いが生まれる。

 しかし、しかしだ、自身はあの金髪の野獣に忠誠を誓った番兵である。

 この男は、決してかの存在の利益とならない行動は取らないのだ。

 だからこそ、これより魔人たちは戦時中のドイツを席巻し、活動し続けるだろう。

 そして彼は、その下で燻る思いを抱き続ける。

「お、やーっぱり君が情報を握ってたんだねアイヒマンくん」

「!!!」

 自分以外誰もいない筈の室内に声が響き、アドルフは即座に反転し銃を抜いた。

「おいおい、同僚の声を聞き違えなんてしないでおくれよ。僕だよ、僕。僕さ」

「……ナウヨックス」

 そこには両手を上げ相変わらず食えない笑みを浮かべている小男がいた。

 手近な資料に軽い足取りで手を伸ばそうとするが、アドルフが先んじて回収する。

「部外秘だ。貴様といえども承認なきものに見せるわけにはいかん」

「かったいねえ……」

 弾かれた手をプラプラさせるナウヨックスの態度は相変わらずといったところだ。

 だが。

「……ナウヨックス」

「なーに」

「貴様は何故、ここにいる」

「んー? 意図が見えないなあ。それは単純にここにいることについて? それとも野獣先輩閣下に従ってること? それとも」

「すべて、すべてだ! 変わってしまわれた中将閣下のことも! 貴様が、人でもあの怪物共でもないわけのわからないなにかになっていることも! シェレンベルクのここ最近の様子も! 誤魔化しは効かんぞ!!!」

「……ひゅー、やるじゃん。水銀卿が言っていたもう少し融通の効く性格なら列席候補だったってのは嘘じゃないらしい」

 憤怒のうちに詰め寄るアドルフにアルフレートは驚き、そして賞賛した。

 水銀卿、と、確かな言葉を発したことを、アドルフは聞き逃さなかった。

「貴様……貴様もか! 貴様までも、ナウヨックス!」

「おっと勘違いしないでおくれ、僕はまだ魔人ってやつじゃないし、そっちの計画にも関わってはいないのさ。ちょっと勧誘を受けてるだけでね」

 両手を広げ、演じるように周囲を回り始める。

 まるで道化のように、まるで人形のようにアルフレートは回る。

「僕が首を突っ込む理由なんて『面白いから』以外ないだろう? 僕は変わらず動いているつもりだよ? 君だって僕がそういうやつだって分かってたろうに、なにを怒ってるのかね?」

「……貴様の興味を引くような沼を、あの男が用意していたというだけの話だろう。乗せられているとは思わないのか」

「思う。だけどね、僕の心が言ってるのさ。これでいい、ってね。だから、僕は進むよ。君と違って誇りも矜持も紙っぺらみたいなもんだ、君は人のまま苦悩するといい。そっちのほうが、いいだろう?」

「…………」

 その通りだった。

 アドルフ・オットー・アイヒマンは、決して魔人などという人を辞めたなにかの力など求めない、そんなものは祖国のためになりはしないと信じている。

 言われるまでもないことであり、遠回しにこっちは任せてくれなどというアルフレートに侮蔑の目を向けた。

「いつか、すべてに裏切られ喰い殺されるだけだぞ」

「知ってるさ、それは僕の十八番だからね」

「屑め」

「褒め言葉さ」

 運命は、既に定まっている。

 三者は分かたれ、人として生きるものと人でなしとして生きるものが道をゆく。

 それがどこに収束するのかなど分かりようがないし、分かっていいものでもない。

 知ってしまえば、おしまいだ。

「最後に、聞かせろ。シェレンベルクは、どちらだ」

「…………」

 その質問に、アルフレートは曖昧な笑みを浮かべ。

「……さて。どちらだろうね。あいつはこっち側の存在だけど、あいつの意思は――」

 

 

 十三号室にて 番兵と怪人の会話

 

 

 




ママ上殿の見た目は思いっきりモデルキャラがいるんだよね。
ぶっちゃけヴァルターとアルフレートより確固たるイメージを持ってる。
次か、或いは次の次で殺しちゃう人を何でこんなに優遇してるんだろうね、愛かな(真顔)。


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Fragments:魔人覚醒Ⅰ

さむい。とてもつらい。暖房は出し惜しみするもんじゃないね。
寒かったりセイレムクリアしてたりしてまごついてました。
なんだかなー、簡潔にしよう簡潔にしようってちゃんと思ってんのに書いてるうちにどんどんおかしくなっていく。
まるまる1フェイズ消し飛ばして書き直したのはリメイクして初めてです。
サクサク話を進めたい、展開がちょっと無理矢理でもいいから。
補完なんか後でできるんだよあくしろよ俺。


 昔、昔、まだ幼い時分、シェレンベルクの森で。

 血の繋がらない兄弟たちと、強く、優しく、小さな母と暮らしていた頃。

 それを、僕は決して忘れない。

 色褪せた視界しか持ち得ないからこそ、それだけは決して忘れない。

 

 そこに辿り着くまでのことを、僕は覚えてはいない。

 どこで生まれたのか、誰から生まれたのか、自分は何者か。

 ただ、気がつくこともなく森の中をさまよっていた僕は、母に保護されたという。

 それから、なにも分からぬうちにシェレンベルクの森の一員となって。

 彼らは、彼女らは皆、自分と同じように母に拾われた孤児だということを知った。

 きっと幽鬼のようにどす黒い一点の輝きも持たない目をしていただろう僕にさえ、笑顔のまま手を差し伸べる、それは道徳に満ちた善き人々だったのだろう。

 

 それでも、僕の視界は常に灰色だった。

 僕はあの人達がなにを考えてそのようなことをするのか分からなかったし、そんな自分が彼らと同じ存在であるとは思えなかった。

 ただ日々を過ごしているうちに、そのようなことを唯一人思っている自分こそが間違っていて、きっと自分は生まれるところを間違えてしまったのだろうと。

 しつこく構ってくる兄弟たちの手を振り払い、森の奥でじっとする日々が暫く続いた。

 そこは光を遮りただ暗く、生き物の息遣いもなく、遠くからただ川の流れの音だけが聞こえる。

 不思議と、なにかが満たされるのを感じていた。

 そのなにかが、母や兄弟たちのような善きものではないと気付いていながら。

 これでいいと思った。

 このままずっと、こうしていれば。

 けれど、彼女は。

「ああ、ヴァルター。やっぱりここにいました」

 何時だって、僕を見つけて、すぐ隣に座る。

「この場所、好きですか?」

 彼女には、ここがどう見えているのだろうか。

 ひとを慈しみ、支える彼女には。

 ただ闇を見つめる僕では分からない様々なものが、見えているのかもしれない。

「……好きとか、嫌いとか、そういう感情は、僕にはないです。知ってますよね」

「けれど、あなたはここが自分に合っていると、自分でそう考えてここにいるのでしょう?」

「それは、単にそれが正しいことだと思っただけで」

「なら、今はそれでいいの」

 僕とあの人は違うというのに。

 僕がいくらそう思った所で、許してしまうのだ。

 今もこうして膝をついて、目を合わせて、その両手が頬に触れる。

「あの子達と、仲良くしてとは言わないわ。心がないことも、心を感じ取れないことも、私はそれを悪いことだとは思わない。だってヴァルター、あなたをずっと見てきた。あなたは決して兄弟を傷つけたりはしなかった。あなたはとても頭の良い子だから、心無くして尚この世の善きと悪しきを知り、それを実践しているあなたを、誰が責めるというの」

 日の当たらない森の中でも、その両手は暖かかった。

 ただ、それだけ。

 それだけであることしか、分からない。

 兄弟たちならきっと、もっと感じ入るなにかがあるだろうに。

「誰が責めずとも、自分が責めるんだ。僕は、ここにいるべきじゃない」

「なら、私があなたを離さない。何度だって、こう言うわ。ヴァルター。ヴァルター・フリードリヒ。私がそう名付けた、私の息子。あなたが、いつしか自分自身を許すその日まで、私があなたを離さない」

 決して大人とはいえない小さなひとだった。

 けれど、幼い自分には十分、大きな抱擁だった。

「…………そんな日が、来るんでしょうか」

「きっと来るわ。それも遠くない未来に。だって、ヴァルター。あなた、こんなにも、自分がどうしたいのかを私に語ってくれているのよ?」

「それは、きっと」

 あなたが、どこまでも正しく、美しい人だから。

 そう言おうとして、既に答えを得ている自分自身に気がついた。

「例えそれが偽物でも、真似事でも、心無き理性から生じたものでも、あなたが選び、あなたが語り、あなたが為すこと全てが、あなたという存在の始まりなの。それを、忘れないで」

 

 そう、例え借り物の思いでも、正義でも。

 僕は、その姿を、そのあり方を正しいと思った。

 善も悪もなにもない、社会もなにもない小さな小さな森の中の偏見かもしれない。

 けれど、それでも。

 ヴァルター・フリードリヒはこの人を。

 母を、決して傷つけないと誓ったのだ。

 

 

 ヴァルターの回顧 シェレンベルクの森にて 母と子の会話

 

 

 

 

「で、なにが言いたいんだ」

 帰ってきたのは、どこまでも冷淡な言葉だった。

 その対応に、ベアトリスは暗い瞳をさらに動揺で染める。

「なに、って……それは」

「誰もがおかしくなっていく。自分は止められなかった。理想は破れ、無力を悔いた。それで? そんなことを俺に話してなにがしたいんだ」

 ベアトリスの日々は人ならざるものに侵食されていった。

 リザ・ブレンナーは魔道に狂った。

 忌まわしいヴィルヘルム・エーレンブルグは最早脆弱な人の身では止めることもできず。

 誇りを砕かれた自分は八つ当たりにも等しいことを神父様に行ってしまって。

 そして、そしてヴィッテンブルグ少佐は。

「あなたが……あなたも、そんなことを言うんですか!」

 もう、縋る誇りの掴みどころさえ人の世には残っていなくて。

 それでも、それでもまだこの人なら、と思って。

 そう思って、城を歩いているところを何とか捕まえて。

 久しぶりに会ったこの人は、以前会ったときより益々なにかを失い目の色が希薄になっていたけれど、まだきっと先輩は先輩のままなんだと信じて。

「知ってますよね、全部! アイヒマン少佐も、ナウヨックス少佐も知っていた! ならあなたが知らないはずがない! こんな人ならざる災いを受け入れることが、正しいと言うんですか!」

「正しいとか、間違ってるとか。俺達戦争屋の言うことか。人間なら多少はマシとでも?」

「そんなんじゃない! そんな、理屈で片付けていいことじゃないでしょう!」

「そうか、生憎と俺には分からんな」

「……ッ!?」

 その返答に、彼女の知る先輩の姿はなかった。

 人ならざるものでさえ、自分たちが牢屋でやっている尋問と何が違うのかと。

 確かにこの国は人に誇ることのできない闇の歴史と、今もそれを行っている事実がある。

 だが、それは人の情を介さぬ機械の返答だった。

 嘗てあった、伏せた目の中に人を慮る光を持ったその人ではない。

「黒円卓計画に憤るか。お前の親しい人々が狂っていくのも全てそのせいだと」

「違うとでも……」

「まあ、そういう風に誘導されてるのは事実だろうよ。で、それが。誇りは踏みにじられた。無力を痛感した。このままでは駄目だと思った。ならなんでわざわざ俺を呼び止めてまごついているんだ。とっとと水銀卿を名乗るあいつのところにでも行けばいい」

「なんで……なんでッ!」

 耐えきれずに、拳を机に打ち付ける。

 震えているのはベアトリスのみで、ヴァルターは無機質な瞳を変えず微動だにしない。

「あなたは……あなただけは! 許せないと言ってくれると思ってた!」

「そうか、それは期待外れだったな」

「なにがあったかなんて、私には分からないけど、どうしようもないことだったのかもしれないけれど! 私は、先輩まで狂ってしまったとは思いたくなかった!」

 ベアトリスは憤怒のままに立ち上がり、顔を伏せる。

歯を食いしばる音が、嗚咽を飲み込む音だけが部屋に響いて。

「お願いです、お願いですから……言って下さい。なんだっていい、辛かったなとか、分かるよとか、そんな適当なものでもいいですから、嘘でもいいですから。でないと、私、お兄さんまで……」

「……俺はな、キルヒアイゼン」

 しかし、その願いは届かない。

 今は、まだ。

「元々こうだったんだよ。お前が尊ぶようななにかなんて、きっと初めから無かったんだ」

 

 

「……やれやれ。そろそろ僕も腹決めるか」

 

 

 1942年 ヴェヴェルスブルグ城にて ベアトリスとヴァルターの会話と、聞き耳

 

 

 

 

「へーい失礼するぜ!」

 無遠慮に開け放たれた扉が壁にぶつかる音がした。

 聖剣に祈りを捧げるような姿勢を取ろうとしたベアトリスは集中力を削がれ振り返り。

 それを怪訝に思いながらも見届けていたエレオノーレは聞き覚えのある声に眉を寄せ。

 儀式を取り仕切る男、カール・エルンスト・クラフトは変わらぬ笑顔のまま待ち人来たると言わんばかりに視線のみを向ける。

「ナウヨックス少佐……?」

「おん? ああー、お邪魔だった? ベア子ちゃんとエレちゃんがいるってことはー」

「貴様、その呼び方をやめろと言ったはずだ、ナウヨックス」

「いやーん、階級が同じになった途端辛辣なエレちゃんが先輩悲しいぜ」

 魔人錬成を行おうというその空間に、変わらぬ調子でアルフレートは踏み入る

 非日常の境界線さえ、魔なるものの境界線でさえ、まるで散歩に出るかのように。

 そして、カール・クラフトの前に立ち。

「ふむ、心は決まった、ということでいいのかな?」

「ああ、その通りさ」

 その笑みは頬の裂けた鮫のように。

 悪なるもの、狂気なるものさえ飲み込もうとアルフレートは笑う。

「水銀卿のお誘いを受けよう。第六位の代行守護だったかい?」

「然り。第六の席は太陽の御子の席故に、それをきたる時まで守護する裏の席」

「……なッ!? 一体どういう」

「ちょーっと黙っててベア子ちゃんや。悪いね割って入って」

「割って入るとかそういう問題じゃない! ナウヨックス少佐、あなた」

「いいから」

 焦るベアトリスをやんわりと退け、アルフレートがさらに前に出る。

「ま、僕としても色々考えた結果ってことで。無論対価を要求したいけど、構わないね?」

「君が第六位の裏席につくのであれば、黒円卓は同志として微笑むだろう」

「それはあなたもかい? メルクリウス」

「さて、どうだろうね」

「ははは」

 ははは、はははははは、と空虚な笑い声が響く。

 この恐るべき超越者を相手に、アルフレート・ナウヨックスは一体なにを考えているのか。

 それはきっと当事者たちにしか分からないことだった。

「というかさ。色々考えた結果のうちの一つがそろそろシュライバー君にノリで殺されそうな気がしてきたからなんだけど。アインザッツグルッペンに僕とシュライバー君を一緒に放り込んだのもしかしなくても君だね? 出会わないように裏工作するのもそろそろ限界なんで勘弁して」

「ああ、それは獣殿の采配だ」

「さり気なく自分が進言した事実を隠さなくてもいいよちくしょう。上司に嫌われるのが辛い!」

「それも獣殿の愛のかたちであると私は思うよ。さて、キルヒアイゼン卿を待たせるのも悪い、手早く済ませてしまおうか」

「跪いたほうがいいかな?」

「いらんよ。時間はかけないからね」

 水銀卿、メルクリウスは手を掲げると、アルフレートの周囲に怪しい光が漂い始める。

 それは彼の周囲を回り、点滅を繰り返す。

 呼応する光は果たしてなにか、それは心の臓に宿す光。

 肉に非ざる宿業、その中心に繋がっていく。

「聖槍十三騎士団黒円卓第六位代行、御子の守り人の座を君に与えよう。アルフレート・ヘルムート・ナウヨックス。その決断を記録した。これより君は円卓を回す歯車に変生する」

 そこで、ベアトリスは違和感に気づく。

 それは些細な、ほんの些細な違和感だ。

 だが、それでも、不気味だった。

 だってそうだろう、この世界の裏側そのものであるような仰々しい男が、『君』等と親しげではなくとも近しげに呼ぶ存在が、他にいただろうか。

「君が担うべき聖遺物は、ここにはない。故に今はその道を指し示そう」

 それはまるで、なんであろうか。

 異世界の住人のようなこの男が、隣の住人に声をかけるような。

「これは本来祝福するまでもないことではあるが、この列席を祝し、魔名を贈ろう。奇械なる星。相容れぬもの。その事実をもってすべてをうちのめし、ひとなるものを裏切り続ける。ツァイトグロッケ――無慈悲に時記す歯車こそが、君の真のかたちである」

 やがて、円を描く光は消失し、メルクリウスの言葉も終わる。

「……へえ。成程成程、それが僕の呪い、宿業ってやつなのかい」

 それを聞いていたアルフレートは。

 顔を伏せ、体を震わせ、やがておかしくなったようにくつくつと邪悪な笑い声を響かせる。

「――面白い。やってやろうじゃないか」

 それは、ただの興味本位ではない。

 この瞬間、彼は普段とは異なるなにかを抱いていたのは間違いなかった。

 運命が、またなにかを定めた。

 歯車が噛み合った音を、そこに聞いた気がした。

「では、栄えある初任務を獣殿に代行し言い渡そう。ハンガリーはその山奥にありし、シュトレゴイカバール鉄塔跡地に向かい給え。そこに、君の聖遺物が待っている。それと契約を結んだ時、真なる同志としてヴェヴェルスブルグはその門を開くだろう」

「どこだよ知らないよ。地図くれ」

「さて、では先んじて対価を支払っておこう」

 列席が終わるやいなや図々しい態度をし始めるアルフレートを無視するメルクリウス。

「君の言い方になぞらえるなら、色々考えた結果のうちの一つ。君の親友の異変について」

 その言葉に、固唾を呑んで見守っていたベアトリスが瞠目した。

「ヴァルターさんの、って……」

 そんな様子をアルフレートは呆れたように横目で見る。

「辛気臭い後輩と世話の焼ける相棒を持つと辛いぜ」

 ケタケタと笑うその姿は相変わらず暇潰しのからかいといった感触だったがそれでも。

 この男が自身の黒円卓加入を対価に、メルクリウスにヴァルターに起こっているなにかの情報を要求したことは確かなのだろう。

 自分は、ただがむしゃらに飛び込んで、そういったことを考える余地もなかった。

 この存在に交渉などという常識的な行いが通るとは思えなかったからだ。

「まあ、簡潔に言わせてもらおう、君に言うべきことは、ない」

「あん? 今更答える必要があるかねとか言わないよね?」

「勿論。何故ならば、その心配は最早杞憂だからだ。次に彼と会う時、彼は君達の知る彼に戻っているだろう。否、それ以上に人間らしくなって、ね」

「……なに?」

 

 

 ヴェヴェルスブルグ城にて ヴァルキュリアとツァイトグロッケの列席

 

 

 

 

 景色が灰色だ、思考がまとまらない。

 否、自分が問題なく過ごしていることは分かる。

 だが、今はいつだったか。

 この感覚、幼い頃の感覚を思い出すのはいつ以来のことであったか。

 あの日、あの日とはいつだったか、どうでもいいことだ。

 今はカール・エルンスト・クラフトを名乗るあの男が、あの日再び現れた時から。

 自分は、静かに衰退を始めた。

 自身の機能がただ一つに集約され、それ以外を失っていくのを感じた。

 それに疑問を持つことなどない、もとより自分はそういうものだった。

 ああ、何だ、その時が来たのか、と思うだけだ。

 もう何か取り繕う必要もないのなら、あの友情を嘯く小男とも、慕ってくる後輩とも、もう人らしい交流をする必要はなかった。

 聖槍とその担い手への殺意のみがあれば、それ以外は不要だった。

 ただ一人、母はそれに異を唱えたのだろう。

 だからこそわざわざ森を抜け出して自分の近くにいるのだろうが。

 ああ、所詮自分はこういうものだという無意識の自覚を得てしまえばそこまで。

 運命を前に思い出は余りに脆弱で、用をなさない。

「そう、それこそが宿業。私が埋め込んだ漆黒の王たる証と、私がかくあれと作った王冠に選ばれる為の無意識。それが君だ、ヴァルター」

 ヴェヴェルスブルグの城で、水銀卿がそう言祝ぐ。

 今や魔人を生み出す為のおぞましき闇の城で。

「獣殿は遂に、自らが動くに足る魂を蓄え、聖槍を携えるに至った。ならば、分かるだろう。ヴァルター、私の『黒の王』、そして当代の王冠に選ばれし者。役目を果たす時だ」

 そうだ、俺は、あの男を阻まねばならない。

 それが俺が生来より持った宿星であり、後から得た宿星でもある。

「さて、席と祝福を与えるのは君が全てを得てからにしておこう。その時こそが相応しい」

 思うところなど、なにもない。

 ただ、そういう機構であったという事実があるだけだ。

「君の始まりの場所に向かい給え、そこに、運命が待っている」

 そして、一瞬のうちに視界は暗転し――

 

 城の中は、森の中へと変わっていた。

 鳥も、虫も、風の音さえもない、ただ水の流れだけが音を満たす、暗い暗い森の中。

 懐かしい、あの場所。

 シェレンベルクの森の、奥の奥。

「ヴァルター」

 ああ、そうだろう。

 この場にいる存在など数限られている。

 自分が既にここにいるのなら、もう一人など考えるべくもない。

「……母さん」

 あの日と変わらぬ、小さな母。

「知っていた、知っていました。王冠はあなたを選んだ。覇道を阻むものとして。けれど……私は、あなたにそれに見合う完全さを身に着けてほしくはなかった」

 母は悲しげに、しかし目を逸らすことはない。

 それは哀れみか、嘆きか。

「元より、俺がそういう存在だったというだけだ。すべて、すべて、意味などない」

 この人は誰よりも人間らしい方法で、俺を導こうとしたのだろう。

 自身が人ではない存在でありながら。

 そして俺も人ではなかったというのに。

 どうしようもないことだ、本当に。

「いいえ、いいえ。それでも、私はそうは思いません」

「…………?」

 なにを、言うのか。

 その哀れみは、嘆きは、一体どこに向けているものか。

 少女は眉を下げながらも、悲しげに微笑んだ。

「ヴァルター、手を」

 頭が痛い。

 なにかが、なにかを訴えている。

 だが、分からない、誰だ、なにを叫んでいる。

 なにも分からない俺は分からないまま、ことを進めようと手を伸ばす。

 伸ばしては、だめだ。

「嘗て、すべてが自由であった頃より。神の子という概念は永遠の信仰として世界の中心にありました。聖槍という聖遺物は時代の覇者を祝福する装置として、刻む聖痕に覇者の性質を反映させる最も純粋な聖遺物として、例え神が死して何代経とうと決して砕かれることなく、人の世に存在しています。絶対にして永遠の力。私が抱く王冠は、それから分かたれた一欠片」

 掲げた手のひらに、輝きが顕現する。

 それは鈍色の王冠だった。

 戦うための武器ではない、かくあれかしと望まれるための証。

 聖槍と対をなすもの。

「私も、じきに魂の寿命を迎えるのでしょう。メルクリウスはそこに付け込んだ。盟主を失う王冠は、次の担い手を探し始める。そして、彼は私よりもそれに相応しい存在を手ずから鋳造し、私の下に仕向けた。ええ、すべては彼の思惑通りです。私はすべてを嘆き自死することも出来なければ、あなたを手に掛けることもできなかった。だから」

 その哀れみは、その嘆きは、彼に向けられたものではない。

 それは、ただ彼女自身に向けられたものだ。

 だめだ、やめろ、手を伸ばすな。

 ■■するぞ、絶対にだ。

 手を、伸ばすな!!!

 

 

『あなたと共に悲しみ、あなたと共に苦しみ、あなたと共にまことに涙を流し』

 

『私の生のある限り、共に行かせてください』

 

『怒りの火に燃やされることなきよう、あなたによってわたしが守られますように』

 

『わたしによってあなたが守られますように』

 

 

 母は、子の手を包むように抱え、すべてを投げ打った。

 滲み出る血が浸透する。

 王冠は魂の軛から開放され、新たな軛へと移る。

 そして黒の王は起点となる魂すら塗りつぶし、絶対の完成を迎え、

 

 

『あなたを愛し、守ります』

 

 

「……あ」

 その瞬間、聖痕が刻まれた。

 ヴァルターの心臓に純黒の十字が穿たれる。

 流れ出すもののない器に刻まれる傷は、一体なにを齎すのか。

 満たされた器を壊すためでなければ、それは。

 即ち、『注ぎ込むための入り口』だ。

 では、注ぎ込まれるものとは一体。

 それは、それは――

「私は、弱いから。こんな、未練がましいことをしてしまうのね。でも、きっとこれでいいの」

「あ、あ、あ」

 カテリナの体が、透ける。

 王冠を通じてヴァルターへと際限なくなにかを注ぎ込んでいる。

「ごめんなさい。こんなの、ただ私があなたのありかたを認められないだけかもしれない。自分に酔っているだけなのかもしれない」

「……めだ、だめだ、だめだ! やめてくれ! あなたが消えてしまう!」

「だから、これは私の勝手。わがままよ。ヴァルター、私のヴァルター・フリードリヒ。どうか、お願い。私を――」

「…………母さん!!!」

 

「私を、そしてあなたが信じた皆を、忘れないで」

 

 




ベア子と喧嘩したヴァルターロボですが次話でもう戻ってます、余韻もへったくれもないね。
作者が事を急いているので仕方ない。


就任、アルフレート・ヘルムート・ナウヨックス=ツァイトグロッケ。
時記す歯車。宿業は『すべてを裏切り続ける』。
ナウヨックスは史実ではポーランドに火を投げ込みに行ったり札束偽造したりしてたけどとうとう不服従で解任されて武装SS東部戦線に投げ込まれたりしてます。
こっちじゃそれがちょっと早まった。
黄金と水銀の暇潰しの結果よりによってシュライバーと同じところに送り込まれた小僧は見つからないよう隠れたり、遂に見つかって追い掛け回されたりしてました。
そろそろ魔人契約結ばないとしぬ、しんでしまう(真顔)。是非もないね、ちくしょうめ。
黒円卓に就任したのでここで戦死扱いです。かわいそう(適当)。


そして、はい。短い間でしたが愛をありがとうお母様。
カテリナ・リディア・シェレンベルクが死亡しました。


ロンバルディアの鉄王冠がヴァルターに移譲されました。


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Fragments:魔人覚醒Ⅱ

はい、今回のフラグメンツは。

1:野獣先輩閣下とバイトニキのホモホモしい腐った決別の話
2:新生ヴァルターさんが女性の部屋を訪問してひっぱたかれる話
3:アルフレートがいつもどおり酷い目に遭いながら聖遺物契約する話

の、三本立てです。
あっさり風味でどうぞ。


「良い目になったな、ヴァルター」

 ヴェヴェルスブルグの玉座には黄金の獣が座る。

 髪は獅子の鬣のように伸び、倦んでいた瞳は今や金色に輝き、傲岸不遜の笑みを浮かべるその男は、表向きは死亡したことになっている。

 ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ。

 今や超絶の魔人集団、聖槍十三騎士団黒円卓の首領として、この国の軍部の裏を統べている、髑髏の王冠を頂く恐怖の王、黄金の獣、愛すべからざる光。

「嘗ての卿とも違う。瞳に輝きを宿している。その輝きの源はなんだ。既知を知り、蹲るのを辞めただけの私とは違う」

 その下座には、一人の男が。

 ヴェヴェルスブルグ城にあってしかしその王に跪くことはない。

 ヴァルターがラインハルトに抱く思いは忠誠とは程遠く、また魔人と成り果てたラインハルトに対しては、最早全く別の思いを抱いているが故に。

「聞かせてはくれないか、友よ。卿が見たものを。その瞳の闇を払ったものの正体を」

「友よ、か。随分と白々しい言葉になったもんだな」

 笑いながら問うラインハルトの視線に、ヴァルターは瞳を閉じることで背いた。

 再び瞳が開いた時、そこにある色は。

「愛だよ。母の愛だ。今のお前には、もう理解しようのないものだ。総てを愛する、なんてことを吹聴するだけではなく実行し始めたお前には」

「ほう?」

 興味深い、とラインハルトは思った。

 この男は自分が抱く愛のかたちに対し、全く異なる愛のかたちを以て糾弾している。

「ならばヴァルターよ、卿の言う愛とはなんだ」

「分からない」

「ふむ」

「見たところで、知ったところで、実践なんてできるものか。あんな奇跡に、かたちなんてあるものか。誰かを想うということを担う重さを、俺はまだ知らない。だけど、だからこそ。今のお前の、この世の総てを等しく天秤にかけているようなその目を愛だと認められるわけがないし、ただ自分の総てをぶつけることを愛だなんて呼ばないことくらいは分かった」

 ヴァルターの瞳にあるのは怒りであり、呆れであり、哀れみだった。

「お前、母はどうした。家族は。共に過ごした兄弟も、散々世話になった提督(アトミラール)も、お前の抱える闇を察した上でただ支え続けた(リナさん)も、すべて、すべて。お前、切り捨てたな。でなければこんなところで遊んでいられるはずもない」

「彼らもまたいずれ我が戦列に加わる、或いは英雄として」

「矮小十把と握り潰して物置の隅に放り込むのか。なにが英雄だ、総てを愛するが笑わせる」

 どうあっても相容れない星だ。

 起源であり、本能であり、衝動である原初の情動を放出するラインハルトは今やそういう存在であり、対してヴァルターの主張するものは人間という種が積み上げた幸福だ。

 ここで、両者は決定的に割れた。

「卿が違うと言おうとも、私は卿も愛しているぞ、ヴァルター」

「悪いが、俺はもうお前の言う『友』という言葉が信じられない」

 どこかあの頃の、まだ人間であろうと倦みを背負い進んでいたラインハルトが僅かに残っているかもしれないと、その目と物言いを聞いて判断しようと。

 だが、これは違う生き物だ。

 言葉程度で、意思程度で、渇望程度でどうにかなるものではないと知った。

「席を貰う」

「ほう?」

「聖槍十三騎士団黒円卓第十位、ヴァルター・フリードリヒ・シェレンベルク=シェイドウィルダー・マハカーラ。拒絶の黒。呪われし茨。真に理解することはなく、真に理解されることもない、光差さぬ遥かの星、だそうだ。お前の行いが致命的な何かを起こさない限り、祖国と今は亡きラインハルト・ハイドリヒ閣下への義理立てくらいは続けてやる」

 名乗り、誓い、ヴァルターは背を向け去っていく。

 その背に、ラインハルトは誓いに対する返答をかける。

「成程、卿の意思は理解した。暫し、友として歓迎しよう。そして――」

「ああ。その時が来れば、俺はお前の敵だ。ハイドリヒ」

 そして、扉が二人を隔てた。

 閉じた扉の前で、ヴァルターは思う。

 あれは、もう違う。

 それでも、自分は――

「ああ、実に勇壮な決別であったよ。ヴァルター」

「…………」

 出待ちしていたかのように扉の横に潜んでいたメルクリウスが、その思考を遮った。

 メルクリウス、カール・クラフト、クリスチャン・ローゼンクロイツ、数多の名を持つ偉業なる魔術師、黒円卓をして世界の闇そのものと思わせるようなその男。

「母君から受け取った王冠も、無事担い手として君を認めたようだ。であれば、後は相応しいかたちを見初め給え」

「……ローゼンクロイツ」

「懐かしい名だ。しかし、その名の役目はもう終わった」

 ヴァルターは、彼に対し不思議と心が落ち着いていた。

 これは、怒りを抱く対象ではない。

 きっと、恐らくは。

「今更なにを言うつもりもない。お前の企てがどこからどこまでであろうとも。きっとあの人はああしたし、あのあり方は誰の手によるものでもない」

 確認し、反芻するように。

「俺の生まれがどうあれ、この歩みと、出会いと、受け継いだものに偽りはない。俺はこれでいいんだろう。なら、このまま行かせてもらう」

「ああ、ああ、それでいい。それでこそだ。道無き道を行くがいい、シェイドウィルダー。数多の研鑽の果に、辿り着くこともあるだろう」

 その時を、楽しみにしているよ。

 そう言って、影は瞬きのうちに消失した。

 そうして、ヴァルターは今宵魔人の一人として列席された。

 黄金の槍とは異なる聖痕を、忠誠ならぬ母の愛をその心臓に刻んで。

 

 

 ヴェヴェルスブルグ城にて シェイドウィルダーの列席

 

 

 

 

「というわけで、色々悪かった」

「はい?」

 城の一室にて。

 背を四十五度きれいに曲げて頭を下げているヴァルターと、それに困惑するベアトリスがいた。

 聖剣を聖遺物とし黒円卓第五位となったベアトリスは色々気になることがありつつも、訓練の合間こうして一人黄昏れていたのだが。

 先日色々と酷い言葉をぶつけてしまった先輩が、まるで憑き物が落ちたかのような顔で訪れ、突然謝罪をしてきたのだ、かなり驚いた。

「えーと、あの、ヴァルターさん……? ですよね……?」

「色々と心無いことを言った。言うには遅いし許してくれとも言わないが……」

「いやその、とにかく頭を上げて下さいよ!」

 その姿勢を保たれるといたたまれないので、一先ず椅子に座ってもらうことにする。

 ヴァルターもまあ話を進めづらいならと、素直に席についた。

 そんな先輩の姿をベアトリスは改めてまじまじと見つめる。

 顔色、普通。

 表情、かなりイケメン。

 目の色……なんぞこれ。

 この人のデフォルトはもっと疲れ切って不機嫌よりのつり目だった気がするのだが。

 様子がおかしくなってからは益々色を失っていて。

 しかし今のヴァルターの目は、生気に満ち溢れている。

 別に顔全体でキラキラを表現してるとかではないが、ベアトリスはその目の奥に以前にはなかった『輝き』を感じた。

 その輝きを、どこかで知っているような気がした。

「その、ヴァルターさん、ですよね」

「ああ」

「また変な洗脳電波を受けたとかそういうのではなく」

「違う、それだけは違う」

「私の事、心配してきてくれたんですか」

「まあ、そうだよ」

 一通り、言葉を交わして。

「……遅いんですよバカァー!!!」

 ベアトリスはキレた。

 椅子を蹴り飛ばしヴァルターのもとに跳躍し殴った、拳で殴った。

「おま、頭上げさせておいて突然キレて殴るやつがあるか!」

「うるさーい! 遅いものは遅いんです! 反省してるなら殴らせろ!」

「別に殴られるのはいいけど駄目なところが出てるって言ってるんだよ!」

 しばらく洒落にならない音が響き。

 胸倉に放たれる腰の入ったパンチは徐々に勢いをおさめ、ゆっくりと止まって。

「……心配しました」

「悪かった」

「なにがあったのか一から十まで吐いてもらいます」

「それは難しい。こっちも全部理解してるわけじゃないし」

「なんですかそれ」

「色々あるんだよ。詫びと言ってはなんだけど、俺も話を聞くよ」

「……刺々しくないヴァルターさん気持ち悪い」

「いつもの調子に戻そうか?」

「いいです、気持ち悪いけど嫌いじゃないです」

 グズ、と鼻を啜るベアトリスは後ろを向いて袖で顔を拭った。

「ヴァルターさんも、魔人になっちゃったんですね」

「お前キレた拍子につい活動位階を発動させて殴っちゃったけどなんとも無かったから気づいたっていうのはどうなの?」

「ヴァルターさんが悪いです」

「……今回ばかりは負けたよ」

「そうです、女性を悲しませた人は絶対的に悪いんです。あげつらう権利なんてないんですぅー」

 暫くベアトリスが怒って、ヴァルターが困って。

 そんな様子に一周回っておかしくなったのか、ベアトリスが吹き出した。

「いいです、許します。先輩が戻ってきてくれて、嬉しいです。なんか別の意味で変だけど、悪い意味じゃないんでよかったです。今回は、ちゃんと先輩のままだ」

「……そんなに印象違うか?」

「そりゃあ。何か目元が若々しいし、言葉も柔らかくなってるし。ホントなにがあったんです?」

 ベアトリスが本気で不可解だと、首を傾げる。

「……まあ、な。あれだ」

 簡潔に言うのなら。

 その湧き上がる思いを噛み締めながら、ヴァルターは言った。

「友人は大切にしないといけないなって、改めて気づいたのさ」

 

 

 城の一室にて 帰ってきたヴァルターと怒れるベアトリスの会話

 

 

 

 

『はあー!? シュトレゴイカバール鉄塔!? あんな所になんの用があっていくわけ? 命令? 聖遺物がある? 取ってこいって? 拒否権なし? 嫌よ、案内役するのも嫌よ、アルちゃんには悪いけど一人で行ってきて。場所と行き方は教えるから』

 

 

『あの鉄塔……というか鉄塔跡地はね。ずーっと昔からそこにあるの。私が生まれる前からあったらしいわ。でも普通の人間はそれを認識しない。誰が建てたかも分からない、来歴不明の鉄塔。鉄塔に踏み入った存在は誰も帰ってこない。私も昔興味本位で近寄ってひどい目にあったのよ。片腕がね、金属になってもげたわ。再生するのに工房に篭って一月かかったくらい』

 

 

『エイヴィヒカイトを修めた今も、あれを越えられるとは正直思えない。霊的装甲とかで抵抗できるようなものじゃない、肌で感じたもの。ハイドリヒ卿のような超越者でないと……でもアルちゃんを名指しで行かせるってことは……無事帰ってこれたらお土産話よろしくね☆』

 

 

「うん、あれだねー。シュトレゴイカバール鉄塔とやらは」

 ハンガリーのとある山岳の上にいるアルフレートには、まるで稲妻に撃たれたかのように半ばから折れている漆黒の鉄塔が見えていた。

 アンナ、ルサルカと改名したらしい知り合いの魔女いわく半端ではない認識阻害がかけられているらしいが、アルフレートは特になにもしていないにも関わらずその全容がはっきり見えている。

 望遠鏡で覗いてみると、精密機械群によって構成されている機関鉄塔であると見た。

 しかしルサルカいわくあの鉄塔は最低でも中世にはあったらしいのだが。

「謎のロストテクノロジーってやつ? ロマンだねえ。物騒な曰く付きでなければ」

 望遠鏡を畳み、背負う。

 さて、これからあの侵入した人間を金属に変えてしまうとかいう恐ろしい鉄塔に、自分は足を踏み入れて生還しないといけないらしい。

 普通の人間なのに、魔女さえ怖がってるのに。

「酷い話もあったもんだ」

 しかし、その歩みに動揺は見られない。

 アルフレートは今、根拠のない確信に満ちていた。

 なにがあっても、自分は大丈夫だという確信。

 それは恐らく、誰かの言う『既知感』に酷似していた。

「ま、とりあえず麓まで近づいてみますか」

 ルサルカの話によると鉄塔の敷地内に入った時異変に襲われたらしい。

 なので、そこまで近づいてみることにする。

 アルフレートは心を決め、鉄塔に向けまっすぐ向き合い一歩を踏み出し。

「……ん?」

 その足が動かないことに気付いた。

 視線を自分の足に向けると、そこには。

 

「……え、なに、これ」

 キィ、キィ、と何かが軋む音がする。

 錆びついた金属、擦り合わされる歯車。

 

 足が、軋む、足、足?

 

 アルフレートの右足は、肉の足から絡繰じかけの機械に変わっていた。

 

「は……なッ!?」

 その異常に、アルフレートは反応できない。

 足の付根の歯車が肉を抉り、抉った先が新たな歯車に変生して行く。

 そのおぞましき痛みと光景に、思考が鈍る。

 何故、まだ自分は山頂から降ろうとしたばかりだ。

 こんな、まるで鉄塔を視界に入れ向かおうと決めた瞬間呪われることが決まったかのような。

(どうする!? この足を爆破するべきか!?)

 そんな葛藤も、次の瞬間には無意味になる。

「あ、がッ!?」

 袖から爆弾を取り出そうとした腕が、前衛芸術のような鉄パイプの集合体に変異していた。

 そうなれば、もう分かってしまう。

 何もかもが手遅れなのだと。

 キィ、キィ、ギシリ、ギシリと鋼の軋む音が響き、アルフレートは鋼鉄と化していく。

 両足が終われば両腕が、そして手足の節目から体幹が、体幹が終わると。

「は、が、あ、ま、あ、あた、ま、だよね」

 内側から内蔵を貪り食われ機械に置換される激痛を味わいつつ、アルフレートは理解した。

 ああ、今自分は新たな『塔』になろうとしているのだと。

 もう、どうしようもない。

 大いなる運命と大いなる力を前に滑稽なるすべては堕ちるしかなく。

 

 

 チク・タク、チク・タク。

 チク・タク、チク・タク。

 カチリ。

 

 

 頭の内から響く時計の音とともに、アルフレートは諦めた。

 血走った目の三日月が、紫色の空の上で嘲笑っている。

 ケタケタ、ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ。

 げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すべて。

 そう、すべて。

 あらゆるものは意味を持たない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はッ!?」

 目を覚ました時感じたのは背中の冷たさだった。

 悪夢に飛び起きたアルフレートは、まず自分の手足を確認する。

 変わりない、そのままの手足だ、少なくとも見た目は。

 次に肉であることを確かめるように触れる。

 指を押し返す弾力は、そのままの肉体だ、少なくとも感じる限りは。

「ここは……」

 そうして、ようやく周囲の状況に目が行った。

 ここはあの山岳の頂きではない、緑など欠片も存在しない。

 自身が背中に感じていた冷たさは、鋼鉄の床に触れていたためのものだった。

 四方は同色の漆黒の壁と、そこに伝う歯車とパイプ、機関の集合体。

「……はは、これは、あの鉄塔の内部かな」

 背後には開け放たれた扉があり、そこから外の景色がよく見えた。

 自分はなんの問題もなくここから出ていけるだろう、だがしかし。

「お招き下さったんだ、行ってやろうじゃないか」

 先程の悲鳴も何処へやら、まだ脂汗が収まらないにも関わらず、アルフレートは目についた螺旋階段を登っていく。

 そう、この鉄塔を登るのに今や躊躇する必要はない。

 アルフレートは理解していなかった、しかし感じていた。

 この塔は、自分のものだと。

 入ったことのない場所を勝手知りたると推し進み、やがて頂上へ。

 そこは鉄塔が折れた場所であり、天井は吹き抜け青空が見える。

「ド派手に真っ二つだ、一体なにがこれをへし折ったんだろうね」

 空から目を離し、部屋の壁をぐるりと見渡す。

 すると正面の壁に描かれている模様に目がついた。

 否、それは模様ではなく機関の群れか。

 まるでSF技術の動力源を想起させる、中心の球体とそれを囲うラインがそこにはあった。

「あれは……」

 囲うラインは全て上方向に伸びている。

 つまり折れてしまった上半分に本来の機能があったのだろう。

 即ちこの球体は今や無用の長物か。

 そう見るとアルフレートは壁に近づき、球体を機関のくぼみから取り出した。

「これは、時計?」

 球体には蓋があり、開くと二本の針が見える。

 チク・タク、チク・タクと小気味のいい音を鳴らしている。

 しばしその秒針を見つめ――世界が揺れた。

「!?」

 それは自然的なものではない、空間でさえない。

 しかし確かに、世界が歪み、軋む音がした。

 キィ、キィと鋼の音が反響する。

 視界に映るすべてが歪み、歪み。

「あ……」

 そして、元に戻った。

 手の中の懐中時計は消えている。

 否、今なら分かる。

 あの時計は、自分の中に溶けていったのだと。

「聖遺物、ねえ」

 全く分からぬうちに契約をしまったアルフレートは、なんとはなしに塔の壁に触れる。

 冷え切った感触は鋼に触れているからか、それとも自分こそが鋼なのか。

「ねえ鉄塔くん。君は何者だい? 僕になにをさせようとしてるんだい?」

 返事は、ない。

 朽ちた鋼鉄の塔は語る口を持たず、鋼の軋む音だけを鳴らす。

「難儀だねえ」

 けど、とアルフレートは続ける。

 この果てなき迷宮に沈んだかのような自分をして、尚。

「面白くなってきた」

 アルフレート・ヘルムート・ナウヨックス=ツァイトグロッケは凄絶に笑った。

 

 

 シュトレゴイカバール鉄塔跡地にて 魔人覚醒、ツァイトグロッケ

 

 




これで二人共魔人化完了、やっと本番って感じがしてきました。
正直最初の獣殿のところは自分で書いてて何だこれ腐ってんなあ……と思ってました。
なんでホモの次に準イチャイチャをぶち込んでるの俺?
さて次はサクサク話の流れを進めるか、訓練でも挟むか、シュピーネさんの大活躍でも書くか。
予定は未定。


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Fragments:1942~1943

合間の補完が長い。
二年前の作者はそれが原因で折れた。
フラグメンツ形式でなければ死んでいた。
感想評価くだちい(願望)。

今回もまた、必要なような不要なような、そんな話ではありますが。


「なんの用だ」

「そういえば、あなたとはまだこうして話をしたことがなかったと思いましてな、大佐殿」

 ヴェヴェルスブルグの城門前で、二人は鉢合わせた。

 正確には待ち伏せされていた、というのが正しい。

 城を後にしようとするヴァルターを呼び止めたのは、彼にとって見覚えのある姿。

 しかし、その顔の半分は戦傷である大きな火傷に覆われている。

 エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ=ザミエル・ツェンタウア。

 ゲシュタポにいた頃は多忙もあり専らすれ違うのみだったが、確かに知っていた。

 互いに、同じ人物を通して姿を見ていた。

「黒円卓の席を受けた者として、聞きたいことがありましてな。シェレンベルク大佐」

 その眼差しに、ヴァルターは鼻を鳴らす。

 ああ、全く予想通りの質問だった。

 質問を投げた当人も分かっているのだろう、これがあくまで通過儀礼に過ぎぬことを。

「俺はお前らとは違うよ。ハイドリヒに忠誠を誓った覚えもなければ、あいつの手足になった覚えもない」

「でしょうな」

 ヴァルターは、他の団員と違い表向き死亡したこととなって自由を得てはいない。

 親衛隊大佐、その地位は魔人の力によらず、ヴァルターがその働きにより得たものだ。

 無論エレオノーレも、またリザ・ブレンナーも似たようなものだ。

 現世での立場が重い団員ほど、雲隠れなど許されず、表の立場も兼任している。

 しかしヴァルターに限って言えば、それは黒円卓の片手間にできるような質量ではない。

「まだ果たすべき責任が残ってる。前線で死亡判定貰える立場じゃないんでね。それはそちらもある程度同じだろうが、それでもヴィッテンブルグ少佐のような英雄には程遠いということだ」

「ご冗談を」

 その言葉を、エレオノーレもまた鼻で笑う。

 それは侮蔑ではなく、むしろ真逆の意味で。

「一級鉄十字、戦功鉄十字、総統閣下の指輪、それらすべてを若輩の身で賜った名将、『将軍(ヘル・ゲネラール)』の二つ名を持つものが、英雄でなくてなんだという。私はあなたを侮ってはいない。この数年を直に見てきたが故に」

「あ、そう」

「だからこそ」

 ちり、と頬を熱が焼いた。

「同胞として、あなたの列席を歓迎しよう。しかしそれ以上に。ハイドリヒ卿に仇なす時あらば、私があなたを焼き尽くす」

 敬意と敵意は矛盾しない。

 清廉な戦士であれば、戦うことは憎しみを向けることではなく、賞賛を示す行為でもある。

「キルヒアイゼンが随分と世話になったようだしな。そしてなにより、ハイドリヒ卿の黎明を支えた副官としてのあなたに敬意を評する。故に、私は確信している」

 その戦意は燃え滾る炎となって。

 宣戦を布告するが如く、ヴァルターの肌をなでつけた。

「その時、あなたを燃やし尽くすのは私であるべきだ」

 その宣言に、ヴァルターは。

「…………」

 特に、思うところはなかった。

 エレオノーレに関してはベアトリスの領分だと思っていたし、彼女がなにを思い、渇望として黒円卓に飛び込んだのかは聞いてはいたが、それでも。

 当事者でない自分はその時が来ればあれこれ言う前に叩くくらいしかできやしない。

 ただ、それだけしかできないだろう。

「ヴィッテンブルグ少佐……と、呼ぶのはもうやめておこう」

 想う心を得た、そして、その逆もまたそうだ。

 ヴァルターにとってのエレオノーレとは、ベアトリスの宿縁であり、だからこそその宿縁に誰よりも近いのはベアトリスであるべきだと。

「キルヒアイゼンにとってはともかく。俺にとってはもう、お前は嘗て存在した誰かさんの皮を被った魔人でしかない。その忠、ハイドリヒに捧げたというのなら。もう上司と部下の関係ではないよ。ザミエル・ツェンタウア」

「成程、確かにその通りだ。私はザミエル。それ以外の肩書は、最早呼び名でしかないな」

 その在り方を、誇らしいと受け止める。

 エレオノーレの渇望は、そういうものだ。

「至言であった。では、私は変わらずにあなたをシェレンベルク大佐と呼ぶとしよう。その誇りが、ハイドリヒ卿の下でなくこの国にあるのなら。いつしかハイドリヒ卿の力となるその日まで。貴方を魔名では呼びますまい」

「死んでも来ないよ、そんな日は」

「ならば、私が殺すまで」

 肌を撫で付ける熱が、その刹那に大炎に変わる。

 足元が吹き飛び、炎の渦がヴァルターを飲み込んだ。

 常人であれば炭も残さず消滅する圧倒的熱量。

 しかし、その炎の中に、未だ人影はあった。

「騎士とやらが好きそうな、迂遠な試しだ」

 そして、炎が何かに切り裂かれたように爆ぜて。

 それが消えた先に、闇を纏う人影があった。

 深い、深い、漆黒の。

 しかしその漆黒は異界から漏れ出す霧のように、ヴァルターの体表を守護している。

 パリ、パリリと雷を打ち鳴らすような音が手から響いて。

 その両手から、漆黒の茨が見えた。

 不気味にうねる茨の棘は、所有者さえも蝕む禁忌の業。

 その禁忌を以て、自身の炎を払ったのだとエレオノーレは理解した。

「面白い」

 見聞するに、未だ活動と形成の中間。

 しかし、形成に至らぬ存在特有の不安定さが、一切見られない。

 それに、その一瞬でエレオノーレはその中身を僅かだが垣間見た。

 この魔人は、自身を支える術理の基礎からして自分とは違っている。

「上のご機嫌取りが残っていてね、焦げてる暇なんてないんだよ。分かったら、どいてくれ」

「……ふ。では、また」

 その在り方が惰弱などではない、鋼鉄の精神から来る責務の遂行であると知るからこそ。

 エレオノーレは道を譲る。

 今はまだ、その時ではない故に。

 

 

「ああ、最後に一つ」

「なんだよ」

「キルヒアイゼンは私のものだ。弁えない馬鹿娘だからとて、譲るつもりはない」

「……はい? なんのこと?」

 

 

 ヴェヴェルスブルグ城前にて 『シェレンベルク』と『ザミエル』

 

 

 

 

『やあ、今や僕の監視下でゲシュタポのお茶汲みをしているベッポ君! 元気かい?』

 

『僕? 僕は元気さ、この通り! 最近サイコパスの襲撃を受け続けて死にまくってる(・・・・・・・)けど! 死んでるならここにはいないだろうって? そりゃそうだ。でも残念なことに僕が死んでもアイヒマン君が人事を引き継いで君はゲシュタポの奴隷のままなんだ! 悲しいね!』

 

『まあまあそう怒りなさるな。ここもそんな捨てたもんじゃないでしょ? むしろ研究所に引き篭もってるより刺激的だと思わないかい? おっとそうそう、刺激と言えば、今回はきちんと君に用事があるのさ』

 

『……君には資格がある。絶対なる力を、すべてを縊り殺し高みから見下ろす力』

 

『そんな力があるとすれば、欲しくないかい?』

 

『詳しい話は、ヴァレリアン・トリファに聞いてくれ。きっと君も気に入るはずさ』

 

 

 

 

 

 そんな怪しすぎるお誘いから暫くして。

 

 

「騙されたッ! あんな恐ろしい存在が首領だなんて聞いてないッ! 図りましたねナウヨックス少佐!!!」

 

 

 背の高い、蜘蛛のような男が無様な顔芸を晒し、小さな人影を捕まえていた。

 呼び止められた人影、アルフレートはおや奇遇だねというわざとらしい態度で迎える。

「おやベッポ君。いや、今はシュピーネだっけ? 君をヴェヴェルスブルグに送り出してからしばらくぶりだけど元気そうじゃん。しっかり力もものにしたようだし」

「ええそれはまあ、私にかかればこの程度造作もないこと……ってそうではなく! 図りましたね! よもや死んだはずのハイドリヒ長官が、あのような恐るべき存在に変生し、魔人の玉座を握っているなど!」

「そりゃあ、事前に事細かに伝えれば逃げるでしょ」

「この野郎!」

「おっとやめてくれ、その術は僕に効く、やめてくれ」

 怒りのままに縊り殺されそうなので、アルフレートはゲシュタポのお茶汲みベッポ君、もといロート・シュピーネを宥めることにした。

「でもなんだかんだ力は手に入ったでしょ? 怖いっていうのも、その矛先が向かわなきゃどうでもいいもんじゃん」

「ええ、それは……副首領閣下のエイヴィヒカイトは素晴らしい。ただ劣等を思うがままに縊り殺し、魂を吸うだけでこれほどの力が手に入るとは。この甘露、知ってしまえば抜け出せません。くっくくくくくく」

 恍惚の表情で言うシュピーネが、一体なにをしてきたのかなど言うまでもないだろう。

 戦時中、と言う状況下であれば蔑まれこそすれど許される所業であり、アルフレートに至っては下衆だろうと屑だろうとどうでもいいことだ。

 なにせ自分もそうなのだから。

「ならいいじゃん、怖いっつっても味方なんだし。頼もしいでしょ」

「それは……まあ。味方であるうちは、私の安全は保証されたようなもの。私に求められている能力が最前線に立つものでない以上、この立場も都合がいい」

「そうそう、話持ってきてあげてよかったでしょ?」

「強いて言うのなら……一部の視線がきついことでしょうか。私の付いた席、『第十位代行』という立場がですね、本来そこに座っている方を思いますと、力不足だと思われていると言いますか、肩身が狭いというか」

「ヴァルターは忙しいんだ、黒円卓の組織運営なんかに構ってる暇もないくらいね。だから仕方ないことだよね。君をクリストフと一緒に推薦したことは」

 ロート・シュピーネの魔名を得たその男は第十位の席……の代行として指名された。

 それはなにも特別な意味ではなく、そのままの意味だ。

 ヴァルター・フリードリヒ・シェレンベルクは忙しい。

 どれくらい忙しいかって言うと、黒円卓としては時々城に顔を見せて、余った時間で活動位階の訓練をして、さっさと帰っていく。

 情報部門として表の地位を極めつつある彼はあらゆる権限に手が届きかけている。

 それは実質的に表にいた頃のラインハルトに迫るもので、つまり、死ぬほど忙しい。

 国の上層部からも表ではラインハルトの後釜として、裏では手に負えなくなった黒円卓と自分たちを繋ぐ貴重な存在として頼られている。

 ヴァルターには黒円卓という組織の調整も期待されていたのだが、敗戦への道を一直線に進んでる祖国だけで両手が塞がるというのにそんな非公式組織の塩梅なんか気にかけている暇はない。

 故に、代行を置くことをヴァルター、ではなくアルフレートが企み、副首領と首領、更に勧誘の共犯としてヴァレリアン・トリファに話を事前に通し実行した。

 城を開けがちなヴァルターに代わり、黒円卓の組織運営を担う、正しい意味での副官とでも言うべきか、ヴァルターがシュピーネに対しそんなことを思う筈もないが。

 そういった事情で、シュピーネは魔人となり、黒円卓に在籍することとなったのだ。

 アルフレートによって諸々の事情は一切伏せられたまま。

「かの将軍(ヘル・ゲネラール)殿の代理、などという立場でなければ私も一目置かれたのかもしれないというのに……」

「へー。このクソ野郎、死んで詫てどうぞってシュピーネが言ってたことを伝えとくね」

「いや言ってません、言ってませんから、メモにつけないで、ホント勘弁して下さい」

 唯でさえ五位と九位、ベアトリスとエレオノーレから時折極寒の視線を投げかけられるというのに、この上黒円卓においても上司という立場となった人からも当たりがきつくなれば完全に立場がなくなる。

 シュピーネは呆気なくアルフレートに屈した。

 経験上この冗談のような与太話が瞬く間に広まり公然の事実となってしまう、そういう手腕を目の前の小男が持っていることを知っているからだ。

 嘗て研究所で自由を謳歌していた頃、それでひどい目にあいゲシュタポの一員とされたあの時のことを、シュピーネは人生の大失敗の一つとして今も鮮明に覚えている。

「腰が低いなー。今や魔人になったんだから。ヴァルターにも立ち向かえるんじゃない?」

「あの黄金の獣に最も近い位置にいた御仁に対し、そのような迂闊なことをするつもりはありませんよ。するにしてもそれは絶対的な勝利を確信したときでなければ。貴方がた十三号室の丁稚として過ごした期間があれば、それを知るには十分というものです」

「にひ。だから君が好きだぜ、シュピーネ君。ヴァルターはいい顔しないだろうけど、君が君である限り、僕は君のことを応援してるさ。その臆病さは稀有なものだ」

「はあ……貴方の邪悪さと、シェレンベルク大佐の抜け目のなさには負けますよ」

 笑うナウヨックスは不吉そのものの体現ではあるが、得た圧倒的な力を手放すつもりもなく、シュピーネは呆れつつもその先に思いを馳せ同じく笑うのだった。

 

 

 某所 シュピーネさんの栄光と転落、その一部

 

 

 

 

「…………」

 自己の世界に埋没し、魂を研ぎ澄ます。

 言ってみればそれのみのこと、東洋で言う精神統一の座禅だの、古くは魔術師が言うトランスだのと、そう変わりはない。

 違うのは、自身の魂というものを明確に意識し、使役できているかどうか。

「……ッ」

 そして、練磨するのが精神というあやふやなものではなく、魂そのものだということ。

 まずこの段階で、それを行うに足る強靭な魂の持ち主でなければ不用意に魂に手を出した次の瞬間魂がひび割れ、最悪砕け散る。

 更に、それに足る強靭な魂の持ち主にしても、鍛えるための素材、それも自身の魂に近しく親和性のある繋ぎ目がなければ、ろくに鍛えることもできやしない。

 ごく一部、奇跡的な運命によりそれを手に入れるものを除いてはこういった超人の業が表の世界に現れない事は必然である。

「ふぅー……」

 故、カール・クラフト=メルクリウスのエイヴィヒカイトは完璧だった。

 強靭な魂の選定、聖遺物という術者と共鳴する繋ぎ目、そして魂を練磨するための大量の潤滑剤として他者の魂を用いることによる、恐ろしく簡易的な超人錬成法。

 成程これほど超絶の術式であれば、正に十三人もの魔人を生み出すことさえ容易い。

戦時中の第三帝国であれば吸収する魂に事欠かず、今も多くの団員が戦地に出て兵士たちの魂を喰らっていることだろう。

 

 ただ、数少ない例外はいるが。

 

「駄目だな」

 ヴェヴェルスブルグに充てがわれた専用の自室で、ヴァルターは瞑想を解いた。

「なにが駄目なんです?」

 ベアトリスは椅子に跨りそれをなんとはなしに眺めていたが、正直さっぱり分からない。

 それが聖遺物の制御訓練なのは分かるのだが、なにせ自分の時とは色々と違う。

 自分が、否、自分以外の団員も、活動位階の頃はもっと切羽詰まっていたというか。

 聖遺物を御する魂と自身の魂の強度が足らず、先ずは戦地で魂を取り込むのが急務だった。

 最も自分は魂を取り込まず意地でなんとかしたのだが。

 そうしてやっとの思いで形成位階に到達し、まともな制御が可能となったのだ。

 しかし眼前の人は本人曰く活動と形成の中間で完全な形成位階には達していないというのに、戦地で魂を集めてもいないのに、不気味なほど安定性をベアトリスに対し見せつけていた。

 体から立ち上る黒い霧、そしてその中から伸びる漆黒の茨。

 その黒は拒絶の色、その茨は苛みを表すかたち、最初に間近で見た時は背骨まで凍りついたかのような感覚を覚えたものだった。

「また失敗だ、ってこと。形成に至るイメージを掴めなかった」

「あの、私すごく疑問なんですけど。ヴァルターさんのそれ、本当に活動の範疇なんですか? 普通に事象展開型の形成では?」

 ベアトリスが今や部屋中に展開され、それでも尚部屋を傷つけず自分にも触れないよう制御されている茨を指して言う。

「活動と形成の中間段階だよ、これは。いや、担い手が別ならこれが形成でもいいんだろうな。でも、これは俺の形成じゃない」

 ふむ、とヴァルターはベアトリスを見て、おもむろに手を掲げた。

「お前には見せてもいいか。ほら」

 次の瞬間、掲げた手に何かが顕現する。

 それは内に黒鉄の輪を秘めた、美しい装飾の施された冠だった。

ロンバルディアの鉄王冠(コローナ・フェッレア)。俺の聖遺物だ」

「……んん???」

 ベアトリスは固まった。

 今目の前で、ヴァルターが非常に矛盾した行為を行ったからだ。

「……形成! できてるじゃないですか!!! 嘘つきましたね!!!」

「まあ、そう言うだろうな。だが違う。これは形成じゃないんだよ」

 これは単に手元に取り出しただけだ、そうヴァルターは言う。

「単に聖遺物を取り出すことと、形成位階として己の望むかたちで顕現させるのは似ているようで別の話だ。俺のこれは取り出してるだけ」

「つまり、ヴァルターさんはそれをもっと違うかたちで顕現させたいってことです?」

「少し違うな。これは俺のかたちじゃない、っていうのが分かるんだよ。……母さんならともかく、俺の本質は他者を傷つけるためのものだ」

 最後に小さく付け足された言葉に、ベアトリスはなにかを言おうとして、飲み込んだ。

 多くを聞いたわけではない。

 しかし、ヴァルターが魔人として覚醒するに辺り、母が死んでしまったことは聞いた。

 あの、小さな優しい人が、一体何故そんなことになってしまったのか。

 それ以上は語ってはくれなかったが。

「どうなんだろうな。自分のことなんで、他人以上にわからない」

 自嘲するようなヴァルターの瞳に迷いの色が見えて。

 ベアトリスは雷とともに剣を抜いた。

「……私は、そうですね」

 戦雷の聖剣(スールズ・ワルキューレ)

 ベアトリスの聖遺物。

 ベアトリスの祈りを体現した、雷光の聖剣。

「私は良くも悪くもこれ一本で頑張ってきましたから、これ以外の在り方を知りません。戦場を照らす光となって、この剣の指し示す先へ。だからでしょうか、あの水銀に死神だなんて称されても、なにも言い返せないのは」

 あの日、近くにいながらなにも為せず、すべてが手遅れになった。

 この力を得たからといって、それがなんとかなるのか、それは分からない。

「でも、私は剣は奪うばかりのものではない、守るためのものでもある。そう信じてます。この聖剣を握る私がそれを忘れない限り、どれだけの敵を斬り裂こうとも、この背には同胞たちの命を背負っている」

 一振り、二振り、剣が光の軌跡を描いた。

「私、先輩のことを長らく見てきたと思います。ナウヨックス少佐ほどじゃないですけど……それでも。先輩は、基本的には排他的で、でもそれは自分の鋭さを知ってるからこそ、誰かを傷つけまいとしてる。その刃で敵を斬り崩す以上に、その刃で誰かを傷つけないことを知っている。この茨をここまで制御できてることだって、きっとその証左だと思います」

 ちょっと前の変だったときはともかくですね。

 そう言って、雷剣で片隅の茨を斬り裂こうとする。

 しかし、剣は弾かれ茨は傷一つない。

「色んな所で守ってくれたこと、覚えてます。だから、もし先輩に相応しいかたちとやらがあるのだとしても、それはきっと傷つけるばかりの意味を持つものじゃないと思います」

 その結果に満足し、聖剣の形成を解いたベアトリスは快活に笑ってみせた。

 やっぱり、この人の本質は守る人なんだと、そう思えたから。

「傷つけることと、守ること……」

 ヴァルターはその言葉に暫し固まり、自分の手を見つめる。

 自分を顧みることを久しくやめていた男は、戦乙女の実直な感想が、自分の言葉よりも確かな真実に思えた。

 心の中で、あやふやだったかたちが実像を結んでいく。

 漆黒の底より鞘を抜き、人を傷つけ追いやり拒む原初のかたち。

 そして原初の拒絶とは即ち、自身を守護する最後にして最強の守り。

「刃に込める意味。剣、か」

 それを、或いは原初の意味さえ超越し己のままに振るうことが、許されるのだとしたら。

「……感謝する。キルヒアイゼン。どうやら見えてきたようだ」

「へあッ!? あ、は、はい、どういたしまして……やっぱり調子狂うなあ」

「ところで時計は見ているか。そろそろ出立の時間じゃないのか。三十分前行動くらいしてないとどやされるんじゃないのか、前そう言っていたろう」

「え、もう? げっ時間が経つのが早い! あわわ、私はこれで!」

「ああ、さっさと行くといい」

 大焦りで部屋を後にするベアトリスを見送って。

 ヴァルターは瞑想を再開し、深く魂の底に堕ちていく。

 それは確かに誰かを傷つけるものだが、それでも誰かを守るものだと知ったから。

 

『そう、あなたは、それでいいの。刃の痛みを知るあなただからこそ、それでいいのよ』

 

 その柄を取ったことに、誰かが微笑んだような気がした。

 程なくして、ヴァルターは真の形成を完成させることになる。

 戴冠の鉄を、剣と変えて。

 

 

 ヴェヴェルスブルグ城にて ヴァルター、形成訓練中

 

 

 




エレオノーレとヴァルターのやり取りは書く直前までどうすっかなーと悩んでました。
ハイドリヒ卿に従わぬ無礼者めー的な態度か、或いは魔人になる前に職場を共にした上官か。
そしてこうなった。エレちゃんの貴重な敬語。
リアルチートヴァルター君の戦歴は流石に認めざるを得なかった。
鉄十字章は前線で武勲を上げた軍人に与えられるもの。
戦功十字章は後方で支援が戦功として認められた軍人に与えられるもの。
髑髏指輪と名誉長剣はチョビ髭おじさんのお気に入りにしか与えられない記念品。
なんでこいつは鉄十字章と戦功十字章を両方持ってるの??? しかも両方一級で。

シ ュ ピ ー ネ さ ん だ よ !
君を逃がすわけがないでしょ。ヴァルターの不在時代わりにお城で事務仕事してて。
さて彼に訪れるのは栄光でしょうかそれとも転落でしょうか。

ヴァルターのエイヴィヒカイト訓練。
黒、拒絶、茨、剣。
もう大体形成の正体はこれで分かる人もいるんじゃないですかね。
ベアトリスからヒントを得て、というのはまあやりたかったところの一つ。
やりたかったにしてはあっさりめだったけど。


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Fragments:黒円卓招集Ⅰ

評価数が20越えたよ記念に連投。
皆見ててくれてるんやな、よっしゃ頑張ったろ。尚失速する模様。

時系列はドラマCD、Todestag Verlorenの時。
マキナ列席に際し散らばってた黒円卓が初めて一同揃うことになったっぽい時の話ですね。
ベルリンを拠点に仕事しまくってたヴァルターの列席後を知ってるのは度々城に帰還してたエレオノーレとベアトリス、同じくベルリンを拠点にしてた非戦闘員のヴァレリアンとリザ。
ナウヨックスの場合ここにシュライバーが追加されます。

さて今回のフラグメントは。
1:ナウヨックス、死す
2:ヴァルター、神父に友情を語る
の二本になります。



「はっ、はっ、はっ、はっ」

 ヴェヴェルスブルグの廊下をアルフレートは駆けていた。

 なるべく長々とした直線ルートではなく、曲がり角の多いルートを選別し、駆け抜ける中常に後方に袖口から球形の兵器を落としながら。

 袖から落としたものたちは数秒後光と衝撃を撒き散らし、それをまともに受けたであろう声も混在している。

 だがそれでも、状況は全く好転などしていない。

「視覚、嗅覚、聴覚を同時に潰して、霊的感覚まで鈍らせてようやくちょっとばかり距離を稼げるかどうかか……効果があるのは嬉しいけれど、こりゃもう駄目っすね!」

 既にアルフレートは右腕を失っていた。

 脇腹も大きく抉られ、鮮血がとめどなく流れる。

 魔人たる身であれば肉体の欠損に関わらず生命活動を持続することは可能だ。

 足二本残っているだけでも上等といえる、だがその上等も後何秒保つか。

 背後で狂ったように四方八方に突撃を繰り返している存在が感覚を取り戻すか、当てずっぽうの突撃が正確無比にこちらに向けばそれで終わりだ。

「ッ、っと!」

 右隣を駆け抜ける轟音。

 その衝撃波を丁度曲がり角を左側に飛ぶことで回避する。

 べしゃりと自身の体か叩きつけられ血が吹き出す音は、城の壁を粉砕する轟音にかき消される。

「ごふッ、はは……ちっぽけなもんだぜ」

 それでも何とか体勢を立て直し、次の直線距離を稼ごうとするが。

「……あは、治った」

 背後から、想定外の一言が聞こえた。

 思わず足を止めそうになるが、走り出したままアルフレートは頭を整理する。

「え、冗談でしょ? 早すぎない? 嘘だよね嘘」

 汗を吹き出しながら、アルフレートは振り向くことなく言葉を投げかける。

 そう、この問も聞こえているはずがない、少なくとも後数分は保つ筈が。

「嘘じゃないよ、慣れた。いやー、面白かったよ。色々手先が器用なのは知ってたけど、まさかこんなものを作ってるなんてね。こんなに距離を稼がれたのは久しぶりだ」

 あ、これあかんやつだ。

 アルフレートはこのタイミングで使うつもりの無かった次を袖から取り出そうとして。

 しかし、それはあまりに遅すぎた。

 後数秒判断が早ければもう少し生きながらえていたかもしれないが、それは過ぎ去った分岐点でしかない。

「じゃあね、アルフレートお兄さん。イヤッハアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

「が、ぅ」

 アルフレートを追う白い暴風、ヴォルフガング・シュライバーが遂に、その背の中心を捉え――

 

 

 

 

 

「一体何が……!」

「分からん、だが直ぐに分かることだ。それも、誰が暴れているのかという事実しかない」

 その轟音を、エレオノーレとベアトリスが聞いていた。

 黄金の招集により城に参陣した二人は、その廊下の先に血の匂いを感知していた。

 その喧騒の正体を知るため、二人は廊下を駆けている。

 進むごとに、何かを砕くような轟音は近づいている。

「近い、この先か」

 その曲がり角の先に原因がある。

 二人はその角から頭を出そうとして。

 

 その角の向こう側から轟音とともに何かが吹き飛ばされ、眼前の壁に激突したのを見た。

 

「なッ!?」

 その何かは人だった。

 血に塗れ、最早人の原型を留めていない犠牲者だ。

 右手を失い、体の半分は抉れ、今の激突で残る半分の体表も粗方潰されただろう。

 その死体としか思えない人型は、首だけを緩慢にこちらに向ける。

「……ああ。エレちゃんとベア子ちゃん。久しぶり」

「ナウヨックス少佐……」

「貴様、何事だナウヨックス」

 ベアトリスはその惨状に息を呑み、エレオノーレはその顔を認識するも容赦なく現状の説明を求める。

「はは……まあ、何というか。参ったねこれは……簡潔に言うと、たすけ、」

 その言葉は轟音にかき消された。

 容赦のない追撃が瀕死のアルフレートに突き刺さったことによって。

 常軌を逸した速度の突進から繰り出される獣の爪の如き腕がその首を捉えたのを、二人はかろうじで目視した。

「あはあ、つーかまーえた♪」

 そして、捩じ切った。

 アルフレートの首は宙を舞い、シュライバーの手の中に納まる。

 目玉が裏返った生首を、シュライバーは嬉しそうにその髪を掴んで手の中で回していた。

「な……ナウヨックス少佐!?」

「貴様は……確か」

 二人にとっては黎明以来の接触となるか。

 獣の爪牙になったとて、全ての団員が接触を済ませているわけではない。

 こうして城に招集されるまで好き勝手に過ごしている団員もいる。

 ヴォルフガング・シュライバーはその最先端と言ってもいいだろう。

 ただひたすら戦場で敵を殺し貪っていたのだから。

「んー? ああ、久しぶりだねお二人さん。君たちも黄金の爪牙になったんだ。つまり、これからは同僚ってわけか。うん、いいね。悪くないよ」

「何を……一体何をしているんだ!」

 ベアトリスは激昂のままに形成し、その剣をシュライバーに向ける。

 しかしシュライバーはそんな対応もどこ吹く風と、アルフレートの首を見せびらかすように掲げる。

「何って言われても……鬼ごっこだよ。アルフレートお兄さんとの鬼ごっこはね、とっても面白いんだ。お兄さんは足が遅いくせに色んな小細工で僕から逃れようとするから、追いかけてて飽きないんだよ。まあ、今回は僕の勝ちだね」

 そんな、目の前で仮にも同じ軍服を着る仲間を虐殺した態度に、ベアトリスは嘗ての邂逅を想起し、その時と何ら変わっていないということを思い知る。

 その怒りを雷と変えて、シュライバーを威嚇する。

「今すぐその首を置け。その人は死んで当然の人かも知れないが、そのような扱いを受ける謂れは誰であろうとないはずだ!」

 ベアトリスにとってアルフレートはたちの悪い上司だ。

 奔放で悪辣、規律破りで忠誠心は皆無。

 一体何故軍人などやっているのか。

 どちらかと言うと狂人側の住人であることに間違いはなく、聖槍十三騎士団への参入もまあこの人なら別に何の不思議もない程度には外道だと思っている。

 憧れの先輩も何があってこの人の相棒発言を受け入れているのか、正直理解に苦しむ。

 それでも、あのカズィクル・ベイや目の前のシュライバーに比べればマシな人だとは思う。

 何を考えてるかいまいち分からない道化でも、先輩について笑ってる時は不思議とそれが悪いものではないと思える。

 それはエレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグに対するリザ・ブレンナーのような。

 たとえ外道に堕ちた人であろうとも、嫌いきれない人というのは存在するのだ。

 僅かばかりの思い出でも、それさえ投げ出して憎むだけとなれば益々人から遠ざかっていく、ベアトリスはそう思うから。

 だから、その弔いのために剣を向ける。

「そんな怒らなくてもいいじゃん。ここはあの人の殿堂なんだし、むしろこれこそが本懐じゃない? ねえ、そっちのお姉さんはどう思う」

「ここがあの黄金の君の殿堂であり、この場に集う爪牙がその意に従うべきという意味では否定はしない。だがそれはそれとして、貴様の狂犬ぶりに同調するつもりもない。貴様の牙には誇りが感じられん」

