とあるお姫様のまちがいだらけな青春ラブコメ (ぶーちゃん☆)
しおりを挟む

before
このお姫様は性格がかなりアレである



初めましての方は初めまして!ぶーちゃん☆と申しますm(__)m
そして初めてじゃない方はいつもお世話さまです!ぶーちゃん☆と申します(^皿^)


さて、私は今まで何人かオリヒロを書いてきたのですが、作者の予想とは違い、なぜか読者さま方からの好感度がなかなか高い愛されキャラなキャラクター達でした。
なので、今回は愛され度ゼロな……それどころかマイナスに振り切れるくらい最低なオリジナルヒロインを書いてみちゃいました!


※今回のはヒロインと呼ぶにはちょっとアレなキャラなので、イメージしやすいように後書きにラフ画イメージイラストを載せておきました。
グロ注意ですが、それでもよろしければ参考までにどぞ。






 

 

 

「……ごめん、ウチ、今日限りで遊戯部を辞めさせてもらうから……っ!」

 

「え!? な、なんでですか、まくら先輩!」

 

「そ、そうですよ……! なんでまくら先輩が辞めちゃうんですか!? 辞めないでくださいよぉ!」

 

 私の突然の退部宣言に、後輩部員の相模君と秦野君が、驚愕と悲哀の様相で私に退部届け提出の願い下げを懇願してくる。

 私はそんな二人の様子に内心ゾワゾワっと身震いしながらも、二人には内緒のその気持ちを決して表には出さないよう、目の端にうっすら浮かべた水溜まりをことさらに強調するように、とても哀しげな表情を作って退部する理由を告げる。

 

「……ごめん。だってウチ、仲良しの二人が真剣にゲームに向き合って、とっても楽しそうにしてるのを見てこの部に入ろうと思ったのに、今では二人がウチのせいでいがみ合ってるんだもんっ……! そんなの……ウチ、もう嫌なの……っ」

 

「そんなぁ……。す、すいません先輩! 俺たち、もう絶対いがみ合ったりしないですから! な、な! 相模!」

 

「そ、そうですよ! ホラ! ホラ! こ、これ見て下さいよ! 俺も秦野も、もう先輩に嫌な思いさせないですからぁ!」

 

 必死に私の退部を引き止めようと、無理してガッチリ肩を組む二人を見て、私は先ほどよりもさらにゾワゾワが増す。ヤバい、このままだと今にも溢れてしまいそうな気持ちが表情に出ちゃいそう。

 

「……ホントごめん! もう決めた事なの! ウチが居なくなっても……、んーん? ウチが居なくなるから、二人で遊戯部を盛り上げて行ってね……っ!」

 

「「ま、まくら先輩ーーー!!」」

 

 泣いて縋る二人の後輩を背に遊戯部の部室を飛び出した私は、目元と口元を両手で覆い隠して一目散に駆け出す。だって……あの二人にこんな表情、見られたくないもん!

 

 二人が追っかけてきてるかどうかは分からないけれど、とりあえずもしも追ってきていたのだとしても絶対に彼らには入ってこられない安全地帯、すなわち女子トイレへと駆け込んだ私は、水滴で滲んだ瞳ごしに鏡を覗きこんだ。

 

 

 

「……あ〜、やっばい、超気持ちいい〜!」

 

 これが、決して綺麗に磨かれているとは言い難い女子トイレのくすんだ鏡に、ツインテールに束ねた艶やかな黒髪と、目元口元を酷く歪ませた恍惚の表情を写した私、鎌倉まくらの第一声である。

 

× × ×

 

 私はいわゆる所の、オタサーの姫とかって呼ばれる人種。

 生まれ持った美貌と愛嬌で、色んな部活に入部しては男子達からお姫様扱いされるのが大好きな、どこにでも居る歪んだ趣味を持つ高校二年生の女の子。どこにでもは居ないかな。うん、そんなには居ないよね。

 

 ほんの一年ほど前までは大してオタク趣味に精通していなかった私ではあるけれど、私をお姫様扱いしてくれる一部の男の子達と上手く話を合わせる為に、必要に応じて知識や物資を増やしていくうちに、いつの間にかそこそこのオタクへと変貌していた。

 まぁ言うなればビジネスオタクとでも言えばいいのだろうか。

 

 そう。オタクになったのはあくまでも本来の目的の為であり、そんな歪んだ趣味の為に必要最低限のオタク知識を増やしていった私は、オタサーの姫というよりは、どちらかといえばサークルクラッシャーとかって括りでもいいのかも知れない。

 けど、姫って響きが気持ちいいし気にいってるから、やっぱりオタサーの姫でいっか。

 

 色んな部活と言っても、そこはやはりオタサーの姫の名が示す通り、地味系な男子部員がいる地味な文化系ばかりを狙ってる。

 漫研アニ研ゲー研などなど、ソッチ系の代表的な部活を一年の頃から片っ端から制覇して、今や私の元取り巻きは結構な数にのぼっている。だってそっちの方が女の子慣れしてないキモオタばかりだから、地声よりも少し高い音階の猫なで声でちょっと甘えただけで、超簡単にお姫さま扱いしてくれるし。

 

 別にこれは、リア充の巣窟であるサッカー部辺りの女マネとかだと、マネージャーやってるのもリア充美少女率が高くて自分が埋もれちゃいそうだからとか、そういう負け犬根性が働いているってわけでは決してない。ないったらない。

 

 ……てかなに? あの先月生徒会長になったサッカー部の女マネ一年。明らかに私と同じく猫被ってキャラ演じてる癖に、私と違って表の世界でも姫扱いされてるとかマジ腹立つ。あの女、絶対性格とか超最悪だよねー。見ればわかるもん。

 どんなに可愛くたってどんなに愛嬌良くたって、ああいう性格ブスは死ねばいいのにって感じ。

 あぁ……やば。なんか考えただけで劣等感と嫌悪感に苛まれちゃうわ。リア充はリア充ヅラして調子に乗ってるだけでもムカつくのに、さらに猫被って男に媚びてるとか、もうなんなの? って感じ。ああいうのとは絶対に関わりたくない、私の一番嫌いな人種だ。

 ……おっと、どうせ私の高校生活の中で関わる事なんか絶対にないであろう下級生のことなんてどうだってよかった。ただただ胸くそ悪くなるだけだから、もう考えるのはヤメヤメ。

 

 そこいくと地味な文化系だと女子部員も地味でビジュアルレベルも高くないから、ちょっと顔が可愛いくて、ちょっと愛想よく相手を持ち上げてやれば、男子全員にちやほやされるのとか超ヨユー。

 だから私は、別にリア充の巣窟にビビってるんじゃなくて、ただ楽してちやほやされたい省エネ派ってだけなのだ。

 つまり楽したいから地味なオタ系の部活をターゲットにしてるだけであって、私が本気だせばサッカー部とかバスケ部でちやほやされるのだって超余裕なはずに決まってる。よし、負けてない負けてない。

 

 

 今回の遊戯部は去年の十一月くらいから在籍してたんだけど、やっぱりお姫様扱いされてちやほやされるにしても、私がちやほやされてる様子を指を食わえて憎々しげに眺める事しか出来ない敗北者がいないと、結構つまんないのよね。

 ちやほやはしてもらえるし、仲の良かった友達同士が私を取り合うとかすっごいゾクゾクしちゃう。でもそれは、私のご機嫌を窺う男子を見た女子が悔しがっている姿を見て、ようやく心を満たしてくれるってトコもあるのだ。

 その観点で考えると、遊戯部の満足度は正直イマイチだった。なぜなら私の他には相模君と秦野君しか居なかったのだから。

 

 うちの学校は生徒の自主性を重んじる校風で、普通の学校に比べると部活動の制約がとても薄く、仮に部員がたった一人でも部活動として認められてしまうのだ。

 というワケで生徒の趣味趣向に沿った多種多様な部活動が認められている学校ゆえに、部活を乗り換えるのがライフワークになっている私みたいなのにはうってつけの校風ではあるんだけど、その分こうして部員の少なさで飽きてしまうのが早いってのも、また考えどころだったりする。

 ゲームを製作する事にかけてはとてもストイックだった仲良し二人が、ストイックさも友情も忘れて「我こそは!」と争うように私をお姫様扱いしてくれるのはまぁまぁ気持ち良かったんだけど、さすがにそれがたったの二人だと飽きが早くなっちゃうのが自然の摂理というもので、ついに三学期初日である本日、めでたく退部と相成ったわけである。

 私が居なくなったら、二人には元の仲のいいお友達同士に戻って欲しいなぁ、なんつって。

 

 でも飽きてきてたとは言っても、最後にプリンセスが去ろうとしているのを必死に食い止めようとしてくる瞬間というのは、さすがに最高に気持ちいい。

 なんてゆーのかなー? 最後にどっかぁん! って、綺麗に打ち上がった花火みたいなぁ?

 うん、男子相手の作った口調は、相手が居ないトコで一人でやるとかなりキモいって事は分かった。

 

 と、そんなこんなで今年度に入って三つめの退部を果たしてきた私は、もう一度ニンマリと鏡を覗きこむと、肩に掛かったテールをふぁさっと払い、颯爽とトイレをあとにするのであった。

 

× × ×

 

「あ、そんなの鎌倉さんに職員室持ってっといもらえばいーんじゃーん?」

 

「あ! だよねー、こんなん別にわざわざあたしが持ってかなくたって鎌倉さんでいいじゃんねー。……え、いーよね? はいコレ」

 

「ウ、ウチぃ……? う、うん、わかったぁ、いーよぉ。じゃあウチがもってくね♪」

 

 恭しくこうべを垂れる臣下達には愛され系なお姫様を気取る私も、クラスにはびこるカースト上位な恐めのリア充女子には滅法弱い。てかこういうキャラだから、女子からはまあ嫌われている。

 

 とはいえ別にこの境遇に不満を持っているわけではなく、なんなら有名税とかまで思ってる。もしくは妬まれ税?

 ああいう連中って、表向きには「男に媚びててムカつく。女のプライド無いのかよ」などと綺麗ごと言って誤魔化してるけど、結局のところは男子にちやほやされてるからムカつくだけの話なのよね。……あれ? なんか多少耳が痛い気がするんだけど、気のせい気のせい。

 

 部活だけではなくクラスの一部男子からもなかなか可愛がられている以上、キャラも相まって女子達が私を快く思っているわけがない事くらいは重々承知している。

 好きでやってるぶりっ子キャラだからこそ、女子にハブられてたって私は決して憂いたりはしない。憂いちゃったら負けまで思ってる。だからむしろ喜んでこのレポート運びをやってやる。

 

 おいふざけんな、今日の当番はテメェだろうが!? 自分で持ってけよクソビッチが! なんて事はこれっぽっちも思ったりなんかしない。しないったらしない。それが、キャラを演じてモテるのを愉しんでる女の矜持ってね。

 

「……ばーかばーか! てめーの仕事くらいてめーでやれよ……! 化粧がケバいんだよこのクソビッチ……!」

 

 ニコニコ笑顔でレポートを受け取って、教室からいくらか離れた辺りでぽしょりと文句を垂れながす私。

 キャラっ娘の矜持はどこいった? 思いっきり憂いちゃってるけど私。

 でもそれはしょうがない。だって重いんだもん。

 

 なんでこう紙ってのは、一枚だけだとこんなにも薄っぺらいくせに、束になるとなにゆえこうも重量増し増しになるんですかね。こんなに重い物をか弱くてか細い私一人に運ばせんじゃないわよ。ばーか!

 あー……イラつく。早くちやほやされて心を満たしたい……

 

 とはいうものの、つい数日前に遊戯部を辞めてしまったものだから、今の私をお姫さま扱いしてくれる場所がない。くっそ……、退部するの早まったかな。せめて次のターゲットを見つけてから辞めれば良かったかも。

 クラスの一部男子にはそこそこモテてはいるんだけど、お姫様扱いとはちょっと違うのよね。やっぱ派手でヒエラルキー上位のリア充女子共の目があるから、教室の中だとヘタレ系の連中じゃ、おおっぴらにはちやほや出来ないというね。

 

「うー、おっも……。チッ」

 

 はぁ〜……、やっぱクラスの男子に手伝ってもらえば良かったなぁ。てか、まくらが困ってんのなんて見りゃ分かるんだから、気を利かせてあんたらからお手伝いを志願してこいよ。なにクラスのケバいビッチギャル共の目なんか気にしちゃってんの? 使えねー。

 

 と、矜持なんてどこかに放り投げ、もう何度目になるかも分からない恨み言をこぼして軽く舌打ちを鳴らした時だった。とてもダルそうな猫背を晒した男子生徒の背中が視界に入ったのは。

 

「ん、あれは……」

 

 私、ああいう暗そうなオーラをびしびし放っている背中を持つ男子には造詣が深いのよ。なぜなら、私はああいうタイプを転がしてちやほやされるのを生きる糧としているのだから。

 後ろ姿だけでもよく分かる。自信のカケラも見当たらないほど丸まった背中に、セットする気とか皆無のぼっさぼさな頭、そして人生の先へ進むのを躊躇っているんじゃないのかってくらいの重々しい足取り。あれはそう……見るからに陰キャ。てかもう陰キャ丸出し。あんなドヨッとしたのにはなかなかお目にかかれないぞってレベル。

 

 よし、心優しいお姫様としては、ここは彼の助けを借りて あ げ ま し ょ う。

 私は荷物を持ってもらえるし、さらにクラスの女子共に対するイライラのせいで枯渇しちゃったちやほや欲求も満たせる。そして彼は、普段であれば決して叶う事のない可愛い女の子との会話を楽しむという夢心地な時間を得られる。それはもうこの上ないWIN-WINな関係。

 

 

 重い荷物を抱えた可愛いお姫様がドジってレポートばっさぁ! と落としちゃえば、男子であれば助けざるを得ないでしょ。そこで頬を染めてお礼の一言でも言ってあげれば、キモオタ陰キャなんて一発で私の虜。

 さらに、上手くいけば私の次なるターゲットへの道が開けるかもしれないチャンスまでゲット出来るという寸法。

 そうと決まれば即座に実行に移すのみ。

 

 重い荷物を抱えていることも忘れて一気にスピードを上げた私は、前方をのそのそ歩く陰キャへとまっしぐら。

 どよんとした背中の横をするりと抜けた瞬間、今まで前へ前へとスムーズに進んでいた足取りをふらふらな千鳥足へと変化させ、思わず助けてあげたくなるように弱々しく歩きだした。

 

「きゃっ」

 

 追い抜いてから若干の距離を確保した私は、庇護欲をくすぐるように小さく高く可愛らしい悲鳴を上げ、ばっさぁ! とレポートの束を辺り一面へと撒き散らす……つもりが、演技がかったふらふらな足取りを保ちつつ、上手く撒き散らそうと張り切りすぎた為に、脳と身体がバラバラになって足がこんがらがってしまい、あろうことか、どっしーん☆と前のめりにこけてしまった。

 

「ぐぎっ……」

 

 あまりの恥ずかしさに、私のお口の中は歯軋りを奏でる。

 ちょっとドジッ娘なお姫様を演出して庇護欲を誘うだけのつもりだったのに、陰キャなんかにこうも無様な姿を晒してしまった自分が情けなくて仕方ない。

 危うく舌打ちまでもがお口から出かかったのだが、さすがにそれは無理矢理理性で押さえ込んだ。

 

 吐き出し掛けた悪態と舌打ちをなんとか堪えつつ、前のめりに倒れ込んだ身体をむくりと起こして女の子座りになる私。しかし、廊下にぺたんと座り込んだ自身の状況にハッとする事となる。

 絶対領域を作り出すレースのニーハイを越えて、白くスベスベの太ももが付け根近くまで露になるほどスカートが捲れ上がっている事に気付いた私は、慌ててスカートをぐいっと押さえ付けた。

 

 ──っんだよ……! さすがにパンツまでは見られてないだろうけど、ちょっと荷物を運んであげさせようとしただけの男子一人にサービスしすぎだろ……!

 

 ただでさえ無様にこけて恥をかいたというのに、さらに追い打ちをかけるような痴態に頬と身体がカァっと火照る。これでは、たかだか一時の運び屋として使ってやるだけじゃ全然割りには合わない。まくらの脚線美……下手したらパンツまでも堪能したかもしれない以上、今後しばらくコイツには、お姫様の貪欲な優越感を満たしてもらわなくては。

 

「いったぁーい! うー、もうやだぁ……レポート重いよぉ……!」

 

 そして私は渾身の力を込めて、男心をこれでもかと揺さ振る弱音を吐き出す。

 ふふん、ざまぁみろ。ツインテ美少女の思わず守ってあげたくなるこんな姿を見たら、女に縁がなさそうな男子がときめかないわけがない。心配を装った下心丸出しのヘラヘラ顔で「だ、大丈夫?」とブヒブヒ声を掛けてくるのは必定である。

 そこで頬をポッと染め上げて「うん、ありがとっ」とか言ってあげれば、あとはオートメーションで荷物持ちマシンが起動するって寸法だ。

 そして照れを纏った空気のままモジモジと愉しげにお喋りしてあげれば、あとはもう私が飽きるまでの間、お姫様を持て成すだけの臣下の出来上がりである。たっぷりとサービスしてあげたんだから、職員室までの道程で色々と聞き出して、もしもなんか地味系の部活に入っているのなら、しばらくの間はまくらの優越感の為に働かせてあげるからね。

 

「……」

 

 しかし、しかしである。

 すぐさま駆け寄ってきて、大丈夫!? とでも言いながら散らばったレポート用紙を拾い上げるであろうと思われたこの男子が、駆け寄ってくるどころかなぜか声さえも掛けてこない。

 

「うぅ〜……ぐすっ、いたぁい、ウチもうやだぁ……」

 

 もしや私の渾身の猫なで声が聞こえなかったのか? と、もう一度猫を被って弱音を吐いて、チラリと様子を窺ってみる。

 

「……」

 

 しかしそれでも一向に動きを見せない男子に対して、私はまたも舌打ちを出しかけてしまう。ギリギリのラインで踏みとどまった自分を褒めてあげたい。

 

 ──ああ、チッ、そういうタイプね。チッ。

 

 コイツはアレか。慣れてないどころか、一ミリも女の子に免疫がなくて、自分から女の子に声なんて掛けられないチキン野郎か。たまに居るのよね、こういう陰キャの中の陰キャ、どうしようもないコミュ障ってのが。

 ……あ〜あ、めんっどくさいなぁ。こういうタイプって、いくら手懐けて臣下にしても、なんかモジモジしてゴニョゴニョ喋るばっかりで、ちょっとキモいし危なそうだしで、あんまり私の心を満足させてくれないのよね。

 しくったなぁ。こんなんだったら、コレに運ばせようだなんて思わなきゃよかったじゃん。

 

 それでもここまで身体を張ったんだから、どれだけ妥協したとしても、せめて荷物だけでも運ばせよう。その後、あわよくばコイツが入ってるかもしれない部活まで狙ってやろう、という作戦は、この際白紙撤回でいいや。てかこっちから願い下げ。

 こういう輩は、今まで女の子とのコミュニケーションが不能だった分、下手に優しくしすぎると、なんか知らないけど急に調子に乗り出したりもするし、必要以上に懐かれてストーカーにでもなられたらやだから、名前も名乗らず名前も聞かず、ただただベルトコンベアー替わりの働きを見せてくれればいいだろう。

 

 やれやれ、それじゃ仕方ない。声を掛けられないのであれば、こちらから「通路塞いじゃったよね……! ごめんね!」とでも声を掛けて、手を貸しやすくさせてあげましょうか。優しすぎでしょ私。

 

「……え」

 

 しかしそこで私は驚愕の光景を目の当たりにする事となる。

 不承不承で私が声を掛けてあげようと男子の方へと顔を向けようとしたら、なんとコイツ、あろうことか散らばったレポートの隙間をそろそろと避けて、この場から立ち去ろうとしていたのだ。

 

 ──は? え、なにコイツ。この状況で女の子に手を貸さないで逃げちゃう気……?

 いくら免疫なくて女の子に声を掛ける勇気がないチキンだからって、困ってるお姫様の横を素通りするなんて有り得なくない!?

 

「ちょ、ちょっと!?」

 

 あまりの衝撃的展開に、私は思わずそいつの背中を呼び止めてしまう。

 助けられるでもなく、助け易いように仕向けるでもなく、まさか私から助けを要求する事になろうとは、まったくもって計算外だわ。

 

 すると、なぜか一度キョロキョロと辺りを見渡した男子が、ここでようやく声を発した。そしてようやく出てきたその声も、私の予想からは大きく外れていたものだった。

 コミュ障らしく、どもるでも噛み噛みになるでも声が裏返るでもなく、それはなんとも面倒くさそうで嫌々そうな、とてもとても曇った声だったのだ。

 

「……なにか用か?」

 

 特に振り返るでもなく、横目でチラリとこちらを窺うようにそう答えた男子。

 

「……わひゃ! ご、ごめんねっ……!? あ、通るのに邪魔だよねっ!? ……え、えへへっ? 重くてふらついちゃって、つい落としちゃったぁ……、ウチちょおハズぅいっ」

 

 予想外の低音に一瞬惚けてしまった私ではあるが、そこは百戦錬磨の鎌倉まくらである。

 すぐさま気持ちを切り替えて立ち直ると、可愛らしく作り上げたキャラを見事に演じきった。

 そしてあくまでも自然に、散らばった紙へと意識を向けさせるように誘導するのだ。拾ってもいいんだよ? と。そして拾い集めた重い紙束を女の子に返したりしないよね? と。そのまま職員室まで運んでくれるよね? という思いを言外に込めて。

 

 ちなみに初見の相手……どころかまだ顔を見合せてもいないけど、そんな相手にタメ口で接しているのも作戦のひとつだったりする。

 私が二年という事もあり、この男子が私の上級生という確率は実に三分の一。いや、三年生は三学期に入ってから自由登校で出席していない生徒も多いだろうから、その確率はさらに下降するだろう。

 ほぼほぼタメ口でも問題ないであろうことから、出会いからフレンドリーに接する事が出来るというメリットがまずひとつ。

 

 よしんばコイツが上級生だったとしても、それが発覚した瞬間に「……ご、ごめんなさい! ウチみんなからちょっと天然だよね〜とか言われててぇ……、だからてっきり同級生と勘違いしちゃってました……。ホントにスミマセンせんぱい! ……うぅ、ウチまたドジッちゃったよぅ……」とでも言ってやれば、逆にドジッ娘の可愛い後輩女子というアピールが出来て一石二鳥というメリットもある。

 つまりどちらに転んでもメリットしかないという素晴らしき作戦。

 

「……いや、別に気にしないんで」

 

 しかしそんな数々の目論見は、またも脆くも崩れさる事となる。なぜなら、私の熱弁がまさかのスルーなのだから。

 コイツはこちらを見もせずに、散らばったレポート用紙の隙間を縫うように廊下の先へと進んでいった。

 

「そ、そのぉ! もし良かったら、そっちのを拾ってくれると、た、助かるんだけどぉ……」

 

 その態度にあまりにも唖然としてしまった私は、自主的に手伝わせるという当初の作戦も忘れ、思わず自分からそう声を掛けてしまった。

 ……なんという失態だろう。これではまるで物乞いではないか。計画もなにもあったものではない。

 

 お姫様は、黙っていたって臣下が勝手に喜び勇んで奉仕を行い、自分は大切に扱われているんだ、自分は特別なんだ、という悦に浸って楽しむものだ。

 それなのにこれはなに? 自分から施しを要求しないとちやほやされないなんて、そんなのは私が望むお姫様扱いなんかじゃない。

 はぁ……こんなんじゃこのあと多少ちやほやされたって、満足とは程遠いよ。

 でもま、今日のところは仕方ないからこれで我慢してあげる。どうせこの使えない男子と関わるのは今日だけだし。

 

「……はぁ〜」

 

 私からの切なるお願いに、この男子はようやく進む足を止め、心底面倒くさそうに頭をひと掻きすると、深く溜め息を吐き出しながらダルそうに散らばったレポート用紙を拾い集め始めた。

 溜め息吐き出したいのはこっちだよ、とか思いながらも、こちらからのお願いとなってしまったからには自分も動かざるを得ないわけで──

 

「……わぁ! ありがとぉ! ……んしょっ、と」

 

 と、手伝ってくれる事に対しての喜びをアピールしつつ可愛らしく立ち上がると、ウチも頑張って拾い集めてます。どう? 健気でしょ? いじらしいでしょ? という空気を目一杯振りまいて、散らばったレポート用紙に手を伸ばすのだ。

 

 しばらくすると、廊下いっぱいに散らばっていたレポート用紙の回収がようやく終わった。

 使えないと思っていた男子ではあるけども、いざご奉仕となると黙々と作業をこなし、私がいそいそと胸に数枚の用紙を抱えた頃には、他の用紙は全て回収が済んでいた。

 

 やれるんなら初めからやれよと言いたい衝動を堪え、私はとびきりの笑顔を振りまいて、そいつの元にとてとてっと駆け寄る。

 なにせここからがメインなわけ。自主的に職員室に運ばせるという作戦のね。 というわけで、ここでいじらしさをアピールしておかないといけない私としては、本心をぐっと堪えて甘え声をプレゼントしてあげなければならないのだ。

 

「あはっ、コケちゃうとかめっちゃ恥ずかしかったぁ……! ウチってばそそっかしくて、ホントやんなんちゃうよぉ」

 

 そう言って頭をこつんとして舌をちろっと出した私は──

 

「でも、えへへ、拾うの手伝ってくれて、ホントありがとぉ。ウチ、めっちゃ助かっちゃったぁ♪」

 

 ポッと頬を染め、潤々な上目遣いでコイツを見上げた。

 そしてこの時、レポートの束を抱えたこの男子と初めて正面から向き合う事となり、ようやくハッキリとコイツの顔を拝む事となった。

 

 こてんと倒した私の笑顔とキーの高い甘え声に、てっきりキモくドギマギしてるものかとばかり思っていたそいつ。

 でも、そこで見たそいつの様子は、予想していたそんなモノとは大きく掛け離れているものだった。

 

 

 

 正直、思っていたよりはずっと整った顔をしていた。特筆するほどイケメンってわけではないけど、まぁ横に置いておく分にはそこまで悪くないかなってくらいの、そこそこの顔立ち。

 どうせキモくてブサイクなオタクだろうと思ってハードルをめっちゃ下げていたから、通常であればラッキーと思わなくもないかもしれない。

 

 でも、私はそれに対してラッキーとかは一切感じる事が出来なかった。なぜなら、せっかく中々に整った顔立ちを台無しにするくらい、そいつの目も表情もすこぶる淀んでいたから。

 そして、どんよりと腐った目を訝しげに細めて私を見たそいつは、嫌そうに目元をひくつかせて口元を引きつらせ、とても小さく……そう、とても小さく、「うわぁ……」と呟いていたのだった。

 

 

 

 ──これが、私 鎌倉まくらの青春を一変させるかもしれない男、比企谷八幡との初めての接触であった。

 

 

続く

 





というわけでありがとうございました!
いやぁ、性格悪いですねぇ。あまりにも腹黒すぎて、個人的にはキャラクターとしては大好物です(^皿^)
てか作者自身がすこぶる性格悪いので、こういうキャラの内面は今までにないくらい書きやすいというね。


今までずっとオタサーの姫的なヒロインを書いてみたかったのですが、今回ついに書いてみてしまいました笑
というか、実はスランプで連載作品の筆が全く進まなかった期間に、ほんの気晴らしで書いてみただけのお話なのです(^^;)

そんなわけでして、正直投稿しようかどうしようか迷ってたくらいの作品ですので、このあと続くかどうかは分かりません(-ロ-;)
でもずっと何も書かないままでいるとなんにも書けなくなってしまいそうなので、手慰み程度になんとなーく続けていけたらなぁ、と思っております。


さて、色々と余計なフラグを立てまくって、とっても痛い目を見る未来しか見えない最悪なヒロインではありますが、もし続けられそうであれば、次回もよろしくお願いいたしますm(__)m




【挿絵表示】





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

歪んだお姫様と真っ直ぐな三十路



こんなクズヒロインのお話だというのに、1話目をたくさんの読者様に読んでいただき、感謝いっぱいであります。

というわけで、少しだけ続けてみよっかな?と、なんとか2話目も書いてみました(^^)





 

 

 

 ──拾い集めた重い紙束を女の子に返したりしないよね?

