モンスターハンター 閃耀の頂 (生姜)
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≪ 狩人の章 ≫
第一話 遠くに在りて




▼参考文献
2004/ハンター大全
 2006/ハンター大全2
 2008/モンスターハンターイラストレーションズ
 2009/ハンター大全G
 2010/ハンター大全3
 2015/ハンター大全4

 参考・引用ページ数、ほぼ全域の為略。
 二次創作の為、出版社及び著者名略。

▼その他文献
 MH二次創作ライトノベルシリーズ
 ネット上で書かれている、先達作者皆様方の小説



 悠久の大地の上を季節風が吹いた。

 地上の砂粒はひしめき合い、海流のようにうねりを持って動き続けている。

 ―― 大砂漠。砂の波が寄せては引く、砂と熱と風の世界。

 そんな、絶えず動き鳴動し続ける世界にあって唯一、砂が止まる地域があった。

 「ロックラック」。広遠な不毛の大地に映える一枚岩の上に立つ、砂漠の交通拠点である。

 街の基盤でもある巨大な一枚岩の阻害もあってか、周辺数キロのみではあるものの、砂の動きが止まるのだ。止まった砂原ならば歩行も可能となる。だからこそ今日もまた、一団。砂の上を大小様々の影が寄り合いながら進んでいた。目的地は、先に立つロックラックである。

 たかが砂粒を人をも殺し得る凶器へと変える太陽が、不毛の地を行く人々にとっては大きく感じられる。圧力を伴う程の熱が、生物の脚を縛り付けている。

 風が止み、砂嵐が収まった。大人に混じって重荷を背負う少年と少女が、この好機に皮製の水筒に口をつける。口を開けて奪われる水分が惜しい。そう考えて湿らす程度に水を含んだ。

 

「――、」

 

 含んだ所で2人と、2人を含むキャラバンの頭上を大きな影が覆った。子供は空を見上げる。

 飛行船だっ。

 童心と物珍しさからか、少年と少女は叫んだ。ロックラックは飛行船の離陸地点ともなっているため、未だ知らぬ飛行船というものを見るのは、旅の目的でもあったのだ。

 頭上を覆っていた影は、過ぎ去って行く。あれは飛行船ではなく気球だと大人達は思ったが、これは子供に与り知らぬ事。只でさえ辛い砂漠越え。子供の気力が多少でも回復したのなら、ここで無為に否定する事も無い。どうせ街に着けば、幾らでも見る事が出来るのだから。

 

「……?」

 

 歩き出そうとした大人を他所に、子供は未だ空を見上げていた。眩しくは無いのだろうか。大人たちが怪訝に思っていると、足元にもう1度影が現れる。

 気球だ。2機目である。

 大人も顔を上げる。確かに気球だ。同じ空域に2機。……だがここは、既にロックラックに近い位置である。離着陸をしていれば、そういう事もよくよくあるだろう。率いる長も、そう考えていた。

 

 砂漠を割って出でる岩峰を見るまでは。

 

「―― ォォォ……―― ンン。……ォォォオオッッ」

 

 咆哮と共に大地が裂ける。2本の牙で天を突き、太く長い体駆がのそりと地上へ這出した。

 その身体は砂に塗れ塵に包まれ。それでいて尚蒼く美しい色をしている。

 動作そのものは緩慢。だが振り上げた牙は、その動作のついでとでも言わんばかりに土塊を軽々と飛ばし ―― 土塊は一団へと向かって落ちて来る。

 激しい衝撃が大地を振るう。落ちたのは、旅団を30メートル程超えた先だった。

 土塊は地に衝突し、砕けた。幸いその破片も隊には被害を与えなかった……が、塊自体大きいのだ。押し潰されたら、と。そもそもあの質量が宙を舞う現象からして既に理解の範疇を超えている。

 そこに至って、やっとのこと思考が追いつく。あの岩峰は生物なのだと。あの巨体は、自分達の遥か遠くに現れたのだと。

 だというに、これだけの威圧感を発しているのだ。子供は腰を抜かし、大人ですら身体どころか指の一本動かせはしない。……だから目の前の脅威から視線も逸らせない。遥か先からの眼光に、魂ごと射竦められていた。

 

「……!」

 

 数瞬の後。唯一、竦む思考を振り払い我を取り戻したキャラバンの長が、ある一点に気付いて後ろを向く。陽炎の幕の向こうにはロックラックが聳え立ち、自分達の隊を挟んだ反対側には、あの生物が居る。

 ……街はこのまま押し潰されるのではないか?

 ロックラックが成り立っている岩盤。これは残るだろう。だがその上に居る人々は、建築物は ―― 街は。あの生物によってひとたまりも無く潰される。そんな悪夢を鮮明に思い描いてしまった。

 頭上をまだ、気球が回遊している。よくよく見れば気球の球皮部分には2頭の龍……「古龍観測隊」の紋章が描かれているのが判る。底部から突き出された望遠鏡は、全て岩峰と見紛う生物へと向けられていた。

 ここまで考えきり、妙に冷静になった自分がいる。観測隊が出ていると言う事は、ギルドにも報告がされている筈だ。だとすれば。

 

 はたして、予感は的中する。

 

 船底が砂の海を滑る。巨大なマストが空を切る。

 生物と自分達と、その間。砂漠の地に1隻の船が躍り出ていた。

 船はロックラックと生物を結ぶ直線上で、その動きをぴたりと停止させた。船の中から3人と……1匹が、姿を現す。

 最も近い位置にいた長の耳が、辛うじて人の声を聞き取った。待ち望んだ人間、脅威と成る生物を狩る「狩人」。

 ―― ハンターの声に違いなかった。

 

「ハァーッ、ハッハッ! 待ち望んでいたぞ、峯山龍! 我が大槌の贄となるが良いっっ!!」

 

 身の丈ほどもある大槌を背負う大男。腰に手をあて胸を張り、豪快に笑っていた。顔すらも鎧で覆っているが、肩と頭上に頂かれた大きな角が目を惹いて止まない。王者の風格をそのままに写し取った、不動の鎧であった。

 

「もう。私達はここまで戦ってくれた皆の代表なのよ? 負けたらロックラックも大惨事なんだから、緊張感を持ってよ。……気持ちは分かるけど」

 

 長い紫髪の映える女。白色の布鎧で口元までを覆っている。全身の稼動部を避けた位置に悉くホルダーがあるが、大男よりは軽装だ。目元だけ、透き通った肌が覗いている。呆れたような声の後、手に持った白い弩弓をガチャリと引いた。

 

「御主人、どうぞ作戦通りに。接近しても、私は撃龍槍と大銅鐸、大砲とバリスタに専念させていただきます」

 

 船上に残ると言ったのは、アイルーだった。自分達の生活にも根付いているその獣人は、しかし、よく知る一般のアイルーとは違っていた。あれだけの威圧感を受けてもおどおどとせず、落ち着き払っている。ポンチョも着ている。

 ……そしてなにより語尾に「ニャ」を付けていない。実に新鮮だった。その丁寧な口調に、人間かとすら思った。

 

「うん。ネコは、それでよし。荷物管理と撃龍槍を任せる。ジブンは近づいたら ―― 」

 

 最後の1人。座り込み、アイルーへと返答しながら大砲の整備をしている人間。

 白を基調とした砂漠では暑苦しい布製の防具と、手足に金属質の銀鎧。頭に被ったフードの後ろから2つ、長い耳にも見える飾りが垂れている。

 その愛らしさが勝ってか。他の2人(と、1匹)に比べれば質量的な威圧感はない。の、だが、しかし。

 ……なんだあれは?

 腰に、背に、胸に、下腕に、上下腿に。至る所に付けられた皮製の袋に、これでもかと道具や武器が入れられ ―― 詰め込まれている。

 見えるだけでもあるものは瓶詰めの液体であり、あるものは短い刀。背には主武器と思われる鉈が2本と短槍が1本。腰には波打つ刃の用途を判断しかねる短剣や、ぴかぴか光る虫籠がぶら下がっている。

 その狩人が立ち上がり、此方へと振り向いた。あらゆる道具を身につけた狩人は、何故か兎の面をしている。面に覆われているせいで顔は見えないが、視線が交わるのが感じられた。

 

「―― 」

 

 仮面の狩人が着火すると、その足元から信号付きのタル爆弾が撃ち上がった。商隊や旅人の間で良く使われるその信号。仮面の狩人が「逃げろ」、と言ったのだ。

 しかし戦いの火蓋を切る権限は、生物の側にある。人知を超える脅威との戦いは、こちらの逃げる間を待たずして始まった。

 狩人達は砂漠を滑る船に備え付けられた極大の弩を雨の如く撃ち、大砲を放つ。運搬を含め、休みなく続けられる作業だ。

 岩峰の龍も撃たれてばかりではない。岩を弾き飛ばし、船を襲おうと試みる。直撃はしないが、破片が当たっただけで太いマストが容易く折れた。

 長は震える隊を何とか立たせ、街の方向へと歩き出した。逃げようという意志があったのは幸いだ。唯一人々が取る事の出来る存命の策が、逃走(これ)であった。

 逃げながらも時折、長と2人の子供だけが振り向く。

 ハンターとはいえ、たかが人間。自分達と同じ生き物のはず。それでもたった3人と1匹で生物の威圧感を受け止め、むしろ笑っていたのだ。 

 暫くして、隊は無事に砂漠の街の入り口へと到達する。それだけで精一杯だったほとんどの隊員は、戦いを見守る街の人々に半ば抱えられる形で運ばれて行った。

 ……見たい。

 それでも考えるより早く、長の脚は動いていた。その後を元気な子供2人が付いて来る。街の見晴らしの良い高台へと昇り、戦いを見届けたい。息を吸っては吐き、岩の階段を昇りきる。高台に登ると、砂漠を覆う砂埃が晴れていた。これならば遠くまでを見渡す事が出来る。

 長と子供達が目を凝らす。未だ遠くに、巨龍と、木製の船が見えた。黒い粒となった3人の狩人も、辛うじて見えている。だが、あの巨龍にとって木製の船など障害には成り得ないだろう。街までの障害物は、狩人達以外には何も無いと言って良い。

 ……だが。よく見てみれば相手にも、無い。

 砂の大地を裂き屹立していた牙は、2本共に折れていた。

 ロックラックの高台。周囲には同じ様に、沢山の見物客が居た。全員が全員、砂埃が晴れ見えてきたこの状況に湧きあがる。生物の咆哮が響くたび、人々からは嬌声と喝采があがって。まるで祭りのようだった。

 我が街の撃龍槍、思い知ったか! と、誰かが叫んだ。どうやらあのハンター達が。引いてはこの街の誰かが作った武器が、あの牙を折ったらしい。

 

「―― オオオオォォォ……オオオオッッ!!!!」

 

 それでも龍は折れた牙を掲げた。広大な砂の海にあって吸い込まれず、水底までを震わす咆哮。弓なりに立ち上がった巨体はそのまま太陽光を遮り、影となってハンターの頭上に振り下ろされる。先行した風圧によって、砂埃が舞い上がった。

 振り下ろされるより早く、砂漠に散開した黒い点があった。押しつぶそうと降った身体を避けた点達(・・)が3つ、これを好機とばかりに駆けて行く。

 龍の身体が大地を震わす。

 2つ、両の前足へと纏わり付いた。

 1つ、腹の下へ潜り込んだ。

 龍は折れてすら脅威と成り得る牙を振り回し、両脚を暴れさせ、時に身体全てを使って押し潰そうとする。

 死闘だった。最も尊ぶべき命を天秤に置いて生死を賭ける、殺し合い。

 巨龍の大質量によって巻き上げられた砂埃が時間を置いて街を襲った。そんな事は関係ない。キャラバンの長は瞼を見開き、砂埃の先を確かと見据える。ハンターと龍の戦いを見逃したくないのだ。その後ろからは、子供達も、食い入るように龍とハンターの姿を見つめている。

 何度目だろうか。龍がその身体を持ち上げ、弓なりに反らせた。押し潰そうとするのかと、視線を凝らす。

 違った。持ち上がった巨躯はそのままねじれ、熱砂へと横ばいに臥した。……動かない。龍は遂に、地に根付く岩峰と相成った。

 爆音が沸きあがる。龍でなく人々の声でも、街や砂漠は震えるのだ。

 幾人かは歓喜のまま、砂漠へ駆けて行く。長は高揚感を抑え付け、駆け出そうとした子供達の肩をつかんだ。あれは目に見えるよりも遥かに遠い位置にある。龍が大き過ぎて、距離感覚が無いだけなのだ。

 ……せめて装備は必要だろう。

 2人を連れ、長は砂漠横断用の荷を置いた詰め所へと急いだ。渡ったばかりの砂漠を戻ってでも、あの巨龍を見てみたかった。打ち倒した狩人達に逢って、礼を言いたかった。

 子供達の方が着替えるのが早い。長も着替えて街の入り口に向かうと、既に龍へと向かう旅団が組まれていた。長と子供はその一団に入り、龍へと向かう事にした。

 

 太陽が砂原の端へと沈む。

 雲一つ無い天頂を彩る星々と、青く耀(かがや)く月。

 照らされた砂漠の夜に、一際大きな炎の灯りが点いた。

 囲む人々に ―― 失われた1つの命。その分まで、幸あれと。

 




・冒頭には、死体を。
 冒頭というには少々後半ですが、転がりました。でっかいヤツが。
 狩り自体が一種のお祭り騒ぎとも成る、生きる宝山。恐ろしさと、活気と、強さ。モンハンの世界を体言できるお相手だと思います。

・因みにこの後、宴会なんぞやっていたせいでジエンモーランの解体が遅れ、半分ほど解体した所でティガレックス筆頭肉食獣軍団が押し寄せ、砂漠は大変な事になります。地獄絵図を収拾すべく、ハンター達が大連続狩猟で地獄の底を見ます。街人は街の門を閉めて撃竜槍だけで反撃します。
 今回はプロローグを綺麗に終わらせる為、ここで切りましたが。
 頑張れ、負けるな、ロックラック。あとハンター達。


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第二話 旧大陸

 

 辺境最大の街、ジォ・ワンドレオ。

 強固で高い外壁と乱立する見張り台に挟まれた、堅牢な作りの港街である。

 「この大陸」の中央やや西に位置するジォ・ワンドレオは、海路と陸路の交点をも担っている。東西を結ぶ重要な交通拠点であった。

 交通拠点には人が集まる。人が集まれば、街は栄える。人々が居る故に事業が生まれ、技術は進歩する。技術の進歩があれば人は集まり ―― という好循環こそが、発展を著しく助長し、この街を作り上げているのである。

 そんな活気に沸く街へ今、「別の大陸」を出立した1人と1匹が足を踏み入れていた。

 2人は市へと向かう人々の間……籠を運ぶ人。荷を背負う人。物を売る人。様々に動き回る群れ……を、誰にぶつかる事もなくするすると抜けて行く。

 

「……ん、ん~……あまたの、ひりゅーをぉ」

 

「ご機嫌ですね、御主人。……その歌を選ぶ辺りが何とも残念ではありますが」

 

「んぬ、確かにご機嫌。でも、新しい大陸ってわくわくしない?」

 

「ですかね」

 

「うん」

 

 旅人としては極めて一般的な布製のマントを纏う仮面の人物と、外套に身を包んだ1匹のアイルー。2人は互いの間に辛うじて届く声量で会話をしながら、街の外縁部を目指していた。

 人の多さと街の活気に混じり、誰に気を向けられる事もない。そも、その周囲には、比較的地味な衣服に纏めた2人などよりも、遥かに目立つ人物が大勢出歩いているのだから。

 

「―― ちょいと失礼」

 

「にゃあ」

 

「どうぞ」

 

 足を止める。その目の前を、大柄な鎧で身を固めた者が、片手で礼をして横切った。緑の鱗と鉱石の色合いが美しい『陸の女王(リオレイア)』の鎧を着た男だ。顔を覆う兜を被っていても男だと判断できるのは、鎧が男性用の意匠をとっているからである。男はがちゃがちゃと鎧を揺らし、武器屋の看板が掲げられた(みせ)ののれんを潜って行った。

 ここで辺りへ視線を巡らすと、所々に……ある者は皮の。またある者は鉱石由来の鎧を身に着けた「狩人」達が居るのが見て取れる。

 

「……やはりハンターが多いですね」

 

「ウン」

 

 ハンター。辺境に生きる狩人達。

 常ならば彼ら彼女らとて、平時から鎧など身につけてはいない。こうしているのには訳がある。仮面の人物は鼻歌を中断し、指をたてて。

 

「装備品は、狩人としての力量を誇示する意味もある。この街は武器も鎧も職人も、優秀だから。双剣の事といい、着想と発想なら、王立武器工匠よりも上だと思う。だからこそ、この街で依頼主に見せびらかす事は十分に意味がある。……つまりは、売り込み」

 

「そこで王立武器工匠を引き合いに出すという事は、この街の者共も変態技術野郎という事ですか? 我が主」

 

「否定はしないし、出来ない。……さっきのヒトも狩りに出る時は、きっと実用的なのを着てくハズ。ハンターとしての力量を示すっていう考え方は、タブン、懐古的だから。理屈としては判るけどね」

 

「……成る程。リオレイアであれば知名度的にもよろしいと言う事ですか」

 

 そういうと、ネコは納得とばかりにひげを梳いた。

 リオレイアは飛竜種の代表格だ。全身を硬い鱗で覆われ、2枚の翼と長い尾を持つ緑の雌竜である。モンスター達を見ずに一生を終える事すらあるという王都の住人であっても、リオレイアの名であれば聞いた事があるだろう。

 

「ん。知らない物を見せびらかしても、意味は無い。……けどそういう意味で、ジブンらは丁度良かった。ここ、初めての地。見せびらかすような相手なんて、いない」

 

 自らも狩人である仮面の人物は、いっそ潔く切り捨てた。負け惜しみではなく、本当にそう思っているのだ。

 お供のアイルーは、こんな主の性分に溜息をつく。

 

「まったく。御主人のその性格は、今回の要請には適していると思いますがね」

 

「うん、うん」

 

 頷く。歩みも止めない。

 中心地 ―― 最も人が混み合う地帯を抜けた。気配と目視で、周囲を探る。

 

「……追跡してくる奴、いないね。行こうか」

 

「ハイ、御主人」

 

 外縁部にある1つの酒場。そこで「待つ」と言う人物へと逢う為に、また、歩き出した。

 

 

 

□■□■□■□

 

 

 

 酒場の扉を開けると同時に乾いたベルが鳴る。閉めて、また鳴る。

 建物の中は明る過ぎない程度の照明で統一され、店内に人は疎ら。楽団はおらず、波音だけがゆっくりと響いていた。

 入った2者へ、店の奥から向けられた視線があった。

 視線の主 ―― 外套を被った人物は左腕を挙げて自らの存在を知らせた後、ぽんぽんと木製の椅子を叩く。言われるまま、仮面の主は椅子に座る。アイルーはその隣に、訝しげな顔をしたまま飛び乗った。

 

「久しぶりだな『被り者』。だが……フフフ。今のお前であれば、仮面者か? 自慢の被り物達は、成る程。取り上げられたのか」

 

「うん。判ってたから、渡航前にロックラックで預けて来た」

 

 外套を深く被っている為、表情は見えない。口元と声から察するに、初老の男であろう。

 仮面の主が座ると、男は機嫌の良い声で店員を呼ぶ。

 

「……ちなみに、仮面も『被る』もの、だよ」

 

「ならば、呼び方を変えなくても良さそうだな。好ましい事だ。……酒が来たか。すまないが、ワタシは先に頼んでいたのでね」

 

 カウンターにグラスが置かれ、酒が注がれる。

 ここまでの仮面の主と男のやり取りを見て、アイルーは怪訝な表情を深めた。

 

「御主人。この御仁は知り合いで?」

 

「ん。仲介の、古株」

 

「はは! それだけではない。類稀なる『奇人』でもあるぞ!!」

 

「……奇人なのは、見れば分かりますにゃあ」

 

 男の外套は血で染めたかの如く赤いのだ。世間一般からみても、悪趣味としか言い様が無い服装である。常ならば誰であろうと敬意をもって接するアイルーも、男に合わせたやり取りをしようと、自然な軽口になる程の珍妙さである。

 仮面の主は、自らの記憶と変わらぬ男を見やり……旧知の友人が変わらぬ事を幾分か嬉しく思いつつも、仮面の内で嘆息する。

 

「忠告。いい加減、ハンターに無茶振りをするのはやめて欲しい」

 

「それがワタシの生きがいだ。邪魔をしてくれるな、貴様よ。……そもそもワタシが用意した渾身の舞台の数々を、悉く演じ切って見せた者の言う台詞なのかね? それは」

 

「出来ない事なら、ジブンだってやらない。出来るから、必要だから、やる。悪い?」

 

「ふふ、悪くは無いさ。だが、ワタシの事を言えた義理か。貴様とて、そのカタコトは変わらぬでは無いか」

 

「……ジブン、言葉に慣れてないだけ」

 

「フフフ! まぁ、それはそれとして。変わらぬ旧友に乾杯するとしよう!」

 

 男は椅子に座ったまま背を逸らして酒を煽る。一息に飲み干し、グラスを置いた。

 

「ところで。グラスの中身、何だったの?」

 

「勿論、ブレスワインだが」

 

 男は事もなさげに言うが、ブレスワインは酒の中でも比較的高価な部類に属する。少なくとも昼間から、それも人を待つ間に飲むほど気軽に口に出来るものではない筈だ。

 そんな豪快な、或いは無駄な出費を厭わぬ男へ、アイルーは呆れの篭った視線を向ける。

 

「……道楽者ですねぇ」

 

「はっは! アイルー君にも奢ろうじゃないか!」

 

「ジブン、ホピ酒。タル杯で」

 

 外套の男へ2杯目の酒を注いでいた女性が動き、慣れた仕草でアイルーの前にグラスを置いて、注ぐ。次いで外套の男のグラスに、残るブレスワインを全て注いだ。

 次にグラス何十杯分もあろうかという木製樽の杯へ、サーバから酒を注ぐ。杯を両手で掴み、カウンターへと運ばれる。仮面の主は、それを片手で受け取った。

 

「ありがと」

 

「ホピ酒をその量で、か。酒の強さは相変わらずだな、仮面の」

 

「おお。これが、ブレスワイン……」

 

 主の横で、アイルーは目の前に置かれた「ブレスワイン」をじっと見つめる。

 ブレスワインはその名の通り、飛竜の息吹の如く、強く蟲惑的な赤味を宿した酒だった。鈍く深く輝いて、口にするのが憚られる。ごくりと、生唾を飲み込んだ。

 

「緊張しているのか、アイルー嬢。確かにブレスワインは酒にしては上等だが、ハンターをやっていれば飲めないものでもないだろう?」

 

「……んーむ。私も主も食べ物はともかく、酒に金をかける生活をしていませんでしたから」

 

「辺境は、食材の値段もまちまち。安いときはとことん安いし、そもそも金銭が流通しているかが怪しい場所も沢山ある。んぐ」

 

 隣では、主が早速と樽杯を大きく傾けていた。アイルーもグラスを持ち上げ、口をつける。……美味しい。とりあえず、美味しいという事だけは判る。酸味のある酒を飲みなれていないアイルーですらそう思うあたり、飲み易さもあるらしい。

 暫く口を付けっぱなしだった仮面の主が、タル杯から口を離す。

 

「―― んぐ、ぷはぁ」

 

「……おいおい。酒精度の強いホピ酒を、一気か?」

 

「だから。強いよ、ジブン。知ってるでしょ」

 

「知っているよ。だがね。酒を楽しむつもりがないのか、貴様は」

 

 やれやれといった仕草で両手を挙げる。外套から僅か覗く口元には、笑みが見えた。

 主は仮面の内側へと手を入れ口周りを拭うと、外套の男を指す。

 

「これがハンター流。……それより、早く、本題」

 

「ふむ。せめてアイルー君が飲み終わるのを待ってあげても良いのでは?」

 

「んにゃっ、ん。主の用事が先です。―― どうぞ」

 

 アイルーは慌てて飲み干し、自らの頭ほどもあるグラスを置いた。

 苦笑いの後、男は外套の袖から一枚の便箋を取り出す。笑みの種類をにやりと変えた。

 

「恋文だ。中にはワタシ直筆の愛の言葉が敷き詰められている」

 

「気持ちが悪い、黙れ」

 

「勿論虚言だが」

 

「……。……持ってきてくれたのには、礼を言う。アリガト」

 

 言葉とは裏腹に、しっかりと受け取る。縫い付けられた蜜蝋と金糸にずれは見られない。確かに未開封のようだ。

 ―― ロン、か。

 差出名だけを確認。仮面の主は便箋の素材が山羊(エルぺ)皮紙であることを意に介せず、腰につけた布鞄へぐいと押し込んだ。高級紙は、無残にも皺だらけと成る。

 

「もう少し丁寧に扱おうとは思わないのか」

 

「どうせ内容は判ってる。読めれば良い。……ネコ、飲めたかな」

 

「は、はい」

 

「ん。美味しかった?」

 

「はい。―― 奇人殿も、美味しい酒を有難うございました」

 

「構わんさ。こちらの大陸に来るにあたって、キミ達狩人は色々と取り上げられただろうからね。お代はワタシが持とう」

 

 何が気に入ったのか、フフフ、と上機嫌に笑いながら、男は仰々しく……華々しく両の掌を掲げた。

 演劇の様に大げさに。華々しく。

 しかし男が元来もつその様子も、すぐに引っ込めて。

 

「……まぁ奢りのその替わりといってはなんだが、アイルー女史よ。ワタシの呼び名を変えてはくれないかね? 奇人殿では、外聞が宜しくないのでな」

 

「……にゃあ。ならば古株殿とお呼びしましょう」

 

「フフフ! 奇人よりは幾分以上にマシだよ、アイルー女史!!」

 

 笑うと、男は自らのグラスへと向き直る。それが合図である。仮面の主は用事は済んだとばかりに席を立つ。アイルーが倣い、その後をついて行く。

 仮面の主が扉へ向かって踏み出そうとした、その時。

 

「―― これは独り言だがね」

 

 主は脚を止める。

 聞こえる独り言に意味は無い、とアイルーは思ったが。口には出さず。

 

「最近、旧家の『姫様』が『被り者』を連れ戻せとウルサイのだよ。貴様が安請け合いした依頼の……ああ、2つだったか」

 

「ん。『古龍の』と、……『魔剣の』」

 

「っ、主!」

 

 慌てて入ったアイルーの言葉に、首を振るう。外套の男を背中越しに指し。

 

「コイツはどうせ、知ってる」

 

「ああ。知ってるともさ。……姫様が力業で押し込んだ依頼は、古龍のか。まぁ実際、あのお高い姫様が未知の龍やらに興味をお示しに成るとは思わないが……フフフ。とにかく貴様を他の面々に使われるのが気に食わなかったらしいな。あれで中々、相応な所もあるではないか」

 

「アイツ、権力があるから質が悪い」

 

 仮面越し、背中越しに外套の男をけん制する。男の、その後ろ盾までをと。

 

「帰るなら、あの傾国姫に伝えて。―― そんなに嫌なら、お前もハンターになれば良い、って」

 

「……それは本当にか?」

 

「ん」

 

「ふぅ、判った。一言一句その通りに伝えよう」

 

 言質を取った主は、出口へ向かって脚を動かし始める。アイルーは外套の男へ一度だけ振り返り、グラスを掲げた男へ一礼してから扉を潜った。

 乾いたベルが鳴る。閉まって、また鳴る。男は数秒空席を見つめ、ブレスワインの入っていたグラスを掲げる。

 

「フフフ……フフハハハ! 狩人達の繁盛は望む所。刻は、確かに進んでいるのだからな!!」

 

 笑い、血の様な赤を飲み干して。

 

 ―― この数日後。

 狩人とアイルーはジォ・ワンドレオを発ち、目的の地へと向かって行った。





 御拝読有難うございます。
 ええと、2話目の雑談(あとがき)のテーマは「モンハン世界の時間軸」についてです。
 モンスターハンターは、原作の中にも時間の流れが存在いたします。例えば、
 MHP2nd・G(ポッケ村
 ↓
 MH(トライ)(モガの村
 ↓
 MH3rd(ユクモ村
 では10年ほどの時間が経過しているとの旨が、スタッフより話された事があるそうです。
 さて。だというのに、本拙作の主人公は(トライ)の新大陸から旧大陸(2nd及び無印、2《ドス》の大陸)へと渡ってきています。
 この辺は……ええと、あれです。
 あくまで3《トライ》のお話は3《トライ》の主人公たる貴方が居てこその話でして。それ以前から大陸も、ハンター達が存在していたのは確かでしょうと思うのです。
 「あれ」だの「それ」だのを退治しなければ、流れ上の問題は無いであろうかと思います。


 さてさて。
 このお話は幕間ですので、他には書く事が特に……いえ。

 赤衣の男さん、無茶振りはやめてくだされば(懇願

 興味は無いかもしれませんが、この場を借りて私自身について。
 モンハンは私自身、とても長く遊んだゲームです。フロンティア以外はプレイ済み、ネット環境を手に入れた暁にはフロンティアGもプレイしようと目論んでいる位です。(ネット環境の構築は私が4年ほど投げっぱなしにしている、悲願であります)
 因みに。
 切欠を(ドス)という比較的難易度の高いものから始めた為か、ディアブロスと40分ほど対峙し、連戦しようがへこたれません。むしろ普通だと思います。ポータブルシリーズに移行した際には、10分台で討伐できる奴等に易々と手に入る道具。私自身の上達もあるとはいえ、狩猟環境も整ったものだなぁ、と感慨深く思ったものです。
 と、同時に。
 こんなにも多くの武器、多くのモンスターがいるのか!
 などと、実に感動した覚えもあります。モンハンの世界は広かったのです。
 あと。
 (ドス)のオフラインプレイがストーリー的に大目だった事に原因を擦り付けますが、私のプレイは専らソロでした(キリンさんには、金稼ぎ的な意味で大層お世話になりましたクチで)。
 ……はい。つまり、ぼっちです。塔のアイツを倒し、そのまま(ドス)のエンディングまで見る事は出来ましたけどね。2ndGも、3rdも、3Gも、一通り倒した後に友人と共にやる事はあれど、まずはソロで全てのクエスト(鬼畜を含む)を制覇してやろうとやり込みました。良い思い出です。今でも、思い出した様にプレイします。
 主人公がどんな風にモンスター達と戦うのか。どんな事を考えるのか。どんな武器を使うのか。
 私のぼっち思考は、そういった部分に大きく反映される(されてしまう)かと思います。

 では、では。


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第三話 皮と鱗と金

 

 ジォ・ワンドレオを東へ。

 海を隔てた大陸の中心近く、今尚鳴動を続ける活火山の南にある岬に近い密林。

 川沿いに在るその森に停泊した船が、夜の雨に濡れていた。

 船からは陸へ向かって足場が掛けられており、その上を、2つの影が降りて来る。

 雨粒を弾く油脂ののった合羽を揺らし、身の丈の2倍はあろうかという鞄を背負う影。影は周囲に警戒すべき生物がいないことを最終確認すると、湿った地面へと脚を着ける。

 影 ―― 身体をすっぽりと覆うポンチョの様な衣類と体毛を纏った二足歩行の生物は、小さく船へ手旗の合図を送る。

 すると、他方。もう一つの影は、船から顔を出したかと思うと……しかし。手に持った紙を広げて幾度目とも知れぬ溜息を吐き出しながら、書かれている文章を読み上げた。

 

「―― 御主人?」

 

『……となる。キミには目撃証言の多いフラヒヤ山脈へと向かってもらいたい。人員は現地で勧誘しても構わない。勿論、急ぎの依頼ではない。期間に関してはキミに任せよう。調査の片手間で構わない。結果として長期間の任となっても問題はないが、しかし、必ずやらなければならない課題でもある。

 こうして書いておきながらなんだが、この様なお願いはキミにしかできないのだ。無理難題であるのは承知している。

 だが、アーサー無き今、ハンターを兼任できる実力のあるキミの価値は書士隊においても非常に大きい。その点を理解してもらいたい。

 ギルド派閥の兼ね合いから備品も武器も遥か東の地で調達してもらう事になる。それがキミ達ハンターにとって、どれだけの大事なのか理解してはいるつもりだ。

 だからこそ怠惰なキミとキミの甲斐甲斐しきお供のため、帰った暁には地位と待遇を約束しよう。書士隊の権限はその前渡だと思ってくれ。

 書士隊も、各機関との連携を含めて要請に応じる。尽力を厭わない事を、ギュスターヴ・ロンの名において約束しよう。

 

 最後に。

 キミが無事に帰ってきたならば酒の摘みに、世界に広がってゆくハンターとモンスターの土産話を聞かせて欲しい。

 こちらで極上の酒を用意する。キミには美味しい食事の調達をお願いしたい。勿論経費は、喜んで私が持とう。

 引き篭もりな私は記録に記す事よりも、それらをこそ楽しみにしながら、今日も書類仕事をこなすだろう。

 我が親愛なる顔貌知らぬ君。ハンターにして二等書記官たる貴方の無事を、切に願いつつ。

 王立古生物書士隊長:ギュスターヴ・ロン 』

 

「―― だって」

 

「嗚呼、にゃんと。にゃんとも身勝手な物言いです、あのロンめが!」

 

「落ち着いて、ネコ」

 

 大きな他方は、雨に濡れた紙を一思いに破き、憤慨する小さな影……獣人の従者を宥めようと、小さな体躯のその喉を撫でた。

 

「ゴロゴロ……じゃあないですっ!? 良い様に使われているのですよっ、御主人っ!?」

 

「いいの。ジブン、気にしないよ。あとね。むやみやたらにロンを侮蔑しないの」

 

 憤慨する相方に向け、自らを「ジブン」と称する人物は、顔を覆う傘と布の内から細い声を響かせた。

 落ち着き払い、それでいて感情の見えない声だが、彼の人物を主人にして師と仰ぐアイルーにとっては聞き慣れたもの。それでも文句のひとつは言いたくなるのであろう。身を震わせ、毛を逆立てながら声を荒げた。

 

「でもですな。素材の値段から概算して、小国家であれば宝となっていてもおかしくはない程の我々の武器装備を取り上げておいて、見返りには船をたったの1隻です! その上で出された命令が辺境の最奥まで旅立て、ですよ? 王国の古生物書士隊も堕ちたものですニャア! そもそも我々は、地位も待遇も望んでなどいないでしょうっ!!」

 

「書士隊は昔からこんなモン。それにここも、ジブンの故郷ほど辺境じゃあないし。……それよりまずは、開拓したての村への航海を急ぐ。そこからまた北へ歩かなきゃいけないんだし。食料を積んで、出る」

 

「はぁ……ふむ。了解です、我が主」

 

 これにて仕切り直し。

 ひとしきりの憤慨をし終えた頃合いをみて、2者は揃って腰へ手を伸ばし、短刀を抜いた。

 その場で腰を折ると、雨中の密林の暗さの中で生い茂った植物を掻き分け、しかし着実に目的としている物を刈り取っていく。

 

「うん。あった、ニトロダケ」

 

「サシミウオ焼きには飽きたのですよ、御主人?」

 

「大丈夫。トウガラシを調達するから。……あとは、オイルレーズンの樹。……ふっ」

 

 腰を上げ、無造作に見える動作で狩人が放った石は、樹の上部へと吸い込まれていく。

 葉をかき分けた音が響いた後、幾つかの木の実が落ちてきた。

 

「流石は御主人、見事な投石です。私が回収して参ります」

 

「よろしく」

 

 アイルーが木の実を回収しに走るも、主となる被り物の人物はあくまでマイペース。しゃがんだ辺りをごそごそと漁り、そのまま、食用となるものを見極める作業にかかる。

 

「……この岬を回った先が長い。チーズ類はワンドレオで入れてきたけど、栄養的には穀物が欲しい。……麦の類や挽いた粉を売って貰おうかな? でも。となれば、こちらも対価が必要。……うん、決まり」

 

 適当に調理用として使用できる食材を手に取り、ぽいぽいと背にある籠へと投げ込んでいく。色とりどりの食材で背の籠を半分ほど埋めると、両手で紐を掴み、思考が纏まった頃合で立ち上がった。

 

「ネコ。居るかな?」

 

「ここに」

 

「……保存の利く加工食品と、パンや粉類。果実か、代替になる野菜が欲しい」

 

「成る程。ならば、我らの得意分野と行きましょう」

 

 主人の足元へと走り寄ったアイルーは、以心伝心の答えでもって応じる。

 右手掌の肉球を胸元に寄せ、普段は着けている鈴を弄ろうとして……今は装備をしていない事に気付いた。取り繕おうと矢継ぎ早に。

 

「―― ニャフン。ならば船へと戻り装備品を持ち出しますか、御主人」

 

「あれじゃあ防御力が足りないけどね」

 

「レザー装備でも、無いよりマシでしょうから」

 

「ん」

 

 船へと向かって、密林を駆け戻る。

 数分かけて船に着くとそれぞれの籠を下ろし、手早に冷蔵室へと投げ込んで、装いを整え始めた。

 一着の装備品 ―― 大陸共通の品であるため、ギルド間の移動においても唯一持参を許されている物 ―― を、脚装備から順に取り出していく。

 

「御主人、対象は?」

 

「ギルドや現地の人を通してないから、飛竜サイズの大型は駄目。中型が限度。あとは小型かつ、村人達が欲しがるくらいには馴染みのある素材。ついでにジブンらが知っているモンスターが相手なら、ある程度の行動予測が出来る、カモ」

 

「加えて狩場が密林であれば……決まりです。間違いなく『居る』でしょう」

 

「うん。竜盤目・鳥脚亜目・走竜下目・ランポス科。

 

 ―― ランポス 」

 

 

□■□■□■□

 

 

 皮を基調とした鎧「レザーシリーズ」を纏い、1人と1匹は、早速夜の密林へと繰り出した。

 王都の工匠達が大量生産した「レザーシリーズ」。主な素材をなめした皮で作られるそれら一式は本来、新米ハンターのためにと動き安さを重視した品である。頭や正中といった急所にのみ金属が使われているのも、可動性を重視した結果だった。

 更に動きやすさを重視した結果の思わぬ恩得として、素材の収拾作業が捗るといった効果もあるのだが ―― しかし。

 人間である1人は、頭に被るものだけがレザー装備ではない。木材を削って作られた、出来の悪い仮面で顔を覆い隠していた。

 

「……噛み合わせが悪い。視界も悪い」

 

「仕様が無いでしょう。それはジォ・ワンドレオで押し付けられたただの民芸品を、部族の物に寄せて作り直しただけの、粗悪品なのですから。……御主人のそのこだわりは、何とかなりませんでしょうか?」

 

「ムリ。部族の形(ポリシー)だから、これはまだ、譲れない。少なくとも……しきたりの題目を果たすまでは、ね」

 

「……まぁ我が主の事ですし、戦闘になれば問題は無いのでしょう……けれど得意の道具もなく、武器がコレではね。心配したくもなるというものです」

 

 4脚で走りながら、諦念を含めた視線で、アイルーは主の腰辺りを見やった。

 鉄製の飾り気の無い片刃の剣、『ハンターナイフ』。ナイフというには刃が大きく、1メートル程。この剣は片手剣と呼ばれる武器種別に属する、ハンターならば誰しもが一度は握ると言われ……謂れに違いなく、軽くて使いまわしの良い武器である。

 だが。その使いまわしの良さゆえ、大量生産品ゆえ、殺傷力も刃零れの頻度も並以下である。お供の心労を溜める原因はそこにあった。

 

「我が狩りの師にして、我が主。……未開の地で、武器は最弱。ギルド契約が無い以上、アイルー部隊の迎えなどありませぬ。目的がランポスといえど、大型モンスターの出現する可能性もあります。ゆめゆめ油断はなさらぬ様」

 

「モチロン。……ネコ。アオキノコ、ある?」

 

「はい、只今」

 

 アイルーは腰のポーチから青い茸を素早く取り出し、ふわりと投げた。

 それを極々自然に受け取ると、仮面の狩人は、走りながらも器用に手元ですりつぶし始める。

 

「……薬草ままでも良いし、これで傷を塞げる訳でもないけどね。気付にはなるから。せめて、効率を重視したい」

 

「回復薬のストックですか」

 

「ウン。油断はしない」

 

 緑の葉と十分に混ぜ合わせると河で汲んだ水を注いで喉の通りを良くし、瓶詰め。

 

「はい完成。これは、ネコが持ってて」

 

 そう言って瓶を差し出す人物に、「ネコ」と呼ばれている生物は、アイルーと呼ばれる種の獣である。しかし獣だとは言え、人語を解し人と交流するこの獣は、他の種族と比べて友好的かつ知能が高い傾向にある。

 それでも目の前で主がして見せたような「調合」などは、その体の小ささ故に専用の器具が無ければ不可能だ。だからこそ主が調合し、アイルーへと渡した。主の心遣いに、素直な感謝を述べる。

 

「有難うございます、我が師 ―― 我が友よ」

 

「良い、気にしない」

 

 言葉の通り、見るものが見れば無関心としか思えない。だが確かに気持ちの篭った声で、ハンターは返答した。

 

「……、あ」

 

 そのまま回復薬を2つほど仕上げた所で、先を走る狩人の脚が止まった。

 無数に生えた樹の陰に身を隠し、顔だけを覗かせて悪天候の密林に目を凝らす。

 ぽつりと。本当に、雨音に紛れる程度に、ぽつり。

 

「―― 居た」

 

 狩人の目は、雨に濡れる目標を捉えていた。

 2メートルにもなる全高。身体一面に青い鱗を光らせ、二脚で密林を跳ねる生物……ランポスである。

 前足と鋭い爪を揺らし、時折思い出したかのように跳ねる。大陸全域に生息するランポス。その見慣れた動作は、異国の地に着いた2名に、僅かな安堵さえ感じさせた。

 勿論、見慣れていたとしても油断はしない。樹の幹に隠れ、しばらく動向を観察する。見られている事には気付かず、ランポスはうろうろと駆け回っている。

 体の前に突き出された頭に赤いトサカを立て、ぎょろりとした眼を光らせる。その様子から、辺りを警戒しているのだろうという考えに到る。

 

「御主人、行きますか?」

 

「まだ。あれは多分、巡回役か見張り役。夜だから……とは言わないけど。ボスが寝ているの、かも?」

 

「絶好のチャンスですね。ならば……あえて見付かりましょう」

 

「お願い、ネコ」

 

「引き受けました」

 

 アイルーは自らの身なりと心を整えると、自らの胸元に付けられた鈴へ金属製の球体を入れる。最後に腰に手を沿え、自らの背に合わせて拵えられた短刀の存在を確かめて、駆け出した。

 四脚で地を蹴るたびに鈴の音が鳴り、

 

「―― ! ギャァン、ギャアンッ!!」

 

「お相手願います、ニャッ!」

 

 透き通るような音が敵対者の目と、耳を惹く。ランポスが敵の接近に気付く。

 その行動目的は以前見た事があるため、判る。斥候としての役目を果たそうと体を起こして頭とクチバシを空へ向け、甲高い鳴き声でもって鳴く。敵の接近を仲間に知らせているのだ。

 アイルー……『ネコ』は作戦の開始を見計らって小太刀を抜き、斬りかかった。

 

「ハッ、ン、ニャッ!!」

 

 ネコは鳥竜の牙と爪を掻い潜り、流れの折に飛び上がりながら武器を振るう。切り付ける度切り結ぶ度、纏った外套がランポスの血飛沫に染まってゆく。

 幾度目になろうか。ランポスの身体を斬り付け、着地した後。ネコの耳は、沢山の生物が走り来る足音を聞き捉えた。地に脚を着けながら頭を高くし、頭上の三角耳をぴくぴくと動かす。

 

(足音は2つずつ。体重は軽い。ランポスの別動隊……増援が来たようですね)

 

 高台にある穴の中を通って来たのだろう。青い鱗と爪を揺らすランポスの群れが、着実にネコらの下へと近づいている、無数の足音である。

 遠くに聞こえていた足音は次第に大きくなり、今にも姿を現すか。ネコは目の前に立つ個体を相手取りつつ、増援の到着を ―― 赤いトサカがぬっと出て。

 その、瞬間を。

 

「―― みぃつけた」

 

 出現経路を予測し高台の更に上に立っていた(・・・・・・・・・・・・)ハンターが、跳躍。

 雨粒と共にするりと、ランポスの細首目掛け、両手で構えたハンターナイフを振り下ろす。

 この獲物の切れ味では、骨は断てない。直撃を避ける。

 貫き皮を裂く感触。内頚の動脈、神経の一部ごと喉笛を掻っ切った。まずは1匹、鳴き声をあげる事無く地に伏せる。

 

「次」

 

 ポツリと独り言のように呟き、剣を地面から抜き去ると、同じ動線上に向けて振り上げた。留まること無く次の標的へと。冷徹でいて無駄の無いその動作こそ、この人物がレザー装備に木製の仮面という奇怪な外見とは裏腹に、熟達した狩人であるという事実を語る。

 跳躍の余韻でしゃがんでいたのを活かし、脛を水平に切りつけた。ランポスは飛び退く。狩人はランポスの飛び退いた動線を素早くなぞり、飛び切りからの連激を繰り出す。大上段でもって肩口から切りつけると、2匹目も力尽きた。

 付近に居た警戒隊が集まったのであろう。ランポスの小隊は、通常一組4~6匹程度である。

 ……とりあえずこの小隊は、残す事2匹。

 ランポスの残り数を頭の中で数えながらも、狩人は止まらない。群れの統率者であるボス個体が居ない以上、この混乱の隙を縫うのは有効である。

 そう考え、再び武器を構える ―― が。

 

「ギャアアッ!!」

 

 奥に居た1匹が、闘争本能のままにハンターへと飛び掛っていた。

 人間を凌駕する脚力。目の前にいる別個体を軽々と飛び越え、鋭い爪と牙を武器に仮面の狩人へと迫る。

 

「ふっ」

 

 だが、到達よりも回避動作が速い。視界の端にその様子を捉えていたハンターは、経験則からあえて前へと飛び転がった。

 対峙していたランポスの足元をも転がり、2匹の攻撃範囲から抜け出す事に成功する。

 こうなれば後は、先ほどの再現。後ろを取るや否や体勢を立て直し、斬りつける。

 

「―― らッ!」

 

 ハンターが扱う体術の中でも比較的主流な流派に則り、体全体を使って放たれた巻き打ちが、吸い込まれる様にランポスの頭部を直撃する。側頭部を深く斬り裂かれ、倒れた。

 最後の1匹、先程狩人に向かって飛び掛った個体は未だ反転の最中にあった。頭部がこちらを向いた瞬間を、楯で打ち据える。

 安物の楯が軋む。が、ひとまず壊れる事は無い。

 身体の回転に任せ、左逆手に持ったハンターナイフを鱗のない首元へ突き立てる。突き立てた後剣の柄を拳で殴打し、深くまで刺し込むと共に頭部を岸壁へと叩きつけた。最後に動かなくなったのを確認してから、獲物を引き抜く。

 

「……これで一区切り、かな?」

 

 目と耳と鼻と、第6感。周囲の安全を確認してから、一息。武器に付着した血を払って拭い、鞘へと納めた。

 そして納めた所で丁度良く、鈴の音が近づいてくる。駆け寄るとすぐさま、息も荒いまま二つ脚で立ち上がり、仮面に覆われた友の顔を窺う様に声をかける。

 

「―― 御主人、御無事で」

 

「ん。ネコも、だいじょぶ?」

 

「所詮はランポス、造作ないことです。……では、剥ぎ取りを」

 

「そうだね。よい、しょ」

 

 狩人もネコの無事を確認すると、腰に着けていたナイフを取り出して、ランポスの青い鱗に覆われた身体を切り裂いていく。

 狩猟の際に繰り出された攻撃で刻まれた体躯の比較的傷ついていない部分だけを、それぞれの個体から剥ぎ取る。残りを自然へ返すのは、ハンターとしての礼儀と自己満足。それと「傷ついてしまっていては加工に耐えない」という最もらしい理由からである。

 

「鱗が4片、皮が4片、牙が1組」

 

「ワタシは鱗が2つです。合計3目6品ですか。これからの航海や出来合いの加工品も欲しい点を考えると、まだまだ欲しい所ですね」

 

 仮面の人物は挙げた品々を地面へと並べながら、鑑定を始めている。

 手は止めず、ネコの言葉に同意をしながら、戦利品についての思惑を纏めるべく口を開く。

 

「ランポスに限らず鳥竜種の素材はその生息域の広さ故、安いけれども価値が変動し難い。鱗も皮も牙も、人々の生活に根付いて活用されてるから。……大陸上どこにおいても価値が変わらないというのは、とても大きい」

 

「成る程。貴金属に勝るとも劣らぬ『価値の普遍性』、ですか」

 

「ジブンらの生活に、ランポスはなくてはならない。けど金にしては相場が安いから、ネコの言う通りに素材の数が必要だけど」

 

 元も子もない台詞で会話を締め、確認を終えた戦利品を自らのバッグへと収納する。

 

「……そうだった」

 

 踏み出そうとした足を止め、後ろを振り向く。

 所々が傷ついた、自らが傷つけたランポス。その屍骸へ向けて顔を伏せ、数秒。

 これがこの大陸についてから、初めての狩猟であった。狩りの巷に、再び、自分達は降り立ったのだ。

 そうして再び顔を上げた時、狩人達の思考は、既に次なる獲物へと向けられていた。

 

「―― 行く。次へ」

 

「ええ、御主人」

 

 鋭い眼光。雨の強くなり出した密林を、その奥にある闇を、闇中にいるであろう獲物達を見据える。

 ―― 手に持つ無骨な鉄の剣。懐かしい柄の感触を握り締めていると、ハンターになったあの日が思い起こされるようだ。

 行こう。

 モンスターハンターは、再び木々の間へと消えていく。

 密林に降り続く雫は大きく、強い。流れる水の勢いと相まって辺りを洗い流し、この戦闘を人知れぬものとするだろう。

 

 ……ただし。

 それは狩られる側が「これだけ」であったのならば、の話しだ。

 

 

■□■□■□■

 

 

 南エルデ地方にかかっていた雨雲は一晩で過ぎ去り、空は端まで晴れ渡る。

 北に活火山 ―― ラディオ活火山を頂く半島。その南端にある1つの村が、沸いていた。

 昼間から酒を酌み交わす人、篝火を囲んで踊る人、ひたすら食べる人。現れ方は様々だが、その表情はいずれも喜色に満ち溢れている。

 

「……こりゃあ、どうしたんだ?」

 

 旅路に村を訪れていた行商人が、椅子に座る村人へと尋ねた。

 辺境にある、言ってしまえば辺鄙な村だ。祭りや祝い事でもなければ、ここまで盛り上がるものだろうか。そう疑問に思っての質問だった。

 村人はああ、と笑って旅人へと返答する。

 

「これは今朝方の話。……この辺りの山岳に巣食っていたランポスの群れを、1人と1匹のハンターさんがとっちめてくれたのさ。ここらじゃ最近、家畜が襲われていてね。こんなへんぴな所にハンターを呼ぶには金も時間もかかるし、最も近い火の国はハンターが離れられない危険地。……などと困っていた所に救世主が現れて、この騒ぎって訳さ!」

 

 男が持つ木製の杯には酒が喜びとが交じり合い、なみなみと注がれているのであろう。行商の男は成る程と思った。

 行商として大陸中を渡り歩く男自身も、ランポスだけでなくイーオスやゲネポス、ギアノスといった小型走竜の群れに襲われた経験がある。自らの体長ほどもある小型肉食竜の群れ。その脅威は身に染みて実感している。

 あの時も、護衛のハンターが居なければどうなっていたか。自然の贄となっているであろうという光景は、容易に想像がつく。

 赤い血をたれ流して血溜まりに沈む自分を、ランポスの群れが貪る。そんな光景を思い描き、ぶるりと身を震わせた。

 表情が芳しくないこちらを気遣ってか。目の前の男は陽気に酒盃を揺らし、話題を良い方向へと転がす。

 

「その上ハンターさんは、有難い事に、現物支給でランポスの素材を交換してくれてね。おかげで農耕だけが取り得のこの村は、朝っぱらから大騒ぎ。村の娘衆なんて、日の出と共に早速と、皮をなめし出してるときた!」

 

 娘衆がとなると、皮の量と……質も良いのだろう。その通りがかりのハンターは狩猟だけでなく、採取も剥ぎ取りも、中々の腕を持っていると言う事になる。

 

「―― しかし、ランポスの群れかい。どのくらいの規模だったい?」

 

 村の陽気にあてられてか、怖いもの見たさか。男はふと抱いた興味をそのまま口にした。

 ランポス。正式名称を色々と略され、鳥竜種と呼ばれる種類に属するらしいが……その様な呼び方をするのは王都に住む学者様方くらいのもの。

 男が知っているのは、群れで狩りをすると言うこと。肉食であること。1つの群れは、多くとも ――

 

「んー。一際大きなヤツを含めて、100頭分はあったかな」

 

「……100頭!? それは、一晩でかっ!?」

 

「あ、ああ。少なくとも昨日の日中にハンターさんは居なかったし、一晩と言ってたから、多分な。……どうしたよ、大きな声で?」

 

 村人が軽く言い放った言葉に、行商の男は驚愕する。

 100頭。通常ランポスの群れは通常、ボス1匹につき、隠れている個体を掻き集めても50頭程度だと聞いている。それ以上となると、幾つかの群れが集合している場合か。

 それらを鑑みるに、この村周辺に潜んで居た群れは2つ以上。だのに一晩でそれらを討伐し、おまけにボス個体まで仕留めたと言う。

 ……どのような腕と装備。どのような心を持ったハンターであれば、その様な芸当が成し得るのであろうか? 少なくとも新人や経験者程度のハンターではない。ドンドルマやミナガルデといった屈強なハンターが集まる街で無ければ、探すのも容易ではない筈だ。

 それだけの幸運に見舞われたというのに、この村人は判っていない。

 いや、もしくは。寧ろ、行商である自分よりも実感はしているのかも知れない。モンスターの群れという、先の見えない、只ひたすらに大きな脅威を取り除いてくれたという一面をこそ考えれば。

 

「……いや、なんでもない。ならばこの村には今、私らの商品は不要かな?」

 

「待ってくれよ行商さん。……んんっ、ぷはぁ!!」

 

 男は赤らんだ顔を輝かせ、活気に溢れた動きで一気に酒盃を仰いだ。そのままの勢いで辺りを見回し、

 

「あんたは見かけた覚えがない。新顔の行商さんだろ? コレも何かの縁だ。これからは我が村自慢の食料品も扱ってくれないかい。今日は酒を奢るぞ! ……おおーい! 次の酒だ! 客人にもなぁ!!」

 

「はぁい! もう、呑みすぎて倒れないでよ、父さん?」

 

「今呑まんで、何時呑むんだ!? はっはっは!!」

 

 男は辺りを周っていた若い娘から酒と杯を受け取り、差し出す。

 行商も受け取った杯と内に注がれた透き通る酒を視て、一息でのみ干した。

 

「おお! 良い呑みっぷりだ!」

 

「良い酒です。……そうだな。私は、火山周辺の村々を回っている行商一団の者でね。これからはこの村も贔屓にさせてもらおうか」

 

「それが良い、それが良い! ほら、呑め呑めいっ!!」

 

 人々の喧騒を飲み込みながら、炊かれた火から煙が昇っていく。

 煙はいつか薄れ ―― 空へと消えた。

 

 

 

 ―― 煙が消えた空の下、大海の上。

 

 大きく帆布を張った船の上で大の字に寝転ぶハンターが、1人と1匹。

 その姿には昨夜、山一帯を覆うほどの気を纏ってランポスの群れを切り伏せた……その面影など微塵も無い。元々表情の読めない仮面でもある。

 

「きっと、村が反撃しないから周りに集まってたんだと思う。……はぁ。貫徹で群れを2つ半と、引き寄せてしまったドスランポスを2頭。ボスを1頭撃退に留めて群れも半分残したから、生態系は問題なく立て直せるでしょ……と、思う、けど。やり過ぎた。疲れた。もう立てない。無理」

 

 小隊毎に区分けして捜索を行う、ランポスの特性を逆手に取った。わざと見付かってから山の中を駆け回り、分断しながら各個撃破したのだ。むしろ、武器の切れ味を保つ為にはそうせざるを得なかった面もある。駆け回ったせいで、周囲に居るランポス達をも集めてしまった。

 その後の事は、事後承諾ではあるのだが村人達と顔を合わせた際、近場のハンターズギルドに話を通すよう伝えてあるから何とかなるだろう。例え残したランポス達が、復讐という人間染みた真似に出てくる事があったとしても、北にある火の国のハンター達は、激戦区たるラティオ活火山という狩猟環境を耐え抜く程の精鋭ぞろいである。今の装備の自分達が相手どれる程度のランポスの群れは、言ってしまえば朝飯前に違いない。

 船にかけられた布製の日除けの下。ネコも潮薫る風に髭を揺らしながら昨晩の戦いを反芻する。

 ……思い出すだけで億劫だった。疲れがぬけない身体に力を入れ、起きる。

 

「ですが、早めに手を入れないと貰った食材が痛みますよ。御主人」

 

「……王都の工房製・氷結晶氷蔵の素晴らしい働きに、期待」

 

「……。……にゃあ。それもそうですね。ならば、交代で舵を見ましょう。先をどうぞ」

 

「ごめん、ありがと。……お願い、……ネコ……」

 

 やり取りの後、しばらく。被り物の中から寝息が聞こえ始めた。

 アイルーは主の寝姿を一頻り眺めてから跳ねる様に起き上がり、水平線ときらめく波へと視線を移して、海図を広げる。太陽の位置と時刻から方角を見定め、帆と風向きを確認し、微調整を行う。

 勢い良く風を受けた帆が、海上にある船をまっすぐ東へと推し進めてゆく。

 

「―― 目指すはまず、東。今まさに開拓作業中の……『ジャンボ村』です、にゃあ」

 

「ぐぅ」

 

 






 一気に弱体化した主人公らの戦闘でした。
 因みに。私はこういった主人公を書くのが好きなので、主人公は強い存在ではありますが、(私的には勿論と言って良し)真の意味での最強ではまったくもってありませんです。
 しかも大陸を探せば、この程度のハンターはザラにいます。そのため、いつかは死肉となって自然に還るのやも知れません。乞うご期待(ぉぃ

 ランポスについて。やはりこのお方でしょうと。
 作中で「一組4~6匹」と言っているのは、ゲームでの最大出現数を意識したねつ造設定ですので悪しからず。
 あとは、100頭殺そうとも、少なくとも「暫く」は生態系も村も大丈夫であろうと愚考しております。恐らくは、大型の肉食モンスターも寄っては来ないでしょう。来るのは死肉食獣くらいかと。
 だって、ランポス、肉の部位少なそうですし!
 骨と皮の死体がゴロゴロ転がっていようが、アプトノスだのの方が生殖率も質量も良いと思います。食べるのなら、そちらを選ぶかと。
 ……です。ので。

■ランポスが減る
 ↓
 草食獣が増える
 ↓
 リオレイア<ぐおー

 の相変異的な流れはありえるかと思います(ええ
 サイクルに時間がかかるので、途中で流れを断ってしまえば大丈夫だと思うのです。そこはギルドに任せましょう。
 では、では。
 今回の更新は終了です。暫くは、少なくとも書き溜めている分については順調に更新出来るかと思うのですが……どうぞ、宜しくお願いされていただければ。


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第四話 ジャンボ村

 

 大陸の主となる街・ドンドルマから遥かに南東へと向かった先。狩人達が目的とする村は、「この大陸」の南端に近い位置にあった。

 遺跡と緑とが共生しモンスターの闊歩する密林が愛すべき隣人であるその村は、世間において『ジャンボ村』と呼ばれる地だ。

 ジャンボ村は周辺に生息する多種多様な生物と、交流を密とするための船の停泊を可能とする河合の港。中継拠点の立地としては申し分ない、好条件におかれた村。

 だが、名が知られていなかった。交流の拠となるに十分な素質を有していながら、足りないものが存在するからだ。主にそれは、開拓したてである事に由来する。

 整ってはいるが閑散とした村。

 活気が。何より、人が足りていなかった。

 

「はっ、はっ! ……はぅっ!」

 

 そんな村の中を、息を切らし。

 少女は裸足のまま地面を蹴る。時折転びそうになりながらも、前へと脚を動かす。未だ整備の成されていない地から所々に石が飛び出して少女の日に焼けた足を傷つけるが、意に介さず。

 向かう先には船が停泊している。高々と掲げられたマストを目指して、少女は走っていた。

 

「……っ、お願い、通して……!」

 

 港に物珍しさから集まった人々。その人垣の足元を、身体の小ささを生かしてするりと抜けて行く。

 抜けた先。仮面を着けた(恐らく)人間が、地に座っていた。隣には小型の獣人「アイルー」も見えているが、少女は一目散に被り物を被った人物へと駆け寄り、懇願する。

 

「―― ハンターさん! あたしの依頼、受けて頂戴!!」

 

 そのハンターがジャンボ村に到着し、たった2名での必死の航海を無事に終え、5日ぶりに地に脚を着けてから……実に30秒。

 少女の依頼は、百戦錬磨のハンターの心を打ちのめした。

 

 

■□■□■□■

 

 

「ゴ、ゴメンなさい、ハンターさん」

 

「気にしない。それじゃあ、キミが村一番の依頼。どうする? 村長さん」

 

「うん。村の子が困っているなら、村長としても放ってはおけない。オイラが正式にクエストとして依頼するよ!」

 

「おお。それじゃあ、この大陸に来てから始めてのクエスト。腕が鳴る」

 

「御主人、気合入ってますね」

 

 一先ず休息し、その夜。村の一角に据えられたハンターハウスの中。

 中央付近にある机に、木製のお面と皮の鎧を身に着けた人物と、赤の衣類で身体を覆うアイルー。対面に竜人族の若者と村の少女という、彩り豊かな面々が腰掛けていた。

 少女の依頼は、ギルドでの分類において『採取クエスト』と呼ばれるものに当たる。

 依頼の内容も単純明快で、「落陽草」と呼ばれる草を一定量採取してくる事。それらを一週間後に村を訪れる予定である調薬師へと納品し、疲労に倒れた母親の薬の材料にしたい、というのが事の流れである。

 ただし、少女の母親は重病や難病な訳ではない。必要とされている「落陽草」は、他の素材と調合することで滋養強壮の効果を発揮する。村の開拓に忙しい中にあるため、少女の両親は疲労尽くめであるとの事だった。

 ……子供に気を使わせてしまったという点は、この村の長である竜人族の若者にしてみれば見過ごせない事態である。竜人族の若者は責任を取るべく依頼を受諾し、対策を練る必要がある、と手元の紙束に予定を追記した。

 

「あ、あのぅ。それで……」

 

「いいよ。キミの依頼、ジブンがしっかり受け負った。どうせジブンの目的、期間とか制限がないから」

 

 任せてくれと胸と叩くと、仮面がカタカタと音をたてて揺れた。

 その様子に笑みを浮かべつつ、村長は無煙のままでパイプを揺らし、椅子の上に胡坐をかいた膝を叩きながら。

 

「ヒシュ、キミが請け負うのはいいさ。オイラも村長として賛成だし、ありがたいよ。……だが落陽草が纏まって生えている地域に向かうとなると、フィールド……テロスの密林辺りだ。正式にギルドを通した依頼にしなくちゃあいけないぜ? オイラが近くのギルド支部に依頼を出して受理されるまで、沢山の時間がかかってしまう」

 

 村長の言葉。しかし、仮面の頭上に疑問符が浮かぶ。首を傾げる。

 

「……ヒシュ? ……ヒシュ……?」

 

「主殿……主殿っ。あれです、書士官について回っていた頃の、最初の、奇面の王の」

 

「ああ、ジブンの事。ゴメン。その名、呼ばれるの久しぶりだから」

 

「我が主。せめて、よく使っているもの程度は覚えていて下さいと……何度進言した事か。はぁ」

 

 ヒシュと言うのは仮面の狩人を指す偽名の1つであるらしい。

 ネコの溜息をまぁそれはともかくと受け流し、村長が続ける。

 

「それで、時間がかかってしまうという話に戻すけど。……優先順位というものがあるだろう? この村の男衆の為に酒場と看板娘は不可欠だが、悪いけど、鳥便やアイルー便は整備中だったのさ。なにせ使う狩人が居なかったからなぁ」

 

 そう、申し訳なさそうに鼻を掻き。

 仮面の人物とネコを指差して。

 

「……陸路なら、ドンドルマ支部の置いてあるポッケ辺りまで行かなきゃあならない。行きは陸路で、帰りは……落陽草は比較的軽いから荷物の運搬を鳥便に任せるとする。合わせて1週、って所かな。キミに気球があったならば、半週もかからず済むだろうがね。けどそれじゃあ、どちらにせよ調薬師のいる日に間に合わないだろ? なにしろ薬師は、日が明ける頃には帰ってしまう予定なんでね」

 

 竜人の村長は、諦めたのではない。知己たる仮面の狩人へ相談をしているのだ。

 仮面の中で思考を巡らせている……かのような間をおいて。ぽんと手をうつ。

 

「仕方が無い。今回はジブンが、現地処理する」

 

「……ん? もしかして、もう『出来る』のかい?」

 

「うん。ジブン、ギルドマネージャー資格を引き継ぎしたから、下位クエストの受注権限がある。狩猟ならともかく、採取クエストの書類に判子を押して受注するだけ。規定上も問題はない。……証拠、これ」

 

 ドンドルマとミナガルデ。いずれも『この大陸』でのハンター生活をサポートする「ハンターズギルド」の最大手が存在する街。その両方で通じるハンターカードを机に置くと、視線が集まる。

 うす青いランポス皮のカードだ。ハンターの登録名や登録番号が記されているが、肝心の名前欄には覚えの無い記号が並んでいる。留め金で、王立古生物書士隊の紋章も挟まれており、カードの裏面にはギルドマネージャーとしての権限と番号が記されていた。

 

「こりゃあ助かる! 流石はヒシュだっ!!」

 

「ふふん、そうでしょう。我が主は……ニャ、ニャ!? そ、村長、身長差がぁあッ!?」

 

 村長が、思わずネコの両手を取って上下に揺する。同時にネコの体が大きく上下した。

 その間抜けな光景を見ていた少女は、恐らくは大丈夫なのだろうという事を理解する。安堵の笑みを見せた。

 

「……よかったぁ」

 

 少女の笑みを見て、周囲の2人と1匹の顔も綻ぶ。

 

「―― よし」

 

 のも、束の間。仮面の狩人は立ち上がり、船から降ろしたばかりの積荷から大袋を持ち出した。ネコのお供は荷物をまとめようと、忙しなく走り出す。

 

「それじゃあ、テロスの密林に。雨合羽と、着替え下着一着」

 

「御主人、アイテムは如何致しましょう」

 

「必要最低限。どうせ装備品も選べるほど無いし、持ち帰るべきものも少ない……ハズ。それと。倒すべき相手……は、採取だから。今回は無理なら逃げる」

 

「……え、え?」

 

 狩人はおろおろする少女の前を通り過ぎると、壁にかけていた片手剣『ボーンククリ』を手に取り、刀身を確認。見終えると後ろ腰に差し、作業を防具の確認へと移す。

 

「船でしょうか。海路では4日はかかりますが?」

 

「陸路。途中に長い街路があるし、村も点在してる。乗り継ぎで急げば、フィールドの端には3日半で着く筈だから。フィールド端は戦い辛いけど、大型が相手じゃなければ問題ない。それに、纏まった量じゃなくても、あわよくば道中の落陽草を回収できる。……村長。使えるアプトノス、いる?」

 

「ああ、それくらいは用意してあるさ。居るよ。村を出た脇に繋いである。引き車もあるからさ、使ってくれ」

 

 仮面がこくりと頷く。

 ハンターハウスの端っこで、ネコは荷物を漁り、道具を出し入れしながら。

 

「御主人。物入りですし、街から遠隔で出されている納品払いの採取クエストをいくつか受けておきましょう」

 

「うん。アプトノスの上で気球とやり取りして探す。……村長は? 他に欲しいものとか、ある? ない?」

 

「うーん……そうだなぁ。1人、村に来て欲しい鍛冶師が居るんだ。彼女に東の鉱石の質を見せてあげたい。マカライト辺りが良いのかなぁ」

 

「……鍛冶師。腕利き?」

 

「そうさ。彼女の腕なら、ドンドルマの工房すら目じゃないね」

 

「そう。それなら多分、鉄鉱石で良いと思う」

 

「にゃぁ。私も主に賛成です、村長。腕の良い職人ならば、無難な素材ほど判断基準とし易いでしょう」

 

「おおっ、そうか? なら、オイラからの依頼だ。鉄鉱石を……3つくらい、お願いできるかい。納品払いで書類を作っておくよ」

 

「了解。……うん。アプトノスだけで行くけど、3つくらいならなんてことない」

 

 大型の生物を狩猟するのであれば、運搬も必要になる。本来であればそういった点を援助するのがハンターズギルドの役割なのだが、迅速に動きたい時には手続きが面倒だった。

 最後に剥ぎ取り用の小刀を鞄に放り入れ、口紐を結んで。

 

「これで良し」

 

「私の方も整いました。引き車の修理用具も追加しておきましたので」

 

「うん、アリガト」

 

「残りは調達しながら行きましょう、我が主」

 

「……なぁ。至急の用件なのは判っちゃいるが、もう行くのか?」

 

 村長がやれやれといった仕草で尋ねた。本日明朝にこの村へ着いたばかりなのに、もう行くのか。先程まであれだけ疲弊していたではないか、と。

 その一方で、理解も出来ている。ハンターとはそういう者達であると。

 狩人は扉の前まで進んでから振り返り、村長の特徴である高い鼻を指差して告げた。

 

「うん。もう、行く。……その間に村長、せめてアイルー便くらいは整備しておくべき」

 

「ああ、判った」

 

 返答を受け、ハウスの扉を開け放つ。失礼、とその脇を通って、ネコが一足先に外へと飛び出した。村長が苦笑を滲ませながら。

 

「言い訳だけど、君達の到着が思ったより早かったんだ。整備は8割がた終わっているよ。直ぐに追ってテロス密林まで向かわせれば、君達の帰り分くらいには間に合うだろう」

 

「ん、そう。……なら、時間には余裕が持てる。採取物も増やしておく」

 

 伝えるべき事、確認するべき事は確認した。狩人は少女へと、仮面の内から視線を向ける。視線に色味は感じられない。けれど決して、冷たくは無い眼。

 

「行って、来る。帰ってきたら貴女がこの村を、案内してくれる?」

 

「う、うん」

 

 突然の申し出に、少女は何とか頷く。後は良い。それだけを見届けて、ハンターは外へと歩き出た。

 

「えっ、あっ……」

 

「見送り、行くかい?」

 

 村長が、少女の背をぽんと叩きながら促した。またも何とか頷いた少女は外に出て、村の東にある入口へと向かう。歩幅が違うため、走る少女の後を村長が早歩きで着いて行く。

 村の入口には、そう時間もかからず到着した。入口といっても、人々が毎日農作業に出て行く結果踏み固められた、固い路があるだけ。ここはまだ、小さな村なのだった。

 入口で辺りを見回すと、村の端……篝火の横に立っている狩人達が見えた。どうやら先に出たネコが、アプトノスに車を付けていたらしい。付けたばかりの車には、既に小さめの荷物が幾つか積み込まれている。

 狩人が背負っていた大きな袋が1つ、どさりと積まれる。それが最後の荷なのだろう。狩人は仮面を右手で抑えながら、アプトノスの背に軽々と登った。

 一歩、踏み出そうとした時。

 

「……おおい! ヒシューッ! 頼んだぞ!」

 

 今にも進み始めようかという頃合で、村長が大声をあげていた。仮面とネコとがこちらを振り向く。

 言って村長は、少女へ向けて片目を瞑る。どうやら好機を作ってくれたらしい。

 

「ほら」

 

「……あ、……あ」

 

 口から。言葉が出そうで、出ない。迷う。

 それでも言いたい。だからこそ振り絞る。

 

「―― お願いします、頑張って下さい! ネコさんと、仮面のハンターさん!!」

 

 アプトノスの巨体が、声援に押されて動き出す。狩人もネコも、片手を挙げて振った。夜の闇に覆われ、狩人の鞘に刺さった剣……その鈍い輝きが見えなくなるまでを、暫らく呆然と見送った。

 

「さぁ戻ろう。君の父親も、そろそろ外から戻ってくるハズさ。それまではオイラとパティが一緒に居よう」

 

「……はい」

 

 少女は村長に促され、2人で村の酒場へと戻って行く。

 

 因みに。驚いていたのも一因だが、少女が声援を迷ったのはそれ相応の理由がある。

 「お兄ちゃん」と呼ぶべきか「お姉ちゃん」と呼ぶべきか。はたまた、齢に相応しい敬称をつけるべきなのか。

 狩人とアイルー両方の性別年齢共に、外見からは判断しかねたからであった。

 

 

 

 太陽が昇り、一面の緑海が照らし出される。

 狩人達がジャンボ村を出立してから初めての夜が明けていた。

 

 アプトノスの背に乗る仮面の狩人は空を見上げ、手に灯りを持った。視線の先に浮かぶ気球に向けて、灯りをちかちかと点滅させる。

 気球が明滅を返すと、脚に紙束を巻かれた鳥が降りて来る。仮面の狩人は鳥を腕にとまらせると、灯りの替わりに紙束を手に取った。

 筆を持つ。視線をZ字に走らせ、目に付くものに丸を書き込み終えると、再度鳥の脚に括りつける。鳥は1度傾いだ後、気球へと飛び戻って行った。

 それら定期の業務を終わらせた頃合を見て、ネコが主へと話しかける。

 

「良さそうな依頼はありましたか、御主人」

 

「ん。空輸……鳥便で運べる軽いものなら……やっぱり特産キノコとか、黒真珠とか。マカライト辺りも対費用は良い。重量制限は、あるだろうけど」

 

 アプトノスの手綱を握り直して、狩人は視線を戻す。先には、大陸を行き来する商隊などがよく使う街道が続いている。整備が成されている為、大柄のアプトノスでも歩き易い。とはいえそれでも、他の道に比べればの話ではあるのだが。

 仮面の狩人は疎ましい太陽の光を遮ってくれる木々の深さをありがたく思いつつ、あくびをして、腰掛けるアプトノスの背を撫でる。

 

「ふわあ。……鳥盤目・鎚尾亜目・地竜下目・トノス科 ―― アプトノス。お願いね」

 

「ブォォ、ン」

 

「……ふわぁ」

 

「…………ふむ。御主人、そろそろ交替の時間です。手綱を代わりましょう」

 

「頼んでもいい?」

 

「勿論」

 

 狩人は背を伝って寝床へと移動し、ネコが首上へと入れ替わる。

 木製の椅子の上に座布団を敷いただけの寝所に腰掛け、仮面の内で目を閉じた。……目の底が痛い。開けても痛いし閉じても痛い。半開きにしても、変わらず。

 

「やっぱり疲れてる。落陽草、ジブンが欲しいくらい」

 

「その時は私も御相伴に預からせていただければ」

 

「うん。……次の村、昼には着く筈。運搬用のアプトノスを一頭貰って、このアプトノスにオマケをつけて交換。荷を積んで、次の中継になる村へ出発するから。……ランポス素材、沢山持ってて良かった」

 

「細々とした交渉を省いて即断即決を促すには、良い材料です」

 

「その後は……。……えと。……行き当たりばったり?」

 

「……流石の主もお疲れのようですね。先の事は任せて、休息を」

 

 少し先へと考えを向けてみたが、疲労の大きさを実感しただけだった。寄りかかる背を倒し意識を閉じる、その前に。

 

「……ランポスが来たら一に警鈴、二に威嚇。宜しく、ネコ」

 

「承りましょう」

 

 ネコが手綱を鳴らすと、アプトノスのノシノシとした歩みの歩調が早まる。

 ゆっくりと地を踏む調子が心地良い。意識も段々と沈んで行った。

 

 

□■□■□■□

 

 

 村を渡り継いで3日程。日没の後、狩人とネコは密林のフィールド端に当たる崖上に到着していた。

 仮面の狩人はアプトノスを近場に括りつけ、崖の端に近づく。手で庇を作り、壮大な光景を見渡した。

 夜は雨の降る密林。眼下に広がる水と森の混じりあった光景。流れ落ちる大瀑布と湖と、頭上では、水鳥の群れが飛び交っている。これが太陽の下であれば、滝には虹が架かっていたに違いない。

 

「海岸沿いではないとはいえ、植生はギルドの管轄フィールドに近似しています。おそらくは、落陽草も十分な量で生えているでしょう。広さも及第点かと。夜の内に着くことが出来ましたので、落陽草は花開いている筈です。どうします?」

 

「ん。まずはキャンプを張る」

 

「了解です」

 

 崖下に組み立ての骨と布を張った簡易キャンプは、狩人とネコの手際によりものの数分で出来上がった。最後に火を起こしたネコが、キャンプの内に居る主人の下へ駆け寄る。

 

「ご主人、火の確保も完了しました」

 

「……それじゃあ、行く」

 

 言って、主は布の内から簡素な布鞄を2つ取り出した。1つは背負い、もう1つを腰につける。ネコも背に鞄を背負った所で、外套の内に小太刀を差した。主も『ハンターナイフ』と『ボーンククリ』を左右の腰に着けてから、外へと踏み出す。増えた『ボーンククリ』は、ジャンボ村のハンターハウスに備品として備え付けられていたもの。先端に重量をかけた「叩き切る」手合いの骨剣だった。狩人自身の以前の獲物が鉈である事を考えれば、此方の方が幾分か扱い易いであろうという算段である。

 歩き出した主の後を、ネコが着いて駆ける。

 

「鉱石の採取や食料の調達は後回し。まず、落陽草を刈る。夜の内にしか刈れないから」

 

「了解です」

 

 鞘に収めた多機能ナイフを弄りながら、密林へと降りる道を歩き出す。

 5分ほど歩いた先で、樹が生える間隔が狭まり始めた。森が密度を増してゆく。ネコが2足で立ち上がり、耳と鼻を動かして辺りを探る。

 

「ふんふん……東側を探ると良さそうです。落陽草特有の匂いも、雨で流れて判り辛いですね。私は外を担当しますので、主は木々の深い方をお願いします」

 

「うん。さっさと済ませて、鳥便で運んでもらおう」

 

 頷くと同時。2名は2手に別れ、密林へと走り出した。

 






 御拝読を有難うございました。

 さて。ジャンボ村を拠点としたこの部こそが物語の始まりなのです。次が本当の意味での初戦になります。
 1部における裏の主人公も、次あたりに。

 因みに。納品依頼、というのは本作の捏造設定です。
 ゲームにおける採取クエストは1依頼毎に受諾 → 出立 → 納品という流れが必要でしたが……ちょっと効率が悪過ぎるので、独自に付け足しております。
 実際にゲームにあれば、どれだけ便利な機能である事か。……いえ。アイルー育成のために持ち込んだケルビの角を速攻で納品したりとか、それと似たようなのはありますけれどね。

 アプトノス車は、少なくとも密林周辺やドンドルマにおいては主流な移動手段であるようです。ハンター大全や2ndのムービーを見る限り、行商から狩人まで幅広く利用されているみたいですね。雪山まで行けばポポがその役割を果たしますし……
 ……砂漠はどうなるんでしょうね。あのホーミング生肉さんが素直に人間に従ってくれるとは思えませんし、やはり徒歩になるのでしょうか。少なくとも本拙作の冒頭は、そう考えて歩かせましたが……ううん。

 そして落葉草。懐かしいです。3Gで特産品として再登場した時には、多大なる懐かしさを感じたもので。

 では、では。もの凄く無駄話でしたが、どうか、ご容赦をば。


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第五話 密林の空より

 

 2名による捜索の甲斐あり、夜が明ける前には充分な量の落陽草が発見された。空の色は僅かに藍を帯びてきたものの、未だ時間は深夜であると言える。

 

「―― ふはぁ」

 

 崖下のキャンプに一足早く戻った仮面の狩人は、仮面の口元をずらして息を吐いた。足元には樽詰めにされた落陽草や、箱に入れられた茸。土が付着したままの鉄鉱石や質の良くないマカライト石などが区分けされて置かれている。

 それらを数え、概算しながら。

 

「必要量は、集まった」

 

 箱が7つに、樽が5つ。いくつか自分のために持ち帰る分もあるが、これだけあれば村長や少女から依頼されたものの他、ギルドに納品する事で後から報酬を受け取ることが出来る納品依頼の殆どは達成できる算段がつく。

 狩人は心持ち安堵の表情を仮面に浮かばせ……そういえばと思い直す。

 

(ネコ、居ない。ネコは鼻が利くから、落陽草に関してならジブンより早く終わると思ってたんだけど)

 

 自らのお供アイルーが帰還していない事が気にかかっていた。花開いている落陽草には特有の香りがあるため、ネコならばその香りを辿って発見できるはずだ。夜の密林には雨が降っているため、匂いが流されているという事態も十分に考えられるが……

 

「でも1回、落陽草を置きに来た形跡がある。……ん、やっぱり心配」

 

 仮面の狩人はそう零すと、キャンプに張られた三角テントの内から、幾つかの道具を漁り出した。

 腰に着けられたハンターポーチの内容を整える。山のような道具と素材の中から戦闘向きの幾つかを選び、調合用素材として仕分けする。

 この手の作業は仮面の狩人の手馴れた分野だった。取り出した素材と、密林で新たに得た素材から有用なものを抜き出し、ポーチに詰め込む。

 狩人の腰に並んだポーチ3つが膨れ上がった、その時。

 

 ―― シュルルルルッ……パァンッ!!

 

 音に反応した狩人が振り向く。目にしたのは、雨の中を真っ直ぐに飛び上がる打ち上げ式の信号弾だった。もうもうと立ち昇る煙の色で、緊急度と要請の内容を区別する。

 この信号を使ったのは、自らも良く知る相棒だろうか。例えそうでなかったとしても救援要請には応じるべきだろう。

 

「分かった。……そっち」

 

 丁度、準備を終えたところでもある。最後に篝火をランタンに移すと、狩人の脚は、素早く東へ向かって動き出していた。

 

 

 □■□■□■□

 

 

 密林に振る雨を掻き分け進む人物が、2名。泥にまみれた両足を動かし、必死の形相で掛け抜けてゆく。

 青年はランポスの皮を繋ぎとして使用した片手剣を腰に差し、『ハンターシリーズ』と呼ばれる皮と鉱石を組み合わせた防具を揺らして。

 少女は『レザーライトシリーズ』と呼ばれる皮鎧を纏い、その背中には大型の弩弓と、沢山の荷物が詰め込まれた鞄を背負って。

 

「……ノレッジ! ノレッジ・フォール、急げ!!」

 

「はっ、ははっ、はぁい、ディーノ先輩っ!!」

 

 両者の息は荒く、乱れていた。彼らは後ろに居る(・・)脅威の姿を確かめるべく、瞬間、眼を後ろへと向ける。

 

(……まだ諦めてはくれないか)

 

 皮膜に覆われた翼、赤みがかった甲殻。大きく強靭な(くちばし)。頭を囲むように広げられた耳は、この生物が戦闘体勢に入っていることを示している。

 密林に生息する鳥竜種 ―― イャンクック。3メートルをゆうに超える身体と、「怪鳥」の異名を持つ生物である。

 後ろを向いていた怪鳥が、2回に分けて反転。どこか愛嬌のあるその顔と、視線が交わる。

 

「グバババババッ……!」

 

 怪鳥は確かめる様に足踏みをすると、身体を大きく前に傾けた。嘴を左右に振り、前方を走る人間2人の背に向けて走り出す。

 

「うわわわわっ……!」

 

「止まるな! 走れ!!」

 

 追いかけられる側も全力で走ってはいるが、脚力の差は圧倒的だ。背を向けた2人との間にあった距離はみるみる内に詰まって行く。

 怪鳥が、怪鳥の嘴が、迫る。

 

「―― ちぃっ」

 

 (くちばし)が彼らを捉える直前の期。片手剣を背負う男が立ち止まり、鞘から剣を抜き放った。

 狙うは自らの体駆程もあろうかという嘴。上下運動を繰り返す嘴が……下がる瞬間。男は全身の体重を前へと押し出し、ランポスのボス個体の素材をふんだんに使用した楯を右手に構え、迎え撃つ。

 

(切っ先ではなく、僅か側面をっ……叩く!)

 

 ガッ ―― ドズンッ!

 突進に巻き込まれまいと身体を捻り、鈍重な音を響かせながら。怪鳥の嘴による初撃を、辛うじて受け流すことに成功した。

 男の横をすれ違うように走り抜けたイャンクックはその先で体ごと倒れこみ、嘴が地面を大きく抉っている。

 自身が直撃していたらという想像を振り払い、男はこの機を逃すまいと距離をとる。体勢の立て直しが必要だ。

 

(……まずいな。一度の防御ですら、こちらの体力を根こそぎもって行かれるっ)

 

 荒い息を整えながら、情報を整理する。

 男も、見聞により知識は得ている。中型モンスター相手に狩人の経験も積んでいる。彼自身の技量は初心者ハンターの域を脱していると言って差し支えないものだろう。

 が、今回の状況は分が悪い。目の前に立ち、愛嬌のある顔に耳を広げた ―― 怪鳥。心根として(・・・・・)初心者を脱したばかりである彼は、この生物を相手取るには実力が不足していた。

 

(今更後悔しても遅いが、集団連携だけでなく個人で戦う訓練もしておくべきだったか)

 

 苦しげに顔を歪めながら、左手に「ドスバイトダガー」を握りしめる。後ろに新人であるノレッジ・フォールが控えているからこそ冷静を装ってはいるが、強大な相手と対峙している男自身にとっては、攻防全てが冷や汗ものの綱渡りだった。

 彼らの本業はあくまで「王立古生物書士隊」の一員である。ハンターとしての能力は自衛の為の一手段であり、今回の目的も本来は「密林の分布調査」だった。だが途中で旅の商隊と合流し、道中親密になり、気軽さから護衛を引き受け ―― この怪鳥に付け狙われたのが運の尽きか。

 件の商隊は今、小型モンスターの生息域から離れた崖上の洞穴に退避させている。古生物書士隊の一員として、狩人の端くれとして。そして何より避難している人らの友人として、何としてでもこの怪鳥を行商隊から遠ざけなければならなかった。

 

(とにかく今は、この場を切り抜けなくては)

 

 書士隊員にして狩人でもある男、ダレン・ディーノは現状打破の為にと思考を切り替えた。まずは。

 

「ノレッジ・フォール! どこか安全な所へ調査物を隠しに行け! 私が合図を出すまでは、その場を離れるな!!」

 

「は、はい! ……えーと、メラルーに手出しされない場所となると、高台とか……? いや、いっそのこと……」

 

 ぶつぶつと呟きながらも指示に従い、ノレッジは反対側へと走り去って行く。彼女とて古生物書士隊の一員で、狩人だ。狩猟においては文字通りの重荷でしかない荷物の事はこれで済ませるとして、次に。

 現状最大の問題である怪鳥は頭と翼を器用に使い、突進の後で倒れていた身体を起こしている。ダレンも片手剣の柄を握り直し、溜息を押し込め、行動を再開する。

 立ち上がったイャンクックを中心として時計回りに円を描き、走りながら接近。尻尾を振り回してダレンを牽制するイャンクックの側面へと、正確に回り込んだ。

 

「はあぁっ!!」

 

 気合の一声と共に飛び掛る。足の付け根を切りつけ、顔が此方を向く前に転がって離脱。全ての敵意をダレン自身に向けさせるためにも、まずは勢いを削ぐ事が重要だ。

 この攻防を数度繰り返すと、走り寄った所で怪鳥が翼を広げた。飛ぶつもりだ。ダレンは足を止め、風圧に備える。

 イャンクックが勢い良く翼を上下させた。身体と、風とが衝突する。

 足を踏ん張り体重を保ち、飛ばされまいと力をこめる。風によって足元の泥はぶわりと圧し潰されている。怪鳥は重苦しい風圧を残して飛び上がり、低空飛行で後退。ダレンが必死に詰めていた距離がひと飛びにかき消されていた。

 落胆している暇は無い。モンスターとの戦いにおいて、根気は最も重要な要素でもある。

 着地する瞬間を狙う。今度は頭だ。距離を詰め、地を蹴り、風の壁を裂く感覚と共に怪鳥の首元へと飛び込む。広がった耳から側頭部へ。全体重を乗せ、ドスランポスの爪を素材とする赤い刀身を振り下ろした。走竜の爪は怪鳥の耳を裂き、刃は甲殻へと食い込む。

 ダレンはそのまま刃を振り切り、身体ごと地面に投げ出した。しかしいつまでも地べたに這いつくばってはいられない。イャンクックの嘴による反撃の事前動作を辛うじて捉え、反応の許す限りの速さで横へ飛ぶ。

 

(何とか対抗出来ている……か? あの足を斬り付けるよりは、手応えもあったが)

 

 足元を斬った時は鉛を打つ様な途方も無さを感じたが、頭への攻撃は斬ったという感触があった。嘴という武器に晒されると言う危険はあれど、身体の中心近くにある足元まで走り寄ってから引き返すという動作が無い分、頭を狙った方がシンプルに動くことも出来る。

 行動方針を変えるべきだ。ダレンはそう判断し、イャンクックの頭部を狙い始めた。

 頭を斬る。イャンクックはこちらを倒すべき敵と認識し、意識を向けている。少なくともノレッジと行商達から意識を逸らす事には成功したようだ。しかしその分の重圧は、ダレンに向けて全てが圧し掛かってくる。

 

「―― グババ、グバババッ!!」

 

 後退した瞬間にイャンクックが動きを止め、大きく翼を広げ始めた。何を思ったのか、興奮したように息を荒げ、その場で軽快に跳ね回っている。

 好機。いや、慎重に観察すべきか。

 そんな風に思考を中途にしたまま、ダレンは怪鳥へと脚を向けた。機会を逃す前に行動をしておこうと考えたのだ。先程までのイャンクックに対するものと同じく、円を描いて走り寄る。

 しかし、気付けばダレンの目前に怪鳥の嘴があった。

 

(な、早っ……!?)

 

 つい先まで跳ねていたイャンクックが、恐るべき早さで体を前へと傾けていた。ただの突進だが、先の比ではない。怪鳥本来の……ダレンを倒すべき敵として認め、敵の排除に全力を費やそうとする、生物の底力だった。

 ダレンは慌ててドスバイトダガーと対になる楯を構えた。

 怪鳥の嘴が楯の真芯に激突。受け流すのもやっとだった突撃を正面から受けて無事に済むはずも無い。気づけば楯を構えた右手は、ダレンの身体そのものを巻き込んで宙に放り出されていた。

 幸い、イャンクックも走り抜けた先で倒れこんでいる。数瞬の浮遊感の後、ダレンは地面に落下した。どすりという衝撃があった後、身体に鈍痛を覚える。落下の衝撃により、側腹部を殴打していた。右手も突撃の衝撃によって未だ痺れている。

 まだだ。ダレンは残る左手を動かして、泥の中から立ち上がろうとする。が。

 

「が、はぁ、……うっ……はぁ、は!」

 

 立ち上がって、それ以上は身体を動かす事が出来なかった。息をしようとするも、腹と背中に力が入らない。十分な換気が行われず、意識が酸素を求めて彷徨い出している。

 暗転しそうな視界を堪えつつ、気付けの回復薬を取り出そうと鞄へ左手を伸ばす。それはダレン自身、出来る限りの早さでとった行動。だが突進による衝撃を回復し切れていない中での動きは、予想以上に鈍かった。

 既に怪鳥が此方を向いている。口の端からは火花が散っていて。

 

(……ここにきて、火か!!)

 

 火炎液、という攻撃方法がある。イャンクックはその体内に火炎袋と呼ばれる器官を持ち、熱した高温の液体を吐き出す事で武器として使用する。

 ダレンは書士隊員として身につけた知識の内にある攻撃方法を、今、実際に目の当たりにしていた。だが抗おうとする気持ちとは裏腹に、抗う手段が無い。ここに至ってまたも、自らの力のなさを悔いる。

 

(それでも! ライトス……そして、ノレッジ。せめてお前等を助けるくらいは……!)

 

 行商隊の長と自らの後輩のためにも諦めはしない。イャンクックは昆虫食。例え自分が力尽きようと、怪鳥自身には喰われないはず。ならば希望はある。時間を稼ぐべきであろう。穴の開いた思考でそこまでを考え、残る気力を振り絞って楯を持ち上げる。

 怪鳥は赤い甲殻を見せびらかす様に、大きく身体を反らす。反りの反動で大きく振り出した首と口……嘴から火炎液が吐き出された。赤熱した球体が放物線を描き、ダレンへと迫る。

 楯を前に出す。が、辛うじて持ち上げているだけだ。勢いを着けて火炎液を弾かなければ、ダレンの身体は重度の熱傷を負うだろう。ハンターシリーズの防具があるとはいえ、飛竜種などの生物由来の鎧の様な熱耐性は持ち合わせていない。

 火炎液は放物線の頂点を超えて落下を始めた。間もなくだ。位置エネルギーを消費する間もなく、自分に直撃する。ダレンは楯の向こうに焼き殺される自身を幻視した ―― その時。

 

「閃光投げます! ン ―― ニャアァッ!!」

 

 後ろから球体が投げつけられ、反射的に閉じた目蓋を閃光が叩く。

 再び目を見開いた時、火炎液はダレンの身体を焼くことなく散っていた。後ろから駆けてきた小さな生き物が両の手甲と外套を構えて跳躍し、火炎液を空中で四散させたのだ。

 吐き出された火炎液を遮断した……その反動を利用して空中でくるりと周り、生き物が着地する。身の軽さと愛らしい容姿。ダレンを窮地から救ったのは自らもよく知る獣人、アイルーだった。

 

「御無事でしょうか、短髪の御仁」

 

 アイルーは外套の内から小太刀を抜き、閃光玉に目を回すイャンクックと正対しながら、此方へと話しかけてきた。随分と丁寧な物腰のアイルーだと、ダレンは思った。

 

「ごほっ……ああ、何とか。命拾いした」

 

 威圧感が逸れたおかげなのか、一呼吸置いたおかげなのか。理由は判らないが呼吸は何とか正常程度にまで回復している。体感的には久方ぶりの言葉を発しながら、ダレンは自身の状態を確認してゆく。

 思考を巡らす余裕もある。拳を握り……力も込める事が可能だ。これならまだ、戦える。

 ダレンを見上げていたアイルーがダレンの無事に一瞬笑みを浮かべた後、提案する。

 

「御無事なのは、何よりです。ですがお怒りの怪鳥相手に、貴方は怪我を負いました。是非とも後退を。私が時間を稼ぎましょう」

 

「君が、か」

 

「はい。こう見えて私、猟猫経験は中々のものなのですよ」

 

 このアイルーのイャンクックを目の前にしての立ち居振る舞いは、実に堂々としたもの。猟猫経験については納得できる。だが自分より小さな生き物に頼る、というのも。

 そして何より、ダレンには怪鳥を足止めしなければならない理由があった。

 

「……済まない。君が信頼できないという訳ではない。傲慢だが、私もコイツを相手にしなければならない理由がある」

 

「ふむ、実直な方ですね。……ではエリアの入口まで移動し、そこで加勢の準備をお願い出来ますでしょうか? 私の実力が足らなければ、直ぐにでもお力添えをいただければ有難い」

 

「そう、か。……いや、わかった」

 

 ダレンはその言葉の意味を考え、頭を冷やす事にした。恐らくこのアイルーは強引に我を通そうとした自分に妥協案を提示する……という名目で、体勢を整える時間を与えたのだ。

 このアイルーには感謝こそすれど、恨みは無い。ダレンは素直に従い丘陵の奥深く、怪鳥が通れない程度の隘路の傍まで移動した。

 怪鳥から遥か離れた位置まで移動した先で、鎧の金属部分を触って、状態を確かめる。よくよく見れば、楯を装備していた腕甲部分は大きくひしゃげていた。忘れかけていた脇腹の痛みと、連戦による体力の低下も感じられる。ダレンは腰のポーチから気付けと痛み止め効果のある回復薬を取り出して一気に煽った。次第に視界が広がり、痛みは引けてゆく。これならばせめて、全速力で逃げる事は出来るだろう。あのアイルーの足手まといにはならなくて済む。

 視線を戻す。遠目に見えていたイャンクックは頭を振って、未だ目前に立つアイルーを見た。どうやら視界は回復したらしい。次いで、失せたダレンを捜すように視線を巡らし……

 

「相手はこちらです。私は見ての通り、たかがアイルーなので、存分に油断をしてくれると嬉しいですね」

 

「……グババババッ!!」

 

 まずは目前、アイルーを目標と定めたらしい。イャンクックが数歩進めば踏み潰されるであろう位置に居るアイルーは、挑発の後、4脚を地面につけた。

 怪鳥が踏み出す。ダレンに見舞ったものかそれ以上に素早い突進だ。踏み出す一歩一歩が、雨によって柔らかくなった地面を抉る。

 4歩目。左足がアイルーに当たる距離。しかしアイルーにとって、事前に3歩もあれば十分な猶予だったらしい。

 

 ―― リィンッ

 

 ダレンの時の様に鈍い音は響かない。動きに合わせて1度だけ、澄んだ鈴の音が鳴った。アイルーは低く構えた最小限の動作で脚を避け、翼を潜り抜けて見せたのだ。

 アイルーの後ろで、イャンクックが倒れこんでいった。すぐさま近づき、飛び上がったアイルーが小太刀で甲殻を切りつけ、着地。すぐさま距離をとる。

 

「……流石に硬いですね。竜盤目・鳥脚亜目・鳥竜下目・耳鳥竜上科・クック科……なんて、長い名を冠しているだけはあります。私も主も初めて闘う相手ゆえ、その行動を観察する必要はありますが……骨格的には飛竜種のそれと同種です、ねっ!」

 

 嘴によるついばみをかわし、尻尾をくぐり抜け、身体の小ささを最大限に生かした回避戦法で斬りつけてゆく。非力さに加えて獲物の切れ味が悪いのか、イャンクックも傷こそ負いはしない。だが周りをちょこまかと動かれ、鬱陶しく思ったのだろう。イャンクックは再び大きく身体を反らし……以前の動作よりも溜めが長い。火炎液を、多量に吐くつもりか。

 

「今ですニャっ、と!!」

 

 イャンクックはダレンの予想通り、アイルーという小さな的に当てるべく、何度も身体を揺さぶっては火炎液をばら撒いた。

 ―― その間。

 正に言葉通り。待ってましたとばかりにアイルーは駆け出してゆく。ぐねぐねとうねる軌跡をなぞり、炎に触れる事なく怪鳥までの距離を埋める。火炎液1、2個目の内に腰の鞄から樽を取り出し、3個目を吐いた瞬間に投擲する。

 

「……好しっ!!」

 

 投じられた小樽は4個目を吐き出す直前、開いた嘴にがしりと挟まった。怪鳥の体内にある火炎袋から押し出された火炎液はつっかえた樽へとまとわり付き……次の瞬間。

 火薬の詰まった樽に、火元。当然の帰結として、怪鳥の口内で爆発が起こった。

 

「!? グ、ババッ!? グゥ、ァババッ……!!」

 

 口から黒煙を噴出し、身体は前後に大きく揺れて。揺れはいつしか限界を超え、怪鳥の身体が泥の中へと倒れこむ。

 何が起こったのか。倒れこんだ怪鳥をよくよく観察する。眼球は回転し焦点が定まっていない。両脚が虚空を漕ぐ。耳を開いたり閉じたりと必死に動かす様に、再びの愛嬌さえ感じられる。

 アイルーはバタバタと動き回る怪鳥にペイントボールで追い討ちをかけてから、ダレンの近くまで駆けて来た。2足で立ち上がり、見上げる。どうやら解説をしてくれるらしい。

 

「怪鳥は音に弱いのだそうです。そんな怪鳥の口内に小樽爆弾など放り込んでやれば、内外からの衝撃と音によって三半規管をがっつり揺すられる。勝算は十分でした」

 

「……成る程、それでこの有様か」

 

 アイルーの解説に、ダレンも怪鳥に関する知識を思い返していた。確かに、怪鳥はその耳を生かした聴力の鋭さ故に音爆弾や小樽爆弾などの「音」に弱いと文献で読んだ覚えがある。通常であればショックで放心する程度らしいのだが、それが口内で爆発したのだ。平衡感覚すら狂わされた怪鳥は地面でのたうちまわり、赤い甲殻を泥に塗れさせている。

 

「では、今の内に引きましょう」

 

「……引く、か。……そうだな」

 

 今居るエリアには、行商隊のいる崖上のエリアへと続く道がある。だが、戦う以上は崖上に追い詰められるわけには行かない。後退するとすれば、反対側……ノレッジの駆けて行った側だ。

 イャンクックはダレンやアイルーへ敵意を向けている為、こうして逃げる方向を「見せてやっていれば」、行商隊から引き離すという目的も達せられるであろう。

 が。

 

「この怪鳥と、再び相見えることになるな」

 

「……成る程、何か理由がおありのご様子で。それは、ここで逃げても問題は?」

 

「いや、当分は無いだろう」

 

 イャンクックが誰かしらに敵意を向けている以上、「追い払う」という手段は成立しない。例えばイャンクックを引き付け行商隊を単独で逃がしたとしても、狩人であるダレンら以外には護衛がおらず、道中を進む事も戻る事も叶わなくなる。それでは結果が伴わない。怪鳥をけん制しながらじりじりとジャンボ村近辺まで後退できるならばそれでも良いが、ダレンにしろノレッジにしろハンターとしての技量が不足している。けん制も、行商隊の守りも、というのは欲張りに過ぎる。

 いずれにせよ怪鳥を倒す……もしくはそれに準ずる結果が必要だった。その点今、行商隊は崖上の洞穴に隠れている。密林の上空を飛び回って捜す怪鳥には、動かない限り見つかりはしないはずだ。

 アイルーはこの返答を受け、暫し悩むような素振を見せて。

 

「ならば、ここは一旦退却し、我が主の知恵を借りましょう」

 

「……主?」

 

「はい、私が仕える主。我が狩りの師にして我が友人。主殿は狩人としての見識も深く広いものです。何かしら有効な手段を提示してくれましょう」

 

 言い切ったアイルーの言葉はどこか誇らしげで、満足げだった。胸を張り、髭がぴぃんと伸びている。……このアイルーがそこまで言う人物であれば、頼るに値するのだろう。そもそも。

 

「今の所、他に有効な手段は思いつかないな。判った。君の主の元へ案内して欲しい」

 

「承りました。……こちらです。途中で合流できるよう信号弾を打ち上げておきましたので、直線ルートを経由しましょう。それと……私の事はネコとお呼び下さい」

 

 アイルー……ネコはそう言うと、首元から鈴の球を抜き取り、4脚で駆け出した。

 その背を追うべきダレンも、未だ苦し気にのたうつイャンクックを僅かに振り返った後。足元に落ちていたドスバイトダガーを腰に差し、木々を掻き分け、密林の奥へと走り去っていった。

 





 怪鳥さんの御登場と、原作キャラの出演でした。

 ……ですよね。やっぱり、最初の相手に持ってき易いのです。怪鳥さん。
 こういった展開、どこかで見たことあるなーと思った貴方様。その記憶は違いありませんでしょう。
 ですが、私のお話は色んな意味でぶっとんだ展開を目指しますので。今後を頑張ってみようかと思います。
 ……ここまで書いといて構成の練り直しは、正直きついのですっ。

 ダレン・ディーノ及びノレッジ・フォールはハンター大全より出典。
 モンスターハンター世界における、数少ない「原作キャラ」です。
 彼・彼女がハンター大全においてどの様な役目を持っていたか、を知っていると、今後の展望が見えてしまうのやも知れません。
 ……そこを捻って予見を外すのは、私の役目ですので。乞うご期待。

 そして、雑談。
 アイルーはどうやら、部族秘伝の特製爆弾によって雨中でも爆弾を使用できる設定があるようです。こういうのばっかり原作に準拠させます。はい。
 本作のイャンクックは無理ですが、実際には、2ndGのオトモアイルーでもイャンクックは倒せるようです。笛やら粉塵やらを装備して、こそこそと見守りながら、強化したアイルーを戦わせてあげましょう。


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第六話 打倒

 

 ダレンがその奇妙な狩人と合流したのは、怪鳥を振り切ってから更に10分ほど逃げた先だった。

 密林の中でも一際生い茂る木々に覆われた、秘密基地のような洞穴。ネコが主と慕う狩人は頭に仮面を着けて座り込み、雨の当たらない位置で道具を広げていた。何やら道具を作っていたらしい。

 その顔には木製の仮面。目の部分だけがくり貫かれており、人型の生物の目鼻立ちを模したと思われる仮面、その下顎部分が独立稼動してかたかたと音を鳴らす。背丈は世間一般のハンター並であるダレンと比べると低く、筋肉の付きは並。仮面の後ろから中程で切り揃えられた黒髪が覗いている。

 身に纏っているのは皮の鎧。ノレッジも装備している『レザーライトシリーズ』に皮の使用比率が似ているが、意匠は違う印象を受けた。仮面の狩人は身体の線が細く、装備品も未知のもので、見た目からは性別を判別する事ができない。……いずれにせよ皮が主体であるからには、防御性能自体も高くは成り得ないだろう。

 そして背と腰の皮鞘に差された剣と、右手につけられた楯。どうやらこの狩人もダレンと同じく剣士のようだ。が、狩人としての得物(ぶき)が2本ある点が気にかかる。楯も装備しているために、単純な双剣使いという線にも疑問を覚える。

 

「―― 御主人、よくぞご無事で」

 

「それはこっちの台詞。だいじょぶだった?」

 

「ええ。私は問題ありませんでした。それで、」

 

 ネコは仮面の狩人の下へと駆け、恭しい態度で報告を続ける。

 落陽草の採取中にダレンを見かけた事。イャンクックと対峙した事。ダレンは行商隊を助けに行きたい事。ノレッジという同僚が居る事。

 それら報告を終えると、仮面の狩人が頷いた。奇妙な、木製の仮面が改めてこちらを向く。

 

「どうも。ジブン、ネコの主で、友達。名前は……えと、ヒシュ」

 

 ゆらりと立ち上がり、仮面内からの視線を向けられる。言葉の継ぎはどこかぎこちないが、王都的……訛りの感じられない美しい発音だった。

 近寄り難いその風貌に立ち尽くしていたダレンも、協力者の不興を買う訳にはいかない。打って変わって大股で歩み寄ると、差し出された手をがしりと掴む。

 

「私はダレン・ディーノ。貴方の友に窮地を救われた。どうか、宜しく願いたい」

 

「……ん。……んん?」

 

 握手を交わしながら、仮面の主がこちらの何かに目を留めた。ダレンはその視線を追い……自身の左肩を見やる。

 身につけた鎧の左肩。そこにはダレンが書士隊の隊員である証……金糸で描かれた龍の紋章が着けられていた。仮面の狩人は数秒沈黙し、小首を傾げる。

 

「もしかして、先輩?」

 

「センパ……うん?」

 

 かけられた言葉はダレンにとって予想外のものだった。金糸の紋章を見て先輩とは、つまり。

 何事かと思考を試みるダレンを他所に、仮面の狩人はパンパンになったポーチの中から1枚の皮紙を取り出し、突きつけた。ハンターカードだ。カードと、何かを留め金で挟んであるらしい。ダレンが裏を覗き込む。カードと共に留められていたのは、金糸の龍章と、それを囲み絡み合う2本の菱線。王立古生物書士隊 ―― 通称「書士隊」の2等書士官である証だった。

 ダレンは暫し呆然とし、

 

「……ははは! まさか、この私が先輩とは! ……すまない。だが、貴方も書士隊の一員なのだな」

 

「ん、あ、ごめん……なさい? ジブン、他の大陸での実績とコネがあって、こないだ推薦で2等書士になったばかり。まだ別の書士隊の人と、合った事が無くて」

 

 困惑しながら頭を下げた仮面の主に向かって、ダレンは慌てて両手を振る。

 

「頼むから顔を上げてくれ。私も君と同じく、書士隊の2等書士官になったばかりの身でね。新人よりは偉いが、ただそれだけだ。地位がある者ではないよ。対等な者として扱ってはくれないか?」

 

 ダレンが早口で言い終えると、狩人の目が瞬いた。しぱしぱと、仮面の内で何かを考え込んでいる。

 謙遜の定型文句として「地位がある者ではない」と言ったが、2等書士官は立場的にも中の上といった所だ。4、5等を勤める見習い書士官や事務職よりは上の立場に在る。ダレン自身は調査隊での功績や新種調査での貢献が認められ2等書士官になった身なのだが、なにせ成り立てである。隊長の中では駆け出しという境遇だ。成り立ての隊長は部下も2~3人居れば比較的多い方で、直属の部下は今の所ノレッジ只1人である。

 だからこそ2等書士官であれば、ヒシュが言った様にコネや過去の実績からなる者も少なくは無い。地位を持つ者や別の職で実績を積んだ者が隊長位に座るというのはよくある事だと、ダレンは納得できている。

 しかし考え込んでいた仮面の狩人 ―― ヒシュは間の後、やはり、小首を傾げて。

 

「うぅん……多分、難しい。先輩は先に書士隊になっているはずだから、先輩である事に変わり無い。ジブン、先輩に教えてもらいたい事が沢山あると思うので、……努力はしますけれども」

 

「律儀だな。ならば君が慣れたその時、対等に扱ってくれればそれで良い。……ヒシュ、君の楽なようにしてくれると嬉しい」

 

「ん。ありがとう、ダレン」

 

 見た目で判断するべきではないな。脳内でそう反省したダレンと仮面の主の邂逅は、和やかな雰囲気で始める事が出来ていた。

 

 

 しかし、時間は一刻を争う。現状の確認を終えた後、ダレンが地面の上に地図を広げた。ヒシュは何かを作る片手間に。ネコは身体を覆う外套の中にある鞄を整理しながら、地図を覗き込んだ。地図では大陸の中央部にあたるエルデ地方やゴルドラ地方が左端になっており、その東側を中心として描かれている。下方にジャンボ村、右辺にテロス密林、上端にポッケ村が位置していた。

 ダレンがテロス密林とジャンボ村の中間地点……現在地である部分を指差した。

 

「それでは対策を話し合おう。まず、全員で行商を護衛しながら逃げるという手は除外したい」

 

「何故でしょう?」

 

「それはもうここ20時間ほど試み、失敗し続けている手段だからだ。……あの怪鳥は、異常なまでの戦闘意欲を有している。我々が図面上から割り出した……一般的な怪鳥の縄張りと思わしき範囲を踏み出ても、どこまでも追ってくる。……申し訳ない。これに関しては、理由は不明だ」

 

「ふむん」

 

「ここからジャンボ村までは、まだまだ距離もある。怪鳥は空を飛べるのだ。こちらと追いかけっこをして、勝てる道理はない」

 

 当然、行商の人々もある程度の自衛は行えるはずだが、それは小型モンスター相手での話だ。中型以上の生物を相手にして無事でいられる保証はなく……それは、ハンター達が護衛についていようと同じ事。行商隊の近場まで怪鳥を近づけてしまった時点で、危険は及ぶ。

 普段であれば最優先の手を自ら潰しておいて、ダレンは続ける。

 

「ここはフィールド外だから気球は当てにできない、が……この近くであれば鍛冶で有名な村がある。小さいがギルド支部のある村だ。この村に誰かが走り、援軍を求めるのはどうか」

 

「ふむ、堅実的な案ですね」

 

 話を聞いていたネコがうんうんと頷く。が、直ぐに頷いていた首を止め、案の不備を指し示す。

 

「ですがその案は、堅実的ではあれど現実的ではありませぬ。まず、誰が伝令を勤めようと、怪鳥を相手にできる狩人がこの地を離れてしまうのです。戦力の低下は免れません」

 

「ジブン、怪鳥を実際には見たこと無い。ネコは戦ったけど、少しだけって聞いた。知識もそうだし、行商隊や書士隊との連絡がすんなり出来るダレンには残って欲しい。けど、タブン、残るのがダレンとネコだけじゃ怪鳥を倒せない。どう?」

 

「恐らくはその見立て通りだろうな。情けないことだが。……嘴の肥厚の具合からみて、あのイャンクックは少なくとも成体以上、老成するかどうかという個体だろう。先ほどヒシュが言った様に、ハンターズギルドの区分けでいうと『上位』かそれ以上の区分に該当すると考えられる。ネコの体術が卓越したものだというのは理解したが、私との即席の部隊では時間稼ぎも確実ではないだろうな」

 

「ん。理解した。それならダレンとジブンだけでも、中途半端になる。それは多分、ノレッジっていう人がいても変わらない」

 

 確かにノレッジは書士隊員としては兎も角、狩人としての経験がダレン以上に浅い。ダレンとネコでは怪鳥に満足な傷をつけられなかったのだ。そこにノレッジを加えた所で、むしろ危険が増すだけに違いない。

 仮面の狩人は動かす手を止めていない。今度は何やら昆虫の発光器官を取り除きながら。

 

「そもそもフィールド近くの密林を1人で走破するって、正直、オススメしない。伝令になったヒト自体が危ないから。伝令に失敗したとする。戦力は低下したのに、応援も来ない。これ、最悪の状況だと思う」

 

「我が主の指摘に加えて、更に悪い点があります。……単純に時間がかかりますね。村までの距離を往復すれば1日以上はかかりますでしょう。この局面において1日はかかり過ぎと言って良いかと」

 

「……そう、か」

 

 判っている。今こうしている内にも、行商隊は密林の危険に晒されている。イャンクックはダレン達が引き付けているとはいえ、偶発的に野生の走竜に襲われないとも限らない。行商隊を守るという観点から見れば、薄氷の上を歩く方がまだ確かであろう。ダレンが行商隊を放置するもしくは見捨てるという選択が出来ない性分である以上、付き合わせているヒシュとネコには申し訳なさを覚えるばかりだ。

 

「そして、村に行ったとしても直ぐに援軍を呼べるとは限りませぬ。村の上役で狩人の滞在数や防衛人員の調整を行わなければならないはずです。更にはイャンクックという曲がりなりにも中型以上の生物を相手にする以上、協力者には支払いをしなければならず、ハンターズギルドの契約や金銭などの利権の問題が絡みます。狩人という人種の性質上、直ぐに力を借りられる可能性も勿論ありますが……1日という期間ですら希望的観測に過ぎないのです」

 

「……ならば私は、どうするべきだろうか」

 

 繰り返した言葉。自然の驚異とも、最愛の隣人とも呼べるモンスターという生物。自然を隣人へと……糧へとするために生まれた「狩人」という職業にあるからこそ、その恐ろしさは身に染みて実感していた。

 いや。実感して、しまった。思考が怯んでいるのだ。

 それでも。ダレンは言葉と共に、1人と1匹を見上げていた。思考が怯んでいるからこそ俯いてなどいられない。

 上げられた顔、視線の先で。

 ヒシュが手を止め、ダレンを視ていた。

 

「ダレンは、どうしたいの」

 

 どうしたい、か。

 思い描く可能性の内……最も好ましい展開。

 

「―― 行商隊を無事にジャンボ村へと送り届け、私とノレッジ……そしてヒシュとネコが生き残る。これは、多くを望み過ぎているのだろうか?」

 

「ん、いい。ダレンは優秀な狩人」

 

 黒いゴム質の手袋を履いた手で作り上げた道具を持ち上げ、ポーチを膨らませながら、ヒシュが続ける。

 

「考えすぎかもね。もっともっと単純な方法がある。……ジブンとネコと、ダレンと……もう1人居るって言う書士隊の子。この全員で怪鳥を狩る。多分、一応、これが最良」

 

 それは、異常なまでに真っ直ぐな言葉だった。

 つい先程怪鳥との攻防によって命の危機に瀕したダレンが無意識に避けていた言葉を、諭し、貫くように言い放つ。

 

「……何故それを最良だと言い切れるのか、尋ねてもよいだろうか」

 

「理由は沢山ある。まず、ここはギルド管轄のフィールドじゃない。だから観測隊による監視とか、配給品とか、運びアイルーとか。そんなギルドからの支援が無い。観測隊がいないから、もし怪鳥を傷つけた状態で逃がしたら、追えない。最悪、付近の村に被害が出ると思う。だから中途半端に戦うのは、行商隊を見殺しにするのと同じくらい、駄目。それにそもそも、戦闘意欲があるって言うなら、放っておいても村に危害を及ぼす可能性は高い。なら尚更、戦闘を優位に進めて、動けないだけの傷を負わすべき」

 

 たどたどしいヒシュの言葉が、現状しか見えていなかったダレンの視野を広げて行く。

 ギルドの管轄フィールドというのは、様々な条件が重なって初めて作られる環境である。「密林」や「雪山」「火山」という呼び名はあくまで通称。例えば「密林」であれば大陸の東端を覆う「テロス密林」の中で最も戦いやすく、狩人が戦う為の土地と資源が豊富にあり、モンスター達が立ち寄り易く、近隣の村が少なく……「戦いの後」が整え易い場所がギルドの管轄フィールドとして選ばれている。

 ギルド契約の利点は、ヒシュも挙げた通り。区切られた土地の中でしか戦う事ができず、ギルドによる素材や金銭の天引きがある代わりに、様々な恩得が付与される。配給品の支給やアイルーや鳥による素材の運搬。捕獲または殺したモンスターの運搬。そして狩猟前後におけるモンスターの監視などが代表的なものだ。

 大型のモンスターを狩る場合、傷ついたモンスターが逃げる可能性を考慮しなければならない。彼ら彼女らは戦闘意欲に溢れている為、決着が着くまで戦い続ける事が殆どだが、戦いが長期かつ広範囲に渡った場合などは、少ないながら近隣の村が巻き込まれる場合も存在する。

 だからこそ、多くの狩人はギルドと契約して指定されたフィールドの中で戦う。空を浮く観測隊の気球が戦闘中の狩人とモンスターの状況を観察し、モンスターが逃げた場合は近隣の村への通達やそれを追う狩人の要請を代理で行ってくれる……だけではなく、村が襲われた場合の損害の割り受けなども行ってくれるらしい。

 つまるところ、ハンターズギルドは狩人として生きるための大きな後ろ盾なのである。

 

「でも今、イャンクックの討伐はギルドを通してない。ここはフィールドでも無い。―― だからこそ希望が残ってる」

 

 仮面の狩人は胸を張り、その眼を煌かせながら話す。

 

「乱獲しなければ大型を狩るのだって自由だから、今すぐ狩りに取り掛かれる」

 

「正当な防衛権利が発生しますからね。フィールドであったならこうは行きません。ギルドを通さなければ狩猟など叶いませぬ……が、行商隊を助ける為には迅速に動く事が必要です。この点については僥倖であると言えましょう」

 

 広げていた道具全てをポーチに詰め、仮面の主が立ち上がる。

 イャンクックが飛び回り、自分たちを捜しているであろう空を見上げて。

 

「何より。罠や道具の持込が自由」

 

 ポーチを膨らませたヒシュは、仮面に覆われた顔を狩人としての喜色に染めていた。

 

「……我が主。やる気を出すのは良い事ですが、まずは味方を迎えに行きましょう。ダレン殿、ノレッジ女史は何処に?」

 

「む、そうだな。……ふむ」

 

 ネコに促され、ダレンは思考する。ノレッジ・フォールは北北東……巨大な湖のある方向へと駆けて行った。調査物を隠すとすれば崖の上か、いや。突拍子も無い思考を持つノレッジの行動は、ダレンにも予想がし辛い。

 

「……連絡用の信号弾もあるが、怪鳥が空を回遊しているであろう今、空を使った連絡手段は控えるべきだ。彼女が逃げた方向を地道に捜すしかないだろうな」

 

 ダレンは思考の末、時間はかかるが確実な案を挙げた。

 その案にネコは頷いたが、もう1人。

 

「んー……んー?」

 

 ヒシュだけは未だ思考の最中にあるようだった。

 自らの主を見上げ、ネコが尋ねる。

 

「御主人。何か不備がありますでしょうか」

 

「……んん。そーいうのじゃあ、ないけど。……そのノレッジって言う人、何をしに行ったんだっけ?」

 

「指示に従っているならば、調査物を隠しに北北東へ向かい、そのまま身を隠しているはずだ。私とノレッジは始めから行商隊の守りについていた訳ではない。王立古生物書士隊としての任務で密林西域の分布調査を行っていたのだ。せめてこの調査の成果くらいはは、焼き払われたくなくてな」

 

 実際には最悪の状況を考えてノレッジを逃がしたというのが主な理由であるが、ダレン自身もこうして生き残った以上、調査資料を守るというのも理由として間違ってはいない。

 ヒシュはその内容を吟味し、仮面の下顎に第2指(さしゆび)を当てながら暫し思索を巡らし……ぽんと手を打った。

 

「そういえば、北北東に、物を隠すのに()ピッタリな場所がある。こっち」

 

「にゃんと、そちらは! ……もしかして……ううん、ともかく行ってみましょう。私と主が先導しますので、ダレン殿は着いて来てくだされば」

 

「む。判った」

 

 ネコもヒシュの言葉と指差す方向に思い当たる場所があったようだ。2者とも近辺で採取をしていたと言う。恐らく同時に地形把握を行っていただろう。多くの地形情報を持っているならば、闇雲に歩くよりは十分な期待が持てる。

 ノレッジを捜すため。ダレンは、仮面の狩人の後を追いかける。

 

 

 

 

 

 

「―― あっ、ディーノ隊長っ!」

 

 書士隊員であるノレッジを探して移動を始めた一行は、ほどなくして崖下の水辺に辿り着いた。奇しくもヒシュとネコが張った仮設キャンプと同じ場所である。

 推論通りの場所、その崖下に座り込んでいたノレッジが立ち上がると、ダレンの傍へと駆けて来る。

 

「ご無事で安心しましたよー、隊長。……あのぉ、ところでこの方達は?」

 

「力を貸してくれる狩人だ。ああ、ヒシュとネコには私から紹介しよう。彼女はノレッジ・フォール。私の部下であり、3等書士官でもある」

 

「ども、ノレッジ・フォールです。ノレッジって呼んでください! ……じゃーなくて。えっと、宜しくお願いします!」

 

 密林を覆う曇天すら晴らすであろう明るい笑顔を浮かべ、朗々と挨拶をする少女。自身は手を振りながら自己紹介をしておいて、思い出した様に頭を下げた。お辞儀と同時、彼女のごく薄い桃色をした髪の左側……束ね編まれた一房が小さく揺れている。

 少女が身につけている装備は恐らく、こちらの大陸におけるレザー装備であろう。ヒシュからしてみれば見覚のない型ではあるが、自身が纏うレザー防具に作りが似通っている。どうやら、革製の防具ならば比率は似た物になるようだ。

 それら印象は置いておくにしても、さては対面である。ノレッジは格式ばった対応が苦手だが、印象の悪い人間ではないとダレンは思っている。が、ヒシュと波長が合うかは判らない。正に未知との遭遇だ。

 ダレンが唾を飲み込みながら見守る先。ヒシュはノレッジの正面に歩き出て……腕を差し出す。

 

「ヨロシクお願いします。ジブンの名前、ヒシュ」

 

「ネコと名乗っております。どうかお見知りおきを、ノレッジ様」

 

「はい! ヒシュさんに、ネコさんですね! 覚えましたよ! あと様づけはこそばゆいので呼び捨てでいいです!」

 

「ん。わかった、ノレッジ」

 

「では私からはノレッジ女史と呼ばせていただきましょう」

 

 中腰になったノレッジの両手とがっしり握手を交わした。杞憂であったか。ヒシュが敬った態度を崩しきれていないが、それもまたノレッジが(階級には関係なく)書士隊の先輩である事を気にしているか、単純に喋り慣れていないからといった辺りが理由であろう。

 互いに第一遭遇を終えた所で場を取り持とうと、ダレンが話題を切り出す。

 

「ところでノレッジ・フォール。調査資料は無事だったか」

 

「勿論です! ほら、ここに!」

 

 ノレッジが指差す先では、ヒシュとネコが崖下に張った簡易テントの中に(・・)、調査物品の詰め込まれた巨大な鞄が我が物顔で鎮座していた。

 ダレンはため息を掃出し、頭を抱えた。鞄がテント内の面積と空間を占有しているために、身体の小さなネコですらテントに入る事は叶わない。もはやテントは鞄を雨風から守る為にあると言って良い。確かに、キャンプを張る位置はモンスターの行動範囲外や見付かり辛い場所。ヒシュとネコが位置取ったこの場所は、荷物を隠す場所しても最適であった。間違っても、調査資料を傷つけないための場所の選びとしては、という話ではあるが。

 ネコががくりと膝を落とすその横で、ヒシュはかくりと頷いた。

 

「ん。やっぱりここだったね、ネコ」

 

「途中でランポスに遭遇しなかったのは、私、とっても運が良かったと思うんです!」

 

「……にゃんと……ああ、いえ。にゃふん。それは私達が張ったキャンプですが、どうせ一泊するかも判らない日程でしたから……ならば有効活用してもらえた方が宜しいですね。はい」

 

 ネコは何とか、どこか釈然としない気持ちを納得させた。理屈としては別に良い。テントの中が埋まっていようと怪鳥を狩るのに不便になる訳では無いのだから、と。

 そして、せめて荷物の無事だけは確認した所でノレッジの方向を向く。喉の調子を確かめてから、本題を切り出した。

 

「ノレッジ女史。我々とダレン殿はこれから、怪鳥狩りへと向かいます。貴女は如何なさいますか」

 

「? えぇと、いかが、って言うと……」

 

「私共と行動を共にし怪鳥を狩るかどうか、です。勿論拒否権はありますが、ノレッジ女史は弩を扱うとダレン殿から窺っています。戦力としていてくだされば嬉しい事この上ないのですが……主や私と共に命を懸ける事を、お願いできませんでしょうか?」

 

 ネコと、隣に立つ仮面の狩人の瞳が、ノレッジを真っ直ぐに覗き込んでいる。

 ……命を懸けてとネコは言った。今のダレンやノレッジにとって、怪鳥は間違いなく「死」を予見させるモンスターだ。

 成体以上とはいえ、怪鳥自体は実際の所、狩人の相手としては中級の走り出し程度に過ぎない。最大の街であるドンドルマや、狩人の走りであるココット村などに常駐する狩人であれば苦もせず狩猟できるに違いない。

 だがここに居るのは、狩人としての経験が ―― 決して深くは無い書士隊員が2名。味方に狩人としての経験が豊富な2者が加わったとしても、一度植えつけられた意識は抜けようが無い。ノレッジにとって怪鳥は、未だ強大無比な怪物なのだ。

 それでも。思う所はある。

 ノレッジは、つい最近まで地質調査や机上での事務仕事を多くこなす、4等の見習い書士隊員だった。それを変えてくれた者こそが、ハンターという人種である。

 ギュスターヴ・ロンを筆頭とする引き篭もり派(と、彼女らには呼ばれている)の対極に立つ、行動派。前筆頭書士官ジョン・アーサーの遺志を継ぐその行動派には、彼女の上司であるダレンも所属している。自ら狩りの場へと赴き、時には武器を持ってモンスターと相対する。そういう危険と隣り合わせの調査こそ、「狩人を兼任出来る」彼らの仕事である。

 仕事の内容を知った切欠は、とある調査報告だった。ある書士官は凍土調査隊に自ら志願し、北極に近いアクラ地方の調査隊や現地のハンターに混じって、調査を無事に完遂させた。そして出来上がった、臨場感に溢れる調査資料。移り行く景色や強大なる生物の脅威。実際を余すことなく文に詰め込んだそれは、たまたま目にしたノレッジを驚愕させたのだ。

 止めは、ドンドルマを訪れた際の出来事。東シュレイドの首都リーヴェル出身のノレッジであるが、かつて学術院勤めの親に引き連れられ、ドンドルマという街を訪れた事がある。リーヴェルには、モンスター用の監視施設がある。だがその扱いにしろ機構の充実度にしろ、絶えずモンスターの危険に晒されているドンドルマ程ではない。リーヴェルは寒冷地ゆえ、防御機構は立地や気候に頼る部分が多い。防衛機構の充実のため、ドンドルマの体制や設備を学ぶ目的で立ち寄ったのだ。

 案内に連れられて早速と迎撃街に向かった両親とは離れ、土産物屋を回った後。突然、街の警鈴が鳴り響いた。

 偶然にも街の端……外壁の上にいたノレッジは、それを見た。―― 街の遥か遠くを横切って行く、山をも越える「大蟹」を。

 

 そう。遥かな距離を隔てて、見ただけなのだ。

 それなのに、かつてないほどの衝撃に息を呑まざるを得なかったのだ。

 既存のどの生物にも当てはめる事の叶わない(・・・・)、超上にして異質の存在。ただそこに在るだけで人々を脅かす、モンスター。

 幸い、大蟹はそれ以上ドンドルマに近寄る事はなかった。だがノレッジは、想像を凌駕する現実に打ちのめされる事になる。積み重なった出来事により、単純に、彼女は憧れたのだ。知るという事象による必然。学を修める両親も大切にしている、知識。調査を仕事に出来る書士隊。だけではなく、それらと対峙する狩人でもあり ―― この世界を視るという事象に。

 

「私も、見てみたいんです。未知のものを。直接この手で触れて、この眼で見て、肌で感じて。……それで初めて判る何かが。それがきっと、私の心を躍らせてくれるんです。怪鳥なんかで立ち止まってなんて、居られないですよ!」

 

 開かれた唇が意思を紡ぎ、表情は想いを帯びる。ノレッジは重量のある弩弓を2つに折って、背負った。ダレンが笑う。

 

「そうか。……ならば行くぞ、ノレッジ・フォール」

 

「はい!」

 

 2人を見ていたヒシュも、仮面の内で安堵する。その足元へ、キャンプの中から道具を見繕っていたネコが駆け寄り。

 

「まずは行商隊を逃がしに行くのでしょう、我が主」

 

「ん。この崖下まで、森の中を通ってこられる裏道を案内する。さっき、当たりをつけておいたから。いざとなったら泳げば、道なんて幾らでもあるし」

 

 協調し、方針を確認する。

 ネコは了解です、と主の方針を受諾し……

 

(でも、気になることもある。なんでこんなに……ランポス、いない?)

 

 主は、曇天に包まれたままの、星の見えない空を見上げ続けていた。

 

 





 ここまで読んでくださった貴方へ、厚く御礼を申し上げます。

 怪鳥さんを差し置いての作戦会議回でした。
 洞窟やらキャンプでごそごそしていただけという、絵面がイマイチなものです。その反動で、かは知れませんが、次回では主人公の(ある意味では)本領が発揮されます予定です。

 さて、これにて第一部の主要メンバーが出揃いました次第。そろそろ章題を飾ろうかと思っております。
 ノレッジ・フォールが口調が緩い娘になったのは、私の創作……ではなく。ハンター大全に載せられた文章から読み取れる彼女の気質を反映いたしました結果です。
 ネタバレになるのであれですが、彼女の文章はこれでいいのか、と突っ込みたくなるものばかり。その癖特徴だけは的確に捉えてくるから質が悪いのです。まったくもう、こんなキャラがいたら出さざるを得ないではありませんか(ぉぃ
 因みに。動機やらは彼女の名前に則りましたが、出身地は創作です。

 さてさて、古生物書士隊の紋章やら階級やらは、(ほとんど)完全に創作物です。階級については上木様の設定をオマージュ(土下座しつつ)しておりまして、実態についても、かなり近似したかもしれません。職位(階級)があるのは、現実的にも理に適ってしまいますし……一作者として他の作者様に影響されすぎるのもどうかと思うのですが、平にご容赦をばいただきたく。
 本作の設定として、軍という訳でも無いですし、実際には、本当の上役(筆頭書記官、幹部、及び一等書記官)以外はゆるーいものです。2等書記官からが隊長職であり、実働部隊の指揮を執ります。
 ですが書士隊という実働の部隊な時点で、役職自体の位はかなり低いという設定を致しました。それ故に緩めになる、と。大老殿とか、街付きのガーディアンとか、ギルドナイトとか。ハンターであれば位が高くなりそうな役職なんて、幾らでもありそうなのですがね。そこはまぁ、私ですので仕方が無いでしょう。

 さてさてさて、この話では怪鳥の強さを強調……誇張……もとい。とりあえず、本作ではゲームでの役割よりも重いものを背負ってもらっております。モーション的にも優遇されていると思うのですよね。ゲリョスさんやクルペッコさんはかなり別口ですし、不気味系ですから、あの愛嬌たっぷりな戦闘動作は事実上、怪鳥さんが独占している訳なのですし。大好きですよ、怪鳥さん。我が先生()、我が獲物()。ゲリョスも好きなのですけれども。

 さてさてさてさて。雑談の本編、「ギルドのフィールド」について。
 とりあえず、フィールド外についてはお決まりの捏造設定です、と。まぁ。作中で語ったので、これ以上を説明する事も無いのですが、本作において「フィールド」で戦う場面はかなり少なくなるでしょうとの謝罪をしておきまして。
 定点で戦う事による利点はやはり、第三者による観測が容易になる点でしょう。聞く所によれば、上位やG級の個体というのは経験を積んでより狡猾かつに、より強固になったモンスターであるとの事。……それはつまり、狩人や他種との争いに勝利した……「その場を観測されていた」という事でもあるかと思います。勿論、大陸は広大ですので、いつの間にか強くなっていた奴等もいるかとは思うのですが。
 フィールド、というゲーム内の設定をどこかで活かしたいなーとは思っていたのです。その結果がこの有様です。

 ……いえ、こんなものを延々と書いている暇があったら、物語の方を進めたいですね。頑張りましょう。程ほどに。
 4の話は次にでも盛りましょう。


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第七話 瞬き

 

 行商隊のいる洞穴を目指し、一向は湖岸を回り込んだ。

 暫く道なりに歩いていると緩い登りとなり、いつしか足元に岩盤が広がってゆく。道の先に洞穴が見えた。覚えのある景色と……人物を視界に入れるなり、ダレンは走り出していた。

 

「―― ライトスッ、無事か!?」

 

「なんだぁ、ダレンじゃねぇの! どうしたよ、景気の悪い顔して!」

 

 軽い口調で返したのは、大柄で筋肉質な男。周囲の人員よりは上等な皮のマントで体を覆う行商の長 ―― ライトスは穴の内側の岩壁に寄り掛かっていたが、ダレンが傍へ走り寄るとその身を素早く起こし、ばしばしと身体を叩いて互いの無事を確かめ合った。

 

「んな顔してちゃあ運気が逃げ込んじまうぜ? こっちも無事だしな」

 

「無事で何より。そちらこそ、無駄に景気のいいガタイは相変わらずだ。……ところで、行商隊への損害はなかったか?」

 

「うわはは! ま、この通り全員がぴんぴんしてらぁ。今回は運よくランポスにも襲われなかったがな? 逢ったら逢ったで、そんときゃ閃光玉で目を回してやりゃあいい。これでも俺らは道具の扱いに関しては一流なんだぜ。そんじゃそこらのハンターよりは物も知ってるしよ」

 

 ライトスの指差した先には、荷を守り立つ男達。更にその奥に十名程が寄り添うようにして座っている。モンスターに遭遇しなかった幸運もあってか、女子供を含めて欠員はいないらしい。ダレンは一先ずの結果に安堵の息を吐いた。

 安堵の息も束の間。脅威は未だ間近にあるのだ。ダレンは思考を切り替えようと、行動を提示する。

 

「―― ライトス。安全無事な所を悪いが、もうひと踏ん張りして欲しい。向こう数分ほど移動した先の崖下にキャンプがある。ここよりも広く、何より身を隠すための条件が揃った場所だ。私たちが護衛をする。どうか、着いて来てくれないか」

 

「移動で、身を隠す。……へぇ。つーこたなんだ、ダレン。あの怪鳥を狩るつもりなのかい?」

 

「ああ。幸運な事に仲間もいる。―― ヒシュ、頼む」

 

 そう声をかけると、ダレンの後ろに立っていた仮面の狩人がひょっこりと顔を出す。足元には、ネコが背筋を伸ばして立っていた。

 

「あんたが件のお仲間かい」

 

「どうも。ジブン、ヒシュ。こっちはネコ。友達」

 

「お初に顔を合わせます。私はネコ。友人でもある我が主のお供という、身に余る誉れを勤めさせていただいております。今回はダレン殿やノレッジ様とも行動を共にさせていただく事になりました。どうぞ、何卒、宜しくお願い致します」

 

 主よりもお供の方が長く、紹介として適切だ。

 ライトスはぼりぼりと頭を掻き、腰に手を当て、長々とした挨拶をありがとよ、と口にした。体を岩壁に任せたまま挨拶を返す。

 

「そんじゃあ、俺はライトスってぇ者だ。よろしく頼むぜ。大陸全土に張り巡らされた『四分儀商会』で、分隊の頭を務めてる。こう見えてやり手なんだぜ? 知ってるかい、『四分儀商会』」

 

 言って、ライトスは自慢げに顎髭を撫でる。それもその筈。四分儀商会は、大陸全ての街に支部を持つ規模の行商一団だ。分隊の長ともなれば相応の立場であり、ライトスのように青年の域を出ていない人物が分隊の頭になっているのは珍しい。

 しかし残念ながら、肝心要。相対する仮面の狩人にとっては今現在、久方ぶりの旧大陸である。馴染みは無い。

 

「……うーん、ごめん。ジブン、この大陸出身じゃあなくて。これから頑張って覚える」

 

「お、おお。……律儀なヤツだな。結構気に入ったぜ」

 

 かくりと頷くヒシュ。どうやらライトスは、実直な物言いに感じる部分があったようだ。

 ダレンはこの遭遇も上手く行った事には安心しつつ、続いて、ライトスへ行動を促す。

 

「それで、ライトス。……急かしたくは無いが、事が事だ」

 

「ああ、わかってるさダレン。あの怪鳥はどうしてやら、荷物にご執心だったろう? さっきみたいにダレン達が何とかしてくれなきゃあ、どうせ俺らは朝飯前にお陀仏さ。……崖下まで行きゃあ良いんだな? そっちの方が安全だってんなら、願ったり敵ったり。湖岸だっつぅんならここより食料も手に入れ易いし、遠浅のこの湖なら魚竜に襲われる心配もなさそうだ。全くもって構わんよ。―― 聞いてたな? 仕度を始めな、お前ら」

 

 長がくいと手を引くと、行商達が一斉に荷物を纏め始める。移動の為の滑車を引き、アプトノス数匹を奥から連れて来る。数人が槍を持ち、掲げた。あっという間に荷物が積み上がってゆく。

 

「はぁ。相変わらず早いですねー」

 

「ノレッジ嬢ちゃんにもその内分かるさ。時は金なり、ってな。さあてそんじゃあ……移動するぞ、お前等!!」

 

 ライトスの声に応じて、一団が歩を踏み出した。迅速な行動はライトスの指導故か。ダレンは文句一つ言わない友人の行動をありがたく思いつつ、ヒシュらと共に行商隊の前後を囲むんで位置取る事にした。

 穴を出、角を曲がり。何事もなく岩場を越えて密林の木々の間へと入り込む。入り組む枝に遮られているおかげで空からは見付かり辛くなったとはいえ、油断は出来ない。ダレンは移動しながら、今度は小型走竜……密林であればランポスだ……の出現を警戒し始める。

 すると、視界の端。

 

「……うーん」

 

 鱗に覆われた走竜ではない。が、唸る仮面が行商隊の荷物を見上げていた。何事かを思案しているのだろうか。

 暫く考え込んでいたヒシュは閃いたようにぽんと手を打つと、車の横を歩くライトスへと話しかける。

 

「ん。ライトス」

 

「おう、なんだいヒシュ」

 

「商品を幾つか、買って良い?」

 

 かくり。

 脈絡も説明も無いその質問に、ライトスが疑問符を返す。

 

「……それはなんだい。怪鳥を倒すためってか」

 

「ん、そう。ネコの話を聞く限り、大きさとか攻撃方法とか。相手のイャンクックは上位の個体だから」

 

 ヒシュの頭が自重に負けてかくりと頷く。ライトスは暫し唸りをあげ、

 

「―― 出来ればジャンボ村までしっかり納品したいとこだが、命あってのモノダネだ。わかったよ。アンタは俺の命を守ってくれる狩人なんだからな。必要だというなら、幾らでも売ってやるさ」

 

「ん。代金は、出来れば物々交換とかで。キャンプまで行けば、ランポス素材なら結構あるから」

 

「うっはは! しっかり代金を払おうとする辺り、商人相手にゃ良い心がけだ。益々気に入ったぜ! ……そんで、どんな商品をご所望だい?」

 

 ライトスは大柄な身体を反らして、声量低めかつ豪快に笑いながら訪ねる。

 怪鳥を倒す為の素材。ダレンが先ほど見た手際からして、ヒシュは調合にも長けているらしい。ランク3のハンターであるダレンも怪鳥の狩猟経験はある。今回の個体の様に成熟あるいは老成したものはまた別かもしれないが、一般的なイャンクック相手にとなると、音爆弾や閃光玉 ―― あとは基本に則った罠辺りだろうか。

 そう考えていたダレンの後で、ヒシュは指折り数えながら品目を挙げてゆく。

 

「まずは閃光玉と音爆弾を、あるだけ」

 

「ほう、基本だな。あとは?」

 

 ふんと鼻息を吐き出すライトス。彼にしてもここまでは予想通り。

 で、あるが、しかし。

 

「あと、忍耐の種とか、生命の粉塵とか。あればあるだけ」

 

「……あん? んまぁ、俺んとこならあるにはあるがよ」

 

 忍耐の種に、生命の粉塵。訝しげな声を発したライトスだけでなく、これはダレンにとっても予想外だった。

 忍耐の種は狩人が口にすれば反射機能が活性化し、皮膚が硬質化するとされ、結果として防御能力を上昇させる。生命の粉塵は、ばら撒いた辺り一帯に気付けと精力増強の効果があるとされている品である。しかし、忍耐の種は気休め程の効果しかない。生命の粉塵は撒いた範囲のモンスターにも作用し凶暴さが一層増すといった理由がある事から、狩人に好まれる品ではなかった筈だ。

 ライトスもそういった見聞を得ていたのだろう。注文に首をかしげつつも、商いは商い。部下に指示を出して注文の品を取って寄こした。袋詰めにされた忍耐の種と生命の粉塵が1袋ずつ、ヒシュの手元に放られる。

 

「そらよ、持ってきな。どちらもあまり流通の良い品じゃあねぇから、品数がないのは勘弁してくれ。そもそも密林は湿気ってるし、粉塵は効果が無いと思うぜ?」

 

「ん、十分。むしろどっちも、1袋分もあった事に驚いてる。四分儀商会、凄い」

 

「思わぬ所で凄さが伝わっちまったなー……俺としちゃあもっとこう、どーんと商人の粋を見せてやりたかったんだが」

 

 両手を広げてどーん、を表現するライトスに不思議そうな視線を向けつつ、仮面の狩人は商品を受け取る。

 

「ほらよ」

 

「よいよい。……それじゃあ、準備、始める」

 

 言うと下げていたポーチから粉末を取り出し、生命の粉塵と同じ袋に入れて混ぜ合わせ始めた。

 

「……って、おい。歩きながらかよ」

 

「大丈夫ですよ、ライトス殿。我が主にとって歩きながらの調合程度、慣れたものです。ですがその道具が我々の命運を左右します故、くれぐれも邪魔をなさらぬよう」

 

「おお、そら怖い」

 

 やり取りを続けるネコとライトス。聞いてか聞かずしてか、ヒシュは無言のまま調合を続ける。混ぜ合わせた後10回ほど袋を振って、ポーチから取り出したゴム質の手袋を履くと、腰に着けたぴかぴか光る虫籠の中へとぶちまけた。がたがたと虫籠が暴れ始めたのを確認して、そっと布で覆う。

 

「いいんですか? その虫籠、なんか暴れてましたけど。というか虫が暴れるって、カンタロスでも捕まえてるんですか!」

 

「暴れてるのは予想通り。というか、見ない方がいい。色々と部族秘蔵の術を使ってるから。あと、中にいるのは雷光虫」

 

「……えええ。ヒシュさん、そんな秘蔵の術を私達の目の前でやったんですか……?」

 

「ん。死ぬよりまし?」

 

 調合を終えると今度は、すり鉢と袋詰めの丸薬を取り出した。丸薬と忍耐の種とを混ぜ合わせ、更に、瓶詰めになった液体を注ぐ。白くて粘性の高い液体だ。

 物珍しさと手際の良さもあってか、いつしかヒシュの周囲には人が集まっており、その中に混じったダレンが単純な興味を口に出す。

 

「今の液体は?」

 

「モンスターのエキス、みたいなもの。密林でも、湿気の多いところなら稀に見付かるから、さっきの洞穴で採取してた。……出来た。硬化薬」

 

 仮面の狩人は出来上がった硬化薬をろ過して瓶に詰め替えると、空に翳した。

 硬化薬と呼ばれた瓶の中の液体は、綺麗な琥珀色に染まっている。出来栄えを確認したヒシュは、瓶を腰に着けて。

 

「準備良し」

 

「硬化薬とはそのような手順と材料で作られるものなのだな。……それは、ヒシュ。お前が飲むのか?」

 

「んーん」

 

 ダレンの質問にヒシュは首を振った。ならば何に使うのか。

 そんなダレンの問いかけは ―― しかし。一歩先に出た仮面の狩人と、木々を押し潰す風。そしてペイントの実独特の香りによって遮られる。

 

「し」

 

 木の幹に隠れたヒシュが指をたて、掌を行商隊へ向ける。隊一行が足を止め、息を潜める。

 ライトスらの進む先。指差す先 ―― 藍の強まった空に、1つの影が浮かんだ。密林の開けた場所に向かって、生物が降り立とうとしているのだ。

 ノレッジが草の間に身を潜めたまま、双眼鏡を覗き込む。特徴的な耳の一部が割れている。ダレンの斬撃によって裂けた部分と一致する。その香りといい、ペイントボールをぶつけられた個体……怪鳥に違いない。ダレンとヒシュが近寄り、小声で話し合う。

 

「どうする、ヒシュ」

 

「……ライトス達はそっちから回り込んで。降りていけば、崖の下まではすぐに着けるから。今日はランポスも見かけないし、多分、もう大丈夫」

 

「お前さんらはどうするよ」

 

 短いやり取り。ライトスの問い掛けに、ヒシュは角笛を取り出した。角笛は仲間との連絡やモンスターを惹き付ける際に使われる猟具である。それを取り出したという事は。

 

「引き付けて、狩る」

 

「へぇ。……いーい返事だ。頼んだぜ」

 

 ライトスはヒシュの背をぽんと叩くと、隊を引き連れて湖側へと下って行った。ヒシュがダレンやノレッジへ顔を向け、頷き合うと、移動を始める。

 移動の途中で、それぞれが外套……と呼ぶには小さい衣類……で上半身を包む。この外套は耐熱布と呼ばれる素材で作られる、ヒシュとネコが火山近くの村に立ち寄った際に入手した品だ。火山の近くに住まう火の民の間では一般的な作業着であり、高温区で活動する際に身に纏うらしい。この素材自体が瞬間的な高熱を遮断する為に開発された物であるため、飛竜種素材ほどの耐久はないものの、火炎液対策としてキャンプから持ち出したのだ。その効果の程は、ネコが火炎液を遮断した事実が立証してくれている。

 外套をしっかりと留め、一塊になって走る。木々の陰を縫って、行商達が下った道、その反対側の木々へと潜り込んだ。

 

「いい?」

 

 仮面の内からの問い掛けに、各々が頷く。ヒシュも頷きを返す。角笛を仮面の下に潜り込ませ、胸の奥まで空気を吸い込み……吹いた。

 ぶぉぉ、と重く深い音が森中に響き渡る。空に浮かぶ怪鳥の耳が、ぴくりと動いて見えた。音を聞きつけたのだろう。

 

「来る」

 

「御意に」

 

「構えるぞ、ノレッジ」

 

「はい!」

 

 角笛に引かれて怪鳥が旋回する。翼が風を裂く音が段々に接近する。

 再びの邂逅だ。植物は倒れこみ、木々が傾いて。

 

「―― グバババババ」

 

 密林の空から、地に脚を着けた怪鳥。

 睨み対峙する3人と1匹の狩人達が、一斉に武器を抜き放つ。

 

「ダレン。指揮を」

 

「私が、か?」

 

 ヒシュの提案に、ダレンは思わず疑問を浮べた。夜明けの近い密林は、未だ強い雨に降られている。仮面が頷き、伝った雫が泥の中に落ちる。

 

「ジブン、攻撃役だから、張り付いてしまう。ノレッジは遠い。ダレンなら、中間距離にいる筈。……どうしてもって言うなら、ジブンがやるけど」

 

 ダレンはこの言葉に、思案気な顔を浮べた。だがそれも一瞬の事。怪鳥から目を逸らさないまま、首を振る。

 

「―― そんな暇は無いだろう、今は。判った、私が指揮を執る。ただし私への助言は、いつでも受け付けよう」

 

「頼みました、ダレン殿」

 

「お願いします、先輩!」

 

 役割は決まった。怪鳥が足踏みをしながら反転する。蛇腹に耳を広げ、体を反らし。

 

「―― グバババッ、……ギュアアアッ!!」

 

 決戦の火蓋は、怪鳥の一鳴きに切って落とされた。

 

「行く」

 

「遊撃、開始します」

 

「前線は任せた。ノレッジは先ずは観察。慣れてきたら援護射撃を頼む」

 

「は、はい!」

 

 ネコとヒシュが素早く肉薄。ダレンは数歩後ろを回り込みながら駆け、ノレッジは初見である怪鳥の攻撃を観察すべく、弩を引き絞った後に両腕で担ぐ。

 初撃。閉じられたイャンクックの嘴から、僅かに液体が漏れ出して。

 

(ちぃ、いきなりか!)

 

 自らに脅威を与えた攻撃を予見し、ダレンは叫ぶ。

 

「火炎液だ!!」

 

「ん」

 

 既に嘴を目前に捉えていたヒシュが小さく頷く。右腕に着けていた鉄製の楯を外し、左手に持ち変えた。だが、そのまま。速度を落とさず、身体を反らした怪鳥に向かって行く。耐熱布をばさりと広げ ―― 怪鳥は、嘴を開こうと。

 

「喰らえ」

 

 右腕を振るう。嘴が突き出されたのと同時に、ヒシュが楯を投げ出していた。吐き出された火炎液は楯と衝突し ―― 鉄製の楯の重さと勢いに負け、散った。

 ダレンでは考え付かなかった方法だ。思い返せば、怪鳥の火炎液は放物線を描いていた。つまりそれは……リオレイアやリオレウスの様に……一直線に飛んでくる程の勢いが、火球には無いという事だ。確かに、怪鳥の嘴や膂力は人間を遥かに凌駕する。だが火炎液そのものならば、こうして楯でも相殺できるのか。そう、ヒシュの持つ観察眼と発想それ自体に感嘆の念を抱く。

 飛び散る火炎液の悉くを、ヒシュは広げた耐熱布で防いだ。怪鳥だけが自らの吐き出した火炎液の火の粉に降られ、どすりと一歩を退く。

 退いた分、ヒシュが一歩を踏み出した。左手に『ハンターナイフ』を構えて怪鳥の懐へと飛び込んでゆく。

 しかし、1撃。それだけを胴体に叩き込んで、飛び退いた。追ったネコが追撃を加え、同じく退く。ダレンもそれに倣い、翼を1度斬りつけて、尻尾による攻撃範囲を脱する事にする。

 脱すると、ヒシュは再び駆け寄っていた。剣を掲げ、斬り付け、また退く。そんな攻防を幾度も繰り返す。ヒシュの動きはだんだんと洗練されていき……

 

(まずは防御を、という事か)

 

 攻防の中で怪鳥の動きを観察しているのだろうと、ダレンは結論付ける。

 仮面によって狭まった視界にありながら、怪鳥の一挙手一投足を見逃さず。隙あらば攻め、隙を作るための手段を吟味し、その行動の成果を鑑みる。

 それらヒシュの動きを見ている内に、ダレンやノレッジにも怪鳥の攻撃を避けるための「道筋」が見えてきていた。横合や後ろなど、嘴の攻撃範囲外から接近する敵対者に対し、怪鳥はまず尾を振り回す。優先度としては次点に脚。翼は攻撃に使用しない。時折無理やりに身体を捻って後ろを啄ばもうと試みる事もあるが、姿勢を低くすれば直撃は免れる。

 移動手段を削るという意味で有用であろう脚を狙うのであれば、怪鳥が思い立った様に走り出すその瞬間だけは見極めなければならない。嘴ですらダレンを吹飛ばしたのだ。怪鳥の巨体、その体重全てを注ぎ込んだ突進に巻き込まれてはひとたまりも無いだろう。

 何度目だろうか。ヒシュが翼を斬り付けて横転し、尻尾を掻い潜る。そして今までの攻防よりも余分に距離を取った。だらりと力を抜いて、楯が放られ身軽になった右手で『ボーンククリ』を抜き……両腕に剣を構える。

 

「十分ですか、我が主」

 

「ん。……行く」

 

「ご武運を」

 

 ネコの声援を受け、腰を低く、地面の(きわ)を走り出す。これまでは画一的……手探りに斬り付けていたヒシュの動きが、変わっていた。

 尾を潜り両の剣を振るう。右足を踏み出すと回転を止めて体を捻り、逆周りに飛び上がる。軸を傾け縦に。車輪の様に回りながら怪鳥の皮膜に向かって2撃、叩き込んだ。左の鉄剣が皮を斬り、右の骨剣が直ぐ様露出した肉を叩く。時折剣を打ち鳴らし、怪鳥の攻撃を誘っては視界の外へと消える。

 突然変わったヒシュの動きは、未だ怪鳥の動きに翻弄されているダレンには想像の及ばない域にあった。怪鳥の動きと、呼吸と、その意識までを。怪鳥という枠を超え、目の前の個と同調している様にすら感じられる。

 しかし。動きが変わったとはいえ、まだ違う。剣の型だ。ダレンの知る双剣使いは舞う様に美しい動きを追い求めて剣を振るうものだが、ヒシュの双剣は通常のそれではない。

 連撃には比重を置かず、重心を留めず。

 一撃一撃が冷徹に……丁寧さと鋭さを伴って振るわれる。通常の双剣の型が時代を超えて磨きぬかれた剣だとすれば、ヒシュの剣戟はひたすらに殺傷を突き詰めた剣だ。型に囚われず。しなやかさを帯びた牙が、怪鳥を執拗に付け狙う。

 怪鳥も尻尾を鞭のように振るい、横を取ったヒシュや周囲を駆け回るネコを狙う。しかし尻尾が届く頃には、その反撃を予知した両者共に殺傷圏を離脱している。

 

「っぷはっ、ふぅ……っ」

 

 ヒシュが素早く転がりながら距離をとった。弩弓を構えるノレッジからも声が聞こえる距離まで戻り、気を吐く。そして怪鳥が身体を回転させ始めたのを見、またも駆け寄る。迷いの無い動きだ。ダレンやノレッジだけでなく他の者が見たとしても、初めてイャンクックを相手にする狩人だとは思わないに違いない。

 怪鳥が振るう嘴を僅かに避け、首元から身体の中心にかけて切り込む。両手に掴まれた骨と鉄の剣が甲殻を削り、足元に付いた所で足を止め、高速の剣戟が十字を描く。右手と左手の剣が交互に振るわれ、金属製の剣と怪鳥の甲殻とがぶつかるたびに青い火花が散る。それ程の速さと、鋭さを持った斬撃。

 怪鳥の意識は今や完全に、最も脅威となる狩人……ヒシュへと向けられている。

 

「おおおおっ!!」

 

 怪鳥がヒシュの方向を向いた瞬間に、ダレンは駆けた。嘴で攻撃をしている間は尾は動かせない。怪鳥の大腿を飛び切りし、ネコが小太刀による刺突で追撃。

 戦闘の流れを目で追っていたノレッジも、攻撃を試みる余裕が生まれていた。弩弓を腰に着け、構える。重量級の弩『ボーンシューター』の照準機を覗き込み、怪鳥へと向け、狙いを絞って行く。

 

「……っ、もう少し」

 

 飛び込み斬りを仕掛けていたダレンが退く。遊撃に徹していたネコが退く。ダレンの抜けた間を引き継いだヒシュが退いて……射線が空いた。

 怪鳥も攻勢を弛めた瞬間だった。ノレッジは迷わず、半ば反射のように引き金を引く。銃身から弾が放たれ、反動でノレッジの細身の身体が揺れた。弾丸はバシンという大きな音を伴って怪鳥の皮膜を直撃する。空薬莢が地に落ちる間もなく、続けざまに翼、身体、耳へと撃ち込む。撃たれていた怪鳥が、ノレッジの方向を ――

 

 ―― 怒りの形相に染まった顔と、脅威と対峙。

 

 怪鳥の威圧感を正面から受けたノレッジが、思わず竦んだ。怪鳥の脚はノレッジへと向けて、今にも踏み出されようとしている。

 

「御主人!」

 

「ネコ、閃光!」

 

 ヒシュが怪鳥の前に飛び出した。走り出そうとした怪鳥の脛を『ハンターナイフ』で斬りつけ、頭を動かそうとした瞬間には下顎を『ボーンククリ』でかち上げる。怪鳥の動作の起を封じてみせた。その隙にとネコが鞄から閃光玉を取り出し、ヒシュとノレッジの間に投げ込む。

 

「ノレッジ、閃光玉だ!!」

 

「……っは、はいっ!?」

 

 指揮を執るダレンの叫びによって、ノレッジも我を取り戻す。思いきり瞼を閉じた。閃光が奔ったその瞬間、視界が赤く染まる。

 

「バッ、グバババッ!?」

 

 イャンクックは目を焼かれ、視界を失った。手当たり次第に尻尾を振り回しノレッジ達を攻撃しようとして……ヒシュだけが怪鳥の傍にぴたりと張り付いて離れない。尻尾が周る度に足元を潜り反対側へと移動する事で避け、僅かな機を縫っては身体や翼を突き上げる。

 怪鳥が翼を広げた。飛び上がり、体勢を立て直すつもりか。飛ばれては、銃撃しか攻撃方法が無くなってしまう。

 しかし飛んでいる瞬間を落とせば、それは攻撃の好機でもある。ダレンはポーチの中を探った。が、必要な時に限って音爆弾は見当たらない。視線を前に戻すと、怪鳥は既に宙に浮いていた。

 

「―― 逃がさない。ネコ」

 

「了解です!!」

 

 ヒシュが飛び上がった怪鳥を指差し、ゴム質の手袋を手にはめながら叫ぶ。呼ばれたネコは近寄りながら、円筒の物体を幾つも取り出した。洞窟や、ここに来るまでに組み立てていた筒だ。その内側からは光が漏れている。

 ネコが離れて下さい、と鳴く。離れて。その言葉を聞いたダレンの脳内で、一つ、知識にある武器(・・)が思い出された。

 

「……これが作戦か! ノレッジ、離れていろ!」

 

「は、はいっ」

 

 狙いを悟ったダレンも叫ぶ。ノレッジは言われた通り、余分に距離を取る。退いた位置から振り向くと、ネコとヒシュが先程の筒を投擲している。無数の円筒がイャンクックの身体へと付着したのを確認し、こちらへと退避した。

 何をするつもりなのだろう。ダレンと、ノレッジが空を見上げる。見上げた先で、怪鳥は高度を増してゆく。見上げる目に、無数の雨粒が映り込み。

 雷。曇天は青白く光り、瞬きの間に怪鳥を襲った。

 

「ギュ、アアアアッ!」

 

 雷は、実際に空から落ちたものではない。ヒシュらが取り付けた筒状の物体が雷を発したのだ。落下する間に1度、落下してからも1度、連鎖した蒼雷が怪鳥を襲う。

 雷を放った物体。イャンクックの身体へ仕掛けられた円筒状の道具は、「爆雷針」と呼ばれる猟具と構造を同じくする。筒の体部には「雷光虫」という虫の放電器官が入れられており、衝撃を与えられると鋭い雷を放つ性質を持つため、時限式に炸裂させる事で十分な武器に成り得るのだ。その際に使用者や周辺に居る者が雷に巻き込まれる可能性がある為に十分な距離をとる必要があるのだと、ダレンは他の猟場で組んだ狩人から教わった事があった。

 だが、この雷はダレンの知っている「爆雷針」のそれとは一線を画す威力だ。恐らく道中ヒシュの行っていた調合による成果なのだろうが……今はまだ、この結果だけで良い。相対する怪鳥を目視しようと目を凝らす。

 小規模とはいえ幾つもの雷をその身に浴びた怪鳥は、満身創痍。甲殻は黒く焼かれ、落下の衝撃もあり、皮膜には無数の穴が開いている。ダレンとノレッジは、この光景に希望を覚え……仮面の狩人だけが足を止めず。

 

「仕上げ」

 

 ヒシュが再び剣を抜いた。瓶詰めの液体を取り出すと、左に持った『ボーンククリ』に垂らした。見覚えのある琥珀色の液体。硬化薬だ。液が刀身全体を覆った所で鉄の剣を腰に差して一刀に構え、地に臥すイャンクックへ向かって猛然と走る。

 

「―― がぁああっ!!」

 

 獣の咆哮。両手で持った剣を、怪鳥の皮膜に叩き付ける。爆雷針による雷撃で焼かれ……それでも鳥竜としての確かな硬さをもった翼膜を、『ボーンククリ』は容易に引き裂いていく。

 裂き進める度、怪鳥の叫びが一層の濃密さを纏って密林を響き渡る。翼膜を裂いた骨剣がその根元まで到達し、抜き去ると、翼と身体との合間に向かって突きたてた。

 

「ギュアア゛アア゛ッッー!」

 

 甲殻をこじ開け、軟骨を抉り、球間接を貫く。剣が怪鳥の肩に突き刺さると、左の翼がだらりと力なく項垂れ、流れ出た血が伝っては地に落ちる。

 痛みに堪えかねたのか、怪鳥が力任せに全身を振るう。翼に足をかけていたヒシュが剣の柄から手を離し、飛ばされ、素早く地面を転がって受身を取る。

 

「無事か、ヒシュ!」

 

「だいじょぶ。―― だけど」

 

「やりましたね、ヒシュさんっ!!」

 

 勝利を疑わないノレッジが喜び飛び跳ねる。ヒシュの隣に駆け寄ったダレンは、怪鳥を見るヒシュの仮面越しの表情を窺う。確かに、大丈夫といったヒシュ自身の身体に傷は無い。視線の先で、両翼両脚嘴を五体投地して伏せていたイャンクックが立ち上がり ―― 向き合う。

 

「っっ!?」

 

 ヒシュの視線を追っていたダレンも、視た。

 改めて見る怪鳥の嘴は厳つく、肥大化している。広げられた耳は傷つきながらも、一般的な個体と比べて明らかに大きいものだ。事前に考えていた通り、齢と戦闘経験を重ねた個体なのだろう。

 が。

 

「え、眼が……」

 

「……ああ。紅い」

 

 ノレッジが息を呑む。常ならば黄色い筈の怪鳥の眼が、今は、紅く光っている。雨に煙るその光は、深い夜に耀きを放つ双子星を想起させた。

 翼を広げる。頭を掲げる。翼と嘴がどす黒い瘴気を放ち、赤かった身体は端から黒く染まってゆく。

 

「―― ァ、」

 

 喉を振るわせる。第一声に、密林を覆う猛々しさは備わって居なかった。

 例えば、確かめるような。新しい身体を試すような。

 待ち兼ねた。怪鳥が雄叫びを上げる。

 左の翼は垂らしたままだ。

 嘴を、

 

「ッギュバアアアアアアーーッ!!」

 

 咆哮に連れられて、身体から赤い何かがたち昇る。

 筋肉が膨張し、骨格がみしみしと音を立て、節々から紫苑の棘が突き出して。怪鳥として形作られていた身体が、見るも無残に変貌を遂げた。まるで何かに急かされるかの如く、体積を増してゆく。

 

「これは……あ、主殿っ! 退却を ――」

 

 嘴を、開く。

 狩人達は未知の怪物その奥に、蒼く瞬く炎を見た。

 





 今回の更新はここまでです。
 御拝読を有難うございました。

 ……今回の後書は長いので、御注意くだされば。

 先ず、ヒシュ(仮)の調合した道具について。

 『生命の大粉塵』= 生命の粉塵+落陽草。
 粉塵については、作中色々と解釈が捻じ曲げられております。モンスター側にも効果がある、雨の中では使えない、等々。そもそも本作における「回復薬」は「痛み止めと気付けの効果がある」と設定されていまして。飲めば飲むほど効く! という事はありません。粉塵も例に漏れず、この様な次第に着地させて頂きました。
 回復アイテムについては今後も色々と思案追加をしていく予定です。

 『爆雷針』= ハリの実+雷光虫。
 流石に雷を引き寄せて落とすのは、想像付かない範囲かなぁ……と。なので、雷光虫の器官が可能な範囲で雷を発生させる道具と相成りました。作中では残念ながら、「ヒシュの強化した爆雷針で、やっと、対大型の武器として役立つ」という程度の威力に成り下がっております。
 私の愛用する道具でして、何かと出番は多いと思われます。

 『硬化薬(グレート)』= 忍耐の種+増強剤+アルビノエキス。
 2Gでは実際に、怪鳥さんなどが出現するエリアにてアルビノエキスを採取する事ができます(非常に低確率ですが)。
 このお薬もまた「皮膚が硬質化する」という設定を引っさげておりまして。「気持ち硬くなる程度で、有用性が実感できる程ではない」にランクダウンしました。
 が。実は……と。ヒシュが作中にて別の使い方をしております。これも原作に準拠した使い方ですので、今後に説明をばしたいと考えております。

 因みにゲームをプレイした方は、今回登場いたしました行商キャラ、ライトスが「音爆弾」や「閃光玉」「生命の粉塵」などを現物で持っているのに疑問を抱かれた事でしょう。
 ですが、「売る側」としましては……素材をそのまま売るぐらいであれば、加工までを施して付加価値をつけてしまった方が利益が出るのですよね。
 調合という技術自体は素材への理解や技術が必要らしいのですが、ペイントボールなどの仕組み(ペイントの実を包んである)を考えるに、そこまでの専門性は無いのではないかと。少なくとも「狩人でなければ出来ない」のでは無いのだと考えます。
 とはいえ、作中ヒシュがしているような「発光器官を取り除く」などの作業は必要です。その辺は加工用の雇い人が居ると言う事で、何卒ご容赦をば。

 尚、硬化薬の使用法や爆雷針の強化法等の作中オリジナルイレギュラーについてはその内に作中にて(ヒシュが、ダレン達に)説明いたしますご予定。


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-挿話- 仮面の内

 

 ライトス達は崖を下り、既にキャンプへと向かった。仮面の狩人……「被り者」はそれらを見届け、口に角笛を咥えた。思い切り息を吹き込む。音に気付いた怪鳥が巨躯を翻し、遂に目前、密林の地へと降り立つ。

 早速と、怪鳥は耳と翼を広げた。襟つきの首を前に出す動作に、ヒシュは出会い頭の咆哮かと身構えたが、どうやら違うらしい。自らの身体をひけらかす、威嚇であった。そも怪鳥自身が音に弱いのだから、音を出す器官が発達しているのかも疑わしい所だ。

 指揮はダレンに任せる。当初から考えていた方策だった。ヒシュが怪鳥の最も近くで剣を振るう以上、隊の指揮はしていられない。ダレンは快く了承をしてくれたため、これについては心配していない。ネコであれば兎も角、ノレッジの挙動はダレンの方が詳しいのだから消去法でもあるのだが。

 これで戦前の策は詰め。

 ヒシュは警戒を頭の端に置き、走る。一気に距離を詰めながら、怪鳥を間近に観察する。初めて眼にするモンスターだ。だからこそ怪鳥を判ろうとする。

 関節からして、肉の内にある主要な骨格は飛竜種と同じと考えて良いだろう。飛竜種と比べて頭は高く尾は短くなっているため、攻撃範囲が狭まっている。頭が大きいのは昆虫食であるが故……嘴の肥大化に伴う進化だろうか。内臓器官は判別できないが、あの身体を浮かす翼の大きさから察するに、体部の甲殻や骨自体は薄く軽くなければならない(・・・・・・・・)筈だ。

 生き物には身体がある。関節があり、肉があり、考えようとする頭がある。如何に目の前の怪鳥が強大だとしても、その一撃が狩人らにとっては致命的であったとしても。生物の関節稼動域には限界がある。疲労もある。火炎液とて、無限に放出できる訳でもないのだ。

 

ジブンの(・・・・)、フラヒヤでの仕事は、まだいい。頼まれた仕事も……ロンは時間がかかってもいいって言ってた。だからまず、行商隊を、助ける)

 

 そしてダレンやノレッジを。ヒシュは思考を切り、感覚器官の全てを怪鳥へと向けた。

 怪鳥を見る。その行動の原理を、視る。口の端に明かりが灯っている。ダレンの注意によれば、これは火炎液を吐き出す前駆動作らしい。

 考える間もなく右手の楯を外し、放った。

 灼熱の液体が散る。自らを耐熱布で守る。怪鳥が瞼を閉じ、顔に降りかかる火の粉から遠ざかろうとした。強引に抉じ開けたその隙を、ヒシュは間髪入れず踏み込んでゆく。

 左。『ハンターナイフ』で甲殻を一撃。

 金属剣は鉱物由来の鋭利さと整備の簡単さを備えているが、衝撃による刃こぼれがおき易い。生物素材で作られた剣は同値段帯の鉱石に比べれば鋭さに欠け、素材集めにも手間取るが、強度としなやかさに勝る。一長一短。だからこそ硬い部分に切り込むのならば「鋭利さのある」鉄剣からと決めていた。

 ヒシュは一撃離脱を繰り返し、怪鳥の様々な部分を切りつける。甲殻の硬さと切りつける際の危険を天秤にかけ、

 

(やっぱり、翼)

 

 迷ったのは脚と翼のどちらを斬るかだ。怪鳥を逃がさない為には、まず機動力を削ぐ必要がある。脚と翼のいずれにせよ、痛手を負わせれば移動手段の損失となる。また近隣の村々に危険を及ばす可能性を減らすという以外に、速度がなくなれば観測が容易になるといった意味合いも兼ねている。

 所々を斬りつけ、その感触を思い返す。怪鳥の巨体を一手に支える両の脚は、重心を支えている故に狙い易いものの、硬くしなやかに発達している。立てなくする程の傷を与えるに、自分達では装備が不足しているだろう。

 ならば、翼を。

 飛竜種であれば兎も角、怪鳥の骨密度を考えれば翼の能力を削いでしまうのが理想だろう。決まりだ。ヒシュは怪鳥から距離を取り、尾の範囲の外側で全身を脱力させた。右手に『ボーンククリ』を握り、双剣に構える。

 

「十分ですか、我が主」

 

「ん。……行く」

 

「ご武運を」

 

 ネコの声援を受け、弾かれる様に飛び出した。

目前に地面と赤い甲殻とが近づく。幼い頃から身に染み込ませた狩猟の技に任せ、思うがまま、身体の流れに任せて剣を振るった。怪鳥を視た……思い描いた動作の原理を身体の内に取り込んで。

 

 ―― 足元、邪魔だ。

 

始めて接触する相手だが、その思惑がしっかりと視えていることには安堵を覚えつつ。

 振り回された尻尾を掻い潜り、翼を車輪切りする。

 

 ―― 姿が見えない。どこだ。

 

 両の剣を打ち鳴らし、攻撃を誘う。来ると判っている攻撃を避けられない筈は無い。余裕を持って避けた際、反撃を叩き込む。

 

 ―― この小さな生き物が鬱陶しい。

 

 ネコに注意が向いた分、隙が出来た。全力で十字に斬り刻む。

 

 目の前の怪鳥と、生物と同調する。自分の中に怪鳥を住まわせ、その一歩先を行く。

 ヒシュの剣が怪鳥の悉くを削る。耳は裂け甲殻は剥がれ落ちた。まだだ。ヒシュはネコと引き攻めの呼吸を合わせつつ右腕を振るう。ネコが側面から刃面を押し付ける。ダレンがどちらとも違う方向から飛び掛り ―― 各々が離脱した、瞬間を。

 バシバシ、と、複数個の弾丸が怪鳥の翼に着弾した。ノレッジの射撃だ。翼から顔に向けて、正確に弾丸が撃ち込まれてゆく。

 剣と怪鳥との狭間に空けたままの隙間で僅かに思索する。機としては間違いではない。射の才もある。位置取りなどは、経験を積めば研鑽されるであろう。が。残念ながら、怪鳥の機嫌だけが悪かった。

 

 ―― 今のは、お前か。

 

 怪鳥がノレッジを見やる。怒りを湛えたその双眸が少女を捉えた瞬間、皮鎧に包まれた身体が目に見えて強張った。あれでは怪鳥の突撃を避けられない。

 判断した瞬間、両の手と身体が動いていた。脚を斬り顎をかち上げ、怪鳥を縫い付ける。ヒシュの意図を汲み取ったネコが閃光玉を放り、怪鳥の視界を奪った。

 斬りつける。只の凌ぎで終わらせるつもりは無い。眼を潰された怪鳥は、その戦闘経験故に、空中で時間を稼ぐべく翼を広げるだろう。その間を、反撃の機として利用する。

 

「逃がさない。ネコ」

 

「了解です!!」

 

 後ろではダレンがノレッジへ距離をとるよう指示を出している。正しい指示だ。ヒシュがゴム質の手袋で取り出した「爆雷針(これ)」は、一般的な雷光虫の発電器官によって作られたものではない。

 先に調合していた『生命の大粉塵』は、一説に若返りの効果すらあるといわれる幻の薬である。ヒシュはそれを、密林で捉えた雷光虫たちの入った虫籠へとぶちまけていた。一般的な雷光虫であれば、狩人らを一定時間痺れさせる程度の電圧しか発しない。だがヒシュは「元の大陸」での経験から、この虫が環境の変化に対して敏感である事を知っている。

 ジンオウガ ――『雷狼竜』と呼ばれるその生物は、雷光虫との間に共生関係と呼べる間柄を築き上げていた。ジンオウガの発する雷を使って活性化された雷光虫は、通常のそれとは区別され、『超電雷光虫』と呼ばれる非常に強力な個体へと昇華するのだ。

 更には、自然な環境においても巨大化した「大雷光虫」が発生する事象も確認されている。流石に人の手による……『生命の大粉塵』だけでは、永久的な強化は不可能であろう。しかしながら、この一瞬。怪鳥を落とす為だけにならば。

 ネンチャク草によって張り付いた爆雷針が、炸裂。手傷を負った怪鳥は姿勢を保つ事が出来ず、高空から泥の中へと墜落する。

 

「仕上げ」

 

 ここだ。移動手段を奪う絶好の機。

 ヒシュは素早く腰に着けた瓶を取り、蓋を外す。『ハンターナイフ』を腰に着けて『ボーンククリ』だけを水平に構えると、右手で薬液を垂らしていく。硬化薬が刀身を覆うと、めきっと刃が軋む音がした。握った骨剣の密度と重量が増した感覚がある。

 効果を増した硬化薬は、生物由来の剣を強化する際の素材としても使用される。狩人達の間ではあまり知られず、主に工房で使用される技術だ。本来は鍛錬と鍛錬の合間に層を成す様に折り重ねて使用する……の、だが。

 

(これも一瞬だけなら、なんとかなる。 ―― こういうの、あの姫様が居たからこその知識だけど)

 

 思い耽るのも束の間。感慨は息と共に吐き出して、怪鳥へと切りかかる。

 硬化薬によって強度と切れ味の増した『ボーンククリ』は、怪鳥の翼膜を難なく裂いてくれる。これならば、という確信が持てる。翼膜を裂ききった所で、左翼の根元に向けて剣を突きたてた。

 絶命したのではないかと錯覚する程の怪鳥の悲鳴が密林を響き渡る。剣は怪鳥の関節を砕き、左翼が力なく弛緩した。これでこの怪鳥は、密林を飛び回る事が出来なくなった。

 怪鳥と言う個を内に入れたヒシュは、二度と空を飛べないという事態に「罪悪感」を感じてしまう。いつもの事ではあるものの、それとて慣れる訳ではない。

 せめてもの払拭を。そう考え、狩人として怪鳥を殺す為の更なる追撃を仕掛けようと……肩に刺さった骨剣を抜こうと手をかけた。

 その時。

 

「っ!?」

 

 怪鳥が身体を揺すった。揺すられた身体、それ自体に力は無い。張りつこうと思えば怪鳥に追撃を加える事も可能だっただろう。それでもヒシュは飛び退いていた(・・・・・・・)

 同調していたからこそ、視てしまったのだ。

 閉じられていた怪鳥 ―― その身の内に在った黒い何かが、芽吹いていたのを。

 

「え、眼が……」

 

「……ああ。紅い」

 

 左の翼だけが垂れたまま、怪鳥だった(・・・)モノの双眸が赤い輝きを灯していた。ダレンとノレッジの困惑と驚愕が入り混じった声。だがそれは、ヒシュとて例外ではない。

 

(っ。アレは……)

 

 先の雄叫びは、やはり、怪鳥が絶命した断末魔であったのだ。

 怪鳥の身の内から溢れ出たコレは、間違いなく怪鳥では無い。

 ヒシュが内に視たのは、時を刻み重ねられた経験。堆積した経験はいつしか黒く結晶化し……時に冷徹に、時に獰猛に、怪鳥の体を蝕んでゆく。

 未知の混沌。目の前に姿を現しつつあるのは、分化と進化を繰り返した系統樹の中にあり、めまぐるしい生存競争を勝ち抜いた ―― 混じりうねる『生物の結晶』。

 

(見つけたっ)

 

 誰が。何時。何処で、何故。

思索を巡らせど、どういった経緯で怪鳥の身の内にあったのかは判らない。

それでも、一つだけ判る事がある。

 

(今! 今顔を出されるのは、まずい!)

 

 この大陸に来たばかりだ、しかも素材収集を主としていたために、戦う為の装備が無い。この怪物を相手取るだけの備えがない。何より、目前で姿を変えつつあるこの生物は、敵対するには未知に過ぎる。

 幸い、左翼の機能は封じられている。少なくともすぐには動けない。監視は容易だ。最低限の仕事は成した。撤退戦をするべきなのだ。

 時既に遅し。怪鳥の身体は作り変えられ、黒く染められた「未知」へと成り果てた。膨張した身体。突き出した棘。長く変質した尾。赤い気を放ちながら雄叫びをあげると、暫し身体を捩った後に嘴を開く。

 

 そして開かれた嘴の奥で ―― 蒼い炎が瞬いている。

 

 危険性を悟るが早いか。ヒシュは地面に転がる鉄楯を拾い上げ、耐熱布と揃えて「未知」へと向けた。前に出て防具の軽い射手(ノレッジ)の前に陣取ったのは、狩人としての経験による無意識か。

 ゆっくりと流れる時間の中で、ノレッジと、ネコの驚き顔が視界の端に映る。憮然とした表情しか見たことのないダレンですら驚愕を顔に浮かべ……それでも彼は、左手の楯をしっかり前へ構えていた。彼はこれ(・・)が危険だと、迅速に判断したのだ。場違いとは判っていても、ダレンの持つ確かな素質に安堵を覚え ―― 僅か遅れて閃光が奔る。

 眩い光。熱さを感じる前に浮遊感と衝撃に襲われる。

 何処かへと投げ出された感覚だけを残し、瞬間、身体と意識が切り離されていた。

 



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第八話 陽は再び

 

 それはヒシュが素早く楯を拾い上げ、耐熱布を広げ、並ぶ狩人達の列から一歩を踏み出した瞬間の出来事。

 

 蒼炎が、密林の闇を穿った。

 

 楯で防ぐ事が敵う炎ではない。前に出たヒシュが軽々と宙を舞う。僅かに遅れてダレンとノレッジとネコが、爆風に吹かれ熱に晒され地を這った。

 怪鳥の吐いた炎は木々を薙ぎ倒し、雨粒を燃やす。

 蒼炎は辺り一面までを焼き払い、ようやく落ち着きと本来の赤さを取り戻した。雨の密林一帯に揺らぐ炎が、夜明けの空を煌々と照らす。

 炎の向こうでは惨状の主 ―― 眼を赤く光らせ棘の生えた異形の怪鳥が首をもたげた。嘴を天に抗って翳し、喉奥からの咆哮で雲を貫く。

 

「―― アアァァ、ギュアアアアア゛ーッ!!」

 

 正しく怪物の産声。

 異形の怪鳥は左翼の付け根にヒシュの『ボーンククリ』を突き刺されたままだ。だが今や、それすらも異形を成す一部でしか無い。

 頭を下ろし。貫かれた左の翼を折り畳んだまま、片翼の怪鳥は狩人らを見やる。

 

「……あ……」

 

 地に倒れる狩人らが見上げる。怪鳥は遂にその全身を黒く染め上げられていた。もはや鳥竜種という域には無い。生物の高みをも越えた、何か。

 何か。身体を(よじ)り、肥大化した身体に馴染ませるように、残る右翼を上下に揺する。

 

「……ぐ」

 

「ヒシュ、さん」

 

「残念ですが、やらせはしませぬ」

 

「……ネコ」

 

 怪鳥の視線を遮り、ヒシュとネコが立ち上がった。ネコの外套は飛び去り、ヒシュの右肩がだらりと下がったままになっている。それでも主従は怪鳥の視線を正面から受け止め、残る『ハンターナイフ』と小太刀を抜き放った。

 炎の壁の向こう側。怪鳥は値踏みする様にハンターらを見回す。

 双眸が仮面を捉え、そこでぴたりと、顔の動きを止めた。

 

「―― けた。みつ、けた。みつけた。ウン」

 

 視線を向けられた側。見つけた、とヒシュは言った。言葉には仮面と声音だけでは0隠し切れない、確かな喜色が含まれている。

 身を、仮面をカタカタと震わし。踏み出し鉄剣を構え、その切先で怪鳥を指して。

 

「……」

 

 燃え盛る炎を背景に、揺るがぬ剣先と震えぬ喉笛とが交差する。

 ダレンとノレッジは未だ衝撃から立ち直れずにいるために反応できなかったが、平時であったならばヒシュの正気を疑っただろう。刺さった『ボーンククリ』によって飛ぶことは出来ない。だが、只の一撃。蒼炎を吐いた一動作で、この場に居る狩人達は追い詰められているのだ。防具も頼りなく、得物は最低限。ギルドからの援軍も今すぐには望めない。先の蒼い炎も、耐熱布と咄嗟の防御がなければ此方が死に追いやられていたであろう事は、想像に難くない。そんな相手に、それでも、どうあっても、満身創痍の狩人は立ち向かうと言う。絶対的なその意思を、立ち上がり刃を向ける事で示すのだ。

 怪鳥は首を高く持ち上げ、暫しヒシュと視線を交わらせ。

 

 ―― しかしくるりと、踵を返した。

 

「あ……え? え?」

 

「去って行く、だと?」

 

 背を向けた怪鳥は軟くなった土を踏み、一歩、また一歩と遠ざかる。黒く染まった身体は炎と熱の幕を潜り、明け方の闇に溶け、強大な気配の残滓を振り撒きながら密林の内へと消えてゆく。狩人らは暫し茫然と、その背を見送った。

 ヒシュが無言のまま剣を降ろし、ネコは新たな外套を着込むとその中に腕を戻す。ダレンとノレッジは、雨に降られた密林の炎が消え止むまで、怪鳥の消えた先を見つめていた。生き残る事ができた。その安堵の息を吐く事すら忘れたままで、ただただ呆然と。

 炎を消す役目を終え、夜の雨はあがりつつある。雨粒は次第に小さくなり、空が端から鮮やかな橙色に染まってゆく。

 

「……ん。んぅ」

 

「……主殿っ!?」

 

「ヒシュ、大丈夫か」

 

 瞬間、ヒシュがよろめいた。横にいたネコが支えようとして……支えきれないであろう事を予見したダレンが素早く抱える。ヒシュの身体は小刻みに震え、足腰はおろか腕にすら力が入っていない。よくよく見れば耐熱布は溶けて千切れ、鉄製の丸楯は遥か彼方で泥に埋まっている。傷が少ないのは顔にある仮面だけだ。

 この様子を目にしたノレッジが、自分を庇って受けた傷だと言う事に思い当たり、慌ててヒシュへと駆け寄る。

 

「ヒシュさんっ! お怪我のほどは!?」

 

「ん、駄目っぽいのは肩の脱臼だけ。……ダレンとノレッジがいて、良かった。ジブンとネコだけだったら、多分、ここで倒れてたね」

 

「にゃあ。私はこの体格ですので、主を抱えての移動は無理ですからね。そもそもあの怪鳥のおかげで、応援を呼ぶ為に要するに体力があるかどうかも怪しいです。ダレン殿とノレッジ殿がいて下さる幸運に感謝しなくては」

 

「それも私達が依頼したせいではあるのだが……まずは無事に生き残ることが出来た事を喜ぶべきだな」

 

「ん。そう」

 

 ダレンとノレッジが安堵の息を吐いた所で、緑海が輝いた。脱力した一同を陽が照らし出す。

 改めてみると、戦闘地域となった一帯は焼け野原だ。この惨状からするに、報告書は必須であろう。ギルドと、書士隊に向けて狩りと調査の報告を纏めなければならない。それにライトスらの無事を確認する必要もある。そもそも未だ、ジャンボ村まで遥かな距離を残している状態なのだが ―― 一先ず。

 狩人らは疲れや緊張から、もう少しだけ焼け野原に座り込む方針を決め込むのだった。

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 密林のフィールド端からの帰りの路は、思いの外順調に進行した。

 ライトス達は無事キャンプまで到達しており、ダレンら狩人が一様にボロボロの状態を見るなり、傷薬の安売りを開始(流石にその場で払いを求められはしなかったが)。軟膏塗れとなった一行はそのまま湖岸で休息を兼ねて1晩を明かし、次の日にテロス密林の端を離れた。

 

 そして現在。

 ジャンボ村へと向かう行商と狩人の一団はつい先、中継の村に到達した所である。

 

 四分儀商会の副長と狩人を代表したダレンが、この村の長と補給の交渉を行っている……その一軒家の脇にある空き地。子供らが元気に走り回る地面の端にアプトノスが座り込み、その背上に仮面を被ったヒシュが寝ころんでいる。

 ただし、何もしていない訳ではない。ヒシュの手には光源が握られている。カチカチと明滅させると、空に浮かぶ気球から信号が返ってきて。

 

「―― おう、ヒシュ。こんな所に居たのか。脱臼しちまったって聞いたぜ。その肩は大丈夫なのかい?」

 

「ん、ライトス。ジブン、痺れていただけだから」

 

 横からライトスが、ぬっと巨漢をのぞかせる。村長との仕入れ交渉を副長に任せ、彼自信は先程まで子供達と遊んでいたのだが……遠くで子供らに囲まれるノレッジとネコの姿が見えた。今はそちらも任せ、こちらに寄って来たようだ。

痺れただけ、と話ながら肩をぐるぐると回して見せるヒシュに、怪我を引き摺る様子はない。自分達を守るために奮闘した狩人の無事な様子には安堵しつつ。

 

「お姉ちゃん、本読んでー!」

 

「うん? あ、そうですねー。物語のご本はありませんけれど、図鑑ならありますよ。モンスターは好きかな?」

 

「アイルーは好きー」

 

「私の属する種を好いてくれるのは有難いことです。……これで耳を引っ張られていなければ、素直に喜べるのですが」

 

 先程までライトスもそうだったように、元気な子供達が集まり、広場には喧噪が満ちている。

ノレッジが図鑑を開くと、その周囲に子供たちが人垣を作る。ネコは少女の膝に抱えられ、その三角の耳や髭を弄繰り回されている。

 それら様子を横目に捉え、次いで、ライトスは視線を空へと向けた。ヒシュが気球と連絡を交わしている。

 気球といえば、であるが。

 

「こんな密林の辺境に、お偉い方んとこの気球が浮かぶなんてな。奴さん、どうやって連絡をつけたんだ?」

 

 ライトスが両手を腰にあてながら発した疑問に、ヒシュは振り向かないまま。カチカチと機器を弄って光信号を送る度、仮面の下顎がゆらゆらと揺れて。

 

「ん、当然。当たり前。……あれだけ密林が燃えていて、ギルドが観測をしに来ない筈が無いから。あとはしっかり、行き来する気球を見つけられれば良いだけ。今、ジブン、あの怪鳥を監視してくれるようにってお願いした」

 

 光による交信を終えたヒシュが手を振ると、気球は明滅を返しながら風に乗り、山側へと昇ってゆく。向かう先。遥かに広がる密林を越えた先には、雄大な峰が連なっている。高さはフラヒヤの山々やヒンメルン山脈には及ばない。が、湿密林としての側面を持つテロスの山々は流れ落ちる水脈により地を削られ、高地を生む。連なる山々と、外界から隔離された高地。緑と水とが織り成す静謐。その内には未だ多くの『未知』が飲み込まれていおり……そして未知とは、脅威でもある。あの怪鳥もそんな未知の一部なのだろう。

 

(まあ、それにしても大捕り物だったって聞いたけどな。それこそこれから、ギルドも動かにゃならんほどの……)

 

 空き地で子供らと遊ぶノレッジやネコが蒼の天蓋にぷかりと浮かぶ気球を見つめている傍らで、気球との連絡という仕事を終えたヒシュはアプトノスの上で胡坐をかいた。ライトスはそんなヒシュを思案気な顔で眺め、自らの顎鬚を撫で、やや声を小さくしながら。

 

「……監視をお願い、ねぇ。けれどよ。ありゃあただのギルド所属の気球じゃねぇだろ。紋章はないが、古龍観測隊の気球だ。球皮の造りも構造も違う。……んなもんに『お願い』だぁ? お前はいったい何者なんだっての、ヒシュ」

 

 ライトスが自前の強面を掲げ、ヒシュへと尋ねる。彼としては核心をついたつもりの問いだ。が。

 

「んー……ジブンが、というよりも、今回はあのイャンクックが特殊だったから。危険度の高いモンスターに関する『お願い』なら、ギルドマネージャーの権限で、結構すんなり通せたりする」

 

「……そりゃあ、相手が古龍観測隊でもか?」

 

「言ったけど、あの怪鳥は、特殊。古龍観測隊だって、年がら年中古龍ばっかりを追いかけている訳じゃあないから。……でも、昨日の怪鳥の特殊さ……の詳しい事は、村に戻ってからじゃあないと説明できない。今、いくつか調査資料を請求した。村に着いたらライトスにも説明する」

 

 ヒシュは存外あっさり、すんなりとした答を返していた。時折カクリと傾くのも、たどたどしい言葉の接ぎも変わらない。

 こうも当然の様に返されては仕方がない。ライトスの顔に自嘲の笑みが浮かぶ。

 

「……んまぁ、お前を気に入ったってのは確かだしな。俺は俺自身の眼を信じるか。俺の家族と、ダレン達への害意が無いならそれでいい。と。村での説明は楽しみにしとくぜ」

 

「ん」

 

 自身の眼を、と言ったライトスの言い様が、実にらしかった(・・・・・)のだ。ヒシュは自然に、仮面の内で笑みを零し……零した頃合。

 

「―― ヒシュ」

 

 呼ばれ、ライトスと揃って声の主の方を向く。すると声の主、ダレンが村長の家の扉から顔を出していた。ヒシュは1足にアプトノスを飛び降りると、ダレンの元へと走る。ダレンは窓際に留った鳥便を指し。

 

「たった今、ジャンボ村の村長と連絡が取れたそうだ。追って向かわせてくれたアイルーらの搬送部隊が、もうすぐそこまで来ているらしい。旅の荷物は少ないに越したことはないのでな。私共も荷物を纏めようと思うのだ」

 

「わかった」

 

 言葉を受けたヒシュの足元へ、聞きつけたネコが素早く駆け寄ってくる。後を追ったノレッジやライトスも揃った所で、声をかける。

 

「ネコ、ライトスも。この村から、アイルーとか鳥達が荷物を運んでくれるみたい」

 

「ノレッジ・フォール。私達も行くぞ。運んでもらう調査資料を選別する」

 

「はいー、先輩!」

 

 各々が荷物を背負った竜車へ向かい、荷物をまとめ出す。

 

「おら、さっさと動け! くれぐれも盟友に迷惑をかけんじゃねぇぞ!」

 

「「「うす!」」」

 

 屈強な男達がライトスの号令で動き出す。重さはあるが括り易い荷物を優先して動かし、繊細な商品と区分けしてゆく。何しろ、彼らが盟友と称するアイルー族の搬送は、速さと小回りはあれども「雑」なのである。

 力仕事の荷物分けである四分儀商会に対して、ダレンとノレッジの作業は集中力を要する。資料の貴重さと分量、そして送り先を吟味した上で「送っても良いだろう」というものを樽へ納めなければならないからだ。因みにノレッジが元仕事の習慣で回収していたモンスターの糞便は、ダレンの手によって真っ先に樽の中へと放られている。

 一団に属する最後の勢力 ―― ヒシュとネコに関しては、密林に居た時点で既に仕訳と梱包の作業は終えている。自らが管理責任を負わなければならない行商と違い、獣人族便や鳥便のための荷物作りは、狩人にとっての生命線。至極当然の動作に近い。

 宿泊予定の村の広場にて、仕分けは夕方近くまで行われた。それぞれが荷物を纏め終えて一息ついていると、遠くから鈴の音が近づいてくるのを見張りの村人が聞きつけた。伝令を受けた狩人らは広場まで足を向け、到着を待つ。

 

「……あれか?」

 

「わぁ、いっぱいいますねぇ~」

 

 ダレンが眼を凝らす先には、密林の上を滑り飛ぶ鳥の群れがあった。それらが近づき ―― 荷車を引いて地を走るアイルーの一隊も、木々の間から顔を覗かせる。

 目前にびしりと揃って隊列を成す動物の群れ群れ。ノレッジの瞳が好奇に染まり、ダレンは感嘆の息を漏らす。

 僅かな間があって、アイルー隊……それと鳥達の先頭に立った一際眼を引く「傘を被ったメラルー」が前に出た。咥えていた植物の茎を手に持ち替え、腕を組む。真っ先に隻眼を向けたのは、正面主の横に立つ獣人である。

 

「……お前だったニャ、ネコ」

 

「ふむ、『転がし』の。お久しぶりです。御健勝でしたか」

 

 ネコがお辞儀をすると、鈴の音が鳴る。すぐさまヒシュへと振り返り。

 

「主殿。こちらは私が王国にいた頃によくよく衝突した類の、旧友です。物運びを生業としています。……今の通り名は、何です?」

 

「……ニャン次郎」

 

 ニャン次郎と名乗ったメラルーは申し訳程度に頭を下げると、傘を目深に被り直す。ネコはその変わらぬその様子に溜息をついて。

 

「こう見えて『転がしの』の速度と経路繰りは一流です。ですが性分がこの通りでしてね。お気を悪くなされぬ様。そして何卒の御配慮を」

 

「んーん、気にしない」

 

 解説を加えたのはニャン次郎が狩人らと折り合いの悪いメラルーという種族であるからに他ならない。アイルーと良く似た……しかし体色が黒く染められたメラルーは、狩場における手癖の悪さのせいで、悪名ばかりが轟いているのである。

 だがネコとて、ヒシュが「気にしない」のを理解した上での念押しの発言である。付き合いの浅いダレンやノレッジ、果てはライトスでさえ「気にしない」の台詞が次がれるのは容易に予測出来ていた。

 

「……へぇへぇ。どうせあんたらは、あっしらに期待なんてせんでしょう。せいぜい小間使いが良いところ。ならば速い方が都合も良かろうに、てなぁ考えでさ」

 

「ん? そう? ……なら、ネコ」

 

 ニャン次郎のついた悪態に、しかし、ヒシュがかくりと傾いで。懐から取り出したのは ―― 黒紫に染まった、堆積する闇を思わす鱗。あの変貌した怪鳥が、自らの炎に吹かれて落とした品である。

 たかが一枚の鱗。

 その一枚が持つ圧倒的で濃密な気配を目の当たりにして、強者の気配に敏感なアイルーや鳥達がびくりと身を震わせた。それは次第に伝播し、腰を抜かすもの、飛んで逃げ出すものまで出始める。

 人間たるダレン達とて例外ではない。ダレンとノレッジは身に刻まれた脅威を掘り起こされ、あの怪鳥を目にしなかったライトス達が思わずじりと後ずさる。遠巻きに広場の様子を眺めていた村の子らなど、各人の親に抱えられながら目を塞がれている始末。

 

「ニャンだ、それは……!? ……。……まさか!?」

 

「これ、樽の中に」

 

「承知しました我が主」

 

 ヒシュはそれを、なんの気負なくネコに手渡す。渡されたネコも主の発言には一切の異議を唱えず、ニャン次郎らが運ぶであろう樽の中へと押し込んだ。

 こうしてしまえば、むしろ樽が異様な雰囲気を放ち始める。あれを転がして運ばねばならないニャン次郎は、肉球の間が汗ばむのを感じた。

 

「ついで。それも、ジャンボ村までお願い」

 

「ええ。私からもお願いします、『転がしの』」

 

 しれっと言い放つネコとヒシュに、怒りとも呆れともつかない感情が沸く。

 確かにニャン次郎は、皮肉を込めて「貴重なものは入れないだろう」と言った。だが、本当に、それも「そんなもの」を入れる奴があるものか。

 この狩人は、思考の筋が全くもって読めない。頭の螺子が外れているのではないだろうか。……最もそれはニャン次郎だけでなく、この場に居る殆どの人間が思った事ではあるのだが。

 

「信頼には、信頼で応えて欲しい。……少なくともジブン、メラルーの事を悪く思ってない。部族には部族の考えと生き方がある、って、それはジブンも同じだから」

 

 仮面の狩人のこの言葉に、ニャン次郎は芯の在り様を感じた。部族には部族のと言っておきながら、この狩人が見ているのはメラルーではない。ニャン次郎そのもの、自身をこそ見ているのだ。

 自分はこの役目に誇りを持っている。唯一の引け目であった種族を否定されたのならば、こうしてなどいられない。

 ニャン次郎はあんぐりと空けていた口を閉じ、落としていたハッカ茎の代わりを取り出すと、憮然とした顔で告げる。

 

「……アンタの名前をお聞かせ願いたいニャ」

 

「ん、ヒシュ」

 

 名を受けるとそのまま、樽を足で蹴り飛ばす。倒れた樽の音に、狩人らの驚きと鈴の音とが重なった。

 横転した樽のその上に、手馴れた動きのニャン次郎が飛び乗って。

 

「なら、ヒシュ。アンタらの荷物、あっしが確かに預かりやした。一足先に失礼させていただきますぜ。あんたらはジャンボ村で荷物と対面してくだせぇニャ」

 

 傘をくいと直し、深く被る。

 そのままやや上を向いて、深く息を吸い ――

 

「―― おめぇら、行くニャ!」

 

 生物等の集団を、一喝。一声によって木箱は飛び上がり、荷車は動き出す。樽を転がしたニャン次郎自身も、陸と空の搬送部隊を引き連れて、また木々の間へと消えていった。

 暫し過ぎ去った出来事を反芻する自身以外の人々に向けて、のんきに振っていた手を止めた主従が付け加える。

 

「あ奴……『転がしの』は、職業的運び屋なのです。大陸の境無く活動をしており、狩人の間では結構知られた名でして。それ故に、一般的行商などに任せるよりも安全で確実だと思われます」

 

「それに、アイルーやメラルー達は、ジブンらの知らない道を知ってるから。日程も結構縮められる、ハズ。……でも」

 

 話しながら、ヒシュは家屋の中へと視線を向ける。その視線に怪鳥と対峙した力は既に無く。

 

「明日は日が昇ったら出発したい。だからもう、眠っても良い、と、思うんだけど」

 

 日はとうに沈んでいる。皆は疲れきってもいる。仕事であった荷造りは終えている。場は既に、宿泊予定の村の中。

 ヒシュの至極全うな意見に、反対の言葉を差し挟む者など居よう筈もなく。

 一団の意識は、すぐさま眠りにつく事で合致した。

 



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第九話 来る、狩猟の季節を

 ジャンボ村へと向かう道中、行商とヒシュら狩人の一団はランポスの群れを2度、ファンゴ達を2度退けた。ジャンボ村に向かうという事は、密林の最も鬱蒼(うっそう)とした ―― 生物が数多く群れを成すフィールドからは離れて行くという事でもある。そのため、通常ここまでの群れに遭遇する場合は珍しい。これもあの怪鳥の影響だろうか。と、ダレンやノレッジにもジャンボ村周辺の生物がにわかにざわめき立っているのが感じられた。

 そうして同じ様に村を1つ経由し、密林の中を歩き続ける事2日。ようやく目的地の付近へと到達する。

 

「―― 見えた。ジャンボ村」

 

 ヒシュが仮面越しに振り返り、前を指差す。ダレンやノレッジがそれに従い目を凝らせば、延々と続いていた密林の緑の中にぽっかりと、小さな村が浮かび上がっていた。

 川の流れに沿って、山を回りこむように切り開かれた土地。布に包まれた造船場や、村の中央で建築中途の鉄火場が印象的だ。

 村を歩く人々、村の周囲に広がる農作地を行く人々。やや人が少ないものの、その顔は一様に明るいものであり、少ないなりの活気が見て取れた。ダレンのジャンボ村に対する印象は、概ね好感触である。

 高台から降ると、すぐに村の入口に到着する。太陽が昇っているため、木で組まれた松明に明かりは灯っていない。だが、その替わりであろうか。

 

「やぁ! ヒシュ、ネコ。お疲れ様だったね!」

 

「おかえり。貴方達が無事でなによりね」

 

「あ、……っ」

 

 出迎えが3名、村の入口に立っていた。

 耳の尖った竜人族の男性と、ギルドの給仕制服に身を包んだ少女。

 そしてそれらの中で一際目立つ、幼い女児が1人 ―― 感極まった面持ちで仮面の狩人へと駆けて行く。

 

「っ! っっ!」

 

 そして、抱き着いた。抱き着かれた側の狩人は、その抱擁を微動だにせず受け止めてみせる。

 顔をぐりぐりと押し付ける女児の頭を、よいよい、と謎言語で撫でながら……視線を巡らせ、村長に。

 

「だいじょぶ? ……村長、薬師さんは? 駄目だった?」

 

「ああ、大丈夫。薬師さんは丁度村に居るよ。鳥達に運んでもらった落陽(らくよう)草は、加工をしてもらっている最中さ」

 

「ったく、そんなんじゃあないの。ヒシュ、だっけ? その娘はアンタを心配してたのよ。密林での出来事を、このコから聞いちゃったからね」

 

 幼子を抱えたまま視線を動かすと、パティが指差す先には村の入口たる囲いに小さな生物が寄りかかっている。

 話を振られた彼は、被った傘が揺らす。首に結ばれた鈴がちりんとなった。

 

「―― ヒシュ、こっちの仕事は完遂させやしたぜ」

 

「ん。ありがと、ニャン次郎」

 

「今後ともご贔屓に、だニャア。……んでは、これであっしは失礼させていただきやす。……ネコ。お前さんも苦労してるみてェだがニャ、精々しくじりなさるニャよ」

 

「ふむ。かの『転がしの』からの忠告、痛み入ります。ですがしくじった所で、1匹のアイルーが自然の贄となるだけの事。私はこのまま主に御伴するのみです」

 

「変わらんニャ、お前さんは。……そんじゃあ、また何処かでお会い致しやしょう」

 

 呆れの言葉を吐き、思い出したように村長に一礼をしておいて、ニャン次郎は村を出て行った。

 村長はその様子を見、煙の出ていない煙管を口にくわえながら笑う。

 

「まぁ配送の日程と薬師さんの滞在期間を考えれば、彼のおかげで早期に納品できて助かったのは紛れもない事実だね。……いや本当に。ご苦労様、としか労う方法が無いのが悔やまれる。村長としての力不足を申し訳なく思うよ、ヒシュ。君達の苦労だって、その装備品の有様を見たら、否応なしに判ってしまうからね」

 

「ん、それはいい」

 

 ヒシュが村長の言葉を片手で遮る。その腕に纏われた皮鎧……『レザーシリーズ』の篭手は、防具の機能云々以前に原形を留めてすらいなかった。

 突き出した手をそのまま横へと動かし、

 

「それよりも」

 

「ああ、そうだね。……そちらは、行商の皆さんと……キミ達は?」

 

 村長と少女、そしてヒシュに抱きついたままの幼子の視線がダレンへと集まった。

 ノレッジがウキウキした顔でダレンを覗い、ライトスが俺の紹介は行商の皆さんで済んでる、と笑う。

 ダレンは腰に差したボロボロの『ドスバイトダガー』を情けなく思いつつも、胸を張って答える事にした。

 

「私達は王立古生物書士隊の一員だ。名は、ダレン・ディーノとノレッジ・フォール。狩人でもあり、学者でもある。これから暫く、此方の村に逗留させていただきたい」

 

 この言葉の一部分、とある単語に反応し、村長の顔は喜色に輝いた。

 

「君達が狩人であるなら、是非もない。この大変な時期にようこそ、我が村へ! 歓迎するよダレン、ノレッジ!」

 

 待ち望んだ……しかし思わぬ来客と、がっしりと握手を交わす。 

 こうして、ジャンボ村を居とする日々が始まった。

 

 

 ■□■□■□■

 

 

 一行がジャンボ村へと到着してから7日が経過した。

 その間ダレンとノレッジは、顔合わせと追って運ばせた書士隊の資料を整理する作業に明け暮れた。王立古生物調査隊の一員である彼らは、密林の地質調査だけでなく、生物の調査も行わねばならない。多種多様な生物が生息する密林を調査するに当たって、資料は多いに越した事は無いからだ。

 ヒシュとネコは毎日、竜人族の村長やパティと言うらしい給仕の少女と村の拡張について話し合いを行っている。どうやらヒシュと村長は旧知の仲らしく、竜人族の村長はヒシュの意見を大いに参考にしているらしい。ダレンも一度その話に加わった事があったが、パティが村長と仲の良いヒシュを見て時折頬を膨らませているのが印象的だった(尚、その視線の先に居るのは村長である)。

 それら相談の甲斐あってか、半ば放置されていたジャンボ村の鉄火場には、待望の「火」が灯された。村長が自らの(つて)を使い、竜人族の技術を身につけた老婆を鍛冶師として招集することが叶ったのである。ヒシュが受諾した依頼の内、鉄鉱石の依頼が彼女を呼ぶためのものであったらしい。ヒシュは村長と共に村を駆け回る傍ら、時間さえあればおばぁ(と、ジャンボ村では呼ばれている)の持つ鍛冶の技術に興味津々と言った様子で鉄火場に張り付いている。ヒシュとおばぁが話す内容には専門的なものも含まれており、ダレンはヒシュの持つ知識の広さに既に何度目か判らない驚きを受けていたりする。

 7日間をジャンボ村で過ごした結論から言って、ダレンはジャンボ村を調査の拠点として選んだのは正解であったと感じている。ジャンボ村は交流の為の設備を整えており、辺境の割には移動に時間がかからない。その事実は日数と移動距離を計算したダレンらを驚かせると共に、喜ばせてもくれた。人々も皆寛容で暖かく、ハンターや書士隊への理解もあり、ダレンとノレッジを快く受け入れてくれている。発展途上の村である為物資は多少心許ないが、今の所、不便を補って余りある利点ばかりだった。

 過ぎた7日。村における基盤を整えている内に季節は過ぎ、繁殖期を迎えようとしている。文字通り生物の繁殖が盛んになる季節だ。

 日は地平線の先へと沈み、ジャンボ村の広場に松明が灯される。村はずれの農地や川合いに着けた漁船から降りた人々が帰路を急ぎ、一人身の者達は村の西側にある酒場へと集まり始めていた。

 そんな喧噪の中、看板娘であるパティが忙しなく動き回る酒場の一角。ここ数日ですっかり定位置となったカウンターの隅に、ダレンとヒシュは腰かけていた。ダレンがペン先で紙束を叩く度、木製の机が小気味良い音を響かせる。

 

「―― この事例の様に、大地の結晶や竜骨結晶は土地の年代を推定するための指標として度々使用されている。一概には言えないが、地層と骨格を合わせて発掘された年代が特定されれば、モンスターを系統樹から分岐させることも幾分か容易になるだろう」

 

「それは、骨格とか牙から推定した上で、という事?」

 

「そうだな。だが飛竜種の様に、系統が多岐に渡るものもいる。……まぁ飛竜種はある種の駆け込み寺でもあるのだが……とにかく、骨格の他にも議論させる必要はある。断定はできないな」

 

「ん。確かに」

 

 現在ヒシュがダレンから教授されているのは、書士隊長として必要な知識であった。この世界に広く生息している生物達を、生物学的な種類で区分しようという壮大な試み。前筆頭書士官ジョン・アーサーによって始められたこの研究は、彼無き今も後任の書士官達によって続けられているのである。

 例えば一般的な書士隊員であるのならば、生物の系統樹区分についての知識など求められないだろう。だが、ヒシュは2等書士官の立場を与えられてしまっている。今すぐに必要とまでは言わずとも、王都やドンドルマに向かう際には隊長として最低限の知識を得ている必要がある。そう考えたヒシュがダレンに頼み享受されているのが、この講義である。

 そしてその逆も然り。ヒシュからはダレンとノレッジに、狩人としての基礎を教える手筈になっている。ただしそれらは主に現地で行う予定であり、今までは(・・・・)具体的な予定が建てられていなかった。

 そのまま暫く。ヒシュとダレンが筆で紙と机を叩き続けていると、酒場に通りの良い声が響き渡る。

 

「―― ほら、ダレンにヒシュ! 折角酒場に来ているのに、食事も酒も注文しないでお勉強してるってどういう事よ? 食べないならお持ち帰りにしてあげるんだけれど!」

 

 腰に手を当て、顔だけをヒシュらに向けて。給仕服に身を包んだパティが料理を運びながら大声をあげていた。何事にも強気ではっきりと話せるのは、看板娘たる彼女の美点である。

 ダレンとヒシュは手元の紙束から視線を上げ、互いに顔を見合わせた。ダレンは苦笑し、仮面の内からは吐息が漏れる。

 

「仕方がない。これは、ジブンらが悪い」

 

「ああ、稼ぎ時に悪い事をした。冷めない内に食べていくとしよう」

 

 紙の束を畳み折り、寄せられていた木製の杯をぶつけ合う。並々と注がれた酒を、2名の狩人は互いに一息で空にしてみせた。

 

「パティ、注文する。お願い?」

 

「はいはい! ちょっと待っててね!」

 

 両手に盆を持つパティが、ヒシュに促されて酒場を駆け回る。だが、その後ろ。酒場の裏からぴょんと、小さな影が躍り出る。

 

「―― お忙しいパティ様にお手数を掛けて頂くのも申し訳ありません。主とダレン殿には、私が運んでも宜しいでしょうか?」

 

「ああ、そうそう! ネコ、お願いできるの?」

 

「承りました。どうぞ他の方への給仕にまわって下されば」

 

 狩りに使用するそれとは違う、襟のついた外套を着込んだネコは返答を受けると手際よく注文を取り、暫く。豪快に調理を済ませた調理師から食事を受け取ると、器用に頭の上に盆を載せて運び始める。そしてお盆を、ヒシュとダレンの目の前にどんと投げ出す。酒と食べ物の一切を溢さずの手際に、周囲の客からは喝采が上がった。

 ネコは律儀に喝采への礼を返した後、仮面の主の左隣に腰掛ける。

 

「ありがと、ネコ」

 

「いえ。それ程の事ではありませぬ故」

 

 言いながら、ヒシュがネコの杯に冷やされた紅茶を注いでいく。ネコはそれを両手で受け取り、自らの食事の横に置いた。椅子に座ると、背筋と髭をぴぃんと伸ばす。

 

「ん、これであと1人」

 

「ああ。ノレッジ・フォールは……あそこか。こちらへ向かっている様子だな」

 

 ダレンが辺りを見回して、一点を指差した。酒場の中にあって、一際大柄の男達が群れをなす区画。ライトスら四分儀商会の席に居た少女が、手を振りながらヒシュらの下へと駆けていた。左側に結われた薄桃の髪が、身体の動きに合わせて振り子の様に揺れる。勢いそのまま、ノレッジはダレンの隣に腰かけた。

 

「先輩、ヒシュさんネコさん! お待たせしてすいませんでしたっ!」

 

「問題ありませぬ、ノレッジ殿。私もたった今我が主とダレンに食事を配膳し、席に着いた所ですので」

 

「ん、そう。ジブンは気にしない。……ダレン?」

 

「ああ、勿論問題ないとも。狩人としての知識を得るためなのだろう? 知識に貪欲になれるのはお前の美点なのだ、ノレッジ・フォール」

 

 のんびりと言うべきか、能天気と言うべきか。ヒシュにとってノレッジは、そういう印象を受ける少女だった。

 慌て顔から一変。ぱっと開く笑顔を浮かべ、

 

「えへへー、先輩に褒められましたっ! ……じゃあなくて。ご飯です、ご飯!」

 

 ノレッジの一声に、待ってましたとばかりに皆が手を合わせる。

 

「―― じゃあ。いただきます」

 

「「「ます!」」」

 

 彼および彼女らは、声を合わせたかと思うと、今度はすぐさま食事をがっつき始めた。全力を注ぐと言わんばかりの食べっぷりには、周囲にいた男衆もぎょっと目を剥いて立ち止まる程である。

 数分を食べる事に集中した狩人達は平らげた皿を持ち上げ脇に寄せ、意気揚々と次の注文を飛ばす。

 

「次、キングターキー」

 

「私はシモフリトマトのサラダを」

 

「紅蓮鯛だな」

 

「あ、それじゃあ私も大胆に! リュウノテールを……」

 

「い い か げ ん に 、しなさいっっ!!!」

 

 ―― ずべし!

