エメラルドの大魔法使いと失われた主人公と最後の物語 前編 (とましの)
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序章

 とある海辺の王国に数百年振りと言われる最高の幸福が生まれ落ちました。それはこの世界で最高の存在と言われる主人公の役を持った者でした。

 物語の主人公は周囲の者を幸せにし、国を治めれば繁栄させると言われています。

 

 

 その夜、海辺の城では隣国に行った王子一家を招いての晩餐会が開かれていました。老齢の国王は初めて見る孫に目元のしわをすっかり緩ませています。

 隣国の王位継承者である孫ははつらつとした性格で物事をはっきりと告げる子でした。しかも文武に秀で、五歳という年齢ながら帝王学や馬術を学んでいると言います。そのため大人たちは、優秀なその子が隣国の王となれば両国ともに安泰だと考えていました。

 そんな大人たちの思案と談笑の隙間で、幼い王子はとある噂を耳にします。

 

 貿易と海の恵みで栄えるこの国に、五年前、最高の幸福が生まれました。海の国にふさわしく、奇跡の中で生まれたその子は人魚姫の主人公でした。けれど心の弱いその子は周囲の期待という名の重圧感に押し潰され声が出なくなってしまいます。

 脆弱な主人公では国を繁栄させる以前に王など勤まらない。そう考えた大人たちは落胆と不満を抱えてしまいます。

 そしてそんな時に隣国から王の孫がやってきました。大人たちは強い王子へ羨望を向けると同時に、その強さのひとかけらでもあの子にあればとささやきます。

 

 そのささやきを耳にした王子はひとり晩餐会を抜け出しました。さざ波の音に包まれた城内を探し歩きテラスへ出ると、その下に小さな影を見つけます。そばの石段を降りると砂浜へ出られ、そこに噂の人物がいるのです。

 丸く大きな月に照らされたその下で、人魚姫はその役にふさわしく海辺にいました。けれど波打ち際に座るその姿は小さく寂しげです。

その姿を眺める王子は幼いながらも頭を巡らせました。

 母国に跡取りとなる男子は王の甥である自分しかいません。そのため母国で王位を継承するのは確実です。となれば父の母国であってもこの国に介入することはできません。

 それでも自分以外で存在する唯一の主人公に何かしてやりたいと思いました。

 

「母上、ゆびわをくれ」

 会場へ戻った王子は、隣国の大臣と談笑していた母へ手を差し出します。そんな王子の目の前で母は笑顔のまま自分の薬指を指差しました。

「このエメラルドの指輪?」

「そうそれ」

「これはあなたの将来のお嫁さんにあげるものよ?」

「わかってるから早く」

 王家に伝わるその指輪は、高価なだけで特別な価値などないただの指輪です。しかしそれでも長い間家の女性に伝えられ、母も祖母から指輪を受け継いでいました。

 母は指輪をはずして王子へ渡してくれます。その上で大事に扱うようにと言う母に背を向けて、王子は再び会場を抜け出しました。

 テラスへ戻った王子は石段を降りて砂浜に出ます。すると誰もいない海辺に今もまだ子供がひとり座り込んでいました。

「おまえ人魚姫なんだろ」

 近づきながら声をかければ相手の背中が怯えたようにはねます。丸い月に照らされた波打ち際で、その子は不安に満ちた顔を向けてきました。

 そんな子供の弱々しい姿に王子は眉をひそめます。

「主人公のくせによわいから、王にふさわしくないってみんないってたぞ」

 座り込んだまま動かない相手に王子は強い口調を向けます。すると怯えているようにしか見えないその子の大きな瞳に涙がにじみました。

 話しかけただけで泣いてしまう。そんな相手に王子は頭をかきなながらしゃがみます。

「おまえは王にならないんだろ。ならおれの国にこい。おれはおまえとおんなじだからケッコンしておまえをまもってやる」

 この国が人魚姫を必要としないなら、自分がもらい受ければ良い。王子がそんな簡単な考えの元で言葉を向ければ相手はきょとんとした顔を見せました。涙に濡れた瞳をしばたかせながら、ゆっくりと首をかしげます。

 そんな子供に王子は気の強そうな笑みをこぼしました。

「おれはいばら姫だからおまえとおなじなんだよ。しららないのか」

 王子が問いかけると相手は黒く艶やかな髪を揺らしながら首を振ります。そんな弱く何も知らない子供に、王子はしかたねーなぁとつぶやきました。

 そうして砂の上に座り込むと、人魚姫の手をつかんで大きな指輪をはめます。

「この世界で主人公は一番つよくてすげーんだよ。だからまわりのオトナたちはいろいろ言うけど気にするな。おれがぜんぶからおまえをまもってやる」

 大人の指にはめるその指輪は、五歳でしかないその子には合いません。そのため王子は指輪をはめたまま相手の手を包むようにそっと握らせました。

「このゆびわはダイジだからな。ケッコンできるくらいオトナになったら、これもっておれの国にこい。それかオトナじゃなくても、なきたくなったらおれのところにこい。おれはおまえをこんなとこでひとりにしないから」

 約束な、と最後に言葉を付け足した王子は人魚姫の目元をハンカチでぬぐいます。

 目元をふかれた子供は長いまつげを揺らしながら王子を見つめました。けれど本当に声が出ないらしい人魚姫は口を動かすだけで何も発しません。

 そして幼い王子は、そんな相手が何を言おうとしているのか理解できませんでした。何もわからない王子の目の前で、人魚姫は自分の首にさげていた首飾りをはずします。

 晩餐会に出る予定ではないらしい人魚姫は寝間着姿で砂浜にいました。そしてその首元から引き抜かれた首飾りは、そのまま王子に押し付けられます。

「これ、おまえの宝物か?」

 今回の晩餐会で、王子の母は父から贈られたという真珠がたくさんついた首飾りをしていました。それと比べれば、真珠ひとつしかついていない首飾りはとても地味な印象を与えます。

「おれ海賊王がのこした剣とかのがいいけど、まあいいや」

人魚姫の瞳が小さな不安に揺れるのを前にしながら王子は笑いました。

「おまえの名前とおんなじ物だもんな」

そんな王子の一言に人魚姫の瞳が大きく開かれます。その驚いた様子を見た王子は心外とばかりに眉をひそめました。

「おれがおまえの名前しらないわけないだろ。おまえはこの国の宝だから、この国の名産とおなじ名前をもらったってきいたからな。よぞらの真珠がおちて人魚姫って宝物になったんだろ。なのにオトナたちはおまえをひとりぼっちにしてる」

 だから、と言葉を続けながら王子は人魚姫の手を持ち上げ口づけます。

「だれもダイジにしないなら真珠はおれがもらう。おれならおまえをひとりぼっちにも、なかしたりもしない。ゼッタイしあわせにしてやる」

 五歳ながら聡明で知られる王子は、自分の持ちうる言葉と知識のすべてを向けていました。そしてその努力が報われたように、人魚姫の顔がはじめてほころびます。その柔らかで愛らしい笑顔を見た瞬間、王子は大きな満足感を手にしていました。

 

 

 それははるか昔、大人たちの知らない静かな海辺で交わされた小さな約束でした。

 その後に脆弱な人魚姫は城を離れて南東の諸島を中心とした海で育てられます。人魚姫は海の上で幼い頃に出会った王子を思いました。たくさんの人がいるあの城で、ただひとり優しさを向けてくれた王子様。

 夜の海で交わした幼い約束は、海に出たため守られることはありませんでした。けれどいつか陸へあがることがあれば、その時は会いに行きたいと思っています。

 

けれど人魚姫は知りませんでした。いばら姫である王子様が、大人になる直前にこの世界から消えてしまったという事を。

 

 



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1話

季節が過ぎて秋が終わり、北から雪混じりの風が吹き付ける。人々が世話しなく歩くその隙間に薄汚れた茶色のフードをかぶった少女がいた。

 カゴを手に行き交う男性に声をかけては断られを繰り返す少女の元に男性が歩み寄る。黒い軍服をまとい目深に帽子をかぶったその姿に少女は反射的に後ずさった。

 しかし男性は少女の前でひざを屈すると金貨を取り出す。

「細かいのねぇから、これで買えるだけ売ってくれね?」

「すみません……たくさんは持ってきてないです」

 男性の問いかけに少女は寒さに震える声で答えた。すると男性はため息を吐き出しそのまま黙り込む。

「じゃあさ」

ややあって口を開いた男性は金貨をもう一枚取り出して少女の小さな手に握らせた。

「金貨一枚で買えるだけのマッチを城に届けてくれよ。もう一枚は手間賃な」

「けど…っ」

「それとこのマント貸してやるから、今夜はあったかくしてろよ」

 大雪らしいからと告げた男性は腕にかけていたマントを少女に押し付ける。そして代わりにマッチを一箱受け取ると立ち上がった。

「じゃあな、頑張れよ」

 帽子のつばをわずかに引き上げ目元を見せた男性は行き交う人の中を去っていく。黒い背中が人込みに紛れるまで見送った少女はそのまま温もりの残るマントを抱き締めた。

 

 マッチの箱を手のひらに転がしながら歩いていた近衛隊長は声をかけられ足を止める。目を向けるとまったく見覚えのない男が笑顔を向けていた。

「突然声をかけてすみません。お優しいんだなと思って」

「ん?」

「さっきのマッチ売りの」

 眼鏡の男は後方を指差して微笑をこぼす。

「失礼ですが、あの子を捕まえるのではと思って見てたんです。確かこの通りは露天などの物売りは禁止されてますよね」

「あー……そうだったか」

 男の指摘に内心で面倒だと思いつつ近衛隊長は顔を背けた。

「僕もあなたが見逃したからなんだと言うつもりはないんです。ただ同じ商売人として嬉しかったんですよ」

「へぇ」

 あのマッチ売りは商売人と言えるほどのものではない。それでも同じだと言うのだから、この男は自分がそれを生業としていると言いたいのだろう。そう考えながら近衛隊長は男に目を向けた。

「商売人が俺に声なんてかけても時間の無駄だぞ。軍の金庫の鍵を扱ってるのは超優秀な書記官だからな」

「ああ、すみません。そういう意図は本当にないんです。それに僕が扱っているのは兵士の方に売るようなものではなくて」

「そうなのか」

「けどそうですね。あの子を助けていただいたお礼をさせてもらえませんか。ちょうど今朝、良い茶葉が手に入ったんです」

「そいつを飲まないと放してもらえない雰囲気だな」

 お茶をおごることで感謝の気持ちを伝えたい。そう考えているらしい男の善良さに呆れつつ近衛隊長は足の向きを変えた。

「隊長さんこないなとこで何してんの」

 そこで新たな人物に声をかけられ隊長は小さく舌打ちした。そんな隊長の態度を目の当たりにした男は新たに現れた人物へ目を向ける。

 白いマントに身を包んで現れたのは白い髪を風に揺らした華奢な若者だった。

「そのセリフ、まんま返していいか」

「おれはどう見てもお散歩の途中やん。あの書記官からこの近くに宝石の店があるて教わってな。この国は昔からエメラルドの産地で有名やって聞いとるし、一度見とこかなってな。で? 隊長さんはここでなにしとんの? また勝手に出歩いて長政君に迷惑かけたらあかんよ」

「人を迷子のガキみたいに言うな。あ……悪い。めんどくさいのが来たからおごられんのはまた今度な」

 言葉途中で視線を男へ戻すと近衛隊長は謝罪と断りを向けた。しかし男は楽しげな表情とともにその目を白いマントの若者へ移す。

「良かったらあなたもどうですか? 出せるのは少しのお菓子と上質の紅茶だけですが」

「行くわ」

 男の誘いに即答した若者は白く細い指先で隊長の袖をつかんだ。

「タダでええお茶が飲めるなんて最高やん」

「おまえ城でも好きなだけ飲み食いしてるじゃねぇか」

「あのうるさい赤ずきんの文句聞きながらやん。あんなもん美味ないわ」

「それはおまえが……」

「はいはい、隊長のお小言はいらんから兄さん行こか」

 めちゃくちゃするからだろうと指摘しようにも流されてしまう。そうして口を閉ざした近衛隊長は手間のかかる北の国の王子に連れられ歩き出した。

 

 

貿易商をしているという彩兎は主に南の土地で茶葉を買っているという。南で採れた良質の茶葉などを北の土地へ運んで売りさばく。そのため様々な土地を転々とし、今はこの国を拠点としているらしい。

「南の国からやったら船で東の国に行って、そこから馬車か」

「そうなりますね。ですから東の国を拠点とする事が多いんですよ」

 かつて追われる身だった秀吉は、湯気のたつカップを手に会話に花を咲かせる。北の国の大臣に命を狙われた白雪姫は、魔女の機転でその力を得て逃げおおせた。けれどその大臣が死に、一度は人間に戻った彼だが本人の望みで再び魔女に戻っている。

 そして今もこの国に住み、魔法を使って人の役に立とうとしては失敗を繰り返していた。

 そんな秀吉の隣に座り、近衛隊長は机の上に置かれた本に手を伸ばす。手作りらしいその本を広げてみると中には海図らしいものが書き込まれていた。

 海図は海の深浅や潮流が描かれ航海には必ず必要な代物であるらしい。しかし海のないこの国では縁のない物だった。そのため読み方の知らない近衛隊長が見たところで内容を正しく理解することはできない。

 けれど博識で優秀な書記官を務める弟ならこれを理解することもできるだろう。あるいはかつて船に乗っていたというあの男ならこの程度は簡単に読み解けそうだ。

 隣国の王のことを考えていると隣にいる秀吉に肘をつつかれた。

「なんや物欲しそうに見とるけど、隊長さんも書記官とおなじ本の虫病か」

「元々本は嫌いじゃねぇよ」

「それ何の本なん?」

「海図」

「カイズ」

 海図を知らないらしい秀吉は近衛隊長に寄り添い中をのぞき込む。しかしすぐに眉をひそめると近衛隊長の顔を見つめた。

「こないなもん見て楽しいんか」

「意味はわかんねぇけどな」

「東の国の連中なら読めそうやね。なんやったか、隊長さんを助けてくれた人おったやん。あの人はあっちの国の兵士かなんかやろ? あの人なら読めるんとちゃう?」

 問いかけた秀吉の顔に茶化すような雰囲気はない。しかし近衛隊長は無言で本を閉ざして立ち上がった。

 突然のその行動に機嫌を害したかと秀吉は眉を浮かせる。だが近衛隊長はそんな秀吉の不安をよそにテーブルを指差し彩兎を見た。

「仕事思い出したから俺は帰るけど、俺の分はこいつが飲み食いするから。それで礼ってことにしといてくれ」

 近衛隊長はそう言うなり帽子をかぶり部屋を出ていこうとした。彩兎はそんな近衛隊長を見送るために立ち上がる。

 彩兎が借りているという邸宅は小さいが小綺麗で珍しいものにあふれていた。先程の海図だけでなく、壁には地図が貼られている。そして羅針盤や船の模型などが飾られ、どれも海や冒険を連想させた。