 

 

 などと高を括り、ふふんと余裕の笑みを浮かべていた何分か前の自分に折檻してやりたい。

 いや、折檻してやりたいのは、か弱い私にではなく、そんなか弱い私にあっさりと重い紙束を返還し、今まさにこちらに向けて猫背を晒している男に対してだろう。なんていうか、あの背中に思いっきり飛び蹴りかましたい。正に蹴りたい背中である。

 

 コイツは、こんなにも素敵なお姫様に向かって蔑みの視線を向けたのだ。こんなにも可憐なお姫様に向かって「うわぁ……」と声を漏らしたのだ。そしてこんなにも愛らしいお姫様に「……ほらよ」の一言のみを告げて、こんなにも重い荷物をあっさりと押し付けて、とっとと去っていくのだ。

 おい待てコラ、職員室まで運んであげさせようと頑張ってた、私の努力と恥辱をどうしてくれんのよ。

 

 頭ぼっさぼさの癖に……! みっともない猫背の癖に……! キモい陰キャの癖に……! ああ……なんという許されざる所業か。身の程わきまえろ、ばーかばーか!

 まぁ押し付けてもなにも、この荷物は私のだけど。

 

 

 イライラで我を忘れ、思い付く限りの罵声を廊下に響かせかけたものの、腕にのしかかるズシリとした重量にようやく覚醒した私は、次第に遠ざかってゆく背中を忌々しげに睨めつけながら、そんな呪咀を脳内でヤツに叩きつけるのだった。

 

「……チッ」

 

 ま、とはいえ……とはいえなのよ。確かにはらわたが煮えくり返るほどの不愉快さを味合わせていただきましたけども、結果的に見れば、これは私にとってのプラスである事は間違いないわけ。

 なぜなら、この陰キャは決して関わりを持ってはいけない日陰者だから、だ。

 

 そう。私はコイツを知っている。いや、正確には知っているというほど知ってるわけじゃない。廊下を歩いているコイツに対し、教室内から侮蔑の笑いを向けていたクラスの女共の噂話が勝手に耳に入ってきたって程度のお話。

 

 ……ヒキタニとか言ったっけ? 文化祭で悪名が轟いた嫌われ者。

 確か文実で適当な仕事をして文実メンバーから総スカン食らってた上に、終了間際に実行委員長の女子相手に暴言を吐いて泣かせて、エンディングセレモニーを滅茶苦茶にしたとかいう学校一の嫌われ者。

 

 まぁ? なにがあったのかまでは知らないけど、正直な話、私から言わせればあの文実委員長に暴言を吐いて泣かせたというのは、むしろ褒めてあげたいくらい……だったりなんかして。

 だって相模南でしょ? じゃあしょうがない。

 

 一年のとき体育とか家庭科であの女のクラスと合同だったから知ってるんだけど、あいつってマジでウザイのよね。

 なんちゃってリア充オーラ振りまいて調子に乗って騒いでる勘違い女……ってのが、私の中の相模南の印象。ただ同じ姓ってだけで、相模君より秦野君の方を可愛がってた事もないってくらい、相模姓の印象を悪くさせた女だったりする。ごめんね相模君、とんだとばっちりだったね。

 

 あの女に暴言吐いたというのなら、ヒキタニって陰キャにも腹に据えかねた物があったのだろう。クラス内カーストが低い人間にとっては、自分を見下す敵でしかないからムカつくもんね。うん、仕方ない。どうせあの女、調子に乗ってなんかしたんでしょ?

 だから私自身は、その噂の主に悪感情を抱いてたりはしてなかったのだ。いや、今現在は悪感情超抱きまくりだけども。

 所詮は低俗な女連中が電波塔となって広めた噂で、それを受信したのもバカビッチ共……なんていう噂に踊らされるほど素直な女の子ではないのである。てか姫にとっては所詮下々の下世話話ってね。

 

 とはいうものの、やっぱり周りの目があるからね。

 

 まくらちゃんがヒキタニと楽しそうに廊下歩いてたんだって! みたいな噂を流された日には、私の評判めっちゃ下落しちゃうしぃ、それよりもなによりも、もしそんな噂がクラスのビッチ共の耳にでも入っちゃったりしたら、まーたお姫様な私への妬み攻撃の新たなネタを提供する事になっちゃうわけで、そうなっちゃったらまくら超悲しぃ!

 うん、やっぱキモい。

 

 だから結果的に見れば、私は決してあんな陰キャに負けてない。なんなら天がまくらちゃんに味方したまである。

 それに、私は決して見逃さなかった。あの男、私にレポートの束を渡すとき、凄い緊張の面持ちで、絶対に私の手に触れないよう、慎重に慎重に渡してきたのよ。

 そう。つまりアイツはただ可愛い女の子相手に緊張してただけ。

 あれは決して蔑みの目を向けてきてたんじゃなくって、ドキドキで目が泳いでいただけに違いない。

 あれは決して呆れた「うわぁ」じゃなくって、「う、うわぁ、こんな可愛い子に声かけられちゃったよ!」という照れの「うわぁ」に違いない。

 

 これは決して、私が無理矢理なポジティブシンキングで現実見ないようにしてるわけじゃないのだ。だって、私があんな陰キャに負けるはずがないのだから。あの程度の陰キャがお姫様の虜にならないわけがないのだから。

 

 だいたい落としたレポート用紙を広い集めさせた時点で、私にとってはマイナス要素が皆無なわけだし。うむ、大丈夫。私はお姫様らしく、ちゃんとヒキタニとやらを利用出来てた。

 

「よっし、負けてない負けてない♪」

 

 こうして勝利を確信した私は、気を取り直して職員室へと歩を進める。

 そもそもレポート用紙を落とすという小細工をしていなければ、現時点ですでに提出が完了していたであろう事……すなわち運ばせる事に失敗した時点で、時間的にも精神的にも損しかしてないんだよ! とかいう事実などは、頭の中からまるっと追い出して。

 

「……チッ」

 

 なんとかかんとか自身の中で負けてないと折り合いを付けた私は、別にこれっぽっちも悔しくなんかないから、舌打ちなんかしたりしない。

 だからいま聞こえたチッっていう音は、ただのラップ音に決まってる。ラップ音が聞こえちゃった方が怖いよ。

 

 

 ──ふん、別にいいもんね。だってもうあんな陰キャに関わる事なんかないんだし!

 

 

× × ×

 

 

「失礼しまぁす」

 

 結局重くて憎々しい紙束をえっちらおっちら一人で運び、ようやく辿り着いた職員室。

 こんなものをビッチに運ばされる事になったのも、道中で嫌われ者に軽くあしらわれて不愉快になったのも、元を正せば可愛い生徒にこんな課題をやらせた教師が悪い。だからいつまでも結婚できないのよざまぁみろ。

 

「あ、せんせぇ、クラスのレポート提出しにきましたぁ」

 

「やぁ、鎌倉か。ありが……ん?」

 

 完全に八つ当たりな恨み言を心の中で呟きながら、とある三十路女の机の横へ移動すると、不思議そうな顔の三十路の視線が、私の顔と胸に抱えるレポートの間を往復している。

 三十路が不思議に思うのも無理はない。なぜなら私が持ってくるという状況が不思議な事態なのだから。

 

「おや? 今日の当番は確か足柄じゃなかったか?」

 

 足柄? だれそれ。ああ、あのケバビッチか。

 

「それがぁ、なんかビッ……、友達が忙しいみたいでぇ、お願いされちゃいましたぁ。えへへ」

 

「ビ?」

 

 ん? と首をかしげた三十路に、えへへと誤魔化してお茶を濁し、レポートをどさりと机に置いた。危ない危ない。

 しかし、とりあえずビに関しては誤魔化せた様子ではあるものの、それ以外の真相までは誤魔化せなかったようで──

 

「……友達、な」

 

 三十路は小さくそう呟くと、はぁ〜と深々と溜め息を吐いた。

 

「なぁ、鎌倉」

 

「なんですかぁ?」

 

「君、また部活を辞めたみたいだな。今度は遊戯部だったか。確か今年度に入ってから三つめ、だな」

 

「はい、そぉなんですよ〜。すっごく楽しかったんですけど、ちょっとウチには向いてないかなぁ? とか思っちゃってぇ」

 

「……」

 

「……えへ」

 

 

 ──あーあ、だからこの三十路苦手なのよねー。察しがいいと言うよりは、むしろ察しどころか全部見抜いてるぞって目で訴えてくる。

 この三十路は全部分かっていて、それでいて尚ハッキリとは口にせず、自分で答えを出せと私へ委ねてくるのだ。二年になってうちのクラスの現国担当となり、しばらくして私の有りように気付いた時からずっと。

 

「……まったく。本当に困ったもんだ。……大学時代にも君のように異性に対して要領のいい女友達がいてね。……くっ、ホイホイと簡単に男を吊り上げては遊び回ってたくせに、そういうヤツに限って早く結婚できちゃったりするんだよ……。葉子め、クソが……っ!」

 

 誰だよ葉子。

 

「えっとぉ、ウチよく分かんないんですけど、先生だってまだ結婚出来てないのに、先生と同じ歳ですでに幸せな家庭を築けてるんなら、それってめっちゃ幸せじゃないですかぁ? 超羨ましい〜! 先生も早く結婚すればいいのにぃ」

 

「グハァ!」

 

 まるで天然で口走っちゃったかのような、確信犯な私からの会心の一撃により、憐れな三十路はゆっくりと崩れ落ちる。

 甘いんだよ独身。先生が解っていて尚そんな話をしてくるのと同様に、私だって先生がなにを言いたいのかを解ってんの。これはもう一年近く続いている、女と女の化かし合いなのだから。

 そして解ってて尚こういう生活を続けてるからこそのお姫様なの。

 

「……ぐっ、だ、だがな、」

 

 でも、がっくりと崩れ落ちた三十路は、それでも心を折らずに私と向き合おうとする。

 大きな瞳にたっぷり浮かべた涙をごしごし拭い、ぐすっと鼻を啜り上げながらも折れないハートは称賛に値しちゃう。

 

「……ぅ、ぅぇぇ」

 

 前言撤回。これはもうばっきばきに折れてるね。折れてるのにこれだからこの人ってカッケー。

 

「葉子……いや、もう葉子の話はよそう。そういう連中はそういう連中で、ちゃんと同性とも上手いこと付き合えていたのだよ。……だが君の場合、異性と同性の反応がちょっと極端すぎてな。まぁ友達ではないがそういう極端なのも居たには居たんだが、そういう連中は漏れなくロクな目には合っていなかったように思う。……ま、それはあくまでも私の主観でしかなく、彼女らの中ではそれが本当に楽しくて、それで良かったのかもしれんがね……」

 

 そう言って真剣な眼差しを容赦無くぶつけてくる三十路に向けて、私が発する言葉はたったひとつ。

 

「んー、なんか難しくて、やっぱウチにはよく分かんないですぅ」

 

 

 

 ──ロクな目には合ってない、ね。

 まぁ? 私も好きでこういう事やってますから? こういうキャラやって男にちやほやされてたら、いつか痛い目にあっちゃう人も居るよね、って事くらいは織り込み済み。

 現時点でも十分手遅れかもだけど、当然同性からは避けられるし、なんならそこから陰湿な虐めに発展する事だってあるだろう。

 別に同性関係だけじゃなくて異性関係だってそう。ちやほやされたいがあまりに簡単に男に股開いて、弄んでるつもりがいつの間にか玩具にされちゃってた、なーんて事だってなきにしもあらず、なのよね。

 でもそれはね、そうなったヤツが単に三流だってだけ。

 

 虐め? 笑える。虐めなんてのは惨めにならなければこっちの勝ちだし。モブがピーチクパーチク騒いでるからなんなの? って話。

 そりゃいくら心が太平洋くらい広いと評判の私だって、たまにイラっときちゃう時くらいはあるけども、イラっとするのと傷ついて惨めになるのは別モンだから。

 ぷぷっ、どこの世界に動物園の檻に繋がれた猿にウキキッと笑われて傷つく人間様が居んのよ? つってね。

 

 玩具? それこそ笑える。ちやほやされる為に簡単に股開くとか、なんでお姫様が臣下にご奉仕してんの? お姫様とは、臣下に無償のご奉仕をさせるモノだから。

 そんな無償の奉仕に対してのご褒美は、ポンと軽く肩に触れてあげたり、ごくたまに「ウチ、こう見えて手相とか見れるんだぁ! あー、今、なんでこう女子ってのは占いとか好きなんだ? とかってちょっと笑ったでしょお! もぉ!」とかなんとか言いつつ、ちょっと手相見るフリして手をニギニギしてあげたりする程度のスキンシップで十分。

 

 それでちやほや要員を引き留めらんないんなら三流以下。お姫様気分で愉悦を味わいたいなんて願望は分不相応。とっとと辞めちまえ。

 だいたいキモオタ世界じゃ、中古呼ばわりされた瞬間から、愛しのお姫様を見る目から、童貞を卒業させてくれる姫始め様を見る目に変わんのよ。

 ちやほやされて持て囃されたいのに、よりによってキモオタに見下されるのなんて本末転倒以外のなにものでもないわけ。

 

 つまり、私がそうなるわけがない。だって、私はお姫様なんだから。

 そこには当然なんの根拠も確証もありはしない。でも、それでも私は胸張ってこう言ってやる。この鎌倉まくら姫が、ロクな目に合わないわけないだろうが! ばーか! と、ね。

 

「ったく、本当に歪んでいるな、君は」

 

「えー、先生ひどいですよぉ、こんなに素直な女の子に歪んでるなんてー」

 

 知らず知らず不遜な微笑でも浮かべていたのであろう私を見やり、深く溜め息を吐き出し、こめかみに手を当てて頭痛を抑えるかのようにかぶりを振る三十路の額にはぷっくりと血管が浮き上がってはいるものの、その表情は怒りという感情ではなく、呆れ笑いという感情が色濃く出ている。

 ふん、こっちこそやれやれよ。ようやく今日もまくらちゃんを言い負かすのを諦めてくれたか。

 もお〜、あんまりしつこいと結婚出来ないですよぉ?

 あ、これは今更の失言でしたね。

 

「……ところで鎌倉」

 

 と油断したのも束の間、独身はまたも鋭い視線を向けてくる。

 マジしつけー。だから結婚出来ないとあれほど。

 

「君、今はなにも部活に入ってなかったな。どうだ? 部活動大好きな君に、いい部活を紹介してやろうか?」

 

「は? ……あ、ふぇ?」

 

 鋭い視線から突如放たれた思いもよらない提案は、思わず素がひょっこりと顔を出しちゃうくらいに衝撃的かつ危険な香りに満ちていた。

 えと、この人は急になにを言い出してるのだろう。入退部を繰り返してはちやほやを楽しんでいる私にお節介を焼いている人物が、よりにもよって部活を紹介してくるって、なに……?

 もう嫌な予感しかしない。

 

「本当の事を言うとな、前々から何度か鎌倉を更せ……教育しようと、とある部活を強制的に紹介したいと思っていてね」

 

 やばい。強制的に紹介とか、それもう紹介じゃないし。それに更正とか言いかけたでしょ、この独身。

 

「しかし、なぁ……」

 

 なんだかよく分からない危機感を感じて、ひくっと顔を引きつらせていると、この三十路はうへぇと苦い顔をして、つらつらと愚痴のようなものを溢しだす。

 

「さすがに強制的に部活に放り込むのは色々と問題があってね。……職員会議で何度も議題に挙がり、生徒指導に丸投げされるような問題生徒であれば、多少強引でも後々学年主任に小一時間説教を食らう程度で納得してもらえたんだが、同じ問題生徒でも鎌倉の場合は表向きには要領のいい優良生徒に見えるからなぁ……。残念な事に、たぶん却下されてしまうんだよ」

 

 全然残念じゃないから。さらっと軽く言ってるけど、「説教を食らう程度で納得して“もらえた”」って、この人すでに強制入部経験者だよ。

 あとさっきは紹介とか言ってた癖に、放り込むとかあっさり認めちゃってるし。恐いよマジで。

 

「それに二学期が始まってから、長いこと色々とゴタゴタしていてな。下手に新入部員を入れるわけにもいかなかったんだよ。だがここにきてようやくいい雰囲気になってきてね、さらに部外者一名も上手く交わりはじめた今なら、新しい部員も受け入れられそうなんだ」

 

「へ、へー、そぉなんですかー。……て、てか、こんな可愛い生徒捕まえて、問題生徒とかひどくないですかぁ?」

 

 なんだか危険な香りが強くなる一方なので、興味ありませんとばかりに話をはぐらかしに掛かる私。満面のいい子ちゃんスマイルを浮かべてこの話題を軽くやり過ごそう。

 だいたいそんな怪しげな話題の振り方して、はいそうですかと入部を希望するわけないじゃない。これは流されたらいけない。

 

「鎌倉が問題生徒か問題生徒じゃないかと言ったら、それは自分が一番良く理解している事だろう? さて、それでどうするかね?」

 

 チッ、全くはぐらかせなかったか。

 

「……えっと、ウチ、しばらく部活はお休みしよっかな? とか思ってるんで、それはちょっとお断わりしよっかなぁ……?」

 

「ほう、鎌倉が部活をしない、ね。そりゃまた珍しい事もあったもんだ。……もちろん強制はしないが、別に遠慮しなくてもいいんだぞ?」

 

「え、えへへ、遠慮とかそんなんじゃないんですよぅ。……ち、ちなみにどんな部活なんですかぁ?」

 

 と、別に聞かなくてもいいのについ聞いてしまう部活マニアな私。

 確かに怪しげだし、この独身の紹介じゃロクな部活じゃないんだろうけど、現在絶賛部活募集中の私としては、どんな部活なのかがなんとなく気になってしまったのだ。もちろん受諾する気はゼロだけど。

 

「ふむ、どんな部活かと言われると難しいのだが、……君はボランティアに興味はあるかね?」

 

「……ボランティア?」

 

 

 それを聞かされた瞬間、受諾する気ゼロどころか、大きくマイナスに振り切れた。

 ボランティア、すなわち奉仕活動。部活動におけるボランティアとは、大概の場合は地域の清掃活動に参加したり地域の催し物の手伝いに行ったり、なんなら校内の草むしりとかを自主的という名の強制でやらされるアレであろう。

 

 

 ──ハッ、ばっかじゃねーの? なんで私がボランティア部なんかに?

 私は奉仕する側ではなく、あくまでも奉仕される側。従順な下僕たちに満足という富を分け与え、そのお礼に無償の奉仕を受けるお姫様。

 その私がなんで無償で奉仕なんぞをしてやらないといけないのか理解に苦しむんですけどー。私がボランティアとか真逆もいいとこでしょうが。馬鹿らしい。

 

 それにそんな偽善活動な部活動に進んで入部してる連中なんて、リア充でもなければキモオタ陰キャでもない。意識高い系か真面目ちゃん達の集まりに決まってる。ああ、あとは三十路に強制入部させられたとかいう問題児だっけ。

 ハッキリ言って、私が好んで関わるような連中ではない。

 

 ……そもそもね? 楽しみってもんは自分で見付けるものであって、決して誰かに与えられるものではないのだ!

 

「……んー、えっとー……どぉしよっかなぁ……」

 

 聞いた瞬間からすでに答えは出ているようなものではあるが、一応考えるような仕草だけでも披露しとかないと、この三十路はこのまま帰してはくれないだろう。

 

「……んっと、色々考えたんですけどぉ、そういうのはウチにはちょっと向いてないかなぁって」

 

「色々もなにも、ほんの一瞬考えたフリしただけだろうが……」

 

「やだぁ、そんな事ないですよぉ」

 

「ぐっ……この小娘、そろそろぶん殴りたい……!」

 

 ま、バレバレなのも織り込み済みである。要は、提案されて考慮した、という体裁が欲しいだけの話。三十路言ってたもんね。強制的に放り込めはしないって。

 

 だから、私はちゃんと考慮しましたよ。熟考に熟考を重ねた末に、否という答えを提示しましたよ。

 って、それをアピールしただけ。

 

「はぁ……本当にしょうのない奴だなぁ、君は。……ま、こうなるだろうとは思ってはいたがね」

 

「だから先生がなんの事を言ってるのか、ウチわかんないですよぉ。えっと、お話も終わったみたいですし、ウチそろそろ行きますね♪」

 

 

 

 そして私はくるりと踵を返すと、とてとてっと出口へ向かう。つまりこれにて、絶賛売出し中と売れ残りの会合は幕引きとなる。

 

 ただ、この人との狐と狸の化かし合いがこれで何度目になるかは忘れちゃったけど、これからも懲りずに何度も続けてゆくのだろう。

 そして私は、意外にもこの下らない化かし合いがそんなには嫌いではない。猫被りな私が本性をチラチラと垣間見せて、良くも悪くも真っ直ぐすぎるこの人に真正面からぶつかられるというのは、ちやほやされる快感とはまた違う快感を愉しませてくれるから。

 んー、なんてゆーのかなぁ? 猛牛に向けて赤いマントをひらひらさせたマタドールになっちゃった気分〜?

 

「なぁ、鎌倉」

 

 ほらね、これからも続ける気まんまんな三十路が、職員室の扉に手を掛けた私に再戦の申し出をしてきた。

 

「はい、なんですかぁ?」

 

 振り向いた私の瞳に映った三十路の表情は、とても真剣で、それでいてどこか悪戯っ子のようで。

 

「またなにかあったら、ちゃんと私に言ってこい。新しいターゲッ……部活の相談なんかにも乗ってやるぞ。私はこう見えても生徒指導担当だ。部活動にも色々と詳しいからな」

 

「……失礼しましたぁ」

 

 

 特に答えることもせず、ぺこりと頭を下げた私に目一杯の苦笑を浮かべ、手をひらひらさせる三十路の姿に十分満足した私は、クソビッチや陰キャに対するイライラもすっかり忘れ、明日からの新たなちやほや探求に心を浮き立たせるかのような愉しげな足取りで、一月初旬の冷たい空気で良く冷えたリノリウムを、軽快にキュキュッと鳴らして歩きだすのだった。

 

 

 

続く

 




というわけで、股開くとか言っちゃう可憐なヒロインの物語ではありますが、今回もありがとうございました!


ありがちな
『先生に強制入部させられた先に居たのは、もう関わることなんかないと思ってたムカつくアイツ!
やだ!もしかしてこれって運命☆…!?』
的な展開かと思いきや、なんとまくらさん、上手いこと奉仕部入りという地獄の一丁目に足を踏み入れるのを回避してしまいました(・ω・)
さて、この歪んだヒロインの間違いだらけな青春はどうなってしまうのか?待て次号!




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お姫様はラブコメを始めるようです

 

 

 

「……うげぇ……っ」

 

 

 

 ──私はその日、あてもなく校内を彷徨っていた。

 時は一月中旬。遊戯部退部から一週間以上の時間が経過した日のことである。

 ……なぜ私が校内を彷徨っているのか。それは、教室に居場所が無い時間帯だから。端的に言うと、早くお弁当食べたい。

 

 

 私にとって昼休みという時間は、部活動に勤しんでいない期間は正に地獄。だって教室に居場所がないから。

 部活に所属してる時はいいのよ。部活仲間という名の臣下達に囲まれて、部室で弁当つつきながらちやほやされてりゃいいのだから。

 だけど、部活に所属してない期間は逆にそれが足枷となる。だって普段昼休みになったら颯爽と教室から居なくなる女子が、なぜか自分の席に居座っててごらんなさいよ。どんだけ目立つと思ってんのよ。

 そりゃもう私を快く思ってない女共からすれば、恰好の餌食以外のなにものでもないわけ。

 

 やれ「あれー? なんで今日は居るんだろー? なんか笑えなーい?」やら、やれ「あれじゃね? 媚びてた男に逃げられたんじゃね? ウケる〜」などと、あれやこれやと根も葉もない噂で勝手にヒソヒソ盛り上がられて、危うく素で罵倒騒ぎを起こしてしまいそうになること請け合い。マリアナ海溝くらい深い心を持っていると評判の私を持ってしても、だ。

 

 さらにその足枷は、一緒に食べる女子が居ないんなら、クラスの男子と一緒に食べればいいじゃない、という可能性さえも無に帰すもの。

 普段、私を気に入っているクラスの男子達にはこう伝えてある。「お昼は他のクラスの子と一緒に食べる約束してるんだぁ」と。そしてその『他のクラスの子』とは、もちろん女子を示すもの。

 クラスの女子とは上手く馴染めてないけど、違うクラスには女の子の友達居るんだよぉ? という見栄は、下手に部活の男子に囲まれて食べているという自慢よりも、よっぽど大きな見栄となるのだ。てかそれじゃただのビッチ自慢だし。

 

 やっぱりね、同性の友達が皆無というのは、お姫様としての権威に関わる大問題なのよ。

 だからそんな下らない見栄の為に、部活に所属してない期間は教室で昼休みを過ごすという選択肢は選べないのである。

 

 というわけで、どこにも所属していない期間は私には私の秘密の居場所がある。誰も居ない、誰も来る事のない、特別棟の階段最上段の踊り場という居場所が。

 ちなみに屋上には決して出ない。だって恐いヤンキー女子が縄張りにしてるって評判だし。オタクがこの世で一番苦手なものはDQNなヤンキーなのである。

 

 遊戯部を退部してから今日に至るまで、私は当然のようにその居場所で昼休みをひっそりと過ごしてきた。そして、そんな昼休みは今日という日も当然のように訪れるものかと思っていたのに……

 

 

 ──今すぐその床抜け落ちろ。そして絶望を抱えて奈落へと落ちていけばいいのに。

 

 

 イラつき過ぎて、そんな物騒な思考がなんの抵抗もなく頭に浮かんでしまうくらい、本日の私の居場所は汚らわしく侵されていた。クソカップルに。

 そう。そこでは一組のカップルが、弁当をつつきながらキャッキャウフフと乳繰り合っていたのだ。

 

 『乳繰り合う』とは良く書いたもので、読んで字のごとく、男子が弁当をつつきながら「やだエッチぃ☆」とか言って悦んでる女子の胸をつついていた。てか後ろから揉んでた。死ねばいいのに。

 ウフフ〜、こっそり覗いて何処の誰かしっかり確認しといたから、あとでまくらちゃんが三十路に事細かく報告しといてあげるねぇ? 死人が出ても自業自得だよぉ?