「そりゃあ仕方がない。僕は頭のおかしいヴォルフらしいからね」

 エレオノーレも既に砲撃を撃ち込む準備を整え、その砲門をシュライバーに向けていた。

 この男は何をしでかすか分からない、狂気を人のかたちにしたような存在であれば。

 その迎撃に否はないことに一抹の喜びを、そして敬愛する上官がこの修羅道を否定しなかったことに一抹の悲しみを覚えつつ。

「ヴィッテンブルグ少佐、やりましょう」

ベアトリスは切っ先の雷を鳴らす。

「まあ、待ってよ。君たちとやりあうのも楽しそうだけどさ。とりあえずこれを見てよ」

 シュライバーはアルフレートの頭を突き出し、二人が何のつもりだと訝しむ前に、その行動を実行に移した。

 アルフレートの頭はシュライバーの手で握り潰され、その肉片が飛び散った。

「……どこまで! 死を冒涜するつもりだ!!!」

「待てキルヒアイゼン」

 その行いにベアトリスが踏み込もうとするも、エレオノーレが静止する。

 それに文句を付ける前に、エレオノーレが直感した何かが始まった。

「あは」

 ドクン、となったそれは、心臓の鼓動か。

 或いは、何かの駆動音か。

 その場にいた三人は、世界が歪み、不気味な停滞に沈んだのを知覚した。

 キィ、キィ、と歯車の軋む音。

 世界の果てより鳴り響く冒涜的な機関音が、耳元に残留する。

 

 チク・タク、チク・タク。

 チク・タク、チク・タク。

 カチリ。

 

「……え」

 ベアトリスは踏み出した足の勢いを止めた。

 視界に映る情報が一変していたからだ。

 

 そこにはシュライバーがいた、それは変わらない。

 しかしシュライバーが今しがた握り潰したアルフレートの頭部が、綺麗さっぱり消えていた。

 飛び散った肉片も、血の跡さえも。

 砕けた壁の中に沈んでいたはずの首無し死体も。

 先の空間を襲った違和感の直後、まるでコマ落ちのように、そこに誰もいなかったかのように消失しているのだ。

「あはは、何度見ても面白いね、お兄さんのこれ」

「いくら復活するからって死ぬ時は痛いんだから勘弁して欲しいんですがねえ……知ったこっちゃないですかそうですか」

 そして、その声が背後から聞こえて、ベアトリスとエレオノーレは振り返る。

 そこには、今しがた死んだはずの存在が立っていた。

「ナウヨックス、少佐?」

「今日も酷い目にあったぜ。改めてグーテナハト、お二人さん」

 無かったはずの右腕も、抉れていた脇腹も、捩じ切れた首も全て全て無かったかのように、身奇麗なアルフレートがそこにいた。

 げんなりした顔で首の調子を確かめているそれは、決して夢幻ではなかった。

「ちょっとイザークくんよー、助けてくれてもいいんじゃないの? いくら僕が『ルフラン』で復活するからってさー。お兄さん悲しいです」

『お前が犠牲になることに疑問を挟む意義が感じられない』

「あの頃の素直なイザークくんはどこに行ってしまったのか。誰も敬ってくれないなら生まれたばかりの子供に僕の偉さを刷り込んでやろう作戦さえも失敗に終わってしまった、僕はシュピーネ君以外の誰を虐めればいいんだ」

 いじけ始めるアルフレートを無視し、幼気で無感情な声が城に響き渡る。

『そこの愚か者はおいておけ。ヴォルフガング・シュライバー、満足したなら鼠狩りもここまでだ。エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ、ベアトリス・フォン・キルヒアイゼン。お前たちも矛を収めよ。黄金の命あらば、今は何よりをそれを尊べ。闘技場にて、黄金の君がお待ちだ。我が名はイザーク、イザーク・アイン・ゾーネンキント。このヴェヴェルスブルグの核にして、黒円卓の第六位、黄金の歯車である。総員、即座に参陣せよ』

 一方的に言い切り、言葉を終える。

 その宣言に、場の空気は一転し狂騒が終わりを告げたことを誰もが悟った。

「第六位……か。ナウヨックス、貴様が影として守っていた存在だな」

「そうだよー。イザーク君。バビロンが捧げた、ヴェヴェルスブルグの歯車さ」

「その当たりのことは後でじっくり聞かせてもらおう。今はハイドリヒ卿の御前へ。貴様もそれで否はないだろうな、シュライバー、それともあの人の命すら聞けぬほど狂っているか」

 エレオノーレがそう問うと、シュライバーは笑いながら答える。

「まさか! あの人は絶対にして至高。僕のすべてを捧げた黄金の輝き! それに、アルフレートが相手してくれてもう満足したからね。今日は十分満喫させてもらったよ。また鬼ごっこしようね、おにーさん」

「やだよ。ああちょっと掴むな自分で歩くって! 助けてエレちゃんベア子ちゃん!」

 アルフレートの首をひっつかみ、シュライバーは意気揚々と踵を返していった

 助けを求めるアルフレートの言葉はエレオノーレもベアトリスも無視した。

 大変不名誉な俗っぽい仇名で呼ばれることを二人は特に許してはいない。

「……何だったんですかね、さっきの。ナウヨックス少佐、確かに死んでいました、よね?」

 或いは自分の感覚が狂っていたのか。

そう疑問に思いベアトリスはエレオノーレに問いかける

「貴様と同じ景色を私が見ていたのかどうかは知らんが。少なくとも、私の目にもあの男は死んでいたように見えた。シュライバーに首を断たれ、その頭を握りつぶされ、魂さえ完膚なきまでに砕け散る、そのように見えた」

 そう、問題はそこから先。

 正に魂が砕け散る、その瞬間のことだった。

「世界が歪み、錆びついた、とでも言おうか。まるで出来の悪い映画のように世界が切り替わり、次の瞬間奴の死体は消え失せ、我らの背中に無傷で現れた。貴様もそう見えたか」

「はい、私も同じです」

「『ルフラン』、などと呼んでいたか。或いは、正体を見せぬ奴の能力の一端か」

 第六位代行、アルフレート・ナウヨックスは不気味な存在だ。

 魔人らしさを感じない、強さを感じない。

 脅威も恐れも、何も感じない。

 その能力の片鱗さえも、活動位階の身体能力以外見えるものがない。

 しかしただの雑魚と切って捨てるには、あの男は厄介に過ぎる。

「あれは不愉快で腹ただしい、誇りの何たるかを知らない下衆だ。だが、奴はそう在る為の研鑽を欠かさない。そこは唯一認めるべき部分だ」

 遠回しに、蔑みこそせど油断ならない存在だとエレオノーレは思う。

 果たして、その内に抱えるものとか何なのか、今はまだ、見えてこない。

「水銀より直に『裏切り者』の烙印を押された異端。キルヒアイゼン、貴様も警戒しておけ」

「……はい」

 常軌を逸した復活劇。

 それを記憶に刻み、二人は闘技場へと向かう。

 そこで、更なる『不死』の可能性を知ることをまだ知らず。

 

 

 ヴェヴェルスブルグ城にて 第七位列席直前の一幕 時記す歯車(ツァイトグロッケ)

 

 

 

 

「……どうやら、察するにナウヨックス卿がまた『死なれた』模様ですね。こうも繰り返されると、感覚が麻痺してきますよ」

 城全域に響いた声を聞いて、ヴァレリアンは何が起こったのかを大まかに察した。

 彼はアルフレートの能力を事前に知っていた、というか、それを見た一人だ。

「イザークを任せる手前、ああも軽々しく自分の身の上を扱うのは控えて欲しいのですが。いえ、無論彼が好き好んで死んでいるわけではないというのは分かっているのですがね」

「……イザーク」

 アルフレートは第六位代行、戦闘能力を持たない太陽の御子(ゾーネンキント)に代わり矢面に立つ存在だ。

 生まれたばかりのイザークの養育をしていたのもアルフレートである。

「私、時々思うの。彼にイザークを預けたのが、正しかったのか」

「リザ、それは……」

 困り顔をするヴァレリアンに、リザは頭を振り自嘲する。

「分かってる、自分から捨てておいて、自分から目を逸らしておいて、何を言ってるんだって。イザークは、彼に対してだけはちょっぴり辛辣で。それは、彼に対する誰もがそういう反応をするけど、他でもないイザークがそうすることは、悪くないことなんじゃないかとも思うわ」

 イザークは正に、レーベンスボルンから生まれた完璧な超人だ。

 その完璧さ故に、リザは直視することができなかった。

 しかし、その完璧な黄金色に、新たな色を生む程ではなくとも変化を与えたのだとしたら、それは一体何を意味するのか。

「でも、それでも思うの。彼は、見る人をひたすら不安にさせる。まるであの日のように、私は致命的な何かを犯してしまったのではないか、顔を合わせるたびにそう語りかけてくるようで。私は、正直彼とは余り長い時間顔を合わせていたくはないわ」

「それは、私も同じですよ。あの御仁は、色々とおかしい。双首領とは別の意味で。マレウスはむしろそれが興味深いと言ってはいましたが、私には藪をつついているようにしか思えませんね」

 人の心と感情を読むヴァレリアンから見て、アルフレートは恐るべき未知だった。

 輝きに圧され読むことすら叶わなかった双首領とは違い、読むこと自体はできたのだ。

 だがその読んだ先が。

「……どう見えたの?」

「言えません。言いたくない。言葉にしてしまえばリザ、貴方もそれを直視してしまうような、そんな怖気が背中を走る」

(時計の音。ただひたすら、四方八方から。チク・タク、チク・タクと。私には彼が分からない。いいえ、なまじその表面が分かってしまうからこそ)

 その時、ヴァレリアンは確かに聞いてしまったのだ。

 あらゆるものは意味を持たない、アルフレートの深淵から響いたその声を。

 それを思い出し身震いし、ヴァレリアンは『もう一人』に話を振ることにした。

「……貴方は、どう思われますか。シェレンベルク卿」

「……ん?」

 ヴァルターは書類を眺めながら、ヴァレリアンとリザの三歩後ろを適当に歩いていた。

 この招集にいかにも面倒くさいという顔をしていた彼は今も手元で仕事の中身を改めながら。

 一応話を聞いてはいたようだが、文字の上を滑らせていた視線をようやく向ける。

「貴方とナウヨックス卿は懇意の仲だ。彼と最も親しい人間は誰かと言えば、それが貴方であることは疑いようもない。次点でアイヒマン中佐でしょうか。貴方は、何を思って彼と友誼を結んでいるのでしょうか? 相棒、親友と呼ぶ彼を受け入れ、共にあるのか」

「あいつが訳分からん奴だというのは同意する」

 律儀に書類にチェックを挟み封筒に入れ、ヴァルターはそれに答える。

「何を考えて魔人になったのかだの、その正体は何かだの。そんなことは俺も知らない。お前らはそれが不安だって言うんだろう。気味が悪いと。全く同感だ、あれはいつか碌でもないことを起こすだろうよ」

 ヴァルターは、ヴァレリアンの言い分を一切否定しなかった。

 アルフレートは不気味で、得体が知れなくて、信用ならなくて、その内に正体不明の闇を抱えるおぞましき何かであると。

「では、何故」

「俺にとっては、そんなことはどうでもいいことだってだけだ」

 ヴァルターはヴァレリアンの抱くまっとうな不安感をばっさりと切捨てた。

「碌でなしで気持ち悪くて人の迷惑になるようなことばかり好き好む外道だが、俺にとっては友人だ。あいつのすべてを知ろうだなんて思わないし、あいつもそれを分かってて俺の前では少しばかりやりすぎるのを慎む。俺はそれでいいと思ってる」

 不快げに、しかし否定はしない。

 ヴァルターにとって、そんなことは重要な事ではない。

「道化者で笑い上戸で馬鹿ばっかりやる面倒くさい同僚。それだけ分かってればいい。ベルリンに来てからの付き合いだが、あいつは真っ先に俺との友誼を望んだ。俺はあの時それを受け入れて、今もこうして続いてる。それだけの話だ。きっとこの関係は、あいつが俺にとって譲れない一線を越えるときまで続くんだろうさ」

 もういいか、と言って思わず歩みを止めたヴァレリアンの先に進んでいく。

 ヴァレリアンはその背中を暫し瞠目し見つめていた。

「何と、やはり彼は」

「私は、何となく分かるような気がするわ。馬が合わなくても、嫌い合っていたとしても、一緒にいる。エレオノーレっていう身近な例がいるから」

 ヴァルターとアルフレート。

 その関係は、まるで血盟の絆を思わせた。

 どれだけおぞましかろうと、不可解であろうと。

 或いはいつの日か、その本質から来る裏切りを受けようとも。

 彼はきっと真っ向からそれを受け止め、怒りに行くのだろう。

 そして、ヴァレリアンにはそれ以上のことが見えた。

「よもや彼は……あの御方にも……」

「? 何か言った、ヴァレリアン」

「……いいえ、何も。足を止めてしまい申し訳ない、さあ、行きましょうか」

俺にとっては友人だ、そう言ったヴァルターの心の中の影には、もう一つの姿があった。

(シェレンベルク卿、貴方は。あの黄金の君にさえ。玉座にあって敵対を宣言をして尚、友としての影を今も抱いているのですか)

 嘗て、底知れぬ漆黒の渦の如きその精神を見た。

 中央に微かに差す光は時が経つに連れ輝きを失い一時期漆黒に染まると思われたが、彼が列席したその時に漆黒の渦に大きな光が差した。

 彼の心の中は、正しき道で構成されている。

 ただそれを執行する根源が、血の通わぬ鋼鉄の機関の如き絶対性を有していたが故に、ヴァレリアンはアルフレートと同じくヴァルターも恐れていた。

 今は、あの時ほどの恐れはない。

 何があったのかは分からない、そのまばゆき輝きはその先だけを遮っている故に。

 しかし、その輝きに触れたからこそ、ヴァレリアンは思った。

 それは狂気なりし、恐るべき『尊さ』であると。

 その輝きは『愛』と呼ぶべき、また彼自身がそう定義しているものであると。

 

 

  ヴェヴェルスブルグ城にて 第七位列席直前の一幕 拒絶せし大黒天(シェイドウィルダー・マハカーラ)

 

 

 




時記す歯車、ツァイトグロッケ。
拒絶せし大黒天、シェイドウィルダー・マハカーラ。
そんな感じの魔名。

ナウヨックスはエインフェリアじゃないよ。
エインフェリアを見て、エレちゃんあたりは小僧の不自然さに気づいたりする、多分。

ヴァルターの友情論は剛三さんとセージに似てる。
そりゃあまともな人間がまともなスタンスとってたらあんな裏切りマンと付き合えないよ。

神父の評価
総首領:この世で一番やべーやつ
ナウヨックス:存在そのものが気持ち悪いやつ。すげーとかやべーよりきめえが勝る。
ヴァルター:つい先日までナウヨックスと双首領の中間だったけど、何か暖かい方向に……?



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Fragments:黒円卓招集Ⅱ

流石に連連日投稿は無理だったが二日後には間に合わせたぞ。
なんかランキング11位とかに一時的に登ってたようで、ありがたいことです。
評価20は愚か30も突破してるし、これは読者の望む展開を引っ張ってくるしかねえな!
的な話です、今回は。一万字越えてしまった。

さて今回のフラグメントは

1:チンピラVSワーカーホリック
2:クラウディアちゃん、色々と察される
3:ベア子のフラグ建築

多分3のついての感想が一番多くなる。


「よお、久しぶりだな優男。ツラ貸せよ」

 黒円卓第七位を決定する蠱毒の場にて、ヴァルターとヴィルヘルムは再び邂逅した。

 あの黎明以来であり、ヴァルターにとってはしこたま銃弾を撃ち込んでやった相手であり、ヴィルヘルムにとっては取り逃がした気に食わない相手の一人である。

 数年越しの忌々しい顔との邂逅を、ヴィルヘルムがそのまま見逃す理由はなかった。

「ちょ、貴方何喧嘩売ってるんですか、止めて下さい」

「どけクソチビ、お前はお呼びじゃねえんだよ」

「ヴァルターさんだって貴方なんかを呼んではいませんよ、どっか行け!」

 すかさずベアトリスが間に入り威嚇する。

 どうせ殺し合いを始めようとしている腹だろうと踏み、そしてそれは間違っていない。

「別にこいつが第十位にいることに文句はねえよ。黄金に忠を誓ってないのはまあいい。まるで対等みてえに振る舞ってんのは万死に値するが、あの人が許した以上気に食わなくても文句を言う筋合いはねえ」

 だからよ、とヴィルヘルムは続ける。

「いっぺん確かめさせろやっつってんだよ。この優男があの人にそこまでさせる資格の欠片でもあるのかよ。昔の副官がどうだの、関係あるかボケ。それさえ相応しくないようならここでぶっ殺してやらぁ」

「この……」

「キルヒアイゼン、いい」

「え、うひゃあ!?」

 殺気立つヴィルヘルムに、更に何か言おうとするベアトリスだったが。

 ヴァルターがベアトリスの襟を掴み、自分の後ろに持っていく。

「何するんですか!」

「どうせ拒否しても延々と続く。最悪後ろから襲いに来るだろう。突発的ではなくそれなりの理由があるのなら、それを消化しないと終わらないよ」

「それは……でも」

 抗議しようとするも、その言い分に口籠るしかなく。

 ベアトリスがあれこれと考えている内に、話は進む。

「受けよう。闘技場でいいか」

「ああ。精々期待に応えてくれや、優男」

「……ああ、もう! 私も付いていきますからね!」

 ヴァルターの返答に、ヴィルヘルムは獰猛に笑った。

 

 

 

 

 

「おらおらどうした! 尻尾捲くってんじゃねえぞ!」

 ヴェヴェルスブルグの闘技場は今や一面が針の筵ならぬ杭の筵となっていた。

 白貌の吸血鬼、ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイの形成による吸血の杭が降り注ぐ中をヴァルターは稲妻の如くその間隙を疾走する。

「オラァ!!!」

 ヴィルヘルムの放つ鮮血の杭は際限を知らず、回避するごとに徐々に密度を上げていく。

闇の賜物(クリフォト・バチカル)、その形成位階。

 ヴラド・ツェペシュの串刺しを再現する吸血の杭は、掠めただけでもその生命力を奪い取る絶死の磔刑であり、ヴィルヘルムとの相性は最高峰。

 一度絡め取られれば、後は奈落へ堕ちるだけだろう。

 だが、しかし。

 ヴァルターの振るう腕より生じる、漆黒の茨。

 彼の腕を絡め取りながら放たれる茨の鞭が、その串刺しを許さない。

「気に入らねえ。この俺に対して茨だと? 薔薇の夜を統べるこの俺に、パチモン共がこぞって群がりやがって!!!」

 一本、二本、十本の棘持つ茨。

それが折り重なり、鉄条網の如くその軌道を塞ぐ。

 そして茨の壁と接触した杭は、それを貫くことなく砕けていく。

「ちっ、成る程な。保身だけはいっちょ前と来るか。ムカつくぜ」

 既にこの攻防を何度か繰り返し、ヴィルヘルムはヴァルターの特性を概ね把握していた。

 近接距離(ショートレンジ)での肉弾戦に入ろうとするも即座に突き放される、中間距離(ミドルレンジ)を保つのに異様に秀でた間合い取り。

そして自身の放つ杭すら通さない硬度を持つ上に柔軟性も兼ね備えた茨。

 思えば人間だった頃に相手をした時もそうだった。

 この男は防衛戦の達人。

 敵からの攻勢を完璧に遮断し、一方的に削り取っていく、そういう戦術だ。

「舐められたもんだぜ……このカズィクル・ベイの力が、てめえ如きに捌ききれるようなもんだと思ってんじゃねえ!!!!!!」

「!」

「丁度いいぜ、幾らか器の中身を減らしておく必要があったんだ。ここでてめえをぶっ貫いてやるために使ってやらあ!」

 吠え叫びながらも突進するヴィルヘルムはその実、頭の中で勝利への道筋を描いていた。

 この一連の攻防の中で、既に材料を揃えていたのだ。

 内包する魂を燃焼させての疾走、その瞬間創造位階に匹敵する速度を得たヴィルヘルムは、ヴァルターの反応速度を上回った。

「その硬さは大したもんだ。創造まで使わねえと確実に殺るには不足かもしれねえな。だがよ、その自慢の茨。展開するにも限界があるんじゃねえか」

 展開された茨の直前まで距離を詰めたヴィルヘルムはそこで急停止し、弧を描くようにヴァルターの横へと抜けていく。

「……ちッ!」

 その反応に、ヴィルヘルムは自身の出した結論が間違っていないことを確信した。

 十本、未だそれ以上の数が展開されるのをヴィルヘルムは見ていない。

 また伸縮自在ではあるものの、それを確実に操っているのは自身の周囲と、恐らく視界が届く範囲内のみ。

 つまり簡単な話、その能力は最低限の備えしか張れない視界の外からの強襲に弱い。

 そして今ヴィルヘルムは一手、ヴァルターが向き直るまでの瞬間を取る。

 その背中に狙いをつけ、疾走とともに手刀を突き出す。

 背後への茨の展開は間に合わない。

 本数が足らず、その合間を突かれる。

 舌打ちをした瞬間その結論に達していたヴァルターは、既に準備を済ませていた。

 即ち、剣を抜く準備を。

 

形成(イェツラー)

 

 何かを肩に担ぐように掲げられた右腕。

 

聖約・神鉄の王冠(コローナ・フェッレア)

 

 それは、くろがねの輪。

 神の威光を称える、突き刺す槍と対を成す、国を守る王の冠。

 では、ない。

 それは王を頂く冠などではない。

 

 くろがねの輪は鍔のように、それを染める漆黒が、剣のかたちを取る。

 

聖姫・戴冠黒王剣(カテリナ・マハカーラ)

 

 そこから溢れようとする何かを感じた瞬間、ヴィルヘルムは無意識の内に飛び退いた。

 そして、ヴィルヘルムは見た。

 ヴァルターの背から伸びる漆黒諸刃の長剣。

 今まで放っていた茨とは比べ物にならぬ、拒絶の意思を。

「舐めやがって。今までのは形成ですらなかったってか」

 言葉とは裏腹に、その口元は愉悦に歪む。

 いいぞ、いいぞ、そうでなくてはつまらない。

「だってお前、こういうの見たらやる気になるタイプだろう。だから使いたくなかったんだ」

 黒の剣を振りかぶり、ヴィルヘルムに向き直る。

 長剣程あった剣身はみるみるうちに縮み、小剣程度の大きさとなった。

「取り回しが楽な方がいいな。長くするのは一瞬でいいか。じゃあ」

 ヴァルターがおもむろにその切っ先を向ける。

「ず、ぉッ!?」

 首を傾けたヴィルヘルムの耳を、黒い閃光が掠めた。

 距離を取っていたヴィルヘルムにさえ一瞬で届くほどの速度でその剣身を伸ばした黒剣は敵を貫けなかったと見るや即座に砕け、次の瞬間には小剣に戻っている。

「行け」

「クソがッ!」

 そして、追撃の茨が降り注ぐ。

 四肢を狙うそれは横に伸びる棘も添えて、生半可の回避を許さない。

 手足のいくらかを棘に裂かれつつヴィルヘルムも攻勢に出ようとするが。

「おッ、がぁ!?」

 裂かれた部分から電流が走るような衝撃が全身を襲う。

 足が止まる、腕が止まる、思考さえも止まる。

 その一瞬、一瞬が魔人同士の戦闘には致命的な瞬間であり。

 その一瞬で、黒剣がヴィルヘルムの肩を貫いた。

「が、ああああああああああああ!!!???」

 先の電流の如き衝撃が、貫かれた肩から全身を巡る。

 まるで細胞一つ一つが丁寧に焼き切られていくかのような錯覚さえ覚える。

 全身の動きも、抵抗の意志も、遂には命さえ拒み封じるその剣能。

「……うッ!」

 しかしその優勢は突如として放棄される。

 心臓を掴み苦しみだしたヴァルターはヴィルヘルムを貫いていた剣を抜き、距離を取る。

 膝をつき、息は荒い。

 腕に絡みついた茨から、苛みの音がじくじくと鳴っている。

 黒剣の剣身は実像がぶれ、歪みが生じている。

「……カハッ、んだよ。随分無理してるみたいじゃねえかルーキー」

 腕と足の感覚を取り戻したヴィルヘルムが立ち上がる。

 未だ先の感覚は抜けきっておらず、万全には程遠い。

 しかし、それはヴァルターも同じこと。

 どういうわけか、劣勢に立たされたヴィルヘルムと同程度の消耗を強いられているのは熟練度不足か、単にそういう能力なのか。

 しかし、今となってはどうでもいい。

「いいぜ、認めてやるよ第十位。シェイドウィルダー・マハカーラだったか。てめえは少なくとも、俺達の敵たる器だ」

 形成同士の戦闘であわや屈する寸前まで追い込まれた事実を、ヴィルヘルムは認めた。

 成程、ただの優男ではなかった。

 だが、それでも俺の勝ちだ。

 てめえの防御は薔薇の夜を前には無力だ。

「受け取れシェイド。俺の世界をよ」

 揚々と、歌うように、その両手を広げ闇が溢れる。

 吸血鬼の夜が、その身の内から溢れ出す。

 

 

『かつて何処かで そしてこれほど幸福だったことがあるだろうか』

 

 

「ベイ、そこまで!」

「そこまでです! ヴィルヘルム!」

「ああん!?」

 創造を展開しようとしたヴィルヘルムは、その声に冷水をかけられたかの如く振り返った。

 一人はベアトリスだ。

 聞き間違えようもないその声のみだったなら、ヴィルヘルムは無視していただろう。

 しかし、聞き捨てならない声がもう一つ聞こえた。

「はん、不本意ですが私が止めに入るよりも、貴方にとってはこちらのほうが効果があるでしょう。ええ、本当に不本意なんですけどね。貴方なんかのために彼女を連れてくるのは」

「ベアトリスさんから聞きました。ヴィルヘルム、望まない相手に喧嘩を売ってはいけませんよ! 彼は同じドイツ軍の仲間ではないのですか!」

「おまッ、ふざッ」

 蒼穹を映したような銀髪の少女が、ベアトリスの背に続いていて。

 それを見た瞬間ヴィルヘルムは戦闘を中断せざるを得なかった。

 この少女を薔薇の夜に今巻き込む訳にはいかない。

「ああもう、貴方もこんなに傷を負って。あの方も顔色が真っ青じゃありませんか! これ以上はやり過ぎというものでしょう」

 クラウディア・イェルザレム。

 ヴィルヘルムがワルシャワで見初め、その魂の輝きが頂点に達した時喰らおうと連れて帰った少女だった。

 そしてその動向に興味を持った城の主によりヴェヴェルスブルグに招待され、その存在は既に黒円卓一同に周知されている。

「あのな、おい。空気読めやこのスカタンが。俺らはこの程度でどうにかなるほどヤワじゃねえんだよ。いいからさっさと失せ」

「彼には暖かいベッドが、貴方には傷を塞ぐ包帯が必要です。行きますよヴィルヘルム」

「話聞けや! ああクソッ! てめえチビガキ、やってくれたな後で覚えとけよ」

「ふーん、何を覚えておけばいいんですかねえ。チンピラの戯言なんて世界一意味のないものを律儀に覚えておく必要性が感じられませんな。あ、クラウディアはごめんなさい、利用するみたいな形になってしまって」

「いえ、いいんです。ヴィルヘルムがいけないことをしているなら止めないと」

 ベアトリスはどこ吹く風とヴァルターに駆け寄りその肩を貸す。

「大丈夫ですか? このまま連れて行きます?」

「……自分で歩ける」

「よし駄目っぽいですね。肩貸しますね」

「いやお前ね。……もういい、頼んだ」

 何やら似たようなやり取りで押し切られたヴァルターにほんの僅かに共感しつつ、また取り逃がした、という思いがヴィルヘルムに渦巻く。

「ち、まあいい。てめえがそれなりだってことは理解した。黒円卓の席に着く以上機会なんざいくらでもある。ハイドリヒ卿に逆らった時がてめえの最後だ」

 その時は俺が吸い殺してやる。

 赤騎士に続き、串刺し公も大黒天に対する意思を固める。

 数年越しの争いは一区切りを迎え、やはり串刺し公はまだその業に縛られていた。

「悪態ついてる暇があるのなら足を動かして下さい。私の部屋ですよ、分かってますね」

「うるせえよ畜生!」

 

「…………」

 その一部始終を闘技場の端で鍛錬がてら見届けていた黒騎士は、黒の剣を振るっていた男の背中を見つめていた。

 

 

 ヴェヴェルスブルグ闘技場にて 串刺し公と大黒天の戦い

 

 

 

 

「いいですかクラウディア。貴方はベイから離れるべきです」

 ベアトリスが息を巻いて語っているのを、クラウディアが困り顔で聞いている。

 その横で、ヴァルターが机の上の書類を片付けている。

「貴方のような若人が、率先して身投げするようなことを、見過ごせるわけがありません。いくら今のドイツが斜陽に傾いているからといって、今ある幸福を捨てる必要などないのです」

「はあ、それは。そうですね」

 それはいつもの押し問答だった。

 ベアトリスが人道を語り、クラウディアは困りつつも肯定し、しかし自身には顧みない。

 ベアトリスも業を煮やしているのだろう、故にこの場にクラウディアを連れてきたのだ。

「ヴァルターさんも何か言ってあげて下さいッ! 絶対おかしいですよね!」

「……最初からそう言えよ。部屋に来るなり説教始めて。何となく目的は察してたけど」

 ヴァルターはため息を吐き、椅子の向きを変える。

 ベッドにちょこんと腰掛けるクラウディアと向き合うかたちになる。

「改めて、ヴァルター・シェレンベルクだ。クラウディア・イェルザレムだったな」

「はい。ヴィルヘルムのお友達の方ですよね? ヴァルターさんとお呼びしても?」

「んん……あの光景を見ておいて友人というのか……生き死にとかそれ以前に箱入りっぷりが抜けきってないな」

 ヴィルヘルムに殺意を向けられつつ闘技場で殺し合っていたのを見ていただろうに。

 いや、ヴィルヘルム・エーレンブルグという男の性質を顧みれば殺し合いの相手=友人と解釈するのは無理ないし意外と的を射ているのかも知れないが。

「とりあえずこの小娘のくっそ下手な説得という名の罵倒では要領を得ないから基本的な部分から順繰りに質問したい。手間を取らせてしまうことになるが、いいか」

「はい、私は構いません」

「ちょ、ヴァルターさんひど」

「うるさいよ、黙っとれキルヒアイゼン」

 あんまりな物言いに抗議するベアトリスを押しのけ、ヴァルターは質問をする。

「侵攻されるワルシャワの中、ベイに命を救われたらしいな」

「はい、ヴィルヘルムは瓦礫に押しつぶされる寸前の私を救ってくださったのです」

「それが偶然だとしても、恩義を感じていると」

「はい、偶然だというのなら、それは主の巡り合わせというものでしょう」

 彼女の事情は一通り聞いていたし、ベアトリスとの問答の内容も聞いていた。

 先ずは、そこから本当に必要な部分と不要な部分を選別することから。

 ヴァルターは一つ目の斬り込みを入れた。

「巡り合わせ、ね。むしろそちらの方を強く感じているんじゃないか。アルビノ、ノアの子、だったか。救った、ということは先に来た要因であれど優先度は低く、運命を感じた、の方に君は比重を置いているのでは」

「それは……」

「だとすれば、命に報いるという話は後付の理由でしかなくなる。主題に置くべきは君にとっての『運命』の話だな」

「……はい、そうですね。その通りです。きっと私は、例え命を救われた事実がなくても。ヴィルヘルムと出会い、ついていったと思います」

 まず一つ。

 命を救われたのだからそれに報いると言った部分。

 そこに置くべき重みを感じなかった。

 故に、そこはクラウディアにとって本当に重要な部分ではない。

「では、運命の話だ。ノアの子であり、昼間を生きられぬ夜の子。故に自分は半分しかなく、あらゆる情動も半分なのだ、とか言っていたか」

「はい。喜びも、悲しみも、怖さもあります。でも、私はそれらを本当に心から感じていると確信できたことがないんです。だから」

「…………」

「あの、どうされました?」

ヴァルターは目を閉じ黙りこくった。

 眉根を寄せ、ゆっくりと息を吐く。

「いや、すまない。こっちの事情だ。今している話とは関係なかった。続けてくれ」

「はい。えっと、だからですね。私には皆さんが眩しく思える。皆さんの満ち足りた姿という到達点が。そしてだからこそ、やはり自分は半分なんだと思うんです」

「そして同じノアの子であるベイと出会った。自身と同じ存在でありながら満ち足りた輝きを持っていたベイを見て、この人なら自分の欠けた半分を見つけてくれると思った。そういうことでいいか」

「はい、その通りです」

「…………」

 ヴァルターは再び目を閉じ、ベアトリスは目を伏せる。

 そう、これだ。

 この渇望と言える頑なさを前に、ベアトリスがいくら説得してもクラウディアには通じなかった。

 

 彼なら自分の半分を埋めてくれる。

 そのためなら命も惜しくない。

 それが最後、例え死の瞬間であろうと、その充実した瞬間を味わえるのなら。

 

 そして、そこに至るまでの過程に、欠けた部分があることに、ヴァルターは気づいた。

「……………………足りない、詰まる所そういうことか」

「…………」

 ヴァルターが小さく言ったその言葉を、ベアトリスは聞き逃し、クラウディアは聞いた。

 そして長い、長いため息を吐いて、問いかける。

「イェルザレム。君はベイについていくか」

「はい。私はヴィルヘルムを信じています」

「奴がおおよそ外道の悪鬼と知ってか」

「はい。彼は悪い人です、けれど、眩しく尊い人なのです」

「後悔はないか」

「ありません」

「キルヒアイゼンの言ってることは、間違ってると思うか」

「いいえ。ベアトリスさんは正しいし、とても良い人です。このお城でも良くしてもらって、気にかけて頂いて。本当に嬉しいです」

「でも、譲らないんだな」

「はい、譲れません」

「分かった」

 ヴァルターはベアトリスの方を向き、きっぱりと結論を下した。

「悪いが、無理だ。俺には今のこの子を説得することはできないな」

「なッ……!? そんな!?」

「だが」

 愕然とするベアトリスに、ヴァルターは続ける。

「俺も、暫く気にかけることにする。だからお前もこの子のことを変わらず気にかけてやれ。いいか、説得できるとかできないとか、そうでなくて。お前の善意のままに接し続けてやれ。理解できなくても、悲しくても、それでも。諦めるな、嘆くな、蔑むな」

 それがきっと、俺達にできるせめてものことだろう。

 ベアトリスに対しそう言って、そしてクラウディアに対しても言葉を続ける。

「君も、こいつがそうあることを受け入れて、話してやってくれ。何度でも。この馬鹿が何か諦める素振りを見せたら挑発の一つでもしてやってくれないか」

 クラウディアはその言葉に一瞬ぽかんとした顔で。

 やがて小さく笑みをこぼしながら頷いた。

「はい。ベアトリスさんとは、もうお友達ですから」

「そうか……ありがとう」

「こちらこそ、ありがとう、ございます」

 それにクラウディアは控えめに頭を下げて。

 ヴァルターはん、と小さく返した。

「えっと、とどのつまりどういうことです?」

「数えられる程度突っぱねられたくらいでしょぼくれてないで毎日耳元で囁いて洗脳でもすればどうだって話だ」

「ええ……? それはちょっと困りますね」

「え、いやそんなことしませんよ! しませんからね?」

 そこからは一転して、微かな談笑の時間が続いた。

 

 

 私室にて ヴァルターとベアトリスとクラウディア

 

 

 

 

 私は、この人のことをどう思っているのだろう。

 ベアトリスは改めて、自分に問いかける。

 黄金の幕下となる前から、ユーゲントを卒業し軍人になる前から。

 長いこと接してきた人だ。

 アッシュブロンドの髪に、海の底のような透き通った青い瞳。

 昔は疲れ切った鋭い目をしていたものの、今は不思議と暖かみを感じるような。

 今でも時々鋭く意地悪だけれど。

 とても優秀だけど、どことなく放っておけない先輩。

 庁舎では一日十五時間労働をしていたという、というか今も尚時々しているらしい仕事に毒されたスーパーワーカーホリック。

 基本ドライだけど、色々と気にかけてくれる人。

 一時期すっごい冷たかったけど、人として真面目に在ることを重んじる人。

 

 今も線を引いて、踏み込ませてくれない人。

 そして誰かの引いた線にも、決して踏み込もうとしない人。

 

 線引云々のことについて気づいたのは、黒円卓に加入してからの話だ。

 あの頃は、皆色々とおかしかった。

 私も後悔が重なって、塞ぎ込んで、変になってたあの人とかち合って、失望してしまって。

 そしてあの人も、黒円卓になって、変になってた時のこと、謝ってくれて。

 けれども、何があったかは最後まで言ってくれなかった。

 カテリナさんが、ヴァルターさんのお母さんが、死んでしまったらしい。

 あの人はそれだけ言って、誰のせいでもない、自分のせいだとだけ言って。

 そこから先には、踏み込ませてくれなかった。

 

 私は、私のことについて話した。

 一度口にすれば堰を切ったように、止められなかった。

 ヴィッテンブルグ少佐を、一人修羅に落とさないため。

 何ができるかなんて分からないけど、その時力を持って側にいなければ、それこそ何もできないから、叶うことなら、救い出したいのだと。

 話すだけ話して、ヴァルターさんはそれを聞くだけ聞いて。

「そうか。なら、見失うなよ」

 と、それだけ言った。

 その時、私は思ったのだ。

 この人は、私の為そうとしていることに対し、特に肯定も否定もしていない。

 ただ、そうか、と、分かった、と。

 それだけを言ったのだ。

 

 そのことについて、改めて思う。

 きっとそれは、争いたくないとか、意見がないとか、そういうことじゃなくて。

 あの人は、最初から私の意思の奥の奥にまで触れてくるつもりがなかった。

 『真に理解されることはなく、真に理解することもない』。

 水銀があの人に送った呪いの言葉の意味に、触れた気がした。

 きっと、誰に対してもそうなのかもしれない。

 私は、どうなのだろう。

 あの時、私は私の行いを肯定して欲しかったのか。

 例え愚かだと言われる可能性があっても、心の奥底に響く答えが欲しかったのだろうか。

 

 ……それは、分からない。

 分からないものは、分からないのだ。

 だって、あの人は私を慮り、尊重してくれている、それだけは事実で。

 その事実を逃げとか、誤魔化したとか、そんな風に言うつもりは毛頭なかった。

 だって、あの人。

 黒い黒い、漆黒の茨を纏うあの人は、きっと自分自身を、傷つけるものだと定義している。

 聖遺物制御の訓練中それを見た私は、それを聞いた。

 きっとそれは、あの人が魔人となった背景でも在るのだろう。

 そこに触れる術を、私はまだ持たない。

 でもあの時私は、確かにそこに垣間見たのだ。

 その手で触れるだけで、その目で知るだけで、ただそこに在るだけで、誰かを傷つけてしまうものがこの世には存在して、あの人は自分をそう定義しているのだと。

 なまじ黄金と水銀という実例があるから、それを否定できない。

 だからあの時の私は、貴方は傷つける人じゃないって、守る人だって、拙くも口にして。

 そしてあの人は、剣を抜いて。

 

 それは、正しかったのか。

 あの人はきっと最初、自分が傷つけるものでありつつも、そのかたちを取ることに躊躇いを見せていた。

 私がその背を推して、あの人の真の形成は剣のかたちとなった。

 守るための、剣。

 どの口が言うのか。

 私が何を守れているのか。

 私はまた、リザさんや神父様の時のように、やってはならないことをしてしまったのでは。

 そんな淀みを、今も私は抱えている。

 そして、あの人はそれに触れることはない。

 ただ、ただ、私を見守っている。

 あるがままに、これまでの醜態などなかったかのように、いつかベルリンの街角で、ゆるく談笑していたあの頃のように。

 

「……先輩」

「何だ、キルヒアイゼン」

「私達、もう結構な年月の間柄だと思いません?」

「だな。此処にきてからはアルフレートとハイドリヒの次に長いか」

「先輩は私の事、どう思ってます」

「手のかかる後輩」

「そういう立場とかじゃなくて、もっと個人的に」

「じゃあ手のかかる友人」

「なんで手のかかるを頑なに訂正しないんですか」

「事実だろ」

「……ですか、友人、友人ですか」

「何だよ。恥ずかしいことでも言わせて悦に浸りたいのか。性格悪いな」

「なッ、そんなこと誰も言ってないでしょ、邪推しないでくださいよ」

「俺にとっては貴重な、大切な友人だよお前は。これでいいか」

「……なら、呼んでくださいよ」

「呼ぶって、何を」

「キルヒアイゼンって、頑なに上官と部下みたいに。ヴィッテンブルグ少佐じゃないんですから、そのくらいの柔軟性は発揮してもいいんじゃないですか。大切な友人、なんでしょ」

「…………」

「何ですか。そんなに嫌なんですか」

「……いや、そうか、そうだな」

 

「なら、これからはベアトリスと呼ぼう。遅くなってしまったか」

 

「本当に遅いですよ、薄情なお兄さんですね」

 

 私は、この人のことをどう思っているのだろう。

 年上の友人?

 尊敬する先輩?

 頼りになる同僚?

 それとも……それとも……。

 まだ、答えは出ない。

 でもきっと、部分的にも、総合的にも、嫌いでは、ない。

 色々考えて、色々省みて、今の私はそう結論をつけた。

 この人の線引を、私は心地よいと思ったから。

 

 

 ベアトリスの独白 名前を呼んで

 

 




「この僕の全話皆勤賞がッ! あろうことか邪魔されたッ! 本来なら僕とマレウスの怪しい魔術談義が挟まるはずだったのにッ! こんな砂糖噛んでるようなあいのり日記に邪魔されるとかッ! このような暴挙が許されていいのか、いやないッ!」

「まあ真ヒロインの私が優先されるのは必然ですから。バックスタブ少佐の怪しい陰謀フェイズとかお呼びじゃないんで。これはもう皆勤賞は私だけの独り占めですね! いやー辛いわー作者から優遇されて辛いわー。さようならバックスタブ少佐、お元気で」

「史実という名の原作をを裏切ってる奴がよく言うわ。乙女ゲーの主人公に転職なんかして恥ずかしくないんですか?」

「よし表出ろ、焼いてやる。向こうの私とこっちの私は関係ないんですぅー!」


あとがきに挟まざるを得なかった茶番。



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Fragments:輝き 暗闇

AbemaでDiesアニメ放送の五分前に投稿。
一万四千字近く書いた。分割するべき部分が見当たらないのでそのまんま投げ。
もうそろそろフラグメントと嘯くのも限界になってきた気がする。

さて本日のフラグメントは

1:アルフレートとルサルカの科学大迫力研究所、ブルコギドンはまだいない
2:メトシェラ戦(ベアトリス視点、ヴァルター視点、アルフレート視点)

の二本です。二本ていったら二本なの。


 広大な領域に、規則的な時計音が鳴り響いている。

 それ以外の音は、人の息遣いしかない。

 それは静謐なる知識の間、この世の闇のすべて、すべてがそこにある。

 或いは、それを何者かが模倣したものか。

 しかしそれはこの世の闇を体現する場にて、今は暗がりの密室とは呼べぬ。

「というわけで、ようこそマレウス、僕の『秘密研究室(ヴンダーカンマー)』へ! 歓迎しちゃうよ」

 その理由はこの、場違いに間の抜けた声の主が原因だろう。

 アルフレートは大量の駆動機関がひしめく研究室の中心でくるくると回っている。

「おっどろき。シュトレゴイカバールからの土産話、今更のように話題にしたと思ったら。あの鉄塔、やっぱり発掘機関(イニシエイト・エンジン)の宝庫だったのね」

 そこに招かれたのは、マレウスと呼ばれる少女の姿。

 アンナ・マリーア、今はルサルカ・マリーアを名乗る黒円卓の同胞。

 黒円卓内において、アルフレートとルサルカはそれなりに近い位置にいる。

 『全てを裏切り続ける』という祝福を受けたアルフレートに友好的に接する団員は少ない。

 その少ないうち、ヴァルターは変わらず友人として、ルサルカは共同研究者というビジネスライクな間柄で、そしてイザークは果たして何を思っているのか。

 とかく、ルサルカはその興味に従い、アルフレートの招きを受けた。

 かのシュトレゴイカバール、百年前自分が挑み、敗北した機械化結界。

 それを抜け、聖遺物を手に入れたというアルフレート。

 その来歴を知るのは恐らく水銀と自分のみであったが故に。

「鉄塔内の発掘品全部持って帰るにはスペースが全然足りなくてね。暫くの間は現地でいろはを把握して、こうして研究室を作ってみたわけさ。どう、僕の部屋は」

「どうもこうも、貴方ってこういう方面では真面目よねー。享楽的に見えてその過程はコツコツ積み上げるタイプっていうか。その点は芸術家肌として同調するわ」

「長く楽しむには土台をしっかり作らないとね。後真面目に研究しないとシュライバー君から逃げられないから。いやー一緒に研究してくれるマレウスには頭が上がりませんわ」

「ならルサルカって呼びなさいよ。まあこっちとしてもシュライバーの気まぐれが貴方に向いてる限り安泰なわけだし? 利害は一致してるからね。その調子で囮頑張ってね、草葉の陰まで」

 黒円卓にとっての魔名の扱いは、人それぞれだ。

 大雑把に分けるとヴィルヘルムのように黄金の爪牙としてその名を誇りにするもの、そしてルサルカのように呪いとして厭うもの。

 その上で魔名を呼ぶか、本名を呼ぶか。

 アルフレートはどっち付かずの日和見であり、恐らくどうでもいいとすら思っているので、旧知の人間には名前で呼ばれることが多い。

 故に嫌がらせ目的で魔名を呼んでもイマイチ効果がないのだ。

「反骨心が足りてきたらそうするさ。そして最近……シュライバー君に霊障爆弾の効き目が薄くなってきたんだ……手伝って下さいお願いします」

「はいはい」

 アルフレートは機関を操り、そして制作する異端の魔人だ。

 機械を聖遺物とする魔人はいる、三騎士がまさにそれだろう。

 だがアルフレートは作るのだ、魔人にさえ通用する兵器を。

 

 古くは、発掘機関(イニシエイト・エンジン)と呼ばれるオーパーツがある。

 明らかに文明区分を間違えた、魔的な力を持った機械。

 それは大概魔女や異能持つ存在にしか感知されない、深き洞窟の奥や海底に沈んだ遺跡、どこかの世界の残照のような場所で発見される。

 ルサルカも世界を放浪していた折それらの力の一端を拾い、触れ、簡易的なものならその術式の一部を我がものとしたこともある。

 だからこそ、アルフレートの持つ優位性、権限というものの脅威が分かる。

 この男の解析能力は自分より高く、更に機関複製、改造まで行えるその手腕。

 自身のキャパシティに頼らず、外部に大量の兵器を貯蔵することができる。

 それは現代の戦争を凌駕する黒円卓の魔人の優位性を、引きずり下ろすものだ。

 

 例えば、アルフレートが最初に制作したのは爆弾だった。

 霊障爆弾、と名付けられたそれは強烈な音、光等を発する妨害を目的としたものであり、既存のものと違うのはそこに霊的装甲を抜くための術式が刻まれていること。

 その有用性は、シュライバーと出会うたびに行われている鬼ごっこで証明されている。

 何せ、最初の内何度かは逃げ切っているのだ。

 最近は慣れられて捕まってるようだが。

「どうにもあっちの魂の総量がぐんぐん上がってて……計算式じゃあそろそろ追いつかなくなってるっぽいんだよね。後定形術式じゃエイヴィヒカイトがその耐性を得ちゃうみたいで。マレウスが付与した遅滞術式も対応されつつあります、はい」

「一定周期で効能は変わらず構成を変えるようにするのと、強度に関係なく魔人化の脆弱性を見つけてそこをつくしかないんじゃない? まあ無理だと思うけど」

「副首領閣下のエイヴィヒカイトの脆弱性とかそれどこ? 強度を上げるほうがまだ希望がある気がする。前者については……この機関の山から似たような術式を見つけられるかどうかかなあ」

 設計台で云々唸るアルフレートは、金の卵を産む鶏だ。

 もしも、この魔人にさえ通用する兵器を長期的に生産し続けることができるとすれば。

 魔人の暴虐が戦争に成り下がる、そういう可能性を、アルフレートは秘めている。

 だからこそ、自分は知っておかねばならない。

 この脅威が自身に牙をむく前に、そして自身に牙をむかないよう、自身の力とするために。

「行き詰まってるならジャンク山の発掘か、別のことでも考えれば? ジャンクとは言い難いけどね、この山全部宝の山だし」

「楽しいんだけど一つ解析するだけで丸一日使うのがモチベーション上がったり下がったりするとこでもあるよね。どっかにそれっぽい形状の解析機関埋まってないかなー! 或いは突然僕の能力が超進化しないかなー!」

 機関の山に飛び乗り、何かいい感じのものはねえがーと漁り始めるアルフレート。

 それを尻目に、ルサルカは初めて来たこの研究室を改めて見渡す。

「この空間も、かなり異端よね。どれくらい広いのかしら」

「多分僕も知らない部屋とかまだあるよ。僕はただ再利用させてもらってるだけだし。僕の時計ちゃんがここの開き方を知ってたから、使わせて貰ってるだけ。元々は知識の間だの暗がりの密室だの呼ばれてたらしいけど、知らね」

 この部屋にどのような方法で侵入したかというと、アルフレートの形成した聖遺物が何もない空間にその扉を開いたのだ。

 此処は極めて機密性の高い空間だ。

 傷付かないほど堅い、触れられないほど速い、それらは戦闘時における究極だ。

 しかしそもそも敵が手出しできないほど遠くにいるというのは、攻撃する以前の問題だ。

「此処に篭ってればシュライバーに見つかって追いかけっこする必要性もないんじゃない?」

「シャバの空気は定期的に吸わないと、此処ってなんかジメジメしてるし。後黄金先輩閣下にマジになって探されると此処も見つかる気がするからまだ篭もれない」

「あー、ありえるわそれ」

「あくまで世界のどっかに存在するものを隠蔽してるだけで、空間が隔離されてるわけじゃないっぽいんだよねえ。まだ見つかりたくないです。秘密研究室の意義が薄れちゃう」

「そりゃあこんな物騒なもの生産するだけならまだしもばらまけるくらい量産しかねない工場があると知れれば大半の団員が黙ってる筈ないでしょ。反逆と取られて当然よ。内緒にしてあげる優しい優しいルサルカちゃんに感謝しなさい、感謝の気持ちは現物でいいから」

「あ、はい。年貢割増っすね」

「爆弾の新型できたら優先して寄越しなさい、それでいいわ」

「へーい。お、これは楽そう、そして何か有用そう、ティンときた」

 山の中から小型の機関を抜き出したアルフレートは再び設計台につく。

「合間に作った実験作はそっちに並べてるから見ててもいいよー」

 片手間に聖遺物を形成し、チク・タク、という音を背景に作業に入ったアルフレートから視線を外し、ルサルカは壁際の長机に並べられたものを眺める。

 右、中央、左と繋がる長机の右から順番に見ていく。

 

 

『霊障爆弾・視:古くは闇を払う光とやらを発し魔なるものの目さえ潰します』

『霊障爆弾・聴:怪異の声の周波数を物理的霊的に高めて耳を駄目にします』

『霊障爆弾・嗅:古今東西の魔の気配を混在させ認識をごちゃごちゃにします』

『霊障爆弾・霊:魂の感覚、個人の色を判別し距離を感じる第六感を封じます』

※要改良 シュライバー君がこれら全部の耐性を得てしまいました、勘弁してくれ

 

 

 丁寧に説明文がつけられているそれを眺めつつ、ルサルカは思う。

「これって長期的に見るとアルフレート、シュライバーを益々強くしちゃってない……?」

 唯でさえ現在冗談じゃないバケモノだというのに、いっそおとなしく殺られたほうがいいのでは、あ、でも飽きられたらそれこそ四六時中襲撃されるか。

 結局全力で逃げるしかないアルフレートに心の中で合掌しつつ、次を見る。

 

 

『暗示迷彩装置:術式が心理に働くことにより、霊的感知をされず対象を隠蔽します』

『向精神薬:魂を刺激し精神状態を向上します。後で一時的に発狂する副作用あり』

『機関人形の腕:発掘品。腕だけでも霊的存在の核を感知し破壊する機能を確認』

 

 

「このあたりは興味深いわね。暗示迷彩は実用段階かしら……視線をいちいち合わせに行かずにサクッと認識を操れるのは強みね」

 恐らくまだ改良の余地があるのだろう、ゆくゆくは随分と便利なものになりそうだ。

 魔術師魂が刺激されつつ、次を見る。

 

 

『魂の檻:剥き出しとなった魂を封じ、適宜取り出せる檻』

 

 

「はぁ!?」

 ルサルカはひっくり返りそうになったのを踏み止まった。

 心を落ち着けてもう一度説明書きを読む。

 魂を封じ、保存し、適宜取り出す、確かにそう書いてある。

 つまりこの檻があれば、自分のキャパシティ以上の魂を外部に貯蓄し、必要なときに取り出し食らうことができるのではないか。

 何だそれは、反則にも程があるだろう。

 この檻の性能にもよるが……もし数千単位で魂を貯蔵できる質、あるいは量の檻を確保できたなら、あの恐るべき三騎士にさえ、私は負けない。

 そんな野望が心の中を渦巻き、若干の焦りが目を吊り上げ口元を愉悦の形に変えながら、説明書きの続きに目を通す。

 

 

『現行実績:魂一つの収監を確認しました。それ以上は入りません。尚これは発掘品ですが今のところ仕組みも制作方法もさっぱり理解できないので改良量産の目処はありません』

 

 

「駄目じゃないのよッ! もっと頑張りなさいよッ!」

「いてッ!?」

 衝動のままに檻を掴みアルフレートの頭に投げつけた。

 檻は狙い通り頭部に命中しガコンといい音が鳴った。

「何するのさ! 背後で薄ら寒いクスクス笑いが聞こえると思ったら、今度は急に怒り出して! わけがわからないよ、魔女って奴は皆こうなのかい!?」

「あんたそんな小物調べてないで、この檻の術式解明に勤しみなさいよ! 優先順位がどう考えても違うでしょうが!」

「仕方ないだろー! そもそも基礎の部分からして見通せないんだよそれはまだ! 他の解析できるものを解析してノウハウを積まないととっかかりさえも掴めやしない!」

「さっさと取っ掛かりを掴みなさいよ!」

「今やってるだろ!」

「そんな小物から何が掴めるっていうのよ! もっとこう、そこの機械の腕みたいな……」

 机に視線を戻し、ルサルカは気付く。

 檻の隣、左の端に、もう一つ何かがある。

 それは、かなり大きめのスーツケースだった。

「ああ、それ。それはね、発掘品の山じゃなくて、折れた鉄塔の麓で見つけたんだ」

 アルフレートはケースに手をかけ、開ける。

 するとそこにあったのは。

「どう思う、これ」

 それを見て、ルサルカは息を呑んだ。

「何、これ……もう朽ちかけてるのに、とんでもない神秘の質。いえ、そういったものが、昔込められていたのかしら……その残滓だけで超級のものよ」

「ふーん、魔女の目ではそう見るのか。僕はむしろこれがどういう仕組みで出来てるかに注目したんだけど、どうにも太刀打ちできなくてね。でも見つけた中では一二を争うほどすごいものだって予感があったから、こうして保存してるのさ」

「使い方とかどうこう以前に、これ単体で聖遺物として成り立つわね。けど、仮にあたしがこの聖遺物と契約できるかと言ったら無理ね、眩しすぎる。これは怨嗟や魂喰いといった要素とは無縁のものよ。ヴァルキュリアの聖剣と似てる、これは恐らく、戦士の武装だわ」

「……ほー。輝き、そして戦士、ね」

 成程興味深いと、ルサルカと共に改めてそれを覗き込んだ。

 そのスーツケースの中身を。

 

 それはボロボロに朽ち果て尚その存在を主張する、尚も尊く輝く空高く飛ぶ雷電の如き。

 大量の計器が取り付けたれた機械篭手(マシンアーム)と、機械帯(マシンベルト)だった。

 

 

 秘密研究室・ヴンダーカンマーⅠにて マレウスとグロッケの秘密同盟

 

 

 

 

 失った左腕の激痛と共に、夜闇を落下している。

 マキナ卿の幕引きにより一命をこそ取り留めたものの、自身の雷撃はあの闇を前に押し潰され、全く通用しなかった。

 そしてそのマキナ卿も、あの幾重もの闇に覆われ地平線の彼方へと隔離された。

 此処に第一戦線は崩壊した。

 シュライバーは未だ狂乱のままに突進を繰り返しているが、全く効果がない。

 

 ルートヴィヒ・ヴァン・ローゼンクランツ、メトシェラを、闇の化身を名乗るもの。

 あのカチンの怪異の折から黒円卓を訪れた男で、クラウディアを攫い閉じ込めている元凶。

 今、黄金の総軍を以て立ち向かう敵だ。

 

 私が今立ち向かっているのは、決して黄金の命令だからではない。

 クラウディア、彼女が、望まぬ運命を強いられようとしている。

 ヴィッテンブルグ少佐から教えられるまで気が付かなかった。

 彼女の余命がもう幾ばくもないこと、きっと先輩は気づいていたのだろう。

 だからこそ、あんな命を対価にベイについていく無鉄砲さを否定できなかった。

 結局、私はまた見るべき場所を間違えていたのだ、見当違いの叱責を重ねていたのだ。

 

 でも、それでも、見当違いだったとしても、私はクラウディアを救いたい。

 それはあんな闇の中の永遠に沈むものではなくて。

 光の中の幸福を、彼女に知って欲しいから。

 見当違いだったことに気づいた今だからこそ思う、それは理屈なんかじゃなくて、きっと私のわがままで、私たちはわがままをぶつけ合っていて。

 ああ、だからあの人は、諦めるなって。

 すれ違ってても、それでも、真の誠を貫き通せと、そう言ったのか。

 何度でも、何度でも、手を伸ばして。

 私の光が、何れ押し潰されて消えないようにと。

「ぐっ」

 諦めない、諦めたくない。

 けれど、私の光は届かない、あの闇の向こうまで。

 今も襲い来る闇の顎の第二陣が、剣も、ヴィッテンブルグ少佐の援護も間に合わない。

「まだ、私は……!」

「そこまでだ」

 その時、私の肩の上から伸ばされる手があった。

「え……?」

 その左手が、闇の顎に向かって伸びて。

 纏う茨が、猟犬のように唸って。

 引き裂き、喰らい尽くす、すべて、すべて。

 本来喰らうものであるはずの闇の顎を、その牙を、四方八方から遅い来るはずのそれは、茨の刃に引き裂かれ、闇に還るそれは彼の左手に吸収されていく!

「ベアトリス、退くぞ」

「わっ!?」

 そんな風に驚いていると、伸びていた左手は私の膝裏を攫い、右手は肩を抱く。

 え、なにこれ。

 今、私どんな格好をしている?

 まるでどこかのお姫様のように抱きかかえられている。

 それをしているのは、今しがた眼前の闇を喰らい尽くした、馴染み深い声。

「ゔぁ、ヴァルターさん!? だ、大丈夫です、まだやれますから!?」

「聞く耳持たない。そういうことはこの腕をどうにかしてからだ」

 ああ、私今、どんな顔をしているのか。

 痛みと羞恥で顔が真っ赤になってるのが分かる。

 慌てふためき足をじたばたさせてしまう。

 そんな私を抑えるように、ぐっ、と私を抱きかかえる手に力は入って、体ごと反転する。

 ヴァルターさんはルートヴィヒに背を向け、抱える私ごと滑空した。

「……何だ、貴様は?」

 声が響く、その声はルートヴィヒの声だ。

 まるで解せない、と言った風情の声色は、恐らくはヴァルターさんに向けられたもの。

「今、何をした。私の闇を払ったのではない、砕いたのでもない。喰った、のか?」

 再び、背後から闇が襲い来る。

 先程の顎、その数は私の腕を食らった時の倍はある。

 更にそれに続いて、漆黒の光条、、まるで流星のように。

 唯一人、この人の背を追うように放たれて。

 このままでは二人揃って貫かれてしまう、と、そう思った次の瞬間には。

「どうやら」

 ヴァルターさんが、また先程のように左手を伸ばして。

「俺の『魔術師狩り』はここらしい。メルクリウスめ、これを待っていたな」

「な……?」

 向けられた左手の先。

 闇の顎、闇の光条、それら全てが融解する。

 かたちを失った闇の奔流はヴァルターさんの左手に吸い込まれ、消える。

 それはルートヴィヒの言う、喰ったという表現に相応しいもので。

「貴様は、貴様は……『私』か? 水銀め、一体どういうことだ」

「さてね。だが成る程、お前は闇らしいな」

 滑空しつつ振り返りながらルートヴィヒを見つめるヴァルターさんの目。

 それが今静謐な青でなく、絢爛な赤色に輝いている。

 まるで、ルートヴィヒの赤のように、闇から生じる赤のように。

「影であり、夜、恐れ、か。万象人が拒絶するもの。それが俺の源流か」

「ヴァルター、さん?」

「アルフレート、任せた」

「はいよー」

 すれ違うように、交差するナウヨックス少佐が、ルートヴィヒに向かっていって。

「やあ、気になる彼を追うのも結構だけど、ちょっと時間を置いていってくれないかい」

「邪魔だ……!」

 立ち塞がる少佐は文字通り立ち塞がるのみ、一体何のつもりかと思うと。

「じゃあエレちゃんお願い」

「黙れナウヨックス」

「えっ」

 ヴィッテンブルグ少佐の砲台がナウヨックス少佐に狙いをつけていた。

 そして、放たれる火砲。

「ぐわあああああああああああああああ!!!???」

「えええええええええ!!!???」

 ナウヨックス少佐が爆散した。

 それにルートヴィヒが巻き込まれた。

 いやちょっと、何やってるんですか少佐達は!

「あの馬鹿、もう少しマシな手段は取れないのか……」

 その間に私達は撤退を終え、ヴィッテンブルグ少佐の位置につく。

 爆発は今も継続し、というより、ヴィッテンブルグ少佐の砲撃が何かに引火したのか、断続的にフラッシュや超音波が連鎖している。

「下ろすぞ」

「あ、はい」

 ヴァルターさんが私の足を地におろして、私も失った腕のバランスを取りつつ着地する。

 色々と、その、思うところはあったけど、今は後回し。

「さて本日二度目のルフランきめた所で。はい、それでは防衛線を敷きまーす!」

「うわッ!? 出たッ!?」

「そんな幽霊みたいな反応しなくても……」

 背後の声に、大仰に振り返ってしまう。

 声の主は不本意な顔をしているが、仕方ないだろう。

 今しがた夜空で爆散した人間の声が背中で響いて驚かない程、それに慣れてはいない。

 ナウヨックス少佐はすれ違った時の健在状態で、いつもの胡散臭い笑顔でそこにいた。

「じゃあ改めて。ヴァルターヴァルター、防衛線敷こうぜ」

「ん」

 その気軽な声に、ヴァルターさんも短く応える。

 眉をひそめるのは私と、ヴィッテンブルグ少佐。

「えっと、それはどういう」

「だーかーら。攻めるのはもう相変わらず人の話を聞かないシュライバー君に一任して。僕らは自分の命を守ろうぜって話だよ。防衛戦だって武勲でしょ、前線でヒャッハーするだけが能じゃないよ。ベイとかシュライバー君じゃないんだから。補給兵站の重要性はこの場の皆なら分かってくれるよねえ、ね? エレちゃんだって今はあっちの攻撃先を妨害するための牽制射撃に移行してるじゃん、それと同じだよ」

「ふむ、否定はせん。だが出来るのか」

「言ってることは分かるんですが……あれ相手に防衛って、それすら至難の業ですよ」

「行けるよね、ヴァルター」

「ああ、先の接触で大体分かった。付近の闇は、俺が『食う』」

「よしよし、いい感じだ。じゃあ命を盾に、頑張りますか!」

 そう言って、二人が前に出て。

「わ、私も行きます!」

「必要ない、下がってろ」

「片腕でふらついたお嬢さんはお呼びじゃないぜ」

 ついて行こうとするも、二人してそんなことを言って切り捨てる。

「エレちゃんもそう思わないかい?」

「その程度の傷、と言いたい所だが。貴様とシェレンベルク少将で何とか出来るのであれば、足手まといは退くべきだな」

「そんな、少佐まで」

「じゃ、抑えといておくんなまし。というわけで、本邦初公開!」

 ナウヨックス少佐が掌を掲げる。

 そして、歯車の軋む音。

 

 

形成(イェツラー)

 

時のゆりかご(ドゥームズデイ・クロック)

 

 

 形成するは、掌に収まる懐中時計。

 銀色の球形のそれは、チク・タク、チク・タクと不自然なまでに明瞭な針の音を奏でる。

 ナウヨックス少佐の、聖遺物。

 その異能の真価は、未だ誰も知らない。

「さて闇の神を名乗るメトシェラ君よ。人ならざる君がたとえ人たる僕を砕こうとも」

 大きく、歌劇の主役のように踊り歌う。

 指揮者のように、真摯のように、右手を胸に、時計を握る左手を前に。

「ならば人ならざる、この僕の影は砕けまい」

 その銀時計を開き掲げて。

 そして、ごぼりと、彼の影が泡立った。

 

『……さあ、始めよう』

 泡立つ影、それは、マレウスの食人影と似るものか。

『月の王の光を借りて。来たれ、我が影、我がかたち』

 否、否、これは違う、似て非なるものであり、根幹から異なるものだと私は直感する。

『無秩序なる幻惑の音色』

 彼の言葉と共に、影は実像を結んでいく。

『映らざる無色の印』

 鳥の嘶き、鋼鉄の翼、泡立つ影は鉄となって鈍い鋼鉄の音を響かせる。

『そして、折り重なる虚栄の刃。我が声に応えて出でよ、我がかたち』

 その鋼鉄からは風が吹く。

 それは敵を裂き、心を慄かせる惑いの風。

『困惑の烈風、クリッター・ハルピュイア!』

 

「これは……」

 そして、現れる。

 鋼鉄の鳥、否、半人半鳥の怪物が。

 ナウヨックス少佐の背後で雄叫びを上げる。

 鋼鉄の巨躯、異形の翼、薄暗く輝く赫眼。

「いやーシュライバー君に殺されまくって感情取り込みまくったからね、これが完成するのはなかなか早かった。そんなわけでヴァルター、乗って」

 その背に飛び乗ったナウヨックス少佐は、ヴァルターさんを促して。

 ヴァルターさんも迷いなくそれに飛び乗って。

「そんじゃ飛ぶとしようか。振り落とされないように注意だ」

 そして、轟音とともに飛び立つ。

 風を置き去りに、音を置き去りに、速い、速い!

 私の雷速には及ばずとも、あの異形の鳥は凄まじい速度で前線へと戻っていった。

「ぐっ……」

 足、動く。

 右手も、ある。

 体のバランスは心もとないけれど、右手さえあれば戦える。

「普段なら軟弱と言う所だが。止めておけよ、キルヒアイゼン。此処は彼らに任せるがいい」

「……う」

 しかし、ヴィッテンブルグ少佐がそれを止める。

 肩を押さえる手に、私は思わず膝をついて。

「腕を取られ、創造を破られた。その体たらくで前線に戻った所でなんとする。それよりも、見届けるのがいいだろう」

「見届ける……?」

「彼もまた貴様が信じた英雄であるのなら。未だ全容が見えぬその片鱗、見せて貰うとしよう」

「……ヴァルターさん」

 ヴィッテンブルグ少佐とともに、夜空を見上げる。

 今もヴィッテンブルグ少佐が撃ち続ける砲火、その中に銀色の流星が混じって。

 そして、再び闇に至った。

 

 

 

 

 

「やあさっきぶり。ちょっと燃えて死んだりしたけど何ともなかったぜ!」

「何なんだ貴様は……」

 遠間から、鋼鉄の鳥の背に仁王立ちするアルフレートを脇に飛び降り空を踏みしめる。

 眼前は再び闇の中。

 赤い目に漆黒の肌をした闇の神が呆れたようにアルフレートを見ている。

「不可解だ、貴様ら二人は。そちらの小僧は中身が見えん、そして私の闇を食らった貴様は……いや。馬鹿な、ありえるはずもない」

 否定するように頭を振って、背後に再び魔法陣が描かれる。

「面倒だ。貴様らもあの男と同じ道を歩め」

 

Nihili est qui (何も愛さない者は、)nihil amat.(何の値打ちも無い)

 

 背に展開されるのは、マキナを封じた闇の檻。

 一体何年分の夜なのか、そんなことは考える意味もない。

 視界を覆い尽くす闇を見て、剣を抜き、茨を纏う。

 そして、突き刺す。

 眼前の闇の壁に、右手の剣を解き放ち、それに追随するように茨の先端も突き刺さる。

 砕く音さえなく、闇の中に浸透していく。

 そして。

「……馬鹿なッ、馬鹿なッ!!!」

「ヒュー、やーるう」

 闇が晴れ、そこには戦慄する闇の神と、相変わらずのアルフレートがいた。

「ありえん、先に我が闇を食らった程度ならありえど、今の術にはあの男を封じた時と同等の年月の夜を与えた! それを、それを! 全て食らっただと!? 貴様が!?」

 ああ、そうだ、食らった。

 出来ると思った、だからやった。

 どうやら俺はそういうものを抱えているらしく、世界の違いはあれど目の前の存在とそう変わったものではないと知ったから。

 意識の内、不定形だった真理が、十分な量の闇を食らったことでかたちを得ていく。

 至るまでの道筋が見える。

 そこは何処か。

 漆黒の都の玉座に座すものは。

 黒の王、そして、シャルノス。

「……ずァッ!」

 頭痛がする、視界が歪む。

 力を使いすぎた時の感覚、拒絶の棘が自身をも蝕む感覚だ。

「……ふん、もういい。茶番は終わりだ。元より尖兵に用はなく、メルクリウスとハイドリヒを引きずり出さねば終わらんのだから」

 そう、奴は両手を掲げ謳い上げる。

 背後には回転する五芒星、そして……時計の音。

「貴様ら尽く屍となれ。それで奴らも出てくるだろう」

「あ、やべえやこれ」

 果てに起こる現象は何なのか、視認する前にアルフレートが反応する。

 で、あれば。

 

Initium sapientiae(自分自身を知る事が) cognitio sui ipsius.(知恵の始まりである)

 

Nihil difficile amanti.(恋する者には何事も困難ではない)

 

「アルフレート!」

「僕は大丈夫。君も多分行ける。他は死ぬよ。急げ!」

「分かった!」

 アルフレートがハルピュイアから飛び降り、それに変わり俺が騎手となる。

 そしてハルピュイアはそれが到達する前に後方へと飛び去り。

「ザミエル、ベアトリス! 伏せてくれ!」

「むっ」

「え」

 そして、茨で周囲を囲う。

 寸分の隙間もなく、今や限界数であったはずの十を越えて、渦巻く茨は人三人程度容易く隔離する牢獄を生み出す。

そして、茨を通して外の異変を知った。

「ヴァルターさん、一体何が……!?」

「いいから、このままだ」

 腕に絡みつく茨が自身を苛む。

 しかし、これを解くわけにはいかない。

 自身はともかく、この二人が。

 ……ベアトリスが、耐えられない。

「端的に、状況を説明して頂きたい。シェレンベルク少将」

「恐らく、時間攻撃だ。アルフレートが反応していた。あれが夜を統べる存在だというのなら、その夜に付随する時間を高速で回し物体を風化させる、何てことができても不思議じゃない」

 最も、自分はあれさえも吸収できたようだが。

 周囲を囲った茨は回転する夜さえも、それと同化し吸収し阻んでいる。

 随分と融通の効くことだ。

「この中にいれば影響を受けることはない、ない、が。何時まで保つか。向こうが止まるのが先か、こちらの限界が先か」

「外の皆は……」

「悪いがそんな余裕は何処にもなかった。後は……外次第か」

 心臓とは別に鼓動が早まる。

 どうにも、自分というものを知るたびにこうして一時的に弱るのは避けられないらしい、思った以上に保たない。

 或いは保たなかった時、俺に何が起きるのか。

 それはきっと……かなり、良くないことだろう。

 

 

 

 

 

「ヴァルターは間に合ったみたいだね、重畳重畳」

 シュライバー君も、マレウスも、後ろにいた大概の連中が風化して砕けて阿鼻叫喚っぽいけど僕は元気です。

 すごい不愉快そうな顔をしているメトシェラ君に親指を立てて笑ってみせてやった。

 手の中の銀時計が、僕の時間が正常であることを知らせてくれる。

 チク・タク、チク・タク、これこの通りってね。

「貴様も、あの男の同類か」

「同類かどうかは知らないけど。ごめんねー、僕そういうの効かないみたいなんだわ。悠久の夜? 時間? みたいなの? どれだけ君の夜がすごい勢いで回転してようと、僕の体内時計に変化はないみたいなんだよね」

 さて、僕に一体何処のどちら様が取り付いてるのかは知らないが。

 知らないったら知らないよ、ほんとだよ。

「で、なんだっけ、出てこいメルクリウス、出てこいハイドリヒだっけ。貴様ら全員屍に変えるだっけ、ねえねえ、出来てないんだけどそこんとこどう思いますか」

 今のお気持ちは!?

 うーん、近年稀に見る好インタビューですねこれは。

「黙れ、死ね」

 そんなことを思っていたら首を跳ね飛ばされた。

 手刀で一撃だった。

 ああ、時間以外の暴力的手段に訴えられちゃそりゃどうしようもないよね!

 まーた首だよ、何で皆そんなに首取るの好きなの?

 まあ牙とかで拷問されるよりマシだけど。

「まあ、あれだ。黄金閣下兄貴からはこれから話があるでしょ。エレちゃん的に言うなら総員、傾聴って感じ? 君の戦いはこれからだ! って感じで、一つよろしく」

 跳ね跳んだ頭部が闇に飲まれていくのと同時に、グラズヘイムの鳴動を感じ取った。

 黄金閣下兄貴の声は遠く、もう何言ってるか分からない。

 けれど、残ってた片目がメトシェラ君の背後に飛びかかる吸血鬼の姿を確認した。

 それを最後に、全てが闇に沈んだ。

 

 

 キィ、キィ。

 チク・タク、チク・タク。

 カチリ。

 

 

 はい、本日も全て全て意味などございません。

 本日は意味などない株式会社の提供でお送りしました。

 断首の死? 闇の神? ダーメダメダメ届きませーん!

 こうして今日も、明日も、全ては無意味に過ぎ去っていくのでしょーう!

 いつだって人間ってやつはそういうものなのでしょーう!

 

 

 残!                          念!

