私ハリーはこの世界を知っている (nofloor)
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賢者の石
プロローグ 私ハリーはこの世界で目を覚ます


出涸らしですがハリーTS、憑依ものです。
オリ設定、原作改変など出てくると思います。

それでも宜しければ、お付き合いください。


 目も眩むような緑の閃光。

 

 それと同時に額に焼け付くような痛みを感じた。

 

「ふぁっ? なんあ!?」

 

 は? なんだ!?

 と言ったと思ったけど、なんか喋りづらい。

 閉じていた目を開くと、目の前には真黒なローブを着て鼻が無い禿げたおっさんが白目をむいてぶっ倒れるところだった。その身体も風に吹かれて塵になって消えていく。

 ぽかーんと眺めていると、最後に謎の魂的なかたまりがバァーっとどこかに飛んで行って静かになった。

 

「えぇ……」

 

 色んなことが急に起こりすぎて処理が追い付かない。

 とりあえず、どっかで見覚えのあるおっさんは置いといて現状を確認しよう。

 

 今はどうやらベッドに寝ころんでいるようだ。起き上がり、座る。頭がえらく重いし、手足が短いし小さい。四方に木で柵があるし、これはベビーベッドか。おかしい、成人くらいはしていたような気がしたんだが。

 そういうプレイか。

 座った状態で首を慎重に回す。

 

 どうやらここはどこかの民家のようだ。ただし天井とか壁とか色々大破してかなり風通しが良い。星がきれいに見える。そして寒い。

 民家と言っても日本のじゃないな。文化が違うのが一目で見て取れる。どこの国のと言えるほど家々に精通してるわけでもないけど、多分ヨーロッパのどっか。

 そう、私は日本人だったはずだ。そこまで考えてはたと、記憶に穴があることに気付いた。名前や姿に性別、どんな生活をしていたとか、友達とか家族とか、なんでここにいるのとか、その辺りの記憶が一切ない。友達の記憶に関しては最初から存在してなかった可能性もある。

 記憶に穴というか、穴のような記憶しかなかった。

 

 見回していると、姿見がある。ベッドの端なら映れそうだ。

 どうやら立つことは無理そうなので、短い手足で這って行った。

 

「うあー……あきゃんぼぅ」

 

 半ば予想通り、緑の目に黒い髪の可愛らしい赤ん坊が映っている。そして決定的なのが、額に、稲妻型の傷。

 

 

 前世の人生の記憶は無い。でも、覚えていることはあった。読んでいた本とか、漫画とか映画。創作物の記憶。

 その中でも、とある一シリーズの記憶が浮かび上がってきた。シリーズ累計で4億5000万冊、堂々の世界一を誇る伝説。

 

 うん、間違いなくハリーポッターの世界です。

 あのおっさんは一回見たらまあ見間違えないよね。例のあの人(ヴォルデモート)

 

 問題は。

 そう問題は、私自身が主人公様たるハリー・ポッターになってしまっていることだ。

 流行りの憑依か転生? 死んだ記憶も神様に会った記憶も無いんですけどー。

 しかももう因縁()つけられた後だし。人生のハードモードが宿命づけられている。最悪だ。せめてもう少し目覚めるのが早ければ……いや、早くても無理かなあ。確かこの時1歳だし。

 

 いや、私もね、ハリーポッターは好きだよ? 世界観とかすごいわくわくするし、本も発売日に買って明け方までかかって読んでた記憶がある。本物のホグワーツ城とかダイアゴン横丁とか行ってみたいと思ったこともあったと思う。

 でもそれは外から物語として見てるからであって、間違っても死亡フラグが満載の本編に関わって行こうとは思えないんだよね。

 例えなるにしても、ハッフルパフとかの一般生徒Bとかが良かった。それで面白おかしく魔法使いできればそれでよかったのに。どこの誰が仕組んだか知らないけど、本当に余計なことしてくれたなあ。

 

 これから10年間はダーズリー家で精神と肉体をダブルでボコられ、入学してからも毎年毎年ヴォルデモート関連の厄介ごとに巻き込まれる。生きていける気がしない。

 しかもこの主人公、愛とか勇気が武器なところあるし、偽物の私が乗り越えていけるのか超不安なんですけど。

 はあー。嫌だ嫌だ。

 というか、どうせボーナスステージみたいなものだし、死んだらそこまででいいか。ホグワーツ見て、登場人物と適当に会って、適当なところで苦しくない感じで死ねたらいいね。どうせ物語の中だし。

 うん、そう考えると気が楽になってきた。

 

 この後はどうなるんだっけ……そんなことを考えて改めて首を巡らした時。

 

 

 

「あ……」

 

 部屋の向こう、多分廊下に繋がるドア。壁もドアも崩れかけているけど、そこに足が見えた。

 倒れている。

 

 気づけば、ベッドの柵の留め金が外れて、柵が落ちていた。地面まで1メートルくらいあって、赤ん坊からすれば結構な距離。でも躊躇わず飛び降りた。

 痛くはなく、コロコロとしばらく地面を転がって、あとは這って辿り着いた。

 

 女性だった。当然のように死んでいた。

 

「り、りー、ぽったー」

 

 恐怖に見開かれた、私と同じ色の、でも光は無い瞳。だけど同時に、何かを覚悟しているような顔だった。……何かって。わかってるんだけど。

 何とか立ち上がって、金属や木やガラスの破片が散らばる廊下をよたよた歩いた。裸足だったけど、不思議と怪我はしなかった。

 

 ジェームズ・ポッターは玄関で倒れていた。

 

「…………」

 

 物凄い形相だったから、むにむにともんでおいた。少しは安らかになっただろうか。

 

「はあ……」

 

 急に疲れた。

 大破した玄関にころんと寝ころび、星を見た。

 

 よく考えたら、いやよく考えなくても、「ハリー・ポッター」には父親と母親……ジェームズとリリーがいた。逆によく今まで思い至らなかったなと呆れる。

 彼らはハリーを護るために命を落とした。中身が得体のしれない誰かになっていても、リリーの護りの魔法は私を護った。だからこそ、私はこうして生きている。

 

 物語の登場人物だけど、架空の出来事かもしれないけど、その登場人物に私は命を救われた。

 二人の命を犠牲にして、生き永らえさせられた。

 ………。

 そうなるとちょっと、簡単に死ぬとは言えないかなあ。

 

 おかしいかな、こんな簡単に感情移入して。

 でも、登場人物に助けられたなら、もう私もその一員だ、と思うことにする。こんなのが主人公なのは読んでくれる人に申し訳ないけど、まあ、救われた分、図々しく、生きるために足掻いてみようかと思う。

 

 だから、そのためにできることを考えよう。

 とりあえずホグワーツ入学までは準備期間だと思って、魔法の練習をしよう。トム・リドルは入学前からある程度魔法が操れたみたいだし、とりあえずそれを目標に頑張ろう。

 あと閉心術も身に着けたい。原作知識が誰かにばれたら事だ。後は……今は思いつかない。おいおい考えよう。

 お手本も先生も教科書も無いけど、10年頑張れば何とかならんだろうか。

 

 

 

 

 何だか眠たくなってきた。それもそうか、中身はともかく身体はまだ赤ちゃんだし。

 この後は、どうなるんだっけか。

 確か……ハグリッドが迎えに来て、プリペッド通り4番地に連れていかれる。

 そこでダンブルドアとマクゴナガルが待っていて――。

 

 うん、怪しまれないためにも寝とこ。

 

 私は睡魔に身を委ねた。

 

 

 

 

 

 

 



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第1話 10年間の進捗状況と魔法使いとの出会い

 

 どうも。

 改心の速さに定評のあるハリー・ポッターです。

 

 皆さんにひとつご報告があります。

 私、ハリー・ポッターじゃなかった。間違えた。ハリー・ポッター、男じゃなかった。

 衝撃的展開! ハリー・ポッター、女だった!

 というわけで改めまして私、ハリエット・ポッター、通称ハリーです。

 

 まさかのTS。これは予想外。

 初めて気づいたときに慌てに慌てて、あのバーノンおじさんまで私を心配しかけるという異常事態がおこったよ。

 

 何とか落ち着いてよくよく考えてみた。ハリーが女だった場合原作はどうなるのか。

 ぱっと思いつくのはやはり恋愛。私は前世が男か女か分からない。自分でも呆れるほど外見に無頓着だからさては男か、と睨んでいるけど。とにかく生物学上は♀で間違いない。染色体はXX。

 すなわち、チョウとジニーにフラグが立たなくなる。

 何か問題があるだろうか……?

 

 いや、ない。というか思いつかない。私は頭が悪いんだ。

 

 一瞬登場人物が全員性別が変わっている可能性を考えたけど、バーノン叔父さんが叔父さんだったし、多分それはない。

 私一人だけの変化なら、絶対ではないだろうけど本筋に大きく影響してくることはない、はず。たぶん、きっと、めいびー。

 

 まあ、10年心配しながら生きていくのは精神が死ぬので、ひとまず考えないことにした。

 思考放棄である。

 

 

 

 

 そんなこともあって、私がダーズリー家に預けられてから早いもので10年が経つ。

 あとひと月もしないうちに、ホグワーツから手紙が送られてくる、はずだ。

 来てくれよ……? 来なかったらこっちから乗り込むからな……。

 

 

 さて懸念していたダーズリー家での扱いは、まあ酷いものだった。

 10年の辛抱だと思って私は耐えたけども、原作ハリーはよくこんな環境でまっすぐに育つことができたものだと思う。

 

 (ハリー)が女でも、基本的な扱いは変わらなかった。部屋が階段下の物置なのは言うまでもない。初めだけ原作再現に謎の感動を覚えたけど、3日でそれも無くなった。クモ多いし。埃っぽいし。

 娯楽は皆無。基本軟禁のような生活。食事も最低限。服だけは原作と違って買ってもらえたけど、安い量産品をまとめ買い。反してダドリーはこれ以上ないくらい甘やかされて育った。これじゃあ歪むなと言う方が無理だぜ。

 

 ちゃんとご飯が食べられなかったせいか、痩せて手足は棒のように細い。身長も学年で一番小さい。そのくせ父親譲りの黒髪は腰くらいまであって、ものすごいくせ毛だ。生きているかのようにあちこちに向かって生えてくる。

 そのせいで顔も半分以上隠れているけど、醜い傷跡を隠すには丁度いいとのことで、そのままにされている。

 

 顔はどうやら、両親を混ぜたような感じらしい。ただし目だけは母さんの目、というのは変わっていないようだ。総じて母さん似だということか。

 眼鏡? あいつは逝っちまったよ。

 

 

 関係を改善しようと頑張ってみたときもあったけど、大体が徒労か、逆効果で終わった。

 彼らの根底には魔法使いだった両親への恐れがある。実際私も、彼らの言う「まとも」ではないし、その恐れは正しいと言えなくもない。ここ数年は、これ以上扱いが悪くならないように存在感を消す日々が続いている。

 

 そんな両親からの英才教育を受けたダドリーも原作と大して変わりない。ことあるごとに顔面を殴ってくる、という設定も変わっていなかったので、その度クロスカウンターの練習台になってもらっている。まったく婦女子の顔を殴るとはどういう了見だ。

 まあ最終巻ではちょっと改心してたし、その境地ができるだけ早く訪れてくれることを祈るばかりだ。足し算も危うい今の状況から見れば、その時は遠そうだけど。

 

 

 

 そんな家庭環境と打って変わって、魔法の方は意外なほど順調に来ている。

 この世界の魔法は感情とか意志とかが大事なところがあるから、できるはずだと信じて、寝たきりの時分はひたすらベビーベッドの柵を開けることに意識を集中した。1回やったしね。