 

 

 はぁ……やはりとっとと次の部活を見つけとくべきだった。三十路に「しばらく部活動を休む」と宣言した手前、三十路を通さない限りしばらく部活入るわけにも行かないしなぁ……とか思って油断してたら、気が付けばあれから数日ほど経過しちゃってたの。

 どうせ昼休みは居場所があるからいっか、なんていう油断のせいでこんな羽目になり、平穏無事なランチタイムを求め彷徨うこととなった私。

 

 しかし探せど探せど、誰にも見つからずひとりでゆっくり弁当食べられる場所なんて、早々あるわけがない。

 いくらなんでも便所飯にまで身を堕とすような真似は、お姫様のプライドが絶対に許さない。かといって部室と階段の踊り場とトイレ以外に、誰の目にも触れられずに食事を済ます事が出来る場所なんて簡単に思い付くわけがないのだ。

 

 

 だから私は彷徨った。校内だけに限らず、一月中旬にしては暖かい方の今日ならば……と、校舎を出て外にまで足をのばした。もちろんリア充どもの巣窟である中庭は全力で避けて。

 

 そしてようやく人気も無く、一月とはいえ今日であればギリギリ過ごせるくらいの日差しも確保できる一角を発見した。

 ぱこんぱこんと、先程のクソカップルが放課後にどこぞにしけこんで発するであろう不愉快な音とは違う爽やかなぱこんぱこんが聞こえるその場所は、テニスコート脇の麗らかな陽だまりスペース。

 

 

 しかしようやく発見したその場所で私が発した音。それが……うげぇ……、である。

 なぜならそこには先客が居たから。それもそんじょそこらの先客ではない。あの日私をすこぶる不快にさせた、あの憎き陰キャが居たのだ。

 ……そして私は、奴と目が合ってしまった。

 

 

× × ×

 

 

 ヒキタニとかいう嫌われ者と二度目の接触をしてしまった私。まさかこんなところで出会ってしまうだなんて。

 

 ──もう二度と関わる事なんかないと思っていたムカつくあいつ。やだ、これって運命!?

 

 などと頭の悪そうなネタを思い浮かべるような気分にもなりゃしない。ただただ不快。ただただ不愉快。

 この現状を作る要因となった乳繰りカップルに対する恨みは、もう怨みってレベルにまで達する勢い。よし、三十路には乳繰り合っていただけじゃなく、本番に突入寸前だったと報告しておくとしよう。

 

 

 本来であればヒキタニを発見したと同時に回れ右をすれば良かったのかもしれない。でも運の悪い事に、ヒキタニが居ると認識したと同時にあの野郎たまたまこっち見やがって、つい目が合ってしまったのだ。

 まだ距離離れてんのに、なにこっちに視線寄越してんのよアンタ。あー腹立つ。

 何? 普段味わえない可愛い女の子のオーラでも感じとっちゃった? 童貞拗らせすぎて魔法使いにでもなっちゃった? マジきめぇ。

 

 お互いが存在を認識してしまった以上は、もう引き返すという選択は出来ない。だって、それじゃまるで私が負けたみたいじゃん。まるで数日前のあの出来事の負けを認めるみたいじゃん。

 いやいやそんなワケないじゃない。私は負けてないし、あの時はコイツが緊張してただけなんだって結論がとっくに出てるんだから。

 

 だから私は、引きつってしまった顔に即座に満面の笑顔を貼りつけて、とても優雅に、とても愛らしく陰キャへパタパタと駆け寄る。まるで、捜し求めていた愛しい人に駆け寄る、純潔の乙女のように。

 そしてこう声をかけてあげるのだ。嫌だけど。マジで関わりたくないんだけど。

 

「あ! こないだの人だぁ! わ〜、すっごい偶然だねっ! えへへ、なんか超運命的〜! なんちゃってぇ、てへ」

 

 先制攻撃からの会心の舌出しウインクで、一撃で陰キャを悩殺……、いや撲殺。これで落ちないキモオタなんか居るわけがない。

 ほらほら、とっととヘラヘラと厭らしい笑顔浮かべてひざまずいたら?

 ああ、でもアンタって極度の照れ屋さんだったっけ♪ じゃあ恥ずかしげに顔を逸らすだけで許してあげてもいいよぉ?

 

 そして案の定とても動揺したコイツは、とっても戸惑った様子で、お姫様にこうお返事を返してくるのだった。

 

「……は? 誰……?」

 

「……」

 

 ……あっぶない。きちんと貼りつけたはずの仮面が、笑顔のままヒクッと硬直してしまった。

 は? なにコイツ、私を覚えてないとかいう設定にする気? バカじゃねぇの? そんなわけないじゃん。普段女の子と会話なんか出来ないであろうコミュ障陰キャ野郎が、ほんの数日前に会話して下さった美少女様を覚えてないとか、設定に無理ありすぎだっつの。

 嬉しそうにすぐ食い付くと、がっついてるとか思われるとでも心配してんの? んで、知らないフリして会話広げて、「あ、あの時の子かぁ!」とかって抑えきれずにニヤニヤと顔弛めながら猿芝居しようとでも?

 いやいやそういうのいいんで。マジでそういうのいいから、とっとと嬉しそうにしろよ。そんなに訝しげに顔歪めるフリしたって、そんなのもうバレバレだから。

 

「えー、ひっどぉい、ウチのこともう忘れちゃったのぉ? 先週廊下でばらまいちゃったレポート拾ってくれたじゃーん……」

 

 でも仕方ないので、コイツの作戦に乗ってやる私って優しすぎじゃないかしら。

 ほら、これでいいんでしょ? 茶番に乗ってやったわよ。せっかく心優しい私がわざわざ切なそうな雰囲気醸し出して付き合ってあげてんだから、せいぜい上手く会話を広げてみれば?

 

「…………ああ。あのうぜぇのか」

 

 

 

 ……しかしコイツの口から出て来たのは、私に聞かせるつもりなんかないくらい、小さな声でボソッと呟いたそんな一言だった。

 普通の人間なら聞き漏らしたであろうそんな小さな呟きも、生憎、普段から承認欲求を満たす為に臣下からの賛辞を聞き漏らさないよう努めている耳聡い私の耳には容易く届いてしまう。

 だから聞こえてしまう。聞こえてしまった。そして私は、羞恥で全身が火照っていくのをまざまざと感じつつ、貼りつけた笑顔のままで視界と心がグニャリと歪んでゆく。

 

 

 ──ああ、やっぱり関わらなければ良かった。目が合っても、気付かなかったフリをして通り過ぎるべきだった。

 薄々気が付いてはいたのよ。いや、薄々なんて可愛らしいもんじゃない。本当はあの時から痛いほど解ってた。

 コイツの……この陰キャ野郎のあの時の「うわぁ」は侮辱のうわぁなのだと。あの時の私に向けた目は侮蔑の眼差しなのだと。

 

 でもそんなこと絶対に認めたくないから、認められるワケないから、だから私は無理矢理気持ちに折り合いをつけて我慢したんだ。

 でも本当は死ぬほど悔しかった。追い掛けてって背中に飛び蹴り食らわせたいくらい悔しかった。だから、せっかくのこのチャンスを生かしたかった。

 今度こそメロメロにしてやれば、心の安寧を図る為に自分を誤魔化したままでいたあの日の屈辱を、綺麗さっぱり清々しいまでに晴らせると思ったから。だから私は嫌々ながらもコイツに声を掛けたのだ。

 

 でも……えへへ、ちょー笑えるよねっ! だってぇ、結果がコレなんだもぉん。

 そしてコイツにとっては、あの日の出来事なんてほんの些末な出来事であり、今の今まで本当にまくらの事なんてすっかり忘れてたんだもぉん。私、めっちゃ傷ついちゃうよぉ。

 

 

 

 

 

 

 

 ──ざっけんなよ……? 認められるワケないだろうが。これが葉山とかいうトップカースト男子だったならいざ知らず、一時期は学校一の嫌われ者とも言われて全校生徒から蔑まれてた、こんなド底辺な陰キャ野郎に侮辱と侮蔑の目で見られるなんて……忘れられてるなんて……この私がそんなの認められるワケ……許せるワケがないだろうが!

 マジで何様のつもりよアンタ。このみんなにちやほやされてみんなに愛される素敵なお姫様が、ぼっちで嫌われ者の最底辺陰キャごときに見下されるなんて、絶対認めない。絶対許さない。

 

 

 ……そして私は決めた。今決めた。絶対決めた。

 ちょっと話し掛けてちょっとメロメロにして、すぐさま放置してやろうと思って近づいただけのそんな計略は、今、正に今この瞬間! あっさりと全て破棄して、第二フェイズへと移行する事を絶対決めた。

 

 

 

 ──嫌われ者のヒキタニと一緒に居るトコを見られて評判が落ちるとか、それでビッチ共にネタを提供して嗤われるとか、そんなつまんない事はもうどうだっていい。

 コイツは、鎌倉まくらのプライドに掛けて、今から絶対に堕としてやる……!

 

 ぞっこんにして、メロメロに骨抜きにして、まくらちゃんが居なくちゃもう生きていけないってくらいまでコイツのハートを根こそぎ奪いとって、……そして……、憐れに、惨めに、ボロ雑巾のように、躊躇いなくポイッと捨ててやる……!

 

 

 

続く






というわけで、太平洋よりも広くマリアナ海溝よりも深い心をお持ちな、史上稀に見る程に心の狭いヒロインがついにラブコメを始めるようです。
え、これってラブコメなのん?


実は今回、この次のシーンのラストまでで1話にする予定だったのですが、あれよあれよと文字数が増えていき、一万二千字を超えて尚おわらなかったので、今回は多少短くともキリのいいここまでで一旦切りたいと思います(^^;)


てなわけで次回はようやくヒロインと八幡の掛け合い回となりますので、また次回、この腐れヒロインと共にお会いいたしましょう!ノシノシ〜




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大海を望むお姫様は小さく鳴く


ようこそ、めくるめくヒドイン(酷いヒロイン)の世界へ♪


そして今回のまくらは輪をかけてドイヒーです(・ω・)




 

 

 

 怒りと屈辱により、新たな決意を打ち建てた私。その瞳には、一片の揺らぎもない。正直に認めよう。このヒキタニとかいう男、私が思ってたのとは大分違うという事を。どうやらちやほや要員にするのは一筋縄では行かなそうである。

 ま、それならそれで構わないけど。落として堕とすまでのプロセスを愉しんであげるから。

 

「うぅぅー、ざんね〜ん……。でもたったあれだけの時間だったし、忘れちゃっててもしょうがないよねっ」

 

 とはいっても所詮は陰キャぼっちのヒキタニ。計算を軌道修正してちょっと微調整してやれば、どうという事もないだろう。

 そして新たな目標を見つけだした私の行動は、とても速やかかつスマートだ。ヒキタニのムカつく呟きなんか聞こえなかったフリして、段差に座ったまま訝しげに私を見る根暗そうなシケた顔を覗きこむように、花咲くような微笑みでニッコリと話し掛ける。

 

「でもウチはずっと覚えてたんだよぉ? だって、すっごく助かっちゃったんだもんっ」

 

「……ああ、そう」

 

「……」

 

 心底面倒くさそうな適当すぎる返事に、一瞬で心が折れそうになる。心が折れて、思わず罵詈雑言を浴びせちゃいそうになるレベル。

 マジでこんな男は初めて。この私がこんなにも愛嬌振りまいて話し掛けてあげてるってのに、ここまで無反応な奴なんて普通居る?

 

 ……コイツはアレだ。今まで女にぞんざいに扱われる人生を送ってきたあまりに、女に対しての警戒心ってやつが剥き出しなんだろう。

 まぁ、なんて可哀想なヒキタニくん。大丈夫でちゅよぉ? そんな憐れな子羊ちゃんは、柔らかくって温かいまくらちゃんが優しく包み込んであげるからねぇ。ふふ、女の子に対しての信頼と信用を、二人でゆっくりと芽生えさせていこうね? そして、二度と女を信用出来なくさせて あ げ る。

 

「うん! まだちゃんとお礼も言えて無かったし、ウチもっとお話したかったんだぁ」

 

 常時よりも幾分高い音階の声でこれでもかと心をくすぐり、ヒキタニのすぐ隣にちょこんと腰掛ける。

 適度な距離感と適度なスキンシップは、男を落とす基本である。

 

「……っ、……別に礼を言われるような事はしてねぇだろ。拾えと言われたから仕方なく拾っただけだ」

 

 ブレザーが触れ合うくらいの距離で突然隣に座った私の行動にビックリしていたヒキタニだが、次の瞬間にはようやく脳が再起動したらしく、ずずっと距離を取る。でも私は、広がった分のその距離をずずいと詰めた。

 どうよ、体温さえも感じちゃいそうなほど近い距離に座る美少女の甘〜い香りは。あんたなんかにはなかなか訪れるシチュエーションじゃないでしょ。大サービスでたっぷりと堪能させてあげるから、ほら、早く私のちやほや要員になっちゃえば?

 

「えー、拾えって言われたとか、ウチそんな風に言ってないんですけどぉ。それに仕方なくなんてひどぉい! もぉ、超いじわるー」

 

 うん。普段男を落とす時も同じような事してはいるけど、なんか今日の私はさすがにキモいわ。

 初めっから距離詰め過ぎだし、初めっからラブラブオーラ全開過ぎだし、いくら陥れてやりたいからって、ちょっと張り切りすぎじゃない? 私。

 こんなんじゃ、落とすまでの面白味を感じる前に即効で落ちちゃうんじゃね?

 

「でもあの時も思ったんだけど、なんかこう、そういう不器用な優しさってゆーの? そういうトコが、なんか……えへへ、いい人そうだなぁって! だからウチ、もう一度お話したかったし、ちゃんとお礼言いたかったんだっ。……あの時はありがとね!」

 

 そうは思っていても、やはり私は飛ばしまくる。不器用な優しさとかって、こういう斜に構えたオーラ出してる、俺カッコいいとか思ってそうな奴に対してはキラーワードよね。

 

 どうやら自分で思っていたよりも、ずっと悔しかったみたいだ。早くコイツを落として、早くコイツを捨ててやりたくてたまらない。

 その時のコイツの絶望の表情を思い浮かべただけで……、ああ、めっちゃゾクゾクして堪らなぁい……。やば……、ちょっと濡れてきちゃいそ……

 

「……で、話は終わったの? じゃあ俺もう行くわ」

 

「……」

 

 ……マジかよコイツ。せっかくお姫様がちょっぴり悦に入ってるってのに、なにその態度。

 これはもう落ちる落ちないの問題じゃなくて、本気で私を拒絶してやがる。いや、私じゃなくて女を拒絶してるんだろうけど。

 どんだけ女にトラウマ持ってんだコイツ。

 

「ちょ、ちょっとぉ!?」

 

 はぁ……と深く溜め息を吐き出し、うんざりした顔で立ち上がりかけたヒキタニの袖をギュッと掴み、必死に元居た場所へ座らせる私。

 くっそ……ちょっと本気出せば簡単に落とせるだろうと思ってたのに、これは想像してたよりもずっと難航しそうかもしんない。

 

「……チッ、んだよ」

 

 舌打ち!? ふざっけんなよ。なんでアンタが舌打ちすんのよ。こっちはさっきから口からラップ音が出ちゃいそうになってんのを、歯を食い縛ってずっと我慢してんだよ。

 

「え、えー? だってまだ自己紹介だってしてないんだよぉ? せっかくだし、もっとお話しようよぉ」

 

「は? 自己紹介とかする意味あんの?」

 

「……」

 

 ……ダメだ、マジで取り付く島がない。ヒクヒクッと頬の筋肉が痙攣するのを必死にこらえた私は、怒りにプルプル震える体をなんとか自制し、未だこの場から早く去ろうと抵抗し続けるヒキタニの袖を力ずくで抑えつけ、埒があかないのでこちらから一方的に名前を告げる事に。

 

「……ウ、ウチ、鎌倉まくらって言うんだぁ。えっと、二年A組だよ♪」

 

 これ、もしかしたら無理なんじゃない? なんて若干弱気になりかけながらも、お姫様が一度虜にすると決めた以上、それは絶対の決定事項なの。お前ごときに姫の決定を覆されてたまるかよ。

 

 ま、まぁ、確かに面倒くさそうに顔を歪めてはいるものの、何だかんだで顔とか赤いし、今は可愛い女の子の体温といい匂いに極度の緊張と興奮を憶えて意固地になってるだけだろう。

 であるならば、今はなんとか我慢して、少しでもコイツとお近づきになっておかなければならない。なんかここで何も聞けず仕舞いでなんの縁も持てなかったら、二度とコイツを取り込むチャンスがなさそうな気がする。これは女の……いやさプリンセスとしての勘なのだろう。

 

「……?」

 

 そして、その強引なまでの自己紹介は功を奏した。

 そりゃそうよ。なにせコレは私が男の子と仲良くなる為の鉄板ネタなのだから。

 

「あ〜! 今『まくら』って変な名前だなコイツとか思ったでしょお!」

 

 そう。ヒキタニは私の名前を聞いた瞬間、今まで興味無さげに振る舞っていた顔に初めて興味の色を添えて、ようやくこちらに向けたのだ。

 ヒキタニほどではないにせよ、今までだって私との初接触で緊張しちゃってる男子は何人か居た。でもこの鉄板ネタですぐに打ち解けられちゃうのよ、そういうチキンな連中とだって。

 

 そして私はこの鉄板の一撃を繰り出すべく、頬をぷくっと膨らます。

 

「もー、超失礼しちゃうよね! ウチ名前言うと、いっつも最初はからかわれちゃうんだよぉ」

 

 まぁそりゃね。なんだよまくらってって話だし。子供の頃は、こんなDQNネーム付けた親を恨みもしたもんだ。今は感謝でいっぱいだけど。

 

「パパもママもホントに寝るのが大好きな人たちでねっ? 若い頃から趣味は昼寝って感じらしくってぇ、そんで良く寝て健やかに育つようにって、まくらって名前にしたみたいなのっ」

 

 寝るのが好きと言っても別に意味深な寝るではなく、本当に昼寝が趣味な両親のおかげで、子供の頃は良くからかわれたものだ。いや、子供の頃もなにも、現在進行形で散々ネタにされる。クラスのクソ女共に。

 「なんか鎌倉さんって枕営業とか得意そぉー! ウケる〜」なんていう陰口を何度叩かれたことか。陰口ってのは相手に聞こえないように言えよ、あの低能共。

 ぷっ、そもそも自ら枕営業を申し出ても、相手に真顔で断られそうなブサ……素敵なお顔立ちした子たちに妬み根性でそんなこと言われても、こっちはなんとも思わないからぁ。なんなら可哀想になっちゃうまである。人を妬んで陥れてる暇があるんなら、その前にその厚く塗りあげたメイク落として、スッピンで人前に出てみたらぁ? ぷっ。

 

 それに何度も言うけど、こっちはお前らビッチと違って、格安セールで身体を売り物に出来ないんで。中古扱いがどれほどこの至高の嗜好に影響すると思ってんのよ。

 キモオタ共の夢を壊さない為に清らかな身体のままでいる私って、ホントお姫様の鑑。心はちょっとだけ清らかじゃないけど。

 

「えへへぇ、でもね、最初はからかわれるんだけどぉ、仲良くなってくるとみんなに良く言われるんだぁ。まくらちゃんと喋ったりまくらちゃんの柔らかい笑顔見てると、なんか暖かくてふわふわな羽毛に包まれてるみたいに心地よくって、すごい良く寝れそう、って。まくらだけに♪」

 

 ……ふふん、どうよ、この癒し系エピソード。変な名前を巧みに利用したこの微笑ましくもあざといエピソードで、今まで落ちなかったキモオタなんて居やしないんだから。どいつもこいつもにへら〜っと鼻の下伸ばして、すぐに私の家来になってきたのよ。

 いつか膝枕とかしてもらえるんじゃなかろうかって……いつか抱き枕になってくれるんじゃなかろうかって夢まで見せてあげる私って、本当に最高のまくらよね。ま、キモオタ共にとって、そんなのは夢のまた夢だけど。

 

 これはさすがに少しくらい心が動いたんじゃない? と、期待を込めてチラッと横目で見てみると──

 

「うわぁ……」

 

 コイツは、先日の「うわぁ」が可愛く思えるくらいに寒々しい「うわぁ」を私にプレゼントしてくれた。

 

「……チッ」

 

 そして私は、危うく舌打ちを鳴らしかけてしまうくらいの殺意が芽生える。なんならもういっそこのままコイツ殺っちゃえば解決するんじゃない? なんていう突拍子も無い発想を自然と実行しかけてしまうほどの殺意が。

 

 

 ──ハァ!? 今のどこに私に対してそんな態度を取る要素あったの!? 誰がどう考えたって、ほっこりしてアハハ〜とお互いに心を打ち解け合うシーンだろうがよ!

 マジで意味分かんない。

 

「……あー、自己紹介ってのは済んだのか? じゃあ俺はこれで」

 

「ちょ、ま、待って! じ、自己紹介! あなたの自己紹介済んでないから!」

 

「えー……」

 

 でもここでこんな奴に屈するわけにはいかないのだ。なぜならお姫様の決定事項なのだから。

 もうこうなりゃ意地だ。意地でもこの野郎屈伏させてやる。

 

「……つーか、いい加減袖引っ張んのやめてくんない……? もう皺くちゃになっちゃってんだけど。怪力かよ」

 

「だ、だって離したら行っちゃうじゃん!」

 

「はぁぁ〜……」

 

 なにこの必死さ。これじゃ落として捨ててやるどころか、まるで私が捨てられる寸前の必死な女みたいじゃん。

 

「……比企谷。二Fだ」

 

 それでも、ようやく事態は前へと進む。なんかすでに私の思惑とは掛け離れてる気がしないでもないけれど、それでも一歩前進は前進だ。

 継続は力なりって言うし、小さな一歩だろうがなんだろうが、自分で掲げた目標を達成する為なら多少の泥水くらいは啜ってやる。それがお姫様の矜持ってね。

 

「……ん?」

 

 ヒキガヤ? 今こいつヒキガヤっつった? 偽名?

 

「えと……ヒキ、ガヤくん?」

 

「……そうだけど」

 

 あれ? なんか嘘じゃないっぽい。てかいくら私に自己紹介したくないからって、ここでいきなり偽名とか使われたら流石に泣くわ。じゃあヒキタニじゃないじゃん。どういうこと?

 ヒキガヤって言うと比企ヶ谷だよね、たぶん。じゃあなんでヒキタニ? ヒキタニじゃ比企谷でしょ?

 

 いや待てよ? ヶを抜いて比企谷ってのもありえる。でもそれだと初見でヒキガヤって読む人なんてまず居ない。……ああ、だからヒキタニなのか。要は読み間違えがそのまま浸透しちゃったって奴ね、成る程成る程。

 よく居るのよね、変わった読み方だと間違えたまま認識されちゃうヤツ。そもそも教師が間違えて呼んだりね。

 で、本人が訂正しないとそのまま浸透したりする。その場合、悪いのは生徒の名前もきちんと把握してない教師と訂正しない当の本人だし、コイツもクラスの注目を浴びる中で、恥ずかしい思いしてまでわざわざ訂正しないタイプでしょ、どうせ。

 だからヒキタニと誤認してそう呼び続けるクラスメイトにはなんら非が無いし、今まで心の中でヒキタニ呼ばわりしてた私も一切悪くない。はい、証明終了。ま、どうだっていいけど。

 

 つかヒキタニだろうとヒキガヤだろうと、そんなの今はどうだっていいのよ。重要なのは、ようやくコイツが折れたってこと。今ならコイツの情報が得られるかもってこと。

 

「へぇ、比企谷くんって言うんだね! それにウチと同じ二年なんだぁ。これからよろしくねっ☆ ……それにしても、まくらも変わってるけど比企谷もちょっぴり変わってるよね〜。えへへ、ちょっと親近感湧いちゃうかもぉ」

 

 どう考えたってまくらと比企谷で親近感なんか湧くわけないだろ。でも話を繋げられるんならこの際なんだっていい。

 

「……いや湧かねーよ」

 

 そして当然のように比企谷が否定的な呟きを漏らしてるような気もするけど、これまた当然のように私には聞こえない。コイツのぼそぼそ台詞は私の精神衛生にとてもよろしくないから、脳が勝手に全力でシャットダウンしちゃうのだ。

 だからパッツン前髪に隠れているおでこに浮かんでいるであろう血管みたいな線は、決して怒りマークとかではなく、四時限目に机に突っ伏していた際に出来てしまった単なる寝跡に違いない。

 

 

 ……さ、さてと、名前は聞いた事だし、次に私が得たい情報なんてひとつしかないよね。

 些か性急すぎな気がしなくもないけど、このすこぶる面倒くさい陰キャ相手には、この勢いを大事にしなくてはならないのである。

 

「あ、そーいえば比企谷くんってぇ、なにか部活とかやってるの?」

 

「は? なんでいきなり部活なんだよ。脈絡なさすぎだろ」

 

 ……チッ、やっぱ無理矢理すぎたか。

 

「えと……、ついさっきまで教室で部活の話とか盛り上がっててさ、なんとなーくその流れでっていうかぁ?」

 

「ああ、そう……」

 

 あぶない。咄嗟に上手い言い訳が出てきてくれて助かっちゃった。さすが私。ちなみについさっきまで盛り上がってたのは、部活の話題じゃくて乳繰られ女の喘ぎ声だけどね。

 なんにせよ、こういう警戒心剥き出しの奴に変に疑われると、もう取り返しがつかなくなるから気を付けなきゃ。すでに手遅れな気がしないでもないけど、まぁ気のせい気のせい。

 

「それでなんか部活とかやってるのぉ?」

 

 ぶっちゃけ、実はもうコイツが部活やってるとかは思ってない。だってコイツ、嫌われ者で陰キャで、さらに惨めなぼっちだもん。なぜならこんなトコでひとりで昼ご飯食べてるくらいだからね。

 こんな協調性の欠片も無さそうな嫌われ者陰キャが、好き好んで部活なんかに所属しているわけがない。周りだって迷惑だし。

 だからこれは単なる通過儀礼ってヤツ。オタサーの姫としては、ターゲットがサークルに所属しているのかどうかは確認しとかなきゃならないことだから。

 今回に限っては、オタサーの姫としての崇高な職務を投げうってでもコイツを落として捨てる気構えではいるけれど、やっぱり一応はね。一応は。

 

 それに、この学校では部員ひとりでも部活が認められている以上、ひょっとしたら比企谷もなんらかの根暗な部活をやってるかもしれない。その場合は部活時間中ずっとコイツと二人きりで居られるから、ただ落とすだけなら絶好の場となるわけだ。

 もちろんオタサーの姫としたらそんなもん面白くもなんともない。まくらを取り合う相手も居なければ、まくら達を見て妬む女も居ない部活なんて、はっきり言って私にとっては無価値もいいところ。

 でも今一番優先すべきなのはオタサーの姫としての満足感ではない。いま私が求めてるのは、姫としてのプライドを守れるかどうか、それ一点のみ。

 

「いや、だからそれ答えなきゃなんない理由が無いだろ」

 

「えー、いいじゃーん! せっかくこうして縁があったんだもん。ウチ、比企谷くんのこともっと知りたいなぁ」

 

「……マジでうぜぇわこいつ。縁なんかどこにもねぇよ……」

 

 またも相手には聞こえないくらいのボソッとした声でムカつく呟きをこぼす比企谷。てかこれってもしかしたらただの独り言なんじゃなくて、心の声が無意識に漏れてるだけなんじゃなかろうか。

 でも私にはそんな呟きは聞こえてないのだ。聞こえてないったら聞こえてない。だってその呟きを意識しちゃったら、思わず胸ぐら掴んじゃいそうなんだもん。

 

「……一応な。入ってるには入ってる」

 

「え」

 

 果たして比企谷は予想外の答えを返してきた。そのあまりの予想外さは、胸ぐらを掴みかけた右手が宙を掴んでしまうほど。

 

 

 ──うっそ、コイツってマジで部活やってるんだ。陰キャぼっちのくせに。

 

「……へ、へぇ〜、そーなんだぁ!」

 

「……いや、なんで聞いといて動揺してんだよ」

 

「えー? 動揺なんてしてないよぉ。……で、それでどこに入ってるのっ?」

 

 動揺なんかしてないと言いつつ、とても不自然なくらい必死に詰め寄る私に、比企谷はまたも距離を取るように身をのけぞらせる。

 しかしそんな比企谷を絶対に逃すまいと、袖を掴んだままの左手をさらに力強く握り込み、おまけに右手は比企谷の腕を直接がっちりとホールド。周りから見たら、私が比企谷の右腕に抱き付いてるように見えるんだろうなってくらい、こっちにグイグイと引き寄せた。

 でも大丈夫。まだ胸とか押し付けてないから身体は全然安売りしてないよ。だから三流以下のなんちゃってお姫様ではないのだ。よし、セーフセーフ。

 

 ……我ながら必死過ぎな気がしないでもないけれど、だってコイツの部活、聞かないわけにはいかないじゃん……!