 

 高価で村の食堂などでは調理すら不可能な食材を連呼し始めた彼らは、頭上からの衝撃によって机に沈む。

 直撃を避けたノレッジとネコが、パティの持つ乙女の一撃の威力に目を見張る。パティはと言うと叱り飛ばした拳骨を腰に当て、机に伏した2人を睥睨(へいげい)する。

 

「ふん。貴方達はこの後、村長さんと話があるんでしょ? 今のはあたしからの忠告ですよ。村長さんは忙しいんだから、くれぐれも迷惑かけないで頂戴ね!」

 

「……あの。パティ殿は雷狼竜を相手取った経験がおありで? まるで無双の狩人の如き見下し様です」

 

「あ、あはははー……」

 

 感心するネコの横で苦笑いするノレッジにも釘を刺し、パティは給仕を再開した。頃合を見計らってヒシュとダレンがむくりと身を起こし、そのままパティが注いでくれた酒のおかわりを手に取った。

 ダレンは頭をさすり、ヒシュは傾いた仮面の位置を微調整する。

 

「んむぐ。これを飲んだら家に戻る」

 

「主殿が御無事でなにより」

 

「私達もだ、ノレッジ」

 

「はぁい」

 

 

□■□■□■□

 

 

 酒場を後にしたヒシュら一団は、そのまま家へと移動した。

 ヒシュが村から借家しているハンターハウスは2階建てで、川沿いの崖上に建てられている。ジャンボ村は寒冷期であろうと冷え込む事が少ない温暖な気候にある。今も寒冷期の終盤なのだが、辺りを川に囲まれているために比較的過ごしやすい気候となっている。

 借家の中でヒシュとネコがソファに腰掛け、ダレンとノレッジが客間にあたる位置にある椅子に腰掛けた。仕切りがないために、客間という区切りが適切であるのかは分からないが。

 家の中を照らす灯りの下でヒシュとネコは自らの装備の手入れを始め、ダレンとノレッジは密林の分布調査のまとめ書類を作る。そのまま過ごす事、数余分。ハンターハウスの扉が開いて、一同の待ち人が顔を出す。

 

「―― どうやら待たせてしまったみたいだね。いやぁ、すまない」

 

 その背に大きな鞄を背負った、耳の尖った竜人の青年。この村の村長である。村長の後ろ幾ばくか遅れて、ライトスが顔を覗かせる。

 

「邪魔するぞ。……お、良い家じゃねえか。ドンドルマ辺りでこんな家を買おうと思ったら、羽振りのいい奴の出資で成体の上位リオレウスを5匹は狩らねぇとな」

 

「それはただの無謀だろう、ライトス」

 

 言ってダレンが席を立つ。ノレッジが後に続き、自然と全員が家の中心部に置かれた机に着いていた。机の上には酒場から持ち帰ったつまむ程度の食事が置かれたままだ。

 食べ物には手を付けず、先ずは、と村長が話題を切り出す。

 

「じゃあまず、今回の君たちのクエスト成功を祝う所から。ありがとう。落陽草は、君たちのおかげで無事に納品されたよ。あの娘の母親も、どうやら快方に向かっているみたいだね」

 

「ん、何より」

 

 少女からの依頼の達成に、ヒシュは仮面の内に笑みを浮べる。

 しかしながら、村長がこの面々を集めたのはクエスト達成の礼を届けるためではない。真の目的はその後にある。

 

「そして本題の方だが ―― 結論から言うと、君らが怪鳥と遭遇した近辺……テロス密林フィールドの西端は、立ち入り禁止区域。つまりは『禁足地』に指定された。出所の特定は難しいけど、向こう(ドンドルマ)で得た情報からの推測は可能だ。どうやらギルドからの圧力がかかったらしいね」

 

「それは、村長。ドンドルマのギルドからのもので?」

 

 神妙な面持ちを浮かべたネコの問い掛けに、村長が頷く。

 『未知の怪鳥』。あの密林でダレンらが出会った、底知れぬ怪物。ジャンボ村で過ごす日々に埋もれても、あの恐怖は未だ胸の内に燻っていた。それはダレンだけでなく、ノレッジとて同じ事だ。村長の言葉によって光景を思い出し、両腕で身を抱いてぶるりと震わせる。

 各人の反応を見、ほんの少しの間を取って無煙の煙管を蒸かし、村長は続ける。

 

「どうも出所ははっきりしないんだが、古龍占い師たちが騒ぎたてたらしい。あの人たちが揃いも揃って騒ぐとなると、大老殿も無視は出来なかったみたいだなぁ」

 

 再度口元で煙管を動かし、膝をトントンと叩く。数秒虚空を見つめ、

 

「今回はギルド管轄のフィールドじゃあない……ギルドへの直接の損害も少ない事から、例外的な禁足指定に対して強い反対意見が出なかったみたいだ。テロス密林は広大だから、物理的に封鎖された訳じゃあないけど、既に観測の飛行船は飛ばされてるらしいな」

 

 村長の話にこの場の全員が口を閉ざす。

 閉ざした思惑はそれぞれだ。ライトスは行商通路の封鎖による収支の減益を憂う。ダレンは密林調査の行く先に対する不安を思い、ノレッジも大凡(おおよそ)はダレンと同じ。

 ネコは主の目的を知っている為に口を閉ざす。その主は ――

 

「―― それでも」

 

「うん?」

 

 逆説から切り出した仮面の主に、多くの者が疑問符を浮べる。

 ヒシュは背もたれに身体を預け、身振り手振りを加えながら続ける。

 

「それでも、ジブン、放っては置けない。これ、由々しき事態……だと思うから」

 

「どういう事だ?」

 

「ヒシュさん、えっと、由々しき事態って……」

 

 困惑する面々に向かって頷きながら、ヒシュが地図を広げる。ジャンボ村の北東、テロス密林を示した地図だ。

 密林の西側、あの怪鳥と争った部分を指差して。

 

「聞いての通り、ジブンとネコの目的は落陽草の採取だった。だから、あの場所『テロス密林』辺りの植生に関して、知識はあっても実見はなかった。だから最初、あの辺り一帯を調べた。調べたから、判る。……まず、あの辺りにはイャンクックが生活している痕跡がなかった。土を抉って虫を食べた跡も、落ちた鱗もない。つまりあのイャンクックは、外から来たばかりの……あの辺りを根城にしているモンスターじゃあない」

 

「採取の際、私も主もあの辺り一帯を探りました。フィールド程の環境が整っていないせいか巨大な昆虫類は出現していない様子でしたので、抉られた地面が無いのは不自然でしょう」

 

 ネコが主に賛同するべく意見を沿える。ヒシュはうん、と頷いて。

 

「イャンクックの主な生息地は密林、湿地帯、母なる森……みたい。多分。密林にも棲んでるって聞いてたから、ジブンもあの時は、疑問に思わなかった。けどこうなれば話は別。1つ、疑問が浮かぶ」

 

 仮面を揺らし、傾いで、ぴしりと指をたてる。

 

「イャンクック、なんで、行商隊を襲った?」

 

 ライトスと村長は要領を得ないといった風。ノレッジもそうだ。が。

 

「……確かにな」

 

「どういう事ですか、先輩?」

 

 この問い掛けと同様の疑問を、ダレンは浮べていた。

 書士隊として入れ込んでいる知識によれば、イャンクックは本来臆病な性格である。決して好戦的ではない筈なのだ。自らを脅かす生物に遭遇した場合には逃げ出す事すらあるという。

 そんなイャンクックが能動的に他者を襲う。その数少ない例外といえば、自らの縄張りを荒らされた際や、飢餓に襲われた際の事例があった。が、それの殆どは受動的な事態であり……狩人と対峙するのも、縄張りを荒らされた時が殆どである。

 とすれば、縄張りではない土地に現れた怪鳥が能動的に他者を襲い……しかも行商隊を執拗に追い回すという、今回の出来事は。

 

「―― かなり変則的な事態だという事、か?」

 

 ダレンが唸る。変則的な事態と結論付けるのは簡単だが、肝心要。「過程がない結論」は、研究者としての自分が許せない。

 ヒシュもダレンの意に頷く。

 

「でも、ダレン。だいじょぶ。ジブン、少ーしだけ考えてる事がある」

 

「主殿。どうぞこれを」

 

 期を読んだネコが、大量の紙束を机に置いた。積み重ねられた重量によって机が軋みを上げる。

 ヒシュはその内から1枚の絵を取り出すと、目前に掲げる。

 紅い眼。黒の体色。紫の棘が節々に突き出し、尾と翼は大きく長く。体長は元の怪鳥を大きく超え、飛竜にも届くか。大きな嘴と襤褸(ぼろ)の耳だけが怪鳥の面影を僅かに残している。

 

「……それは?」

 

「あの怪鳥の絵。ジブンがこの間のをスケッチしたんだけど、うん。……この生物は、ジブンが、さがしていた、相手、です」

 

 片言の様子で、『捜していた』。この発言に村長以外の一様が傾注する。

 絵を置き、今度は古い装いの紙束を取り出した。書物とは呼べない、殴り書いた落書きにも劣る様な、正しく紙の束であった。

 

「この紙、とある狩人の魔境街……みたいなとこから拾って来たもの。この中に『未知』について、書いてある。

 

 ―― 狩人が生を得、猟を成して幾年が経つだろうか。

 人々がかつての滅びから繁栄を成す様に、生物もまた、幾つもの発達を遂げている。生物は様々な経験を経、進化し、分化する。

 この萎びた書き物を読する貴方に、(わざわい)を招く竜の話をしよう。

 彼らは生物である。だが、例外なく個ではない。その生態は個が多様性を持つという部分に集約出来るであろう。

 彼らは1つの個の中に、分化した様々な生を持つ。或るものはその身に宿した生を千変万化に使い分け、或るものは遍くを統べる。

 彼らはさながら1つの災い。そして、その始まりをも兼ねる。分化した系統樹を束ね、混ざり合った、総ての色を重ねた ―― 黒き個達。

 その結晶たる彼らを猟す事は、八百万のモンスターを狩るが如き覇業であろう。

 著する私は、狩人達のお陰で、彼らを目にしながらも生き永らえている。その幸運を噛み締めながら、この著を期に筆をおく事を決めた。いや、決めざるをえない。間もなく、氷塔の頂に座する星の瞬きが、私を覆うのだ。

 天頂に禍を成す個を。黒き身体を輝かす、生きとし生ける星々を。

 彼らを見かけた者あらば、こう呼称する他に術はないことに気が付く筈だ。

 

 『未知(アンノウン)』、と。」

 

 文章はここで途切れている。

 その内容を咀嚼しながらヒシュの持つ絵を見やる。黒い怪鳥が描かれている。確かに黒い個体だ。しかし話が突飛に過ぎるため、どうにも実感が追いつかない。

 

「……これはつまり、どういう事だ?」

 

「ん。最近ジブンの元居た大陸の西端で、塔って言う、古代の建築物が沢山見付かってる。その調査中に見付かった古書の切れ端が、これ。いつ書かれたのかも判らないし、そもそも戯言の可能性もある。でもこれは、氷の塔って呼ばれているかなり危険な場所の入口で、不思議な結晶で固められた部分から見付かった。しかも、その塔の先行調査でとあるモンスターが発見されて、信憑性が増してる。……黒い轟龍、みたいな感じのモンスターが。それで古龍観測所の知り合いに、ジブン、『未知』っていう生物の調査()依頼されてる」

 

「つまりヒシュさんは、その未知(アンノウン)っていうモンスター達を捜してこの大陸に渡って来ているって事ですか?」

 

「うん。そんな感じ。ジブン、向こうの大陸ではそこそこの実績があって、古龍観測所と懇意にしていた。危険度を高く見積もるみたいなんだけど、どうも強硬派が古の龍にしてしまえって言ってるみたいで。見かけてすらいないのに彼ら未知(UNKNOWN)を古龍に分類するのか、って、無駄な議論がある。その論争を纏める手伝いみたいなものをしてる」

 

「へぇ。つまりその未知ってモンスターは、古龍の様な強大な存在だって言う事か! そりゃあ、あの婆さんどもが騒ぐわけだ!」

 

 ノレッジの問いと村長の察した内容に、仮面が頷く(かくり)

 ヒシュには実際の所、もう1つの依頼もある。だがこれは書士隊の隊員たる彼ら彼女らに話して良いのかが微妙な部分であると判断しているため、姫様の依頼をだしに今の所は伏せておいて。

 

「で。あの怪鳥の正体はこうとして、話を戻す。あの未知は最初、多分、これを狙ってた」

 

 ヒシュは詰まれた書誌の中から、こんどは丁寧に装丁された本を取り出した。

 ただし、傷つかないようにと梱包されてこそいるものの、本そのものからは歴史を感じられる。率直に言って、先の紙束に負けず劣らずの襤褸さである。

 だがその本には見るものを惹きつける ―― 不思議な、纏わり憑く(・・・・・)様な威圧感(・・・)があった。

 掲げて、見せびらかす様に。

 

「これ、『古龍の書』」

 

「……っ!? 古龍の書だと!!」

 

「せ、先輩っ?」

 

 荒げたダレンの声に、ノレッジは困惑する。古龍という単語を聞きなれていないのもそうだが、ダレンが驚く理由に察しがつかなかったのだ。

 ヒシュがダレンに判るけど落ち着いてと声をかけ、立ち上がったダレンが座り直す。隣で腕を組んで清聴していたライトスが、代弁するように口を開く。

 

「まぁダレンが驚くのも無理はねぇ。俺も物の価値なんてものに値段を付ける仕事をしてなきゃ知らない話題だがな。……なぁ、仮面さんよ。お前さんの言う『古龍の書』ってぇのは、歴史的価値があるってな触れ込みで大老殿に大切に大切に保管されてる、あれじゃあねぇのかよ?」

 

「ウン。そう」

 

「……はれ? 大老殿、って言うと……」

 

「大老殿はこの大陸の中央に位置し多くの狩人の拠点となる街、ドンドルマに在る場所ですノレッジ女史。大老殿は行政の中心部の役目も担っておりまして、大長老と呼ばれる巨人のお方が指揮を採っているのです」

 

「ああ、そう言えば……聞いたこともあるような無いような」

 

 言われてノレッジも遠い昔の事を思い返す。

 自分の転機となったあの日。風車の回る広場から、無数の階段の先に在る一際大きな建築物を見上げた記憶があった。あれは大老殿と言う場所なのだと、両親から聞かされたのだ。同時に、出入りできる人物は限られているとも聞いた。書士隊の3等書士官……それも行動派の糞便収集係という立場であったノレッジには無用の場所なので、今の今まで忘れていたのだが。

 だからこそ、当然の疑問が沸く。

 

「そんな場所に大切に保管されている貴重な書物が、何故ここに?」

 

「んーん。これ、確かに、大老殿に在るのと内容は同じっぽい。でも、別のもの」

 

「つまり写本だと言う事だね」

 

 噛み砕いた村長の注釈に、ヒシュがかくりと頷く。

 

「でも、どっちが写本なのかは判らないけど。……それも置いておいて。これ、前にジブンが入手を頼んでおいて、ここジャンボ村で受け取る予定だったもの。ライトス達が持って来てくれていたみたいだけど、きっと、これを狙われた」

 

 仮面の狩人の言い様はどこか幻想じみている。

 つまりあの怪鳥は書物を追って行商を襲い……その過程でダレンら狩人が巻き込まれた、と。そう言っているのだ。確かにあの本には奇妙な威圧感があるものの、論舌の基幹としてはぶれていると言わざるを得ない。

 ヒシュは自らの仮面を ―― 丁度目に当たる文様の部分を手で覆い。

 

「ジブン、あの怪鳥の中を視た(・・)。本能で、この本を追ってた」

 

「だが……」

 

「―― 私も助力をする前に見ておりましたが、あの怪鳥との遭遇時をよくよく思い返してみてください、ダレン殿。あの怪鳥は何を見ていましたか? 始めに嘴を振り上げた先は ―― 行商隊の荷物ではありませんでしたか?」

 

 主の言葉を補足するネコに応じ、ダレンは思い返す。

 ……そうだ。ドンドルマから南下する道中で意気投合し、護衛を務めて1日が過ぎた頃。どこか遠くから飛んできた怪鳥が何時しか自分達一団の上空を回遊し始め、密林の広間に差し掛かった途端に襲い掛かってきた。

 行商隊の人々を掻き分け、剣と盾を構えたダレンの横を抜け、アプトノスの引く竜車へ、一直線に。

 だからこそまず、行商一団を逃がした。怪鳥は中々離れてくれず、やむを得ず自分たちが怒らせる事で引き離したのだ。怒った怪鳥は流石にダレンに狙いを定めてくれたが。

 

「あの怪鳥は、未知に芽吹く直前だったみたい。この本が持つ残滓に引き寄せられて、接近した。ジブンらと邂逅を果たした怪鳥は結果として、未知に目覚めた」

 

 ヒシュの語る話は筋だけが通っている(・・・・・・・・・)。常識の在る学者は、これを屁理屈だと笑う事だろう。

 ……だが。

 

「だからジブンが、未知(UNKNOWN)を、狩る!」

 

 仮面の奥に隠された瞳が、喜と興奮の色に輝いていた。

 一番にヒシュが言いたかった台詞に違いない。これまでの理屈はさておいて、未知が近場に潜んでいるのは間違いない。単純に、人々にとっての『脅威』である強大な生物が、だ。

 それは自分の役目でもあり、狩人としての役目でもある。だから狩るのだと。そう、雄弁に語ってみせたのだ。

 ダレンは考える。ヒシュの言い分は兎角、未知と呼称される恐ろしい生物が密林に存在しているのは、紛れもない事実。ヒシュによって翼の意味を削がれている以上、飛べない未知は、少なくともその傷が癒えるまでは移動に手間取る。一度場所をつかんでしまえば、観測班が見失う事は先ず無いだろう。観察を続けているという村長の報告からも、未だ密林を出ていないのは明らかだ。そして強大なモンスターが近隣に潜み続けているという事態は、ジャンボ村にとって間違いなく不利益である。

 と、すれば。

 

「……わかった。私は君を信じよう、ヒシュ」

 

「おいおい。本気かダレン?」

 

 懐疑的なライトスの言葉を手で制し、ダレンはヒシュと向き合いながら口を開く。

 

「少なくとも、狩ると言うヒシュの言葉は間違っていない。あれは間違いなく人にとっての脅威だからな。それを目指すと言うのであれば ―― 」

 

 そう。ダレンもまたヒシュと同じく、通常の立場とは異なる切り口から狩猟に賛成する事ができる。

 あの「未知」は間違いなく、人にとっての壁となる。本を狙っていたのか。語られるような未知であるのか。それら尻込みする理由は全て、理性……生物の本能に由来する恐怖でしかないのだ。

 狩人たるダレンの側面は感じている。あれは狩るべき相手であると。

 だからこそ、書士隊たるダレンの側面は感じている。あれは知るべき相手であると。

 つまりは、王立古生物書士隊の調査対象になりうる生物なのだ。未知は。

 

「―― この地に住む一個人として。私達を救ってくれた友として。微力ながら私、ダレン・ディーノも協力しよう、ヒシュ」

 

「ありがと、ダレン。……ノレッジは?」

 

「はい。私もあの怪鳥のこと、知りたくなりましたから!」

 

 どうやらノレッジも同様の考えに行き着いたらしい。

 未知の消えた先。密林の方角をちらりを目に止めてから、ヒシュが真っ直ぐに向き直す。

 

「……あの未知が最後に見逃してくれたのは、未知が開花したのもそうだけど、ジブンらを敵と認めたから。認めたから、全力で相手をするつもり。だから ―― 時間がある。まず、ジブンはこっちの大陸での装備を作る。それと一緒に、ダレンとノレッジに狩人としての教習をする。そして最後に、密林の奥に待つ未知を、狩る」

 

 ヒシュが目標を掲げる。ダレン達の狩人としての日々が本格的に始まる事を、告げている。

 季節は繁殖期。

 生物が。 ―― そして狩人が最も活発に動く季節でもあった。

 

 

 






・unknown
 モンスターハンターフロンティアより、俗称・黒レイアさんを指す名称。
 強い。飛龍種の行動をごった煮にして繰り出してくる、真っ黒な飛龍。

 そのため、実際には本作のモンスターをunknownと呼称するのは間違いである。
 ただ、その方が分かりやすくまとまると思うので、本作においてはunknownを「骨格系統の動きをまとめて扱う黒い個体。超強い」と定義しておく。
 鳥竜種のunknown、といった扱い。
 
・古龍の書
 モンスターハンタードスに登場したアイテム。
 とある場所へ足を踏み入れるために必要となる。



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第十話 鳥竜の寄る辺

 緑に富んだ密林に、陽光が燦々(さんさん)と降り注ぐ。

 地に生えた草を()むアプトノスの親子が、遠く水平線の彼方から近づく何かに気付いて食事を止め、顔を上げた。

 しかし未だ遠くにあるそれは、点にしか見えなかった。親子は数秒後、何事もなかったかの様に食事を再開する。

 昼のテロス密林は空を落ちる水を飲み込み、潤沢な水源と成す。空に滑る滝が、幾重もの虹を描いている。

 点だったものは次第にその輪郭を明確にしてゆく。テロス密林の中心やや東。ギルド管轄フィールドに、一艘の船が近づいていた。船は浅瀬を回り込み、奥にある入り江に漕ぎ着ける。先端がやや尖り、後方には貨物。見かけは凡そ「普通」と言える外見であった。

 だが実際、これはヒシュらが古生物書士隊から譲られた船であり、凡そ普通とは言い難いもの。三角帆を操作して進む基本的な機能の他、王都の工匠達が腕を振るった装備の数々が据付けられている。ただし、未だネコとヒシュですら全ての機能を利用出来てはいないのだが。

 さて置き。ジャンボ村専属となった狩人らは未知(アンノウン)の住まう密林一帯を海路で迂回し、テロス密林のギルド管轄フィールド……通称「密林」に到着していた。繁殖期に入り、ヒシュらはジャンボ村の狩人として正式に登録。同時に、ダレンとノレッジの狩人としての修行も始まった。「密林」へと訪れたのもその一環である。

 船が完全に停止し、砂浜に乗り上げる。縄を使って手当たり次第括りつけて固定を終えた。

 皮の鎧を身につけた少女が薄桃の髪を揺らして木製の足場を伝い、船を降りる。悠然たる水の光景を見上げて、ほうと感嘆の溜息を漏らす。

 

「昼に来ると、また違うものですねえ」

 

「はい。テロス密林のフィールドは、昼と夜とで環境が大きく違います。その1つが、雨が降っていないこと」

 

「あっ、手伝います!!」

 

 後を追って降りたネコがテントを張りながら解説を付け加える。ノレッジも慌てて骨組みを支え、ネコは礼を言って続ける。

 

「もう1つは夜間の海面の水位上昇ですね。いずれも狩りの際には留意しておくべき点であると言えるでしょう」

 

「ふえー……あの。質問です、お師匠!」

 

 手を挙げ此方を見つめるノレッジを、帆を畳んでいたヒシュは律儀に名指しする。水辺に響く滝の音に負けぬ、凛と響く声で。

 

「どうぞ、ノレッジ弟子」

 

「はい! あの、わたし、実地調査はクルプティオス湿地帯やアルコリス地方の森丘が殆どだったので判らないんですが……一応、湿密林に対する雨の影響については想像がつきます。爆薬などにあの大きな雨粒の影響があるんですよね。視界も悪くなりそうです。でも、水位は何か関係があるんですか? 陸地の面積からしても、島1つが埋まるような激しい水位上昇があるわけでもないでしょうし……」

 

 この質問の意図を察したヒシュは脳内で感心しつつ、ノレッジという狩人の評価を上げる。

 畳み終えた帆を物陰に移しながら、かくりと頷く。

 

「どちらかというと、ジブンら狩人にとって、雨は不利に働く。水位もその一環」

 

「―― 成る程、どちらでも……というのではなく、不利にか。確かにな」

 

「ん」

 

 割って入ったのはダレンの声だ。船から支給品の入った箱を船外まで運び出したダレンは、箱を砂浜においてからむぅんと唸る。唸り、暫しの間を置いて、確かめる。

 

「ヒシュ。それは私達が狩人だから、だな?」

 

「ん。そう」

 

「流石はディーノ先輩っ! 判るんですかっ!?」

 

 大仰な身振りで驚いてみせる後輩に苦笑しつつ、ダレンは自らの師匠にもなった仮面に向けて話を振る事に。

 

「あぁ、予想程度のものだが。……ヒシュ、頼んだ」

 

「うん。ジブンら、狩人。狩人だから、何がしかの獲物を追ってフィールドに入る。……雨は獲物を探すための痕跡を、奪ってしまうから。足跡とか匂い。糞とかね」

 

「テロス密林の降雨量と勢いは、かなりのものであると聞き及んでおります。強い雨であればあるほど、獲物は追い辛くなると言う事ですね」

 

「ん。そして水位が増すと……」

 

 ヒシュが海のある側を指差した。どこまでも明るい海原が陽光を浴びて底まで透け、一面緑色に輝いている。

 

「水位が増すと、水棲の生物が浅瀬まで出て来る。この辺だとラギアクルスとかロアルドロスはいないらしいけど、ガノトトスとか、やばい。……そうなったら、今のジブンらは狩りを中断せざるを得ない」

 

「狩人の錬度が高ければ返り討ちにする事も可能ではあるでしょうが、それはドンドルマやメゼポルタで大枚叩いて凄腕共を連れて来ていなければならないでしょうね。今回はあくまで鳥竜が狙いですので、魚竜がお来しになられたならば、私共は迅速に退散を致しましょう」

 

「いずれにせよ、今回の狙いは魚竜ではないからな。行動次第で、海は十分に避けられるだろう」

 

 確かに、陸を駆け回るならば魚竜の恐怖に怯える必要も無い。

 だが、ノレッジは考え込む。海中湖中に魚竜が潜み、獲物を耽々と狙う様に。今は明るく美しいこの海も、夜になると一変し、暗くうねる海原へと変貌するのだ。そう思えば、寄せては引く波の1つ1つがおぞましくも思えてくる。

 ……思えてくる、の、だが。彼女の思考はここで切り替わる。

 

「あ! でもそれって、雨だと陸棲のモンスターからは逃げ易くなるって事でもありますよね! 視界は悪くなりますし、足跡も追われないですし、匂いは流されますし! あときっと、火も良く消えますよねっ!!」

 

 美点と言う名の大樽爆弾Gが炸裂する。

 ぽかんと弛緩する空気の中、ヒシュだけが仮面の内にぷっと吹き出した。脳内では、少女の評価をもう一段階上げておくのも忘れない。

 

「……うん。そだね。流石は書士隊員。面白い人、多そう」

 

「いや……ノレッジ・フォールは出自といい経歴といい、かなり異色なのでな」

 

 予想外の流れではあったものの、場も(ほぐ)れたであろう。実践訓練を兼ねた狩猟と言う強張りを避け得ぬ状況にあったダレンとノレッジ、その身体から力みが抜けたのが見て取れる。

 ヒシュにも幾許(いくばく)かの余裕が生まれた。自らの腰につけた鉄製の武器3つ(・・)を確かめつつ、4者1組。狩人としての古き慣わしに則った、3人と1匹を見回して。

 

「それじゃあ、キャンプが整い次第、行く」

 

「狩猟、開始ですね」

 

「了解した」

 

「はぁい!」

 

 密林のフィールド、その内へと。

 獲物に向けて、歩を進めてゆく。

 

 

 □■□■□■□

 

 

 生い茂る木々の最中(さなか)。複数の青い鱗が踊り、狩人達を取り囲んでいた。

 辺りを囲んだ走竜……ランポスに向けて、狩人の少女が引き金を絞る。射撃は正確。放たれた通常弾は空気の抵抗を受けながら僅かに湾曲し ―― 狙い違わず頭部を打ち抜いた。

 射手である少女・ノレッジの持つ『ボーンシューター』は、生物の骨を素材として作られる重量級の(いしゆみ)である。彼女はその発射の「癖」を熟知し、湾曲を計算に入れた上で射出を行っていた。

 狙っていたランポスが動かなくなったのを確認し、通常弾を装填し……瞬間。ランポス達の動きが止まった。狩人達も足を止め、周囲を見回す。

 群れの視線が集まった先。一段高い洞窟の中から、囲むランポス達よりふた回りは大きな個体がゆっくりと歩み出ていた。ノレッジが思わず唾を飲み込む。

 

「……ドスランポス、お出ましです!」

 

「相手をするぞ。……はぁっ!! ……落ち着いて対処をすれば、今のノレッジ・フォールであっても狩れぬ獲物ではない筈だ!」

 

 右後方から飛びかかろうとした子分のランポスを斬り飛ばしながら、ダレンが叫んだ。ノレッジははい、と大きな声を返し、ドスランポスを射線上に捉えるべく移動を開始する。

 移動しながら観察する。その身体はノレッジを遥か超えて高く、長い。周囲の個体と比べて一際目立つ赤いトサカ。長い爪。―― ドスランポスと呼ばれるランポスのボス個体。ランポスの中でも経験を積んだ者が成る、一団の長。

 ヒシュとネコ、そして彼を素材として作られる『ドスバイトダガー』を持つダレンも対峙した経験を持つ相手。隊唯一の例外が、ノレッジだ。元が地質調査隊や糞便調査収集係であった彼女にとって、中型以上の相手と遭遇した場合には護衛として同行した狩人が相手をするのが常であった。

 しかし、今は違う。

 

「やっ!!」

 

 銃口を向け、足場を固めて銃弾を放つ。銃身から弾き出され、僅か置いてドスランポスの頭が次々と炎に覆われる。3発を撃ち切ると弾倉が空になった。

 此方の銃撃を意に介せず身を低く。鳥竜の脚の筋肉が盛り上がり、大きな身体が、跳んだ。

 銃身を楯に……は、不可能。受け止めるには体重が乗り過ぎている。ノレッジは判断するや否や重量級の弩を抱きしめ、一目散に転がった。

 

「―― クァアアッ!!」

 

「ひやぁっ!?」

 

 つい先まで自分がいた位置を、頭部の鱗を少し焦がしたドスランポスの爪と牙が襲う。少しでも判断が遅ければ。そう考えてしまった思考を奥底へと追いやり、身を低くしたままで再び弩を構える。

 弩に照準機はついている。しかしそれを向ける動作自体、角度も速度も感覚頼りだ。

 再度放たれた火炎弾は、振り向き際の喉笛を捉えた。流石に、ドスランポスが大きく仰け反って後退する。

 首を起こす。一度吼えたかと思うと、ドスランポスはそのぎょろりとした眼を血走らせた。嘴を上に向け、けたたましく吼える。

 

「クァアッ! クアアアッ!!」

 

 甲高い鳴き声が密林の木々と岸壁に反響する。ノレッジも憤怒の色を肌で感じる。激昂しているのだ。

 周囲で遊撃をしていた子分たるランポス達が、長の命令に従い一斉に動き出そうとする、が。

 その動き(ばな)を、どすりという鈍い音が挫いた。

 

「わざわざ、一斉攻撃の機を教えてくれるなんて、親切」

 

「長としては正しい行動ですが、所詮は走竜。思慮に欠けた行動でしたね」

 

 飛び出たヒシュが身を低く接近。『アサシンカリンガ』で周囲から飛びかかる寸前の子分(ランポス)の1頭、その喉笛を引き裂いていた。反りを持つ刀身は鱗に覆われていない喉の皮膜を貫き、傷間からおびただしい血が流れ落ちてゆく。

 飛び出たネコは身の小ささを活かし、ヒシュの倒したランポス……その更に隣のランポスの腹部を『ユクモノネコ小太刀』で突き刺していた。2頭のランポスが地に倒れ込む。

 ここで初めて、走竜の組織的な包囲に(ほつ)れが生まれていた。

 この機を逃さず、残るダレンとノレッジはその解れを突いて海岸側へと走り抜けた。武器を振り回してランポスの子分を牽制しつつ、ネコとヒシュが追う。木の植生している部分を抜けて砂浜まで来ると、ランポスの一団と正面から対峙する形となる。視界も取れた。これで仕切り直しが出来る。

 

「ノレッジ、周囲の子分は私とネコに任せておけ」

 

「その代わりあの長を頼みました、ノレッジ殿」

 

 ネコが左に、ダレンが右に展開し、木々の間から無数に沸くランポス達を相手取ってくれる。

 真正面。ノレッジは5匹を護衛として尚残す、ドスランポスの狡猾さを睨む。

 

「ノレッジ」

 

「……お師匠!」

 

 睨む横から、仮面の狩人が歩み出た。

 ジャンボ村の鍛冶師となったおばぁがさっそくと打ち直した『ハンターナイフ改』を右手に。鉱石を使って新たに鋳造した『アサシンカリンガ』を左手に。両の刃が血雨に濡れ、ぬらりと金属質な輝きを放っている。

 そのまま、両腕を弛緩させた構え。一瞬だけ横目にノレッジへ視線を送り……ぐっと握った拳を突き出す。

 

「いける。頑張って」

 

「……はい! 頑張ってみせますよ!!」

 

 励ましの言葉を残して、ヒシュはランポスの群れの真っ只中へと飛び込んだ。

 目前に居たランポスを強度の増した『ハンターナイフ改』を叩き付けて退かし、横で突っ立っていたもう1頭を『アサシンカリンガ』を突き刺して退ける。腕だけは新調した『アロイアーム』。鉱石を主として作られた腕甲に牙を向けた個体を適当に噛み付かせておいて、体重を掛けて足元へと引き倒す。鬼神の如き暴れっぷりに、残る2頭は足並みを揃える事すら叶わず、その場で立ち止まってしまう。

 凄まじいまでの殲滅力。ノレッジとドスランポスを結ぶ射線が空くのに、ものの数秒かかりはしなかった。

 奥に居たドスランポスはというと、子分の様子はあまり気にかけず体勢を……首を低く。力を溜めていると悟った瞬間、ノレッジは引き金を引いていた。

 僅かに着弾が勝る。ドスランポスは着弾を無視して跳躍。子分達を斬伏せるヒシュをも飛び越え、ノレッジに向かって牙を剥く。

 だが、その牙がノレッジに届く事は無い。

 

 ―― ゴガァンッ!

 

「クゥアッ!?」

 

 先の射によって頭に張り付いた徹甲榴弾が炸裂し、宙に在るドスランポスの身体を横へと吹飛ばしていた。

 頭に、しかも不意をついて爆発したのが効いたのだろう。ドスランポスは目を回し、四肢を地に投げ出した。ノレッジは間髪入れず、その腹目掛けて貫通弾を撃ち込む。

 装填(リロード)、射出。装填、射出。9発を狂いなく打ち込むと、貫通弾は遂にその腹を突き破る。走竜の長は立ち上がる事既に叶わず。それでも無理に立ち上がろうと力を込めた拍子に傷から臓物を垂れ流して出血、絶命した。

 長がいなくともランポス達は狩人を襲い続ける。だが統率されていないランポスならば、狩人によって全てが狩られるのも時間の問題である。

 ダレンが突き刺さった『ドスバイトダガー』を抜き、ノレッジが目前のランポスに散弾を射出する。群れの内、最後のランポスが木々の間に倒れ込んだ。

 各々が警戒しながら自らの得物の血と脂を拭う。戦闘の興奮が僅か醒めれば、辺りに血と僅かな硝煙の匂いが充満していた。

 残党への警戒を段々と緩める最中、ヒシュがすかさず手に持った球体を放る。球体はぼふんと炸裂し、一帯を煙で覆い始めた。煙がそこかしこから立ち上り、なまぐさい血臭から刺激の少ない透き通った香りへと臭気が塗り換わる。ノレッジも良く知るこの香りは、落陽草特有のものだ。

 

「お師匠、それは?」

 

「消臭玉。血の匂いさせてても、良い事なんてないから。……ロックラックでのあれは、二度とゴメン」

 

「肉食獣や屍食の獣を呼び寄せるだけですからね。これならば僅かですが抗菌の効果もあります。消臭玉の効果がある内に、早い所剥ぎ取りを済ませてしまいましょう」

 

 ネコの促しによって各人がランポスの剥ぎ取りを始めた。一際大きいドスランポスの解体は、ヒシュがノレッジに指導しつつ行った。火炎弾の射撃によって焼かれた上に爆破まで加えられた頭は利用不可能な程に傷ついていたが、他の大きな傷は腹や喉などに集中している。爪や鱗、尾の側の皮など、主要な部分は問題なく利用することが出来そうだ。

 

「―― と、これで良いですか?」

 

「ん、お見事。……どうせ頭はジブンみたいな物好きしか使わないから。気にしない」

 

「お師匠は使うんですねえ」

 

「ええ、そうですね。我が主はモンスターの頭部を被り物に加工する奇特な趣味がお有りなので」

 

「ウン。部族の決まりだからね」

 

「仮面だけでなく被り物もか。……まぁ、いずれにせよ一段落だな」

 

 剥ぎ取りを終えたランポスの死骸を見やり、ダレンが胸を撫で下ろす。相対してか、ヒシュが首を傾ぐ。

 

「……依頼名を『鳥竜の寄る辺』、って言ってた。けど……ドスランポス、区分的に、走竜下目?」

 

「いや、竜と区別する為の基本的な判断基準は骨格として嘴を持っているか否かになる。ドスランポスやドスゲネポスなどの走竜も、大別すれば鳥竜だな」

 

「わかった。鳥脚亜目から、鳥竜」

 

 自らが書き込んだ図鑑を広げながら呟くダレンとヒシュ。その間にドスランポスの素材を括り終えたノレッジは額を伝う汗を拭い、そして、ふと思ったことを口にする。

 

「それにしても、ランポスの群れと2つ(・・)も遭遇するなんて。わたしが特訓のために相手をした、さっきのドスランポス……2頭目は、依頼には記述されていなかったですよね?」

 

「ふむ。……受付嬢のパティ殿が、あの『未知』の影響で密林一帯の狩猟環境が安定しないらしいと仰っておりましたね。その影響でしょうか」

 

「有り得るな」

 

 疑問を浮かべるノレッジに、ネコとダレンが相槌をうつ。だが少女が語る通り、ヒシュらは既に2つの群れを返り討ちにしていた。

 ギルドが扱う依頼(クエスト)には、幾つかの種類が存在する。

 「採取クエスト」は先の落陽草採取のように、依頼品を規定量納品するもの。

 「狩猟クエスト」は対象の生死を問わず、狩る。

 「捕獲クエスト」は罠と薬品を駆使してモンスターを生け捕りにする、かなり難易度の高いもの。

 その中でも今回ヒシュらが請け負った依頼は「鳥竜の寄る辺」と銘打たれた……複数の大型モンスターの狩猟を目的とするクエストである。

 本来ジャンボ村などのようにギルドの支部を通じて依頼を受ける場合、狩人の力量を見極めながら段階的に依頼を行う。ギルドに村専属のハンターの力量を知らしめる意味合いは勿論の事、辺境における狩人と言う人材は貴重なものでもあるからだ。狩人は損失を避けるべき財産なのである。

 だが未知の怪鳥が居座っている以上、行動が早いに越した事は無い。村長は特別、ヒシュの実力を知っている為、伝を使って一足飛びに大型の複数狩猟依頼を受注したのだ。

 難易度の高いものを受注した他、ヒシュが複数のモンスターを狩るクエストを受注したのにも理由がある。それらは主に、時間と報酬を天秤にかけて算出された「得」に由来する。

 モンスターを狩る他の目的として、ダレンらの狩猟訓練やクエスト達成による報酬を村に還元する事……その他、狩人としての装備品を整えると言う思惑があるのだ。その為にも、ヒシュはジャンボ村の鉄火場に足繁く通い、日夜鍛冶師たるおばぁと共に試行錯誤を繰り返しているらしい。

 作っておきたい武器、防具。武器はヒシュやネコがかつて愛用していた物に似せた「模造品」であるとダレンは聞いた。おばぁが図面を睨みながら「こんなモンを作って大丈夫なのかい?」とヒシュに向かって確認していた事を鑑みるに、かなり難儀する代物であるに違いない。だからこそ、その為に狩るべき獲物も難儀する。モンスターの数と種類を相当数狩らなければならなかったのだ。

 時間が足りないとまでは言わないが、その間に密林の危険度が跳ね上がる。村を発つ前日の事。あの未知(アンノウン)の動向を探るべく、直接姿を捉えようと密林奥地に接近した気球が一機、遠方から放たれた蒼炎によって落とされてしまったらしい。それを教訓として今はかなり遠隔から「潜んでいるであろう」密林の高地を観測している。が、時間が経つに連れて監視は難しくなるだろう。

 監視が不可能になれば、街から別の狩人が派遣されてしまう。遣わされた狩人達があの未知(アンノウン)を凌駕する、狩人の歴史に名を刻む凄腕ならばなんら問題は無い。だが今世、凄腕と呼ばれる狩人は多忙であり、大手のギルドにあるその席は空いてばかりだと聞く。そしてそもそも、ギルドの通例として始めに派遣される何名か ―― 斥侯としての役目を持つ調査隊や狩人は、間違いなくあの未知(アンノウン)の危機に晒される。見識のあるヒシュらが向かわない限り、この点については替わり様が無い。

 ならば、出来る限り遠征を少なく。時間を節約し、複数の獲物を現地で次々と狩る。そんな方針が今回の「得」として勝ったのである。

 

「さて……ん、と。おいで、オリザ」

 

 キャンプへ持ち帰る分を纏めた頃合を見計らい、ヒシュが腕をくるくると回す。首元にかけた笛を吹くと甲高い音が空へと響き、羽音が返る。空に浮かぶ気球から1羽の影が降りて来た。

 浮かぶ気球が光源を明滅させる中、太陽を背に。2メートルを超える翼をはためかせて減速し、影はヒシュの腕甲にとまる。

 

「よし、よし」

 

「―― ルッ、クルルゥッ」

 

 大鷲(おおわし)だ。翼に踊る羽の1枚1枚が洗練された形状で、束ねられた尾羽が稲穂のようにゆったりと揺れている。黄色の嘴と爪。目は伏せられているが、眼光だけが鋭く鈍い猛禽の輝きを放っていた。

 ヒシュが腕を掲げその喉を撫でると、オリザと呼ばれた大鷲は目を瞑り、成されるがままに喉を鳴らす。

 

「ヒシュ、その大鷲は?」

 

「友達。結構気が合う」

 

「……申し上げます、我が主。ダレン殿が聞きたいのはそうではなく、オリザの役目についてでしょう」

 

「うん? そうなの、です?」

 

 ダレンが頷く。

 主から視線を受け、その代わりに説明をすべく、ネコが背筋を正して一礼。オリザと主を見やりながら。

 

「オリザは我が主の伝書鳥を勤めております。先日の荷物輸送時に同じく、向こうの大陸から送られて来たのですよ」

 

 ネコの説明に成る程、と思う。ダレン自身も隊長職として、書士隊連絡用とギルド連絡用の伝書鳥を4羽ほど飼っている。とはいえ彼らはあくまで野生の動物。大型の生物が数多く飛来する狩場に連れて来る……ましてや狩場から直接連絡を取るなどというのは、非常に難しい。着いて来るだけなら可能かも知れない。だが伝書の中途で逃げ出してしまう可能性が非常に高く、そうなってはまともな連絡すら取れなくなる。だからこそダレンも、鳥達はベースキャンプで遊ばせているのだ。

 だがヒシュの大鷲は違うらしい。狩場に降り立つ事が出来、信頼して伝書を依頼できる。自然界の狩人である大鷲故の所業だろうか。便利さと、大鷲と言う気難しい狩人を手懐ける大変さ。これは、わざわざ大陸を超えて輸送を依頼したと言うのも頷ける。

 そんなダレンの視線をどう受け取ったのか。ヒシュは仮面を傾けて、んーと唸った後に。

 

「ジブンの知り合いの書士官の人も、珍しい鳥、友達」

 

「ああ、あの書士官殿か。奔放なお人だからな」

 

 大鷲の珍しさに唸っていると思われたらしい。ヒシュは知り合いの色んな意味で有名な書士官……恐らくはダレンも知っている彼であろう……を引き合いに出した。

 ダレンは顎を掻き、

 

「まぁ、伝書鳥が狩場の中にも居てくれるのならば心強い。それで、どうする? このまま行くのか?」

 

「んー……目標、結構動き回っているみたい。出来れば1つ所で戦いたい。から、夜を待つ」

 

「ふむ。今度こそ、相手は翼を持つ鳥竜です。先とは違い本日はフィールドでの狩猟。とはいえ、我が主の言う通り、準備をしておくに越した事は無いでしょう」

 

 言う間にもヒシュは釣竿を組み立て、採取を行う用意をしている。どうやら釣りをするらしい。その肩には翼を畳んだ大鷲が鎮座しており……成る程。オリザの食事の時間を兼ねて、という事なのだろう。

 

「狙う獲物、何匹か、いるから。目指せ鯛公望」

 

「あ、釣りですか? でしたら是非わたしにも教えて下さい! この間行商の人達から色々な弾の調合方法を教わったので、採取も勉強したいんです!」

 

「でしたら私はベースキャンプの番をしましょう。用具は持ってきてますし、調合と夕食の準備をしてお待ちしております故」

 

 ……成る程。現地調達の手腕もまた、狩人としての技量には含まれるか。

 ダレンはそんな事を考え、自らも採取の同行に手を挙げた。

 

「判った。私も行こう」

 

「ん。それじゃあまず、植物をなるべく無駄に使わないための刈り取り方。釣りミミズの探し方と、それから魚の捌き方。破裂するのとかは、色々と覚えておかないといけないし……魚を捌くのに慣れたら、鹿(ケルビ)草食竜(アプトノス)の捌き方。順番にやる」

 

「わっかりました!」

 

「あとは、そうだな。今の内に光虫の発光器官の取り除き方を練習しておきたい。その辺りで捕まえてくるか」

 

「ならば私は、その辺りの用具もキャンプに揃えておきます故」

 

 まだまだ学ばなければならない事がある。

 今日こなす課題を指折り数えながら、ダレンは改めて感じるのであった。

 

 

 

 

 

 

 太陽は姿を隠し、密林に雨が降り出した。

 隠れた太陽と入れ替わりに夜を好む生物達が動き出し、静かな息遣いが雨音に隠れて木霊する。

 狩人達はベースキャンプを出立し、鳥竜種が住処にし易い洞窟の中で息を潜めていた。群れを成すケルビが泥に埋まるヒシュを見つけると、何事かという視線で匂いを嗅ぎ、首を擦り付ける。

 ヒシュはそれを撫でると共に片手で押しやり、

 

 ―― ゥゥ、

 

 折り重なった植物の葉に滴る雨音 ―― その内に紛れた風斬音を聞き取った。

 ヒシュは手だけを掲げ、ひらひらと動かす。合図を見た残り3名が、返す。ヒシュとネコ以外には未だ聞き取れない大きさの音。ダレン達には判別できないが、しかし遅れて耳を動かしたケルビ達が一様に逃げ出し始めた。大型の生物が接近しているのは確実であろう。

 風斬音は次第に翼を動かす音へと変わる。ノレッジやダレンにも視認出来る距離。曇天の空から地へ、「次の獲物」が降り立った。

 降り立った後、先ずは頭を掲げて周囲を見回す。イャンクックに一周り肉が付いた様な、ずんぐりとした暗くて藍色の身体。目は黄色く濁り、隈によって縁取られている。奇妙に歪んだ嘴。耳は無い。が、代わりに頭頂部に鶏冠(とさか)が飾られている。

 一言で言うと、奇妙な鳥竜だった。「怪鳥」の名を冠するイャンクックは外見こそ変わっているが、明るい体色も相まってか愛嬌が感じられた。だがこの鳥竜は体色から外見まで、それ以上に「不気味さ」が引き立っているのだ。だからこそ、狩人らの警戒心を掻き立てる。

 降り立った鳥竜はその濁った目を動かすと、目の前に在る、とある「異物」に気が付いた。

 鳥竜種は総じて警戒心が強く、臆病な性格であるモノが多い。この奇妙な外見の鳥竜も例に漏れず、異物を警戒しながらその周囲をゆっくりと歩き出す。

 しかし異物は動かない。鳥竜は、間近に確かめようと鶏冠の立つ頭を近づけた。

 一挙手一動作を窺っていたノレッジが息を止める。間違いなく機だ。振り絞り、引き金を引く。バシュンという音と共に、両の手と地面によって固定された『ボーンシューター』が火を噴いた。放たれた弾はしかし鳥竜を捉えず、その目前へと着弾する。

 そう。目前に在る異物 ―― 積み重なった大樽爆弾へと。

 

「クァクァクァ! ――」

 

 ―― ズガァンッ!!

 

 衝撃によって作動する信管。膨大な光と熱が鳥竜を吹飛ばし、破砕音が洞窟を蹂躙する。

 狩人達が一斉に泥の中、落ち葉の中から起き上がる。爆音が響き渡る中を、獲物に向かって駆けて行く。ノレッジだけが再度の射撃を行うべく弾の装填を行って。

 最も早く接近した仮面の狩人が、ぼそりと呟く。

 

「竜盤目、鳥脚亜目、鳥竜下目、ゲリョス科 ―― ゲリョス。毒怪鳥、狩る」

 

 自らの3倍はあろうかと言う鳥竜に向かって『アサシンカリンガ』を振り上げた。

 






・テロス密林について
 モンスターハンター2(ドス)の舞台、ジャンボ村近辺の湿密林地帯を指す名称。
 海と森、洞窟に遺跡までてんこ盛りのロマンの塊。
 大全の地図を見るに大陸の南東側は広く緑に覆われており、一帯をテロス密林と呼んでいる可能性がある。
 植生からみるに、樹海とはほぼ同緯度にあると思われる。同大陸なのか新大陸なのかは定かではないが、本作における樹海は新大陸のフォンロン南側と位置付けている。理由は色々あるが、主にトレジャーや大全からみる黒の部族(ナルガクルガと共生しているっぽい部族)がジャンボ村には影響を及ぼしていなかった事から。素直に考えるならこれはナンバリングの順番のせいなので(ドス→2nd)考えすぎである。


・知り合いの書士官の人
 似たような鳥を伝書鳥にしている、具体的に言えばナンバリング「MH4」の団長の事。


・貫通弾
 読んで字の如く。流石に無条件に貫通したら強すぎるので、刺突する類の弾丸という事になりました。
 ガンナーからすると適性距離さえ掴んでしまえば運用しやすい部類の弾丸だと思われるが、強さはナンバリング(調整)によって違う。



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第十一話 毒怪鳥

「―― クァ! クァクァァーーッッ!!」

 

「くっ……またか!」

 

「左右に。ジブン、こっち」

 

 紫色の液体を避け、ヒシュとダレンが左右に飛んだ。分たれた中央部を、毒怪鳥 ―― ゲリョスの巨体が駆け抜ける。紫の液体は突進を避けたダレンの数歩先に落下し、べちゃりと広がる。目と鼻を刺激する臭気が立ち込め、ダレンは慌てて液体から遠ざかった。

 毒怪鳥はそのまま口から毒液を吐き捨てつつ、洞窟を縦横無尽に駆け回る。嘴を大きく揺らし、終には身体を横たえて。力の続く限り脚を動かすその様は、正しく「狂走」と言うのが適切であろう。

 その暴れる様を見ながら、ヒシュは呟く。

 

「ええと。狂走エキス、だっけ」

 

「ああ。興奮した毒怪鳥は体内で疲労を分解する特殊な体液を生成し、殆ど疲労を感じる事無く走り回る事が出来る。……この様にな」

 

 ダレンが楯を向ける先では、倒れこんだゲリョスがすぐさま起き上がり、狩人らの方向へと身体を回している最中だ。つい先まで走り回っていたとは思えない体力だ、と、ヒシュは仮面の中で感嘆の吐息を漏らす。

 毒を避けるため遠くから射撃を行っていたノレッジが『ボーンシューター』に弾を込め、装填。がちゃりと小気味いい音を鳴らし、銃身を再び毒怪鳥へと向ける。

 

「此方です、ニャ!」

 

「クァクァ、クアァッ!」

 

 注意を惹くべく、ネコが鈴を鳴らしながら毒怪鳥へ向かって投剣。ぶよりとしたゲリョス独特のゴム質の皮膚に弾かれて地に落ちたものの、正確に側頭部を捉えた剣は矛先を変えるのに十分な一撃だった。

 両の脚で泥を掻き分け、毒怪鳥が突進。しかしネコはそれを難なく避け、倒れこんでいる内にノレッジが射撃。ネコ自身は弧を描いて走り、作戦を話すべく近寄った主の隣へと並び立つ。

 

「彼奴の体力が読めませぬ。観察時間を含め、戦いを始めて既に30分です。如何致しましょう」

 

「ん……ノレッジの疲れもあるから、そろそろ決めたい。……タブン、だけど。決定的な攻勢が必要。となれば、次、合図する」

 

「判った」

 

 ダレンが頷き、1人離れたノレッジもサインを返す。ゲリョスが此方を向く前に、残る3人も素早く散開した。

 ネコとダレンが中距離で毒怪鳥の次手を窺う中、仮面の狩人だけが真っ直ぐに接近していた。すると、立ち上がったゲリョスが嘴を打ち、カチカチという音を響かせ始める。

 

「―― いきなり。でも、来た」

 

 ヒシュはゲリョスの行動を見るなり奇妙な形をした板を取り出し、仮面の上から眼を塞ぐ。その板は半透明で、黒色に透けている。

 後手に剣を振り回し、合図を送る。ダレンが中継して同じ動作をし、ネコとノレッジへ伝える。

 

「攻勢の機、だな」

 

 言ってダレンはハンターヘルムの上から同じく半透明で黒色の眼鏡を着ける。明滅の感覚が狭まったかと思うと、毒怪鳥は翼を広げて頭を掲げた。

 次の瞬間、光が(ほとばし)り……辺り一帯を閃光に包む。

 ゲリョスは確かに、鳥竜種に属している。だがイャンクックと同じなのは殆ど骨格だけ。毒怪鳥は多種多様な生体を持つ ―― 実に奇妙な鳥竜なのである。その1つがこの行動であり、上方向に湾曲した奇妙な嘴と鶏冠(とさか)とを激しくぶつける事で、鶏冠から閃光を発するのだ。

 首を立て高く掲げた鶏冠……その中の「ライトクリスタル」が弾け、光が溢れる。高所から照らされ、洞窟も泥も、真昼を越えて白色に染まる。

 だが、狩人達は止まらない。

 

「知恵、なめないで」

 

「接近戦です。行きましょう、我が友」

 

 閃光の中を接近したヒシュとネコは、はっきりと目前の毒怪鳥を捉えていた。

 雪山などを観測する観測隊が眼を保護するために用いる、遮光晶という道具がある。薄黒いその水晶は、本来陽光などを遮る目的で使用される。だが今回ゲリョスを狩猟するにあたって、ダレンから情報を得たヒシュは、閃光対策としてその遮光晶を用意していたのだ。

 4人はそれぞれの形で遮光晶を使用し目を保護している。通常瞼を貫いて網膜を焼きつける毒怪鳥の閃光も、後は目を瞑るだけで十分だった。ダレンにも、遠くで射撃の機会を窺っていたノレッジにも、毒怪鳥の姿はくっきりと見えている。毒怪鳥渾身の目眩ましは、入念な準備を行った狩人らには通用しなかった。

 

「クァクァッ!?」

 

「一斉射、行きます!」

 

「ジブン、翼」

 

「ふむん。私は足を」

 

「ならば脇腹だな」

 

 攻勢の機。ノレッジは剣では届かない高所を。ネコとヒシュとが左右に別れ、ダレンはヒシュの居ない側へ飛び掛った。

 突きつけられる刃と弾。自らの危険を悟ったゲリョスは慌てて翼を動かし、数撃を浴びせられた所で飛び上がって距離をとる。

 ふわりと浮いたと思うと、一足には飛び掛れない距離に降り立ち、素早く反撃に転じる。

 脚を中心として回転。その丸い身体を振り回して勢いをつける。勢いづいた尻を止め、先に生えた尾を鞭としてしならせた。ゴム質の尾はひねり、伸び、予想だにしなかった距離……射手として十分に距離を空けていたノレッジにも届くか。

 

「っ!?」

 

 重量級の弩は所持した者の移動を大きく制限する。狭まったノレッジの移動範囲全てを薙ぐであろう毒怪鳥の尾が、迫る。

 間に合わない。ノレッジは身を小さくし、来る衝撃に備えた。

 だがしゅぴっという奇妙な炸裂音が響くばかりで、いつまでたっても衝撃は訪れない。恐る恐る目を開く。

 

「……あ、お師匠!」

 

「危なかった、我が弟子」

 

 尾を避けながら後退したヒシュが、ノレッジの横の地面に、持っていた『ハンターナイフ改』を突き立てていた。ノレッジが身を低くしていたのも幸いした。限界まで伸びた尾はノレッジにぶつかる直前、勢いそのまま、突き刺さった剣へと巻き付いたのだ。

 拘束される事への本能的な危機感からか、毒怪鳥は慌てて尾を引き巻き取ろうとする。尾は剣を離れ ―― しかし。

 

「よっ」

 

「クァクァッ!?」

 

 今この時ばかりは、その伸縮性が仇となった。ヒシュは剣を抜いて尾をがしりと握り、そのまま自分ごと(・・・・)ゲリョスに巻き取られて行った。鞭として使用していない尾に殺傷力は無い。ヒシュはゴム質の尾に牽引されて浮かび上がり、とられた距離を一足に詰めてゆく。

 自らの尾と共にもの凄い勢いで接近してくる、木製の仮面と一刀。毒怪鳥の不気味な顔に明らかな驚愕が浮かぶ。

 

「腹」

 

 宙に在っても体勢は崩さない。十分な距離。ヒシュはあちこちを斬りつけた感触から最も軟く ―― 致命的な意味で有効であると判断した腹に狙いを定めていた。引かれる勢いそのまま、両手で構えた『アサシンカリンガ』を振るう。鋭く噛み付いた刃面はゴム質の皮を裂いて大きく抉り、腹から肉が露出する。

 

「クァァァ!!」

 

 痛みに悶絶するゲリョスが右に向けて倒れ込む。脚が宙を漕いでいる隙に、ヒシュが背後に立つ仲間に向けて拳を挙げた。

 

「了解です。逃がさない様、囲みます!」

 

「今の内、か!!」

 

「えっと、は、はい!」

 

 ネコが唯一空への出入りが可能な洞窟の裂け目の真下に、簡易の罠を仕掛けるべく走る。ダレンは接近し、ゲリョスの腹目掛けて愛剣を突き出す。ノレッジは銃身を向け装填していた火炎弾を次々と打ち込み、皮膜を焼く。

 明らかに狩人達が優勢だ。戦いを続けた毒怪鳥の身体は所々で血液が滴り、だがそれでも、立ち上がる。翼をばたつかせて間近の狩人を牽制すると、勢いをつけて身体を起こす。

 再び立ち上がった毒怪鳥を眼前に、狩人達は周囲を囲みながら行動を観察する。囲む環がじりと狭まった ―― その瞬間。

 

「……クァァァァ……クァ」

 

 ―― ドスゥン。

 

 毒怪鳥は地面に向けて、思い切り倒れこんだ。白目を剥き、翼も身体も弛緩し。口元からはだらりと舌まで垂れている。

 実際の所ゲリョスには、僅かながらに戦うだけの余力があった。ただ、まともに戦っては勝ち目が無いと悟ったのだ。つまりこれは、狩人達を騙す「死んだフリ」である。

 だが相手が悪い。毒怪鳥が相手にしているのは、多種多様な生物達の研究を行う王立古生物書士隊なのである。ゲリョスは比較的現存数の多い生物だ。その生態は、取り寄せた書物の中にしっかりと記されていた。しかも毒怪鳥の様に特徴的、かつ狩人が実際に痛い目にあう……「死んだフリ」の様な行動を持つ生物ならば尚更である。

 そうと理解しているノレッジは、数歩分の距離を保ちながら、地に臥すゲリョスを指差した。

 

「あのぉ、お師匠。これって……」

 

「……尻隠さず。鶏冠が光ってる。ダレン?」

 

「これが死んだフリ、だろうな。流石は毒怪鳥と言った所か」

 

「ふむ。ですが、生気が感じられません。獲物ながら見事なものですね」

 

 毒怪鳥が人間の言葉を介す事が出来たのなら、この話し合いを聞いて外聞も恥も無く逃走していただろう。だが残念ながら、幾ら多種多様な生態を持つ毒怪鳥とて、言語の理解ばかりは不可能だった。

 

「死んだフリ。……なら、麻酔をかける」

 

 仮面の狩人だけが毒怪鳥へと近づく。

 呼吸を止め脈までも止め。迫真の死んだフリのままひっそりと反撃の機を窺う毒怪鳥。

 歩み寄る仮面の狩人が、腰から……今回の「密林」遠征にあたり鍛冶のおばぁが製作した最後の1本 ――《大鉈》を抜いた。

 今だ改良の中途ではあるが、ヒシュの要望をある程度再現する事に成功したその《大鉈》。

 密林に現存する鉱石……中でも硬度と希少価値の高い「マカライト鉱石」をふんだんに使用し、帯毒と頑丈さの機能を両立して重視した、間違う事なき業物である。夜の洞窟の中にあって尚透明な輝きを放つ刃元には、帯毒の役目を果たす溝が掘られている。ヒシュは歩きつつ手馴れた動作で刷毛(はけ)を動かし、何やら液体を塗りこんだ。

 

「ん、眠って」

 

 ぎこちない片言とは対照的。流麗で淀みない一太刀に、全体重を乗せて飛び掛る。遠心力を利用して振り下ろした《大鉈》は横たわる獲物の腹……先程皮を抉り取った部位を正確に斬打(・・)し、その衝撃で塗られている薬液が勢い良く飛び散った。

 油断した瞬間に反撃をする。そう決めて隙を窺っていた毒怪鳥の意識が持つのは、ここまでだった。

 

「クゥクァクァ~!! ……クァァ~」

 

 飛び起きた毒怪鳥。だがその瞼は段々と閉じられ、身体が弛緩し、力なく地面に崩れていった。

 暫しの静寂。また死んだフリかと恐る恐る近づいたダレンがその顔を触るも、動き出す様子は無い。鶏冠に光は灯っておらず、開いた口からは呼吸すら感じられない。

 

「ヒシュ、これはどういう事だ?」

 

 思わず聞いていた。ダレンの知る「捕獲用麻酔薬」は、ハンターがモンスターを生け捕りにする為に使用するもの。拘束の上で使用する事で相手を昏睡(こんすい)させ、無力化を図るものだ。運搬を行う船上でも等間隔で投与され、昏睡状態を持続させる。同じ船の上で強大な生物が寝息を立てながら乗っていると思うと気が気でならかったのを、ダレンはよく覚えている。

 そう。だからこそ覚えている。寝息は、立てていたのだ。ここまで即効性……そして呼吸すらままならない様な効果をもつ薬ではなかった筈。

 そもそも「生け捕り」を目的とする場合、モンスターは出来る限り傷つけない事が前提となる。強力な薬を使用しては、使用されたモンスターが運搬中に死亡しないとも限らない。そのため「捕獲用麻酔薬」に関しては、死亡させず昏睡の効果を発揮する調合方法をギルドが特別に公開している。一般的に調合は狩人の秘伝または口伝で伝わるものであるのに……と言えば、ギルドがどれだけ苦心して公開しているのかが判るだろうか(とはいえ、調合には専門的な知識が必要になるため、一般的にギルドストアで市販されているものを使う狩人が殆どなのだが)。

 そして何より。玄人を遥かに上回るヒシュとネコの腕前もあってか苦戦こそしていないものの ―― 毒怪鳥は人々を脅かす、強大な生物(モンスター)なのである。ゲリョス自身もその名の通り毒を使用するためか、毒の類が効き辛いと聞く。その巨体に十分な効果を与える薬量の少なさもさることながら、これ程の強力な効果を発揮する薬品を、ダレンは知らなかった。

 だからこそ思わず口を突いて出た。そんなダレンの疑問に、木彫りの仮面が(かし)ぐ。

 

「どういう事って、どれ?」

 

「その薬だ。捕獲用の麻酔と聞いたが ―― 明らかに強いだろう、これは」

 

「なるほど。……んーん。これ、呼吸抑制、強い。ジブンの家特製の麻酔」

 

「それって、通常の捕獲用麻酔と違うんですかー?」

 

 弩弓を折ったノレッジがヒシュの横から恐る恐る毒怪鳥を眺めつつ、聞いた。聞きつつも、動かないと知るや鶏冠をつんつん突くなり、舌を引っ張るなり、やりたい放題。好奇心の向かう先が定まっていないのはいつもの事。それで痛い目を見るのはいつもノレッジなのだが、彼女は懲りていないらしい。

 ダレンは適当にあたりをつけて、ノレッジの肩に、(たしな)める程度にぽんと手を置く。

 

「ノレッジ・フォール。軽率だ」

 

「あう! ……あ、す、スイマセンでしたっ、隊長!!」

 

「私は良い。ただし、お前の師匠には謝罪しておいた方が良いだろうな」

 

「はい! すいませんでした、お師匠!」

 

「気にしない」

 

 ダレンは必死に頭を下げるノレッジと無感情なヒシュとのやり取りを腕を組みつつ見やり、まぁ射手としての成長はあったからな、と部下の肩を持っておくのも忘れないでおく。ノレッジに通常の捕獲用麻酔について軽く講釈をしながら、再びヒシュに尋ねる。

 

「で、だ」

 

「で、これ」

 

 ヒシュは腰に着けた3つの皮鞄の内、右の鞄から小瓶を取り出した。なめした皮と木屑の栓で厳重に蓋がされており、割れないための緩衝剤としてケルビの毛皮で全体を包まれている。

 両の手から剣2本と鉄の丸楯を投げ捨て、ヒシュは座り込んでから慎重な手付きで包みを外す。……中に入っているのはうす青く、粘性の強い液体だった。ダレンの記憶にある捕獲用麻酔薬はうす紅い色をした液体である。これは全くの別物と考えるべきだろう。青い液体というだけでどこか不安を煽られるが、麻酔……いや。

 

「既に毒だな、これは」

 

「うん。普通よりもっと強い……身体に害があるくらい、強い配合。呼吸の抑制。血流の抑制。体内器官の活動も、強く抑える。つまりこれ、省みない(・・・・)、殺す為の麻酔薬。ダレンの言う通り、むしろ猛毒」

 

「ふむ。……その様な毒の存在は、少なくとも私は聞いたことがない。ギルドに知られたなら、」

 

「―― そうでもない? かも」

 

 大変な事になる。そう続けようとしたダレンの言葉を、左に傾いだヒシュの言葉が遮った。

 

「だって、使い勝手が悪い。普通の捕獲用麻酔薬は常温で気化して気管に入り込むから、まだ良い。でもこれ、相手を弱らせた上で血流に乗せないと駄目。身体の内に(・・)直接叩き込まないと、意味が無い。だから結局、傷もつけられないみたいな、強大な相手には使えない。身体の大きなモンスターだったら、致死量も多くなるし」

 

 逃がさない為の、仕留める為の止め。狩られる側が瀕死であっても、狩る側を遥かに上回る……「彼我の生命力の差」があってこそ使う意味がある。ヒシュはそう続けた後、自らの言葉をさらに補足する。

 

「モンスターを殺すなら、外殻(そと)を貫かないといけない。人に使うとしても、使う様な……刃物を突き刺せる状況なら、そも、使う意味無い。暗殺も、こんな青いのが入ってたら気付く。口内からじゃあ効き辛いし、味で気付いてから吐き出しても十分間に合うし」

 

 ついでに、素材の作成に手間を要するため手間に合った見返りがあるかも微妙。などとここまで、実際に毒怪鳥へ絶大な効果をもたらした手製の薬を卑下しておいて。

 ……ヒシュの持つ調合の手腕や科学知識といったものが、恐らくダレンを優に上回るものだと言うのも十分に理解し。

 ヒシュが仮面の内で閉目し、でも、と(かえ)す。仮面の下顎だけがケタケタと揺れる。

 

「……でも、生物(・・)を殺すなら。ジブンの全部を注いで、命の為に(・・・・)命を懸ける(・・・・・)のなら。これも塗っておいた方が、きっと良い。その方が、後悔、しないから」

 

 紡がれた言葉に、ダレンは自らの本能が怖気立つのを感じた。

 仮面の内で瞼は閉じられている。意識的に閉じているのかも知れない。今のヒシュは間違いなく ―― 狩人の眼をしている。

 この雰囲気には感じ覚えがあった。あの未知(アンノウン)と対峙した際のヒシュがそうであったと思う。冷徹なようでいてしかし、生と喜に溢れた、異様でしかない雰囲気。

 ヒシュは「生物を」と言った。ハンターになる人間は多かれ少なかれ理由を抱えている。生きる為。必要に駆られてであったり、漠然と、あるいは金や栄誉の為と言う者も居る。

 だがヒシュはそのどれとも違う。狩るものとして生まれ落ち、生粋の狩人として生きてきた、純粋なる狩人。そう感じる眼と言葉だ。武器の扱いは当然。多種多様な知識すらヒシュの言う「狩人」の一部なのだと、この時初めてダレンの中で合致していた。

 ダレンの常識からすれば、そんな人間が実在するとは(にわ)かに信じ難かった。寝物語に語られる英雄譚の主人公。時代の傑物。遥か雲の上に手を届かす、輝ける狩人の頂。彼ら彼女らは例外なくその様な人物であったが、しかし、あくまで創作物と見聞に過ぎない。だが目の前に居て言葉を交わすこの狩人は ―― 実在する人間なのだ。

 

「ヒシュ、お前は……」

 

 まるで抜き身の刃だ、とダレンは思った。研ぎ澄まされたそれは強く、危うく、美しいとも。

 彼または彼女の生い立ちがそうさせるのだろうか。ダレンは考えを(よぎ)らせ、

 

「―― 歓談中に申し訳ありません、ダレン殿。……御主人、毒怪鳥ゲリョスの止めと解体を行いましょう。誰彼が寄ってきては堪りませぬ」

 

 だがその問いは、ネコの言葉によって中断された。ネコの促しにヒシュはうんと頷くと、周囲の安全を確認してから数本のナイフを取り出す。

 

「ゲリョスが毒、沢山()いたから、走竜もあんまり近づいてこないと思う、けど」

 

 言いながら先程の青い毒を先端に塗り込むと、毒怪鳥の開いた腹目掛けて一気に突きたてた。傷を抉って薬を刷り込むと、ずんぐり丸い身体がびくりと震える。そのまま『アサシンカリンガ』で足の付け根の太い動脈を掻き切ると、辺りは血の海と化した。身体から溢れる血の勢いが次第に弱くなってゆき ―― 絶命を確認して、ヒシュは血塗れの手を抜き去った。

 

「それじゃあゲリョス、簡易だけど、使える部分を解体する。ノレッジも練習だと思って、手伝って」

 

「はぁい。……うっ……解体、やっぱり大変そうですね」

 

「覚悟をしておいて下さい、ノレッジ殿。大型の解体となると今までとは難易度が違います。特にゲリョスの場合、毒袋を含め内臓器官を傷つけぬよう手取りを踏む必要があります」

 

「あ、そういえばそうですね。……毒ぅ……ですかぁ」

 

「ふーむ。まぁ、おそらく大丈夫ですよ、ノレッジ殿。ゲリョスの毒に即死する様な効果はありません。あくまで弱らせる程度です。本来ならば死体を持ち帰った後ギルドの専門職の方に解体して貰うのが一番なのですが ―― 今回はクエストの受注条件にわたくし共が解体を行うとの一文を付け加えましたからね。その分の給金は差し引きましたし、それに、解体の経験は狩人としてだけではなく書士隊員としても無駄にはニャら……ないでしょう」

 

「あわわ……となれば、報酬は解体の腕次第という事ですね。わ、わたし、大丈夫でしょうか……?」

 

「ん、だいじょぶ」

 

 ヒシュはゴム質の手袋を両手にはめ、解体の為の皮服を着けると、えへんと胸を逸らした。

 

「毒、ジブンが回収するから。気にしない」

 

「……いや待て。流石にそれを気にしないのは無理だろう、ヒシュ」

 

 ネコが用意した自らの分の手袋を手に取りながら、ダレンは苦笑していた。ギャップがあり過ぎるのだ。この仮面の狩人は。

 何が何だか判らない、といった風体でいつもの如く首を傾ぐヒシュ。……そうだな。むしろ、裏表がないと言う事だ。狩人としての一面が広過ぎるのならば、その見聞を広げるのもまた『自分達』の役目なのだろう。ダレンはそう脳内で纏め、傾ぐヒシュへと先を促す事にした。

 

「いや、いいのだ。続けてくれ、ヒシュ」

 

「……んー……ダレンがそう、言うなら。血抜きから、行きます。ノレッジ」

 

「はい! これを持てば良いですか?」

 

「ゲリョスの体内構造についてはダレン殿が詳しいでしょう。臓器ごとの説明をお願いします」

 

「判った」

 

 解体は覚悟を決めたノレッジの予想を遥かに超えて大変であった。ヒシュが手本にばっさと捌き、時折ノレッジが歓声や嬌声をあげながらも作業は進む。

 複数狩猟クエスト、『鳥竜の寄る辺』。そのメインターゲットたる毒怪鳥の解体が一段落付いたのは、実に2時間後。返り血に塗れたノレッジが半ば自棄になり、臓物に躊躇なく刃を通せる様になった後の事であった。





・狂走エキス
 双剣使い垂涎の薬を作るための材料。元はモンスターの体液という設定。
 新大陸においては、ロアルドロス辺りが保持している。恐らくは乳酸の分解を促進したり交感神経優位にする神経伝達物質の分泌を増進するのでしょうと思われる。

・ゲリョス
 死んだフリのインパクトが強すぎる鳥竜種。
 年末に光るふりをして大爆発……は、しない。

・麻酔
 毒の有効利用の仕方。
 副作用はいろいろある。


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第十二話 試金石、狩人が為の

 

 季節は巡り、変わり目を迎えようとしていた。大陸の東南 ―― ジャンボ村に住む人々も、陽がなければ僅かな冷え込みを感じ始める頃。畑を耕すものは作物の収穫に追われ、漁を生業とするものは時期の産物を捕る事に躍起になっていた。

 人に限った事柄ではない。住まう生物もまた、厳寒期に備えて動きを活発にする。だが、だからこそ「狩人」の役割が増える季節でもある。

 この村の狩人らは、繁殖期を迎えてから6度目の遠征に発っていた。

 人々が動き出すよりも僅かに早いか。太陽が顔を覗かせる時間は段々と少なくなり、未だ薄暗い早朝。体格の良い男……大陸最大級の商会「四分儀商会」の一隊を任される人物である……ライトスが、村中央に在る広場、その掲示板の前に立っていた。ライトスは目前の荘厳な雰囲気を持つ人物に向けて、大仰な素振りで髪をかき回す。

 

「あー、だから言ってんじゃねぇか。この村には今、狩人達が居んだよ。判んだろ? 回復薬と弾薬。狩りの用品と、それに燃石炭を工面してくれりゃあ、この村はもっと大きくなる。村当初からのお得意になっちまえば、そらぁ俺らの大きな利益になるだろうが!!」

 

「それではやはり、博打である事に変わりは無い」

 

 互いに大柄な男。その片方、ライトスが声を荒げて叫びあう様は、意図せずとも周囲の注目を集めていた。

 叫ぶ言葉にあるように、回復薬や弾薬などの用材の仕入れは狩人の支援になる。燃石炭は村の工房で使用され、武器と防具とが作られる。そして狩人の充実は即ち、この村の発展に寄与することを意味するのである。

 数は少ないが足を止め自分たちを見る村人に気付いたライトスは咳き込み、声量を減らして、仕切り直す。

 

「……あー……悪ぃ、『常務』。アンタが俺をかってくれたおかげで今の俺があることは、ありがたく思ってる。恩義はある。けどな。だからこそ、だ。自分の為にも家族の為にも、俺は利益を逃すつもりはねぇ」

 

 頭を下げつつも上げた眼差しその内に、確かな熱を込めていた。引かない姿勢を見せるライトスに、「常務」と呼ばれた男が視線を注ぐ。

 

「村に入れ込んだ、と言う訳でもない。ライトスと言う男は誰彼に唆される人物ではないと、私が知っている」

 

「だったらよ!」

 

「―― 詰まる所、商会の重役達は先物が嫌いなのだよ。ライトス」

 

 白髭を弄る「常務」の表情は揺らがなかった。熱量に圧されぬ壮年の男は、淡々と語る。

 

「只の先物であればまだ良い。試験的に流通させる事で様子を見ることが出来ただろう。だが、村に金を回すというのは、それだけではないのだ」

 

「……判ってるよ、そんくらいはな」

 

 思わず歪みそうになる表情を押し込めながら、ライトスは言い包める為の方法を手繰る。これはライトスの仕切る一隊を左右する会談なのだ。必死になるのは当然と言える。

 

(仕方ねぇな。初っ端だが、おためごかしは効きゃあしねぇんだ。思い切って切り札をきるか)

 

 心中で決め込んだライトスは一度深呼吸をし、外套の内側にぶら下げたお守り代わりの宝石(セクメーアパール)をかつかつと指で弾いた。思考を纏め上げると、再び「常務」へと向き合う。

 

「なぁ、『常務』。どうだい。まずはこの村の『狩人に』投資してくれねぇか」

 

「成る程、良案だ。それならば間接的に支援を行う事が出来る」

 

 思索と決断の末に出したライトスの切り札。しかし「常務」は殆ど間をおかずに切り返した。白髪髭を指ですきながら暫く視線を彷徨わせ、

 

「判った。狩人に依頼をする、というのならばよくある事だ。足掛けにだが、四分儀商会……引いてお前名義での依頼を、私が許可しよう。……して狩人の実力はどうだ」

 

「ああ。繁殖期に入ってから、ドスランポス、ゲリョス、こないだはイャンクックにドスゲネポスも。今は盾蟹……あー、ダイミョウザザミを狩りに行ってる」

 

「ほう? 既にどこかと契約している狩人ではなく、猟団の構成員でもなく。この新興の村に腰を据える、専任の狩人がか」

 

「ああ。だからこそ、それなりの依頼を用意しようとは思ってんだがな」

 

 告げた言葉とその内容に、男は素直な関心を示す。対して悪ガキの様な、企む笑顔を浮べてライトスは語る。

 狩った獲物として挙げたモンスター達は、何れも中型から大型のものだ。特に盾蟹 ―― ダイミョウザザミと呼ばれた生物は最も大きく、全高は7メートル近くにも達することがあると言う。甲殻種に属する生物で、節を持つ8本の脚と巨大な鋏を持ち、背には巨大モンスターの頭蓋を背負う。

 この大物が密林に出現したと聞き、ヒシュ達が強行に準備を進めてジャンボ村を旅立ったのが7日前だ。交戦は勿論の事、本日にも結果を出して村に帰ってきてもおかしくはない。と、ライトスは知らず期待を寄せていた。

 本来その様な大型のモンスターは、ギルドや猟団に属していない……走り出しの狩人であれば相当な苦労の末に狩猟を行う標的だ。最後のダイミョウザザミについてはまだ結果が出ていないものの、悉くをこの繁殖期の内に狩猟したとあれば、村が勢い付いているという証明にもなろう。

 ライトスのこの笑みを見た「常務」は憚らず口元を綻ばせた。先とは異なる、感情の乗った声で。

 

「ふ。それで本当の所はどうだ、ライトス」

 

「……いいのか? おっちゃん(・・・・・)

 

 怪訝な表情をするライトスを目に止めながら、男は破顔する。

 

「商売ごとに関するお前の嗅覚は知っている。遠慮は要らない。なんなら酒を用意させようか」

 

「そいつぁ魅力的な提案だ。けど朝っぱらから酒は、なぁ? 今じゃ俺も一団の頭。家族の連中に示しがつかねぇだろ」

 

「違いない」

 

 男同士は身体を反らし、豪快に笑い合う。一頻り笑い合ったかと思うと、ライトスは途端に様相を変えた。目の前に居るのが彼にとって馴染みの深い「おっちゃん」である以上、既に、遠慮をする必要はない。格好を大きく崩し、口の端を釣り上げた。

 

「確かにこいつぁ大きな商談だけどよ。ぶっちゃけると、俺ぁ失敗を疑っちゃあいないんだ」

 

「ほう。その根拠は?」

 

「勘。狩人の腕。ダチの存在。竜人族の村長の手腕。でもって、この村の立地の良さだな」

 

 腕を広げ、村を囲むように流れる河川を指差す。口調には一切の淀みがなく、明朗で快活。

 

「あちこちの狩場を渡る狩人連中にとって、移動手段は命綱だ。このジャンボ村はドンドルマと同じ大陸中央部にありながら、主要な狩場との直線距離はより短い。隣接した密林は元より、海路を利用してのラティオ活火山やセクメーア砂漠、陸路ではフラヒヤ山脈まで交流を密に持てると来た。ハンターを中心とした街造りもそうだが、それ以上に、この場所を開墾した村長は大正解だと思うぜ」

 

「まるで第二のドンドルマだな」

 

「そのドンドルマとも遠くねぇからなぁ」

 

 この村の未来と、何よりその先に待つ利益を思い、根っからの商人達は実に楽しそうに笑った。竜人の村長が「創る事」に専心する様に。ライトスは商人として「巡らす」事に熱意と才を発揮するのだ。だからこそ、青年のまま長を務めるに至ったのだから。

 しばらく笑いあう2人。その間へ羽音が割って入る。

 

「……ん?」

 

「ああ、来たか」

 

 振ってくる羽音に気付いたライトスが辺りを見回す。すると、朝の日差しが村の家々の屋根を撫でつける中、男達の傍に一羽の鳥が降り立っていた。伝書鳥である。

 脚に括られた文を壮年の「おっちゃん」が取り、広げる。髭を撫でながら眼を動かすと、

 

「ふむ……」

 

「何だった、おっちゃん?」

 

「いや。いずれにせよこの村の命運はハンター達にかかっているのだな、と思ってね。さて」

 

 男は降り立った伝書鳥を待たせて、懐から一通の手紙を取り出した。ライトスは疑問に思いながらもそれを受け取る。

 広げる。蛇腹に折れたそれは、四分儀商会の印を押された、商売ごとの証明に使われる書類だった。

 

「なんだ。もう作ってたんじゃねぇか」

 

「それ位は、な。私とて何度も書簡を往復させるほど暇ではない。思い切りの良さと迅速な判断は、円滑な商いに必要なものだ。その書類さえあれば問題なくギルドの審査を通るだろう」

 

「ありがとよ、おっちゃん」

 

「構わんさ」

 

 言って男は立ち上がる。手を払って伝書鳥を飛ばせると、村の港へと身体を向けた。港には今だ発展途上の村には似つかわしくない武装船が停泊し、男の帰りを待っている。

 しかしすぐさま歩き出す様なことはせず、その場に立ち止まり。

 

「―― これは独り言だが」

 

 背を向けたまま、男は「常務」兼「おっちゃん」として口を開く。

 

未知(アンノウン)は、どうやらドンドルマの担当から外れるようだ。直接の管轄ではなくなるらしい。……猟団、それも最大級の奴等が台頭して来てもなんらおかしくない状況になってしまったな。いや、確実に出てくると言ってよい」

 

「一応聞くぜ。そりゃあ、《轟く雷》か? それとも……」

 

「残念ながら悪い方だ。間違いなく、な」

 

 願望を多分に込めた言葉は、予想通りに裏切られる。ライトスは渋面に顔を歪ませ、嘆息。悪い方と聞いてまず思い浮かぶのは、自らの友人への影響だ。

 

「……こりゃあダレンに知らせとかねぇとな……」

 

「奴等は食い荒らすしか能がないからな、気をつけたまえ。……ではな、ライトス」

 

 最後に忠告を付け加えた男は、ダレンに笑いかけ、港へと歩き去った。

 ライトスは行く先に立ち込めた暗雲、それ自体には注意を払いつつ ――

 

「まずは、そうだな。……悩んでいても腹は減る。先に今日の分の仕入れを終わらせるか」

 

 自らの隊の副長を呼び、日常の業務を終わらせてから悩む事を決め込んだ。

 

 

 

 村人達が昼食時を迎える頃、ジャンボ村に狩人の一団が到着した。

 親子のアプトノス2頭を引き連れ、先に立つのは「ハンター装備」一式を身につける真面目顔の青年。短く切り揃えられた頭髪が砂色にくすんでいる。仮面の狩人が親アプトノスの腹を撫でながら後ろを歩き、子アプトノスの背に外套を羽織ったアイルーが乗っている。間に挟まれた少女は、重い足を引きずって。

 入口に近づくと、向こうも気付いた様だ。精悍な顔つきで歩く、いかにも上司が似合う友人に向かって、ライトスが一番に声をかける。

 

「景気はどうよ、ハンター殿」

 

「ああ、ぼちぼちだ。……依頼は達成したぞ、ライトス」

 

 ダレンは、喜色は押し隠しても達成感の滲む表情で、がっしりとライトスの腕を組んだ。

 後ろを数歩遅れて、竜車2台を共に連れた狩人達がぞろりと村の入口を潜る。

 

「ただいま」

 

「ふむ。只今戻りました、ライトス殿」

 

「た、ただいまですー……」

 

 平然とした態度のヒシュ。毅然とした立ち姿のネコ。最後に、アプトノスに寄り掛かりながらやっとの事で脚を動かしているノレッジの順。

 一団が入口をくぐり終えると、それぞれの仕事に従事していた村衆が立ち止まった。皆が皆狩人に言葉をかけそうで、しかし、躊躇っているようにも見える。

 その興味の向かう先は何れも一点。狩猟が成功したか否かである。

 ダレンと挨拶を交わしたライトスは確信できていたが、村専属のハンターの成否はジャンボ村最大の関心事と言えた。いつの間にか広場の掲示板前に立っていた村長が代表して、ヒシュに向かいあって尋ねる。

 

「良き狩りは出来たかい、ヒシュ」

 

「ん。―― 盾蟹、狩猟した」

 

 ヒシュが革の鞄を開いて見せると、村長のみならず観衆と化していた村人達も揃って唸り声を零す。

 鞄の中では白く丸い、大粒の「ヤド真珠」が眩い輝きを放っていた。

 ヤド真珠はダイミョウザザミの体内で生成された、ある種の宝石である。盾蟹との名前の由来であるヤドを破壊するか狩猟してしまわなければ取り出すことは出来ず、故に狩猟の証としては十分と言えよう。

 頷きながら煙管を蒸かして喜ぶ村長に、ヒシュが盾蟹の運送日程や取り分についての詳細な説明をし、ギルドから受け取った明細書類を手渡した。

 捲り、報酬素材の書類に通していた村長の目が、驚愕に見開く。咥えた煙管を取り落とすほど口を開く。

 

「おお、こいつは凄いぞっ!? 村の発展に必要な資材が、揃って貰えてるじゃあないかっ!!」

 

「相手、7メートル個体だったから。お祝いに色をつけてもらった」

 

「それを僭越ながら私が、帰り路の最中に書類上で物々交換させてもらいました。……その分の苦労はしたのです。なにせ丸一晩、密林に篭りっぱなしでしたからね。そもそも、盾蟹は砂中に潜る為、その全貌を把握するのが難しいのは判りますが ―― ギルドめ。我が主に憶測での依頼をしようなど、不届きにも程がありましょう!」

 

「そうですよー! ヤオザミからの成人個体だと聞いて現場に向かったら、おっっっっきな盾蟹の老成個体がずどどーんですよ!? 私、びっくりして心臓止まるかと思いましたよ、もうっ!!」

 

 憤慨するネコとその隣で便乗するノレッジを、ヒシュの両手が撫でながら宥める。いくらか反論がなくなりごろごろと鳴声が聞こえ始めた頃合を見計らい、ライトス達2人も合流する。ダレンは合うなり、村長に向けて一礼した。

 

「村長、只今戻りました」

 

「やぁお疲れさま。ダレン。……やっぱり、大変だったろう?」

 

「まぁ、それなりは、です」

 

 ダレンに声をかける村長が心配するのも当然だった。村を出る際に新品同様に整備した筈の『ハンター装備一式』は、ただの一戦で色褪せていた。鉱石を使用した金属部分の節は歪み、取り外されている部分すらある。

 愛用の『ドスバイトダガー』その刀身には目立った破損は無いものの、対になる盾はというと、何か(・・)鋭いもの(・・・・)で切り裂かれたかの様に中央からばっくりと割れている。ヒシュも自らの鉱石製の盾を持ち上げると、今度は万力で捻じ曲げられたかの様にひしゃげていて。これら装備が何より、盾蟹との激闘を物語っていた。

 更に、狩人達の顔からは濃い疲労が見て取れた。ノレッジとダレンは勿論の事。ネコも振る舞いには出さずとも、毛並みが整っていなかった。ヒシュ自身の表情は読めないが、足運びがどこか落ち着いていない。

 横合から見ていたライトスは思案する。ダレンは兎も角、狩人としての経験が浅いノレッジを一隊に含め……むしろその教導をしながら盾蟹を狩ってみせたこの狩人達の実力は、如何程のものかと。倒したモンスターも、ヒシュの実力が上位のものだという事も実感は出来ている。しかしその上限はどこなのか。それは自らの組織すら動向に目する未知(アンノウン)にすら届き得るなのか。

 

(……推し量る必要がある)

 

 大陸に物資を巡らす輻射点 ―― 四分儀商会。

 分隊の長であるライトスは、そう結論付けた。

 

「―― なぁ、ヒシュ」

 

「? なに、ライトス」

 

 仮面が傾ぐ。相変わらず読めない表情だ。こうして長い期間をジャンボ村で過ごしてみて、雰囲気こそ判断できるようにはなったが。

 指折り数える。あれは、鳥竜を束ねる(・・・・・・)未知(・・)だという。

 ならば、到達点となる相手は決まっている。到るための道順を思考の内に並べながら、ライトスは口を開いた。

 

「俺から……いや。四分儀商会から正式に、幾つかの依頼を頼ませてくれや。これはお前らのためにも、ジャンボ村の為にもなるだろうぜ?」

 

 







2020/03/21 行間とセリフ、表記間違いを一部修正。


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第十三話 渇きの海

 

「―― それじゃあ、おばぁちゃん。わたし、頑張ってきますから!」

 

「ほっ、元気でいいね。行ってきい、ノレッジ。でも気ぃつけ、セクメーア砂漠は大変だよ」

 

「大丈夫です、きっと。おばぁちゃんのくれたこの弩がありますし!」

 

「ほっ、喜んでくれて何よりだ。でもね。あくまでそれは一手段で……」

 

「……あっ、先輩が呼んでます! それじゃあまたね、おばあちゃん!」

 

「あれまぁ、行っちゃった。……この村の狩人は、どこんトコよりも若い。けど、どの子も良い子だよ。あの子等は村の為なんて大層な事を言うけれど、ワシみたいな年寄りとしちゃあ、元気で帰って来てくれさえすればそれで良いんだけれどねぇ」

 

 

 

■□■□■□■

 

 

 

「ふわーぁ、と、と。……やっぱり頭がぐらぐらします」

 

 港を飾る敷石の感覚を足の裏で堪能しながら、ノレッジは身体と胸を反らす。その身体は言葉の通り、意図せず左右にゆらゆらと揺れていた。

 南エルデ地方の半島を経由し、5日目。久方振りの地面の感覚だ。平衡感覚を保とうとすると自然と身体が流れてしまうが、仕方が無い。今までノレッジは王都周辺のフィールドしか調査に加わった経験がなかった。今回初めての航海を終えたばかりなのだ。この感覚を直すには、まだ時間が必要であろう。

 捻ったり屈伸したり。身体の所有権を取り戻すべく奮闘しながら、ノレッジはこの時間を有効活用しようと思い至る。強い日差しに手を翳し、辺りへと視線を巡らせた。

 

「……おおー」

 

 初めて見る村の景観に意図せずして感嘆の息が漏れる。一行を乗せてジャンボ村を出港した船は西へと向かい、港に面した砂漠のオアシス ―― レクサーラに到着していた。

 ヒシュらが持つ頑丈で高性能な船。更には同じ航路を航海した経験があるヒシュとネコが居たからこそ、5日という比較的短期の航海で済んでいた。人員が多くなっているためにより慎重な物資選択と航路取りが求められたが、危惧していた嵐や海竜との遭遇もなかったため、全体を振り返れば順調な航海だったと言えよう。

 砂漠の強い日差しを避けるため、オアシスを行き交う人々は一様に明るい色の衣類に身を包んでいる。生まれてこの方寒冷なシュレイド地方ばかりを見てきたノレッジにとって、頭を布で被る工夫ひとつをとっても異国の趣が現れていると感じられた。

 人々やアイルー達は港に停泊する商船や漁船から本日の商いに並べる品を担いでは順に運び出し、太陽が顔を覗かせたばかりの村を行く。その顔には何れも、海に生きる者ならではの陽気さと活力とが満ちている。ジャンボ村は密林に囲まれている故開墾した土地を利用した農業は盛んだが、港は未だ整備の最中にある。周囲に河川と海はあるものの、拡張がされていない。村在中の船が存在しないからだ。現在も親方と呼ばれる人物が指揮を採り大型船の建造に取り組んではいるものの、そちらは不足した素材を待たなければならない。

 だからこそ、狩人らは遠征に発っている。

 ジャンボ村周辺で脅威と成るであろう大型モンスターの殆どは、先日の盾蟹の狩猟で片がついていた。幅を利かせていた大型モンスターが居なくなった密林に、小型走竜が沸くとの予想はつくものの、それは近辺の村に常駐する狩人達に要請を行えば事足りる。降って沸いた遠征の機会は、無駄にするべきではないとの判断であった。村を離れられるこの機を狙い、大型船建造の為の素材を工面したかった村長の意を汲んで、ライトスは素材収集の為の依頼を「一歩目」として選んだのだ。―― だからこそ、狩人らは遠征に発っている。

 レクサーラを覆う空には雲が少なく、海側ならまだしも、中央部に進めば季節を通して乾燥した気候に終始する。そして一同が狙う目的(えもの)は、人間の生き難いこの環境をこそ住処とする。

 

「ん、ん」

「物珍しそうだな、ヒシュ。……私もレクサーラを訪れるのは初めてだが」

「砂漠はいっぱい、みたことある。でもやっぱり、村は色々違うから」

「我が主はこちらの大陸に来てこの方、ジャンボ村周辺しか見たことがありませんからね。実際珍しいのですよ。ロックラックは海には面していませんし、主要な乗り物は飛行船でした。ここレクサーラは港村です。人も物も大きく違いますからね」

 

 ロックラックであれば、停泊しているのは砂帆船か飛行艇か気球であろう。だがここレクサーラには潮の香りが漂い、蒼い海の上を帆船が揺れている。砂地特有の色見のなさは同様だが、そこに海を行く者達が闊歩するだけで、村の雰囲気は大きく違って見えた。

 ダレン達は現在、忙しなく辺りを見回すヒシュに苦笑いしながら村の中央部へと足を向けている。レクサーラから脚を借り、ハンターズギルドを介してセクメーア砂漠へと向かう為だ。

 四分儀商会からの依頼としてライトスが提示した、その手始め。

 『砂原を泳ぐ竜』―― ドスガレオスの狩猟。

 先に挙げた様に、この依頼には砂漠の流通路を確保するというライトス達行商の思惑の他、巨大な砂竜の骨を船のメインマストとして使いたいという村の意向が存在する。ヒシュとしても村の為になり、かつ未開の地での狩猟とあれば、断る理由は見付からなかった。

 ただし。「その先」は、別である。

 

「でも、この狩りで先輩ともお師匠ともネコ師匠とも暫しのお別れですか。……いやぁやっぱり、心細いです」

「んー。ほんとはジブン、ノレッジについて居られればいいんだけど」

「いいえ、それは仕方がありませんよ。砂漠を訪れる機会なんてそうそうなかったですからね。お師匠方はジャンボ村でやるべき事があるでしょう? わたしはここで、勉強したいと思っていましたから!」

 

 ジャンボ村のそれよりも幾分か以上に乾燥した強い日差しに照らされながら、ノレッジは笑みを咲かせる。

 ライトスが提示した依頼とは別に、ヒシュとネコはジャンボ村で。ダレンはドンドルマにおいて王立古生物書士隊としてこなすべき仕事が、それぞれ出来ていた。つまりドスガレオスの狩猟を終えた後、一行は別々に行動する予定となったのである。

 ダレンの仕事は隊長職としてのそれであり、また断り辛い理由や別の目的も存在するために席を外せなかった。ヒシュとしても、幾ら大型モンスターの狩猟に片をつけたからといって、ジャンボ村専属の狩人が長い間離れるにはいかない。短期間であれば自由契約のハンターを雇うか、ギルドを通じて狩猟依頼を出せば凌ぐ事が出来る。しかしいずれにせよ巨額の資金がかかってしまうのだ。新興の村であり資金が潤沢とはいえないジャンボ村において、その様な事態は避けなければならなかった。

 だからこそ、砂竜の狩猟さえ終えれば、ヒシュとネコはジャンボ村へと帰りライトスの依頼を継続する。ダレンは書士隊長としてドンドルマに向かう。

 そして。

 

「―― わたしは上手くやれるでしょうか?」

「なに、此方にも狩人は居るのだ。彼らと共に油断せずあたれば、生き残るのは難しくないだろう」

「ダレン殿の仰る通りかと。それにわたくしはノレッジ女史の射手としての実力の程も、一般的な狩人と比べて遜色はなくなったと思いますので。思い切りと目の良さは天性のものだと感じますし。……ふむ。どう思われますか、我が主?」

「ん。立ち回りとか野営とか食料確保とか、一通りの事は教えた。砂漠に住むモンスターの情報は、ジャンボ村に居る内にジブンとあらった(・・・・)。重弩の使い方は、そもそもジブン、教えることはなかった。タブン、だいじょぶ」

 

 ヒシュに負けず劣らず視線を巡らしていた少女、ノレッジ・フォール。ダレンとヒシュが各々の働きをする間、彼女は暫くレクサーラに逗留し、狩人としての経験を積む算段となった。

 繁殖期の内に密林周辺で重ねられた狩猟を経て、ノレッジの防具は『ランポスシリーズ』へと一新されている。首元から腰までを丁寧に継ぎ合わせた青い皮と鱗によって覆われ、重弩を操るために足元は鉱石製の脚甲によって自重を持たせる。結果として得られる足元の安定は、ノレッジの華奢な身体でへビィボウガンを撃つのに役立っていた。左肩にも鉱石を使用しているが、これは着脱式の腕甲を狩猟時に着ける為である。

 ランポスシリーズは駆け出しから一歩を踏み出した狩人がよくよく選ぶ装備だ。素材となるランポスとドスランポスは、比較的危険度は少ないが「狩猟の需要」のある獲物。そのため、狩猟の依頼も出され易いために、作成するにも修理するにも素材が集まり易いのである。

 一目で狩人とわかるこの装備を、ノレッジは隙あらばと身に着ける程に気に入っていた。自分が苦労して狩猟したランポスの素材を身につけるというらしさ(・・・)も一因だが、先までの皮鎧ではなく「狩人でしか在り得ない」装備を身に着けられる事を、彼女はとても嬉しく感じていたのだ。

 ダレンもヒシュもネコも、それぞれにやらなければならない事がある。彼女にはヒシュとジャンボ村で共に狩猟を続けるという選択肢もあったであろう。だが気付けば、別の地で修行をしてみるというヒシュの提案した選択肢に、少女は喜々として飛びついていた。

 

 ―― 自然が猛威を振るう砂漠の地。厳しい狩猟環境と屈強な生物が待っているに違いない。

 

 だから、だからこそ。ヒシュとネコ……そしてダレンという大きな後ろ盾に「頼っている」気がしてならなかったノレッジは、レクサーラでの修行を選んだ。砂漠に1人残るという冒険は、彼女なりの決意の現われでもあるのだ。

 潮風が鼻腔をくすぐり、吹いた先に少女の行く道を指し示す。

 

「……むー……皆さま方に揃ってそう言われると、何だか出来る気がしてきますね。やってやれない事はない、ですね! ……それでは早速行きましょう、先輩! お師匠! ネコ師匠!」

 

 腕を振り、村の中央部に向かって、ノレッジは嬉々とした脚運びで駆けて行く。

 過酷な試練を前に最も不安を感じているであろう、ノレッジ本人が笑っているのだ。その上司にあたるダレンは勿論の事、師匠の立場にあるヒシュやネコも尻込みする訳にはいくまい。

 異国の地 ―― 港の中を、薄桃の長い髪とおさげを揺らして少女は歩く。その後ろに、笑みを浮かべる狩人達が続いた。

 

 

 

 村の中央部に近付くに連れて、段々と鎧を身に纏う人々が多くなる。その何れもが狩人だ。

 レクサーラは、大陸の通商の中心部「ジォ・ワンドレオ」を南下した位置にある、河口の村だ。ジォ・ワンドレオが商人や技術屋の多く集まる街であるように、砂漠フィールドへの玄関口を果たすレクサーラは、自然と狩人が集まる立地なのである。

 老若男女様々の狩人の人波。その流れに沿って暫くを歩いていると、周囲よりも一段高い建物に突き当たる。地図を覗いていたダレンが顔を上げた。

 

「どうやらあれがギルドの『集会所』らしい」

 

 狩人達が一様に入口へと吸い込まれてゆく様をみながらダレンが指差した建物……集会酒場。

 街を貫く3筋の河 ―― その一本に併設されたこの酒場は、内に狩人の集会所を設けられていた。上には大きな橋が架かり、その上をアプケロスの竜車を引く人々が大勢行き交って。

 目下入口には『酒場』と書かれた旗が掲げられ、砂漠を吹く風にはためいている。

 

「あー、見た目といい煩雑さといい、実に集会所っぽいですねぇ。わたしが知ってるのはミナガルデとドンドルマ、それも外観と概容だけではありますが」

 

 どこか投げやりにも感じるのんびりとした口調で語るノレッジに、ネコは緋に染められた外套を揺らし、髭を動かし酒場を見上げつつの疑問を口にする。首を傾げると飾り鈴がりぃんと鳴った。

 

「……ふむ? わたくしは詳しくないのですが、集会所はこうも酒場に併設されるものでしたか。知る限りではロックラックや、ジォ・ワンドレオもこの様な体裁をとっていたと思うのですが」

「ネコはアイルー族だし、向こうの大陸でもジブンとの放浪が長かったから。集会所という形をとって、ギルドの支部を置くのなら、こういうのが多い」

「何分狩人は大食らいだろう。当初は待合で食事を取れるようにしていただけだったのだが、何時しかそれは酒場となり、狩人の溜り場と酒場は同義になってしまった……と、古い友人に聞いた事があるな」

 

 ヒシュが簡潔に答え、ダレンが成り立ちを添えて。言う間にも入口の扉を潜り、中へと足を踏み入れる。

 

「―― ふわぁ……」

 

 彼女は外観こそ知っていれど、酒場に足を踏み入れる機会は殆どなかった。だから扉を潜ったその瞬間、ノレッジは酒場の持つ独特の雰囲気に圧倒される。

 ―― 正しく、狩人の為の『集会場』。

 建物に入り真っ先に感じるのは、人々が織り成す喧騒。次に早朝ならではの食事の臭気が空腹を刺激し、年季を感じさせる石造りの伽藍の美しさと無骨さが視界を満たす。両手に食べ物を持った給仕が絶え間なく行き来し、すり鉢状に低くなった酒場の中央部へと走る。中央に置かれた卓では大勢の狩人達が食事を取っており、誰もが旺盛な食欲を持って胃に食べ物を詰め込んでいる。ふと視線を奥へと向ければ別の入口があり、耳を澄ませば喧騒に混じって金床を叩く音が聞き取れた。どうやら工房も併設されているらしい。河川を横に置いたのはこういった理由もあるのだろうか。合理を突き詰める竜人らしい作りだ、と、ヒシュは元来のものである適当な興味を巡らせた。

 ヒシュは頭と仮面を振って興味を断ち切り、思考を再開する。酒場を目指したその目的を、果たさねばならないからだ。

 

「ん。ダレン。依頼(クエスト)窓口(カウンター)、どこ? 判る?」

「む、ああ。……あれだな」

 

 ダレンが向けた視線の先。悠々と水が流れる河川を一望できる展望席の脇に台場があり、白色と青の色鮮やかなギルド制服を着た女性が立っていた。

 3人と1匹は円形になった酒場の淵を沿うように歩き、カウンターを目指す。一行を目に止めたギルドの受付を勤める女性陣は、3人の内2人が揃って満面の笑みを浮かべた。最も端に立っている褐色肌の女性が手を挙げ、陽気な口調で。

 

「はいはぁい! ハンターの方々、いらっしゃいませ! 狩りの依頼をご所望で? もし食事なら、向こうのカウンターを利用してくださいね!」

「食事も魅力的な申し出だが……まずは依頼の確認をしたくてな」

「はいはい、依頼の確認ですね! えーっと、フリーの依頼ですか? それとも指名での依頼ですか?」

「指名を貰っている筈だな。名義は四分儀商会、指定はダレン・ディーノ」

「四分儀商会、っと。妹様、検索お願いしますー」

「はいはい了解しましたよ姉様ー」

 

 隣の妹と思われる受付嬢が促され、掲示板に張られた依頼書を捲り始める。最初に対応した姉と思われる受付嬢は、再びダレンらの方向を振り向いた。

 

「少々お待ちください。……それにしても、態々遠くからの御足労、有難うございますです!」

「……いや、私達は確かに遠くから来たが……見た目だけで判断できるものなのか?」

「ええ。アナタの装備はよくあるハンターシリーズなのでちょっと判らないですが、その仮面を被った人のケルビ皮のレザー装備も、そこの女の子のランポス装備も、密林や森丘辺りを居とするハンターさん達がよく身につけているもの。どちらもこのレクサーラ……色の少ない砂漠地帯には似つかわしくない、色鮮やかな装備ですからね。判りますよ」

「流石だな。ギルドガールズは優秀だと、改めて実感できる」

「お褒めいただき恐悦至極~。うふふぅ、受付は伊達じゃあないのです」

 

 胸を反らしながら張る受付嬢の口上に、ダレンが相槌を打つ。依頼を探す間を取り持ってくれている受付嬢の話題は実に多彩なもので、ダレンらの装備の話題から始まり、レクサーラで有名な狩人の話題。セクメーア砂漠の気候の話から、今年の狩猟目標の傾向にまで話題は及ぶ。

 姉が今年の作物の取れ高について語り始めた所で、奥で掲示板を捲っていた妹が1枚の紙を掲げて振り回した。

 

「姉さまぁ、これだよぉ。四分儀商会さんご依頼で、ダレン・ディーノさんご指名の依頼、『砂原を泳ぐ竜』ぅ」

「あらま、ドスガレオスの狩猟ですか。温暖期を目前に控えたこの時期は、活動が活発になりますからねー。ありがとう妹様ー。……あ、契約は皆さん4名で宜しいので?」

「ああ」

「お名前を書かせて頂きたいので、ハンターカードをお預かりさせてもらっても宜しいですかー」

「判った」

 

 紙を受け取った姉が差し出されたハンターカードを順に見ながら名前を書き込んでいく。ダレンとノレッジの名前を書き、幾分か小さなアイルー族のオトモカードを受け取ってネコの名を記入し。しかし最後の名を記入しようとした所で、その筆がピタリと止まった。

 

「―― あれ? あの、この文字は何方(どなた)のものですか?」

「ん。それ、ジブン」

 

 ヒシュが仮面ごと傾ぐ。受付嬢はああそうなのですかと続け、申し訳ないといった顔になる。

 

「すいません、ギルドの指定に含まれていない言語のようです。わたくしが書き直しをさせていただきますので、お名前を復唱して頂いても?」

「……えっと、ヒシュ」

「ヒシュさんですね、素敵な響きです。……はい、依頼の契約が完了しました! 勿論、契約と受諾とは別ですので、後日受諾に来てくださって一向に構いませんよ! 温暖期になると砂漠は封鎖されますが、まだ温暖期が来るまで一ヶ月はあります。温暖期になってもすぐに気温が上がる訳ではないので、それまでは出入りできます。いずれにせよ狩猟までに間が空くと、依頼者が困ったり、出向中に依頼を取り下げてしまってタダ働きになってしまったりといった実例がありますので、出来るなら早めに受諾をして下さいねっ!」

「ああ。気遣いはありがたいが、明日にでもまた来る予定でな。期限に関する心配は杞憂だろう。―― では、失礼する」

 

「「はいはぁい! またのお越しをーッ!」」

 

 ダレンが先頭に立ってカウンターを離れる。姉妹が手を振って元気に見送り、奥に座ったままのもう1人が机で事務仕事をしたまま目線だけを向けて礼をする。立場が上なのだろうか。それとも、そもそも受付嬢ではないのだろうか。そんな事を考えながら、ダレンは酒場の出入り口を外へと潜った。

 朝も早い。外はまだ、人が大勢行き交っている。ダレンらはレクサーラで準備を整えて一夜を明かし、明日早朝には街を出る予定だ。泊まる宿を探すには ―― 宿を出た人々の流れを逆らうか、もしくは手っ取り早く誰かに聞くのが確実であろう。

 

「ノレッジ・フォール。ヒシュ、ネコ。私は宿を探す。2時間後にこの酒場の入口に集合するとして……今は自由行動にすることを提案したいのだが」

「……ダレン殿。あのう、僭越ながらに進言をばさせていただきますが……宿を探してから自由行動でも良いのでは?」

 

 ネコが戸惑いながら指した疑問を、ダレンはネコの後ろに居る「少女ら」を指し示して返答とした。

 

「それを見れば、自ずと判るだろう?」

「ああ……成程」

 

「ヒシュさんヒシュさんっ、あれはなんでしょうっ!! 両手に棍を持ってますよっ!!」

「……きっと、新しい武器。ここはジォ・ワンドレオとの結びつきが強いから、ああいう研究も盛んみたい。それよりジブン、あの黒パンが気になる」

「うわぁぁ、綺麗なサンドイッチですね! お、お金はありましたでしょうかっ」

 

 ダレンとネコは揃って思う。今の2人を連れて宿に向かっては、道中寄り道ばかりで進みやしないのだろうと。これは確信ですらある。

 ネコは仮面を期待に輝かす主へと、ダレンは自らの部下へと。何度も集合時間を確認して、放任主義を決め込んだ。買出しに行かなければならないのだ。

 2時間の間に興味を満たしてくれる事を、ただただ祈るばかりであった。



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第十四話 砂塵を撒いて

 密林の調査。ジャンボ村への遠征。狩人修行。航海。レクサーラ。

 ノレッジにとってここ数日の出来事は、どれをとっても真新しい経験だった。

 そしてこれもまた、初めての経験となっている。

 

「―― ここが、セクメーア砂漠……」

 

 ぽつりと呟いて掌を翳し、遥か地平の遠離を見やる。砂漠を吹く風は土が混じり、どこか苦い味がする。ノレッジは乾いて離れなくなる前にと水を触れた指で唇を湿らせ、再び前を向いた。

 ダレンら一行は準備を整え、2日前にレクサーラの宿を発った。途中までは公用路を使用したものの、途切れてからは足場は徐々に悪くなる。ギルド管轄のフィールドまでは未だ距離があるが、石と瓦礫と砂粒と、僅かな緑の残る不毛の大地 ――「セクメーア砂漠」。その端に足を踏み入れていた。

 狩人が狩猟の場とする地は広く、未だ広がりを見せている。「渇きの海」の名を持つこの砂漠は、かつては狩人にとっても人にとっても未開未踏の地であった。技術の進歩と行路の確立、そして何より世界に住む者々の探究心こそが、砂漠を狩猟地として切り開いたのである。

 そんな中。いつもより縦揺れの少ない、しかし硬い感触の竜車に跨りながら、ノレッジはひたすら雄大な砂原に心奪われていた。

 砕けた砂の粒は真白く輝きながら熱を放つ。宝石の如き輝きは、人の肌が触れれば熱傷を負うに違いない。端までが見渡せる光景にも、ひたすらに畏れを感じる。本来ここは、人の住める場所ではないのだろう。この地を行こうと試みた先人達に、畏敬の念を抱かずにはいられなかった。

 

(……ええっと、セクメーア砂漠の行路を開拓した人は……誰でしたっけ。……ひとまずお部屋に砂漠の絵でも張ってみましょうか!)

 

 少女にとっては畏敬の念を抱き、最大限の敬意を表した結果がこれ、なの、だが。

 いずれにせよ話にしか聞く事のなかった砂の海だ。興味を奔らす少女は2日たっても、開いた口が閉まらない程の興奮を覚えていた。口からは、熱した空気によって水分だけが奪われてゆく。

 

「―― ノレッジ・フォール。言葉を発しないのであれば、口を閉じたほうが良い。今の礫れき地を抜けたら岩場が見えてくる筈だ。そこまで行けば、水を調達できる」

「はい。すいません、先輩」

 

 上司たるダレンの忠告に、ノレッジは気を引き締めて唇を結ぶ。

 現在レクサーラを発った一行は砂丘を避け、岩の転がる礫砂漠の地帯を進んでいた。進路取りは直接、命に関わる。慎重に方向と現在地を確かめながら、重たい脚を前へと進める。砂の上を歩くのは、平地を歩くよりも数倍の体力を奪われる。ノレッジとネコが竜車……この地ではアプケロスが利用される……に乗り、ダレンとヒシュが手綱を引いて。

 

「ダレン。あの岩場?」

「ああそうだ。……今日は進みが良いな。行路の半分まで来たらしい。目的地を目前にしてなんだが、今晩は先日より、多めに休憩を取ることが出来るだろう」

「ふむ、魅力的なお言葉ですね」

 

 ネコが相槌をうつが、それは全員の心情を代弁したものだ。なにせ狩人らはセクメーア砂漠に足を踏み入れてこの方、全くもって心休まる時間が取れていない。

 日が昇っている内は、熱が篭る為に金属製の装備品を外さなければならない。今回狩人らの中で生物由来の防具を身に纏っているのはヒシュとネコとノレッジの3人なのだが、それとて全てが生物由来のものではない。ノレッジの『ランポスシリーズ』は内に鎖帷子を着込む形であるし、ヒシュの腕甲『アロイアーム』や腰のベルトも金属部品が多く使用されている。

 結果としてノレッジは鎖帷子を外し、ヒシュは金属の部分を選んで外す。日を避けなければならないため、その上から白染物の外套を被って全身を覆い隠していた。

 だからこそ周囲を警戒しなければならない。ただでさえ不慣れな土地だ。貴重なタンパク源であるアプケロスを引き、防具まで心許ないとなれば、砂漠に住まうモンスターは最大限警戒せざるを得ない状況なのである。

 ノレッジもこの2日、碌に寝る事すらままならなかった。最もこの少女の場合は、その理由に新たな地に対する期待と昂ぶり(・・・)も含まれているという豪胆ぶりではあるのだが。

 休憩時間さえあれば気分的にも違うだろうと、期待を寄せる。心は休まずとも身体は休める事が出来る。身体さえ休まれば、精神的にも楽にはなるのだ。

 期待も今は思考の隅に、語る言葉は喉奥に。

 狩人達は管轄フィールドを目指し、熱砂の上の道なき道を、終始無言で進んだ。

 

 

 

 砂の海は暗く沈み、月が昇り照らす星月夜。

 ダレンとネコとヒシュが眠り、ノレッジが番をする回り。見張り番を担う少女は皆が眠る岩場の上に座り、警戒をしつつ延々と広がって行く景色を眺めていた。

 目の前にあって生物の侵入を阻む果て無き砂原の成り立ちに、ノレッジは想いを馳せる。

 生けとし生けるもの全ては風化し礫と化す。

 礫は年月と風雨に晒され、時として踏み潰されて、粒砂を成す。

 いつしか粒砂は織重なり……この広大な砂漠を成したのだ。

 

「盛者必衰の理、なんとやら……ですかね」

 

 その手に握られているのは、彼女が愛用している重弩『ボーンシューター』。製作には汎用的な素材を使用している為、上位ハンターの使用するそれと比べるとどうしても射出速度と精密さに欠ける獲物。

 少女が狩人として修行を始めて既に数ヶ月。素材は十分に溜まっていたため、アプトノスに積んだ荷の中には、他の真新しい重弩も数を用意してある。だが適応する弾の種類が多く整備の手もかけ易いこの銃を、ノレッジは事の外気に入っていた。

 ―― 何より、想いが篭っている気がしてならないです。

 今回の狩りは厳しいものになる。ジャンボ村を発つ直前、酒に酔ったノレッジは思わず不安と不満を溢していた。その相手は鍛冶おばぁだ。少女はその晩、酔いのままに床に着いた。夜が明けて目覚めたノレッジは驚愕する。起きるなり目に飛び込んできたのは、一際輝く姿となった愛銃だったのだ。おばあが一晩かけてボーンシューターを強化してくれていたらしい。兎にも角にも迷惑をかけた何がしかを悟ったノレッジは、早朝から髪を振り乱して鍜治場に滑り込み土下座を繰り返した。おばぁはそんなノレッジを温和な視線で見やり、この老いぼれが力に成る事が出来るのならば、と言ってくれたのである。

 今はただ、生き残る。それがおばぁに返す事の出来る何よりの恩返しなのだろう。そのための力を、少女は受け取ったのだから。

 

「……楯銃、ボーンシューター」

 

 言葉にあるように、銃身の横には大きな楯が据え付けられていた。それもただの楯ではない。銃全体の重心や防御時の銃身への影響を計算し、射出時の影響をも最低限に抑える職人の一品であった。

 重弩の構造には精密さを要する部分が多く、銃身で攻撃を受けると弾詰まりや銃身の湾曲などが起こり、機能不全の可能性が高まる。また一般的な射手ガンナーは打ち出す弾を身体に積むため、軽装になる必要があった。剣士であれば防御に利用できる部分に、袋や鞄を取り付ける。必然的に防御手段は少なくなり、その防御能力の劣悪さ故、モンスターの一挙手一投足が射手の命を大きく脅かすものと成り得るのである。

 通常の大型モンスターが相手ならば、これらは距離をとる事で解消できるだろう。問題は、群れを成す小型の生物だ。

 防御能力の劣悪さは、小型の生物相手だとて例外ではない。防御すべき部分を間違えれば、生物の持つ無数の牙と爪が狩人を切り刻む結果になるだろう。また、射手が撃つ弾は数が限られている。だからといって、大型の生物に使う強力な弾を狩場に群がる小型の掃討に使う訳にもいかず……ノレッジは散弾と呼ばれる射出時に広範囲に広がる弾種を小型モンスターの掃討用途として使用していた。これは弾の壁を作る事で接近を防ぐのだが、近くに別の狩人が居る時には誤射が起こるため使えないという欠点がある。そしてそもそも、群れに囲まれれば必ずといって良い程隙は生まれる。隙を塗って彼女へと襲い掛かる脅威を防ぐに、おばぁのくれた楯は大いに役立つに違いない。小型であれば銃身への影響も最小限にとどまるからだ。

 狩人としても書士隊員としても未熟なノレッジは、今はただ、彼女への感謝を抱くばかりであった。

 

「……」

 

 しかし、少女の表情が突如歪む。想えば想う程。優しさを感じれば感じる程、心の隅から湧き出す物があった。自らの力の、不確かさである。

 少女はこれまでジャンボ村を拠点とし、密林での狩人修行を続けてきた。状況としてはヒシュとネコ、それにダレンの庇護下にあったと言い換えることが出来るだろう。

 故に、地を変えたセクメーア砂漠での修行こそが本当の初陣となる。ノレッジは、1人で狩猟を行った経験が無いのである。

 勿論ヒシュやネコ、ダレンが着いている今ならば、この点は問題になるまい。ヒシュが遠くから見守る中、実質独力でドスランポスを倒した事もある。

 だが。ノレッジの「不安」は、この先……彼女が砂漠での修行を行う未来に対するものだ。

 

「……あ、あれ? なんで……」

 

 月に照らされた岩肌の上、少女が抱え込んだ顔には2筋の雫が伝う。座り込んだ岩は昼間の熱を既に失い、ノレッジの体温を容赦なく奪っていた。

 ノレッジは16才。成人や狩人として脂の乗る年齢には程遠く、様相には未だ少女としての面持ちを濃く残している。心情とて例外ではない。睡眠不足もたたり、「これから」の不安に押し潰されそうになるのを、他人の目によって何とか抑えている状態であったのだ。

 水分を無駄にすまいと拭うが、涙は止まらない。歪んだ月の明かりがいやに眩しく感じられ ―― 瞬間。

 

「っ、」

 

 見張り番のために気張っていた耳が捉えた、後ろから、からりという石が転げ落ちる音。

 聞き捉えたノレッジは弩を構え、膝を軸にして振り向き様に……引き金を絞るべく指をかけ。

 

「―― あ」

「見張り、交代の時間。……ノレッジ?」

 

 照星の先に居たのは、木製の仮面を被った傾き者であった。

 脱力した腕をそのまま抱きかかえ、ノレッジは安堵する。

 

「なぁんだ。ヒシュさん、ですかぁ」

「……泣いてる?」

「ああ、はい。……そういえば」

 

 指摘によって頬を伝っていた涙の跡に気付く。確かに自分は今しがた泣いていた。拭う事を忘れていたのだ。そもそも予測の通り敵襲だったのであれば、拭う必要はなかったのだが。

 ノレッジは着込んだ外套で目元を擦り、ヒシュに向けて微笑む。

 

「お見苦しい所をお見せして申し訳ありません、お師匠」

「……んー……ん?」

 

 目元を赤くしたノレッジの笑みを見て、ヒシュは数度仮面を傾ぐ。何事かを考える間の後、

 

「うん。……ノレッジ、ちょっと待ってて」

「は、はい。あっ、ヒシュさん?」

 

 たった今昇ってきた岩場を、ヒシュは一足に飛び降りていた。ノレッジが慌てて崖下を覗き込むも、ヒシュは既に近場を離れている。ダレンとネコが眠る岩場の手前、アプケロスの横で鞄を広げ、何やら荷物を探っては篝火の上で手を動かしていた。

 ここで大声を出せば、声を届かせる事は出来るだろう。だが他の生物を集めかねない。砂漠には音に敏感に反応する生物が多く居ると聞いている。迷った末、ノレッジは言葉の通り、岩場の上でヒシュを待つことにした。その間に目元の赤さもとれるだろうとの期待を込めて。

 数分を置いて、ヒシュは再び岩の上へと戻ってくる。その両手に握られた「何か」を指差し、ノレッジは尋ねた。

 

「ヒシュさん、それは?」

「あげる」

 

 差し出されたのは、木製の無骨な椀。その内は黄色い液体で満たされている。どうやらスープの類らしい。これを作っていたのか、と納得すると共に、ノレッジの胸中にはヒシュの料理はどんなものかとの興味も生まれる。

 興味のまま椀の中を覗き込む。するとほのかな甘い香りが鼻腔をくすぐり、忘れていた空腹が刺激された。断りを入れるのも忘れて椀に口をつけ、液体を飲み込む。

 僅かにつけられたとろみが暖かさを逃さない。口に優しく、うっすらと甘さが広がる。喉を通った暖かさが腹の底から広がり、身体全体……ノレッジの指先までをも包み込んでゆく。

 

「……美味しい」

「ん。よいよい」

 

 感想を溢したノレッジに謎の言語での同意を示して、今度こそヒシュは傍へと座り込んだ。自らも手に椀を持ち、食用の硬い黒パンをちぎってはスープに浸して口へと放る。その度覗く口元からは、少なくとも髭は生えていない事が判る。ただし性別などは相変わらず読み取れないのだが。

 ノレッジがそのまま、ヒシュをぼんやり眺めていると。

 

「? ノレッジ、黒パン、欲しい?」

「あ、いえいえお気になさらず。わたしはこのスープだけで十分です」

「そう」

 

 言葉を額面通りに受け取ったのだろう。ヒシュはそのまま、黙々と食事を再開する。

 仮面を見続けるのにも気まずさを感じ、ノレッジは空を見上げた。砂漠の空に雲は少ない。数日前に超えてきた海も今では遥か彼方、地平の先に隠れている。砂漠の空を彩る無数の星々に向かって、抱えた椀から湯気が立ち上っては消えてゆく。白い湯気は明るい紺の空を飾る一部となり、また、解けて消える。

 もう一口、スープに口をつけた。確かに暖かい。思い出してみればこの味に、ノレッジは僅かな覚えがあった。

 

「―― あのう、もしかしてこれ、オオモロコシですか?」

「ん。正解。保存用に全部すり潰してあるから、実は無いけど。……ノレッジはオオモロコシ、知ってる?」

「はい。食べた事もありますよ。まさか砂漠で口にするとは、思いませんでしたが」

 

 ノレッジは大陸の北西端に位置する共和国の首都、リーヴェルの出である。リーヴェルは冬が長く、寒冷で厳しい気候を持つ。オオモロコシやドテカボチャといった寒冷地でも収穫が見込める作物は、ノレッジにとって身近な作物であった。

 ふと懐かしくなって、故郷への想いを馳せる。続いて、もしかしたらヒシュは同じく寒冷な地域の出身なのではないかと思い至った。オオモロコシの事を知っているのも、出身地が似通っているのならば頷ける。

 だがいざ口を開こうとすると、躊躇う。これは聞いても良い事柄なのだろうかと。

 見た所、ヒシュの年齢は良い所が自分と同程度。少なくとも年上という事は無いだろう。狩人として考えればヒシュの身体への筋肉のつき方は並。だが、身長はノレッジとほぼ同じである。ノレッジは女性の中では比較的大きな身体を持つが、皆大柄な狩人の中で考えれば平均以下だ。ヒシュが女性であれば、慎重や体格から考えて自分と同年代。男性であれば別、身長がこれから伸びると仮定し、自分よりも年下であろうという予測である。

 16才で狩人として一線に立つ自分ですら若いのだ。だとすれば、既に狩人として完成されているように見えるヒシュは、相応の理由があって狩人を生業としているのではないか。親類をモンスターに殺され、否応無しに狩人となった……などという悲劇的な事態も考えられる。勿論これは、ノレッジの妄想ではあるのだが。

 暫し思索を伸ばし、どうでも良い事を考えたなとノレッジは頭を振るう。母を真似て伸ばしている長髪が解れ、薄桃の庇が視界を遮った。

 すると、期せずして仮面の側から声が響く。

 

「んんっ、ん。……ジブンの部族では、オオモロコシの近縁種のスープ、よく飲んでた。飲めば、暖まるから。……良かった。ノレッジ、落ち着いた」

「あ ―― ナルホド。有難うございました、ヒシュさん」

 

 涙を流していた自分に気を使ってくれたのだろう。心遣いには素直な感謝を述べ……しかし気になることは、気になる。流れに任せ、ノレッジは思っていた事を口にする。

 

「ヒシュさん、オオモロコシをよく食べる地方の出身なんですか? 寒い所とか」

「んー……生まれた山は、違う。大地が痩せてて……でも、ジブンは、寒い所もけっこう居た。知りたい?」

 

 問う仮面に、ノレッジは思い切り首を縦に振って同意を示す。

 

「ええ。わたしはヒシュさんの事、知りたいです。―― なんせお師匠ですからね」

「そう?」

「そうですよ」

 

 寡黙を常とする仮面の狩人だが、今夜は比較的饒舌な雰囲気がある様に思える。肯定したノレッジを、木製の不気味な仮面、その奥にある双眸が覗く。色味は感じられないが、確かな意思を持つ人間の……透明な眼差し。

 ほんの僅か、瞬きの間の沈黙。ヒシュは砂漠を吹く乾いた風に合わせて仮面を星空へと傾けると、寝付かない子に寝物語を読み聞かせるかの如く、ぽつぽつと話しを始めた。

 

「―― それじゃあ少し、ジブンの話、する。ジブン実は、生まれはこの大陸のほう」

 

「ええっ、そうなんですか?」

 

「うん。ゲンミツには、大陸南洋の沖の島。だけどあんまり、変わらない。……親の顔は、覚えてない。気が付いたら、『部族』の中にいたから」

 

「……」

 

「母なる山の、真ん中辺りに村があった。部族の子供、歩けるようになったら弓と刃物を握る。ジブン、山を巡って鹿(ケルビ)山猪(ファンゴ)を狩るのが仕事だった」

 

「うわ、きついですね。子供に任せる仕事じゃあないですよ、それは」

 

「うん。でも、ジブンはそれしか知らなかったから。……粗末だったけど、ジブンで防具を作って、ジブンで道具を工夫して。物心ついた時には、狩人だった」

 

「ナルホド。ヒシュさんの防具と武器に関する知識は、その頃から磨かれてたんですね」

 

「ん、まぁ、そんな感じ。……部族を守る為、もっと大きなものを狩らなきゃいけない事もあった。狩人になって数年経った時、集落の近くに居て森を荒らす、リオレイアの狩猟を命じられた。部族で仲の良かった狩の友を連れ立って……三日三晩かけて、リオレイア、狩った」

 

「あの『陸の女王』をですかっ!?」

 

「そう。……リオレイアが牙の並ぶ口を開けるたび、火を噴くたび、尻尾を振り回すたび ―― 何回も、死んだと思った。でも、仲間と協力して。罠とか毒とか、使える全部を使って。死にものぐるいで噛り付いて、なんとか狩れた。……それが、ジブンの転機。ジブン、リオレイアと向き合って、狩りを知ったから。その後も狩りを続けて、いつの間にか、部族で1番の狩人になってた。そしたらある日、王様に言われた。オマエには狩猟の才がある、って」

 

「そりゃあそうですよね。子供がリオレイアを狩っちゃったんですから。リーヴェルだったら英雄並の大騒ぎですよ。なにせリオレイアをみた事がない人すら山の如くいますからね」

 

「そなの? ……あ、それで。ジブン、お許しを貰って、成人前だけど部族を抜けて ―― ある人に着いて旅に出た。狩人になって、いっぱいの街を回った。この世界を、見て、知った」

 

「……」

 

「世界にはジブンなんかより凄い狩人、もっと、もぉっといっぱい居た。ジブン、その人達に狩人として弟子入りしてた。いっぱいの人から、いっぱいの事を教わった。剣の型も、狩猟道具も、調合も、いっぱい覚えた。狩り、もっと上手くできる様になった」

 

「すごいですね……あ、その時の狩りの記録は残っていないんですかね?」

 

「んー……分からない。ジブン、ジブンが弟子入りした書士隊の人の、付き添いっていう立場だった。こっちの大陸に居た時は、ギルドにも登録してなかったし。狩人としての立場はあっても、ギルドには貢献してない。多分、詳細な記録はないと思う」

 

「そうなんですか。あ、すいませんでした。続けてください」

 

「ん。……その内、別の大陸から『ジブンに』っていう依頼が来るようになった。狩人の間では、有名になっていたみたいで。それでジブン、別の大陸を拠点にした。そこでも依頼を受けて、モンスターを狩った。ジブンにっていう依頼、難しい狩猟ばっかりだった」

 

「……」

 

「けど、何とか生き残れた。必死に狩っていたら、地位が出来た。地位が出来て、指名の依頼が増えて、もっともっと沢山のモンスターと出遭って。失敗も山程あったけれど、それよりもっと沢山のモンスターと世界を知れた」

 

「……」

 

「ジョンと風ぐるまを作った。シャルルと喧嘩した。ロンと字の勉強をした。ペルセイズに笑われた。ハイランドに無言で怒られた。フェン爺さんに剣術を教わった。ギルナーシェに無視された。グントラムと毎日の様に強い酒を飲んだ。リンドヴルムと一緒に、狩りをした。

 泥塗れになった時、右腕の骨が折れた時、捕獲しようとして討伐してしまった時。誰かに期待されて狩りに向かって、成功して、誰かが喜んでくれた時。師匠や他の狩人と一緒に狩りをした時、ネコと2人で狩りをした時、1人で獲物に挑んだ時。初めて剣を握った時、防具をあれこれ考えた時、双剣の練習をした時。初めてリオレイアと戦って ―― 初めて、モンスターの魂を感じた時。

 ジブンが大好きと思う時間って、狩りの事ばっかり。でもその全部が大事で、大好きで。……だからジブンはまだ、タブン、狩人としてしか生きてない。この大陸に来たのだって、そう。ジブンはそのまま、変われていない。依頼を受けて未知(アンノウン)を狩るっていうの、あんまり大事に思ってないみたい。ジブンが狩りたいから、が1番おっきな理由」

 

「……でも……それって」

 

「んぬ。きっとこれ、似てる。ノレッジがあの未知(アンノウン)を知りたいって思うのと、ジブンが狩りたいって思うの。―― なんとなくだけど」

 

 ここまでを語って首を傾げるヒシュを、ノレッジはどこか響く心持で見やる。

 ―― そうだ。語っているヒシュの言葉を聞いていて、自分も同じ様に感じていたのだから。

 

「……はい。わたしも何となく、そんな気がしています」

「だから、ノレッジ。ジブンはノレッジを、応援してる。……月並みだけど、頑張れ」

「あえ? ……あ、はい。……ありがとう、ございます」

 

 微かに感じた違和感。だがそれも直ぐに消え去った。目の前に居るのはいつもの通り、表情の読めない仮面の狩人だけだ。

 それでも、と思う。この昔話の間に得た、確かな収穫がある。

 ヒシュが狩人としてどの様な人生を歩んできたかという事。ヒシュはきっと、自分を変えたいと思っているという事。ヒシュも普通の人と同じく、多くの挫折と困難を経験してきたという事。

 そして何より。この、仮面の狩人は ――

 ノレッジは力を入れ、勢いそのままに立ち上がった。朗々とした声に想いを込める。

 

「わたし、判った気がします。……有難うございます。わたしも、ヒシュさんみたいに、全部をひっくるめて『自分が狩りたいから』って言える狩人になってみたいと思うのです。わたし自身が、この世界を視る為に」

「……んー……ん? ……そうかも、知れない」

 

 自分でも判っていなかったのか、とノレッジは笑う。つられたヒシュも仮面の内では笑みを浮べて。

 粗末な布を継ぎ合わせた外套が風に揺れる。目前に広がる黒い砂原に、いつもの楽しさを思い出す。

 青い月に照らされた少女の笑み。

 感じていた行く先への不安の幾分かは、いつしか、希望と嬉しさに据え代わっていた。

 




 平然と他の方からいただいた情報を使うとかっ
(はい、アプケロス云々の事です! 申し訳なくっ!!)

 それは兎も角、物語は1章の「転機」に向かう砂漠編。多くの主人公は砂漠で大切なものを見つけますが……タイサノセンジョウヲケガシテシマッタッッ(何 
 さておき、という事は。1部の(裏)主人公がお目見えでして。

 はい。

 ノレッジ・フォール女史です!

 ええ。残念ながらダレンさんではないのです。オジサン趣味のお方には大変申し訳ない。私はオジサン大好きですので、オジサン分は後々に回収する予定がございます。というかダレンは、意外と若いです。隊長職としては異例の若さという感じで。
 ……はい。ライトスに上司面とか言われる程度には見た目も老けてはいるのですが(ぉぃ
 さて。
 3部全編を通しての主人公は仮面のヤツなのですが、1部は彼女が大筋の中心として話が纏められます。モンスターハンターの醍醐味。そして伸びしろを考えると……と。
 彼女を主軸においてどうなるのかは、今後の展開をお楽しみにしていただければ幸せです。いえ、大体大筋は既に作中に書いてあるので、判る方も多いかとは思うのですが。

 ヒシュについて。
 ちょっとずつ情報を開示しております。今の段階でも、ヒシュの言う部族については想像つく方も多いかとは思うのですが……云々かんぬん。
 その辺の話は(期間的には兎も角、構成的には)そう遠くない辺りで話される予定です。

 モロコシについて。
 モロコシ、寒冷地で育つの? とか思った方も多いかと思います。私もそうでした。
 ……ですがオオモロコシ、フラヒヤ山脈のお膝元・ポッケ村で育っちゃってるんですよね……
 そもそもは、比較的痩せた土地でも育ちやすいという利点はあるかと。なのでオオモロコシは寒冷地で育ちます、と、力説はしないまでも一応の言い訳をばしておきたく思います次第。

 砂漠について。
 見て分かる方もいらっしゃるかも知れませんが、私は砂漠が大好きなのです。そのため、描写には色々と力が入っております。
 モンスターハンター世界の描写にもあるように、義務教育でも習うように、砂砂漠というのは範囲が少ないです。砂漠の大半は(つぶて)……小石と岩と瓦礫の世界となります。
 考えるに、ゲームにおける「新旧砂漠」のフィールド辺りは、
「砂砂漠が多い→砂竜が多く生息している」
「岩場がある→ゲネポス等が繁殖しやすい」
「洞窟→ガノトトス in 地底湖。水場の存在」
「サボテンなどの植生→奴等の食事」
 といったものが整っている、まさに至れり尽くせりの環境なのですよね。
 奴等は兎も角、これは縄張り争い、激しそうですよね……いえ。だからこそ獲物が、ひいては狩人が群がるのでしょうけれども。

 では、では。
 そんな砂漠にて、暫くのお話は展開されます。
 ノレッジ少女の奮闘ぶりを楽しんでいただけるのならば、これ幸い。


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第十五話 岐路

 土色の煙が舞う大地の中心。セクメーア砂漠と呼ばれる乾燥帯、その中でも一面の流砂が敷かれた地域に、降り注ぐ月光に照らされながら脚を動かす一団があった。

 彼ら彼女らの視線の先では、特殊な砂の中から1枚の「ヒレ」が顔を覗かせている。

 一団 ―― 4者1組の狩人らが近付いた気配を敏感に察知したヒレは、狩人らを正面に捉える。

 敵意を向けられる感覚に、ノレッジとダレンの肌が粟立つ。ただし先頭に居たヒシュは例外で、両腕をだらりと弛緩させて得物を握りこみ、刃に戦意を漲らせた。

 

「居た。また、くる。……小樽爆弾、お願い」

「心得ました」

「お願い、ネコ。……ダレン、ノレッジも」

「ああ ―― 今度は逃がさん。行くぞ」

「はい」

 

 仮面の狩人がダレンに一声かけると、一行は砂に突き出したヒレの左右へと散開した。ネコと呼ばれた獣人(アイルー)だけが一直線にヒレへと近付きつつ、外套の中に背負った革鞄から手拳大の樽と火口を取り出し、導火線に火をつけて前へと放る。

 

「―― キュエェェッ!?」

 

 樽が砂に着くと同時、詰め込まれた火薬が炸裂し、ボウンという爆音が砂の海原を劈く。周囲を走っていた狩人らの目前に、狙いの通り、黒ずんだ外皮を纏う砂竜が耐え切れないといった様相で飛び出した。

 

(ドスガレオス! ……何度みても、でかいです!!)

 

 魚竜目・有脚魚竜亜目・砂竜上科・ガレオス科。砂竜と通称される生物 ―― ドスガレオス。

 鎚状に突き出した頭と、翼の様に広げられた両ヒレ、背辺を飾る背ビレ。ヒレが膜を張る尾から頭の先までは、ゆうに15メートルはあるだろうか。艶かしさすら感じる外皮は砂の中を泳ぐ為に進化したものであり、身体全体が流線型の形状をとっている。普段は砂の中に在る巨体を今は砂上に支える両脚1つとっても、狩人らより太く大きい。ノレッジはこの区画へ追い詰めるまでに何度も視たその図体を改めて俯瞰しつつ、そう言えば、モンスター達の大きさにはいつも圧倒されてばかりだなぁ……などと、緊張感のない驚きを内心に浮かべた。

 その間にもヒシュらはドスガレオスへと肉薄し、各々の武器を振り上げる。呆けてはいられない。舞い上がる砂塵の向こうに現れた魚竜を銃口で指し、ノレッジは『ボーンシューター』の引き金を引いた。「通常弾」。カラの実と通称される種子の外殻で作られた弾が冷たい砂漠の夜を切り裂き、次々と砂竜の横腹に着弾する。装填した分を撃ち切った所で弩を折り、次の弾を込める。息を継ぐように装填の動作を。指を動かし、込める間にもドスガレオスの挙動を探る。

 ドスガレオスは砂中に適応した特殊な魚竜種……ガレオス科にあたる生物である。ただしドスランポス等の様にガレオス種における(ボス)個体という訳ではなく、あくまで「麻痺毒を器用に使いこなす体格の大きな個体」という位置付けだ。とはいえ、口内の牙だけでなくそのヒレにまで麻痺毒を噴出する毒腺がまわっており、通常のガレオスより戦闘的な性質を持つドスガレオスは、群れの中に居る場合には真っ先に戦闘の先陣を切るという。

 飛び出したドスガレオスはその身を起こし、ゆっくりと身体を回す。攻撃へと転じる積りだろう。挙動を窺っていたヒシュとダレンが武器を握り直し、ネコも小太刀を構えながら。

 

「ヴるるるる ―― キュアッ」

 

 大きな身体に似つかわしくない俊敏さ。砂竜は辺りに群がる狩人らを一様に薙ぐべく、長大な尾を身体ごと振り回した。

 

「……今」

「むっ」

 

 両脚を中心として風車よろしく巨体が回る。尾びれは砂を巻き上げ、質量に裂かれた大気が風圧を伴い、狩人の鼓膜と肌とをびりびりと震わせる。

 襲われる直前、ダレンは右手の楯で頭を守りながら身を低くする事で尾を潜る。もう一方。ヒシュは両手に『ポイズンタバルジン』と『ハンターナイフ』を構え ―― あろう事か、ドスガレオスへと接近した。

 

「あっ! ……って」

 

 ノレッジの口から驚声が漏れる。しかし尾が過ぎた後に、悠然と両の剣を振るっている仮面の狩人を見て、思い直した。恐らく ―― というより確信に近いものがあるのだが ―― ヒシュは砂竜の中心まで近寄ることで振り回された尾を掻い潜ると共に、攻撃の機を抉じ開けたのだ。その際、両手に構えた刃の上で尻尾を滑らせて(・・・・)鱗を削ぐという反撃のオマケ付きで。

 機前の読み、足場が悪い中での重心の運び、思い切り。どれをとっても困難極まる一動作。ドスガレオスの巨大な尾に防御を棄てたまま直撃しては、命をも脅かしかねないというのに。

 だが、結果は出た。ヒシュは見事に死を避け、攻勢に転じて見せたのだ。いずれにしろノレッジには真似出来ず、真似をしようとも思わない。一般的な考えからすれば退いて次の機を待ったほうが安全ではあるのだが……数ヶ月を共に過ごしたノレッジの経験からして、仮面の狩人は自らが攻勢に転じられると踏んだ場合、身を厭わない行動を積極的に採る傾向にある。そして、その動きを可能にする根本にはモンスターの動きや身体の構造などに関する知識があるのではないかと、ノレッジは睨んでいる。

 

(尻尾の振り回しは密林で多く狩猟した鳥竜もよく使用する攻撃方法ですし、関節が似通ったドスガレオスならば、前駆動作や位置取りによって先読みできるというのも頷けます。……モンスターの生態を。食物を。武器としている器官を。体の構造を知り尽くし、その行動を『行動の原理から』読み取る。そういうことだと解釈します)

 

 この砂漠に来るまでに積んだ修行……その狩りの場で視た通常種のイャンクックやゲリョスも尻尾を振り回していた。と、前日の昔語りや経験則からヒシュの行動原理について予測を広げてはみるものの。しかしやはり、ヒシュが言う『視る』というのは、どこかオカルト染みている様に感じてならない。ノレッジは少女心ながらに、自分の解釈も大きく外れてはいないだろうとの願望を多分に込めておいて。

 

(いいえ。ヒシュさんの言うコツ(・・)は後々の課題として、今は切り替えましょう)

 

 視界の奥。既に見慣れた脱力の体から一変。ヒシュは土煙をあげる低さで剣を引き摺り、ドスガレオスを剣域に捉えるや否や、地面の際から腕を振り上げる。

 強化の試行錯誤を繰り返している内に大部分がマカライト鉱石製となった『ハンターナイフ』で鱗を剥ぎ取り、毒怪鳥ゲリョスの素材を使用した両刃の小斧剣『ポイズンタバルジン』で毒を叩き込む。大きさも形もバラバラの剣がヒシュの手により絶妙な期で噛み合って流麗な斬撃を生み出す様には、ヒシュ1人だけが違う空間に居るのではという錯覚すら覚える。

 ノレッジは慌てて首を振るう。今はまだ自身も、狩猟の最中に居るのだ。ドスガレオスの周りを取り巻きのガレオスが回遊しており、積極的に襲おうとはしてこないものの、隙を突いては砂を飛び出し狩人らへと飛び掛ってくる。学術院から取り寄せた書物に依れば、その牙から分泌される麻痺毒はドスガレオスと相違ない強さのものだという。万一にも鎧の薄い部分に受けてはいけないと、ノレッジは再びの警戒をしつつ。

 

「―― 今はまだ、目の前のエモノを」

 

 魚竜種特有の濁った目をぎょろぎょろと動かすドスガレオスを視界の中心に捉え、ノレッジはその行動を(つぶさ)に観察し ―― 機を見ては脇腹目掛けて通常弾を放つ。先の予想を頼りに、ヒシュの様にとは行かずとも……その片鱗だけでも掴めないものか。そう考え、ノレッジはここ最近の狩りにおいてモンスターの観察を心がけていた。

 曰くノレッジという人間は、「観察」と「強運」という英邁を持つらしい。それこそが「書士隊の実働部隊へ転属したい」というノレッジの希望が通った理由の一旦であるのだと、ダレンから直接聞い事がある。ノレッジとしても『砦蟹』と呼ばれる伝説級の生物と出遭えた、未知の怪鳥と遭遇したなどの実例があるために、それが幸か不幸かは兎も角、「強運」については否定するつもりは無い。

 だがもう一方。「観察」については彼女自身、未だ半信半疑のままだ。だからこそ狩りというのは今、彼女自身の才を証明し ―― 生きる為の、戦いでもある。

 

「……来るか」

 

 ドスガレオスは最も手近に居た狩人として、ダレンに狙いを定めたらしい。青年は濁った目と至近距離で見詰め合う形となる。ぶつかる無言の圧力に顔をしかめつつ、構える。

 

「ヴぁヴッ」

 

 ドスガレオスが口を結び、首を天に向け、胴を反らす。「砂鉄砲」特有の前駆動作だ。

 砂竜は特殊な砂漠の中を回遊し、粒の中に紛れる栄養素や微生物を漉しとって身体へと取り込むという食性を持つ生物だ。その際に余剰分として胃や肺の中に溜まった砂は、口から吐き出される際の勢いをもって、獲物を攻撃するの為の武器……「砂鉄砲」として使用されるのである。

 ダレンは、砂竜の真ん前を位置どっていた。位置が良過ぎる(・・・・)。脚は砂に取られ、精緻な足運びは叶わない。ダレンは回避動作は間に合わないと判断し、『ドスバイトダガー』を更に強化した『ドスファングダガー』の肉厚な刃と「牙を剥く楯」とを頭上に揃えて一歩前、首元に素早く飛び込んだ。

 砂を吐き出すべく、砂竜の身体が弓形に撓る。

 向かうダレンは楯を頭上に構え……押しあいで争う積りは無く……右手だけに力を込め、全身を脱力する。

 がつり。首を振り下ろした瞬間、ダレンの持つ楯と砂竜の顎とが激突した。しなやかさと強固さとを併せ持つ走竜の楯は衝撃に軋み、脱力した全身が圧されて歪み、ダレンの足は踝までが砂中に沈む。

 

「っ、……おぉっっ!」

 

 身体の節が、筋肉が悲鳴をあげ ―― しかし、狩人は倒れない。それどころか、砂竜の巨体故の自重を利用して反撃に転じる。全力を込めて、楯で砂竜の下顎を殴打する。

 ぞぶりと、張力を振り切った手応え。楯の表に並んだ走竜の牙が、ここまで加えられた狩人らの攻撃によって刻み叩かれ襤褸と化した厚みのある砂竜の外肌を、遂に貫いていた。ドスガレオスは痛みに叫び、砂を十分に吐き出すことも出来ず、堪らず首を引いて大きく後ずさる。

 

「ヴーるるる……!」

「攻める」

「御供致します」

 

 後退した瞬間をまた、好機とみた狩人らに囲まれる。ヒシュの剣が執拗に脚を狙い、ネコがその傷口へと追撃し、体勢を整えたダレンが揺れる頭へと刃を向けた。一晩の激闘の果て。次々と襲い掛かる狩人の武器は、遠大な砂漠を庭とする強大な砂竜を、着実に追い詰めてゆく。

 ノレッジも機を見ては通常弾を打ち込む。何度目かの装填。すると、弾を入れていた鞄の中から通常弾が消え失せていた。弾切れだ。

 

「ならば……あっ!?」

「ヴるるるぅっ、るっ」

 

 ―― ドズンッ

 

 ノレッジがならば次にと思考した瞬間、ドスガレオスが大きく跳ね上がった。辺りに砂を撒き散らし、巨体を砂漠の原へと滑り込ませた。

 ……あれは、「逃げ」のための動き。そんな確かな予感(・・・・・)が、ノレッジにはある。観察の成果として、跳ねる瞬間、砂竜の身体が僅かに傾いていたのを逃さずに捉える事が出来ていたのだ。ヒシュとネコによって執拗に斬りつけられた左脚を庇ったに違いない。そして砂竜も、傷を庇う動作が表に出る程度には衰弱しているのだろう。

 粒を割き、砂を撒き上げ。砂埃が晴れて視界が復活すると同時に、狩人らはドスガレオスの姿を捜す。しかし既に数メートル先の砂原を、包囲を突破したヒレが泳いでいた。跳ねた勢いで退かせた狩人らの間を泳ぎ抜けたのだ。

 

「ちぃっ」

「取り逃がしたくはありません、が!」

「……んー……」

 

 ダレンやネコ、武器を皮鞘に納めたヒシュが急いで駆け寄るが、砂を割り進むヒレは勢いを増しながら遠ざかってゆく。砂を走る狩人よりも、ドスガレオスが泳ぐ速度が勝っている。このまま追走したとしても、追い付けはしないだろう。

 1人射手として他の狩人より距離をとっていたノレッジも、頭の中で砂竜の逃走を阻止するための手段を探る。

 『音爆弾』、『小樽爆弾』……駄目だ。距離があり過ぎて届きはしない。

 『角笛』……これも駄目。いくら音に敏感な砂竜とはいえ、地中から弾き出すには笛ではなく、もっと短く強く鳴り響く音が必要だ。

 ―― 例えば、炸裂する様な。

 

(とすれば、これならばっ)

 

 少女は、自らの重弩で射出する「弾」の1つに思い至る。考えるや否や空の弾倉を引きずり出し、鞄から通常弾よりもやや大振りな弾を取り出した。弾倉に装填された火薬とは別に、その弾を銃身の先へと取り付ける。

 腰を落として膝立ちに重弩を抱え、光学照準具を覗き込んで狙いを絞る。砂漠に爛々と降り注ぐ月明かりの下、ヒレはまだ鮮明に見えていた。

 ―― 狙うはその先、中空。

 時間は限られている。ノレッジはドスガレオスの泳ぐ速度を目測で計り、息を一つ吐き出して、進路の上へと向けて。

 バスンという射出音と共に、通常よりも大きな反動がノレッジの身体を揺らした。肩と肘と腰と膝と。各部関節を使って最大限衝撃の吸収を試みるも、銃身は横へと反れてしまう。しかし、既に放たれているのだから問題は無い。それよりもと、ノレッジは弾の行く末を目で探る。

 火薬によって放たれた弾は直線に近い放物線を描き、

 

「いけっ……よぅし!」

 

 ヒレを追走する狩人らの頭上を流星の如く滑り、追い越し。逃げる砂竜のヒレ、その僅か前方の空で炸裂した。狙いの通り。心の中であげた快哉が口からも漏れる程、完璧な軌道だった。

 打ち出された弾 ―― 「拡散弾」に詰め込まれていた小型の爆弾がばらけて、ドスガレオスに向かって降り注いでは爆音をあげる。遠く黒く固まった地中を泳ぐ巨体の真上で、瞬間、橙の灯りが灯っては消える。

 

 ―― ボボッ、バウンッ!

 

「ヴぅるるッッ!?」

 

 砂海を泳ぐ生物故の進化。視力が退化し音で地上を探るしかない(・・・・・・)ドスガレオスは、堪え切れずに砂を飛び出し、その巨体を月光の下に曝け出す。

 瞬間、ノレッジは叫ぶ。

 

「―― お願いします! 止めをっ!」

 

 辺りに未だ、砂竜の悲鳴たる細い咆哮が木霊している。声が届いたのかも判らない。ただ、逃げる獲物を追う仮面の狩人が一瞬だけ頷いた様に見えた。

 小型爆弾の爆発音に刺激されて砂の中を飛び出した獲物へ向かって、ヒシュが腰から引き抜いた得物を向ける。仮面の狩人が持つ三つ目の武器、『大鉈』だ。

 

「斬る」

 

 ヒシュは脚を止めて、一気呵成に仕掛ける。

 一閃、二閃、返す刃で三閃。増す勢いは止まりを知らず砂竜を刻む。

 『大鉈』は鱗を削り皮を叩き、血を流し肉を抉って命までを別つ。後を次ぐダレンとネコが波状に斬りつけ、飛び散った飛沫によって砂の原は鮮やかな黒色に染まる。

 

「―― 腹」

「鱗はあらかた剥ぎ取ってやったぞ。……はぁっ!」

 

 止めとばかりダレンが喉下へ、ヒシュが腹へ、各々の得物を振り上げた。

 ダレンは『ドスファングダガー』を、低く垂らされた喉へと振付ける。赤い刃が闇夜に弧を描き、狩の終焉を告げるべく砂竜を襲う。

 ヒシュは『大鉈』を両手に持ち替えて半身になり、後ろに振り上げたかと思うと、頭上を覆う砂竜の腹目掛けて迷い無く振り下ろした(・・・・・・)。神速の刃は鈍い艶消しの金属光沢を放ち、下弦の月の如き軌跡をなぞる。降りて、後は昇るのみ。『大鉈』は勢いそのまま、砂竜の腹へと跳ね上がった。

 幾度と無く重ねられた攻撃によって剥き出しにされた真皮。ダレンの刃とヒシュの鉈とに貫かれて、ドスガレオスがか細く鳴いた。最期の力で身体をくねらせ、脚を振るう。

 しかし、それが限界だった。

 悠然と粒砂を掻き分けていた身体も今は砂上に、ゆらりと傾く。得物を構える狩人らの眼前、濁った眼を見開いて、砂海の主は崩れる様に倒れ込む。

 ずしんと響く大重量が大地を揺らす。暫しの間動かないことを確認してから、狩人達は警戒を解いた。

 

「……狩猟、完了だな」

「主殿、お怪我はございませんか」

「だいじょぶ。打ち身くらい」

 

 ダレンが布を取り出し、『ドスファングダガー』の刃に付着した脂を拭う。ネコが外套の内へと小太刀を差して主の身だしなみを整える。ヒシュは両の剣を腰で止めて皮鞘で覆い、塗り薬を鞄から次々と取り出している。

 そして各々が狩猟の達成感を噛み締める最中に、立ち尽くす者。

 

「―― さて。目標は遠そうです。口にはしてみたものの……私は、どうしたら近づけるんでしょうかね。ヒシュさんみたいな、狩人に」

 

 ノレッジ・フォールだけが重弩を抱えたまま、ドスガレオスの亡骸を見つめ続けていた。

 

 

 

□■□■□■□

 

 

 

 無事にドスガレオスの狩猟を終えた一行は、レクサーラへと帰還した。看板娘である姉妹受付嬢からの称賛を軽く流し、モンスターの運搬を終えた港へと足を向けた。

 ノレッジ、ダレン、ヒシュ、ネコ。

 ヒシュはレクサーラに運ばれた品に興味がある様で、蚤市に並べられたよく判らない装飾品等を延々と弄っている。ネコはドスガレオス狩猟によって得られる報酬と素材を吟味していたのだが、どうやら、造船のために必要とされていた素材……最も大きな「竜骨」は余剰分を含めて多めに手に入れられる算段となったらしい。その髭は今も、どこか誇らしげにぴぃんと伸ばされている。

 装備を外し外套姿となったダレンとノレッジもつい今し方、砂漠での調査について打ち合わせを終えたばかり。だが、砂漠での調査という題目ではあるものの、隊長であるダレンがいない以上複雑な調査は存在し無い。ノレッジに任された調査は精々が大地の結晶や、砂漠特有の鉱石の採取などである。

 ノレッジは手に持った書類に付箋をつけると分厚い書類挟みに挟み込み、立ち上がる。既に立っていたダレンへと向き合った。

 

「―― それではな、ノレッジ」

「はい。先輩もドンドルマでの会議のお仕事、頑張ってください!」

「ああ。まぁ、私に頑張るほどの役目があるのかは疑問なのだがな」

 

 ダレンは無愛想に笑い、軽く手を振ってから、しかし呆気なく船に向かって歩いて行った。こうして共に過ごして判るが、ダレンは上司としては有能でも「話下手」であるらしい。図面上の統率力や事務的な部分は申し分なく、調査資料の内容は的確で期限も守る。この点はノレッジが最も尊敬している部分である。しかし、部下との交流は上に立つ者に必要とされる能力でもあるのだ。ダレン・ディーノという人物像からすれば、彼は行動で牽引する類の隊長なのだが……率先して部下を増やそうとはしない辺り、ダレン自身も口下手だという自覚はあるのだろう。それでもこうして何かある度の挨拶や声かけを欠かさず行うので、不器用なりに努力をしているとは感じるのだが。

 出自が平民である彼は王国の政事(まつりごと)との癒着が強い王立古生物書士隊において、強い縁は持っていない。22歳という若さで隊長となったのは、偏に彼の成果によるものである。そこに狩人として実力をつける事ができれば、名実共に実力でもって牽引してゆける隊長となるに違いない。

 

「ノレッジ」

 

 ノレッジがそんな事を考えながら船着場へと入っていったダレンを見送っていると、入れ替わりに、今度はヒシュが横に立った。ネコが離岸の手続きをしている間にノレッジの横まで走ってきたらしい。

 仮面の主は何やら、自らの鞄をごそごそと漁っていて。

 

「あ、何か忘れ物ですか、ヒシュさん?」

「んーん。ノレッジ、これ、あげる」

 

 駆け寄ったヒシュが、手を差し出す。その掌の上にランポスの牙程の大きさの木片が乗せられていた。ノレッジは促されるままに木片を手に取り、様々な角度から眺める。

 不思議な木片だった。薄白い色を基として、淵や皺が仄かに蒼く彩られている。これが着色によるものではなく元となった樹の色合いそのままであるとすれば、どこかの土地の神木として崇められていてもおかしくは無いのではないか。そんな神秘的な印象を受ける木片だった。木片の裏側に刻まれた皺も、どこかしら不思議な紋様に見えなくも無い。しかし何れにせよ、只の木片には変わりが無いのだが。

 これはヒシュに尋ねておくべきだろうと考え、ノレッジは疑問を口にする。

 

「これは?」

「それ、ジブンが師匠達から貰った『お守り』。辺境の霊木の破片が素材。狩猟成就を、祈願してる」

「っ!? 貰えませんよ、それはっ」

 

 ノレッジは先日の昔話の際、ヒシュとその師匠達についての話も聞いている。同時にその饒舌な語りぶりによって、師匠たる彼ら彼女らをとても尊敬しているというのも伝わった。

 しかしヒシュにも、ジャンボ村に戻れば狩猟の依頼がある筈。ならば今、『お守り』はヒシュにこそ必要ではないのか。そう考えたノレッジが慌ててつき返そうとするも、仮面の狩人は手を後ろに組んでしまい、頑なに受け取ろうとしない。

 

「だいじょぶ。ジブンにはこの面、あるし」

「というかその仮面、お守りだったんですか? ……あ、で、でも」

「受け取って欲しい。ジブンもそれ、師匠からもらった。……今はジブンが、師匠だから。だから、ノレッジにあげたい。……駄目?」

 

 木製の仮面がかくりと傾ぐ。

 ノレッジは唸る。ヒシュは貰って欲しいと言うものの、自分自身はどうか。確かにノレッジは、そういったお守りの類は持っていない。狩人は基本的にゲン担ぎを大事にする職種だが、王立古生物書士隊を主としていたノレッジ自身はあくまで合理的な思考をするきらいがある。そもそも「お守り」という物の存在自体に懐疑的といっても過言ではないだろう。合理的になるのは上司に竜人が多いからに違いないです、と、自身の考え方を上司に擦り付けておいて。

 しかし、師匠が「貰って欲しい」とまで言っているのだ。信じていない、ではなく、懐疑的。「信じても良い」に分類区分出来るだろう。それにこの程度の大きさであれば、荷物にもなるまい。

 

(それに苦しい時に縋るものが在ると無いとでは、大分違いますし)

 

 街を行き交う人々が逡巡する自分を見て何事かと足を止めている。決断は早い方が良い。

 決めた。ノレッジは思い切り頷くと、木片を内袋へと仕舞い込んだ。

 顔を上げる。ヒシュの仮面の内をしっかと覗き込み、微笑みを浮べる。

 

「判りました。お師匠からの貰い物ですから、大切にします。でもまた、必ず、一緒に狩りをしましょう! ヒシュさん!」

「約束。……それじゃあね。また、ノレッジ」

 

 笑顔を最期の記憶に留め、狩人は互いに背を向ける。

 ヒシュは、ダレンとネコの待つ船着場へ。

 1人別れたノレッジは、再び集会酒場の中へ。

 

「さぁ ―― 行きますよっ」

 

 少女の戦いが、狩人共が集まる酒場の喧騒と共に始まりを告げた。

 

 

 

■□■□■□■

 

 

 

「ダレン」

「申し訳ありません、ダレン殿。暫しお時間をいただけないでしょうか」

「……ネコ、ヒシュもか。どうした」

 

 船着場の中。ジャンボ村へと出立するヒシュら自前の船とは別に、ジォ・ワンドレオを経由してドンドルマへと向かう客船に乗り込もうとしたダレンを、ヒシュとネコが呼び止めていた。

 

「ダレン。これ、お願いしたい」

「……これは?」

 

 一歩前へと踏み出したヒシュが、懐から丁寧に包まれた山羊(エルぺ)皮紙の封書を取り出す。何事かと思いつつもそれを受け取り、ダレンは封書の外装を確認する。

 如何にもな豪奢さはない装丁。だがその代りに蝋の塗られた皮包みに入れられており、外見は封書と言うよりも雑な小物鞄に近い。ダレンが封書だと判断できるのは、ヒシュがその中身である皮紙をわざわざ取り出したからだ。皮の入れ物には、腰紐も通されている。どこまでも鞄に「偽装」する積りらしい。と、すれば。

 

「ふむ。公に書士隊と関連した書類……では、ないのだな」

「ん。あのね、ダレン。これ、密書」

 

 仮面の内から響いた単語に、ダレンの手がやはりと強張る。とりあえずは封書を腰に付け外套の内へとしまいつつ、密書であるからこそ、仔細は尋ねなけらばなるまいと思い直す。

 

「これを渡す相手は」

「向こうに行くまで、秘密」

「……『向こう』とは、これから私が向かうドンドルマ……いや。ドンドルマのハンターズギルド及び大老殿の事。この解釈で間違いは無いか」

「合ってる。だからこそ、ダレンにお願いしたい」

「……良いのか? そもそも『部外者の』私に、密書の類を頼むなど」

 

 ダレンはヒシュの「特別な立場」について、詳細は知らずとも「察している」身だ。古龍観測隊との連携だけでなくギルドにも融通が利くなど、その立場はギルドや王立学術院との繋がりが深いものだろうとの予測が出来たのである。だからこそヒシュが密書を記す事、それ自体にも相応以上の驚きはない。ライトスからもその点については警告をされていた。

 だが。それを自分の様な一隊長……それも駆け出しの者に托しても良い物なのか。疑問よりも、漠然とした不安が拭えない。

 疑問は顔にも表れているに違いない。ダレンの顔を不思議そうに見つめながら暫し瞬きを繰り返していたヒシュは、変わらぬ調子で「だいじょぶ」と切り返す。

 

「んー……オリザも、居るんだけど。オリザは身体も大きいし、目立つから。ダレンが持ってった方が色々良い、と思う。今後の為」

 

 自らの伝書鳥である大鷲・オリザを引き合いに出しておいて尚、ダレンが運ぶ方が良い。「今後の為」という理由を挙げながら語るヒシュへ、浮かんだ疑問でもって問い返す。

 

「……今後、か。それは、私の、隊長職としての今後か?」

「それもある。会議の内容の一部が、未知(アンノウン)についてだから。知ってると思うけど、出席する人、結構上の人ばっかりだし……それに、文章だけじゃ伝わらない事もある」

「しかしそれでも、用件は伝わるだろう?」

 

 食い下がるダレンに、ヒシュは珍しく口を濁す。かくりかくりと傾いで、揺れる仮面の下顎を手で抑えながら。

 

「ん、んー……。……ジブン、まだダレン達に話せない事がある。だから、絡め手(・・・)

「絡め手。それが意味する所は、私達が巻き込まれると言う事か?」

「違う。それは、自由。ダレンと、それにノレッジも、望んでくれるのなら。……嫌? 嫌なら手紙、場所に置いて来るだけで良い」

「む。まて、そうは言っていない」

 

 ダレンは慌ててヒシュの口上を切り、弁解を試みる。

 

「私自身、一書士隊員としてあの未知(アンノウン)には興味を抱いている。そして勿論、脅威である未知(アンノウン)を知る必要性がある事も理解している。ノレッジも同様だ。そのための『絡め手』なのだろう? 情報とは、知恵を回す人間にとって最大の牙であり、鎧でもある。だからこそ、出来る限りの協力はしておきたい。私達も『部外者』で無くなる事が可能なのであれば、また、同時に人々の為にもなるのであれば。……私はそれを望む」

「そう。……良かった」

 

 ヒシュが仮面の内に、安堵のそれと判る吐息を漏らす。何時もの如く、首をかくりと傾いで。

 

「ホントはジブン、隠し事とか嘘とか、かなり苦手。出来るならダレンにもノレッジにも、あけすけに話せる方が楽。……楽だし、友達には、話しておきたいと思うから」

「まぁ、我が主人は仮面こそ被っておりますが、気配と顔とに如実に表れてしまいますからね。その点については慧眼のダレン殿の事、とうにお判りだったとは思うのですが」

「いや、まぁ……確かにそうだが」

 

 主の話を邪魔すまいと閉口していたネコが、穏やかな笑みを浮かべながら合いの手を挟む。ヒシュの語りが足りない部分を、ネコが補完する。これは何時もの展開だ。

 それ故に。語りとしての役目を持つネコに、ダレンは問う。

 

「……ネコ、お前もだ。お前は、良いのか?」

「はい。わたくしも、ダレン殿やノレッジ様は頼れるお方であると判断しております故。それにそもそも、我が主の判断に異議などあろう筈も……と、言いたい場面ではありますが」

 

 一旦言葉を切って、破顔。ネコは屈託無く笑う。

 

「にゃあ。実は此度のお願いは、昨夜わたくしと主とが話し合いをした末の結論なのです。後の憂いも全く持って無いと断言できましょう。強いて言うなれば、ダレン殿とノレッジ様に更なるご苦労をかけてしまうという点が問題ではあるのですけれども」

「……ふむ。それについては問題ないと、先に言質を取られているからな」

「おや。ダレン殿も存外に意地の悪い言い回しをなさるのですね?」

「すまないな。信頼から出る言葉だと思ってくれると嬉しい」

「ええ、それは勿論。わたくしの言葉も、信頼から発したものですよ」

「? んー?」

 

 1人会話に取り残されたヒシュが、盛大に疑問符を浮べている。その様子を2者が見やり、また互いに笑みを溢す。

 笑みのまま、ネコは佇まいを整えて。

 

「いえ。申し訳ありません、我が友よ。これでもう、わたくしからダレン殿に話す事はありませぬ。話を進めてくださればと」

「?? ……うーん……釈然としない、けど。それじゃあ、ダレン。ドンドルマに行ったら大老殿、2番風車の小屋の中でお願い」

「2番風車、か。覚えておこう。それで、時間は」

「会議の日の早朝、食事時が良いと思う。だいじょぶ。相手の人、オリザが導くから」

「了解した。……相手が判らない以上、話すべきはこんな所か」

「ん」

 

 ヒシュが頷く。ネコも一礼し、ダレンが腕を組む。すると港に、船が発つ事を知らせる笛が高々と響いた。

 組んだ腕を解き、船へと半身を向ける。別れの時間だ。

 

「それではな。密書を渡すその役目、ダレン・ディーノが引き受けた。……ヒシュ、それにネコも。ライトスからの依頼、無茶だけはしてくれるなよ」

「お願い。狩りは、任せて」

「ご武運をば祈ります、ダレン殿」

 

 各々が別の船へ。

 それぞれの路へと向けて、歩みを始めていた。




 ご観覧をありがとうございました。
 話はきな臭くなってまいりますが、それはさて置き、次話からようやくと、私がずっと書きたいと思っていた場面が回ってまいりました。ノレッジには頑張って欲しいですね。話の展開と私の力量とを天秤にかけつつ、私自身ももうちょっと頑張ってみたい所です。
 因みに、申し訳ないのですが、前話辺りの修正や描写の追加をさせていただいております。色々と急だと感じてしまったもので……重ねて、申し訳ないです。
 では、以下雑談。それゆけ自問自答!

>>(ドスガレオス! ……何度みても、でかいです!!)
 いたいけな少女に一度は言わせてみたかった台詞。ええ、はい。
 ドスガレオスの、身体が、でかいのです!
 ドスガレオスだけに「黒くてでかい」などと一層アレな表現にならなかったのは、私のほんの僅かに残った(あるいは余計な)良心の成せる業です。
 因みに。開口一番「でけえ」とか言うのは、敬愛する某MHライトノベルシリーズへのオマージュでもあったりします。作者様は違いますが今現在、FでGのも読んでますよー。レジェンドラスタが後ろに並ぶあの絵が大変気に入っていたり。2巻も(やはり)受付嬢が可愛いとっ。

>>ヒシュ(仮)の武器、さらっとパワーアップしてるし
 「タバルジン系統」さまには2ndGで大変お世話になりましたので、謝意を多分に込めて出演をば(もう一方がそのままなのは、「アレ」です)。
 尚、ゲリョスを1頭しか狩っておりませんが……これに関しては誠に独自な設定ですが、ゲームとは違って、大型モンスター1匹から採れる素材は交渉次第で増減可能となっております。というか、ゲームの通りでは天引きし過ぎだと思うのです、ギルドの野郎(黒。私的には、ゲームにおける「鱗」は1枚の鱗の事ではなく、重さを基準にした鱗一塊の事だと解釈しているのですが、それでも、報酬が少ない時のは酷いと思うのです。確定報酬以外は調合消費の弾丸素材のみとか。
 本作では全身防具を作るために必要な素材の量は、モンスターの種類や防具のデザインにも寄りますが、成体が2~3匹と言った所でしょうか。
 そしてゲームではよく一式を作るのに逆鱗クラスの素材が1~2個は必要になりますね。ですが鎧は、戦闘を行う以上度重なる修復が必要であり……常に消費のある防具に貴重な素材を使う意味があるのでしょうかという疑問が浮かぶのではないかと。
 えっ、あっ、はい。本作においては独自の設定があります(自問自答。
 などと意味深な発言をしておいて核心には触れず。
 武器においては素材の数よりも質重視で、数は1頭分あれば余るほど。ですが、質の悪いものは長持ちしないと言う設定でありまして。少なくともこの設定に関しては、その内に日の目を見る事もあるでしょう。

>>山羊を「エルぺ」と読む(くだり)
 初めっからですね、これは。他にも本作では、鹿と書いて「ケルビ」と読ませたり、山猪と書いて「ファンゴ」と読ませたりしています。これは、MHゲーム内で馬などの生物が未発見もしくは絶滅種として扱われている事に起因します。MH世界では馬、居ないんですよねー……人類の歴史が。だからこそ竜車などが発達しているのだと思いますが!
 因みにエルぺは、MHFきっての癒し系奇蹄目(ぉぃ。ケルビ骨格+モーション増(この場合の骨格は、ゲームにおけるCGフレームの事)の愛らしさ余って結婚願望爆発しそうな、可愛いヤツです。堪能したいという方は、一緒に寝ている動画なんかもあがっていた覚えがありますので、それをご参照くださればと。
 ……えと、ブルックは、山鹿でしょうか。もっと適切な呼称もあるかとは思うのですが……いえ。少なくともブルックは、本作では出番は無いと思うのです。多分。

>>なんでエルぺの皮紙が使われるの
 イメージ的には羊皮紙ですね。ケルビ皮紙でも良いかと思っていたのですが、個体数が少なく(というかケルビが多く)、高地に住むエルぺの方が狩猟は困難かと考えました。素材の流通数はそのまま値段に反映されるため、エルぺの方が高級だとの格付けをさせていただいております。
 はい。決して、可愛いからではありませんのです!

 では、では。


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第十六話 少女と砂原〈上〉

「さぁてと。さっそく修行と行きますか」

 

 ヒシュらを見送ったノレッジは一度だけ伸びをして、今し方出てきた集会酒場へと引き返した。

 集会酒場は、祭りの後といった様相を呈している。先ほどまでと比べて密度は段違いに低くなっていた。集会酒場は狩人達の生活に合わせているため、朝と昼と夕の食事時が最も混雑する。そのため、朝の出港時刻を過ぎた酒場はギルドガールズもしくは給仕として雇われた村娘達、もしくは手伝いのアイルーの戦場と化すのである。村娘とアイルー達がすり鉢上に低くなった酒場を忙しなく動き回り、数えるのも億劫な程の勢が一斉に食事の片づけをしている様は、ノレッジの記憶の内にある書士隊の大掃除を思い起こさせた。ただしあの場合は本と資料の山、そしてそれを読みたくなる誘惑と戦い ―― 誘惑に負けて本を開いている時間の方が長い。比べれば間違いなく、酒場の片付けの方が壮絶であろう。

 因みに酒場の人口比率として遥かに劣る男性は、酒場の奥に併設された鍜治場の職人達の事であり、今の時間帯は職人頭……「鉄爺」と呼ばれる老年の竜人から作業を振り分けられて篭る直前の頃合だ。彼らには朝方に工房を訪れたハンターから提示された、大山の依頼が待っている。恋人であり宿敵でもあるそれらを消化し終えない限り、男衆が鉄火場から出て来る事はないだろう。

 ノレッジはそんな雑多な風景を眺めつつ、縁になった外側を辿って受付へと歩み寄る。途中にあった掲示板から自由契約の依頼書である紙束を剥ぎ取って、手近にあった椅子へと腰掛けると、紙束へと目を通し始めた。思考の題目を切り替え、まずは、自らが受ける依頼を選ぶ事にする。

 

「やっぱり最初は、砂漠の地形を知る所から始めたいですよね」

 

 言いながらノレッジは1人うんうんと頷く。砂漠の管轄地には一度ドスガレオスの狩猟のため赴いたとはいえ、何分数日前に初めて訪れた地だ。知識として足りない部分は、未だ数大く存在している。大型モンスターから逃げるための細道や隘路の有無、地質や水分補給のための水脈の把握。また、射手としては様々な弾丸の素材となる「カラの実」が採取できる場所だけでも知っておきたいという思惑もある。地形の把握が重要だというのはヒシュにも教えられたが、ノレッジ自身も狩人として本格的に活動を始めてからは、身に染みて実感出来ている。

 繁殖期の殆どを費やしたノレッジの狩人修業は、テロス密林で行われた。大陸南西に広がるセクメーア砂漠……その全体を把握するなどという事はノレッジの半生を費やしても不可能な所業ではあるのだが、レクサーラからギルドの管轄地までの往路については知識を得ておいて損はないだろう。管轄地までの間であれば地図も存在する。などと、頭の中で結論付けた。

 

「うーん……地図を貰って、短期間でこなせる依頼をいくつか受諾しましょう。覚えるにはやはり、実地を歩くのが一番ですから。往復していれば自然と身に着くでしょうし」

 

 捲っていた依頼書の幾つかに目を留め、砂漠を住処とする走竜「ゲネポス」の討伐を主に据える事を決める。その他として竜骨結晶や鉄鉱石、砂漠特有の植物の納品依頼も受諾する。合計の報酬金額はやや少なく、素材にそれほど珍しいものはないが、短期間で済ますことの出来る依頼ばかりだ。

 ノレッジは書類に必要事項を記入して、待ち構えていた受付嬢へと差し出す。どうやら書類の整理と捜索を担当しているらしい妹が手ずから用紙を受け取り、その内容を追って眼を動かした。

 

「はいはぁい、ゲネポスの討伐依頼ですねぇ。あとは……魚竜の(キモ)ぉ、竜骨結晶ぅ、鉄鉱石ぃ、サボテンの納品、っと。なぁるほど。合同のキャラバンが出立してしまったこの時間に選ぶだけあって、時間も対象も手頃なものばかりですねぇ。それに、皆さんが忌避しがちな『魚竜の胆』の納品依頼を選ぶという事はぁ……ノレッジさんは解体もお上手なのです?」

「あー……お師匠から散々仕込まれたもので、多少は。鱗や皮が傷ついていても胆は無事なことも多くありますし、少しでも稼いでおきたいですし……そもそもわたしが砂漠に残ったのも狩人修業のためですから。解体も、修業の一部だと思ってます」

「ふへぇ、随分とストイックですね。解体が上手いって、今時のハンターさんでは珍しいですよぉ」

「あ、そうなんですか?」

「はぁいぃ」

 

 髪の編束を指先で弄りながら妹受付嬢に尋ねると、妹受付嬢が元気よく頷く。

 確かに狩人の中には、武人然とした……武器の扱いや体術に長けた者も数多い。ハンターという生業の花形である「大型モンスターの狩猟」であれば、解体はギルドが行ってくれる。それ故に剥ぎ取りや解体作業が苦手だと言うハンターも少なく無いのが現状だ。

 しかし、それらはあくまで若いハンターに見られる傾向である。ハンターとして成熟し、より強い固体を相手取る場合、解体作業は自然から「身に染み込ませられる」。地域全体が危険地として指定され、ギルドからの援助が不確かになり、現地に到着してからの採取作業……特に食料の確保や野営の能力は生命に関わる重要事であるからだ。またハンターとしての経験を積み地位があがる程に、狩猟だけではなく採取や納品依頼も経験するようになる、という理由も存在する。その様な経緯もあってか、レクサーラの妹受付嬢にとって、ノレッジの若さで解体の技術を身につけているというのは珍しい事例なのだった。

 だが当のノレッジはといえば、初めて師事した相手が「ハンター」というよりは「狩人」という表現がしっくりくる、あの仮面の「被り者」である。解体は当然の事、野営や逃走技術といった生き残る為の技術ついては存分に刷り込まれている。

 などと考えていると、その間にもほええとよく判らない鳴き声をあげていた妹受付嬢が、再びノレッジへと疑問を向ける。

 

「お師匠……ほえぇ。ノレッジさんのお師匠さんって、あの苦労人って感じの顔の人ですかぁ? あの方ならば面倒見は良さそうでしたが」

「あー、いえ、判りますけど微妙に違うんですよ。あの人は先輩で、仮面の人の方がお師匠です」

「仮面の……ああ、謎の文字で名前を書いていたハンターさんですかぁ。あの人は確かに、熟練者な狩人の雰囲気がむんむん来てましたね。ですけど……物を教えられるほど喋るんです? こないだもドスガレオス狩猟後の書類整理の間、肝心の書類はダレンさんとネコさんに任せて、ずぅっと無言でかくかくしてましたしぃ」

「ええ、結構話してくれますよ。狩りに纏わる技術とか、視点とか、聞けば射手だろうが剣士だろうが関係なく答えてくれますし。あ、もちろん全部理に適っていましたよ。少なくともわたしは納得も体感も出来てます。……ああでも、怒りはしないんですけど、あの薄いリアクションで『もう1回』って言われるのは……ちょっと。むしろ怒って下さい、って感じではありましたねー」

「あははー」

「―― もう。仕事中に雑談しているのです? 妹様」

「あー、リーお姉ちゃん……じゃなくて、姉様ぁ」

 

 呼びかけによって談笑を中断する。ノレッジも首を動かすと、妹受付嬢がほわっとした笑みを浮かべるその先に、新たな書類の束を抱えた姉受付嬢が立っていた。受付の横に設置された筆記台に書類をどすりと積むと、妹受付嬢に向けて頬を膨らませる。

 

「ハンターさん達の出立で煩雑になる時間は過ぎたけど、今だって仕事中ですよ。今の内に書類を片付けないと、後から自分に圧し掛かって来るんですからぁ」

「う~ん……でもぉ、ノレッジさんはわたしと年も同じだしぃ、いっぺん話してみたかったんだもぉん」

「……はぁぁ~。なら、遅れの分は自分で何とかしてくださいよっ。あぁ、あと、ルー。今は男の方々が居なくてノレッジさんだけだから良いけれど、仕事中の名前呼びはご法度だからねぇ」

「判ったぁ、リーお姉ちゃん」

 

 どうにも緊張感の欠ける、別の言い方をすれば温和な雰囲気を持つ語り口の姉妹だ。姉はつい先程運んだ束を紙紐で括り、足元へと移動させる。引き出しから鋏と糊を取り出した所で、思い出した様にあっと声を出した。

 

「あっ、そうですそうです。……申し訳ありませんでした、ノレッジさん」

「い、いえいえ」

 

 深々と腰を折る。ノレッジは思わず慌てて両手を振るが、そもそも、何で謝られたのだろうと。

 

「いぃえぇ。妹のルーが何やらご迷惑をお掛けしたようですからねー。やっぱり姉としては謝意を伝えたいと。……あ、私はリーと言います。今後とも宜しくお願いしますねっ!」

「あっ、はい。こちらこそ」

「姉様だけでなくぅ、ルーも宜しくねぇ」

「うんっ」

 

 突き出された手と、ノレッジは笑顔で握手を交わす。そのまま受付の奥が目に入ったが、どうやらこの間は居たもう1人 ―― 妙齢の女性は現在、席を外しているらしい。受付では褐色肌の姉妹だけが動き回っている。

 姉はノレッジとの握手を終えると、書類の横に筆記用具と印鑑を並べた後で振り返り、妹が書き込んでいる最中の契約書類を覗き込んだ。

 

「んんっ? ノレッジさん、今度から1人で狩猟に出かけるんですかー?」

「はい。これも修行ですよ!」

「それはまた。……んーぅ、でも、砂漠はこの間が初めてなんですよね。誰か紹介してもらった人とかも?」

「居ないですねー。というか、師匠達には紹介してもらえって言われているんですけれどね。私自身、1人で行かないと意味が無いと思ってまして」

「まぁ確かに、ハンターさんの中には1人を好んで狩りをするお人も居ますけど……有名どころで言えば《迎龍》の人とか。でも、ノレッジさんが受諾したこの管轄地はいっつも環境が不安定な場所ですし、今の所は大型モンスターの出現も報告されていませんが、潜んでいるだけかもしれません。気をつけるに越した事は無いですよ」

 

 姉の顔が少しだけ歪む。その隣にいる妹は、もっと露骨に不安の表情を浮べる。

 

「……ノレッジぃ、無理はしないでねぇ?」

「あー、うん。それは勿論です。最近のわたしの第一目標は、『生きる』なんで!」

 

 姉妹に向けて、ノレッジは拳をグッと握ってみせた。満面の笑みを添えながらのこの行動に、姉妹は是非とも目標を達成して欲しいと言う願いを込めつつ……息を吐いた。

 結局はこの少女も新人とは言え、狩人で「在る」のだろう。

 妹は契約書の名前の上から朱肉をぐりぐりした印鑑を押し込み、呆れつつ、ふと感じた疑問を問う事に。

 

「ねぇ、ノレッジぃ。……それ、第二目標は?」

「はいっ、夢は大きく『狩りに生きる』ですっ!」

「うわぁ。全くもって目標に具体性がないです~っ、というかそれ、雑誌の名前です~っ」

 

 姉が捲くし立てると、ノレッジと妹が大声で笑う。集会酒場に陽気な少女達の声が響き渡った。

 

 しかし。

 

「……そう。……そう、なのね」

 

 その風景を。

 入口から見つめていた妙齢の女性が居た事を、ノレッジ・フォールは知る由も無い。

 

 

■□■□■□■

 

 

 2日後。依頼(クエスト)を受注したノレッジは、再びの砂漠へと赴いた。

 

「到着、っと。……とりあえずキャンプの設営は終わりましたし、行きますか」

 

 セクメーア砂漠のギルド管轄地(フィールド)へと到着したノレッジは、陽光を遮る為の外套を羽織って早々にキャンプを出発する。

 先日のドスガレオス狩猟の際は、ガレオス種の活動時間のこともあり、夜間の狩猟であった。砂漠で迎える夜空は果てなく美しい。煌く星々と優しく冷たい夜陰に包まれるあの感覚を、ノレッジが忘れる事は無いだろう。

 だが今回は打って変わって炎天下での狩猟である。砂漠は昼は暑く夜は冷え込むという二面性を持つ。また管轄地とは強大なモンスター達がこぞって群がる、魅力に溢れた土地でもある。移動の間とは違い、常に命の危険に晒されるため、鎧を外す訳にはいかなかった。

 だからこそ暑さがノレッジの天敵となる。ヒシュの助言もあり、せめてもの気休めにと外套を羽織ったうえで「クーラードリンク」と呼ばれる冷水を持参し飲用してはいるものの、鎧と身体に熱が篭るのは避けられない。となれば砂漠の熱射に対する最大の対策は、日陰に隠れる事だろうか。そんな事を考えながら歩いていると、目の前が開ける。

 

「……うわぁ」

 

 岸壁に阻まれた細くくねる路地を出た先に待っていた光景を見て、ノレッジは開口一番弱音を上げたくなる(それでも好奇心が沸いて止まらない自身の変人加減には頬が軽くひくつくのだが)。

 目の前に立ちはだかる、剥きだしの自然。発した陽炎は分厚い壁と成り、少女のこれ以上の前進を尻込みさせる。行路の比ではない。正しく乾きの海と言うべき熱砂の荒野が待ち受けていたのだ。熱の塊と化した砂粒がぎっしりと敷き詰められ遥か先まで広がって行くその様は、少女の困難な行く末を暗示するかの様でもある。

 

「走るしか、ないですよねっ。……行きますっ」

 

 せめて直接の日光は浴びてやるものかと、影を作り出す岩場の端をなぞって脚を動かし、立ち上る熱気の中を一心に突き進む。辺りの景色を堪能する暇など無い。全力疾走で駆け抜け、ノレッジは右奥に見えていた細い岩の間へと滑り込んだ。突きつけられていた陽光という名の刃がやっとの事喉元を離れる。待望の日陰である。

 

「あっっっっっつい! ですっ!! ふはぁっ」

 

 自らの脚力を考えればほんの数分に満たない間の出来事である筈だが、身体は重く息もあがりっ放しだ。兎に角、この暑さに慣れない事には砂漠での狩猟など行えない。まずは日陰で身体を気候に慣らす事から始めよう。そう考えながら息を整え気を取り直すと、遅ればせながら自らが入り込んだ岩陰の先を覗き込む。

 足元は変わらぬ砂地。だが左右と頭上に岸壁が聳え、岩場に囲まれた細道となっている。幅は15メートルもない。が。

 

(……あ……洞窟?)

 

 その細道の先に、暗闇がぽっかりと口を開けていた。

 セクメーア砂漠におけるギルド管轄地は、砂漠地帯の緩衝地として大きな岩場が含まれている。岩場が存在する事によって日陰や入り組んだ路地が作り出され、その周辺にはオアシスや植物の生育地が成り立ち、洞窟の中には地底湖までがあるという。それら恵まれた環境が様々なモンスターを惹き付けると同時に、複雑な構造は狩人を守る楯とも成り得る。

 ノレッジは脳内に描き込んだ地図を開く。目の前に開かれた暗闇は、地図によれば地底湖への入口らしい。よくよく知覚を巡らせれば、肌に湿り気を含んだ風が触れているのが感じられた。

 

(砂漠には似合わない、僅かな湿気を含んだ空気。地底湖で間違いはなさそうです、が……まぁ、先にやることもありますし。探検は後回しにして)

 

 好奇心の塊たる彼の少女にしてはあっさりと、その選択肢を手放した。

 しかし、明確な理由がある。何しろ少女は、この管轄地に期限(・・)いっぱいまで(・・・・・・)居座る心算なのだ。

 

「早速、採掘と行きましょう! ……ええと、鶴嘴(つるはし)の消耗を最小限に抑えるためには……ここ辺りはもろそうですね。 ではっ!」

 

 ノレッジは皮鞄から握りと鍬部分を取り出すと十字に嵌め込み、鼻歌を歌いながら適当なあたりをつけた岩盤へと鶴嘴を振り下ろし始めた。

 通常、ギルドの紹介する依頼(クエスト)には制限期間が設けられている。移動時間を含めず、一般的なモンスターの狩猟であればその期限は1日から2日。大型モンスターであれば危険度にもよるが、3日から7日程度。採取であれば半日程度が依頼達成の期限の目安となる事が多い。多少の上下はあるにせよ、期間までに狩猟を終えてギルドに報告するのがハンター達の義務となる。

 義務となるその理由は至極単純。管轄地というものがモンスターにとって絶好の縄張りであり……近隣の街や商路へ強大なモンスターが近寄るのを防ぐ、「緩衝地帯」の役割を持っているからだ。これはギルドの管轄地が「ギルド全体の為に使いまわされるもの」である点に由来する。

 当然、管轄地(フィールド)というものは街や商隊の使う道からは離れて設置されるもの。だがしかし、街に接近した大型モンスターを「誘導する先」としても管轄地は使われる。肝心の誘蛾灯に灯される火が弱くては、その光は集った虫によって遮られ、件の家屋への侵入を許してしまう。つまり空けて置く ―― 管轄地をモンスターにとって魅力的なフリーの縄張りにしておく事にも、十分な意味は存在するのである。要するに、管轄地を早めに明け渡さなければ周囲に被害が及ぶ可能性が出ると。

 ハンターという人種は生来、忙しなく動き回っているものである。達成次第報告し、次の狩場に向かうのが常。しかし逆に「ギルドに報告さえしなければ」、限界まで居座れる。ノレッジはこれを利用し、最大限砂漠を学ぶ期間として活用する算段を立てているのであった。幸いな事に、ノレッジの滞在するセクメーア砂漠の第一管轄地付近に大型生物の出現は報告されていない。もし近日中に近寄る生物がいたとすれば、応援のハンターも到着する手筈が在る。

 僅かに開いた天井から一筋、やんわりと差し込む自然の灯りの横で鶴嘴を振るい続けること数分。ノレッジの足元には、土に塗れた岩塊が幾つも転がっていた。

 

「―― これ位でひと段落ですかね。さぁて。これは……大地の結晶、これは鉄鉱石……これも鉄鉱石。……うん。市場に出てしまうと質が判らなくなりますからねー。村に帰ったらジャンボ村の坑道で掘れたものと質を比べてみましょう」

 

 様々な武具防具に使われる「鉄鉱石」と、微生物の遺骸や腐敗物が結晶化した「大地の結晶」。日用品としても使用される「鉄鉱石」は勿論の事、「大地の結晶」は様々な素材の研磨に使用され、汎用性の高さ故の需要がある品である。大型の生物が出現する土地の鉱石は(大掛かりな採掘がなされていないためなのか、はたまた別の理由があるのかは現段階で定かではないが)質が高いものが多い。その為自分の武具防具に使用するハンターも大勢存在するのだが、少数ながら狩猟の場に赴いたハンターによって納品……市場に齎されたこれら鉱石は、通常のものと比べて軒並み高値で取引される。

 だが、ノレッジはこの需要を別の用途に利用する。彼女はゲネポスの討伐依頼の他にこうした鉱石などを納品する依頼を複数個請け負う事によって、管轄地への滞在限界期間を4日まで引き伸ばしているのだ。

 

「見透かしても鉄の含有率が判らないので、拠点に持って帰らないと……うーん。これなんて、鉱石なのかどうかも判らないですし……拠点でも無理ですね。レクサーラで鑑定してもらいましょう」

 

 鉱石はキャンプまで運ぶにも手間がかかるため、まずは採掘しておかなければ話にならない。後から順番に運ぶのである。どうせ砂漠に住む生物の殆どはそこらに転がる鉱石には見向きもしないのだ。採掘を終えたら道端に放っておいても、なくなるという事態にはならないだろう。ただしよほど物好きのメラルーや、鉱石を主食とするバサルモスでも現れない限りは。

 

「よぅし、……と? ……この感じは」

 

 岩と岩とに挟まれた空間に座り込んでいたノレッジが動きを止める。採取物の吟味を中断すると、手に持った鉱石を放って一息に立ち上がる。

 セクメーア砂漠。不毛の大地と言えど、大地は命に満ちている。外敵の存在は十分に警戒しなくてはと考え、ノレッジは背負った重弩を腰につけて構える。瞳に警戒の色を宿し、巡らせる。

 

(なんでしょう。刺す様な……舐る様な……これって、わたしが、視られて(・・・・)るんですか?)

 

 それは少女にとって「感じ覚え」の無い、奇妙な感覚。敵意というのが正しいか、害意と表すのが適切か。

 「感覚」だったものは段々と確かな「音」に換わり、軽妙な足音として聞き取れる様になる。音の発信源は、此方へ近付いて来ているらしい。

 音が大きくなった頃合で、目前の地底湖へと繋がる洞窟の闇の中から、2脚で砂を蹴る生き物が湧いて出た。生き物はノレッジを目に止め、嘴を開けて小さく鳴いた。

 

「―― ギァ!」

 

 無数の牙がノレッジへと向けられる。既に狩猟の場では何度も経験した、脈動する命の圧力。ゲネポス ―― 薄茶色の皮と鱗を纏い砂原に住まう、小型の走竜だ。

 走竜との分類が示す様に、ゲネポスは砂漠や湿地帯を主な縄張りとして駆ける走竜である。その骨格はランポスに酷似しており、ランポスと違っている点と言えば、肌色が砂原に迷彩する薄茶色になっている。頭部に2つの突起が着いており、代わりに鶏冠がない。そしてその牙には、麻痺毒が仕込まれている。獲物を数で襲い、麻痺させるのを常套手段とする、砂漠の狡猾な狩人。それがゲネポスだ。個体の平均的な体格もランポスとほぼ同じで、全高はノレッジや一般的な人間よりもやや大きい2メートル程。数に任せて襲い掛かれば小さな人間は勿論、大型のモンスターすら仕留めると言う。

 ノレッジの目前に姿を現したゲネポスは3頭。その生態から、伏兵は如何と疑問が過る。総数を確かめるため、ノレッジは一歩後退する事を選択する。じりと摺り足で身体を引くと、

 

「ギュアァ、ギュアァッ」

「「ギュアッ、ギュアッ!!」」

 

 ノレッジを確かな標的と定め、ゲネポス達はけたたましい鳴き声をあげた。これは仲間たちへ警戒を促す警鐘なのだと、ノレッジは知識を頭の中で反芻する。走竜という種族は単体で獲物に戦いを挑むという事はまずなく、仲間やボスと綿密な連携をとりながら狩りを行う。ノレッジも密林でランポス達と交戦しながら、その連携の恐ろしさを幾度も経験している。

 だが「その時」との違いは明確だ。

 

 自然にとっての獲物。手段と選択とを誤り仕損じれば、今は、ノレッジが「狩られる側」とも成り得るのである。

 

 ノレッジの瞳にゲネポスの大きく開かれた口と牙が命を計る天秤の如く映り込み、その脳裏を死と言う文字が何度も過る。

 視認出来るのではないかと錯覚する程の圧力を受けて、足はとうに竦んでいる。

 中枢の命令系統が少女の身体に向かって、興奮の度合いを高めろと口煩く捲くし立てている。

 間近にある恐怖に急かされて拍動は一層速さを増すものの、身体はまるで凍りついたかの如く動かない。

 背に、脇に、掌に。どっと溢れた冷汗は、問答無用の焦りを自覚させた。

 

(っぐぅ。……でも、『これ』……きっと今までは、ヒシュさん始め先輩方が請け負ってくれてたんですよね)

 

 視認するや否や相手に向かって猛然と斬り掛かって行くヒシュも、楯を構えながら中間距離で牽制を始めるダレンも、遊撃でノレッジの背を守ってくれるネコも、今は居ない。この状況を望んだ自身の選択を、ノレッジは一瞬だけ悔いた。

 だが。それでも。……だからこそ。

 

 ―― パァンッ

 

 少女は平手で自らの頬を打つ。逃げ道を塞ぐ岸壁に、乾いた音が反響した。

 自らの思考を逆説で奮い立たせ、目の前の走竜が自分を貪る幻想を、思い切り頬を叩く事で破り捨てる。

 

(いつもの通りやれば、ゲネポス3頭くらいなら何とかなりますよ。警戒すべきは増援でしょう。ここはわたし ―― ノレッジ・フォールが、1人で切り抜けてみせますっ)

 

 少女は自らの夢の為、欲望の為に選んだ道の上に立って居る。走っているのだ。まだ死んでもいなければ怪我すらしていない。諦めるにも、投げ出すにも早過ぎだ。ここで動かなければ、生きている意味がない。

 ―― この知識も、知恵も、思考も。自らの命を守り、相手を狩り得る牙。

 教えの通り、ノレッジは思考を止め無い事に終始する。仲間は既に呼ばれてしまった。反り立った崖に囲まれている為、道は細い。崖の中途にもおあつらえ向き(・・・・・・・)の穴が開いている。洞窟との直線上、ノレッジの後方には狩人にのみ不利に働く熱砂が待ち受ける。退路は無い。増援が来る前にけりをつけなければノレッジは走竜に囲まれ、狩られる側と成るだろう。

 思考と決意に必要とした時間はほんの僅かだった。判断した次の瞬間、ノレッジは腰に力を込めて走竜「達」の間へと銃口を向ける。

 鳴き終えたゲネポスが首を下ろすと共に指を動かし、射撃。

 バス、バスッという鈍い消音がノレッジを揺らし、ゲネポスを撃ち弾く。射出された「散弾」が弾け、散り、次々と銃弾の壁を作り出す。

 

「―― ッ!?」

 

 走竜の声なき声。先手は取った。悲鳴を残す猶予も与えない。道の狭さ故固まっていた3頭を、散弾で纏めて打ち払う。鳴き終えたゲネポスが下げた首は再び、今度は衝撃によって他動的に跳ね上がる。一斉に仰け反ったその隙を利用して、2発目と止めの3発目を打ち込んでおいて。

 来る……何かが、

 

「……だぁッ!?」

 

 今度も感じた気配のまま地を蹴り、前へと転がる。大丈夫だ。当たってはいない。風斬り音に肝を冷やし ――

 ―― 視界に地面の影が、2つ。

 これは拙い。脳内に警鐘が鳴り響いている。硬く鋭い爪が視界に入ったのとノレッジが左腕を振り上げたのは、同時だった。

 

「ギュアッ!」

 

 ―― ガチィンッ!

 

「つぅっ! ……やっぱり、数の力は偉大ですねっ!」

 

 体重の乗った牙が眼前で左腕の鎧とぶつかり、火花を散らす。ノレッジは押し負ける前に、辛うじて転がり退いた。

 初めから増援を警戒したのが功を奏した。ノレッジに爪を突き立てたのは、一段高い洞穴の中から新たに現れた増援のゲネポスだ。見る限りの増援は2頭。1頭の牙はノレッジの居た場所を空振りしたが、より前方に降り立った個体の顎がノレッジのを捉えたのである。

 暇は無い。砂の上で体勢を建て直しながら顔を上げ、銃を構えながら、生まれた僅かな間を利用して自身の無事を確かめる。牙を受け止めた左腕に衝撃によるじんわりとした痺れはあるが、左の腕甲は鎧として最も重厚な部分でも有る。ランポスの鱗と鉄鉱石製の鎧が完全に殺傷力を殺してくれたために怪我はない。麻痺と痙攣を引き起こす神経毒も鎧の表面に止まっており、衝撃以外の痺れは感じられない。指は精緻に動いてくれる。

 今はこれで良い。安堵は後だ。命の危機は、未だ目と鼻の先にある。

 ―― 反撃を。

 2歩ほどの距離を置いて銃を構えたノレッジは弾を込め、自分を引っ掻いた反転中のゲネポスに『ボーンシューター』を向けた。

 機を図る。ゲネポスの首がこちらを向き、口を開けた、瞬間を、

 

「ギュゥ!?」

「ご冥福をっ!」

 

 ノレッジは砂を蹴り、ゲネポスの眼前にまで接近する。腰の回転で重弩を持ち上げ、横に付けた楯で口を器用につっかえつつ、銃身を口内へと押し込む。

 ゲネポスが退く前に、過たず銃口が火を噴いた。口内で弾けた散弾が、その勢いを持ってゲネポスの頭部を炸裂させた。

 まだだ。もう1頭が残っている。空振りをしたそのゲネポスは不利を悟ってか驚きでか、後方へと跳躍していた。しかしそれは理解出来ていないからこその行動だ。自らが飛び退いたそこは、未だノレッジの牙の届く位置であると。

 

「りゃあああっ!!」

 

 身体を旋回させ、軸にした右脚が軟砂に埋まる。慣性を強引に振り切った銃身が走竜に向けてぴたりと静止し、すぐさま『ボーンシューター』から散弾を射出する。

 ゲネポスの身体が仰け反り、次弾で、浮き上がった。

 ゲネポスの身体に当たらなかった弾丸が、その奥の岩壁にぶつかって無数の土煙をあげる。幸いな事に跳弾がノレッジを襲う事は無く、全てが砂原へと落ちる。どすりという音をたてて、浮いていた走竜の身体も地面に落ちた。

 臥した走竜の身体は一度だけびくりと跳ね、それを最後に、動くことは無くなった。今の所死んだフリをする種はゲリョスしか確認されていない。このゲネポスが新種ではない事を祈りつつ、これ以上の増援が無ければと周囲の警戒を続ける。

 周囲に満ちる静寂。どうやら、これ以上の増援は無い様だ。

 

「ふぅ。……、……あー……」

 

 辺りを見回す。

 改めて、増援はない。

 先に感じていた敵意や害意といった肌を刺す感覚も、今はない。

 

「……うん。…………よっっし!」

 

 少女は拳を握り、高く、高く掲げる。万感の想いを込めて。緊張を噴出するかの如く。

 ノレッジ・フォールは、1人の狩人としての初陣を、確かに生き残ったのだ。仲間が居ないその分、ゲネポスを狩猟したのが自身の実力であることは疑い様が無い。端からじわりじわりと実感が沸いて出る。達成感というよりは、やはり、生き残ったという安堵にも似た嬉しさが色濃く残っている。

 

「―― 見ていて下さいましたか、お師匠?」

 

 首下を覗き込み、胸元に下げた木片 ―― ヒシュから受け取った『お守り』に向かって問いかけるが、当然ながら返答は無い。何時もの通り。ノレッジは今度こそと安堵の息を吐き出して、辺りの状況の再確認を始めた。

 鉄臭い香りが狭い空間に充満している。増援の気配もやはり無く、自分が殺したゲネポスが5頭、ばらばらの位置に倒れている。これはノレッジが群れを分断しながら倒せたという証左であり、ヒシュの教えがしっかりと生かされている証でもある。……ただし走竜の類については、「密林でもランポスを相手に何度も経験した」というのが戦闘を上手く運べた理由として大きいに違いない。

 

「これが他の生物だったら、もう少し焦っていたんでしょうねー」

 

 辺りに散った血飛沫と死骸。独り言を呟き、とりあえずは消臭だと煙を焚きつつ。狩人ならばやる事は1つだろうと決め込んだ。

 ノレッジは腰のナイフを抜いて、手近に居た1頭へしゃがみ込む。足をかけ、迷い無くその刃を突き立てる。

 

「……うわぁ。やっぱり散弾使うと、皮も鱗も仕える部分が少なくなりますねー。口内の牙は何とかなりますが……その点、頭を吹っ飛ばしたこのコは全体的に活用できそうです。あー、でもいくら素材の為とはいえ、さっきみたいなギリギリの作戦は緊急時以外に使いたくもないですけどっ」

 

 教え込まれた動作は、数ヶ月前とは見違えて手際良くなっている。腹を捌き皮を、背部からは鱗を剥ぎ取る。ゲネポスの麻痺袋は頭個体やドスガレオスのものと比べて小さく用途が少ないが、数を集めれば使い勝手は幾らでもある。それ以外の臓器は一箇所に集めて、腐敗する前に地面に埋める。筋肉が硬直する前に牙の並ぶ嘴をこじ開けて脚で固定。つっかえをしながら柄をねじ込み、梃子の原理で牙を抜いていく。

 解体に時間がかかる程、血の匂いを嗅ぎつけて他のゲネポスが近寄って来る可能性も高まる。だがゲネポスの討伐が依頼となっている以上、事の展開としてはそれで正しくもあり……などと、ある種の開き直りのままノレッジは作業を続ける。

 10分程の作業の成果は鱗が2片、皮が3片、牙が5組。合計10品を紐で括って弩の扱いの邪魔にならない左腰に下げると、ノレッジは再び立ち上がった。横に置いた弩を持ち上げ、基礎構造部分を確認する。

 

「ふぅっ! ……銃身にへこみ、無し。楯が少し傷ついただけ、よぉし」

 

 最後に通常弾を4発ほど試し撃ちして射出を確認する。どうやら、明らかな異常は無さそうだ。

 

「これなら問題なし、狩猟を続行です。……それで、えぇと、討伐するゲネポスは……20頭からでしたっけ。依頼の要旨としては群れを潰して欲しいみたいですが、群れは個体を半数も失えば移動するでしょうからねー。となれば、始めるべきは群れの捜索からでしょうか?」

 

 ノレッジは弩を背負うと手拭で汗をふき取って、皮の水筒に口をつける。左手には今居る砂漠の第一管轄地を描いた地図を広げつつ、走竜が根城とし易い環境を脳内で思い描いて行く。

 

「―― ゲネポスが湿地にも居る理由は、あの皮が保湿性に優れているから。その保湿性があるからこそ、砂漠の大地をも住処に出来る。……ならばその保湿のための『水分の大元』が必要ですよね。決まりですっ」

 

 言って、ノレッジはゲネポス達が「顔を覗かせた大元」である洞窟の方向へと脚を向けた。幸先の良い走り出しを生かしたい。恐怖よりも僅かに勝る期待に胸を躍らせ、少女は昂ぶりのままに洞窟へと踏み入った。




 ご拝読を有難うございます。
 このお話から「狩人の章」の核心に近付く部分、砂漠編のメインストーリーが始まりました。
 所々でダレンの話や、仮面の主人公とお供の狩猟を挟みつつ、ノレッジが死に物狂いで頑張ります(不安
 さてさて。
 今まであった後ろ盾がなくなった事で、ノレッジが思いっきり慌てふためきます。ゲネポス辺りは私自身、始めてドスファンゴに挑んだ2(ドス)の気分を思い返してみてました。
 ……ただし彼女の場合は性格が性格でして、そんなに深刻にならないのですよねー。メンタル的には狩人の資質は抜群であると言えるでしょう。
 そう言えば、ノレッジの持つ『ボーンシューター』について。
 2ndGでは知る人ぞ知る名銃ですね。一通りの弾を使えるため、ガンナーの方はやり込み派の方だけでなく序盤では大変役立ってくれる武器となります。
 対応した弾は……と、本来は色々あるのですが、実の所『ボーンシューター』というへビィボウガンは多数存在しておりまして。同じ名前でも対応弾はかなり違うのですよね(主に2ndG以降の作品で登場した場合、上記の強さもあってか弱体化が見て取れます)。
 また本作ではボウガン(弩)について色々と設定があるために、「レベルの低い弾は全て対応」という形を採らせて頂いておりますので、ご了承ください。
 ……というか、徹甲榴弾や拡散弾の様な明らかに特殊な弾は兎も角。他の弾は形状を整えさえすれば「対応しない理由が見付からない」のですよねー……はい。申し訳ありません。
 ピッケル≠鶴嘴。
 作中ではあえて鶴嘴(つるはし)鶴嘴いってますが……いえ。
 ……ピッケルって確か、登山道具でしたよね?(ぉぃ
 氷を割るなら兎も角、地面とか掘削するのは鶴嘴だと思っていたのですが……まぁ、そこまで区別しなくても良いかとも思うのですけれども。形も同じですし、岩を割れるピッケルもあるんでしょうし。ですが本作は、基本的に日本語表記をしたい雰囲気でして、鶴嘴と表記させていただいてます。結局は私の趣味なのです

 では、では。
 今回の更新分は次で打ち止めとなります次第です。


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第十七話 少女と砂原〈中〉

 穴を潜ると完全に日が遮られ、洞窟の中から吹く風に湿気が混じる。どうやら、地図の通り。セクメーア砂漠の第一ギルド管轄地中央部、砂原と砂原の間を隔てる岩山……その地下にある地底湖が湿気の大元に違いない。前回のドスガレオス狩猟の際はその生息域から砂原のみを周り、洞窟の内部を確認する必要性が無かった。そのため、足を踏み入れるのは今回が本当の意味で初めてとなる。

 足元も、砂から岩のそれへと変わっている。ノレッジは音を立てないようにと、慎重に歩を進める事にした。

 同時に辺りを見回せば洞窟内には僅かだが日が差し込んでおり、目を凝らす必要はあるが完全な暗闇にもなっていない。灯りが必要無いのは幸いかと考えつつ、腰につけた取り外し式の光学照準機で前方の路を確認。目前には左右を水庭に囲まれた青白い岩の小道が暫く続き、少なくとも、その路上にゲネポスの姿は見受けられない。

 

(でも奥に、何か居ますね。ゲネポスだと嬉しいんですが)

 

 洞窟の闇、その中へと視線を潜らす。暗順応を終えたノレッジの双眸は数十メートル先……地底湖の中央に、舞台のように丸くせり出した岩場を捉えた。何かが跳ねている気がしたのだ。それと湖面の波音に混じって、洞窟内に反響する音も聞き取れる。

 

(―― 何か2つの、音)

 

 1つは恐らく、期待通りのゲネポスだ。先ほど洞窟の外でも聞いた甲高い鳴き声がかなりの数、奥から聞こえている。そういえば、鳴き声はランポスのそれによく似ている。やはり祖先が同じだと声質は似てくるものなのだろう……と、早々に思考を結論付けておいて。

 問題は2つ目の音にある。差し込んだ光をちらちらと反射する水面 ―― その水を掻き分ける音。

 ノレッジは直感的に「これは拙い」と思った。音からして、相当の大きさを持つ生物のものと予測できるからである。しかし、相手に認識されていなければ観察が出来る筈。未だ相手は影に包まれたままであり、ましてや管轄地で予期していない大型モンスターと遭遇した場合にはギルドへの報告義務もある。ノレッジは錐状に突き出した岩塊に身を潜め、足音と気配を出来る限り殺し、より地底湖の中心に近い岩の影へと次々に移ってゆく。距離を詰めた頃合を計り、顔だけを覗かせた。

 

(あれはゲネポスと、……)

 

 暗闇の中で、ゲネポスの群れが水面に威嚇を行っている。喧嘩を売っているのか、はたまたここがゲネポス達の寝床であり怒りに任せて叫んでいるのか。……恐らくは両方だろう。水中を泳ぐ「あれ」に喧嘩を売るとなると、並大抵の覚悟ではあるまい。正に背水の陣である。

 観察を続けると、ゲネポスの数は11頭が視認出来た。また、鳴き喚く(・・・・)ゲネポスらの中には一際大きな頭固体「ドスゲネポス」も混じっている。岩の足場の端、寧ろ先頭に立って爪と牙を振り翳す様子は、正しくボスの風格を漂わせている。しかしどうやら間違いなく、折り悪く ―― 若しくは期待の通り ―― 水中を移動する何かと戦っている最中であるらしい。

 

 ―― ザバァンッ!!

 

 水面を睨むように観察していると、突如、水面を割る音が響き渡った。直後にどすりと落下音。眼を凝らすまでも無い。岩の舞台の中央に、巨大な生物が飛び出していた。

 暫く這いずった後で立ち上がると、離れた位置に居るノレッジからもその全身が観察出来た。水と光とを受けて金属質に光る鱗に全身を覆われ、胴は縦に細長い。尾と両の横腹、背にもヒレが付いているというだけではなく、見た目的にも正しく魚類といった様相。

 ただしその身体は足場を埋め尽くすほど大きく、2本の脚で地上をも駆ける。

 淡水棲生物の王者、ガノトトス。

 今までに遭遇経験がない生物だ。だがガノトトスについては、ヒシュが「密林で遭ったりしたら面倒」と傾ぎ、ネコからも「全く持って、進んで相手にはしたくないお方ですね」というお言葉を頂いている。それだけでも相当な強者である事が窺える。

 そもそも魚竜種という括りだけでなく、他の大型モンスターと比べてもガノトトスは大柄な部類に属する。陸と比べて重さが問われない水棲生物は、巨体化する傾向にあると言うが ―― それにしても限度はあるだろうと、嘆かずにはいられない。なにせノレッジ2人分はあるであろうドスゲネポスですら、ガノトトスの太く長い脚の膝丈程度にしか達していないのだ。

 ノレッジが息を呑んで見つめる先で、ガノトトスが動く。両のヒレを広げ、頭を突き出し、走竜の群れに牙を剥く。

 

「シュギャァェェアッ!!」

 

 辺りに群がるゲネポス達を纏めて黙らせる、激しい怒気を孕んだ鳴き声だった。洞窟内に反響する事で一層の迫力を纏っている。甲高いが為に耳を塞ぐ様な声量こそ無い。が、それでもガノトトスの戦意を伝えるには十分過ぎる。どうやら原因は縄張り争いらしいと、ノレッジは双方の様子を窺いながら適当なあたりをつけた。

 そうこうしている内にもガノトトスとゲネポスが争いを始める。だがそれは、そもそも争いになっているのかが怪しく感じられる程圧倒的なものだ。

 ガノトトスが無造作に尻尾を振るえば岩の舞台全てを巻き込み、巻き込まれたゲネポス3頭が一様に吹飛ばされ、足を踏み出せばまた1頭湖へと突き落とされる。構図としては大人に構って欲しくて突撃を繰り返す子供にも似ているだろうか。だがこの場合、彼らは命を懸けている。如何に生命力の差があろうと、根城を奪われては堪らない。ノレッジはゲネポス達から、そんな悲痛さすら漂っているように感じられた。

 猛威を振るう魚竜から距離をとったドスゲネポスが次々と援軍を呼ぶも、出てきた端から弾かれ押され潰される。その牙も麻痺毒も、未だ潤沢な水の輝きに覆われた魚竜の鱗を突き破るには至らない。

 

「シャギャァ」

 

 魚竜が脚を一歩踏み出すと、ごきりという鈍い音。18匹目のゲネポスが蹴り飛ばされた。

 兵隊達を一頻り蹂躙し終えたガノトトスは、進行方向に重なったゲネポスの死骸を突き出した頭で邪魔だと言わんばかりに退け飛ばし、残るドスゲネポスへとズシズシ近付いてゆく。

 

「……ギュアッ、ギュアッ!!」

 

 相対する走竜の長の判断は迅速だった。ガノトトスの振るう尻尾の範囲内に入ろうかという直前、ドスゲネポスがくるりと反転する。何をするのか、などと考える余地も無い。巣に存在する手駒が尽き、適わないと確信したドスゲネポスは、逃走を図ったのだ。

 遠目に眺めているノレッジにも判るほど必死の形相で、前傾の駆け足で逃げ出したドスゲネポスが ―― 向かってくる(・・・・・・)

 

(……逃げる……えっ、こっちにです!?)

 

 ドスゲネポスが逃走先として選んだのは、よりにもよってノレッジの隠れている岩場の方向……先ほどノレッジが侵入して来た出入り口であった。とはいえもう1つの逃走経路はと言えば高台をよじ登らなければならない位置にあるため、生命の危機に瀕した一生物としてはごく自然な判断とも言えよう。

 しかしノレッジの側からすれば、まったくもって歓迎できない判断である。その由をドスゲネポスが知る筈もない。ドスゲネポスはそのまま、刻一刻とノレッジの居る岩場へと近付いて来る。

 

(まずいまずいまずいまずい、まずいですーっ! このままじゃあわたしもガノトトスに見付かりますっ!?)

 

 陸に上がる程怒り心頭のガノトトスは、ドスゲネポスを追うだろう。ノレッジは観察の為に湖へと近付いている。追ってきたガノトトスに、簡単に見付かる位置に潜んでいるのだ。

 自分も逃げるべき、いや、岩場を出れば逃走の内に攻撃される。脚力の差は、巨体の生み出す歩幅を考えれば圧倒的にノレッジが不利。ガノトトスは逃げるノレッジに容易く追いつくだろう。ならば、このまま身を隠して。

 ノレッジの脳内を無数の選択肢が埋め尽くす、が、そのどれにも手は伸ばせない。兎にも角にもガノトトスに見付からない選択肢を採りたいのだが、案は浮かばない。誤って焦りを音として表出すまいと、手の平で口元を覆ったまま、身体は岩の陰から動かずに居る。

 するとその目の前を、ドスゲネポスが通過して行った。少なくともドスゲネポスには見付からずに済んだらしい ――

 

 と、安堵したその瞬間。

 

 ―― シュバァァアッ!

 

 逃走者が洞窟を出る手前で、鋭い射出音が1秒ほど鳴り響いた。

 強固な鱗と肉厚の外皮によって覆われたドスゲネポスの身体は、ノレッジの背後から伸びた白くて長い「何か」に貫かれ、次の瞬間には両断されていた。

 

 人間は本当に驚愕すると声を失うらしいという事を、ノレッジは身をもって体感する。眼は見開き、別たれたドスゲネポスの胴体……のある辺りを呆然とした心持のままに眺める。

 ドスゲネポスの足元に広がる岩場は、放たれた「何か」によって一直線に穿たれていた。この光景にはつい最近見覚えがあった筈だと、脳内を探る。

 

(……水!?)

 

 圧縮された水。密林で盾蟹 ―― ダイミョウザザミの討伐を成したその狩猟の際、ダレンの楯を切り裂いた攻撃である。

 岩をも抉る水流の一撃。ダレンは楯で防ぐ事ができたものの、ノレッジには受けきれる楯も鎧も、技術もない。身の危険をひしと感じる。が、どうするか。今ここで自分が動いても、やはり同じく狙い撃ちにされる運命を辿るのではないか。思考が脳内を蹂躙しては消えてゆく。

 ……いや。待て。

 

(こんな時こそ教えを……発想を変える、でしたか)

 

 そうだ。そもそも自身の「見付からない」という前提がおかしい。それは、違う。「出来れば見付かりたくない」という、ノレッジに残る少女然としたもの……消極的な願望でしかない。

 前提を変えれば、思考が回るのは早かった。ヒシュから教わった逃走の極意は幾つかある。今はその中で、遭遇後の事態を想定した技術を使うべきだとノレッジは判断した。

 単純明快かつ安全性の高い逃走方法 ―― 目くらまし。決定だ。外套の内へと手を伸ばし、腰につけた鞄の中を探る。閃光玉の円筒状の握りと煙玉とに手をかけて、

 

「っ!?」

 

 ぴちょりと、ノレッジの肩に冷たい何かが落ちた。

 同時に、頭上から何者かの視線……昇り立つ威圧感を感じる。

 悲鳴は辛うじて堪えたが、同時に、命令を必要とする動作を超えた反射に近い速度で天井を仰ぐ。悪い予感しかしない。そして、その悪い予感は的中していた。

 

「……キシャァ?」

 

 魚竜だ。開いた口と身体からは、泥混じりの魚臭さが漂っている。

 ガノトトスはノレッジの隠れた岩の上から巨体をしならせ首を伸ばし、座り込む少女を覗き込んでいたのだ。ノレッジは自らの思考の歯車が軋みをあげて止まった音を、はっきりと聞いた。

 固まった首を動かし、何故か勝手に、口だけが開く。

 

「ど、どうも~」

「キシャァァ……?」

 

 ここでとりあえず(モンスター相手に、普段はする気など毛頭無いのだが)挨拶をした事が、あるいは僥倖だったかもしれない。謎の、突拍子の無い「鳴き声」を聞き、ガノトトスは右に傾けていた頭を今度は反対側へと傾いでいた。

 僅かな時間だが、凍っていたノレッジの思考が動き出すには十分だった。手に握っているものを思い出す。傾げた魚竜の頭目掛けて閃光玉を掲げると、ノレッジはピンを抜いた。光虫の発光器官が炸裂し、辺りが閃光に包まれる。

 

「!? キシャェェェッッ!!」

「逃げるにしかずっ、ですぅぅっ!!」

 

 閃光の中で腰を上げ、ダメ押しの煙玉をばら撒きながらノレッジは逃走する。目が眩んだガノトトスは幸い、その場で尻尾を振り回すだけ。全てをかなぐり捨てて。煙玉をばら撒きながら、ノレッジは洞窟の出口に向かって、全速力でもって逃げ出した。

 

 

 

「うわぁ……これは、不味い状況です」

 

 洞窟の外。全身全霊を懸けた逃走を成功させた少女は、岩壁に寄りかかりながら肩を落として重い息を吐きだしていた。逃げ出してから落ち着いてみれば、事態の深刻さが身に染みる。

 

「これは、依頼失敗の申請をするべきですかねー……」

 

 ガノトトスは確かに脅威である。しかしそれ以前に、ノレッジはゲネポスの討伐という依頼を受けて砂漠へと赴いているのだ。管轄地内、それもよりによってゲネポスの巣である区画へガノトトスが出現し ―― 群れを半壊させたとなれば。ノレッジ単身で20頭もの個体を討伐するのは、難しいと考えざるを得ない状況だった。

 しかし、と思考を切り替える。今回の依頼はあくまで管轄地におけるゲネポスの頭数の減少を目的とするものだ。誰彼の生命が関わったもの……つまり至急の案件では、ない。ノレッジには依頼失敗を申し出て退散するという選択肢が、十分に存在しているのである。ガノトトスについて報告を行えば、ギルドから幾らかの褒賞も出る。自身が納得できる条件は、十分過ぎるほどに出揃っていた。依頼失敗を申請しても、また日を改めて挑めば良いのではないか、と。

 しかし少女の持つ旺盛な好奇心が、その思考を掻き乱す。

 

(この機会を逃したとして……わたしが次にガノトトスに会えるのは、何時になるんでしょう?)

 

 無意識の内に、対策を探る。どうやらあの魚竜は水場を大きく離れられないらしく、洞窟の外へまで追いかけて来る様な事はなかった。

 ……ならば、洞窟から引っ張り出してはどうだろうか?

 この管轄地の地形を思い返せば、魚竜の巨体が十分に泳ぎ得る……あの洞窟と水源を同じくする湖がある区画(エリア)が1つ存在する。魚竜があの洞窟を離れる機会もある筈だ。

 魚竜によって蹴散らされたゲネポスは増援を含め、多くとも18頭。ランポスの群れを基準に単位を考えれば、ドスゲネポスに率いられていたあの群れに残る個体は、20余頭程だろうか。ノレッジが到達する前にも小競り合いがあったかも知れないが、洞窟の地面には戦闘の後が見られ無かったため、そう多くの個体は倒されていない筈。

 

(厳しいですか? いえ……ぎりぎり……)

 

 依頼を達成するために、ノレッジは残り15頭のゲネポスを討伐しなければならない。自らの想像通り、残り20頭程のゲネポスがこの周辺に身を潜めているとすれば……下限間近だが、それでも「達成できなくはない」数である。

 だったら、決まりだ。ノレッジは『ボーンシューター』を抱き抱え、腰を上げた。手近に散らばったままの、先程掘り出した鉄鉱石と大地の結晶の原石を適当に背負い袋へと放り込んで、一先ずとキャンプへ足を向ける。

 

「例え狩猟は出来なくても、わたし、見てはおきたいですし!」

 

 少女は先ほど来た道を、熱砂に向かって駆け戻る。

 既に砂漠はおろか太陽にすら、浮かんだ笑みを押し込める程の熱は、感じていない。

 

 

 

 キャンプに着いて採取した鉱石を積むと、まずは地形の把握を再開する。

 ガノトトスが移動出来るであろう区画は先程の地底湖と、ハンターズギルドで便宜的に第七区画と区分されている場所だ。第七区画は岩山の合間に位置し、その中央部を含めて所々が岩盤となっている。区画の南側に湖があり、これは洞窟と水源が同じ。つまり、ガノトトスが泳いで移動出来る。この区画へとガノトトスを誘き出し、その間に地底湖へ残ったゲネポスを討伐するというのが、ノレッジが緊急に立案した作戦の概要である。

 ただしドスゲネポスがガノトトスによって殺されているのを忘れてはならない。ゲネポスの群れは今、分裂している状況にある。

 加えて、残ったと予想される個体の数は大目に見積もっても下限間近であった。依頼を達成するためにゲネポスを討伐するのであれば、砂漠中に逃げた個体をも追わなければならない。いずれにせよ洞窟の中に残ったゲネポスは少数派だと考えられる……のだが、現在のゲネポスの討伐数を鑑みればその少数派をも逃せない状況なのである。

 

「―― なら、手段は決まってますね」

 

 まずは、今度こそ、砂漠を一周する。地形を確認しながら、その最中でガノトトスを誘き出す為の案を探る。魚竜とて生物だ。好物だってあるだろう。誘き出すのに、手段は十分に在る筈だ。

 方針を決めたノレッジは、水筒に水を詰め込んで、再び砂漠へと駆け出した。再び一面の砂原に見え、ランポスキャップの作る庇の下で視線を延す。

 

「まずは、と」

 

 頭の中に叩き込んだ地図を思い描きながら、砂原の区画を左手に進み、分け入った先。隆起した岩で囲まれた小広場を走る。

 しかしその端で、先ほどと同じ感覚を覚えた。弩を構え、確信と共にノレッジが振り向く。

 

「―― やっぱり、居ましたね。ですけど、この位置なら!」

 

 広場の端。岩場の影に隠れる様にして2頭のゲネポスが立っていた。その両方が、ノレッジを視界に入れた瞬間に鳴く。

 

「ギャアッ! ギャアッ!」

「お仲間 ―― 近くに居れば、来るでしょう、けれどっ」

 

 ゲネポスとの間にある「距離」を利用する。ノレッジは言葉を切りながら通常弾を吐き出して、近付ききる前にゲネポスを撃ち崩す。身体を僅かに傾けて、もう一頭にも同様に弾を撃ち込む。

 

「ギァッ!? ……」

 

 頭と腹に銃弾を打ち込まれ、ゲネポスが倒れ込む。完全に動かなくなった所で気を吐き、ノレッジは辺りを見回した。

 

「……、……。……どうやら流石に、お仲間の増援はないご様子で」

 

 集団の走竜が相手でなければ冷静になれたという部分には、自らの成長を感じる。だが同時に、ゲネポスの動きには鈍りも覚えた。どうやら予想の通り、魚竜との戦闘を免れた個体は砂漠に散っているのだろう……と、自らの考えの裏づけも取れる形となったのは思わぬ収穫か。

 敵意を探りつつ、ノレッジは再び脚を動かして先を目指した。岩場に開けた小道を抜けると、目的地が待っている。

 視界が開けた。第七区画。岩地と砂地、そして水面。砂漠の持つ3つの恵が交わった、岩間のオアシス。ある意味管轄地という場所の持つ意味を象徴する地でもあるだろう。

 ノレッジは区画の入口から岩陰に移動すると身を屈め、双眼鏡を覗き込んだ。水場の近くには砂漠のタンパク源 ―― アプケロスが群れを成しており、そこから一段上の岩場に3頭のゲネポスが座り込んでいる。

 

(絶好の獲物が前に居るというのに、ですか。……やっぱりゲネポスが疲れている? もしくは……ああ、アプケロスはアプトノスよりも好戦的でしたねー)

 

 ここは地底湖の区画と隣接した位置にある。あのゲネポスも洞窟から逃げ出した個体だと仮定すると、アプケロスは消耗した状態で戦うには厳しい相手なのかも知れない。ゲネポスは集団で狩りをする生物だ。頭数も3頭だけでは心許ないに違いない。

 

「ま、お腹が空いてないだけかも知れませんけど。……ガノトトスは、肉食。どうでしょう? アプケロスは獲物にするに、流石に苦労しますかね」

 

 ここに足を運んだのには、水場近くの植生を観察し、ガノトトスを誘き出すための「何か」を探すという目的がある。

 ノレッジはガノトトスの骨格を思い返す。口には肉食生物らしい歯を並べていたものの、顎の発達はそれなり(・・・・)だった。あの口に入るものと考えると、その傾向も僅かながらに見えてくる。頻繁に食すると想定すればアプケロスやゲネポスよりは小型……例えばエビや、魚辺りだろうか。

 

「少なくとも雑食ではなさそうですよね。……あとは、他の場所も観察して見極めましょう。時間との勝負になりそうです」

 

 セクメーア砂漠の第一管轄地である周辺地域に、水場はもう1箇所存在する。砂漠と砂漠に挟まれた位置に存るためガノトトスの行き来は不可能であるものの、何か閃きに繋がるものはあるかもしれない。

 

「……っと。あちらに移動する前に、ここのゲネポスも仕留めておかなくては」

 

 既にゲネポスよりもガノトトスに興味が向いている自らを叱り飛ばし、ノレッジは弩に弾を込める。

 アプケロスの脇を走り抜け、草食獣たちが此方を振り返る前に。

 少女は再びゲネポスへと銃口を向けた。

 

 

 ゲネポスを討伐したノレッジは砂漠の探索を続ける為、再び第七区画を後にする。行き掛けにもゲネポスを2党仕留めつつ、砂漠を横断。南東へと移動し、次の目的地であるオアシス……第一区画へと到着する。

 しかし。

 

(ここにはヤオザミが、4匹ですかー。まぁた、わたしの弩では相手にし辛い相手ですね……)

 

 そこでは、ヤオザミと呼ばれる盾蟹の幼体がわらわらと群れを成していた。

 ヤオザミ。2本の鋏と節を持つ脚を4本突き出し、甲羅を背負った甲殻類である。体色はやや濃い藍色で、薄暗い海底で迷彩の効果を発揮する。ヤオザミは本来海辺の密林などに多く生息している生物なのだが、セクメーア砂漠の様に海に近い砂漠では水辺に生息する個体も多いという。

 ただし幼体だとはいえ、成体の盾蟹それ自体が非常に大柄なモンスターである。水辺で両の鋏で何かをすくっては口に運ぶヤオザミ、その身体ですらノレッジと同等程度の大きさを誇る。それが群れで襲ってくるとなれば ――

 

(率直に言えば命が危ないですよ。いや、砂漠に来てからは命なんてずっと危ないんですけれども。……はてさて。ヤオザミはあの素早い横歩きさえ無ければ、距離をとって何とかできるんですが)

 

 あれは密林での修行中の事。距離をとればと高をくくった此方へ向かって、蟹らしからぬ異様に素早い脚運びで向かってきたあの悪夢を、ノレッジは忘れていない。

 

(……仕方がないですね。こう(・・)しましょう)

 

 鞄を探り、銃口に「徹甲榴弾」を取り付ける。しゃがんで『ボーンシューター』を水平に構えると、その流れのまま、ヤオザミの群れに向けて射出した。

 放たれた徹甲榴弾は最も手前に居た個体の側面へと付着する。榴弾が着いた衝撃によって敵対者の存在に気付いたヤオザミが1匹、また1匹とノレッジの方向へと身体を回し。

 ―― 爆発。徹甲榴弾が旋回の中途にある三匹のヤオザミを、纏めて「叩いた」。

 

「よしよぅしっ……そんで、次ですっ」

 

 予期せぬ衝撃に目を回す三匹。残る一匹が此方へ向けて走り出そうとするも、周囲で目を回すヤオザミに阻まれて思うように動けない。ノレッジは立ち往生した残る一匹にも徹甲榴弾を撃ち放ち、ヤオザミを一箇所にまとめて縫い付けることに成功する。

 斬る、突く、叩く。「攻撃」という手段は、生物の数だけ存在すると言って良い。

 ノレッジの持つ「弩」の場合、その手段は弾の種類によって切り替えることが可能である。その内の1つ「徹甲榴弾」は爆発を攻撃の主とするのではなく、衝撃によってモンスターを「内から叩く」。打撃の属性を持つ弾丸なのだ。

 ヤオザミの様に外骨格構造を持つ生物の場合、外側が強固な分大切な器官が内側へと集まり、衝撃に脆くなり易い。ダイミョウザザミも狩猟の中盤では、ヒシュの楯に執拗に殴りつけられていた(ただしダイミョウザザミの万力鋏による反撃で、件の鉄製の丸楯は捻じ曲げられてしまったが)。

 そう考えて採った選択の結果がこれだ。ともかくも、狙い通りの最善といえよう。ノレッジは事態が予想以上に上手く運んだ事には喜びを沸かせ、出来過ぎではないのかと苦心もしつつ、次弾を装填する。

 

「これでっ!」

 

 今度は貫通弾。回り込んでヤオザミの真正面を位置取り、その顔面に向けて殺傷力の高い弾を連続で撃ち出す。背部より軟い表の甲殻を貫かれ、青い血を噴出しながら、ヤオザミが次々と倒れてゆく。

 弾丸を惜しみなく撃っていると、目を回している内に4匹全てを討伐することに成功した。四脚を開いて地に伏せるヤオザミ。ノレッジは弩を畳みつつ骸を見、甲殻類の剥ぎ取りは難易度が高かったな……と、密林で解体した記憶とその手順を探り始める。

 すると。

 

「―― ん?」

 

 視界の端に何かが入り込んだ気がして、振り向く。

 すると「何か」が、岩場の影へと素早く身を隠した。

 しかしまだ、よくよく目を凝らせば、岩の端からはみ出した「物」が見えていた。棒状の物体がまるで岩に生えてでもいるかの様に突き出され、ゆらゆらと揺れている。

 照準機で覗き込むと、直ぐに仔細が判明する。少なくとも今すぐ命に関わるものではない……の、だが、ここで放っておく訳にもいくまい。そんな風に諦めの意思を抱え、ノレッジは事を動かすべく、忍び足で岩へと近付いてゆく。

 近付くにつれて鮮明になる、ゆらゆら揺れる棒状の物体。猫の手を模した ―― 勿論の事肉球付きのそれは、とあるモンスターが愛用している道具だ。そのため隠れた何者かについても大方の目星はついている。

 ノレッジは岩の後ろから身を乗り出して、思い切り息を吸い込むと……大声を。

 

「うがぁあーっ!」

「「フにゃァァアーッ!?」」

 

 大声に驚いた獣人が2匹、岩場の影から大きく飛び上がって倒れ込んだ。

 倒れた獣人を、腰に手を当てたノレッジが見下ろす。獣人らは見た目こそアイルーに似ているが、違う種だ。口元を三角巾で覆っており、その全身には黒い毛が生え揃っていて。両手には彼等の身体程も有る棒状の武器『シーフツール』を握っており、ノレッジの知る限り、その鉤爪部分にはハンターを痺れさせる毒が仕込まれている。決して油断はできない相手だ。

 それらを踏まえて。ノレッジは倒れた獣人に向かって訝しげな視線を注ぎ、口を開く。

 

「それで、何か御用ですか? メラルーちゃん」

 

 倒れ込んだのは「メラルー」。ハンターの間では「盗人」として悪名高い獣人である。

 世界に広く原生するメラルー。その多くはハンターから道具を、他の生物からは素材を盗み、人の社会に流通させる事で利益を得ることを覚えていて ―― 故に、人から嫌われ易い種族でもある。

 「運び屋」として一定の地位を持って人間社会に馴染んでいるニャン次郎も属する種族であり、勿論の事、アイルーの様にハンターや商人のお供をし人間社会に溶け込んでいるメラルーも他に存在する。しかしこの場合、盗人としての側面を持たない方が珍しいケースである。特に、野生で過ごし人間と交わらないメラルーには盗み癖が抜けない傾向が強いらしい。だとすれば、ここは遥か砂漠の真ん中だ。この2匹も例外ではないだろう。そう考えるノレッジが警戒するに、至極自然な相手。それがメラルーであった。

 仁王立ちのノレッジを見上げながら、腰を抜かした2匹のメラルーはがくがくと震えていて。

 

「お、おい……お前、ニャンとかするニャ!」

「何でおれニャッ、お前が説明するニャァ!」

 

 しかし当のメラルー達は、恐怖で頭が回っていないのか、遂には喧嘩を始めてしまった。これではただの押し付け合いだ。

 ……そもそも、自分は悪魔か何かか。ノレッジは溜息を吐きつつ、もう一度メラルー達へと話しかける。今度はせめて、腰には手をあてないで ―― 膝を折って目線を合わせて。

 

「―― はいはい、問答はそこまでです。それで、メラルーちゃん達の目的は何なのですか? わたしの道具がお目当てでしたら、先ず散弾をプレゼントしますがー」

「それは銃口からのプレゼントだニャッ!?」

「むしろ永眠をプレゼントされるニャァ!?」

「……あーもー、いいから答えてください。わたし今、やる事が山積みなんですよ」

 

 ノレッジは長髪を掻きながらメラルー達に発言を促す。二匹共に暫くおろおろしていたが、ノレッジが動かないのをみて、その顔色を窺いながらも恐る恐る口を動かした。

 

「そ、そのう……お礼ニャ」

「お礼?」

 

 疑問に首を傾げると、間髪入れずメラルーが頷く。

 

「はいニャ。おれ達、村の食材当番なんだニャ。でも数日前からこの辺りが騒がしくなったせいで、獲物が採れないでいるニャ……」

「魚を採ろうと地底湖に向かえば魚竜に蹴り飛ばされ、出た先で淡水魚を探せば地底湖の巣から逃げ出したゲネポスに八つ当たりされ。泣く泣くこのオアシスまで来てみれば、あろう事かヤオザミが沢山居て魚を独占してる有様ニャア。……ゲネポス達があちこちに広がってしまったせいで安全な場所なんてニャくて、植物の採取も難しい。正直今日魚が捕れなかったら、火薬草を齧る所だったニャア」

「あー、それは随分と切迫してますねー……」

「ですが、ハンターさんがヤオザミを蹴散らしてくれましたニャ。お陰で漁が出来ますニャ」

「ふむん。そーいう事ですか」

 

 理屈として理解出来なくはない答えだ。言い分も、ノレッジが探索した今現在の管轄地の状況に当て嵌まっている。

 こうして聞く限り、少なくともメラルー達からノレッジへの害意は感じられない。ならば、放っておいても良いものか……等と考えるノレッジの脳裏には、仮面の主に付き従うネコの姿が思い浮かべられている。どうやらネコらと季節を過ごす内、アイルーだけでなくメラルーにも愛着が沸いていたらしい。幾ら盗っ人メラルーだとは言え、今のノレッジにとって放っては置けない気分である。

 ノレッジは銃を引く。この行動に、2匹のメラルーが何事かと目を瞬かせる。

 

「判りました。わたしはヤオザミの解体をしてますから、メラルーちゃん達はお魚を捕っていて下さい。暫くの間だったら護衛もしてあげますよ」

「あ、ありがとございます……ニャ?」

「いえいえ。別にいーのです。困った時はお互い様ですからねー」

 

 反射的に礼を言いながらも信じられないといった表情をするメラルーを横目に、ノレッジはヤオザミの解体を開始した。

 メラルー2匹は手際よく進むノレッジの解体を暫し呆然と見守っていたが、どうやらノレッジが本当に危害を加えないことを知ると、網を持ってオアシスの湖岸へと飛び込んだ。湖へ潜る度魚が陸へとあげられるその手際は見事なもので、ノレッジが甲殻の切り出しを終える頃には、食用に出来る魚が網の中で山と積まれていた。

 

「おー、沢山取れましたね。お魚は村の皆の分まで足りそうですか?」

「おうさニャ。これだけあれば暫くは困らないニャ」

「良かったです。こっちも解体は終わりましたし、さて。……お次はゲネポスに教われない様、ネコのお国まで護衛をしましょう」

 

 ノレッジがそう提案すると、身の丈の数倍は有る質量の鞄に魚を詰め込んだメラルーがびくっと飛び上がる。

 

「そ、そこまでしてもらうのは気が引けるニャア!?」

「でもそれでゲネポスに襲われたら、また同じ事でしょ? 良いんですよ。わたしは今回、ゲネポスの討伐を依頼として受けているんです。お魚咥えた野良メラルーちゃんが砂漠を歩いてたら、ゲネポスは寄って来ます。互いに利は有る状況。これって、一石二鳥じゃあないですか!」

 

 力説すると、メラルー達は再び沈黙する。実際の所ノレッジの提案は、ゲネポスの討伐よりもこのメラルー達を無事に村へと帰還させる事が主目的であり、ここまで関わったからには最後まで見届けたいという、ある種の義務感の様なものが入り混じっている。同時に、各地に点在するという「ネコの国」を見てみたいという好奇心も。

 首をかしげ何事かを話し合っていたメラルー達は考える時間の後、ゆっくりと上目使いで頷いた。

 

「……それじゃあ……お願いしますニャア」

「話が上手すぎて怖い気もするけどニャ」

「あはは。その気持ちはわたしも判りますよ。まぁ、それはお互い様という事です。わたしだってあなた達に何時襲われるかー、って思って銃を構えてましたから」

 

 そう言いながら笑顔を浮べて見せると、メラルー達の疑いも幾らかは薄れたようだった。2匹は顔を見合わせてから鞄を背負い、「こっちニャ」と砂漠を先行し始めた。

 ノレッジも『ボーンシューター』を構えると、メラルー達の後ろを着いて歩き始める。オアシスのある第一区画を出、砂漠の広がる第五区画を横断して行く。メラルー達に聞けばこの先の隘路 ―― 岩の闘技場の様な形をした区画の横穴が、メラルー達の村である「ネコの国」へと繋がっているらしい。

 視線を戻す。目前を、魚を背負いながらよたよたと走るメラルー。後ろを歩くノレッジは護衛としての役目を果すべく、周囲の敵意を探りながら。

 

(そういえば、このコ達ならガノトトスについて何か知ってるかも)

 

 メラルーを始め、獣人種は人間達とは別種の技術体系と生活知識を持っている。それだけに、自分達が知らない情報を持っている可能性は高い。聞く価値は十分に有るだろう。

 そう考え、ノレッジは完全に動く鞄と化したメラルー達へと尋ねる事にする。

 

「そういえば、メラルーちゃん。ガノトトスについて、何か知らないかな?」

「ガノトトス……ああ、あの魚竜の呼び名かニャ。おれ達はこの数日ずっとアイツを見ていたから、分かる事もあるかも知れないニャ。ハンターさんは何が聞きたいニャ?」

「ええっと……活動場所とか、獲物とか……出来れば洞窟を移動する時間とかかな」

 

 もし知っているならばという意を多分に込めた質問に、意外にもメラルーは素早く頷く。

 

「それなら知ってますニャア。確かにあの魚竜は、洞窟から出て来る時間がありますニャア」

「あ、それ、知りたいです。どの時間帯です?」

「ふふん、ずばり夜ですニャ。アイツはコイツ(・・・)が動き出す、日が沈んだ頃を狙って、洞窟から泳ぎ出て来るのニャ」

 

 言ったメラルーが、腰の鞄からずるりと取り出した何かを横に掲げた。それ(・・)を覗き込んだノレッジが、目を剥く。

 

「それって……」

「どうやらあの魚竜は、これが好物らしいのですニャア」

 

 ノレッジは思索する。本当だとしたら思わぬ収穫だ。これらを餌にガノトトスを引っ張り出すことが出来れば、或いは。

 

「―― 何とかなる、かも?」

 




 砂漠の初陣、中篇をお送りしました。
 ゲネポスの討伐クエストだと思っていたら、地底湖にはガノトトス! ノレッジ・フォール女史の運命やいかに! というヒキで今回更新分を締めさせていただきます。
 ……いえ。まぁ、彼女がさっさと退散すればそれだけで事は安全に運ぶのですけれども。読んでくださっている皆様方にはお判りかと思うのですが、彼女も中々に面倒な気質を持っております設定ですので、これだけでは終わりませんね。
 尚、クエストに関する考察の中に重大な欠陥を孕んでいるよう感じられたお方は、次話まで疑問を置いておいて下さればと。それはきっと、初陣のオチに使われるネタなのです。

 以下、自問自答します。

>>外骨格
 外側に骨……つまり、甲殻に添う形で身体を作る生物の事ですね。ゲーム的に言えば、大体打撃属性が有効となる感じです。
 因みにこの単語だけで「あいつ」を想像した方は、モンハンフリークかと。

>>ドスゲネポスがあっさりしてる
 その辺の尺はいつも悩み所でして、今回はより大ボスのお方が潜んでいましたので、こんな扱いとなりました。
 貫かれたのは、位置的には中央部。ですので、ドスゲ/ネポスでしょうか。ドス/ゲネポスの方が語呂が良いのですけれども。


>>メラルーに冷たくないですか
 幾ら可愛くても、盗っ人ですからねー……。しかも大型モンスターとかに便乗してきますし。人間に力を貸している少数派のメラルーであればまだしも、野生の奴等と来たら問答無用なのですよ。
 実際、ゲームでは兎も角、現実的にはかなり困った奴等だと思うのです。狩場での実情だけでなく、人間から盗んだ道具を人間に流通させるとか、市場も壊しにかかってますから、社会的にも立場は悪いですね。
 本作のニャン次郎が捻くれていた様に、本来であればこの話のノレッジの様な対応の方が自然なのではないかと思います。まぁ、ヒシュの影響でか、最後には懐柔して(されて)ますけれども。

>>ガノトトス
 ガノトトスさんについての詳しい記述は次話のあとがきにさせて頂くとしまして、ここでは今回の分だけを。
 淡水棲生物……あ、いえ。3Gのは新大陸だからですよきっと……多分。とはいえ、実際にはどちらにも適応できるのでしょうね。浸透圧とか水圧とか言っちゃあいけません。少なくともジャングルガビアル辺りの設定を見るに、基本的には淡水生物とされているようです。
 ガノトトス、でかいです……いや、前回ドスガレオスに言ったので。因みに今作今話に登場したガノトトスは、金冠サイズ辺りを想定してます。……あ、これだけの情報で今回出現したガノトトスの級が判ってしまう方は鋭すぎですよ。

 では、では。
 今回はこれにて。他疑問やら数多ある(であろう)誤字やら、ご感想やらご意見やらご相談(ぉぃ)やらありましたら、是非とも感想欄なりメッセージなりに頂ければ、私、幸せです。


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第十八話 少女と砂原〈下〉

 セクメーア砂漠の第一管轄地。

 炎天下の下、薄桃色の髪を揺らす少女が汗を拭う。その目の前にはつい先まで砂漠を泳ぎまわっていた魚竜種ガレオスの亡骸が横たわっていた。

 

「よっと……ふぅ。肝臓は、無事ですね」

 

 少女 ―― ノレッジは淀みない動作で腹の中からナイフと臓物を握った腕とを引き抜くと、氷結晶と共に皮袋の内へと仕舞い込んで口を結わえた。

 中に入れたのは瑞々しい赤色をしたガレオスの肝臓である。通称「魚竜のキモ」と呼ばれるこれは、巷において高い薬効があるとされている品だ。同時に、ノレッジの受諾した依頼における納品目標でもあった。

 

「さぁて、肝の数は揃いましたね。早速拠点に戻って塩漬けに……」

「待つニャ、ノレッジ」

 

 少女が言葉を紡ぐと、その足元で鱗を剥いでいた生物が割り込んだ。獣人、メラルーだ。二足で立ち上がったメラルーが二匹、口元の三角巾をずらして口を開く。

 

「塩漬けでも良いけど……おれ達としてはマカ麹の薄漬けをオススメしますニャア」

「薄マカ漬けで保存した肝は塩漬けよりも日持ちするし、薬効が段違い(ダンチ)ニャ。まぁ、摘まみとして食べるなら塩漬の方が美味いけどニャ~」

「……そういえば、ヒシュさんもマカ壷を腰に下げてましたねー。私もこの機会にマカ漬けを始めてみましょうか……漬物を始めるような、主婦って年ではないんですけれども」

「マカ漬けするなら是非とも村に寄って下さいニャ。マカ麹と壷をお裾分けするニャ」

「わっかりましたぁ、今から向かいましょう!」

 

 やり取りをしながら、ノレッジはアイルーとメラルーの村がある第十区画へと脚を向ける。

 砂漠を駆け回ること二日。少女は滞在期限の限界を明日に控え、納品の為の物品を吟味している最中であった。ノレッジの持つ人柄もあってか、この二日の間行動を共にした「砂漠の村」のメラルーやアイルーとはすっかり馴染みの間柄となっている。

 村へと向かう途中、セクメーア砂漠の管轄地の第十区画を横切る。すると。

 

「あっ……っ、」

「? どうしましたニャ、ノレッジ」

「あれです、あれ。ゲネポスです」

 

 村へと続く細穴の隅に、二匹のゲネポスが居るのを目に留めた。その一方は地に伏せており、もう一方は伏せた一匹を覗き込んでいる。

 覗きこんでいたゲネポスが接近するノレッジらに気付き、素早く振り向くと、喉を鳴らす。

 

「ギュアッ、ギュアッ!!」

「「ニャニャッ!?」」

 

 警戒を顕にしたゲネポスの叫び。メラルー達はびくりと飛び上がり、ノレッジの後ろへと身を隠す。

 

「……でも。それにしては、近付いてこないですねー」

 

 しかし楯にされたノレッジだけは自らの愛銃すら構えず腰に手を当て、ゲネポスの視線を受け止めた。毅然とした……余裕さえ感じさせる態度のノレッジに、怯えた様子のメラルー達が尋ねる。

 

「な、何故かこっちには来ませんニャ」

「ニャア。ノレッジ、どうしてだか判るニャア?」

「はい。その種は、伏せているゲネポスのお腹の下にあります。……見てください、卵ですよ」

 

 言われて指差す先を凝視すると、伏せるゲネポスの腹の下に僅かに白い物体が見て取れた。どうやらこの二匹は卵を抱える雌とそれを守る雄の(つがい)であるらしい。

 

「チャンスですニャ。今なら苦もなく狩れますニャ、ノレッジ」

「バシッとやっちゃうニャア」

 

 変わり身の早いメラルー二匹は、ノレッジの後ろに隠れたままで囃し立てる。

 しかし、こうにも狩猟を急かすのには理由がある。実際の所、あれからノレッジの受諾した依頼……その基幹に据えられたゲネポスの討伐依頼が難航していたのである。

 ドスゲネポスが亡き者となった今、あの群れは別のゲネポスが指揮を採っているのかそれとも散り散りになったのかは定かではない。しかし何れにせよ砂漠に残ったゲネポスは見る間にその数を減らし、ノレッジは未だ20頭という討伐数を達成できずに居た。

 ただし、目の前に居るゲネポス2頭を討伐しても未だ依頼の数には届かない。とはいえここで討伐しなければ、ただでさえ低くなっている依頼達成の可能性がさらに低くなるというのもまた事実。

 

「―― いいえ。ノーです」

 

 だがノレッジは考える間も迷いも無く首を横に振った。メラルー達が思わず詰め寄る。

 

「ノレッジ、どうしてですニャ!?」

「別にわたしはゲネポスを狩りたいんじゃあありません。ゲネポスの数は減りましたし群れも解散。これでこの管轄地もフリーの状態として白紙に戻す事ができましたでしょう。ですから、このコ達は放っておきます」

「……それで良いのですかニャ? だってノレッジ、結局ゲネポスを殆ど狩れていないって言ってましたニャ」

「ノルマを達成してないと、依頼失敗扱いになるニャア。しかもそれだけじゃなく、ギルドからの信頼も落ちるニャア。それで良いのかニャア?」

 

 ノレッジは一瞬きょとんとしたが、それもすぐ苦笑に変わる。

 

「んー……あはは。わたしは見ての通りの学者肌でして、ギルドでの名声とかには興味がないもので。それに今のわたしにはゲネポスの素材は必要ないですからね。むしろ余っています。……新たな命が紡がれる前にその可能性すら摘み取るというのでは、密猟者となんら変わりありません。ゲネポスを根絶やしにすると、人間にとっても自然にとっても利がありませんよ」

 

 依頼よりも優先すべき ―― 自然との調和を図る事。

 これは、ヒシュから教わった様々の事柄の中でも、最も繰り返された教示であった。狩り過ぎてはならず、しかし狩らなければ人間の生活は成り立たない。「適量」を守り自然との均衡を保つ事もハンターとしての重要事なのだと、あの仮面の狩人は言葉少なながらに語っていたのだ。

 ノレッジ自身も自然との均衡……調和は守るべきものであると学び、感じている。ヒシュが直接的な狩人修行と平行して行った「ハンター」としての教えの中には、モンスター素材の取引や活用法に関する項目が存在する。狩った時点で終わりではなく、自身が狩った獲物の素材がどの様にして流通し、活用され、加工され、人の生活と絡むのか。その「先」までを、ノレッジは知った。座学だけではなく市場にも出かけるなどして行われたこの学習には、ライトスらも快く協力をしてくれていた。

 「狩人」ではなく「ハンター」の本分ともいえる自然との調和。それをこうもすんなりと受け入れる事が出来たのは、それら経験によって人と自然の関係を再認識出来たこと。その他、ノレッジがハンターだけではなく王立古生物書士隊にも属しているという点が大きいに違いない。

 

「そも。あたしは書士隊の一員で、ハンターですから!」

 

 ノレッジが大きく胸を反らす。ランポス素材と鉱石とを繋ぎ合わせた胸当てが砂にくすんで日光を返し、

 

「―― その言葉。本当か?」

「うおわっ!?」

 

 突如、意気込むノレッジの上からしわがれた声が響いた。思わず背筋を伸ばし振り向くと、ネコの国へと向かう通路の脇。崖上に小さな老人が座り、此方を見下ろしていた。

 

「……大分、吃驚しました。あのぅ、あなたは?」

「フン。只の山菜採りの爺じゃよ」

 

 崖の上に腰掛ける老人は山菜取りとしては兎も角、「只の」と言うには奇異な格好をしていた。身体より大きな籠を難なく背負い、耳が尖り、口には咥え煙草。これら特徴からして、この老翁は竜人族であるらしい。

 

(……? このお爺さん、どこかヒシュさんに似ている様な……?)