                 で

                                        したッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、そういうわけで本日三度目のルフランした所で。けーるべけーるべ。外の夜大回転はもう止まったよ。止まったというか、ベイが一人で相手してるから。出てきんしゃい相棒」

「間に合ったか」

「他の皆も四肢が塩になってるだけで済んだみたいだし、保護しに行く必要性なかったかもね! そこの戦乙女二人なら気合で耐えるでしょ多分」

「斬捨てて焼き潰しますよ?」

「ハイドリヒ卿の命だ。後はベイに任せ、我々は足の潰れた連中の回収に向かうぞ」

「あ、はい。私も」

「腕食われた奴が何言ってるんだ。お前も回収対象だろベアトリス」

「そうそう、何なら僕がその腕治すかい? 殺人ドクターの異名を持つ、僕に任せて!」

「何一つ安心できる要素がないんですが!」

「何をグダグダとやっている、やるならやるでさっさとしろ!」

「ヤヴォール、エレちゃん教官。じゃあベア子ちゃんのもげた左手を立派なドリルに」

「助けてお兄さん! ほんとに助けて!」

「……俺も大分余裕が無いんだ。手早くまともに済ませてくれアルフレート」

「えー。仕方ないなあ」

 

 この後の顛末を語る意味は、あまりない。

 カズィクル・ベイは光を取り逃し、しかしその後の人生の教訓を得た。

 クラウディア・イェルザレムは微笑みのまま光と消えた。

 そしてこの世界における旧き最後の神秘は討滅された。

 討滅され、その席は空席となった。

 黒円卓の団員は大きな災禍の爪を受けつつも黄金の威光は健在であり、来る怒りの日への実感を増すこととなった。

 

 

 ノルウェー海上にて メトシェラと黒円卓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは……」

 闇、原初の闇に、その意識の残滓は揺蕩っている。

 今に消え去る最後の走馬灯か。

 ルートヴィヒは、最早姿もない闇のひとかけらとして、最後の一瞬を闇の中で感じる。

「ふ……そうだな……たとえ核を砕かれ切り離されようと、私の還る場所はここか……クラウディア、君と同じ場所に行けるはずもない」

 あの男に最後を譲ってしまうのは非常に癪だが。

 それでも、あの輝きが損なわれることはきっとない。

「クラウディア……君という光との出会いこそが、私の」

 

 

 

 

 

『何だ、まだいたのか』

 

 

 

 

 

「……だ、れだ」

 自身が消えゆこうとしている闇の底。

 嘗て、己自身がいた場所であろうそこ。

 そこに、誰かがいる。

 自分以外の誰かが、そこにいようはずもない。

 否、違う、そもそもの話。

「此処は、何処だ」

 そうだ、何処なのだ。

 此処は何だ。

 闇の底という場所すら突き抜け至った、まるで別世界のような此処は。

『何も変わらないよ。本質は。お前がいた所とね』

 空があった。

 雲があった。

 町並みがあった。

 一面全てが漆黒で染まりゆく暗黒の都市と、ひとつの玉座があった。

「貴様は……」

『この世界では、それをメトシェラと呼んだ。それは大いなる廃棄物であり、他ならぬ神の意志によって世界から淘汰される存在だった』

 その玉座に、慇懃に座る、見覚えのある男の影。

 しかし、違う。

 これは、あの男ではない。

 あの男と同じ顔の、漆黒に染まる赫眼のこの男は。

『そして、あの神がこの世界に来る前。旧き三世の果てにおいては、それをシャルノスと呼んだ。終わる世界。ふるきものどもさえ去りゆく無謬の都。唯一人の王が、孤独を以て人々を試した、そんな謂れが、何処かあり得た別の世界であったのかもしれないな』

 歪み、せせら笑うその男が玉座を立ち、近寄ってくる。

 近寄るたびに、その姿がぼやける。

 見覚えがあったはずの顔は、黒く塗りつぶされ不気味な単眼と歪む口元しか見えない。

「きさまは、きさまは……いったい、なんだ!?」

 その言葉に、男は一層、三日月の如く口元を歪めて。

 

 

『おいおい、言ったろう? そして、お前も知ってるはずだな?』

 

 

『俺は闇。俺は影。俺は夜』

 

 

『人が心に抱く闇であり、光を遮った所に出来る影であり、夜の先にある宇宙の色を知るもの。そしてその先の黒き境界線すら越え世界を侵食するもの』

 

 

『俺は黒。そして、俺は、お前だ。さようなら、この世界の前任者』

 

 

 




くぅ疲

悲しい、悲しい話をしよう。
オリジナル詠唱をグーグル翻訳でドイツ語にして翻訳結果を見るとすごい悲しいことになるんだ。
そのへん皆はどう思うよ?


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Fragments:ベルリン陥落

クリスマスに間に合わない男、ヴァルター。
何故かって? こいつが間が悪い男だから。
そう、どのくらい間が悪いかというと。
バッドエンド一直線の作戦を考案して実行に移そうとして、結果ベルリン陥落時の作戦にハブられるくらい間が悪いんだ。

さて本日のフラグメントは

1:懐剣十三号室の別れ
2:ヴァルターくん左遷(物理)
3:ベルリン陥落

の三本。やっとベルリンが燃えたよ。燃えるの遅いよ!


「此処に立ち寄るのも、こうして三人揃うのも、多分これが最後だな」

 ヴァルターは長年使用してきた机と椅子を見渡して、そう言った。

 懐剣十三号室、あらゆる情報と権限が集う場とさえ言われたこの部屋。

 何度立ち寄ったかもしれぬこの部屋も、今は既にその役目を終えようとしている。

「この仕事場もそれなりに愛着はあったねー。まあ僕ら的には溜まり場って言う方が正しいか」

「机の上に乗るな、目障りだ」

 机に腰掛け椅子に足を置くアルフレートにアドルフが文句を言う。

 黎明期は、此処にもう一人、彼らの長官を含め働いていたものだった。

 その席は、今は既に空席だ。

「アイヒマン、お前はどうするんだ」

「これを終えれば後は逐電の準備になるだろうよ。シュピーネがご丁寧に話を持ってきている」

「にひ、丁稚時代の上官だったのが生きたね。ベッポくんの臆病さは命を拾う類の臆病さだ。逆に言うと、それを忘れてしまった時が彼の最後なんだろうね」

「私のことなどどうでもいいだろう。問題は、貴様らだ」

 アドルフが机の上に紙を撒く。

 それは、ベルリンの主要施設に関する報告書だ。

「提督と情報を共有した。軍内部と現状のベルリンの流れだ。概ね、貴様の予測は当たっていると見ていい。そして、この『八ヶ所』だ」

「そうか、ありがとう」

 それを見て、ヴァルターはゆるりと頷いた。

 アドルフはその対応に何とも言えない顔をする。

「変わったな、シェレンベルク」

「ん。そうだな、変わったよ。色々と、な」

「……変わった、と言うのは語弊があるか。貴様は変わっていない、ただ多少は己を出す気になってきただけか。今になってようやく理解出来たが、以前の振る舞い、一体誰の真似だ?」

 その言葉にヴァルターは若干瞠目した。

 しばし悩むその姿は、或いはふいに自覚させられたか。

「そう、だな。俺は正しい人間であるように振る舞ってきたつもりだ。けど、誰の真似、と言われると……意識してはいなかったが。きっとこれは、長兄のものだ。兄弟たちを取り纏め、導いていたあの人の影を模倣するのが、一番良い事だと俺は無意識に思っていた」

 今や、思い思いの道を歩んでいるであろう血の繋がらない兄弟たち。

 自分のような病理とは無縁に、母の愛を正しく受け継いだ皆。

 あれからもう会うこともない。

 きっと皆も、思い出した頃に母の森を、シェレンベルクの森を訪ねて。

 そしてもう、あの人がいないことを知ってしまうのだろう。

 いつか、すべてを話しに行かねばなるまい。

 あの人の命を喰らってしまった身として。

「……私では、あの御方を、ハイドリヒ閣下を引き止めることはできなかった。しかし、いつか。いつかあの人は帰ってくる。それが誰の手であろうと、人ならざる運命の手だろうと」

「一途だねえアイヒマンくんは」

 ヴァルターは魔人として対立を、アルフレートは魔人として中立を、アドルフは人間として忠誠を、三人のラインハルトに抱く感情は各々全く違うものだ。

 故に、アドルフはそこに期待などしない、する意味がないと知っている。

「後は任せる、等とは死んでも言わん。私は私が信じる未来のみを見る。貴様らは、勝手にしろ。あの御方は全てを愛するようになったが、それでも。そうなる前から、我々の行いを何であれ否定することはなかった」

 そう言って、席を立つ。

 調査結果は机の上に置き去りに。

「私はあの御方の帰還を信じる。その時が来るまで、先を見続ける」

「僕は精々面白おかしく過ごすよ。暫くは相棒に肩入れするけれど、祭りを待ち望もう」

「俺はハイドリヒを止める。この国が、純然たる敗北ですらない贄にされようとしてるなら」

 通ずる所はあっても、まるで足並みは揃わない。

 既に、軍隊としての関係は終わりつつある故に、それは当然のこと。

「ふん、貴様らともこれまでと思えば清々するよ」

「ひでえや。後で泣いて助けてーって言っても知らないもんね」

「……まあ、そんなものだろ、俺達は」

 交わらぬ故の理解、それだけが残って。

 一人は去り、二人はその背を見送る。

 

『Auf Wiedersehen, Kamerad』

 

 そして、その背中は永遠に失われる。

 人は去り、そこには魔人のみが残った。

 終末の訪れが、近づいていた。

 

 

 十三号室にて 三人の別れ

 

 

 

 

 母のように生きよう。

 全ては無理でも、欠片だけでも。

 などと、そんなことを思っても、別に明確な答えが出ているわけではない。

 ただとりあえず人間らしく学びに出ることにして。

 人間らしく働きに出ることにして。

 そこで、様々な出会いがあった。

 

 胡乱な目で自分を見てくるラインハルト・ハイドリヒ。

 嘗ては共感に近い何かを抱いていた相手は、今や相容れぬ存在となった。

 それでも、最後に至るまでは一応の義理を通してきたつもりだ。

 

 妙に馴れ馴れしく関わってくるアルフレート・ナウヨックス。

 彼の一方的過ぎる友情宣言がなければ、此処まで人と関わることはなかった。

 例えその本質が化外の精神であろうとも、いつの日か決裂しようとも、感謝はしている。

 

 そして、ベアトリス・キルヒアイゼン。

 俺は、彼女に何を思っているのだろうか。

 超然としたハイドリヒや蹴られても気にしないアルフレートと違い、彼女は人としての気遣いというものを母以外に初めて向けた相手だった。

 非常に不器用なものだった、と自分でも言わざるを得ない。

 いっそやらなかった方が良かったのでは、と思う時もある。

 それでも、不思議とやめようとは思わなかった。

 それは何故だろう、どこから来るものだろう。

 嘗て、俺は誰かに手を握られるままだった。

 最初は母が、ベルリンに来てからはベアトリスが。

 

 けれど、あの日。

 母が消えて、自分に思い出が戻って。

 あの日、自分も手を伸ばさなければならないことを知った。

 ただ誰かが握ってくれるのを待つのではなく。

 そうしなければ、失ってはならないものが失われゆくことを知った。

 あの日、消えた母の影を、俺はベアトリスに見ているのか。

 強く健気に見えて、人並みに儚い彼女の姿に。

 このままだと、同じことになると、そう思っているのか。

 母が命を賭けようとも、自分の本質が変わったわけではない。

 俺はベアトリスの渇望に共感したわけではないし、きっとまともな理解もしていない。

 

 だから、あの日俺はただ頷いたのだ。

 彼女の根幹がどうあれ、その救いたいという言葉に確かな愛があったと思ったから。

 ただそれだけのことで、安易に肯定する自分は相も変わらず壊れたままなのだろう。

 元よりハイドリヒを正しく糾弾する資格などない、間違った男だ。

 

 魔人として歩み始めた日から、ずっと考えている。

 俺に何ができるのか。

 俺は何をしてやれるのか。

 ハイドリヒに、アルフレートに、ベアトリスに。

 結局、今の状況がそれを物語っている。

 流れで手に入れてしまった安易な手段で、誰にでもできる方法で問題にぶつかろうとしている。

 賢明なふりなんて、いつまでも続かないもので。

 分かったふりをして、何も分からないまま、俺は今此処に立っている。

 今ベルリンに立つ自分に、軍人としての義務感と、母への誓い以外何があるのだろうか。

 その破壊の愛を阻む、本当に、それだけ?

 俺は、俺は。

 ……僕は。

「やあ、ヴァルター。シェイドウィルダー・マハカーラ。待っていたよ」

 そして、その声を聞く。

 それはこの場こそが、『当たり』であるという証明だった。

「そう、その通りだ。君の十全を期した予測は正解だ。最も、その知識さえあれば我が欠片を抱く君が私の敷いた陣を、スワスチカを感知できるのは当然なのだがね」

「メルクリウス。俺とお前の関係性を、今更のように問うつもりはない」

 ヴァルターにとって眼前の魔術師は影に遮られた魔物ではない。

 いっそ、不自然なまでにその顔が明瞭に見える。

 嘗て世界に神秘を飽和させるほどに至った魔術師の残骸、擦り切れた指先。

 しかしその指先でさえ、世界を掌握し余りある。

「お前が出張ってくるということは、俺が行おうとしていることを看過できないということだな。俺の邪魔をしに来たと」

「ああ、君の奮闘を見守っていたいのは事実だ。しかし、しかしだ。それを経た結末は、既に先がないことを私は知っている。ヴァルターよ、君が立つべき舞台は、今此処ではない。……等と言っても、君は止まらないだろうがね」

「当然、此処で止まる気はない」

「命を捨て、母君の与えた祝福すら使い切り、このスワスチカを汚染するか? 暴走の末黒の王として完全に覚醒し、君という人間が死ぬことになろうとも。いいのかね、それで。やり残したことがあるのではないか。まだ見て見ぬふりをしている真意があるのではないのか」

「…………」

 それは、今考えることでは、ない。

 ないんだ。

「ふふ、健気だな。こうも勝手に命を捨てられるのは今しかないと、君も分かっている。何せこれを過ぎれば君は殉教者たる意思を失う。さて、ヴァルターよ。偽りの正義を、鋼鉄の鎧を纏う君よ。その鎧、僭越ながら私が剥がそう。血の繋がらぬ家族が示す模範でもなく、シャルノスの玉座に座する王でもない。分かるかね、そこにいる者は」

「黙れ」

 歯が軋む音と同時に、俺は漆黒の茨を纏う。

 脈打つ植物ではなく、波打つ波動のように、茨は両腕から顕れる。

 彼奴の思惑を、此処で止める。

 それだけだ、それ以外のことは、今はもう。

「逃げだよ、それは。ああ、君は向き合わなければならない。都合のいい、君一人の死で終わる物語ではないことをね。君のこの行いは確かに一時は黄金を穢しうる。しかし」

「喚くな……」

 掌から、剣が伸びる。

 嘗て無いほどに同調を果たしている今、この身は拒絶の黒に染まることと引き換えに、別次元の領域に指をかけようとしている。

 例え、この腕が、心臓が滅ぼうとも。

「黒の剣能かね。これはこれは……大したものだ。メトシェラの闇を食らったとはいえ、既にマキナの領域まで練り上がっている。上手く行けば所詮は分身、メルキオール体である私も滅ぼせるかもしれないな」

 剣を向ければあらゆる接近を拒絶し、刺し貫けばあらゆる繋がりを拒絶する。

 黒の王の、影を借りて。

 意志あるものを孤独に落とし遠ざける、禁忌の刃。

「影持つ俺は人ではなく、此処で朽ちることに躊躇いはない。例え俺が人を傷つけるものであろうとも、ただ一人なら、何の意味もない」

「ただ一人なら、何の意味も、ない。成程、確かに。真理だよ。滑稽な迄の真理だ。ヴァルター、盲目の君。後悔する魂さえも失おうとしている憐れな王の贋作よ。今や何度目かも知れぬ慈悲を、君に与えよう」

 

 

 

 

 

「ヴァルキュリアは、悲しむだろうね」

「……黙れと、言った!」

 

 

 

 

 

 ベルリン、第八のスワスチカにて 黒の王と、水銀の王

 

 

 

 

 グラズヘイム上の門前に、整然と円卓の騎士が集う。

 これより行われる最終作戦、団員たち全員がそれに参加する。

 来るベルリン陥落の日、祖国が、故郷が、敵軍によって貶められるこの日に。

 聖槍十三騎士団はその活動の一区切りとなる特別な作戦を行おうとしている。

 しかし、それを知るものは未だ少ない。

 三騎士の二角、黒騎士と白騎士さえも、ただそれを知るのは指揮を任された赤騎士のみ。

 そして、何より。

「……シュピーネ」

「大凡質問の内容は察せられますが、敢えて聞き返しておきましょう。何です」

 そこにいる筈の人物がいないことを、ベアトリスは問いかける。

 その人物の代行であるシュピーネに。

「ヴァルターさんは、何処ですか」

 それに対しシュピーネはふーむと思案顔で返す。

 多少は知っているものの、どう言ったものかという様子だった。

「何だシェイドの奴逃げたのか? おいおいクリストフ、お仲間が出来たかも知れねえな」

「黙ってて下さい、ベイ」

 あの人が、他ならぬあの人が、この国が滅ぶ日に逐電などするはずがない。

 此処にいないなら、それこそ首領に反してでも何かをしている。

 ベアトリスはそう信じていた。

「それが、どうにも。副首領閣下直々の通達によると、この作戦にシェレンベルク卿は参加しない、故に代行として私が参加せよとのことで」

「メルクリウスが……?」

「はぁん? メルクリウスのクソ野郎が? そいつは中々きな臭え、だがいねえ奴のことなんざどうでもいいね、その分の誉れを掻っ攫うだけだ」

「アルフレートもいないよね。ちょっと残念。燃える街の中で追いかけ回すのも楽しそうだったんだけどなー」

「彼は城内に残るらしいわ。イザークの守護役として、万が一がないように」

「…………」

 ヴァルター・シェレンベルクの不在。

 この分岐点ともいうべき瞬間に、そのようなことがあるのか。

 或いは、彼がいると何か不都合があって、そういうことなのか。

 ベアトリスの抱える不安は秒刻みで増大していく。

 そしてグラズヘイムの門を開き、その命令を聞いた時。

 彼女の心は絶望に落とされた。

 

 

 

 

 

「…………」

 アルフレートは黄金の城の一角、外回廊から眼下をぼんやりと眺めていた。

 今、ベルリンは燃えている。

 赤軍の蹂躙から端を発し、今は聖槍十三騎士団の手により敵味方を問わぬ生贄の祭壇としてこの首都は機能している。

 アルフレートはそれに参加していない。

 第六位の裏の顔である彼はこの大儀式に際し、儀式が結実に至るまで、ゾーネンキントに通じる道を守護する役割を担っている。

 例えそこに至るような存在がいようが、いるまいが。

「…………」

 普段の道化ぶりは鳴りを潜め、険しい視線を送る先は、蹂躙されるベルリン、ではない。

 その中の、限られた一箇所。

 そこにいるはずの人物。

「…………」

 ポケットから小型の機械を取り出し、ボタンを押す。

 二箇所あるランプは片側の赤いランプのみが点滅する。

 もう片方の青いランプは、一向につく様子がない。

 先程から既に十回は繰り返しているこの動作を経て、アルフレートは長い溜め息を吐く。

「……ヴァルターめ、しくじったな」

「どうやら、そのようだな。ナウヨックス」

「ヒェッ!?」

 その声にアルフレートが振り返ると、そこには黄金の姿が。

 ラインハルトが、相変わらずの不敵な体でそこにいた。

「どうやらカールが要らぬ真似をしたようだ。曰く、彼が真に立つべき舞台は未だ此処ではない、そうだが。私としては、卿らの企みとやらを破壊するのをそれなりに楽しみにしていたのだがな」

「え? いやあ、何のことやら」

「隠さずともよい。何、卿ともまた長い縁だ。卿ら二人はどちらの企みであれ、最初にせよ最後にせよ互いに深く干渉し合っている。卿らも、そしてアイヒマン中佐も。良きレギオンであった」

 その反逆さえも愛おしい、だがしかし。

 今この時、或いはグラズヘイムの八分の一を瓦解させかねない筈だった計画は結実せず。

 果たして、そこに未知はあったのか、それだけが名残惜しい。

「まあ、だが。カールが動いたということは、それは未知ではなかったということだろう。であれば、私は来るべき怒りの日を待ち望もう。卿も、それが望みであろう。そして願わくば……」

 その先を言葉にすることはなく。

 ラインハルトは眼前に黄金の螺旋階段を創生する。

 天高く、城の頂上にまで登り、ベルリン全域にまでその威容を届けるためのそれは、果たして未だ神の領域には届かない。

 しかし、それでも。

 神ならぬ悪魔こそ、現世という地獄に新たに君臨するに相応しい。

「ナウヨックス。卿とも暫しの別れだ。何やらまた企んでいるようではないか。期待しているぞ」

「えっ」

 突如襟首を捕まれ持ち上げられる。

 アルフレートは抵抗するまでもなく借りてきた猫のような状態となった。

「あのー、閣下? 黄金先輩兄貴? これは一体」

「愛だ。卿への愛はこういった形が相応しいだろう。さらばだ」

「ですよねー!!!???」

 そして、アルフレートは天高く浮かぶグラズヘイムから投げ捨てられた。

 音速で。

「ああああああああああああああああああ!!!!!!??????」

 そして市街地に着弾した。

「げふゥ!?」

「なッ!?」

 地面を砕き、バウンドし、先にあった車も跳ね飛ばし、瓦礫と化していた家屋の中に埋まるアルフレートは、霊的装甲によって無事であったものの体中煤だらけで瓦礫の中から飛び出した。

「いっちっちー今日も酷い目定期。こういう日くらい酷い目とは無縁でいたいと思わない? ねえベア子ちゃん」

「……貴方の場合自業自得が大半でしょう、ナウヨックス少佐」

 着弾したその場所は、丁度ベアトリスが駆け抜けている場所だった。

 狙って投げたのか、それとも。

 アルフレートは頭を掻きながら周囲を見渡す。

「ああ……やっぱり此処なのね」

 その場所に覚えがあったアルフレートは、やってること過半数バレてんじゃねーかおいおいと遠い目をする。

「……で、何も用は無いんですか。無いのなら私は先を急ぐのですが」

 ベアトリスは反応の鈍いアルフレートを無視し、先に進もうとする。

「ああ、待って待って。言う事ならあるよ」

「……何です」

「この先に行っても無駄だよ、君のご家族はもうとっくに避難してるからね」

「……え」

 その言葉に、ベアトリスの足は止まった。

「軍部から暇を持て余した宙ぶらりんの連中を引き抜いて、この日が来るまでに説得と退避準備を進めてきた。報告に虚偽がなければ、彼らは君の家族の説得を完了してる筈だ」

「な、え……?」

 その突発的な情報にベアトリスは混乱した。

 何故、何故、いや、しかし、まさか、まさか。

「ベルリンを生贄になんて命令されて、回避する方法なんてなくて、ならせめて親しい人達はあいつらに食らわせない、自分が背負う。こんなところでしょ。クラウディアちゃんの一件からまーた陰気さが出てたからねえ。そんな君の思考形態を予測するのなんか簡単簡単」

 アルフレートは懐から通信機を取り出し、そのスイッチを入れる。

「もしもーし、ヴェーゲナー曹長? 元気?」

『与太話しに来たなら切りますよ! こちとら鉄火場を戦車で爆走中なもんで! 油断してりゃ一秒後にはおしまいですわ!』

「あ、そう。市街地の市民は?」

『駄目ですね! 誘導までは出来ても護衛並走なんて無理無茶無謀です! 各々が脱出できることを祈るしか無い! だからこの日が来る前にさっさと脱出しろって言ったんだ!』

「まあそれはね、聞かない方が悪いね。所でヴェーゲナー曹長。フォン・キルヒアイゼンの家はどうだったっけ?」

『はい? あの貴族様なら最初のうちはこの地に残ると息巻いてましたけど……ナウヨックス少佐が用意した手紙を見せたら悩んだ末に脱出に同意してくれましたが。連絡しましたよね』

「うんうんそうだったね。何、確認は大事だよねって。じゃあこっちが本題なんだけど。『青色のランプはつかないかい?』」

『……こちらの青色のランプは、ついてませんね。そちらも、ですか』

「同じく。ランプは点かなかったよ。そういうことだ」

『……ですか』

「ま、幸か不幸か既定の逃走ルートは確保できそうなんで、君達も頑張りたまえ。通信終了」

『了解、通信終了』

 役目を終えた通信機を懐にしまい、アルフレートは意地悪く笑った。

「そういうこと、理解できた?」

「…………」

 ベアトリスは呆然と、構えていた剣を下ろした。

 この人は、否、この人達は。

「……ナウヨックス少佐」

「なーに」

「貴方は、ヴァルターさんと、何を計画していたんですか。ヴァルターさんは、何処ですか」

「…………」

 その問いに、おちゃらけていたアルフレートは表情を消した。

「……ナウヨックス少佐?」

 半眼の少年は気怠そうに空を仰ぐ。

 燃えるベルリンを制する黄金の城。

 クロイツを描く魔術陣。

 その陣形に陰りはなく、黄金錬成は此処に成り。

「……さあね。何処に行ったんだろうね。僕も知らないよ」

 失ってはならない半身が、行ってはならない何処かに消えた。

 その事実を、無意識に感じ取りながら。

 

 

 1945年 ベルリン陥落

 

 

 




とある回帰の記録


β:-4
覚醒した黒の王によって第八のスワスチカは漆黒に沈んだ。
それを取り込んだグラズヘイムの黄金錬成は、結果後に大幅に響く欠陥を抱えることになる。
しかしそれが露見するのはツァラトゥストラが三騎士と邂逅を行った段階であり。
残された僅かな希望さえ失った戦乙女は早い段階で自壊衝動を起こし倒れた。
魂の相方を失った月の王は狂気に呑まれ、こちらもまた完全覚醒に至った。

この先の結末は何があろうと一択である。
狂笑のうちに邪悪なる円柱(カルシェール)が星に降り立ち、すべては灰と砂に還る。
嘗てこの世界に飛来する前の私が見た世界の結末が、此処にも訪れる。

故に、この分岐点において彼の計画を成就させてはならない。
彼には、王ではなく人として目覚めてもらわねばならない。

その為には、もう一手。
そう、例えば、囚われの姫君を演じて頂こう。
雷光の導きが、よりその輝きを増すために。
ははは。
そうだな、彼らはその都度立場が回転し、救い、救われていく。
互いがヒーローであり、またヒロインなのだよ。
だが、それもまた一興、そのような関係だからこそ面白い。
すべてを知っていようと、万能であろうと、これだから演者を見繕い歌劇を歌うのは止められぬ。

それを思い出したからこそ、私はあの世界の残照を、この世界に撒いたのだから。



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Fragments:1950

あけましておめでとうございます。
1月2日でございます。新年直前に書こうとか思ってたんだけど、やっぱ忙しいね。
ともあれ、今回は新章への導入部分。
めんどくさいんであっさり切って6000文字。
まあ前菜程度のあれですがどうぞ。

注意事項:前半茶番です。真のデュエリストでない方は読み飛ばしてどうぞ。


 あのベルリン陥落から、五年。

 極東、櫻井の一族の故郷である日本の、諏訪原と名付けられたこの地。

 後五十年もすれば、この地が新たなシャンバラとして機能するらしい。

 私は流されるままに、この地で変わり映えのない日々を送っている。

 

 ヴィッテンブルグ少佐はハイドリヒ卿の供としてグラズヘイムに召し上げられた。

 もう、この世界にはいない。

 私は、またあの人を引き止めることができなかった。

 ハイドリヒ卿という生まれる世界を間違えた獣に対し、自分如きに何ができるのか。

 きっと、私は黒円卓の一員となった時から、折れてしまっていたのだ。

 せめて人であり続けよう、だなんて、それだけで精一杯だった。

 結局、私も偽善ですらない悪逆を為した魔人の一員でしかないと、思い知ってしまった。

 それが、今私の心を錆びつかせている。

 毎日、毎日。

 鍛錬する以外はこうして益体も無い事を考えているだけで、時間は過ぎ去っていく

 ああ、こんな調子なら諏訪原のシャンバラが完成するのも直ぐかもな、等と思うも、やはり数年、数十年は長い。

 

 この五十年もの時間を、私はどう使うべきなのか。

 それを考えようとすると、結局剣を振ることに帰結してしまう。

 この状況下でのんびり放浪できるほど図太くはないし、誰か話したい人もいない。

 教会の首領代行とその補佐も、戦場で魂を漁っているであろう吸血鬼も、どこかで人を引きずり下ろして愉悦しているであろう魔女も、騎士団を維持するべく暗躍しているであろうあの人の代行も論外だ。

 唯一人、騎士団内でまともな付き合いをしていたヴァルターさんは、いない。

 あの日からずっと、姿を見せない。

 騎士団の誰も、彼の行方を知らない。

 あの人に一番近い位置にいるであろうナウヨックス少佐ですら。

 唯一つ分かっているのは、その失踪にメルクリウスが関わっているということのみ。

 その点を踏まえ、クリストフは彼を既に死んでいるものとして扱い、現在はシュピーネが第十位代行として実質的にその席に座っている。

 

 私の大切な人は、皆消えてしまった。

 それに対し、出来ることもなく、ただ今も剣を振る。

 心の拠り所だった剣の腕さえ、今は現実を忘れる口実として利用してしまっている。

 時々、夢の中でも自分は剣を振っている。

 現実でそうしているように、ただそれだけをしていればいいと。

 自分がしているのはそういう逃避なのだと、自分の夢にさえ糾弾されている。

 

『何をやっている、キルヒアイゼン。見ろ、敵が迫っているぞ』

 

 ああ、ヴィッテンブルグ少佐が懐かしい激励をかけてくる。

 これは夢だ、そうか、今は夢の時間だったのか。

 ツェンタウアたる半身の火傷がないのは、それが自分の願望でしかないから。

 あの頃に戻りたい、そんな風に思っている私の夢だから。

 例え赤軍が迫りくる戦時下であろうと、それは大切な思い出だから。

 

『ふぅん、赤軍の凡骨共がどれだけ寄せ集まろうと、我がデア・フライシュッツェ・ザミエルの炎で焼き尽くしてくれるわ』

 

 ヴィッテンブルグ少佐が不敵に鼻を鳴らし、鳴らし……ん?

 待て、なにかおかしいぞ。

 少佐、ちょっといいですか、貴方そんな角ばった目と尖った顎してましたっけ?

 

『全速前進だ! キルヒアイゼン! ライディングデュエル・アクセラレーション!』

 

 え、ちょ。

 少佐はこちらの疑問に構わず赤軍に向かって疾走する。

 何あの走り方キモッ!?

 何あの両腕を水平に振るランニングフォーム、でもめちゃくちゃ速い!?

 

『真のエイヴィヒカイト使い、ザミエル! ゆくぞ、バリアルフォーゼ!』

 

 右腕を天高く掲げた少佐が黄金の光りに包まれ、その姿がポニーテールに半身を火傷した姿に変身し、あの、ちょっと、ちょっと、此処私の夢ですよね!?

 

『さあ、お楽しみはこれからだ! デア・フライシュッツェ・ザミエルの攻撃! 滅びの、バァーストストリィーム!』

 

 列車砲の砲撃がドゴォォォという効果音を発しながら赤軍を紙のように吹き飛ばした。

 ちょっと待て、待てよ!

 

『強靭! 無敵! 最強ォーッ! 粉砕! 玉砕! 大・喝・采!』

 

 わ、私の記憶の中のヴィッテンブルグ少佐が!

 すごいことになっている!

 待って、本当に待って。

 暇が昂じてこんなバレたら殺される系の妄想に浸った覚えとかないよ!?

 

『わははははははははは!!!!!!』

 

 だから、ちょっと、待ってってばー!!!???

 

 

 

 

 

「はッ!?」

「あっ」

 ベアトリスはベッドから跳ね起きた。

 次いで、完全に冴え切った目で周囲を確認する。

 そこは自室で、自分はベッドの上にいて、先程の奇想天外なかっとビング時空が真に夢であったことをベアトリスは実感し、一先ずホッと息を吐く。

 そして、気付く。

 

 ベッド横においた椅子に座り、何か怪しげな機械の調整を行っている小男の姿を。

 

「……何やってるんですか、ナウヨックス少佐」

「……帰還の挨拶?」

「ほー。就寝中の女性の部屋に無断で入り込んできたことは百歩譲っていいとして。その左手に隠した妙な香りのする小瓶は何です」

「……アロマテラピー?」

形成(イエツラー)

 ベアトリスは剣を抜いた。

 そして芸術的なまでの横一直線にそれを薙いだ。

「あっぶな!? 首を狙ったねッ!? いま首を狙ったねッ!? いくら僕が使い捨て魔人だからって君まで気軽に殺してくるようになるなんて先輩は悲しいよベア子ちゃん!」

「うっさいあんたが先輩顔するないっぺん死ねー!」

 その攻防は二階から一階まで駆け下りる勢いで続いた。

 しぶとくも玄関まで逃げ延びたアルフレートをベアトリスは追い詰めようとするが、

「そこまでですよ、ヴァルキュリア。色々と困った御方ですが、彼も我らの同志です」

「……! クリストフ……」

 それを遮るように顕れる巨体があった。

 矮躯のアルフレートと比べると親子ほどの差がある、鍍金の姿。

 ヴァレリア・トリファ=クリストフ・ローエングリーン。

「やあ助かったよクリストフ。輪切りにされちゃうかと思った」

「どうせまたぞろ彼女を刺激する真似をしたのでしょう? 首領代行の身としては勝手な行動は謹んで欲しいのですがねえ」

「やだよ。勝手する分は技術供与で十分貢献してるでしょ。反逆とか言われても聞かないよ」

「やれやれ……本当に扱いに困る御方だ。とは言え、今この時に貴方を全面的に敵に回そうとは思っていませんよ」

「僕も名前からンを抜いただけで別人になった気になってるヴァレリアくんとは友達でいたいと思ってるよ。今後とも宜しく」

「……あの。近頃近所の子供達に『ンを抜いた人』と呼ばれるんですが、貴方ですか? 貴方ですよね? 勘弁して欲しいんですが」

「事実が流出したからって気に病むなよン抜きのおっさん。強く生きて」

「……はあ」

 ヴァレリアにとって、アルフレートは現世組の中で最も扱いにくい男だ。

 何せ、信用度合いで言えばメルクリウスとどっこいどっこい、戦時中はメルクリウスに一番気兼ねなく話しかけていた黒円卓の異端。

 首領代行となれども、双首領と三騎士を除き未だに卿と呼ぶ二人のうちの片割れ。

 その真意は黄金の玉体を得る前でさえ見透かすことはできなかった。

 良くも悪くも、混沌。

 この五年間気ままに何処かを放浪し、シュピーネにさえその足取りを掴ませない徹底ぶりは怪しんでくださいと言っているようなものであり、明日には適当な理由で裏切っていても全くおかしくはない。

 首領代行として処断する理由は十分過ぎるほどあるのだが、しかしその有用性と混沌を好む性はここで切り捨てるには惜しい。

 そもそも、まだ殺し方が分からない。

 黄金のエインフェリアとは別のアプローチで少なくとも肉体的には完全な不死を体現しているこの男はどうすれば死ぬのか。

 案外殺し続けていればそのうち死ぬのかもしれないが、断言はできない。

 故に、まだ利用する。

 その異端の力は、あらゆる事象への鬼札に成り得る。

 彼の相方が存命中ならまだ幾分かわかりやすかったのだが、是非もない。

 よって、ヴァレリアは絶えずアルフレートを観察する。

 この混沌の天秤を、どうすれば自分に利するように動かせるのかと。

 

 そんなことを思っている時点で、アルフレートの目論見通りなのだが。

 

「あの、クリストフ。いいですかね。正当な理由がないのなら私はそのちっこいのの腕一本でも取らないと気が済まないんですが」

「世界にひとつだけの僕の体を大切にしろ! 僕を傷つける野蛮人は名誉シュライバー君に認定してやるからな! 教会の壁に飾ってやるぞ!」

「んだとコラこの小僧が――」

「ああもう双方落ち着いて! ナウヨックス卿も煽るのは一旦止めて下さい! 今回は貴方の新たな技術供与の為に団員を招集したんですよ!」

「新たな技術?」

 アルフレートの能力、異端技術(ブラックアート)とも呼ぶべきそれは概要事態は公のものとなっている。

 とはいえ、その全貌をどう考えても明かしてないのも事実なのだが、その技術の一部、ことさら汎用的なものは団員内でそれを共有するに至っている。

 恐らく首領代行の権限でアルフレートの隠し持っているすべての技術を絞り出そうとすれば、この男は即座に逐電するだろう。

 最悪の場合その技術を惜しげもなくばら撒き扇動し、第三次世界大戦を起こしかねない。

 忘れてはいない、忘れてはいけない。

 この男は聖槍十三騎士団が結成される前よりそういう邪悪さを発揮していた。

 何せ、実質的に第二次世界大戦が開戦するきっかけを作った男なのだ。

「……今回の招集は、副首領閣下の影からのお墨付きです。積もる話は後に」

「……なッ!?」

「そーそー、ウン十年も暇でしょ? ってことで。此処は一つ明確な目標でもあればなーって話があってね。ならちょうどいいものがあるって、副首領の兄さんから預かってきたものがあるのさ。今日はそれを皆に配ろうって話」

 メルクリウスの沙汰ともなれば、団員全員に拒否権はない。

 例えそれにアルフレートが関わっていようと、それは今後の活動を左右する話だ。

「事前に概要を聞かせてもらいましたが、これは非常に有用な技術です。エイヴィヒカイトの追加機能、と言っても過言ではない。今の我々を、確実に一歩は進めるものだ。副首領閣下の賜物という部分は皆暫くゴネるでしょうが、まあ我々にとっては今更ですし問題はありません」

「そういうこと。じゃあ早いとこ教会の地下に行こうよ。そこで粗方説明してあげるからさ」

 

「世界の間隙に割り込み無色の世界を掌握する。大時計を通じ渇望を広げ、願いを更に染め上げる。エイヴィヒカイトのブーストパッケージ、『現象数式領域(クラッキング・フィールド)』のガイダンスをね」

 

 

 1950年、諏訪原市にて 聖槍十三騎士団の胎動

 

 

 

 

「はい、そういうわけで。僕はまた暫く失踪します。シュピーネ君に定期連絡するつもりもありません。その気になったら帰ってくるよ、多分ね」

「せめて一方的でもいいですから連絡をいただけると助かるのですがね」

「次代のゾーネンキントがまだ不在な以上は貴方が六位なのだから。勝手な行動は謹んでもらいたいのだけど」

「無駄ですよリザ。それでナウヨックス卿が思い留まってくれるならどんなにいいか。ああ……シェレンベルク卿の不在が胃に痛いですねえ……」

「そのあたりは首領代行様に丸投げするわ。んじゃ俺も戦場に戻るとするか。試運転に足る奴がいれば試してみるかね」

「ベイー、貴方それハードル高すぎじゃない? 試運転できるのは何十年後かしらね」

「は、俺は悪食じゃねえんだよ。こだわらなきゃ俺じゃねえ、まあババアには分からねえか」

 話は終わり、各々が退席していく。

 ヴィルヘルムやルサルカはまた思い思いの放浪に戻るのだろう。

 居場所が知れるだけこの二人はまだマシなものだが。

 緊急時に招集さえもかけられないアルフレートはと言うと。

「あ、そうそう。ベア子ちゃんちょっと借りるね」

「えっ」

「はい?」

 ベアトリスの手をひっつかみ扉を出ようとしていた。

「ちょ、ちょっとお待ちなさいナウヨックス卿。ヴァルキュリアに何の用で?」

「はん? なんか辛気臭いから僕の放浪のお供についてきてもらおうかなと思って」

「はあ? 何で私が」

「シャンバラ待機なんてさー。クリストフとバビロンがいれば十分だろ? 君達インドア派は良くてもさ、やっぱアウトドア派は暇潰しがないとね。というわけでヴァルキュリアを借りていきます。連絡はしませぬ」

「待って、待ちなさい、即時対応が可能な人員が常態で減るのはこちらとしても困」

「そうか快く送り出してくれるかありがとう首領代行!」

「おま」

 ヴァレリアの言葉を聞く前にアルフレートは走り出した。

 その腕を掴んだベアトリスも一緒に。

「ナウヨックス卿――!?」

 扉の向こうから中間管理職の悲哀が込められた叫びが響いた。

 ざまあない、と一瞬思ったが、ベアトリスは正気に返った。

「ナウヨックス少佐! 私は貴方の野暮天に付き合うつもりは毛頭ないですよ!」

「…………」

 変わらず腕を引き続けるアルフレートに文句をつける。

 しかしアルフレートは歩みを止めない。

「ちょっと、貴方、話聞いてます?」

「…………」

 アルフレートは答えない。

 ただ手首を掴む握力は一切緩まず、ベアトリスを引き摺っていく。

 その様子を、ベアトリスは訝しんだ。

「……ナウヨックス少佐?」

 困惑のまま、教会の玄関を抜け、中庭の中心まで。

 夜の闇に包まれた教会は、他の人影などなく。

「……さーて、じゃあ行こうか。さらば諏訪原、さらば教会の中庭、めんどくさいから地脈移動でかっ飛んでいくけど、修繕は首領代行におまかせ!」

「え」

 アルフレートが光に包まれ、それに捕まっているベアトリスも光に包まれ。

 天地がひっくり返ったような感覚に襲われる。

 地脈移動、それは地脈に乗ることにより広大な距離を移動することが可能だが、出発地点と到着地点に大規模な神秘の炸裂現象を起こす、およそまっとうとはいえない移動手段だ。

 故にベアトリスは試したこともない、これが初めての経験になる。

 アルフレートに引きずられるまま流れに沿って移動している感覚が掴める。

 その感覚はやがて渦を巻き一点に収束し、扉となって自身を受け止めるような。

 回転する視界が一気に開け、そして。

 

「……きゃっ!?」

 気がつくと、ベアトリスはそこに尻餅をついていた。

 ベアトリスの感覚が捉えたのは、先ず時計の音だった。

 次いで床に尻を打った感覚、そこまで来てようやく視界が場所を認識した。

 整然と並ぶ機関の壁。

 薄暗いにも関わらず細部まで見渡せる不可思議な部屋。

 この世の闇と、それを知る手段をかたちとしたような、暗がりの密室。

 嘗て、ルサルカを招いた『第一研究所』とは異なるもの。

 それは、アルフレートが新たに制作した、正真正銘の何処でもない何処か。

 

「ようこそ、ベア子ちゃん。僕の『ヴンダーカンマーⅡ』へ」

 

 アルフレートの声色は静謐に冷たい。

 そこ声色に、ベアトリスは覚えがあった。

 

「歓迎するのは後回しにしよう。とりあえず簡潔に、率直に、要件を伝える」

 

 その瞳は、赤銅輝く赫眼を細め、嘲笑を貼り付けた口元は閉じられて。

 

「手伝ってくれ、君の力が必要だ」

 

 そう、ベアトリスは知っていた。

 それを見たのは五年も前のことだ。

 

「僕だけでは、足りない。雷光の戦乙女、その随一の突破力が必要なんだ」

 

 あの日、忌々しげに空を見上げていた。

 あの人の行方を失った日と、同じ。

 

 

 

 

 

「ヴァルターの居場所を見つけた。その救出に、協力して欲しい。頼む」

 

 

 

 

 

 そう言って、裏切りのひと、道化の男と忌まれる男は、膝をつき頭を下げた。

 

 

 秘密研究室・ヴンダーカンマーⅡにて ベアトリスとアルフレート

 

 

 




時間牢獄編、開幕

絶望の空に、その名を呼ぶ。




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時間牢獄Ⅰ

一ヶ月冬眠してました。
寒波来たり、イベント周回してたり雪が降ったり、また寒波来たり、また雪が降ったり。
色々あったよね、許して。
今回の話の構想は眠りにつく一ヶ月前から出来上がってたけど許して。


「この五年間ね、僕はずっと副首領閣下の遊びに付き合わされてたのさ」

 テーブルに世界地図を開き、赤色のペンでチェックを付けていく。

 隣に日付を記入し、次へ。

 それはこの五年間の彼の足跡だった。

 砂漠の中から一粒の砂を見つけるが如き旅の過程だ。

「ヴァルターはあのベルリンの落日に、スワスチカの一つを破壊する計画を建ててた。僕と、アイヒマン君もそれに一枚噛んでてね。けど、どうやらその行動は許される範疇の外だったらしい。恐らくヴァルターはメルクリウスに敗れ、捕らえられた」

 ドイツ、イギリス、フランス、イタリアとヨーロッパの主要国家を回った。

日本列島を北から南まで調査した。

「メルクリウスは言ったよ。この世界の何処かに、彼を隠した。未来を望むのであれば、探し出してみるがいい、ってね」

 その後は神秘の深い場所を優先的に、ロシアと中国の深い山中を行った。

 西欧からアジアまでを探し回った。

 そして、海を越え、アメリカ大陸へ。

「そこからはあてのない旅の始まりさ。本当に何のあてもないものだから、世界中を回ったよ。回って、回って、歩いて、歩いて、そして……見つけた」

 1950/04/01と、そこに記入する。

 チェックではなく、発見した、という丸印をつけて。

「アメリカ大陸、アルカトラズ監獄島。ここに踏み入った僕はヴァルターを捕らえているものの正体に触れ、同時に完膚無きまでに叩きのめされ敗走した。これが僕が放浪してる間の出来事だよ」

 ペンをテーブルに放り投げ、アルフレートは視線を下から前に戻す。

「……僕だけでは、駄目だった。だから、君の力を借り受けたい。他ならない、雷速の足を持つ君の。頼む、一生の頼みだ」

 その問いに、少女は。

 今や心折れ、燻り、魔名の呪いに縛られるその少女は。

 

「分かりました」

 

 一も二もなく、頷いた。

「ええ、絶望していました。燻っていました。心も折れ曲がって、今や自他共に認める外道の一員であると思い知って。けれど、助けます。助けに行きます。あの人が生きて、自由を失っているのなら。私は貴方と共に行きましょう。ナウヨックス少佐」

 折れ砕けたなら雷火を以て打ち直す。

 その結果歪んでしまっても、不出来な再開になってしまっても。

 それで救えるものがあるのなら。

「沢山のものを失ってきました。けれど、失わずにいられたものもあった。それが、あの人の、ヴァルターさんのおかげなら。私はそれに輝きを以て報いなければならない。今度こそ、取り返しの付かないところに行ってしまう前に」

 あの時も、あの時も、何時だって。

 そして、今もきっと、そうなのだ。

 だから、迷わない。

「……愛されてるねえ、親友は。因みに僕が嘘ついてる線は?」

「無いですね。だって少佐、貴方は先輩のことについては、一度たりとも嘘なんてついたこと無いじゃないですか。貴方はクソ外道で人を貶めることに躊躇いのない人ですけど。あの人との友情は、本物だと思ってますので」

「……む」

 ジト目で対応され、アルフレートは所在なさげに髪を弄り始める。

「何というか、素直じゃないですよねーナウヨックス少佐って。だから今日は驚きましたよ」

「やめるんだ、僕をそんな世間一般のテンプレートに当てはめるんじゃない! 惨めになっちゃうだろ! 謎めいた外道少年でいいんだよ僕は!」

「ははは。まあこの貴重な機会に弄り倒したいのは山々なんですけど。詳しい話を聞かせてください。アルカトラズで、貴方は何を見てきたんですか」

「……そうだね。ここからは時間をかけて詳細な説明が必要だ」

 場所を変えよう、そう言ってアルフレートは部屋の扉を開け、外に出る。

 ベアトリスはそれに続こうとして。

「ん……?」

 突如走った違和感に、立ち止まる。

 足元から指先まで、静電気が走ったような不可思議な感覚。

 それは、まるで自分を引っ張っているような気さえした。

 その僅かな引力の先に、視線を向ける。

 そこには、半開きになった大型のスーツケースがあった。

 アルフレートの私物、だろうか。

「…………」

 訝しみながらも、それに近づく。

 ベアトリスは空いたスーツケースの上側に手をかけ。

 

 

 そして――意識が暗転した。

 

 

 

 

「ここは……?」

 暗い。

 先程の部屋ではない、ただ一面の暗がり。

 覇道創造に取り込まれた感覚にも似た、明確に別世界と実感できる領域。

 魔術師狩りの折やカチンの怪異の際に触れた感覚。

 闇の中にベアトリスはあった。

「貴方は?」

 そして、その闇の中に、ぼんやりと、淡い光があった。

 長身の人型を取る、今にも消え入りそうな光の姿。

 その光こそが、ベアトリスに声を投げかける者。

『輝きを持つものよ。尊さを失わぬ、若人よ。お前の声を聞いた』

 ベアトリスは感じた。

 その微かな光が、闇の中に焼き付いた残照の如きかたちが、自分と同じものであることに。

 否、否、違う、同じであるものか。

 これは自分が操るようなものとは一線を画する、天から降り現れたが如き、

「雷の、輝き」

 その輝きに、ベアトリスは近寄っていく。

 これが、この輝きが、悪しきものであるはずがないと確信めいた思いを抱いて。

『名も知らぬ少女よ。私と同じく、天を翔る雷鳴と化した少女。お前の名は何だ』

「私……私は、ベアトリス・ヴァルトルート・フォン・キルヒアイゼン……です」

『そうか、ベアトリス。輝きの娘よ。お前の名を知った。これが、我が最後の縁か』

「貴方は? 貴方は、何者なのですか」

 この無謬の闇の中にあって、今尚淡くも輝きを失わぬ、その人。

 ベアトリスは顔も見えないその光の名を聞く。

 光は、やや沈黙の後、それに応える。

『■■■・■■■。邪悪なりし時計人間(チクタクマン)に破れ、人々を救えず、今や焼付き擦り切れた残照でしかない、命ならぬ幻想の末路。それが、私だ』

「え……?」

 その名前は、まるでノイズがかかったようにベアトリスの理解を拒んだ。

 この世のものではない、水銀の王に近い、理解してはならない何か。

『やはり、最早我が名さえ届かぬか。呼び名に困るなら、私のことはペルクナス、と呼ぶがいい。本質たる■■■■■■■の名は使えずとも、嘗て人々が称した、数ある名のひとつだ』

 その名を認識することで、ぼやけた輪郭が微かに見えるようになってくる。

 首にマフラーを巻き、その手に鎧を纏う白い男。

 雷の戦士、という言葉がベアトリスの脳裏を過る。

「貴方も、そうなのですか?」

 その姿に、そのかたちに、ベアトリスは問いかけずにはいられなかった。

「ペルクナス。貴方も、誰かを導く閃光でありたいと、そう願った戦士なのですか」

『…………』

 ペルクナスは、押し黙る。

 ややあって、頭を振るように、自身を、そしてベアトリスを憐れむように。

『違う、それは違う』

 そっと、否定の言葉を紡ぎ出す。

『ベアトリスよ。それは違うのだ。お前の声を聞いた。故に、知った。誰かを導く閃光でありたい、その願いは尊いものだ。しかし、その尊さを貫きたいのなら。お前は思い出さねばならない』

「え……」

 その言葉は、ベアトリスの心の隙間に、一本の針のように突き刺さった。

 想いには、始まりがある。

 魔人となった故に渇望、業という鎖に縛られ、それのみが先行した心に埋もれてしまったたものを、ペルクナスは見る。

『時は待たない。邪悪なる時の世界こそが、次なるお前の敵か。私の言葉もまた、既に無限の光輝を失い有限でしかない。ならば、今は未だ』

「あ、待って、待ってください!」

 そう言って、消え行くペルクナスにベアトリスは手を伸ばす。

 今、この瞬間が、ここで交わす言葉こそがとても大事に思えたから。

『お前がその手を伸ばすべき誰かは、残照たる私ではない』

 しかし、手は届かない。

 確かな言葉だけが、白く染まる視界の外から耳に届いて。

 

 

『空の果てより嘲笑うもの。私の罪そのもの。黒の王。月の王。這い寄る、混沌。その宿命から、彼を解き放て。その時こそ、お前の真実の祈りが結実する時だ』

 

 

『輝きとは。心から来る強く果てなき輝きとは、決して瞳を焼くものではない。私が為せなかった奇跡とも呼ぶべき愛を、お前は為すだろう。忘れるな。待て、しかして希望せよ』

 

 

 

 

「おーい、どうしたんだよう?」

 扉の向こうから響くその声に、意識が覚醒する。

 あの光の世界は既に跡形もなく、白昼夢だったのでは、とさえ思う。

 しかし、あの感覚は、間違いではない。

 果たしてあれは何だったのか、私は、どうするべきなのか。

 答えは、未だ出ない。

 けれど。

「すいません、今行きます!」

「はよこい名誉シュライバー勲章ベア子殿」

「調子乗んな!」

 今は、この足を止めない。

 走り続ければ、どこかにたどり着く。

 走るべき道さえも見失いかけていた自分が、道を見つけたのだから。

 この道を最後まで駆け抜けなければ死んでも死にきれない。

「…………ペルクナス」

 最後にかけられた言葉を思い出す。

 どこか懐かしい、その言葉。

 その響きが今もしっくり来て。

「待て、しかして希望せよ。……待っていてください、ヴァルターさん」

 開いていたスーツケースの蓋を閉じる。

 そしてベアトリスは部屋を後にした。

 

 

 スーツケースの中にあった筈の一対の機械篭手(マシンアーム)機械帯(マシンベルト)は、ベアトリスの視界に入る前に露のごとく消失していた。

 

 

 1950年 ヴンダーカンマーⅡ、或いは古き世界の狭間にて

 

 

 

 

 駆け抜ける。

 色褪せた大地、そこから突き出る紫煙を吐き出す異形の機関。

 不自然なほど藍色な空の上には、血走った目に歯をむき出しにして地上の全てを嘲笑うが如き不気味な三日月が浮かんでいる。

 異形なる世界、異端なる世界。

 時が軋んでいるかのような、体に纏わり付く不快感。

 大凡、人の住処ではない。

 覇道型の創造を知るものならば、成る程そういうものかと思いもするだろうが、この世界は一線を画している。

 魔術師狩りの折立ち入ったような生易しいものではない。そう、まるであの黄金の獣の創造位階、現世に永劫留まっているかのような理の強制力。

 留まってはいけない、このような場所に留まってはいけないと、魔人としての自分と人間としての自分が同時に頭の中で警鐘を鳴らし続ける。

 急がなくてはならない、もし本当に、彼がこのような世界に五年も囚われていたのなら。

 

『イ』

 

『イノチ』

 

『アラタナ、イノチ』

 

『クワセロ』

 

「生憎と……ッ!」

 迫り来る異形の腕。

 機関(エンジン)鋼鉄(スティール)からなる巨人の腕を回避し、剣を持った右腕を引き絞る。

「お前には、渡さない。何一つ、誰一人!」

 雷を凝縮した渾身の一撃。

 その斬撃は機械の腕を斬り飛ばし、その斬り口を融解させる。

 しかし、それでは止まらない。

『イノチ、イノチ、イノチ』

 全身に加わったはずの衝撃など無いもののように、巨人は動く。

 故に、ベアトリスはそれを完全に停止させるための、もう一歩を踏み込む。

「はあああああああああッ!!!」

 懐で身を翻し、逆袈裟の斬撃。

 腰から中央を抜け肩をまで両断するその一撃によって、ようやく敵は止まる。

 崩れ落ちる鋼鉄はまるで存在しないかのように消えていき。

「はあっ、はあっ」

 空いた正面を、ベアトリスは駆け出す。

 一刻の猶予もない、それは彼方に囚われる人のみならず。

 

『イノチ』

 

『クワセロ』

 

『ヒト イノチ イノチ』

 

 今も地上から湧き出るように表れる、この無数の機械の群れが故に。

「この、創造が使えれば……!」

「ダメだよ、言ったよね」

 雷速の足を見込まれたはずのベアトリスはしかし形成位階を維持して駆け抜ける。

 ままならない状況に歯を噛みしめるも、アルフレートがそれを諌める。

「この世界、時間の流れが狂ってる。創造位階はここぞという場面以外で使うべきじゃない。覇道創造は論外、求道創造でも片道しか保たないと思ったほうがいい。ヴァルターのもとに辿り着くまで、君の創造は取っておくんだよ」

「ですが、ジリ貧ですよ!」

「この機械死人(サイバーゾンビ)共だけならまだマシってもんさ、ちょっと全身全霊で斬りかからないと倒せない程度、人型の戦艦が犇めいてるようなもんだと思っとけばいい! 問題はこれを抜けた先だよ、ここで力を使い切るのは問題外! 燃料はどうだい?」

「分かってますよそんなこと、なるべく最短で回避しつつ片付けていますが……カチンよりも性質が悪い! このままでは……!」

 併走する二人の周囲には今も際限なく敵が湧き出ている。

 アルフレートが機械死人(サイバーゾンビ)と呼ぶそれらは、異形の巨躯だ。

 機関と鋼鉄で構成された、巨人であったり、雲であったり、又は東方の鬼神が如き数多の手足を持つものであったり。

 この空間にあって、命あるものを狙うのであろうその言動は聞くものを凍てつかせ、また異形の鋼鉄による頑健さはベアトリスのが全力で、それこそ戦艦を両断するが如き力を込めた一撃がなければ崩れない。

 雑兵を相手にするように纏めて吹き飛ばすような余裕は何処にもなかった。

「形成状態の私の足でも、貴方のハルピュイアの機動力でも立ち塞がるあれらを撒く機動力としては役不足です! 必然正面に立つ相手は斬り伏せるしか無い。しかしそれでは!」

「後に続かない。知ってるさ、僕だってこの群れを切り抜けたはいいけど、塔にたどり着いた段階で詰んだんだからね」

 塔、そう言って二人は彼方を睨む。

 この異形の世界においてひときわ異彩を放つ、嘲笑う月を指し示すが如き塔があった。

 そこが中心だ、と隠すこともなく主張するその場所が目的地であると。

 時間の歪みがひときわ収束したあそこに至るために、ヴァルターがいる。

 そう確信できるからこそ二人は走っているのだ。

「塔まで残り半ば、といったところですか。何らかの対策を取らないと」

「……仕方ない。やっぱり二人一緒に到達するのは贅沢が過ぎたみたいだ」

 見通しが甘かったかな。

 そう言って、アルフレートはその掌に銀時計を形成する。

 時のゆりかご(ドゥームズデイ・クロック)

 アルフレート・ナウヨックスの聖遺物。

 如何なる由来かは知らないが、それはあらゆる時間への耐性を主人に与える。

 また異形の機械技術によって魔の機関を生み出し、特にアルフレートが『クリッター』と呼ぶ鋼鉄の異形は特異な能力を持つ。

 彼がハルピュイアと呼ぶクリッターは形成位階とはいえベアトリスの俊敏性に合わせられる機動力を持つ。

「出来ればこれはやりたくなかったんだけどね。あの時と同じ、『このままじゃまずい』って感覚がガンガン響いてくる。でも、背に腹は抱えられない」

 銀時計の中から、親指程度の大きさの黒い針のようなものを取り出す。

 それを奥歯に挟み込み、噛み砕く。

 

 チク・タク、チク・タク。

 

 カチリ。

 

「我が力、我が異能(アート)。アルフレート・ナウヨックスは『創造』する。他者の感情を取り込み、他者の感情と自身の感情を素材とし、形成するは鋼鉄の使徒、『クリッター』」

 その口元が、まるで空にあるあの三日月のように歪むのをベアトリスは見た。

「さあ、部品は補完された。感じれど理解に及ばなかったこの感情の名を今知ろう。放浪の果てに我が前に立ち塞ががるもの。汝の名は『嫌悪』なり」

「ナウヨックス少佐!?」

 ハルピュイアが霧散し、跳躍したアルフレートと足を止めないベアトリスの距離が開く。

 まるで囮になるといった風であり、であるからこそベアトリスも振り返るのみで走り続ける。

「さあ、機関(エンジン)鋼鉄(スティール)が紡ぐもの、その闇深き、命を喰らう機械の死人よ。人ならざる君達がたとえ人たる僕を砕こうとも」

 そして、それを見た。

 霧散し収束する影が、新たな姿を象るのを。

「ならば人ならざる、この僕の影は砕けまい」

 その銀時計を開き掲げて。

 そして、ごぼりと、彼の影が泡立った。

 

『さあ、始めよう』

 

『月の王の光を借りて。来たれ我が影、我がかたち』

 

『暗闇より這いずる両脚』

 

『覆い隠すくろがねの鎧』

 

『そして、貪り尽くす悪食の牙。我が声に応えて出でよ、我がかたち』

 

『嫌悪の大壁、クリッター・グレムリンオーガ!』

 

 そして、現れる。

 鳥の翼を象るハルピュイアとは違う、機械死人の巨大さすら上回る鋼鉄の巨人、土色の壁が、そこに立ち塞がった。

 一際大きな歯車の軋む音が響いて、何とその軋み出た恐慌の音波が、ただそれだけで向かい合った機械死人を粉砕する。

「そう、これが嫌悪か。そういうことか。これは貴重な経験だ」

 その巨人、グレムリンオーガの肩に、アルフレートは降り立つ。

 眼下にて未だ発生し続ける機械死人を見下ろして、獰猛に笑いながら。

「汝の腕は我が腕、汝の罪、あらゆる罪は我が罪。さあ、叫べグレムリンオーガ。誰もがお前を無視できない。嫌わずにはいられない!」

 その言葉を号令に、グレムリンオーガが姿勢を傾ける。

 鋼鉄のマスクが剥がれ落ち、その向こうに獣の如き凶悪な顎が現れて。

 そして、吠え叫ぶ。

 鋼鉄を打ち鳴らす音、歯車が軋む音、油が跳ねる音、それらをぐちゃぐちゃに混ぜ返したような、ただただ不快な音。

「う、ぐぅ!?」

 グレムリンオーガの背後を駆け抜けるベアトリスも、その顔が向けられていないにも関わらず拡散した音に蝕まれる。

 今すぐこの足を止め、その音の発生源を破壊したいという衝動に駆られるが、しかしそのような一過性の衝動を噛み砕き、走る、走る。

 そして、異変に気づいた。

「これは、まさか」

 周囲一帯の機械死人たちが、一斉にあの巨人、グレムリンオーガへと狙いを定めた。

 今発生し正面に立つ機械死人には流石に効果はないようだが、背後から追撃してくる機械死人はいない。

 すべて、すべて、アルフレートの側に集っているのだ。

 振り返ると、丁度同じく振り返っているアルフレートと遠く目が合った。

 アルフレートは指を向け、簡潔に口を動かしている。

「行け!」

「……了解(ヤヴォール)!」

 その声を、確かに聞いて。

 駆け抜ける、その先に。

 開けた道、今は犇めく程でもない機械死人の戦線を、後続が発生する前に潜り抜ける。

 一体一体が相手ならば、ベアトリスの足なら撒けない程ではない。

 斬り伏せる手間も惜しみ、足の間を跳躍する。

 走って、走って、斬って、飛んで。

 そしてまた囲まれてしまう前に、ベアトリスは到達した。

「……塔!」

 黒く、天高くそびえる塔。

 この塔の半径数百メートルに入ると、機械死人はまるでそこに絶対不可侵の境界線があるかのように近寄ってこなくなった。

 空間を汚染する時間の歪みは魔人の身をもってしても吐き気を催すほどに膨れ上がり、その先を見通すことはかなわない。

 まるで、メルクリウスを見ているような、そんな錯覚さえ覚える。

「……だから、なんですか。私は行かないといけないんですよ」

 その恐怖、絶望の一切を放り捨て、ベアトリスは扉を押し開ける。

 ここで死んでもいい、全てを投げ出してでも。

 自棄と言われればそれまで、それでも、それが自分の足を進ませるのなら。

「待ってて、お兄さん!」

 頬と膝をバチンと掌で叩き、ベアトリスは駆け上がる。

 塔の扉の先にある、漆黒の螺旋階段を。

 

 

 模倣紫影世界 アルカトラズ時間監獄にて 駆け抜ける戦乙女

 

 

 

 

 そう、そして、御身は至るのだ。

 ベアトリス・ヴァルトルート・フォン・キルヒアイゼン=ヴァルキュリア……否。

 

 極光の戦乙女(アウローラ・スクルド)

 その宿業を、祝業と為す英雄よ。

 或いは、御身が諦めればそれまでだが、さて。

 ことここにおいて、それはあるまいよ。

 

 喝采せよ、喝采せよ。

 おお、おお、素晴らしきかな。

 第一の階段を盲目の生け贄が昇るのだ。

 水銀の蛇の名の下に、現在時刻を記録した。

 私の望んだその時だ、彼の望んだその時だ。

 黄金の君よ、震えるがいい、貴方の望んだその時が、その果てにこそ訪れる。

 黄金螺旋階段の果てに、我が夢、我が愛のかたちあり。

 

 ふ、ふふ、ふはは、ふははははははははは。

 げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげら!

 

 




おまけ



【挿絵表示】



【挿絵表示】



緋龍華麒麟さんのキャラクター作成ツール「キャラクターなんとか機」と、
島根件さんのキャラクター素材「ヒロイン製造機」「オレ製造機」をお借りして作成しました。


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時間牢獄Ⅱ そして……

一月間があいたのに新鮮な10評価が入りましたあ嬉しいでしょうねえ。
アニメがアレなところでぶった切られて今鎮静期に入ってるだろうに、どれだけ見てくれてるのかは知りませんが有り難いことです。
なのでさっさと書きました、はい、読者は大事にしないとね。
そういや前回のおまけへの反応がないけど皆手描きじゃないものに興味はないのだろうか、それとも特に解説もなく放り投げたからだろうか。
キャラ作成ツールで擬似作成した左アルフレート、中央ベア子、右ヴァルターですよ。


さて今回で時間監獄は脱出です。
そして、作者が一番書きたかった場面の取っ掛かりに突入します。
まあ、その、あれだ、あれだよ、あれ。
読んで確かめてどうぞ。


 駆け上がる。

 漆黒の螺旋階段を、ベアトリスは駆け上がる。

 速さとか、時間とか、距離とか、そういったものが全て剥がれ落ちていくような感覚の最中、ただ焦燥と想いを糧に、ベアトリスは走る。

 どれだけ足を早く動かしても、螺旋階段はそれを阻むように一段一段しか進ませようとしない。

 どれだけ登ったのだろうか、先は見えない。

「はっ、はっ、はっ」

 それでも、走る。

 諦めることはなく、走るのだ。

 そう、例え、何が囁やこうとも。

『無理だ、御身には』

 だが、その覚悟を一笑し、それは囁く。

 彼女の足を止めるべく、その心を犯す。

『ヴァルキュリア、ヴァルハラの戦乙女よ。御身に出来ることは破壊のみであれば。その雷は駆け抜けるよりも前に、脅威を砕く雷であれば。諦めるがよろしい、御身の齎す救いとは、黄金の先にある永遠の死であるのだから』

「……うるさいッ! 私は、そんなんじゃない! 私は、そんなことを認めてない!」

 剣を振りかぶって。

 水銀の言葉を砕く、怒りのままに。

 映写機のようなかたちをした人型の機械が、砕け散りながら螺旋階段から落ちて。

 ベアトリスは走る、砕く刃を手にしながら。

『無理だ、貴様には』

だが、その怒りをねじ伏せ、それは囁く。

 彼女の足を止めるべく、その心を犯す。

『至高の破壊を理解しないものに、未来はない。軍属として刃を振るうものなら分かるだろう、それが間違いではないことが。認めろよ、あの破壊こそが、全ての頂点に立つ輝きなのだと。さあ、来い、来るのだ』

「私は、私は! 貴方とは違う! そんなものが至高であっていいはずがないんだ!」

 剣を振りかぶって。

 射手の言葉を砕く、悲しみのままに。

 蓄音機のようなかたちをした人型の機械が、砕け散りながら螺旋階段から落ちて。

 ベアトリスは走る、否定する刃を手にしながら。

 

『無理ですよ、私には』

 

 しかし、しかし。

 しかし、囁くのだ。

 誰でもない、他ならぬ自分自身が囁くのだ。

 彼女の足を止めるべく、その心を犯すのだ。

『言うだけなら、心だけなら、誰だってできるでしょう。ずっと前から、分かってたことじゃない。リザさんのときだって、神父様の時だって。あの時に思い知ったじゃない。力なき正義は無意味だって。あの人達を、バビロンに、クリストフにしたのは、私なんだから』

「やめて、やめてよ……!」

『何で破壊を否定するの? 心があれば、破壊に身を浸しても大丈夫だから。私は剣を携えている。あの時に戻ってどうするの? また、私は何も出来ない』

「違う、違うんだ、破壊の道は、それは」

『認めようよ。諦めなよ。進もうが戻ろうが、何も出来ないんならさ』

「あああああああああああああああ!!!!!!」

 剣を振りかぶって。

 影の言葉を砕く、激情のままに。

 万華鏡のようなかたちをした人型の機械が、砕け散りながら螺旋階段から落ちて。

 ベアトリスは、ベアトリスは。

「…………」

 その足が、徐々に動きを失っていって。

 駆けていたのが、歩みに変わって。

 頭、俯いて、瞳、陰って。

「…………」

 カツン、カツン、と、階段をのろのろと登る音がベアトリスの耳に聞こえる。

 今、自分がどういう醜態を晒しているのかがよく分かる音だった。

「…………」

 しかし、その足は早まらない。

 螺旋階段は、その先に辿り着かない。

「…………」

 そして。

 足が、止まって。

 私は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『どうするのか、って?』

 そう、どうするんですか。

 いつの日かハイドリヒ卿に相対する貴方に、確かそんなことを聞いた。

 私には、分からなかったから。

 ヴィッテンブルグ少佐をどう連れ戻せばいいかも分からない私には。

『さてね。未だどうとも』

 はい?

 その見当違いの回答に、私は目を丸くして。

 何ですかそれ、ひょっとしてただの無謀なんですか、破れかぶれなんですかって。

『そんなんじゃない。ただ、己を見失わなければ、その先にこそやるべきことは自ずと見えてくる。今は未だ、動くのではなく見つめる時だろう』

 人界を隔てた魔境の如きここにあっては、尚更だ。

 そう言って、じっと私の瞳を見つめて。

『お前も。忘れるな。自分だけじゃない。むしろ自分ほど頼りにならないものはないからな。だから、思い出せ。お前を見つめる誰かがいた事を。それが自分になることもあるだろう。諦めるな。詰まる所、待て、しかして希望せよ、さ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

「…………先輩」

 

「…………ヴァルターさん」

 

「…………お兄さんッ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 ああ、私には何も出来ないかもしれない。

 何も出来なかったし、これからもそうかもしれない。

 でも、でも。

 この先に、あの人がいるんなら。

 あの人が、生きてそこにいるのなら。

 願わずにはいられないのです。

 叫ばずにはいられないのです。

 私が救うことが出来ないとしても、それが残酷なまでの真実だとしても。

 どうか、どうか。

 消えないで、お兄さん。

 

 がむしゃらにみっともなく伸ばした手の先に、確かな光が見えた。

 

 

 

 

「はっ、はっ……」

 長い夢を見ていた気がする。

 どんな夢だったのかは、思い出せない。

 でも、辛くて、悲しくて、みっともなかったことだけが心に残っている。

 気付けば私は辿り着いていた扉を開け放ち、光の先で息を切らしていた。

 空が、紫色の空が見える、嘲笑う三日月が見える。

 此処は、あの塔の頂上か。

 白い床、ただただ白い床が続いている。

 余分なものは何もなく、床の白を視線で辿る内に、壁に行き当たった。

 その壁には鎖が取り付けられていて。

 その鎖に拘束される誰かがいて。

 その誰かは、正に助け出さんとする誰かで。

「ヴァルターさん!」

 よろけるのも構わず駆け寄った。

 こうして呼んでも身じろぎ一つしない。

 無事なのか、無事でいて欲しい。

 そうして、項垂れる頬に触れられるほどまで近付いて。

「ヴァルターさん、ヴァルターさん、大丈夫ですか!?」

 声を掛ける。

 手を握る。

 頬を叩く。

 けれど、彼は何も応えない。

 開かれた目はしかし虚ろなまま、まるで時が凍りついたかのように。

「……ッ!」

 手を離し、彼の胸に、心臓に耳を寄せる。

 その体内で、ほんの微かだが、トクン、トクンと鼓動が聞こえた。

 良かった、未だ、生きている。

 何がどうなって、どうすればいいのかはわからないけれど、未だ、生きている。

 ならば、兎に角後は一刻も早くここから連れ出さねばならない。

形成(イェツラー)……!」

 戦雷の聖剣(スールズ・ワルキューレ)を構え、狙いをつける。

 ヴァルターの四肢を繋ぐ鎖がある限り、ここから救出することは出来ない。

 故に、それを砕くため雷の斬撃がその細い鎖を断とうと振るわれる。

 だが、しかし。

「え……そんな!」

 帰ってきたのは鋼を砕く音ではなく、刃が弾かれた音だった。

 その斬撃も、雷撃も、鎖を断つことは出来ない。

「この……!」

 こんな鎖如きが、そう思い何度も、何度も斬りかかろうとも、鎖には罅さえ入らない。

 機械死人を両断する程の、戦艦を沈める程の斬撃が、通らない。

 その力は、願う場所には届かない。

 数十、いわんや百にも届くかといったところで、ベアトリスの腕は止まる。

 否が応でも自覚させられる、今のままではこの鎖を断つことが出来ないと。

「なら……!」

 祈るように、剣を顔に寄せ構える。

 救出対象は目前、後はこの鎖を断ち、帰還するのみ。

 であれば、もう出し惜しみする意味はない。

 創造位階を以て打ち破り、速やかに帰還する。

 

 

 

 

 

『私の――』

 

 

 

 

 

 その時、ベアトリスを強烈な違和感が襲った。

 吐き気のような、恐怖のような。

 自分が、一体何をしようとしているのか。

 本当に、これでいいのか。

 そんな、訳の分からない怖気が体を一瞬硬直させる。

 それを新手の精神攻撃だと解釈し、歯を食いしばる。

 

 

 

 

 

『私の犯した罪は――』

 

 

 

 

 

 私の、犯した、罪。

 それは、それは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 例題です。

 そう、これは例題です。

 これは、未だおとぎ話ではありません。

 

 あるところに、一人の少女がいました。

 祖国を愛し、人々を愛する少女でした。

 嘗て、少女は誓いました。

 人々を、尊い者たちを守ると。

 女の身で剣を携え、確かな輝きを胸に。

 誰が言わずとも、その輝きにこそ少女は導かれ、歩みを進めます。

 

 しかし、少女は目にしました。

 それは瞳を焼く黄金の輝きであり、瞳を塗り潰す水銀の輝きでした。

 自身の輝きとはまるで違う、しかし遥かに強大な輝きでした。

 黄金と水銀は言いました。

 愛とは破壊であると、破壊こそがさだめだと。

 

 少女は、恐怖に震えます。

 剣に託した誓いはそのままに。

 しかしその手の剣は、輝きではなく罪が宿るようになって。

 

 破壊は、先ず炎を連れ去りました。

 厳しくも、暖かな炎でした。

 暖かな炎はただ焼き尽くす炎となり、少女は凍える吹雪に晒されました。

 

 それでも、少女は歩み続けます。

 恐怖を抱えながら、破壊を抱えながら。

 自らに輝きがあることを信じて、その輝きが愛する人々を救えるのだと信じて。

 漆黒の両手が瞳を焼き潰す黄金と水銀の輝きを僅かに阻んで。

 少女は、歩み続けます。

 

 ある日、漆黒の両手がなくなりました。

 それは少女の瞳を覆い隠し守っていた、光無き黒い輝きでした。

 漆黒は水銀に連れ去られ、今にも消えようとしています。

 少女の瞳は、再び黄金と水銀に焼き潰されて。

 行かないで、と少女は走ります。

 剣を携え、手を伸ばして、漆黒を救おうと走ります。

 

 そして、少女は辿り着きました。

 もう何も失わせないと、ぼろぼろの誓いを胸にした少女は。

 鎖に囚われる漆黒を解き放たんと、泣き叫びながら刃を振りかざします。

 しかし、鎖は砕けません。

 少女の刃では、砕けません。

 それを砕くには、足りません。

 輝きも、罪も、足りません。

 

 

 ――どうすべきですか?