 なかなかうまくいかなかったけど、意識の集中が相当深くなったときに成功した。初めて自分の意志でできたときは本当に嬉しかった。

 それから段々とコツを掴んで、今ではスムーズに魔法を使う集中に入れる。

 練習はダドリーのベッド(私のよりかなり豪華だった)でも何度もやったから、ペチュニアおばさんはふたつ揃ってものすごく造りが甘いベビーベッドだったと思っていただろう。

 程なく処分された。

 

 

 歩き回れるようになってからは、他にも色々なことを試した。

 幼い頃から、リリー・エバンズが妖精の呪文を使っていたように、トム・リドルが闇の魔術の片鱗を見せていたように、この時期から魔法の得手不得手は結構出るように思う。

 その辺のものを浮かせてみたり、ガラスを消してみたり、猫を膨らませて紐をつけて飛ばしてみたりと、手当たり次第に魔法を使った結果、どうやら私は変身術の才能があるようだった。

 ジェームズがそうだという描写がどこかにあった気がしたので、遺伝かもしれないと思うと少し嬉しい。

 

 得意なことは練習して楽しい。暇さえあれば変身変身。学校でも見えないように変身変身。

 お陰でカバンの中はかなりカオスになってしまった。もはや変身元が何だったのかわからない。

 原作通りにマッチ棒を針に変えるところから始めて、最近では近所の大型犬をダドリーの自転車に変えるという大技に成功した。当然、乗っているときに元に戻した。

 何が起こったかは割愛するけど、本気の犬は速いし強い。

 

 

 原作の呪文も試してみたけど、呪文は杖とセットになっているようで、「ビューン、ヒョイ」を身体で表現しても木の葉すら浮かばなかった。普通に集中すればできるのにね。

 

 他には……瞑想してみたり、木の枝にカラスの羽を挟んで杖と言い張ってみたり、箒に跨ってジャンプしてみたり。

 まあ、お察しの通り全部無駄だったけど。

 ダドリーに得体のしれない恐怖を植え付けただけであった。

 

 

 と、まあ、紆余曲折あれど魔法の特訓は順調すぎるほどに順調である。

 命懸かってるしね! 是非もないね!

 

 あ、閉心術に関しては、できているかどうかはさっぱりわからない。取りあえず寝る前に頭を空っぽにする練習を毎日してはいるけど、これで良かったっけ? 教えてスネイプ先生。

 

 

 

 魔法に関してはそんなところだ。

 不安もあるけど、とにかく魔法を使うことは本当に楽しい。それだけで生きている。

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 

 その日は、ダドリーの誕生日が終わって、1週間ほど経った日のことだった。

 ちなみに動物園でガラスを消すイベントは回避させて貰った。物置に閉じ込められるの嫌だし。ニシキヘビ君、本当に申し訳ない。君が最後の犠牲になるようハリーがんばる。

 

 朝食を食べていると、郵便受けに郵便が入れられる音が聞こえた。

 

「小娘、郵便を取ってこい」

「合点です」

 

 バーノンおじさんに言われ、粛々と玄関に向かう。

 来ていたのは3通。マージおばさんからの絵葉書、請求書らしい茶封筒、そして、私宛の手紙。

 裏返してみれば、紋章入りの紫色の蝋で封印がしてあった。真ん中に大きく〝H〟と書かれ、その周りをライオン、鷲、穴熊、ヘビが取り囲んでいる。

 

「来た来た来た……!」

 

 持って戻れば没収される。リビングに戻る前にサッと部屋に投げ込んだ。部屋が階段下の物置であることが初めて役に立った。

 

 何食わぬ顔で朝食を飲むように平らげて、部屋に駆け込む。綺麗に開けるのももどかしくて、蝋封をバリバリ破って手紙を取り出した。

 

 

 

 

ホグワーツ魔法魔術学校

校長アルバス・ダンブルドア

マーリン勲章、勲一等、大魔法使い、魔法戦士隊長

最上級独立魔法使い、国際魔法使い連盟会員

 

親愛なるポッター殿

このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。教科書並びに必要な教材のリストを同封いたします。

新学期は9月1日に始まります。7月31日必着でふくろう便にてのお返事をお待ちしております。

 

敬具

 

副校長ミネルバ・マクゴナガル

 

 

 

 

「……やっと来た」

 

 長かった……。この十年、長かったぞ!

 私の夢へのチケットだこれは。思わず手紙を押し抱いてため息を吐いた。苦節十年、ようやく原作の入り口に立った。いやほんとに長いわ。

 

 

 中にはもう1枚、教科書や必需品などのリストが書かれた羊皮紙も入っていた。教科書のタイトルなど見るだけで胸が踊る。もう一度最初から読み直そうと1枚目を見て、ふと気づいた。

 「7月31日必着でふくろう便にてのお返事をお待ちしております」って書いてあるけど、私は当然フクロウなど持ってない。

 

 この手紙を私が入手したことで、この後あったはずの手紙テロはなくなって、絶海の孤島みたいなところに行くこともなくなるだろう。バーノン叔父さんがノイローゼになるというなら積極的に後押ししていきたいところだけど、それはまあ良いや。

 

 ともかく、島に行かないということは、そこにハグリッドが迎えに来てくれることもなくなる。

 さすがに「生き残った男の子」ならぬ「生き残った女の子(笑)」を遊ばせておくのはダン爺が許さないだろうから、何らかのアプローチがあるとは思う。

 今までも細かい変化はあったとは言え、明確に原作を変えてしまったのはこれが初めてだ。

 主人公の性別というドでかい変化がすでにあるけど。

 そ、それは私のせいじゃないし。

 

 まあ多分、7月31日にハグリッドがここへ迎えに来てくれるような気がする。

 間違いなく、それは私にとって最高の誕生日プレゼントになるだろう。

 ふふふ……。

 

 

 

 真っ暗な物置で、ぼやぼやと今後の妄想をしていたときだった。

 

 

 ブー、とインターホンが鳴った。

 この家に客が来るとき、私は隠れていなければいけない法則がある。だから一応前もって来客は知らされるのだけど、今回は何も聞いてない。宅配か何かだろうか。

 

 パタパタとペチュニア叔母さんが玄関へ向かう足音が聞こえ、次いで扉を開ける音が響く。

 

「はいどちら様…………」

 

 唐突に声が途切れて、少しして扉が閉まった。外で話しているようだ。

 どうしたんだろ。そういえばお腹が空いてきた。お昼はまだかな。

 

 かなり他人事に考えていたら、再び玄関の扉が開く音がした。

 入ってきた足音は物置の前で止まる。

 

「ハリエット、お迎えが来たわ」

「えっ、私に?」

 

 お迎えの心当たりなど死神しかない。それももう少し後が良いけど。未来で待ってて。

 そうでなくとも私に客なんて初めてだ。一体誰だろう?

 

「どちらに?」

「外よ」

「外? はあ」

 

 生返事をして玄関に向かった。

 お客にしては随分な対応だ。まともを信条とするダーズリー家に相応しくない。

 今日は珍しいことだらけだな、と思いながら戸を開けて、

 

 全て悟った。

 

「……ハリエット・ポッター、間違いないな?」

「…………はい、」

 

 なんとかそれだけ絞り出した。

 顔色は土気色、大きな鉤鼻。髪は黒くねっとりとしており、肩まである長髪の前髪を左右に分けている。黒いローブもそのままに、セブルス・スネイプ教授がそこに立っていた。

 プリベット通りに余りに似つかわしくない。周囲との浮き具合が凄い。

 顔は無表情、その黒い眼からは何も読み取れない……いや、多分、憎しみが向けられているのだろう。

 

 それでも彼は、私が最も会いたかった人物の一人だった。

 

 

「宜しければハリー、と呼んでください」

 

 

 

 



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第2話 初めての魔法界と不愛想な英雄

 前回のあらすじ。

 セブルス・スネイプ、襲来。

 

 

 

 割と感動に震えていますハリーです。

 目の前には目に冷たい光を湛えたスネイプ先生。

 彼こそ、原作者に影の主人公と言わしめ、最期までその一途な愛を貫いたハリポタ界の英雄。

 そしてここ10年間私の心の教師だった。魔法で行き詰ったとき、何度助けてスネイプ先生と祈ったことか。

 

 まあそれは半分冗談だとしても、会えて嬉しいことに変わりはない。

 原作ハリーとはそれはもう仲が悪かったけど、それはまあスネイプ先生にも原因はあると思う。最初の最初から相当嫌がらせしてたしね。

 ただ、彼の生涯を知っている私は嫌うことは出来なさそうだ。

 

「私はセブルス・スネイプ。ホグワーツ魔法魔術学校にて魔法薬学の教鞭をとっている」

 

 喋っても表情が変わらない。何も知らなければかなり不気味に見えそうだ

 

「スネイプ先生、とお呼びしても?」

「……構わん。ポッター、随分落ち着いているようだが、ホグワーツについて知っていたのか?」

 

 さすがにハリー、とは呼んでくれないね。当然か。

 この質問については回答を用意している。

 

「いえ、知りませんでした。でも私は他の人にはできない不思議なことができたので、手紙が来た時にこれが魔法かと納得しました」

「では、ホグワーツという名前も今日初めて聞いたと?」

「初耳中の初耳です。もちろん、魔法という言葉も」

「……ダンブルドアが手紙に一通り書き残していったはずだが?」

「叔父さんと叔母さんは、まともじゃないことを異常に毛嫌いしてますから。少なくとも私は知らされてないです」

「ふむ……」

 

 スネイプ先生が探るように目を向けてくる。

 調子に乗って少しすらすら答えすぎたかもしれない。でも、疑われた時……開心術をしかけられた時のための策はちゃんと考えてある。

 その策とは、単純に原作とか前世に関することだけ意識的に考えないというものだ。閉心術はできてるかわからなくても、その練習だけは死ぬほどやってきた。

 原作の開心術の描写を見る限り、有効なはずだ。それにこれなら、閉心術を使っているようには見えないため、「どこでそれを身に着けた!」と言われる心配もない。多分。

 

 まあそもそも、11歳の子供にそこまで警戒はしないだろうけど!

 

 前髪越しにしばらく見られていたけど、意地になって見返していたら目を逸らされた。

 

「まあよかろう。手紙は持ってきているな?」

「あ、いや、部屋に置いてあります」

「ならばさっさと取ってこい。必要なものを買いに行く」

「今からですか?」

 

 返事は無かったけど、不動の構えだ。

 慌てて家に舞い戻った。

 ばたばた物置に入って、深呼吸して一旦落ち着く。

 

 まさか手紙をもらったその日に、しかもスネイプ先生が来るとは思わなかった。

 そして即ダイアゴン横丁へ出発とは。

 

 正直、この買い物イベントが一番心配なのだ。

 魔法界のことを全く知らないはずの私が、少しでも何かを知っている素振りを見せれば、不審に思われるだろう。

 これがハグリッドだったら多少のポカもできただろうけど、相手はヴォルデモートの元でずっとスパイ活動をしてきた狡猾で有能な男だ。注意深くなければやっていけなかっただろうし、パーソナリティ的にも観察されるだろうと思う。

 つまり、うっかりは許されない。この買い物の間、このハリエット・ポッターに詰めの甘さは無い、と思っていただこうッ!