 

「どこだっていいだろ……」

 

「いいじゃん教えてよぉ」

 

 今まで臣下達にご褒美してきたどのスキンシップよりも熱烈なスキンシップしてあげてんのよ? ここまできて引き下がれるワケないだろが!

 アンタだってめっちゃ近いまくらの顔と身体に欲情してキモく頬染めてんだから、いつまでも抵抗してないでとっととゲロしやがれ。

 

「……マジでなんなんだよこいつ、めんどくせぇな……、チッ。……あー、言ったってどうせ知らねぇよ。奉仕部ってマイナーな部活だ」

 

 すると、全身をぐらんぐらんに揺すられてる比企谷の口から、ついに待望の言葉が発せられたのだ。

 正に継続は力なり。あれだけ壁を作っていた比企谷が徐々に陥落してゆくサマを見るのは、なんとも心地よい。これはまくらちゃんの完全勝利が近そう。

 

「奉仕、部……?」

 

 でも、せっかく部活名を吐かせたというにも関わらず、私は眉根を潜めて首をかしげる事となった。なんだよ奉仕部っていかがわしい名前の部活。

 

 奉仕、すなわちボランティア。部活動におけるボランティアとは、大概の場合は地域の清掃活動に参加したり地域の催し物の手伝いに行ったり、なんなら校内の草むしりとかを自主的という名の強制でやらされるアレであろう。

 ……てかこの自己問答、つい数日前にやったばっかじゃなかったっけ……

 

「へ、へぇ! なんか変わった部活だね! ……えと、奉仕ってことは、地域の清掃活動に参加したり校内の草むしりしたり、なんならベルマークとか集めちゃったりするアレ……?」

 

「……別に奉仕っつってもボランティア部みたいなのじゃなくてだな、……ま、簡単に言うと生徒のお悩み相談室みたいなもんだ」

 

「……」

 

 ……お悩み相談室、ね。

 ボランティアとか言い出すから脳裏に行き遅れのドヤ顔がちらついたけど、どうやら奉仕は奉仕でも、三十路が紹介という名の強制をしようとしていたボランティア部とはかなり方向性が違うようだ。

 生徒の悩みを聞いて、それに対して奉仕する。……つまり──

 

「んっとぉ、それって生徒の悩みを解決してくれる部活って事かなぁ?」

 

 つまりあれか。確か……スケット団……だっけ? そんなようなアニメが昔やってたのをなんとなく覚えてる。つまりお助け軍団みたいなヤツってことか。

 んー……まぁ奉仕は奉仕な気がしないでもない。でもそれはボランティア活動か? と問われると、それもまたなんか違う気がする。

 奉仕とボランティア。同じ意味のはずなのに全く違う意味に感じるコレは、特殊とスペシャルみたいな日本語の妙よね。

 

「……まぁ厳密に言うと、うちで解決するんじゃなくて依頼者が自分で解決できるように促す部活ってとこか。理念は『飢えた人に魚を与えるのではなく、魚の採り方を教える』、ってことだ」

 

「へ……ほえ〜」

 

 危うく素で間抜けな返事をしてしまいそうになる程に、比企谷が語る奉仕部とやらの実態は驚きに満ち満ちていた。

 魚を与えるのではなく採り方を教えるとか……、うん、上から目線で偉そうと言うかなんというか……、ボランティア部なんかよりもよっぽど意識高そう。なんかめっちゃ部室内をなんちゃってビジネス用語とかが飛びかってそうなイメージ。

 意識高過ぎな部長とかが眼鏡クイッとして、創造的なクリエイティブ精神で顧客をサティスファクションさせつつ、カスタマーを満足させる活動を目指そうじゃないか諸君! とか言ってそう。

 つかなんでそんな部活に陰キャぼっちが在籍してんのかが謎すぎる。

 

 まぁアレかな。コイツって実は結構意識高そうだから、名目上そういう部活を自分で立ち上げてはみたものの、実際は部員ひとりで依頼者ゼロの、幽霊部員ならぬ幽霊部活ってトコだろう。だってそんな部活聞いたこともないし。

 他でもないこの私が聞いたこともないんだもん。一般生徒に周知なんてされてないはず。……確かにそうとしか思えない。思えないっちゃ思えないんだけどぉ〜──

 

「へぇ〜っ! 凄そぉ! なんかちょっと格好良いかも〜!」

 

 そう。なんかちょっとだけ興味を持ってしまった。

 

 ボランティアではなく奉仕。意味は同じだけど、意味するところは全く違う。

 汗水垂らしてただただ偽善活動するボランティアなんて、私のようなお姫様がやるような事じゃない。

 でも、人の悩みを聞いて“あげる”

 そして解決へと導いて“あげる”

 これはもう上流階級の嗜み、高貴なる者の義務・ノブレスオブリージュな世界。正にお姫様に相応しい部活ではなかろうか?

 どうせ活動なんかしてないんだろうけど、部活動としての建前上だけで言えば、このプリンセスまくらに相応しいんじゃない? つまりは──

 

 

Aくん「鎌倉さんってどんな部活やってるの?」

 

まくら「んっと、掃除したり草むしりしたりする部活……」

 

 と、

 

Aくん「鎌倉さんってどんな部活やってるの?」

 

まくら「んっと、生徒の悩みを解決に導いてあげる部活なんだ〜!」

 

 

 ──どちらが見栄えが良いかは一目瞭然。圧倒的大差で私が選ぶんなら後者でしょ。てか掃除とか草むしりとかやりたくない。しかも善意の無償で。なにそれ笑える。

 

 今の私の目的は比企谷を落として堕としてメチャメチャにしてやる事。そしてその手段として、もし比企谷がなんらかの部活に所属しているのであればそこに入る事を望み、蓋を開いてみたらその部活はお姫様が入部してもなんら問題のない……むしろ上流階級の為に存在するような部活でした。うん、これは一石二鳥一挙両得どころか濡れ手で粟でしょ。もうウハウハである。

 ……ふふ、なんだか面白い事になってきたかも。

 

「あ、ところでぇ、その奉仕部って、比企谷くんの他にどれくらい部員が居るのぉ?」

 

 こんなに面白そうなのであれば、とりあえずリサーチする時間を割いてあげても損はないだろう。どうせコイツひとりでやってる幽霊部活に決まってるけど。

 

「……は? それ聞いてお前になんの意味があんだよ」

 

 ……チッ。

 

「えー? だからただの興味本位だってばぁ。なんか凄そうな部活だし、どーゆー人達がやってるのかとかぁ、やっぱ気になっちゃうじゃーん」

 

「……ホントなんなんだよこの女、マジでうぜぇ」

 

「……」

 

 額からピキッと音が鳴った気がするけれど、今の独り言も当然私には聞こえてないんだから、ただの気のせい、ただのラップ音。

 なんか最近身の回りで心霊現象が多発しすぎて怖い。

 

「……はぁ〜。……俺と、あと二人。計三人しか居ない少数の部活だ」

 

「っ……!」

 

 しかしもう抵抗するのを諦めたのか、深々と溜め息を吐き出しつつもやれやれと返してきた答えを聞いた私は、思わず息が詰まる。コイツひとりでやってる部活じゃないんだ……

 

「……そぉなんだ〜! えっと、男子三人とかで楽しくやってるのぉ?」

 

 ま、多少驚きはしたものの、それならそれで構わない。構わないどころかめっちゃウェルカムまである。

 今回の目的は比企谷を落とす事、ただそれ一点。でもぶっちゃけ、それって姫的にはモチベーション的にどうなの? っていう不安は多少なりとも付きまとっていた。

 でも他に部員が居るのであれば、そんな不安は一発で解消する。憎っくき比企谷をメチャメチャにしてやれる一方で、他の部員からもちやほやされて気持ち良くなれるという副産物まで得られるのだから。やばい、モチベがぐんぐん上がる一方じゃん。

 

 しかしそんな私の期待とは裏腹に、次に比企谷の口から出された言葉に私は目を丸くする事となる。

 

「……男子は俺だけだ」

 

「っ!?」

 

 

 ……男子は俺だけ。……コイツ、なんとも答えづらそうにではあるものの、間違いなく男子は俺だけと言った。それは、裏を返せば女子二人の中に男が一人と示すこと。

 

 これはあまりにも予想外すぎでしょ……。誰がこんなの予想できるってのよ。

 だって比企谷だよ……? 陰キャでぼっちで嫌われ者だとばかり思われていたあの比企谷が、よりにもよって女子二人と三人で部活やってるってどういうこと……?

 

 

 ──女性社会というのは、女に夢見るキモオタ童貞なんかが想像しているような、キャッキャウフフでキラキラした生易しい世界ではない。

 ニコニコ笑顔で笑い合いながらも、テーブルの下では足を蹴り合い引っ張り合い、昨日まで「わたし達ズッ友だよ!」と言っていたのに、翌日から敵になる事なんてザラにあるドロドロした世界。

 そんな女性社会において何よりも重要なのは、周りの女に対する優位性と優越感。それを失えば、それを傷つけられれば、社会から……世界から一気に転落する。つまり自身にまつわるマイナスイメージなんてのは以ての外なのだ。

 

 そういった観点から考えると、女性社会の中で生きている奉仕部の女子二人とやらが、陰キャでぼっちで嫌われ者の比企谷とつるむのは異常とも言える。なにせ女性社会からはすでにはみ出し気味な私でさえも、この比企谷という男子と関わる事に一瞬の躊躇いをみせた程なのだから。

 

 故に普通に考えたら、その女子二人は奉仕部からこの男を排除しようとするはずだ。どんな経緯で比企谷がそんな部活に入ったのか知らないけど、例えそれがどんな経緯であれ、女性社会に生きるその女子二人が自身にとってマイナスにしかならない存在を放置しておくわけがない。

 女ってのは、自分の不利益になる物を容赦なく切り捨てる事が出来る、とてもドライな生き物なのだ。

 

 にも関わらず、二年のこの時期にその三人で部活が成立しているという事は、非常に驚くべきことではあるが、……比企谷はその女子二人と良好な人間関係を築けている。そう他ならないってワケだ。

 

 

 ──ああ、そっかぁ……♪

 

 

 最初こそ唖然としてしまった私ではあるが、高速回転する脳がとある推論に達した瞬間、私の顔は酷く歪みはじめる。今までの納得出来なかった事が、一気に全て繋がった気がしたから。

 

 

 ──女には全く縁がなさそうな陰キャが、なぜ私とそれなりに会話が出来るのか? 普通であればもっとキョドったりどもったりしそうなもんなのに。……それは、単純にコイツが女にそれなりに慣れていて、それなりに会話も交わしていたから。

 

 ──なぜこの陰キャはこうも警戒し、なぜ簡単に私に仕えないのか? ……それは、実はコイツにはすでに仕えている主が居るから。

 

 ──女子部員二人は、なぜこんな嫌われ者の陰キャ野郎を同じ部活に席を置く事を許しているのか?  ……それは、その二人の女子部員こそが比企谷の主だから……

 つまりその女子部員二人は──

 

 

 

 

 

 ………………オタサーの姫なのだ。

 

 

 

「……あはっ……!」

 

 なるほど、そっかそっか。これでようやく合点がいった。そう考えれば全て辻褄が合うじゃない。

 

 そしてその女子部員二人ってのは、まず間違いなく最底辺のブサイク女子に違いない。なぜなら、二人掛かりでこんな嫌われ者の陰キャ野郎をつなぎ止めてまでお姫様気分を満喫しているのだから。他では誰にも相手にされないような最下位カーストのブスだからこそ、唯一自分達をちやほやしてくれる比企谷と一緒に過ごしてるんだろう。

 そして比企谷も、唯一自分と会話してくれる女子だからちやほやしているだけに違いない。……キモオタってのは、意外と従順だからね。お熱になっている時“だけ”は。

 ……やっばい、もうニヤニヤが止まんないよぅ。だって、これは私にとって最っ高のシチュエーションなんだもぉん……!

 

 

 そう。キモオタってのはお熱になってる時だけは従順なのだ。お気に入りのキャラが居る時は○○は俺の嫁! などと他のヒロインを叩いてまで熱を上げたりするわりに、季節が変わり違うアニメが始まって、もっと可愛くて好みのヒロインが登場した瞬間に、すぐさま嫁を乗り換えちゃったりする生き物なのである。

 ヒロインやリアル女には絶対的な処女性を求め、ひとたび経験者と知るや否や即座に女を中古と蔑み叩く。その癖して自分はあっちこっちに手を出したりハーレムを求めたりとヤリチン気取りっていうね。二次元相手の妄想だけど。

 

 自分はいいけど女は処女でいるべき? 処女じゃなければ俺様と付き合う資格がないって? マジ何様って話よ。

 ま、私はそういう欲望丸出しな、まるでお子様みたいな男の子は嫌いじゃないけどね。だってそういうお子様……良く言えば純真な男共が私ひとりにかしずいているというのが、最っ高に快感なのだから。

 

 つまりはそういう事。コイツも今はどんなに忠誠を誓っていようとも、シーズンが変わって新たな嫁……しかも選択肢が無いから仕方なく妥協していたブス嫁と違って、最高に可愛い嫁が目の前に現れたのならば、一瞬で乗り換えるのよ。

 もしもコイツがブス専とかだったら手の打ちようがないけれど、まぁその心配は杞憂に終わるだろう。だってキモオタってのは、総じて身の程知らずの面食いばかりだから。

 

「……なにがおかしい」

 

「あ、んーん? なんかぁ、男の子一人と女の子二人で奉仕部って、なんかちょっとエロくない? とか思っちゃってぇ」

 

 そう言って、つい漏らしてしまった笑いと歪みきった目元口元を誤魔化す私。

 ヤバイヤバイ、もう勘弁してよ、笑いが止まんないって。

 

「……あ? アホかこいつ。そういうんじゃねぇよ……」

 

「えへへ、分かってるぅ。冗談冗談っ」

 

「……チッ」

 

 もうさっきまでいちいち癇に障ってた比企谷の悪態も舌打ちも、今や清々しく感じちゃう。だって……まくらちゃんの歪んだ趣味を思う存分楽しみつつ、コイツをドン底に落とせちゃう算段がようやく付いたんだもぉんっ。

 

 

「あ」

 

 と、そんな時だった。

 まるで、天使が私の満たされた心を祝福してくれたかようなとても澄んだ鐘の音が、校内全域に鳴り響いたのだ。

 

「あ〜、ざんね〜ん……。予鈴鳴っちゃったぁ! ウチ、もっと比企谷くんとお話したかったんだけどなー」

 

 なんつって。もう要件は済んだから今は用済み。今は、ね。

 

「えっと、比企谷くん! こないだレポート拾ってくれたのに引き続いて、今日は楽しいお話ありがとね♪ ウチ、めっちゃ楽しかったぁ! ……またご縁があったら、その時はまた楽しくお喋りしよぉねっ」

 

 ずっと握っていた袖をパッと離した私は、比企谷からの返事も待たずにすっくと立ち上がり、小さく手を振り振りしながらヤツに背を向け歩きだす。

 分かってる分かってる! どうせ返事なんて無いんでしょ? ただただ鬱陶しそうにしてるだけなんでしょ?

 

 ……でもいいよ? 今はまだそれでも。今はあなたが私を見てくれなくても、私、頑張るから。あなたが私だけを見てくれるように、頑張るから。……すぐにあなたを、振り向かせてみせるから。

 私決めたよ、比企谷くん。私、奉仕部に入部するね。これから一緒に、奉仕部を盛り上げていこうね!

 

 

 

 私の新しい目的であり愉しみ。それは、奉仕部の二人のオタサーの姫からアンタを奪ってやる事。

 アンタをメロメロにして骨抜きにして、そのサマをお姫様モドキ共に見せ付けて歯軋りさせて悔しがらせてアンタを嫌わせて、奉仕部からアンタの居場所を、無くして あ げ る……!

 

 ああ……想像しただけで堪らない。ゾクゾクゾワゾワして身体中が熱くなる。

 ヤバい、お腹の辺りがきゅうって疼いてきたぁ……!

 

『ぐ〜』

 

 ……あ、弁当食べ損ねちゃってんじゃん私。

 

 

 

 

 結局あまりの空腹に耐え兼ねた私は、五限の休み時間にウォータークローゼットの個室にて遅めの昼食を取り、放課後には即座に行動を開始する事となった。

 しかし当然のように事態は難航する。なぜなら担任のハゲに聞いてはみたものの、奉仕部なんていう部活は知らないとのこと。その光る頭は伊達かよ。

 さらにクラスの仲のいい男子達に訊ねてみても、誰一人として存在を知らない謎の部活。これは予想だにしなかった問題が勃発である。

 

 しかし……、まさか比企谷に担がれた!? と途方に暮れかけていたそんな時、ふととある行き遅れのとある台詞が頭を過ったのだ。

 

『こう見えても生徒指導担当だ。部活動にも色々と詳しいからな』

 

 ……あぁ、そっか……アレかぁ……

 

 ぶっちゃけ超気が乗らない。訪ねていったら、まず間違いなく根掘り葉掘りと問い質された上、最終的には自分が紹介したがっていた方のボランティアへの加入を勧めてくるのが目に見えている。超めんどくせぇ……

 でももう決めた事だから。なにがなんでも遣り遂げてやるという不退転の決意を固めた事だから。

 

 だから私は、背に腹は替えられないという強い思いを胸にとある場所へとまっすぐ向かい、とある人物へとこう問い掛けるのだ。

 

「あ、平塚せんせぇ! ……あのー、……奉仕部って、知ってます……?」

 

 

× × ×

 

 

 結論から言うと、予想とは違い三十路から奉仕部の情報を聞き出すのは容易だった。

 

『……ほう、奉仕部、ね。なぜ鎌倉は奉仕部に入ろうと思ったのかね?』

 

『しかし本当にいいのか? あの部活は一癖も二癖もある、なかなかに難しい部活だぞ?』

 

『よし、じゃあこれが入部届けだ。あとで顧問の手元に届くようにしておくから、ついでに今書いてしまいなさい』

 

 三十路の口から出てきたのは、大体こんな台詞と部室の場所くらい。もっとめんどくさくなると思ってたし、上手い事ボランティア部へ誘導されそうになるだろうと臨戦体勢でいたから、正直拍子抜けである。楽だからいいんだけど。

 ようやくあの三十路も、愉しみは人から言われるモノではなく自分で見つけるモノ、という尊さに気が付いたのカモ。まぁ理想を追い求めて必死に探し続けるあまり、大事な婚期を逃した女性教諭が居るとか居ないとかいう噂をどこかで聞いた事があるから、せんせぇも十分に気を付けてねっ!

 

 そして私は今、その奉仕部の部室とやらの前に立っている。

 そこは特別棟四階の片隅。文化系の部活を転々としてきた私でさえ、今まで殆んど足を踏み入れた事のない、とても静かな一角。

 

「へぇ……、こんなトコにあったんだ。そりゃ誰も知らないわけだ……」

 

 なにも記されていないプレートを見上げ、思わずそんな呟きが漏れてしまうのも仕方ない。だって、それほどに異質だったから。

 こんな人通りがほぼゼロのような特別棟四階の片隅にある怪しげな空き教室でひっそりと行われている人助けの部活。誰が好き好んで悩みを相談しようだなんて思うかっての。

 

 やはり予想通りの幽霊部活だね、これ。てかこんな人気の無い場所の空き教室で、ろくな活動もしてないであろう男女三人がナニやってんの? って話なんだけど。大丈夫?

 ……まぁ、中から喘ぎ声やら変な音が聞こえてきてるわけではないから、入室したらそこはアダルトな世界でした……なんて事にはならないだろうけど、なにせここはあの陰キャ比企谷がナイトとなり、そんな陰キャナイトにちやほやされて喜んでるブサイクお姫様モドキ共の居城である。どうせこの扉を開けたその先では、ろくな景色は待ってないんでしょうね。

 

 

 こんこん、と。意を決して扉をノックする、この城の新しい主たる私。

 先ほどの平塚先生の言葉『しかし本当にいいのか? あの部活は一癖も二癖もある、なかなかに難しい部活だぞ?』が若干気にならなくはないけれど、別に私はこの部活動をエンジョイする為にここに来たわけではなく、あくまで今回エンジョイするのは明確なサークルクラッシュなわけで、ぶっちゃけ人に聞かれて恥ずかしくなるような部活でもなければ、どんな部活だって構やしないのよ。

 だから多少気にはなるけど、それはただ気になるだけ。今まで入部の為に何度も何度も叩いて来た色んな部室の扉たちとなんら変わらず、緊張とかとはまったくの無縁な世界。

 

「……どうぞ」

 

 無音の一帯に唯一の音となるノック音を響かせてからしばらくの後、入室を許可する声が鼓膜を揺らした。

 それは、思っていたよりもずっと凛として、思っていたよりもずっと澄んだ、とても美しい声だった。

 

 これがお姫様モドキの片割れの声なのだろうか……? 正直なところ、かなり意外と言えば意外。比企谷以外には誰にも相手にされないようなブサイク女の声なんて、どうせしゃがれた汚らしい声だと思ってたから、そのあまりの美しい音色に思わず硬直してしまう。

 

 

 ──ハッ、ばっからしい。声なんてしょせんは声に過ぎないでしょうに。声だけは可愛いのに、メディアに露出しちゃうとこっちが居たたまれない気持ちになっちゃう声優とかよく居んじゃん。

 

「……んん! 失礼しまぁーす!」

 

 気を取り直した私は、軽く咳払いをしてから扉に手をかける。そして自信に満ち溢れる勝ち誇った笑顔を浮かべ、意気揚々と開け放った。

 

 

 ──お待たせ、比企谷くんっ。まくらが来てあげたよぉ? 今から私が、あなたを偽物のお姫様達から救い出して、本物のお姫様の魅力をた〜っぷりと味わわせてあげるからね♪

 

 

 扉が開ききり、自信満々な微笑を浮かべ室内を見渡す私。

 やはり私の姿を視界に捉えた比企谷は、唖然とした表情を浮かべて目元口元をヒクッと歪ませる。そんな今回のターゲットの姿にニンマリとほくそ笑んだ私は、勝ち誇った笑顔をブサイクなお姫様モドキ共へゆっくりと向けた。

 

 

 さてと奉仕部員さん方。入室した私の第一声は、一体どんなものがご所望かしら。お姫様の余裕たっぷりなご挨拶がいい? それとも偽物達に向けた満面の笑顔のままで「比企谷くぅん、来ちゃったぁ!」とでも挑発しちゃえばいいのかな?

 それとも……、「ほら、早く負け犬の無様な姿を私に晒してみなさいな」「本物の可愛いお姫様の登場に歯軋りしなさいな」「そんな惨めなルックスの分際でオタサーの姫を楽しんでいた事を後悔しなさいな」……なんて本心を曝け出しちゃえばいいのかなぁ?

 

 

 

 ──しかし、そんな口汚い台詞が思わず出かかってしまうほどハイテンションだった私の口から出てきた音は、それらの台詞の中のどれでもなく、優越感に浸ったお姫様の余裕を窺わせる挨拶でもなく、ましてや自信たっぷりな挑発でもなかった。

 

 それは奇しくも、本日の昼間にテニスコート脇で自然と出てしまったのと同じ音。しかしあの時と同じ音ではあれど、それはあの時とは完全なる別物。

 ……それはまるで、狭い狭い井戸の中で我が世の春と栄華を誇っていたカエルが、初めて大きな海を目の当たりにしてまった時、思わず口から零れてしまった悲痛な鳴き声のような、そんな小さな音だった。

 ……そしてそれは、入室する前から浮かべていた、勝ち誇った自信満々な笑顔のままで──

 

 

 

 

「……うげぇ……っ」

 

 

 

続く

 

 





まくらちゃん逃げてぇぇ!


というわけで、持ち前の運の良さでせっかく回避できたイバラの道に、わざわざ自分から突っ込んでいくという男前な生きざま(逝きざま)を見せつけたヒドインの物語でした☆
ま、そもそもオタサーの姫という題材を扱っているのに奉仕部に入んないわけがないっていうね(>ω・)



しかしここで残念なお知らせです。第1話の後書きで述べましたようにこの『まくらの大冒険』は、あくまでもスランプ中の気晴らしであり手慰みでありましてですね、ぶっちゃけコレを思いついた時点で考えていたのはここまでです!
てなわけで次回以降の更新はマジ未定でございますm(__;)m


気が向いたり思いついたりモチベが上昇したりテンションが上がったりしたらまた更新する事もあると思いますので、その時はまたよろしくです><

まくらの物語は思いのほか楽しく書くことが出来たので、なるべく早く次をお届けできるように頑張りますぅ(白目)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

逃避は恥辱だが本当に役立つことを知ったお姫様。但し…


あっぶない、危うく前回の更新から2ヶ月経っちゃうとこだった……!
これの更新に限らず、他のを含めても最後に更新したの元日だし('・ω・`;)

書かなくなると、ホント書かなくなっちゃうもんですね(遠い目)


お久し振りの更新ですが、今回もゴミ人間が華麗に舞い踊ります☆





 

 

 

「……ふぁぁ」

 

 

 お姫様職人の朝は早い。

 

 朝も早くから、手がちぎれるほどに冷たい水も我慢し念入りに洗顔し、寝癖のついた髪を一旦濡らしてから、ドライヤーを当てて美しく整え艶を出す。

 そして、貴重なお小遣いの中からなんとか算出した金額で揃えたメイクセットで美しくメイクアップし、大切な商品といっても過言ではない自分自身を極限まで磨きあげる。職人は、自分を可愛く魅せる為、可愛い臣下達に愛させてあげる為には労力は惜しまない。

 

 ──まぁ好きではじめた趣味ですから。やっぱり一番嬉しいのは臣下達からの感謝のちやほやよね。

 

 

 と、脳内でそんなナレーションを流しつつ、今日も朝も早よからせっせと鎌倉まくらを作りあげる。

 

「チッ……あー、毎朝毎朝めんっどくさ……」

 

 薄くリップを塗り塗りしつつ、鏡を覗いて嘆息する私。

 ホントなら、あと五分あと十分と自分を甘やかしつつ、布団と格闘する微睡みタイムを楽しみたいっつうのに、なんでこう朝からこんなにめんどくさい事しなきゃなんないのよ。

 

 ま、私の場合朝からここまで張り切らなくたって十分美少女なんですけど。メイクだってナチュラル程度だし。

 キモオタってのはギャルに恐怖心抱いてるから、バッチリメイクとか見るとビビッちゃうのよね。だからメイクは薄くナチュラルに。でも唇だけは念入りに艶々ぷるるんにしておかねばならない。あいつらいつかチュウ出来んじゃないかと身の丈に合わない夢を見て、テントおっ立てて唇ばっか見てくるからね。

 アホかっちゅーの。キモオタに奪わせる安い唇なんか持ち合わせてねーんだよ。

 

 そんなわけでいつもと同じように自然に薄〜く…………、あ、いや、今日は気分を変えて、ちょっとだけバッチリ目なメイクにしとこうか。

 んで、メイクを終えたらお次はヘアセット。朝からドライヤー当てて艶っ々の黒髪に仕立てたから、いつも通り二つのテールを作って、ゴスロリちっくな黒レースリボンでー…………、あ、いや、今日は気分を変えて、たまには違う髪型にしようかな。

 たまにはアレにしよう。ハーフツインテ。オタサーの姫と言ったらツインテかハーフツインテと相場は決まってんの。だから今日はハーフにしとこう。なんかこう、ね。気分を変えてハイにしようよ、ハイに。

 なんかこう、気分変えて気持ちアゲてかないとやってらんないってゆーの? 酒でも飲まなきゃやってらんねぇよ、ってアレ。

 

「……はぁぁぁ〜」

 

 溜めた息を深く深く吐き出しながら、えっちらおっちら慣れない髪型に整えてゆく私。どうやら全然アゲられていない模様。

 

「……あ、私これ結構似合ってね? やべぇ可愛い超モテそう。……うし、負けてない負けてない」

 

 しかし、出来上がったハーフツインテ姿を見た瞬間にはしっかりアガる事が出来ました。お手軽な尻軽女か。

 でも……そう。私は負けてなんかいないのだ……!