 

 少女は、自らを罪と刃に懸け力を求めるべき?

 少女は、自らの輝きが破壊であると認めるべき?

 少女は、自らが過ちであったと刃を折り砕くべき?

 

 

 

 

 

 ……

 

 …………

 

 ………………

 

 

 

 

 

『やれやれ』

 

『いいのか、本当にそれで』

 

『よく見ろ、そしてお前は理解する』

 

『その漆黒を、お前はどう救うべきなのか』

 

『分かっているはずだ、既に。渇望に曇った瞳に非ざれば』

 

『お前は言う。私の犯した罪は、と』

 

『他でもない、罪を刃と託しているのがお前自身であるのなら』

 

『お前が■したものたちを、罪を以て救い上げるべきなのか、否か』

 

『問おう、少女よ。本当に、それで、いいのか』

 

『罪ならざる想いが、あるのではないのか』

 

 

 

 

 

 

 

『私の――私、の』

 

 

 私の犯した罪は、心からの信頼において、貴方の命に反したこと。

 私は愚かで、貴方のお役に立てなかった。

 その時、彼女は理解した。

 否、理解ではない、それにすら満たない、一縷の瞬きのようなもので。

 だが、その瞬きは、確かに瞳に届いて。

 

 

 止めろ! 私の犯した罪は、この人を救うものではない!

 罪で、この人は救えない!

 愚かでお役に立てないのなら、誰を救えると言うんだ!

 

 

 ふと、剣を下げていた。

 無意識に剣持つ右手を後方に、無手の左手を開き掲げて。

 自分が何をしているのか、ベアトリスは認識していない。

 だが、それでも。

 

 輝き、届いて。

 

 

 

 

 

『我が翼の後に――』

 

 

 

 

 

『我が剣の指し示す先に続け!』

 

 

 

 

 

 そして。

 溢れた光が鎖を砕き、振るった剣がその戒めを断った。

「……あ、え?」

 彼女がそれを認識したのは、剣を振るい終えた後で。

 その目前には、四肢の戒めが解き放たれ、ゆっくりと落ちてくるヴァルターの姿があって。

「あ、ヴァルターさん!」

 それを、正面から受け止める。

 身長差故に、力不足で倒れることはなくともその体の大きさに手間取った。

 ベアトリスに倒れ込むヴァルターからは、一切の力を感じない。

 ただ、僅かにベアトリスに聞こえる心臓の鼓動が、生きている証だった。

「良かった……ッ!」

 零れ落ちそうなものをぐっとこらえて、ベアトリスはヴァルターを抱える。

 たとえ生きていても尋常ではないこの様子、いつ何がどうなってもおかしくはない。

 そういった事情に関して、ベアトリスは弱い。

 早急にアルフレートを拾って脱出しなければ。

 

 『雷速剣舞・戦姫変生』

 

 その創造はベアトリスの肉体を確かに雷へと変えていた。

 あの鎖を砕いた折、自分が一体何をしたのか。

 それは分からないが、今考えることでもない。

 創造を発動したことで実感する、アルフレートの見立ては間違っていなかった。

 時間が狂い、ありえないほど急速に消耗していく感覚。

 ベアトリスの求道の燃費は通常の覇道以下のものまで減退している。

 往復などしようものなら途中で力尽きていただろう。

「……間に合ってくださいよ!」

 扉を置き去りにし螺旋階段を下降する。

 しかし、どうだ。

 行きの道はあれほどベアトリスを阻んだ螺旋階段は、踏み入った瞬間まるで存在しなかったかのように消えていく。

 消える螺旋階段、消える塔。

 その中を一瞬呆けながらも気を取り戻し、雷速のままに垂直落下するベアトリス。

 爆発した雷は間髪を置かず地上を駆け抜け、犇めく機械死人を置き去りにする。

 自身が消耗していく感覚と戦いながら間隙をすり抜け、間隙無き場は斬り伏せ、走る。

 そして、自身以外が起こしている喧騒が見えた。

 膝をつく巨人に群がる機械死人の群れ。

 その肩の上で、にじり寄ってくる機械死人の手を躱す姿。

「ナウヨックス少佐!」

 一度空中に滞空し、声をかければ、振り向いた顔はニヤリと笑って。

「でかした、さあとっととずらかるよ!」

 その伸ばした手に向けて一直線に、剣を持った右腕でヴァルターを抱えつつ、左手でアルフレートの手を掴む。

「開いた異空間の入り口、そこにこのまま突っ込め! 創造と異界境界面の瞬間衝突によって僕らに大ダメージが入るけどそれが一番安全だ!」

「分かってますよ! もう猶予がない!」

 見れば、機械死人たちは行きの道とは比べ物にならないほど増殖している。

 このままでは数分足らずでこの空間を埋め尽くさんばかりだ。

 むしろ、そういった方法で自壊しようとしているのかもしれない。

 今や大地からのみならず、無空からも生まれようとしているのだ。

「急げ急げ急げ急げ! 死ぬぞ、死ぬぞ!」

「うっさい! ただでさえ剣振りにくいのに、手伝って下さいよ!」

「僕はもうガス欠! 君がくたばれば一緒にくたばるしかないの!」

「こんのおーッ!!!」

 砕く、進む、砕く、進む。

 背後に機械の手が、命を寄越せと輪唱するノイズが迫りながら雷速の戦姫は突き進み、

「見えた、とど、けぇーッ!」

 機械死人の指が背中を掠めるその寸前に、空間の亀裂に飛び込んだ。

 そして、世界が反転した。

 

 

 疑似紫影世界 アルカトラズ時間牢獄にて 崩壊する世界と帰還する戦乙女

 

 

 

 

「うーん……」

 閉じた瞼に光が差す。

 カーテンの開いた窓から差し込む光に瞼が焼かれる、いつもの一日のような。

 寝ぼけた頭が徐々に意識を帯びていく感覚。

 その光に応じ、ゆっくりと瞼を開ける。

「うごッ!?」

「あ、やっと起きた。おせーよベア子」

 ドギツイ光が目を焼いた。

 アルフレートが懐中電灯の光をベアトリスに向けて照射していた。

「情緒の欠片もないッ!」

「はいはい、分かったからさっさと起きて現状を認識してね」

 条件反射でぶん殴ろうとするもののアルフレートは首を傾げその拳をひょいと避ける。

 ぐぬぬぬぬぬぬと怒りのままに唸るベアトリスだったが、意識が覚醒するに連れて、直前の出来事が鮮明になってくる。

「ここは!?」

「僕のヴンダーカンマーⅡ。脱出完了の段階で意識が吹っ飛んだ君を抱えて飛んだんだよ」

 その部屋は確かに見覚えのあるものだった。

 アルフレートの秘密研究所、ヴンダーカンマーⅡ。

 彼はそこに至るための鍵とも言える技術を持ち、移動することができる。

 ベアトリスはあの世界から無事に帰還したことを把握し、そして。

「……ヴァルターさん! ヴァルターさんは!?」

「…………」

 アルフレートが仏頂面で背後を示す。

 ベアトリスが眠っていたベッドの一つ向こう側のベッド。

 そこに、黒円卓の軍服を纏ったヴァルターが眠っていた。

「あ……」

 その姿を見て、足から力が抜ける。

 自分の寝ていたベッドに座り込み、祈るように手を組んだ。

「よかった……助け出せた……」

 目の前にいることが、こんなにも安心できることだとは。

 戦士として背中を預け、遠く戦友を思うことはある、それでも。

 この瞬間ベアトリスはそこにあることの幸福を噛み締めて。

「よかったじゃねえよ。全然よくないんだよ」

「え……?」

 忌々しそうなアルフレートの言葉に顔を上げる。

「どういうことですか、一体何が」

「ああ、五体満足で生きてたのは何よりさ。でもね、状況は未だ危機的だよ。このまま放置しておけば、ヴァルターは死ぬ」

「なッ!?」

「ああもういちいち立ち上がるな! こっちも辛いんだよ、座れ座れ!」

 掴みかかろうとしたベアトリスを大声で静止し、頭を抑えながら椅子を取り出し座る。

 尋常ではないアルフレートの様子にベアトリスも一度静止する。

「……どういう、ことですか」

「魂が衰弱しきってる。今夜が山だ」

 頭痛をこらえるようにこめかみを指で叩くアルフレートにベアトリスは問いかけて。

 苛立ちを吐き出すようにアルフレートは説明を始める。

「あの時間の狂った世界に五年も囚われてたんだ。体感時間はどれほどだったか。それに絶えず精神侵略も受けていたろうに。恐らくヴァルターはそれを自己の内的世界を凍結させることで抵抗してたんだ。そうすることで少なくとも死は先延ばしにできる。だけど、それは一時的処置でしかなかった」

「それはどういう」

「あの時間牢獄の外に出したことで、言っちゃ何だけど『安定した状態』が乱されたんだ。ヴァルターは長らく時間の狂った世界で精神拷問を受けてた。受けすぎて、それが正常な状態だと認識するに至るまで。それが今外の正常な世界に触れたことでその分のずれとバックファイアが一気に降り掛かって魂が衰弱が急激に進行してる」

「魂の衰弱とは、具体的にどういう? 自壊衝動とは違うのですか?」

「ああ。これはヴァルターの、そして僕の落ち度だ。本来エイヴィヒカイトを扱う魔人ってのは自身の内部に多数の魂を蓄えることでそれを消費し外的要因に対抗できる、この一方的な魂への精神攻撃も例外じゃない。けど、僕とヴァルターは別だ。僕らはその特質から魂を蓄える必要性がない! だから、こういう魂を直接攻撃してくる手合に対する抵抗力が殆ど無い!」

 髪をぐしゃぐしゃにかき乱しながらアルフレートは叫んだ。

「僕らは通常のエイヴィヒカイトとは別に、力を発揮するための何らかのリソースが働いてる。それが働けば自己回復が始まるはずが、でもそれが何故か今回だけうんともすんとも言ってない。つまりヴァルターはこの状態から自己回復しないし、自己回復が出来ない以上ヴァルターが身一つで立ち直る可能性はない。後はこのまま魂が衰弱しきって死ぬだけだ」

 その言葉を聞いて、今度こそベアトリスはその襟に掴みかかった。

「……手段は、手段はないんですか!」

「ある! 外部から刺激を与えてやればいい!」

 互いに声を張り上げる。

 掴んだ手を払い除け、アルフレートはベアトリスに指を突きつけた。

「外部から、ヴァルターのエイヴィヒカイトに魂を供給してやればいい! そうすることで僕ら本来のリソースが動き出せば儲けもの、そうでなくてもエイヴィヒカイトの本来の機能を駆動させる! 必要量の魂さえあれば後は術式が勝手に自己回復を始めるはずだ!」

「なら!」

「僕には出来ない! ヴァルターと同じく蓄えている魂なんてない!」

 アルフレートが突きつけた指を今一度強調する。

 ベアトリスを指差して、アルフレートは言い放った。

「君しかいないんだよ! 君が今、その身に蓄えてる魂をヴァルターに供給するんだ!」

「なッ!?」

 ベアトリスは瞠目する。

 理屈は分かった、十分過ぎるほど理解した、だがしかし。

「ですが……私、他者への魂の供給だなんて、そんな技術はありません! 黒円卓ではマレウスでもなければ、そういったことは……」

「知るか! 出来なかろうがやるんだよ! 基本は聖遺物と肉体を魂で繋げてることと変わりないだろ! 出来なきゃヴァルターが死ぬだけだ!」

「そういう道具はないんですか? 二者を繋げて魂の遣り取りをするみたいな……」

「そんなもん製作中だわハゲ! いいから手でも取って、気合でラインを繋げて、魂を流し込め! さっさと……あ……」

 熱り立つアルフレートの語尾が突如力を失う。

 足元がふらつき、視線が明後日の方向を向いた。

「やば、もうだめ、あと……」

「少佐!?」

 盛大な音を立ててアルフレートはその場でひっくり返った。

 倒れたアルフレートをベアトリスが揺するも、アルフレートはしばし痙攣した後呼吸以外の動きが静止した。

「ちょっと、少佐!?」

 呼びかけるも、完全に意識を失ったアルフレートは応えられない。

 途方に暮れかけるベアトリスだったが、そんな場合でもない。

「……どうすれば」

 一先ず、眠るヴァルターの側につく。

 非常に薄くはあるが、僅かに呼吸はできている。

 しかし、健常な人間が眠りについている様子ではどう見ても、ない。

「…………ッ!」

 試しに、その手を取る。

 その冷え切った手は体温のみならず、失ってはならない何かを失っていることをベアトリスにも直感させた。

 温度とかそういう次元ではなく、今も尚必要不可欠な何かが失われている。

「ヴァルターさん……!」

 その手を両手で握り込み、ぎゅっと目を瞑る。

 最早出来る出来ないを論じている場合ではなかった。

 自らの内側、聖遺物と繋がるラインとそこを巡る魂を意識し、それをその手で触れている先に繋げようと試みる。

 しかし自身の肉体ならともかく他者へと繋げるとなると上手く行かず、まるで裁縫糸同士の先端を遠くから手で繋ぎ止めようとしているが如き有様だった。

「繋がれ……繋がって……繋がってよ!」

 糸の先が掠めるその瞬間に魂を流し込もうとするが、それで流せるものなど文字通り塵のようなもので、全く効果がないとは言わないが、何の解決にもなっていなかった。

「駄目だ……この方法じゃ繋げられない……他に何か……何か……」

 思考を回す。

 何か、何かないのかと。

 魔道など、知りたくもないし忌み嫌っていた。

 自身がその輩として人外に成り果てても、常にそう思っていた。

 しかし、今はどうだろう、メルクリウスやマレウスが気まぐれに語っていた言葉の端を拾い上げてでも、どうにかしなければと思っている。

 例え、魔に身を浸しても。

 それはあの時に抱いた初心だった。

 ベアトリスは考え、思い出し、拾い上げ、どれだけ時間が経っただろうか。

 

「……あ」

 

 一つの可能性に、行き当たった。

 それは、何も難しいことではなかった。

 魔道のみならず至る所で見られる概念であったし、実際そのようなことを行った人物をベアトリスは知っていた。

 それは誰かが口にした極めて原始的な霊的ラインを得る方法で。

 だからこそ、逡巡した。

「私は……」

 あの人のような真似を、行おうというのか。

 否、それは違う。

 私は、彼のことを救いたくて、それは一つの可能性であって。

 しかし事が事であるが故に、つい独り言を口走ってしまう。

「いやあれですよ。それ以前に、寝込みの先輩にそんな卑劣な……いやいや冷え切って死にかけている相手にそんなこと言ってる場合でもなくって、分かってます、分かってるんです」

 そうして悶えている内に気付いた。

 後味の悪さとか、そういったものは彼の命に変えるべくもないことで。

 結局、自分なのだ。

 自分が、どう想っているのか、なのだと。

「…………」

 これを実行に移せば、もう誤魔化せない。

 嫌でも自分の心と向き合うことになるだろう。

 だからこそ、その前に決断しなければならない。

 

「私は」

 

 私は、この人のことをどう思っているのだろう。

 年上の友人?

 尊敬する先輩?

 頼りになる同僚?

 それとも……それとも……。

 あの時、答えは出なかった。

 今は、どうだろうか。

 私が命を懸けて救いに走ったこの男の人のことを、私は。

 考えれば考えるほど、頭の中がぐちゃぐちゃで、訳が分からなくなって。

 そのうち、単純な思考と、そこから叫ばれる声ばかりが頭を満たしていく。

 自分の中の少女が、泣き叫んでいるのが嫌というほど分かって。

 

 死なないで。

 死んじゃやだ。

 生きて。

 生きて、側にいて。

 

 私は。

 私は。

 

 両手、痛いほど握りしめて、私は。

 

 

 

 

 

「……死なないで、お兄さん!!!」

 

 

 

 

 

 私は、この人を抱きすくめて、口づけをした。

 




●REC


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凍てつく心の奥底で:α

はい。エロガッパ祭り明けの投稿ですが、今回は説明回です。
アカン要素を詰め込んだ闇鍋よく分からない系ごった煮オリ主ヴァルターくんについてその1。
ピロートークはこの案件に決着がついてからになります。
なるべくエロ見なくても分かるようにしているつもりではある。


 暗い。

 暗い闇の底だった。

 光差さぬ眠りを誘う闇の中にあって、ベアトリスは誰に促されるでもなく目を開ける。

 ぼんやりとあたりを見渡して。

「……うーん。何というか、ここ最近別世界に縁がありまくってるなあ」

 周囲の黒を見渡して、光一つ無い割に自分自身の手が鮮明に見えることを自覚して。

 ああ、要するにまたなのね、と一人納得する。

 思考は冴えないけれど、それだけは慣れからか理解してしまう。

 あのヴンダーカンマーも、ペルクナスと出会った場所も、時間牢獄と呼ばれたおぞましき紫影の世界も、それらを経験した故に、ベアトリスは今の自分の状況を起き抜けに把握した。

(さて、こういう場合は直前の出来事が原因なのは明白だし。私、何してたっけ……)

 鈍った頭を回転させるようにこめかみを指で叩き、言葉にして思い出す。

「そう、ナウヨックス少佐に拉致されて……ヴァルターさんを助けに行って……あの時間牢獄から脱出して……ヴァルターさんを、ヴァルターさん……」

 フラッシュバックする記憶。

 彼の手を握る私。

 目覚めない先輩。

 魂の供給の手段。

「……ふぁ?」

 先輩を抱きしめる私。

 頬に手を触れる私。

「…………」

 唇を重ねる私。

 それから、それから。

 体をも、重ね――

「ぬわああああああああああああ!!!???」

 ベアトリスは悶絶した。

 誰もいない闇の中で頭を抱えゴロゴロと転がりまわった。

 冷静になった分自分のやらかした事のアレさが一気に襲い掛かってくる。

「はっ、そうだ服!? って、あれ?」

 状況が状況なので、自分の身を確認するが。

 ベアトリスの姿はキズ汚れ一つ無い黒円卓の軍服のままだった。

「……やっぱりここ、夢、みたいな感じなのかな」

 物理的に存在した空間よりは、あのペルクナスと出会った空間を思い起こさせる。

 それは何処かの意識と繋がった故の交感現象。

 その仮定を事実とするなら、その相手は一人しかいない。

「……!」

 突如、周囲の闇が急激に色づき始める。

 まるで木の葉のざわめきのように、黒がめくれ上がっていく。

 それは一枚の絵画の完成への過程を追っているような。

 やがて、黒に覆われた世界はかたちを変えて。

 

「森?」

 

 そこは、鬱蒼とした森だった。

 闇の中ほどではないにせよ、光の届かぬ森の奥。

 一つの大きな切り株と、川の清流が足元を通る。

 それ以外の周囲は木々が密集する、まるで、誰か一人がただ静かに眠るためだけに誂えられたような、そんな雰囲気をベアトリスは感じた。

 微かな葉のざわめきと、川の流れの音だけが耳を打つ世界。

 あまりの静謐さに、常人であれば長時間いれば気が狂うと錯覚しかねない。

「……誰?」

「……えッ!?」

 そこに、人間の声が混ざった。

 背後からかけられた言葉にベアトリスは驚き振り返る。

 誰の気配も感じなかった、戦士としての自負がある故の不意打ちだった。

「……誰かって、聞いてるんだけど」

 抑揚のない声。

 その声をベアトリスにかけたのは、一人の少年だった。

 十歳に満たないであろう、幼い少年だ。

 くすんだ灰色混じりの金髪の少年。

 絶望を宿した深海の如き瞳が、三白眼でベアトリスを睨んでいる。

「私は、ええと、その」

 ベアトリスは逡巡する。

 何者か、というその問いは、素直に名前を告げればいいだけの話とは思えなかった。

 この少年は驚くべきことに、そういうことを聞いているんじゃ無いのだろう。

 暫くどうしたものかと口を開きかけて、閉じて。

 そんな様子を見た少年は、ふ、と小さく息を吐き、視線を外す。

「迷い込んできたんだか何だか知らないけど。こんな所、人の来る場所じゃないよ。川の流れに逆らっていけば表に出られる、道はないけどね」

 だから、さっさと失せろ。

 言外にそう言っているような気がした。

 この場所を辛辣に形容した少年は、切り株に座りぼんやりと川の流れを眺めている。

「君は?」

「自分は名乗らないくせに人のことは聞くの? 図々しいな、お前」

「うぐっ……わ、私は、ベアトリスっていうの。君はなんて名前なのかな?」

「知らない名前だな。だから教える義理もない」

 こ、このクソガキ。

 言いかけた言葉をベアトリスは飲み込んだ。

 落ち着け、落ち着くのよ、いくら生意気な小僧だからと言って十にも満たない子に対し威嚇するなんて情けないことを騎士はしない。

 マレウス相手じゃないんだから。

 ベアトリスは一先ず呼吸を整え、目の前の少年を観察する。

 その髪色を見て、瞳を見て。

「…………」

 既視感があった。

 まさか、とベアトリスは思う。

 だが、この世界のこと、直前の考察を顧みて。

 自然と、その名前が口を出る。

「ヴァルター、さん?」

 その呼びかけに、少年は僅かに反応する。

 訝しげに振り返り、その目を細めて。

「何で僕の名前知ってるの」

「え、っと。君、ヴァルター・フリードリヒ・シェレンベルク?」

「……そうだけど」

 驚いて、まじまじと顔を見てしまう。

 確かに、面影がある。

 その目は、その絶望の瞳が以前の彼を思い起こさせて。

 しかし、幼少の頃だと言うのに闇はそれ以上に深くて。

「何、母さんの知り合い? こないだ来た、ローゼンクロイツとかいう奴と同じ?」

「母さんっていうのは、カテリナさん?」

「…………」

 ヴァルターは暫し警戒するようにベアトリスを見ていたが、やがて意味のないことかと睨むことをやめる。

「そう、母さんの知り合いか。どうせ母さんが僕の名前を出していたんだろうけど。僕の名前、フリードリヒまで出すような人はあの人しかいない」

ヴァルターは立ち上がると、木々の隙間、恐らくここまで来た道のりだろう、そこを指し示す。

「野盗とかじゃなさそうだし、母さんに用があるなら案内するけど。まあ、この森で迷うなんてよくあることだしね」

「そうなんですか?」

「この森に。シェレンベルクの森に来る人なんて、それこそ年に一度あるかないかだよ。だから、客を迎えるような整備なんてされてない」

 そう言って歩き出す。

 彼の中ではベアトリスは母の知り合いで、森に来たはいいが迷子になった奴という認識になったらしい。

 ベアトリスもここにいても仕方ないと思いそれに続く。

 薄暗い森に、ざくざくと土の上の枯れ葉を踏みつける音が続く。

 先導する少年は無言で、ベアトリスも母の知り合いだと認識された手前あれこれ聞くのは怪しまれるだけだと思い口を噤んでいる。

(ここは……彼曰く、シェレンベルクの森。彼は、小さいけどヴァルターさんで。カテリナさんもいるらしくて)

 それを省みるに、ここは過去、それに類する場所なのか。

 そこまでベアトリスは推測して。

(……あれ、これまずいのでは?)

 致命的なやらかしに気付く。

 ここが過去で、あの少年がヴァルターの過去の姿で、彼の母も存命中であるのなら。

 ベアトリスは、未だカテリナ・リディア・シェレンベルクと出会っていない。

 彼女と出会ったのはあの黎明、ベルリンの家でのことだ。

 仮にここが過去の情景で、それに準じた対応をされるのだとするのなら。

 カテリナは未だベアトリスを知らず、初対面の誰かと認識して。

 ベアトリスは何故だか彼らの名前を知っていた不審者で。

「あっばばばばばば」

「何変な声出してんの」

「あっ、その、何でもないから気にしないで」

 どうしよう。

 ベアトリスは考える。

 何というか、この少年、ヴァルターから不審者の誹りを受けるのはすごく嫌だった。

 こうなれば出会い頭に勢いで丸め込んで知り合いっぽく見せかけて後から口裏を合わせてもらうべきか。

「あ」

 そんなことをベアトリスが考えていると、ヴァルターが立ち止まって。

 なので、ベアトリスも立ち止まりその先を見る。

 二人の足音とは別の、向かいからやってくる枯れ葉を踏む音。

 小さく、ゆったりとした足音が、暗がりの向こうから聞こえてきて。

「ヴァルター」

 それは、聞き覚えのある声だった。

 見覚えのある姿だった。

 彼に似た灰金の色の、滑らかな髪。

 海の青色を切り取った瞳が、優しげに揺らめいて。

 あの日、出会った時と寸分違わず変わらない、あまりに小さい母の姿だった。

「帰り道でしたか? お帰りなさい、寒くない?」

「大丈夫。それより、母さん」

 客人です、と言ってヴァルターは背後を指し示す。

 そこには当然ベアトリスの姿もあって。

「あっ。その、私はですね……」

 その状況にベアトリスは慌てふためく。

 なんとかしよう、とかいうせせこましい考えは無意味だった。

 彼女、カテリナの瞳はバツが悪そうにするベアトリスをじっと見つめて。

「その……」

「ええ、はい、待っていました(・・・・・・・)

 そう言って、笑顔を向けるカテリナに、ベアトリスはえ、と呆け声を出した。

「貴方が連れてきてくれたのね。ありがとう、ヴァルター」

「別に、褒められることじゃ、ないです」

「そう、けれど、母さんは貴方を褒めてあげたいの。ちょうどクッキーが焼きあがったのよ、余った分は貴方のものね」

「……他の皆に分けてください」

 頭を撫でるカテリナの手を、無表情だが拒まない。

 嘗てあった、母子の姿がそこにはあった。

 なすがままにされるヴァルターとを撫でながら、カテリナはベアトリスを見て。

お久しぶりです(・・・・・・・)、ベアトリスさん。アルフレート君も元気かしら?」

「! 貴方は……!」

「積もる話は、この先でしましょう。一先ずは、歓迎します。本当は、あまりそういうことを言ってはならない状況なのだけれど。また会えて、嬉しいです」

「あ……」

 そう言って、ヴァルターの手を引き先導する。

 ベアトリスは問いたい気持ちを飲み込んで、その小さな二つの背中に続いた。

 

 

 

 

「改めて、お久しぶりです。ベアトリスさん」

「はい、ええと、お久しぶりです」

 森の中、開けた場所に、長閑な木製のコテージがあって。

 ベアトリスは招かれるままにその中、何やら既視感を感じるテーブルの上で、カテリナと向き合っていた。

 小さなヴァルターは着くなりまるで興味が無いと何処か別の部屋に消えてしまって。

 ベアトリスはテーブルのクッキーと紅茶を勧められて、断れるわけもなく手にとって。

「私が消えた後、あの子のこと、気にかけてくれたみたいで。この良縁に感謝します」

「あの、カテリナさん、此処は、この世界は」

「ええ、はい。あまり困惑させるのもよくないから、まずは率直に説明しますね」

 カップを起き、瞼を伏せる。

 ひええ相変わらず絵になるなあなんですかこの美少女マザーはと内心思いながらもベアトリスは居住まいを正した。

「此処はあの子の、ヴァルターの記憶の世界。精神の深淵、魂の行き着く場所、とも言えるわ。そして私は、あの日からずっと此処にいる」

「……カテリナさん。教えてくれますか、何があったのか。貴方の魂は、ヴァルターさんの聖遺物の中にあるんですか」

 その問いに対して、カテリナはゆるりと首を横に振った。

「いいえ、いいえ。此処にいる私は、確固たる魂ではありません。カテリナ・リディア・シェレンベルクはあの日確かに死に、その魂は何処に向かうこともなく消滅したのです」

「じゃあ……」

「私は、『思い出』なのです。あの日、カテリナがヴァルターに注ぎ込んだ、『記憶』。決して、決して、魂ではないのです」

 そう言うカテリナは何処か寂しそうに微笑んで。

 まるでそれは、自分の至らなさを恥じ入るような。

「ですが、今それは重要な事ではありません。貴方がここに来た意味を、私は語らねばならない。余り、多くを語ることは出来ません。時間もありません。貴方は今現在も魂の深淵に向けて落ち続けているし、私はこの世界にあることを許されているだけで、この世界の真の君主は、あの恐るべき『黒の王』なのですから」

「黒の、王?」

「あれを一概に不純物と言うことは出来ません。あれもまた、あの子を形成する表裏一体の側面であり、運命であり、宿業でもある。あの漆黒の意思は、ヴァルターの、自身の抱える宿業を歓迎し、試そうとしている」

 カテリナはテーブルの上に手を置き、その指先を合わせる。

 やや、迷うような素振りがあってから。

「順番に、話していきましょう。先ず、貴方がここにいる意味について。貴方はヴァルターを救おうと手を尽くしました。ですがこのままでは、あの子は目覚めないのです」

「え……」

 それは。

 それは一体どういうことなのか。

「精神が割れてしまったことで、存在の根源から力が溢れ、黒の王の占める比重が大きくなっている。……いいえ、それも、あの子がエイヴィヒカイトを用い、更なる力を求めるのなら、いつか訪れる必然だったのかもしれません」

「どうすれば、私はどうすればいいんですか。教えてください!」

「方法を語るのは簡単なことです、けれど、貴方には、あの子のことを知っておいて欲しい。先程言った通り、私ではその本質までを語ることは出来ませんが」

 両手の指を放して、掌を上に向ける。

 するとそこには、赤く透き通る結晶の幻影が浮かんだ。

「ツァラトゥストラ、について、貴方はどこまでご存知ですか?」

 ツァラトゥストラ。

 その単語を、ベアトリスは知っていた。

 それはとある哲学者の用いた言葉であるが、しかし彼女ら、聖槍十三騎士団にとってはもっと別の意味を示す言葉である。

「貴方の思っている通りのもので合っています。メルクリウス、彼の語る、自身の腕であり指先、その意志を代行する存在についてです」

「!! カテリナさん、貴方は、一体どこまで……」

「貴方が、そしてドイツという国に聖槍を導とする騎士団が結成されるよりも前から。その計画は始まっていたのです。私については、また後程。今はツァラトゥストラがどういった存在かについて、語ろうと思います」

 この、少女の如き母は、一体何者なのか。

 否、こうともなれば、ベアトリスとてある程度察しはするものだった。

 今や自分が、恐らくは彼女と同じような存在なのだから。

「ツァラトゥストラとは、メルクリウスの代行者にして、彼の血を受け継ぐもの。彼自身の血液を媒介に創生される、一種の人工生命体を指します。しかし、それだけではありません。彼はこの途方もなく広い世界の中、自らの願いを叶えうる魂の性質の持ち主を見初め、その魂を回収する。そして、自らの血を以て形成した肉体という器に、その魂を入れ込むことで、ツァラトゥストラは完成するのです」

「な……!?」

 それは、ベアトリスをどこまでも驚嘆させた。

 メルクリウスの血を受け継ぐ分身、という部分には嫌悪を、しかし魂を入れ込むという部分には憐憫を、何故ならそれは、まるでツァラトゥストラも自分たちのように、水銀の魔に取り憑かれ、堕ちていってしまう哀れな誰かなのでは。

 だが、その先の言葉にこそ、ベアトリスは我を失いかける。

「あの子は、ヴァルターは。真のツァラトゥストラを作る前に試しとして作られた、ツァラトゥストラ・プロトタイプなのです。来るべきその日のために、運命を試すためにメルクリウスが創造した存在なのです」

「…………は?」

 その言葉を、ベアトリスは受け入れられなかった。

「……いやいや嘘ですよ、そんな、先輩が、あの水銀の? そんな馬鹿な」

「あの子はメルクリウスによって、『誰か』の魂をその器に注ぎ込まれた、水銀の使徒です」

「そんなはずない、嘘だ」

「ベアトリスさん」

 何かに怯えるベアトリスに、カテリナは毅然と言い放つ。

「貴方が何を考えているのかは分かります。ですが、どうか。あの子との縁を、悪なることだなんて思わないで。果たしてそれが仕組まれていたのか、そうでないのか。貴方も、そして私も、それを確かめるすべはありません。それでも、私は思います。実際に現実で見てきたのは僅かな間だったけれど。貴方とあの子の縁は、善きもの以外の何物でもなかったと」

 瞳と瞳が合う。

 動揺に揺れるベアトリスの瞳を、凪いだ海のようなカテリナの瞳が捉えて。

 ゆっくり、ゆっくりと、ベアトリスの瞳の揺れが、それに同調していって。

「……貴方は、本当に強い女性だ。カテリナさん、ごめんなさい。ヴァルターさんを、貴方の息子である彼のことを疑ってしまって、ごめんなさい」

「疑うことが悪いことなのではないわ。これは、ただの親バカのワガママ。あの子と仲良くして欲しいって、そういう単なるワガママです」

「……本当、負けますよ」

 ちろ、と舌を見せながら笑うカテリナの姿に、ベアトリスは改めて思う。

 母の姿、未だ幼いころ、自分も嘗て仰ぎ見た母の強さ、というものを。

「さて、話を続けますね、ここからは、もう少し分かりやすいかたちで」

 カテリナがその手を掲げると、淡い光の球体が現れる。

 それは数度瞬いた後、突然その周囲を巻き込むように弾けて。

 

 

「急にごめんなさい、驚かなかった?」

「はは、なんというか、ここ最近唐突に周囲の景色が変わることに慣れてしまいましたよ」

 そこは先程いたコテージの中、テーブルの上ではなく、森と荒野の境目だった。

「ここは心の世界、記憶の世界ですから。ある程度それを扱うことによってこうして何時か何処かの風景を再現することも可能なんですよ」

「それはまあ……色々と興味はありますが」

 並び立つ二人の前に、別の人影が現れる。

 それは、意識のない一人の幼子を連れる影法師であり、森から出てくる少女だった。

「メルクリウスは、自らが生み出したツァラトゥストラの雛形を、私に預けました。私はその子に、ヴァルター、と名前をつけ、家族として迎え入れました」

 影は消え、そこには幼子と少女が残される。

 心配そうに幼子を抱え、その額を撫でる少女は、幼子が僅かに瞳を開けたことに安堵して。

「私は……恥ずかしながら、人ではなく、その道を選びながら孤独に耐えられませんでした。森の奥で、世界から見放された子供たちを預かって、まるで手慰みのように家族の真似事をし始めて、それから一体どれだけの年月が経ったことでしょうか。数百、ひょっとすると、千。かつて正しい信仰の下、幸福を甘受していたはずの人間であった頃の記憶は、もう余り思い出せません」

「千……って……」

 それは黒円卓でも長命を豪語する魔女、ルサルカの数倍以上はある彼女の歴史だった。

「そんな私の弱さに付け込まれた、それは分かっていました。でも、私は。あの子がメルクリウスの大いなる計画の歯車だと知っても。あの子を害することも、捨てることも、できなかった」

 幼子を抱える少女が森の奥に帰っていって。

 そこから、流れるように風景も変わっていく。

 コテージの麓で楽しそうに遊び回る子供たちがいて。

 光の灯らない目で、それから遠ざかる灰金の子供がいて。

 テーブルの上、たくさん並べたお菓子を一つ一つ、どれが好きかと伺う母がいて。

 知らない、興味が無いと首を振る子供がいて。

 なら、今日はこれ、とそのうち一つを握らせて。

 毎日が、過ぎていく。

 光から離れるように森の奥にいれば、必ず誰も連れること無く彼の手を取りに行った。

 繋がりを厭うように振る舞っても、そこにいる人々はあまりに善良に過ぎた。

 子供たちは母の献身を認め、自分たちもそれに続こうと彼に構うようになった。

 人格者の長男がいた、遊び盛りの次男がいた。

 姉たちは母に混ざってお菓子の感想を聞きに来たし、新たに増えた妹はおっかなびっくりしつつもその手を握りに来る。

 善き人々の、善き世界、それを森のなかに切り取ったような。

 ある日、彼は言った。

 それでも、僕の視界に色は灯らない、と。

 それに、母は答えた。

 そう思うことができるのなら、貴方には既に善き人々の心が宿っている、と。

 カテリナは、そんな嘗ての自分を見ながら自嘲するように笑う。

「セヴァス、エド、ハインツ、ジェーン、ベル、ヨーゼフ、アーシェ、ケイン、マリー……皆、皆、あの子たちも。とても、とても善い子たちでした。私の勝手であの森に押し込めてしまったようなものなのに、皆、ああして。私は、あの子たちに慕われる資格なんて本当は無いのに」

「何でそんなこと言うんですか」

 ベアトリスは怒った。

 その言い草に、自分を卑下する言葉に怒りを抱いた。

「貴方のおかげですよ。誰が見たって、それに文句言うやつはぶん殴ってやりますよ。手慰みとか、真似事とか、それでも、あんなに皆を愛していたじゃないですか。あれを見てそれが嘘だなんて、そんなの、言える筈ない」

「…………」

「その先に何が待っていたって、私はそう思います」

「…………」

 それでも、カテリナはベアトリスの義憤に対し曖昧に微笑むだけだった。

「次は、私の話をしますね」

 また、手の内に光が溢れる。

 今度は世界を変えることはなく、光は輪のような形状になって。

 発光が収まる頃には、そこには一つの王冠があった。

「それ……ヴァルターさんの」

 ベアトリスはその王冠に見覚えがあった。

 嘗て、ヴァルターが彼女に見せた、形成位階のかたちからは想像もつかない聖遺物。

ロンバルディアの鉄王冠(コローナ・フェッレア)。私の守護していた聖遺物。私が、ヴァルターに継承した聖遺物です。これの謂れをご存知ですか?」

「えっと、はい、中世期の王冠で、その拵えには神の子を突き刺した釘を用いていたとか」

「ええ、はい、概ねその通りの認識で構いません。問題は、この王冠に用いられている神の子を突き刺した釘、とは、貴方もよく知る黄金の聖槍から分かたれた欠片だということです」

「え……」

 それが事実であるとするなら、その王冠はあの聖槍に匹敵する存在ということで。

 それが偶然、等とはとても言えるものではなかった。

「侵略の聖痕(スティグマ)を穿つ聖槍と対となる、結界の聖痕(スティグマ)を穿つのが、この王冠、その本質的には釘の権能です。当代の覇者にしか用いることの出来ない聖槍の起動に際し、それを押し留める役目に最も相応しい位置にいる存在に、これは継承される」

「それが、ヴァルターさん?」

「全て、メルクリウスは分かっていたのでしょうね。私が命の限界を迎えていたこと。聖槍を担う覇者が現れること。そして、あの子が私のもとに来て、王冠を受け継ぐ。聖槍の覇道を阻む王冠の求道は、目覚めに際し渇望とは真逆に、自己の意志を失っていく。だから、私はあの子の中に記憶を注ぐことによって、それを阻止して。けれど、けれど」

 王冠の中から漆黒の欠片が浮き出る。

 それは王冠を黒く染め、茨の棘が覆い尽くす。

「ああ、メルクリウスは、彼は。ヴァルターを生み出す際、もっと恐るべきものを彼の魂の中に混ぜ込んでいた。ツァラトゥストラの試金石であり、王冠の担い手であり。そして、その二つを以てしか留めることの叶わない第三の力が」

 黒より黒い、漆黒に染まる王冠が、心臓の如く鼓動し、そして、崩れ去って。

「それが、本題なのです。あの子がメルクリウスに生み出された第一のツァラトゥストラであることも、私の王冠を受け継いだ使徒であることも、重要なことではなかったのです」

 場所は、いつの間にかコテージの中に戻っていた。

 しかし素朴な木のコテージは黒い茨がはびこり、闇の瘴気の中にあった。

 窓の外は森も地面もひび割れ消え去り、宇宙の如き深淵の空が続いている。

「闇の底にある、神の如き王が、あの子の中には巣食っている。メトシェラなるこの世界の闇の神を食らい追い落とすことによって明確な姿を得た彼の力。ヴァルターが用いる黒の茨、黒の剣は、その王からこぼれ落ちたひとかけらに過ぎないのです」

 二人は、扉の前に立っている。

 その扉の上部にはシンプルに『Walther』と書かれていて、廊下を食い荒らす漆黒の茨が、その向こうから発生していることが分かった。

「あの子の心が壊れかけて、王冠の抑止が力を失って。黒の王の意思が現出しようとしている。……どうやら、時間切れみたいですね。私が語れるのはここまでのようです」

 扉が、開く。

 それと同時に、ベアトリスを奇妙な浮遊感が襲う。

 否、それはただ感じていなかっただけだ。

 この世界に落ちた時からずっと、ベアトリスは落ち続けていた。

 それの待つ深淵へと、落ち続けていたのだ。

「私は、この先には行けません。彼は、貴方だけを招いている。最早逃れることも出来ないでしょう。ヴァルターを救うにはこの先に座す漆黒の意思から、あの子を取り戻さねばならない」

 その先にある意思を、ベアトリスは感じた。

 さあ、来い、と獰猛に嘲笑う、しかし嘲笑う裏で色のない瞳でこちらを見つめているそれは、自分など歯牙にもかけない圧倒的な力を以てこちらを睨みつけている。

「もう、私には何も出来ない。記憶でしか無い私には。死地に行く貴方を見つめるだけの私には……この手は、何も掴めない。ごめんなさい、ベアトリスさん、ごめんなさい……」

「カテリナさん」

 カテリナの震える右手を、ベアトリスが掴んだ。

 その先にあるものがどういうものか、肌で感じて尚。

 彼女は、先ほどとは逆に、震えるカテリナの瞳と自分の瞳を合わせて。

「必ず連れて帰ってくるんで、待っててください」

「…………ベアトリスさん」

「関係ないです。記憶とか、魂とか。思いは確かにここにあった。なら、それは私が持って行きましょう。だから、信じて、待っててください。私、もう怖いものなんてありません」

「…………」

 腕の震えが止まって。

 握られた右手を更に上から包み込むように、互いに両手を握り合って。

「……ええ、ええ、信じます。他でもない、貴方であるのなら」

 一筋の雫を目元から流しながら、それを拭いながら、カテリナは美しく微笑んだ。

「どうか、どうか。私の息子を、よろしくお願いします」

 そして、ベアトリスもそれに応えるように快活にはにかんだ。

「何だか、こんなに信じられちゃうと、こそばゆいですね」

「あら、それは信じますよ。だって……」

 涙のあとを残しながら、雨上がりの太陽のように、カテリナは。

 

 

「だって、ベアトリスさん。あの子のお嫁さんになってくれるのでしょう?」

 

 

「ぶっふぉ、ごほっ、ごほっ!?」

 唐突に爆弾を投下した。

 ベアトリスは女にあるまじき汚いむせ方をした。

「なっ、ななな、何を、え、だって、その」

「気づきませんでした? 外でのこと、私全部知ってます。盗み見みたいで、申し訳ないけれど。貴方みたいなお嫁さんがついてくれるなら、あの子も安心。私にとっても、娘同然です。決断を急いだみたいになってしまったようだけど、ありがとう、あの子を愛してくれて」

「あ、あわわわわわわわたしわたしわたしあわわわわわわ……」

「……そうね、まだ、心の整理がつききってないってところかしら。でもね」

 握った両手に、僅かに力を入れて。

 それが、ベアトリスにも伝わる。

「今、ここで私に『待ってて』と言ってくれた貴方なら。確かな愛があると、信じてるから。頑張って、行ってらっしゃい。貴方のことも、愛しているわ。きっと、絶対に、絶対」

 そんな様子に、顔も覆うことが出来ないベアトリスは暫し困ったり恥ずかしがったり虚無ったりと著しい百面相をしていたが。

「……はい、行ってきます」

 確かに、応えて。

 そして、闇の扉がベアトリスを飲み込んだ。

 

 




次回、鬼畜裏ボス戦

難易度:クリティカルモード

ヴァルター・オルタを倒せ

勝利条件:真・創造を開放せよ



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Dark Impetus

正直書いててイマイチだと思った(素直な感想)
でも終盤の愉悦タイムはよく出来たと思う(外道な感想)

https://www.youtube.com/watch?v=2GxYqKVHagg


「永遠、というものをお前はどう捉える?」

「…………」

 暗い。

 そこは何と暗いのか。

 影絵の如き、始まりも終わりも最早無い町並みと、それを見下ろす玉座があった。

 その玉座を前にして、二つの人影が対面している。

 朗々と、歌うように彼女に背を向けたまま語る男の姿を、ベアトリスはじっと見つめて。

「それはあらゆる祈り、願い、欲望が行き着く最後の場所だ。神ならぬ身で空にさえ手を伸ばす人が。己の命の幸福であらんことを求めれば、幸福であることを知れば、今日も、明日も、明後日も。それを継続しようと励む努力は、やがてそれが永遠であればいいという結論に行き着く」

「…………」

 背を向け両手を掲げるその男の声色は、所作は、仰々しく慇懃で、侮蔑的だった。

 その背中、髪の色を持つはずの、ベアトリスが知る男性と同じ特徴を持つはずのその男はしかし、彼女にとっては似ても似つかない。

「嘗てお前が見たものは、定命の理を脱した悍ましき魔人の業か、死者を使役する戦奴の世界か。何れにせよ、お前が明確に触れた永遠という概念は、お前にとっては唾棄すべきものだった。だがしかし、永遠を願うことに罪はなく、後はそこに何が託されるかでしかない」

「…………」

 ゆっくりと、振り返る。

 男は、ヴァルター・シェレンベルクと同じかたちを持つその男は。

 しかし、その瞳を細め、鮫の如き歪んだ笑みを貼り付けて。

「そう、例えば。この永遠の闇の中にあって、お前はそこに何を託す。キルヒアイゼン(・・・・・・・)

「止めろ」

 ベアトリスは雷とともに抜剣する。

 闇の中、輝きが瞬いて、その切っ先が男に向けられて。

「あの人の声で、顔で、瞳で、さえずるな。正体を見せろ!」

「は、つれないな。愛しの先輩との再会だろう、喝采してくれよ」

「貴様があの人であるものか。黒の王、ヴァルターさんに巣食うもの、貴様は何だ。何のつもりで、ここにいる。何のつもりで、私を呼んだ!」

「ハ、何のつもりで、ね」

 歪んだ笑い、ヴァルターであれば決して見せない嘲笑のかたち。

 それはまるで、ヴァルターの肉体にアルフレートが入っているような錯覚さえ覚える。

「さて、俺が何、ときたか。まあ常套句だな。だが、それはどうでもいいことなんだよ。お前が知っておくべきなのは、俺もまたヴァルター・シェレンベルクであることのみだ」

「戯言をッ!」

「事実だ。俺の正体も何もない。今の俺を形成する人格は、他ならぬあいつが俺に託したものである故に。正道であれ、と、そう託した故に形成された人格の鎧に、黒の王の欠片を注ぎ込んだもの。俺は紛れもないヴァルター・シェレンベルクだよ。何も違わない、違わないさ。俺は欠片として、依代となったもののかたちを守っているのだから」

 そう言って、前髪を掻き上げる。

 するとその髪色は黒に、瞳の色は真紅に塗り替わって。

 両目の中に、絡み合う蛇の紋章が浮かび上がる。

 ヴァルター、否、黒の王。

「カドゥケウス……!」

「俺としても不本意ながら、起源があれであることは間違いないがな。だが、記憶の世界の母も言っていたように、俺はヴァルターの付属物じゃない。表裏一体の影であり、闇そのもの。あいつは俺で、俺はあいつだ」

「…………ッ!」

 その歯を怒りで噛み締めながら、しかしベアトリスはまだ斬りかからなかった。

 その腕が、足が、未だ、未だ動かない。

 似ても似つかないその姿、の筈なのに。

 言葉の節々や所作の既視感が、この存在がヴァルターではないと納得してくれない。

 自分の怒りと無意識とが乖離しているのだ。

「貴様が、貴様が彼の一部だというのなら。彼を眠らせているその所業は何だ。その身に取り憑き奪わんとする悪霊と何が違う」

「ああ、そうだな。だがこれも、考えた末の結論だ。こいつをこのまま目覚めさせる訳にはいかない。だからお前を呼んだんだ」

「何……?」

「俺は。お前を、お前達を試しに来たんだよ。黒の王の欠片として、我が依代たる人間と、それに寄り添うお前が。永遠の中に何を望むのかを」

 その蛇を孕む赫眼が、ベアトリスを射抜く。

 ベアトリスの中の、そしてその先の何かを見つめるように。

「なあ、キルヒアイゼン。お前は何度も諦めかけた。何度も折れかけた。しかし、お前は此処にいる。それは何故だ?」

「何故、ですって? そんなの、そんなの、決まってる」

 それでも、諦めたくなかったから。

 諦められないものが、そこにあったから。

 遠く、遠く、去ってしまう前に、未だ掴めるのだと知ったから。

「そのために、私は此処にいるんだ」

「不合格」

「なッ!?」

 それを、黒の王は適当に吐き捨てた。

「負け犬の、既知感塗れの悪足掻き。さっきはああ言ったがな、お前は諦めているも同然だ。折れているも同然だ。何も出来やしない、何も」

 その一瞬、瞳の奥がどこまでも黒く、黒く。

 歪んだ笑みも消え去り、能面の如き裁定者の顔が現れて。

「だが。それでも、俺は此処にいる。そしてお前達を見てしまった以上、問わねばならん」

「…………!」

 闇が、溢れる。

 その足元から漆黒の茨が持ち上がり、黒の中で赫眼が煌々と輝いて。

「何故走るのか。既知感と渇望に塗れたこの永遠の世界で、失われゆくそれを、忘れゆくそれを問うために俺はいる。だがもしそれが、走ることも能わぬ愚図のそれであったのなら」

 その右手に、漆黒の刃が。

 茨を纏う黒の長剣が、雷の剣を向けるベアトリスと同じように、その切っ先を向けて。

「どこに帰す価値もない。ここで眠れ」

「……一体どういうつもりなのか、知らないが」

 それに、ベアトリスは纏う雷を一層強く、輝かせて。

「貴様には、譲らない。何一つ、誰一人。私は、諦めない! 未だ、諦めてなんか、いない!」

 思いのままに、吠える。

 雷鳴が響くように、この闇の中を斬り裂くように。

「ハ、威勢だけは一人前と来る。色々と思い出すね」

 それに、何か懐かしいものを覚えたように、黒の王は微かに笑う。

 しかしそれも僅かなこと、カドゥケウスの赫眼は、どこまでも眼前の意思を嘲笑って。

「興が乗った。いいだろう、お前とはこの肉体のまま、メルキオール体で相手をしてやる。俺はただヴァルター・シェレンベルクの肉体のまま、気ままに力を振るうのみ、それを凌いで見せろ」

 漆黒の剣を持つ右腕を大きく振り上げ、凄絶に笑う。

 その身を貫く、と、そう示しているが如き、本来のヴァルターであれば決して見せないその構えを見て、ベアトリスはぐっと足を踏みしめて。

「あいつは最後には諦めたが、お前はどうだろうな? 懐かしき声の女、キルヒアイゼン」

 白い雷の剣と、黒い闇の剣を持つ二人。

 鮫の嘲笑と、戦乙女の激情が、今交差して。

「お前は諦めるのか、それとも、諦めないのか。見せてみろ、人間」

「言われなくともッ!」

 その言葉が、開戦の号砲となった。

 床を踏み砕き突進しようとするベアトリスの渇望は、瞬間で最高潮に達する。

 

 

 

 

 

『私の犯した罪は 心からの信頼において貴方の命に反したこと』

 

 

『私は愚かで貴方のお役に立てなかった だから貴方の炎で包んで欲しい』

 

 

『我が槍を恐れるならば この炎を越すこと許さぬ』

 

 

創造(ブリアー)――雷速剣舞(トール・トーテンターツ)戦姫変生(ヴァルキュリア)

 

 

 

 

 

 その身を雷と化すベアトリスの創造位階。

 物理法則を超越した神秘の雷となったベアトリスが、剣の切っ先でその喉元を狙って。

 ものの一瞬であるはずの、その時間。

「え……?」

 しかし、届かない。

 全力で突貫したはずなのに、彼我の距離は全く縮まっていなかった。

 今も、前進しようと駆けているはずなのに。

「何が……!」

「下らん」

 黒の王が漆黒の剣の切っ先をベアトリスに向ける。

 その両目はどこまでも透明に、ベアトリスの渇望を糾弾しているようにも見えて。

「お前が性懲りもなくそれを続けるのなら」

 その剣の波動、向けられる切っ先が、ベアトリスを寄せ付けず。

 ただ、拒絶する、その拒絶を、ベアトリスは突破できない。

「提案しよう。食事の時間だ」

 剣、届かずに。

 不気味に輝くカドゥケウスの赫眼と、剣を持たない左手が、向けられて。

 

 

 

 

 

『城より溢れた欠片の一つ クルーシュチャの名において』

 

 

『方程式は導き出す 我が力と我が権能、失われたもの』

 

 

『喰らう牙』

 

 

『足掻く全てを、一とするもの』

 

 

 

 

 

「なッ……!?」

 そして、ベアトリスは見る。

 その輝くカドゥケウスの赫眼の、左目の内より溢れ出す黒より黒き漆黒の影。

 剣を、茨を形成するそれらと同じ、身を貫かれるような不快感が襲って。

 いつしか、その左手までも、左半身が黒に染まる。

 左手を包み込む漆黒が、悪魔の爪のようにかたちをなして。

 そこから茨が、無数の茨が伸びる。

 未だ拒絶の波動に呑まれ前進できないベアトリスに、一方的に。

「がッ、うぁ!?」

 剣持つ腕と、その首に茨は巻き付き、ベアトリスを締め上げる。

 肌に突き刺さる棘を通じ、肉そのものが削れているような痛みが襲う。

「こ、の」

 雷を用い、茨を焼き払おうとするが、しかし。

 その拘束は解けない、いくら雷を放とうとも。

「言った筈だな? 愚図の歩みなら、どこに帰す価値もない」

 青から赫に、そして今は黒く染まった左目が、ベアトリスを嘲笑う。

「戦場の光とやらが、お前をどこまで運んだか。変わらないのなら、何の意味も、ない」

 一歩、二歩、ベアトリスからは一向に詰められなかった距離を、不自然なほど短い歩数で黒の王は縮める。

 その剣先が触れる距離で、漆黒の剣を振りかぶって。

「ここで終われ、楽になれ」

『させん』

 瞬間、それは来る。

 雷の力、その場に満ちて。

「……何?」

「え……?」

 迫る漆黒を、砕く、砕く。

 刃を阻み、その腕を、首を、拘束する茨さえも打ち砕き、ベアトリスは自由を取り戻す。

 輝くばかりの雷が、ベアトリスはそれを放っている自分の両腕を呆然と見つめている。

「一体……」

『無謀な。黒の王、否、彼の操る黒の剣能による拒絶に、鎧も纏わず立ち向かうとは』

「貴方は!」

 その声を、その見の内より響く声を、ベアトリスは知っていた。

「ペルクナス、貴方が?」

『拒絶とは、ただそこにあるものではない。何の為の拒絶であるのか。少なくとも、お前の照らす道はどうやらお門違いであるらしい。であれば、だ』

 雷が、ベアトリスの身を、腰を、両手を覆う。

 かたちなき白い雷は、かたちある重みへと編成していく。

『……お前に、私の最後の力を託す。我が機械篭手(マシンアーム)、そして機械帯(マシンベルト)。既に、お前の剣に繋いである。一つの聖遺物として、十分な働きをしてくれる筈だ』

「これは……」

『名付けよう。我が機械帯(マシンベルト)の権能を以て、その剣を雷を果てへと導かん。戦雷の剣帯、スールズ・リュストゥング・ワルキューレ、と』

「雷の、鎧」

 ベアトリスの、雷を纏うその両手には、幾つもの計器が揺れる鋼の篭手が。

 その腰元には、雷が揺らぐごとに共鳴するが如く輝く、鋼の帯が。

『少女の輝きにかけて。我が勇壮なる雷が応えよう。……久しいな、黒の王、否、その欠片』

「……随分と懐かしい力だ。ああ、嘗て黒の王は、確かにお前を知っていた。その狂気、既に託すものがあったかよ。残照なりし雷電王、哀れな正義の成れの果て。そいつを、どこに連れて行くつもりだ」

『無論、その輝きの先に。彼女から奪った輝き、返して貰おう』

「……それを帰すのは、俺じゃないな。俺じゃあないんだよ、ペルクナス」

『だとしても』

「こ、のお!!!」

「っ、ち」

 篭手が、剣を弾く。

 戒めから解き放たれた体は自由を取り戻し、地へと降り立つ。

 雷の波が境界を引き、二人の距離は再び開く。

「ペルクナス……私に、力を?」

『私にできることは、ここまでだ』

「ペルクナス!?」

 身の内から響く声、その正体が、溶けるように消えていくのをベアトリスは感じた。

 目まぐるしくも託されたこの力に、感謝と困惑を抱いて。

「待ってください、ペルクナス。貴方は、私に何を、この力で何をしろと」

『迷うな』

「…………!」

『迷うな、ベアトリス。進め、今は、未だ。それが、奴と、彼への――』

 その言葉を最後に。

 雷電の声は、魂は、枯れ果てて。

 砂のように、溶け落ちていくのを感じて。

「で、それがどうした」

「っ! くッ!?」

 再び、衝撃が襲う。

 黒の王は剣先を向け、拒絶の波動を示す。

 彼我を寄せ付けぬその力。

 だが、ベアトリスはとっさに、その篭手に包まれた両手で、それを防いで。

「ハ。まあ、いい、そのくらいはな」

 距離を殺しもの皆寄せ付けぬその力を、防ぐ。

 前進する手応えを感じなかった先とは違う、

 見出した光明に、ベアトリスは一も二もなく突貫した。

「はああああああッ!!!」

「……ハッ」

 そして、上段から振り下ろされる漆黒の剣と、下段から振り上げられる雷の剣が交差する。

 これまでにはなかった、仰々しい機械の篭手に包まれた腕はしかし、剣を振るうことを阻害せず、まるで十年来の相棒のようにベアトリスの手に馴染んでいた。

「成程。奴の機械篭手(マシンアーム)、そして機械帯(マシンベルト)。お前の剣と接続し、その雷の威力を高めているか。死に損ないの残照が器用な真似をしたものだな」

 反発する力と力。

 拒絶の黒と雷の白が激しく散華し、刃を合わせた箇所で競り合う。

 そして、刃を押し込むのは。

「……愚劣。貴様があの人の身体で戦っているというのなら、攻めではなく守りこそが真骨頂。そんな威嚇ばかりの大振りで、私の剣が劣るものか!」

 雷の刃が、漆黒の刃を払い、振り切る。

 その切っ先が、確かに黒の王の喉元に達して、斬り裂いて。

「ああ……お前の剣は強い。だが、それで?」

「…………ッ!」

 振り切った刃に手応えはなく、斬り裂いた喉は闇の霧が霞むように、瞬く間に再生する。

「それはいい。だが、それじゃない。しかしまあ、距離の拒絶を突破し俺に斬りかかることが出来たなら、そら、次だ」

 返しの一撃、無造作に振るわれた漆黒の剣の一撃が、ベアトリスを大きく弾き飛ばして。

「足掻け足掻け、諦めないとほざいたなら、永遠に踊り狂えよ戦乙女」

「くッ!?」

 体勢を整えた矢先から襲い来る。

 曲線を描く茨、直線を疾走する漆黒の光条、そして格子のように、檻のように交差し束ねられた無数の剣、それら全てが、ベアトリスを貫くために。

 だがそれら全てを、ベアトリスは回避する。

 剣を以て打ち払い、雷速の起動は縦横無尽に戦場を駆ける。

 故に、気づく。

 この圧倒的物量は、自身の知るヴァルターの扱えるものでなければ、それが黒の王に由来するのは当然で。

「踊らされてる……! その気になればとっくに押し潰されて」

「そうだよ。言ったろ? 試すって」

「!!!」

 声の先にベアトリスは反射で剣を振るったが、それは音もなく動きを止められる。

 禍々しく脈動する闇の左手が、剣を掴んで、雷さえも弾いて。

「全てで抗え、あらゆる道を模索しろ、そうでなくては意味がない。出来ないなら死ねよ、さっさと死ね。希望なぞ、輝きなぞ、示す価値もないだろうがよ」

 右手の漆黒の剣が振り上げられる。

 合わせるべきベアトリスの剣は、押さえつけられて動かない。

 迫る刃に、どう抗うべきか。

 手元の機械篭手がその眼にちらついて、次の瞬間にはもう動いていた。

「せ、えッ!」

「む」

 横一文字に首を狙う斬撃に、剣から手を離した左腕を割り込ませる。

 漆黒の剣と鋼の篭手が、火花を散らして拮抗する。

 そして、その一瞬でベアトリスは右手さえも剣から離して。

「はああああああッ!!!」

 雷電が、その掌に集う。

 剣士たるベアトリスが普段なら行うことのないその手段。

 雷の掌底がベアトリスの剣を掴む左腕と胴体に突き刺さり、黒の王は雷の剣を手放し数歩程を後退する。

「ハ。そうだ、それでいい。そうでなくては試している意味がない」

 焦げ付くように立ち上る煤は、単に散った後は再生するのみの闇の霧でしかなく。

 しかし、闇はそれがたまらなく愉快だと笑う。

 その瞳は全く笑わないまま、口を歪める。

「どこまで行ける? 何になれる? 示せ、でなければ、お前もヴァルターも消えるのみだ。下らん妄執は置いていけ。走れ、そして迷え」

 その指先を向けて、僅かに、茨の断片が散る。

 危機感に従いベアトリスが動こうとした時には、それはもう完成していた。

「……うッ!? ぐあ、あ!?」

 茨の波動が、ベアトリスの全身を戒める。

 これまでとは違う、射程を届かせる間隙すらない、空間に直接作用する縛呪。

 不意を打たれたベアトリスは対応に遅れつつも内側から戒めを破壊するが、

「先ず、一つ」

「え……」

 音もなく、胸の中の違和感だけがあって。

 ベアトリスの胸の中心を、漆黒の剣が貫いていた。

「あ……」

 血は、流れない。

 しかし、この世のものとは思えない痛み、痛み、痛み。

 全身の細胞が端から細切れに、或いは溶け落ちていくかのような錯覚を覚えて。

「あ、あああああああああああああああ」

 理由の知れない恐怖に支配され、膝をつく。

 何か、何か、失ってはならない何かが失われたような。

「で、いつまでそうしてるつもりだ?」

「……え」

 そして、ふと我に返る。

 胸に刺さっていたはずの漆黒の剣は既になく、その刺し傷さえもない。

 その場には崩れ落ちるベアトリスと、数歩離れて億劫げに剣を担ぐ黒の王の姿。

 何が起こったのかはともかく、と剣を杖に、膝に力を入れ立ち上がろうとするが。

「う、あ?」

 その時、違和感を覚える。

 力が入らない、足元がおぼつかない。

 それは、体の怪我や傷などではなくて、何か。

 そう、先程も実感していたことだった。

 失ってはならない何かを、失ったような。

「黒の剣能とは、命が持つ原初の心のかたち。拒絶のかたち。俺はそれをただ引きずり出し使役できるようにしているに過ぎない。傷つけ合うための刃、自身の願いのために他者を排斥する闘争の刃。互いを駆逐し合う、自滅の刃。その根底に存在するのが、拒絶」

 心のざわつきのままに、ベアトリスはその漆黒の剣を目にする。

 鍔から生える茨が、握る手そのものを苛んでいるその剣。

 おぞましいまでの、拒絶、漆黒。

「俺は紛れもないヴァルター・シェレンベルクであれば。この剣でお前を貫くということは、お前を拒絶するということに他ならない。さて、今お前の中から何が拒絶され、失われただろうな?」

「え、なに、それ」

 無意識に、胸のあたりをわしづかむ。

 くしゃりと歪んだ服のその向こう。

 何が失われたのか、失われてしまったのか。

 力の入らぬこの足は、一体何を失ったことでそうなってしまったのか。

 膝を折るのは力尽きたからではなく、戦う意志が折れようとしているから。

 そして、それは、戦う意志が折れようとしているのは、何故か。

「何をしたの……私の心に、何をした!?」

 色褪せる、それは心の中の記憶。

 何のために、誰のためにここまできたのか。

 彼との思い出が、驚くほど色褪せて、焦げ付いて。

 その恐怖に、ベアトリスは吠え叫ぶ。

 瞳を揺らしながら、僅かに歯さえ鳴らしながら。

「ハ。分かってるなら、かかってこい。その膝、折れないうちがお前の最後の抵抗だ」

「ふ、ざけるな、返せ、返せ、返せええええええ!!!」

「さて、いつまで言っていられるか。見ものだな」

 赫怒のままに、ベアトリスは雷と化した。

 まだ、色褪せたとしても、失われたそれが尊いものだということは忘れられず。

 剣を振るう、悲鳴のままに。

 しかし、しかし、それでは。

 それでは、何を為すことも出来ない。

 元より、黒の王とは、『倒す』ものでは、ない。

 

 

「その明日を否定しよう。先に待つ静寂こそが、嘗て遠き欠片ならざる俺が至った終着点だ」

「あ、がッ」

 再び、黒の剣能が突き刺さる。

 雷を纏おうと、ぶつけようと、返ってくるのは虚空を打つが如き無のみ。

 

 

「お前も、その果てに今ある苦しみから解き放たれるだろう。そこには何もなく、それ故に全てがある。世界を諦めたものにこそ、黄金の螺旋階段を登りきる資格が生まれる」

「あ、ああ」

 突き刺さる。

 その度、心の中の大切な人、その面影が消えていく。

 色が抜けて、景色が焼けて、やがて音さえ遠のいていく。

 

 

「眠れ。お前も魔人として、一度は明日を否定したのならば。そこから目を逸らすことは出来ない。お前の拒絶に、意味は、ない」

 突き刺さる。

 誰のために、戦っていたのか。

 立ち上がり、刃を振るえる、そのための想いは、既に崩れ去って。

 もう、創造さえとっくに消え失せて。

「……めて」

「何だ」

 漆黒の剣が胸を貫いたまま、仰向けに倒れるベアトリスは、瞳から輝きを失いかけて。

 それでも、震える手で、刃を、掴んで。

「……やめて、おねがい、おねがいよ、けさないで……かえして……かえしてよ」

「…………」

 

 

「嫌だね」

「あ」

 

 

 涙を流しながら伸ばされるその手を、鮫の如き嘲笑が愚弄して。

 

「お前の願いは届かない。残 念 だ っ た な !」

「いや……いや……」

 

 カドゥケウスの赫眼が、無慈悲に最後の欠片をえぐり取る。

 

 剣、突き刺さって。

 想い、消えて。

 

「ハハ」

 

 突き刺さる。

 消える。

 

「ハハハ」

 

 突き刺さる。

 消える。

 

「はははははははははははは」

 

 突き刺さる。

 消える。

 

「はははははははははははははははははははははははははははははははははははは」

 

 突き刺さる。

 消える。

 

「はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」

 

 突き刺さる。

 消える。

 

 

「げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげら」

 

 

 突き刺さって突き刺さって突き刺さって突き刺さって突き刺さって突き刺さって消えて消えて消えて消えて消えて消えてどこにもなくて思い出せなくて色あせて燃え尽きて聞こえなくて顔がなくて思い出せなくて思い出せなくて思い出せなくて思い出せなくて思い出せなくて思い出せなくてああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 わたし なんで

 

 ここに いるの

 

 だれ だれが

 

 いたい いたい いたい

 

 どこが いたいの

 

 むねが こころ

 

 しらない いたい

 

 わたし わたし わた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「終わりか」

 

「諦めるか、お前も」

 

「まあ、当然のことだ。人間であれば、痛み無き永遠の今日から、逃れられることなど出来ない。誰であれ、明日を否定せずには、いられない」

 

「当然のことだ。当然の」

 

「…………」

 

「だが」

 

「ここまでか、ベアトリス(・・・・・)

 

「お前なら」

 

「或いは、と思って、いたんだが、な」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゔぁるたー、さん?