 見知らぬ木彫りの鳥を尻目に玄関扉を開けた隊長を冬の冷たい風が撫でる。そんな隊長に彩兎が笑顔を向けた。

「風が冷えますね。外套をお持ちしましょうか」

「いい。軍支給のモンしか着れねぇから」

「そうですか」

 彩兎の親切を断った近衛隊長は帽子のつばを引き下げて目元を隠した。そうして彩兎から顔を背けると城へ戻るべく歩き出す。

 そんな近衛隊長を見送った彩兎は目を細めて口許をゆるめた。

「さすがに泡沫の主人公を守った近衛隊長はガードが固いみたいだね。でもあっちは…」

「もふひってもふはっ!」

 振り返った彩兎の元へ白いマントの若者が駆け込んでくる。焼き菓子をくわえたまま現れた若者はそのまま玄関の外へ飛び出した。

「なわまはふんはもぐもぐ!」

 寒空の下で菓子をそしゃくし飲み込んだ若者は周囲をきょろきょろと見回す。

「隊長さんどこ行ったん!?」

「魔法で探せないんですか?」

 慌てた様子の若者に彩兎は素直な質問を向ける。すると若者は勢いよく首を横へ振った。

「そない器用なことできたら苦労せぇへんよ。それに…」

 隊長さんは、と言いかけた口が緩やかな動きとともに閉ざされた。徐々にその顔が赤く染まっていき視線がふらふらと悩むように動く。

「俺は魔女やけど、魔法は人のためにしか使わんて決めてんねん。皿洗いで割った皿を直すとかな!」

 赤面とともに強く言い放った若者の、その発言に彩兎は目を丸める。しかしすぐに笑みをこぼすとなるほどと返した。

「それは良いことですね」

「そやろ? なのにあの赤ずきんは俺の顔見るたんびにグチグチグチ……あ! そやった。なあなあ、ニイさん明日とか予定あいとるん?」

「あいにく明日は仕事がありますけど、明後日なら」

「なら明後日でええわ。さっきのちゃっぱを城に持ってきて欲しいねん。飲ませたいヤツがおるからな」

「恋人ですか?」

 少し茶化すように問いかけると若者は違うと首を振る。けれど照れたように笑った。

「俺を助けてくれた恩人でな、はじめてのトモダチやねん」

「それならとっておきの茶葉を用意しなければいけませんね」

「よろしゅうな。あ、代金はさっきの隊長さんに請求してな」

 嬉しそうに告げた若者はふわふわと軽い足取りで歩き出した。そんな若者を見送った彩兎は自然と口許を緩める。

「お茶の一杯でここまで心を許してもらえるなら安いものだよ。北の魔女さん」

 



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2話

二日前に降りだした雪はやむことなく降り続け王都を白く染めていく。そうして雪雲が通りすぎたその日、慶次は秀吉とともに朝から菓子を作っていた。

城の広い厨房の一角を借りて菓子を焼いた慶次は完成品に満足の笑みを浮かべる。そのそばでうなずいた秀吉は菓子の並ぶ大皿を手にした。

「そろそろ彩兎が来る頃やからカップの準備もしとこか」

「だな。けど秀吉がそこまで気に入ってる人なんて楽しみだな」

 嬉しそうな秀吉に笑顔を向けた慶次は別の皿を手に歩き出した。

 

 黒いマントを丁寧にたたみ、それを両腕で抱える。その状態で昨日に続き城の門を抜けた少女は門を抜けたところで近衛隊長を見つけた。近衛隊長を見つけた少女は嬉しそうに除雪された道を走ってくる。

「お待たせしましてすみません。あの今日はほんとにこれをお返ししないとって……それと今日のマッチです」

 二日前に街でマッチを売っていた少女は昨日もこの場所で隊長にマッチを届けている。けれど昨日は雪が降っているからとマントを再び借りることになってしまった。

 しかし今日は雪が降っていないからと少女は隊長にマントを差し出す。すると隊長は腕にかけていた赤いケープを広げた。フードのついたケープを少女の肩を包むようにかけると前を閉じる。

「これ……」

「知り合いが使ってたやつ」

「その子はいまは使ってないですか?」

「でっかくなったらな」

 第一王子が子供の頃に使っていた赤いずきんのケープは今もきれいなままだ。それを少女に着せた近衛隊長は白い息を吐き出した。

「誰も使わないからって持ち主の許可も取ったから、ガキが細かいこと気にすんな」

 遠慮はいらないという意図で告げれば少女は嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとうございます」

 頬を赤らめた少女からマッチをひとつ受け取った近衛隊長はまた頼むと告げる。そうして門へ向かう少女を見送っていると彩兎がやってきた。

「本当にお優しいんですね」

「普通だろ。それよりそっちは……あー、茶会か。妃たちが朝からなんかやってたわ」

 肩に荷物をかけた彩兎から目を背けた近衛隊長は面倒そうにため息を漏らす。そんな近衛隊長の態度に彩兎は笑いをこぼした。

「近衛隊長さんは、大人にはあまり優しくないですね」

「愛想ふりまくのは仕事のうちに入ってねぇよ」

「確かに愛想の良い兵士の方というのはとても少ないですね」

「それに、おまえの目的によっちゃ斬り殺すことも考えてるからな」

 だから親しくなる事はないと言い捨てた近衛隊長は城へ向かうべく歩き出す。そんな近衛隊長の発言に目を見張った彩兎はややあって我に返ると後に続いた。

 マントを腕にかけたまま城内に戻った近衛隊長は帽子をかぶり直す。その上で茶会の準備が進んでいるはずのサロンには向かわなかった。城の二階へ進むと回廊を離れて誰もいない庭園に出る。

 雪が積もった庭園はまだ除雪もされず足跡のひとつもなかった。足首まで積もった雪を踏み生け垣に囲まれた一角へ進む。

 そしておとなしく後をついてきた彩兎へ振り返った。

「おまえは魔法使いか何かか」

「どうしてそう思うんですか?」

 近衛隊長の問いかけに、笑顔を完全にかき消した彩兎が問い返す。そのため近衛隊長はため息とともに帽子のつばを引き下げた。

「北の国の王子は今まで魔女として生きてきたせいで初対面相手だと警戒するんだよ。王子や妃とはそこそこ会話してるけどな。けど、一回茶を飲んだだけの人間を気に入るなんてまずありえねぇ」

「……ああ、そうか」

 近衛隊長の話を聞いた彩兎は腕を組むと冷笑を浮かべて。

「北の魔女も今まで迫害と孤独の中にいたんだね。そしてその孤独をここの人間が癒してあげたと。それはとても感動的な話だね」

「あいつに何をした」

「僕は何もしてないよ。ただ、僕とお茶を飲んだ人はああなってしまうんだ」

 冷笑とともに言い放った彩兎はゆっくりと近衛隊長へ近づく。近衛隊長は鋭い眼光とともに剣の柄に手をかけた。しかし彩兎におかしな行動が見られないため剣を抜くべきかを悩んでしまう。

 そうしている間に彩兎は近衛隊長の眼前まで近づいた。

「魔法を抑えることのなできない僕とお茶を飲んだ人は、みんな僕を好きになる。貿易商としてこれ以上の強みはないよね」

「まさかこの国を狙ってるわけじゃねぇよな」

「僕が欲しいのは北の王が北の大魔女から奪い取ったはずの魔法の力です」

 魔法使いが魔法の力を欲しがるという流れに近衛隊長は眉をひそめた。

「なんだそれ」

「魔女の血を浴びると魔女になる、と言うでしょう? 同じように魔女の死体から力だけを抜き取ることができるんです」

「そいつを取ってどうするんだよ。おまえはもう魔法使いだろ」

「僕は魔女としてはとても弱いんですよ。それに……この世の誰も、魔女なんて守ってくれないからね」

 ささやくように告げながら彩兎は近衛隊長の肩にそっと触れた。

「魔女は人々に疎まれ忌み嫌われる存在だから」

「んなこと考えてるヤツ、この城にはいねえよ。だから困ったことがあるんなら……」

「やっぱりあなたは優しい人だね」

 抱き合えるほどの距離で彩兎が善良そうな笑みを見せた。そのため近衛隊長は話が通じたのかとわずかながら安堵する。

 だがそんな近衛隊長の安堵は突然の口づけにかき消された。彩兎に顔を捕まれた状態で舌を絡めるような深すぎるキスに顔をしかめる。

 けれど近衛隊長が彩兎に警戒心を抱いていられるのはそこまでだった。

 

 

 

 

 



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3話

 日が西の山へ沈もうとしている頃、会議を終えた王子は回廊を歩いていた。のどかな小国であるこの国は昔から鉱石の産地として知られている。けれど近年はその鉱石の値が上がり、周辺国から鉱石を求める声があがっていた。

 特に緑の宝石は西に広がる荒れ地の向こうにある帝国で珍重され価格高騰の元となっている。そして秋頃からはその大国から、姫の為と良質のエメラルドを求められていた。

「冬は石炭の価格もあがるけど、まさか宝石の値まであがるなんてね」

 冷え冷えとした回廊を歩きながら第一王子は白い息を漏らす。その隣で資料を手にした第二王子が笑みをこぼした。

「帝国の姫君が誕生日の祝いにエメラルドを散りばめたドレスを仕立てるのだからな。それに合わせて貴族たちがエメラルドを買い求めるというのは自然な流れだ」

「完全に媚びてるだけじゃないか。僕はそういう人間が一番嫌いだよ」

 姫の気を引くために大金をはたいて自分の物も仕立てる。そんなことをする金があるのならもっと有効活用できないのかと第一王子は義憤を膨らませた。けれどその義憤は前方を歩いてくる人物を見つけることで消え失せる。

 眉を浮かせた第一王子は歩みを速めると近衛隊長のもとへ向かった。

「近衛隊長、少女へ贈ると言っていた件はどうだったんだい?」

 緋色のマントを揺らしてわずかに駆け寄った第一王子はまっすぐに近衛隊長を見上げる。けれど視線を受けた近衛隊長は眉を潜めると帽子を引き下げて顔を背けた。

「何の話か知らねぇけど、話はそれだけか」

「……は?」

 第一王子は昨日、近衛隊長から子供の頃に使っていたケープを求められた。そしてそれを了承した第一王子は今朝のうちに近衛隊長へそれを渡している。

 しかしそれを知らないと言う近衛隊長に第一王子は目を丸めて固まった。そんな第一王子の元へ第二王子がやってくる。

「そういえばそろそろ副隊長が使者を連れて戻るのではないか? 日数的にもうそろそろだと思うのだが、あちらから連絡はあっただろうか」

「ああ、五日前に出発の予定なんかが来たっきりだけど、そろそろ着く頃だな」

 第二王子の問いかけに近衛隊長はすんなりと返す。そんな近衛隊長に第二王子は笑みを浮かべて楽しみだと言い出した。

「東の国とは前回の事でいろいろと世話になったからな。特に近衛隊長はあちらで知り合った面々の近況を知りたいことだろう。隣国との親睦を深めるという意味でも、親しくなれると良いのだが」

「外交面の親睦だのは近衛の仕事じゃねぇだろ。国賓の接待は愛想の良い連中の管轄だからな。俺の出番はねぇよ」

「だが俺としては、隊長を守ってくれたあの男への礼も考えているのだが」

「それは王子としてってことか」

「いや、個人的に礼がしたいと思っておるよ」

「なら俺には関係ないな」

 近衛隊長は切り捨てるようなあっさりとした言い草を見せる。優しさも暖かみもないその言葉に第二王子は笑みを弱めた。

「そうか、では仕方ない。仕事の邪魔をしてすまなかったな」

 第二王子は軽い謝罪とともに硬直している第一王子の腕をつかみ連れ出した。そうして近衛隊長と別れると第一王子は呆然とした顔で第二王子を見る。

「どうなってるんだい、あれはまるで…」

「詳しいことはわからんが、今朝とあきらかに匂いが変わっているのだ」

「それは昔の彼に戻ったようなあの態度と関係ある話かい?」

「それもわからんが……何かがあった事は確かだな。マッチ売りの少女を忘れ、東の国の恩人の事を忘れてしまう。それほどの何かが」

「あんなどこの誰とも知らない市民のことは忘れてもいいけど、僕への敬意や礼儀を忘れるなんてどうかしてるよ」

 冷静に物事を見ようとする第二王子のそばで、第一王子は私憤に表情を曇らせる。そのため第二王子は苦笑いを浮かべると仕方ないとつぶやいた。

「とにかく茶会の時はおかしくなかったか、妃たちに聞いてみようではないか。原因を探るのはそれからだ」

「慶次はともかく、あの白い災難に頼るなんてごめんだよ」

「そう言ってやるな。もし新たな魔法使いの仕業だとしたら、今は彼しか頼れんのだ」

 苦笑いのままそう告げた第二王子は第一王子の腕をつかんで歩き出す。そんな弟の発言に第一王子は再びため息を漏らした。

 

 赤ずきんである信長のそばで、政宗は狼として生まれている。そして大人たちから赤ずきんを殺す厄介者として扱われた彼は幼少期に一度捨てられていた。

 本来なら殺すべき存在だが誰も王子として生まれた者を殺せない。では大切な主人公を守るためと、王子は公爵家へ預けられたのだ。そこには王位継承争いの火種となる最初の厄介者がおり狼王子はそこで育てられた。

 もちろん大人たちは王位継承争いの火種となるその男子が狼に殺される事も望んでいた。そして王の甥である男子を殺した罪で狼も断罪すれば国は平和になる。当時の城内を仕切っていた大人たちの大半はそう考えていた。

 けれど狼王子は、誰も傷つけることのない心優しい王子へと成長している。さらに王子は戦いの場においては狼としての能力を扱い誰よりも強い剣士になれた。人を超越した肉体と感覚を持つ王子は、北の国との戦いでも赤ずきんを守っている。

 そして今や国を取り仕切る地位にいる赤ずきんは彼を誰よりも重用していた。

 

 そんな狼王子が異変に気づき、北の魔女を頼るとまで言い出している。ならばと第一王子は頭を切り替えることにした。

 政も外交も何もかも、大事なことであればあるほど第一王子は独断で決めない。常に彼は弟たちと話し合ってきた。

 

 第一王子に呼び出され質問を受けた慶次は首をかしげて秀吉を見た。そして顔を見合わせるとさらに首をひねる。

 近衛隊長におかしなところはなかったかという質問だがふたりに覚えはない。むしろふたりは自分達が焼いた菓子の出来映えを彩兎に聞くことで精一杯だった。

 そう話したところで第一王子が顔をしかめる。

「それは例の貿易商だね。白い災厄がここに呼んだっていう」

「誰が災厄や!」

「その男は慶次から見て信用に足る人物だったかい?」

 秀吉の反論を無視して第一王子は茶葉を扱っているという貿易商について問いかける。すると慶次はにこやかな顔でうなずいた。

「親切で優しくて誠実っていうか、すごくいい人だったからな。それに兄ちゃんは元々よくわからないし、こっちに来てから部下の人たちから怖い人って聞いててさ。それに今日は部外者の彩兎が城に来てるし、いつもより厳しいのは普通だと思ってた」

「確かに近衛なのだから部外者に厳しいのは当然のことだね」

「あと今朝会った時にカゼひいたって言ってたから、それがつらいのかなーって」

 最近寒いからといつも元気な慶次が心配げに言う。とたんに第一王子は表情を曇らせて視線を落とした。

「そら毎日こうるさい王子サマの相手しとったら疲れてまうわな。こっちに帰って来てから休みも取っとらんみたいやし」

 気落ちする第一王子を前にして秀吉は仕方ないとばかりに言い放つ。とたんに第一王子は顔をしかめて秀吉をにらんだ。

「彼は今までもずっと休みなんて取らずに好き勝手してきたんだよ。僕の近衛なのに僕の言うことも命令もなにひとつだって聞かないで!」

「まあまあ信長落ち着け」

 憤然と声を荒げる第一王子を第二王子が押さえる。しかし第一王子は怒りが抑えられず歯を噛み締めた。

「この僕を見ないなんてありえない。僕の近衛を辞める事だって許されないよ」

「そやから隊長さんが窮屈になってしまうんやないの。あの人も人間やからな」

「人間である前に彼はこの国の王位継承者だ。元王太子なんだよ」

 継承権第一位だけがなることのできる王太子。その地位にいた男をそばにおかないという選択をする王子はいない。元王子である秀吉は、それが理解できるため一瞬で表情を凍らせた。

 そうして珍しく真面目な顔で第一王子を見つめる。

「気持ちはわかるわ。けど、そんなお人が臣下で居続けるなんて酷な話やな」

 

 

 