 

 手紙を掴んで部屋から出て玄関に向かう。

 家から出る直前に後ろを見ると、ペチュニア叔母さんが壁から半分顔を出してこっちを見ていた。軽くホラーだ。

 そういえば一応幼馴染……というか、面識くらいはあるのか、スネイプ先生と。

 変な関係もあったものだ。

 

 

 

 

「取ってきましたよ!」

 

 元気に言ってみたけど、表情は変わらず、むっつりと頷くだけだった。

 そのまま左腕をローブから出した。

 

「掴まれ」

 

 大人しく肘の下辺りを掴もうとしたけど、身長差のせいで鉄棒にぶら下がるみたいになった。

 

「………」

 

 何か言いたげな雰囲気を出しつつも無言でじろりと睨まれ、次の瞬間、バシッという音と共に視界が眩み、臍の奥が引っ張られるような感覚を味わった。

 あまりにも不安定な体勢だった当然の結果として、私は着地できずにころころと地面を転がる。

 身長が伸びるまで付き添い姿現しはやらないと心に決めた。

 

 仰向けに倒れた私に冷たい視線が降り注ぐ。はい立ちます立ちます。

 立ち上がってぱっぱと服と髪についた砂を掃う。このもじゃもじゃは枝とかもよくひっかけて来るから困ったものなのだ。

 

「もう良いかね」

「はい、ごめんなさい。それで、ここはどこですか?」

 

 そう聞いたら、また横目で睨まれる。

 

「ここはダイアゴン横丁。ホグワーツに必要なものはすべて、ここで揃えることができる」

 

 返事をする前に大股で歩き出したスネイプ先生を慌てて追いかける。

 路地を抜け、大勢の人が道行く大通りに出て、私は圧倒された。

 ここがかの有名なダイアゴン横丁………。明るく活気があって、あちこちから人を呼び込む声が聞こえる。途絶えない人たちは皆魔法使いと魔女だろうし、売っているものも全部魔法の品だろう。見たことのないような物もたくさんある。神秘と不思議に溢れた魔法の世界だ!

 はぁ~、多分一日中だってこの街で時間を潰せる。

 

 きょろきょろと頑張って背伸びをしつつ歩く。

 何度かはぐれそうになりつつしばらく歩いて辿り着いたのは、小さな店の立ち並ぶ中、ひときわ高くそびえる真っ白な建物だった。

 

 ぽけーっと見上げていた私に構わず、スネイプ先生は全く立ち止まらずに入って行ったのに気づいて、また慌てて追いかけた。

 

「立派な建物ですね! 先生、ここは?」

「グリンゴッツ。魔法使いの銀行だ」

「グリンゴッツ! お金を下ろすんですか?」

「そうだ」

「えっと……誰の?」

「お前には両親が遺した遺産がある」

 

 それだけ答えて、真っ直ぐ受付のゴブリンの方へ向かった。

 

「ハリエット・ポッターの金庫から金を下ろしたい」

「鍵はお持ちでいらっしゃいますか?」

 

 当然だとばかりに、ポケットから黄金の鍵を取り出し、ゴブリンに渡す。

 さすがこの辺りは、ハグリッドと違ってスマートだ。

 

 

 トロッコに乗っている途中、私の髪がゴブリンを窒息させかけるというアクシデントは有ったものの、それ以外は順調に、お金の引き出し作業は終わった。

 スネイプ先生がトロッコで酔うなどということも無かった。

 最後に鍵を渡され、「失くしたら二度と入れん」と口を歪めて言われたので、大人しくポケットの底にしまった。

 わあい、初めて笑顔が見れたぞ……。

 

 

 

 

「お前が自分で行かねばならないのは制服と杖だ。それ以外の学用品は揃えてきてやろう。マダムマルキンの店の前で待っていたまえ。杖はオリバンダーの店だ」

 

 スネイプ先生はそれだけ言い捨てクールに去って行った。

 しおっしおな塩対応である。もう少し愛想をくれてもいいんだよ?

 

 まあいいや、これからかなり心待ちにしていた杖購入イベントだ。ようやく自分の杖を持てると思うとワクワクする。早速オリバンダ―の店に行こう。

 

 で、どこですかね?

 

 

 

 

 その辺の優しそうな魔法使いに話しかけ、道を教えてもらい、辿り着くことができた。

 扉を開けると、奥の方でチリンリン、と音がした。

 店内は誰もいなかった。想像していた通り、堆く積まれた何万もの細長い箱の山が私を迎えた。

 

「いらっしゃいませ」

 

 眺めていたら急に声をかけられて、前に向き直れば、いつの間にか目の前に老人が立っている。

 ちょっと驚いて、声がどもった。

 

「こっ、こんにちは」

「これはまた小さなお客さんだ。ホグワーツですか?」

「はい、そうです」

「お一人で来られたのかね? ご両親か、付き添いの先生は」

「スネイプ先生と来ましたが、今は別行動中です」

 

 柔和だったオリバンダーさんの眼が、ふと真剣な光を帯びた気がした。

 

「失礼ですが、お顔を見せていただいて宜しいですかな?」

「え? あ、はい。お好きにどうぞ」

 

 音もなく近づいてきて、白く長い指がそっと私の髪をかき分けた。

 

「おお、やはりそうじゃ。そうじゃとも。まもなくお目にかかれると思ってましたよ、ハリエット・ポッターさん」

「えーっと、私を知ってるんですか?」

「もちろん。魔法界にあなたを知らぬ者は居ませんよ。それに、あなたはお母様によく似ておられる。特に目は瓜二つじゃ。髪だけは、お父さん譲りのようですがな」

 

 やはりこのくせっ毛もジェームズ譲りなのだろうか。

 

「お父さんとお母さんを覚えているんですか? ずっと昔のことなのに」

「わしはこの店で売った全ての杖を覚えている。お二人がこの店に来て杖を買って行ったのが昨日のことのようじゃ」

 

 そして、と言って、オリバンダーさんは指で私の額の傷痕をなぞった。

 

「この傷をつけた杖も、悲しいことにわしの店で売った杖じゃった。34センチもあってな。イチイの木でできた強力な杖じゃ。とても強いが、間違った者の手に……そう、もしあの杖が世の中に出て、何をするのかわしが知っておればのう……」

 

 独り言のようにそこまで言って頭を振り、最初のような笑顔を浮かべる。

 

「いや、もう言いますまい。さて、それではポッターさん、拝見しましょう。それと、これは老人の戯言ですが、せっかくの可愛らしいお顔なのにそんなに隠していては勿体ないですぞ? ほっほっほ」

 

 

 

 

 

「独特の世界を持った人だったなあ」

 

 杖の入った箱を片手に、ダイアゴン横丁を歩く。

 あの後の流れは大体一緒だった。山ほど杖を試して、最終的に不死鳥の杖がヒットする。不思議じゃ……と言われて、ヴォルデモートの杖と同じ不死鳥の杖であることを聞かされる、と。

 

 ところでなんか杖から「おっこいつか。ん? なんか違うような……んー、まあいっかこいつで」みたいな感覚を感じたんだけど。大丈夫ですかね。

 中身が偽物の弊害その1かもしれない。結果的に認められたし大丈夫だとは思うけど。

 

「さて、次は制服、制服」

 

 制服の採寸と言えば、愛すべき敵役、ドラコ・マルフォイとの初邂逅だ。

 マダムマルキンの洋裁店に向かおう。

 

 で、どこですかね?

 

 

 

 

 



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第3話 居るはずのない少女と私の素顔

 

 またしても道行く人に道を聞いて、マダムマルキン洋裁店に辿り着いた。

 ワクワクしながら扉を押し開ける。

 

「いらっしゃい」

 

 藤色の服を着た、愛想のよさそうなおばちゃんが出てきた。

 この人がマダム・マルキンかな。

 

「お嬢ちゃん、ホグワーツなの?」

「はい、そうです!」

「あら、元気が良いこと。全部ここで揃いますよ……今もう一人お若い方が丈を合わせているところよ」

 

 お、来た来た。

 さあ! とうとうドラコ・マルフォイとの対面だフォイ!

 

 

「……あれ?」

 

 そこにいたのは、肌が青白い、顎の尖ったブロンドの髪の少年ではなかった。

 栗色の髪がフサフサした、前歯がちょっと大きい女の子だった。物凄い勢いで採寸中の魔女に話しかけて、うんざりした顔をされている。

 言ってしまえばハーマイオニーだった。

 あれー? また原作が仕事してないぞ。何してんだマルフォイ。

 

 ……あ、違う。私が早いんだ。

 原作だと誕生日、つまり7月31日に来ていたのに、今日はそれより随分早い。マルフォイも何もないや。

 残念、せっかく思いっきり仲良くなってやろうと思ったのに。

 

 仕方ない。マルフォイはまた後日。

 これも運命ということで、今世は同性だし、ハーマイオニーと仲良くなってしまおう。

 

 マダム・マルキンに案内され、ハーマイオニーの隣の台へ乗った。

 勤めて朗らかに声をかける。

 

「こんにちは、お嬢さん」

「こんにちは! ……お嬢さんって、あなたの方がそう見えるけど」

 

 若干人生の先輩感を出してやろうと思った挨拶は、身長差の前にあえなく敗れた。

 うーん、チビ!

 

「私はハーマイオニー・グレンジャー。あなたもホグワーツ?」

「うん、私はハリエット・ポッター。ハリーって呼んで。よろしくね」

 

 採寸中の魔女が(ハリー)の名前に目を剥いていた。

 でも予想通り、この時点ではハーマイオニーはその名前を知らないみたいだった。

 

「よろしく、ハリー! すごいわね、魔法界って! 見たこともないようなものばっかり。目移りしちゃって、マクゴナガル先生に迷惑かけちゃったわ……あ、マクゴナガル先生っていうのはホグワーツの先生よ。あなたのご両親も魔法使いと、魔女なの?」

「うん、そうd」

「やっぱり! そんな感じしたもの。でも私の家族に魔法族は誰もいないの。だから、手紙をもらった時、とっても驚いたわ。もちろん嬉しかったけど……。ねえ、いろいろ聞いてもいい? 初めてのことが多すぎて、頭が変になっちゃいそう!」

 

 魔法界に初めて来てエキサイトしているのか、それとも面と向かって話しているからそう感じるのか、原作以上にたくさん喋る印象だ。

 質問くらいなんでも答えてあげたいけど、知らないはずのことを言うことはできない。

 

「ごめん、実は私も普通の人の……親戚の家でずっと暮らしてて、ホグワーツを知ったのも最近なんだ」

「あら、そうなの……。それじゃあ、私とほとんど一緒ね」

「そう! だから授業とかもすっごい楽しみなんだ!」

 

 ハーマイオニーはぱあっと顔を輝かせて何度も頷いた。

 

「わかるわ! どんなことを学ぶのかしら! 私、参考書も何冊か買ってもらったの。『近代魔法史』とか。教科書も読んで、予習していくつもりよ。全部暗記すれば足りるかしら? でも、予習のためじゃなくても、早く読みたくて堪らないの! 新しい世界のことを知れるって、ほんとに素晴らしいことだわ。パパもママも魔法使いじゃないけど、私学校で一番を目指すわ、だって……」

「はい、お嬢さん、終わりましたよ」

 

 まだまだ続きそうだったハーマイオニーの話を、やり辛そうに採寸を終えた魔女さんが遮った。

 

「ああ、まだ……」

「まあ、まあ、ハーマイオニー。私たちはこれから7年同じ学校に通うんだし、話す機会はいつでもあるよ、きっと」

「……ええ、そうね。会えてよかったわ。また会いましょう、ハリー」

「うん。また会おう、ハーマイオニー」

 

 そう言って、ハーマイオニーは店を出ていった。ガラス越しに、エメラルド色のローブを着た年配の魔女がいたけど、多分あれがマクゴナガル先生だろう。何事もなければ7年間、お世話になります。

 窓の外を見ていると、マダム・マルキンが小声で話しかけてきた。

 

「お嬢ちゃん、あなた、本当にハリエット・ポッター……?」

「ええ、でも、騒ぎになりたくないので、しーですよ」

 

 口元に指を当てると、マダムは神妙に頷いた。

 

「ええ、そうね。じゃあその髪も、傷を隠すために……?」

「ああ、いや、これは勝手にこうなっちゃうだけです。お父さん譲りで」

「あらあら……はい、採寸は終わったけど、ちょっと待っていてね」

「? わかりました」

 

 何だろう?