 

 




それは、お伽噺でした。
漆黒のお伽噺でした。
しかし、今では。
否、ここでは。


――さて、例題です。

そして、回答です。


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雷光のスクルディア

難しい場面ほど書いててこれじゃない感がすごい出る。
でも、書いて、投げる。
なぜならこれで一区切りだから。
やろうと思えば時間を飛ばして次回原作編ですと言い張っても許される一区切りだから。
(一区切りついて)満足した。
むしろここで終わってもいいのでは(爆)


 例題です。

 いえ、是はおとぎ話です。

 

 むかし、むかし、あるところに、一人の王様がいました。

 ふるい、ふるい王様でした。

 王様は、人間の王様ではありません。

 炎が、水が、風が、土が、あらゆるはじまりにありし幻想を統べる王様でした。

 漆黒の都で、彼らをただ見守る王様でした。

 漆黒の玉座で、脆弱な人間をただ嘲笑う王様でした。

 ある日、神様が、『光あれ』と言われた日、幻想たちは影の中に消えていきました。

 

 王様も、また、幻想でした。

 しかし王様は、とても強い王様でした。

 王様の民達がもう耐えきれないと、世界から姿を消す中、ただ一人、漆黒の都の玉座に座り、この世界にあり続けました。

 ふるきものたちが、あらゆる幻想達が、或いは彼の真なる主である天上の月さえもが消えゆく中、王様だけは、世界にあり続けることを望みました。

 それが、ただ一人、孤高であり続けるということであったとしても。

 誰もいなくなってしまったとしても。

 王様は、そう在ることを選んだのです。

 

 そして、王様は一人になりました。

 ただ一人、玉座で微睡んで。

 これまでと何も変わらない、王様は、そう思っていました。

 ただ、見ていただけの王様です。

 幻想である彼は、愛など、希望など、人間が求める輝きというものを欲しません。

 彼はただ玉座に座って、闇の中で微睡むだけ。

 何も、何も変わりません。

 どうして彼が変わることがあるでしょう。

 彼は、そう思っていました。

 本当に、そう思っていました。

 

 ですが、いずれ人間は、未来に怯え、永遠の今日を求めるようになって。

 幻想の王たる彼は、それを闇より見つめて。

 彼らと、自分自身を顧みて。

 そして、そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……■■■は、すごいわ。怖いものなんて、ないのね。なにも……』

 

『じゃあ……おとぎ話の、黒い人(シャドウビルダー)は?』

 

『なあに、それ?』

 

『教会の牧師さまが、言っていたの。神さまがね……。光あれ、と仰った時に消えた、黒い影……。だから、黒い人(シャドウビルダー)は、明るいところにいる人間を、恨むの。怖いことをするの……。夜が怖いのも、そのせいなのよ』

 

『怖くないわ』

 

『……本当に……?』

 

『うん。だって、その人は、神様の言葉を聞いたのでしょ?』

 

『きっと言葉がわかるんだわ。それなら、うん、怖くない』

 

『話せるなら大丈夫! 友達を作るのは、得意だもの』

 

『ほら。ね。■■■■■とだって仲良くなれたもの。あたし、自信があるのよ』

 

『友達になれるわ。誰とでも』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう言って、微笑む少女の、影の中で。

 

 赤い瞳が。

 

 眩しそうに、歪んで。

 

 けれど。

 これは、辿り着かなかった物語。

 すべての希望は潰え、灰燼に消え去った物語です。

 だから、彼女は諦めて。

 言葉を伝えられないまま、死という闇に消えていってしまいました。

 

 

 

 

 

『ここまでか、■■■』

 

『お前なら』

 

『或いは、と思って、いたんだが、な』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから」

 

「もういい」

 

「ベアトリス。帰るんだ」

 

「帰り道は、俺がなんとかする。例えあいつが消えろと言っても」

 

「俺みたいな、わけのわからないなにかを。お前が、理解する必要はないんだよ」

 

「だから」

 

「僕は。ここまでで。いいんだ」

 

「報いるものなんて、返せるものなんて、何も、ないんだから」

 

 

 

 

 

 

 

「何故立つ」

 カドゥケウスの赫眼が、その不条理を睨んだ。

 黒の剣能の拒絶を受け、その身を刺し貫かれた女。

 既に、立ち上がる理由さえも失った女。

 果てなきものなど、尊くあるものなど、すべて、すべて。

 拒絶され、色も、かたちも失ったはずの女だった。

 だというのに。

「…………」

 ベアトリスは、立ち上がる。

 光の宿らない瞳のまま、力の入らない足で。

 震えながら、床についた手を離せず、しかし、それでも。

「折れた心で何をする。それとも無意識か、本能とでも言うつもりか」

 ただ無防備に、立ち上がるだけのベアトリスに、黒の王は再び剣を向けて。

「もういい」

「……ぁ」

 突き刺さる。

 ベアトリスの心臓に、漆黒の剣が。

 既に幾度それを受けただろうか。

 拒絶の剣が、彼女の心から、記憶から、彼の姿を奪い去って。

「……何?」

「…………ぅ、ぁ」

 だが、彼女は。

 胸に突き刺さる剣を、その手で掴み、離さない。

 あろうことか、剣が突き刺さったまま前へ、前へと進んでいく。

 進む度に、剣は深く食い込んで、剣に触れる手には茨が巻き付いて。

 それでも。

「何をしてる。もういいと言った。お前は、もういい。試すこともない。後は俺の気まぐれで、その総身消えゆく身だと。お前も分かっているはずだ」

 彼は、動かない。

 漆黒の剣を体そのもので抑え込まれている彼は、訝しげに、腹ただしげに睨みながら。

 しかし、動かない。

 ベアトリスは、刃を受け入れながら、ゆっくり、ゆっくりと、近づいて。

 もうすぐ手が届く、そこまで近づいて。

「忘れてしまえ。終わってしまえ。それが、人間の幸福だ。忘れられることこそ、脆弱な人間の特権なれば。そうしなければ、お前達は存在できない」

「いやです」

「! ……何を……」

 その言葉に、虚ろな目の少女ははっきりと否を返した。

「ほんとう、わかりにくい、ひとですね」

 おかしな話だ。

 幾度もの拒絶を受け、彼女は失っているはずなのだ。

 ヴァルターとの記憶も、かけがえのない思い出も、そこにあった暖かな色さえも、心の支えであった言葉さえも、すべて、失っているはずなのだ。

 眼の前にいるのが誰の姿なのかさえ、忘れているはずなのだ。

「でも、それでも、わかります」

 けれど、そのがらんどうの瞳は、目の前の姿を映して。

 手を伸ばそうとする、その先に。

「だって、よんでくれた」

 右手を、伸ばして。

 その先にある、彼に。

 確かにそこにいた彼に向けて。

「なまえを、よんでくれたじゃ、ないですか」

「…………ッ」

「わかり、ますよ。ええ、あなた、ほんとうのことしか、いってなかった」

「黙れ」

 近づいて、近づく度に、その瞳に輝きが戻っていく。

 力が、溢れていく。

 一体それは、何故なのか。

「貴方が、名前を呼んでくれるなら。私はそこにいる。馬鹿な私がいくら忘れたって、私はそこにいるから。こうして、また貴方の側まで来れる」

「黙れ、黙れ」

「思えば黒の王。貴方、律儀に私の事キルヒアイゼン(・・・・・・・)って呼んでましたよね。それは自分に許された呼び名ではないから、ですか? 大概ひねくれ者というか」

「黙れ、黙れ、黙れッ!!!」

「黙るのは『貴方達』だッ!!!」

 怒りのような、その実これっぽっちも怒りではない言葉を、真実怒りの言葉で吠え返す。

「何と言われようが、何をされようが! 私は貴方に手を伸ばす! 決めたんだ!」

「それがお前を殺してきたと、今尚気づかない愚か者が! なせるものか、そのような戯言が、何もなせるものかよ!」

「そんなんじゃない!」

「何が違う、炎の彼方に消えるザミエル・ツェンタウアをただ追い求めていた時と! 何もできなかったお前に、何ができる!」

「……ええ、そうよ」

 そして、彼女は手を伸ばす。

 雷の篭手、携えて。

 雷の剣、煌めいて。

 しかし、決してその刃を向けることはなく。

 

「ええ、そうよ。何もできなかったままじゃ、いられなくなったの」

 

 私の犯した罪は、心からの信頼において貴方の命に反したこと。

 

「だって、私。貴方に伝えなくちゃいけないことがある。心から溢れる言葉がある」

 

 私は愚かで、貴方のお役に立てなかった。

 

「もう我慢なんて、できないの。影を踏まずついていくのは」

 

 だから。

 

「恨みがましく黙ってついていくだけなのは、もうやめるの」

 

 だから――だけど。

 だけど、それでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから聞いて、ヴァルターさん」

『どうか戦友たちよ 私の言葉を聞いて欲しい』

 

「そこにいるんでしょう。ずっと、そこにいたんでしょう」

『九界を統べる樹の それを支える泉より 虹色の橋を駆け抜けて』

 

「貴方が何を言おうと、私、帰らない。消えたりしない」

『貴方の言葉を聞いた ならば呼べ 私は来よう』

 

「貴方の顔を見て、貴方の言葉を聞いて、私の言葉をぶつけないと、どこにもいけないの」

『幾度の滅びを目にしても 私は覚えている 輝きを持つものよ 嘗て見た尊き貴方に』

 

「そんな、影の中に隠れて居留守を貫くなんてずるい真似、許さないんだから」

『すべての栄光が滅び行く その運命の螺旋を打ち砕こう』

 

「絶対に許さないから、手を伸ばし続けるから」

『さあ今こそ戒めを解き放ち 我が翼の後へ 我が盾の中へ 我が剣の指し示す先に続け!』

 

「何度拒まれたって、その手を握りに行く、私、決めたんだから!」

創造(ブリアー)――未来世界(ウルザルブルン)極光の戦姫(アウローラ・スクルディア)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 回答です。

 

 少女は、その罪を捨てました。

 自らの罪の証を刃としていた少女でした。

 自らの罪の証を力としていた少女でした。

 その力で、想いを押し込めていた少女でした。

 

 罪を捨てた少女に、鎖を砕く力はありません。

 縋り付き、泣き叫ぶことしか出来ません。

 ですが。

 泣き叫ぶ彼女の声が、彼に届いて。

 彼は、知ることでしょう。

 彼女が押し込めていた想いを、本当の想いを。

 鎖とともに朽ち果てるはずだった彼は、鎖とともに朽ち果てるつもり(・・・)だった彼は。

 その言葉に、確かに揺り動かされて。

 

 刃を捨て、想いを叫ぶ彼女に、

 誰かが、言いました。

 

 

 

 

 

『それでいい』

 

『刃など、今はそこに置いておけ。何時でも拾いに行ける』

 

『お前達には権利がある。互いを想い、愛し、それを言葉にする権利がある』

 

『泣いて祈れば起きるような奇跡なんかいらない? 馬鹿を言うな』

 

『泣くことも、祈ることも忘れてしまった存在に、何がなせる。何もなせはしない』

 

『大切なのだろう? なら、先ずは存分に泣け。存分に叫べ。そして、それを否定するな』

 

『あらゆるすべては、そこから始まるのだから』

 

『だから、お前もいい加減応えてやるといい』

 

『女性を待たせるとは、紳士ではないな。■■■■■』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは……お前……」

 輝きが、満ちる。

 それは雷の輝き、ではない。

 ものみな貫く死の舞踏ではなかった。

 聖剣は天を指し示すようにベアトリスの背に浮かび、その手を包む機械篭手(マシンアーム)は腕に突き刺さっていた茨を遮って。

 そしてその背には、幾何学的な形状をした、光の翼が。

 白い鋼の如き翼が、その背で花開いて。

「はぁぁぁあああああああああああああああッ!!!」

 咆哮と共に、光が溢れる。

 彼女の腕が彼の胸ぐらを掴んで、その手の内から溢れる光が、彼を包み込む。

「これは……はは、ははは、そうか、そうか! そう来たか! なんとも度し難い! これが雷で敵を焼くしか脳のない女だと、馬鹿を言え!」

 そして、剥がれ落ちていく。

 剥がれ落ちていくのは、色だ。

 黒の王、その髪の黒色と、左目を染め上げていたカドゥケウスの赫眼が。

 剥がれ落ち、溶け落ち、『本来の色』を取り戻していく。

「これは、魂の開放! 囚われた存在をあるべき流れへと還す、未来へ(スクルド)の導きか! 成程、これが宿業の先にある、この女の本来のかたち!」

 そして、黒の王はそれをさも愉快だと。

 口を喜悦のかたちに歪め、その瞳に僅かな、ほんの僅かな揺らぎを宿して。

「分かるか、ヴァルター! この女は、お前に手を届かせるために事ここに至った! その意味が分かるか! 諦めろ、お前の負けだ! ははは、はははははははははははは」

 語りかけるように。

 自身の内側にいる何者かに語りかけるように。

 そして、その体から漆黒が完全に分離して。

「…………」

「あっ……」

 抱えようとしたベアトリスの手を、すり抜ける。

 漆黒から分かたれたヴァルターの体が、空に溶けるように消えてしまって。

『ほら、あっちだ』

「!」

『よせよせ、言ったろう。あいつの負けだってな。俺を相手にしてる場合か?』

 そこには、黒い切り絵のような立ち姿の、赤い瞳の何者かが。

 漆黒の玉座を指差しながら、ベアトリスを見ている。

「黒の王……ですか」

『俺のことなんざどうでもいいだろう。おめでとう、お前の文句は依代に届いたようだ』

「どうでもいい、なんてことはないでしょう。だって貴方、最初から……」

 そう、最初から、だ。

 口は悪いし容赦はないし全然らしくないし黒いし、だがしかし、今は分かる。

 彼が自身をヴァルターの側面と称した意味が。

『俺はお前を殺すつもりだったよ? 確かに今の俺はヴァルターの形成したパーソナルデータを基準に動いているが、それでも明日を否定する黒の王である以上、お前がダメなようであればここで死んだ方がいいと思った。ここで折れるならこの先行き残っても無駄だし。まあ、それも、ヴァルターが邪魔しただろうけど?』

「……貴方、何がしたかったんですか?」

 だから、問う。

 彼の意思を感じ取れた以上、そこに付随する彼の意志によらない要素は、この黒の王によるものだと知ったから。

「どうして、私は貴方に『試そう』と思われたんですか?」

 その試しがなければ、自分は今ここにいないことを知ったから。

 その影の、赤い瞳に、ベアトリスは問いかける。

『……さてね。俺は這い寄る混沌であり、嘲笑う黒であり、ヴァルターの肉体を顕現体とした、いつか存在した仮面の道化とも、結社のハイ・エージェントとも異なる分かたれた欠片だが』

 遠く、遠く、空よりも、宇宙よりも遠い何処かへと、視線を向ける。

 もう届かないどこかに、赤い瞳が向けられて。

『例えば、俺の中に、諦めない誰かを探し求める黒い男の記憶があって。その記憶の中の誰かが、何となくお前に似てたのかもしれないな。あの日、怪異共の只中に放り込んだどこまでも脆弱なあの女。その足の血を流しきって、終ぞ走れなくなるまで、決して諦めなかったあの女』

 その瞳は、眩しげに歪んで。

『■■■・■■■■■・■■■■■。俺は、あいつの……は、依代の影響かね。これも。こんならしくない黒の王は前代未聞だろうよ』

 やがて、追い払うようにベアトリスに対し手を振って。

『さっさと行けよ。また引き篭もる前にな』

「……そうですね。じゃ、ちょっと、彼のこと持って行きますね」

『ご勝手に』

 そして、ベアトリスが駆け出して。

 黒の王は、それを見送らず静かに消えて。

 その道を阻むものは、もう、ない。

 どこにもない。

 そこには、漆黒の茨に埋もれる玉座があって。

「…………はぁ」

 ベアトリスが、機械篭手の両手で茨をかき分ける。

 こじ開けて、ねじ切って。

 そして、その奥にあるものを引き摺り出す。

「ヴァルターさん」

 その身を茨に繋がれた男が。

 瞼を閉じ、茨に呑まれていた男が、ゆっくりと目を開ける。

「……馬鹿か、お前は。こんな所まで来て」

「ええ、馬鹿です。でも貴方は大馬鹿です。この大馬鹿」

 力なくそう言うヴァルターに、ベアトリスはぴしゃりと返す。

「何で来た。本当に、死ぬところだったんだぞ、お前。ザミエルを、ヴィッテンブルグ少佐に戻すために戦うんじゃなかったのか」

「そうですね。けど、仕方ないじゃないですか。貴方を失いたくなかったんだから」

「積年の渇望と、黒円卓に飛び込んだ理由と、比べるようなことか。俺みたいなやつが。諦めればよかったんだ。本当に大切な一つを、見失うことが」

「私、欲張りだから。大切なもの一つだけなんて、決められません。全部、全部欲しいんです。その先にあるかもしれない未来も、全部」

「俺にそんな価値はない」

 そして、再び目を閉じようとするヴァルターの頬に、ベアトリスが手を触れて。

「私は、貴方を愛しています」

「それは、間違いだ」

 力が、僅かに戻る。

 しかし、それは歯を食い締め否定の言葉を絞り出すための力だった。

「間違いなんかじゃない、私が決めたの。貴方が、私の気持ちを語らないで」

「あるものか。お前だって分かってるはずだ。俺は蛇の欠片で、黒の欠片で、人を人とも思わない色褪せた何かだ。俺が今まで、お前に対し心から応えたことがあったか」

 ない。

 ヴァルターに他者と共感する機能は備わっていない。

 そもそもまともな心さえ、備わっていない。

 すべて、すべて、偽物だ。

 だから、線を引いてきた。

 その線を越えようともせず、迎えようともせずに。

 そこに触れないでくれ、俺はそういうやつだから、と関わる人々に伝えるように。

「なり損ないの嘘で固められた何かに、愛なんてものを抱かないでくれ。それはもっと別の」

「それでも、私は貴方を愛してる」

「何で――」

「貴方のこと、分からなくても! 貴方が、私のことを分からなくても! それでもいいって思ったの! そんなこと、些細な事だって思ったの!」

 引き摺り出す。

 茨に埋まっていた腕を引き摺り出して、その手を取って。

「心からの何かじゃなくても。ううん、違うわ。心からの何かがなくても、貴方は私を尊重してくれたから。カテリナさんだって、きっと何度も言ってるわ。それが貴方の心なんだって。だから私も、貴方にそう言うの」

 瞳のふちに、一滴の涙を溜めながら。

 ベアトリスは、想いを吐き出して。

「私の胸の中の想い。ひょっとすると、違ったのかもしれない。でも、今更よ。私、決めたんだから。この気持ちの名前は『愛』がいいって。私の命と同じくらい、あの時貴方を助けたいと思ったんだって」

「……俺は」

「貴方がいくら拒んだって、私、待ち続けるんだから。希望することだって、やめないわ。ずっと、ずっと。離れてだってあげない。貴方が自分を偽物だと叫ぶ度に、私は貴方を本物だって叫び続けるの。だから」

 もう、迷いはない。

 だから、その瞳をまっすぐに見つめて。

「貴方を愛してる。好きよ、ヴァルター。ずっと側にいて欲しい。だから、帰ってきて」

「…………」

 閃光の様に真っ直ぐな輝きだった。

 瞳、合わさって、揺らいで。

「…………だめだ」

「……ッ! 私は」

「ここまで言われて、拒む言葉を見つけられない。僕の、負けだな」

「え……」

 困ったように、しかし、微かな笑みをこぼして。

 ヴァルターは、頬に添えられたベアトリスの手に触れた。

 その瞳の中の最後の揺らぎを、ベアトリスは見て。

「ご覧の通り、誰かの真似をして生きてきた男だ。それでもいいのか?」

「……はい。そんなことは、問題じゃないから」

「お前に向けるべき感情が、俺には分からなかった。それでもいいのか?」

「それは、お互い様です」

「どうにも惚れっぽい性質のようだから、お前が他の誰かでもそうしていたかもしれない」

「でも、今ここにいるのは私です」

「……お前の行く道に、俺は共感出来なかった。それでも」

「それでも、助けてくれるんでしょう?」

「……ああ、ああ。そうだな、その、通りだ」

 そうして。

 観念したかのように、或いは、満足したかのように。

 目を閉じて。

「なら、俺も、そうするか」

 そして、茨も、玉座も何もかもが。

 真っ白な光の中に、消えていった。

 

 

 

 

「んぅ……?」

 目を覚ます。

 ここはどこ、私は誰。

 そんな定番の文句が頭を過るのは、ここ最近変なところに飛ばされまくってたからか。

 ベアトリスは目をしぱしぱさせながら頭を振る。

「おはよう、ございます?」

「ん。おはよ」

 誰に向けていったわけでもない言葉だったが、それに返答が帰ってくる。

 振り返ると、そこには。

「あ……」

 その顔を見て、徐々に思考が戻ってくる。

 そしてここが現実であることも、実感する。

「……世話、かけた。その、なんだ、先ずはだな」

「ヴァルターさんッ!!!」

 一も二もなく、飛びついた。

 シャツの胸元に頭から飛び込んで、掴んで。

「よかった、よかったよぅ……」

「お、おま……」

 時間牢獄への突入から、時間からいえば短い間だったのかもしれない。

 しかし色々なことがありすぎて、ベアトリスにとっては終戦からの五年に匹敵する長さだった。

 語りたいことも、今は激情に押し流されてうまく言葉にならず。

 なので、この場における著しく重大な問題は、ヴァルターの口から言われることになった。

「ベアトリス、ベアトリス、まずは落ち着いて、自分の状況を顧みてくれ」

「はい?」

「いいから、はやく、シーツでもなんでも巻いて、脱ぎ捨てた服に、着替えてくれ、頼む」

「……え」

 そして、ようやくベアトリスは把握した。

 自身の今の状況。

 

 上から下、全身に至るまで、何も纏ってない全裸の自分を。

 

「………………!!!??? ひゃあああああああああああああああッ!!!???」

 ベアトリスは飛び退いた。

 瞬く間に布団の中にすっぽり身を隠した。

「な、ななな、なんで、なんで」

「何でって……俺より自分が理解してるだろ。その……」

「あ、ああ……わ、私、あのまま」

 そう、それはヴァルターの魂の世界に落ちる直前のこと。

 その直前に、自分は何をしていたか。

 魂のパスを繋げるためとはいえ盛りまくった挙句、気絶したことをベアトリスは思い出した。

「というかヴァルターさんが先に起きて服着てたってことは……見ました!?」

「見た。悪いが回避は不可能だった」

「ぎゃああああああ何で見るんですか何で見るんですか!」

「仕方ないだろ完全に密着してたんだから。まあ、何か言うことがあるとすれば」

 ベアトリスの潜り込んだ布団の上からポンポンと、撫でるように叩いて。

「不意打ちなのは悪かった。綺麗だったぞ」

「あ、はい……ってそうじゃなくて!」

「いいから、着替えろ」

「うう……」

 布団の中から腕だけを伸ばして、脱ぎ捨てた軍服、ズボンとシャツ、下着を回収する。

 そしてベアトリスは布団にくるまったままもぞもぞと器用に服を着替え始める。

「まあ、今更だと思うけどな。やっちまったことを思えば」

「全然今更じゃないです! だって、だって、その、あの時は先輩の意識は無かったし……」

「なら、またしっかりやり直すか?」

「ひぇ、な、何でそんな話になるんですか! 何か、エロい! さっきから先輩エロいですよ!」

「俺に随分な啖呵を切ってくれた女傑はどこに行ったのか」

 呆れながら頭を振るヴァルターを、とりあえずシャツとズボンを着終えたベアトリスが布団から頭を出して睨む。

「何だよ」

「それはこっちのセリフですよ」

「おかしいか?」

「おかしいです」

「まあ、だろうな」

「だろうなって……」

「色々あったからね、()も。吹っ切れたのさ」

「ひゃっ」

 わしゃりと頭を撫でられて、ベアトリスは狼狽した。

「分からなくてもいいって、そんなことは問題じゃないって言ってくれた誰かがいたから。なら、それでもいいかと思ったのさ。わけのわからないやつは、やっぱり嫌か?」

「……嫌じゃないです。でも、驚きます。困りもします」

「そっか、じゃあ、なるべく『俺』でいるか」

「……別に遠慮して欲しいわけでもなくて。その……」

 色々と、言葉を選ぶ素振りがあって。

 ちらりとその顔を見ては、また言葉選びに戻る。

 そんなことを何度か繰り返して。

「……やれやれ、じゃあ、こっちから言わせてもらうとだ」

 ベアトリスから視線を外し、背を向けて。

「あれだけ言われて尚、だなんて、自分でも思うけれど。俺から離れた方が、身のためだ」

「……ヴァルターさん」

「俺は。お前のために何ができるかなんて。考えたこともなかったし、今も未だ分からない。いつか、後悔することも」

 それを遮って、ベアトリスが言う。

「……何時か、私に言いましたよね。待て、しかして希望せよって」

 布団を抜け出して、緩いシャツ姿のまま、その背中によりかかる。

 おろしたままの長い金髪が、ヴァルターの腕を擽って。

「だから、私も貴方に同じことを言います。待て、しかして希望せよ。貴方が、私にそう言ったから。私は貴方を待つ、希望し続ける。貴方も、そうして欲しい」

 先の羞恥も抜けきって、ベアトリスは目を閉じたまま小さく微笑む。

 背中と頭で感じる体温を受け取りながら。

「言い出しっぺはそちらなんですよ? こればっかりは守ってもらいますからね。私みたいなのを構ってしまったのが悪いんです。今更嫌がったって、絶対に離してなんかあげません。だから」

 心地よい風が吹き抜けたような。

 互いに、そんな気がした。

「私のためにできること、その一。先ずは、ここにいて下さい。それだけで、幸せです。私」

「……分かった。ベアトリス」

 帰ってきた最愛の人に、そうあって欲しいと望んだ人に、ベアトリスは隣り合い。

 そして、改めて、帰ってきたことを噛み締めて。

「なあ、ところで。ここはどこ? アルフレートの研究所と構造が似てるような気もするが」

「え? ああ、そうですよ、確かナウヨックス少佐はヴンダーカンマーⅡとか――」

 そう言いかけて、ベアトリスの時が止まった。

 気づいてはならないことに、しかし何れは気付かなければならないことに。

「……あー」

 遠い目をし始めるヴァルター。

 そして、ベアトリスの硬直が解けて。

 恐るべき速さでベッドから飛び降りたベアトリスは周囲を確認する。

 倒れた椅子。

 床。

 机。

 いない。

 あの畜生がいない。

 私がその、あの、事に及んでしまう直前に力尽きてノックダウンしたはずのやつが。

 それをようやく認識したベアトリスの頭上から、ウィーンと機械音が鳴る。

『あ、やっと気づいた? あのねえ。放置される方の身にもなってくんない?』

「な、な、な、ナウヨックス少佐……」

『今回は無罪を主張させてもらうよ。ねえねえエロトリスさん。僕がぶっ倒れてる片側でおっぱじめおったド淫乱エロ戦乙女さん。ヤる前に僕を部屋から出すって発想はなかったの?』

 まあ気が動転してたんだろうね、わかるわー。

 そんな気の抜けた声が天上のスピーカーから響く。

 ヴァルターは目頭を押さえ、ベアトリスはわなわなと震えた。

『僕が目を覚ました時の気持ち分かる? 数年来の相棒とその後輩が。全裸で結合したまま寝落ちしてるのを起き抜けに目の当たりにしたんだよ??? そして今こうしてピロートークまで聞かされちゃってさ。ねえ今どんな気持ち? 君じゃないよ、僕の気持ちだよ』

「うぐ、うぬぬぬぬぬぬぬぬぬ……」

 怒りと申し訳無さの狭間にいた。

 いくらアルフレートが屑のクソ野郎だからといって、やらかした具合を客観的に顧みれば自分のほうが上だったのだ。

『まあ、それはそれとして、此処は全室監視カメラ付きだから君のやらかし大全は全部消さずに保存しておくんだけどね!!! これを以て罰とします!!! 全部許すよ!!!』

「おい待てふざけんなこら――!!! 消せ、消せ!!!」

『い や で す 残 念 で し た ! バックアップは既に拡散完了、この研究所を全損させても無意味だぁ……悲 し い なぁ……』

「……創造(ブリアー)――」

「おいベアトリス」

『あの、今ふっ飛ばしても無意味だっていって、ちょっと?』

 

 この日。

 アルフレートの第二研究所、ヴンダーカンマーⅡはその区画の五分の一が吹き飛んだ。

 

 

 1950年 花開く春にて ベアトリスの愛、そしてヴァルターの帰還

 

 

 




宿業、両断。










ベアトリスの聖遺物がランクアップしました。真・創造が発現しました。

戦雷の剣帯(スールズ・リュストゥング・ワルキューレ)
スールズ・ワルキューレと■■■・■■■の機械帯(マシンベルト)が悪魔合体した姿。
それ自体が神秘の雷を生成する機械帯(マシンベルト)と、生成した雷を調整、移行する機械篭手(マシンアーム)が聖剣に接続し雷を供給する。
アームの強度も高く、これまで行えなかった拳闘による接近戦も必要とあらば可能。
総じて汎用性が向上したが、その分使用者も忙しなくそれらを使いこなす必要がある。


未来世界(ウルザルブルン)極光の戦姫(アウローラ・スクルディア)

本作におけるベアトリスの雷速剣舞が進化した真・創造。
その渇望は「戦友の魂を、意思を、あるべき場所に導く」という、ベアトリスにとっての魂を還す場所を加味された創造へと変化している。
戦乙女の本懐を成し遂げる真・創造。
発動時は背に幾何学的形状をした光の翼が展開される。
グラズヘイムを瓦解させる三つの鍵の一つ、スクルドの導き。

ウルザルブルンは世界樹を支える泉。
スクルディアはウルザルブルンより来る運命の三女神の一人、未来を司るスクルド。
スクルドは同名の戦乙女がおり、同一存在であるという説が存在する。
即ち、正しい未来に導く極光の戦乙女の意。

発現した能力は「接触した魂を開放しあるべき場所に還す」こと。
対象への接触に成功した瞬間、そこに『本来この場にあるべきではない魂』があるならば、一番外側にある魂から順繰りに昇天させる。
その特性上、他者の魂を蓄えるエイヴィヒカイト、その相似能力に対する超強力な特攻となる。
極めて強固な統率がなければ抵抗は不可能。
尚、この特性によってベアトリスは自身の中に魂を蓄えることができなくなる。
必然、以降は自身の魂一つで戦う必要が出てくる。


詠唱

『どうか戦友たちよ 私の言葉を聞いて欲しい』
『九界を統べる樹の それを支える泉より 虹色の橋を駆け抜けて』
『貴方の言葉を聞いた ならば呼べ 私は来よう』
『幾度の滅びを目にしても 私は覚えている 輝きを持つものよ 嘗て見た尊き貴方に』
『すべての栄光が滅び行く その運命の螺旋を打ち砕こう』
『さあ今こそ戒めを解き放ち 我が翼の後へ 我が盾の中へ 我が剣の指し示す先に続け!』

作成資料:『古エッダ』より『巫女の予言』、黄雷のガクトゥーン










ヴァルターの創造位階が発現しました。


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Fragments:幕間、月明かりの下

やりたい部分が終わった。
これで容赦なく合間を端折ってフラグメント投げられると思うと心が軽くなるよね。

というわけで今回のフラグメントは

1:こいつが味方だなんて何時言ったっけ???
2:四国を喰らうもの リボルケイン爆誕フラグ
3:拝啓、愛する家族へ(雷光)

の三本になります


「さて、はい」

 ヴァルターが目を覚ましてから数日。

 ところどころ焼け焦げた一室で、三人が机を囲んでいた。

 危難は一先ず越えたものの、三者三様消耗しきっていたため休息と様子見を繰り返しつつ、合間に相談するべきなのは今後の立ち振舞いだ。

 アルフレートが音頭を取り、ヴァルターとベアトリスに言葉を投げかける。

「御存知の通り僕らはベルリン陥落の段階で黒円卓に反旗を翻そうとしてたわけだけど、その計画は副首領閣下によって未然に阻まれたわけです。それ以外の団員にその行動が割れてないかつ、その行いの周知もされてないってことは、現状僕らは未だ黒円卓の一員であるってことだね。それを踏まえて、ヴァルターはどうする?」

「色々と思う所はあるが。俺の、ハイドリヒを阻むという目的は変わってないよ。とはいえ、あいつがグラズヘイムに登った今、現世の団員と敵対した所であいつの降臨が先延ばしになるだけだ」

「次のスワスチカが満ちるまで待つかい?」

「まあ、そうなるな」

 極めてシビアにそう結論する。

 彼は、決して正義の味方ではない。

 国の軍人として血を啜った身分が、黒円卓の暴虐に憤るなど今更な話。

 ただ、その先にあるさらなる脅威のために、彼はここにいる。

「じゃあ、戻る? 戻らない?」

 現状、失踪及び暫定死亡扱いのヴァルターの立場は宙に浮いている。

 このまま戻らなくてもいいし、戻ってもいい。

「戻らない。俺はその時まで消える。それが一番いい、誰にとってもな」

「だろうねえ」

 戻った所で監視の目が増えるだけ。

 なら、そのままのほうが都合がいい。

 首領代行、ヴァレリア・トリファは抜け目がない。

 正面切って数十年をやりあうのは時間の無駄というものだろう。

「じゃあ、私も」

 戻らない、といったヴァルターにベアトリスが追随する。

 見失ったものを取り戻した彼女が、ヴァルターについて行かずあんな所に戻る理由はなく、しかしそれは跳ね除けられる。

「あ、ベア子ちゃんはダメ。少なくとも今はね」

「なッ」

「僕が連れ出した矢先に失踪、なんていう形式は少なくとも避けたいんだよ。クリストフ相手にどこまでごまかせるかは分からないけど、極力怪しまれる材料は少ないほうが好ましい。こっちからも流れを誘導しやすいし。そういうわけで、君は諏訪原に戻ってもらうよ」

「む…………」

 正論だった。

 連れ出した矢先消えた、となれば何かがあったと喧伝しているようなもので。

 いわんや、追跡網が構築される恐れもある。

「ま、僕としてはそうだねえ。ヴンダーカンマーの区画の幾つかを隠れ家として提供してあげてもいいよ。君達とはまだまだ縁が続きそうだ。協力しようじゃないか」

 ろくろを回しながらケラケラと笑うアルフレートを、ベアトリスは怪訝な目で見て。

「ナウヨックス少佐」

「なーにー?」

「十歩譲って、貴方が、ヴァルターさんに味方することについては、信じます。けれど、聞いておきたい。貴方は、一体どういうつもりでいるんですか?」

「…………」

 そして、切り出す。

 アルフレートは押し黙った。

「快楽主義の愉快犯なのは百も承知ですが、それでも。何か、あるんじゃないですか?」

 無二の相棒、魂の兄弟、とヴァルターを呼ぶ男。

 しかし道化っぷりも度が過ぎれば、その下に何かがあると言っているようなもので。

 それは、あの首領代行にも通じるものがある。

 故に、ベアトリスは聞いた、これまで直接は聞いてこなかったことを。

「……ベアトリス、こいつは」

「ヴァルターさんが聞かないのは、いいです。だから、私が聞きます。何であれ、ここで少佐の答えを聞いておきたい。答えてもいいし、はぐらかしてもいい。私、貴方に対しては分からないままでいいなんて言えるほど甘くないので」

「…………」

 ヴァルターはアルフレートに対して、甘い。

 正確には、事が起きてもかまわない、とさえ思っている。

 想像よりも遥かに、彼はアルフレートを許し過ぎている。

 許す、ということに関して、ヴァルターのすべてを許したベアトリスの言えたことではないかもしれないが、それでもベアトリスは声を上げて。

「…………にひ」

 それに、アルフレートは小さく笑った。

「いいね、それでいい。それが君の役割だ。ヴァルターじゃ出来ないことだろう」

 アルフレートは椅子を降りて、ベアトリスに近づく。

「そうだね、君の現状認識に際して一つ、言えることがあるとすれば」

 そしてその肩を叩き、耳元に顔を寄せ。

「…………」

 小さく、何かを呟いて。

「!!! 貴方は……」

「じゃ、今日のところはお開き。二人共寝てた割に恐ろしく消耗してるみたいだし、暫くは安静安静。力を取り戻すことだね。……僕も吹っ飛んだ部屋を直さないといけないし」

 そして、背を向けながら手を振り、出て行く。

「…………」

 それを、ヴァルターはただ見送って、ベアトリスは険しく見送って。

 その言葉が、囁かれた言葉をベアトリスは頭の中で反芻する。

「……ナウヨックス少佐。どういうつもりですか」

 黒の夜明けは来たり。

 しかし、月は未だ光を知らない。

 

 

 

 

「さて、これにて一区切り、ってところかな。今回は」

 ヴンダーカンマー、そう名付けられたアルフレートの基地は、広大にして観測不能。

 幾多もの区画に分割され、その全貌を知るのは今は彼のみ。

 来賓用の区画は勘気のままに暴れた戦乙女によって焼け焦げたが、本当に重要な部分は秘匿されたまま、侵入さえも許してはいない。

 思考に働きかけ存在すら認識的ない道を、アルフレートは進む。

 合間の扉に銀時計を掲げ、その封を解いて、深く、深く、深淵へと。

「ふ、くっくっくっく」

 辿り着いた部屋は、暗がりの中に水の光のみがぼんやりと漂う場所だった。

 人一人を収容できる程度の大きさのカプセルが、暗がりの中にあって確かに駆動していることを証明するように、歯車の音と蒸気の音を鳴らし点滅している。

 アルフレートは、その隣にあるコンソールを叩きながら、

「チク・タク、チク・タク。ああ、今宵も時計の針は進む」

 鮫の如き笑みを浮かべ、冒涜の口上を呟く。

 チク・タク、チク・タク、イア・イア。

機関(エンジン)異常なし。機関(エンジン)異常なし。我らの願いは正しく進み続けるだけ」

 カプセルが、開く。

 水の引く音と蒸気の漏れ出る音、封じられていた境界が開いて。

 その奥にいる何者かが見て取れる。

「再起動を確認。調子はどうだい? 哀れな僕の親指くん」

「……相も変わらず。最悪の気分だよ。ナウヨックス」

 カプセルの奥に横たわっていたもの。

 それは、男だ。

 猛禽の如き目を持った、長身の男だ。

 男は眠たげに、憎々しげに、アルフレートを横目で睨む。

「ひひっ、君が完成していれば、時間牢獄に帯同するのも面白いと思ったんだけどね。どうやらまだまだ出番は先らしいよ、運命じゃなかった、ってことだろうねえ」

「…………」

 愉快、愉快。

 アルフレートはそのような面持ちで男を誂う。

 男は、憎々しげな視線は崩さないまま、それに応えない。

「カプセルの中でしっかり見ていただろう、聞いていただろう。どんな気持ちだい? 積年の想い、君がこうして恥を晒している原因が、ああも掠め取られてしまった感想は」

「黙れ」

「そう、なんてったって彼女は君の――」

「喚くな」

「つれないねえ」

 その腕は動かない。

 その足は動かない。

 しかしその瞳だけは、視線で射殺してやろうと言わんばかりに歪む。

 冷え切った肉体の中に激情を宿す男が。

 最早、人間ではなく、鋼鉄となってしまった男だ。

 あの日、そう、ベルリンが燃えたあの日に。

 忌まわしい時計の響きに絡め取られ、不運にもそれを見られてしまった男だ。

 今や時計の針に触れる親指でしかない、滑稽なる記憶(メモリー)の男だ。

「さて、とはいえ君が動けるようになる日も近い。祭りは逃したものの、この腐るほどある数十年の一年も無駄にする気はなくってね。色々と働いてもらうよ」

「ふん。俺に拒否権などないだろう」

「まあね。嫌なら錆に還ってもらうだけだし。それに、君は拒否なんてしないだろう?」

「…………」

「君的に、どうだった? 今君はどんな気持ちでしょう?」

 男は、安堵と、憤怒を抱えて。

 それをあらゆる全てにぶつけながら、抱えて。

「……俺は、見た。確かな輝きが、まだそこにあったこと。あれが、まだ堕ちきっていないこと。そのきっかけとなったのが、あの男であること。ああ、未だ希望はあった。そしてそれ以上に、許せんよ。それが、俺ではなかったことに。そして、あれが魔の道をゆくことは変わらないことに」

 その怒りは、誰に向けられたものか、それとも自身に向けられたものか。

「矛盾だ。今や同じ穴の狢に堕ちた俺が。堕ちてしまったからこそこのようなことが頭をよぎる。この忌々しい、体のうちを巡る機関の音。いっそこの手で心臓をえぐり出せたなら、どれほど楽になることか」

 ぎ、ぎ、ぎ、とその両手を掲げる。

 そこにあるのはヒトの肌の色ではない。

 鈍色の、鋼鉄の色。

「今なら未だ、間に合うよ? 君のお陰で生体の機関人間(エンジン・ヒューマン)化技術は安定した。君がダメでも次を探せるさ」

 アルフレートが、問いかける。

「……できない。俺は、未だ、死ねない」

 男は、答える。

 そう答えることを、アルフレートは知っていた。

 だからこそ、選んだのだ。

「全て、全て、貴様の目論見通りだ。俺は死ねない。そして、俺は成し遂げられない。俺の歩みは、今ここで終わってしまった。俺はもう、どこにもいけない」

 鋼の腕。

 嘗て己の全てだった腕は失われた。

 己の存在意義を、既に失っていた男であれば。

「貴様の鋼の導きのみが、俺を動かす。邪悪なる鋼鉄の悪魔よ。貴様だけが、我が魂の残響を、世界に響かせる。そうだろう」

「その通りだ。僕の親指である限り、君は成し遂げることができるだろう。鋼鉄に焼き付いた影の分際が、その証を刻めるのさ」

 それを拾い上げたの例え悪魔であろうとも。

 ただそれだけが、男を動かす。

 それを分かっているからこそ、アルフレートは笑う、笑う、嘲笑う。

「世界を諦めたものにこそ、黄金螺旋階段の先に辿り着く権利がある。さようなら、そしておめでとう。お誕生日おめでとう。そう、君は見るだろう。嘗て君が夢見たその続き、嘗て君が夢見なかったその続きを」

 ははは、はははははは、げらげらげら。

 その諦めが、何と心をくすぐることか。

 潤滑油が流し込まれたかのように、止まらない、止まらない。

 否、それは。

「だが、貴様は」

「んー?」

「貴様は、どうする」

 その様子を、男は見て。

 問いかける、先ほどとは逆に。

「邪悪なる鋼よ。貴様が友と呼ぶ、あの男」

 問わねばならない、決定的な部分があった。

 この、正気と狂気の狭間をたゆたう男に。

 魂など、友情など、幻の如く揺らめきながら、未だそれを守り続ける男に。

「殺すのか」

「…………」

 アルフレートは、即答しなかった。

 即答、できなかった。

「……さあ?」

 呆けるように、絞り出すように、出てきたのはそんな返答で。

 その瞳をガラス玉のように、人形めいた振る舞いでアルフレートは。

「分からないな、分からない。今の僕がもうだいぶおかしくなってることは分かってる。ルフランが起こる度に、時計の針をこの身のうちに取り込む度に。僕の心の中にある狂気に、歯車が噛み合っていく。既知感、そう、既知感だ。双首領閣下たちのいうそれとは大分違う自覚があるけれど。世界を壊したいという原初の思いと、あいつを見続けていたいという思いが全部全部ないまぜになっていくんだ……」

 その表情がぶれていく。

 アルフレートが、他者になど絶対見せようもない、ただ傍らにあるのが鋼だからこそ、鋼でしかないその男はそれを見る。

「ああ……僕は逃れられない……理屈じゃない、もうひとりの僕……ヴァルター、ヴァルター、こんなにも君に手を伸ばすのに。今や、君を殺したくてたまらない!!! 全てを成し遂げるであろう君を殺した瞬間、僕はどうなるんだろう!!! そう思う僕がいる!!!」

 その瞳、右の瞳が真っ赤に染まり、双頭の蛇が顕れて。

 カドゥケウスの赫眼が、狂気のままに煌めいて。

「僕は逃れられないのか! 水銀卿、高くある君の言葉から! 果たしてその男は裏切りの宿業をどこに持っていくのか! 興味深いとは思いませんか!!! ははは、はははははは、げらげらげらげらげらげら!!! 分からない、分からないなあ!!! あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは」

 その狂気を聞き届けるものは、今は、未だ。

 アルフレートと、男のみ。

 今は、未だ。

「滑稽かな、滑稽かな! そんなものさ、君も、僕も、全て、全て、あらゆるものが! そうだろう、哀れなる■■■■■■■■■君!」

「……哀れな。哀れな男だ。蛇に魅入られた男、最早、その毒を抜くことは出来まいよ」

 

 

 ヴンダーカンマーⅡ 明るみと暗がりの狭間にて アルフレートの、

 

 

 

 

「トバルカインが壊れたあ?」

「ええ、まあ。死体ですもの、いつかは壊れるわ。これまでメンテナンスで持たせてきたけれど、これ以上は無理ね」

 素っ頓狂な声を上げるアルフレートに、リザは淡白に答える。

 聖槍十三騎士団黒円卓第二位、トバルカイン。

 黒円卓の聖槍(ヴェヴェルスブルグ・ロンギヌス)の担い手にして、魂を喰われた櫻井武蔵の成れの果て。

 死人となって尚聖槍に喰われ続け、その死体をリザ・ブレンナーによって操られる肉人形。

 その力のみであれば現世に残留した騎士団の中でもトップクラスだが。

「私のメンテナンスで劣化を限りなく抑えることは出来ても、無にしてるわけじゃないわ。使えば使うほど痛むし、修復はされない。この間、とうとう体幹部分に致命的な亀裂が入ったの」

「じゃあ、トバルカインはどうなるの?」

「壊れたカインのことを言っているのなら、もう終わり。次のカインのことを言っているのなら、貴方も分かっているのではなくて? アルフレート」

「櫻井一族の誰かに、呪いが移るって?」

「ええ、今のカインが決定的に壊れた以上は。今の肉体を破棄次第、次の所有者を探し始めるでしょうね。あの呪いに相応しい血と渇望を兼ね備えた、誰かを」

「ふーん……」

 現在の櫻井家の状況を顧みれば、選ばれるであろう存在の目星もつく。

 その中に年若い少女さえも含まれていることに、リザは憐れみつつも何もしない。

 カインの贄となる誰かに思うことなど、ない、あってはならない。

「…………」

「……何?」

 アルフレートがじっとリザを見つめる。

 その研究対象を見つめるかのような素朴な顔をリザは居心地悪くも見つめ返す。

「ねえねえバビロン」

「だから、何? 貴方今度は何を企んで」

「壊れたっていうトバルカイン、見せて」

「はい? 一体どういう」

「いいからいいから、何ならクリストフを連れてきてもいいよ。疚しい所は何もないからね」

「…………」

 にんまりと笑うこの男の言う通りにしていいものか。

 リザは、アルフレートとは黒円卓に入る前からの間柄だ。

 レーベンスボルンに出入りする諜報員の一人、怪人。

 その企みがあらゆる者の利となり、あらゆる者の害となる、そういう人物だ。

 道化のような振る舞いをされると絆されそうにもなるが、基本的に味方であろうと心を許してはならないタイプの存在だ。

 しかし、リザから見て今のアルフレートに何らかの邪念は感じず、またヴァレリアが帯同しても構わないとまで言っている。

 それを顧みて、結論を出した。

「……まあ、いいけれど。わざわざ壊れた死体を見たいだなんて、悪趣味ね」

「バビロンが言えたことじゃないね。ひひ」

 懐から地下室への鍵を出し、先導する。

 教会にあるまじき、暗がりの地下。

 トバルカインを幽閉する地下牢があるそこへ、リザとアルフレートは向かう。

「で、一体何をするつもりなの」

「まあ、それは見てから決める。ダメかも知れないしね」

 土の下、湿気の満ちる道を二つの靴音が進む。

 カツ、カツ、と暫しそれだけが響いて。

「ここよ」

 そして、辿り着く。

 その鉄格子にかかった鍵を開け、中に入ると。

「わぉ」

 巨大な、死体。

 否、それを死体と言っていいものか。

 肉から何もかも、歪み、捻じれ、おぞましい怪物となった肉の塊が。

 腹部に大きな亀裂の入った肉の塊が、そこに倒れ伏していた。

「見ての通り。後はもう朽ちるだけ。四肢を繋ぎ止めても、要がなければ意味は無いわ」

「……んー」

 その悍ましき死骸、トバルカインに、しかしこの場にそれを物怖じする者はいない。

 アルフレートは気軽にそれに近づき、ごろりとひっくり返す。

 不用意に胴体を叩いたり、腕や足の具合を確かめているようだった。

「ねえねえバビロン。確認するんだけど、今のカインは『完全に壊れた』んじゃなくて『もうすぐ壊れる』って状態だよね。次動かしたら腹部の亀裂から崩壊していくけど、両腕両足その他もろもろは肉体的に見れば破損はない」

「そうだけど……そんな事実に意味はないわ」

「いや、これはこれは……」

 もう一度、トバルカインをひっくり返し、亀裂の中を覗き込む。

 透明な視線がその内部を見透かしているような、そんな雰囲気さえ感じられる。

 やがて、アルフレートが悪い笑みを浮かべて。

「ねえバビロン。君の能力だけどさ。死体を操るって、厳密にはどこまで死体なんだろうね」

「どこまで?」

「そう。例えば事故で四肢を失った人間の死体があるとして。生前そいつが用いていた義体が仮に、仮にだよ? 本物の手足そのものと遜色なく動かせるものだとして。君の能力は死体の肉の部分のみを動かすけれど、付属する義体も同様に動かせると思う?」

「……操る規模にもよるけれど、私の死体操作は、手足の物理的操作は勿論、生理現象も掌握するわ。仮にそういった機器が存在して、それが人間に動かせるもので、死体に取り付けられてるなら、付随するそれらを扱い機能させることも不可能じゃない。けれど、手足を失った死体、なんてもの自体が論外よ。そこまで損傷してしまった死体に仮に別の手足を付けた所で、すぐに朽ちるわ」

 そんなことは机上の空論だ、とリザは断じる。

 しかしそれを聞いたアルフレートはその笑みを一層悪くする。

「オー。つまり削がれた部分から肉が朽ちるっていう根本的な問題がどうにかなれば行けるわけですね。これは楽しくなってきましたよ」

 トバルカインの髪を掴み、持ち上げる。

 その醜悪な顔に何かを期待するように。

「ねえ、この壊れたカイン。未だメンテを続けてくれない? 後、メンテについて教えて」

「何を――」

「どうせ捨てる予定だったんだろう? でもさあ、勿体無いと思わない? ひょっとすると、僕はこいつに面白いことができるかもしれない。これが成功すれば、バビロン。君は極めて大きな力を手に入れられるよ。ダメで元々、乗ってみない? これからの便宜も図るからさあ、個人的にね? 貸し一ってことでいいよ」

「…………」

「どうする?」

 その、闇の中でひときわ輝く暗い瞳の奥底に、リザは囚われて。

「私は――」

 そして、彼女は。

「……いいわ、貸し一よ。どうせ捨てるもので貴方に貸しを作れるのなら悪くない。けれど、何をするつもりなのかは、事前に教えてもらうわ」

「もっちろん。何なら研究室に招待しようじゃないか。最近丁度、この手の技術が確立したところでねえ。君と相性が良さそうな技術もちらほらとあるんだよねえ」

「それで、何をするの?」

「そうだなあ……言うなれば」

 

 

「トバルカイン機関人間化計画、かなあ」

 

 

1960年 諏訪原にて グロッケとバビロンと、トバルカイン

 

 

 

 

 拝啓 親愛なる父上、母上、兄上、フォン・キルヒアイゼン家に仕える皆さん

 

 戦火を越え、年が明け、どれほどの時が流れたでしょうか。

 卑しくも、私は今丘の上で皆のことを想っています。

 これが手紙にしたためられることは、ありません。

 不肖の娘が、皆には若い身空で戦死したと伝えられた娘が。

 人であることを捨て、魔人となった私が、今更どの面下げて会いにいけるでしょうか。

 ですが、今強く生きていてくれた皆のことを遠くから見守りつつ、思うことを許して下さい。

 

 私、ベアトリス・ヴァルトルート・キルヒアイゼンは生きています。

 卑しくも、それでも、生きています。

 誇りを捨て魔道に走った私を、皆は軽蔑するでしょうね。

 その通りです、あの日、ベルリンで同胞を屠った私は、許されざる何かで。

 ヴァルターさんが、親衛隊諜報部が筆跡や家紋の偽装までして皆を説得してくれなければ、私はキルヒアイゼンの家の皆さえも、この手にかけるつもりだった。

 地獄の深さに、程度などありましょうか、そんなものは、ありません。

 例えあの悪鬼共の手にかからなかったとしても、どうしてそれが救いとなりえるでしょうか。

 

 どうかしていたのです。

 私は、魔の道に触れて、心まで腐り落ちようとしていた。

 こんな言い方、まるで今は目が覚めたみたいな言い草で卑怯ですね。

 父上や兄上に聞かれたら、ひっぱたかれること間違い無しです。

 けど、それでも、そう言いたかった。

 私は、私という人間が死に切る前に、引き返せたんだって。

 そう、信じたいから。

 

 父上、母上。

 私、好きな人ができました。

 愛する人が、できたのです。

 あの人を救うために、走ることができた。

 誰に恥じ入るものもなく、剣を振るうことができたのです。

 もう、ずっと前から、手遅れだと思っていたけど。

 この手が、血を啜ることなくあの人を救えたから、信じたくなるのです。

 私は未だ、ひょっとすると、誰かの為に戦えるのかもしれないって。

 

 だから、未だ諦めません。

 ヴィッテンブルグ少佐のことだって、諦めません。

 光に手をのばすこと、諦めません。

 見掛け倒しで大分いい年になってきた不肖の娘ではありますが。

 父上、母上、どうか、私がもう一度、騎士を目指すことを許して下さい。

 皆が生きていてくれたことを、ここから喜ぶことを許して下さい。

 

 そして、もしも、全て、全てが許されるのなら。

 私が、私を許すことができたのなら。

 いつか、皆と、また。

 会いに、行ってもいいでしょうか。

 ……なんて、都合が良すぎますね。

 

 だから、今日はここまで。

 ベアトリスは、今も皆の健やかなることを祈っています。

 どうか、どうか、お元気で。

 

 敬具

 

 

 

 

 

「もう、いいのか」

「はい。今は、これで。きっと、また来てしまいますから」

 風吹く丘の上、夜も深く月の光が地上を照らす中。

 眼下に戦火を凌ぎ復興するドイツの街の一角を、二人は眺めていた。

 街に向け手を合わせていたベアトリスが、ヴァルターに振り返る。

「今日は、ありがとうございました。個人的な用事につき合わせてしまって」

「いーよ。暇だったし。もう軍属じゃないのにな……早起きの習慣が抜けきらないんだ。一度くらい自宅でダラダラしてみるってのもいいんじゃないかと思うんだが」

 ぼんやり草原の向こうを見つめるヴァルターの顔は、何か途方に暮れているような、軍人だった頃には見せなかった表情で、ベアトリスは見ていて不思議な気持ちになった。

「……想像できませんね。だらけてるヴァルターさんなんて。らしくないというか」

「結局、人生の大半はああして生きてきたって事実は変えられない。けど、まあ。これだけ時間があれば『らしさ』なんていくらでも変わるだろ」

「ヴァルターさんは、変わりたいと思ってます?」

「…………さて、そこの所は未だ分からない、が」

 変わるもの、変わらないもの。

 嘗てヴァルターはかくあるべしと己を定めた、不変の正道を歩んでいた。

 それが、最も善き道であると信じたからだ。

 そして今も、それを否定しているわけではない。

 己を貫くのであれば、あやふやで気が多いような真似は慎むべきだろう。

 けれど、彼女が。

「例え変わっても、見ててくれるんだろ? なら、やってこなかったこと、やってみてもいいんじゃないかって。嫌か?」

 正しくなくとも、分からなくとも、それでもいいと、そう言われた。

 その時、不要なまでに雁字搦めに縛り付けた何かが、確かに緩んだ。

 それを、救われた、と表現するのなら、自分は今までやってこなかったことをしてみてもいいのではないか。

 そんな想いを彼に抱かせた戦乙女は、口をへの字に曲げて。

 それでも瞳は決して陰らずに。

「驚きます。いきなりなら困りもします……でも、嫌では、ないです」

 何時かと同じ答えを返すベアトリスの姿に。

「はは」

「あ……」

 ヴァルターが、小さく笑って。

 ベアトリスが、それを見て、頬を染めて。

「……ええ、はい。貴方が、そうやって全然見せてくれなかった笑みを見せてくれるなら、悪いことではないと思いますよ。自堕落に向かおうとするのはどうかと思いますけど」

「それ、お前が言うか?」

「訓練してますもん」

 そして、風のままに去っていく。

 いつか、出会うかもしれない誰かに別れを告げて。

 

 

 戦後 故郷にて 拝啓、両親へ

 

 

 




月の胎動その1とその2。
ところでトバルカインとリボルケインって響きが似てると思いません?(妄言)

目覚めたヴァルターさんですが誰てめえレベルで角が取れてます。
こいつね、元々マジで惚れっぽいから。
友情であれ恋愛であれ。
でなきゃナウヨックスを友人として扱うとかできるはずもない。
基本こんな自分のおかしな部分を理解した上でそれでも側に居てくれるやつは大切にしようってくらいの友好ガバガバ判定の男なの。
それがあんな超雷光告白剣とかされてみろよ、落ちるよね(真顔)
野獣先輩閣下は愛の解釈違いで決裂しちゃったけど。


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Fragments:幕間、草の根

リメイクもこれで20話目。
フラグメント小話の寄り集めに戻ると不思議とサクサクかけたので翌日投稿に踏み切りました。
キリがいいのでこのSSもどれだけ成長したかと省みると。
UA40000超え、お気に入り件数700、感想170件、評価数80、総合評価2000超え。
マイナー×マイナー×やばい性癖というSSがだいぶ肥え太ったものです、読者に感謝。
完結で評価数100位を目指して頑張ろうかなと思います。
ただこの感想170件だけね……うち2割程を占めるのがエロガッパ祭りだと思うとなんか無性に悲しくなってくる(真顔)
まあ山無しオチ無しの話書いてる方も悪いのかもだけど、今回もそうだしね。
今回もあまり話の進まないほそぼそとした策謀フェイズです。
後他作品ネタもりもり。

えー今回のフラグメンツは

1:荒川アンダーザブリッジin聖餐杯猊下
2:仮面ライダートバルカインBLACK-RXお披露目
3:貫禄のシュピーネさん

ギャグとシリアス半々になります。



「くっ……まさか、このようなことになるとは。不覚でした」

 ヴァレリア・トリファは大いに動揺していた。

 人の良い神父の顔は表の世を渡り歩く姿。

 黄金の玉体を借り受ける男、聖餐杯、邪なる聖者、クリストフ・ローエングリーン。

 聖槍十三騎士団黒円卓第三位、稀代の策謀家、人心掌握者、ンを抜いた人、その他諸々。

 裏世界からは数々の忌み名で恐れられる男だ。

 世界が恐れる聖槍十三騎士団、その首領代行である男が今、橋の上で動揺に震えている。

 何を恐れるものがあるのか、よもや、彼の真なる主の降臨か。

 そう、ヴァレリアは今……

 

「由々しき事態です……これは由々しき事態ですよ……!」

 

 現在、下着のシャツとパンツを晒した姿で諏訪原の橋の上で仁王立ちしていた。

 日も若干斜めに傾いた、昼間のことだった。

 ヴァレリアは、パンツむき出しで橋の上にいた。

 パンツむき出しで。

「なんということでしょう……教会に帰ろうと橋を渡っていたら、下校途中のエキセントリックな小学生たちにカソックを奪われ、鉄塔の上に引っ掛けられてしまうとは……このままでは、私は変態の烙印を押されてしまう!」

 尚時刻の関係上通行者がいるので、現在進行形で目撃者に変態の烙印を押されている。

 それからリザを始めとする団員たちからはとっくに変態扱いされている。

 しかしヴァレリアはへこたれない、だって聖餐杯だから。

 たとえアルフレートが小学校に混じり邪悪な遊びを教え込んだ結果誕生してしまったエキセントリックな小学生たちの襲撃を幾度受けようと、聖餐杯はめげないのだ。

「聖餐杯は砕けない」

 中天の太陽の輝きが眼鏡に反射する。

 ヴァレリアは今、試練の只中にいた。

「しかし、どうしたものか……早々にあの鉄塔に引っ掛けられたカソックを回収しなければなりませんが、シュピーネが不在の今衆目の只中で人外の動きをする訳にはいかない。一般人の範疇で、あの鉄塔に登るしかありませんか」

 通りすがりの婦人方にひそひそと陰口を叩かれつつ、ヴァレリアは鉄塔によじ登ることにした。

 意外と角ばっているわ表面は滑るわで登りにくいことこの上ない。

 あの小学生たちは流れるような動作でこの塔を登っていたが一体日頃どういうことをしているのか、よもや怪しい薬など摂取させられているのでは。

 ナウヨックス卿を一度問い詰めねばなりませんね。

 そんなことを思いつつヴァレリアは鉄塔を登る。

 そう、ヴァレリアは子供たちを怒らない。

 いくらこの諏訪原という魔境に誕生した通り魔的名物であり、エキセントリックが過ぎる最早小学生という言葉など生ぬるいクソガキ共であろうと、彼にとっては愛すべき子供たちなのだ。

 教会の礼拝にも熱心に参加してくれる子供達をどうして怒ることができましょうか、いやない。

 そんなんだから毎度毎度ターゲットにされているのだが、邪なる聖者だろうと日頃のうだつの上がらなさはどうしようもなかった。

「ふん、ふん、もう少し、もう少しですよ……」

 鉄塔を半ば以上まで登り、風にたなびくカソックが目前に迫る。

 ギシギシと鈍い音を鳴らしながら自身の体重を支えている鉄塔を左手と両足でしっかり抑えつつ、その右手をカソックに伸ばして。

「あ、ああっ!? そんなご無体な!」

 しかし、そのタイミングで突風が起き、鉄塔の先に引っかかっていたカソックが外れる。

 カソックが宙を舞おうとしているのを見たヴァレリアはつい反射的に体と手をぐいと無理に伸ばしてしまい、結果負担がかかった足元から、バキッっという嫌な音が響いて。

「あ」

 自身が足を載せていた、古びた鉄塔の一部が見事に折れた。

 迂闊にも手を離していたヴァレリアの体は慣性のままに鉄塔を離れ空に放り出される。

「ああああああぁぁぁぁぁ…………」

 果たして幸運なのか、不幸なのか、ヴァレリアは橋の地面ではなく、その下、川の中に叩き込まれた。

 魔人的にはコンクリートに叩きつけられても別に平気なのだが、衆目がある中叩きつけられてピンピンしているのはおかしい。

 故に社会的には幸運であった。

「はひぃ、はひぃ、ひ、酷い目にあいました……」

 ざぶざぶと川の水を搔き分け、河川敷に倒れ込む金髪の大男。

 何故か眼鏡だけは流されることなく死守していた。

「わ、私のカソックは……ああ、よかった、そこにありましたか」

 突風で鉄塔から飛ばされたカソックは丁度ヴァレリアの目の前に、河川敷の坂に落ちていた。

 詰まる所数分待っていればこんな目に合わずともカソックを回収できていたのだが、まああの社会死ゲージ急上昇中の身にそれを省みろというのは酷だろう。

「しかし困りました、カソックは取り戻せても今度は我が身が水浸し。このまま服を着ても、いえ、背に腹は抱えられないか」

「…………ヴァレリア…………」

「おお! この声は、いいところに来てくれましたねリザ、何か体を拭くものを……」

 背後からかけられた言葉に反射的に反応してしまい。

 反応した直後、ヴァレリアはあっ、と間の抜けた声を上げた。

「リ、リザ、何故こんな所に……」

「近所の奥方様たちから、おたくの神父様がパンツ姿で橋の上にいるんですが、なんていう信じられない話を聞いて飛んできたんだけれど。これはどういう状況かしらね? ねえヴァレリア」

「あ、あわわわわわわ……これは、これはですね。そう、事故なのです、誰のせいでもない、不幸な事故なのですよリザ」

「ねえヴァレリア、私こういう時、どんな顔をすればいいのかわからないの」

「降りかかる危難に慈愛を以て接するのが、教会の人間のあるべき姿ではないでしょうか」

「変態にかける慈悲はないわ。さようなら」

「待って下さい! せめてタオルを! タオルをお恵み下さい!」

「話しかけないで変態」

 足早に去っていくリザ。

 そのくるぶしを掴みすがりつこうとする変態。

 蹴りを入れるリザ。

 撃沈する変態。

 流れるように淀みのない一連の動作だった。

「ママーまた神父様が変なことになってるよー」

「しっ、見ちゃいけません」

 そんな声が橋の上から聞こえてきて。

「……聖餐杯は、壊れない」

 砂利の上で、ピュアな涙を零す聖人がいたのだった。

 

 

 

 

 教会の地下、黒円卓の会議場にて。

 ヴァレリアは厳かに手を組み、首領代行として団員を見る。

「さて……リザ、報告することがあるそうですね?」

「話しかけないで変態」

 ヴァレリアの腕はずるっと椅子から滑った。

「あの、ホント勘弁して下さい……話を、話を進めましょう」

「うわ、あの話マジだったの? クリストフ、貴方……やるわね」

「何やってるんですか貴方、衆目の中パンツって……」

「ヴァレリアくんってホモだったんだね」

「そこ、さり気なく謂れなき烙印を押そうとしないように」

 現在この場に集っているのはヴァレリア、リザ、ルサルカ、ベアトリス、アルフレートの五人。

 ヴィルヘルムは相変わらず戦場荒らしに精を出しているし、シュピーネは資金繰りのため米国に飛んでいる。

 今回は全団員を招集する急務ではないため、その場にいる面々のみでの会議だった。

「んんッ!!! 私のことはどうでもいいでしょう。ええ至極どうでもいい、今回の主題はリザの報告にあるのですから、そうですよね! では私の話はもうやめましょう、ハイ、やめやめ!」

「そうね、変態の言うことも一理あるわ。話を進めましょう」

「まあ、変態でも尊重してあげるのがゲテモノ集団黒円卓のいい所? って感じだし」

「変態ですが正論ですね」

「皆! 変態が何をしたっていうんだ! 生まれが変態だからって、彼も同胞なんだぞ! 話を聞いてあげよう! 名前からンを抜くなんて、中々できることじゃないよ!」

「もおおおおおおおおおおおお!!! はいリザ、報告どうぞ!!!!!!」

 ヴィルヘルムかシュピーネがいれば話は違ったが、この場に集ったのは女性陣ばかり、アルフレートもそちら側。

 普段の鬱憤晴らしのようにいじられるヴァレリアは遂にキレた。

 みっともなくキレて無理矢理話をすすめることにした。

 聖餐杯は壊れない、壊れないったら壊れない。

「正確には、私とアルフレートからの報告、なんだけど。彼との共同研究に目処が立ってね」

「それは……もしやいつか話していた、トバルカインの改造についてですか」

「ええ」

 トバルカインの名が出たことで、団員の表情が切り替わる。

 厳かになるものもいれば、興味深いと笑みを浮かべるものもいる。

「あくまで実験作、という扱いだけど、一応まともに駆動させられる段階まで進んだから。一度見てもらおうかと思って」

「渾身の力作だよ」

「ふむ……」

 朽ちて崩壊しそうだったトバルカインをアルフレートの機関改造で復帰させる。

 それ自体は興味深いものだった。

 ヴァレリアにとってはいくつかの懸念事項があり、それこそがアルフレートの狙いなのでは、と思いもしたが、彼についてあまりにも情報が少ない今、悪手にならない程度には動かしたほうがこちらとしても動向を把握しやすいため、それを許した。

 許可を出してから一年ほど、異端の技術にとってそれは早いと言うべきかやっとと言うべきか。

 否、数十年を目処に謀を構築している身にとっては氷山の一角、と言えるものだろう。

「もうここに連れてきてるから、何時でも見せられるわよ」

「ほう、では、お願いします」

 リザが前髪をかきあげながら息を吐き、アルフレートが不気味に笑う。

形成(イェツラー)

 リザの座る席の背後に、黒い仮面が現れて。

 それを中心に形をなしていく。

 青褪めた死面(パッリダ・モルス)

 リザ・ブレンナー=バビロン・マグダレーナが保有する、死体を操る聖遺物。

 その仮面から、第二位たる巨躯の死骸が現れる。

 本来なら、その筈だった。

「あら?」

「これは……」

 しかし、出てきたのは団員たちの予想に反するものだった。

「……コォォォ……コォォォ……」

 それは、全身を黒い鋼で覆った、中世の騎士の如き存在だった。

 そのおぞましい成れの果ての肉は鋼に覆われ、見通すことは出来ない。

 仮面の隙間からは何やら呼吸音のような、排熱音のような音が漏れ出ている。

「どうよ、イカしてるでしょ。僕らの設計したトバルカインBLACK-RX・プロトタイプは」

「……アルフレート。そのネーミングはどうも受け付けないって言ってるんだけど」

「えー何で。かっちょいいじゃん」

「コォォォォォォ」

「ほらカインくんだっていいセンスだって言ってる」

「言ってるわけ無いでしょ」

 そのあまりの変わりように一同驚いていたが、気を取り直す。

「ねえバビロン。それって本当にトバルカインなのよね?」

「疑問に思うなら黒円卓の聖槍(ヴェヴェルスブルグ・ロンギヌス)を取り出させてみる?」

「いえ、気配というか、魂の質でそれがトバルカインなのはまあ、分かりますけど……」

 ルサルカもベアトリスも、外見から判断するまでもなくその腐敗しきった気配から判断はついているが、それでも聞かずにはいられない様変わりの仕方だった。

「変わりすぎでしょって? そりゃあ私もこんなことになるなんて思わなかったわ。でもアルフレートがね……」

「せっかく改造するのに欠陥部分を補完するだけとかないでしょ。僕の美学に反するね」

「こんな調子なものだから」

「いえ、まあ、それで問題ないならいいのですが。問題の性能の方は?」

 ヴァレリアがもっとも重要な部分を問う。

 詰まる所、トバルカインの役目はどこまで行っても兵器でしかない。

 意思無き死体は黄金錬成を分かち合う同胞ではなく、策謀を以て出し抜く相手でもない。

 ただ暴力装置として強力にあればいい、単純な手駒。

 そこに付随する櫻井の人間に利用価値はあるが、カインそのものについてはその程度。

「今のところ、試験用だから未だ完全とは言い難いけど、確実に後何度かの運用には耐えられる。それに……」

「僕の鋼鉄(クローム)を完全に肉に癒着させた。単純な強度は飛躍的に上がってるよ。いやあ、生きたエイヴィヒカイトの使徒じゃないから改造し放題で楽しかったね」

「アルフレートが接続した機関技術は、トバルカインの生体部分の反応から駆動するように調整されているわ。その駆動方法は私が熟知しているから、仮面を通じてそのポテンシャルを十全に発揮させられる」

「形成フィジカル面の戦力向上は当社比五割増しと思ってくれていいぜ。いやああまりに楽しい仕事だったから色々気合入っちゃったよ」

「へえ、そこまで言い切るの。これは本物っぽいわね」

「……死肉に鋼鉄をねじ込んで強化するなんて」

「貴方まーだそんなこと言ってるの? 今更っていうか、青いっていうか」

 ルサルカが楽しげに目を細め、ベアトリスが嫌悪感を示す。

 各々思う所はあるものの、しかし確かにそこにある以上変えるべくもない現実であって。

「ふむ、ではその実力の程は機会があれば振るってもらうこととして。私としてはもう何点か確認したいことがあります」

 ヴァレリアが表面上は朗らかに、次の話を切り出す。

 今のこの状況から起こり得ること。

 この行いに果たして何の意味があるのか。

 そして、意味があるのだとすれば。

「トバルカイン……櫻井武蔵の肉体が持ち直した。ということは、黒円卓の聖槍(ヴェヴェルスブルグ・ロンギヌス)の次代への継承は行われないのですか?」

「それは……」

 若干言い淀むリザの代わりに、アルフレートが口を出す。

「研究がてら、ちょっとした検証を行ってみたんだけどね。結論から言うと、未だ起こらないってことになるかな。今のカインの肉体は機関と特殊な培養液の循環とかで維持してるわけだけど、それが朽ちきらない限りは、今のカインの肉体が続いてるって、槍は認識するみたい」

「ですがあの聖遺物の真骨頂は次代へと継承し、取り込むことにあります。カインを維持する方法が見えたのは喜ばしいことですが、今のまま完全に維持されても、次がない」

「ヴァレリア、貴方はッ」

「何です? 私は何か間違ったことを言っていますか? リザ」

「…………」

 ヴァレリアの冷徹な目がリザを捉えて。

 声を上げかけたリザは、押し黙る。

 そう、何も間違ってはいない。

 そうした方が、トバルカインは強くなる。

 この数十年があればもう一代、ひょっとすると二代は取り込めるかもしれないのだから。

「心配しなくてもいーよ、これは試験作だ。完全維持とはいかない。実働データを取って改良することにはなるけど、完成版ができる頃にはこのカインは朽ちるさ」

「ほう、では」

「暫定の本命は次のカインになる。その時に換装の幅を広げた真作を纏わせる予定だから。自信作とは言えプロトタイプ、これは破棄前提の捨て石さ。もし僕の才能が爆発しすぎて完璧な維持装置を開発できちゃっても、代替わりの頃合いに捨てちゃえばいいだけでしょ? そうだよね」

「なるほどよく分かりました。ありがとうございます」

「どういたしまして。ニヒッ」

 温和に笑うヴァレリアと、いたずら気味に笑うアルフレート。

 その会話の内容が外道畜生の予定表でなければ、それは微笑ましいものだったろう。

 しかし、この黒き席が並ぶ中において、そのような平和はありえない。

 安らかな日常は教会とともに地上においてきたのであれば、そこにいるのは悪辣な敏腕を振るう魔人に他ならないのだから。

(さて……一体どこからどこまでが狙いなのやら。扱いづらいですねえ)

(ふーむ。ギリギリ誤魔化せるかな? とは言えその時が来ればまずいか。世知辛いねえ)

 悪魔の頭脳が二つ、面従腹背の様相を呈していた。

 

 

1961年 諏訪原にて ヴァレリア・トリファの思考

 

 

 

 

「……何時かこの日が来ると、少なからず考えていましたよ、私は」

 アメリカのとある企業、ビルが犇めくうちの一つ、その最上階にて。

 蜘蛛の如き男が、上質な椅子に座りつつも緊張の面持ちで対面の男に言葉を投げかける。

 それはまるでその時が来るのは分かっていた、しかし恐れてもいた。

 死の国から舞い戻ることを約束された悍ましき存在達に似た、しかしそれよりかは遥かにマシな存在ではあった。

「そうだな。だからこそ俺もこうして先ずお前に接触しに来た」

 こうして彼の、シュピーネの眼の前にいる男は、嘗ての同胞であり、上官であり、消えたはずの人物だった。

 あのナチスドイツにおいて研究所から拉致されゲシュタポの雑務に走っていた自分が、将軍殿(ヘル・ゲネラール)と呼んでいた有能にして無謬の男。

 自身が代行として、その椅子を頂いた男が。

「ええ、お久しぶりです、シェレンベルク卿。貴方が生きているであろうと、そう確信していたのは間違いなく私とナウヨックス卿だけでしょう」

「十三号室が機能していた頃から一番近くで俺達を見ていたのはお前だ。そういう意味では、相容れずとも一定の確信には至っていると思っていた、お前ならな」

「恐縮ですねえ」

 ヴァルターの視線から、シュピーネは僅かに顔を逸らす。

 改めて、覚悟はしていたものの顔を合わせると表情が引きつりそうになる。

 黒円卓に列席する前からあの仕事中毒者たちと愉快犯には散々こき使われたものだった。

 今となっても逆らおうとするビジョンがさっぱり浮かばないのだ。

「まあ、そう慌てるな。お前を詰りに来たわけじゃないしな」

「それは……まあ、そうですが」

「故郷を離れ、諏訪原を開拓し十年も過ぎたか。充実してるみたいだな。元々こういうのが好きだろう、お前。財を積み上げる行為そのものを楽しめるやつだったからな」

「ええそれはもう……好きな時に飲み、食い、遊び、奪う。誰に憚ることもなく、今は厄介な上官や恐ろしい双首領もいな……ハッ!?」

 つい文句をポロッと出してしまい、息を呑む。

 ヴァルターが何やら自分を理解しているような面持ちでゆったりと声をかけてくるものだから、緊張も相まって本音が飛び出してしまった。

 忘れているつもりはなかった、しかし油断は引き出されてしまった。

 七色の顔を操る演技の達人、その技量を久しく見ることがなかったため、それに引っ掛けられてしまった、とシュピーネは思った。

「落ち着けよ、それでいいんだ。俺はその反応を期待してたし、待っていたんだからな」

「それは……」

 呆れたように、小気味がいいと僅かに顔を伏せ笑みを浮かべる。

 それは対外時にヴァルターが使用する仮面の一つであった、その筈だった。

 しかしシュピーネはそこに違和感を持つ。

 ヴァルターの演技力は完璧だ、そこに疑う余地はない。

 しかし、その振る舞いから一種の完成された小綺麗な感覚が僅かに抜けているような。

「さて。挨拶もほどほどに、緊張しっぱなしも何だし本題と切り込もう。あの日、メルクリウスから俺がベルリンの作戦に不参加だと通告されたらしいな?」

「ええ。ですが大方違うのでしょう? 思うに、ハイドリヒ卿と敵対することが確定していた貴方は、すでにあの作戦の概要を掴んでいた。そして――」

「ああ、邪魔するつもりだったよ。具体的にはスワスチカの一つを破壊するつもりだった」

「何と……そのようなことが可能なのですか」

「ああ。メルクリウスの邪魔立てがなければ間違いなく可能だったと断言する。隆起状態から直ぐである必要はあったがな」

 その言葉に、シュピーネは顔を歪める。

 歪める感情は恐怖であり、呆れであり、そして、同時に一抹の歓喜でもあった。

「……思った通りだ。シュピーネ、お前、もうハイドリヒに従うつもりがないな?」

「なッ……、ふ、ふふふ、ふふふふふふ。そうですね、私が貴方を知るように、貴方も私を知る。でなければ私が貴方の代行としてこの席に座ることはなかった。ええ、ならば、否定はしませんよ。戦争を終え、権力の椅子につき、この十年は順風満帆だった。そしてこれから先も。諏訪原の地が満ちるまで、私は決して失敗することなく、この地位を高めていけるでしょう」

「双首領は恐ろしい。だが、機があるとすれば次しかない、そうだろう」

「ええ、ええ、その通りだ。その通りですとも。ですが!」

 シュピーネは意図的に声を荒げ、勢い良く頭を振るう。

 これだけは、これだけは決して譲れない一線であると。

「シェレンベルク卿。貴方もあの黄金の獣の愛を許さないという渇望に動かされるものであれば。貴方の行く道が絶対的な保証の下成就するという確信がどこにありましょうか。貴方の言うことは分かりますよ、ハイドリヒ卿を退けるため、秘密裏に協定を結ぼうと言われるのでしょう」

「話が早くて助かるね。その通りだ」

「ならば、私としては――」

「保証はない」

「……何ですと?」

「保証はないが、俺はお前を拘束するつもりはない。多くを伝えるつもりもない。ただ、権利を与える。もしその時、俺が勝利しうると判断した時、俺につく権利をだ」

「…………」

 その言葉に、シュピーネは絶句した。

 鋼鉄の、氷の、第二の獣とすら形容されるあの将軍(ヘル・ゲネラール)から、出てこようもない言葉が飛び出してきたからだ。

「先ずは俺がコソコソ隠れ住む必要がないコネを、各国を渡り歩ける足と身分があればいい。戦前俺自身が繋げたコネクションもあるが、そちらを使った方がバレないからな。それ以降はお前自身の判断でどの程度協力できるかを決めて行けばいい。最後の最後、決定的なその瞬間まで。お前は選ぶことができる。己が生きるための道を。その時まで一切を懐に覆い隠している限り、俺は契約を守る」

「……驚いた、驚きましたよ。貴方とも長い付き合いだ。それ故に私の性質を分かっているはずだ。その私に。貴方は義理と信条で契約を結ぼうと仰っている。このロート・シュピーネに」

「そうだ。だがお前はこの話を受けるだろう。これが最善の道だと理解できるからだ」

「……ヒヒッ」

 その歪んだ笑みから放たれた言葉に、シュピーネも同じように口を歪めて笑った。

「いいでしょう、いいでしょう。私は貴方の存在を口外しない。貴方は私の庇護を受け、来るべき時まで潜伏し続ける。その代わりに、貴方は私を害さない。私が貴方の庇護を求めた時、貴方は私を守る。そういうことですね」

「いやに答えが早いな。慎重派らしくないんじゃないか」

「とんでもない! ただ、今の貴方に対する最善の行動を取っているまでですよ。今や黒円卓の運営を一手に取り仕切るこの私! それ味方にせんとする貴方の正しさ! そこらの有象無象が持ち得ない要素を武器とし切り込んでくる大胆さ! そして……私が裏切るだけで貴方の全てが終わるという圧倒的な負債を率先して背負おうという愚直さ! 私はそれを面白いと思ってしまったのだから!」

 大げさに身振り、手を振るシュピーネは、しかし早々に興奮を収め。

 その長い手を差し出す。

「では……親愛なる同胞を、歓迎いたしましょう。約束されしその日まで」

「約束されしその日まで」

 その手を、躊躇いなくヴァルターは取って。

 遠く、嘗ての敵国の只中で、密約が交わされた。

 

 