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4話

 元々東の国とは国交が途切れていたわけではない。けれど前国王が崩御してからは何の交流もない状態だった。もちろんそれは東の国側で新王の即位や新体制の確立など、外交に手を出す余裕がなかったためだ。しかしそんな状態が両国の戦争という噂を広げる原因となってしまった。

 そのため噂を払拭するという意図を持って大々的な国交回復を行うこととなった。

 

 

 雪が街を染めて数日が経った頃、帰国した近衛副隊長は真っ先に城内の異変に気づいた。門に詰める衛兵の緊張感が薄れ、さらに城内の兵士たちにも活気がない。むしろ沈んだような雰囲気と妙な緊張感というおかしな空気に包まれていた。

「はっはっは、強固で精強な軍事力で名高い国とは思えない士気の低さだな」

 ため息を漏らしながら歩く兵士たちのそばを通りながら使者のひとりが笑う。それを聞いた兵士は立ち止まりにらむように振り返った。とたんに使者の中で最年少となる怜がすみませんと謝罪する。

「透さん、滅多なことを言っては駄目ですよ」

「しかしなぁ…俺は隠し立ては嫌いな性分なのだよ」

 年下からの忠告も笑い飛ばした透は周囲に目を走らせた。

「寒さのあまり凝り固まったわけではないだろうに、この沈んだような重い空気はなんだろうな」

「そうですね」

 そこでそれまで黙っていた近衛副隊長が口を開いた。

「いつもはぴしってしてるんですけど、どうしちゃったんだろう」

 近衛副隊長は首をひねりながらも再び歩き出す。そうして城内を進むと二階の回廊にもため息を漏らす兵士の姿があった。

 しかしそんな兵士の中の数名が近衛副隊長の存在に気づいて近づいてくる。

「やっと帰国したか」

「この状況を打破できるのはおまえだけだと思うんだ」

 兵士たちに取り囲まれた近衛副隊長は慌てふためきあわわと声を漏らす。そして救いを求めるように使者の中でもっとも大柄な人物に目を向けた。

 だがそんな彼の耳にありえない情報が飛び込む。

「俺たちの近衛隊長がおかしいんだ」

「ふぇっ?」

 兵士の悲痛な叫びに近衛副隊長はきょとんとした顔でまたたきを繰り返した。そして再び大柄な人物を見やり、さらに兵士へ目を戻す。

「おかしいってどんな感じなんですか?」

「今までも厳しい方だったんだが最近の近衛隊長はおかしい。冷たすぎる」

「しかも異国の商人以外とは会話されないんだ」

 近衛副隊長の質問に兵士たちが口々に話し始める。その話を総括すれば、確かに近衛隊長がおかしくなっていることはわかった。

今までは厳しい中にも優しさが少なからずあった。直属の部下以外の兵たちの名前を覚え声をかけることもしていたほどだ。しかしここ数日は兵の誰一人として近衛隊長から声をかけられていないらしい。

 ただ近衛副隊長は自分を取り囲む兵士たちにひとつ反論する。

「近衛隊長が書記官さん以外を特別扱いなんてありえないですよ」

「それをしてるからおかしいって話なんだよ!」

「しかも最近は昼も書庫に行かないで、執務室で商人とふたりきりらしいからな」

「俺たちの隊長がなんであんなどこの誰かわからないヤツなんかに取られなきゃならないんだよ。おまえと書記官ならわかるけどさ」

 兵士たちの私憤を受け止めた近衛副隊長はうなずき了承するとその場を離れた。そして改めて三人の使者に顔を向ける。

「なんだか困ったことになってるみたいです」

「その書記官っての以外を特別扱いしてるとおかしいのか」

「はい、そこは特別なので。でも仕事面で厳しくても、その商人以外と口をきかないっていうのは……うーん」

 ふわふわと柔らかい雰囲気の近衛副隊長はその雰囲気のまま考え込む。けれど不意にその目が金色に染まった。

 その異変に気づいた大柄な使者は緊張をはらんだ顔で足を止める。すると近衛副隊長だけでなく透と怜も立ち止まった。

「どうした」

「……えっと……」

 わずかな戸惑いとともに声を漏らした近衛副隊長は苦笑いとともに瞳の色を戻す。

「ちょっとこれから書庫に行こうと思います」

「書庫に行ってどうするんだ。光秀の元へ行くんじゃないのか」

「いまちょっと水鏡の魔法を使おうとしたんですけど、隊長に届かなかったんですよ。なのでちょっとこの時間にあり得ないですけど、隊長は城の外にいるんだと思います。それなら書庫に行って書記官さんに居場所を聞こうと思いまして」

 大柄な使者、魚住の真っ直ぐすぎる態度に近衛副隊長はやんわりと返す。すると透が楽しげに笑った。

「先ほどから副隊長さんは書記官をかなり買っているようだが、その書記官はそんなのにも優秀なのかい? ここで実はその書記官は魔法使いなのだ、とは言わんだろうが」

 魔女の子供である近衛副隊長が頼るほどなのだからと、茶化すように言う。すると近衛副隊長は照れたように笑った。

「えっと……魔法使いというわけではないんですけど、何でも知ってて何でもできる人です。僕の母が遺した本をすべて読んでて、僕の先生でもあるんです」

「なるほどな。副隊長さんの親御さん代わりのような方なんだな」

「はい、もうひとりの親みたいな人です」

 その人物が親代わりであることが嬉しいらしい近衛副隊長は素直に言葉に返している。その上で書庫へ向かうべく歩き出した。

 

 城の裏手側三階に作られた書庫は広い空間に多くの蔵書が収められている。ここを管理しているのは書記官で、同時に政務の議題製作の場にもなっていた。

 旅装を解かずに書庫へやってきた近衛副隊長はマントを脱いで奥へ進む。すると日当たりの良い窓際の机に大量の本を並べた人物がいた。

「ただいま戻りました、三成さん」

「ここに来たという事は、既に異変に気づいているということですね」

 手元の本を閉ざした三成は椅子に腰かけたまま挨拶を向けた近衛副隊長を見上げる。いつもと変わらない真面目な顔を前にした近衛副隊長は安心したように微笑んだ。

「具体的にはまだなにも知りません。でも隊長がおかしいっていうのは聞きました」

「そうですか」

 何がどうなっているかはわからない。そう笑う近衛副隊長の目の前で三成の視線が移った。眼鏡を押し上げながら立ち上がった三成は魚住を一瞥する。

「東の国の方々ですか?」

「はい、本当は広間か謁見の間にお連れしようと思ってたんですけど」

「この中に海軍か、海に関係する役の方は?」

「へ? 肩書きですか? えっと、いないと思います。透さんは政務官で、怜さんは陸軍の方なので」

 突然の問いかけに驚きつつも答えた近衛副隊長はふと首をかしげる。

「もしかしてこの異変は海に関係あるんですか?」

「いえ、まったく関係ありません」

 幼さの残る顔をきょとんとさせる近衛副隊長に三成はあっさりと返す。その上で彼は机の隅に置いていた青い本を手にした。

「数日前、東の国近海の海図が欲しいと言われて探したんですが」

「隊長がそんなおねだりをしたんですか」

「もしかしてうちの海軍と軍事訓練をと考えておられたのでしょうか」

 三成相手だと深く考えない近衛副隊長のそばで同じく軍人である怜が真面目な憶測を向ける。しかしその意見で三成の表情が緩むことはなかった。

「その予定があったとしても、近衛という役目上、海図を読む必要はありませんね。それでも学ぶ意欲があるとするのなら、それは私的な理由から生じるものでしょう」

 三成の話を聞いた透はなるほどとうなりながら笑みをこぼした。

「確かに隊長さんは、魚住さんが海育ちで長らく船に乗っていた事を知っていたな。そうかそうか、魚住さんとの話題作りのためにわざわざ海図をなぁ」

 いじらしいことだと微笑む透はその目を魚住へ向けた。

「夜ごと海図を開きながら時を過ごすというのも良い親睦の深め方だよ」

「しかしあの人はそれを忘れているんです。俺にこれを頼んだことも」

 つかの間の穏やかさは、三成が本を机に置いた音とともにかき消えた。

「でも、隊長が三成さんの事でなにか忘れるなんて絶対ないですよ。王子様の事で忙しくても戦争の噂があっても、いつも三成さんを最優先にしてたし」

「そこはどうでいいです。俺は記憶の欠落について…」

「でもだって三成さんに冷たい時点で変じゃないですか。いつもお昼はここに来るのに、最近は来てないって聞きましたよ。いつもの隊長なら雪でも嵐でもお昼は三成さんのとこに走っていってるのに。軍の中でももう公認っていうか、みんな知ってることですよ」

「あなたは少し黙りなさい」

 冷遇するなんてありえないと言葉を並べる近衛副隊長に三成は厳しい言葉を突き刺した。そうして相手を黙らせた三成は次なる刺客に眉を潜めることになる。

 ふたりのやり取りを見ていた透は真剣な表情で腕を組むとなるほどとつぶやいた。

「つまりこの書記官さんは、隊長さんの前の恋人というわけだな。いやはや魚住さんも大変だな。他の兵士たちの様子から見ても、あの隊長さんはかなりモテているようだ」

「くだらない話題に花を咲かせるのなら出ていってくれますか」

 恋のライバルが多いと嘆く透に三成は冷淡な視線を突き刺した。そうして透を黙らせた三成は嘆息を漏らすと最初に読んでいた本を手にする。

「二百年前、この国の西側で悪逆の限りを尽くしていた悪魔がいました。そして当時の南の魔女がその悪魔をランプに封じます。しかし南の魔女はその時に力のほとんどを失ってしまったそうです」

 突然語り出した三成は語尾とともに本を近衛副隊長へ差し出した。

「もしかして隊長をおかしくさせているのは南の魔女ですか?」

「そうなりますね。しかし彼は、好き好んでそうしているわけではないようです」

「はい?」

「力を抑えることができず、あらゆる人間が好意を抱いてしまうそうです。先代の南の魔女はその結果争いに巻き込まれ命を落としてしまったそうですが」

「もしかして三成さん、その魔女と会ったことがあるとか」

「貿易商よりも書記官の方がランプの悪魔に詳しいのは当然のことですからね。それにあの人は既に南の魔女を守ると決めています」

 そう断言した三成はちらりと魚住に目を向けた。

「閉ざされていた氷の扉が周囲の暖かさによって少しずつ開かれようとしていました。しかし南の魔女の力によって無理やり開かれようとしたため、再び閉ざされてしまったようです。記憶の欠落はそのために起きたのでしょう。そんな状態でも、魔女の力はあの人に歪んだ認識を与えてしまったようです」

「商人以外とは口をきかないってのは、そういうことか」

「ええ、あの人は南の魔女を守るべき相手だと認識しています。しかしもし認識に狂いがなかったとしても、あの人は誰も見捨てられない人です。昔から狼王子を救う事も魔女の子を守り育てる事もしてきました。そんな人ですから、捕らえることもその腕をつかむ事も容易ではないと思いますが」

「だろうな。けどそういうヤツだからこそ守ってやりたいんだ。あいつの元恋人に言うのもなんだけどな」

 魚住の言葉に一度は表情を緩めかけた三成だが、語尾とともに顔をしかめる。そしてため息を漏らすと眼鏡をついと押し上げた。

「最後の一言は必要なかったですね」

 

 

 

 

 二百年前に南の魔女が封じた悪魔がいたのはこの国の西にある荒れ地だと言われている。となればその悪魔はいずれ自分の居場所に気づいて命を奪いにくるだろう。だからこそその前に対策を練らなければならない。

 そう彩兎が気落ちした様子で語ったのは二日前のことだった。それから二日をかけて様々な文献を開かせ調べた結果、魔法の力を強める宝石を見つける。

 王都から少し西へ進んだ採掘場を訪れた近衛隊長は白い息を吐き出した。空は晴れているが気温は低く地面に積もった雪も溶ける様子がない。

「エメラルド結晶なんて今はなかなかないって聞くけどな」

「でもこの国はエメラルドの産地として知られてるね。数年前には巨大なエメラルド結晶が見つかったとも聞いたけど」

「そういうモンはすぐに城へ届けられるんだよ。それに今は荒れ地の向こうにある帝国の連中がエメラルドを買いあさってるからな。装飾品として持っていかれてるんだわ」

「そういう流行があるのは仕方ないね」

 近衛隊長の話を聞きながら彩兎は土に汚れた緑色の石を拾う。小さなそのかけらは売り物にならないらしく小屋のそばにまとめて置かれていた。

「こういう小さな結晶はどうするのかな」

「細かいもので傷の少ないのは衣類なんかの装飾になるな。磨いたらまとめて仕立て屋に運ばれてドレスになる」

「ひとつの無駄もないみたいで安心したよ」

「けど、目的の結晶があったとして、おまえだけで倒せるか?」

「最悪の場合、白雪とシンデレラを巻き込んで物語をやり直してもらうという手もあるね」

「それは無理だな」

「誰かを巻き込むのは嫌いなんだね」

「まぁな」

 そう言いながら近衛隊長は煙草の煙のようにゆっくりと白い息を吐き出す。

「きつい思いもしんどい事も俺にだけ押し付けりゃいいんだよ」

「ねぇ、君は……」

 自分の支配下にあるよねと、確認しようとしたその言葉が途切れた。あれから彩兎は毎日のようにこの近衛隊長と口づけを交わして魔法を重ねがけしている。そして近衛隊長も術をかけてからは一度もこちらを疑う事をしていない。

 しかしそれでもその言動は今まで支配したどんな人間とも違っていた。

 城にいる誰にも目を向けず、王子たちよりも自分を大切にしてくれている。けれど支配する前はあったはずの笑顔は消え失せ、彩兎も見ていない。その異変は彩兎も予想していないものだった。

 そうして思い悩む彩兎の元へ採掘場の管理人が木箱を持ってきてくれる。

「隊長さん、こいつはどうだい。ここにある中じゃ色も濃いしそこそこ良いと思うんだけどさ」

 そう言いながら木箱の中身を見せてくれた管理人に近衛隊長は礼を告げる。

「悪かったな、忙しいだろうに…」

「へぇー、こういうとこだと意外と大きい結晶があるんだね」

 礼を向ける近衛隊長の言葉をかき消す強さで脇から明るい声が飛んだ。近衛隊長が目を向けると金髪の若者が彩兎の肩に手をかけて木箱の中を眺めている。

「誰だテメェ」

「どうもー、西から来た付き人でっす」

 軽い印象を与えるその男は愛想の良い笑顔を見せるが名前を言わない。あげく彩兎の肩を抱いたまま少し強引に近衛隊長から離れた。

「ところであんたこれが魔女だって知ってて一緒にいるの? だとしたら凄い度胸だね」

 男は依然として明るい口調だが、不意にその瞳が紫色に変わった。

「魔女なんて人間からすれば怖い悪魔みたいなものなのにさ。それともこの性悪な南の魔女に意識を支配されちゃってるとか? だとしたら可哀想だけど」

「隊長さん逃げ…」

「魔女と一緒に死んでくれる?」

 蒼白な顔色のまま男に捕らわれている彩兎がはじめて声をあげる。しかしその忠告は男の楽しげな声と爆発とに巻き込まれてかき消えた。

 

 



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5話

 採掘場の管理をしている小屋が爆発して保管している原石が燃えてしまった。その報告は夕暮れの城へ届けられ兵士たちを騒然とさせる。

 そして東の国から使者としてやってきた三人は広間での挨拶中にそれを知った。王都西にあるそこはエメラルドの採掘場だ。そんな場所で爆発事故が起きて原石が燃えたとなればかなりの損害が出るだろう。

 そんなことを瞬時に計算した透は難儀な話だと腕を組みうなずいた。そんな国賓のひとりのつぶやきを聞いた第二王子はふと片眉を歪ませる。しかしすぐに笑みを作ると第三王子に目を向けた。