 魔女たちの視線とひそひそ話を感じながら待つこと数分。店の奥から戻って来た彼女は手にブラシを持っていた。

 

「『スリーク・イージーのストレートブラシ』よ。毎朝梳くだけでサラサラになるわ」

 

 そう言って髪を梳いてくれた。

 髪を梳かれるなんて初めての経験で、感覚的にも気持ち的にも少しくすぐったい。

 

 今までは気を遣う相手もいなかったし、外見なんてどうでも良いと思っていたけど、そろそろちゃんとしないといけない時期かもしれない。ホグワーツに入ったのに見た目のせいで友達ができないなんて笑えないし。

 ……逆にハーマイオニー、よく普通に話してくれたな……。

 

「ほらできたわ。あら可愛い、隠していたのがもったいないわ」

 

 前髪が流され、視界がクリアになった。ボサボサでフリーダムだった黒髪も、驚くほどサラサラに収まっていた。すごっ、指が通る通る。

 

 うん、年長者二人に言われたことだし、一応女の子だし、少しは見た目も気にしようかな。

 

「ありがとうございます、マダム・マルキン」

「いいのよ、このくらい。そのブラシも持って帰って」

「……ありがとうございます」

 

 好意は素直に受け取っておこう。毎朝というのはちと面倒だけど。

 

 その後、お店のお姉さんたちが私も私も、とお菓子とか大量にくれて困った。

 そういえば私は一応魔法界の英雄だった。キリがないのでポケットに入るだけ貰って後は断って、えっちらおっちら店を出た。

 

 

 

 

 外には既に、黒いローブ姿がイライラした感じで立っていた。

 これはお小言があるやもしれぬ。

 

「お待たせしました」

「遅い。随分と良い身分――」

 

 ん? どうしたんだろう。

 スネイプ先生、固まった。

 

「先生? どうしましたか? えっと、遅くなってごめんなさい」

「……い、いや、よい」

「???」

 

 ほんとにどうしたんだろう。会ってからずっと冷たい視線を送ってきていたのに、急にこっちを見なくなった。と思えば、横目でチラチラ見られている。

 

「あの、スネイプ先生?」

「気にするな。帰るぞ、掴まれ」

「はい……あっ!」

 

 危ない危ない、忘れるところだった。

 びっと右手を高く挙げた。挙手であった。

 

「先生、ひとつだけ買いたいものがあるのですが!」

「な、なんだ?」

「ふくろうです!」

 

 やっぱりハリーにはヘドウィグが必要だ。ニコイチだよニコイチ。

 原作の1週間くらい前だし、いないってことは無いだろう。

 

 「イーロップふくろう百貨店」に入って、雪のように白いふくろうを選んで買ってきた。名前はもちろん、ヘドウィグ。いやあ可愛い! 匂い嗅ぎたい! 顔埋めたい!

 

 ただ、その間中スネイプ先生は無言で、その上挙動不審だった。怒っていると言うよりは、戸惑っている? だとしても理由がさっぱりわからない。

 

 

 

 帰るにはもう一度付き添い姿現ししなくてはならなかった。当然のように私は転がった。 

 口の中に入った芝をぺっぺっと吐きながら立ち上がった時には、家の前に大量の荷物だけが置かれていて、スネイプ先生の姿はどこにもなかった。

 

「へんなの。どーしたんだろ?」

 

 原作の細かいところは曖昧だけど、あんな姿は書かれていなかったように思う。

 

 首を傾げていると強い風が吹き、荷物の上に無造作に置いてあったホグワーツ特急の切符が飛んで行き、それを捕まえるために、私はバッタのような動きを強いられることとなった。

 

 

 

 

 

 家に入って荷物を物置に押し込み、洗面所へ向かって鏡を見たとき、ようやく挙動不審の理由がわかった。

 久々にちゃんと見た私の顔は、思っていたよりもリリー・エバンズに似ていた。

 

 

 

 



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第4話 ホグワーツ特急と予期せぬ乖離

ありがたいことに日間ランキング入りしていたようです。
感想評価ありがとうございます。

ご期待に添えるよう、頑張っていきたいと思います。


「うぎぎぎぎぎ」

 

 今日は9月1日。待ちに待ったホグワーツ入学の日。

 私はダーズリー家の洗面所で髪と格闘していた。

 

 マダム・マルキンは一体どうやってこの髪を手懐けたのか。なんちゃらブラシから耐えかねたように黒い煙が出始めている。そんなにか、そんなにか私の髪。

 

 結局30分格闘して、家を出る時間ギリギリになって、何とか片目くらいは見えるようになった。髪もまあ、ゆるふわウェーブと言い張れないこともない。たぶん。

 燻るブラシから「もう勘弁して……」という泣き言が聞こえた気がした。

 

 

 

 ダイアゴン横丁で買い物を終えてから1ヶ月、ダーズリー家は居心地が良いものではなかった。まあ、それは今までもそうだったけど、それまでの虐待紛いの当たりの強さから一転、叔母さんも叔父さんも私を居ない者として扱った。

 でもそれは居づらいだけであって生きづらいわけではなかったし、環境は良くなったと言える。

 ダドリーだけはいつも通りに接しようとして、慌てた二人に止められていた。

 

 そんなわけで、普段やらされていた家事とかから解放された私は、存分に杖を使って魔法の練習をすることができた。伝統のびゅーんひょいを始め、原作で出てきた呪文や教科書に書いてある呪文を片端から使ってみた。

 結果わかったのは、杖と呪文がある魔法はものすごく簡単ということだった。特別な集中などはほとんど必要なく、何が起こるかを念じて呪文を口に出せば魔法が発動する。杖を動かすのもその補助といった感じだ。

 

 それならば。杖無しでやっていた集中状態で杖を使うことはできるのか。

 結論を言えば、できた。それも呪文を言うことなく。

 無言呪文というやつだ。

 今までも言ってみれば無言で魔法を使っていたわけだけど、杖を使った時はその精度が段違いだった。ほとんど失敗が無いし、起きる現象も思った感じと差が小さい。

 元となる呪文は必要で、さすがに杖なしの時ほどの自由度は無くなってしまうけれど、これは嬉しい成果だった。今までしてきた努力が無駄ではなかったってことだし。

 この集中力があれば、きっと覚えた呪文は全て、無言で放てるようになるだろう。強い。

 

 いや、でも慢心はしない。ヴォルさんとかダン爺は無言呪文くらい余裕でポンポン打ってたし。今後は知識を蓄えつつ、杖なしの呪文も精度を上げていこう。

 原作ハリー程の勇気が無い私にとって、知識と努力が生命線だ。

 

 

 

 この1ヶ月はそんな感じでした。

 そしてようやく、今日からホグワーツだ。1年はこの家を見なくて済むと思うと清々する。

 ロンドンのキングス・クロスまでは送って行って貰えることになってる。なんとか小さくすることに成功したトランクをポケットに入れて、片手にヘドウィグが入った大きな鳥かごを持って、車へと向かった。

 

 私の顔を見たペチュニア叔母さんはやっぱり驚いていた。

 

 

 

 

 

 叔母さんは車で走り去る最後まで何か言いたげにこっちを見ていたけど、私は何も言わなかった。いくら私が成り代わりであっても、10年間の恨みはそれなりにある。こちらから譲歩するつもりは……今のところは無い。

 

 さすがに1年生がトランクを小さくして運んでいたら目立つどころの話ではなくなっちゃうので、建物の陰で大きさを戻してカートに乗せた。

 ゴロゴロと転がし押していくけど、上に乗ったヘドウィグの籠で全く前が見えない。その上カートがすごい重い。全然思った方に動かない。ふんふん唸りながらカートと格闘しつつ、何とか9番線と10番線の間まで辿り着いた。

 

「ここで迷わないのは原作知識様様だよね」

 

 はーっ、と大きく息をついて、ぐっとカートの手すりを強く掴んで柱に向かって突進……は無理なので、よろよろと進んで入った。

 紅色の蒸気機関車が、乗客でごったがえすプラットホームに停車していた。ホームの上には『ホグワーツ行特急11時発』と書いてある。

 

「やっとついたー! ……手にマメができてる」

 

 感動も疎かに、ホームの端に座り込んで掌をふーふーする私だった。

 

 

 

 最後尾近くに空いているコンパートメントを見つけて、トランクを引っ張り上げようとしたけど、持ちあがりすらしない。

 周りを確認……よし、人目は無し。

 

 ふっと息を止めて、集中状態に入る。杖なしの浮遊は変身の次に得意だ。

 問題なく発動して、トランクが持ち上がる。端っこを引っ張って、中に運び入れた。

 成功成功。余は満足じゃ。

 

 

 

 一人で座って直ぐ、汽車が動き出した。

 ホームには生徒の家族たちがたくさんいて皆しきりに手を振っている。

 少しだけ寂しく感じた。ハリーもこんな気持ちだったのかもしれない。

 

 しばらくして、コンパートメントの扉が開いて、赤毛の男の子が入ってきた。

 

「ここ空いてる? 他はどこもいっぱいなんだ」

「……おお」

 

 まさかここで出会えるとは。

 生まれて初めて、原作の強制力なるものを感じたよ。

 

「もちろんどうぞどうぞ座って! あ、お菓子食べる? マグルのだけど結構いけるよこれも」

「え、えぇ……あ、ありがとう」

 

 若干、というかかなり戸惑っているけど、ここは押せ押せだ。

 

「君も1年生?」

「ウン、そう。僕はロン。ロン・ウィーズリー」

「私はハリエット・ポッター。ハリーって呼んでね!」

「は、ハリエット・ポッター!? それじゃあ、ほら、ほんとにあるの……?」

「傷? あるよ!」

「ウワーオ……すごい、本物だ……それが『例のあの人』の……」

「うん、でも何にも覚えてないんだよね」

「何にも?」

「緑色の閃光がピカッと見えた、それだけかな」

「うわー……」

 

 ロンはいちいち驚いてくれるので話している方としても気分がいい。

 うん、原作の流れはこんな感じだったはず。

 この後は確か、車内販売が来て、金にものを言わせて全部買って……あ、そうだ。

 ハーマイオニーと、マルフォイにも会えるはずだ。

 

 ドラコ・マルフォイ。

 原作ではずっとハリーのライバル……と言うよりは憎まれ役か噛ませ犬みたいなポジションだったけど、私は全然嫌いじゃない。今から仲良くなれば、何だったら強すぎる純血主義とか悪いところも直せるかもしれない。

 楽しみだ。

 

 

 

 

「誰かヒキガエルを見なかった? ネビルのがいなくなったの」

 

 車内販売が来て魔法界のお菓子を買って食べて(興奮した)、憎きスキャバーズに魔法をかけると言ってロンが杖を取り出したところで、がらりと扉を開けて見知った女の子が入ってきた。

 

「ハーマイオニー!」

「え? ……ごめんなさい、どこかで会ったかしら?」

「ええっ!?」

 

 怪訝な顔をされた。

 まさか1ヶ月の間に忘れられてる!? ……私の記憶など、教科書とかに押し流されてしまったのかもしれない。……ありえる!

 

「あの、ハリー、なんですけど……覚えてない?」

「ハリー……って、あっ、ハリエット・ポッター? マダム・マルキンのお店で!」

「そ、そう! そのハリエットです!」

 

 良かったぁ、忘れられてなかった!