 米国にて 某社社長を訪ねてきたとある男との会話内容

 

 

 

 

「そんなわけで、文化的な生活を手に入れてきたぞ」

「いや、まあ、分かりますよ、分かります、けど言います。よくあれを真っ先に引き込もうとか思いますよね……有能なのは否定しませんけど、生理的に避ける場所でしょう」

「引き込める確信があったからな。ああいう人格を駆け引きに換算するほどの慎重派は、付き合いが長いと逆にやりやすい。何にせよこれで長らくの間、行動の制限がなくなる。俺が和平交渉に出向く傍ら繋いでたコネは万が一監視されてる可能性もあったし、あっちを確認するまでは使用に踏み切れなかった」

「シュピーネに対しては色々、何であんなのととか思う所はありますけど。まあ、警戒する余り隠遁生活みたいな真似を数十年続けるのは辛いですよね」

「俺はともかく、お前に付き合わせるのも何だし……な」

「……この人は要所要所でそういうことを言うようになって……たち悪いですよ」

「……悪いか? なら、やめる」

「……前言撤回、悪くは、ないです。ただ、びっくりします、困りもします」

「その言い回し、気に入ったのか?」

「貴方がそういうことばっかするから言うんじゃないですか」

 

 

 




エキセントリックな小学生たちはナウヨックスによる特殊な遊び(訓練)を受けています。

大っぴらに活動するにあたりシュピーネさんを味方につけるのは急務だった。
彼が協力してくれるだけで黒円卓に怪しまれることなく現世を謳歌できるんですよ。やばいわ。


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Fragments:Song to the Witch

今回の話はノベル版Dies irae Song to the Witchの読了が前提です。
読了してない人は一体全体どういう状況なのか全くわからないと思われますがあしからず。
これはフラグメントだから最低限の描写しかしないんだ。

さて、それはともかく。こちらとは関係有るようなないような話になりますが。
なんと、ベアトリスR18SSの寄稿を頂きました! めでたい。貴重なベアトリスがまた増えるよ。
某N氏はありがとうございます。
拙作の本編と繋がりはない内容ですが、興味のあるエロい人はR18の方を覗きに行ってどうぞ。



「ムショって聞くと何だか無意味にワクワクするよね。古巣を思い出すなあ。ゲシュタポの拷問係達は中々に理性的にぶっ飛んだ連中だったね」

「そりゃあゲシュタポに比べりゃ辺境の刑務所なんてどこもおどろおどろしさじゃあ負けるでしょ。とは言え、ここも相当だけどね。連合側から蛇蝎の如く嫌われてたドイツの戦犯が収容されてるってだけで、大した憎しみの渦なわけよ」

 イスラエル、ラムラ刑務所。

 幾多の戦犯たちを収容しているこの刑務所は今、音もない襲撃を受けていた。

 夜半、看守たちは一人残らず足元から消えていく。

 薄暗い建物の中に生じる影、蠢くそれが、彼らを飲み込み消していく。

 悲鳴を上げる時間もなく、しかし死の恐怖だけはそこにあって。

 そして首謀者たちは誰もいなくなった刑務所内を悠々と歩く。

「自分たちが優位だと思ってる、そういう連中の末期の姿っていうのは悪くないわ。つまんない枝切だけど、それくらいの娯楽はないとねえ」

 影から看守を、その肉と魂を食らうのはルサルカ。

 そしてその後ろをついていくのはアルフレート。

 肉も魂も喰らわず、しかし確実に別の何かを食らっている。

 彼は魂を喰らわない、喰らうのは。

「負の感情が濃厚なのはこちらとしてもありがたい限りで。マレウスと組んでるとこういう場面に事欠かないから助かるよ、ごっつぁんです」

「ま、私としても損はないわけだし。アルちゃんはギブ・アンド・テイクの関係が上手いから居心地悪くないのよねー」

 感情を喰らう怪物、それがアルフレート・ナウヨックスの特異性。

 彼のエイヴィヒカイトは魂を喰らわない、魂を燃料としない。

 彼の用いるクリッターは、人間の負の感情を喰らうことによりその力を増していく。

 それは困惑であり、嫌悪であり、或いは怒りであり、嘆きである。

 あらゆる負の感情からクリッターは顕れ、その存在強度を増していく。

 人を玩弄するほどその機会には事欠かず、戦時中黒円卓が活動する際もアルフレートは専らルサルカと組んでいた。

 魂はルサルカが、そこから生じる感情はアルフレートがそれぞれ喰らう。

 黒円卓初期、軍属だった頃からの鉄板であり、協力契約だ。

「さて、もうすぐね。アルちゃんにとっては旧友との再会じゃない? 私達にとっても彼は縁深い存在だったし、それなりに感慨深いわねえ」

「まあ、多分そんな変わってないと思うよ。僕らと違って良くも悪くも芯の出来た奴だったからね、歳を経て柔軟になっているにしろ強固になっているにしろ。何にせよ、今回は拷問じゃなくて談話の出番だって意見は変わらないねえ」

「ふーん……まあ、そこは見てから決めるとして」

 そして、二人は辿り着く。

 最奥の独房、収監された戦犯の中でも大物が入るその場所に。

 長きに渡る幽閉で、嘗ての番兵たる頑健さは見る影もない男が一人。

 しかして、その生気を失った瞳さえ、あらゆる威圧を跳ね除けるであろうその男。

 嘗てはラインハルト・ハイドリヒの懐剣であった男が、そこにいる。

 ルサルカは独房の入り口を融解させ入り込むと、壁を背に座り込んでいる男に話しかけた。

「はあい、久しぶりね。石頭の番兵さん」

「…………」

「ちょっとー。何か反応くれてもいいんじゃない?」

「…………」

 男は、応えない。

 ルサルカの顔をはっきりを認識しつつも、視線だけよこしつつ黙したままだ。

「……アルちゃーん、この無音語の翻訳よろしく」

「アイヒマンくんの心情を語るならー。『何しに来た』『まさかとは思うが私を糾弾しにでも来たのではあるまいな』『馬鹿かね貴様らは、致命的なまでの察しの悪さだ』『それにしても一際面倒臭いのが来たな、さっさと帰れ』ってところじゃない?」

 しかし、ルサルカの背後から頭を出したアルフレートの言葉に、ぴくりと反応して。

「……分かっているなら余計な手間は省くべきだと思わんかね、アルフレート」

「悪いねえ。今じゃすっかり黒円卓も行楽シーズンなのさ。ちょっとばかし付き合っておくれよ、アイヒマン君」

 独房の男、アドルフ・アイヒマンは一際懐かしい同僚に対し顔を顰め、アルフレートはからりと邪気のない顔で笑った。

 

 

 

 

 

「結局アルちゃんの言ったとおりだったわねえ。このおっさん、一途過ぎてヴァルキュリアにも引けを取らない戦乙女っぷりなわけよ」

「真面目が取り柄が行き過ぎて才能になったみたいなやつだからねえアイヒマン君は。出会ったときから精神性の完成したやつだったから、何を思って情報をゲロったとかは予測の範囲内だよ」

 数日後。

 誰もいない、否、つい先程誰もいなくなった処刑場で。

 二人は決して運命を変えることなく絞首刑となった男を見上げていた。

「実のところ、悩んでいたのさ」

「何を?」

 あの日、檻の中で。

 君は変わらないね、とアルフレートは言った。

 貴様は随分と変わったな、とアドルフは言った。

 僕は変わったかい、とアルフレートは尋ねた。

 貴様の狂気が目に見えないのは今に始まったことではあるまい、とアドルフは返した。

 そのやりとりに、アルフレートは満足したように頷いて。

「けど、うん、決めた。君を『使う』のはやめにしよう。君の感情だけを、貰っていく。形見代わりに許しておくれ」

 そう、自分にしか分からない言葉をアルフレートは呟いて。

 ゆらりと、その影が蠢いた。

 床を伝い、壁を伝い、背後に現れる影は、獣の顎の如き形状で揺らめく。

「僕は見た、その心の中に秘める恐るべき純度の感情を。魂が失われた今、その肉体に残留するそれさえも消え去る前に。君の『怒り』を僕におくれ」

「『怒り』?」

 その単語に、ルサルカは首を傾げる。

「この気色悪いほど自己を律していたおっさんを表現する言葉には、それは相応しくないんじゃない? 後悔、とか、そのへんじゃなくて?」

「いいや、いいや、違うね。これは怒りだ。紛れもない怒りだよ。彼は何もしなかった、なにもしないことを選択できる意志の強さがあったからこそ、それは他者から見て怒りとは判断されなかっただろう。だからこそ、彼はその怒りを戦争が終えるまで全く表に出すことなく抱え続け、今や死地に至ってさえ、何もしなかった。すごい男だ。お陰様で、彼一人だけで新たなクリッターを生み出すには十分な質だ」

 影の獣が軋み鳴く。

 絞首刑の男を、そこから生じる赤黒い霧を、その顎で飲み込んで。

 影の瞳が、炎のように煌めいて。

 時を告げる、誕生の時を。

「幾百万の悲劇全てが、僕の力になる。さあ祝おう、君が三匹目だ」

 鋼の響きとともに、影がかたちを変えていく。

 炎を宿す影が、炎を宿す鋼に。

 その体に翼を、その足に爪を、その顔に嘴を。

 そして、その背に剣と槍を携えた鋼の騎士の姿が顕れて

「雲を引き裂く烈火の嘶き、風を斬り裂く鋼の鉤爪、そして、天空を別つ獄炎の刃。怒りの業炎、その化身。名付けよう、クリッター・フェネクスライダー」

 炎の鋼、剣と槍をその背に携えた鋼の鳳は、その名を受け取ったとアルフレートの影に傅き、その身を沈めていった。

 そして、静寂が戻ってくる。

「やあ、付き合わせて悪かったね」

「いーわよ、好きで付き合ったんだし。アルちゃんの謎に触れる貴重な機会だもの」

「今では君ほど僕に詳しい奴はいないぜ、多分。クリッター誕生の儀式を他人に見られちゃうなんて……いやんエッチ!」

「なーに、ベッドでの語らいが好み?」

「あ、正直趣味じゃないんでパスで」

「はったおすわよ」

 きゃー犯されるーと棒読みで歩き去っていくアルフレートをルサルカが追う。

 二人揃えばどっちもボケでどっちもツッコミなので、話題には事欠かないのだった。

「ねえ所でアルちゃん」

「なーに?」

 処刑場を後にしながら、ルサルカが問う。

 数日前、独房の中で会話した一部についてだ。

「シェイド……消えちゃった将軍閣下については、貴方はどう思ってるのかしら」

 ヴァルター・シェレンベルク=シェイドウィルダー・マハカーラ。

 元黒円卓第十位、ベルリン陥落から未帰還であることを受け、暫定的に死亡扱いとなっているその男とルサルカの接点は、アルフレートを通しての事が多い。

 ルサルカ視点、ヴァルターはエレオノーレやマキナに近い相手であり、話しかけたりちょっかいかけてみたりはするものの、積極的につるむ相手ではなかった。

 あのどこまでも闇色の中に、一瞬だけ青の煌めきが瞬いたような。

 底知れない相手であり、またアルフレートと違い触れにくい存在でもあった。

 ヴァルキュリア……ベアトリスはザミエルに対する反応もかくやといった様子で懐いていたし、ヴァルターもベアトリスを蔑ろにはしていなかったようだが。

 アルフレート、アドルフ、この二人がいる場であれば、必然彼の話題にもなって。

 

『はん。シェレンベルクが死んだ、だと? 馬鹿を言え』

『アレが何もすること無くのたれ死ぬ輩か』

『君らが生きているのなら、奴も生きているだろうよ』

 

 そんな話を聞いたものだから、考えても仕方ないと放り投げていたことが気になり始めた。

「正直、私は実質死んでるようなもんだと思ってたんだけど。生きてるのかしら、彼」

「ああ、まあ、生きてるだろうね」

 アルフレートはけろりと返した。

 あまりに単調な返しだった。

「え、マジで?」

「まあ生きてて、何をどうするつもりなのか。それが来るまでは忘れてていいんじゃないの。僕は絶対生きてると思うけど、相棒の自由意志を尊重しまーす」

「自由って、彼ハイドリヒ卿に敵対宣言してたじゃない。仮に生きてるならやることなんて」

「それが君の不利益になり得るかどうかは君次第じゃないの?」

「……! まあ、確かにそれもそう、ね。どうせ予想でしかないんだし」

「そーそー、待てしかして希望せよってやつさ」

 仮に生きていたとして、或いは。

 それを不利益とするか利益とするかは己次第でしかない。

 魔女はそれに気づき、己の手管を顧みて。

 その件を、保留にすることにした。

 注意喚起するようなことでもない、現存の団員は時が来れば競争相手でしかないのだ。

 時が来るまでに何枚の伏せ札を用意できるか。

 そういう意味でアルフレートは鬼札だが、現状この男に最も近いのは自分だという自負もある、手札の数は最優、後は時間をかけてこの男のからくりを暴いていけばいい。

 したたかに、ルサルカはそう結論づけて。

 アルフレートは、そんな魔女のしたたかさを嘲笑っていた。

 

 

 1962年 ラムラ刑務所にて 番兵の最後と、魔女と、クリッターと

 

 

 

 

 アメリカのとある高級ホテルのワンフロアにて。

 ベアトリスはキレていた。

 それはもう静かにキレていた。

 何やら挑発され激昂したらしいルサルカよりも、この部屋に立ち入った瞬間からキレていて、そしてそれはもう止める必要がなかった。

「あのですね」

 随分温度の低い声が出るものだとベアトリスは我ながら思う。

 目を細めて、今しがた銃を乱射してきた相手を、そのようなことが起きながら未だ桃色の香の中淫欲のサバトに耽っている連中を見渡しながら。

 黒円卓に干渉する組織、『恵まれた魔女』を名乗るマリリン・モンローとその一派が作り上げた汚らわしい肉欲の宴。

 脳を破壊するほどの催淫香の中交わり続ける男女の中で、果てしなくキレていた。

 先程までずっと我慢していた。

 彼女の役目はルサルカの護衛であり、作戦権限はルサルカが担っていたからだ。

 しかし、対話が決裂思考して戦闘に入った以上、もう、我慢する必要は、ない。

「即刻、この下劣な催しを撤収させて、消えて下さい。そうすれば今は何もしません」

 目の前で銃口を向けてくるカウガールに向けて警告する。

 それが無意味だと知りながら。

 そして案の定、それは無意味だった。

「連れないこと言わないでよ! もっと楽しみましょう!」

 カウガールがそう言ってリボルバーの引き金を引く。

 肉体に連結された異形の複腕による弾幕。

 その銃は聖遺物であり、魔人をも傷つけるものだろう。

 どういった経緯でそうなったのかは知りようもないが、こうして愉悦のままに襲いかかってくる時点で、ベアトリスの中で許して置けるような段階は越えている。

「ほらほら、得意の剣はどうしたの? そんなんじゃ、私が席を貰っちゃうんだからあ!」

「…………」

「貴方の器、空っぽじゃない! 自分の魂以外ないなんて、ひょっとして剣を抜きたくても抜けないのかしら!」

「……分からない人ですね」

 瞬間、大気が震えた。

 空気の中を静電気が走ったかのような違和感に、カウガールはその動きを止める。

 

「貴様ら如きに、我が誇りである剣を抜くことはない」

『我が槍を恐れるのなら この炎を越すこと許さぬ』

 

「え」

 瞬間、轟音と共にベアトリスの姿が消え去って。

 カウガールは背後から、自身の首に指が当てられていることに気づいた。

発雷(イグニッション)

 そして、気づいた時には終わっていた。

 振り返る一瞬さえもなく、発光、帯電。

 室内であるはずのその場所で、雷が降る。

カウガールは脳天から降った雷に頭を焼かれ絶命した。

「…………」

 焼け焦げたカウガールから視線を外し、ベアトリスは周囲をぐるりと睨む。

 今しがたの派手な轟音と発雷で、互いに戦っていたルサルカも、マリリン・モンローも、こちらをびっくりした顔で見やっていた。

「えっと……ヴァルキュリアー?」

「よくもまあ、私の前で」

 ベアトリスは死んだ目でブツブツと自分に言い聞かせるように喋っている。

 喋りながら、無手の両腕を胸の前で交差させて。

 そして、その掌に雷が帯電する。

「こんな、下劣な。愛の欠片もない」

 その力はどこから来るものか。

 ベアトリスは自身以外の魂を一切貯蔵していない。

 であればエイヴィヒカイトにおいてその出力が制限されるのも当然の話だ。

「私に、こんなものを見せてくれたな……」

 しかし、ベアトリスの腰元に、雷の輝きが煌めく。

 そこから生まれる。

 人が願い夢見た、空を駆ける雷、その力が。

 故に聖遺物に魂を込める必要はなく。

「ああ、分かりますよ。この場の全員、とっくに手遅れでしょう。香だけじゃない、脳だか神経だかに薬でも打ち込みましたか。明日の日を見れない命だ。ならせめて介錯するのが慈悲でしょう」

 それは、その怒りは、この場に向けたものであり、この場を作り上げたマリリン・モンローに向けたものであり、或いは。

 或いは、自分自身に向けたものなのかもしれない。

「何より、私が見ていたくない。おい腐れ女、よくもまあ私にこんなもの見せてくれたな」

「あらあら……可愛らしさもここまで来ると獰猛ね」

「ちょっとヴァルキュリア、あんたやり過ぎるのは――」

 

「うるせえ。電刃――電位雷帝の剣先(ヴァジュラ・ニードル)

 

 

 そして、雷の針が全方位に発射され。

 激しい光とともに周囲の空間を寸分無く砕いて。

 既に無残な有様だったホテルのワンフロアは物理的に吹っ飛んだ。

 

 

 1962年 恵まれし魔女のサバトにて 色々とぶちギレた戦乙女

 

 

 

 

「……そんなわけで、本当に嫌になってきますよ」

『随分参っているな』

 アメリカの隠れ家の一つ。

 シュピーネが用意した黒円卓、聖餐杯にも知られていない隠れ家の通信機は、傍受を警戒した特別仕様のワンオフ機だ。

 その通信でベアトリスが憂鬱な顔で愚痴を漏らすのは、今は遠くドイツにいる男。

 受話器の先のヴァルターはベアトリスの声に、その心境を察した。

「多くの人の生死に関わってきた身だとしても。外道の身だとしても。あそこまで、逸脱することを喜ぶような輩には、その醜態には、慣れたくありません」

『酷なことを言うようだが。なら慣れないまま乗り越えることだ。慣れないと思うことが、お前がお前である証だよ』

「はい。それに今回は、その、女性としてああいうのを見てしまうと……自分のことながら不安になってくるというか……ごにょごにょ」

 ベアトリスが静かに激怒していた理由は多々あるが。

 そのうちの一つとして、『ああいったこと』をまるで醜いもののように仕立てられたことがたまらなく嫌だったのもある。

 外道への嫌悪と自己嫌悪が複雑怪奇に入り混じった境地だった。

『何だ、声が小さいぞ』

「ああいえ何でもありません、何でもないんです、何でも……。そんなわけで、近いうちに作戦行動に入るんで、まあ、決着は近いかと。ご心配には及びません」

『…………』

 受話器の向こうで、呆れたようなため息が漏れる。

『ベアトリス』

「はい?」

『来週の頭に、そちらに向かうよ。隠れ家、四番で』

 その言葉に、ベアトリスはぎょっとする。

 あの人は、作戦終了後なんていうタイミングでこちらに来る気なのか。

「いえわざわざ来て頂かなくても、私は元気です! 万が一バレたりしたら」

『そんなヘマは侵さない。聞かないね。兎に角向かうから。いいな』

「う……分かりました」

 自信満々にぴしゃりと言い切るヴァルターに、ベアトリスはあっさり押し負けた。

 実際、慣れた手際であるし水際の飛び入りだろうとバレるようなことはないだろう。

 そう言った機微に関しては自分などよりよほど優れた故国屈指の実力者だ。

 故に、そんなものは方便で、ベアトリスは自分の精神が何となく弱りかけていることを心配されて駆けつけられてしまうのが不甲斐なく。

「すいません……ありがとうございます」

『ん。よろしい』

 そして、同時に嬉しくも思ってしまうのが、益々不甲斐なくさせるのだろう。

 弱くなったのかなあ、とふと思う時がある。

 しかしそれが悪いものではないとも思う。

 嘗て弱さに怒り黒円卓に飛び込んだ自分。

 今は、弱さが悪ではないと思う自分。

 何故だろう、それがとても健全なことだと思える。

「では、私はこれで」

 さて、では目前に迫る憂鬱な任務に集中しよう。

 そう心に決め、受話器を置こうとして。

『ああ、ベアトリス。最後にひとつ』

「はい?」

 その呼びとめる声に、耳から離しかけた受話器を掴む腕を止めて。

『愛してるよ。頑張れ』

 

 

 

 

 

「うわああああああああああああ!!!???」

 キューバ付近の海上は阿鼻叫喚に包まれていた。

 ソ連とアメリカの対立による、艦隊を用いての海上封鎖、と言うのは方便だ。

 その本来の目的はキューバに存在する魔女たちと、聖槍十三騎士団を打ち取るための大国の威信をかけた秘密裏の合同作戦。

 しかし、軍事力の象徴たる大戦艦は、光の瞬きと共に謎の損傷を受け、若き海兵はそれを行った人物を前に腰を抜かしていた。

「さて通信手の方。命が惜しければちょっと全艦隊にお知らせしたいので手伝いなさい」

 雷を纏い剣を携えた戦乙女が有無を言わさず笑顔で恫喝する。

 他の軍人たちが部屋の隅で震える中ただ一人襟首を掴まれてしまった若き海兵は無言で首を縦に振り、通信機を繋げ、差し出すしかなかった。

「こ、これで通信が繋がりました」

「ええありがとうございます。えー、あー、あー、聞こえていますね。アメリカ海軍の方々。どうも、聖槍十三騎士団です。今しがた中央艦隊の一隻に雷が落ちたのを確認したと思いますが私の仕業です。ぶっちゃけ小技です」

 ファッだのオーノーだのアンビリーバボーだのFooooooだの余計な喧騒が聞こえてくるが、ベアトリスは無視する。

「残念ですがこの程度でどうにかなると考えてらっしゃるお偉いさん方、これでは私一人程度も殺すことは出来ません。私はこれから貴方方の艦隊全てを沈めます。真っ二つです」

 ひぇっ、と足元にへたり込んだ通信手から情けない声が出る。

 通信先の連中は未だ交戦する気満々のようで、罵声が聞こえてくる。

 だがまあ、無視する。

「まあ認めようと認めまいと私が実行することに変わりはないので、数分のうちに現実を受け入れてくださいね。ここで重要なお知らせですが、私今極めて機嫌が良いんです。機嫌の良さと悪さが交差してるっていうか、さっさと終わらせて帰りたいというか」

 笑顔の威嚇は文字通り、半々の意味を持っていた。

 ベアトリスは己の心のままに動く。

「詰まる所、船は沈めますが、貴方方の命は取らないでおいてあげます。浮き輪なりボートなり脱出手段を整えておくことですね。貴方方は運がいい、私でなければ死んでましたよ。私の機嫌の良さに感謝して下さい。ではさようなら、願わくば我々と二度と関わらないことを」

 そうして、通信を切って。

 怒れる雷神が、色ボケ雷神が、己の矮小さに震える哀れな海兵に、にへらと笑いかける。

「まあ、そういうことなんで、これから十秒後にこの船を両断します。この部屋から脱出口までは近いですし、皆さんはここで衝撃を凌いだら迅速に脱出してくださいね、では」

 そして、バチィッ! と雷が鳴る音と共に、ベアトリスの姿が掻き消える。

 海兵たちは天井を見た。

 つい先程雷が振り大穴が空いた天井を。

 その穴から、雷が出ていったことを察した。

「…………」

 現実味のないその光景を誰もが唖然としながら。

「……とりあえず、伏せとく?」

「だな」

 混乱した頭で、とりあえず伏せることにした。

 

『電刃――荷電粒子の神鎚(トール・ハンマー)

 

 十秒後、その艦は真っ二つに粉砕された。

 その後、生き残った彼らは口を揃えてこう言ったという。

 俺たちゃ雷の女神様の気まぐれに触れたのさ、HAHAHA。

 

 

 1962年 キューバ海上にて 幸運な海軍通信手の思い出

 

 

 

 

「ちっ」

 ルサルカは自身の迂闊さに追い詰められていた。

 とどめを刺すべきだった、深入りは後ですればよかった。

 結果的に狭い密室の中、規格外の怪物を相手に壁際まで追い詰められている。

 ブブブ、と不快な虫音を響かせながら、頭部を失い、全身から口を生やした怪物が迫る。

 聖遺物を融合した魔女、マリリン・モンロー、その末路。

 食欲という浅ましい渇望に支配されそれそのものとなった、蠅の女王、ベルゼブブ。

「――――」

「退路はなし、ってやつかしらねえ」

 ルサルカは自身の割に合わない状況に追い込まれた。

 正面から立ち向かう、そのような戦いに彼女の異能は極めて不向きだ。

 更には食人影すら喰らうような怪物に、この状況でどう決定打まで持っていくのか。

 しかし、やるしかない。

 やるしか、ない。

 やるしかない、などと、そのような。

「あは」

 そのような選択を、ルサルカは取る必要はなかった。

 蝿声と共に襲い来るベルゼブブを眼前まで迎え入れて尚、ルサルカは笑みを深くし。

 その左手を、掲げる。

 そして、鈴のなるような声でそれを呼ぶのだ。

 

数式領域(クラッキング・フィールド)、展開」

 

 瞬間、世界は改変された。

 狭苦しい地下の一室であるはずの場所は、世界の彼方に追いやられて。

 ベルゼブブは目標を見失い、そして、その触覚があり得ざる現象を知覚した。

 

 

 数式領域展開

 数式領域構築

 数式領域顕現

 

 数式領域の維持を開始

 制限時間内に目標を破壊せよ

 お前の願いは果たされる

 

 

数式領域(クラッキング・フィールド)を展開したわ。私の願いは永遠の生の獲得……なんて、貴方如きに言っても仕方ないけれど。まあ、これを使った以上戦の作法ってやつに則りましょうか」

 巨大な歯車が音を立てる。

 中央に、機械柱、その周囲を取り巻く空中に浮かぶ幾つもの柱。

 機械床が金属音を立て、構築されていく、戦闘用の疑似領域。

 数式領域、世界の隙間に形作られた、歪みの地。

 空間ならざる世界、世界ならざる世界。

 本来ならば、黄金の輝きを持つもののみを招き入れる狭間。

 渇望無き、支柱無き空白の創造。

 その空白を掌握したものが染め上げる、無色の世界。

 時計の男が齎した、黄金に忠誠を誓う者共への、力の欠片。

「我が魂の黄金にかけて、クロイツ式《回路》の起動を開始する。現在時刻を記録せよ、大時計」

 時計だった。

 中央に突き立った機械柱が変形して、禍々しい時計塔となる。

 チク・タク、チク・タク。

 それは誘いの音、眠りでは何かに、人を無意識に誘う音。

 世界の果てで響く音、誰かが、どこかで嘲笑う音。

「聖槍十三騎士団黒円卓第八位、ルサルカ・マリーア・シュヴェーゲリン。今や血闘の領域を、我が魔女の鉄槌が踏み躙る。……くすくす、けど、もう終わりよ」

 そう言って、尚も本能に任せ飛びかかるベルゼブブを嘲笑って。

 ベルゼブブは囚われる、空から染み出した影に。

 それはルサルカの創造、拷問城の食人影。

「――――」

 それさえも、貪り喰らおうとする。

 先と同じであれば、そうなっていただろう。

 だが、今は。

「無駄よ無駄無駄。数式領域(クラッキング・フィールド)の創造領域によって私の覇道の幅はさっきの比じゃないほど膨れ上がってるわ。それに遮るもののない広大な空間を確保できた以上貴方相手に私の不利となる要素がどこにもない。せっかくのお披露目だけどぉ、ここまでね」

 影を喰らおうとする、しかし、喰らえない。

 今や食物連鎖の矢印は逆転し、食人影によってベルゼブブはその肉を喰らわれる。

 痛みを感じる頭も、恐怖を感じる頭も最早無い暴食の機能は自分が喰らわれて尚影を喰らおうと暴れて、暴れて。

「バイバイ」

 見飽きたルサルカが指を鳴らす音と同時に、その全てが影に喰らわれた。

 チク・タク、チク・タク。

 静寂の中に、影の蠢く音と、時計の音のみが残る。

「くっふ、ふふふふふふ、あっはっはっはっはっはっは!!! 儚いものよね、所詮!!! 本当の怪物を前に、怪物気取りは頭を垂れるしかないって!? ……冗談じゃないわ、本当に、冗談じゃない」

 愉快げに、忌々しげに、ルサルカは吐き捨てる。

 時計塔の麓、ただ一人で。

 水銀が齎したというこの世界で。

 自身の創造が絶大な威力を発揮するのを目の当たりにして。

「なんだっていい、私は生きるのよ。全てを引きずり下ろして、のし上がるの。何もかも、エイヴィヒカイトだろうと、クラッキング・フィールドだろうと、全部奪って見下して私のものにしてやるんだから。そうでしょ」

 それは、誰に向けた言葉だったのか。

 自分自身に向けた誓いか、それとも忘れ去った誰かへの懺悔か。

 しかし、忘れてしまえば、何の意味も、ない。

 その懺悔は届かない、歪んだ魔女の誓いだけが残って。

「……さ、行きますか」

 自身の意志により世界の果てに還っていく数式領域を脱し、ルサルカは地下の奥深くに向かうのだった。

 

 

 1962年 キューバ危機にて マレウス、数式領域展開

 

 

 

 

「終わったな」

 死屍累々、とはこのことだった。

 キューバより離れたフロリダ付近の離島。

 人の気配のしないその場所に、一人の男がいた。

 顔の大部分を隠すフェイスガードはその素顔を見通させることはなく。

 鎧じみた鋼の黒衣は特殊部隊よりも剣呑だ。

 何より、その手足からギシリ、ギシリとなる不協和音。

 肉を鋼に打ち直したかの如き、異形の人型だ。

 死人のような声を絞り出す、この世の絶望を見たかのような白髪に、黒光りする鋼の鎧を纏う男だった。

「ふん。もとより、連中にとってはこの戦艦による包囲さえも、魔女の反乱さえも囮に過ぎなかったのだろうが。人ならぬ鋼の俺が、知ったことでは、ない」

 岩肌に腰掛ける男は、その体の前に杖をつくように、一振りの剣をついている。

 黒い鋼の剣だ。

 両刃に夥しい血の滴る、しかしその身には一切の血痕を残さず。

 そう、血だ。

 この剣は、今しがた数多の血を吸ったのだ。

 男の周囲に倒れ伏す、魔女たち。

 ルサルカによって解き放たれ、狂気のままにアメリカを襲うはずだった、異形の魔女たち。

 それら全てが、この男によって一切の例外もなく斬殺されていた。

「あ……が……」

「ああ。なんだ、生きてるのがいたか」

 否、ただ一人、命ある魔女がいた。

 それは眼帯をした魔女だった。

 豪奢なサーベルを聖遺物とする、近接戦闘を得手とする魔女。

 寡黙ながら鍛錬を怠らぬ、狂気に流されない珍しい魔女だった。

 しかし、改造に改造を重ねられ、狂気の魔女たちと一緒くたに幽閉され。

 仲間が動くままに、自身もここまで来た。

 命あるままに、助かりたいと思うままに、助けたいと思うままに。

 そんな彼女たちの前に、この男は現れた。

 幽鬼が現世にまろび出たが如く、いつの間にかそこにいて、いつの間にか剣を抜いて。

 いつの間にか、斬られていた。

「こく、えん、たく?」

「奴らと一緒にするな。ま、奴らに生み出されたという意味では、近いか。俺も、貴様らも」

「じゃあ、なん、で、どう、して」

「どうして、とくるか、ふん」

 その眼帯の下の、悍ましき異形の単眼を。

 異形なれど、人並みの恐怖と疑問を知ったのだろう瞳を、男は見て。

「成る程、お前か」

「……? ごほ、が」

 何かを納得したように、眼帯の魔女を見て。

 眼帯の魔女は、訳が分からなくて。

「もしもの話だ。あの男が、狂気のままに語ったもしもの話。或いは、俺ならぬ俺がお前を導き、しかし盲目の輝きによって無残に倒れる、そんな世界もあったのかもしれない、という世迷言だ」

「もし、も」

「不毛な話だ。知りようのない話だ。遠く史実さえも霞む三世の果ての話だ」

 そう吐き捨てて、男は眼帯の魔女に近づく。

 土から切っ先を抜いたその剣を向けて。

「お前達は俺の八つ当たりで死んだ。人ならぬ鋼の俺が。人々を喰らわんとするお前達を殺し尽くし、奪い尽くした。そこに大義はなく、人の道はない。ただ、鋼となった己への憎しみが、人であった頃の俺の憎しみが、お前を殺すのだ。俺ではなく、お前を殺す」

「…………」

 その、道理に合わない言葉を、しかし眼帯の魔女は静かに聞いて。

 憤るべきその場面で、しかし口をつくのは別の、どうでもいい疑問だった。

「あなた、は?」

「何?」

「あなた、だれ」

「……理不尽に追いやられた死の淵で。殺した相手の存在を問うかよ、女。哀れな、哀れな女よ。その精神があって尚、お前は永劫苦しみ続けるのだ」

「…………」

 血を吐きながら、それでも。

その目を、フェイスガードの先にあるであろう目に合わせる女に。

 男は辟易したように、人間のように反応して。

「俺に名はない。人ならぬ鋼の身には。悍ましき鋼の身には。そう、ああ、そうか。名は必要だ。■■■■■■■■■の家名を錆びつかせたこの俺には」

 その剣を抜き、眼帯の魔女の首に押し当てながら。

 その問いに、男は答える。

「鋼鉄の男。マン・オブ・スティール。そうだ、それが俺だ。何者も救えぬ鋼の忌み名こそが、俺に相応しい。さらばだ、哀れな女」

 そして、最後の一人の命が奪われた。

 

 

 1962年 フロリダ対岸にて 魔女の殺戮、鋼鉄の男

 

 

 




分岐点
アイヒマンを機関人間に……  する
              ✓しない


ベアトリス、キレる、落ち込む、弾ける。
すっかり某雷電おじいちゃん並みにたちの悪いセリフを吐くようになったねヴァルターってば。


数式領域、初展開。
空白の世界、狭間の世界。黄金に魂をかけた存在のみが、その領域を使用できる。
願いが覇道であれば強度を増し、求道であればその求道の性質が世界を軋ませ滲み出る。
チク・タク、チク・タク。
世界の果てで響く音、誰かが、どこかで嘲笑う音。


そして、この世界では彼がああなってしまったので眼帯の魔女は彼女と相対せず。
冷たい鋼が月の王の企みのもと世界の裏側を渡り歩く。


大体そんな感じの話。



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Fragments:幕間、櫻井Ⅰ

閑話は続くよどこまでも。
いつまでが閑話? 作者が飽きるまでが閑話。
さーて今回のフラグメンツは

1:ヴァルターの旅 ザ・マクアイ・ワールド 創造チラ見せの国
2:鈴ちゃんなう1
3:鈴ちゃんなう2
4:糖分

になります。
4は本当はくっつけるつもり無かったんだけど。
まあ、その、ね?


 旅をしている。

 もう、長いことだ。

 流石に延々と旅続きなわけではないが、それでも、これまで仮にも人間の肉体で生きてきた二十余年を巻き戻すように、世界を渡り歩いてきた。

 元々まともな人間ではないとは思っていたが、生まれからして人間ではなかったらしい。

 俺は闇の王を水銀の縄と王冠の威光で縛り付けた合成獣、異形の三叉槍。

 実際にそれを思い知ると中々来るものがあるというのは、それこそ嘗ての自分が抱くことのなかった感情だろう。

「…………」

 灰色の景色。

 その先への憧憬。

 それに至るにはどうすればいいのか、とんと分からなかったが。

 自分でもよく分からないうちに、それは解決してしまった。

 今は、違う。

 白と黒しか使ってこなかったキャンパスに七色を上書きするように。

 嘗て見た筈のあらゆる既知が、まるで未知のように新たな感慨を抱かせる。

 それは、ハイドリヒの抱く『既知』とは逆のものだろう。

 別に何の根拠もない、魂が訴えかけるとかそういうわけでもない、個人の感慨だ。

 けれど、その上で俺自身がそう思いたいと願ったのなら、それが俺だ。

 何も起こったことを否定してるわけではない、自分のことは自分で決める、それだけ。

「それがいいと、そう思ったから。だよな」

 嘗て、自分にそう言った少女がいた。

 そこに、かけがえのない眩しさを感じた。

 幼少の頃母に見た、美しいかたち。

 ならばそれに愛と名付けることの、何がおかしいだろうか。

 誰が何を言う資格もない、そして、俺自身も納得させられてしまった。

 だから、俺もあの時こう思った。

 俺が彼女を、ベアトリスを案じ、悩み、無事を願う心の名は、『愛』がいい。

 あの日確かに在ると確信した。

 しかし己のうちに見つけることのなかったそれを、見つけたと思ったから。

 母さん、あの日の言葉、その全てではなくとも、分かったような気がします。

「『これ』が終わったら、また一度帰るとするか」

 俺の旅は、気ままなものもあれば目的もある。

 今回は、目的のあるものだ。

 俺の中の水銀の血潮が指し示す、世界の裏側の残照。

 おそらく、やつが嘗て試行錯誤し作り上げたなにがしか。

 世界に残るそれらの、後始末。

 それを体よく押し付けられているのだろう。

 押し付けられているのは分かる。

 分かるが、これが自分にとって必要なことだということも分かる。

 今、神の如き衣を捨て、人として存在している今。

 創造位階を得たことにより黒の王の座から人間に転がり落ちた状態は、俺の望みであり、同時に俺という存在の成り立ちに歯向かうものだ。

 見えない亀裂が体にあるのを感じる。

 それは今すぐ自分を殺すものではないが、大分無茶をしているのだろう。

 こうして、色付いた景色を見るためには、必要な代償なのだろう。

 水銀の残照を水銀の眷属たる自分が砕くことにより、俺の創造位階はより強靭に、俺自身を縛り付け、傷つけ、そして弱めていく。

 人であるために、ハイドリヒを止めるために。

 しかし、何でもかんでも、とは行かないらしい。

 その先に待つものを、今は考えることはない。

 十分だ、と俺は思う。

 けれど、何が十分なものか、とも思う。

 人生は一度きり、今を生ききらねば次などない。

 俺ではない誰かの魂を基幹とする男が言うのは、矛盾にも程があるか。

 ああ、全く。

 分からないものだ。人間とは、感情とは。

 そんなものに確かな理屈と、共通の名前をつけようという所から間違っている。

 

「だから」

 地の下、空の上より来る。

 『それ』に対し、言わせてもらう。

「俺の抱える矛盾を吐き出させてもらおう。水銀の置き土産、世界の果てで死を叫ぶ音」

 瞬間、それがかたちを得る。

 無形の黒、大いなる巨人。

 灼熱のごとく煌めく赫眼は天の星のように。

 誰もが見えなかったもの、ずっとそこにあったもの。

 この不可解な世界に数ある一つ、焼き付く残照。

 誰もいるはずもない、近づくはずもない、山脈の奥深く、深く深く深淵に、それはいる。

 だから俺は此処に来た。

 自らのうちにある、水銀の羅針盤に導かれるままに。

「お前には、奪えない。何一つ、誰一人」

 巨人は鳴く、鳴き叫ぶ。

 それは死の奔流だ。

 誰かが、『死にたい』と願った、その願いのままに。

 しかしそれは死を齎すことはなく。

 何もできまい、何もなせまいと山脈の中で眠っていた哀れな残照だ。

 しかし、それでも。

 人を砕き、魔人をも砕き、世界をも砕くには十分に過ぎる神威の欠片。

 たとえこの世界が神なるものに支配された、虚構に近い何かだったとしても。

 死の奔流は何十、何百、何千と波となって重なり、迫る。

「喚くな」

 だとしても、俺には通じない。

 それがたとえ死の奔流であろうとも、関係ない。

 それに込められた思いが何であろうと。

 神なるものを僭称する力、その欠片。

 それを、俺は戒める。

 

 

『胸に深く我が支配する 憤ろしき夢を秘め』

 

『燃え立つ槍と猛る馬もて 我が赴くは死の曠野』

 

『幽鬼と影の騎士として 我が呼ばれしは死の試合』

 

『世の常の旅にしあらね 遥けき世界の果てを行く』

 

 

創造(ブリアー)――黒銀王冠・宙別つ三叉槍(シェイドウィルド・トリシューラ)

 

 

 伸ばした右手が死の奔流を砕き。

 巨大な黒き光条、三本。

 磔刑の様に巨人を貫いて。

 そして、死は終わりを告げた。

 

 

 目覚め後 ヴァルターの旅 一欠片

 

 

 

 

 鉄火吹き荒ぶベトナムの森の中。

 そこで、少女は出会ってはならない吸血鬼に遭遇した。

 

 

 数式領域展開

 数式領域構築

 数式領域顕現

 

 数式領域の維持を開始

 制限時間内に目標を破壊せよ

 お前の願いは果たされる

 

 

「ん、だとぉ!?」

「く、ククク、ハハハ、ヒャーハハハハハハ!!!!!!」

 瞬間、世界は改変された。

 鬱蒼とした森の中であるはずの場所は、世界の彼方に追いやられて。

 少女は世界を見失い、そして、あり得ざる現象を知覚した。

 四方を切り取られた退路無き戦場に、吸血鬼が嗤う。

数式領域(クラッキングフィールド)を展開した。俺の願いは黄金の君に捧ぐ闘争……喜べ、こいつの試運転に選ばれたことをな」

 巨大な歯車が音を立てる。

 中央に、機械柱、その周囲を取り巻く空中に浮かぶ幾つもの柱。

 機械床が金属音を立て、構築されていく、戦闘用の疑似領域。

 数式領域、世界の隙間に形作られた、歪みの地。

 空間ならざる世界、世界ならざる世界。

 本来ならば、黄金の輝きを持つもののみを招き入れる狭間。

 渇望無き、支柱無き空白の創造。

 その空白を掌握したものが染め上げる、無色の世界。

 時計の男が齎した、黄金に忠誠を誓う者共への、力の欠片。

「我が魂の黄金にかけて、クロイツ式《回路》の起動を開始する! 現在時刻を記録しろ、大時計!」

 時計だった。

 中央に突き立った機械柱が変形して、禍々しい時計塔となる。

 チク・タク、チク・タク。

 それは誘いの音、眠りでは何かに、人を無意識に誘う音。

 世界の果てで響く音、誰かが、どこかで嘲笑う音。

「聖槍十三騎士団黒円卓第四位、ヴィルヘルム・エーレンブルグ。今や血闘の領域を、我が血染めの森が吸い尽くす。おら、てめえも名乗れよ。戦の作法は知ってんだろ」

 類稀なる人界を超越した生存本能を以て回避していたこれまでも、もう通じない。

 吸血鬼の興に触れてしまった、数式領域を展開されてしまった。

 逃げ場はもう、どこにもない。

「……私は、櫻井」

 だからこそ、覚悟を決める。

 逃げ場がない?

 知っている、知ったことか。

 それでも逃げ続けてきたのだから、今更逃げ場がない程度で走ることをやめるものか。

「櫻井、鈴」

 その名を、呪われし名を口にする。

 怒りのままに、よくもこんな運命に巻き込んでくれたな、と。

「てめえらクソに関わったせいでクソになったクソは、うちのジジイだ!」

「は、悪くねえ啖呵だ! いいぜ、そそるねえ!」

 その佇まいにヴィルヘルムは愉悦を隠すことなく飛びかかる。

 ベルリン陥落後、アメリカを根城に退廃に耽り、争いの気配があれば殺戮に耽る生きた都市伝説、白いSS、吸血鬼、現世ではそう噂される男。

 そのヴィルヘルムがベトナム戦争の最中見つけたのがこの少女だった。

 自身の活動位階による死刺から生還、あわよくば撤退までしようとする規格外。

 数十年ぶりの『当たり』だ、そう判断されるのは無理も無いことだろう。

「個人的に、俺の『敵を取り逃がす』って業をよりにもよってメルクリウスのクソ野郎の術で退路を塞ぐってことに思うとこはあるがよ……なるほど実際悪くねえ、創造を使うまでもなく城の闘技場みたいな好き勝手できる空間を作れるってのはな」

「……ッ!」

「逃げ場でも探すか? いいぜ悪くねえ、そのほうが長く楽しめる。形成(イエツラー)――」

 ヴィルヘルムが遂に形成位階に突入する。

 不可視の棘が実体を得て、しかし恐るべき密度と速度まで兼ね備え襲い来る。

 如何に櫻井の少女、鈴が並外れた身体能力と直感を持つ戦士でも、此処から先はどうにかなる次元ではない。

 間違いなく、死だ。

「やるしか、ねえのかよ! 畜生!」

 鈴は最後の手段に踏み切ることを決意する。

 自身の血に擦り寄る呪いとの契約。

 黒円卓の聖槍(ヴェヴェルスブルグ・ロンギヌス)に選ばれてしまった者の運命。

 その繋がりを、鈴は忌々しいことにはっきりと感じている。

 何やらまだ腐った死体との契約がギリギリ継続中らしいが、そんなものは無理矢理奪い取ってしまえばいい。

 こんなものを無理にでも奪い取らねばならない状況に腹が煮えくり返るが、そうしなければ死ぬしかないのなら、汚泥すら飲み干して見せよう。

 そう、決意して――

 

「どうやら、間に合ったな」

 背後から何か、ひび割れるような音がして。

 そこから迫る何者かに、鈴の決意は中断された。

「な、がッ!?」

「その契約、待て。櫻井の小娘。貴様を一時の間救ってやろう」

 背後、それも空間を越えた音速の不意打ちを鈴は食らい、奇襲を仕掛けた男の手によって首を拘束される。

「ん、だてめえ……待て、だと? 何様だ。てめえが敵じゃない保証がどこにある」

「今貴様の首を砕いていない時点で敵ではないという事を知るがいい。強いて言うなら、貴様の呪いに待ったをかける、鋼の悪魔の遣いさ」

 鈴は首を捻り背後を見る。

 それは、黒い男だった。

 全身黒ずくめの、所々に鋼を纏った男。

 左手で鈴の首を掴み、右手に黒い剣を持っている。

 魔女たちに、鋼、と、マン・オブ・スティールと名乗った男だった。

「貴様に拒否権はない。俺も数式領域への介入により全身にガタが来ている。さっさと……」

「おい」

 介入者であるスティールに、ヴィルヘルムが剣呑な表情で声を掛ける。

「おい、おいおいおいおい、まさかとは思うがよ。てめえ、黒ずくめ。まさか俺の獲物を横取りしにやってきたわけか。この俺に。カズィクル・ベイに」

「そうだと言ったら?」

「死ね」

 瞬間、鮮血の杭が全方位から殺到する。

 刹那の瞬間だった。

「ふん」

「あぁ!?」

 そして、その刹那の瞬間にスティールは対応する。

 回転し円を描く剣の軌道が、杭を斬り裂き叩き落として。

 舐めた攻撃をした自覚はあるものの、その一瞬をヴィルヘルムは見逃してしまった。

 スティールの左腕から、機械音が響く。

 腕に取り付けられた装置が光を発し、数式領域の空間を軋ませて。

「では」

 破壊する、その空間を。

 ひび割れた空中の先に、全く別の景色があるのが見えて。

「貴様はさっさと失せろ、小娘」

「な、このッ!?」

 スティールに首を握られていた鈴が、その今にも消えそうなひび割れの向こうに投げ込まれる。

 鈴は悪態をつきながらも投げ飛ばされ、破れた空間は元に戻っていく。

「悪いな、吸血鬼。貴様の手はまたしても届かない」

「…………かは、か、かはははははははははは!!!!!!」

 ヴィルヘルムは、笑った。

 盛大に笑った、これ以上ないほど笑った。

 ああ、正にそうするしかないだろう。

「……あー、一周回って楽しくなってきたわ。おいおいおい、さすがの俺でもよ。ここまでコケにされたのは初めてでよ。ああ、感情が振り切ると笑うしかなくなるってのはマジらしい」

「そうか、ざまあないな。水銀塗れの負け犬風情にはお似合いだろう」

「だからてめえを一秒でぶっ殺してあの女を追うことにするわ」

「……ッ!」

 それを言い切る頃には、迫る拳と棘の群れがあった。

 スティールは棘の群れを剣で迎撃し、しかし拳までは捌ききれず、その左肩で受ける。

 鋼が折れる音、パイプがちぎれる音と共に、その左肩が抉られた。

「あん? 何だてめえ、マキナか、それともグロッケが造ってるもんの同類か?」

「…………」

「だんまりか、まあいい。今のに反応出来るんなら、てめえもそれなりに楽しめそうだ。てめえをぶっ殺して、さっきのあれはチャラにしてやるよ」

「ほざけ吸血鬼。俺は死なん」

「かはッ、ほざいてるのはてめえだろ。前菜風情がよォッ!」

「…………」

 咆哮とともに再び突貫してくる吸血鬼を前に、スティールは思考する。

 

 左腕の空間圧壊砲(ディスラプター)、二度の使用と肩の損傷により崩壊寸前。

 後一度の使用、或いは損傷により完全に破損する模様。

 空間の亀裂はその存在比率の都合上一度に行き来できる質量は人間一人分。

 我が剣に一切の衰えはなし。

 しかし眼前の吸血鬼、我が戦闘力を凌駕する。

 技量の差によって腕一本は取れれど創造まで使用されれば勝機はなく。

 故に、その前に一撃を見舞った後速やかに脱出する他なし。

 

「……俺は死なん、死ねんのだッ!」

「おらぁぁぁ行くぜぇぇぇぇぇぇ!!!」

 冷たい鋼が激情のままに吼え。

 数式領域の決闘場で、鋼の剣と血染めの杭が交差した。

 

 

1970年 ベトナム戦争渦中、或いは数式領域内にて 吸血鬼、櫻井、鋼の男

 

 

 

 

「ぐぁッ!?」

 櫻井鈴は、空間の亀裂から投げ出され背中を強打した。

 訳の分からない世界を飛んだまま行き来した故受け身もうまく取れず、肺の空気を吐き出しきってしまう。

 血の焼ける臭いと、冷たい土の感触。

 ぼやける視界が木に生える葉を捉え、自分が戻ってきたことを実感する。

「何だってんだ……一体」

 自身と吸血鬼の間に乱入した謎の存在。

 奴は逃げろと言った、その契約を思い止まれと言った。

 何のつもりなのか、黒円卓に対抗する正義の味方気取りか。

 あの連中は、そんな涙ぐましい努力で何とかなる存在ではないというのに。

 それで何とかなってるなら、自分もとっくにこのクソ以下の運命から解き放たれている。

 鈴は心の中で悪態をつきつつ、しかし立ち上がる。

 今が好機なのは事実だし、彼女が契約をせずに済んだことは事実だからだ。

「……はっ、いいよ。精々利用してやるさ。私は逃げる、逃げ続ける。私の背を追い続けるこのクソッタレな運命から――」

「ヘイ彼女、僕とお茶しない?」

 その場違いな声色に、鈴は視線を向けることなくその場から跳ね跳ぶ。

 手頃な木の幹に捕まり、自身の体を隠し、視線の半分を今しがた声の掛かった方向に向ける。

「わーお、大した身のこなしだ。それで十代後半、我流の傭兵とは思えないね。櫻井の血筋とはいえ、聖槍との本契約もまだだろうに」

「クソが……クソが、クソッタレがッ!!!」

 そして、鈴は自身に追いすがる最低な運命に対し吐き捨てるしかなかった。

 それは、先程自身を追ってきた吸血鬼と同じ軍服だった。

 背丈のほどは小さいが、そんなことは警戒を解く理由になりはしない。

「どこまで私の邪魔をすれば気が済む、黒円卓!!!」

「あの、ちょっと、待ってくれない? 待て、待って、早まるな、いいかい、落ち着いて」

 虎のように威嚇する鈴に対し、黒円卓の男……アルフレートは困ったように体の前で両手を振りながら軽く後退する。

「あのね、僕は君に危害を加えるつもりはないんだ。だから、聖槍との契約は待って欲しい。いやマジで、それをされると此処に来た意味が無いというか……マジ落ち着いて」

「あん?」

「んー。まあ、端的に言うよ。櫻井鈴。次代のトバルカイン。君は後数年もしないうちに聖槍に選ばれる。今のカインがもう何時朽ちてもおかしくないからね」

「数年……」

「で、だ。君、助かりたい?」

「は?」

「だから。助かりたい? 僕は君の呪いを何とかする手伝いをしようと思ってるんだけど。受ける気ある? ちなみにここで受けてもらえないと君は多分ベイの追撃を受けることになるんだけど」

「……どういうことだよ黒円卓。いや、てめえだ。てめえ、どういうつもりだ」

「どういうつもりも何も僕は僕で色々企んでてそれにはカインじゃない君が必要だってだけだよ。で、どう、受ける気ない?」

「そうかよ。ならそれの返答は、これだ!」

 鈴は地面に落としていたショットガンを拾い上げ、アルフレートの脳天に向ける。

 完全に虚をつき発射された弾丸は寸分違わず狙い通りに発射され。

「がぺッ」

 アルフレートの頭を吹き飛ばした。

「は?」

 その、予想以上過ぎる成果に鈴は呆然とする。

 銃弾など物ともしない魔人だ。

 例えあのガキの装甲がさっきの吸血鬼より薄かったとしても、一瞬怯ませれば儲けもの、程度の思いだった。

 しかし結果は見ての通り、アルフレートの頭の上半分は吹っ飛び、血を撒き散らしながら無様に倒れ込んだ。

 動き出す気配は、ない。

「殺った、だと?」

 鈴の勘は、確かに殺した、と言っていた。

 だが、本当にそうか。

 殺した、殺した、殺した、のに。

 何故本能以上に理性が警戒しているのか。

「酷いことするなあ。まあ荒んだ生活だったろうし仕方ないか」

「ッ!!!!!!」

 また、背後から響いた間の抜けた声に拳を叩き込もうとする。

 しかし、その拳はあっさりと受け止められた。

「残念、サービスはここまで。クンフーが足りんよ」

 瞬間、鈴の天地は回転した。

 両腕が極められる感覚と同時に、地面に全身を打ち付ける。

「がッ!?」

「はっはっは」

 倒れながら、その両腕を完全に抑えられていた。

 足の力で脱出しようとするも、どう足掻こうと腕が外れるのが先だろう。

「こ、のクソガキ……」

「年齢に左右されない化物だろうと、見た目ってのは大事でね。更に日頃なんてことないことであっさりやられてると、周りは思った以上に油断してくれる」

 如何に魔的な身体能力があろうとも。

 優れた第六感があろうとも。

 ここまで捕らえられてしまえば為す術はない。

「で、話聞いてくれる?」

「クソ喰らえ……」

「うーんこの。まあ焦って契約に踏み切らない最低限の冷静さがあればいいか」

 相変わらず反骨精神溢れる鈴の両腕を抑えたまま、アルフレートは銀時計を掲げる。

「このままうちまで拉致っちゃお。うん、それがいい。話はそれからでいいや」

「ふざっ、離せ! 離しやがれクソチビ!」

「やだよ」

 そして、空間が歪んで。

 ほんの多少の、真新しい争いの痕跡とともに、二人は鉄火の森から掻き消えた。

 

 

1970年 ベトナム戦争渦中にて 櫻井の少女と時記す歯車

 

 

 

 

 ヴァルターは眠っていた。

 暗い部屋の中、陽の光はカーテンで遮断されているだろう。

 瞼の重みは解けることなく、さらなる眠りにつけとヴァルターに言っている。

「……さん……きて……い」

 声がする。

 鈴の音のような、優しい声だ。

 まどろみの中かすかな音を聞けば、それは更なるまどろみの底への誘いとなるだろう。

 ヴァルターは眠った。

「ヴァル……さん……起きて……い」

 声は少しずつはっきりとしてくる。

 このあたりになると誰が声をかけているのか、それが現実か夢なのかはっきりしてくるのだが、それでもヴァルターは眠った。

「ヴァルターさん、ヴァルターさん、起きて下さい」

 ヴァルターは眠った。

「起きてくださいってば! もう昼ですよ!」

「……ひる?」

 布団を被りつつ上半身のみをむくりと起き上がらせる。

 腰に手を当てムッとしている少女は一旦スルーし時計に目をやると、確かに昼だった。

「昼だな……たしかに昼だ」

「ええ昼です。ですから起きて下さい。昼食、作りましたんで。卵とかベーコンとか勝手に使っちゃいましたけど」

「んい……いいよ、いいよ」

 ヴァルターは瞼の端を指でもみ、肩と首を回す。

 腕も伸ばしその場で一伸びして。

「……うん、おはようございます」

「はい、こんにちは。なんというか、本当にぐうたらしてるとは……」

「昨日は戻って早々眠りこけて悪かった……朝早くの仕事も勤労の義務ももうないと思うと、時間の使い方が螺曲がってくるなあ」

 二人がこうして合う期間は、それほど頻繁ではない。

 任務や故郷を尋ねる口実でベアトリスは諏訪原を長期間離れるが、それも頻繁が過ぎれば警戒されるだろう。

 そうした状況でどちらかがどちらかに合わせる形で、会える間は貴重な近況報告の期間であり、こうしてのんびり過ごす期間でもある。

 此処はシェレンベルクの森奥。

 現世において隠された彼の故郷である森のコテージだった。

「ちょっと、ダメな感じになってますよ。自由とはいえど自由すぎるのは問題ですよ。まあ、とにかくご飯の時間です」

「ベアトリスが作ったのか?」

「はい! そう言えば手料理を振る舞うのは初めてでしょうか。簡単なものですが、まあ人並み程度には作れますよ、私も」

「そっか。じゃあ、冷めないうちに行くよ」

「ひぇっ」

 ヴァルターが寝間着の上をひっぺがすと、ベアトリスはビクッと大げさに震える。

「……今更じゃないか?」

「今更でもです! そう言うの、女の子は敏感なんです!」

「そりゃあ、あまり長々と一緒にはいれないけど。互いにもう存分に肌を――」

「あーあーデリカシーのない発言禁止! 先に降りてます!」

「解せん」

 階段を降りていくベアトリスを尻目に、ヴァルターはとりあえず着替えることにした。

 

 

 

 

 

「あまりおいしくない」

 シンプルなベーコンエッグを前に、素朴な顔で感想を漏らす男。

「何ですとぉ!? こんな、ちゃんと普通にできてるじゃないですか! どっかのしょうもない話みたいに焦がしたりしてませんし!」

 少女は激怒した、無理も無い。

「いやまあ、普通だ、普通なんだけど。何でこんなに味気ないんだろう……調味料は?」

「素材の味で十分では?」

「ベーコンの味さえ若干飛んでるような気がするんだが……何故こうも味を消すのか、いや、消せるのか、か? ほら、あーん」

「はぇっ!?」

 ベーコンエッグを刺したフォークを眼前に差し出され、ベアトリスは若干赤面しつつも流れのままに食いつく。

 食いついて、咀嚼して、真顔になって。

「あまりおいしくない」

「だろ」

 先程のヴァルターと同じ感想を素朴な顔で漏らした。

「え? えー? 何で? 何で……? ほんとだ、あまりおいしくない……まあ、食べれるけど、味が薄い……妙に薄い……えー? これくらいで丁度いいと思ったんだけどなあ」

「典型的な味見を怠る奴の言葉だな。もぐもぐ」

「えー……なにこれ、もぐもぐ」

 あまりおいしくない、を連呼しながらも二人は食を進める。

 あまりおいしくない、という表現は舌の肥えた人間にとってはまあ普通? 程度のもので、普通に食べられなくはない。

 テーブルの上の必要以上に味が飛んだ昼食を二人は食べきって。

「ごちそうさまでした」

「……お粗末さまでした」

 食べきって一息つくヴァルターに、ベアトリスは縮こまっている。

「……ごめんなさい、あまりおいしくないもので」

「まあ、確かにおいしくなかった」

「うぐっ」

「俺が作るほうがうまいな……切って焼く程度だけど」

「うぐぐっ……ぐすん」

 ヴァルターは正直に感想を言う。

 それが悪意によらない単に正直な感想だと分かるから、ベアトリスもしょげる。

 これがこう、唐突に昼食を代打するとかではなく自信満々に手料理を振る舞うとかの場面だったらどうなっていたことか。

 ベアトリスは脳内でがあがあ言いながら転げ回っていた。

「ベアトリス」

「……はい」

 料理の特訓、するべきかなあ。

 そんなことを思いながら、はて慰められるのかそれとも純朴に作ってもらったことを感謝されるのか、先輩ってそう言う人だよねなおさら悲しくなるわー。

 そんなことを思いながら、その先を待つ。

「今夜、晩御飯一緒に作ろうか」

「え」

「一緒に作ろう。機会があれば、この先も。いやか?」

 首を微かに傾げる仕草でそんなことを言ってくるヴァルターに、ベアトリスは硬直しながら言葉を絞り出す。

「いやじゃ、ないです」

「じゃあ、決まり」

 必要以上に言わず、ただそれだけを言って。

 呆然としたベアトリスの前でヴァルターは食器を片付け始める。

「…………」

 ベアトリスは、その背中を見つめて。

「ありがとう、ございます」

「何が」

「何でも。ただ、ありがとうって言いたいんです」

「そっか」

 よく分からない、分からないけど、温かい。

 そんな気持ちに小さく笑みをこぼし。

 それを見たヴァルターも同じようによく分からない笑みをこぼすのだった。

 分からなくてもいい、それでも好き。

 そんな二人のやり取りだった。

 

 

 閑話 シェレンベルクの森のコテージにて 二人の生活の一幕

 

 

 




「どういうことだオラァ!」扉ドゴォ
「うん? どうしたんですかバックスタブ少佐ー?」
「どうしたもこうしたもない! 今回君の出番はなかったはずだベア子ッ! だと言うのに何だあれは! 今話は僕が鈴ちゃんを拉致った段階で終わりの予定だったはずだッ!」
「そうですね、そういう予定でしたね」
「この唾吐きたくなる君とヴァルターのイチャイチャ生活はそういう枠として一塊に出す予定の話だったはずだッ! 今回の話の末に入ってるなんてありえないんだッ!」
「だって……今回出ないと皆勤賞逃すじゃないですか! なのでヒロイン権限でねじ込みました! いやーヒロインっていいですねえ、左団扇ですわ」
「貴様ァ! 僕は皆勤賞とっくに逃してるって言うのに一人醜くしがみつきやがって!」
「バックスタブ少佐とは格が違うんですよねー。察してどうぞ」
「次の格闘訓練の時難易度を理不尽に上げてやるからな!」
「えっ」





黒銀王冠・宙別つ三叉槍(シェイドウィルド・トリシューラ)

ヴァルターの創造(と形成の中間技)。
黒の王の欠片を水銀の血潮と聖なる王冠が三相交差し律する大黒天の槍。

元である渇望は『愛を壊す■ではなく愛を抱く■でありたい』。
■■の■■が■に■■しているが故の渇望であり、見方によっては自己を■■■させる能力でもある。
この創造の発現により、ヴァルターは半覚醒状態から著しく弱体化した。
自身の触れている力を分断、拒絶、再結合することで完全制御下に置く。
求道でありながら持続時間は覇道並みに短いという欠点を持つ。

その本質は■■■であり■■■■に特化した能力だが、その中間を行くことにより汎用的な制御と威力の発揮を行うのが現在の状態。
この創造が真価を発揮するのはそれにふさわしい相手と相対したときのみであり、
真の発動を行えば最早引き返せないだろう。
グラズヘイムを瓦解させる三つの鍵の一つ、■■■の黒衣。





詠唱
『胸に深く我が支配する 憤ろしき夢を秘め』
『燃え立つ槍と猛る馬もて 我が赴くは死の曠野』
『幽鬼と影の騎士として 我が呼ばれしは死の試合』
『世の常の旅にしあらね 遥けき世界の果てを行く』

引用:アルフレッド・ベスター作『虎よ! 虎よ!』



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Fragments:幕間、櫻井Ⅱ

幕間も終りが近いですよ! ようやく1990年間近まで書けました。
次回テレジアちゃん誕生から双頭の鷲までやって、原作に入ると思われます。

原作突入は書くに当たってもっかい見直して書き溜め作ってからになると思われますが。
ところで鈴さんですがその性格は完全に独自解釈で書いたのでパンテオンが来たら死にます。


今回のフラグメンツは

1:鈴ちゃんなう3
2:ベア子枠
3:荒川アンダーザブリッジin聖餐杯猊下2

になります。


 私は、呪われている。

 呪われた一族だ、呪われた血筋だ。

 その原因が御大層な神話でもなく、僅か数十年前のジジイの迂闊さ加減だというのだから笑えもしない、ただただ憎いだけだ。

 手前勝手に異国に飛んで、言われるままに槍とやらを造って、その呪いに取り殺された。

 刀鍛冶が自分の作った作品に殺されるなんて耄碌しているにも程がある。

 

 幼い頃から、父も母も何かに怯えていて。

 私も、兄貴も、そういうのには敏感だったから、ああ、この家は何かに取り込まれてる、まともじゃないんだな、と幼心に思っていた。

 それでも、そんなものに粛々と従うような性根じゃなかった。

 

 だからだろう。

 父が、母が、それを私達に打ち明けた時。

 選ばれたのが、私だと知った時。

 その道を選ぶのに、躊躇いはなかった。

 生きるためなら、全力で生を全うするためなら、何もかもを捨てられると思った。

 歪だなんて、自分でも分かっている。

 歪で狂った人間だからこそ、兄貴じゃなく私が選ばれたんだろう。

 兄貴はきっと、呪いが取りつくには清廉に過ぎたのだ。

 あいつがもっと掃き溜めの屑みたいな人格だったらよかったのに、そうすれば、この呪いも私ではなくあいつに取り付いたかもしれないのに。

 そんなことを考えて、当たり散らした時もあった。

 それでも返ってきた言葉は、俺にどうして欲しい、なんて一言だったものだから、やめた。

 

 私の家系はクソだ、クソのジジイから始まって、父も母も呪われた運命にヘコヘコ従っている。

 きっとこの先もクソみたいな連中が続いていくんだろう、そんなやつらにこの呪いが引き継がれようと知ったことじゃないし、私は私が助かればそれでいい。

 ただ、それでも、あのときの私は、私の代わりに死ねと言えば分かった、そうしようと平然と返してきかねない兄貴を利用することはできなかった。

 ……櫻井の家で、一番身近に過ごしてきた相手だ。

 私もクズの自覚はあるが、あいつだけは、そういう風に犠牲にするのは何となく嫌だった。

 

 だから、何もかも自分で何とかするために、私は早々に道を選んだ。

 鉄火の向こう側に渡り、この命を早々に使い切る。

 自死なんて真似はしない。

 バケモノ共のせいで死ぬのではなく、全力で生き抜いた果てに死ぬ。

 そして私に追いつくことができなかったクソの呪いに中指おっ立てて嘲笑ってやる。

 だから私はこうして狂気の沙汰の中に身を置いている。

 傭兵として戦地を渡り歩き、戦って、戦って、戦って。

 私が命を散らすべき運命を、真っ当に死ねる運命を探して。

 

 

「そして戦場荒らし中のベイ中尉に遭遇してしまったのでした、と。ちょっと噂を手繰れば変だなーって思うところだろうね、猪だね君」

「うるせえ」

 私より背の低い色白のクソガキが呆れたようなニヤついたような目で見てくる。

 死ぬほど不愉快だ。

 此処はバケモノどもの腹の中。

 このチビも見た目なんて全く勘定に入れるべきではない魔人なのは分かっている。

 だが不愉快なものは不愉快だ。

「で、何のつもりだ黒円卓。私の呪いを解くだと? 私の呪いが消えて一番困るのはお前らじゃないのかよ」

「んっんー。まあまあ落ち着きなすって。僕はアルフレート。アルフレート・ヘルムート・ナウヨックス。君の言う通り黒円卓の六番目の席に居座ってる小粋な少年だけど、この僕の行動は黒円卓の総意じゃない。と言うか、むしろ絶賛僕は反逆者側なわけで」

 アルフレート・ナウヨックス、そう名乗ったこの男。

 黒円卓という事前知識がなくとも、大戦中のドイツのことを調べれば出てくる名前だ。

 グライヴィッツの缶詰を開けた男、等と呼ばれている、大戦の引き金を引いた軍人。

 それが、黒円卓に反逆しようとしている?