「使者の方々も長旅で疲れただろうから、ここは俺は滞在場所まで送ろう。ユキちゃんはこのまま信長の手伝いをしてやってくれ」

「ん、いいけど……あいつを探しに行くなら一発殴っておいてヨ」

「これこれユキちゃん、客人の前だぞ」

 いつも静かに玉座のそばに控えるだけの第三王子がふらりと立ち上がり飴を取り出す。そんな弟に注意を向けた第二王子だが歩き出す足を止めなかった。

 そうして使者たちが第二王子とともに立ち去ると残された第一王子は視線を落とす。

「探し出したところでまた邪魔扱いされるだけだよ」

「いまのあいつ、前とおんなじな気がするナ」

 覇気のない第一王子のそばで第三王子は飴をなめながら目を細めた。

「いつだって大事なことは言わないんだヨ」

「僕が信用されていないという事だよ」

「それを言ったら誰の事も信用してないってなるよナ」

「誰の事も…」

「北の国の騒動の時だって、あいつは誰にも言わずにひとりで動いてたろ。結局のとこ俺たちが助けたけどサ。あいつまだ俺らのこと子供だと思ってんじゃねぇかナ」

 気落ちしていた第一王子の瞳が第三王子の言葉とともに徐々に光を取り戻していく。そしてやがて何かに気づいたように見開かれた。

「またひとりで何かと戦おうとしてるのか」

 

 

 日が沈むと空に丸い月が現れる。冷たい風の流れる満月の夜に城を出た第二王子は王都を歩いていた。しかし人の少ない広場まで来ると足を止めて近衛副隊長を見る。

「ここまで来れば屋敷は目と鼻の先だ。後は近衛副隊長に任せて俺は別の場所に行きたいのだが良いだろうか」

「それはちょっと…」

 第二王子の笑顔の申し出に異論を向けたのは怜だった。

「大切な方をお守りするのが兵の役目ですから、殿下をおひとりにはできません。行きたいところがあるのならおっしゃってください」

「そうだな。採掘場の爆発も気になるが王子の単独行動も気になる。魚住さんどうだろう。この王子とエメラルドの採掘場を見に行かないか」

 緊張感を持つ怜と違い、透の意見は緊張感に欠けていた。ただふたりともに王子と同行するという点で一致している。

 そんなふたりの発言に第二王子が首を横に振った。

「ならんよ。危険が伴う場所に赴くのだ。使者を連れては行けん」

「ではなおのこと王子を単独で行かせられないよ。近衛副隊長さんと微力ながらうちの怜ちゃんを同行させるべきだ。それにエメラルドの採掘場には興味があるからな。魚住さんが持っているエメラルドの指輪がどれほどのものか調べてみたいと思っていたんだ」

 透はやはり緊張感があるのかないのかわからない意見を口にする。けれどエメラルドの指輪という単語を耳にした第二王子は眉をピクリと動かした。

「採掘場に行ったとて、宝飾品の鑑定を行える者はおらんよ。だがエメラルドの指輪を持つ者が近衛隊長を探すというのなら、俺はそれを止められん。その指輪が俺の知る代物であるのなら、あの呪いを解いてくれるかもしれんからな」

 そう告げた第二王子の背で大きな尾がゆらりと揺れる。

「しかし俺は本気で走って行くが、皆は無理をせぬようにな」

 

 

 第二王子の本気で走るという言葉がどういう意味なのか。それを怜はすぐに理解することになった。近衛副隊長の話によると第二王子は狼王子と呼ばれているらしい。その名のとおり狼のような身体能力と感覚を持ち、満月の夜は特にそれが強くなる。

 けれどその代わりに彼は動物たちから恐れられてしまっていた。

「一度怖がった馬から落ちた事があるらしいんです。だから今も馬に乗る時は第三王子にくっついてるんです。ちょっとかわいいですよね」

「それが狼の戦闘能力を得た代償ということですか」

「持って生まれた力なのに代償って変な話ですけどね」

 駆け足で西へ向かいながら近衛副隊長と怜が言葉を交わす。普段から兵士として訓練しているふたりは長距離を走ることも問題ないらしい。その後ろを魚住はなんとかついているがふたりほどの余裕はない。

 そして透は既についていけないからと歩いていくことを告げて脱落していた。

「そういえば隊長さんは昔から強い方だったんですか? はじめてお会いした時に国境へ兵を送るのに指示をいただいて凄い方だと思ってたんです。それがあの西の国の近衛隊長さんだと知って驚いたんですけど」

「えっと、子供の頃は身体が弱かったって聞きます。三成さんの話では元々心臓が少し悪かったとか…その辺りは詳しくないんですけど。でも今もたまに熱を出して倒れるとそのまま凄い寝込むんですよ。病気になると一気に悪くして三成さんが看病するんですけど」

「え、もしかしてあの方は隊長さんと一緒に住んでおられるんですか」

「普段はふたりともあまり家に帰らないんですけどね」

 元々少し緩い性格の近衛副隊長は怜の誤解に気づかないまま苦笑いを浮かべる。そして恋人同士だと思っている怜は顔を赤らめてそっかーとつぶやいた。

「一緒に住んでるのか……」

「そういえば十年前からずっとふたりだけなんですよね」

 孤児と言えば自分のような独りぼっちがほとんどだろう。しかし兄弟ふたりだけで生きていくというのはどんな感覚だろうか。そう考えながら近衛副隊長は満月を見上げた。

 しかし見上げた先で満月に小さな影が横切り、すぐにそれが戻ってくる。

「なっがまっさくーーーーーん!!」

「へ?」

 名前を叫びながら落ちてくる白い物体を近衛副隊長は呆然と眺めた。なぜか折れたほうきを手にした状態で、白いマントをなびかせた秀吉が降ってくる。

 避けることもできず北の魔女の直撃を受けた近衛副隊長は勢いのまま地面に倒れた。焦げた臭いをまとった北の魔女は近くで見れば所々ススで汚れている。

「おかえりの挨拶をしたいとこやけど今はそれどこやないねん。夜目の利く狼さん来てくれてなんとか逃げられたけどな。あの悪魔は俺と彩兎の力じゃびくともせえへん」

「隊長は無事ですか?」

「わからん。意識もないしえらい出血やと思うけど確認する間も…」

 質問に答えている途中で突き飛ばされた秀吉は地面に転がる。そうして秀吉を退かした近衛副隊長は立ち上がるなり走り出した。

 近衛副隊長の立ち去った方向を眺めながら立ち上がった秀吉はため息を漏らす。

「ホンマまっすぐで一直線なんやから」

 嬉しそうにぼやきながら砂をはらった秀吉はその目で魚住を見上げる。

「あんたも久しぶりやね」

「光秀は採掘場で何をしてたんだ?」

「彩兎ひとりでも生きていれるようにしたるって言うとったよ。彩兎は南の魔女で、なんや一緒にお茶を飲んだ人はみんな彩兎を好きになるらしいわ。隊長さんはそれとは別の方法で頭を支配されとるんやけどな。けどそれでも隊長さんは隊長さんやね。不器用でむちゃばっかや」

 あれは助けたくなるとひとりうなずいていた秀吉だがマントをつかまれ目を丸める。振り返ると怜が困惑した様子を見せていた。

「その彩兎さんって…もしかして貿易関係の…」

「お茶のはっぱ扱う会社やっとるな。普段はふわっとした兄さんやで」

「やっぱり!」

 何かを確信したらしい怜は慌てた様子で走り出す。突然の行動に驚いた秀吉だが慌てることなく足元のほうきを拾い上げる。

「あんたあっちの国の偉いさんなんやろ? あっちに行くと危ないんやけど」

「だが光秀が危険なんだろう」

「そやな。あんたも物語やり直すくらい一直線な人やったな。けどそれなら急がなな」

 忘れとったわとつぶやきながら、秀吉は折れたほうきを魚住に押し付ける。魚住がそれを受けとるとたちまちにほうきが浮かび上がり、周囲の木々まで見下ろす高度に達した。

 宙づり状態だった魚住は腕力だけでなんとかほうきに身をのせる。すると魚住のそばに浮かび上がった秀吉がやって来た。

「一気に飛んでくから落ちんといてな」

 

 ほうきは元々城の中庭を罰掃除していた時に使っていたものらしい。しかし秀吉は近衛隊長が珍しく城の外へ出掛けたと聞いてこっそり後をついていた。

 もちろん秀吉はほうきを使わなくても空を飛ぶことができる。しかし第三者を飛ばすなら何かに魔法をかけてそれに乗せたほうが簡単だ。そのため今回はほうきに魔法をかけて魚住を強引に飛ばしている。

 そうして現場近くに舞い戻ると広大な森の奥で巨大な火の手がのぼっていた。木々の隙間を抜けて降り立った秀吉の元へ濃紺の尾を揺らした王子が駆け寄る。

「意外と早かったな。すまんが隊長を任せてもいいだろうか」

 頬を血で汚した第二王子は抱えていた近衛隊長を魚住へ差し出してきた。魚住はうなずいて返しながらも受けとるようにして近衛隊長を抱き抱える。そうして改めて見れば第二王子も傷ついていた。月明かりに照らされた第二王子はどう見てもボロボロで血や砂に汚れており、とても王子には見えない。

「俺はこの魔女にここまで連れてきてもらったが、すぐに他ふたりも駆けつける。特に近衛副隊長が来れば相手が誰でも逃げ切ることができるはずだ」

「そうか。ならば近衛隊長を救うことができそうだな」

 そう微笑んだ第二王子は大きな尾を揺らしながらくるりと踵を返した。

「俺はあの貿易商を救いに行くが、近衛隊長の事は任せたぞ」

 そう告げた第二王子は俊敏な動きで木の枝に飛び上がり去っていく。その姿を目にした魚住は顔をしかめると腕の中で意識のない光秀を見つめた。

 しかしすぐにその目を秀吉へ移す。

「おまえは行かないのか」

「行きたいとこやけど、あんたらのこともほっとけんやん」

「俺のことは気にしなくて良い。それより第二王子を守ってやってくれないか」

 そう言いながら魚住は再び光秀に目を落とした。

「もし光秀が動けたら最優先でそうしていた」

「意識があっても今の隊長さんならわからんけど、元の隊長さんならそやね」

「王子に何かあれば魔女の支配が解けた後で光秀が悔やむだろ。それは防いでやりたいんだ」

 魚住は北の魔女である秀吉に告げながら頭を下げた。何の力もないただの王である魚住よりも、魔女である秀吉のほうができることは多い。それは誰でも思い付くことだった。

 

 

 爆発と炎を目指して走った第二王子の政宗は地面を蹴って素早く駆ける。その合間に彩兎を抱え逃れるとそのすぐ後ろを炎が走った。

 すんでのところで炎をかわした政宗は大きく息を吐きながら悪魔を見据える。

「あーあ、狼さんが戻ってきちゃったか。ちょこちょこ動くからイヤなんだよねー」

 無数の炎を瞬時に作り上げ飛ばす悪魔はそう言いながらも楽しげに笑う。

「オレはさっさと片付けて姫のところへ戻りたいっていうのにさ!」

 語尾とともに炎を飛ばした悪魔はふと紫色の瞳を細めた。焼けた森の中に駆け込んできた細身の男が狼と南の魔女の元へ駆け寄る。そして悪魔が放った炎が不意にその男のそばでかき消えたのだ。

「まぁ、たまには失敗することもあるか」

 駆けつけた男とそれを驚く南の魔女を眺めていた悪魔はその異変に気付かなかった。森を焼き尽くすほどの炎が、突然降りだした雪とともに弱まっていくことに。

「……よくわからないけど……」

 その声は悪魔が驚くほどに冷淡で人間らしい感情が抜け落ちていた。

「おまえが隊長を傷つけたんだな」

「いやいや北の魔女はさっきのひ弱な白いヤツだったでしょ」

 凍えるほどの冷寒に驚き振り向いた悪魔は足元が凍り始めている事に気づいて笑った。慌てて後ずさりその『魔女』と距離を取ると指を揺らして炎の渦を作る。

「あんたはどこの魔女サンなわけ?」

「どうでもいいよね、そんなこと」

 どす黒い瞳を大きく見開かせた『魔女』は口を横に引き伸ばして笑う。

「あなたは滅びる定めの存在なんだから」

「それを言い出したら魔女も狼も滅びる定めでしょ」

 広範囲で地面が凍り付いたため悪魔は宙に浮くことでそこから逃れる。しかしそばのそばの樹木から伸びたツルが悪魔の足に絡んで動きを封じた。そのため悪魔はそこで初めて顔をしかめると足のツルを解こうとする。

「なんなんだよ、そろいもそろってジャマばかりして」

 目障りだなぁとぼやいた悪魔は面倒がってツルを燃やし引きちぎった。

「せっかく関係無いからって手加減してやったってのに」

 再び炎の渦を生み出した悪魔はそれを『魔女』へ向けてたたきつける。しかしそれはすぐに『魔女』の力によってかき消された。

 しかしその隙を突くように悪魔は『魔女』の背後に回り込む。

「死ぬのはどっちだろうね?」

「決まってる」

 まるで悪魔のように闇をはらんだ『魔女』は背後を見る事なく指を動かす。その瞬間、悪魔の頭上に切っ先のような氷が作られ振り下ろされた。

 悪魔は歯を噛み締めると痛みを覚悟しながら炎を生み出す。しかし不意に走った雷が氷の刃を砕き周囲の氷をも砕いていった。

「浅葱、いま何時だと思っているんですか」

「……は、なんで蒼馬さんがこんなとこに」

「それはこちらのセリフです。姫に心配をかけるなんて、それだけで万死に値しますよ」

 語尾とともに深い青色の瞳を金に染めたその男は悠然と『魔女』の前に進み出た。その上で周囲を軽く見やり嘆息を漏らす。

「あなたがあの東の魔女ですか。力あるすべてを殺すモノと文献にありましたが……あなたのそれはもう悪魔の所業ですね」

 焼けていた森は既に『魔女』の力で鎮火しているが、同時に凍り付いてしまっている。これでは木々はその自然力を持って再生することもできないだろう。そう考えるまま告げた男は悪魔を連れて立ち去る。

 そうして残された『魔女』は呆然としたまま暗い瞳で自分の手を見やった。

「……俺が悪魔……」

 

 

「だって、南の魔女を殺さないとまたなんかされるでしょ。ランプから出られなくされるとか」

 焼け焦げた黒い森を降りだした白い雪が染める。そんな中で光秀が凍えないよう抱き締めていた魚住は見知らぬ声に眉を潜めた。

「現にあいつ、エメラルド見てたし。絶対にオレを倒す気だったんだって」

「だからと言って関係無い者まで巻き込んでどうするんですか。姫の立場も考えなさい」

「はーい、スミマセンデシター」

 言葉を交わしていたふたりが森の中で膝を屈している魚住に気づく。そしてその中のひとりが深いため息を吐き出した。

「浅葱、あなたはどれだけ無関係な人間を傷付けたんですか」

 呆れたような言葉を漏らした男はゆっくりと魚住の元へ近づいてきた。そして血まみれの光秀にそっと手を伸ばす。するとみるみるうちに光秀の傷が癒え、腫れ上がっていた足が元に戻っていった。ただ血の痕は消えないらしく血に汚れた顔などはそのままになっている。

「これでいいでしょう。どうせ動けないでしょうが、しばらく休ませてあげてください」

「おまえも魔女なのか」

「ええ、西の荒れ地の向こうから来ました。しかし……こちらも驚かされましたよ」

 そう言いながら男は魚住を見つめて微笑む。

「こんな森に人魚姫がいるとは思いもしませんでした。けれどもしこんな奥地まで王子を追って来たのだとしたら辞めたほうが懸命ですよ。人魚姫の王子は他の者と結ばれ、あなたは悲恋とともに泡沫になる運命ですから」