 

「前と全然印象が違うから気づかなかったわ。あの前髪はもういいの?」

「あ、髪型のせいか。うん、少しは見た目に気を遣うようにしたの」

「あらそう……なんだ、魔法的な意味があったわけじゃないのね。それはそうとして、ハリー! あなたってすごい人だったのね! 『近代魔法史』にあなたの名前が出てきて驚いたわ」

「あー、うん。でも赤ん坊のころの話だし、私は何も覚えてないから、名前だけだよ」

「あらそうなの。でも……」

「あー、ハリー? 誰だい、その子?」

 

 例によって長く続きそうな話を、今回はロンが止めた。

 ハーマイオニーはその時初めてロンを見たようだった。

 

「誰とはご挨拶ね。私はハーマイオニー・グレンジャー。ハリーとはダイアゴン横丁で会ったの。あなたは?」

「僕、ロン・ウィーズリー」

 

 ロンはもごもごと答えた。

 

「ウィーズリー……って確か聖28一族のひとつじゃなかった? 間違いなく純血と言われる……あら魔法をかけるの? それじゃ見せて貰うわ」

 

 そう言って、ハーマイオニーは私の隣に座った。

 

「あー……いいよ」

 

 ロンは咳払いをして真剣な顔になった。

 

「お陽さま、雛菊、とろけたバター。デブで間抜けなねずみを黄色に変えよ」

 

 何も起こらない。スキャバーズ(偽)は相変わらずねずみ色でグッスリ眠っていた。

 

「その呪文、間違ってないの? 私も練習のつもりで簡単な呪文を試してみたことがあるけど、みんなうまくいったわ。私の家族に魔法族は誰もいないから、少し心配だったけど……大丈夫そうね」

「どういう意味さ」

 

 ロンがトランクに杖を放りながら不機嫌そうに聞いた。

 な、何だか急に険悪な空気になってきてしまった。

 

「は、ハーマイオニー、そんな言い方良くないって」

「そうね、ごめんなさい。でも、魔法界で血筋が重要視されることがあるのはわかってるけど、それでもそれが絶対じゃないと思ってるわ。私は……」

 

 そうハーマイオニーがそこまで言ったとき、三度コンパートメントの扉が開いた。

 

「気になる言葉が聞こえたな。どうやらお前はマグル生まれみたいだけど、残念だが魔法使いの優劣は血筋と家柄で決まる。そこのウィーズリーの一族も所詮は下等な連中さ」

 

 マルフォイ来たー! でも今は来ないで欲しかった!

 ややこしさが倍じゃきかないぜ!

 

「もう一ぺん言ってみろ!」

 

 ロンが叫んで立ち上がった。

 

「あら、じゃああなたは余程凄い魔法が使えるんでしょうね」

 

 ハーマイオニーがマルフォイを睨みつける。

 でかいクラップとゴイルを従えて余裕たっぷりにせせら笑った。

 

「悪いけど、今は君たちみたいなのには用は無いんだ。ハリエット・ポッターがここに居ると聞いたものでね。君なのか?」

「そ、うだけど……」

「僕はドラコ・マルフォイ。ミス・ポッター、君も家柄の良い魔法族と付き合った方がいい。その辺りは僕が教えてあげよう」

 

 わーい、これ原作で見たことあるぞー……なんて言ってる場合じゃねえ!

 薄笑いのまま差し出された手を見て、私はどうしたらいいかわからなかった。

 

 マルフォイと仲良くしたいとは思ったけど、タイミングが悪すぎる。でも多分、ここで決裂すれば原作と同じように7年間敵同士になってしまいそうだし……それはいやだ。

 でもロンとハーマイオニーの手前、今仲良くするのは無理そうだし、なんとか穏便に……

 

 決断できないままドラコの手とロンの顔を交互に見ていたら、ロンの顔が怒りに歪むのが見えた。

 

「なんだよ、僕の家族が貶されたっていうのにそいつと仲良くするつもりかよ!」

「あっ、いや、違う、これは……私だって良くないとは思って」

「違うもんか! 思ってるならそう言えば良かったじゃないか!」

「そうだけど、でも」

「でもも何もあるもんか! ……僕は兄さんたちのところに行くよ」

「ろ、ロン! 待って!」

 

 ロンはクラップだかゴイルだかを押しのけてコンパートメントを出ていった。

 私が伸ばした手は頼りなく空を掴んだ。

 奇妙な静寂が場を満たした。

 あれ?

 

「ふん、随分奴にご執心じゃないか、ミス・ポッター」

「マルフォイ……」

「あいつと仲良くしたいならすればいい。だが何が自分のためになるかを知らないと、君の両親と同じ道を辿ることになるぞ。覚えておくんだな……な、なんだよ、そんな目で見ても何もないぞ」

 

 私がどんな目をしていたのか知らないけど、そう言い捨ててマルフォイは出ていった。

 あれ?

 

「あの二人はちょっと短気すぎだけど、はっきりしなかったのはあなたも良くなかったわね」

 

 最後に残ったハーマイオニーが呟いた。

 

「確かに、マグル生まれの私は最初からハンデを背負っているかもしれない」

「……そんなこと……」

「でも、逆にやる気が出たわ。あいつ、マルフォイって言ってたわね……マルフォイ家ね。あれだけ自信たっぷりなら、さぞかし魔法もできるんでしょう。でも、鼻を明かしてやるわ。試験が楽しみだわ。じゃあ、ハリー、また会いましょう。私、ネビルのカエル探しに戻らなきゃ」

 

 そう言い残して、ハーマイオニーも出ていった。

 コンパートメントには私だけが残った。

 

 あれ?

 

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニーの頭に乗った古ぼけた帽子が叫んだ。

 

「レイブンクロー!!」

 

 

 あれー? 

 

 

 

 



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第5話 ぼっちの主人公(わたし)と見えない心

感想、評価ありがとうございます!
誤字報告も感謝です。

ランキングあがっててプレッシャーきてますが、書けるものを書いていきたいです。


「……リー、ハリー。もう起きないと朝ご飯を食べる時間が無くなるわ」

 

 身体が揺すられているのを感じて、目を覚ました。

 眩しさに目を細めながらベッドの上に起き上がる。

 どこだっけここ……だれだっけわたし……。

 

「……あと、ハリー、酷い髪よ。直した方がいいわ」

「ああ、ウン……ありが――」

 

 とう、と言い終わるころには、部屋から人は居なくなっていた。

 まあ、起こしてくれるだけ有情か。

 

 のろのろとベッドから立ち上がって、洗面所へ向かった。

 もしゃあ、もしゃあと婦女子の髪にあるまじき音をたてて梳かされていく我が髪。

 ぼーっと、鏡を見ながらここ1週間を思い出した。

 

 

 私自身は「スリザリンは駄目」をやってグリフィンドールに入れた。

 ロンもグリフィンドールに決まった。でも、今日まで全く喋っていない。何度か話しかけようとしたけど、私を見る度に露骨に顔を背けて逃げていった。

 ハーマイオニーは組み分けでたっぷり悩まれた後にレイブンクローになった。

 レイブンクローとの合同授業もあったけど、目が合って手を振り合う程度だ。図書館も行ってみたけど、さすがに入学初週から利用はしていないようだった。

 

 どうしてこうなった!

 いや、原因はわかってる。汽車の中での出来事だ――もしかしたらその他にも、細かな影響はあったのかもしれないけど。

 もはや原作のげの字も見えなくなった。ハリポタ名物の3人はバラバラどころか寮まで違う。

 焦りで視野が狭くなっていたのか、周りへの対応もつっけんどんになってしまっていたようで、「生き残った少女は黒いナールのようだ」と噂されているのを聞いてしまった。

 ナールって何だろうと調べてみたら、小さなハリネズミのような魔法生物らしい。

 うるさいわい。

 

 1週間経って、ようやく周りが見えてくるようにはなった。

 でも焦りは消えない。何とかこれからのイベントで、ロンとハーマイオニーと仲を戻さなくては。まだ、取り戻すチャンスはあるはずだ。

 

 

 手早く準備を終えて急いで大広間に向かった。

 片隅に座って周囲の視線をひしひしと感じながら、一人でもそもそ朝食を摂る。

 主人公、まさかのホグワーツぼっちを満喫中です。

 誰も話しかけてこない。……いや、まだ嫌われてるわけではなく、接しあぐねられている感じだと思うんです。そうであってください。

 ちょっと泣きそう。

 

 いいんだ、私にはずっと夢見てきた魔法がある。ここでの勉強は、私にはもはや娯楽に等しい……。でも魔法史は勘弁な!

 今日の1限目は変身術だ。先週は迷って遅刻したから、早めに行こう。

 そう決心して、大きめのパンの塊を飲み込んだら喉に詰まった。

 

 

 

 

「今日も先週に引き続き、マッチ棒を針に変えてもらいます。ノートをよく確認し、変身後の針の具体的なイメージをしっかりと持つように」

 

 マクゴナガル先生がそう言うと、マッチ箱がひとりでに浮いて前の席の生徒に渡された。

 私はギリギリで間に合って、空いている一番後ろの席に座っている。

 前からマッチ棒が配られてくるのを待っていたら、先生がつかつかと歩いてきた。な、何かしただろうか。思わず背筋を伸ばして先生を見上げた。

 マクゴナガル先生は私の席の前まで来ると、マッチ箱を差し出した。

 

「ミス・ポッター。あなたは先週完璧な変身を見せてくれました。色、形、材質に至るまで……ええ、完璧でした」

「あ、ありがとうございます、先生」

「正直に言って驚きました。疑うわけではないですが、もう一度、ここで見せてもらえますか」

「はい、わかりました!」

 

 なんだ、怒られるどころか褒められてしまった。……まあ変身術は多分一番得意だしねぇ~。

 マッチ棒を受け取って、集中し、杖を振る。前回は普通の針に変えただけだったから、今回はちょっと凝って、少し大きめの、王冠の装飾が付いた金色の針にしてみた。

 うむ、良い出来じゃ。

 

「出来ました!」

「ポッター……これは……!」

 

 針を取られ、マジマジと観察される。

 

「素晴らしい……素晴らしいですよポッター! 皆さん御覧なさい、ポッターのマッチ棒です!」

 

 マクゴナガル先生は、教室の後ろから皆に見えるように針を振り上げ、興奮したように叫んだ。

 

「形と材質は言うことなし、何よりこの見事な意匠! 相当な技術が無ければまず無理です。ここまで見事な変身術を使える者は2年生にも多くないでしょう」

 

 先生は針を私に返し、微笑む。

 

「私は自分の寮の贔屓はしませんが……これは十分、評価に値する成果です。グリフィンドールに10点」

 

 マクゴナガル先生がそう言うと同時に、グリフィンドールの席からわっと歓声が上がった。

 「すごいわ、ハリー!」と隣に座っていた女の子たち(確かラベンダーとパーバティ)にもみくちゃにされた。他のみんなも笑って、大きく拍手をしてくれていた。

 みんなが(ハリー)を認めてくれていた。

 

 しばらくしてマクゴナガル先生が手を叩いてやっと収まったけど、あんな経験は初めてだった。悪い気分ではなかったけどね。

 地道な努力が実を結んだのだと思おう。

 

 でも、ロンが複雑そうな表情で手を叩いていなかったのも見えた。

 

 

 

 ロンのことは置いておいて、変身術はやはり得意だと再認識できた。次いで調子が良かったのが呪文学。授業で習う呪文は全て、問題なく使うことができた。まあ、こちらも家で予習してきたし。

 

 問題の魔法薬学の授業は、スリザリンとの合同授業だった。マルフォイとは原作ほど仲は悪くない。目が合った瞬間喧嘩するようなことはなく、お互いに何故か気まずく目を逸らすこととなった。ロンと変わらねえ。