「僕の個人的事情でね。偽槍の存在が鍵になるしれないんだ。だから、こうして次に選ばれたっていう君が偽槍の担い手になる前に見っけ出して交渉がしたいと思ってね」

「お前みたいな怪しいのの口車に乗って私に何の利益があるんだよ」

「呪いから逃げられるかもしれないね?」

「…………」

「まあ、まあ、君の事情はしっかり顧みさせてもらったよ。その上で確信した。僕らはこの上ない利益を交換できる関係を結べる。何を犠牲にしても、逃げ切ってやるんだろう? 僕としても、この交渉にある程度賭けてるんだ」

 こちらをじっと見つめ、どうだい、と言外に問いかけてくる。

 実際、どうだいも何もない。

 こいつは私を幽閉し、殴ろうが蹴ろうが撃とうが傷一つつかない体で握手を求めてきている。

 どうせ、私が首を縦に振るまでこの監禁は続くのだろう。

 そして私も、現状死に瀕するほどの危機ではない故に、人外に堕ちてでも抜け出してやる、等とは今更思えない。

 なら、話を聞くしかないのだろう。

 或いは、本当にこの男の言うことが正しいのだとしたら。

「……いいよ。聞くだけ聞くよ。どうせそうしないと延々とこのままなんだろ」

「本当かい? いやーよかったよかった! 破れかぶれで偽槍契約して突撃されるのが一番困ったけどその心配もなさそうだ!」

「お前が振り返りざまに私を殺しに来ればそうするかもね」

「うん、だからやらないよー」

 上機嫌な小男、ナウヨックスは椅子から立ち上がると背後の箪笥を開ける。

 開けようとして。

「……ギッ!?」

「……?」

 突如、あいつは鈍く軋むような苦悶の声を上げて、頭を抱える。

 口元が、瞳が、尋常ではなく歪み始める。

 片手で頭を抱えながら、今しがた開けようとした引き出しとは別の引き出しをもう片方の手で開けると、その中から何か液体の入った小瓶を取り出す。

 そしてそれを一気に飲み干した。

「……ふー、危ない危ない。勘弁してくれよ、このタイミングはまずいって……」

「おい、どうした」

「何でもない何でもない、持病の頭痛だから。ストレス社会との戦いで患わった不治の病だから。さて本筋はこっちこっち」

 妙な違和感を感じたけど、特に言うことも言えることもない。

 あっちの反応を待つことにする。

 改めてナウヨックスは先程開けようとしていた引き出しを開ける。

 取り出したのは何かの紙束と、手に収まる程度の大きさの小箱。

「さて、詳しい提案の時間と行こうか。とは言えまずは趣旨を伝えないとね。色々あって、僕は暫くトバルカインと偽槍を共同で預かっている立場だ。それ故にその身の性質、呪いの概要などを研究する時間はいくらでもあった」

 バサバサと机の上に撒かれる紙。

 こんなものを見せられても、理解できた所で不愉快なだけだと思う。

 実際、中の紙に仮面を被せられたクソジジイの写真や、薄気味悪い灰色の肉の塊になったクソジジイの写真があるのを確認した、反吐が出る、過去に戻ってクソジジイをぶっ殺せたらどれだけいいか。

「で、その研究とやらで、うちのクソ一族の呪いがどうにかなるって?」

「んにゃぴ。まあぶっちゃけこんなん一族が根絶やしになるか、偽槍をぶっ壊しちゃうのが一番手っ取り早いよね。でも、僕が必要としていることはそういうことじゃないんだ」

 その撒いた研究資料とやらを、今は関係ないとすいと机の脇に除ける。

 ならなんで撒いたんだよ、鬱陶しいな。

「さて、この話が大本命なんだけど……」

 残ったのはわずか数枚の紙と、小箱。

 小箱が開くと、そこから親指程度の大きさの長方形の何かが出てくる。

 広げられた紙は何やら空白が多く、役所に出す書類のような印象を受ける。

「なにこれ」

「はい」

 紙の上部を掴んだ手が目前までずいと差し出される。

 そして、紙の上部を掴んでいた、否、上部を意図的に隠していた指が離され、隠されていた文字がはっきり見えるようになる。

「…………」

「…………」

「…………はぁ!?」

 思わず、素っ頓狂な声を上げた。

 だって、そうだろう。

 何だこれは、ふざけているのか。

「僕は至って真面目だよー。さあ、名前を書いて、印鑑を押してね」

 警戒性の欠片もない笑顔でそれを向けてくるナウヨックスの言葉はどこからどこまでが本気なのかさっぱり分からない。

 否、何某か本気の欠片が見えたとしても、だ。

 

「櫻井さん家の鈴ちゃん。僕と結婚して、家族になってよ!」

 

 とりあえず私はその『婚姻届』と書かれた用紙を持った馬鹿をぶん殴ることにした。

 

 

 1970年 ヴンダーカンマーⅡにて アルフレートと鈴

 

 

 

 

「…………」

 靴の裏が規則的に地面を打ち鳴らす音が響く。

 広々とした物の無い広大なスペースで、ヴァルターはそれを観戦していた。

 向き合う二人は互いに無手、少女は得意の剣を持たずに、少年に対して踏み込む。

「はッ!」

 あらゆる武道にとって体術とは基礎だ。

 足運び、体捌き、武器で戦う人間はある程度の白兵戦も出来なければ話にならない。

 ベアトリスは騎士の家に生まれ、幼少の頃より剣を握り、黒円卓においてその剣技は最高峰であれば、その間合いの詰め方も、腕に乗せられた威力も、決して生半可ではない。

 しかし、それが剣の技量ほどではない名人程度のものであれば、達人はそれを乗り越える。

「はいハズレ」

 風を切る音さえ聞こえた見事な正拳突きは、到達点に軽く手を添えられ体を僅かにそらされることで回避される。

 無論それにいちいち驚いている隙きなどなく、ベアトリスは次打に移ろうとするが。

「遅い遅い、一撃一撃が全力過ぎ。到底間に合わない」

 アルフレートはその小柄を活かし斜め下に潜り込むように、既にベアトリスの懐に入っていた。

「このっ!」

 とっさに膝を出しても、その膝の頭を捕まれ更に接近される。

 事もあろうにそれを踏み台のようにして。

「せいッ!」

「がッ!?」

 ベアトリスの顎に、アルフレートの頭突きが命中した。

 固い衝撃に襲われたベアトリスはたたらを踏みよろけることとなり。

「はい、はい、はい。しゅーりょー」

「ぐぅ……参りました」

 そこからは、流れるように後ろから足を掬われひっくり返り、関節を固められて終わりだ。

 ベアトリスは悔しげに敗北を認め、アルフレートは不敵に笑いベアトリスを開放した。

「剣と拳の差だね。獲物がない分威力を補おうと拳の先に意図してない力が乗ってるよ。微妙な差だけど、僕にとっては掻っ攫うに足る差だ。僕に一矢報いたいならもっと全身の力の配分を調整するんだね」

「意識してるつもりなんですが……まだ力み過ぎですか」

「ま、時間はあるし、いずれは意識せずスイッチを入れられるようになるまで鍛え込むつもりだし、その辺は回数回数。現役時代路地裏のチンピラを無意味にしばき倒すのがライフワークだった僕としては、ベア子ちゃんにはそのへんの経験が足りないね」

「嫌すぎでしょその趣味。ほんとろくでもない人ですね貴方」

 それは、組手の訓練だった。

 経緯を遡れば、ベアトリスがヴァルターを救い出した折、聖遺物に変化が起こったことにある。

 その身に自身の魂のみで戦う制約を課されたのと引き換えに、手に入れたのが真の創造と、魂を燃料を焼べずとも雷を生成する機械の帯、そして腕に纏った強靭な装甲。

 雷の戦士、ペルクナスの残滓。

 ただの力に固執するのはやめた、しかしそれはそれとして力は必要だ。

 心機一転したベアトリスが来る戦いに向けて始めようと思ったのは、やはり訓練だった。

 剣の腕は錆びついていない、であれば、今持ち得る手札を十全に活かすためにと、彼女は本格的に拳闘の訓練を行うことにした。

 その所をヴァルターに伝えると。

『ああ、それなら。丁度お誂え向きのがいるだろう。俺たち共通の知り合いに』

 そう言われ、そして今に至る。

 こうして訓練を行うのももう何度目か。

「むう……次、お願いします」

「疲れたから十分休憩ー」

「嘘つけ! 活動位階中に疲れたとか成り立てじゃないんですから!」

「いいからいいから、感覚を掴めないうちは動作と思考の反芻が必要なんだって」

 アルフレート・ナウヨックスは拳闘の達人だ。

 恐ろしいことに彼と長く付き合ってる人間でも注意してないとその事実を忘れることがある。

 彼が、他人から侮られるように、意図的にそう振る舞っているからだ。

 純粋な戦士でなければ、たとえその事実が分かっていても彼を侮る。

 実際ベアトリスもヴァルターに言われて思い出したのはいいが、こうして手合わせするまで大した期待を持てなかったのだから筋金入りだ。

 訓練内容は活動位階の微弱隆起まで縛りをいれた白兵戦闘。

 未だ、ベアトリスはアルフレートの背を地につけられていない。

「はあ……」

「お疲れ様」

 溜息をつくベアトリスに、ヴァルターがタオルとボトルを渡した。

 それを受け取りながら、遠くで床に乗っ転がってるアルフレートを見てベアトリスがぼやく。

「何というか、彼の技量が高いのは分かるんです。小憎たらしい振る舞いしてますけど、分かります。彼の動きは正当な鍛錬と実践に裏打ちされた技術です。駆け引き自体に邪道はあっても、その動きは鋼の如き理念で構成されている。私が培った剣技と同じです」

「邪道って言うならそれはむしろ俺のことだろう。基礎能力だけをひたすら鍛えた後は実践と直感と目の良さだけで何とかしてきたようなものだし。だからベアトリスから攻めの剣を教わるのは有り難いと思うよ」

「ええ、そのくらいならいくらでも、です」

 ヴァルターはアルフレートの研究に協力する。

 アルフレートはベアトリスに拳闘の訓練をする。

 ベアトリスはヴァルターに正道の剣技を教える。

 来る時に向けての準備期間、その間に何ができるのか。

それを踏まえての、この三人の概ねの関係性がこれだった。

「彼のは彼の、あやふやで気分屋のように見えて確かな何かがあるのは分かります。それでも……それでも腹立つんですよねえーーーーーーほんと、何時か絶対ひっくり返してやる」

「余り真に受けるな、とは言えないけど。そうしようとしてもペースに引きずり込んで切るのがあいつだし。まあ、でも」

 起き上がり、体を曲げて柔軟体操をしているアルフレートをヴァルターは見る。

 視線が合うと、アルフレートはへらりと笑いながら手を振ってくる。

「組み手してるときのあいつに邪念はないよ。純粋に楽しそうだ。そこは信じていいと思う。あいつはあいつなりにしっかり鍛えてるよ」

「……ですか。まあ、先輩がそう言うのなら。きっとそうなんでしょうね」

 ベアトリスにも実感はある。

 この鍛錬の一つ一つが確かな血肉となっていることを。

 相手は未だ拳闘においては全く及ばぬ熟練の領域であれば、学ぶものは多い。

 どこまで近づけるか、否、完全にものにしてみせる。

 それに、もたついてたら間に合わなくなるかもしれない。

 あの言葉を、あの日耳元で囁かれた言葉を思い出す。

 

『僕がヴァルターの味方でいられるのも、後少しかもしれない。そうなったら、後は頼むよ』

 

「…………」

 その表情を見る。

 変わりは、見えない、分からない。

 けれど、あの日何故自分にあんなことを言ったのか。

「それだけは、信じますよ。ナウヨックス少佐」

 アルフレートが起き上がるのを見て、ベアトリスも立ち上がった。

 

 

 ヴンダーカンマーⅡ:試験区画にて 彼らの鍛錬風景

 

 

 

 

「くっ……まさか、このようなことになるとは。不覚でした」

 ヴァレリア・トリファは大いに動揺していた。

 人の良い神父の顔は表の世を渡り歩く姿。

 黄金の玉体を借り受ける男、聖餐杯、邪なる聖者、クリストフ・ローエングリーン。

 稀代の策謀家、人心掌握者、ンを抜いた人、ドスケベ変態。

 裏世界からは数々の忌み名で陰口を叩かれる男だ。

 世界が恐れる聖槍十三騎士団、その首領代行である男が今、橋の上で動揺に震えている。

 何を恐れるものがあるのか、よもや、彼の真なる主の降臨か。

 そう、ヴァレリアは今……

 

「ここまでしますか! もうこの段階で泣きそうなんですが!」

 

 現在、下着のシャツまで奪われパンツを晒した姿で諏訪原の橋の上で仁王立ちしていた。

 日も若干斜めに傾いた、昼間のことだった。

 ヴァレリアは、パンツむき出しで橋の上にいた。

 パンツむき出しで。

「なんということでしょう……報告がある故昼間にも構わず教会に帰ろうと橋を渡っていたら、またも下校途中のエキセントリックな小学生たちにカソックを奪われ、ついでにバッグの中に入れておいた予備のカソックさえも奪われ、鉄塔の上に引っ掛けられてしまうとは……このままでは、私は更なる変態の烙印を押されてしまう!」

 尚ヴァレリアは既に身内からはドスケベ変態の烙印を押されている。

 近所の奥方も神父様はいつも大変ねと思われつつそれでも若干変態扱いされている。

 しかしヴァレリアはへこたれない、だって聖餐杯だから。

 例え会心の策として用意したバッグに服の予備を持ち歩くという完璧な防護を破られあまつさえシャツまで奪われてしまっても、聖餐杯はめげないのだ。

「聖餐杯は砕けない」

 中天の太陽の輝きが眼鏡に反射する。

 ヴァレリアは今、試練の只中にいた。

「さて、では登りますか」

 すっかり襲撃に慣れてしまったので、ヴァレリアは嘆きも程々に鉄塔によじ登ることにした。

 相変わらず意外と角ばっているわ表面は滑るわで登りにくいことこの上ない。

 この鉄塔も老朽化が激しいのでシュピーネに話して新品に立て直してもらいましょうか、これに登る小学生たちが怪我をしてしまったら事ですからね。

 そんなことを思いつつヴァレリアは鉄塔を登る。

 そう、ヴァレリアは子供たちを怒らない。

 いくら代が変わるごとに小賢しさが増し、伝統とでも言わんばかりに自分のカソックを剥ぎに来るクソガキ共であろうと、彼にとっては愛すべき子供たちなのだ。

 何だかんだ卒業式の日に思いの篭った寄せ書きをくれる子供達をどうして怒ることができましょうか、いやない。

 そんなんだから最早金髪の神父からカソックを剥ぐ話が諏訪原の都市伝説となっているのだが、邪なる聖者だろうと日頃のうだつの上がらなさはどうしようもなかった。

「ふん、ふん、もう少し、もう少しですよ……」

 鉄塔を半ば以上まで登り、風にたなびくカソック(予備含め五着)が目前に迫る。

 ギシギシバキバキと危険な音を鳴らしながら自身の体重を支えている鉄塔を左手と両足でしっかり抑えつつ、その右手をカソックに伸ばして。

「あ、ああっ!? そんなご無体な!」

 しかし、やはり突風が起き、鉄塔の先に引っかかっていたカソックが全て外れる。

 カソックが宙を舞おうとしているのを見たヴァレリアはしかし慌てて手を伸ばさないよう落ち着いて現状把握に努め、しかしそれでも結局負担がかかった左手のパイプと足元のパイプから、バキッっという嫌な音が響いて。

「あ」

 古びた鉄塔の一部が見事に折れた。

 ヴァレリアの体は慣性のままに鉄塔を離れ空に放り出される。

「ああああああぁぁぁぁぁ…………」

 ヴァレリアは橋の地面ではなく、その下、川の中に叩き込まれた。

 魔人的にはコンクリートに叩きつけられても別に平気なのだが、衆目がある中叩きつけられてピンピンしているのはおかしい。

 なのでヴァレリアは落ちる時は川の中にしようと、空中での体のひねり方を覚えたのだ。

「はひぃ、はひぃ、こ、今回も酷い目にあいました……すっかりナウヨックス卿の口癖が移ってしまったような……」

 ざぶざぶと川の水を搔き分け、河川敷に倒れ込む金髪の大男。

 何故か眼鏡だけは流されることなく死守していた。

「わ、私のカソックは……ああ、よかった、やはり神は私を見捨てない」

 突風で鉄塔から飛ばされたカソック四着はバラバラに飛んでいったがそのうち一着が河川敷の坂に落ちていた。

 やはり数分待っていればこんな目に合わずともカソックを回収できていたのだが、まああの社会死ゲージ急上昇中の身にそれを省みろというのは不可能だろう。

「カソックは取り戻せても今度は我が身が水浸し。ふ、ですが子供たちよ甘いですね、カソックに固執する余り私のバッグに入っていたバスタオルには無頓着だった。今回は私の勝ちです」

 そう言って予め河川敷においておいたバッグに近づこうとして。

 背後からパシャー、パシャー、と何か音が聞こえたので、振り返る。

「……マレウス。あの、やめてください」

「えー? やだ」

 ルサルカはヴァレリアのバッグを背負いながら、カメラのシャッターを切っていた。

 被写体は無論ずぶ濡れのヴァレリアである。

 愉悦の瞬間はそこらじゅうに転がってるのよねーと、いつの頃からかカメラと録音機械を手放さないようになったルサルカ。

 その表情はあくどい。

「私のバッグ返して下さい、体拭きたいんですよ」

「取った写真は現像次第バビロンに送るわ」

「本当にやめて下さい」

「仕方ないわねー。まあどうせまた噂になるだろうし、この中身は私のコレクションに加えるだけにしておくわ」

「ふんッ」

「おっと」

 カメラを奪おうとする変態。

 こういうときばかり機敏に避けるルサルカ。

 ルサルカは脱兎のごとくその場から駆け出し、河川敷には両手両膝を地につき項垂れるヴァレリアのみが残った。

「ママーまた神父様が変なことになってるよー」

「しっ、見ちゃいけません」

 そんな声が橋の上から聞こえてきて。

「……聖餐杯は、壊れない」

 砂利の上で、ピュアな涙を零す聖人がいたのだった。

 

 

 

 

 教会の地下、黒円卓の会議場にて。

 ヴァレリアは厳かに手を組み、首領代行として団員を見る。

「さて……面倒なことになりました」

「何が面倒なのかしらドスケベ変態」

 ヴァレリアの腕はずるっと椅子から滑った。

「あの、いい加減この流れやめません?」

「アルちゃん印の映写機械なら当日現像余裕だからもう全員に配っておいたわよ」

「何やってるんですか貴方、またパンツ……」

「ドスケベ変態くんってやっぱりホモだったんだね」

「私はホモじゃない!!!」

 この場に集っているのはヴァレリア、リザ、ルサルカ、ベアトリス、アルフレートの五人。

 ヴィルヘルムは相変わらず戦場荒らしに精を出しているし、シュピーネは資金繰りのため米国に飛んでいる。

 今回は非常事態ではあるが、とりあえずはその場にいる面々のみでの会議だった。

「んんッ!!! 私のことはどうでもいいでしょう。今回の主題は今も尚我々に刃向かおうとする何某かの話なのですから! なので私の話はもうやめましょう、ハイ、やめやめ!」

「ついにドスケベ変態の部分は否定しなくなったわね」

「まあ、ドスケベ変態だろうと仲間なのが黒円卓のいい所? って感じだし」

「ドスケベ変態に正論を言われても……」

「皆、ドスケベ変態が何をしたっていうんだ! ドスケベで変態だからって、彼も同胞なんだぞ! 体を張ってずぶ濡れ男優写真集を作ろうだなんて、中々できることじゃないよ!」

「もおおおおおおおおおおおお!!! そんな恐れ多いことするわけ無いでしょ!!!」

グラズヘイムの面々に知られたら間違いなく殺される恐るべき企画に、ヴァレリアはみっともなくキレて無理矢理話をすすめることにした。

 聖餐杯は壊れない、壊れないったら壊れない。

「いいですか……櫻井の一族が失踪しました」

「失踪?」

 リザが一番に眉をしかめる。

 彼女にとっても由々しき事態だったからだ。

「ええ、二代目トバルカイン、櫻井鈴の出奔が起こったことを踏まえ、あの一族は常に監視下に置いていたのですが……監視員は皆殺しでした。櫻井の人間は、全員消えていたそうです」

「下手人は不明、ということかしら」

「現場に残った破壊痕跡、そしてそれに反し家屋全体は不自然なほど損傷が小さいことから、推定ですが、大型兵器ではなく人間大の何者かが暴れまわった可能性が高い。少なくとも嘗て我々に敵対した、あの魔女たちのような何者かであることは間違いありません」

「へえー、まだそんなのがいたなんて、おっどろき。枝切はほとんど済んだと思ったのに」

 ルサルカがそう囃し立てると、ヴァレリアは厳かに頷く。

「ええ、まさしくそれですよ。ほとんど、とは、全て、ではない。今回の手口は鮮やかにすぎる、我々に尻尾を掴ませないための作戦校であったと言わざるを得ません。と、なると」

「未だ現存している数少ない反黒円卓組織の仕業、そういうことですか」

「ええ。大国の幾つかは既に機能を停止している、となるとある程度の絞込は出来ます。ただ、それに対しこちらから攻勢を仕掛けた所で、目当てのものが返ってくるかどうか。我々は奪われた段階ですでに半ば敗北しているわけだ。ゾーネンキント程の重要度ではなかった故に下部組織による監視に留めていたとはいえ、やられましたね」

 脅威ではない、しかし面倒だ。

 年月も既に半ば以上まで過ぎ近づき、今は1987年。

 この時期に未だ黄金錬成に介入しようなどと目論む身の程知らずがいるのは実に良くない、とヴァレリアはため息を吐く。

「では、どうするんです? 今まで敢えて放置していたものを、片っ端から潰していくんですか」

 ベアトリスが問うと、ヴァレリアは首を横に振った。

「いいえ。今回は何もしません。行動を起こしたということは、狙いがあるということ。私は今回の櫻井一族誘拐は、最初の一手に過ぎないと考える。であれば」

「相手が自発的に本命の作戦を実行してこそ、一網打尽にできる。こっちから叩いてもまた蟻が散っていくみたいにバラけるだけ、そういうことね」

 ルサルカが手を広げ握り込む動作をした。

 敵、などというものは全て掌の上にあると。

「ええ。何せ負ける要素がない。双頭の鷲(ドッペル・アドラー)あたりは古代機関(イニシエイト・エンジン)の発掘場独占に成功したという話ですが、精々位階としては形成がいい所。間違えてはなりません、我々は決して脅かされる側ではない」

 ヴァレリアが席から立ち上がり、第二位の席の後ろまでゆったり歩く。

 その席に、軽く手をおいて。

「故、三代目は諦めましょう。二代で十分だ。そうですね、ナウヨックス卿」

 その問いかけに、アルフレートは眠たげに答える。

「或いは、今のカインを破損でもさせれば偽槍は少なくとも世界の何処かにいる次の担い手と契約するんだろうけど。それじゃあ二代目の木阿弥ってやつさ。そんなことをしたら次の目処が立たなくなる。カインに被せた鎧は完成したし、まあ二代で十分と見るべきだね」

「ええ、少なくとも、二代に渡る血肉を吸収できたのですから。櫻井鈴は偽槍と契約後も延々と我々から逃げ続けてくれましたが……カインの肉が肥大化したということは、彼女が役目を果たしたのは間違いない。そうでしょう」

「……ええ。確かに、今カインは二人分の人間の肉で構成されているわ。二代目は、死んだ」

 トバルカインのメンテナンスをするリザが、そう断言する。

 その言葉に満足したように、ヴァレリアは周囲に対し呼びかける。

「であれば。後は時を待つとしましょうか。反攻勢力が我らの儀式を待つはずがない、必ずその前に事を起こすはずです。そうなれば、分かっていますね?」

「ボーナスゲームチャーンス、ってわけでしょ?」

「敵が来れば、排除するだけね」

「……襲い来るのであれば、刃を以て示します」

「楽しそうであれば参加するよー。つまんなそうならお任せ」

「では、此度はこれにて」

 積もる話はあるが、一旦席を立ち地上に戻っていく。

 ルサルカ、リザ、ベアトリスと女性陣が先んじて部屋を出ていき。

 それを見届けた後、ヴァレリアもまた席を立つ。

 乗じるように、アルフレートも席を立ち、その隣に続いて。

「ナウヨックス卿」

「何だい?」

 隣り合う親子ほどの身長差の二人が、互いを横目で見て。

 

「貴方の仕業ですか?」

「…………ひひっ」

 

 

 1989年 諏訪原にて 櫻井一族の失踪

 

 

 

 

「お前は、何なんだ」

 生まれたばかりの妹を抱える母を背に、少年は問う。

 恐怖と、困惑と、怒りを宿して。

 自分たちをあの牢獄にも等しい場から解き放った何者かに。

 そして、その何者かは。

「……お前たちを次の地獄に落とす、鋼の悪魔の使者だよ」

 彼らを連れ出した、血塗られた黒い剣を携えた、顔の見えないその男は。

 左腕のない、黒い鋼を纏った男は、皮肉げにそう言った。

 

 




分岐点
棚の中の薬を……  ✓飲む
           飲まない

さてアルフレートくんは一体何をしてるのでしょうか。


冒頭の鈴ちゃん独白ですが、彼女は兄さんたちの叔母だそうで、なら兄弟がいるよねと。
本作では特に生かされない裏設定ですが鈴ちゃんがこの時兄貴を犠牲にしてでも……という選択をしていた場合、この兄貴が偽槍を完全掌握するに至り超戦士が誕生していたとかしていないとか。
そんな与太話。


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Verfaulen segen:β

幕間、これにて。
長かったけどもうこれ以上長引かせる気はないんだ。
やーーっと一区切りだよ、皆には退屈させたんじゃないでしょうか。
これから先が退屈じゃない保証はないけど。

さーて今回のお話は。

1:アル君とレッちゃん
2:ショートコント、学級新聞のインタビューby聖餐杯猊下
3:さよならアルフレート

になります。


O Tannenbaum(オー タンネンバォム), O Tannenbaum(オー タンネンバォム)

 

 ブランコが揺れる。

 片側に誰もいないブランコで一人、幼い少女は茫洋とした顔で船を漕ぐ。

Wie treu sind(ヴィー トロィ ズィン) deine Blätter(ダィネ ブレーッテァ)

 幼稚園内の片隅の、年季の入ったブランコで。

 同じ園の子供たちを歳にそぐわぬ達観した瞳で見つめながら。

Du grünst nicht(ドゥ グルューンスツ ニヒト) nur zur Sommerzeit(ヌーァ ツゥァ ゾンメァツァィッ)

 幻想的な銀色の髪が風に舞う様は冷ややかな妖精じみていて。

 現実味のないその少女に好んで近づく子供はいなかったし、彼女自身も園の子供たちと話が合うはずもないと思っていた。

 だからブランコの片側は、埋まらない。

Nein auch im Winter(ナィン アォヒ イム ヴィンテァ) wenn es schneit(ヴェン エス シュナィッ)

 退屈な時間。

 茫洋と過ごすだけの時間。

 氷室玲愛にとって、園にいる時間とは眠っているにも等しい時間で。

O Tannenbaum(オー タンネンバォム), O Tannenbaum(オー タンネンバォム)

 しかし、しかし。

 帰る場所、あの教会さえも。

 果たしてそこは、暖かい場所、と言ってもいいのだろうか。

 彼らは、暖かい。

 同時に、冷たい。

冷たい金属の手すりがぎぃ、ぎぃ、と音を鳴らす。

 その冷たさを言い表せないかたちで感じ取っている少女は、しかしそれに見て見ぬふりをする。

Wie grün sind(ヴィー グルューン ズィン) deine Blätter!(ダィネ ブレーッテァ)

 そんなことは知らない、私は知らない。

 何も、何も、私を脅かすものなど無い、と、そう信じ込みたかった。

 幼心にそれを表現する言葉も理屈も知らないまま、しかしそれを明確に感じ取れてしまった少女の心は、半ば凍てついている。

 それはクリスマスの雪のように、溶けない氷のように。

 氷室玲愛の手は、冷たい。

 

「おお、モミの木よ、おお、モミの木よ! そなたの葉はなんと変わらずあり続けることか! 夏場だけはでなく、雪の降る冬でも青々としている!」

 

 がちゃこん、とやかましい音が響いた。

 隣のブランコに、誰かが飛び乗る音だった。

 玲愛の歌っていた美しいドイツのキャロル、それに仰々しく被せるように、やかましい愉悦に満ちた音が響いた。

「おお、モミの木よ、おお、モミの木よ! そなたの葉はなんと青々としていることか!」

「アル、うるさい」

 ひっくり返りそうなくらい勢いをつけガチャガチャ音を鳴らしながらブランコを急制動させる誰かを、玲愛はブランコを漕ぐのをやめて半眼で睨めつける。

「美少女が歌ってるんだから、静聴するくらいの節度は設けようとは思わないの」

「してたらしてたで何バカ面で棒立ちしてるのとか言うくせに。レッちゃん相手に幼気を優先することはしないのさ、僕は」

 アル、この街においてはアルフレート・氷室と名乗る男はブランコから飛び降り、その左手を玲愛に向けて伸ばす。

玲愛が、その手を取る。

「さ、帰ろうか。お姫様」

「くるしゅうない、今日も私の盾として励むがよい」

「今年の大河ドラマは何だったっけ」

「八代将軍吉宗」

「テレビ好きだねえ、レッちゃんは」

「園にいるよりは何だって好きだよ。テレビは特別だけど」

「ママンとトゥギャザー好きだよね、教育番組の」

「うらみちお兄さんは人生の師匠」

「神父様が構ってくれないって夜半にべそかいてたぜ?」

「気持ち悪いって伝えておいて」

「よーし分かった、今度とっておきのいじりネタを披露してくる」

 町中の帰路、緩く手を繋ぎ歩く銀髪の二人。

 揺れる小さな影、隣からかすかに聞こえる鼻歌。

 鋼のように冷たくとも、確かにその手に触れている感覚。

 まだ幼い玲愛にとっての、それが日常。

「アルの手、冷たい」

「冷え性でねえ、手袋が欲しい?」

「いい」

「そう」

 手を握ると、聞こえてくる。

 柔らかい人肌の内から聞こえてくる、時計の音。

 チク・タク、チク・タク。

 遠くで、誰かが嗤う音。

 それでも、手は離さない。

「もうすぐ君の誕生日だねえ」

「クリスマス」

「そう、彼の人の生誕祭に生まれた、輝かしい運命の子。それが君だよ、テレジア。皆が君の誕生に喜び、祈ったものさ」

「アルも?」

「……そうだねえ。僕もさ」

「神父様とリザはともかく、アルは何だか想像できない」

「酷いなあ。君の出産にも立ち会って、皆を差し置いて最初に君の手を握ったのは僕なんだぜ? ゴッドファーザーは神父様だけど、そこは僕だって特別でいいんじゃないかなあ」

「ふーん」

「冷たあい。お兄さん信用ないなあ」

 ふええんと露骨な泣き声を上げるアルフレートを、玲愛はじっと見上げる。

 生まれた時からずっと一緒だった、神父様やリザよりは背の近い彼。

 自分と違いことある毎によく笑い、動き、連れ回されて。

 近所のいい子も悪ガキ共も皆纏めて神父様にけしかけたり。

 教会では愉快なお兄さん役として、神父様から一方的にライバル視されている彼。

「アルの優しさは白々しいから、浮気を疑われても仕方ないと思うよ。誰にだってそんなこと言ってるんでしょう、この泥棒猫、って感じで」

「泥棒猫はむしろ僕じゃない側に言うべきじゃないかなあ。しかし浮気、浮気ねえ……心外だなあ、僕ってばこう見えて一途よ?」

「それはそれで気持ち悪い」

「神父様と同レベルの貶められ方をされてしまった、これは流石にショックだ……」

 目頭を覆い嘆くアルフレートは、よし、と一声小さく何かを決めたようにして立ち止まる。

 釣られて立ち止まった玲愛の隣、膝を付き、握った手を胸の前まで掲げて。

「じゃあどうだろう、約束しよう」

「約束?」

「そう、この一度きりの気まぐれを、幼い君に。その約束を、僕は必ず守る。破ってしまったら、僕の負け。守れたら、僕の勝ち。どうだい?」

 そんなことを言い出す。

 不敵さに満ちた緩やかな笑みのまま、似合わない姿勢で。

「一度きりの約束を守っただけで信用されたいなんて、アルはズルいやつだね。この詐欺師」

「ぐわあ。近所のお姉さま方には通じる手管なのに。レッちゃんってば大人の女」

「そう、私は大人の女。なめんなよ小僧」

「まーたそんなどっかのドラマかぶれのセリフ覚えちゃって」

 苦笑いしながら、少しだけ力を入れられた手が、また緩まっていく。

 アルフレートがゆっくり立ち上がろうとするのを玲愛は見て。

「…………」

 なんとなく、手を握り返した。

「約束」

「ん?」

 立ち上がろうとしたアルフレートが、怪訝そうに止まる。

 その瞳の中まで、先まで覗き込んで、玲愛が言う。

「別に、信じてないなんて言ってないでしょ。だから、約束」

 彼は白々しいし嘘つきだしろくでなしだが、それでも。

 瞳の中まで覗き込んだ上で、玲愛は。

 何となく、何となくだけど、言葉にするつもりはなかったことを、言葉にすることにした。

 彼が『それ』を冗談のように口にするのなら、自分も『それ』を冗談のように口にしてもいいのではないか、と、そう思ったから。

 

「私が困ってたら、助けてね。アル」

 

「…………」

 一瞬、ほんの一瞬、何かが剥がれ落ちたような気がした。

 アルフレートはその言葉に苦虫を噛み潰したような顔をする。

「うーんやられた、何という長期契約。これは僕の勝機が薄くなってきましたよ」

「負けを認める?」

「しかしそれはまだ今ではない。僕は諦めないよ、数時間後に来そうなその時まで!」

「駄目だこりゃ」

 すくっと立ち上がり半歩前を行くアルフレートに、玲愛は溜息を付きながらも続いた。

 なんでもない、ある日の一幕。

 その交わされた冗談が、互いに本気の冗談であったことを知ることになるのは、果たして明日のことか数年先のことか。

 二人は今日も家路を歩く、まるで本当の兄妹のように。

 

 

 1995年冬 アルフレートと玲愛、帰り道

 

 

 

 

 聖誕祭が近くとあれば、教会は老若男女問わず賑わう。

 諏訪原の教会は町外れにあるが、近隣の住人の信用は篤い。

 神父様が定期的に悪ガキ共の襲撃を受けカソック無しで町中を放浪するのが玉に瑕。

 ともあれ、聖誕祭をささやかに祝うため集まった人も、それとは特に関係なく騒ぎたい子供たちも、この日は教会に訪れていた。

「神父様! 神父様!」

「はいはい、慌てずとも私は逃げたりはしませんよ」

 小学校の生徒達に囲まれ、手ずから菓子を配る長身の神父、ヴァレリアは小さな袋菓子をカゴいっぱいに詰めて子供たちを歓待していた。

「神父様、今日学校の体育でねー、かけっこで一番になったんだ」

「それはそれは、では一等賞の記念にもう一つプレゼントしましょうか」

「神父様、こいつが一番になった理由ってクラスで一番足の早いやつが転んだからだぜ」

「あ、言うなよ!」

「ははは、しかし転んでしまった彼は不注意だったのでしょう。今回は注意深かった彼の勝ち、ということでいいではありませんか」

「神父様、顔色悪いよ。またシスターと喧嘩したの? ダメだよ仲良くしなきゃ」

「ああ……私もそうしたいのですが、リザは相も変わらず機嫌がよろしくなく」

「神父様また寝坊? シスターに怒られたの?」

「疲労? 年だから?」

「体の節々が怪しくなってきてるの?」

「悩みがいつの間にか漠然とした不安に置き換わっていく?」

「断じてそんな事はありません。私は若々しく現役です」

 時々世知辛い言葉を的確に突き刺してくる子供たちに、ヴァレリアは笑顔で道徳的に接する。

 そんな中、一人の子供が手を上げる。

「神父様! 今度の学級新聞に、神父様のインタビューを載せたいんです!」

「ほう、それはそれは。勿論構いませんよ、私が答えられる範囲なら存分に」

 そう言いかけて、ヴァレリアは気づいた。

 はて、今の声聞き覚えあるな、と。

 しかし、そう思った時には遅かった。

「やったあ、ありがとうございます!」

 出てきたのはペロキャンを持ち帽子を被った謎の少年だった。

 悲しいことに今日集まってきている子供たちの中に、彼の正体を看破できる者はいない。

(な、ナウヨックス卿―!?)

 少年がニヤリと笑った。

 十中八九ヴァレリアをいじりに来たのだろう。

 この衆目の中、見た目だけは少年のアルフレートを邪険に扱う訳にはいかない。

 しかしこのままでは相手の思う壺。

「それでは、この奥の部屋でゆっくり話を聞きましょう」

「メモ取れるからここでいいです」

「いえいえこういったことは落ち着いて、時間と場を整えなければいけませんよ」

「えー皆に聞かれるとまずいことでもあるんですかあ?」

「ぐっ……いやいやそんな事はありませんよ、ですが」

「皆も神父様の話聞きたいよねー!」

「ちょ……」

 聞きたーい、と子どもたちの合唱が響いた。

(ナウヨックス卿、この卑怯者! 個人の舌戦に子供たちを引き込むとは……!)

(邪なる聖者が子供を利用云々とか寝言をほざいてますう、おととい出直せ)

 非常にしょうもないやり取りを表側と内心で繰り広げ、ヴァレリアは折れた。

 せめて答えられない質問は黙秘を貫けばいいだろう、と。

「いいでしょう、この場で何なりと質問して下さい。ただし、答えるべきではないと思ったことには私は答えませ……」

「はい。じゃあ……『年収は?』」

「いきなり!?」

 いきなりそういう質問が来た。

「あのですね……そのような質問を聖職者、いわんや大人にしてはいけませんよ。貴方達にとって大切なことはもっと」

「答えられませんか、じゃあ推定出しちゃっていいっすかね」

「は?」

 だがしかし。

 黙秘などという対策は悲しいことに無意味である。

「えーっと……僕のお小遣いが月五百円だから……きっとその五倍は貰ってますよね!」

「いや何でですか。月二千五百円じゃ生活なんてできませんよ! もっと貰ってます!」

「ほう」

 流石に小学生感覚の的外れな結論にツッコミを入れてしまうヴァレリアだったが、少年はその言葉尻を悪どく拾い上げる。

「『もっと貰ってます』、と声を荒げるトリファ神父。『出て行け、出て行け、マスコミは出て行け!』」

「ちょ、まッ……! やめ、やめなさい!」

 有る事無い事呟きながらメモを凄い勢いで取り始める少年。

 あんまりすぎる言い草に流石のヴァレリアも止めに入る。

「やめなさい、ちょっと、やめなさい、人聞き悪いでしょ!」

「はい? 『人妻恋しい』?」

「何ですか。言ってないでしょそんなこと」

 すごい文章改変をされて呆然とするも、少年のペンは止まらない。

「成る程。……『人妻恋しい夜もあるさ。神父である前に人間だからねえ!』」

「ちょ、やめっ、やめッ! やめて! クビになっちゃう、クビになっちゃいますから!」

「クビになっちゃう?」

「そう、クビに……」

「『クビになっちゃってもいい、クビになっちゃってもいいから、人妻を、人妻を!』」

「やめ、ヤメロォー! やめなさい、お願いします! 小児の子たちもいるんですよ! これ以上変なことを言いふらさないで!」

「小児? ……『人妻から小児まで!』」

「まッ……まてッ……ちょ、まッ」

 精神的に息も絶え絶えになりながら何とかメモとペンを持つ手に介入するヴァレリア。

 そして真っ青な顔で首を振った。

「そこまでひどくない、そこまでひどくないです」

 心からの言葉だった。

 ヴァレリア・トリファの心からの言葉だった。

「そこまでひどくない、成る程。『そこまでひどくない』っと……」

「いやそこまでひどくないも書かなくていいですから! 本当にやめ……」

 

 

 

 

 

『シオンの歌を歌えよ、アリルイヤ!』

 

 

 

 

 

「おん?」

「……! これは……」

 その時、この二人だけは確かに、何かが砕け散る音を聞いた。

 それは自身の内から響く音。

 最強の鎧が、剥がされ砕かれた音に他ならない。

 鷲の羽ばたきが、聞こえたような気がした。

「……さーてチビっ子諸君に父兄の方々。今日はここまで、さようなら」

 アルフレートが軽く手を打ち鳴らす。

 すると、その場の人々は夢でも見ているかのようにぼんやりと、出口から教会を出ていく。

 そして、帰宅するだろう、何の疑問も持つことはなく。

「暗示迷彩完了。さてどうするね、クリストフ」

「些か想定より早かったとはいえ、ベイ、マレウス、シュピーネもいずれ合流するでしょう。よもや彼らが死ぬことはありますまい、ゆったりと待たせて頂きましょう」

 鷲の襲来、それは予期していたことではあった。

 恐らく来る時の前の、最後の露払いとなることを予感しつつ、ヴァレリアは悠然と構えた。

 聖餐杯は砕けない、たとえ鎧を剥がれようとも。

 

 

 

 

 さて。

 さてさて。

 さて、さて、さて。

 

 例題です、いえ、是はおとぎ話です、もしくは宣言?

 まあ、何でもいいでしょう、それは既に終わった話です。

 終わったからには変えようがありません、かの水銀の王以外には。

 

 鷲が襲来します。

 蛇の眷属を襲うためです。

 人類最醜にして最美の魂が宿った刃を携えて。

 蛇の鎧は全て砕かれてしまいます、危機感は破壊されてしまいます。

 どこかの世界では、ここでとある男女の運命が決まってしまったのかもしれません。

 

 さて、何が違いますか?

 

 まず一つ、彼女は数十年前に既に己の運命を見定めています。

 二つ、彼は今や行方が知れず、黒円卓に囚われる哀れな青年ではありません。

 三つ、鷲の集団には、とある人物が欠けています。

 しかし、そんなことは大した問題ではありません。

 三者三様、誰一人関わらないのであれば、それに関連する事象が起こりえないだけです。

 

 では、何が問題なのでしょう?

 

「うふ、うふふふふふふふふふ」

「何が可笑しいのですか」

 

 まず一つ、鷲の兵団に、鋼鉄の異形が入り混じっていること?

 

「可笑しいわ、何もかもが。だって、全て、意味なんてないもの。意味なんて、なくなるのよ」

 

 二つ、ジークリンデ・エーベルヴァインは既にあの男の操り人形であったこと?

 

「それが、全ての願いだもの。チク・タク、チク・タク、ああ、今宵も時計の針は進む」

 

 三つ、双頭の鷲は黒円卓第六位に掌握されその尖兵となっていたこと?

 

「うふふふ、あっはっはっはっはっはっはガガガガガガガガガ」

 

 そして、そして。

 

 

 

 

 

「うわはははははははははははははははははは!!!!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 アルフレート・ヘルムート・ナウヨックスが氷室玲愛を捕え、反旗を翻したこと?

 

 

 

 

 双頭の鷲の襲来を跳ね除けたシャンバラ、諏訪原上空を突然覆う雷雲。

 突然の怪異に、しかし危機感を奪われた人々は目を逸らす。

 渦巻く曇天に描かれた光景は、そうでもなければ正気を保つことはできなかっただろう。

 

 ――空が、割れる。

 

 天空の亀裂より振り下ろされた光の剣は大地に突き立ち、滅びの炎を吹き上げる。

 阿鼻も叫喚も不要、唯一人の喝采をもって、この蛮行は言祝がれる。

 恐怖せよ、恐怖せよ、それこそが我が原初の渇望なれば。

 それすらも、終わりの始まりに過ぎないのであれば。

 全て、全て、意味などない。

「ゾーネンキントはまだ幼く、ツァラトゥストラは現れないィ? 結構結構、だからこそできることがある。喝采せよ、喝采せよ!!! 盲目の生贄が、今こそ灰燼の結末を呼び込もう!!!」

 建設途中所博物館の屋上に、影はあった。

 背後に巨大な十字架を立て、そこには幼い少女、気を失った玲愛が鎖で磔にされている。

 少女、生贄、さまよう子羊。

 狂笑するアルフレートは冒涜の口上を歌い上げ、第一のスワスチカは歪み軋む。

 上空には捻れた空間が、割れた空の先が黒い洞となって唸り声を上げている。

「未発達のスワスチカが発達していく過程、それがどこでもない空間をグラズヘイムへと繋げるための術式を仕込む過程だとするならば、今なら繋げられる! ここではないどこか、此方ならざる彼方への道! ゲートジェネレーター隆起確認、ワームホール展開完了! ここより先は制御を放棄し臨界暴走を開始する!」

「何を……何をしているのですか、ナウヨックス少佐!」

 そこに、立ちふさがるものがある。

 早々に異変を察知し、雷光と共に駆けてくる戦乙女が。

 ベアトリスがアルフレートを見上げながら、その剣を向ける。

「何、何をしているのかって? そりゃあ勿論大いなる実験さベア子ちゃん。全て、全て、このための仕込みだ。この機構を作り上げるのに数十年かけた、今この瞬間のために全てはあった!」

「何が実験……! 私の雷の残照が叫んでいる! 『それ』は、世界を滅ぼすものだ!」

「はははははは、そう、そうか、君がそう言うのなら確かに『繋がる』のか! ありがとうよベア子ちゃん、これで益々止める必要性がなくなったぜ!」

「ぐッ!?」

 風が吹き荒れる。

 無空の世界が空気を取り込むかのように。

 割れた空の向こう側が、何もない世界が何もかもがある世界を取り込むかのように。

 その風は何もかもを取り込み絡め取ろうとする、ベアトリスさえも。

「未知世界ワームホール。早い話が『何処とも知れぬ世界の外側に放逐されるブラックホール』さ。今繋がってる先なんて僕にも分からないけど、展開したワームホールがこんな有様なら十中八九あらゆる生命が存在できない空間であることは間違いない。これに吸い込まれればまあ、死ぬだろうね。逃げたほうが身のためだよ?」

「誰が……! ここで貴方を止め、少女を救う! それ以外の道はない!」

「あ、そう。じゃ、残念だけど君はここで詰みだ。さようなら」

 アルフレートは、そう憐れむように言う。

 ここまで近づいてしまった段階で、どうしようもなく詰んでいる彼女に。

 

『さあ、始めよう』

 

『月の王の光を借りて。来たれ我が影、我がかたち』

 

『暗闇より這いずる両脚』

 

『覆い隠すくろがねの鎧』

 

『そして、貪り尽くす悪食の牙。我が声に応えて出でよ、我がかたち』

 

『嫌悪の大壁――クリッター・グレムリンオーガ!』

 

 影より這い出るのは、土の王。

 嫌悪を司る巨躯、鋼の巨人。

 その巨人が、ベアトリスを襲い――

「何?」

 否、襲わない。

 鋼の巨躯は吹きすさぶ風の中に身を投じ、割れた空目掛けて上空へと舞い上げられていく。

「――吼え叫べ、グレムリンオーガ」

 そして、遅れてベアトリスも気付く。

 そう、彼女はあの巨人の特性を知っていた、知っていたにも関わらず見逃してしまった。

 叫び声が響く。

 鋼鉄を打ち鳴らす音、歯車が軋む音、油が跳ねる音、それらをぐちゃぐちゃに混ぜ返したような、ただただ不快な音。

 その叫びは、嫌悪を呼び寄せる。

 あらゆる暴虐がその巨躯に殺到する、囮となるための力。

 それを忘れていたベアトリスは精神力で抵抗する間もなく、無意識のうちに体が追撃を行い、飛び立っていた。

「しまった……!」

 追撃しようとする体をなんとか押し留め、地上に戻ろうとする。

 しかし、一度浮いてしまった体は、雷の推進力さえ受け付けない。

「こ、のお!」

「無駄無駄。もう何もかも遅いのさ。残念だよベア子ちゃん、君とはここでお別れだ」

「ナウ、ヨックス!」

Auf Wiedersehen(さようなら)。また会う日も無いでしょう、多分ね! 世界の果てで一足先に、終末の音を聞いてくるといいよ!」

 そして。

 嘲笑うアルフレートに見上げられて。

 ベアトリスは割れた空の向こう側に消え去った。

 悔恨の声さえ届かぬ彼方、そう断じる何処かに。

 戦乙女は戻らない、魂の行き先さえ知らないままに。

「さようなら、さようなら。神は何者をも救わない、ただ君のすべてを奪い壊すのみ! なら今のうちに朽ち果てることこそが幸福だったかもよ! はははははは!」

 無情のままそれを見送ったアルフレート。

 割れた空は更に軋み、亀裂が広がっていく。

「おっと、呑気に笑ってられる時間ももうないか」

「……アル?」

「おやお目覚めかい? 起きないようにしていたはずなんだけどね」

 玲愛がぼんやりと目を開けた。

 朦朧とした意識は自身が縛り付けられていることを認識しておらず、ただ眼前にいるアルフレートと、その上空にある割れた空のみを認識している。

「何、してるの?」

「これからね、灰を積み上げるのさ」

「灰?」

「そう、何もかも埋め尽くしてしまうくらいの。嫌なこと全部まっさらにしてしまうほどの。学校の宿題も、煩わしい人間関係も、見通すことの出来ない希望無き真っ暗な明日さえも、全て、全て。灰燼の中に消してしまうのさ。素敵だと思わない?」

「何もかも……」

 何もかも、その言葉に玲愛は思いを馳せる。

 自分にとっての何もかもとは、何だろう。

 生まれてこの方、ずっとずっとまとわりつく不安感か。

 親代わりの皆さえも、むしろ皆からこそ感じるこの何もかも終わってしまったような。

 そんな不安感のみが自分の何もかもだというのなら、消えてしまってもいいのではとも思う。

「あの空の向こうに君が渡ってくれるなら。あの混沌の空は多分、僕の魂が忘れ去った故郷へと繋がる。その時こそ月の気まぐれは終幕を迎え、大時計は降り来たる。そして全てを代償に、君を終わりなき永遠の今日に導くこともできるだろう」

「永遠の、今日」

「そう、いつか来る終わりに怯えることのない、永遠の今日。君の心が欲するものだよ。君がそれを望むなら、それを得ることができるのさ」

「嘘だね。私、死ぬんでしょ」

「…………」

 そう玲愛が言うと、アルフレートは押し黙った。

「ねえ、アル」

「何だい、レッちゃん」

「いいよ、別に。アルが私をそこに連れていきたいなら」

 でも、だけど。

 もし、貴方が。

 玲愛がその瞳で、アルフレートを見つめて。

「私、諦めたなんて言った覚えはないよ。余計なお世話」

 たとえその先に、避けようのない悲劇が約束されていたとしても。

 それでも、自分は生きている。

 逃避だとしても、生きている。

 

「だから、約束。守ってからにして」

 

 その言葉が、まるで鋭利な刃物のように突き刺さった。

 アルフレートはその言葉をぽつりと反響する。

「……約束」

「そう。助けてくれるんでしょ? 一生かけて、助けてね。何もかも灰の中に投げ込む前に」

 

 その言葉は。

 

 その、言葉は。

 

 その言葉に、意味など無い。

 

 否、ある。

 

 ない、全て、全て、意味など無い。

 

 いいや、僕はあの時運命を任せたはずだ。

 

 賽の目を見るかのように、その手を振ったはずだ。

 

 それがどうした、ただの気まぐれだ。

 

 ただの気まぐれ?

 

 ああ、そうだ、気まぐれだ。

 

 意味などなくて気まぐれで意味なんて意味なんて意味なんて意味なんて意味なんて意味なんて意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげら。

 

 

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 

 うるさい、黙ってろ。

 

「……くっ」

「?」

「はは、はははははは、ははははははははは! そうか、そうか……そっか……約束、かあ」

 そんな気まぐれに賭けたのも、お前じゃないか。

 お前の負けだ、残念だったな。

 諦めると思っていたのだろう、黄金の螺旋階段を登ると思っていたんだろう?

「世の中の関節は外れてしまった。ああ、なんと呪われた因果か、君も僕も、それを直すために生れついた因果とは、傑作だ」

 がちゃり、と音がして。

 玲愛の身を縛っていた鎖がほどかれる。

 玲愛の小さな体が、アルフレートに抱え上げられた。

「諦めたものにこそ、黄金螺旋階段を登りきる事ができる。けれど、君はそうじゃなかった。その胸に既に黄金の輝きを秘めていたとは、僕の目は曇っていたらしい。いや、この場合確かだったのかな? どっちでもいいや」

 ぼんやりとしたまま、なすがまま、玲愛はアルフレートを見つめる。

 彼の言っていることはさっぱりよく分からない。

 けれど、自分がああ言うべきだというのはわかったから、言った。

 すると彼は残念そうで、でも嬉しそうで。

「レッちゃん。テレジア。君の道行きは悲劇の道だ。これから十年ほど、あの時くたばっておけばよかった、そう思うことが続くだろう。けれど」

 アルフレートが、その手を下ろす。

 十字架の麓に、小さな玲愛を座らせて、自分はそこから数歩離れて。

「君との約束だ。約束してしまった。この呪わしい宿命を、さらなる呪いで結びつけてしまった、その意味を。どうかこの一瞬を、いつかのその日に思い出しておくれ。そしてその日まで、ゆっくりお休み」

「アル……?」

「ばいばい、お姫様。ちょっとだけ早いけど、ハッピーバースデー。君に幸あれ」

 

創造(ブリアー)――神世界へ(ヴァナヘイム) 翔けよ黄金化する白鳥の騎士(ゴルデネ・シュヴァーン・ローエングリーン)

 

 そして、光が迫りくる。

 その瞬間、認識する間もない一瞬に迫りくる黄金の槍の輝きを。

 玲愛は、アルフレートは、何処か他人事のように目にして。

 全ては光に包まれて、玲愛は黄金の槍に貫かれるアルフレートを目にすることはなかった。

 

 ゆりかごの鐘は、響かず。

 黒円卓は第六位の片翼による反逆は多くの謎を残し。

 しかし、気に留めるものはいなかった。

 

 

1995年 12月24日 アルフレートと玲愛の、

 

 

 




業務連絡。

アルフレートが黒円卓に反旗を翻しました。

ベアトリスがワームホールに呑まれ行方不明になりました、生存は絶望的です。

氷室玲愛が諦めないことを無意識に選択しました。
大機関時計は降り立ちませんでした。

アルフレートがヴァレリアによって討ち取られました。
《ルフラン》は発動しませんでした。

アルフレート・レムナント:メルキオール1が死亡しました。
第一のスワスチカが開放待機状態となります。




















Q:アルフレートは何故このタイミングで裏切った?

Q:隠しているのは誰だ?

Q:奴は今何処にいる?

Q:アルフレート・レムナント:カスパール2は誰だ?



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プロローグ

役者の変じた恐怖劇、そのプロローグ。
ここまで長かったですね、私も感慨深いです。
相変わらずぶつ切りフラグメント形式でお送りします。
再プレイ完了まで書き貯めるつもりだったんですが、原作がチャプターごとに分かれてるとそれを基準に区切りを設けて書いていく方法がわかりやすくて。
さっくり導入を書いてしまったんで投げることにしました。

初見の人もまた来たよの人もなにかいい知れぬワクワク感を感じてくれれば幸いでございます。
そして評価感想をくれ(定期)
くれればくれるほど頑張れる気がしてくるから。


 失敗した。

 今日もまた、失敗だ。

 魂の分離なんてものは思った以上に外法を越えた摂理への反逆らしい。

 成功するなら死んでもよかったんだけど、成功する気配が微塵も感じられない。

 今日も、僕の意識は正気と狂気の狭間にある。

 ルフラン。

 僕を約束の時まで死なせないそのゆりかごは、決して僕を守るものじゃない。

 あれは牢獄だ。

 死んで生き返る度に、僕の中の狂気の割合が増えていくのを感じる。

 今まで生き残るために不敵にこいつを使いこなしているように見せかけちゃいたが、そろそろ自粛しなければ危うい。

 限界数を数字で表すことは出来ないが、最悪残りの使える回数は両手で数える程度に足ると考えておいた方がいいだろう。

 頭の中で常に警鐘が鳴り続けている。

 『このままではまずい』『急げ、何もかも終わる前に』そんな言葉がやかましくリフレインし、苛立ちが募っていく。

 今でさえ、狂気のままに世界を滅ぼす準備を止められないというのに。

 いや、これは本当に狂気なのか。

 僕の本当の願いとは何だ。

 あるいは、それがほんの少しズレだだけの結果が今の僕だとするのなら、僕は一体何者なのか、何者だったのか。

 やめよう、考えても仕方のないことだ。

 少なくとも、この狂気の行き着く果てが今の僕の望まぬ結末であることは間違いない。

 それが起これば、何がどうなるかなんて想像に難くない。

 何もかも台無しに、灰を被らせて終了だ。

 僕に取り憑くもの、ヴァルターの黒と似た何か。

 時計の音、嘲笑う音。

 大地に突き立つ柱、灰燼に消える惑星。

 狂気ならざる僕に知り得たことはあまりにも少ないが。

 急がなければならない、何を犠牲にしても。

 時間が足りない。

 手を増やさなければならない。

 マレウスとの研究、ヴァルターの捜索、そして切り札の構築、やることは山積みだ。

 僕の、アルフレート・ナウヨックスの行うべき信念は唯一つ。

 その執着が僕を正気へと繋ぎ、僕の狂気の行き先を導く。

 僕が、僕でなくなる前に。

 

 

『お前は誰だ?』

『どこから来た?』

『今どこにいる?』

『行き先は?』

 

 

 秘匿文書:アルフレート・レポート1

 

 

 

 

 この街は呪われている。

 大いなる魔術師、恐るべき獣、悍ましき蛇の目に晒されている。

 海と山に囲まれて、切り取られ、現世から置き去りにされたかのようなこの土地は、しかし戦中からこの国の首都もかくやという発展を遂げている。

 住人たちは、知る由もない。

 その発展がある組織の手管によるものであり、この街のすべての命はいずれ捧げられる生贄であることなど。

 住人の数が常に調整され、ゲットーなどと揶揄されようと、所詮は都市伝説。

 現代の平和を生きる人々は、明日にも何かが起こるなど、考えもしないだろう。

 

 それを、不用心だ、等となじることは出来ない。

 嘗ての同僚、上司であるならばきっと言っただろう。

 しかし、私はそれを愛すべき光景だと思う。

 あの地獄、戦争という狂気がはびこる時代から、僅か数十年。

 このような時代を実現できたことを、努力と言わずに何と言うのか。

 臆病だなんて、私は欠片も思わない。

 私は、あいつらとは違う。

 戦争なんて、この時代にはもう必要ないのだ。

 

 だから、だけど。

 私は帰ってきた。

 止めに来た。

 今が約束の時、その前触れならば、私は感覚を研ぎ澄まし起きようとしている異変を探す。

 この諏訪原で、あのベルリンと同じ光景が再現されようとしている。

 それを、止める。

 ずっと、ずっと、そのために準備をしてきた。

 それは彼らとてそうだろう。

 他でもない私がよく知る、超絶の魔人たちが、その上に立つあの黄金の獣が敵だ。

 あの日、立ち向かうことすらおこがましいと、そう膝を屈してしまった。

 今度は、間違えない。

 私はもう、一人じゃない。

 あの人はもう先に入っている。

 私の役目はこの足で駆け、ツァラトゥストラの予兆を奴らより先に捉えること。

 さあ、行こう。

 町外れ、高層ビルが佇む裏路地で、少女は壁から背を離し暗がりへと消えていった。

 

 

 

 

 博物館の奥、秘密展示区画。

 気づきようもない、そのような場所に意図的に設計配置されたこの部屋は、十年間に渡りこの部屋の主を衆目に晒さないようにしてきた。

 中央に座すのは、巨大なギロチン。

 十九世紀において革命に用いられたという正義の柱、ボワ・ド・ジュスティス。

 だが、その訪客を拒む展示室に、男はふらりと訪れた。

 何故か、それは、声を聞いたからだ。

 彼もまた、声を聞く権利を持っていたかも知れない男だからだ。

 彼は幻視する、ギロチンの中、浜辺で歌う白痴の少女を。

 傅く詐欺師の脚本を。

『貴方、同じ? 違う?』

「違うよ。或いは、いつかは俺だったのかも知れないが。少なくとも今は違う」

『似てる、けど、違う?』

「加護だの呪いだのはもう足りているんだ。悪いな」

『貴方じゃない? 彼?』

「彼?」

 振り返ると、そこには二人目の訪客がいた。

 男にとって、何処かで見たような、その少年。

 半ば茫洋とここにやってきたように見えるその姿を見て。

「……ふむ」

「…………?」

 自分を見て、怪訝そうな顔をする少年の横を通り過ぎる。

 少年の後ろからは慌てたように少女が追随してきて、同じように男の存在に不思議な目を向けていたものの、その注目はギロチンへと移ったようだ。

 男は暗がりで繰り広げられるそれをしばし見て、踵を返した。

 この博物館、第一のスワスチカにて。

「恐怖劇とやらを、お前も見たいと思うか、アルフレート。俺は趣味じゃないな」

 そこに溶ける魂に、そう語りかけた。

 さあ、どうだろうね、と誰かははぐらかしたような気がした。

「……始まるか。俺も、もうじきだな」

 男は、獣だ。

 この街に集いつつある人外共と拮抗する、獣。

 しかし、男はそれを悟らせない。

 人の形をした軍団、ある意味ではそれを超越した闇の中の闇を宿すその男は。

 ただ、それを縛り封じることを切に願ったが故に、彼の仲間である少女と違い、この街に入り潜んでいても、それだけで敵に見つかることはない。

 しかし、仕掛け時は間近。

 その時にこそ、宣戦は布告されるだろう。

 その僅かな時まで、男は未だ日常という見えざる闇に潜む。

 

 

 久しぶりだな、元上司殿。

 お前の嘗ての副官が、引導を渡しに来たぞ。

 

 

 ああ、待っていたぞヴァルター。

 卿の奮戦、楽しみにしているよ。

 

 

 未だ奈落へと繋がらぬその場所で、しかし一瞬の言葉が確かに交わされた。

 

 

 

 

「やあ、藤井君。元気してた? 入院中日がなぐうたらできる幸せを噛み締めつつ、留年が割と現実味を帯びてきた単位の足りなさに頭を抱えたりしていなかったかな?」

「相変わらずキレッキレですね先輩」

 クリスマス前の寒い真冬に、屋上に屯しなくてもいいだろうに。

 まあ俺もここをサボり場として季節関係なく活用してるあたり人のこと言えないが。

 しかしいくらげんなりした顔を向けようと、当の先輩は片手でハムサンドを咀嚼しながらフェンス際のベンチに足をかけて奇妙なポーズを取っている。

 氷室玲愛。

 俺、藤井蓮にとって一個上の先輩で、数少ない友人の一人。

 月ノ澤学園の裏ミス、人形のような少女、ド天然、大人げない高校生、名誉熊本県民などなどエトセトラエトセトラ。

 普段は幽霊みたいに影が薄いくせに、付き合ってみるとエキセントリックな人だ。

「冬になってまで昼飯食うのに薄着で屋上ですか、相変わらず物好きとか何というか」

「うん、超寒い。暖めて、熱烈なハグを要求する」

「勘弁して下さいよ」

 やったらやったできゃあ痴漢とか言いそうなものだ。

 俺は先輩の足が掛かったベンチに腰掛けることにした。

 先輩もポーズ取るのをやめてベンチに座った。

「おい後輩。まさか本当になにもないというのかね。ハグがないならせめてその暖かそうなコートを寄越しなさい」

「ええ……まあ、別にいいですけど」

「苦しゅうない、大義である」

 コートを脱ぎ、先輩の肩に掛ける。

 コートの下の俺の制服は司狼との大喧嘩でズタボロになったものを香純が継ぎ接ぎしたもので、酷い有様だ。

「制服、ずいぶん風通しが良さそうになったね。寒くない?」

「そりゃ寒いですけど?」

「やっぱりハグする?」

「何でですか」

「ならコートに入る?」

「入りません」

「甲斐性ってものがないね、藤井君は」

「おちゃらけたナンパ野郎よりはマシだと自負してますよ」

「遊佐くんみたいな?」

「……まあ、そうなりますかね」

 隣り合い、緩い会話を交わす。

 この人のマイペースぶりはげんなりするが、その一方で落ち着きもする。

 以前までやかましいのが二人いた中、穏当に過ごせるこの空気が、俺は嫌いじゃなかった。

 だから、こうして呼び出しにも応じるわけで。

「で、何の話です」

「退院初日の登校日に、久しぶりの会話と洒落込もうかと思う先輩心は間違ってるのかな?」

「いや、まあそう言われると真っ当なんですがね。先輩からの呼び出しとなると、何か他の理由を勘繰ってしまうんですよ」

「女の子の心配を無下にするなんて、藤井君は酷い男」

 言葉の割になんとも思ってなさそうな目で、先輩が未開封のタマゴサンドを差し出してくる。

「きっと栄養が足りないのね。これでも食べて男ぶりを磨きなさい」

「タマゴサンドに男ぶりを上げる栄養が備わっているとは寡聞にして初耳ですね」

「少なくとも、背の低い男は性根も低ければ志も性格も低いんだよ、ソースは身内」

「はあ」

 おとなしくタマゴサンドを受け取る。

 どうせ昼食は購買で買ってくる予定だったし、ありがたいと思っておく。

「高けりゃ乱暴者って印象だと思いますけどね。何事も程々がちょうどいいんじゃないですか」

「そうかな。背の高い人、知ってるけど、基本ナヨナヨしてて悲観的で草食動物の見本みたいな人だよ。ソースは身内」

「それはそれでダメじゃないですか。というか先輩の身内って……」

 つまり、彼女に準ずる変人の集まりか。

 それならばこの言い草にも納得がいこうものだ。

「何?」

「いや、別に」

「人間素直が一番だよ。何を失礼なこと考えてたか吐きなさい」

「既に失礼なって部分に確信持ってるじゃないですか」

「だって藤井君だし」

「その言い草も十分失礼なのでは」

「親友と屋上で殺し合いしてた不良の中の不良には適切な評価じゃないかな」

「…………」

 先輩がそう言って、じっと見つめてくる。

 ああ、要するに話ってのはそういうことか。

「説教は勘弁して下さいよ。香純だけで十分だ」

「そうだね、自分でもらしくないとは思うよ。本当は、ちょっとだけ様子見て、特に何時も通りなら何か言おうとは思わなかった」

「……俺が、何時も通りじゃないって?」

「うん」

「ですか、退院直後で未だ不調なんでしょうね。暫くすれば元の俺に戻ると思うんで」

「戻らないよ」

 場の空気が冷えたような錯覚を受けた。

 先輩が俺の言葉に被せたその一言に妙な重みを感じたから、俺も言葉を止めてしまった。

「藤井君。失ったものは、戻らないよ」

「失ったものは戻らない。全く同感ですね。でも、だからこそそれに執着してても足引き摺られるだけでしょう。俺には俺の日常があって、あいつは勝手にそっから出ていっただけ。元々噛み合ってなかったんだ」

「それでも、君の日常だったはずだよ」

「……何が言いたいんです」

「正直ね」

 先輩は俺から視線を外し、ぼんやり空を見上げる。

「私も、君と彼が親友やってることに常日頃疑問を感じてたよ。藤井君は冷たいくせにお節介焼きだし、遊佐くんは騒がしいくせに義理堅いし。だから、いつか互いを巻き込んで大きな爆発をしちゃうんじゃないか、なんて、予感はなくても、納得はあったんだ」

「でしょうね。俺もあいつも、常日頃からずっと思ってたことだ」

「いつか、そういう日が来る……いつか……」

「先輩?」

「そんな風に思うことは、希望なのかな。諦めなのかな。きっと人によって違うよね」

 それは、何か思い出すように、とでも言うのか。

 不思議系の先輩がこうして考えてるのか考えてないのかよく分からない顔をするのは珍しいことではないが、その瞬間は、なにか特別なことを思い出しているように思えた。

「まあ、つまり、何が言いたいかって言うとね。藤井君。何処も痛くない時の幸せって、何処か痛い時にしか気づかないものだよ」

 それは、つまり、失って初めて気づく大切さ、というやつのことを言っているのか。

 俺にとって、司狼がそうであったと。

 そんな馬鹿な。

 俺にとって何より大切なことは、不変の日常だ。

 あいつはそれをかき乱そうとする異分子でしかなくて、それがついに頭角を現して。

 そして、互いに殺し合った、切り捨てあった。

 今更、何を、

「というかそれ、うらみちお兄さんですよね」

「バレたか」

「気づいた途端言葉のありがたみが急激に失せてきましたよ」

「む、うらみちお兄さんを侮る姿勢は藤井君と言えども許しがたい。至言だと思わんかね」

「いやまあ真理だとは思いますし侮ってもいませんがね……」

 うらみちお兄さんとは先輩が幼少の頃こよなく愛していた教育番組に出演する体操のお兄さんのことだ。

 俺も司狼も香純も布教されて見ることになったが、よくもまああんな社会の闇を垂れ流す夢も希望もぶち壊しなお兄さんを教育番組は放送できたものだ。

 先輩はうらみちお兄さんを人生の師匠と言い張っている。

 だからって教会に来る子供に人生の厳しさを教え込むのはどうなのか。

「まあ、ともかく、痛覚が鈍いふりをするのもいいけど、ふりをするのに飽きてきたらちゃんと自分を見つめ直しなさい。でないと社会の闇に呑まれることになるよ」

「まあ、先輩の忠告はありがたく受け取っておきますよ」

「……本当にね。分からないものなんだよ。失う前と、失った後じゃ」

「…………」

 小さく呟く先輩が、普段より益々消え入りそうな雰囲気だったから、俺は無言で一緒に空を眺めることにした。

 俺も、いつかそんな日が来るのだろうか。

 今は平然としてても、司狼のことを思い出してああしてればとか、女々しいことを考えたり?

 ないな。

 有り得ない。

 登校時に片側の騒がしさが失われた違和感は、何れ消えいくものだろう。

 先輩には悪いけど、今の俺にはそうとしか思えなかった。

「…………」

「…………」

 いや、思いたくなかったのだろう。

 それをきっかけに、何もかもが崩れていく、そんな予感を、俺は抱きたくなかった。

 

 

 

 

「よォ、感じるかマレウス」

「ええ、勿論よベイ。帰ってきた、って感じがするわね、この感覚」

 諏訪原という魔人を押し込める檻が十全に機能していることを、二人は感じ取った。

 人の形をした軍隊、今ここにはその同胞たちが集い、シャンバラはそれを歓迎している。

「ハッ、長かった。長かったぜ。だがようやくだ、待ちに待ったその時だ」

「だからって不用意に暴れないでよねー? 貴方がやりたい放題し始めたら全部終わっちゃうわ」

「んなこた分かってるよ。不忠者じゃねえんだ、俺だって弁えてるさ」

 ぎしり、ぎしりと空気がせめぎあう音がする。

 数千もの魂を食らった人外、カズィクル・ベイとマレウス・マレフィカルムの凱旋。

 そして、それを歓迎するものがいる。

「お久しぶりです、ベイ中尉にマレウス准尉、変わり無いようで何よりです」

「はーいクリストフ、出迎えご苦労さま」

「変わり無い? は、言ってくれるじゃねえか。死ぬか?」

 ヴァレリアの出迎えにルサルカは軽薄に、ヴィルヘルムは獰猛に言葉を返す。

 一言一言に剣呑な気配が漂うも、この場に集った誰もがそれを意に介さない。

「あれから十一年振りってところ? アルちゃんが死んでからだからー」

「ええ、私もあれからシャンバラを長く離れることになりましたからね。半世紀の殆どはこの地に根付いていた身にとっては中々懐かしいものがある」

「ジジババくせえ回顧話はやめようや。おいクリストフ、面子は何処まで揃ってる?」

 揶揄するように、しかしそこに苛つきはなく愉悦の笑みを浮かべながらヴィルヘルムが問う。

 まるで、そこに自分の望むものがある、と無意識に確信しているかのように。

「……ふむ、この話は後にしようと思ってたんですがね」

「勿体ぶらなくてもいいだろ、俺達の仲だ。なあおい、誰がいるんだよ」

 誰がいるのか。

 そこに、誰がいるかも知れないのか。

 その情報は確定的ではないが、しかし、彼らにとっては。

「ゾーネンキント、バビロン、カインはつつがなく。シュピーネは少々遅れることになりますが近日中には到着するでしょう。そして……」

 そして、もう一人。

「先日、我々の同類である何者かが外部から諏訪原に侵入する気配を確認しました。副首領閣下の盟約を携えしツァラトゥストラか、或いは――未だ帰還しない何者か、か」

「或いは、だろ。カハハッ」

 或いは、そう、或いは、だ。

 その可能性を、見続けていた彼らは、予想通りと佇み、或いは笑う。

「誰だろうと悪くねえ。祭りに飛び込んでくる果報者じゃねえか。誰だろうな? あのクソの代行か? それともヴァルキュリアか? それともまさかまさか――」

「その正体は、何れ相見えることになりましょう。ツァラトゥストラであれ、そうでないのであれ、我々の探し人に変わりはない」

「先ずは炙りだしからね。退屈しないようで何よりよ」

 その果てに、一体何が訪れるのか。

 志向も願いの果ても全く異なる三者は、しかし獣の鬣たる同志として、それを想起する。

 彼らにとって半世紀ぶりの、本物の戦争、本物の闘争。

 自身のすべてを掛けて、願望を成就せしめるその時は、訪れるのか。

 訪れるのだろう、そうに違いない。

 その点においてのみ、彼らはそれを齎した副首領、メルクリウスを信頼していた。

「では――」

 そして、神父は言葉を置き、彼らを祝福する。

 歓喜を以て、獣の爪牙を祝福する。

 

「あらゆる悪も、あらゆる罪も、あらゆる鎖も汝を縛れず、あらゆる禁忌に意味はない。汝の神、汝の主が、汝をこの地へ導き給う。汝はその手に剣を執り、主の敵を滅ぼし尽くせ。息ある者は一人たりとも残さぬよう。生ある者は一人残らず捧げるよう。男を殺せ。女を殺せ。老婆を殺せ。赤子を殺せ。犬を殺し、牛馬を殺し、驢馬を殺し、山羊を殺せ。恐れてはならない。慄いてはならない。疑うことなどしてはならない。汝は騎士。獣の軍勢。神が赦し、私が赦す。汝の主が総てを許す。獣の爪牙を自負する者よ、誉れ高きその名を唱えよ」

 

「――ヴィルヘルム・エーレンブルグ」

「――ルサルカ・マリーア・シュヴェーゲリン」

「汝の名誉は忠誠なり」

「我らが名誉は忠誠なり」

「聖槍十三騎士団黒円卓第三位、ヴァレリア・トリファ=クリストフ・ローエングリーンの名において、ここに汝らを祝福する」

 

我らに勝利を与え給え(ジークハイル・ヴィクトーリア)

 

 

 

 

「なーんて事を、キザったらしく言ってるんでしょうねあいつらは」

 少女は、高層ビルの屋上でアンパンと牛乳を手に大型の望遠鏡を覗き込んでいた。

 その先で邂逅している知古の三人を視界に収め、その場でされているのであろうやり取りを予想し、アンパンに齧りつき牛乳を飲みながら半眼で溜息をつく。

 先日よりこの街を密かに駆け巡っている少女だ。

 暗がりの中にあって、雷光のごとく、閃光が通れど目のあたりにすることも掴むことも叶わぬその少女は、十代後半ほどの金髪の少女だ。

 戦乙女のロゴの入った野球帽を目深に被り、背までありそうな長髪はポニーテールで纏め、瞳の色と同じ深緑のマフラーをはためかせ、少女は立つ。

軽く袖を引いたワインレッドのジャージ姿は昼間夜間問わずズボラな格好で外を歩くティーンエイジャーの類に近いが、帽子の鍔から見え隠れするその穢れなき瞳は騎士の如き清廉な気配と凛々しさを感じさせる。

「結局、機先を制する事は叶わなかったか。けど、未だ間に合わないわけじゃない」

 遠く視線の先、法衣の神父と軍装の男女、吸血鬼の男と魔女の女に対し、否、その背後にある黄金の軍勢に対し、少女は誓う。

 その爪牙を破り、砕き、あの炎を奪い返す。

 彼と共に、この安寧を喰らわんとする獣を打ち倒すことを。

「やつらが来る前に予兆くらいは掴めれば、というのは流石に思い上がりか。メルクリウスが時を違えるなんて杜撰な真似をするはずもなし」

 望遠鏡から目を離し、アンパンの残り半分を一気に頬張り牛乳で流し込む。

 そして設置していた大型の望遠鏡、大掛かりな設営と分解が必要と思われる大きさのそれを片手でひょいと持ち上げ、背中に引っ掛けた。

「先ずは、ツァラトゥストラを探さないと。敵であれ、味方であれ、そこで遅れを取ってしまっては始まらない。彼はアテが出来たと言ってたけど、それが正解ならいいんだけど……」

 そして、少女は駆け抜ける。

 予備動作もそこそこに、高層ビルの屋上を、まるで天狗のように飛び交う。

 風を置き去りに跳躍、跳躍、跳躍。

 高きから低きに向けて、その場から離れていく。

 未だ、見つからないように、気取られないように。

 その軌跡に光さえ纏っているかのように、少女は夜空を駆ける。

 過日の誓い、破れた夢、再び立ち上がった日、安息の日々をその胸に抱き、何も忘れていないことを再確認して、不敵に笑みを浮かべる。

 

 

 来ましたよ、ヴィッテンブルグ少佐。

 貴方を取り戻すために。

 来ましたよ、ハイドリヒ卿。

 彼と共に、貴方を打ち砕くために。

 迷いは五十年も前に捨ててきた、だから。

 ぶん殴ってでも、ぶっ刺してでも、止めてみせますから。

 

 

 その様は、諏訪原に舞い降りた天の使いのようでさえあった。

 

 

 

 

 そして、訪れる。

 彼らにとっては、約束の日。

 彼にとっては、日常の破れる音、その序章が。

 

「はッ!」

「あァ!?」

 迫る絶死の拳。

 その鉤爪は、俺の眼前で弾かれた。

 時の止まったような最中、しかし両腕も両足もぐちゃぐちゃになり身動き一つ取れない俺は、深淵からかかる呼び声のままに、何かを行おうとして、しかしそれは驚愕と共に失われた。

 その一瞬に見えたのは、やつの腕を上空から殴りつける誰かの腕。

 細身の、小さな女性らしき腕が、あの凶相の男の暴威を跳ね除けたという事実。

 空から何者かが襲来し、あの男に不意打ちを食らわせた。

「――ハ」

 その結果に。

 否、自身を弾き飛ばし、俺とやつの間に着地したそいつの姿を見て。

 やつは笑う、何処までも楽しそうに。

「は、はは、ハーッハッハッハッハッハッハッハッハ!!!!!!」

 何かを確信したかのように、高らかな声が響く。

 ゆっくりとついた膝を伸ばし立ち上がるその人影に、歓喜のままに叫ぶ。

「やっぱりな、そんな予感はしてたんだよ、てめえがあんなことでくたばる筈がねえ、信じてたぜ。なあ――ヴァルキュリア!!!」

「ヴァルキュリア? 何のことです?」

 その人影、その少女をやつはヴァルキュリアと呼び、しかし少女はそれに応えない。

 その名前は既に自分のものではないとでも言うかのように。

「私は今にも死にそうなこの少年を救いに馳せ参じた諏訪原の影のご当地ヒーロー」

 影が祓われ、その姿が鮮明に見えてくる。

 倒れる俺は、その姿を見上げるように目にする。

 正面に何かロゴの入ったキャップを被り、日本人離れした金髪をポニーテールで纏め、緑色のマフラーをはためかせ、赤色のジャージを身に纏ったその少女は、あの人外共に対し全く気後れすることなく、それを言い放つ。

 

「人呼んで……謎のヒロインB!!!」

 

 ……こいつひょっとしなくても馬鹿だな?