 

 腰には光虫の虫籠。背の鞄からは、溢れた山菜が顔を覗かせている。手当たり次第の荷物を持っているという辺り、確かに狩場に臨む際のヒシュに似ていると言えなくは無い。

 顔や背丈は全く違うが、様相に自らの師匠の面影を重ね、ノレッジは恐る恐るといった表情で見上げ……尋ねる。

 

「そ、それでー……このコ達に? それとも、わたしに御用件で?」

「あんたにじゃよ。……普段はハンターさんに用事なんてないんじゃがのう」

 

 咥えた煙管を蒸かすと、その筒口から黒色の煙が噴き出した。ぷかりと砂漠の空気に溶けた所で、再び手に持ち換える。円らな、しかし深みのある眼がノレッジ・フォールを捉えた。

 

「おぬしはあの魚竜に挑むと言っとったじゃろ? その無謀に、ワシもひとつ協力してやろうと思うたのじゃ。あの魚竜が居ついておるせいで、最近この辺りのモンスターは気がたっておるんじゃ。おかげでワシも山菜を採るんに一苦労なんでな」

「……はぁ、そうなのですか」

「ほいっと、――」

「うわっ」

 

 老人が崖から飛び降りる。地面に肢体を着き器用に衝撃を殺し、何事もなかったかのように立ち上がる。立ち上がったその身体は、ハンター内では小柄であるノレッジと比べて尚小さい。竜人族は人と比べて長命な種である。年を取った竜人族は背丈などは人間の老人に近似するものの、その長命故の知識によって政の中心などに据えられる事が多い。竜人族元来の合理的な考え方もあり、頭脳労働で力を発揮するのだ。

 ……しかしながらこの老翁は、どうにも合理的な竜人族らしく(・・・)ない。今現在の行動からして、狩場の真っ只中で山菜を取るという暴挙なのである。

 

「ジャンボ村の村長といい、最近の竜人族の方々はアウトローが流行っているのですかね」

「いやいや、この『山菜爺さん』が特別なだけですニャ」

「……そ、それよりだニャア」

 

 考えをそのまま口に出したノレッジと突っ込みを入れるメラルーの横から、他方のメラルーが恐る恐る声をあげる。

 恐れの向かう、その先に。

 

「―― ギャアッ、ギャアッ!!」

 

 番の番人を担うゲネポスが、今にも襲い掛かろうかと鳴き声をあげていた。

 ノレッジは鳴き声を聞くや否や、素早く後退。ノレッジより素早くメラルーが、メラルーより素早く山菜爺さんが後退する。

 全員が一斉に、素早く背を向けて。

 

「……いやとりあえず退散しましょうお話はネコの国に着いてからに」

「そうじゃのぉっと」

「あっコラ、爺さん早いニャッ!」

「おれ達もさっさと逃げるニャア!」

 

 

 

 

 世界各地に点在するアイルーとメラルーが暮らす村……通称「ネコの国」。一行はその中でもセクメーア砂漠の管轄地に存在するネコの国、「橙の村」と呼ばれる縦穴の中へと退散した。

 中央にある岩場に、装備品を外してややリラックスした体のノレッジが腰掛ける。

 

「ノレッジさん、お茶をどうぞニャ」

「どうもですー。ハイこれ、本日のお魚です」

「毎度どうもだニャ、ノレッジさん。ウチのヨメも大喜びだニャ」

 

 ノレッジは小さな穴から現れた顔馴染みのアイルーからお茶を受け取り、その代わりにとサシミウオを手渡す。2日前に食糧確保の手伝いをしてから、ノレッジは村では賓客としてもてなされていた。どうにも落ち着かないが、「ネコの国」は総じて安全地帯に在る。狩りの中途に立ち寄る事も可能である為、素直にもてなされておく事にしていた。

 辺りを見回せば、縦穴の中はそこかしこがいつもの通りガラクタの山や松明に飾られている。その数が増えているのか減っているのか、はたまた総量が均一に保たれているのかは定かではないが……何れにせよ人の村ではこうも雑多な景色は好まれはしないだろう、とノレッジは思う。しかし同時に、この落ち着かない雰囲気が不思議と嫌いではなかった。むしろ緊張が解れる程度には馴染んですらいる。

 

(……とは言っても、砂漠入りしてからの期間はお世話になりましたからね。その影響が大きいのでしょう)

 

 下手なキャンプで1人寝泊りをするよりは、橙の村に居た方が安全なのは確かである。その様な考えから、管轄地に入ってからのノレッジはネコの国で寝泊りをしていた。有り難い事にアイルーメラルー達も歓迎ムードで迎えてくれていたため、寝食を共にすれば、緊張も解れようというもの。

 すると、思い出したことが1つ。

 

「……そう言えば思い出しました。おじいさんは、この間もネコの国に居ましたね」

「というかこの爺さん、大陸中の狩場を回っているらしいからニャ」

「ハンターさんと違って勝手に出入りしてくるんですよニャア……。珍しいものをくれるから見逃してはいますけどニャア」

 

 メラルー二匹の物言いに、黒煙草(と、言うらしい)の葉を煙管に詰めながら、山菜爺さんは顔をしかめた。足を組み尊大な口調で物を言うこの老翁は、好々爺とは言い難い。何が、なのかは知れないが不満気な態度で鼻を鳴らす。

 

「フン。狩場は人が踏み入らん代わりに土が肥えておるからの。山菜も多いんじゃ」

「……ええと。というか、砂漠で山菜って……」

「採れると言ったら採れるんじゃ、うるさいのう。……こんなネコの国なんかに居つくような奴は確かに、珍しいが。そういう意味ではお前さんのが珍しいじゃろうに」

「うーん、それもそうなんですけれどね」

 

 ネコの国に居つく人間などまず居ない。それは事実である。だがそれを、竜人族らしからぬ竜人族に指摘される事になろうとは思ってもいなかった。

 

「……まぁ、それはそれ。雑多なお話はこの辺にしておきまして」

 

 ノレッジは手に持った陶器から冷水の煎茶を飲み干し、手近な台に置くと、老翁の背を指差しながら口を開く。話題を戻さなければならなかった。

 

「それで。ガノトトス退治に協力してくれるとの事でしたが……お爺さんはハンターじゃあありませんよね?」

「そらそうじゃ。この銃はお守りみたいなもんじゃからの。整備はしとるが、撃つ弾すらないわい」

「ですよねー。竜人のハンターも居ない訳じゃあありませんが、お爺さんは根本的に違う感じがしますから」

 

 腰に差した飾り紐付きの弩を引きながら、老翁は適当な相槌をうつ。

 身なり、籠、黒煙草、翁の年齢等々。老翁にノレッジが質問をするというやり取りを、幾度か繰り返えしていると。

 

「―― フン、やはり眼は持っておる。ほれ、これが協力じゃ。ハンターさんにこれをやろう」

「……? なんですか、これ」

 

 背負った籠から、一冊の本を取り出した。その表装は皮によるものだが、既に元の生物が判別できない程に劣化していた。ぱらぱらと捲って見れば、綴じられた中身……インクによる文字の羅列は意外にも綺麗なままで保たれている。滲みも無く、紙の端はやや擦り切れてはいるものの、これならば内容は判別できるに違いない。

 ―― ただしそれは、描かれている文字が読めれば、の話ではあるが。

 

「あのう……これ、文字ですよね? わたしじゃあ読めないですけど……」

「なんじゃ読めんのか? だらしないのぉ。……仕方無い、これはオマケじゃ。これ以上は期待せんでおくように」

 

 山菜爺さんは座っていた岩を飛び降りるとノレッジの横まで移動し、最初の頁を開いた。

 

「―― 初項、滅す龍の弾。第二項は竜を撃つ弾。第三項は……爆ぜ撃つ弾についてじゃの。まぁ、そんな事が書かれておる」

「滅す……龍……んん? それって、もしかして」

 

 ノレッジは腰の鞄からメモ帳を取り出し、広げた一頁を示し、頬を紅潮させて口を動かす。

 

「めめめっ、滅龍弾のことですかっっ!?」

「お前ら人間の使う呼び名までは知らんのう」

 

 対照的な老翁は元の位置に戻ると、アイルーからお茶を奪っては口に運ぶ。ノレッジは食い入るように書物を捲り、恍惚とした吐息を漏らした。

 

「ふおお~。ライトスさん達に聞いても名前しか判らなかった幻にして伝説の弾丸の調合を、まさかこんな形で知ることになりますとは……。この本なら、字は読めなくても幾つかの項目に絵柄が付いていますから、解読のし様がありますしっ!」

「フン。それは、ただの調合書じゃ。そうじゃの?」

「ええっと……そういう事にしておいた方が良いんですね。判りました。ですが、山菜お爺さん。貴方はこれを何処で……?」

「あ~~ん? 最近耳が遠くてのぉ。良く聞こえんわい」

 

 どうやら話す気はないらしい。悟ったノレッジも、これ以上の追求を諦める。その代りに、好奇心は手に持った書物へと向かう。

 山菜爺さんの目前に胡坐をかいて頁を捲る。文字は読めないため絵柄のある頁の幾つかへ付箋を挟み、唸る。

 

「……この植物……どこかで見た様な気もするのですが。どこでしたっけ?」

「それはきっと赤菱の実だニャア。火山地帯が原産だから、この辺にはまず生えて無いニャア」

「赤菱? 赤菱、赤菱……調べてみないと判りそうにないですねえ」

「それよりこっちの弾丸ですニャ。ここ、ここ。これはきっと爆裂アロワナだニャ。でも、弾丸なのに素材が3つとは……ムムム。これは何の植物でしょうかニャ?」

 

 二匹のメラルーに囲まれながら、ノレッジは興味のままに視線を巡らす。興味が優先している間

 すると。

 

「―― それよりハンターさん。これは只の興味じゃがの。お前の首に掛けたそれを、ワシに見せてはくれんか」

 

 暫くは騒がしいその光景を眺めていた老翁が、書物から視線を外さない少女へと尋ねる。ノレッジは相変わらず眼を落としたままで一瞬きょとんと言葉の意味を考えたが、お守りの事だと判ると首元のそれを外して掲げる。

 

「ハイ……これですか? これはお師匠から頂いたお守りです。どこか名の在る樹から作られたお守りらしいんですが……」

「ふむ。……若造が持つには過ぎたものじゃの。霊樹から作られたお守りじゃよ、これは」

「それ、お師匠も言っていましたね。……霊樹、って何なのです?」

 

 ここで興味が移り、少女は面を上げる。見つめられた老翁は小柄な体駆を更に小さく竦めて黒煙草を蒸かし、僅かに瞼を開く。深く刻まれた皺の表に感慨深い、あるいは懐かしむ様な表情を作ると。

 

「―― 霊樹はの、墓なんじゃよ。古の龍たちの、な」

「お墓? あのう、いったいそれは……」

「やめやめ、話はここまでじゃ。ハンターさん、大事にすると良い。この上ないお守りだからの。―― それでは、アイルー達も。邪魔したのぉ」

 

 それだけを告げると再び籠を背負い、老翁はネコの国を軽快な足取りで去って行った。その背が消えた出口を、ノレッジはぼうっと見つめる。

 

「ノレッジ、この弾ニャらあの魚を……ノレッジ?」

「え、あっ、はい。……山菜お爺さんが行ってしまいましたが」

 

 メラルーに話しかけられ、ノレッジは意識を戻す。あの爺は山菜の為だと言っていたが ――

 しかし思考は、メラルーの声によって遮られる。

 

「あの爺さんなら、どうせまた来るに決まってるニャア。それより目の前の魚竜を何とかしなくちゃ、おれらはノレッジが居なくなった後おまんまも満足に食えないニャア。橙の村の存続はノレッジに掛かっているといっても過言じゃあないのニャア」

「だからおれ達、全力で支援しますニャ。今はこの弾丸の製作に賭けてみましょうニャ」

「……そう、ですね。はい!」

 

 自らに言い聞かせるように呟くと、ノレッジは再び書を読み解く事に専念し始めた。

 

 メラルー達の言は尤も。

 

 魚竜・ガノトトスとの決戦は、いよいよ今晩に控えているのである。

 

 

□■□■□■□

 

 

 メラルー達と過ごした後も準備を行ったノレッジは、ゲネポスの討伐以外の全ての依頼を終えた。採取物をキャンプに揃えると、その足で再び決戦の地 ―― 第七区画へと赴いた。

 太陽は、とうに砂原の端へと沈んでいる。冷たくなり始めた砂漠の夜。その中で身を地面に這わせ、夜の闇に紛れ込ませ。ノレッジは砂埃に塗れた外套の内で気配を殺し、ひたすらに機を窺っていた。

 

(結局、目的と手段が逆転してしまいましたね。でも、まぁ、良いんです。あの魚竜を知りたいと思ったのはわたしなのですから。……可能な限りの準備は済ませました。あとはわたしに、先見の明があるかどうか ――)

 

 視線の先にあるのは水面。水面に沈むのは糸と針。針を潜ませたのは、かの好物。

 大陸全土の英知が集まる学術院。その学術院と結びつきが強くモンスターの生態を調べる書士隊だとて、水中で殆どを過ごすガノトトスの生態については調査が進んでいない。狩人達の僅かな証言でしか、その生態は確認出来ていなかったのである。この点については、ハンターと書士隊を兼任する人材が不足している事を嘆くばかりだ。

 そんな具合だからこそ。ノレッジはガノトトスの生態を探るべく、砂漠で過ごす時間の半分以上を生態観察に費やした。足繁くメラルー達の村を訪れては情報収集も行った。だが、その分。時間をかけただけの成果は得られたという実感がある。最たるものは洞窟と第七区画を移動する行動パターン、そして好物の存在であろう。

 

(どうやらこの(・・)ガノトトスは、日射を好んでいないみたいです)

 

 少なくともこの個体に関しては、日に照らされて鱗や身体から水分が失われるのを嫌っている。夜は七区画に出て獲物を探し、昼間は地底湖で水棲生物を餌とするというのが、ここ数日の魚竜のパターンだ。

 以前書士隊が実施した解体調査の資料によって、ガノトトスは肺呼吸である事が判明している。観察を行っていたノレッジも一定時間毎に水面付近を回遊する姿や、水からあがって餌を探す光景を目撃している。これらは肺呼吸でなければ在り得ない行動だ。

 だからこそ、水から上がるのだが……ノレッジが注目したのはその内。「嫌う」のに「水からは上がる」という部分にこそ存在する。

 結論から言えば。ガノトトスが水分の喪失を嫌う、それ以上の「好物」が、その巨体を水から出さなくてはならない水辺付近に住んでいたのである。

 そう。釣り針が刺さっているのは件の「好物」―― カエル。

 

(……来た)

 

 ピクリと針が動く。何者かが水面へと上がってくる気配と威圧感が辺りに満ちてゆく。潜んでいた草食生物達がその様子を敏感に察知し、逃げる足音が僅かに耳に届いた。

 ノレッジは水面から意識を外し、気配を殺す。視線だけはそのまま、糸の行く末を見守って。

 

 ―― 沈んだ。

 

「きましたっ!!」

 

 ノレッジは腰を上げ、重弩を構える。鋼糸が括られた背後の岩がみしみしと音をたてながら水中の生物と引き合い、10数えるかどうか。水面の一部が盛り上がり、

 

「―― キュアアアアアッ!!」

 

 耐え切れないと言わんばかりの叫びをあげ、魚竜 ―― ガノトトスが水中から飛び出した。

 弩を構えたノレッジは月光の下、その体駆を改めて観察する。この個体について、特筆すべきはやはりその大きさである。

 

「目測。あの岩の大きさを基準としても……ええぇ。やっぱりこれ、大物(キングサイズ)じゃあないですか!」

 

 言いながらも、隙は逃さず。ノレッジはのた打ち回る魚竜へ向けて、貫通弾を撃ち放つ、が。

 

「弾は……くっ、駄目ですねっ」

 

 背面からの射撃は鱗に阻まれてしまい、全く持って手応えが無い。判断をしたノレッジが狙いを変える為腹側へ回ろうとするも、その頃にはガノトトスも体勢を整えていた。

 両の脚で立ち上がる。身は大きく、鱗が月光を反射しては神々しいまでの煌きを纏う。これは、人が立ち向かうべき生き物ではない。そう思わせる悠然さと荘厳さ、自然そのものに勝るとも劣らない ―― 脅威とでもいうべき何かが、ガノトトスの全身から発せられていた。

 ノレッジは、言い聞かせる。

 

「いいえ……違います。それは、わたしが(・・・・)感じているだけ(・・・・・・・)。自然は何時だって、等しく万理を通すべく働きますの、で、っとお!」

「シャギャァァ ―― 」

 

 寄ってくるノレッジを潰そうと、ガノトトスは角度をつけて尾を振り回した。しかし、動作自体は見慣れている。距離をとるべく、ノレッジは半身のまま横飛びに砂上を転がる。

 

「……まだまだっ」

 

 空を掻き分ける音が2度響いた所で、抱きかかえていた『ボーンシューター』を腰につけたまま振り回す。銃身を腰で静止させると、再度魚竜へと牽制の弾を撃ちながら接近する。尾を振る魚竜は、横腹を晒している。込められた通常弾でもって、鱗のない部分を縫う様に狙いをつけて。

 放つ。今度は弾かれず、魚竜の肌へと弾丸が食い込んだ。血は流れず、外皮を貫いた様子も無い。だが。

 

「よしっ。ならばやはり、避けるべきは鱗のある部分ですっ!」

 

 ノレッジは喜色を満面に浮かべて拳を握る。魚竜に弾丸が通ったという事実は、正しくノレッジにとっての光明であった。不定形の成し様がない闇ではなく。例えそれが手に負えぬ怪物であったとしても。

 目前に牙を剥くガノトトスは人が触れる事すら叶わないものでは、ない。

 

「届く。届かせて ―― みせるっ」

「シャギャアアッ!」

 

 幾度も繰り返される攻防の中。僅かに残る「道」を少女は綱渡りの如く探り、近付く。

 魚竜の巨体を生かした突進。ノレッジは全力で魚竜の足元へと転がり、巨大な脚に蹴飛ばされながらも直撃を避けた。

 魚竜が地に伏せ、巨体を活かして這いずり回る。ノレッジは岩場の影へと飛び込む事で事なきを得、すぐさま顔を出しては頭を狙った射撃による挑発を試みる。

 魚竜は再び尾を振り回す。巨大な壁が降りかかる様な一撃を、ノレッジはすんでの所で止まってかわす。今度は攻撃を加える隙は無い。間を利用し、走りながら弾を装填する。

 魚竜が口から、水流を放つ。初撃を縦に、次撃を横に薙ぎ払う。ノレッジは横、前の順に転がって水流をやり過ごす。接近した事を利用し、込めてあった弾丸全てを叩き込んでから離脱する。

 魚竜がいきなり、ノレッジの居る方向へと走り出す。突然の動作に回避が間に合わない。踏み出した右脚がノレッジを蹴飛ばした。咄嗟に構えた左腕に、凄まじい衝撃。遅れて、実の詰まった丸太に突き飛ばされた様な鈍痛が左腕から肩、肩から全身を襲う。鉄鉱石とランポスの鱗から作られた腕甲が大きく窪む。宙を舞った後、地面が近付いたのを悟ると、ノレッジは受身を取る。暫くを転がり……腕は動く。幸い、骨や関節の異常はないようだ。慌てて魚竜の方を見れば、走った先から此方へと方向転換している最中であった。

 魚竜は離れた位置から、水流を放つ。今度は初撃から横に薙ぐ動作 ―― まずい。ノレッジは転がったままの体勢から動く手足全てを使い、獣の様に岩場の影へと跳んだ。ガリガリと岩盤が抉られる音が響いている間に袈裟懸けに帯を巻いて、重弩を吊る。ガノトトスの蹴りを受けた左腕は、未だ精緻には動いてくれない。固定だけでもないよりは良い筈だ。そう考え、再び脚を動かして岩場を出た。

 魚竜が此方を視認する前。魚竜の頭上に煌く鱗、その右下に僅か覗く腹へと向けて火炎弾を転がり撃ちながら、足元より5メートル程の中距離を保持。水流の扇射の範囲の、僅かに内側。尾を振り回しても、届くか届かないか。位置取りを固めたノレッジは、ガノトトスの攻撃を巧みに避けながら攻撃を加えてゆく。

 

 無限にも届く狩猟の闘争。

 少女にとって時間の感覚などとうに無く、それは魚竜にとっても同様であった。

 

 何度目だろうか。砂漠を照らす蒼月が岩山に隠れかけた頃、魚竜はその行動を変えた。魚竜の中でも随一……ハンターズギルドに報告された中でも特に大きな身体であろうこの個体は、全身を使い、ノレッジを押し潰すべく遮二無二の突進を繰り出す。

 一呼吸もしない間に、回避不可能の壁が出来上がる。咄嗟に銃身を抱きしめ、少女は左……ガノトトスの尾の側へと跳んだ。しかし回避距離が足りない。しなる尾が突き出された背から数瞬置いて、ノレッジを激しく叩いた。

 

「―― ぐ、うっ!?」

 

 咄嗟に弩を抱きかかえ、身を竦める。次の瞬間尾に弾かれ、小柄なノレッジは水平に近い角度で飛ばされた。意識が空白に塗りつぶされ、砂地に二度跳ねた後でようやく勢いが弱まり、転がった先で岩盤に叩き付けられ。……それでも素早く、無意識の内に身体が起きる。転がっていては的でしかない。修行によって刷り込まれた反応で、腕は腰の鞄へと伸びている。

 

「はっ、はっ……が、はぁっ、んんっ……ぷはっ、げほっ、げほっ。……まだ……届かない。 ―― でもでも!」

 

 呼吸を整え、気付けの回復薬を一気に煽り、むせ込みながらも少女は立ち上がる。目の前に悠然と立ちはだかる、未だ底を知らぬ生物に向かって手を伸ばす。

 左の腕甲は抉られ鎧の節は歪んだまま。編んだ髪の房は解け、汗で額に張り付いていた。関係ない。足も手も動く。意志はまだ、ここに確かに。

 ノレッジは立ち上がった魚竜の振り回した尻尾を掻い潜り、届く範囲から逃れると、崩れた体勢のまま『ボーンシューター』を構えて貫通弾を撃つ。魚竜の鱗を避けて撃った弾丸は何度も狙われた腹や大腿の一点へと突き刺さり、裂けた皮膚から垂れた微量の血液が白肌の台紙に筋を描く。

 

「! キュエエエッ、」

「憤怒……来ますっ!」

 

 何時からか。ガノトトスの憤怒が手に取るように判る。自らの師匠の言葉を借りるなら、ここが攻勢の機。

 脚に出来た些細な傷など歯牙にもかけず、魚竜は目前に立つハンターへ向けて口を開いた。喉奥で圧縮された水流が鋭い槍を成し、まずは魚竜の足元に放たれ、徐々に首が持ち上がり ―― 少女は、牙を剥くべく眼を見開いた。

 

「―― ゃあああーっ!」

 

 放たれる……魚竜の気前を見切って、ノレッジは素早く身を翻す。

 ここまで外殻を撃っていたのは、あくまでついで(・・・)に過ぎない。口内から水の弾丸を撃つ、この瞬間をこそ。

 翻した身が、半周。回した身体その頬に僅かな熱が奔る。水流一閃、少女の頬を僅か掠め、地平線へと消える。

 視界に再び魚竜が映る。ノレッジの反撃。弾丸の1つは、水の弾丸を躱す前に銃口を飛び出している ―― 魚竜の口へと。

 

(まだ足りない、装填ッ)

 

 視線は魚竜を捉えたまま、手元は見ずに。

 腕を弾薬鞄から引き抜き、重弩の先へと取り付け、回旋した身体を止める。ずしりと重い銃身を正面やや手前で引いて、慣性はそのまま体勢作りに利用する。王都の銃騎士顔負けの早業。照準を絞る間が惜しい。感覚に任せ、最後に膝を突いて土台を固めると、ノレッジは再び引き金を引いた。狙いは、

 

(初撃は縦。次は、わたしを蹴散らすべく……横薙ぎっ!!)

 

 水流の射出とほぼ同時 ―― ()つ。

 

「ああああっーっ!!」

 

 砂風に吹かれ茶けた岩肌に、咆哮と銃声とが轟いた。

 数瞬遅れて軌道は交差し、水流を放つべく横を向いて開いたガノトトスの口内へと、弾丸は続けざまに(・・・・・)飛び込む。

 円筒よりやや大きいか。弾二つが、魚竜の口の中で立て続けに爆ぜる。

 

 ―― ボ、ボ、ボフンッ!

 

 爆発によってかち上げられ、水流が上方へと軌道を変える。ノレッジには過ぎ去った水の飛沫だけが、ひんやりと降り注いだ。

 音から数秒遅れて、魚竜の口に並ぶ鋸歯の間から黒色の煙があがる。が。

 

「るる ―― キュ、キュエエッ!!」

 

 だが悶えたのも僅かな間。ガノトトスは口の開閉を数回繰り返すと、湖のある南側を向いた。ノレッジには眼もくれず、頭を上げ翼を広げて走り出す。

 ノレッジはしかし、それを追う様な事はせず。

 

「……っ、ぷはあ」

 

 魚竜が湖の中を遠ざかって行く姿を見届け、大きく息を吐き出した。水流によって引かれた線の脇に、少女は力なく座り込む。その顔は実力を使い果たした、晴れ晴れとしたものであった。

 

「あの弾丸で倒せなければ、現状わたしでは力不足ですね。……それではゆっくりと、事の顛末を確認しに行きましょう」

 

 ノレッジは一度キャンプへ戻り、ベッドに肢体を投げ出す。再び動き出したのは短針が位置を変えてからであった。

 キャンプの横に据え付けられた枯れ井戸の中へと縄伝いに降ると、その先に件の地底湖がある。ガノトトスが根城としている場所だ。着地した場所は、湖面よりも一段高くなっている。地面に着地して辺りに耳を澄ますも、聞こえるのは水の音だけ。

 成否を問う瞬間だ。意を決して、ノレッジは腹ばいに湖を覗き込んだ。

 かつての目的であったゲネポスは、いない。群れの壊滅から既に二日以上が経過している。これは予想できた結果だ。それよりもと、ノレッジは暗闇の奥へと視線を進める。

 月光を反射して青く光る湖面。その中に一際ずんぐりと、黒い何かが盛り上がっている。

 

 ―― 地底湖の水面に、ガノトトスの死体が浮かんでいた。

 

 少女は無言のまま様子を窺い、湖面近くまで足を伸ばす。通常弾を頭に撃ち込んだり、目前に好物の釣りカエルをぶら下げてみたりと一通りの確認をしてから、拳を握って弩を掲げた。

 

「よっし! 討伐完了っ、ですねえ!」

 

 予想していた中でも最高の出来に、ノレッジは飛び跳ねて喜びを表した。

 ノレッジの放った弾丸は ―― 古き調合書の言語を訳して ―― 「爆撃弾」。着弾した位置で何度も爆発を繰り返す様からそう呼ばれていたらしい。

 地上水中問わず肺呼吸である、ガノトトス。その口内に、爆撃弾が二つ。

 爆撃弾から発せられた爆炎が口内から魚竜の『肺を焼いた』のである。

 例え肺呼吸だとは言え、相手がかの火竜であればこの作戦は意味を成さなかったであろう。火炎袋を器官として持つ怪鳥ですら怪しいものだ。だが水竜は乾燥を嫌う故……水中での活動を主とする故。肺表面も十分な水分が必要なのであろうとの予測が出来たのである。同時に、高温に対する対性は低いのであろうとも。

 口内から勢い良く爆ぜた熱風によって肺胞が焼かれ、ガス交換は制限される。水に潜ったガノトトスは、肺呼吸所以の低酸素脳症で息絶えたのだ。

 

「これも、メラルーさん達の協力のおかげですが。……さて」

 

 腰を上げる。ノレッジ自信の滞在期限も、明朝に迫っているのだ。キャンプに戻って、伝書鳥に納品の完了とガノトトスの狩猟完了を伝えなければならない。疲労困憊のままセクメーア砂漠の行路を戻るという荒行も、未だ壁として立ち塞がっている。

 

「……に、しても。今回はお師匠に死ぬほど走らされたのがばっちり活きてました」

 

 何事も体力から、と精根尽きるまで走らされた記憶は未だ新しい。その甲斐もあってかノレッジ自身、今では密林の管轄地を十周しようが照準だけは鈍らせない自信がある。

 勿論実践と練習とは違い、実質的にはガノトトスの狩猟だけで体力も気力も襤褸きれの如く磨り減っている。が、体力を「つけさせられた」事それ自体は間違っていなかった。何度でも起き上がれたことが、強大な魚竜からノレッジの命を守ったのだから。

 

「んー。戻ったら、お師匠や先輩へ手紙を書きたいですね! ……その前にわたし、自分の傷の手当とかしなきゃいけないですけど」

 

 狩猟の達成感に浸る中ノレッジの脳裏に思い浮かんだのは、師匠達と先輩の顔であった。魚竜の狩猟で得た経験を、喜びを。ヒシュやネコ、ダレンにも伝えたいと思ったのだ。ノレッジは唇の端を釣り上げ、笑みを溢す。

 まだ見ぬ先への希望を一心に、少女は砂漠の行路を戻って行った。

 

 

 

 

「ああっ、はぁい! お帰りなさい、ノレッジさんっ!!」

「―― ええと、ども。これが今回の報告書です」

 

 滞在四日、移動に往復三日。約一週ぶりにレクサーラの集会酒場に戻ったノレッジを、姉受付嬢が笑顔で出迎えた。その受付窓口へ、若干視線を逸らしたままのノレッジが書類を示す。視線を逸らしたその理由は単純。主に据えた依頼、「ゲネポスの討伐数」が達成できていない……と、ノレッジは(・・・・・)思っている(・・・・・)のである。

 依頼の主目的、特に討伐依頼が達成されていない場合、ギルドは他の狩人を続けて派遣する。そうしなければ近隣への被害やモンスターの行動監視の延長など、何かしらの被害がギルドにも及ぶからだ。ギルドを通した依頼だからこそ大事にはならないが、責は依頼を達成できなかった狩人にも圧し掛かる。主に金銭などの支払いになるだろう。今回の依頼の場合、ゲネポスの群れはガノトトスによって実質的には解散しているが……この様な場合どうなるのか、はノレッジには判らなかった。少なくとも倒した十余頭のゲネポス以外は近隣に逃げてしまった(であろう)というのも、少女は厳然たる事実として受け止めていた。

 姉受付嬢は芳しくない狩人の表情に僅かに疑問を浮べたものの、それも直ぐに応対用の笑顔へと変え、帰還した狩人への事務的な説明を始めた。

 

「はいはぁい! あとは後追いで入った現地の調査隊の資料が届けば、ノレッジさんに報酬が支払われます。その間は別の狩りに出ていても、宿屋で待機していても構いませんー。ノレッジさんはどの様に?」

「あー、ええと、疲れましたんで二日くらいはレクサーラでお休みの予定です。仔細はギルドの調査隊の人の報告書を見てくだされば、有り難いですねー」

 

 ノレッジの提出した報告書には行路と日程、納品物の配送予定といった物の他、地底湖に居合わせたガノトトスを狩猟したという最低限のものしか纏められていない。一般のハンターとしてはこれでも十分な内容なのだが、根が王立古生物書士隊にあるノレッジからすれば、この様な報告書は「疲労によって力尽きてしまった」の一言に尽きるのであった。

 どうにも心苦しい気持ちのまま。しかし疲労に負けたノレッジは、事を後々に任せて宿屋のベッドを目指す事にした。

 

「それでは、また明日詳しい報告をしに顔を出しますんで~……」

「あっ、はぁい! お気をつけてー!」

 

 受付嬢に軽く手を振ったノレッジは今にも倒れそうな前傾姿勢のまま出口を潜り、宿屋へと去って行った。

 姉受付嬢……リーは、後でお見舞いに行こうかとの予定を頭の中に付け加えた後、手元に提出された紙へと眼を通し始める……が。その報告書の一文で、動かしていた視線が止まる。

 

「って、ガノトトスの狩猟っ!?」

 

 思わず上ずった声が出た。何せ「淡水棲生物の王者、ガノトトス」である。ノレッジの様な駆け出し(と、リーは装備品や武具から判断している)のハンターがおいそれと討伐できるモンスターではなかった筈だ。

 

「んん~? どぉしたのぉ、姉様ぁ~」

「あ、うん……これですー」

 

 姉の驚く声を聞きつけた妹、ルーが受付の裏へと顔を出す。姉の持った紙を横から覗き込み、

 

「ああ、魚竜ね~。本当みたいだよぉ? だってぇ、ほらぁ」

 

 ルーは左手には抱えていた書類の束から一枚目と二枚目を捲り、姉の前に広げた。つい先ほど鳥便で届いた今回のノレッジの狩猟に関する報告書だ。その中にはノレッジが成した狩猟の題目がびっしりと書かれている。仔細は他の紙束にあるのだが、業績を簡易に確認するのならばこれで十分。妹も年の近いノレッジの動向が気になっていたに違いない。姉妹がそのまま机に張り付いた所で、上から順に読み上げてゆく。

 

「魚竜の肝ぉ、サボテンぅ、鉄鉱石ぃ……大地の結晶。納品依頼は全部だねぇ~」

「えと、次に狩猟……ガノトトス、金冠大が一頭。あとはドスゲネポス(・・・・・・)と、ゲネポスの狩猟……四十頭(・・・)っ!?」

「うぅわぁ~。すごぉいねえ、ノレッジぃ。ギルドの依頼はぁ、要するにぃ、ゲネポスの群れの半壊だったんでしょぉ~?」

「そうだね。……ガノトトスの単独狩猟だけでもとんでもないのに、漏れなく、同じ狩場に居合わせた大き目のゲネポスの群れの殆どをだなんて。報告によればガノトトスとゲネポス達で諍いを起こしてたみたいですけど……それにしても、ですよねー」

「ドスゲネポスもぉ、ガノトトスが倒したんだってぇ」

「でもそこに挑むかなぁ……普通」

「うぅうん~、むぅりぃ」

「だよねー。……どうやらわたし達では想像も出来ない何かを持っているみたいだね、ノレッジはー」

 

 姉妹がそろって感嘆の吐息を漏らす。

 言ってしまえば、ノレッジは思い違いをしていた。

 後追いで入る調査隊によって伝えられるものは、事実と結果のみ。その過程は全く持って関係なく、よって ―― ガノトトスに倒されたドスゲネポスとゲネポスは、ノレッジの討伐数に加えられたのである。

 この結果に、受付嬢の姉妹はノレッジの人柄と好奇心についての認識を改める。

 

「これならぁ、ギルドの色んなお仕事を回せるね~」

「うん、そうですね。砂竜の肝の依頼を引き受けてくださっているお陰で、レクサーラの組合の人からの評価も良いですし。ノレッジが望むなら、ハンターランクを上げちゃって良いんじゃないかなー? 偶発戦でガノトトスを倒してるってだけで推薦の材料は出揃ってると思うんだけど」

「さんせぇい。わたしぃ、推薦状書いておくねぇ~」

「お願いします、妹様ー。わたしはギルドマネージャーに連絡をつけようかなー」

「あ、おお(あね)さまはついさっき奥に帰ってきてたからぁ、まだ居るかも~」

「それは急がないといけませんね。捉まえられる内に捉まえないと、あの姉様はいつの間にか居なくなってしまいますし。それじゃあ ――」

 

 姉妹が慌しく動き始める。常ならば現在、温暖気を目前にして緩やかに落ち着いてくる頃なのだが……今季は様子が違っていた。レクサーラは1人の少女を中心に、覚めやらぬ活気を灯して行く。

 

 そして、その二日後。

 寄せられた報告書と運ばれた金冠大のガノトトスに、レクサーラのギルドが騒然となった頃。

 

「―― んん~……ガノトトス、一本釣りですよ~……むにゃ」

 

 街の隅に建てられた安宿の一画。

 ベッドの上に大の字に寝転がり幸せそうな寝顔で寝こける少女は使いによって叩き起こされ、自らのギルド内における評価が急上昇していた事を知る。そしてすぐさま、休む間もなく……噂を聞きつけた他の狩人や増えた依頼に流される様にセクメーア砂漠へと出立した。疲れによって僅かに歪んではいたものの、その顔に好奇心故の溌溂とした笑顔を浮べて。

 

 セクメーア砂漠に、今日も変わらぬ強い陽射が降り注ぐ。その中を、少女を含むハンター達がモンスターを求めて跋扈する。

 少女がレクサーラに到着してから一週と僅か。件の手紙を鳥便に投函した次の日の出来事であった。

 




 砂漠編は続きますが、ノレッジ編はこれにて一端の区切りとなります。ちょっと別視点が入った後、ノレッジの奮闘と物語の核心の辺りに再度着地する予定です。
 ―― 爆撃弾て
 原作(正確には違う気もしますが)での扱いとしては、フロンティアにおけるへビィボウガンオンリーの特殊弾ですね。その場に止まって火柱を上げまくる高威力の弾丸です。本家本元にはレベルだのがある筈なのですが、説明できないので二次創作では割愛させて頂きまして。単に強ーい弾丸であるという解釈で全く持って間違っておりません。調合方法が秘伝。
 本来ならば銃の構造や火薬について発展させるのが、現実味のある強化方法なのだと感じる部分も無きにしも非ずなのですが……如何せん、MHの世界観を考えるに弾丸強化が最も手っ取り早いのではないかと。
 ―― ガノトトス、なんでそんなに知られてないの、好物とか
 ハンター大全より、コラム「ガノトトス・記録の変遷」あたりを念頭において物語を書いております。コラム内容に、カエルによる釣り上げは「あるハンター」が行うまで普及していなかったことが読み取れる一文が存在します。(この点、ハンターの歴史を考えると矛盾している気が大変に致しますけれども、ですね)
 ……はい。本作「閃耀の頂」の1章は、実は時系列的にも初期の辺りを題材としております次第。因みに。肺呼吸の魚は淡水に多く居ますが、私はピラルクーが好きですね。のんびりしてて。
 ―― ノレッジの実力、なんで装備品で判断されてるの
 ギルドカードとかの記録を見れば判るんじゃあ……というのはご尤も。ですがノレッジはハンターとしての活動が少なく、狩猟記録は密林での修行のもの以外は殆どありません。また、協力関係にあるという設定のミナガルデのギルドならば兎も角、(ヒシュの様に)他の大陸で名を上げたハンターやギルドに属していない野良ハンター時代に狩猟を経験した場合、記録には残りませんので。というか、こういった時代に個人の情報を全て管理記録するのは到底不可能でしょう。対して、武具や装備品は狩猟したモンスターの色が出てきます。ランポスシリーズとボーンシューターという駆け出しルックをしているノレッジは、駆け出しルックな見た目故に新人と判断されているという訳ですね。見た目的にはまさかの全身レザー腕アロイの仮面の狩人もそんな感じに見えてます、が、仮面と挙動による不気味さに加えて主と慕うネコが居ますので、初見の人にはちょっと判断つかないと行った所。ハンターシリーズのダレンは初~中の下辺りに見えております(これは正しいです)。
 尚、個体名を呼ばれませんでしたが、設定上はノレッジに力を貸した砂漠メラルー2匹にも名前があります。丁寧な方がフシフ(雌猫、荒っぽい方がカルカ(雄猫です。はてさて、これからの出番は……?
 では、では。


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第十九話 二つ月に啼く

 仮面の下で細められた眼が、夜の帳が下りた密林の闇と雨飛沫の幕……そして曇天の空へと向けられる。

 少女が砂漠にて魚竜との闘争を終えた頃。砂漠の地から遥か東 ―― ジャンボ村から更に東方 ―― テロス密林の管轄地に、狩人達は立っていた。

 岩場の傍らで木々が乱立する管轄地の第一区画の最中。仮面の狩人・ヒシュの隣へ、アイルーのネコが連れ添った。主従にとっては「何時もの」、別の大陸に居た頃から幾度となく重ねられた、狩猟開始の陣形である。

 

「御主人。『配置』は済みました。 ―― 私は、何時でも」

「ん。オリザは……来た(・・)

 

 上空を見上げると、それまで上空を旋回していた大鷲が小さく空を滑り、設営した野営地の方向へと飛び戻って行くのが見えた。ネコが頷くと、主は腰から角笛を引き抜く。

 常ならばその身にあらゆる道具を着けている仮面の狩人。しかしヒシュが今身に着けているものは背にある『大鉈』と『ハンターナイフ』、腰に差したままの『ポイズンタバルジン』のみであった。他の物はネコの手によって「配置」……第一区画のそこかしこ、木の陰や草生えの中などにばら撒かれている。

 それじゃあと、ヒシュは引き抜いた角笛を口に咥え、鳴らす。重低音が密林の管轄地を反響しゆく。暫くそのまま繰り返し角笛を吹き、雨脚が一段と強くなった頃になって角笛を放り捨てた。身構え、目前に聳える岩場、そしてオリザが意識を向けていた更に先。夜陰を裂いて飛び来る「何か」へと意識を向ける。

 

「これはまた……随分と、強敵のお出ましですね」

「そう。強いね、きっと」

 

 それは、一羽にして一頭の生物だ。空の向こうから両の翼を持って岩場を飛び越え、狩人らの目前へと降り立つ。岩の切れ目からゆっくりと降下し、地に脚を着け、喉を鳴らす。

 

「グバババ……」

 

 黒狼鳥 ―― イャンガルルガ。

 イャンガルルガを学問的に区分けするなれば、鳥竜種に属する。それ故か。外見は一見イャンクックとの類似点ばかりが目立つ、が、その実態は全くの別物である。

 臆病な気性の怪鳥とは正反対に、黒狼鳥は縄張りに入る者を容赦なく攻撃する気性の荒さを持つ。角笛を吹き侵入者の存在を誇示すれば、自らここへやってくるだろう……そう考えて行った「誘き出し」は、見事に成功。しかしそれは、よりにもよって黒狼鳥の気性の荒さをも肯定する結果でもあった。

 ヒシュとネコは樹の陰に留まり、降りて翼を揺らし首を擡げる黒狼鳥を俯瞰から観察する。凶暴性を示すかの如く、毒々しいまでの紫に染まった鱗と甲殻。繰り返された戦いにより傷ついた耳と厳つい嘴。身体の節々やしなやかで太い尾に棘が生えるその様は、暗紫色の色合いも相まってか、どこか件の未知の怪鳥を連想させる。

 ゆっくりと身体を回し、第一区画に残った敵意に反応した黒狼鳥が嘴を開く。絡みつく様な視線に圧されるように。……居場所を悟られた狩人らは、先手を取られる前にと木陰から飛び出し、その目前。

 

「グバババッ……! ギュア゛アア゛ッ!」

 

 啼いていた。

 細かな震えに狩人達が足をとめる僅かな間。その間に黒狼鳥は飛び上がり、脚に地を着けるなり、狩人目掛けた突進を繰り出した。狩人は左右に分たれて巨体の激突を避け、避けた先から阿吽の呼吸で頷き合う。

 

「イャンガルルガ、ライトスの言ってた鳥竜の頂に、一番近い相手。 ―― 是非も無い。行く」

「はい。例えそこが息すらできぬ空の果てであろうとも……どこまでも御供させて頂きましょう、我が主」

 

 気配を紫苑の鳥竜へ向けて、ヒシュは両の剣を抜き放つ。ネコは背に投擲の道具を幾つかぶら下げつつ、愛剣『ユクモノネコ小太刀』を外套の内で平正眼に構えた。

 狩猟の開始はどちらともなく告げられる。……突進の余韻から飛び上がる黒狼鳥へ、狩人らは左右交互に飛び掛った。

 

 狩猟は密林の地にて。

 事の始まりは、ヒシュとネコがジャンボ村へと帰逗した後へと遡る。

 

 

 

□■□■□■□

 

 

 

「おっ? 帰ってきたな、ヒシュさん!」

「本当だ! ヒシュさ~ん! 手が空いたら、また畑仕事を手伝ってくれよ~!!」

「うるさいよアンタ達! ヒシュさんは狩人なんだ。あんた等の仕事にくらい他力本願にしないで、さっさと働きな!! ……ヒシュさーん! 村長の所に行くんだろう? この馬鹿旦那どもの言う事なんて気にしないで行っとくれよ!」

 

 船上に居る此方に向けて、川沿いの畑にいた男衆とそれらを怒鳴りつけた気の強い女婦が手を振った。そんな、ジャンボ村の長閑な光景に向けてネコは腰を折り、ヒシュは手を振り返す。

 

「……相変わらず暖かい村ですね、ここは」

「ん。気候もね」

 

 砂竜の狩猟を終えダレンへ密書を托したヒシュらは、数日かけた航海を経て無事ジャンボ村へと辿り着いていた。

 作りかけの大型船の後ろに自分達の船を寄せ、着岸。その後に続いたギルドの輸送船から舷梯が降り、足場が確保されると、腕まくりをしたジャンボ村の村民が待ってましたとばかりに雪崩れ込んで狩猟の成果……素材の積荷を降ろして行く。

 そのまま暫く、一際大きな竜骨を運び出すのには相応の時間を割いたものの、恙無く積荷を運び終えた。するとそこへ、一人の人物が近付いていく。

 

「―― やあ。ご苦労だったねヒシュ、ネコ」

「ん。村長。でも、苦労した分の成果はあった、から」

「これは、村長殿。我が主も私も、ダレン殿もノレッジ女史も、無事に狩猟と航海を終えて帰逗しました所です。……これにて船の素材は集まりましたでしょうか?」

 

 恭しく礼をするネコとその横で首を傾ぐヒシュ。セクメーア砂漠への遠征を終えて尚いつもの通りの二者に、村長は思わず頬を緩めた。次に、依頼達成の成果である資材や素材の数々を再び見上げ、

 

「うん。改めて、ありがとう! 船の素材は十分すぎるほどさ! 親方も大工衆も皆々喜んでいるよ!」

 

 村長がわざと大声を張り上げると、遠くまで聞こえたのだろう。船上に居る親方が、力こぶを作ってがははと笑って見せていた。

 ヒシュは顎を上げ、話題に上った作業半ばの船底を眺める。長距離航海も可能な村つきの大型船舶だ。船を重用出来る位置に、この村は建てられている。完成さえすれば発展が一挙に進むであろう事は、容易に想像が出来た。ヒシュ自身も知らず仮面の内で笑みを溢す。

 

「そう! それだよ!」

 

 そんなヒシュを見ていた村長が、突如声を上げた。大口を空けた際に口を離れた煙管の火を消すと懐にしまい、

 

「オイラの知っているヒシュは、シキ国で出会ったあの頃の ―― 何事に関しても無頓着なイメージが強いんだ。だからかな? 最近はそうやって笑っているヒシュを見ていると、やっぱり、嬉しいもんだね!」

 

 満面の笑みを浮かべてそう言った。ヒシュが微妙に疑問符を浮べているとその傍へ、書類を纏めてぱたぱたと駆けて来たパティが並ぶ。何時になく嬉しそうな村長の表情を見、こちらも疑問符を浮べる。

 

「帰ってきてたのね、ヒシュもネコも。でも……へえ~。こんな(・・・)ので感情表現が豊かになったって言われても……判り辛くないですか?」

 

 こんなの、とはヒシュの仮面を指しての言である。そんなパティに笑いかけ、少しだけ同意した村長は口を開く。

 

「それがね。ヒシュは『奇面族』の中じゃあ、意味もなく攻撃的じゃあないだけでもかなりマシな方なのさ。特に王様なんて、攻撃されてちゃあ相手の機嫌を伺うのも容易じゃなくてね」

「『奇面族』……って、ギルドでも危険度を上げる必要だって話し合われている、亜人種族の?」

「ああ。ヒシュは元々、旧大陸はアヤ国に土地を持つ、奇面族の生まれだったのさ」

 

 パティを宥める様に説明を付け加えながら、村長は「だろう?」と視線を寄こす。主従は顔を見合わせ、頷いた。

 

「ウン。ジブンじゃジブンのこと、よく、判らないけど……部族の事は同意できるし、村長の言っている事はホント、です。でも。ジブンの部族は他のより特別だったし、その中でもジブンは特別だったから、普通の奇面族かは微妙。……これ、外の世界を見たからこその意見だけど」

「ふーむ……言われてみれば、確かに。ここジャンボ村へ越してからの日々は激務が続いておりますが……我が友も、以前と比べればよくよく笑顔を見せるようにはなりましたね」

 

 ネコも様相を僅かに崩し、上目遣いに笑いかけた。ヒシュは仮面ごと傾ぎ、

 

「そう? でもネコが言うなら、きっとそう」

「まぁ、ネコは貴方よりも周りとか見ていそうだものね?」

「いえ、パティ殿。その評価は嬉しいですが過分に過ぎます。我が主に私が勝る部分など、この髭程度しかありませぬ故」

「おやおや、髭は勝ってて良いのかい?」

「ネコの髭、立派。ジブン、髭は生えてないし。そもそもの土俵が違う ―― ちょっと、失礼」

 

 言いながらもヒシュはするりとパティの横を抜け、掲示板の一番上に張ってあった依頼書を手に取った。依頼主は四分儀商会。ジャンボ村に逗留する一団の長、ライトスの残した最後の依頼に関する書類であった。

 

「って、もう行くの? ……今帰って来たばっかりなのに」

 

 呆れの色を隠さないパティに、ヒシュは力強く頷く。

 

「ん。これ、ライトスの残した試金石、最後の依頼」

 

 四分儀商会にジャンボ村への継続的な物品供給を認めさせる。その足掛かりとして、ジャンボ村に腕の良いハンターが居るのだと言うことを示す……そういう題目でライトスが提示した依頼の最後の一つがこれであった。

 依頼(クエスト)、「月に啼く黒狼鳥」。

 ヒシュはパティから筆を受け取ると、依頼書に何時もの記号(なまえ)や登録番号を書き込みつつ。

 

「……ジブン、狩人だから。ライトスの持ってきたこの依頼も、こなせば一つの村が救えるんだし。それに……」

 

 一旦言葉を止める。次の瞬間パティや村長の眼に、何時になく無邪気な雰囲気を纏った仮面の主が映った。

 

「それに、イャンガルルガ、楽しみ」

「私はそんな主に御伴させて頂く所存です」

「……はぁ。ハンターってこんなのばっかりなのね」

「いやぁ……あははは。それは、どうなんだろう? オイラとしてはヒシュみたいなのは少数派だと思うけれど、ハンターには底抜けに明るい人が多いって言うんなら、同意はできるのかも知れないね」

 

 

 

■□■□■□■

 

 

 

 それらやり取りの末、ヒシュはライトスからの「試練」最後の依頼を受諾した。かの依頼における狩猟の対象こそ、鳥竜種と区分する生物の内、ギルドが最も危険である……危険度が高いと判断している生物。黒狼鳥 ―― イャンガルルガであった。

 ライトスの依頼を試金石だと判っていながら、ヒシュはそれらを歓待した。ジャンボ村へ還元出来るというのも、ライトス達「四分儀商会」の株を上げるというのもその一環ではある。が、何より鳥竜種の頂というものに興味があったのである。それは狩人としても、ハンターとしても、そして王立古生物書士隊の一員としても。

 

 雨と雲と木々によって遮られた闇の中、狩人と鳥竜との戦いは続いていた。

 重なる葉を書き分け、黒狼鳥が尾を振るう。凶風によって下生えの植物達が一斉に靡き、葉の上に乗っていた雫は宙に飛ぶ。

 暗中を舞う飛沫に身体を割り込ませた仮面の狩人が、唸る。

 

「……ぐる」

 

 雨粒と飛沫とに覆われた視界を睨み、両腕に楯を着け(・・)、両掌に剣を握った(・・・)狩人が疾駆する。黒狼鳥の棘付きの尾を這って避け、ならばと地面の際を薙いだ尾は一跳びに接近して避け、飛び上がっては無防備な翼を斬り付ける。

 しかし神速で放たれた『ポイズンタバルジン』の刃は、翼の骨格に阻まれ爪の先程も沈まない。攻撃の有効性が低い事を察した仮面の狩人は反撃を予期し、すぐさま黒狼鳥の足元を離れた。先まで立っていた地面が、黒狼鳥の嘴によって大きく抉られる。

 息を吐く。両手足を使って地面を掻き抱く仮面の狩人の隣へ、あちこちに葉を貼り付け湿気のせいでか常よりもほっそりとした毛並みのネコが駆けつけた。

 

「御無事で」

「―― ん。イャンガルルガ、すごく硬い」

「どうやら……いえ、やはりと言うべきですか。この黒狼鳥は見た目と種族こそ近似していますが、かの怪鳥とは一括りに出来ない生物である様です。私もあちらこちらに刺突を試みましたが、と」

「グバババゥ!」

 

 ネコが言葉を切ったのは必然であった。両狩人へ向けて、黒狼鳥が嘴を開いていたのだ。炎弾による遠距離攻撃の前駆動作である。

 ……歩幅が違う。避けきれない。判断したネコは、素早くヒシュの背に飛びのった。それを見計らい、ヒシュが姿勢を低く構える。全身を脱力すると脚だけに力を込めて一息に加速。ぐねぐねとうねる蛇の様な軌道で駆け出した。

 駆け出した影を追い、イャンガルルガの喉奥から炎の玉が吐き出されては密林の地面を焼いてゆく。爆ぜる音が密林に轟き、木々に止まり雨を凌いでいた野鳥達が一斉に飛び立っては点となって夜空へ消える。

 それら全てをどこか遠い感覚によって俯瞰するヒシュと、その背に掴まったネコが、木々に紛れて炎弾を凌ぎつつ会話を再開する。

 

「……さて、堅さの話でしたね。黒狼鳥の甲殻は傷つき辛さにしろ柔軟性にしろ、一様にやっかいなものでしょう。加えて遠距離でもこの炎の吐き様です。かの火竜に負けず劣らずの勢いの炎弾をこうも容易く吐き出されては、怪鳥と比べるのも些か以上に失礼でしょう」

「ううん。礼を気にする相手じゃあ、ない、と、思う、けど」

 

 密林近くのジャンボ村に移住してから、数度狩猟した経験のある通常種の怪鳥(イャンクック)。それらを引き合いに出しながら移動を再開、次々と吐き出されては爆ぜる炎の塊を避け続ける。

 暫くして炎が途切れた。一頻り吐き出し終えた黒狼鳥が口内に燻る火の粉を払うその間を逃さず、主従は最後の会話(・・・・・)のために足を止める。

 

「ふぅ。……やっぱり、この相手。全力でいかないと駄目、みたい。……ネコ」

「心得ました」

 

 言葉を交わし、二者共に獲物へと向き直る。

 主の意図を即座に汲んだネコは背を飛び降りると鈴に玉を入れ、踏み出した。最後に目線を合わせ、

 

「我が主 ―― ご武運を。私は遊撃を開始します」

「お願い」

 

 振り向かず、駆けた。

 鈴を鳴らしながらネコが黒狼鳥の真ん前へ、ヒシュが後ろへと入れ替わる。木々の開けた部分へ躍り出たネコは黒狼鳥の気を逸らすべく、飛び鉈や結い錘などの投擲を多用し、言葉通りの遊撃を開始した。

 遊撃の後方。ヒシュは脱力し、瞑目。

 

(ジブンの部族は、部族だけでも強かった。今だってジブンは、ロンのお願いを受けて動いてる。だから誰かの為になんて、あまり考えていなかった。でも ――)

 

 暖かくも強く、活気と希望に満ちたジャンボ村の人々の顔を思い返す。続いて思い出されるのは、志を同じくする……ジャンボ村の狩人にして王立古生物書士隊の同僚達の顔だ。ダレンが仏頂面で悩みながら指示を出し、ノレッジが死に物狂いの疲労困憊で動き回り、ネコがいつもの様に丁寧な援護を行い、ヒシュはそれらの最前で刃を振るう。

 ―― ここテロス密林を訪れてから、大陸を跨いでから。果たして「ジブン」は変わる事が出来たのだろうか?

 ―― あれだけの旅を経ても知る事の叶わなかった自らの想いを、知る事が出来たのだろうか?

 その答えは未だ出ていない。だが、感じたものも確かに存在する。ジャンボ村での生活は決して、無意味ではないとヒシュは思う。

 

(……ジブンは、自分(じぶん)。でも、誰かの為に頑張れるなら。きっとそれって、やっぱり、嬉しい事なんだ)

 

 そう思えば、どこか奥底から力が沸いて出る気がした。熱く昂ぶる奔流の様なその力を抑えるでもなく制御するでもなく、促し、身体に行き渡らせ ―― ヒシュはまた、狩猟へと走り出す。

 風雨に晒され段々と傾いてゆく仮面を無視し、間近に迫る紫苑の鱗へ向けて『ポイズンタバルジン』を叩き付けては離脱する。黒狼鳥に軌道を読まれないよう念入りに緩急をつけた蛇歩を繰り返し、十分な距離をとった所で息を吐く。

 ネコがまだ惹き付けてくれている。火を入れるのならば、この隙を置いて他にない。限界まで吐き出した所で息を止め、ヒシュはひたすらに脱力した。

 観察は行った。十分な筈だ。

 狩猟の流れと黒狼鳥の意識に身を委ね、握り締めていた意識を手放す。

 完全にではない。しかし余人の入り込む隙を更にした心へと創り ――

 

 ―― 眼を開く。景色を、映した。

 

(……ん、う)

 

 ―― それは、もの寂しい孤狼であった。

 雲海の果てより木々を見下ろし、深い木々の合間から月を眺め、自らの縄張りを広げる為にと闘争の日々を送る『彼』。

 争いによって左の耳膜は常に傷を負っており、目の光を失いかけ、この尾は二度も生え変わったか。

 剥がれ落ちた経験のない鱗など身体のどこにもなく、甲殻は命を守る為にと否応なし、より厚く硬く成長した。

 炎熱を放つ植物を飲み干し吐き出す(きば)を濃く、あえて毒虫を食む事で尾に秘めた(つめ)を強く。

 安寧の地で惰眠を貪る事など考えもしない。彼にとっての『生』とは、戦いそのものであったのだ。

 だがそれら全ては、この世界に生きるための手段でしかなく ――

 

 狩人の脳裏に鮮明に描き出されてゆく「景色」。始めのもの寂しいという感覚だけが、僅かながら残ったヒシュ自身による想いであった。

 改めて狩猟へと意識を沈めて行く。視界には薄靄がかかるが、しかし、生命に溢れた世界がよりくっきりとした輪郭を伴って知覚される。何より、どう動くかが判る。こうしてみれば、攻勢の機はそこかしこに転がっている。例えばこれもそうだ。

 

「ギュバァッ!」

「―― う」

 

 ヒシュはイャンガルルガの宙返りによって振るわれた尾を急停止で避け、同時に地面に「配置」されていた得物を拾いあげる。目標は地から僅かに浮いた位置で翼を動かしていて ―― 件の得物を持ち上げた勢いそのままに、振るった。

 みしり。逆上がりに雨粒を割り、ヒシュの身体より太く大きい槌……の体裁をとっているただの大骨、その名も『骨』がイャンガルルガの頭蓋の側面を殴打する。『骨』は鍛冶のおばぁが削り出した鎚であるが、幾ら作り手の技術が高くとも簡易の品に過ぎない。叩いた側である筈の『骨』は黒狼鳥の甲殻との押し合いに負け、大きく軋みをあげる。しかし着地直前であった黒狼鳥も、空中に在る身故に体勢を容易に崩し、成す術なく地面へと転がった。

 この大骨を持っていては機動性が失われる。そう判断すると振るった『骨』を使い捨てにその場に放り、ヒシュは獲物へ向けて猛然と寄る。今度は中途の地面に「配置」されていた『山刀』の束、その括り紐を掴んで引き摺り、イャンガルルガへと放る。抜き身のままだった『山刀』の衝突によって括り紐が断ち切られ、周囲に数十本の刃が転がった。

 

「う」

 

 唸る。

 そのまま、獣の這い蹲る姿勢のまま。散らばった『山刀』の内二振りを無造作に掴み、鋼を超えた硬度を誇る黒狼鳥の甲殻へ向かって叩きつけた(・・・・・)

 この『山刀』とて、決して刃挽きをしている訳ではない。一般的なモンスターが相手であれば十分に武器としての用を成す。が、ジャンボ村の村付きにして大陸随一の知識と腕を持つ鍛冶師であるおばぁが……今度こそ……存分に腕を振るった『ポイズンタバルジン』と『ハンターナイフ』による斬撃でもってすら、イャンガルルガの甲殻の硬度には届かなかった。だからこその『山刀』。量産品の数で暗紫の外皮を穿とうと言う目論見であった。

 ただしヒシュにとって、こうして多数の武器を用意して使い捨てるのは、予てより格上の硬度を持つ相手によくよく利用していた戦法でもある。遥か昔「陸の女王(リオレイア)」を狩猟した際もそうだった。

 勿論狩猟の最中に在る今、昔を懐かしむ気など毛頭ない。周囲の状況を際限なく取り込み拡張してゆく思考にあって、その様な余裕は無いに等しい。

 生を映し、刃を映し。

 両手を三度ずつ計六回打撃を試みた所で黒狼鳥が翼を動かし、『山刀』による打撃が防がれた。ヒシュは咄嗟に握力を殺して刀身の曲がった『山刀』をわざと弾かせる(・・・・)と、辺りに転がっている別の『山刀』を拾いつつ間合いを測る。

 黒狼鳥がばさりと翼を動かし、僅かに浮かぶ。空中にて瞬時の一動作によって体勢を直すと、立ち上がり、怒を顕にして啼き叫んだ。

 発露。燃え盛る怒りが、瞳に映っては狩人の胸を打つ。

 

「ギュグルルゥゥア゛アーッ!!!」

「……う」

 

 孤独を是とする鳥竜は、空の、雲の向こうの月に向かって啼いている。

 この様な感情を区別しようと考えたのは人だけに違いない。ヒシュは人だからこそ、判る。好戦的だというのだから、怒るのは当然だ。ならば残る寂しさは、どこから来ていたのか ―― 深く、沈む。

 

(……ぐるる、る(・・・・・)

 

 その心に宿るのは未知への恐怖。感じるのは怒涛の如く押し寄せる圧倒的な強者の気配。視えたのは、ヒシュの記憶に在る姿よりも一層黒く大きく変貌した未だ知らぬ鳥の姿。

 

 ―― 「未知(アンノウン)」。かの黒く燃え盛る鳥竜が山の頂を覆い、イャンガルルガの安息を奪ったのだ。

 

 弱いモノが、より強いモノに追い出される。判り易い自然の摂理でもある。だがしかし、相手が相手。あの未知は果たして、「生ける物」として成立して良いのだろうか? ……判らない。だからこそ寂しいのだ。何より理不尽にも思える強者に負けてしまった、黒狼鳥自身が。

 その寂しさを。孤独を心に投射した狩人は、映し鏡の如く、月に向かって啼いた。

 

「グルうう゛ゥオオ゛ーッ!」

 

 咆哮と、小さな斬撃によって黒狼鳥の注意を向けさせ、誘導し、

 

「ギュバババッ!?」

 

 ―― ズシィンッ!

 

 怒りに狂い突進した黒狼鳥を、今度は木の間に張った鉄線を使って転倒させる。鉄線は千切れ、代わりに樹が二つ傾いだが、転倒によって十分過ぎる程の隙が出来あがる。

 ヒシュは暴れる黒狼鳥の脚と翼を避けながら、手当たり次第の『山刀』を注ぎ込んでは左脚と左翼を叩き斬り、曲がった傍から別の『山刀』でもって叩き付ける。叩きに叩いた『山刀』はついに皮膜を貫き、そのまま地面に縫い付けようと。

 しかし、『山刀』を突きたてた次の瞬間。

 ずっ……びりぃ。

 張り詰めた薄い布が破れる様な音。黒狼鳥が、縫い付けられた自らの翼膜を力任せに引き千切る事で自由を得たのである。

 感じた敵意に弾かれ、ヒシュは後ろへと跳び退る。今の黒狼鳥の気性ならば二度目の逃走(・・・・・・)という選択肢は採るまい。その命尽きるまで、敵対者であるジブンに牙を剥くであろう。

 だが翼を殺したという事実は、逃走を防ぐ以上の成果でもある。何せヒシュは、飛べないのだ。

 

「……う゛」

「ギュ、バババッ……」

 

 ヒシュは擦り付けられた泥をそのままに唸り、立ち上がる。二本の脚と地に引き摺るほど低く構えた二本の『山刀』が、見る者に四つ脚を地に着けた獣を想起させる。

 黒狼鳥は怒りと気性とを喉奥に押し込め、炎を成して衝突に備えた。左翼と左足の付け根からは滂沱の如く血が流れ、殴打された左の眼窩が僅かながらに陥没し……眼杯の内を満たしていた水晶体は、とうに潰れていた。

 天変かと降り注ぐ大粒の雨の中に二頭、怜悧さと暖かさとを混有した不気味な獣と、どす黒い索漠に埋もれた手負いの獣とが対峙する。

 

 薄暗い雲が嘶き、奔る雷が天と地を渡す。

 同時に、互いが互いへと牙を剥いた。

 

 ヒシュは混ぜ合い肥大化した意識の中、迫る黒狼鳥を漫然とみやる。開いた嘴の中に炎が灯ったのを視認し、身を翻す。

 ―― 黒狼鳥が吐き出した炎は、地面を這う様に動き回る狩人を捉える事が出来なかった。だが、まだ、これでいい。

 ヒシュは獲物の左側ばかりを攻めていた。そこを点く。死角になっている左脚を足元から斬り上げ、転倒させた上で止めを刺す。そのつもりであった。

 ―― これでいい。こちら()ばかりを狙われていたのは、知っている。黒狼鳥は狩人の姿が消えたのを見計らい体を傾け、残る右翼を自らの吐いた炎によって巻き上がる風に乗せた。ぶわりと浮き上がる身体の下で、狩人の振るった剣が空を切る。さあ反撃だ。嘴を振り上げ、足元に居る生物を叩き潰そうと。

 つもりであった ―― その上手を行かれた。たかが左翼だけだというのに、飛ぶ手段を塞いだと思い込んでいた点こそが、唯一にして最大の失策であった。しかしヒシュはやられたとは思わない。苦境にあって、狩人は孤独ではない事を知っている。

 両者の空間へ一筋、視線が割り込む。ネコは木の幹とゴム索を使い急造に拵えた投石器で、黒狼鳥が飛び立つ瞬間を狙っていた。ひゅんという風音。『爆雷筒』が放たれ、空に留まった黒狼鳥へと張り付いてゆく。「我が友をやらせはしない」とばかりに人造の雷が轟いて、黒狼鳥を何もさせないままに地に落とした。

 ―― 黒狼鳥は衝撃に痺れた思考と血に塗れた視界の中で思い返す。思えば、自分は、以前もこうした相手と戦った事が在った筈だ。生を彩る戦いの中燦然と輝くその一戦は、この「相手」と同じく……小さく、硬く、素早く、賢く、勇猛で、鋭い牙を持ち、粘り強い生き物が相手であった。

 そうだ。あの時と同じ。目の前に居る存在は、自らの生を脅かす好敵手だ。

 ―― 背筋が喜びにうち震える。黒狼鳥は恍惚と押し寄せる多幸感に身を任せ、脳髄から魂を燃やす為の薪を次々とくべる。動かなかった身体も、まだ動く。地面に着くと同時に身体を弾ませ、好敵手を突いた。

 仮面の下、ヒシュの顔に笑顔が浮かぶ。ありえない速度と反応で突き出された嘴を辛うじて左腕の楯で受け ―― 受け損ね、鎧までが削れ飛んだ。左の肩が外れる致命的な事態だけを、身体を回して衝撃を殺す事で紙一重に避ける。

 ―― 渾身の突きを悠然といなし(・・・・・・)、好敵手は鈍色に光る牙を向けてくる。苛烈でありながらもどこか共感できる昂ぶりを秘めた、黒狼鳥が今までに経験した事の無い刃筋であった。……此方の左目は既に見えていない。一撃は甘んじて受けてやる。その替わりにと啼き、蹴飛ばした。

 左目に『山刀』を突き立てた直後。ヒシュの全身を威圧の意を込められた音波が襲い、硬直した身体を紫苑の右脚が叩いた。咄嗟に受けた『山刀』が粘土の様に折れ曲がり、重ねた右の『アロイアーム』が砕け、溜めていた息が全て外へと吐き出される。反射行動のまま受身を取って地を転がり……弟子(ノレッジ)への教えを自らが破る訳にもいくまい……四肢で地面を捉えて体勢を立て直す。面を上げると腰につけた本命の得物を二振り、抜いた。

 ―― 離れた位置に蹴飛ばした筈の好敵手は、既に目前に近付いていた。中距離だ。尾を ―― 否。読まれているに違いない。ならば、当たるまで幾重にも振るうまで。

 ヒシュが横薙ぎに振るわれた牽制の一撃をかわした次の瞬間、空に十字を描いて、真下から尾が飛び出した。尾を避けるため低くしていた此方を、強靭な尾による次撃で狙っていたか。―― だが、これも漫然とだが知っている。同じ骨格の生物が行うこの攻撃方法を、ヒシュはダレンから確かに教授されていた。故に、残していた警戒心がその脚をほんの一歩鈍らせる。仮面に覆われた眼前で、黒狼鳥の尾が空をきった。

 ―― 宙に留まった瞬間、黒狼鳥は失敗を悟った。今のは覚悟を込めて挑んだ一撃だった。だというのに、それを避けられるとは。なんという好敵手であろう。仕留められず宙に留まる結果であれば、先と同じ「あの攻撃」が来るのは確実だ。

 予想を違えず、ネコは角度を変えて『爆雷筒』を撃ち放った。黒狼鳥を再びの雷撃が襲い、三度、四度と轟き唸る。これまで木々に留まっていた気強な類の小鳥達も、続けざまに響く轟音によって遂には飛び逃げた。

 雷が切れた間を縫って、ヒシュは『ハンターナイフ』を振り上げた。落ちてくる勢いが重なり、腹を突き破り、突き立てた左腕を反作用が襲う前に手を離し、旋回。今度は逆手の『ポイズンタバルジン』を叩き付ける。抗血小板作用を持つ「黄の毒」が塗られた小斧剣でもって、黒狼鳥の右眼をも潰しにかかる。

 ―― 視界は既に無い。だが本来ある筈の痛みも感じていなかった。左の身体からは「熱いもの」が流れ続け、一向に止まる気配を見せない。これはあの好敵手の牙を覆う毒による効果なのだろう。狡猾で用意周到な相手だ。だがこのまま、やられてばかりでなるものか。とりあえず、気配の有る方向に向けて尾を振るい炎を放つ。

 ネコは襲われる寸前、炎弾に向けて耐熱布を広げた。ヒシュも振るわれた尾によって『ポイズンタバルジン』を弾かれ、折れた。だがしかし、『配置』しておいた武器がまだ残っている。仮面によって顔を覆い隠した「被り者」は腰から『大鉈』を抜き放ち、地面に置いたマカ壷の中に詰めてある液体(どく)に刀身を浸した。右手にはマカライト鋼鉄製……鈍い藍の輝きを放つ『短槍』を拾い上げて、また、駆ける。

 ―― 来る。黒狼鳥は遠離までを埋め尽くす暗闇の中、好敵手らの気配を正確に察していた。小さくも鋭い刃の如き気配が迫り、近付き、……そこで疑問符を浮べる。迎え撃とうとしていた気配が、寸前で二つに分かたれた(・・・・・)

 狩人らは決して、黒狼鳥を侮ってはいない。その狩猟の経験故か、死の間際にある生物の粘り強さも身をもって判っている。だからこそ、満身創痍だとはいえ、安易に近付く不用意さは捨てていた。あくまでかく乱。前後に重ねていた体勢を解き、ネコとヒシュは左右から黒狼鳥へと飛び掛った。

 ―― よくよく感じれば気配の大きさは違っている。その判断をしている間……考えた思考へ、狩人達は衝撃をもって割り込んだ。腹が熱い。ようやくと痛覚を取り戻した黒狼鳥は、地面をもんどりうって転がった。

 はたして、啼いたのは、どちらの獣であっただろう。

 

「グ、ルル」

 

 ここが最期。攻勢を仕掛ける。

 ヒシュはそう決めると、握っていた淵を手放した。

 

 瞑目。

 心と魂とを見開き、

 強者への闘争心で身体の端までを満たし、

 尚溢れ出る闘争心を贄として奥底に溜まった熱を解放し、

 その手に握った(はえた)爪を、獲物へと一閃(ふるう)

 

 仮面の奥の更に奥。魂の底から湧き出したとでも言うべき、人には不可視の……しかし感知できるぎりぎり、狭間の領域に揺らめく虹色の気炎を纏う。「青の毒」を纏った『大鉈』を叩き込み、すぐさま『短槍』を腹に向けて突き込んだ。

 ヒシュが周囲に怒気とも殺気とも取れる、どこか鬼の様を思わせる気迫を纏う。避け、すれ違い様に斬り、跳んでは突いて、攻撃に回避を添える。

 命を懸け、魂を燃やす。先に死んだ方が獲物。連なる機と機を使って更なる機を生み出し、ひたすらに攻撃を加えて続ける。確かな手応えと命を削る焦燥感とがせめぎ合い、ヒシュの意識を染めては流す。

 ―― 耳の奥。万雷の刃が、閃めく音。黒狼鳥に立ち上がる気力は既に無かった。力も無い。しかしどういう事か、心に在った寂しさも、戦いの中でどこか遠くへと消え去っていた。悪くは無い気分だ。生涯を闘争に費やした中にあって、或いは、初めて訪れた安息であったのかも知れない。

 その安息と命とを、断ち切らねばならない。依頼を受諾した狩人としての矜持でもある。ここで黒狼鳥を狩らなければ、ライトスを含んだ誰か ―― 依頼の主と人々が損を、下手をすれば命をも失う羽目になる。

 強者は弱者を淘汰する。万理を通す自然の摂理。この個体とて、今までをそうして生きていた筈。と、ヒシュは自らに言い聞かせ……それでも、を振り払う。

 

「ぐるヴヴヴぅああ゛ア゛ーッッ!!」

 

 『大鉈』を大上段に構えた狩人が豪咆をあげた。孤狼が為の、鬨の声。

 今の黒狼鳥に「負け」はない。先にあるのはただ、死のみ。気力などなくとも黒狼鳥は炎を吹き出した。身体は動かず牙は折れども、奥にある炎を突き立てる。

 命を賭して吹かれた炎と獣と化したヒシュが、真正面から切り結ぶ ―― 寸前、瞬間早く、熱の間に仮面と刃が割り入った。全体重を乗せた『大鉈』の厚い刃がこめかみを裂き、炎は仮面を僅かに焦がして空へと放たれた。

 衝突。十分な距離を離れていたネコが、満ち暴れた気中りによって倒れ込む。ネコが再び視界を上げた時、黒狼鳥の首元にはヒシュの『短槍』が突き立てられていた。

 ヒシュが倒れ込む黒狼鳥の顎に足をかけ、首元を刺し貫いた『短槍』を一思いに引き抜くと、途端に血が流れ出す。血溜りの上で『大鉈』を引き抜き、『短槍』を一槍に構え、背後に回って突き叩く。『大鉈』に何度も刻まれ砕けた甲殻は止めにと大きくひしゃげ、貫かれ。金属質の冷たい異物が体内を抉じ開け、夥しい鮮血を流し、黒狼鳥が、遂にその動きを止めた。

 

「グ、バ、ゥ」

 

 ―― その最期を飾る闘いの相手が最上の好敵手であった事を幸せに思い、誇り、瞼を降ろす。

 雨に煙る密林の地面の上。最期の悲鳴すら上げる事無く。黒狼鳥は生涯最後の闘争を終え、灰の如く燃え尽きた。

 

「……」

 

 両の手に『大鉈』と『短槍』とを握った仮面の狩人は無言のままであった。抜け殻となった黒狼鳥の横に立ち、見下ろす。

 いつしか雨粒が血を洗い流した頃になって面を上げ、空を見る。その頬を無数の雨粒が伝っては落ちてゆく。

 気付けば雫の勢いは弱まっていた。未だ夜半である。降り続くにしろ、猟場に死臭を漂わせていては獣を呼び寄せるだけ。狩人として、黒狼鳥を運び出さなければならなかった。

 

「……う゛」

「我が主にして、我が友。お気持ちは察します。が……そろそろ運びのアイルーを呼びましょう」

 

 ずっと隣に寄り添っていたネコが口を開く。

 逡巡の末、搾り出す様に、ヒシュは頷きを返した。

 




 ……この辺が……限界……(心の吐血
 読みやすさを考慮して、ちょっと実験的な書き方をしております。
 ある意味ではノレッジ編との比較でもあるかも知れません。
 あと、ヒシュ編の割込がもうちょっとだけ続くのじゃよ、です。



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第二十話 装い新たに

 アイルー達を呼んで黒狼鳥の運搬を依頼。岐路に着いたヒシュらは2日かけてジャンボ村へと到着した。

 報告書への書き込みを終え、依頼窓口(クエストカウンター)で暇そうにしていたパティにギルドへの提出を依頼すると、ヒシュは村の南に借家しているハンターハウスの二階……自室までを真っ直ぐ戻る。

 ハンターハウスに同居しているダレンとノレッジは、それぞれ地下と二階の向かいの部屋を寝室にしている。が、その二名は現在レクサーラとドンドルマに遠征中である。そのため、二階の自室でなくとも空間そのものは空いている。唯一にして最大の問題は、今現在もその空間を人が寝泊りできない程に占拠している資料の山であった。

 ヒシュは一階で鎧を外し自室に入ると、窓を開け、扉の横に『大鉈』と『短槍』を立てかけた。後で手入れを施すため、手近に置いておくのが昔からの習慣である。

 

「……う゛」

 

 ヒシュは無言のまま一度はベッドに腰掛けたものの、暫くして手持ち無沙汰になり、資料の山の片付けを始める事にする。

 部屋の一角に堆く積まれた紙の束を、表紙と付箋による区分を見ながら仕分けする。しかしそんな中にある一冊。ライトスから黒狼鳥の狩猟を依頼された際、事前情報として学術院から取り寄せた一冊の本が目に留まり、自然とそれを手に取っていた。

 冊子の表を見れば「クックラブ」という明るい装いの題が躍る。が、ヒシュはその装いは記憶に無かった。未だ目を通していない資料だろう。と、ぱらぱらと捲ってみればどうやら怪鳥 ―― イャンクックについての記事が組まれた雑誌、そのバックナンバーであるらしい。

 何とはなし、興味のままに表紙を捲ってゆく。黒狼鳥の単語を鍵にして資料を取り寄せていたからであろう。手元にある号には怪鳥の近似種、翼を持つ鳥竜種についての特集が組まれていた。内容は黒狼鳥や毒怪鳥、別の大陸にすむ彩鳥……果てはその祖先にまで遡っており、学術的な知識が必要な部分も数多く存在している。はてこれは一般的なハンターが読むには難しい内容なのでは……などと、つらつら考えていると。

 

「……?」

 

 頁を捲っていた手と視線が、あるモンスターの写実絵を見た部分で止まる。どこか見覚えの在る外観の生物だ、と感じた。既視感の様な、懐かしさとも言うべきか。

 だがそれは記憶の大海に埋もれた小船の様なもの。直ぐには思い出すことも出来ず、ならば絵を詳しく観察しようと、ヒシュは視界を狭める仮面に手をかけ ――

 

「―― 只今戻りました、御主人」

「……ぅ、……あ」

 

 部屋に入って来たネコを見て、しかしヒシュは手を止めた。雑誌をベッドに放って歩み寄ると、ネコの身体に余る大荷物をひょいと持ち上げる。

 

「ああ、申し訳ありません。ありがとうございます。……もしや取り込み中でしたでしょうか」

「……んー……ん」

「それならば良いのですが……あ、説明が遅れまして申し訳ありません。これらは全て、薬なのですよ。村長殿や村民の方々から我が主に渡して欲しいと頼まれましたものでしてね」

 

 笑みのままのネコにそう告げられ、机の上に並ぶ瓢箪や竹筒や瓶等様々な容器を見やり、かっくりと傾ぐ。

 

「……?」

「ハイ、これらは全て薬です。挨拶回りの際、村長や村人の前で主殿の体調が芳しくない旨を告げました所、皆様方から御主人に渡して欲しいと。代償を支払っている今の主殿の状態を心配して下さっているのでしょう。嬉しい事です」

「ん、ん」

 

 今度は肯定の意を込めて何度も頷きつつ、ヒシュは早速と薬を手に取り次々と飲み干していった。

 瓶を3つと瓢箪を2つ。軟膏には流石に手をつけなかったものの、薬塗れになった口内を水でゆすぎ口元を拭った後、ヒシュは久方振りに喉を鳴らそうと試みる。

 

「……ん……あ゛~……」

「如何でしょう?」

「う……あ、う゛……あ、あー……ん、何ほは声、出る、カモ」

 

 抗炎症作用のある薬草が含まれていたのであろう。数分ほど唸り声を上げていると、はれぼったさや声の雑みも取れてくる。今まで全く振るわなかった声帯は少しずつ本来の動きを取り戻し、段々とはっきりした声が出せるようになっていた。

 様子を見ていたネコは、主の復調にうんうんと頷く。

 

「流石は薬師謹製のマカ薬ですね。代償による声帯疲労が、これ程の合間に軽快しようとは」

「う。ジブン、げん、き」

「……ふむ……ですが、御主人。今回の黒狼鳥は、あれを使わねばならぬ程の相手でした。声は兎も角、精神と肉体の疲労の程は如何でしょう?」

 

 心配の色を濃く含んだ視線だった。ヒシュはまず、心配をかけまいと、率直な感覚を述べる事にした。

 

「ダイ、ジョー、ブ。……これれも、ロックリャックで、ジエン、モーラン、を相手取った時よりは……んん゛っ。……大分マシ、だ、から」

「ああ、そうですね。理解承知です。……判りましたので、これ以上は喉を痛めてまで声を発さなくとも、判っていますよ。まずは回復を。御身を大切にしてください。それが私の願いでもありますゆえ」

 

 ネコのひげがくたりと萎び、視線を落とす。

 意を汲んだ言葉に、それでも。

 

「ん。……次に、こりぇを、使うなら、……きっと」

 

 大陸の辺境ジャンボ村。ヒシュはその空を、北東へと果てしなく伸びた碧空を見上げた。

 視線が向かうのはテロス密林の奥。そこは未だ自然によって濃く覆われ、大陸の辺境に広がり続ける狩人ですら未だ足を踏み入れざる地。

 天に遥か聳えるは、密林が「高嶺」。

 暗雲と緑に潜むは、混沌たる「未知」の鳥竜。

 万物を拒み排する壁の如く ―― 故に御伽噺の龍が拠とする根城の如く。

 

 

 

 

 狩猟依頼を全てこなしたという報告を、ダレンを追ってドンドルマへ向かったライトス宛に送り、更に数週が過ぎた頃。狩猟の後の手続きも落ち着き、ジャンボ村だけでなくヒシュらもいつもの光景を取り戻していた。

 

 ―― カァーン……カァーン……

 

 真昼を告げる鐘が村の西から東へと響き渡る。

 つられて昼時の到来を知った村人は次々と仕事の手を止め、ある者は弁当の包みを開き、ある者は各々がひいきにする飯屋を目指して歩き出す。

 そんな日常の最中にあるジャンボ村の河川を、一艘の船が上り来る。

 荷台には瞼を閉じたままの黒狼鳥が一頭、鋼線でがんじがらめに括られている。それは海上を経て輸送された、3日前にヒシュとネコが仕留めた個体であった。

 日の照らす村中。ヒシュらが村つきのハンターとして着任してからは毎度の事ではあるのだが、見たことのない生物……モンスターの物珍しさに、出かけの村人達が足を止めては集まっては視線を注ぐ。しかし黒狼鳥の外見を見るや否や、叫び声をあげる者もいれば、ただひたすら無言に驚く者、子供の中には逃げ出す者まで出る始末。黒狼鳥の紫苑の体色や刺々しい外見と死骸になって尚放たれる威圧的な雰囲気は、村人にしてみればただ恐怖の対象であった。

 しかし当のヒシュはと言えば……祭り半分恐怖半分、怖いもの見たさから阿鼻叫喚の様相を呈している……川港からも村人達からも離れ、高台に据え付けられた火事場の屋根の下で金槌を振るっていた。隣には、ヒシュの様子を熱心に見入るおばぁの姿がある。

 

「ほっ、いいかい? 近年は燃石炭のお陰で炉の中も一層の高温を保つことが出来るようになったとはいえ、マカライト鉱石の扱いは慎重にやらなくちゃあいけないよ」

「ん。……そういえば、おばあ。槍の機構について、後で質問したい」

「後でね。ほらほら、時間が勝負だよっ! 腕を止めないでおくれ!」

「ん、ダイジョブ。教えは守る」

 

 時折入るおばあの指導に真っ直ぐ耳を傾けながら、ヒシュは幾度となく金音を重ね続ける。すると。

 

「―― 主殿。今、お時間は宜しいでしょうか」

 

 鎚を止めた頃合を見計らって。坂を上ってきたネコがその腕に書類を抱えながら、炉の正面に立つ主へと恐る恐る問いかけた。ヒシュはまず、竜鱗のミトンで熱した鉄塊を「触知」していたおばあへと伺いをたてる。

 

「……おばあ。良い?」

「ほっ、まあ良いさ。どうやらお前さんには、ある程度鍛冶の基礎が身についているみたいだからね。……ついでに昼飯を食べて来ると良いよ。採寸は前の時に済ませてあるけど、図面を起こす必要もあるだろうさ。出来た晩には取り掛かるから、そのつもりでね」

「ん。ありがと、おばあ」

 

 ヒシュは金槌を炉の脇に置くと赤熱した鉄塊を水へと入れた。水蒸気が立ち上る中、竜鱗で作られた手袋を外し、それでは、と手を振る。主の身が整うと、ネコがおばあに向かって一礼する。おばあが鍜治場の奥へと入ったのを見届けた後、連れ立った主従は村の中央部にある鉄火場の坂を下り始めた。

 向かう途中もイャンガルルガを見てきたという村の人々に様々と話しかけられ、それら会話を楽しみながら、川の際に建てられている酒場を目指す。

 

「あっ、ヒシュ! あの紫のでっかい鳥すげーな! ヒシュが狩ったんだって!?」

「そう。イャンガルルガ、もしくは黒狼鳥って呼ばれてる。ジャンボ村の辺りで見かけるのは、珍しいみたい。普段はアルコリスの森丘に多く居て ―― でも、そもそも個体数は少ないって」

「ねーね、いあん……がるるる、にも毒あるー?」

「ん、尻尾にある。気をつけてね。毒袋は抜いてあるから大丈夫だと思う……けど、棘棘してるからあんまり触らない方がいい? かも」

「ヒシュ。後で風車の作り方、教えて」

「良いよ。そういえばお母さん、元気?」

「うん!」

「ん。それは良かった」

 

 ヒシュの周囲には村の子供達が群がっていた。先ほど船で運ばれた黒狼鳥を見て来た子供も多くおり、口々にモンスターについての質問を並べる。男女問わず普段からヒシュに懐いてる子供らに対して、ネコに声をかける者は子供の他主婦や男衆が多い。

 

「ネコ居たー!」

「うぷっ。……あのう。申し訳ないですが、私どもはこれからあちらに向かう予定でして。今は遊ぶことが出来ないのです」

「えー!」

「その辺にしとけ。はっは、ウチのガキがすまないね。どうも」

「いえ、その点については全くもって構いませんよ。子供は元気なのが仕事ですからね」

「ありがたい。……ヒシュもネコも、これから昼飯か?」

「はい。これからパティ殿の酒場へと伺わせていただくつもりです。つい先ほどまで、鍜治場のおばあの所に厄介になっておりました」

「今日も鍜治場かい? 熱心だねえ」

 

 イャンガルルガの狩猟を終えてからというもの、ヒシュは金床に着き始めていた。実際の所今までは「必要が無かった」だけで、ヒシュはその好奇心ゆえに鍛冶の心得も多少……ほんの僅かながら齧ってはいる。しかし大陸を渡り、ジャンボ村に来て、狩るべき獲物を定めて。現在ヒシュらの置かれた状況は、以前とは大きく異なっていた。

 村人らの波を抜けて手を振る。辺りに人が少なくなったのを確認して、ネコは改めて尋ねた。

 

「主殿、喉の具合は如何でしょう」

「ん……痛みも引いた。……でも、その代り、薬で舌がひりひりしてるけどね」

「マカを作用させた薬は刺激も強くなりますから。……ですが、喉の為にも、薬による(うがい)は継続すべきでしょうね」

 

 中央広場の掲示板の前を横切り、酒場へと足を伸ばす。言いつつも時間を無駄にすまいと、ヒシュはネコから差し出された紙を受け取ってその内容へと眼を通し始めた。

 

「これが今回の報酬と取り分になりそうです」

「ん……」

 

 紙面にはびっしりと、件の黒狼鳥の報酬としての内訳試算が書かれていた。今回狩猟した黒狼鳥の身体測量の結果と、素材として使用できる部位の総量。それらからハンターズギルドおよび依頼主であるライトスら四分儀商会に納品される素材を差し引いた取り分 ―― を、ネコが計算したものである。

 ヒシュは字を追って仮面の内側で眼球を右へ左へと動かし、うんと頷く。

 

「ん。ネコ。ジブン、決めた」

「……ふーむ。それは、もしや?」

「そう」

 

 ネコが半分以上を確信しながら尋ねると、ヒシュはその通り、肯定する。

 

「おばあの技術、凄い。多分、シャルルよりもずっと。だから鉱石の精錬とか、殆どはおばあに任せられる。でもおばあは人間で、高齢だから。手伝いは必要。……今のおばあには弟子も居ない。皮の加工とか、単純な作業なら、ジブンでも手伝える。なら、勘も戻しておかなきゃいけないから」

「……つまり……決定ですね」

「そう。決めた。ジブン、今回狩猟したイャンガルルガの素材を買い取って、防具にする」

 

 やや興奮の色が見える口調で言うと、どこか誇らし気に胸を張った。

 ハンターにとっての防具とは身を守る鎧にして、その力量を測る物差しでもある。現在ジャンボ村着きの他の狩人はといえば、ノレッジは『ランポスシリーズ』を、ダレンは『ハンターシリーズ』を纏っている。必要な部分を個人の体駆に合わせてはあるものの、これらは「王立武器工匠」の傘下にある武具工房にて製図された、極めて一般的な鎧である。

 対してヒシュが纏っている鎧は未だ、大陸を跨いだ際に持参できた『レザーライトシリーズ』と呼ばれる皮の軽装が主だったもの。だが先に待つ獲物、未知の怪鳥は、その一息で焦土をも作り出す ―― 凄まじい蒼炎を吐く規格外の生物である。挑むにあたって炎熱に耐え得る鎧の備えをというのは、予てからの課題でもあった。

 宣言を受けて、ネコは髭をぴくりと揺らしながら……自らの主の言葉を適える為に(・・・・・)と思案を並べる。

 

「確かに、ライトス殿の依頼はイャンガルルガの素材を目的とするものではなかったですし……金額や取引次第で買取は可能でしょう。それにあの未知(アンノウン)に対抗し得るものとなると、防具の調整にも時間を設けたいですからね。判りました。まずはギルドと、依頼主であるライトス殿に交渉を持ち掛けましょう。素材は……何時もの様に出来れば丸ごと一頭を、ですね?」

「ウン。その方が良い。このイャンガルルガとジブンならきっと、いい感じになる。と、思う。それに、鳥竜種なら丁度いいし」

「了解しました。先ずはオリザを呼びましょう」

 

 ぴーぃ、と甲高くも透き通った音が響く。待たず空を切り、路の傍に生えた木の枝の1つを選んで大鷲が降り立った。律儀に伝書鳥としての役目を果たすオリザである。

 ネコが近寄って手招きをすると、オリザはヒシュの腕甲へと飛び移る。ヒシュはその喉を撫で、

 

「クルルル」

「……ん?」

 

 しかしネコが連絡の為の便箋を入れようとして、首元の鞄が膨らんでいる事に気が付く。

 

「ネコ、これ」

「ふむ、オリザが何かしら預けられている様ですね。どれ……にゃにゃっ!?」

 

 留め金を外すと、内側から紙の束が勢い良く溢れ出してネコの頭上から降り注いだ。

 どうやら遠征をしている内にギルドや書士隊からの連絡が溜まっていたらしい。ヒシュは動じずそれらを拾い上げ、歩きながら1つ1つ差出人を確認する。しかし、資料の間に挟まっていた一通の便箋を手にした所でその動きはぴたりと止まる。代わりに喜色を放ちながら、隣で便箋を集めて揃えるネコを抱き上げた。

 

「……ネコ、これ!」

「わ、我が友! 私を抱き上げなくとも、読めますと……ああもうっ!」

 

 ヒシュはにゃあにゃあと声をあげて抗議するネコを宥めながら封を切り、手紙を取り出す。ネコも観念し、主に抱きかかえられながら覗き込めば。

 

「ノレッジ殿からの……」

「手紙!」

 

 ネコとヒシュは一旦顔を見合わせた後、順に目を通してゆく。

 彼の少女は、大変な目に逢いながらもガノトトスを狩猟したこと。最近ではギルドから捌き切れない程の依頼が寄せられ、近場のハンター達と狩りに出ていること。温暖期に入る前に砂漠の管轄地全てを回る計画がある事。新しい弩や、砂漠だと補修の為のランポス素材が手に入り辛いため、砂漠に適した新しい防具を作成途中である事。温暖期でも活動できる渓谷の狩場があるため、未知(アンノウン)やギルドの大きな動きが無い限り、修行は温暖期を終える頃まで続ける心算である事 ―― 等々。ノレッジのレクサーラにおける近況が流麗な筆記で綴られていた。

 手紙を読み終え、主従は顔を上げる。目を瞑れば、遠い西の地で常の如く明るさを放ちながら猟場を駆けるノレッジの姿が鮮明に思い浮かべられた。

 ヒシュは手紙を封に入れ直すと、懐へと滑り込ませる。自然と、話題は少女のものへと移る。

 

「順調みたい。よかった」

「クルルル」

「……ふーむ。我が友よ、これは興味からの問いなのですが……レクサーラに残ったノレッジ様は、無事に修行を終える事が出来るでしょうか?」

「んー。才能は、ある。凄くね。後はノレッジの運次第だと思う。……だから、ジブン、あんまり心配はしていない。それに、また手紙を書くっても書いてある。楽しみにしてよう」

 

 少女の居る西は、酒場の在る方角。視線を向けても、ジャンボ村から見える景色は、ただ青々と茂る木々が延々と続いているだけ。ハンターとして師であるヒシュは、責任も感じているのであろう。手を伸ばしても届かない場所で奮闘しているであろうノレッジの身を案じていた。

 そんな主の様子を腕の中から見上げたネコは首を振るい、感傷の漂いだした雰囲気を変えるためにと話題を探す。

 

「……そう言えば御主人、あの『お守り』をノレッジ様に渡したのですか?」

「? 駄目だった?」

「いえ。ですがあれはハイランド師から頂いた、言葉通りの『お守り』の筈でしょう。……ノレッジ様の気性からしても、むしろ、そういった輩には『逢うべき』なのではないでしょうか? いえ、主の心配も勿論の事判るのですが……それにしても、私が船の手配をしている内にとは。してやられたと言うか出し抜かれたと言うか、にゃんと言うか……」

 

 最後だけ言葉を濁した友の様子に仮面の主は盛大な疑問符を浮べ、ネコは一つ、咳を挟んで続ける。

 

「にゃふん。それはそれとして、兎に角、詰まる所ですね。ノレッジ様に渡ったあの『お守り』は、所謂『魔よけ』の類でしょうに。狩猟の成就は副次的な効果だった筈ですよ?」

「ん。そうだけど、でも……ノレッジの『運』もだけれど、生きて帰ってこそのものだね(・・・・)。師匠としては、やっぱり心配で、そのためのお守りだから。……そう言われるとハイランドはちょっと怖い、かも知れない。ネコ。ジブン、勝手に手放したって怒られると思う?」

「にゃーん……どうでしょうね。あの御方は読み辛いですので、私には何とも。……ハイランド様はあれからかつての功績が評価され、遥か南端の地に在る彼の王国に招かれていた筈。狩人との兼業により御多忙であるとのお手紙を幾通も頂きましたし……と、すれば」

 

 ヒシュもネコも、その狩人の師として最も長く、最も深く、最も多くを学ばされた(・・・・・)ハイランドという女傑を思い返す。思わず溜息と懐かしさとを混ぜ込めて吐き出し、

 

「最も近場に存在するハンターズギルドの所在地 ―― レクサーラに逗留されたノレッジ様も、ハイランド卿にお会いする機会があるのでしょうか……?」

「かも。ハイランドは跳ねっ返りだから、レクサーラのギルドの人からすれば、やっかみ半分で噂されてると思う、けど」

「ふふ。それは容易に想像できますね。ならば……きっと……ふーむ。大変ではありましょう。けれども折れずに頑張って欲しいものです」

「ウン。確かに、ノレッジには頑張って欲しい。それは同意。―― だから」

「クルルゥ」

 

 想う。そして、だけではなく、ノレッジやダレンやライトスら面々が再びジャンボ村へと集う時。その時こそ……決戦の時なのだろうと。いずれ来る戦火の兆しに、ヒシュもネコも想いを馳せた。

 ―― だが。今は、まだ。

 

「だから、ジブンらも、頑張る」

「ええ。彼奴めを狩猟すべく、私も尽力を致します」

「お願い。手伝ってね、ネコ」

「承りました。我が友にして、我が主」

 

 そうこう話している内に、ヒシュらは酒場まで辿り着いていた。ヒシュはネコを地面に下ろすと忙しなく走り回るパティに軽く挨拶をしてからその横を抜け、何時ものカウンター席の奥へと向かう。

 何せ昼食を食べ終えた後、武具の図面を書き出すためにおばあの待つ鍜治場へととんぼがえりする予定だ。どうやらまだまだ、やるべき事は山積みである。

 

「んっ、いただきます」

「はい。いただきます」

「クル、クルルゥ」

 

 目指すは未知 ―― 更にはその先へまでも。

 果てしない獲物を追うのは、狩人らにとって当然の生業。

 彼の者達の心内に、歩みを止める心算は、依然として在りはしない。

 




 まず、拙作中でのクックラブの刊行に伴いお許しを下さった百聞一見さんに感謝のお言葉を述べさせていただきまして……ありがとうございます。
 さては、一介のファンフィクションなのです。重要な部分を担っていたりは、あまりしませんのですよ。
 さて。前話より戦闘狂の黒狼鳥、イャンガルルガさんとの狩猟描写とその結末でした。
 因みに。狩猟描写が割合を占めてくる第一章ですが、なにせ章題が章題ですので。暫くは血で血を洗う生臭ーい狩猟が続いてしまいます予定です(土下座
 とはいえ、それだけでは物語の体を成さないのも当然の事。第一章の末辺りからは、このペースよりはかなり落ち着く予定になっております次第。……とはいえ私の事。その場合、狩猟の描写が長くなってしまうのでは……と自分で自分を危惧していたりなんだり。
 今回の狩りのお話においては、ヒシュの持つ狩人としての方針を全面に押し出しております。心云々やら道具のポイ捨てやらとどめの云々やら、ある意味謎部分ばかりを追加した気がしてしまいますが、判る人には判ることも、無きにしも非ず。
 因みの因みに。拙作において、狩人が狩場に持っていく武器は1つだけという決まりはありません。ゲーム的な都合だと解釈させていただいております。それは確かに、頼れる一振りがあればそれを極めて……というのがモンスターハンターの正道です。私拙作の世界においてもトップのトップはそういった狩人達が多いですし、へビィボウガンばかり使うノレッジも例に漏れません(……今の所は)。そういったレベルの高い得物の描写がないのは、ジャンボ村の設備が追い付いていないから、というのが理由になります。
 ヒシュにおきましては装備リセットされておりますので、こういった手段を用いて様々な角度から攻撃を加えることで補わさせていただきました。とはいえ、道具やら毒やらを多用するのは当初からの方針でもありますね。
 そして遂に、ヒシュが奇面族であるとの明言をばさせていただきました。はい、鉈(の様な刃物)を振り回してきーきー鳴いているあの方達です。リオソウルの近くにキングチャチャブーを配置とか、珍しくボウガン担いだ私への挑戦ですか。鬼畜ですか(歓喜
 尚、色々と「えっ?」と感じられる部分があるかとは思いますが、詳しい所は後々に。この立ち位置は主人公として必要なものになる予定です。


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第二十一話 白陽の下

 ノレッジ・フォールが狩人として砂漠で過ごす日々は、実に実り多きものだった。

 レクサーラでの朝。ノレッジはまず、集会酒場で持ち運びできる朝食を買い込み、奥にある鍜治場……工房で骨銃の組み立てを行う。ノレッジは狩りから戻る度の重弩の分解を習慣としている。整備にしろ清掃にしろその方が経験を積む事が出来るというのも一因だが、これはヒシュから受けた大切な教えの1つでもある。実際ジャンボ村では、仮面の狩人とネコは借家しているハンターハウスの二階で毎日の様に武器と道具を広げていた。曰く、「武器の事を知ることが出来る」のだそうだ。

 ノレッジとて自らの重弩を漫然と扱っている訳ではない。狩人が活動する場は辺鄙な辺境の僻地である。その環境は例外なく劣悪であるため、弩の機構上、暴発や弾詰まりには最大限注意を払わなければならない。いざという時のために命を懸ける武器の内容についての知識は重要なものである。

 武器の整備に関しては工房の職人に任せる事も可能ではあるのだが、ノレッジは工具だけを借りて自力で行う事に拘った。弩の整備は、ヒシュにつられてジャンボ村での修行の間からずっと続けていた習慣であり、今では目隠しをしていても分解と組み立てを行える自信がある。初日にノレッジの整備を眺めていた工房頭の鉄爺が、下手な弟子よりずぅっと早くて的確だ、と太鼓判を押してくれる程には上達するという成果も上げることが出来ている。

 組み立てと道具の確認を終えると、ここで同時に朝食も終了する。黒パンとアプケロスの肉とオニオニオンのサンドイッチを咀嚼して硬茶【千年】によって流す様に飲み込むと、部屋の隅で鎧を着込み、礼を告げながら工房を出て受付へと脚を向ける。

 ……整備と準備に時間をかけるのは、狩人達が一斉に動き出す時間帯との競合を避けるためでもある。これら日課を終えて集会酒場へと戻る頃には殆どの狩人が出立した後となっており、行動がし易いのだ。

 ノレッジは先までと比べれば席の空いた酒場の中を悠々とした足取りでもって進み、受付へと声をかける。何時もの通り受付嬢の姉妹と談笑や食事の約束などを交わし、買い付けたアプケロスの竜車を引いて砂漠へと発つ。

 数日の後に猟場に着けばそこでは狩猟が待っている。地図に書き込み、帳面を鉛筆で埋め、弩を持って砂漠を駆け回る。管轄地にて依頼をこなし、今度はレクサーラへと帰投する。宿に戻れば師匠ら及びダレンへの手紙を書き進め、モンスターのスケッチや生態観察についての筆を進め……その中途で泥の様に眠る。

 これら、酒場と砂漠と宿を往復する日々。ノレッジの身体には硝煙と返り血の匂いとが染み付き、水浴びを重ねても鼻の奥に生臭い感覚が残っている。

 それでもと少女を突き動かすのは、知への探究心に他ならない。

 

 修行の期間は感覚的に、とても早く過ぎた。少女がレクサーラに逗留し始め、既に8週目を迎えていた。

 依頼をこなす間に、ノレッジは砂漠との間を幾度となく往復している。こなした依頼は狩猟依頼が16件、納品依頼は50件にも上る。これは駆け出しのハンターとしては上々に過ぎる立ち上がりであり、ギルドのノレッジへの評価も上向きの傾向にあった。

 しかしこれだけの件数が短い期間でこなせたのには、ギルドのノレッジに対する評価が上がり依頼が次々と舞い込んでいる……以外にも理由が存在する。

 それが「期限」。

 セクメーア砂漠は温暖期に入ると砂漠に熱が篭り、ハンターの危険度が跳ね上がるため、出入りが制限されるのである。故に出入り制限の前に「駆け込みの需要」が存在し、ノレッジだけでなく他のハンター達も、毎日忙しなく動き回っているのであった。

 ただし、暦だけでいうならば季節は既に温暖期へと差し掛かっている。砂漠への立ち入りが規制されていてもおかしくは無い……のだが、依然としてギルドは砂漠での狩りを制限しては居なかった。気温が危険域まで上昇するまでは制限がかからないのである。何しろレクサーラという村にとって、砂漠からの収入源は文字通りの生命線。砂漠への立ち入り期間は出来る限り短くしなくてはならない。そのため、この合間の期間においては、あくまで自主規制をするよう呼びかけがされる程度。今年はまだ勧告がされていない事もあり、砂漠へと向かう者は未だ多く存在していた。

 ……聞くに、どうやら今年のセクメーア砂漠は温暖期の到来が遅れているらしい。

 つい先日、セクメーア砂漠の西部では10年ぶりの雨が観測されたという。その他、観測隊の報告によれば珍しく雨雲も出来上がっていたらしい。レクサーラの上空にはからからに晴れた何時も通りの光景が広がっているのだが、それら気象のずれがひと月近くも温暖期の到来を遅らせている ―― というのが、ドンドルマにおかれた気象庁の見解であった。

 

 いずれにせよ。狩人の砂漠における狩りは、多少ばかり長い盛栄を迎えている。

 そんな中へ。少女は今日も砂漠へと足を踏み入れるため、酒場を訪れ ――

 

 

 

 

 

 ―― 暑い、熱い。

 吐き出す息は一層の熱を帯びている。

 走る、奔る。

 脚は重く、転ばそうと散らばる礫には悪意すら感じるか。

 考える限り最悪だ、と。レクサーラのハンターズギルド支部に身を置く青年、クライフ・シェパードは背後から迫る脅威から必死の想いで距離を空けながら、脳内で悪態をついていた。

 直後に冷たさが背筋をぞくりと駆け上る。拙い……と判断し砂を蹴って身を投げれば、背後で凄まじい風斬り音をたてながら赤い鋏が空を切った。同時にクライフの脚を縫い付けるような威圧感が降って沸く。ふと辺りが暗くなり、川の泥臭さが鼻の奥を刺激する。気付けば砂地を好む甲殻種、盾蟹 ―― ダイミョウザザミの巨体がクライフの真上に陰を落としていた。

 

「―― クライフっ、そのまま頭を低くしてろ、オオオオッ!!」

「ギチチッ」

 

 黒い皮鎧……皮と表すに、一角竜の外皮を素材としたそれはまるで岩塊であったが……を震わし、巨男の豪叫。巨男・バルバロが大上段から振り下ろした大剣『バルバロイブレイド』による一撃は、盾蟹を側面へと突き飛ばす事に成功した。

 衝撃と剣の巻き上げた火花とが舞って、突き飛ばされた盾蟹が砂の地面に倒れ込む。いくら盾蟹だとて、衝撃に痺れた左の脚にすぐに力は入るまい。この好機を逃すべきではない。身体を叱咤し、クライフは『鉄槍』を構え直して、盾蟹へと駆けた。

 接近すれば、思わずモンスターの大きさに目を見張る。視界の全てが盾蟹で埋まっていて。

 

「おおおっ!!」

 

 そこへ、クライフは立ち向かう。見慣れない青い血液……または体液が異臭を放つ中、クライフは腹を目掛けて一心に槍を突いてゆく。脚と脚とに挟まれないよう慎重に位置を取りながら、その甲殻を全力を込めた槍の鋩で少しずつ「掘り進める」。地道にも迂遠にも思えるこの作業が、しかしクライフは決して嫌いではなかった。

 

「クライフ! ザザミはもうすぐ立ち上がるから注意する、ね!」

 

 軋む関節の音に遮られる事ない高い女声。この隊の指揮官による、反対側からの注意喚起である。

 引き際は肝心だ、と心に深く留めてある。最後に腹を三度突いて、その反作用を利用して後ろに跳ね、クライフは盾蟹の脚の届く範囲の外へと後退する。

 ぎしぎし、みちみちという音をたてながら大サボテンを背負ったダイミョウザザミが立ち上がった。最後に両の挟を掲げて鳴らすと、口から泡を吹き出し始める。盾蟹がその怒りを顕にした証左である。

 注意を促した女性・ヤンフィの隣まで戻り、クライフは気を引き締めなおす。と、その前に大きく息を吐き出した。

 

「ツイてねえ……ツイてねえよ。特殊個体の調査だって言うから来てみれば、通常個体より遥かにタフじゃねえか、コイツ!」

「ニャハハ! ダイミョウザザミはレクサーラにとって貴重な獲物だから、ね。その特殊個体となれば、ダンナが駆り出されるのは当然だし。それでもってダンナがとなればクライフ坊ちゃんもワタシも受諾するのがYES、ね!」

 

 此方へと走る最中、ヤンフィが叩くいつもの軽口は右から左へ。視界を防ぎかねない汗を兜の内の綿地でこすり付けるように拭いながら、クライフは盾蟹の隙を窺う。その視界の内で、ヤンフィはクライフの居る側へと移動していた。笑みを絶やさず、しかしヤンフィの足運びは確かな経験と技量に裏打ちされた精緻なもの。鋏を振り回す盾蟹の足元を苦もなく抜けて、クライフの隣へと並んでみせた。

 

「……相変わらず見事な手前で」

「まーね。ワタシは曲がり形にも指揮官でクライフより場数を踏んでないの事。ランクも1つ上だし、ね」

 

 ヤンフィは言いながら、ぱっと手を開いて楯と片手剣とを構えなおした。

 ハンターとしての力量を客観的に評価する制度の1つに、ハンターランクというものが在る。ハンターランクにおける評価は単純に数字が大きいほど高いというもので、ギルドに登録した時点でのランクは1。ハンターとしてギルドに貢献した度合いによって功績が積まれ、一定の功績をあげるとハンターランクが上がるといった具合である。

 クライフ青年のドンドルマギルドにおけるハンターランクは「3」。資格を示すハンターカードは、そのランクを示す「ゲネポスの皮」を素材としたものになっている。

 ランク「3」ともなると、中堅所のハンターである。クライフの4つ年上でレクサーラのギルドの実質を取り仕切っているヤンフィのランクが「4」。クライフが二十歳に満たない身空である点を鑑みれば、3というハンターランクはかなり早期の昇格といえた。が、それでもヤンフィとの間にある「1」という実力の差は、こうして足運び一つをとっても確かな技量として表れているのである。

 しかし ――

 

「ほっほう! よォしよし、まだ来るか。芯の通った良いザザミである。やはり、そうでなくてはならん!」

 

 いつでも、今回も。隣で嬉しそうに大声をあげている父・バルバロの挙動にクライフは溜息を吐き出した。この能天気で馬鹿力で嫁に逃げられるような親父のハンターランクが「6」だというのだから手に負えない。

 とはいえその馬鹿親父の持つ実力こそが、今回クライフの所属する班が特殊個体の狩猟を依頼された所以でもあるのだが。

 

「ギチチチ……ジャッ、ジャッ」

 

 大サボテンを背負うダイミョウザザミがクライフの目前で鋏を掲げて擦り鳴らす。

 通常、ダイミョウザザミは成体になると自らの身体に合った「ヤド」を背負う。それは大型モンスターの頭蓋であったり、自らが切り出した岩塊であったりするのだが、この個体は言葉の通りに違っていた。長らく放置されていた第五管轄地から表れたこの盾蟹は、ともすれば自らよりも巨大な大サボテンを背負っていたのである。

 セクメーア砂漠でこの特殊な盾蟹の個体が発見され、調査を含めた討伐の依頼が頒布されたのが四日前。セクメーア砂漠の最も奥まった位置に存在する第五管轄地に出現したという事もあり、討伐の遠征費用もばかにならず、言外に「成功すること」を前提とした依頼に変わったのが三日前。そうなると、当然レクサーラに逗留するハンター達は依頼の受諾を渋り始める。それらハンター達の反応をみたギルドが学術院の費用を使った依頼に切り替え、バルバロを擁する団へと依頼を回した……というのが事のあらましである。

 

 失敗の無い狩猟と言うのは有り得ないが、それでも腕の在るハンターが居れば成功率は格段に上がる。バルバロが居るからこそレクサーラのギルドは回っている……というのは過大な評価かも知れないが、この大酒飲みで大雑把な父が「レクサーラの剣雄」と呼ばれる程の功績をあげているのは純然たる事実でもあった。

 バルバロはレクサーラ創設からの一員であり、街に出れば人々から声をかけられ、こうして重要な依頼にも名指しの召集を受ける。そんな父の偉大さには、勿論誇らしい思いもある。だがそれ故のプレッシャーと言うものも当然ながら存在し……七光りの無い、一人の男としての自身はどこにも居ないのではないかなどと、昔は本気で悩んだこともあった。

 今では苦い思い出である。幸い最後の悩みについては少年の域を脱すると共に多少吹っ切れはしたものの。しかしどこか心の中で整理できないまま、今もまだクライフはハンターとしての活動を続けているのである。

 また、思わず悪態が口を突いて出る。

 

「……ちっ、まだか……まだ倒れねえのか」

 

 潰されるのではないか。殺されるのではないか。命のやり取りをする狩猟の現場、その真っ只中でクライフは生きてきた。それでも。少なくとも、自分が死にたくないという普通の感性は持ち合わせている(またそれが普通であるとの感性も)。

 だが、例えばヤンフィはどうだろう。この女はクライフに近い感性ではあるが、それも僅かに「傾いている」。どこか死を覚悟している節があるのだ。しかし彼女は指揮官でもある。これは人の上に立つ者に必要な要素であると言ってしまえば、そうなのかも知れない。

 例えば父、バルバロはどうだろう……いや。余地も無いか。あれは、命のやり取りを……自らの命を迷いなく天秤に置く事の出来る人間だ。この無謀を狩人としての覚悟があるのだと言い切ってしまえば、そうなのかも知れない。

 父もヤンフィも、多少の大小はあれどクライフよりも長い年月をハンターとして過ごしている。少年を脱したばかりのクライフとは違い、人間として完成されていると言い換えても良いだろう。

 

 ―― 故に。類稀なる射手としての腕を持ち、齢16にしてモンスターの威圧感をまるで正面から受け止める()の少女こそが、クライフにとって最大の異質であった。

 

 後方より前へ滑って遠ざかる、聞き慣れた ―― 重弩に特徴的な甲高く鈍い射出音。

 完全に動きを取り戻した盾蟹が横歩きにクライフ達へと近付こうとした瞬間の出来事であった。20メートルは離れている盾蟹の背部……大サボテンとの接面部位を縫うように、銃弾が襲った。

 着弾した幾つかは時間差で爆発を起こした。背後からどつく様な衝撃によって盾蟹が前へとバランスを崩すと、今度は足元で次々と爆発。崩した体勢。だのに足元がおぼつかず、受身を取れず、その結果として盾蟹は前へと倒れ込んでいった。

 たとえ声は聞こえなくとも、想像は容易であった。きっとこの状況を作り出した件の射手は、紫の泡を吹き怒りに染まる盾蟹を見て、命の危険を感じるその前に……「攻勢の機、です!」などと呟いていたに違いないのだ。

 四者の(・・・)意識が盾蟹へと集中する。

 青年らの背後では、薄桃色の長髪が砂漠の風に揺れて。

 

「行くぞ、息子! ヤンフィ! ―― ノレッジ!」

「ちぃっ、判ってんだよ親父!」

「OKダンナ、ここでケリを着けるのね!」

「はい! 皆さん、援護します!!」

 

 その背を押すように吹き付けた風に乗って、狩人達が駆けて行く。

 セクメーア砂漠に盾蟹の節々が織り成す悲鳴と、ハンター達の歓声とが綯い交ぜに湧き上がるのは、この半刻後の出来事である。

 

 

□■□■□■□■□

 

 

「ほう? ノレッジに男の影があるとな!?」

 

 太く重い声がレクサーラの集会酒場の端までを震わした。クライフが切り出した話題を聞いての、バルバロの第一声であった。

 盾蟹の狩猟を成したクライフ達はいつもの如くレクサーラの集会酒場に帰還し、夕食をとっている最中である。

 砂漠の出入りが禁止となる温暖期の目前とあって、酒場はハンター達で賑わっている。砂漠特有の香草をふんだんに使用した食事の香気が胃袋を刺激し、酒気とが混ざり合った雰囲気に加え、人々の活気に満ちていた。

 そんな中、父の上げた大声によって集まった視線に居心地の悪さを感じはしたものの、そこかしこから喧騒があがっているためか、何事かと集めた視線も足を止めたアイルー達も、すぐに各々の業務や食事へと興味を戻していった。

 周囲の様子にクライフはほっと胸を撫で下ろしながら、元凶たる自らの父バルバロへと苦言を呈する。

 

「声が大きいんだよ、親父。……頼むからもう少し声量をおとしてくれよ」

「ダンナさんの声が大きいのはいつもの事。気にしないのがOKだと思うんだけど、ね」

 

 クライフが呆れ顔で酒瓶から酒を注ぎ、ヤンフィはそれを両手で受け取りながら、近場の者達へ気にしないでくれと手を振った。

 

「……でもあのノレッジに男の影だなんてならワタシも気になる話題、ね?」

「っ……だから男かどうかすら判らねえんだって」

 

 ヤンフィが隣のクライフへと流し目を送る。眼鏡を指で押すように直し、頭の上部で左右に結われたギザミシックルが揺れる。視線を逸らせば今度は首元から褐色の肌が胸元まで顔を覗かせており、クライフは遂に首ごと杯を煽った。

 猟場においても楽観的な明るさが売りのヤンフィであるが、酒場においては尚更である。こうして積極的に話題に絡んでくるのは何時もの事。彼女の妙な色香にたじろぎながらも、興味を集めることには成功したのだと何とか思い直し、クライフは事の仔細を語る事に決め込む。

 まずは酒を置いて。

 

「あまり期待するなよ。……この間、ノレッジが出していた手紙をちらっと見ちまったんだよ。ドンドルマ行きの宛名ダレン・ディーノっていうのが一つ。でも、ジャンボ村宛の手紙が三通(・・)あったんだ」

「へぇ。ダレン・ディーノは書士隊の上司だって聞いたけど?」

 

 近くの席に座っていた同年代の男ハンターが聞き耳を立てていたらしく相槌を挟んだ。クライフはそれに頷いて、続ける。

 

「まあその通り、一通は上司宛だろうな。けどその上司がドンドルマに居るとなると、ジャンボ村に三通も手紙を送る理由が無いだろ。一つは村長、一つはいつも言っているお師匠にで済む筈なんだ。それが誰宛の手紙なのか、って話しをしていたら親父が男だと決めつけやがってな」

「はっはぁ……興味深い話ではあるな」

 

 語り終わると、先ほど退けた筈の周囲から視線が圧し掛かるのに気が付いた。色恋沙汰は酒の摘み。様は馬鹿話の類でもある。いつの間にか聞き耳を立てていたレクサーラのハンター達がクライフを囲み、ぐるりと人垣が出来上がっていた。

 

「……なんでこんなに人が集まってんだ? 暇人どもめ」

 

 クライフが呆れた声でたしなめるも、

 

「まぁまぁ、クライフ坊ちゃんよ。あの(・・)ノレッジの嬢ちゃんに男が居るってんならさ、そらぁもうレクサーラの一大事だわな」

「そらそうよ。なんせあの(・・)、ノレッジ嬢ちゃんだぜ?」

「まぁねー。あの娘、あたし達が飲みに誘えば断りはしないけど、その後に朝まで研究資料を眺めてるのよ? お洒落の話題はふぅんで済ますのに、新しいモンスターの話題には食い気味に飛びつくし。そんな娘に男の噂と来たら、そりゃあねえ」

「絶好の摘み……じゃなかった。話の種……ん? これもちょっと違うか」

「まぁ兎に角、興味を持っている奴等は大勢居るぜってことだ。そうだろ皆ぁ?」

「おうよ!」

 

 男女入り混じった聴衆が、一斉に騒ぎながら口々に肯定の言葉を発してゆく。ある者は笑みを、ある者は興味を隠さない関心を、ある者は真剣な眼差しを……と様々な反応を浮べながらである。

 レクサーラにおいても変わらず、ノレッジの性格は良くも悪くも「研究者」といった形に納まるものである。しかし今、ノレッジという一人の人間はレクサーラのギルドおよびそこに属する人々には概ね以上に好意的に受け入れられていた。

 まず、ノレッジは良い意味で壁が無い。誰にでも気さくに話しかけ、誰とでも気軽に会話が出来る。その人辺りの良さたるや、一月前には稀代の堅物「鉄爺」が懐柔されたと言うレクサーラにおいて知らない人は居ない逸話も出来上がる程だ。少女が毎朝工房で老翁から弩の素材や構造やらについて教えを請うている姿は、既にレクサーラの風物詩ですらある。

 そして、ノレッジはハンター……とりわけ射手としての腕が良い。その評価の切欠は間違いなくひと月程前の「金冠大ガノトトス」の狩猟であろう。だがその後。ギルドからの評価が上がる中にあっても、ガノトトスの狩猟が決して偶然ではない事を裏付けるように、ノレッジは着々と依頼をこなし続けている。当然幾つかの些細な失敗は含まれるものの、ノレッジは素材の切り出しや解体が上手く、更には生物の生態に関する知識もあってか「依頼の好き嫌い」が存在しない。つまり参入した一団の側にしてみればノレッジを加えても「減算がない」のである。その様なノレッジの万能性はハンターズギルドという組織を運営するに当たって、非常に有用な人材であると言えた。

 その上、ノレッジは大きな組織には属しておらず、結果として組織の垣根なく重宝される人材となっている。昇り調子の評価によって呼び込んだ大山の依頼を達成することにより、ギルドからの評価も一層上がる……という相乗効果の形が出来上がっているのであった。

 加えて。

 

「それにまぁ、何しろノレッジの嬢ちゃんは素朴な魅力があるからな。興味のある奴等はごまんといるだろうぜ」

 

 囃し立てていた男があっけらかんと言い放つ。

 言う通りノレッジ・フォールという少女は若く……少なくともクライフや同ギルドに籍を置くハンター達から見て、容姿も並以上のものであった。16歳という年齢はハンターの市井においては若すぎるきらいがあり、ノレッジ自身にあまり外見に気を使っている様子が無いと言えば無いが、それならば気を使ったとすればより一層……などという想像を繰り広げる何とは言わずたくましい(・・・・・)男連中も少なからず居る、らしい。この場合「らしい」というのはクライフが、ノレッジがそういった事に興味を持てる性分ではない事を知っており、無駄だと断じていたからに過ぎないのだが。

 

「まあ可愛いとは言っても、おれみたいなおっさんにとっちゃあアイドルか娘みたいなもんだけどなァ」

「あっはっは! まあ気になる人の話を振ったところで、今の研究対象のモンスターの事をとくとくと語り出しそうだものね。あの娘ってば」

「それに書士隊員だって学術院だって肩書きがよ、この辺りの馬鹿な男共にとっちゃあインテリが過ぎるやな!」

 

 などと結局。ノレッジの人柄を知る連中には、美味い肴を有難うとばかりに笑い話として締められていた。

 

 さて。

 話題の中心、当のノレッジはというと。

 

「―― という概要です。つまりどうやら、今回の盾蟹は元々はサボテンの肥大化が見られた地域……第五管轄地周辺に縄張りをもつ個体であったようですね」

 

 同じ酒場の一角。しかしその中でも窓際から運河を望む一際豪華な席の面に立ち、今回狩猟を行った盾蟹の特殊個体についての報告を行っていた。

 報告の主だった内容は注意喚起とそれに準じる情報提供である。発見された生息地域や縄張り、行動の変態など。ノレッジは地図を使用した説明を終え、自らの三等書士隊員としての肩章を指して。

 

「件の大サボテンは流石に丸ごと持ってくるのは難しかったので、切り出した一部や種子の部分を採取して、検体として学術院と書士隊に配送しました。結果は後日レクサーラのギルドに直接届けられる手筈となっています。……ええと、これにてわたしからの説明は以上になります。ご清聴、ありがとうございました」

「ありがとう。だが少し、良いか」

 

 締め括りとしてノレッジがおずおずと頭を下げれば、正面で白髭を生やした初老の男が腕を組みながらその手を掲げた。

 男の向かいには同じく、羽振りの良い格好をした壮年の男や禿頭の老人等々、ノレッジと年齢の離れた面々が腰掛けている。彼等は何れもがギルドに駐留している上位書記官や調査隊の頭など、砂漠の村レクサーラにおける主要人物。要するに、報告によって至急に取り纏められた情報を共有しつつ、具体的な調査と討伐の方針を練っている最中なのである。

 手を掲げた初老の男にノレッジはびくりと身を竦めて反応しつつも、悪意がないと判断するやこくりと頷く。

 

「質問をしたい。ノレッジ三等書記官」

「その、どうぞっ」

 

 初老の男はおどおどとしたノレッジの反応自体は気にせず、主要人物達が腰掛けている卓にばさりと地図を広げた。レクサーラに隣接した「セクメーア砂漠」とその南部に位置する「デデ砂漠」とが含まれた、広範囲を描画した地図である。

 周囲の視線が集まったのを確認し、初老の男は地図の上で指を滑らせる。レクサーラから大地溝帯と書かれた地帯に沿って南下し、デデ砂漠の手前に存在する第五管轄地で指を止め、口を開く。

 

「盾蟹が背負っていた大サボテンは保水能力に非常に優れていると、君は話した。となるとそれに共生しているこの蟹は、報告にあった攻撃手段としての水鉄砲の多様さの他に、移動距離にも生かされるのではないか? この地図に示された ―― 大地溝帯前後の縄張りは、如何にも水庭がなさ過ぎると感じるのだが」

 

 男の鋭い質問にノレッジは首を傾けながら唸りしばし思案する。が、その内容については思案して答えの出る問題ではなく……また結論付けるのは時期尚早なのではないかという疑問も脳内を掠めたため、ノレッジは判りきっている事実のみを告げることにした。

 

「あの。仰る内容についてはレクサーラに配備されている書士隊員の内々でも比較はしてみたのですが……今回の個体に関して言えば、比べる限り通常個体との有意差は認められませんでした。水庭を離れたくない他に縄張りを広げられない理由が存在したのかもしれません、が、その辺りは何とも結論付け難い点ではあるかと思われます」

 

 締め括ると、別の老人がうんうんと頷いてノレッジへ着席を促す。それに頭を下げつつ、ノレッジは後ろへ(・・・)。出していた身体を地図の張られた薄板の後ろへと引っ込める。今度は目前で、お偉い方々の問答が始まった。

 

「ノレッジ三等書記官の言う通りだな。ただでさえ第五管轄地周辺の情報は不足している。ここ数ヶ月の間にモンスター達の縄張りが大きく変化していた……つまりそれらを把握する役割を担う我々の監督不足だと謂われても仕方が無い状況だ」

「とはいえ本来ならば護衛役を兼ねるハンター達が未だ猟繁期なのだから、ギルドとしての力が不足していた点は否めんよ。書士隊であるノレッジ女史の助力を得て初めて調査に乗り出す事が出来たのであるからして」

「……ああ。やはり情報が少なすぎる、か。盾蟹もそれ故の特殊個体だというのだから仕方があるまい。しかし大サボテンの異常繁殖が現実の事象として確認された以上、盾蟹の特殊個体が新たに発生する可能性は十分に在り得るぞ?」

「それらを憂慮したからこそノレッジ三等書記官だけでなく、六つ星のハンターであるバルバロ氏に調査を依頼したのであるからして。盾蟹の区画侵食は、その個体数の多さ故にセクメーア砂漠の……ひいてはレクサーラの一大事。場合によってはドンドルマのギルド本部へ救援要請する事も視野に入れねばならぬ事態だと、私は勝手に思うがね」

「救援要請に猟団の派遣か。確かに、それも一考が必要か。手続きを進めておくとしよう」

「そういう訳だ、ギルドガールズの諸君。私達上役で、仔細は近日中……いや。明後日までには纏めておこう。至急に体勢を整えられるよう、ドンドルマへの書簡を用意しておいてくれたまえ」

「はいはぁい。了解しましたよー」

 

 羽振りの良い格好の男に促され、会議内容を記録していたギルドガールズのリーが承諾の意を示す。役目を終え壇上から降りたノレッジへ向き直り、初老の男が笑いかけた。

 

「ご苦労だった、ノレッジ・フォール三等書記官。下がってくれたまえ」

「はい。失礼します」

 

 念入りに腰を折り、退席。事実上のトップ会談への参加を許されたノレッジは手元の分厚い書類を抱えると、一等席である展望席から階段を降りる。階段の途中でやっとの事、緊張しきった空気から解放されて息を吐いた。その横へ、同じく席を離れたリーがとことこと追いかけて並ぶ。

 

「大役をありがとうございました、ノレッジ」

「あー、いえ。良いのですよ、リー。これも書士隊員としての貴重な経験です。……ちょっと流石に、お偉い人の前で発表するのは緊張しましたけどね?」

「判ります判ります。わたしは脇役なので良いですけれど、ノレッジは正面に立ってましたからね~」

 

 心からの本音を吐露しつつ、ノレッジは隣を歩く姉受付嬢へと笑いかける。思わず苦笑となった笑顔にリーも笑顔でもって返すという慣れた様子のやり取りが、少女がレクサーラを訪れてから流れた濃密な時間を物語っている。

 

「でもレクサーラの爺様方は、基本的に良い人達ばかりですよ。やっぱり砂漠だと助け合わないといけないからなのか、どうしても親身になってくださっていて。村長とギルドマスターそれに一等学術員の方まで全員が漏れなく書類記載をやってくれるギルドなんて、このレクサーラくらいでしょうねー」

「へえ、そうなんですか?」

「はい。他の所は大体がギルドガールズもしくはお付の秘書に丸投げだと思います。その点、ここレクサーラではラー姉様くらいなんですよ、書類の期限をぶっちする人なんて」

 

 本来は職務怠慢だと頬を膨らませるリー。ノレッジとしては書類は期限を守ってこそだと思っていたのだが、こういった点は上司たるダレンの影響も大きかったのであろう。どうやら世間一般的にはダレンやノレッジの方が少数派であるらしい。

 そして、リーの発言にあった「ラーお姉さま」という人物に心当たりが無く……暫く自分の記憶力の問題かと頭を悩ませてはみたもののやはり手応えがない。と、諦めてリーへと尋ねる事にする。

 

「ねえリー。……その姉って言う人には会った事が無いんだけど、どんな人なのですか?」

「あ、そういえばノレッジはラー姉さまにはあった事が無いですね。ラー姉さまは竜人族で、わたし達姉妹の先輩にあたるお人です」

「姉? でもリーは竜人族じゃあありませんよね」

「はい。血の繋がりはないのですが、敬意を込めて姉様と呼ばせていただいているんです。ラー姉様は凄いんですよ。遠征が多くて今はレクサーラを離れていますが、あの観測所新設に携わった一員で、しかもここではギルドチーフも勤めている才媛なんです。……書類仕事が苦手なのが玉に瑕ですけれどぉ」

 

 リーは喜ばし気な表情を浮べながら話を続ける。

 書類が苦手なのに地位があるということは、それらを補って余りある才能を持っている人物なのであろう。会話にあった観測所とは、最近ドンドルマに開かれた大型モンスター観測の為の施設。各地を飛び回る気球はこの観測所に籍を置くものであり、そこに務める職員にはモンスターの生態から気候、ハンターの動向や果ては植生に到るまで様々な知識が必要とされる。

 そんな場所で中心を担う……未だ見ぬラー女史とはどの様な人物なのだろう。と考えるノレッジであったが、ここで抱えていた書類の重さに手が痺れてきていた。そのまま、書類の内容および調査の行く末について思索を伸ばす。

 

「……今回わたし達が集めてきた大サボテンの発生と盾蟹の特殊個体についての情報が、レクサーラの安全と今年度の砂漠の気象事象の解明に一役買ってくれれば嬉しいんですけれど」

「きっと、爺様達ならば生かしてくれますよ。……とはいえ気象のおかげで温暖期に入っても砂漠を歩き回れるというのは、わたし達レクサーラにしてみれば非常に嬉しいんですけれどね? 単純に増益なのでー」

「ああ、それもそうですね」

 

 気候について掛け合いをしながら、リーは手元の紙へと視線を移した。その内にもモンスターの分布予測の他、観測気球が集めた気象情報とその推移の予測を示したものが混じっている。

 

「ん~……実際、観測班からのデーターでも気温は上がりきっていないんですよー。まだ1週はイケるかも知れないです」

「おぉっと、それは嬉しい情報でした。一週もあれば、討伐依頼を二つは受けられますからっ!」

 

 聞いて、ノレッジはぐっと拳を握る。

 ノレッジは今の所、砂漠への立ち入りが制限されれば大地溝帯の北側に存在する峡谷へと猟場を移す予定としている。しかし峡谷は窮屈な環境であるからか大型モンスターの報告例が殆ど無く、そのため討伐依頼の件数は一挙に減少する。そのため狩人の修行としてジャンボ村を離れているノレッジにしてみれば、可能な限り砂漠で実践を積んでおきたいという見積もりがあったのである。

 

「さて……んん?」

「おおっ、来たなノレッジの嬢ちゃん」

 

 階段を降りきり酒場へと戻れば、その一角。群がったハンター達から一斉に視線が向けられた。

 ノレッジにとっては身に覚えの無い……理由と原因の察しがつかない視線なのだが、彼女自身、今しがたお偉い方々の前でどっと冷や汗をかいて来たばかりである。視線についての詮索はきりが無いと早々に打ち切ると、その一団へと脚を向けた。

 集団の内に混じっていたバルバロが真っ先に大声を上げる。

 

「ノレッジ。レクサーラの重役会議、ご苦労である!」

「はい、只今戻りましたバルバロさん。まだ皆さん方は奥で話し合いを続けるご様子でしたが、少なくとも三等書記官であるわたしの仕事は終了しましたから」

 

 バルバロに頭を下げたノレッジは、次いで所属している調査団の組員……クライフとヤンフィから声をかけられた。

 

「お疲れ様、ね。ノレッジ」

「……ぉぅ。お疲れ」

「ありがとうございますヤンフィさん、クライフさん。……でも、バルバロさんは後で呼ばれると思いますよ?」

「むぅ、やはり呼ばれるか」

 

 バルバロは腕を組んで困ったとばかりに唸る。地位を持っている彼は、幾ら一介のハンターだとはいえこうしたモンスターに関わる事案に関しては意見を問われるのが常である。実際、当のバルバロとしてはそういった場は得意としていないのだが。

 ノレッジが席にちょこんと座り、抱えていた書類を机の下にある棚へと置く。近場を走っていた給仕アイルーに飲み物の注文を飛ばすと。

 

「ところでノレッジ。アンタがこの間書いていた手紙って、誰宛のものだったの?」

 

 誰もが聞きたかったこの話題を真っ先にと切り出したのは、レクサーラにおいてノレッジとの親交も深い女ハンターであった。

 ノレッジは周囲から集められた興味と期待に満ちた視線を傾ぎながら受けつつ、質問の飛び様についてはとりあえずと置いておき。その内容へと答えを返すべく、何処ぞを見上げながら、先日追って投函した手紙の数を指折り。

 

「えーと、ディーノ隊長と村長、お師匠……あっ」

 

 そう。興味の向かう先は挙げられたそれら以外 ―― 残る1通の行く末だ。

 ノレッジは知る由も無いが、いつの間にか酒場に集まったレクサーラのハンター達どころか給仕の女性までが足を止めた。

 一斉に、ごくりと唾を飲み込む。

 期待を一身に……少女は表情を綻ばせて。

 

「あと、アイルーのネコ師匠にも送りましたね!」

 

 などという、色香の欠片も無い落ちで締め括られるのであった。

 人々がやっぱりな、という感想を抱くと同時。

 レクサーラにおけるノレッジ・フォールという少女についての認識を改める事態には、どうにもなりそうになかった。




 御拝読を下さった貴方の狩猟に、酒+チーズで最大なる御加護を。

 さて。
 ノレッジの場面へと立ち戻りまして。レクサーラでの新キャラを加えて、ここから1章の主題へと迫ります。
 ……漢数字とローマ数字表記、横書きだとどっちが読み易いのでしょう。その辺りはちょっと試行錯誤中です。
 さてさて。
 サボテンを背負った甲殻種はハンター大全より。ここにおいては元より予定の出演だったですが、4Gでの祝・復活を含めての御出演になったかも知れないですね。
 ……私のこういった気性は、実は、鳥竜種のアンノウンを出しているのにも関わらず、タグに「オリジナルモンスター」を付けていない理由であったりするのですが。
 さてさてさて。
 新キャラについては色々とアクセントを悩んでいたのですが、こういった形で纏まりました。構成的には特に、苦労人っぽいのに悪態つきのクライフの視点が重要になりますかと思われます。
 ……いえ、結構露骨なのですけれどね。ついでにハンターランクに関しても結構な悩み所だったのですが、限界突破はしない事にしました。きりが無いと思われますので。
 因みに。
 今話におきまして、節操無くもフラグをばら撒かせて頂いておりますので。それはもう、やたらめったら。
 では、では。


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第二十二話 砂礫の廟堂

 

「先に竜車のとこ行ってんぞ、親父」

「ウム」

 

 未だ日の昇らないレクサーラ。塗り込めた藍色に蠢く大運河の横で、互いに金髪の親子……クライフとバルバロが言葉を交わす。

 出立の用意は整っている。青年・クライフはその言葉の通りアプケロス竜車の詰め所へ脚を向け遠ざかろうと脚を向け……が、その前に。

 

「……ム? いや。待つのである、クライフ」

「んだよ……?」

 

 その背をバルバロの待てという声が呼び止めた。振り向いたクライフが元の位置へと戻ればバルバロの視線の先、集会酒場の一等展望席に繋がる「秘密の裏口」から、妙齢の女性が歩き出て来ていた。

 尖った耳。竜人族の妙齢の女性だ。脚の可動性を確保した竜人族伝統の長着物をゆるりと着こなし ―― 奇妙に落ち着いた挙動が視る者に疑心を抱かせる。そんな女性。

 クライフは(或いは勿論の事)、幼少の頃より知り合いのこの女性が苦手であった。腕を組んでどっしりと構えて待つ父とは裏腹に、げっというにが虫を噛み潰した様な表情が顔に漏れる。竜人の女性は目敏くも、表情を見逃してはくれず。

 

「―― フフ、随分と嫌われたものね?」

「クライフに悪気は無い。そもそも貴女(ラー)がそういった雰囲気を放っているのだから仕方があるまい。自身の悪趣味が高じた、自業自得なのである」

「私には辛辣ねえ、バルバロは。まあ親愛の証だと勝手に受け取っておくけれど。……お久しぶりね、クライフ坊ちゃん」

「……ああ、久しぶりだなラー姉」

 

 やはり、苦手だ。微笑かけてくるラーへの対応にたじろぎながら、クライフも何とか作った表情でもって返す。そんな様子をラーはさして気にした様子も無く笑い流し、バルバロの方向へと向き直った。巻き上げた髪に刺さった銀細工の(かんざし)が明星を反射してきらきらと明滅している。

 

「それよりバルバロ。第五管轄地に向かうと聞いたわ」

「如何にもその通りである。ギルドより盾蟹の特殊個体の二次調査を依頼されておってな。あの奥まった『白亜の宮』に向かうのは少々気が滅入るが、我が輩が向かわずばギルドも回らぬぞ……と村長より脅されたのである。有望な若人に挑戦させれば良いものを」

「フフ。他のハンターの皆は、今も引っ切り無しの依頼に尻を叩かれて駆けずり回っているもの。六つ星の貴方が居るからこそ第五管轄地の依頼も回す事が出来るのよ」

 

 バルバロは綻ばせる程度、ラーは蟲惑的な、それぞれ笑顔での応酬。共にレクサーラの創設依頼の古参の仲間でもあるバルバロとラーは、その間でしか判らないものもあるのだろう。と、クライフは頭の中で適当に理由をつけておいて……青年としては、それよりも気になっている事があった。

 

「―― んで、なんでアンタがこの明朝に集会酒場なんかに居んだ? ドンドルマの本部に出向してたんじゃねえのかよ」

 

 言葉にある通り。クライフの知る限り、ここ数年のラーはドンドルマで観測所の切り盛りに忠心していたのである。彼女の意見は上役達に一定以上の影響力があるため、その間は書簡による連絡でもってレクサーラと繋がりを持っていた筈。

 問われたラーはくるりと反転。クライフを見て口元を抑えながらまた、笑って。

 

「勿論行くわ、これからまたとんぼ返りでね。でも、その前に貴方達が第五管轄地へ向かうと聞いてしまったの。いてもたっても居られなくて、こうして着の身着のままレクサーラに戻ったのよ。ああ、何て健気なこの私!」

 

 両掌をうす寒い藍色の空に向けて、ふるふると首を振るう。芝居がかった動作なのだが、この女性がやるとどうにも絵になる。胡散臭さの上塗りだ。

 そんなクライフとは対照的に。何かを思案していたバルバロは、ラーのそうした挙動を気にした様子も無くふむと唸る。

 

「観測所を取り仕切るお前が居るということは、そういう事であるか」

「ええ。動き出しているわ」

「心得た。十分に気を配るのである」

 

 しかしやはり通じ合っていたらしい。自分の勘も偶には当てになるものだ……しかしその前に説明をして欲しいとクライフは思ったが口には出さず、成り行きに任せる事にする。この竜人族の女性は毒の(たぐい)。薬として利用するのならば兎も角、誰しも不用意に手を出してショックを起こす必要はないのである。

 息を吐き出しながら、ラーは腰に下げていた巻物の束をバルバロへと差し出した。

 

「はいこれ。第五管轄地周辺の大型モンスター縄張り一覧、その最新版よ」

「良いのであるか? こんな飯の種を貰っても」

「お堅いことを言、わ、な、い、の。生きて帰ってきて、返却してくれればそれで良いわ。だって私、書類の整理は苦手だし。大切な書類が他の書類に埋もれて長い間失くしてしまう事だって、ままある事だもの」

「ふむ……ならば有り難く頂戴するが」

 

 巻物をバルバロが受け取り、そのまま懐へと仕舞い込む。視線を再び上げてラーへとあわせ、バルバロは手を振るう。

 

「ラーよ、態々の忠告に感謝するのである」

「別に良いわ。……それとクライフ、貴方にもこれを」

 

 今度は此方へと差し出された掌に、クライフが怪訝な顔を浮べる。そこには5cm程の金属質の板……にしか見えない物体が乗せられていた。

 おずおずと、手を、

 

「……っ!?」

「はい受け取ったー。もう返却は利きませーん」

 

 差し出した手はラーによってがっしと捉えられ、無理やりに握り込まされた。子供か、と喉元まで出掛かった悪態をすんでの所で押し留めた。

 それより。クライフが恐る恐る握られた指を解き、自分の手の中に移動したその物体を観察すれば ―― 表面が鏡状になるまで磨かれた金属片。中央にひび割れた様な線が一本走っている。

 いきなり爆発しない事には安堵しつつ、クライフは思わず尋ねる。

 

「これは?」

「それは狩猟成就の『お守り』よ。火の国の火山から取れる鉱石の中に、偶に今の技術では加工出来ない欠片が混じっているの。それを研磨したものが『お守り』ね。あのココット村の英雄も身につけていたらしいわよ? それが狩猟成就のお守りって言う、起源になっているのかも知れないけれど……ただし、王国では一般人へのお土産みたいな感じに扱われているみたいね。ああ、嘆かわしきは愚の集まり!」

 

 ラーはそのままどこか信頼出来ない詐欺師の笑みで、お守りに関する情報をぺらぺらと話し続けている。

 「ココット村の英雄」とは、ハンターの開祖とも呼ばれる人物である。この大陸の北西、シュレイド地方の南にココットという村がある。そのココット村の周辺に現れ周辺一体を恐怖に陥れたという一角竜「モノブロス」をたった1人で討伐せしめたという竜人族が「ココット村の英雄」だ。彼に纏わる逸話は幾つもあるがもっとも有名なのがこれであり、ハンターという職業を一般的にしたのはこのモノブロスの狩猟による功績が大きいのだという。

 そんな人物が「王都でお土産扱いされているガラクタ」を身に着けていたと謂われても、眉唾以外の何物でもない。少なくともクライフにはガラクタに見えている。

 クライフは訝しげな顔をしたものの、見ればバルバロも無言で頷いている。受け取れという事か。加えて、最後の後押しとなったのはラーから放たれる期待の眼差しである。純粋にも思えなくは無い威圧感に負け、青年は渋々とそれを鎧の内の袋へと放った。

 

「……まあ、気持ちだけは貰っとく」

「あら良い子。人の好意を素直に受け入れられる子って、お姉さん好きよ」

「……後で向こうの河に投げ捨てるか!?」

「やめてよ? 手に入れるのにも結構苦労したんだから。……もう、そこまで邪険にしなくても良いじゃないの」

「フム。クライフにはとことん嫌われている様であるな、ラー」

 

 腕を組んで笑うバルバロとその正面で頬を膨らませるラー。ハンター達がこぞって起き立つ時間よりは僅かに早く、周囲に人の居ない運河に笑い声が響き渡る。

 数時間後。結局はお守りとやらを投げ捨てぬまま、クライフ達は第五管轄地を目指して出立した。

 

 

■□■□■□■

 

 

 一行改めの一団は、大陸の南へと向かった。

 目的地となる第五管轄地は「渇きの海」ことセクメーア砂漠の中央部よりやや西へ下った、レクサーラの村から最も離れた位置に存在する猟場である。大陸を縦断する大地の裂け目「大地溝帯」の手前に位置し、ギルドの手から離れた地域であるためか、管轄地とは名ばかりの放任を決め込まれた場所となっており。観測の気球も飛ばされては居るものの頻度が少なく、また、管轄地としての役目を成さんとばかりに聳える巨大な岩場もあってか観測の精度も低い。向かわされるハンターにしてみれば得の少ない、正しく最果ての地であった。

 この第五管轄地へ向かう依頼に同行したハンターはバルバロ、クライフ、ヤンフィ、ノレッジの4名。後を追って、予備隊のハンターが8名向かう手筈となっている。今回は直接現地の調査を行う予定である為、ハンターの他、ノレッジと同じ三等書士官の書士隊員が2名。学術院より出頭した学者が2名と、狩猟支援の為の原住民が8名(内アイルーが4名)。総勢16名という大所帯となっていた。

 更に、これに加えて当初は隊長格として二等書士官が同行する筈であった。しかし……王都に在住する二等書士官はメルチッタという湖畔の港村から出港。大陸の西側に面する西竜洋(せいりゅうよう)を南下し、砂漠地帯を海から回りこんで第五管轄地で合流する……その予定だったのだが、航海の中途で件の大雨に出くわし、メルチッタへと引き返さざるを得なかったという結末を迎えた。合流は可能だが船の損傷が酷く、温暖期の内の再出発は難しい。レクサーラのギルドはそんな急遽の事態を受けて、ノレッジ・フォールを臨時の二等書士官へと格上げする事で書類上の都合を付けていた。

 しかし。

 

「……あの、ノレッジさん。地形のマッピングは、まだ……?」

「? いえ、ここでマッピングしてもどうにもならないですよ? 第五管轄地が近いとはいえ、その周辺程度の地図は在りますし」

「ノレッジさん、向こうに着いてからの分担はどうしますか?」

「あー、それは向こうについて一回りしてから考えましょうよ……。だって、現地の情報が殆ど無いんです。まずは管轄地の情報収集から始めないといけませんので、ここで組み立ててしまうと致命傷になりかねませんし」

 

 本来の少女はあくまで自分本位な指示される側、三等書士官である。机仕事を主としているドンドルマの「引き篭もり派」、所謂「ギュスターヴ・ロン流」の書士隊員を2名ほど引き連れたとて、少女の足枷にもなりかねない。

 自分とのやり取りにやや怯えや困惑の見える男性と女性を見やり……しかし、それでも、ノレッジは苦笑に近い形で微笑んだ。

 

「とはいえ、うーん。糞便収集係の時のわたしもそんな感じでしたからね……。何か判らない事があれば今の内に聞いておいて下さるとありがたいのですが、何かありませんか? 多少はお教えできるかと思います」

「あ、それじゃあ、ノレッジ臨時二等書士官。ハンターの間で使われるサインについて、今一度確認をしておきたいのですが……」

「はい。狼煙ですか? それとも徒手ですか? 光信号……は、気球に乗ったことのある書士隊員の方なら判っているかと思いますが」

「徒手のものをお願いします。お手数をお掛けして申し訳ありません」

「判りました。それでは……と。あー、ですけど、お願いしますからわたしの事を臨時二等書士官とかいう名称で呼ぶのは勘弁してください。たかが16歳の小娘はノレッジ呼びで十分かと思いますよ」

「あはは。それも現場ならではですか?」

「勿論。わたしが上とかは、書類上だけですからね。それに呼称は短い方が何かと便利なんですよ!」

 

 そこは人を篭絡する(無意識の)手管には事欠かない少女の事である。どうやら、何とか、上手くやっている様子である。

 大地を焼く白陽の下。レザー装備一式を纏った自分よりも年上の男女2名に指示を出し続けるノレッジに一先ずの安堵を得たバルバロは、ラーから受け取った地図を改めて広げた。その地図には、特殊個体の出現報告を受けて空からの再調査がなされた結果が描かれているのだが……ぐねぐねとした線が所狭しとうねり合った前衛芸術と見紛う「何がしか」が地図の上でのたくっていて。この第五管轄地周辺の生態が混沌としているらしいという事だけは一目で視認出来るものの……と、諦めと共に地図を荷へと放り込む。

 他に動きのある物については書類でも渡されている。そちらは文章で纏められている為に判り易い、と入れ替わりに広げる。内容の中でも特に注意すべきは、第五管轄地の周辺でアプケロスの大移動が見られたという事態であろう。これはいよいよ、脅威と成る大型のモンスターが縄張りとして魅力的な第五管轄地に居を構えている可能性が大きい。アプケロスは砂漠に住まう生物の中でも比較的体格の大きなモンスターであるため、餌とするモンスターも数多い。肉食もしくは雑食の大型モンスターとなると件の盾蟹が槍玉に挙がるが、そもそも草食であっても強大な相手から逃走もしくは闘争するのは生物の本能でもある。故にその種をこの段階において判別するのは困難であると言えた。

 温暖期と繁殖期で活動的に成る、砂漠に住まう危険度の高いモンスター。バルバロは偶発的には遭遇したくは無い彼ら彼女らを想起し……いずれにせよそれら脅威を掻い潜って、第五管轄地とその周辺の調査を成功させねばならない。大型モンスターに対しては自分達ハンターが楯となる予定だが、何せ奥まった土地だ。ある程度の道具の備蓄はあるとはいえ、頼みの綱のハンターが全滅していてはその帰路が怪しいものとなってしまう。

 暫し悩んだ後でやはりと頷き、バルバロは後で荷を引く現地協力者のアイルーに指示を出した。

 

「アイルー諸君。向こうの丘陵を越えた先は、ドスガレオスの回遊地になっているらしいのである。この先は登りが続く。少しばかり様子を窺って来て欲しい」

「アイアイ、斥侯ですニャ? でしたら先に見てきますニャ」

「ウム。気をつけて」

 

 びしっと敬礼を行ったアイルーが四足で駆け出して砂丘の向こうへと姿を消すと、バルバロは息をついた。良い機会か、と隣でだれながら歩く息子へと視線を振る。件のクライフは何事かという態度で此方を見上げる。

 

「……ウム。クライフ、お前にとって良い勉強である。管轄地についてからは行動指針をお前に任せようと思うのであるが」

「はぁ? 俺が? なんでまた、んなことを」

 

 クライフが突然の提案に思わず顔を歪めると、横を歩いていたヤンフィが声をあげ、好奇心を前面に出した笑みで顔を近づける。近付いた分、クライフは仰け反る。

 

「ニャハハ。ダンナがまた面白そうな事やってる、ね。クライフが指揮をするの?」

「ウム、そういう時期かと思ってな。お前はハンターランクを上げたいと言っていたではないか。それに今も我が輩の行動を熱心に見ているし、最近はヤンフィに心得を教授されているのも知っている。隊長としての経験を積んでおく事は、ギルドへの推薦理由として大きなものになるのであるが?」

「今ならダンナに、ワタシっていうフォローもあるもの。ワタシは賛成、ね。どうするクライフ? どうしてもって言うならワタシが指揮を取るの事よ」

 

 自らの目標へと突き進むノレッジに刺激された部分もあるのだろう。確かにクライフはここ二ヶ月程、研鑽として隊長の心得や地形把握、隊の統率といった知識に手を出していた。成果は上々で、狩猟の連携が取り易くなった実感がある。副次的な成果もあり、酒場に居ても積極的に他のハンター達と交流を持つようになり、ノレッジを介して職人頭とも話をする程度にはなっている。

 だがそれらはハンターランクを上げる為に積んでいた訳ではない。自身の技量向上の意味合いが強かった。ランクを上げたいなどとのたまったのは恐らく大分前、父への劣等感に苛まれていた時だけであった筈で。

 一端の男として隊長の立場に憧れが無いといえば嘘になる。が、クライフが目指したのはそもそも「ハンターではなかった」のだ。書士隊員でもない。ましてや上役でもなく。……父の跡を継ぐ様な人物(・・)に成りたい。と、それだけを目下の目標として今の青年は邁進しているのである。

 とはいえ、理由を勘違いされている事には腹立たしいものの。指揮を執ると言う行動自体は、父の背を追う青年にとっても有用な経験であるという点について間違いはあるまい。迷った末、クライフはその申し出に頷いた。

 

「わかった、やってみる」

「ウム」

「ワタシもフォローする、ね。頑張るよ、クライフ!」

 

 拳を握って大げさな反応を示すヤンフィ。うんうんと頷くバルバロ。二つの視線に耐え切れず。クライフは顔を逸らし、ぼりぼりと頭を掻いた。

 脳内で訓令を発する緊張を噛み砕きながら歩を進める。丘陵の頂上へと差し掛かった頃合で目前の土が盛り上がり、中から先ほど斥侯に向かったアイルーが飛び出した。バルバロに向き直り脚を揃えてびしりと敬礼。

 

「報告だニャ、バルバロのダンナ。南西5キロ周辺の地上に大型モンスターの姿は確認出来ませんでしたニャ」

「ウム、ご苦労である。……丁度良い」

 

 一団の先頭。延々と続いていた丘陵を登りきったバルバロは丁度良いと呟いて、後に続くクライフらを振り返った。何事かと見上げた全員が、足並みを揃えて次々と丘陵を超える。

 続いていた土色の世界から、景色が開けた。

 

「―― 見えてきたぞ。あれが第五管轄地である」

 

 砂の原にぽつり。暑さの見せた幻かと思うほど、突然、それは姿を現した。

 中央を貫く岩場が白い岩肌を輝かせ、周囲を無数の鳥たちが飛び回る。裾には緑とオアシスを見せびらかすかの様に広げ、味気のない砂と礫の風景の中で一際の異彩を放つ。

 離れたこの位置からでも、その場が生物にとって魅力的な場所である事が窺えた。まるで一塊の宝石の様な美しさだ、とキャラバンの誰かが溢す。

 始めて目にする猟場に各々が感嘆の吐息を漏らす中、バルバロが先陣を切って歩き出す。

 ドンドルマが管理する内、最たる辺境にして最奥の猟場 ―― 第五管轄地における調査が幕を開ける。

 

 

□■□■□■□

 

 

 荷物を近場に隠したバルバロ一団は二手に別れ、第五管轄地の状態把握へと乗り出した。

 狩猟支援の原住民と学術院の研究者はクライフとヤンフィが引き連れ、外周の緑地とオアシスを。バルバロとノレッジは書士隊員を引き連れて、中央に聳えた岩場周辺を捜索する手筈となった。周辺の生物が減少した事象もあり、調査に本腰を入れるのは管轄地の安全の確認をしてから行うべきであるとの合意がなされたためである。

 安全の確認には本拠となるキャンプ場所を見定める意味も含まれており、単純に危険度と人数とを勘定した人員配置がされた後、それぞれが目的の場所へと向かった。

 

 青年と女性。

 青年たるクライフは「ハイメタ装備(シリーズ)」と呼ばれる鉱石の鎧を纏っては重そうに足を動かし、背負った無骨な鉄槍『ランパート』が陽光に反射して暑苦しくも燦然と輝いている。

 女性たるヤンフィはダイミョウザザミの甲殻を素材として加工した「ギザミ装備」。その武器は『フロストエッジ』と呼ばれる超高密度の氷結晶から作り出される片手剣である。常温でも溶けないのが売りの氷結晶が更に密度を増しており、また刀身をコーティング剤によって覆われているため苛酷な環境でも液化はしない。ただし、彼女がこの武器を選んだ理由は主に「クーラードリンクの節約になるから」であるそうだが。

 10名の内の2名、ハンターたるクライフとヤンフィが先頭に立っていた。緑があるといってもあくまで砂漠の中においての事。間隔の開けた樹の間を周囲を警戒しつつ。

 

「人数が多いと気を配らないといけない、ね。何時もは4人と、居てもお手伝いのアイルー程度だから。ぞろぞろと引き連れて居ると、何だか遠足気分の事」

「ったく。ヤンフィ、その能天気さはどうにかなんねえのか? 今だって何処からモンスターが現れるか判ったもんじゃねえんだが」

「ニャッハハ!」

 

 クライフが悪態をつくと、ヤンフィは曲芸的な手遊びで回していた片手剣を腰にすとりと差し、頭の後ろで手を組んで陽気に笑った。クライフとしては荒らされた管轄地など「その他」と変わりないと思っているのだが、ヤンフィは違ったらしい。指をたて、眼鏡をくいと引き上げて。

 

「ワタシは小さい頃、バルバロに連れられてこの管轄地に来た覚えが在るの事。地図を見た限りじゃあ外観も植生もあんまり変わりは無いね。となると障害物の少ないこの状況。大型モンスターに気をつけていさえすれば良い、ね。違う?」

「……だけどな」

 

 昔であればヤンフィの楽観的な言動は欠陥を孕んでいる様に感じたであろうが、今となってはクライフも実感している。大型モンスターが此方に敵意を向ければ、害される側は確かにそれが「判る」のだ。それは「勘」としか言い様の無い諸刃の武器であり、年季の入ったハンターほどそんな「勘」を身に付けていて ―― 目の前の陽気な女性もそれを武器として扱う1人であった。

 勿論気配を殺してくるモンスターも居る。しかしこうも開けた砂漠において、気配を殺す事に意味があるのかは甚だ疑問である。地中を移動したとしても、土を掻き分ける音と振動は普通に近付くよりも判別が容易い。そのためクライフも警戒はするものの、即時行動が必要な……警戒度の高い事態は無いと踏んでいた。

 アイルー2匹にも後方と前方の警戒を頼んでいる。経験の浅いクライフとしてはやや悩んだ末に前後方との指示を出したのだが、隊長としてのヤンフィからもお墨付きを貰えたので多少は安心をしておいて。

 

「とはいえ水も植物も獲物も、巣まである至れり尽くせりの環境の事。小型のモンスターは確実に居る、ね」

「やっぱりか。……となると、中央部の方に密集してんじゃねえか?」

「多分YES、ね。ダンナとノレッジがちょっと心配。……でも、これだけの環境を何でギルドが放っておいてるのか。きちんと整備すれば十分な利益になりそうなのにねー」

「遠いからなんだろ? 親父からはそう聞いてんぞ」

 

 首を傾ぐヤンフィの言葉に反射的に呟くと、彼女はにやりと口の端を釣りあげた。嫌な予感だ、とクライフが口を開くその前に。

 

「ンニャッハハ! 何だかんだで親父さんの言う事はしっかり聞くの、ね! 流石は坊ちゃん!」

「うるせえ黙れ、ギザミフェチ! 髪型までギザミで揃えやがって!!」

「修繕の素材が手に入り易いからであって、フェチじゃないねー。それに片手剣は氷結晶だもの、ね!」

 

 今にも槍を抜くかと言う怒号を上げたクライフの数歩先まで駆けて、ヤンフィは取り外した楯を指先でくるくると回しながらからかう。

 後ろではそんな2人のやり取りを見ていた数名が不安そうな表情を浮べるが、バルバロら一団の狩猟に付き合った経験のある人員がいつもの事さと宥めすかす。

 どうやら、外周の調査は滞りなく進みそうだ ―― 。

 

 

 一方、壮年の男と少女の側は早速の遭遇戦を迎えていた。

 ノレッジがその手に弩を構え、薄く生えた草原の上をひた走る。目指すは前方に口を開けた岩の切れ間である。先日()狩猟したドスガレオスから作られた「ガレオス装備(シリーズ)」の鎧。青い鱗で覆われた胴体部分が柔らかにしなり、金属質な部分が陽光を鈍くも返す。

 一定の距離まで移動した所で洞窟の中に小型走竜が居ないのを確認して、手招き。砂竜のヒレをあしらった腕鎧をひらひらと揺らす。追いついた男女の書士隊員……ケビンとソフィーヤを岩場に潜ませて、息を切らしている彼等に向かって目線で促しながら確認。

 

「良いですかケビンさん、ソフィーヤさん。ここを動かないで下さい。危険時には音爆弾。……わたしとバルバロさんがゲネポスを掃討しますっ」

「は、はい」

 

 確認は済んだ。言って入口までを戻り、少女はすぐさま膝立ちに照準機を覗き込む。

 手に持っているのは『箒星(ブルームスター)』……とノレッジが勝手に呼称している新造の弩だ。これは砂漠で採掘を行った際「鉱石なのかどうかも判らない」と評していた素材を主な原料として作り上げられている。

 慣れ親しんだ『ボーンシューター』もあるが、何せ砂漠奥地への遠征である。念には念を入れて予備の武器を作る必要があったのだ。その作成にあたり、ノレッジはありったけの素材を工房へと持ち込んだ。その中から職人頭の鉄爺が取り上げた素材を工房の技術を駆使して試験的に作成されたのがこの『箒星』である。

 鉄爺の取り上げた素材は「星鉄」という名であった。どうやら太古の昔に空から砂漠に飛来した金属であるらしい。解析も試作も不十分な「星鉄」は、しかしそれぞれが元々パーツであったかの如く迷い無く削り出され、弩への加工には2日と掛からなかった。しかも出来上がった時には研磨された銃身が勝手に青い輝きを放っており、工房では着色もしていない……という辺りに曰くつきな不安は感じるものの。弩としての性能は職人頭の折り紙つきだ。『ボーンシューター』の癖や反動が身に染み着いてしまっているノレッジも、試し撃ちをしてみて異様にしっくり来る奇妙な心地よさを感じていた。だとすれば他の慣れていない弩を投入するよりは良いだろう ―― と判断し、試運転を兼ねて、こうして遠征にも担ぎ出したのである。

 『箒星』の名の通り青白い銃身。乾いた向かい風に向かって、名前の元でもある銃身の根元に突き出た十字の突起を地面に刺し、もう一方に取り付けられた照準機 ―― ゲネポスを、捉えた。

 

「……っ!」

 

 続け様に引き金を引く。びぃんという澄んだ音。反動に腕が持ち上がり、弾頭が大気を裂く。大剣を振り回すバルバロの後ろに居たゲネポスを弾き飛ばし、突き飛ばし、最後に腹を撃ち抜いた。

 後ろのゲネポスが居なくなった事を見ずとも察し、バルバロは大股で一歩を踏み出す。一角竜の赤黒とした鎧を反らし、ごうと風斬り音を唸らせ『バルバロイブレイド』を振り下ろす。紅蓮石を駆使した中枢が熱を発し火花を舞わせ、ゲネポスの首と腹、2頭分を纏めて袈裟懸けに斬り(・・)焼き(・・)潰した(・・・)

 巨躯に見合わぬ精緻な足運びと技量に目を見張りながらも……残るは2頭。20メートル程度の位置に居た個体へと向けて、ノレッジは装填を終えた弾丸を撃ち放つ。幾ら走竜だとてこの距離を一足には詰められない。弾丸を受けたゲネポスが動かなくなった頃には、バルバロがもう1頭を切り伏せていた。

 

「終わったであるか」

「……の、様ですね」

 

 辺りに焼けた脂の匂いが立ち込める中、バルバロが肩に大剣を担ぎながら洞穴の傍にいたノレッジの横までゆっくりと近付き、見回した。ノレッジも首を動かすが、潜む場所の無い草原の丘には走竜の陰も形も見当たらない。

 

「気配も……む。ないな」

 

 大剣を背に納刀するバルバロの様子を見て、ノレッジも安堵の息と共に『箒星』を背負う。

 岩場に近付いているノレッジ達はここに来るまで既に3度、ゲネポス一団との遭遇戦を終えている。しかし不思議と、少なくとも差し迫った危険が辺りに潜んでいない事はノレッジにも感じられた。

 息遣いや足音。肌も呼吸をしている。体は熱を放ち、心臓は動く。そういった物を鋭敏に成った感覚によって捉える事が出来ているのかも知れない。……オカルトな話ですね、と言いたい所ではあったのだが、実感してしまっては無為に否定も出来ない。

 それにヒシュの事もある。かの狩人が狩猟の中で「視る」というのを、オカルト染みた技能だとは何度も感じていたのだ。自分もヒシュと同様の境地に一歩でも踏み出せたのだとすれば、と、どこか誇らしくも嬉しい感覚も少なからず抱いている。

 隣で大剣を振るうバルバロの「気配繰り」は、ともすればヒシュよりも鋭敏なものであった。大剣を掲げ大胆な位置取りをしながらも、まるで全体を見渡しているかの様な動きを何度も見せるのである。ノレッジと打ち合わせをした上での行動も多いが、先ほど「2匹纏めて切り伏せた」際の様に、阿吽の呼吸で動き出す顕著な物もある。恐らくはこの人物も、ノレッジが目指すべき先に居るのだ。

 そんな風に、ランク6という実力についても考えを伸ばしつつ。割れた顎を撫でながら瞑目するバルバロの隣にノレッジが寄ると、口を開く。

 

「思っていたよりもゲネポスの数が多いのである。それもあの岩に近付くほどに、走竜の一隊に含まれる数が増加しておる。……中央部に巣を作り、そこから逃げ出しているか?」

「あー、そう言えばガノトトスの時もそんな事がありましたよ。……でも中央部に大型モンスターが潜んでいるとすると、そのモンスターとドスゲネポスとが縄張りを共有しているというちょっと考え難い事態になってしまいますが」

 

 砂漠における管轄地の条件には水脈の有無が含まれる。地下地上の差異はどうであれ水脈の有る所には植物が生り、連鎖的に生物が集まってくる為だ。その点についてはこの第五管轄地も例外ではなく、地上には小さな湖が点在し、地下水脈が流れている事が数年前までの調査で確認されている。

 それは無いと判っていながら(・・・・・・・)状況だけを鑑み、ノレッジは二ヶ月程前に魚竜を狩猟した際の出来事を引き合いに出してみたのだが、案の定バルバロは顎を撫で始めた。先ほどから続けられているこれは、彼が考え事をした際の挙動である。

 

「地底湖があれば魚竜が移動してきたとも考えられるであろうな。しかし、この一帯には植生や小さな湖を成す程度の水脈はあれど、地底湖や河川の類は存在しないのである。地形が変わるにしても観測が放棄されていたのはたかが2、3年であって、それでは早過ぎる。観測上も河川は出来ておらぬしな。と成るとガノトトスではなく……いや、決め付けは良くないか。やはり実際にこの眼で見てからである」

 

 バルバロは首を振ると、岩間から此方を窺っていたケビンとソフィーヤを呼び寄せた。恐る恐る周囲を確認しながら合流した2人に、バルバロは豪快な笑顔を向ける。

 

「安心するのである。ゲネポスは去ったぞ」

「襲い掛かられるような位置に居た個体は掃討しました。お疲れの所を申し訳ありませんけど、日が暮れてもあれです。先を急ぎましょう」

 

 未だ血の飛び交う狩猟の現場に言葉が出ず、ケビンとソフィーヤがこくこくと頷く。少しでも不安を和らげようとノレッジは笑いかけ、バルバロはケビンの肩を軽く叩いた。

 多少は緊張も解れた頃。促しに応じ、4人は更に岩場へと近付くべく、再びその場を離れて行った。

 

 その後、ゲネポスとの遭遇は1度。薄生えの草原を歩ききり岩場の麓近くに着く頃には、ぴたりと襲撃は止んでいた。替わりに増えた巨大な羽虫・ランゴスタをバルバロが大剣で振るい落とし、ノレッジは取り出した松明で持って焼き潰しながら岩間の路を進んで行く。

 ランゴスタは麻痺毒を分泌する尻を避けて羽を潰せば動けなくなるため、数は多くなるもののゲネポスよりはマシだろう。とノレッジは感じていたのだが、他の三等書記官達は巨大な虫の潰れる光景がどうにも合わなかった(・・・・・・)らしい。ノレッジもやや配慮し、今度は必要最低限のランゴスタだけを駆逐しながら、更に先へと入る。

 岩肌を登り、降り。

 

「っと……到着ですね」

「で、あるな」

 

 40分ほどで岩間が開け、白地の岩峰が迫り出した。第五管轄地の中央部へと辿り着いたらしい。顔を見合わせた後、ケビンとソフィーヤを待機させて、バルバロとノレッジが先行して降りる。

 

「……そういえば、砂地ですね?」

 

 着いて同時、ノレッジは足元の感触に首を傾げた。白地の岩峰を挟んだ向こう側には、予想を違えて砂漠が広がっていたのである。岩間は急に途切れた形だった。

 

「これは元より変わりない。岩峰たる白亜の宮は、あくまで管轄地の砂地と岩間とを別つ目印として使われる物である」

「成る程……」

 

 確かに岩峰は草原、岩間、砂地の3つの地域の丁度中央辺りに聳えている。ハンターにしてみれば方角や位置の確認に使う目印としてうってつけであろう。

 バルバロの解説に、ノレッジがほうと関心を向け……

 

 ―― 。

 

「……ん」

「やはり、居るのであるな」

 

 びりと肌を刺す威圧感に向けて、ノレッジとバルバロは同時に正対する。足音を聞きつけられたらしい。何にせよ侵入者は此方の側である。

 発せられた威圧感。視界には地平線までの砂原。

 何処からとは問うまでもない。2人の視線は自然とその下 ―― 砂地へと傾いた。

 

「ノレッジ。ヤンフィとクライフに集合のサインを送っておくのである」

「了解です。ケビンさん達に狼煙で連絡をして貰います。……サボテンと言われれば、確かに。これが元凶なんですかね?」

「判らん。……何れにせよまずは迎え撃たねば、我が輩達が危ないのである」

 

 後ろを向いたノレッジが待機場所である岩間の境目に向けてサインを送る。指示の通りに煙が立ち上ったのを確認して、向き直る。

 バルバロが大剣の柄に手をかけ、地面を睨む。ノレッジは弾丸を装填してある『箒星』を解き、腰に着けた。

 地面が小刻みに振るえる。

 近付き。足元で静止する。

 右前方30度(・・・・・・)下だ(・・)

 察知するや否や、ノレッジは横に飛び退き ――

 

「ッ、オ゛オォォーッ!!」

 

 同時。その音が大地を割いた双角の口元から発したものであったのか、足元に向けて振るわれた大剣のものであったのか。

 ずんという腹の底に響く轟音をあげ、火花と砂礫とを盛大に散らし、両雄は激突する。

 遠景から見据えたノレッジはいつかの仮面の狩人を思い出しながら、学術分類を頭の中で唱え始めた。

 

「竜盤目、獣脚亜目、重殻竜下目、角竜上科、ブロス科。……っ!」

 

 砂漠での修行の経験は確かに生きている。今のノレッジは、気圧されはすれど怯みはしなかった。現れたのは間違いなく強大な相手だが、レクサーラを巻き込んだ一連の元凶であるならば ―― ハンターが狩るべき相手でもある。

 持ち上げた銃口の先で押し合うのは、大剣を半ばまで振り下ろしたバルバロ。そして、突き出された雄雄しき双角。

 

 

 

 砂漠の暴君。ディアブロス。

 

 




 第五管轄地ちゃん高貴ぼっち可愛い!(無機物
 尚、この地はオリジナルのフィールドになりますです。マップとか書いて挿絵機能であげられれば、想像し易いのでしょうか……とちょっと悩んでおります次第。各地の移動の描写もクドイですし……うーん。いえ、本文には上げませんけれどね。補足説明として、あとがきとか活動報告なんかに。とりあえずペンタブですか(ぉぃ
 あと、SOA……ではなく。ノレッジは意外と信じてくれます。ピンク髪ではありますけれども。
 狩猟支援の原住民。最初はシェルパと表記していたのですが、仕組みは兎も角詳しくは違うかな……と感じ、表記を差し替えております。いえ。意味合い的にはシェルパと書いた方が伝わるかと思うのですけれどね。後々を鑑みて、こういった表記が活かせるかなぁと。悪しからず。
 あと、星鉄について。「ドス」やフロンティアをやる方であれば判るかも知れません。きちんと原作にであうアイテムです。使い方はオリジナルですが(苦笑

 さて、あと6日ですね。ではでは。


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第二十三話 共振共闘

 正面に押し合う双角と大剣。

 牙を絡め鍔迫り合い、バルバロは獲物と見定めた双角竜に向かい『バルバロイブレイド』を奔らせる。炎熱それ自体は厚い外皮を持つ双角竜にとって有効打とはならないものの、バルバロの巨男たる膂力と大剣の質量でもって圧して行く。

 

「―― オオオオッ!!」

「ブロロォ、ロロッ!!」

 

 次撃。溜めて振り上げられた大剣を角竜は首下の襟巻きで受け流し、同時に恐るべき早さで双角を掬い上げ ―― バルバロが身を捻って躱す。巨男と巨竜とが、交錯。遠目から射撃を行っているノレッジにも余波が伝わって来る程の衝撃が空気を震わす。

 要は次の攻防にある。体勢を崩しているバルバロへ、ディアブロスが角を左から突き上げ、振るう。

 少女は上げて戻す機を読み、その一点 ―― 先を見て狙いを付けた。

 

(バルバロさんが、惹き付けてくれているなら……これを!)

 

 重弩『箒星(ブルームスター)』を腰に着けたまま中腰に抱える。貫通弾を込めてある外付けの追加弾倉を接合し、確認をする暇が無い事を惜しみ、詰まらない様にと願いを込め……扱いたての筈のこの重弩は、しかし、すんなりと狙いを定めてくれる。

 当てられると言う確信を持ち、ノレッジは引き金にかけた指に力を込めた。撃ち放つ。6発。装填の必要は未だ無い。射角を微調整し、7発、8発、9発、10発。

 双角竜が衝撃に首を傾け、右側面に居た少女の側を向く。―― 向いた時、既に少女はその場を離れている。外付けの部品を無造作に砂へと投げ出し、バルバロの反対へと駆け出していた。

 双角竜はノレッジが離れたのを受けて、再び正面に、視線を、

 

「―― ムオオッ!!」

 

 今度はバルバロが力を練って振り上げた大剣が、双角竜の視界を埋めた。

 重さを生かした一撃が脳天から振り下ろされ、向けようとした双角竜の頭は、直後に地面へと叩き付けられた。間を置かず、左から炎を纏った大剣が再び襲う。双角竜の牙の生えた顔が今度はかち上げられ、よろけた。たたらを踏んでいるその隙に、退いた二人が合流する。一角竜の鎧の内から大きな声が響く。

 

「ノレッジ、先ほどの外付け弾倉は新しい装備であるか」

「はい。動きながらだと高確率で弾詰まりを起こすので、自分の身体を固定して緩衝に使う必要がありますし、弩の構造上相性が悪い弾丸は無理なのですが、20発まで装填を行わず連射が出来ます!」

「ウム。ならばその隙を作り出す役目、このバルバロに任せるのである。我が妻の打ち鍛えた大剣でもって、角竜を砂原に引き摺り回してくれよう」

「あはは、流石はバルバロさんです。……頼りにしています!」

 

 言って笑いあった顔を、2者共に引き締める。

 双角竜の厚く垂れた瞼に隠された眼が狩人らを睨む。のしりと踏み出された脚 ―― 巨体が一つ飛びに加速する。

 僅か3歩で、左の角はバルバロを射程に捉えた。だがそれも狩人達の思惑の内。突進を嗾けた双角竜に、バルバロは蛮勇で持って踏み出した。

 しかし、双角は空を切る。バルバロを蹴り飛ばすかと思われた左足は(つか)えなく動き、左翼だけが大剣にぶたれ、仰け反った。避け際に一撃を加えたバルバロは、大剣を思い切り後ろに振り上げて衝撃をいなす。

 

「ブロ、ブロロロォ!」

 

 翼を一撃されたとてその勢いに曇りは無い。双角竜は二脚と翼で器用にバランスを保って砂原を滑り、身体を傾け、すぐさま反転。再びバルバロに狙いを定めた。

 バルバロは背後に大きく大剣を放り体勢を崩している。防御は不可能だ。その反撃を赦す訳には行かない……と、射手(ガンナー)たるノレッジの眼球が攻勢の機をしかと見据えていた。

 撃ち出される拡散弾。追加の弾倉からしゃがみ撃ちされた小型の爆弾が雨霰と足元を焼き爆ぜ、反転を試みていた双角竜の両脚をもたつかせ、遂には転ばせるに至る。

 ノレッジが砂漠を訪れてから積んでいた経験は、何も身体技術や勘といったものだけではない。知識として得た弾種やその特性、新しく開発された弩の機構についても実際に運用を行っていた。

 例えば弾丸の基本とされる通常弾であっても、弾の素材が違えば跳弾の度合いが違ってくる。視点を変えて見れば拡散弾はこうして足元を崩すのに使える他、腹の下に潜り込んだ攻撃を加えられるという意味合いもあったのだ。

 工房で試作される弾丸は今現在も着々とその数を増やしている。新しい物の例を挙げれば斬裂弾……砥石を弾頭とする事で皮膚を抉り削る様な、変り種の弾種までもあるという(それらが果たして運用されるのかは、さておき)。

 この様に、レクサーラはギルドとしての歴史は比較的浅いが研究熱心で、しかも初心を脱した中堅の……比較的若いハンター達がこぞって集まる土地柄にある。情報の量も中々に膨大であり、ジャンボ村に引き続き、ノレッジは暇さえあれば享受をと村中を走り回ったもの。

 

(……その分の成果は、こうして狩場に表れていると思うのですよね。……でも、)

 

 ふぅと息を吐き、ノレッジは脚を動かして位置取りを変えに走る。窮地を脱したバルバロはノレッジに一瞥の礼をくれた後に体勢を立て直し、双角竜に近寄って背甲、腹、胴と斬り付けた。身の丈程もある大剣をまるで棒切れの如く振り回し、流れの最期に持ち上がったばかりの頭を打ち据える。

 大剣を振るうバルバロの型は、ギルドで教え込まれる主流からは外れているが、濁り無く澄んだ体術であった。それ所か真に重撃とでも呼ぶべき「何か」を纏っている。恐らくは自らの体格に合わせた剣術として比重を裂いているに違いない。

 

「ブロッ……ルルルゥゥ……!」

 

 再び首を擡げた時、双角竜は口から黒い吐息を漏らしていた。怒気を隠そうともせず、目の前に立つ二方の敵を睨み据える。

 

「とぉ。怒りましたね」

「……ウム」

 

 双角竜が怒気を顕にしたその瞬間、重圧が周囲を包んだ。ノレッジは威圧されながらもそこへ、観察の眼を剥いてゆく。

 この威圧感の中に在って畏怖と嬉色とを交えた少女を、バルバロは見つめ。

 

「……怒り時の角竜の膂力には注意が必要だ。挙動は余裕を持って見切るべきである。クライフとヤンフィも居るのだ。キャンプも未だ設営を済ませていない。ここは回避に専念し、暫く観察を済ませたら一度撤退するのである」

「はい、了解しました!」

 

 提案に素直に頷き、ノレッジは弩を背負った。言葉の通り回避と観察に専念するつもりなのだろう。その僅かな挙動も見逃すまいと、視線はしっかりと熱砂の上の双角竜に固定されている。

 砂原を逃げ回り、脅威の脚力と無尽蔵のスタミナを実感した後。ノレッジとバルバロはペイントボールを放り、管轄地がハンターの猟場になり得るその所以……双角竜が通れない狭さの隘路を伝い、遭遇戦から撤退した。

 

 

 

■□■□■□■

 

 

 

 双角竜から逃げ切ったバルバロらと別隊であるクライフらが合流したのは、白亜の宮の根元……ただし砂漠の側ではなく丘陵地帯を超えた部分に開けた小広間の側であった。

 第五管轄地の調査団16名は人員を誰一人欠かず、一日目の調査を終えていた。

 土色の水平線に日が沈み、セクメーア砂漠に夜が来る。冷え込み藍に染まってゆく空の下、わらわらと集まった現地協力者達が設営されたテントの前に集まり、夕食を作り始めている。

 その中央、篝火の横にて。それぞれが持ち寄った第五管轄地の情報を纏めるべく、四者のハンターは顔を突き合わせて地図を睨む。

 

「あっちの影にある洞窟には予測の通り走竜ども……ゲネポスとその親玉が潜んでいやがった」

 

 クライフは現在地から1キロほど北西の位置を指した。次いでヤンフィが覚えている限りの情報を吐き出す。それら、それぞれの成果を書き加えたものを、ノレッジが書士として纏めてゆく、

 しかし、これらは只で手に入れた情報ではない。ノレッジとバルバロが双角竜と対峙しているその間、クライフ達はドスゲネポスら走竜の急襲を受けていたらしい。協力者一団を逃がしながらの闘争となったが、そこは経験のあるクライフとヤンフィの事。現地協力者達には狩猟道具を上手く使わせる事で撃退 ―― どころか反撃をもって、親玉を仕留めていた。

 おかげで双角竜と対峙したバルバロ達との合流は遅れてしまったものの。双方が逃げた先でかち合わせ、モンスターによる挟撃を受ける……などという想像しうる限り最悪の形よりは遥かに好ましい結果であった。

 付き合いからその手腕と運びの速さを知るノレッジは、納得しつつ、唸る。

 

「ふぅむ。だとするとこの第五管轄地には、ディアブロスとドスゲネポスとが共存していた訳ですね?」

「そうねー。っても角竜は砂原だし、走竜は岩場に住めるの事よ? 角竜は植物食で、走竜は肉食。食事も生息域も被っていないんだし十分にありえる話だと思うけど、ね」

「そう、なんですよね……」

 

 理由としては納得できる。しかしどこか腑に落ちない。そんな表情を隠せずにいる少女を見やりつつ、バルバロは場を動かないまま。

 

「……とはいえ長い間放置されていた場所である。管轄地の内々で縄張り争いが繰り広げられていたという例も、少ないながら無い訳ではない。他の生物の台頭も、警戒しておくに越したことはないであるな」

「っけ。ツイてなけりゃあ親父の権限で大連続狩猟の現地発布か……勘弁してくれよ、ったく」

「ふっふー。クライフ坊ちゃんの指揮下で大連続狩猟ってのも面白そうではあるけど、ね。今回の目的はあくまで調査だから、逃げるときは逃げるの事よ。ねえダンナ?」

「ウム。これは狩らねばならぬという依頼ではない。後追いのハンター達に任せる事も時には重要である……が、狩る事の敵う相手は、ここで狩っておくべきであるな」

 

 バルバロから発せられた一言は、この場に居合わせたハンター4名の総意でもある。

 この管轄地に潜む走竜の親玉が1頭とも限らない。双角竜は確かに脅威だが、砂漠においては度々出くわす種族である。砂漠に程近いレクサーラに所属するハンターの多くは遭遇した経験があり……バルバロを始めクライフもヤンフィも、集団における双角竜の討伐経験を持っている。またこの第五管轄地に出現した双角竜の固体は体格や傷跡から、成熟したばかりのものと予測される。そのため、狩ると決めてかかれば討伐できない相手では無いだろう。

 だとすれば、余裕の在る合間を縫って弱らせるだけでも。これは調査とは別に、ハンターとして課せられた役目といえる。

 するとここで、頬杖を着いて流れに任せていたクライフが。

 

「―― ん、だとすりゃ親父とノレッジは明日もディアブロスの牽制だな。オレらが調査を終えて合流出来りゃあ万々歳だろ……」

 

 思わず脳内から漏れ出したという様に、ぼそりと呟いていた。

 クライフは直後にしまった、と口を紡ぐも時既に遅し。ヤンフィがにんまりと笑みを湛え、

 

「坊ちゃん、ああ坊ちゃん! 無気力だったあの頃とはうって変わって、意見を差し込む程に逞しくなられて! ワタシは嬉しいの事よッ!!」

「引っ付くんじゃねえ! 離れろ!」

「流石、クライフさんとヤンフィさんは仲が良いですね!」

「がっはは! これなら調査を任せても問題ないのである!」

 

 クライフにヤンフィが擦り寄り、ノレッジと、バルバロが豪快に笑う。現地協力者や調査団の人員も徐々に釣られてゆき、ついには全員が笑顔を浮べていた。

 汁物の湯気が沸き立つ中、人々の笑い声が第五管轄地に木霊する。一頻り笑い終えると、ヤンフィが音頭を取って夕食が始まった。先にからかわれたからか、無言で匙を口に運ぶクライフを横目に、ヤンフィは書物を広げながら器に直接口を付けるノレッジの隣に座った。

 

「ところでね、ノレッジ。ガレオス装備の出来はどうなのよ?」

「はい、とても良い出来だと思います」

 

 ノレッジは目線を上げ、思っていた事を率直に述べた。

 少女が現在身に付けているのは砂竜の素材を主として作られた鎧。かつてジャンボ村で拵えたランポス装備は、砂漠で多くの狩猟をこなした事によって磨耗を余儀なくされてしまった。しかしランポスの素材はここレクサーラ周辺では手に入り辛いため、鎧を新調する運びとなり、少女は数多く狩猟した砂竜の素材を選択したのである。

 鉄爺らによって仕上げられた新しい鎧は、こうして多くの狩猟をこなしていても、未だ射撃の動作を阻害した覚えが無い。鎧は滑らかな鱗や甲殻などを関節部に仕込み、また下鎧とする事で可動性を確保する作りになっている。構造としても乾燥帯における保湿の機能性と熱放出能力に優れており、砂漠の広がるセクメーア砂漠においては大変に使い易いものであった。

 ――しかしそう考えると、今ノレッジの傍らにある重弩『箒星(ブルームスター)』の異様さが際立って見える。例えば、竜車の荷車に分解したまま寝かせてある『ボーンシューター』は骨を素材とする故、生物由来の「馴染みの良さ」がある。それは時にしなやかさや温かさに例えられる言外の「馴染み」であり、鉄製の、頑丈さを売りにした弩にはない良さでもあった。

 鎧だとてそうである。鉱石には鉱石の、生物由来には生物由来の良さがある。そして、それら良し悪しを継ぎ合わせ、繋ぎ合わせるのが工匠の役目なのだ。

 だが、だとすると、『箒星』が奇妙に手に馴染むこの感覚はおかしなものだと言わざるを得ない。何せ素材となった「星鉄」とはあくまで鉱石の類である筈。いくら鉄爺が腕を振るったとはいえ……むしろ違和感を覚えるほど……馴染まれるとなると、射手の末席に身を連ねるノレッジとしては「奇妙」と言い表す他にない。

 

「あー……この鎧だって、こんなに鉱石が使われているのに動き辛さはなくって……それに、ランポス装備の時よりも暑さが楽になった気がしますね」

 

 脳内ではそんな風に悩みつつも、無難な答えに終始したノレッジに、ヤンフィはふぅんと唸る。

 

「ほうほう。……ニャッハハ、ノレッジは才能あるの事よ。でもさ、もっとお洒落な鎧じゃなくって良かったの、ね?」

「? いえそれは、別に……」

 

 才能という言葉には僅かに引っ掛かりを覚えたが、後に続いた言葉に対してノレッジは首を振る。彼女自身、お洒落を理由に鎧を選ぶつもりは全くと言って良いほど無い。実用性が第一である。その点において、ガレオス装備は満足どころか自分には過ぎた鎧であるとすら思っている。

 そんなノレッジの悪い意味での素直さを気に留めず。ヤンフィは自身の鞄を漁ると、そこから1冊の本を取り出して広げて見せた。

 

「でもほら、これなんて似合うと思うの事よ?」

「あ、可愛いですね」

 

 煌びやかな表紙。それらを捲り、開かれた頁には、真っ白な布地(の様な)素材で作られたハンター用の「鎧」が描かれていた。

 少女は生来の思考から一瞬、防御の性能は ―― と考えはしたものの。内に縁取りの型金でも入っているのだろう。ふわりと広がったスカート型の腰部位を基調として艶やかにまとめられたその防具は、ノレッジの目にも可愛さを引き立てる様に映った。

 機能性ではなく設計(デザイン)についての感想を率直に口にすると、今度はヤンフィも満足げな表情を浮べた。手に持った冊子を見せびらかす様に掲げる。

 

「これは今期のメシエ・カタログの事よ! でも残念な事に、今期が最期だって言う噂もあるのね」

「めしえ……かたろぐ?」

 

 勿論というべきか、そういった事に疎い少女にとっては全く持って聞いた覚えの無い単語であった。若しくは聞いていたとしても右から左へ、だったのかも知れないが。

 そんな風に、仮面の狩人よろしくたどたどしい発音で首を傾げてみせた少女へ向けて、ヤンフィは眼鏡を取り落としそうなほどに身を引いて見せた後、鼻息を荒くして詰め寄った。

 

「……え!? もしかして、知らないのねっ!?」

「えと、はい。鎧については鉄爺さんにお任せしてしまったもので。……拙いですかね?」

「拙いとは言わないけど……メシエ・カタログは、女性のハンターに人気を博している装備品の事よ! 嘗ての銘家・メシエ一族の同作者が図面から製作までを手がけた珠玉の防具、ね。鱗や皮の使い方が上手くて着物に近い着心地を確保してあるうえ、何よりデザインが良いのよ。ハンターズギルドの発行してる定期雑誌でも特集が組まれる程の人気なの、ね!」

 

 ここでヤンフィが通りがかりの三等書士官・ソフィーヤに視線を送ると、彼女はうんうんと熱心に頷いて同意を示した。かつてのノレッジがそうであった様に、現地調査を行う書士官は簡素な鎧を着込む。しかし、如何せんソフィーヤは中央勤務だ。遠征の機会が殆ど無いであろう彼女までもがその存在を知っているとなると、どうやら「メシエ・カタログ」とやらはかなりの知名度を誇る銘の装備品であるらしい。

 他の意見を求めて視線を巡らせば、現地協力者の女性も「名前だけは知ってるね」と語り、果ては現地協力者の雌アイルーまでもが頷き出す。皆が皆、一団の女性陣の中で唯一その存在を知らずに居たノレッジが信じられないと言った様子であった。

 正しく四面楚歌。微妙な居心地の悪さを感じ、編んだ髪の一房を弄りつつ、ノレッジはもう1度鎧の絵に視線を落とした。先はどうせ絵なので幾らでも脚色出来ると思っていたのだが、人気があるとなると話は別だ。実際にこの絵を忠実に再現した華やかな鎧が出来上がるに違いない。そしてそれは設計がしっかりと成されている証拠でもある。メシエ・カタログを描いた人物は、確かな腕を持った設計士なのだろう。

 ……しかし絵によれば、鎧の下半身に入った切れ込みから大腿にかけて、大きく肌色が覗いている。その点についてやはり、防具の性能への疑問を抱かずにはいられなかったが。

 ノレッジは首を振り、逸らしかけた思考を戻す。辺りに満ちた反応を待つ空気を読んで、そうなんですかーという気のない返事を返した。実際に興味がないのだからこれは仕方が無い。とはいえ自分の返事に味気がないのは折込済みだ。こういう場合は、それに付け加えて疑問で返すのが丸い(・・)コミュニケーションという物。

 

「あー……あと、最期って言うのは……?」

「んん? ニャハ、そうそう。作者の都合で、今期で製作設計を終わってしまうらしいの事よ。噂だけど、本当だとしたら非常に残念、ねー」

 

 ヤンフィは言葉そのものの表情で残念そうに項垂れる。本当に設計を終わるのか。そもそも何故終わるのか。それらは、実際の製作者に尋ねなければ判らない。その製作者が「メシエ家」という芸名程度しか判らず素性が不明となると、楽しみにしている消費者側としては、吉報を待つ他に手段がないのだろう。

 

「……まぁ、ショックはショックだけど愚痴を言っても始まらないの事よ」

 

 ぶつくさと言いつつも、程なくして復活。ヤンフィは手に持った雑誌の頁を捲り眺め始めた。ノレッジの隣でどれそれの鎧のシルエットが、色合いがなどと説明を加えてゆく。いつの間にか隊に同行した女性陣5名が揃って品定めを始まっていた。始めは縮こまって説明を聞いていたソフィーヤも、遂には声色を強めて黒色の布鎧を推してなどいる。

 何とも自然な女性陣の様子であった。その姦しい雰囲気を、ノレッジもちょいちょいと口を挟みつつ楽しむ事にした。

 しかし暫くして、傍をクライフが通りかかる。彼は雑誌を手に盛り上がる彼女等を苦々しい顔をした後、(ただし、ヤンフィに向けて)舌打ちをして見せた。

 

「……ちっ。てめぇら。狩場に来てまで、んなもん広げてんじゃねえよ」

「んーんー、NOよ、モテナイ坊ちゃん。女性たるもの、身だしなみには気を使わないと。例えそれが狩猟の場であっても、ね!」

「うざ」

「ウザいとは心外、ね。防具の着心地と見た目は猟場の士気に直結するの事よ!!」

「そんなんを理由に目立ってちゃあ、意味ねえだろうがよ」

 

 何時しか、いつもの流れで、クライフとヤンフィとの掛け合いが始まっていた。

 取り囲む人々もやいのやいのと賑やかにし始めた頃合を見て、ノレッジは握っていた匙を口に運んだ。浮かぶ塩漬けされたサシミウオの切り身で塩分を補い、温かなスープが空腹を優しく満たしてくれる。黒パンは相変わらず堅いが、汁と共に口に運べば気にもならなかった。

 辺境のその奥。最奥の猟場に居るというのに、辺りは明るい気配に満ちている。人間というのはかくも強く在る事の出来る生き物なのだ。これも自らが知ることの出来た得難き知識の一つに違いない。

 その雰囲気からか、ふとレクサーラに来て間もない頃、ネコの国……橙の村で口にしたマカ漬けされた「魚竜のキモ」を思い出していた。お世辞にも美味いとは言えない味であった。が、そんなノレッジを見て笑うアイルーやメラルー達はいずれも笑顔であった。

 あれから時を経、ノレッジは油断無く修行を積んだ。周囲の一般的なハンター達と共に狩りをし、自らの力量の程も知った。

 

(それでも。もう少し……もう少しで何かが掴めそうな気がするんですが)

 

 ノレッジは歯噛みする。自分が目標とする場所へ到達するに、何か、決定的な何かが必要なのだ……と。

 少女の居る位置より遥か仰ぐ峰に立つ狩人ら。間にくっきりと引かれた境目。自と他を隔てる境界を踏み越える為の、その一歩。

 器から立ち昇る湯気を追って、ノレッジは空を見上げた。砂漠の空は耀きに彩られている。無数に浮かぶ中からレクサーラの吉凶を示す星を探し、ふと気になってその輝きの揺らぎを視た。目が良くとも、ノレッジに星を視る為の知識はない。そのためあくまで聞き齧った程度の見立てではあるのだが……少なくともそれらの輝きは、惑ってはいない様に思えた。

 少女が胸を撫で下ろし、暫く。顔を付き合わせるクライフとヤンフィの間に割り込みながら、現地住民の長と話を纏めたバルバロが戻って来た。

 行動予定は、明日より実行に移される事となった。

 

 

 

 夜が明けて陽が昇る……僅かに、前。

 キャンプを畳み荷車に乗せると、一団は昨晩クライフの提案した区分けで調査を再開した。

 人員を裂いて植物や地質の調査を護衛するのはクライフとヤンフィ。バルバロ及びノレッジは少数のみを引き連れ、再び双角竜と対峙するべくキャンプを出立した。

 

 こうして調べる程に明確に浮かび上がって来るのだが、第五管轄地は、名実共に巨大な白岩「白亜の宮」を中心とした猟場であった。

 白亜の宮を中心として岩が並び立ち、それら地形に惹かれるが如く植生が生されているのである。生命線となる地下水脈は白亜の宮周辺を囲み脈々と流れ、次に顔を出すのは遥か離れた位置にあるオアシスだ。岩峰それ自体には飾り気が無く、純粋に真白なものだが、遠めに見ているクライフにとってはそれがまた不思議な威光を纏っている様に思えてならなかった。

 植生にしろ地質にしろ、地層が見える路肩(ろかた)での調査が望ましい。クライフとヤンフィが引き連れた調査隊の足は、自然と「白亜の宮」の西側を取り囲む岩場と緑地帯の境目へと向いていた。

 

 ―― ォォォオオッ

 

 陽が覗き始める直前から活動を開始して数時間。長鉄槍『ランパート』を背負ったクライフは、遠間から耳を震わす咆哮に振り向いた。守護対象である書士隊員の、図鑑を広げながら岩間に生えていた植物を採取する様子を視界に入れつつ ――

 

「始めやがったな、親父ども」

 

 こうも離れた岩場にまで届く双角竜の気配。咆哮により振るえた大気が、頭蓋をずしりと刺激する。

 クライフは舌打ちをした後、びくりと背筋を伸ばして怯えだした三等書士官のケビンに、遠くの砂原で戦い始めただけで予定通りだから心配ねえよ……と声をかけ、背負った鉄槍の握りに手をかけた。野生の生物は気配に敏感でもある。近間では鼓膜をも破りかねないその咆哮によって、先日のゲネポスら同様、岩間へ隠れ潜んでいた生物が此方へ逃げ出して来る事を予見したのだ。

 クライフが耳を澄まし、肌を尖らせ気配を窺う。

 

「……。……。……来ねえな」

 

 しかし暫く待ってはみたものの、動きは無かった。見晴らしの良い位置から遠見をしているヤンフィからの合図も、無い。

 どうやら双角竜に刺激された生物は、少なくとも付近の岩間には居なかったらしい。昨日狩猟せしめたゲネポスの群れの残党も夜の内に奥へと隠れ縮こまっているのだとしたら、自分の働きも徒労ではなかったか……と、僅かに安堵が込み上げ……込み上げたものを臼歯で噛み砕く。

 

「……ちっ。ツイてねえ」

 

 どこか心の隅に、双角竜と対峙せずに……安全な位置に居るこの状況に、安堵している自分が在る。その事に気付いたクライフは、自身に向けた悪態をついていた。

 レクサーラのハンター達は、ハンターという職業に在る「規律」……または不文律を遵守する事で有名である。そんな彼等の様子をギルドの犬と揶揄する者はあれど、レクサーラに住むハンター達自身にとっては誇りであった。そしてそれは、クライフも例外ではない。

 第五管轄地全域の調査を終えれば、自分もヤンフィも双角竜の討伐に合流し、後追いで応援のハンターが来るまでの間を狩猟に費やさなければならない。その時。双角竜を目前にした時にまでこの様な気持ちを残していては、命をも掬われる ―― と、クライフは(かぶり)を振りつつ自らを戒めた。

 砂漠住まい故に、クライフも実際の双角竜と対峙した経験はある。が、それとこれとは別の問題だ。また逢いたいかと問われたならば間違いなく否と答える。鎧を纏ったとて中身は変わらない。槍を持ったとて死ぬ時は死ぬ。ただそこに、臆病な自身の性根に。「町の為に」「ハンターだから」という大義名分が付属しているに過ぎないのだから。

 

「―― 坊ちゃん! どうやら始まった、ね!」

 

 クライフと同様に、先ほどの咆哮を聞きつけたのだろう。上を見れば、ヤンフィが見晴らしの高台を(くだ)って来ていた。周囲で見守っていた書士官や現地協力者がオオッと歓声を上げるほどの身のこなし。小さな足場だけを頼りに、滑落に近い速度……着地。

 

「はい! ご観覧をありがとうございましたの事よー」

 

 着地をして大きく手を広げるポーズを決め、拍手を送る周囲の人々に笑顔を振りまきながら、ヤンフィはクライフの横へと並んだ。彼女はこうした周囲との交流を惜しまない。むしろサービスすらしてのける気性なのだ。そんな彼女は青年の呆れた表情をいつもの如く受け流し、尋ねる。

 

「どうやら始まった、ね!」

「繰り返さなくても聞こえてるっつうんだよ。……お前が聞きたいのは、これからの動き方だろ?」

「そうそう。ダンナとノレッジの向かっている砂原を除けば、残る調査場所は区画が2つとその間の区間が1つね。……どうする?」

 

 上目遣いのこれは、狩猟を始めたバルバロ達の応援にどの(タイミング)で行くか、という問いかけだ。

 クライフは視線を逸らして空を見上げる。未だ日は高い。しかも相手は名高き双角竜。合流は調査を終えてからとし、本腰を入れて狩猟に望むべきであろう。

 

「……なぁおい、書士官のアンタ。この区画の植生とやらの調査は終わりそうか」

 

 ソフィーヤにじろりと視線を向けて尋ねれば、やや怯えの見られる態度でもって王立学術院の研究者と顔を見合わせ、こくりと頷いた。残り3時間もあれば終えられる旨を告げると、クライフが片目を閉じて了解の意を示す。

 

「だとよ。んじゃあ調査を終えてからで良いだろ」

「OK、それなら賛成の事よ! ……因みに理由とか言える、ね?」

「……ちっ。あの親父とノレッジの野郎だ。半日かそこらで死にゃしねえ。それより調査を終わらせて、万全の体勢で合流するほうが援護になんだろ。お前も判ってんならさっさと動け」

 

 顔を正面から窺おうと追い回すヤンフィの視線を意地でも避けつつ、クライフは矢継ぎ早に言葉を並べる。そのまま、言い捨てるように、早足で残る区画へ向けて歩き出していた。

 砂漠の行軍を含めて一週ほど。行動を共にしてきた団員たちも青年の気性を理解し始めている。後を追う一団の表情には、僅かな笑顔が見て取れた。

 

 

 調査を終え、キャンプの設営を見届け。その他の協力者はそこで留まる事と、緊急時の行動について確認を行い。

 クライフとヤンフィが合流に走ったのは、それからぴたりと3時間後の事であった。岩場を抜け、巨大な一枚岩「白亜の宮」を目印に、第五管轄地の南東を覆う砂漠の区画へとひた走る。

 

「どっちだ!?」

「そう、ね! ……こっちよクライフ!」

 

 先導するヤンフィの指差した方向へと、鎧を揺らして駆ける。暫くすると路は下り始め、程なくして砂の原が広がった。

 そのまま砂の原の中央まで移動し、周囲を見回す。時折あがる咆哮を頼りに砂埃を掻き分ける。

 

「―― 居たね!」

「どっちだ!!」

「四時方向の事っっ!!」

 

 ヤンフィの指差した先。クライフが目を細めると、確かに姿が視認できた。2キロほど前方か。バルバロの向かいで、双角竜が頭を振り回している。

 バルバロは角を下がって避け、次いで振り回された尾を更に下がって避ける。しかし回る身体を、30歩ほど離れた場所に佇むノレッジが一斉射によって隙無く追い討ちを仕掛け ―― 双角が根元からぽきりと折れ、砂原へと突き刺さった。

 

「もう、角まで、折れてんじゃねえか……!」

「ニャハハ、流石はダンナね。ノレッジも、すっかり、慣れている様子だし、ね!」

 

 走りながらも状況を確認し合う。

 角竜の最大の武器にして象徴でもある角。その角が狩猟の最中に折れるなどという機会など、角竜自身が庇う猶予も無い程追い詰められた場合に他ならない。となると、目の前の個体は既にバルバロとノレッジの手によって追い詰められていると考えて良い。

 ちらりと、折れた角が視界に入る。

 双角竜の角などは、装飾品として高価で取引がなされる。2つ揃っていれば尚更だ。王国の物好きな貴族に持って行けば、家の1軒や2軒は軽く建ってしまう程の金額が手に入る。ただ本来、狩猟半ばで折らずとも、討伐の後に切り取るのが確実な方法だ。むしろ狩猟の中で折るよりも形が保たれるため、土産としてに出荷される品々は往々にして加工されたもであると聞く。

 だが ―― ハンターというものは不思議なゲンを担ぐ人種でもある。有名な話で言えば、最初期の彼ら彼女らは狩猟の最中に入手した素材、または狩猟の直後に剥ぎ取った幾つかの素材しか自らの取り分として持ち帰らなかったと言う逸話がある。それも今ではギルドから分配がされるため、仕組みは昔と大きく違っている。ハンターの取り分も、増加傾向にある。

 遥か昔に根付いていたその仕組みに、かつてのクライフは首を傾げていたものだ。が、こうしてギルドとの関係性を見て行く内に「利権が関係しているのだろう」などと感覚的な理解に及んでいた。そういうものだと認識してしまえば早いもの。今では疑問の欠片も感じなくなっている。

 考えながらも、援軍として、着々と距離を詰めてゆく。両角の折れた角竜が大きくよろけながら後退する隙を縫って槍と片手剣を構え……此方に気づいて道を開けたノレッジの横を、一声かけて通り過ぎ。

 

「―― おい、加勢すんぞ」

「合流するのね、ノレッジ!」

「はい! お願いします!!」

 

 クライフとヤンフィは揃って、迷い無く歩を詰める。

 立ち向かうとだけ心に刻み、砂の熱に鍛えられた……重厚な鎧と見紛う外皮へ向かって、『ランパート』の穂先を突き立てた。ざりっという砂を噛んだ音を立てつつも肌へと沈む。すぐさま引き戻し、再び力を溜める。腰の回転と低さが要だ。2度突いて、横、次いで後ろへ飛ぶ。クライフの後を追ったヤンフィが飛び込み様に片手剣『フロストエッジ』を振るった。刃が皮を噛んで冷気を浸透させ、本人はそのまま身軽さを活かしディアブロスの股下を転がり抜けて行く。

 クライフは後退、後退。最中に入れ替わったバルバロと機を合わせ、足を止め、今度は前進。父と共に併走する。父を庇う事の出来る位置、角竜の頭の真横に位置取った。

 顔が動く。怒りに染め上げられた角竜の面。折れた角とにらみ合い、クライフは鉄の凧型楯を構えて攻撃に備えた。

 

「ブロロロッ ――」

「っ!!」

 

 振り上げた頭を直近、半ば首元に近い位置で受け止める。歯を食いしばり、楯越しの衝撃をいなす事に注心する。大柄な角竜の激突は、確かに、クライフがハンターとして経験した内で最大級の衝撃である。が。

 

(予想の範疇なんだよ、こんなモンッ!!)