 

 一応予習をして最初に来るだろう3つの質問に答える準備はしていたけど、スネイプ先生は出席を取るとき、私のところで一瞬固まっただけで、何事もなかったかのように続けてしまった。

 授業後に買い物に付き合ってもらったお礼を言いに行ったけど、そっけなく「構わん」と答えて研究室に籠ってしまった。

 授業内容もネビルが失敗したこと以外、特に理不尽な減点もなかったし、原作のように嫌われてはいないけど……何だか関りが薄くなってしまった感じだ。

 

 

 

 

 色んなキャラクターとの関係が薄い。

 マルフォイもそうだし、スネイプ先生もそうだ。しかもよく考えるとハグリッドと会っていない。

 由々しき事態だ。原作が息をしてない。

 まったくまったく。

 

 とにかく、1つずつ片付けていこう。差し当たり、今は1にロン、2にロン、34が魔法で5にロンだ。

 何とかロンと親しくなる方法は無いだろうか。

 変身術の授業があってから、同室のパーバティとラベンダーとはそれなりに話せるようにはなった。談話室で上級生や男子と喋ることもある。でも相変わらず、ロンからは避けられている。

 

 

「うーん」

「……隣でそんなに唸られていたら集中できないじゃない。どうしたの、ハリー」

「人間関係について悩んでた。ハーマイオニー、どうやったら人と仲良くなれるかな」

 

 2週目で早くも、ハーマイオニーとは図書館で会って話すことができるようになった。

 というかこの子、いつ行っても図書館にいる。この時点で逆転時計を使っていると言われても信じてしまいそうだ。

 

「あなた、私にそれを聞くの?」

 

 ハーマイオニーは眉をひそめた。

 

「自慢じゃないですけどね、私レイブンクローじゃなかったら間違いなく孤立していた自信があるわ」

「それはホントに自慢にならんね……」

 

 読んでいた馬鹿でかい本をバタンと閉じて、ハーマイオニーは私の方へ向き直った。

 何だかんだ言いながら相談には乗ってくれるらしい。

 嬉しくなって、椅子を引き摺って近寄ったら仰け反られた。解せぬ。

 

「ロンのことなんだけどさ、汽車で喧嘩別れみたいになってからずっと気まずいままで」

「ロン・ウィーズリーだったわね? んー、あの時は確かにあなたも……」

「わかってるよ。マルフォイの手なんか払っちゃえば良かったって言うんでしょ?」

「そこまでは言わないけど」

 

 と言いつつも、顔がそこまで言っている。

 でもマルフォイとも仲良くなりたいしなあ。

 

「私ホグワーツに来るまで友達いなくて。せっかくだし色んな人と友達になりたかったんだよ」

「……私も似たようなものだから、何も言えないわね」

 

 微妙な表情で目を逸らされた。ボッチ仲間であったか。

 

「マルフォイも何とかしたいけど、でも今はロンだよロン。何かいい方法ない?」

「……別に、すぐ仲良くなる必要ないんじゃない。何となくだけど、あの人、一度ヘソを曲げたら長続きしそうな気がするわ」

 

 鋭い……。

 

うちの寮(レイブンクロー)は勉強だけしてても何となく話すようになるんだけど……」

「どういうこと?」

「いや本当に、授業の復習とかしてるといつの間にかそれについて話してたりするのよ。で、一通り話し終わってから、それであなた誰だっけ、みたいな」

「思ったより変な集団だった……」

「い、一部の人だけよ?」

「あなたその一部じゃないですか」

 

 フォローになってない。

 知らなかった、レイブンクローってそんなだったのか。

 ベクトルが同じなら変な奴ら同士で波長が合うのかもしれない。そもそも組み分け自体がそれを狙ったものか。いやそれにしても、まだ入学して2週間だというのに……。

 胡乱気な私の視線に顔を顰めて(顔は赤かった)、ハーマイオニーは捲し立てた。

 

「とにかく、レイブンクローはそんな感じだから、あなたもグリフィンドールのやり方で仲良くなればいいんじゃないの!」

「グリフィンドールのやり方ねえ」

 

 グリフィンドール寮の特徴は……勇気、騎士道、決断力。

 はいそこ、どれも私に無いじゃんとか思っちゃいけない。

 

「例えば……死にそうになっているロンを助ける、とか」

「死にそうになってるけど大丈夫?」

 

 お誂え向きな4階の廊下とかはあるけどさあ。

 

「死にそうまでいかなくても、困ってるときに助けてあげたら?」

「現状顔パスで避けられてるんですよ」

「ロ、ロンじゃなくても、他の人を助けているうちに噂が伝わって心開いてくれるかもよ」

「地道な作業になるね。ずっと人助けを考えてないといけないし」

「んー……正直他に思いつかないわよ。言ったでしょ、相談する相手を間違えてるの!」

 

 腕を組んでつん、とそっぽを向いてしまった。

 かわいい。

 とはいえ、ハーマイオニーまで怒らせるのは宜しくない。

 

「ごめん、ごめん。確かに、わだかまりの自然消滅を待つよりは、そっちのがいいね」

「……いいじゃない。同じ寮なんだし、時間をかければ何とかなるわよ、ハリーなら」

「うん、何とかはなるだろうと思うんだけどね……時間をかけすぎるのはちょっとなあ」

 

 ただでさえ、人間関係の原作との乖離が激しいから、何とか修正したい。劇的に仲が近づく神の一手は無いだろうか。仲間……助ける……ロンじゃない、他の人……。無いかなあ。

 

 うんうん頭を捻っていると、急に今度はハーマイオニーが椅子を引き摺って目の前まで近づいてきた。

 

「……ね、ねえハリー」

「ん? なあに?」

 

 小声だった。どうした。

 

「そこまでロン・ウィーズリーに拘るのって……やっぱりロンが聖28一族だから?」

「は?」

「ウィーズリー家も、マルフォイ家もそうだし、そうなのかもって思ったんだけど。純血の家系と繋がりを持っておきたいのかな、って……」

「……いやいや」

 

 深刻そうな顔で何を言うかと思えば。

 

「全然違うよ。別に有力な一族に取り入ろうとか、そんなこと全然思ってない。私、ハーマイオニーが一番仲が良いと思ってるよ」

「そ、そう? そんなに? ……でも、それなら」

 

 ハーマイオニーは少し頬を染めて、でも怪訝な顔を崩さないまま聞いた。

 

 

「どうして、そんなにロンに拘っているの?」

 

 

 それは……。

 それは、何でだっけ。

 考えなかった。そうあることが当然だと思っていた。

 

 原作で……原作で? いや、そう、きっと原作でロンの良さを知っているからだ。

 ロン・ウィーズリーが、三枚目で、少し皮肉屋なところもあるけど、家族や友達思いの良い奴だと知っているから友達になりたいと思うのだ。

 うん、そうに違いない。

 

 

 

 

 しばらくハーマイオニーと雑談をして、勉強に戻ると言い出したので、私は図書館を出てグリフィンドールの談話室に帰ってきた。

 

「あら、一人?」

「大きなお世話だし。『カプートドラコニス』」

「あらら、ごめんなさい」

 

 太った婦人に若干の八つ当たりをしてしまった。反省。

 

 談話室に入ると、中はいつも以上に騒がしかった。

 掲示板に人が群がっている。

 

「どうかしたのかな」

 

 後ろから見えないかとつま先立ちでふらふらしてみるけど、伊達に学年一の身長の低さを誇っているわけではない。一向に見えない。

 いや、誇ってないけどね?

 

「おや、我らが小さきクイーンがお困りのようだ」

「全くだ、不届き者どもが多いと見えるな」

 

 そんな声が聞こえたと思った瞬間、私の視線は地上2メートル程のところにあった。

 

「えっ、ちょっ」

「下に~下に~、ハリエット・ポッター嬢のお通りであるぞ」

「そのままでは掲示が見えぬ。さあさあ退くのだ退くのだ」

「や、やめてっ、降ろしてっ!」

 

 もちろん言ってやめる双子ではなかった。

 結局私は、フレッドとジョージの肩に乗ったまま掲示を見ることになった。

 当然人垣はモーゼのごとく割れているし、めっちゃ注目されている。

 有り体に言ってものすごく恥ずかしい――

 

「あっ」

 

 

 ――お知らせ――

飛行訓練は木曜日に始まります。グリフィンドールとスリザリンとの合同授業です

 

 

 そうだ、これだ、このイベントがあった!

 これが神の一手だ!

 

「おや、ハリエット嬢は余程箒が楽しみと見える」

「仕方があるまい。箒に乗る快感は病みつきになるからな」

 

 降ろせ!

 

 

 

 

 



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第6話 失墜と幻想

感想評価、誤字報告ありがとうございます。
誤字は無いように気を付けます……。




 飛行訓練。

 原作においてマルフォイとの確執を描いたいくつもの出来事の内のひとつであり、ハリーがクィディッチの資質を見出だされた場面でもある。

 ネビルが箒から落ちて、落とした思い出し玉をマルフォイが拾い、それを私が取り返そうとする。マルフォイが箒の上から放り投げた玉を、初めて乗った箒で見事なキャッチを見せ、それを目撃したマクゴナガル先生が私をシーカーに抜擢するのだ。

 

 これぞ、仲間を助ける騎士道精神。さらにスーパーアクションを披露して一躍ヒーローだ。

 完璧……っ! まさに神の一手……っ!

 勝ったな。

 

 

 

 そして私の完璧な作戦は第一段階から躓いていた。

 

「上がれ! 上がれ! 上がれったら!! 上がってよ! 上がってください! 上がってくださいお願いします!」 

 

 上がらない。

 地面で震えるだけで、一向に手元に来ない。

 周囲ではネビルと私、どっちが最後まで残るか賭けが始まっていた。

 ネ、ネビルと同レベル……。

 

 結局手で拾うこととなった。

 

 

 

 

 

 軽微なアクシデントはあったものの、その後は概ね原作通りに進む。つまり、ネビルが箒から落ちて腕の骨を折り、マダム・フーチに保健室へ連れて行かれた。

 よしよし。順調。

 

 二人が見えなくなってから、マルフォイを筆頭にスリザリン生が笑いだした。

 マルフォイが草むらの中から白い靄が詰まったようなガラス球を拾い上げた。

 

「ごらんよ。ロングボトムのバカ玉だ」

 

 高々と差し上げると、思い出し玉は陽の中にきらきらと輝く。

 ここからだ。深呼吸。

 ようし。

 

「マルフォイ、こっちに渡してもらおう」

 

 噛まんかった!