 

 

 こうして最高の自分作りを終えた私は、一路ダイニングへと向かう。

 

「……クララおはよー」

 

「あらまくらおはよ〜……じゃなくて、いい加減クララはやめなさいってば。てかあんた、毎朝毎朝そんな低っくいダミ声でやる気のない挨拶しないの! もっとシャキっとしなさい? シャキっと」

 

 朝からうっさいなぁ、このオバサンは。もやしじゃないんだから、そんなにシャキシャキしないっつの。

 

「あー、はいはい。チッ、朝からウッザ……」

 

「まったく、お母さんにウザイとか言わないのー。ほら、もうごはん出来てるから早く食べなー」

 

「へーい……」

 

 この見るからにオバサン丸出しのおばちゃんは鎌倉くらら。なにを隠そう私の母親である。母娘そろってDQNネーム乙。

 これはアレだわ。血統が悪いのね、血統が。命名センスがヤバイんだわ、うちの家系。

 

 そんなDQNネームな母に促され、頭をがしがし掻きながら所定の位置に腰掛ける。

 今日の朝ごはんは味噌汁と納豆、焼き鮭にお新香か。言わば吉牛の朝定食の牛皿無しバージョンみたいな……、とでも言えば分かりやすいのだろう、ありふれた日本の朝の光景が並んでいる。

 

「……あれ? 蔵太はー……?」

 

「お父さんならもう会社行ったわよ。なんかゆうべの残業だけじゃ終わんない仕事があったんだってー」

 

「へー」

 

 それはそれは、朝からご苦労様なことで。お姫様職人の朝は早い……とか言っといて、その父親の方がよっぽど早いっていうね。

 ま、お父さんの朝が早かろうがすでに出社した後だろうがどうでもいいんだけど。

 さ、メシメシ。

 

「あら? まくら今日はいつもと髪型違うじゃない! なんかいつもよりは大人っぽくていいわね」

 

 食事はまず汁物からでしょってことで、わかめと豆腐の味噌汁をずずっと啜っていると、ごはんをよそって持ってきてくれたクララが、普段と違う娘の姿を目ざとく発見。

 

「それにメイクもいつもよりバッチリ目じゃない。なに? どしたの?」

 

「……べっつにー。気分よ気分」

 

「へぇ、あんたずっとツインテ? だったっけ? あの小学生の女の子みたいなの。高校入ってからずっとアレだったのにねぇ」

 

「小学生とか余計なお世話だから……。アレは男子ウケがいいんだってば」

 

「そうなの? お母さん、ちょっと痛いなって思ってたんだけど」

 

 うっせぇ……超余計なお世話すぎでしょ……

 

「でも今日の方がずっとマシよねー。あんた、明日からもずっとそれにしたら? なんならもっと大人っぽい髪型の方がいいけど。あ、でもメイクはもうちょっと薄い方が好みねぇ。なんか今日はちょっと派手すぎない?」

 

「……あー、マジ鬱陶しい……」

 

 朝から食らう母親のお節介ほど面倒なものはない。うちのクララはただでさえ余計なお世話が多くてうざったらしいから、髪型変えたりメイク変えたりすると、心の底から鬱陶しくてたまらない。

 まぁ今日は朝からうっせーんだろうなと覚悟はしてたからいいんだけど。だから無視無視。全力で無視して、無心で味噌汁を啜る。

 

「あ! もしかしてぇ、ようやく彼氏でも出来たぁ!?」

 

「ぶっ!」

 

「ちょ、きったないわねー。ホラ、ティッシュティッシュ。でもその慌てようは図星だな? ようやくあんたにも春が来たかー。あんた高校に入ってからそんな変なカッコ……、なに? ゴスペル? って言うんだっけ? そんなカッコばっかしてたから全っ然モテなかったもんねー。まぁ中学生の頃もワカメみたいな髪型とダっサい眼鏡で、地味すぎて全然モテなかったけど」

 

「は、はぁ? なに言ってんの!? 私いま学校じゃめっちゃモテモテだっての! モテ過ぎてとっかえひっかえ過ぎて、男一人に絞るなんて無理ってくらいモテてっから! あとゴスペルってなんだよ、天使にラブソングでも歌っちゃうのかよ。ゴスロリだからゴスロリ!」

 

 ホントなんなんだよ朝から……。マジでどんだけウザイのよ、うちの母親……。あと中学の頃の話は本当に勘弁してくださいすいませんでした。

 

「はいはい。まくらはモテモテで凄い凄ーい」

 

「チッ……」

 

 このオバサン絶対信じてないでしょ。普通にめっちゃモテてるから。

 まぁ? 家に男連れてきたことないし? しょうがないっちゃしょうがないんだけども。

 ……てゆーか──

 

「……つかさ、モテるとかモテないとか、彼氏出来たとか出来ないとか、今の私の状況は、そんな甘いモンじゃないのよ……」

 

 ……そう。私にはそんな甘ったるい事を言っている余裕など、無くなってしまったのだ。

 彼氏……ではなく、いつも通りちやほや要員を軽〜くこさえて愉しんでやろうと気楽に考えていた昨日までの平和なまくらはもう居ない。今居るのは、危機感と焦燥感に駆られた一人のか弱き乙女なまくら。

 

 

 ねっばねばな糸をたっぷり引かせた腐った豆をぐちゃぐちゃ掻き混ぜていると、嫌でも思い出してしまう。引きつった笑顔のまま意識を失いかけている私に向けて、この納豆と同じように腐った目を向けてきたあの男のシケた顔を。

 ……いや、あの瞬間だけは、私の目と心の方が間違いなく腐っていたのだろう。この納豆とおんなじように、ねばねばで腐った糸を全身に絡ませて……

 

 

× × ×

 

 

 ──え、……あれ? ここどこ?

 

「……ハッ?」

 

 ……あ、あっぶない、危うく意識が飛ぶとこだった。確か私は奉仕部とかいう可笑しな部活の部室に意気揚々と入ってきたはずよね? そしてそこで待って居るのは、今回のターゲットでもあり、この私に弄ばれるという幸せな被害者でもある比企谷、そしてその比企谷にちやほやされて悦んでいる二人のブサイクプリンセスだったはず。

 ええ。確かに比企谷は居るのよ。昼休みに会った時と同じくらいの腐った目を私に向けてきているから。だからここが奉仕部で間違いはないはずなの。

 

「どうぞ。そこに掛けて」

 

「ようこそ奉仕部へ!」

 

 ……でも、なに? なんでこいつらが居んの? 底辺なブサイク女は? なんちゃってオタサーの姫は? どこ? ねぇ、どこ?

 ……な、なんでブサイクな底辺どころか、よりにもよって頂点が居んの……!?

 

 

 

 雪ノ下雪乃

 

 この学校でこの女を知らないヤツなんて居ない。

 頭脳明晰容姿端麗質実剛健。おおよそ現実の人間とは思えない、まるでアニメやラノベのヒロインじみた才能と美貌を持つ超有名人であり、疑う余地の無い我が校の女王。

 

 美少女でありながらも、常に学年二十位前後をキープしているのが自慢のこの私でさえも、負けを認めざるを得な…………いやいや、私が負けるわけないじゃんなにいってんの馬鹿じゃないの? べ、別に負けてるって思ってるわけじゃないし? 思ってなんかないし?

 別に負けてるワケじゃないんだけども、むしろ勝ってるけども、……でも、まぁ、なんていうの……? か、かなり最上位レベルの、とてもとても嫌〜な女。

 まくら的関わりたくないランキングで言えば、圧倒的一位二位の内の片割れである。

 

 

 

 由比ヶ浜結衣

 

 この男好きのする可愛い童顔と可愛くないおっぱいで、学年で……いやさ学校でも指折りのモテ女。リア充の中でも最高位に位置する存在でありながらも、人当たりが良くて明るく元気。誰からも愛される人気者……とかいう、反吐が出そうな存在。

 さすがのこの私を持ってしても完全に負けを認めている。……お、おっぱいだけだから。

 

 もともとそんなに有名人ってワケではなかったが、十一月の生徒会役員選挙で由比ヶ浜結衣という二年が会長に立候補するとかしないとかの噂が立った事に加え、その噂の立候補予定者が、実は優れた容姿とリア充っぷりを兼ね備える人物だった──という事で一気に注目を集め、今や学校の有名人として名が上がった女。

 まくら的関わりたくないランキングで言えば、まぁベスト5には余裕で入るだろう。

 

 

 憎たらしいけど認めざるを得ないそんな校内カースト頂点に立つ女共が、なんでここに居るのだろうか……?

 全身から血の気が引いていくのが分かる。軽くガクブルしちゃってるし。それなのに未だ笑顔を絶やさずにいる私って凄くない? ピシィッと固まっちゃってるだけだけど。

 

 教室間違っちゃったんだろうなと思い込みたいにも関わらず、その希望的観測は決して許してはもらえない。なぜなら他ならぬ比企谷がそこに座ってやがるから。

 こいつは、顔を引きつらせながらも私に気付かないフリをして、知らん顔を通そうとしているのだ。

 

「は、はひ……」

 

 しかしどんなに惚けていようとも、我が校の女王に席に促されてしまってはいつまでもただ突っ立っているわけにもいかず、若干小刻みに震えはじめた足を引きずって、一路促された席へと向かうしかない。

 ……これはアレだ。不測の事態発生だ。

 

 どうやら私は思い違いをしていたらしい。比企谷がオタサーの姫にちやほやしてるとか、オタサーの姫が比企谷にちやほやされてるとか、この部活はそういうのじゃなかったんだ。

 どんないきさつでこうなってるのかは知んないけど、比企谷はオタサーの姫に可愛がられているわけではない。こいつは女王達の単なる奴隷であり、部活の備品として扱われているに過ぎない。

 こいつらクラスになれば、たかだか陰キャひとりを奴隷として使ってる程度の悪い噂であれば、名声と権力で軽くはねのけてしまえる。だからこんな陰キャなんかをここに置かせてやっているんだろう。

 そしてそんな惨めな待遇にも関わらず、比企谷はそれを好機と捉えて利用してるのだ。

 

 くっそ……! 比企谷にまんまと騙された! だからこいつはあんなにも所属している部活を言い淀んだのだ。だからこいつは、この私に簡単になびかなかったのだ。

 ……こいつ、この二人のどっちかのストーカーとかだったんでしょ。だからこの部活に入部したんだ。そうに違いない。そしていざ入部してみたら奴隷扱いありがとうございますブヒブヒってとこか。うっわ引くわー、やっぱキモいなコイツ。

 

 

 とにかくコレは気持ちを切り替えなければならない。計画は一旦白紙に戻そう。そうだそうしよう。

 もちろん比企谷を堕とすという計画に変更はない。なぜならお姫様が一度決めた事なのだから。

 ただしそのプランを実行する場所は、別にここでならなければならないワケではないのである。

 

 べ、べべべ別にここで堕とさなくたって、比企谷ごときを堕とすチャンスなんていつだってどこだってあるし……!? なにもここで堕とす必要なんかどこにもないわけよ!

 ほ、ほら、アレよアレ。省エネよ省エネ。ここだと無駄なエネルギー使っちゃいそうだから、比企谷ごときに必要以上の労力を割いてあげるなんて割りに合わないのよ。

 

 よっし、今後の計画は即座に組めた。さすが私。

 とりあえずここは戦略的撤退の一択しかない。これは敗走ではない。勇気ある撤退に過ぎないのである。

 

 逃げ……勇退を選んだ私の頭は途端にクリアになる。いつまでもブルッてる場合じゃない。とにかく今は逃げることのみに全力を注ごう。

 となると次なる問題は、ここの扉を叩いてしまったこの現状を、どう打破するかの一点のみ。

 なにせ相手はクソ女王とクソリア充。会話したことなんてないけど、性格とか超悪いに違いない。十中八九、ただの冷やかしで見学に来ちゃいました♪では済ませてはもらえないに決まってる。

 

 しかし、そこら辺のしょっぱいパンピーなら慌てふためく場面なのであろうが、そこもさすが私。青ざめて震えている間にも、すでにどう誤魔化すかの算段は考えていたのだ。それは、比企谷から聞いたこの部活の特性を上手く利用すること。

 利用して誤魔化して、そして煙に巻いてさくっと立ち去る。やはりさすが私。

 

 となれば、まずはこの張り詰めた空気を自分のペースに持っていってやろうではないか。鎌倉まくらが存在する場所は、いつだって鎌倉まくらを中心として空気が流れなければならないのだ。それがお姫様としての譲れぬ尊厳。

 先程からがっつり固まってしまったままの引きつり笑顔を精一杯ナチュラルスマイルに矯正した私は、てくてく席まで歩いて行くと、元気にすとんっと腰を下ろした。

 

「わ、わぁー! どんな人達の部活なんだろって思ってたら、まさか雪ノ下さんとか由比ヶ浜さんがやってる部活だったなんて超びっくりー! ウチ、可愛い女の子とか大好きだから、めっちゃテンション上がっちゃうよぉ!」

 

 ただし自分より下のランクの可愛い女の子に限る。なぜなら優越感を味わえるから。てか女が女を可愛いと褒めそやす時、そこに純然たる好意などありはしない。自分の方が優っているからこその自信の現れか、もしくは周りに居る男に対してのアピール──容姿が優れた同性に素直に可愛いと言えちゃう私って素敵でしょ?──くらいのもの。

 故に今の私のテンションはだだ下がりである。

 いや別にこいつらに負けたとかは一切思ってないから。思っちゃったら負けまである。

 

「……」

 

「ほえ? や、やー、か、可愛いなんて……えへへ」

 

 私からの先制パンチに、乳に栄養を全部持っていかれてるのだろう頭の弱そうなリア充が嬉しそうに照れる中、雪ノ下雪乃はつまらない物でも見るかのような冷めた視線をびしばしぶつけてきた。

 ……ハッ、可愛いなんて言われなれてるってか? お高くとまりやがって。……び、びびってなんかねーし。

 

「二年A組、鎌倉まくらさんね」

 

 そして褒め殺しなんかカケラも興味が無さそうなこの女は、私の言葉を完全に無視して淡々と業務を進める。本当にいけ好かない女。

 

 

 ……って、……は?

 え、なんでこいつ私のこと知ってんの……? しかも名前どころかクラスまで……?

 

「え、えっと、雪ノ下さんって、ウチのこと知ってるんだぁ! やばぁい、なんかめっちゃ光栄なんだけど〜」

 

 ふ、ふふん。なんで知ってんのよってちょっとびびっちゃったけども、ま、私のネームバリューなら、あの雪ノ下雪乃に知られてるくらい至極当然て事よね。

 べっつに雪ノ下雪乃に知られてたからって、どってことないけどぉ?

 

「ええ。同じ学年であれば、大体は覚えてしまうものでしょう? 貴女だって私や由比ヶ浜さんの事を知っているくらいなのだし」

 

「そ、そだよねぇ!」

 

 ……チッ、んだよまくらちゃんの認知度が高いのかと期待させといて、ただの頭の出来の自慢かよ。普通覚えられるわけないでしょ。

 それと自分らのネームバリュー自慢でもあるわけね。やっぱこいつ性格めっちゃ悪ぅ……!

 

「えへへ、ゆきのん凄いでしょ! 最初会った時、あたしの事も知ってたんだー」

 

 ゆきのんてなんだよ。あの雪ノ下雪乃をそんな残念なあだ名で呼んじゃうとか、このビッチマジ何者なの? あとなんであんたが胸張ってんの? ああ、また自慢ね、バストサイズの。

 こいつらって自慢ばっかよね。美少女だとか勉強も出来るだとか、一見すると自慢出来ることが山ほどあるのに、周りに自分の事を一切自慢気に話さない私みたいな奥ゆかしいタイプとは大違い。絶対に話が合わないタイプだわ。さすがまくら的関わりたくない女子共。

 

「とはいえ同じ学年でも知らない人は居たわ。……確か、えーと、誰だったかしら。……ああ、そうそう。今日は残念ながら欠席しているようなのだけれど、誠に遺憾ながら我が部に在籍している、なんとか谷? とかいう男の事は、全然知らなかったわ」

 

 この私、鎌倉まくらを前にして、カースト最上位者気取りのあまりの余裕な態度に少しだけイラッとしていると、その雪ノ下雪乃がおかしな事を口走りはじめる。

 ……本日は欠席? なんとか谷? あれ? この部活ってまだ他にも部員いんの? でも比企谷のヤツ、三人って言ってたなかった……?

 

 頭上に疑問符を浮かべていると、今まで我関せずを貫き知らん顔をしていた男が、ついに口を開く。

 

「おい、勝手に欠席扱いにすんな。部活始まってからずっと居んだろ。あといい加減名前くらいは覚えてくださいお願いします」

 

 ……あ、ああ、なんとか谷ってのは比企谷のことね。

 成る程、つまり今のは雪ノ下雪乃から比企谷に対しての辛辣な言葉の暴力だったってわけね。同じ学年の生徒くらい全員覚えられるという記憶力を自慢する雪ノ下雪乃を持ってしても、存在を認知出来ていなかった、と。さらにはずっと部室に居るにも関わらず、またもや存在を認知出来なかった、という、まさに味噌っかすな扱いってわけか。

 やっぱ比企谷はここではそういう扱いなワケね。ざまぁ。ようやく……、ようやく私の予想通り!

 

 

 ──でも……

 

 

「あらごめんなさい、居たのね、気配を感じなくて全く気が付かなかったわ。道理で廊下側からずっと卑猥な視線を感じると思ったわ。気を付けて由比ヶ浜さん。卑猥谷くんがこっそりとこちらを視姦しているわよ」

 

「歯間? 歯ブラシ?」

 

「別に見てねぇよ……。さっきからずっと読書してるでしょ? なんならこの本のここまでの内容を話して聞かせてやろうか?」

 

「無視された!?」

 

「ネタは上がっているわよ。私達を眺めて興奮している事がバレてもすぐ誤魔化せるように、既に読み終えている本を用意しておいたのね? そうやって本を読むフリをして、ずっと私達の体に厭らしい視線を向けていたのね」

 

「マジで!? ヒッキー超キモい!」

 

 

「……いやなんでだよ」

 

 

 ──でも……、またなんか思ってたのと違うんだけど……ッ。

 

 

 

 一見すると確かに辛辣に見えるこのやり取り。これが本当にただ辛辣なだけであったのなら、私の予想には反していなかった。

 雪ノ下雪乃が極寒の罵声を浴びせ、由比ヶ浜結衣が引きこもりのごときセンス皆無のあだ名で罵声を浴びせ、そして比企谷が惨めに嘆く。

 人を見る目がない人間がこのやり取りを見たら、カースト最上位者がカースト最下層者をただなじっているようにしか見えないかも知れない。少なくともうちのクラスの頭カラッポなクソビッチ共なら、まず間違いなく比企谷が虐められてると思って、一緒になって嗤い者にするだろう。頭カラッポだからって夢ばかり詰め込んでも、それはただの馬鹿でしかないのだ。

 

 

 ──でもこれは……、同じ教室に居るはずの私を完全に空気にしている、この三人の間に漂う嫌な心地悪さは……

 

 

「それで鎌倉さん。本日のご用件なのだけれど」

 

「へあっ!?」

 

 惚けている最中、不意に浴びせられた冷水のような声と問いに、思わず変な声を上げてしまった私。

 これじゃまるで私があんたにビビってる格下みたいじゃない。大丈夫? 見下されてないわよね? 私あんたらに負けてるとか思ってないから。格下じゃなくて同格なんで、そこんとこ勘違いしないでもらいたい。

 

 ……いやいや、今はそれどころじゃないんだった! 今はこいつらの関係性がどうかとか、奇声を発してしまった羞恥とか、そんなのは二の次三の次でしょうが! 今は一刻も早くこの場から逃げっ……抜け出さなければ!

 ……いや、どうでもよくはない。私が今まさに思い至った想像が間違いではないとしたら、それこそ早くここから抜け出さねばならないのである。そして上手く逃げ……抜け出せた場合でも、当初の予定だった計画──比企谷を落として堕とす──さえも白紙に戻さねばならないかもしれない。

 

 お姫様が一度決めた事は覆すわけにはいかない? なにそれ美味しいの? 私のお姫様としての自尊心がこれ以上傷付くことに比べたら、そんなもん……比企谷なんかはほんの些細な問題なんだよ! ばーかばーか!

 そ、そりゃね? ここに入部するんなら、当然この女共なんか楽勝で打ち負かして、ターゲットを堕として落として趣味を満喫するに決まってるけど、……ま、まぁ? 入部しないんなら、別に比企谷ごときにこだわる必要とかないしー……?

 た、だから計画を白紙撤回したって、それは単に比企谷に構うのに飽きちゃったって話なだけで、別に比企谷や雪ノ下雪乃達に対して負けを認めたわけじゃないのよ。うん、大丈夫大丈夫。まだまだ負け知らず。

 だから私は、なんの後ろめたさも後ろ髪引かれる思いも感じずに、ただただここから逃げ出すのみ。そしてここから傷を負わずに逃げ出す算段なんて、疾っくの疾うについてんの。

 

「あ、そ、そうそう! んーとぉ、こちらが生徒のお悩みを解決に導いてくれる部活だって聞いたんでぇ、ちょっと相談してみよぉかなー……って思ってぇ」

 

 ──そう。ここは一体なんの部活? 答えは生徒のお悩み相談室です。

 つまりほんの過ちでここに足を踏み入れてしまったのならば、入部希望者だとバレる前に依頼者のフリをして、適当な悩みをでっち上げればいいだけの話なのだ。

 そして悩み(嘘)を打ち明けている最中に気が変わり依頼をキャンセル。そうすれば、難なくここから逃げ出せるって寸法。

 都合のいいことに比企谷も知らん顔してる事だし、私もあんたには触れないでおいてあげる。こいつとの関係を気付かれずにいれば、よりスムーズかつスマートにここを脱出できるってわけ。マジまくらちゃん有能すぎでしょ。

 

「おー! どんなどんなー?」

 

 と、別に誰もこいつになど言ってないというのに、なぜかビッチリア充が長机に身を乗り出して聞いてきた。

 なんでお前がそんなにノリノリなの? ノリノリすぎて机にデカパイがノリノリだから。また自慢かよこのビッチ。一応私もそこそこはあんのよ。少なくともあんたのお隣の絶壁よりはね。

 

 そもそもでかけりゃいいってもんじゃねーんだよこのビッチ。どうせ垂れてる上に黒くてどでかい乳輪とか付けてんでしょ? お隣さんは小粒な黒豆でもくっついてそうだけどぉ♪

 デカパイはデカ乳輪、貧乳は黒乳首って相場は決まってんのよ。言っとくけど、色と形なら負けてないから。別に他に勝てそうな部分がなくて負け惜しみ言ってるだけじゃないから。

 

「えと……」

 

 まぁそれはそれとして、いつまでも負け惜しみ言ってても虚しくなるだけだ。やっぱり負け惜しみなのかよ。

 

 そんなことより肝心の悩みはどうでっち上げようかな。はっきり言って、このお姫様に悩みなんてあるわけないし。

 顔もいいし頭もいい。胸はそこまでデカいわけじゃないけどめっちゃ美乳。

 男にモテモテで男にちやほやされてて、男から愛されまくっているみんなのお姫様。

 

 女子からハブられてる? どーでもいい。

 

 女子に軽く虐められてるっぽい? どーーでもいい。

 

 女子の友達が出来た事がない? どーーーでもいい。

 

 ヤバイ私完璧すぎじゃない。負けを知りたい。

 

 じゃあ一体なにを依頼しようかしら。

 なんでもいいのよ、どうせトランプばりのフェイクニュースなんだし、そもそもどうせ活動実績なんてあるはずのない謎部活なんだし、適当になんか言っときゃ大丈夫。

 極力有り得そうで、かつ私の体面も傷付かない。なんならこの女共に対して私の自尊心をも満たしてくれそうな素晴らしき悩み……。モテすぎて困るとか?

 

「……あ、でも……なぁ」

 

 いざ悩みの告白となるとなかなかいいモノが思い浮かばず、どうしようかとウンウン首を捻っていると、なぜかお悩み相談室には最も相応しくなさそうなおバカキャラが、私からの依頼を聞く事に難色を示しだした。

 だからなんでお前が主導権握ってんだよとか思いつつも、どうせまだなにも思いついてないし、ん? と可愛いキョトン顔で小首を傾げて、由比ヶ浜結衣の次の句を待ってやる。

 

「ごめんねゆきのん。あたし、つい勝手に話進めようとしちゃったけど、今って他に依頼ある時だから、あんま無責任に相談とか聞いちゃったらマズいよねっ……」

 

「……!」

 

 

 ……ふ、ふむふむ、成る程そういう事かー。そりゃ他に依頼があるんなら、ダブルブッキングはよろしくないわよねー。

 そういう事なら全然構わないわよ? むしろお断り推奨。こっちとしても願ったり叶ったり。

 

 

 

 ──そうなんだけど。確かにそうなんだけど。

 

 逆に好都合でしかないこの事態は、二度とこんなとこに近寄るかよボケ! という本音を隠して、「あ、そぉなんだぁ……。うん、分かった。……じゃあなんか奉仕部さんに申し訳ないし、今回はウチ、自分でなんとかしてみるね……っ! もしダメそうなら、またこちらに寄らせて貰うね……っ」と残念そうに言っとけば、なんの後腐れもなく迅速にここから退去出来ること請け合い。

 でも、いま私の頭にふと思い浮かんだ思考は、そういう打算的なものではなかったのだ……。そして私は──

 

 

「……い、依頼とか、普通にあるんだ……」

 

 

 背中に一筋の冷や汗をつーっと垂らし、誰の耳にも届かないくらいのぽしょり声で、そう独りごちた。

 

 

 

 

 ……なんかもうさ、比企谷の事も奉仕部の事も、私が思ってたものと色々と違いすぎんだけど……

 

 当初は比企谷ひとりのぼっち部かと思っていた奉仕部とかいう変な部活。私はもちろん、誰一人として認知していないふざけた部活。誰も知らなきゃ依頼などあるはずもなく、なんの活動もしてないんだろうと疑わなかった幽霊部活。

 

 でも聞いてみたら、部員は三人居ました。覗いてみたら、そのうち二人は有名人美少女でした。誰一人として認知してないと思っていた部活は、普通に活動してました。

 

 そして、いとも容易く落とせるかと思ってた陰キャぼっち。でも容易くどころか壁が高くて厚すぎて、本音を言うと、これぶっちゃけ無理なんじゃない? とうっかり弱気になっちゃうレベルの相手でした。さらに二人の有名美少女達との、まるで青春群像劇のような胸糞悪い放課後を過ごすサマをまざまざと見せ付けられ、実はこの陰キャが私に簡単になびかなかったのって、そもそも私ごときには端から眼中に無かったんじゃないの? なんて、屈辱的すぎて死ねるくらいの──いや、私が死ぬくらいなら余裕でこいつ殺るけど──考えが頭の片隅にちらほらなんかしちゃったりして、ついにはそこから逃げ出そうとする始末。

 

 

 

 ──ナニモカモガウマクユカヌ……

 

 

 

 ……なによこれ。すべてが私の予想してたレールから外れまくってる。てか、予想なんてしようがないくらい次々に予想の範疇を軽々と飛び越えてゆく強烈な連続攻撃。なんか、今更ながらに危険な香りがぷんぷんしてきたんだけど……

 全てがここまで予想の範囲を逸脱していると、もう私の思い描く未来予想図なんかは永遠に訪れないんじゃないかって思えるくらいにデンジャラス、かつクライシス。なんなら暗い死す。

 

 

 ……ヤバイヤバイヤバイ! 早く、一刻も早くここから逃げ出そう……!