 

 その経験を覆す程の威力では、なかった。

 ハイメタ装備(シリーズ)の鉱石製の鎧が軋みながらもクライフの自重を確保し、すぐさま足元を安定させる。槍を持つ手に力が篭る。ならばと、受け際に反撃(カウンター)の一撃を加える事も忘れない。楯の横から突き出した槍が双角竜の側頭部を飾る土色の襟を突き、

 

「―― オオッ!!」

 

 そこへ、苛烈な剣戟でもってバルバロが加わる。

 双角竜の頭が沈み、体が臥せた。大きな隙を逃さず、4者によって次々と攻撃が加えられる。ヤンフィが腹を切りつけ、クライフが羽根を突き、バルバロが頭を打つ。残るノレッジは跳弾の少ない貫通弾を使い、背甲を狙い撃った。

 

「グルゥ……ブロロォッ!!」

「皆、下がるねッ!」

 

 ヤンフィの声が響くと、バルバロとクライフが反射的にその場を飛び退く。

 痛みに耐えつつも、双角竜が全身を勢い良く振るい、立ち上がる。周囲に群がるハンターらを振り払うべく、満身創痍の体を揺らして尾を振り回し、大地を揺らした。

 手応えは無い。双角竜は距離をとったハンターらを一息に睨み……息を呑む間にも脚を動かす。

 楯を構えたクライフへと、折れた双角が迫り。

 

「って、おい!?」

 

 しかし、双角竜は、すわ突撃かと警戒するクライフの横を通り過ぎ ―― そのまま西へと走り去って行った。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 どすどすと足音だけが響く。膂力にしろ歩幅にしろ、ハンター達による追撃は不可能だ。数キロ先までを僅か数十秒で移動した双角竜は、その身を地面の内へと滑り込ませると、地鳴りと共に遠ざかって行った。

 ……じり、と照らす日の熱さ。その場で戦闘陣形のまま立ち止まったハンター達。最も年長であるバルバロが、率先して大剣を背に収めた。

 

「―― ウム。仕切り直しであるな」

 

 発せられた一言によって、張られていた緊張の糸が緩んでゆく。クライフも息を吐くと、角竜の去った方向を半ば脱力の体でみやり、槍を担いだ。脅威は遠方へと去ったのだ。溜息を、様々な感情と共に思い切り吐き出した。

 弩を背負ったノレッジが駆け寄って来ると、自然と集まった4者によって環が出来上がっていた。視線は、自然と長に集まった。視線を向けられた先で、バルバロは割れた顎を撫でつつ、戦況を纏める為にと声を出す。

 

「これにて二次遭遇戦は終了であるな。……しかし、ウム。あの角竜は体駆が小さく重甲や背甲の傷も少ない。角も脆かった。闘争経験の少ない若い個体とみるべきである。逃走を図った機から見て、恐らくは、此方の増援を見て逃げ出したのであるな」

「……アイツ、あんな図体しといて若いのかよ」

「あっ、それならさっき折れたこの角を見てみましょうか。切断面から年輪を見れば、あの個体の年齢も概ねですが逆算できる筈ですよ。わたし、キャンプに戻ったら計算してみますね!」

「ニャハハっ! それは良い案ね、ノレッジ! でも角竜に限らずモンスターなんて総じてでっかいの事よ、坊ちゃん!」

 

 言いながら、ノレッジは回収してきた双角を麻紐で括り始めていた。角は中途から折れたと言うのに、1メートルはあるだろうか。捻れ、薄白く、鋭い角。それが2つ並んでいる様が、今にも敵を貫こうと念を発している様に感じられ、クライフは僅かに悪寒を覚えるものの。……周囲には気取られぬよう鉄面皮を装いながら。

 

「それじゃあ角なんて大荷物もあるし、一旦キャンプに戻るの事よ、ね!」

「ウム。地中に居るならば別であるが、地上に姿を現せばペイントの実の匂いで角竜の位置も知れるであろう。……死に際に在る生物は、時として恐ろしい底力をみせる。我が輩達もキャンプに寄って小休憩を取るべきである。補給を行い、装備を整え、万全を期して止めに向かうのである」

 

 各々がバルバロの言葉に頷くと、揃って設営済みのキャンプへ向かい、路を戻り始めた。

 双角竜との闘争についてノレッジがあれやこれやと尋ねつつ。道中、1人後ろを歩くバルバロだけが獲物の逃げ去った先を見つめ、ぼそりと呟く。

 

「……よりにもよってあの個体は、白亜の宮へと逃げ込んだであるか……。……さて、ラーよ。これがお前達の言う始まりの鐘と成るか否か。それを見極めるという重役……我が輩どもが請け負うのである」

 

 遠路の向こう。逃げ去ったその先には、五管轄地の中央部。

 それは砂漠を貫き、天に向かい。まるで神を奉じる「塔」が如くすらりと伸びて。

 ―― その身に一片の緑すら(・・・・・・)纏わぬ純白の峰が、全てを受け入れる寛容さを持って、近付くハンターらを見下ろしている。

 

 





 まだまだ(数話の区切りの後に休憩は挟みますが)続きます、第五管轄地編。
 予想外に長くなっている……のですが、でも、書いていて楽しいのですよね。申し訳ありません。悪しからず。
 メシエ・カタログは天体好きの方であれば知っているかもしれません。同時に、彼の異名も知っていると後々の展開において「おい」というツッコミを入れられます(ぉぃ。尚、出演予定につき仔細は後々。名前だけならば既に、主人公(仮面)の昔話で挙げられていたりしますのです。
 という訳で今話には特に解説する事もありませんでしょう。
 ので、とりあえず4Gについて。

 鬼人ゲージ溜めてからのずばずばぐるぐるばしゅーん(語彙不足)が楽しいのですっ!
 ソロの時はあえて薬を飲まない縛り。ただし槍さん、貴方の体力には脱帽しました。どうしろと言うのですか(歓喜
 一先ずは、何とか集会所までクリアー出来ましたけれどね。ええ。何とか。薬とか火事場+不屈とかで。
 はい。相変わらずのソロ双剣ですともっ!!
 とは言いますが、私は相手によって武器を変えるのです(苦笑。如何にも棍を使って、とか溜斧を使って(というのはあまりありませんね。寧ろ今回の溜斧は万能)、とかいう相手には勢い勇んで件の武器を持ち出します。
 ……そうです。ガララ亜種さん、貴方の事ですよ(微笑み。ファンネルミサイルだけでは飽き足らず、リフレクターインコムとか、ALICEでも積んでるんですかね。ガララアジャラEX-Sとかなんですかね(ガンダムのお話です)。
 狙い通りというか、拡散5のガンランスはG級序盤から多頭クエストまで大分活躍をしてくださっていますので。
 虫はオオシナトから育成のし直しの真最中です。ギルクエゴマさんをソロで狩るついでに、虫餌を集めたりしていますよ。個人的な目標としては、浪漫ランサーに挑戦中。2Gからの悲願だったり。
 あ、因みにハンマーよりは笛を担ぐ変態なのです。ソロのぶん回しは使い勝手が宜しい(涎

 では、では。
 次回、「モンスターハンター 閃耀の頂」第24話。
 物語の構成におきまして、私の性格の悪さがのたうって爆発して炸裂して撃滅します(ぉぃ。乞うご期待。


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第二十四話 急転、直下、片角の

 

 太陽が南下を始めた頃、調査を終えた他の人員達に帰村の段取りを伝え、仕度を終えた四者はキャンプを出立した。

 向かう先は「白亜の宮」を含む砂地、「第一区画」である。全くといって良い程植物が生えていないそこは、調査の対象からは除外されていた区画であった。

 その第一区画を双眼鏡で覗いていたヤンフィによって、角の折れた双角竜の姿が視認されている。先ほど取り逃がした角竜の(ねや)は白地の岩峰、その根元付近にあるとみて間違いないであろう。

 東へ、白亜の宮へと近付いてゆく。岩場を抜ける最中にもゲネポスの群れに遭遇したが、バルバロらはそれを一掃。親玉たるドスゲネポスの出現も無かったために必要以上の時間を消費する事無く、一行はそのまま目的とへと脚を進めた。

 中央へ近付く毎に地形は陥没し、岩肌が反り立ち、道程は厳しくなる。狩人らは岩間を抜けつつも周囲の警戒を怠らない。

 

「―― 居ない、ね。ゲネポスも、アプケロスも」

「……だな。こっちとしちゃあ助かるが」

 

 予想を違い、以降、更なる走竜の群れが現れる事は無かった。ヤンフィとクライフが揃って首を傾げ、ノレッジが唸り……それでも脚は止めずに移動を続ける。

 岩間を抜けると砂原だ。先陣を切ったバルバロがまず砂原へと踏み出す。目前に遥か聳える岩峰を見上げ、指差した。

 

「―― 見えてきた。恐らく、あの『白亜の宮』の根元に在る窪地に居を定めているのである」

 

 予てから話し合っていた内容を確認するように話しかけると、ノレッジがうんうんと頷いた。

 「白亜の宮」が根付く中央部たる第一区画こそが、第五管轄地の最低面。最も低い大地となっている。窪地だが遺跡の埋没により植生がなく、それ故に小型のモンスターが近寄り難い。大型のモンスター達が縄張りとするには絶好の地なのだそうだ。

 ノレッジは状況を噛み潰しながら、急ではないが少しずつ傾斜した路を降る。今背負っているのは、拠点に帰った際に持ち出した『ボーンシューター』だ。角竜との決戦を前にして『箒星(ブルームスター)』の「奇妙さ」に頼りたくなかったというのもそうだが、それよりも使い易さを重視したというのが理由としては大きい。

 背に掛かる重さに安心感を覚えつつ、遠景を眺めるべく顔を上げる。視界の大半を岩が埋めており ―― 視線を戻す。

 すると。

 

「……あれ? あのう、これって……」

 

 戻した視界の所々に、建築物の残骸の様なものが映り始めていた。

 疑問に答えるべく横に並び、バルバロが頷く。

 

「ウム。第五管轄地周辺には、かつての文明の名残があるのである。地下にも幾つか聖堂と目される建築物が残っている。そのために学術院が躍起になって調査をしていたのだが……それも放棄された今となってはこの有様であるな」

「あの学術院が出資をしているのに、その調査は中止になったんですか?」

「YESね。ダンナの言う通り。何せここは辺境の最奥部の事よ。調べるにも莫大な費用と労力がかかるのねー。管轄地として開発までされたのに、資金は兎も角労力が尽きてくるくるぱぁね」

「その擬音だとただの馬鹿じゃねえか。……実際にゃあ向こう(ドンドルマ)でごたごたもあったらしい。詳しくは知らねぇけどよ」

 

 吐き捨てる様に言ったクライフにふぅむと相槌をうち、様変わりしてゆく周囲の光景に眼を剥きながらも、ノレッジ達は脚を進める。

 あちこちから突き出した石積みの遺跡を避けながら抜けると、今度こそ岩峰の根元へと辿り着く。ぽっかりと開けた空間の真ん中に直立不動、天へ向けてすらりと伸びた岩峰 ―― その下に。

 先頭を走っていたバルバロが呟くと同時。日陰に伏せていた巨体が、身を起こした。

 

「気付かれたのであるな」

 

 目下に両方の角を折られたディアブロス。遭遇戦を逃げ出した個体に間違いない。

 立ち居振る舞いを整え、足を止めず。

 

「近付くのである」

「アイアイ! 突撃ね!」

 

 始まりだ。

 と、ノレッジとクライフがそれぞれの獲物に手をかけ、バルバロとヤンフィは勢いそのままに真っ直ぐ、直線距離を測りながら近付いてゆく。

 その体駆の違い故、彼我の距離は重要だ。近付くまでに角竜を捉えきれなければ、恐るべき膂力を生かした突撃により距離を詰めては走り去るという「突いて(ヒット)から退く(アウェイ)」戦法により苦戦を余儀なくされる。

 突撃の体勢を整えた角竜が正面を向くと、先行した2人は接近に成功していた。そのまま、二手に別れる。

 

「遊撃するの事よ!」

「此方だ!」

 

 左右に散ったハンターは、角竜が一瞬だけ視線を逸らした隙を突く。

 

「―― らあああッ!」

「ブルロロロッ!?」

 

 クライフが一直線、槍を構えて突撃。穂先を腹に押し付け、突き、横、後ろと距離をとる。角竜が二の足を踏み、大剣と片手剣によって左右から追撃が加えられ、ノレッジの放った弾丸が翼を撃つ。なだれ込む様な連激に晒され、角竜の巨躯が遂に後退した。

 しかし、角竜は後退したまま身体を反らし。

 

「ブロロロッ ―― オ゛オオオオーッッ!!」

「っぐ!?」

 

 首を空に掲げ、大声を張り上げた。

 狩人らが思わず耳を塞ぐ程の声量。常ならば威嚇に使われる声ではあるが、角竜のそれは衝撃すら伴って放たれる。その声量で持って岩をも砕くと噂に聞く、轟竜の亜種には及ばないかも知れない。それでもクライフとヤンフィ、そしてノレッジの足を止めるには十分過ぎる咆哮であった。

 びりびりと空気を震わす咆哮の中。その中で唯一、動きを保つのは ―― バルバロ。

 

「―― ムゥンッ」

 

 大剣を振り下ろすと、みしりという刃物にあるまじき音が咆哮を切り裂き、中断させた。

 背を反らし、首を回し、ぐるりと周囲に咆哮を響かせた角竜が首を戻した所を、バルバロの大剣が逆袈裟に打ち据えたのである。位置取りは完璧。角竜の咆哮に伴う挙動を読み、頭が来る位置を寸分違わず切り払った。

 

「ブロロッ……!」

 

 遂に、角竜が閨たる砂地に沈む。どすり、と、堪らず傾き砂原を転がる。それは、既に角竜の足元に力が入っていない証拠でもあった。

 転倒に巻き込まれまいと距離をとったバルバロが小声で呟く。

 

「やはり、体力は尽きかけているのであるな」

「ダンナ。このまま行く、ね?」

「―― ウム」

 

 こくりと頷いたバルバロに従い、ヤンフィが掲げた拳を握って開いてみせる。総攻撃の合図だ。

 怒濤と攻める。ヤンフィとノレッジがサポートに徹すれば、クライフが突撃を敢行し、バルバロが胴体を打ち据える。各々の技量を尽くした攻撃に、角竜は成す術も無くもがくのみ。

 

「ブロロ……ルゥ」

 

 立ち上がろうと足腰に力を込め ―― 叶わず、再度、倒れ込んだ。

 行ける。これが最後の攻勢だ。と、誰もが足を踏み込み各々が剣を振るう。誰もが疑いもしなかった。知覚の全てを目前の角竜に向けていた。

 

 だからこそ、気付くのが遅れたのだろう。

 辺りに満ちる、焼け焦げた灰の様な怒りに。

 

 

 ―― ド! ッズゥンンッッ!

 

 

「―― は?」

 

 

 角竜が一度浮き上がり、落ちる。

 思わず呆けた声を出したクライフを、誰が攻められようか。

 ノレッジも同様に立ち尽くす。彼女の目前に横たわるのは、既に(・・)亡骸と化した(・・・・・・)角竜。

 何が起こったのか、と頭を働かす。……角竜が白亜の宮に倒れ込んだその瞬間の出来事だった。突如、角竜の足元が爆音と共に膨れ上がり ―― そこから突き出した『角』によって貫かれたのだ。

 角竜同士の争いは往々にして起こり得るもの。主に縄張り争いや雌個体の取り合いがそれに当たり、ギルドによっても度々観測されている現象である。特に繁殖期に起こり易いのだが、今は温暖期も目前。その可能性は低いと言える。

 それでも、可能性が無い訳ではない。だがそれは、白亜の宮の根元を突き破って現れたのが普通の角竜(・・・・・・)であったならば、という条件が付随する。

 

「……今のは」

「嫌な雰囲気、ね。……念のために調査隊に退避をしてもらうの事よ。ダンナ、オッケー?」

「……うむ」

「それじゃあノレッジ。これをお願いの事」

「はい」

 

 バルバロの許しを得、ノレッジは素早く信号弾を打ち上げる。桃、桃、白の煙。「2時間後に西で合流、逃走を」という内容のものだ。

 打ち上げ、まずはそのまま一箇所に固まって陣形を整える。逃走にしろ戦うにしろ、相手の姿が見えなくては対策の立てようが無い。

 一度姿を見せた『角』は、すぐさま砂地に潜り潜んだ。移動の音すら察する事が出来ない潜行に、ハンターらは警戒心を募らせる。

 砂煙によってその姿を明らかには視認出来なかった。が、今は亡き角竜の甲殻を一撃で貫いたという事実がその個体の技量を示している。

 窪んだ第五管轄地の底。土色の闘技場の真ん中で、ハンター4人は身を寄せ合い、圧し掛かる強者の気配に備えた。

 

(……ヤンフィさんの言う通り。凄く、凄く嫌な雰囲気です)

 

 狩場の雰囲気が変わったことを鋭敏に察知しながら、ノレッジは思考の片隅に考える。調査団の人員は無事だろうか。先ほどの指示に対する返答は未だ上がっていないが、身を潜めていた岩場の辺りに緊急の信号(のろし)は無いように思える。いずれにせよ逃亡の狼煙に気が付いて、場所を移してくれていれば良いのだが。

 焦れる。すれすれに浮かんでいた太陽が地平線に吸い込まれてゆく。僅かに暖かさを残して、空は藍へと塗り換わる。

 何時しか日は暮れた。

 何処からか砂地に似合わぬ湿気が奔り出し、延々と舞っていた砂埃が地に沈む。

 何をとは聞くまでも無い。ハンターらが感じとっているのは、新手の気配である。

 双角竜の亡骸から20メートル程距離を置いて、真黒な砂原の真ん中に背を集め、武器を握り締めたまま刻々と迫る瞬間に身構える。

 風だけが生温く肌に擦れた。

 星は今、見えていない。

 ぽつりとした冷たさに身を竦めれば、次の瞬間にざあと雨が振り出した。

 雨粒には微動だにせず、ハンターは周囲を窺う。

 通り雨であったらしい。地面を濡らし、雨は直ぐに止んだ。

 雲脚速く、青い月が顔を覗かせ、

 

「……っ!?」

 

 全員が同時に息を呑む。

 照らされた砂地の上。彼らの目の前に、音も無く、大型モンスターがその姿を現していた。

 

「―― ヴォォォ……」

 

 現れたのは ―― またも ―― 双角竜、ディアブロス。

 息を呑んだ理由は別にある。いうなればこの個体の特異性(・・・)だ。

 音も無く砂を割ったその身体は紅に(・・)染まり(・・・)、先に亡骸と化した個体の悠に2倍はあろうかという大きさを持っていた。

 その身体に刻まれた無数の傷跡は、長く生存競争に打ち勝って来た……()級危険度の生物であることを窺わせる。この個体について、既に一端の双角竜という域は脱していよう。

 頭から突き出された角は、片方が中途で折れている。その断面は滑らかだ。恐らくは遥か昔に折られたものか。

 

「ヴるる」

 

 双角竜は頭を擡げ、月光によって碧く晴れた夜陰を仰ぐ。

 歪な非対称性を持つ双角のみが紅の体色に逆らって白く、まるで三日月の如く耀いた。

 ノレッジは観察する。恐らくは侵入者への訓告であろう。角竜から敵意は感じる。が、存在感が希薄だ。目の前に居るのに、まるで、今にも消え失せてしまいそうな。

 異常な生物の出現に絶句しているクライフを横目にしながら、バルバロは冷静に勤めた。一切の隙を空けず、角竜を見据えたまま、震えた唇で警告を発する。

 

「……まずいな。よりにもよって灼角(やけづの)のお出ましである」

 

 バルバロが呼んだのは、この紅の双角竜の二つ名だった。

 ―― 灼角(やけづの)

 それが双角竜という枠に当て嵌めるには余りはみ出す、強大に過ぎたこの個体につけられた忌み名である。

 この場に揃ったハンターの内、ノレッジ以外の人員には「紅の双角竜」という呼称に心当たりがある。クライフとヤンフィの脳裏に浮かぶのは、小さな頃に読んだハンター教本の内容だ。

 

「……親父。聞くが、マジで灼角様なのかよ」

「ああ。忘れようも無い。間違いないのである。我が輩は若い頃、こ奴と出会って何とか生き延びた覚えがあってな。……彼の物語と同一の個体だとすると、既に100年近く……いや。物語の舞台で既に成体であるからには、それ以上に生きている計算である」

「……ちっ、せめて世襲制にしとけ。後進に譲りゃあいいものを」

 

 クライフが何とか悪態をつくも、灼角の気配は正に圧倒的であった。まるで、その姿を正面に捉える事すら恐れ多い様な。

 

「……何とかして逃げんぞ、親父」

「息子よ。……この灼角の戦意を量れぬ訳ではないであろう」

 

 苦々しくも口にしたバルバロの言葉がクライフの頬をより一層強張らせる。

 気配とは別に、目の前が暗くなる程明確な敵意があった。灼角と呼ばれたこの角竜からは、穏やかながらに此方を逃がすまいとする()が感じられるのだ。

 周囲に広がる砂の原。先の個体を追って遠出した分の距離を、この圧倒的な竜から、無事に逃げおおせる筈も無い。バルバロをしてそう思わせるほどの威圧を、目前の角竜は持ち放っている。

 息子が反論出来ず唇を噛んだのを見て、バルバロは背負った皮の鞘に大剣を留めた。

 

「闘争し、時間を稼ぐべきである。―― 我が輩が先行する。隙を窺って退路を確保するのである、ヤンフィ」

「OKね」

「く……」

「ほら、坊ちゃん! ノレッジ!!」

「はい!」

 

 充満した鉛の様な空気の中ヤンフィにそれだけを告げ、バルバロは並ぶ狩人の列から大剣を背負って歩み出た。ヤンフィはクライフの腕を引っ張りながら撤退を始め、ノレッジもそこへ追走した。

 逃げ出した者共に反応し、灼角の気配がずしりと増す。バルバロは灼角だけを目の内に留め、気配を受け止め。紅の双角竜に向けて、無造作に距離を詰めた。

 大剣の柄を握り ――

 

「貴殿であれば不足などというのもおこがましい。……我が輩の底をお見せするのである ――!!」

「……ヴオオオオ!」

 

 額に半月を描く曲り角が消え ―― その切先。刹那。

 避け、鞘を解き、迅炎一撃を見舞い、大剣を背負う。

 交差し、角竜の周囲を左回りに走る。追って向けられた頭を小刻みな歩法によって捉え、柄に張り付いた掌が動く。

 

「―― !」

 

 僅かに力を溜めた剣を振り下ろし、また背負う。

 一撃を繰り出して背負うという、決められたかの様な一連の流れ。数度切り結ぶと、何時しか、不可侵にすら感じられた紅の鎧の一部に亀裂が生じていた。

 

(……あの背負う動作に、何の意味が……?)

 

 灼角という人知を超えた怪物が現れ、逃走を試みながらも、ノレッジの眼はしっかりとバルバロの動作に向けられていた。

 角竜の体駆とは比べるべくも無いが、バルバロには巨漢という体格の利がある。大剣を抱えていたとて、瞬間的な脚力が落ちる事はない。とすれば一動作毎に隙を窺い納刀するという動作に意味は無く、本来は時間の浪費である筈なのだ。

 しかしあの角竜を易々と貫いた角を携える灼角に、バルバロの鞘から解き放った(きわ)の一撃が傷を負わせたのも、揺ぎ無い事実。

 当然、彼が歴戦の兵として培った技量もあるだろう。だがそれとは別の点について、ノレッジには心当たりがあった。

 

(……そうか。同じなんです……ヒシュさんとっ)

 

 脳裏に焼き付けていた映像を思い描く。見る者に信頼感すら抱かせる、仮面の狩人の動作を。

 炎により焼け野原となった密林。未知の怪鳥と対面し『ハンターナイフ』を掲げた際の、底知れぬ雰囲気のヒシュ。

 幾度と重ねた狩猟の間。傷を負い怒り狂った獲物に、嬉々として攻勢を仕掛けてゆくヒシュ。

 いつもいつも、だらりと脱力した後で動きを一変させる、ヒシュ。

 獲物が本気で此方に敵意を向けた時、むしろ喜び勇んで仮面の狩人は勝負を仕掛ける。一見そこに意味は無い。危険性は増している。無策で、無為で、無謀にすら思える。が、その意味の無い筈の動作は結果として意味合いを帯びていて。

 砂漠に居る間、ずっと悩み続けてきた事柄だった。ここにきて遂に、内でぴたりと符合する。

 矛盾を孕みながらも発現する ―― 確かな気炎(なにか)

 

(……見つけ、ました! 知りましたっ!!)

 

 これが感じ続けていた違和感の正体だ。と、ノレッジは駆け巡る刺激に背筋を震わし、心の内で快哉をあげた。

 一撃から背負う動作は、ヒシュのそれらと源流を同じくする。技量とは別の次元に位置する気炎(なにか)なのだ。バルバロにおける「鞘から抜き出した一動作」こそが、未だ知らぬ理。「迷信、慣習、法則(ジンクス)」とすら呼べる何か(・・)の助力を得ているのだ。

 反応か、視力か、筋力か、はたまた体を癒すのか。その内容については、推察も出来はしないが……。

 砂原を駆けずる逃走の最中。顔を覗かす遺跡の手前にまで到達した頃合で、ノレッジは自然と脚を止めていた。

 視線の先で、バルバロと灼角の闘争は激しさを一層深めていた。

 

「―― !!」

「ヴルォォ!!」

 

 尾を振るい、避け、角を流し、斬り込み、砂を巻き上げ、激突。

 牙を突き出し、剣で逸らしつつも鞘に収め、かち合わせて睨みあい、衝突。

 灼角の一歩が大地を揺らす。

 バルバロの一撃が炎を燻らす。

 

「ノレッジ、何してるのね!?」

 

 足を止めているノレッジに気付いたヤンフィが、声を張り上げる。

 しかしノレッジは応えない。彼女の状況をより正確に言えば、応える余裕がない程に見入っていた。意識の全てをバルバロと灼角の闘いに注ぎ込んでいた。

 

「クライフ! ……ノレッジが!!」

「! あの野郎……!」

 

 返答がない事を悟り、ヤンフィとクライフも足を止め振り返る。

 ノレッジへと駆け出そうとして ――

 

「ニャハ!?」

「な、何だ!?」

 

 ずずず、と大地が鳴動する。

 クライフとヤンフィは足元を見、そして視界を戻す。

 今は既に点にしか見えない程距離の離れたバルバロの正面 ―― 居ない。恐らく、灼角が地面に潜ったのだ。

 だとすれば……と。これを逃走の好機だと。そう判断したヤンフィがバルバロを呼ぶべく大声を出そうとする。

 

「ダン、 ―― ナッッ!?」

 

 声が途切れたのは、ヤンフィが転倒したからであった。

 駆けているからではない。足は止めている。所以は別の場所にある。

 

「流、砂……っ!?」

 

 バルバロの目前。灼角が潜ったと思われる点……白亜の宮の根元を中心に、第一区画全て(・・・・・・)が蟻地獄の如く飲み込まれ始めていたのだ。

 

「ちっ……やべぇ!!」

「ダンナッ、ノレッジも!!」

 

 足が沈んでゆく。

 ヤンフィが大声を出すが、バルバロとノレッジは動かない。何かを見据えるようにじぃっと、そのまま、飲み込まれてしまった。

 

「ダンナァーー!!」

「……っ」

 

 叫ぶヤンフィを横にしたおかげでか、クライフは逆に冷静になっていた。ヤンフィの腕を引き、蟻地獄の外側へ向けて走った。

 しかし、吸い込まれる砂の勢いに勝る事は出来ない。暫くすると砂が一気に吸い込まれ、埋もれていた遺跡の数々を露出しつつ ―― 足場が崩れる音が響く。

 

 大地が割れる。白亜の宮がずるりと沈み、砂の渦が波濤と迫る。

 地の底へ落ちる。崩落した砂に揉まれ、意識を黒く塗り潰された。

 

 

 

 

■□■□■□■

 

 

 

 

「つ。ここ、は……」

 

 水に浸かる冷たさに、クライフが身体を起こす。

 突如崩れた足元に、自分達は放り込まれた筈だ……と、空を見上げる。僅かに焼けた、薄暗い藍(・・・・)の空が見えた。あそこから20メートルは落とされただろうか。クライフが無事なのは落とされた先の地面が軟くなっていた事、そして落ちた場所自体が柔らかく緩衝材の役目を果たした事による偶然でしかないが……兎角、命は取り留めた。

 武器である『ランパート』はすぐ傍に転がっていた。槍を背負って一息。

 隣を見れば、ヤンフィも腰をさすりながら頭を起こしている最中であった。首元に下がった眼鏡を装着し、『フロストエッジ』を腰に差し。

 

「―― ッ!?」

 

 と。頭を上げたヤンフィが突如、目を見開いた。唇をわななかせ、前方を指差している。

 口を開こうとしたクライフも、其方へと首を向け……絶句した。

 

 満たされた青の湖面に、大サボテンを含む巨大な植物が根付いていた。

 

 地底湖の真ん中に浮かぶ黄金の空間というのが適切か。飛竜の紋様が描かれた台座。それらを囲むように守るように、植物たちはびっしりと根を伸ばしている。

 足元は一面の水。今自分達の足場になっているのも、植物の根であった。

 

「……この場所に地底湖だ? 地下には遺跡くらいしかねえ筈じゃねえのかよ」

「……YES、の筈なのよ坊ちゃん。多分発見されていなかった聖堂に水が入り込んだの、ね。にしても地下水脈がここまで伸びているなんて……これも大雨の影響の事?」

 

 戦慄したまま、ヤンフィは呟く。視線を下ろすと、足元には滾々と湧き出る水場があった。よくよく見れば遺跡の壁には小さな水路が無数に設けられており、支流が足元を掬う程に溢れ出ている。

 ここから水を吸い上げ、サボテン達は成長をしていたらしい。とはいえ限度はある。サボテンという種を逸脱した肥大化には、その他の要因もあるに違いないが……今はそこまで詮索をしている余裕が無かった。

 見れば、自分にもヤンフィにも手元の明かりは無い。空から明かりは零れているが、それも微々たるもの。

 

「―― ! 原因、これか」

 

 クライフは思い至る。不可思議はすぐ目前にあった。仄かに黄金に輝いている ―― 地下の空間。それ自体がおかしいのである。

 ランタンも光蟲も電気袋もない。光源は本来、遥か地上を照らす空以外に存在し得ないのだ。

 2者は暫し、幻想的な光景に眼を奪われたままで立ち尽くす。その彼等を現実に引き戻したのは、自分達の頭の上から聞こえる怒号であった。

 

「―― オオオッ!」

 

 この良く響く大声は、聞き間違えようも無いバルバロのものだ。

 はっとしたヤンフィと顔を見合わせた後、クライフは慌てて周囲を確認する。

 

「どっか、上がれる場所はねえのかよ!」

「判らないのねっ!? ……壁を!!」

 

 どれくらい気を失っていたのか。先ほどぼうっと見上げた空の色からして、夜が明け始めているのは間違いない。だとすれば、自分達は数時間を ―― 首を振り、視線を動かす。

 

「坊ちゃん、向こう! 向こうにつたえそうな壁があるの事よ!」

 

 素早く振り向けば、必死に手を振るヤンフィの指差す先に、苔や蔦がびっしりと絡まった石積みの壁が聳えていた。一心に駆け寄り、植物を取っ手によじ登り始める。

 

「ちっ……くたばってんじゃねぇぞ、親父、ノレッジ!」

 

 藍色の空目掛けて一心に登る。瓦礫を掴み、蔦を蹴飛ばす。一段飛びに身体を上へ。

 裂け目から顔を出すと、未だ冷たい砂場の風が肌をなぜた。バルバロの姿を探して首を振る。

 

「居やがった!!」

 

 クライフが叫ぶ。視線の先だ。陥没し出来上がった、10メートルを悠に超える裂け目の向こう側。

 

 バルバロは1人大剣を振るっていた。

 ただし ―― 正しく、満身創痍の姿で。

 

「―― !!」

 

 バルバロは声にならない声で叫ぶ。一角竜の鎧は角が折れ、脛当てと肩当てが見当たらない。大剣『バルバロイブレイド』は刀身が曲がっている。面は削れ、剥き出しになった頬からは鮮血がだらだらと流れ落ちていた。

 それでも大剣の勢いは殺していない。延々と続けていた名残か。とうに消え失せた鞘の替わりにと、大剣を背に収める動作を機械的に続けている。

 

「ダンナッッ!」

「ちっ……」

 

 クライフとヤンフィが思わず駆け寄るが、その行く手を大きな裂け目が阻んでいた。夜陰の全てを飲み込み溜めたかの様な裂け目。当然底は見えず、到底、飛び越えられるような幅でもない。

 迂回路を探して視線を巡らす。だが、様変わりした第一区画はどこも同じ様な状況。そこかしこに大小様々の穴や裂け目が出来上がり、遺跡が顔を出しては凹凸を作り上げている。

 両者がバルバロへ少しでも近付くべく足を動かす。が。

 

「ヴるるっ」

「―― !!」

 

 バルバロから数歩の距離を置いて、角が大地を貫いた。バルバロはそれを避け、大剣を振るう。

 狙っていたのだろうか。灼角の頭がかくりと沈み ―― 相討ち覚悟の反撃。渾身、灼角が全身に力を込めて暴れ出す。

 

「ヴルオオオオオァァーーッ!!」

 

 角を振り回し牙を剥き尾を振り回す。

 大剣で防ぎ残る肩当で防ぎ、バルバロが声を振り絞る。

 

「オオオッ、……ッ!」

 

 しかし灼角の次撃……尾による回転の二撃目が、その叫びを断った。

 体勢を崩され、遂に押し切られたバルバロの巨体が軽々と宙に舞う。飛んだ先 ―― 拙い、裂け目の方向だ ―― と目で追うも、何とか、吹き飛んだ身体は裂け目から突き出した岩に引っかかって事無きを得ていた。

 クライフとヤンフィが安堵の息を吐き出す。が、それも一時の事。

 

「……んで、だ」

「……」

 

 押し黙ったヤンフィの隣で、裂け目を覗き込んでいたクライフが面を上げる。

 裂け目の向こうに、堂々たる姿を掲げた灼角。その視線が、今度はクライフらへと向けられていた。

 

「親父を引き上げてアイルー部隊に運ばせようにも……っ!」

「……隙は見せられない、ね」

 

 言って、自然と武器を構えていた。

 敵わぬ相手であろうとやりようはある。バルバロを引き上げ、入り組んだ裂け目の迷路を抜け、灼角の追っ手を振り切って第五管轄地を脱出するのだ。……例えそれが砂粒の中から金を探す様な、限りなく低い確率であると判っていても。

 隣のヤンフィと目線で合図を交わす。防御ならクライフ、裂け目へ飛び込む様な身のこなしならヤンフィの得意分野だ。クライフが惹き付け、ヤンフィがバルバロを引き上げる手立てを整える。数では勝っている。数分程度の時間を稼げれば、十分に足りる筈。

 

「ヴルル ―― ッ!」

「来んぞッ」

「YES!」

 

 灼角が足に力を込めた瞬間、ヤンフィは腰の麻縄を手繰りながら素早く崖へと飛び降りた。

 それを横目に確認しながら、クライフは1人武器を構える。巨体を持つ灼角にとって、十数メートルの裂け目は障害にすらならなかった。一度だけ翼を上下させ、浮かんだかと思うと、クライフの目の前に……降り立ち。

 

「―― らぁっ!!」

 

 この灼角に立ち向かった父の様に。思い切りだけはと決め込んでいたクライフは、着地点へと飛び込んだ。

 降り立とうとする風をものともせず、間髪居れず、鉄槍を振るい ―― 太腿に苦もなく弾かれる。

 

「ん、なっ」

「ヴルルッ……!」

 

 逸れた槍の勢いに仰け反った直後、三日月の角が迫った。

 コマ送りになった様にすら感じる速度は、凄まじいまでの膂力によるもの。

 反射的に構えた楯。目の前で火花が散る。

 

「がっ」

 

 先に狩猟した双角竜とは段違いの衝撃によって、クライフは体勢を大きく崩される。何とか意識を繋ぎとめてはいたが、気付けば楯が此方へ向けてせり出していた。鉄の凧楯は、灼角の一撃によって凹まされたのだ。

 構えを整える間もなく風斬音が響く。横に構えていた『ランパート』が弾き飛ばされ、腕甲がくしゃりと剥げ落ちる。

 鈍痛。ここでやっとの事思考が追いつく。駄目だと悟ったその瞬間、クライフは楯を投げ捨て距離をとった。

 

「……!」

 

 ―― ブォンッ!!

 

「……ぁあ゛ッッ!! ……っは、っは!」

 

 咄嗟の前転からの回避。直後、起き上がって走り出す。

 角を振り上げた動作の隙を突いて股の下を抜け、どうにか7メートルほどの距離を稼ぐ事が出来た。

 クライフは急いで鞄の中の狩猟道具を探る。薬は無事だが、長く水に浸かった影響によって閃光玉や罠といった道具は機能を失い、只の荷物と化していた。仕方が無いと、走った先でくの字に折れてしまった槍を拾う。これでも無いよりはマシに違いない。楯は……そもそも灼角の攻撃を受けようというのが間違いだったのだろう。だとすれば、あっても無くても同じ事。

 

「そうでも思ってなきゃ……やってられねぇ、畜生」

 

 苦渋の決断とはいえ、距離を取るという選択肢は角竜得意の『突いて退く』闘いに付き合うという事でもあった。

 クライフの前方で、灼角は確かめるように地面を慣らし……突撃。

 間に挟んだ裂け目を見事に避けながら、灼角の片角がクライフ目掛けて迫る。

 

「―― ちぃっ!?」

 

 足元を確認しつつ、横へと身を投げる。

 ぶおっという音をたてて角と巨体が空を切る。辛うじて一命は取り留めた、が、すぐに次撃に備えなければならない。クライフは身を起こすと、すぐさま脚を動かした。

 

「……!」

 

 背中に視線を感じる。相対し、飛ぶ。

 身を起こして、走る。足音が近付く。振り向いて、飛ぶ。

 命を削る防戦が続く。何処へ逃げているのかも判らぬまま、クライフは生き残る事 ―― 時間を稼ぐ事だけに終始する。

 猛撃を凌ぎながらの逃走は、数分では収まらなかった。しかも裂け目と遺跡の瓦礫によって構築された迷路が足を鈍らせる。そんな中を逃げまわる内、いつしか管轄地からは数キロ以上も離れてしまっただろうか。主導権はクライフではなく、灼角の側にある。楯が凹むほどの衝撃を受ける訳にもいかず、回避と逃走を主に据えるしか手段がなかったためだ。

 

(これは、拙いんだよ……! でも他に手段がねえ!!)

 

 クライフとて理解はしている。管轄地から離れてしまえば、身を潜める場所は少なくなってゆく。モンスターが強大であればあるほど人間は知恵でもって対抗せざるを得なくなり、身を潜める場所が少なくなるということは、灼角の独壇場になる事をも意味している。

 そしてそれが自らの死に直結しているという事も、同様に。

 

「―― ヴゥッ」

 

 漫然とした死が、灼角の巨体が迫る。

 身を捻って何とか避ける。繰り返しの攻防はクライフの身体に染み込んでいた。

 しかしそれは灼角の狙い通りで、だからこそ……後ろで素早く立ち止まり、振り上げられた尾に気づくことは出来なかった。

 

「ぐ、がっ!!」

 

 鎧が捲れ、鉱石で作られた兜が吹き飛んだ。数瞬浮いた後、地面に叩き付けられた。

 立ち上がる事は、すぐには叶わない。両手足に力が入らないのだ。灼角も反転の直後では狙いが甘かったのか、どうにか直撃は避けたものの、息が詰まって呼吸すらままならない状態であった。

 

「……っ、がはっ、はっ」

 

 四肢に力を込めるが、崩れ落ちる。背後では、反転しきった灼角が今度こそはと狙いを定める気配があった。

 これまでか。ハンターは諦めが肝心だという。それは本来引き際を見極めるという意味合いなのだが……と、クライフが最期の悪態をつくべく、声の出ない唇を開いた時だった。

 ガシュシュンという重弩に特有の射出音が響き、狩場の静寂を貫いた。

 

「!! ヴルォオオオオッ!!」

 

 予期せぬ攻撃だったのだろう。痛手ではないが、クライフの目前で始めて灼角がその身を捩る。

 続け様に、リズム良く射出音が響く。明らかに通常よりも素早い射出は、レクサーラの工房が開発したという追加弾倉を使ったものに違いない。

 あれを使いこなす程、ブレの無い射撃を行う人物。少なくとも、クライフの近くには1人しか居ない。

 

「―― こっちです!!」

 

 声の方向へと振り向く。裂け目の向こう側だ。砂丘の上を位置取り、桃色の髪を揺らす少女……ノレッジ・フォールが『ボーンシューター』を構えていた。

 数十メートルの距離をものともせず、僅かに湾曲する弾丸の軌道を、灼角の翼にぴたりと合わせてくる。かと思えば時折頭に照準を合わせ、交互に射撃。

 最期に、頭に数発を撃ち込んだかと思うと、

 

「閃光、行きます!!」

 

 頭への狙撃を嫌がった灼角の考えを読んだかのように。少女の側へ振り向いたその瞬間を捉え、閃光玉を放ってみせた。

 光蟲の発光器官が炸裂し、辺りが光に包まれる。クライフが再び瞼を開いた時、振り向いて間もなく眼を焼かれた灼角は、何をするでもなくただただ尾を振り回し始めた。

 

「ヴルォォーッ! ヴルルォーッ!!」

 

 暴れまわる灼角の鳴声を背景に、クライフは自身の体調を確かめる。

 息は出来る。槍はある。身に力は入る。回復薬を一息に飲み干し、素早く立ち上がった。

 

「―― 今の内です!」

 

 立ち上がったばかりのクライフに、少女は異な事を言う。弩を背負うつもりは無いらしく、その照準は腕の中、未だ視界のない灼角へと向けられていた。

 それは、つまり。

 

「―― 逃げる! 今なら逃げられんだ、ノレッジ!!」

 

 ノレッジに逃走する気がないと悟るや否や、クライフは叫んだ。

 それでもノレッジは首を振る。

 

「それは、無理なんです!!」

「何で、何でだっ!!」

「わたしは裂け目のこちら側(・・・・)に出てしまいましたからっ!!」

 

 そう。ノレッジとクライフの間には、灼角にしか飛び越える事のできない裂け目が広がっている。

 それでも、穴の向こう側に出たというならば戻れば良い。だとしたらノレッジは何故、元来た穴を伝って逃げるという手段をとらず、こうして灼角の目の前に姿を現し……命を危険に晒すのか。

 ―― ああ、それは、言うまでもない。クライフが危険に晒されていたから、だ。

 だから叫ぶ。何時だってクライフは、理不尽に対して悪態をついてきたのだから。

 

「生きて帰るんだよ! 親父も、ヤンフィも、俺も! お前もだ!! 違うか!?」

「でも、それはハンターの仕事じゃあありません。というか、すいません。……二兎を追っていては全滅しますから! クライフさん、どうかあちらに!!」

 

 遂には謝らせてしまった少女の言葉に顔を動かす。すると、ヤンフィの居た方向から「ペイントの実」の強烈な香りが漂ってきていた。

 

「……! 大型モンスター、だと!?」

 

 二の句を継ぐ事が出来ない。感情とは違う次元にある、クライフの熱を冷ますほどの正論だった。

 「ペイントの実」……その独特の臭気を利用した「ペイントボール」は、大型モンスターの位置把握の他、周囲のハンターに新手の出現を知らせる意味合いもある。つまりこれは、ヤンフィの側にも大型モンスターが出現したという知らせでもあった。

 今ならばクライフにも判る。紅の角竜は視界を失いながらも、バルバロが致命傷を負った今、自分やヤンフィなどには目もくれず ―― ノレッジにだけ明確な意識を向けている。

 高い砂丘の上。少女は昇り来る旭光を背景に立ち、一団を見下ろして笑いかけた。

 

「此方は大丈夫です! わたし、師匠から色々と教わってますし! ―― それに、ワクワクしませんか!」

 

 白い吐息が昇る。唇から紡がれたのは、クライフにとって耳を疑う言葉であった。少なくともあの灼角と相対した人間の口から出る言葉ではない。

 しかし、思い返す。例えば父であるバルバロの様に……もしくはかつての母の友人の様に。超然とした技量を持つハンターは皆、今のノレッジの様に、強敵との闘争を前にして笑う事の出来る人物ばかりではなかったか。

 ……だとすれば、目の前で笑うノレッジはどうだ。自らの先を行き、父や、母の友人と同じ領域への歩を踏み外した(・・・・・)のだろうか。

 少女はあくまでも自然な動作で長い髪を梳き上げ、焼ける空とに照らされ沈む。

 

「判るんです。あのディアブロスは、きっと闘いを求めてここに居る。……だからわたし、見てみたいんです。もっと近くで、もっと傍で。それにそもそもわたしは、今の銃撃で……『やけづのさま』……でしたっけ? あのお方に目を付けられてしまってます。わたしに限って逃走は不可能でしょう。一緒に逃げては危険が増すだけ。ですから、敵意と興味を逆手に取ります! 今なら、『灼角』の興味をわたしが引き受けてしまえば、クライフさんがヤンフィさんとバルバロさんの救援に向かえます。それなら、逃げられる筈です! 調査隊への被害を出さずに脱出できる可能性が高まります!」

「でも、それなら俺達も!」

「―― いいえ、それは駄目です!」

 

 クライフがヤンフィの側へ行き、救援の後、この場へ駆けつける。

 そんな意味合いの叫びを一言の元に遮り、ノレッジは唇に指を当てる。

 

「……ここはもう管轄地の外。応援のハンターさん達は到着してなくて、しかもバルバロさんが大きな傷を負っています! 戻って来てしまえば無事に逃げおおせる筈もありません! 何より、調査隊の皆さんはどうするんですかっ! 帰りの調査隊を守るハンターも必要でしょうっ。だから、クライフさんとヤンフィさんは、そのまま。調査隊とバルバロさんを連れてレクサーラに戻るべきだと思います!」

 

 言い切る少女から、気負いや覚悟といった類の悲壮感は漂っていなかった。

 他の言葉で言い表すならば、期待。喜色に寄るものだ。

 

「ノレッジ、お前……」

「だから逃げてください。わたしが相手を……というのは、流石に気が引けますね。率直に言って、囮を勤めます。……砂漠の王であるディアブロスの内、『王の中の王』と呼べるこの個体を相手に、わたしではそれすら役者が不足しているのでしょうけれども……」

 

 言いながら、少女は丘の向こう ―― 先に待ち受ける灼角を見つめていた。

 まるで抜き身の刃の様だ。危うさを伴う面持ちが、次の瞬間には引き締まり。

 

「レクサーラの皆さんへ、宜しく伝えてくださいっ!! お世話になりましたと!!」

 

 救援に向かうにも時間は待ってはくれない。返答を待たずして、クライフの目に映っていた少女の姿は、瞬きの間に砂丘の向こう側へと掻き消えた。

 

「ちっ……許さねぇ……許さねぇぞ、ノレッジ!!」

 

 悪態をつく。自分の無力さを嘆いたのではない。

 この瞬間、この時、クライフとノレッジを分ったのは裂け目の向こうに居たという偶然に過ぎない。逃げ出した最中の闘争に惹かれ、足を止めていたという天運に過ぎない。少女との立場が逆であれば、恐らくは、クライフとて同じ行動に出ていた筈だ。

 だからこれは、ただの悪態だ。溢れ出し垂れ流し、それでも胸に渦巻いてしまった見苦しい愚痴だ。

 

「生きてレクサーラに帰って来やがれ……! 必ずだ!!」

 

 返答はない。期待もしていない。

 すぐさまの激突の気配が無い事に安堵しつつ、クライフは踵を返す。

 数分駆けて元の地点へ戻ると、バルバロを引き上げていたヤンフィの姿が見えた。引き上げは終えているらしい。

 ……が。

 

「くっ……このっ」

「ギャアアッ!」

「ギャアア、ギャアアッ!!」

 

 その周囲には砂漠を泳ぐ無数のヒレ。恐らくは灼角のおこぼれに預かろうと集まった、ガレオスの群れであった。目視だけでも、群れの中に混じっているドスガレオスは2頭。ヤンフィの右手はだらりと下がり、血を流したままの左腕で剣を握り。必死にバルバロの身を守るべく戦っていた。

 これだけのモンスター達が、あれ程落ち着いていた第五管轄地の何処に潜んでいたのか。と、接近の間に考えを巡らす。すぐに目に入るのは、やはり裂け目。地殻変動にも匹敵する『白亜の宮』の陥没による衝撃か……はたまた、モンスターが生活できる様な空間が地下に出来上がっていたのか。

 ……もしくはその両方か、と、喉元まで出掛かったツイてねぇというお決まりの単語を飲み込む。地下にあれだけの水源と大サボテンを含む植物があったとすれば、地上にいる必要が無いというのも納得できる話ではあったのだ。空から観測気球を飛ばすだけでは見付からないのも道理。

 そのまま視線を逸らし、遠方……管轄地の岩場があった方面を確認する。すると、第一区画とを隔てていた岩場が大きく傾いているのが見えた。陥没の影響はここら一帯だけに止まらなかったのだ。だとすれば、同じく小型のモンスターが湧いている可能性は高い。調査隊の面々にも少なからず危険が及んでいるとすれば、即急な応援が必要である。

 しかし、今はまずこの局面を切り抜けねばならなかった。思考を目前の光景へと戻す。群れまで数秒の距離まで詰めていた。道中、投げ捨てた楯を回収する。全力疾走の最中でポーチに手を入れ、小型爆弾を駄目元で着火。やはり火がつかない事を証明した後投げ捨て、痛む身体をおして腰に力を込め、息を吐き出す。

 『ランパート』を目前の大きなヒレ目掛けて突き入れた。

 

「―― ギャオオッ!?」

 

 狙いの通り。予期せぬ一撃にドスガレオスが飛び出し、バタバタと地面で跳ね出した。

 小型のガレオス達は、飛び出してしまったドスガレオスの周りを避けて泳ぎ出す。出来た空間を利用してその横を抜ける。

 

「―― 坊ちゃん……! て、あっ」

 

 ヤンフィはクライフを目に止めると一端顔を明るくしたが、隣にノレッジが居ない事に気付くと途中で言葉を飲み込んだ。

 クライフはそのまま横に屈みこみ、無言のままのバルバロを見やる。息はしている。どうやら手当ての最中に襲われたらしい。圧迫止血のための包帯が、中途で放られたままとなっている。

 ヤンフィは淡々と作業を進めるクライフを見て。次に、数キロ先の丘の向こうへと消えたノレッジを見て……改めて『フロストエッジ』を構えた。

 

「……クライフ坊ちゃん、ノレッジは」

「行くぜ、ヤンフィ。どでかい荷物で悪ぃが親父を担いで、この魚竜の群れを抜けて、調査隊と合流する。どうせこのまま留まってたら良い餌だ。調査団と合流したら、ノレッジの引いてた荷車を引いて第五管轄地を出る。―― 今からこの調査団は、最低限の荷物だけを持ってレクサーラに帰還する。強行だ。力貸せ。くれぐれも逸れてくれんじゃねえぞ」

 

 言い切って、反論を許さずクライフは父を背に担ぐ。同時に、見た事もない自身の母が鍛えたのだという『バルバロイブレイド』をぶら下げた。足に力を込めて、魚竜の群れを睨むと、泳ぎ回るヒレの真っ只中へと迷い無く分け入る。目指すは合流地点と定めた北側、唯一つとばかりに。

 ここで逃げるという選択肢は生き残る為に正しい順路でもあった。隊長気質のヤンフィは暫く唇を噛んでいたものの、最後には周囲の魚竜に牽制をかけつつ、クライフの後を追いかけ始める。

 

「さっさと帰って、装備を整えて……調査隊を再編成して、ここに戻って来てやんだよ……!」

 

 クライフが悔し紛れに吐き出した夢物語は、誰にも届く事無く、砂の海に染み込んで消えた。

 

 

 

 

□■□■□■□

 

 

 

 

 かつての仲間達が黒い点に見える程の距離を隔てて遠く。

 バルバロを担いだ2人が移動を始めたのを見送って ―― 数秒。

 砂丘の上から跳び、砂原に降り立ちながら、ノレッジは深く息を吸った。渋るクライフを後押しするためにと、咄嗟にヒシュの真似をしたのだが……どうやら成功したようだ。これもずっと背を追って来た成果の一つには違いない、と自嘲の笑みが零れ出る。

 勿論、先ほどの語りは半分以上が虚言である。ノレッジとて自分の命は惜しい。それも気絶する前、第一管轄地が変貌を遂げる前……やっとの事で積もり積もった疑問に対する「解」を得た直後だというのに、だ。

 しかし灼角に興味を持たれた少女が相対しなければ、あれだけの相手。16名の調査団だけならず応援のハンターにも危険が及ぶ。それも、相対したとて灼角に追いかけられてしまえば同じ事。だとすれば助ける為に自分が残るというのはやぶさかではない。

 また向けられた興味の他に、臨時ではあるが二等書士官となった自分が「部下を助けたい」と思う気持ちに関しては嘘も無かった。

 

「……」

 

 随分とヒロイックな展開だが、慢心は無い……様に思う。全滅か誰かが生き残るかという瀬戸際に、選択肢は存在しなかったというだけの話。

 部下……という単語に続いて、密林で(後に未知の、と呼ばれる)怪鳥に襲われた際の事を思い返す。今にして思えば、自分も隊長たるダレンに助けられていたのだ。それも心なしか随分と昔に感じられる。あの時のノレッジは調査資料運びという名目で怪鳥から離されたが……何時にも増して憮然とした表情を貼り付けていたダレンも、かつてはこんな気持ちだったのだろうか。と、少しだけ場にそぐわぬ親近感も覚えた。

 郷愁はここまで。肌を刺す朝の冷気が肺に馴染んだ頃を見計らい、少女は独り言を呟く。

 

「ふぅ ―― はぁ。さて」

「―― ヴルルル」

 

 視界を取り戻した灼角は、人には飛び越えられない裂け目を軽々と飛び越え、こちら側へと降り立った。

 少女は自らの好奇心以外の全てを擲って、目の前の生物と対峙する事を選んだのだ。クライフに語った通り、ノレッジには灼角が自らを追ってくるであろうとの理由のない確信があった。ただ、確信の根拠を、今は勘としか言い表すことが出来ないのが口惜しい。

 

 思考を切り替えると面を上げた。守るべき書士隊も仲間も今は退き、知るべき相手だけが目前に佇立している。

 ノレッジはここで改めて、紅いディアブロス ――『灼角』の雄々たる全容をみやる。

 

 砂漠の広天を貫き屹立する双角の内、その1つは中途で折れている。だがそれは勲章である。今や折れた角は王冠の如く、威厳を持って頭に戴かれている。

 体駆は先ほどノレッジが遭遇していた通常の個体より二回りは大きく、目測だが、全高8メートル前後。通常の個体が5メートル前後であることを加味して、異常とさえ言える巨大さである。

 その甲殻は熱砂を種火に灯して紅く、重厚にして鎧が如く。鎚状に進化した尾は自重によって垂れ下がり、引き摺られ、罪人の足を縛る鉄球を思わせる。

 彼の者が下すは、遥か自然を体現する必然。雄こそは熱砂に浮かぶ鉄城。超常にして頂上に座す砂原の王者、双角竜(ディアブロス)

 だとすればディアブロスの中でも殊更強大な個体である『灼角』は ―― 赤色の魔を帯びたその身体故に、魔王とでも呼ぶべきであろうか。

 

「それももう、どうでも良い事ですけれどね。呼び方がどうだろうと、言葉は通じないでしょうし……」

「―― フゥゥヴ」

 

 ノレッジが重弩を構えると、未だ30メートル程の距離を残した先。灼角の捻り曲がった三日月角に隠された口元から吐息が漏れた。吐き出された息はどういった原理によるものか、昂然と、黒色の気炎を纏っている。

 感じる激動の気に反してその挙動は穏やかであった。自然のモンスターは敵対する生物に対し、比して攻撃的な態度を取るものだが、この個体は違う。此方を値踏みされているのだというのが雰囲気で自ずと判る。

 視線に篭る呪によって脚を縛られたノレッジの前を、灼角は悠然と横切り、睥睨する。

 

(……やはりまずは人間らしく小賢しさ(・・・・)で勝負すべきなんでしょうね)

 

 虚勢などとうに棄てている。先は気を惹くために銃弾を撃ち込みはしたものの、今は戦うなどもっての(ほか)。ここでえノレッジが成すべきは、灼角の興味を絶えず引き受けながら撤退の時間を稼ぐ事である。

 興味は完全にノレッジが引き受けている。逃げれば確実に、別たれた調査隊ではなく此方を追って来る。危機感。第6感。セクメーア砂漠での狩猟において自身を何度も窮地から救った「感覚」に従い、ノレッジは王者の間合いからの逃走を企てる。

 目は離せない。ノレッジは眼球すら動かさず、視野と意識だけを広げて周囲を見回す。広々と開けた裂け目の迷路……北側の砂原に逃げ道はない。だが、前方。砂漠行路と反対にある南側ならば、所々に岩場が聳えている。岩場にさえ逃げ込めば灼角の体駆では入り込めない場所もあるに違いない。

 ―― あくまで「前へ」。あそこへ、駆け込むしか、生き残る術はない。

 今の自分は完全に狩られる側だ。弾丸は兎も角、手製の道具は先の双角竜で殆ど底をついている。脚だけが頼りだ。

 王への謁見の最中。目を逸らす動作だけでも相当の気力を必要とする。ましてや、逃げ出すには ―― 時間すら足りない。

 灼角が一歩を踏み出す。縫い付けられた様に固まっていたノレッジの指が、びくりと反応してしまっていた。

 悪手 ―― 既に遅い。

 

「っ、だああああーっ!!」

 

 少女は張り詰めた緊張の膜を、絶叫でもって突き破る。声にならない声を叫び、相手の足を止めねばという軽挙でもって、弾丸を撃ち放った。

 一歩。ばしばしと軽い音が灼角の外皮で弾ける。位置を変え後退しつつ、絶えず弾丸を見舞う。

 二歩。灼角が無造作に頭を振るう。折れず残った右角が地面を抉り、ノレッジの前方の地面が丸ごと捲り上った。

 

「く、ぐぅっ!?」

 

 宙に浮き上がったのは僅かな間。それだけでも、明らかな力の差が痛感出来た。

 ……それでも、叶わないのは、元からだ。肢体を突いて着地をするのと同時、巻き上げられた砂が降り注いではノレッジの視界を泥に染める。

 次撃。相手は此方に狙いをつけている ―― という信頼の元、今度は弩を抱えて全力で横へ飛ぶ。

 

「っ!」

 

 外れた。先ほどまで自分が立っていた場所が大きく抉れている。

 今しかない。灼角が角を振り挙げている隙に、ノレッジは20メートルほど離れた岩場の裂け目を目指して背走する。

 進める毎に重くなる脚。増して行く疲労感。果てしなく感じる岩場への距離。時折つんのめりながら、振り返らずに疾駆する。

 

「―― あッッ!!」

 

 何とか無事に走り切ったノレッジは灼角の気配を身体で探りながら、目前に迫った裂け目へと転がりながら飛び込んだ。

 岩場の影に隠れたのを感じ取り、砂に塗れた身体を素早く起こす。

 灼角の、追撃は。

 

「っは、っは……うはぁ。……何とか、命は、無事で……」

 

 少なくとも、生きている。自分は洞窟の中に逃げ込むことに成功し、灼角の威圧感は消えていないが、姿が見えてもいない。弩を抱いたまま、ノレッジは疲労困憊の様相で岩壁へともたれ掛かった。

 だが、自然の追撃が少女の休息を赦さない。

 

「っ!?」

「「ギァ、ギァ!」」

 

 獲物を待ち構えていた様に。上から飛び降りてきた走竜が、2頭。砂原に広く生息域を持つ、ゲネポスだ。

 ノレッジは途切れかけた緊張感を慌てて接ぎ直し、倒れ込んだ身体を素早く起こして感覚を延ばす。端……上……岩場。自分を囲む全方位から、「息の詰まる閉塞感」と「舐られる感覚」とを覚える。

 ここに到って、ノレッジはある事実へと勘付いた。

 

「―― 全方位から、視られてるって! ここ、もしかしなくてもゲネポスの巣っ!?」

 

 やられた、という思いが頭を占める。ノレッジはみすみす、ゲネポスの巣へと「追い込まれた」のだ。

 目前にはゲネポスが2頭。勿論それだけでなく、ここが巣であるとすれば、その頭であるドスゲネポスも岩場のどこかに潜んで居るに違いない。

 今のノレッジであれば、手持ちの狩猟用の銃弾を辛うじて残しているため、ゲネポスの群れの討伐そのものは可能であろう。だが砂原にぽつりと浮かんだ孤島の如きこの岩場では、食料の補充も道具の原料の採取も見込め無い。篭城は不可能だ。つまり何時かはこの岩場を出て行かなければならず ―― それは、ゲネポスと戦闘を繰り広げた後。ノレッジが弱った状態で、あの灼角と対峙する事を意味している。

 ……成る程。思えば先週、砂漠の第三管轄地へと向かう道中では妙に多くのアプケロスと行き違った。あれは逃げ出した、もしくは追い立てられたアプケロス達だったのだ。灼角は始めから、強者を求めて「場を整えていた」に違いない。

 けれど。だとすれば、この周辺にはノレッジが食料として仕留めるべきタンパク源も存在しない事になってしまう。

 次に、逃走だ。灼角は北側を位置取っているため、ノレッジは必然的に南側に逃げる事になるのだが、その先は辺境の中の辺境「デデ砂漠」が待っている。

 「デデ砂漠」は、こういった事態でもなければ進んで立ち入りたくはない場所だ。レクサーラとセクメーア砂漠とを繋ぐ直線路……と、デデ砂漠との間には、囲う様に山岳地帯が聳えている。そのため地続きや海路での到達が困難であった。またデデ砂漠は大陸の南側に大きく深く広がっているため、海路で到達したとしても管轄地までの移動距離が長く、その不便さが祟ってか今ではハンター達にすら殆ど利用されていない場所であると聞く。今回のノレッジの様にセクメーア砂漠から回り込むのであれば陸路による到達も可能ではあるが、多大なる援助が必要となるため現実的ではない。

 そして何より、距離や行路の他にも、デデ砂漠にはレクサーラを含めたドンドルマを主とするギルドからの援助が期待出来ない理由がある。デデ砂漠の管轄地の殆どは王都の勅の下 ―― ミナガルデギルド(・・・・・・・・)手中に有る(・・・・・)からだ。

 その様な場所へ単独で近付いて行くという。考えれば考えるほど拙い状況だった。灼角の巧妙な謀略に、どろりと寒い感嘆が沸いて出る。嬉しくも恐ろしい、奇妙な心持である。

 数時間も灼角の興味を惹き付け、クライフ達が脱出に成功した後に自分も逃げ切る事が叶うのであれば ―― しかしはたして、灼角がそれを許してくれるか否か。

 

「ギァァッ!」

「くぅっ……」

 

 攻め手は少女の思考を待ってはくれない様だ。迫り来るゲネポスの爪と牙をかわしながら、ノレッジは思考を続ける。

 自身の道は、ある程度までは見えた。他に抗う術が無い。ノレッジは南側へと降るしか、ないのだ。

 生き残る可能性は依然として低い。逃げ回るべき砂漠は灼角の庭。逃げ出したその先ですらノレッジは追い詰められるのだろう。想像に難くない。

 だが、無ではない。そこには確かな可能性が存在している。

 

「……腹を括りましょう、ノレッジ・フォール」

 

 唇を決意の形に結び、目を閉じ、深く息を吸い、溜める。

 ―― 何度も言おう。諦めるには、投げ出すには早過ぎだ。ここで動かなければ……足掻いて見せなければ、生きている意味が無い。

 想うが早いか(・・・・・・)。ノレッジは溜めた息を勢い良く吐き出すと、すぐさま腰から『ハンターナイフ』を引き抜く。弾丸は節約しておかねばならなかった。

 ノレッジに剣の心得は無い。ヒシュに振り方を教わった程度だ、が、振るうだけなら刃を額面通りに扱えない道理も無い。弩を持ちながら振るえるよう刃を短くしたそれを、目の前に居たゲネポスへ力任せに叩き付ける。

 

「せぁっ!」

「ギァ、ギァッ!?」

 

 突然の反撃に驚くゲネポスの頭を叩き、怯ませる。隙を縫って、2頭の間を走り抜ける。

 岩場の反対側 ―― 南側へと続く死地への入口を。自らが生き残る道を目指して、ノレッジは駆けた。

 同じく灼角によって獲物の出入りを制限されているゲネポス達にとって、逃げ込んできた少女は格好の食料であった。空腹を満たす限られた餌を逃すまいと、必死の形相をしたゲネポスらが左右の岩場から次々と沸いて出る。

 纏わりつく生の執念の中を振り切るべく。剣を振り回し、ノレッジは獣の咆哮をあげて突き進む。

 

「―― あ゛ああああああーっ!!」

 

 今はただ振り返らず。

 ひらすらに、南へ。

 

 

 

 

 

 たった一匹残った人間が裂け目へと飛び込んだその後方。

 北側を陣取った紅の角竜は未だ、少女と相対した場を一歩も動かずに居た。

 それはあくまで、想定外の闖入者。闘技場を荒らされた憂さ晴らし程度にしか考えておらず ―― が、予想を違い、大きな(つめ)を振るう人間は見事という他無い好敵手だった。あの相手の大剣(つめ)が、また防具(こうかく)の整備が成されていたとすれば。例え灼角とて一晩程度では御せない相手であったに違いない。

 だが見る限り、この場に残った彼の人間も自らの好敵手になりうる気配を秘めている。自分を目の前にして、残る2匹よりも明確な敵意を発する事が出来ていたからだ。乾いたこの心を埋めてくれるかという期待が出来る程度には。

 人間の姿が岩間に隠れるのは見届けた。あそこには小型の走竜達が潜んでいる。あの人間に先を見る力と知恵とがあるならば、いずれ岩場から出てくるだろう。そうでなければ、それまで。見込みの違い。自らが相手をするまでもなく、何れにせよ砂漠の贄となるだけだ。

 故に。出て来るならば、その時こそ喜びにうち震えよう。歓待しよう。競るべき相手の出現を、敬意を込めて迎えよう。

 

 数秒。

 砂地を行くその姿が、見えた。

 

 片角の魔王は一杯に空気を吸い込み、自らの狩の始まりを布告する。

 

「ルルゥ……。ヴ、ヴヴヴオ゛オオ゛オオ゛オーーッッ!!」

 

 重く伝播する咆哮に、大気が、大地が激震する。

 渇きの海を埋め尽くす砂粒が1つ残らず揺らめき、傅いた。

 





 読んでくださった貴方に、ネコ飯ど根性+火事場とかいう神掛かった組み合わせの幸運を。

 二万字超えとか、文量過多でしょう……とは思ったのですが、区切りがみつからなかったのでそのままにしてしまいました。読み辛さをば、申し訳なく。
 以下、それゆけ云々カンヌン。
 灼角について。
 普通に変換しても(もちろん)出ないので、「しゃくかく」から変換してます。間違い、ないですよね……この辺りは個人推敲の限界かと思われます。
 イメージ元……というか、これはハンター大全および2ndG辺りに準拠したお相手となります。赤くて強い片角のディアブロス。やはりというか何というか、ディアブロスさんはそのまま倒せてしまうと本題に近寄れませんでしたので、より一層の強敵のご登場です。
 地底湖について。
 さて、この辺りの成り立ち云々は近場で解説する予定となっています。詳しい解説にはならないかもしれませんが……。
 デデ砂漠について。
 所謂、「旧砂漠」がデデ砂漠にあたります。4Gをプレイなさった方からの「辺境辺境言ってる割に、管轄地してんじゃん」という突っ込みはご最も。ですが、4Gはハンター大全が出版された辺りからはかなり未来の時系列っぽいのですよね。主に村クエスト時の筆頭ガンナーが、オオナズチの光学迷彩を知っていたとかいう辺りをかんがみるに、ですけれど(ハンター大全では、未だ未知の技術としか表記されていませんでした)。ですので、その辺りは時間が経過した……という解釈をしてくださると嬉しいです。
 気炎と書いて「なにか」と呼んでいる何かについて。
 そうですね。これが書きたくて第一章をやっている様なものです。スキルと呼んでも良かったのですが、どうにもしっくりこなくて気炎とか書いております次第。説明できないので、オカルト扱いとなりました。これも、詳しくはその内に。

 長くなりましたので、今回のあとがきはこれにて。
 では、では。


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第二十五話 交叉時点

 

 ノレッジと別たれた時点から、距離にして北東に数百キロ。時にして1週間が経過した。

 第五管轄地を脱出した一団は、幾度となく大型のモンスター達と遭遇。紅の双角竜が及ぼした縄張りのずれこみ(・・・・)が不規則に行く手を阻んでいたものの、バルバロが受け取っていた近辺のモンスターの生息状況が役立った。移動予測を立てながらその均衡を打ち破り……また応援のハンター2名と合流できたこともあって、結果、一行の先には遂にレクサーラへの通路が拓けたのである。

 時に迂回し、時に狩猟し。温暖期の砂漠、その最奥に取り残され、灼角という未曾有の脅威を目の当たりにしたにも関わらず、一団は道中(・・)誰一人として欠く事無くレクサーラへと近付いていた。

 これは既に奇跡と言って良い結果であったのだが ―― しかし、その一団は逃げ出す際にとある少女を欠いている。その点をもって奇跡と呼ぶにはおこがましい。一団の誰もがそれを理解し、果たして、レクサーラに到着したとして喜ぶ事が出来るのか。

 前言の通り。灼角との遭遇時を最後にセクメーア砂漠に雨が振ることはなく、砂漠に取り残されている間に気温は上昇。季節は温暖期へと突入した。温暖期の砂漠は所謂一つの禁則地である。熱の篭った砂漠にモンスターだけが行き交う。つまりは人間に適さない環境と化すのである。

 果たして戻ればギルドより改めて編隊が成されるのか。それとも……少女1人を犠牲としてその上に立つのか。何れにせよ書簡は応援のハンター達と合流した際に鳥便によって通達している。その判断について、今最中頭を悩ましているであろう上役を期待して待つばかりであった。

 

 レクサーラまであと2日の位置に辿り着き、周辺の大型モンスターを無事に掃討し……道筋がはっきりと見えてきた、その夜。

 番を担うバルバロは、一団が休息を取る岩場の入口で大剣に寄り添っていた。左腕と背と頭にはぎちぎちの包帯が巻かれており、動かせるのは右腕だけであるのだが、それでも彼は愛剣を手放そうとはしなかった。

 ホットドリンク代わりに身体を温めるホピ酒の瓶を片手に、砂の大地の上に広がる星空を眺める。

 

「む」

 

 指が反射的に動き、大剣の柄を握り締める。

 白く耀く流星が一筋、空を流れて遠ざかって行く。

 敵は居ない(・・・)

 

「……。……やはり、居たのであるか」

 

 竜人族のラーによる忠告 ―― 隊の中で唯一本当の意味を理解していたバルバロは、クライフ達のそれとはまた違う緊張感を持って今回の調査に臨んでいた。

 

「―― ウム」

 

 大剣にかけた指の力を緩めつつ、再び岩に背を預ける。

 バルバロは思い悩む。はたして、ラーの忠告を生かすことは出来たのだろうか、と。

 危険が潜んでいるのは承知していた。彼の地には古代の遺物が在る事も。最悪、(いにしえ)の龍の出現すら考えられる状況であったのだ。相手に対して油断も慢心も無い。ただそれを確かめるに、バルバロが行く他なかったのが唯一の事実。

 ただ1つ。第五管轄地という地の特殊さだけが、想像の域を超えていた。

 クライフとヤンフィから話は聞いた。第五管轄地の象徴たる『白亜の宮』……その根元にて、打ち切られた調査の嘗ての目標 ―― 地底湖と成り果てた『大聖堂』が眠っていたのだ。

 だが、それは良い。自分が怪我を負ったのも地形の調査を怠った故。角竜を追って足を伸ばしてしまった故……狩人であるからこその業である、とバルバロは考えている。実際にはハンターズギルドの調査不足に寄る部分が大きいのだが、今のバルバロにとってそれはさしたる問題ではない。

 彼の少女。王立古生物書士隊の現三等書士官たるノレッジ・フォールをあの地に残してしまったことこそが、最大の失態にして後悔。心残りであった。

 

「……あの地には、魔が潜んでいるのである」

 

 痛む左肩に何時ぞやと同じ光景を重ねながら、バルバロは溜息を吐く。

 遥か昔のバルバロが、あの地において邂逅した脅威の存在 ―― 灼角。あれこそ、自身が「6」という高位のハンターランクを持つことになった切欠なのである。

 灼角という名は、レクサーラにおいて自然の警句の意味を併せ持つ。本来ならば出会う事すら無い筈のモンスターである。

 バルバロは知っている。彼の角竜は長き闘争を通して、遥か生の源流に近付いた個体だ。()級という範囲すら逸脱したその力は、相対したハンターにまでも影響を及ぼす。

 バルバロが現在の不可解(・・・)な戦闘術 ―― 『抜刀術』を身につけたのも、灼角と相対した後の事。そして狩猟へとのめり込み、妻と反りが合わなくなったのもこの頃である。

 拳を握り、あの頃の取り憑かれた様な自身の心境を思い返す。この力は狩猟を成就させる力と引き換えに、人にとって大事な何かを犠牲にする。それがバルバロにとっては、闘争の飢えという形で現れたのだ。

 バルバロの持つ大剣と『抜刀術』は相性が良いものだった。鞘から解き放った際の一撃は甘美で、爽快で。まる一日振り続けていても飽きのこないものであった。

 故に狩猟に赴く頻度も増えた。家庭を顧みず、貪るように狩猟をした。だからこそ彼のハンターランクは上昇した。妻や、息子との縁を犠牲にして。

 後年。狩るべき獲物が居なくなったある日、彼は自らの過ちに気付く。狩猟以外の何物も持ち得ず、血に濡れて爪を振り回す獣のような自分の姿に。

 ふと見れば隣に妻はおらず ―― 自分の姿を見て怯える息子をすら、省みる事をしなかったのだと。

 幸い彼は、そこで立ち止まることが出来た。熱は冷め、替わりに底知れぬ(おぞ)気を覚えた。震えが止まらなかった。自分は何をしていたのかと。妻に見限られ、息子を捨て、人であることをすら捨てようとしていたのではないのかと。

 その後の彼は振るえる膝で立ち上がり、幾度と無く理不尽な目に合いながらも、今度こそ見失うまいとレクサーラの発展に尽力する。反骨してハンターなどを目指した息子を見守る為に、猟団もどきも立ち上げた。彼は未だ、贖罪の最中に在るのだ。

 

「……ノレッジ、お前は……」

 

 通常の角竜と遭遇した際、バルバロは少女の横顔に危うさを感じていた事を思い……その悪い予感が的中してしまった事を後悔と共に、憂う。

 

「お前にとって大事な何かを失くしてくれるな、ノレッジ・フォール。願わくば、我が輩の二の舞にはならずに居てくれ。……今はただ、願うしか出来ない自分の無力さを悔しく思うのである」

 

 自分の様な手負いのハンターなど、足手まといでしかない。出来ることといえば、レクサーラへ帰村し……自らの地位を持ってノレッジの捜索を早急に行わせる事だけ。

 何せ、人一人の捜索をしに第五管轄地へ ―― などという無茶振りである。しかも砂漠の危険度は跳ね上がっている。上役は確実に渋るだろう。そこを、ごり押す。是が非でも通す。ラーにも働きかけさせる。バルバロが動けば出来ない事では無い筈だ。ノレッジはレクサーラにも馴染んでいた為に、協力者も十分に見込めるだろう。

 頭の中でそう纏めながら。バルバロは流星の消え去った星空を一晩中、見つめ続けていた。

 

 

 

 

■□■□■□■

 

 

 

 

 1日目。

 

 息を切らし、ノレッジは南へとひた走る。

 この頃はまだ岩場や遺跡が転々としていた。地面の裂け目も形を潜め、逃走する環境は整っていた。

 やはりというべきか、灼角から逃げおおせるという大それた試みは困窮を極めている。

 折を見ては隙を突き、北側へ抜けれないかと試みたが、その何れもが手痛いしっぺ返しを受ける羽目になってしまった。無駄に脚力を使ったな、と、後悔するばかりである。

 

「……ありました」

 

 ふらふらになった足腰で岩場の影に近付き、肉厚な葉を持つサボテンに剥ぎ取りナイフを差し込む。口の上に翳すと手袋をした右手で思い切り握り、口の中に水分を流し込む。これはジャンボ村の村長から教わった水分摂取の方法。砂漠の歩き方を教わっていて良かった、と今は心から思う。

 

 ズ、ズゥン……。

 

 喉を潤した所で、大音量が響く。灼角が岩場に体当たりをしている音だ。どうやら急かされているらしい。

 双眼鏡を覗き込むと、ノレッジが1つ前に潜んでいた岩場が跡形もなく砕け散っていた。

 

「これは、次、ですね」

 

 ノレッジはそのまま南側を見渡す。

 管轄地くらいに大きな岩場があれば良いのだが、そんな便利な場所は無い。殆どは身を隠す程度のものであり、例えあったとしても走竜の住処になっている事が殆ど。

 このまま、何処まで逃げ続けることが出来るのか。

 

「いえ。まだ、行けます……!」

 

 首を振って言葉に力を込め、自らを叱咤する。弩を背負い、ノレッジは岩場を飛び出した。夜が来れば身を隠しやすくなる。それまでを耐えるのだ。

 灼角が此方に気づき、走り寄るのが見える。紅の体駆が砂丘を飛び越え礫を踏み潰し、最短距離で迫る。

 

「……っ」

 

 力の限り跳ぶ。

 まだだ。反転、『ボーンシューター』を構え、照準を合わせる間もなく撃つ。

 脚、翼、尾、背甲……頭。

 

「来るっ」

 

 怯むどころか、灼角の動作を阻害する事すら出来ず。

 正面を向いた角竜を前に、今度は、抱きかかえて砂地を転がった。

 起き上がり、目前に ―― 尾。

 

 ―― ドッ

 

「っ! っ!!」

 

 ―― ドズンッ

 

 状況は回避の後で理解する。灼角がその尾を二度、地面を掃うように振り回したのだ。

 ノレッジは足元に転がる事でそれを避け、そのままぐるりと振り回された尾を、期を読んでは潜り抜ける。

 一度、灼角の視界の外へ。

 

「……っ」

 

 反転。そして次だ。砂丘の上から、閃光玉を投げつける。

 明滅する視界の中、次の岩場を探すべく、ノレッジは脚を動かした。

 

 

 

 

 3日目。

 

 管轄地を遥かに離れ、目ぼしい岩場は遂に無くなった。

 ノレッジは自分の身体がぎりぎり隠れる小さな岩場を背に、次の闘争に備えて息を潜める。

 

「……ふ、はぁ」

 

 あの灼角が大きく仕掛けてくるのは、決まって夜であった。

 とはいえ日が昇っている内でも、ノレッジが移動を開始すればすぐさま顔を出してくる。昨日はその繰り返しだった。睡眠を取るべき時間が見当たらない。おかげで体力も底を尽きかけている。

 背後の2メートル程の岩場に寄り掛かりながら、ノレッジは僅かな日陰に身を寄せる。そのまま、眠らぬようにと鞄の中を探っていると。

 

「……おっと、これは採って置かなきゃいけません」

 

 その視界に小さな枝葉を持つ植物に目を留め、腰からナイフを引き抜いた。

 刃を入れる。実をもいで種を取り出す。端を切り落とし、片方を削って弾頭に。瓶詰めの蓋を空け、ネンチャク草の粘液を薄く塗り、火薬を接着。

 西日に翳す。これにて射手の扱う弩に共通した「弾丸」の完成である。

 これはハンターの間で「カラの実」と通称される植物で、実が均一になる事とその繁殖力の高さから、弾丸の素材として広く利用されているのだ。

 尚、実を削った際に出た種子はその場に埋めるのが暗黙の了解なのだという。ノレッジは師匠の教えの通り、適当に抉った地面に種子を埋めた。

 「カラの実」が群生している場所にアタリをつけ、手際よく弾丸を作り出してゆく。1~2回の遭遇戦に耐えうる数を手に、ノレッジは息をついた。

 

「―― 日が」

 

 沈む。

 宵闇の帳を下ろし、また、灼角の時分がやって来る。

 

 

 

 

 5日目。

 

 未だ、状況を一変させるような吉報はない。

 良い事と言えば、ここの所のノレッジは何故か、温暖期真最中の砂漠だというのに暑さを気にせず活動できる様になった。元からガレオス装備は暑さに対してかなりの耐性を有していたが、逃走を始めた当初と比べても一層苦しくなくなった感があるのだ。

 勿論、生存という意味合いならばこれ以上なく良い変化である。が。

 

「……これ、何か拙い状況なんじゃあなければ良いのですが」

 

 本来人間が持つ生理機能の何かしらを阻害されているのであれば、体調にも異変をきたしかねない。このギリギリの逃走劇にあって、身体の不調は決定的な敗因となり得る。

 尤も、ただでさえ睡眠不足と疲労には追われているのだが。

 

「……もっと栄養素、それに電解質も取れると良いんですけどねー」

 

 ここ数日は手持ちの干し肉とサボテン由来の水分、乾パン。それにサボテンの葉肉程度しか口にしていなかった。改めて実感する。食糧事情という一点においても、砂漠は人間に適した環境ではないのだろう。

 

「目を盗んででも、魚や肉といった御都合的なエネルギー源が欲しいのですが……さて」

 

 あの灼角の気配を感じ、ノレッジは重い腰を上げる。

 動かねばならない。

 自分にはまだ、やりたい事があるのだ。

 

 

 

 

 7日目。

 

 遂に方角儀が役に立たなくなり、がらくたと化したそれを足元に放る。とはいえ灼角は常に北から攻めて来るため、使う場面も殆どなかったのだが。

 確かに、自分が今居る位置が判らなくなると言うのは僅かながら不安を煽られる……というのは一般的な話。

 ノレッジは息を整えながら状況を探る。

 方角儀が損壊した今、遂にここまで、「現実的にレクサーラに戻れない」という局面に到達してしまった。夜になれば星と黄道で簡易的な方角を見ることは出来るが、紙も計算機もない今、灼角を相手にしながら正確な距離までを知るのは困難と言えた。

 今の今まで南へ足を伸ばしていたのは灼角の相手をしている内にはレクサーラに戻れないから、である。あの場所へむざむざ「脅威」を近づける訳には行かなかったのだ。しかし今、ノレッジの周囲に広がるのは、何処を見ても礫か砂かと言った殺風景極まりない光景で、レクサーラはおろか人間すら影も形も見当たらない。

 つまり現状、方角を確認する必要がなくなった ―― レクサーラを気にする必要は、もう、無くなったのだと思えば、少しばかり気が楽になる感覚もあった。

 あとは遮二無二、木に噛り付いてでも生き残るのみ。……砂地にめぼしい木は無いが、例え話である。

 気分を切り替える為にと、ノレッジは久方振りに喉を鳴らす。

 

「―― ん、んん゛っ。……」

 

 喉が震えるまでには時間を要した。独りきりの逃走において、叫ぶ事はあれど、「言葉」を発する必要が無かったためだ。

 水を口に含み、うがいをして、遠景を望む。

 

「……ふんふむ、あー、あー」

 

 言葉こそが人類最大の発明だとは、いったい誰の言葉だったか。

 ……今日はこちらから仕掛けて、あちらを驚かせてやろう。

 そう思い至ると、行動に移すのは早かった。思い切りも、少女の持つ美点である。

 腰を僅かに浮かし、前傾に。岩場を出る。

 

「―― ノレッジ・フォール。挑みます」

 

 右前方70メートル、地面の下(・・・・)だ。

 未知なる灼角に向けて。意志を込めて呟き、少女は駆けた。

 

 そしてまた、言葉を発する必要は無くなった。

 

 

 

 

 12日目。

 

 以前よりも遥かに広々、荒々とした風景が広がる。どうやら広めの丘陵地帯に差し掛かったらしい。

 丘陵だけあって植物の自生率は良い……が、剥ぎ取りナイフの切れ味が悪くなっている。サボテンを斬るにも苦労する。その辺りの瓦礫を適当に見繕い、ノレッジは剥ぎ取りナイフを研ぐ事にした。最悪鉄片でも葉は削げるものの、労力の問題だ。

 この為だけに費やすような、余分な水も時間も無い。刃先を整えると、掲げる。

 

「……」

 

 やらないよりはマシだろうと言う程度に輝きを増したナイフを腰に差すと、ノレッジはだらりと立ち上がった。

 手持ちの食料は尽きている。最後にサボテンや木の根を口にしたのも、確か、このだだ広い丘陵地帯に辿り着く前の事。ここ3日ほどは、水筒の水しか口にしていない。それでも身体は動くのだから、今の所支障は感じないのだが。

 夜も更けた。未踏の砂漠に1人、ノレッジは目を閉じて気配を探る(・・・・・)

 それ以外、闘いに備える以外にすべき事がないというのもある。

 風が吹いてがさがさになった髪を揺らす。

 肌を刺す視線。風に、何がしかの色が含まれたのを悟る。

 

「―― っ」

 

 身を投げる。

 すぐさまノレッジの後方3メートル辺りの地面が爆発的に盛り上がり、破裂音が後に続く。

 舞い上がる土煙。角が地面を突き破り、寸前、紅の巨体が空を切った。

 

「ヴヴゥ」

「っは、っは」

 

 ノレッジは砂の上を転がりながら ―― その一動作ですら体力は底をつき ―― 生き残る為の思考を動かす。

 口を開けることに、脳へ酸素を補給する以外の意味合いはない。それ以外の余裕がないと言った方が適切か。

 ノレッジはしかと開いた目で、感覚で、灼角を見やる。

 

 角 ―― 左斜めに溜め。

 尾 ―― 回転を利用し。

 そのまま次撃 ―― 再び尾。

 

「……っは、っはぁ」

 

 立っている地面すら揺らぐ一撃を、魂を削りながら躱す。

 幾度と無く回避した動きであっても油断はしない。角竜の膂力に灼角としての経験を重ね、この個体はいつも、予想を一段ずつ超えてくるのだ。

 射撃。通常弾は切らしていない。が。

 

「―― !」

「! ヴオオオ゛オオォォ」

 

 虎の子の拡散弾。爆発で足元を焼き払い、僅かながらに体勢を崩すことに成功する。

 攻撃が通らないという一点を除いて、遂に、ノレッジは灼角と攻防を(・・・)繰り広げる(・・・・・)に到っていた。

 原理は判らない。灼角の動きに慣れた事も要因だろう。だが、それよりも、相手の考えの様なものが伝わってくる気がしてならないのだ。

 崩した灼角の身体へ向けて、ノレッジは弾丸を撃ち込んでゆく。12日間のやり取りから判った事だが、灼角に多少なりとも影響を与えるには、筋力の付け様が無い場所を狙うしかない。

 ―― 翼を!

 

「……っ!」

 

 だが、寸前、過った予感に身を捻る。欲張って踏み出しかけた一歩を止め、ノレッジは後ろへと這い蹲る。

 九死に一生、風を感じる程の距離を、灼角の角と尾による連撃が薙いだ。

 酷使され続けた身体のノレッジでは、跳ぶのは一度が限界だが、残っている体力を惜しげも無く使い、目前の脅威を避ける為にと跳ぶ。

 はっきりと据え替わっている。生き残る為に、ではなかった。

 ―― 既に仲間の帰還は成している。ここで自分が死んだとして、大局に影響は無い。

 だから今は、命を繋いだ、その先にあるものを目指す。

 手がかりは得た。バルバロの見せてくれた不可思議な何かだ。

 それでも、「知る」と「手にする」の間には大きな隔たりがある。

 知りたいという枠を超えて、ノレッジは判りたいと思っている。実際に手にとって。願わくば、あの背(・・・)に追いつく為に。

 しかし果たして、それが何なのか。手に取る為には何をすべきなのか。

 朦朧とした意識を必死に繋ぎとめているノレッジには、未だそれが見えていない。

 

 

 

 

 14日目。

 

 繰り返す。14日だ。

 2週が過ぎて未だ、少女の目の前には灼角が立っている。

 いや。彼我の力量差を考えれば、少女が、「立てている」と表すのが適切か。

 灼角だけが変わらぬ勢いで、黒い吐息を撒き散らしながら、迫る。

 

「は、は……」

「ヴゥ ―― オオ゛ッ!!」

 

 少女の左右を抉る様に角が振るわれた。土を抉って尚、少女をも貫きかねない勢いを有している。

 左、右後ろ。折れた左角はやや余裕を持って避けられる。その間を利用して、ノレッジは通常弾を撃ち出した。

 『ボーンシューター』が空薬莢を吐き出しながら ―― と、

 

「……?」

 

 自身の攻撃の成果よりも気になる事があり、ノレッジは振り返った。

 足元。後ろ。

 

 空虚。

 

 そこに当然在る筈の足場が、無い。

 大きな裂け目と、底深い暗闇とが顔を覗かせている。

 

「っ」

 

 息を呑み。足を止める。

 正面から撃ち合っていた……まがりなりにも撃ち合えるのが仇となった。灼角にばかり意識を向けており、更にここ2日は丘陵地帯を抜けるのに注心していたため、地形の把握を怠っていたのだ。

 気付くと同時、ノレッジは裂け目に沿って横へ、横へと走る。しかし裂け目は何処までも、地の果てはここだと言わんばかりに続いていて。

 

「―― ヴォォオオオ゛オッ」

「……っ!」

 

 勝利か鼓舞か、灼角が雄叫びを上げる。

 びりと肌が振るえ、地面が揺らぎ。灼角は足元が崩れかねない勢いで、角と身体を振り回す。

 追い詰められてしまった ―― 回避、

 

「ぐ、ぅ!!」

 

 思わず呻く。角で巻き上げた砂塵に混じった瓦礫が、ノレッジの肩を直撃していた。

 衝撃で後ろにつんのめり、崖が傍にある事を思い出し、重心を必死で整える。せめて崖際から余裕を取ろうと前進すれば、目前には灼角が立ち塞がり。

 

「―― ヴルルゥ」

 

 その口角から漏れ出す吐息は、相も変わらず黒い。

 ……どうしてこう、世界には、自分の興味をそそるものばかりが溢れているのか。

 肩がまだ痺れている……ノレッジは嘆息する。そして、眼を瞑る。

 未だ知らぬ何かに心躍らせる人間で在りたい。世界とは未知だ。それを求めるのは人として当然の理。

 そう。飢えていたのだ。知識ではなく、端的に表すならば、刺激に。

 生きとし生けるモノがこぞって欲する、革めの兆しに。

 

「……」

 

 目前に立つ生物は、そんな自分の先を行く、歩を重ねた傑物。

 この機を逃すべきではない。是が非でも捉える。好奇心こそが『わたし』の根だと知らしめる。その内にある何かを、この飢えを満たす何かを求めるのだ。

 踏み出す。超える。食らいつく。

 この心情を例えるなれば ―― 飢えに飢えた狼あたりが上等だろう。

 

「……」

 

 身体に残った力を見定めながら、女狼は食らいつくための算段を企てる。

 空腹故か、飢餓故か。ノレッジは、美味しそうだ(・・・・・・)と見えた場所へ ―― その感覚を振り払いながら ―― 弾丸を撃ち放つ。

 背甲の、付け根。

 

「―― っ」

 

 灼角は微動だにしない。

 次に、翼……特に翼膜。

 

「ヴ、ルルル」

 

 翼膜に向けて放った弾は、思い通りの軌道を描いて刺さる。灼角が翼を揺すって弾丸を振るい落とす。

 自らの射の出来に、ノレッジは思わず感嘆の息を漏らした。極限の状態になってから今の今まで、こんなにも上手く射撃が出来た事があっただろうか。理想通りの弾道。弾丸の装填にも全く意識を割く事が無く、正しく、会心の出来であった。

 改めて正面を見やる。感慨に浸っている時間はない。灼角の顔が此方を向いている。

 気付いたノレッジは慌てて回避行動を取ろうとして、しかし、途中で脚を止めた。

 

「……?」

 

 此方の視線を受けてすら、何故か灼角からは、攻撃しようという意思が『みられない』のである。

 それはまるで結実を歓んで(・・・)いる様な、想い耽る様な、僅かな間。

 睨み合い。

 

「……ヴゥ」

 

 のそりと、如何なる大木にも勝る年季を持って、灼角はその脚を踏み出した。

 踏み出した時、これまでの此方を導くような、値踏みするような感は消えている。

 だとすれば灼角は、容赦の無い、バルバロを相手にした時と同様の、自らの持つ最高の一打でもって少女を襲うのだろう。

 気付くが早いか。どちらとも無く、闘いは再び。

 

 灼角の短い突進。避ける。

 灼角が砂地を滑り反転。右角による衝突を、跳び避ける。

 ノレッジは後ろを向いたまま、足腰を沈め、後手に(・・・)構えた『ボーンシューター』の引き金を引く。狙いは尾。灼角にとっての尾は重心調整機(バランサー)の役目を担っているらしい。それを少しでも崩すことが出来れば、あるいはとの希望を込めて。

 希望は儚く砕かれる。微塵も体勢を崩す事無く、灼角は突進を貫行する。

 大地をも穿つ剛の角が、鋭く唸る。ノレッジは身体を半身に開き……角が僅かに肩を掠めた。通常弾を装填し、今度は腰を入れて撃つ。尾の位置を僅かに留めて見せると、灼角は体勢を整えるのみ。それ以上の連撃を仕掛けては来なかった。

 攻勢の機 ―― ではない。これは布石である。ノレッジは腰に力を入れ、来る一撃に備えた。

 早い。首を左右に細かく振るう ―― 咆哮!

 ノレッジは両腕を弩にかけていたため、まだ、咄嗟の反応が出来ないでいる。

 

「―― ヴルォォォオオオオーッ!!」

 

 ぶつり。

 両耳から嫌な音がした。それきり音は、心臓と呼吸のもの以外は、ぼんやりとしか聞こえなくなった。

 それでもだ。ノレッジは灼角をしかと見据える。彼女も5、6メートルは距離を取っていたが、それも灼角の声量にとっては至近距離の内であるという事なのだろう。鼓膜が千切れはしたが、三半規管を揺すられて卒倒していないだけマシだと割り切る事にする。

 聴覚が乏しくなった割には、不思議と、心情は穏やかなままで保たれている。元よりノレッジの闘いは、その「視る力」に寄る部分が大きいのも理由であろう。

 咆哮がなんだ。聞こえ辛くなったのならば、もう関係ないではないか。ノレッジは弩を構えた。

 

「……っ、っ」

「ヴ、ヴ、ルルゥ!」

 

 殆どの音が無くなった事は、むしろ、不思議と集中力を高めている様に思われた。判るのだ。灼角の思惑というか、矜持というか。兎に角、そう言う所までを、今ならば理解出来るのではないかと思える程に。

 集中に集中を重ねる。いつかのヒシュの如く、相手の一挙手一動作を見逃すまいと眼を剥いて。

 

 ―― 尾wo、

 

 重石の付いた尾が、屈んだノレッジ、その頭上を通過する。

 すぐさま止まっては、その腹目掛けて弾丸を見舞う。

 

 ―― 追い、詰me、

 

 ノレッジが腹の下を抜ける素振を見せると、灼角は後退して再びの距離を取った。どうにも崖の際から逃がしてくれる心算は無いらしい。

 しかしノレッジが裂け目を背にしている限り、灼角とて得意の突進は仕掛けられまい。いざとなれば飛べるとは言え、勢い余れば真っ逆さまなのだから。その隙さえあれば逃走……までは行かずとも、位置を入れ替える程度の事はやってのける。それ位の確信が、今のノレッジにあった。

 張り詰めた緊張の中で、崖際の攻防が続く。

 手に持った剣で叩いている訳ではないが、灼角の甲殻は確かに、鋼よりも硬い。軟性を持っている分、傷つき易くはあれど、衝撃の吸収能力にも優れている。此方の弾丸が通らないのは当然と言えた。

 故に。ノレッジが狙いとして甲殻を避けるのは当然であり ―― 此方の狙いに気付いた灼角が対応してくる事までも含めて、自明の理。

 だからこそ、手段が無くなっていくのは人間の側であった。激しく身体を揺らす灼角によって、ノレッジは次第に、徐々に、崖際へと追い詰められてゆく。

 灼角が近い。熱砂に鍛えられた重殻が、視界を埋めては蠢いて。それでも飢えを満たさんと、ノレッジは弾丸でもって食らいつく。

 

「「ぐ、ヴ」」

 

 どちらがどちらの声だったか。

 近いのは物理的な距離だけではない。なまじ判ってしまう為に、心の距離が近いのだ。

 生理的に駄目だ、とは感じるものの。灼角は滾り、攻撃の手を緩めない。

 

 突いた角を躱す。

 

 ―― 歓待し う。

 

 半身のまま横へ飛び、踏み潰される位置を脱する。

 

 ―― 新 な宿敵(・・)を。

 

 尾の範囲を抜けた。弩を構え。

 

 ―― 争うべki相手を。

 

 見えてしまう。頭痛がする。きっと情報過多だ。これは、自分と相手との境目が融けてゆく感覚だ。

 本来交わることが無い筈のものを混ぜ(・・)あっている。反発し合っている嫌悪感だ。

 1人分の器に多くが入り込み、何か(・・)が漏れ出している感覚なのだ。

 ずきり、ではない。穿たれた、砕けた音がする。これが限界だった。

 脳が活動を鈍らせ、ノレッジの足が、遂に鈍る。

 灼角がその隙を逃す筈もない。

 三日月の王冠が、迫る。

 

 ―― ガッ、ガツリ。

 

「っ……」

 

 寸前、横合から飛来した何か(・・)が灼角の角を僅かに押し返したものの。

 最後の最期までを睨み据え、重弩から放たれた報いの一矢は、腹に食い込んで一筋の血を流したが。

 角は結局、狙いを大きく違う事無く振り上げられ、ノレッジを襲った。

 

 まず腰に着けていた『ボーンシューター』……の、横。おばぁによって取り付けられた骨楯が最大の衝撃を受け止め、砕ける。

 止まらず。弩の本体がめしりという音をたてて折れ、内筒と弾丸と細かい部品とが飛び出す。

 ガレオスの鱗と鉱石で練られた腕甲が同様に凹み、ひしゃげ、砕け。

 歯を食いしばる。身体が痛みを伴って軋みをあげる。

 ノレッジは、裂け目へと放り出された。

 

 

 

 

■■■■■■■■

 

 

 

 

 耳は聞こえない。酷使していた眼も危うい。

 薄桃の長髪を宙にひいて、少女は1人谷底へと落ちてゆく。

 痛みも今はないが、感じていないだけだ。身体はつま先から頭の先まで、微動だにしない。

 視界が黒く染まり始めた。落下が長く感じられる。走馬灯というのだろうか。その内に、少女の脳裏に出会った人々……そして狩猟の日々が次々に思い浮かぶ。

 

 落ちる。レクサーラで、砂漠で過ごした修行の日々。

 

 まだ落ちる。ジャンボ村で書士隊として過ごした日々。

 

 まだ落ちる。ヒシュとネコ、そして未知の怪鳥との衝撃の出逢い。

 

 まだ落ちる。書士隊に迎えられ、ダレンと握手をした時。

 

 まだ落ちる。雪積もる王都、リーヴェルで両親と共に過ごした幼き日々。

 

 まだ落ちる。自らが書士隊を、狩人を志した幼き頃。

 

 

 今度は ―― 逢った(・・・)

 

 

 遡った末の端、その先。

 砦蟹を見かけた時。英知を望み知るべく意識を伸ばし試みた彼の時。可能性は確かに、ノレッジの内で萌芽していたのだ。

 

 ―― 。

 

 気付くのと同時。突如、どぶりという粘性を含んだ感触に包まれた。

 まるで、何かの海に飛び込んだかのような。息は出来るものの、どこか嫌悪感を覚えて。しかし沈んでゆく意識の海の最中で抗う術は無く。少女はただひらひらと沈んで行った。

 暫くすると、じんわりと底冷えがし始める。肌に触れる液体がとにかく冷たいのだ。目を閉じていることすら辛く感じる。もう、全て、投げ捨ててしまおうとすら思った。

 

 ―― ?

 

 寸前、ここで少女は気付く。不定形の自分の胸元には、塗り込められた闇を照らして仄かに光る、「木片」が在った事を。

 少女は無心に。或いは必死に。不可視の触覚を伸ばし、僅かな光源を大切に慎重にと包み込む。

 木片が燃え立つ。風を遮る囲いの内で火種は明確な炎となる。少女の中に、どこへでも飛んで行けそうな昂揚感となって昇る。

 今度は灯火を頼りに輪郭を保ちつつ、降りて行く。それでも冷たさを由来とする生理的な嫌悪感は止まらない。知覚がこれでもかと膨張しては意識を染める。じくりじくりと染み出す波が、少女を抉って端から(さら)う。

 それに耐える事が叶ったのは、間違いなく木片の灯りと熱の助力があってこそ、だった。

 永遠にも等しい苦行の果てに、少女は底へと近付いていた。どろりとした粘性に阻まれつつ首を動かし、真黒く降り積もった闇を見下ろすため、久方振りに瞼を開く。

 

 ―― !

 

 しかし予想を違い、視線の奥。光り輝く何かが、底一面を着飾っていた。それらはいつか少女が見上げた、砂漠の星空に似ている様に思えた。其々が確かな色を持ち、明朗快活、ちかちかと瞬いている。

 そこでふと、奇妙な得心を覚えた。それは「人間だけのものではない」のだ。貴賎の無い、万物の瞬きにして至尊の光。全ての根っこに、この風景は在るのだ ―― と、何故か得心に到る。

 筆舌に尽くし難い美しさを持つこの景色を、少女は、薄れ行く意識の中で心に留める。

 とすり。闇の中でも何とか輪郭を保った少女は、両の脚で降り立ち、連綿と続く光の地平線を見渡した。

 奥に渦巻く光達。青白くも赤くも、時には黒くさえ在る。

 ああ。これが ―― さんの「視て」いた景色だ、と確信を持って理解に達し。

 心の内。更には胸に抱きしめた木片が耀きを放ち ――

 

 

 内に在る無数の扉から、とりあえずはと1つを選び。

 自らが描いたイメージに一致するその扉を、少女は、明確な意志によって押し啓いた(・・・)

 

 

 

 

□□□□□□□

 

 

 

 

 旧き大陸が砂の海。最奥の地、デデ砂漠。

 その者が訪れたのはあくまで偶然である。

 しかし本来砂漠それ自体が庭にも等しい猟場であり、気安さもあったであろう。

 見つめる向こう。丘陵を超えた先。進退窮まる崖際……にて、紅の角竜と少女とが死闘を繰り広げていた。

 

「――」

 

 癖無くすらりと伸びた灰の長髪が、崖下からの風に煽られて暴れ呻く。遠くを覗くべく、その下の鋭い目がきりと絞られ……目視した僅かな挙動から、その者は少女が圧倒的劣勢にある事を悟る。

 その者の背は小さく、体駆は華奢。艶のある黒の胸当て。鱗を重ねて織られた袴が、凛とした空気を放ちながら揺れている。

 その者が女であるというだけではなく、常人と比べても一層の体駆の小ささ。故に、腕にある弓は歪な雰囲気を漂わせていた。握られているのは、常人の膂力では弦を引くことすら適わぬ剛弓であった。

 ―― 角竜は肉食ではない。ならば可能な限りの救い手を。あの少女に。

 剛の弓弦を、女は事も無さ気に引き、一睨みの後に指を離す。

 矢羽が風を切る。すぐに脚を動かし、女は後を追う。矢が当たったか否かは、たかだか(・・・・)2、3百メートル程の距離。確かめるまでも無い。

 発見が遅かった為に、残念ながら、接近が間に合わない。女の放った矢によって角竜の一撃を逸らす事には成功したものの、少女は谷間に放り出されていた。

 しかし、谷間であれば心配は無い。あそこは既に王国(・・)へと続く街道の真上である。

 ならば、残る狙いは。

 

「―― 急に走り出したと思ったら、姉御(しかり)、如何したニャ? 巡回中の突飛な行動、ミャーはいつも心配してるニャー」

「黙って追えばいいのですわ、タチバナ。姉御には姉御の、崇高なお考えがおありだニャン」

「……」

 

 女が近場に視線を戻すと、その足元を、地面から現れた3匹のアイルーが併走していた。

 先頭を走る雌アイルーが鉱石製の、次番の雌アイルーが竜鱗に覆われた鎧を全身に着込んでいる。その後ろのアイルーは性別不明、無言のままで全身白のだぼだぼとした布鎧を纏っており……四肢を着いては、先行する。

 

「……」グイグイ

「判ってる、判ってるんニャー、レイヴン。あのかく……じゃなくて、『つのさま』が『おんまと』ですニャー? ミャー達が当たりますニャー、姉御(しかり)

 

 無言のアイルーが無言のまま先頭に立つ。タチバナ、と呼ばれるアイルーが背後を振り返り、主からの返答を待つ。

 彼等彼女等の主たる女の、ぼうっと遠くを見つめる灰白色の眼が瞬き。

 

「―― タチバナ先行(いって)。レイヴン遊撃(ふって)、ます」

 

 唇から、童女にもとられかねない容姿に似合う、瑞々しい声を発する。

 女は一先ず、と、端的な陣形を告げた。各々アイルーが頷き、タチバナが氷水晶で鍛えられた剣を、レイヴンがゴツゴツとした槍を白布に背負う。

 次に。

 

「ペルシャン、援護(おって)谷地(ふど)に、女鹿(めが)……んん。女狼(めのじ)、落ちたます。注意して、ます」

 

 辿々しい接ぎの、しかも難解な言葉で状況を語った。

 するとそれらを苦慮無く理解し、援護を命じられた雌アイルー・ペルシャンがこの言葉を聞いて飛び上がる。

 

「ええっ!? それは、今すぐ助けなくて良いのですっニャン!?」

「落ち着くんだニャー、ペルシャン。あの辺りの谷底は王国に向かう街道だから、数百メートルも下に落ちれば落石避けの網が幾重にも張ってある筈だニャー。その女狼は助かるニャー。豪運だニャー。でも、だから、回収は後のほうが安全ニャーよ。それより前の『つのさま』だニャー。……滅入るニャー。ありゃあ特級に違いないニャー」

「……」コクリ

 

 見るなり肩を落としながら話すタチバナに、レイヴンが同調する。

 それでも、走る速度を落としはしない。残すは距離百。悠然と身体を向ける灼角と視線を交え、女が口を開く。

 

勢子(せこ)、頼む、ます。『おんまと』、『あかつのさま』。『巻き』、あてが。……これは猟違う、ます。お相手。(まつ)る。(こいねが)う。女狼、助けるため。『しゃちなる』なます、おん『マタギ』ら」

 

 祝詞の様に紡がれた言葉に、アイルー達が一斉に頷き返す。

 

「了解したニャー姉御(しかり)……いや。モンスターハンター(・・・・・・・・・)、ハイランド」

「判ったわニャン!」

「……」コク

 

 女にとって、タチバナは最も付き合いの長いアイルーだ。彼女には王国付き狩猟団の纏め役も任せているため、地位は高く、何より女自身、呼び捨て程度は気にしない性分でもある。

 ハイランドと呼ばれた女は、焦点の不明瞭な眼差しを灼角へ向けたまま、かくりと傾いだ。

 先ほどの一撃により此方へと気付いた角竜が、ゆっくりと向きを変えているのが見える。その堂々たる英傑が姿を前に、敬意を抱いて向き合って。

 砂原の猟師らは、微塵も臆する事無く、駆けた。

 

 





 バキクエストに挑む貴方に、ネコ飯ど根性と防御力+50発掘武器の御加護を。

 さて。そろそろちょっと狩猟からは休憩のターン……具体的に言えば長らく離れておりましたダレンさんのターンになります予定です。ここまで引っ張っておいて、しかも新キャラ追加のノレッジとか落下中だというのに放り出されてあれですが、今挟まないと諸々説明不足になってしまう感もあるので、ご容赦くださればと思います。
 交叉時点、と書いて「クロスホエン」と読んだり読まなかったり。
 ……こういう概念的で雑多で適当なものを書くと長くなるのですよね。私。悪癖です。とはいえ1章のメインですので、割と尺は割いていますけれども。

 以下、愚痴です。
 良くよく間違う誤字(というか誤変換)、一覧。

 自信⇔自身
 獲物⇔得物
 誤る⇔謝る
 落陽草⇔落葉草
 ノレッジ⇔ン路エッジ

 意識してるのはこの辺りですかね。見かけたら察してあげて貰えると嬉しいです。確認はしてるんですが、あくまで個人ですので。
 最後のとかは完全にタイプミスなのですが、あまりにも多くて予測変換されるのですよね……嗚呼。何故かリセットが利かないですし……辞書は入れてあるんですけれども。しかも落陽草に関しては一斉置き換えをかければよいと最近気付きました体たらくです。一章が終わったら直しに入りたい……是非とも。

 因みに、新キャラが話しているのは(ぎりぎり)日本語です。
 ただでさえ難解で、しかもキャラ語尾のおかげで、平仮名にすると日本語が崩壊します(初期稿では読み辛い事この上在りませんでした故の改稿です)。キャラ的には本当は平仮名にしたかったのですので(逆説)、ルビか二重括弧を付けたいと思います。
 語句については、私のアレンジや造語もかなり入っていますけれど、所謂「マタギ言葉」というやつです。MHのネーミング元とマタギ言葉は被る部分も多いので、相性が良い筈です。実際書いてみると何言ってるか判りませんでしたが。
 ……というか本当は、マタギって男女とか、根本からして……というのも在りますけれども気にしないでください。山の神様が醜女とか、その辺りは採用しておりませんという事で。砂漠ですし。

 尚、一応の補足を。
 大丈夫です。鼓膜の穿孔は基本的に自動で治癒(オートリカバリー)します。ハンターであれば尚更です。

 以下、新登場のアイルー達。

 タチバナ。
 兄が居れば「にいに」と呼びます。彼女に兄は居ませんし、居たとしても変態と言う名の紳士でもありませんが。口調的には、むしろ義妹こそが至高だニャー。

 ペルシャン。
 ですわ。きっと尻尾が縦ロール。ペルシアーン。……属性が多いと、他に語ることがないですね。

 レイヴン。
 唯一の性別不明。実は山猫ではなく黒い鳥さん(嘘)。でも白い。両腕にライフル……ではなく、とっつき。伝説的傭兵かも知れないし、オペレーターが嫁かも知れないそうです。あれです。「Unknown」繋がりという事で(from脳。


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第二十六話 ドンドルマという街

 ドンドルマは大きな街である。

 西には高嶺ヒンメルン山脈を頂き、山脈を越えれば唯一の「辺境ではない地」、王国を含むシュレイド地方が待ち受け ―― 更には大陸の南側の交通を一手に引き受ける、ジォ・クルーク海にも面している。故に人の交通という意味合いを兼ね合せた、ハンター社会の中心でもあった。

 ヒシュらが乗り上げた大陸の、地政の中心を担う街。それがドンドルマである。

 山を切り開いて作られたその街は、政務所……大長老という巨人が指揮を執る「大老殿」に近付くに連れて高度を増してゆく。所々に設けられた広間では市が開かれ、活気に溢れた商人達が毎日のように新鮮な素材や話題を商いの場に並べては声を張り上げていた。

 そんなドンドルマの街中を、ダレン・ディーノは慣れない足つきで進む。

 

「……何時来ても慣れないな……ここは」

 

 呟いて、袈裟懸けにした大きな鞄を背負い直し、腰につけた小さな革鞄の所在を確かめる。

 ダレンは同じくジォ・クルーク海に面する村、メタペタットの生まれである。そのため、海を望む景色その物には慣れているのだが、あの村はあくまで中継点としての役目を持つものであり、こうも人が多く集まる場所ではなかった。活気が、人の多さが違うのだ。

 また、街としての成熟具合も雲泥の差である。(とはいえ、自らの生まれ故郷を泥だと言う積りはないのだが)村の外れに林立した防風林が名物であるメタペタットに対し、ドンドルマでは山を吹き登る風が風車を回し、街のそこかしこに飾られた赤と緑の旗を揺らしている。人工物の数だけでもメタペタットの数十倍はくだらない。規模や大きさに及べば言わずもがな。

 

(比べる事に意味は無いにしろ、それだけにこの地へ来るにはある種の気合がいるな。……気合……いや、ここは心構えというべきか)

 

 ダレンが徒歩で門を潜り、ドンドルマの長階段を登り始めてから30分ほど。頬をなでる風は徐々に湿り気を帯びていた。水気は高さが十分に成る頃……大老殿に達する頃には雲となり、ドンドルマに水源をもたらすのだ。

 2つ目の広場を北に抜けると、見上げるほど長い階段がまたも(・・・)姿を現す。この先は広場と階段とが交互に続き、その数を重ねる毎に立ち入る人間が限られる。

 ダレンは衛兵に会釈をしながら書士隊の隊証を差し示し、許しを得たうえで石積みの一段目に足を乗せた。目的地は、この先にある7合目広間の東にあった。

 ここでもう1度腰に手を当てる。腰に巻かれた小さな皮鞄の中には、ヒシュから托された密書が入っているのだ。と、改めて気を引き締める。

 何分、早朝の食事時である。ドンドルマには抱えだけでなく旅途中に逗留しているハンターも大勢いるのだが、その殆どは今ダレンのいる区画……ハンター達が大勢居住する地域を降りてゆく者ばかり。彼ら彼女らが目指す場所は、街門を潜ってすぐの第一広場に面した「アリーナ」と呼ばれる酒場である。歌姫の美しい歌声を聞きながら食事をするのが、ここ最近のドンドルマの流行なのだそうだ。

 そんな人の流れをただ1人逆流し。ダレンは石畳がびっしりと敷かれた7合目広場で足を止めて、周囲を見回す。目指す第2風車はこの辺りの筈だった。

 目的を探しながら空を見上げると……見覚えのある大きな翼が弧を描いて。

 

「あれは……オリザか?」

 

 ヒシュの伝書鳥、大鷲のオリザ。大鷲だとはいえ若年のオリザは、野生種の鳥類や鳶などと比べて際立って大きい訳ではない。それでもオリザだと遠目に判断できたのは、ジャンボ村で長らく共に過ごしていたからであろう。

 ダレンはオリザが「忙しなく」ではなく「自然に」旋回する空の、その下方へと視線を向ける。山を登り来る風を一身に受けて回る風車があった。あれが第二風車に違いない。

 鞄の封を確認し、ダレンは風車小屋へと脚を向ける。

 

「……さて、合っているかどうか」

 

 大きな音をたてて回転する羽の袂へ。風車小屋が近付いている。

 周囲には誰もおらず、ここに近付くまでにはすれ違う人も存在しなかった。この風車は広場から離れた場所に在るため、迷路のように入り組んだ道を通らなければならない。そのため、好き好んでここを訪れる人は居ないだろう、というのがダレンの感覚である。そして恐らく、この感覚は極めて一般化可能なものだ。

 木の軋む音が耳を揺さぶる頃になって、目前に木製の扉が現れた。ダレンはその取っ手を迷い無く握った。

 

「失礼す、る ――」

 

 扉を潜って小屋へと立ち入り、すぐさま、ダレンは言葉を止めた。

 いや。止めざるを得なかった。

 理由はある。風車を動力として、ごりごりと音をたてて粉をひく石臼の奥 ―― 窓際に立つ人物を目にしたためだ。

 

「―― やあ、ダレン。活躍は聞いているよ」

 

 男は肩から脚までを覆う緑の衣に身を包み、袖の中で腕を組みながら、ダレンへと声をかけた。

 耳元で乱雑に切り揃えられた茶の髪。目を覆いかねない前髪は横へ流し、長い後ろ髪は帽子の中に纏め、眼鏡の内からの視線を投げかける。

 細身だが長身のその男は、笑みを湛えながら返答を待っていた。

 待たせるわけには行かない。何とか体裁を取り繕い、ダレンは深く腰を折る。

 

「―― ご無沙汰しております、ロン筆頭書士官」

 

 そう。目前に立つ男こそ王立古生物書士隊が長 ―― 現筆頭書士官、ギュスターヴ・ロン。ダレンが勤める部隊の、直属の上司に当たる人物のお出ましであった。

 普段は一等書士官らの集まる会合の場、それに二等書士官以上の拝命式程度にしか顔を表すことの無い筈なのだが。……と、押し込めた疑問は、恐らくダレンの目的にも合致しているのだろう。ダレンはそのまま口にした。

 

「ロン筆頭書士官殿は、何故この第2風車に?」

「それは勿論、君から密書を受け取るためさ」

 

 「第2風車」と口に出し待ち人であるのかを暗に問うたのだが、問い掛けは軽快な答でもって返される。

 いよいよ観念し、ダレンは腰の小物鞄の封を開き、エルペ皮紙の手紙を差し出した。

 

「これを」

「確かに受け取ったよ。……ダレン、君は聞かないのかい? 僕とヒシュとの関係を」

 

 笑みを絶やさず、ロンは尋ねた。手紙は手に持ったままだ。

 ダレンは表情を固め……確信を突かれた事に対して、そんなに表情に出していただろうかという疑問も奥に潜め……口を濁す。

 

「それは、私には……」

「いや。関係あるさ。だって君はヒシュの友人なのだろう? 少なくとも手紙にはそうあった。ヒシュは僕にとっても友人……いや、友人の子といった方が適切かな? まぁ、兎に角、そんな感じの間柄なんだ。だからこそこうして、僕が直接受け取りに来たんだし。―― そう言えば、ああ、オリザ、お疲れ様だった。有難う!」

 

 会話の途中でも思考を飛ばす。窓の外で遠ざかってゆくオリザに向かって無邪気に手を振り、ロンは笑みを深めた。

 そして残された風車小屋の中に、沈黙と音とが響く。生来の真面目さから言葉を捜し……無言を貫くダレンの様子を緊張ととってか、ロンは風車の壁を撫でながら、軽い身のこなしで窓枠に腰をかける。

 

「ああ、この風車は階層毎に色々な仕事を担当してくれていてね。階段を降りて地下へ向かえば、今度は水を引いてきてくれている。上は鎚、ここは粉引き。滑車を回して鉄線を引けば、物流の動力にすらなってくれている。実に働き者だよねえ。ドンドルマは正に、風車によって成り立っていると言って良い。お世話になっている。ありがとう。……そしてダレン、それは君にしても同様だ。中央を離れられない僕に替わって、君は積極的に外へと脚を向けてくれる。ジョンの後を引き継いでくれているんだ。書士隊は君のような人物によって成り立っている。―― だからありがとう、ダレン」

 

 流暢な口調で、矢継ぎ早に。論と話題を接いでは滑らかに、理屈でもって話題を変えてみせた。

 いきなりの賛辞に恐縮しきり、しどろもどろになってしまいながらも、ダレンは何とか無言を破る。

 

「いえ、その……身に余るお言葉です」

「あっはは! いやゴメン。君が生真面目なのは判っていたさ、ダレン。よいよい。それより次いでに、書士隊の長として、会合収集の件もありがとう。心苦しい事に、書士隊には君以上の『アーサー派』の上役が居なくってね。みぃんな揃って引き篭もりでさ。困ったものだよ。―― さて、そろそろ件の会議の為に、大老殿に向かわなくてはいけないね。一緒に行こうダレン・ディーノ。朝食もどうだい?」

「はい。朝食は、その、結構ですが」

 

 そう言って頷くのが、今のダレンの精一杯だった。

 しかし、そう。密書は渡された。ダレンの本来の目的は、大老殿で開かれる「未知(アンノウン)」についての会合に二等書士官として参加する事なのだ。

 

「にしても、今回の会合には何方が参加されるのでしょうか」

「ああ。実はね ――」

 

 颯爽と扉を開いたロンの後に続き、ダレンは風車小屋を後にする。

 そしてロンは質問に答えるべく指折り数え、参加者を挙げ始めた。

 ……その参加者の顔ぶれを聞いてダレンは思わず、今度こそ、堪えきれなかった大声を上げる事になる。

 

 

 

□■□■□■□■

 

 

 

 ドンドルマを抱く山の頂。

 雲海を見下ろす天辺にこそ、大老殿は建てられている。

 

 ロンに引き連れられ、ダレンは遂に大老殿へと足を踏み入れた。

 磨き上げられた御影石の廊下を歩くと、窓からは一面の雲景色が除く。しかも雲海の所々から背の高い風車が顔を出しているオマケ付きである。如何にも非現実的な景色が、そこには広がっていた。

 姿が映るほどに磨きぬかれた床石を踏みしめ歩くと、竜人族の女性達によって出迎えられた。先を行くロンに倣い、ダレンは彼女らに一礼をして間を潜る。

 表札を確認する。「火竜の間」。重要な会議が行われる際に選ばれる場所だ。ハンターズギルドも今回の「未知」に関する報告を重要な案件だと判断しているのだろう。

 火竜の間に踏み入り、ダレンはまず周囲を見回した。……大長老の姿は、無い。

 

「大長老殿はいらっしゃらないのでしょうか」

「ああ、やっぱりそこには驚くよね。普通は。でも、実は、大長老は基本的に会議には姿を見せないんだ。なにせあの人、巨人だろう? いくらこの大老殿だとて、あんなに大きくっちゃあ殆どの部屋に入れないからね。寝泊りしている場所と『瞰雲の間』とを行き来しているだけなんだ。まぁ、これから来る代表(・・)が優秀だっていうのもあるし、意見はその人に預けてあるから実質的な口出しはしているんだけど」

 

 完全におのぼりさんであるダレンに、ロンは嬉々として、自分の席に座りながら注釈を挟む。

 確かに、巨人である大長老に見合った部屋を用意していては、土地が幾らあっても足りないのも事実である。幸いというべきか、1000年に1人とも謂われる巨人の内、現在、ドンドルマに居を定めているのは大長老のみ。ハンターズギルドとその周囲を構成する人々は当然、一般縮尺の人間なのである。組織を構成する観点からみても大老殿の建つ山頂の面積をみても、どちらに建築の比を割くべきかは明らかであった。

 

「では、どっこいせ。ここが僕の指定席。今回、ダレンの席は僕の後ろに用意させてもらったよ。ほらそこ」

「はい。……失礼します」

 

 ロンの席は上座の手前であり、その一列後ろがダレンの席となる。

 座ると同時、尻と背に柔らかい丸鳥(ガーグァ)羽毛の座布団があたり圧を和らげる。骨組みは名高いユクモの銘木を使用しているお陰でか、どっしりとした安定感を感じる。この椅子1つとっても、(ダレンにとって)場違いな程に高級な品であるのは一目瞭然だ。しかもそれが会議場一杯に並んでいるこの状況。眩暈を覚えそうになりつつも、ダレンはいつもの仏頂面で何とか堪え。

 

「……この椅子だけでどれくらいになるのか、私には想像もつきませんね……」

「椅子の値段かい? 一応、下位……成体未満のドスランポス1頭分も無かった筈だよ。相場だと2000ゼニーを切る位かな。僕としては座り心地なんかどうでも良いんだけど、これから来る上役の1人が、どうにも貴族趣味でね。わざわざ別の大陸から取り寄せたんだそうだ。ああ、別の大陸との物流については四分儀商会が取り持ちをしていてね。今回の会議にも ――」

 

 ―― 等々。生来の話好きなのだろう。ロンの話題は尽きることが無い。

 ダレンはこれ幸いと、語ってくれている内になんとか緊張感をかみ殺す事にする。それにしても2000ゼニーもあれば、贅沢をしなければここドンドルマでもひと月は暮らせるものだが。

 暫し雑談を交しつつ待っていると、コの字型、二重に囲まれた机と椅子が訪れた人々によって徐々に埋まっていった。

 ロンの言う「貴族趣味」の方々であろう。向い側……ミナガルデの席を埋めるのはすべてが人間。竜人などが多く入り混じるドンドルマとは一線を引いており、誰も彼もが二枚三枚と舌を持っているであろう事は疑うべくも無い。

 その人々の殆どは、煌びやかな布衣を纏う如何にもな上役だ。布の質という意味ではロンも同様だが、緑一色で飾り気の無い彼の場合は、華美という区分けをはみ出さない下限の位置。彼等と比べると幾分か以上にマシな印象を受けた。

 そのまま人の流れを見つめ更に10分ほど。会議開始の予定時刻を目前にして、入室する人の「種類」が変化を見せ始める。現在ダレンはロンの補佐として入室しているため、書士隊の礼服の上に外套を着込んでいる。書士隊の礼服とはいえ簡素な作り。見栄えよりは動き易さを重視された機構の衣類である。

 ……次いで入ってくるのは、そんなダレンに似通った(・・・・)服装の人物らだ。

 ただし外見は兎角、風格は遠く及ばぬ明らかな猛者ばかり。ロンは彼等彼女等、それぞれに会釈をしながら、小声で紹介を挟み始めた。

 

「重役出勤、有力なハンター諸君らのお出ましだね。……たった今僕の正面に座った美人所は、ドンドルマで最大勢力を誇る猟団《轟く雷》の副団長のヒノエ女史。狩猟笛の扱いに関しては右に出る者はいないと専らの噂だなぁ。おおっと、その横の席2つはわざわざミナガルデよりお越しいただきました《廻る炎》と《豊饒の大地》の団長らだね。彼らは何れも六つ星ハンターであり……その実力は、ハンターである君には言うまでもないね?」

 

 朝に風車を出た際に聞かされ驚いた通り。心構えはしていたものの、事実として並ぶ荘々たる顔ぶれを前に、ダレンはやはり(・・・)唾を呑む。

 何せ、挙げられた名前 ―― そのいずれもが大陸の覇権を握らんとする「有名所」の猟団なのだ。

 猟団とは、ハンターズギルドに許可を得て集団で狩りを行うハンターの集まりである。猟団というだけならば許可を得さえすれば誰でもたちあげる事は可能で、その規模も、数人から数百人までと実に多種多様な形がある。

 しかし今、大老殿に集った猟団はその中でも跳び抜けた格を持つものばかり。その実績たるや、本来一介のハンター集団に過ぎない筈の猟団に、管轄地が任されたという実例もある程だ。

 腰を引き気味にしているダレンを尻目に、そんな猟団の長が続々と席に着く。《轟く雷》。《廻る炎》。《豊饒の大地》。

 そして、それら猟団の奥の席。

 

「―― ふぇぇ」

 

 小さく息を吐いて、付き人として妙齢の女性達を大勢引き連れた竜人の老婆が……「神輿に担がれたまま」で腰掛けた。

 老婆の背丈は小さく、紫と赤の艶やかな色彩の衣類が目を惹く。烏帽子の下、細められた目が鈍い光を放っている。

 ロンが解説を加える。老婆の名はシボシ。ハンターではないものの、大老殿直属の機関「古龍占い師」の頭目であり、これまたドンドルマという街の実働を握る人物であった。

 これだけの顔を揃えておきながら、まだまだ行列は途切れない。シボシの後を少し置いて、今度は咥え煙草のアイルーが続く。

 

「―― んニャ?」

 

 しかしそのアイルーは、ダレンとロンの側へと近付いて来て ―― そのまま、ロンの隣に腰掛けた。

 

「おおっと、これはこれは。その立派な髭はモービンじゃあないか! 長らくご無沙汰だなぁ」

「―― ほう? 誰かと思えばそのもやしっぷり。ロン坊じゃあないかニャ。あんたは相も変わらずヒョロヒョロしてんニャ」

「あっはっは。知っての通り僕は引き篭もりなものでね。そして紹介するよ、ダレン。今僕の隣に座ったアイルー諸君が《根を張る澪脈》の副団長、モービンだ」

「おうさ。ダレン……とか言ったニャ? ロン坊が紹介くれたが……ま、もっかい言っとくかニャ。オレはモービン。まぁ、ぼちぼち宜しくやってくれると助かんニャ」

「ご紹介をありがとうございます」

 

 軽快に敬礼するモービンに、ダレンは畏れ多くも礼を返す。

 畏れの原因は明白。このアイルーが副団長を務める猟団は、先に挙げた……ドンドルマのギルドから極地における管轄地の管理を任された、例外中の例外。

 遥かに凍え。遥かに熱され。「極圏」と呼ばれる劣悪な地を管理するため、活動範囲を大陸中に広げた猟団 ―― それこそが《根を張る澪脈》という猟団であった。

 

(……ああ。やはり、この様な場に私は不似合いではないだろうか……?)

 

 目の前に居るだけでも……学術院と王立古生物書士隊を兼任する権力者、ロン。ドンドルマ最大の影響力を持つ《根を張る澪脈》の副団長、モービン。

 更には大陸最大数のハンターを要する《轟く雷》。王国の傘下で大きな力を持つ《廻る炎》と《豊穣の大地》までもが参加をするというのだ。

 しかしその上、まだ気になる点がある。それら有名にして高名な猟団の代表らを差し置いて ―― 上座に置かれた席が、2つ。空席のままで保たれているのだ。

 すると。

 

「―― 入ります」

 

 流れるように入ってきた一団。別たれた数人。そこから大男2人が席に着くと、上座が埋まる。

 この場にいた殆どの人物が背筋を正し、ロンも唇を紡ぐ。解説は見込めない。だとすれば……上座についた人物の正体ついては、ダレンが思考を回す他無い様だ。

 

「―― 皆、揃っているか」

 

 言葉を発したのは上座に位置する人物。黒一色の外套とマントとを備え、ただならぬ風格を醸し出している。

 黒一色とは言ったものの、それが染物なのか何かしらの生物に寄るものなのかは判断がつかない。しかしダレンは、その不可思議な色に怖気を覚えた。顔に出しこそしないが。……あの布は「未知」を思い起こさせる。

 黒衣の人物は追って席に着いた自らの一団に満足気な顔を浮べながら、会議場を見渡した。視線が合ったロンと会釈を交し、再び。

 

「それでは。会議を始めようぞ」

 

 かくして、男の一声によって会議は始められる。

 進行を務めるのは竜人族の女性。報告と決まりきった返答だけで構成される会議が淡々と進む。沈黙にも似たやり取りに耐え切れない部分もあり、ダレンは再び男の正体について探ろうと視線を逸らした。

 黒衣の男の隣には、鈍い銀色の鉄鎧を着込んだ金髪の男が直立不動、背筋を伸ばして立っていた。表情は読み取れず、憮然。まるで黒衣の男を主と仰ぎ、身命を賭して守ろうとしているかの様だ。

 その様子が記憶に触れる。ダレンにとって、顔に覚えは無くとも、洗練された立ち居振る舞いには覚えがあった。

 

(もしや……王国の騎士、か?)

 

 旧きシュレイド王国に源流を持つ……確か……《鉄騎》という一団が、王国付きの狩人として活動をする忠義の騎士であった筈。

 目を皿に。男の身につけた腕章を凝視する。―― 3つ首の竜を貫く槍と、二つ星。間違いなく《鉄騎》。しかも副団長位であるらしい。

 ならば自然と、彼に守られている黒衣の男の正体も知れる。西シュレイドの王都・ヴェルドの守りを責務とする《鉄騎》が護衛として付く程の猟団は、只1つ。

 ―― 彼はミナガルデギルドが誇る最大の猟団《遮る縁枝》、その長。

 ドンドルマのギルドにおいて最大の規模を誇るのは《根を張る澪脈》。最強のハンターを抱えるのは《轟く雷》。だがしかしハンターを中心に据えた地として最も歴史を重ねているのは、ハンターとしての源流を底に持つミナガルデ。加えて、ミナガルデは隣国……旧王国の強大な権力を継ぐ西シュレイド地方をも背景にしているのである。

 その様な街にて主権を握る《遮る縁枝》は、規模にしろハンターの質にしろ桁の違うものを有していると聞く。そんな、ドンドルマの大手ギルドをして別格と言わしめる事実上大陸最大の派閥こそ、《遮る縁枝》という猟団であった。

 だから《遮る縁枝》の長という立場は、自然と、ミナガルデという街の管理者である事をも意味している。

 黒衣の男 ―― ロード・ミナガルデ。街1つを領土とするマーキス。ミナガルデ卿。これが、男の名だ。

 

(だとすれば ――)

 

 上座は2つ在る。

 もう1つ……ミナガルデ卿の隣へと視線は移る。

 

「……」

 

 無言のまま座するは、ミナガルデ卿に勝る大男。―― こちらは人事に疎いダレンでも、顔と名前どころか、逸話さえも知っていた。

 まず目を惹くのは、傍らに置かれた『大剣斧』だ。ただでさえ大きな男の、身の丈をも悠に凌ぐ得物である。その髪色と同じく大海を体言する様な深い蒼色に染まるこの武器を、大男は手足を超えて精緻に、言葉は要せず雄弁に振るう。

 閃く先端の矛。そして左右を成す両の刃。

 両の刃の一方は平静に薙いだ、水平線の如き真直ぐな刀刃。もう一方は艶やかな乱れ刃を揺らす、荒波の如き円月刃。

 相反する二つを内包せしめたこの歪な得物こそ ―― 王立武器工匠が頭領、ジェミナの手による最上の大業物 ――『角王蒼大剣(アーティラート)』である。

 次に、男の容貌。短く切り揃えられた蒼髪に2メートルを越す巨漢。筋骨隆々で骨太なハンターらしい身体つき。目鼻立ちは整っているものの厳つく、風貌は無骨さを漂わせる。頬から顎にかけて大きな傷跡。顔だけではなく体の所々に隠し切れない傷跡がはしり、それらが男の狩人としての歴史の深さを物語っている。

 身に着けたるは竜鱗の鎧。この様な権力者の集まる会談において、「空の王(リオレウス)」の鎧一式を纏うその姿は、ある種異様な雰囲気すら漂わせている。狩人である男にとって鎧は外でもない正装ではあるのだが、武装とも取れるこの暴挙を許されているのは、彼こそが大長老より勅を受けるドンドルマギルドの実働部隊の頭 ―― ハンターながらに政の中心に据えられた人物であるからに他ならない。

 その名を知らぬハンターはドンドルマはおろかミナガルデにもおらず。

 モンスターの脅威の及ばぬ王国にすら詩人の唄う英雄譚の主人公として名を轟かす。

 《剣王》にして《暁煌》。現世に10と数えること適わぬ、狩人が頂『モンスターハンター』らの筆頭。

 彼の者はその名を、リンドヴルム・ソルグラムと言った。

 

「―― では、むぉほん。次の議題を」

 

 ダレンが脳内で嬌声をあげている内にも、進行は崩れていない。会議は次々と議題を移している。

 

「―― それでは!」

 

 突然の大声が会場を伝播する。ダレンの前を陣取ったロンが、さあ来たとばかりに立ち上がる。

 

「ではでは次は、私ども学術院からの議題をば載せさせてもらいます。さてさて皆様ご存知の通り、只今大陸の東側……テロス密林の奥の奥。『密林高地』に、新種のモンスターが身を潜めております。その調査の進展と ―― 狩猟の権利についてお話をばさせていただきましょうと」

 

 会場がにわかにざわめきに包まれる。

 ざわめきの原因はロンの奇行でも、新種のモンスターという発言に寄るものではない。ロンが付け加えた「権利」の主張が所以である。

 当のロンはそれら反応を気にかけず。リンドヴルムは瞑目したまま微動だにせず。……ミナガルデ卿だけがロンへと視線を動かした。

 

「予てからの主張の通り、私ども学術院と王立古生物書士隊は、テロス密林を管轄するドンドルマギルドにその調査を依頼したいのです。その点について異論があるようでしたら、どうぞ? 屈強な狩人らの集う、ここ、大老殿でこそお伺いをしたいのですが」

 

 そう言うとふわりと両手を差し上げ、笑った。

 簡潔に言えば。この会場に集まった人物等……ドンドルマとミナガルデという2つの大きな街は、対立関係にある。

 それは大陸の西部を陣取り王国を後ろ盾とするミナガルデの、保守的な、或いは貴族的な選民思考によるものであったり。ハンターを主に据え自立を叫ぶドンドルマの、そういったミナガルデに対する嫌悪感に寄る、長年来に渡って続いた悪癖であったり。

 兎に角。そういった部分をこれみよがしに取り上げて笑うという行動は本来、奇行と言うよりも自らの首を絞めるに等しいものであった。

 右の上座。挑発にもとれるこの呼びかけに応じたのは、他でもない黒衣の男だ。

 

「―― 期待には、小職こそが応えねばなりませぬでしょう」

 

 男が腰を上げると、周囲を取り囲んでいた貴族らが諸手を振るう。

 

「ミナガルデ卿! 貴方がお出にならずとも ―― !」

「そうですとも!」

 

 ハンターやそれに近しい人物らが席を連ねるドンドルマと違い、ミナガルデのギルドにおける上役とは貴族の事である。《廻る炎》や《豊饒の大地》、《鉄騎》の副団長の方が例外なのだ。

 彼らが筆頭として戴くロード・ミナガルデは、そんな貴族らの声を受け ―― 静かに首を振った。

 

「静まってはくれぬか。卿らも知っての通り、ロン殿は王都に成る王立学術院の理事と、ドンドルマに据わる王立古生物書士隊の筆頭書士官を兼任する英才だ。謂わばドンドルマとミナガルデとを渡す橋でもある。何分、新種の生物の調査などという物は学術院の管轄なのだから……だとすれば今の発言は正当な権利に寄るものであり、対してミナガルデの頭が受け答えるのは当然ではないか。……小職の発言に間違いはありませぬな?」

 

 ミナガルデ卿の言葉に、会議場はぴたりと静まり返った。それは発言を妨げないための配慮であり、反論を許さない迫力の結果でもあった。

 静寂に包まれた会議場を見回し、ミナガルデ卿はロンへと向き直る。

 

「進行を妨げ申し訳なく思う。これも小職の不出来が招いた事態につき、これにて勘弁を願おう」

「いえいえ。それは全く持って構いません。なにせここは会議場。言葉を交わし意見を交え、声と意思にて埋め尽くしてこそ映える場であります故に」

 

 視線を落としたミナガルデ卿に、ロンは返礼を持って促す。

 やり取りに頬を緩めつつ、ミナガルデ卿は続けて口を開いた。

 

「では、話を詰めようではありませぬか。吾人 ―― ミナガルデがハンターズギルドは、諸君ドンドルマのギルドが手を出す遥かに前から。それこそ『未知』へと変貌する前から、あの怪鳥を追っていた。アルコリスの森丘で発見された個体、イャンクック13号がそれに当たる」

 

 言葉と共に傍つきの秘書……黒と白のフリルに身を包んだギルドガールズが、イャンクック個体の模写と管理番号を会場の黒板に張り出した。

 アルコリスの森丘は、ドンドルマとミナガルデの間に位置する、長閑な猟場である。その名の通り森と丘で構成されており、管轄地としての歴史も長い。そして森丘は、怪鳥の生息域として有名である。繁殖期ともなれば生息数は膨大に膨れ上がり、ハンターらを一斉に派遣する必要がある程だ。

 

「諸君らの視線を戴きたく。この資料によれば、イャンクック13号は密猟者の襲撃を受けて第三管轄地の巣を放棄。東へ東へと飛び逃げ、テロスの密林に辿り着く。……尚、密猟者は既に此方のギルドナイトによって捕縛されているが」

「それはそれは。流石の手腕お見事と」

「世辞は結構、ロン殿。……して、吾人としては森丘より逃走した怪鳥だというのは予てからそちらに報告していた通り。これについては同意をいただけぬか?」

「ええまあ勿論。此方も怪鳥の生息域は概ね把握していましたからね。観測員からの報告も早かったですし、テロスの密林の始原域に怪鳥が生息していなかったのは確かですとも。あそこには怪鳥の餌と成る巨大化した昆虫も住んでいないので、御報告にあった怪鳥がそれと考える。これは当然かと」

 

 この話題に、ロンは軽く同意する。あの怪鳥は遥か西方、アルコリスの森丘から飛来した個体なのだと。

 同意の言葉を得て、ミナガルデ卿はふむと一息、頷き。

 

「だからこそ ―― あの怪鳥。いや、未知(アンノウン)の狩猟については、吾人が推薦するハンターを初手として動かせていただきたい」

 

 そう、ロンの意見に、真っ向から、衝突した。

 会議場の空気がいよいよみしりと音をたてた……かのように、ダレンにとっては思われた。何せ、新種の討伐依頼というのは、ハンターにとっては実力を認められていると同義 ―― 1つの栄誉なのである。

 ロンを後押しするドンドルマ一派と、ミナガルデ卿を推すミナガルデ一派との視線が交錯する。火花が爆ぜ、大地が揺れ、貴族達の舌が踊り狂う ―― いや、これはダレンの幻視であるものの。

 さらに言うと、ミナガルデ卿の言葉はハンターとしての矜持にも訴えかけているものであった。「初手を」という言葉を掲げる事により、ミナガルデの管轄内で起きた不祥事を、せめて初めは。後に続くドンドルマの部隊のための偵察でも構わない……という意味を暗に含ませているのである。

 

(……ロン筆頭書士官)

 

 現場の雰囲気が変わっているという不安を込めて、ダレンは上司へ向けて視線を送る。

 が。……にやりと。

 

「―― それには及びません。なにせ初手は此方のダレン率いる王立古生物書士隊の一隊が担うと、既に決まっておりますもので」

 

 ダレンは顔を引きつらせ ―― 会議場の視線が、殺到した。

 まるで銃撃による集中砲火。全身を貫き、吹き抜け、冷や汗がどっと溢れ出た。汗腺からおびただしい水粒が伝い、鹿(ケルビ)皮の肌着をねずみ色に染めてゆく。

 ミナガルデ卿の視線だけが、ダレンを素通りし……

 

「ロン殿は、吾人の勧めるハンターでは実力不足だと?」

「いいえ。ならば此方も相応の人物をというだけのこと。ですよね、モンスターハンター・リンドヴルム」

 

 これまで沈黙を貫いていた大男が、僅かに唇を離す。

 

「……ああ。ロン筆頭書士官の言葉を肯定しよう」

「という訳で……こちらのダレンとて実力は確か。3つ星のハンターながらに二等書士官を務め上げる若きリーダーであります。引き篭もりの私などよりもよほど的確な意見と情報をくれるでしょう。それに何より書士隊の人員が撤退覚悟の初手として向かえるのならば、収集できる情報の精度が増しますよ? 只のハンターが行くよりもよほど後続の為になる……と、考えた上での進言なのですが」

 

 リンドヴルムによる肯定を得て。ミナガルデ卿が言い含めた「初手」という言葉を、ロンは待ってましたとばかりに攻め立てる。

 つまりは。ダレンらジャンボ村に逗留する部隊が書士隊であることを良い事に、先遣部隊という扱いの元、「未知」への一番乗りをさせてくれようという目論見なのである。

 ヒシュからの手紙を受け取った以上、ダレンらがヒシュを筆頭として『未知』の狩猟を目標にしている事を、ロンは知っているはずだ。だのにその部隊を「ダレンの部隊だ」と嘯き、しかも「先遣隊」という名目まで貼り付けている。

 ……恐らく、討伐を果たした場合も、それで結果オーライ。何が問題だ……と言い張る積りなのだろう。『未知』が変わりなく脅威である以上、その脅威が打ち倒されたという結果ならば、倫理的にも可能な論舌ではある。

 

「ですが参考までに、ロード・ミナガルデの意見を賜りましょう。狩猟の計画は如何程に?」

 

 ここまでを詰めておきながら……大局を決めておきながら、ロンは先を促した。

 何かを悩む素振。ミナガルデ卿は黒衣をゆらりと、僅かに目を閉じ。

 会議場に静寂を張り、それを自ら破る。

 

「吾人が『未知』の討伐を請け負ったとすれば。―― 大砲による一斉射でもって、テロス密林が高地を焼き払ってみせようぞ」

 

 そんな事を、言った。

 唖然とするダレンや、その他貴族までをも呆然とさせておいて、ミナガルデ卿は語る。

 

「ハンターはあくまで陽動に努めよう。貴方がたの語る通り『未知』が他に類を見ない……古龍種に匹敵する力を持つというなれば、これですら先手としては不十分ではないか。だから密林を焼き払い、燻り出す。『未知』は遭遇戦にて翼を折られていると聞く。飛べぬのならば重ねて都合が良い。砲門とその運搬費用は幾らでも用意する。全ては人的被害を最小限に抑えるためだ」

 

 人的被害を、という部分に一層の力を込めて。ロンらドンドルマギルドの要人が腰掛ける側をみやり、その危惧するところを先んじて。

 

「諸君らの懊悩は思索の内に。密林やその生態系は時間をかけた再生を画策している。だが小職は、人間は換え難い資源……宝だと考えている。今順調に発展を遂げているテロス密林周辺の集落を見捨てろと言うか? もしくは、そんな強大な力を持つ『未知』に人間たるハンター達を……死をも覚悟で送り出せと言うか?」

 

 剣呑とした貴族を、硬い顔で黙り込んだ歴戦のハンター達を揺さぶる様に、拳を握り……語る。

 

「小職には、それは出来ぬ。初手のハンターの人選は確かに仰る通り、そちらの指定した書士隊が相応しいやも知れぬ。しかしやはり、それが適わぬ時。遭遇戦にて『未知』の力を見定め……討伐に至らぬと判断された場合には。出来る限りの人的被害を抑える為 ―― ここに、大砲による遠隔砲撃案を提出する。どうか。お集まり戴いた皆様方のご賛同をば、いただけませぬか」

 

 ……劣勢を覆し意見を通さんとする、会心の一打であった。思わず誰もが息を呑む。

 ミナガルデ卿は『未知』という生物を過小評価していない。彼を敵視するドンドルマの大半……ハンター達の倫理観に引っかかるのも、自然その他を巻き込んで破壊してしまうという一点のみ。

 『未知』の脅威を思慮しているからこそ、大砲を持ち出すことも理に適う。なにせ、大砲などのそれら設備は、ハンター達にとっても馴染みのあるものだからだ。

 例えばかつて、老山龍(ラオシャンロン)なる山にも勝る巨体を持つ龍がいた。歩くだけで災害となるほどの大きさのその龍は、ギルドによる巧みな誘導により、大陸に巡らされた迎撃門を右往左往。砲や大弩(バリスタ)、撃龍槍といった設備によって撃退され続け……弱りきり、遂に逃げ場をなくし街に突撃を仕掛けた所を、弓を扱う「モンスターハンター」率いる一団の迎撃によって仕留められた ―― そういう逸話がある。詰まる所、運用実績のある武器なのである。

 自然を破壊する。確かにそれはハンターとして赦すまじ、忌むべき事態。だがしかし、報告にある通りの生物だとしたら。『未知』が、未だ知らぬ脅威と成り果てているのであれば。

 役職として、それを天秤に載せなければならない。

 

「ダレン」

 

 しかし。ミナガルデ卿の発言によって訪れた静寂を打ち破るのも、また、ロンという人物の役目である。

 彼はさして狼狽した様子もなく、後ろにいたダレンに声をかけた。再び集まった視線に、今度は何とか表情を変えぬまま。ロンは眼鏡をくいと直し。

 

「ダレン、君の意見を聞きたいね。ロード・ミナガルデのお話を……君はどう思う?」

 

 それは当然 ―― ダレンは口を開きかけ、そして、場の雰囲気に押し黙った。

 ダレン生来の気性でもあるが、ことこの場に置いてはそれだけでは済まされない。発言が戦況を左右しかねないのである。

 だがそんなダレンを見越して、ロンは軽く声を弾ませた。

 

「まぁ気楽に話してよ。別に銃や剣を押し付けあうでもなし、殺合うでも無し。現場の指揮官が好き勝手言うくらいは構わないだろう? そもそもがドンドルマとミナガルデの仲だしさ。今更部下が暴言を吐いたくらいで拗れる余地もない。ああ、いやなぁ、拗れきっているからなぁという意味で」

 

 このとんでもな言い分に、上座の席に座る黒衣は笑う。

 

「はは。ロン理事は流石に判っている。……だからなのだよ、ダレン君。今ここで小職の立場に気を使う必要は無い。むしろ君のありったけの力を持って、もぎ取って見せ給え」

 

 ロン筆頭書士官とミナガルデ卿の間には、黒い雲が渦巻いている。それは思索を悟らせぬ壁。互いを牽制する為の雷であった。

 目を閉じる。すると僅かに明るく、仲間の表情が浮かぶ。ヒシュの、ネコの、ノレッジの……ダレンをそれぞれに支えてくれる人物ら。

 再び目を開いたとき、暗雲は消え去っていた。貴族からの視線もあれど、気にはならない。初っ端に食らった視線の槍衾(やりぶすま)に比べれば、この程度はどうという事も無かった。

 

(……ここまでを計算していたのだろうか)

 

 どうやら先に視線を集めたのは、ダレンの重荷を減らす為であったらしい。言論と話術を武器とする、ロンらしいやり口だ。

 上司からの後押しを受けて、ダレンはミナガルデ卿に向き直る。卿の意見は的を外していない。案は通されるだろう。

 それでも、後には引くまい。ここは我を通すのみ。

 先にも挙げたが、大局は既にロンによって決められているのだ。あとはそれを引き上げるだけで良い。だからこそ任されたという側面もある。

 重荷を投げ捨て、心持軽くなった視線。ダレンは口を開いた。

 

「……では、恐縮ながら。……ミナガルデ卿。私は貴方の提案には異を唱えさせてもらいます」

 

「何故だ?」

 

「確認を。……密林を焼き払えば自然は破壊される。当然そこに住んでいた生物らは死滅し、生活の根幹を成す支柱、テロス密林を失った周辺の村々にも被害は出る。また、そこから逃げ出した生物にも対処をしなければならなくなる。これについて間違いはないでしょうか」

 

「そうだ。だが勿論、周辺の村々には物資や資金による支援をする用意がある。逃げ出したモンスターへの対処もだ。そも、『未知』がその場に居るだけで周辺のモンスターは追い払われ、逃げ出している。被害が広がるのは同様だろう。更に言えば、早急に討伐をというのは其方より出された議題であった筈」

 

 ここでミナガルデ卿は、身体を揺らして唸り。

 

「ふむ……論点がずれているようだな。小職含めミナガルデのギルドが望むは、つき詰めれば、経済と社会の発展ではなく……ニンゲンという種の発展だ。その為の脅威を打ち払うのは前提なる条件ぞ。君は安寧を享受せぬか? 進化と盛栄を望まぬと?」

 

「いいえ。ですが、私も、これは問題点を違えているのだと思います」

 

「ほう」

 

「貴方は人の可能性……その大きさを考慮出来ていない様に思えるのです、ミナガルデ卿」

 

 ダレンはただ突きつける。

 今出来ること。成すべき事を成す。意志でもって、言葉を紡ぐ。

 

「モンスターを狩猟する術など、これまでがそうであったように、これからも必然的に開発されてゆく事でしょう。人の発展など、人間が歴史を重ねれば自然と後から着いて来るものでしょう。何せ人には、幸福を願う心が在るのですから」

 

「幸福を願う心が、在る。素敵な言葉だダレン君。だが小職とて一端の領主。人の幸せを願わぬ事など無く……それら発展を待つのに、『この時代』を費やすつもりもまた無い。だからこそ、是非とも、性急な発展を画策したいのだ。人という種の進化を示してみせるに、これ程の場もあるまいな」

 

「はい。なればこそ今、私は、その進化の過程においてその他の生命を蔑ろにするのは気が引けます(・・・・・・)。私は故アーサー書士の研究を継ぎ、生物の進化の歴史から大きなものを学んでいます。……進化とは、必ず、その過程ですら未来に足跡を残して往くものなのです。貴方が道理を引っ込めてまで描くその未来は、その点について、より良いものだとは考えかねます」

 

 ミナガルデ卿はまだ口を閉ざしている。少なくとも反撃は無い。

 ただ、論議を互いの否定だけに収束させたくもない。ダレンは続ける。願いを込めて。

 

「だからこそご期待(・・・)ください、ミナガルデ卿。大砲にて密林を焼き払う、その前に。私率いる王立古生物書士隊の部隊が、先遣隊としてだけでなく、必ずやあの『未知』を狩猟し ―― 人の可能性を指し示して見せましょう」

 

 これこそが狩人として望む最高の結末。

 準備はしたとしても砲撃の必要は無く。自らの力でもって打ち倒す。

 ―― そんな夢物語を、ダレンは生来の生真面目さで、一寸の濁り無く願い、語ってみせた。

 この言葉は間違いなく、本日最大の静寂を会議場に生み出していた。

 貴族らも報告は受けている。あの『未知』は、一息で焦土を生み、気球を苦も無く落とし、密林高地に潜んでいた一帯の生物を退ける。昔話に語られる様な化け物であると。相手になるとすれば、ハンターランクにして「六つ星」か「七つ星」……もしくは「モンスターハンター」と称される狩人の中の狩人であろうと。

 貴族らは調査の内容について疑わ無い。知りようが無いからだ。疑うとすればそれは本来ダレンらの技量の側である。だのに今、真摯な言葉と態度だけを武器とする無謀な若人に、彼等は圧倒されていた。

 それも……少なくとも真摯さについては、相対したダレンからすれば当然。彼は『未知』という脅威の本質を体験から知っている。知りながらにして言ってのけた……だからこそ、これだけの重みを含み得たのである。

 貴族達の視線が移る。全権は委ねられている。ミナガルデ卿にだ。彼は黒衣の端を波打たせ、何かを堪え。

 堪りかねた様に、ぶちまけた。

 

「……ふはははっ!! この私に向けて、ずばずばするりと心地よい切り口の言葉だ! 良いな! 実に面白い!」

 

 笑う。それも腹を抱えて。

 様相を崩した《遮る縁枝》が盟主に、貴族らは開いた口を塞げない。ダレンも凡そは同じ反応。

 ただ、この流れを作った2人だけが笑い合っていた。

 

「気に入ったぞ、ダレン君。ロン筆頭書士官っ、書士隊は良き面白い人材を抱えているな!!」

「そうでしょう? 光栄です」

 

 時間にして1分。

 やっとの事笑いを収め、それでも小刻みに肩を震わせながら、ミナガルデ卿は背筋を伸ばした。

 

「……あい判った。この未知(アンノウン)の一件、吾人ミナガルデのギルドは次手……裏方に徹しよう。敬い愛して止まぬドンドルマの御判断に、初手を任せようっっ!」

 

 最期に、そして会場の誰より先に、ミナガルデ卿は腰を上げた。

 闇の様な黒衣を翻し、入口へと歩く。遅れる訳には行かない。貴族らが慌ててがたがたと腰を上げ、その後ろに続いた。

 ぞろぞろと連れ立ち……火竜の間の出口に脚をかけ……ミナガルデ卿だけが振り返る。

 

「ああ、皆々様方まで言わずとも結構。『廻る炎』と『豊穣の大地』のギルド代理代表の方々。貴方達のギルドには追々、各々が判断でドンドルマの皆様へ協力をするよう、宜しく申し伝えてくれ給え。吾人『遮る縁枝』もミナガルデの運営や次手に向けた備えがあるために直接の支援は難しいとて、物資などの間接的なものであれば助力を惜しまぬ。ダレン君。そしてドンドルマのギルドを成す諸君ら。―― 人間の、狩人の矜持にかけて! 是非、是非とも!! あの未知(アンノウン)をば狩猟成されよっっ!!」

 

 会議はミナガルデ卿の一言に始まり、一言にて終わりを迎える。

 半数を埋めていた貴族らが、ミナガルデ卿に続いて去った後。

 跡には深く腰掛けた猟団の筆頭ハンター他、ドンドルマの中核を成す者だけが残された。

 暫し間を置いて。

 例外は、腕を組んだまま微動だにしなかったリンドヴルム。にこにこと愉しげに腕を組むロン筆頭書士官と、ふぇぇ……という溜息を洩らす古龍占い師のシボシ。そして興味深そうにダレンを見やり葉煙草を揺らすアイルー、モービン。

 

「「「……はぁ」」」

 

 やっとの事。それ以外の誰もが、緊張を解いて一斉に脱力した。

 多少の擦りあい探りあいはあったにしろ。今回の『未知』を巡る会合は、両ギルドの目だった衝突もなく、無事に纏まりを得たのである。

 

 

 かくしてここに、1つの依頼(クエスト)が発注される。

 狩猟場所はテロス密林の最奥「密林高地」。狩猟対象は危険度7つ星と判定された『未知(アンノウン)』。

 温暖期の末まで。依頼の達成期間は4ヶ月と猶予を持って設定された。それまではダレンもこのままドンドルマに逗留し、ひたすら牙を研ぐ算段とした。今件に関して言えば金銭以外の報酬は勿論、後払いの出来高次第となる。

 さて。

 モンスターの狩猟依頼においては、その内容に因んだ銘が付けられるのがギルドの通例である。

 だが大規模な作戦を控え、気を回している余裕が無かったというのも理由としてあるだろう。

 この依頼の銘は後日、ミナガルデ卿が是非にと押し立てたものに決定される。

 

 

 『曇天満たす 鳥羽玉(うばたま)の』。

 




 ダレン編、前編の終了となります。うへへへ暗躍大好き。後編はもうちょっと面倒くさくない話になります予定。
 ドンドルマは4Gにて再登場を果たしました拠点です。作中に描いた通り、大長老が指揮を採りハンターを中心とした迎撃拠点として発展したのが元となる街です。
 旧大陸に存在するというのは、ハンター大全より。4Gにおいても、下のワールドマップを見るに、海を挟んでいる(っぽい)描写が成されていますね。また天空山(シキ国)に移動するのに「我らの団」が飛行モードを使っていたのを考えると、ドンドルマに行く際にも飛行モードを使っていたのは筋が通りますので。
 ……とはいえ、新大陸の方は詳細な位置描写は今後もされませんでしょうね。大全4やこれまでのスタッフコメントを考えると。いえ、こういったものを書いている身としては大変にやりやすいのですが。
 「ウバタマ」は枕詞という奴です。4Gでも「ヌバタマ」がクエスト名として使用されて居たりします。
 ミナガルデ卿。この辺は完全にオリジナルです。今後の展開に使います予定です。ついでに、猟団なんかもオリジナルこの上なく。……この辺りは一章が終わったら人物その他の紹介を作りましょうかと画策中です。
 オリジナルでないのは鉄騎とかロン(ただし性格オリジナル)とかアイルーのモービンだけですね(え


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第二十七話 継往

 僅かに南西、格子の窓から日が差し込んだ。温暖期を間近に控え、ドンドルマでは快晴の日々が続いている。

 杖をかつりと鳴らし、しわがれた声が道場の中に響く。ダレンはそれを、静けさに染まる木目の上、両膝を折った正座でもって聞いていた。

 

「―― それでは、修行を始めようかのぉ。ダレン」

 

 目前、上座に立つ小柄な老人は、その名をフェン・ミョウジョウという。ドンドルマを拠点として選んだハンターらが倣う主流の流派、「ヨウ捨流」の20代目……前頭領である。

 フェン翁で20代目、現頭領で21代を数える。だが大陸有数の歴史を持つヨウ捨流とて、真っ正直に600年近くを築いて来た訳でもない。ヨウ捨流とは、ドンドルマの猛者達が何処からか身につけていた体術を学問的に掬い取り体系化した、謂わば教科書のようなものだ。内容は心構えから実践まで多岐に渡り、その多様性故に武術の習得を必要とする入門者が後を絶たない。また、頭領すらハンターである為命を落とすことが数多く、後継については何人もの候補者を羅列しており、誰かが亡くなれば誰かが継ぐという仕組みになっている。猛者が集まるドンドルマに居るため武芸者の人材不足に陥る事はなく、その流れが途切れたという事実は、今の所ない。

 武術という物を倣うのは初めてだった。今片手剣を扱っているのは、我流と、出遭ったハンター達の動きを真似たもの。ダレン自身3つ星(ランク3)というハンターランクを保持してはいるものの、それすら書士隊の活動に際して護衛のハンター達と協働をしていた故の、年季に寄るものだ。実際、3つ星のハンターというのはドンドルマやミナガルデでは底辺に近い。少なくとも走り出しではない、だけの意味しか持ち合わせていないのである

 だからこそダレンにとってハンターとしての実力の向上は急務であった。隊長職にかまけていては、ただでさえ成長著しいノレッジに置いていかれてしまう。彼女の才を考えれば仕方の無いことではあり、隊長としては喜ばしいことなのだが、1人の男として出来る限り避けたい事態でもある。

 そこで彼が修行の伝にとロンによって紹介されたのが彼、フェン翁だった。この老翁は現役の師範を退き、ドンドルマの街の端に別宅を持ち隠居をしている。ダレンはそこを直接訪れ、こうして教えを請うことになったのである。

 

「宜しくお願いします」

「ふむ。何とも生真面目じゃのう」

 

 彼にとっては当然の事だったのだが、深く頭を下げたダレンを、フェン翁は多少の驚きをもってみやる。

 

「ロン坊に紹介されたでの、もちっと頭の可笑しい輩かと思うとったんじゃが……ま、それはそれと」

「……はぁ」

 

 髭を弄りながら放たれた言葉を、ダレンは否定も出来ず、ただ適当な相槌をうった。

 ロンに紹介された人物だから、変人。的を射ているような、そうでもないような。いずれにせよ自分がそう謂われる人柄であるのかは、ダレン自身には判断つかない所だ。

 まぁそれはどうでも良いわいと呟いて、フェン翁はぴしりと背を伸ばした。年齢を感じさせない佇まい。ダレンを正中に捉え、何かを考え込む素振を見せる。

 修行の内容を考えているのだろう、とは察することが出来た。フェン翁は若かりし頃、暴勇振りで名を馳せたハンターである。その上ヨウ捨流は現状ハンターが扱う殆どの武器を網羅する、体術に長けた流派だ。これはどんな荒行が待っているか、とダレンは身構える。

 そして身構えた分、落差によって空振りを喫した。

 

「修行の内容は ―― 剣に寄り掛かりながらの、瞑想じゃな」

 

 

 

□■□■□■□

 

 

 

「……これは、大丈夫だろうか……?」

 

 それから僅かに2日後。風車の回る屋敷の庭に寝転がりながら、ダレンは早くも自らの「不甲斐なさ」を悔いていた。

 あれから、フェン爺に指示される修行の内容は変容をみせていない。炎天下の中、別宅の道場の傍にある小さな中庭に生やされた白い大木の傍にて……大剣に寄りかかりながら、芝生の上で黙々と眼を閉じる日々。根気強く続けてはみているものの、ダレンはこの修行は自らの力量にそぐわぬものだろうと感じ始めていた。

 

(達人の域に在る『天刃』、フェン翁だからこそ意味があるのではないだろうか……。私のような凡人は走り込みや素振りでもしていた方が、身に着くものが在る気がする……のだが、まぁ、不可思議な疲れを感じるのは確かだな)

 

 昼時を告げる鐘の音に釣られ、そう考えながらも、ダレンは午前の訓練(という名の瞑想)を終えて昼食のために足を動かす。

 何もしていなくとも腹が減るというのはダレン自身初めての経験では在ったが、実際に汗はかいているし座っているだけでもエネルギーというのは消費されるものだ。そう自身を納得させて、堂内へと続く板間を歩いて行く。

 

「―― む」

 

 すると、角を曲がった所で、食堂を覗き込む小さな人影が目に止まった。

 

「……。……!」

 

 頭の後ろで黒髪を1つに纏めた少女である。扉の裏に身を隠していた少女は、近づいてきたダレンを察知すると、ぱっとその場を離れ、走り去って行った。

 あっという間に消えた後姿を見送っておきながら、思い出す。確か彼女は。

 

「あれは孫のセネカじゃよ、ダレン」

「っ!? お、驚かせないで欲しいの……です、が」

 

 途中から苦笑いに移行しつつ、ダレンは後ろを向く。そこには予想の通り、笑みを湛えたフェン翁が立っていた。

 彼の言葉を思い出しながら、逆説に繋げる。

 

「ですが驚かせるのを止めろというのは、貴方にとって死にも等しい苦行である。でしたか、フェン翁」

「ひょっひょ。わしの楽しみを理解してくれる弟子が増えてくれて嬉しいの、ダレン」

 

 フェン爺は年相応、それ以上に悪戯好きな老人であった。こうして気配もなく背後に立つなどというのは、まだ易しいもの。ここ2日だけでも、何度腰を抜かしたか数え切れもしない。

 そんな気性を理解している新たな弟子に笑いかけつつ、老翁は先立って歩き始めた。ダレンはその後ろについてゆく。

 

「ここで会ったのも誰かさんのお導きじゃ。どうじゃ、このジジイと一緒に昼飯を食わんかの?」

「ええ、是非とも」

 

 意見をあわせ、食堂へと向かう。

 隠居しているとは言え、フェンの下にはまだまだ沢山の弟子達が集っていた。食事の用意は彼等の仕事なのだが、珍しい事に、食事は兄弟子などが作る決まりになっている。ただこれは、単純に料理の腕で決めているらしい。

 その代り、弟弟子達は朝早くから買出しや掃除などの雑務を引き受ける当番制だ。ダレンも今朝は早くから広場までを往復する買出しに出かけていた。ドンドルマの長階段を上り下りするだけでも相当に体力が必要だったのは言うまでも無い。

 通路の途中で弟子等に挨拶を返しつつ、前を歩くフェン翁の背を拝しつつ進んでいると。

 

「ところでダレンよ。何ゆえあんな場所に立ち止まっておったのじゃ?」

「いえ。見知った姿を見かけまして」

「ああ、セネカか」

 

 先日、ダレンもドンドルマの中央に建つ本道場へ挨拶をしに行った事がある。その際親の背に隠れていた小さな娘が、フェンの言うセネカだった。

 

「さっきのお嬢さんは、お孫さんだと言っていましたが……?」

「その通り。セネカはわしの孫娘じゃよ。齢12じゃが、剣術に関してはお前の姉弟子だの。ワシんトコの継承者筆頭じゃ」

 

 口を出たその単語に、思わず唸る。

 

「……筆頭、ですか。あの年にして」

「うむ。ワシらは継承に家系(ちすじ)は気にせず、得物を選ばずの喧嘩殺法じゃからの。腕の立つ物が代表になる。しかしセネカは特に、刀に関しては天稟(てんぴん)を授かっておるとしか言い様の無い飲み込み様での。まぁ男と女じゃ身体つきも違うて、術法としてワシと比べられんのが残念じゃわい」

 

 ひょっひょ、という独特の笑いをあげながらも。……その内に僅かな寂しさが紛れているように感じられるのは、気のせいだろうか。

 差し出がましい。そこは突くべきではない。そう訴える思考を抑えつつ、やんわりと口にする。

 

「……では先ほどは、フェン翁に逢いに来たのではないのでしょうか?」

 

 言外に会わなくて良かったのか、と言い含める。これがダレンに出来る精一杯の進言だ。

 弟子のその様子に、フェン翁は小さくありがとうと返し。

 

「お主はやはり隊長職に向いておるよ、ダレン。そうやって踏み込んでゆける、しかもずかずかとではなく己を弁えながら……という人の質は大切にせねばなるまい。ロン坊が重宝するのも頷ける」

「申し訳ありません。お褒めの言葉もありがたく思います……が、やはり差し出がましかったでしょうか」

「いや。礼を言う。……じゃが、セネカがワシに会いに来た。それはないのう。ワシんとこの流派は、前に行った通りドンドルマの中央部に屋敷と道場を構えておる。だからセネカも、刀の継承者筆頭故に、この離れの屋敷には殆ど顔を出しはしないのじゃ」

 

 『ヨウ捨流』の頭領は現在、セネカの親であるフェンの息子が勤めている。その妻も師範だ。ここ離れの屋敷はドンドルマの物見の高台に建てられており、道場こそあるものの、門下生に溢れ賑わいを見せる本邸とは雲泥の差であるのだという。

 僅かな間。フェン翁は現状についてとつとつと説明を終え、遠くを見るような眼差しを一瞬の内に仕舞い込んだ。

 

「だから先もワシではなく……彼奴の母君でも探し回っていたのであろうよ」

 

 その様子にダレンはそれ以上は何も言えず、ただ相槌をうった。実際、ドンドルマの現状については聞き及んだ程度の見聞しかない。何か言うべきであったのかもしれないが、今のダレンとしてはこれが精一杯の返答である。

 まだ食堂まで路は残されている。ドンドルマや、それに前の会議で猛威を振るったミナガルデの街についても……後々に情報収集をしなければと予定を組みつつ。ダレンは新たに話題を振ることにする。

 

「そういえば、フェン翁。出来ればこの凡才に、せめてあの修行の目的を教えていただきたいのですが……」

「ひょ? ふむぅ、2日もやってとなると ―― 成る程。ダレンは頭から入るお人じゃったか。こりゃあ失礼した」

 

 悪戯小僧の様な笑顔を浮かべ、こつりと自分の頭を小突く。

 

「あの被り者の知り合いだと聞いたもんでの。このジジイ、てっきりこういう感覚的なのがやり易いもんじゃと思っておったわい。ひょっひょ! 年を取ると早とちりでいかんの!」

「はぁ。……被り者、というと……ヒシュの事でしょうか」

 

 言い分は別として、ロンへ手紙を宛てたのはヒシュで間違いない。ロン自身もヒシュという名を聞いて通じていた。ならば「被り者」という珍妙な呼び名はヒシュを指すものであるのは疑い無いだろう。

 

「ヒシュ? はて、あ奴はそんな珍妙な名じゃったかの? ……ふむぅ。兎に角、悪ガキのロンに手紙を渡した者の事じゃよ。あ奴は飛び抜けた感覚派じゃったからの。底なしに水を吸う砂のようじゃて、こりゃあ人類の進化も目前かとたまげたもんじゃったわ」

「それは……かつてヒシュもこの道場に?」

「ワシが教えたのはさわりの部分を、それもちぃっとだけじゃがの。残りは他の奴らがこぞって教えておったわ。ま、その辺りは後々に本人から聞くのがよかろ」

 

 友人の師でもあったらしい老翁は、そう言って話題を切ると、しかし、フェン翁はその歩みを止めた。

 庭を覗くことの出来る2階の通路の傍。空を見上げ、顎を撫で、ダレンに正対し……首を捻る。

 

「さて。そんでは、修行の方針を変えようと思うのじゃが。何れにせよダレンの場合は期間が短いから荒療治しかないんでの。こういうのは実際にやるのがてっとり早いんじゃが……」

 

 未知(アンノウン)の討伐期限まで、残す所4ヶ月。温暖期を(また)ぐほどの猶予が与えられているのだが、それは武術を1つ修めるための期間としては短すぎた。

 だからこそ苦慮しているのだろう。フェン翁はそのまま、暫し悩んでいると。

 

「―― よう。お困りかい? フェン爺」

 

 よりにもよって窓から、1人の男が顔を出していた。

 ここは2階である。どうやら屋根に立っているらしいその男は、話を盗み聞きでもしていたのだろう。窓辺に寄り掛かりながら会話を始めた。

 

「でおったな、神出鬼没。……じゃが、良い機会には違いない。これペル坊。今宵、この離れまでリンドヴルムを呼んで来い」

「おおっと、いきなり長虫さんを指名かい? きっと指名料は高くつくぜー、そんじゃそこらの女なんかよりずっと高いぜー、あんな厳ついおっさんだってのによう」

「ひょ。そう言われると勿体無い気がするがのう」

「おうさ。どうせ呼ぶなら『春狗亭』の姉ちゃんにしねえか? リンドヴルムよりもそっちのが柔こいぜ?」

 

 どうやらフェン翁とこの男は、きせずして女好きという部分で気が合うらしい。暫くの間どこそこのが有名だなどという話題を繰り広げた後、しかし。

 

「……」

「くっはあ! なんてぇ顔してんだお前さんっ!! 女との逢引で待ちぼうけくらった男並にひでえ顔だ!! そんなんじゃあライトスに指差して笑われんぞ?」

 

 ただただ、話にも入れず、何ともいえない表情を浮べていたダレンは、男の大笑いによって引き戻された。

 ダレンの顔を指差して腹を抱えて笑う男。フェン翁は髭を弄りながら仕方が無いのう、と呟いて。

 

「まぁそれは良い。ほれペル坊、挨拶をせんか」

「くっく……いいぜ、いいぜ。オレ様はペルセイズ。先日はモービンが世話になったな?」

 

 フェン翁を前にしながら気後れせず、男……ペルセイズはその手を差し出した。

 やや長めに切り揃えられた濃茶の髪に耳飾。着飾り過ぎる様子は無いが垢抜けた、どこか軽薄な印象を受ける。だが、その目立った軽薄さで覆われているが故に、どこか汲み取り辛さを備えているようにも思えた。ある意味では確信がある。この男は、間違いなく曲者だろうと。

 そう考えながらも、ダレンは先ず、差し出された手を取る。挙げられた名前の1つを引き合いに出し。

 

「私はダレン・ディーノという者です。お初に顔を合わせます、ペルセイズ殿。……しかしモービンというと、《根を張る澪脈》の副団長殿でしょうか」

「ああ。オレ様は、まぁ、その猟団で使いっ走りみたいなことをしてるんでな。モービンから面白い奴が来たって噂を聞きつけてここまで来たんだが……くっは! お前さん、予想以上の面白さだなぁおい!!」

 

 ペルセイズは正面切って、笑うのを止めようとはしなかった。そういう性格なのだろう。気を悪くするような悪意は感じられなかったのが幸いか。

 一頻り笑い終わると、ペルセイズは再びフェン翁の側を向く。

 

「ほいほい。そんじゃあフェン爺、頼みごとの代金はどこから出す?」

「そんなもん、お前のツケたわしの道場の授業代から差し引いておけばお釣りがくるわい」

「了解、了解。じじいが逝っちまう前に返しとかねえといけねえな。そんじゃ、夜まではお時間頂きますぜぇ、っとぉ。またな、ダレン」

「は、あの……」

 

 ペルセイズが姿を消した。

 ダレンはすぐさま窓を覗き込み影を探したが、どこにもそれらしき姿は見当たらない。まるで密偵だな、と、感想を抱いた。

 

 

 

 

 昼食を挟んで数時間。フェン翁の別宅を、件のリンドヴルム・ソルグラムが訪れていた。

 以前と同様鎧を纏ってくるかと思いきや、リンドヴルムはどこか見慣れない着流し……ここより遥かに東方、シキ国の竜人達が好む緩やかな衣類に身を包んでいる。

 夜が更け。ダレンが昼間まで座り込んでいた中庭に、リンドヴルムとフェン翁、それに外野から覗き込むペルセイズが揃うと、先ずはリンドヴルムが口を開いた。

 

「―― フェン翁。某の力が必要と聞いて馳せ参じた次第」

「ひょっひょ。良く来てくれたわい、リンドヴルム。また一段とでかくなったようじゃのう?」

「狩猟に必要と在らば、某、身体も必然と大きくなりましょう」

 

 リンドヴルムはあの会議の場で見た……終始鉄面皮で通した彼よりも柔らかな物腰だった。フェンとペルセイズにきちりと一礼し。

 

「ダレン・ディーノも2日ぶりだな。先の会議の場では迷惑をかけた。あのアレク・ギネス……ミナガルデ卿に反論してみせた時など、某も思わず快哉をあげそうになったが」

 

 今度はダレンに向けて、朗らかに笑った。ダレンは緊張しながらも、その無骨な手と握手を交わす。

 自己紹介が終わると、フェンが早速と本題に入った。リンドヴルムに、ダレンの修行の方針を変えることを告げる。

 

「―― ダレンに我が剣を振るう場を見せる、と仰るのですね」

 

 問い掛けに、フェンは小さく頷く。

 

「そうじゃ。一つで良い。雲間に耀く万理の一太刀を、見せてやってはくれんかの」

 

 庭での瞑想から替わって、今度は一太刀を見せる ―― やはり難解な修行だ、とダレンは思った。

 しかし師と仰ぐ人物からの提案である。そこに何かを見出すのは弟子の役目だろう、と、心構えをしておいて。……同じく師の言葉に、リンドヴルムは間髪居れず頷いた。

 

「勿論。『ヨウ捨流』が20代目、(しかして)、某が師でもあるフェン翁の願いとあらば ―― と、申し上げたい所ですが」

 

 頷いておきながら、リンドヴルムは僅かに表情を濁す。

 

「彼の型は獣らを相手にしてこそ意味を表す物。幸いにして現在、ドンドルマはモンスターの強襲を受けてはおらず。相手がおらずばこの剣も、只の鉄塊と成り果てましょう」

「それもそうじゃの。しかし……ひょっひょ、抜かりはないて。ペル坊に本道場のあれを持って来るよう言ってある」

 

 老翁は、横目で白の庭木に寄り掛かるペルセイズを見やる。当のペルセイズは、やれやれと首を振りながらも。

 

「人使いの荒い爺さんだよな、っとぉ。これに違いないだろ?」

 

 ペルセイズがその手に持っていた布を払い、放る。

 一振りの得物、長剣であった。手を離れた剣は、そのまま地面に突き立つ。柄だけでなく、乱れの無い刃筋までもが艶消しの真黒に染まっている。

 紛うことなき業物だ。しかしそれを、誰も手に取ろうとは思わなかった。剣を包み放たれる ―― 異様としか言いようの無い気配。敵意とも害意とも取れどこか誘うような、馴染み易さを伴った……御伽噺に語られる悪魔の様な、と評するのが適切か。禍々しさに由来する近付き難さ。

 真っ先に動いたのはフェン翁だった。鈍く光る長剣の傍に立ち、リンドヴルムを見上げる。

 

「さてリンドヴルム。これを目の前にしていれば、どうじゃ?」

「これは……魔の剣では」

「うむ。巷で噂の、だの。つい今朝方、弟子が本街の道場に持ち込んだらしくてのう。激怒した息子が取り上げ、その家族に代金を支払った後、破門としたらしいのじゃ。これがその取り上げられた一振りじゃよ」

 

 長剣がこの場に巡った顛末を聞き、リンドヴルムはこれみよがしに溜息をつく。

 

「……邪教が神を祀る剣。王国やミナガルデで極稀に出回っているとは聞き及んでいましたが。……よもやドンドルマまで廻るとは」

「物欲とは人のサガじゃて。これ以上の罰は与えてやるでないぞ、長虫」

「ええ。勿論」

 

 居直し、リンドヴルムは振り返る。

 

「しかし魔の剣であれば相手として申し分なく。これならば私の剣も震える(・・・)かと」

「ひょっひょ。それじゃあ頼んだぞい」

 

 老翁がその身を引くと、ダレンにとって正面。会議の場よりも一層に大きく感じられるその身体は、魔の剣を遥かに押し込めて堂々たる気配を漂わせていた。

 

「ダレン・ディーノ」

「はい」

「剣には魂が宿る。人は志によって動くもの。君が高潔な志と熱い魂を持って剣を振るうこと叶うのならば、(これ)、某などは直ぐにでも追い越す事が出来よう」

「―― いやいやいやいや! 黙って聞いてりゃ、んなわきゃねえって。アンタみたいな化けモンがぽんぽん増殖してるってんなら、この星なんてぇとっくの昔に真っ二つだっての!?」

 

 思わず突っ込みを入れざるを得なかったのだろう。だがそれだけではなく、話に割り込んだペルセイズは、手に大剣を抱えていた。

 会議場で見た『角王蒼大剣(アーティラート)』ではなく、『アイアンソード』という鉄剣だ。大量生産品 ―― 所謂初心者向けの得物であるが、大剣に区分けされるだけあって、ダレンの身の丈程もある巨大なもの。しかしその大剣を、リンドヴルムは片手で雑作なく受け取る。表、裏、と剣を翳し。

 

「得物を持って出歩くには護衛が煩くてな。この場に剣があるのは有り難い。……しかし軽口は変わらないなペルセイズ。先の会談で世話になったモービンはどうしたか?」

「アイツにゃあ今、《根を張る澪脈》で副長をして貰ってんだぜ。猟団の纏めに決まってる。何しろ、オレ様ん猟団(とこ)がお忍びの偵察に行くことになっちまったしな? こっちにゃ流石に、アイツに着いて来てもらわなきゃあ困るからよ。長旅だぜ」

「そうか。それは有り難い。恩に着る。斥侯は宜しく頼む。ドンドルマで信頼の置ける猟団の内、《轟く雷》は偵察になど向いてはいない。腕っ節なら兎も角も、何しろ、親玉がグントラムなのだからな」

「まぁ隠密行動ってなりゃあ、グントラムのおじきは無理だわなぁ。その他のモンスターハンター様はってぇと、ハイランドは相変わらず行方不明でふらふらしてるっぽいし、ギルナーシェは相変わらずミナガルデご領主様の護衛。弟子の片方は未知(アンノウン)の本討伐に向かうときてる。……そこんとこ、オレ様の猟団の役割ってのを理解してねえ訳じゃあねえってばよ」

 

 そして旧年来の友人がそうするように、笑いあう。

 

「何よりオレ様自身、その未知(アンノウン)って奴を見るのを楽しみにもしてんでな。気にすんな!」

「嗚呼。そうか。在り難い(・・・・)

 

 そう笑うと、今度こそダレンに向き直り、リンドヴルムは腰を折る。フェン翁の前だということもあり、巨大な男が何度も腰を折る姿は、リンドヴルムの実直な性格を現しているように思えた。英雄と称されるハンター……モンスターハンターの頂に立つ男は、誰よりもハンターらしい人間であるのだろう。

 

「身内で話してしまい申し訳ない、ダレン・ディーノ」

「いえ。お気になさらず」

「有り難い。では ―― フェン翁、辺りを拝借する」

「ひょっひょ。好きにせい」

 

 フェンの横を抜け、前に。リンドヴルムは『アイアンソード』を手に、地面に突き立つ魔の長剣を睨み据えた。

 斬る。意思を顕に大剣を振りかぶり力を溜める。彼の視界にはもう、ダレンは映っていない。

 

「ヨウ捨流が北辰納豆流など他の流派と際立って異なる部分は、あくまで全が生物を(・・・・・)相手と(・・・)想定する(・・・・)術であるという点に尽きる。体術は前座に過ぎず。全てを受け入れる心構えこそ真髄」

 

 あくまで淡々と。教えの為だけに言葉を紡ぎ、自らの力を余念なく発揮する事にのみ意識を注ぎ。

 

「某が振るうは、是、命を絶つ為の一太刀也」

 

 余韻。

 呟いた一言を持って、

 

「―― 雄々(おぉ)ッ」

 

 空が嘶く雷か。畳まれていた腕が振るわれる。

 猛々しい雄叫びに反して、信じられない怜悧さを伴った一撃。閃き ―― 雷が落ちた ―― と錯覚するほどの速度、衝撃が、数瞬遅れてダレンを襲った。

 斬撃の結果にも目を見開く。残線に残されたのは、等分された剣先。あれだけの異様さを纏っていた魔の剣が、呆気なくも寸断されていた。それも明らかに劣る得物によって、である。

 

(……!)

 

 雷はダレンの内にも衝撃をもたらしていた。それは憧憬にも似た、嵌め込まれた欠片がぴたりと合う様な、直感だった。

 今まで使っていた片手剣とて、ダレンにとって使い辛い物ではない。だがそれは、片手剣が「使い易い」という、得物側の特性に寄る部分が大きい。

 それ以上に。今の一太刀によって拓かれたものが、確かに在った。自らが得るべき……手にすべき物と出会えたという感が、胸の内を占めてゆく。

 口を開けたままの青年の前に、フェンとリンドヴルムが並ぶ。

 

「ダレン。お主にはこのリンドヴルムと……それに後々に合流する《轟く雷》が首領、グントラムによる直接の打ち合いをしてもらう。荒療治じゃが、この2人ならば感覚と頭とのどちらにも教え込むことが出来ると思うての人選じゃよ」

「而、この短期間で雲間に耀く剣を得ようとするのならば。これ以上の環境は無い」

 

 世に名を馳せるリンドヴルムだけでなく、歴戦のハンターが集う《轟く雷》の団長までもがダレンの師を買って出てくれるのだという。荒療治というだけあって、それぞれ達人の域にある彼等と打ち合うなどと言う修行は、確かに命の危険すら伴うだろう。

 こういう時、部下からも学ぶことは多い。好待遇に過ぎる条件だ。しかし不安には思わない。願ったり叶ったり。あとはやってみせるのみ。ノレッジの様に。或いはヒシュやネコの様に。後ろだけは向くまいと、ダレンは腹に決めている。

 フェン翁は皺のある頬を撫でながら、新たな弟子に向かって問うた。

 

「―― 世界は命在る物に全て等しく。しかし人間は誰かを退けるだけでなく、理解を望むことが出来る、好奇心旺盛な生き物じゃ。相手を……モンスターが心を解し、自らのものとする。これはどんな偶然にせよ、『境地』にまで到達し得るハンターでなければ叶わぬ事よ。意思を持って到達するに、どれ程の時間が掛かるものか……この老いぼれとて身を持って知っておる。じゃがお主がかの未知を知ろうとするなればこそ ―― その淵を覗く資格程度は持っておかねばならぬからのぅ」

「どうする。いや。どうしたい ―― ダレン・ディーノ」

 

 そして、リンドヴルムが覚悟を問うた。

 迷いは無い。有るのは望みだ。ダレンの答は、淀みなく澄んだ意思をもって返される。

 

「このダレン・ディーノ、死力を持って食らい付きましょう。どうぞ宜しく指導の程を ―― 師匠方々」

 

 

■□■□■□■

 

 

 そして、ダレンが修行を開始して更に2週が過ぎ。

 季節は既に温暖期を迎えた。ドンドルマを遠く離れた密林の高地の奥深く。そこに、1人と1匹のハンターが身を潜めていた。

 

「―― なぁモービンよ。ダレンの奴ぁ、今頃ドンドルマの近場で修行漬けなんだろーなぁ」

「でも、ドンドルマには女が居んニャ。こうして干し肉噛みニャがら日がな森の中を練り歩いているオレとペルセイズ親分に比べて、どっちがマシかは言うまでもねえニャ」

「はっ、違ぇねーやな。……ダレンなら、リンドヴルムの奴が着いてんなら多少はモノに出来んだろ。相性は良さげだったし」

「2人とも苦労人っぽいかんニャア。ダレンはあんニャんだし、リンドヴルムだって、本来ニャらギルドなんて投げ出して一狩り行きたい性分だろうしニャ。大長老の代わりを務められる位の名声を持ってんのがアイツだけだって話だニャ」

「くっは! 確かにそんなだよな、アイツ。今回のこの遠征だって、オレ様ら《根を張る澪脈》が無けりゃあ、何だカンだで屁理屈こいて自分で来るつもりだったんじゃあねえんかね。まぁそこは、オレ様がギルドナイトの権限とかをぶら下げて押し通したがよ……んむぐ」

 

 笑いついでに開いた口に、干し肉の最後の一切れを放り込む。

 男 ―― ペルセイズは、全身を青の鎧で包んでいた。鎌蟹(ショウグンギザミ)の素材によって作られたその鎧は、所々が鋭利な刃物の様に突き出しており、触れた相手を傷つける。防御だけでは留まらない鎧の新たな役割を唱えた意欲作である。ただ闘いなら兎も角、胡坐をかいて身を小さくしている分には、件の刃物の部分が邪魔で仕様がなかった。

 対して、その横のアイルー ―― モービンは雌火竜・リオレイアを素材とする鎧の上に泥の迷彩を施している。モービンは空を見上げ、髭をぴくぴくと動かす。

 

「……降りそうか?」

「オレの髭センサーは降雨確率120%とか言ってんニャ、親分」

「それだと確率超えてんじゃねえか。そいじゃあ身体を冷やす前にキャンプにでも……っとぉ。随分と暗くなんな」

 

 暗雲が蠢き、あっという間に頭上を覆う。いつ何時雨天となってもおかしくはない曇天具合。

 

「……いや、こらビンゴだな?」

「うニャ。待ち人来るニャ」

 

 しかし空を見上げていたペルセイズとアイルーはその場を動かず、気配を殺す事に終始し始めた。

 そのままその場にうずくまる事、数分。暗雲が厚みを増し夜にも等しい暗さとなった頃、

 

「―― ペルセイズ親分。奴さん、お出ましやがりましたニャ」

「―― おうよ。勿論こっちからも見えてんぜ、モービン」

 

 ようやくと目的の生物が姿を現す。

 全身に泥の迷彩を施したアイルーと、ショウグンギザミの甲殻で作り出された鋭利な青鎧を纏う青年は、茂みの中で揃って顔を上げた。

 そしてその相手を見ると同時、全てを理解した。難敵だと。強者だと。これは、底知れぬ怪物であると。

 

「……こいつぁ凄ぇ。あの被り者がお熱んなる訳だ」

「被り者……ああ、今はヒシュとか名乗っているぽいけど……あの馬鹿弟子、これの相手をすんニャ?」

「らしいねえ。くっは、相変わらず面白れえことばっかしやがる。羨ましいったらありゃしねえ」

「……はぁ。揃いも揃って馬鹿ばっかニャ」

 

 瞳孔が窄み、身体が震え、思わず、口角が釣りあがる。

 

「はっは。ハンター何て皆、んなもんだろ。……さぁモービン。飛び入りで、オレ様たちも目出度く馬鹿の仲間入りだぜ?」

「知ってんニャ。始めからオレだって馬鹿で阿呆の積りだニャ。んで無きゃペルセイズ親分の御供なんてやってらんねぇのニャ」

「応。それでこそオレ様の相棒だ。……行くぜ」

「始めんニャ」

 

 そして両者共に気配を殺すのを止め、茂みを飛び出した。

 木々の合間に開けた場所で、待ちかねた獲物と相対する。

 

「―― ァ」

 

 獲物と相対し、肥大化し黒に染まる身体がぶるりと震えた。

 かつてイャンクックであった頃よりも、嘴は一際大きく頭蓋を侵食している。両足には鋭く尖った鉤爪が備えられ、全身には羽毛が。かつて皮膜で覆われていた翼にも、今は1枚1枚風斬り羽が携えられている。

 

 ―― 変貌を遂げたとは言え、その姿は、おおよそ鳥と呼べる範疇にあった。

 ―― ただしそこには、「原初の」という冠が添えられる。

 

 鋭く巨大な嘴は、開閉機構と言う点について不備があると言えよう。それは食物の摂取し易さ……種の生存率に直結する。鋭く尖った鉤爪は武器にこそなるが、地上の歩行だけでなく、獲物を掴む用途にも適していない。長大な尾など、まるで大きくしてから飛ぶ際の邪魔になった事に気付いて肉抜きをしたかの如く、軽い尾羽へと取って代わっている。

 或いはこれを、生物の進化としてちぐはぐだと語ることも出来る。だが「この時代」にはまだ、進むべき先が多過ぎた。何処かに突出せざるを得なかったのだ。

 先鋭化された、進化を遂げる以前の容貌。分化と適応を繰り返し平たくなった現存の鳥竜とは一線を画す ――「原初の鳥」。

 その尖った姿を見上げながら、ペルセイズは、今は遠くの友人が作っていた「樹形図」とやらを思い浮かべていた。彼は鳥竜の祖……始祖鳥を、なんと呼んでいただろうか。彼が骨格から想像した始祖鳥とこの生物が似ているのかは、判らないが。

 程なくしてその名も思い出される。イャンクックをこよなく愛する人物らの愛読書「クックラブ」において、翼を持つ鳥竜種についての特集が組まれた際、取り上げられていたのを見かけた覚えがあったのだ。

 確か「イグルエイビス」と。そう、嬉々として名をつけていた筈だった。

 決まりだ。目前に立つ……仮称、イグルエイビス……に向かい、ペルセイズは一礼しながら声を張り上げた。

 

「やぁやぁ、真っ黒なドレスが良くお似合いの素敵なお嬢さん。逢引のお誘いだ。見ての通り、オレ様もその相棒も鎧と剣とでめかし込んで来てんでな。ちょっくらど突き合って(・・・・・・)貰うぜ」

 

「非常に残念ニャ事に、親分の心は硝子よりも遥かに脆いニャ。誘いを断られると暫く塞ぎこんでしまうち、逢引のお誘い相手には断るのをお断り(・・・・・・・)してんニャ」

 

「おいおい、そいつぁ人聞き悪ぃなモービン。……まあオレ様は面食いだからよ。そう言う意味じゃあ誰彼構わず声をかけてる訳じゃあねえから安心してくれや」

 

 軽口に逆らって、ペルセイズがだらりと腕を垂らす(・・・)。構えるは『煌竜(コウリュウ)(ツガイ)』。右の白銀と左の黄金の双つ、対になった刃は楯と矛の役割を各々に課している。

 

「ドス黒いアンタも犬に噛まれたとでも思って、ぼちぼちやり合ってくれると助かんニャ」

 

 モービンは、投擲用の手裏剣と様々な笛を背負う。あちこちの茂みには防水布に包んだ道具を潜めてある。以前弟子に享受したこともある狩猟の陣形。

 

「さて ―― 秘密の秘密の偵察任務。死なない程度にゆるぅり、行くとしますかね!」

「諒解。ぼちぼち、始めんニャ!」

 

 絡まる視線。振り出す雨。走り出すハンター。

 イグルエイビスに似通った「過去に還り未だ知られざる鳥」は、嘴と一体化した頭蓋の内から、その紅い眼でもって、向かう敵と敵意とを確かに捉えた。

 覚えている。あの仮面の狩人を匂わす構えに、久方振りの喉を鳴らす。

 再戦を果たさんと。左肩には、焼け焦げた『ボーンククリ』の刀身が残り……しかし既に、飛ぶという動作に支障は無かった。この場に留まっていたのは、ただ、これら狩人なる好敵手を待っていたからに過ぎない。

 原初の鳥は自らの進化の証 ―― 空を目指した巨翼を持って鋭く飛び上り、地に脚を着けた2者に向かい、喉と嘴を開いた。

 

 

 

「―― ギュアアア゛アーッッ!!」

 

 

 

 一鳴一息が蒼炎を生む。

 降り注ぐ雨に逆らって、密林の高地に、一足早い戦火が立ち込める。

 




 先ずクックラブのご出演について、百聞一見さんには再度の御礼をば。
 ありがとうございます! 大事な所では使わないとか言った癖によりにもよってこの場に出すとか不遜に過ぎますごめんなさいっ。でも始めからここに繋げるつもりでしたすいませんっ。

 これにてダレン編、後編の終了となります。前編あとがきより、面倒くさくない詐欺ですね。自覚はあります(ぉぃ。
 私的には非常に実験的でして、ドンドルマ編はダレンの師匠となる人物らの出逢いと、またハンターという市井の背後あたりに焦点をあててみています。元も子もなく言えば捻った説明回ですね。会話で山場を作るのは難しい。とはいえあまり長くなるのもあれでして、説明に寄ってしまったかな……というのが正直な印象です。なので最後に戦闘シーンをちょっとだけ挟んでみたり。修行と言う意味ではノレッジのそれよりも大分判りやすいものになったかとは思うのですが……私の感覚が麻痺しているのやも。はてさて。
 ヨウ捨流、というのもまた全くのオリジナルになります。ですが北辰納豆流(3~4Gでご出演の船長さん及び、剣ニャン丸が扱う流派ですね。スキルにも登場いたしましたネバネバ剣法です)の例を元にして考えますと、まぁなんでもありのケンカ殺法ならば名前の元ネタはこれが良いのではないでしょうかと思い至りました次第です。いえ、この文言ではネーミング元の流派さんに失礼ですけれどね。大好きなのですタイ捨流。でも雲耀とか言っちゃったら別の流派ですよとトンボ大好き。
 さてここで、作中ではできない解説を挟みたく思います。
 話の流れで未知(アンノウン)が未知ではなくなりましたが、未だ知れず(どっちだ。いずれにせよ大本のモンスターとは大違いの戦闘力になる予定です。
 その大元になったモンスターこそ、ハンター大全に載っております「イグルエイビス」という古代種になりますです。少なくとも体色以外の外見に関しては、本作においても、イグルエイビスと全く同じものとなっております。恐らく検索すれば画像も容易に出てきますでしょう。こういう時、自分も絵が書ければなぁと思わなくもないですね。あ、体色は黒と紫で脳内変換を。あの嘴だと本当は炎とか吐けないと思いますが、第1章の未知(ボスキャラ)ですのでそこはご愛嬌と。
 さてさて。
 イグルエイビスは、企画段階での没モンスターを、ハンター大全の発行に伴い鳥竜の祖として設定した(された)ものです。発見されている骨格では最古のもので、樹形図的には鳥竜種を束ねる位置にあります。私は作中で始祖鳥とか書いていますが、少なくとも走るよりは飛ぶほうが得意である(あろう)旨が表記されていますね。こっちでいう始祖鳥とは大分違うものと言えますでしょう。語句的には始祖鳥竜という呼び名も捨てがたかったですが、ちょっとクドイかなと。……因みに、フロンティアでは「花畑」にてこのイグルエイビスに似通ったモンスターがご登場なされている様子です。
 さてさてさて。
 予てからタグにオリジナルモンスターを付けなかった理由が、イグルエイビスの存在となります。直接にゲームの内で狩猟できない相手であるため、戦闘方法などはオリジナルになってしまいますが、モンスター自体はオリジナルではない為に微妙なラインかなーと考えます次第。……原作を重視するからにはオリジナルモンスターのタグをつけたくなかったという思惑も、勿論ありますが(苦笑
 さてさてさてさて。
 作中の「モンスターハンター」陣、随一のチャラ男の戦闘は省略しまして、いよいよ、次話よりノレッジ編に立ち戻ります。それに伴い、26話の不可解な部分の説明……第1章の主題の解説に入ります。書き溜めが少ないので期間は開くかもしれませんが、砂漠で2~3話ほど(分割するか否かという)を挟んでおきまして……やっと第1章の終わりがちらっとですが覗けて来たかと思います。
 ……リンドヴルム(意訳:のたくる長虫さん)がぶった切った例のものに関しては、予てから仕込んでいた2部へのフラグですよーとの注釈を挟んでおきつつ。
 では、では。


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第二十八話 坩堝

 大陸が南西、デデ砂漠に温暖期の熱が篭る。
 上の太陽と地面の砂に挟まれ、狩人と紅の双角竜 ―― 灼角との激突は続いていた。
 砂塵が唸りを上げる。正に烈火の如き猛進。白地の大地を、赤色が駆け抜けた。
 左右に分たれ、躱した……と思った矢先。アイルーがある事実に気付いて振り向く。その先に。

「っ、狙われてますニャー姉御(しかり)っ」

 弓を構えた狩人……ハイランドが立っていた。ハイランドは小柄な体駆ながらに堂々と灼角を見据えている。灼角は一直線に女を狙う。距離40(メートル)。灼角にとっては4歩で詰められる距離。女は弓弦を鳴らした。放たれた矢は2本。灼角の右角を抜け折れた左角を僅かに下方 ―― 寸分違わず左右の瞳目掛けて飛来する。

「―― 」

 灼角が咄嗟に瞼を閉じる。肥厚した瞼に鏃は難なく阻まれる。
 だが再び目を開いたとき、弓使いの狩人は視界から姿を消していた。相手は射手。距離を取るつもりか……灼角は振り向く。

「―― シッ」

 息を吐き出す音。左。弓使いの狩人が竜鱗の袴を振り乱し、鏃のついた矢を握り振り上げていた。
 思わぬ接近戦に、しかし灼角は応戦する。襟巻きに浅く食い込んだ鏃はあっさりと手放され、灼角の頭突きが空を切る。

「―― 」
「姉御、ご無事でなによりニャー」
「……」

 遊撃を行っていた2匹のアイルーと狩人とが合流する。相手の気迫に遅れはない。長期戦は元より織り込み済みなのだろう。
 改めて翼を動かし……今、身体の鈍りを実感した。体中に突き立っている矢 ―― 鏃に毒も仕込まれていたか。あらかたのものに耐性があるとはいえ、こうも数が多くては。
 相対した狩人の厄介さを反芻する結果を噛み締めながら視線を戻す。すると。

「―― 『ケド場』へ、『お担ぎ』を」

 両手を広げ、地に脚をどっかりと着けている。退くつもりはない。お引取りを。目の前に居た女の弓使いは、言葉を用いず示してみせた。

「……ヴるる」

 喉を鳴らす。この場に辿り着いてから、あの好敵手との決着がついてから、既に2度(・・)太陽が沈んでいる。
 縄張りは立て直す他ない。替わりにこの狩人との手合わせも叶い、面白いものを見ることも出来た。八つ当たりはここまでにするか。そう納得させ、灼角は地面の中へ体を潜り込ませた。追撃はない。

「追っ払うだけで2日とは……いやはや、あかつのさまの逆鱗には触れたくないものですニャー」

 狩人らはその姿が地面に消えるまでを、見送った。



 

「―― ニャー、」

 

「―― ニャン。―― 生きて ――」

 

「―― 」

 

 誰かが何かを叫んでいる。その声に引き上げられるように、ゆっくりと意識が清明になってゆく。

 自分は瞼を開こうと力を込めた。まず視界に飛び込んできたのは、圧倒的な光だった。真っ暗な道程を戻り来た自分にとって、一杯の光線は刺激を伴うものだった。すぐに耐えかね、目を瞑り、素早い瞬きを繰り返す。

 紫から赤、橙から黄色。縁から青を経て、世界は彩りを取り戻す。

 

「……お、あ」

 

 唇はすんなりと離れてくれたが、久方ぶりに言葉を発した様に思える。自分の声には張りが無かった。砂漠を逃げる最中、長らく声帯を使っていなかったからだろうか ―― 何故、使っていなかったのか、定かではなく。

 

「……あ、い、うぅ?」

「―― !!」

 

 発声もままならない。母音を発すると、周囲に居た獣人がびくりと飛び上がってから近寄って来た。

 合わせて3匹。淡い橙、ほっかむりと、混じりけない白毛のアイルーだ。―― アイルー、もしや、自分もその様な生物だったか。

 

「どうやら目が覚めたニャン。タチバナ、姉御にご報告するのニャン!」

「了解だニャー。レイヴンは橙の村のカルカとフシフ達に取り急ぎの連絡を頼むニャー」

「……」コクリ

「ペルシャンは……言われなくともその娘に付いている積りだニャー?」

「当然ニャン。看護アイルーの矜持ですわニャン」

「それじゃあ、頼むニャー」

 

 走り去った2匹に手を振り、1匹は毅然とした態度でその場に残る。―― 何故、何処、何時、如何に。

 

「それじゃあほら、先ずは水を飲みなさいニャン」

 

 そして、口元に吸飲みを近づけた。自分はせめて身体を起こそうと力を込めるも、身体は上手く動かない。力が入らないのだ。白毛のアイルーに支えられながら、自分はやっとのこと身を起こした。

 

「……あ、……お」

「質問は後にするのですニャン。お腹を動かさないと代謝が駄目になるニャン。水が飲めたなら、麦粥から始められるニャン。ほら」

 

 何かを話そうとする自分に頑として譲らず、アイルーは吸飲みを差し込む。

 仕方が無い。それに何を尋ねたものか、自分が何者なのか、思考も纏まっていない。それに比べて、水の飲み方は覚えている。頬に力をいれ、自分は大人しく水を飲み込んだ。

 その様子を見て、アイルーは心底ほっとした表情を浮べる。

 

「良かった……むせ込みは無いニャン。これならご飯を食べられるから、衰弱も留められるニャン。……聞きたい事は山ほどあると思うけど、先ずは回復に努めましょうニャン」

 

 そう言って、再び自分を横たえた。

 今度は木製の天井と、僅かに差し込む日差しが目に映った。外からは人の声が聞こえている。覚えている。自分を追い掛けていた筈の脅威の気配は、見当たらない。

 もう暗闇に落ちる必要は無いだろう。あの場で得た鍵は、今も腹の底でしっかりと握り締められている。

 自分はその事に安堵を浮かべ、迫る眠気に任せ、また、瞼を閉じた。

 

 アイルーは慈愛を込めた肉球を少女の額にあて、もう起き上がるつもりがない事を悟ると、せめてもの疑問を解消すべく語りかける。眠り始めた少女に、はたして届いているものだろうか。

 

「今は温暖期の始め。ここはデデ砂漠を越えた先に在る秘境、『ネコの王国』。……おめでとうニャン。貴女は単独で砂漠を踏破した。助かったのですわ」

 

 覚えている。添えられた掌の暖かさに、少女はやっと解を得た。

 部屋の扉が開く音。視界はない。それでも誰かが近づいてくるのが判った。扉の方向から声が聞こえる。瑞々さのある女の声だ。隣に居たアイルーが姉御、と鳴いた。

 

「―― お帰りなさい、ます。そしてようこそ、モンスターハンターの領域へ。貴女を、女狼を。ジブンは歓迎するます、ノレッジ・フォール」

 

 そうだ。

 ……ノレッジ・フォール。

 …………それが自分の、名前だ。

 

 

□■□■□■□

 

 

 5日後。

 甲斐甲斐しいアイルーの世話もあり、完全に意識を取り戻したノレッジは心身ともにみるみる回復を始めていた。声は張りを取り戻し、聴覚も、やや聞きづらさは残るものの日常会話に問題が無い程度には元通りとなった。

 それと同時に、むしろ回復すればするほど、改めて今の状況に疑問ばかりが浮かんだ。ペルシャンと言うらしいそのアイルーは、看護の傍ら、知る限りの経緯を教えてくれていた。

 

「―― それでは、あのハンターさんとペルシャンさん達が、わたしを助けてくれたんですね」

「そうですニャン。でも何より、ノレッジの運が良かったのが大きいですわ。猟場の巡回に出たわたくし達に遭遇するという巡り合せもさることながら、橙の村を救ったと言う貴女の功績を報告されて居ましたから、いつも気紛れな王様も受け入れに寛容でしたニャン」

「そうですかー。フシフさんとカルカさんには感謝しなくてはいけませんね」

「レクサーラに戻る途中で直接伝えれば良いと思いますわ、ニャン」

 

 固定の為の包帯を取り替えながら、ペルシャンは続ける。

 どうやら灼角を相手取っていた自分は、あの裂け目に落ちた後、ネコの王国の街道にかけられた落石避けの網に引っかかって一命を取り留めたらしい。崖の壁にぶつかり3箇所ほどの打撲を負ったが、命に別状はなく骨折のような怪我も無い。これはおばあの付けてくれた楯と『ボーンシューター』の銃身が灼角の一撃を殺してくれたお陰でもある。そんな網に引っかかった自分を回収し、灼角を誘導撃退したのが、他ならぬハイランド率いるネコの王国の狩人部隊だったという流れだ。

 かつてレクサーラを訪れたばかりの頃に食糧難を解決した「橙の村」のメラルー達から、このネコの王国へ報告が来ていたのも一助となった。それら境遇と、失われた愛銃に感謝を抱きつつ。

 

「姉御……ハイランド・グリーズはこのネコの王国専属の人間ハンターで、並ぶ者の居ない弓使いの狩人ですニャン」

「その方にも、改めてお礼を言わなくちゃですね。ですが……ハイランド・グリーズさん、ですか」

 

 匿われていた借家の机で、ノレッジは首を傾げた。自分を救ってくれたのだという女ハンターの名は聞き覚えがあるように思えたのだ。

 恐らくは目覚めた際の最後、あの瑞々しい声の持ち主が件のハイランドだろう。だが名前をどこで聞いたのかまでは思い出せそうになかった。うんうんと唸るノレッジを見かね、ペルシャンが口を挟む。

 

「姉御の名前は聞いた事があっても不思議ではないですわ。なにせ姉御は、『モンスターハンター』ですからニャン」

 

 モンスター、ハンター。

 それは凄腕の中でも特に功績をあげた、一握りのハンターに与えられる別称である。体術も、知識も、心も、自然までをも。狩りに纏わる全てを備えた存在のための、栄誉ある呼び名だ。

 ノレッジは記憶を探る。確かに居た筈だ。弓を扱うモンスタハンターが。

 

「もしかして、『迎龍』の」

「そうですわ。姉御はあまり、その2つ名は好きではないみたいですけどニャン」

 

 「迎龍」とはかつて老山龍(ラオシャンロン)の撃退、討伐を指揮した伝説的な雇われハンターを指す2つ名である。今世のモンスターハンターは全て得意とする武器が違うため、弓を扱う者は彼女をおいて他に居ない。

 その彼女がここに居るという。ノレッジが興奮しながらその名を連呼していると、部屋の扉がゆっくりと開いた。

 

「―― 呼んだ?」

「姉御! わざわざのご足労、ありがとうございますニャン、って、抱き上げなくても良いのですわーぁゴロゴロゴロ」

 

 ペルシャンが飛び退いた場所を、来訪者がゆっくりと歩み寄る。途中でペルシャンを抱き上げつつ、その喉を撫でる手つきは手馴れたものだ。

 少女……もしくは童女にしか見えない来訪者の外見をみて、ノレッジは一瞬疑問符を浮べたが、ペルシャンの反応からするに彼女こそがハイランドに違いない。噂に聞くハイランドは当時25才であった筈。あれから幾年を経たのか、詳しく覚えては居ないが、たかが16の自分よりも一回りは年上だ。まずは礼を逸するべからず。

 

「その、ハイランドさん、ありがとうございました!」

「無事でなにより、ます」

「ゴロゴロゴロゴロ」

 

 呼びかけにハイランドは目を細め、すらりとした灰色の長髪を揺らした。ペルシャンの喉を撫でる手は止めようとしない。

 だが、彼女の言葉遣いは奇妙なものだった。しかも能面染みたその態度に、ノレッジは大いに覚えがある。いつも思い描いているその背。頼り甲斐と憧れとを抱く狩人の名前が、口の端から漏れ出した。

 

「―― ヒシュさん?」

 

 仮面の狩人、ヒシュ。自らの師である。

 態度と言葉の繋ぎ。そして雰囲気。どれをとってもヒシュに酷似している ――

 

「…………ヒシュ? 自分はハイランドだけど」

 

 が、それだけだ。目の前で首を傾げる女性は、やはり動作こそ似ているがそもそも仮面をしていない。背丈も、ヒシュの方が大柄だ。髪の色もヒシュは黒くハイランドは灰。ノレッジは慌てて取り繕う。

 

「あ、あのいえ。わたしの師匠に似ているなーと思いまして」

「ヒシュ……ヒシュ……ヒシュ?」

 

 話すノレッジの目の前で、しかしハイランドは気に障った様子もなくヒシュの名前を呼び続けている。

 そのまま暫く連呼しておいて、いきなり、掌をぽんとうった。

 

「ああ、ヒシュ。それは自分の唯一の弟子の名前ます」

「そう言えばそうでしたニャン。何年も前になりますが……奇面族として育った人間ハンターの名前の1つですわ」

 

 ヒシュが彼女の弟子だというのは、そう言えば聞いたかもしれないが、師匠の名前まで覚えてはいなかった。ノレッジは驚きながらも、師匠の師匠だという女性に改めて視線を向けた。視線を受けてハイランドが身を捻る。その腰元には、木彫りの仮面がぶら下げられている。

 

「これが、その弟子から貰った代わりのお守り。木彫りの仮面、見覚えあるます?」

「はい、とっても。……となるとお師匠のお師匠なわけで……大師匠ですね、ハイランドさん!」

「大師匠。うん。それはいい響きます」

 

 ハイランドは何やらご満悦な様相で、ペルシャンを撫でる手を止めた。借家に備え付けの机に腰かけ、ベッドに座るノレッジに対面する。本題を切り出すつもりだろう、と、ノレッジも心なし身構える。

 ペルシャンが素早く用意したお茶を一口。唇を開く。

 

「今日自分がここに来たのは、ノレッジに事の仔細を聞く為ます」

「ことの、仔細?」

「そう、ハンターとして。病み上がりで申し訳ないます」

 

 灼角に追われた逃走劇の流れか、第五管轄地の変貌について。もしくはどちらについても、という事か。ハイランドの視線にノレッジが頷くと、彼女は懐から地図を取り出した。

 

「ねえ、キミ……聞くます。……まず、あかつのさまと出遭ったって聞いた、どの辺ります?」

「あー、ええと……この辺りですかね」

 

 それはレクサーラよりも南側……砂漠を詳しく描いたものだった。

 ノレッジは地図を覗き込みながら、第五管轄地の中央部を指差す。そのまま南へと降る逃走路をなぞる。地図に寄れば、ネコの王国は本当に大陸の南端に近い場所に描かれている。人間の脚では14日で辿り着けたことすら奇跡と言っていい。逃走中、ノレッジは測量をしていない。予想の範疇を出ないものだが、それでもほぼ最短経路で下ったとみて良い筈だ。

 取り留めのない報告を黙って聞き届け、そして、ハイランドは首を傾げた。

 

「……そう。やっぱり、縄張り、変えてるのます」

「縄張りとは?」

「あかつのさま。あかつのさまは、ある意味この『ネコの王国』の守り神でもあるます」

 

 あかつのさま……流れから察するに、灼角の事だろう。それは信仰の対象だとか、そういうものだろうか。だとすれば自分は罪人ではないか、とまで考えたノレッジの思考を読んで、ハイランドは注釈を挟む。

 

「別に、拝むような神様じゃあないます。事実的な話し。自分もあかつのさまに弓を引いているし、大丈夫ます」

「あの、それなら良いのですが。……となると、事実的にとはどういうことでしょう」

「うん。あかつのさまと、もう1頭。あれが居て均衡を保っていた(・・)からこそ、デデ砂漠は未だ未開の地なのます。そうでもなければ、この王国はとっくにミナガルデに喰われてたます」

 

 あれとは何か。その均衡は今も保たれているのか。それら疑問に答えることはなく、ハイランドの視線が、ここで一旦ノレッジの胸元……その内に収められたお守りに向けられた。

 

「そのお守りがあれを動かした、ます。目覚めたのは偶然にしろ、居場所を変えたのは、あれが龍の墓前で戦うべきではないと考えたからます」

「それも判らない話題です。ですがその、このお守りはヒシュさんから戴いたものでしてー……出来ればこのまま持っていたいなぁと」

「うん。霊樹ヒヨスのお守り。自分があの子にあげたもの、巡り巡ってノレッジに渡ったます。貴女を守ってくれた。それは喜ばしいます」

 

 ノレッジは思わず取り上げられるかと身を捩ってしまったが、杞憂であったらしい。ハイランドは怒気を発することもなく、言葉通り喜んでいる様子だ。

 むしろ、その棘は他の場所へと向けられている。特にミナガルデの名前が出た時に明らかだ。

 

「怒っていないます。でも、ミナガルデは好きじゃない」

 

 またもノレッジの考えを読んだとしか思えない返答。更には此方が尋ねる前に、続ける。

 

「自分、王国の東の湿地帯を住処としていた遊牧の民ます。でもそこ、今は王国の植民地。だから東も西も、シュレイドは好きじゃないます。国が嫌いなだけで人をキライとは言わない、けど」

「……というよりも、わたくし達の主様は束縛とか型に嵌められること全般的に嫌いなのですわ。別にシュレイドに限った話ではないのですニャン」

「そだね。ペルシャン、ないすふぉろーます」

「恐縮ですわ、ニャン!」

 

 ペルシャンとハイタッチをかますハイランド。とても高名なハンターとは思えないやり取りだが、ペルシャンの崇拝の度合いからして、またヒシュの師匠だということからも、やはり尊敬に値する人物であることは間違いなくて。

 

「―― それじゃあ聞くことは聞けたし、最後に。ノレッジ。骨も折れていないし、リハビリはしておいて良います。ただし過負荷はかけないで、体力を落とさない程度に。ハンターも復帰してだいじょぶ。タブン、1週間後くらい? その辺り、希望あれば、タチバナかペルシャンに伝えるます。自分、狩猟に同行するます」

 

 そこへこうも考えを先読みされては、彼女の底知れない力を感じてしまうのも当然のこと。

 ノレッジが気にしていたハンターへの復帰期間を告げると、ハイランドは無機質に踵を返し、再び家の扉を潜り外へと出て行った。

 

 

 

 

 外を歩けるようになるとノレッジは元来の好奇心を取り戻し(持て余し)、積極的に出歩いた。

 ネコの王国は、岩間に建てられた日陰の国であった。決して広くは無い。だが人間の他にアイルーメラルーと言った獣人族、更にはあまり見ない土竜族などといった、多種族が入り混じる集落に近い場所でもある。

 日中は人通りも多く、そこでは市や川港だけでなく武器の市なども開かれている。人間よりもアイルーおよびメラルーが多く、彼等の中に職業としてハンターを営む者がおり、その武具を提供しているのだそうだ。メラルーの店主が並べている品が盗品でない事を祈りつつ、手当たり次第を覗いて歩く事にする。。

 その中でも目的の店……文具屋と郵便屋とを見つけると、ノレッジは真っ先に向かった。筆と草紙とを購入し手紙を記す。レクサーラに自分の無事を知らせるため、また逃がしたクライフ達が無事に到達できたかを知るためであった。伝書鳥が行き交う事のない王国では、週に一度ほど郵便のアイルーが来るらしい。郵便のアイルーは明朝に旅立った後らしく、発送は来週頭になるそうだ。

 幾つかの手紙を書き終えるとその場で店主に渡し、再び探検を始めた。石積みによって作られた街並みは、どこか第五管轄地で見た遺跡群を思い出させた。水はけを重視した水路が通路の脇を流れているのも低地ならではと言える。ただ、流れているのは雨水ではなく生活用水だ。案内を務めたペルシャンの窓から投げ出されるよりましだと言う意見については、激しく同意出来た。

 そんな王国の中でもノレッジは、司書を務めているのだというタチバナに案内され、毎日図書館を訪れるようになっていた。目的はネコの王国やレクサーラの成り立ち、それに王立図書館には置いていないような「王国の影」を著した書物である。体に過負荷をかけることを禁じられている以上、読書に時間を費やすのは有意義でもある。

 

「―― さて、今日はこの棚を攻めてみましょうか」

 

 意気揚々とアイルー向けのやや低い入口を潜る。書物は人間サイズなので、虫眼鏡の準備は必要ない。

 これはノレッジが王国の外に出て初めて感じたことなのだが、リーヴェルなどにあった王立図書館では、王国の批判や汚点を書き記した書物が徹底的に排斥されていたのだ。

 それを悪いとは思わない。取捨選択すべきは読者の側である。国としては当然の処置だろう。だからこそ外に出てから、ノレッジはそういった内容の本を好んで読むようになっていた。

 加えて、嬉しい事に、この図書館には未発見もしくは要調査の生物に関連した書物が数多く貯蔵されていた。書士隊としては是非とも調査資料に加えたい所なのだが、残念ながら、持ち出しは厳禁なようだ。ただタチバナに聞いた所、写本を作るのは自由との事で、リハビリの合間を見て暇さえあれば内容を書き写すのが日課として加わった。

 そんな日々をこなすこと数日。午前のランニングと柔軟を終え、サンドイッチ片手に本を探していると、棚を移動した所で本の種類が変わり始めた。図書館の蔵書は膨大だ。だからこそ焦らず、端から順に眺めていたのだが。

 

「……ふむん?」

 

 その内の1冊を、興味のままに手に取った。デフォルメされた双角竜が描かれた表紙。「やけづのさま」と呼ばれる物語だ。ノレッジは脚立の上で本を開いていたタチバナに視線を送る。

 

「ニャー? ああ、その辺はレクサーラの児童とかハンター向けの雑誌とかが置いてある区画だニャー。時間があるなら読んでみるのも一興ニャーよ」

 

 そう言うと、タチバナは本の虫干し作業に戻ってしまった。日を変え棚を変え毎日行われる作業を黙々とこなすその様は、ノレッジからみても忍耐強いものだ。

 あまり邪魔をしてもいけないと、再び書物に視線を落とす。タイトルからして、これはあの灼角に関連した物語なのだろう。一興どころか、ノレッジとしては大いに気になるものだ。

 内容を、今度は歴史書や調査報告の類ではないため、飛ばし飛ばしに読んでゆく。

 「やけづのさま」は、ハンター業を利用して利益を目論んだ村が、最後にはモンスターの逆襲に遭うという内容だ。

 どうやら実際に起こった事実に脚色を加えたフィクションなのだが、大いに教訓を含んでおり……自然との調和というハンターの命題を語る上で非常に有意なものとなっているのだろう。それ故にレクサーラに住まうハンター見習いが熟読する教科書として選ばれた。レクサーラのハンターが規律を遵守しようと努力するのは、これら歴史を鑑みて教育を重視したギルドの育成戦略の賜物に他ならないのだ。

 しかし「やけづのさま」は実際に起こった事態だとは言え、それも遥か昔の出来事。砂漠の村々においては「やけづのさま」を狩猟祈願の神様として奉じる場所が現れる程度には、年月も経過している。あの個体と同一の存在なのかは、知る由もない。

 

「……これは仕方が無いですね。次です」

 

 これ以上の追求を諦めて、下段に在った本を手に取る。

 他と比べて真新しい装丁の背表紙には「美少女ハンター凍土で大奮闘です!」と、どこか軽いノリの、図書館に無い分野の香りが漂っていた。

 だがノレッジは迷う事無く著者プロフィールの欄を捲る。やはり ―― ユクモ村やシキ国に特有の「姓名順」の表記で、ザイゼン・エリ。巷で「美少女ハンター」として名を馳せた人物である。

 ザイゼン・エリの名は耳にしたことがある。彼女はハンターとしても上位、この時点でも「4つ星(ランク4)」の実力を持つ、兼業作家であったはずだ。

 「美少女ハンターシリーズ」……略して美少女譚は、(21)のザイゼン・エリが書き下ろした連載書き物の最新作である。中でも本作は、凍土と呼ばれる地を駆けずり回って成された実体験に基づく書き物で、……細かく説明すればきりが無い為、これ以上なくざっくりと説明すると……ティガレックスとの闘争が最後には和解に近い形で収束する。他にない結末が世間の好評を得た部作となる。彼女はこの作品で世に認められたと言っても過言ではない。それはハンターとしても一端の物書きとしても。近々に美少女シリーズかは知れないが、続編の出版も噂されていた。

 さて。まさか最果ての地に佇む図書館が、ドンドルマギルド傘下の出版社が放つ人気シリーズをも備えているとは……アイルーの知識欲も侮れない。そう考えつつも、ノレッジは好奇心のままに表紙を捲る。

 捲る。捲る。主人公たるザイゼン・エリは自身と同様の弩使い(ただし軽級の弩である)。『バズルボローカ』というバレル主体の変則な武器を使う所に、ノレッジは何故か共感できてしまう。捲る。捲る。

 

「―― ッジ! ノレッジ、聞いてるニャー?」

 

 自分の名を呼ぶ声に、はっと顔を上げる。心配そうなタチバナが、此方を覗き込んでいた。

 何事か。言葉にせずとも顔に出したノレッジに、タチバナは呆れと優しさをない交ぜにした表情を返した。

 

「もう夕方ニャー。全く。ノレッジは本の虫、読書の鬼だニャー。その本も貸し出すから、部屋に戻って読むと良いニャー。返却の期限は6日後ニャー」

 

 見上げれば確かに、空が夕陽に染まっている。いつの間にそんなに時間が経っていたのだろうか。

 タチバナは呆けているノレッジから本を取り上げると、素早く貸し出し手続きを済ませ、また腕に握らせる。

 

「ノレッジ、明日はミャー達の狩りについてくるんだよニャー?」

「……えと、はい。是非、ご一緒させていただければと思うのですが」

「なら、ミャーはこれから王様の所に報告に行くニャー。明日にはノレッジも拝謁することになると思うニャー。くれぐれも寝不足にならない程度に読書してくれニャー」

 

 そう言い残し、タチバナは図書館を後にした。

 ノレッジはその忠言の通り、閉館前に借家に帰ると、遅くなる前に読みきるべく「美少女譚」の表紙を開くことにする。

 全てを読み解き終わったのは、部屋の中に灯りの影が躍る時刻となっていた。谷間にあるネコの王国は日照時間が短いとは言え、それでも数時間を要したのは、この物語の中にノレッジが感じ入る何かがあったからだ。

 固まった体を解し、ベッドに投げ出す。薄桃色の長い髪がぶわりと広がった。解れた髪に手入れを入れつつノレッジは呟く。

 

「……ザイゼン・エリさんは、何を思ってこれを書いたのでしょう?」

 

 ティガレックスがハンターである著者の救命に手を貸すという展開を経、最後にはどちらかを殺すというハンターものに「ありがち」な結末を迎えない。自然との調和を守るという教科書染みた教訓も何処吹く風ぞ。そして主人公たる美少女ハンターは何処までも泥臭く。これこそが物語「美少女譚」の特徴であり、読者諸君の心を掴んだ「味」でもある。何より「凍土美少女譚」は、名作絵本のような出来栄えのハッピーエンドから、一般読者からの反響が殊更良い。

 だがその部分にこそ、ノレッジは疑問を覚えていた。

 

「分かり合う ―― いえ。むしろこれは、人にとって都合の良すぎる結末です。そんな事が、本当に、出来る(・・・)のでしょうか」

 

 此方の挙動に歓んだ灼角の様子を、今もまだはっきりと覚えている。あの「何か」を再現し続けさえすれば、その様に分かり合う……ご都合主義の結末を迎える事も、不可能ではないのかも知れない。そう、結び付けてしまう。

 思い出すだけでも頭痛が走る、あの感覚。灼角と対峙していた最後の記憶。思考が流れ込んでくるような、在り得ない筈の確かな手応え。腹部を軽く押さえると、底に眠る狼が、内を食い破り外に出るその時を虎視眈々と狙っている様な……異物感と僅かな空腹感とが感じられた。

 

「……ヒシュ、さん」

 

 目を瞑る。無意識に救いを求めてであろう。追い続けていた狩人の影が、仄かな熱と寂しさを伴って脳裏をちらついた。自分はあの背に近付くための資格を得た。そう、考えて良いのだろうか。

 この場にも書物の中にも答えは無く。解は、今は狩場にこそ在るのだろう。

 疲れが抜けきっていないのか、それとも(なま)っているのか、いずれにせよ身体も万全ではない。明日には待ちかねた狩猟の予定もある。

 ならば考えるのは後にしよう。思考を閉ざす。いつしか夜は更け、ノレッジは眠りに落ちていた。

 

 

■□■□■□■

 

 

 空が明るさを取り戻す。歯を磨き顔を洗い、片手間に黒パンを齧りながら櫛を通すと、朝の準備は終えられる。愛用していた弩の整備が無くなって、準備に費やす工程と時間は驚くほどに減っていた。

 ノレッジはハイランドとタチバナに連れられて谷間の奥を目指した。そこに城または宮殿があるらしい。

 王国と銘打つからには、民衆を束ねる王が居る。今は西シュレイドや一部の辺境でしか見かけなくなった風習ではあるが、アイルーの王が居ると言われてみれば、何故か得心のいくものであった。

 

「―― でっかぁ」

 

 目的地に到着するなり、ノレッジは感嘆の声をあげた。ただ驚いた理由は宮殿よりも、その後ろで死して尚堂々たる姿を晒す「巨龍の骨」によるものだ。屋根の後ろから大きな頭蓋が突き出し、宮殿を行き来する人々を見下ろしている。アイルーを始めとした小柄な獣人族が多いため、その大きさは一層強調されていて。

 隣でひょいひょいと階段を登りながら、同行したハイランドが頭蓋を指差した。

 

「あれは老山龍の頭蓋。折角だから、狩猟した時に貰って来たます」

「うわ、よりにもよってハイランドさんの仕留めたラオシャンロンの頭蓋なんですか」

「王様が欲しいって言ってて、自分がこの王国を拠点にする時、これが条件だったます」

 

 距離があるため縮尺は違うが、あの頭蓋だけでもノレッジ10人は飲み込めそうだ。

 そんな頭蓋を、ハイランドは別段の執着も感じさせず頭蓋を見上げている。大きさは兎も角、その点については気になった。

 

「あの、あれを仕留めたんですよね? ハイランドさんが」

「ん」

「もうちょっとこう、誇っても良いのではないですかねー……と、わたしは思うのですが」

 

 酒場で酒をあおりつつ、自らの武勇伝を語る。ノレッジの思い描く正しいハンター像である。

 そう恐る恐る口にすると、ハイランドはやはり首を傾げた。

 

「なんで?」

「なんでって……いや、普通はそうなのかなぁと」

「その普通は、別の人の話ます。それともノレッジは、大きな獲物を仕留めたっていう自慢をするます? 例えば今なら、あかつのさまと戦って逃げ切ったんだぞーとか」

「……うーん。それと仕留めたのではまた違うというか」

 

 一般的には間違っていないはずだが、成る程。確かにノレッジが(夢想だが)ラオシャンロンを仕留めたとしても、自慢はしないに違いない。ジャンボ村で修行をしていた頃……レクサーラで修行をしていた頃。この王国を訪れる前だったら判らない。だが恐らく今のノレッジは、後味の悪さと虚無感とに苛まれて、それ所ではなくなってしまう筈だ。

 

「それより、王様に会う時間が迫ってるます」

「……あ、すいません。無用な手間を取らせてしまい」

「いい。気にしないます」

 

 本当に気にしていない。ハイランドはふいと向きを変え、王宮の中へ入った。衛兵は顔パスである。

 

「ミャー達も行くニャー。まがりなりにも王宮だからニャー、迷ったら厄介ニャー。遅れずに着いて来てニャー」

「はい。お願いします、タチバナさん」

「ニャー。良い返事だニャー」

 

 タチバナの後ろを、ノレッジは数歩下がって着いてゆく。王宮の中は数多くの獣人達が歩いており、しかし、彼等彼女等がノレッジを見る目はどこかびくびくとしたものだった。

 そんな視線が多少は気になるが、顔には出さず。そのまま最奥部に到達する。マカライトグラスに照らされた大伽藍の元に、両開きの装飾扉が鎮座している。謁見の間だ。ここまで、先行していたハイランドの姿は見当たらない。既に中に居るのだろう。随分と奔放な英雄だ。

 

「王様はこの先ニャーよ。ま、あんまし固くならなくて大丈夫だニャー」

「あ、そうなんです?」

 

 ならばと、むんと身構えていた両腕を早速と下ろす。

 

「王様は偉そうなことも言うけど、基本的に気紛れだからニャー。どっちかって言うと芯の一本通った人間が好きだニャー」

「ハイランドさんは?」

「あれは気紛れ同士で気が合うだけニャー」

 

 成る程。アイルー王に気に入られる性格をしていたのではなく、ハイランドの性格がアイルー達に近いという事なのだろう。それは、納得できる。

 それじゃあ行くニャー、という相異ない言葉と共に、タチバナは扉の取っ手をかつかつと慣らした。両扉が開いてゆく。

 豪奢な部屋だ。緋色の絨毯の左右にずらりと、騎士鎧に身を包んだアイルーとメラルーが並んでいた。段々になった階段の上、玉座に、ネコの王国が主 ―― 三毛アイルーが退屈そうに腰掛けている。しかもただの三毛ではない。三色、黒と金と銀で構成されている。黒地に煌く金と銀。見た目にも映える王族だ。

 案内を務めたタチバナが膝を着いた位置よりも一歩を踏み出し、そこでノレッジもタチバナに倣う。

 

「面をあげるにゃ」

 

 玉座の横で大きな書類挟みを抱えるアイルーの言葉に応じ、ノレッジは視線を上向かせる。玉座の左で普通に立っているハイランドが目に入り、次に、冠を斜めに冠り煌びやかな外套を纏う如何にもなアイルー王と向き合った。