 人の良さそうな笑顔とともに魔女は残酷な言葉を吐き出す。そんな魔女の言葉は魚住の中にあった幼い頃の記憶を引き出していた。

「王子が、この国にいるのか」

「あなたの心に存在する王子がどこにいるかなど、私に知る由もありません。しかし探し求めたところで、後に待つのは悲しい結末だけですよ。あなたの王子はあなたに恋などしませんから」

 だから無理をしないようにと、魔女は親切めいた言葉を残して立ち去る。そうして残された魚住は光秀を抱く腕に力を込めた。

「この国にいばら姫なんていねぇだろ。それに…俺が惚れてんのは光秀だけだ」

 



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6話

 雪雲が去った頃には満月も沈み、東の空から陽がのぼっていた。城へ戻った第二王子は大きな尾を力なく垂らしながら血と土に汚れた顔で苦笑いを浮かべる。

「……というわけで、完全に力不足だったようだ」

 夜を徹して待ち続けた第一王子は第二王子の報告に顔をしかめ立ち上がった。

「南の魔女は?」

「傷の手当てを受けておるよ。だが彼は完全に被害者なのだから今はゆっくりと…」

「完全に被害者なのは僕の臣下と国民と採掘場だよ」

 第二王子の忠告に反論した第一王子は憤然と駆け出した。広間を飛び出すとまだ薄暗い回廊を駆け抜け軍の医務室へ向かう。

 軍の施設に入ると廊下にたたずむ近衛副隊長を見つけた。窓もなく暗い廊下に立つ彼は第一王子に呼ばれても視線を向けることをしない。

「こんなところで何をしてるんだい。扉の向こうに近衛隊長がいるの?」

「……そう、ですけど…悪魔のような輩がそばにいるのはどうかと思ったので…」

「悪魔のような? 誰かが君にそんなことを言ったのかい?」

「はい」

 意気消沈しているのか、近衛副隊長は暗い廊下で覇気のない声を漏らす。

「あの魔女が来なかったら、僕は森のすべてを氷漬けにしていたかもしれません。もしかしたら前に水鏡で見たように世界を壊していたかもしれない。でもあの人はそんなことはしないし、僕より賢くて皆さんのお役に立てると思います。僕よりずっと……」

 己を責める気持ちのまま言葉を漏らす近衛副隊長に第一王子は吐息を漏らした。

「長政」

 相手の名前を呼べば、近衛副隊長───長政は第一王子に初めて目を向けた。

「僕は君が幼い頃から知ってる。君は誰よりも優しく、人の尽くすことに美徳を感じているような子だった。だから季節外れの花を咲かせたり魚を池へ放流したり、不必要に魔法を使ってしまったこともあった。だけど僕たちは誰も君を疑ったことはないよ」

「でも」

「今は素直に聞けないと思うけど、それだけ覚えておきなよ。僕たちは誰も君を悪魔だなんて思わない」

 そう告げながらハンカチを取り出した第一王子はそれを長政へ差し出す。

「君も僕の近衛なんだからね」

「殿下……」

 ハンカチを受け取った長政はポロポロと涙をこぼし始めた。どれほど強大な力を持っていても長政はまだ十五歳でしかない。そのため今のように落ち込むあまり何もできなくなってしまうこともあるのだろう。

 そう思っても第一王子はそれ以上彼を慰める暇も言葉も持ち合わせていなかった。

「長政、南の魔女はどこだい?」

「…あ、はい。えっとあちらにいます。比較的軽傷なのと、自分で治せるみたいで……東の国の方が一緒にいます」

 長政の説明も早々に歩き出した第一王子は彼が指し示した部屋へ入る。

 静かなその部屋では東の国から来ていた政務官による尋問が行われていた。政務官は第一王子に挨拶をした時と同様の笑顔で南の魔女に話しかけている。

「なるほどな、この国に北の王の力とエメラルドの原石を求めてきたが手に入らなかったと。北の王の事はわからんが、原石は街の宝石商では扱わないのかもしれんな」

「それ以前に今は荒れ地の向こうの帝国がエメラルドを大量に買い求めているそうです。貴族の買い占めによる品薄と価格高騰は貿易商にとっては苦慮の種ですね」

 東の国の政務官である透の言葉に南の魔女は落ち着いた様子で返す。しかしふたりは第一王子に気づくとそれぞれ立ち上がった。

 そして透が笑顔で第一王子に席を勧めるが、第一王子はそれを断る。

「いやはやうちの国の者が騒がせてしまった済まなかった」

「その魔女が東の国から来たことは知ってるよ。だけど、僕の近衛隊長を惑わせて弟の妃たちにも好意を抱かせた結果がこれか」

 吐き捨てるように冷淡に、怒りの感情を押し込めて言い放つ。そんな第一王子の気持ちに気づいているのか南の魔女は微苦笑をこぼした。

「そう。いつでも僕は人を惑わせて人に疎まれるんだ。人によっては少し言葉を交わしただけで僕の魔法に惑わされてしまうからね。だけど南の魔女としての義務は果たしたいから、もう少し生きることを許してもらえると嬉しいよ」

 そう微笑んだ南の魔女は右手に巻かれた包帯を袖口に隠した。

「あの悪魔をもう一度封じることができたら、消えるつもりだから」

「君が消えたら近衛隊長はどうなるんだい。君を求めてここを去るなんてことにはならないよね?」

 遠回しに死ぬことを言っている南の魔女に第一王子は率直な疑念を向けた。すると南の魔女は大丈夫だと笑う。

「僕の母がそうだったように、死ねば魅了の魔法は消えるよ。死んでしまえば過去の人間として捨てられて忘れられる」

「そう、それなら……」

「それは困ります」

 大丈夫だと言おうとした第一王子の背後から戸惑ったような声が飛んだ。第一王子が振り向くと東の国から来ている兵士がタオルを手に立っている。

「困ります。彩兎さんがいなくなるなんて……」

「怜ちゃんは彼に魅了されているんだよ」

 困惑した様子の兵士に透が優しい言葉をかける。しかし兵士───怜は首を横に振って否定を示した。

「たとえ魅了されていたとしても構いません。孤児の俺にとって、街で俺の無事を心配してくれるのは彩兎さんだけなんです。だからいなくなるなんて言わないでください」

 懇願するように告げた怜はそのまま頭を下げる。しかし第一王子はそんな怜に同情することも哀れむこともしなかった。

「君の考えはここではどうでもいいことだよ。南の魔女は役目を全うして消えてもらう。そうしなければ近衛隊長は元に戻らないし、この城は混乱したままだ」

「それでも嫌です」

 頭を下げたままの怜はそれでも引き下がる事なく拒絶の言葉を口にする。そんな怜を見下ろしたまま第一王子はため息を漏らした。

「異国の兵士でしかない君の願いを聞く余地はないと言ってるんだよ」

「あの殿下……」

 開かれたままの入り口から会話が漏れていたのか、廊下にいた長政がやってきた。憔悴した様子の近衛副隊長は少し悩んだ様子ながらも怜を見る。

「少しいいですか」

「もしかして長政はこの兵士の肩を持つつもり?」

「いえ、あの」

 入り口に立ったまま視線をさ迷わせた長政は困った顔で廊下を見る。そのためそばに誰かがいるのかと第一王子は眉をひそめた。

「何をこそこそしてるんだい」

 顔をしかめて問いかけると入り口の向こうから末弟が顔を出した。

「すみません。話が聞こえてしまったので」

「どうして軍の施設に来たのかは聞かないけど、異論があるのなら聞くよ」

「ではまず、慶次と北の魔女は魅了されていないと報告しておきます」

 第四王子である真琴の報告に第一王子だけでなく怜も驚いた顔を見せる。そして南の魔女本人は、そんなことはありえないと首を振った。

「今まで僕に魅了されなかった人なんていなかったし、彼らは現に僕を信頼していたよ」

「真実の愛はあらゆる魔法に打ち勝つ力を持つと言われている。そしてふたりは既に真実の愛を手にしているから魅了されなかったのかもしれない」

「だとしたらなぜ彼らは僕なんかを信頼していたのかな」

「実はふたりは、こっちの長政の帰国にあわせて何かしようと考えていたんだ。そこでとても美味しいお茶を入れられる人が現れる。だったら美味しいお茶とお菓子で長政をねぎらってやろうと計画した。それだけの話なんだ。それに慶次は元々素直でまっすぐな人だから他人を疑うことをしない」

「だけど北の魔女は人を疑うタイプだよね。そのように僕は聞いたよ」

「初対面の人を相手にした時は、確かにそうなってしまう。だけどあなたと初めて会った時、北の魔女はひとりではなかったはずだ」

 真琴の言葉が信じられず否定しようとした南の魔女は再び返され眉をひそめた。

「あの時あの魔女は、僕が近衛隊長に声をかけたところに現れたね」

「近衛隊長がいなければ近づくことはなかった。その後も近衛隊長が海図を眺めたりと楽しげにしていなければそのまま終わっていた。だけど近衛隊長がおかしくなってしまったから、すべては自分のせいだと北の魔女は考えてしまっている」

 だから昼間も採掘場近くまでふたりを追っていった。そう告げる真琴に南の魔女は罪悪感に満ちた顔で視線を落とした。

「それは違うよ。すべては僕があの悪魔に狙われているせいで……」

「周囲の人間の不幸はすべて自分のせい。そう考えるのは魔女になる条件か何かか?」

 南の魔女の言葉を遮るように、真琴は珍しく強い口調で言い放った。あまりの言葉に南の魔女は反論も忘れて口を閉ざす。

「ランプの悪魔とやらは既に国内にいるんだろう。そしてその悪魔が近衛隊長を傷つけた。だとしたらあなたがどうしようと皆黙っていない。そして近衛隊長の弟はもっと黙ってないからな」

「……ねえ、慶次は今どこにいるの?」

 真琴の発言に不安を抱いた第一王子が問いかける。すると真琴は苦笑いをこぼしながら書庫だと答えた。

「書記官のところでいろいろ考えると言っていました」

「三成も大変だね。魔女だの悪魔だの、仕事と関係無い事で相談されて」

「その前にあの広い書庫から海図を探し出す作業に二日かけたと聞きました」

「海図なんてどうするの?」

「そこまではわかりませんが、おかしくなる前の近衛隊長に頼まれたそうです」

「……ふうん」

 つい先程、真琴の口から近衛隊長が南の魔女のところで海図を見ていた旨を聞いている。だとしたらその時になぜか海図が欲しくなったのだろう。

 相変わらず何を考えているのかわからない男だ。そう思いながらも第一王子の表情が和らぐ。そうして室内の空気が変わったところで真琴は再び南の魔女へ目を向けた。

「とりあえずあなたをここには置いておけないから、移動することになるけど良いか?」

「確かにそうだね。僕のようなのは隔離したほうがいいから」

「いや、城には大勢の客を宿泊させる場所がないんだ。だから使者の方々も公爵の邸宅を使ってもらうことになっていたんだが」

「でも僕は牢屋に入れるんだよね?」

「牢は宿泊施設ではないから居心地も悪いし、今の季節は冷えるから勧めない。それより動くのもつらいだろうが、これから公爵の屋敷へ送ろうと思う。ふたりも疲れているだろうがもう少し頑張ってくれると助かる」

 今度は自分が送るからと、真琴は笑顔で怜と透を見やった。その上で怜の肩をポンとたたく。

「もうひとりの使者はどこにいるんだ?」

「近衛隊長さんのところにいます。その…あの方は……」

「魚住さんは隊長さんの事が心配で離れがたく思っているのだよ」

 言いにくそうな怜に代わり、透がにこやかな顔で言う。

「森からの移動の合間も疲れているだろうに隊長さんを運ぶ役目を譲らなかったからな。今頃も心配なあまり手など握ってやっているのだろう。そんな魚住さんに移動をうながすのは、俺としては心苦しい事だがな」

 透の優しい意見を聞いた真琴はふとその目を兄へ向ける。

「近衛隊長が負傷したことが兵士たちに知られれば騒ぎになります」

「そうだね。……長政、近衛隊長の事を頼めるかい?」

 真琴の意見を酌んだように第一王子が視線を移した。しかし長政はいつものような柔らかな笑顔を見せない。

 そして第一王子はやはりそんな長政を救えるだけの言葉を持ち合わせていなかった。

 

 

 



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7話

 街の中心から少し離れた広い邸宅にたどり着いたのは街が目覚める頃だった使用人に出迎えられた真琴はその足で階段へ向かう。三階建ての屋敷で近衛隊長の寝室は最上階に位置していた。

 二階で長政に透と怜の案内を頼んだ真琴はさらに上へ進んでいく。

「そういえばあなたは東の国でどんな役職の方なんだ?」

 三階の突き当たりにある寝室へ向かいながら真琴は後ろを歩く魚住に問いかける。すると魚住はなぜか考え込むように目を落とした。

「俺に任される仕事はあまりない。透がほとんど片付けてしまうからな」

「政務官の補佐ということか」

 ということは今回の使者の中心人物はあの政務官になるのか。そう考えながら真琴は近衛隊長の寝室に入った。

 窓から街を眺めることのできるその部屋は屋敷の主の寝室である。しかしそこには使われた痕跡も生活感も装飾もなかった。もちろん使われた痕跡がないのは優秀な使用人が手入れをした結果だろう。しかし花瓶のひとつも置かないその部屋は、王子である真琴には殺風景なものに思えた。

「光秀はここに寝かせれば良いのか」

「ああ、いろいろな事があって疲れてるところを運んでもらってすまない」 

 目覚めない近衛隊長をベッドに寝かせた魚住は、近衛隊長の額に手を当てる。そして眉をひそめて首元に手を差し込んだ。

 突然の接触に驚く真琴が見つめる先で魚住は真面目な顔を向ける。

「熱がある。このまま看病を続けても良いか」

「あ……ああ、それは大丈夫だ。でも…」

「何か問題があるのか?」

 疑念に顔をしかめる魚住の目の前で、十五歳の真琴は幼さの残る顔に笑みを乗せた。

「近衛隊長は人に触られるのを避けるタイプだと思っていたんだ」

「そうか、知らなかったな」

「東の国でも、近衛隊長は何も言わなかったんだな」

「頭を撫でられたことがないって話は聞いたけどな」

「……頭……」

 魚住の話に真琴は自然と自分の頭に触れた。真琴も幼い頃は近衛隊長に頭を撫でられたことがある。もともと王子として生まれた真琴は家族からすら触れられる機会がなかった。そのためその貴重な思い出は今もうっすらとだが残っていた。

「……おかしいな」

 幼い頃を思い出した真琴は淡い疑念とともに言葉を漏らす。

「俺が幼い頃の近衛隊長はよく頭を撫でてくれたんだ。本当に幼い頃は俺が頼めば抱えてもくれたし、よく手を繋いでくれた。でもいつの間にか人との接触を嫌がるようになっていたように思う」

「それは近衛としての役目を重視したって話じゃないのか」

 白紙にぽつんとインクを落とした時のように、疑念はゆっくりと頭の中に広がっていく。そんな真琴に魚住は立場の違いを出してくれたが真琴は首を横に振って返した。

「いつだったか、近衛隊長がとても冷たい時があったんだ。兄上たちは近衛隊長が口を利いてくれなくなった原因を悩んでおられた。でもそれも少しして解決したらしいが」

「ケンカしたわけじゃないよな。近衛が王子とケンカなんてありえない」

「昔は兄上とケンカもしたし剣も教えていたんだ。二番目の兄は今でも近衛隊長以外の誰にも負けたことがない。でもそれも十年くらい前にしなくなった。おかげで俺は近衛隊長から剣を教えてもらえなかったんだ」