 私の声に、周りの生徒たちはお喋りを止め静かになった。

 マルフォイは私の目を見てニヤリと笑った。

 

「おや、ミス・ポッター。いや、ポッター。もう箒に頭を下げるのはいいのかい?」

「い、今はそれは関係ないでしょ……!」

 

 スリザリン生がどっと笑う。顔が熱くなるのを感じた。

 

「それじゃ、君が取りにこられる所に置いておくよ。そうだな――木の上なんてどうだい?」

 

 マルフォイはひらりと箒に飛び乗り、綺麗に弧を描いて滑るように木の梢近くまで飛んでいく。

 やはりかなり飛び慣れている様子だ。

 

「ここまで取りに来いよ、ポッター。尤も君には無理だろうけどな。ロングボトムと仲良く隣のベッドで入院することになるぞ」

「言ってろし」

 

 ここまでほぼ完璧な流れだ。原作だとここでハーマイオニーが止めに入るけど……今は止める者は無いだろう。

 そう思って、私は箒に跨り、飛び立とうとした。

 

「止めとけよ、ハリー」

「えっ、ろ、ロン!?」

 

 止める者が居た。仏頂面のような、複雑な顔をしたロンが、私の柄を箒を掴んでいた。

 

「箒は危ないんだよ。僕も昔、その、勝手に兄さんの箒に乗って死にかけたことがある。絶対パパかママの前じゃないと乗っちゃいけなかったし、下手したら……」

「ロン!」

 

 感動のあまり、もごもごと喋るロンの手を両手で握ってぶんぶん振った。

 

「心配してくれてありがとう!」

「べ、別に心配じゃないよ、ただ、僕は……」

「でも大丈夫!」

 

 根拠のない自信が身体に溢れていた。

 満面の笑みが浮かんでいるだろうと思う。

 ロンが、ヘソを曲げたら長いロンが、仲たがいしていたと思ったのに、心配してくれている! もはや目的は半分以上達したようなものだ。

 フェリックス・フェリシスを飲んだらこんな感じかもしれない、と思うような幸福感が身体を駆け巡っていた。

 ロンの手をぱっと離し、邪魔されない内に箒を握った。

 

「ハリー!」

 

 ロンが叫ぶ。

 ふと、箒が上がらなかったことが頭を過る。でもそれはすぐに、些細なこととして思考の彼方に押し流された。

 

 大丈夫に決まってる。

 だって私は主人公だ。

 私は、ハリー・ポッターなんだから。

 

 

 地面を勢いよく蹴りつけた。

 

 それ以降の記憶はない。

 

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 

 

 

 さすがハリーだ! 生き残った女の子!

やっぱりハリーはすごいな!

   ハリーじゃないとこんなことはできなかった!

 ハリー! ハリー! ハリー!

 

 他の誰でもない。君が、ハリー・ポッターじゃ。

  

 

 

「………」

 

 目が覚めた。

 夢を見ていた。気がする。

 

 横を見れば、白いベッドが並んでいた。ここはあれか、医務室って奴か。

 首を巡らして、反対側を見れば、半月形のメガネをかけた、長い銀色の髪と髭のおじいさんが座っている。

 んー。

 夢の中で逢った、ような……。

 

「……ダンじっ、ダンブルドア先生!」

「目が覚めたかい、ハリエット」

 

 勢いよく上体を起こしたら、びっくりするくらいの眩暈が起きてそのまま身体が折れた。

 うめき声が漏れる。

 

「く、うぁ……」

「無理をするでない。首の骨が折れていたんじゃから」

「くっ、くくく」

 

 首の骨ぇ!?

 別の意味で眩暈がおこりそう。記憶を辿るけど、もやがかかったように思い出せない。

 前世のとはまた違う感じの記憶喪失だ。

 眉を寄せて眩暈を堪えながら何とか顔を上げて、ブルーの瞳を見つめた。

 何となく微笑んでいる印象が強いダンブルドア先生だったけど、今はその顔に何の表情も浮かんでいないように見えた。

 

「あの、先生、私は箒に乗ってからどうなったのですか?」

「記憶が飛んでおるようじゃのう。君は頭から地面に落ちたのじゃ。城のてっぺんくらいの高さからの」

「し、城のてっぺん……頭から……」

 

 むしろ眩暈程度で済んでるのが凄い。

 まほうの ちからって すげー!

 

「よく、生きてますね、私……」

「たまたまマクゴナガル先生が目撃しての。ギリギリで停止呪文が間に合ったが、勢いを殺しきれんかった。少しでもタイミングがずれていたらおそらく、君は命を落としていたじゃろう。まさに危機一髪の状況じゃった」

 

 ぞっとする、という言葉を頭ではなく身体で理解した。

 恐ろしく冷たいものが背中を走り、眩暈がより一層酷くなった気がした。

 淡々と告げられる言葉が、逆に真実味を感じさせた。

 

「落ちてからも、マクゴナガル先生ほどの腕がなければ危うかったかもしれん。後でお礼を言った方が良いじゃろう」

「はい、そうします……」

 

 今更ながら、自分が死にかけたという事実を頭が受け止め始めたらしい。

 眩暈と寒気が身体を支配して、ダンブルドアの顔を見ていられず俯いた。

 

 

「ハリエット。聞きたくないじゃろうが、わしは言わねばならん」

 

 しばらくしてから、先生が静かな声で話し始めた。

 

「君は才能のある魔女じゃ。特に変身術は第一回の授業から素晴らしい成果を残したと珍しくマクゴナガル先生が褒めておった」

 

 褒められたけど、これが本題ではないことはわかった。

 

「じゃがの、最初から上手くいくことなど人生においては少ない。赤子が立ち、歩き出すのに時間がかかるように、殆どのことは少しずつ学び得ていくものじゃ。それは魔法界でも変わらぬ。むしろ、魔法は扱いを間違えれば危険なものにもなりうる分、より慎重に学ぶ必要がある。ホグワーツでは、それができるようにしておるつもりじゃ」

 

 先生はいったんそこで言葉を切った。

 返事を期待されていたのかもしれないけど、私は喉が詰まったように声が出なかった。

 

「ハリエット。君は『生き残った少女』じゃ」

 

 そうです。

 いや、本当にそうなのだろうか。

 

「10年前、君はヴォルデモートの手から逃れ、あやつは力を失った。……皆好き勝手色々なことを言うが、ヴォルデモートを退けたのは君の母上の愛情じゃと、わしは確信しておる。君の母上が君に注いだ愛情が、君の中に残り、永久に愛されたものを守る力になっておるのじゃ」

 

 ずきん、と心臓に痛みが走って、一瞬呼吸が出来なくなったように思った。

 

「自分を大切にしておくれ、ハリエット。君のために亡くなったご両親が悲しむ」

 

 初めてそこで、ダンブルドア先生の言葉に感情を感じた。

 悲しみだった。

 

 しばらくの間また沈黙があって、隣で立ち上がる気配がした。

 

「君自身は、今はまだ何者でもない。『生き残った少女』であることは君の母上が遺したものじゃ。君自身が何を成すか、どう生きるかは、まだこれからじゃ。焦らずともよい……今日一日はゆっくりお休み」

 

 人の気配が無くなり、静寂が満ちた。

 

 私の頭はぐわんぐわんと眩暈が頭痛のようになって、でもこれが首を折ったせいじゃないことはわかっていた。

 こめかみを押さえて白いシーツに突っ伏した。

 

 

 

 

 

 

 外はいつの間にか日が沈み、誰もいない医務室には僅かな灯りが揺らめくばかりで、暗さと静けさが満ちていた。

 

 ダンブルドア先生の言葉は、私にハンマーで殴られたような衝撃を残していった。

 今まで見落としていた、見ないようにしてきたものが現実となって襲ってきたようだった。

 

 

 

 この世界は「ハリー・ポッター」で、私はその主人公ハリー・ポッターで、この世界は私のための物語なんだと思っていた。

 

 それはある意味では間違いではないのかもしれない。

 でも、私は「ハリー・ポッター」ではない。「ハリエット・ポッター」だ。

 前世も何もかも忘れてしまっても、私という人間は目覚めた時から私でしかなく、原作のハリーではない。

 性格も、嗜好も、考え方も、知識も、性別も違う。

 何もかも違う。

 

 わかっていたことなのに、私はハリーになろうとしていた。

 いや、違う、私がハリーであると思い込んでいた。

 

 私は、私が主人公なのだと思いたかった。

 

 

 

 私は「生き残った女の子」

 それは確かだ。

 でもそれは、私の力ではない。

 私は両親によって生かされている。

 ジェームズ・ポッターとリリー・ポッターの愛によって、私はここで生きている。

 私自身はまだ、自分で何も成してはいない。精々、変身術の授業でちょっと良いところを見せたくらいだ。

 

 ハリーも最初はそうだったろう。自分では何をした記憶も無いのに、わけもわからぬまま周りの人間にちやほやされ、覚えてもいないことで英雄と言われた。

 でも彼は最初から、両親を想い、友達を想い、愛の大切さを知っていた。

 戸惑いつつも、幾度となくヴォルデモートと対峙し、その類い稀なる勇気によって切り抜けて……。

 いつしか、本当の英雄になった。 

 

 

 

 そして、私は。

 「ハリー・ポッター」の名前を持っただけの私は。

 

 本で読んだからと相手のことを知った気になっていた。

 自分の思うように動くと思った。

 

 見ず知らずのキャラクターに讃えられても当然だと思った。

 

 原作通りに話が進まなければ苛立った。

 原作通りに話が進めば、悪いことだって喜んだ。

 

 箒にだって乗れると思った。

 

 思い通りになると思った。

 

 「だって私は主人公(ハリー・ポッター)だから」

 

 なんという傲慢!

 盲目にそう信じるのは、あまりにも違い過ぎていたのに。

 救えないことに、私は今日まで心の奥で、この世界を都合の良い舞台だと思っていたらしい。

 

 そして、その幻想(まほう)は解かれた。

 

 脚本通りに自分が飛べると思い込んだ自称主人公は、真っ逆さまに落ちて死にかけた。

 人の忠告も聞かずに、救われた命を自ら捨てに行った。

 

 

 ずっと、勘違いしてた。

 

 私は主人公(ハリー・ポッター)じゃない。

 

 

 

 

 それなら私は、この世界で、これからどうやって生きればよいの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第7話 謝罪回りと味のしないパン

 

 メンタルとアイデンティティに致命の一撃を喰らった次の日。

 医務室で夢も見ないほど深く寝て眩暈もすっかり消えた私は、お昼前にもう退院できることになった。首を折ったのに入院が一日とは驚きである。

 やっぱり魔法ってすごいなあ。

 

 

 退院する直前、医務室の外からばたばたと足音が聞こえ、ハーマイオニーが駆け込んできた。

 

「ハリー! 箒で暴れ柳に突っ込んで全身複雑骨折って聞いたわよ!」

「ハーマ……なにそれこわい」

 

 話が大きくなるにも程がある。

 息を切らせるハーマイオニーに、水を飲ませて落ち着かせる。

 

「折れたのは首だけだよ」

「なんだ首だけなのね、ってそれでも十分重傷じゃない! 大丈夫なの?」

「大丈夫、大丈夫。マクゴナガル先生とマダム・ポンフリーが治してくれたから」

 

 笑顔を浮かべてそう答えるけど、ハーマイオニーの表情は優れない。

 

「ハリー、本当に大丈夫?」

「? どうして?」

「だって、なんだか……」

 

 言葉に表せず迷っているようだった。私の混乱状態に気がついているのだろうか。

 だとしたら……いや。

 

「大丈夫だよ、ハーマイオニー。ただ強いて言うなら」

「言うなら?」

「自分探しの旅に出たい」

 

 私の返答を冗談と受け取るべきか、ハーマイオニーはしばらく考えていた。

 

 

 

 

 これ以上話すといろいろとボロが出そうな気がしたので、訪ねてくれたハーマイオニーには悪いけど、用事があると言って別れた。

 

 実際しなければならないことはある。

 マクゴナガル先生に、助けてくれたお礼を言うのだ。

 

 

 マクゴナガル先生の部屋の前に立ち、ノックをするとすぐに返事があった。

 

「どなたですか?」

 

 少し迷って、「ポッターです」と答える。

 

 次の返事までには妙な間があった。

 

「お入りなさい」

「失礼します」

 

 扉を開けた。

 開けた瞬間、部屋の奥でデスクに座っている先生の表情を見て、大変失礼ながら回れ右して逃げ出したくなった。

 普段から厳しい表情をしていることが多いけど、今は目算、普段の5割増しだった。

 

「お入りなさい」

 

 ドアで固まった私に、先生は有無を言わせぬ口調でもう一度言った。

 ギクシャク歩いてデスクの前に立った私に視線が突き刺さる。

 