 さて何を言われるものか。玉座を前にやはり身構えたノレッジを他所に、開口一番、アイルー王は口調に気紛れさを滲ませた。

 

「良くぞ来てくれた人間のハンターよお主の無事とわが国の庇護にある村を救ってくれたことに礼を言う褒美をやろう狩りにはどうぞ出ていいにゃ。……くぁぁ、そんじゃあ帰るにゃ」

「いやいやアイルー王、そういう訳にも行きませんよ……」

 

 帰ろうとした王の首根っこを、横に居た書類挟みアイルーが慣れた反応でがしりと掴んだ。

 王は既に威厳もなく、唇を尖らせて手足をばたばたと動かしている。冠と外套は玉座の上に置き去りだ。

 

「不敬~、不敬だにゃ~、宰相ぉ!」

「不敬を被っているのはお客人です。私が話すから座ってろにゃあ、王ぉ!!」

 

 取っ組み合いに成り始めた両者を、ハイランドが引き離す。王は玉座の上へ、宰相は玉座の横へ。騎士達は微動だにしなかった。良く鍛えられているらしい。

 こほんと咳を挟んで仕切りなおしたのは、玉を縄で結び付けて勝利した宰相であった。

 

「お見苦しい所をお見せして申し訳なく。……それではノレッジ殿。改めて、王に代わりまして御礼の言葉を。橙の村をお救いいただいたこと、感謝に絶えません。ありがとうございました」

「そんな。わたしはできる事をしただけで……むしろここで命を救ってもらいましたが」

「いえいえ。それだけでは足りません。王国に匿われたと知った橙の村のアイルーメラルーより、礼状と、是非とも取り立てて下さいとの旨を書き記した書状が届いています。人間ながらにそこまで慕われている以上、貴女には出来る限りのお礼をしなければと考えていました」

 

 宰相は屈託のない笑みで話す。魚竜の討伐に際して世話になったのは、むしろノレッジの側だろうと考えていたのだが。そんな風に戸惑うノレッジを、縛られ三毛アイルー王は頬杖着いて見下ろしている。思わず辺りを見回したノレッジと、真っ先に視線がぶつかる。

 

「……ふぅん? ま、ありがとだにゃ人間」

「恐縮です」

 

 短いやり取りだが、感謝の意は汲み取れた。十分に過ぎる。

 ノレッジの様子に満足げに鼻を鳴らすと、王は言葉を続けた。

 

「それじゃあ奏上するにゃ、宰相」

「はい。ノレッジ殿にはわが国から発注された討伐の依頼を優先的に受ける権利と、ネコの国の名誉騎士称号を授けます。……因みに名誉騎士なので、この国に居を定めたり土地を管理したりする必要はありません。どうぞご安心を」

「そんな面倒なことさせる訳ないからにゃ~」

 

 その言葉を最後に、王はぐでっとだれてしまう。宰相が苦笑いを浮べるが、むしろ良くもったほうなのだろう。仕方が無いと小さく呟き、ノレッジへと向き直った。

 

「ハイランド様よりお話は伺いました。今挙げさせていただいた依頼の受諾権利を使用して、ハイランド様たちと狩りに出ることが可能です。この肉球スタンプを持っていれば衛兵に咎められる事はないでしょう」

「あ、ども。ありがとうございます」

 

 掌ほどの紙を恭しく受け取り、鞄に仕舞う。これにて王宮での用事は終わりだ。あとはハイランドに続いて、肩慣らしのための依頼をこなす予定となる。

 いよいよの復帰戦だと、胸を高鳴らせたノレッジが振り返ると ―― しかし。

 

「―― 宰相殿! 急ぎの報告が……!!」

 

 扉を勢い良く開き、軽装のアイルーが謁見の間へと飛び込んできた。

 件のアイルーはお客がいることに気づくと慌てて頭を下げたが、火急の要事なのだろう。そのまま宰相に近寄り、耳元でささやき始める。宰相の顔が驚きに染まり。

 

「なんと! この時期の砂漠に、白銀の一角竜がっ……!?」

 

 思わず驚きの声をあげた。

 一角竜という単語に、ハンターたるハイランドの首がかくりと傾ぐ。

 

「宰相、出現地はどこます?」

「……この王国から北に15キロ程離れた、砂原の丘です。此方へまっすぐ向かっているそうで、そうすると、大陸北部からの主要な通商路3つを封じられてしまいます。おそらくは近日中にも、こちらへ向かっている商隊が巻き込まれてしまうでしょう。しかしハイランド様には、西側での大連続狩猟が……」

「そっちの依頼も、達成には移動を含めて2日は欲しいます」

「うーむむ……亜種とは言え相手がモノブロスでは、アイルー達を向かわせる訳にも行きませんな」

 

 ハイランドと宰相は顔を突き合わせて悩み始めた。

 ノレッジも首を捻る。一角竜・モノブロス。飛竜種に属するモンスターの名前である。体駆がやや小さく角が1本になるなどの些細な違いはあれど、つい最近まで手合わせしていた双角竜に酷似した近似種で間違いはない。強者にして脅威、純然たるモンスターである。

 しかしだとすれば、灼角を誘導撃退する程の腕を持つハイランドならば十分に相手取れる筈だ。北と東で狩猟場所の距離が離れているが、それはアイルーを向かわせるなどして時間稼ぎをしてもらえば……

 

「……あ」

 

 ……とまで考えた所で、この策の穴に思い至る。ハイランドも宰相も、ノレッジを向く。気付いたか、という同意の表情。

 

「そう、ノレッジ。モノブロスはハンター1名での狩りしか認められてないます。それはアイルー達も例外ではないます」

 

 古き慣習。ハンターが開祖 ―― ココットの英雄が成した単独での一角竜討伐に端を発する、決まり事。

 モノブロスの狩りには、ハンター1人で向かわなければならない決まりがあった。それはハンターの蛮勇振りを示す無理難題にして、英雄を生むべく訪れた試練。モノブロスの個体数が少ない故に機会が少なく、難易度は高く。だからこそ英雄の証にと挑むハンターは後を絶たない。

 しかしその様な、ある意味ではお祭りの主催となるモンスターも、今はただ間近に迫った脅威である。国は谷間にあるため、王国自体が危険に晒される可能性は少ない。しかし通商路が潰される事それ自体が大きな損害であり、商隊までもが被害に合う可能性がある。また今後の事を考えても、このまま座して過ぎ去るのを待つというのは、どうあっても避けたい事態であった。

 

「あくまで慣習なので、国が直接襲われるような事態であれば例外が適用される筈ですが、この王国に限っては立場があれな上に直接襲われる可能性自体が低い。例外の適用は望み薄でしょう。それに殆どのアイルーは、未だミナガルデのギルドではハンターとして認められておりません。自衛以外の目的で、彼等の管轄であるデデ砂漠で勝手に狩猟をしたと絡まれてしまえば、それこそ、これまで耐え忍んできたこの国に付け入る隙を与える形になってしまいます」

 

 宰相は正しくにが虫を噛み潰しているのではないかという程、青ざめていた。

 件の英雄が生まれたココット村は独立自治に近い形ではあるのだが、最も近いミナガルデのギルドが影響力を持っている。モノブロスの狩猟に関しては彼等が取り仕切っているため、慣習にも口煩い。英雄などと王国でも声高に叫ぶ事の出来る名を持つ狩猟対象には、尚更。

 大連続狩猟を予定している場所は距離が近く、其方もアイルーだけでは時間稼ぎにならない依頼。つまり、一角竜と大連続狩猟は同時に対処しなければならない案件か。

 しばし謁見の間に沈黙が響き。

 

「―― 仕方が、在りません」

 

 宰相が溜息を吐き出す。悩んだ末の結論。恐らく一角竜を後回しにして、ハイランドに出来る限りの早さで向かってもらう積りなのだろう。

 だが、その小さな口が開く前に声がかかる。玉座。

 

「―― まつにゃ宰相。おいそこの人間」

「? わたしですか」

 

 呼び止められ、ノレッジは王と見合う。玉座に座るアイルーは、先ほどまでの退屈さをひっくり返した様な、凄惨な笑みを浮べていた。

 

「お前、やれるかにゃ?」

 

 金と銀の瞳が細められ、闇夜に浮かぶ三日月を思わせた。そして三日月 ―― かの紅の王が戴く双角の冠を想起した。

 駄目だ。興味を持ってしまっている。やれるか……違う。この飢えを満たせ。違う。

 すぅっと血の気が引いてゆく。急激な空腹に襲われる。反射的に腕が、引き金を引く指が、今は無き自分の(きば)を探してぴくりと跳ねる。

 まだだ。腹に力を入れ、それ以上は留めた。あくまで瞬間的な出来事であったため衛兵に悟られる事もない。ノレッジは息を吐き出しながら、平静に努める。

 

「あの、それは、つまり……わたしに依頼を回すと?」

「まぁにゃ。一角竜の方をにゃ」

「王、ですがそれは……」

 

 宰相が止めに入るも、声に力はない。こればかりは王の意見に理が在るからだ。

 

「現実的にものを見るにゃ宰相。ミナガルデが相手である以上、わが国のアイルーメラルーでは不利に過ぎるだろにゃ」

「……野生アイルーの振りをして撃退をする策はどうでしょう」

「ほう。野生のアイルーが、組織的な動きをして、一角竜とやり合うにゃ? 不自然すぎるだろにゃ、逃げない時点で。というかそれですらミナガルデが難癖つけてもおかしかないにゃ」

 

 ここで反論はなくなった。アイルーの王は再びノレッジに向く。

 

「ああ、でもそういや、お前は紅の双角竜に負けたんだっけにゃ。あれと比べるのもどうかとは思うが、この白銀の一角竜も一応は上位個体らしいにゃ。だよにゃ宰相」

「……ですにゃあ」

「じゃあやっぱりお前じゃ無理かもにゃ」

 

 吐き捨てるような一言に、ぶわりと泡立つ肌。自分の表情が強張るのが判る。何とか抑えた衝動が再燃し、皮一枚を隔てた内側で煮え滾った。

 必死のノレッジを正面に、宰相はおろおろとうろたえながら。

 

「ノレッジ殿……無理はなさらずとも。ただでさえ病み上がりなのです」

 

 その態度を懊悩と取ったのか、宰相は気遣った言葉を向けた。だがその表情には期待が見え隠れしている。ミナガルデによる圧力によりアイルー達は相手が出来ない。その場合の頼みの綱であるハイランドが居なくては、もう一方の大連続狩猟の戦線が保てない。確かに、ハンターとして、ノレッジが引き受けるべき案件だ。理屈の上では。

 直情的に表に出すことだけは堪える。これは挑発だ。考えろ。口を開き、それでも牙を覆い隠し、言葉を思いだす。

 

「……この依頼の場合、時間稼ぎさえ出来れば失敗でも構わないですからね」

 

 この辺りが落とし所だろう。灼角から逃げ切ったという事実は、上位の一角竜を相手にノレッジが時間を稼ぐことが出来るであろう証左にもなり得る。王が言う様に討伐は出来なくとも十分だ。

 

「わたしは1人で一角竜の亜種に立ち向かった。でも、2日かけて討伐できず依頼失敗した。これでも構わないのでしょう? ……裏を返せばわたしが時間稼ぎさえ出来れば、ハイランドさんのご活躍で解決できますから。大連続狩猟を終えて駆けつけてくだされば事足りてしまいます」

 

 そのまま勢いに任せ、何とか最後までを言い切った。

 そう、「必死に繕う」ノレッジの向かいで、王は呆れた表情を浮べていた。

 

「―― お前、今の自分の顔を鏡で見てみろにゃ。ハイランドが狼とかいってるのがマジだと判るにゃ。倒す気満々の奴が言う台詞じゃあないにゃ」

 

 それでも様相を崩さない辺り、やはり王族という事なのだろう。艶のある黒毛に包まれた耳は、その無気力さを示すが如くだらりと頭の上に垂れている。

 力がふっと抜けてゆくのが判る。労せずして喉が震えた。

 

「……あはは。これでも苦しんでるんで、ちょっと今これ以上は勘弁してください」

 

 全てを飲み込んで、ノレッジは笑った。不安と期待とに無邪気に歓ぶ、ことはない。

 この日の夕方。ノレッジは一角竜の狩猟依頼へと旅立った。





 さて先ず、作中に登場させていただきました著作「美少女ハンター凍土で大奮闘です!」は、現行ユーザー名「fuki」さん著作のモンスターハンター二次創作……の、作中作となります。ノレッジが疑問に感じているのはある意味当然で、本来は、ここから大どんでん返しが仕込まれているのですよー。
 fukiさんには、この場を借りて御礼をば。使用のご許可をありがとうございました!
 作者さんごと私のお気に入りに入っていますので(作者のお気に入り機能を最近知りました(ぉぃ)、この場にて興味をもたれた方は是非ともご拝読をとお勧め出来ます。物語性が強く、しっかりと纏められた、しかして世界観の解釈に同類の匂いも感じるイキでイナセな二次創作です(旧い。それを読んでから今話を読むと、ノレッジがどれ程に道を踏み外しているのかを実感できる事かと思います。
 一応、この場にて釈明をさせていただきますと、百聞一見さんといいfukiさんといい、私がクロスまがいのことをやるのは、ある意味ではMHラノベシリーズへのオマージュでもあります。「魂を継ぐ者」では特にそれが顕著で、他からのゲスト出演者との絡みも見所となっていました。
 本作においてはあくまでパラレルに過ぎず、相手方の世界観を壊さないような役にはなりますが、それでも、こういうのはやる側が楽しいというのが大きいですね。今後も誰かしらに声がかかるかもしれませんが、その時は生暖かい視線を送りつつ対応をばしてくださると嬉しいです。あ、声掛けるのが怖くなってきましたが……(汗。
 ハイランドは私の作品には珍しくアラサーお姉さん風味であり、三十路を控えております。アラフォーじゃあなくアラサーですのでお間違いなきよう。とは言え彼女は突っ込んではくれないでしょうけれども。
 ネコの王国は創作ですが、何処かでうっすらと聞いた設定のような気もします……。この場所の存在が生かされるのは、恐らく後々。
 ではでは。次回で砂漠編を終了と成ります予定。予定は未定とはよく言ったものですね(ぉぃ


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第二十九話 かく英雄は生まれ出

 

 ノレッジは一角竜の亜種の討伐を、ハイランドは大連続狩猟を依頼として受諾した。

 各々が向かう場所は別であるが、それでも、谷を出て街路が分たれるまでは同じ道である。老山龍の甲殻や竜鱗によって作られた布鎧を身に纏うハイランドは、緩やかな登りの崖を苦も無く先行しながら、時折立ち止まっては振り向く。

 ハンターは狩人であると同時に冒険者、そして開拓者でもある。

 

「だから、自分はこの国にまで来た。砂の地の果て、大陸の秘境。砂漠っていう大地を知る為に」

 

 先達のハンターから聞いた言葉だが、何処で聞いたかはもう覚えていない。それでもノレッジの心に残ったのは確かだ。それと同じ言葉を、目の前の狩人はたどたどしい語句繋ぎで語った。

 

「ネコの王国は獣人の、亜人の国。でも人間を積極的に追い出したりしない。そこが好き。……昔、ヒシュを見ていて感じたことがある。世界は広くて、だから、もっと知れることがある。ヒシュは奇面族の生まれだったから、狩りもそうだけど、調合や毒にも詳しかった。実は自分、毒の調合とかはヒシュから教わった。弓は自然に覚えたから、そうやって誰かにものを教わるのは久しぶりだった。だから、ヒシュには替わりに、狩りを教えた」

 

 ハイランドの腰で木彫りの仮面がかたかたと揺れた。背負う単一素材の剛弓が、僅かに風に震えている。

 勾配は既に崖の域。砂漠が庭だと豪語するだけあって、彼女の移動速度は並みではない。復帰からいきなりの悪路にノレッジは息を切らしている。後を追うので精一杯だった。

 出っ張りに手をかけ、体を思い切り持ち上げる。そこで崖を登りきったらしい。谷間から顔を覗かせると、いつかノレッジが逃げ来た道と同じく、どこまでも広がる砂と礫の地平線が開けていた。

 

「……っぷはぁ」

 

 息を吸い込む。温暖期の暑さは感じるが、砂漠の中央部よりは海が近いという事もあり、命の危機を感じるほどではないと思う。それよりも優先すべきは目前。崖の端に、自分よりも小さな狩人が地平線を見つめながら立っている。ノレッジは言葉の続きを待った。暫くするとハイランドは登ってきたノレッジへと視線を戻し、再び口を開く。

 

「昔に自分がヒシュに教えたこと、貴女にも教える。―― ノレッジ・フォールは、能力を得てる。それはモンスターの心を、解する力。解して人間の枠を、広げる力。狩人として求道した最たる具現」

 

 モンスターの心を解する力。解して人間の枠を広げる力。

 すとんと落ちる言葉だった。この力は確かにモンスターによってもたらされた。そしてハンターとしての力を広げている。

 

「……本来はもっと遠回りをして得るべき力だけど、きっと、貴女には『視る才』があり過ぎた。早過ぎる開花が、貴女の体に負荷をかけている」

 

「それはその、ハイランドさんが『女狼(めのじ)』って呼んだ……」

 

「うん。ノレッジの中にある炎は、お腹を空かした狼に似ている」

 

 ノレッジが胸元に下げたお守り……白地の木片が砂地を滑る風に揺れる。

 狼に似ているというのはノレッジも同意見である。初めにこの熱を狼と形容したのはハイランドだが、獰猛さと忍耐力と執拗さを備えたこれは、野に伏せて飢餓に耐える狼そのものである。

 

「でも、形は違えど、負荷が祟っているのはヒシュも同じ。戻ったら色々と聞いてみると良い。貴女の師匠に」

 

「ハイランドさんも……ヒシュさんもですか?」

 

「うん。昔は自分が教えた。今も教えたいけど、時間がない。自分は口下手だから、貴女がネコの国に居たこの2週間足らずじゃ、教えられなかったから」

 

 ハイランドはかくりと傾ぐ。頷く。

 

「……でもせめて、大師匠として。してあげられるのは、これくらい」

 

「ノレッジさん。レイヴンからどうぞ、お受け取りくださいだニャー」

 

「……」

 

 崖の上で待ち構えていたのだろう。いつの間にかタチバナと、包みを抱えたレイヴンがノレッジの足元に立っていた。耳をピンとたてたタチバナの横。白い合羽に身を包むレイヴンの頭上に、布に包まれた1メートル超の何がしかが掲げられている。ノレッジはそれを差し出されるまま受け取る。

 

「これは?」

 

「開けてみて」

 

 促され、絹糸で織られた布を解く。

 次第に布の下から、青白い銃身(・・)が覗いた。

 

「……あ、もしかして」

 

「うん。そう」

 

 勢いそのまま、布を取り去ってしまう。

 陽光に照らされて鈍く光る銃身……は、形が大きく違っているものの。体部の手前に星を象った十字の照準。それは以前、第五管轄地で放棄した『箒星(ブルームスター)』と同様の型 ―― 重量級の弩であった。

 目に、そして心に飛び込んでくる脈動。新星を思わせる鮮烈な蒼白。生まれたばかりの、生きているかの様な瑞々しさに満ちている。

 

「これを、わたしに?」

「うん。ネコの王国で鍛冶をしている、自分の友達が作ってくれた。お金は要らない。アイルー王から、礼金の先払いだって」

「あの王様からですか」

「代金はね。あれでも責任感じてる。察してあげて」

 

 王からの礼、ハイランドからの激励。ノレッジはそう受け取った。今は重弩が失われている以上、この上ない贈り物である。

 

「ありがとうございます、ハイランドさん。タチバナさん。レイヴンさん。王様にも、お礼を言っていましたと伝えてください」

 

「ん。でも……もしかして、ノレッジ」

 

 いきなりの出来事に動じないノレッジの様子に、弩を視る面差しに、ハイランドは首を傾げた。

 

「星鉄のこと、知ってる? そんな感じがした」

 

 確かに知っている。第五管轄地を脱出するまで ―― 灼角の相手をするまではこの手に握っていた得物が、同じく星鉄で鍛えられた『箒星』であったからだ。あまり馴染みのある得物とは言い難いが。

 

「えと……多分、はいと答えられますね。わたしが偶然、星鉄を掘り出しまして。レクサーラに持ち帰ったところ、鉄爺さん達が加工をしてくれましたものを、一時期『ボーンシューター』の代役として使ってました」

 

「そう。……自分の友達は、前にレクサーラで鍛冶設計の仕事をしてた。それで製作図面やノウハウがあったのかもしれない」

 

 弩の出自についてそう話すものの、さして興味はなかった。今、興味は手元の弩に向けられている。

 抱えたまま持ち上げる。重弩……『箒星』と同型だけあって、不思議と手に馴染む心地良さは替わらない。銃身の形や、色のバランスが青白いものに変わっているなど、相違点は幾つもあるが、最も大きなものは心地良さの中に「嫌悪感」を覚えないという点であった。

 常の如く先読みをして、ハイランドは話す。

 

「前の『代役』を使った時に嫌悪感があったとしたら、それはきっと、鍛冶の相性と第五管轄地のせい。『白亜の宮』は凶星の結晶だから。砂漠に散っている星鉄は、あれに反応せざるを得ない」

 

「凶星、ですか」

「そう。空から飛来したばかりだったら別だけど、よりにもよって、あれら聖堂の周りに居た時間が長過ぎた」

 

 言って、ハイランドはひょいとノレッジに近付いた。相変わらずの小ささは、老山龍の東方鎧を纏っていても変わらない。ハイランドの目線の高さ……ノレッジ手の中にある弩を覗き込み、指差し。

 

「この星鉄は禊をしながら鍛えた。前とは違って清廉潔白のまま形になった。だからだいじょぶ。貴女の『ボーンシューター』を回収して、癖や重さは出来る限り似せてある。別の大陸の組み立て式の弩の構造を参考にして、銃握とかにも、壊れた『ボーンシューター』の端材を流用した。徹底した。強化と弾種適正の増加、それと最新の技術……しゃがみ撃ちの適応の為に、海造砲の技術を利用して、銃身は大きく変わっちゃったけど」

 

 手に馴染むこの感覚は、それら試行錯誤の結果なのだろう。だとすれば嫌悪感が無いのも頷ける。

 

「自分は詳しくないけど、友達は、星鉄は特別な素材だって言ってた。色々と無茶が利く代わりに、時間も熱も触媒も大分取られるって。……でも、ノレッジに寄せたその弩は、既に『代役』とは似て非なるもの。だから銘がある」

 

「武器の、銘……」

 

「うん。『流星(ミーティア)(スワム)』。友達がつけた。良かったら、そう、呼んであげて」

 

 最後に弩の銘を伝え、そしてノレッジの腰鞄に便箋をねじ込んで、ハイランドは離れた。鞄にねじ込まれた便箋を見ながら。

 

「これは手紙ですか?」

 

「それ、序でに、鍛冶師から。レクサーラに帰ったら、バルバロに渡してくれって」

 

「バルバロさんにですか」

 

「うん。仲、取り持ってあげて」

 

 バルバロが無事だと良いのだが、と考えつつもノレッジは素直に便箋を受け取った。ノレッジが先週書いた手紙も未だ発送されていない。行き来する郵便の数が少ないからだ。レクサーラに手紙を持参すると言うのは、納得できる。

 しかし仲を取り持つとは、つまり。考えを伸ばすその前に、ハイランドが続ける。

 

「きっと貴女なら大丈夫。……狼と仲良くね。それはあくまで、貴女の願いで生じたものだから。反目せず、気長に付き合ってあげて。それじゃあ、またいつか(・・・・・)

 

「失礼するニャー。ノレッジの健闘を祈っているニャー」

 

「……」

 

 感慨、後腐れ、余韻のどれもなく、ハイランドは走り去った。その後ろを、一礼したタチバナと無言のレイヴンが追う。

 またいつか。今が別れの時だと、ハイランドは知っているのだろうか。

 遠離に見ゆる姿に向けて、胸に手を当て、ノレッジは呟く。

 

「―― また、いつか」

 

 師はいつでも前を向いている。

 ならば彼女の弟子の弟子たるノレッジ・フォールもまた、立ち上がって見せなければなるまい。

 

 

 

 北へ向けて半日移動すると、件の猟場の端へと到達する。そこはかつてノレッジが南下した丘陵地帯であった。

 あの時は朦朧としていたものの、一度通った場所である。地形の把握にそう時間はかからない。重弩の感触を確かめながら地形の把握を済ませ、信号弾で近場を通過しようとしていた商隊に一角竜の存在を通達する。また簡易の野営地を設置するなど、準備を万端に整える時間が出来たのは幸いと言えよう。

 ネコの王国で応急の修繕を終えた魚竜の鎧を纏い直し、日が高天に昇る頃。ノレッジは高台に身を伏せ双眼鏡を覗き、討伐すべき相手の観察を行っていた。

 

「―― あれが、一角竜(モノブロス)

 

 真っ直ぐに北から南へ。岩地に映える白がのそりと姿を現し、襟巻きを振るった。そのゆったりとした動作は、辺りを探っているようにも、新たな縄張りを値踏みしているようにも感じられる。

 今狩猟の対象 ―― モノブロスは、人里離れた辺境の砂漠にのみ姿を現す孤高の竜である。こうして実際に見ても翼、尾、骨格に渡るまで全体的な容貌としては双角竜と近似している。体駆も、特級の個体である灼角と比べると確かに小さい。

 だが一角竜はやはり怪物である。額から天に突き立つ一本角。地域によって異なるが重殻と呼ばれる程に肥厚した外皮を持つ双角竜に対して、先鋭化された軽装の騎士の様な肉付き。双角竜は口の左右に牙を生やしていたが、一角竜は嘴状になっている。どちらかと言えばモノブロスの方が鳥竜の色を濃く引き継いでいるのだろうか。

 そして何より、通常のモノブロスは薄茶けた砂漠に迷彩した体色なのだが、この個体は全身を覆う白銀色が目を引いてやまない。通常の一角竜と僅かに違うこの様な種別を、ハンターズギルドでは「亜種」と呼称していた。亜種は通常種よりも遥かに個体数が少ない為、詳しくは調査が進んでいないが、食性や居住地域による差であると考えられている。

 亜種は通常種よりも環境への適応に寛容であるというのが通説である。狩場においても例外ではなく、度々通常種とは異なった行動をみせる……らしい。

 

「まぁ、どこまでも見聞ですけれどね」

 

 一角竜が再び砂へと潜る。移動は今の内だろうと、ノレッジは立ち上がった。久方振りの狩猟。新しい弩。見知らぬ獲物。どこを見渡しても刺激に溢れた光景。灼角の時は恐ろしさが勝った。その点についてはこの一角竜も同様である。

 だが今は違う。成すべき、示すべき、雄飛すべき時なのだ。

 

「ぐ、う。……狼とは反目せず……」

 

 高揚感と同時に訪れた空腹を屈んで押し込め、ノレッジは俯く。この空腹も飢えの焦りも、自分が望んでやまなかったものの1つ。飲み込み、制し、いざとなれば利用してやるくらいの気持ちでいよう。崖へと落ちる寸前。灼角に一矢を報いたあの感覚に辿り着きさえすれば、今の自分でも一角竜には届きうる。予感はあった。

 食料は全てここに置いて行こう、と決め込む。あの力を再現するため。狼と並ぶためには空腹を共有すべきなのだ。

 荷物と化した食料をその場に放り、弾丸は鞄へ。大柄な狩猟道具は野営地に放り、脚を崖の端にかける。瞑目した。

 

「……視て、取り込んで、行動の原理から……」

 

 師の動きを反芻する。14日も間近に見ていたのだ。角竜種……ブロス科の生物の情報は十分に。

 描くは強者に挑む自分。視界と思考とが一角竜で埋められ、闘志に満ちたその瞬間。

 

「―― う゛。行きましょう」

 

 自らにも牙を剥きかねない狼の喉を撫で。躊躇無く新たな一歩を踏み出し、決戦の場へと身を投じた。

 

 

■□■□■□■

 

 

 デデ砂漠の上空を一機の気球が南下してゆく。王立古生物観測隊が所有する、長距離航行が可能な気球である。

 気球を動かす人員は、実働力が必要な機関士の他は殆どが老人である。しかし誰もが衰えを感じさせず、其々が測量、火量の調節などの仕事をこなしながら忙しなく動き回っている。

 殆どというからには例外が存在する。唯一、底部の籠に腰を落とし望遠鏡を覗き込む青年が居た。

 

「何か見えたかね、クライフ」

 

「……今のところは、何も」

 

 上に座る老人の問いに、青年は無愛想に応える。暑さに耐えながら、青年は切り揃った金髪をかき回す。変わらぬ容貌。観測隊に帯同しレクサーラを立った、クライフ・シェパードである。

 老人のそうかえ、という返答を受けてクライフはまた望遠鏡を回す。悪態をつくのは止めた。第五管轄地でノレッジ・フォールと分たれたあの時に、それは自己満足でしか無いと気付かされたからだ。

 だのにクライフがこの仕事を請ける運びになったには訳がある。バルバロの報告を受けてノレッジの捜索に動き出したは良いが、父たるバルバロと、ギルドを取り仕切る隊長格のヤンフィのどちらもが怪我をして動けないのだ。第五管轄地の出来事を体験し、最低限の実力も持っている。レクサーラにおいてこの条件に当て嵌まるハンターは、クライフしかいなかった。

 改めて望遠鏡に意識を戻す。空の上の言い表せない浮遊感は気分の良いものではない。だがそれはそれとして、世界を見下ろすこの景色は格別だった。全知全能ではありえないにしろ、まるで全てを見知ったかの様な。

 クライフ属するバルバロの団は、世間的には評価を受けていた。温暖期の砂漠から帰還を果たしたのだから間違ってはいない。第五管轄地の精査という目的も達している。しかしノレッジを置いて灼角から逃げ出したという事実は、クライフの心の内に暗い影を落としていた。この点に関して言えばバルバロもヤンフィも、学術院のケビンとソフィーヤを含むその他の調査員達も同様なのだが……それすらも、この景色は忘れさせてくれるように思えたのだ。

 こうして望遠鏡を覗き始めて数日。第五管轄地を過ぎ去ってデデ砂漠をも望む頃。

 やがてぽつりと、果てなく続く砂色の景色を、貫く物が現れる。

 砂色の世を穿ち浮かび上がったのは ―― 相反する白銀。

 頭上に一角を携え、砂煙を後ろ背に、凄まじいまでの速度で地面を走り抜ける巨大な生物。

 距離があるため身を竦ませたのは僅か。それが一角竜であると気付くまでに時間は掛からなかった。ハンターであるクライフの利点といえよう。続いて、頭上の老人がその存在に気が付いた。

 

「あれは、一角竜の亜種ではないか!? かっ、観測班っ! 観測班を呼べいっ」

 

 細くも通る老人の声に応じ、観測班が次々と南側に殺到する。彼らは光学機器を覗き込んでは手元を忙しなく動かし始めた。

 観測隊のこういった所が、クライフの性分とは反りが合わない。彼らは職務に忠実である。例え観測下で人が死のうがハンターが危険だろうが、記録の安全が保障……この場合は一角竜の討伐または遠方への移動が確認されない限り、空から降りることはない。ひたすらに記録に残し、ドンドルマへと持ち帰って編纂するのが仕事だからだ。そしてそれは、間違った判断ではない。情報は人間にとって唯一最大の武器である。

 ただ、今は自分もその一員だ。唇を噛みながらも、クライフは人山の隙間から辛うじて地面を見やる。

 

「誰かが正面に立っています!!」

 

「あれは……!?」

 

「少女……ハンターか?」

 

 想像は出来ていた。一角竜に挑む敵がいるのだろうと。

 一角竜が猛進する前方にぽつりと構えたその少女は、闘志に満ちた表情を浮べていた。闘志だけではない。理知的でいて野生的。一角竜に比肩する気迫でもって、弩を構え立ち塞ぐ。

 薄桃色の髪。王立古生物書士隊の三等書士官。ノレッジ・フォール。それが彼女を指す、言葉である。

 

「―― 」

 

 距離がある。仔細は汲み取れない。ただ、唇が動いたように見えた。何事かを……恐らくは攻勢の機です、と……そらんじて、彼女は右に身を躱した。

 白銀に光り輝く一角竜の衝突が、少女の背後にあった岩を砕く。視界を奪ったその隙に食らい付き、少女は脇に抱えた青白い弩から弾丸を撃ち込んでゆく。

 背甲に当たった一発が火柱を上げた。「爆撃弾」。彼女が切り札とする高威力の弾丸である。

 激突の隙を突かれ、一角竜が地面を横転する。尚も余力は十分に、横転を経てすぐさま二脚で立ち上がる。警戒を顕にしている。

 そして、鳴いた。咆えた。咆哮が天地を包み纏めて揺らした。

 闘争を始めて時間が経過しているのだろう。銀色の兜に覆われた隙間から見える髪は土気色に。魚竜の鎧も修繕を経てか襤褸布であり、防具としての機能をぎりぎりで有している状態だった。それは一角竜も同様で、騎士を思わせる白銀の鎧のそこかしこに小さな流血が見て取れる。

 咆哮から首を戻すと、一角竜の首元に開いた襟巻きに、怒張した血管が赤い紋様として浮かび上がる。一角竜が激昂した証である。未だびりびりと震える空気の中で、力感もなく、ノレッジは重弩をゆらりと持ち上げる。

 交錯する。一角竜は弾丸を受け、ノレッジは最低限の動作で難を逃れた。そしてまた距離が離れてゆく。

 ノレッジは明らかに立ち回りが上達していた。地形や目くらましを利用して、一角竜が「突いては退く」戦法を取らざるを得ない距離 ―― しかしながら弩の射程距離を保ってみせるのである。一角竜が一撃を放つ代わりに、ノレッジは幾重もの攻撃を仕掛ける機会を得る。弩の特性を生かしきった戦術。その複雑な位置取りを、単独で行っていた。ただの歩法では在り得ない。一角竜の内心をも心得ているのだろうと思える程に。

 

「まただっ!」

 

「……おおっ」

 

 体力が無いのか怪我を負っているのか定かではないが、ノレッジは1度に1回までしか跳躍を行わない。あとは必ず息を整える時間を挟んでいる。一角竜の巨躯が生み出す攻撃範囲は広い。だのに何故、自らをその様な状況に追い込んで戦っているのだろうか。見ている側からすれば、そこがまた興味をそそる。寸前で躱しては反撃を叩き込むという攻防は、必死の様相とは裏腹に、意図しない華麗さをも演出していた。

 

「なんと……」

 

 少女と一角竜の攻防に、観測班を取り仕切る老人が嘆息する。無理もない。ともすれば芸術に等しい綱渡りを彼女は成し遂げ、続けている。一角竜の突撃には焦りが覗き、相対する少女は泥臭く食らい付きながらも冷静。あの灼角から逃げ延びたのだ。五体満足な今、冷静でいられるのは当然と言えよう。

 

「―― アイツは」

 

 クライフが呟く。彼女はまだ、生きていた。彼女はまだ、ハンターで在った。素直に嬉しい。

 だがそれだけではない。彼女は死地を生き延びて、その先へ。二の足を踏む自分よりも遥かに先へと歩を進めたのだ。

 嫉妬のままに呟いて、その後に言葉は続かない。観測班の歓声だけが、気球の内に木霊する。

 

「……やったか!?」

 

 何度目かの交錯。ノレッジの鎧が、返り血に塗れていた。観測班の言葉に、クライフは脳内でまだだろうと反論を挟む。一角竜の足取りに濁りは無いのだ。だが明らかな流血があったという事は、白銀の外殻を撃ち貫いたという事でもある。決着が近いのは間違いない。

 血が流れてゆく。背甲の付け根からだ。一角竜は明らかに背を庇い、それでも誇りのまま、直に突進を嗾けた。今までよりも早い動きに、ノレッジは僅かに反応が遅れる。

 しかし次の瞬間、その姿は掻き消えた。

 

「おおっ!?」

 

「どうなってる!?」

 

 角竜がその場を動こうとしない。乗組員が目を凝らす。直前まで狙いを定めていたためか、激突した一角竜の角が岩場に食い込んでいた。慌てて引き抜こうとするも、膨大な膂力の後押しを得て奥深くまで食い込んだ角は、簡単には動かない。

 脚で岩場を押しやりながら、ぐいぐいと力を込めて後退を試みる一角竜。

 そして白銀の鎧の顎が、爆発音(・・・)を伴って浮き上がる。

 

「なんだ!」

 

「おい、角、折れてるぞ!」

 

 観測員が指差し叫ぶ。岩場に刺さったまま。長く鋭い銀角が、身体から折り離され、陽光に真白く煌いていた。

 それはかつてココットの英雄が帯びていた英雄の剣(ヒーローブレイド)の様に。

 あたかも新たな英雄の誕生を歓迎しているかの様に。

 

「―― 狙い通り、かの?」

 

 観測隊の長がふむと唸る。暫くして、ノレッジが一角竜の下から這い出してくる。狙い通り。観測は空から行っているため仔細は判らないにせよ、今の攻防がノレッジの策であったのは間違いない。

 攻められる側から一転、戦況は逆転した。ふらふらとよろめきながら後退する白銀の身体をすぐさま、腰に構えた青白い重弩の照準が這う。身を低く腰を入れ ―― しゃがみ撃ち。

 瞬く。立て続けに爆発。「徹甲榴弾」の爆発によって生まれた白光の雨が頭蓋を揺さぶり、一角竜を追い詰める。

 黒煙が晴れた時、一角竜の左顔面は惨状と化していた。角は既に無く、瞼は焼け爛れ、襟巻きに穴が開いている。強烈な爆撃の集中放火によって、白銀の顔を覆う堅殻が削げ落ちたのだ。あれだけの距離で対面しながら足を止め、一切のブレを見せなかったノレッジの胆力と射撃の腕も驚嘆に値する。

 

 荒ぶる怒りに身を任せ、残る命を注ぎ込んで、手負いの一角竜が叫ぶ。

 相対するノレッジもが遠吠えで返したように、クライフには思えた。

 

 そして、決着の時は訪れる。

 激しい衝突。正射必中。弾道を光が奔る。

 先によろめいたのは、一角竜であった。

 

 放たれた弾丸。交錯の瞬間、一角竜の推進力をも利用して、焼け爛れ肉の露出した左顔面から頭蓋までを貫き通していた。

 幾らモンスターだとて正中から頭を射抜かれて無事でいられる筈も無い。口から断末魔の咆哮と血の雨とを吐き出し、それでも最後までノレッジに圧し掛かる様な前のめりに、一角竜は息絶えた。ずしんという音が最期、砂地の岩場にもの寂しく反響した。

 砂漠に静寂が立ち戻る。偉業を成し遂げた少女は、間近に倒れた竜の傍に立ち竦んでいた。

 観測隊の老人が言った。彼女こそ次代の英雄。中天に耀く「天狼」であると。

 上位モノブロスの討伐。それも10代でとなると、その数は一際目減りする。ノレッジの様に16歳での討伐は、最年少記録に近い筈だ。気球は彼女を拾い上げるべく、また彼女から話を聞くべく、高度を下げて行った。

 レクサーラを出立した観測隊がノレッジ・フォール生存の報に湧き、白銀の一角竜の討伐で喜色に染まる中。当の主人公は彼らの輪から踏み外した位置に居た。

 

「判り、ました。……ヒシュ、さん。狩人としての、アナタは、こんな場所に。……居たんですね。こんな…………場所、に」

 

 流れた雫はすぐさま乾いた。正面には亡骸。気づいた者は居ない。

 奇しくもそれは、仮面の狩人の後塵を拝し、(なぞら)えた故の涙であった。

 

 

□■□■□■□

 

 

 ノレッジを回収した気球は、砂漠を越えてレクサーラの港へと降り立った。

 伝書鳥を通じて情報を先行させていたからであろう。港の離着陸場には大山の人だかりが出来上がっていた。その中でも、ノレッジ・フォール生存の報せを聞き真っ先に駆けつけたのは、受付嬢達であった。気球の横で荷を降ろしていると、受付嬢の妹がノレッジ目掛けて抱きついた。

 

「~っ、ノレッジぃ!」

 

「ルーさん、ご心配をお掛けしまして申し訳ありませんでした。リーさんも」

 

 涙を流す妹の背を撫でていると、少し離れた場所で姉が笑う。

 

「いえいえ~。こうして貴女が無事に帰還できたこと、とても嬉しく思います。……心配はしましたけれどね?」

 

「あー……何かもう、すいませんとしか」

 

 当然だが、どうにも心配をかけたようだ。友人等に心配をかけた事については、誠心誠意謝る他に手段はあるまい。

 その後もノレッジの元を、次々と知り合いのハンター達が訪れる。ある者は気遣う言葉を。ある者は激励を。そしてある者は、一角竜亜種の討伐への賛辞を口々に話した。

 山の様に集った人々の後ろに、一際大きな体駆が覗く。こちらへと近寄ってくる。彼の前には、自然と道が開けた。

 

「―― どうやら無事であるな、ノレッジ・フォール」

 

「この通りです、バルバロさん。というかバルバロさんの方こそ、無事で何よりです」

 

 差し出されたバルバロの大きな手を、ノレッジは握り返す。

 無事だった。第五管轄地で最も手負いだったのはバルバロである。その彼がこうして命を繋いでいる。それが嬉しい。第五管轄地での激闘からひと月程が経過して、バルバロは未だ包帯に巻かれているような状態ではあったが、歩くのにも握手をするのにも問題はないらしい。

 その息子たるクライフとは、気球に搭乗した際に顔を合わせ、ヤンフィは怪我を負ったものの命に別状は無いという会話を交わしたきりだ。この場からも早々に姿を眩ましている。だが、息子は兎も角バルバロにはこれを届けねばなるまい。妹受付嬢のリーに抱きつかれたまま、ノレッジは自分の鞄を探り、便箋を差し出した。

 

「バルバロさん、これを」

 

「……! これはもしや、我が輩の妻から……」

 

「お手紙だそうです。私が怪我を治すまでの間お世話になった場所で、ハイランドという方から受け取りました」

 

「そうか。あの、ハイランドからであるか。……ウム。重ねてすまないな、ノレッジ・フォール」

 

 バルバロは素直に、しかし巨体からは想像できないおっかなびっくりな様子で手紙を懐へと差し入れた

 

「ごほん。……ノレッジよ」

 

 咳を挟み、バルバロは改めて面を上げた。ノレッジも背筋を伸ばして向き直る。労うと共に推し量る視線が、此方を見下ろしている。

 

「良くぞ生きて戻ってくれたのである。礼を言おう。あの灼角から逃げ切り、一角竜の亜種の討伐をも成し遂げるとは……ハンターとして見違えたのである。―― だが、大切なものを無くしては居ないか?」

 

 無くしては居ないか、というその言葉。バルバロは知っているのだ。今も腹の底で疼く、この力の事を。

 ここで酒場を見回せば、伽藍の横、大運河を見下ろす窓際、入口の脇。同じ様にノレッジを見やるハンター達が幾人か存在して居た。彼等は恐らく、先達。誰しもがノレッジを興味深そうに眺めているのが肌で判る。バルバロは、彼等彼女等を代表して尋ねているのだ。

 ならばやはり、隠していても仕方が無い。ノレッジは正直に名乗り出る事にする。

 

「それは大丈夫です。何とか、ですけれどね。……その、これのお陰でして」

 

「ウム? それは」

 

「お守りです。わたしの師匠から頂きました。暗闇の中、これが放つ灯りが輪郭を保ってくれたんです。お陰でわたしは、底に渦巻くあの光達を見ることが出来ました」

 

 木片のお守りをぎゅっと握り締め、感慨を込めて言うと、バルバロの表情が変わる。驚きのそれだ。

 

「底にまで、到達し得たのであるか」

 

「? あの、はい」

 

「そうか。……」

 

 何かを悩む素振。しかし直ぐに装いを直し。

 

「ウム。だがお前は帰ってきた。その点については間違いなく、喜ばしいのである」

 

 それは苦さを飲み込んで向けられた笑顔なのだと、察する事が出来た。

 レクサーラの人々に迎えられ、こうしてバルバロが元気な様を見ることが叶い、実感する。自分は彼らを救うことができたのだ。暖かいこの場へ、生きて戻ることが出来たのだ。

 諸々を詰め込んだ喜色を含ませ、ノレッジは全霊を込めた声を返す。

 少女の言葉によって、集まっていた人々が次第に笑みを帯び。

 レクサーラは、再びの歓声に沸く。

 

 

 

 レクサーラの集会酒場では、ノレッジの帰還および一角竜亜種討伐を祝した宴会が開かれた。

 ノレッジ自身、英雄などという言葉とはかけ離れた生活を送っていたためか、賛辞を向けられても困るもの。だがそれら話題を無碍にするのも気が引け、挨拶に来た上役の方々にまでも曖昧な答えばかりを返す羽目になってしまった。

 以前からレクサーラに貢献していたため上役への顔通りが良く、先の金冠大ガノトトスの狩猟もある。そこへ一角竜の単独討伐が止めと成ったのだろう。ノレッジには特例として「3つ星」ハンターへの飛び級が言い渡されていた。しかも3つ星ですら前渡しであり、上位ハンター……4つ星への昇進も検討中であるという。

 上位のハンターともなれば活動範囲は一気に拡大する。社会的な地位を確立したと言っても過言ではない。今は実力だけでなくギルドへの貢献度が大きく反映されるとは言え、実際の上位ハンターの大半は、ドンドルマやミナガルデに居を定める実力者ばかり。ジャンボ村などという辺境の居付きハンターが上位の資格を得るのは、例外中の例外と言えた。そんな例外を許したのは、やはりモノブロスという名のある飛竜を討伐成し得たという点に尽きるのだろう。

 流石に上位への昇格には検討が必要であると判断されての保留だが、大事になったそれら事態に、少女は「あまりついていけそうに無いな」という他人事な感想を洩らしていたりする。

 

「ノレッジぃ、飲んでる~?」

 

 暫くして、挨拶に疲れたノレッジが高台に避難していると、怪しい様子のルーが階段を登ってきていた。呂律の回っていない彼女の言葉に、ノレッジは手に持ったホピ酒の樽杯を掲げて。

 

「もっちろん、そこそこ飲んでますよ?」

 

「え~、まだまだ元気じゃない~。もっともっと~ぉ」

 

「おおっと、絡みますねー」

 

 酔っ払いながら持たれかかって来たリーに苦笑を返し、足つきが怪しい彼女を近場の椅子に座らせる。

 宴も(たけなわ)。止まない挨拶に晒されていたため、かなり控えてはいたものの、ノレッジも実際に酔ってはいた。ただ保存の利く飲み物の代表として酒に弱い覚えも無いため、ルーの様に、前後不覚にまで陥ることが無いと言うだけである。

 ルーは褐色の肌を赤に染めている。その良く判らない言葉に相槌をうちながら酒気に満ちた酒場を見渡していると、彼女の姉たるリーも此方へと近づいて来た。手に持っているのは果実酒だ。ホピ酒から持ち替えて、樽杯に注がれたタンジアビールを持つノレッジやルーと違い、彼女は場を弁えて行動しているらしかった。

 

「飲んでいますかぁ?」

 

「そこそこには」

 

「そこそこですかぁ。まぁ祝宴の主役であるノレッジはどこへでもひっぱりだこで、オチオチ飲んでもいられなかったですよねー」

 

「あはは。今度は伝わったみたいで何より」

 

 隣に並ぶと、リーは果実酒の杯を一息で空にして見せた。妹と違って酒に弱くは無いようだ。机にうつぶせた妹の頭を撫で、彼女がどれだけノレッジを心配していたのかを語ってから、リーは本命へと話題を移す。

 

「ノレッジは、これからどうするんですかぁ?」

 

「いずれはジャンボ村に帰りますね。わたしのやりたい事が待っていますから」

 

 間をおかず、そこだけははっきりと答えた。あそこは今、少女にとって帰るべき場所である。迷い無いその言葉に「いずれは」という語句が付く理由は、レクサーラの居心地の良さと、もう1つ。

 

「つい先ほど、書士隊の上司……ドンドルマに居るダレン隊長から手紙が届きました。帰ってやるべきその用事に、あと2ヶ月くらいは猶予期間が設けられたそうなんです。出来れば此方でぎりぎりまで修行を、と思いまして。これも先ほど、バルバロさんを通して許可をいただきました所です」

 

 2ヶ月。未知(アンノウン)との決戦までに設けられた最期の修行期間だった。ダレンはドンドルマで新たな体術を。ノレッジはレクサーラで「この力」の鍛錬を。ヒシュはジャンボ村で武器と防具の備えを。

 2ヵ月後に集まったとして、依頼の達成期限までには更にひと月ほどの猶予がある。3人とネコの足並みを揃えるための調整期間を含めているのだ。この力に集中して特訓できるのは、レクサーラに居る間が限度となる。

 同時に、ネコの王国からの手紙も届いていた。自分の書いた手紙は結局、遅れたために自分で処分。しかし中にはハイランドからの手紙などもあり、大連続狩猟を終えてネコの王国が無事であった旨が簡素に書かれていたものだ。

 リーはノレッジのまだここに居るという言葉を聴き、綻ぶ。

 

「本当ですか? ノレッジさんが残ってくれるのは嬉しいですね。温暖期だとは言え、レクサーラは砂漠の最前線としていつも忙しくしていますからー。……あ、ハンターとしての力量だけでなく、友人としても、残ってくれるのは嬉しいですからね? そこは間違えないでくださいー」

 

「あははは。大丈夫です、判ってます。判ってますよ」

 

「……本当ですか~?」

 

 褐色の頬を膨らませる友人に、何度も念を押してみせる。次第に笑いにまで変わった頃、やっとの事で機嫌を直した友人は、ならばと暦を指差した。

 

「滞在期間が2ヵ月となると、この温暖期の終盤までですねー」

 

「はい。武器はありますが、あの通り。ガレオスの鎧は今回の遠征でぼろぼろになってしまいました。2ヶ月かけて装備も作り直しますよ」

 

「それはそれはぁ、鉄爺さんが喜ぶでしょうね?」

 

 リーはそうやって面白そうに言い含む。

 少女の新たな武器(きば)となった『流星(ミーティア)(スワム)』は今、工房に預けてある。鉄爺を解説役に、職人達がその機構を学んでいるのだそうだ。

 ハイランドは『流星雨』に異国の技術を流用したと言っていた。銃身(フレーム)体部(バレル)銃握および弾倉(ストック)という部品から成り、各部の着脱交換が可能なその構造は、「初めから一式ありき」が常識であるドンドルマ周辺の技術屋にしてみれば珍しいのだそうだ。いずれにせよ中折れ式の重弩には変わらない以上、使う側にしてみれば、どうせ分解するなら似た様なものなのだが。

 

「とはいえ鎧はあれだけ派手に壊してしまったので、鉄爺さんには怒られるかも知れませんね……」

 

「手入れをしている暇もなかったんでしょう? そこは鉄爺さんも判っていると思いますよ」

 

「ですかねー」

 

 多分に願望を込めて、ノレッジは溜息を吐き出した。本当は怒られるか否かではなく、あれだけ大事にしていた鎧を一ヶ月かそこらで駄目にしてしまった事を気にしているのだ。ハンターという職業に傷はつき物。命には代えられない。仕方の無い事ではあるのだが、だからといって苦労して作り上げた装備品がふいになってしまうと、落ち込む他無い。

 暗くなった雰囲気を察してか、リーは新たに酒を注文してから話題を変える。笑みを湛え。

 

「先ほどノレッジは、やりたいことが待っていると仰いましたよね」

 

「? はい、そうですが」

 

 ノレッジとルーが同年だということは、その姉であるリーは年上の筈だ。1つか2つか、或いはそれ以上。

 ただ、今はそれら年齢とは関係なく、リーの瞳に艶やかな光が宿っているように感じられる。

 

「いつも貴女から聞いていて思ったんですよ。やるべき事が待っている。それは、本当でしょうねー。楽しみにしているというのも伝わってきます」

 

 やるべき事とは勿論、未知(アンノウン)の討伐である。仮面の狩人……ヒシュによって示されたそれを、今は彼女も目標として掲げている。砂漠での修行もその一端だ。

 しかしリーの言葉は、そんな狩猟に染まるノレッジの、僅かに開いた思考の隙間を突き崩した。

 

「ですがきっと、それだけじゃあなく。……ジャンボ村には貴女の帰りを待っていて、喜んでくれる人だって、居る筈ですよー」

 

 まさに不意打ち。頭が真っ白になる。

 村でノレッジの帰りを待つ、喜ぶ人。そう言われて真っ先に思い浮ぶのは、今もジャンボ村で淡々と依頼をこなしているであろう ―― 灼角に追われ命の危機にある極限の状況ですら追い続けた、あの背。

 待ってくれている。喜んでくれる。本当にそうか。考えなかった訳ではないが、どうにも無頓着が過ぎる人なのだ。期待も勝算も薄い。何に勝つつもりなのかは、判らないものの。

 

「……。……あー、そうだと、良いんですけど」

 

「ふふふ、ですよね~」

 

 酒を置き、投げっぱなしに言い繕う。リーから顔を逸らしジャンボ村のある方角を見上げながら、ノレッジは掌で顔を仰いだ。

 やや冷たい夜風が気持ち良い。これも酒のせいなのだろう。若くして次代の英雄と呼ばれる羽目になった少女は、そう結論付ける事にした。

 






・気炎
 本作「閃耀の頂」ではモンハンシリーズでお馴染みの「スキル」を要素として取り込んでみている次第です。フロンティアのものにはなりますがノレッジの発現した「飢狼」も現存するスキルの1つ。特定条件下で……飢狼の場合はスタミナ限界値最低の際に発動し、攻撃関連のスキルが複数掛かる……発動するスキルとなります。

・ノレッジのへヴィボウガン
 見た目は「ブルームスター」は「メテオリト」→「ミーティア」の順に強化できるボウガンです。ですけれど、そこから「流星雨」には成りませんので、オリジナルとなりますね悪しからず。ボウガンの組み換えの要素は3より。多分、「流星雨」と読んで欲しければミーティア・シャワーである筈ですね。正しくは(というか良く聞く発音は)流星群と書いて「メテオスウォーム」。

・一角竜の討伐
 作中でも何度か描いていますが、ココットの英雄……双剣使いの竜人ハンターというのがハンターという職業を確立した人であり、その人が作った伝説的な功績の1つが「一角竜モノブロスの単独討伐」となります。大全によるとこのココットの英雄は、7日7晩もの激闘の末に討伐をしたとありますが、それは初期も初期の話。今では道具も発達しているので、そこまでの時間は掛からないでしょうと愚考しまして。前話より、理由がある場合はモノブロスのソロが「強制」ではないというのは今作の独自設定です。ゲームでは所謂「村クエ」専用の相手となっていますね。炎のお妃様なんかと同様の扱いです。とは言え集落の命運が掛かる場合にでも強要していては仕様がないでしょう。一応、王国側からの圧力が掛かっていることに設定をばしておきました。


2020/03/21 行間と誤字修正。


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第三十話 交叉路

 寒冷期、繁殖期、温暖期。

 これはジャンボ村やドンドルマの街を基準とした三季だが、大陸全体にもこれら時節は概ね一貫して存在している。

 気圧の配置換えによって生じた雨季により植物が生い茂る。繁殖期によって増えた草食動物が植物を食み、肉食動物が動きを活発にする。温暖期から寒冷気にかけて活動は緩やかに減退し、繁殖期に向けた次代の生育が行われるのである。

 

 流れ行く季節に、大局も、ゆっくりとだが確実に動いていた。

 

 ドンドルマは《根を張る澪脈》の団長らを秘密裏に先遣し、「未知(アンノウン)」の調査を行った。副隊長であるモービンが帰還し、ギルドに報告書をあげている。それら情報は学術院と書士隊が合同して集約される事となった。ハンター達はいつもの通り毎日の様に狩猟に遠征しながらも、潜む脅威を肌で感じていた。テロス密林が5割を占める大陸の東側は何処へ行っても森や山がざわついている ―― とは、ドンドルマを拠点とする筆頭ハンターの談である。

 

 忙しなく動き続けるドンドルマに対して、ミナガルデは空恐ろしい程の沈黙を保ち続けていた。ミナガルデ卿の言葉にある通り《廻る炎》からは応援のハンターも派遣された。彼らは「未知」によってかき乱された生物達の討伐及び調査の護衛に借り出され、その職務を忠実にこなしてくれている。少なくとも彼らに含むところは無い様子であった。

 

 中立に在る火の国は、ラティオ活火山とモンスターが活発になる最盛期を経てようやくと落ち着いた頃合。ドンドルマからの協力要請にも応えられる時分となり、少しずつではあるがハンターの派遣を始めてくれた。火の国はハンター達にとっても最前線である。ラティオ活火山とは、膨大な地熱に耐えうる所かそれすらも自らのエネルギーとする様な怪物ばかりが集まる場所であるからだ。その様な場においてハンターという職業を担う者は当然、実力者ばかり。彼らの助力を得ることが出来るのは大きな援護でもある。

 

 未だ開拓中 ―― 発展途上に有る街メゼポルタは、季節を問わず猟繁期であるため、依然として大量に移動した生物等への対処に追われていた。季節はずれの狩人祭を開催して駐在するハンターらの意欲を煽り、後手後手ながらも影響を最小限に抑える事に成功している。

 

 そうして。

 大陸の東……密林の高地を中心とした一連の事態は、周囲を巻き込みながらも、人々の尽力によって、僅かずつ沈静化に向けて動き始めている。

 政務の努力もあって地勢は整い、周囲の生物および人々らの混乱は一応の収束を見せ。

 残すは、元凶の討伐を待つばかり。

 

 

 

 そして2ヶ月ほどの時が流れ。

 遂に、温暖期が終わりを迎えようとしていた。

 

 

 

 季節を問わず熱と湿気に包まれたテロス密林。

 時々雄叫びを上げながらつかず離れずの位置を走る影が3つ、夜雨を避けた洞窟を横切った。ランポスによる縄張りの巡回であった。

 

「ギァ、ギァ!」

 

 ランポスは忙しなく目を動かし周囲を確認するが、敵の姿は見当たらない。見当たらなくても走らなくてはならないのが下っ端である。この洞窟がランポスの縄張りになってからはケルビ達も姿を消してしまったため、おこぼれに預かる事も無い。彼らは事務的に周囲を確認しながら、また走り出す。

 べちょり、という粘質な音が小さく耳に届く。先頭を走っていたランポスが立ち止まって辺りを見回す。周囲に敵影はない。ここは湿密林。雨音には事欠かない。後ろにいた1匹と顔を見合わせ、雄叫びを交わしてから再び走りだす。

 べちょり。次に音が聞こえた時、先頭を走るランポスは気付いた。巡回を行っていた分隊が、既に自分しかいない事に。

 頭上に、白影が迫っている事に。

 

 無音からの破砕。電が洞窟を奔る。

 

 ランポスが地に伏せる。雷撃を受けたのだと気付く間もなく、意識は失われていた。

 鋸歯を揃えた口が下へと向けてずるりと伸び、地面に倒れ臥すランポスを丸呑みにする。鳴き声は終に聞こえなかった。

 洞窟に静寂が満ちる。天井に溜まった白の影は動かない。白い影の喉元が走竜の形に浮かび上がり、膨らみは、胴部へとゆっくり移動してゆく。肉の塊は養分になるのを待つのみとなった。

 胴部で消化するため、白い影が地上に降り立ち ―― 瞬間。

 

「居た。やっと見つけた……最後、フルフル」

「了解しました。遊撃、開始します!」

 

 洞窟の岩肌を蹴り、闇に融ける紫の皮鎧 ―― 狩人が高所から飛び降りた。

 岩盤を踏みしめバネの様に縮こまり、反動、湿っぽい風を切り、伸び上がる様に突貫する。黒狼鳥を象った覆仮面の嘴がかたかたと揺れ、刃物を二振り抜き放った。

 白い影 ―― フルフルは無音を背景にその首を伸ばしては、辺りを探るような気配を見せる。寸胴な体駆。肌は艶やかなアルビノの白色に染まり、尾は短く、翼は申し訳程度に体の両脇。この飛竜の何よりの特徴は、頭と目される部位……口の有る部分に、本来あるべき目や耳や鼻といった感覚器官が見当たらない点であろう。

 熱か、音か、はたまた音波の反響などを利用しているのか。王立学術院が熱心に研究に取り組んではいるが、フルフルが獲物や障害物を察知する為の器官は未だ解明されていない。

 とはいえ。フルフルは個体数こそ少ないが、湿気を含む奥地へと足を踏み入れた場合はその存在を危惧しなければならない、確かに見かける飛竜でもある。その種は幼生体である「フルフルベビー」の環境適応能力の高さにある。そのためクルプティオスやジォ・テラードなどといった湿地帯からポッケの山々……大陸の西から東まで、実に広い生息域を持っている。そんな生物にいくら不明瞭な部分があろうと、ハンターとして狩りに赴かねばならない事例は枚挙に暇がない。

 だが今回の狩猟はそう言った強制力のあるものではなく、ヒシュ達の側から申し出た物。フルフル種が体内に持つ発電機関 ―― 「雷袋」は特異に希少な素材で、入手に動いていた理由でも有る。この飛竜がジャンボ村周辺の洞窟に出現したと聞いたヒシュとネコが、これを逃す道理は無かった。

 

「フォ、フォ」

 

 吐息。首をもたげていたフルフルが近付く敵対物の存在を察知する。

 盲目の竜は確かに狩人らへと振り向き、口元を高く上げ、鳴いた。荒々しい轟音ではない。身を突く針の咆哮。音の波は洞窟内を揺らしフルフルの存在と戦意とを知らしめる。

 

「竜盤目、獣脚亜目、稀白竜上科……!」

 

 呟き、咆哮の最中にある獲物へ。ヒシュは体重を全て乗せ、手斧『トルネードトマホーク』の片割れを小さく振り放った。

 扇型の刃が胴に食い込むが、芯まで通る前に弾性に阻まれる。逆手の骨製湾曲刀『ククリブレイド』も叩きつけて、やはり結果は同様。

 狩人が感触を経験に重ね反芻していると、フルフルの身体が青白い光を帯びた。尾が降りていたのを横目に確認し、飛び退る。

 開いた脚。腹が着く程に身体を低く。尾が吸盤上に広がり、地面に張り付く。フルフルを中心として紫電が渦を巻いた。

 終わらない。今度は雷が指向性を持ち、その矛先は離れた仮面の狩人へと向けられる。

 雷撃は見えない部分にも影響を及ぼすため余分に距離を取って躱す。弧を描き、放電の後ゆったりと開いていた二脚を戻す間を、再度の接近で脅かす。

 今度は近接戦に応じた。無数の血管が透ける腹を目掛けた手斧は翼で阻まれ、腰を捻って放たれた次の湾刀を大腿で受け止められ、背後を取ったネコの刺突は硬質化した尾で弾かれる。反撃と、フルフルの首が辺りを薙ぎ払った。

 

「フォォッ!」

「む、ぐっ!」

 

 鞭の一撃を右腕に着けた楯で受け流し、勢いは飛び退いて殺す。ゴム質の円楯がびぃぃんと小さく揺れていた。右腕にも痺れが残っている。電撃ばかりではなく、全身を使った伸縮自在の打撃も決して侮れるものではない。

 移動場所へ先んじ、ネコが呟く。

 

「若く強い個体ですね」

「うん ―― 」

 

 フルフルは洞窟の奥深くに潜み……湿気の在る洞窟であれば気候に関係なく生息域を広げる事が出来る。生息域の獲物の状態によって体駆にばらつきが出るため、体高でだけで一概に年齢を読み取ることは出来なかった。

 ただ、その代りの基準が存在する。老成の度合いは首元の下垂の程度によって判断するのだ。伸縮自在の首元は年を重ねる毎に垂れ下がり、最後には首が伸縮しなくなって老衰を迎える。

 その点この個体の首は下垂なく、放電も伸縮もふんだんに使いこなしている。手斧を阻んだ肌の厚みも個体上位のフルフルのそれである。ネコの言葉にある通り若く強い個体と判断できた。同じく外皮が柔らかいゲリョスと比べて違うのは、弾力に厚みが加わりブヨブヨとしている点だ。これは首や尾を伸ばす為の余剰分であり、どちらかと言えば「新大陸」の垂皮竜や水獣ロアルドロスの十分に水を含んでいる際の海綿組織に近い……と、思考の隅に留めて置き。

 

「皮、弾力ある。手斧みたいに叩くのは効き辛い。なら ―― 引いて割く。突いて裂く」

 

 狩人は手斧と湾刀を手放し、攻防の間にネコが放っていた袋から新たな得物を抜き出した。

 背の有る刀身。近年狩人が新たに武器として担ぎ始めたような大太刀ではない。しかし軟鉄と外鋼の二層によって編まれた構造はそのままに ―― 飛竜の持つ発熱機構を搭載した『飛竜刀』。東方伝来の太刀を、片手でも持つことが出来るように縮小したものだ。

 『飛竜刀』は一介の業物に留まらない特殊な武器である。空気に触れると発火する火竜の延髄が刀身に嵌められており、振るうと同時に炎熱を発するのだ。延髄は、リオレイアのものを物々交換で入手した。また火炎袋から取り出される粉塵も発火機構に一役買っている。

 火炎は王立武器工匠本来の構造によるものよりは小規模だが、切れ味も炎熱も痛手を与えるには十分だ。火傷による細胞の破壊は傷の治癒を遅くする。傷の回復遅延は創傷感染を引き起こす。狩人の武器としてこれ以上ないいやらしさ。ただ、細くする為に犠牲にした武器としての耐久度は、狩人の剣腕によって補う他無いのだが。

 対称、右手には『サーペントバイト』。ランポスの鱗に覆われた頑丈な胴と、刀身の替わりに無数の牙。この牙は着脱可能であり、用途や相手によって使い分けられる自由さが有った。

 盲目の竜は湿気を好む。皮が持つ弾性は水分によって維持しているのだろうと踏んでいる。細胞内外の水分バランスを崩す熱傷 ―― 火の武器は有効であろう。

 

「フォッ」

 

 距離を取っていた此方に向けてフルフルが跳ぶ。盲目ながらの跳躍の正確さは、裏を返せば移動によって回避できる容易さでもある。相手の動きを先読みしたヒシュが静かに飛ぶ。

 空振り。重さと図体の割には小さな着地音。厚みの有る外皮は消音にも適しているのだろう。天井や壁を動き回るフルフルにとって消音は命綱でもある。

 圧し掛かりを避けた狩人らが近付こうとすると、ネコの声。

 

「……主殿、お待ちを」

「ん」

 

 フルフルが翼を動かしていた。ヒシュが脚を止めると同時に飛び上がり、洞窟の天井を這い伝って移動してゆく。流石に天井にまでは届かない。ヒシュとネコは揃って足を止め、その姿を見送る事に。

 

「逃げましたか?」

「……まだ、よく判らない」

 

 出遭ったばかりだというのに争う場所を変えるその意味は、判らない。目も鼻も無いフルフル。表情が無く気性が読み取れないというのも、不明瞭さを助長している。

 

「でも、追わなきゃね。仕切りなおし」

「承りました。私が先行します故、装備を整えながら追ってください」

「ん、お願い」

 

 放っていた荷物の袋3つを背負って、逃げた方角を確認し、狩人らは後を追う。

 暫く降ると日が完全に遮られ光源が無くなったため、木の枝と油とぼろ布を取り出し松明を作る。灯りの元で、ヒシュは片手に鉛筆を取り出しては草紙に洞窟の様子を書き足して。

 フルフルは西へ向かって移動していた。息の詰まる閉塞感と共に、人が通れる程度の細い路を辛うじて降って行くと、斥侯のネコが戻って来た。彼女は低い唸り声を発している。主を見上げ。

 

「報告を。……この先は足元一面の『水庭』になっている様子です。如何しましょう」

「ナルホド。それは、いい場所」

 

 岩場に寄り掛かりながら、ヒシュはかくりと頷いた。場所を変えたのも納得出来る。フルフルは雷撃を武器としている故、空気よりも雷撃が伝いやすい水庭を闘争の場として選んだのだ。

 ネコは主の判断に任せながらも、むざむざ敵地に飛び込む事は無いと警告する。ただ、勿論、ヒシュは首を振った。

 

「良く判らないけど、でも、この大陸のフルフルを知るためには。相手の土俵でぶつかってみるのも良いと思う。前進あるのみ」

「……はぁ。致し方ないですね。是非とも無茶を。いずれにせよ私は全力でお供させていただきます」

「心配ありがと、ネコ。一応の対策はする、から」

 

 そう言うと、ヒシュは抱えていた袋からゴム質の皮で作られた肌襦袢を取り出し、鎧の上下に着込んだ。ゲリョスの皮で作られたこれらは、抗菌の効果を持つと共に雷撃を遮断してくれる。旅人などの鞄の素材として頻繁に使われ、その場合は抗菌作用が大きいのだが、今狩人らにとっては絶縁性こそが有用となる。ヒシュはよくよく雷光虫の素材を扱う際などに手袋として利用していたため、フルフルの狩猟にあたって下衣としても用意をしていたのだ。

 襦袢の上から再び黒狼鳥の鎧を纏うと、縄を頼りに下降を始める。水流がはっきりと聞こえる頃になって、ネコの報告にある通り一面の水景色が開けた。命綱を切り出て、着水する。

 予想を超える。壁一面を伝う水。囲まれていた。

 直上、直下、天井に潜むは白き影。

 

「主殿!」

「―― 奇襲、了解っ」

 

 地に脚を着けてすぐさま、ヒシュは水庭を転がった。フルフルの胴体が数瞬前まで自分が居た場所を押し潰す。

 肝を冷やしている暇は無い。水で消えないよう手ごろな壁に松明を立てかけ、荷物をその下に置き、『飛竜刀』と『サーペントバイト』を両手に掲げた。

 身を低く、左へ左へ。フルフルは時計回りに移動するヒシュを正面に捉えるべく回転を始めた。その間を利用して辺りを観察する。足元の水は(くるぶし)まで。イャンガルルガと水の相性は悪く、足袋に防水の機能は無いが、幸いな事に動きを阻害する程の重さもない。水の溜まり具合からここが洞窟の底なのかとも考えたが、洞窟内に反響する「雑音」が聞き取れる。どうやら違うらしい。

 脚を止めて推進へ。ヒシュは水を切る身の軽さで横腹へと斬りかかる。皮を突破する為の要たる『飛竜刀』の刃を立て、柔肌を引き斬る。

 炎熱を吐き出しながら、抵抗無く肌が裂ける。今度はしっかりと刃が通った感触。ただ、フルフルの身体の内、脚と放電の際の尾は柔皮に頼らず硬質である。『飛竜刀』で不用意に斬り付け折られてはかなわないと、留意を重ね。

 

「来ますっ」

 

 ネコの激が飛ぶ。ヒシュは手を背に伸ばした。

 フルフルの動作が先よりも素早い。身体をべたりと地に着ける。雷撃の予備動作である。足元に広がる水面を伝う為、放電の範囲が先ほどとは段違いになる筈だ。

 

(そこに指向性を持たせてくる、かも。注意して、動く時は、大胆に ――)

 

 白肌が淡く光った瞬間、ヒシュは背負った幾本もの武器から1振、『アサシンカリンガ』を抜き放つ。脚を壁の岩場に。力のベクトルを上へ。鎌状に突き出した刃を洞窟の壁に引っ掛け、思い切り高く跳躍した。

 想像の通り、雷撃は範囲を優先されていた。雷撃が洞窟の闇を穿ち激しく照らす。水面を這い回るそれらを、ヒシュは軽々と飛び越えた。眼下に跳ねる紫電の海。余分に距離を取って放電を防いだネコが此方を見上げている。表情が面白い。

 そして、フルフルの背が間近に迫る。放電は既に収まっていた。

 空中で回転した身体がぴたりと正対する。ヒシュは柄紐に牽引された『飛竜刀』と『サーペントバイト』を手元へ。

 背を足場に。下降した分の力を余す事無く皮を割き、叩き付けた。

 

 ―― ボボ、ボボボンッ

 

 途端、炸裂音が連続する。音源は『サーペントバイト』の刀身 ―― ランポスの牙。火薬草とニトロダケから作り出した即席の火薬に、火炎袋の発火粉塵とを組み合わせたもの。それがランポスの牙の根元に弾薬の原理で詰められており、衝撃によって爆散する仕組みになっていたのだ。牙は着脱可能なため補充も行うことが出来る。継戦には向かないが、短期の決戦には有用な武器である。

 

「フィィ、フゥゥ!」

 

 刺突と痛撃。身体を振り乱すフルフル。その背には、まるで噛み付いた様な跡……ランポスの牙が一列に食い込んでいた。体内に届くならばと、牙にはありったけの毒も込めてある。効果を期待したい。

 

「フゥゥゥ……フゥ゛ゥゥ」

 

 ヒシュが背を離れると、フルフルは鋸歯の並ぶ口から頻りに熱を吐き出していた。動きは荒いが、先までのゆったりとした動作も成りを潜めた。

 ここからが本分である。『サーペントバイト』の刀身(きば)を検める猶予は、無いようだ。放り、『飛竜刀』を一刀に構え。

 

「このまま ―― 行く」

「援護を!」

 

 相対する。ヒシュはだらりと脱力し、意識を染めてゆく。見聞は十分。洞窟の空気に融ける様に(かど)を立てず、自然な流れで接近戦を繰り出した。

 しなる白影。唸る雷。閃く刃。洞窟を転がる様に降りながらの闘争となった。

 ネコが慌てて松明を持って周囲警戒するものの、しかし、辺りは次第に明るさを取り戻してゆく。水の轟も聞こえ始める。一面の水庭から明らかな水路が次々と姿を現し、予想の通り、外が ―― 滝が近付いていた。

 明るくなると雷撃の範囲が視認し辛くなる替わり、フルフルの動きが良く見える。ヒシュはガルルガフェイクの内から視線を伸ばして近接戦。確実な防御から、交互、打ち込みを続ける。

 水位は下がったが、傾斜により水流が生まれた為に足元を掬われかねない。此方の意識を一瞬で奪う雷撃は、殊更に注意して避け。

 

「―― う゛」

 

 各所に傷を開くことには成功した。確かめ、頷き、皮鞘で腰に釣り下げていた肉厚で幅広の刃を解く。それは狩人が予てから愛用する大鉈 ―― なの、だが ―― 狩猟漬けの3ヶ月の間に様変わりを遂げている。

 引き抜いた大鉈は左手に。紫から青へと移りゆく刃。滴る液体毒。ぶらぶらと揺らし、身体は脱力。

 奇面族の間で『呪鉈』と呼ばれるこれは、塗り込められた多種多様な秘毒により刃すら変色。かつてはマカライト鉱石製であった素材そのものも、度重なる打ち直しを経て、ヒシュが何処からか拾って来た「ゴミの様な鉄片」の集合体に据え代わっている。おばあの技術と執念と苦心とが込められた、歪ながらに渾身の得物であった。

 

「フィィ……フゴッ、フゴッ」

 

 吐息の荒さに比例して動きが急ぐ。塞がらない体中の刀傷に加え、僅かながら毒も効き始めている。焦り始めているのだ。

 フルフルが不意に向きを変え、横へと跳んだ。ヒシュらが追って角を曲がると、通路の先から光が差し込む。閉塞感を掃う風が頬に触れ。

 

「ここで外ですと!?」

 

 途端、ネコの驚声と共に青空が開けた。遂に洞窟が外へと繋がったのだ。足元の水面が空を反射して真白く染まり、水面が日光を反射して洞窟全てを照らし出す。

 何も考えていなさそうなその外見に反して、かなり賢い。ヒシュはこのフルフルに対してそう評価を付け加えた。狩人らが自分の生命を脅かすと認識し、逃げの一手を打てる場所にまで移動を試みたのだ。洞窟という地の利を完全に生かされた形である。

 当然ヒシュは距離を詰め ―― びくりと身を起こし、すぐさま距離を取る。

 狩人の相手をするつもりは無い。全ての力を逃走に費やしているのだろう。そんな予想を裏付ける様に、フルフルは常に微量の電撃を纏った移動を始めていた。

 此方にしてみれば厄介な事極まりない。フルフルは防戦を選んだのだ。獲物の感知を視覚や嗅覚に頼らない……つまりフルフルには完全な死角がない(あったとしても読み取れない)という事でもある。不意打ちは通用しないと考えて良い。水庭による攻撃範囲の増大は効力を十二分に発揮しており、電撃による反撃は此方にとって致命的。迂闊にどころか、全く持って手が付けられない状況である。

 そうしている内にフルフルが跳躍する。壁、そして天井へと張り付いてしまった。ただでさえ近寄り難いのに、物理的に届かないとまできている。

 ……やっとの事で狩猟の機会が巡ってきた標的である。手を打たねばならない。

 

「 ―― 先行します!」

 

 ネコは主に同調し、すぐさま ―― 平行した水路へと飛び込んでみせた。

 命知らずの移動方法だった。荷物の1つを浮きに激流を降る。走るより遥かに速い。速度を増し、フルフルより前方で命綱を手繰ると、適当な岩場から再び陸へと登る。

 目測。身を振るう。背から金属筒を取り出し、絶縁体を引き抜いて。

 

「ン……ニャッ!!」

 

 天井に向かって、放った。

 投げられた鈍色の筒は放物線の頂点で完全に勢いを殺し、ネンチャク草の液によって岩場に付着する。その下に、岩場を跳ねるように降った仮面の狩人も追いついた。

 頭上。フルフルは構わず前進。右の翼が筒を踏み抜き、狙いの通り「シビレ罠」が作動した。鉄筒が瞬間的に雷撃を纏い、神経毒を含んだゲネポスの麻痺牙が飛び出して柔皮を貫く。

 雷撃も神経毒も効き辛いことは判っている。だが音、熱、臭気のどれからも感知され難い小さな無機物……罠という予期せぬ仕掛けは、天井を張って逃げる影を落とすのには十分だった。

 僅かに痺れ、吸着力を失う左の翼手。

 巨体が落下し ―― 冠状に飛沫が上がる。

 

「ふぅ、あ゛!」

「フゥゥ、フガッ、フガッ」

 

 水の幕が降りるよりも速く、日を反射して煌く飛沫を潜る。洞窟を出で、光を浴び、尚浮き立つ稀白(アルビノ) ―― 獲物を剣域に。

 フルフルは受身が取れていない。腹が上に向いたままだ。そのため、電を外へ逃がすための尾を伸ばす余裕が無い。

 常時帯電していたのが仇となる。雷袋の疲労により帯電が収まった。攻勢の機。先ず狙うは最も大きな痛手を与えた背。思考を終えて動くのみ。盲目の飛竜の昂ぶりに呼応するように、ヒシュは集中力を「昂めて」ゆく。

 ここで仕留めきるのだ。相手が怒気に塗れている時こそ。鏡映しに気迫を、闘うために魂を燃やせ。

 迫る飛竜。思い描いたそのままに身体は動く。

 感覚の全てを注ぎ込む連激 ―― 斬っては叩く刀鉈の乱舞。

 

 左。皮膚の走行に沿って可能な限りの速度で『飛竜刀』を引く。

 右。ぱくりと開いた傷に向けて、『呪鉈』を叩き込んだ。

 下方。回転の序で、上腕に着けた『飛竜刀』が間近の柔肌を割く。

 逆袈裟。身を滑らすほど低く。叩きに叩いた背を目掛け、跳ねた『呪鉈』の厚刃が食い込む。

 脚。(のみ)を打つ要領で『呪鉈』の背を蹴り上げ、遂に肌の張力と厚みを貫く。

 腹。フルフルの外皮の斬り方は理解した。『飛竜刀』で本命、魚を捌くが腹を開き、肉を顕に。

 腹。皮の内。あばら骨 ―― 脂肪、筋層、腹膜を纏めて『呪鉈』で叩き切る。筋繊維が断ち切れる。

 腹。血管が豊富なほど出血は派手になる。ヒシュは内臓に炎を叩き込むべく左腕を振り上げた。

 

 フルフルが立ち上がる。

 同時、振り上げた筈の左腕に鈍い痛みが奔る。

 

 左腕。フルフルが首を伸ばし、『飛竜刀』ごと腕を飲み込んでいた。顎の力は弱く鎧ごと噛み千切られる事はない。ただ粘液が肌を焼き、腕鎧をざりざりと舐る音がする。溶かされる前に。

 頭。フルフルの頭蓋は伸縮性を保つため殆どが軟骨で構成され、隙間も多い。可能だ。左の手首を返し、刀を僅かに引いて、内側から頭を突き破る。外皮から炎が吹き出し、鋭かった咆哮が鈍い悲鳴へと変わる。

 腹。もう1度、筋繊維を断ち切った奥へ。複雑怪奇なその中身も、今は消化の最中にあるランポスによって脹らみ、狙いの通り皮の外からでもはっきりと目測出来ていた。

 腹。身体を投げ出し体重を掛けた鉈で叩く。切り叩き貫いた先へ寸分違わず。穿孔をきたし、『呪鉈』が毒をばら撒いた。

 

「フィィ、ゥゥ……ッ!」

 

 ヒシュは右腕を引き抜くと、フルフルの体を蹴って大きく飛び退いた、

 いつしか水庭は鉄臭い赤に染まっている。鉈がどっぷりと帯びていたのはニトロダケや怪力の種を主成分とする「昇圧剤」の、希釈されていない原液だ。本来心機能を促進するそれらも使い所によっては毒と化す。開いた傷から溢れ出る血は、止まるどころか勢いを増した。血が治まるとすれば、それは容量減少により生理的な循環機能を保てなくなった事を意味している。

 時折漏電を起こしながら段々に鈍く。夥しい失血を伴い、肢体は遂に弛緩する。最後に拍動が止まり、流血が緩やかになった。

 

「―― ふ、ぅ」

「狩猟、完了ですね」

 

 死に際の反撃を警戒して距離を取っていたヒシュが息を吐き出し、隣のネコが水分によりほっそりとした毛並みを整える。

 密林に飛来したフルフルの狩猟依頼は現時点、討伐をもって完遂された。

 無言のまま。空の青色を反射する水庭を、仮面の狩人はゆっくりと踏みしめる。白い影の亡骸に向けてしゃがみ込み、腰につけた裁ち刀を右手で抜き、空に翳した。

 

(……ありがとう。ジブンは、前に行く)

 

 左手の鉈の背に額を合わせて瞑目する。狩人としての仮面を被る自分を、刀の中に置いて来る。

 再び顔を上げた時、ヒシュは亡骸の前から、自然と振り返ることが出来た。今日は皆が集まる予定の日だ ―― と、知らず期待を寄せる自らが。狩猟以外の事に胸を高鳴らせる自分が、今は嬉しく思えた。

 

 

■□■□■□■

 

 

 昼を過ぎて、ジャンボ村の港に人が集まっていた。

 見物人の山。長らく建造途中であった大型船は先月にようやくと完成を迎え、各所へと出港しているため姿がない。人々の目的は別にある。

 木々に挟まれた川を遡り、一隻の中型船が入港する。船は帆を畳み、ぎぎと船底を軋ませてゆっくりと減速。やがて完全に停止すると、木製の足場が降ろされる。

 その上を真っ先に、2者。

 

「―― 着きましたーっ!」

 

 先頭を、少女が駆けて出た。額の左で編まれた一房の髪が元気良く揺れている。

 後方から出た真面目顔の青年が先ず、村人達の最前に立った村長へと声をかける。

 

「ダレン・ディーノおよびノレッジ・フォール、只今帰還しました」

 

 共にジャンボ村に逗留するハンター。王立古生物書士隊の隊員でもある2人の到着に、端から一気に喜色を帯びて迎える村人。

 出先が異なるため装いはかけ離れていた。ノレッジは暑さに強いケープ状スカート状の上下衣類を、ダレンは書士隊の礼服を羽織っている。そんな2人へと、村人達は次々に話しかけ。

 

「2人とも無事でなによりだよ。聞く限り、大変だったそうじゃないか?」

 

 先頭の村長は無煙の煙管を咥え、笑顔で言った。

 どちらも船旅を終えた開放感からか、確かに疲労感は見て取れる。だがそれ以上のものを含ませ、村長は続ける。

 

「ドンドルマでも、急伸のハンター、ノレッジ・フォールの名前を聞かない日はない。ダレンも筆頭書士官の下について色々と学んでいたそうだね。あれだろ? フェン翁の秘蔵っこなんだって?」

 

 村長がそう言うと、腕を組んで隣に立つ大柄の男……ライトスも、不精鬚を撫でながら口を開く。

 

「この3ヶ月で随分と有名になったもんだな、2人ともよ」

 

 腕を組みながら。四分儀商会の長としてではなく、友人としての言葉である。村長が得ているドンドルマにおける見聞などは、恐らくこのライトスを通じたものであるのだろう。

 これら賛辞にダレンは顔を頬をかき、ノレッジは編まれた髪の一房を弄り。

 

「村長は流石に耳がお早い。……とはいえ、私はまだまだ修行中の身ゆえ。過分な評価です」

「わたしも、修行をさせてもらっていたら、いつの間にかハンターランクが上がっていたんですよね……。わたしではなく、モノブロスが高名なのでは?」

 

 謙遜と実感とを半々に滲ませたダレンに対し、ノレッジは苦労を微塵も感じさせずあっけらかんと。

 対照的だが同様の答えを返した2人に対し、村長は続く笑いを堪え。堪えきれず。

 

「あっはっは! どちらも、それだけの苦労をしたっていうのに変わらないね! ―― でもやっぱり、君達(・・)は良いチームだと思うよ。オイラは!」

 

 君達と、村長が振り返りながら指差したその先へ、視線は集まる。

 ―― 広場の中央に、灰の縞模様。引き車を着けたアプトノスが姿を見せている。

 

「……あっ! もしかして!!」

「待て、ノレッジ・フォール。……と言って聞く奴ではないか」

 

 同時にアプトノスを引く仮面……の様な被り物……の姿が見え、ノレッジが一目散に走り出していた。

 

「……申し訳ない、村長」

「あっはっは! 別に良いさ。君も行って来なよ、ダレン!」

 

 ダレンは村長に一礼をし、その後を追う。

 そこまで広い村ではない。先を走ったノレッジに、ダレンはすぐ並ぶ事が出来ていた。

 そして距離が近付く。丁度広場の中央。掲示板の前で、全員は見合う。

 ひょいと手を挙げつつ……先頭。仮面被り物の狩人は、変わらぬ動作でかくりと傾いだ。

 

「皆、久しぶり。だいじょぶだった?」

「もっちろんですよ!」

「ああ。ヒシュもネコも、無事の様子だな」

「此方も順調でしたもので。ライトス殿の依頼は早々に済ませ、こうして防具の調達も間に合わせることが出来ました」

「ん。これ、防具」

 

 ネコの言葉に、見せびらかすように身を翻すヒシュ。ダレンとノレッジもそういえばとその姿を見やる。

 頭部をすっぽりと覆うのは、黒狼鳥の頭をそのまま象った「ガルルガフェイク」。身体に纏われているのは、処々に突き出した棘が印象的な防具だった。色は紫から青といった寒色で統一されており、ヒシュの醸し出す雰囲気と相まって、これら全てが黒狼鳥の威容を存分に表していると感じられる。

 ネコの外套も、耐熱布と耐寒布とを織り合わせた特注のものになっていた。緋染めの外観はそのままだが、これはせめて注目を集めようという警戒色であるため、変える気はないらしい。

 そんな両者を前にノレッジは目を輝かせ……ダレンが屈託なく笑う。

 

「ならばそちらも、準備とやらは整ったのだな」

「ん。狙ってたのは、後ろの ―― フルフルの狩猟で最後だった」

 

 ヒシュが後ろを指す。アプトノスの引く竜車に解体された素材が山となって縛り付けられていた。白く艶やかな皮が目立つ為、フルフルのものだとは一目で判る。内臓などの器官は使う部分だけを氷結晶冷蔵に放り込んであるのだろう。

 オオッと、港から移動してきた村人からも声があがった。フルフルの狩猟は見た目以上に難しい。洞窟というフルフルのホームグラウンドへ、狩人の側から向かわねばならないからだ。難しさを理解しているからこその歓声であった。

 差し挟むように、ネコが続け。

 

「今回の狩猟では高所順応に時間が掛かりましたが、それ以外は順調だったと言えましょう」

 

 ヒシュとネコがジャンボ村を発ったのは、今から2週も前の事だ。

 このフルフルを狩った高山は、直線距離だけならジャンボ村からそう離れた場所ではない。徒歩で2日程、ここ酒場の前からも望むことが出来る位置に在る。ただ、高所故に高山病を意識した立ち回り……少しずつ体を慣らす必要があった。

 それを、連続狩猟と並行して行った。高山に向けて道具を現地調達し、モンスターを狩猟しながら酸素に身体を慣らし、少しずつ登ってゆくのである。フルフルを狩猟した洞窟が、高山の峰に当たる部分。標高もかなりのものだったが、こうして無事に狩猟を遂げる事が出来ている。

 態々そういった手順を踏んだ理由を、ダレンは的確に捉えた。

 

「成る程。確かに、準備は万端という事か。高所順応は『未知』……イグルエイビスの狩猟に向けた予行演習なのだな」

 

 納得した声を出す。

 それでも、一単語に引っ掛かりを覚えたヒシュが傾ぐ。その隣でノレッジも同様に傾ぐ。

 

「んん? いぐる……」

「えいびす、ですか?」

「む……そうか。聞き覚えがない単語だろうな。あの未知の事を、とりあえずはイグルエイビスと呼称する事にしたらしい。ロン殿やペルセイズが、名前を付けるだけでも得体の知れない感は減るだろうと言って聞かなくてな」

 

 発端はドンドルマの議会。話題に出す度に一々「未知」と呼ぶよりも、個体の名称をつけてしまおう……と決められたのが、この名前である。

 ダレンは序でにと説明を付け加える。その「イグルエイビス」とは、前筆頭書士官ジョン・アーサーが記した「生物樹形図」において、鳥竜種の項目の頂点にあたる生物の名前であるらしい。特にイグルエイビスは、骨格が見付かっている生物の内最古のものと予測がされている、貴重な資料でもあった。

 そんな名を付けたのには、ペルセイズらが秘密裏に偵察を行い外観等を確認したという経緯が有るのだが……ヒシュはそれよりも、自らの師の名前が挙がった事に興味があった様子。ぐるりと首を回し、今度は右に傾ぐ。

 

「おー。ダレン、ペルセイズに会った?」

「ああ。リンドヴルム殿にも、グントラム殿にもな。世話になった」

「その人達の話ならわたしも聞いてますよ! わたし、ハイランドさんにお世話になってましたので!!」

 

 両腕を伸ばして喜ぶノレッジ。ただ、対照的に、ヒシュが僅かに身を引き……その被り物の内側で顔を強張らせた。ハイランドという名前に釣られての反応だった。

 ヒシュは恐る恐るといった様相で、尋ねる。

 

「……だいじょぶ? ノレッジ。怒られなかった?」

「いえ、怒られはしませんでしたが……?」

 

 互いに向きあって疑問符を浮べる。ヒシュとしてはハイランドからのお守りを又貸し(の様な形で渡した)を心配したのだが、ノレッジはそれはないと首と手とを忙しなく動かしている。どうやら杞憂であったらしいと、安堵をしつつ。

 

「ん。なら良い、けど。ノレッジ、成長できたみたいだからね」

「……はい。それはもう、無事に」

 

 暫し見合い、通じた表情で、頷く。

 次いで嘴付きの顔はダレンの側を向き。

 

「それは、ダレンも同じ。リンドヴルムとグントラムの話、あとで聞かせて」

「勿論だ。ただ ―― 時間があれば、だがな」

 

 揃って、フルフルを狩猟した場所から更に奥の嶺 ―― 「密林高地」の有る方角へと振り向いた。主に同調したネコと、釣られたノレッジもそちらを向く。

 裾に伸びた緑。そこから天に向かって伸びた峰が悠々と雲を貫き、空を埋めている。

 

「そう言えば、あとひと月しかないですもんねー……」

「その通りだ。準備を行い、早々に発つ必要もあるだろう」

「うーん、3日くらい?」

「む。遠征だからな。準備となれば、確かに3日は必要か」

「ふーむ。ですがその点については私も尽力いたします。ダレン殿はじめ皆様方は、身体を休める事に注力していただきたく思うのですが」

「―― おいおい、ネコだって狩猟に向かう狩人だろう。その辺りはオイラやパティ、オヤカタ達なんかに任せてさ。君も休んだらどうだい?」

 

 最後、後ろから追いついた村長の申し出に、ネコはそう言えば……と付け加えた後でにゃあと頷いた。その様子に村人たちがどっと笑う。

 だがこの一言により、ジャンボ村の中には活気が灯り出した。なにせ村の大事となる狩猟、その準備の大詰めが、本格的に始まったのだ。

 目前に迫る寒冷期。農繁期は既に過ぎ、人手が必要な収穫も終えており……残すは収穫祭のみ。だから、という事もあるのだろう。村人たちは次々に村長へと手伝いを申し出、船からの荷降ろしや各村々への伝達などを請け負っては散ってゆく。

 

「こっちは引き受けるからよ。頼んだぜ、ヒシュさん!」

「狩りは任せるよ、おれ達の分までな!」

「それにしても、そのモンスターの肉は美味いのかねぇ? 強いって事は、美味いもん食ってんだろう?」

「かぁちゃん、今から飯の話かよ!? 敵わんなぁ……」

「……今更だしハンターさん達が頑張ってるのはもう知ってるけど、それでも、頑張って!」

 

 腕まくりをして意気揚々と出てゆく者。ばしばしと背を叩く者。遠巻きに手を振る者。視線だけで微笑む者。

 村人たちからすれば、ヒシュらはジャンボ村を発展させるために動いてくれている恩人でもある。昔より広くなった河川も、開墾によって広くなった村の敷地も、鉱石が掘れる程に発達した坑道も、鉄火場も。狩猟によって得られる資材を中心として発展したものだった。

 そしてそれは、人々が食べている物も例外ではない。安全な農作物の栽培から通商の交流まで。全ては何処かで狩猟と交わり、齎されたもの。故に、感謝は行動として返したい。そう思ったからこその、せめてもの協力であった。

 ここは人間を遥かに凌駕する生物が跋扈する地である。狩猟は重要事であることも、心得ている。

 だからこそ。それら心遣いを受けて、ハンター達は前を向く。

 全てを背に負い、胸を張る。

 

「ん。任せて」

「承りましょう」

「引き受けた」

「任せてくださいっ」

 

 揃い集った狩人らは、それぞれの仕草で了解の旨を示す。

 ジャンボ村に立ち塞がる暗雲を打破すべく。集い来たるハンター達は、再び交差した路を踏みしめた。

 打倒 ―― 未知(イグルエイビス)

 

 





 モンハンゲームの方の新エピソードもある意味楽しみなこの時期、やっとの事で一章最終部(の走りだし)更新と相成りました。
 作中解説を挟みまして。
 MHフロンティアの舞台となりますメゼポルタの発展については「メゼポルタ開拓記」という(ミニ)ゲームをご参照としますが、実際には場所も定かではありません。大陸も新旧決まっておらず、ただ、どちらにも行き来可能な場所に有るのだろうという予測は出来ますけれどもね。狩場的に。
 フルフルについては倒さねば雷武器が……ではなく。稀白竜という呼び名については、ゲームにおいては一切出てきませんので悪しからず。奇怪竜でも良さそうなのですが、はてさて。
 こなたを狩猟しましたのはヒシュに語って貰った通り、戦力の増強です。
 空白の二ヶ月を経まして、いよいよ(長くなると思われる)最終決戦へ。ただその前に緩和の為の閑話を挟みます。


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第三十一話 折の憧憬、今際の仰望

 

 ジャンボ村に到着した日が明けて昼前。

 村の西口に隣接した酒場に、この村のハンター4者が並んで腰を掛けた。

 

「―― それでは、私は仕込みの手伝いに参りますゆえ。昼食は先に始めていてくださればと」

「ん。頑張って」

「隊長は何にします?」

「……この時期は銀シャリ草が美味いと聞いたが、しかし、特に希望がある訳では」

 

 腰かけると同時に注文を飛ばす。

 遠征に向けた準備の期とした3日間。手伝いを申し出た村人達に半ば強制的に休養を取らされたハンターらは、未知(アンノウン)に対抗するための作戦立案や武具の手入れをして過ごす事にした。情報収集の一環としてライトスや村長の話を聞こうと集まったのが、酒場の席だったのである。

 ジャンボ村の酒場は食事処であると同時に依頼窓口(クエストカウンター)でもあり、パティの仕事場にはギルドガールズとマネージャーの領分を大きく含む。夜になれば男集が集まるとはいえ、昼間の内に目立つものは酒よりも書紙の類である。掲示板には数多くの狩猟依頼。その中には商主の要請により、中型以上のモンスターの市場取引価格なども束となって張られている。

 たかが一町村の掲示板にモンスターの取引価格が掲示されるというのは珍しい事態であるが、ここ半年のジャンボ村における中型以上のモンスター狩猟数は、それこそ一町村しては多過ぎる程だった。またジャンボ村にはヒシュ、ダレン、ノレッジ、ネコの他にも2名ほど常駐のハンターがいるため、市場の動きを視るという意味でも活用が成されているらしい。

 

 仕込を終えたネコを加えて。

 昼過ぎまで食事を挟みながら一通りの情報を受け取ると、一行の話題は自然とジャンボ村の近況に関するものへと移っていた。

 

「―― お祭り、ですか?」

「そうよ。収穫祭が近いの。農繁期も過ぎているっていうのに、村の皆が騒がしいでしょ?」

 

 酒場にいたパティや村長からの説明、そして問い掛けに、ノレッジとダレンが頷く。

 確かに、農繁期を終えたにしては落ち着きが無いとは感じていた。ただ、それは自分達が狩猟に向かうための準備をしてくれているためだと思っていたのだが、どうやらそれだけではなかったらしい。

 そして。

 これにはなぜか(大きな遠征には向かわず)元よりジャンボ村に逗留していたはずのヒシュもが頷き、傾ぐ。

 

「そうなの?」

「そうなのよ。……まぁ、あなたは、狩猟のために密林のあちこちを走り回っていたから知らなくてもしょうがないでしょうけれど」

 

 ふんと鼻息を鳴らすパティに向けて、ヒシュは抑揚無しにかくり。判っているのか判らないのか、頷いたのか傾いだのかすらも、微妙に判らない反応である。

 パティが更に顔をしかめた様子を笑って眺めながら、村長が後を続けた。

 

「収穫祭をするのはオイラの発案さ。やっぱり盛り上がる時は、とことん楽しくなくちゃあいけないからね!」

「村長。その収穫祭とやらの日取りなどは、」

「いやいや、君たちの手を借りるにはおよばないよ」

 

 自分も何か手伝いを、と語りかけたダレンを村長は制する。

 

「ダレンが尋ねてくれた通り、収穫祭の日時は一番高い山の中腹まで雪が積もった日の夜と決まっているけど、君たちの手は煩わせないと思うよ。準備すべきものなんかは殆ど押さえて有るからね。あとは当日に食べ物や酒を用意するくらいさ。それに実は、祭りの最後にはオイラが用意したサプライズもあるから、これに関しては任せておいて欲しい。君たちはモンスターの狩猟をさくっと終えて、戻ってきて、祝猟を兼ねた祭りにしようじゃあないか!」

 

 陽気に言い放って、村長は両手を広げた。その顔には周囲の人たちにまでも波及する、無邪気なまでの笑顔が浮かべられている。

 ジャンボ村には寒冷期でも雪が積もることが無い。しかし高嶺となれば話は別である。そのため、山の色や雪の積もり具合で時節を見る。祭りは厳寒に向けた息抜きともいえよう。

 現在、雪の白さは頂上付近にしか現れていないものの。

 

「ん、判った。収穫祭の日には戻れるように、頑張る」

「ああ。楽しみにしてておくれよ?」

 

 ヒシュは村長を真っ直ぐ見つめ、拳を握って見せた。

 厚意は素直に受け取っておくものだ、と師匠らもよくよく口にしていた。後に楽しみを控えておくのも、悪くは無いだろう。

 

 

 

 ■

 

 

 

 昼食を終え、一行は解散となった。

 ダレンとネコは追加の資料を受け取る予定があるため、酒場へと残る事にした。ヒシュとノレッジも資料整理を手伝うとは言ったのだが(狩猟の役割としてダレンは指揮、ネコは遊撃手である)攻め手の軸となるヒシュとノレッジの体力を温存させたいという思惑もあるのだろう。そこは上司と従者の有無を言わせぬ圧力でもって、先に家へと返されてしまった。

 慣れた家へと向かうその道すがら、時間を無駄にすまいと、ヒシュとノレッジは互いの近況などを話し合っていた。

 

「フルフルの狩猟、出来た。これで、向こうでジブンが使ってた武器のいくつかを、質を落として再現できる」

「ヒシュさん達の使ってた武器ですか? それは興味あります!」

「そう? 後で紹介する」

 

 ハンターという職にとって情報は命綱であるが、これはどちらかと言えば世間話の類である。話題は尽きなかった。時折、新設された村の設備や新調された各々の武器に関して話題を広げている内に、ハンターハウスへと到着して門戸を潜る。

 ハンターハウスの中は雑然としているが、これも見慣れたもの。2階に上がると輪をかけて酷い有様で、廊下にすら部屋から溢れた書物が並べられており足の踏み場も無い。しかしその間を、2者共にするすると抜けてゆく。

 

「よいしょ、と、ふぅ。さて、これにて資料運びはお終いですが……」

 

 各々の部屋に戻って酒場で受け取った資料の束を置く。

 それだけの仕事を終えたノレッジが、とんぼ返りに廊下に出ると ――

 

「―― こっち」

 

 向かいの部屋の入口から黒狼鳥の覆仮面が顔だけを出し、手を小さくちょいちょいと動かしていた。

 ノレッジはそちらに歩み寄りながら、尋ねる。

 

「お部屋に入っても?」

「? 話、するんでしょ」

「えと……はい」

「なら、別に良い」

 

 招かれるまま、ノレッジは初めてヒシュの部屋へと踏み入ることになった。居を同じくして暫く経ってはいるが、ノレッジ自身、家にいるよりもハンターとして狩場に居る時間のほうが遥かに長い。家は寝床か荷物置き場かといった有様であったため、これまでは部屋に踏み入る機会が無かったのである。

 いざ扉を目の前に、微妙にであるが緊張していた。

 意を決して。扉を潜り、まずはと覗き込む。

 内に広がっていたのはノレッジの部屋と同様の間取り。しかし部屋の奥に積まれた書籍の束は、ノレッジの部屋のそれよりも丁寧に整頓が成されている。ネコがこまめに手を入れている成果であろう。部屋の端に木製のベッドが1つ。籠のようなアイルーの寝床が1つ。窓際にオリザの止まり木。

 そして、入口の脇に。

 

「うわぁ……」

 

 正に壮観、という心持が思わず声にも漏れ出した。

 輝くどころか発光しているのではないか、と見紛う列。ずらりと並べられたそれら全てが、ヒシュの扱う武器であった。

 美しさすら感じる蒼に彩られた、幅広の『呪鉈』。鈍色のどこか機械的な『短槍』。ふらふらした刀身の『両刃剣』。鞘付きの太刀、『飛竜刀』。刃の無い『機械的な持ち手』。『鋭い銀針』の束。

 レクサーラ周辺で経験を積んできたとはいえ、ノレッジにとっては殆どが用途すら判らないものばかりであった。これらについて尋ねてみたい。先に話した新しい武器とは、どれだろう。素材となった鉱物は。そう考え、ノレッジは再び部屋の主 ―― ヒシュへと視線を持ち上げ。

 

 そして。

 思いもよらず、視覚から、衝撃に襲われる。

 

「―― ぷはぁ」

 

 開放感と共に唇から溢れる息。

 目の前に、仮面の狩人と同様の黒髪で、声で、背格好の、見知らぬ誰かが立っていた。

 

「……え?」

「……ん?」

 

 互いに疑問を帯びた短い単語を交わして、暫し無言の空間が広がってゆく。

 その外見を、ノレッジはじいっと観察する。少年……いや、少女だろうか? いずれにせよ様相からは幼さが抜けきっておらず、そのため鑑別に自信はない。

 伸びた髪は背の中ほどまで。目線の高さは同じ。儚げ……いや、無味無臭。嬉しいと寂しいを斑に混ぜ合わせたような。色彩の環から外れた、透明という装飾語が似合う人物だ。ただ、それが被り物を外したヒシュだと気付くまでにはかなりの時間を要した。色彩のなさが鑑別を一層困難に助長するのである。

 見入り、固まってしまったノレッジの様子に疑問符を浮べながらも、ヒシュは別の仮面を手に取り、そのまま被ってしまう。青や紫、赤といった警戒色がふんだんに使われた仮面。ノレッジにとっても見慣れた姿となった。

 最後にロックラック原産の上半身を覆う大柄の外套ですっぽりと身を包み、ヒシュは再び傾ぐ。

 

「そこで立っててもいい、けど。……話する。ノレッジ。疲れない?」

「えっ、あっ……はい」

 

 ぽんぽんとベッドを叩くヒシュは、変わらぬ様相。

 しかし今は、物騒な仮面のその奥に、たった今見た素顔が重なって透けるように思えてしまうのは何故だろうか。

 ノレッジは慌てて首を振るい。

 

「お、お変わりありませんねっ」

「? ない。部族の皆は仮面を変えると性格も変わる、けど。ジブンは人間だから」

 

 あまり通じなかったようだ。別段深い意味も無い。ノレッジは幻想を振り払うと、勢いよくベッドに腰を下ろした。

 ノレッジが座ったのを見届け、ヒシュも向かいの椅子に腰掛ける。椅子を傾かせて屋根の上、日課となったマカ壷の噴煙口を覗き込みながら、傾ぐ。

 

「―― それよりノレッジ、力について聞きたいって言ってた。聞くなら旅立つ前。今のうちだと思う」

 

 素顔を見た衝撃で飛んでいたが、そういえば、と思い返す。帰りがてらジャンボ村についてから各々の成果などを交換した際に、ノレッジはこの「力」について教えてくれるようお願いをしていたのである。

 ハイランドからも軽く教わったが……と、レクサーラやセクメーア砂漠、デデ砂漠での経験についても軽く触れ、狼が云々という所感やノレッジ自身の実感についてと順を追って話して行く。

 頷いた後。内容を吟味し終えたヒシュが、語り出した。

 

「ん。それ、ジブンと同じ(・・)だけど別の(・・)力。きっと全員が全員違う色を持っていて。でも、あえて、まとめるとすれば。火や炎に似てるって、ジブンは思う」

「火……それに、炎ですか?」

「ウン。ジブンは全身、特に右手が熱くなるんだ、けど」

 

 それは、ハイランドが幾つも挙げた喩えの1つでもあった。

 火と炎。集まり勢いを増して火炎。

 ノレッジとしても、熱を発する何かに例えるのは納得できた。今は腹の底で眠る狼も、牙を向く時の感覚は確かに熱を帯びているからだ。ただ、そこに規模の違いが有るのかは不明瞭であるが……ヒシュが続ける。

 

「ジブンが1番よく使う力は、相手が怒った時に、ジブンも相乗して力を発揮できるっていうもの。それとは他にも幾つかある、けど。他のは説明が難しい」

「……なんとなくは判りますけど」

 

 ノレッジにしろ、狼というのはあくまで感覚的な形容である。説明が難しいというのは最もだった。

 

「それでいいと思う。ジブンもはっきりと判るわけじゃない。……炎は、単純に、揺れ動く火。状況に左右されるから。火炎は、普通の火よりも強い熱源。総じて『気炎』。いくつかの『炎が寄り集まった形』だと思う」

 

 幾つかの炎。それはつまり、本来は離れてしかるべき火が束ねられ、1つになっているという表現なのだろうか。

 「気炎」。複合され、なにがしかの「有機性」を宿した火こそが、ノレッジで言う所の狼であると。

 ……暫しの沈黙。これはあくまで実感を伴う予想であって、確たる証拠を持ってこの疑問に答えられる人物などいるはずもない。だがヒシュは、ということは、と接いで。

 

「……火は幾つもある、ってこと。つまりジブン達人間は、もっと幾つもの『可能性』を残してるん、だと、思う。タブン」

 

 当然ヒシュにも、確信たる何かが有る訳はない。ここでわざとらしく咳を挟み、話題を移した。

 

「扉をひらく前。ノレッジも『底』をみた?」

「はい。光景はぼんやりとしていますが」

 

 底 ―― あの暗闇を沈んでいった先にあった場所だ。

 目前、仮面の狩人は窓の外に広がる蒼穹を見上げている。出会った頃よりも伸び、背を半ばまで覆う黒髪が、風に靡いて揺れた。

 ……その目に今、映っているものは。仮面は視線すらも覆い隠しているが。

 

(判ります。今なら、きっと)

 

 ノレッジは瞼を閉じた。未だ思い出せる。儚くも暖かい、圧倒的な数を誇る光。それはノレッジの脳裏に像を結ばないまでも、感覚としか言い様のない何処かに、今も実感として残っていた。

 瞼を開くと、ヒシュは特有のまっすぐに射抜く透明な視線で、此方を見ていた。うんと共感を込めた様相で傾ぎ、再び空を見る。

 

「ジブンも昔、底をみた。お守りが守ってくれた。だからノレッジもきっと、と思ってた」

 

 恐らくは笑っているのだろう。釣られるようにノレッジも空を見た。厳寒期を控えた空は、いつもより高く広がっている様に思える。

 暗く深いあの場所とは大違いだ ―― と。

 お守りといえば、である。

 

「そういえば、お礼がまだでした。お守り、ありがとうございました!」

「よいよい」

 

 姿勢を正し、がばりと頭を下げると、いつもの謎の言語で気にするなと言うヒシュ。彼または彼女は、変わって行く事を望んでいるらしいが……やはりまだ、急には変われない様子であった。

 それが少しだけ、不謹慎ながらに、何故か、嬉しいと思える。ノレッジは自分の頬が緩んでいるのを自覚しながらも、首を振り、そういった今はまだ判らない何かよりも勝った「興味」へと話題を戻した。

 

「でも『あれ』は何だったのか、何処だったのか。……ヒシュさんはご存知なんですか?」

「んー……ジブンの言葉じゃあ、ない、けど。ジョンが言ってた。『ジイシキを逆行した末にあるタイジュの根』だって」

 

 訛りの無いヒシュの言葉に片言が混じる。頻繁に使う言葉ではないからであろう。再び、これは聞きかじったものだと念を押して。

 

「この世に灯る全ての魂は、根っこの根っこで繋がっている。そういう考え方があるみたい」

「全てがですか? はぁー。凄い思想家ですね、その人は」

「ウン。ジブンもそう思う。でも、そう考えると納得行く事は多い。他の力もそう。……ジブンが、他の生き物に近付いている感覚が有る、から」

「あ、それはわたしも判ります。……でもそれじゃあ、ヒシュさんが扱う『その他の力』っていうのは、沢山の生物を狩猟して『啓かれた』物なんですかね? わたしはこのはらぺこ狼さんだけなので、ちょっと実例が足りなくて判らないのですが」

「どうだろう……。でも、ノレッジの言葉を聞くとそうかも、って思う」

 

 いつかの砂漠。星空を見上げたあの日の様に、聞きたい事は次から次へと溢れてくる。力の事。使い方。力の種類。そしてその代償。話をしながら、話が出来ることそれ自体に。ノレッジ・フォールは、追い続けたこの背に近付くという、念願を叶えたのだ……という実感を得ていた。

 そしてこの熱は、道中はどうあれ、確かに嬉しいと思える出来事なのであった。

 

 



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第三十二話 曇天満たす、鳥羽玉の

 

 ハンターらがジャンボ村の命運を分ける狩猟へと発つ日 ―― その早朝。

 ジャンボ村は静かに日照を待つ。次第に空の端が明るくなった頃になって、村の川に面するハンターハウスが軋みを立てた。

 4者からなる一団。ハンター隊。準備を終えたヒシュとネコ、ダレン、そしてノレッジが自然と最後尾に並び、家の扉を外へと潜る。

 

「夜明け前、か」

「ん。あとは魚竜に遭わないようにって、祈る」

 

 荷袋をこれでもかと担いだダレンの声に、荷車を引くヒシュが相槌をうつ。

 一行はヒシュを筆頭にハンターハウスを出て村の西端、酒場の奥にある西口を目指した。西口から出てすぐ横の川港に、ヒシュとネコの船がつけてある。警戒区域である山を目指すにあたり、その途中に存在する湖までを、船で川を昇っていく予定となっているのである。何分長期の狩猟計画。荷物は膨大なもの。加えて、拠点にもなり得る船は是が非でも持っていきたいという思惑も在った。

 村を歩き抜ける最中、山際から太陽が顔を出す。酒場の周りを中心として宵闇を照らしていた篝火が、消えてゆく。

 ジャンボ村が成長を遂げているのは一目瞭然なのだが、こうして明かりが消え始め、その全てが人の手によるものだと知れば、この村に存在する人の営みの多さが実感となって認識できる。

 

 おばあの工房には念願の弟子が2人。

 港と船とを仕切るオヤカタの所も同様で、ジャンボ村の港は以前と比べても遥かに多くの声が響いている。

 門の脇の古い炭鉱は整えられ、珍しい鉱石が発掘されるようになった。

 薬師が駐在するようになり、市場はアイルーなどを交えて一層の賑わい。

 新たに山を切り開いて作られた切畑も拡張の一途。

 

 これら発展には四分儀商会が大きな援助元となっている。四分儀商会一隊の長ライトスからの依頼を、村に残ったヒシュとネコは文句のつけ様もなく達成して見せたらしい。

 ここジャンボ村は、交通の便を全て活用出来さえすれば、いずれは物流の中心になるだろう。資材を片す山の中で、ライトスはヒシュにそう語ってみせていた。最も(ライトス)自身は昨日ダレンらを迎えた後で部下に現場たる村を任せ、ドンドルマにある商会中央で忙しくしているという。彼によると現在、四分儀商会には大手の仕事が舞い込んで来ているのだそうだ。ジャンボ村での商いは既に軌道に乗ったという判断なのかも知れない。

 

 寒冷期を迎えたテロス密林は、その旺盛な緑色を僅かに縮込めている。清廉さをもって透き通った空気の中、来る寒さに向けた備えを続けている。

 村の西側にさしかかり、一行は酒場の中へと立ち寄る。代表したダレンが掲示板に張られている1番上の書類を手に取り、ギルドガールズの名に恥じず……早朝にも拘らずぴしりと身だしなみを整えたパティの目の前へと差し出した。

 

「お早う。……はい受諾ね。いよいよ、頑張って来なさいよ」

 

 パティは力強い言葉と共に受け取り、書類にドンドルマギルドの承認印を押しつける。全員が頷いて、踵を返した。

 酒場の横を抜ける途中、ノレッジの目に見慣れない竜人の女性が映った。向こう(・・・)で出会った竜人族と同じ衣装を身に纏う妙齢の女性である。彼女はどうやら村長と話し込んでいるらしい。

 用事だろうと、ヒシュは素通り。ノレッジは小さく礼をしてその横を通り過ぎる。ダレンとネコは、クエストカウンターだ。

 すると、此方に気づいた村長は、竜人族の女性に断りを入れ、走り寄って来た。その慌てようを見て初めて、ヒシュが足を止めて振り向く。

 

「―― ヒシュ。いよいよ出立かい?」

「ん」

「そうか。でも、そりゃあ当然、昼までは待たないよな……うん」

 

 村長は隣に並ぶと、大きな鼻を掻きながら、1人納得したように笑う。

 そして、背中の物入れをごそごそと漁ると。

 

「ヒシュ。オイラからはこれを。今朝方、ついさっき、やっと届いたんだ」

 

 冊子を1つ取り出し、ヒシュに手渡す。

 

「……? これって」

 

 古い皮に線がのたくる、しかし見た目の割には使い込まれた冊子。

 受け取った仮面の狩人は興味深そうな様子で冊子を裏、表とくるくる返し……ぽんと手を打つ。

 

「これ、術書?」

「ああ。弟から聞いたよ。早くから村を出ていたオイラには不可能だけど、君ならその術も使えるんだろう? シナトの術師、初代から先代までが書き記したっていう門外不出……だった書の、写本だよ」

 

 受け取った写本を、ヒシュはまじまじと見つめている。

 何かを思う間の後、面を上げて村長へと尋ねた。

 

「……皆伝は、確かに貰った。でも、分流のジブンが貰って良いの? 手段は多くて損は無い、から、良いなら貰う……けど」

「ああ勿論。折角オイラの弟を伝にして取り寄せたんだから、貰ってくれると嬉しいよ。それにどうせ現代で理解できる者は限られているし、君と姫君なら使いこなしてくれるだろうって、弟も当代も言っていたさ」

「……アイツ(・・・)にも?」

「そりゃあそうさ。まぁあの姫君には何時(いつ)何処(どこ)で、如何(どう)すれば出逢えるものか。判ったもんじゃあないけどね」

「じゃあ、本家の子」

「そちらも心配ご無用さ。当代が直接伝えている筈だから」

「……ん。なら、アリガト」

 

 お礼と共に、ヒシュは冊子をゴム質の革鞄に仕舞い込む。

 この無骨なゴム質の皮鞄は、ヒシュの特に大切なものばかりを仕舞っている ―― 防水性だけでなく抗菌性にも優れた品である。ダレンやノレッジにはよく判らない(奇面族的にはお宝らしい)がらくたや、お気に入りの宝石などが収納されている物入れ。その中に冊子を仕舞うという。それだけ大切な物という事なのだろう。

 

 冊子を渡した後、村長は「ちょっとお先に」と、走って港へ先行していった。見送りに行くつもりだろうか……と解釈し、荷物を引く一行は、村長から遅れて移動する事数分。ジャンボ村の西口である河川を渡す、木製の橋が見えてくる。

 すると同時に、普段のジャンボ村にはない異質な光景が広がった。所狭しと積まれた何かが、船が停泊する河川を覆い隠しているのだ。

 

「はて、なんでしょう……?」

 

 手を庇に、ノレッジが目を細める。

 黒光りする分厚い耐熱鋼。

 見るものに畏怖を覚えさせる砲身は朝日を飲み込んで鈍く返し、大口径の砲塔は揃って天を睨む。

 村の外にずらりと並べられているそれら。

 威容を放つ鉄の塊 ―― ミナガルデによる工匠兵器『試作型巨龍砲』である。

 

「……む」

「うわはぁ」

 

 ダレンがかみ殺した呆れの声を、後ろにいたノレッジが躊躇(ちゅうちょ)の欠片もなく口に出す。

 これら大砲は昨日、《廻る炎》によって護衛されたミナガルデギルドの人員が運び込んだものだった。

 興味を奔らせているノレッジの前に立ちながら、ダレンが説明を付け加える。彼はドンドルマに逗留していたために事情を知っている。

 

「手紙で話した、ミナガルデ卿の提出した『密林砲撃』の副案を実施するため……だろうな。ここまで手が早いとは思わなかったが……」

 

 今回の名義上、ダレンらはドンドルマに籍を置く王立古生物書士隊から派遣された「先遣隊」という扱いになっている。ドンドルマにミナガルデ。街同士、此方をけん制する意味合いもあるのだろう。余念ないその手管には、流石はミナガルデと唸らざるをえなかった。

 ただし台車付きとは言え、大砲はアプトノスの群れをも遥かに超える数。未知の住処である高山に運ぶにも中継が必要である。その中継地としてジャンボ村が選ばれたのだろう。何せここは竜人の村長が太鼓判を押すほどに、交通の要所としての要素を備えた場所。港としてここを選ぶのは理に適う。半ば当然、正しい行いですらある。……ただそれは、住み慣れた村にこれだけの異物を放り込まれた村民の心情を無視すれば、の話ではあるが。

 近くで番をしていた《廻る炎》の構成員に聞くところ、大砲らはここから天辺……射線の届く近くまで、残る一ヶ月を費やして運び込まれる算段であるらしい。その際には四分儀商会や《廻る炎》の人員だけでなく、僅かながら村の人手も使われるのだそうだ。《廻る炎》は確かに、そういった役目に重宝される立ち位置である。

 運搬員に給金は出るらしい。が、ダレンにしてみれば、ジャンボ村の村長がそれらの申し出に同意したのは意外でもあった。村長はミナガルデ卿の好き嫌い(・・・・)を知っている筈なのである。

 ただ、二ヶ月前にダレンの参加した会議で交わされた、ミナガルデとドンドルマの盟約の事もある。お上から多少なりとも圧力があったのだろうとの予測は出来るため、ここは仕方が無いと〆ておく事にした。

 

「おーい、ヒシュさん達が来たぞー!」

 

 ヒシュ達が船着場に近付くと、大砲の向こう側で大声が上がる。

 其処にずらりと、視線が並んでいる。

 早朝から出立する村のハンターを見送る為にと村の西口へ集まっていた、村人達の視線である。

 中にはオヤカタや先回りをしたらしいパティ、鍛冶のおばあとその弟子などは勿論、先ほど村長と話をしていた竜人族の女性までもが含まれている。どうやって先回りをしたかは定かではないが。

 村人らは周囲の異様にはやや不安を浮かべながらもそれらを表情には出さず、桟橋に乗り込むヒシュらを無言のまま見送ってくれる。

 

 川に掛けられた木製の橋の上。

 大砲の林をすり抜け、村人達の横を通り抜け、正面。

 それぞれの荷物を担いだハンター4名が、大小並ぶ。

 振り返り、村人の1人……少女が声援を発したのを皮切りに、一斉に声が飛んだ。

 

「……お願い、ハンターさん!」

「頼んだぜ、ハンターさんらよ!」

「どうにかこうにか……でも、死なんでくれ」

「そうさな。流通が滞るくらい、他にもどうとでもなるんだ。気をつけてくれよ」

「無事に帰ってきてくれさえすれば、それ以上なんて無いんだからな!!」

「ほっ、気張ってきんしゃい!」

「ふっ……今回の手柄はお前らに譲ってやるぜ、ヒシュ」

 

 止む事のない声援。引いた荷物と船の前で、一行は顔を見合わせる。

 見合わせたままヒシュにぐいと背中を押され、代表として前に出たダレンが拳を握って高く上げると、一層の歓声が沸いた。

 その中を、ハンター達は振り返らず、船の中へと乗り込む。

 期待を一身に、北へと向けて出立する。

 

 

 

□■□■□■□

 

 

 

 周囲一帯、水面を這う冷たい霧の中を船は進む。

 ジャンボ村を発って2日後の朝。ヒシュらを乗せた船は無事に「密林高地」の麓、中継点となる湖へと到着した。

 船は帆を畳みながら穏やかに、軋んだ音をたてて湖畔を減速してゆく。

 

「……ンー、ニャ……」

 

 船内に身を隠すハンターらを差し置いて、唯一船首へと駆け上ったネコが、哨戒の任務を果たすべくピンと髭を伸ばして周囲を確認する。

 川を上る最中、避けなければならないのは魚竜や怪鳥などによる襲撃であった。船を守りながら追い払うとなると、多大なる労力が必要になる。長期の狩猟となる今回、出来る限り浪費は抑えなければならない。

 ただこうして湖についてみると、心配は杞憂となっていた。密林の奥地に踏み入る毎に空気のざわつきが肌で感じられるようにはなるものの、同じくこの空気を味わっている密林の生物らが、迂闊に襲ってくるような事もなかったのである。緊張感によって不気味な均衡状態を保っていると言えば適切だろうか。

 砂浜にぐいと差し込んだ入り江の浅瀬で、船は動きを止めた。しんと静まり返った湖上で、舳先に1つの小さな影が躍り出る。顔を擡げ、髭を伸ばし。

 

「―― ふーむ。生物の熱や匂いは、どうやら見当たりません。皆様どうぞお出で下されば」

 

 辺りに敵意が無い事を確認したネコの促しを経て、ヒシュ、ダレン、ノレッジが船外へと次々顔を出した。

 

「と、あ、うわひゃ。……温暖な密林だとはいえ、流石に寒冷期の湖は冷たいですね」

 

 早速湖に飛び降りたノレッジが跳ね、体をぶるりと奮わせる。ダレンは辺りを警戒しながら、ヒシュは淀みの無い足取りで、それぞれが船を下りた。

 船を下りるハンターらは、既に鎧を身に着けていた。これから先は山登りになるのだが、いつどこで野生生物の襲撃を受けるか分からない以上、装備を解くべき理由も無い。そもハンターとは皮か鉱物か、鎧のままで管轄地を走り回る剛の者だからして、問題とて端から無い。

 

 積まれた荷物の内、保存用や予備の物以外の荷物を背負って船を離れる。

 暫くは平地が続いている。前方に見える裾野の境……「銀傘樹」の根元を目指して、一行は脚を動かし始めた。

 

「ん~、んん~。数多のぉ、飛竜を~」

 

 飄々と歩くヒシュが身につけているのは、黒狼鳥(イャンガルルガ)を素材とする紫苑の棘鎧。

 この大陸に来る前は銀火竜を素材とする手足甲冑と、白兎獣の皮を素材とした胴鎧を愛用していたが、それら装備は今、ロックラックの倉庫の肥しである。

 ヒシュは普段、仮面以外の防具には拘りがない。無論防具は命を守るもの。丁寧には扱うし、手入れもまめにする。加えて、四分儀商会からの依頼で狩猟したイャンガルルガの様に「気の合った」モンスターから取れた素材は愛用する ―― ものの。防具それ自体が修繕のため、素材も費用も(かさ)むものだ。動き易さと最低限の防御力さえあれば事足りると、ヒシュは考えていた。

 そのため長らく「レザー装備」を使用していたのだが……今回は相手が相手。恐らくは今まで培った仮面の狩人の経験すら凌駕する ―― 天災に等しいとされる古龍級の生物と評される「未知」を狩猟しなければならない戦局の只中に在る。

 備えは必要。そう考え、現状可能な限りの機能性を用意した。堅牢さに加えて、炎熱や毒に対する耐性を整えた。炎熱に強く堅牢なイャンガルルガの素材。内側には抗菌性と保温に優れたゴム質、ゲリョス皮の肌襦袢。そして「接ぎ」の素材としては、伸縮自在なフルフルの柔皮が使われている。既にヒシュ専用の一品として完成されたこれらは、手入れや修繕に手は掛かるが、防具として非の打ち所の無い性能となった。

 

「それは……童歌か。歌を歌うというのは確かに、緊張を緩和するには相応しいのかも知れないな」

 

 ダレンが頭から胴にかけて纏うのは、以前から愛用している「ハンターメイル」。鉱石と皮とを無駄なく継ぎ合わせたドンドルマ工匠の一品である。

 しかしそれら一般的な正中部から離れ ―― 両手と両脚の防具は、赤黒い竜鱗の燃えるような篭手と具足。雄火竜リオレウスの素材によって作られた物へと様変わりを遂げていた。

 ダレンは修行の間、ドンドルマに近しいラティオ活火山へ幾度と無く遠征した。炎熱の勢いが増し山々の鳴動が激しくなる温暖期には、当然モンスターの動きも活発になる。火山そのものの風格を備えた「空の王者(リオレウス)」と対峙したのも1度や2度ではない。屈強なるヨウ捨流の弟子達。またペルセイズやグントラム ―― 彼らが団長を務める猟団の団員といった歴戦のハンター達による助力がなければ、ダレンがこうして五体満足のままで立つことなど叶わなかったであろう。

 加えて、火山とそれらを囲む火の国は、鉱石の一大産地でもある。「ハンターメイル」の可動式兜の鉄鋼材も、一般的な鉄鉱石からドラグライト鉱石製に据え変わり、一層の耐久力と軽さを実現させている。構造を生かしながらより強固な装備へと強化が成された形であった。

 

「禍々しい歌ですよねぇ……でも、さらいにくるぞーっていう子供向けの脅し歌は、わたしの国にもありましたよ? 霞の様に姿を消す龍の話なんですが……」

 

 一方、ノレッジが選んだのは鱗の乗っていない皮の鎧である。

 頭上を覆う陣笠。首もとに巻かれた布。ぴたりと体に(あつら)えられた織物の内に帷子。くびれから垂れ広がる腰布。ノレッジがレクサーラで狩猟を重ねた様々なモンスターの素材が合皮として使われているこれらは、色合いこそ岩場に迷彩する地味な土気色に統一されているが、隠し切れない華のある衣装にも見えた。

 それら ―― ネコの国の「城砦遊撃隊」の図面を踏襲した装備を差し置いて、最も目を惹くのは左腕。

 鈍く輝きを主張する、白亜。一角竜亜種の堅殻を素材とした白銀の腕甲である。

 艶を消しても負けず輝くこの腕甲は、レクサーラの村とネコの王国、そしてハイランド・グリーズの連名でノレッジ個人へ送られた拝領の品だ。砂漠での経験を省みて、腕甲の裏には「白銀の角」を削った仕込みの短剣も誂えてある。

 射手とは、弾や矢を打ち込む役割。荷物を減らして獲物を撃つ役割である。故に弾丸や調合のための弾薬を持参しなければならず、結果として身体の守りは疎かになる。腕甲は、そんな射手の攻撃のための命綱。腕を射撃の衝撃や熱から守るため、唯一特化する事の許される装甲だった。

 他にも理由は幾つかあるが、ノレッジはこの腕甲を愛用していた。何より下手な鉱石よりも硬くて軽い。しかも、すり減らされるという防具の宿命を放棄したかの如く、牙を受けても炎を受けても揺らぐことの無い堅さを誇っている。ネコの国の鍛冶師……バルバロの妻が腕を振るい、「モノブロスハート」と呼ばれる特殊で稀少で用途不明な研磨剤を使用したらしいのだが、そこは専門でないノレッジには判らない。兎に角優秀な防具である事に偽りはないので、心配も感じていない。

 

「我が主よ。その歌を選ぶのは如何がなのでしょうかと、何度申し上げた事か……」

 

 後ろに続くネコは、荷物の替わりに、2輪の滑車を紐で引いている。

 船で来た故、荷車を引く役目の調教されたアプトノスがいないのが理由の1つだった。元より勾配のきつい高山はアプトノスに適さない環境でもあり、生命線である荷物の運搬を工夫するのは必要不可欠と言える。

 本来、山道などで荷を引かせるのであればガーグァという二脚の丸鳥が適しているのだが、生憎ガーグァは「新しき大陸」の渓流周辺や遺跡平原を根城とする生物である。しかも警戒心が強く、少しでも体駆の大きな生物に出くわすだけでも逃げ出すという。それ1羽を取り寄せるためには大量の金銭が必要となるというのに、今現在の密林周辺のざわついた空気では、近付くだけでも逃走しかねない……というヒシュの意見によってガーグァ取り寄せ案は却下されている。

 荷物は最低限まで減らされており、ヒシュらも背負い鞄として大量に背負っているため、荷車はネコの小さな体駆でもギリギリ引けないことはない。昇りになれば難しいだろうが、傾斜が急になれば吊り上げて移動すれば補う事も出来る。ネコ自身の装備は、防御力よりも身軽さを重視した外套と内鎧のため、荷物としては少ない側である。

 

「あーぁー喉あらば~叫ぇーべぇ~」

「よいしょ~耳あらば~聞けぇ~わたしの歌を~ぉ」

「……増えたな……」

「増えましたね……しかもノレッジ女史に至っては歌詞がオリジナルです」

 

 こんな騒がしい一団であるが、態々「中継点」に足を下ろしたのには訳がある。

 テロス密林の高地に埋もれた名も無き山。その天辺をこそ、イグルエイビスは根城としている。しかし山に踏み入るに際して、寄らなければならない場所があった。山麓に一際大きく根付いた「銀傘樹」の根元……そこに住む「伝承守」の頭取のもとである。

 ヒシュとネコが渡り来たこの「旧大陸」は、旧いが為に伝承や逸話が数多く存在する。中には「禁足地」と呼ばれ、足を踏み入れる事を禁忌とする区域が大陸各所にみられており……この高山を含む高地一帯も、その1つ。

 ただこれは、禁足地が危険度の高い生物の縄張りとなっているなど、侵入する側の危険を理由とするものが殆どであり、ハンターズギルドの権能を持ってか、ハンターという特殊な職業であれば立ち入りを許可される事例も少なくは無い。今回イグルエイビスが根城としているこの山も例に漏れず、ギルドの後押しを経て入山が許される地であった。

 それでも最低限、禁足地に踏み入るには、代々場所を管理している守人に顔を通さねばならない。しきたりと実利との妥協点、と言った所であろうか。勿論、山をくまなく知り尽くしている守人から山の近況を聞けるという利点も存在する。

 

「「彼の者の~、な~を~」」

「―― 丁度合唱が終わった所、満足でしょうか我が主、それにノレッジ殿」

「ん」

「はい!」

「そろそろ着くぞ。あれが目的地だ」

 

 ダレンの指差す先に視線が集まる。銀傘樹の名にある通り、薄翠の葉を傘型に着けた樹が間近に迫っていた。

 テロス密林における河川とは、人間でいう所の血管。栄養や必要成分を多量に含む循環機能である。それら河川の源域にのみ生息する銀傘樹は、生育に必要な栄養分の殆どを根元の河川から吸収するべく、葉に日光を浴びせる必要性が少なくなるよう重点的に進化を遂げた。それら進化の成功を示しているのであろう。山麓の恩恵を一身に受ける目前の銀傘樹は、根や幹の太さ1つをとっても並みの樹とは比べ物にならない程。大きさからして周囲よりも頭1つどころか3つ4つは抜けている。

 一行がそんな銀傘樹を見上げる位置まで近付く。すると。

 

「―― 来られましたか、運命の子らよ」

 

 大樹の下で、黄色を纏った老人がヒシュらを出迎えた。

 未だ距離がある中、先頭に立つダレンが軽く会釈をしながら口を開く。

 

「ジャンボ村より参りました、王立古生物書士隊のハンターが一隊。私はダレン・ディーノという者です。お目通りを嬉しく思います」

「よいよい」

 

 足は止めていない。近付くに連れ、老人の姿が鮮明になってゆく。

 老人は光を飲み込む様な、あるいは身に纏う者の存在感を丸ごと削る様な、古の衣を羽織っていた。艶消しの黄色に全身を包み、象形文字か意匠か様々な記号によって淵を彩られ、頭上にはつばの深い帽子。横から辛うじて見える尖った耳には、鈍く蒼く輝く年代物の飾りが揺れている。耳と鼻の特徴からして、目の前の老人は竜人族で間違いない。黄衣の出来と年季を重ねた厚みのある空気とが相まって、老人がこの地に根付いてからの長い歴史を感じさせる。

 老人はそれら風貌を一層強く印象付ける、凝り固まった眼球をぎょろりと動かし、ヒシュらを見回した。

 開口一番。

 

「歓迎させていただきます……ですが、申し訳ない。我等一族が存じ上げているのはざわつく森のこの様子(・・・・)のみなのです。これはここまで来られた貴方がた狩人であれば、既に肌身に染みてご存知の事でしょう。ドンドルマのハンターズギルドとの契約に基づく有用な情報の提供が出来なく、申し訳ない。ただ、せめて、どうぞ。この先へは自由に参られよ。例え滅びの運命にあろうとも、我らは甘んじて受け入れる。語り部はただ見届けるのみです」

「……と、いう事は」

「ん。通って良い、みたい?」

 

 どうやら許可は得られたようだ。情報はあくまでついでの目的であったため、顔通しという本来の目的はあっさりと終了した形である。

 ダレンとヒシュが思わず顔を見合わせるその前で、背に聳える山を仰ぎながら、ぼそりと、老人が続ける。

 

「本来であれば交わる事すらない筈の者らが、こうして今、相見えている。多少の差異は折りこみ済みでしょう。命をも命と思わぬアレを、貴方がたが、はてさて、狩る事が出来るか否か……。赤衣の奴らめと志を同じくする訳ではありませぬが、いずれにせよ歴史の岐路には違いありませぬ。この亜人の老翁は貴方がた狩人らの狩猟をしかと記憶に焼き付け、後世に伝えさせていただきましょう」

 

 此方の反応の一切を窺わないまま、老人は言い切った。

 ともすれば意味の端すら掴めないこの言葉に疑問符を浮べたのは、ノレッジのみ。

 ドンドルマで多少なりとも教授されたダレンは神妙な顔付きで、お伴たるネコはふむと髭を伸ばして。

 ヒシュは、仮面をかたかたと揺らし。

 

「そんなことはない、と、思う」

 

 かくりと、今度は首を横に振るう。

 否定の言葉によって一度は離れかけた老人の興味が、再び此方へと向いたのが肌で判る。

 老人はヒシュの仮面をじっと見つめ。

 

「ほう? ……貴方はどうやら、奇面の部族の気をお持ちですな。なればこそ、あの傾者のやっかいさを理解なさっているのでは?」

「んーん。ジブンだけじゃない。ここに居る皆は、それは判ってる。やっかいなのは、知ってる」

「ほうほう……成る程。確かにどうやら皆様揃って、それぞれ資質をお持ちの様子」

 

 ダレンと、ネコと、空気を呼んだノレッジが頷いたのを見て、年老いた語り部は率直に、感心した表情を浮べた。

 視線はそのままだ。ヒシュが続ける。

 

「この世で生きてる。ジブンも、その、イグルエイビスも。なら、交わる事がない、っては言い過ぎだと思う。モチロン、あれが未知性を孕んだ生き物だって、加味しても」

「それが未知を未知のままとせん……歴史を覆い隠すべく立ち塞ぐ、暗幕だとしてもですかな?」

「そう。命を命と思わないっていうのも、それは、人間が考え過ぎるだけ、と。命の何がしかなんて、きっと、自然の中では語るまでもないだけだから。タブンね」

 

 真っ向から言い分をすり抜けてゆくヒシュの言葉に、黄の老翁は笑みを深めた。

 

「ふむ。……それすらも受け入れる度量こそが、貴方達を狩人たらしめているのでしょうな」

「ん。やっぱり、生きているから。生きているなら、死ぬよ。狩れないことは無い。ここでジブンらが狩れば、あれ、世を脅かす天災になんて成らなくて……ただの生物(モンスター)で終わる」

 

 それは。

 と、老人は問いかける唇を紡いだ。果たしてこの狩人の立場がどちらに(・・・・)あるのかなど、歴史の流れの中では些細な事。興味をそそる内容なのは間違いないが、しかし、この老人はあくまで語り部という職務に忠実であった。

 話は続く。ヒシュがいつもと変わらず、向かいで首を傾げている。

 

「それにそもそも、ジブンらが駄目なら次の策がある。……って、ダレンが言ってた。ね、ダレン」

「ミナガルデ卿の策ではあるのですが、一応は。その際にはこの場に退去勧告の伝令が来る手筈になっていますのでご安心ください、ご老輩」

「ほっほ。ありがたい」

 

 軽やかに笑う老人はお礼の言葉を伝えながらも、勧告に従うつもりは毛頭無い。語り部は史実を見届け、後世に伝えるのが役目である。そこへ自ら介入をする余地も予定もない。

 ……無いが、せめてこの狩人達の健闘を祈るくらいは許されるであろう。彼ら彼女らが研鑽を重ねてきたのは間違いない。なればこそ、この物語が後の世で、1つの英雄譚として語り告がれ楽しまれるのであれば。

 

「―― 山の天辺は、一面黒い瘴気に覆われておった」

「えっと……瘴気……ですか?」

 

 反射的にノレッジが聞き返す。黄の衣がゆるりと縦に揺れる。

 

「そう。その瘴気のおかげで、我ら一族は近付けなんだ。遠目から目視するのも困難。ミナガルデギルドの気球が撤退を余儀なくされているのは、この瘴気によって観測に掛かる費用を抑えるためでありましょう。この物語の結末を求める英雄達よ、気をつけられよ。疾く参られよ。その手に栄えある耀きを掴まれよ」

 

 最後に「ミナガルデの監視は今は無い」と言外に付け加え、老翁は銀傘樹の根元へと帰っていった。

 

 

 

 

 

 面通しを終えて。

 入り江の湖岸を離れ、船が再び動き出す。目指すは更に山へ近づく、奥まった停泊地である。

 湖から先の水路は急峻な崖、滝の連続となっているため、そこから先は徒歩となる。停泊させた船は第一野営地……本陣としての活用が可能であろう。

 船を水辺で完全に停泊させると、一行は再び荷物を持って船を下りる。先程よりも大荷物になっているのは、ネコが引いている荷車が存在するからだった。

 

「とうっ」

 

 唐突に声をあげ、ばしゃり。隊の中で最も好奇心旺盛な少女が、またも、桟橋を待たずして飛び降りた音である。

 

「おーぉぅ……」

 

 1番乗りを果たしたノレッジは、水辺に立ったまま顔を上げて感嘆の声を漏らす。

 砂漠とはうって変わって、懐かしい、水と縁とに溢れた湿密林。遠くから流れ落ちる瀑布の音。目前には、そんな密林をも突き抜けてゆく霊峰が、ジャンボ村から眺めた姿となんら変わる事無く厳かに、静かに、懐深く佇んでいる。

 ぼうっとしているノレッジの横にダレンと、ネコの荷を肩代わりしているヒシュとが追いついて、そのまま追い越した。それでも立ち止まったままの少女を、隊長としてダレンが諌める。

 

「ノレッジ・フォール。この先の山道から先に進む」

「あっ、すいません。じゃあわたしが先行しますね!」

 

 ノレッジは荷物を苦にする事無く、軽い足取りで木々の中へと分け入ってゆく。ダレンは少女の変わらない気性に少し溜息を漏らし、懐かしくも思いながらその後を追った。

 

 目の良いノレッジを先頭に、4者は上峰を目指す。

 登山の道中は楽ではないが、それでも序盤は予想の範疇に収まるもの。

 しかし高度を増すに連れて道中は激しさを増してゆく。普段は小型の生物で賑わっているであろう水辺を超え。勾配の急な坂を荷車を引き上げながら登り。方位を確認しては時折引き返しつつ、慎重に路を進む。

 移動は基本的に昼間に行う。夜間は体力の温存と体の適応、装備の点検に時間を割いた。夜間も野生生物による襲撃を警戒はしていたのだが、やはりというべきか、山中には他の生物の気配が感じられない。未知がこの山を居と定めてから、既にかなりの時間が経過している。糞や足跡を辿っても新しいものは見つけられず……居るとしても山を下ってゆくか、もしくは巣の中で縮こまるケルビやファンゴが数頭といった所。争うべき肉食または雑食の生物の姿が全く見受けられないのである。「静まり返っている」という黄衣の老人の言葉も、これならばと頷けた。

 

 時折体を慣らしながら4日ほど。

 一行は尾根伝いに山の頂上が視認できる高さにまで到達していた。

 

「―― っぷはぁ。身体も、大分お山の空気に慣れてきましたねー」

 

 ノレッジが腿を上げ下げした後、両腕を上に向けて大きく伸ばした。隣では真似をしたヒシュが首を傾げながら体を反らしている。

 山中を踏破するというのは予想以上に体力を食う。なので身体が鈍るという事はないが、これだけ他の生物が居ない猟場というのもまた珍しい事態である。緊張感を維持するのもまた大義ではあった。そういう意味で、ノレッジの持つ砕けた雰囲気は一行に良い作用をもたらしているに違いない。

 

「先に観測した地形と照らし合わせると、もう少し進めば樹林帯を抜ける筈だな」

 

 片手に書き込まれた地図を持ちながら、ダレンは前方を確認する。

 標高を上げるに連れて、木々は気候に適応すべく上背を減らしてゆく。それは人間や獣人も同様で、身体のだるさや空気の薄さに身体を馴染ませる必要があった。先日は怠さも頭痛も軽度あったが、それもかなり軽減してきているように思える。

 ダレン自身、標高のあるドンドルマを拠点として修業を行っていたため身体が馴染むのは早かっただろう。ヒシュとネコも最近に高い位置での狩猟を挟んでいたと聞く。心配があるとすればノレッジだが、彼女の体調は今の所安定していた。

 とはいえ、ここから先も慎重に進む必要性はあるだろう。ヒンメルン山脈程ではないが、この密林高地だとて頂上付近はかなりの標高になる。高ければ高いほど変化は強い。悠長にしている時間があるか否かは、相手の出方次第ではあるが。

 

「さて ―― 抜けた、が」

「ん、此処だと思う」

「おぉ」

「……ふむ?」

 

 樹林帯を抜けた瞬間、その光景を目前にして、4者4様の疑問符が浮かんだ。

 切り開かれたが如くおあつらえ向きの、平原。勾配は緩やかだが、それゆえに隠れる場所は無く、空からの見通しも良い。……襲うならばここであろう、と。

 空気が変わったのが、判る。

 気付けば山を覆っていた暗雲が、急速に、此方(・・)向かって(・・・・)伸びて来ていた。

 樹木が減り石と礫とが増え、開けた平地 ―― まるで辺りの明るさがなりを潜めたかの様に思われる。

 誰しもが腰を僅かに低く、その場に立ち止まり。

 

「来た」

 

 荷物を背負ったままのヒシュが、覆仮面のまま峰を見る。ネコの耳がぴくりと動く。ノレッジが僅かに遅れて仰ぎ見る。ダレンが最後に、ハンターヘルムの庇を持ち上げる。

 山道を歩く4者を目掛け、いよいよ近付いて来る ―― 羽音が1つ。

 

「……あれが!」

「お任せを」

 

 ノレッジが声を上げると同時。各々が荷物を放り、ネコがその移動を一手に請け負う。

 晴天の空に1筋、黒味が射した。

 黒く(ただ)れた羽を絢爛に揺らす、鳥竜の影。

 モンスターの出現を受けて、ハンターらは油断なく武器を構える。

 

「……しゃんたく……? あのまま、来る」

 

 視界に相手をはっきりと捉え、ぽつりと謎の呼び名を発しつつ、ヒシュは腰のククリ刀に手を伸ばした。

 

「いえ、イグルエイビスって名前が着いたんじゃなかったでしたっけ……もしくは始祖鳥?」

 

 青白い一体型の重弩を背から腰へと接着し、ノレッジは弾丸を装填した。

 

「余所見は程ほどにだノレッジ・フォール。迎え撃つぞ」

 

 大剣の皮鞘の留め金を外し、柄を把持して、ダレンは右足を半歩前に踏み出した。

 

「自ら我が主の下へ出向いてくるとは。相手ながら殊勝な心がけ」

 

 最後に、ネコが一行の後ろへと回り込む。

 陣形はこれで整えられた。

 

「―― 、」

 

 風を切る小さな羽音を引っ提げ、宙を割き飛び来る黒色。彼我の距離は十分に。

 王立古生物書士隊に籍を置く3名は、未だ距離を保ちながらも、相手の骨格と風貌とを観察し始めた。

 相手は原初 ―― つまりは過去に在ったもの。

 人が既に過ぎ去った時点にありながら、未だ知らぬという矛盾を抱えた生物だ。

 それらを知る千載一遇の機会を、狩人らは得た。未知を既知へと変えるべき時節を迎えているのだ。

 

 20メートル程の距離を保って、樹林帯の側へ。

 最も太い木を選び、その上に降り立つ。ぎしりと樹が軋みを上げた。

 鋭い脚を2度踏み鳴らし、翼をゆるりと持ち上げる。

 端から端まで、十全に開けた血路。危険が大口を開けている。

 そこを、死地を踏み行く慎重さを持って剣を握り、狩人らは行く先を睨む。

 威嚇。翼が広がり、太古の嘴がふるりと震え、上下に別たれ。

 

 

 

 

「―― ジュキュェァァァ゛アアーーッッ!」

 

 

 

 

 嘴を芯に大気が揺れた。翼に黒々と生え揃う羽が、其々の意思を持っているかの如く蠢いた。

 祖なる鳥を見上げながら。びりりと震える肌を押して、ヒシュとダレンが前に出る。

 

「―― ネコ!」

「了解です、我が主!!」

 

 4者の中で唯一、陣形 ―― ヒシュが最前、ダレンが中距離、ノレッジが3時方向に回り込むというもの ―― に加わっていなかったネコが、気合の乗った声で返答した。

 彼女は引いていた巨大な荷車の後ろ側へと飛び乗り、地面に固定された事を確認すると、鶴嘴を振り上げる。

 これはネコが元より得意としていた役目でもある。機を読むのも手馴れたもの。

 翼を羽ばたかせ、体が浮き上がり。

 

「行きます ―― ニャァッ!!」

 

 ネコが全身を使って叩き込むと、荷車だった(・・・)物がガラガラという音をたてて駆動を始めた。

 音を意に介せず、巨影は樹上から高速で降って来る。視線は先頭に立つヒシュへ注がれている。

 ヒシュが丸楯を構え、そこへ、頭蓋を侵食した巨大な嘴が近づき。

 

 衝突の寸前、弩砲を思わす蒸気の音が割り込んだ。

 

「穿てよっ ―― 撃龍槍っっ!!」

 

 マカライト鉱石。ドラグライト鉱石。カブレライト鉱石。それら名だたる鉱石を、獄炎石やユニオン鉱石で繋いだ……極大の「撃龍槍」が、轟音と共に回転し突き出される。

 新世を迎えた王立武器工匠の作、対大型生物迎撃兵器「撃龍槍」。初代のものは行方不明になったが、依然としてドンドルマやミナガルデで使い継がれてきた運用実績を持つ、弩砲と鉾の衝突角……その簡易版である。

 簡易とはいえ撃龍槍に違いはない。その刺突は、飛竜の外皮をも容易く貫いてみせる程の威力を宿している。

 が。

 槍の軌道上。

 全く臆する事無く、イグルエイビスはヒシュに向かって猛進する。

 結果、撃龍槍は嘴に真横から直撃した。槍に含まれた紅蓮石の成分が煌々と明るい火花を散らす。

 しかし堆積した闇を思わす巨鳥の外皮が、それら明るさを放たれた端から吸い込んで行き。

 結果、イグルエイビスが撃龍槍に貫かれるという事はなく。

 

「―― ュェァァ゛アッ!」

 

 それでも押しせめぎ合う力比べは、宙に浮かび足場の無いイグルエイビスの側が不利だった。鳥竜は押し出され、大きな羽を動かし空中で姿勢を立て直すと、一度地面に足を着けた。

 着地点へ向けて、ダレンとヒシュが一挙に走り出す。ノレッジが銃口を向ける。ネコが荷車兼簡易砲台から飛び降りる。

 

「これより、狩猟に取り掛かる」

「ん。行く」

「ノレッジ・フォール、行きますっ!」

「遊撃、開始致します」

 

 暗雲垂れ込める衝突。

 これらがダレン隊と未知との、長く果てない闘争の口火を切る一撃となった。

 





 間は開くと思いますが、とりあえず大筋は出来上がっているので更新します。VS未知戦その①です。何かあれば(特に遭遇→衝突の流れとかがうまく運ばなかった印象)追記修正削除のどれかはあるやも知れません。悪しからず。申し訳ありません。
 以下、順不同に雑談。書きながら寄り道している思考メモの様なもの。

・銀傘樹。残念ながらオリジナルです。
 モンハン世界の木々については殆ど(……というか、もしかして、名称が明らかなのはヒヨス位でしょうか?)情報が無いもので、オリジナルになってしまいました。眺めていると、一応名前が予想できるものも多いですが……はてさて。
 こういう大樹が目印になっている場所と言えば、バデュバトム樹海(2ndGのナルガ本拠)。ロマンが溢れています。名称については銀傘+傘寿の意味の薄い語呂合わせだったりしますが。

・防具を着ながら移動する事について
・問題とて端から無い。
 ……いや、あると思います。2ndGのOPを見るに、キャンプで装備を整える様子にも見えますし。
 ただ2ndの初っ端、ハンターポッケ村へ移動ムービーや3rd初っ端「ユクモ村へ」のムービーを見る限り、軽装であればそれで移動する人も多く居る様子です。ユクモ装備なんかも旅人の衣装として利用されている様子ですし、やはり重さは関係あるのだと思いますよ。当然。
 とはいえやはり危険度7(モンハンクロス現在、ウカムアカム&ドス古龍と同等。オストガロアやアマツ等が危険度8)のモンスターが居ると宣告されている地を歩くのに、鎧を外したくは無いですよねーという。このくだりを作中でやると、どうしてもメタメタしいので省かせていただきました。いえ説明の分量多いのにそこだけ気にするのも今更ですけれど。

・初っ端撃龍槍。
 やりますよね、ドンドルマ迎撃街とか立体闘技場とか。
 ……え、やりません? 4Gでティガ3体とか、あれを確実に当てられるか否かでタイムが変わってくるので……勿論、ソロですけれども。

・モノブロスハート。
 ……だから心臓を落とすのは如何程かと思うのですが……うん。用途不明。死んでも復活するあの方も心臓を素材にされていましたね。あと轟竜の希少種ですか。心臓を何に使えと……?
 いえ、ですから本作におきましては十分に有用な使い道があるのです(自問自答。
 初代辺りでは、英雄の剣の研磨に使われていましたモノブロスハート。モノブロスの稀少素材になります。他にモンハン世界の研磨剤といえば、大地の結晶、竜骨結晶といった辺りが有名でしょう(前も確か話題に出した)。この辺は私的にまとめてあるものを後々、設定集として出して見ましょうか。モンハンSSが増えてくださることを願いまして。

・遊撃隊? 弓撃じゃなくて?
 だって露出させる意味が判らない……(ぉぃ。
 でも隙あらば弾丸を搭載してやるぜ! というあのデザインは好きですね。ノレッジのも遊撃隊の露出度(御幣あり)で、でも弾丸は巻きつけてあって、頭は陣笠に変更してあるという。実際、視界を保持するという意味では傘の方が優秀なのではと。


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第三十三話 戦刃は塵の中に

 

 未知の鳥竜イグルエイビスは、地上を駆けるハンター達と視線を揃え、嘴を突き出しながら翼を広げた。

 確実に、撃龍槍はイグルエイビスを捉えていた。しかし直撃したはずの嘴からは、僅かに欠けた黒色の破片が落ちるのみ。黒色の外皮が削げ落ちたその奥には薄黄色い嘴本来の色が覗いているものの。どうやら撃龍槍による刺突ですら、古龍級の生物にとっては致命打とならなかったらしい。

 着地場所へと距離を詰める狩人らの目前で、鳥竜が後ろへ細かく後退した。嘴の間から炎の欠片が漏れ出している。直線上にいたヒシュとダレンは、頃合を見計らって左右に飛んだ。

 青白さが先ほどまでのダレンの位置を覆い潰す。

 

「っ……奴の炎弾かっ」

 

 大剣『竜の(あぎと)』を地面に突き立て、辛うじて風圧を遮りながら、ダレンは歯を食いしばった。

 凄まじいのは炎だけではない。炎弾に込められた(火炎液を束ねていた)風圧が、着弾周囲1メートルの全てを吹飛ばして見せたのだ。飛び散った砂や小石が『竜の顎』の側面にばちばちとぶつかる音を聞きながら、ダレンは体勢を立て直すべく脚に力を込める。

 そのダレンの3メートル横。炎の影響を受けず、数の優位を嵩にきて、警戒域を抜け出したヒシュがイグルエイビスの懐へと疾風の様に飛び込んで行く。

 

「ふっ」

 

 身を低くしたまま左の『へビィバング』を振るう。

 鳥竜は攻撃の気配を鋭敏に察知すると、身体を僅かに浮かせて飛び退った。

 追撃。ククリ刀の重さを活かして更に身体を捻る。『へビィバング』よりも2回り外側の軌道を描いて振られた右の『闘士の剣(オデッセイ)』が、鳥竜の身体を捉えた。

 かちん、という軽い音。

 手応えは無い。翼に……黒い外皮に『闘士の剣』の濃翠の刃が弾かれている。帯水機構によって噴出した水も、同様。

 驚いている暇も、身体を留めておく猶予も無い。反撃にと、鳥竜は鋭い爪を持つ足を突き出した。ヒシュは身体を逸らし、それでも近場に張り付いたまま機を図る。

 

「うわ、硬いですねっ……!」

 

 重弩を引きながらノレッジが思わず呻いた。ヒシュに狙いが集中している間にノレッジも通常弾を撃ち放ったのだが、それらを全て受け止めて、イグルエイビスは微動だにしていないのである。

 射撃は牽制程度にはなっているだろうか ―― 続けてダレンが走りこむ。背中の大剣を振り抜き、振り下ろす。

 大剣の質量も、味気ない音と共に弾かれた。刃は全く沈まない。それでも、重さを活かして鳥竜の翼を押さえ込む事には成功していた。

 

「く、むっ」

「―― ジュェッ」

 

 間近に翼と大剣とが鍔迫り合い、紫苑の棘とダレンの瞳とが睨み合う。

 イグルエイビスの体高はダレンと大剣を合わせたものよりやや大きい程度。大剣は元より、その重さを活かして「叩き切る」為の武器。上方から大剣を押し付け、鳥竜の翼を使った足回りを抑えようという狙いである。

 しかし、鳥竜の武器は足と爪だけではない。飛んでくる弾丸を弾きながら、嘴がダレンの側を向いた。

 

「させない」

 

 接近戦は続く。2脚の間を潜って前方へ転がり出たヒシュが、右の楯を押し付けて嘴に張り付いた。炎を吐く動作の機先を、嘴の開閉を封じている。

 これでノレッジとネコが役割として浮く分、ハンター達が有利になる。その筈である。が。

 

「―― ジュェッ」

 

 鳥竜は油断をしていないハンターらの前で身体を沈ませると、そのまま地面を(・・・)転がった(・・・・)

 

「う、おっ!?」

「っ!」

 

 予期せぬ行動に、ダレンとヒシュの身体も引き摺られるように沈む。嘴を抑えていた楯が空を切り、翼に当てられていた大剣が地面に刺さる。

 上から押さえつけられているのならば下に動けば良い。理に則った発想である。体勢を崩したハンター達の目の前で、イグルエイビスは悠々と空へ舞い戻って見せた。

 

「……く、まさか転がるとは」

「連携は上手く行ってる。上々」

 

 旋回している間に、ヒシュとダレンは合流した。互いに空を見上げたまま小声でやり取りを交わす。

 撃龍槍の解体を終えたネコが駆け寄るより早く、鳥竜が再び飛来する。

 

「―― ジュェァァ゛!!」

 

 脚の爪を振り翳し、身を低くしたヒシュを牽制して空へ。嘴を直上から突き立てて、ダレンを襲って空へ。

 樹林帯を陣取ったのは、イグルエイビスに有利に働く。木々の中へ駆け込む猶予を与えないつもりなのだろう。鳥竜は狩人らを、空から怒濤と攻め立てた。

 一撃離脱を体現した鳥竜の強襲。地の利が生きる、小回りの利く翼と鳥脚。森の中で相手が出来れば上等だったが、その前に被害を出していても仕方が無い。いずれにせよ距離を取られれば炎もある。相手の舞台に上るしかないだろう。

 

「仕方があるまい。後退しながら相手だ」

「ん、賛成」

 

 判断を下したダレンは大剣の切先を鳥竜に向けながら、じりじりと後ずさりを始めた。

 鳥竜は空を統べ、猛禽の如く鋭い赤い瞳を光らす。此方を……いや、ヒシュはとうに相手のお眼鏡に敵っている。だとすれば隣にいる此方を、ダレン・ディーノを値踏みしているのだろうか。

 

(策の変更は悟られた、か。ならば次手だ)

 

 イグルエイビスが直線状に降下を始める。ダレンは思考を切り替え、再び歯を食いしばった。

 半身に。足は自然に前へ。大上段を通り過ぎ。大剣が肩から背に沿う。目を見開く。力を、僅かに込め。

 狙い寸分の狂いなく振り下ろされる大剣 ―― 擦りあった嘴と『竜の顎』との間で火花が散る。

 

「お、ぐ……はぁっ!!」

 

 1秒に満たない交差。がりがりと音をたてる刃と嘴。果して、剣は押し切られる事なく振り切られ、嘴と、翼と、鳥竜の身体が真横をすれ違って行った。

 ダレンは体勢を直す間を待たず、振り向いて相手の姿を確認する。

 傷は視認出来ず。それでもイグルエイビスの軌道は逸らされ、見事、地面に脚を着けさせた(・・・)

 空から引き摺り下ろさなければ、「対等」という言葉すら夢のまた夢。策と呼ぶのも傲慢な……強引な一手の成功を、ダレンは一先ず安堵する。

 頭の中、地面に爪を突き立て制動を試みる相手を観察しながら推論を並べ立ててゆく。

 鳥竜種の特徴とは、やはりその「軽さ」に集約されている。代表的な飛竜種との差異として上げるべきは、脚部と翼の発達具合。上位の捕食者に抗うか否か。牙や炎といった飛竜を代表する器官は、武器を選ぶ過程で強いられた分岐の結果である。

 だとすれば目前のこの生物は、いずれにおいても中途半端(・・・・)であると評する他無い。

 

(上位捕食者をも諦めない……強欲な鳥竜、か)

 

 戦闘に対する意欲が際立つのも、その辺りから来ているのだろうか。

 空を制する生物といえば、やはり飛竜。空の王者リオレウスを筆頭とする、高度な滞空性を有する種族である。学術院が選定する飛竜種という括りでは規模が大きくなるため、特徴的なワイバーンは除外するが、それでも、空というフィールドにおいて彼ら彼女等は圧倒的な優位性を獲得している。

 その点イグルエイビスはこの個体に特有の硬さを除くと、種族としてワイバーンらに勝利するのは難しいと断じざるを得ない。個体としての堅牢さが違い過ぎるのだ。となると繁殖数で勝るしか方法はないが、それも空という生活圏で争う以上は困窮する事になるだろう。

 物事に慎重なダレンにしては珍しい事に、この予測は正鵠を射ている自身があった。何しろ、証明しているのは歴史である。だからこそ、この荒々しくも輝きに塗れた世紀においてイグルエイビスはその姿を残してはおらず、血筋を伝えるに留まっているのだから。

 

「―― ふっ」

 

 大剣を構え直すダレンの横を走り抜け、隊の中で最も身軽に猟場を疾駆するヒシュが鳥竜へと迫る。合間を埋めるノレッジの援護射撃はまたも弾かれるが、反転しきる前に獲物を剣域に捉えることに成功した。

 『へビィバング』と『闘士の剣』の2振りを、確実に振るう。ダレンの知るギルドで主流の双剣型とも、新たに知ったペルセイズ固有の対空剣技とも違う、ヒシュに独自の爪と牙。

 しかしそのどれもが鳥竜を傷つけるには至らない。覆してみせるのは、他ならぬ黒色の外皮である。

 

「ど、おおっ!」

 

 ダレンが気合の咆哮。走り、再び翼の上から『竜の顎』を叩き付けた。

 嘴は兎も角、翼は押さえつけられる。先ほどと同様の流れ ―― しかしダレンは動きを変える。鳥竜に対応される前に。

 外皮と剣とが擦れる音。ダレンは振り下ろした剣を擦りながらずらしてゆく。

 骨剣のしなやかな刃が翼を振り切った瞬間、腰溜めに力を解放し、大剣を薙いだ。

 薙いだ大剣の直上。ヒシュに向けて振るわれていた最中の嘴を、勢いに勝るダレンの膂力が押し返す。

 

「ないすっ」

「お任せを」

 

 硬直した替わりに隙を生み出したダレンの横、ヒシュが今度はネコを伴って攻勢へと移る。

 緩く弧を描き、注意を惹きながら身を低く。後手に、狙いは嘴とのハンドサインを出している。

 何となく、思考の順路は読めてきた。黒い外皮が零れている、鳥竜本来の色が見えている部位……嘴から崩してゆく積りなのだろう。回り込んでいたノレッジも、嘴の動きを制限する為の射撃を試みる。

 此方の狙いを悟れぬ鳥竜ではない。

 ヒシュの速度を重視した一撃を嘴に受け、抱えた唯一の傷を狙われていると知るや否や、イグルエイビスは動きを変えた。方向転換や爪脚、炎による攻撃を混ぜ込み始めた。

 そのものが矛であり炎の発射口でもある嘴。狙うとすれば、当然、炎の危険にも晒される。狙いは殊更慎重に定めなければならない。

 

「かく乱を」

「了解」

 

 叫びあうと、ダレンはネコと共に遊撃に走った。嘴を狙いに掛かるヒシュへの援護である。警戒されているとは言え、嘴にしか傷がないのならば、少しの成果も出さないまま諦めるのは口惜しい。

 火炎袋の構造として、炎ばかりを吐き出す事は出来ない筈だ。着火する為の粉塵や火炎液の残量。それまでを耐え切るのみ。

 反転した先を読み、着地した場所で待ち構え、振り下ろす機を先取っては嘴を付け狙う。

 かと思えば入れ替わり、ヒシュが囮となり、ノレッジの射撃を援護する。

 ダレンとヒシュばかりに気を向けていると、ネコが間近に迫っている。

 執拗な、という言葉を体現する連携。行動を共にしなかった4ヶ月などものともせず、むしろ完成度は上がっている。武具、身体、士気。個々の動きの精度が増しているのも大きな要因であろう。

 ならば。

 イグルエイビスは特に樹林帯に固執している訳ではないらしい。ただでさえテロス密林、高嶺の山中は起伏に富んでいる。小高い草原の丘や突き出した岩場で距離を測りつつ、ハンター等を追い立ててゆく方針だろうか。

 

「追うぞ」

「了解ですっ」

 

 距離を取られたならば、ハンターは追いかけなければならない。一方的に炎に晒されるという展開を避けるべく、一隊は山中を登り始めた。

 吹き出される炎弾を避けながら草原や砂利道を駆け、草原を丘を越えてゆく。中途、丘を抜ける最中に見上げた空は、半分以上が暗い雲に包まれていた。

 三方から慎重に追いたてた先。生えあしの短い草原で、漸くと鳥竜を捉えかける。

 

「先」

 

 ぽつりと呟くと、地面を這う影が隊列を飛び出した。迂回を挟んだ距離から、思い切って先陣、ヒシュが直線距離を飛び込んだのである。

 ネコがその3歩横を駆ける。更に後ろから駆けた勢いそのまま、ダレンは背負った大剣を握り締め。

 

「ん、ぐ!」

「―― ジュァッ」

 

 ヒシュの剣が飛び立つ直前の鳥竜を捉える。崩した身体へ雪崩れ込む様にノレッジの射撃、ネコ、ダレンと続く。

 それら連携によって紡がれた攻撃全てを受け止め、或いは軽やかに避けながら、鳥竜は自らの間合いと呼吸を整え直す。

 

「援護を」

 

 ならば道具と、回りこんだネコが「落とし穴」を仕掛ける。ニトロダケ炸薬により小規模な穴を抉じ開け、クモの巣と蔦の葉によって編まれたネットを組み込んだトラップツールを展開させる。

 鳥竜が後退した場所、寸分違わず。脚が一瞬、偽装された地面に掛かり ―― それすら。

 

「飛んだ、かっ!」

 

 正面の攻勢を目眩ましだと感づいてか。トラップツールによって大きく広げられた大穴を、イグルエイビスは翼を軽く動かした一動作によって、嘲笑うかのように回避してみせた。

 隣のヒシュが小さく「やっぱり」と呟く。落とし穴は獲物の自重を利用した罠である。ジャンボ村に集めた王立学術院の報告書の中にも、黒狼鳥に代表される身が軽く賢い竜などは、落とし穴を回避する行動がみられると報告があった。「賢しい」という範囲を超えたこのイグルエイビスならば、それも頷けるというもの。

 黒狼鳥の身の軽さ。走竜の跳躍力。怪鳥の耳の良さ。毒怪鳥はといえば、不気味さであろうか。兎に角、そういった鳥竜という枠組みの全てを用いて、イグルエイビスはハンターらを迎えうっているのだ。

 鳥竜を束ねた頂。それは決して分化した生物の全てを持っているという意味では有り得ない。しかしながらこれまでの攻防を鑑みるに、イグルエイビスの持つ動きも思考も、既存の鳥竜の一歩先を行くものであることは疑いようがない。これこそが特異性。混沌とした、未知と呼ばれるべき個性なのであろう。

 

 躱されたのならば、次を。

 罠を含めた道具と、数の差を駆使し、ハンターらは鳥竜の動きを阻害する事に終始する。動きさえ鈍れば、ヒシュが鳥竜に先んじるからだ。

 鳥竜は徐々に動きを狭められ、本来の動き……天地を広く扱う攻防が出来なくなってゆく。狩人達にとっては狙い通りの展開である。

 

 彼の色は好敵手をこそ待ち望んだ。だからこそ、闘争を歓喜に。

 頭蓋から覗く瞳に火が灯る。紫苑の体色に薄く禍々しい赤色が残光を描き始める。

 接近、混戦の中。ダレンは嘴に向けて、しかし援護として狙いは甘いまま、大剣を振り下ろす。

 

「キュェッ」

 

 瞬間、イグルエイビスは純粋な脚力で持って飛び上がり、後退した。

 これまでの流れを無視した強引な後退だった。故に、予期せず、大剣は嘴の傷を捉えた。ダレンの手に返るぐしゃりという手応え。『竜の顎』の刃に僅かながら黒い外皮がこびり付く。

 傷を押し広げる事は叶った ―― が。

 鳥竜が取った距離は、僅かに数歩分。飛び上がる前に押さえつける事も可能だろう。

 それでも、達成感に勝る違和感が拭えない。ノレッジは脚を止め。ダレンは大剣を正眼に構え。

 

 最も近くにいたヒシュは、両手の剣を放り捨て丸楯を突き出しながら思い返していた。

 密林での、この鳥竜との、出会い頭の一撃を。焦土を生み出す蒼い炎を。

 炎弾(・・)ではなく ―― 放射(ブレス)

 

 辺りを闇に染めた原因は明白だった。

 鳥竜を追いかけてきたのだろうか。山の切先を覆っていた真黒な雲が溢れ流れ、いつしか狩人らの頭上、山の中腹にまで達していた。

 暗雲垂れ込め、視界が薄暗く変わりつつ在る。

 万理が霧中。鳥竜の赤い双眸が獰猛な色を纏い、巨大な嘴だけが確たる熱と光を放つ。

 ハンターらの脳裏を危険信号が過り。

 

 空気の爆発。

 頬を揺さぶる炸裂音。

 嘴が、色の薄い炎が辺りを蹂躙した。

 

 ハンターらの思考も余裕も作戦も吹き飛ばす炎熱が襲う。

 ダレンは大剣を楯にしながら可能な限り横へ飛び、難を逃れた。ネコは耐熱布の外套を広げながら敢えて吹飛ばされる事で衝撃をいなす。

 2者が再び瞼を開いた時、そこには凄惨な光景が広がっていた。嘴から前方20メートル程が、放射状に、跡形もなく吹き飛んでいたのである。

 未だ炎熱が燻る中、イグルエイビスは嘴を揺すって炎の欠片を振り落とす。直後、戦いは未だと視線を再び持ち上げた。

 今のブレスによる衝撃を免れたのは、十字砲火を意識して横側へ回り込んでいたノレッジと、あくまで攻勢をと、炎を潜り前進を試みたヒシュ。

 

(―― 今は、援護をっ)

 

 だからこそ最も早く動いたのは、ノレッジであった。

 前進したヒシュを援護すべく、ノレッジはヒシュの斜め後方へと回り込む。ノレッジがこの局面で動く事が出来たのは、自らをあの時のヒシュと重ね合わせていたからであろう。以前は庇われた。今度こそはという気持ちもあった。

 未知との遭遇戦。蒼い炎を面に立ち向かうヒシュの背中は、正しくノレッジにとっての英雄だった。この場合の英雄とは、愛や勇気や、そういう輝かしいものを綴った童話の主人公である。

 射手とは本来数の優位を生かし、攻撃の目標にされないよう立ち回るべき役目である。しかし今、脚は動く。射線は通っている。動きたい。ならば動こう。条件と意思とが揃い、ノレッジを攻撃にと動かした。

 

 ただ。

 人間という生き物は、残念ながら、心根や想いだけで強くなれはしない。

 

 「ヒシュの援護を」という漠然とした思考。隊の中で唯一高山の空気に慣らされておらず、心肺の疲労を隠していたノレッジは、鈍った思考のまま「鳥竜の嘴を十分に狙える位置」……つまりは「鳥竜からも狙われる位置」へと侵入していた。この大胆な行動は、莫大な範囲を焼き払うブレスによる攻撃の直後、暫く炎は扱えないであろうという予測の元に実行されている。

 ダレンもまた、ノレッジを止める事を躊躇った。

 ダレン自身が炎を遮った体勢から立て直せていなかったというのも理由の1つ。加えて、目の前で暴れる生物は、未知という呼び名に相応しく底の見えない生命力を持っている。果ての無い闘争だった。故に、攻撃の機があるのならば逃したくはないという欲が捨てきれていなかった。

 ヒシュの意識は、違和感で埋め尽くされていた。

 これだけ向かい合っていても底の見えない、鳥竜に対する違和感である。闇に埋め尽くされている鳥竜の、底深さに対する興味でもある。炎を潜り抜けた今、目前の鳥竜に全ては向けられ、後方の射手は意識の外にあった。

 辺りを包む暗さは、此方へと淀み流れてきた雲によるものだけではない。

 そう気付いたのは、つまり、遊撃から支援を試み、状況を俯瞰し続けていた只1者のみ。

 

「ッ!? ノレッジ女史、退いてくださいッッ!!」

 

 猟場を貫く弾丸のように、ネコの声が高々と響く。

 その声すらも遮って。全てを覆い隠す黒の瘴気が暴れ呻く。

 

「あ、れ」

 

 視界が暗転した ―― と思わせる程の明暗。気づいた時、正面から壁のように降り注いだ暗さによって、ノレッジは腰を地面に着けていた。

 ブレスではない。鳥竜自身に全く動作がみられないまま、瘴気を纏った風が勢い付き、豪風となって狩人らを吹飛ばした。

 否応なく。前方に居たヒシュ、そしてヒシュに合わせるべく直線上を位置取ったノレッジの脚が静止を余儀なくされる。

 黒の暴風を従え一層の黒さ。一段深く底へと沈んだ鳥竜は、ぎしりと身体を軋ませると赤い気炎を昇り燻らせ、ノレッジに狙いを定めて炎弾を吐き出した。

 炎が迫る。やられた。ノレッジ・フォールは、しくじった。

 最大のブレスすらも呼び水に、此方を確実に仕留めようという策。鳥竜の賢しさに出し抜かれたのだ。

 咄嗟に突き出した左腕。一角竜亜種の腕甲の向こう側で、黒く、蒼く燃え上がる炎弾が炸裂する。「受身を」という思考は中途のままで投げ出され、後に続くことも叶わない。

 視界が途切れる。意識が千切れる。

 

「―― ノレッジ殿っっ!?」

 

 最も先に駆け寄ったのはネコであった。

 呼びかける。が、倒れたノレッジからの反応はない。だらりと弛緩し、そのままだ。

 脈はある。出血はない。炎による傷は、鎧の上からでは判らない。衝撃による昏倒か ―― ここまでを確認した所でヒシュとダレンが鳥竜との直線上に割り入り、ノレッジを覆い隠す。

 

「脈あり。呼吸も確か。意識は在りませぬ」

「後退するぞ」

「ん」

 

 ネコからの簡素な報告には、隊長たるダレンがいち早く口を開いた。頷いたヒシュがノレッジを担ぎ上げ、ダレンに背負わせる。

 ぐったりと持たれかかるノレッジを背に、ダレンは思考を回す。外傷が無いとは言え後退し、荷車で拠点まで運び、少なくとも安静にしている必要はあるだろう。

 焦土となった一面を、黒い風は戯れるように吹き抜けた。瘴気が再び空へ舞い上がったのを見届け、イグルエイビスは瞳を揺らす。

 風がなくなると、イグルエイビスの異形がまたも変化した事が見て取れる。炎を吐いたあの瞬間であろう。身体の節々から伸びた紫苑の棘は赤みを帯び、発光していた。眼には強烈な赤さが宿り、底知れない戦意をどうどうと吐き出している。

 黒さが引けて霧が晴れたような、それでも薄暗い山道。ヒシュが1歩、正面へと進み出る。

 

「ジブン、殿(しんがり)

「やれるのか?」

「だいじょぶ。時間を稼ぐ。……ダレン」

「……判った。万全にして(・・・・・)この場へと戻ってこよう。頼んだぞ、ヒシュ」

 

 短いやり取りを交わし、ダレンは一歩ずつ後退を始めた。

 興味の大半がヒシュに向けられているのが幸いしてか、鳥竜が其方を追いかける事は無く、2人の姿は岩場へと紛れて消える。

 

「ネコ」

「お供致します」

 

 短いやり取り。此方も、断るつもりは毛頭ない。

 頼もしいアイルーをお伴に、ヒシュは素早く前に出る。黒い闇に埋もれた、塗りつぶされた鳥竜に対峙する。

 これまでの攻防を振り返っても、目前、決して狩ることが敵わぬ相手ではないと思う。

 ただそれは、数年単位で計画した狩りを行う場合の話だ。

 かつて老山龍(ラオシャンロン)を追い回して各地で迎撃し、「空腹に寄る衰弱」を基点として止めを刺した、自らの師匠ハイランド・グリーズ。古龍種の「討伐」としてドンドルマに記録されている初の事例である。

 ヒシュ自身も古龍種と対峙したことはある。丸1年ほど前の話ではあるが、ロックラックにぶつかる順路をとったジエン・モーランという生物の、討伐隊の一員として参加をしていた。

 正しく砂の海という光景のロックラック周辺。そこでは「撃龍船」と呼ばれる帆船が移動手段として機能する。撃龍船に乗った討伐船団は5日ほどかけて、砂中を遊泳するジエン・モーランに対する「嫌がらせ」を慣行したのだが、遂にジエン・モーランの進路変更は叶わず。帆船の順路を飛び出した場所で、最も近かったヒシュ達の船が偶然に1番乗りを果たしたというのが事の流れである。

 ロックラックにおけるハンター間の訓示に、街に近付く生物の討伐には、最も近くに居たハンター達が選ばれるというものがある。それは山ほどの体駆を持つ古龍種が相手だとしても例外ではなく、また、ヒシュ達にはハンターランクという確かな資格もあった。

 そして、代表としてジエン・モーランの討伐を請け負った。後から聞いたのだが、必死で戦う4者を他所に、街はお祭り騒ぎであったそうだ。……それはそれであの街らしい(・・・・・・)と、腹の底から笑ったものである。

 勿論この場合ならば、ヒシュらが敗れたとしても次のハンターが立ち向かう。ロックラックを背にしたあの砂漠ではそうだった。ヒシュと、同行したネコ。街でよく組んでいた大槌使いと軽弩使いのハンターも、その点について理解出来ていた。だからこそのお祭り騒ぎである。

 

(用意してた策は、他にも、ある。いちおうは。……でもそれは、メンバーが揃っていないと只の賭けでしかない、から。今は、封印)

 

 被り者は仮面の内から蠢動する黒色を睨む。

 今はロックラックの時とは違う。後は無い。ヒシュら自身の奥の手の他、ミナガルデによる副案はあるが、大砲で焼き晒すのではハンターが居る意味が無い。この山が焼かれるという事は、山を水源とする周辺一帯の密林を。生物を。テロス密林から恩恵を授かっているジャンボ村をも枯渇させるという結末を孕む。

 ダレンに曰く「人間は無事」だと、ミナガルデ卿は言うらしい。ジャンボ村の人々は疎開させるつもりなのだろう。

 けれど被り者の視点からすれば。人々は生き永らえながらも、「ジャンボ村」という村が死ぬ事に変わりは無い。

 それは被り者が思い描く我侭 ―― 最善からは程遠い。むしろ対峙してみて、この生物が(たかが)砲撃によって死滅する可能性は低いと見ている。何分鳥竜は、飛ぶだけで巨砲の射程から逃れることも出来るのだ。成長著しいというのに、それでは、ジャンボ村の死に損である。

 

 どうにかすべき。イグルエイビス ―― しゃんたく(ジョンの貴族位を持つ同僚サー・ベイヌ氏が描いた「しゃんたく鳥」なる怪物を想起したため、ヒシュが勝手にそう呼んでいる)を打ち破る手段を探るべく、ヒシュはロックラックでの戦いを記憶の箱ごとひっくり返した。

 強敵と言えば、やはりジエン・モーランが適当だろうか。かの巨龍の狩猟においては、師であるハイランドの老山龍退治に倣い、休む間もなく、波状に攻め立てていた。航路上の鉱石(エサ)を出来る限り排除するという途方も無い作業も行った。

 ……それとて、この相手。明らかに歪な鳥竜に兵糧攻めが通じるだろうか?

 食事を摂取しているのかどうかも定かではない。ジエン・モーランの場合は、岩竜バサルモスなどの実例から、鉱石に含まれる微生物をエネルギー源としているのだろうという予測がされていた。しかしこの古鳥竜はそれら前例を覆し、よもや霞でも食べて生きているのではないか……と思わせる不気味さを兼ね備えている。

 

 ―― 明らかに攻撃用途に特化した嘴と足。瞬間的にはともかく、長距離を飛ぶには頼りない翼。そもそも今の世に、この鳥竜に似合う食べ物は存在するのかな? そして……うーんむ。もし、この鳥の野性というものが何らかの拍子で失われているのであれば。それらを持って、野性に勝る何かを与えられているのだと仮定すれば。……まぁ要は山上で食っちゃ寝しながら自分と戦うに相応しいハンターを待つのがこの鳥竜が現界した使命なんなら、下手をすればエネルギー源を消費し尽くすまで動き続けて、最後には空腹で息絶えるんじゃあないかい?

 

 とは、絵面を見たギュスターヴ・ロンの談。

 暴れに暴れ、戦いの中に生き、補給をせずに息絶える。

 それはそれでこの生物には「似合っている」のではないか。皮肉ではなく、それに近い実例も(あれは寧ろ暴食であったが)以前の大陸で体験したことがあった。だから似合っているというのは、被り者特有の素直で率直で歯に衣着せぬ、ただの感想である。

 戦う為に生きる。生命として外れてはいるが、最低限、世の理には背いていない。……とはいえいずれにせよ1週かひと月か、そこらで尽きるエネルギーではないのだろう。被り者らがここに来るまで、イグルエイビスは可能な限りのエネルギーを温存していたに違いないのだから。

 死んでも死なない生物の伝説がある程、この世界は未知に満ちている。ジブンらより明らかに強靭な生物に相対するにあたっては、それ位の心積もりでいるのが丁度良い。

 心を奮い立たせると、ヒシュは自らを再び剣に染める。

 

 頭には思考を。右手に剣を。左手に呪鉈を。腰の鞄の中に吐息(ブレス)代わりの火薬を仕込み、形だけは目前の怪物と対等に整え、狩人は獲物に立ち抗う。

 底の見えぬ相手に、例え、見分が未だ十分ではないとしても。

 

「ん。行く。あとの援護、宜しく」

「ご武運を」

 

 呟くと、身を低く駆け出した。

 機先の動作も無く、先手で仕掛けたのは鳥竜。駆け出した直後のヒシュは、可能な限りの反応で身を翻す。

 身を翻す最中、ヒシュは仮面の内で驚愕する。すぐ傍で、突進を嗾けた筈の巨体が、慣性を振り切ってぴたりと制止していた。

 疑問と、衝撃と。

 

「―― ぐ、ぅっ」

 

 薙ぎ払われた鳥脚を避けきれず、臓腑を吐き出しそうな衝撃が被り者を襲う。1度地面にぶつかり、反動。手を着いた4つ脚の姿勢で素早く姿勢を立て直す。

 痛みによって炉心に薪がくべられる。身を染め心を沈め、相手に近付いて行く感覚。

 ふと、いつもの迷いが、仮面の狩人の脳裏を過る。

 仮面の狩人の懊悩を知る由もなく。迷い惑う人間にこそ、怪物は嘴を突き立てる。

 宙に羽ばたいて旋回。身を低くした相手を狙い、高さを活かし振り下ろす。嘴を杭の様に突き立て地面を抉り、勢いのまま空へと戻る。

 この一連の流れにヒシュが割り込む余地は無い。空も陸も、鳥竜の領域だった。進化の過程で天地の両方に適応しようと試みた生物。一度は失われ、再生の過程にあった、とある時勢における食物連鎖の頂点。それこそが鳥と竜との中間を象る、イグルエイビスの在るべき姿。

 それでも、ヒシュは狩人である。立ち塞がるのは、せめてもの自分の意思だ。

 

 先ずは当然、試すべき事を試す。

 ヒシュは地面に投げた武器の中から『飛竜刀』を選び、その手に握る。相手は生物だ、生命だと見得を切ったのはヒシュ自身。この相手とて苦手な物くらいは存在するであろう。相手の接近に合わせて構える。脚爪と噛み合い、炎が外皮を溶かす事は無く、続いた嘴により刀がくの字に折れ曲がった。

 『闘士の剣』―― 水は初っ端に試している。氷は、ジャンボ村周辺では手に入れるのが難しかった。電は、最終手段。

 

 次に、ならば毒だ。

 小剣として作成した波打つ刃の『フランベロジュ』を毒で満たした腰の鞘から抜き出し、嘴の「撃龍槍によって欠けた部分」を狙い噛み合わせる。

 果して傷を押し広げる事は叶わず、小剣は弾き飛ばされた。

 身体の大きさから予測をするに、毒の容量は足りる筈。が、何時ぞやの自分が言い放ったように、外皮を貫けなければ体内に毒を循環させる事も不可能である。仕方が無い。

 

 三度、打撃を。

 低空飛行を始めた鳥竜の翼を、ヒシュが持つ最高硬度の武器である『闘士の剣』で叩き(・・)、地面に引き摺り下ろす。降下と同時に嘴が振り下ろされ、弾き飛ばされた丸楯を捨て置き、骨の『大槌』を拾い上げた勢いそのままに振り上げる。骨と下顎がぶつかり、鳥竜の身体は僅かに浮き上がり、しかし、傷も怯みも無く。鳥竜はそのまま、再び空へと舞い戻った。

 

 事態は常に頭の中で咀嚼、反芻してゆく。

 鳥竜の例に漏れず、このイグルエイビスも身体が軽い。単純明快な理由、空を飛ぶ為である。

 それも体駆の小さなヒシュの打撃ですら僅かに浮くとすれば、イャンクックより軽量であるかも知れない。動作の静止を容易にしているのも、この辺りの軽さが要因か。

 だのに、撃龍槍を弾く程の硬さが在るという。堅牢ではなく強固でもなく、硬質というのが肝。『軽さ』と『硬さ』ならば両立できる。

 硬さの種は、やはり黒い外皮に寄るものとみる。ならば『大槌』による衝撃は通っていると考えて良いか。いや、だとしても。

 

(ぐる、る。衝撃は通じる、かも、とはいえ。……だとすると、ぐ、ぅ。……ジブンとの相性は、良くない)

 

 1対1の攻防により火の入ってしまった……ふらつく思考を辛うじて支えながら、仮面の狩人は筋道の咀嚼と反芻を繰り返す。

 重さによる打撃は、隊の中ではダレンが得意とする役目である。手の中の骨の『大槌』は重量も在るが、ヒシュの体駆と筋力では足回りがかなり鈍る。使っている筋力も違うもの。ダレンならば有効打を持ち得たかも知れない……というのは、この場に居ない以上遅い後悔ではあるが。

 いや、いずれにせよ自分とネコでなければ足止めは難しかった。思考を切り纏め、ヒシュは対抗の手段を練り直す。

 せめてと打撃にも長けた武器を選んで拾い、薄い下生えの地面を蹴り進む。中空から突き出された脚が脇腹を掠めながらも、鉱石製のククリ刀『へビィバング』を下腹目掛けて打ちつける。

 手応えは、無い。黒く赤い鳥竜の動作は止まらない。嘴で突貫、脚を交互に踏み鳴らし地面を抉った。ヒシュは振り来る爪と嘴の雨を辛うじて避け……外側へと身を投げ出す。

 これだけの動作の後にも隙は無い。隙を埋めるのは、無色に近い蒼の炎。地面に向けて放たれた炎の放射が周囲一帯、股下を潜り背後を取った筈の仮面の狩人をも吹飛ばした。

 

「……っ、は。ぐ、ぅ、るる……」

 

 腕で視界を確保しながら、ヒシュは再び立ち上がる。

 着弾点からの距離も在った。黒狼鳥の鎧がギリギリで炎熱を防いでくれたが、やはり炎は直撃を避けなければならない。爪より嘴より頻度は低くとも、その一撃が致命的な結果を生み出し得る。

 吹き荒ぶ熱風に立ち向かい、両の拳の具合を確かめる。握力はある。しかしヒシュが「気炎」と呼ぶ熱は、今はまだ無い。イグルエイビスが怒色を孕んでいないからだ。目の前の鳥竜にとって、これらやり取りは前戯に過ぎないのだろう。

 比べて、ヒシュは頭も体も常に動かす事を余儀なくされている。闘いに魂を燃やす以外、むしろ、相手を「視る」事によって戦い方を変化させてゆく流れこそ、仮面の狩人の最も得意とする所である。

 視る。そして判る。一般的な視覚に限らず、感覚に近い、ヒシュに特有の第六感。

 鳥竜が反転するまでの間を大切に使う。炎弾を放った後の整息、位置取りを確認する。ネコは反対側。つまりイグルエイビスが此方を向けば、一層辿り着き易く(・・・・・・)なる筈。

 

(ぐ。……なんとか、耐える゛)

 

 翼も嘴も脚も、尋常ならざる硬質さ。奥の手も含めれば、此方の攻撃が通じない訳ではないが、それも外皮を貫かなければ命を奪うには至らない。

 当然の帰結、持久戦。

 黒い外皮は撃龍槍程の威力であれば貫けると証明されたとはいえ、よりにもよって命中したのは鳥竜の楯にして矛……最も頑強な嘴である。他の部位が貫けていれば掘り進む(・・・・)策もまだ容易であった、とは、流石に夢想に過ぎるものの。

 好敵手と見初めた仮面の狩人との戦いを心底楽しむかのように、鳥竜は空を飛びまわり地面を駆けた。

 仮面の狩人は向かい立ち、攻防を繰り広げ。

 

「―― ジュ」

 

 突如。

 攻防の最中、鳥竜の動きが止まっていた。瞳に疑問の色が見え、首を擡げている。

 何かを ―― 自分が時間を稼いでいる内にこの場を離れているネコを探しているのだと気付くと同時、ヒシュは鳥竜に猛然と切りかかっていた。

 

「―― っ! ぐ、るるっ!!」

 

 それも弾かれ、爪によってあしらわれてしまう。

 防戦に切り替えたヒシュの気配を、鳥竜は敏感に察知していた。

 実の所、2者の連携の主体はネコの側にある。通常、野性の生物は身体も気配も(アイルー種と比べると)大きな、ヒシュの側を主として狙う。だからこそ圧力の少ないネコが俯瞰をし易く、回り込み易く、搦手を講じ易い。ヒシュが好き勝手に動きつつ、ネコの支援に合わせて行く形なのである。

 勘の良い鳥竜は、これまでの攻防から先ず(・・)ネコの側を狙うべきと看破したのであろう。山道を軽快に駆けてゆく。

 

「ぐ、るっ……ネ、……コッ!」

 

 慌てて割り込んだヒシュが前方に回り込む。切りかかるも、同様、鳥竜の突撃を止めるには至らない。

 障害物だと認識されたのか。イグルエイビスが翼を上下させず、脚力でもって跳び上がる。翼を使わない分動作が早い。剣を振るうヒシュの頭上を飛び越え、その後ろ。ネコへ向けて爪と嘴の連撃を仕掛けた。

 

「くっ……!」

 

 小さな体駆。

 落下、嘴は横へ飛んで避け。

 一足、薙いだ爪は草へと埋もれ、腹ばいに屈んで潜り。

 跳び上がったまま、黒い風を纏った鳥竜は空中で静止した。後方宙返り ―― 2度目の脚爪。遂に、避けきれない。

 

「っ、んニャッ ―― !?」

 

 ネコが蹴飛ばされ、草原すれすれを吹き飛んでゆく。追いつけない。そのまま草原の起伏、丘陵の向こうへと転がり落ちてしまった。

 鳥竜を照らす暗雲の下。残されたヒシュへ向けて軽快に1跳び、イグルエイビスは造作もなく振り返る。

 ヒシュは仮面の下、僅かに口元を歪めた。ネコの状態を確認する猶予もなく、正真正銘の1対1となって、ぶつかり合いは再開される。

 黒い風は、今まで弱点と見ていた軽さをも、鳥竜の武器へと変貌させている。全身で風を受けたイグルエイビスは、空中で芸術的ですら不可思議な機動を可能とするのだ。

 凄まじいまでの機動力。間違いなく怪物。必死で喰らい付くに値する。ハンターとして、狩人として生きてきた中でも最速の衝撃をぎりぎりでいなしながら、被り者は歓喜に心が怖気立つのを感じていた。

 

 歓喜ながらに、畏れを。

 この歓喜は、恐らく、目の前の鳥竜のものである。

 

 物事を断定するのが、被り者は嫌いであった。その性分は師匠らに、他の道を閉ざしてしまう事を勿体無いと感じる欲張り気質だと評されている。

 だが。こうしてジャンボ村に逗留し始めてから得た経験に照らし合わせ……今は、違う。

 向こう側から流れ出る他の意識を、本来分離してしかるべき水と油を ―― 被り者の心は相異なく受け入れる。これは明らかな異常なのだと、知ることが出来ていた。

 爪を受ける。

 欲張りなのではなく、確固とした自分が無い。無味無臭。良くも悪くも染まりやすいだけ。それでいて染まる事を躊躇う、臆病者。ノレッジが倒れ、ネコが傷を負ったというのに闘争の歓喜に染まりつつある心が、ジブンは嫌いなのだ。

 剣を振るう。

 この大陸へ渡ってからというもの、仮面の狩人は変わるべく努力を重ねていた。変わりたいと願っている。それら自分の願いを否定されたくは無かった。つまりこれは、切望でもある。

 嘴を躱す。

 だがどうだろう。自分は結局、こうして鏡写しに目の前の相手を真似るだけ。仮面越しの怪物にすら成り果てる。

 嫌だった。変われていない。自分の色を持たずして何が人間か。戦いに歓喜を感じる事自体、人間の理性から外れているのではないか。それはただの獣で、目の前のモンスターと何ら変わりないのではないか。

 炎から遠ざかる。

 それら疑問すらも。強大な相手とぶつかり合う度、擦れ合う度、仮面の狩人として形作られていた何かは剥がれ落ち、削げ落ちてゆく。

 

「ジュェァァッ!」

「ぐ、る……!!」

 

 自分の境界を保ちながら、『闘士の剣』を楯剣として振るう。身を捩りながら爪の直撃を避け、次手に備えた。

 後悔ばかりをしていても始まらない。戦いに、深く高く思考を染める。獣に寄せる。いつでも人間らの考えを超えてくる生物 ―― モンスターに対する無機的な観察に終始する。

 爪からの連激。首を引いた。前駆動作、嘴。イグルエイビスの全体重を乗せた、刺突。

 仮面の狩人は漫然と、しかし今までの経験をなぞりながら、再び楯剣を掲げる。

 頑強な『闘士の剣』が額面通り、嘴を弾くべく横面から捉え。

 

「ジュェッ ――」

 

 鳥竜が、それら思考を止めた獣の一歩先を行く。

 嘴と剣とが組み合った瞬間、鳥竜は跳ねた。

 羽を絢爛に揺らし、黒い風が呻く。風を翼に受け止め、中空で横転。

 結果として、突き出された嘴に回転が加わる。

 只の突きでは、なかった。瘴気を纏った風は、イグルエイビスの空中機動を後押しするのだ。

 防御を貫く二段構え。体重が掛かっている。押し切られる。慌てて身を引きながら左の剣を添えるも、間に合わず。

 楯剣が火花を散らし、回転する嘴に捻じ込まれる。気づいた時には、正中を激しく強く押し突かれていた。

 

「がっ、はっ、……ぐ、ぅ」

 

 吹き飛んだ。痛みに衝撃が勝る。暗転する視界。明滅する意識。黒狼鳥の甲殻が飛び散った感覚。辛うじて、貫かれてはいない。

 転がった先で這い蹲って身体を支えるも、地面には膝が着く。立ち上がる為の時間が足りていない。ポーチに手を伸ばす時間が。

 必死に息を吸い込む狩人の目前に、黒色の鳥竜が軽快に降り立つ。

 知る事敵わず。嘴を振り上げ。

 

「―― なりませんっ!」

 

 沈み行く意識の中、りんと澄んだ音が仮面の狩人の意識を繋ぎとめる。

 蹴飛ばされた先の傷も癒えない内から、首元の鈴を鳴らし、ネコが丘陵の端 ―― 大型弩(バリスタ)砲台に辿り着いていた。

 このバリスタを仕掛けたのは、先遣隊としてふた月前にこの場を訪れ鳥竜と対峙したペルセイズとモービン。先遣隊として秘密裏に偵察を行った際、ひっそりと分解して持ち込んでいたもの。猟場で戦う隙を見て組み立て、こうしてネコらへと托したのである。

 整備は十分。スコープを覗く必要は無い。射角は整えてある。ネコが引き金を引くと、極大の鏃が次々と撃ち出された。

 質量も威力も十分なバリスタですら、黒色の外皮を貫くには至らない。が、これら機構を利用した兵器は体駆の小さなネコが繰り出せる最大の攻撃である。少なくとも衝撃は通る。体勢を崩すには、十分に有効と言えた。

 ヒシュを狙った鳥竜の嘴が鏃の直撃を受けて逸れ、地面に突き刺さる。

 ならばと脚を突き出すが、1足になった瞬間に射撃され、体勢を崩して地面を転がる。

 素早く起き上がり、睨む。視線は遂にネコへと向けられた。

 

「今の内です、我が主っ、お気を確かにっ……!」

 

 ネコが時間を稼いでくれているのだ ―― と気付いた瞬間、僅かだが畏れが抜けてゆくのが感じられた。

 気付きはした。が、既に意識は暗闇の中へと片足を突っ込んでいる。ひたすらに上だけを見ていた反動、必然の罰。視界一杯の暗雲に包まれた空。掴む場所も無い。まるで底なしの沼のように、端から徐々に沈んでゆく。

 鳥竜が浮き上がり、ネコが立つバリスタ砲台へと爪脚を振るう。木製の砲台が凹み、砕け、巻き込まれたネコが宙を舞った。

 

「ぐ、ニャッ……!」

 

 爪の直撃は免れたらしい。それでも外套が貫かれ、削れた鎖帷子が周囲に散らばっている。

 肢体を軟らかく着地して、間もなくネコは膝を着く。その横腹からは血が滲んでいた。

 苦悶の表情を、隠す事すら出来ず。

 

「主殿、一旦、撤退……を!」

 

 だというのに。自らの状態を捨て置き、ネコは主を優先する。

 だというのに。動けない。何をやっているのだ。ジブンは。

 自戒も、後悔も、纏めて一緒くた。

 明滅する意識の間隔が段々と延長する。

 延長し、遂には真黒に塗りつぶされる。

 

 

 ■■

 

 

 どぶり。

 意識を保てずに身体が沈んでゆく。視界が端から侵食されてゆく。

 また(・・)、だ。仮面の狩人にとっての原初の風景。一面の退廃の沼。

 手足は重油の様な暗闇の鎖に絡め取られて動かす事が出来ない。狭まってゆく。苦く苦しい。ここには音も匂いも届かない。闇の中では何故か、ぽつりと独り、仮面の狩人の輪郭だけが取り残されるのである。

 底へ到る道中へと投げ出されたのだ。この力を使い過ぎるといつもこうだ。やはり成長していない。意識を辛うじて保てるのは、慣れ故の惰性である。言葉を忘れてしまうのは、省みず獣に近付いた人間への戒めである。

 ここまでか。

 結局、変わったのは表面だけだったのだ。自分の無いジブンが、今まで狩人として強敵に立ち向かってこられたのも、きっと……献身的なネコや、真っ直ぐなダレンや、誰より明るいノレッジらが居て、支えてくれていたからに違いない。

 狩人たれと、ハンターならばと、外を見知らぬ子供心に憧れた。

 だがそれも、ジブンはきっと、ジブンだけでは ――

 

 ―― さっさと立つにゃぁっ、我が友ッッ!!

 

 ―― 頼んだぞ、ヒシュ。

 

 狭まり続ける視界に一筋、ぴしりと楔が打ち込まれる。

 張り上げられた声には、厳しさよりも確かに明るい何がしかが含まれている。

 思わず姿勢を正す。上を見る。

 ……ここまでは、少しでも友が誇れるジブンで在るべく進んできたのだ。

 ジブンだけでは。

 そうだ。だから最後まで、被り者は手を伸ばす。

 上を見上げる。暗闇の中から伸ばされた手は崖の端、懸命に突き出された彼らの手に辛うじて絡まった。

 しかし当然、人1人を引き上げるには力が不足していた。境界線がある。手の主が引きずり込まれることはないが、それでも、均衡のまま握力だけが失われてゆく。

 沼の中に浸かったままの身体が(ほど)けてゆく。意識の輪郭がじんわりと広がり始めた。

 上に。前に。右に、左に、後ろに。

 

 ―― 今度は、わたしにお手伝いさせてください。

 

 声は隣から。暖かさは真下から。

 闇の中 ―― 沼の底。小さな掌がぽつり、被り者の背に添えられていた。

 予期せぬ増援に、被り者は目を見開いた。忘れはしない。この掌は鳥竜の炎を受け先に「沈んだ」少女のものだ。闇に無縁の温もりが伝わってくる。少女の得た力強さも、同様に。

 出逢った頃の少女は、好奇心旺盛ではあるがハンターとしては未熟な一少女であった。それを、少女を、この「底」へと引き込んだのはジブン。巻き込んだのもジブンである。ジャンボ村に帰ってきた少女と自室で話した折、実の所、被り者はお守りを渡した事をそんな風に悔いてもいた。

 だがそれは独り善がりなのだと。

 自身が選んだ道を侮辱してくれるなと。

 彼女の世界はそんなジブンのお陰で広がったのだと。

 それら、伝えきれない万感の想いを込めて、少女は被り者の背中を押す。

 

 

 □□

 

 無垢は装い、更から荒へ。白から黒へ、闇から光へ。

 身体は泥を抜けた。足元は確か。力は、今度こそ拳の中に。

 

 がくりと仮面を揺らす。瞼を開く。見えた風景は薄暗く、色味は少ないが、少なくとも暗闇ではない。

 山中の景色へと戻ってきた ―― ヒシュは猛然と周囲を確認する。

 ネコの姿が見えない。丘の向こうだ。考える暇も惜しい。意識をはっきりと取り戻すと、手近な武器を手に取り駆けた。

 身体は十分に動く。上りきる。縁の丘を越え、真っ先に視界に飛び込んでくるのは黒色の鳥竜。下り路を滑る様に駆け下り、両手を添える。

 仮面の狩人は手に持った武器を地面に押し付けて身体を持ち上げ、高く、高く跳び上がった。

 

「ん ―― んん゛っっ!」

 

 目まぐるしく移る景色の中に確と目標を捉え、全体重を乗せた『棍棒』を翼へと叩き付ける。

 勢いが勝る。衝撃に押され、鳥竜が地面を転がった。傷は無い。着地と同時に『棍棒』を右手から腰にかけてぴたりと制動させる。

 この隙に。立ち塞がるヒシュの足元、ネコは自身の傷に化膿止めの軟膏をぶちまけ、抗炎症鎮痛作用を持つアオキノコの乾物を口の中で噛みながら、立ち上がる。

 

「……んぐニャッ。……我が主っ、しかし、代償はっ……」

「ダイジョブ。……ありがと、ネコ。目は覚めた。頭は冷えた」

 

 ネコを安心させるべく、真っ先に、ヒシュは訛りの無い王国的な発音で「言葉」を口にしてみせた。

 驚きに染まるネコの隣で、だらりと脱力。力を抜いて空けた分の場所(スペース)を、今度こそ気力で満たしてゆく。

 理由は判らない。今までに無い感覚だった。握った刃の先までも神経が張り巡らされ、両腕は、明らかな熱を帯びている。

 

 右拳に、力を解放した青い炎を。

 

 左拳に、闘魂を燃やす赤い炎を。

 

 それらを束ね瞳には、蒙を一閃切り拓く光源、御名が如し匕首(あいくち)を。

 

 抜き身の刃は、しかし事この場においては一介の武器に留まらず、闇を裂く閃きへ ―― 希望を兼ねた灯火へと変貌し得る。

 要は刃物の使い方だ。しっくり来ている。仮面の狩人として積み重ねてきた体術が、心と拮抗しながらもつり合っている感覚だ。今ならば。熱も、炎も、灯火も、全てを引き出してみせる。

 昂ぶりに呼応し。そんな自信を肯定するかの様に、或いは未知への雪辱を雪ぐのだとばかりに、黒狼鳥を模した被り物の嘴がカチカチと戦慄いた。

 ヒシュは腰の『呪鉈』を抜き放ち、左拳に握る。

 

「行けるよ。今なら。今度は、ちゃんと、負けずに視る(・・)よ」

 

 見違えたその様子に、ネコは暫し驚いてしまったものの。

 主の良い方向への変調を読み取り、髭を伸ばすと、外套の中で再び小刀を構えた。

 

「……なれば、彼奴めに見せてやりましょう」

「ん」

 

 転がり、受身を取って。距離は開いたが、2者の前で、原初の鳥竜は何事もなく立ち上がる。

 鋭い風音。すぐさま空を滑り、イグルエイビスは仕掛けた。ヒシュとネコとが、迎え撃つ。

 防戦という形で一致をみせた2者の連携は他の追随を許さず。加えて、「視る」事を決め込んだヒシュの動きが変わっていた。

 回避。防御。いなす。逸らす。初動を封じる。空振りを誘う。そして攻勢。鳥竜の嘴も爪も翼も炎も、悠々とまでは行かずとも、確実に凌いでみせた。

 攻防と称するからには、攻勢を切らしたくは無い。バリスタは破壊されてしまった。だとすれば「次」だ。ダレンに曰く、彼らが用意してくれた設備はこれだけではないらしい。

 ここまでの山道ではバリスタの砲台を見かけていない。だとすればペルセイズとモービンが鳥竜に遭遇したのも同様にこの場、開けた山道とみるのが妥当であろう。

 つまりは、バリスタの設置が開始されたのが密林高山の中層だとすれば。

 ヒシュとネコが迎撃にバリスタを使用し、それらが鳥竜に破壊される……という応酬を繰り返す限り、狩人らの脚は必然的にペルセイズとモービンの影を追う事になる。

 砂利道を抜け、草原を抜け。

 より上方へ、より高嶺へ。

 空を覆う、暗雲の只中へ。

 密林の(きざはし)を上り、狩人らは頂へと近付いて行く。

 

 





 主人公ですから……!
 ので、もう一山か二山か。なんとこれまた(アウトラインプロセッサカウント)2万字を超えまして、未知戦の前編をお送りしました。
 個人的には(にわかですが)イグルエイビスは真or古鳥類に恐鳥類のイメージを足して折半しているのだと考えています。ある時代に滅されず、走る飛ぶの中間を貫いた生き物という感じでしょうか。いずれにせよイグルエイビスが微妙な時勢の生物であったことには間違いなく。飛べる竜となると、遡って、有名所は翼竜プテラノドン。あれも確か体重が低めと予測されていますね。なので体重を軽く設定しました。始祖鳥なんかもミステリーの塊だったり。
 竜盤、鳥盤といった区分けはまぁ置いておきましょう。嘴と脚の爪がどうにも区分けのミスリードを誘います。歯はあるのでしょうか……? 嘴的には胃石なのでしょうけれども。
 戦い方については悩みながら書いております。
 ナンバリングシリーズの各種使えそうな動きをミックスしているのですが、文章にするとこれがまた難しい。「機先の動作も無く」=ノーモーション突進。「後方宙返り」=サマーソルト。「空中旋回+脚爪」=旋風脚。
 ……あれ、肉弾戦が目立ちます。どちらかというと飛竜セルレギオス……?
 とはいえブレスがあるうえに嘴を目立たせているので、イメージは違いますけれどね。イグルエイビスは尻尾、使えなさそうですし。むしろ脚をばしばし突き出す辺り、ドスマッカオとか。ヒプノックとか。
 因みに関係ないですが必殺技に指定しましたた「嘴でもって捻り突く」=「ドリルくちばし」ですね。着想どころかまんまでした。
 ……切り札は未だ残していますが……。
 オデッセイ。
 ヒシュが強化を重ねていた1本。モンハン世界の『ハンターナイフ』系統の行き着く場所。何故か水属性を帯びたり帯びなかったりする。意訳をどうするか悩んだ末、同種片手剣である「闘士の剣」を拝借しました。「長き放浪の剣」とかだと、なんと言うか、中二心がくすぐられるというか……。
 厳密に言えば。
 ヒシュと匕首は(区分けの大きさが)違うものですね。暗器の一種の意味合いを強く持たせたかったので。本来は短刀とか書いて表すのが筋なのでしょうけれども、名前の由来的に匕首と書いておきたかった。ただの我侭です。
 ……だって日本版にすると、匕首(ドス)とかの方がしっくりきてしまう……(ぉぃ。
 黒い風。
 アマツさんの下位互換ではなく(ぉぃ
 ドス古龍さんの一角はさておき。イグルエイビスではなく固有の特殊さとして、空中でおかしな動きをさせたいと、演出で加えたものです。イメージ的にセルレギオスの話に戻ってしまいますが、空中であんな機動が出来るなんて、なんて変態……(涎。
 なので陸上は軽快に、空すらもフリーダムに飛び回る鳥竜が居てもいいんじゃないでしょうか、という感じです。同時に、鳥竜の軽さがあってこその芸当でもあります。風で身体を浮かすのも、モンハン世界なら可能。だからアマツさんはきっと軽いのだと信じたい。
 瘴気とか何とか言ってるのは、初めっからの××です。この辺りまで読んでくださった皆様ならば既に感づいている筈かと。ですからゴマさんは関係有りません、本当ですよ!