「それは大人になったってことだろ」

 十五歳の真琴は大人である魚住の指摘に目を丸めた。

「大人になったから、剣を教えてくれなくなったのか」

「そんな危険なことはするなっても、普通の兵士は言うからな。怜だってよく言う」

「……そうか。それは仕方ないな」

 大人になり物事の分別がついた。そう結論付けけば納得できなくもない。そう思いながら真琴は寂しげな笑みをこぼす。

「でも俺は、近衛隊長に剣を習ったりケンカをしたり叱られたり……したかったんだ」

 末王子の真琴は兄たちがしてもらった事をほとんどしてもらえていない。それを羨ましくも寂しく思いながら無理やり笑みを作った。

「臣下だ近衛だと、今のように距離を置かれてめも合わせてくれないのは寂しいな」

 若い王子の発言は魚住にも覚えのあるものだった。透はそのような態度を取らないが、真面目な怜は大切な御身とよく口にする。そしてその聞き慣れない単語が魚住は少し苦手だった。

 

 

 

 魚住を残して寝室を後にした真琴は二階へ戻り長政たちを探す。そして長政と合流すると彼にも今日1日は休むようにと告げた。元々この屋敷は長政の住む家でもある。そのためこのまま休ませられるだろうと考えていた。

 しかしそう提案した真琴に異論を唱えたのは東の国の兵である怜だった。

「城へお戻りになる殿下に誰も付かないのは問題だと思います」

「大丈夫だ。俺は兄上たちと違って街を歩いても気づかれない」

 何かと目立つ兄たちと違って民は自分に気づかない。そう笑った真琴は何も言わない長政にゆっくり休むよう告げて屋敷を後にした。

 街の中心から離れた屋敷は閑静で落ち着いた雰囲気がある。城の前で拾われたという長政はここで育てられた。そんな長政を昔の真琴は素直に羨ましいと思っていた。

 冷たい城内で多忙な父とは言葉を交わせず、母は幼い頃に他界してしまった。そして周囲の人間からは兄たちの邪魔をしないようにと事あるごとに言われている。特に赤ずきんの主人公でありこの国を継ぐ長兄には近づくことも許されなかった。

 そのため子供の頃はいつものように長政と一緒だったが、彼は夕方には帰宅してしまう。もちろん彼も帰宅後に魔法などの勉強をしていたと聞く。それでも帰宅すれば、常にあの近衛隊長がそばにいてくれる。長兄よりも年上で賢く強い近衛隊長は、幼い真琴には心強くも憧れの存在だった。

 ある日を境に冷たくなった彼だがそれでもきっと家では長政に優しくしているはずだ。そんなことを勝手に想像して羨むことが多々あった。

「まーこーとー!」

 小さな寂しさに吐息を漏らした真琴へ愛しい声が飛んでくる。それに驚き視線を向けた真琴は通りの向こうに誰よりも大切な妻を見つけた。

 その笑顔を見た真琴の胸に小さな安堵感と暖かな気持ちが灯る。雪まじりの風が流れる季節にここまで暖かな気持ちにさせてくれる人など他にいないだろう。そう思いながら立ち止まった真琴の元へ慶次が跳ねるような足取りで走ってくる。

 しかし前しか見ていなかった彼は横手から走ってきた小柄な少女と激突してしまった。

「慶次!」

 地面に転がったふたりのもとへ駆け寄った真琴は慶次の腕をつかむ。そして立ち上がらせながらも少女へ手をの場した。

「すまない、怪我はないか?」

 地面にしりもちをついた少女は痛みに顔をしかめながらも真琴たちを見上げる。そして真琴の手を見てその手をつかみ立ち上がるが、その顔はどこか赤らんでいた。

「ありがとうです。えっと……こっ、ちらこそすみませんでした」

 立ち上がった少女はひざ丈のスカートをはらいながら照れたように笑う。そんな少女の様子を見ていた慶次もなぜか困ったような顔で真琴を見る。

「あのさ、真琴がカッコイイのはわかるよ」

「あ、はい。この人はかっこいいです。たぶん王子様とか、そんな感じがします」

 少女の発言に真琴は目を丸めて固まった。一瞬で地位を見抜かれたらしいが一体どこを見て気づかれたのか。それを全力で考える真琴のそばで慶次は眉をひそめる。

「確かに真琴は王子様みたいにカッコイイよな。けど」

「そうじゃなくて、物語の王子様みたいな感じです。えっと、こっちに来てから一年くらいたってるんですけど、物語の役? を持った人をというか…そういうのはなんとなくわかるというか」

 幼い少女は長い茶色の髪を揺らしながらパタパタと手を動かし語る。そんな少女を凝視していた慶次はややあって真琴に目を移した。

「つまり……?」

「主人公を見抜く人は街にも少なからずいるけど、それ以外も見抜ける人は珍しいな。彼女は物語の役目を持った人間を見つけられる目を持ってるんだ。兄上たちは赤ずきんと狼と狩人だろ? 見抜ける人でも普通は赤ずきんまでしか見抜けないんだ。でもたまに彼女のようにそれ以外も見抜ける人もいる」

 真琴が説明すると慶次はなるほどと唸りながら何度もうなずいた。

「けどそれを見抜けたら何かあるのか?」

「まずそういう目は貴重だから仕事に困らないな。特にこの子のような人材は城でもとても大切にされる」

「大切にされてっていえばされてる、かな。でもそれは代わりとしてだけど」

「その目を持つ人間が何の身代わりになるんだ?」

「えっと……主人公仲間なら話しちゃって良いかな」

 少女は少し悩んだ様子でつぶやくと周囲を見やった。その上で真琴を見つめる。

「わたし…っていうか、おれはホントは男で、荒れ地のむこうの国で姫のかわりをしてたんです。でもホントはこの世界の人間じゃなくて、ちがう世界からきたんです」

 真剣な顔で語る少女を前にした真琴は真面目な顔のままひとつうなずいた。

「慶次以外で女装のかわいい人がいるんだな」

「真琴そこじゃないからな」

「ああ、そうか」

 妻以外で完璧な女装のできる人間がこの世にいたなんて驚いた。素直にそう思った真琴だが、慶次の指摘に論点を取り戻す。

「あなたはあの帝国の姫君なのか」

「今年十歳になりました。たぶんなんですけど、おれはオズの魔法使いの主人公なんです。親と旅行にいったとこで竜巻に飛ばされてこっちにきたし。でも下敷きにした蒼馬さんのおかげでケガはなかったからいいんですけど」

「その下敷きにしたという人が帝国の関係者なのか」

「その人は西の魔女です。おれは西の魔女の蒼馬さんと浅葱といっしょにレンガの道を歩いてこの街にきたんですよ。でもここについてすぐに浅葱が消えちゃって、蒼馬さんに探してもらってるんですけど」

 西の魔女という単語に真琴は慶次と顔を見合わせる。けれど真琴はすぐにその目を少女へ戻した。

「ここで立ち話もなんだから、時間があるのなら俺の家に来ないか。暖かいお茶くらいなら出してやれるから」

「それはうれしいですけど、ここがエメラルドの国なら王様と会いたいんです。オズの魔法使いだとエメラルドの国の王様は大魔法使いだから」

「この国の王が大魔法使いというのは聞いたことがないが、それも力になれると思う」

 だから来てほしいと真琴が誘いを向ければ少女は嬉しそうな顔でうなずいた。

 

 街をゆっくり歩きながら、真琴はエメラルドが品薄になっているという話を向ける。なぜなら品薄の原因こそが帝国の姫にあるためだ。

 そうして話をすると、凜と名乗った姫の代理は苦笑いを浮かべた。

「エメラルドの国にいきたいって言ったらちがう感じで広まったみたいです。でもホントならたんじょうびのお祝いをされるのは本物のお姫様だから」

「本物の姫はどこにいるんだ?」

「わからないです。お父さん…じゃなくて王様がいうには、お姫様はときどき街とか近くを歩いてたらしいんです。その日もお姫様はこっそり城を抜け出してて、それを探した城の人が見つけたのはおれなんです。しかもおかしいつていうか、ふしぎなのがこれなんですけど」

 そう言いながら凜は自分の長い髪をつかんだ。

「元の世界のおれはこんなじゃなかったんです。ふつうに小学校いってたし、サッカーもやってたし。ほかのとこは女になってないからいいけど」

 不安げな顔で漏らした凜は胸元に目を落とした。しかしすぐに視線を持ち上げると真琴と慶次を見上げる。

「そういえばふたりが主人公と王子様なら、物語みたいな関係なんですか? いつまでもしあわせにくらしました、みたいな」

 不意に話題を変えた凜に問われて真琴と慶次は顔を見合わせる。そして照れたように笑う慶次のそばで真琴もつられるように微笑んだ。

「はじめて好きになった人のそばにいられるから毎日が幸せだと思う。だが何の問題もなく皆が幸せであったなら、もっと良いんだけど」

 愛する人がそばにいてくれて、さらに妻は真琴の中にある孤独を簡単に消してくれる。真琴個人としては、きっとそれ以上の幸せはないだろう。しかし王子という立場や兄たちの事、そして何より今の近衛隊長の事を考えるとひとり幸せでいてはいけない気がした。

 けれどそんな細かいことを言うでもなく、真琴は凜にいろいろあると告げる。すると凜は幼いながらも理解した様子でうなずいた。

「やっぱそこは物語みたいにはいかないですよね。みんな人として生きてるし」

「そうだな。近隣諸国との関係もあるし、今はランプの悪魔の問題もある」

 真面目な顔で語る真琴は街を抜けて前方にそびえる城門を見上げた。そんな真琴の隣で凜は困惑した様子で真琴を見つめる。

「あの……ランプの悪魔の問題って」

「ああ、その話はお茶を飲みながらしよう。もう着いたから」

 そう告げた真琴は開かれたままの城門へと向かい歩いていく。その後を着いていこうと前方を見た凜は驚きに目を丸めた。

「そっ……そうですよねー……物語の王子様はみんなガチの王子様だもんねー……」

 ははははと乾いた笑いをこぼした凜は駆け足で真琴の後を追いかける。そんな女装少年の裏表のない態度に慶次は少しばかりの安堵を抱いた。

 かなり離れた位置にあるが隣の国の姫と聞けば、やはり緊張と警戒はしてしまうものだ。なにせ慶次が誰よりも大切で大好きな相手は、誰よりも賢くて格好良い王子様なのだ。隣国の姫がどんな人物であっても、真琴を好きにならないとは限らない。

 けれどどうやら凜は素直な性格で、裏で何かをたくらむ性格ではないらしい。それなら頭の悪い自分が出し抜かれたりはめられることはないと思う。

「慶次」

 城門で立ち止まっていた慶次は真琴に呼ばれて駆け出す。すると真琴は嬉しそうな顔で手を差し出してれた。

 真冬の朝は気温が低く、真琴の迎えに出た慶次の手はすっかり冷えてしまっている。そんな慶次の手を握った真琴は優しい笑顔と共に慶次の手を自分の頬に当てた。

「すっかり冷えてしまったな」

 そばを兵士が歩いているにもかかわらず真琴は平然と気遣ってくれる。それはとても嬉しいがと、慶次はふとそばにいる凜に目を向けた。

 すると凜は首から上を真っ赤にさせながら両手で顔をおおっている。

 

 

 

 



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8話

 城の奥には王族だけが使えるサロンがある。大きな窓が何枚も設置されたそこは日当たりが良く冬には居心地の良い場所だった。

 そこで暖かなお茶を出した真琴は凜がこの世界に来た経緯を聞く。そんな真琴の横には先にここを使っていた第三王子がいた。いつも静かな兄は今も凜の話に目を向けることなくケーキをたいらげている。

「……そんなわけで、オズの魔法使いの物語のまんまここにきたんです。エメラルドの王様は大魔法使いでおれを元の世界に帰してくれるはずだから」

「だが父上は大魔法使いどころか魔法使いでもない普通の人だ。長年この国は普通の人が支えてきた。だから主人公である兄上が生まれた時は本当に大騒ぎだったらしい」

 凜の望みをくじくのは悪いと思いながらも真琴は正直に告げる。すると隣にいた兄が頬杖をついたままそうとは限らないと言い出した。

「信長が生まれた時の大騒ぎは、盛大に祝ったって話だけじゃないからナ」

 焼きリンゴにフォークを刺しながら兄は気のない顔で言い出す。しかし当時の事を詳しく知らない真琴はそんな兄に首をかしげた。

「祝福以外に何があったんですか?」

「俺も詳しく知らないけど、王位継承権を動かすのって簡単じゃないんだヨ。近衛隊長は何度も殺されかけたらしいし、近衛連帯なんて最初はお飾りだったからナ。だからホントなら、あいつは信長のこと恨んでるはずなんだヨ」

「近衛隊長が兄上を?」

「叔母さんが死んだのも事故じゃないって聞くからな」

 兄のいう叔母は、真琴の父の妹で近衛隊長の母親のことだ。十年前に旅先で船が沈没して亡くなったと真琴は聞いている。

「近衛隊長が手袋をつけ始めたのも帽子をさげて顔を見せないのもあの頃からだヨ」

「俺たちは近衛隊長に嫌われてるんですか」

「嫌ってても、近衛隊長の役目があるから仕えてるんだヨ。たぶんナ」

 兄は第三王子でありすぐ上の兄でもある。けれど生まれた順で言えば一番上の兄だった。しかし主人公を第一王子にする中で兄は三番目を選んだらしい。そして兄は、それが一番楽そうだったからと今でも言う。

 第三王子の話に表情を曇らせた真琴が見てられず、慶次はその手を握った。

「兄ちゃんは真琴のこと嫌ったりしないよ」

「嫌うとしたら真琴より信長だからナ」

 慶次と兄に慰められた真琴は小さくうなずきながら視線を落とす。しかしふと客人の事を思い出すと前へ目を向けた。

「すまない。話の途中だったのに」

「いえ、やっぱおとぎ話のままじゃないってわかったからだいじょうぶです。でも王様が大魔法使いじゃないなら、五人目の魔法使いはいないってことですかね。オズの魔法使いだと東西南北の四人の魔女が出てくるんです。それとオズの国に大魔法使い」

「四人の魔女?」

 凜の話に真琴は自然とその目を慶次へ向けた。慶次はそれにうなずいて返し秀吉たちの事だと告げる。

「秀吉は魔法の力を手放さなかったから、今でも北の魔女だな。それに彩兎さんはランプの悪魔を封じた南の魔女の子孫らしい。それと凜さんと一緒にいる蒼馬さんは西の魔女なんだよな? だとしたらあとは東の魔女か。その四人を集めたら五人目の大魔法使いが出てくるのかもしれないな」

「そういうのってよくありますよね。RPGとかで」

「あーるぴーじー?」

 慶次の提案に喜んだ凜だが、彼の言葉がわからない慶次は首をかしげる。しかし凜は首を横に振ってなんでもないと返した。

「えっと、じゃあおれは東の魔女を探して……じゃなくて、ランプの悪魔です」

 一度は椅子から降りようとした凜だったが、思い出したように座り直した。

「その彩兎さんって人が南の魔女で、ランプの悪魔を倒そうとしてるんですか?」

「うん。たぶんそうだと思うけど、昨日その彩兎さんが悪魔に襲われたんだ。その悪魔はエメラルドの採掘場を爆発させてさ。彩兎さんは少しのケガですんだけど兄ちゃんが酷いケガをしたんだ」

 ホント悪いやつだよと、慶次は義憤のままつぶやく。そんな慶次の前で凜の顔色が血の気が引いたように白くなっていた。

「爆発させたんですか」

「そう。悪魔っていうからどんなかと思ってたけどホントに悪魔だよな。採掘場の人たちも何人かケガしてるしさ。兄ちゃんが機転利かせて悪魔を採掘場から遠ざけたからそれだけで済んだらしいけどな。そうしなかったら死人が出てたかもって」