 全ての事が上手く行かないからなのか……、全ての事が私の予想を裏切り続けてゆくからなのか……、私の胸には、かつてない程の警報が鳴り響いている。そのけたたましい程に鳴り響く警報音は、最早コーションからデンジャーへと変化している。

 

 

 ああ、やっぱ比企谷なんかに関わるんじゃなかったよ……。そうなのよ、そもそも今日の昼にこいつに関わっちゃったのがいけなかったのよ。初めっから分かってた事じゃんよ、この最底辺の陰キャぼっちとは関わらない方がいいってさぁ……。なのになんでわざわざ関わりにきちゃってんのよ私。マジ今日はどんだけ無駄な時間と傷を負っちゃったの……?

 

 でも、まだ大丈夫。今なら傷はまだ最小限で済むんだから。

 せっかく私が逃げ出し易いようにお膳立てしてくれたんだから、この傷は犬にでも噛まれたと思って早く忘れよう。しばらくは歯を食い縛りながらぬいぐるみを殴ったり蹴り飛ばしたりの毎日が続くかもしんないけど、……今ならまだ、引き返せる!

 逃げるという行為は恥ずべき行為であり屈辱である。しかし自我を守るのを最優先とした場合、その恥は未来の光へと繋がるのだ。つまり、めっちゃ役に立つ。

 ハンガリーのことわざだか少女漫画だかちょっと前に流行ったドラマだか知らないけど、どうやら結構マジらしい。

 

 

 そして私は満を持して言う。ついさっき頭に浮かんだばっかりの、この素敵な魔法の言葉を。

 

「あ、そぉなんだぁ……。うん、分かった。……じゃ──」

 

「大丈夫よ由比ヶ浜さん。その心配はいらないわ」

 

 しかし私の言葉は見事に遮られる。優しい笑顔を由比ヶ浜結衣に向ける女王によって。

 

「そなの?」

 

 

「ええ」

 

 ……チッ、人が喋ってる最中だろうがよ。人が喋ってる時に割り込んじゃいけませんって、お母さんに教わんなかったの?

 

 ま、いいや。この流れ的にいくと、まず間違いなく「今は依頼を請けるつもりはないから」とでも言うつもりなんだろう。

 だったら初めからそう言えよ、ったく、使えない乳無しね。

 まぁ? 若干イラッとは来たけども? 今回だけは不問にしてあげるから、さっさと言いなさいよ。私の相談を受け入れない旨をさぁ。

 

「だって彼女の相談は、今すぐどうこうしろという物ではないもの。もっと長い期間を掛けて、ゆっくりと進めて行けばよいものなのだから」

 

 …………ん?

 

 

 

 そして私は知る事となる。確かに逃げるは恥だが役に立つ。しかし、その後にはこんな言葉が続くのだということを。

 役に立つ。……但し、無事逃げられた場合に限る。

 

 

 

 果たして雪ノ下雪乃は、由比ヶ浜結衣に向けていた笑顔を私へと向けた。いや、厳密に言えば、その笑顔の質は明らかに変化した。

 その笑顔は、どきりとするほど静かで美しく、ぞくりとするほど嗜虐的で冷酷に……

 

 

「なぜなら鎌倉さんの相談は依頼じゃないの。彼女の相談は、……奉仕部への入部についての相談なのだから」

 

 

 

 

 

 

 

 ………………………………ファッ!?

 

 

続く

 





静ちゃん「逃げられると思った?残念!いつから手を回されていないと錯覚していた?」

まくら「クハッ(吐血)」



ご無沙汰でしたがありがとうございました!
ちなみに本来は今回と次回で1話になる予定だったので、次回までは頭の中で話が出来ております。つまり次回はこんなに間は開きません!……はず(・ω・)

そして5話目にして平均字数が10000字超えゲットだぜ!
さーせん、なんかまくらちゃん書くといつもいつも長くなっちゃって(白目)
てか今回、こんだけ書いても作中時間5分も経ってないでしょ……


というわけで次回、まくらの身にさらなる試練が降り掛かります♪
ではまた2ヶ月後にお会いしましょうノシノシ



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お姫様のお悩みは千の葉舞い散る都を華麗に横断する

 

 

「え」

 

「え?」

 

「え"」

 

 

 最近使用された形跡のない、埃をかぶった机と椅子が後方に積み上げられたこの薄汚い教室に、奇跡的に三つの一文字が重なった。

 一つは陰キャ比企谷、一つはビッチ由比ヶ浜結衣、そしてもう一つは……当然お姫様な私である。

 そしてその奇跡の大合唱は、我が校に住まう氷の女王のこの謎の一言によって奏でられたのだった。

 

『彼女の相談は、……奉仕部への入部についての相談なのだから』

 

 ──は? え、なんで……? なんでこの女、それ知ってんの?

 

「は……? マジで言ってんの……?」

 

「なになに、ゆきのんどゆこと!?」

 

 先ほどトリオで行われた合唱コンクールは、茫然自失のメインパートを置き去りにして今度は脇役二人での合唱に。しかし今回は残念ながら同じ音は重ならなかったよう。

 不協和音のごとき二人からの同時の質問を受けた雪ノ下雪乃は、私に向けていた冷徹な笑顔そのままに二人を見やる。

 

「それを今から話すのよ」

 

 そう言って、ヤツは再び私を見てニコリと笑った。

 

 

 ……いやいやいやいや、このまま流されてたまるかよ。そんなわけないじゃないそんなわけないじゃない。この女が入部のことなんて知ってるわけないじゃない。

 だって私、三十路に入部届け預けたその足でココ来たのよ……? そこから顧問に話と入部届けが渡って、さらにこの女にもう連絡入ってるとか、対応があまりにも迅速丁寧すぎでしょうよ。ヤフオクの優良出品者だって、こんなに迅速丁寧なご対応してくれないっての。

 だって、入部届け書いたあの場の近くに顧問が居たんなら、わざわざ三十路が顧問に代わって奉仕部の説明したり入部届け預かったりする必要性がないわけで、それはつまり三十路はここの顧問に私の入部をすぐ知らせるすべが無かったっつー事なわけじゃないの?

 顧問に知らされてるかどうかさえ疑問なくらいの時間しか経ってないってのに、なんで顧問より先に雪ノ下雪乃が知ってんのよ、理屈に合わないだろうが。

 しかも、どうやら比企谷と由比ヶ浜結衣は知らないみたいだし。

 

「……」

 

 ──ああ、そうか。そういやこの女、同じ学年のヤツなら大抵覚えてしまうとか、無い胸張って自慢してたっけ。もしかしてこの女、私の素行知ってやがるな……? 私が入退部を繰り返して愉しむ趣味趣向の持ち主だってことを、どこかから情報得やがったな……? だから突然訪れた私を見てカマかけてんでしょ。

 ま、まさかあの鎌倉まくらさんが、ついにうちの部活に目を付けたとでもいうの……? どどどどうしようかしら、あの鎌倉さんには、私なんかでは勝ち目がないわ……!? 先に攻勢を仕掛けて、早くご退場願わなくては……ッ! とかってガクブルしてんでしょ。うん、わかるわかるぅ。このまくらちゃんが相手じゃ、焦ってフライングしちゃいたい気持ちもわかるよぉ。

 じゃあしょーがないなぁ! ここはゆきのんに免じて、大人しく引き下がってあげようじゃないか。

 だから私は、一体なにを誤解しているのぉ? 大丈夫大丈夫、私別に入部しにきたワケじゃないからぁ。という旨を伝えてあげる事にした。

 

「えぇ〜? なんで雪ノ下さんはウチ──」

 

 が入部しにきたって思ったのぉ? ウチ、ただちょっと悩み相談をしにきただけだよぉ? と言葉を続けようとしたのだが、その言葉はまたしても親に碌な道徳を教えて貰わなかったのだろうこの女にぴしゃりと遮られる事となる。

 だから人が話してる最中に割り込むなとあれほど……。チッ、親の顔が見てみたいものよね。

 

「なぜあなたがすでに入部届けを提出済みなのか知っているのか、という質問かしら?」

 

「そぉそぉ! なんでウチが…………、って…………は?」

 

「あら、どうしたのかしら。最後の「は」の発音だけ随分と声が低くなったのだけれど。普段から声がとても高いようだから、ついに咽喉を痛めてしまったのかしら、とても心配ね」

 

「」

 

 「普段から声が高いようだから」の中に『普段から無理に高くしてるから(笑)』という、明らかな挑発的要素をひそませた物言いの雪ノ下雪乃は、私の額に浮かんでいるのであろう血管を見やり薄く笑う。

 どどどどうしようかしら、あの鎌倉さんには、私なんかでは勝ち目がないわ……!? だなんてとんでもない。これはもう完全に狩りを愉しむ捕食者の目ですね。

 

 常であればそんな何様で上からな言い方をされたら、甲高い舌打ちからの罵詈雑言にて、対象を激しく責め立てたい衝動に駆られるところなのだろうが、生憎ながら今の私にはそんな余裕などない。

 だってこの女の冷水ボイスを浴びせられた途端に、額には脂汗が滲み、咽喉は水不足で干上がったダムの如くカラカラになっていっているのだから。

 

 

 ──な、なんでよ……。この女、カマかけなんかじゃない。普通に解ってて、私の慌てふためく様を見て楽しんでんじゃない……!

 確かに何もかもが上手くいってないという自覚はあったけど、今日の私はここまで酷い有様なの……?

 

「な、なんで──」

 

「なんでとは、咽喉の調子についての疑問かしら? それともなぜ私があなたの入部届け提出まで知っているのかについての疑問かしら?」

 

 三度(みたび)遮られる私のセリフ。これはあれだ。親の教育とか道徳がどうとかじゃなくて、完全にわざとやって私を弄んでるわ。獲物が弱るまで玩具にして遊ぶ猛獣の目をしていらっしゃる。

 

「まぁ入部の件に関しての疑問でしょうから答えてあげましょう。私の答える解答で、あなたの頭の中の靄が晴れるとよいのだけれど。……答えは至極単純かつ簡単な話よ。先ほど平塚先生から、私に直接メールが届いたのよ」

 

「みそっ……、ひ、平塚先生、から……? なんで……?」

 

 危うくまくらちゃんのキャラにそぐわない隠語で先生の呼び名を口にしかけてしまう程に動揺を隠せない。

 え、なんでたかが一教師が一生徒の連絡先知ってんの? 担任とか顧問とかならまだしも、アイツただの生徒指導の若手(笑)教師でしょ?

 

 

 ……顧問? ……え、ま、まさか……?

 

 

「それは当然じゃない。だって、平塚先生は奉仕部の顧問なのだから」

 

「くはっ」

 

 

 

 ──ち、ちくしょうやっぱりかあの三十路ィ!?

 あんのババァ! 平静装ってしれっと嘘吐きやがって、なにが入部届けはあとで顧問の手元に届くようにしておくだよ、クソが!

 

 手渡された入部届けに詳細を記入する前に言われた「あとで顧問の手元に届くように」→書き終わると顧問の手元に届いた

 

 う、嘘吐いてねぇ……

 

 

 ──じゃああれなの……? あのババァが言ってた私を入れたがってたボランティア部ってここ……!? てかなぜその可能性に思考が行き着かなかったのよ私。言われてみればそれ以外に答えなどないってくらい容易な問題なのに、奉仕とボランティアという日本語の妙のせいで、どうやら完全に思考が停止していたらしい。

 クソッ……! あの三十路、強制は出来ないだのなんだの言ってたくせに、こんなん完全に強制入部じゃんよ! 学年主任に訴えてやるー!

 

 奉仕部のマイナス要素について散々説明してからの「本当に奉仕部に入るのか?」→もちろん入ります

 

 きょ、強制にならないようになっとるぅ……

 

 

 

 ……なんという事でしょう。三十路の弁は下らない屁理屈ばかりではあるけども、なんと私ってば、いつの間にか売れ残りの三十路ごときに逃げ道を塞がれていたようです。

 なんなの? からめ手なの? カラミティエンドなの?

 

 まさかこの私が売れ残りなんかの掌の上で見事に踊らされていようとは。なんだかんだ言って手玉に取ってたという自負があったから、これはなかなかに屈辱である。

 

「え? 先生からそんな連絡きてたの!? さっき来てたメール?」

 

「ええ」

 

 えもいわれぬ敗北感に打ち拉がれ一人天を仰いでいる合間にも、こいつらはこいつらで勝手に話を進めていくらしい。

 主役を放置する気なら、私もう帰っていいかしら。むしろ放置したまま私の事なんて忘れてしまえばいいのに。

 

「そーなんだぁ。でも先生ちょっと水臭くない? 入部希望者が居るんだったら、メールとかじゃなくて先生も一緒に来ればいーのに」

 

「確かにそうね。でも、それはただのメールではなかったのよ。メールのタイトルがとても特徴的だったの」

 

「タイトル?」

 

「ええ──」

 

 そして雪ノ下雪乃はやれやれと軽く溜め息を吐き出すと、ほんの少し呆れたような笑みを浮かべてこう口にするのだった。

 

「──千葉県横断お悩みメール……、と」

 

 

× × ×

 

 

 千葉県横断お悩みメール。ここに来て、なんともふざけたワードが出てきたものだ。

 なんだよ千葉県横断って。みんなでクイズ大会でもやんの? クイズに答えて千葉に行きたいか? ってか? いやここ千葉だし。

 

 あまりの意味不明さに眉をひそめて目尻をひくつかせていると、同じく眉をひそめた二人の部員が雪ノ下雪乃へと迫る。

 いや、同じく……ではないか。こいつらのひそまった眉には、私とは別種のなにかがありありと含まれていた。

 

「は? お前、それって……」

 

「え、それってもしかして……?」

 

 そう言ってとても微妙そうな顔をした陰キャとビッチが、なぜかゆ〜っくりと私の方へと顔を向ける。

 え? なに? そのふざけたタイトルのメールと私に、なんの関係があんの……? なんであんたら勝手に納得して、そんな憐れんだ目ぇしてまくら様を見てんの……?

 

 不愉快極まりない二つの視線を受けて困惑していると、雪ノ下雪乃はそんな二人の様子に満足気に頷く。そして相も変わらず主役を置き去りに、着々と会議は踊ってゆく。

 

「ええ、そういう事ね。扱いは入部当初の比企谷くんと同じ、というところでしょう」

 

 は? どういうこと? 扱いが比企谷と同じ? 誰の? 私?

 

「マジかよ……。だからお前、さっき携帯見て死ぬほど嫌っそうな顔したのか。……まぁ確かにかなり問題ありそうな気がしないでもないが……。てか初期の俺ってここまで酷かったのか……」

 

「そ、そうなんだー……。あんまそうは見えないんだけど」

 

 こいつら、一体なに言ってんの……? 問題ありそうとかここまで酷かったとか、あまつさえ頭の悪そうなビッチに「あんまそうは見えない」とかって、まるで可哀想なモノでも見るかのような眼差しで見つめられるとか、なに? それってこのお姫様に向かって言ってんの? このお姫様に同情しちゃってんの? 一体何様のつもりなのか。

 

「まぁそういう事ね。実は彼女の事は前々から話を聞いていたのだけれど、……その、ここのところ私達の間でも色々あったものだから、……その件も後回しになっていたのよ……。それでようやく最近はいい雰囲気になってきたものだから……」

 

 と、どうやら前々から私は世間の話題を独占していたようです。なにが同じ学年の人間くらい覚えてしまうだよ。思いっきり三十路に聞いてんじゃねーか。

 マ、マジか……、色々あって後回しになってたとか最近良くなってきたとか、そういやあの三十路そんなこと言ってたわ……

 

「そ、そうか」

 

「……そっか、えへへ」

 

 てかなにがあったのか知らないし知りたくもないけど、ちょっと言いづらそうにモジモジしてる雪ノ下雪乃と、同じく頬を染めてモジモジしてる陰キャとビッチの甘酸っぱそうな青春模様がまたなんかムカつく。

 

 そんな胸糞な青春模様を誤魔化すかのようにコホンと咳払いした雪ノ下雪乃は、すっと表情を元の冷徹な物へと戻し、何事もなかったかのように話を再開する。

 

「あと、なぜ先生が一緒に来なかったのかというと、どうやら本人へのサプライズだそうよ」

 

 その本人ってまず私の事だよね。おい行き遅れババァ、サプライズってのは殺害方法の名称じゃねぇぞ。

 

「そしてパソコンでなく直接私にメールしてきたのは、大方パソコンだとすぐにチェックしないかもと危惧したからでしょうね。なにせ本人が奉仕部に着いてしまう前に知らせたかったんでしょうから。……だったら電話でもくれた方がよっぽど要領がいいと言うのに、まったくあの人は……。どうせ千葉県横断お悩みメールという事にしておいた方が面白いとでも思ったんでしょうね」

 

 

 ……まったく、それにしてもあの無駄に丁寧で無駄に長い文章と余計な追伸はなんとかならないものかしら……などとブツブツ愚痴を呟きながら、まるで頭痛を堪えるかのようにギュッとこめかみを押さえる雪ノ下雪乃。

 

 おいふざけんな、頭痛と動悸が激しいのはむしろこっちだから。もう頭はガンガンだし、心臓なんか今にも口から飛び出しそうなくらいばくんばくんと激しく暴れてて、めっちゃ冷や汗ダラダラなんだから。

 うん、これは風邪だな。まくら風邪ひいちゃったかもぉ。早く帰らなきゃ。帰っていいですかぁ……?

 

 

 ……しかしこの悪魔のようなクソ女は、そう易々と帰宅を許してくれる事などなさそうだ。

 いや、そう言うと、まるで易々でなければいつかは帰宅を許してくれるように聞こえちゃうわよね。

 そしてそんな事は当然許されるわけは無かったのだ。

 信じられないほどの素敵な笑顔で次に紡がれるこの決定的な言葉によって、そんなスウィーツな考えはいとも無惨に叩き潰されることとなるのであった。

 

「さて、鎌倉まくらさん」

 

「……は、はい」

 

「ようこそ奉仕部へ。あなたの入部を心から歓迎するわ。ちなみにあなたが自分自身で選んで入部届けまで書いた部活なのだから、キャンセル及び休部、短期間での退部等は一切認めないので宜しくね。もちろん、異論反論意見全て受け付けません」

 

「」

 

「あら、震えているのかしら。ふふ、そんなに緊張しなくても大丈夫よ。あなたの事は先生からよ〜く聞いているわ。だからあなたの性格に合うように、優しく丁寧にじっくりと指導してあげる。部活動に励むことが大好きな鎌倉さんとこれから一緒に部活動を楽しめること、とても楽しみだわ」

 

「……」

 

 

 ──ああ、これはもう覚悟を決めるしかないのかもしれない。

 私、こう見えて人を見る目はなかなかあんのよ。人を見る目があるからこそ、こういう生き方を楽しめてきたんだから。

 だからわかる。わかってしまう。この女からは逃げられないってことが。もうここに入部する以外の選択肢は残されていないのだということが。

 

 

 ……だったら、せめてもの意地を見せてやる。こちとらこのまま負け犬みたいにキャンキャン鳴いてるだけのそこらの木っ端じゃねーんだよ。

 

 そして私は笑顔を浮かべる。そりゃ引きつってるかもしれない。冷や汗かいてヒクついてるかもしれない。涙目で顔面蒼白かもしれない。

 でもね、そこはお姫様としてのプライドってやつよ。このまま負けたままでいられるもんですか。負けってのは、自分が負けたと思った瞬間に負けなのよ。逆説的に、負けたと思わなければまだまだ負けを認めなくたっていいのである。

 だから、引きつりヒクつき涙目な顔に無理矢理笑顔を張りつけてこう言ってやる。お姫様らしく堂々と胸張って、お姫様らしく優雅に華やかに!

 

 

 

「……え、えっとぉ、ほ、本日からお世話になります鎌倉まくらでぇす! こ、これからヨロシクねっ☆……」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……え、えへ?」

 

 

 ──こうしてオタサーの姫こと私 鎌倉まくらは、遊戯部退部から凡そ三週間ほど探し続けていた待望の新しい宿り木をようやく見つけたのであった。

 

 ……私は、一生忘れることはないだろう。この私の一世一代の新入部員挨拶に対して向けられた、クソ女雪ノ下雪乃の氷の微笑を。乳ビッチ由比ヶ浜結衣の引き気味の「あ、あははは……」を。

 そしてこの崇高なるお姫様をこんな目に合わせてくれたそもそもの諸悪、陰キャ比企谷の、憐れみの腐った眼差しを……!

 

 ……こいつら、特に比企谷、いつか絶対泣かせてやるからぁ!

 

 

 

 

 

 

 

 と、常識的に考えれば、いくら何もかもが上手く行かない厄日な本日とはいえ、さすがにこれにて不幸の連鎖も打ち切りになると考えるのが妥当なところだろう。

 いやいや全然妥当でもなんでもないから。すでにオーバーキルを三回くらい食らってるってレベル。

 

 でもね、どうやら神様は私の命を本気で刈りに来てるみたい。

 現段階でさえ、今後の長い人生において「あの日は人生最悪な日の中の一日だったなぁ」と語り継がれること必至の現在の状況をもってしても、まだまだこれだけでは私の不幸の連鎖は終わらせてくれないらしい。

 そう。このN(入部)の悲劇でさえも、私にとっては悲劇の連鎖の幕開け……ならぬ厄明けに過ぎなかったのである。

 

 雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣、そして腐り目のアイツの前で、ヘラヘラと引きつった偽物の笑顔を浮かべながら、ああ、私ってばなんて不幸なお姫様なんだろう……ああ、可哀想なまくらちゃん……! でもでもここまでサガればあとはアガっていくだけだよね、この最低最悪な日さえ乗り切っちゃえば、あとはいいことばかりあるに違いないっ♪

 なんてお花畑なことを思っていられたのは、次の瞬間この薄汚い教室に軽いノック音が響き渡り、次いで開いた扉の音と、甘ったるくあざとい不快な声が耳朶をくすぐるまでの、とてもとても短い間だったのだ……

 

 

「こんにちはでーす♪」

 

 

続く

 

 

 

 

 

オマケ

 

 

差出人:平塚先生

 

題名「出張!千葉県横断お悩みメール!(笑)」

 

本文「雪ノ下さんこんにちは、平塚静です。

まぁつい先ほど鍵を渡す際に職員室で会ったばかりなのですから、こうして改めて挨拶するというのも可笑しなものですね(笑)

 

さて、突然このような不躾なメールを送ってしまい誠に申し訳ございません。メールのタイトルからお察しのところもあるかもしれませんが、このメールは私からの依頼要請ということで判断していただけますよう、宜しくお願いいたします。

 

さて、その依頼についてなのですが、前々から雪ノ下さんに話をしていた鎌倉まくらさんの件についてです。

その鎌倉さんなのですが、本日ついに彼女に入部届けを書かせることに成功しました。多少騙し討ち的な側面もなきにしもあらずですが(笑)

 

そういった事情で、現在彼女はなにも知らずにそちらへ向かっておりますので、以前から雪ノ下さんに話していた彼女の性格等を踏まえ、彼女が決して逃げ出さぬよう上手く誘導してあげてください。

ちなみに共に私までそちらにお伺いしてしまうと彼女に対してのサプライズ効果が薄れてしまう上、勘のよい彼女に察知され、部室に辿り着く前に先に逃げられかねないので、残念ながら私は一緒には行けません(笑)

 

しかし事が事ですし、メールのみでの依頼ではさすがに申し訳が立たないので、鎌倉さんを帰宅させたあとにでも、正式に直接依頼したいと思っております。

つきましては部室の鍵を返却する際にでも、雪ノ下さんと由比ヶ浜さんの二人でお越しいただけましたら幸いです。

雪ノ下さんもご存知のように彼女の趣味趣向は些か刺激的ですので(笑)、くれぐれも比企谷くんには詳細が伝わらないようにしてくださると有難いです。

彼女の目的が比企谷くんに伝わってしまうと、比企谷くんも身動きが取りづらいでしょうしね(笑)

 

ほんの少しだけ長々と文章を書き連ねてしまいましたね(笑)私の悪い癖です(笑)

それでは何卒よろしくお願いいたします。

 

 

 

P.S あ、そうそう。話は変わりますが、実は今週末、お恥ずかしながら友人に婚活パーティーに誘われてしまいましてね。もちろん私としましてはそんなに乗り気という程のこともないのですが、友人がどうしてもということなので(笑)

 

しかし私はこう見えて、あまりそういった華やかな場が得意ではないようで、そのような機会があっても、なぜかいつも蚊帳の外になってしまうことが多いようで…(笑)

なので、そのような場でどのような仕草、どのような言動を取れば男性からの受けがいいのかを、ここで思い切って雪ノ下さんに相談してみ」ピッ

 




ゆきのん「(……な、長い……辛い……)」


というわけで、前話から1ヶ月と経たずに更新する事が出来ました!
(本当は今回で終わらせる予定だったのに、長引くに長引いてしまい、諦めて途中で投稿しちゃったとは口が裂けても言えない)
次回もなんとか1ヶ月以内に更新するぞー!おー!


そんなわけで、まだ誰かは謎のままですが、遂に登場したあざとい後輩メインヒロインな彼女!
まくらの明日はどっちだッ!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お姫様よ、大志を抱け!



スミマセン、結局一ヶ月掛かっちゃいました('・ω・`;)

もうダメかもわからんね(白目)




 

 

 

 一色いろは

 

 言わずと知れた我が校の生徒会長。

 昨年十一月、一年生ながらに生徒会長に就任したこの女。通例では二年が会長になるはずのところを、一年でありながらのこのこと立候補しちゃう辺り、とんだ目立ちたがりの構ってちゃんだと推察される。

 自身の優れた容姿を自覚し、自身が周りからどう評価されているのかも自覚し、それらを十二分に生かして男にちやほやされている、実にムカつく女だ。

 

 それだけ恵まれた青春とやらを送れているにも関わらず、それでも尚こうして注目の的になりたいと……世界の中心で居たいと自ら目立つ場所へとしゃしゃり出てくる、なんと傲慢なクソ女だろうか。まくら的関わりたくないランキングで言えば、リア充いい子ちゃん由比ヶ浜結衣や、醸し出す雰囲気が偽物の私とは相反する存在すぎて、確実にペースを崩されてしまうこと必至な一個上の元生徒会長 城廻めぐり等々数多居る強豪たちを押さえ、実に三位に位置している程きら星のごとき逸材である。

 

 

 ──同学年の雪ノ下雪乃や由比ヶ浜結衣ならまだしも、まさか絶対に関わる事など無いと思っていた下級生とまで、こんな場所で関わってしまうことになるだなんて……っ!

 

 

 にしてもよ、なにゆえコイツがここに来たの……? この女、生徒会長兼サッカー部女マネよね。奉仕部は三人の部活って聞いてたし、つまり一色いろはが部員という可能性はゼロで間違いない。なら生徒会長サマがこんな辺鄙な吐き貯めになんの用事があんの?