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第三十四話 見果てぬ闇の中にこそ

 

 ダレン・ディーノは早足に山を下った。ヒシュとネコとをその場に残し、気を失ったノレッジ・フォールを背負っての逃走である。

 相手は未知と呼称されていた底知れぬ力を持つ黒い鳥竜種……イグルエイビス。フィールドが禁足地だとはいえ、ギルドに認証された依頼任務である以上使えるものは使うべき。そう決め込んだダレンは、鳥竜の炎によって気を失ったノレッジ・フォールを手近なアイルーの詰所へ預けることにした。

 道中すれ違った生き物は川際の甲殻類のみ。安全に山を下り、撃ち上げた信号団の手筈通り10分ほど下った樹林帯の中でギルド勤めの獣人達が待機していた。

 

「ハンターズギルドの通達で駆けつけました密林1番輸送部隊、カルカ着任ですニャ!」

 

「先遣隊の隊長ダレン・ディーノだ。早速だが、時間が惜しい ―― 頼む」

 

 簡易の詰所の入り口で、ダレンは身を屈める。

 その背に負われる少女がだらりと弛緩している様子に、アイルー……ではなく(・・・・)メラルー達は少しだけ身じろぎしたものの、そこはギルド務めの慣れたもの。ノレッジを荷車で受け取ると、すぐさま要旨を汲み取ってくれる。

 

「旦那、お気をつけてニャ!」

 

「ああ」

 

 少女の容体を確認しながら叫ばれた言葉に小さく頷き、ダレンは素早く反転。すぐさま足を動かし、またも今来た道を引き返す。

 外敵となる生物は殆ど居ないとはいえ、下りと違い、山を登るには時間がかかる。ダレン・ディーノが再びヒシュらと合流したのは数刻後。かつて分かれた山道から、数キロ以上も山頂側へと移動した地点であった。

 山頂が近くなるにつれて勾配は緩やかになってゆく。河川を持つ密林と土壌とが組み合わさった、段丘状の地形なのだ。

 山道を抜け岩の丘を乗り越えた頃合いから、空気が変わる。

 肌に触れる周囲の大気が、大きく揺らめいている。

 崖の端に脚をかけ、乗り越え。

 

「……これは」

 

 ダレンは続く言葉を失ってしまう。

 同時に、高温によってねじ曲げられた光と、大気に籠もった熱が周囲に吹き荒れた。

 理由は明白。ヒシュ、ネコ、鳥竜の3者が炎燻る(・・・)野原の中心で争っていたのだ。

 剣と爪が入り混じっては、炎を掻き分け互いを襲う。

 元は花畑だったのだろう。舞い上がる火の粉に混じり、時折花弁が浮かび上がっては灰と成って散り消えてゆく。頭上を埋める暗雲は間近、時折火山雷のような稲光を発しており、山の機嫌の悪さを如実に示している。

 

(怯んでいる暇はない、な)

 

 呆けていた思考を振り払い、躊躇う事なく、ダレンは大剣を背に炎の丘を駆け上がる。

 接近に気付いたヒシュが僅かに振り返り ―― 仮面越しに僅かな目配せを交わし、前後を入れ替わった。

 

「―― 加勢する!!」

 

 ヒシュがイグルエイビスとの、イグルエイビスがヒシュとの距離を整え直す間へと、ダレンは気合い一声に割り込んだ。

 目前に鳥竜。大剣『竜の(アギト)』の柄を握り。力を込め。

 

 ダレンの両腕に振るわれた無機質な骨の刃を空を切った。

 黒い影が、斬撃を待たずして空へと舞い戻ったのだ。

 

 ダレンは頭上を悠々と横切るその飛び様を憎らしくも思い、鋭さと勘の良さには呆れすらも覚えるが、身の軽い鳥竜……いや。かの古龍種が相手なのだから挫けている猶予はない。

 実の所、「古龍」という呼び名を生物に与えてしまうのは、王立古生物書士隊にとっては敗北を認めるのと同義である。

 骨格的には兎に角、学術的な生物として外れている。既存の生物に当て嵌める事の敵わない、適わないモンスター。それらを名付けたがりの学術院が便宜的に「古龍」と呼称しているだけなのだ。

 そのため奇蹄目の骨格である(とされている)雷獣キリンや山の如き巨躯の老山龍(ラオシャンロン)、果ては見た目すら明らかに牙獣種である超攻撃的生物の金獅子(ラージャン)までもが現在、「古龍種」という括りとして扱われてしまっているのだから。

 目前20メートルほどの距離に降り立った鳥竜イグルエイビスも、それら古龍種に匹敵するだろう。既存の生物からはみ出した生物である……との判決が、書士隊と学術院の合同かつ内密のうちに下されている。

 詰まる所、この狩猟そのものが、伝説との邂逅と断定できるのだから。重ねて、挫けている猶予はない。

 

(先ずは自分の殻を、凝り固まった概念を捨てる事から始めねばなるまい)

 

 ダレンがこの場へ戻るまで戦列を維持してくれたヒシュとネコ。そして倒れたノレッジ・フォール。この2者が共通して持つ……或いは新たに会得した「力」を、残念ながら、件のダレンはというと未だ掴めずにいる。ドンドルマで修行は重ねたものの、ダレンは世にいう所の「天稟を持たぬ者」なのだろう。たかが二ヶ月でというのが土台無理な話なのである。

 しかし悲観はしていない。ダレン自身、狩猟と言う生業において元より感覚という不確かな物に縋った(・・・)ことは無い。如何にして頼るべきかに至っては、見当すらもつかないのだから。

 ならば只管に、愚直なまでに、出来る事をする。これこそがドンドルマの修行によって得た最も大きな収穫であり、師匠らから齎された訓示でもある。

 炎の庭。暗雲の最中。ダレンの頭上で踵を返し、イグルエイビスは狙いを定める。

 ダレンの視線の先で相対するその姿……数刻ぶりにみる鳥竜の身体は、変質を始めていた。ダレンの目測ではあるが、ノレッジを抱えてこの場を離れた時よりも纏う風は黒く濃く、身体も赤黒く変質しているように見える。

 此方(・・)についても、ドンドルマにて繰り返し聞かされた。ギュスターヴ・ロンに曰く、これら「分別を持たぬ古龍種」は、人間の枠に当て嵌めていては限度が無い。本来世代を経て行われるはずの「進化」すら、この「未知」たる生物にとっては闘争の、生涯の一部なのだから。

 

 鳥竜が口火を切る。

 黒い風の後押し。邪智暴虐たる、到底理解不能な軌道を経て、鳥竜イグルエイビスはダレンに向けて飛来する。

 ダレンは息を喉奥に押しとどめ、ただ彼我の距離だけに集中する。如何な軌道を経るにせよ、鳥竜は此方に向けて飛来するのだ ―― そう想定して動いて損はない(・・・・)

 

 ドンドルマで反復した動きを、ダレンの体は忠実に再現する。

 フェイント。一歩踏み出そうとして、その足で空を切り、半歩を残して踏み止める。

 紫苑の爪が、ダレンが踏み出し、踏み止まった半歩先の地面を抉る。

 地面に爪を突き刺したまま、鳥竜の両肩の筋肉が隆起……翼が動く、飛び立つ直前の身体を間近、僅かに走駆を遅らせ爪を躱したダレンが、ダレンの振り下ろした大剣が、飛び上がろうと身を縮こめるその背を打った。

 

 がつん。

 既に聞き慣れた、外皮の硬質さを表す音響。

 

 終わらない。大剣「竜の咢」を鳥竜の背に噛み合わせたまま、ダレンは腰を入れる。振り切り、振り下ろし、刃が背を離れ剣を下した体勢で力を溜め ―― 横振りの「溜め斬り」の前駆動作に注力する。

 主はダレンへ。ヒシュは補助として追撃の姿勢を取る。直前に殴打されていたために、鳥竜の姿勢は未だ整えられていない。飛び立つ動作すら、ヒシュが翼の下に潜り込むことで阻害されている。

 

 剣を。

 ダレンの両腕に振るわれた無機質な骨の刃が空を切った ―― 切った空の果てに、今度は確とイグルエイビスを捉えて。

 

 イグルエイビスとダレンは、翼と大剣を間に挟んだまま視線をかみ合わせた。

 紫と赤と黒とが混じり合った相貌。深く塗り込められた双眸の果てには、今尚、抗う強い意志と濃い光とが宿っている。先まで仮面の狩人にのみ向けられ、嘗てはダレンに向けられていなかった、強い……敵意。

 見つめ合っていたのは一瞬だっただろう。ダレンを押し潰さんばかりの威圧は、物理的な距離を伴って離れてゆく。イグルエイビスの身体が大剣の質量に押され、地面を転がったのだった。正確には、押し切られると踏んだイグルエイビスが自ら進んで転がったのだが。

 自ら転がる。此方にとっては「見た覚えのある動き」だ。今度はそこへ、転がった先にまで、要領を得たヒシュが後詰めを仕掛けている。

 接近したヒシュは低い体勢のまま左の『呪鉈』を振るう。身体を捻り、右の『闘士の剣(オデッセイ)』を立て続けに振るう。翼をかいくぐり、振り回された爪脚は右前腕の円楯の表面を滑らせ、潜った姿勢のまま足下を回り込んで下腹部を切りつけ、横手に足首へと『呪鉈』を引っかけ、振り向き突き出された嘴は引っかけた『呪鉈』を基点として身体を旋回させる事で躱し、嘴の側面におまけと鉈を叩きつけ……それらヒシュの攻勢全てが、黒色の外皮によって弾かれる。

 どこまでも何時も通りの、未知を相手としていても変わりない、もしくはそれ以上の動きをヒシュは見せている。ダレンが怖気と美しさを同時に覚えた、あの動きだ。

 ヒシュの様子に安堵を覚えながら、ダレンは再び意識を向ける。ガシュシュン、という機械的な音と同時に放たれた鏃が、イグルエイビスを襲う。鏃が翼を掠めている合間に、ヒシュは嘴と炎の範囲から抜け出す。

 ダレンとヒシュの連携の合間は、ネコの放つ弩弓(バリスタ)が埋める。イグルエイビスの体躯は鳥竜としては大きいが、飛竜と比べると幾分か小さい。身体の軽さもある。傷は負わずとも、極大の鏃が直撃すれば、体勢は確実に崩れるのである。身軽なヒシュにとって、その間は十分な隙として機能する。

 だからこそイグルエイビスは、バリスタにも意識を割かざるを得ない。しかし鳥竜が弩弓へ意識を向けた時には、ネコは既にその場を離れている。どうやらこの草原を囲むように弩弓が設置されているらしく、ダレンとヒシュの攻勢に紛れながら次々と場所を移しているのだ。

 ペルセイズ達の暗躍はこのためだったか……と一人納得しながらも、ダレンは重ねて確認のための語句を口にする。

 

「此方の準備は、万端のようだな。後は」

「ん」

 

 交互に立ち位置を入れ替えながら、ヒシュとダレンは小さく会話を交わしてゆく。

 手札は切らしていない。切るための場も、完全ではないが整いつつある。

 件の手札が未知なる獣に届き得るか否か……そこだけは、確かめてみなければ判らない部分ではあるものの。

 

「……ノレッジ」

 

 剣を手に鳥竜へと突貫するヒシュがぽつりと呟いたのは、鳥竜の火炎を受けて意識を失った少女の名。

 機は一度。手札を切るならば、可能な限り万全へと近づけるべきだ。その点についてダレンもヒシュも、意見は一致しているらしい。ノレッジ・フォールの回復こそが、場を「万全」にするための最後の欠片である。

 

 

 討伐を。打倒を。闘争を望んで戦いは続く。

 野原が燃え盛る。

 火花が散る。

 イグルエイビスが舞う。

 ヒシュが躱す。

 ダレンが振るう。

 ネコが射放つ。

 連携は回る。イグルエイビスと渡り合ってはいる。

 これらを繰り返した先に、果たして、未知の狩猟を成す事は叶うのか ――

 

 

 

 

 ■□■□■□■□

 

 

 

 

 沈む間は必要なかった。

 少女は既に、底の景色を目にしていたからだ。

 

 暗闇の中へ。意識の底へ。

 

 闇の中へと沈んだ先に、ぽつりと闇を穿つ空間があった。

 其処は人にとっては草臥れた、廃れた、今は手も届くはずのない小部屋であった。

 木々の根付く深い森の中にある小部屋の崩れた煉瓦壁の隙間からは、僅かに星星の光が差し込んでいる。

 それ以外に灯りなどないはずの薄暗い、けれども視界の効いた部屋の中で、石敷きの床に横たわっていた少女がゆっくりと目を覚ます。

 

「……う……ん」

 

 少女が瞼を擦り、意識を覚醒させる。

 頬に触れる暖かい風を心地よく感じながら、夢見から覚めてゆく。

 

「……。……あれ。わわ。……ええっと、ここは……?」

 

 意識がはっきりすると同時、ノレッジは慌てて上半身を起こした。

 周囲を慌てて見回す。だが、暫く待っても周囲に敵意は現れない。そもそも、自分以外の生物の気配にも乏しいようだ。

 沈黙の後、顔の左で編んだ髪の一房をちょいと掴み、ノレッジ・フォールは首を傾げた。

 

「ここは何処……というよりも、何故場所が移り変わっているのでしょうか……」

 

 疑問符を浮べながらも、体を起こしたノレッジは身体の調子を確認してゆく。

 どうやら痛みはない。関節の稼動域にも問題はない。手足に痺れが残っていたが、それも暫く動かしているうちに消えてしまった。

 そして次に、記憶を探る。ノレッジの記憶にある最後の光景は、自分を襲う蒼い炎。未知(アンノウン)との闘争の最中だった、自分が脚を引っ張ってしまった……というのは覚えている。

 しかし如何だろう。自分を包んでいるのは見覚えすらもない景色。

 そもそもここは何処だろう。いきなり場面が変わったというのは、現実味が薄い事態である。だとすればこれは自らの夢の中であろうか。それもファンタジーでオカルトだが……。

 ノレッジは腰を上げる。改めて周囲を見渡す。自分が倒れていたのは、小部屋のちょうど中央付近だったようだ。

 目に映る石部屋の景色は、一言で言うなれば「異彩」。変哲に溢れた、寂れた遺跡。そんな印象である。

 木に造られた蜜蜂の巣からは黄金色の蜂蜜が隆々と沸き。

 路端では色とりどりの花々が楽園の様に咲き乱れ。

 マボロシチョウが幻想的に宙を舞い。

 鮮やかなマレコガネが雌雄穏やかに壁を這う。

 それらは何れもノレッジにとって……いや。世界に住む全ての人々にとって珍しい生き物であったが、向きかけた興味は、イグルエイビスとの戦いを思い出しながら辛うじて押さえ込まれた。

 記憶はある。戦いの最中なのだ。帰らなければ、とは思う。しかし帰る方法も、道のりも判らない。自分はイグルエイビスとの戦いで負傷した筈であるのに。

 ノレッジは考える。

 

「あの時と同じ感覚で来た、という事は……ここが扉の向こう側なのでしょうか?」

 

 目を閉じた。辿り着いたこの場所は、僅かに覚えもある。砂漠で灼角と対峙した際の記憶を、ノレッジは思い返していた。

 今回は暗い海に沈んでいく感覚は無かったものの、だとすれば、それは素直にありがたい。無限に近い苦痛を素面で耐えられる自信も、体力も、今のノレッジにはない。

 何より今は、自分の身体をはっきりと認識できている。同調な海に溶ける……解けてゆく感覚が感じられないのである。少なくとも暫く身を置いていても大丈夫な場所だというのは、確かであろう。

 

「ええと、まずは……周囲捜索ですかね?」

 

 外への出入り口となる場所を探す事を、一先ずの方針にする。

 そう広くはない小部屋だ。風化した煉瓦の上を歩いていると、すぐに小部屋の端まで到達する。

 しかし。

 

「……塞がれてますね。残念」

 

 思わずため息が溢れた。どうやら通り抜けられそうな場所は無い。かつて通路であったと思われる部屋の端は、崩落によって通行止めされていた。

 上を見ても、天井すら完全に塞がれている。横の壁から星光の射す隙間は、人が通れる大きさではない。

 これは壁を崩すしかないか? 等々と考えながら、淑女らしからぬ少女は今度、反対側に向かって歩く事にする。

 だが既にそちらにも通路に降り積もった瓦礫の山が見えていた。

 ため息を吐きつつ、単純な脱出については半ば観念しながら……すると。

 

「……あ」

 

 視線を落とす。

 目前 ―― 足元に、光が沸いていた。

 正確に言えば、積もって通路を塞ぐ瓦礫の山の、僅かに手前。

 壁の様に絡まった蔦の幕の向こう側が、強い黄金色の光りを放っているのである。

 

「これはなんでしょう?」

 

 出口に繋がっているやも……ではなく、興味のままに蔦の幕を押しのけ、ノレッジは奥を覗く。

 すると蔦の向こうで、下に向かう深い縦穴が開けていた。不思議なことに、竪穴の空間そのものが黄金色の暖かな光に埋め尽くされている。

 これらの光には覚えが在る。以前に意識の水底で見た、万物の星星が放つものと同種の、暖かさを備えた光だ。

 

「んんー……ん。突っ込み所は満載ですが、ここは度胸。降りてみましょう」

 

 そんな事を考えながら、ノレッジは伸びた蔦を足場にして底へと降りてゆく。

 高さを減らした所で蔦を手放す。ばしゃり。底にはどうやら水が張っている。壁の間の水路から小さく流れ落ちている他に、足元でばらけた石敷きの間からも湧き出しているようだ。

 滾々と湧き出す水。輝きを反射する瓦礫。

 着地した体勢を整え、足下から、視線を正面へと持ち上げる。

 蔦の壁。風化の最中にある、飛竜の様な紋様が描かれた台座。

 

「……問題は、その前方のこれ(・・)なんですが」

 

 それら不思議極まりない全てを押しのけ異彩を放つのは、台座の前で蔦に繋がれている、仮面を被った、誰か(ひとり)

 四肢を持ち上げ、だらりと脱力したままのその誰かは、興味よりも深くノレッジの目と心を惹いた。

 

「……。……あれ……ええっと、もしかして、ヒシュさん?」

 

 仮面には見覚えがあった。警戒心は持ちながらも、少女は仮面の人物へ向けて気負い無く歩み寄る。

 近付いてみても、やはり、不気味な仮面は見間違えようもなくヒシュである。しかしその身体は小さく、筋肉の付きも背丈も、今のヒシュとは大きく違っている様に見えた。単純に体躯からみた憶測ではあるが、年齢などは今のノレッジよりも一回りは下になるだろう。

 とはいえ今は、子どもの正体よりも気になることがある。ヒシュと思しき子どもはだらりと顔を落とし、何故か蔦によって手足を絡め取られ磔にされているのだ。

 手足を隙間なく締め付けている蔦と蜘蛛の巣はかなり風化しているのだが、幾重にも重ねられているため、子どもの筋力では解ける筈もない。

 

(……何でしょう。この子を、縛り付けているもの……)

 

 ノレッジは目を凝らす。蔦に張り付いた妄執の様な違和感は……例えばランポスやゲネポスといった獣が放つ様な……単純な害意ではない。積層し、塗りこめられた、何がしかの塊の様にノレッジには思えた。

 誰か(ひとり)。自分では真面に動くことも出来ない。考える意味もない。与えられる責め苦を享受するだけの時間。

 ノレッジ・フォールは思う。……それはきっと、苦しい事だ。解いてあげたいと。

 黄金に輝く水場の中を歩み、ノレッジは子どもに近づいてゆく。

 顔を近づけ。

 覗き込み。

 

「う゛」

 

 ノレッジの接近を勘づいたのだろう。

 顔を持ち上げたヒシュ……と思われる誰かは、開口一番に唸り声を上げた。

 

「起きましたか……って、うわは」

「う゛」

 

 びしり。蔦に向かって伸ばしていたノレッジの手は、当人が顔を振るった事によって弾かれてしまった。

 ノレッジは思わず身体を後ろへ退けてしまったが、これは仕方がないだろう。唸った拍子に子どもの顔を覆っていた仮面が外れ、当人は気にした様子も無く、四肢を絡めたまま此方への警戒心だけを顕に威嚇している。まるで獣の様なのだ。

 

「ぐる、る」

 

 かと思うと、ノレッジを睨みあげてきた。ますます獣だ。

 とはいえ、身体を固定している蔦のおかげで飛びかかってくることはない。その間を利用して、ノレッジはまじまじと子どもの仮面の下の様相を観察する事にする。

 

「ふぅーむ……やっぱり、どうみても……ですね」

 

 無造作に伸ばされた黒髪。仮面の下の、覚えのある面立ち。何事をも真っ直ぐに射抜く、色に染まらぬ眼。

 ノレッジ自身、ジャンボ村で再会した際の一瞬しか目にしていないが、ヒシュの素顔はしっかりと記憶に焼き付いている。何よりこの透明で綺麗に感じる眼差しは、やはりヒシュのものでしか在り得ない……と、ノレッジは思う。

 疑問を過らせながらも立ち上がり、腰を引いて体勢を整えた。どうにも現実感の薄い場所における出来事である。ヒシュの行動に脈絡が無いのはいつもの事。とはいえ、これは、唐突に過ぎる。ヒシュは感情を面に出さない、天然のポーカーフェイスを備えた人物であった。少なくとも、敵意を顕にする姿は、狩猟対象の大型モンスターが激昂した時にヒシュも呼応して、という形でしか見たことがない。

 

「……ですがわたしも威嚇されてますし、ねぇ」

「ぐ、る、るぅ」

 

 ノレッジの独り言に対する返答は、残念ながら唸り声である。

 少し考える。当人の警戒がどうであれ、蔦がある限りは身動きできず、唸っているだけに過ぎない。ノレッジへ向けた攻撃的な行動は、取ろうとしても不可能だろう。

 

「あー……まぁ、いいか。良いですよね」

 

 そう呟きながら、ノレッジは腰の短刀に手を伸ばした。とりあえずは蔦を切ってしまってから考えよう。そう結論づけたのだ。

 短絡的かも知れないし、この不可思議な空間において腹が減るのかも判らないが、少なくとも動けないよりはましに違いない。大体排泄はどうするのだ。下が水場だから良いという問題ではない。だからそもそも排泄する必要があるのか判らないのだが……堂々巡りのため、一先ずは思考をここで区切ってしまう。

 

「う゛」

「はいはい、ちょっと手出しは不要ですよー」

 

 少なくとも見ている此方が(・・・)苦しいのは確かなのだ。決めたら後は動くのみ。唸る当人を無視しながら、ノレッジは手早く周囲の蔦を叩き切ってしまう。

 太い部分だけを切り捨て、手足が動くようになったであろう頃合いを見て、ノレッジは未だ警戒したままの当人から距離を取った。

 

「……」

 

 自由になった子どもは早速と水場の地面に四肢を着き、獣の様相でノレッジを見上げてくる。

 言葉は……通じる物か。呼び名にも困る。とりあえず、この子どもはヒシュだという事にしておこう。恐らく、多分、間違いではないだろうから。

 

「それで、ええと……ヒシュさん」

 

 一歩を踏み出す。

 

「っ!!」

 

 子どもの腕が振り上げられ。

 

「―― はいはい」

 

「っ!?」

 

 ノレッジ・フォールという少女は、両親に手を握られ、その間で足をぶらぶらさせるという意味のない動作が好きだった。

 だから、躊躇などなく、振り上げられたその手を握った。

 

「判ってください。いえ、ヒシュさんなら判りますよね? ……・わたしを傷つけて倒したところで美味しくありません。人体はリンを含んでいますから……」

 

「……」

 

「あー、突っ込み待ちは辛いですね……ではなく。ええと、貴方を害するつもりもありません。これでご理解いただけないでしょうか?」

 

 手を握り、無言のままで水音だけが響き続ける。

 今のやりとりで、この子どもが、少なくともノレッジが知るヒシュではないというのは理解できた。ヒシュにしては敵意があり過ぎるからだ。とはいえ肝心要、此方に害意がないと伝わったのかは、自らの迂遠な冗談によって彼方へと葬られたのだが。

 

 ノレッジはそのまま手を握り続ける。

 解かれはしない。

 解かれはしない……と思いきや、握った手がだらりと下げられる。子どもの側からだ。

 力強く払われなかったと言うことは、伝わったとみて良いだろう。心なしか、ヒシュの(まなじり)からも険がとれているように感じられた。

 ノレッジも力を抜いて、その手を離す。

 すると、子どもは視線を少しずつ上へとずらし。

 

「この上……ですか?」

 

 視線の先には、ノレッジの降りてきた蔦が垂れ下がっていた。この地下から外へ出たいのだろうか、とノレッジは捉えた。

 何故。如何して。疑問は幾つも浮かぶが、ともあれ、今の今まで雁字搦めにされていたのだ。自由になったからには、広い場所へ。まだ見ぬ地へ。未知で未開で好奇心をそそられる場所へ……というのは、当然の心持ちのようにノレッジには思えた。

 話は早い。ノレッジはヒシュを強引に方向転換させると、蔦の張った壁の前へと移動させる。

 

「はい、ここを登れば出られますよ? わたしはヒシュさんに今まで、ここまで、沢山お世話になりました。そしてこれからも。沢山お世話になります予定ですから……」

 

 この時のノレッジにとって、小部屋からの脱出という一時は、頭の中から抜け落ちてしまっていたが。

 真っ直ぐな感謝の念を込めて、少女は手掌を突き出してゆく。

 最後の一押し。

 

「 ―― 今度はわたしにお手伝いさせてください」

 

 追い続けてきたその背。

 今は小さなその背を、少女は両の掌で支え、前へと優しく押し出して見せた。

 

「……う゛」

 

 背に手を添えられたヒシュが、蔦に手をかけながら振り返る。

 ……じっと数秒見つめた後に、かくり。やはり見慣れた動作で頷いて、恐る恐るながら、蔦を登り始めてくれた。

 

「うんうん。やっぱり、思い切りの良さは流石のヒシュさんですね。……では、わたしも」

 

 満足そうに息を吐き出し、ノレッジもその後を追う。

 蔦は思ったよりも頑丈だった。先ほど容易く切れたのは別の種類の蔦だったからだろうか、とどうでも良いことを考えながら、身体を持ち上げてゆく。

 小柄なヒシュは思ったよりも身軽であった。ノレッジよりも数秒先に上層へと登り出て、その姿が……背が何かを振り切ったように一瞬消えて。

 最後、壁の端に手をかけて、ノレッジも体を持ち上げる。

 

「―― よっと。さて、ヒシュさん……あれ?」

 

 しかし蔦を登り出た先、荒れ果てた遺跡のような小部屋の中に、ヒシュの姿は既に無かった。

 ……ふと、薄まり薄まった透明に近い仄かな光が天に向かって消えて行ったような気がして、ノレッジの視線が後を追って天井を見上げる。

 すると姿がない代わりに、上から小さな星光が差し込んでいた。天井の、先ほどまでは無かった裂け目からだ。

 

「これは……」

 

 天井の裂け目の真下に立って、ノレッジは頭上を見上げた。

 裂け目の奥。

 木々の葉と枝のさらに奥。

 底冷えのする闇と、積層した陰鬱な空気を貫き、星々の輝きを超えて ―― その奥にまで吸い込まれるような感覚に襲われる。

 

 

 

 

 

 上へ。

 

 宙へ。

 

 空へ。

 

 上る。

 

 昇る。

 

 暗闇を越えて。

 

 静海を越えて。

 

 星々を越えて。

 

 穢れを突き抜け。

 

 そして、光り耀く天頂までも。

 

 

 

 

 

 ぱちり。

 ノレッジ・フォールが瞼を開くと、今度は、横たわっていた身体も意識も小気味良い程に覚醒していた。

 

「―― ここは?」

 

「目が覚めたかニャ? ノレッジ・フォール三等書士」

 

 開口一番呟いた言葉に、獣人の細く高い鳴き声が返答した。

 痛む体をおして、ノレッジは上半身を起こす。左腕の……イグルエイビスの炎弾を受け止めた痛みが残っていることからして、どうやら先ほどの空間から戻ってくることが出来たらしい。

 質問に対し、傍にいた2匹のアイルー……では、ない。

 

「メラルー……もしかして、カルカさん?」

 

「おう、久しぶりだニャ。フシフも居るけど、今は哨戒してるから呼び戻すニャ」

 

 獣人族(メラルー)のカルカは、殊更陽気な口調でそう答えていた。

 彼は「橙の村」と呼ばれる村の出身で、ノレッジがセクメーア砂漠で修行をしていた際に「野良金冠ガノトトスの狩猟」をした事件において友人となった獣人である。

 鎧を着ているこの獣人をメラルーだと一発で判断できたのは、白を基調とした毛色のアイルーに対して、メラルーは黒を基調としたものになるからだ。アイルーとメラルーは骨格や背格好がほぼ同様であるためこれは猫種としての違いなのだが、ノレッジの知る限り、部族として区分けするのは間違いではない……らしい。故ジョン・アーサー筆頭書士官の書き物に曰く。

 ただ、「アイルー」ではなく「メラルー」が現地の補佐を任されているという事態は、(ノレッジ的には不快感は無く)疑問が残るのだが……。

 

「まってるニャ、ノレッジ。装備を持ってくるニャ!」

 

 すぐにでも動き出したい旨を汲んでくれているのだろう。カルカはノレッジが意識清明であることを確認すると、手早くソリを引いて出て行った。

 ひとり残された詰所の中、ノレッジは上体を起こす。自分は小さな木々で組まれたオトモアイルーの詰所の中に寝かせられていたらしい。

 どうやら人員はカルカと、哨戒中のフシフのみ。これがギルドからよこされた最低限の依頼応援員、という事なのだろう。部族としての特徴である盗み癖と手癖の悪さから、メラルーとハンターズギルドは相性が悪い。好奇心旺盛だが職務には忠実で人文化の理解もあるアイルーと違い、言ってしまえば、メラルーと言う種族には信用がないのである。

 そんな風に人と折り合いが悪い(と、ギルドでは見做されている)メラルーを現場に出すという事からして、この2匹は、ドンドルマのお上の方々等々が秘密裏に動かしている人員なのかも知れないが。

 

「お待たせニャ」

 

 考えている内に、程なくしてノレッジの鎧と『流星(ミーティア)(スワム)』を抱えたカルカが戻ってくる。それらをノレッジはベッドの端に腰かけたまま、礼を言って受け取る。

 

「ありがとうございます。……よ……っと」

 

 すぐさま鎧を身に付け始める。

 上下の鎧を留め、阿吽の呼吸で差し出される弾薬鞄を腰と脚に巻き、あの炎を受けて尚曇ることのない白銀の腕甲を装着し、頭に傘を被って、重弩を背負う。

 どうせ簡易の詰所に専用の工具はない。装備の不備は道中で確認しようと決め込んで、ノレッジは立ち上がった。

 

「重ねて、ありがとうございました、カルカさん!」

 

「此方こそ、だニャ。……時間も押してるだろニャ? 戦場(いくさば)までの道案内は ―― フシフ、頼んだニャ。ノレッジはオレらの現状も知りたいみたいだし、道中でニャ」

 

「はいですニャ!」

 

 いつの間にか、入り口にもう1匹のメラルーが辿り着いていた。カルカの(つがい)猫、フシフである。

 頭を1つ小さく下げると、フシフは早速ノレッジの前方10メートル程を先取りながら駆けだした。ノレッジもカルカにありがとうと告げ、その小さな姿の後を追う。

 1度来た道を再び登る。樹林帯を抜けると、あの鳥竜と遭遇した……自らが気絶させられた山道へと辿り着く。

 陽光の下、改めて見ても山道は酷い有様だった。所々が抉られ、焼け爛れ、砕けたバリスタの砲台が転がり、地形が変わっている場所すらもある。ノレッジの記憶にないものは、自分が気絶した後にもヒシュとネコとダレンが闘争を続けた痕跡であろう。

 その少し先。斥候を兼ねて先行していたフシフが、丘を越えた所で立ち止まる。

 

「発煙筒を使った往信によりますと、2時間前には、この先数キロの花畑になっている地点でお仲間が戦闘をして居たはずですニャ」

 

 指差された区域(・・)は、頂上の僅かに手前。頂上の周辺(・・)と言える場所だった。

 それらを曖昧に表現したのには理由がある。

 

「―― あの暗雲の最中に、ですか」

 

 ノレッジが睨む。

 そう。視線の先……山の頂上は殆どが黒い靄によって覆われ、観測不能となっていたのだ。

 その漆黒の靄はジャンボ村から観測した時よりも遥かに肥大し、今にも溢れんとばかりに胎動を繰り返している。

 

「だろう、という憶測になるのは申し訳ないですニャ。定期往診も途切れがちなのを鑑みるに、まだ激しい狩猟の最中だと予測はできますけどニャ」

 

 横で双眼鏡を覗いていたフシフが申し訳ないと項垂れる。ノレッジは慌てて手と首を振った。

 

「大丈夫、大丈夫ですよフシフさん。なにせ隊長と師匠たちです。そう簡単に倒れる筈がありませんから!」

 

「ニャ、そう言って頂けるとありがたいです。わたしも、狩猟のお邪魔にはなりたくありませんからニャァ……」

 

 顔を上げたフシフに笑顔を見せて、ノレッジはむんと意気込んで見せる。

 再び山頂に視線を戻し、渦巻く黒の色を見据え。

 

「場所を変えたということは、師匠たちが相手を動かしている(・・・・・・)という事だと解釈できます。なにせあのお相手は、黒い風を自らの意思で動かすことが出来ていたんです。あれだけ戦い易かった山道を態々自分から進んで離れる必要は、ないと思いますから。……ならばきっと、あの場所で戦っているというのは、ヒシュさん達が最低互角に渡り合っているという考えで良いと思うんです」

 

 ノレッジはフシフを励ます言葉を並べながら、頭の別の場所で、未知の鳥竜の特徴について思い返していた。

 カルカとフシフ。そして砂漠での出来事を思い出したおかげで、あの「黒い硬皮」について、試したい事が1つ、浮かんだのだ。

 

(……これをご教授くださった「山菜お爺さん」は、今も何処からか、わたし達を見ているのでしょうか……?)

 

 そう、関連付けながらも。

 頬が、口角が、自然と吊り上がってしまう。腹の底で空腹の虫と飢狼とが騒ぎ出す。

 理由は明白だ。たった今、ノレッジにはやりたいことが出来たのだ。

 その一事が、ノレッジの心の瑞々しい部分を奮い立てていた。もっと心情に寄せて表現すれば、ノレッジ・フォールは鳥竜との闘争を前に「わくわくしている」とまで言えるだろう。

 待ってはいられない。師匠らを待たせていても仕方がない。ここからは狩人の、そしてハンターの領分である。重弩を背負い直し、後ろのフシフへ振り返りながら、ノレッジは山頂へ向けて脚を踏み出す。

 

「行ってきます。後をお願いしますね!」

 

 段々と加速をつけて、少女は走り出す。

 駆けだしたその背を追うことは無く、フシフはびしりと敬礼を返して見送る。

 丘の向こう。少女の姿が消えた尾根伝いの岩崖の奥を見つたまま、フシフはぽつにゃんと零した。

 

「自分とカルカがオトモとして、またギルド務めのオトモとして出願したのは、それは、切っ掛けはノレッジに助けられた事かもしれないです。ですがそれも、紛れもない、自分の意志ですからニャ。ハンターさん達を助けたいと、思っています」

 

 山頂を包む、黒く分厚い、正しく底の見えない暗雲。

 補佐としての役目を担っているフシフは業務上、ハンター達が命の危機に陥った場合を除いて、狩猟地域の周囲に近づくことが禁止されていた。

 ギルドに入って日が浅く実力を持たないフシフとカルカの2匹では、ハンターの脚を引っ張りかねないというのが1つ。また、現在任されている救護のための駐屯地を離れる訳にはいかないという理由も存在した。

 いずれにせよ彼ら彼女らの届かない場所へ、あどけなく、少女然とした顔を持つ、それでいて魚竜をも単独で討ち果たすハンターでもあるノレッジ・フォールは駆けてゆく。

 其処は先の見えぬ暗闇だ。果てなど無いかも知れない、未知だ。

 フシフにとって、また、カルカにとっても。未知とは未だ、恐怖の代名詞なのだ。

 少女はその中へ嬉々として、喜びすらも覗かせて駆けてゆく。

 まるで、暗闇の中でこそ輝く下等の星々もあるのだと知らしめるように。

 その無頓着さを、好奇心を、人間臭さを。メラルーはこの時、初めて、羨ましくも感じてしまっていた。 

 

「自分の力の無さが、口惜しい。誰かに託さなければならない立場は、やっぱり、悔しいものですニャ……」

 

 立ち竦むメラルーの頭上。

 何処までも続く暗闇の中天を ―― 南西から北へ ―― 白い流星が滑り落ちてゆく。

 テロスの高峰の頂を彩る冠が如き、黒く果てない暗闇。

 ハンターらを歓迎するかのように。或いは、狩猟の終幕を待ちかねたように。

 黒さは昂ぶり喜び、苛烈さを際限なく増しながら、ちっぽけな獣人の目の前で蠢き続けている。

 

 





 お待たせしてしまいました。
 随分と間が空いてしまいましたが、これにて何とか残り2話+αとなりました。御拝読をありがとうございます。ひと先ずは更新と、休みの全てをつぎ込んでモンハンを仕上げました。
 さて。いきなりですが、書き方を少々変えております。具体的に言えば、会話文が連続した際にも1行余計に改行を入れてみています。ハーメルン様の機能も充実していまして、縦読み機能もありますし個人での調整も出来るのは知っているのですが、なんとなーく、やはり、横書きだと1行空いている方がやり取りを組みやすい気がするのですよね。完全に私的な意見ですけれども。
 これについてはよっぽどのご意見が無い限りは(基本的に)全て改変の予定でして、1章が終わり次第投稿分にも改変を加えたいと思います。
 他にもいくつかあるのですが、取り急ぎは改行だけで。もしかしたら1章を終えた時点で、各章のあとがきの移行(ひとまとめ)とかを考えるかもしれません。

 以下、小ネタ雑談。

 ―― 花畑が燃えてるって
 テロス密林禁足地はそんなに高地ではありません設定。燃えます。
 原作は火山でも活動出来るんですよね……。流石に今作におきましては、鎧以外の部分でマグマを浴びたらやばいという程度にはなっていますが。

 ―― 小部屋って。
 はい、その通り。お借りしたイメージは4Gギルドクエストのお宝部屋ですね。
 何かと意味深ですが、とりあえず不思議な雰囲気が出せていれば成功です……。

 ―― メラルーって。
 次の章か、もしくは最終章辺りまで流す設定。
 合間合間に入れているモンハン用語の説明がクドイですかね……? 今話で言えばメラルー種族説明がそれにあたるのですが、砂漠でも一応書いた気がしないでもないですし、二次創作だからってばっさり省くのもありといえばありなのではと愚考で愚行している最中だったりします。

 ―― ぽつにゃんって。
 誤字ではありません。
 いつでも可愛げを忘れない、メラルー一流の心遣いです。



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第三十五話 生者を照らす朝日

 

 とうに日は沈み、山の空気も寒冷期特有のしんとした寒さを湛えた。

 ノレッジ・フォールは息を吸っては吐いて、目的地を目指す。目指す場所は、既に鎮火し灰となった花畑を更に超えた先。ヒンメルン山脈などと比べてしまえば高山と称するにはまだ低い、今は暗闇に覆われた、テロス密林の山頂である。

 砂利の獣道を抜けると山頂付近の原に差し掛かる。其処だけが時間に取り残されたような、古めかしさを残す場所だった。倒れた古木。苔むした岩塊。荒れたままに露出した路端。そこかしこに散らばり風化した瓦礫の元の姿など、常であれば誰も気に留めることはない。

 ただ、その場所を駆ける少女にとっては、とある部分が興味を惹いた。

 

(あの文様は、何というか、あの砂漠の管轄地で見たものに似ているような……?)

 

 などと、思いながらも脚は止めず、頭の中だけで思い返してみる。

 2週前まで逗留していたレクサーラでは、温暖期を脱すると同時に件の事件の舞台となった管轄地の調査に本腰を入れようという予定が建てられていた。ハンターズギルドの上役達が特級危険度の双角竜「灼角」の危険性と、その活動再開による周辺への影響を一大事であると捉えたからだ。

 温暖期が終わり砂漠から熱気が抜け次第、調査団が派遣される予定である。かくいうノレッジ自身は温暖期の末期にレクサーラの村を出たため、調査には同行していないのだが、レクサーラに保管してある既存の資料の再解析は村にいる最中にも始められていた。あの受付嬢姉妹がまとめていた途中経過を、見た覚えがあったのだ。

 書士隊としては未だ新米隊員だとはいえ、ノレッジも座学は修めている。むしろ故郷のレーヴェルは学術院に近しかったこともあり、(試験官からの内申と文章構成に関しては兎も角)成績は中ほど。植生や縄張り間の相変異について一応の(助言という名目の)援護は出来たので、姉妹にとっての邪魔者ではなかったと思いたい。

 それらの文字……いや、あれはやはり文様というべき規則性だと感じる……同様の文様を描かれた瓦礫が、テロス密林の禁足地に転がる瓦礫にも描かれている。気になる点ではあるが、とはいえ、今現在の密林高地に調査隊を呼び出す訳にはいかない。何しろこの先では、未だ危険が大口を開けて待ち構えているのだから。

 

 息を切らしながら、ノレッジは寒冷期らしく色味の少ない山道を登り続ける。

 その口には現在、予てから用意していた防塵酸素マスクが咥えられている。これは海と共に住まう民などが海中での活動を行う際に使用する物品に、一応の燃焼対策を施した特別仕様であるらしい。酸素を用いるからには燃焼対策。とはいえあくまで体を慣らす用途のため、可燃物の近くでの使用は推奨しないとの事だ。

 この防塵酸素マスクには、水没林に生息するイキツギ藻を加工した「酸素玉」と呼ばれる道具が仕込まれている。高地での活動においても活用できるだろうと、ジャンボ村にいる内にヒシュが手ずから仕上げた物だ。ノレッジが炎一撃で昏倒させられた理由としては、勿論自らの油断も割合として十分に大きいが、こういった環境適応をする時間を「持てなかった」というのも理由であろう。今更ながらに時間は出来たので、これを逃す道理もない。

 

(さて……もう少し先ですか。いよいよですね)

 

 カフカ、フシフの番メラルーと別れてから数刻は経過している。

 もう少し、あと少し。自らを鼓舞するように呟きながら、切り立った岩壁を回り込むと、周囲の空気が急激に淀みを帯びてきた。

 目的地は近い。頭上の夜空からは星が消え、只管に黒に染まっている。

 再戦を。雪辱を雪ぐべく、黒く渦巻く風の中へ、ノレッジは再び足を踏み入れる。

 黒い靄の中だ。視界は悪い。視界の悪さは距離が離れる程に顕著になり、ついさっき駆け抜けてきた靄の外の景色など、とうに見えなくなっている。

 ただ、この中に居る。間違いない。

 気合を入れよう。そう考えたノレッジの行動は早かった。

 

「―― ん! ノレッジ・フォール! 挑みますっ!!」

 

 闇の中に踏み込んでマスクをずらすと、ノレッジは叫んだ。

 気合もそうだが、この叫びは、闇の中にいるであろうヒシュとダレンとネコに自らの到着を知らせる意味合いが強い。

 叫んでおいて、防塵の意味合いでマスクを再び装着すると、ノレッジはすぐさま位置を変える。威勢を見せたばかりで格好はつかないが、音を頼りに炎でも放たれていては先の二の舞である。

 闇が此方を認識したとばかりにどよめいている。重弩を背負って円を描くように駆けながら、ノレッジは目を凝らす。モンスターの位置は判る。30メートル程先、靄の中心部で翼を広げて誰か……重い音からして恐らくはダレン……とぶつかり合っている。暗い闇の中では鳥竜イグルエイビスの双眸が放つ赤い気炎だけが、際立って「視える」のである。

 近づいてしまえば、姿は意外にもはっきりと視えていた。目前で炎を滾らす鳥竜は、ノレッジが伸された昼時よりも数段の変貌を遂げている。身体は大きく、生命力に満ち溢れ、外観すらも変化していた。……それは元来、進化と呼ばれるべき変わり様なのかもしれないが。

 薄暗い闇の中、足を止めず駆け続ける。暫くして羽音や破裂音に交じった、ぱしゅんという音が聞き取れた。小さな炸裂音である。これは返答(・・)なのだろうと、ノレッジは顔を挙げる。

 

(あれは ――)

 

 右前方40メートル、頭上幾ばくかの高さで閃光玉の光が瞬いた。

 閃光の直下を基点として ―― そういう合図であると理解するや否や、ノレッジは頭の中で「身体に慣れた」陣形を思い描く。イグルエイビスを十字に捉えられる位置を目算し、一目散に駆け出した。

 

「―― ジュェェァァアア゛ッッ!!」

 

 途中、地面の高さから鋭く響いた鳥竜の悍ましい鳴き声が猟場を揺らす。黒い風がぶわりと生ぬるく肌を撫でてゆく様が、薄気味悪さを上塗りする。

 が、その鳴き声を発するために鳥竜は足を止めている。その間はノレッジ()にとって、陣形を整えるのに十分なものだった。

 

「む、オオォーッ!!」

 

 後方へと駆ける少女とすれ違い、雄たけびをあげながら対象へと近づいて行くのは、大剣使いにして隊長たるダレン。

 安否を気遣う言葉はない。真面目で実直な隊長である彼は、何時も行動によって指針と信頼とを示すのだ。

 

 ガシュ、ガシュシュン。

 

 大弩(バリスタ)に弾を込める音。続いて、放たれる音。

 この音は、ノレッジが目指す場所よりも僅かに角度がついた位置……陣形の最後方から放たれた物だ。発射元には黒い靄越しに、身体全部を使って大弩を再装填する小さな従者アイル―の影が見えている。首元からは生物の敵愾心を煽る、凛とした鈴の音が響いていて。

 そして、かくり。

 

「ん」

 

 小さく頷いて、仮面の狩人が駆けていった。ノレッジの横を走り抜け、大剣を振り上げたダレンに続いて、その隙を埋めるための連撃を試みる。

 ヒシュによる剣戟はイグルエイビスに弾かれてしまうが、本命、ダレンの『竜の(あぎと)』による質量を重視した斬撃は通ったらしい。イグルエイビスが体を崩しながらも飛び上がったのを、ノレッジは視界の端で捉えることが出来ていた。

 ダレンを主として、ヒシュが補佐。成る程。連携の要旨は理解出来た。ダレンを中心として、大剣を印象強く焼き付けながら、ヒシュが「切り札」を繰り出す機会を窺っているのだと。

 そして切り札を出しあぐねていた、待っていた理由も理解した。ノレッジの到着を待ってくれていたのだ。

 ノレッジは先まで意識を失っていた。覚醒は何時になるか、そもそも起きるかどうかも定かではない。それでも待ってくれていた。信じてくれていたのだ。

 

(期待には、応えたく思います……!)

 

 一層のわくわくと共に、ノレッジは『流星(ミーティア)(スワム)』を腰にぴたりと付けたまま、銃撃の陣形についた。

 前方にダレン、中程にヒシュ、後方にはネコ。その陣形が向かう先に、鳥竜イグルエイビス。

 最中に立って、ノレッジも獲物を見据える。腹の底で狼が喉を鳴らして首を擡げ、眉間に皺が寄る。だが、空腹感の割には悪くない感覚だ。目の前の鳥竜に相対するには。仮面の狩人の隣に並ぶためには。これくらいの心持ちが、丁度良い。

 大剣を振りかざすには(まだ)5歩ほどの前進が必要な間をおいて、しかし両者共に機を図っていた。

 沈黙のまま暫く。鳥竜は少女が弩を持ち上げたのをゆるりと見届け、首を持ち上げ、最後の要素の到着に、甲高い叫びでもって高揚を顕にする。

 また、紅の気炎。

 

「ジュェェ ―― ギァァア゛アアア゛ッッッ!!!」

 

 叫び、悲鳴、感嘆。毛羽だった羽がぞろりと震え、みしり。何かに持ち上げられた骨格が、イグルエイビスの身体をまたも大きく膨らませる。

 耐え切れず節々に突き出した紫苑の棘が一層に軋み、捻れる。翼膜に気炎の赤色がそのまま映し出されている。膨れる程に身体の表面積が増え、黒色の外皮で覆いきれない部分には亀裂が奔り、地面から湧き出る熱の様な、紫とも紅とも取れる幽鬼の色相が浮かび立っている。

 見るに堪えない。恐らくこれは、鳥竜にとっての本意ではないはずだ。万人がそう思うであろう、無理を通した、結末なのだ。

 

「……ノレッジ・フォール。身体は万全か?」

 

 鳥竜の咆哮の最中、距離を詰めたダレンがノレッジへと問いかける。

 赤色の気炎はイグルエイビスの黒々とした身体から途切れる事無く昇り立ち、頭上空高くを覆っている瘴気達も少しずつ降り、濃度を増してゆく。

 

「はい。ご迷惑を……身体には支障ありません。ヒシュさんは?」

 

 ノレッジがヒシュに、進度を訪ねる。

 狩人らの頭上を、テロス密林高峰の真上を、黒さを増した風が渦を巻いて席巻する。

 

「ん。ノレッジが来るまでに、調合は済ませた」

 

「では、いよいよですね。我が主」

 

「ウン。あとは、全部をぶつけてみせるだけ」

 

 ネコと頷き合いながら、ヒシュは膨れ上がった腰の鞄をぽんと叩いて見せる。よく見ればノレッジ以外の3者共、鎧も武器も傷だらけである。ここで「全部を」と語るヒシュの言葉は、勝機を掴むに足る頃合いがここにしかないという決意の表れでもある。

 咆哮を鳴り止ませ、イグルエイビスが首を下した。

 嘴が。頭蓋から覗く双眸が。天地を掴んだ翼と爪脚が。それら全てを孕んだ鳥竜が、およそ考え得る限りの黒さを寄せ集めた暗幕と化し、今、ハンターらとジャンボ村の行く手を遮っている。

 最初の撃龍槍によって抉じ開けられたイグルエイビスの嘴の傷は、繰り返された攻防によって徐々に押し広げられてはいたが、しかし黒色の外皮を突破出来た訳でもない。半ば一方的な闘争。一向に隙を……切り札を切るべき好機を見せないイグルエイビスの強かさに、ハンターらは間違いなく疲弊している。各々の熱も集中も底をついてはいないが、人間である以上肉体的な限度というものがある。

 それは鳥竜にとっても同様であった。炎を作り出す火炎袋も、筋肉を動かす代謝も、活動源を産生する機能も、未だ知られざるとはいえ確かにそこに在る物なのだから。ただ、鳥竜の側にはハンターらを迎え撃つだけの頑丈さがあるというだけの事。

 仕掛けるべきは、狩人の側。

 それを理解しているのだろう。ヒシュはノレッジと目を合わせ、小さく頷く。ノレッジが返す。ネコが腰に背負った鞄の中の、弾頭の所在を確かめる。

 例え目に見える傷を負わすこと叶わずとも、確かにイグルエイビスを疲弊させているのだと信じればこそ。彼ら彼女らの手の中には信じるに足るだけの物が握られているのだと、揃えて前へと踏み出し続けるのだ。

 前陣を維持したまま、ダレンが叫んだ。

 

「―― 仕掛ける!」

 

 異形に怯まず先陣を切り続けるダレンが、大剣の柄に手をあてながらテロス山頂の地面を蹴った。

 イグルエイビスは翼を僅かに動かし、自分の真下から風を吹き上げて、数メートルだけ宙に浮いた。ダレンの頭上で嘴が上下に開き、炎が次々と放たれる。炎弾、炎弾、炎弾……そして放射。

 そのどれもがダレンに直撃こそしなかったが、中空からでは狙いが甘いのも織り込み済み。鳥竜は撃ち下ろしつつも降下し、地表すれすれでぴたりと静止すると、嘴を構えた。狙いは先頭に立ちながら、炎によって足を止められたダレンである。

 イグルエイビスが周囲一帯を埋め尽くし気流の様になった黒い風を操って翼を煽り、滑らかに嘴を突き立てる。

 剣と嘴が、鈍くも衝突。

 『竜の顎』は飛龍の骨を主とした骨の大剣である。故に、炎の中でもくすむ事なく振るわれる。大剣は元より側面を盾として使うことも想定された造りである。ダレンは鳥竜の嘴を白く研磨された『竜の顎』の腹で受け反らし、そのままヒシュとでイグルエイビスを挟み、抑え込む形を取った。

 大剣を絡み合わせ、嘴を受け流す。

 ヒシュが『闘士の剣(オデッセイ)』と『呪鉈』を握り、暗雲かき分け、受け流された嘴へと叩き込む。ダレンが大剣を振り切った後を埋めながら、膂力の限りを持って嘴を揺する。

 ノレッジは「2種(レベル2)」と呼ばれる、素材を変えて跳力を増した通常弾を撃ち込んでゆく。薄暗い靄は完全に視界を遮るほどの濃さは有していない。それでもイグルエイビスが燻らせ染まる気炎は闇の中でも衰えず輝いており、狙いを定めるのに有用であった。

 狙いはせめて外皮がひび割れた部位。当然、弾丸が通れるほどの隙間はなく弾かれる。とはいえ外皮が途切れた部分の面積は広がっている。先よりも狙いはつけ易くなっているだろうか……と考えながら、ノレッジは次の弾丸の装填を始めた。

 

「―― グ、ジュ、ギュェェ!」

 

 頭蓋よりも肥大な嘴から呻きにも似た鳴き声を発し、イグルエイビスはダレンとヒシュを相手取る。

 ダレンが主を担いながら、ヒシュが隙を付け狙う。既に半日以上は繰り返した攻防だが、しかし漫然と同じ流れをなぞる事は一度も無い。武器さえ変えれば、ヒシュは十分に主を担う事も出来る。打撃が主体の『棍棒』や『呪鉈』はいつも背負われており、時折ダレンと入れ替わりに叩き込むのである。

 ノレッジの放つ弾丸も、跳弾する替わりにぶつかった部位を「弾き飛ばす」力を増していた。通じないなら通じないなりに鳥竜の動きを阻害しようという目論みである。跳弾が仲間へ被弾はしない場所を狙い続けているのも、少女の制動力の高さを示していた。

 目線が移る。

 ……ひと飛び、イグルエイビスはノレッジへと飛びかかった。

 

「ですから、目線で判るんですよね……お生憎」

 

 その言葉と共に、目立つ薄桃色の髪を揺らすその姿がかき消える。

 戦場を機敏に動き回る狼の気配。脚の間だ。鳥竜は反射的に、その足下を覗き込み。

 赤い気炎を宿した双眸は、落とし穴の中(・・・・・・)で銃身を持ち上げたノレッジと、照星から伸びる少女の目線と、ぶつかった。

 

「徹甲榴弾、お見舞いしますっ!」

 

 一角竜亜種にも通用し、その角を折った策だ。初見で防げるはずもない。

 罠が通じないというのはネコから聞いていた。痺れ罠はそもそも神経毒が通じず、踏んだ直後にでも風を操り吹き上げれば、落とし穴とて難なく避けられるだろう。だが、モンスターを貶める以外にも活用の道はある。例えばこうして、ノレッジ自身が身を隠す壕として。

 徹甲榴弾が嘴から顎にかけて無数に張り付き、炸裂する。轟音と共にイグルエイビスの強大な嘴が跳ね上がり、蹈鞴を踏む。捲れた外皮がぱらぱらと、粉塵の様に辺りに散らばった。

 致命傷ではない。しかし、反撃もまた容易ではない。少女の気転と発想は既存のハンターの枠外にある物なのだ。それが誰に影響を受けた結果なのかは、言うまでも無いか。

 加えて、身を隠すための罠が1つとは限らない。穴の中からでも攻勢に転じられる銃を持つのは、少女ひとりだけ。イグルエイビスは再び相手を変える。

 ダレンの大剣を受けきる覚悟で膂力に勝るヒシュに狙いを定め、嘴を振るう。ダレンの大剣が羽毛と黒い外皮に包まれた胴を捉え、腕の楯で嘴を受けたヒシュが大きく後退する。

 そしてそのまま、身体の勢いを利用して嘴と爪脚を振り回す。大剣を振り切ったばかりのダレンは身を捻ったが、ハンターメイルに爪脚を受けて地面を転がった。

 

「皆様、ゆきますっ!」

 

 そうして、誰もが大きく後退した瞬間を狙っていたのは、ネコ。

 大弩から弾丸を射出する。只の弾丸ではない。着弾と同時に仕掛けられた鋼線が引き合い、イグルエイビスを絡め取る。

 

「ジュェアアアーッ!!」

 

 大型の生物を対象とした、拘束弾。イグルエイビスは翼を動かし爪を振り回し暴れるが、マカライトで芯を編まれた鋼線は直ぐには解けない。当然、操った風では解けるはずもない。

 大弩、落とし穴、拘束弾。ペルセイズらによって仕掛けられたこれら罠こそが、山頂を決着の場として選んだ理由でもある。

 

「―― 追撃」

 

 暴れる直ぐ側、暗雲に紛れるように、ヒシュは身を潜めていた。

 近場に仕掛けられたそれらに火を入れ、離脱。

 破裂音。瘴気と化した暗雲が、衝撃に押しのけられてぶわりと勢いよく広がってゆく。

 火薬が詰め込まれた樽が、次々と炸裂した音と衝撃であった。藻掻く鳥竜を今度は、爆弾の爆発が襲ったのだ。

 硝煙臭い向かい風。もうもうと煙る爆煙の外で油断なく剣を構えながら、ヒシュとダレンは小声で確認を交わす。

 

「……まだ、なのだろうな」

 

「ん。衝撃は通る、から……爆弾を使ってみた、けど」

 

 1つ目の策は仕掛けきった。

 果たして。

 果たして ――

 

「―― ()ュゥェ」

 

 煙を割いて現れたイグルエイビスは、見せつけるかのように無傷の脚を踏み出し、真黒に揺らめくその身を振るい、歓喜の声をあげた。

 そう。「歓喜の声」。

 いよいよだ。そう、歓喜の声をかき鳴らす。

 これ以上無いほど「人間らしく」、見事な闘争だ。鳥竜は、黒さは、この素晴らしい闘争をこそ心待ちにしていた。好敵手。つまりは、自らの全てをぶつけるに相応しい相手をこそ、待ちかねたのだ。

 仮面の狩人は瞬く光を。長髪の女は餓えた狼を。大剣を抱えた男も、一筋縄では倒せるはずもない。

 初めて遭遇した時と比べ、最も劇的な変化を遂げたのは女である。しかしやはり、何を差し置いても素晴らしいのは仮面の狩人。彼奴こそが、我ら(・・)が待ち望んだ、闘うべき、閉塞の光なのだ。

 自らの全てをかけるに見合う4者を前に、鳥竜は遂に奥底へと足を伸ばす。

 高ぶりと同じくして身体が軋み、肉が最大まで隆起し、外皮にほんの僅かに刻まれていた傷跡を生々しく浮かび上がらせる。紫苑の棘が怪しく光り、何処からか揺らめく気炎を吹き出し呻く。

 この時、足を止めたのをみてノレッジが放った弾丸は、赤い気炎によって反らされてしまった。ここまで来ると未知も極まれり。理解不能も甚だしいが、人間にとってのモンスターとは元よりその様なもの。

 鳥竜が、飛ぶ。剛風吹き荒れる空を自在に駆け回る。

 

「……くる!」

 

 一声あげた仮面の狩人へ、一斉に身構えたハンター達へ。

 その嘴はヒシュの『闘士の剣』を弾き飛ばし、その風はダレンの大剣を押さえ込み、その爪はノレッジの立つ大地を砕き、炎はネコの扱う大弩を焼き晒す。

 風を受けた翼が可動域を超えて曲がる。筋肉が折れるのを許さず、外皮が脱臼を押さえ込む。

 舞い上がった風を、そのまま地面に叩きつける。自身も急降下し、爪脚を突き立て ――

 

「ぐ、む!!」

 

 その一撃を、ダレン・ディーノは『竜の顎』の腹で受け止めて見せた。

 これだ。

 圧倒的な力の差にも、風を操る不可解さにも屈せず、立ち向かってみせるこの力。

 

「……む……お、おおおぉッ!!」

 

 受け止め、どころか、押し返してみせるこの輝きだ。

 鳥竜は確かに笑った。人間らしさはなくとも、獣としての歓喜に震えた。

 伝わってくる。鳥竜は戦局を動かす、打ち破る積り。全身全霊の一撃を備えているのだと。

 

「これ、は……」

 

「……来ますか?」

 

「ん。だね」

 

「迎撃態勢を」

 

 ノレッジが気を引き締める。ヒシュとダレンとネコも来る決撃に身を低くして、深い夜と暗い風の奥に視線を凝らした。

 それら全てを超えて、自らが持てる最大の炎を見せんと、鳥竜イグルエイビスが最奥の牙を剥く。

 

 飛び上がっていた。

 風任せに揚力を得て、翼を止め、鳥竜は4者の陣形の中央部を目掛けて急降下する。

 同時、全天を覆っていた黒い風が一斉に吹き下ろされ、鳥竜の全てが炎を纏い、地面が抉れ吹き飛び、熱風が辺りを吹き曝す。

 

 地面への突撃だった。勢いは凄まじい。しかし「誰に」ではなく漫然と隊の中央部を狙ったために、全員が防御を整える事が出来ていた。

 酸素を使い果たした防塵マスクが肺が焼けるのを防ぎ、瞼と腕と兜が眼球の乾燥を防ぎ、踏ん張った腰と足が地面から吹き飛ばされるのを防いでいる。

 

 そうして風が弱まり、4者が顔を上げた時……今度は暇も猶予もなく。

 

 鳥竜の次撃。

 

 つまりは、連撃。

 

 瞼を開いた時、4者の中央部の地面に脚を突き刺したまま、鳥竜の口元には ―― 青い()が灯っていた。

 

 警鐘を鳴らすまでもない。これぞ鳥竜の本命。

 脚を縫いとめられたハンターらの背筋が震える。

 未知の全てを注ぎ込み凝縮され、赤を超え、青すらも超えて変わった熱がばちりと、雷の様に爆ぜ。

 次の瞬間、炎とも雷ともつかない青白さが一閃、ぐるりと周囲を薙ぎ払った。

 空気が焼けた音と独特の臭気。

 それは暴風とも、灼熱とも、雷撃ともとれる、既に何の器官を利用したかも定かではない ―― 真に未知と称すべき埒外の一撃。

 王国騎士の直剣もかくや、燦然と輝く、一筋の閃光。嘴から閃光の末端まで歪みなく真っ直ぐに伸びる光の牙だ。防御も回避も、選択肢などある筈もない。

 当然、意識を手放すか否か、選択の権利は狩人の側には有り得なく。

 雷を帯びた熱線はただ暴虐に、力任せに引き千切るのみ。

 

 

 

 

 ―― 。

 

 

 

 ―― 。

 

 

 

 ―― 音はない。

 もしかしたら既に、聞こえていないのだろうか。

 

 

 

 ―― 色もない。

 見えていないのか、それとも知らないだけなのか。

 ただそれは、仮面の下の人間にとって、自らが覚えている原初の風景によく似ているように思えた。

 

 

 

 ―― だとすればそこに、自分はあるのだろうか。

 がむしゃらに、その問いに答える術を、求め探し続けていた様に思う。

 

 

 一隊は暗闇の中に居る。

 倒れ伏す誰もが、瞬いた雷の衝撃だけはまだ覚えていた。

 しかし今、自分達は、果たして、目覚めたのか。

 どれ位の時間が経ったのか。

 光は収まったのか。風はまだ吹いているのか。

 恐らくは、未知が放った一撃の直後であると信じたい。

 痛みはあるのか。身体は動くのかすらも。

 思考は霧散し、形を成していない。

 自分らは、今、生きているのだろうか。

 それら感覚は既にない。探るべき意識もない。

 ただ、倒れているのであろうということだけは、判った。

 勝利か敗北か。いや、狩るか狩られるか。このまま倒れていては、此方が狩られる側となるのは間違いない。

 元より、人と獣とでは体力にも筋力にも差がある。高嶺という環境も、生物の適応として当たり前のように鳥竜に有利に働いている。

 少なくとも市井の人々が見れば、この状況は良く持ったほうだと称賛するに違いない。王国ならば尚更、殉職の英雄だと持て囃す者すらも居るであろう。

 しかし彼らはハンターだった。絶望の淵に立って尚抗う気力も意思も、備えていた。

 欲しているのは過程ではなく、結果である。意志だけを源にかき集められた感覚が、辛うじて形を成す。

 指は、動かない。足は、従わない。呼吸は、辛うじて。思考は、痺れている。

 

 

 ―― 用、意……かい?

 

 

 薄れていく聴覚だけが際立ち、浅い粘質の音が耳に届く。

 どすり。それは鳥竜の爪脚が土くれに沈んだ音だった。地に伏す仮面の狩人の前に、イグルエイビスが降り立ったのだ。

 淀みなく振り上げられた嘴が仮面の頭上に影を落とす。余韻も感傷もない。闘争とは、決着をつけてこそ。

 決着に抗うべき。抗いたい。しかし気力に反して身体が、視界が、感覚が閉ざされて行く。

 脳へ酸素を回せ。心の臓に血をくべろ。身体はまだ生きている。しかし決着を前に、それら失われた物を取り戻すための物理的な時間が足りていない。

 底へと至る道中を満たすそれに似た闇を体現する冷たい暗さが、四肢の末端を覆い始める。

 振り上げられた嘴が遂に、頂点を振り切っている。

 重さに任せ、振り下ろすのみ。

 今にも。

 

 

 ―― オイラ……さ。……、皆が楽しめる。……このためさ!

 

 

 その時。

 闇の中、果てまでを埋め尽くす閉塞の泥の中で、ハンターはその声を確かに聴いた。

 鼻の高い、開拓者の側面を持つ、竜人族の村長の声だった。

 

 

 ―― 折角のお祭りだ。あの子らにまで、届けて見せようじゃあないか。それじゃあ皆、打ち上げ用意!

 

 

 不思議と、脳裏に像が結ばれる。

 そこは狩人らにとっても馴染みのある、嘗て村人達が見送ってくれたジャンボ村の外れ、川の向こうの船着き場であった。

 村長の掛け声によって、ぞろりと居並んだ黒鋼の砲身が、揃って真上を(・・・)向いてゆく。

 村の鍛冶を任されるおばぁの下、弟子達が次々と火を入れて。

 数瞬の静けさの後、火薬が炸裂。

 硝煙の匂いと、凄まじいまでの轟音。

 しゅるしゅると空気を割いて昇る、期待を孕んだ音。

 その先で。前を征くハンターをこそ励ませとばかりに。

 

 

 

 

 昇り来た果てに、暗雲敷き詰められた夜空に、全てを照らす大輪の、光の花々が咲き誇る。

 

 

 

 

 久方振りの太陽が昇り来たかと錯覚する程の光が、雲と地面との間から溢れ落ちる。

 遅れて届く音は黒い風を押し退け、倒れ伏す彼ら彼女らの頬を打つように響き震え。

 広がっては輝き、燃えては解ける、七色の炎の花弁。

 人によって作り出された火は星にも勝る輝きを放ち、山々を照らしてゆく。

 

 足下の好敵手を貫くべく動いた嘴が、止まる ―― いや。惹かれて、留まる。

 

 嘴を振り上げたまま。イグルエイビスは、未だ知らぬものを……空に咲く炎の花を見上げていた。

 今この時に限って言えば、興味が敵意に勝っていた。それはまるで人間のような、好奇心に端を発する行動であるように感じられた。

 何故花火を、という点については思い出されるものがある。ジャンボ村を発って既に1週。お祭りの大トリ ―― 収穫祭のために、あの村長は花火を用意していたのであろう。

 此方にまで届いて見えることを見越した村長が、戻ってこない狩人らへの応援に、気付けにと、大砲を使って花火の打ち上げをさせたのだ。打ち上げに必要な砲身は、この為(・・・)に。まさか巨龍砲を花火の打ち上げに使われるなどと、誰が予測できるだろうか。まんまと利用されたのは、ミナガルデ卿の側であったのかも知れない。

 

 肉を貫く音はない。羽が擦れる音もない。

 目前、イグルエイビスは依然として動きを止めている。

 振って湧いた時間は十分に過ぎる。ここに来てまでジャンボ村の人々に助けられているのだ。背を押された狩人らは、各々が歯を食いしばる。

 

(ジブン、は……)

 

 筋肉も骨も悲鳴をあげていた。身体に力を込める度、立ち上がろうとする度に崩れ落ちそうになった。

 身を守る鎧とて既に万全ではない。古の鳥竜を相手に、鎧はどれだけ機能しているものか。

 罠も道具も通用しない。簡易とはいえ撃龍槍ですら嘴を僅かに削るのみ。

 ここで顔を上げようと、待ち受けるのは判りきった結末で。

 倒れてしまえれば、どれだけ楽な事か。

 そう思う。

 思う、が、しかし。

 違うのだ。

 倒れずとも、一時の苦痛を味わうだけ。

 ここで顔を上げるだけでも、変わるものは確かに存在する。

 罠は避けられようと、すり抜けはしない。硬くとも、嘴は確かに削れる。

 防具が無くとも身体がある。酸素を吸える。相手も仲間も見えている。意識も、命もある。

 痛みはあれど身体は動かせる。喩え崩れ落ちようとも身体全てで、もがく様に泥を掴んで這いずった。

 

(立ち、上がって、みせたい)

 

 だからジブンは。

 それは決して、自責の念ではない。他者に与えられた色でもない。

 内から湧き上がる自らの熱に従い、ヒシュは手と脚に喝を入れる。

 ハンターとは。モンスターと呼ばれる生物を狩る、狩猟者で在った筈だ。

 ハンターとは。強大な生物が跋扈する世界を拓く、先導者で在った筈だ。

 ハンターとは。誰かの安寧を守るべく前へと進む、強き者で在った筈だ。

 自分すらも定かではないジブンにとって、この世界における人の世の根底を成すその生業だけは。ハンターという存在だけは、その存在の強さだけは、揺るぎ様のない本当だったから。

 だからジブンは、立ち上がる。そう在りたいと夢に見る。

 だからジブンは、それだけで十分なのだと、今、心から(・・・)、想う事が出来たのだ。

 

(前を、見よう。ジブンは、ハンター……だ、から!!)

 

 空を彩っていた火片(・・)が、その残滓をくっきりと焼き付けながら薄れてゆく。

 実の所、視線が逸れていたのは僅か。呼吸3つか4つの間の出来事であったが。

 鳥竜が再び顔を下ろした時、眼前には刃が迫っていた。

 

「―― んん゛っ!!」

 

 不甲斐なさを払って振られたヒシュの『呪鉈』は、鳥竜にひらりと身を躱されて空を切る。雷を防ぎ焼け焦げた黒狼鳥の肩鎧が、稼動に耐えきれずぼろりと解けた。内に着込まれていたゲリョス皮の肌襦袢も、熱を持って溶解し肌に張り付いている。それでも動き辛さはない。鍛冶のおばぁに感謝をと考えながら、ヒシュはまだ動き続ける。

 飛び上がって車輪切り。風で身体を傾け、着地をずらして躱す。無茶な体勢から、だが腰の入った斬打。するりと躱したその先で、仮面の狩人(ハンター)は、転びながらも隙を見せず、すぐさま立ち上がって剣を構えた。

 鳥竜にとって、ヒシュの斬撃を躱すのは容易であろう。ハンターらの側の動きが鈍っているのは明白だからだ。

 ただ、それは鳥竜も同様である。先の粒子ブレスは本来「飛竜が使うことを前提とした」ものであり、鳥竜を原型とするイグルエイビスにとっては身体の決壊をも招きかねない、限界を超えて放たれた一撃だったのだから。

 とはいえその攻撃を受けて、超えて、ハンター達は立ち上がる。仮面の個体と炎を受けて倒れた個体などは、既に2度目の昏倒であるというのに。

 ハンターの、人間の、その一念こそが。鳥竜の、鳥竜を包んだ黒い種子の、疼いて歯痒い何かを苛んで止まないのだ。

 

 人間という生き物は、残念ながら、心根や想いだけで強くなれはしない。

 それでも。

 人間という生き物は、心根や想いを支えの杖に、再び立ち上がる事が出来るのだから。

 

 不可思議な存在。

 王立古生物書士隊の前筆頭書士官であるジョン・アーサーは、彼が筆頭となって編纂された生物樹形図の「人間」の項目について、書き出しをそう綴っている。

 現実として精神が肉体を凌駕する、という事は在り得無い。精神とは肉体という供給路によって辛うじて維持されている、激しく脆いものであるから。

 ただ人間は、他の生物にはない「相手を知ろうとする頭と心」を持っていた。

 人より強靭な鱗と牙を持つ走竜であろうと、脆い部分を狙えば殺傷する事が出来る。それらを統率する中型の生物にも立ち向かうことが出来る。正面からぶつかっては到底敵わないであろう大型モンスターだろうと、時には退き罠を扱い策を噛み合わせ、討伐を可能とする。強大な古龍であろうと、動く以上はエネルギー源が必要になると知っていた。それらを断つ事によって衰弱を狙い、永遠にも等しい持久戦の末に辿り着いた、不退転 ―― 砂漠の街の直前。人々は、遂に、討伐という大業を成し得た。

 知ろうとする。判ろうとする。只の興味でもあり、相手の弱さを探る行為でもある。

 頭こそが、心こそが、人にとっての最大の牙でもあるのだと。

 もしも人が、限界を超えて動いているように見えるとしたら。

 軟くはあれどしなやかな、粘り強く諦めの悪い、魂の輝きが。

 強大な生物に相対し、武器を握り立ち向かう、勇壮な想いが。

 合理的ではないそれら不可思議さこそが、人間が元より秘める未だ知れぬ力なのだと、そう、嘗てのジョン・アーサーは知っていたのかもしれない。

 

(今、こんなことを思い出すのは、ジョンのせい。でも、ジブンが今みたいに立ち上がれたのは、きっと、ジョンのおかげだから。……だから)

 

 この半日を共に戦い抜いたダレンと一度は倒されたノレッジ、それにネコも、肉体的には限界に近かった。中でも1人で戦線を保ち続けたヒシュの心身は、他2人よりも狩人として洗練されているとはいえ、尋常ならざる負担に圧し掛かられている。

 今のヒシュを動かしているのは ―― 動かし、強大な生物に立ち向かわせているのは ―― 伝達する為の神経。動かす為の筋肉。形を成す土台の骨。そして精神性を構築する、魂。燃え上がる不可思議な炎によって生まれた、それらエネルギーに他ならない。

 これらは、確かな熱だ。今度こそ。あの頃にはまだ無く、今やっと手に入れたこの武器こそが、ヒシュをハンターたらしめているジブン(・・・)なのだ。

 

 熱は、炎は、確かに広がった「意識の根」を通して伝播してゆく。

 回避の後に向きを整えたイグルエイビスが再び前を向いたとき、そこには満身創痍のまま立ち上がる4者のハンターが居た。

 立ち上がれ。

 踏ん張れ。

 まだ自分たちは、この相手に、底を見せてはいないのだ。

 さぁ行こう。

 まだ行ける。

 負け伏してなど、やるものか。

 ……勝負手を。

 

「―― ゆくぞ」

 

 ヒシュの眼前。前線から、鳥竜の後ろから、遅れて立ち上がったダレンが『竜の顎』を焼け焦げた竜鱗の篭手で握り、飛び込んでゆく。

 いつまでもヒシュの後ろを歩いては居られない。そう、ダレンは己を叱咤した。ヒシュ単独へ向けられていた意識。そして結果として稼がれた時間は、ダレンが長を務める一隊を立ち直らせ、整えるには十分過ぎるものだったから。

 身体に染み込んだドンドルマでの修練そのままに、ダレンは足を踏み出す。

 足継ぎ。肩口から構えた大剣を身体の流れに沿わせ ―― ただし加速を添えて、「振り下ろす」。

 (さなが)ら稲妻の閃き。

 

 がつん。

 

 は、しかし、芯を食いながらも鈍い音、広がる黒い外皮によって労作も無く止められる。

 瘴気を纏う黒い外皮はイグルエイビスにとっての鎧である。衝撃も傷も僅か。なんら変わらぬ手応え。

 

「とっとき、撃ちますよっ!!」

 

 そこへ、絶望を感じる暇も無く、身体全てで重弩を抱えるノレッジが弾丸を撃ち込んだ。

 メラルー達と出会った事で思い出し、試したいと用意をしていた1発 ―― 眉間を狙った「滅龍弾」を。

 赤く、黒く。鳥竜が染められたその色は、山菜翁から受け取った調合書に描かれていた特効そのものだった。試すならば、未だ相手が慣れておらず、且つ逆転の一手を必要とするこの機をおいて他にない。

 瘴気を切り裂き、放たれた滅龍弾はするりと鳥竜の頭を打つ。

 

「ジュ ―― キェァッ」

 

 弾丸による衝撃それ以上(・・・・)の威力に、鳥竜が僅かに怯み。

 直撃した部位 ―― 頭蓋を覆う黒の外皮が僅かに波打っている、かの様に、ハンター達には、見えた。

 暗雲思わす漆黒の外皮の切れ間から、眉間にまで食い込む嘴本来の黄色(・・)が、射し込んだ。

 遂に活路を見出したヒシュが地面を踏みしめ、踵を返す。

 

「―― ないすっ」

 

 好機という他ない天啓を、ノレッジの放った滅龍弾は齎して見せた。

 しかし、ただ齎されたのでは意味がない。自らの手で、自分らの手で抉じ開けてこそ。

 そう考えたのはヒシュだけではない。この場に居る4者が同時に、動き出す。

 

「む、ぉぉぉおオっ!!」

 

 目の前に居たダレンも見逃さず、揺らめいた黒色目掛け、腰溜めから大剣を「振り上げ」るべく。

 振り下ろしていた力の全てを腰に乗せ、旋回。身体を限界まで捻り絞る。

 振り下ろし ―― 切り返し、振り上げる。

 愚直なまでに。その繰り返しを、苦しさを、動きを、身体は覚えている。無理もない。修行の間にダレンが修めたのは、星の数ほどあるヨウ捨流の技の内、振り下ろしと振り上げ。この2つだけ(・・・・)なのだから。

 

 停止。

 制動からの開放。

 今度こそ一条 、雲間から閃き降る稲妻を地面からも迎えんとする ―― 返しの刃。

 渾身、疾風纏う迅雷が、頭蓋を下から叩き轟いた。

 

 痺れと紙一重の衝撃によって、嘴の自重に振り回された鳥竜がたたらを踏む。揺らめいていた黒色の外皮が強く波打つ。波に耐えかねた黒い外皮に亀裂が奔り、露出した嘴が一文字に削れ込み、そこから熱と瘴気とを噴出し始める。

 

「このまま、続けて、援護しますっ!」

 

 ノレッジの声と共に放たれた弾丸が、翼や嘴、爪脚といったイグルエイビスにとっての武器にあたる部位を次々と狙ってゆく。

 滅龍弾そのものによって外皮が削げることはない。が、どうやら着弾した部位にすぐさま追い討ちに衝撃を加えると、黒い外皮が耐え切れなくなるようだ。

 つまり、滅龍の効果は、黒い外皮を脆くする。

 そう踏んだヒシュは、間近で大剣を構えるダレンの後ろをわざわざ大回りに移動し、耳の良いネコの傍を通る際に、ぽつり。

 

「爪脚っ」

 

「仔細、了解ですっ」

 

 それだけで十分だった。

 ヒシュが一直線に駆け出したのを見つめながら、ネコがひと際声高く鳴く。

 

「……ノレッジ女史!」

 

「合点承知ですっ!」

 

 すぐさま『流星雨』から弾丸が放たれる。

 弾丸はヒシュを追い越し、ダレンに相対したイグルエイビスの脚を、爪先を正確に撃ち抜いた。

 語弊がある。滅龍弾自体は外皮だけを貫いて、奥の爪を貫くことなく弾かれている。ただ。

 

「これで ―― !」

 

 続き来るヒシュの『呪鉈』による斬打が、黒色の外皮をこそいでみせた。

 一撃を入れて、蛇のようにぐねぐねとした軌道で離脱する。追撃を警戒したイグルエイビスはヒシュを目がけて嘴を降らすも、地面に大穴を空けたのみ。

 自らが抜け、入れ替わりに大剣を構えて貼りついたダレンに任せながら、ヒシュは視線を巡らせる。

 

(今ので、3か所)

 

 黒い外皮が無くなった箇所は、翼爪と、嘴と、爪と。

 狙いは判る。あとは何処を狙うか、だ。

 脳裏を過るのは、あの時も(・・)を突き立てた、翼。

 

(ん、決まり)

 

 少しだけ考えて、ヒシュは駆け出した。

 狙われている ―― その危機感に応じて、イグルエイビスは翼を動かす。

 

「く!」

 

「にゃにおぅ!?」

 

 ダレンが振るう大剣を黒い外皮で強引に受けきり、近くに寄っていたネコの横を駆け抜けて、勢いのままに空へと飛び戻る。

 

 空の上。風の勢いは衰えず、空は未だ暗闇に覆われている。

 瘴気。暗雲。風に纏わりつくこれらの中、何処か遠くでは稲光までも轟いている。

 

 そして、衝撃が鳥竜を襲った。

 全てが途切れた。翼から力が失われ、再びの衝撃。自分が地面に落ちたのだと気づき、身体を持ち上げようと試みるが、難しい。脚が地面を掴めていないのである。

 枝分かれした稲光の一条が、左の爪を粉々に粉砕していたのだ。

 

「にゃあ! 部位破壊、成功です!!」

 

 砕け散った爪を見上げながら、ネコは小さく拳を握った。この部位破壊までを達しての「仔細承知」である。

 ネコがダレンの影から体の小ささを利用してこっそりと近づき、外皮を削いだ爪に浅く突き立てていたのは、爆雷針。ヒシュが筒形に改造したいつぞやの物ではなく、本来の爆雷針とは、雷が有する膨大な衝撃を一か所へと叩き込む「鋲」である。

 暗雲と瘴気との合間に擦れる事で形成され、これを目掛けて落ちた雷が、イグルエイビスの爪を粉砕したのだ。

 猟場全てを利用して立ち向かうハンター達にとって、黒い風の間で発せられた火山雷に近い稲光は、頭上を舞う鳥竜に対するお誂え向きの「飛び道具」であった。しかし鳥竜の学習能力からして、狙えるのは1度きり。何処で使うべきかというのは難しい選択だったが、ここにきて最大の戦果を齎したといっても過言ではない。

 今のイグルエイビスの爪脚は「樹上に特化していない」。獲物を刺し、地面を捉えるという汎用性に適応していた。現状イグルエイビスは、ただでさえ軽量……つまりは少ない支点と筋肉によって体躯を支えている。それはつまり、脚の爪たった1つを砕いたことによって、地上での移動能力が激減するという事でもあった。

 今、戦局は確かに傾き始めている。それもハンター達が思い描いた方向に、だ。

 

「―― ん!」

 

 鳥竜が惑う。そこへ真っ先に食いつくのは、やはりヒシュである。

 イグルエイビスの嘴が届くギリギリ、振り上げた爪脚が掠るか否か。反撃を受けることを厭わず、且つ、鳥竜が飛び立つのを邪魔する事も出来る巧妙な位置を取る「的役」を引き受けたまま……ネコが稼いだ僅かな時間を縫って、ヒシュは人より多く、3つも着けているハンターポーチを順に開放する。

 隙を逃すまいと放たれる炎を避けて、薬を口に。翼爪をいなして薬を口に。風圧の範囲から抜け出して薬を口に。這いつくばって嘴を躱し、薬を口に。

 先にシナトの錬金術を用いて調合してあった「鬼人薬」「硬化薬」「狂走薬」、そして「いにしえの秘薬」と「千里眼の薬」。それら劇薬を素早く、次々と胃の中に流し込むと、取り出したばかりの鞄を前へと放り投げた。

 鞄が宙を泳いでいる合間に、右に楯替わりの『短槍』。左には『呪鉈』を握り、ヒシュは前線へと躍り出る。

 困惑も未だ覚めぬまま攻勢を仕掛けられた鳥竜は、放り投げられた鞄に視線を奪われ、反射的に、自身にとっての主武器である嘴を突き出した。

 鞄の中一杯に閃光玉が詰められている事を、知らずして。

 

 嘴が鞄を突き破る。

 光蟲の発光器官が炸裂し、眩い閃光が周囲を満たす。

 

 思わぬ攻勢に狙いを逸らし、鳥竜の嘴は砕けた大地に突き立つ。嘴を中心として地面が大きく陥没した。砕けた地面は粉塵となり、イグルエイビスの身体からどうどうとくすぶり続ける気炎と混じって瘴気と成って周囲を漂い始めた。一度舞い上がった粉塵は、不思議な事に、自重や水分に負けて落ちてくることが無い。これこそが山を覆う暗雲の正体なのだろうか。

 とはいえ彼我の距離は目と鼻の先。空気の黒さに、視界を完全に遮るほどの密度は無い。イグルエイビスの姿も、折れた爪も、未だはっきりと見えている。

 翼の範囲の外で足を止めていたネコが、剥き身の投げ鉈を投剣する。刃は通らないが、手を休める積もりも無い。閃光玉によって視界を奪われたイグルエイビスは、投げ鉈がぶつかった場所へ向けて反射的に嘴を振るう。当然、そこには誰もいない。

 それらを囮として利用して、ヒシュが勢いのまま接敵する。

 すぐに視界を取り戻し、鳥竜が鋭い嘴を向けるが、ヒシュは更にぐるりと回り込む。疾走、鳥竜の翼の下を潜り、背後にまで到達する。

 イグルエイビスの尾は、尾でありながら尾羽の役割も持っている。武器とするには足り得ない。これは空を飛ぶための舵取りであり、強大な嘴を持つイグルエイビスの体を天秤のように維持するための錘でもある。

 ただ、つまりは、前後(・・)を位置取りさえすれば、後ろには武器もない。後ろにまで武器を付けているような余裕はなかったのだ。ならば炎にだけ気を付けていれば十分に防御は成る。重さとは空を飛ぶ生物にとっての天敵である。加えて、イグルエイビスは個体数を武器として飛竜種に対抗する、空も陸も諦めきれない……どっちつかずの鳥竜種であったのだから。

 ヒシュはイグルエイビスが振り返るまでの間隙で右手に『短槍』を構え、振り向きざまの嘴を受け流す。そのまま身を低くして潜り、『呪鉈』で顎を殴打する。薬が効いている。気力(スタミナ)を心配する必要は無く、精緻に細やかに動き回る。

 斬撃と刺突が擦れた音と共に弾かれたのを見届け、ヒシュは微塵ほどの未練も残さず後退した。

 

 空いた射線を利用して、ノレッジの『流星雨』の照準が、傷を庇いたい鳥竜を先読みして身体を這う。

 「滅龍弾」の素材である「龍殺しの実」が持つ「不可思議な特効」は、繊細なものであるらしい。弾丸にして飛ばす為には特殊な構造の外殻で火薬熱を遮る必要があり、それら構造故、1発毎に装填し直す必要もある。

 だがそれら動作を苦にせず、動く的をすら労せず、周囲から隔絶されて静止する銃身を構え、ノレッジは滅龍弾を次々と撃ち込んだ。

 4点、淀んだ黒色に穴が穿たれ、イグルエイビス本来の藍色の身体が露見してゆく。

 身悶えする鳥竜に逆らって剥がれる黒色の外皮。飛び散らばる漆黒の羽。

 代わりに周囲の瘴気が濃度を増した。鳥竜の息も荒さを増してゆく。

 

「ん、ん゛!!」

 

 ヒシュが『呪鉈』で飛び掛る。鳥竜は間近の翼についた爪を楯にするべく身体を傾けた。既に翼の、翼爪までの外皮が削がれているとは、視認できていないのだ。

 そうして打ち合わせた筈の藍色の翼爪は、しかし『呪鉈』の鋭さと重さに抗う術も無く、呆気なくも削げ落ちる。

 すかさずノレッジが滅龍弾を撃ち込む。手持ちの全弾を次ぎ込む頃には、イグルエイビスの体面積の4割ほどが本来の色を顕にしていた。

 

 勢い衰えず攻め立てるハンターらの頭上天高くで、黒さに侵されず透明なままの風が動いた。それ(・・)にもたらされる熱源により、気温が移り出した証左である。

 遠くの山が鳴動している。それ(・・)を心待ちにしていた生物らが、一斉に動き出した証でもある。

 緑の海をいよいよ越えて。地平線をようやくと乗り越えて。

 黒の帳その外から、万物に待ち望まれた太陽が、一筋の光明を指し示す。

 

「攻勢の ―― 」

 

「―― 機、です!!」

 

 ヒシュとネコとが交互、合図が如く揃って叫ぶ。

 相打つイグルエイビスが鳥竜に特有の甲高い声で、轟き叫ぶ。

 

「ジュ、ギュェェェーーーッ!!」

 

 龍の外皮は剥がれ落ちたが、イグルエイビスの気迫には些かの衰えも見られない。むしろ一際、闘争心を剥き出しにハンターらを迎え撃つ。

 統率された瘴気が、光に抗い覆い隠す様に充満し、蠢き。

 ダレンが唸る。

 

「む、おっ!?」

 

 周囲に漂う黒さをかき集め、突如、風は大渦を巻いた。

 ダレンらを内に閉じ込めたまま、渦は次第に勢いを増し、天を貫き陽光を遮る黒色の竜巻を形成する。

 その竜巻の中を、ごうごうと唸る黒い風波を強引に翼でねじ伏せ、身体を整え ―― 鳥竜が飛ぶ。

 黒墨で渦を描く凄まじいまでの風を翼に掴み、イグルエイビスは高速の旋回を始めた。

 そして旋回の流れに任せ、爪と嘴による連激を繰り出してゆく。

 

(風の勢いがっ、流石に、これではっ)

 

 爪脚に、ダレンが振り上げた大剣を弾かれ。

 

(姿が……見えませんっ)

 

 ノレッジが風を読みきれずに立ち竦み。

 

(にゃぁっ、風が、耳がっ)

 

 ネコが風圧に伸されて耳を伏せ身を低く。

 風と音と凶器とで飽和した渦の最中、それでも諦観はない。3者は反撃の機を見出すべく足を止めたのだ。

 そう。ただ。只1人。

 唯一、まるで風に舞う黒狼鳥(イャンガルルガ)の如く、彼の鎧を纏うヒシュだけが軽やか、平然とした調子で突出して次手を担う。

 

(―― 奥の手っ)

 

 竜巻の継ぎ目を縫う様に。ヒシュは勢いの弱くならざるを得ない中心部で身を留めると、地面に素早く固定のための鋼線を打ち込んだ。

 次いで『呪鉈』を腰に負い、背中からふた振り、円錐状の『短槍』と機械的な『持ち手』を取り出す。

 取り出すとすぐさま、『持ち手』に付属品を取り付けた。この()の刀身である。

 ただ、刀身それ自体に刃は備えられていない。この刀身に課せられた役割は、「回転すること」その一事。

 最後に新たに取り出したドラグライト鉱石製の鎖状の刃(・・・・)を刀身にぐるりと巻いて、手元を握りこむ。

 すると、凄まじい機械音が鳴り響いて駆動した。

 『工房試作型(のこぎり)』。電気袋を動力源として只管に獲物を「挽き切る」。遥かに硬い生物の外殻をも擦り切らす、以前の大陸でも頼りにしていた、電動の牙である。

 硬質さに対して、叩くでもなく、切るのでもなく、引くでもなく ―― 真っ向から擦り切らす。

 『挽き鋸』は精密な構造を持つが故に脆く、受け太刀も不可能。修繕にも専門の知識と工具を要する。これだけみると全くもって狩人に不向きの得物ではあるのだが、人の力を超える速度で刃を回す機械剣は、それらを補って余りある殺傷力を発揮する。大型の生物を狩猟するという一事に於いて有用といえよう。

 剛風の中、仮面の中、思索の中、挽き鋸を手にしたヒシュはひっそりと呼吸を止める。

 

(……ふ、う)

 

 最後に、目を閉じた。

 この相手を、未知を狩りたいと願ったのは他でもない自分自身、ヒシュである。かつて赤衣の男が語ったような、運命の……自らが相対すべき相手なのだというのは、変わり果てたイャンクックを見たあの時に判ってしまっていたのだから。

 その部分については、仲間に対しても負い目がある。ジャンボ村に帰ったなら、今度こそ全てを話そう。そう思う。

 改めて未知と化した怪鳥、イグルエイビスの今を思う。ノレッジの滅龍弾によって削がれている部分はあるにしろ、未知の外皮の硬質さは、既存の人の埒外にある。それは現存の生物としては規格外の、しかし見知らぬ過去には在り得たであろう、ぎりぎりの位相に位置する硬さなのだ。

 嘗ての人にとって踏み入れる事敵わず、知ること叶わぬ未知の領域。

 辺鄙な辺境。

 世界の輪郭。

 生物の臨界。

 人の外。

 獣の外。

 

 でも、それは、それすらも過去の事。

 今、ヒシュの眼差しは、前にだけ向けられている。

 

「ん。行く」

 

 無垢だからこそ、痛みは当然と受け入れた。

 迷いは振り切れていた。あの「底」から帰ってきてから、ノレッジにその背を押されたような気がしてから、この脚は一層軽くなっていたから。

 大きく踏み出した一歩は風を裂き、空白の、人間が未だ知り得ぬ領域へ、恐れ知らずに踏み入って行く。

 相手が感情に塗れている時こそが、輝いている今こそが、攻勢の機。

 視界と思考がかちりと噛み合い、鮮烈な瞬きを生み出し。

 それは何時しか一筋の、一閃の光となって。

 仮面の狩人は右掌に「奥の奥の手」となる『短槍』を握り、打ち付ける風と暗雲の只中、飛び来るイグルエイビスへと立ち向かった。

 

「―― っ!!」

 

キュ(ジュ)ェェェッ!」

 

 仮面と鳥竜。無言の雄叫びと甲高い鳴き声。

 黒色の竜巻と相まって、視認不可能な速度で嘴は迫る。

 千里眼の薬の効果によって感覚が鋭敏になっているのが判る。相手の位置が完全に掴める訳ではないが、視界は初めから重要視していない。相手は風に乗っているのだ。渦の動きを線で感じさえすれば、未来の位置は確かに視えている。

 全てを擲つ一撃を直に、黒狼鳥の覆仮面は昂ぶりに任せてかたかたと揺れた。或いは仇討ちを、などと気を張っているのかも知れないが。

 身を低く。これだけ低く構えたヒシュを狙うには、地面に降り立つことを覚悟で仕掛けなければならない。爪の制動力を失ったイグルエイビスにとっては後のない、雌雄を決するべき一撃。……そう、誘導する。

 衝突。

 同時に穂先を突き出し、突き出された『短槍』の腹を嘴が滑り、青白い火花が舞い、相手の勢いすら利用して、嘴は薄皮一枚ヒシュを貫くことはなく、替わりに槍の穂先は胴体へと吸い込まれ、空を舞う鳥竜は人の舞台へと引き摺り下ろされる。

 衝撃。

 衝撃と同時、腰に繋いだ鋼線が地面と引き合い、ヒシュの身体を寸での所で引き留めていた。鳥竜はその身の軽さ故に風に乗り、軽さ故に押し切られることもまた、なかったのだ。

 歯を食いしばり、外れた右の肩を腰で補い、それでも必死に短槍を把持しながら、横吹いた風の中で身体を留めつつ突き出された右の脚爪によって焼け焦げた仮面が吹き飛び、前へ向けて左の『挽き鋸』を懸命に伸ばし、風に露出した透明な眼差し、その眼前、高速回転する鋸の刃と腹部の間で、まるで魂同士がぶつかり合うかのように再び、青白い火花が散り広がった。

 交錯。

 押し込む。鎖状の刃がチリチリと音をたて、遂に弾け千切れた。そのまま左腕を大きく横へと振るう。駆動を終えた鋸が掌を離れ地面の泥へと突き刺さる。負けじと、鳥竜の腹部の外皮のあらかたを道連れにして。

 磨耗した奥の手を微塵の未練も無く手放し、鳥竜の腹部に穂先を沈めたままの『短槍』へ、肘から先だけ右腕を添える。

 握り手が熱い(・・)。瞬きに満たない鍔迫り合いの最中に狙いを定める。外皮の削げた今の鳥竜ならば、彼方此方(あちこち)に狙うべき傷が視えている。

 ダレンが叩き貫いた嘴。

 ノレッジが剥がした眉間や背や翼。

 ヒシュが削り取った腹部。

 ネコが仕掛け折った爪脚。

 その満身たる姿を覗く。闇の淵で紅く滾る瞳が、此方をも覗き込んでいる。

 

 何処 wo 狙い くるか。

 

 嘗ては闇に覆われ、覗く事すら憚られた(それ)

 闇の世界の果ての底、煮え滾る原初に程近い意識は、度重ねられた闘争の外で遂に顕となっていた。

 

(させんっ)

 

 判る。聞こえたのかも知れない。

 ヒシュを狙っていた嘴を、動き出すその寸前、割入ったダレンの『竜の顎』が右へと受け反らす。

 ダレンはその時、確かに見た。ヒシュの瞳に宿った透明さが遂に解かれ、幾つもの色の光となって、眼前の未知よりも遙かに遠い輝きが身体を包んだのを。

 

(まだですっ!)

 

 判る。嗅いだのかも知れないし、触れていたのかも知れない。

 振るわれようとしていた右の翼の爪を、ノレッジの放った通常弾が弾き飛ばす。

 ノレッジはその時、確かに感じた。自らの追い続けていた背中が、更に先の、未だ見えぬ壁の奥へと入り消えたのを。

 

(我が主……我が友っっ!)

 

 判る。確かに、視えている。

 吹き荒れる風の中、ただ1者充分な質量を持たないがために地に伏せる他ないネコは、これら狩人らの鬩ぎ合う光景をせめてもと目に焼き付けていた。

 ネコはその時、理解した。自らの友は遂に、使い(あぐ)ねていた全ての力を十全に発揮したのだと言う事を。

 

(動く、動く ―― 判る、うん、判る ――)

 

 体勢を崩した鳥竜に相対し、向き合っている。

 独りではない。他の光が後ろから闇を照らしてくれている。だから今度は判る。この黒さは、群体なのだ。そしてその群体には「闘争を」という恣意的な方向性だけが、害意を持って投げ放たれているのだ。

 この局面に在ってすら、鳥竜は未だ闘争に想いを馳せている。続くであろう、来る闘争の喜びに、とうとうと身を任せている。

 それらを感じ取れた自身の変調を、思考の隅に寄せておきながら。

 死を目前に、闘争に歓喜を叫ぶ鳥竜の意思へと被せて、或いは応える様に、ここが境界線なのだとばかりに、仮面の狩人はぽつりと呟く。

 

「―― ううん。ゴメン。続かない。これはもう、(とど)めだから」

 

 悲しく在っても良い。嬉しく在ってもまた、良い。

 それら含めたジブンの全てを受け入れて、ヒシュは鳥竜の身体へ刺さったままの『短槍』の持ち手を握りこむ。

 

 機構が解放される。

 火が灯り、熱が弾け、凝縮し、再び弾ける。

 『短槍』の柄に仕込まれた「竜撃砲」が炸裂し、槍の穂先を前へ、前へと突き出した。

 

 爆砲に比肩する轟音と衝撃を間近に、あっさりと、ヒシュの体駆は手に持った柄ごと後ろへと吹き飛ばされてしまう。近くにいたダレンも、吹き飛ばされて泥の中に倒れこんでしまう。

 そしてそれは、眼前の鳥竜も同様であった。

 炸裂音が止み、風の音だけが余韻を残す中、闘争の気配だけが先んじてぶつりと途切れている。

 爆発と同時に覆っていた腕を上げ、顔を上げたノレッジが、視線と疑問とを前に伸ばした。

 

「……これは」

 

 地面に傾く鳥竜、その姿。

 正しく凄惨。鳥竜の表情は最後まで闘争の歓喜に染まり、竜撃砲の衝撃そのままに腹部を貫いた槍が、3本目の脚のように背部までを突き晒していた。

 赤熱した金属が肉を焼き、心臓の脈動を遮る。鳥竜の瞳に宿っていた生気だけが、燃え尽きた灰が如く燻りを残している。

 その腹部から流れるのは、血。未知であった生物は遂に、当たり前の血液を流して、全身に込められていた力を抜いた。

 向かいに倒れ込むヒシュは四肢を投げ出し、剥がされた仮面の奥の黒々とした瞳でもって、朝焼けに染まりゆく空を見上げている。

 

「……銃撃槍(ガンランス)。基礎型だけど、ね」

 

 ヒシュが明かした仕掛けに解を得、これで未練はなく、未知によって翻弄された鳥竜の魂を導くのだと、黒色の風が骸の周囲で数瞬遊ぶ。

 遺骸の瞼が降り閉じてゆく。瞼が、完全に閉じる。

 肉の焼ける、血の焼ける臭気をも巻き込んで、風の統率は失われた。

 気紛れさを取り戻した風は螺旋を描き、朝の日差しに黒さを削ぎ落とされながら、鼻の先……青々と広がる天へと昇り、解かれ、透明へと立ち戻る。

 

 ヒシュが、ダレンが、ノレッジが、ネコが。

 昇り消えた風の後を追って首を擡げ、空を見仰ぐ。

 

 高嶺を覆っていた暗雲が、ハンターらの直上を中心として慌ただしく四方へと散り始めた。

 瘴気に塗れていた空気が清浄を取り戻す。寒冷期の冷たい空気が肺を染めては、狩人らへと生の実感を齎し。

 テロスの緑の向こうから覗いた晴れやかな朝日と蒼穹に包み照らされ、生者らは、歓喜の咆哮を拳に込めて突き出した。

 

 

 






ご拝読いただいた皆様に、ダブルクロスでもご幸運がありますよう御願いまして。

 ……でも決戦で2万字越えがデフォルトになると困る……。

 はい。何とか更新にこぎ着けました。確認はしましたが、もしかしたら誤字誤用などが多く見受けられるかも知れません点についてはご容赦くだされば私幸せ。
 今話については……もうちょっと演出がうまければ、という自らの技量のなさに辟易しながらも何とか書き上げてみました。鳥竜の荷電粒子砲の部分の後、ハイフンを連打した区切りを使うのは、当初からのライトノベル的な要素としては良いと思うのですが、この決戦に似合う物かどうかまでは……ちょっともう自分では判断つかないのですよね。見直しすぎてゲシュタルトが崩壊しています。本当ならページを跨いでアイキャッチを入れたい気分。とはいえここは横書き。その成果については、お読みくださった皆様に丸投げと言うことですいません。
 あとがきは、1章に対してのまとめ書きのようなものをあげる予定でいます。1章は次の話が最終話です。年内に更新予定ですね。
 短いですが、ではでは。


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第一章終話 黎明の狩人

 

 密林の高地から帰還したハンター達を、ジャンボ村の人々は歓喜でもって出迎えた。

 ダレンら先遣隊は密林山頂の安全を確認した直ぐ後、伝書鳥を使ってジャンボ村にも未知(unknown)の討伐を伝えてはいたのだが、村人達の喜びようは想像以上のものだった。いざ実際にダレン率いる先遣隊が姿を見せた時の歓声など、テロス密林の端々にまで響いたに違いない。

 村の人々や村長、レクサーラから出頭してきているという竜人族の女性等々。それだけでなく、ミナガルデからの指示に従い巨龍砲を運び込んでいた《巡る炎》の猟団員達までもが祝福してくれたのに対しては驚きを隠せなかった。特にダレンはミナガルデ陣営にあれだけ喧嘩をふっかけてしまったのだから、恐恐である。

 ただ《巡る炎》の団員に曰く。彼ら彼女らは立地柄ミナガルデに恭順してはいるものの、一部の強硬派以外においては偏見もさしてなく、ハンターが大功を成した事を喜べないほど狭量ではない、と快活に笑ってくれていた。猟団の利益という観点からみても、ヒシュ達が見事に討伐を果たしたおかげで、巨龍砲を密林の山中へ運び込む巨額の費用が浮いたのだそうだ。

 加えて彼らは(本来は大砲を運ぶ用途として手配していたため)手すきとなった船団を使い、収穫祭の資材調達までをも請け負ってくれていた。豪快に笑う副団長から背を叩かれているダレンが、申し訳ないとひたすらに頭を下げていたのは、仕方の無いことだろう。

 

 ジャンボ村は、収穫祭の期間を延長した。ハンター達の狩猟成就と、高難度依頼の達成を兼ねて祝した宴である。

 村の危機は救われた。宴を催すには十分過ぎる出来事である。食料も人手も収穫祭のものをそのまま流用出来るという事もあり、宴は三日三晩続けられた。村を包んでいた緊張が解かれた今、何かしらにかこつけて騒ぎたいというのもあるだろう。その辺りは鼻の高い竜人族の村長による采配である。

 また、村の中にはこの祭を機会として立ち寄る旅人達の姿も多く見られていた。ジャンボ村とは、その未来に交通の中心部としての役割を見据えた土地。いずれ行き交う旅人達に、こうして村の賑やかな様を見せられたのは、興行としても良い傾向と言えるだろう。

 

 そうして、未だ賑わうジャンボ村の西の橋。

 ハンターズギルドの窓口を兼ねた酒場の席からふたり。

 人間と獣人。ダレン・ディーノとネコは酒を片手に深く腰掛け、人々が行き交う祭の様子を眺めていた。

 

「これにてやっと ―― か。どうにかこうにか、村の危機もヒシュの命題も解決することが出来たようだな」

 

「ええ。ダレン隊長とノレッジ女史の助力には、感謝の念が絶えませぬ」

 

「やめてくれ、ネコ。書士の一員として力を借りたのは此方だ。礼を言うのは此方の方だろう」

 

 そう言って首を振るダレンの顔には、明らかな疲労が見て取れた。

 疲労の割合としては、体力よりも気力の面が大きい。ダレンはこの3日間、未知の鳥竜の狩猟を成した一隊の隊長として、休む間もなく顔通しをする羽目になっていたのだ。

 

「近隣の村長達。協力してくれた猟団の代表達。四分儀商会を含む、行商の一団。観測隊の派遣員。何故か海路を通じて交流のある火の国やジオ・ワンドレオのハンター達まで居たからな。挨拶しない訳にもいくまい」

 

「それだけの大業を成し遂げた、という事ですよダレン殿。胸を張って良い結果でしょう」

 

「ああ。その点については、私としても安心しているよ。そしてその挨拶回りも、こうして3日を費やして、ようやく一息つけたからな」

 

 朗らかに笑みを浮かばせたダレンの樽杯に、ネコが酌をする。深みのある黄金色をした酒が並々と杯を満たす。密林を挟んで向こうの大陸から運ばれた、タンジアビールである。

 一通りの挨拶を済ませた現在、既に祝宴も最終日の夜。何とも趣のない結末ではあるが、ダレンとしては3日間も祭をぶらぶらする訳でもない。暇を持て余すよりは仕事が詰まっていた方が……と考えてしまうのは、彼が彼、実直な隊長たる所以であろう。それでもこうして最後に、美味い食事と酒にはありつけたのだから、上々である。

 ダレンは酒をぐいと喉に流し、向かいのネコに向き直る。

 

「しかし、流石に3日間も祝宴の主役をこなすというのは慣れないものだな……」

 

「ですが ―― ダレン殿はこれからそういった物に慣れて行かねばならぬ立場(・・)のお人でしょう? 何事も経験ですよ」

 

 どこか飄々とした調子で、自らもタンジアビールを掲げるネコが問いかけた。

 驚きが顔に出る。思わず言葉が詰まってしまう。流石にネコは耳が早い。

 

「……私の昇進の話まで聞いているのか? ネコは」

 

「ええ。というか、ダレン殿もご存じでしょうに。あのギュスターヴ・ロンめが、これだけの成果をあげた人物を利用しないはずがないじゃあありませんか。あとは伝手を辿るだけ、という件ですよ」

 

「そうか……そうだな」

 

 ダレンは諦念の表情で項垂れた。

 ネコの語った内容は、大方がその通り。ダレンは寒冷期の季節明けにも、一等書士官という身の丈に合わない(と、思っている)立場に据えられる予定となっていた。

 

「……ハンターとしても書士としても動けるのが私、ダレン・ディーノという人物だ。ハンターとして未熟であると重々承知してはいるが……それでも……王立古生物書士隊の内において、ハンターとしても書士としてもやっていける人物というのは、確かに希少なのだからな。昇進を蹴る訳にも行かなかったのだ」

 

「ええ。ダレン殿を旗頭に。かのジョン・アーサーを次ぐ物として取り立てて、引き籠もりに傾倒しつつある書士隊の空気を入れ換えようというのでしょう。……全く、ロンめ。自らが引き籠もりなのを良いことに、ダレン殿に丸投げではにゃいですか!」

 

 アイル―族の「にゃ」の語尾が飛び出すほど憤慨しながら、ネコは樽杯をぐいぐいと勢いよく傾けてゆく。以前からネコはギュスターヴ・ロンに対して人一倍手厳しい。彼女は筆頭書士官である彼と、どうも折り合いが良くないようだ。

 

「はははっ。私のためにと怒ってくれるのは有り難いが、ネコ。ロン筆頭書士官だとて……引き籠もりだとて必要な派閥だよ」

 

「ふーむぅ。それは判りますが……ですがね。結局は仕事を此方に寄越すだけでしょう、アイツは。引き籠もりは」

 

 笑って流したダレンに、ネコは未だ頬を膨らませたまま。毛並みの良い耳をぴんと立て、ぶつぶつと文句を続けている。

 王立古生物書士隊に存在する「引き籠もり派」と呼ばれる派閥は、その名の通り実地に向かわず文献と資料を読み漁り情報を集積する事を主とする集団である。その筆頭こそがギュスターヴ・ロン。今の筆頭書士官だ。

 本来、書士隊は「ハンター」という職と切って離す事の出来ない間柄。「実地のハンター」と「裏方の書士隊」という構図が出来上がっているのが、ハンターという社会だ。しかしそこへ昨今、「観測隊」というモンスターの動向を観測することを主題とした部隊が登場した。観測隊の登場によって、書士隊が現地へ向かう必要性は激減したのである。

 そのため今の書士隊は、引き籠もり派が多数を占めている。かつての前筆頭書士官であるジョン・アーサーを知る、今となっては数少ない派閥が、ダレンとノレッジが属する現地派の現状だった。

 

「引き籠もり派はどうせ今も、王国からの天下りや捻くれ人事の集まりなのでしょう?」

 

「上は、な。そうかも知れん。そこを少しずつでも改善しようというのが、今回ロン殿が選んだやり口なのだろう」

 

「ああもう……まだるっこしい! 陰険! 根暗! ロンめ! ロンめ!」

 

 ネコが荒れている。酒精の荒い酒には慣れていないのだろうか。それとも、疲れのせいなのかも知れない。

 とはいえ衆目を集めるようなことは無かった。ネコがこうして大声で騒ぎ立てても周囲の注目を集めはしないほど、ジャンボ村の祭りは賑わいを見せている。

 ここは聞きに徹するのみ。ダレンはそう決め込んだ。ネコはそのアイル―族の小さな身体で、これまでずっとヒシュのお供を務めてきたのだ。あの破天荒なヒシュのお供である。狩猟は成した。後片付けも終えた。息抜きは必要だろう。不満も怒りも、無理に溜めておく必要は、無い筈だった。

 

「むーぅ……ふーむぅ……イモート、お前までがお供になる必要は……むにゃん」

 

 やはり疲れていたのだろう。暫くすると、ネコは机に突っ伏して寝息を立ててしまった。

 普段はあれだけ大人びて振る舞っているネコだが、こうして寝てしまえばアイルーの愛嬌をしっかりと感じられる。その様子を微笑ましくも思いながら、ダレンは丁度近くを通ったパティを呼び止めた。

 

「忙しいところ済まない、パティ。籠と布団はあるだろうか?」

 

「あ、ネコが寝ちゃったのね。判ったわ。そっちはあたしが受け持つから……それよりダレン。1人、貴方に挨拶に来てるわよ?」

 

 ギルドガールズの制服を着たパティは、カウンターの側を指さした。

 毛布を掛けられたネコを横目に、ダレンもそちらを見る。

 

「……あのご婦人か?」

 

「ええ、そうよ。あの、大きな杯を持ってる女の人ね」

 

 パティが指さす先に居たのは、耳の尖った竜人族の女性であった。

 彼女はカウンターの奥で優雅に……しかし蓮の葉よりも大きな酒の器を掲げて、飲み比べを挑んだ男どもを次々と負かし続けていたらしい。周囲は突っ伏した男どもと吐瀉物で大変な事態になっている。

 

「あの人。ダレンを待っている間に好き放題やってくれちゃって、拳骨をかまそうかと思ってる所なんだけど。貴方が相手をしてくれるなら、このいきようのない怒りは酔いつぶれた男どもにぶつけてあげるわ!」

 

 相手は明らかに高価な衣類を纏った竜人だ。パティの拳骨は余計な軋轢を生みかねない。

 わかったと端的に告げ、責任は重大だなと独りごちながら足を向ける。

 妙齢の竜人族の女性は、先に挙げた通り傍目にも高価だと判る衣類を身に付けている。ビロードだろうか。艶のある赤に染められた滑らかな衣類を着流し、これまた煌びやかな宝飾で耳を飾りたてている。このような装いの人物がダレンを訪ねてくるあたり嫌な予感はあるものの、隊長として避けては通れない。

 ダレンが近づくと、件の竜人族の女性は「はぁい」と小さく杯を振って見せた。

 

「飲み比べ……じゃあないわよね。貴方がダレン・ディーノ隊長かしら?」

 

「はい。お初にお目にかかります」

 

「いい返事ね。私はラー。普段は古龍観測隊の意見番なんかをやっている、まぁ、中央の潤滑油みたいなものよ」

 

 腰を折ったダレンに、ラーと名乗った女性は悪びれもせず笑ってみせる。

 古龍観測隊。ドンドルマやミナガルデに置かれた観測隊の中でも、古龍占い師と呼ばれる専門家達が所属し、より危険度の高い生物の情報を集積する部門である。

 そのご意見番、と彼女は言った。この場合のご意見番とは、所長やそれに近い立場にある筈だった。古龍観測隊ほど「箔と実力」が必要な職場は、他に類を見ないからだ。

 

「あら。判っちゃった? ご明察。確かに立場は上だけれど、私はフットワークが軽い方よ。ふふ。緊張しないでくれると有り難いわ」

 

「……善処致します」

 

「ふふふっ。善処ですって! 誠意を示したのでしょう? その単語も久しぶりに聞いたわ! ふふ、ふふ。やっぱり貴方は面白い人。一定以上の考察力があって、観察もできて、それでいて前線にも立てる。うん、うん。稀有ねぇ。ギュスターヴの家を継ぐあのロンが、是非にと紹介するだけはあるわねぇ」

 

 竜人として1つ少ない、四つ指で口元を抑える女性は、その笑いのツボは別にしろ、言葉の通り堪え切れないという表情で笑ってみせた。

 しかしやはり、困った筆頭書士官から辿ってきた人物か……とダレンは嘆息する。ドンドルマでの修行を通して、変人の類いはロンの元に集まるかそれと近しい人達であると理解できていた。決して、理解したくは無かったが。

 軽い挨拶とからかい(主にダレンがからかわれる側である)を挟んでいる内に、酒場のカウンターの周辺から人が居なくなっている。祭の喧噪に乗って、音楽と手拍子が聞こえてくる。村の中央部で行商が連れてきた楽団や百技が腕を振るっており、人波はそちらに流れているようだ。

 ここまでを予測していたのだろう。頃合いとみたラーは小さく手を捻り、巨大に過ぎる杯をカウンターに置く。

 カウンターに背をもたれる。何処までも妖艶な仕草だった。それは何処か、あの未知の鳥竜を包んでいた黒さに似ているように感じられる。魅力的でいて近寄りがたい ―― だからこそ人の好奇心を煽る仕草。

 

「今日は、ダレン・ディーノ隊長にお願いがあって来たの。……ええ。お祭りもお酒も楽しみだったけれど、此方が主題なのよ? 一等書士に昇進するのにも、私達(・・)が後衛となって口添え(・・・)するわ。引き受けてくれるならね」

 

「いえ、栄達は私が望んだ訳ではないのですが……兎も角、それでは、ひと先ず。……ラー観測官殿の用件を伺いましょう」

 

 からかわれるのを嫌ったダレンが話題を急かしたのは、悪かったのか。良かったのか。

 気になる単語達を切って流して。ダレンの事務的に努めた返答を受けて、ラーは再び笑みを深めた。艶めかしくも、鈍く、確かに。

 そして彼女はダレン・ディーノの運命の舵を切る一言を、口にする。

 

「貴方に調査を依頼したい件があるわ。それも、長丁場のね。―― ねえ、貴方は、伝説っていうものを信じているかしら?」

 

 

 

 

 □■□■□■□■

 

 

 

 

 ネコとダレンから離れたふたり。

 祭りと聞いて落ち着いては居られないのが、ヒシュとノレッジである。両者が黙っていられたのは帰還後の初日のみ。祭りの雰囲気と楽しさにあてられ、視線も挙動も落ち着かないこのふたりを見かね、ダレンとネコは、仕方なく自由行動を言い渡す羽目となっていた。

 結果として外回りは全てダレンとネコに圧し掛かることになった……のだが、それは2人がいたとて同じ事。むしろ目を掛ける必要がなくなった分、重荷は減ったと考えるべきなのだろう。

 そうして放って置かれたヒシュとノレッジに関しては、2日間を遊び倒し、疲れながらも充実した休暇を過ごすことが出来ていた。

 

「はー。お祭り、楽しかったですね。ヒシュさん」

 

「ん」

 

 はしゃぎにはしゃいだ収穫祭兼祝宴も、間も無く終幕を迎えようかという頃合い。ヒシュとノレッジはジャンボ村を一望できる村の高台に立ち寄り、人々の様子を眺めていた。

 曙光に染まり始めた寒冷期の空の下。祭りに集まっていたジャンボ村に収まりきらない程の人々も、今は村の河川や入口へ、ぽつぽつと散り始めている。夜通し騒いでいた人々ではあるが、太陽が顔を出す前に村を発たねばならない。祭りとは終わるからこそ楽しいのである。

 旅の途中で立ち寄った彼ら彼女ら。客として呼ばれた誰しもが、笑顔で路を行き船に乗り、ジャンボ村から次々と旅立ってゆく。

 それだけでも価値はあった。そう、思わせてくれる光景だ。

 

「……ウン。頑張って、よかった」

 

 ノレッジの横で手すりにもたれ、警戒色に塗れた仮面越しにかくりと頷くその様は、出会った時と変わらない。

 ヒシュ。仮面の狩人。王立古生物書士隊の新人二等書士官。ハンター。

 村に戻ってきた後、ヒシュはノレッジとダレンに全て(・・)を話した。この場合の全てとは、仮面の狩人が未知の鳥竜に挑まなければならなかった本当の理由であり、書士隊がこの件に絡んでいた原因でもある。

 しかし、そこはダレンの事。ヒシュの理由はあれど、変わらない。ギュスターヴ・ロン筆頭書士官が絡んでいたとなれば、それはどうあろうと書士隊の仕事には違いない。むしろ一石二鳥だ、構わない……という一言でもって簡素に結論付けられていた。

 ノレッジとしても、特に思う所はない。今こうして人々の笑顔を眺めていられるのは、今年を通して駆け抜けたハンターとしての活動があればこそだ。心境的にはむしろ、礼を言いたい側である。

 ありがとう。祭りの最中にも帰路の道中でも連呼していたため、ヒシュにはお礼はいらないと返されてしまうだろうけれど。

 

「えーと、その。……改めまして。有難うございます、ヒシュさん」

 

「んー……ん。お礼はいらない、かも」

 

 想像通りの返答をして、ヒシュは仮面をちょいと摘まんで持ち上げた。

 続ける。素顔が覗く。

 

「ジブンこそ、ありがとう。ここでの目標は、ノレッジとダレンが居てくれたおかげで何とかなった。ん。ありがとう」

 

 そして、笑顔が覗く。

 仮面の下に隠されていた『()』の、何処かぎこちなくも晴れやかな笑顔。

 正面から見るにはまだ、ばつが悪い。そう感じてしまったノレッジは、視線をやや斜めに向ける。

 

「まさかお礼を返されるとは思っていませんでした……あ、いえ、やっぱり何となく思っていたかもしれません。お礼を期待していた……の、ですかね? ちょっと自分でもこの感じ、はっきりとはしないんけど……」

 

 視界の左でふらりと揺れた、編まれた髪のひと房を指で摘まむ。

 顔が熱い、ような気もする。釈然としないこの感覚は、目前でかくりと傾ぐ、不思議の塊の様な……この人のせいなのだろう。予想は出来ていたとはいえ、未だ慣れはしない。こうして隣にいる限り、慣れることなどないのかも知れなかった。

 

「? お礼は言う。ジブンの我が儘、みたいなものだったから……」

 

「いえいえ。あのお話を聞いて我が儘だとは思いませんよ。わたしも、それにきっと、ダレン隊長もです」

 

「そうなの?」

 

「そうです!」

 

 力強く返答したノレッジを、ヒシュはぼうっとした眼で見やる。

 そうだ。我が儘だなんて思っているはずはない。ヒシュにとってもダレンにとっても、そしてまたノレッジ・フォールという少女にとっても。お供のネコについては、語るまでもない。ハンターとはきっと、誰もがそうして自分で選んだ生業なのだから。

 或いは、漠然とハンター業を務めている人ならば違うのかもしれないが。ハンターではない何かを目指して身を窶した者にとって、狩猟と言う生業は苦行であるのかもしれない。ただそれは、未知の鳥竜の狩猟を成し遂げた4者には当て嵌まる筈もない。後悔する暇があるのなら、暗雲に包まれたテロス密林を見上げたその時に、脱兎の如く逃げ出していたことだろう。

 世間慣れしていないヒシュは、そういう部分にはまだ疎い。かくりと傾ぐその姿が、面白おかしくも思えてくる。耐え切れず、ノレッジの腹から笑い声が漏れた。

 

「あはは! ……すいません。ふふ。でも、きっとヒシュさんになら判りますよ」

 

 ノレッジは確信をもって言葉にする。

 誰にでも染まる、何でも写す。赤ん坊の様な無垢さは、様々な世界を見てとった色彩は、やがて混ざり合い、自分の色となってゆく。

 人にとって、それは自然な事だ。筆をとるのが、ヒシュの場合は遅かった。それだけの事なのだ。

 

「そう? だと、嬉しいけど」

 

「ええ。そうして嬉しいと思えるのなら、いつかは」

 

 ヒシュとノレッジは小さく笑い合う。

 しばしそのまま笑い合い、ぽつり。

 

「―― 寒冷期が明けて、通商路が解禁したら、ジブンはフラヒヤに向かう」

 

「はい。昨日仰っていた、次のお仕事のため……ですね?」

 

「ん。『魔剣』の調査……っていう題目。実際には、もうちょっと厄介になる……と、思う」

 

 ジャンボ村を発つ理由。それはヒシュが大陸を渡った、元来の目的である。

 もとよりジャンボ村で未知を相手取ったこれまでの出来事が(その一言で片付けるには濃密だったが)、寄り道の側なのだ。

 ヒシュが目的地と語るフラヒヤとは、この大陸の北側を東西に渡って広く遮る高峰の名である。極冠のアクラ地方を囲うように聳え連なる山々。年間を通して雪に覆われる程に寒冷な地域。それがフラヒヤである。住まう人々の数は辺境のテロス密林よりも更に下って少ないが、代々雪山に土地を持つ幾つかの部族は、今もフラヒヤの山々を居と定めているらしい。

 

「わたしは行った事ありませんけど……フラヒヤはこの村から遠くありませんからね。同じ大陸の東側です。何かあれば呼んでくださいね、ヒシュさん」

 

「ん。そうだね」

 

 ノレッジの屈託ない言葉に、ヒシュは頼りにしてる、と続けた。

 しかし、そう。ジャンボ村を離れるヒシュに対して、ノレッジは暫くジャンボ村に留まる予定とした。その理由は幾つかあるが、1番は「ドンドルマがうるさいから」である。

 ノレッジ・フォールという少女は、何と遂に4つ星(ランク4)のハンターへと昇格することが正式決定してしまったのだ。目の前の、師匠でもあるヒシュを差し置いて。

 これには割と世情に無頓着なノレッジも、苦言を呈したい。

 4つ星ハンターは「上位」という位付けがなされ、より強大な……ハンター慣れしたモンスターや、成体以上の熟達した個体の狩猟依頼を受諾することが可能になる。ただ、「可能になる」という部分は題目に過ぎない。上位ハンターは、要請されてしまえばそれまで。狩猟依頼を断る権利を殆ど持たない、というのがハンターの現状である。

 ココットの村で発祥して未だ数世代(・・・・・)。世界に広がりつつあるとはいえ、現在のハンター市場は途上の最中。ノレッジが候補とされてしまう程に曖昧な基準で選定される「上位ハンター」など、年中人材の不足に悩まされている状態なのである。

 

「そういう位付けをしてハンターを煽るのは良いですけど、もうちょっと人が増えないと過労で大変な事になりますよ。その点、わたしはまだジャンボ村居着きのハンターですからね。ドンドルマの要請を優先的に応える謂れはありませんよー、っていう感じです」

 

「良いと思う。そういうのはペルセイズとか、グントラムに任せても。それに忙しくなれば、リンドヴルムも狩場に出られる。きっと、喜んでると思う。タブンね」

 

「あはは。ハンターズギルドには疎まれるかも知れませんが、それはそれ。いざとなったら書士隊でも食い扶持は稼げますからね。……わたしはまだハンター歴1年ちょっとの新米。ハンターだけでなく書士隊としても頑張りたいですし、申し訳ないですが、ドンドルマの屈強なハンターの皆さんにはもうちょっとだけ頼らせて貰おうかと思います」

 

 駆け足でここまで来たのだ。いざという時に立ち向かう覚悟はあるが、少女一人が少しばかりの休憩を挟むくらいの猶予はあるだろう。

 ダレンはドンドルマへ。ヒシュと、勿論ネコもフラヒヤへ。そして、ノレッジはジャンボ村に。

 未来は枝葉の様に拓けている。

 そうした再びの岐路を前に……ノレッジはふと、聞いておきたいことがあったのを思い出していた。彼の、ヒシュという名前についてである。

 

「ヒシュさん。って、あのう、先日仰っていましたけど……実は偽名だったんですよね? 本当の名前って、教えて貰えたりしないかなぁー……なんて思ったり思わなかったり」

 

「……んー」

 

 ノレッジの問いかけに、ヒシュは首ではなく唇をややも傾けた。ばつが悪そうだ。

 何か不味いことを聞いたか……と焦り始めたノレッジを他所に、かくり。

 

「……ん。ヒシュっていうのは必要で付けてもらった名前だけど、ジブン、元々、決まった名前も無い」

 

「あ、えっ、そうなんですか!? それじゃあどうやって……」

 

「出自は、ジブンでも覚えていない。だから部族では、役職で呼ばれてた。ジブンは奇面の人間の狩人 ―― 『被り者』。刃物の匕首(あいくち)。抜身のヒシュ。鳥とか獣とか竜とかと、同じだった。個体を識別出来てれば、名前、必要なかった」

 

 そう語るヒシュの表情からは、今はそうは思っていないという意思がしっかりと読み取れる。

 だから、力強く首を振って続ける。

 

「しゃべり方だって、一番長く一緒にいたハイランドのをジブンが真似ただけ。似てしまっただけ。……けど、今は違う。ダレンも、ノレッジも、村のみんなもジブンをヒシュと呼んでくれる。だからジブンは、ヒシュで良い。ううん。ジブンは、ヒシュが良い。……ジブンは、ヒシュ。ヒシュ・アーサー」

 

 ダレンであればその姓が持つ意味に気付いたかも知れない。しかし、ノレッジにとってすぐに思い当たる名前ではなかった。脳裏と心の大事な部分に名前を刻んで、これからもヒシュと呼び続けられる事だけを率直に喜んだ。

 ヒシュが前を向く。大陸の北から流れ来てテロス密林を包んでいた寒気は、次第に穏やかさを取り戻しつつある。旅立ちの日は遠くはない。

 いずれくる別れを思いながら、ノレッジは胸に当てていた手を、掌を、前へと伸ばす。

 

「では ―― またいつか。一緒に狩りをしましょうね、ヒシュさん」

 

「ん。約束」

 

 差し出された少女の手を、ヒシュは迷う事無くしっかりと掴み取った。

 そして、空いている一方の手を持ちあげ、傾けた仮面の端をしっかりと摘まむ。

 所々が焼け焦げ、警戒色の色味は燻り、それでもヒシュの顔を覆い続けた、木製の仮面である。

 

「約束した。だから仮面(・・)は、棄てていく。ジブンには、多分、もう、必要はないから。ジブンにとっての最高のお面は……きっと、見つけられたと思うから」

 

 仮面は取り去られ、そこには、真っ直ぐに前を見据えたひとりの狩人だけが残される。

 しっかりと地に足をつけた彼は、ひたすらに狩猟を行う歯車ではなく、部族にとっての刃物という役職でもなく、ヒシュと言うひとりのハンターだ。

 そうして選ばれた道を、彼は、ハンターとして歩んでいくのだ。

 今を。そして、これからを。

 

「はい」

 

「ん」

 

 師匠と弟子。ハンターとハンター。手を握り交わすヒシュとノレッジ。

 ……今はまだ、誰も知るはずはない事ではあるが。

 数年後、2人は次代を担うハンターとしてその名を広く轟かせる事になる。

 

 古き大陸を覆っていた一連の事態は、序章は、こうして過ぎ去って行った。

 

 まだ冷たい朝焼けの帳の中で、彼と彼女の頭上高く、明けの星が瞬いている。

 

 帳は開けた。

 

 動き出した運命を遮るものは、今はもう、ない。

 

 

 

 

 ――

 

 ――――

 

 ――――――――

 

 

 

 

 少しだけ、ジャンボ村のその後について語っておきたい。

 

 やがて、9つの季節が過ぎ去っては到来した。

 季節が過ぎ去るごとに、ジャンボ村は見事なまでの発展を遂げた。それも通常は考えられないほどの短い年月で。既にこの大陸においてジオ・ワンドレオに次ぐ第二の主要交流点としてまで機能をしている程だった。

 急進の中心を成したのは、やはりハンターであった。ミナガルデやドンドルマで既に証明されたモデルケースではあるが、ハンターを中心とした集落の構築は発展が早く、規模も通常の村とは比べ物にならない程大きなものになる。新興の街としてはメゼポルタも挙げられるだろうが、兎角、ジャンボ村は竜人族の村長の思惑を裏付ける成長を見せたのだった。

 竜人族の村長は大きく発展したジャンボ村を見届け、自分無しでもジャンボ村が機能することを確認するや否や、また次の開拓地を求めて旅立った。彼を慕うパティは村に残り、萎れた様子もなく、引き続きギルドガールズを勤め上げてくれている。元々竜人族らしからぬ、好奇心旺盛な青年の事だ。ジャンボ村と言うひと区切りだけで落ち着くはずもないと、パティも予想はしていたのだろう。

 村長だけでなくヒシュとネコ、それに暫くしてダレンもジャンボ村を去っている。村には他にも2名ほど居つきのハンターは居るが、これは大きな損失だ。そんな状況にある辺境の村に、それでも数多くのハンターが集まった要因としては、未知の狩猟に参加した先遣隊の内ただひとり村に残った少女……ノレッジ・フォールの存在が挙げられる。

 ミナガルデやドンドルマにも名が轟く功績 ―― 十代での一角竜の単独討伐を成し遂げた、年若い英雄。「天狼」ノレッジ・フォールが、書士隊の駐在員兼ハンターとしてジャンボ村に残っている。師を求める新人ハンター達がその存在を聞きつけ、こぞってジャンボ村を目指したのである。

 また、ハンターだけではなく書士隊の研修地としてもジャンボ村は大いに賑わいを見せた。中央に戻ったダレンやロンの手際なのだろうが、現地調査の実地経験を得るために、ノレッジという先達のいるジャンボ村は特に有用な地域となったのである。

 おかげでかは知れないが、ノレッジ・フォールという少女は必要以上に持ち上げられてしまった。上位ハンターとしての仕事のみならず、格付け的には殆ど二等書士官の内容……隊長的な立場を任せられることも少なくない。

 そうして経験を積んだ末、遂には正式に二等書士官へ昇進までしてしまったのだから、呆れでもって空いた口が塞がる筈も猶予もない。

 恐らくはロンの陰謀であろう。こうなるともうやけっぱちである。未熟ながらに出来ることをこなす。開き直ったノレッジ・フォールは我武者羅に突き進み、その結果、大陸の辺境に居ながらにして名を知られる立場となっていたのだった。

 これを成長と語るべきか、それでも神輿として担ぎ上げられているのか。ノレッジとしてはどちらにせよ無茶ぶりをされている事には変わりなく、結局は忙しい日々を送っている。

 

 ヒシュが村を去った折、ノレッジは彼から1つの手記を手渡された。

 それはかつて四分儀商会によって運ばれた「古龍の書」―― に挟められていた、とある書士官の手記である。ジャンボ村に到着したヒシュが真っ先に古龍の書を求めたのは、文献としての貴重さよりも、古龍の書に挟まれていたその手記を手に入れたいという部分が大きかったのだそうだ。

 読み終わったから。そう言ってヒシュから渡された手記と……もう1つ。土産として残されたそれらを、ノレッジは肌身離さず身に付けている。再び追いつくべきその背を、その影を、身近に感じていたいという心持からである。

 ジャンボ村の、今はひとりで使用しているハンターハウスの2階。

 しかし変わらずモンスターの資料で溢れた部屋の中で、ノレッジは待ち時間の手持無沙汰にその手帳を持ちあげ、小さな声で読み始めた。

 

 

「はじめに。

 ……これは、私的な日記である。過度の期待をしないように。

 

 この世界の南。旧き大陸の南洋には、「アヤ」という名の国家を内包する島が浮かんでいる。

 その島の西端。山の中腹をぐるりと刳り貫く様に、小さくも暖かい村が在った。そこは人と亜人種族とが手を取り合って生活する、稀有な「部族」の村であった。

 心を解する人の王。

 生死を別つ奇面の王。

 世に根付き、枝葉を広げる獣人(アイルー)の王。

 知を尊ぶ竜人の王。

 「部族」では四者の賢王がそれぞれ種族の頭を務めていた。時に皆が入り乱れた宴を催し、時に衝突し、時に酒を酌み交わし、時にいがみ合い……そして時に、協力して苦難を乗り越える。シュレイドの王都や、アイルー族が身近になった今のドンドルマなどと比べても尚、その村は人と亜人とが近しくも親しい生活をしていたのだった。

 

 ここで言う苦難とは、主にモンスターの襲来である。

 なにせ辺鄙な場所にたてられた辺鄙な村。しかも土地だけはあるときている。中型もしくは大型のモンスターが近付く事が村全体の危機でもあった。

 そのため「部族」は近付くモンスターを片から追っ払い、出来うる限りを狩猟する事で村の蓄えとしていた。村には若者で組織された専属の狩人達がおり、その者達が率先して武器と鎧とを持って狩猟にあたった。若者達の中には人間だけでなく奇面族の者やアイルーも含まれ、竜人族の頭を戴いて、狩猟のために野山を海川をと駆け巡った。

 

 そんな狩人らの中に、一際の異彩を放つ少年の姿が在った。幼い頃に山の天辺で放られていた所を、偶然にも参拝に訪れていた奇面族の王に発見され ―― 以後、種族は人間でありながら奇面族として育てられたという「部族」の中でも奇異な経歴を持つ男児である。

 彼には当然の如く両親がおらず、それ所か言語すらまともに理解できず……かつては獣の如く四肢で地面を這い、人に出会えば警戒心を顕にするという、通常ならざる状態であったと言う。

 しかし彼は、人間から言葉を。竜人から知恵を。奇面族から狩りを。社会についてアイルー族から教えを乞い、心身ともに成長を重ねてゆく。

 そうして数年後。少年は幼くして、狩人として一端の実力を身につけた。

 

 私が書士隊の筆頭書士官という立場(を、半ば放棄)で「部族」の元を訪れたのは、そんな少年が狩人として生計を立て、奇面の王から幼いながらに狩人衆の副長を任されていた時期であった。

 何分、山をぐるりと周る村である。狩人が毎日モンスターによって揉まれていたであろう事は想像に難くない。少年は口数少なく全てに純粋であったが、年齢を感じさせない熟達した狩猟の腕を保持しており ―― しかし、外の世界の見聞に餓えていた。食べ物や酒などよりも、子供に読み聞かせる寝物語の類などを何より聞いて喜んだ。

 そんな少年の様子を見ていたのが、竜人と人間の王であった。賢くも優しい彼等は、奇面の王とアイルーの王へ、少年に世界を旅させてはどうかという話を持ちかけた。しかも、連れ出す相方は私という内容である。私としては、この少年を外の世界に触れさせるという申し出については賛成であった。旅の連れが居るのも悪くは無いだろうと。

 稀有な環境を有する「部族」には少年の他にも優秀な狩人が山ほど居たこともあり、この提案をアイルーの王は快諾した。外の世界より御付の()を手配するという手配までもしてくれた。対して、奇面の王は親心からか少々渋りはしたものの、「奇面の民は一人前と成る際に自らに最も合った『最高のお面』を探す旅に出る」というしきたりを引き合いに出し、遂には首を縦に振った。少年が旅立つと決まった晩は夜通しの宴会となり、奇面の王は泣く泣く鉈を振り回し炎をばら撒き、その愛妾方々は秘伝の薬の調合方法などを惜しみなく少年に授けたという。

 

 ともあれ私は少年とそのお供となった雌アイルーとを連れて、書士隊員兼狩人として旅立った。

 ここで初めて少年の名を尋ねれば、彼は暫し悩んだ後、訛りの無い発音で「となりとおんなじ」という王国の古語を口にした。どうやら少年が言葉ではなく音として覚えていた唯一の言語であったらしい。

 ただ、それは名前としては少々不適格なものだ。私は仕方なく自らの苗字と奇面の王が去り際につけた「ヒシュ」という仮名を彼に教え、仮初の養子として、書士隊として、また狩人として、様々な場所を渡り歩き始めた。

 

 手始めに情報を得ようと観測隊の元 ―― 王都の存在するこの大陸に比べて、新しき大陸と呼称するが ―― 新大陸の西端に在るフォンロンに立ち寄った際の事。

 私達は旧き国(・・・)の姫君だという少女に出逢い、少女と、その守人である青年と侍女も、半ば強制的に旅の一行へと加わった。どうやら少女は見た事もない風習と仮面を身に着けたこの少年を以前の「部族」に居た頃から見知っており(対する少年は姫君を覚えていなかったが)、その旅に興味が沸いたらしい。

 姫君という立場であるからか何事にも不遜な態度を取る少女と、その見聞の狭さ故に何事にも無頓着で反応の薄い少年との間では、半ば一方的な喧嘩が絶えなかったが、不思議と険悪な様子はなく、私と守人とアイルーとは視ていて微笑ましい気分になるものだった。……侍女は終始鉄面皮であったが。

 

 さて。仲間を増やし、モンスターに困窮している人々が居れば手を貸したりという寄り道はするものの、一行の目的地は基本的に私の研究に関連した場所である。

 

 大陸と大陸の合間に浮かぶシキ国では、天剣山の峰を登りシナト村を訪れた。

 そこで私は逸話に詳しい長老と兄弟から悪しき風や天剣山の成り立ちといった伝承を聞き、モンスター達の持つ力の一端に触れる事ができた。

 彼の少年は風車(かざぐるま)に興味を持ったのか、同年代の子供達と折り紙に夢中になっていた。少女の方はというとどうやら珍しい技術に興味があるらしく、少年を引っ張っては練金屋と呼ばれる店に入り浸っていた。村長ら竜人族の知識は多岐に渡るものであり、ついつい私が長居をした結果、遂には少年少女が錬金術と呼ばれる法を身につけ、船上での食料事情が改善される運びとなった。

 ……現在私が食べているこんがりと焼けた肉の原料が何であるのかを問うのは、野暮という物だろう。腹が満たされ毒が無く、栄養が摂取出来るのであれば問題は無い。錬金術の動力源とされる「マカ」と呼ばれる摩訶不思議な力については、余力があれば研究に回す事とする。

 

 途中で嵐に襲われ立ち寄ったモガの地では、海の民が代々住まう村に滞在した。

 彼らに船の修理を請け負ってもらう対価として、狩人としての立場も持つ村長やその友人である太刀の達人と共に、「冥雷竜」と呼ばれる海竜の狩猟に立ち会う事となった。近隣の森にまで縄張りを広げていた彼との闘争は三日三晩にも渡り、激闘の末、撃退に成功した。同時にこの狩猟において海竜の放った「謎の力」の運用について見聞を得る事が出来たのは、私にとって思わぬ収穫といえよう。

 村においては、少年は畑に興味を持った様子であり、アイルー達と共に毎日土を弄繰り回していた。少女はこの地における弩の構造に興味があったらしく、鍜治の老翁から技術を伝授されていた。

 狩人としての技量を持たない守人と、世事に長けたアイルーとが手際よく手配をしてくれたため、ふた月後には船の修理を終えて再び旅立つ事が出来た。タンジアを出港する際、船にはロックラックと呼ばれる砂漠の中継地に向かう村娘を1名乗せた。娘はかの地でギルドガールズになる為の学びを受けるらしい。溌剌とした活力を漲らせるこの娘がギルドガールズになるのであれば、激務に追われるロックラックのハンター達も一層張り切って狩りをこなしてくれる事請け合いであろう。

 

 紅葉の美しいユクモという村を訪れた事もあった。

 渓流に挟まれたユクモの地は温泉が有名であり、近々ギルドの支部も置く手筈となっているらしい。竜人族が村長を務めているという事態は私の竜人族に対する覚えを革新したものの、その他には大きな滞りもなく、村の人々は調査隊である私達を概ね好意的に受け入れてくれた。

 私はこの地に流れ着いたという古の龍について記された書を目的としており、それらを収集保管していた四分儀商会と村長の計らいにて拝読をしていたのだが、ここでは近場の生物を貪り襲う未知の竜が現れた。

 ユクモの地には専任の狩人がおらず、且つ急を要する事態であったため、私は少年と……決して専門ではないが狩人としての腕も熟達してきた少女。それに加えて少年のお伴であるアイルーを引き連れて、件の竜と対峙した。

 結果は、見事な敗北。

 途中までは巨体による暴食の暴力をいなしつつ狩猟を運べたのだが、追い詰められた竜はモガの地にて海竜も発していた ―― 赤黒く奇妙に私達を威圧する「謎の力」を発現した。伝承の悪魔の様な姿になった暴食の竜に、私達は圧倒的なまでに蹂躙された。だというのに全員が五体満足のまま撤退に成功したのは、急遽、軽弩使いとして高名な鉄面皮の侍女が4人1組というハンター間での仕来りを無視してまで力を貸してくれた為である。

 しかし命からがら逃げ帰り、観測隊から事の顛末を聞けば、暴食の竜の全身から発せられる威圧感……を更に増した「謎の力」の影響であろうか。本来餌と成る筈の野生の獣達が、遠く離れていても竜の存在を察する事が可能になったらしい。件の竜は周囲の生物達に悉く逃げられ、生態の崩壊故に獲物にありつく事が出来ず、消費の激しいエネルギーが不足。最後には空腹で力尽きていた所を発見される、という顛末を迎えた。

 私は慶弔の意を込めつつ暴食の竜に「イビルジョー」という学術名を付け、その遺体について回収および調査を行った。骨格からして新しい種であり、どうやら私達書士隊が創っている生物樹形図には見直しと追加が必要になりそうであった。敢えて呼ぶとすれば獣竜種、といった所だろうか。この辺りは種として纏めるための時間がかかるだろうが、いずれはこの竜も樹形図の一員として加えられることだろう。

 尚、この狩猟の際に飢餓に陥ったイビルジョーからお伴のアイルーを間一髪で救った少年は、以降アイルーから全幅の信頼を寄せられる事となる。終始構ってもらえなかった少女はむくれ、遂には防具の作成に手を出し始めた。どうやら服飾の覚えもある侍女と共に、実家の伝手を元手にしてハンター向けの服飾屋とやらを立ち上げる心算であるらしい。

 

 未開の知識を求めて、書士隊と提携する龍歴院が建てられたベルナという高地を訪れたこともあった。

 龍歴院それ自体はとある()造物を調べる為の組織なのだが、王立古生物書士隊と組んで生物の調査も行っている。

 その肝は周囲に広がる特異な植生……古代林にある。ベルナ近隣の古代林と呼ばれる地域は、まるでそこだけが年月に取り残されたような「進化を放り出した」場所であった。菌糸類が割合を占めるその森において、私達は龍歴院職員の調査の護衛に帯同し、珍しい鳥型モンスターと遭遇。これを狩猟した。

 この世界には僻地がたんと存在している。このベルナという地もそれにあたり……僻地ほど生物は独自の進化を遂げ易い。我々が狩猟した現地人にホロロホルルと呼ばれるこの鳥形種も、ベルナの古代林に近い植生によって育まれた、守られた種なのであろう。とはいえこの地には他にも多くの独自性を持つ種が存在していそうではある。例えば……そう。村の長たちが噂に語る、暗闇に赤さを光らす双眸の、白い体の竜だとか。亜種や近似の種も、隔絶したこの地であれば外的要因に影響されることなく進化を遂げることだろう。

 今回ホロロホルルを狩猟したのは私以外の、少年少女アイルーの3者であった。少年と少女は、何だかんだで息が合う。近距離武器全てに熟れた少年と、絡繰りに強い少女、搦め手に長けたアイルーという組み合わせはハンターの一隊としては理想的なものだ。成す術なく狩猟と相成ったホロロホルルにおいては、御愁傷様である。チームワークを乱す要因があるとすれば少女の癇癪であるが、時折少女が放つ八つ当たり気味な砲撃も、少年の勘の良さからくる身のこなしを捉えることは出来ないようであった。

 

 そうして旅をすること数年。この時期からは材料も揃い、私が研究に時間を割く事が多くなったため、少年と少女には専属の師匠をつける事とした。

 少年には人々とハンターの界隈にて「至高の狩人(モンスターハンター)」と称される狩人達を、少女には「天の辣爪」と称される竜人の鍛冶師と骨爺鉄爺竜爺の三爺を紹介した。こういった時には私の持つ筆頭書士官という肩書きも役に立つものだ。

 少年と少女は類稀な才覚をいかんなく発揮し、各々が力を伸ばしていった。

 比例するように、私も研究へと没頭してゆく。

 

 それ故に、私は疎まれたのだろう。

 ある時を境に、私達の旅には暗雲がたちこめた。どういった天運によるものか、元々各地で厄介な生物と出くわしてきた私達であったが、より一層の災厄が齎されたのである。

 空を覆う雨と風が、まるで私達が逗留する村を追いかけるかの様に襲い始めた。

 度々に彼の龍と対峙し、敵わず、爪弾きにされる。

 私達は仮の名を使い回し、各地を転々とする。

 落雷が響く度、白く鋼質なその身体が覗く度、私達は逃げ惑った。

 

 いつしか少年と少女の成長を見守る事が、私にとって研究に等しい生きがいとなっていた。だから追っ手を嗾けられた際、狙いが……疎まれているのが私自身であると悟ると、迷わず別れることを選択した。少年も少女も狩人としての名が売れ始めている。守人と侍女とアイルーも居る。路頭に迷うという事は、ないだろう。

 私が一か八か鋼の龍に適した環境とは言えない火山へと逃げ込む事、ここで旅を分かつ事を告げると、いつも超然としている少女が年相応に泣き出していた。少年も無言のまま仮面の内から涙を溢し、不思議そうに雫を拭っている。2人の反応は共に長く旅をした私自身、初めて見る光景でもあった。

 私は腰を屈め、両者の涙が落ち着くまで頭を撫でながら、守人と侍女とアイルーへ宜しく頼むと告げる。幾つか「その後」の行動指針について話しが纏まる頃には、両者共に涙を収め前を向いてくれていた。

 

 一行に「また会おう」と別れ、旧き大陸へととんぼ返りした私は、着の身着のままラティオ活火山へと立ち入った。

 火山に入ってからも身を潜めつつ研究は継続する。猟場に近い場所に在り合せの掘っ立て小屋を構え、火の国の王都とを行き来しては研究に励んだ。

 王国のギルドとは依存の深くない火の国が取り仕切る場所だからか、追っ手はぴたりと止んでくれていた。ギルドに取り締まられる古文書の類も火の国の書庫には数多く現存しており、まさに研究にはうってつけの地であると言えよう。

 これまでの旅の経験だけでなく、火の国の王の助力もあり、私の研究は目覚しく進展をみせる。最大の一助となったのは、王からの託で知識を借りた……火の国の聡明な姫から預かった、火山から時折発掘されるという謎の鉄塊であった。解析してみれば、それらは未知の成分を含んだ鉱石で ―― いや、この敵性(・・)を見るに既に武器と呼べる代物なのかも知れないが ―― 何れにせよ「謎の力」に関連した素材を発見する事が出来たのである。

 力に宿る敵性、指向性には驚かされるばかりであった。意思を込めて鉄塊を振るえば、既に見慣れた赤黒い粒子が舞い、一定の力場を発生させるのである。何に対して有効な力であるのかは知れないが、私は『大戦』の遺物であると予測をたてた。また古文書の地道な検証の結果、「赤菱の実」または「龍殺しの実」と俗称される木の実が類似した指向性を持つと判明した。

 先にも記したが、私の居住地は火山である。火の元には困る事が無いためまずは実践と、鉄塊であったものを「大地の結晶」で寝ずに研磨し、『錆た片手剣』へと整えた。

 武器と呼ぶには未だ心許ないそれを火の国に持ち込んで尋ねれば、王宮仕えの竜人鍛冶師より『滅龍の剣』と呼ばれる品である事が語られた。「龍殺しの実」から抽出した液体と特定のモンスターの血とを折り重ねる様に染みこませながら、人の煩悩の数だけ昼と夜とを重ねて打ち込まねばならないらしい。私にとっては復元するだけで済んだのが幸いといえよう。

 

 この片手剣を差して(私のハンターとしての専門武器は棍であるが)、更なる研究をと構えていた矢先の出来事である。

 火の国を、炎皇龍という(つがい)の龍が同時に襲った。

 私を含めた狩人達が総出で押し返し、幸いにして進行は都の一歩手前までに押し留める事が出来た。が、火の国の三割もの地域が跡形も無く燃やし晒され、王と姫君はその対応に追われる事となってしまった。

 私は悩んだ。炎の皇と妃の龍は、かつて私達を追い回した金属質の龍ではない。だがこれは……いや。これすらも、私が招いた災いではないのだろうか。頭を抱えて悩む私へ火の国の王と妃、その娘君は気にするなと言ってくれる。彼らの優しさがまた、私の心を一層に苛んだ。

 研究の成果について語らせてもらえば、長きに及んだ炎皇龍との闘争において、私の持つ『滅龍の剣』は絶大な効果を発揮した。刀身に刻まれた溝が斬り付け龍の血を吸う度に怪しく脈打ち、赤黒い粒子が辺りに舞って。王都まで残り僅かという決戦において、既に死に体であった私が最期に一矢をと、渾身の力を持って剣を差し貫いた所、皇と妃の龍は一際膨大な粒子を吐き出してすっきりとした面持ちで何処へと去った ―― というのが襲撃の顛末である。そんな私の姿を見ていた火の国のハンターらおよび人々は私の事をやれ英雄だと囃し立て、火の国の王と妃まで娘の姫君を是非にと押し立てたが、結局、私が火の国に留まる事はなかった。

 

 この剣に宿る力が古の龍に敵性を発するという確証を掴み、次いで私は龍達の生態を記して行く事にした。

 火山を出立し、我が生涯の友であるギュスターヴ・ロンにいつもの様に内密の依頼をすると、いつに無く憂慮のみえる文章で綴られた返答があった。友の忠告に気を引き締めているとその通り、再びの追っ手が私を追い回し始めた。私が辛うじて難を逃れたのはロンの忠告のお陰であると言えよう。ただ、炎皇龍などの事件を記してあった書き物「古龍生態」は世に出回る前に、火山の半ばで起こった小競り合いの中で紛失してしまった。私の頭の中にはしっかりと記してあるため、実際の問題は起きていないのだが、それすらも相手の思い通りだとすれば、そこはかとなく口惜しい。

 

 追っ手を逃れるため、私はひたすらに逃走を図る。火の国の二の舞は御免である。出来ればここで追いつ追われつの連鎖を断ち切りたい。だとすれば、徹底的に逃げるべきだろう。

 そう考えた私は、かつてシナト村で伝え聞いた天を廻って戻り来る龍が如く。名を変え身の振りを変え、別れる前に少女の守人から仲介されていた赤衣の男の力を借りて、少年と出遭ったアヤ国へと逃げ込む事とする。

 

 旅立ちの日、私はドンドルマに建てられた書士隊の入り口で、誰にでも聞こえるよう声高に言った。

 『まだまだ未発見の生物がこの地方に存在する』……と。

 そうして私は、ジョン・アーサーという書士隊員は、深い森の中へと姿を消すのだ。

 重ねてきたその歴史も、無駄に嵩張る名声も、ジョン・アーサーという個体名さえも引き連れて。

 

 折角なので、テロス密林の真っただ中 ―― 旧い大陸最期の寄港にと立ち寄ったこの未開の集落に、『滅龍の剣』と我が相棒たる虫達以外の全てを置いて行こうと思う。

 古龍の書も、この手記も、私の名も、書き綴られた独白も。

 

 ああ。叶うのならば向こうでも研究と日記は続けたいものだ。

 それも、命あってのものだね(・・・・)だが。

 

 私の研究が今は開けた未来にて実を結び、かの少年と少女とが幸福な未来を掴む事が出来るよう、筆に願いと想いを込める。

 さて。この手記が親愛なる……誰だかは知らないが、誠に親愛なる……読んでくださった貴方の暇を潰せたならば、幸いである。

 

 かつての筆頭書士官、私 」

 

 

「―― !」

 

「……ふーむ」

 

「―― さん!」

 

「……んむ?」

 

「ノレッジさん、ノレッジ・フォールさん!」

 

 かけられた声によって、段々と現実に引き戻される。

 どうやら手元の手記に没頭していたらしい。日は既に昇り、自らが指定した集合の時間となっていた。

 

「あー、えと、すいません。少しぼうっとしてました」

 

 少しだけ居ずまいを直してから、女性は声をかけられた側……ハンターハウスの入口へと振り向いた。

 入口には、彼女に教えを請うハンターとしての弟子が数人、集まっている。声をかけたのはその内の青年である。

 ノレッジ・フォールは椅子から腰を上げ、入口へと歩み寄る。庇を潜れば、ジャンボ村には何時もと変わらぬ南国の、やや強めの日差しが降り注いでいた。

 以前よりも大人びた視線で。しかし好奇心に溢れた表情はそのままに。

 ノレッジは太陽の明るさに目を細め、弟子達を順繰りに見回して、声をかけ。

 

「皆さん、準備は出来ましたか?」

 

「「「はい!」」」

 

「では改めて。……今回は密林の奥まで遠征します。ダレン隊長からの依頼。『霞隠し』という現象の調査で、長丁場ですよー」

 

 声をかけ、朗らかに心掛けつつ、笑いかける。

 ……笑いかけるも、残念ながら本日が初顔合わせの3人の反応は芳しくも無い。緊張が解れる筈もない。

 これも仕方の無いことか、と、幾度も見てきた反応には溜息も苦笑ももう1つ。

 理由は単純。この狩猟は、今やハンターとして史上最年少となる19才での「6つ星位」を獲得し、ハンター間や王国の民草に広く知れ渡る次代の英雄 ――「天狼」ことノレッジ・フォールが同行する調査でもあるのだ。(ノレッジ自身から見ても)本来はあり得ない威光を目前に、3人共が萎縮してしまっているのである。

 ノレッジが書士官として実働した期間は未だ短く、ダレンには文章がなっていないと叱られる日々。王立古生物書士隊の一員としては未だ新人ともいえる彼女なのだが、しかし今は、ドンドルマに招聘されたダレンの代わりに二等書士官という立場を請け負ってしまっているのだから、これも仕方の無いことだと思えば諦めもつこうと言う物。

 観念と共に顔を上げる。ノレッジの目の前で身を縮こめる3人はダレンの元で修行を請うた、「アーサー流」を継ぐ、行動派の書士官なのである。嘗ての自分とは違い、全員が飛竜種の狩猟経験を持つ程にはハンター暦もある……の、だが、それでも勇名というのは大きいものだ。

 

「あはは。まぁ、出来る限り緊張はしないで下さいね?」

 

「いえ。……ノレッジ師匠兼隊長に見られながら狩猟を行うと言うのに、緊張するなというのが無理なんですが……」

 

「ええ。何せわたし達の師匠であるノレッジさんは、強大なモンスターをばったばったと撃ち倒す、新進気鋭にして伝説的なハンターですもの!」

 

「しかも若くして王立古生物書士隊の隊長候補だっていうしな」

 

 誇らし気な弟子が発した言葉に他の弟子達も賛同し、囃し立て始める。

 そんな光景をいつかの自分と重ね合わせて懐かしく思い……今は弟子を取る立場になった自らの成長を喜ばしくは思いながら、ノレッジはまたも苦笑を重ねた。

 実感は無い。自分はただ、あの人達を追いかけていただけなのだ。

 隊長としては、ダレンを。

 狩人およびハンターとしては、ヒシュとネコを。

 そして今も、前方をひた走るその背を追いかけている最中なのである。

 ……と、そう考えれば、自嘲ながらに言葉は浮かんでくる。

 

「あー、いいえ。その認識はやっぱり、違うと思います」

 

 ノレッジの否定の言葉に、弟子たちが一様に首を傾げた。

 首を、かくり。

 その様に少しだけ仮面の狩人を思いだし、懐かしく思いながら、少女は笑った。

 

「ノレッジ・フォールはまだ、ただの書士隊員。一端の狩人なので。しかも隊長としては新人ですよ。なのですから、皆さん。どうかわたしに、お力を貸してくださいねっ!」

 

 力強い言葉と共に、ぐっと拳を握る。

 鎧を確かめ、強化砲身(パワーバレル)を接続した重弩『流星(ミーティア)(スワム)』を担ぎ。

 今は導く立場となったノレッジ・フォールはハンターとして、書士官として彼ら彼女らの先頭に立つ。

 

「ではでは、行きましょう!」

 

「「「はい!」」」

 

 そうして勇ましくも歩むノレッジは、猟場へ向かう道中、ずっと。

 胸元に下げられた ―― かつては仮面の一部であった変哲のない木片を、お守りの如く、固く固く握り締めていた。

 

 





 ご拝読をありがとうございました。
 1章だけになんと足かけ3年。むしろ4年。これまでを読んでくだすった皆様には、感謝の念が絶えません。
 三つ指着いて。
 ありがとうございます。
 ありがとうございました。

 更新ペースが心配ですが、私的にはこのモンハン書き物はかなり趣味に寄ったものです。書きたいという気持ちは全くもって薄れていませんので、書き上がり次第2章も開始させていただきたいと思います。筆を置くつもりは全く持ってありません。趣味ですので!
 とはいえ次更新は「あとがき」、その後に(私的には初となる)「キャラクター紹介と世界観紹介」を挟ませて貰おうと思っています。ラノベ的に言えば、カバー裏とかそういう感じですね。ちょっと心配ですけれども。
 ちょい出ししていたサブキャラ達に焦点をあてた幕間……も、2章に必要と思われる部分については2つほど蔵出ししようかなーと思っています。それぞれ短いので、一話ごとの字数平均を下げかねないのですが、私はあんまり気にしていないので。
 あとは1章の書き直しと修正を挟みます。誤字や表現の変更だけでなく、シーンの書き加えなどがあれば、あとがき部分に追記をさせていただきたく思います。悪しからず。

 それでは。
 謹賀新年、皆様に激運のありますことを願いまして。
 ハンターとして確立したヒシュと、これからも走り続けるノレッジにも。そして不穏なダレンにも……これからの幸せを祈りまして。
 2章では一層の活躍が約束されているネコについては心配など必要なく。

 次章、剣鎧の章。舞台はポッケ村。
 時代背景は2ndへと突入いたします。

 では、では。



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幕間その一 月刊・狩りに生きる、語りき

 

 

 山を登る風を受けた風車がごうごうと回って、喧噪を上塗りし。

 緑と赤の旗が眩い陽光を受けて翻り、賑やかさを添えて。

 市場に並べられた色とりどりの食材は行き交う人々の腹を満たし、笑顔を生んでゆく。

 ここは大陸中央に座するハンター社会の中心地、ドンドルマ。ハンターが社会に根付いて数代……今尚成長著しいこの街において、しかし、真昼間から陰鬱な雰囲気に覆われる場所があった。

 大老殿へと続く階段を中途で右折……商業区と行政区の合間に置かれた一軒。入り口に「ドンドルマ出版」と名を掲げたその建物の中で、大勢の人々が揃って頭を抱え、表情を落としている。

 

「……どうしますか、ジンガ編集長?」

 

「ううむ……ううむ」

 

 ジンガと呼ばれた禿頭の男は皮張りの椅子から身体を大きく前に倒し、呼んだ女の言葉に応えるでもなく、ひたすらに唸り声を続ける。

 これは、埒が明かない。そう踏んだ女……ドンドルマ出版における一記者である……フソウは、今度は言葉を強めた。理詰めに。

 

「ジンガ編集長。刊行物の内容(ネタ)が、足りません。穴あきです。メシエ・カタログの生産中止に伴う記事内容の薄まりをどうにかしなければなりません。どうしますか?」

 

「……ううむ。いや、すまない。ほんとに痛いな、その穴埋めは」

 

「そうは言っても、予てから噂されていた事象でしょう?」

 

「ううむ。噂は、な……」

 

 呆れた態度を隠そうともしないフソウの言葉に、ジンガは溜息と共に禿頭を掻きむしった。

 ジンガが長を務めるドンドルマ出版は「月間 狩りに生きる」という雑誌を発刊することを主とする、ドンドルマという組織の公的な刊行物の出版・編集を務める会社である。

 雑誌の主な目的は、新人ハンターの教導育成。そして知識と情報の共有を図る事。それら内容は、全て現場ハンターらへの綿密な取材の元に構築される。ハンターが数多く集まり、情報が集積するドンドルマだからこそ刊行できる書物。それが「月刊 狩りに生きる」である。

 そうして長らく立場を保ってきた「月間 狩りに生きる」であったが、しかし人気商売の常から、ハンターの世情の広がりとともに増え続ける他雑誌により……発刊数の落ち込みを指摘されていたのだ。

 そうなると、掲載する記事の内容は見栄えと受けを意識しなければならなくなってくる。そこで雑誌の客引きとして目をつけられたのが、メシエ・カタログと呼ばれるハンター向けの「装備ブランド」である。

 

 メシエ・カタログ。

 それはここ数年で急成長した少人数の「ハンター向け装備の職人集団」および、「その職人集団が発行した装備品のデザイン画集兼カタログ」を指す名である。

 実際には、カタログと言うからにはデザイン画集兼カタログの側が「メシエ・カタログ」の名で呼ばれる事が多い。多い……の、だが。件の職人集団は覆面職人を謳っており、表舞台には立つ事が無いのである。装備品の運搬には鳥便やアイルー達が使われる程の徹底ぶりで、彼ら彼女らの顔や実際の名は「メシエという家柄があるらしい」という程度にしか知られていない。

 

 それでもここまで注目されるに至ったには、必然、理由がある。

 装備品デザインの群を抜いた美しさ。

 そしてデザインを忠実に再現した艶めかしい装備品の出来。

 装備品の、美しさからは想像できないほどの強固さ。

 つまりは、3拍子揃った文句の付けようのない装備品を作り上げるのである。

 

 ハンターの装備を構成する素材は剛柔様々。素材の元となるモンスターも、多種多様な種類の物が使われる。それは各々生物の長所を生かすためであり……生かした長所をこそハンターの支えとするための、人間らしい創意工夫であった。それら素材の部位を知り尽くし、生かし尽くしたとしか思えないメシエ・カタログの防具は、使った事がある者ほどその凄まじさを実感するのだという。

 ハンター市場に向けて広まっている王立武器工匠製の武具防具とは違い、個人に向けて(あつら)えられた、個人生産の一品物。市場に出回る数こそ少ないものの、質が良いのならば、それは希少性という名の付加価値になる。

 それら要素が重なって。初めの数年はハンター間の回覧としてのみ配られていたメシエ・カタログのデザイン画集は、瞬く間にハンター間での知名度を上げ、巷の噂になり。そこをドンドルマ出版に目をつけられた、という流れなのである。

 そうして月刊誌の中で連続特集として取り上げ始めて2季程か。ハンター社会の発展と共に情報を必要とする読者は増え、増え始めた女性ハンターの購買層も取り込み。月間狩りに生きるの売り上げは、見事に上昇復帰を果たしていた。

 

 ただし、メシエ・カタログは元来が少人数の職人集団。同人として活動していた事からも、彼らは名声や金銭に興味がある訳ではないらしいというのがハンター間共通の見解である。

 人気が出たからと言って、規模を増やす事もない。受注は気まぐれ。当然、見合った注文数に応じきる事はできておらず……加えて、主となる職人が職人業を離れるという噂がたち始めたのが今年度の温暖期の事。遂にハンター向け装備品の販売中止を公に知らせたのが、寒冷期に入った頃合いである。

 

 加えて、それらの頃合いと時勢の兼ね合いも悪かった。

 寒冷期の初めに起こった一つの事件 ―― 大陸の東側、テロス密林を舞台とした特異なモンスターの狩猟を経て、ドンドルマのハンター達が一斉に各地の狩猟へ駆り出される事となったのである。

 仔細は未だ調査中であるが、ジャンボ村周辺を避けていたモンスター達が「驚異(Unknown)」の消失に伴い住処を変えたことによる大陸中を巻き込んだ生息域の相変異……つまりは「モンスターの一斉移動」が起きているらしい。

 街や村や調査隊や商隊を守るため、ドンドルマに腰を落ち着けていたハンター達が季節外れの猟繁期に突入した。そこまではまだ良い。市政に変化はあれど一般的な、ありうる範囲の話。

 だがハンター達が一斉に動き、動き続けているという事は、それらを取材しなければならない立場からしてみると、一つの問題が浮かび上がってくる。つまりは取材者側もそれらハンターに帯同し、動かねばならない。

 が、しかし。

 

「この問題が懸念されてからも、数刊分はそれ以外のネタで凌ぐ事ができました。ですが、頼っていた部分が多すぎます。今年度入職した記者達にはここドンドルマでの取材だけで書き上げられる記事ばかり任せていましたから……狩場での実践に関する育成が済んでいません。まだ、ハンター達に帯同した経験すらないんですよ?」

 

 ドンドルマ出版という組織の人手が、足りていないのだ。

 本来ならば「狩りに生きる」の主題となるハンター時勢を描くに、狩場での実習などを主とした記者の育成は欠かす事の出来ないものだ。臨場感のある文を仕上げるための取材も、目を引くための挿絵も、ハンターからの聞き取りを行わなければならない以上は……帯同した狩りの場で幾つかの項目を埋める事が不可欠となってくるからである。

 今期の記事内容が偏ってさえいなければ。研修も通常通り行われ、ハンター達の出先での野営地となる交通拠点の村々へ派遣を行う事が出来ていただろう。それも、もしもの話ではあるのだが。

 だからといって嘆いていても、現状は打破されない。反省こそすれど、今はまだ動く余地がある。益々もって頭を抱えたジンガに向けて、フソウは素早く次善の案を提示することにする。

 

「取り急ぎ、最低限、この寒冷期の内にでも、新人たちの実地研修を行いましょう。戦力不足は、ひいてはこのドンドルマ出版の、公的出版物としての立場を失わせかねません」

 

「わかっている。わかっている……が」

 

 ジンガとて、今は長などを務めているが、一端の編集者である。彼が手伝えば、新しい研究内容や管轄地の変遷などといった知識で補える内容だけでも、まだ幾分かは雑誌の情報量を薄めることなく仕上げることが出来るだろう。

 しかし、実地を離れて久しい彼だけでは限度がある。ドンドルマという組織からの信頼を失わない程度に記事を充実させるためには、実働する若い世代の育成が必須となるだろう。

 ……そしてまた、若い世代の育成を行う中堅所の人手も足りないという現実が彼を襲っているのだが。

 

「フソウ君ひとりが研修を取り仕切った所で、面倒を見きれる数でもないしなぁ」

 

「出来ないとは言いませんが、せめて補助は欲しいですね。その補助に人員を割くと今度は、本社で記事を書く側が居なくなりますけど。これまで文章担当だった新人たちが、そもそも研修している訳ですからね」

 

 相槌を打ちながら、ジンガはまた溜息をひとつ挟む。

 何分、足りないのは人員という現物である。

 悩みながら、しかし、すぐに案が出てくる訳もない。

 

「はぁ。さて、どう纏めたものかねぇ……」

 

 呟いて、頭痛に悩まされるようになってから愛飲している落陽草の煎茶を一口啜る。

 鼻を抜けてゆくすっきりとした香気とは裏腹に、彼は水面に映った自らの禿頭を半ば濁った表情で睨みながら、啜った湯呑を、手元の、机に置き。

 

「……うん?」

 

 置いた先。机の上。

 端の方に山と積まれた雑束とは別に仕訳けてある、次の刊を補うために纏めていた、一つの記事に目を留める。

 その藁半紙には、件のテロス密林南南東……ジャンボ村における狩猟の顛末が仔細に描かれ、その先遣隊を担った隊員の仔細が一列に記され。

 隊員の内、特に一角竜の最年少討伐という特に目立った功績を持つ少女については、挿絵までもが付いていて。

 

「うううん……ノレッジ・フォール。王立古生物書士隊、三等書士官か」

 

 何かが降りてきた気がして、ジンガはそのまま息を吐いた。

 何か。彼にしてみれば天啓か。しかし、当の少女にとっては悩みそのものに違いない。それを示すかのように、挿絵の中の少女は、挿絵描きにポージングを強請られ、顔端に編まれた髪のひと房を持ちながら苦笑を浮かべていたりする。

 そんなはた迷惑で、しかし彼らが救われるであろう案を、ジンガは理解した上で口にする。

 

「どうだろうフソウ君。フォール書士官を客員記者として加えてみるというのは」

 

「……ふむん?」

 

 その提案を、フソウは蹴らなかった。

 むしろ全くもって真剣に、その内容を吟味し始める。

 うんうんと頷き確認するように。ぽつぽつと。順を追って口に出す。

 

「利がありますね。あり過ぎます。……まず、元からフォール女史の特集は組むつもりでした。次刊の内容を変える必要がありません」

 

「そうだねぇ」

 

「彼女に記事を書いてもらう事も可能でしょう。多少の更正は必要にしろ、彼女は何分、書士隊です。文章を書く能力は、ある程度は有している筈」

 

「だろうねぇ」

 

「取材と研修が同時に出来ます。これだけの功績をあげた彼女の元には、アーサー派閥の書士隊員が集まってくる筈です。同道を依頼することは、幾分以上に容易になるでしょう」

 

「うんうん」

 

「ジャンボ村周辺は最近に開発が進んだという事もあり、まだ詳しく記事にはしていませんでした。並行して、密林管轄地の特集を立ち上げることができます」

 

「それもだねぇ」

 

「王立古生物書士隊はあちらだけでなく、ドンドルマにも籍を置く公的組織です。私達と上が同じという事で、話がとても通し易いです。教導を兼ねた共同も、まず断られることはないでしょう。こちらで記事を取り持てば、王立古生物書士隊という組織にとっても十分な利益になると思われます」

 

「ギュスターヴの長男は、面白がってくれるだろうねぇ」

 

「……加えて」

 

「うん?」

 

 まとめに入るかとばかり思っていた所。フソウは不自然に言葉を切り、口元を緩める。

 珍しいものをみた、とばかりにジンガが目を見開く暇もあればこそ。

 

「私もノレッジ・フォール女史には興味があります。新たな英雄候補なんていう人物を取材できるとあれば、私、歓喜の嵐です」

 

「はっは! 君のそういう所は好きだよ、私」

 

 部下のやる気の出し様に、ジンガは堪え切れずに笑った。

 方針は纏められた。かくして始められる少女ハンターの特集は、次季に発刊された「狩りに生きる」から数号、新人の育成を終えてからも幾分かの間掲載され……彼女の特徴的な文章表現と前向きな人柄もあってか、ハンターだけならず市井の人々にも好評を博し。遂には、少女の社会評をがんがんと上げていく循環機構の一員となるのだが。

 とはいえこれらドンドルマ出版のどたばたも、後々の世に謳われる少女についての語り草においては、枝葉に過ぎない些事であったりする。

 

 

 

 

 ■□■□■□

 

 

 

 

 ……未知の狩猟を終え9つの季節が過ぎた頃に、時は戻り。

 3年という月日はかつての若人を一端のハンターへと成長させ……しかし彼の少女は一端以上の成長を見せ……ひとかどの、と呼ぶには重すぎる六つ星ハンターとしての地位を得ていた。

 それは少女にとっては「手に入れた」と言うよりも「手元に転がってきた」と表現したくなる、例えば食卓に食事を用意して匙で口元まで運ばれた様な、明らかに何者かによって用意された昇進であった。しかもハンターとしての格が上がるに連れて、彼女が属する王立古生物書士隊という組織においても幾つかの研修を修了させられ。その結果として付随してきたのが二等書士官、部隊の隊長としての立場である。

 六つ星。現世のハンター最高位である7つ星の僅かに手前。それは、新たなる英雄候補という冠を得たに等しい。加えて二等書士官、つまりは書士隊の隊長としても動く事が出来る。少女からしてみれば、誰かに祭り上げられ作られたこの立場と社会評は、熱気を帯びた台風の様なものだった。

 

「……つまりは、自身では止められない天災の様なものだと表現したいのですけれどねぇ。ううん」

 

 樫で出来た自分の執務机の上で書類と格闘しながら、少女ノレッジ・フォールは英雄らしからぬ唸り声と表情で頭を抱えていた。苦悩というよりも嬉しいと評すべき部類に入る悩みなのだろう。

 彼女がそう、うんうんと唸りながら(悪態をつきながら)読み込んでいるのは「古龍」と区分けされる生物に関する報告書だった。古の龍とかいて「こりゅう」と読むこれら生物は、王立古生物書士隊が立ち上げた「樹形図」という生物進化の概念から外れた生物であう。

 

 どこを調べても、生物が代を経て進化を重ねた形跡が見当たらない。

 突如その姿のままで現れたかのような姿形を持ち、そして、既存の生物とはかけ離れた特殊な特異性を持つ。

 

 これら区分けしがたい特徴を有する生物を、便宜的に種族として括る。それが、古龍という呼名である。

 王立古生物書士隊が掲げる生物調査の観点からすればどうにも異議を申し立てたくなる内容ではあるのだが、ジョン・アーサー筆頭書士官が現場から離れた今、現場派の書士は少なかった。またギュスターヴ・ロンを筆頭とする引き籠もり派閥が大勢を占める今、強弁する人物がいなかったと言う理由もある。

「古龍の様な如何ともしがたい驚異にせめてもの名を与え、既知の内に収めたいという気持ちは、判らないでも無い。いずれにせよ区分けできないのであれば、暫定的にそう呼ぶのもやぶさかでは無い」

 ……と、少女の直接の上司に当たる苦労性の青年は言っていた。残念なことにノレッジとしては正直、どちらでも良い。学者肌でもあるが、ノレッジ自身はそれら「情報の統合と整理、一般化」という分野にはあまり興味がないのである。

 

「うーん。でも、名前を呼ぶときに決まってないと苦労するのは判りますからねぇ。現場的には、お上が納得しているのなら文句はありませんけど。……と。ありゃ」

 

 物音に顔を上げる。密林の強い日差しを遮ってくれている庇の辺りを見ると、どうやら鳥便の様だ。

 ノレッジが籠の中を確認すると、献本として「狩りに生きる」の特集号が届けられていた。

 ハンターズギルドが資本として提供するこの雑誌は、ノレッジの特集を組みながら、新人や活躍するハンターを取り上げていく方向性を取った。それは今まで噂話にしか語られることの無かった最上位の狩人「モンスターハンター」の特集であったり、「隻腕」や「猛虎」といった二つ名を持つ様な実力を持ちつつも知名度の高いハンターの特集であったり。いつの世も人という物は噂話が大好きで、これら情報はもの凄い勢いで広がりを見せた。つまる所この雑誌は、ハンターズギルドという大きな後ろ盾を元手に「ハンターの知名度」という界隈を世間に作り上げ、独占したのだった。その中に「天狼」の名も並んでいるという事象については、未だに悪寒の様なものが背筋を伝うものの。

 

「まさに雨後の竹の子を破竹の如く……いえ、勢いは伝わると思うのですが……怒られ案件ですねこの表現だと」

 

 今では発行部数を伸ばした「狩りに生きる」はそれら実績を元手に新しい記事や地域へと手と足を伸ばし、一時期見せた内容の薄まりも見当たらない様子である。ふと記事の脇を見てみれば、かつてノレッジがここジャンボ村で教導した記者の名前が書いてあることもままあり、あの忙しかった時期も無駄にはならなかったのだなぁと感慨も一入。

 そのページをぱらりぱらりと、なんとはなしに、しかし確かな目的を持ってノレッジは捲る。本日の刊には、今季に最もギルドポイントを稼ぎ挙げたハンターの一覧が載っている筈だった。

 ギルドポイントとは、ギルドが指定した物を納品する依頼(クエスト)の達成や地域に特有の素材を自由納品しギルドに貢献する事によって取得され、消費することでギルドが配分する品などと交換する事のできる、仮想点数である。

 生物の狩猟だけでなく素材の納品によって挙げられるこの点数は、ハンターが狩り場の特性を掴んだり解体の技術を伸ばしたりするために設けられたもので、実際それら技術や知識の育成に一役買っていた。ギルドが管理しているためこうして一覧やランキングにする事も可能だ。狩猟だけでないハンターとしての側面を点数付ける事が出来るというだけでも、稼ぐ意味合いのある点数と言えよう。

 果たしてその一覧は、冊子の最後の方にまとめられていた。それは挿絵で巻頭のグラビアを飾ったり長いインタビューが載せられるハンターとは扱いも趣も違う、挿絵など在るはずもない、名前とハンターランクだけの簡素なものだ。

 しかし味気ないその一画を見て、ノレッジは頬を緩めていた。雑誌越しにその名前を見られるだけで、そこはかとない嬉しさを感じてしまうのだ。

 開いていた雑誌を目前。満足そうにふんと鼻息を鳴らし、閉じる。

 今日はいよいよ出立の日。腰を上げると、自らの装備一式と、武器とを持って立ち上がった。積荷は既に船の上に十分量を用意してある。準備は万端。いつもの明朗な笑顔を浮かべながら、少女は家屋に置いてゆく冊子に向け、最後に小さく敬礼した。

 

「―― では、行ってきますヒシュさん。ノレッジ・フォール、鋼龍に挑みます!」

 

 






・隻腕
 モンハン商業二次小説より。凄腕のボウガン使いの事を指す。
 本作に存在するとすれば、現在はリハビリ中である。


・メシエカタログ
 意味と使い方が違うのでご注意を。
 作中ではそのまんま、装備カタログとなっている。


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幕間その二 回顧:ドンドルマにて

 

 

 (しわが)れた額を寄せ瞼を開き、目を凝らして見渡せど、藍色の波と灰色の雲が視界の果てまでを埋め尽くしている。

 渦を巻く空からは雨粒が打ち付け。際を荒れ狂う波の上では、嵐と風とが鬩ぎ合う。雲は捻れ、飛沫が飛び狂い白く泡だっては、縁にぶつかり花と散る。

 

 個人で扱うにはだだ広い。物騒な迎撃兵器を山と積み込んだ、しかし、船の上に独り。唯一の乗組員であるその小柄な老翁は、背に抱えた大太刀をするりと鞘から抜き出し、天を見上げた。

 

 見上げた天から、此方を見下ろすように、蜷局を巻いた龍が降りてくる。見下ろすという語句を体現するように、天壌から、龍は人を睨み付けている。海面ではなく船の広間の上に到達すると周囲に風を遊ばせ、ゆったりと身体を浮かばせる。

 その視線に応じる様に、老人は太刀の切っ先を掲げた。頭の横の高さで垂直に立て、刃と的とを一筋の線で結ぶ。

 人智を超えて空を行く龍の神々しさにも、嵐を起こす天の怒りに等しき所業にも一切臆す事無く。先手を繰り出したのは、老翁であった。

 

 龍の懐に飛び込み、一息、一太刀、瞬きにも満たない刹那、その太刀の切っ先で刺し、斬り、引き裂き、貫いた。

 

 雲間に見ゆる陽光の瞬きの様な初手。宙を揺らめいていた龍の皮膜は、襤褸切れの様に寸断される。絶技と呼ぶに相応しい一太刀に僅か目を見開いた龍を、上の立場から見下ろしていたために先手を譲った龍の慢心を……老翁は切り捨てて見せたのだ。

 

 老翁は小柄な身ながら、人としての限界を確かめるように、見極めるように……試すように太刀を振るう。霞の如くつかみ所の無い足運びも、自らの腕すらも切り裂かんと畳まれた巻き打ちも、息をするように振るわれる神速の太刀も。それら全てが老翁を、『剣聖』と呼ばれるハンターを体現する牙であった。

 意気をくみ取った龍も慢心は彼方、自らの全てでもって老翁を迎え撃つ。風と嵐と、それだけでは老翁を討つに至らず。嵐龍の最大の武器は水撃と自身の身体である。その武器を近場で、惜しみなく、最大の威力でもってぶつけるべく。嵐龍は自らが「吹き下ろさせた」風に乗って突撃を敢行した。

 風を纏って滑り落ちて来る巨体を事もなさげに斬り受け流し、身の小ささを利用して、老翁は嵐龍の巨体をやり過ごす。

 嵐龍が振り向いた時、老翁の振るう黒と赤の刃は、既に腹へと切っ先を定め……振るわれていた。

 

 先手の先手。

 老翁の剣に迷いは無く、身の危うさに憂いは無く、その心に未練は無く。

 自らが愛した街を託す事の出来る、次代の星の明るさよ。

 龍よ。見届けよ。柔くも鋭きこれぞ、我が剱。

 

 白の飛沫に紛れて、赤色の血が舞った。

 刃が嵐龍を削ること叶うは、老翁の技量の高さ故。

 重積した雲が天を覆い、黒風と白波が戦場を揺らめき。

 瞬いた龍の小さな目が、とうとう怪しさを宿して炎を点し。

 

 その夜、ドンドルマ南洋の一画は、歴史を振り返っても類例を見ない程の豪雨に見舞われた。

 激しい怒りを象徴するかの様な黒さは、周囲の雨雲全てをかき集め、吸い込み。

 海上の嵐は終ぞ、そのひと欠片すらも、大陸に影響を及ぼす事は無く。

 人と龍との争いに、世上の勝者など居る筈も無く。

 

 

 ■□■□■□■□

 

 

 

 翌年。最も忙しい1年を駆け抜け、ドンドルマは、無事に猟繁期を終えた。

 大陸の中央部に位置する街、ハンター達の中心街、2大ハンターズギルドの片割れを備えた街。黎明期を抜けたハンターの市井は、ドンドルマとミナガルデを中心に、一層の賑わいを見せている。

 ハンターという職の人口が増えるに連れて、ドンドルマに置かれた情報収集施設「王立古生物書士隊」の需要も増加の一途を辿る。年内にも増員を終えた書士隊は、更に翌年、各地へ派遣され支部を作るに至る。

 

 翌年、その前 ―― 昨年末。

 寒冷期の入り口に差し掛かった頃に起きた一大事「未知」の狩猟を経て、大陸西側の最大派閥・ミナガルデは、大陸東側への影響力を(にわか)に緩めた。

 いや。実際には、ドンドルマの権力の側こそが強まったと言うべきであろう。その経緯は「未知」討伐前にさしあたって開かれた会議における、とある事案に由来する。

 

 ()はミナガルデ卿の発言に背いた……とも言えず。

 恭順した……と、内容的には言えるものの、態度としては従順では無く。

 

 ともかく。とある青年が踏み出したあの一歩こそが、ミナガルデ卿が掲げた暗雲を振り払った。それはドンドルマの上層部にとって記憶に新しい……焼き付いて離れない出来事となっていた。

 

 何せ敵対している相手に向けて、「諦めてばかりでは無く、私に期待をして欲しい」と。

 そう願い、示し、成し遂げてみせたのだから。

 

 これはドンドルマ側からしてみれば、後ろ盾故に「搦め手」に長けたミナガルデの鼻をあかしたに等しい。辛酸を舐めさせられてきた相手だ。胸のすく思いをした者は、ここがドンドルマであればこそ、数え切れないほど居たに違いない。

 そんな()が、元より所属する部隊において重用されるのは、不思議なことでは無かった。元より行動派か引き籠もり派か、などという棲み分けは所詮王立古生物書士隊の中だけのもの。ハンター間においては関係が無く……むしろドンドルマの上層部からすれば、彼の存在を喜んで受け入れたとすら言える。

 そうして(半ば望まぬ)実績を重ねた彼は、3年後 ―― 9つの季節を重ねた後、更なる栄転の機会を迎えていた。

 

 

 ――

 

 ――――

 

 

「―― フラヒヤ、ですか」

 

「ああ。フラヒヤ。フラヒヤだ。北の極、世界の天を覆う山々を指す地域名。よい響きだと思わないかい? ダレン。君には、書士の一隊を率いてそこへ向かって貰いたい」

 

 書士隊の隊舎から離れて、高官向けの一室。王立と冠を付けるからには、そういった方々を相手にするための部屋の中、齢25を数える青年……ダレン・ディーノは、困惑の表情を浮かべた。

 その動作と表情は、かつての会議場で見せた切れ味の無い、実に人間味に溢れた動作であった。

 それもそのはず。何分、かつての彼は、ミナガルデの鼻をあかそうなどとは思っていなかったのだ。振られた仕事に対して、彼の全身全霊を持って当たった。それだけの事である。だからこそ目前立ち塞がる困難に向けて困惑顔を浮かべるのは、人間として自然な流れであろうと。

 困惑の最中にいるダレンに向けて、彼の上司にして王立古生物書士隊の筆頭書士官であるギュスターヴ・ロンは、眼鏡を弄りながら楽しげな声音で続ける。

 

「理由は、いやね。僕が言わずとも、ダレンの今の立場なら、情報を整理すれば判るんじゃあないかな?」

 

「それは……ああ、確かに」

 

「うんうん。それじゃあ、ひとつひとつ整理してみようか。この3年の間、ドンドルマで起こった出来事を」

 

 筆頭書士官はそう言って机の上に両肘を着き、顎の下で掌を組む。先を促された形である。

 はてさて、3年間である。記憶にある限りの大きな出来事を、ゆっくりと思い返してゆく。

 ダレンはひとつ、と唇を動かして。

 

「3年前。未知を倒した直後の事。今までは伝説に語られていたような生物である……『古龍』が、立て続けにドンドルマ周辺で確認されました。まず南エルデ地方・マンテの街を砦蟹シェンガオレンが通りがかり、その後、ミナガルデ傘下の街道に老山龍(ラオシャンロン)が迷い込む形で出現したという報告でした」

 

「どちらも撃退されたんだっけねぇ」

 

「ええ。シェンガオレンは偶然マンテの街を訪れていたハンター達の協力によって。老山龍は、かつて(・・・)ミナガルデ卿の護衛勤めをしていた『モンスターハンター』、《鎧騎》のギルナ―シェ殿が。今は王都を離れ、彼自身が副団長を務める傭兵猟団『鉄騎』の尽力を持って撃退しました。どちらも撃退の後は海へ姿を消したという報告が上がっています」

 

 マンテという街はやり手の村長が身銭を切ってハンターを集めている地で、近年においてはジャンボ村に次いで急進著しい場所である。殻を含めて全高30メートルを超す巨体を持ち、明らかに甲殻種でありながらその驚異の大きさ故に古龍種にも属する砦蟹ではあるのだが、ドンドルマの迎撃街を参考に整えられている最中の工匠兵器設備群を急遽試運転に持ち込み、激戦の末に追い払ったようだ。

 老山龍はというと《鉄騎》という猟団の働きによって、その進路を翻した。モンスターハンターの二つ名を持つギルナーシェ・ハーシェルの腕前もそうだが、彼に率いられる人員も腕利きばかり。何分《鉄騎》という猟団は、つい昨年まで王都の守りを請け負っていた一団が隊長の失踪により縮小・分業した内のひとつなのであるからして、その狩人としての腕前は量るまでもない。頑なに自らを「副団長」だと呼称するギルナーシェ方も、傭兵猟団となった今の《鉄騎》においてはのびのびと動けているようだ……というのはダレンの知り合いたるペルセイズの評。

 ……とはいえそれらも年を跨いで昔の話である。ダレンは一等書士官として蓄積していた情報を、また、頭の中で絞り出しながら。

 

「その後数ヶ月を置いて、翌年、2年前。ここドンドルマを鋼龍クシャルダオラが襲撃。グントラム叔父、リンドヴルム殿。それに私と……ジャンボ村からこれを追い立てて来たノレッジ・フォールが先遣隊の後を引き受け、討伐しました」

 

「ああ。激戦だったねぇ。風車が数台、羽を折られて仕舞ったのが痛手だったのを覚えているよ」

 

 わざと話題を変えるための軽口。

 しかしながら彼のこういったやり口には、ここ数年で慣れたもの。

 その意図を汲み、ダレンは、沈痛な面持ちで。

 

「……そして襲撃に伴い、別働隊として派遣されていたフェン翁がその命を落とされています」

 

「お悔やみを申し上げる。……一応、ヨウ捨流は代継ぎを終えていたけれどね。それでも、ご隠居が身体を張ってくれなければ、ドンドルマは散会していたに違いないよ。なにせ鋼龍と、もう1体。そうだったね?」

 

 ギュスターヴの促しに、ダレンは小さく頷く。

 

「はい。―― その名、嵐龍アマツマガツチ。危険度8……人の世(・・・)にとって現状最大の脅威と位置づけられた、古龍の中でも特に広範囲に災害をもたらす生物が、南の海上に出現。フェン翁とアイルー王国から派遣された部隊の尽力によって、これを撃退されました」

 

 アマツマガツチとは、別大陸で昔話に語られる『嵐の龍』。

 文字通り嵐を起こす力を持つその龍が、近似した力を持つ鋼龍・クシャルダオラと協同したとは考え難いが……しかしながら、それら2体の古龍がドンドルマ近辺に現れたというのは、ドンドルマの短くはない歴史の中においても類例をみない、最大の脅威であったと表しても過言では無い。

 実際、当時の戦況は恐ろしいほど不利なものだった。著しい天候の悪さが続いたため、次々と街路が遮断。補給線と連絡船が途絶えかけ、ドンドルマは他の都市から孤立。グントラムとリンドヴルムはドンドルマの守護故に動けず、鋼龍を街への被害覚悟で受け身に迎え撃つ他なく。アマツマガツチが出現したのはドンドルマ近海の南洋とはいえ、火の国に頼ることの出来ない海洋上の事件であり……そして何より、災厄(あいて)古龍(あいて)

 この状況を奇跡的にも覆す事が叶ったのは、ドンドルマにおける役目役割を持たない「ご隠居」、フェン翁が秘密裏に出撃をしていた事。そして砂漠の南端という立地柄、商業の盛んさ故に『撃龍船』を旗艦とする船団を保持し海洋戦に長けたアイルー王国の協力があったからであろう。

 海洋上に浮かべられた『戦場船』……海洋生物と闘う際に舞台として機能する役目の船である……の上で、フェン・ミョウジョウは自らが狩猟した最上の素材で鍛えた大業物『天下無双刀』を大いに振るったと言う。

 船団からの援護砲撃の最中に在って尚苛烈な剣戟を挑んだ彼は、宙を浮かぶ嵐龍すらも足場に、ヒレを切り落とし、腹を割き、額に刀を突き立て。終盤。飛竜種の火炎にすら耐えうる筈の『戦場船』をアマツマガツチが放った水流が十字に割り、黒い大竜巻が粉を挽くようにすり潰すその真っ只中で刀を構えたフェン翁は、牙を腹に受けながらも相打ちに嵐龍の角を斬り飛ばしたのだそうだ。

 手痛い手傷を負った龍は相打ちに倒れた老翁を見届け、流血のまま南の空へと消えた。これを持って戦いの閉幕となった訳だが ―― そこには独りの老人が残される。

 アイルー王国からの船団の中には、グントラム達のかつての友である弓使いのモンスターハンターが居たらしい。彼女とその友猫達が、力を使い果たし倒れたフェン翁の亡骸と彼の乗った船を動かしていた船員達を回収し、ドンドルマへと連れ帰ったのである。

 

「生きた災厄。通り過ぎるだけでも甚大な被害をもたらす龍が、2体です。……フェン翁の訃報を受けつつもクシャルダオラ討伐に向かわなければならなかったリンドヴルム殿の、あの鬼神の如き剣戟を、私は生涯忘れることありません」

 

 ダレンは息を吐く。

 鋼龍という強大な生物を討伐するには至ったが、その代わりにドンドルマは『剣聖』フェン・ミョウジョウを欠いた。彼の訃報はドンドルマだけでなくハンターという市井にとっても大きなものだ。何せ彼の老翁はハンター間で技術として伝えられる主流な流派の元・頭目であり、彼自身も数々の高名なハンターに慕われる……英雄であったのだから。

 混乱には至らなくとも、それに伴う事件が幾つかあった。老翁の友人でもあった大長老と、ドンドルマの陣頭指揮を執るリンドヴルムが、率先して解決にあたっていたのも記憶に新しい。

 これら2年の間に起きた事件はドンドルマに大きな爪痕を残し ―― 復興に3年目をまるまる費やしたのだ。

 そうして過ぎ去った3年間。ハンターの中心となるべくして建てられた街は、未だ恢復の最中にある。

 

「ああ。しかしまぁ、たった2年の間で古龍の出現がこれだけ在るとはねぇ。報告書の完成待ちだけれど、ノレッジ君からの霞龍の報告も捨て置けない。どうかな、ダレン。ここらでひとつ、今の君の専門にも一区切り付けておこうじゃ無いか。……と言う事で、君をフラヒヤに派遣するという話題に戻るのだけれども」

 

 ドンドルマに置いてはどっち付かずの意味合いを含む赤と緑の麻服。その袖を揺らし、ギュスターヴ・ロンは(エルペ)皮紙を取り出した。艶やかでありながら線の滲まない高級紙は、見た目ですぐに判別の付く、一等書士官に対する辞令である。

 

「―― 王立古生物書士隊が一等書士官にして、『古龍観測所特派員』、ダレン・ディーノ君。君には書士隊の部下4人を引き連れて、フラヒヤのポッケ村へ出向いて貰おうと思う」

 

「ポッケ村、ですか」

 

「うん。そうだね。ここドンドルマから……」

 

 ギュスターヴが視線を横にずらす。その先……隊長室の壁には、大きく描かれた大陸図が張られている。

 大陸のおよそ中央部に位置するラティオ活火山の真北に位置する現在地ドンドルマを、すぅっと指先で指し示し、そこから。

 

「……東へ。ゴルドラ地方の乾燥帯を抜けて北へ……フラヒヤ山脈のお膝元を更に昇る。そこに、山の中腹に建てられたのが、ポッケ村だ。現地の言葉で『暖かい』を意味するらしいし、現地では最大の集落らしいけれもど、伝聞(それ)伝聞(それ)。ポッケ村はハンターにとって、そして書士隊員にとっても、僻地の中の僻地には違いない」

 

 復興の最中にあるドンドルマにおいて、ハンター達が忙しくしているのは当然。雪と寒さに覆われ、踏み入る事そのものを拒否するかの様な土地にあるポッケ村は僻地と言うに相応しい立地であり、書士隊にとって不便な派遣場所であるのも道理。

 だがそこへ向かう事が、ダレンが今持つもう一つの肩書きにとって意味はある。そういう事なのだろう。

 

「確かに僻地だ。だからこそ、君の持つ民俗学への造形が役に立つ。そこで……ポッケ村で、書士隊のお題目としては、古龍によって乱された生態系の調査を行って欲しいんだ。それこそポッケ村にお邪魔してね」

 

「なるほど。心得ました。現地住民や生え抜きのハンター達と協力をして、という事ならば確かに私が適任でしょう」

 

 現地の事は現地に任せる。ギュスターヴがよく執る方針である。勿論この方針は、ダレンがハンターとしても動ける人材である事を念頭に置いたものではあるのだが。

 

「だとすると……書士隊としての対象は……そうですね」

 

 振られた仕事に対して、ダレンは素早く頭を働かせる。

 生態系調査を行うとは言っても、全ての生物を観察する訳では無い。小型から中型の生物であればいざ知らず、中央からやってきた調査隊が僻地の村に居座ってまで出張るのであれば、大型の生物にも目星を付けておかなければならないだろう。

 頭の中から1匹。特に大型生物の縄張り争いに敏感な ―― というよりは、率先して諍いを起こす側の生物を、引きずり出して引き合いに出す。

 

「轟竜・ティガレックス。寒冷地の調査の名目として挙げるのならば、これ以上ない相手です。獲物のために縄張りを侵す事を厭わない。相変異の調査として挙げるならばうってつけであり……勿論フラヒヤを含む寒冷地にも、ポポなどの大型草食動物を求めて顔を出すでしょう」

 

「うん。ならそうしよう。こちら、王立古生物書士隊としての調査対象は、ティガレックスで決まりだ」

 

 ギュスターヴはたった今決めた調査対象を、とって付けたような軽さで、辞令書に書き込んで行く。

 そのまま、筆を持ったまま……話題を接ぐ。

 

「……それで、どうかな。特派員としては。観測所の中でも民俗学に特化させられている、君なら。このポッケ村に出向いて調査を出来ることに、大きな意味を見い出せるんじゃあないかな?」

 

 眼鏡の奥から、いつもの底知れぬ、しかし確かに面白がっている様子の笑みがダレンを貫く。……そう。貫いているのだ。ギュスターヴ・ロンが見ているのはダレンの背景にして、その先。

 つまりは、未来を。

 

「―― 了解です。不肖ダレン・ディーノ、ポッケ村への派遣任務、確かに任されましょう」

 

 その意味を理解して、ダレンはすぐさま大きく腰を折り、頭を下げた。完成し、適当な調子で差し出された羊皮紙を二つに折って鞄に入れ、再び顔を上げる。

 すると筆頭書士官は珍しく、困り顔を浮かべていた。

 

「はぁー。頼むよー。いや、ほんとさ」

 

「ええ。任されました」

 

「いやね、ドンドルマも色々と片付いていないし。名前が売れてるハンターだと動かしづらいのさ。やっぱりダレンは頼りになるね」

 

 そう言って、今度は溜息をこぼす。

 ……どうやらおかしい。上司からの言葉は素直に受け取る人柄のダレンですら、違和感を覚えた。

 既に意味合いは2つ。王立古生物書士隊としての勅命と、古龍観測所の特派員としての使命と。それぞれがもたらされているというのに。

 何を。そう。まだ、奥に潜めている。

 

「―― ロン殿、もしや、他に」

 

「よくぞ聞いてくれた!」

 

 ばっと、弾かれたように身体を起こす。

 身振り手振り、大きく腕を広げて。

 

「フラヒヤ。そう、フラヒヤだ。ダレン。良いかい。これは、君にとっても他人事じゃない。民俗学という一事を覗いても、他にもだ。……ひとつ、其処に、ある物が紛れ込んでいる。いや。中心にあるんだから紛れ込んだというのは間違いかな。兎に角、マズい物がある」

 

 筆頭書士官をして「マズい」と言わせる代物である。可能な限り触れたくないという感想は、当然のもの。

 だが、現地(アーサー)派の一等書士官の第一席として、ダレンは聞かなければならない。職務である。

 

「……マズいとは、一体……」

 

「良いかい。よく聞いてくれ給え」

 

 指を立て。ひとつ、息を挟む。

 生み出された絶妙な間を生かし、くるくると変わるその表情を、今度は、神妙なものに変えて。

 それでも溢れて留まることの無い、上司らしからぬ、楽しげな雰囲気を隠そうともせず。

 

「―― 魔剣。振るう者に力を与え、代償に、呪い殺す。そういう魔の武器が、どうやらフラヒヤに集められているらしい。フェン翁最後の弟子である君は、直接見たこともあるはずだね。それの調査も、お願いしたい! 是非にね!!」

 

 そう、言い放つ。

 魔剣。

 かつての老翁が、その末尾の弟子たるダレンに向けて「確排せよ」と言い残した『因縁』。

 そしてそれは彼の友人である元・仮面の狩人が、フラヒヤへ旅立つ目的として挙げていた、奇縁でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――

 ――――

 ―――――― 再び時を遡り、2年前。

 

 

 

 それはドントルマが明星を失い間もなく、喪に服していた頃。

 夜が端から白くなりつつ、太陽の西側に星の光る頃。

 かつて剣聖と呼ばれた老翁の遺体は、広間を埋め尽くす弟子達に見送られながら火に焼かれ、天へと昇り、その性を表す明星となった。

 見送り……見送るべく集まった人々の列からは大きく離れた、街の端。

 老翁が頭を務めていた道場、ドンドルマの高台。

 そこに弟子達と同様に。しかし異なる心持ちで空を見上げる、ひとりの少女の姿があった。

 黒髪を頭の後ろでひとつにまとめた少女。名はセネカ。性はミョウジョウ。嵐を退け天を切り裂いた老翁の、孫娘にあたる。

 ドンドルマは今まさに混沌の最中。嵐龍と鋼龍の襲来という前代未聞の事件を退け、その事後処理に追われている。街最大の道場を仕切るセネカの両親も山と化したハンターズギルドの仕事を請負い、ドンドルマ周囲の生態調査の護衛を務める一団の頭として街を後にしている。

 街が閑散としている訳では無い。しかし、街そのものが昼夜問わず忙しなく動いているために、夜半に外を出歩く少女を見咎める者もない。誰も彼もが目前を乗り切る事に全力を注いでいるのだろう。

 だからこそ。

 一降りの刀を背に、頭上で燃える魁の星を睨むように見つめる少女を。

 その表情の険しさを、心がける者も居なかった。

 

「……」

 

 少女は知っている。

 故フェン・ミョウジョウは老いて尚、隠居して尚、己が目指した剣を求めて研鑽を怠っていなかった事を。

 

 少女は知っている。

 老翁が老いてこそ掴んだその剣が、剛と対を成す柔の剣。刀剣を扱う新たな側面を示した事を。

 

 少女は知っている。

 柔の剣を体現するために太刀という新たな武器が生み出され、そして ――。

 

「―― 父の下にも、母の傍にも、われが求めた道は無い。術の先。壁の向こう。それを乗り越えたフェン爺が見ていた道こそが、われが目指すべき天の標であった。……柔の剣こそ、女だてらにモンスターを斬り伏せるための、術法だったと言うに」

 

 決して主流ではない、されど確かな。獣道ではあれ、か細く繋がるその道こそが。少女が生まれながらに持つ性別という壁を覆す、唯一の方法だと確信していたのに。

 だというのに、老翁は消えた。太刀という新たな可能性を生み出し、実践へと移す最中に、可能性だけを後身へと託して。

 老翁は思っていたのだろう。老いた自分に価値は無く。消え去るのならば、誰かのためにと。

 結果として、ドンドルマは救われた。嵐龍と鋼龍の同時侵攻という未曾有の脅威は、驚異として被害をもたらす前に防がれたのだ。老翁は死に、ドンドルマは生きながらえた。ヨウ捨流という派閥に傷は無く。街にも人にも傷は無く。先導の星として輝けるフェン・ミョウジョウは、彼の望むままに輝き、燃え尽き、最期までを英雄としてその人生を全うしたのだ。

 だがここに、確かに、老翁としての彼を必要としていた者は居た。だのに彼は、気付かなかった。老いを理由に自らを卑下する傾向にあった彼は、次代の星の眩しさに眩まざるを得なかった彼は、彼をこそ目指していた少女には、最後の最後まで目を向けることが無かったのだ。

 ……少なくとも、少女にとって、老翁の行動はそう見えてしまうものだった。

 

 それは、自らの輝きは自身の目に映らないからこその帰結であり。

 少女自身も「輝ける者」であるが故の、因果でもあるだろう。

 星は、闇に溶けた。灯火は、風に消えた。明の星は、追って昇る太陽の明るさの中にその姿を眩ませた。

 齢60ながらに、嵐龍と斬り合える程に……個として極めた柔の剣を、しかし、手ずから誰かへ伝える事は無く。

 次代という名の可能性に、後は任せると。無言のままに言い残して。

 

 空を見つめる少女の心境は、諦めに近いものだった。

 恨みは無い。老翁への情はあれど。

 だから、少女は省みない。先を見据える。

 剣に取り憑かれた少女は、その取り憑かれた心根をこそ危惧し……だからこそ術法から遠ざけてくれていた、老翁という天蓋を失った。

 そうして取り払われた天井の先に、遙か届かぬ輝きを見る。

 地上に灯る篝火によって霞む、遠く、遠く、薄く輝き続ける星々の光を、それでも見ることが叶うのは、少女が天稟を持つ者故の、所()

 

「武を極めんとするならば ―― やはり、実践か」

 

 ドンドルマという立地から、簡素に年少のハンターとして登録だけを済ませ。

 その夜、少女はドンドルマから姿を消した。

 

 

 

 ―――――― そして、再び、2年という月日が過ぎる。

 ――――

 ――

 

 

 

 

 

 旧き大陸の北部。

 真黒い刀身を背負うその少女は、疲れた体を鞭を打ちやっと見つけた雪洞の中へ、倒れこむように転がった。

 返り血塗れの体。繋ぎの皮が擦り切れそうな程に傷んだ防具が、霜の地面とぶつかってがちゃりと金属質な音を響かせる。

 風雪を避けるためにと踏み入ったその雪洞の中で、寝ころんだまま、やつれた顔のまま……ふと、白の暗幕に遮られた空を見上げる。

 煩いくらいに陽光を照り返していた雪すらも、今は見えず。

 

 雪が全てを覆い隠す。

 晴れ渡る空を、生命の行路を、示された標を、その果てを。

 

 大陸の北端を吹き荒ぶ白き風は、フラヒヤを須らく覆い彩る。

 其処には今はまだ、誰の影も見えず。

 真白く染め上げられた山々が、何処までも、何処までも連なっている。

 






 復帰戦だというのに物凄く変則的な時系列を1話にぶっこみました。読み辛さにご容赦を。


・天下無双刀
 色々とすごい素材を要求されるすごい太刀。名前も凄い。
 初代あたりからプレイしている方にとっては垂涎の武器。

・鋼龍
 モンスターハンター2ドスのトラウマ。とにかく空から降りてこない。
 前話のノレッジで引いておきながら、あっさり。
 ……活躍の場は、次話に。

・嵐龍と鋼龍
 現実的にやばい組み合わせ。
 同じ場所に居合わせたら、被害は言うまでもありません。




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幕間その三 銀の嶺、青の衣、黄の従者、茸の豚

 

 丸太に軽く刃先をあて、引いて、違わず振り下ろす。

 狙い通りに寸断された木片を、彼は腰を折って拾い集める。束を作れるだけの量を抱えるとそれらを括り、雪車(ソリ)の荷台へと放る。既に山と積まれた木々の最上段で、からんという音が響いた。

 これにて薪は十分量を満たした筈である。仕事は終わり。そう区切りを付けて、手に持った斧を適当な場所に立て掛ける。

 心地よい疲労感のまま空気を吸い込み ―― 吐き出す。嘗ての温暖で湿度の高いそれとは異なる冷たい空気が肺を刺すように刺激するが、それも今では毎日の事。

 ふと、慣習から周囲を見回す。地肌は色見少なく土と石。水場の周りにだけ、背の低く細い葉を地面いっぱいに広げた緑の装飾が施されている。

 その他の意識と敵意が少なくとも周辺には感じられない事……それでも水辺のそこかしこに営みの熱を感じられる事を確認して。再び、息を吐く。

 

「―― ふう」

 

 湖面の際に立ち山々を下にひく蒼穹を見上げ、ハンターは汗を拭った。

 身に纏っているのは一般的に駆け出しのハンターが(素材の集め易さ故に)選ぶ「レザー装備」と呼ばれる防具一式だが、彼の腰には木彫りの仮面が下げられており、駆け出しとは言い難い奇妙さを醸し出している。

 髪は墨汁に一昼夜浸したかの様な、艶を湛えた黒。今は解かれたそれら髪が腰元まで伸びており……くびれの辺りで布製の髪結いによって括られ……透明と呼べるような無味無臭無色の視線や目鼻立ちと相まって、性別の判断の困難さを助長している。

 

 ……助長している。

 が、その体躯をよくよく観察すれば。あれから(・・・・)頭一つ分以上も成長した背丈と、隆々とは言わずとも相応程度には付いてきた筋肉の具合から、『彼』は恐らく男性なのであろうと、今は、凡そ、判断する事も出来るに違いない。

 

「おーけー。薪割りは、確かに終了」

 

 数えていたのだろう。雪車の荷台に積まれた薪の概算を終えて、今度こそ彼は踵を返した。

 今度は薪を運ぶ雪車を引くために、紐を袈裟懸けにして顔を上げる。

 

「……うん?」

 

 顔を上げて気付く。地面の見えた山肌を、白の染め物で身を覆ったアイルーが勢いよく滑り降りて来るのが見えている。

 アイルーは小柄ながらに軽い身のこなし。斜面を4つ脚で捉え、彼の名を連呼する。

 

「―― ヒシューっ」

 

 ヒシュ。彼を親代わりに育てた(実際に面倒を見たのは愛妾方々ではあるが)奇面族の王が手ずから付けた、彼固有を指す名前である。

 その名を呼ばれた彼は雪車を背にしたまま、アイルーに向けて向き直る。

 

「と、っと。ヒシュよぅ、今、良いかニャ?」

 

「ん。モービン。よいよい。ちょうど、薪割りを終えたとこだよ」

 

 件のモービンは、白地に茶の虎模様が入った体毛をぶわりと広げて崖の端を飛び降りる。宙で軽やかに回転、涼しい表情で地面に着地した。

 髭を緩やかになびかせたまま、彼にとってはいつもの皮肉げな風味で口の端を歪ませる。

 

「お前が呼ばれてる、呼ばれてんニャよ。巫女様(・・・)に」

 

「ああ。もしかして、護衛?」

 

「そうみたいだニャ。日課とは言わんが、祈祷ニャ。どうやら天辺の近くに行った方が良さ気で……相方が、引き留めてるニャよ。今の内に護衛のハンターを、って涙目だったニャッハッハ!」

 

 呆れつつ、面白そう。そんな微妙な様子を髭の端から滲ませたモービンの様子である。

 だが気にせず、間髪入れず、間を置かず。ヒシュはかくりと相槌をうった。

 

「ん。じゃあ行こう。モービン、この薪をお願いできる?」

 

「あー……質量的に厳しいだろニャ。けど、トキシの親分を呼んでやるニャ。こっちは心配ないから、行ってやんニャあ色男」

 

「……んー……それ、ジブンを褒めてる?」

 

「ああ。最上級にニャ」

 

 最後は適当な調子になったモービンにしっし、と前足で払われつつも、ヒシュは気にした様子もなく、再度のかくり。

 旧知の仲であるモービンは、いつもこの調子である。女と酒が好きなのは彼が友にして親分と仰ぐ(・・)団長の影響であるが……適当で迂遠な言い回しを好むのもまた、件の団長の影響なのだろう。

 ヒシュはさっと手を上げてモービンに別れを告げると、彼が降りてきた崖を手際よく登ってゆく。ひとつ上の台地に出た所で、掌を庇にして周囲を見回した。

 

「……居場所。あそこかな」

 

 遠目の高台に、『青衣の集団』が屯しているのが目視出来た。装備品をしっかりと背負い、腰に着け、木製の仮面が振り落とされる事の無いようベルトを確認してから、ヒシュは小走りに駆け出す。

 現在ヒシュが身を置く駐屯地はそもそも面積を必要としないため、敷地もそう広くは無い。組み立て型のテント式住居が並ぶ区画を抜けてしまえば、あまり距離を走る必要も無く、目的とした集団の全貌が見えてくる。

 青衣の集団、その際端。

 走り寄ってきたヒシュを認め……周囲の青衣の中で一際浮いて、より厚手に『黄色の』外套を着ぶくれ着込む、襟を広げ立てた人物が此方へ声をかけた。

 

「―― 着いたか」

 

「ん。呼んだ? シャシャ」

 

 簡素なやり取りをして、着ぶくれ黄衣の男 ―― シャシャが頷く。

 彼は薄く髭の生えた顎をキレよく動かし、木々に囲まれた高台の方を目線で指す。

 

「我らが筆頭『星聞きの巫女』がフラヒヤの空を拝聴しに往く様だ。私とキミで護衛を務めたい。頼めるか?」

 

 両の掌を合わせて白髪の見え始めた頭を下げる。彼の言葉に従ったように、群れていた人垣がさぁっと2つに割れた。一族に異存などなし。そう、行動で示して見せたのだろう。

 しかし促されたヒシュの側はというと、雰囲気を読まずその場に留まったままだ。ある一点が気にかかってしまったらしい。

 

「……なんで、今日に限って山登り? これから空は荒れる、と、思うんだけど」

 

 西側の空を指さして、かくり。傾いでみせた。

 指さされた空は透き通るように青く澄み渡っている。が、ヒシュがフラヒヤ周辺での活動を始めてから2年。変わりやすいとはいえ、山での活動経験も適度に積んでいる。今現在、風の昇り具合や湿度は明らかに吹雪く手前のそれである。加えて先ほどの薪割の間、平時であれば少ない栄養源を求めてカルデラ湖面周辺に草を食みに出てくる草食動物……ポポなどの生物がいなかった事は確認した。山の生物達も同意見のようだ。

 シャシャはヒシュのその意見に同意を挟む。溜息を溢し。

 

「ああ。荒れるだろうな。だがしかし、アレが我らやキミの意見を聞くものかい?」

 

「あー……」

 

「それにヒシュ。『荒れるからこそ見に往かねばならぬ事もある』だそうだ。託とやらがもたらされる機はアレにしか判らぬ。故に、我らが悩むのは時間の無駄というものだろう。……幸い祈祷場までの道は昨日整備したばかり。命に危険が及ぶほどに酷く吹雪くなら、私が責任をもってアレを道中の詰所へ押し込んで見せるさね」

 

「ん。仕方ないね。わかった、用意する」

 

「感謝する。どうぞ頼むよ」

 

 シャシャの愚痴を受け止めながら、ヒシュは近場の納屋の中へ。

 棚にぞろりと居並ぶ武具を一瞥。その内から3年間、数多の補修を重ねた黒狼鳥(イャンガルルガ)の一式を()手足(・・)に手際よく纏い。

 最後に頭は『モスフェイク』ですっぽり覆い、茸豚の様相で納屋を出た。

 

「おーけー。行こう、シャシャ」

 

「……キミよ。何故モスか」

 

 黄色く分厚い外套のそこかしこに甲をあて、自らもハンターとしての装備を整えたシャシャは、ヒシュのその姿を認めると目に見えて肩を落とした。額に手を当て目を瞑り、溜息。

 それも当然の事。黒狼鳥の刺々しくも強靭な鎧を身に着けておきながら、頭は茸を探して鼻をふごふごと鳴らす猪豚……モスそのままなのである。緑と土色の混じった生皮に覆われたその頭。合身生物(キメラ)茸豚黒狼鳥(ヒシュ)は緑色のつぶらな瞳を此方に(実際には視界はモスの口元周辺である)向け腰に手を当てると、ふんすと鼻息を鳴らして自慢げに胸を張った。

 

「良いでしょ?」

 

「お前の実力は疑ってない。そういう(・・・・)選択肢の上手さもだ。けれどな。気が抜けてならんのだぞ? それは」

 

「ジブンだからね。慣れて」

 

「……負け籤を引かされた気分さなぁ」

 

 彼は何とも言い辛い表情でそう呟く。

 呟いて、落胆する暇もなく。彼の態度を意に介せずさっさと部族の姫の元に向かうマイペースなヒシュの後ろを追った。

 

 

 

 

 

 ――

 

 ――――

 

 

 

 

 

 小走りに移動を初めて2時間ほど。祈祷場までの道程の中程を過ぎた辺りで道端には白く雪が見え始めた。周囲を囲む山々もしんとした静かさを積層させ、底冷えする冷たさを漂わせ始める。

 依頼主の気まぐれから集落を昼間に出立した事もあり、どうやら目的地に到着するまでに一泊する必要がありそうだな、とヒシュは頭の中だけで概算を済ませておく。青の部族の準備調達を信じるとして、道中には野営を済ませるだけの設備は用意されている。あとは日没までの余裕を持ってどの程度まで移動を済ませるか ―― これについては残る2人の体力を考えて決めるべきであろう。

 そう考え、ヒシュは後ろを振り向く。まず視界に映るのは、黄衣や帷子を幾重にも着込み……狩人の一端としてこの程度の移動では息を乱していないシャシャ。

 そしてその後ろから、薄青い貴色の毛で装飾され他より豪奢な外套を羽織る小柄な人物が、前をゆくシャシャの手を堅く握りながら追う。

 最後尾をよたよたと走るその人影は、額から両目 ―― 鼻元までを覆う幅広の眼帯を身に付け、眼帯の内の瞳も終始閉じたまま。足取りは確かなものの、他2人とは違い、白い息を大きく吐き出して。

 

「シャシャ、ヒシュ。……はぁっ、はぁ。……はぁっ、はぁ、ふっんぐ……早い」

 

「ん。休憩はさんだ方が良い?」

 

「そうするか。コレもどうやら、限界らしい」

 

「はぁっ……はぁ……ありが、と」

 

 問いかけに従者が同意するのも待たずして、見るからに疲労感を滲ませた「巫女君」は近くの岩場に座り込んだ。

 シャシャはやれやれ、と溜息をつきながらも懐から革製の水筒を放る。上手くキャッチできず、わたわたと手元で遊ばせて、巫女君がそれを受け取る。

 

「ぞんざいでは……ないですか。私、貴方の、護衛対象、なのですけれど」

 

「護衛はしよう。だが、休憩時まで気を張ってるような輩は疲れてならない……と。貴方からはその旨、以前から、何度も、繰り返し、しつこく訴えられていたと記憶しているのだがね?」

 

「……それも、そうですね……」

 

 底なしの体力で狩場を駆けるハンターと自分との体力の差を考慮して欲しいだとか。ポポの引き車くらいは事前に手配できないものかとか。祈祷場と集落の距離が遠いとか。そういう愚痴をぽそぽそと溢して暫し、巫女君は水筒から唇を離す。

 

「シャシャ、ありがとう」

 

「どういたしましてだ」

 

 眼帯で覆われた顔を声のする方向へ。巫女君はその瞼を下ろしたまま水筒を差出し、シャシャがそれを受け取った。

 ヒシュはそんないつも通りの様子を遠巻きに眺めながら、周囲警戒を解いた。ふいと首を曲げ、かくり。

 

「動ける? それとももう、野営にしてしまう?」

 

「そうだな……」

 

 シャシャがむんと声を漏らし、悩み始めた。長くなるだろう。ヒシュは肩の力を抜きつつ、現状を振り返る事にする。

 ヒシュという個人がこの「巫女君」らに抱く印象はおおむね快いものだ。

 青の部族。音を ―― 否。「歌」を媒介として物語を語り継ぐ役目を持つ古い民族ながら、しかし、強い「星聞きの力」を得て生まれてしまったが故。ヒシュと同年の齢19という若年ではあるものの世情を読む「神巫女」として扱われる事になってしまった少女。それが「巫女君」である。

 とはいえ、そんなものはあくまで個人的な印象に過ぎない。心情よりも。この少女と青の部族の価値を考えれば、ヒシュはここに滞在せざるを得ないというのが現状である。例え元来目的としていた現象……「魔剣」の調査が後回しになるとしても、だ。

 

(本当は、魔剣の事、なるべく調べないといけないんだけど。これが回り道かは……うーん。運次第?)

 

 今日も澄んだ青空をちらと見上げながら、ヒシュはどうにも上手く進まない現状を憂う。

 ヒシュが視線を外し思考に沈むその傍ら、シャシャと巫女君は声をややもあげながら。

 

「山を登らねばならぬ場所へ祈祷に行くというならば体力もつけるべきでは無いのか、巫女殿?」

 

「む。こればかりは、本業では、ありませんからね……時間さえ、あれば、体力作りにも……取り組みましょう。いっその事、ハンターとして、登録して……しまいましょうか」

 

「それはやめてくれ給え。少なくとも今は、私に時間が無い。どうせ教導は私に投げられるのだからね」

 

「ええ。弓を、使い……ましょう」

 

「夢想は勝手だが……そうさね。矢を作るくらいなら薪にしてしまえと、族長には言われるかな」

 

「先読みは得意です。きっと、お役に立てる事……でしょう」

 

「……ああ。いつも人の話を聞かないな、巫女殿は」

 

 等々。

 無論、この巫女君と従者の行く末……いや。それは大げさな語りだが。兎に角、専任のハンターがヒシュとシャシャしか存在していない無謀なこの一族を守りたいと思う気持ちも無くは無い(むしろ多分に多い)ので、心中は余計にこんがらがってくるのである。

 

(青の、部族。星聞きの巫女。その護衛。ジブンにとっては、重要な情報源だと思う……けど)

 

 青の一族とは、『語り継ぐ』事を命題とする部族であると知っている。

 白が地を『醸成』し。

 赤が場を『設営』し。

 それらを黄が『観測』し ―― 人の世にて青が『語り継ぐ』。

 各々部族に振り分けられたこれら職務の『語り継ぐ』にあたるのが、青の部族であると。

 語り継ぐための方法は幾つもある。それは歌であり、物語であり、書物であり、詩であり。兎も角も手段は問わず。物語や口伝を後世に残す事を使命とし、全うするのだ。

 とはいえ語り継ぐためには人の世の情勢を汲む必要があった。青の部族はそれら時勢や流行に敏感であり、時には演劇や掲示板などの流行に沿う事もあるという。その点について、この巫女君は「星聞き」という託宣を受け取る分野で活躍出来た。

 またこれら事情により、青の部族は排他的な他の部族と比較すると随分と開放的で、巫女の護衛のシャシャの様な外者を招き入れることも数多い。かく言うヒシュも部族においては、巫女の見地を借りるために間借りする傭兵ハンターという肩書である。

 ……序でだが。雪山での採取は在住する狩人の少なさもあって実入りがよく、護衛の傍らあちこちに足を伸ばしていたら、ギルドポイントなるものが大量に溜まっていたりする。とはいえヒシュにとってそれらは副産物に過ぎず、あくまで部族に帯同する事によって手に入るお目当ての情報こそが目的なのであるが。

 ヒシュ自身はハンターとしての依頼もあるものかなと、時折ポッケ村に唯一設けられているギルドと伝書鷲のオリザを通じてやり取りもするが、フラヒヤ周辺に点在する人里に密接した小型モンスターの掃討やポポの動向観察、素材の収集に関する依頼が大凡である。時折雪山を住処とするドスファンゴやドドブランゴが人里に近づき撃退討伐の依頼が出されるものの、そういったものは大概がポッケ村の専属ハンターに回されるため外様のヒシュに出番はない。この点についてはむしろ、大型モンスターとの連戦に明け暮れていたジャンボ村が例外なのである。

 勿論の事、大型モンスターが縄張りを乱したり、新たに里を開墾したりといった事情があれば別なのであろうけれども。

 

(前なら悩まなかったカモ、知れない。こういうの。うん。成長、成長)

 

 そういった心境の変化は前向きに受け止める。

 回想終わりとヒシュがかくりと頷いた所で、シャシャと巫女君の相談……言い争いではなく相談である……は終わったようだ。

 

「日没まで半刻ある。巫女殿の体力を考えるに、そろそろ野営を敷いておくのが好ましいだろう」

 

「……誰が、限界などと、言ってはいない……でしょうに」

 

「ん、判った」

 

 ハンター2人の意見が揃ったところで、巫女君の反論は封殺。ヒシュは荷物を再び背負い、近場の野営地に関する記憶を探る。

 

 

 

 

 ……そうして現在地にほど近い、設営された洞穴へ向かう道中であった。

 フラヒヤの遍くを彩る、透き通った空気。青い空。

 全天。それらを覆う灰色の雲に紛れて ―― 白銀の龍が降り立ったのは。

 

「―― ジブンが相手をする。シャシャ。巫女君を連れて、逃げて」

 

 

 

 

 □■□■□■□■

 

 

 

 

 辺り一面が周囲の山々どころか数メートル先を視認するのもやっとの猛然とした吹雪に包まれる。

 山々に次第に近づいてゆき。

 一番に認知出来るのは ―― 音。吹き荒ぶ吹雪の中に似つかわしくない、風雪の騒音すらも鋭利に貫く、金属質のじゃりじゃりとした音。そしてぶつかり合う、山肌によく響く音。

 次いで、音源の方向へと近づいてゆくと、明滅する火花が視認できる。周囲の白さに反射して黄色、橙、赤。時には青色の火花までもが金属質の音に伴って甲高くちらつく。

 

 地に着いた四つ足を蹴り飛ばし、一陣の風が唸る。

 雪の幕を貫いて、引いて、巨体が空へと躍り出る。

 

 飛び立った際の風圧でぽっかりと空いた吹雪の間隙。

 そこには風圧を受けて体勢を崩しつつも踏ん張る、茸豚の被り物をし全身に道具を身に着けた狩人……ヒシュの姿が在った。

 そして狩人が見上げる先にまた、全身を硬質の金属で覆われた古龍……クシャルダオラの姿が在った。

 じゃりっ。中空に在るがまま体を捻り、吐き出される風雪の砲。

 

「ん ―― ん!」

 

 その場を飛び退き、飛び退いた先で身体を屈曲伸展、また飛び退く。自らがつい先まで脚を着いていた雪面が地面が露出する程に抉れるその様を、終ぞ意に介せず茸豚が跳ねる。

 飛び退く。前へ、前へと。そして射角が取れなくなったクシャルダオラが嫌がり、此方に視線を向けたその瞬間を逃さず、閃光玉を炸裂させる。

 視界を奪いさえすれば。そう考えてのヒシュの行動は、しかし。

 じゃりぃっ。

 

「キィ゛ォォォオ゛!」

 

「ん゛っ! くっ、ん!!」

 

 飛べるという有利を投げ捨て、地面目掛けて飛び掛かったクシャルダオラによって奏功せず。またもその場を飛び退く羽目となっていた。

 側宙を切って脚、両手の順に地面を咬ませる。立ち位置が良い。クシャルダオラが此方を向く前に ―― ヒシュは体勢を整え、力を十分に溜めてある両手両足で地面を蹴った。諦めず。今度は此方が驚かせる番だとばかりに。

 敵の後方。振るわれた尾を突き出した紫の脚甲で受け流し、反動で投地した手足を撥ね退ける。クシャルダオラが左旋回。脚爪、前脚、牙の連撃を立ち位置を調節しながら範囲外へと誘導し。

 旋回しきった目前にクシャルダオラの大きく開かれた顎、ぞろりと居並ぶ牙、そして最大の武器である空砲を吐き出すための……口内。傷を付けるのがやっとの甲殻(そと)ではない、柔らかな(なか)が露呈していた。

 

「んっ!!」

 

 左に握った『呪鉈』を思い切り振るう。口腔内の粘膜を傷つけた手応えと同時に、青色の粘質な液体がぶちまけられる。異常を感じて口を閉じたクシャルダオラに、追撃。更に身を捻って背負っていた中型の『骨棍』を内部を攪拌する様に側頭部へ叩き付け、足刀を角に入れ、蹴り脚を目に被せ……クシャルダオラの顔を足場に、数歩距離を取る。

 ふうと大きく息を吐く。場所を入れ替え正面に対峙したクシャルダオラは瞼を開くと、外骨格に異常がないことを確認するように首をじゃりぃと小さく振るう。どうやら、此方を感心した様子(・・・・・・)で眺めているようだった。策を破られたというのに反撃までして見せるとは、といった所であろう。

 感心した様子、というのはヒシュの所感であるが言葉にするのは難しくない。巫女の休憩をと動いた矢先に急襲したこのクシャルダオラの「此方を排除しようと言う意思」は、あわよくば。値踏みするより害意は強く、しかし全力を費やす訳ではない。そういう心算である。

 じゃれ合うでもなく。こうしたある程度本気同士のぶつかり合いを繰り広げ初めてから、既に半刻が過ぎていた。吹雪で陽は見えないが沈み始めている頃合いであろう。遭遇と同時に逃がした巫女君と守り人シャシャは、疾うの昔に(予定していた場所よりもひとつ上の)隘路の先に設営された休憩場所まではたどり着いただろうか。

 

 そして意識を逸らした間へ間髪入れず両爪が入り込み、そう来るだろう(・・・・・・・)と予測していたヒシュが受け逸らす。

 

 そう。地を抉り岩塊を砕く膂力で持って振るわれた爪を、矮小な人の身でかちりと受け流す事が ―― 適う。

 ヒシュも齢19を迎え、筋肉と体格が年齢と性別相応に追いついて来たとはいえ、相手は古龍。思考が……思惑が読めている。繰り出される手が読めれば初動も早い。これ程の攻撃を確実に処理出来ている理由は、間違いなくこの点にある。

 予てからモンスターの行動を先読みする事に長けていたヒシュではあるが、それにしてもこのクシャルダオラは「親和性」とでも呼ぶべき物が高過ぎた。何せこうして命の削り合いをしながらも、会話を重ねているかの様な感覚を覚えるのだから。

 会話。いや。意思の疎通、と表現するのが適切か。

 意思だと仮定して。

 

(これって……ジブンに……興味がある? でも……)

 

 此方を ―― ヒシュという個人に興味を持っている。だからちょっかいをかけている。信仰のない学者連中に「ロマンチスト」の付箋を貼られ、一笑に付される感。

 確かに鋼龍……クシャルダオラとは、攻撃性の強い種であると(遭遇数の少ないなりに)認識されている。ノレッジが密林で遭遇し、ドンドルマにおいてダレン、リンドヴルム、グントラムらの協力を得て討伐を果たした鋼龍も、テロス密林においては手当たり次第の大型モンスターに喧嘩を売り、退けていたらしい。そういう気性の生物であれば、ただ歩いていたヒシュらを襲うという事態も十二分に在り得る話。

 だが巫女が祈祷場を置くこの雪山は、青の一族が数十季もの間根城としている場所だ。哨戒員も足繁く巡回しているが、ここ数か月は大型生物の捕食痕や足跡も確認されておらず、小型生物の縄張りの移動も確認されていない。特に小型生物の移動は古龍の到来の予兆として決定的なもの。だとすればこの山頂近辺がクシャルダオラにとって縄張り……もしくは脱皮のための場所であるという可能性は低く、この襲来は唐突な物である筈。ならば、ここで、クシャルダオラの側から手を出してくる。遭遇したばかりの、縄張りではない場所に居た、特に敵対行為もしていない相手を。しかも極めつけに「排除するという意思は殆ど持たず」というのは ―― やはり。

 ふと、テロス密林での黒狼鳥の狩猟が思い出される。脳裏にはっきりと結ばれたあの像は、間違いなく黒狼鳥の経験そのものであった。鬩ぎ合うやり取りを重ねた先に見えたあれらは、今の感覚をよりはっきりとさせた物だ。

 それら経験を鑑みても……重ねて、やはり。

 クシャルダオラが、ヒシュの強さを、試す。能力を知りたいと、願う。そんな理由を否定する材料が、ここには見当たらない。

 好奇。興味。……それはまるで。

 

「……ォォ゛キィ゛」

 

「……」

 

 地面を抉る爪を引き抜き、一足に飛び退く。後退した場所で、クシャルダオラは足を止めた。首を擡げ、四肢を突き、羽を畳み。薄くなった害意に応じて吹雪が段々と収まり、傾きながらも辺りを薄く照らす陽光が、空の端から雪原へと差し込み周囲を赤く染め始める。

 端から眩く(・・)、陽の色に逆らわず赤く(・・)照らされてゆくクシャルダオラ、その身体。『引き鋸』や『砲撃槍』を使い捨てて得られた棘や突起の欠け。口内に毒の苦さと、血流に乗った毒の痛みと、脈動に呼応して身体を幾重にも襲ってゆく倦怠感と。

 それら反撃の成果の跡は見られるが。

 

 陽光がくっきりと顔を出せば、しかし堂々と首を持ち上げる威容には微塵の翳りもなく。

 その極冠には陽光と見紛う白金が纏われ ―― 広がり。金属質の外骨格までもが、一片のくすみもない白銀色に染め上げられていた。

 

(銀の嶺を、冠るどころか、それそのものと化した龍。……銀嶺龍って、呼ぶとして。……亜種? ……んん。古龍は塗りつぶす側。地域や植生くらいじゃあ、動じない気がする)

 

 真っ直ぐに伸びた喉元。その細かく重なり合った外骨格からは小さく呼吸をする度にじゃりじゃりと、鉄と鉄とが擦れる様な音が鳴る。

 銀嶺龍が属する「鋼龍」という種は本来、動いただけでは体から金属音など響かせはしない。あるとしてもそれは(近年遂に判明した)身体が錆び付き脱皮の機会を待っている間の状態……「風翔龍」における一時的なものであって、銀嶺龍には当て嵌まらない。

 それら特異性を成す理由は、思い浮かぶ。

 

(銀嶺龍の、年季に寄るもの……?)