「それはひどい……」

 青白い顔でつぶやいた凜は悲しげな表情のまま嘆息を漏らした。そんな凜の背後で、窓が音をたてて開かれる。そうして冷たい空気とともに男がひとり入り込んできた。

 城の三階に位置するサロンへ外から入り込むという非常識な所業に第三王子が立ち上がった。

「ヒトサマの家に入るときは玄関からって習わないのかヨ」

 立ち上がった第三王子はテーブルの横をまわり幼い凜の後ろに立った。そうして椅子に座る三人を守れる位置に立ったまま手元のフォークを口に運ぶ。

 フォークに刺さっていた焼きリンゴを食べた第三王子はその先を男へ向けた。すると男は端整な顔に笑みを乗せて頭を下げる。

「無作法な行いは謝罪しましょう。こちらも我が姫を心配するあまり、冷静さを欠いていました」

 謝罪を向けられた第三王子は面倒そうな顔で自分の背後にいる凜を見た。すると凜は照れたような顔で椅子から降りる。

「西の魔女の蒼馬さんです。おれをここまで連れてきてくれた優しい人なんですよ」

「優しい魔女、ナ」

「この世界の人は魔女を怖がってるみたいですね。忌むべき存在だーとかなんとか」

 凜の言葉に第三王子は肩をすくめる。そんな第三王子の態度を目にした蒼馬はくすりと笑った。

「この城の者は例外のようですよ。外で北の魔女が魔法を使って除雪らしいことをしていましたから」

「ホントですか! それは見たいかも……じゃなくて! 浅葱が採掘場を爆発させたっていま聞いたんですけど!」

 どうなってるんですかと床を踏みしめる幼いその姿は姫というには元気すぎた。そんな凜の姿に唖然となる真琴の隣で慶次は立ち上がり凜の隣に向かう。

 そうして眺める先で蒼馬がマントの中からブリキのランプを取り出した。

「確かに昨夜はかなりの規模で暴れていましたね。おかげでこんな時刻でもまだランプから出てきません」

「あばれてましたねって、蒼馬さんは止めなかったんですか」

「止めるも何も、駆けつけた時にはほぼ終わってましたからね。東の魔女の悪魔のような力が浅葱を追い詰めていました。本当に、伝承の通り恐ろしい力です」

「ん?」

「あれ」

 しみじみと告げる蒼馬の言葉に引っ掛かった凜と慶次は顔を見合わせる。そしてふたりは同時に蒼馬を見た。

「蒼馬さんいま東の魔女って」

「四人目の魔女はもうこの國にいるってことか」

 凜と慶次は言葉を並べて問いかける。そんなふたりの様子に蒼馬は優美な笑顔を見せながらも、いましたよと言う。

「伝承の通り、すべての力を破壊する恐ろしい存在です。しかも周囲すべてを凍らせ、さらに浅葱を殺そうとするその様は悪魔のようでした。あれを見れば、確かに人々が魔女を忌み嫌うのもわかりますよ。あの魔女ならたやすく世界を滅ぼしてしまえそうですからね」

 蒼馬の表情は柔らかく笑顔のままだったが、その目は笑っていなかった。

「あんなモノに、我が姫を近づかせようとはとても思えません」

「でもその魔女に会わないとオズの大魔法使いにたどり着けないじゃないですか。大魔法使いに会わないと物語は進まないしおれは元の世界に帰れないから」

 凜の身を心配する蒼馬だが、凜の帰りたいという言葉に口を閉ざす。そしてそんな蒼馬が一瞬だけ見せた寂しげな顔を第三王子は見逃さなかった。

 しかし何も言わない第三王子のそばで何も気づいていない慶次が口を開く。

「けど、その凜の物語ってさ。そのまま進むものなのか?」

「どういうこと?」

「オズの魔法使いか? その話の中に俺や真琴みたいな他の物語の人は出てくるのかなって思ってさ。そもそもここは凜が言ってたオズ王国じゃないし、ここの跡取りは赤ずきんの信長なんだ。だから……」

「物語が正確に結末まで進むわけがないヨ」

 頭の良くない慶次が全力で考えながら告げようとした事を第三王子が一言で片付けた。そのため慶次は目を丸めて第三王子を見上げる。

「うちの赤ずきんは自己主張が強いし、狼はいつも赤ずきんを守ってる。だから俺はふたりに甘えて何もしないまんまのんびり生きてるんだヨ」

「その国がどんな物語を抱えるかは、国に生まれた最初の主人公によって決まると言われています。つまりこの国は赤ずきんの国で、我が姫が求める国ではないということになるのでしょうか」

 第三王子の説明に蒼馬は真面目な顔で質問を向けた。すると第三王子はため息を漏らしながら肩をすくめる。

「俺はこの姫の話を知らないし、興味もないヨ。けどあいつならどんな事も教えてくれるし、もしかしたら助けてくれるかもナ」

 第三王子はそう言い放つとフォークをテーブルに置いた。

「俺の自慢の星、会いたいって言うなら連れてってあげなくもないヨ」

「そんなすごい人がいるなら会いたいです。おねがいします!」

 第三王子の言葉に凜は勢い良く頭を下げる。とたんに第三王子は目的地へ向かうべく歩き出した。そんな兄を見ながら立ち上がった真琴は自然と笑みをこぼす。兄は自分では何もせずのんびり生きていると言うが、実は違う。特に今日のように徹夜明けで他ふたりの兄が休んでいるような時は黙って代わりを務めるくらいはしてくれる人だった。

 むしろこの兄のことだから他ふたり同様に徹夜明けで一睡もしていないに違いない。けれど疲れた様子は見せず、愚痴も口にしない。

 

 

「みっちゃーん!」

 書庫ではなく執務室で仕事を片付けていた三成の元へ元気な声が飛び込む。勢い良く扉を開けて現れた慶次は朝方と違って笑顔を見せていた。

「帝国からお姫様が来てて、エメラルドの大魔法使いを探してるんだ」

 何の前触れも説明もなく本題に入る弟に三成はペンを止めて目を向けた。すると少し遅れて第三王子が見知らぬ人間を連れてきた。

「オズの魔法使いの主人公ですか?」

 三成が問いかけると少女が背筋を伸ばす。

「近藤凜です。小学三年の夏休みに竜巻に巻き込まれてこっちの世界にきちゃったんです。だから物語を進めて元の世界に戻りたいんですけど」

 凜と名乗った女装少年の言葉に三成はペンを置いた。帰りたいと素直に訴える彼の背後でひとり顔を背けた人物がいる。しかし三成はそれに言及することなく凜へ目を戻すと口を開いた。

「ではご存じかと思いますが、エメラルドの大魔法使いなどというのは虚構です」

「キョコウ……とは」

「嘘と言うことです」

「じゃあオズ王国とか大魔法使いはウソってことですか? ない?」

 察しが良い三成は弟が説明しなくても本題に入ることができる。しかしそんな頭の良い三成の早すぎる展開と難しい言葉に、幼い凜は苦心しながらついていこうとした。

 その素直で真摯な凜の姿を前にした三成は視線を背ける。

「その前に、その国があったとしてオズがあなたに手を貸すと思いますか?」

「えっと…でも物語だとなんか助けてくれるって」

「物語では、オズの王は主人公にひとつの依頼を向けます。『西の悪い魔女を殺してほしい』と。あなたが願いをかなえてもらうには、それを成さなければなりません」

 三成の説明に凜の顔が青くなる。そして泣きそうな顔で首を横に振った。

「蒼馬さんはずっとおれを助けてくれました。この世界からしたら魔女は悪いヤツでたおす相手かもしれません。でもおれには大切な人なんです」

「何もできないのに願いは叶えてもらう。そんな身勝手な話はありませんよ」

「でも…ホントにホントに大切で……」

「みっちゃん!!」

 凜が涙をこぼしたと同時に慶次が声を張り上げた。

「なんでこんな小さな子に意地悪いうんだよ! そのオズさんはもしかしたらすっごい優しい人かもしれないだろ!」

「確かに、元の世界に帰してくれる力を持った人が善良である場合もありますね」

 憤然と声を上げる慶次を前にしても三成の落ち着きが崩れることはなかった。ただゆっくりと立ち上がった三成は日差しの差し込む窓を背にしたまま眼鏡をはずす。

「しかしその善良な人は北の王が殺してしまいました」

 ハンカチで眼鏡をふいた三成は何事もないようにその眼鏡をかけ直す。その仕草を呆然と見つめていた慶次はややあって首をかしげた。

「へ……?」

「十二年前、この国に現れた彼女は願いと代償を置いていきました。どんな願いもかなえる代わりに自分の子を守り育てて欲しいと。彼女であれば凜さんを望んだ居場所へ送ることもできたでしょう。しかし彼女はその後、殺されてしまいました」

「……じゃ、じゃあ、長政は」

「西の魔女とランプの悪魔を殺せば聞いてくれるかもしれませんね」

「なんでそうなるんだよ!」

 再び凜を苦しめるようなことを言い出す三成に慶次は顔をしかめた。しかし三成は落ち着いた表情を崩すことなく蒼馬を見る。

「ランプの悪魔は近衛隊長を傷つけました。そしてその悪魔を殺そうとしたあの子をあなたが止めた。そんなあなたがたの望むことをあの子がするとは思えませんよ」

「なるほど……昨夜のあれは北の魔女の子だったんですね。ではあなたのいう通り、私は我が姫のために死ななければならないようだ」

 すべてを悟ったらしい蒼馬はそれでも笑顔を見せていた。しかしその笑顔は凜に服をつかまれたことで消える。

「いやです。そんなのイヤだ」

 涙に顔を汚しながら凜は蒼馬を見つめて嫌だと繰り返す。その姿を前にしては蒼馬も笑顔でいられなかった。

「姫、あなたは私に人と言葉を交わす楽しさを教えてくれました。そんなあなたの為ならこの命など惜しくはありません」

「だったら帰りたくない」

「姫……」

「蒼馬さんはこの世界にひとりぼっちだったおれを助けてくれた。竜巻から落ちたおれを受け止めてくれて、ずっと一緒にいてくれて、ここまで来られたのだって蒼馬さんのおかげだよ。だから」

「では諦めてください」

 凜の精一杯の告白は背後から飛んだ冷淡な一言にかき消された。それがとどめのように口を閉ざした凜は蒼馬の服にしがみついたまま嗚咽を漏らす。

 幼く小さな身体を震わせながら泣くその姿がいたたまれず慶次は歯を噛み締めた。そうして兄をにらんだその先に新たな言葉がこぼれる。

「俺も諦めたんですから」

 ぽつりと漏れたその言葉に慶次はきょとんとした顔を見せた。

「……みっちゃん?」

「オズの大魔法使いは虚構。異世界から落ちてきた後、この国の人間をだまして魔法使いと偽り王となった男です。俺の場合は王になる必要も、何かを偽る必要もありませんでしたけどね」

「え、ってことはみっちゃんが凜の探してた大魔法使い?」

「そうなるかもしれませんね」

「だったら最初から言ってくれよ。それに凜に意地悪なこと言う必要もなかったろ」

「そうですか? 言わなければわからなかったと思いますが」

 いまだ怒りがくすぶる慶次の文句に三成は素直な言葉を返してくる。しかしその意味がわからない慶次は口をとがらせて真琴に目を向けた。

「言わなきゃわからないって、何も言ってないよな」

 意地悪しただけでとぼやく慶次に真琴は微笑みながら首を横に振る。

「いつもそばにいると、大切と言う気持ちを見落としがちになるからな」

「……あっ、そっか。いやでも大切だって気づいたけどなんの解決にもなってないっていうか。西の魔女さんがいい人だってわかっても、長政を説得できるとは限らないっていうか」

 凜が自分の気持ちに気づいたからといって、それで長政をどうにかできるわかではない。そこで引っ掛かった慶次はどう説得すればいいかと悩み始めた。

 そんな慶次の姿を眺めていた第三王子はポケットから棒つき飴を取り出す。

「三成、この飴これで終わりだヨ」

 清らかな美麗と民に称される笑顔を三成に向けながら第三王子が声をかける。そんな第三王子に目を向けた三成はそのままじっと王子を見つめた。

 そのまま長く見つめていた三成は、ややあって愁眉を寄せる。

「……あなた……まさかその為に彼らを連れてきたんですか」

「俺は飴が欲しいって言ってるだけだヨ」

 王子の真意に気づいた三成に対して、王子本人はのらりくらりと返している。そんなふたりのやり取りに気づいた凜は蒼馬にハンカチで顔をふかれながら目を向けた。そして第三王子の手元にある飴に驚き指差した。

「それ! チュッパ飴! おれの世界のやつなのになんで!」

「持ち歩けて便利だよナ」

「なんでここにあるんですか?」

「ン、だから三成がくれるんんだヨ」

 凜の問いかけに第三王子は棒つき飴を揺らしながら笑う。しかし三成はそんな王子へ不機嫌な顔を向ける。

「あげませんよ。話が終わったのなら出ていってくれますか」

「お姫様が大魔法使いに会いたいって言うから連れてきてやったのにサ。ケチ」

「仕事の邪魔をしないでください」

「俺の頼み、聞いてヨ」

 愛想のかけらもない三成に第三王子は妖艶に目を細めながら告げた。普通の人間であればそれだけでどんな願いも命令も聞き入れていただろう。

 三成はそんな第三王子に呆れつつも白い手を差し出す。するとその手のひらにどこからともなく二本の棒つき飴が現れた。

 その現象を目の当たりにした慶次はぱちくりとまばたきを繰り返す。

「どういう……え? みっちゃんまさか……!?」

 きょとんとしていた顔を驚きと興奮に輝かせながら慶次が問いかける。しかし三成はそんな慶次にも冷めた目を向けた。

「違いますよ。世界の理を逸脱しているだけです」

 三成の難解な返答は、慶次の興奮を一瞬で鎮火させる効果があった。

「それはちょっとむつかしすぎてわからないです」

「異世界から来た人間は、この世界に降り立った時点では何の役目もありません。王でも平民でも主人公でも王子でもないんです。そしてそれは同時に、どんな役にもなることができるということなります」

「えっと、俺が主人公で真琴が王子様とかの話だよな」

「ええ、この世界では生まれた瞬間にそれが決められるんですよ。しかしここで生まれていない俺はそれを持たないため、自分で決めることができました。凜さんも同じだと思いますよ」

 慶次にもわかるような説明をした上で、三成はぼんやりと立ち尽くす凜に飴を差し出した。凜は進み出るように三成へ近づくと飴を受けとる。

「主人公とか王子様を見つける力のことですか」

「おそらくあなたは仲間を見つけたかったのでしょう。あなたは無意識のうちに今の役を選んだんですよ」

 先程と同じように三成は真面目な口調で凜に話しかける。しかし西の魔女を殺すようにと言う彼とは真逆の印象が得られた。さっきまでは慶次が言う通り意地悪だと思えたが、今は同じ境遇の仲間のように思える。

「それで三成さんは大魔法使いを選んだってことですか」

「それは結果論ですが、あなた向けに言えばそうなるかもしれません」

「じゃあ、おれの願いを三成さんに頼んだら聞いてくれたりとか…」

 先程は物騒な代償を求められたが今回はきっと大丈夫だろう。仲間意識とともにそう思い込んだ凜は再び願いを向けてみる。

 けれど三成は凜の予想に反して笑顔で承諾してくれなかった。

「今すぐには無理ですよ」

「やっぱり……」

「西の魔女を殺せとまでは言いませんが、問題を解決しなければいけませんからね」

「問題……あ、南の魔女が浅葱をたおすっていう」

「片方はあなたと親しいのでしょう。でしたら解決できそうですね」

 頑張ってくださいと言う三成はやはり笑顔のかけらも見せない。しかし人形のように表情の変わらないそれに慣れてしまえば怖いものもなかった。

 そのため凜は承諾の意を見せるため笑顔でうなずく。

 

 

 

 

 

 