 

 ま、まさか依頼人ってやつ? ……いや、こういう女は、もし悩みを抱えてたら、その悩みさえも武器にして男に擦り寄るはずに決まってる。弱ったわたし可哀想でしょ……? 守ってあげたくなるでしょ……? と儚げな潤んだ上目遣いを駆使し、下心丸出しのヤリチン性獣共を意のままに操ってほくそ笑むに決まってる。

 そういった観点から考えると、このクソ部は一色いろはのような存在にとっては不要の極致。なぜなら自身よりも上位に位置する女が二人も居る上、唯一の男がなんのステータスにもアクセサリーにもならない駄馬。こんな所に悩みを相談しにくるわけがないではないか。

 

 ……あ! じゃあもしかしたらあれかも。学園モノのアニメやらラノベでよく目にする、生徒会と学校のお荷物部活の確執ってやつなんじゃね? こんな怪しげな集まりに、いつまでも部費も部室も提供してられるワケないでしょ。一刻も早く廃部にしてやる! ってやつ。やっばい、早くも棚ぼたチャンス到来!

 

 残り一年ちょいの学校生活、三十路に無理矢理ブチ込まれたこの監獄で棒に振る事になるんだろうと諦めかけてはいたけれど、これはもしかしたらチャンスなんじゃないの? その確執を上手いこと煽って廃部に追い込むことが出来れば、合法的に奉仕部から抜け出せるってわけ。あははは、潰れちまえこんな部活!

 絶対に関わりたくない存在かと思っていたけど、これはもしかしたらもしかして、まさかの救いの女神になりうる存在かもしれ──

 

「あれ? お客さんですかー? 珍しいですねー」

 

「珍しいは余計よ。ところで一色さん、今からお茶を淹れるのだけれど、あなたも要るかしら」

 

「あ、頂きまーす」

 

 …………。

 

 野望が一瞬で潰えた瞬間だった。めっちゃ馴染んでやがったよこの一年。

 教室後方にうずたかく積まれた机と椅子の中から、慣れた様子で「んしょっ!」と一脚の椅子をあざとく選び、とてもナチュラルな流れで比企谷と由比ヶ浜結衣の間に席を構えた生徒会長を愕然と見守ること十数秒。なんかもう何もかもが悪い方向へと進みすぎて、なんだか視界がぼんやりと霞み始めてきちゃったよ。

 

 

 そんな霞み目な私の目に飛び込んで来た光景。それはまたもや私の度肝を抜く光景でした。

 比企谷の隣に陣を構えた一色いろはが、ごく自然の仕草でキモ男のブレザーをくいくい引っ張っると、夫婦漫才もかくやという程の、こんな軽妙なコンビネーションを見せ付けてきやがったのだ。

 

「てか今って他にも依頼きてませんでしたっけ。暇がウリの奉仕部で仕事が重なるなんてホント珍しいですよねー。明日って雪の予報とか出てましたっけ先輩」

 

「なんかお前が居着いてから、そのせっかくのウリが鳴りを潜めちゃったんだよ」

 

「なんですかもしかして今口説いてます? 一色が俺の前に現れてから毎日が楽しくて暇を感じる暇もなくなっちまったぜとか言って、常に先輩の隣に居る事を強要してます? 正直ちょっと重いのでごめんなさい」

 

「うわぁ、ウザイ。あれかな? 嫌味が高度過ぎて一色には解りにくかったかな? じゃあはっきり言うけど、ここ来ないで生徒会かサッカー部行け」

 

「はいはい。そーゆーツンデレは間に合ってますんで」

 

「……」

 

 

 ……なにこれ? 仲良しか。なにこの軽妙なやりとり、比企谷ともめちゃくちゃ馴染んでるよ。

 

 ま、まさかあの一色いろはが、なんのステータスにもアクセサリーにも成り得ない……、ともすればマイナスイメージにしか成り得ない陰キャなんかとこんなにも仲良しってどういうこと? マジでこいつらってどういう繋がりがあんの……? 勘弁してよ、もう……

 

 てかいま解ったけどこの女が悪の枢軸か。そりゃこのあざとビッチっぷりに慣らされてれば、比企谷ごときが私の甘ぁい攻撃に耐えられるのにも頷けるわ。……チッ。

 

「あ、そだ。いろはちゃん違くてね? 鎌倉さんは依頼じゃなくって新入部員なんだよ。いま入部決まって挨拶済ませたとこなんだー」

 

 そんな二人のやりとりにあははと苦笑いしていた由比ヶ浜結衣なのだが、ふと思い出したかのように一色の間違いを訂正しはじめる。おいおい、ただでさえこんな女と関わりたくないんだから、余計な真似すんなよこのホルスタイン女。

 

 

 ──しかし私は気付かなかったのだ。由比ヶ浜結衣のこの余計な真似が、私にさらなる……そして最大級の屈辱をもたらす事になろうとは……

 

 

× × ×

 

 

 由比ヶ浜結衣の余計な一言により、一色いろははほへー? と間抜けな声を上げた。実にあざとくて不愉快。マジであざとい女って目に毒、というか心に毒なのね。

 なんかこう、胸がざりざりとヤスリで削られてるみたいに苛立たしい事この上ないのだが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 嫌で嫌で仕方ないけど、残念ながらこの部活に入ってしまった以上は完全にこいつとも関わらざるを得ない状況っぽいし、だとしたらせめてこいつにペースを握られる事態だけは避けなくてはならない。

 ただでさえ雪ノ下雪乃にボロ雑巾のような扱いされてハートがブレイクしかかってんのに、さらに下級生なんぞにまでナメられてたまるかよって話よ。

 

 だから私は自ら進んで一色に声を掛けてやる。お前なんぞより私の方が上なんだと解らせてやるためにも、ここでペースを握るのは私の方なのだ。

 

「わぁ、すっごぉい! まさか生徒会長の一色さんまで登場しちゃうなんて、ウチ超びっくりぃ! 奉仕部って有名人ばっかり集まるんだねぇ! 今まで壇上とかに居る遠くの一色さんしか見たことなかったんだけど、近くで見るとやっぱ可愛い〜! ウチ、可愛い女の子とか大好きだからめっちゃテンション上がっちゃうよぉ!」

 

 と、なんだかついさっき言ったばっかな気がする軽い先制ジャブを一色にもプレゼント。私と同じくデジャブを感じているであろう、しらっとした表情の雪ノ下雪乃と苦笑いの由比ヶ浜結衣なんて気にしない。気にしちゃいけない。

 

 わたし可愛いとか思ってる女にこの手の言葉を投げ掛けると、「ありがとうございます」と答えても「そんなこと無いですよ〜」と答えても、どっちに転んでも嫌味に聞こえちゃうから結構返答に困んのよね。

 ホラ、せいぜい返答に困りなさいよ一年坊主。

 

「あ、どもです」

 

「……」

 

 ……チッ。なんも困っちゃいないしなんの感情も籠もってねーよこの女。なにこいつウザッとか、わたしが可愛いとか当たり前なんですけどー、って顔に書いてある。特大フォントで。

 

「えーと、……鎌倉、先輩? でいいんですかねー」

 

「あ、うん! ウチ、二年A組の鎌倉まくらって言うんだ、よろしくね♪」

 

「あ、よろしくですー」

 

 こうして、なんとも心が籠もっていない挨拶が完了した。なんだろうか、このお互いに仮面を被ったかのような上辺だけのにこやかなやりとり。私からこいつに向ける負の感情は当然の事ながら、この下級生も明らかに私に対して嫌悪感を顕にしている気がする。ああ、これが同族嫌悪ってやつかな。やっぱりまくら的関わりたくないランキングは精度たかいわ。

 そんな、精度が激高なランキング五位以内のうち三人が揃うこの最低な場末で、今後卒業までこいつらと関わっていかなきゃならないかもしれないというこの地獄。神はまくらを見放したのか。

 

「……あれ? 二年の鎌倉先輩……? 鎌倉まくら……鎌倉、まくら……」

 

 これは想像していた以上に今後の学生生活がクソみたいな毎日になるかもしれないなぁ……なんて辟易としていると、THE・作り笑顔だった一色いろはが、不意に顎に人差し指を添えた「わたし考えてます」ポーズをあざとく取ったかと思うと、なぜかぶつぶつと私の名前を連呼しはじめた。

 あっれー? なになにー? もしかして私のこと知ってたの? もしかしてまくらちゃんの名声って、学年の垣根を越えて一年にまで広まっちゃってるのかなー? やだぁ、まくら困っちゃうー! って、そんなわきゃねぇよってね。

 ……はいはい、期待させといてどうせここからまた急降下が待ってんでしょ? 今日は厄日過ぎて滑り台行きは慣れちゃったよ。もう大抵の事なら驚かない自信があるね、今日の私。

 

「……あー、なるほどなるほど。なんでこんなどマイナーな部活に突然入部希望者なんだろーって思ってたんですけど、……うん、あの鎌倉まくら先輩でしたか、なるほどです」

 

 諦めの境地に達した私の予想通り、一色いろははそう呟いてにんまりとほくそ笑む。あのってなんだよ、もう嫌な予感しかしない。

 ……こいつ、ホントに知ってるよ私のこと……私の裏の顔のこと……

 

 なんで? 私って生徒会にまで知れ渡るほどなの……?

 これはいかん。知らん顔して知らぬ存ぜぬでこの会話はさらっと流してしまおう。

 

「あら、一色さんも鎌倉さんの事を知っているの?」

 

「まぁちょっとだけですけどねー。あれ? もって事は雪ノ下先輩も知ってたんですか?」

 

「ええ」

 

 私の寒々しい心境とは対照的に、室内はふわっとした温かい香りに包まれる。どうやら午後のティータイムの準備が整ったようだ。

 ああ、なんと心落ち着く素敵な香りだろうか。ふざけんな落ち着くわけないじゃない。小憎たらしくなるほど美しい立ち姿と所作で部員&一色にお茶をサーブしてゆく雪ノ下雪乃が、一色いろはのセリフに食い付いちゃったのだから。

 

「どうぞ」

 

 まくら的関わりたくない一位or二位と三位の怖いやりとりを戦々恐々と窺っていると、不意に手渡されたひとつの紙コップ。頭痛と動悸が激しい現在の不健康状態をチェックする為に検尿でもしてろってことかな?

 

「は? ……あ。ふぇ? わ、わぁ〜、ウチにも淹れてくれたんだぁ! めっちゃ美味しそぉ」

 

「どうぞ、一色さん」

 

「ありがとうです」

 

 突然手渡された、尿ならぬ紅茶入りの紙コップにびっくりして、思わずひょっこりと素が顔を覗かせてしまった。

 やばいやばいと猫を被ってせっかく紅茶を賛美してあげたのに、ゆきのんたら可愛らしく喋ってるまくらちゃんをガン無視☆

 あ〜、もうマジぶっとばしたい。

 

「それで、なぜ一色さんが彼女のことを知っているのかしら」

 

 ……えぇぇ……まくらちゃんの素敵スマイル無視しといてそこ掘り下げちゃいますぅ……? 私が故意的に一色に触れないようにしてんだから、そこは察しろよ……。あ、この雪女の場合、察した上での行動の公算が大かも。

 そして底意地の悪いクソ女同士通じるトコがあるのだろう。雪ノ下雪乃の質問に、一色いろはは間髪入れず口を開く。

 

「ほら、わたしって超優秀な生徒会長じゃないですかー?」

 

「……だったら生徒会行けよ」

 

「比企谷くん、今一色さんは私と会話しているのよ。少しの間だけでいいから、上唇と下唇を溶接しておいてくれないかしら」

 

「おい、最近の溶接技術は優秀なんだぞ。一度溶接しちゃったら少しの間だけじゃ済まなくなっちゃうからね? せめて外しやすいように仮縫いくらいにしといてもらえませんかね」

 

「縫っちゃうのはいいんだ!?」

 

「で、部活動の予算決めとか、生徒会が権力を行使して実権を握ることが出来る、生徒会にとっては数少ないメインイベント的なトコあるじゃないですかー? なので私、部活動事情にはちょっと精通してるんですよ。各部活のウィークポイントとか押さえとくと、予算会議の時とか超便利ですからねー」

 

「無視かよ。あと黒いし恐えぇよ」

 

「比企谷くん?」

 

「……はい」

 

 ……なんでまたお笑い劇場が始まっちゃってんのよ。夫婦漫才からグループショートコントに変化しちゃってるし。なにこの一体感、腹立つ。それと比企谷なんかに同意するのは癪だけど、この一年生生徒会長、思ってたよりも黒すぎでしょ。

 そして、そんな下らない奉仕部お笑いライブをぐぎぎと憎々しげに観覧する事しか出来ないでいる私の耳に、次の瞬間ついに決定的なとある事実がもたらされるのであった。

 

「そんなわけで、部員が起こした問題行動とか問題生徒とかの話題って、自然と耳に入ってきちゃうんですよねー。主に平塚先生から」

 

 ──またテメェかよ三十路ぃ! 結局、全部あの行き遅れに繋がっちゃうのか……

 

「……え、えー? 一色さんがなんの話してるのかよく分からないんだけどぉ……、問題行動とか問題生徒って、もしかしてウチのことぉ……? ウチってこう見えて結構優良生徒なんだけどぉ。……ちょっとひどくなぁい? ……ウチ、あなたの上級生だよ?」

 

 そして、よせばいいのに満面の笑顔にビキビキッと血管浮かせて即座に反応しちゃう私。煽り耐性ゼロか。わざわざ地雷を踏み抜きに行く不器用な生き方をしている覚えはないんだけど。

 でもでも仕方ないじゃない。絶対関わりたくないと思ってたムカつく一年のクソ女にそんな物言いされちゃったら、いくら太平洋くらい心が広くてマリアナ海溝くらい心が深いさすがの私だって、いい加減我慢の限界ってなものでしょうが。

 イラつき過ぎて、太平洋なんかユーラシア大陸とアメリカ大陸があっという間に大陸移動して消滅しちゃったし、マリアナ海溝なんて埋め立て事業が一瞬で完了してディスティニーリゾートが建設されちゃったわよ。

 

「……」

 

 そんな私の逆鱗に触れた一年生生徒会長サマは私の笑顔の圧に怖じ気づいたのか、一瞬で口をつぐみ静かにすっと俯くと、ぷるぷると肩を揺らしはじめる。

 なぁにぃ? うふ、ちょっぴりお姉さん恐かったかなぁ? けっ、ざまぁ、あんま調子に乗って上級生をナメんじゃないわよっつの。

 

「ぷっ、あはははは! やっばい、鎌倉先輩ってやっぱ超面白いんですねー」

 

「……」

 

 はいはい分かってましたよー。定番ですもんね、肩震わせて笑いを堪えてるのを恐くて悔しくて震えてると勘違いさせといてからの滑り台行きってオチ。

 そしてひとしきりウケて満足した一色いろはは、にやにやと下卑た笑みを浮かべながら私を値踏みするように上から下へと視線を巡らせ、あろうことかフッと鼻で笑いやがった。

 

「やー、なんかぁ、わたし鎌倉先輩とは上手くやっていけそうな気がしちゃいます♪」

 

 そう言って立ち上がった一色は、素敵な笑顔のまま私に向かってとてとてっとあざとく駆け寄ってくる。恐い恐い恐い。

 そしてついに私のもとへと辿り着いた一色は、ニコニコ笑顔で私の耳元に口を寄せ、静かに優しく、そしてナチュラルな声音──つまりめっちゃ低い──で、こしょこしょとこう囁くのだった。

 

「……あれですよね、鎌倉せんぱいっ。どういった経緯で先輩をターゲットに選んだのかは知りませんけどー、どうせここがどんな場所でどんな子が居るか知りもせずに、無謀にも突撃かましちゃったんですよねー? で、いざ来てみたら雪ノ下先輩と結衣先輩という残酷な現実を突き付けられて、涙目で途方に暮れちゃってた、みたいなー?」

 

「っ! ……な、なんのこと言ってるのかなぁ? い、一色さん、なんか勘違いしてなぁい……?」

 

「あはっ、そーゆーのいいんで。わたしもちょっと前まで色んなトコで似たようなことしてたんで、鎌倉先輩の思考とか手に取るように分かるんですよねー。ま、全てにおいて下位互換ですけど。鎌倉先輩が」

 

「……ぐぎっ」

 

「気付いてましたー? 鎌倉先輩、わたしが部室に入ってきた時から顔超真っ青だったし超引きつり笑顔だったし、額とかめっちゃ脂汗まみれになってましたよー?」

 

「……ぐぎぎっ」

 

 ……ぐ、ヤバイ今にも胸ぐら掴んで、その可愛いお顔に唾吐きつけてやりたいっ……! でも正直、怒りよりも先に違う感情に全身を支配されてしまっている私は、身動きなどとれず、引きつった笑顔をなるべく長く持続させる事くらいが関の山。びびび、びびってなんかねーし。

 

 ──こいつ、思ってたより遥かにヤバイ……。見た目と派手な交友関係なノリだけで調子に乗って生徒会長に名乗りを上げただけのバカ女かと思ってたけど、一筋縄ではいかない、とんだ曲者かもしれない。

 

「……言っときますけど、わたしでさえ奉仕部の皆さんの輪に入るのは結構苦労してるんですよ。あのお二人が居るのに先輩を狙うとか尚更ムズいですし。……なので申し訳ないんですけど、鎌倉先輩“程度”だと、ちょぉーっと無理だと思いますよー?」

 

「……グギギギッ……!」

 

 そして一色いろはは私の耳元から一旦口を放し、わざわざ満面の黒い笑顔を私に見せ付けてから、声の音階をもう一段階落としてこう言葉を続けるのだった。

 

「……ここはお三方にとって、そしてわたしにとってもとても大切な場所なんですよ。ですのでぶっちゃけ邪魔なんで、……とっとと尻尾巻いて敗走する事をオススメしちゃいますっ。……あ、でもあの様子から察するに、もしかしたらすでに逃げられない状況に追い込まれてるんですかねー? だとしたら…………ぷっ、御愁傷様death♪」

 

「くはっ」

 

 

 

 ──チクショウ! やはり私はこいつに関わるべきではなかった! てか、やはりまくら的関わりたくないランキングには大人しく従うべきだったのだ!

 今すぐこの素晴らしきクソ女に言ってやりたいよ……。声を大にして言ってやりたいよ……。もう平塚と雪ノ下雪乃に逃げ道を塞がれちゃってんだよ、クソが! ってさぁ!

 

「どうかしたのか一色」

 

「どしたの? いろはちゃん」

 

「一色さん、どうかしたのかしら」

 

 すると、初対面であるはずの上級生といつまでもこそこそ話を続けている後輩を不審に思ったのか、奉仕部の連中が一斉に一色に声を掛けた。だったらもっと早く一色を止めてよお願いだから。

 

「あ、なんでもないですよー。ただ、学年は上とはいえ奉仕部員としてようやく出来た初めての後輩なんで、念入りに挨拶してただけです」

 

「いつから部員になったんだよ……」

 

「あなたを入部させた記憶は無いのだけれど……」

 

「え!? いろはちゃんいつの間ににゅうぶとどけ書いたの!?」

 

「まぁまぁ、堅い事はいいじゃないですかー」

 

 そう言ってきゃるんと比企谷達を躱した一色は、今一度愉しげに私を見やり──

 

「ではでは改めまして、これからヨロシクです、まくら先輩っ」

 

 まるで小悪魔のような……いやさ悪魔のようなニコニコ微笑を浮かべ、親しげなファーストネーム付きの挨拶をぶちかましてくるのであった。

 

 

 ……ハッ、そんなんで勝ち誇ったつもりかよ一色。アハハ、これはとんだ甘ちゃんだこと。

 なに勘違いしてんの? 笑わせるんじゃないわよ。私、お前ごときに全然負けてないし? お姉さんの余裕を見せ付けて、ちょっと様子を見てただけだし? ちょっと後輩ちゃんを泳がせてあげてただけだし?

 

 だから私だって、最っ高に嫌味ったらしい笑顔で言ってやるよ。見せ付けてやるよ。お前なんかに負けてねーからって。まだ本気出してないだけだからって。小娘にお姉さんの余裕をぶちかましてやるよ。

 

「こ、こちらこそよろしくねぇ! ……い、いろはちゃん♪」

 

 

 

 ──こうして始まった、私の新しいお姫様活動。

 とっても優しい仲間達ととっても可愛い後輩に囲まれたこの素敵な部活では、一体どんな依頼やどんな毎日が待っていることでしょうっ?

 

 

 

 

 

 ……が、次の瞬間には部室内にこんこんとノック音が響き渡った。

 おいおい、来客早すぎんでしょ。せっかく人が意識を保つ為に現実逃避し始めたってのに、次の瞬間に客ってどういうことよ。

 マジちょっと勘弁してくれないかしら……。まさかここにきて更なる追加シナリオが発動すんの……? 今日はちょっと神様はしゃぎ過ぎじゃない?

 

 

 ……とはいえ、とはいえよ。もうここまで来れば恐いモンなんかなにもない。今日の私、一体どれだけ酷い目に遭ったと思ってるのよ。

 今までの人生の中でも指折りの災難が、次から次へと怒涛の勢いで押し寄せて来た今日という一日。すでに想像しうる災厄をすべて経験しちゃった今日の私からすれば、今からどんな追加シナリオが襲ってきた所で、そんなのはもうただの劣化焼き増し改悪コピペ。

 ケッ、今さらなにが襲ってこようとも別にどうということもないっつの。もう大抵の事では動じないから、私。

 

 

「くはっ」

 

 

 どうぞ、と、雪ノ下雪乃の入室を促す声と共にガラリと開いた扉。そんな扉の先にいた来客の姿を両まなこでしっかり捉えてしまった私が思わず吐血してしまうのも無理はない。

 

「……失礼しまーす」

 

 そこに立っていたのは、金色(こんじき)のたてがみをみょんみょんとひるがえす一匹の獣……一匹の百獣の女王だったのだから……! 牝なのにたてがみとはこれいかに。

 

「あれ? 優美子どしたー?」

 

「あ、んー。……なんつーの? あんな依頼してる身だし、進捗状況が気になるっつーの……? なんか、今どうなってんのかちょっと気になっちゃって寄ってみた。…………って、……は? 一色はともかく、なんで鎌倉? だっけ? がここ居んの? なに? また違う依頼でも入ったん?」

 

 ……そう。そこにどんと仁王立ち、今にも襲い掛かってきそうなほどの不機嫌さをガンガンに醸し出すは女王、三浦優美子。なにを隠そう、まくら的関わりたくないランキングで雪ノ下雪乃とダントツで一位二位を争う片割れの女。

 一年のとき同クラで、ほぼ話した事も関わった事もないというのに、ただ同じ教室に居るというストレスとプレッシャーだけで、私の生命を毎日脅かしていた獄炎の女王様。

 

 ……オタクがこの世で最も恐れるもの。それは、周りの空気など一切気にもせず、我が道を自由にひた走るウェイウェイなリア充と、そしてご存知DQNなヤンキー。

 そしてこの三浦優美子という女王様は、その両方の要素を最大級レベルで併せ持つ、まさに私の天敵なのである。なんで女子高生なのにそんな見事な金髪と威圧感なのよ……

 

「あ、優美子も鎌倉さん知ってるんだ。鎌倉さんはさっき入ったばっかの新入部員なんだー」

 

「……は? なにそれマジで言ってんの? じゃああーしの依頼、鎌倉にも知られちゃうわけ……? チッ。……鎌倉ってさぁ、確か口が軽くって、クラスの女子の悪い噂とかすぐ仲いい男子とかにチクッてなかったっけ……? ……ねぇ鎌倉ぁ、言っとくけどあーしの依頼内容誰かにチクッたら、…………マジどうなっても知んないし」

 

「……は、はひ」

 

 

 ──その瞬間を持ってして、私はその日の意識を手放したのでした。

 

 

× × ×

 

 

 ぐっちゃぐっちゃぐっちゃ……。ぐっちゃぐっちゃぐっちゃ……

 

 

 あの人生最悪の日に思いを巡らせているぐちゃぐちゃな頭の中では、ぐっちゃぐっちゃと、なんとも不快でなんとも汚らしい音だけが鼓膜を揺すり続けている。

 あれ? この音ってなんの音だったっけ? 荒んだ心象風景の中の淀んだ効果音かなんか?

 

「ちょっとまくら、あんたどんだけ納豆混ぜれば気が済むのよ。もう混ぜすぎて液状化しちゃってんじゃないのー?」

 

「あ」

 

 いけないいけない。つい昨日の放課後に意識持ってかれて意識遠退いちゃってたわ。なにこれ、いつのまにか納豆がめっちゃクリーミーになってんだけど。

 

「どしたの? あんた今日は朝から変よねぇ。あ、昨日帰ってきた時からかー。まぁあんたが変なのは今に始まったことじゃないけど。ホラ、中学の時なんかワカメみたいなもっさい髪振り乱して『美少女仮面ビューティーピロー!』とかなんとか叫んでたもんね。夜な夜な自分の部屋で」

 

「やめてぇぇぇ!」

 

 おい朝からマジやめろ。ホントこのババァ、過去の記憶と共に息の根を止めてやりたい。いっそ殺っちゃおうかしら。

 てか自分の部屋で夜な夜なやってたのになんで知ってんのよ。

 

「ま、あの頃よりは毎日元気で楽しそうだからいいけどねー」

 

「……うるさいよ」

 

 そりゃ、まぁ、ね。あの頃はホント毎日つまんなかったし。日頃のストレス発散で、妄想の中で美少女仮面に変身してムカつく奴らにお仕置きしてたとかマジ黒歴史。

 ……うん、当時はあんま学校のことには触れてこなかったけど、なんだかんだ言ってクララには心配かけてたんだろうな……。ありがとね、お母さん……

 

 

 って違う違う。誰も私の暗くてじめじめしたシリアス過去話なんて求めてないから。クララの突然の母の顔に感化されて、イイハナシダナーしてる場合ではないのである。

 今はネクラマクラとか言われてた陰キャ時代ヒストリーはどうだっていいのよ。

 

 確かにあの頃はあの頃で暗い毎日送ってたけども、今日から送らねばならない毎日は、あの頃とはまた別種の暗黒の毎日となること必至。地獄度合いで言えば、一人で完結出来ていたあの頃とは比べるべくもないほどにヤバイのだ。

 

「……んな事よりさぁ、私今日から、ってか昨日からだけど、また帰り遅くなると思うから宜しく〜……」

 

「そなの? あんたまた新しい部活でも入ったの? あんたってそんなアグレッシブだったっけ?」

 

「……攻撃的なのは部員共と依頼人の方だっつの……」

 

「ん? なんか言ったー?」

 

「……なんでもなーい」

 

「そう? あ、まくらまくら、それはそうとね〜──」

 

 

 

 それからもクララの取り留めのないマシンガントークを軽く聞き流しつつ朝食を摂り終えた私は、現在腐り果てた目を鏡に写してしゃこしゃこと歯磨き中。

 可哀想なほど歪んでしまったプリティーな顔をぼーっと眺めつつ、奉仕部のこと、今後のことを悶々と考えている。

 

 

 正直に認めよう。いま私は、あいつらに負けてしまうことを恐れている。そりゃいくら雪ノ下雪乃や由比ヶ浜結衣、一色いろはだからといったって、この私が負けるわけはない。仮に現状が負けているように見えたとしても、それはまだ私が本気出してないだけだから。本気出せば楽勝。超楽勝。

 

 でもね、さしものこの私でも、あの連中に束で攻めてこられたらひとたまりもないのだ。なぜなら、人の機微を見極めて見下すのが得意技のこの私が見たところ、あの連中は少なからず比企谷に好意を抱いているから。比企谷に好意を抱いている以上は、こっちがどれだけ素知らぬ顔をしていようとも、目障りな私を排除しようと一致団結してくるに違いない。

 

 比企谷への好意が最も分かりやすくてバレバレなのは由比ヶ浜結衣だろう。なにあれ、ご主人様にじゃれつく犬か。

 

 そして雪ノ下雪乃。あの女、確か三学期が始まってから葉山とかいうイケメンリア充と噂になってたはずなのに、あの様子では、結局ただの低次元な連中の下らない噂に過ぎないのだろう。どう見ても、比企谷に対して特別な眼差しを向けていた。

 昨日聞いた三浦のくっだらね〜依頼を奉仕部として請けているのを見ても、雪ノ下雪乃が葉山に好意を抱いている線はゼロだと思われる。

 

 さらには一色いろはだ。あいつも葉山狙いとかって噂が絶えないクソビッチのはずなのに、比企谷に向ける素の表情や私への敵意を見る限り、どう考えても狙いは比企谷だろう。

 

 つかあの比企谷だよ? なんで我が校の有名人共があんな底辺陰キャ? あんなののどこがいいの? 揃いも揃ってバッカじゃねーの? マジウケる。

 

 あとは……三浦、かぁ。

 ま、まぁあいつの襲来は正直ビビってちょっと漏らしそうになっちゃったけども、まぁ三浦優美子は単なる依頼人でしかなく、昨日聞きたくもないのに嫌々聞かされたあのくっだらね〜依頼さえ終われば、もう三浦とは関わらなくても済むはずだからなんとか我慢できる、はず。

 もうちょいでバレンタインが来ちゃうし、なんか次の依頼人もまた三浦な気がしてならないんだけど、それは気のせいに決まってる。

 てか神様、もう十分でしょ? これ以上私を虐めないでください。連続で三浦の恋愛相談とかホント死んじゃうんで。

 

 

 

 ……とにもかくにも、だ。私は、あのふざけた部活でどうやって生き延びてゆけばよいのだろう。退路はがっつり塞がれてるし、ホントマジで下手したら死んじゃいそう。精神的に。

 

 かといって、私の……いやさお姫様の性分として、奴らに屈しないよう目立たず動かず貝になる毎日なんて冗談じゃない。ざっけんな、この私を誰だと思ってんのよ。プリンセスまくらさんだぞ。

 ちょっと可愛くてちょっと有名人だからって調子に乗ってんじゃねぇよ。私がこのまま負けたままでいると思うなよ? いやいや負けてないし。むしろ勝ってるし。

 ……クッソ、なんとしてでもあの女共を見返してやりたい! 私をこんな目に合わせた陰キャ野郎をぎゃふんと言わせてやりたい! なんか、なんか一発逆転できないの……!?