 

 クシャルダオラという個体は、その硬質で鋼に近い特性をもつ身体を、脱皮を重ねる事で成長してゆく……の、だろうと、王立古生物書士隊や古龍占い師達によって予測されている。身体の構造としては甲殻種などと同様の外骨格に属し、尚且つ鎧の様に継ぎ合わされた流麗な関節が龍としての柔らかさをも体現するのだそうだ。

 その点が「銀嶺龍」と「鋼龍」との間にある個体としての違いといえよう。

 夥しい年月を重ねた銀嶺龍の間接の節々は嘗ての形を保てず磨り減り、尖り、従来の滑らかさを失う。擦れた間接が錆び付きとはまた別の構造的な問題によって軋む事で、体動の際に不快な音を発するのだろう。

 では「銀嶺龍」と「風翔龍」との違いは何か。体色以外の、その理由。

 ヒシュが銀嶺龍と称したこの個体の観測資料は、少なくともヒシュがここフラヒヤを訪れる前の市井においては存在しなかった。そのためこれはもはや妄想でしかないが、錆び付いた音を発するほど年月を重ねた風翔龍は、脱皮を行うことで皮膚を新調する。 ―― しかしそこからさらに年月を重ね、皮膚そのものの寿命が「もはや脱皮できない、或いは脱皮した直後の皮膚ですらも痛んでいる程に劣化し、金属の質も代替しようが無い程に変化してしまった」のが、銀嶺龍の白質の鋼皮と骨格なのではないか。ヒシュはそうあたりをつけている。

 現に鋼龍の外骨格の端々……最も劣化が激しいであろう突起部や棘の先端などは、白く変質している様子が確認されている。()級と呼ばれる中でも特に強大な鋼龍に特有の部位である『銀嶺の冠』などは、その白質化の最たるもの。劣化と成長を一緒くたには出来ないが、いずれにせよ、変色した部位は鋼龍にとっての「年季」であると考えられる。

 とはいえ挙げたそれら一例は体の一部、一部分である。

 だとすればこの全身が白色化したクシャルダオラの年季など、如何程のものとなるのだろうか。想像すらも付くはずのない、途方もない年月を積み重ねてきた事だけは、判るものの。

 皮膚は骨格と密接に一体化し、老朽化した関節は音を立てるほどに軋むとはいえ、擦り減っているが故に滑らかに動く。一応の説明はついてしまうのである。

 

(……でも、それは……)

 

 そう。だとするとこの銀嶺龍は、歴戦という二つ名すらも飛び越え、老齢な(・・・)と言い表すのが相応しい事になる。

 

「ォォ、グ」

 

 長考に耽っていたヒシュの前で、銀嶺龍(クシャルダオラ)が中空から視線を戻す。

 首を ―― 目を。その内を此方に見せる。

 瞳の奥へ、一瞬で引き込まれていく錯覚。

 

 

 ―― 剣の蛇、聖堂とは名ばかりの悪辣さを諫めん、白亜の流星で貫き何処。

 

 空を征く銀嶺龍の姿が見えた。

 肩越しにぶれるその視界。乾燥帯……砂漠の中央に広がる広大な建築物が、空を滑り中央に突き立てられた白地の落下物によって、砂の渦に飲み込まれてゆく様 ―― を、見届ける。

 

 ―― 拘りは無く。三日月の角竜に彼の地を譲る、起きた汝は郷愁のままに生地を目指す、かつての生地の賑わいに耳を(そばだ)て。

 

 今度は乾燥帯を抜け、辺り一面の雪景色となった。雪山の中腹に作られた村に、沢山の人々が行き交うのが見える。見覚えのある景色が鮮やかに変わって行く様 ―― を、少しの間見届ける。

 

 ―― 人が世の広さ、思い知り、しかして布告に従う術無し。

 

 棍棒と虫を扱う人を追い回し、見失う。知恵持つ人の小狡さとでも言い表すべき在り方に心躍らせ、微かに嬉しく思う。踊るように跳ねる、今は遙かなその後ろ背 ―― を、見届ける。

 

 ―― なれば託し、退く。数多命が待ち望みしあるがまま。何れは汝、彼の王の下へと馳せ参じるべく。

 

 数多くの物語を見届けた。その為の生涯だった。

 ただ、そこには諦めも、ましてや悲観も無い。当然である。自由を得たこの身。胸元に抱くのは「これから」に期待する、嬉しさである。

 

「……!」

 

 はっとした心持ちで、ヒシュは踏み込んでいた右脚を後ろへ戻す。

 見ていた光景が急速に遠ざかってゆく。

 

「今の、は」

 

 そして、銀嶺龍の目前に立ち戻る。

 静かに佇み威容を纏うその姿に、気付く。

 生気に乏しい。全身に血を巡らせる心拍の機能が劣化しているのだ。

 視界が遠い。水晶体は経年劣化により混濁し、引き絞る眼筋は固くなり始め。

 息が薄い。肺や空砲を吐き出す為の器官が、それらを包む膜が、積み重ねた年月に疲れ果てているのだ。

 じゃりじゃりと叫ぶは身体。虚ろを孕むは瞳。今の銀嶺龍を動かしているのは、生物側の観測者としての役目を背負い続けた果て ―― 傍観の念であるのだと。

 

 そして、気付く。

 目前此方を見つめる龍は、ヒシュを識る者。

 彼こそがかつてジョン・アーサーを追い回した「白質の鋼龍」そのものであり。だからこそ子の行く末を見据え、見届け、託すために此処へ立ち寄ったのだ。残された少ない時間の中に在りながら、彼にとっての生地……故郷でもあるここフラヒヤに脚を伸ばしてまで。

 この龍もかつての未知と同様に、ヒシュを待っていた物。そういう事なのだろう。

 

「あっちへ、征くの?」

 

 ヒシュが傾ぐ。龍の返答は無い。

 擡げた首をすいと伸ばし、じゃりぃという掠れた音を響かせ。未練は濯いだとばかりに空を仰ぎ ―― いつしか龍は南方へ一筋、白い流星となって滑り落ちた。

 フラヒヤの山々は旧大陸の東に位置している。其処からずっと南へ下れば何れ、昨今調査を始めたばかりの未開の大陸が見えるとされている。シキ国の冒険者によって(近年進展の著しい古龍の調査に伴い)発見された彼の地は、古の龍が海を渡ってまで身を寄せる摩訶不思議な場所であるらしい。幾許かの物語を見届けた後、恐らくは銀嶺龍もその場所へと赴くのだろう。

 

「……ああ」

 

 そして、そして……末尾。

 最期までを見届け、視線を下ろす。ヒシュの目前にはあの龍から託された(これ)が在る。

 ジブンは試されつつも、つまりは此処へ案内されていたのだと気付く。

 囲み聳える白銀の地肌にぽっかりと、深い穴。深淵の底。天を覆う白のフラヒヤを貫く、暗き孔。

 

 其処に ―― 闇に溶けるが如く、黒く巨大な槍が突き刺さっている。

 

「ああ。これは当たり、カモ。巫女君の託宣に、感謝しなきゃね。南無南無」

 

 茸豚の被り物の狩人が両の掌を合わせ一礼。

 総じて気の抜けて統一されない感謝の造作を終えると、一先ず。

 野営地で待つ従者と巫女君に事の顛末を伝えるため、今来た道を駆け戻っていった。

 

 

 

 

 

 かくして時代は接がれ、継がれてゆく。

 次なる舞台 ―― フラヒヤの地。

 幾重にも被さる吹雪の幕は、今まさに開かれようとしている。

 

 

 





・銀嶺の冠
 クシャルダオラのレア素材。
 割と余る(暴言。


・かの大陸
 新々大陸、モンスターハンターワールドの舞台。
 本作ではとりあえず、大全の地図に示されていない大陸と仮定してある。

・モスフェイク
 茸を主食とし背に苔を生やした豚、モスの頭部を模した装備。
 かつてはジョークグッズだったが、近年「キノコ大好き!」というスキルを発動できる装備として定着し、秘薬や強壮薬をかなり節約・増強できる有用な装備に変貌した。
 色変更では目の色が変わるため、虹にすると地味に光って不気味。


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□■ 人物紹介(etc) ■□

 主にオリジナル人物の解説、作中主要人物のネタ解説などをメタ的な視点から行うための項目です。それ以外の所などには軽くしか触れていません。
 読まなくても作中の理解に問題が無いよう構成出来ていれば私としては嬉しいですが、そんなことはないでしょう(ぉぃ。
 2章へのあしかけに、暇つぶしにでも目を通していただければ幸い。

▼名前(設定がある場合は年齢)→(2章開始時の年齢)
 出展元がある場合は明記。
▽作中で意識して設定しているスキル


 

 

 

 □■□■□■□■□■

  主要人物

 □■□■□■□■□■

 

 

 

▼ヒシュ(16)→(19)

 本作の主人公。大陸南洋(ガラパゴス辺り)のアヤ国、奇面の民出身の男。

 本作突入前は「新大陸」において、それなりの地位を持っていたハンター。人間でありながら、奇面の民(ゲームでいうチャチャブー、チャチャ、カヤンバ達が属する種族)として育てられた経歴を持ち、ほとんどを木彫りの仮面を被って過ごしていた。

 彼が自分で選ぶに至ったヒシュという名は旅に出る際、実質の親とも言うべきアヤ国の『四つ巴の部族』の長のひとり『奇面の王』に付けられたもの。なのだが、仮名を使い回しすぎてあまり思い入れが無かった……ジャンボ村に来るまでは。

 主要武器は、双剣というよりは、片手剣の二刀流。1章では体格に難があり、刀身の長い物や重い武器は機動力を削ぐため使い捨てる傾向があった。

 養子とはいえ旧大陸の戸籍上は性もある。フルネームはヒシュ・アーサー。

 

▽力の解放/本気

 闘魂/挑戦者

 調合師

 錬金術

 一閃

 心眼

 気配(マイナス)

 ハンター生活(地図常備+釣り名人+肉焼き名人)

 

 

▼ネコ(人間換算16くらい)→(22ちょいぐらい)

 本作のヒロイン。デデ砂漠の最奥、ネコの王国出身。原作キャラ、子細は次章。

 ハンターのお供を務めるアイルー、『オトモアイルー』の実績を積むためのテストケースを務めている雌獣人。アヤ国は『四つ巴の部族』の長のひとり『子子の王』のひとり娘である。ネコの王国で研修をしていた所、ヒシュのお供として呼び戻された。色々あって種族を超える友人となったヒシュには厚い信頼を寄せている。

 ネコは本名。ゆるやかな弓なりにぴんと張った髭は同性アイルーの羨望の的で、異性アイルーの輝やける星でもあるが、眼中に無い。

 主要武器は小刀と投擲全般、罠やスリングなどの小道具、バリスタや大砲などの工匠兵器。四つ足での動作を隠すためポンチョの様な外套に身を包んでおり、搦め手が上手い。

 

 

▼ノレッジ・フォール(16)→(19)

 王立古生物書士隊、三等書士官。王都リーヴェル出身。1章の副主人公。後ろ髪では無く、顔の横で三つ編み。

 糞便収集係だったが、ハンターとしての資質を見いだされて転属。隊長であるダレンに連れられてテロス密林を訪れた所、ずぶの素人だのに怪鳥襲撃、未知遭遇、特訓色々、砂漠魚竜、砂漠灼角、銀一角竜からの未知討伐と1年間で凄まじい連戦を強いられた少女。命の危機に晒されつつも、おかげでハンターとしてめきめきと頭角を現した。一般的な新人と比べても群を抜いて感覚が鋭く、目が良い。

 作中一章の最後においてハンターランク6、二等書士官にも昇進した。ハンターとしての比重が高かったせいでか、文章はまだまだ。

 主要武器は重弩。ヘヴィボウガン。

 出展はハンター大全、オオナズチの要項から。

 

▽飢狼(スタミナ最低値の際に、クリティカル率がアップ)

 精神力/一心(生肉を食べられる)

 ランナー

 耐暑

 ハンター生活

 

 

▼ダレン・ディーノ(22)→(25)

 王立古生物書士隊、二等書士官。メタペタット出身。

 現役の行動派書士としては最上位の位であったためロンに目を付けられ、未知が居ると思わしきテロス密林に遠征させられ、しかし思惑通りに事を完遂させた名実共に隊長に相応しい実績を挙げた人。ハンターとしては中堅だが、書士隊の業務に比重を割いていたため「3」というランクは飾りに近い。ノレッジの成長を頼もしく思う反面、自らのハンターとしての実力不足を心苦しく思っており、ドンドルマで修行に打ち込むことで一定の成果を得た。

 割愛されている部分も多いが、植生、観察、調査、そしてそれらの報告といった部分においては部隊の中で最も活躍していた。書類仕事や管理業務も手慣れており、事後の収束が早かったのは間違いなく彼の手腕である。

 武器は当初片手剣、ドンドルマでの修業を経て大剣に持ち替えた。大剣を楯として使う頻度が高いため、比較的修復が容易な竜骨の大剣『竜の(あぎと)』を選んだ。

 1章末尾にて、未知の狩猟という成果やドンドルマでの評判の良さ、行動派の書士隊員の少なさといった様々な事情から一等書士官(大部隊長)に昇進した。高官だが、書士隊でしかも現地派なので仕事の内容はあまり変わらない。

 出典はハンター大全、クシャルダオラの項目など。古龍の章全体の編纂を務めたと思われる。

 

▽集中

 金剛体(各種受け身)

 

 

▼ライトス(22)→(25)

 四分儀商会の隊長。ジャンボ村に資材を工面するための依頼を多数発注した。ヒシュがそれをこなすことで村の発展に寄与しつつ、旧大陸の鳥竜種についての経験を積んでいた。

 ジャンボ村に駐在している訳ではなかったが、未知の狩猟が成された報告を受けた際は大喜びしていた。

 

 

▼パティ

 原作キャラ。ジャンボ村酒場(ハンターの依頼窓口(クエストカウンター))の受付嬢。ゲームと小説版で性格が結構違う。本作は強気。

 ハンター大全内でジャンボ村村長に何かしらの恩義を感じていると思われる挿絵があり、開拓したての村にギルド公認の受付嬢が居るのは恐らくその辺が関係している。

 恩義か、友誼か、はたまた。お祭りムービーなどで村長と再会している姿を見かける事ができる。

 

 

▼ジャンボ村の村長

 原作キャラ。鼻の高い竜人族の青年。竜人族は合理的で思慮深い人種であるとされていて、彼のように好奇心に満ちた人物はいわゆるアウトローであると思われる。

 ナンバリングタイトルである「モンスターハンター4」に登場したシキ国のシナト村は彼の故郷であり、うり二つのシナト村村長は彼の弟である。シナト村それ自体も竜人族としては少数派かもしれない。

(……とはいえ竜人族が合理的云々は最初辺りの設定で、最近の作とかを見る限り世代の若い竜人族はこんなものなんじゃないかなぁ、とは思いながら書いております。裏方してるのもお年を召した方が多いですしね)

 

 

▼リー(17)

 砂漠地帯に在る最大の集落、レクサーラ村のハンターズギルド受付嬢。

 ラーという義姉と、ルーという実妹がいる。

 作中1章ではノレッジ・フォールが大変お世話になった。主に書類仕事で。

 師匠に似てかなり無理をするノレッジを心配している。

 

 

▼バルバロ・シェパード(32)

 レクサーラに在る猟団もどきの団長。ハンターランク6の凄腕大剣使い。

 妻とは5~6年ほど別居状態にある。

 

▽抜刀術

 

 

▼クライフ・シェパード(16)→(19)

 バルバロの息子。ハンターランク3の槍使い。

 楯を使った防御的な立ち回りを得意とする。

 どうにもならない事やとんでもないハンター達を目の当たりにして、よく悪態をつく癖があった。

 悪癖をやめる努力はしている。

 

 

▼ウ・ヤンフィ(26)

 バルバロ率いる団の副団長。ハンターランク4の機動力に長けた片手剣使い。眼鏡。

 クライフの事は憎からず想っている。

 

 

▼フェン・ミョウジョウ(60超)

 ハンター達が教習所で教わる主流の流派の元頭目。引退しているが、ハンター黎明期を支えたランク7のモンスターハンターだった。

 老年を迎えてからも有事には現役で、大剣使いから太刀使いに偏向。隠居しつつ太刀という武器種の普及に努めた。

 ダレンがヨウ捨流の修行を受けた際、師を務めた。

 作中1章末、嵐龍の撃退と相打ちに命を落とした。

 

 

▼セネカ・ミョウジョウ(14)→(17)

 フェン・ミョウジョウの孫娘。

 一章閑話②でハンター登録をし、何処へと修行の旅に出た。

 

 

▼フシフ、カルカ

 セクメーア砂漠の「橙の村」で生活していた番いメラルー。

 ノレッジに救い救われたのを機としてハンターズギルド勤めのメラルーとして志願。作中1章の最終決戦で後方支援として駆けつけた。

 立場的には作中キャラが予想した通り、ハンターズギルドの工作員。ロンの直接の管轄下にある。

 

 

 

 □■□■□■□■□■

  師匠's

 □■□■□■□■□■

 

 

▼リンドヴルム・ソルグラム(32)

 ハンターランク7の大剣使い。現役では最も有名で高名なモンスターハンター。

 特定の猟団の長という訳では無い。現在はドンドルマで陣頭指揮を執る事が多い。

 かつてのヒシュの師のひとりであり、作中ではダレンの大剣の師も務めた。

 愛剣は(G)級ディアブロス特異固体らの角を継ぎ合わせた角王蒼大剣(あーティラート)

 

 

▼ペルセイズ(29)

 ハンターランク7の双剣使いで空中剣技を扱う。《根を張る澪脈》の団長。ギルドナイト。

 何かと有事に駆り出される斥候肌の猟団の団長で、ノリが軽く、暗躍が得意という神出鬼没の男。

 作中ではダレンの指揮術に関する教導を務めた。

 

 

▼モービン

 出展はモンスターハンターフロンティアから(ただし性格と名前以外はねつ造)。ペルセイズの愛猫、兼、相棒。《根を張る澪脈》の副団長。

 腕の立つお供アイルーで、ネコとは旧知の仲。好きな物は女で、よくよく気障な台詞を放つ。

 

 

▼ハイランド・グリーズ(23)

 ハンターランク7の弓使い。かつてクルプティオス湿地からヒンメルン山脈周辺にかけての地帯を根城としていた遊牧民の出で、疎開と共に部族を離れてハンターとなった。

 記録上初めての古龍討伐を成したためそれなりに名は知れているが、人前に姿を出さないので顔は知られていない。

 現在はネコの王国専属の人間ハンター。ヒシュの師で、作中ではノレッジの介抱と教導も務めた。

 装備はラオシャンロン一式の事が多い。作中で身に纏っていたのは龍弓【天崩】、【艶】一式。

 自ら以外のパーティーはオトモアイルーばかりで、タチバナ、ペルシャン、レイヴンが筆頭である。

 

▽オトモ指揮官(采配+号令)

 集中

 豪弾

 精神力(集中+お肉大好き)

 扇射

 装着(装填数+装填速度)

 

 

▼タチバナ、ペルシャン、レイヴン

 タチバナ……語尾から。アイルー間の現地リーダーで図書館書士。妹。属性過多。

 ペルシャン……ですわ。きっと尻尾が縦ロール。白。毛並みが美しい。

 レイヴン……槍と飛び道具、真っ白のほっかむり。多段ミサイルは撃たない。フルネームは多分ラスト・レイヴン。

 

 

▼グントラム

 作中未出で名前だけ登場。《轟く雷》の団長。ハンターランク7の大槌使いで、ヒシュの師。ダレンの体術の師も務めた。

 よくグントラム叔父と呼ばれる。

 

 

▼ギルナーシェ

 ハンターランク7の槍使いで、ヒシュの師。

 元は王国勤めの国営狩猟団《鉄騎》の副団長であったが、団長の失踪に伴い解体。有志の者だけが集まり名前を受け継いだ傭兵猟団《鉄騎》の団長を務めるが、本人は未だに副団長であると固持する。

 作中ドンドルマでのダレンの啖呵には割と感心していた。

 

 

▼ギュスターヴ・ロン

 現在の筆頭書士官(一等より上、1名のみ在籍)。ドンドルマに在住し、引き籠もり派と揶揄される書士隊の一派の頭。

 ……と目されているが、本人は引き籠もりばかりが傾倒した今の書士隊の環境を改善したいと思っており、ダレンを重用した。

 何かと陰謀を巡らせる。脳内イメージがほぼペイラー榊(スターゲイザー)さん。

 

 

▼ジョン・アーサー

 かつての筆頭書士官。ヒシュの師にして、親代わりの人物。本作では操虫棍のさきがけ的な武器を使用。

 旅の途中、ヒシュとネコと姫君を残し、密林の最中で行方不明になった……と記録されている。本作では、実際には生きている模様。

 出展はハンター大全。

 

 

 

 □■□■□■□■□■

 >>>>そのほか(人物)

 □■□■□■□■□■

 

 

▼シボシ・アラカミ

 ダレンのドンドルマ会議編にて。顔出しのみ。

 古龍占い師の中核を勤めるオババ。

 口癖はふぇぇぇ。

 

▼ロード・ミナガルデ

 ダレンのドンドルマ会議編にて。

 マーキス・オブ・ミナガルデ。ミナガルデ卿。本名はアレク・ミラ・ギネス。

 ハンターズギルド発祥の地ミナガルデを取りまとめる貴族で、王国の猟団《遮る緑枝》の盟主。

 世評は無私とまでは言わないが公平で、貴族にしては王国民らしくなく庶民や世情への理解があり、猟団の盟主とミナガルデギルドの代表を務めるだけあってハンターという職の重要性についても認識が深い、よき為政者。

 黒色が好き。

 

▼ヒノエ

 ダレンのドンドルマ会議編にて。

 《轟く雷》の副団長。顔見せのみ。

 

▼ケビン、ソフィーヤ

 ノレッジの砂漠編より。

 ドンドルマギルドセクメーア砂漠第五管轄地(フィールド)に遠征する際、書士隊の人員として一時的にノレッジ臨時二等書士官の傘下に収まり調査に帯同した三等書士官の男女。恋仲である。

 

▼サー・ベイヌ

 ハンター大全より。

 作中では1章最終決戦の、ヒシュがイグルエイビスを見た時の所感の中で、名前だけ登場。

 貴族位を持ちながらハンターも務める奇異な経歴の書士隊。絵が得意……むしろ、話を聞いているだけなのにあれだけのモンタージュが書けるとなると、そういうレベルを大きく上に逸脱していると思われる。

 

▼ジンガ、フソウ

 閑話①、月刊狩りに生きるの編纂者。

 

▼シャシャ(20)

 閑話③で登場したハンター。ランクは3。

 青の部族の雇われハンターで、星聞きの巫女の専属の護衛を務めている。

 詳しくは次章。

 

▼ジェミナ

 ダレンのドンドルマ編より。

 王立武器工匠の頭領。名前だけ登場。

 

 

 

 □■□■□■□■□■

 >>>>そのほか(語句)

 □■□■□■□■□■

 

 

▼気炎

 スキルのこと。

 

▼四つ巴の部族

 1章終話、元筆頭書士官の手記より。

 独自設定の語句。アヤ国、ヒシュの生まれた部族。

 

▼メシエ・カタログ

 ノレッジ砂漠編、閑話①より。

 「メシエ・カタログ」という名のハンター向けオーダーメイド防具を作成する同人冊子、またはそれを務める覆面職人集団を指す固有名。

 とても綺麗で、頑丈で、芸術的な防具を作る事で名を馳せた。

 作中既に活動を中止している。

 

▼引き籠もり派、現地派

 書士隊の派閥の事。引き籠もり派と書いて「ロン派」と読み、現地派と書いて「アーサー派」と読む。

 ハンターが黎明期を抜けるに連れて、現地に派遣される書士隊の仕事も裏方が多くなり、モンスターと相対する割合は必然的に減少した。そのため書士官の働く部門によっては、時代の流れと当時の筆頭書士官の動き方の違いになぞらえて、このように揶揄される事が多い。

 (実際には部隊による。1章作中未知の討伐以前の状態では、現地には派遣されるとしても、モンスターと実際に対面するような……ハンターと狩り場でも綿密に協同をするような動きをする部隊は、ダレンの部隊ともうひとつかふたつ程度と勝手に設定)。

 尚、書士隊内での対立は(ハンター大全の内容やゲーム内のフレーバーテキストにこういったものが想像は出来る内容があるとは言え)二次創作。

 ちなみにフレーバーテキストの内容でこれらが想像できる最たる物は上記ジョン・アーサー関連のもの。具体的にはポータブル2ndGのトレジャーや、2ドスの古龍の書、フォンロン周辺のアイテムなど。

 

 





20190102
 グントラムの使用武器を間違えていたため修正。
 双剣 → 大槌。


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≪ 剣鎧の章 ≫
第一話 物語


 

 積もる雪。山間に渦を巻く風。堂々と聳えたる白の山々は、あるがままに形作られた自然そのものである。

 肌を貫く寒気と、身体の芯までを冷やし込む寒気と、肺を焼く寒気。そのどれもがこの地を表す特徴であり……種によっては外敵を退ける壁とも成る。故に生物は遙か北の地フラヒヤにまで手を広げ足を伸ばし、生息域を広げてきたのだ。

 

 陽は中天を昇り切り昼間。日の恵みを映して眩しい山脈ら……その内のひとつ。

 ずしん。山肌にぽっかりと穿たれた洞窟から破砕音が響き、辺りを揺らした。

 粉々に砕けた石が散り散りに。もうもうと土煙が巻き上がり、雪に覆われた斜面を小さな雪玉が転がり。

 そこから ―― 洞穴から、両手で鉱石を抱えた人間が飛び出してゆく。

 

 出口にして入り口、山肌に開いた洞窟。人間は速度を維持したまま境にがつりと楔を打ち込むと、内から外へ駆け抜け、勢いそのまま斜面を滑り落ちた。

 人間 ―― 青年は久方ぶりの眩しい陽光に目が眩みながらも、楔に繋いだ減速の為の綱を手放さず。手に持ったマカライト鉱石の原石は斜面に放る。鉱石はいつしか雪玉となり、山道を駆け抜けて谷間にまで落ちてゆく。

 鉱石に遅れて暫し。青年も山道に到達した頃合いで減速し、命綱を外す。山道の足場が戦闘に問題ない事を雪を踏みしめて確認し終えると、体勢を整えながら背中の得物に手を伸ばした。

 茶色の髪を短く切り揃え、馴鹿(ガウシカ)鹿(ケルビ)の合皮によって縫われた皮鎧を纏う青年。この皮鎧はフラヒヤの地で広く親しまれ「マフモフ」と呼ばれる防具で、見た目の通り寒気の強い地域における活動に長けた物。狩り場に籠もって調査や活動をする場合に可動性や取り外し易さ、軽量さなどといった頑強さ以外の要素が必要となる。特にフラヒヤにおいてはよくよく見かける、汎用性に優れた防具。それがマフモフである。

 青年は背中の得物を握りながら周囲を見回し、自らを追い回していた生物の気配を探る。

 気配。足下……しかしこれは目当ての物とは違うか。そう考えると同時、数歩横の雪下を蹴破って、小さな身体の獣人が顔を出した。

 

「―― ダレン! 転がってった鉱石は現地協力者に回収を依頼、洞窟の採掘点は後追いの4人にマッピングを要請、周囲の旅客と商隊への退避お知らせ、どれも(つつが)なく終了! 囮役、ご苦労だニャ!!」

 

「ああ、ありがとう! カルカ!」

 

 青年 ―― ダレンが報告に小さく頷く。

 カルカと呼ばれた黒毛の雄メラルーは返答を受け、その身を振るって雪を落とす。ダレンを膝丈辺りの高さから上目に一瞥。現在の主である彼に従い、緋染めの外套の中で木製(どんぐり)の槌を握りしめた。

 

「……ところで、怨敵(アイツ)はどこ行ったニャー?」

 

「先の洞窟という環境は、大型生物にとって動き易いとは言い難いからな。私達が採掘していた場所……襲撃された地点は大空洞の近く。だからこそ向こうも襲うことは出来ただろうが……まさか隘路を無理矢理に破壊しながらまで、追ってくるとはな」

 

「ふんす。まったく、しつこい奴だニャぁ!」

 

「私達は久方ぶりのタンパク源なのかも知れん。それにあの種は気性が気性だ……」

 

 彼らは辺りを油断なく見回しながら、小さな声でやり取りを交わす。

 斜面を登る強い風に紛れて音は聞き取り辛いが、あの巨体だ。音の質までを聞き分ける必要はない。音の大小にさえ注意を払えば十分であろう。例えば雪を踏みしめる音、地面を踏み鳴らす音、周囲の障害物にぶつかる音。

 

 ―― 逆風に乗って、空を切る音。

 

「敵影確認っ! ……上だニャっ!!」

 

「了解……むぉっ!?」

 

 あげられたメラルーの声を信じ従い、ダレンは飛び退く。

 ひと呼吸あるかないかの間を挟んで、堅く踏みしめられていた山道の雪をあらかた捲って吹き飛ばすほどの質量 ―― 陽光と見紛う黄色の巨体が降下した。

 降下。鋭い爪先。目前の雪が割れ飛び散り、舞い上がる。

 ますます白い視界を腕で覆って保ちながら、ダレンは前方の生物を確認する。

 

 小さな耳をぴくりと動かし、其れは振り向く。

 四つ足を地に根ざし這う竜だ。特に肥大化した前脚に広げていた皮膜を折畳み、吹き付ける風にも靡く事無く悠然と周囲を見回す。

 陽光に照らされて尚浮き立つ黄色(けいかいしょく)の皮と、裂く様に走る青の虎模様。そして赤く怒張する腕の血管。滑空するには十分と割り切って退化した翼。代替に地上での強大な移動力を得た太い翼脚、堅い爪。その爪で岩をも砕く膂力と腕力。突き出された2本の翼脚の間に覗く頭部には、獲物を微塵に噛み砕く強靱な顎と細かく鋭い牙が生え揃い……その眼に(ダレン)を認めるとがちんがちんと歯を鳴らし、威嚇する。

 轟竜、ティガレックス。生息域が極めて広く、餌を求めて大陸中を徘徊する飛竜種。その気性は獰猛の一言に尽き、他者の縄張りに侵入する事を全く厭わず、生態系を乱す恐れの強い……人の世に驚異を与える可能性の高い種族としてハンターズギルドなどに要注意観察されているモンスターである。

 

「余所様のとこばかりを荒らしといて絶対王者とはまた、大層なお冠ニャ?」

 

「危険度と生物間の力関係はまた、別物なのだからな。では ―― 来るぞっ!!」

 

「……ルル、グリォォォォーーーーッッッッ!!」

 

 此が獲物と見定める猶予は十分とばかりに顎を鳴らし、咆吼を轟かす。

 開戦と同時、ティガレックスの両足が激しく交互に前後する。地面を削る勢いで、全身を叩きつけるべく、猛進。

 これを見たダレンは、背の得物を強く握りしめた。カルカが大きく横に飛び退いたのを確認し。

 

「ヨウ捨流が末席、ダレン・ディーノ。お前の獲物を務めよう……!」

 

 すらりとした金属音と共に、『斬破刀』を抜き放つ。

 狙うは交差の隙。突き出されるであろう左前脚を見計らい袈裟斬り、斬り下がり。轟竜の猪突を僅か横に逸らし、反作用で自らの身体を横へとずれ込ます。

 どしどしと圧雪を割り迫る巨体。鋭い顎。激しい爪。熱い吐息。両脚に赤く灯る脈動 ―― に紛れて刹那、雷が鳴り轟いた。

 

「グゥゥ、ゴオッッッ!!」

 

「まだ来る。そうだな、まだ来るか……!」

 

「加勢するニャア、ダレン!」

 

 ダレンは再び吐息を整える。轟竜は躱された先で脚を我武者羅に動かし反転。ダレンらを再び射程に捉えていた。

 強く激しく動き回る轟竜に、ハンターは立ち向かう。雪に覆われた山道は狭いが、轟竜の動きを制限する程ではない。その狭さはむしろ、縦横無尽に雪上を奔る轟竜を優位に立たせ、ハンターとお供の動きを阻害する。

 轟竜が三度、突撃。ダレンが斬り流し、カルカが飛び退く。

 白色の画板の上に人ひとり、獣が1匹、竜が1体。岸壁と眼下の絶壁とに挟まれた隘路……その先で、轟竜が再び前後を入れ替える。

 

「―― カルカ」

 

「なんニャ、ダレン!!」

 

 ダレンが轟竜の巨体をすんでの位置ですれ違わせながら、背後の相棒に声をかける。

 どしどしと足下を潰して這う巨体を前に。

 

「私の部隊は採掘点のマッピングと採取に全員を費やしている。周囲に応援の要請もかけている。間違いはないな?」

 

「ふニャ? それはさっき報告した通りニャ」

 

「判った。……正直、私とお前だけでこの轟竜をいなす方法が思いつかなかないのだ」

 

 底なしの体力と膂力を生かし、轟竜が奔る。

 段々と此方の動きを掴んでいるらしく、避けるべく踏み出した先を狙うなどといった芸当を混ぜ込んでくる様になった。その巨体を幾度となく避け、躱し。

 

「っとっと。……そらまぁ、ティガレックスは危険度の高いモンスターだからニャあ。装備も探検用途。キャンプに一度戻らなきゃ、ニャアとダレンじゃ初見の討伐は厳しいだろニャ?」

 

「だな。だとすると逃走という選択肢が浮かぶ物だが……しかし、救援の部隊が居るとなれば話は別だ」

 

 ダレンは強く笑う。

 口の端だけでなく頬を持ち上げ、自分自身を指し。

 

「私達は書士隊だ。そして、ハンターでもある。ここは欲張るとしよう。いずれにせよ轟竜には可能な限りの痛手を与えておかねば、この近辺での調査が停滞するという顛末も、鮮明に見えるのだから」

 

「だとすると……どうするニャ?」

 

 首を傾げながらのカルカの返答……疑問に、ダレンは視線でもって答えとする。

 山道。岸壁。斜面と、谷。

 

「―― まさかニャ!?」

 

「気にするな。死ぬつもりもない。策はある ―― 任せた、カルカ」

 

「逸るニャ、ダレンッ!! ……ああもう、無鉄砲なのはあのノレッジの隊長らしいがニャァ!?」

 

 叫んだカルカ。しかし当のダレンは既に『斬破刀』を納刀し、遙か前方に向って走り始めていた。

 轟竜は突進を繰り返す。狙いは刀傷を負わせたダレン。その矮躯を押し潰すべく……巨体は突進を繰り返す。

 気付いていない。突進の速度は15歩目で頂点(ピーク)に達した。雪を割り岩を砕き、遮る物などない道路(レール)の上をひた奔る。

 気付いていないのだ。そう。彼または彼女が突進を繰り返しているのは、ハンターがそうするよう誘導した……「轟竜にとって突進が最良の選択肢となる間合いを保っていた」からであり。

 それがダレンの持つ知識による策で、轟竜が「目前の獲物に目を眩ませている」事をも彼が「識っている」という前提が無いが故の流れであり。

 

 策は滞りなく発揮される。

 ダレンの後を ―― 背走するダレンを追っていた轟竜の視界が突如、白い耀きで埋め尽くされた。

 

「―― さあ、付いてこい! 轟竜(ティガレックス)!!」

 

 ダレンが、崖際から、跳んでいた。

 釣られて飛び出した轟竜の目前、真白い雪肌、黒い岩肌、曇天の空が目まぐるしく入れ替わる。

 前後の感覚がない。上下の感覚も無い。自らよりも先に跳び出た、人間の姿すらも無い。……無いままに、轟竜は両腕の皮膜を広げた。いずれにせよ宙に居る。それだけは判っていた。宙で自らの身体を支えるのは、この皮翼である。だからこそ。

 轟竜は滞空手段を有している。それを識らぬ書士隊ではない。書士隊とは智を積み重ねた賢しき輩にして、生物らの生態調査と解剖とを務める学徒にして、何時れは研磨と鍛冶の末に剣と成る原石。ましてやダレンは隊長だ。彼は岸壁に楔を打ち垂らした綱に身体を括り、谷間にぶら下がりながら、策の顛末を見届ける。

 

「お前は飛行……いいや。滑空(・・)する。長距離の移動を試みる際はその膂力でもって上空に跳び(・・)、そこから皮膜で宙を滑るのだ。だが……」

 

 かくして轟竜は空を滑る。揚力を足かけに前進する。

 しかし間もなく眼前、フラヒヤの岩山が現れる。ダレンが用意した宙。そこは自由な空では無く、僅かな隙間しかない谷間なのだ。

 前後不覚。現状の把握も成されぬままの唐突な展開に受け身をとる事すら許されず。

 轟竜は身を捩る猶予も無く、やむなく、重く鈍い音を轟かせて激突した。

 

「ゴ! グ、グ! グリュァァァアアアァァ……ァァ……!」

 

「……十分な空間が無ければ滑空も、不可能だろうな」

 

 驚愕の表情のまま。岸壁にぶつかりながら雪深い谷間に落ちて行くティガレックスを、ダレンは中空に居ながら見届けた。

 絶えず轟いていた音も途切れ、谷間を吹き上がる風と雪の世界に立ち戻ったのを確認し。

 さて、と息を吐く。

 

「カルカにも心配をかけた事だ……私は上がるか」

 

 轟竜との遭遇戦は、少なくとも終了した。一先ずは安堵の息を吐いても許されるだろう。

 ダレンは書士隊長として本来の目的を果たすため。山道に戻るべく、身体に巻かれた鋼線を握った。

 ……その時。

 

 ぼろっ。

 呆気ない、残酷な手応え。

 

「―― は」

 

 両手が儚く空を切り、背筋を極寒の怖気が伝う。

 その気はマフモフ装備の内側にまで入り込むとすれば、ともすればフラヒヤの万年氷よりも恐ろしく人を凍えさすに違いない。

 すぐさま訪れた落下の浮遊感に、身が竦む。

 

「ニャはぁ!? ……ダレーン!? だから言ったニャーっっっ!?」

 

 追いかけてきたカルカの叫びも虚しく。

 ダレンは雪の崖、そして運良くせり出した斜面を何処までも滑落して行く羽目になるのであった。

 

 








 んでは、2章を始めさせて頂きます。


・轟竜
 モンスターハンターP2ndの看板モンスター。突進のモーションはとにかく迫力がある。
 2章はじめのこの展開はオープニングを踏襲し、結末やら諸々を改ざんした物。


・斬破刀
 由緒正しい雷属性の太刀。
 ふらりと現れた東方風味の男によって作成法がもたらされた。


・ダレン
 書士隊長。一等書士官。
 1章幕間の調査指令を受けて、律儀にフラヒヤを訪れた。


・カルカ
 1章から続投。
 主に心酔していたり、女好きだったり、宮仕えのモンスターハンターに率いられていたりする事の無い、真っ当なオトモアイルー。
 でもメラルー。


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第二話 雪の村、拓けて

 

 

 暖かな(ポッケ)村。

 大陸の北部も北部……万年雪を纏って連なるフラヒヤの中腹に、その村はぽつんと拓けていた。周囲に点在する村を含めて、人口は約1600名。これは雪に閉ざされた土地に開墾された村としては大き過ぎる程の規模である。

 この大きさにまで成長出来た理由のひとつとして、険しく厳しいフラヒヤの山々を味方につけた土地の使い方が挙げられる。段々に拓かれた急峻な斜面を、縫うように建てられた家々。見るからに狭く家畜のポポが通るのもやっとの通行路を螺旋形に張り巡らせ、斜面に造られた水路には、山深くの地熱によって暖められた温水が滑り降り……そこかしこに、水車を利用した昇降機が取り付けられている。川辺まで下れば畑や牧畜場も存在し、中心地には温水を利用した行楽施設まで建てられていた。

 これら山の斜面を使った村の造りは、特に大型のモンスターから村を防衛する(すべ)として殊更に強力な楯となる。体躯の大きさ故に、常に滑落の危険性と隣り合わせの状態で戦わなければならなからである。

 身の小さい人や亜人……アイルーらであるからこそ自由に行き来でき、留まることの出来る場所。その上、近年は大陸中に王立工匠が力を入れる防衛兵器が出回り始めている。特に人手の足りない所へは優先して回される事もあって、ポッケ村も今はその恩恵に預かることが出来ていた。

 つまりは、僻地だとはいえ。人々の苦労の末に拓かれたポッケの村は、総じて住み良いと呼べる……人心地の着く場所なのである。

 

 さて。

 斯様な時代に在るからには、ポッケ村の中央地……山の中腹辺りにはハンターズギルドが併設されている。ドンドルマやメゼポルタといった前例(規模は遥かに小さいがこれにはジャンボ村も含まれる)の急伸によって、ハンターを中心とした社会づくりが齎す利益には注目が集まった。元より(モンスター)に溢れた大陸である。ハンターという生業は、市井にとっての重要事として根付くことに成功していたのである。

 

 ―― その、ハンターズギルドの、幾つか隣の家屋。

 ポッケ村に数件存在する借家(ハンターハウス)のひとつに、奇妙な一団が逗留していた。

 

「―― すまなかった、皆」

 

 奇妙な集団その上座。木製の無骨な丸椅子に腰掛けた青年が、固い声音で謝罪を告げながら、机に向って勢いよく頭を下げる。

 茶髪を短く狩り揃え、ある程度は日に焼けた肌。精悍な顔立ちをしているが、その目鼻立ちには青年の持つ几帳面さが顕著に顕れ、机に向けられた両の瞼は硬くきつく、あらん限りの力を込めてぎゅうと閉じられている。

 青年の前には、4人の人間が立っていた。

 その内の正面に座る ―― 落ち着きなく手足をとんとんと動かしていた若い女が声を上げる。

 立ち上がり、隅々まで丁寧に補修の成された飛甲虫素材の防具を鳴らし。

 

「まったくもうっ! 謝るのは……ん゛~~っっ……もうもうっ!! 隊長は無茶しすぎなんですよ! ねっ? ねっ!?」

 

 身振り手振りに拳を振り、女は同意を求めるように周囲を見回す。

 辺りに立っていた残しの3人が、順に首肯した。

 

「ああ。俺も今回ばかりは、クエスの忠言に私も同意しちゃうよ。ダレン隊長」

 

「ええ。ワタクシら鍛冶屋も鉄は熱いうちに打て、とは言いまス。けれども……それで無用かも知らぬ怪我をされては、いささか困りますネ」

 

「だっはっは! しかし、ティガレックスは『グレエト』だったからな! 我、無茶をしたい気持ちは理解できるとも!」

 

 女の言葉を皮切りに、机を囲む男3人が順に同意を示した。

 それら返答を受けて、上座に座った隊長 ―― ダレン・ディーノは、全くもってと頭を下げ直す。

 

「すまない。確かに無茶をした……かも、知れん」

 

 青年はこの一団の長である。だのに、その部下に彼が謝り倒す理由。それは先日のティガレックス討伐の件に由来する。

 ダレン・ディーノ率いる「王立古生物書士隊」がここポッケ村に逗留を始めてから1週間。まさに調査の冒頭 ―― において、周囲の地質調査中に偶発的に遭遇した轟竜・ティガレックスを討伐し ―― さらに1週が経過していた。

 書類上は最もハンターランクの高いダレンが、囮を務めたまでは良い。問題はそのティガレックスを討伐せしめた方法である。崖から飛び降り、追ったティガレックスを岸壁に激突させ落下させるという、無謀極まりないそれだ。

 ダレンとしては、十分に勝算はあった。だから行動に移した。後悔はない。

 とはいえ心配をかけたこと……斜面を滑落して数日安静にしなければならなくなった……については、謝らなければというよりも、謝るべきなのであろう。青年はそういう心持でもって、素直に頭を下げ続ける。

 そんな隊長の様子に、最初から喧しいクエス……金髪(ブロンド)の女が、甲高い声でもってお小言を幾つか挟み続け。ダレンが律義に相槌を打ちながら謝ること暫し。

 小言が止んだ。

 不思議に思った青年は面をあげる。上げられた面の先。目前のクエスは、非常に困ったとでも言うような表情を浮かべていた。

 

「……。ダレンさんは変な上司です。自分より下の、しかも苗字もない成りあがりの小娘にこんな風に言われて、嫌な気持ちじゃないんですか? ね、ヒント?」

 

 疑問符を盛大に浮かべて、クエスが隣を傾ぐ(・・・・)

 隣席の、クエスと揃いの金髪の男はバトンを受けて、彼女の疑問に相槌をうった。忠告を添えて。

 

「成程。まぁ、俺もダレンさんが上司らしからぬ上司だなっていう点には同意するよ。けど『変な』というのは表現が悪いかな。俺としては、それは魅力的な部分だと思う。……どう思う、ジラバ」

 

 次に、彼は更に奥……壁際で防具の分解整備を始めていた男へと話題を回す。

 色素の抜けた青白い肌。黒から色の抜けた紫髪の男が、憮然とした視線をあげ、片眉を下げ。

 

「ワタクシは、ドンドルマに居た頃から、ダレン隊長はそういうお人だと聞いていましタ。噂になっていましたからネェ。無茶をしたという点については兎も角、否やはありませんヨ。それに、ワタクシが苦労して再現した『斬破刀』を微塵も破損していないという刀剣扱いの力量こそが、余りあって十分に評価に値しますでショウ!」

 

 いつもの、武具を中心にしたコメントを差し挟む。

 最後の1人。巨漢で禿頭の男はダレンの横に回り込み、その背中を叩きながら豪快に笑った。

 

「だっはっは! だがまぁ、ダレンが小怪我を負ったお陰でティガレックスは討伐出来たのだ。我ら王立古生物書士隊が『ダレン隊』の、ポッケ村における初戦としての結果は、悪くはあるまい。むしろ良い! 益々もってザッツ・グレエト、なぁダレン!」

 

「……部下だけでなくウルブズ殿にもそう言って貰えるのならば、救われる(ありがたい)

 

 ダレンは心底安心したと、溜息を吐いた。

 早々から暖炉で火を燃やしているにも関わらず、吐かれたその息は未だ白い。大陸最北端たるポッケ村の……フラヒヤ山脈の寒冷さをこれでもかと認識させられる。

 今回の遠征においてため息が癖に成るほどの荷を背負い込んだ青年、ダレン・ディーノ。

 狩人の防具に関する学を修め、その知見を活かすため自らもハンターを目指した少女、クエス。

 ハンターを志し、その若さと腕前を見込まれて他のギルドから引き抜かれ(・・・・・)た少年、ヒント。

 若くして学士となり、独自の鍛冶技術を持つ竜人達の目線と技術とをまとめ、その継承に大きく貢献した男、ジラバ。

 ダレンの民俗学としての先達にあたる壮年の男、ウルブズ。

 これら5名に加え、今は席を外しているそれにメラルーのフシフとカルカ。全7名が今回、王立古生物書士隊からのフラヒヤ遠征に参加した部隊員なのであった。

 彼ら彼女らを率いる側として、話を進めるべきだろう。締めくくって再び、ダレンは机に広げられた地図へと視線を落とす。

 

「では、これからの行動指針の相談に移ろうと思う。……私が滑落に伴う怪我で休養している間に、先のティガレックスは討伐を確認された。谷間に落ちていた死体も本日辺り、村へ持ち帰られるだろう。私の軽挙があったとはいえ、結果については悪くはないと言える」

 

「いや。ウルブズ叔父さんの言う通り、むしろ良いでしょ。そうよねっ? ねっ?」

 

「そうだねクエス。ティガレックスは、俺たちがここポッケ村に介入する切欠として選んだ対象でもある『要観察』な生物だ。四つ星っていう光栄なハンターランクを、レポートによる書類加点で贔屓通過した俺やクエスには荷の重い、途轍もないモンスターだよ」

 

「なにおう!? あたしのランゴスタ製防具が轟竜の爪に負けるとでもぉ!?」

 

「ちっ、ちっ。君の防具に不備はないさ。だとしても。筋肉量も質量も違う轟竜と真正面からぶつかるのは、それこそお門違いというものだろう?」

 

 隣でやれやれとでも言うように肩を竦めたヒントと、クエスが睨み合いを始めていた。

 このチームが結成されてから既にふた月、村に着いてから1週間が経過している。今では見慣れたこの光景に、向かいで机に手をもたれていたジラバがやれやれと眼を閉じ。首を振り。

 

「ワタクシは元より上位のハンター資格を有していないので、狩場での優劣に関するコメントは差し控えまショウ。……その分、武具の調整には気を配りまス。明日には済みますからダレン隊長、村の武具屋で刀を受け取っておいてくださいネ。今は奥方の様子を見に行っているカルカ助手の剣も、合わせて受け取れるよう手配しておきマスので」

 

「ありがたい。……して、次の行動なのだが」

 

「ええ。失礼。そちらが重要ですネ」

 

「だっはっは! 問題ないだろう。これで脱線しかけた話を、仕切り直せるというものだ。……さて、ヒントにクエス。仲が良いのは結構だが、部隊の次の行動くらいは聴いておくのが、部下たる者の役目と思うがな?」

 

 そう言って、大男であるウルブズは鎧ごと、2人の首根っこを掴みあげてしまった。

 少年と少女の両足が浮いている。やたらな苦しさに両名むぐっと息を吐いて、床に降ろされる。

 

「……成程。これは素直に謝るよ。すまなかった、ダレン隊長」

 

「……ごめんなさい。でも、次の目標も何も。ティガレックスは隊長に討伐されたんでしょ?」

 

「ああ。だから、次の目標をたてねばならん(・・・・・・・)

 

 ダレンはウルブズに目線で礼を言うと、ヒントとクエスに向けてフラヒヤ周辺の地図を広げた。

 ゴルドラ地方から数週もかけて移動し、雪山を幾つも超えた位置にポッケ村はある。更に奥には小さな離村も存在しているが、それらの玄関口としての役割も持っている。

 そのひとつ向こうの ―― 先日、ティガレックスと遭遇した山を指して。

 

「私達は『行動派』の書士隊だ。故に皆がハンターではあるが、だからこそ、討伐して終わりという訳でもないだろう。元々、目的は轟竜とその周囲の生態調査なのだ。だから暫くはあの山を調査する、という辺りで構わないだろう」

 

「その次は? だって、もっと時間が必要よね?」

 

「ああ。クエスの言う通りだ。私もそれは考えているが ―― 恐らく、逗留する理由に関しては難しく考える必要はないのだと思っているよ」

 

 次々と疑問を飛ばす彼女に、ダレンは顔をあげた。

 

「臨時で、しかもよそ者だとは言え、いつ何時も人手の不足するハンターの逗留だ。ここの村長は我々を歓迎してくれていたよ。彼女(・・)から聞くところ、我々は村人達からの評判も悪くない。これらは、出会い頭ではあるが、早々にティガレックスを狩猟したおかげなのだろうな」

 

「でしょうね。俺が書類を担当しましたけど、ダレン隊長、あの轟竜の素材も殆ど村に納品していましたし。お人よしですね」

 

「うむぅ、成程な。村にとっては『有益なハンターの逗留』であるという訳だな、我らは」

 

「あまり無欲が過ぎるといらぬやっかみを受けたりする憂慮はありますけれどネ。今のところは好印象だ、というだけでショウ」

 

 ダレンは隊員たちが理解した事を確かめ、頷いた。

 流れで次の話題を出そうとして……ふと、部屋の入口を端目に留めて。

 

「だからこそ、私達が真っ先に考えるべきは ―― ああ。丁度、来たな」

 

 ダレンの言葉と同時に、扉が小さくノックされる。

 在室をである旨を告げると、扉がゆっくりと開かれる。外から日差しと、はらりと舞った雪が入り込む。

 入口から顔を見せたのは、多量の毛皮で覆われた民族衣装に身を包んだ、この村のハンターズギルド職員である。

 

「―― 書士隊の皆さん。《(さそり)の灯》の方々があなた達を呼んでいるんですが……ご予定は空いてらっしゃいますか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハンターズギルドが籍を置く場所 ―― 『集会所』は、村の中心地に据えられている。先に挙げた温泉の沸く地帯の横。すぐに暖の取れる、雪国の一等地である。

 ダレンらの借家から降って少し。ハンター向けに並んだ武器屋や道具屋の道なりに、その入り口は見えている。これら立地は村に駐在するハンター達の利便性を第一に考えられたものだ。ハンターハウスからの距離は付かず離れず、しかし距離があるわけでも無い。

 その道なり。

 

「―― 居てくれたか、カルカ」

 

「もちろん居るニャ。呼ばれたんなら、オレも行くニャよ」

 

「頼む」

 

 事態を聞きつけたお供のメラルー、カルカが合流する。人数を増やして、一団はそのまま集会所の風除室へと立ち入る。

 ポッケ村の集会所の内装は、それこそドンドルマやロックラックのような大人数が駐在する前提にはなっておらず、こじんまりとした物だ。最低限の酒場設備と依頼窓口(クエストカウンター)。道具や装備を点検しポポ車に積むための場所などはあるが、寛ぐための利便性は無い。酒場としての機能に耐えうるのは、本来は大勢のハンターが会議を行うための長机程度だろうか。それも幾つかは、使わない間は奥の倉庫に畳まれてしまっているが。

 寒さへの対策を第一に、窓は最低限。空調は別口で換気扇を回しているらしい。唯一飾られたその窓すらも二重張りという念の入りようである。ポッケ村へ到着した直後にも見ることになったこれら質実な景観は、この集会所の『主』らの趣向であるらしい。

 風除室の中で靴の雪を落とし、皮張りで二重構造に組み立てられた木製扉の前に到着。ダレンはこつこつと扉を鳴らして返答を待つ。

 

「誰だ」

 

「王立古生物書士隊、ダレン隊だ。要請に応じて到着した」

 

「ダレンな。入れぇ」

 

 野太い声だった。促されて後、一度後ろの隊員達と足下のカルカを見て、頷いてから戸口を潜る。

 松明に照らされ昼でも薄暗い室内。その上座に、熊と見紛うばかりの男がどっかりと腰掛けている。先の声はこの男から発せられたものだ。酷く訛った言葉で、続ける。

 

「よぉ来た。早速で悪ぃとも、ハンターの話するべ。そこら辺さ座れじゃ」

 

「ああ。勿論だ ―― オニクル。ティガレックス狩猟の件と、次の行動方針だな」

 

「そうとも。なぁ賢いんは、話が早ぇくて()な!」

 

 大男 ―― ポッケ村の筆頭ハンター、オニクルは膝を叩いて豪快に笑った。

 ダレン達にも座るよう促し、その両脇に積んであった椅子を手ずから机に寄せる。全員が席に着いたところで、用意してあったのだろう飲み物をギルドガールズが運んで来た。酒精のない蜂蜜茶である。

 最も、当のオニクルの木杯に注がれているのは梅種である。ゴルドラの梅を大量に取り寄せて造られたそれは、彼がいつでも愛飲しているものだ。

 ダレンの一隊にも飲み物が行き渡った事を確認し、オニクルが続ける。

 

(わぁ)の副長どもが、あんたら狩ったとら模様(・・・・)とば持って帰ぇった。よぉやった」

 

「……褒めの言葉はありがたいですが……大型のモンスターを討伐するのに、事前に連絡出来ずにすいませんでした。オニクル殿」

 

「そぇだっきゃ良べ。鳥で知らせっより、ダレンが倒してしまうんが早い。そんだけの事だはんで。……これで、わぁどもは雪獅子(しし様)と、あの馬鹿ものら探すんに力割ける。ダレンらの邪魔すん必要もねぇべ」

 

「配慮に感謝します」

 

 再びダレンが頭を下げるとオニクルは長い髭を揺らし、格子状に編まれた自らの髪を撫でつけ、そのまま頭をぼりぼりと掻いた。カウンターに戻っていた受付嬢が、その様子を見て口元に微笑を浮かべる。訛りと口調の荒さで判り辛いが、オニクルは困っているようだった。

 とはいえ、ダレンの立場……外様のハンターとしてポッケ村に駐在させてもらっている身としては、真っ先にそこを謝らない訳にもいかないのであろう。オニクルは総勢50名のハンターが籍を置く猟団《蠍の灯》、そしてそれらを支える団員の頂点に立つ団長である。ただ狩猟に出るだけでなく、管理の責任も負っているのだ。上に立つ者の不自由さ、そして責任の重さは、ダレンだからこそ判りうるものもある。だからこそ後ろに控えたクエスやヒント、ジラバやウルブズ……足元から膝の上に移動したカルカもその会談に口を挟むわけにはいかず、こうして閉口しているのだが。

 

「固でな。ま、仕方ねが」

 

 様相を崩したのはオニクルの側からであった。彼は先にぐいと酒杯を仰ぐと、口角を大きく吊り上げて笑いかける。身振り手振りに、今は居ない猟団の副長2名を指折り数え、やれやれとでも言うように肩をすくめる。

 

「慎重さなるんは、悪ぐね。わぁんとこの狩人にお()らを良ぐおもんね人らが居るんはホントだ。ポッケの村の生え抜きばりだはんでな、《蠍の灯》は。副長のグエンとニジェもそんだし。だばって、わぁとしてはダレンの調査には出来る限り協力するはんで心配すな」

 

 話題が率直だがその分、彼の人柄が伝わってくる物言いだとダレンは思う。

 彼の無骨な誠実さに応えるため、実直な自身の出来る精いっぱいで感謝を示す。

 

「はい。オニクル殿も、私達で協力できることがあればご相談ください。村に住まわせてもらっている分には、我々もポッケ村の戦力ですので」

 

「ふん。そいう貸し借りで話すんだば、判り易くて良な。何かあればだば、ダレン。そっちさもお願いすべ」

 

「その時には、引き受けましょう」

 

 結んで、ダレンも蜂蜜茶に口をつけた。荒いが素朴な風味が心地よく鼻を抜けてゆく。団員達によって今も拡張が進められる農場で養蜂された蜂らによって集められた蜜である。厳しい寒さの中に在って、この暖かさと甘さはとてもありがたいものだ。

 暫くして、猟団と調査団のこれからの動向についてすり合わせを始める。

 

「さき喋った通り、《蠍の灯》はしし様と『馬鹿もん』どもを探すのに人員ば割いてる。副長は2人とも、今はそっちさ行ってら。周りの山2つだば管轄地だはんで、そちに大きなの出だんだば、わぁ(んど)か ―― あのもいっこの外様な。白くってら『判らんの』に要請出すはんで心配すな」

 

「ああ。了解だ。……そのもう片方の逗留者は、居場所が判らないと聞いているが……?」

 

「んだ。熱心に監視ばしてる副長がいないはんで、ここ2日はどっかさ出てら。だはんで、そん時に近くに居だんだば、ダレンらにも頼むかもしんね。怪我だばもう良んだべ?」

 

「む。健を少し痛めたらしく、医師の見立てで安静にしていただけなのだ。心配をかけて申し訳ない。―― そして、これを。私たちの行動予定だ。しばらくは、先の管轄地外の調査の続きを行うつもりだ」

 

 謝りながら、ダレンは鞄から日付毎の予定表を出して机に広げた。メモ程度だが、オニクルらに調査団の予定を知らせるために用意したものだ。

 ポッケ村全体の識字率は低いが、この猟団《蠍の灯》においては最低限の読み書きは必須。専門たるギルドガールズには及ばないにしろ、文字によるやり取りが出来ることが入団項目にある程には重要視されている。

 オニクルはその冊子を手に取ると、雪獅子に負けない毛むくじゃらな外見をしておきながら太い指を精緻に動かし、ひとつひとつ捲る。大仰に頷き。

 

「判った。こん村の猟団にしろダレンらにしろ、あの判らんのにしろ、うまぁく使って見せんのがわぁの役目ってもんだはんで。お前んども、頑張れな?」

 

「はい。応援を頂けて力強く思います。―― では、今後もよろしくお願いします。オニクル殿」

 

 切り上げて席を立ったダレンに倣い、隊員達とメラルーが次々と腰を曲げ……集会所を出てゆく。

 木製の分厚い背もたれに寄りかかり、篝火の明かりに照らされながら、オニクルは残った梅酒を機嫌よく啜る。今回快く待機番を務めてくれたギルドガールズのシャーリーに続きを飲みますかと尋ねられ、とりあえずもう一杯と注文を出し。

 脳裏に最後まで型通りの応対をしてみせたダレンの背を思い出しながら、オニクルはふんむと息を吐いた。

 

「あれが、ダレン・ディーノな。あんたさ聞けた(・・・)通り(・・)、どっちとも取れるんた男だ」

 

「―― ええ。良い御仁でしょう?」

 

 裏口の側から声が聞こえた。

 壁に寄りかかる小さな体。白い毛並みに赤いポンチョの様な外套の映える、アイルーの声だ。

 オニクルは其方を向かずに、手元の……先ほどダレンから渡された紙を見つめたままで返す。

 

「信に足るんかは、まだこれからだばってな。とにかく、とら様の狩猟で、頭が回るんたは証明されたて」

 

「ふむ。ならば、私も彼らの力となれるよう全力を尽くすまでです」

 

「この2年で判っちゃはんで、あんたの力は疑ってね。でも、それもお前の『ご主人』ってののためだんだべ?」

 

「それは勿論。そしてきっと、それはあなた達の利益にもなり得ることでしょう ―― オニクル殿」

 

「なら、わぁも楽しみにしてるて。―― ネコート」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 集会所を出て、ダレンらは帰路に着く。

 マフモフ装備だとはいえ、ハンターの装備品で村の只中を歩くのは目立つ。……が、常日頃から猟団が多数出入りするポッケ村の中心部ならば過剰に注目される事もないようだ。屋根で雪下ろしをしている村人が少しだけ此方に目を向けたが、手を止める事もない。

 そして、本日は元より方針確認それ以上の予定もない。ダレンは真っ直ぐに借家へ。ヒントとクエスは先ほどのオニクルの態度に思う所があるようで、やや不満げに声を挙げながら。ジラバは中途の武具屋で別れ、ウルブズは温泉に浸かりに行くと踵を返す。

 唯一、隣に並んだカルカがダレンを見上げる。

 

「村からしてみれば、外部からの調査団ですものニャ。いっつもあんな感じなんかニャ?」

 

「うむ。むしろ副長がいない分、オニクル殿の態度は柔和だったと思う。例えば小さな村における調査などであれば、書士隊という肩書が証明にならない場合すらある。そういう点において我々がハンターだというのは、一定の信頼を得るのには役立つのだがな」

 

 カルカは一旦周囲を見回して、大きな溜息をついた。溜息すらも水車のがらがらという音にかき消され、道具屋の主人やその前に立つ主婦には届かない。

 

「ここポッケ村はハンターが中心になって発展しただけあって、外の人に慣れてるって側面もあるんだろニャァ」

 

「違いない。カルカとフシフには、苦労をかけて済まないな?」

 

「心配せずとも。ダレンに付き合ってこの方、この程度はマシな方だからニャ。この3年間で、物語でしか聞かなかったリオレウスとリオレイアの夫婦だとか、未知の海竜だとか、そういうのとぶつかり合って来たもんニャ。大型モンスターと本気で相対するのと比べれば、権力者の前に立って置きメラルーと化すのくらいは気楽なもんだろニャア」

 

「ありがたい。そう言ってくれると助かるが……実のところ私は、この調査の成否に関しては心配はしていないのだ」

 

「そうなのニャ?」

 

 珍しい切り返しに、カルカが首をかしげた。

 ダレンはその言葉にああ、と同意して。

 

「今回の調査団は、3年前の時よりもかなり多くの戦力を持ち込めているというのがひとつ。私が一等書士官に昇進した事による、最も大きな利点だな。団員もそれぞれが専門分野を持つようひとりひとり選別した、粒ぞろいだ」

 

「確かに。……前回の部下のノレッジもあれはあれで、結果的には凄まじい事になったけどニャア」

 

「……はっは! それは確かにな」

 

 ダレンは固かった様相を崩して笑いながら、続ける。

 

「そして王立古生物書士隊が知名度を増した事によって、こういった辺境の村でも多少なりとも融通が利くようになったのがもうひとつ。先ほどの話にあったオニクル殿の態度などが、その最たるものだろう」

 

「成程ニャア。背景含めて、準備が整っている……って考えて良いんかニャ」

 

「そこに『出来る限りの』という冠は付くかもしれん。加えて、それ程の力をつぎ込む価値のある案件だという事にもなるため、油断は全くもって許されないのだがな」

 

「結局は自分の首を絞めてないかニャ? ダレン」

 

「まぁ、これが私の仕事だよ。最も興味があって、取り組みたいと自ら願う、やり遂げたい仕事だ」

 

 感傷的な声色に変えて、ダレンが首を上へと傾ける。つられてカルカも空を見上げた。

 晴れ間の覗くフラヒヤの空は透き通るように青く、いつかの山頂の朝を思わせる。

 

「―― 何より、私達には他にも協力者がいる。それこそ、心配は無用だろう」

 

 雲間の風に遊ぶ何かが一羽。

 それは稲穂によく似た尾羽を靡かせフラヒヤの空を征く、大鷲の姿であった。

 

 





 本編進めるのは1年以上ぶりですけれども、活動再開してからは2か月ちょいなので実質初投稿です(





・ポッケ村
 モンスターハンター2nd、およびそのアペンドである2ndG。もしくはXシリーズにて訪れることが出来る村。
 大陸北東に位置するフラヒヤ山脈の中腹に位置し、トレジィや村長らと共に数百年超をかけて興された場所である。
 ハンターの活躍に応じて物流が活発化すると、雪山草や毛皮を筆頭とした特産品の交易によって利益をあげることが可能となったようだ。
 また、大全によれば(文脈からして2nd冒頭の時系列では)ティガレックスの本来の生息域からは大きく離れた場所にある。
 本作においてダレンらが調査目標としたティガレックスの生息域移動が、これに当たる。


・雪山草
 雪山の高所にのみ生育する植物。滋養強壮の効果があるらしい。
 拙作本編には書いてないため、解説の解説(ぉぃ


・ダレン隊
 ダレン(25)、クエス(17)、ヒント(18)、ジラバ(22)、ウルブズ(44)。これにオトモメラルーのカルカとフシフを合わせた7名をひっくるめてダレン隊と呼ぶ。
 ダレン以外はオリジナルのような、そうでもないような。
 書士隊としては平均年齢の若い一隊だが、それだけに体力がある。一番大事。


・蠍の灯
 オリジナルの猟団。というかオリジナルじゃない猟団はあまりない。
 ポッケの村を急進(僻地度が半端ないので、実際はいう程でもないが)させた一団。幅が利く。
 元ネタは有名ですけれども、ほんとに名前だけ拝借。




2020/03/21 会話をちょっとだけスムーズになるよう追記。


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第三話 辿る雪路

 

 

 ダレンが快癒しオニクルとの面通しを終えたその翌日。

 

「―― 準備は済んだか、みんな」

 

 ポッケ村の中央区からの出入り口。標である縄の巻かれたひと際大きなマカライト原石の横で立ち止まり、ダレン・ディーノが振り向く。

 分厚い灰の雲の下、自らが率いる一隊の面々が点呼の要領で声を上げてゆく。

 

「はーい! クエス、準備は万端だよ! ヒントもだよねっ? ねっ?」

 

「ああ。でもそれって、俺から隊長に伝えるべき内容だろ。クエスに言われるまでもないね」

 

 不遜に肩をすくめるヒントの呆れに「なにおう」と反響するクエス。その横を、麻袋を肩に担いだウルブズがだっはは、と勢いよく息を吹き笑いながら通り過ぎる。通り過ぎたその先で、隊の中で最も大柄なその身体を傾け、ポポの左右に吊るすように荷を結ぶと、ふんと額をぬぐいダレンの側を振り向いた。その後ろに調教された成体のポポを数頭並ばせる。

 

「こちらも荷は積み終えたぞ、ダレン。装備は言わずとも、ジラバが万全にしてくれているであろうしな!」

 

 隣の背を叩き、ウルブズが口角を吊り上げた。大男が口の端を頬にまで届かせて笑う様は威圧感こそあれど、しかしウルブズの人柄か、重苦しさは感じない。不思議と暖かく思える物だ。

 叩かれた側。青白く細身の男は、薄く唇を動かして呟く。

 

「ええ、そこはお任せくだサイ。皆さんの武器の整備はワタクシに課された……勅命、みたいなものですからネ?」

 

 こちらも目尻を下げながら小さく笑う。含みのある言い様に真っ先に反応したのは、カルカである。

 

「ジラバ。皮肉が効いていて嫌いじゃあないけど、その表現は色々と面倒だニャ?」

 

「おお。これは失礼しましタ、カルカ」

 

「出立前だというのに、皆さん方いつも通りですニャァ……」

 

「フシフが呆れるのも仕方ないけど、ま、緊張しすぎるよりはいいんだろニャァ」

 

 カルカの言葉を最後に、全員が笑う。肩の力がほどよく抜けた頃合いを見計らって、ダレンは口火を切る事にする。そもそも現在行っていた準備は、先日話していた管轄地外の再調査に向かうためだ。

 

「ではこれより書士隊として2度目のフィールド外調査に出立する。現在《蠍の灯》の部隊は管轄地の内に2隊、外に1隊がそれぞれ派遣されている。現場での無駄な衝突を防ぐため、書士隊員は外套を着用するようにとの伝令が来ている」

 

 主に猟団側からの要請だが、狩猟に関する権限は当然そちらが持っている。あくまでこちらが生育調査を主とした活動を許された側であることは忘れてはならない。

 書士隊の外套は通常、雲羊鹿(ムーファ)鹿(ケルビ)の毛と皮を使い軽さを重視して作られる。が、ダレンが率いる隊で用いられる外套は違っていた。

 

「あれかぁ……俺、外套着て動くのには慣れてないんですよねぇ」

 

「文句を言わないの。これって結構、縫製に時間もお金もかかるのよ?」

 

「ほう? 流石にクエスのお嬢は詳しいな。どれ、我も ――」

 

 ウルブズを皮切りに。手元にあった荷物袋を掴むと口紐をほどき、各々が暗い藍色染の外套を纏う。

 肩峰下に金色の龍章と、絡み合う菱形の刺繍。龍を囲む菱形を構成する線の本数は、クエスとヒントが3本。ジラバとウルブズが2本で、ダレンが1本。本数が少ないほど位階が高い事を表す、書士隊の紋章である。因みに通常は率いる一等書士毎に赤か緑の色をあてられる(そめ)色に、紋章が際だつ暗い藍色が選ばれたのは、ダレン隊が『観測所』にも属している故の特殊性である。

 ダレンらは裏方に徹する書士とは違い、揃いの外套の下にハンターとしての鎧も着込むため、例えば民草の間で噂話に語られるような、何処ぞの隠密部隊に見えない事もない。勿論支給の制服を身につけなければならない(と、少なくとも表立っては布告されている)ギルドナイトの方が、市井にあっては良くも悪くも目立つものだが。

 ヒントの前でクエスが、身を捻ったりして外套の留め具を確認。すると。

 

「―― ほぉほぉ。みんな、よぉく似合いだねぇ」

 

 その付近 ―― ひと際大きなマカライト原石の前で焚火にあたっていた小柄な老人が、体躯の通り小さいがよく響く声で一隊を呼び止めた。

 彼女の姿に気付いた……いや。そこは定位置であるため、予想はついていたのだが。ダレンは彼女に礼をひとつ、大きく頭を下げて歩み寄る。

 

「村長。先日の轟竜の件ではご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」

 

「ほっほ。よいよい。気にせんでもええのよぉ、これくらい。ハンターが増えてくれるのは嬉しい事だもの。あなた達を紹介してくれたネコートちゃんには、むしろ感謝を言いたいくらいだわぁ。……ところでダレン、もう怪我は大丈夫なのかしら?」

 

 老婆 ―― ポッケ村の長たる人が、焚火の組木を軽くつついて組み直し、重ねられた皺の向こうからダレンを見上げる。

 彼女こそが、このフラヒヤの地を文字通りに先頭に立って切り拓いた、ポッケという集落の頭である。ハンターズギルドとの縁も深く、ハンターの頭であるオニクル及び構成員ら生え抜きとの関係も固い。ハンターの選抜から祭事まで、村の機能を司る文字通りの長。故にダレンらを招集したのもまた、彼女の要請によるもの ―― と、いう事になっている。

 ダレンは近くまで寄り、壮健ぶりを示すために両手をぶらぶらと動かしてみせる。

 

「おかげさまで。元々、打ち身と擦過傷くらいでしたから。治療と言うよりは安静にしていただけでした」

 

「ほっほ、それはよいねぇ。今日はこれから、この間の調査の続きかえ?」

 

「はい。昨日に許可も得ましたので、早速再出立をしようかと思います」

 

 違いない。管轄地は猟団に任せ、周辺の……特にまだ手の入っていない山岳地の地形と生体を調査するのが、今のダレン達の主たる目的である。

 村長の目の通せる村の中央部には既に資料を渡してあるが、文字の小さい資料ではよくよく「寄る年波には勝てんねぇ」と気を遣わせてしまう。ある程度の日程は口頭でも伝えておくべきだろう、とダレンは思い直す。

 

「偶発的ではありましたが、甲斐あって轟竜は対処出来ました。管轄地の外故に、他にも大きな障害が出る可能性は勿論考慮しますが……何日かは向こうに逗留して調査を重ねる予定です」

 

「そうかえ。頑張りんしゃい。最近は《蠍の灯》子らが追い回しているんで、雪獅子とその取り巻きがお怒りでね。縄張り争いとは別だけんども、気の荒いのが出てきて(・・・・)もおかしくないよ、今の雪山は」

 

 村長は細い眼をさらに細めて、フラヒヤ嶺の奥を見つめる。ダレンも手を(ひさし)に同じ方角を向くものの、そこには白く飾られた常ながらの山々が並ぶだけだ。しかし村長からの忠告である。この地を開墾した者だからこそ感じる空気というものも存在するだろう。ダレンはそういった特別な感覚や知見を備えた者がいることを、確かに知っている。

 

「承知しました。隊員が危険な目に遭うのは避けたいところですが……とはいえ、それもまたハンターの腕の見せ所というものでしょう」

 

 真面目な容貌を崩して、ダレンは(にわ)かに笑う。自分はこの様に思う事が出来るようになったのだ。この3年で。そういう心強い考え方を、学んだのだ。

 

「それもそうねぇ。それじゃあいってらっしゃい、ダレン。クエス、ヒント。ジラバに……ウルブズ、だったかしら?」

 

 村長に見送られ、ダレンは隊を引き連れ村境を跨ぐ。

 外へと一歩踏み出せばまた、変わりなく広がる雪の世界が待っている。

 

 

 

 

 

 

 

 村へと続く路を抜ければいよいよ山道へと入る。

 山を登る道になると移動手段は臨機応変になるが、管轄地近くの整備された雪道の範囲を抜けてからは雪車(そり)を使う。ポポに大きな籠状の雪車を引かせ乗ることで体力の消耗を防ぐのである。ハンターは身に着けた鎧の分だけ自重が増すため、積雪があればある程、距離が長くなればなる程に移動が困難になる。こういった工夫は現地のオニクルらが行っているものを遠慮なく真似させてもらうことに、ダレンはしていた。

 藁で編んだ(すだれ)から吹き込む寒気に身を小さくしながら、一つ目の山を越えた頃。

 

「―― そろそろ準備をするか。道具の点検から始めよう」

 

「判ったわ、隊長!」

 

「おう。もうそんな位置か?」

 

 ダレンの発令に嬉々としてクエスが、そして香辛料に浸した肉を噛んでいたウルブズが手元を探り始める。皮を接ぎ金属の留め具で囲われた背負い鞄から、特に緊急時に使う物と整備が必要な狩猟具を選んで目を通してゆく。クエスは早速と飛甲虫の外鎧を取り出して装備を始め、その横でヒントとウルブズが自らの得物を取り出しては点検。特に風変わりな武器を扱う者の多いこの部隊において、武器の整備は必須と言えよう。

 そうしている内に、狩場から村へと帰投する幾つかの部隊とすれ違う。向こうの御者と小さく挨拶を交わして、それだけだ。同じ猟団に属しているなら兎も角、此方はよそ者である。すれ違いざまに様相を観察。荷台の傷跡の高さからして小型の牙獣種 ―― 十中八九ブランゴであろうが ―― とやりあったのだろう。ポポの側には殆ど怪我がない事から、遭遇戦ではあったにしろ、うまく狩猟を運ぶことが出来たのであろう事が伺える。

 幸いなことにポッケ村は、ハンターの小隊を数多く抱えることが出来ている。

 猟団《蠍の灯》においてはオニクルと副長2人を筆頭に四つ星(ランク4)以上のハンターが指揮権を有し、状況に応じて編成を行うことが可能である。これだけで隊数は10に近い。ここにダレンらと、先日のオニクルにも語られた別の2隊を加える事も出来るとなれば、ポッケ村がどれだけ潤沢な人資源を持っているかが判るというものだ。

 それでも全部の隊を狩猟には派遣していない。村を守るため、駐在として家族と過ごす時間も必要である。加えて「別の2隊」についてはそもそも「隊」として数えるのは(はばか)られる状況であり、戦力として数えられない理由もあるのだが。

 

「―― ダレン。その『他のふたつ』の隊について、今の内にもう少し状況を聞かせてもらってもよろしいニャン?」

 

 そう切り出したのは、羽毛の座布団付きの籠という一等席を与えられている、雌メラルーのフシフだった。傍で瞑目していたカルカが片目を開き、ダレンに頭を下げる。

 

「オレからもお願いするニャ、ダレン。ニャーの(つがい)は村に到着してすぐにつわり(・・・)が酷くなり、席を外させてもらっていましたからニャ」

 

「番って……え、フシフって奥さんなのっ? カルカのっ!?」

 

「……前にも言ってなかったかニャ―……?」

 

 クエスの驚き様に、カルカはがっくりと呆れている。ダレンの記憶によれば間違いなく説明したことはあるが、彼女の記憶には留まっていなかったらしい。

 ダレンはフシフに思い切り近づこうとするクエスの肩を掴んで留め、視線はカルカがさりげなく遮っている。クエスの持つこの猪突猛進な気性は、手間はかかるもののかつてのノレッジを思い出させる。ダレンにとっては慣れたもので、懐かしいものだ。

 そして当然、カルカは嘘をついていない。フシフはカルカの子をその身に宿していた。とはいえまだ体型に大きな影響は出ていないが、体調には影響の出る時期である。本来であればこうした出撃任務には帯同しなくてよいとダレンは思うのだが、裏方でもとフシフ本人から希望があったのだ。今回は山一つ先の……先日ティガレックスと遭遇した場所の調査の続きであるため、遠出という訳でもない。可能な限り隊の力になりたいというフシフたっての願いとカルカの了承を得て、帯同する運びとなったのである。

 相変わらず(フシフとの間に立ち塞がる)カルカの肩をがくがくと揺らすクエスの後ろで、ジラバが懐から取り出した乾パンに薄く蜂蜜を塗ってヒントへ差し出す。ヒントはこれも自分の役目と、クエスの口にそれを突っ込んだ。

 

「クエス、はいこれ黙って」

 

「話が逸れるのデ、クエス嬢。少々お暇をお願いしますヨ? ワタクシは少し外を見てきますのデ」

 

「ううむぐっ」

 

 要らぬ流れ弾を避けたのだろう。ジラバは簾を潜って御者の側へ。クエスが空気を読んで咀嚼し始めたのを見計らい、ダレンが切り出す。

 

「―― では、改めて。良いか? フシフ」

 

「はい。自分から同行を申し出ておいて、お手数までおかけして申し訳ないですニャ」

 

「む。そこを気にする必要はない……と、思う。私の隊の方針を理解して動いてくれる人員は貴重だ。身重だとて、裏方の仕事は幾らでもある。人手はあればあるだけ助かるものだ。ただし決して、無理はしないでくれ。その時には別の人員を当てるまでなのだから」

 

「ありがとうございますニャ」

 

 フシフがぺこりと小さく頭を下げたのを手で軽く制し、ダレンは腰の鞄のひとつを探り藁半紙を取り出す。解説は苦手ではない。塗料と染筆を取り出すと素早く筆を走らせ、赤い星とそれを突き通す(やじり)の意匠が描かれた紋章を描く。

 

「これが《(さそり)()》の猟団章だ。目下、ポッケ村……どころかフラヒヤの最大勢力である猟団だな。オニクルを筆頭に、ハンターを50人近く抱えている。ポッケ村を守りつつ部隊を外へ出す事も出来る、文字通りの守護の要だ。平均ハンターランクは3。オニクルと副団長2人が六つ星で、その他は中堅、新人共にバランス良く構成されている」

 

「ハンターの方は、ポッケ村から志願された方を採用されてるんですよニャ? 随分と良い環境ですニャアァ」

 

「ああ。オニクルと副団長らの手腕だろうな。フラヒヤで唯一のギルド支部を置いているだけあって、ここら一帯……かなり広範囲の守りを受け持っている。それはつまり、裏を返せば新人や中堅の教育の機会が多くあるという事だ」

 

 ダレンの説明にフシフはこくこくと頷く。同じような経緯だったな、と自らの来歴をふと思い出しながら。

 

「……成程。ハンター業が活性化しているこの時代に、新規の方を取り込むのに成功したのですね」

 

「ああ。数年前のジャンボ村と状況的には似ているな」

 

「俺からも付け加えさせてもらうと、俺自身がハンターになった3年前にはもう《蠍の灯》自体がかなりの勢力を持っていたよ。ドンドルマで何度も名前を聞いたね。同時期に七つ星昇進の要請を蹴ったと噂の《墜刃》オニクルが頭だというのも、話題性があった」

 

 感心しているフシフに、ヒントが当時の状況を付け足して伝える。ダレンが頷き。

 

「私達がポッケ村に逗留できるよう取り計らってくれたのも、この猟団だ。オニクル殿がロン殿と顔見知りだったのでな。あとはネコート女史が段取りを組んでくれたという流れだ。……さて。この最大規模の集団を除いてしまえば、あとは零細も良い所なのだが」

 

 ここでダレンが視線をずらすと、荷台の最後尾に腰かけていたウルブズが合わせる。愉快そうに腹を震わせ、上体を乗り出す。

 

「んむう! 残るは外様。殿規模の順だとすると、次は我ら王立古生物書士隊か?」

 

「そうなります。……しかしこれは、説明不要でしょう」

 

「だっはは! 自分らの事だものなぁ! フシフに説明するべきは、残るふたつ。『馬鹿者』共と『漂流者』の事だろうなぁ。任せてくれて、おーけぃだとも!」

 

「ありがとうございますニャ、ウルブズさん。ある程度は番いから聞いたのですが、お名前からしてどちらもかなり特徴的な部隊のようですね……?」

 

「それはそうとも!」

 

 ウルブズはフシフを鷲掴みに出来そうな掌で顎髭をなぞり、そこで間を挟む。

 ふぅむと周りを見渡し。

 

「ところでヒント。『漂流者』はお前の方が詳しいだろうから、任せたいのだが。良いかな?」

 

 一行の視線が彼へ。ヒントは隣で柄と刃を合わせる手を止めて、ウルブズを見やる。

 

「……まぁ、でしょうね。ウルブズ叔父貴。俺は長い事クエスと組んでますから、その人らの情報は自然と耳に入ってきてますよ」

 

 武器を弄る手を止めず、ヒントは件の少女を視界に収める。遂にダレンを根負けさせた彼女は、フシフを膝に乗せてご満悦の様子である。

 諦めて眦を歪に傾けた少年と対照的な少女を笑い飛ばし、ウルブズはフシフに向き直る。

 

「ではそちらは任せて、我から。村に来た順に説明するなら『馬鹿者』共になるだろうが、まぁこれは主にオニクルらが呼称している名だな。そう呼ばれている理由は明白。彼ら……その3人組はここ数ヶ月、ポッケ村に戻らずギルドへの報告も怠り……フラヒヤの山中で野営して狩猟を続けているからだな」

 

「それは成る程、問題児ですニャ。それで『監視が入っている』のですね?」

 

 そうとも、とウルブズは頷く。

 彼ら彼女らは管轄地に直接入る訳は無く、他のハンターとの諍いも起こしてはいない。だが特に問題視されていない大型モンスターを偶発的に討伐する、特に対応に苦慮する事のない位置に居を定めた生物を狩猟しにかかっては手負いにする等々、管理側を泣かせるような行動をとり続けているのである。そういった問題行動ばかりを重ねる3人組を、ポッケ村を守るという観点からみて『馬鹿者』共と糾弾しているのだそうだ。

 特にここ数ヶ月は頻度が増えており、流石に看過できないと判断した《蠍の灯》の副長の片割れに監視をされているのだが。

 

「彼らは3人。だが組んでいる訳では無く、各々が別の目的を持って勝手に動いているようでなぁ? 野営という目的でのみ協力しているらしい。ばらばらに、しかも管轄地の外を中心に動かれていることもあって進捗がないそうだ。元々そういう用件で雇われのハンターとして契約している事もあってか、近隣の小さな村の周囲で至急の案件があった場合などには最低限の警護は行うので、全力で排斥するにも惜しいらしい……というのが聞いた話だが」

 

 どうにも、とウルブズが言い倦ねる。斟酌しつつ。

 

「情勢からしても十分に理解出来る話ではありますニャ。ですが、ウルブズさんには別の角度の意見もおありなのですニャァ?」

 

「うむぅ。まことに偶然ではあったが、我だけはここに来る際、彼らに会っているからな。『ダァクネス』なその風貌を見てくれれば、言葉を濁す理由はフシフにも判ると思う。まぁ次の集会の日か……狩り場で出会す機会があればの話だがな、だっはは!」

 

 そう笑って締めたウルブズから、ヒントが話題を引き継いだ。

 クエスが拾ってきて聞かされた話題が殆どだけど、と前置きを挟み。

 

「では俺からは『漂流者』について。彼女ら……まぁ、此方も3人なんですがね。その人らについて情報が錯綜するのは当然で、とても話題性があるんですよ。特に挙げるとすれば」

 

 フシフの相づちを待って、ヒントは指をたててゆく。人差し指から薬指まで、3つ。

 

「ひとつ。他2人が主人と仰ぐリーダー格の女が、その名をシャルル・メシエと名乗った事。ふたつ。ここポッケ村へひと月前に移動してきた彼女らは、たった3年前からドンドルマでハンターとして活動を始めていて、以降は雇われとしてしか活動をしていないにも関わらず、めきめきと頭角を現しては既にハンターランク5という位置につけている事。みっつ。彼女が新しい武器種 ―― 銃撃槍(ガンランス)の考案者としてその存在を知られている事」

 

「ちょっと。あの防具についての話題がないじゃないの?」

 

「それは一つ目に含まれているよ、クエス」

 

 頬を膨らませた少女にもう少し黙っててねと水蜜飴の缶を持たせておいて、ヒントは自身の腰で鞄を探る。

 出てきたのは、所々に折り目の付いた冊子であった。装備目録であるらしいそれを手渡され、フシフは小さく広げる。

 

「これは?」

 

「2つめと3つめは、話題になるのも理解できると思うからね。ひとつめの話題についての解説、その援助になる物だ。最後の頁を見て欲しい」

 

 促され、フシフは冊子の後書きを見る。

 真白い頁の右下隅にぽつり。そこには「メシエ・カタログ」という名義だけが簡素に表記されていた。

 

「それは数年前にハンターの間で流行した、洒落た防具のデザイン集だよ。個人受注なのに大層な人気でね。クエスがハンターが扱う防具に熱中し始めたのもその冊子のせいなんだけど、その話題は置いておいて。『メシエ・カタログ』は制作側が既に退いていてね。その理由は明かされていないけれど、まぁそこへ姓が同じ彼女の急進という話題が加わった訳さ。同一人物かどうか以前に、彼女からそれらについて言及は全くされていないのだけれどね。妄想たくましいことさ」

 

 家名を持つ者の方が珍しいこの大陸において、この一致は偶然では無いと言いたいのだろう。しかしそれら全ての噂話に筋を通そうとするなれば、シャルル・メシエなる彼女は「界隈で売れる程の知名度があったにも関わらず防具の制作業を止めてハンターとして活動を始めた」……という物語然とした人物像であることになってしまうのだが。

 フシフはふにゃぁと吐息を漏らすと、再び冊子を中央当たりで開く。そこには主に女性向けらしいデザイン画が並べられていた。獣人の目から見ても美しいと思えるそれらは、ハンターに要求される防御能力も満たしているらしい。隣で喧しくも詳しく説明をしてくれるクエスに曰く「大型生物と争うならば、いずれにしろ受け方を間違えれば傷は付く」という考え方で、必要な箇所に必要な分の強固さを持たせているのだそうだ。確かに急所の他にも両手や大腿など、身体の部位毎に「ここで受けろ」と言わんばかりの構造が見受けられた。

 ヒントがついでに、と付け加える。

 

「そしてこれは、ウルブズさんが話していた三馬鹿(・・・)とも同じなのだけれど……彼女らも会うのが難しい(たち)だね。何でかは知らないけれども夜にしか出歩かないみたいだ。夜は夜で狩猟に出掛ける。時間帯さえ合致すれば猟団の要請にも応じていて、疎まれては居ないみたいだね。住居は村の端っこに置いてて昼間は居るみたいだけど、直接会おうとすると、断られる。他2人が従者として常に警護をしているってさ」

 

 どうやら、猟団の中に居た『メシエ・カタログ』のファンが数人押しかけ門前払いされたという前例があったようだ。これには耳聡く聞きつけたヒントが猟団に確認し、今にも押しかけんとしていたクエスを留めるために利用したというオチも付いている。

 

「他にも村に居る昼の間は、鉄製品の農具や家具日用品なんかの修理も請け負って日銭も稼いでいるみたいだね。報酬は主に嗜好品の類いなんかと物々交換らしいけど」

 

「ほぉ。少なくとも手先が器用なのは間違いなさそうですニャァ」

 

 フシフが感心した声を挙げる。丁度道具を見直し終えたウルブズが自らの革袋の口を締め直し。

 

「ふむぅ。主要な集団はこんなところか」

 

「戻りましタ ―― そして、ウルブズ殿の意見には同意でス。その他にも周りの小さな集落にも少数ずつのハンターは居ますがネ。それを挙げていてはきりがないでショウ」

 

「おお、ジラバ。外の様子はどうだった?」

 

 外から戻ったジラバは、小さく雪を払いながらダレンの横に座る。

 

「どうも行く先の塩梅は悪くなさそうでス。空と湖畔周囲を見ている限り、動物達が荒んでいる感じは、少なくとも今はありまセン。吹雪くかもしれませんガ、それはまぁいつもの事でショウ」

 

 ウルブズに手渡された生ぬるめの発酵酒を合掌して受け取ると、ひとくち含む。足の先をぐにぐにと揉んで血行を確かめながら、ジラバが続ける。

 

「ただ、気になる事も一つありまス」

 

「それは?」

 

「ダレン隊長ご贔屓のフリーランスさんから、今さっき便箋が。ワタクシらの調査対象区域の端っこで、件の馬鹿者さん達が野営をしていたであろう跡が見つかったそうでス」

 

 あまり芳しくない報告だ。ダレンが顔をしかめる。ジラバは生来の青白く涼しい表情のまま、手元で紙を広げて流し読む。

 

「目的は兎も角、馬鹿者さん方も同じ動きなのやも知れませんネ。『村の人々やハンターがあまり踏み入っていない場所』を、という目端を付けたのハ。フリーランスさんも、奴らの動向が気になるので今日の内には対象区域へ向かって下さるそうでス」

 

 ウルブズとヒントに解説を任せている間に、ダレンは自身の武器防具を繕い終える事が出来ている。息苦しく、肩や首が重くも感じるのは、毛皮で縫い合わされ補修を終えたハンター一式(メイル)を纏ったから、だけではない。

 しかし吉報もあった。()と合流出来るのであれば調査の進捗も十分に見込める。

 ダレンは口元で小さく有り難いと呟くと再び手元に視線を落とし、今度は部隊逗留の費用算出に取り掛かることにした。

 ポポの引く雪車は、数刻後。日の沈む前に調査区域の麓へと到着する。

 

 

 

 

 

 

 ■□■□■□■□■

 

 

 

 

 

 

「―― なんだ。行くのかい、ヒシュ」

 

 ダレンらが目的地へと到着した頃。

 更に山一つ向こうの、移動式住居が立ち並んだ一画の、物見(やぐら)の上。黄色の、着膨れていない外套を纏った男が、上に立っていた人物に向かって声をかける。

 声をかけられたその人 ―― ヒシュはぴくっと野性的な動作で男の側へと振り返り、すぐに櫓を飛び降りてくる。

 

「多分、行った方が良い。シャシャ。巫女さんはだいじょぶ?」

 

「此方は気になさるな。いやさ、彼女の傍仕えは私なのだからね。キミはあくまで雇われだ」

 

 シャシャはかくりと首を傾げたヒシュに向けて、単純な動作で答える。

 この部族の雇われ……守りの要としてヒシュは動いている。そもそもこれから向かうであろう場所は、部族の駐屯から離れた位置という訳でもない。守りのためにという言い訳は、十分に通る位置である。

 

「そも、キミの目的は達成されていると聞いたのだが?」

 

「そうだね。ひとつ、槍だけは。でも ―― 」

 

 頷き、ヒシュは首を上へと傾けた。淀む灰色が縦横、世界の端までを覆っている。

 

「雪が吹く。多分、雪獅子とポッケのハンター達の衝突も佳境になる。なら、紛れて動きたいと、ジブンなら思うと思う(・・・・・)

 

「あの者らが動くとみる訳か。他の魔剣も求めるのか?」

 

「ウン。魔剣という形じゃ、なくしちゃうけど。でも集める……というか、あっちの手に渡らないようにはしたい……かな?」

 

 もむ、と干し肉を口に放る。しばし何かを考え。

 

「夜だし、都合は良い。戻るのはこっちにするから、心配しないで。シャシャは部族の人達にジブンの出立を伝えておいてくれると有難いかも」

 

「引き受けた。キミ自身の目的を優先してくれたまえ、ヒシュ」

 

 白髪の入り始めた髪を撫でつけ、シャシャは顎鬚を擦る。頷いたヒシュの背を、細めた目で見送る。

 足早に遠出用途の装備を整え。太陽が端に消えゆくその前に、ヒシュは集落を出立した。

 

 

 

 







 これで1万字くらい。やっと狩猟の描写に入れる……。
 どこまでを会話文からの想像に任せて、どこまでを地で描写すればいいのやら。


・乾パン
 こう表記はしましたが、特に小分けに持てるジャンクフードの別表記と考えて頂ければ幸い。
 具体的にはハードタック。低温下での保存となると、かなり有用らしいですね。


・村長
 よいよーいの人。
 公式設定を準拠し、ポッケ村はこの人(ら)とトレ爺が中心となって興した村となっている。ただ数百年との事なので、一代で興したとは限らないのがミソ。
 彼女が立つ場所にあるマカライトの原石は、恐らくハンターの防具に革命を起こした鉱石のひとつである。


・シャルル・メシエ
 彗星の狩人ってロマンがありますよね(
 名前はそのまま使いたいので使用。女体化させたい訳ではない。
 父称みたいなミドルネームと思ってくれると有難く思います。ので、名前は後々。


・猟団の規模について
 《蠍の灯》の50人は恐らく、かなり大きいです。ポッケ村の人口を1600としたのも結構盛っている感はあります。
 ただこの人数の多さは、他の対抗馬がいない故の規模で、かつ僻地における猟団だという部分がかなり影響しています(物語の中で幾つも出すと訳わかんなくなるという理由もありますけれどね)。
 ついでに言うと。ドンドルマにおける最大の猟団としている《轟く雷》は200人前後。西側最大手の《遮る緑枝》はそれより一回り大きいくらいとしています。これはもっと単純に母数のせい。

 本当は人数はゲームにも準拠したい所ですが、意図して故フロンティアのそれより遥かに多くしています。


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第四話 雪獅子の群山 - 境目にて

 

 

 

 木々の合間を抜けた奥。身狭で出入りに一手間が必要な空間を見繕うと、ダレンらはそこに野営地を広げた。

 猟場ではない。隘路はあるが不確かで、外から観測するには不便。地形の手入れ整備などもっての外。だからこそ、敵意を抱かれにくい場所を選んだ。ここはそういう、管轄地の外側なのである。

 ダレン隊にとって調査は、狩猟よりも遥かに気を張る務めであった。調査のための簡易計測具は勿論の事、小型及び大型生物の遭遇にも備え、かつ雪山という環境にも即応しなければならない。管轄地の中であれば観測は気球に任せることも出来るし、逃げ道はあらかじめ用意されている物を頭にたたき込んでおく事も出来る。応用力が試される調査という任務は確かに、引き籠もりな書士隊にとっては不遇な環境なのであろう。無論、それを切り拓くのがダレン隊の責務である訳なのだが。

 

 キャンプを設営して後、ダレンらは二手に分かれる。ジラバと、身重であるフシフを後衛としてその場に残し、下調べや外回りに他の人員を用いるいつもの形である。さらにそこからカルカとウルブズ、ダレンとヒントとクエスの2組に割いて周囲の捜索を始める。

 

 ダレンらはいよいよ件の雪山へと踏み入った。

 その先を、フシフはこれが役目とばかりに意気込んで先行してゆく。彼は雪場での斥候経験は少ないが、場数についてはお供獣人の中でも指折りである。特に臨機応変な対応が求められる調査狩猟において、引き際と観察眼を兼ね備えた小型獣人の斥候という存在は、とても大きな物である。

 

 調査狩猟。そう。ダレンを先頭(楯とも言う)とする現場派の王立古生物書士隊の隊員が増員の一途を辿るに連れ、そういう単語も世に定着した。善し悪しは別として、役目役割を端的に表す「依頼(クエスト)の種類」である。かつては観測員が一手に請け負っていた調査の内、危険を伴う幾分かを書士隊の兼任ハンターが担うというものだ。むしろダレン達が元来行っていた活動を現行の言葉で改めて定義した……という表現が正しいのかも知れない。

 そもそも現場派という言葉が壁と成るのであれば、除去すべきとダレンは考える。が、共存させるための「住み分け」なのであれば、それは確かに必要な物だ。自らの隊に属するジラバや、昨年に婚姻を済ませた……ノレッジと仲の良い恋仲の調査員等々。そういう区分を活用できる立場というのも、世の中には数多いのである。実際体力は無いが切れ者だという調査員は、特に学術院には数多存在する。今も変わらず筆頭書士を務めるギュスターヴ・ロンなどは、その分野においても筆頭なのではないだろうか。

 

 山には、当然ながら木々の間に身を潜めている馴鹿(ガウシカ)や、雪猿(ブランゴ)なども散り散りに生息している。ハンターがより固まっていれば襲ってこない程度の小さな群れである。彼ら彼女らの横をゆっくりと抜け、日が沈むまでに周囲一帯の調査すべき点を歩いて回って洗い出す作業を続け。

 

 ―― 数刻後。中腹に拓けた氷結晶の洞穴の中。

 

「ギァ!?」

 

「甘いっ、んっ、ですっ!」

 

 がちり。少女は目線を同じく腰を落とし走竜と、爪と剣とで鍔競り合う。

 少女 ―― クエスは飛甲虫の甲殻を素材とした鎧を着たままちょこまかと身を躱し、走竜の爪を押しては引いて。焦れて繰り出された牙を右の鉄楯で受け止め、手首の力で刃を引いて切り返し。間近に留まったその首へと斬りかかった。

 首の内側、鱗の無い咽頭部に浅い切れ目がぱくりと開き血が滴る。痛みに身を引いた走竜 ―― ギアノスの胴目掛け、クエスが追撃。楯を振り回し、巻き打ちに放った左の剣で、鱗ごと胴体を切り伏せた。

 その奥の広間には、一段上の足場に開いた裂け目から次々と降り立つ援軍を相手取るヒントの姿がある。

 

「いける。いける。引く、いける……」

 

「ギアッ、ギァッ!」

 

 甲高い鳴き声で次々と仲間を呼ぶギアノス……を、捨て置き。新たに呼び寄せられた個体の着地の瞬間を狙って次々と、足部の健を正確に打ち据えてゆく。地面に転がった個体は追撃。前掛かりに爪や牙で狙ってきた個体からは距離を取る。視界に全てのギアノスを捉えられる位置を保持しながら、教習所の手本のように走竜を仕留めて行く。

 ヒントとクエスは、連携については慣れたもの。共にドンドルマ出身で同期のハンターであり、教習所時代に組んでいたためだ。クエスはドンドルマ生え抜きのまま、防具に関する知見を求めて。ヒントは他のギルドから出戻りした後……今は互いが互いの目的のため王立古生物書士隊に籍を置き。全くの偶然でもって再び組む事となった、奇縁なのである。

 

「後ろ入るよっ!」

 

「ああっ!」

 

 挟み撃ちにされない程度に後方を蹴散らした後、クエスが合流する。ヒントが先頭でギアノスを捌き、打ち漏らしの無いようクエスが追撃する。互いに近接を主とする武器であるため、位置取りは多少の気遣いはするものの。

 ギアノスの動きは目に焼き付く程に見た、ランポスのそれと同様だ。体格は自分と同程度。筋力差はあるだろうが、押し合いにおいて負けは無い。防具を含めた重量では、明らかにハンターが勝る。

 斜め前。気合い一声、地を蹴る音。飛び掛かり。

 身に馴染んだ雷竜(ライゼクス)の具足でがりがりと凍った地面を噛んで、全身を捻子の様に巻いて身を躱し、すれ違い様に鉄製の斧剣を振るう。やたらに詰め込まれた機能は、頭の居ない走竜には使うまでも無い。

 弧を描く刃が腹に食い込んで、遠心力そのまま叩き切る。ぎょろりと此方を向いたまま足を止めた個体目掛けて返しの刃。囲まれる前に前転してはクエスの位置取りを確認し、再びヒントは斬り込んでゆく。

 

 辺りに血臭が満ちる。数分で走竜の追加はなくなっていた。

 相対していたのは恐らく、偶発的に遭遇した走竜の分隊である。甲高い鳴き声が静まって尚ごうごうと唸る洞穴の中。クエスとヒントはそれぞれ武器を背に収め、鶏冠の最も大きな……先ほど仲間を呼んでいた個体を選ぶと首を掴んで腹を晒し、腰の短剣で躊躇なく割いた。

 胃の腑から先。横行する腸までを開いて、(まさぐ)る。何かを一房、つかみ取り。

 

「あった。未消化。毛の長さからしてポポではなく、太さからみてファンゴでもない。やっぱりブランゴか」

 

「まぁそうかなぁとは思ってたけどね。最近の小競り合いは聞いてるし」

 

 楯を背負い、剣のつなぎ目(・・・・)を弄り、周囲を警戒を怠らずクエスが応じる。

 フラヒヤの、ポッケ村周辺における現状はヒントも聞いている。小型の牙獣種、ブランゴの親玉の討伐に精を出しているのだ。組織的に討伐を成さなければならない程の勢力を育て上げた雪獅子・ドドブランゴ。現在の本拠も判明し、退路を塞ぎつつ間引きを行っている最中であると。

 とすれば、肉食獣であるギアノスがお零れに預かっていても不思議では無い。流れとしては、確かに。

 

「意図せずして間引きの手伝いになってしまったかも知れないね」

 

「喧嘩売ってきたのは白ランポスの方だよ。引くタイミングだってあげた。それでも退っ引かなかったのは、白ランポスの選択だからね」

 

 ヒントは腰を上げる。何処までも青く白い氷結晶に囲まれた洞穴だ。死骸は間もなく氷り朽ち、霜と変わりのない山の一部となるだろう。

 

「……俺は傲慢でね。可愛そうだ、と思ってしまうんだよ」

 

「へぇ。いつもは合理合理ってうるさいのに、珍しいね」

 

 自分をどんな目で見ているのか。向こうのギルドに身を置いていた時期があるとはいえ、ヒントの本分はドンドルマのハンターである。

 喉元まで出掛かった少女への呆れを、今は飲み込んで。

 

「行こう。集まる時間だ」

 

「そうね」

 

 目前の脅威は退けた。報告すべき事も出来た。

 2人は足並みを揃えて、隊長の待つ場へと足を向ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―― む」

 

 崖際にも隘路にも近い場所に腰を下ろし、ダレンは眉間に皺を寄せる。

 兜の庇を上げる。山の端に消えてゆく太陽に額の汗を照らされながら、ダレンは手元の地図を覗き込む。オニクルから頂戴した管轄地外の最新の地形を書き留めたものだが、その情報源は主に気球からの観測である。そのため、商隊の通路などでも無い限りは遠目の測量によって判る範囲の標高や障害物しか書き込まれていない。そこへ河川や調査として有用そうな路頭、雪洞や雪に隠された断崖の有無を書き込んで行くのは、調査の種に使うダレンらの仕事のひとつである。

 地図と睨み合っている間に、ヒントとクエス。そしてウルブズとカルカの組も合流地点へ集っていた。崖際に腰掛け、ウルブズが常の如く豪快に笑う。

 

「いやあ。実にグレエト! 道中のジラバの見立ては当たっていたようだなぁ」

 

「笑い事じゃあねえのニャ。ウルブズ叔父は図体も態度も、しまいにゃ気配までもがでかいからすーぐ見つかるのなんの」

 

「だっはっは! あのイノシシの鼻が良すぎるのだと思えよ、カルカ!」

 

「しかし、大猪 ―― それもそこそこ年月を経た上位の成体に出会すとかね。叔父貴は流石というか」

 

 ヒントの呆れも、それもその筈。数合先の山道で合流したウルブズとカルカは、所々に傷を負っていた。とはいえ、その傍らには狩猟を終えた大猪(ドスファンゴ)を携えて……という、一事を終えて落ち着いた頃合いではあったのだが。

 流石に亡骸は、討伐した場に置いてきたものの。

 

「出先でばったり。でも、それでこそウルブズ叔父さんだものね」

 

「だはは! クエスはよぅく判っているではないか。まぁ我も隊長も、よくよくそういう巡りよな。だからこそ合流したという願掛けみたいなものもある。気楽にゆこうぞ、ダレン!」

 

「はい。常々、万全に、気楽にゆこうとは思っていますとも」

 

「グゥッド! 宜しい!!」

 

 天井知らずな明るさの口調にダレンも思わず口端を緩め、軽口までもがついて出る。

 討伐を果たした区画からは足を退けたものの、未だ山道の中途である。距離を取ったとはいえど、巨体故に捨て置く他なかった猪の死骸も、肉食獣を引き寄せかねない。

 さてはと仕切り直し。諸手をあげて部隊の注目を集めると、ダレンは考えを口に出す。順を追って。

 

「ドスファンゴは、大陸東部……特にここフラヒヤでは珍しくない生物と言える。積極的に狩りの対象とするような生殖数もないが、農耕を営む村が近くにある場合は、比較的人に身近な害獣の一派には括られると思う」

 

 ヒントらが遭遇したギアノスもそうだ。走竜にしては珍しく寒帯に適応した生物で、群れを成して人や商隊を襲う。偶発的に遭遇した部隊が襲われるなどというのは、酒のツマミにもならないありふれた話である。

 

「ふむう。つまり今我々が直面している事態は、ここポッケ村の周辺において珍しい事態ではない。そういう事で良いのだな?」

 

「私個人としてはそう考えます。ドスファンゴは縄張り意識も弱くは無く、迂闊にそこへ踏み込んだ人との闘争に発展するのも珍しくはないでしょう。ただ ―― 」

 

 ダレンは腰の鞄から薄黒い蛇竜の皮張りの手帳を取り出して捲る。簡素だが緑の竜鱗を象った付箋の部位を開けば、書士隊からすれば既に見慣れたドスファンゴの特徴がそこには記載されている。故に、内容を確認している訳では無い。ルーティンのようなものだ。目を瞑り、その情景を思い浮かべながら、細かな文字列を指先でなぞり復唱する。

 

「野生の獣だけに、鼻は良い。特にドスファンゴは生物の階層的に強くも無ければ弱くも無い、環境の変化に敏感な位置に付けている生物であると考えます。そしてウルブズ殿が討伐したのはここフラヒヤで『成体となるまで生き延びた』個体であると」

 

 切り取った牙の成長線や古傷からして、それなりの闘争経験もある個体であったのは間違いない。生物の目線に立って考える。ダレンが培った知識とは。予測にしろ心情にしろ、他の生物に寄る事でこそ活きてくるものだ。

 ドスファンゴ。嗅覚は人一倍敏感で、生物的な強者にも弱者にも挟まれて生きなければならない。近場に居たギアノス。特級と思われるドドブランゴによって率いられ、かつて無く肥大化した群れ。それら周辺を忙しなく駆け回る、ハンター。

 

「『気がたっていた』……と思うのは、考え過ぎだろうか」

 

 珍しくは無い。筋は通る。だがそういう偶然で片付けるには惜しい「流れのような物」を。不可解なそれらにこそ注意を払わなければならない事を、ダレンは確かに知っている。

 その細やかに過ぎる考え方を、ヒントがもう一段と噛み砕く。

 

「何者か。ドスファンゴの気を揉み、ギアノスに不退転を強いた。そして我々以外の何か()近くに居る ―― かも知れないと。そう杞憂する訳ですね、隊長は」

 

「ああ。そしてその何者かは……周囲の不和に注意を払う《蠍の灯》の人員である可能性は、低いのだろうな。我々が相手にしているのは、そういった偶然にこそつけ込んで利用する輩なのだ」

 

「ふむふむ。警戒して損はない。そういう訳だなぁ」

 

 男3人でうなずき合うその横で、クエスが掌をぽんと叩いた。瞳には確かな理解の色が見える。

 

「つまり、敵の仕業なのかも知れないのね?」

 

「端的に過ぎるニャよ、それは」

 

 そしてカルカが「間違っては、いないけどニャ」と付け足した。

 俄に張り詰めた部隊の空気を割って、ダレンが腰を上げる。指笛で空を回遊していた伝書鳥を手元に呼び寄せ。

 

「―― オニクル殿を含め、各所へ連絡を入れる。やはりここは『当たり』のひとつかも知れん」

 

 確信に近い疑心を抱えながら、ダレンは手元で筆を走らせ、空へ放った。

 オニクルへ。ネコートへ。キャンプで待つジラバとフシフへ。

 

 そして ―― もう一方。

 

 

 

 

 ■□■□■□

 

 

 

 

 フラヒヤの山には《蠍の灯》が管理する大小幾つかの管轄地がある。ポッケ村の敷地や耕作地を拡大するに連れ、野生の生物(モンスター)らを誘い込む……討伐に利用するための場所が多数必要になったためだ。それら箇所には定期的に猟団の人員が派遣され、間引きや隘路、キャンプ地の整備などが行われている。

 

 その内のひとつ。

 村から山一つ離れ ―― ダレンらが滞在する地から、谷を1つ挟んで向こう。

 

「グエン隊長。ブランゴの逃走経路の封鎖を終了しました。群れを挟撃するための2部隊も、殆ど損害無く引き離しを終えたようです」

 

「了解した」

 

 部下からの報告を受けて、《蠍の灯》副団長のグエンは重々しく頷く。

 彼の周囲では猟団の人員が慌ただしく動き回っている。それも当然。これから猟団《蠍の灯》は、数ヶ月もの期間を経て討伐準備が成された、『2頭のドドブランゴとそれらが率いる群れの本隊』の狩猟へと繰り出すのである。

 グエンは白みがかった長髭をゆるりと撫で、呟く。

 

「いよいよか。これ程までに大掛かりな討伐は久し振りだな」

 

「そうな。それこそオレぁが同時に本腰入れたのってな、一昨年の大雪主ぶりだか?」

 

 天幕の内で大股に座り込む男、ニジェが声を返した。

 共に副長という立場にある彼らであるが、特にこの数日は寝る間を削って指示を出す作業に追われていたにも関わらず、微塵も疲労を感じさせない態度で笑ってみせる。その目には爛々と光る、獲物を追い詰める狩人の火が灯っている。

 

「ハッハァ! オレぁもグエンも、現場に出るのは教導くらい……なんて世の中になればいんだがよぉ。そうもいかねかってんかんな」

 

「そうとも。書類仕事はオニクルに任せて、現場に出られるのがオレらの立場の良いところだ」

 

「言うなぁ」

 

 笑いながら、ニジェも自らの部下に向けて伝書鳥を次々と飛ばす。その内の1羽は空に浮かぶ気球へと飛び向かい ―― 間もなく、光信号による応答があった。

 

「そんで、いつ頃に口火を切っか?」

 

「可能ならば、万全に配置を出来れば良いが。不穏分子が混じっている以上はそうも行くまい」

 

「ああ。さっきの書士隊様からの手紙な。ほんとだか?」

 

「さぁ、それは知らん。しかし彼らが村に来て早々、轟竜を討伐して見せたのは確かだ。少なくとも彼らの隊長は、狩猟の腕がたつ。機転も効くようだ」

 

「無視は出来んてぇことか。村ん利益になんなら、飲み込まぁな」

 

「オレらの立場であるなら、尚更な」

 

 自らの鎧が収められた木箱の蓋を摩りながら、グエンは目を瞑る。ニジェはその様子を半目に見ながら、深く溜息を飲み込んだ(・・・・・)

 

 そうして互いに憂うこと暫し。

 次の指示を。

 雪獅子を追う本隊を、と腰を浮かした時だった。

 

「―― んむ」

 

「―― あん?」

 

 場の様子に2人は同時に気付く。

 部下から報告が来たのは、遅れて数分ほど過ぎた頃だった。

 

「お二人もお気づきとは思いますが、爆発物が使われた音が聴取されました。恐らくは、雪獅子を追い込んでいる管轄地の中。我々の位置からすれば反対側にあたる位置です」

 

「急かされたか?」

 

「かもしんねなぁ」

 

「可能性は高いかと。最も近い場所に居た部隊からさらに数キロ先……目標を挟んで反対側に近い地点です。少なくとも爆発物を用いたのは《蠍の灯》の人員ではありえません。強いて言えば『青の部族』の移動集落の現状位置は、我々よりも近場ではありますが……」

 

「いや。彼らではないだろう。特に強硬な赤ならばあり得たかも知れんがな。青は、少なくとも、みだりに調和を乱す様な事はしない筈だ」

 

 そのまま現状を確認する。他に動いている部隊はと言えば、王立古生物書士隊。だが彼らの伝書を信じるならば、その現在地は管轄地外。隣の山だ。

 

(何より動くには早過ぎる。頭の回転の速さは、轟竜の討伐の顛末でもって理解している。彼ら書士隊が黒だと仮定しても、村に入って間もないこの時期に頭角を現しては元も子もあるまい)

 

 原因からは除外する。他はと言えば、余所者の「姫君」らも現在は任を与えられてはいないが、彼女らは動きを律儀に此方へ報告する。何より彼女らは、日の照る時間帯には動けない。書士隊の伝書からして村にも連絡は届く筈なので、夜になればオニクルや村長の指示で此方へ援軍として派遣される可能性は高いものの、だからこそ今は除外できる。

 だとすれば。

 

「―― 書士隊からも『馬鹿者』らが周囲に居る可能性があると、先ほどに連絡が来ている。ちょっかいを出されたとみよう」

 

「至急だ。動かせぃ。オレぁも出っぞ!」

 

「了解しました!」

 

「オレの方も、工匠兵器の準備を急がせる。気張れよ、ニジェ」

 

「わぁってら! へまぁすんなよ、グエン!」

 

 号令を皮切りに人が散る。

 再び彼らが集ったのは、管轄地の第一区画であった。

 

 幾つもの4人1組が雪原を駆ける。

 牙獣の群れは一重二重に蠢動し、雪獅子の咆吼が重なっては、凍えきった空を振るわせる。

 

 熾火(おきび)が如く未だ燻る思惑を孕んだまま。

 陽は転じて星を。フラヒヤはそして、夜を迎えた。

 





・白ランポス
 ギアノスの俗称。見た目まま。
 鱗のついた生物が寒冷地にいるのであれば、もの凄い保温に適した構造をしている……? 他に寒冷地を主とする走竜と言えばドスバギィで、あちらは鱗というよりは皮な印象。鱗の構造は残しつつもランポスよりは密閉されているとか。メタい事を考えるなら普通に容量。
 初っ端ランポスから入るのはもはや伝統芸能。


・2頭のドドブランゴ
 名前も相まって、とても印象深いクエスト。ここではクエストはそのものではなく、あくまで引用しました程度に受け取って貰えれば幸い。
 ドドブランゴはナンバリングによって強さの印象が乱高下する。


・ドスファンゴ
 フラヒヤ、新旧密林、クルプティオスやらの湿地帯で主に出会す大型の猪生物。ファンゴの親玉にあたる。脅威度としては中型辺り。
 猪突猛進を体現したかの様な突進ヒットアンドアウェイを繰り出してくる。プレイヤーにターン制のアクションとモンスター毎に対策を練って挑む事の大切さを身をもって知らせてくれる先生その②。
 ウルブズは真正面から挑んだが、本来は状態異常を絡めると狩猟は楽になる。


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第五話 雪獅子の群山 - 牙と爪

 

 一行がドスファンゴの痕跡を辿る最中。

 空気がびりと震え、腹の底にまで響く重低音がフラヒヤの山々を貫いた。

 

「また、爆発音……!」

 

 クエスが苦々しげな声をあげた。一行 ―― ダレン率いる書士隊に、いよいよ緊張がはしる。なにせ、爆発だ。人の手によって火薬が使用された可能性が高い。原因を特定すべく警戒はしていたが……周囲を山々に囲まれていては爆発の正確な位置はおろか、方向の観測すらも難しいのが現状である。

 

 伝書鳥の往還により、《蠍の灯》副長らからの返答は届いている。更なる横槍が入ることを危惧したグエンらは、ドドブランゴらの狩猟を予定を繰り上げ開始したようだ。隣の山に居るダレンらは、管轄地の中の様子を見ることこそ叶わない。しかし雇われた観測気球が2つ、山の周囲に浮かんでいる。地上と空とで忙しなく光で交信しているようで、まさに交戦の最中だというのは読み取れる。

 だからこそ、ここにおけるダレンらの役割は明白だ。

 

(未だ不確かではあるが……ウルブズ殿が偶然に見かけた外見や、彼らのポッケ村における立ち位置からして間違いではないだろう。私達の相手は彼ら、彼女ら ―― ここフラヒヤに入り込んだ、魔剣を集める者達だ)

 

 ダレンの持つ民俗学者としての側面を見れば、ポッケ村とその周辺には殊更に重大な意味がある。しかし王立古生物書士隊……そしてポッケ村に身を寄せるハンターとして求められるダレンの役目は、この地に魔剣を集めている輩を押さえ込む事。この一点に尽きるのである。

 世に曰く ―― 魔剣。そんな未知の武器が確かにあるのならば、調査の末に既知とする。それこそダレンらが帯びた書士隊としての使命である。

 魔性を帯びた武器がフラヒヤへ集められているという噂を掴んだ時期は、かつて「仮面の狩人」と遭遇した頃合いにまで遡る。ごたごた(・・・・)に巻き込まれ、調査に出るのが遅くはなったものの、むしろ動き易くなっている。フラヒヤ開拓の歴史を遡ると、移民らの大元は東シュレイドの寒冷地に住む人々なのである。それ故に旧王国および共和国からの影響力が強かった……が、ドンドルマの影響力が強まったこと。《蠍の灯》が地理的な関係からドンドルマに籍を置いていることなども重なってか、ここ暫くは王国からの圧力も無くなっているのだそうだ。

 書士隊の筆頭ギュスターヴ・ロンは、そんな魔剣を収集する人々の事を「信奉者」と称したりする。

 

(あれはおふざけ(・・・・)も含まれているとは思うが、な。……いずれにせよ魔剣なるものを集めている不可思議な集団が在り、その者らがフラヒヤに集まっているのも事実ではある)

 

 ダレンは魔剣なる物の現物を見たこともある。今は亡きフェン・ミョウジョウに師事していた3年前のドンドルマにて、あの日リンドヴルムが真っ二つにしてみせた「不可思議な剣」がそれだ。確かにあの黒塗りの剣には、底知れぬ奇妙さを覚えたが。

 

「―― ダレン隊長、どうしますか」

 

 雪を掻き分けながら、ヒントは部下として次の行動方針を求める。

 状況の把握が必要だ。ダレンは眉間に皺を寄せ。

 

「少し、気球を見て来ようと思う」

 

 同意を得てダレンは崖際に向った。観測気球が見える位置、張り出した崖上へと走り寄る。白く煙る峰と峰の合間。猟団と観測隊との間で交わされる光信号を、横合いから読み取るためだ。

 しばし空で交錯する明滅を見つめ。

 

「戦況はどうでしょう」

 

「……どうやら早速、ドドブランゴと遭遇したようだ。数は2。雄と雌。護衛として残されたブランゴは少なく見積もっても200頭で、引き離しを試みるようだ」

 

「ええ? 猟団の人達があれだけ、分散させようと頑張ってたのに。そんなに残っているの!?」

 

「うむぅ。管轄地の針葉樹林の殆どを、あの群れに占拠されていたからな。その程度は潜ませていても不思議ではあるまい。とはいえ長2頭の統率力と求心力は、確かに通常のドドブランゴという域を脱してはいるがな。だっはは!」

 

「ウルブズ殿の言う通り。……あれだけの数のブランゴを飢えさせることなく、争わせることもなく、一つ所に押し集めているというだけでも(かしら)の力量が伺えようというものだ」

 

「まぁ本腰入れて取り掛かってるからには、猟団様もこれくらいは想定してるニャよ。むしろこっからオレ達がどうするか、って話ニャァ」

 

 追って崖上に集まった面々と、ダレンは頭を悩ませる。

 ひとつの群れにそれ程までの頭数を抱えていた雪猿の群れというのは、流石に記録にない。過去最大級の群れであることは予想されていたが、周囲を埋め尽くす程の雪猿が現実として出現したというのは、ハンターとしては想像したくない光景でもある。

 とはいえダレンらは、猟団とは別に動くことが許された部隊だ。そもそもこの場面で外様であるダレンらがハンターとして援助を、というのは《蠍の灯》にとっては嬉しくない行動であろう。カルカの言う通り、どうするか。つまりは引くか、外野としてでも雪獅子との決戦を援助するか……もしくは、ドスファンゴらの気がたっていた原因を追い続けるか。

 頭の中の隅に引っかかる感覚がして、それを振り払うようにダレンは首を振る。

 

「―― 私ひとりで決定することでもないか。ウルブズ殿、どう思われる」

 

 最も年長でハンターとしての経験も豊富なウルブズに、ダレンは尋ねた。彼は自分と別の角度から物事を見ることが出来る。同じ民俗学という分野に傾倒しているにも関わらず、考え方や視点は驚くほどに違うのだ(無論、それはダレンも同様でウルブズに知見を貸すことも多いのだが)。

 こういった場面で話を振られるのには慣れている。ウルブズは全身を覆う土砂竜の鎧をざりざりと振るい、顎鬚を指でなぞり。

 

「むぅん。まぁ、まず、戦力は足りているわな。我とダレン。クエスにヒント。何がしかと争う事になったとしても、最低限の形にはできような。加えて斥候として動けるカルカもおる。ベースキャンプに残してきたジラバ達への伝言を頼み、4人1組で狩猟の態勢とする。可能ではあろう」

 

 各員の顔を見回し、その表情と調子を確かめるようにウルブズは話す。フラヒヤの山々が騒ぎだした今、他の生物達も黙ってはいない。ざわめく雪山その中を動く以上は衝突も避けられまい。だからこそウルブズは先ず、狩猟の可否について言及したのだ。

 ここまではダレンも部隊員もおおよそ同感である。ウルブズはただし、と付け加え。

 

「二度目の爆発音が聞こえたという事は、トキシの奴を呼びつけておくのもよかろうな。爆発の原因が何者であるのかは別として、人であった場合には有用だ。権力は振るっておいて損はあるまいよ」

 

「成る程。それは良い策かと」

 

 ダレンが頷く。

 隊員では唯一、クエスが疑問符を浮かべる。

 

「トキシさん、って。ギルドナイトなの?」

 

「そうだね、クエス。ギルドナイトであれば、相手が密猟者であろうとなかろうと、管轄地周辺で暴れている者にはは捕縛の権限を持つことが出来る。君はまだお世話になったことは、ないだろう?」

 

「あーりーまーせーんー。……そっか。トキシさんって、ギルドナイトなのね。あの特徴的な防具を着ているの、見たことがなかったから」

 

 彼女なりの防具的な視点ではあるものの、得心がいったという風にうんうんと頷いた。

 ハンターズギルドから、同職の取り締まり権限を与えられた唯一の特例「ギルドナイト」。そのひとり、トキシという男が現在、ポッケ村周辺に駐在しているのである。彼がここフラヒヤにまで出張っている時点で「何か問題が起こっている」と表明するようなものなのだが、件のトキシという男はその辺りの立ち回りがとても上手いようだ。猟団からは疎まれず、ハンター達には馴染まず、かといって名を隠すこともなく。村の人々に顔が知れる程度にちらりちらり、存在を覗かせるのである。

 まとめよう。猟団への援護は藪蛇の可能性があり、水を足して根腐れを起こしては元も子もない。後から援軍は来る。現行のチームでも戦力は、足りている。

 

「トキシ殿への連絡はしておきます。そして ―― 追おうと思う。ドスファンゴの痕跡を。そして、彼らの影を」

 

 ダレンの言葉に、他の4名が同時に頷く。方針は示された。闘争止む無し、追走である。

 雪山をぐるりと、管轄地の外側から回り込む順路を選ぶ。《蠍の灯》とドドブランゴらのぶつかり合いを邪魔しないように。かつ、その奥に潜む()を追い詰めるためだ。

 万年雪に覆われた地である。木々のない窪地になれば、積雪の深さは胸や腰にまで達する。整備の行き届いていない悪路が続くが、時間が惜しい。移動のための雪駄等を再び利用して走り、滑り、可能な限りの早さで奥へと駆ける。

 

 ―― ォォオオオオン。

 

 管轄地が近い。雪獅子の咆吼が夜空にふたつ連なり、遠吠えで応える雪猿の群れ。フラヒヤの山は今、闘争に揺れている。

 目的地は間もない。細く吹かれる道を抜け、雪洞を潜った ―― その先。

 

(居た。居たぞ)

 

 白の原に、滲む黒。

 

 背丈、上背、手足の長さは人のそれ。しかし色でしか言い表し様のない、狩人の防具に身を包む……重く濃く染められた3人組が其処に居た。

 雪を乗せてびゅうと吹く風、鳴き声。他に音は無い。鳴き声は彼ら彼女らを囲む、走竜によるもの。

 

「―― ギア! ギァ!!」

 

 囲まれている。追われているのだ。

 自ら先頭を駆けるドスギアノスが、甲高い叫びで群れを煽る。応じた白鱗の走竜達が位置を入れ替えながら、前後左右を連なり駆ける。

 追われ、逃げる側。3人共に感情は読み取れない。少なくとも足がもつれていたり、慌てているような所作はない。違和感に包まれながらも、何処までも狩人然とした、反撃の隙を伺う体勢である。

 いずれにせよ選択肢は助力の他にない。ダレンは背の『斬破刀』の柄に手をかけた。

 

(……少なくとも今は敵ではない、か)

 

 人同士での争いには至らず。そのまま黒の一団と、書士隊とが交差する。

 

「―― 、」

 

 3人はダレンらの合間をすり抜ける。その内の、黒く艶のある髪のひと房を兜から垂らした者と、兜の内で視線が交わった気がしたが。

 今は背後。ダレンの視線は前へ。走竜の頭にばちりと視線を合わせると、すぐさま敵意が返された。

 先手。判断が早い。ドスギアノスの身体が跳躍。

 隆起した両脚が地を蹴って雪に舞い、鋭い眼光と鶏冠が頂点を切り、全体重を乗せた氷爪がダレンへ迫る。

 

(狩猟の許された管轄地であれば、その周辺もまた同様に自由迎撃が許されている。このドスギアノスにも適応される。問題はない。狩猟によって他に不利益が与えられる可能性は……)

 

 むしろ、ここで仕留めた方が状況は好転する。走竜達はドドブランゴと猟団の闘争にあてられて(・・・・・)いるのだ。視認できる群れの頭数は10。出会い頭に不意を突けば、素早く迎撃できる規模である。

 ―― そんな風に状況を俯瞰できる程に、ダレンの内は静まり返っていた。害意は感じる。走竜の肉を抉る青爪を浴びれば当然、自身の身体は傷を負う。

 

 慢心はない。ただ自らの技量でもって覆せるという確信が、此処にあるのみ。

 

 吹雪き始めた山道の中央。二脚で地を駆ける走竜の群れと対面する。仲間と同時かより速く、ダレンは鞘に手をかけ腰を落とす。雪山にそぐわぬ火竜(リオレウス)の小手の内で、歴戦の鎧下がぎしりと軋む音がした。

 ドンドルマに居る間。絶えず研鑽を積み、数えきれない程の協力を得た末に編み出された ―― 独自の刀剣扱い(りゅうは)

 『斬破刀』の刀身は身の丈ほどもある。只人には持ち上げるのが精いっぱいの重量だ。とはいえハンターからしてみれば、大剣ほどの固さもなければ分厚さもない、「中間の得物」という評価になる。相応の筋力は必要なものの、文字通りの「長物」としては軽い部類に入るのだ。

 故に成し得る剣がある。重さと軽さという本来有り得ないふたつを両立し内包した武器種だからこそ、背負わず片手で横に()き。柄は順手に、緩く把持したまま。

 皆伝を受けた弟子、彼の子、大陸全土に散ったかつての盟友。それら人々から師事を受け回る日々。河底に散りばめられた砂金を集めるかの様な、途方もない作業であった。これ(・・)らの読み解きに協力してくれた師らには、感謝しかない。

 

 守勢の逆撃 ―― 後の先。

 緊張を解く。爪と鉄が噛み合う澄んだ音、受け流す、絶妙な角度で滑らせる。

 手首と全身。そして粘りのある芯の鋼がゆるりとしなり、反動。走竜の重さが減じた瞬間に、ダレンは返す刃で斬り放つ。

 剣尖で星の光を映した斬線を描き。雪片を諸共裂いて。刀剣を振り抜いた跡では、ドスギアノスの表情が、口角から咽頭にかけて両断されていた。

 

 この剣には知識と理解が必要だ。ドスギアノスの質量を概算し、着地によって衝撃が分散される位置を見極め、自分の間合いに引き込む。減算(・・)した対象に乗算(・・)した力をぶつけ、体格差を覆さんとす ―― 必定の剣を放つのだ。

 その名を『見切り』。受け流しのための観察眼と刃の(やわ)さにこそ真髄を孕む……今は亡きフェン・ミョウジョウの口伝(・・)に則った、術理の柔剣である。

 

「―― しぅっ」

 

 唇を(すぼ)めて息を吐き出し、ダレンは『斬破刀』を鞘に収めた。

 正面では頭の追っていたギアノスらが、ドスギアノスの敗北にぎょっと息をのんでいるのが判る。彼ら彼女らは出鼻を挫かれ、足を止めた。つまりは好機だ。書士隊一同が、雪崩れ込んでは斬り崩す。

 

 

 

「ゆくぞ、カルカぁ! はぁ ―― どっせい!!」

 

「任せるニャぁ!」

 

 先頭、ウルブズが「ひと繋ぎの剣と斧(スラッシュアックス)」を握りこむ。

 鼻と鼻がぶつかる程の勢いで、カルカが突撃。正面のギアノスを、両手で掴んだ木製の『大楯』で押し込んだ。押し広げられた間合いに入り込み、ウルブズは雪原に埋まる程に両脚を踏み込む。土砂竜の爪を模した具足が霜を砕き、弓なりに溜めた身体全てを投げ出して『精鋭討伐隊剣斧』を振り回した。

 漿液共々、血飛沫が散る。巨躯から生み出された膂力と、斧の遠心力によって放たれた刃は地面を抉り、しかし勢いは微塵も衰えず、2頭を叩き切ってみせた。正眼に構え直す。今度は中央の軸を滑らせた刃が斧に接地し、重心が先から手元へ ―― 名実ともに斧から剣へと切り替わると、跳ねる。空に斜め十字を描いて、間近にいた3頭目と4頭目も斬り伏せる。

 

「せっ、はぁっ! ―― てやぁっ!!」

 

 クエスが「一対の盾と斧(チャージアックス)」を振りかざす。

 色鮮やかな飛甲虫の腕甲につけた、身の半分を覆う盾。それでギアノスの身体を押し込みながら、他方の爪を剣で捌き。間合いを作ると、両手に持った剣と盾を繋ぎ合わせて腰を入れ ―― 回転。剣の先に取り付けられた盾の(ふち)が刃となり、炸裂と共に周囲のギアノス3頭をまとめて薙ぎ払った。

 残心(フォロースルー)。しゅるしゅると熱気を放つ『衛士隊正式盾斧』を、放熱のため再び剣と盾に切り離す。

 

「引く、引く ――」

 

 ヒントが「ひと括りの爆砲と斧(アクセルアックス)」を腰に構える。

 構え姿は重量級の弩弓のそれに酷似していた。他方に刃、他方に砲。威嚇に砲を撃ち放ち、クエスの背後を駆け抜けたかと思うと。

 

「―― いける、いける……いける!」

 

 後ろに向けて(・・・・・・)砲を放つ。その反動を利用して、雷竜の鎧ごと加速した。白地に山吹色の光源を引いて、急加速に体勢を崩す事もなく、ヒントは慣性全てを刃に乗せて ―― 『特務爆斧(ブラックロー)』を振り上げる。刃を扱うだけなら、剣と(うそぶ)ける速度。ギアノスは驚く暇もなく、柔らかい腹側から抉られ、臓腑を撒き散らして息絶えた。勢いを減じず数合打ち付け、2頭、3頭。

 

 ダレンは隊員らに、何度目とも知れない頼もしさを覚えた。

 3名共に変形機構を採用した、先進性のある武器を持っている。ダレンらが通常の狩人らと共同戦線を張り辛い理由である。立ち回りを理解してもらう事が、難しいのだ。

 これら武器はジォ・ワンドレオやメゼポルタやロックラック、さらには最近に開発が着手された群島といった「武具開発の最前線」において提案された物。ひいては独自の技術を継承したジラバが居るからこそ採択できた武器である。維持整備に専門性が必要となるからだ。

 剣斧、盾斧、爆斧。間もないどころか発展最中の代物である。扱うハンターはいずれも少数。良い表現で言えば革新的、悪く言えば実験体とでも呼ぶべき。そんな、新たな側面を切り拓く武器種なのである。

 書士隊員になると同時、ハンターランクを稼ぎながら扱ってきたクエスとヒントは兎も角、ウルブズは数か月前にやっと剣斧を握ったばかりだ。それでも何とか形に出来ているのは、彼の得ている経験の重さと濃さ、そして巨躯に似合わぬ柔軟性によるものだろう。

 各々が武器を鳴らし終える。周囲からギアノスの姿はなくなった。雪に溶ける屍と、生臭い血の跡が残るのみ。

 

「だーっはっは! 斧の重厚さに剣の軽さ。ただひとつの得物で重心の違いを両立してみせるとは、実に爽快! 流石はジラバ。まさにまさに、グレエトよなっ!!」

 

 剣斧を片手で振り回して地面に突き立て、血脂をはらい、ウルブズが笑う。御覧の通り、彼は新開発の武器という新たな知見を楽しむことの出来る人物でもある。随一の戦闘能力と民俗学者としての側面。加えてこの人となり。ウルブズを外部隊員として招集したのはダレンであるが、他隊員からの申し立てがなかった辺りからも、彼の人と成りが伺えるというもの。

 

(……ウルブズ殿はクエスとヒントにとっては今更な人物でもある。心配はしていなかったが)

 

 心配事は他にある。

 ウルブズが笑いを治め、ダレンら一隊は揃って振り返る。クエスもヒントも警戒心を顕わ。今にも武器に手を掛けようと言う雰囲気。カルカが楯を向けないまま、そっとダレンに寄り添って。

 正対。黒い3人が、立ち止まっては其処に居る。

 

「……」

 

「……無事でしょうか」

 

 無言がぶつかるその前に、ダレンは声をかけた。

 雪が敷き詰められた道に寒冷さが満ちて、吐き出す息までもが白に染められる。

 

「―― あ、あ」

 

 ダレンの真正面に立った、黒の女が音を漏らす。

 真黒に染め上げられた人型のそれを女だと判断出来る理由は、防具の意匠である。肌襦袢、鎧下等々。防具というものは狩人らを覆うものであって、身体の線が出る物だ。彼ら彼女らが纏う黒い防具は、分厚くはあれど、それら意匠を最低限残しているのである。

 その点から見れば、残る2人は男。いずれにせよ3人共に面頬付(であろう)の、顔全体を覆う兜を身に着けてはいるのだが。

 

「あなたは」

 

 女はダレンを指して言う。兜の内から垂れた黒く艶のある下げ髪が雪風に吹かれて揺れて、僅かな懐かしさを覚える。

 ……などと、懐かしさの由来を思い出す暇もなく。

 ダレンは身を強張らせた。

 女の雰囲気が、一変したからだ。

 

「―― あなたが! 何故ッ!? その剣を……我の求めた剣を扱っているッッッ!!」

 

 篭った声。叩きつけられたのは、憎悪。

 悪感情の乗せられた声だけが風に負けず、星々の下を響き渡る。

 

 

 





・剣斧
 スラッシュアックス。初出は3tri。
 変形機構を持つ初めての武器。重心位置をずらす事によって「使い分け」が出来るようになった。コンセプトはとても現場向きだなぁと感じる。
 それらに加えて、以降の変形武器にも搭載される「もう一手」には、創作者の色が出ると思われる。具体的に言えばビンとかエネルギーとか云々。
 回避距離を付けると凄く快適でしたありがとうございます。

・盾斧だか斧盾だか
 よく間違う(戒め。チャージアックス。名は武器を表していますが、あてられた漢字は武器の構成なのに対して英字カタカナ表記は手段なのがどうにも首がネック。
 初出は4。重い片手剣みたいな構えから繰り出される合体変形機構。ビームソードは本当にどうしよう(戒めの戒め。

・爆斧(アクセルアックス)
 多分解説があったほうがいい武器。出典はモンスターハンターエクスプロアより。同ゲームのオリジナル武器になります。おそらく同期は、フロンティアのマグネットスパイクと穿竜棍。オリジナルという意味で。
 大型の両刃の剣を用意しまして、片方に刃。片方に射撃機構もある砲をとりつけたらあら不思議。出来上がりでございます。力技ここに極まれり。レバーで砲身を動かして射出方向を切り替え、一応の射撃も出来る。
 アクションはちょっと削って採用。とはいえ3人が持っている可変武器3種はいずれも実験段階であり、ゲーム本編とは出来ることが違っていたりしますのであしからず。作中の時系列が2ndGですからね。致し方ない。


・ギルドナイト
 遂に出します(未)。
 「トキシ」さんに権限を与えているのはドンドルマ。とはいえ、ミナガルデ側から権限を与えられているギルドナイトもある設定です。ギルドはどの程度の規模から独自のものとして動けるのだろう。私のでは構造やらを判り易くするために2つしか書いてませんが……。
 トキシ。モービン。聞き覚えがある方はフロンティアマスター。


・「―― 、」
 すれ違った際の違和感と間を挟みたかったとはいえ、やっべぇ表現(語彙力。
 でもこれをやっても(頁とか構成の都合がないという意味で)良いのがウェブ書き物の良い所。



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第六話 雪獅子の群山 - 黒の帳

 

 

「―― あなたが! 何故ッ!? その剣を……われの求めた剣を扱っているッッッ!!」

 

 フラヒヤの往路の際に立ち、女はダレンに牙を剥いた。

 此方を睨み付ける瞳の内には、激しい炎が燃えている。それは黒く濁り固まった……人の合間に巣喰う(うみ)。幾度も見た、憎悪の熱によって燻る炎である。

 人は菌に負けないようにと膿を排出する。確かに必要なのだ。ただ、蓄積されると身体は熱を産む。毒素に敗北しないように。

 ダレンの横から、腰に手を当て動じず。ヒントが呼びかける。

 

「突然ですね。……隊長の『斬破刀』が何か? 」

 

「惚けるな! 刀それ自体ではない。貴様の用いた体術だ! それは! それはっ……!!」

 

 詰め寄った女が言い淀み、身を引く。顔を歪め、唇を噛み、その端に一筋の血を流した。

 目前で肩を小さく揺らす彼女。艶めかしく黒く、身体の線が出る防具に身を包んだ人物だ。顔も兜に覆われ、後ろから一房、括られた黒髪が垂らされている。

 激昂と呼ぶに相応しい怒りの気を肌に受け止めながら、ダレンは想う。

 

(これは……懐かしさ、か?)

 

 見覚えがあるのかも知れない。ただ今は記憶すらも黒く塗り潰され、探すな……と叫ばれている様な感覚も覚える。

 一度目を閉じ、ハンターヘルムの庇を上げて、鋭い雪風に頬を晒す。

 

「君はそう言うが、体術には善し悪しも無ければ貴賤も無い。私が修めたこれは、ドンドルマで研鑽したものだ。良ければ道場を紹介するが ――」

 

「っ、貴様は……! われが一体、どれだけの……」

 

「―― これはダレンが自身で鍛え上げたものだニャ。お前がいきなり怒声を浴びせて許されるものでは、ないニャよ」

 

 カルカだ。女の気配が俄に害意へ傾いたのを読み取って、彼はダレンの足元から鋭い声を差し込んでいた。

 大楯を傾ける。括られた鈴がちりんと揺れる。

 

「その怒りの大元については聞いておきたいにしても、ニャ。……よしんばダレンに教えを請うなり話を聞くつもりだったとしても、その態度はありえんニャ?」

 

「そーよ。まがりなりにもあたし達、書士隊の隊長に対して。そもそもあなた達は何者ですか? 今まさに窮地を救ったお礼は? 無礼千万です!」

 

 クエスも割って入ると、いよいよ女はたじろいだ。あまり良くない流れだ。ダレンは無用な衝突を避けるため、手を翳して間に入る。

 

「すまなかった。貴女を貶めるつもりはない。ただ、ここは猟場だ。いずれにせよ会話をするならば、私達が設営している拠点(ベースキャンプ)にまで案内するが……」

 

「―― 無用だ」

 

「―― お前も下がれ」

 

 考えは向こうも同様であったらしい。黒色の男2人が前へ出ると、此方に掌を向けた。

 ダレンらの纏った外套。その肩に飾られた、書士隊の紋章を指し。

 

「こちらに、書士隊諸君と争うつもりは無い」

 

「そういうことだ。……ちっ。手間をかけさせるな。時間が惜しい」

 

「……すまなかった」

 

 得物はそれぞれ剣と小楯、長槍。舌打ちした方の男の言葉に、女が応じる。頭を小さく下げた拍子に、背負った太刀がちらりと覗いた。

 各々が掲げる得物。そのいずれもが ―― 黒い。

 ウルブズが腕組みをしたまま尋ねる。

 

「ふたつ聞きたい。キミ達が噂の『馬鹿者』らだな?」

 

 振り向き、立ち去ろうとした3者の足は、武器を背にした大男からの問いかけに、止める事を余儀なくされていた。女がダレンに突っかからなければ、走竜との闘争に紛れてでもこの場を離れていたに違いない。

 

「蔑称よな、其れは」

 

 3人の内、剣と楯を構えた男が応じる。

 男は鎧の上からさらに襤褸切れの外套を羽織り、兜の上からフードまで被っている。ドンドルマの守護兵(ガーディアン)によく似た取り合わせながら、風貌は不気味という言葉に尽きる。

 慇懃に指をならし、男は続ける。

 

「だが間違いではあるまいよ。フラヒヤの民草、赤けた火どもは我等をそう呼ぶ。私達はそれぞれが別を求め、しかして道を同じくする者。所謂、愚者だ。おお、自らそう名乗ろう。……其方が走竜を討伐してくれた件には、感謝を述べる。有り難い」

 

 自らを皮肉り、男は嗤った。威圧的な鎧に身を包みながら、道化として振る舞う姿は、確かに常人の反応とは言い難い。

 ダレンの視線を受けて、ウルブズは髭をさすり。

 

「……ふむぅ。まぁ我ら書士隊には、其方を捕縛する権利が無い。猟団に恩のある者として、あちらに報告だけはさせてもらうがな」

 

「山犬め。義理堅い男よ」

 

「だっはっは! そうでなくては、書士隊で学者などやってはいられんのよ」

 

 大仰に笑い、落差をつけて ―― 睨む。

 山犬の牙を覗かせ、ウルブズが威圧を持って3名を縫い止める。

 

「して、もうひとつ」

 

 彼らが走竜との闘争を避けていたのは確かだろう。だが仮に正面切って戦ったとて、勝算は十分。ポッケ村に居る内に書類上で確認した限り、彼らは全員が上位のハンターなのだから。

 だとすれば、争わないという選択を強いられた理由とは ―― 順を追って考えれば、明白。

 

「なあ、馬鹿者どもよ。お前らはいったい、何から(・・・)逃げていた(・・・・・)?」

 

「決まっておろう」

 

 獣の様相のウルブズに相対し、それでも男はくつくつと黒面を揺らす。

 ダレンはその後ろ。ウルブズが作り出した時間を無駄にせず、思考を追う。

 

(先ずドドブランゴでは、ない)

 

 雪獅子の眷属は全て、管轄地にて猟団《蠍の灯》と相対している。

 別のドスギアノスでは、ない。頭を1匹割いたのだ。群れこそが走竜にとっての最大の牙。近場に別の頭も居たのでは、隊を割いた意味が無い。

 ドスファンゴでは、ない。ドスギアノスと同じく、彼ら上位ハンターが狩猟できない相手ではないからだ。少なくとも逃げの一手を迷い無く切る相手では、ないだろう。

 ウルクススでは、ない。脅威度は同様。フルフルでも無い。稀白竜が、走竜達とぶつかってまで、開けたこの場所へ出てくる可能性は低い。

 

「間違いなく大型。脅威度は走竜以上。ティガレックス……は、咆吼を耳にしていない。普段は穏やかな、しかし逃げる必要のある生物」

 

「ほう? 流石は気鋭の隊長というべきか。早いな。……ははは! だが!!」

 

 男の笑いに誘われ、周囲に気配が露出し満ちる。遠く曇天の下、管轄地にて雪獅子の咆吼が連なり、一層気配は密度を増して。

 ウルブズが構える。ヒントが身体を開き、クエスが楯を構え、カルカが大楯を持ち上げる。

 ダレンが、来たる気配に身を引いた。

 

「誰から逃げていた? 当然其れは、絶対ではなくとも『強者』から、だ」

 

 疑問を挟む猶予は無い。男は両腕を開いて、大げさな態度で空を仰ぐ。

 

「そうれ……山成る、山鳴る神のお出ましだ!!」

 

 男が一足に退く。

 彼我の距離が、開く。

 

 側面。

 聳える氷壁の各所がヒビ入り、衝撃が奔った。

 

 揺れる。腹に響く重低音を伴って壁が割れる。隔たっていた氷雪の塊が、砕き雪崩れて轟いて。一隊が立つ通路を滑り、谷間に流れ落ちて行く。

 雪煙。視界が悪い。衝撃から逃れながらでは、全容を把握できない。ダレンは負傷を覚悟で足を止め、危険と安全の境目にて、その生物を見上げた。

 

 差し込まれたのは、問答無用に威圧感を振りまく鋭く長大な牙。

 見上げて見上げても空を塞ぐ、壁と見紛う巨躯。白き鎧の合間に見ゆる、分厚い体毛。

 それはポッケにおいて継がれた語りのひとつ。恐れ多くも雪山の深奥に座したる神秘。

 

「……巨獣、ガムート!!」

 

 隊員に自らの無事を知らせる意味を含めて、ダレンが叫ぶ。

 ガムートは周囲を見回している。すぐさま敵対行動を、という訳ではないようだ。

 だが、退路も無ければ進路も無い。退路は今、ガムートの持つ巨体によって塞がれているのだ。狭く、足元さえも不確か。砕けた氷塊と落ちた雪が地面を覆い流し、崖と地面の際、そして雪の庇の境界までもが不明瞭になった。不利に次ぐ不利。

 続けて確認する。ガムートの向こう。未だ雪煙に包まれた往路には……3人の影も無い。彼らをみすみす逃すつもりは、無かったのだが。

 

(このガムートに……追われていた? そして男の挙動は、まさか……割り込むタイミングを調節していた、のか……?)

 

 丁度が良すぎる。かの男がガムートをけしかけた。そう思えても無理の無いタイミングで、巨獣はこの場に現れている。

 獣を操る。それは。

 

「―― 争いは避けられんか、やはり」

 

 剣斧の柄に指を絡ませたウルブズが背後に立った。彼は額に皺を寄せ、牙獣の向こうに消えた姿を追っては目を細め。

 

「馬鹿者どもは……既に姿をくらましたか。これは仕切り直しだなぁ、ダレンよ」

 

「ええ。本来であれば猟団の人員を伴えれば良かったのですが。捕縛できなかったからには本格的に、トキシ殿に警邏を頼まなければならないでしょう」

 

「先よりも今です、隊長。目前の問題を片付けなければならないのでは?」

 

 ヒントの言葉にダレンも頷く。目前に現れた巨大な獣は、敵意こそ薄いが確かにそれを持っている。学術院に集められた情報を読み解けば、ガムートは種族的には好戦的とは言い難いとされている。書士隊の雪山での活動が少ないが故に資料こそ乏しいものの、積極的に侵入者を排除するような気性ではない……とされている。これはポッケ村の人々や専属のハンター達の証言からも元付けのある情報だ。

 ただ、勿論、今のフラヒヤ雪山は通常の環境では無い。

 前代未聞のドドブランゴの台頭。猟団の活動の活発化。そして。

 

(加えて、止めに。あの3人が何かしらを企てていると考えるのが自然なのだろうな)

 

 彼らの後を追ってガムートが現れたのは、偶然では無いのだろう。ダレンら書士隊をかち合わせたのも、ともすれば企てと考えるべきである。 

 管轄地の外だとはいえ、逃げるのも手段ではある。しかし獣の側に害意があればこそ、偶発的な事象……例えば他の生物の乱入などだ……によって危険度は跳ね上がる。管轄地の側に影響を及ぼさない程度に、弱らせるべきであろう。

 ダレンは背の『斬破刀』に手をかけた。ガムートが遙か上、空を塞いで此方を見下ろす。隣でカルカが大楯を構え、隊員がそれぞれ抜斧する。

 

「この個体を観測下に置くのが望ましい。総員、狩猟の体勢を。……ガムートを迎撃する!」

 

 号令に、了解の声が重なる。

 それら一切をかき消して、巨獣が吼え猛る。

 

 深きフラヒヤ、長き狩猟の幕が ―― 基点(ここ)をもって開かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俯瞰する。

 龍の文様に球皮を彩られ、気球は雪荒ぶ空の只中に在る。

 山上から見下ろす管轄地……フラヒヤフィールドは、()火に燃えている。

 

「―― 衝突」

 

 雪獅子の夫婦が、猟団《蠍の灯》に牙を向けた。

 猟団の側では、遂に副団長2人が剣を取ったようだ。4人1組の部隊が縦横無尽に駆け巡り、牙獣の群れを端から削り倒してゆく。

 

 簡単だ。今は獣よりも人の方が数は多く、管轄地に押し込められた時点で結末は見えている。

 それでも抗う。抗うのだ。2頭のドドブランゴが樹上を駆け、崖の上から見下ろす。副団長の2人……ニジェとグエンが率いる部隊の視線を引き受け、地中から一斉に現れたブランゴで分断する。

 管轄地は人に味方する。いや。人が知識を持って味方に付けた、というのが正解か。運を天の裁量とするのは自由だが。それは管轄地という場所を監督し、精査し、手を入れた努力と経緯を差し引いた評価でしか無いのだから。

 副長は動じない。ニジェ、グエンがそれぞれ部隊を割って指揮を続ける。ドドブランゴの番は別れない。ニジェの側へと襲いかかる。

 ニジェは軽弩を撃ち放ちながら移動する。隊員が楯でブランゴを掻き分けて射線を通し、誘導する。森の側から、崖の側へと。

 ドドブランゴは人の力を理解している。あれは強く、堅く、賢い生き物だ。自らの番と疎通する。交互に前後を入れ替え、群れへの指示と肉弾戦とをない交ぜる。

 彼ら「人」の武器は身体の硬さと爪の鋭さ、そして凍土への適応力にある。飲んで食べてという「生命の維持」と、心の臓を動かして寝てという「体力の保持」とを分けて考えた場合に。彼らは食料の調達などによる「維持」には長けるだろうが、冷気の強い雪山では「体力を保持」するのには苦労する。明らかに有利な点だ……と。ドドブランゴは自らの力も理解している。

 グエンはニジェに戦線を任せたようだ。これは決戦である。用意をしていないはずはない。周到に。引き金を引く指となるべく。彼はブランゴの頭数を間引きながら、隊を率いて管轄地の奥へと走った。

 

 彼らの戦いは、力強い金管の音色だ。高く鋭く重く、主として猟場と今を支配する。盛り立てる人の波はいずれ腹にまで響き、強い印象と傷跡を残す。

 戦いは未だ続く。夜は明けない。

 双眼鏡を、外へと向ける。

 

「―― 交錯」

 

 巨獣が書士隊に向けて雄叫びをあげた。

 観測下に在りながら、在る事を知って尚、彼が率いる書士隊は巨獣の迎撃を引き受けていた。

 理由は幾つかある。ガムートがいつになく好戦的であること。今は猟団が決戦に注力しており、彼らの持つ狩猟権限では……猟場の外に居たガムートを狩猟しきるには後の問題が生じるであろう事。これは決して、彼らの力量では討伐なし得ないという訳では無いが。

 

 ガムートが雪煙を巻き起こす。中距離を保ち、鼻と牙をいなしながらダレン・ディーノは太刀を振るう。視界外からの雪片をアイルー……いや。メラルーが大楯で弾き、周囲を警戒。

 変形する斧をそれぞれ持った3人が駆けた。

 若い男と若い女は、息を合わせて。壮年の男は牙を剥き出しに、戦場を噛み砕くように剣斧を振るう。轟竜の牙すら跳ね返す剛毛の外套も、鈍器獣(・・・)にとっては叩き甲斐のある……程度のもの、なのかも知れない。

 

 書士隊の目標は、遠くから見ていてもはっきりと判る。押し並べて、角をたてない事。この大陸におけるハンターの理念に反さず、沿うものだ。猟団にとっても書士隊にとっても傷は犯さず。獣らの気を乱さず ―― 波は合わせ、爪を揃え、整える。

 そしていざとなれば、必要となれば剣を向け討伐へ踏み切るだけの柔軟さをも……少なくとも、この隊長は持ち合わせているのだ。

 

 彼らの闘争は、繊細な鍵盤の音色だ。縦横無尽に猟場を駆け巡り、主にも背景にもなり得る柔軟さをものにしている。それでいて狩猟の実権(コード)を握るだけの影響力をも秘めている。

 闘争は未だ続く。夜は明けない。

 双眼鏡から一度、顔を離した。

 

「油断は、ならず」

 

 人は枝を伸ばし過ぎた。枝分かれが、過ぎたのだ。

 その調和を毛嫌いする輩がいて。それを良しとする輩がいて。

 それを、利用せんとする輩がここに居る。

 

「私は、賛同しかねる。ただ、私は、救いを感じる」

 

 告解だ。目の周りには隈の様に、押し付けられた赤み。

 呟いて、また。黄色の外套の上に投げ出された双眼鏡に手を伸ばす。

 

 今日もまた、フラヒヤを観測する。

 明日もまた、フラヒヤを観測しているだろう。

 

 





 展開はちょっと実験的。
 私の説明文を減らすための試みでもありますが……どんなもんでしょ。
 これを入れない場合、恐らくこれからの話が恐ろしい量になる(戦慄。

 本当はこのくらいの文量で書きたいな、くらいの量になんとか収まった。



・ガムート
 モンスターハンタークロス、およびダブルクロスより。
 作中の時系列(もどき)は結構前の設定にしていますが、この時点でもフラヒヤにはいないと、色々と残念なことになる生物。この辺りはゲームを原作とする二次創作者の好き嫌いが出る所ですね。私は好き。
 残念。アイスボーンは格好の出番ではありました。でも採用されないのも理解できる(ぉぃ。


・鈍器獣
 称号みたいなもの。MHFより。



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第七話 雪獅子の群山 - 集う

 

 フラヒヤに音が満ちる。

 山間を駆ける風の音。吹き付け積もる雪の音。ブランゴの叫声。ドドブランゴの怒声。猟団員のかけ声。

 そして ―― 巨獣と相対する、書士隊の声。

 軋む音がする。音源は足。決して軽くは無い、全身装備のハンターを遙かに超える質量だ。ただ1つあるだけで雪を圧し地を砕き敵対者を振り払うそれが、4つ揃って地に根ざしている。巨獣と呼ばれるに相応しい生物 ―― ガムートが、緩慢だが揺るぎない動作で振り向いた。

 視線が此方を捉えた瞬間に、えも言われぬ威圧感に包まれる。ダレンは半身に向かい、腰に佩いた『斬破刀』の鯉口を切る。

 

「つぇあっ!!」

 

「ブォォオオオオ!」

 

 圧力を伴う吐息がガムートの周囲に雪風を巻き起こす。振り回された牙と鼻と風音の霧中、ダレンは冷静に務めて順に受け流しては柔の剣を放つ。芯をくわなければこの太刀に負けは無い。ダレンの技量の見せ所である。

 刀身の先で逸らし、腹を滑らせ ―― 巻き打ち。潜り、逆袈裟、喉元を目掛けて放つ。

 身体を覆う毛の流れに逆らわず。押し付け、太刀の長さを活かして、引き斬る。欲張らず。太刀を引いたまま、任せて思い切り横へと飛び退いた。鞭のようにしなった鼻が叩きつけ、ダレンが立っていた地面を圧壊する。

 細く、それでいて、短く白い息を吐く。

 

(動作は見切り易くはある。だが、質量が質量だ。巨獣にとっての一動作が私達の致命打になるのでは、慎重に成らざるをえないか)

 

 クエスが幹の様な四つ足に剣を突き立て、ヒントが後ろから十分な距離を保ちつつ砲を放つ……その姿を横目に捉えながら、ダレンはこの迎撃の行く末を予測する。

 隊が管轄地の外側を駆けた本来の理由は、既に達成されていると考える。「馬鹿者」の3人が居たことを視認したのだから。

 猟団とドドブランゴの狩猟は未だ決着がついていない。鑑みて、ダレンはこのガムートの「相手をする」と決めた。討伐ではなくて良い。この個体の闘争心が尽きるまで、根比べをしよう。それだけでも十分に、猟団にとって助けとなる事は出来る。

 故に。考えるとすればこのガムートを撒く(・・)方法であるが……それについては算段がついている。

 

「かーたーい! ねぇ、ねぇねえヒントっ! 分厚くない!?」

 

「確かに硬いけれど、傷を付けられないという理不尽はないよ。……とはいえこの生物に、体力勝負を挑むのは無謀だろうね」

 

 ヒントとクエスが交互に、前後しながらガムートの足を切りつけてゆく。ヒントの砲は狙いが付けづらい。弾丸径によって威力を高めてはいるが、砲身の長さがないからだ。

 爆斧(アクセルアックス)の砲において、射撃機構はあくまで「ついで」でしかない。炸薬の反動を利用した刀身の加速こそが本筋である。砲身には、弾丸を十分に回転させる程の機構もない。狙いのままならない射撃。つまり本来、連携はし辛いのである。

 ヒントの場合はこれを、小型生物への威嚇や、無用な争いを避けるための「獣避け」として活用する事が多い。しかし山ほどの巨体を持つガムートであればこそ、中距離からは狙い易いようで、音のうるささもあってかようく気を惹いている。敵意が向くと直ぐに引く、という立ち回りも徹底しているため、ダレンが指示を飛ばす必要は未だ無い。

 

(助かる。……いや。そもそも私が決めるのは方針だけ。それで十分に稼働するからな、この隊については)

 

 役目役割が決定しているというのもある。元々、書士隊での活動で協同した経験も数多い。急造のチームではない、というだけでも頭の負担は減るものだ。

 かくいうダレンも、ガムートは資料でしか知らない生物。手探りなのはそもそも、ウルブズが経験のない相手という時点で確定事項である。

 

「―― ブォオオ!」

 

 苛烈さを増した巨獣は自らの身体をこそ猛威と化し、暴れる。轟音空を鳴らして牙を振り。圧雪地を慣して鼻を吹かし。フラヒヤに在り、身体という質量をこそ武器とする巨獣だからこその驚異。常ならば温厚であればこそ、怒り荒ぶるその姿は人々の記憶に深く焼き付けられる。そうして語り継がれてきたのが、ガムートという生物なのだから。

 

「後ろ足。また雪を剥がすよ、クエス!」

 

「やってる! もう、もう! きりが無いけど、仕方ないっ!!」

 

 ダレンとウルブズが注視されている内に、ヒントがクエスを引っ張ってくれている。ガムートの挙動ひとつひとつが天を揺るがし地を震わす程の衝撃をもたらすが、重さを含むからこそ前駆動作が読み易い。当然、振り向くのにも時間はかかる。討伐しなければならないのであれば兎も角、足止めこそが最善の今、比較的安全に傷を付けられる後ろ足を狙い続けるのは有効だ。体力さえ削れば、それで良い。

 

「ダレン隊長、そちら行ったよ!」

 

「了解した!」

 

 ウルブズの周囲が狙われる。クエスの声を受けて、ダレンは背走する。ガムートの牙、鼻全てが此方を衝いている。雪上を駆け滑り、ダレンは範囲から逃れゆく。ガムートが狙いを定めるその隙に、クエスとヒントは再び後ろ足を狙い始めた。ウルブズはカルカと2人、周囲を取り囲む形で陣形を組み直す。

 カルカが構えた楯で雪塊を弾き、太刀を腰に佩いたままのダレンを見やる。

 

「継戦か、ニャッ!」

 

「そうだ……しぃっ!」

 

 ガムートの牙を捌いて、太刀を再び鞘へ。ただでさえガムートという強大な生物を相手にしている。長丁場だというのに猶予はない。

 ダレンは観測気球をちらりと見やる。隣接した管轄地の宙。球皮に熱を受け、星空の只中に浮いた2機。

 

 ―― ひとつ。(バスケット)から突き出た電信部が輝いた。光信号だ。

 

 ただでさえない猶予を振り絞って、ダレンは足を止める。

 端的な信号だった。内容を理解するのに時間はかからない。

 ダレンの足は、止まったままだ。

 

「……観測部隊の皆様は、なんて言ってんニャ、ダレン?」

 

 ガムートを注視したまま、荒い息の合間を縫ってカルカは尋ねる。巨獣は待たず、前方にいたクエスを右後ろ足で吹き飛ばした。ヒントが足場を確かめながら援護に入り……その顔を見て、ぎょっと表情を崩す。

 ダレンは額に皺を寄せ眉を(ひそ)め。(しか)めた顔を微動だにせず ―― 警告。

 

「ドドブランゴ1頭(・・)の討伐に成功。そして ―― 」

 

 強い視線を感じた。ダレンの見つめる先 ―― 隣の山からだ。

 ダレンが、そして気配を察したウルブズが身を引いたのと同時。フラヒヤの天頂、星の運河を横切って影が降る。

 ガムートが後ろ背にする岩山。強く濃く、砲弾が着弾したかと思うほどの衝撃。

 書士隊員は二度(ふたたび)、見上げる。

 

 現れたる白毛赤面獅子の長。手負いの、大型の牙獣種。

 雪山の主 ―― ドドブランゴが、其処に現れて居た。

 

「ドドブランゴ。向こう(・・・)で争っていた番の、片割れか……!」

 

「こいつ今、隣の山から飛んで来やがった……ニャッ!?」

 

「ぬうん! 乱入という訳か!?」

 

 他方(あちら)の山から飛び移るという、埒外の脚力。両手を前に付き、赤面でハンターらとガムートを睥睨する、雪獅子。既に牙の片方が焼き折られた跡は見えるが、その威容にも美髭にも ―― 書士隊員が感じる脅威も敵意も。いやに澄んで、明瞭だ。

 つまりは、包囲網は、失敗した。猟団《蠍の灯》は番の片方を取り逃がしたのだ。観測気球が慌てて観測鏡を振り回し、此方の山へ。ダレンが其方を見る猶予は既にない。観測は任せる他にない。

 乱入。統計が出ている。採取、討伐、捕獲のいずれも問わず(闘技は除外できるかも知れないが)。常からして依頼(クエスト)が失敗となる原因の、最たるものだ。それが今、よりにもよって最も重要な局面で起こった。猟団側も対策はしていたに違いないが、予測を超えて余りあるのがこれら大型生物である。そうでなければ、驚異とはよばれまい。

 一概に猟団を非難するつもりはない。とはいえ、現状は打破しなければならない。

 ダレンは視点(・・)を引いて俯瞰する。観測気球……引いては内部に居るギルドマネージャーから下されるであろう依頼指示(クエスト&オーダー)は、信号を汲まずとも予測は容易。ガムートは撃退。ドドブランゴはより厳重に、最低限討伐かそれに準ずる無力化が望ましい。隣村や通商路に被害を及ぼす、その前に。

 

「―― オオオォォォォ、オオオオン!!」

 

 人を待たず。待つ者も既に亡く。岩山の天辺に前足をかけ、雪獅子は雄叫ぶ。

 感情に塗れたその叫び。緩くも呼応したガムートが振り向き、相対する。

 混沌に混迷を重ねて。一転した戦況が、またしもここから、転じ始める。

 巨獣と雪獅子。視線が交わされ、感情のままに飛び掛かる。

 

「―― ドォォオ!!」

 

「―― ブォォオ! ォォーン!!」

 

 衝突音。雪獅子の膂力と巨獣の質量とがぶつかり、波となって伝播する。

 ガムートの封じ込めは順調だった……が、それも過去。それら算段は、この乱入によって脆くも崩れさっている。

 かつて修行の最中、年若い……火の国の第三王女に下された、無理難題のふられぶりを思い出す。考えろ。順路を探れ。再計画が必要だ ―― この程度。猟繁期の火の国での大連続狩猟よりは、まだ肉体的に何とかなる。そう自らを鼓舞し、獣と獣のぶつかり合いに負けず通る声で、ダレンは叫んだ。

 

「クエスは別隊、拠点に伝令走れ! ヒント、ウルブズはガムートを! 私とカルカで、ドドブランゴを相手取る!!」

 

 打てば、声は返り来る。

 

「りょっ、了解! ……じゃあね、頑張ってよ、ヒント!」

 

「頼んだ。道中気を付けてよ、クエス。……やろう、叔父貴!」

 

「おうさ! どうれ……!」

 

 ウルブズが舌なめずりをして、雪獅子と巨獣の応酬を観察する。隙を伺っているのだ。

 飛び掛かったドドブランゴ。流石に体格差がある。ガムートは余裕を持って受け止め ―― 否、牙を掴んだ雪獅子に頭部を振り回され、地面に叩きつけられた。人のそれに近い構造をしているドドブランゴの前足は、精緻かつ、強大な握力を有している。ぶつける、殴打する、投げる。様々な攻撃方法を採る事が出来るのが利点と言えよう。

 お(あつら)え向きに正面にいる。ガムートが地べたに顎を付けたまま、膂力だけでドドブランゴの腹を突き上げる。立ち上がり、浮き上がった身体を、首を思い切り振る事で放り投げ……突進。岩山との間に挟まれ、ドドブランゴが暴れ叫ぶ。正面押し合った鼻と牙を、力づくに押し退けた。雪獅子は岩壁を蹴って大きく飛び退く。殴打された左側腹部が腫れ始めるが、同時にガムートの牙も先が折れた。投げられる直前に、脇に挟んで捻じ曲げられた様だった。

 

(クエス。離脱は……成ったか?)

 

 ぴーい、と甲高い音が響いた。これら激突と呼ぶに相応しい攻防の間に、クエスが伝書鳥を伴って猟場を離れた合図である。

 山岳地帯は鳥や狼煙など、空を使った通信の手段が著しく制限される。低所から高所は視認し辛い。拠点は高い位置が好ましいが、遠ければ遠いほど守るにも維持するにも手が必要となる。拠点を麓に作成することが多いのは、そういった理由からだ。

 しかしここフラヒヤ雪山では、下りの路は雪車を使えば短縮できる事も多い。切迫した場面では、人を飛ばした方が早い場合もままあろう。

 

(無論、ジラバとフシフが猟場に出辛いというのも大きな理由ではあるがな)

 

 武器の整備のためにはジラバは近隣にいた方が有利。書士隊としての資料のやり取りも、フシフが居れば捗る。だが猟場が不安定になればなるほど、拠点の戦力が乏しいのもまた事実。フシフは身重で、ジラバは生来筋力量に乏しい。クエスを伝令として走らせたのは、彼らの護衛という意味合いも大いに含んでいる。飛甲虫の甲殻を鎧として使っている事もあり、隊で最も身軽でもある。

 分断を。この場に残ったダレンとカルカ、ウルブズとヒントの思考は一致している。混沌とし始めたこの場を、せめて人がコントロール出来る環境に。そのためにはこの巨大生物同士の激突に何処かで割り入り、引き離さなければならない。

 

「―― なればこそ、我の出番よなぁ」

 

 忙しなく眼球を左右させ、2頭の激突をじっと観察していたウルブズが言う。

 斧形態のままの『精鋭討伐隊剣斧』を片手に、飛び込んだ。

 

「どぉっせえい!!」

 

 地を震わせる踏み込み、巨躯をしならせ、一部の隙もなく力を伝え。唸る剣斧が ―― ドドブランゴへ、放たれる。

 首元へ鈍い音。毛皮でもって阻まれる。打撃として振る舞われた一撃を難なく受け止め、雪獅子は睨む。万力の左掌に、剣斧の刀身を掴まれる。雪獅子の吐息は、生臭い血臭に満ちていた。

 

「ドォオオ、オオン……オオオォォーーッ!」

 

「ざっつぐれえと……よなぁぁぁぁっー!!」

 

 叫びながら押し合う。圧し合う。巨漢のウルブズですら、体躯はドドブランゴの腕にも満たず。

 しかしそれ程の質量差がありながら、ウルブズは状況を覆す。

 ドドブランゴの右手が地面を離れた瞬間。首筋に剣斧を当てたまま身を内に返し入れ、足を支点に。土砂竜の鎧の肩当でもって体重をかけると、ドドブランゴが奥へと転げた。勢いは強くは無い。が、雪獅子と巨獣との距離が大きく開けた。

 

「ゆけえい!」

 

 数歩前進すれば、そこは剣斧の間合い。横薙ぎ、かち上げ、変形、斬り叩く。

 ドドブランゴは身を傾け引いたまま、殴打を受けたまま、腕を高く振り上げる。

 ダレンが低く、駆けた。

 

「こちら、引き受けましょう!」

 

「だっはは! 頼んだぞう、ダレン! カルカ!!」

 

「まっかせるニャァー!」

 

 前後を入れ替わる。雪獅子の巨腕が降る。身の小ささを利用しその初撃を受け流したカルカ、真横をすり抜け『斬破刀』をあてた。雷奔るその前に、守勢に回った雪獅子が前脚を蹴って、大きく後ろへ飛び退いた。

 会釈の代わりにヒントとウルブズに目配せを残した。このまま距離を開けてゆく。ダレンの方針は先ほど示している。ドドブランゴを、引き受けなければならない。

 正面息を荒げるは手負いの雪獅子。その赤面から放たれる強大な害意を……この場において受け止め、多少なりとも「興味」を持たれなければならない。かつての仮面の狩人の様に。つなぎ止めるだけの何かが、必要だ。

 

(面に立つための役目を、ウルブズ殿ばかりに頼っているのは ―― いただけない(・・・・・・)

 

 何より自分が、そうしたいと思う事が出来る(・・・・・)。なにせ彼や彼女らに追いつくべく、ダレンは研鑽を積んだのだ。

 書士隊長……一等書士官として学びつつ、業績を重ね……隙を縫っては修行を続けた日々。それら積み重ねの結実を証明しよう。ならばと腹に力を入れる。寒気と一緒くたに息を吸う。(ふいご)を吹いて、燃え出して。そうしてやっと生まれた熱を身体で循環させ、剣を覆うイメージを広げてゆく。

 先の『見切り』にしろこれ(・・)にしろ、ダレンにとっては新たな一歩。

 例え、崖の端を踏み切り空の端を目指すような意思の力が必要だとしても。

 

「やったれニャ、ダレン!」

 

 察したカルカが、隣で小さく力こぶを作ってみせる。彼が前にどっしり構えた橙色の大楯は、名高きユクモの堅木と火の国鋳造の鉄板を重ねて作られた、軽くも強く、柔軟で、幾度となくダレンを守ってきた物。故に、全幅の信頼を置いている。背中を押されるに、勢いづいて十分だ。

 

「どっしゃあ!!」

 

 後方に戻り、ガムートの正面に躍り出たウルブズが猛る。片手で振り抜いた剣斧が火花を散らす。巨獣の白地の牙ががつりと大きな音をたててしなり、衝撃をいなすべく ―― その巨躯が僅かに揺れる。敵意が傾く。ウルブズはあえて視界の内から攻撃し、ガムートを煽っているのだ。

 唇を吊り上げ牙を覗かせた彼に頷きを返し、ダレンは踏み出す。

 狙いは顔面、出来れば、派手に出血する額。横合いから。『斬破刀』が手掌に吸い付く。雪獅子は両の前足を前に突き出し、向かいうつ。

 

 一歩右袈裟、削いでいく。二歩左袈裟、斬り砕く。三歩細かく切り上げ、左右腕をこじ開ける。

 四歩脳天、大上段から地面まで。五歩顔面巻き打ち、息を吹き込む ―― 鋼は燃える。

 大きく、大きく踏み侵す。主体は既に身体には無く、刀身にこそ。

 柄を把持する掌、擦れ合った他方の熱をも受けて、柄から剣尖までが熱を帯び。

 雷光先奔り、空がはじけて焼け爆ぜる。水平果てまで振り抜いた斬線は余韻に(なび)き、赤く儚い弧を描いた。

 

 ―― 鮮血。

 皮を超えて血管に届いた証左。ダレンの連撃が、ドドブランゴの硬皮を斬り裂いたのだ。

 

「しぃっ……はっ、はっ。……何とか、通ったか」

 

 残心間もなく、太刀を鞘へ。息を細切れに吐き出しては整える。燃えるような感覚から意識を必死に手繰り、寄せる。

 気を練ると書いて『練気』。練られた刃をして『気刃』。ハンターが自らとその得物を強化する術法(・・)のひとつ。シキ国など(・・)の刀剣使いを通して一部のハンターに広まった「不可思議な力」の、珍しくも一般化にまで到った用法である。

 純然な体術たる『見切り』とは、源流からして異なる術法である。その大元は東方とも西方とも諸説存在し、術理の探索は困難を極めた。ペルセイズら双剣使いが扱う「鬼人化」なる気の用法の順路を長く遡り、気丈に辿り……故フェン・ミョウジョウの道場員や家族の力も借りて、繊細に理論を組み立てること1年。それだけの時を用法の確立だけに費やした。そこから更に修行を経て何とか形にしたものが、現在のダレンの型となっている。

 修行の内容は感覚的なものから身体を鍛え抜くものまで、兎にも角にも手当たり次第。強走薬やマカ壷で強化された鬼人薬等々、代謝に異常を来たすものを服用し、神経系に負荷をあたえながらの組み手や狩猟は茶飯事。多岐に渡る修行苦行荒行の数々によって、只人たるダレンはようやっと「熱」を扱えるようになったのだ。

 最終的には扱えるようになったものの ―― 確かに、この感覚を言葉にするのは難しい。ダレンの脳内においては、「気」なるものは複数種類があり……神経伝達物質などを、自らの意思や何かしらの引き金を経て「意図的に分泌」する事でハンターとしての技能を(主として)長じるものである、と解釈してみてはいる。感性に拠り過ぎているため、決して書面には残すことはないだろうが。

 

(この解釈が正しいのかは兎も角、私がこれを扱えるようになった事には自信を持たねばな)

 

 武器得物も相応の物を用意された。銘を『斬破刀』という、雷を纏う機構を組み込まれた「絡繰太刀」だ。ジラバが言うには幾つかモンスターの希少素材を採用した、実験的な刀剣であるらしい。

 希少素材。『逆鱗』や『玉』などの、種族に共通しない……生物固有の希少部位に生成される物を指した単語だ。ハンターの武器も素材も、使い古され目減りする物。どちらかと言えば消費される物だという認識がダレンにはあった。それは始めに師事したのがヒシュという実利的な狩人であるのも、理由ではあるのかも知れない。彼は武器も防具も重用はするが、修繕や使い易さを基準に選んでいる節があったからだ。

 そのため、始めはダレンも理由を図りかねていたが、ジラバに言わせれば上位のハンターであればあるほど、希少素材を武器に組み込むというのは理に適った選択であるらしい。ハンターが扱う武器はどうやら、生物の中核素材を盛り込む程にこの「気」の通しが潤滑に行えるようになるらしい事が、かつてジラバが行った研究調査によって判明している。

 文献にはダレンも目を通した。そうなる理論理屈は他として、結論、武器の類が硬さ鋭さ共に優れた数値を示す。先行的で実践的な研究だった。今こうして実感も出来ている。否定する理由はないだろう。その心算も、元よりない。

 これら研究結果によって、一部界隈では素材が精査および高騰し始めたりもしているが、市場の活性化であろうと前向きに捉えている。そも希少素材など、求めたとて現れないからこそ「希少」と呼ばれるのだから。人のエゴ ―― ただの一事によって生態系を崩そうという動きには、なるはずもないのである。

 

「ウォオ゛ーッ! オオォーーッ!」

 

 額が裂け、滴った血に視界を覆い塞がれたドドブランゴは、その巨体に似合わぬ敏捷さで手当たり次第に駆け回り……ガムートとは別の区画へと駆け込んで行く。狙いの通り、分断である。ガムートが其方を向こうとするのを、ウルブズとヒントが身体を張って食い止めている。

 残す2人へ向けて首肯。ダレンとカルカはふたり、雪獅子の後を追った。

 

「しぃー、ふぅ……」

 

 雪道を駆ける最中、息を吹いて『斬破刀』に気を向ける。先よりもぼうっと、燃えるような熱が刀身から身体までを循環しているのが判る。刃に気を練り込むための一連の動き。これは体系づけたダレンが弟子であったため、図らずも故フェン・ミョウジョウが開祖となった。円を根幹として連続し、終に放たれる気の刃。止めの巻き打ちには「大回転斬り」なる名称が付けられたらしいが、ダレンとしてはしっくりこない点もある。体術としての面よりも、自らの身体が燃えている様な感覚が強く印象に残るからだ。

 

(いつかノレッジが語ってくれた所感、そのものなのだがな)

 

 感覚はそれとして。この「練気」という技術(・・)は、ノレッジやヒシュの言う所の「気炎」とは、近くはあれども別の……扉で隔たれた他区画にあるものだろうとも考えている。

 落胆は全くもってない。つまり自分はかつて彼ら彼女らに語られるだけだった「扉」なるものの存在を、こうして知覚出来るようになったのだ。遅れはとったが、あの3者の背くらいは見える立場になったのやも……という嬉しさと充足感がある。今思えば大剣の修行として最初に行った座禅なども、これらを知覚できるか否かを判断するための材料だったのかも知れない。

 

(息乱し走った道は、確かに此処へ繋がっていた。これ以上に嬉しいことは無い)

 

 相手は特級(マスタークラス)。体長体高からして当然、循環血液量は豊富であろう。ダレンが与えた程度の傷、出血など取るに足らず。しかし確かに届くのだと証明して見せた事に意味がある。立ち向かうため。ドドブランゴをここに繋ぎ止めるため、だ。

 

(ここにヒシュが居れば、真っ先に引き受けていた役目 ―― 大型生物を煽る、敵役。私では力が不足しているかも知れないが)

 

 先ほどの気刃は、ドドブランゴの興味と敵意を大いに惹いてみせたようだ。

 地面に身体をこすりつけ、全身を掻き毟り、額を執拗に腕の毛で拭い……ようやくと晴れた視界。雪獅子は確たる敵意と害意をもって、ダレンを睨み据えている。

 

「やる気ニャァよ!」

 

「ああ。迎え打つ……!」

 

 ダレンが左へ。カルカが右へ。ドドブランゴの咆吼が、雪風を裂いた。

 風はゆるやかに乱れ、ひらひらと雪が舞う。行き着いたここは岩山の裂け間、急斜面に囲まれた区画である。本来であれば伏兵……ブランゴ達を潜ませていることを警戒しなければならないが、今ここに関しては必要ない。ドドブランゴは向かいの山の管轄地に、番の亡骸だけでなく配下の全てを置いて敗走したのだから。

 距離がある。全身を捻り、砲弾の様に雪獅子が跳ぶ。ダレンは歩幅を緩やかに小刻みに、予測された順路を崩すことでそれを避ける。

 地面を転がった所を追撃。尾と、先ほどガムートにぶたれていた左脇腹を責め立てる。振り向きざまに右の裏拳。カルカが『大楯』でもって受け逸らす。

 

「……早い、ニ゛ャッ!」

 

 宙返りの後に器用に四つ足で着地し、ちりんと楯の鈴が鳴る。確かに早い。当然である。ドドブランゴとの遭遇経験がないため比較は出来ないが、相対し膂力を持って地を駆け宙を跳ねる目前の個体は、ハンターズギルドの見立てでもって「特級」と位置づけられたドドブランゴの片割れなのだ。

 拳を地に着いた状態でも目算6メートルはくだらない。通常の個体とは一線を画す巨大さ、強大さ。

 

「―― オォ゛ンッ」

 

「ふっ ―― ふぅっ!」

 

 間近、交差させて打ち下ろされる左右の拳。捌いて捌いて、払い胴の斬り下がり。

 この場合の特級とは。種として年数を重ね成熟し、闘争によってハンターを退けた経験を持ち、縄張りを他生物と争い……勝利して。そうして自然の中でのカーストの上位に食い込んだ個体であるという意味合いを強く持つ。加えてこのドドブランゴの場合には、かつての番の存在や肥大化した群れという驚異をも要素として含んでいる。

 今、ダレンがカルカと2人で最低限の攻防を繰り広げられているのは、それら要素の幾分かが失われていること。ガムートとの争いによる傷や……先の山から飛び移った大跳躍によって、手足の骨(・・・・)に異常をきたしている事。そういった要因が重なっているからなのだろう。

 

「しぁっ! ……っ」

 

「フウッ! フウッ! オ゛ォー!!」

 

 見るからに関節のずれた拳を血が出るほどに握り、ドドブランゴは暴れる。右拳の殴打で地を崩す。ダレンが見切り、後に放った踏み込み斬りを、残る左手で押さえつけようと試みる。すぐさま太刀を引いて薙ぎ払う。雪獅子の右の掌の下を辛うじて滑り、潜り。

 ―― しかし追い打ち。長い、左の張り手。避けきれず。

 

「っふはっ! ……大事はない!」

 

 対角線上、僅かに目を剥いたカルカに無事を伝えて再び太刀を握る。受け身は取れた。膂力に差がある。接近戦を凌ぎきれるとは考えておらず、初めから衝撃をいなす心算で飛び退いたのが功を奏していた。『斬破刀』にも歪みはない、と考え間もなくダレンは駆ける。

 現状は僅かに優勢である。ただ、決定打がない。このドドブランゴは討伐または捕獲すべき対象である。ガムートを少人数で相手取るにはウルブズの力が必要で、しかし1人で行動をしてもらう訳にはいかず、ヒントもそちらに割いた。現在地が管轄地内でないというのも大きく響く。傷つけたドドブランゴを追い込むための順路や、利用するための設備に乏しいのである。

 

(興味を惹けているに。逃げという手をうたれる前に、ケリをつけるべきなのだが)

 

 だがダレンの体術はあくまで受けに軸を据えたものであって、自ら攻勢を仕掛ける立ち回りは(自身の性根もあるが)不得手である。今はまだ「気刃」による一撃が後を惹いて(・・・)いるとしても、あの集中力を随時発揮するには……いささか悔しいが、人数が不足している。気を練るための大きな隙を見繕う余裕がダレンにはない。ドドブランゴが、与えてはくれない。

 雪に迷彩する白い身体が横へ跳躍 ―― 壁を蹴る。三角飛び。

 

「フゥオオ゛ーーッッ!!」

 

「……つぁっ!」

 

 ぎりぎり眼で追えていた。反応。身体を限界まで捻り、刀身で逸らす。後ろ。再び拳が跳ぶ。そして前方壁からは、雪塊が雪崩れてきていた。雪獅子が壁を跳躍に利用する際、強く蹴り上げているのだろう。意図して行っているのは明らかで、ダレンを挟撃出来るよう立ち回っているのが理解できる。雪山に手慣れているのは雪獅子の側なのだ。

 足場が崩されると悟るや否や、ダレンは身体を投げ出した。辛うじて足元を掬われる範囲を抜け出し、カルカと合流する。

 

「厄介だニャァ……」

 

「攻め手を考えるよりも、この動きに対応するのに時間をかけなければならないな」

 

 足元で雪塊を退けながら、カルカの呟きに同意する。腕をぐるりと回して勢いをつけ、飛び込んできたドドブランゴの突進を別れて避ける。

 四足。そして前足を腕としても使う事の出来る生物だ。飛竜や走竜と比べると動きに統一性はなく、機敏で予測もし辛い。

 狩猟経験の無い相手。今までの知識も活かせない。雪獅子は生息環境が寒冷地なだけに、地肌が炎熱に耐性が無い事は知っているが、ダレンとカルカの今の装備品では小さな爆発物を用意するのが関の山。本来であれば武器道具で補うべきなのだろうが、ダレンが持つ『斬破刀』が発する瞬間的な雷では、熱を産むほどの威力は無い。通らない訳では、ないだろうが。

 

「……ニャァ。先に立たず、ニャけども。爆弾を積んでけば良かったかニャ?」

 

 大楯を持つために小さくした背嚢を、カルカは後悔する。彼が爆発物ではなく楯持ちという珍しい役職を選んでいるのには理由がある。ダレンが太刀という武器を選んだ際に捨てた、守りの能力を代替するためだ。

 ダレンとカルカは、ノレッジの紹介によって出会った。彼女を率いていた書士隊長だという触れ込みはあれど、メラルーとして警戒はしていた。ギュスターヴ・ロンというとびっきりの変人から紹介され、ネコートという獣人には珍しい政に長けた輩に仲介された。特殊な経緯で採用に到ったのは十分に理解している。

 

「いや。衝撃を起こす物は、そもそも雪山に差し障る。それに……今回の騒動を一層面倒にさせた原因が爆発音であることを鑑みても、カルカの選択は正しかった(・・・・・)だろう」

 

 真面目くさった顔で、ダレン・ディーノはこう言うのだ。そういう、人と形なのだ。

 ……この実直で真面目ながらに隊長という重職を務めるダレン・ディーノという人物を信用するに到るに、大して時間はかからなかった。これはカルカとフシフにとって、これ以上無い幸運だった。しかもよりにもよって王立古生物書士隊の一等書士だという。このような人物が取り立てられている時点で、ドンドルマという街の懐の深さが窺えるというものだ。……ギュスターヴという者が狙って作り上げた環境なのかもしれないが。

 書士隊という役に就いた時点で、カルカとフシフの目的は果たされている。新たな知見を求めて大陸を駆け回る日々。あの日見た、彼の少女の様に。

 今以上は無い。後は役に立つのみ。なんとか狩人として狩猟討伐、捕獲するための手立てを探る。しかしカルカには、この状況を……維持であればまだしも、打破する方法が思い浮かばなかった。

 

「ダレン、手はあるニャ?」

 

「あるとも」

 

 カルカにとっては予想外の即答であった。

 そうだ。憂慮はない。顔を合わせたことの無いカルカは未だ知る由もないが、ダレンは確信を抱いている。

 雪獅子を引き離すという策を選ぶその前から。ポッケ村へ着く前から。……この任務を受ける際、かつての隊員各々の所在地を確認したその時から。

 必ずしや()はここへ辿り着く。そう、確信を抱いている。

 

 ―― 雪野原の上を、滑るように駆ける。

 

 雪獅子は拳を槌に、吐息を吹雪に、ダレンとカルカの体力を削り取る。

 合間合間に「見切り」を合わせ、ダレンは反撃を叩き込む。互いに傷つけ、傷ついてゆく。

 

 ―― 視線は真っ直ぐ。目的地はぶれず。

 

 吼える。部下たるブランゴ達は現れる事もない。滴る血を振り払って、自分はここに居るのだと指し示す。それだけの行為。

 張り付いていた壁を蹴って、雪獅子が跳ぶ。避ける。地に指を突き立てて向きを強引に切り替え、地面を捲り上げる。掘り出した氷塊を、放り投げた。

 

 ―― 飛び降りる。獲物の位置は把握できている。腰の『呪鉈』を引き抜いて、渾身。

 

 星月に照らされ影が降る。数は、ふたつ。

 ひとつはそのまま闇夜に雪色の尾を引いて直下、するりと雪獅子の剣域にまで入り込む。

 

「―― んっ!!」

 

 がすり。青紫の液体毒を盛大にぶちまけながら、大鉈が再び雪獅子の額を割った音。降って沸いた彼の者はそのまま顔に張り付いて、刺突用途の小剣を突き立てて追撃。暴れた雪獅子の掌に掴まれるその前に、顔を蹴っては飛び退いた。

 宙で身を捻りアイルーに勝って身軽く、四肢を着いては獣の如く衝撃をいなす。

 ()の腰に着けられた仮面が音無く笑っている。その様に、見えた。

 

「ああ。よく来てくれた ―― ヒシュ」

 

「ん。手伝うよ ―― ダレン隊長」

 

 これこそが最大にして最優の援軍。フラヒヤに長らく逗留していた知人にして、書士隊の同僚。

 鉈と小剣とを左右に構え。いつかのジャンボ村で見た時より、背丈も風貌も成長した仮面の狩人 ―― ヒシュが、そこに立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俯瞰する。

 龍の文様に球皮を彩られ、気球は変わらず雪荒ぶ空の只中に在る。

 狩人の猟場。フラヒヤフィールドの状況は、この視点から見ても混迷を極めていた。

 

 猟団《蠍の灯》は、ドドブランゴの番の片割れを獲り逃した。予想外の出来事 ―― 管轄地内で、爆発が相次いだのだ。

 仕掛けた罠を作動させに行ったグエンの隊が巻き込まれ、負傷。機を合わせてドドブランゴ達の体力を削っていたニジェもそれに足を取られ、同時に拘束するつもりであった雌のドドブランゴを……彼女は番を守るためにあえてニジェの軽弩の射線に立ち塞がり、飛びついて拘束した……討伐。番の死を見届けた雄の雪獅子は、決死の形相でハンター達に飛びかかるブランゴ達に道を先導される形で管轄地の嶺に辿り着き、隣の山へ飛び移ったという顛末である。

 番の、片割れを喪った彼がどういう心境に在るのかは判らない。ただ、想像は出来る。痛みがこの身を引き裂くようだ。「この身の片割れ」もまた、かの雪山の中に在る。

 

「―― 否、狙い通り」

 

 猟場は不協和音に乱された。それすらも織り込んで狂騒を成すには、金管の音色は孤高だったのだ。

 双眼鏡を、外へと向ける。

 

「―― 星」

 

 ついに現れた彼の者が、猟場で爪を振るっている。書士隊の隊長の援護に駆けつけたようだ。あの黒い3者と出会さなかったのは、幸か不幸か。

 ただでさえ手負いのドドブランゴにとって、飛び退いた先に彼らが居たのは、間違いなく悪運である。それもまた、彼が持つ巡りの良さであるのかはさておいて。

 

 いずれ……もうひとつ。

 分断されたガムートの側にも、星は(いず)る。

 夜に映える、白き星が。

 

「―― 見ゆる、届く」

 

 管轄地の側。《蠍の灯》らは、残ったブランゴ達の掃討に着手し始めた。その後は引き上げを検討しているようだ。

 気球の連絡によって、書士隊が逃げた雪獅子および巨獣と闘争を繰り広げている事は知った。そちらに応援も出すつもりだが、再編成にも管轄地外への往来にも時間はかかる。まずもって狩猟の決着がつくまでには間に合うまい。猟団もそれは理解しているようで、あくまで人手としての応援をという形にまとまるだろう。編成に悩む時間も減るため、現状の最優ではある。

 

 こうして。

 一夜に渡る激闘が、間もなく結末を迎えようとしている。

 始まりの結末。待ちわびた開幕の狼煙。転がり出した物語は、もう留まることは無い。

 

 魔剣を求めた者達は、逃れ。

 赤き灯らは、傷を負い。

 綴る者は幾つか集い。

 新たな星が、出る。

 

 この身は今日もまた、フラヒヤを観測する。

 それが彼らにとっての使命であるからには。

 それが彼らにとっての天命であるからには。

 ほの暗い路をひた行く狩人ら、その先を、何を賭しても見届ける。

 

 





 やっと主人公を出せた……。
 最近毎回この切り方(とぅーびーこんてぃにゅーど)なのですが、まぁこの初戦編は最初っからフルアクセルで行くための入りなので……ひと通しのひと括りにしておくのが良いかなと思っています。雪山①、②、③とか上下中編に改題するかちょっと迷っていたり。その場合は4話から変わります。
 でもあんまり捻った出し方を続けるのはあれですからね。というか多分、初戦編はあと1話で〆られるかなぁ……とも思ってますが。



・乱入
 実際にモンスターをフィールドから取り逃がしたパターン。ほんとに避けたい展開。
 一章ではこれを避けたい旨を連呼していた印象がある。自分私が。いっかい逃がしちゃうパターン挟めば良かった気もするけれども、展開のために何かが被害を被るのも、ちょっと私の感覚からは避けたかった(逃がしちゃう野良ハンターを滑稽に描写したり、とか)。
 せめて逃がすのならば、狩人らが必死にそれを避けようと努力した上で、それでもモンスター達の想像を超える何かで凌駕して欲しい。そんな願望が込められた展開でした。はい。説明がくどい(罵倒。


・ドドブランゴ
 同じモンスターを連投はしたくない。でもこのお方は書きたい。そんな願望が込められた以下略。
 ゲーム中でのエリア移動のジャンプを見ると、隣くらいには移れそうだなーと思っていました。実際にやって手足を痛めていただきましたすいません。

 三人称だと、どうなんでしょうね。猟団側にはあくまでがっつりとは視点おかないつもりなので(主人公はあくまで主とした彼らである)、あっさり書いておきたいという……?
 でもそれだと多人数出している意味はあるのかという。あるんですけどね。つまりは技量不足です。はい。


・練気、気刃斬り
 ついったにあげてたものの完成稿。
 具体的には相手側ドドブランゴの描写と、語句のバランスをちょっととった気分。どちらの方が良いかはよく分からない(戒め。
 モーションは携帯機verの比率が高い。こういうゲージ管理がアクションゲームにとって良いのか悪いのかは、本当によく分からない(戒め。 

 漫画版(エピック)の主人公が太刀使いだったり、氷上さん版の妹さんが描写をしてくれていますが、私のはもっと不可思議なイメージにしています。
 気は使えないと大変困ったりする(システム及びモンハンの原作ゲームに沿いたい)ので、まぁ私的な解釈は入れてでも登場させてもらおうかなぁと。


・闘技は除外できるかも知れないが
 ストーリー的には依頼種別は「闘技」ではなかったですけど、闘技場も安心とは限らない(アイスボーン感)。
 だからワールドの炎王龍さんは凄いイケメン。
 だので王妃様も凄いイケメン(語彙。


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第八話 雪獅子の群山 - 終幕

 

 颯爽と崖上から跳躍し、雪獅子に痛打を与えた狩人の登場に ―― カルカは心の底から困惑していた。

 これ(・・)が援軍だというのは理解できる。ダレンの言葉や態度からも、フラヒヤの地に先行していた「大鷲を伝書鳥とする書士隊員」が彼で間違い無いのだろう。

 さあ雪獅子を追い詰めよう、という場面での援助だ。大変に有り難い。……理解は出来るのだ。が。

 

「―― マジかニャ。お前、それでよくあんな動けるニャ?」

 

「ん。当然」

 

 現れたるヒシュは、腰に鞄を3つ。背嚢が1つ。腕と足にも、動きを阻害しない程度の鞄をくくりつけ、両手に鉈と小剣。終いには剥ぎ取り用途以外の明らかに戦闘用の武器を1つ背に負う。そんな道具に塗れた様相をしていたのだ。

 重装備ながらに完全に気配を殺し、決して警戒を解いてはいないドドブランゴへ一撃を見舞う。軽快な立ち回りだというのに見た目がこれだ。道具の下(・・・・)に着込んだ白兎獣(ウルクスス)の皮鎧と銀色の小手・具足が霞むほどの印象を、カルカは受けていた。

 ダレンも全力のヒシュと協同したのは数えるほどだが、密林で修行以外の……ジャンボ村の発展の資材を集める依頼などでは顕著だった。盾蟹(ダイミョウザザミ)の狩猟では棍や槌に持ち替え、爆弾などを器用に扱ってみせていたもの。彼に曰く持てるだけの道具を身につけた具合は、全身鎧と同義の「ふるあーまー」なる形態であるらしい。つまりは全力と言うことだ。

 

「さて、と」

 

 ヒシュが荷物の鞄をどさどさと落とす。どうやら留め金を一手に外せる仕組みになっていたようだ。辺りに響く重い音。カルカが下敷きにならないよう身を引き、荷物を避ける。

 ドドブランゴは新手の出現に応じ、ジリジリと距離を測っている。身軽になったヒシュの視線は仮面に覆われる事無く、雪獅子の一挙手一動作から逸らされる事も無く。

 

「このドドブランゴは、討伐おーけー?」

 

「ああ。もしくは無力化が望ましい」

 

「……捕獲は、厳しいかな。傷は多いけどね。興奮してて鎮静の薬は巡り悪そうだし、年季的には罠にも敏感そう」

 

「だろうな。無論討伐でも、後の交渉ごとに影響は無い事を確約しよう」

 

「決まりだね。オトモさんも、よろしく」

 

「……ニャア」

 

「じゃあ。―― ん。行く」

 

 ハンターらのやり取りから、言葉は通じなくとも雰囲気を読み取って。ドドブランゴはヒシュが前を向いた瞬間に飛びかかるべく、後ろ足に力を籠める ―― その前駆動作に割り込んだ。先手ヒシュは武器を構え、微塵の躊躇いも無く直線距離を疾駆する。

 

「せぇっ……んのっ!」

 

「フォオ゛ッ!」

 

 これがお前の額を割ったのだ、と肉厚の『呪鉈』を見せびらかし振るう。四足獣と見紛うほどに低くした身で雪獅子の腕をかいくぐり、揺れる地面にも体幹を崩さず、確実な斬撃を撃ち込んでゆく。右の掌に『呪鉈』、左の腕に毒を塗り込む刷毛と一体型の楯。左の掌につや消しの黒鋼の『小剣』、右の腕にやや大きめの丸楯。ドドブランゴの打撃を正面から迎え打つことは無く、されど防ぐことも(いと)わず。回避と防御を小刻みに切り替えながら、ヒシュは攻勢を連続させてゆく。

 ダレンが後を追って接近した頃には、ドドブランゴはヒシュの姿を追って反転。此方に背を向けていた。腹の下を潜りちょこまかと動き回るヒシュに、対応を強いる程の攻勢に……そうと誘導されたのだ。

 後ろ足、腱を狙って『斬破刀』で斬りかかる。ダレンへの警戒も解かれてはいない。痛がったドドブランゴは後退するも、そこへ今度はヒシュがぴったりと吸い付いて撃剣を叩きこんでゆく。

 近距離を維持することで、ドドブランゴの飛び込み飛び退きを防いでいるのだ。この隊には今、遠距離戦をこなせる人物が居ない。普段のダレン隊であれば人数の多さでカバーしているそれを、ヒシュは立ち回りひとつでもって成している。ただでさえ岩間の空間であり、そこかしこを飛び回れる環境でもない。

 

「ん、あ゛っ! ……っしゃあっ!」

 

「フゥゥ゛、ブフゥゥ!!」

 

 ヒシュが最接近、雪獅子の目と鼻の先で剣腕を振るい。ダレンがカルカを伴って中間距離から一撃離脱を試みつつ戦況を伺う。いつか目指した理想の形が、ここに結実している。ハンターの手練手管が、群れという手札を捨てたドドブランゴから選択肢を奪い狭めてゆく。

 体力を削る攻防が続く。そうしている内に毒が回り始めたのだろう。ドドブランゴの呼吸は浅く、瞬きの感覚が狭まった。額の血も凝固が遅れ、未だ留まる気配をみせていない。

 ただでさえ管轄地において猟団と闘争を繰り広げていたのだ。ここへきて追撃を受けては、いくら特級と言えども衰弱は避けられないのだろう。死地を求めてここへ跳び来た訳では無いだろうが ―― 此方でもガムートと衝突をする羽目になった。

 

(これすらもあの3者の狙い……というのは、流石に怖い考えではある)

 

 それもまた、有意義な検討にするためにはポッケ村に戻ってからが望ましい。その頃には情報も集積されている筈なのだから。と、ダレンは思考を後置くことにする。

 ヒシュが『呪鉈』を青紫の毒を滴らせて振り上げ、ドドブランゴの握り拳に阻まれる。するりと反動身を翻しては左の黒鋼の『小剣』を腹に向けて突き出し、右の前腕で弾かれては牙による噛み付きを避けて跳躍。あくまで腕の届く範囲で戦うようだ。

 そして、ヒシュが役目役割を担ったからこそ出来ることがある。生み出された猶予を使って、ダレンは刀身に意識を注ぐ。

 少しばかり驚いたヒシュの表情が見える。今は仮面に覆われていないからこそ見える、表情だ。

 

「ん。……ダレン、任せる」

 

 3年前には無かった運び。『呪鉈』と『小剣』をずらりと擦り上げると、すぐさまマカ壺の中身を鉈へとぶちまけ、異臭を放つ毒に浸した。毒を帯びた『呪鉈』が悲鳴を叫び、一層不気味にぎらつき呻く。

 ヒシュはそのまま一層に目立つ立ち回りをして、雪獅子からダレンへと向けられていた敵意を根こそぎ奪い取って行く。

 

(止めを任された、か。……ああ。任されようとも)

 

 柄を把持する手を緩く解く。

 ダレンの感覚が『斬破刀』の先端までを覆った時。その時、最期の時を……ドドブランゴは視界を塞ぐ血の幕を払い鉄の味を噛みしめ、瞼を限界まで開いて迎え備える。

 

「ん、んん!」

 

 ヒシュとドドブランゴが前方でぶつかった。どすりと重い音。ヒシュが鉈を雪獅子の左手首、表皮を超えて動脈直上に食い込ませていた。

 動かすのが躊躇われる。残るは右手。あわよくば先手を。

 

「トドメ、やったれニャ、ダレン!!」

 

 残る右手は、内側に入り込んだカルカの楯に阻まれて。

 ダレンの肺が一層膨らみ、前傾 ―― 腕に体重をかけざるを得ない雪獅子の姿勢を利用する。紫電一閃、平突き、半片手。毛の波間を裂き、肋骨の間を滑るように入り穿つ。

 ずるりと解けるように肉が抉れ、ぎりと挽いて心臓横の動脈血が下る管を貫いた。流血が刀身を伝う。失血は著しく明らかで、内臓の幾つかが諸共不全に陥る。白の雪間はあっと言う間に血臭に満ちた。

 

「ヴ、ヴォ、ォ……」

 

「―― 助かった。これにて討伐、完了だ」

 

 雪獅子がもつれ、伏せる。ダレンが『斬破刀』の血を払って鞘に収め、ヒシュが鉈と小剣を十字に背負う。雪獅子の拍動が小さく、小さくなり……やがて流血は勢いを失った。

 生気が急速に薄れ、群れ無き雪山の主は、息絶えた。

 

「おーけー。……後片付けは、どうする?」

 

 ヒシュが武器の血脂を拭い、軽く手首を回しながらダレンに問いかける。

 後片付け。現在地は管轄地の外。つまりはドドブランゴの死骸をどうするか、という質問だろう。

 

「普段であれば、放置でも大きな問題は無いのだがな。これは報告しなければならないほうだ」

 

 今回の狩猟については事情が別で、ギルドにも通達された規模の大きな狩猟であるため、討伐成功となるには死骸かその一部が必要とされる。ドドブランゴであれば尾もしくは無くなることによって群れを放逐されるという牙でも狩猟の証と成るのだが。

 

「……とはいえこの位置ならば、処理に困るほどではない」

 

「りょーかい。じゃあ、方角だけ教えて。……オトモさん、名前は?」

 

「お、オレはカルカだニャ。あんたは?」

 

「ジブン、ヒシュ。ダレンの仲間で、おんなじ書士隊。部隊は持って無いけど。よろしくね。……カルカ、カルカ。うん。特徴的な響き。覚えた」

 

 挨拶を交わしながら用意周到、ヒシュは鞄から織目の粗い大きな布と金網、鋼線を取り出した。雪獅子の亡骸をそれらで幾重にも巻く。その間にダレンが板を2本挟んで簡易の雪車を作り、乗せ、全員で引いて運ぶ。眺めの良い崖の端。管轄地の山がある方角だ。

 

「ここなら突起物の少ないルートで滑落すんニャ。……大きな狩人の組合があるというのは、こういう時には便利だニャァ」

 

「ああ。極地だからこそ人の密度も高い。管轄地周辺の利便性は、ジャンボ村の時とは比べものにならないな。火の国などは、また別の意味で管轄地周辺にはあまり手が入らない部分もあるが」

 

 雪庇(せっぴ)ではない地面の端に立ち、ダレンは綱を切る。ドドブランゴの死骸が暗い夜の谷底へと消えてゆく。この谷底は回収班の順路になっており、いずれポッケ村へと運ばれることだろう。特級のドドブランゴであれば、どの部位であれ素材としては非常に優秀には違いない。

 

「んー……ジブンは、トドメの手伝いをしただけ。その手伝いになったなら、よかった。それより、他の部隊の手伝いに行こう」

 

 身なりを整え、辺りに散らしていた装備品を再び全身に装ってヒシュは言う。ダレンとカルカの最低限の身繕いを終えると、別れた地点へと戻り始めた。

 間もなく崖間を抜けた先。先ほどガムートとドドブランゴが衝突した地点で、彼らは待っていた。

 

「―― おう。そちらも無事だったな、ダレンとカルカ! それにヒシュだな。だっはは! とうとう合流したかぁ!」

 

「ん。久し振り」

 

 ウルブズがヒシュの肩を叩く。ヒントはダレンの傍に駆け寄ると、安堵の笑みを浮かべた。

 

「無事のようですね、ダレン隊長。何よりです」

 

「ああ。そちらもよくやってくれた、ヒント」

 

「これで一件落着……かニャ?」

 

 カルカが髭をぴくぴくさせて周囲を伺う。辺りに漂う獣の残り香と気配の残滓。ガムートの姿は無く、既に場を去っている。撃退に成功したのだろう。ヒントとウルブズ両名にも目立った傷は無い。ダレンとしてもこの2人であれば難しくはないと考えていたが。

 一件落着。ガムートは撃退され、一定期間は監視下におかれ、ドドブランゴは雌雄共に討伐。残された群れの殆ども、遠くない内に猟団によって維持討伐されるだろう。

 ただ、ひとつ明らかな違いがある。ウルブズらとは距離を置き。崖際に立って遠くを見つめる ―― 影が。

 

「……して。あの女性(・・・・)は?」

 

 そう。頭数が増えているのだ。

 ダレンからの率直な問いを受け、ウルブズがばつ悪そうに言う。

 

「ガムートの撃退の途中、いきなり多数のブランゴが襲ってきてな。さきのドドブランゴの群れが幾割か隣の山からあぶれて、(かしら)の後を追ってきたんだとは思うが……数が数でな。お前さんらの側に流れそうになった時、助力をしてくれたのよ。突然現れた援軍の、此奴(こやつ)がな?」

 

 ウルブズが親指で影を指す。夜空に浮かんだ影が振り向く。

 崖の縁、輪郭の上、山陰に青く浮いては月光を返し。雪中に在って尚白い ―― 白髪白地(まっさら)赤眼の女がひとり。

 

「―― 嗚呼(アア)嗚呼(アア)。書士隊のお出ましね。そして、被り者(・・・)。ワタシ、待ちわびていたわ。ねえ……?」

 

 真白い鎧竜の防具に身を包み、鎧竜の銃槍(ホワイトガンランス)を背に、薄い笑みを()ながら立っている。

 ダレンは応答に窮し、自らの横に立つ『被り者』こと元・仮面の狩人をみやる。視線を受けたヒシュは首を小さく左右に振り、溜息を思い切り吐き出すと。

 

「はぁ。ほんとに来たの。……シャロ。シャルル・メシエ。あっちの、傾国姫(・・・)

 

 珍しく呆れた、しかし再会の喜色を浮かべた表情でもって、そう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪獅子の番の討伐。巨獣の撃退。

 これら2つの大仕事を終え、書士隊員はポッケ村へと帰投した。猟団としては管轄地の側にまだ手を入れるようで、夜のフラヒヤ連峰には未だぽつぽつと橙の松明が灯っている。片づけは任せて問題ないようだった。

 帰り路には気球を呼んだ。早く帰村し《蠍の灯》の長とギルドマネージャーへ報告をしなければならない。今回の狩猟および管轄地外でのいざこざについて、仔細を書面で伝えるのは難しく、まずは口頭で報告をするのが手っ取り早い。疲労感に苛まれつつ村の門を潜り、一行はオニクルの待つ集会所を目指す。

 

「―― フフ、ウフフフ。良き日、今日は佳き良き日ね……。こんなにも美しい。こんなにも……!」

 

 その中に書士隊員に紛れたシャルル・メシエの姿もあった。いつもの無表情を崩し眉をひそめたヒシュの隣を、鼻歌で童謡を奏でながら弾むように歩いている。

 道中聞いたところによると、2人は旧知の仲であるらしい。ヒシュがこの大陸を……かつての筆頭書士官と旅した時。もしくはアヤ国で狩人としての修業に励んでいた時。シャルル・メシエは時折ふらっと姿を現しては、彼を冷かしていたそうなのだ。

 ヒシュは彼女の事を「姫様」と呼んだ。麓で無事に合流したクエスは、どうやらその呼び方を採用したらしい。

 

「お姫様とやら、ご機嫌ね? ……あたしはこんなに疲れてるって言うのに」

 

「ごねるなよ、クエス。君があの距離を往復して走ったおかげで、ジラバとフシフはブランゴの群れに襲われずに済んだのさ」

 

「だっはは! 確かに。クエスの尽力あってこそよ、なぁジラバ!」

 

「えぇ。感謝していますヨ、クエス女史」

 

「私もですニャン。ありがとだニャ、クエス」

 

「それなら……まぁ」

 

 クエスは不満そうに頬を膨らませながらも、どうやら不満は抑えられたようで唇を結ぶ。

 語気を緩めてゆく彼女に、その性質をよく知るヒントがたたみかける。

 

「僕は叔父貴の力を借りて、ガムートという強大な生物に挑むことが出来た。ダレン隊長とカルカも、ヒシュさんの助力を得て見事に特級のドドブランゴを討伐した。結果は万々歳。猟団にもポッケ村にも、大きな借りを作れたじゃあないか」

 

「それはー……そうだけど~」

 

 クエスがだるっと肩を落とす。それはそれとして、疲労は確かに重いのだ。

 討伐そのまま、管轄地の外からとんぼ返りである。現地派の書士隊員として体力に自信はあるが、身体を傾けるクエスやヒント。荷物の幾つかをポポに引かせているウルブズ。ダレンでさえ、疲労は隠せそうにない。

 しかしながら唯一、シャルルには疲れた様子が見当たらなかった。後から合流したというのも理由だろうが……ダレンは話題の見繕いも兼ねて、尋ねる。

 

「シャルル・メシエ。貴女はポッケ村からの要請を受けて援軍に来てくれたのか」

 

「シャルルで宜しくてよ、ダレン。……でも……そう。そうね。ワタシはこの村に間借りしている身だもの……。手伝える範囲では手伝わせて頂くわ。そのために、ハンターとしての位階も高めたのだから」

 

 シャルルはふいと立ち止まり、赤色の目を瞬かせる。その声音は詩を奏でるような、抑揚を効かせた口調。

 彼女はハンターズギルドにおいて5つ星(ランク5)。上位の中堅、もしくは最上位の狩猟にまで招集される側の立場である。だというのに、大陸の北部奥地にまで出向いているのだ。彼女らにもポッケ村に居る理由があるのだろう。実際、村からの要望にも可能な限り応じていると聞く。件の『馬鹿者』らと大きく違う点である。

 ただ、彼女は夜にしか狩猟に出掛けないとも聞いた。シャルルの容貌からして幾つか想像はつくが……と、ダレンは知己であるらしいヒシュに視線を向ける。

 解説を任されたのだと理解し頷いたヒシュが、引き継ぐ。

 

「シャロがまだ元気なのは、体力がスゴいとかじゃなくて。単純に、タブン、体内リズムが合ってる。光に弱くて、夜に活動してるから」

 

「ウフフ。そうね。ワタシは ―― こういう身体だもの」

 

 言って数歩前に踏み出すと、シャルルは優雅にくるりと回る。彼女自身が手を加えて設計したという岩竜の鎧の裾端が、その重量にも関わらず不思議にふわりと舞った。

 白い鎧。白い肌。白い髪。薄い赤色の眼。彼女が言う「この身体」というのは生来のもので、つまりは「色素に欠けている」のだろう。

 

嗚呼(アア)、心配は不要よ。日の光だけで負けるという事は、あまり無いわ。普通わね。閃光球も使い所を考えれば影響なし。でもここフラヒヤの雪による照り返しは、夏の日差しにも勝りうる。肌は下衣や装備で隠せても、目は覆えない。覆ってこの美しい景色を塞ぐだなんて……嗚呼……考えるだけでも恐ろしい……!」

 

「……まーた唸り始めたわね、このお姫様……。情緒、大丈夫なのかしら」

 

「君の感性は特殊だけど、今この時に限って言えば僕も同感だよ。クエス」

 

 身を捩りながら長々と独り言を語り始めたシャルルの様子を見て、一同は納得する。こういう人と形なのだな、と。出会って早々に全員が理解したのは行幸と言えよう。……そう考えなければやっていられないな、と内心まとまったのである。

 ヒシュとシャルルが言葉で小突き合ったりしている内に、集会所の入り口を潜る。風除室で道具類を外し……防具と武器だけは身につけたハンターとしての姿のまま、酒場部分へと立ち入った。

 

「お帰りなさい。団長は奥の部屋でお待ちですよ」

 

 受付嬢のシャーリーへ挨拶をしておいて、そのまま奥へ。木製の分厚い扉を潜ると猟団長オニクルの部屋がある。

 取っ手を鳴らし、応答を得てから扉を開く。

 

「―― ()ったな、ダレン」

 

 燃える暖炉を背後に、オニクルが出迎える。入ってすぐに置かれている円形の巨大な机の上いっぱいには、フラヒヤ一帯が描かれた地図が広げられており、そこかしこに赤文字で注釈が書き加えられていた。この地図はギルドが長年集め続けた情報の内、植生に重点を置いたものだ。生物達の動きに注目していたのだろう。

 

「王立古生物書士隊一同、ただいま戻りました。……こちらは青の部族に間借りしているヒシュ・アーサー。そして逗留中のシャルル・メシエ。道中で合流し助力を得ましたので、情報の統合をと思います」

 

「ああ。ヒシュてぇ名前だば、知ってんな。『狩りに生きる』で見だ。メシエのはご苦労。迅速に要請さ応じてけだ(くれた)はんで、助かったじゃ」

 

「エエ。代わりに、リストにある整備品の取り寄せ検討をお願いするわよ?」

 

「お()の欲しがるものだっきゃ、高えもんばっかだはんでな……」

 

 オニクルが頬を掻き毟る。どうやら検討はするようだ。

 腰かけろと促したオニクルに従い、書士隊およびヒシュ、シャルルが円卓に着く。夜も明けない内の訪問だが、ハンターにとって珍しい事でもない。方針はまとまったとは言え猟団も未だ動いている。まとめ役が忙しいのは、むしろここからなのだ。

 受付嬢が全員に暖めた麦茶を。オニクルにだけ梅酒を配り終えた所でダレンが報告を始め、簡潔に終える。

 

「―― 逃げてきたドドブランゴは討伐。じきに回収されるでしょう。ガムートは撃退。観測隊に継続的な観察を依頼しました。以上です」

 

んだが(そうか)。おおよそは問題()べな。(わぁ)さ届いてる情報だば、《蠍の灯》の方の被害は ――」

 

 オニクルから猟団側の情報が追加される。

 討伐戦に参加した20名の内、死者はなし。怪我については重傷者はいないが、安静が必要な者のリストに副長のグエンが含まれている。管轄地からドドブランゴを獲り逃した追走戦の初っ端に、想定外の新たな爆発物(・・・)の炸裂に巻き込まれたのだそうだ。

 

「でも、死んでねばだっきゃ(なければ)良いべ。雪獅子を逃がした時だば肝冷やしたけんど、お前らのおかげで依頼(クエスト)としちゃ達成(クリアー)て結果に出来そだ。報償も用意しとく。そっちの要請さ応じよと思ってらはんで、欲し物とば考えといてけな」

 

「有り難うございます。こちらからの要請は隊内でまとめておこうと思います。して、爆発物についてですが……それについても報告があります」

 

「ああ。奴ら(あらんど)ば見かけたってな報告だば届いてたな」

 

 オニクルが太い指を動かし、別の地図を捲る。

 まっさらな複写の地図。等高線と順路だけが書かれたシンプルな、これから書き込む用途の物。

 

「はい。私達は管轄地外の……この地点で、奥側から駆けてくる黒防具の3人と遭遇しています。『馬鹿者』ら……と、呼ばれていると聞きましたが」

 

「んだな。ただ、ちょっと待てな。新し情報だばこれから来る事さなってんだ。そろそろ戻ってくるど思うんだばって……」

 

 オニクルが視線を上げると丁度、部屋の外に気配が現れた。控えめなノックの音の後で扉が開く。

 大きく膨らむシルエットが特徴の黄色の外套を羽織った女性が、ゆっくりと上座へ歩いて寄る。彼女を隣に立たせ、オニクルが立ち上がる。

 

「紹介しとくが。こいつぁ、観測隊のカルレイネ。観測気球の内、ポッケで管理してんのさ乗ってんのは此奴だ」

 

「お初にお目にかかります、書士隊の皆様。先ほどのガムート撃退戦は、お見事でした」

 

 カルレイネと呼ばれた女性が鈍い金色の毛髪を垂らし、頭頂部が見えるほどに深く腰を折る。ダレンが礼を返し隊員も倣う。シャルルだけがすまし顔で、我関せずとばかりに茶の入った陶器を傾けた。

 再び顔を上げ、カルレイネは続ける。

 

「早速ですが報告を。……ガムートに関してはご心配なきよう。かの山神は北部奥側へ向かい、周囲に村の無い場所にまで移動なされた。現在も居場所は監視を続けておりますが、荒ぶる様子もありません。暫くして警戒は解けることでしょう」

 

「だ、そうだ。少しは安心したべか?」

 

「ええ。これ以上無く」

 

 結果としては上々だ。破顔するオニクルに、ダレンも心からの安堵の笑みを返すことが出来た。

 クエスとヒント、カルカも安心したとばかりに様相を崩す……が、ダレンはそうもいかない。

 

「して。爆発の原因物については、捜索はなされたのでしょうか」

 

 ダレンの言葉に、ウルブズがふうむと息をこぼす。そう。『馬鹿者』らと関連づけるにしても、何かしらの情報が欲しい。本当に彼らが用意した炸薬による物なのか、それすらも判断がついていないのだ。懸念もある。あのガムートとドドブランゴの衝突に感じた作為……の様なものの出所が、どうにも頭の片隅に引っかかり、こびりついては離れない。

 オニクルが応じる。カルレイネにも視線を合わせ。

 

「現場の猟団はまだ戻ってねはんで、情報自体は古いばって……爆発が起きたと予測できる地点は、ダレンらが見た『馬鹿者』らの移動ルートを遡った延長上にある。それだば確かだ」

 

「地点を割り出したのは私です。耳が良いので」

 

 カルレイネは髪をかき上げ、自らの大きな耳たぶを指して言った。琥珀色の玉をあしらった耳飾りが揺れる。

 

「ですがそれとは別に、もっと単純に……爆発という複雑な現象を『人』以外が扱えるのか、というそもそもの疑問はあります。疑うとすれば亜人、特に獣人族は槍玉に挙げられるでしょうが……彼ら彼女らはアイルーメラルー問わず、フラヒヤ周辺では特に統制が取れています。戸籍も持っていますからね」

 

「んだ。その辺りは『オトモアイルー』の普及さ走ってる、ネコートのおかげだべな」

 

 ダレンの斜め向かいで、ヒシュがむふんと自慢げに胸を張る。オニクルがその様子に再び笑みをこぼし。

 

「だはんで、爆発地点周辺に誰も居なかったってのは……そう見ておいた方が可能性が高けと思うのよ」

 

「獣人族がいたずらに火気に手を出したというよりも、人が爆発物を持ち出したと。確率が高そうなのはそちらだと、そう仰るのですね」

 

「ダレンの言うとおり。確かでねけどな。それに、妙な話も入ってきてる。副長のグエンが巻き込まれた爆発ん時、傍にぁ雪獅子に使うつもりで用意ばした樽爆弾があったんだけども、誰も火口は持って無かったってぇ報告だ」

 

 それは、と。確かに引っかかるものを感じる話だ。

 大樽爆弾の起爆には幾つかの方法が用いられる。導火線もしくは衝撃のどちらかによって炸裂するよう、ハンターの側が調節するのである。同時に、猟場に持ち込むまでは起爆そのものがしないよう設定するのが常だ。ただでさえ雪山での火気であり、その扱いに慣れている猟団側が管理を怠ったとは考え難い。人間だからこそ間違い(エラー)は起こるもの、と捉えることも出来るが……。

 

「そっちは少しばかり続けて調べさせとくべ。何か進捗あったら、ダレンさ直接伝えるはんでな」

 

「判りました。宜しくお願いします」

 

 ダレンが頭を下げ、オニクルと握手を交わす。これにて報告は終了した。

 終了した、の、だが。

 

「ん。それじゃあ、ジブンからもひとつ。……いい?」

 

 ヒシュが続けて片手を挙げた。

 これまで茶にばかり意識を向けていたシャルルがあら、と疑問を向ける。

 

「あら珍しいこと。『被り者』が、こういった場で意見を挟むだなんて」

 

「ジブンは、書士隊の仕事で来たわけじゃあ無い。ダレン達を助けられた……のは、良かったけど。それに今のジブンは、ちゃんと話すよ。シャロは知らないだろう、けど」

 

「フゥン?」

 

「興味ないでしょ。……はぁ。話を戻す」

 

「んまぁ、言いたいごっとは(わが)った。それは、青の奴らからの話だべか」

 

 改めて話を、と姿勢を正したヒシュの様子にオニクルが応じる。

 今のヒシュの立場は、ポッケ村の隣村「青の部族の移動集落」の雇われハンターである。書士隊の二等書士官の立場もあるにはあるが、彼自身は部隊を持っていない。役職を維持するだけの研究成果はあり、実はフラヒヤ周辺の植生に関する調査が主たるもので……「月刊・狩りに生きる」において優れた調査功績(ポイント)を挙げていたのは、そういった理由も有るのだが。

 隣に控えていたカルレイネが一歩後ろへ。オニクルが机へと身を乗り出し、現在青の部族が集落を広げている位置を指して。

 

「となると、そこっから移動するってぇ話になるべか。確かにそろそろ寒冷期。移動の時期ではあるけんども」

 

「そう。移動する……んだけど、今回は少し猟団にも、村長(おばば)にも話をしなきゃいけなくって。それで、近場に行くジブンが伝書鳥の代わりに話をしに来た」

 

「……とりあえず、オババは呼んでこさせっか。カルレイネ、頼む」

 

「判りました」

 

 後ろ手に扉を閉め、カルレイネが外へ。

 その背を見送り、オニクルが息を吐いて難渋を示した。太い指先で髭をなぞり。

 

「あー……青のの筆頭、今代の星聞きの巫女は、気難しって聞いてら。でもな。村さ利益が無ぇば、受けらんねもんは受けらんねぞ」

 

「ウン。だから、向こうに()を用意して貰った」

 

 ヒシュが頷く。暫くして村長が連れられてきた。

 頭からすっぽりと外套に包まれた小さな身体が、オニクルの隣に腰掛ける。

 

「さて、呼ばれて来たぁよ。どうしたんだい、仮面の?」

 

「率直に伝える。青の部族が、今年の寒冷期の間()ポッケ村に間借りしたいって言ってる」

 

 言葉通りの直球で、ヒシュが話す。この言葉にオニクルが腕を組んで鼻を鳴らし、村長はあらまぁと彼女にしては驚いた様子の声をあげた。

 フラヒヤの寒冷期は厳しい。誇張では無く肌が凍る程の過ぎた寒さ。危険度が高いが故に、ドンドルマなどからのハンター遠征が制限されるほどだ。青の部族は移動式の集落であるために、寒冷期はポッケ村と身を寄せ合ってやり過ごすというのも珍しくはない。案として理屈は通り、理解も出来る。

 問題は青の部族がここ数年、寒冷期にフラヒヤ周辺へ「戻ってくる」という点にこそある。彼らは大陸の各地を移動し、歌や劇などの興行を行って回る部族である。移動そのものは不思議な事でもない。が、ひとつ所に留まるのはこれまでに無かった出来事だ。

 村民同士が隣り合えば、擦れ合う。軋轢や不和が生じるのは当然と言えよう。ポッケ村の人々にとっては娯楽を提供してくれる部族の巡業、くらいの感覚なのかも知れないが……理由を「星聞きの巫女の託宣だ」で押し通されて既に4年。村長としてはこうもポッケ村周辺に留まっている理由を聞きたい所だろう。

 何故、青の部族は寒冷期にポッケ村周辺へ戻り来るのか。そして何故、今回はヒシュが代理として訪れているのか。

 

「だから、ジブンが来る意味なんだけど。敷地内に留まる代わりに、対価を差し出すから、何が欲しいか聞いてこいって。……今年もポッケ村での無料巡業で押し通すつもりだったみたいだからね、向こうは」

 

「お()が仲を取り持った言うわけだな?」

 

「形だけで言えばね。今年は、巫女が代替わりを終えた。今は向こうに巫女付きの……黄色の部族の雇われ猟兵として、シャシャっていう人が居る。から、意見を通すのは難しくなかった」

 

 オニクルがほう、と感心した声を漏らす。青の部族は開放的だとはいえ、同じ「色彩の部族」の客分の滞在を受け入れるのは珍しいことだ。他の部族が排他的なだけで、元来の気性はそんなものなのかも知れないが。

 尚、「黄色」は村長の後ろに控えたカルレイネも属する「観測」に長けた一族だ。世界各地に最も広がっており、ハンターズギルドとの関係も深い。王立古生物書士隊や王立学術院の創設にも関わっていると、噂の範疇を出ない話を聞いた覚えがある。

 

「……正直に言えば、青さんらの滞在はポッケにとっちゃ余計な荷物背負うのと一緒だけんども」

 

「おばばの考えだば、(わぁ)もおんなじだ。だから(だはんで)ヒシュ、そっちの言う利ってのを早く出してければ助かんな?」

 

 村の重役2人が揃ってヒシュを促す。ダレンもヒシュの表情を伺った。かつての彼が苦手としていた類いのやり取りだ。必要であれば助言を、と。

 しかしヒシュは真っ直ぐに前を向いて、うんと頷く。迷いはない。どうやら杞憂であったらしい。彼もまた3年という時を経て、様々な経験を積んだのだろう。

 

「畑仕事や猟に人を出させるのはモチロン ―― もひとつ。星聞きの巫女が、村からの要請にも応じて託宣をくれる。回数無制限。ただし、巫女の機嫌次第みたいだけれどね」

 

 このヒシュの一声。切り札(ジョーカー)にも等しい見返りによって、話はすんなりとまとまった。

 翌日から青の部族はポッケ村の近隣に移動を始め、しばらくすると郊外……畑やオトモアイルーの訓練派遣所などが建設中の、斜面から一段下った、安全性としては劣る区画ではあるが……移動式の住居が建ち並ぶ運びとなったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俯瞰する。今日は気球では無く、地上から。

 彼ら彼女らが見積もった初陣を終え、村は祝勝ムードに包まれている。

 特級と呼ばれる雪獅子の狩猟を成し遂げ、山神と謳われる生物を追い返し、人々はここでの生活を勝ち取った。守り抜いたのだ。

 

 今はまだ、山の向こうに居る。

 祭器と呼ぶそれを求めて、黒の鎧に身を包んだ一行は只管に雪中を行く。その最中に在る。

 唇を噛み潰し。凍った肌をぶち。凍傷になりかけた指先をもんで血液を循環させ。

 それでも一行は求め彷徨う。各々が目的のために。

 

「―― うまくやる。大丈夫」

 

 影は窓の外から山向こうの空を一瞥し、踵を返す。

 寒冷期を目前に控えたポッケ村に続々と集う人々。

 その波濤に紛れて、消えた。

 

 

 




・色彩の部族
 古の文様の掘られた外套をまとった彼ら彼女ら。
 赤と黄色(および黒と白)はクエストの依頼者として登場することはありますが、それ以外の色の者はオリジナル。多分。メイビー。
 役目役割がそれぞれあったり、色によって部族があるというのもオリジナル。つまりはあてにしないで欲しい設定。
 幕間その三にちょっと詳しく書いていたり。ヒシュ視点な立場での解説であることによって、まぁ関係性は予測できるやも。


・シャルル・メシエ
 前々から名前だけは連呼していた人。ヒロインは何人居てもいいという暴論の下に設定が成された。
 ヒシュの昔話に登場する「姫」は彼女のこと。話だけなら2話から出ていると言う……。
 ガンランサー。放浪はしない。穴あきで妥協もしない(適当。


・紫電一閃 平突き 半片手
 野太刀超えた大きさのモンハン世界の太刀でこれをやらせる狂気。
 でもほら。ゲーム内ではやれてるので……。


・ドドブランゴの死骸を谷底へ落として回収班に拾わせる
 腐敗が遅いので出来ること。ポッケ村は人数も多く、猟団という組織もかなり幅をきかせているからこそシステム化してあるという。


・不穏
 それはまぁ、不穏ですとも……?