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9話

 赤ずきんでもそれを殺す狼でもない。何も起きなければ何の意味もない役目を持って生まれた幸村は、最初は第一王子だった。けれど後に生まれた王子が『赤ずきん』だったため第一王子の立場を失う。

 それでも柔らかにきらめく金色の髪とエメラルドの瞳を持つ王子は皆に愛された。事あるごとに人々は神に祝福された容姿だ、御使いのようだと第三王子を褒め称える。

 けれど第三王子は退屈していた。狼である政宗は物心付く前から公爵家に預けられ、赤ずきんの信長は勉強に忙しい。そのため第三王子はずっと独りだった。

 そして暇潰しのように中庭の木陰に転がり空を眺める。そこに彼は現れた。

「そこをどいてくれますか」

 淡い茶系の落ち着いた瞳が王子を見下ろしてくる。城にいる人間はけっして王子を見下ろしたりしない。気づけば床にひれ伏してこちらに目も向けない。そしてそれが当たり前で礼儀なのだと大人たちが教えてくれた。

「おれをみおろすのは不敬だヨ」

「あなたのような子供を上に見るようにはできていないんです。それより邪魔なのでどいてくれますか」

 どこまでも失礼なその子供は見下ろしたまま王子に移動を命じてくる。それが気に入らない王子は無視することにした。

 すると新たに幼い子供がやってくる。

「みー、おはなしゃかしぇりゃーない?」

「咲かせられますよ」

 つたない言葉に問われた子供は王子の腕をつかむ。すると不思議なことに王子の身体がふわりと浮かび上がった。

「どんな花がいいですか?」

「みーのおはなしのきれーなの」

「わかりました」

 その子供は幼い相手にはとても優しげな顔を見せていた。王子に向けられるものとは違う柔らかな笑顔で白い手をすっと横へ動かす。

 すると王子の視界のすみに桃色の何かがちらつき始めた。それにつられるように見上げた王子はいつの間にか地面に降ろされている。

 そうして見上げた先で、葉がしげっていただけのつまらない木が満開の花に包まれていた。

「これ魔法……」

 驚きに目を丸めたまま王子は再びあの無礼な子供を見やる。桃色の花びらが散る中で見たその子供は、王子の目に特別な宝物のように見えた。

 

 

 

 問題を解決するぞという慶次の掛け声が廊下に響く。客人が立ち去った執務室で三成は大きなため息を吐き出した。

「どうして彼らをここに連れてきたんですか」

 疲れた顔で椅子に腰かけた三成の目の前には、机に座る第三王子がいる。彼は先程三成が出した棒つき飴を指先で転がし遊んでいた。

「信長たちも近衛隊長も使えなくなった。動けるのは俺だけだけど俺はなんにもできない。それなら俺は俺のとっておきを出すしかないヨ」

「いつ俺があなたのとっておきになったのか知りませんが、巻き込まないでください。俺のこの特技もあなた以外の誰にも知られてなかったんですから」

「前の時も傍観してたもんナ。近衛隊長が消えた時も居場所を知ってたはずなのにサ」

「部外者が下手に手を出して物語が狂ったらどうするんですか。それに苦難を乗り越えるのは主人公の……」

 仕事に戻るため書類を広げる三成の眼前に、不意に金色の前髪が入り込んだ。視点を手元から移せば目の前にエメラルドのような緑の瞳がある。

「おまえは部外者じゃないヨ。近衛隊長の弟でこの国の書記官で俺の自慢の星。独りぼっちで夜を過ごしてる俺の部屋に来てくれて、甘くて優しいものをくれたただひとりだヨ」

「王子命令と呼び出され、さらに寝付くまで本を読めとさがまれた記憶ならありますよ」

「俺の寝室に忍び込めるのはおまえだけだったからナ」

「俺は仕事に戻りますから、あなたの我がままに付き合うのはこれで終わりです」

「……なら、最後に教えてヨ」

 仕事に戻りたい三成に、第三王子は鼻先が触れるほどに顔を近づけてささやいた。

「近衛隊長を壊したのは誰」

 問いかけた第三王子の目の前で三成の瞳が大きく開かれる。しかしすぐに再び視線を落とすようにその長いまつげを伏せた。

「本人です」

「近衛隊長?」

「ですから今のままなら、使者としてこの国へ来てくれたあの人魚姫の想いも成就しません。本来の物語のまま悲恋として終わるでしょう。たとえ慶次がまた物語を書き換えたとしても、あの人を救うことはできません」

「おまえは近衛隊長が壊れたまんまで良いと思ってるんだナ」

「あの人自身が望んだことですから」

「けどあいつが壊れてるから真琴は苦しんでる。信長も政宗もそうだヨ」

「王子だけが苦しんでいるというのなら、その苦しみを飲み込んで黙りなさい」

 皆が苦しんでいるのにと訴える第三王子へ三成は冷徹な言葉を突き刺した。あまりの言い草に第三王子は顔をしかめて黙り込む。

 そうして離れた第三王子を見上げた三成はまっすぐな瞳で口を開いた。

「この国が平和で皆が幸せでいるには、そうするしかないんです。ですからあなたも諦めなさい。ここでの会話も他言無用ですよ」

「……わかったヨ」

 四人の王子の中でもっとも諦めの良い第三王子は落胆の色を宿したまま嘆息を漏らした。そしてそのまま、何を言うでもなく執務室を出ていく。

 そうしてひとり残った三成は机に残された棒つき飴に気づいた。

「ただひとりを救えないのに皆の幸せなど……本当に虚構が過ぎますね」

 

 

 



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10話

 城を後にして再び街に出た慶次は昼下がりの空の下であくびを漏らした。と同時に腹の虫が鳴ってしまい笑いながら凜を見る。

「あははは、ごめん」

「おなかすいちゃうよね。さっきケーキもらったけどたぶんもうお昼すぎとかだし」

「朝からいろいろあったもんなぁ…そういえば凜はなんであそこで走ってたんだ?」

 自分は大好きな相手を見つけて嬉しすぎたせいだけど、とは言わずに慶次は質問を向ける。すると凜は幼い顔を赤く染めて微笑む。

「えっと、蒼馬さんをさがしてたっていうか、起きたらだれもいなかったっていうか。それでなんかさみしくなっちゃって」

 てへへと照れ笑いを見せた凜だが、そんな彼の後ろで蒼馬が真琴の肩を揺すっていた。

「ほら見てください。我が姫はあんなにも愛らしいんです。あんなにも愛らしい天使のような姫を誰が守らずにいられましょうか」

「ああああああ…わかる。気持ちはわかる」

「わかるんですか? しかしいくら王子といえど我が姫に手を出そうなどしないでくださいね。私が西の魔女だということを忘れないように」

「ああ、しない」

 愛らしさに対して同意を求めながら、同意すれば釘を指す。執務室を出てから、蒼馬は真琴を相手にそんなことを繰り返していた。そのため慶次も西の魔女というものが恐ろしい存在にはとても思えなかった。

 むしろ魔女は全員どこかクセがあるのだなと、冷静に考えてしまう。

「そういえば、慶次さんは王子様と付き合って長いんですか? あ、シンデレラって舞踏会で会うんだっけ?」

「俺と真琴は森で会ったんだよ。真琴は川で釣りしてたんだ」

「王子様がつり……」

 物語の王子らしからぬ行動に驚く凜の目の前で今度は慶次の顔が赤くなる。

「俺その時に暖炉の大掃除して灰まみれになっててさ。面倒だから川でざばーって洗おうと思ってたんだ。そしたら釣りしてた真琴が川に落ちそうになってたから慌てて支えようとしたけど失敗してさ」

 ふたりで川に落ちたんだよと笑う慶次に凜はなるほどとうなずいた。

「それで恋をしたんですね。そこから舞踏会やってガラスの靴を落として、結婚? あ、そういえば国にいた時に第四王子が結婚したって聞きました」

「そうなんだ。俺の育ちが悪いから反対されたりもしたけど、最後は許してもらえて結婚できたよ」

 凜の質問に慶次は照れながらも説明した。そんな会話をしながら目的地にたどり着いた慶次は三階建ての屋敷を見上げる。

「兄ちゃんの家ってこんなに大きかったんだな……」

 高い塀に囲まれた敷地は広く門を抜けると馬車を止める場所まで作られている。もちろん畑などはなく、敷地内は石畳がきれいに敷かれていた。

 こんなにも大きな屋敷を持っているのなら、父の土地屋敷なんていらないはずだ。そう改めて認識した慶次は少し恥ずかしい気持ちになった。

「大きなお屋敷ですね。ここに南の魔女がいるんですか?」

 屋敷を見上げて問いかける凜に真琴がうなずいて返す。

「昨夜の騒ぎで南の魔女も負傷しているからな。それに狙われている人をひとりにもできないから、東の国の使者と一緒にいてもらってる」

「その人たちは、ケガはないんですか?」

「ああ、負傷者は南の魔女と俺の兄と近衛隊長だけだ。後は採掘場の人たちが軽傷だと聞いてる。それと……」

 皆を守った長政は怪我こそ負ってないが様子がおかしい。そう思ったが、真琴は凜にそれを告げることを断念した。

「それと?」

 しかし何も知らない凜は首をかしげて問いかける。真琴はそんな凜に笑顔を見せると首を横に振った。

「森が焼けたから、動物たちの住処が失われたな」

「あー、後で浅葱に言って直してもらいます。直せるかわからないですけど」

 誤魔化すように告げた真琴は屋敷の玄関扉をたたく。すると間もなく使用人がやってきて扉を開けてくれた。

「東の国から来ている者の中で起きている者はいるだろうか。貿易商の彼が起きてくれていたら助かるんだが」

 この屋敷に住んだ事も遊びに来たこともない真琴は、使用人に顔を知られていない。今朝もここに来たが、彼らに自分が王子であることは告げていなかった。そのため通してもらえるかと案じたが、それは杞憂だったらしい。

 真琴の話を聞いた使用人はにこりと微笑むと屋敷の奥へ案内してくれる。通されたのは暖炉が灯された暖かな応接室だった。三階にある家主の寝室と同様に装飾は少ないが、こちらには小さな花瓶がいくつも置かれている。

「小さな花瓶ばかりですね。冬だからかな?」

 真琴と同じところに目がついたらしい凜が棚に並ぶ花瓶に近づき眺めた。

「おれの国だと、お金持ちの家とかいろんなものがあるんですよ。部屋の中なのに石の像があったり鎧が立ってたり。でもこの屋敷は必要なものしか置いてない感じです。ソファとテーブルと暖炉と……花瓶がたくさん」

 花瓶だけというのも不思議ですけどと広大な領地を持つ帝国の姫が首をかしげる。

「ここの家主さんって花が好きなんですかね?」

「どうだろうな」

 近衛隊長として仕えてくれている間も、真琴は彼の私的な話を聞いたことがなかった。むしろ彼は慶次が自分の弟であることすら話してくれなかったほどだ。そんな男なのだから、たとえ花が好きだとしても教えてもらえるとは思えない。

 改めて近衛隊長との距離に思いを馳せていると目的の人物がやって来た。それとともに使用人がお茶を運んでくれたため真琴はソファに腰を下ろす。

「副隊長さんではなく僕に用でいいんだね。彼はつい先程眠ったところだから、起こすのは忍びないと思うんだけど」

「長政は今まで何かしていたのか?」

「自分は悪魔なんじゃないかって、酷く思い詰めていたんだよ。もうどうしようもないから魔法をかけて落ち着かせたんだけど」

 そう言いながら、彩兎はちらりと蒼馬へ目を向ける。視線を受けた蒼馬は悪意はなかったのだと笑顔のまま謝罪した。

「私の目には本当に悪魔のように見えたんですよ。あなたもそうは思いませんか?」

「彼は心根の優しい良い子だよ。自分を育ててくれた人を何よりも大切に思っているし、それを守ろうと一生懸命なんだ」

「北の大魔女もそれなりに優しい人でしたから、それはわからなくもないですよ。しかし百年生きた大魔女でも、その優しさがあだとなって殺されてしまいました。世の中は難しいものですね」

 蒼馬は優しげな笑顔のまま、とても優しいとは思えない言葉を向ける。そして南の魔女である彩兎はそんな蒼馬に負けないほどの笑顔を見せていた。

「でも彼女は長政君という子供を残せたんだから、悲しいばかりではないよね。しかも彼はここで大切に育ててもらっている」

「大魔女の子は利用価値がありますから、誰でも大切にすると思いますけど」

 笑顔のままにらみ合うふたりを見上げていた凜は口をとがらせる。そして蒼馬の袖を引くと辞めるようにと言い出した。

「おれたちはこの魔女さんにあやまりにきたんだから、ケンカ売らないでください」

「ああ、そうでした。つい忘れてました」

「あやまりに?」

 凜の指摘に笑顔のまま返す蒼馬のそばで、彩兎は不思議そうに凜を見る。そしてそのままの視線を慶次に移した。

「どういうことですか?」

「凜さんは荒れ地の向こうにある帝国の姫で、蒼馬さんとランプの悪魔と一緒にここまで来たんだ。それで凜さんがランプの悪魔に代わってあやまりたいって」

「それは謝罪されてどうこういう話ではないんじゃないかな。この国の近衛隊長さんはまだ意識が戻ってないからね。それにこの時期にエメラルドの採掘場を爆破されて、この国にどれだけの損害がでるか」

 貿易商である彩兎はこの国の損害まで考えた上で謝罪では済まないと言う。とたんに凜が困ったように眉を垂れた。

「ごめんなさい……でも本当に、おれはあやまることしかできなくて」

 他に何もできないと、凜はスカートの裾を握り締めながら頭を下げる。そして蒼馬はそんな凜を気遣うように背中に手を添えた。

「姫……」

「いやはやこれは驚いたな。小さな女の子が彩兎ちゃんに頭を下げているとは」

 緊張した空気は楽しげな声とともに砕かれた。穏和な雰囲気とともにやってきた透は部屋のすみに置かれたカップを手にする。そこへお茶を注ぐとソファへやってきた。

「修羅場だとしたら怜ちゃんが泣きそうなんだがな」

「彼女はランプの悪魔の代わりに謝罪をしに来たんですよ」

 茶化された彩兎は簡潔に説明をした。その上でため息を漏らすとソファに腰を下ろす。

「僕ひとりの被害なら、僕ひとりの決断で終わらせられるよ。でもこの国の負った被害ははかり知れない」

「ふむ、しかしだからこそそこに第四王子がいるのだろう」

 透の指摘に彩兎は驚き、彼の指し示した方向に座る真琴を見る。慶次とは何度か城の茶会で会っているが真琴とは昨日の医務室が初対面だった。

 だが昨日の彼の言動を思い出せば王子であることは簡単に納得できる。しかし今までそれに気づけなかったのは、抱え込んだ疲労による思考力低下のためか。

 そんなことを考える彩兎の目の前で、真琴は整った顔に微笑を乗せる。

「政に関しては父と兄上たちがしていて、成人したばかりの俺に発言権はないんだ。それに採掘場に関しては被害を調査してる段階で損害も把握できてない。だから今はその話は忘れてほしい。凜は純粋にふたりを和解させたいだけなんだ」

 国としての損害はまだわからないからと、真琴はここでは忘れて欲しい旨を主張する。すると彩兎は少し困った様子ながらも視線を落とした。

「和解も何も仕掛けてきたのはあちらですから、僕からどうという事はありません。ただやはりあれほどの事をしでかすような悪魔はきちんと封じるべきだと…」

「そこはだいじょうぶです。おれからもちゃんと言います。浅葱はいいヤツだから」

 真面目に使命をまっとうしようとする彩兎へ凜が強い口調で言い放つ。そのため彩兎はやはり困った様子ながらも反論はしなかった。

「わかった。僕はその和解を受け入れるよ」

 彩兎の言葉に凜は笑顔を輝かせる。そして嬉しそうに慶次を見やると、そのままの笑顔で蒼馬を見上げた。

 



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