 

 

「……あ」

 

 そうだ。これって考えようによってはまたとない好機なんじゃない? 昨日はあまりの惨たらしい事態に逃げ回ることばっか考えてたけども、一晩時間を置いてよくよく考えたら、当初の狙い通り比企谷を落とせさえすれば、あのまくら的関わりたくないランキング上位者共に吠え面をかかせてやれるじゃん。泣かせてやれるじゃん。

 

「フッ……」

 

 確かに雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結衣、一色いろはと正面きって大立ち回りを演じるのは得策ではない。け、決してあいつらに勝てないとか思ってるわけじゃない。省エネまくらちゃん的に割りに合わないってだけ……!

 でも、裏でこっそりと比企谷を……あんな地味で嫌われ者の陰キャ野郎を落とすのなんて、この美少女プリンセスがちょちょいと本気出せば造作もないことじゃん!

 

 少なくとも私には対比企谷において、奴らにはない取って置きの武器があるのだ。それは、対オタク用に磨き上げてきた仕草行動オタ知識。

 ハッ、この私の目を見くびるなよ? あの三下プリンセス共が。お前らが比企谷相手に素直な好意を示すことが出来ないことくらい、昨日のやり取り見ただけでお見通しなのよ。バッカじゃねーの? なに恥ずかしがってんの? 今どきツンデレなんて流行んねーんだよ、バァーカ!

 

「フハッ……、アハハハハ!」

 

 だからだよ。だからこそだよまくらちゃん。ツンデレ気取って手も心も出せないあいつらを出し抜いて、このナンバーワンお姫様が自身の魅力を総動員してお前らの比企谷を奪ってやる。そしてあの三人に愛想尽かされて一人になった比企谷を無惨に棄ててやる!

 アハハ、ざっまぁ雪ノ下雪乃! ざっまぁ由比ヶ浜結衣! ざっまぁ一色いろは!

 

 

「よっし……!」

 

 目標は決まった。野望も出来た。だから昨日までのしょげた鎌倉まくらはもう居ない。いま鏡に勝ち気な瞳と歪んだ口元を写しているのは、いつもの……いつも通りの絶対王者、オタサーの姫・鎌倉まくら様なのだ!

 

 

 

 ──私はおもむろに右手を右斜め上に真っ直ぐ掲げると、左手は不遜さを表すかのようにがっつり腰に添える。

 そして、クラーク博士よろしく明日という未来に人差し指をぴんっと向け、ここに堂々宣言するのだ。あいつらに……、そして、鏡に写った自分自身へ。

 

 ──お姫様よ、大志を抱け、と。

 

 

 

「プリンセス ビー アンビシャァァス!」

 

 

 つってね。

 

 

 

 

 ……よっし、じゃあまずは放課後に部室行ったら、こないだ廊下で比企谷にパンツ見られた事を全員の前で報告してやろう。

 アハハ、ざっまぁ比企谷ぁ!

 

 

 

 

 

 ちなみにその日の放課後もやっぱり散々痛い目に遭わされ、さらにその日の夕飯時、鏡の前でのこの朝の奇行をクララに弄られてイタい黒歴史が新たに追加されたというのは、また別のお話。

 

 

 

 

 やはり、鎌倉まくらの青春ラブコメは間違いだらけである。

 

 

 

 

 

 

 





お姫様の大志→パンツ見られちゃった報告。アンビシャスちっちゃいな!



というわけで、ひと月ぶりにようやくの更新となりましたがありがとうございました!
まさかのあーしさん乱入と相成りましたが、まぁ勘の良い読者さまなら時期的にこの依頼中のお話だと……そしてまくらの『まくら的関わりたくランキング』一位があーしさんだと気付いていた方もいらっしゃるのではないでしょうか?(^皿^)
いろはすは三位だったのです!でも、やっぱ久し振りにいろはす書いたら楽しくて仕方なかった☆


そしてこれにてこの物語も一旦の幕引き……かな?
もしもまだ続けられそうなら、ここからマラソン大会→バレンタインでまくらの七転八倒血反吐ドバドバとかもアリなんですけども、私の現状的になかなか難しそうです。か、書けないよぅ(吐血)

でもまくらは個人的にかなりお気に入りなオリキャラなんで、この忌々しいスランプを抜けられる日がいつかきたならば、またこのヒドインの雄姿(笑)を書いてみたいなー♪なんて思ってます(^^)


ではでは皆様、またなにかしらでお会いいたしましょうッノシノシ
(なんかまた気楽に書けそうなヤツでも始めたいなぁ…)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

after
事後を迎えたお姫様は、ありのままの自分で逢瀬を謳歌する


一応完結したはずの作品(たった7話だけど)を、なんの恥ずかしげもなく突然2年ぶりに更新しちゃう作者。
普通の作者じゃ恥ずかしくてできない事をやってのける、そこにシビれないあこがれないィィ!


けふん。さて、ご無沙汰しております。てかもう誰も覚えてないだろこんな作品。でも久し振りになんとなくヒドインが書きたくなってしまったので、ついつい2年ぶりに更新しちゃいました。
本当は裏の短編集用にと書きはじめたのですが、あっちはあまりにニッチ向けすぎて(この作品がニッチ向けじゃないとは言ってない)ヒドイン好みなドMさん達(もしくはまくらが痛め付けられる様を楽しむドSさん達)に、まくらの新作が存在する事をあまり周知できないだろうと考え、こちらでの更新とさせていただきました。

てなわけで、相変わらずの内容は無いよう!ではありますが、もしよろしければほんの暇潰しにでもどうぞ(*^^*)




 

 

「比企谷くんっ、お待たせぇ! えへへ」

 

 

 麗らかな春の日差しの中、ほんのりと桜色に頬を染めた私は、おんなじように桜色に染まった頬をにこやかに向けて私を待つ彼のもとへと小走りで駆け寄る。

 その麗しい姿はまさに春色のプリンセス。

 

 そんな素敵なお姫様に向けて彼はこう言うの。愛しのまくら姫のハートに届くようにと、こんな素敵な愛の囁きを──

 

 

「……うわぁ、こいつマジで来やがったよ……」

 

「チッッ!」

 

 

 

 麗らかな春のとある日、桜色に染まる街の片隅に、こうして私鎌倉まくらの壮大なる舌打ちが鳴り響いたのだった。

 

 

× × ×

 

 

『ねぇねぇゆきのん! 今度の日曜お買い物行こうよ! あたしちょっと行きたいとこあんだ~』

 

『ええ、いいわよ』

 

『ほんと? やった! あ、じゃあまくらんも一緒に行く!?』

 

 

 惨めな独神に奉仕部とかいうふざけた部活に放り込まれてから早二ヶ月ほど。

 幾度の死線をどうにか乗り越えて、こうして無事に生き延びられている(てか私、雪ノ下と一色にあれだけ酷い目に合わされ、由比ヶ浜の腹黒いい子ちゃんオーラにあれだけ毒されまくって、よく無事にこうして生き残ってるわよね)か弱い乙女たるこの自分を、甘っ々に甘やかしまくって全力で褒めてあげたい日々を細々と送っていたそんなとある日。

 巨乳ビッチめ、今日も今日とて無駄にでかいおっぱいゆさゆさ揺らしてきゃいきゃい騒いでんなー、今日一色不在で良かったわー、これでアレいたら余計やかましくて仕方ないわー、などと横目でチラ見しながらも全力で聞こえないふりしていたら、思いがけず私をその遊びにお誘いしてきたのだ。まぁ、雪女を誘った際のほんのついで……なんなら一応部活メイトの鎌倉さんも誘いましたけど? っていうアリバイ作りなんだろうけれど。

 

 だから私はいつも通り超可愛い顔を向けて、さも残念そうに言ってやったのだ。

 

『……うっぜ。……ごめぇん! ウチ、その日は用事あるんだぁ!』

 

 と。

 もちろん一言目のうぜぇは小声。超小声。誰にも聞き取れないくらいの、ほんの微かな呟きである。なんか比企谷だけは私をうわぁって見た気がするけれど、気のせいに違いない。

 

 てか、なんで私があんたらときゃいきゃい街に繰り出さなくちゃなんないのよ。

 あれかな? 引き立て役に指名されちゃったのかな?

 三人で街を歩いてたら、そこらの冴えないモブ共が美少女達の容姿をヒソヒソと褒め称えるっていう、俺こんなに可愛いS級美少女を連れ歩いてんだぜぇ? どう? 羨ましいっしょ? 俺すげぇっしょ? っていう、ヒロインを承認欲求を満たす為のアクセサリーとかステータスとしか思ってないキモい童貞作者の願望全開ありがち糞シチュエーションで──

 

「なぁ、あの子たちすげぇレベル高くね!?」「マジだ超可愛い! なにあれ、芸能人!? 俺、黒髪ロングの子が超タイプ!」「俺はあっちのギャルっぽい茶髪の子がめっちゃいいわー! 胸でかいし」「僕は黒髪クールビューティー一択だよ!」「俺は断然お団子の子だわ! 胸でかいし」「俺はこないだ見かけた亜麻色の美少女に心奪われたままだわ~」

 ねぇねぇ私私、私の順番はぁ? 普通そこで「俺断然ツインテの子!」の順番があるでしょうよ。ツインテの出番飛ばして黒髪とおっぱいリピートしちゃってるし。てかそこに居ない小悪魔出てきちゃってるし(白目)

 

 ──っていう一連の流れで私に屈辱与えたかったのかな?

 

 おあいにく様~。私、あんたらなんかと街出歩くほど暇じゃないし。なんなら暇な時間があったら全力で埋め立てちゃうし。

 それに、まぁ? ほんとにそんな糞シチュに立ち会ったのだとしても、実際はまくらちゃんの一人勝ちだし? モブ共の視線独り占めにしちゃって、口を揃えてツインテの子を褒め称えちゃうはずだし?

 だから私は負けてない。圧勝まである。

 

 と、一人勝利を確信(盲信)し、にんまりとほくそ笑んでいた時だった。ビッチが唐突にあいつにも誘いの言葉をかけたのだ。

 

『そっかー……。残念だけど、じゃ、また今度行こうね! ……あ、ヒッキーは? ヒッキーはどする? 一緒に行かない? どうせいつも通り寝てるだけっしょ?』

 

 そのとき私思ったね。なにこのビッチ。私誘ったのは比企谷誘う為の口実じゃん。私は前座か踏み台か? と、ね。やっぱ性格悪いわ、このビッチ。

 

『おい、俺がいつもいつも休日は外出自粛して巣籠もり需要に貢献してると思ったら大間違いだぞ。俺にだってたまには用くらいある』

 

 しかし、由比ヶ浜からのお誘いに返した答えはコレだった。用事ったって、どうせアレがアレして、とかそんなんでしょ?

 まぁ比企谷が休日の誘いに簡単に乗るようなタマじゃない事くらい、不覚にも出逢ってしまってからのこの二ヶ月で分かってはいたけれど、それでもあえて言おう。ビッチざまぁ。

 

『マジで? ヒッキーが日曜にお出掛けなんて、超珍しくない?』

 

『……失礼すぎない?』

 

『で、どこ行くの?』

 

『別にどこだっていいだろ。……おい、どうせアレがアレしてとか言うんだろ、みたいな目で見るんじゃありません。……マジで大した用事じゃねぇから。今度の日曜は待ちに待ったゲームの新作発売日なんだよ。なんか店舗特典みたいなのも貰えるらしいから、せっかくだし久し振りにアキバにでも繰り出そうと思ってるだけだ』

 

 ……ッ!

 

『……あー、そっち系かー……』

 

『なにその残念な人を見るような目』

 

 アキバ系な想い人に若干引きながらも、僅かにがっかり感を隠せない様子の由比ヶ浜の横顔を、にやぁ、と横目で眺める私。

 なにせね、ピンときたのよ、比企谷の目的に。ピンと立ったのよ、キャラ作りの為にわざと立ててるアホ毛が、霊気を感じた鬼太郎ばりに。

 

『あっ、もしかして比企谷くんの目的ってアキバのメイト特典~っ!?』

 

『お、おう』

 

『アレ、超豪華だよねぇ! イラストレーターさん描き下ろしの超美麗B2タペストリーとか、ファンなら絶対ゲットだよねぇ♪』

 

『お、おう……』

 

『やっばい、超奇遇なんですけどぉ! 実はウチの用事もそれなんだぁ! えへ、やっぱウチと比企谷くんって趣味合うかもぉ!』

 

『……お、おう』

 

『じゃあ一緒に買いに行こうよぉ! んでんでぇ、そのあと二人でアキバ巡りとかしちゃったりしてぇ♡』

 

『……は? ちょっと待て、なんで』

 

『はっ!? やばぁい、気付いたらもうこんな時間じゃぁん! ウチ、今日はママに早く帰ってきてねって言われてたんだぁ! じゃ、雪ノ下さん、由比ヶ浜さん、また来週ねぇ! 比企谷くんはぁ、明後日の十時にアキバの改札前だよぉ? 来てくれなかったらずっと待ってるからねぇ、なんちゃって☆』

 

『いやマジちょっと待』

 

 と、雪ノ下と由比ヶ浜がオタク特有の早口トークに割って入ってこられず唖然としているのをいいことに、勝手に話を進めて勝手に約束を取り付けてしまった私。

 こうして私は、世界のお姫様たるこのまくらちゃんをこんな目に合わせた張本人、憎っくき比企谷八幡とデートの待ち合わせをしたのだった。

 

 

× × ×

 

 秋葉原駅の改札、可憐な姿でご到着したお姫様を眺め、ぽかんと固まっている比企谷を見つめ思う。

 

 奉仕部に放り込まれてからというもの、マラソン大会フリペ作成バレンタインプロム卒業式と、様々な地獄を味わわされてきた。主に三浦と雪ノ下と一色に。

 これはもうダメかもわからんね、とか弱気になった日もなくはないけれど、それでも私はまだ諦めたわけではないのだ。

 

 

 ──当初の大目標である、比企谷を落として堕として棄ててやる

 

 

 というあの目標を。

 

 

 私はお姫様だ。芸人のわりに面白い事ひとつ言えず、グルメ王を気取ってあっちこっちで節操なしにグルメ(女)をつまみ食いした挙げ句、一瞬でメッキが剥がれて涙目で逃げ出しちゃうような、だっせぇグルメな王様(笑)とは違うのだ。本物の上流階級は、例えメッキが剥がれたとしても、すぐさまメッキを塗り直してでも誰にも負けてはならない。

 一度お姫様が決めたことは、ちょっと困難だからとすぐに放り出してはならない。放り投げた瞬間、姫としての矜持を自ら棄てることになるのだから。

 てか、私という異分子が奉仕部を引っ掻き回してなかったら、もしかしたら今頃、こいつ雪ノ下か由比ヶ浜辺りとデキてたかも。一色の線は……うん、ないな。ざまぁいろはす。

 だからすでに現時点でも私の勝利とも言えなくもない。やば、負けを知りたい。

 

 

 そんなこんなで、自身のプライドを守るため、毎日地獄を見ながらも密かに狙い続けてきたこのチャンスを逃すまいと、とびっきりのおめかしをしてきた可愛い可愛いまくらちゃんを、今こいつはどんな気持ちで見ているのかしら。

 やばいこいつってこんなに可愛かったっけ? それとも、今日一日鎌倉とアキバデート出来る俺最高?

 うふふ、もう! わざわざ「マジできやがった」なんてわざとらしい悪態吐いて、照れを誤魔化さなくたっていいんだぞ!

 待っててね、比企谷きゅん! 今日、あなたを陥落させてみせるから!

 

 ああ、やっばい、ようやく巡ってきたこの好機を思うと、ついつい口元が弛んでしまう。

 ──あの日、比企谷と本音でぶつかりあった日のあの光景が頭を過り、ついつい感慨に耽ってしまうのも、致し方のないことだろう。

 

 

 

『うっせぇよ! てめぇになにがわかんだよ……ッ! こっちは散々嫌な目にあってきて、頑張って勉強してうちの中学から他に誰も行けない総武になんとか合格できたから、こんなフリフリな格好して努力して可愛く振る舞って、男に媚びてようやく毎日楽しく過ごせるようになったんだよッ……! ……それをボサボサの髪もみっともなく曲がった猫背も直そうともしないで、なんの努力もしてないてめぇなんかにあーだこーだ言われる筋合いなんかねぇよ……ッ! 私の事なんて、ほっときゃいいじゃん!』

 

『別にお前の素行にあーだこーだ言う気もなけりゃ、なんならどうでもいいまである。ただな、なんかお前見てると痛々しいんだよ。なんつうか、お前って下手に高校デビューに成功しちゃった俺を見てるみたいで苛つくんだわ。成功して、浮かれて、調子に乗り過ぎて、別ベクトルに歪んでいってる自分を見てるみたいでな』

 

『……は、はぁ……!?』

 

『だから出来ればその痛々しい姿は俺の視界に入らないところでやってて欲しかったんだが、残念ながら平塚先生に頼まれた仕事だからしゃーない。俺でさえ奉仕部に放り込まれて多少は見てられる程度の痛々しさに変わってきたわけだ。お前だってここで嫌々過ごしてりゃ、今にその痛々しさが少しは和らぐんじゃねぇの? しらんけど』

 

『……チッ』

 

『だから仕事が完了するまでは、仕方ねぇからその痛々しい姿を見ててやる。お前がいくらほっとけって言ったって、お前が奉仕部に居る以上は、仕方ねぇから見ててやるよ』

 

『…………比企、谷』

 

『材木座ポジくらいで』

 

『材木座ッ!?』

 

 

 ──あの日、私は比企谷と本音でぶつかりあった。

 今までずっと誰にも言えずにいた、胸の中の腐ったヘドロを初めて他人にぶち撒ける事が出来たあの日のバレンタインは、鎌倉まくらにとって、とても惨めで……とても下らなくて……とても無様で……、そしてとても大切な日となった。

 あのバレンタインの出来事は、いつかそのうち本編で語れたらいいなぁ、なんて、ウチ思ってるのぉ!

 え? 本編ってなぁにぃ? ウチ、メタとか全然わかんなぁい!

 

 もちろん、この二ヶ月で見てきたこいつのアホでどうしようもないやり方とか、でも意外に優秀で意外に真面目なとことか、ずっと溜まっていた本音をぶちまけさせてくれたとことか、そしてそれでもなお鎌倉まくらを見ててやると言ってくれたこととか、その時の眼差しが、なんだかとても真剣で結構格好よかっ……げふん! ま、まぁ、思ってたよりはずっとマシだったこととか。

 これらの事があったからといって、決して比企谷ごとき相手にキュンとしたりなんかはしていない。していないったらしていない。

 だから、この遠くアキバの空の下、どうにも口元がだらしなく弛んでしまっているのは、今日こいつを堕としたことでの今後の奉仕部連中(悪魔会長含む)の悔しがる顔を想像しちゃってるからに違いない。

 ……絶対、比企谷なんかにキュンとしたりなんかしてないんだから……

 

 で、どういうわけか、あの日あれだけ本性を丸出しにした私は、あれ以降も未だに比企谷に対して姫キャラで接してるっていうね。普通あれだけ素を出してしまったら、それ以降も猫を被り続けるとか正気の沙汰ではないだろう。なんで私、未だにこのキャラのまま比企谷と向き合ってるんだか。

 なんのことはない。たぶん、私と比企谷の間では、このわざとらしい不自然さこそが逆に私たち二人らしくて自然なのだと感じているのだろう。出逢った時のまま。それが、一番自然な姿なのだから。

 なにせ私はお姫様。お姫様としてこいつを堕とすと決意した以上、このお姫様キャラで堕とさなきゃなんの意味もないじゃん、て、ね。

 

 だから私は、今日もまさにお姫様全開、ふりふりレースと濃いピンクリボンたっぷりな、白と薄桃色を基調とした超絶可愛い姫ワンピで、私を見つめて惚けている比企谷をこれでもかと悩殺してやるのだ。スカートの裾をちょいと摘まんだ、麗しのプリンセスポーズで。

 

「えへへ、どうかな、今日のウチ……! 今日が楽しみすぎて、お洒落めっちゃ頑張っちゃったよぉ」

 

 するとね、愛しの彼はこう言うの。

 

「……あー、なんだ……」

 

 可愛すぎる私と目が合ってしまわぬよう、すっと視線を逸らして頬掻いて──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──すげぇ真顔で。

 

 

「……正直、なんの悪い冗談かと思ったんだが。え? マジでそのふざけた格好でこれから買い物する気か? コレと一緒に街歩かなきゃならないとか、むしろ冗談であって欲しいと思ってるまである。よし、とっとと買ってとっとと帰宅しよう! 現地解散でいいよな!」

 

「………………」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 素敵スマイルな姫ポーズのまま、額にビキビキッと血管を浮き上がらせて固まっている私を放置し、とっとと目的地へと歩を進めていくあいつ。

 暫し石化したままのお姫様の瞳に映るのは、次第に遠ざかってゆく憎っくき比企谷の背中のみ。

 

 

「……へッ」

 

 

 ──……はいはい、わかってましたよー。

 こいつが……世界のお姫様まくらちゃんにここまでの決意をさせてしまったこの比企谷八幡が、この程度の誘惑で簡単に堕ちるわけがないってね。誘惑もなにも、リアルに嫌がってるように見える気がしないわけでもないけれど、そんなの思い違いに違いない。

 とにかく、そんなに簡単に堕ちるくらいなら、私と出逢う前、とっくに一色にめろめろにされてるはずだろ、ってね。

 出逢った当初は全然気づかなかったけれど、そんなこと、今の私はとっくに理解している。この世界屈指のめんどくささを誇るこいつをデレさせるのは、生半可な苦労じゃ済まないだろってことくらい。

 

 だからこそだ。だからこそだろ。

 そんな比企谷だからこそ面白いんじゃん。ここから始まる陰キャ虐殺ショーが。

 そう、まくらちゃんの甘く優しい包容で、とろっとろに堕ちていくこいつのサマを楽しむのが。そして、泣きながらすがるこいつを無惨に振ってやるのがさぁ!

 

 

 遠ざかってゆく蹴りたい背中。脳内麻薬の分泌により無事石化状態が解除された私は、そんな飛び蹴り喰らわせたくなる程ムカつく背中に向けて全力で走りだし、……そして──

 

「もぉ、比企谷くんのいじわるぅ!」

 

 ──そして奴の腕に抱き付いてやった。

 

「……おい、くっつくんじゃねぇよ……。いや、ホントやめて? 恥ずかしいんですが。主にお前のふざけた格好で目立つのが」

 

「そんな心にもないこと言ってウチの気を引こうだなんて、ほんとずるいんだからぁ!」

 

 

 だから私は全力で走ったのだ。とっとと先に行ってしまった比企谷に追い付く為に。

 だから私はこいつの腕に腕を絡めたのだ。まくらちゃんの甘さと柔らかさを堪能させて、少しでも私を意識させてやる為に。

 ……いずれやって来る、この素晴らしきクソ野郎との最高に愉快な決別の刻の為に。

 

 

 

 ふはははは! 待ってやがれ比企谷ァ!

 今日一日でまくらの魅力に溺れさせて、憎っくき雪ノ下と由比ヶ浜と一色を泣かせてから、あんたを惨めに棄ててギャン泣きさせて、お姫様の完全勝利でこの戦いに幕を閉じてやるんだからぁ!

 

 ……だから、比企谷の腕に抱き付いた私の口元がだらしなく弛んでしまっているのも、こいつの腕に押し付けた胸がどきどきキュンキュンしているのも、全部全部、お姫様としての崇高なる趣味を楽しんでいる喜びってだけのお話であって、決して、意外と今日のデートを楽しみにしてしまっている私が居る、ってわけなんかではないのである。

 

「えへへ」

 

 

 そう一人嘯いて、私鎌倉まくらは、今日も今日とてターゲットを底なしまくら沼に嵌めてやるべく、最高に可愛く……最強に愛らしく……最低に腹黒く……、愛しの比企谷八幡へと、破壊と破滅のお姫様な魔の手を伸ばすのだった!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おいマジで離れろって、キモい。あとキモい。てかお前香水キツすぎんだろ、本気で気持ち悪くなってきそうなんだけど。なに、お前って実は体臭とかやばいの?」

 

 

 …………ビキビキビキッ!

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ホントご無沙汰しております!てか2年ぶりの更新てなんだよ、って言うね。


前回プロローグ的な全7話で完結させてから、今回かーなり久し振りの更新となりましたが、ご覧の通り、優良作者であれば一番大切にする物語の肝部分であり、不良作者であれば書いてる途中でエタること間違いなしの一番面倒な部分、入部してから主人公の気持ちが少しずつ変化していく数々のイベント達をまるっきりすっ飛ばした、単なるエピローグ的なお話となりました☆
つまりまくらの物語は、プロローグとエピローグしかない作品ということですね(白目)


ではでは、最近すっかり執筆活動シッカツから離れてしまっているのでこの先を書くかどうかはわかりませんが、いつの日かこのアキバデートの続きを書けたらなぁ、なんて思いつつ(すっ飛ばした肝部分を書く気はないのかよ)、ここら辺で失礼させていただきますm(__)m

ではまたいずれどこかでお会い出来る日がございましたら、その時はまたよろしくお願いいたしますっノシ


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 5~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。