 あと、2章のサブタイトルを改訂します。
 雪山初戦をタイトルで判るように括ったりしよかなと。


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第九話 ポッケ村散策、ふたり

 

 ポッケ村の近隣に青の部族が移動を終え、はや1週間が過ぎようとしていた。

 移動式住居が村の端に並ぶ光景もここ数年来は見慣れたもので、村人たちも特段の軋轢なく受け入れることが出来ていた。

 

 青の部族はその名の通り、青色に染めた外套を身に纏う古部族のひとつである。

 西はメルチッタから、東はなんと海を越えてシキ国にまで。英雄譚や歌劇という民衆に通りの良い技能に長けた彼らは、ハンターという職業の一般化にも一役買った。名の知れたハンターの活躍を謳う「白羽根譚」や「九紋竜の(きざはし)」などの歌劇が、娯楽として民衆に浸透したのである。本来であれば見ることも伝わることも無かった彼らの活躍は、歌劇という形で噛み砕かれては民草へ広がる。ブームと呼んで差し支え無いだろう。

 ここ数年で外部からポッケ村への人の流入が増えているのも、これら青の部族による影響が大きい。注目度が上がったと言えばよいのだろうか。寒冷地に特有の植物や毛皮は、確かに今では特産品として機能を始めているのだ。

 

 そんな寒冷期だのに賑わいを増した村の中腹、ハンターハウスの一室にまで……何か、何かの音が響く。

 賑やかなそれら音に意識を引きずり上げられ、王立古生物書士隊三等書士官の青年・ヒントが目を覚ます。

 

「―― ああ。やっと朝か」

 

 毛皮の肌着姿のまま上半身を起こす。怠さは抜けた。視界に濁りはない。無駄に物事を考えてしまう思考も、残念ながらそのままだ。たらいの水で適当に顔を洗い、髪にぐしぐしと癖をつけてから部屋を出る。

 何か騒がしいと思えば、日の出と共に《蠍の灯》の猟団員が村の外へと慌ただしく出掛けてゆく音だった。いつもの音だ。ポッケ村にきてからは村に居るよりも猟場に出ている時間の方が長いとはいえ、これら朝の賑やかさ慌ただしさは何ら変わる事のない日常の光景である。

 書士隊員にはそれぞれ部屋が与えられている。外部のハンター用の客室をすべてあてがった形だ。シャルル・メシエは村の端に自分で家を借りているし、「馬鹿者」達は野宿で村に戻らない。山間だけあって土地が潤沢だとは言えないが、こういった客分のための施設があるというだけでも十分だろう。ポッケ村の豊かさが窺える。

 ヒントはあくびをかみ殺したまま自分の部屋を出、そのまま隣の部屋の扉をノックする。錠を使って4度。

 

「起きるんだ、クエス。おそらく僕たちが最後だぞ」

 

「……ん……」

 

 細い唸り声だが返答はあった。これで十分だろう。ヒントは先に居間に降りると、机の上に作り置きを発見する。ダレンが雇った家政(キッチン)アイルーによるものだろう。これに関してはこの村のアイルーを統制している取りまとめ、「ネコート」なる人物の手も入っているようだ。

 ヒントは机に座ると手を合わせ、サシミウオの塩漬けと芋粥で軽い(・・)朝食を済ませることにする。

 匙で触れると柔らかく崩れる味の染みた芋を掬っては口元へ運びながら、部屋の壁際に寄せられた木板に視線を向ける。そこには隊員各々の本日の行動予定が書かれた藁半紙が貼り付けてあった。

 

「ダレン隊長は《蠍の灯》に出頭。会議だな。ウルブズの叔父貴は……休養としか書いていないか。カルカ、フシフは借り宿で療養。ジラバはいつも通り村の鍛冶場。こんな時でも……いや。むしろ僕らが村にいる間こそが彼の本領か。一番休めないのは、ジラバなのかも知れないな」

 

 行動を確認し終えると、ヒントは木板の下辺に張られた自らの行動予定に溜息を吐きつける。

 

「僕は『休暇』。……まぁ、戦闘要員はこんなものか」

 

 実際にはやらねばならない事は山程ある。先日の管轄外における「ドドブランゴの討伐およびガムートの撃退」に関する報告書も取りまとめは済んでいないはずだ。ただ、それらは隊長たるダレンや、二等書士であるらしいヒシュの仕事であって、ヒントの手伝える部分は少ない。先日合流したあの青の部族の雇われハンターは、書も早ければ絵も達者な万能戦士であるようだ。今はダレンと共に酒場に隣接した猟団部屋で、缶詰めにされているに違いない。

 無論、身体を休めるのもハンターとしての仕事の内だ。とはいえ、寝転がっていて妙案が浮かぶわけもない。

 

「―― わたしも休暇だぁ。」

 

 悩んでいると、自らの部屋からクエスがあくび交じりに顔を出した。後ろ手に扉を閉めて、ヒントの隣の席に着く。

 

「なんで隣に来るんだ」

 

「こっちのが暖炉に近いじゃない。冷えるの。あ、朝餉はわたしもそれにしちゃおうっと」

 

 少し席を離したヒントを意に介せず、クエスは席を取ると、すぐさま暖炉へととんぼ返り。手近な棚から木皿を取り出すと山盛りによそい、両手を合わせて祈りの常套句を口にした。

 

「主の恵みに感謝します。かくあれかし! ……んむ。やだ美味しい!」

 

 そうしてクリシェのために開けた口に、そのまま芋粥を放り込む。

 確かに。辺鄙な辺境と聞いていたのだが、ポッケ村は食糧事情のひとつをとっても十分に豊かといえるだろう。ヒントは脳内で理屈をこねる。

 

「フィヨルド含む、河川や湖が豊富だからだろうか。献立は猟場での保存食と同様でも、魚類は新鮮さが違う。根菜は糖度が増しているようにも感じるな」

 

「そっかぁ。美味しい、美味しい! ……共和国でも、ヒンメルン山脈なんかは山中訓練があったんでしょ?」

 

 クエスはドンドルマのハンター教習所で別れて後、王国側でハンターとして活動していた間のことを聞いているのだろう。かつて同輩であった彼女に話すには、確かにその辺りが丁度いいか。

 ここフラヒヤ山脈とあちらヒンメルン山脈は、大陸の東西にそれぞれ連なる大きな峰だ。緯度としては確かに近い場所もある。……ただし、大きな違いがひとつ。

 

「あちらは通商路も山道も、かなり人の手が入っているよ。山脈それ自体が東西の国への短縮路だからね。国費を入れられているし……だからこそハンターにも一定の需要があった。護衛だったり討伐だったりで仕事には事欠かない」

 

「ならフラヒヤ程には辺境じゃあなさそうだね。で、そっちのご飯は?」

 

「やっぱり君が気にするのは食事か。……さて、どうだったかな。僕は共和国には殆ど滞在しなかった。おかげで獣の肉の血抜きと、食べられる野草には詳しくなったが」

 

「わかった。碌な料理はなかったことが、わかった。……ごちそうさまでした!」

 

 きちんとよく噛みよく飲んで食事を胃に詰め込み、クエスは食事を終える。

 とうに皿を空にしていたヒントと揃って掌を合わせると、彼女は立ち上がった。どこかへ出かけるつもりだろうか ―― と。

 振り向く。頭の横で結われたふたつの結び髪が、暖気になびいてひらりと揺れる。

 

「それじゃあヒント。わたし達はどうしようね? ダレン隊長は邪魔したくないし、ウルブズ叔父さんはふらふらしてる。ジラバの鉄火場(とこ)は遊びに行ってもよさそうだけど……」

 

 彼女の中では行動を共にするのが決定事項であるようだ。

 確かにヒントとクエスはセットで扱われることが多い。教習所でも同期、書士隊としても同期、年も同じ。ハンターとしての飾り星(ランク)も同様である。それは同一視しているとかではなく、単に組ませるにあたって弊害がないというのが適切であろう。

 ただし彼女が今考えている事……本日という持て余した休暇の使い方というのは、確かに、ヒントにとっても命題だ。頭を回す。

 

「妥当なところなら、慣らす程度の体術の訓練というのもある。他にも、村の端に来たという青の部族の興行は……今は公演はしていなくても、準備などは見られるかも知れないな」

 

「なるほど。そういうのも有りよね」

 

 クエスはうんうんと頷き、口を閉ざした。ただ今に挙げられた休暇の使い道を吟味しているようだ。ぐりぐりと表情を動かしては唸っている。今の内に片づけをしてしまおうと、ヒントは食器をまとめて重ねると、調理用途の水路から水を汲んでさらす。

 そして、居間へと戻ると。

 

「ねぇヒント」

 

 クエスの視線がじっと留まり、こちらへと向けられていた。

 少しばかり嫌な予感もするが、視線の圧力に逆らわず、彼女の向かいに腰かけると。

 

「わたしまだ、ポッケ村に来てからは中央部辺りしか知らないの。ねえ、ヒントはもう村を見て回ったりしたの?」

 

「いいや。ないな」

 

「なら一緒に行きましょうよ。久しぶりに連れ添いで観光なんていいじゃない! ね、ね?」

 

 軽い調子で、そうと言葉を口にする。

 どうやら観光のお誘いのようだ。ヒントは考える。

 

「……なるほど。僕もポッケ村の現状や設備には興味がある。断る理由はないね。……それに、君からの提案なのはありがたい。よそ者が単独歩くよりも、ふたりで居た方が。村人や猟団員からのあたりは良くなるだろうからね」

 

「なによ、その捻くれた考え方!?」

 

「僕なりに自分を納得させるための方便、のようなものだ。君は気にしないでいいとも」

 

「気にするわよー! 気にするなって無理じゃない? ねぇねぇ!!」

 

 姦しい声に背中をまくられながら、ヒントは自室に戻って外套を被ることにした。

 おかげで本日の予定は決まったのだ。もう焦る必要は、ないのだから。

 

 

 

 

 ■□■□■

 

 

 

 

 借家を出て、真っ先に向かうことにしたのは「鍛冶場」。最も借家に近いから、という理由である。

 未だ太陽は中天にかからず。朝方に寄ったハンター達からの注文に応え終え、それでも出掛けている間でこなすべき注文の山を突きつけられた……つまりは未だ繁忙の最中であろう鍛冶屋へと足を伸ばす。

 観覧。観光である。楽しむための場所としてはいかがな物かと思う事もあるが、クエスにとっては十分に興味を惹かれる内容なのだ。彼女の感性について、ヒントはよく知っている。同期のハンターの中でもとびきりの変人との触れ込みで、しかしそれが契機となって書士隊に籍を置くことになったのだとも聞いている。

 

「僕の様に、ハンターとしての経験を積んだ上で……ミナガルデの内情について詳しいからという物々しい理由で招集されたのとは違うからね。君は」

 

 自嘲を込めて、ヒントは口の端を吊り上げた。書士隊員達はそれぞれに得意分野を持っている。ダレンは今は民俗学。ジラバは武器、クエスは防具。ウルブズも民俗学……と言いたい所だが、あの敬愛すべき叔父貴はそれを理由(だし)に純粋な戦闘員を兼ねて呼ばれただろう。今回のフラヒヤ遠征はそれ程に過酷な物であるというのは、ヒントとて十分に理解して臨んでいる。

 そんな隊員達とは違い、ヒントはハンターにしろ書士隊にしろ道半ばに過ぎると感じている。統率力や知識でダレンに届くとは思わず、ハンターとしてはウルブズに遥か及ばず。知識はあれど、それは決して「学問」では無い。専門分野と誇れるものが、未だないのだ。

 ……などと視線を下に向けている内に、クエスが足を止めていた。自らを卑下したこちらへ向けて振り向く。ふんと鼻を鳴らし。彼女らしく押しの強い意志の宿った瞳で、くだらないと一蹴する。

 

「そんなのは関係ないわよ。だってこのダレン隊の選抜基準は『ハンターとして最低限の経験と一定分野に関する知識を併せ持ち、探究心を発揮できる人員を選んだ』……って、ダレン隊長から聞いているもの。知識の内容に貴賤なんてものはないでしょう?」

 

「けれど役に立つ、立たないはあるだろう? 系統立てて考えれば、世に広まるのは役立つ知識の側だ。僕の知識は現場向きなのは理解しているが、書士隊としてみるならば、どうかな」

 

「いやいや。知識が役に立つかどうかと、あなたが必要かどうかは別でしょ。混同してたらキリがない。わたし知っているわ。あなたは、今回の遠征についてこられるだけの実力と知識を併せ持っている。広く浅く。悪く無いじゃない? ジェネラリスト(何でも屋)だって、必要だと思うわ! それにそもそも、もうポッケ村に来てるっていうのに、そこを悩む必要あるの?」

 

 それはそうだ。現場に入ってから悩む内容ではない。彼女の言う通りである。

 実に合理的だな、とヒントは思った。悩むことそれ自体に有意義か否かを問えるとは、それはそれで新たな知見というもの。悩むべき時合でないのであれば、悩まなければいい。彼女が言うからこそだろうか。不思議と、思ったよりも、理屈どうこうより……飲み込むのに引っ掛かりがないように感じた。

 呆れではない。からっとしたその問い様に、自然と口は緩まっていた。ヒントは息を吐き出した。白く濁り、いずれ透明に空へと消える。

 

「ないな。無駄な思考だった。君の言う通りだ」

 

「でしょ? さ、観光観光! 防具の点検は昨日した。武器は鍛冶屋に預けてる。ついでに取りに行きましょ。で、さっきみたいに沈んだ表情のままついてきてみなさい? わたしがはっ倒してあげるから!」

 

 笑顔で言うと、クエスは我先にと坂を下ってゆく。ヒントはその背を視線で追い、ゆっくりとした歩みで彼女の轍をなぞってゆく。

 鍛冶場はハンターハウスとは目と鼻の先。ポッケ村の中央部分に包括されて建築されている。装備品の手入れをするに、近くて損はない。そういうハンター達の要望に応えて、こういう立地になったのだそうだ。

 玄関口で挨拶をすると、通用路から奥へと入る。入り口では仕立てアイルーが獣人族の背丈に削りだされた人形で鎧下の合わせをしていて、ヒントを見つけると耳をぴんと立てて挨拶を返してくれた。近年は「オトモアイルー」の普及に努めていることから、獣人用途の防具の作成も試行錯誤されているようだ。

 いよいよ中央部付近に立ち入ると、真白く寒冷な村中の光景とはうって変わって、鉄の音と火の明るさと熱気に包まれていた。

 

「おや。おふたりとも、見学でしょうカ」

 

 ふたりの来訪に気づいたジラバが顔をあげる。何やら熱された金属を竜鱗の手袋(ミトン)で掴んで、工房内にまで引かれた水路にさらしている最中だ。

 

「ああ、ただの見学だ。僕もクエスも休暇を持て余してしまって、村を回ろうと思ったんだ。……邪魔じゃあないか?」

 

「まったくもって。むしろクエスさんがいらっしゃるのならば、最後に工房の方にお声かけいただいて、鎧下の微調整に付き合ってくだされば嬉しいくらいですネ」

 

 ジラバからの返答に、ヒントは胸をなでおろす。クエスはというと興味のまま、調整修繕済みの防具が並べられた区画へと直行しているようだ。騒がしくも喜びの声がそちらから絶えることなく聞こえてきている。どうやらこれ以上手を加える事のない品のため、面積は取るが人の密度は少ないらしい。工房の監督にすみませんとヒントが頭を下げると、笑って「良し」のハンドサインを返してくれた。

 くっくと笑いながら、ジラバが背を震わす。ここ鍛冶場こそが彼の本来の職場である。熱にあてられ紅潮した肌は、いつもよりも血色良く見える程だ。

 

「では了解もいただきましタ。ヒントさんはどうぞ、あちらの彼女に付き合ってあげてくださイ。心配せずとも許可は簡単に降りますかラ。本当はご案内したいのですけれども、ワタクシは隊長の『斬破刀』の微調整と……それに、あの『姫君』の防具図案の読み込みに時間を割いていましてネ」

 

「姫君 ―― シャルル・メシエか。そういえば市井に知れた防具の作成者だったな。まさかご本人が急伸最中のハンターだとは思わなかったけど」

 

 ええ同感です、とジラバが続ける。

 水から引き上げた金属片を裏表にかざして歪みを確認。続けて満遍なく表面を打診し、層の均一さを確認しながら。

 

「彼女の……いエ。メシエ・カタログは派閥(グループ)でしたカ。まぁ、彼女が所属していた一派の掲げる『芸術性を重視する』という御旗は、余りにも防具という存在の本筋からかけ離れた考え方でス。ともすれば防御のための能力をも犠牲にすル。それは、ただの本末転倒でありましょウ。しかし ――」

 

 逆接をおいて、ジラバは手元に重なった山から一枚の図面を引っ張ってくる。

 女性ハンターに向けた防具の図面。飾り袖や肌の露出面積が多い。素材は皮が表面を覆う造り。その柔らかさを生かすという側面もあるが、デザイナーによる意図が強いのは明らかだ。

 どこかで見覚えがある。しかし、思い出せはしない。ヒントは諦めてジラバに問う。

 

「これは、シャルル・メシエによるもの……か?」

 

ノウ(No)。ただ、とても惜しい(・・・)。ワタクシの言いたい事には合致していまス。……この防具は初代『百輪』と呼ばれる、名うてのハンターが愛用していたとされるものでス。これはあくまで感性による仮説なのですが、メシエ・カタログが掲げたデザイン性の基軸は、この流れを参考にされているとワタクシは考えていまス」

 

 『百輪(びゃくりん)』。まだ王政の下に在った時代、勅命によってのみ動いた最高位の狩人。世襲されず途絶えた二つ名のひとつだ。つまりは過去に居たとされる高名な「モンスターハンター」、その愛用の防具だという事である。

 この話を本当だと仮定する。それはつまり、この防具がデザインだけでなく何かしらの有用性を多分に含んでいる……という事でもあるのだろう。

 心当たりはなくもない。ダレン隊長が扱う「気」や、高位のハンター達が語る「気炎」に近いもの。そういう不可思議な何かに彩られていさえすれば、市井一般の感覚からは大きく外れた力をも生むことが可能だと、ヒントはようく知っている。

 

「ご慧眼。そしてワタクシは、それを否定すべき立場にはありませんので」

 

「成る程。ジラバの論文は、モンスターの希少部位を鎧や武器に使用する事の有用性を示したものだったか。『生物の中心部』っていう、素材っていう目減りする視点からかけ離れた着目点が……ああ、なるほど。そういうことか」

 

 合点する。そういう専門範囲の外から引いてきた(としか思えない程に異質な)考え方や視点は、近くで見るには異質そのものであっても、蚊帳の外から見る分には面白くも感じるのである。

 ジラバは「ですね」と同意して。

 

「出した当初、学会では悪目立ちでありましたが、ハンター界隈の皆様の後押しと……おかげ様でかギュスターヴ殿のお目にとまりましテ。ワタクシは今、こうして書士隊に属することが出来ていまス。……とにかく。恐らくはそういう部分、『ハンターとしての技能を長ずる』という点にこそ真髄があるのではと睨んではいますが……いやはや、生来の筋肉量に乏しいワタクシの身体では、ハンター業というものの根っこに辿り着くには非常に時間を要しますからネ。だから今は皆さんのお力を借りさせていただいていまスよ」

 

 そうは言うが、鍛冶場の炎を映したジラバの目は……今現在困難にぶつかっていることの楽しさに(まみ)れていた。塗れ、輝いてさえいる。

 壁にぶつかる事すらも醍醐味、という事なのだろう。ヒントとしても感覚は判らなくもない。

 

「楽しそうだな、ジラバ」

 

「大正解ですとモ。……理論立てて解釈できるかは判りませン。が、証明さえ出来れば順路はあとからついてくることも多いでショウ。ええ、これすらも先行研究という事ですネ!」

 

 持っていた金属片を炉に放り、図面を慎重に遠ざけてから、ジラバは満面の笑みを浮かべた。鉄火場に遠きはなく、本拠は此処に。そう、高々と掲げた両手でもって表して見せた。

 

「―― ちょっとー! ヒント、何処行ってるのー?」

 

 ……遠くから声が聞こえる。端から置き去りにしていた連れを、今になって探しているらしい。

 またも背を震わせながら、ジラバは促す。

 

「ワタクシは武器が専門なのでス。これら鎧に関してはお連れのクエスさんが専門でありまショウ。お待ちのようですし、ワタクシはこれにて。……と、と。『特務爆斧(ブラックロー)』と『衛士隊正式盾斧(チャージアックス)』については朝の内に整備が終わっていましたかラ、ついでに持って行ってくださればありがたいですネ」

 

 最後に注文を取り付けると、ジラバは工房の奥へと戻っていった。戻るなり村の職人達に声をかけられている。どうやらやはり、可変武器に関してはジラバの専門性が有用であるらしく、銃槍(ガンランス)に関しても意見を求められているようだった。

 

「おーい、ヒントー?」

 

「……今行くよ、クエス。ただし、ジラバも工房の人達も働いているんだ。もう少し声量を抑えるべきだね」

 

 はーい、というあからさまな生返事が聞こえる。

 未だ防具にお熱の最中にあるクエスの元へ向かう。彼女の熱が少なからず消費されるまで……具体的には昼まで。順繰り、防具の展覧会と相成った。

 

 






 1章よりも2章のこの2人のほうがライトノベルとしては王道のハンター物語している気がする今日この頃。
 新年あけましておめでとうございます。本年度もよろしくお願いしますね!


・サシミウオ
 私の書き物に頻出する。食用の魚類でいえばこれか大食いマグロがどうしても頭をよぎるので……で、大食いマグロはこれよりも高価なイメージ。
 私の書き物は人物たちが基本的に猟場にいるので、陣中食みたいなやつが多いので食欲はそそられない(戒め。


ジェネラリスト(何でも屋)
 普通であればルビを振られる側を、あえてルビに持ってくるスタイル。
 この作中の人達がジェネラリストっては絶対に言わないけど、他のマイナスの意味を含まない言い回しが思いつかなかった。


・ポッケ村の鍛冶場
 売り場の面積はあれでしたが、立地はよいでしょうねー。
 あの温泉が天然なのか、はたまた鉄火場などからの副産物なのか……という読み(じゃすい)も出来ますがはてさて。……どうでしたっけ(忘却。



 次はおデート後編です。
 ポッケ村を思い切り自由に描写できて、とても嬉しい……。



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第十話 ポッケ村散策、午後ふたり

 

 ヒントとクエスが鍛冶場で各々の得物を受け取って借家へ運び、再び外に出るころには昼間を過ぎていた。

 本日のフラヒヤの空には晴天が広がり、白雪が陽光を照り返しては眩く山肌を彩っている。とはいえ肌に感じる寒さは寒冷期のそれだ。次に向かう場所を早めに決めておくべきだろう。

 そう、隣に立つ彼女に告げると。

 

「じゃあヒントの案を採用して、村の端っこのほうを見に行こうよ。こないだに移ってきた青の部族も……それに、あのシャルル・ザ・プリンセスも。あっちに家を持っているんじゃなかったっけ?」

 

「適当な名前をでっちあげないでくれよ。というか君は、彼女のファンなんじゃなかったか」

 

「まぁね!」

 

 クエスは当然とばかりに胸を張る。

 

「それもあって見に行きたいのは確かだけど、ほら。あのヒシュ……さん? あの人もあっちに間借りしているって、ウルブズ叔父さんから聞いたじゃない」

 

「……なるほど。そっちにも興味があるのか」

 

 ヒントは得心する。

 先日の雪山におけるドドブランゴとの闘争へ、助力のために駆けつけた人物 ―― ヒシュ・アーサー。彼のハンターは「かつてのダレン隊」の人員である。3年前とある生物の狩猟に向けて急遽結成され……その末果てに、討伐という結実を成した部隊の主力。加えてギュスターヴ・ロンの(驚愕すべきことに、数少ない)友人(・・)で、外様ながらに二等書士官という待遇も得ているという。

 ヒントとしても、そのような人物に興味が全く沸かないと言えば嘘になる。

 

「連絡用の掲示板に書いてたじゃない。彼が手伝いするのは、午前中って。昼時にはあっちのシャルル邸でご飯食べるっても、律儀にね。だからさ。あの人の人と(なり)は知っておいて損はないかなーっと思うんだけど。どうかな?」

 

「賛成だ。そうしよう」

 

 笑って同意を示すと、クエスは「折角だし、これ着てこ」と書士隊の防寒用の外套を羽織る。ヒントもそれに倣うと、早速下る路を歩き始めた。午前と変わらぬ足取りで、いつもの通りその背を追う。

 崖を細く巻き付くようにくり貫かれた道を下ってゆきながら。

 

「……本当に凄いよね、ポッケ村。こんなに寒い土地に、こんなにたくさんの人が集まっていて……。正直辺境って聞いてたから、こんなにも活気に満ちてるとは思わなかったよ」

 

 クエスは青の瞳をまん丸に広げ、周囲を見回す。

 ポッケ村は斜面という守りの盾を持ちながら、山という資源を最大限に活用することで人の行き来を活発にしている。傾斜を利用した滑車や水車による物流などはその筆頭で、高低差や悪路を知識でもって舗装している様子が見受けられるのは大きな特徴だろう。リーヴェルやヴェルドとはまた違った、辺境ならではの逞しさという所か。

 

「この村に大型生物(モンスター)が攻めてきた……ううん。襲ってきたことって、あるのかな?」

 

「何十年も昔には頻繁にあったけど、ここ長らくは記録に残されるような襲撃はないと聞く。ダレン隊長が用意した資料によれば、ちょうど、そう ――」

 

 ヒントが眼下の景色を指す。

 崖と河川に囲まれた、今では野原が広がっている一画をなぞり。

 

「あの辺りに生物を引き込んで撃退を行っていたそうだ。流石にその頃にはティガレックスはいなかったけれど……中型の走竜や雑食の大型生物には何度か襲撃された記録がある。畑にという意味ならば、やっぱりファンゴ達が筆頭だそうだ」

 

「そっか。……時の流れって凄いなぁ。今じゃあ養蜂から採掘までなんでもござれの資源管理所になってるもんねっ、ね! ……いや、それだけ皆が頑張ってるって事なのかな? まぁどっちにしろ、凄いには違いないよね」

 

 様変わりした土地の様子に、クエスは感嘆を覚える。

 裾野に広がってゆく田畑のふち(・・)が、柵で彩られてくっきりと浮かび上がる。多くの人が寄り合い成されたポッケ村は、未だ拡張の最中にあった。寒冷地という事を鑑みれば、中央部から広げていくのは順当だろう。今も村の外周には大弩(バリスタ)や壕の設置された迎撃拠点があるとも聞いている。いずれは其処も飲み込みながら、営みを広げてゆくに違いない。

 

「外周は畑が多いんだね、やっぱり」

 

「寒冷地でこそ糖分を蓄えるような根菜類などが主流のようだね。畑があるからには土地も余裕があって、人の出入りも多い。害獣対策にもなるし、青の部族に逗留してもらうにはうってつけだろう。上下移動さえ(まかな)ってしまえば、村の中心地への移動も容易になる」

 

「そだねー。……あ、部族の人達も手伝ってる。畑仕事」

 

 防寒具として青色の外套をまとった人員が、畑のあちこちに見えた。折角の人資源である。手伝う以上は(現物かも知れないが)給金も出すという触れ込みで、部族からも力仕事担当を雇っているようだ。

 川に網を投げる漁師。木組みの屋根の下、菌糸類を繁殖させるための切り株を試行錯誤する研究員。削り出した鉱石類を運び込む作業員。それら光景を眺めながら、ふたりは地面の高さまで降る。

 路地を回ると、畑仕事……というには多種多様が過ぎるが。兎も角、それら作業に従事する人々が住まう居住区画に差し掛かる。目的のシャルル・メシエの邸宅は、その一画に建てられていた。

 

「ここか。……でかいな」

 

 ドンドルマの一等宅や最上級のギルドハウスとは流石に比べるべくもないが、間違いなく大きい。門が構えてあり、二階建てだというだけでも周囲の住居からは浮いている。

 クエスはひゅーうと口笛を行儀悪く吹き鳴らし、見上げる。

 

「他と比べちゃうと、でっかいね。元々ハンターに貸すために造った借家で、猟団が大きくなってからは利用されることが少なくなって。だからお姫様一座の貸し切りになったんだって聞いたけどさ。ハンターってほら、色々と面積を取るものね」

 

 口を濁すが、ご尤も。武器にしろ防具にしろ、狩猟した生物の素材にしろ……かつてそれらは全てハンター自らが管理しなければならなかった。

 ギルドという組織が広まった昨今では、村の側で倉庫と管理を行ってくれる地域も増えてきた。ここフラヒヤも例に漏れず、申し出さえすれば任せることが出来る。ただし防具や武器はハンター自ら手元に置いておきたいという者も多い。酒場が無い場合には、寄り合い所の代わりとして使われる事も多かった。いずれにせよ家は大きくて損が無いのだ。

 近づいていくと、入り口に庭の手入れをしている従者がひとり目に入る。ヒントから声をかける。すらっと白く伸びる単子葉植物の根元を掘り起こしていた従者の前に立ち。

 

「失礼。俺たちは ――」

 

「いらっしゃいませ」

 

 口上に被せるように、従者はよどみなく頭を下げた。ただ、慇懃さや、此方を害そうという空気は読み取れない。

 どういうことだと訝しんでいると、従者はヒント達の肩口 ―― 書士隊の紋章が刺繍された場所に視線を向け。

 

「お話を伺っていました。ヒシュさんの同僚の方ですね? 書士隊員の……えーと、ダレン隊の方」

 

「……はい。そうです。お目通りかないますでしょうか」

 

「大丈夫だと思いますよ。昼食も先ほど終えていました。少々お待ちくださいね」

 

 しばし待つように告げて、従者は邸宅の中へと入っていく。

 奥から許可を取り付ける旨の声が幾度かやり取りされ。何処までも普通の従者という様相の彼女は、殆ど間を置かずに戻ってくる。

 

「どうぞ。お入りください」

 

「ありがと!」

 

「ありがとうございます」

 

 深く腰を曲げた彼女へヒントとクエスも礼を言って……いよいよ、邸宅の中へ。

 扉を潜って周囲を見回す。案内が必要な程ではないが、それでも十分な広さを持った建物だ。虹色の伽藍から差し込んだ日差しが、毛皮の敷かれた床と緩やかに降る手摺を彩っている。そもそもロビーがあるというだけでも、一般的とは言い難い。従者に聞いたところ、シャルル・メシエは自室や寝室とは別に「作業室」なるものを持っているらしく、現在はヒシュと共にそこで「昼間の仕事」をしていると言う。

 目的の作業室は1階。階段は登ることなく奥の道へ。左右に燭台の飾られた廊下を、ふたりで歩いてゆく。

 

「ねえヒント。昼間の仕事って、何?」

 

「前にも言ったが……いや、いいさ」

 

 これは確かに覚えていなくても仕方のない情報だ。

 クエスの理解を促す間を挟んで。

 

「君もシャルル・メシエの容貌を見ただろう」

 

「うん。そういう生まれ ――『稀白』なんだろうね」

 

「色素が薄ければ、光に()け易い。肌もそうだが、特にあの赤眼(・・)は鋭敏だろう。だから昼間は外に出たがらない、と。この間の帰り道で語っていたね。……ただ、シャルル・メシエという人物が、開発職の気質を持っているのも知っている」

 

「そうだね。あのメシエ・カタログのデザイナー……って、流石にもう断定しちゃっていいよね? これは」

 

「直接は聞いていないが、間違いないと思う。何せ名前がそのもの(・・・・)だ」

 

「だよねー。あのカタログは受けの良いデザインが目立っていたけど……あたしが好きになったのは、あれらデザインを損なわずに示された『革新的な機構』そのものだったよ。だからこそメシエが銃撃槍(ガンランス)の基礎を作ったって聞いても、納得出来た」

 

「そうだね。だからまぁ、彼女はこの村で板金業を営んでいるようだ。ハンター仕事を猟団が取り仕切っている以上、関係のないハンターが猟場に出る状況は非常に稀有だろう」

 

「確かに、大きな討伐の依頼はこないよね。猟団がやっちゃうんだから。小型生物の討伐依頼か……もしくは『やむにやまれず』。それこそこの間の雪獅子討伐みたいな場合かな?」

 

「ああ。だからこそ、この村に滞在する外様のハンターは、手に職がついているに越したことはない。……最も、俺たちはそういう村の領分やら事情を押してまで、書士隊の権限で調査狩猟をと割り込んでいる訳なんだが」

 

 そのために猟団《蠍の灯》の権限をさらに大きく超えた領分、「ドンドルマのハンターズギルド」という強大な権力を振りかざしたのだ。

 今の所は狩猟に関する利権でぶつかってはいないが、必要とあらば擦れることもあるだろう。無いに越したことはないが。

 

「ああ。そっか、思い出した思い出した。最初にヒントが言ってたね。農具とか金属製の調理具とかの修理を受け持ってるって」

 

 どうやら納得は得られたようで、クエスはうんうんとしきりに頷く。

 頷き、そして角を曲がると目前に ―― 両開きの扉が表れた。大きな部屋だ。恐らくは件の作業場だろう。なんとか廊下を歩いている間で情報の振り返りを終える事が出来たらしい。

 

 しかし。

 ヒントが取っ手に手を伸ばした瞬間……扉が開き始める。

 ぎぃと軋んだ音を立てて。

 

「―― お待ちしておりました、ご両人」

 

 扉の奥に居たのは ―― 背筋をきりと伸ばした獣人族。

 襟足に文様をあしらった橙の外套。背丈は小さいが毛並みは真白く、緩やかに弧を描いた髭がぴんと揺れる。

 アイルーだ。まるで此方が来ることを判っていたかの様な立ち位置で、完璧なタイミングの出迎え。丁寧かつ優雅な所作が、彼女がただのアイルーではないという事を端的に示してくれている。

 

「ようこそ、我が主達の工房へ。私、ネコ……えふんえふん。ネコートが、案内役を承りましょう」

 

 出迎えたアイルーは、只の従者よりも余程に丁寧な語り口調で、そう言った。

 

 

 

 

 ■□

 

 

 

 

 獣人、ネコートの案内に従って工房を奥へ奥へ。

 石造りの通路には雑多な物置き場もあれば、蒸気動力の圧縮機の様なものまで無造作に置いてある。置いた当人にとって雑多ではないのだろう……が、入り組んでいる。確かにこれは案内が必要だろう。

 奥に行くに従って、熱が頬をうち始める。暖炉でもあるのだろうかと思っていたが、どうやら違うようだ。

 近づくに連れて見えてきたのは ―― 赤く燃え上がった炉。山と積まれた生物由来の骨、鱗、鉄。

 そして。

 

「フフフフ、ウフフ。いらっしゃい書士の皆様方。歓迎するわ……」

 

 掌で天を仰いで身体をゆるやかに揺らし。

 遮光晶の庇で視線を黒く覆ったシャルル・メシエと。

 

「ん。来たね」

 

 これまた謎の取っ手を握み……その手を無造作に挙げ挨拶するヒシュに出迎えられた。

 共に全身覆う作業着で、これまた共に、来客に手を止める様子はない。ヒントとクエスは彼女(ネコート)の言う「作業場」がこれ程の規模だとは思っていなかったため、しばし唖然とするも。

 ヒシュがかくりと首を傾げた所で、数歩前に立っていたネコが、全員に聞こえる位置で立ち止まって振り返る。

 

「お二方。書士のおふたりをお連れしました。来たからにはお話をするのでしょう。あちらの休憩室を利用なさっては?」

 

「ん。そうしよう」

 

「諒解しました。私はお茶を用意してきましょう」

 

「ありがと、ネコ。……ォト」

 

「フフ、ウフフフ。甲斐甲斐しいのね、相変わらず……」

 

 こちらへどうぞと促しヒント達を休憩室のソファに座らせると、ネコートは台所へ駆けていった。

 未だ炉は見えるが、熱は感じない程度の距離がある。作業着のままシャルル・メシエとヒシュが対面に腰掛け……改めて正面からふたりを見る形となったが、印象も大きくは変わらない。

 

「ん。このソファは汚れていいヤツ、だから。気にしない」

 

 腰を一度浮かして、ぼふんと跳ねる。

 ヒシュは中肉中背の青年で、身体の線と配置はとても中性的。髪が長いのも何かとミスリードで、解くと腰まで伸びる髪を括って首元に結っている。声や筋肉の付き方で判断が着く程度には男性なのだが、ダレンに曰く「以前はもっと見分けがつき辛かった」そうだ。

 彼がハンターとして扱う得物は刀剣全て、毒に礫に工匠兵器 ―― つまりは何でも。そう豪語したと聞く。もっとも手の伸ばしやすい腰に佩いた独特の『呪鉈』は、彼が「奇面族」として愛用する……斬るにも叩くにも帯毒にも利用できる万能の爪牙。

 力もあれば、名もある。彼の飾り星(ハンターランク)は準最高位である6。つまりは書士隊に属するノレッジ・フォール隊長と同様に、次代の英雄と目される人物なのだ。ヒントやクエスとしては、3年前の討伐譚以外では、謳われるような功績を残したという話は聞いたことがない。ただ、彼は「新大陸」でもハンター業を営んでいた。あちらでの猟果功績をドンドルマのハンターズギルドに反映した結果でもあるらしい。

 

「ふんふふ、ふふん、ふんふふ……♪」

 

 シャルル・メシエはというと、無駄なく流麗な仕草でソファに座ると、そのまま両眼を閉じて何事か鼻歌を奏で始めた。我関せず。言葉をかける余地がない。ヒントとクエスの事も視界には入っているのだろうが、それにしてもマイペースが過ぎる印象を受ける。

 彼女がハンターとして扱う得物は、自らが提唱した銃撃槍(ガンランス)。大小の『樽爆弾』という形式でのみ採用されていた「爆撃」を扱う側面が大きく打ち出された武器である。工房では爆撃を機構として取り込んだ試作品の「大槌」を幾つか開発してはいたと聞く。が、銃撃槍はそれらとは全くもって別機軸の構造を持っている。故に、彼女が提唱したとされているのだが……いずれにせよ変形斧らと同様に、扱いには注意と熟練を要するのは間違いない。

 飾り星(ハンターランク)は5。彼女がフラヒヤに来るまでに挙げた成果をドンドルマに報告した結果だという。上位の中ほどではあるが、一朝一夕で辿り着ける位階ではない。恐らくではあるが、狩猟成果以外での功績値も加算されているのだろう。無論、上位ハンターであるからには一定以上の腕前を示す事が必要とされる。重要狩猟(キークエスト)をこなしたうえでギルドから許諾を得たのは確か。そこに疑いがある訳ではない。

 

(彼女の立ち回りも、俺は間近に見たからな)

 

 先日の雪獅子の討伐戦に、彼女は銃撃槍を携えて参戦していた。伝令として走っていたクエスは別だが、ヒントはシャルル・メシエの戦闘を目の当たりにしている。

 自らを壁と見立てた緻密な防御。効果的に扱われる爆撃、その切っ先で雪猿の群れを割る鶴翼の具現。ブランゴの群れを一掃できたのは、彼女が持つ銃撃槍の制圧能力に依る所が大きかった。

 

「―― お茶をお持ちしました」

 

「ありがと、ネコ……ぉと」

 

「我が主。書士隊員と姫様しかいないこの場ならば、通称で無くても良いのでは?」

 

「……ん。そうする」

 

 持ってきた茶を配りながらヒシュとネコ(と呼んでおく)がやり取り。

 ネコがソファの横に立った所で、ヒシュが横の席をぽんぽんと叩く。「失礼して」とネコが座ると、いよいよ形が整った。

 ヒントは間髪入れず挨拶を挟むことにする。

 

「では改めて。突然の訪問をお許しくださり、ありがとうございます。俺はヒント。隣の彼女はクエス。ヒシュさん、シャルルさん、それにネコさんと話をしようと思い、訪ねさせてもらいました」

 

「村を見て回っているのね? 仲睦まじい事で、何よりだわ」

 

「冷かさないの、シャロ」

 

 声を挟んだシャルル・メシエの額を、ヒシュはびしと指の腹で強く突ついた。

 驚愕する間もなく、まっしろ(・・・・)が抗議の声を上げる。

 

「痛いわ、嗚呼、痛いわ。傷物にされたのね、ワタシ!」

 

「わざとらしい。いつもそうだから、疲れる」

 

 その抗議も立て板に水を流すように、溜息一つで吐き出して見せる。これだけでも付き合いが長いと理解できる。ヒントとクエスの関係も似たようなものだ。

 改めて。と、ヒシュはふたりを真っ直ぐに見つめる。

 

「……ん、気になってるだろうから、先に話しておく。クエスとヒント。キミらが此処へ来るの、ジブンらには想像できてた。……んーん……想像しない理由がない……って。言えばいいのかな」

 

 ヒシュは首を隔離と傾げて、不思議な言葉を羅列した。彼の発音は訛りのない王都寄りのものだが、単語や言葉の区切りに奇妙さ……ぶつ切りな感を覚える話し方も、不思議さ、不可思議さを助長する。

 ただどうやら単語や言葉に不自由という訳ではないらしい。その言葉の意味を聞き返す。

 

「想像しない理由がない、って。それはどういう事だろう?」

 

「ヒントも、クエスも。この間の帰り道でジブンを見てた」

 

 奥深くを覗くように。

 指をささず、瞳で此方を射貫いて。

 

「ジブンらに興味持ってくれてるって、思ってた。……今日は休養日。この村でやれることは限られているけれど……そっちの鍛冶師、ジラバは工房に居る。から、観光に回る可能性は高いと思ってた。他の選択肢、此処(・・)か温泉か。ここは観光地向けじゃあ、ないけれどね。酒場でシャロも顔を見せていたから、こっちにも来るかなって」

 

「流れはその通りだけど……つまりは」

 

「ん。ジブンも同じ、ってコト。クエスやヒント。ジラバやカルカのこと、考えてた。ダレンの新しい仲間だからね」

 

 つらつらと話すヒシュ。

 率直に楽しそうだな、とは思うものの。

 

「ジブンも……隣のシャロも。ヒントとクエスに興味がある。今のポッケ村のことも。こないだの雪山のことも。あとあと、あの形を変える武器の事も。色々と聞きたいし……最近のウルブズの事も、聞きたい。いっぱいあるね。だから、来てくれれば嬉しい(・・・)かな、って。そう思ってた」

 

 笑みを浮かべてそう締めくくる。

 恐るべきことに、彼の言葉からは邪気が微塵も感じられない。ともすれば誰に引っかかることも無く通り抜けてしまいそうな程に真っ直ぐな台詞。世間に擦れ過ぎたヒントにしてみれば、裏が感じれないからこそ疑ってしまう。そういう段階である。

 その言葉を困惑と嬉しさを半々に混ぜ込めて受け止め咀嚼していると、ヒシュは続ける。

 

「で。だから、来てくれたら、誘おうと思ってた。……だよね、シャロ」

 

 視線を横へ。

 向けられた先で、シャルル・メシエはわざわざ一度間を取って、閉眼した後に頷く。

 額にかかった長い髪をゆるりと払って ―― そのまま手を差し伸べる。

 

「お二方……だけでなく、書士隊の皆様方へ。こちらをどうぞ」

 

 便箋だ。加えて、飾り気は無いが、重ねて重ねて漂白された、真っ新な封筒。

 それら染め抜かれた潔白を差し置いて、添えられた彼女の手は、尚白く。

 

「―― ワタシから。ふたりを含むダレン隊を、夕食に招待したく思うの。時間まではまだ……そうね。温泉にでも浸かってきたら、如何?」

 

 太陽は傾き、黄道を降ろうとした矢先の出来事である。

 どこまでも先手を打たれ、端を押さえられた2人は、素直に頷く他なかった。

 

 

 

 

 

 



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第十一話 ポッケ村会合 - 隣人

 

 ヒントの身体を湯が流し、頬を暖気が撫でる。

 もうもうと湯気をはくのは ―― 温泉。内外問わず、ポッケ村において最も人が集まる場所。唯一の行楽施設である。

 崖上から落ちては浴槽に留まる熱湯は、地熱によって温められたものだ。これ以外にも幾つか浴場が建設されており、地熱だけでは無く炉の熱などを利用した物もある……と、団欒に集まる村人たちから聞いた。フラヒヤの寒気に染められた人々、獣共にとっては大変にありがたい施設となっているのだそうだ。

 

(これだけ多くの生き物が、フラヒヤには住んでいるんだものな)

 

 熱い蒸気を吸い込みながら嘆息する。視界の内にだけでも、人だけではなく数多くの亜人……獣人や竜人、はたまた鳥や獣種などの環境生物までもが思い思いの距離で湯船に浸かっているのが見て取れた。そういう時間でもある。浴場の外を囲った空は藍色。陽は既に傾き、夜は冷たさを降ろしつつある。

 そろそろ約束の場所へ向かうべきだろうか。そう考え、ヒントは湯船から身体をあげる。するとある人物が浴槽の端に立ち、身体を洗っていた布で胸筋をぱぁんと叩いた。岩盤をくり貫いて造られた浴場に声を響かせるのは、裸体の男。

 

「だっはは! では行くかぁ! 姫様からのお誘い、夕餉(ゆうげ)とやらに!」

 

 この温泉施設へ向かう道中で合流した、ウルブズであった。

 腕や大腿だけでなく、身体の芯を成し隆々と盛り上がる筋肉。長年のハンター生活によって自然と鍛えられたというそれら総量は、青年に足を踏み入れたばかりのヒントを遙かに超えて潤沢。彼は青の部族と共に畑仕事を手伝っていたらしく、メシエ邸とは同方向。帰り際にヒントらと出会した様だった。

 ふたりは浴場を抜けて脱衣所へ。それぞれ身体を拭きつつ。

 

「さて。ダレン隊長とカルカ、それにヒシュさんも先に酒場へ向かっているとの事でしたね」

 

「うぅむ。今回集まるのは会食という意味合いが強いからな。あれらはシャルルの手伝いをしているのだろうよ。なにせ今晩に集まるのは、ポッケの村のグレエトな上役よ!」

 

 今回の会食に呼ばれたというメンバーを、ウルブズは挙げてゆく。

 ようやっと村に帰投した《蠍の灯》の実働部隊、観測部隊。

 逗留中の王立古生物書士、ダレン隊。およびシャルル・メシエ。

 青の部族とそれに付随した「守り役」。そこへ間借りする雇われのハンター、ヒシュ。

 それら全員が集まってきたこのタイミング。顔合わせをするにうってつけに違いない。この機を見越して用意をしていたのであろうメシエ女史の企てのしたたかさが窺える。

 

「僕らがこの村を訪れた際は、実に間が悪かったですからね。大規模な交流が必要なのは理解ができます」

 

「うむぅ。お取込み中、という奴だったな」

 

 書士隊は、雪獅子の襲来に揺れる最中にポッケ村を訪れた。タイミングは最悪と言って良い。だからこそ面通しを出来る機会があるならば、それに越したことはない。ダレンらもオニクル達から声をかけられていたようで、断る理由はなかったのである。

 《蠍の灯》については、実働部隊が流石に多すぎるからか、呼ばれたのは副長とオニクルのみ。青の部族についても同様で、恐らくは代表である……。

 

「星聞きの巫女、でしょうか」

 

「ああ。それにヒシュに聞く限りは巫女の守り役の男、シャシャと言ったか。彼も来るだろう。なにせ彼は黄色の部族 ―― 物語の収拾役だ。同様の理由で、この村に駐在として居着いた黄色のカルレイネ女史。この2人は同席するに違いない」

 

「黄色の部族の特権のようなものですね。観測のためならば大陸の何処にでも姿を見せる。ハンターズギルドとの協力関係もありますし」

 

「だっはは! 彼ら彼女らにとっての観測とは、使命というよりも趣味の様なものよ。あれらは観測者としての技能ではなく、血筋が持つ生来の感性にこそ、意味を見出しているのよな」

 

 実際に関わりが深いのであろうウルブズは、笑って語る。

 生来の感性に由来する観測の技能、とは。なかなかに想像するのが難しい内容だ。

 

「さて。それらはヒント、おヌシらも少しは判るはずだが?」

 

「……まぁ、判ります」

 

 行儀悪く首を振って湯水を払う。そして、思い返す。

 ハンターとして活動を重ねれば重ねるほどに、それは理解に及ぶもの。

 ある者は、自らの外殻を打ち破る雷と(たと)え。

 ある者は、壁の先行く先を示し吹く風に喩え。

 ある者は、内に混沌を招き充満させる闇に喩え。

 またある者は、内を攪拌しうねり混ぜこみ崩す、溢水に喩える。

 所感は違えど、それを感じたことのあるハンターは口を揃えて言う。「自らが鍛えた肉の内にある技能技量に(あら)ず。」「なんと馬鹿な。」しかし他の生き物の領域から流れ込んだとすら思えるほどに異質な、自分自身という存在の意図せぬ肥大。

 それは最早、所謂、(エネルギー)と呼ぶほかないと。そういう感覚があることを、ヒントは嫌と言うほど知っている。

 

「あれは、偶然が重なった結果でしか無いのですが。……ミナガルデに預かられる前の森丘で。僕も確かに、天啓という名の扉を見ましたから」

 

 自らの防具の素材となった雷竜(ライゼクス)と、森丘で遭遇したあの時。

 駆け出しの自らを襲った雷と、脳裏を巡った走馬燈と ―― その竜の感情を浴びせられた感覚と。

 新種モンスターの乱入による依頼失敗。ネコ車による回収も、失敗。通りがかったミナガルデのハンターに奇跡的に救出されたヒントは、運ばれた彼の王国で目覚めた後、新設された猟団の預かりとなった。

 彼は回復するや否や、沸き上がる熱に任せて……新種たる雷竜を発見者権限で追って、追って、追い詰めて。遂に仕留めた時の喪失感と共に、ヒントは上位のハンター達が語る「熱」やら「気炎」やらの存在を実感出来たのだ。

 ヒントは元々の出身が旧大陸西側ではないため、功績を成そうと位階が高まり過ぎる事も無く、ミナガルデの内政に関わる事も遂になかった。しかしあの地で得られた良質の経験が、今の彼を形作っている。こうして書士隊に転属出来たのも、それら新種の発見討伐の際にヒントが見せた「執念」と呼ぶべき熱を、学術院が高く評価したからだった。

 

「だから知ってはいます。ですがそういう、僕らハンターにとってのあの(・・)感覚が、黄の部族に備わっていると?」

 

「さて。同じなのかどうかは、一概には言えんだろうなぁ。彼らは他と命を賭してぶつかる訳ではない。しかし例えば、市井で物を売る行商は、人の需要と幸ある旅の行き方を知り。田畑を耕す農夫は、水と土と空と作物の生き死にを知り。そういう風に、黄の部族は観測に寄るための何かを知っている。そういう事なのだと我は思っている」

 

「……ウルブズ叔父貴。それは流石に端折り過ぎだ」

 

「だっはは! なぁに。そういう気炎のような何かしらについては、頭の良い学者連中が系統立ててくれるだろう! 期待しようじゃあないか、な!」

 

 雑談は終わりとばかりに、とウルブズがばさりと勢いよく肌着を被った。それに倣ってヒントが身づくろいを整え、あとは揃って脱衣所の出口へと向かう。

 村人達とすれ違うこと暫し。

 

「―― あ、来た来た。カルカ、フシフも! ふたりがきたよ」

 

 暖簾をくぐると、壁に寄りかかっていたクエスが声をあげた。奥からカルカとフシフが駆けてきて、その後ろにはかっちりと書士隊の正装を着込んだジラバの姿もあった。

 番頭や湯治客への対応に走り回る、鉢巻を絞めたアイルーやメラルーの合間。書士隊一行は建物の一角に集まって、身だしなみを整える。ジラバは借宿に掛けてあった書士隊員の紺の外套を持ってきていたようで、男2人へと手渡した。

 

「いらっしゃいましたネ、お二方。これにて全員集合でしょうカ」

 

 にこりと笑うジラバの頬は、肌が青白いせいもあってか、やたらと赤みが目立っている。湯治もそこそこに鍛冶場にとんぼ返りしていたのだろう。

 

「おおう。ジラバも待たせたか? ふぅーむ、少しばかり長話になったかなぁ」

 

「いいえ、待った覚えは全くもっテありませン。これから向かう先が、不作法者のワタクシにとって肩身の狭い、礼儀や作法に姦しい食事会でなければいいナ……と。そう少しばかり思案しておりましたら、もう皆さんお出になられましたかラ。では会食の会場とやらに、向かいましょうカ?」

 

「ありがとう、ジラバ。あと、クエスの湯浴みは行水ですから、彼女が速いんです。特段に僕らが遅いわけではありませんよ、叔父貴」

 

「まぁーたそういうこと言う! 考え事し過ぎながら湯船に入って、のぼせたりしても知らないんだからねっ!?」

 

「相変わらず仲いいのニャ?」

 

「ほっといて、カルカも外套羽織んのニャ。村中かつ一等酒場までは遠くないとはいえ、寒冷期の夜のフラヒヤはマジでヤバいんニャから」

 

 そうして姦しく、笑いながら、一行は揃って足を向ける。

 シャルル・メシエが催す会食。その会場は、ポッケ村の中心部にある一等酒場である。

 

 

 

 

 

 

 

 ■□■□■

 

 

 

 

 

 

 

 ぼうと揺れる燭台の灯りが、煉瓦積みの壁一面を照らしている。

 室内ぎっしりと集まった人の群れの視線を受けて、上座に立つ男が陶器の杯を掲げた。

 

「―― では、挨拶はこれにて。皆さま、ゆるりと食事と酒をお楽しみください」

 

 男 ―― 猟団《蠍の灯》の頭領オニクルが、(なま)りを抑揚にだけ残した声で告げる。そのまま太い指を傾けて杯を飲み干すと、ポッケ村の一等酒場は歓声に包まれた。

 いよいよ件のシャルル・メシエが催した祝宴。「番雪獅子」討伐の宴の開催である。

 暫くして感性は落ち着き、そこかしこから談笑が聞こえ始める。……さて。ここからが本当の仕事であろうと、書士隊の面々は気合いを入れ直した。各々酒杯を持ち、周囲を見回す。最もかしこまったのが隊長たるダレン・ディーノなのが、なんともはや彼の隊らしくはある。

 

「では行くか。挨拶は私がこなすので、基本的には前に出て顔を見せるだけで良いはずだ。……とはいえ、ウルブズ殿は声をかけられるやも知れませんが」

 

「構わんよ。なんなら我が捕まったとて、置いてダレン達だけで挨拶を急いでも良い。そもそもオニクルにしろ、我は顔見知りではあるのだしな」

 

 ウルブズが口の端に牙を覗かせ、上座 ―― オニクルらが陣取った席の側をにやりと睨んだ。

 どうやらいらぬ心配だったようだ。ならばと、ダレンは先陣を切って会場を歩き出した。

 

「オニクル殿から、猟団の所には最後に回って来て欲しいと言われていてな。……青の部族から、といこう」

 

 隊員が頷いたのを視認して、ダレンは会場の一角を目指す。

 書士隊の礼装は華やかとは言い難い。あくまで学術院を母体とするため、寒色に馴染む色を採用されている。日の光を吸収しやすい紺の染め物と金の刺繍。ただ、王都と同様に寒冷帯のポッケ村である。村中で浮く事がないのは幸いであろう。

 それでも書士隊一行が揃えば、酒場においては殊更に目立ってしまう。人の波を割る必要は無く、自然と左右に分かれてくれてしまう点については、残念ながら幸いとは言い難いだろうが。

 

「―― いの一番に此処へ来たのか。諸君」

 

「こんにちわ」

 

 一行が近づくと、蒼衣の一団……と呼ぶには人数が少ないうえに色とりどりだが。兎も角、『青の部族』の筆頭とその供が出迎える。

 まず前に出たのは、着膨れた黄衣の男。容姿は青年と呼ぶべき域にあるが、白髪が髪を二色に染め分けている。彼は剃り揃えられた髭を湛え、撫で。

 

「私はシャシャ。氏族名まで名乗れば、シャシャ・イエロウ。衣を見て頂ければお分かりの通り、『黄の部族』の一員だ。此度の巫女とは腐れ縁でね。護衛を任され、長らく彼女の供をしている」

 

「初めまして。私はダレン・ディーノ。王立古生物書士隊、一等書士官を務めています」

 

「ああ。ダレン殿は高名でね、知っているとも。宜しく頼もうか。ついでに今は、古龍観測隊の特別編纂員だったかな?」

 

「……成る程。耳が早いようで」

 

 ふたりは握手をしながら言葉を交わす。

 彼が黄の部族に属すればこそ、ダレンの現状やらを知っていても不思議では無い。そも、観測隊におけるダレンは目立つ立場ではないのだが。

 そう考えていると。後ろから。

 

「―― ですから。ぞんざいでは無いですか、シャシャ」

 

 幅を取る黄衣の裾を引っ張って、少女は声をかけた。

 身に纏うのは、見て判る程に澄んだ ―― 貴色の青。華奢で、色白で……大きな黒の眼帯を頭にぐるりと巻いて、目元を広く覆っては視界を塞いでいる。

 シャシャは少女に向かって振り向くと、巫女君、と呼んだ。

 

「ふむ? 貴方を立てて(・・・)扱うのは構わないが。でしたら私はずっと後ろに控えていますので、こういった場での応対は貴方が面だって、率先してなさると宜しい」

 

「……その掌返しを含めてぞんざいでは無いかと」

 

「正論です。ただ、いつも言いますが。その正論の内容……貴方に肩肘張らずに接するという部分を含めて、貴方からの依頼(オーダー)だと記憶しているのでね。私は」

 

 シャシャは肩を竦め、数歩後ろへ。やれやれとばかりに目を瞑り、後ろ手を組んだ。

 必然的に書士隊の前へと出てきた巫女君は、暫くシャシャを見つめて唸っていたが。

 

「……おほん。書士隊の皆様、初めまして。私はレイーズ。彼に(なら)って氏族名を名乗るならば、レイーズ・ブルー。青の部族の、星聞きの巫女を務めています。今季は村中で出会うことも多いでしょう。宜しくお願いします」

 

「ありがとうございます。こちらこそ書士隊一同、宜しくお願いいたします」

 

 ダレンが右手を前へ。

 すっと淀みなく差し出されるが、しかし……ぼうっとしたままの巫女君。

 視線はダレンが差し出した掌に向けられている。見えないために、握手の切っ掛けが判らないという訳では、ないようだ。

 

「……。……あ」

 

 疑問符が浮かぶような間の後。

 レイーズは慌て、貴色の青海波に染めた裾端で拭ってから、右掌を差し出した。

 

「……巫女になってから日が浅いので、こういった場には慣れておりません。ご容赦を」

 

「いえ。気を使わず接して下されば、私としてもありがたい。……むしろ部族での法度などがあれば、教えておいて貰いたいくらいですが」

 

 ダレンはわざとレイーズから視線を外すと、隣を見やった。

 その意図を汲んでシャシャが応じる。

 

「基本的には巫女君が否と言わなければ、そういうのはありませんよダレン殿。此方の青は、仕来りに縛られるような部族ではないようでしてね」

 

「シャシャの言う通りです。強いて言えば、村の近場に新たに祈祷場を設けようと思っているので……託宣を貰う時には入らないで欲しいくらいでしょうか」

 

 レイーズはこてりと首を傾げる。成る程。シャシャが入ってからは会話の繰りがスムーズになった。彼が潤滑由もしくは緩衝材として働くことによって、巫女君が気を楽に出来るのだろう。

 一通りの情報を交換し終えて、レイーズは切り出す。

 

「改めて。此度の狩猟の経緯については、シャシャとヒシュから伺っています。よくやってくれました……では、流石に偉ぶりが過ぎますでしょうか」

 

「立場的にはおかしくはないのでは? とはいえ、相手が書士隊であれば貴方の立場なんてものは何の特権にもなりはしませんが」

 

「判っています。そもそもポッケ村の事情に、私達青の部族が礼を言うのはお門違いというもの。……とはいえ、今冬は村の方々に世話になるのです。気持ちからの意味でお礼をいって、損はありませんでしょう?」

 

「そこまで判っているのであれば、存分に」

 

「言われずとも。……こほん。お待たせしました、ダレン・ディーノ。兎角、現状について私どもは理解しています。それについて報告と共有は行う必要は、ないと思っているのです」

 

「ありがとうございます」

 

 奇妙な主従関係だな、という感想は抱きつつも、ダレンは頭を下げる。

 下げた頭を戻すなり、続ける。

 

「巫女君からの礼について。確かに立場は関係ありませんが……だからこそ1人の人として、受け取らないほど狭量でもないつもりです。単純真っ直ぐ、お礼として胸に留め置きましょう」

 

「助かります。……さて。ヒシュとは後で話すでしょうから、私からは件の『村への返礼』について、決定した事柄を伝えておくべきでしょう」

 

 レイーズはちらと上座のオニクルらを見やる。彼らはまた別の団員らと談笑していた。

 再び視線を前へと戻すと、琥珀色の蜂蜜酒で喉と唇を湿らして、机に置いて。

 

「星聞き。そう呼ばれる天与の力を、この村のためにも扱わせていただきます。部族が逗留する以上、村の安全は部族の安全にもなりますから ―― そういう理屈です。普段は広き世情を見るために扱うこの力は、天候に強く左右されます。天閉ざされる冬期には、ただの遠見として扱うのが関の山。私達にとって減算はありません」

 

「つまりは、巫女君の力をポッケ村と ―― それに、キミ達書士隊にも利用してもらう。そういう決まりになった(・・・)

 

 憂慮を断つためのレイーズの言葉を、シャシャが補足する。村の重役らとは既に話が付いているという事なのだろう。ダレンとしても小耳には挟んでいたが、直接は聞いていなかった。こと狩猟にも調査にも関わらない事案である。あくまで客分であるダレンが合議する必然性も、また存在しない。

 だが、だのに、書士隊にも力を貸すという。ダレンは星聞きの力とやらには詳しくないが。

 

「……つまり我々の調査は、村の安全に繋がると?」

 

「ええ。そう聞き(・・)ました。口外はしません」

 

 すこしばかり背筋が冷やっとしたが、レイーズの口ぶりは落ち着き払ったもの。

 巫女君が、横の従者を流し見る。シャシャはダレンの視線を受け取り鷹揚に頷く。

 

「そも、私個人としては貴方がたを応援しています。そして見ての通り、今の私は『黄の部族』を離れて動いている身 ―― 『観測員』にあらざる身分です。巫女君の言葉に嘘偽りはありません」

 

「シャシャの言う通り。だので、必要とあらば頼って下さい。村の役員を通す必要もありません。私とシャシャはメシエの邸宅で部屋をお借りする予定になっているので、直接尋ねて下さればお力になりましょう」

 

「付け加えるならば。星聞きの条件やら、詳しいことはヒシュに聞いて下されば良いでしょう」

 

「ヒシュに、ですか」

 

「ええ。荷物をまとめていましたからね。であれば本格的に貴方がたと合流するのでありましょう。次の挨拶は、彼らの所へ?」

 

「そのつもりです」

 

 ダレンは頷く。オニクル達の所への挨拶が最後だとするなら、次はヒシュとシャルルとネコの卓。

 ヒシュ自身は同僚である。挨拶回りというのは少しばかり変な気もするが、しかし、現ダレン隊との面識が薄いのも確か。何より、此度の会合の主催者は姫君ことシャルルである。回るに超したことはないだろう。そも何故猟団ではなく、村でも無く、彼女が主催となっているのかは判らないのだが。

 視線を戻すと、シャシャとレイーズも揃ってヒシュ達の卓の側を覗いていた。互いに顔を見合わせる形となって。

 

「まぁ、ならば丁度良いでしょう。星聞きには少しばかり制約がありますが、星辰を、その輝きの底までを覗き込もうとするでもなければ……まぁ。頼むだけならお気軽に、と言っておきましょうか」

 

 何故貴方が促すんです、という巫女君の抗議の声を聞き流し、シャシャは肩を竦める。

 再び思う。奇妙な関係だな、と。他流の部族が隣に並んでいるのを見ることですら、ダレンとしては初めてだというのに。

 

「私達はまぁ、昔からこういう関係なのです」

 

 ダレンの顔色を見てかレイーズは答える。

 前でも無く、後ろでも無く。隣に立ったシャシャが掌で料理の皿を持ち上げて、笑った。彼らしく皮肉気な表情ではあれど、それは憑き物が落ちたかの様な、心からのものだ。

 

「黄の部族に愛想を尽かした私を、青の部族が拾い上げたという形ではあるのですがね。……では、私どもはこれにて。書士隊の皆様方も引き続き、この豪華な晩餐をお楽しみ下さいませれば」

 

 










・レイーズ・ブルー
 青の部族の巫女。「星聞き」と呼ばれる遠見の力を持つ者が時折生まれ、最も強い力を持つ者が巫女となる。部族長は別に居るが、実質の頭は巫女。
 シャシャの隣人。ただし外の人が……しかも別の部族の野郎が、巫女たっての嘆願からの部族公認守り人という役職ついているということなので、そういうことだと理解してよいと思われる。


・シャシャ・イエロウ
 黄色の部族を飛び出した傾奇者。青の部族の現巫女の専属の守り人にして、ハンターである。
 昔語りは後で多少やる予定。


 20211025.会合その2その3の追加に伴って改題。あとがきに人物像を追記。


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第十二話 ポッケ村会合 - 友人ら

 

 

 次なる面通し。訪れたのは上座からやや離れた場所。

 広い会場だというのにどちらかと言えば隅の位置……暖炉の横に、二者と一匹は座って居た。

 

「―― ん。次はこっちに来たんだね」

 

「嗚呼、歓迎するわ……」

 

「いらっしゃいませ」

 

 此方と同様に書士隊の礼服に身を包んだヒシュ。飾り付きの外套を羽織ったネコート。そしてシンプルだが素材だけでも「豪奢」であると判断可能なドレスに身を包んだ……一層真白いシャルルが、一行を出迎えた。

 ネコートがすぐに周囲の机の椅子を順にひいて、書士隊各位に着席を促す。全員が座った頃合いをみて、ダレンが乾杯の音頭を済ませる。

 すると珍しく、ヒシュが頬を膨らませて言う。

 

「まぁジブンが乾杯するのはちょっと違うのかも、だけど」

 

「あら。手伝いは、したでしょう?」

 

「でも、そこに到るまで。『雪獅子の片割れを取り逃がす』っていう局面にまで持って行ったのは、猟団の人たち。天運を掴んで、その先で追い詰めていたのはダレン達。ジブンら、手柄を横取りしちゃった気がしない?」

 

「しないのよ。ワタシはね」

 

「むう」

 

 ヒシュが背もたれに寄りかかると、その腰元で、新たな意匠の……しかし変わらず警戒色に塗れた仮面がかたかた揺れた。

 彼の声音には不満の色 ―― いや。

 

「僭越ながら。我が主は、狩猟を『あまり手伝えなかった』のに『祝う』という点に対して、引け目(・・・)を感じているのだと思われます」

 

「ん、それ!」

 

「にゃっ!」

 

 お供たるネコートの補足を得、ヒシュとハイタッチを交わす。何とも不思議な距離感である。

 飛び跳ねハイタッチの後。おほん、と。ネコートは咳を挟んで仕切り直した。

 

「……ですが。祝うくらいは、良いのではありませんか? 確かに番雪獅子の討伐は猟団によって管制された猟場であった。とはいえ村の厄介事を解決した事に変わりはありません」

 

「嗚呼、そうね。いずれにせよ追跡と討伐を成さねばならない敵だったのだわ」

 

「そう思っておく。ありがと」

 

 ヒシュの中で感情の整理やらはついたようだ。大きくかくりと頷くと、書士隊一行へと向き直る。

 

「改めて。ジブンはヒシュ。こっちは、ネコ。ついでにシャロ」

 

「皆さま、宜しくお願いいたします。一身上の都合により、ギルド仕事の際にはネコートと呼んで下さるとありがたいですね」

 

「ワタシはシャルル・メシエ。どうせ、知っているわね?」

 

 最後に目を閉じ薄白い唇の端を吊り上げて、姫君は笑う。

 猟場からの帰路でもそうだったが、彼女は素からしてこの態度なのだろう。思うところがあるらしいヒシュは、またも眉間に皺を寄せながら続ける。

 

「やたらに尊大。……はぁ。こういう風に育てられた人だから。気にしないのが、楽」

 

 フォローなのかは知れないが、瞳を閉じたまま淑女らしからぬ様相で足を組んだシャルル・メシエの紹介もして、溜息をついた。

 懐かしいな、とダレンは思う。思って、そのまま口に出すことにした。

 

「ヒシュのそういう顔は、私としては久し振りに見たようで、不謹慎ながら嬉しくもあるよ」

 

「そう? なら、いいけど」

 

「そうだ。前に見たのは、ノレッジ・フォールが初めて見る盾蟹の甲羅に触ろうとしてこかされそうになった時だったか……ふ。では、此方からも紹介をしておこう」

 

 ダレンが書士隊の紹介を済ませる。ヒシュは各々の名前を逐一復唱し、宜しくと握手を交わす。

 その間にネコが食事を運んで来ていた。腹を膨らませると言うよりは酒を飽きさせない程度の……しかしハンターらしく山と積まれた山河の幸。

 各々それらを(頬一杯に)つまみ始めた所で、ヒシュが話題を切り出した。

 

「お仕事。青の部族の間借りハンターは、仕事納め」

 

「そちらは引き継ぎなどは?」

 

「シャシャにお願いしてある。だいじょぶ。……あと、何か変わったことって言えば、うーん。……ハンターランクが6になったくらい?」

 

「そう言えば、聞いたな」

 

 やや薄いダレンの反応に、ヒシュも薄くうんと返す。

 あまり執着のないふたりだからこその反応である。ハンターとしては一大事なのだが。

 

「おいおい。余り嬉しそうではないな? ヒシュよ」

 

「ん……ウルブズ。でも、そう。嬉しくはない、かも? フラヒヤの植生に関する報告書(レポート)と納品による貢献度(ギルドポイント)が昇級の理由なら、納得出来たけど。それよりもこの間の老年期の鋼龍(クシャルダオラ)の撃退が、ジブンの成果になってたみたいだから」

 

 ダレンらがこのフラヒヤに到達する前の話ではあるが、確かに。老化した鋼龍を単独で撃退したハンターが居ると話題にはなっていた。

 どうやらヒシュがそれを成したらしい。当の本人曰く「あれは初めからここを去るつもりだった」との事だが……傍目から見れば、撃退の事実に変わりは無い。

 

「しかし、めでたいことに違いは無いな。おめでとう。ヒシュの場合は元々実力と評価に乖離があったからな。世評がどういう風に評価されるのかは知らないが、やっと元の大陸と同じくらいにはなったのではないか?」

 

「んー、そうかも。……そだね。街の専属でもないし、やることは変わらないし」

 

 ぎしりと背もたれに寄りかかり、ヒシュは掌を顔の前へ。

 話を進めるようだ。指をひとつ折り、ふたつ折り。

 

「やるべきこと。ジブンの方、話せる分(・・・・)の業績は、この間の猟場からの帰りで話した通り。残りの探し物はひとまず、トレジィと、トレニャーと、ハリーさんの帰還待ち。だからジブンは、書士隊としてダレンの下に入る。良い?」

 

「ああ。請け負った」

 

 ダレンが力強く頷き返すが……そう。ヒシュとは雪獅子討伐からの帰路で、既に大凡の話を終えている。

 彼は青の部族に逗留していた目的のひとつを、達成し終えているらしい。完遂ではない。が、これからは書士隊としてポッケ村に逗留した方が動き易そうだとも踏んでいるようだ。

 人手が増えることはありがたい。ハンターとしてのヒシュは、ウルブズに負けず劣らずの人員だ。

 しかし問題もある。これが書士隊の増員であるからには。

 

「ヒシュ。君の部隊の人員(・・)構成(・・)は、どうするか。……いや、あえて聞くが。ヒシュ・アーサー二等書士官。君はどうしたい?」

 

「判った。ジブンで考える。……ん~と」

 

 今度は反対にかくり。ヒシュは眉を顰めたまま首を傾げ唇をへの字、悩み始めた。

 現在フラヒヤ地域に滞在する書士隊員は、ダレン。ウルブズ。ヒント。クエス。ジラバ。メラルーのカルカに、フシフ。

 実働するハンター4人に、伝令と斥候を兼ねたカルカ。猟場では裏方に徹するジラバとフシフ。ダレンの部隊は現在の形で完成されていると言えよう。つまりはヒシュが入り込む余地が、ないのである。

 強いて言えば裏方としての仕事は在るだろうが、ヒシュをそこに置くのでは、勿体ないが過ぎる。

 晩餐会の喧噪の隅っこ。黙々と食事を口に運ぶシャルル・メシエの右隣、主ならばと悠然に控えたネコートの左隣。ヒシュは腰の仮面をこつこつと指で叩いて、唸る事暫し。

 

「……人、呼んでいい?」

 

「ヒシュが、か。君は二等書士官だからな。部隊を持つ権限は十分で、隊員になってくれるかは相手次第だが……隊長職はどうする?」

 

 ダレンとしては当然の疑問である。ヒシュは隊長としての実働経験がない。外部からの客員としての立場が強い彼は、こちらの大陸に来てからこの方、ダレンらの部隊でしか長くは組んでいないのだ。

 ネコ(ネコート)と組む事はあれど、他の知り合いと言えば、かつての師匠方々くらいのものである。今では各々、それぞれの地域におけるハンターの中核となっている師匠ら。彼ら彼女らを呼び出すのは流石に無理強いが過ぎる。だからといって、(もとの)大陸の縁で一般のハンターを呼びつける訳にもいくまい。今現在のポッケ村でダレンらと行動を共にするには、とても特殊な立ち回りと知識が要求されるのだから。

 だがしかし、人数は必要だ。村での仕事もあるネコを、常に供として回せない状況でもある。どうするか。

 ……どうするか、ヒシュの表情からして考えはあるようだ。先を促すと、彼は胸を張って声高に言った。

 

「その辺りも解決できる人を呼びたい。具体的には、ノレッジ・フォール!」

 

 ノレッジ・フォール。二つ名を『天狼』。王立古生物書士隊の二等書士官。ヒシュは喜色を浮かべながら、渾身の策とばかりにその名を口にした。

 ぴくり。隣のシャルルが咀嚼を止め、細めた横目で彼を見やる。その様子を認識に入れつつダレンは返す。

 

「……確かにな。ノレッジはジャンボ村付きのハンターを辞して、ドンドルマやレクサーラ、ネコの王国などを転々としていると聞く。時間はかかるが、呼び戻す事は可能だ」

 

 問題はないだろう、というのがダレンの考えだった。

 六つ星というハンターランクを飾り、次代の英雄と名が広がってはいるものの、ノレッジ自身の活動方針はハンターよりは書士隊に寄ったものだ。それが他ならぬ彼女自身の希望である限り、ギルドとしても名声の押し売り押しつけはし辛い。あくまで彼女自身に「天運があり過ぎる」から名が広まったという側面が大きいのである。

 大陸各地で活躍しているという噂は聞くものの、所属は一貫して王立古生物書士隊を名乗っているようだ。一つ所に留まっていられない性分でもある。未だに大きな猟団や新興の街や村、貴族のお抱えなどにはなっていないというのは、彼女の気性を知るダレンやヒシュやネコ、それに橙の村で厄介になったカルカ達であればこそ、納得出来る経緯でもある。

 

「ノレッジが動ける立場なのは、知ってる。たまに手紙をもらうからね。ネコから、きちんと返すべきって教えてもらったから。ジブンも返せる範囲で手紙は書いてる」

 

「僭越ながら、返信の文については、字や文章を私が整えさせて頂いてます」

 

 胸を張ってヒシュとネコは言う。それよりも隣の、いよいよ(しか)め面を隠そうともしないシャルルの側が問題だろう。

 触れるべきか触れないべきか。悩んだ末、ひとまず、ダレンは話題を区切って進める事にする。

 

「ではヒシュとノレッジ、ネコに隊を組んでもらう形にしよう。彼女が到着するまでは、まだ時間がかかるだろうがな。……ネコは忙しいと思うが、それで良いか?」

 

「私は構いません。此方の仕事である『獣人族のハンター実働実績』については別進行でまとめられると思います。私としても、主に伴しないという選択肢はありえませんので」

 

 それならばとダレンも了承する。視線をヒシュに回せば、彼もかくりと頷いた。

 ノレッジ・フォールの人柄からして、編成にも問題はない。彼女はおそらく、ヒシュの誘いならば喜ぶだろう。

 ……そう、口にしようとした時だった。

 

「―― 嗚呼(アア)。その一団には、ワタシも加えてもらいましょう」

 

 いよいよシャルル・メシエが出張った。

 彼女の申し出を、ダレンは頭を回して飲み込む。その一団と彼女は言った。つまりはヒシュが新設する部隊に、彼女を編成しろと。そういう事なのだろう。

 成程、それは。

 

有り難い(・・・・)

 

「いいの? ダレン」

 

 ヒシュはダレンに、心底不思議そうな顔で尋ねた。不思議そう。どちらかといえば彼女の参戦それ自体に不安は感じておらず、ダレンら書士隊としての都合の方を心配しているようだ。

 これは、つまりは増援である。ダレンとしては拒む理由が存在しない。

 

「書士隊の構成的には問題ない。そもそも、書士隊員が内々でハンターとしての部隊を組む際の規定というものがない。書士は狩場に出る方が異端(イレギュラー)だからな。現場に任せるという事になっている」

 

「ん」

 

 先を促される。書士側としては問題ないという事を念頭に置いて。

 

「ならば書士では無くハンターとしてはどうか。これは、心強い。体質から活動の時間帯に制限はあるにしろ、5つ星(ランク5)の上位ハンターだ。ただ、問題があるとすればひとつ。私達の活動方針(・・・・)についてだが」

 

 ここでダレンは姫君を覗き込む。

 うす紅い、色素を凝縮させた瞳が、不敵に笑っている。

 ダレン自身、彼女についてはある種の確信をもつ事が出来ていた。

 

「ヒシュ。彼女にも話しておく必要は、あるか?」

 

「うん。ダレンが思っている(・・・・・)通り、ないよ。シャロが此処に来ている理由、ジブンと似てる。だよね?」

 

「エェ、エェ。そうよ。……詳しくは追々、だけれども」

 

 唇に指で蓋をして、シャルルは片瞼を閉じる。

 「追々」の意味は理解できる。これら個人的(・・・)な話を広げるならば、これから村の外で協働した時にでも良いだろう。

 彼女の加勢に納得は出来た。筋もある。目的は、これから通す。多少の「あやしさ」は飲み込むことにしよう。シャルル・メシエは実力者に他ならない。戦力として数えたくなるほどのハンターなのだから。

 他に考慮すべき点があるとすれば、シャルルの戦法。制圧力の高さは集団戦に向いていない。これは彼女の武器である銃撃槍(ガンランス)に拠る部分が大きいが……。

 

「んー……いい、ケド。シャロ、足は引っ張らないでね?」

 

「アラ、アラ。ワタシにそれを言うのは貴方くらいよ、被り者」

 

 おおよそ歯に衣着せぬ物言いのヒシュであるが、彼女に対しては一層の遠慮が無いように思える。

 ネコはそんな様子のふたりを横に、にゃあと忠言を挟む。

 

「一応言ってはおきますが、ダレン殿含めた書士隊方々はご心配なさらぬよう。おふたりの噛み合せ(・・・・)の良さは、私ネコ……ォトが保証いたします。我が主が猟場で最も長く時を過ごした相棒とは。件のノレッジ女史でもなければ、私ですらありませぬ」

 

 すっと身を引いて椅子の上、ネコは隣を見上げる。

 

「幼少の(みぎり)よりの悪友(・・)。他ならぬこのシャルル・メシエ嬢なのですから」

 

 初耳さに、ダレンは両名の顔を交互に見やる。後ろで肉を食んでいたウルブズがほう、と興味深げに噛み千切った。

 ヒシュの生まれは蒼海に隔たれ独自に発展した文化を持つアヤ国。そこに幼少の頃から足を運んでいたという「姫君」。なんとも市井に映えそうな、想像力の掻き立てられる内容である。

 逆に言えば、ダレンでは御しきれそうにもない彼女の ―― シャルル・メシエの手綱を握ることのできる数少ない人間が今ここに居る、という事でもある。

 組ませない理由はなくなったのだ。僥倖と思う他ないだろう。

 

「わっつ。ふーむ……ふーむ?」

 

 そういう風に思索を回している間、ウルブズは姫君の顔を見つめていた。

 巨男の視線に負けず竦まず、姫君は目を細めて艶やかに唇を結ぶ。

 ウルブズが咀嚼した肉欠片を飲み込んで。三度、ふうむと姫君の表情を伺い。

 

「ところでシャルルよ。酒の場だからこそ聞いておきたいのだが」

 

「エェ、面白い内容ならば答えます。質問をどうぞ、山犬の叔父(オジ)様?」

 

 叔父様という単語で返され、ウルブズは僅かに顔を顰めるも。

 

「面白いかは判らぬが……尋ねるだけならば、ぐれえとに無料だからな。聞いておくとしよう」

 

 どうせ皆が気になっている事だろうからな、だっはは! と笑う。

 取り直して。彫りが深いその癖、愛嬌を帯びたウルブズの顔が、かくりと傾いた。

 

「―― 何故お前は防具を想像(デザイン)する側を立ち退いて、ハンターになったのだ?」

 

 書士隊一同。階上で酒を傾けていた一同の聴覚。そういった酒場の注目が、一挙シャルルの口元に集まった。

 隠している訳ではないのだろう。しかし「メシエ・カタログ」の著者にして中核人物が彼女だというのは、しっかりと口にされてはいないだけで、公然の秘密に近い。名前を偽っていない以上、いつかは追及を受ける。代表したのがウルブズというだけだ。

 ウルブズは今ここが、明らかにするに相応しい場であると踏んだのだろう。事実、彼女自身に資産があることは疑いようがない。彼女がこのポッケ村に来てから受けた日用品の修理による依頼料では、この「晩餐会」の費用は賄えるはずもないからだ。

 それはハンターとしての稼ぎを合わせたとしても同様で、「枠外の費用」は捻出されなければならない。どこから来るのか。彼女が最初から持っていた。単純で判り易い理屈(もうそう)の通し方ではある。

 

「嗚呼。それは、決まっているわ」

 

 肯定した。彼女が、メシエ・カタログの「描き手」だと言うことを。そして防具開発の一線を退いた理由が「ハンターになるため」だと言うことを。

 肯定したうえで……閉口。後ろには沈黙が続いた。ウルブズはそれでは意味がないだろうと、溜息をひとつ。

 

「まぁ、肯定それだけを答えとしたいのだろうがな。しかし『酒の場だからこそ』、我はその『決まっている理由』とやらを聞いてみたく思うぞ。……ちなみに後々に個々人から追って何度も尋ねられるよりは、こういった場で噂話として流布してしまった方が、お前さんも楽だと思うが?」

 

 話の繰りが上手い。ダレンは口を挟まず成り行きを見守ることにする。

 彼女が「メシエ・カタログ」の中心人物であることは認められた。とすれば、彼女が名声を放り捨ててまでハンターを目指した理由とは。

 シャルル・メシエが唇を別つ。聞き耳が周囲に壁を成す。

 

「決まっているわ」

 

 逡巡はない。シャルルは隣を向いた。

 ……隣に居る人を、見やる。

 そこには彼女が『被り者』という旧称を使ってまで、近縁であることを仄めかし続けた対象が座っている。

 対象 ―― ヒシュが、集まった視線に対して疑問符を浮かべ首を傾げた。かくり。

 

「赤色の道化から聞いたわ。この人が言ったそうね。『そんなに嫌なら、お前もハンターになれば良い』……って。だから、そうしたの。……ウフフ。ハンター、面白そうじゃない?」

 

 あっけらかんと語られた経緯に、集まった人々が(にわか)にざわめく。

 誰が、どうしてハンターになろうとも自由ではある。しかしそれはあくまで、常人にも理解が及ぶ範囲であればの話だ。

 反骨心。または、執着心。理解はあれど賛同はない。彼女が主とした理由は、そういった類いのもの。

 書士隊だけならず酒場全ての空気を差し置いて、当のヒシュだけが、感慨もなく返す。

 

「そう。どーぞよろしく、傾国姫(・・・)

 

「エエ。どうぞよしなに、被り者(・・・)

 

 視線がぶつかる。互いに口の端が、笑みの形をしたまま吊り上がる。

 そうして、間に散った火花を飄々と受け流して横に立つネコが、ふいと髭を揺らして締めくくった。

 

「―― ほうら。皆さんご覧の通り。おふたり、仲はよろしいでしょう?」

 

 







 1章第二話をご参照のこと。
 何年前なんだ一体(


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第十三話 ポッケ村会合 - 猟団

 

 

 鍛冶場の組長。

 湯治場の頭。

 建築の親方。

 畑の仕切り。

 ポッケ村の、上役と呼ぶには気の良過ぎる衆に面通しと挨拶。それら全てに順繰り、挨拶をして周り。

 いよいよ上座で待つは、挨拶回り最後の相手。

 

「―― 書士隊の諸君には、各々が裁量でもってフラヒヤの山々各所へ、自由に出入りする権限を渡したい」

 

 書士隊一行が《蠍の灯》の下を訪れ面通しを終えた後、副長のグエンが開口一番に発した言葉がこれである。

 ギルドガールズのシャーリーが、円卓に一枚の羊皮紙を広げる。グエンの言葉を受けて、長であるオニクルが毛むくじゃらな腕を伸ばし、髭を揺らしてとんとんと指で叩く。ダレンは素っ頓狂な顔を浮かべながらも受け取り、そこに書かれた文章を一読した。

 確かにそこにはギルドマネージャーのサインと共に、書士隊に狩猟権限を預ける旨の記載が成されている。

 

「……これを私どもが受け取って良いのでしょうか?」

 

 ダレンは困惑顔を隠さなかった。無理も無い。猟団《蠍の灯》にとって、狩猟の権利というものは他ならぬ「飯の種」だ。それを外部の連中に譲渡するというのは、破格の報酬と言えよう。

 無論、ダレン隊にとってこの権利は有用なものだ。有用が過ぎると表しても過言では無い程に。

 

「君達であればこそ、この権利は有効に扱えるだろう?」

 

 オニクルの言葉を借りる形でグエンが話す。先日の爆発に巻き込まれた当人だ。右足を添え木で固定してはいるが、その立ち居振る舞いに歪みは無い。白混じりの頭髪を製油で後ろに向けて撫でつけ、きちりと身だしなみを整えてもいる。

 

「オレぁもグエンも、オニクルん頭もな。話合ったぁばってん、だぁれも反対せんのよ」

 

 五厘に刈り揃えた頭を掻いて、ニジェが続けた。

 

「書士隊にぁな、こないだの雪獅子ん狩りで、オレぁの隊が迷惑ばかけた。こん通り、すまんな。……そんなもんで、これにぁ礼の意味もあるん。遠慮なぁ受け取ってもらえっと、助かんよ。なぁグエン」

 

「ああ。ニジェと同じく、オレもキミ達には礼を言いたかった。此度の顔合わせの機会には感謝しているよ」

 

 副長が揃って礼ばかりを言うものだから、ダレンもそれ以上は問うことが出来ないでいた。

 正面に向き直ると、オニクルはいつもの梅酒をちびちびと喉に通していた。唇ごと、髭を湿らせて。

 

「まぁ、我ら(わんど)《蠍の灯》にとっての『利』になると判断したまでよ。特級(マスター)の雪獅子。それに山神様のお鎮め。ダレン(ども)、お見事! ……と、(わぁ)からしてもありがてぇ事だったはんでな」

 

 しまいなと掌を扇ぐ猟団頭に応じる形で、ダレンは証書を懐に収める。

 オニクルがうんむと鷹揚に頷いて、「頭だはんでな。決定権だば、わぁさあるもの」とほくそ笑む。

 

「そもそも、王立古生物書士隊(おめら)の方針だば判ってら。次の調査予定地も、そこな隊長からあらかじめもらってある。現場判断で中型以上の生物を狩猟できればだば、活動の範囲を広げれるベ。それだば、我らの、ほんとの意味での助け(・・)さなる」

 

 猟団《蠍の灯》は、目前の大きな仕事であった番雪獅子の討伐を終えた。

 だから、次の目標を掲げる。

 それは「元よりの」と呼称すべき、ポッケ村の悲願でもある。

 

「―― 雪山深奥への立ち入り調査。我らは、ようやっと、そのための準備さ取り掛かる」

 

 感慨深いとでもいうように、オニクルは瞼を閉じた。

 副長ふたりも頷いて、ここに到るまでの長い道のりを噛みしめる。最も早く瞼を開いたグエンが、書士隊らに向けた解説を挟んだ。

 

「元々ポッケという村は、雪山を『拓く』べく造られた集落なのだ」

 

「……その場合の拓く、とは。率直に『開拓』という意味で捉えても?」

 

「そうだ。ポッケという村が必要とされた、目的というものは既に達成されている。―― 単純に、王国から距離を取るためだ」

 

 大陸北西から、同緯度のまま、東へ。湿地を越え、山々を渡り、乾燥地帯を抜けて。

 初めからして寒冷地に適応を持った人々が。かつての王国に住み、何かしら(・・・・)の理由を持って離れた彼ら彼女らが、フラヒヤへと移り住んだ。そう、言い伝えられている。

 ポッケの生え抜きであるニジェがうんうんと頷いて、ニジェの説明に相づちを打つ。ダレン隊一同が飲み込むだけの合間をとって、グエンは続ける。

 

「だが猟団というものが存在する以上、今現在だけでなく未来にも目を向ける必要がある。村を守る……それだけでなく、深奥への調査を必要とする理由はこれだ。ここ寒冷地の『均衡を保つ』ため、と」

 

 副長らの視線がダレンに問う。意味は判るか、と。

 少し考える。思いあたるものは幾つか。その中で、最も筋の通るものを挙げる事にする。

 

「大型生物の流出流入に伴う環境の保持整備……でしょうか」

 

「はっは! ……この短時間で、そこまで知っているか。成る程。傑物に違いない」

 

 グエンは白髪を震わし、嬉しげに肯定する。

 環境の保持整備。事情を知っている人々にしてみれば荒唐無稽 ―― とは言い難くなってきているのが、現状なのである。

 流れを語ることになるが宜しいか? と問うグエンに向けて、ダレンは頷く。書士隊の面々は事情を知っているが、猟団側との知識面でのすり合わせは必要だろう。

 

「ダレン隊長の考えは正しい。それもある、と言ったところだがね。人という種が北の極圏……アクラ地方に到達できたのはつい最近。ここポッケが村として発展し、遠征の中継地としても機能し始めてからの事。つまりは人間達が厳寒の中で行動できる範囲を広げた……と、言い表せる。それは熱暑に対しても同様でな」

 

 ふいと視線を外して、壁に掛けられた地図を振り返る。

 大陸の中央 ―― 活火山を指して。

 

「大きなニュースだった。諸君らも耳にしているだろう。先の繁殖期に『原種』と呼ばれる弩級大型生物 ―― 覇竜・アカムトルムの討伐が成された」

 

 アカムトルム。火山を根城とする、四つ脚の、兎にも角にも屈強な生物である ―― そう、聞いている。

 発見、討伐ともに初となる種だった。その死体は学術院に運び込まれ、解剖から何から未だ解明の最中にある。学士共同の声明として「飛竜種の大元となる可能性がある」とだけ発せられており、その解析に期待が寄せられている……所謂、学者的にホットな話題なのだ。

 残念ながら、ダレンはその相伴に預かった事はない。運び込まれたのが王都だというのも理由だが、そもそも今現在、解剖から樹形図やらを組み立てるという仕事は半ば書士隊の手を離れているという現実もあった。

 討伐を成したのは火の国が抱える腕利きのハンターと、偶然に遭遇した《根を張る澪脈》の総長 ―― モンスターハンター、ペルセイズ率いる先遣隊であったらしい。遭遇そのまま討伐戦にまで持って行った辺り、『極圏』を見張る彼らの腕の良さが窺える。ダレンも、彼であれば可能なのだろうなと確かに思う。無論、狩猟が困難であっただろう点については疑う余地も無いが。

 

「その討伐がまた、色々とな。寒暖の極端な位置ほど討伐の影響はでっけぇべな……って、学士の方々からご忠言が来てらぁな。雪獅子の討伐で忙しかったってんに、まぁ、仕事が増えすぎてなぁ」

 

 ニジェが肩を竦めながら話す。学士の方々とやらと、実際にやり取りとしたのは彼なのだろう。その顔からは疲労感が見て取れる。

 その苦労を知っているのだろう。グエンは彼を労うように酒のおかわりを注ぎながら。

 

「近年では、通常の行動範囲から外れた生息域を持つ特殊な個体のモンスターが幅を効かせている。それが亜種や希少種といった亜流の流れを産み、玉突きの様に跳ね返っては、別の生物の生息域を妨げる。この辺りについては諸君らの方が詳しいだろうから、俺が講釈すべき事ではないだろうがな?」

 

「そうさなぁ。……ちなみに、球ば打った初めの原因(キュー)ってのは、書士隊とか学士さんの方では判ってらんだが?」

 

「大陸全体で見るならば『人が行動範囲を広げたから』というのが通説ではありますね」

 

 ダレンとしてはあくまで通説と銘打っておく必要はあるが。事実、ハンターという生業が広がる前世紀に比べて、人という種が出歩く範囲は大きく広がったと言えよう。

 遂に大陸の地図を描いた王立学術院。大陸に跋扈する超常の生物に知識という牙を剥いた王立古生物書士隊。鉄鋼業と生産業を発展させ、浸透させた王立武器工匠。そして世に商業の編み目を走らせた四分儀商会。結果として広がった街や村。

 そのどれもが噛み合って、遂に人は大型生物さえも計画的に狩猟を成し遂げる術を得た。人の数と生息域が増えた。だから、ぶつかることも争うことも多くなったのだ ―― 理屈立ててそう話せば、大きな矛盾はさして無い。

 ダレンが端的な説明を終えると、ニジェは困ったような、愛嬌のある顔立ちで唸った。

 

「おぉん。確かに、今回の俺ぁのやってることにぁ、環境の保持っては言えらぁな? あの(つがい)どもん群れったぁ、いくつもの雪猿の群れが斬った貼ったん末に出来上がった規模だぁ」

 

「そういう事だ、ニジェ。……ああ、つまりだ。我々《蠍の灯》の目的とは……来るアカムトルム討伐の余波に備え、ここフラヒヤ連峰の環境を保持すること。先祖が拓いた雪山深奥への道を閉ざさず、かつ、影響があるのかを確かめるために調査へと向かうこと。このふたつなのだよ」

 

 視野が広く、視点は高い。グエンとニジェの話す様に、ダレンはそういう印象を抱いた。

 いち猟団の副長という次点の立場でありながら、彼らの目は大陸全体にも向けられている。こういった考え方を持つ人間が組織に幾つも必要だというのはダレン自身、身をもって体感させられている最中でもある。オニクルにとってふたりは、これ以上無い「有り難さ」であるに違いない。

 そして。グエンの話した内容を軽く頭にたたき込めば、納得もできる。

 

「つまりは我々書士隊が露払いの一画となることで、猟団の調査隊が動き易くなるという利点があるのですね」

 

「んだ」

 

 しっかりと意図が伝わった。そう満足そうに、オニクルがうんむと頷く。

 陽気な風に筋肉の詰まった腹を叩いて。

 

「お前どもの調査地域だば、シャーリーさ、まとめてもらった。ちょうど良く雪山深奥さ向かう道程に幾つも地点がばらけてる。んでもって狩りの腕前だば、轟竜と雪獅子。山神さまとの闘いで十分見させてもらった。そっちは前の狩猟ん時も気球に乗ってらった、カルレイネにまとめてもらったはんで……」

 

「はい。此方をどうぞ」

 

 傍の席に座って木杯を掲げていたカルレイネが、待ってましたとばかりにオニクルの横へと歩み出る。

 黄衣の傘と外套。耳に垂らした琥珀色の玉飾りをふるりと揺らして、胸元からもう1枚の証紙を突き出した。彼女はおそらく黄色の部族としての監視業だけではなく、オニクルの秘書的な業務も行っているのだろう。

 ダレンは証紙を受け取って、すぐさま鞄にしまい込む。見るのは後から、祝宴の場を出た後でも構わないだろう。

 

「それらは資料です。寒冷期中のこちらの部隊表と、深奥に向けた通路の整備資材一覧。そして貴方がたも利用可能な兵站……携帯食料と薪、水の配置表です。ダレン隊であれば中型および大型生物の討伐に関する管理、実力。共に十分でしょうという評を添えてあります。ギルドマネージャーからも許諾を得ましたので」

 

「……だ、そうだ。むしろこっちからお願いしてぇくらいでな。人手がたらんのよ」

 

「人手が、ですか」

 

「んだ。グエンが、ほれ」

 

 オニクルが指でグエンの添え木付きの足を指す。グエンは、にが虫を噛み潰した表情を隠す様に頭を下げた。

 

「不覚にも。この通り、よりにもよってこの時期に怪我をしてしまったのだ。申し訳ない」

 

「いえ。『礼』は先に頂きました。書士隊としては動きやすくなるので、この件について謝罪を頂く必要はありません。……ただ、グエン殿。それは、ハンターとしては……」

 

「ああ、そこについては心配は無用だよダレン隊長。時間を要するが、現場復帰には問題ないだろうとの見込みを貰っている」

 

 そうであれば何よりだ、と心から思う。六つ星というハンターランクは、上位(高き)上位(うわ澄み)。その経験と功績のみを抜き出して、個人や部隊単位よりも重く在る位階なのだから。

 苦笑を添えて、グエンは一歩後ろへ。オニクルが身を乗り出しては卓に両肘を付き、ダレン達へ笑いかけた。

 

「グエンの怪我の原因……爆弾が爆発した原因だば、まだ調査途中。前と同じく進展したらば教えるはんでな。……さぁて、こんなもんだべ。これからは、遠征の調査隊に同行ば頼む時もあると思うはんで。そん時だば、宜しくお願いしたい」

 

「こちらこそ。未だ調査の最中。猟団のご協力を頂けるならば、嬉しく思います」

 

 長同士が握手を交わす。

 最後に、と。オニクルは立場を忘れずに付け加える。

 

「んだば、食べて回ると良い。姫君と共同主催だっても、料理だばまだまだあるはんでな。やっと挨拶回りも終わりだべ。みんな、きちんと楽しんでけな?」

 

「ええ。肝に銘じます」

 

 きちりと堅苦しい言葉で、それでも様相を崩して笑い。

 ダレン隊の挨拶回りは、こうして締めくくられることとなった。

 

 

 

 

 

 ■□■□

 

 

 

 

 

 そうして ―― 解散となった後。

 

「やーぁ……っと! 終わったねっ。ねっ!!」

 

「そうだねクエス。ただ、両手を広げてのびをするのは流石に幅を取るから控えるべきだ」

 

 酒場の端隅にふたり。ヒントとクエスは重苦しい空気(未だ中央で上の者達と話をしているダレンの事である)とは距離を置き、卓のひとつを占領した。要は椅子に腰掛けて向かい合っただけであるが。

 ふたりが席に着くと給仕を兼ねた(キッチン)アイルーが盆と皿とを並べてくれる。食事は大皿から各自取りに行く仕組みだ。わざわざ重苦しい空気に突貫せずとも、同内容のものをそこかしこに並べてくれている。会合を兼ねた場であることに配慮してくれているのだろう。

 

「疲れたぁ。……書士隊の方で借りてる家のアイルーも、今日はこっちに駆り出されているみたいだから、今の内に食べないといけないんだけどね」

 

 クエスが背もたれに寄りかかると、だらけたままで脱力全開、アイルーが運んできてくれた煎茶に口を付けた。小さくすすって「熱ぅい」。わかりきったことを言う。

 実際にはキッチン務めのアイルーは家番を兼ねているはずなので、彼らに要望すれば作ってはくれるだろうが……態々その為に働かせるのも酷な話である。ここで食べてしまうのが得だろう。そもそも姫君が出資しているだけあって、祝宴という名に恥じないだけの料理が並べられているのだ。この相伴にあずからずして、何がハンターか。そういうくらいの気概で食事に挑むべきである。

 

「しかし、君の気持も理解できる。……隊長職に就きたいとはあまり思わないな、俺は」

 

「それはあたしも同じ。ウルブズ叔父さんは慣れているのかも知れないけど……防具を直に見れている今の方が、ずっと良い。ずっと好き」

 

 今回の場は、隊員に関しては顔見せである。隊長という立場のやり取りを後ろから眺めている時間が殆どだった。だというのにこの疲労だ。ああいった外交が必要な立場には、今のヒントとしてはなりたくは無いなと言うのが率直な感想だった。

 それでも同行したおかげで判ったことはある。猟団との関係は思ったよりも良い方向になりそうだと言うこと。今回もらった権限とヒシュ率いる部隊の増加により、ダレン隊の調査はより捗りそうだと言うこと。

 共に過ごした今回の休日は有意義なものとなり……何より。おまけに、豪華な食事にもありつけるということ。

 

「やっとだけれど、俺らもディナーにしよう。クエス」

 

「やたっ。面白い食べ物、あるかしら! ねぇ!」

 

「君さ。食べ物に求める第一要因として、面白さは除外しなよ……」

 

 本当に楽しそうにクエスが笑う。ずっと向こうに見える卓を指さし、早く早くと急かし、ついには待ちきれず駆け出してゆく。

 いつかのドンドルマで教習を受けていた日々と変わらぬ景色に……釣られて頬が緩んでいる事に、今、気付いた。

 肩の力を抜いて。彼女の背を、ヒントはゆっくりと歩いて追った。

 

 





 語りという形にはなりましたが、展開を進める努力は怠らない。
 ただし、可能な範囲で(



・ニジェ
 副長そのいち。主に教導と現場指揮を担当する。ボウガン使い。
 ポッケ村の生え抜き。オニクルもグエンも中央出身なため、彼を副長に置くことでバランスを保っている部分もある。
 実力は中央の上位ハンターと比べても遜色ない。オニクルとはドンドルマで出会い、意気投合した。

 訛りはオニクルが津軽弁なのに対して、こっちはかなりまぜこぜ(適当)にしています。
 流石にアイヌは厳しい。会話内の学術種族名ではない呼び方をしている固有名詞(山神(ガムート)様など)には適当にルビを振ろうかとも思いましたが、踏みとどまりました。


・グエン
 副長そのに。主に村に駐在し、ライフラインやフィールドの整備、ポッケ村と猟団間との取り持ちを担当する。ハンマー使い。
 ドンドルマ出身、ドンドルマ育ち。中央で組んでいたオニクルとニジェの誘いに乗る形でポッケ村へと委任した。
 ポッケ村に近代的な工匠兵器を設置したり、水車を利用した昇降機や近代的な鉱業に対応できるレベルの鍛冶場を設けたり、温泉や賭場などの娯楽施設を誘致したりしている。実績があり過ぎるので(本人達は外様を気にしているのに)村人からの印象はとても良い。むしろ気にしすぎだろと思われている。


・カルレイネ・イエロウ
 黄色の部族(現役)。気球観測班員を任されている。
 だからといって目が良いとかではない。どっちかというと部族権限でポッケ村に入ってきた人。計測、地理、熱力学辺りに明るい。
 レイーズ達も会合編で紹介したので、この人もこちらに。


・アカムトルム 
 モンスターハンターポータブルを2nd→2ndG という流れで汲んだ場合、前期のシナリオボス(の1体)とでも言うべき位置に立つモンスター。
 巨大にして強大。極圏という自然闘技場を舞台とした決戦。なんともはや、ソロで挑むには覚悟が必要な相手でもあります銀行ではありません(早口戒めお世話になりました。
 後期では、対極に位置するモンスターがその役目を担います。環境的にも真の意味で終点と呼ぶに相応しいお方。

 本作においては討伐が成された後となりました。間違いなくくどいので。
 経緯は作中の通り。この流れが後で書き出される(であろう)私個人のエルダードラゴン感へと引き継がれる描写となります。
 いえ。飛竜種ってなっちゃってるんですけどね。こなた。


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第十四話 遠路を目指して - 白昼の狩猟

 

 

 晴天の下に連なる山々。峰を辿って……吹きゆく風を見送っては、下方を見やる。

 扇状に広がった雪原に、ぽつぽつと小さな影が散って見えた。影同士の間に(いさかい)いはない。つまりは全て、(たむろ)する雪猿(ブランゴ)らなのだろう。

 誰もが雪間に生えた植物を求め、雑多に右往左往している。統率された動きではない……だから、頭は居ない。この間の群れの残党である。つまるところ報告通りの状況と言えた。

 観察していた ―― 崖際から頭を出した状態だったハンター、ダレン・ディーノは身を戻し、振り向く。

 

「目標はあれらの狩猟。では、ヒシュとシャルルは風下を通って奥側の標的(・・)を。私とカルカ、ヒントとクエスは手前から。連戦になるだろう。各々、負傷と武器の損耗には気を払うように」

 

「ん」

 

「了解しました」

 

 隊長たるダレンの言葉に、名指しされた面々が頷く。

 先陣を切って、ダレンが崖を滑り降りる。後追いに2人と3者。雪原に紛れる白毛めがけ、二手に分かれて走り出した。

 

 踏み固められた地面を雪原を、3人のハンターは駆ける。

 王国の民に雪原という単語を聞かせれば。そういう舞台の物語を聞かせれば……日光を眩く反射する一面の雪景色を想像することだろう。

 それはつまり、障害物のない、まっさらな、四方全てに逃げ場のない状況だ。フラヒヤに住まうものからすれば、そんな光景は恐ろしい以外の何物でもない。

 フラヒヤの峰は険しい。勾配は緩急激しく、植物が自生出来る場所も限られる。食物を追って獣が集まる場所もまた同様。遠征にゆけるタイミングも限られてくる。こうして猟団《蠍の灯》から要請を受けて、ダレンらが調査地周辺の雪猿(ブランゴ)残党の露払いに出向くことになったのは必然とも言えよう。

 (くるぶし)までの深さの雪を蹴って走りながら、ダレンは目を細める。

 

(数は7。体躯はまばらで突出した大型は居ない。十分か)

 

 傾斜は緩徐。遮蔽物はない。援軍は来るだろう。奥には段丘があり、今駆けているこの雪野原を見下ろせる。

 別働したふたり、ヒシュとシャルルの姿が消えたのを確認しつつ状況を反芻(はんすう)する。

 

(あちらは任せて良い筈だ。あのふたりの動きを見てみたい所でもある。こちらは雪猿の排除に注力しよう)

 

 走る。走る。先頭にダレン。次にヒント、そしてクエスが歩調を揃えて後を追う。

 ブランゴが接近する此方を視認し、警戒音を発し始めたのを確認して、ダレンは最後の確認を挟んだ。

 

「目標は散開からの各個撃破。主不在の群れではあれど、深追いは無用だ。今は調査現場の安全さえ確保できれば、それでいい」

 

「了解しました、隊長」

 

「りょうかぁい!」

 

 それら返答を受けて。後ろで鳴った武器を慣らす(・・・)音を聞き届け。

 間もなく、闘争が始まった。

 

「フォッ、グフォッ!!」

 

 血気盛んにブランゴらが雪原を跳ねる。先手を譲って。ダレンは、背負った太刀を鞘走らせた。

 爪と太刀では間合い(リーチ)が違う。ブランゴが我先にと飛びかかった ―― 空中で軌道は変えられまい。剣域に入った瞬間に巻き打ち。刃が噛んだ瞬間に雷奔り、腕で振り切った太刀を腰を使って引き、裂いた。

 『斬破刀』の初撃を庇った腕ごと頭に受け、雪猿は吹き飛んだ。腕は切断。側頭部にも深く入った。助かりはすまい。続けざま。足が止まったダレンを狙い出たブランゴその腕を、後ろを請け負っていたクエスが持つ『衛士隊盾斧』の剣が払いのける。

 

「このっ……」

 

「グキャ!? キャキャッ!」

 

 刃は決して鈍くはないが、うねる毛並みに阻まれて進まない。盾斧の剣はクエスの腕ほどの尺ダレンの得物ほどの重さもない。せめても、鋼鉄の重量を活かした打撃に切り替える。

 クエスは腰を低く、間合いを測りながら地面を蹴る。継ぎ足、横、後ろへ。追って突き出された右爪を盾で弾いた。体勢の有利を取り戻した所で、再び腰を入れて斬りかかる。

 突き。盾打ち(シールドバッシュ)。半身に引いて、大上段振り下ろし。剣はブランゴの脳天を捉え、かち割った。

 すぐさま摺り足、横跳び。後隙を狙ってくる個体へのけん制を含めて、立ち位置を変えてゆく。

 

「もうっ! 毛むくじゃらを切るのって、難しいんだってば!」

 

「特にミスもないのに勝手に言い訳を始めないでくれよ、クエス」

 

 ヒントが前後を入れ替わる。クエスの横腹に雪塊を投げつけようとしていたブランゴを蹴り飛ばし、引き金。『特務爆斧』の刃を加速。転がったブランゴの横腹を抉り斬り飛ばした。

 残るは4。減りは遅い。この雪猿達は討伐なされた番雪獅子の置き土産と目されている群れだ。他に比べて連携の質が高いことは織り込み済みである。

 

「しぃっ! ……来るぞ、伏兵だ!」

 

 ダレンが更に1頭を斬り伏せ、血を払って叫ぶ。

 声の指した(・・・)向こう。想定していた通りの援軍が、奥の丘から姿を覗かせていた。

 

「クエス、行くよ!」

 

「まっかせて!」

 

 注意喚起を兼ねた指示を受けて、ヒントとクエスが前へと出張る。

 雪猿には精緻な動作が可能な手と指があり投擲が可能。石や雪塊が不意に頭部を捉えるというのも、ままある事だ。上を取られていてはたまったものではない。登坂で届く位置なら猶更、優先的に対処すべきだろう。

 獲物を見つけるや否や我先にと崖を飛び降りた(統率の成されていない)ブランゴ数頭を尻目に、入れ替わり、2人は崖に手をかけた。

 上下交互に手を伸ばし合い、時には背を蹴って、一気に崖を登りきる。すぐさま武器を構えると、上に残ったブランゴ達と正対する。

 崖の端を背に囲まれた形になった。怯むことなく踏み込んだのは、クエス。

 

「斧使うよ、ヒント!」

 

「ああ、わかった!」

 

 ヒントが足を止めたのを見て、より一層踏み込む。

 剣を柄に。楯を刃に。接ぎ合わせ出来上がった長大な斧を振り回す。

 

「らぁっ、せぇぇーっ!!」

 

 空を勢いよく切って一撃。

 1頭両断、1頭側腹部。巻き込み1頭吹き飛ばし、2頭がひるんで足を止め。

 そして。まだ、終わっていない。

 

「―― ぇぇいやぁぁっ!」

 

 気合一声の語尾が間延びして、もう1周。ぐるりと体が回転したかと思うと、クエスは曲芸染みた二撃目(・・・)を振り放った。

 ひるんで足を止めた2頭、その内の片方を大袈裟に斬り伏せる。肉を噛む ―― 炸裂。直撃を避けた筈のもう1頭までもが、発破の波を受けて吹き飛んだ。盾斧に変形機構と合わせて組み込まれた、榴弾によるものだ。

 (ふち)の血を払って回転し熱を吐く(たて)を順手に、敵から視線を外さぬまま。クエスは次の榴弾を腰鞄(ポーチ)の最上段に引っ張り出し、放熱が済み次第に装填できるよう整えておく。

 

(手癖で振るう訳には、いかないものね)

 

 書士隊各位が扱う可変武器のうち、ウルブズの持つ剣斧の利点は、得物としての特性が切り替え可能な事。使い手の技量が高ければ高いほど有効になるものだ。

 ヒントの抱える爆斧の利点を砲撃による間合い管理と加速による斬撃の強力化とすれば、クエスの持つ盾斧の利点は、それら全て(・・・・・)を含むと言えよう。

 片手剣ほどの大きさの柄と、身の半分を覆う盾を接ぎ合わせた結果出来上がる巨大さ。重心が先端側にあるが故の打撃能力の高さ。そしてとどめに、仕込み楯に組まれた炸薬による必殺の一撃である。

 

(必殺技。ダレン隊長の口伝(みきり)や練気とは違った、わたし達にとっての「知識の牙」)

 

 それ故に、扱いと立ち回りには非常に多くの要素が絡まっている。重心は大槌、盾と剣は片手剣。榴弾の扱いは、弩弓のそれを学ばなければならなかった。ミナガルデから持ち込みの得物を改造した形のヒントとは違い、クエスは両刃剣に関する知識を教官であったウルブズから叩き込まれた形である。

 クエスは元々槍使いだった。盾の扱いはともかく炸薬や剣については全く心得がないもので、修めるまでの道のりは険しかった。しかし書士隊に入るための条件として提示されたのだから仕方がない。挑む前から諦めてしまうのは、何事にも挑戦的な自分の性根からすれば愚策も良い所だ ―― そうと彼女は考えた。

 書士隊に入りさえすれば、王立武器工匠が保有する防具の型紙(パターン)も構造も素材も、それら全てが見放題だ。辺境生まれの氏名持たず。一介の板金屋の娘ながら、夢見た学士としての職につく道も拓ける。

 ……加えて何れの奇縁か。ドンドルマに着いた彼女の隣には、かつての教習所の同期の姿まであったのだから。

 

 原動力たる回想を止めて、クエスは息を吐く。盾と剣とを切り離すと、傍で昏倒していた雪猿に止めを入れた。

 彼女の横で、件の彼は動き続ける。

 

「詰める、詰める……詰める!」

 

「グキャッ、ギャ!」

 

 ヒントはクエスが吹き飛ばした雪猿を追撃している。道中阻んだ1頭を雷竜の籠手で殴り飛ばし、同時に砲で加速を入れると、刃に振り回されるような体勢で目標の雪猿の首を断った。

 巨大な斧剣に砲が()いた、と形容するのが正しい爆斧(アクセルアックス)である。その加速を使いこなすには、相応の体術が必要とされる。

 つまりは、崩した体勢までを含めて、ヒントが修めたところの『術』なのだと。

 

「―― 知っているさ。この隙は、狙われる!」

 

「グキャッ!?」

 

 首を断ち地面に食い込んだ爆斧の柄を柱に見立て、後ろから飛び掛かって来た雪猿(ブランゴ)の身体へ両足蹴り。鎧の重さを含めれば、雪猿には体格体重共に勝っている。押し負けることはない。

 地面に転がった雪猿をすぐさま押さえ付け、うつ伏せる。爆斧で脊柱を割り止め。

 

「援軍はあるかい? クエス」

 

「ないみたいね。」

 

 これで目視出来た個体の掃討は完了である。

 ふたりで登ってきた崖の側を振り返る。すると。

 

「心配……は、やはり、無用だったようだな」

 

「あっ、ダレン隊長!」

 

「はい。こちらは全て捌き切りました」

 

 駆けてきたダレンに、骸をひとつ所に集めていたヒントが応じた。

 ダレンはダレンで下の雪猿達を全て相手取った後こちらへ駆けつけたようで、下方に動く影は見当たらない。いずれにせよ巨大が過ぎた群れ、その一端の掃討である。死臭はごまかせまい。始末は早いに越したことはないだろう。

 

「これってブランゴ達の解体はどうするの?」

 

「ここは村から遠い。昼時になれば気球があがる。数と場所を報告するだけにしておこう。必要であれば、村の側から人が派遣されるだろう」

 

「猟団に任せる形ですね。了解しました」

 

 ヒントとクエスがふたりで手早く麻紐を取り出し、指示通りに死骸を片付け始めた。

 片付け始めて……その中途。クエスは再び、とある一方向をじぃっと見つめる。

 

「どうしたか……ああ」

 

 ダレンは小さく同意の息を吐く。クエスが見つめているのは残りの隊員……ヒシュとシャルルがふたりで向かったその先。遠回りにくだった、張り出した崖の中央部である。

 彼女が視線をダレンへと戻して、尋ねる。

 

「……どうします? 先に助力をします?」

 

 首を傾げたクエスに対し、ダレンは否と首を振る。

 

「いいや。必要ならばすぐに向かえる位置であるし……そもそもヒシュ自身、彼女と組むのは久しぶりだから試したいと言っていた。要請があったら向かう形でいいだろう。それよりも、だ」

 

 助力が必要なほどの情勢になる前に、逃げの一手を迷いなくうてるふたりでもある。そういう場面になった時に考えても、全くもって遅くはないだろう。加勢してしまえば総数が4名を超えるというのも、緊急時以外での倣い(つうれい)としては好ましくない。

 ならば次手としては何が良いか。ダレンはかつての、テロス密林での自らを思い返しながら。

 

「―― ブランゴの解体は私がしておく。ここから見ておくと良い。あのふたりの狩猟(・・)を」

 

 

 

 

 

 □■□■

 

 

 

 

 

 青空に耳を揺らし、白の原に白兎獣(ウルクスス)が跳ねる。

 ふたりよりも質量はあるというのに、ふたりの身長を足した分よりも、高く跳ねた。

 跳躍力がスゴい……と。太陽に被さる影を見上げながら、ヒシュは思った。

 

「―― ブキュフゥ!」

 

 尻が接地。ずん、と辺りが揺れる。勢い余って前転をひとつ。

 落下地点から5足半ほどの位置取りを保ったまま、後隙に向かって、駆けた。

 

「キュッ」

 

「ん、ん!」

 

 追い縋った此方を迎撃。黒鋼の刺突剣でふるう直前の左腕を縫い止め、『呪鉈』を腋窩に叩き込む。回り込んできた右腕の爪を身体を反らしていなし、もう一撃。肘鉄。後退しようと足に力が入ったのを見て背の『銀針』を抜き放ち、投擲。

 白兎獣が後ろへ跳躍。鏃と針は腹甲に阻まれ食い込みもしなかったが ―― 当然(・・)其処には、件の彼女が位置取って居る。

 

「ウフフ。それ、知っているわ」

 

 篭もった笑みを口の端から逃して鳴らし。シャルル・メシエは『白の銃槍(ホワイトガンランス)』を突き立てた。

 脊柱を避けて脇腹。白兎獣が無理くりに身を捩って穂先が沈むのを避ける。皮は貫いた。距離は開かず。つまりは、ヒシュとの間に挟まれた。

 腹側にヒシュ。背側にシャルル。狩人が獣を挟んで表裏、好きに勝手に立ち回る。肉の遮蔽さえあれば、銃砲も毒の飛沫も気にする必要がなかった。

 これが互いにとって一番に良い陣形である。そうとふたりは知っていた。

 シャルルの迫撃。ヒシュの斬打と陽動。一介の獣が相手取って立ち回るのは、些か以上に難しい。

 

(まだ)

 

 ヒシュがそういう意図を込めて視線を送れば、(あやま)たずシャルルは受け止める。

 あの腹で坂を下って滑られては追いつけるはずもない。だからこそこうして、崖の側まで追い詰めたのだから。

 爪を振り回して間隔を裂こうとする白兎獣を相手取り、上位ハンターふたりは互いの奥底を覗き見る。

 

 ヒシュ。重心の在り所が理解できない程に鋭い、初速に長けた斬撃の交差。武器の持ち替えによる連撃。四つ足で地を駆ける獣に勝って素早く追い詰める。

 シャルル。一見ではくみ取れないほどに複雑な歩法を裾端(スカート)で覆い、中間からの衝角楯と槍による殴打。鎧を着込んだ身を入れて、白兎獣を先手で封じる。その上で自らの得意な動きを押し付ける。受動的ではなく、只管に上手を取り続ける。そういう、(モンスター)の側を圧倒するような動き方。

 大楯のせいで機動力には劣るが、そこをヒシュが補っている形だ。

 爪が欠けた。腹甲を血が伝う。毛のない部位に発汗が集まる。

 

「フキュッ」

 

「……っ、嗚呼」

 

 楯には爪が通らないとみるや否や、白兎獣は当て身をかます。シャルルは楯を肩に付けて構え、衝撃を足から雪原に流し込む。

 しかしそれだけでは補いきれず。

 

「これでっ、如何っ、かしら……ねっ?」

 

 身を傾けながら、自重の移動だけで楯の上に白兎獣の頭を乗せた(・・・)

 槍の持ち手側を手繰り寄せて ―― 火を入れる。

 

 ガボンッ。

 空を震わす銃撃槍の破裂音が、白兎獣の細く長い耳元で鳴る。

 獣はすぐさまシャルルの上を飛び退き、だからといって堪え切れる訳もない。ずんぐりとした身体が悶えながら遠くへと転がっていく。顔を抱きかかえる様な格好で。

 既にヒシュが遠くを回って、崖の出入り口を封じている。

 

「フ、フキュウ」

 

 頭をくらくらと揺らしたまま、白兎獣は前を見る。

 ヒシュ。両手を地面に着くほどだらりとぶら下げ、緩く武器を把持し、獣に見紛う様相。

 左に『呪鉈』。右に『黒鋼の刺小剣』。腰に仮面を被り、身に(まと)うのは同族の毛皮を主とした布鎧。手足に銀の甲。

 

 音が無い。動かない。

 白兎獣とヒシュが互いを睨む。

 

 狩人の攻勢の機(セオリー)からすれば、獣の三半規管にダメージを与えたこの隙を逃す道理はない。しかし、ヒシュはあえてこの()を取った。

 シャルルはその理由を十分に理解している。槍と楯を構え直して、彼らの語らいを待つ。

 眩い雪原に吐息が浮かぶ。

 

「……ぐ、るぅ」

 

 白兎獣ではない。ヒシュの声だ。その声には、かつては含まれていた苦悶の色相はない。器が割れる様な痛みも、容量を満たす重圧も、今のヒシュには無いからだ。

 とはいえ当然、白兎獣に話しかけたりした訳でもない。獣に言葉は必要なく。ヒシュのこの声は、少しだけ間を見繕ったに過ぎない。無言でもって問いかけたのだ。「わたし達はこの場を押し通る。あなたはこのまま闘いたいか」と。

 

 そう。現状、ヒシュ達としてはこの白兎獣には逃げられてもかまわない。

 ウルクススは群れない。生物階層の中間位。驚異の大きさは、管理のし易さで考えると低いと言える。

 そもそもがギルドが定義するところのハンターとは、獣を狩る職業ではない。あくまで人()の営みを主に置きつつも、自然との調和を図る……そういう志を持っている者達のことを指す。

 現地判断で現状を維持することも許される。ハンターはその判断を下す権利をこそ有している。

 

 逆に言えば、狩らない理由もない。

 大型の獣であればこそ、肥大化した時の脅威は身に染みて理解している。昨季の番雪獅子の騒動などもこれにあたるだろう。狩猟は環境の平定に必要とは言え、今の人は獣によって生かされている。うまく付き合っていくのは理想形である。

 

 つまりは、いずれにせよ、ヒトの管理の範囲内。

 

(……ん。さ、どう)

 

 ヒシュは頭の中の片隅でだけ、眼前の白兎獣(ウルクスス)の現状を憂う。

 この個体は成熟した上位のもの。つまりは特級(マスター)とは言い難い、中層の生物である。かつての雪獅子の群れによって抑圧され、搾取され、刺激され。相当に怒っているであろうことは想像がつく。

 彼は縄張りを失っただろう。食事も取れていないだろう。ここ数日の観測からして家族もいない ―― ともすれば、それらも。

 そんな境遇にありながら逃げてきた。フラヒヤ奥地へと続く路。満身創痍のこの白兎獣は、だというのに、ここに来てまで雪猿達を「追い立てていた」のだ。

 食事のためではないのだろう。苛ついていたから、という単純なものであるのかも知れない。

 正誤は、星聞きなんかでもって伺い立てでもしなければ知る由もない。必要もない。そもそも星聞きがそこまで融通が利く代物なのかも判らない。ただ。

 

(選択してもらえるなら楽……と、ジブンは思う)

 

 闘争にならないのであればそれでいい。こちらの体力の消耗は抑えられる。白兎獣が生息するという事実は、環境の乱れの抑圧には一役買うだろう。

 いずれは人里に害をなし、狩猟することになるのかも知れない。いずれは山をも崩す大雪主の資格を得て、再び人と相まみえるのかもしれない。その時はその時だ。剣を持って相対するのも仕方あるまい。そんな含みを込めている。

 

「フ、フ」

 

 合間に、白兎獣が吐息を刻む。逡巡 ―― いや。確認か。

 こうしていとも容易く「獣の側に立って考える」ようになった今のジブンが、ヒシュは決して嫌いではない。

 

「フ、フクュゥ」

 

 そして再び。白兎獣は僅かに開けた合間を滑り抜けることなく。見ることすらせず ―― 地面に爪をついて構えた。きゅっと瞳が絞られる。頭上で欠け耳が小さく翻り、後ろのシャルルの位置を探り見る。

 つぶらな瞳からは、交戦の意志がひしひしと感じられる。絶命しては……という、悔いの感情はないようだ。

 勝つか負けるか。勝ったからには満たされて。負けた場合には失って。それは、当然のことだ。闘争を選ぶ価値は其処に在る。

 悔いは無い。そういうのも判るようになってはしまった。それでも憂いなく、先手を取るべく、ヒシュは駆けた。

 

 足裏の(スパイク)で氷土を噛んで低く速く『呪鉈』で叩く。鈍く柔い感触。顔の前で交差した獣の腕にべっとりと青の毒が塗りたくられた。毛皮の上だ。毒を血流には乗せられない。返す刃で降られた兎の爪を腕の銀鎧で弾いて回り、右腕、黒の小剣を突き出し、そんな小手先など構わず振られた逆爪を、左の腿を持ち上げて受ける。

 

「ん、ん!」

 

 爪が同族の皮鎧に深く沈んで、しかし、破れない。破れる前にいなして添えて。郷愁、いつか作ったシナトの風車を真似て翻る。白兎獣の体重までもを全て乗せて『呪鉈』。顔を。しかし白兎獣が身体ごと突っ込んできたため、狙いは逸れて耳を削いだ。

 獣臭、大質量の突進。辛うじて引き付けた腕と肩に当て、倒されない程度に押されておいて、思い切り身を引く。狙いはある。

 白鎧の裾をはためかせ。シャルルが追い付いた。

 

「スゥゥ ―― フッ」

 

 『白銃槍(ホワイトガンランス)』の穂先が突き出される ―― 空を切る。

 背からの挟撃にも慣れてきた白兎獣は、槍に触れる寸前に距離を取った。砲撃で痛い目を見たからだろう。大楯と槍が、機動力に劣ることも理解をしているようだ。

 相手に警戒をされている。シャルルの側だ。だとすれば裏の裏、ヒシュが決め手を用意するべき。手管を脳裏に並べて即興で組み立ててゆく。

 

(ひとつ。毒)

 

 白兎獣の突進を躱す。躱し際に『呪鉈』で顔を叩こうとしたら丸めた身体に防がれた。二度目からは尻から突っ込んでくるようになってしまった。一度目で決めるべきだったかと後悔する。

 寒冷に適応し肉の露出が少ない毛皮に腹甲。口と目は小さい。警戒もされている。案を却下。

 

(ふたつ。罠)

 

 落とし穴は不可能。張り出した崖の上だ。地面の質量がない。痺れ罠はどうか。可能だ。ひとつめ(・・・・)として採用する。

 挟んで向こうのシャルルに知らせる(ハンドサイン)。ひらひらと穂先が揺れる。了解された。

 

(もひとつ。二段底に仕込む)

 

 白兎獣がヒシュへ、雪を蹴って飛び掛かる。両腕を広げた。攻勢を躱しきれるか。

 鎧はあるが、質量で潰す。もしくは貫く、隙間に差し込むといった用途に優れた爪もある。

 守勢の手を。そして、攻勢の手を。

 

(うん。決めた)

 

 利用するならこれ(・・)だろう。ヒシュは白兎獣の脇目掛けて窄めた身体を飛び込ませ、爪撃を潜り抜ける。手足を着いてすぐさま再度の跳躍。振り向いた白兎獣が、再び飛び掛かりを仕掛ける(えらぶ)だけの距離を保った。

 

(揃える。……揃えた)

 

 頭を前に身を低く。白兎獣が三度の突撃と構えた。

 鞄の入り口にある(・・)ことを確認する。打ち合う準備は万端に。

 シャルルが再び追いついた。目配せをしるしに、ふたりと獣が決め動く。

 

「フ、ブフゥッ!!」

 

「んぐ!」

 

 ヒシュ。爪を真っ向から受ける。腕の甲でいなしつつ鉈を潜らせ昇打。顎を捉えたがよろめかず、離れ。白兎獣はすぐさま屈み、地面に四肢を突いて奔る。前脚の爪で氷土を引っ掻くように ―― 円を描いて滑る。質量をぶつける側面の体当たりだ。

 

「すぅっ……んっ!」

 

 ヒシュが四肢を使って跳ぶ。相手が屈んでいるからこそ、ぎりぎり上を。避け様に身体を捻る。肘が背にぶつかったが、しびれはない。そのまま余分に回転した身体を接地させ、起き上がる。

 

「お帰りは其方」

 

 シャルルが動線を読んでいた。楯を構えた当て身。ついでに穂先で爪を弾いて、合気さながらに白兎獣を転がした。

 ぴったりと嵌まったパズルのように……既に仕掛けられていた痺れ罠目掛けて転げてゆく。

 

 刺さった ―― が、そのまま身を丸めて転がった。

 感電によって多少は痺れていそうだが、神経毒が効くかは怪しいところだ。

 痺れ罠を避けられた。そう考える。

 だからこそ。

 

「……フルルル、ゥ!?」

 

「仕掛ける」 

 

 ヒシュが突貫。

 大きな挙動の体当たりを仕掛けて。そこから転げさせられて。

 痺れ罠を避けるために、さらに大きく転げて転げて。

 それだけ移動したのだから、すぐ傍には ―― 崖がある。

 楯を外す。鞄もひとつを残して外す。『黒鋼の小剣』を置いてゆく。

 最後に残った左の『呪鉈』を、これ見よがしに振りかざす。脇腹。白兎獣に防御をさせた。

 

「んんっ! ……てっ!」

 

 未練無く『呪鉈』を手放す。代わりに、鞄から鋼線の端(・・・・)を取り出した。

 視界から消えるほど身を低く。次の瞬間には跳躍。防御をさせた腕を足蹴に、白兎獣の身体を身軽く飛び登り、ヒシュは首後ろに取り付いた。首元に鋼線を巻き付けながら。

 ぐいと引く。気道が絞られる。白兎獣の爪が首元に伸びた所で飛び降りる。

 同時に。

 

「―― ラム。嗚呼、サヨナラ」

 

 入れ替わりに楯を構えたシャルルが側面に取り付くと。

 彼女は機械屋だ ―― 楯に仕掛けられた炸裂式の衝突角が、がつんと音を立てて作動した。

 シャルルの足元の氷土が沈む。正面の巨体を弾き飛ばして。

 

「フ、フゥ ―― !」

 

 理外の衝撃。

 耳が、頭が、横腹が、身体が傾いて。足が地面を離れて、腕が藻掻いて空を掻く。

 視界が青空を仰いで一周、すぐさま白地に輝く雪の原。

 びぃんという衝撃。

 殺意。首元。鋼線。急速に絞られる。意識は遠ざかり、獣の手を離れた。

 

「……ふぅ。狩猟終わり」

 

「エェ。ウフフ、そうね。狩猟完了(クエストクリアー)

 

 崖の端に2人が並び、下を覗き込む。

 吊られた状態の白兎獣が、脱力したまま亡骸と化している。

 ヒシュが巻き付けた鋼線は所々に鋲うたれ、きしきしと音を立てて軋んでいる。

 ()は警戒心の強い個体である……そうとヒシュは判断した。だからこそ、避けられることを積極的に策の内に取り込んだ。高さからして落とすだけでは討伐には到らない。ならば、これで。

 結果は出すことができた。ふたりで組んでの狩猟は何年ぶりか。だというのに、思考の方向性はぴったりと合っている。

 

「フフ、ウフフフ……! 命失われど。達成は、気分が良いわ……」

 

 ふわりふわりと謎の足踏み(・・・)を踏みながら、遮光晶越しにフラヒヤの景色を眺め、高らかに詩を歌い始めるシャルル・メシエ。

 狩猟の腕は衰えておらず。絡繰りの技術も、板金の腕も、鍛冶の腕も上がっている。ヒシュのこの感性(・・)に共感し、共に踏み込み、歩調を揃えることも出来る。

 それはヒシュとしても同様だ。彼女が何を仕込んでいるか。どう動けば優勢か。そういうのを考えるのに、苦労は全くしなかった。

 

(でもまぁ、シャロはシャロ。厄介なのは、知っている)

 

 これで癇癪(かんしゃく)さえなければ。

 そう思わずにはいられないのであった。

 







 2章2部をゆっくりですが始めます。
 初っ端アクション回。




・落とし穴しびれ罠
 ヒシュ的には嵌めた後の有効性(捕縛時間や自由度など)は落し>しびれ。
 嵌めるための自由度と使い易さはしびれ>落しと考えています。
 「イャンガルルガに落とし穴は100%通用しないか?」という問題ですね。
 いや、プロットアーマーによって通用はしないのですけれども。ノレッジみたいに塹壕として使ったり、私によって悪用はされます次第。


・銃撃槍、機動力に劣る
 サンブレイク……いや、ライズくらいまでくればそんなことはないのですけれどね。空中機動。
 その辺を書くとしたら、現実折衷派閥の私はどうするんでしょうねぇ……気になりますけれども。その時に考えます。未来の私、頑張れぇ。


・炸裂式の衝突角
 楯につける衝突角(ラム)はロマンです。
 イメージ的には装填式の単発型。そういや私は作中でサーペントバイトの牙を炸薬で深く噛ませたり出来るように改造したりもしてるんですよね……勝手が過ぎる。
 まぁただ、最近の猫式撃竜槍とかを見るに、こういう妄想はおおよそ同じ方向を向けているんだなと安堵はしているので……(苦笑





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第十五話 遠路を目指して - 調査拠点『北嶺』

 

 

 平野区画の雪猿(ブランゴ)の掃討。

 および白兎獣(ウルクスス)の討伐を終えると、書士隊一行は調査拠点(ベースキャンプ)を目指して北上した。

 

 猟団《蠍の灯》の手が入ってから、アクラ地方へ向かう路には所々に調査拠点が置かれることとなった。

 寒冷期に入ったため、一般のハンターは出入りが禁止されている。だからこそ拠点の整備にも熱が入るらしい。《蠍の灯》のメンバーがかなり定期的に巡回し、各地の調査拠点に火を入れている最中なのだそうだ。

 

 それはつまり、大遠征が近いという事でもある。

 隔たれたアクラ地方を目指す ―― とまではいかずとも。目指すは、北端の土中に存在する「永氷壁」と呼ばれる禁足地。ポッケの先祖が目指した、その土地の観察を主目的とする遠征である。

 

 調査拠点の整備はそのための足掛かり。猟団としては抜かりなく行う必要がある。

 ……最も、だからこそ今は書士隊もその恩恵に与ることが出来ている、という事なのだろうが。

 

 ダレン一行およびヒシュとシャルル・メシエのダブルチーム体制の書士隊は、その内の最も大きな拠点に足を踏み入れていた。

 調査拠点「北嶺」。山の岩肌を大きくくり貫いて内部に造られたそこは、村人の受け入れなども行うことが出来る超規模のもの。

 許容人数は120人。今は《蠍の灯》のメンバーと書士隊の一行しかいないため、むしろスペースを余している程だった。

 その奥にはなんと、武器防具の整備……だけならず制作を行う程の炉までもが造られている。

 

 件の炉の傍には武器防具を整備するための上下に広大なスペースが取られている。

 火の入った炉から、一番近い休憩スペース。熱を流すための足湯などの遊び心をそこかしこに置いて、無造作に拡張を受けているのは、ご愛敬。

 そこに書士隊員がふたり。ジラバとヒシュという珍しい組み合わせが、腰掛けていた。

 

「ジラバ……さん、は」

 

「呼び捨てで構いませんヨ、先達ヒシュ」

 

「ん。なら、そっちも」

 

「わかりましタ。ヒシュ。では、これヲ」

 

 互いに鞘当てを終えて、ジラバは楽しげにばさりと図面を広げる。

 机の上に。「剣斧」「盾剣」「爆斧」と、炸裂機構などの必要量目安が箇条書きにされた図面。

 今のダレン隊を作り上げた全てである。ヒシュはそれを覗き込みながら。

 

「うん。なら、こっちもコレ(・・)を出す」

 

 ごとん、と鈍い……しかし明らかに高密度を持った音が机の上で鳴る。

 ごとり、もうひとつ。同じような音を立てて。彼が特に愛用する武器が(ふた)つ、机に置かれた。

 

「ふたつとも、銘がある。こっちが『奇面族の呪鉈』。刃が金属に見えるだろうけれど、実は、金属は少しだけ。色々な生物の貴重な部位の素材を、なんとか溶かして積層して刃にしてる。普通とは別で、金属を触媒に使ってる」

 

「おお……それは、もしヤ」

 

「聞いたことはある、かも。『星鉄』。地面に埋まっているのでなく、(そら)を飛んできた金属。もともと色んなものを取り込んできた、繋ぐための性質を持った、虹の橋。……その屑端を見分ける眼を、奇面の王からもらってる。他の種族からみたら、ごみにしか見えないことも、多いみたいだけれどね」

 

「それはまた、もの凄イ」

 

 ジラバが手を叩いて喜ぶほどだ。余程珍しいものを見せられたのだろう。

 彼は一通り武器に顔を近づけて。

 

「手に取らせていただいてモ?」

 

「全然いいよ。今は毒も(ぬぐ)ってある。刀匠のジラバに言うのも気が引ける、ケド。怪我だけ、気を付けて」

 

「ええ。ありがとうございまス!」

 

 テンション高く『呪鉈』をこつこつ叩いたり擦ったりする、ジラバ。

 その間にヒシュはジラバ側から出された図面を読んでみる。……凄まじく精緻な造りをしているな、というのが素直な印象だった。機構を組み込むほどに部品の数が増えるというのに、獣とぶつかり合わせても崩れないような……堅固さやら、しなやかさやらを持たせねばならない。

 

(脆さが、素材そのものの強固さじゃあなく。機構と使い手の知識によって、カバーされてる)

 

 この類は工匠・ジェミニや、それこそシャルルの手管である。恐らくは実験動物(・・・・)としてのデータ収集は書士隊だけでなく多方面で行われている事だろう。銃撃槍(ガンランス)が炸薬機構を搭載した武器として一定の成果を出したからこそ、これら次世代の武器が試みられているというのも理由ではある。

 とはいえヒシュとしては、基本的には壊れない武器が良い。変形機構は自分には必要ないな、というのが感想だった。仕込み刀くらいは、ドンドルマのとある師の『番傘仕込み』に憧れて、使ってみたことはあるが。

 

「ふむ、ふむ。生物素材を主とする刀身だからこそ、帯毒との相性もイイ。つまるところこの鉈は ―― 有機性を持っている、ト。……毒について、仔細は聞かない方がよろしいですネ? 浅黒い青紫の毒。ギルドナイトの方がビンに入れてぶら下げていたのを遠目に見た記憶がありマス」

 

「そうしたほうがいい」

 

「了解しました。……では、こちらハ」

 

 『呪鉈』をヒシュの腰に戻して、ジラバがもう片方の『黒鋼の小刺突剣』を手に取る。

 両刃ではなく、背側に生物の牙を模した突起棘が突いてたり、柄以外にも手に取ることが可能な部位を設け、逆手で手甲のように扱うことも可能な……技量が必要とされるものだ。

 

「ヒシュさんはこれを、盾側の剣として扱うのですよネ?」

 

「ん。……ちょっとそのまま刀身で受けはしないけど」

 

「はぁー。(にわか)には信じがたイ。ですがこれらでもって特級のドドブランゴとも。この間の上位ウルクススともやり合って居るというのですから……うーン。ダレン隊長の言う通り。ヒシュ、貴方は理外のハンターであるようデス」

 

「ほめてる?」

 

「ハイ。とても」

 

「それじゃあ、ありがとう。……でも、ジラバの言うことも一理ある。ジブンはちょっと、亜流だから」

 

「でしょうとモ。……そも。ジォ・ワンドレオ発祥の双剣とは、円環の動きをいち早く取り入れた武器でス」

 

 机の引き出しから取り出した藁半紙に、ジラバは図式を書き込んでゆく。

 ぐるぐると線を引く。人と、その周囲を回遊するように軌道する「剣域」。主流の流派で双剣を扱った場合の、攻撃範囲だ。

 

「ヒトの身体の急所をである中心部位を軸として、外側に刃を振り回す。急所を、相手側の攻撃が届きづらい位置に取り置く事が出来る。人という種の武器である『指』を精緻に扱う事が出来る。理に適った術法である……と、ペルセイズ氏から伺っていまス」

 

 円舞は、今はダレン隊長の扱う太刀術に応用されていますネ、とも挟んで。

 

「ただ、貴方の体術は違う。ヒシュ。主は『歩法』の側で、あくまで動きの良い所どりをしているに過ぎない。この動きに『呪鉈』と『小刺剣』を組み合わせるのは、貴方の技量があればこそ。……逆に言えば、この『黒鋼の小刺突剣』は。これを扱うことは、貴方の負担となってはいませんカ?」

 

「それ」

 

 びし、とヒシュが机の剣を指さした。

 意を得たり。とこくこく頷く。

 

「ウン、ウン。正直に言うと、負担になっている。けれどその『小剣』は崩せないし、使いたい(・・・・)。どうにか形に出来たのが、その形 ―― 王立工匠の『ツインダガー』を元にした形状だっただけで」

 

 ヒシュはうーん、と眉間に皺を寄せる。

 ジラバはその様子を見て、続ける。理解している。これは『ツインダガー』―― 鉄と鋼で造られる、扱い易さに長けた剣。それとは一線を画した別の(・・)得物であると。

 

「これは『ツインダガー』とは別の剣……なのでしょウ。これは鉄にしては黒過ぎる(・・・・)し、軽すぎる。不思議と手に馴染むくせに、拒絶するような冷たさを孕んでもいル。銘は?」

 

「対外的には『ツインダガー』で通してる。誤魔化すのにちょうどよかった。……『原初に近い剣』を元にして……ジブンがシャシャ達の力を借りて形にしたけれど」

 

 少し昔を振り返る。

 ヒシュが星聞きの巫女の予見を借りて ―― 銀嶺龍(白くさびたクシャルダオラ)との戦闘の後に発見した、地の底に突き刺さる『黒の槍』。

 槍は凍て錆びて塊と成っていた。そして周囲に。その槍で打ち砕いたかのように、黒い塊がばらけて飛び散っていたのだ。

 それら素材を全て(・・)回収し、溶解し、融解し。重ねて打って圧接し。

 そうして作られたのが、この小剣。

 

「素材が素材だから、双剣としての名前は ――『双影剣』。密度を増すために片方だけにしたのも加味して『影剣』、かな」

 

「率直で判りやすい。良い名前でス」

 

 ジラバが頷き、剣にしては獣の形が過ぎるその得物を、ヒシュの手へと戻す。

 受け取って、背に佩いて。今度はヒシュが、鞄から図面を出した。

 

「……それで。ジラバが言った通り。『影剣』を扱うのに、バランスが取りづらい」

 

「それはまぁ。ヒシュさんは両の前腕に円楯までつけてしまうじゃあありませんカ。武器や防具は着ければ着けるだけ強くなる、というものではないというの二」

 

 ジラバが率直に苦言を呈する。

 ヒシュは両手に着脱しやすい武器を握り、両前腕に小円楯まで着けるというスタイルを好んでいる。武器は状況によって選ぶ。しかし楯も無くては困る。故に体格がある程度まで追いついてきた現在であっても、通常の円舞のような『双剣』を扱えないという様相である。

 

 かつては『呪鉈』1本を主に据え、「その他はあくまでその他」だったので、どうにか出来ていたのだろう。

 しかし今は『影剣』が増えた。それを含めた上で特徴的な「彼の動き」をするには、防具などの専用の調整が必要になる。

 防具の一部機能を外したり。道具の積載量を減らしたり。普通は、そういうことをする。

 ……そう。普通は。

 

「だから、コレ」

 

 先ほどに取り出した図案を、ヒシュは指さす。

 言われた通りに、ジラバは覗き込み。

 

「これは……防具の調整の試案……。……では、なイ……?」

 

 そしてすぐに、困惑顔となっていた。

 困惑顔。さらに百面相、目を見開いては喜色顔。

 

「まさカ」

 

「そう。もうひとつ(・・・・・)、武器を作る。かなり特殊で、腕に付けられるもの。『楯剣』。ジブンの部族に伝わってる名前を、『チュクチュク』って言う。これを含めた『多剣1楯剣』っていうのが、ジブンの元々のスタイル」

 

 丸い楯。その周囲を囲むように円刃が付けられて……主となる刃3本が、円の合間を繋いでいる。

 特異に過ぎる構造だ。ただ、その構造は、ジラバをわくわくさせてしまうようなものだった。

 

「面白イ! 非常に……! 防具で調整するのではなク、楯と剣を兼ねた装備品(・・・)を新たに造ル。……ふム! 合わせた右の小手も、専用のものを用意するト!」

 

「造るのは、ジブンも手伝うよ。……これに合わせて、防具も両腕のを新調する。ドンドルマの先輩(・・)から素材が届く手はずになってる。ノレッジに手紙を送るときに、一緒にお願いしたから」

 

 頷きが止まらないジラバに向けて、忘れないうちに其方もお願いをしておいた。

 今ヒシュが使用している防具は白兎獣で正中を固め、両腕と両脚を寒地適応のためにアイシスメタルとマカライトの合金で覆ったもの。防御に不安はないが、これから(・・・・)の立場には不確かな要因が残る。

 これでいいのか、という不安だ。今回のこのフラヒヤでの騒動には万全を期すべきであると、誰しもが考えている。

 

「―― 憂いをなくすための備えでス。そも、これからがダレン隊長にとってはハ、正念場でありましょウ」

 

「だと思う。だから、ジブンも可能な限りの準備をする」

 

「ハハァ。ですがヒシュさん。これは貴方にとっても重要事であると、伺っていますヨ」

 

「……んー、そうなんだ、ケド」

 

 ヒシュは頬を掻く。

 視線をジラバの後ろに燃える炉に移して。

 

「剣と鎧を、考え得る限りの万全に備えて。挑む。……ジブンはそれに、満足している」

 

 瞳を閉じる。

 どこか超然とした考え方、感じ方だ。

 ジラバとしては同僚たる彼の考え方を知りたいと思う。……何故、満足しているのか。

 

「ヒシュさんは、何を求めて狩猟というものを行うのでしょウ」

 

「? それは、必要だから」

 

「それはハンターの仕事として、ですネ。……が、ここまでお話ししておいてなんですガ」

 

 ジラバは背部の『影剣』を指して続ける。

 理解しましたよ、と。

 

「研磨を経て磨かれた『影剣』―― それは『祀器(さいき)』。いえ。貴方の手に渡ったからには、『反祀器』と呼べるような代物でありまショウ。ワタクシの知る限りの文献では、他にも幾つか存在しているハズですネ」

 

「ん……ジラバも、民俗学には詳しいの?」

 

「イイエ。ただ、ダレン隊長も。ウルブズ副長も。ここに来た目的をきちんとワタクシ達には知らせています。それに……ワタクシはそういった『特異な素材』には鼻が利き(・・・・)ましてネ」

 

 青白い鼻を親指で擦る。

 鼻が利く。ヒシュの記憶にある王立武器工匠の頭領、ジェミナもそんな事を言っていた。ならばきっと確かに存在する「感覚」なのだろう。ヒシュとしては、そう思う。

 ジラバは頬の前で指を振り、すいと『影剣』の前に線を引いた。

 

「それが。その素材群が。……この『影剣』を構成する全てが特別だというのは、理解できるのでス」

 

「確かに。こっちが話さないのも不公平だね。ごめんなさい」

 

「イエ。内容が内容でス。話す相手は慎重に選ぶべきでショウ。……で。その上で、ワタクシがその剣を『滅竜』にして『祀器』を司る武器だと認識した上でお尋ねするのですガ」

 

 ふるりと首をふるって。視線を落とし。

 おぞましさ。恐ろしさ。そういうのを思い出すかのように、いつもの肌色を一層に青ざめて、言う。

 

「そういうのが、やはり必要なのでしょうカ。ワタクシどもが試行錯誤している方向性では……『技術革新』では。『逆さの(いただき)』には届かないのでしょうカ?」

 

 聞くのには勇気が必要だったろう。最後にはきちりと顔を持ち上げて、ジラバは尋ねる。

 ヒシュは真っ直ぐに。その質問を受け止めて。かくり。……理屈から、話す。

 

「―― 意識の海底に根差す星の大樹。枝がとても多くて、根っこがひとつ。けれどついに(うみ)の津波に土嚢が崩れて、根腐れ(・・・)を起こした。……どうする?」

 

 謎かけのような質問。ただ、ジラバには通じる内容だった。概念的な「意識の大樹」の話だろう、とあたりをつける。

 全ての命の土原。進化の幹。種族の枝葉。そういう考え方に基づいて、学術院は「樹形図」を作成している。それをさらに拡大解釈したものが「意識の大樹」という表現であるらしい。

 残念ながら身体が病弱なジラバは達することが出来ていないが。暗く深い大樹を遡るための「灯火」を得た者は、闇を照らして切り拓き、根を伝って「他の命の力を追求することが出来る」らしい。 

 人が星を追い求めれば熱を。人が内海(れいちょう)を追い求めれば鬼を。人が獣を追い求めれば餓えを。

 ハンターと言う職が広がったからこそ。今のハンターらが扱う技術の内に、これらはふんだんに取り込まれている。無論、扱うことが出来る人材は限られているようだが。

 今の問いかけは、そういう類のものだとジラバは解釈した。しばし考える。大樹。植物が、根腐れを起こしたとなれば。

 

「腐っている部分を切除。せめても、植え替えを行いまス」

 

「そう。……なら。腐った根は普通よりは柔らかくなった。でもそれは、今の今まで大きな大きな枝葉と幹を支えていた根。とても堅くて、硬質で。普通のものじゃあ傷つかない。どうする?」

 

 想定していた答えは返せたようで、淀みなく次の問いかけが来る

 考える。根は掘り起こせるならいいが、そうも行かないのだろう。壊死した部分は、いずれにせよ切除しなければならない。

 それが堅い。それでも切り落とす。ここは工匠らしく。

 

「……根が堅いというならば。その硬度に近い素材の刃を用意して、切りまス」

 

「うん。流石」

 

 こくり、とヒシュが頷く。

 腰の『影剣』と『呪鉈』を再び、机の上に交差させてがちゃりと置く。

 

「だから、この剣を鍛えてかないといけない。原初に近く希少で。そのものが熱を帯びていて。内海の中ですら燃えて。数少なくも折り合いのつく。そういう素材を、この剣の血肉とし。鍛え、折重ね ―― 届かせる」

 

 目を閉じ、語ってから。

 今度は表情を柔らかくして、ジラバへ向ける。

 

「ジラバの、あの論文、ジブンも読んだ。そこからの解釈に迷っているみたいだったから……これ、助言」

 

「……! ああ、なるほド。希少素材というのは、そういう……」

 

 根源。大樹の根。そういう部分に近づける素材。

 解釈としてはそうするべき、という事なのだろう。

 

「だから、これだけが正解っていうことは、絶対にない。ジブンはジブンの知っている方法で近づいているっていうだけ。ジラバはジラバの考える方針で、頑張って欲しい」

 

「そうさせてもらいマス。ご助言に感謝ヲ」

 

「……そうだね。ダレン達には話した、けど。ジラバ達はその隊員だからね。話しておこうと思う」

 

「ふム?」

 

 ヒシュは両掌を机について、声の届く範囲を狭めた。

 周囲に人はいない。確認済みだ。それでも、確認をした後に。

 

「ジブンがダレン達の力を借りて『未知』を討伐したの、知ってるよね」

 

「ハイ。ダレン隊長の功績としては最も大きく、有名なものでス」

 

 ジラバのような一端の書士だけでなく、ハンター界隈。ドンドルマの街中。果ては王国までも勇名を響かせた逸話のひとつだ。

 知っているとも。当然。何故今、それを取り上げるのか。

 

「……あれは、ホントは。ジブンひとりのための、目的があった。ジャンボ村に着いてすぐに『古竜の書』を取り寄せてたりした」

 

「目的、というト」

 

 脅威を討伐する。それ以外の目的ということだろう。

 ヒシュは胸を張って、語る。

 

「粗製の眷属(・・)である未知(アンノウン)の最大出力にぶつかって。焼かれた()の堅さを確認したかった。そうでないと、何を用意するべきかすら判断出来ない……から」

 

 未知を成長しきった部分で討伐成さねばならなかった、その理由。

 

「逆にあっちは、ジブンを折る(・・)なり取り込むなりするチャンスだった。だから。相互に利益があって、互いの成長の頂点で闘争をするっていう選択肢が出来あがった」

 

 未知がこちらの成長を見据え、一度は見逃した、その理由。

 

「あれは相互の利益が一致した、奇跡の ―― 千載一遇の機会だった。だから、ジブンは、こっちの……魔剣の収拾っていうギュスターヴ・ロンからのお願いを、後回しにした」

 

 ……ジラバの想像の域を超える話だった。

 まるで、未知(アンノウン)と遭遇するのが織り込み済みだったかの様な。

 ヒシュがそう立つ(・・)ことが決まっていたかの様な。

 まるで。それが ―― 運命だとでも言う様な。

 そういう、語り口だ。

 

「勝ったけどね。ジブン。……あの未知(イグルエイビス)。結局は王国の方で、学術名を『ミ・ル』って名付けられたって、ダレンから聞いてる」

 

「……ああ、そうらしいですネ。学術院の方での解剖結果が……」

 

「ウン。骨格が変形しすぎて、最後の方は骨盤がほとんど飛竜種のそれだったから……黒狐竜(ミ・ル)、って。似た種がフォンロンの塔のひとつで見つかってる。メゼポルタの方でね。そっちも変形(・・)するらしくって、そこだけが特徴として取り上げられて、括られちゃったみたい。……多分、ほんとは別種だと思うけど」

 

 しかしそれで構わない、という事なのだろう。

 ヒシュとしてもあの未知が同じように現れることは想定していないのだ。

 つまりは、あれは、遭遇戦。斥候同士の闘争だったのだから。

 

 ジラバは脱力しつつ。ぎしりと椅子の背もたれを軋ませる。

 眼前に在りながら、遠い話のようだ。

 

「……あえテ言いますが。ダレン・ディーノ隊長が今、編纂している『ハンター大全』というのは……つまり」

 

「そうだね。ジブンらが全てうまくやって。頭の上の暗さを取り払って。……そこまで到達して初めて、発刊できるようなもの……だね。王国だと禁書指定まっしぐら間違いなし」

 

「ハァ」

 

 途方もない話を聞かされた気がした。

 ただ、ジラバはそういうのも承知で書士隊……ダレン隊へ出向いている。

 

「……では、ワタクシも下を向いてばかりもいられませんネ。次の遠征こそが勝負。準備は万端にせねばなりませン。ワタクシの戦場は、ココ(・・)にこそ在りうるものですかラ」

 

 ジラバは拳を握り、笑ってみせる。

 鉄火場にあってようやくと色味を取り戻すような白さの肌は、火の中に在るために全身を覆っているからこそ。

 その言葉を。在り様を。頼もしく思う。

 

「ん。ジブンも手伝うし、シャルルも手伝わせる。次にポッケ村に帰った時には素材は届いてると思うし、ジブンの隊も出揃う。ネコも色々と用意を済ませてくれているハズ」

 

「ならば防具の調整はその時二。お互い、気合を入れてゆきまショウ」

 

「そだね。……ん、頑張ろう」

 

 拳を合わせて。

 ふたりはまた、炉の燃える下層へと歩いて降りて行った。

 

 

 

 

 □■□■□

 

 

 

 

 調査拠点の上側には、リーダーが書類仕事をするための書斎がある。

 ここしばらく。ダレンは引きこもっては書類仕事をこなす羽目になっていた。

 

「―― 爆発の攻撃手段を有する種の、遠方の生物の可能性と……ああ。ダレン隊の遠征資源配分。ヒシュの分は、あちらに任せることにして……正味、食事は何とでもなるか。」

 

 出先でも出来る仕事を片付けてゆく。必要があればハンターとして助力に出向くが、ダレンとしては周辺の地質調査(・・・・)が主となるもの。こちらを(おろそ)かにしてはならないのである。

 ぐるりと、肩と首を鳴らす。ようやくと終わりが見えてくると、白湯を口に含んで。

 

「……観測所の方を見てくるか」

 

 休むという選択肢は取らず、調査拠点への顔通しを優先することにした。

 ここ『北嶺』の上側には、観測所の分署が設けられている。遠望のための設備と気球の整備。基本的な計算に扱う覚書などが所狭しと置かれた場所だ。

 フラヒヤの方には、よくよく観測員が派遣される。それは古龍観測所だけでなく、遠くは緯度の近い龍歴院などからも来ると聞いている。こういった設備はあって損はないのだそうだ。

 

 階段を登る。調査拠点のほとんどは岩山をくり貫いて作られたものであるため石造りだが、段々と素材が変わってくる。素焼きと木材の組み合わせ。風雪に耐えられるような構造。

 岩山の上に取ってつけた様に作られた、張り出した場所。観測所へと足を踏み入れる。

 

「―― あら。ダレンさん。何か御用でしょうか?」

 

 真っ先にダレンを出迎えたのは、カルレイネ。ポッケ村に専属の気球観測員であり、また、黄色の部族の一員でもある女性だ。

 アポイントメントは取ってある。が、あくまでそれは所長へのものだ。ダレンは一礼し、説明を挟む。

 

「申し訳ない。拠点の中を見て回っているだけなのですが」

 

「そうですか。ではこちらへどうぞ」

 

 見て回るという言葉を受け取って。彼女が先導し、室内の卓へと案内される。

 通路を幾つか抜けると広間へと行き当たる。書物は多いという訳ではない。しかし書き殴ったような線ののたくる図面が数多く、室内に置き散らばっている。竜人の老人が目を凝らして坂路をなぞり。その後ろで伝書鳥から受け取った別経路の進行度を助手が書き込み。望遠鏡に目を付ける青年が、目元を外さぬまま、手元で何がしかを次々と書き込んでいる。

 

「このような場所ではありますが……しかし、ダレン隊長との情報共有も必要事だと考えていますので。お気遣いなく」

 

 忙しくはあるようだ。しかし、ダレンとしては彼女と会話をしておく必要があると感じていた。

 話題もある。先に手札を切ってゆく。

 

「では、簡潔に。アクラ地方への遠征に向けて、生物群の間引き(・・・)の進捗具合はいかがでしょうか」

 

「捗っていますね。《蠍の灯》の方々が、狩人祭もかくやと躍起になっていますから」

 

 カルレイネは唇の端をにこりと持ち上げながら返答する。

 間引きというには、大掛かりが過ぎるが。とはいえ、遠征の間はポッケ村の守りは手薄になる。計画的な生物の管理は必要な事だ。そもハンターとは、そのための職業なのであるからして。

 

「ありがたい。私達の隊としても、遠征のための障害は出来る限り排除しておきたいですから」

 

「ええ。小型生物の掃討については、大変に助かっています……と。オニクル団長から言伝をもらっていますよ」

 

「ならば甲斐もあったというもの」

 

 差し出された茶を口に含んで、ダレンも返す。

 話題を回すために、次の引き出しを手に取る。

 

「では……古龍の具合については」

 

「今の所はフラヒヤやその周辺……ゴルドラの乾燥帯でも、メタペタットの湿原でも、観測されておりません。幻獣(・・)についてはその限りではありませんが……雷の観測例もありませんので、可能性は限りなく低いと観測所の方では考えております。そちらでは?」

 

「幻獣は季節的には出てきてもおかしくはないと考えていました。が……ただ、状況を鑑みれば可能性は低いともいえるでしょう。老齢の鋼龍が撃退されたばかりなのです」

 

「ああ……確かに」

 

 耳元の大琥珀の飾りを撫でて、カルレイネは頷く。

 古龍同士が縄張りを争っている状況は、とても観測がしやすいものだ。気がたつのだろう。最近まで住処にしていた龍がいたとなれば、尚更だ。

 

「雪獅子の(つがい)があれだけの規模の群れを作ることが出来ていた、という例もあります。フラヒヤに好んで近づきたい種も多くはないのでしょう。それこそ鋼龍くらいのもので」

 

「その鋼龍の老齢者が長年住んでいて痕跡も多く残っている場所に、同族が好んで近寄る可能性は低い……か」

 

「そうでしょうね」

 

 兎にも角にも、ダレン隊と観測隊の意見は一致しているようだった。

 そうと来れば。次に尋ねておかねばならないのは猟団の動向である。

 

「では、具体的な遠征の日付については」

 

「ええ。副長の回復を待って、そろそろオニクル団長が発表なさる頃かと。ただし、懸念がいくつか」

 

 指を立てたカルレイネに向けて、ダレンは頷く。

 懸念、と表したのはここフラヒヤに漂う空気を感じ取ってのものだろう。確かに正しい。

 

「件の爆発物の調査が『不明』に終わったこと。そして、最近の『馬鹿者』たちの動向もでしょうか」

 

「ああ。聞いている」

 

 猟団《蠍の灯》の副長、グエンが負傷した……ひいては番雪獅子の押さえ込みが失敗した、その原因。爆発物の原因は、終ぞ判らず仕舞いとなったのだ。

 大樽爆弾の置き場に火が点いた……のは判明しているのだが。火種は誰も持っておらず、そもそも団員達は全員が置き場を離れ、それぞれの持ち場に漏れなく配置されていた。

 最初に近づいたのはグエンなのだ。しかしグエンが完全に近づくその前に起爆が成されたというのを、他の団員達が証言している。

 よって、不明。

 衝撃や内部構造の不出来などもあるため、一概に原因を究明できるわけでもない。そういう、なんとも言えない結果に終わったのであった。

 

 加えて、『馬鹿者』ら……ダレン達が遭遇した黒い武器防具の3人組の痕跡が見つかり始めている(・・・・・)

 よりにもよって、遠征の準備にかかった頃からだ。それはつまり。

 

「こちらの……いや。猟団の動きが読まれている。伝わっている。漏れている。……そういうことでしょうか」

 

「えぇ。ダレン隊長のお察しの通り。と、オニクル団長も考えているようです」

 

 面倒なことに、とカルレイネは首を振った。

 『馬鹿者』らは、ポッケ村にも付近の集落にも、あれ以降顔を出していない。もしくは探り切れていない。少なくとも、情報は得られないまま。完全に暗中へと隠れてしまったのだ。

 それなのに猟団と歩調を合わせるかのような、痕跡の発見である。わざと(・・・)見つけさせていると考えるのが適切だろう。

 

「警戒はします。……ただ、目的も何もかもが不明では、見当の付けようがありませんもの」

 

「はい。自分ども書士隊も必要とあらば遊撃に出ますので、情報を回してくださるとありがたく思います」

 

「ふふふ。その時には何卒、よろしくお願いしますね」

 

 たおやかに微笑んで、カルレイネは頷いた。

 しばらく明日以降の動き。残る調査地点の展望。ポッケ村への帰還のタイミングなどを打ち合わせていると。

 

「……あら」

 

 2段の窓を賢く潜り、伝書鳥が入り込んできていた。

 カルレイネの傍にとっとっと寄ってきて。彼女が鳥の足に結ばれた簡素な手紙を受け取る。

 あらと笑って広げると、ダレンに向けて差し出した。

 

「こちらはダレン隊長達に向けたもののようですよ」

 

 ダレン隊ではなく観測隊に向けた伝書ということは、つまりはドンドルマの中央区を介した……公的な権限をふんだんに使った速達ということでもある。

 何事だろう。そう考えながらダレンは手元で手紙を開く。

 

「……ふ」

 

 思わず笑みが溢れ出る。

 ひとつは、ヒシュに向けられたもの。彼の師匠の内のハンターふたり(・・・・・・・)が、「約束していた生物の素材の受け渡しを承った」という内容のもの。

 差し出し名はフラムとイリーカ。ダレンもよく知る、ドンドルマ専属でベテランの『モンスターハンター』だ。

 

 そして、もうひとつ。

 小さく簡素な紙に、大きく「すぐにでも行きます!」とだけ書かれた、電報のようなもの。

 差し出し名は、ノレッジ・フォール。今では隊長の立場を持つ、文字からも伝わるような溌剌(はつらつ)さの少女による、力強く頼もしい返答だった。

 



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第十六話 ゴルドラ紀行 - 前

 

 

 北域から南西へ移り、大陸の中央部。

 

 市井の中心 ―― ドンドルマ。

 

 その街を、ひと組の商隊が出立しようとしていた。

 

 人々は朝も早くから活気に満ち溢れ、大陸の隅々へと物資を行き渡らせるべく息巻いている。

 山の傾斜に沿って築かれた街であるドンドルマの入り口付近。階段に囲まれて合間、広間を抜けて湖岸に面した船着き、及び、竜車の預かり処を兼ねた場所……その一画にて。

 

 荷が積まれた車を引くは、アプトノス。

 まだら模様で灰色の皮を持ち、持久と膂力に優れ、人と馴染むほどに穏やかな気性を持つ、4足の竜。

 四分儀商会が示した規格に則り作成された(あぶみ)と鞍をかけ、腹を蹴り、御者が背に乗る。

 周囲に人山の群れ。アプトノス10匹、商人各々からなる隊が出来上がる。

 

 ……未だ、動き出すことはない。

 荷を積み、人が揃い、それでも、彼らは発つことはない。

 この世界、大陸における脆さや危うさを知っているからだ。

 

 ある者を待つこと数分。

 目的の人物がドンドルマの階段を降りてくる。ハンターだ。

 すぐにそうとわかるのは、大型生物の皮や部位を素材にした防具を身に纏い。身の丈半分程もある重弩(・・)を背負っているからである。

 

 そしてこの街において、酒場よりも上の区画から人が降りてくるとは。

 つまりその人物が大老殿に籍を持つ、上位のハンターである証左に他ならない。

 

 件の人物は階段の下、広間の中央に降り立ち。大きく手を挙げたかと思うと、そのままぶんぶんと左右に振った。

 先頭のアプトノスに乗る御者の傍にまで駆けよって、溌剌(はつらつ)とした笑顔で声を出す。

 

「―― おはようございますっ! ノレッジ・フォール、これより商隊の護衛手として着任します。お待たせしてしまいましたでしょうか!」

 

 本日護衛を頼んだひとり。ドンドルマギルドに所属する内、現場派遣が可能な最高位……6つ星(ランク6)のハンターの到着である。

 商隊としては確かに規模が大きい。が、彼女のような高位のハンターをただの護衛に付けることが出来たのは、様々な事象が重なってのことだ。これ以上に幸運で、心強いことはない。

 アプトノスを降りた御者とノレッジが握手を交わす。……彼女は気を使ってくれたが、実際には時刻にずれはない。どころか定刻前である。時間に余裕を持ち過ぎてしまうのは商人の性だ。

 商人がそういう風に冗談めかして伝えると。

 

「どうもありがとうございますー! ……わたしとしても今回の同道はとても助かるものですんで、あまり気を使わないでいてくださいねー。普通の護衛、護衛ですから!」

 

 やや諦めたような苦笑を浮かべ、握り返した手のひらを緩め、ノレッジ・フォールは頬を掻く。

 どうやら彼女()に気を使ってかなり早めに隊を組んだことは察せられてしまったようだ。

 界隈における彼女の世評を考えれば無理からぬ状況である。商隊の長としても心情の理解は出来る。それ程の功績を挙げているのは間違いないようなので、有名税とでも言うべきだろうか。

 

 幾つか世間話を挟んで後、一段落を付けておいて、商人はノレッジが乗り込む竜車を教えた。

 2番の竜車で、他にも数人の乗客がおり……この商隊が大掛かりなものとなった原因でもあることを、告げる。

 

「了解しました! ではでは、何かあればすぐにお声がけくださいっ!」

 

 元気よく愛想よく、ハンター・ノレッジは背を向けて駆けていった。

 駆けた向こうの竜車、その奥の竜車の御者にも顔を見せて挨拶をしておいて。それでやっと、屋根壁付きの荷車へと乗り込んでゆく。

 不思議な入り込み易さ(・・・・・・)を持つ女性だったな、と思う。市井に人気が出るのも頷けよう。

 

 そんな何でも無いことを考えながら。

 

 御者は、アプトノスを出立させた。

 

 

 

 

 

 □■□■□

 

 

 

 

 

 走り出した竜車の室内。

 木製の扉を開けて、閉めて、暖簾で仕切られた簡易の風除室を抜ける。

 

 扉の先に人の気配がある。複数人だ。

 ノレッジが乗り込んだ荷車は客を乗せるための上等な物。他にも乗客が居ることは聞いていた。

 その乗客もまたハンターを兼ねており、今回の旅路では同様に護衛を務めることになるのだということも。

 

 上等なだけあって、小さくとも部屋は3つ。

 廊下。夜は止まるため使うことはあまりないが、小さな寝室が2つ。窓を付けた普段乗りのための大部屋が1つ。

 

 ノレッジはすいと歩いて。

 迷い無く、会合のための大部屋の戸を叩いた。

 

「―― お待ちしていた」

 

 声。男の声だ。

 彼こそが「上役」だということは知っている。促されるままに扉を開けて、彼の向かいに腰掛けた。

 鹿(ケルビ)内革張りの、ノレッジの感覚としては、無駄に豪華な椅子。

 向かいには声の主たる黒い衣装をふんだんに纏った男と、その護衛がふたり。

 

「自己紹介を。……小職はアレク・ギネス。マーキスオブミナガルデ。猟団《遮る緑枝》の盟主にして、ミナガルデハンターズギルドの長である。吾人(われら)の遠征に力を貸してくださることを。そして何より、世に名を響かす次代の英雄にお目にかかれたことをこそ……光栄に思おう」

 

 淀みない声音で。やたらと型式ばった役人口調で、挨拶をされた……ので。

 対面する彼女もまた平行線な。意に介さずの明るい調子で、返す。

 

「こんにちは! わたしはドンドルマのハンターズギルドに所属するハンターで、ノレッジ・フォールと言います! 今回の旅程、みなさんよろしくお願いしますね!」

 

 ミナガルデ卿へ。次いで、お付きの男女(じゅうしゃ)へ。

 ノレッジは順に頭を下げて、改めて深く腰掛ける。

 

「面通しとご挨拶を……とは、思ったんですけれどね。ミナガルデさん、とお呼びしても?」

 

「ああ。その程度(・・)がよいだろう。……しかしまぁ、それでは街の名前そのまま過ぎて、混乱を呼ぶかも知れぬ。ミナガルデさんでも、アレクさんでも。小職としてはどちらでもよいのだが、どうか」

 

「ではアレクさんで!」

 

 鷹揚、という様子はなく。あくまで同道者としての扱いをするつもりのようだ。

 では、と。早々に自己紹介も終えた。早速と「打ち合わせ」を始めることにする。

 ハンターとして護衛の頭を渡され(・・・)ているノレッジが、腰鞄からギルドから譲り受けた資料を出して手渡し、説明する。

 

「―― 護衛のハンターはわたしと、商隊雇いのお方がふたり。ふたりには後ろ2つの車両に乗り込んで貰っています。わたし含めて射手が2。剣手が1。指揮はわたしが執らせてもらいはしますが……あっ、そうそう。ええと、いちおう聞いておきたいのですが」

 

 指折りながら数えて、身振り手振り。

 いちど顔を上げ、ミナガルデ卿の横に立つ護衛の2名を交互にみやる。

 

「お二方は、荒事については?」

 

「このふたりは基本的に小職の警護に専念してもらっている。……とはいえ無論、最低限の腕はある。安全確保が必要な有事には、遠慮無く駆り出してもらいたい」

 

「なるほど、なるほど。……動ける段階になったなら、わたしに声を掛けて貰ったり出来たらなーって、思うんですけれども。どうでしょ?」

 

「承った。小職が責任を持とう」

 

「よかった、ありがとうございます!」

 

 探り合いの一手目を傷無く終える。

 そう。護衛としての役割。今回のノレッジの商隊護衛は……北限、ポッケへと向かう遠征でもあるのだ。

 

 現在は寒冷期。

 危険となるポッケ村を含むフラヒヤ地域に立ち入るには、色々な許可が必要となる時期である。

 ノレッジの現在の立ち位置および王立古生物書士隊としての権限があれば、実際には立ち入りの許可は容易に下りる。しかし、そこへ向かうための足がないというのが実情だった。

 寒冷期でも商隊などは行き来する。ポッケは規模が大きいため別ではあるが……フラヒヤ点在する村々の殆どにとって、四分儀商会は生命線でもあるからだ。

 とはいえ数はかなり目減りする。相乗りするにはあまりにも乏しい。ノレッジとしては折角()から要請が来たのだから、すぐにでも向かいたいというのが本心だったのだが。

 

 そこで伝手を辿っていったところ ―― 同時期に、ドンドルマの商隊とは別に。私設の隊を組んで北域を目指す個人(・・)がドンドルマへ寄港するという噂を聞きつけた。

 それこそが今回の、ミナガルデ卿が出資した商隊である。

 

 どうやら海路を経由してドンドルマを訪れ、私兵とは別に護衛のハンターをそこで募集するというつもりのようで。

 ……そう。よりにもよって。ミナガルデの盟主が。ヴェルドの貴族が。ドンドルマで、だ。

 おかげで書士隊の頭であるギュスターヴ・ロンは、仲の取り持ちに駆け回ったり駆け回らなかったり。軋轢を外へ逃がすのに躍起になっていたりと、てんやわんやであったらしい。

 (ひっとうしょし)がやたらに可笑しそうな顔をしながら、珍しく真夜中に部屋を出てくる……その現場を偶然見つけることが出来なければ、ノレッジとしては手詰まりの状況だっただろう。自らのこういう「持っている」所には感謝をしておきたいとノレッジは思う。とはいえ彼であればむしろ、この状況すらも利用して色々と策を(ろう)してくれることだろうけれども。

 

 それに。

 

「わたし、そちらの猟団の皆さんとはお話してみたいと思っていたんです。ドンドルマ在住の団長の方々とは顔を合わせる機会をいただけたんですけれども、《遮る緑枝》と《巡る炎》の……ミナガルデの方に籍を置く方々とは、出会う機会そのものが少ないですから」

 

 強いて言えば『未知』討伐へ向かう前。ジャンボ村には《巡る炎》の人員は居合わせていたが、ハンターではなく、派遣員としての側面が強かった。

 

 人と出会う。

 獣と出会う。

 竜と出会う。

 

 これら隔たれた隣人ら(・・)を並列に置いてしまうのは、あまり良くないとは思っているのだが。

 ノレッジという少女を動かす燃料である好奇心が、そうは許してくれないのである。

 正面を見やる。ミナガルデ卿は、様相を崩して笑っていた。

 

「はっはっは! ……流石はノレッジ女史。ダレン殿に負けず劣らず、強いお人だ。……小職としても、既に話してしまったが。『天狼』ノレッジ殿と十分に会話を出来る機会を設けられたことは、光栄に思うのだよ」

 

 『天狼』。宙に輝く一等星……その中でも特に明るい青白の星。六つ星(ランク6)の自分には過分であると(強く)感じる、二つ名だ。

 ノレッジはあははーと苦笑を挟んで、顔の横で三つ編みを弄りつつ。

 

「えーと……受け入れはしますけれどね、その二つ名も。そのう、位階(ランク)も上がっちゃいましたし。とはいえ普通に呼んでくれるとありがたいですーって、思ったり思わなかったり」

 

「ふむ。貴殿(・・)がそう望むのならば、そうしようとも」

 

「ありがとうございます! ……貴殿?」

 

 やや含みのある表現だな、とノレッジは首を傾げてみせる。

 ミナガルデ卿がこれ見よがしに、したり顔で頬を緩め。

 

「ノレッジ殿の両親の事は知っているとも。双方ともに学術院勤めなのでな。ワン学士もカイナ・フォール遊撃官も、壮健であるよ」

 

「ああ! なるほど!」

 

 思わずぽんと手のひらをうつ。納得だ。

 ノレッジの故郷・リーヴェルは、シュレイドの地方に在る。母親のワンはヴェルド出身、学術院直属の学士。父親のカイナは東の遊牧民を出自とする、リーヴェルの何でも屋だ。

 両親が務める今現在の学術院はシュレイドの西と東、ヴェルドとリーヴェルに跨がって展開をされている。シュレイド貴族としての官位も持ち、ミナガルデを治めている卿にとっては、お膝元ということであるのだろう。

 

「ほあー。というか、わざわざ調べてくださったんですか」

 

「申し訳ない。ダレン・ディーノ率いる部隊に興味が沸いて、少しばかり手を回したのでな。無論、彼ら彼女らと直接的な関わりは持っていないので安心を」

 

「あはは。心遣い、ありがとうございます。でもわたしの両親の場合はどちらも、アレクさんには興味津々に話しかけてくれると思いますけれどね」

 

「そうかね?」

 

「はい! ……というか、むしろまた、無茶とか騒動とか起こしたりしてませんか……?」

 

 恐る恐るといった様子で尋ねるのは、ノレッジの側。特に心配なのは破天荒がそのまま人間となったような気性をしている、父親の方だ。幼少のノレッジを抱えたまま砦蟹(シェンガオレン)の姿を目視させたのも、何を隠そう父親である。

 だからこそ心配なのだが。ノレッジのその態度に、今度は隠すことなく破顔して、ミナガルデ卿は語る。

 

「カイナ遊撃官は、王立武器工匠と提携して空を飛ぶ(・・・・)迎撃要塞に興味を向けているようだぞ。吾人らの所にも資金をせびりに来ていたな。ワン学士もいつも通りに悪態をつきながら、楽しく付き合ってやっているようだ」

 

「あー……なるほど。いつも通りですね、それは!」

 

「ふっはは! ははは! ……学術院に関しては、小職も責任の一端を担って運営している。これも縁である。必要とあらば家族との連絡も取り持とうではないか。実は今度、ドンドルマに連絡拠点(・・・・)を設ける予定がある」

 

 転換した話題の飛びように、ノレッジは内心でわーおと快哉をあげた。

 重ねて言う。ハンター業の利権を巡って犬猿の仲であるドンドルマとミナガルデが……だ。

 

「大陸の地理的な中心部にあるドンドルマとの連携を、いつまでも放っておくことは出来ない……と。ここまで舗装し橋を架けるまで、貴族の連中を説き伏せるまで。小職もかなりの時間を割いてきたが……」

 

 窓の外。竜車の外へと視線を向け。

 流れ、流れ。変わってゆく、変わってゆく。

 北域への入り口 ―― ゴルドラ地方の乾燥帯へとさしかかり、緑から土色に移りゆく景色を眺めつつ。

 

「これこそが第1歩である。旧き地を人が踏み征く(・・・・・・)ための、導きの青き星である。……いやここで、有名とは言い辛いおとぎ話に(なぞら)えてしまったのは、些かセンスに欠けるかも知れないのだが」

 

 しかしまぁ、調査団彼らにとっての導きではあるからな。そうと笑って締め括った。

 実際の話。ドンドルマとミナガルデが綿密な協力体制に入れるのであれば、ハンターという生業の世界は大きく広がってゆくだろう。

 未だ時間はかかるだろうけれども。きっと、より先を拓くための足掛かりとなる。

 ……ただ。

 

(……。……この感じって)

 

 ノレッジとしては違和感がある。

 彼が語る中には、群衆とその未来だけが据えられていて。

 目の前のミナガルデ卿という人が、全くもって()えていない。

 

 この人物のことは実際の所、沢山の情報を聞いている。隊長たるダレンからも。四分儀商会の一隊長であるライトスからも。最も彼とやり合っているであろう、ギュスターヴ・ロンからも。

 曰く、要注意人物であると。

 弁舌に長け遠望に冴え。地位は高く人望を有する。

 それでいてミナガルデ卿自身は一人称すら定まらず。大事なところですらも「人が」と括る。―― 直接的には、違和感の原因はそこではないが。

 いずれも、それら忠告を経て、ノレッジが実際に対面した所感としては。

 こちらが向ける意識を遮られる、というのがせめても近しい感覚である。

 

(これは、そう。……そう)

 

 覚えがある。ヒシュだ。

 暗幕に遮られたか。黒く塗りつぶされたか。混ざって化けて透明か。

 いずれにせよ ―― 「五感」から身を躱すという、「第六」のあり得ざる結果。

 

 真逆ではあるが見えないという結果をもたらす。その色を持つ人が目前、胡散臭さ(みえなさ)を隠そうともせずに座って居る。(わざ)とだろう。遠く音に聞く貴族故の二枚舌だろうか。

 兎も角も、これにて材料は出揃った。ノレッジの中では得心がいく。

 

(うん。少なくとも、わからないということだけは、わかります)

 

 この人は、それすら含めて武器なのだ。

 貴族を持ってひとつ剣。猟団の盟主を持って双つ剣。猜疑を持って利手の楯。おそらくは、足元に罠までも張っておく。

 どうせ視えはしない。覆っているからだ。囮に騙され踊らされるのが関の山。

 視点を高く、遠くから、奥深くまでを視る。目前の彼は、そういう戦い方をする人なのだと理解が及ぶ。

 つまりはわからないと言うことが、わかったのだ。

 

「ううん、思ったよりも……」

 

「ふむ? 吾人らに何か気になることでもあるだろうか、ノレッジ殿」

 

 思わず声に出ていたようだ。

 ノレッジは慌てて両手を振り。誤魔化せてはいないだろうから、嘘を含まないことだけに注意して。

 

「い、いえいえっ。わたし、流れるままに隊長権限なんてもらってしまいましたけれども。あー、思ったよりも、これからのお仕事はめんど……く……ぅ、ぁ」

 

「ほう?」

 

 間髪入れず視線を浴びた。

 睨まれてはいない(辛うじて)。

 失言が過ぎるだろう自分(わたし)。だらだらと額を濡らす汗。前髪が貼り付いて気持ちが悪い。

 せめて腹に息を溜めて、思い切り。

 

「……。……これからのお仕事は忙しくなるかなーってただの愚痴をこぼしてごめんなさいすいません、あは、あはははははーっ……!」

 

 兎に角、改めて。笑って、結局、誤魔化すことになったのだった。 

 側近、護衛からの視線が痛い。話題は逸れたので良いだろう。

 そう、思っておくことにしたいと強く思う。

 

 

 

 

 

 ■□■□■

 

 

 

 

 

 商隊を含んだ一行は北上する。

 ゴルドラの乾燥帯は気候的には厳しい地ではあるが、商いの路として完成されている地でもある。

 そもそも西の砂漠ほど砂の礫と海が占める面積は広くない。丘陵と谷。岩と起伏。風と年月に晒されたと言うよりは、立地と土そのものの捌け具合による乾燥が主たるもの。

 故にしっかりとした順路が造り易かったという歴史があるようだ。

 

 歴史とは、かつてフラヒヤを目指した人々の歩みである。

 直近においては大陸の東側、ジャンボ村やテロス密林。海路を経てバデュバトゥム樹海へと足を伸ばすための足跡。それら東域へ到るには、必ずしやこのゴルドラ地方を通過しなければならない。南は海、北はフラヒヤであるからだ。

 だからこそ交通の要所ではあるが、人にとっては住み辛く。注力して整備を進めた区域なのである。

 

 1日目。2日目。3日。4日と滞りなく商隊は進む。

 昼間は竜車を進め、夜間は陣を張って焚き火を囲む。人数が多いからこそ可能な獣避け。

 進路においても小型の走竜が2隊。空を行く未分類の飛竜が1種。いずれも遭遇戦すら起こさず、迂回もせず。順路の選択だけで避けて進むことが出来ていた。

 

 ……が。

 更に数日が経過して。

 

「大型のモンスター、ですか?」 

 

「はい。まだかなり先ですが、進路上でかち合う可能性があると観測気球から連絡が入っています」

 

 先頭の竜車に騎乗していた御者が、頭上で光る気球を視線で指しながら答えた。

 商隊が足を止める。ノレッジも竜車から降りて、伝書鳥を使って直接やり取りをして情報を収集。

 速やかに情報を持って、相談先としてミナガルデ卿らへ声をかけた。

 

「―― 種族、学術名は不明。骨格は大型。主たる体色は枯れ緑。翼と長い尾を持つ生物……だ、そうですね」

 

「ふむ。不明とは、どういうことかね?」

 

「情報をくれた観測気球には、操舵手と観測手しかいません。学術院に起因しない……四分儀商会が管理しているものだからですね。外観は伝えることが出来ても、生物の学術名までは判断出来ないということです」

 

「なるほど。そういう事もあるのか」

 

「ですねー。むしろきちりと種族名や周囲環境までの状況を把握した上で情報を加味できる、書士隊の気球が飛んでる地域の方が少ないくらいですから」

 

 ノレッジからは不満は無いと言外に告げておく。

 ミナガルデ卿はそれこそ、ミナガルデ周辺での指揮が主たるもの。あの辺りは学術院が幅を効かせているため、気球は殆ど専用のものだ。ノレッジはとしてはその状況も知っているため、別段の齟齬も無い。

 

「観察は続けて貰っていますが、飛竜だった時には危ないので、わたしが出撃した後で気球の高度をあげてもらうつもりです。なるべく早めに向かいたいのですが……ええと」

 

「ふむ。小職の護衛らはどうするか。出撃するかを聞きたいのだろうか」

 

「はい。どうされます?」

 

 率直な質問。

 ミナガルデ卿は後ろで直立不動な護衛ふたりを見やって、黒色の艶のある手袋に包まれた手のひらを顎に沿わせる。

 

「ノレッジ殿の意見を伺おう。構成はどうするおつもりか。ノレッジ殿以外のハンターも2名、同行していると聞いたが」

 

 初日に話した内容だ。確かに2名、商隊の護衛として雇われている。

 しかし。

 

「あー、いいえ。わたしひとりで行くつもりです!」 

 

 当のノレッジはあっけらかん。特に悩んだ素振りも無く、そう答えてみせた。

 ミナガルデ卿は額に皺を寄せ……現状況を整理。言葉にして、噛み砕く。

 

「……対象は大型のモンスター。ここは遠征先で、管理された狩猟場でもない。それでもノレッジ殿がひとりでゆくと?」

 

「はい!」

 

 すぐさま返す。迷う様子もまた、無いようだ。

 ただ、これでは説明が足りないだろう。ノレッジが続ける。

 

「大型のモンスターが対象。つまりは、周囲に小型の生物が居る可能性も大きいです。刺激されて攻撃的になっている群れもあるかも知れません。となれば商隊の側にも護衛は必要。残るお二人をここから離してしまうのは危険だと考えます。……もっと言ってしまえば、あはは。あの二人は本来、商隊の護衛に雇われたハンターですからね。わたしとの連携はしたことありませんし」

 

 最後の方は言葉を濁したが、要するにハンターランク的に難しいということなのだろう。

 ミナガルデ卿がふむと頷いて先を促したので、ノレッジがさらに続ける。

 

「相手は体色緑の飛竜らしき生物。ただリオレイアではありません。それは流石に有名なので判別がつくそうです。だとすればこの地域に生息する飛竜でとなると、心当たりはありまして。……観測位置も遠いです。観測手にスケッチを頼むより、動こうかなと」

 

 頬を掻いて。そのまま顔の横の三つ編みに指を伸ばして。

 

「わたしひとりで、まずは目視で外観を確認します。種族の判別がつき、可能だと判断出来れば、その生物を撃退します。予測が合っていれば難しくはないはずです」

 

 討伐ではなく撃退。周辺の環境に対する影響も鑑みれば、管轄地外における判断としては最良だろう。

 

「なので、かなーり率直に言いますと、アレクさんの護衛の方々はどっちでも良い(・・・・・・・)んです。商隊でも、わたしでも。だからお聞きします ―― どうされます?」

 

 どっちでも良い。本当の意味で気にしていないが、意見を伺う必要はあるので、尋ねる。

 堂々たるこの発言に。折角塞いだ手のひらを抜けて、口の端から声が漏れる。

 

「―― ふ、く……ふ、ふはっ!」

 

「……はえ?」

 

「いや、すまぬ。ノレッジ殿の言動も、やはり、ダレン殿に負けず劣らず愉快なものだ……と感じてしまったのでな。……いや。本当の意味で気にしていないとは、恐れ入る。無頓着が過ぎはするが、だからこそアレ(・・)とも噛み合せが良いのだろうな」

 

「え、えぇと……面白く感じてもらったなら、ありがとうございます……?」

 

「く、く」

 

 ますます、今度は本格的に笑い出してしまう。

 腹を押さえ、堪えながら、ミナガルデ卿は顔を上げる。

 

「ならば、ひとつだけ。本当にどちらでも良いのだな? 商隊に残るでも、助力をするでも……つまりはノレッジ殿だけで撃退できる可能性が高いため、影響がないと」

 

「はい!」

 

 この返答を受けて。

 ミナガルデ卿。アレク・ギネスは膝を景気よくぱぁんと叩いて。告げる。

 

「よし。ならば同行しよう ―― 3人。これら護衛と、小職が!」

 

「……はい???」

 

 唖然とするノレッジ。実に楽しそうに提案を告げるミナガルデ卿。

 護衛の2人が異論を挟まず準備を始め。

 

 10分後。奇しくも4人1組。

 ノレッジとミナガルデ卿と護衛は、商隊を置いて出立した。

 

 








 はてなマーク連打は似合いそうだなと思って……。

 20230619.誤字修正


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第十七話 ゴルドラ紀行 - 後

 

 かくして。

 ノレッジとミナガルデ卿らがゴルドラの谷を登り、下り。

 どうやらミナガルデ卿もハンターでは無くとも冒険者としての心得があるらしい。護衛ふたりに負けず劣らずの健脚で、ノレッジの後ろを遅れること無く追随出来ている。

 その甲斐あって商隊を出立してから半日ほどで、件の生物を目視出来る崖上にまで到達していた。

 

 渓谷は起伏に富んでいる。上下に大きく広がる断崖と、地を割って走る水脈。水脈に沿って広がる緑と、緑の広がりを遮るように吹き続ける鋭く乾いた風と岩。隠れる場所にも隘路にも困ることはないな、というのが身も蓋もないハンターとしての感想である。

 崖上に伏せたノレッジその隣。ミナガルデ卿は黒の外套ごと地に伏せ、彼自らが持参した『不思議な装飾の双眼鏡』を覗き込んだまま呟く。

 

「―― なるほど。あれが」

 

「はい。棘竜、エスピナス。ただいまメゼポルタで絶賛研究中の、界隈的には盛り上がっている大型の飛竜ですね」

 

 ノレッジの方は肉眼で ―― 薄い緑の窪みに嵌まるように寝そべった、棘棘の竜を見やる。

 翼が2つに足が2つ、突き出された頭に長い尾。骨格的にはリオレイアに代表される飛竜そのものだが、節と棘によって全身が彩られている。浅緑の身体の所々に茶色をまぶしてある様は、深緑に萌ゆるというよりは、麓に薄くのばされた芝生の様相を思い起こさせる。

 彼の竜は危険度としては高い。と。少なくともメゼポルタの追跡者(トレーサー)は判断している。中央でも同様の判断がなされ、書士隊に上がってきた報告でもそうと聞いている。気性も穏やかには見えるが、敵対した生物に対する苛烈さは凄まじく。そもそも人にとって未解明の毒を扱うという報告がある時点で、水源や土壌に対する危険性も上がるもの。

 その毒でさえ既存の他の生物らとは違った扱い方をするというのだから……。

 

「それで、ノレッジ殿の策を聞かせてはもらえるのだろうか」

 

 双眼鏡から目を離し、ミナガルデ卿が問う。

 手元にぶらさがった双眼鏡が、深い金色の身体にぎょろりと陽光を反射して。まるでこちらを威圧するかの様。

 

「ああ、すまぬ。これは小職が持つことを許された唯一の武器(・・)。貴族趣味な色味と輝きの、狩り場には相応しくないものであるが……ここより実践に入る際にはつや消しの蛇竜革で覆い、土を(まぶ)して葉で装う。陽光も反射させないことを約束する。許してくれると有り難く思う」

 

「ああいえ、そうではなくてですね」

 

 ノレッジは唇をきゅっと結んでから。

 

「……作戦は確かにありますが。えぇと」

 

「成る程。無論、構わないとも。もとよりノレッジ殿がおひとり(・・・・)で実施する予定だった策である。小職とこちらふたりを、ノレッジ殿の指示に従う観測手として扱ってくれて構わない。元より狩り場に同道した理由は、貴殿を見ることそのものなのだから」

 

 存分に利用してくれたまえ……と語っている間に、後ろで控えていた従者の視線がこちらへ。視線に冷たさも無ければ懐疑心も感じない。こちらの反応をまっすぐ、窺っているようだ。

 ふたり。背格好は殆ど同じ。従者着は黒色だが、主とは違い、斑模様が特徴の革で作られている。

 

 ……渓谷であることが幸いしてか、観測ポイントは幾らでもある。ノレッジの言う所の作戦は時間はかかるものの、観測手がいて損はない。自衛は従者の男女が可能であるとも聞いている。条件は揃っているだろう。

 

「ではお言葉に甘えて、観測手をお願い出来ますかね? アレクさんとその従者さん」

 

「承った」

 

 ひとつ大仰に頷いて、ミナガルデ卿はすぐさま手元で地図を開いた。

 互いに観測ポイントを確認。サインを確認。ノレッジの具体的な作戦を話すと。

 

「それを可能とするところが、ノレッジ殿の武器なのだろうな」

 

 呆れたような。感心したような。……珍しいものを、見たような。

 教導などでもあまり受けることのない希少な表情でもって、見送られることとなった。

 

 

 

 

 ■□■□■□■

 

 

 

 

 棘竜(エスピナス)

 バイタリティに溢れたメゼポルタが敢行した追跡調査から、好物は体内に毒液をため込む甲虫や毒蛙(ドクガエル)と伝え聞いている。

 いつだか自身(ノレッジ・フォール)が狩猟したガノトトスとおんなじだな、と詮無きことを思う。毒の有る無しに関わらず蛙は蛙である。

 

 意識を前へ。

 木枝の(ブラインド)を4重。高低差を利用した視界切りをひとつ。吹き上がる風を利用して風下。そういう立ち位置の崖にあたりをつけて移動し、目標を観察する。

 眠っているようだ。本当だろうか。いずれにせよ生き物である以上どこかで食事は必要だろう。ノレッジが切る手札を直接的に左右はしないが、位置取りを先回りするためには、相手の行動を予測していて損はない。やれることは全部やっておきたいと、自身の師匠も言っている。

 少なくともすぐに飛行に移る事の出来る体勢でないのは確かか。

 ならば確認の意味を含めて、策の実行に移して良いだろう。

 

 強化銃身から特注の長身消音器へと付け替えた『流星雨(ミーティア・スワム)』を展開。弾丸を装填。

 掌を。指を前へと突き出して。彼我の距離を目視と指の三角で適当に測っておき……今ではなく、後々の参考にするためだ……重弩の銃身を崖の先からはみ出させ。

 

 風がこちらへ吹き付けた瞬間を目掛けて ―― 射撃。

 

 静けさを裂き、硝煙が頬の横をなびいて、ひゅるりと弾丸が飛翔する。

 弾丸はうす青い寒冷期の空を越え、目の分離能を越え、渓谷の乾いた土色に(ほど)けて消える。

 

 着弾。

 外殻を貫かずその表面で弾けた音。その後、棘竜の身動ぎによっても確認できた。

 感覚の比重を耳から目へ。場所を変えずとも問題ない。今は音を立てたくないというのが本音である。息を殺してじっと伏せ続けると、エスピナスは再びその場にうずくまり、少なくとも外見上は目を閉じた。

 

「……」

 

 ノレッジはゆっくりと後ずさり、腰を上げ、その場を退いてゆく。

 観測をミナガルデ卿らへと任せ、次の目星へと向かうためだ。

 

 通商路になるくらいには人の手の入った渓谷だ。

 向かいの橋梁へと走りながら次の弾丸 ―― 毒弾を鞄から取り出し、装填する。

 

「流石にハイランドさんみたいな技には出来ませんねぇ」

 

 位置と角度を変えながら疎らに。

 つまりはノレッジの作戦とは「毒弾による区画外からの遠距離狙撃」。

 体調不良による不快感を与え、エスピナスを影響のない区画まで自主的に退()かすというものである。

 

 これの発案はノレッジでは無く、彼女の(だい)師匠。ハイランド・グリーズによるものだ。

 曰く、毒弾スナイプ。彼女が扱うそれは、単一弓を使って毒矢を曲射。岩山ひとつ隔てた隣の区画で眠る大型生物に、ハンターの存在を悟らせないまま先手を取り続ける……というものである。

 (キモ)は局所的な殺傷率よりも、毒による体調不良や周囲の生育環境の変化を起こすことで、相手に不利な時節を作り出すことにあるとハイランドは言う。

 そう言いながらも彼女は完全に遮られた隣の区画から、ランポスの喉元もボルボロスの腹も、超長距離からの鏃でもって貫いていたのだが。

 

「あれは無理ですし、曲射は弓だから出来る芸当でもありますからね。……山菜お爺さんによれば、円盤石があれば出来なくも無いらしいですが……ともかく。そもそも長距離では外殻を傷つけることが出来ませんもの」

 

 ノレッジとしてはその技術というか考え方の中から、自身が扱うことの出来るものだけを抽出したつもりだ。

 距離が長大だとは言え、今のノレッジならば目視出来る範囲ならば当てることも不可能ではない。『流星雨』のニュートラルがミドルボウガンで、カスタムによって弾丸の適性を増やした結果、重弩となり。故に長距離運用に()てられるのも幸いした。

 またエスピナスならば毒、特に神経毒には耐性(・・)があるはずだ。植生から見て周囲の環境に居る蛙。刺激によってガスを吹き出すものをその場で絞めて、利用させてもらう。

 耐性があるため効率よく効果を出すことは不可能だが、生物であるからには許容量がある。逆に言えば「相手を怒らせない程度に調節することが容易である」ということだ。

 

 エスピナスが根城を構えたのは通商路の近く。

 拓けていて。人の手が入っていて。つまりは大型生物にしてみれば、捨てるに惜しくない場所であるとも言い替えることも出来る。

 そもそも観測の間隔からして、この個体は最近に移動してきた者だ。嫌がらせを重ねればより居心地の良い場所へと移る。そういう確信があった。この場合の確信とはノレッジの経験則と言うよりは、これを発案したハイランドのもの。むしろ自身のものよりも得心のゆく、根拠のある成り行きであろうと思っている。

 ついでに毒弾を生産する過程で食料となる蛙の間引きが出来ていれば一石二鳥。上等だろう。

 

 考えつつ。ノレッジは次の狙撃のための地点へと移り、周囲の生物の状況を確認しながら重弩を手に取り、照星(サイト)を覗く。

 眼下。エスピナスは先ほどから寝息で背中を上下させているのみ。向かいの崖上を陣取ってもらった仲間……従者の片方から、周囲の生物も差異はないと明滅(レスポンス)

 

 問題は無いだろう。続行である。毒弾を込めて撃ち放った。

 的中。尾。ゆらりと棘付きの尻尾が、そこにはない何者かを払うように揺れる。

 後ずさりながら銃身を戻し、棘竜の側が咆吼も視線も無い事を確認。

 

 エスピナスが胡乱な眼で周囲を見回し。先ほどよりも警戒し、上を見たことまでを確認して、大きく後退する。

 裏まで周り、視線も飛行による上昇路も遮断可能な場所まで来てから。

 一息。

 

「ふーぅ。……とりあえず2撃。あとはこれを繰り返します。かなり気の長い話にはなりますがお付き合い下さると幸いです、従者さん!」

 

「了解しました」

 

 従者の片割れ……岩陰の裏のその裏にで控えていた女性が応じた。

 崖向こうを位置取っている男性従者との連絡は彼女に任せている形になっているため、ノレッジは必要な説明を挟んでおく。

 2発撃った。エスピナスの反応を見るに、どちらにしろ次の狙撃までの間は作るべきだろう。捕食などのアクションに合わせた方が良いかも知れない。

 

「だとすれば飲水。水場ですかね。直近の水脈は……」

 

「こちらをお使い下さい」

 

 脳内をこね回していた所に、ミナガルデ卿も使っていた地図が差し出される。

 ノレッジは2度、彼女と手元で視線を往復させてから。

 

「これは、わたしが使ってもよいので?」

 

「書き込みをしても構いませんし、そのままお持ち頂いても結構です」

 

 所謂、飯の種でもあるはずだが……という含みまでも理解して。従者はこくりと頷いた。

 ありがとうございますと礼を返し。改めて水路の確認を行い。

 

「必要分の間引きをしておきますか」

 

「……間引き」

 

「はい。直接的なものではありませんが……」

 

 周囲を見回す。

 急峻な岩の峰と谷。遮蔽は十分で、風の通りも予測できて、水路の位置も確認できた。

 

「わたし達が囲まれないように、逃走経路……隘路の確保を行います。多少ながら、肉食の獣とは小競り合いになるはずですから」

 

 到着して間もない区域だ。作戦の実施には時間がかかる。小型生物に囲まれてしまい不利な遭遇戦に発展してしまうと言うのが、考え得る最悪の展開だ。これを防がない手はない。加えて、棘竜の狙撃には間をおくべきで、使える時間は十分にある。

 

「狙撃のポイントへ移動しながら実施します。基本的にはわたしだけで相手をしますが、自衛のために武器を構えておいてくださると助かります」

 

「了解しました」

 

 従者が腰元から大ぶりのナイフを取り出し逆手に持ったのを見て、ノレッジも重弩を腰に着けた。

 段々の岩場を降る。棘竜の寝床がある場所から離れ、水場への順路に平行した方向へ向かって移動する。程なくして崖下をゆく走竜を目視出来た。

 

(ランポス。数は3。もう少し乾燥帯の側へ寄ればゲネポスの縄張りになりますかね? そう考えると合間を縫って作られた、あの通商路も理があるというか何というか)

 

 この土地が渓谷になったのは、土の性質と風の流れと水の貯蓄具合の兼ね合いから。

 そうして出来上がった土地において。人の側としては、竜とも獣とも、ぶつからなければそれが最も好ましい。可能な限り避けようとした結果が現在の通商路なのだからして。

 人の足跡を認識していないということは無いだろうに。その近くへわざわざ寝床を構えようとしているエスピナスの考えは、いまいち理解は出来ないが……。

 

(まぁ、もとから鋼龍と争うような生物だと聞いていますからね。棘竜は。こうやって実際に()てみると、無頓着という風味が正しいような気もします)

 

 あくまでノレッジの感覚では、そう思う。生物間では、カースト的上位の生物との争いは基本的に避けるものが多い。それなのに……闘争をしかけている生態が、複数個体に渡って報告されているのだという。とはいえ全ての棘竜が鋼龍に喧嘩を挑むかと言われたら、それはない。無謀であると理解していながらも挑む生物。それぞれが持つ心持ち(・・・)は、決して珍しいものではないからだ。

 人ですらもそうだ。一生涯を大型の生物を見ずに終える王国民などのような者もいれば、ハンターもいる。言ってみればノレッジ自身もその類いであるのだし。

 

(それで鋼龍さんに争いで勝利する、というところまでいけるのも。相性とか、鋼龍さんの側のコンディションによってはあり得るのでしょうね)

 

 結果があって、メゼポルタからは研究対象として熱が入っているという経緯もある。いずれにせよエスピナスそれ自体、生物危険度はとても高いと見ていて間違いは無い。

 そう、考えを巡らせていると。

 

「―― ハンター様。そろそろ行動の指針をお聞かせ願えると、有り難く思うのですが」

 

 足を止めていたため、従者から疑問の視線を向けられてしまっていた。

 

「ありゃ、すいません。えぇっと……」

 

 考えの中に閉じこもり過ぎていた。意識を視線の中に戻す。

 ランポスらは視界の内に捉え続けている。あれは処理しておくべきだろう。こちらに気付いた様子は無い。走竜が首をもたげ、判りやすく視線を向けているのは……崖を降りてくる、子連れのエルペ。

 

「……あのランポスとエルペの合間に入って、漁夫の利を狙います。従者さんは上手で控えてくださっていればと」

 

 間引きのついでに食料を確保しておこうと思う。手当たり次第に狩りにゆくよりは、ランポスとの争いを被せたほうが都合も良い(バレづらい)

 

「了解しました。お任せします」

 

「はい! もし私があちらに降りている間にエスピナスの方で動きがあったら、炸裂条件を刺激に変更してある連絡用の閃光玉を崖下のこちらへ投擲してくださると助かります」

 

 言ってすぐさま、木の根にぐるりとツタの弦で編んだロープを回す。腰で留めて身を投げる。崖を2度蹴り、がんがんと谷を降ってゆく。

 ノレッジの性分として。傷と命とを天秤に置いて、古龍とぶつかるような愚策を選ぶ。そんな心持ちを持つような生物が、人以外でもいるのだな……と、どうしても感心してしまっていた。疑問の筋は通っている。が、今は目前の壁を順番に登ってゆくことに注力すべきである。

 

「と、と。……3匹。別の群れの声は聞こえていない。毒弾だけは別の鞄に入れてあ……る。よし。挑みます!」

 

「―― ギァッ!」

 

 意気揚々とエルペに向けて牙を剥いたランポスに向けて。

 ノレッジ・フォールは銃身を跳ね上げた。

 

 

 

 

 ――

 ――――

 

 

 ランポスの間引きを終えて後。ノレッジと従者は、水場を観測できる丘陵の端まで移動した。

 寝床から近く、移動経路の道中ではエスピナスの新しい足跡を確認できている。張り込むには十分な地形であろう。

 

 水源は湧いたものでは無く、谷を削りながら流れてきたものだ。周囲には水音が満ち、水分を多く必要とする植物。動物について繁殖する植物らが群れを成して生育している。

 おかげで狙撃地点には悩まなくて済む。水場の側に遮蔽物を作ることが出来ているからだ。ノレッジとしては、崖下に降りて実際に周囲を確認できたことも収穫と言えるだろう。

 

(おかげで仕込みも出来ましたからね。さてさて)

 

 一昼夜かけて待った成果はあったようだ。

 崖と崖の間。土から緑へと移り変わるその狭間に、のっしのっしと ―― エスピナス。

 

 歩みと共に首を真っ直ぐ。尾の揺れは少なく、視線はぶれず。

 波打ち際で口を開くと、がぶりと水を飲み込んだ。

 

 水を滴らせたまま、じろり。周囲を確認して、逃げる素振りを見せつつあった蛙の1匹に目星をつけて。

 翼を使って跳躍。首を伸ばして一口に。待ちきれないというような勢いで、蛙を飲み込んでみせた。

 その様子を確認したノレッジはよしと拳を握り、後退る。

 

 エスピナスの姿が見えない位置まで来て、身を起こし。あとは姿を確認できる場所まで回り込むこととした。

 しばらくすると、退路の側を警戒していた従者が横に並ぶ。

 

「成功でしょうか」

 

「はい。蛙以外の毒でも、飲み込んでしまえば別ですから」

 

 エスピナスが動き出した……と観測手から報告が飛んだ後。蛙の腹の中に、薬包で包んだ「別地域の毒」を含ませて回った。

 胎に入ればどれかの毒が効くかも知れないし、効かないかも知れない。棘竜の毒袋に吸収されるものもあれば、されないものもあるだろう。

 それでいい。好みでない味でさえあれば十分だ。

 

 移動をしながら首をかくかく、こくこく。頷きつつ……ノレッジは隣へと笑いかける。

 

「順調です! これも従者さんとアレクさんたちの観測のおかげですね! 初見の生物の動き出しをつかめなければ、成立なんてしませんからねぇ。わたしのこの作戦はー……」

 

 餌とはいえ生物。動き回るのが当然なもの。つまりは確実に食わせるには、食事どきを正確に察知し、直前で仕込みをする必要があったのだ。

 

 だからこそ。

 しかし隣人の反応はというと。

 

「……そうは言いますが」

 

 無表情。

 従者はナイフで道先の枝葉を機械的に切り払い、ノレッジの横顔を窺いながら言う。

 

「ハンター様は棘竜の動き出しを知っていたのでしょう。(コレ)らより報告が来る前から、準備は整えられていました」

 

 鋭い突っ込みである。

 ノレッジは説明をどうしたものか、ううんと悩んだ末に。

 

「……えーと、判るには判るんです。だってわたしは丸一日、あのエスピナスを観察していましたので」

 

 考え方までは判らない。眠っている時間も確かに多い。しかし、ノレッジ・フォールは観察に費やす時間を十分に割いた。

 だから理解出来る。動くタイミングでは無く、そうしたいという願望の端切れが伝わってくる。そうとしか言い様はないのである。

 

「……」

 

 従者からの視線が痛い。値踏みをされている感が強い。

 一応の釈明をしておきたい。罪ではないものの。

 

「報告が無ければ動くつもりはありませんでしたよ。わたしはまだ、自分のこの感覚には自信を持てていないんです。師匠であればまた別なんでしょうけれども、あれはあれで感覚だけじゃあなくて。経験の比重も大きそうですからねー」

 

「師匠。ハイランド・グリーズ氏以外の方でしょうか」

 

「はい。ヒシュさんと言う方です!」

 

「……ヒシュ、ヒシュ。……ああ、成る程」

 

 名前を聞いた従者は、納得という風体にうんうんと頷く。

 

「ご存じですか?」

 

「はい。それこそ棘竜ではないですが、鋼龍の単独撃退を成し遂げた方だと聞いております」

 

「らしいですねー。さっすが師匠!」

 

 彼ならば可能だろう。疑いは無い。あれから実力を更に伸ばしても居るだろう。自分ばかりが高くなってしまった位階(ハンターランク)の査定についてもヒシュについては妥当で、評価が遅いとすら思う。

 そういうことを思っている内に。話している内に。ノレッジらは、ぐるりと迂回を終えることが出来ていた。

 

「んー……」

 

 撃退対象との距離は、近くは無いが十分。棘竜の動きを見てからでも猶予はあるだろう。

 この合間に行うべき準備もある。一度腰を下ろして。ついでに。折角なので尋ねてみようか、と思い至った。

 

「少し休憩です。……ついでなので。よろしければ聞いてみたい事柄がいくつか、わたしにはあるんですけれども……」

 

「今は声をたてても大丈夫なのでしょうか」

 

「距離は十分です。わたし達の声よりも、アプケロスとか草食竜の嘶きとかの方がでっかいですからね。言葉と鳴き声の差異も……いやまぁ、判る相手は判るかもですね。これは。あと、見境無くタンパク源を探している方々は別でしょう」

 

 こちらから話題をずらりと並べてゆく。

 この女性の従者は、ミナガルデ卿の後ろに控えている時よりも会話が出来そうな印象だ。別動している観測手がいるのならば、無言で寝そべり身を隠しているよりも、会話をしながらでも弾丸を作ったり喉・腹を満たしておく方が有意義である。

 そもそもノレッジとしては従者ふたりそのものにも興味がある……ので、言い訳で押してゆく。

 

「小型はわたしが対処可能です。おっきいのはあちらの従者さん方が見てくれています。エスピナス相手であれば危害を加えたという認識をされないことにさえ注力していれば、と思います……ので!」

 

「そういうものですか。ならば構いません。主からもハンター様の要望には応じるようにと命じられています。部外秘のこと以外であればなんでもどうぞ」

 

「ありがとうございます!」

 

 主の後ろに控えている印象ばかりが先立ったが、印象よりも話が出来るようだ。

 ノレッジのお礼に応じるように。従者は、黒斑模様のフードを外す。

 銀の髪。薄い肌の色。深い青の瞳。そんなどうでも良いことよりも。

 

「えぇっとですね。まずは、あなたともうひとりの従者さんのお名前とかをお聞きしても?」

 

「申し訳ないのですが、ハンター様方のような個としての名はありません。従者としての呼び名はあって、コレも(ツガイ)も ―― 同様に。プラネテス、と呼ばれます」

 

 ほえーという声が出た。不思議な音の響きを持つ名だ。

 女性の従者は自分を指さして「コレ」と呼称する。であれば番と呼ばれたのは男性の従者の方だろう。

 番。つまりは雌雄の夫婦。どちらかというと人よりも獣などに使われる言葉だ。それらをふたりして同じく呼称するという慣習にも、覚えはない。普通に不便だろうし、呼び名を分けない理由も思い当たらない。部族の仕来りだとか、貴族周りの慣習なのだろうか。

 プラネテスは首を振る。

 

「コレと番の境遇は特殊なもので。皆がそうではありません。そもそも今のヴェルド貴族という仕組みは、かなり形骸化しております」

 

「あ~……リーヴェルの方が勢いとか、いいですものねぇ」

 

 鞄から取り出したカラの実を掌でつるりと回して。弾丸の元となる形状に切り出しながら、ノレッジが応じる。

 

「ハンター様は、あちらの様子をご存じなのでしょうか」

 

「はい。生まれが東の、育ちが西周辺なもので」

 

 鞄の中は空けて、その分毒弾の素材を積んできた。瓶の封を切って次の毒を取り出し。師匠譲りの抗菌手袋で弾丸を作りながら。

 ノレッジとしては苦笑する他ない。先日もミナガルデ卿とそちらの話にはなったが、共通の話題を探すならば故郷の話というのは落とし所ではあるだろう。

 ならば早いですね、とプラネテスは続ける。

 

「それならば部外秘の内容に触れる必要はないでしょう。どうせ暗い話ばかりですので助かります。他には?」

 

「あちらの従者さんはお兄さんですか? それとも、弟さんですか?」

 

「どちらでもありません。同体として扱われます」

 

「おぉ……。そもそもが双子、ということでしょうか」

 

「はい。髪も肌も眼も、同じ親から継がれております」

 

 プラネテスが見せつけるように、青の視線をふらりと寄越す。

 

「それでも通常、市井では兄妹として順番を付加することも知識として理解はしています。しかしコレらは市井に在らず、国の最中に在ったもの。生まれを同じとして扱うことに意味があった、ということです。これすらも過去形ですので、お気になさらず」

 

「なるほど、なるほど。……なるほど? というかそれは部外秘とかじゃあないんですね」

 

「はい。コレらの境遇を話すことは、主から定められている禁止項目には触れておりませんので」

 

 視線をあげてあげて。そのまま外へ。

 丘陵と岩山の向こうを、空と地面の境目を眺めるように視線を伸ばす。

 胸元に黒革手袋に包まれた掌を添えて。自分を指して。

 

「……主はコレらを外へ連れ出すことに躍起になっているもので。護衛としての機能を付与されました」

 

「あー、それでですかぁ。護衛の中に猟団のハンターさんがいないのは、ちょっと気になってました」

 

 ノレッジが手のひらの上でくるくると、出来上がった弾丸を回しながら相槌を打つ。

 貴族が外を歩くのに従者を付ける。当然の流れではあるだろう。しかし今回のミナガルデ卿ほどの行動範囲を着いて守護するのであれば、彼が盟主を務める《遮る縁枝》のハンターが同道するのが筋というもの。

 《遮る縁枝》はミナガルデのハンターの大部分が籍を置く大陸最大級の猟団だ。質も数も規模も、どれをとっても不足はない。しかし彼と彼女、従者はハンターではないという。その疑問に対する回答が「外へ連れ出すことに躍起になっている」と。

 

「ことある毎に、お付きという役職を利用しては。遠征へと帯同させてくださるのです」

 

「優しいのですねぇ」

 

「そうなのでしょうか。コレらには、外の世界を見せたいと考えている……とだけ伝えられておりますが」

 

 声色にしろ内容にしろ。プラネテス自身、しっくりきていない回答である事は理解出来た。

 

「ふーむ……んお?」

 

 なんと返したものか考えていると、風向きが動いた。気温が移り変わる前の予兆である。

 ノレッジは瞼を閉じ、西と東と北の風に混ぜ込められたゴルドラの空を見やる。動くだろう。棘竜も。とすれば、こちらの場所を変える必要もある。

 

「先に、動くことにしましょうか」

 

「了解しました。……ああ、それと」

 

 腰を上げ。瞳を向け。

 黒の衣装。銀の髪。青の瞳の上から、またしっかりとフードを目深に被り込んだ。

 視線。奥深くからノレッジをしっかりと捉え、話す。

 

「誤解はなきよう。コレらは狩り場に同道出来ていることを不満に思っておりません。(ひるがえ)っては、楽しくすらある」

 

 表情は変わらないが声音に喜色を滲ませて。

 覗き込む。

 

「貴女が商隊に頼んで運ばせている金銀火竜の素材、その出所。アレら(・・・)双子 ―― ピーシーズが蹴破り、飛び出した、部屋の外。家の外。国の外。その先にあるものを……一生目にすることはないと思っていた光景を。コレらも知ることが出来たこと。とても嬉しく思っております」

 

 ありがとうございます、と。プラネテスは腰を深く折り、そしてまた、背筋をぴんと伸ばす。

 視線を谷の向こう。岩の陰。双子の片割れが控えているであろう場所を……そこに居るという確信を持ち、ぶれなく捉えながら。

 

「番からの伝言です。あちらからも……ありがとうございます、と」

 

 まるでたった今、互いの意思を交換し合ったかのように、告げられた。

 

 

 

 

 ――

 ―――

 

 

 

 

 遠くで草食竜の小競り合いを起こしてから弾丸を撃ち。

 

 エルペの崖下りに合わせて弾丸を撃ち。

 

 近くの落石に合わせて弾丸を撃ち。

 

 雨風に紛れて弾丸を撃ち。

 

 2日目。

 計40回目の毒弾を撃ち放つ。

 エスピナスの翼の上で毒弾が弾け、翼膜を伝って溢れた液が地面に垂れた。

 

 ―― 棘の肌がぴりと痺れる程度。慣れたもの。

 しかし不快ではあるし。そもそも、周囲の餌は目に見えて減っていた。

 

 蛙は不味い。水は涸れがち。

 岩はよくよく落ちてくるし、敵の臭いは血生臭くてたまらない。

 

 風に紛れて竜は息を吐く。

 毒混じりの炎で燻す必要も無い。腹が減った。

 ふいと尾で地面を擦り首をもたげ、周囲を軽く見回す。

 

 翼を上下に大きく揺する。

 足元を懐かしむように、僅かに名残惜しく見つめてから。

 

 自分へ「ここを退いて欲しい」と根気強く訴えた輩が居る。

 つまりそれは、争いたくないと言っているのと同義である。

 賛成だ。この場所を動くのは面倒ではあるが、捨てられないという訳でも無い。

 

 浮いて。浮いて。上昇する。上昇する。

 向こうの空へ、ようく眠れる場所はあるだろうかと視線を向けた。

 

 ……。

 

 そのまま飛び立った棘竜の影は灰色の、いつしか降り出した寒冷期の雨に移って変わった。

 完全に消えた竜の後ろ姿に手を振りながら。仕事をやり遂げたノレッジ・フォールは、立ち上がる。

 

「―― ふぃ~。これで安全は確保できましたかね」

 

「周囲に新たな火種が生まれた様子もない。小職も、通行出来る環境になったと考える」

 

 お見事、と。隣に駆けてきたミナガルデ卿から声をかけられた。

 結局彼は2日間、商団に帰ることはなく。ずっとノレッジの様子を見ていたようだった。

 

 棘竜の挙動を逐一観察できていたのは彼の従者のおかげである。

 ノレッジからもその点について礼を返しておくと。

 

「いや。得られた損得……その大小を鑑みるに、小職の方が得られたものは大きいだろう」

 

「そうでしょうか」

 

「そうとも。そも小職が狩り場へ付いてきたのは、我が儘。ノレッジ殿に負担をかけるものである。その点については従者らの観測手としての働きの中から、僅かばかりに返すことが出来たとしても……」

 

 ミナガルデ卿が振り返る。

 その後ろには従者がふたり。視線を逸らすことなく、黒の斑衣。銀の髪。白の肌。青の瞳を携えて立っている。

 掌で乗せるようにかざして。

 

「貴殿は彼と彼女にも、佳い景色を見せてくれたようだ。感謝する。つまりはふたつ分、小職の側に借りが出来たということだな」

 

 貴族らしくない破顔をしながら言った。

 ノレッジのそう言われても、という空気を正しく汲み取って。続ける。

 

「惑い子らが受けた借りの分、今ここで返せる物は返して置きたく思うとも。丁度商隊からも離れている事だ」

 

 彼は黒の外套の内側から掌を出し、指を立てた。

 ふたつ。

 

「ふたつ。貴殿()が気になっていることを聞くと良い。小職の誠心でもって、隠し事無く答えることを約束する」

 

 いやに楽しそうな。ノレッジが属する書士隊の筆頭が、よくよく浮かべているような。

 そういう笑顔でもって、ミナガルデ卿は手近な岩に腰掛けた。従者がふたり左右に控える。どうやら時間をかけてもよいというアピールであるらしい。

 

「そうと言われましても……」

 

「はっは! だろうな! ……この礼は貴殿にとっては悩みの種となるかも知れないが、なに。小職の肩の荷を降ろすという体で。貴殿の気になっていることを聞いてくれると、有り難く思う」

 

「ほ~ん。……いやその、なんでもと言われましても……」

 

「そうかね。例えば惑い子らの言う所の部外秘、であっても。小職ならば答えられるが?」

 

 試すような視線。成る程、と。ここまできてやっと、違和感が(ぬぐ)えた。

 確信がある。ノレッジ・フォールは確実に、買い被られている。ヴェルドの貴族である彼が話す部外秘とか、そもそもなんでフラヒヤへ商団を伴って向かっているのかとか。そういうバックボーンの部分に興味があると思われているのだ。

 残念ながら。それは隊長であるダレン・ディーノの性分であろう……と。彼女は脳内でため息を吐いた。

 白一角竜の討伐は機運が作用した側面が強い。霞龍の報告は偶然の産物である。未知の討伐については言わずもがな、最も評価されるべきはダレンとヒシュとネコである。自分は気絶などかましていたのだし。

 自身についているのは実力などよりも、天運である。少なくともノレッジ・フォールという少女はそう思っている。

 

 ならば、と気は楽になる。

 気になることだけ聞いておこう。それが良い。開き直りとも言うが。

 

「では、えぇと。アレクさんの武器(・・)のことなのですが」

 

「ほう?」

 

 ノレッジの言葉に鋭敏に反応し、ミナガルデ卿は懐から開閉式の双眼鏡を取り出した。

 相も変わらず宝玉の様な紫金色と、不気味な色に染まった薄い眼鏡(レンズ)。その癖、鈍く深い光沢を纏ってもいる。

 

 只の双眼鏡だ。形状も大きさも疑うべくもない。

 それを彼は武器と呼んだ。

 

 その紹介が気になったというか引っかかったというか。

 喉元であろうと胸元であろうと。つっかえた物は、せめてその正体を確認したくなるのがノレッジ・フォールという少女の性分である。

 

「その武器にもお名前とか、あるんでしょうか?」

 

 差し支えはないだろうと、双子の従者にしたのと同様の質問を放った。

 暫しの間。後。ミナガルデ卿は双眼鏡をぱくり、ぱくりと開き。その眼鏡(レンズ)を翳しながら。

 

「―― あるとも。小職が外から内を観る(・・)ための武器。王国が闇の閨から盗んだ宝玉を、削って磨いた双眼鏡。名を『オペラグラス』という」

 

 少しだけ誇らしげに、そう言った。

 ぴんとくるようなこないような。しかし、思い当たる名前はある。確か。

 

「おお~。観劇とかがご趣味で?」

 

「いや……と言いたいところだが。最近は巷で劇団が流行しているようなのでな。小職も多少嗜んではいるのだよ。とはいえその際に持ち込むのは、これではないが」

 

 双眼鏡を懐に戻しながら、名前に反していて申し訳ないと笑う。

 そして。今度こそ面白そうな空気を隠そうともせずに、ノレッジと視線を合わせ。

 

「成る程。武器と趣味。今のでふたつと数えてしまうか。貴殿はよほど、真っ直ぐに視るための眼を持つようだ。それを少しだけ、小職は羨ましく思う」

 

「……? いえ、その……恐縮です……?」

 

「いや、すまない。これは遠回しが過ぎる小職が悪いのだ。……しかしこれでは気が済まぬので、多少のおまけを付け足しておく。アレク・ギネスという男の独り言だとでも思ってくれると有り難い」

 

 異論を挟む猶予もなく。

 ミナガルデ卿は。アレク・ギネスは続けた。

 

「この『オペラグラス』が観るのは景色だけでも、生物だけでも ―― ましてや人だけでもない。星にたゆたう流れを見極め、幕引きを見定めるための(かい)。人という種の果て(・・)へ向けた舵取りをするための、政治のための。星聞きの巫女達に勝るとも劣らぬ、紛れもない武器なのだよ」

 

 大層で大仰に、舞台の上で歌うように朗々と。

 

「北の地での活躍を期待しよう、ノレッジ・フォール。互いに目的は違えど、偶然に(・・・)相見えることもあるだろう」

 

 最後の最後まで芝居がかった声音で、天に奏上するかのように、告げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日朝。

 棘竜という障害は除かれ、商団は北上を再開。

 その後の道中は大きな遭遇も滞りも無く、日程通りに進むことが出来た。

 

 息が白くなり。土が霜を纏い。目前を雄大なフラヒヤの山脈が塞ぎ始めた頃合い。

 麓に差し掛かった辺りで、行商は2団に分けられる。

 

 一方はポッケ村へ。

 もう一方は、それより奥の中規模の村へと向かうようだ。

 

 ノレッジは当然、ヒシュの招集に応じるためポッケ村へ向かう隊へ。

 ミナガルデ卿とその従者は別の隊へと同道し、別れることと相成った。

 

 最後まで丁寧さを崩さないミナガルデ卿の別れの挨拶と。

 率直で後腐れの無い従者ふたり、プラネテスらの挨拶を受け取り。

 ノレッジ自身も力の限りぶんぶんと手を振って、彼らの旅路を見送った。

 

「……まぁあの口ぶりからして、どこかで逢うことになるのでしょうねぇ」

 

 そもそもポッケは大きな村である。周辺の村に向かったからには、縁を切ることの出来ない場所なのだ。

 そんな風に再会の予感を抱きしめながら。

 

「とはいえ今はそれよりも、ヒシュさんにネコさんにダレン隊長です! 防具の材料も持ってきましたからね、待っていてくださいよ~!」

 

 あと少しの道程を越えるため、冬空に向けて拳を突き出してゆく。

 

 そうして、ノレッジ・フォールがかつての隊員らと合流したのは。

 

 寒冷期が本格的に牙を剥き。

 

 調査拠点・北嶺への設備の運び込みが終了し。

 

 猟団《蠍の火》の副長であるグエンの怪我が治癒し。

 

 ―― ポッケ村が、大遠征に取り掛かる準備を終えた頃の話であった。

 

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 

 竜車が揺れる。

 商隊は別たれ、護り手は減れども、旅は続く。 

 

 アプトノスからポポへと引き手を変えて。

 車輪から雪車へと足を変えて。

 

 客室の窓へ顔を近づける。

 雪景色へと変わった外を眺めながら、ミナガルデ卿が口を開く。

 

「―― どうだった? 英雄殿は」

 

 質問は後ろの従者ふたりへと向けたものだ。

 客の前では滅多に見せることのない、しかし最近では隠さないことも多くなってきた笑みを浮かべて、問うた。

 

「ハンターとしての手並みは見事という他ないでしょう。狩猟のそこかしこに生きようかという工夫が施されていて。彼女の内には明らかなハイランド・グリーズの色が見えます」

 

 プラネテスが言う。

 楽しそうに。

 

「そうだな。では人と成りはどうだったか」

 

「繊細とは言い難く、大胆ではありますが……勢いをもって貫き通す。物事の定点をぶれることなく捉えきる。人の感覚で表すところの視界において、英雄の条件を満たしているものと感じます」

 

 プラネテスが言う。

 楽しそうに。

 

「小職も同意見だ。よりにもよって……時代に選ばれたダレン・ディーノ。天運に選ばれたノレッジ・フォールがあるところに……」

 

 ミナガルデ卿が言う。

 重ねて。一層。楽しそうに。

 

「あの、第六の結晶までもが居るとは」

 

 楽しそうに。

 楽しそうに、嗤ってみせた。

 

「これにて役者は揃い踏み、と言えるでしょうか」

 

「ふむ。そこまではとうの昔に予見されている。小職らが観たもの。その働き。つまりは舵取り(りゅうそうじゅつ)の成果が試されるのは、これからである。……。ふむ。とはいえ惑い子の身としては、どうか。かの結晶に、忸怩(じくじ)たる想いなどを抱いたりするものだろうか」

 

「いいえ。彼に対して想うところはありません。あちらはコレら失敗作と違い、巨人の剣。人の生み出した業ではありませぬ故」

 

 プラネテスが言う。

 ふたりとも。銀の髪。白の肌。青の瞳が全く揃って……楽しそうに。

 

「ではドンドルマで、かのフラム殿とエリーカ殿の顔でも見た方が気分は晴れただろうか」

 

「あちらもあちらで。生まれが同じというだけで、コレら造人とは比べることすら烏滸がましい。彼と彼女は坩堝の中に生まれながらにして自分という牙を持ち。互いに噛み付きながら運命という名の壁を蹴破った、切り拓いた者。羨望こそ抱けど、恨み嫉みはありません」

 

 ふたりにとっての想いも感情も、余すこと無くこれが全て。

 今という時に不満はない。これからの先に不安もない。

 声はふたつ。淀みなく重なる。

 

「後から来て背中を蹴飛ばす追い風でも無く、激しく燃えてがなり立てる導きの色の星でも無く。人こそが夢に観た、理路整然と順路在る星の路。それらを主と共に見届けること。コレらこそ、プラネテスにとっての願いであります」

 

「そうか」

 

 従者が掲げる常套句を受け、ミナガルデ卿は再び窓の外へと視線を移す。

 今度こそ。独り言。

 

「風見鶏の代わりにと(けしか)けてはみたが。逆立たぬ棘と暴れぬ風では……白の部族でもない只人が仕立てた舞台では、真に力あるものは動かぬ。そういう結果になったか。そも、同様に放ったあの未知すらも弾き飛ばしてみせた英雄である。分かってはいたがこうも間近に見せつけられるとな。及ばぬ力を悔しく思う」

 

 灰色の空。照り返す雪。聳え立つフラヒヤの峰。

 それら全てを遮るように。

 

「星をかき混ぜる風に抗い櫂を立て。燃える大地に抗い壁を立て。凍える海に抗い篝火を立て。……人は星に抗おう。切り拓こう。霊長の踏み立つ地を(なら)すべく。その為の駒は全て、いずれ、ここに完成を見る」

 

 双眼鏡を覗き込む。

 ぎょろりと瞬く様に応えるように ―― (フラヒヤ)の天。

 レンズの奥に広がった空が、黒色の幕を掲げた。

 

 






 二転三転したり、色々書いた中から選りすぐりの好き嫌いで切り貼りした跡が見える見える……。
 しかしまぁ内容はまとまったと思うのでよしとしましょう。


・毒弾スナイプ

 かつて実在した戦法。実際に倒しきるというのではなく、毒の状態異常だけで体力を削れるだけ削るのが目的。
 ただし対費用、対時間の効率は共に悪い……と、個人的には思う。普通に対面練習した方が早い。

 利点としては、ワンパンされるリスクは軽減されるし、ソロ専用の戦術のため時間はのびのびと使うことが出来る。
 ガンナーの立場で考えると、精神的にはかなり楽にはなる。でもリロードとか弾丸管理とか考えると、何かの片手間に行うことが出来る作業というわけでもないしなぁ……これ。


・竜操術

 あー、竜操術ってひらがなで言ったー!
 操竜でもなく、なんかこうもやっとした表現でも無く。はっきりと、竜操術って言ったーー!!

 はい。
 仔細はどこにも存在しません。
 単語それ自体は武器、ランスの竜騎槍ゲイボルガのフレーバーテキストより抜粋。

 完全に個人の解釈ですのであしからず。これは二次創作です。



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