 俺はそいつが馬鹿であることを確信した。

 

 

 




アルフレート・レポート:次回以降も冒頭に挟まる予定

同じ? 違う?:彼女にとって彼は運命足り得なかったスペアであり失敗作、ということ

うらみちお兄さん:氷室先輩イチオシの教育番組のお兄さん。気になる現実の皆さんはWEB漫画で

謎のヒロインB:諏訪原の平和を守る謎の美少女ご当地ヒーロー。
        元ネタは言うまでもないサーヴァントユニヴァースのあれ。
        着てるジャージは某声が同じきもかわいい勇者のやつ。
        宇佐美ハル ジャージでググれ。
        それか健全な18歳以上のベア子好きはG線上の魔王やれ。



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chapter2

新鮮な評価が増えたんで何とか頑張って連投してみました。
とはいえchap2、謎のヒロインオンステージでまるまる一話費やしてしまいましたね。
次回はchap3省略して4からかな。

https://www.youtube.com/watch?v=fecniljY7M4
そして私は神になる。


 人間の機関化、まず最初の光明がこれだ。

 異形の機関文明を操る僕であれば、或いは聖遺物の使徒たる肉体さえも手を出すことができれば、魂に干渉する足がかりになる。

 技術は確実に積み上がっていく。

 まず一号機として、才能ある一人の人間を機関化させる。

 今では籠もりきりの間外で活動させられる便利な手足だ。

 まあ彼は彼で、僕の望むように動いてくれるだろう、いつか刺されるかも知れないけど。

 

 二つ目。

 ヴァルター救出の折、ベア子ちゃんの聖遺物が変化した。

 いや、あれは融合というべきか。

 相性の問題もあるが、複数の聖遺物の融合という実例は大きな指針となる。

 魂と融合した聖遺物の可変化、それはマレウスとも一度研究したものだ。

 融合、武装、事象と展開が多岐にわたるエイヴィヒカイトにおいて、聖遺物の原型を変化させられないということはないだろう、その本質さえ違えなければ。

 まずは魂そのものではなく、魂と融合し飲み込んだ聖遺物から手を出していくのが順番というものか、これが成功すれば次の光明も自ずと見い出せる。

 ベア子ちゃんから渋々協力は取り付け、蹴られない範囲であの機械帯の調整を担当することに成功、先行きはどうあれ、進行は一応順調。

 

 三つ目。

 トバルカイン、あれの崩壊が始まったとバビロンから聞いた時、チャンスだと思った。

 聖遺物の使徒でありながら既に死体でもあるあれ。

 手を出すことができれば、そして成功すれば進行率は圧倒的に上がるだろう。

 バビロンは頑なだが、扱いやすい。

 馬鹿な女だ、クリストフを欺き続けることに比べれば何のことはない。

 何もしないやつほど呆気ないものはない、協力を取り付けさせることに成功した。

 ヴンダーカンマーの研究企画にトバルカインを接収する。

 さて、あれから得るものが多いといいんだが。

 時計の音が今日も響く。

 うるさいな。

 

 

『お前は誰だ?』

『どこから来た?』

『今どこにいる?』

『行き先は?』

 

 

 秘匿文書:アルフレート・レポート2

 

 

 

 

「神が叫ぶ。ヘリの上から。機銃を持って。ワーグナーだ、ワーグナーをかけろ……!」

 なんとも場違いなものだった。

 あの人外共は俺にとってジャンル違いも甚だしい存在だったが、この女はそこから斜め上に突き抜けている。

 体の何処かにスピーカーでもつけているのか、夜半の公園にやかましいクラシック音楽が鳴り響いている、確かこれはワルキューレの騎行だったか。

 どうでもいいわ。

 なんだこいつ。

 全身の痛みも一瞬忘れて俺は口を半開きにしてそれを見る。

 帽子の下はえらい美人なのだろう、透き通った金髪に深緑の宝石のような瞳は、一瞬しか垣間見なかったにせよ幻想的ですらあった。

 しかし格好がそれを相殺して余りある。

 謎のヒロインBとかたわけた名乗りを上げた赤ジャージ女は連中と相対しながら俺に振り返り、何か機械を操作しやかましい音楽を止めて爽やかな笑顔を向けてくる。

「少年、安心して下さい。私は味方です」

「は……?」

 は……?

 いや、そうとしか言いようがない。

 絶賛大混乱中だ。

 意味不明な人外共に好き勝手嬲られまくっていた最中に飛び込んできたのがこの女。

 一体何のつもりだ、というか、さっきはあいつの腕を弾いていなかったか。

「なんだてめえそのチンケなナリは、しばらく見ねえ間に頭が茹で上がったか?」

「私の格好について他人にどうこう言われる筋合いはありませんね、カズィクル・ベイ」

 ヴィルヘルムの嘲りに、女は飄々と返す。

 それは、互いに互いを知る者のやり取りのようだった。

「まあいい。で、お前つまりだ。そういうことでいいんだな? ヴァルキュリア」

「…………」

「おいヴァルキュリア、聞いてんのか」

「ヴァルキュリア、知らない名前ですね。私は謎のヒロインBだと言ったはずですが」

「ハア? お前何似合わねえボケかましてんだ薄ら寒いわ」

 男、ベイにヴァルキュリアと呼ばれる女は口元をマフラーに埋め半眼で否定する。

 尚もヴァルキュリアとベイが呼びかけると、チッチッチッチ、と舌打ちをかまして、

「とりあえず、せいッ!」

「うぉッ!」

 跳躍から一息でヴィルヘルムの懐に入り込み、その胴体に蹴りを入れる。

 両腕でそれを防いだヴィルヘルムはしかし、衝撃で数メートルは後退した。

 あの、俺が何をしても微動だにすらしなかったヴィルヘルムを、蹴りの一つで。

「てめえ、ご挨拶じゃねえか」

「今日の私は不届き者の撃退が任務なので、では精々付き合ってもらいましょうか」

 好きでしょう、戦うの。

 そう言って挑発するように手招きする。

 やつはそれを凶悪な笑みで睨みつけた。

「上等だ……へし折れても知らねえぞイカレ女ァ!」

「誰がイカレ女ですか失礼な!」

 そして、白と黄色の閃光が激突した。

 踏み込んだ地面を抉るほどの埒外の膂力。

 そこから繰り出される拳と拳がぶつかりあう音。

 爆撃でも起こっているような轟音が、しかし無手の人型による肉弾戦の応酬であることを、目の当たりにしている俺は理解せざるを得ない。

「拳闘だと? 随分小器用になったなヴァルキュリア、お得意の剣はどうした?」

「未だ剣は抜きませんよ。だって、今日の所は様子見でしょう。私も、貴方達もね。やり過ぎたら聖餐杯からどやされるんじゃないですか下っ端君。ひっぱたいてあげますんで、それで満足して帰りなさい色白ヴィラン」

「ほざきやがったな、面えぐれるのはてめえの方だ!!!」

 ヴィルヘルムが放つ豪速の拳を、女は両拳を握りしめ内から外に弾くように防御する。

 力はヴィルヘルムが上、しかしその差を補うように女は両腕で拳を弾く。

 不思議と、その動きは俺の目に鮮明に見えていた。

 野生の獣じみた蹂躙劇をその両腕で繰り出すヴィルヘルムに対し、ジャージ女の動きは無駄がなく、スマートだ。

 足を踏み出せばすっと体が進み、その踏み込みの速さはヴィルヘルムに勝る。

 前進と後退を繰り返しヴィルヘルムを手数で襲い、その拳も蹴りも流麗な軌跡を描く。

 そしてついに大振りの一撃を掌でいなし、その懐に踏み込んで、

「はッ!」

 ヴィルヘルムの胸の中心に、掌底一発。

 鋼が打ち合うような音が響き、またもヴィルヘルムを数歩後退させる。

 もはや間違いない。

 纏う気配の感覚こそ違うが、あのジャージ女もあいつらの同類だ。

「……ほー、どうやらいじらしいチンケな賜物ってだけじゃないらしい。随分とやり口を変えたな、ヴァルキュリア」

「小手先で貴方とやり合おうだなんて自殺志願者じゃありませんよ、生憎ね」

「ハ――!」

 どうする。

 この状況を俺はどうするべきだ。

 あのジャージ女の真意は知れないが、あのヴィルヘルムを相手に互角にやりあっている。

 手が空いた今、本来なら逃げるべきなのだろう。

 だが、教会を襲うなどとふざけたことを抜かしたあいつらから逃げてどうなる。

 俺が逃げたら、香純が、先輩が――

「ばあ」

「ッ!?」

「脳筋たちがヒャッハーしてる間に改めてこんばんは。まあ、そんな怖い顔しないの」

 考えているうちに、またしてもこの女。

 先に俺を不可解な現象で縛り上げた女が眼前まで迫っていた。

「今日の所はもう貴方をどうこうするつもりはないわ。教会にだって手は出さないわよ」

「何……?」

「あの子、ベイと戦いながらしっかりこっちにも目を光らせてるのよね。私が何かしようとしたらかっ飛んでくるんじゃないかしら。流石に私もこんな序盤から創造でかっ飛んでくるかもしれない彼女とか相手にしたくないし。というか、見ない間にずいぶん愉快なことになっちゃってまあ。多分わざとね、あれ」

 人外の戦いを行っている二人を呆れたように見て、この女は何やら苦笑する。

「けどまあ、さっき貴方が何かしようとしてたのは分かったし。ヴァルキュリアも出張ってきたってことは、当たりにしろそうでないにしろ何かある、っていうことでいいんでしょうね。だから今日の所はもう帰るわ」

 帰る、だと?

 やつはあっけらかんとそう言うと、こちらから視線を外した。

「ベイー! 楽しんでる所悪いけど、今日はこれでお開きよー。続きはまたにしましょ」

「はぁ!? ざけんな、ようやく体温まってきたとこなんだよ」

「これ以上体温まったら貴方形成使い出すでしょうが。気が早いって言ってるのよ。確認はできたし、お楽しみはゆっくりと味わうようにって、クリストフに注意されてるでしょ?」

「……ちっ、わーったよ。確かにこれ以上は加減が効かねえ。小うるせえのはうんざりだ」

「ヴァルキュリアもそれでいいわよね?」

「…………」

「ちょっとー? ヴァルキュリアー?」

 戦いが止まり、ジャージ女がこちらに近づいてくる。

 俺の前で膝を折り、視線を合わせてくる。

 その透き通った深緑の瞳が俺を見つめてくる。

「無事……とは言えませんが。意識と喉はしっかり生きているようですね、少年」

「あんた、一体……」

 こいつは一体何なんだ。

 敵なのか、味方なのか。

 あいつらとの関係は。

 結果的に助けられた形になるが、連中の顔見知りなんて輩をどうあれ信じてもいいのか。

 ヴァルキュリア、なんて、先から連中が呼び合ってるベイだのマレウスだのと同じようなものではないのか。

「私について、色々と思う所はあるでしょう。ですが、私は貴方を傷つけない。信じて」

 その言葉は、何処までも真っ直ぐだった。

 それに、彼女が発する気配はあの二人とは何か違うような気がする。

 血に飢えた軍隊が人の形をしているような吐き気を催す重みではなく。

 血を流しながらもただ一つの魂で戦う、そんなズレが、疑いつつもやつらとなにか違うと思わせるのかも知れない。

「一先ず、その傷では明日の生活もままならないでしょう。これを飲みなさい」

「な、むぐっ!?」

 何だ、口元に強引に何かをねじ込まれた。

 錠剤らしきそれは吐き出す間もなく口の中で溶け切ってしまう。

「とりあえず吐けるものは吐いて眠ってしまいなさい。詳しい話は、また」

「ま、ごほっ、ごほっ、うぉぇ、げぇ、ぐぼっ!?」

 胃の中が捻れる。

 反吐と血がごちゃまぜになったものが、堪えていたものが無理矢理排出される感覚。

 二度、三度と体の何処からでてくるのかというくらい吐き散らし、視界がぼやけていく。

 体はしびれ、前のめりに倒れていく。

 そして、倒れる先には今しがた吐き散らした俺の反吐……

「……あ、やべ。すまない少年、ちゃんと洗っておくから」

 おいざけんなクソ女。

 それを最後に、俺の意識は失われた。

 

 

 

 

 自分の吐いた吐瀉物の中に顔面ダイブする少年から私は即刻距離をとった。

 危ない危ない足に飛び散るところでしたよ。

 えんがちょ。

「割と酷いわね貴方」

「私のせいじゃない」

 支えるのが間に合わなかったのは別に私の怠慢じゃない、薬が効きすぎたからだ。

 後で手ずからシャワーに放り込んであげるので許して欲しい。

 むしろ思春期の少年にとってはご褒美の割合のほうが大きいはず。

 ホラ、私って美少女だし、あ、浮気じゃないよ、私は一途だからね。

「で、ヴァルキュリア。貴方は――」

「私はヴァルキュリアじゃありません、謎のヒロインBです。妖怪ロリババア」

「その茶番未だ続けるの?」

 茶番と言われようがなんだろうが、私はしばらくこのままです。

 未だ少年が起きてるかも知れませんし。

 ちょっとだけ楽しくなってきたのは言わないお約束。

「まあ、あながち間違いでもないですよ。私はその名前は返上しに来たんですから」

「へえ?」

 ヴァルキュリア、グラズヘイムを肥え太らせる死神。

 今も、目的のためにスワスチカを開くことを否定しない私はその名から逃れられているとは言い難いだろう。

 それでも、私は誓ったのだ。

 未来を導く光輝の剣、紫電の翼、スクルドの盾たらんことを。

「第五位はそちらの幕下につくつもりはありません。これより私は黒円卓を離反し貴方達と戦います。聖餐杯にもそう伝えといてください。どうせ元々黄金を奪い合う仲間ですらない腐れ集団でしょ。何の問題がありますかね」

「ツァラトゥストラにつく、そういうことかしら」

「そうなるかどうかはツァラトゥストラ次第ですかね」

「彼は違うの?」

「さて、どうでしょう。何にせよ」

「ちっとはいい戦いになりそう、ってことじゃねえか。カハッ」

 マレウスは笑みの下で冷徹に状況勘定を行っているだろう。

 対して、ベイは相も変わらず戦うことしか頭にない。

 いずれ争いあうにせよ、早い段階で私という敵が現れたことに喜んでいるのだろう。

 ほんとめんどくさいやつだ。

「いいぜいいぜ、楽しくなってきた。てめえがそっちに立つってんなら、おい。キルヒアイゼン中尉殿、この戦争期待していいんだよな」

「言われなくとも。貴方をヴァルハラ送りにしてあげますよ。首を洗って待ってなさい」

「ハーハッハッハ! そっちこそな。てめえの首を取るのは俺だ。あの日、ベルリンでの決着を今度こそつけてやるぜ」

 うわきしょ。

 あの時のこと未だ気にしてたんですか、これだから非モテは……やだやだ。

「ねえ所でヴァルキュリア」

「謎のヒロインBですが」

「貴方の意思は分かったわ。まあどうせ時が来れば私達はバラバラになる運命だったしね。貴方がその時に備えていたっていうのも納得。けど」

 マレウスが嫌らしい笑みを浮かべてくる。

「貴方だけかしら?」

「…………」

 答える必要性を感じない。

 カマかけにせよ、何にせよ、何処まで情報を流されているかは知らないが。

 この女と私が取引をする必要性はない、それは私の領分ではない。

「…………」

「…………」

「…………まっ、いいわ。お楽しみってことで」

 じゃーねー、と手を振りながら離れていくマレウス。

 鼻で笑いながらベイもそれに続く。

 一先ず、今日の所はここまで。

 少年の危機に間に合ったので良しとしよう。

 少年の家は既に先輩の尾行で割れているので、さっさと運ぶことにする。

 うわ顔面ゲロまみれだ汚い、触らないようにしよ。

 付近の惨状はどうせマレウスが影で隠蔽するだろうし、私もさっさとずらかろう。

 気絶する少年を持ち上げて、そのポケットを探る。

 あったあった、鍵。

 さて、この少年が比較的まともな感性をしているといいんだけど。

 そして、我々の希望になり得るか、否か。

 抱えてると匂いがきついので、私は先を急ぐことにした。

 

 

 

 

「……ん」

 意識が覚醒する。

 背中に柔らかい感覚を覚えながら、俺は目を覚ます。

「俺の……部屋?」

 起き上がると、そこは紛れもない自室で、俺は自分のベッドに寝転んでいた。

 まさか、さっきのは夢?

 あの血の匂いも、暴虐も、全ては幻だったのだろうかという思いが頭をよぎる。

「…………」

 腕に触れる。

 傷は、ない。

 着ている服は……簡素な部屋着だ。

 あの時着ていた私服ではない。

「まさか、本当に夢だったんじゃ」

「お。起きましたね、少年」

「え」

 玄関先から、聞こえるはずのない誰かの声がした。

 野球帽を被り緑のマフラーを巻いた赤ジャージの不審者が、暗がりから顔を出す。

 おい、ちょっと待て。

「なッ、お前、何でここに……!」

「ああと、しー、静かにして下さい、隣まで響きますよ。全く、この部屋を見て驚きましたよ、何で両側の部屋に出入り口が物理的に貫通してるんですか……」

 そう言われて、頭が冷える。

 今騒げば、香純がこちらに来かねない。

 そうすると、この状況をどう説明すればいいのか。

 それよりも、あれが現実だとするならこいつは。

「お前、俺を薬使って反吐の海に沈めやがったクソジャージ女……」

「そこは俺の窮地を救ってくれたスーパーヒロインじゃないんですか!?」

 何いってんだこのトンチキは。

 あの人外共に殴られた痛みや恐怖が鮮明にぶり返してきたが、それを上回る腹ただしさも蘇ってきたぞこっちは、一発殴らせろ。

 ああいや、こいつがあいつらの同類なら殴っても無駄か、ファッキンゴッド。

「仕方ないじゃないですか、薬の効き目があんなに即効性だとは思わなかったんですよ……というか実際あんな即効性じゃないはずなのに。貴方とエイヴィヒカイトの親和性の問題ですかね」

 おのれナウヨックス、と独りごちるジャージ女を前に俺の心は不思議と安定していた。

 いや、安定している、というのは間違いか。

 今も不思議と治ってる体に幻痛のようなものを感じるし、あの訳のわからない連中、自分が殺人者かも知れないことへの恐れはある。

 しかし、少なくとも理性的に会話しようという気分はあった。

「あ、落ち着いてくれました?」

「不思議なことにな」

「それは良かった、アームロックで外に連れ出す手間も省けるというものです」

「お前今なんて言った?」

「さて、ちょっと夜風に当たるとしましょうか。少年も準備ができたら来て下さい」

 そう言って、勝手知りたると玄関から出ていくジャージ女。

 何か鼻歌まで歌っていた気がする、人様の家に不法侵入した分際で何様のつもりだ。

 いまいち何というか、やる気が削がれる。

 記憶に違いがなければ俺は先程命の危機に瀕していて、あのジャージ女はその一味に関わりがあるかも知れないのに。

 あの奇妙な出で立ちがそうさせるのか。

 いや、そんな事で誤魔化されるほど俺も鈍くはないはずだ。

 あのマレウスとかいう女も猫かぶりな言動が目立ったが、その裏にある狂気、恐怖は確かに感じ取れた。

「まさか、あれが素、ってことはないよな……」

 だとしたら痛すぎだろあの女。

 しかし、何にしろ今の俺にできるのはあの女から話を聞くことだけだ。

 躊躇っていても始まらない、俺は手早く寒空の下に出てもいいよう上着を羽織り、玄関から外に出ることにした。

「おや、早いですね」

「躊躇っても仕方ないだろ」

 ジャージ女は玄関横の壁に寄りかかっていた。

 時間は夜中、周囲に人影はない。

「はいこれ、お一つどうぞ」

 そういって、差し出してくるのはコンビニで売ってる飲むヨーグルト。

 手持ちの袋に他にも入っているらしく、ジャージ女は缶のココアを取り出し飲み始めた。

 俺へのチョイスが飲むヨーグルトなのは、微妙に胃の調子を配慮されているのか。

「で、わざわざ俺を家まで運んで待ってたってことは、説明する気はあるんだろうな」

「んー、ま、概略程度ですけどね。それに何でも分かってるわけじゃないですし」

「それでもいい」

 飲むヨーグルトをポケットに突っ込む話を始める。

 こっちはこの何が何だか分からない頭の中を落ち着けたいんだ。

 すると、ジャージ女はおっとりと壁から背中を離して、

「まあ、とりあえず定番の自己紹介から始めましょうか」

 何言ってるんだお前。

「何ですかその目。ちゃんと自分の口から素性を述べることは大切なことですよ。でないと私はこれから延々と君のことを少年と呼ぶことになりますが。寝顔がかわいい少年」

「やめろ、やめろ」

 この女、的確に人が嫌がることを。

 まあ、円滑に話を進めるためには仕方ない。

 どうせバレているだろうし、大人しく名乗ることにする。

「……藤井蓮。ただの学生だよ」

「ただのかどうかはともかく。ふむ、藤井蓮君ですね。では藤井君と呼びましょう」

「で、あんたは。謎のヒロインBとか酔っ払いみたいに名乗ってた気がするけど、名前は」

「私は謎のヒロインBです」

「おいこら」

 問答する気あるのかこの女。

 人に名乗らせておいて自分は名乗るつもりがないとか。

「一先ず、そういうことにしておいてください。情報があまりに多いと頭がパンクしてしまいますし、私も私で知ってること洗いざらい吐く気もないので。貴方がもしこの先も関わることになるのだとしたら、自ずと分かることです。とにかく私は謎のヒロインB、この諏訪原市を影ながら守るご当地ヒーロー、因みに彼氏は募集してません、愛しの旦那様がいるので。えへへ」

「聞いてねえよ」

「呼び方は好きなように呼んで下さい」

 どう呼べと。

 謎のヒロインBとか字面だけで恥ずかしい呼び名を強制するな。

 絶対呼ばねえぞ。

「別に『謎の』とか『B』とかでも構いませんから。私の懐は太平洋の如く広いので」

「じゃああんたで」

「呼ばれねえ……そっかー」

 テヘヘと苦笑いする謎のジャージ馬鹿。

 やめろ、腹立つだけだぞそれ。

「で、その、自称ヒーローさんの知り合いっぽいあの連中は何者なんだ。あの人間の範疇を逸脱した化物共は」

「ドイツ帝国華撃団です」

「は?」

「奴らはドイツ帝国華撃団。この諏訪原を牛耳り君臨しようと企む、悪の組織です」

 真顔で身も蓋もないことを言い出したぞこいつ。

 悪の組織ってお前……いやこれ以上ないほどしっくり来るんだけど。

 悪役顔で平然と暴力振るってきたし、殺されかけたし、脅迫もされたし。

「とにかく、連中は悪です。今はそれだけ把握していればよろしい。心を許さないように」

「あんたは連中とはどういう関係なんだ」

「無論いがみ合ってます。私はヒーロー、向こうは悪の組織ですから」

「にしてはあいつらは随分とあんたに気安そうだったが」

「かれこれ長いこと争ってるんで、てめえの顔も見飽きたぜ的な関係ですね。そろそろ決着をつけたいところです」

「…………」

 一先ず。

 俺を殺そうとしたあいつらが悪党で、こいつがそれと敵対していることは理解することにした。

 そうしないと先に進まない、こいつが信用に値するかはともかく。

 なら、次だ。

「この町で起こってる殺人は……」

「分かりません」

 間髪入れず、俺の言葉は遮られた。

「この町で起こっている殺人事件とやつらに何の関わりがあるのか。それを語ると長くなりますが。ただ、あれは連中の仕業では、ない。連中は単に興味を惹かれて寄ってきただけです」

「それは……」

「それは、貴方が探すべきことでは。疑っているんでしょう、自分を」

「…………」

 あの殺人事件と、俺に起こっている異変。

 あの殺人が連中の仕業であったのなら、どれだけ心が軽くなることか。

 あんな化物が街中にいることへの恐怖はあるが、自分が殺人なんてしていないと知れれば。

 だが、だが、そんな安易な収束は許されないとでも言うのか、畜生。

「あんたも、俺を疑ってるのか」

「正直に言うのなら、はい。ただ殺人という一点のみにおいてという意味なら、いいえ。私が貴方を助けたこととは別の話ですね」

「それはどういう……」

「この街の異変を解決するのは、一筋縄では行かないということです。私も色々とやらなければならないことがある。貴方は連中に目をつけられましたし、あまり周囲をうろちょろしてると見つかりそうですからね」

「あ、おい!」

 とん、と靴が地面を叩く音がして。

 あいつはアパートの通路からひとっ飛びに身を躍らせる。

 動物でもありえない、長く幻想的な跳躍。

 それを経て、あいつは道路の手前まで降り立った。

 その現実味のない光景に、自分がジャンル違いのなにかに巻き込まれたことを否が応でも実感させられる。

「明日から、貴方も身の振り方を大いに考えさせられることになるでしょう。とはいえ、それほど性急に事が起こるわけではないと思います。私は私で結構忙しいですが、また頃合いを見て会いに来るかも知れませんので、その間頑張って下さい」

「待てよ、未だ話は……」

「敵がいます。守るべきものがいます。さて、貴方はどうしますか」

 そんな事を言うだけ言って、あいつは闇の中に消えていった。

 あとに残ったのは、あやふやなもどかしさ。

 喉元にナイフを突きつけられている不安感のみだ。

 結局、分かったことは少ない。

 恐らくだが、あの女はその当たりをぼかすことによってわかりやすい事実のみを先に把握させようとしたのだろう。

 つまり、あの連中が俺の日常を壊す存在で、俺は日常を守らないといけないということ。

「どうしますか、だって? そんなの、決まってんだろ……」

 これ以上、失ってたまるか。

 俺はその時、そう思った。

 一体何を失ったのか、それは死と隣り合わせの今を顧みた単なる平穏か。

 ただ、その時あの馬鹿の、司狼の顔が脳裏を過った。

 お前は、何処で何をやってるんだろうな。

 とりあえずヨーグルト飲んで、疲れのまま泥のように眠る事にした。

 

 

 

 

 第一接触は成功。

 彼が思いの外理性的で助かった。

 ツァラトゥストラとしてメルクリウスに選ばれるような存在なら、もっとぶっ飛んだ存在なのではと危惧していたが。

 私や黒円卓の連中はともかく、先輩は彼こそがツァラトゥストラであると確信しているようだ。

 色々と腑に落ちない部分もあるが、特にアテがあるわけでもなし、それを信じようと思う。

 結果的には、この装いも役に立った。

 いくら助けに入るといっても、今しがた自分を殺しかけていた連中と同じ服装の奴が間に入って信じるやつがいるだろうか、私は信じない。

 なるべく警戒を解いてくれるよう、また後ろ暗いことが露見しないように暗示誘導などの手段に頼ることは極力避けた。

 とりあえず、次回も邪険にはされど追い払われることはあるまい。

 言うな、分かってる、邪険にはされてるんじゃんって言いたいんでしょ畜生。

 自分でも変なことしてるだなんて分かってるわい。

 でもなんだかこのジャージ着心地がいいんですよね……癖になりそう。

 しかし、目処を付けたからと言って張り込みをするわけにも行かず。

 これから先のことを考えると連中が頭のおかしさにかこつけて先走らないことを祈りつつ用事を済ませねば。

 じき第一のスワスチカが完全開放されるというのなら、そこからが勝負。

 そこからは、どれだけ連中を押し留め、開いたスワスチカを抑えられるかに掛かっている。

 時間は後どれだけあるか、一週間、数日、それとも明日にはもう?

 覚悟は決まっている。

 けれど、あの黄金の獣に何の展望もなく仕掛けるのは馬鹿げている。

 兎にも角にも、時間が必要だ、時間が。

 藤井君、君が本当にツァラトゥストラだというのなら。

 いずれ、或いは、共に戦う時も来るかも知れない。

 そんな無責任なことを考えながら、私は宵闇の中を走る。

 時計の音が、聞こえた気がした。

 




アルフレート・レポート2:実験計画始動

ワーグナーをかけろ:神、来たれり。

拳闘:アルフレート直伝。だが私にはバリツがある。

錠剤:鋼鉄製薬の殺人ドクターA氏謹製の回復薬。
   体から異物を強制排出し怪我を回復、強制睡眠状態にする。

虹色の中に沈む蓮君:俺はやつを一生許さないと供述しており

ドイツ帝国華撃団:正義の為に戦います。

謎のヒロインやってた理由:蓮くんに警戒されないため。でもジャージが癖になりつつある。



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chapter4

三連投は無理だったか、だが翌日には間に合わせたぞ。
なんかまた新鮮な評価もらえて日刊30位くらいに浮上してたみたいなんで。
共通ルートくらいはササッと書いていきたいと思った今日此の頃。
感想評価がパワーになる。

後ろくもるさんに書いてもらったベアトリスもパワーになる。
皆見て、讃えて、打ち震えて、リツイートいいねして(宣伝)
https://twitter.com/abilants/status/975704268249251841


 ルサルカ・マリーア・シュヴェーゲリン=マレウス・マレフィカルムは密約の相手であり、今も研究室に秘密裏に出入りしている同盟相手だ。

 現在の研究テーマは聖遺物の脱着、魂との分離、構造解析。

 僕の契約した銀時計、こいつはどうにも聖遺物と呼ぶには毛色が違う。

 魂ではなく感情を喰らう銀時計。

 それを糧にクリッターを生み出し、無限に知識を湧き出させる。

 こいつを齎したもの……まあ十中八九、この時計の音だろうけど。

 ルフランの進行はこの銀時計に魂の割合を奪われているに等しい。

 だからその前に、狂気と正気を切り離さなければならない。

 魂の分断、その目標を聞いたマレウスは盛大に顔を顰めていたが。

 そんなことをしても分断した魂が個として機能するはずもない、亀裂から砕け散って死ぬだけだ、とぼやいていた。

 だが、それでも、それ自体が狂気の沙汰であろうとも、やるしかない。

 マレウスは強かで自信家で享楽家だ、そこを擽るように、自分が優位であるという環境を作らせておけば協力者としてうまくやっていける。

 そう、諜報、交渉だって同じこと。

 下手に出ることから始まって、少しずつ、少しずつ、自身の秘密を分け与えていく。

 秘密というものは蜜より甘く、薬物よりも不確かで分かりにくい。

 リスクは常に命の危険、断崖絶壁の綱渡りだ。

 だからこそ、踏破した時の見返りは大きい。

 僕が成し遂げる時、或いは成し遂げられなかった時まで、この賭けは続く。

 誰から情報が漏れても僕は終わりだ。

 マレウスとバビロンの二人はまだいい。

 が、クリストフの目がある。

 時間は常に僕の味方をしているわけではない、指をかけられるのも時間の問題だろう。

 そうなる前に、対策を講じなければ。

 とはいえ、現状どうにかする手段は見えない。

 好機が来ることを信じて、研究を進めるのみか。

 因みに研究に行き詰まったので徹夜のテンションのまま物理的な手段で魂を切断してみようと試みた、死ぬかと思った。

 マレウスには盛大に呆れられた。

 

 

『お前は誰だ?』

『どこから来た?』

『今どこにいる?』

『行き先は?』

 

 

秘匿文書:アルフレート・レポート3

 

 

 

 

「開いた」

 博物館のスワスチカが、開いた。

 メルクリウスが見初めたのであろう少女の宿った刃は消失し、然るべき場へと。

 この場は嘗てあった魂の散華がギロチンの血によって喚起され、そして条件が満ちる。

 戦場跡として剣呑を越えて冒涜的とまで言わせしめるその気配は、只人を以降一切寄せ付けないだろう。

 携帯が鳴る、着信名は見慣れた名前だった。

 通話ボタンを押す。

「ん。そっちはどうだ、ベアトリス」

『すいません完全に出遅れました! 時々様子を見に行ってたとはいえここ数日静かだったからとちょっと物資調達をしていたら……そっちはどうです?』

「博物館が開いたのを確認したよ。体の方は、どうだ」

『それは心配いりません。私の体の、聖槍の聖痕はしっかり打ち消されているようです。特に痛みもありません。先輩の、聖釘の聖痕がちゃんと効いてます』

「そか、良かった。……始まるな、これから」

『ええ、そうですね。私も終わった後とはいえ、彼らの姿を確認しました。藤井君……彼が、本当にツァラトゥストラなんですね』

「話してみて、どうだった」

『……些か奇矯な気配を、水銀の残滓を確認したことは否定できません。ですが、少なくとも、友人のために戦える少年であることは。彼はそのために、黒円卓と戦うのでしょう。……それも、予め用意されていた動機なのかも知れませんが』

「……ベアトリス、俺は」

『分かってます、そこを疑ったりはしませんよ。彼が嘗て何処の誰だったにしろ。貴方を否定するような真似はしません。カテリナさんにまた怒られちゃいます』

「ん。もう暫くは、頼む。俺が出ていけるのは、少なくとも第二を抑えてからでないと」

『ええ、それでは私は一旦これで。先輩も、聖餐杯の目には気をつけて』

「ああ、また」

 通話を切り、闇の中から博物館の出入り口を伺う。

 夜間、封鎖されているはずのそこから大柄の人影が出ていくのが見て取れる。

 血の匂い、呼び水として警備員を何人か殺したのだろう。

 クリストフ……ヴァレリア・トリファが何食わぬ顔で博物館を後にする。

 こちらには、気づいていない。

 そのまま、闇の向こうに背中まで消えていくのを見届ける。

「――形成(イェツラー)

 こちらも始めよう。

 暫く待機し、クリストフが教会に戻った頃を見計らい術式を被せる。

 俺の聖遺物、聖なる釘を擁する鉄王冠が、形成の段階から持つ特性。

 それを、死が充満する博物館の地面に向ける。

 

「母さん。結界の聖痕、お借りします」

『ここに神の子、顕現せり』

 

 刻印を刻む。

 打ち消すまでは行かない、流石にメルクリウスの刻んだ術は規模が大きすぎる。

 だが、一部を上書きすることはこの短期間でもできる。

 第一の仕込みが、この地の法陣に浸透する手応えを、確かに感じた。

「刻印、完了」

 先ず、一つ。

 究極的な切り札にはなりえないが、それでも。

 効果のある一手は確実に積み重ねていかねばなるまい。

 八つ目までを一気に開けられる前に。

 さて、そのためにも、制御できる展開は制御していかないと。

 携帯から番号を呼び出し、耳に当てる。

 間髪入れず、通話が繋がった。

『これはこれは、お久しぶりですシェレンベルク卿』

「早いな。監視の目はないのか」

『ええ、まあ。私先程まで聖餐杯猊下の命によりベイとマレウスを諌めていたところでして。一仕事終えた後はゆったり夜景を見ながら帰還しようかと』

 慇懃な声。

 先日、もうすぐシャンバラに入る、と連絡をよこしてきた男だ。

 この数十年、俺達を黒円卓からひた隠しにしていた男。

 ロート・シュピーネ。

『どうやらツァラトゥストラも見つかったようで。そちらのご首尾は如何です?』

「一先ずは、成功と言っておこう」

『ほう、ほう! それは素晴らしい! ヴァルキュリアを隠れ蓑に、うまく立ち回っているといった具合ですか』

「シュピーネ、お前はどうする」

『ふむ』

「こちらの計画は未だ始動の段階に過ぎない。お前が勝利を確信するほどの段階に至るまでは、後いくらかスワスチカが開いてみないと分からないからな。だが敵対しないのであれば変わらず見過ごせ。そちらに不利益はないはずだ」

『ええ、それは。貴方の企みを糾弾した所で、私の望みを叶える手段が一つ減るだけだ。ですが、まだ慎重を期したいのも事実。私は私で、こちらの計画を進めましょう』

「色々と企んでいるのは知っていたが、何をするんだ」

『ここ暫くの諜報で聖餐杯猊下に恩を売れました。それを使って、ツァラトゥストラへの第一の接触を譲って頂こうかと』

「……接触してどうする」

『無論、どうとでもやり込めるまでですよ。メルクリウスの代替とはいえ、この町で暮らしている日本人の学生だという話ではないですか。貴方もそう思っているのでは? ツァラトゥストラと共闘する、そのためにヴァルキュリアを遣わしたのでしょう?』

「…………」

『私が勝利を確信した暁には、より強固な結束を以て黒円卓を迎え撃てるはずだ。その時が来るのを楽しみにしていますよ……』

「……ああ、分かった。場合によっては話を合わせて貰う必要がある。ベアトリスとの通信も取るようにしておいてくれ」

『ええ、それでは、今宵はこれにて』

 通話の切れた携帯を、暫く眺める。

 頭の中で今の会話を反芻する。

 ツァラトゥストラと接触する?

 別にそれ自体は間違いじゃない。

 しかし本気で共闘するつもりなら、あの増長の色を込めたやりこめる等という発現は不適切だ。

 あいつは自分が人にとって不愉快な存在であることを熟知していた。

 それ故の慎重さ、臆病さだったはずだ。

 それが、わざわざ顔を出して挑発じみた文句で勧誘を行う?

 ロート・シュピーネの持つ長所が歪められているのを感じる。

 嘗てのあの男なら、ここであの言い草はない。

 ツァラトゥストラに対し又聞きのみの情報でそこまで無警戒に近寄るなど。

 或いは、もう。

「……………」

 先の電話番号を呼び出し、ベアトリスにかけ直す。

 間髪入れずに繋がった。

『はいはい貴方のベアトリスですよー』

「すまんベアトリス、追加で話しておくことがある」

『何ですか? 愛の言葉とかです?』

「愛してるよ」

『……えへへへへへへ』

「で、本題だが」

『あ、はい何ですか』

「ああ、――」

 

 

 

 

 事が起こったのがこの時期だったことは、不幸中の幸いか。

 冬場に屋上に登ってくる物好きなんぞ早々いない故、一人になるにはうってつけだ。

 特に今は、誰かを寄せ付けたくない。

 氷室先輩がいたら、申し訳ないが降りてもらうところだ。

 香純は、多分昼休みまで追いかけてはこないだろう。

 来た所で鍵はかけてるし。

 あいつも、俺のここ最近の態度に困惑して話しかけるのを躊躇っている。

 できれば、そのままでいて欲しい。

「……ぐっ」

 首の傷が痛む。

 断罪のリフレイン、跳ね飛ばされる首、浜辺で歌う少女。

 幻視は見続けているとやがて殺意に変わりそうになる。

 右手を床に打ち付ける。

 痛みはない、打ち付けた床からみしり、という音が鳴る。

 床には罅が入っていた。

「分かってたことだけど、いよいよ俺も化け物か」

 それでも、香純があのままよりはずっといい。

 失ったものは戻らない、俺が人間でなくなったなら、それを受け入れるしかない。

 受け入れて、やるしかない。

 あの夜、香純からギロチンを剥ぎ取り、この手に宿した時に誓ったはずだ。

 化け物は化け物同士で、俺の愛する日常を穢させやしない。

 一人残らず叩き出してやると。

 ……だが、この体たらくでどれだけやれるか。

 衝動に熱される体は常に食いしばってなければ何をしでかすか分からない。

 力を得た、しかし今の俺はそれを持て余している。

 どうすればいい、どうすれば。

「よ、っと」

 不意に、誰かの声が聞こえた。

 馬鹿な、屋上の扉の鍵は閉めてある、誰かが来るはずがない。

 来るとすれば、まさかあの日から登校して来ないルサルカあたりが――

「お、いますね。こんにちは」

「…………」

 屋上のフェンスの向こう側。

 縁に指をかけ、ひょっこり頭を出してくる野球帽。

 俺の姿を確認するやよっこらせと登りきり、フェンスをひとっ飛びで乗り越えてくる。

 着地する赤ジャージ。

 目が死んでいく俺。

「どうも少年、一週間ぶりですね」

「帰れ」

 危うく殺意をぶつけそうになった。

「あれ、流石に初手でここまで邪険にされるとは予想外ですよ……? どうしよう、ワーグナーかけるか……?」

「やめろ、マジでやめろ」

 昼休みに屋上でワーグナーなんか垂れ流したら校舎中に響き渡るに決まってんだろ。

 勘弁してくれ。

「何しに来たんだ、あんた」

「いえ、一山越えた藤井君を労いにですね」

 こいつのことはいまいち分からん。

 いや、分からないのはあの連中のこともそうだ。

 以前ルサルカを問い詰めたが暖簾に腕押し、奴らが何か目的を持ってこの街に来て、俺はそいつらの一員によって選ばれちまった代行とかいうやつということくらいなものだ。

 この自称謎のヒロインBについてもルサルカに聞いてみたが、あの女半笑いでろくに答えもしなかった。

 ヴァルキュリアもまあ随分面白くなっちゃって、いじましい努力が空回りしてる感じねー、とか言っているあたりそれなりに互いを知る仲なんだろうが。

「ああ、そうだな色々ありすぎたよ。ご当地ヒーロー様とやらは助けてくれないみたいなんで自分で何とかしたけどな」

「うぐっ、その節は私も席を外していたというか……まあ、でも実際貴方の手で切り開かなければならないのも事実ですし」

 嫌味の一つでも言ってやるとバツが悪そうに俯く。

 ややあって、調子を取り戻したのか顔を上げた。

「お詫びと言ってはなんですが、今回は貴方の力になりますよ」

「力?」

「ええ、それの制御、難儀しているでしょう。活動位階の初期、最も暴走の危険性が高い段階です。ですが抑え込めているあたり、きっと形成まではすぐの筈ですよ」

 知ったような物言い、いや実際に知っているのだろう。

 あいつらと、俺と同じ力を使うこの女。

 それと長いこと付き合ってきたというのなら。

「とりあえず、はい」

「な、うぉッ!?」

 瞬間、目の前まで距離を詰められた。

 こちらが何か言う前に、する前に、ジャージ女の手が俺の頭の横に添えられて、

「ずぁっ……!?」

 瞬間、頭の中から全身に電撃が走ったような感覚。

 それは痛みを与えず、衝撃のみが体を駆け巡る。

 何だ、何をした。

「貴方の殺意を一時的に麻痺させたんですよ。未だ辛いですか?」

「え、あ……」

 首筋の痛みが、殺意の衝動が、無くなっている。

 いや、完全に消えたわけじゃないが、ちょっとした違和感程度まで抑えられている。

「永続的なものではありませんが、貴方がそれを克服するまでは多分抑えられてると思います、安心なさい。これで日常の友人を貴方の手で傷つけるようなことは起こりませんよ」

「…………」

「むう、まだ邪険モードですか。いい加減こっちも傷ついてきたような」

「あ、いや、その。すまん、ありがとう……」

 分からないやつだ、分からないやつだが。

 少なくともこいつは、俺に対して敵対的な行動を取っていない。

 前回も、今回も、俺を助けようと振る舞っている。

 こいつが敵だとして、わざわざ俺に友好的にすり寄る理由が見えない。

 それこそあのヴィルヘルムやルサルカのように、最初から敵としてかかってくるはずだ。

 あいつらに比べれば、多少は信用してもいいだろう。

 たった今また助けられたのだから、感謝くらいは、まあ。

「どういたしまして。これを機に私を神と敬ってくれてもいいですよ」

 うるせえよ。

 やっぱ感謝はいらなかったかも知れない、所詮は非日常か。

「さて。ともあれ、貴方は武器を手に入れました。やつらに通じる武器を。ゲームで言うと聖剣ゲットみたいな感じです。即装備です。ですがレベルが足りなくて聖剣が扱えません」

 相変わらず身も蓋もない表現だが、今の俺を端的に表す表現としては妥当だ。

 つまり、レベルが足りなくてせっかくの聖剣も宝の持ち腐れということ。

「大枠で区切って、レベル1からレベル4まで段階があるとします。今の貴方はレベル1、その力を安定して使えるようになるのがレベル2、やつらを纏めてこの街から叩き出そうというのなら、レベル3が目標です。敵の過半数はこの段階に至ってますからね」

「レベル1……」

「私達の用いる魔術、エイヴィヒカイトにおいては、活動位階、と称される段階ですね」

 魔術、エイヴィヒカイト、活動位階。

 言葉自体はパーツに過ぎないが、その言葉を聞いてだんだんと輪郭が形成されていく。

 そう、それは永劫破壊の理、ゲットーを超越し天を誅殺せしめる水銀の理――

 ……俺は、何を考えている?

「つまり、ようやく先を教えてくれる気になったってことか」

「ええ、貴方の扱うべき力について。そのきっかけを私が教導します」

 扱うべき力について、か。

 どうやらやはり、段階を踏んで情報を開示していく腹積もりらしい。

 こいつの背景については謎のままか。

 以前の俺なら先まで吐かせようとしてたかも知れないが。

「分かった、頼む」

「おや、素直ですね。もっと尖ってくるかと思ったんですが」

「尖っても仕方ないって結論が出たんだよ」

 謎も、敵もあっちこっちに溢れかえってる。

 でもだからって目につくもの全部を警戒してても仕方ないと思った。

「あんたのこと、一応は信用することにする」

 だから、このジャージ女を一先ず信用してみよう。

 今の俺なんぞ友好を装って陥れる価値もないと思えば、意外とすんなり受け入れた。

 この女がジャージ姿の馬鹿なのもあるかも知れない。

 本当なんだその格好は、もっとマシな服はないのか。

「なんだか不名誉なことを思われてる気がしますが、とにかくよし! では、そちらの予定が良ければ、今夜にでも始めましょう。よろしくね、藤井君」

「ああ、よろしく……」

 

 そしてこの夜、俺は俺に宿った超常の力、その詳細を知ることとなった。

 聖遺物、重ねた歴史と食らった魂。

 飛ぶ斬撃、走る稲妻、あの女の片腕に顕れた鋼の装甲。

 活動、形成、創造。

 尚、活動については手加減されていたものの実地で散々叩きのめされた。

 俺の体を割かないギリギリの強さでしこたま打ち込まれた。

 どうやら同じ斬撃系ですし、体で覚えたほうが早いですねとか抜かしやがってあの女。

 その御蔭かある程度指向性を絞った斬撃を扱えるようになったがそれはそれ。

 もしこのご当地ヒーローとやらに責任者がいるとしたら絶対クレーム入れてやる。

 そう固く誓った。

 

 

 

 

「あの、大丈夫? 神父さん」

 今、俺の目の前には常軌を逸した光景が広がっていた。

 交差点で色々考えすぎて気分を悪くしてたら先輩とシスターに会って、神父さんが二人に虐められて家出した(申し訳ないがかなりしっくり来た)と聞かされて。

 二人には帰ってもらい、たまたま神父さんの姿が目についたからその後を追ったのだが。

 曲がり角から何故ですかー、とか、ぬわー、とか、哀愁漂う悲鳴が聞こえてきて。

 駆けつけると、無人の工事現場の中パンツ一丁で倒れ伏している神父さんがいた。

 

 なんでだ。

 

 とりあえず二人が探してましたよと伝えつつ助けることにした。

「はは、申し訳ない。みっともない姿を晒してしまいましたね」

「いやみっともないを超えてるだろ、何があったんですか」

「いやあ何、ちょっとですね……」

 神父さんは斜め上を指差す。

 そこを見ると、立てかけてある俺の身長のゆうに倍以上はあるでかい鉄柱があって、その鉄柱のてっぺんに黒い布が引っ掛けられている。

「教会を飛び出し気の向くまま散歩していたのですが、突如エキセントリックな小学生たちの襲撃を受けまして。カソックを奪われ鉄柱の上に吊るされてしまったんですよ」

「何だそりゃ……」

 ちょっと意味が分からなかった。

 エキセントリックな小学生に?

 カソックを奪われる?

 どんな小学生だよ、それ。

「彼らも根は良い子達なのですがね。これもまたスキンシップの一環なんでしょう」

「普通に不良の卵だと思うけど。突如襲いかかってきたクソガキ共を根は良い子って、神父さんちょっと人が良すぎるんじゃないの」

「ああいえ、何というか、慣れてますから」

「は?」

「この街には昔から一定数いるんですよ、ああいう子達。私もメキシコに飛ばされる前から標的にされてましたから。懐かしいですねえ、カソックを剥ぎに来る子供たち、それを阻止する私、輝かしい青春のメモリーでした」

「ええ……何それは」

 諏訪原ってそんな頭おかしい所だったのか。

 現在進行系で頭も体もおかしい連中が襲来してるけど。

 知りとうなかった、そんな別口の非日常。

「とりあえず、そのままじゃダメでしょ。通報されちゃいますよ」

「ですね。幸いここには足場になるものがあるので、今までのように老朽化した鉄塔によじ登って川に落ちるなんてことはせずに済むでしょう」

 そう言って神父さんは手近な台を鉄柱の麓に積み重ねカソックを回収した。

 何、老朽化した鉄塔によじ登るって。

 何、川に落ちるって。

 ひょっとして諏訪原大橋のあれのことか。

 聞きたいような聞きたくないような。

「さて、これでよし。では私も帰ることにします」

「そうしてください、先輩が心配してましたよ」

「おおそれは……急がねばなりませんね、性悪リザに感動の再会を阻まれる前に!」

 この人達は何というか、互いに性悪って罵ってる割には暖かい。

 何だかんだ仲は悪くないのだろう、先輩にとってのひだまりというやつか。

「藤井さんも、お手数おかけしました。これから帰るので?」

「ああ、いや……」

 帰る、そう聞かれて思い出す。

 先ほどすれ違ったあの男。

 ジャージ女との特訓中に放送で語りかけてきた、シュピーネとかいう男の声。

 あいつは明確に、意図的にこちらに語りかけてきた。

 このまま帰って、いいものか。

「ふむ、なにやら用事がある様子。帰りなさい、といいたい所ですが」

 神父さんがこちらに向き直る。

 人の良い笑みが、俺に向けられる。

「……ならば、急ぎなさい。時は待たない。貴方の望むものを、無情に奪い去っていってしまうやも知れない」

「……ッ!?」

 その笑みに。

 その笑みに、俺は何か得体のしれないものを感じた。

 思わず一歩後ずさる。

 何だ、この、全身が竦む、津波を目前にでもしているような。

 何故俺は、この人を前にそんな感想を抱いているんだ。

「……どうしました? 私の顔に何か?」

「あ、ああ……いや。なんでもないよ」

 再び問いかけられると、そんな気分は何処かに消え失せた。

 普通の、人好きする温和な笑顔だ。

 先輩の慕う神父さんの顔だ。

 だから、俺はさっきの感覚を気のせいだと断じる。

 だってそうだろ、ありえない。

 あの人が、そんなこと。

 忘れよう。

「ん?」

 そう思った矢先、携帯に着信が入る。

 呑気に響く着信音。

 着信画面には、愛のヴィーナスなんてふざけた名前が表示される。

 俺にとっては、嫌な思い出。

 ごく最近の、あの時の怒りと悲しみを思い出す。

 馬鹿な、二度も三度もそんな芸のないことがあるかよ。

 香純は助けた、もうこんな非日常には関わらない。

 だから、この電話の先にはまたあのやかましい声が待っているはずなんだ。

「……もしもし」

 そして、俺は電話に出た。

 ――本当に、芸のない。

 その先から聞こえる最低の音を聞き終わった俺は、首の疼きのままに駆け出した。

 

 

 

 

「があ、ぅ、ぐぇぇ……」

 公園から這い出る影があった。

 蜘蛛のように手足の長い男が血塗れになりながらその長い腕で這いずっている。

 シュピーネは敗北した。

 ツァラトゥストラと接触し、幼馴染を用いて外道なまでの挑発を行い、その逆鱗に触れた。

 形成位階に至ったその聖遺物によって自身の聖遺物を絶たれ、満身創痍となりながら、集めた犠牲者の魂が散華する煙に紛れ逃げ出した。

「おのれ……おのれ……このままでは……」

 迂闊だった。

 ツァラトゥストラを舐めていた。

 実のところ最初の一歩から盛大に間違えているのだが、それにシュピーネは気づかない。

 今や魂が摩耗しきっている彼では、気づけない。

 故に、直ぐ側に『二人』の魔人がいることも、察知できなかった。

「シュピーネ」

 気づけば、眼前に男の足が見えた。

 その声を聞き、シュピーネは顔を上げる。

 透き通った瞳が、シュピーネを見ていた。

「お、おお……シェレン、ベルク卿!」

「随分としてやられたようだな。らしくもない油断だ」

 その相手は、シュピーネにとっては僥倖とも言える相手だった。

 彼に傷を治してもらおう、そこから再起していけばいい。

「は、は、これは、おはず、かしい」

「全くだな」

 ああ、ああ、そうだ、私はこの男に恩を売っている。

 らしくもない義理立ての関係を、今こそ何よりありがたいとシュピーネは思った。

 助けてくれ、と手を伸ばす。

「…………」

「…………?」

 ヴァルターは、答えない。

 その手は、取られない。

「なあシュピーネ。お前、ここで命を繋いでももうダメだ。死ぬよ、どうしようもない」

 何だ、何を言っている、何を言っているんだ。

 シュピーネは困惑し、焦燥し、そして恐怖した。

 自分がどうなるのか頭では理解できず、しかし何処かで理解していた。

「俺が来た理由は、正に『義理立て』だよ。お前には世話になった。ならせめて、死後幾ばくかくらいはマシな結末を用意してやる」

「――ぁ?」

 

「形成」

 

「は――がッ!?」

 シュピーネは、穢れなき少女の歌声を聞いたような気がした。

 しかしその歌声を聞いたときには、既に終わっていた。

 閃光が、黒い閃光がシュピーネを射抜く。

 一条のそれが幾重にも分かれ、シュピーネの体を貫いた。

 それはキリストの受難、脇腹の聖痕を狙ったものだった。

「その刻印、死の前に潰してやる。お前は外道だったが、それでもグラズヘイムには落ちない。俺は、確かにお前に恩があった。こういった形にはなるが、聖餐杯に潰されるよりはマシだろう」

「せい、さん、は」

 それを聞き、シュピーネはようやく気づく。

 もう一人、近づいてくる影があることを。

 バレていたのか、全て、全て、バレていたのか。

 そんな、では私のやってきたことは、

「逃げるがいいよ、シュピーネ。最後の慈悲としては不満に思うかも知れないが」

 少なくとも、自覚あるうちに何度も死ぬことはないだろう。

「ぁ――」

 それを末期として、シュピーネは息絶えた。

 肉体は風化し、魂は散華する。

 数百人規模の魂の散華によりスワスチカが開き、戦場の呪いが充満する。

 二つ目のスワスチカが、開放された。

「……さて」

 それを見届けたヴァルターが、背後に振り返る。

 正にそこにいる人物に向けて、

「こうしてその姿で対面するのは初めてになるか。様変わりしたな、神父トリファ。今ではクリストフ・ローエングリーンか」

「ああ……何と懐かしい、懐かしい顔だ。その可能性を否定していたわけではなかったが、しかしそれでも。お久しぶりです、シェレンベルク卿」

 ヴァレリア・トリファがそこにいた。

 多くの驚きと、僅かばかりの歓喜を覗かせて、その目を見開いている。

「キルヒアイゼン卿の参戦から、貴方の存在を嗅ぎ取った者は他にもいるでしょう。私としてはこの数十年間の間もですが。しかし貴方は影はあれど尻尾を掴ませてはくれなかった。流石は落日に至るまで戦い続けた情報局長官、将軍(ヘル・ゲネラール)と言った所でしょうか」

 揚々と、友のように語りかけるヴァレリアに、ヴァルターは僅かに眉を顰める。

「お前、変わったな」

「ふむ、変わった、とは?」

 姿形、などという簡潔な意味ではないだろう。

 ヴァルターは今、黄金の玉体の中にいるその魂を見つめていた。

「痩せぎすで気弱な優男が、随分と役者になった」

「恐れながらも首領代行の身ですので。傲慢と言われればそれまでですが、多少はそういった振る舞いもなければかえって不忠になりましょう。あの黄金の君に」

「どうだかな。俺には……」

 その先を、言葉にはしない。

 何もかもがないまぜになって自他の境界さえもあやふやになっていることに苦しんでいるのは、本人が一番良く分かっているだろう。

 彼もまたかつて通った道を、しかし違う道のりから歩む男に、かける言葉はなかった。

「私からすれば貴方こそ随分と様変わりしたものだ。あの鷹の如き沈着冷静の将が、年を経て丸くなりましたか。キルヒアイゼン卿は嘗てより貴方を慕っていましたが、よもや」

「ああ、そうだな。六十年は長かった。何もないやつなんて、いなかったろうに」

 これも戯言か、とヴァルターは言い捨てた。

「ですが、変わらないものもある。シェレンベルク卿、見るに貴方の初志は変わっていない。今も尚、ハイドリヒ卿と戦うことを選びますか」

「…………」

「成る程愚問のようだ。貴方もまた長きに渡り準備をしていた。キルヒアイゼン卿を排する余裕がなかったのも、シュピーネを抱き込まれていたのも、こちらの失態ですね」

 或いは、十一年前、あの男が起こした謀反は。

 ふとしたその思考を、ヴァレリアは切り捨てた。

 終わったことだ、既に。

 そう、無意識のうちに危機を抱くことなく切り捨てた。

「ツァラトゥストラに与しますか」

「必要なら」

「怖い人だ。貴方と、そしてザミエル卿は昔からそうだった。副首領閣下の術理を受けて尚油断のない一流というものは」

「戦争とは、そういうものだろう」

「違いない。これは我らにとっての戦争であれば、我らもまた恐怖を以て挑むべき。それを理解しうる存在が何人いるかは知りませんがね」

 そう、だからこそつけ入る隙きがある。

 我にとっても、彼にとっても。

 その天秤がどう傾くか、未だ未知なれど。

「聖槍十三騎士団黒円卓第十位、ヴァルター・フリードリヒ・シェレンベルク=シェイドウィルダー・マハカーラ。貴方の帰還を喜びを以て迎えましょう。今偽りの席は廃され、真の友が帰ってきた。我々の戦争に、最高の敵役として! ハイドリヒ卿も歓喜しておられる! 分かりますか!」

「生憎と、分からないな」

「ああ、そうでしたね。貴方はそれを許されていた。約束された敵手である貴方には」

 脇腹と手足から血を吹き出すヴァレリア。

 刻まれた聖痕が、主の感情を反映し傷として開いている。

 黒円卓に参じたすべての団員が持つその祝福を、ヴァルターは最初から受けていない。

 それを、黄金の獣も許している。

 水銀の蛇が嗤う。

「……では、私はこれで。今宵はこれまでとしましょう。貴方も、今は未だそれほど血の気が多いわけではなさそうだ」

「ん」

「或いは、何か……いえ、詮無きことですね」

「お互いにな」

「はは、そうですね。お互いに」

 それを最後に、ヴァレリアは踵を返す。

 老獪な神父が闇に消えていくのを確認して、ヴァルターは息を吐いた。

 時間はない、察されるわけにも行かない、何れ露見することだし、この近さならなにかしていることくらいは知られてしまうだろうが。

「こうなった以上、躊躇ってる場合じゃないからな」

 スワスチカが機能し、呪われし戦場跡となった公園の地面に手を向ける。

 そして、ヴァルターは唱える、喚起する。

 聖なる声、戒めの鉄輪を。

 

「母さん。結界の聖痕、お借りします」

『ここに神の子、顕現せり』

 

 刻印を刻む。

 それは博物館で行ったのと同様のものだった。

 黒き光は大地に、魂に、術式に被さるよう浸透していく。

「刻印、完了」

 これで、二つ目。

 悠々と抑えられる期間もあと僅かか、とヴァルターは目を細める。

 ツァラトゥストラ、藤井蓮が形成位階に至り、シュピーネが斃れた。

 なら、開戦の時は近い。

 すべてを賭けるときが。

 愛する女が本懐を遂げる時が。

 せめて、自分が消えるとしても、その時までは。

 ヴァルターもまた、公園から消える。

 束の間の静寂を、そこに残して。

 

 

 




レポート3:聖遺物に喰らわれる魂、魂の分離を果たすには

結界の聖痕、お借りします:ヴァルターの形成、黒の王によらない聖遺物の特性。
             黒の王がなくてもあれだけで十分特級である。
             その効果は……

愛してるよ:軽率に言葉にしていくスタイル。これがあるからこいつらは死なない。割とマジで。

ヒロインBの特訓:レオンハルトちゃんはいないので。
         スマイル0円で座学と実践という名のリンチを受けました。
         これでも原作に比べりゃ大分高待遇。

神父:ついに原作主人公にまでカソックを剥がされる現場を目撃される。

シュピーネさん:まさか生きられるとか思ってたわけじゃあるまいね。
        一応救いは与えたんでそれで満足して。


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chapter6

春の境目に魂ごと体を沈めていたらあら不思議、一ヶ月経っていました。
そろそろ投稿しねえとなあ……と思って投稿した次第。
今回は共通ルートラストになります。
次から個別ルート時間かな。


 黒円卓の聖槍、ヴェヴェルスブルグ・ロンギヌス。

 櫻井一族の魂を取り込み喰らう、聖遺物のある種の極致。

 トバルカインを機関化する傍ら、この聖遺物に触れる機会を得た。

 既に櫻井武蔵の魂が取り込まれた腐敗の大剣。

 殺した対象の力を簒奪する、聖槍のデッドコピー。

 櫻井一族に妄執の如き呪いを向け、その魂を一方的に食らうソウルイーター。

 聖遺物の格としては、贋作とはいえ上位に食い込むだろう。

 それを見て、ふと、思った。

 これは、ひょっとして似ているのでは?

 確信のない直感のまま、僕はカインの改造もそこそこの隠れ蓑に、偽槍の解析を最優先に研究室の機能を集中させた。

 カインの鎧は既に八割方雛形を構築しているのだ、そちらの研究の主導権は僕が握っている以上、専門外の分野に関してバビロンからの追求なぞ行わせない。

 そして、結論を出した。

 

 これは、使える。

 

 そうと決まれば早急に計画を建てなければならない。

 かなり無理がある工程になるだろう。

 クリストフには途中で見抜かれるだろうし、いや、マレウスとバビロンに対しても今まで以上の、綱渡りという表現すら生ぬるい断崖行になる。

 危険度だって形成と創造くらいの差まで跳ね上がるのは間違いない。

 だが、それでも。

 これは使える、使えるぞ。

 この呪いはまさしく、僕への祝福だ。

 成る程背信の刃たる僕には、呪いこそが相応しいか!

 滑稽だ、哀れなまでに滑稽だ!

 はは、はははははは、はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!

 げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげら!!!

 

 

『チク・タク、チク・タク』

『少女、生贄、さまよう子羊』

『果てなきものなど、尊くあるものなど』

『全て、全て、あらゆるものは意味を持たない』

 

 

秘匿文書:アルフレート・レポート4

 

 

 

 

「こうして過ごしてることを」

「はい?」

「普通の人間なら、狂ってるとでも言うのかな」

 諏訪原タワーのレストランの中に、彼らはいた。

 灰金の髪を持つ美しい男女は、道行く人が見れば兄妹では、と噂するであろう姿だった。

 互いにストロベリーとチョコレートのパフェを突きながら、何かぼんやりとしている男に少女が微笑んでいる。

 休日の昼下がり、タワーの窓から日が照らす、たおやかな午後だった。

「未練だな、未練だよ。それでも俺は」

「私は、魂ならざる記録でしかないけれど」

 ストロベリーパフェを食べる手を止めて、少女は言う。

 何時までたっても自分に対しては卑屈な態度を取る息子に、

「貴方が、私とこうしたいと思ったこと。それを素直に形に、言葉にしてくれること。私は嬉しく思います。ここに彼女がいたら、きっと、いいえ、必ずそう言うわ」

「……母さん」

「けれど、そうね。次はベアトリスさんを連れて。あの子、寒空の下で今日も駆け回っているのでしょ? 息子の孝行は嬉しいけれど、貴方はあの子のことを第一に考えてあげるのよ? いい?」

「……はい」

「よろしい。貴方が育んだ誰かを想う心は、何も間違ってなんかいないわ」

 カテリナが優雅に微笑み、ヴァルターも小さく笑った。

 例え、魂ならざる偽りだとしても。

 ヴァルターの力によって顕現した生亡き者であっても。

 カテリナ・シェレンベルクがかつて擲った『思い出』はヴァルターの中にあり、その思い出は本人のものである以上、こうして顕現し言葉を語る彼女のそれは、生前の言葉に等しい。

 意思を、思い出を失うという現象を前に人間ではなくなりかけた彼に母が与えた、何よりも大きな遺言だった。

「ヴァルター」

「……ん」

「迷いがないこと、決意があること。それはいいの。けれど、貴方は彼と対面して、また新たに、選ばなくてはならない何かに出会うと思うの」

「なんとなく、分かってる」

「そうね。貴方はなんとなく分かっている。けれど、いざその時になれば……誰も、冷静でなんていられない。そういうもの」

 机の上で、両手を握る。

 祈るように、細い指が鳴った。

「貴方の愛に、従うのよ。それこそが、貴方が培い、育んできたもの」

「俺の、愛、ですか」

「はい。そうすれば、きっと大丈夫」

「……はあ。分かり、ました」

 煮え切らない返事をすると、分かっていると微笑んでくる。

 何も変わらぬ、思い出の母。

 彼女の言葉を求めた自分は、それを否定することはない。

 そう、笑顔の母をぼんやり見つめていたからか、ヴァルターは近づく影が目の前に来るまで気づかなかった。

「……ん?」

「あら?」

 そこにいたのは、黒いゴシック服をきた、金髪の乙女だった。

 碧い目をヴァルターにまじまじと向けている。

 やや、沈黙の時間があって、

「こんにちは」

「……はあ、こんにちは」

 ぺかーという効果音が付きそうな笑顔で挨拶などしてくるものだから、ヴァルターもなんとなく挨拶を返す。

「此処は、楽しいところですね」

「まあ、そうですね」

「パフェ、美味しそうですね」

「頼んでみるといいかと」

「そうしてみます。レン、聞いてくれるかな」

「金に困ってるとかじゃないのなら、多分」

 そんな、どこか不可思議な会話を繰り広げる二人。

 何故、そのようなことになっているのか。

 天然ゆえの偶然ではない。

 少女、マリィは覚えていた。

 彼が、以前出会った、似てるけど違う人に。

 ヴァルターも、気付いた。

 少女の黄昏色の魂、無垢なる特異点の力に。

「あの後、レンと出会えたんです」

「そう」

「貴方は違ったけど、けど、カリオストロの知り合い?」

「まあ、そんなところ」

 マリィはカテリナのことも見る。

 そのあり方を、魂で感じて、

「貴方も……似てるけど、違う?」

「えーっと……?」

 ヴァルターを見て、カテリナを見て、ころころと表情を変える。

 その感情はあまりに純粋で無垢で。一切の雑味がない。

 ヴァルターは思う、成る程、これがあの男の本命、あの男の宿願。

「きっと、カリオストロのオペラ、もうすぐなんですね。貴方も来るんですね」

「……それは」

 きっと、未だ何も分かってない。

 分かる余地が無いのかも知れない。

 その位階は、この世界における神なるものの位階である故に。

 そしてそれは、自分の役目ではなく、領分でもない。

 ツァラトゥストラならざるこの身では。

「おーいマリィちゃーん! 迷ってるのかな、こっちだよー?」

「あ、カスミ! では、私はこれで。また会えるの、楽しみにしてますね」

 遠くからの呼び声。

 それに応えて、マリィは去っていく。

 席三つほど向こう側、見ようとしなければ見えない位置だ。

 きっと、そこに。

「難しい顔になってますよ」

 険しい顔のヴァルターが、カテリナにたしなめられる。

「今は、話を聞いて欲しい。そう言ったのは貴方なのだから」

「む……ごめん」

「ベアトリスさんの苦労が忍ばれるわね」

「いや、そこは、要所要所はともかく、普段苦労してるのは僕の方のはず……」

「そんなことはありません。貴方はとても女泣かせになったのだわ」

「ええ……?」

 納得がいかないという顔をするヴァルターを、カテリナがピシャリと言い込める時間は、その後三十分ほど続いた。

 

 

 諏訪原タワーにて 休日の裏の親子

 

 

 

 

「…………」

 ボトムレスピット。

 そんな風に呼ぶらしい、まあどうでもいいんだが。

 俺にとっては、こいつがここにいる、ということの方が重要なことだ。

 対面のソファーに大仰に座りヘラヘラ笑ってるこの男、遊佐司狼。

 以前までとは様変わりした派手な装いは、正にこいつの性根を表していると言える。

 二度と会うこともない、そう思っていた男。

 こいつの方はどう思っていたのか、相変わらず食えない顔をしている。

「……で」

 今、この場にいるのは俺を含めて五人。

 俺、実体化しているマリィ、司狼、本城恵梨依と名乗った女、そして……

「何であんたがここにいるんだよ」

「あー、いやまあ、のっぴきならない事情があると言いますか……」

 ソファーの端に気まずそうに座っている、妖怪ジャージ女ことヒロインB。

 帽子のつばを指で下げ視線をそらしている。

「ああ、こいつなら俺がとっ捕まえた」

「はあ?」

「うちの付近でボケっと入り口を眺めてたもんでね。カマかけてご招待したってワケ」

「藤井君、何なんですかこの少年。友人は選んだほうがいいですよ」

「それは全く同感だが、あんたには言われたくない気しかしないな」

「おいおい現在進行系で面白人間一直線の連中がよく言うわ」

「結局皆が皆相手に対して同じようなこと思ってるわけよ。あら似た者同士」

 司狼と本城は嫌な笑みを浮かべ、俺とジャージ女は溜息をつき、マリィは首を傾げながらオロオロしている。

 ああ、もう、こういう空気はうんざりだ。

 マリィの教育にも悪い。

「いいから、話を進めろよ」

「おう、何だっけ。俺様のボトムレスピット君臨録最終章、俺とヘルシェイク矢野のエアギター頂上決戦の話だっけか」

「帰るぞ」

「釣れないねえ。もっとヘルシェイク矢野に興味を示そうぜ。あいつはやべえぞ、一瞬だが俺のデジャヴを止めやがった逸材でな」

「こちとらそんな場合じゃないんだよ」

「ああ、変態集団に追われてるんだもんな」

「…………」

 そう、それが本題だ。

 相変わらず選択肢の総当たりとか抜かして今じゃアングラな方面に突き抜けているこの馬鹿が、有ろう事か今俺を取り巻く最低最悪の非日常に首を突っ込もうとしている。

 こいつが何処でどうなろうと知ったこっちゃないが、俺の目につく所で狂った真似をされるのは迷惑だ。

「関わるなよ司狼。これはお前は面白がるようなもんじゃないんだ」

「それは俺が決めることだよエセ優等生。ここ数日訳も分からずもがいてましたって顔しやがってよ。俺達の方が、お前よりは詳しいぜ?」

 俺の言葉を意にも介さず、煙草に火をつける。

「例えば、連中の正体とかね。なあ、自称謎のヒロインBさんよ」

 そしてその先端を、俺ではなく、幅を開けた隣にいる女に向ける。

「…………はあ」

 ジャージ女は何やら恨めしそうな目で司狼を見ていた。

「私としても、そろそろ藤井君にはあいつらの正体諸々話す気ではいたんですよ。でも」

「超優秀でイケメンの司狼さんは事前にその正体に辿り着き、自称ヒロインは無様に脅迫かまされて連行されてしまいました悔しいでしょうねえってか? ねえ今どんな気持ち? どんな気持ち?」

「ぐぬぬ……」

「あのね、この情報調べたのも、情報開示のための資金を出したのも全部あたしなんだけど? 司狼は偉そうに突っ張ってるだけ」

「面白バケモノ相手に前衛で突っ張ってんだぜ? 殊勲賞ものだろエリー」

「はいはい」

 概ね、察してはいたもののいざ言葉にするとぼやけた輪郭が形になってくる。

 司狼と本城は言う。

聖槍十三騎士団、ラストバタリオン、と。

 お尋ね者のハイエンド、終戦から年を食うこともなく生きている化物集団。

 ナチスドイツの亡霊共。

「ま、俺にとって重要なことはあいつらがちょっと気違い過ぎた領域の何かってことに尽きるがね、なあ蓮。お前ももうそうなんだろ?」

「……司狼。何度でも言うぞ。お前は――」

「そんでそこの謎のヒロインBさんもだ。なあ、そうだろ? 聖槍十三騎士団黒円卓第五位、ベアトリス・キルヒアイゼンさんよ」

 その言葉に、一瞬呼吸が止まった。

 いや、考えていなかったわけじゃない、目を逸らしてごまかしていただけだ。

 単に、条件反射だった。

 隣りにいるこの女が、あいつらと同じだと断言されたことが。

 それが形となった途端、猛烈な不安感に襲われる。

「言ったろ? こちとら大枚叩いてこいつらのデータベース覗いたって。そんで顔が割れた連中の中の一人がよ、芋くせえジャージ姿でボケっとこっち見てるわけよ。こりゃ捕まえてみるしかねえじゃん?」

「…………」

「まあ結果はこの通り、不気味なくらいすんなりついてきたわけなんだけどよ。なあお嬢ちゃん、あんた、どっち側だ?」

「…………」

 目を閉じ腕を組み黙していたジャージ女。

司狼が言うには、ベアトリス・キルヒアイゼン。

 そいつはややあって組んだ腕を解き、その目を開いて、

「私の言い分は、変わりませんよ。ちょっとそこに多少の事情が加わっただけで」

「ふん、つまり?」

「私は、聖槍十三騎士団の『裏切り者』なんですよ。第五位の席は既に、あの黄金の獣に反旗を翻している。私はこうすることを、もう何十年も前から決めていましたから」

「へえ」

 裏切り者。

 ジャージ女、キルヒアイゼンは厳粛にそう言い放った。

 その瞳の中の輝きが、俺達に見えた。

「味方……と言うには都合が良すぎますね。当初、私達もそちらを利用するつもりだった。ツァラトゥストラ、そう呼ばれる存在がいる。その程度の情報しかなかったのですから」

「あんたも、やり方は違えど俺を試していた、ってことか」

「そうなります」

 キルヒアイゼンは帽子を取り、それを胸に当てる。

 宝石のような緑の瞳が、帽子の暗がりを介さずこちらの視線と合わさった。

「疑念も、嫌悪も、あらゆる全てを受け入れましょう。ですが藤井君。私の言うことは此処にいる彼と同じようなものです。貴方が何を思おうと、私は奴らと戦う。そのために、此処にいる。ですが私としては願わくば、背を守り合う関係であれることを望みます」

 貴方が正しく善良な人間であることを、私は確信したから。

 金髪の乙女は、堂々とそれを宣言した。

 

 

 

 

 

「ふん、ま、こうなるよなあ」

 蓮とマリィが去った後、司狼は真っ二つになった拳銃の断面を面白そうになぞりながら笑った。

「安心しろよ、キルヒアイゼン殿。あいつからの心象は多分悪くねえぜ。悪かったのはあれだ、あんたのスタンスが俺のスタンスと似通ってたのが都合が悪かったからさ。理屈じゃなくとも、自分より俺の味方だと取られたんだろうな」

「けれど、事実です。私を止めるものがないように、彼を止めるものがないように。貴方を止めるものなどない。……個人的には、すっこんでなさいと言いたいところなんですけどね」

「やだね。年食ったジジババからの説教なら尚更だ」

「支援やめますよ」

「おっと、図星突かれたからってそんな怒るなよ」

「はあ……」

 ベアトリスは盛大に呆れつつ、足元においていたバックパックからいくつか袋を取り出し、それを司狼とエリーに投げた。

「はい、これ。貴方達ならまあ、使いこなせるでしょう。一先ずは馬鹿みたいな無茶しないように一戦闘分、その結果次第でということにします」

「へへ、待ってました。おいエリー」

 袋の中身を開けながら、司狼は外に、エリーは奥に向かっていく。

「はいはい、ナビがてら検分しておくから、あんたはさっさと行ってらっしゃい」

 厄介払いのように適当に手を振ってくるエリーを背に、司狼は大仰に手を広げ、

「んじゃ夜のタンデムと行こうか、麗しのお嬢様」

「いや、私走りますんで。離れなさい痴漢。着替えてから追いつきます」

 肩を組もうとした腕はベアトリスに阻止され、ついでに親指を絞められた。

「何だよ釣れないねえ」

「さっきはジジババ扱いしてたくせに何ですか。というか私旦那持ちなんで」

「ええー? うっそだあ?」

「その素朴な顔と棒読みを今すぐ止めろ小僧、刺すぞ」

 

 

 ボトムレスピットにて 蓮と司狼とキルヒアイゼン殿

 

 

 

 

「通りすがりのイケメン参上」

 飛来する鋼鉄を、ヴィルヘルムは知覚した。

 いつぞやの命知らずのガキ、その程度の認識だ。

 多少は面白くはあるが、今のところはそれだけのガキ。

 呆れたようにその銃弾を――

「……ッ!」

 噛み潰してやろう、そう思っていたものを、僅かな焦燥と共に間一髪で回避する。

 顔の横を掠めた銃弾は自身の髪の数本を断ち切り通過していく。