「要件は?」

「はい、あの、せんじちゅっ、先日は―――」

 

 噛みっかみではあったけど、なんとか平身低頭謝り、お礼を言った。

 最後に、もう危ない真似はしません、と言うと、マクゴナガル先生は変に無表情で、張り詰めて絞り出したような声で言った。

 

「以上ですか?」

「……はい」

「結構」

 

 先生は杖を取り出しひょいと振った。窓や廊下から聞こえる生徒たちの声がぴたりと聞こえなくなった。私はこれから起こることを正確に予測することができた。

 

 

 

「こんな事は初めてでした! 私が間に合っていなかったら、間違いなくあなたは命を落としていました! 確かにまだ11歳でしょうが、やって良いことと悪いことの区別がつかないのですか! あなたにはもう少し分別があると思っていました―――」

 

 予想通りものすごいお叱りを受けた。しかもその中にまた両親が悲しむ的な話も入ってきて、私の精神は鰹節のように容易く削られた。

 

 30分にもわたるフルコースのお説教、そしてグリフィンドールから20点引かれ、くしゃくしゃのホコリクズのようになった私だった。

 最後にもう一度謝ってからすごすごと退室しようとする直前、「ポッター」と呼び止められた。

 

「私も、あなたほどの才能がなくなるのは惜しいことだと思っています。……無事で何よりです」

 

 最後にデレを見せてくれる見事な飴と鞭の使い分けだった。

 これは良い先生。不覚にも泣きそうになった。

 

 

 

 

 ちょっとだけトイレの洗面所で時間を潰して、談話室へ向かう。

 

 次はロンだ。忠告を無視したことを謝らなくちゃ。

 

 談話室に戻ると、皆心配してくれていたらしく、あっという間に囲まれてしまった。

 ラベンダーやパーバティは特にそうで、笑顔を浮かべてジャンプをして元気アピールをしてみせるまで、心配そうな顔が晴れなかった。

 他の皆にも大丈夫大丈夫と連呼しながらロンの姿を探したけど、見つからない。

 

「ロンなら部屋にいるよ」

 

 とシェーマスが言うのを聞いて、チョップで人ごみをかき分け、男子部屋の階段を昇った。

 

 

 

「ロン?」

 

 顔だけ出してそっと部屋を覗くと、ベッドに横になってる赤毛が見える。

 

「ロン……? 起きてる?」

「ん? ……は、ハリー!? 何で男子部屋に居るんだ! どうやって入ったんだ!?」

「ロンが居るって聞いたから……普通に入ったよ」

「男子は女子部屋に入れないのになあ……あ、ハリー、首はもう大丈夫?」

 

 よっぽど、何故入れないことを知っているんだ、と聞きそうになったけど、それよりあまりにも普通に心配してくれているロンを見て、私は逆に固まってしまった。

 

「? おーい、ハリー? やっぱりまだどこか……?」

「いや、違うん、えっと、大丈夫。あの……もう、怒ってない、の?」

「あー……」

 

 ロンはバツが悪そうに鼻の頭を擦った。

 

「うん、しばらく前から、っていうか、かなり前から、あの時はしょうがなかったと思ってたんだけど……なんて声かけたらいいかわからなくて。ウン、意地になってた、僕。……その、ごめん」

「そんな! 私だって、あの時はハッキリしてなかったし、マルフォイに怒るべきだったし……」

 

 謝る言葉は今までに散々考えたはずなのに、しどろもどろになってしまった。

 

「それに、昨日も、止めてくれたのに、それを聞かないで飛び出して……ごめんなさい」

「でも君はネビルのためにやったんだ、そうだろう?」

 

 違うんすよ。

 と、暴露する勇気も、肯定する強かさも私にはないのである。

 日本人特有の愛想笑いを繰り出すしかなかった。

 肯定と受け取ったのか、ロンは笑みを浮かべて、少し躊躇いがちに手を差し出した。

 

「君って、勇気があるよ。凄いと思う。あー……よかったら、これからよろしく、ハリー」

「う、うん。ロン……」

 

 差し出された手を握った。

 当たり前だけど、生きてる手だった。

 

 

 

 

 折角なので(なにが折角なのか)、グリフィンドールの1年生皆で一緒に昼食を摂ることになってしまった。周りを同級生に囲まれて大広間にぞろぞろと向かい、私はなんとなく、護送される囚人のような気分になった。

 

 ロンとラベンダーの間に座った私はもちろん食が進むわけもなく、もそもそと食パンだけを口に詰めていた。いつももそもそしてんな。

 ロンとシェーマスのクィディッチ談義と、ラベンダーとパーバティの昨日の宿題の話を両耳で聞き流していていると、不意に後ろから声をかけられた。

 

「おや、ミス・ポッター。お早い退院だね」

「まうほい?」

 

 振り返れば予想通りマルフォイがいた。……ミスと呼んでもらっているのに呼び捨ても悪いな。

 思えばこの呼び方も……いや、とりあえず置いておこう。

 

「まうほい……ふん?」

「……飲み込むと良い」

 

 口に中のパンをミルクで流し込んで向き直った。

 珍しいことに、クラップとゴイルを連れていない。そうすると、何だか小さく見える。

 

「ごめん、お待たせ。マルフォイ、くん?」

「……ああ、まあ、良いさ。その……怪我の調子はどうなんだ?」

「良いよ。眩暈があったけど、一日寝たら治ったよ」

「そうか……それなら良い」

 

 そう言って踵を返した。

 えっ。

 

「そ、それだけ?」

「そうだよ。…………悪いか!」

「いえ悪くないですはい! ……あ、ありがとう」

「ふん」

 

 青白い顔に赤みが差していた。

 マルフォイはそのまま大広間を出て行った。

 

 今のは、何の衒いも深読みもなく受け取るなら……

 

「心配、してくれた?」

「まあ、そうだと思うよ」

 

 独り言のつもりだったけど、いつの間にか聞いていたらしいロンが不機嫌そうに答えた。

 

「君、相当やばい状態だったから。流石に悪いと思ってるんだろ」

「そ、そんなに?」

「あんまり思い出したくないけど、首が180度曲がってた。マクゴナガルがいなかったら、マジ、やばかった」

「ひゃくはちじゅうど……」

 

 周りのグリフィンドール生が示し合わせたようにほとんど首なしニックを見たけど、たぶん他意は無い。

 

「マルフォイも青くなってたよ。いや、いつも青いからほとんど白だったな、あれは」

「でも思い出し玉も返してくれたんだ。君のおかげだよ、ハリー!」

 

 ネビルが弾んだ声で思い出し玉を見せてくれた。相変わらず赤く反応している。

 その顔は輝くような笑顔で、私がネビルのために身体を張ったことを微塵も疑っていないようで、ものすごくいたたまれない気持ちになった。

 

「いや……別に、そんな――」

「謙遜召されるな、我らが小さき女王様よ」

「そうとも。グリフィンドール生らしい勇気ある行動だ」

 

 もごもご言い訳しようとしたら、後ろから聞き覚えのある声……というか聞き覚えのあるヨイショが聞こえてきて、反射的にまた持ち上げられないように机を掴んだ。

 

「けど聞いたぜ、ハリー。かなりぶっ飛んでるな。二つの意味で」

「無茶しすぎるなよ、命あっての物種だぜ」

 

 心配は杞憂で、そのまま頭の上から声が続いて、上を向くと見下ろしている同じ顔が2つ見えた。

 軽い言葉とは裏腹に、その顔には同じように心配が浮かんでいる。

 

「うん、ありがとう……ごめん」

 

 

 

 世界が終わるような失敗をしたと思ったのに、誰も呆れたり見放したりはせず、私のことを心配してくれる。

 

 素直に感謝できればいいんだろうけど、でも、これも結局「生き残った女の子」への心配なのかもとか、原作ハリーの位置にいるからだとか、そういうネガティブな思考が頭の中で蜷局を巻いている。ハリーだけに。

 

 いやいや、皆そんな人間じゃないだろう、ってことはわかってるんだけど。

 そう簡単に割り切って付き合えるなら、きっと組み分け帽子もあんなに悩まなかっただろう。

 

 

 というか単純に、みんなの優しさが痛い。

 

 

 

 

 不意に視線を感じて上座のテーブルに目を向けると、スネイプ先生とばっちり目が合った。ダイアゴン横丁ぶりな気がする。

 じっと見てくるので、両手でぐいっとガッツポーズをして元気ですアピールをしてみた。

 特にリアクションはなく、目を逸らされた。

 

 うん、むしろこれくらいの塩対応が気持ちいい。

 久しぶりに、自然に口元に笑みが浮かんだ感触があった。

 

 もう一切こっちを見ようとしないスネイプ先生から目を離し、何気なく視線を滑らせた。

 そのとき。

 

「あぅっ」

 

 悲鳴が漏れた。咄嗟にパシリと額を手で覆った。

 

「どうしたハリー!」

「大丈夫かハリー!」

「まさかまだ首が!?」

「い、医務室、医務室に早くつれていかないと!」

「「俺たちが連れてく! さあ乗ってくれ!」」

「気分は? 意識はしっかりしてる? ここがどこかわかる?」

「ハリー!? 私がわかる!? あなたの姉よ!」

「ここなら先生を呼んだ方が速い! 任せてくれ僕は監督生だ」

「大丈夫だから! 大丈夫だからっ!」

 

 大袈裟なくらい大騒ぎする面々を宥めるのに5分かかった。

 

 

 

 

 

 初めて、傷が痛んだ。

 クィレルのターバンに目が行ったときだ。

 

 私の悩みとか、原作との違いとか、そういうことに関わらず時間は進む。

 

 

 ハロウィンが迫っている。

 

 

 





いつの間にかお気に入り1000件超えてました。

ありがとうございます。


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第8話 ハロウィンパーティと充実した学生生活

 結局のところ、今までは中途半端だったのだ。

 ハロウィンまでの時間を使って、私はそう考えた。

 

 今までは、原作通りに進んでほしいと思いながらも、自分に都合の良いところだけ改変しようとしていた。

 好き勝手に漠然と生きるだけではなくて、私は生きる上で方針を決めなくてはならない。

 

「はい、ハリー、シーザーサラダ。美味しいわよ」

「……あむ。あいがと」

 

 この世界は物語ではない。人々もみんな生きている。

 それを前提に考えるに、大きく分けて、私には2つの道があるように思う。

 

 ひとつは、もうすべての悩みを捨て去って、開き直って「ハリエット・ポッター」として自由に生きる道。

 しかしこの道は、死亡フラグ満載のこの世界で私が自由に行動してどうなるのかわからない、というデメリットがある。

 私に危険が及ぶだけならまだしも、下手をすれば大量に死人が出る可能性もある。

 

「ハリー、こっちのパンプキンパイも美味しいわ!」

「はぶっ……()ぶんで()べれるから」

 

 そしてもうひとつは、今度こそ自分を殺しきって、原作ハリーを死ぬ気で演じて生きていく道。

 茨の道になるとは思う。でも原作通りにことが運べば、間違いなくヴォルデモートは倒せるし、ほとんどの人は救われる。

 

 しかし、こちらについては既に致命的な問題が発生している。

 

「ハリー、皮つきポテトはいる?」

「いただきます」

 

 その問題とは、私の知る原作とは変わってきてしまっていること。

 特に私。少なくとも原作ハリーはさ、

 

「ハリー、かぼちゃチョコよ!」

「だから、自分で……あむ」

 

 こんな風に友人たちに介護されてはいなかったと思うのだ。

 

 

「パーバティ! ハリーは甘いものが好きって言ってたじゃない!」

「だからと言ってそれだけだとバランスが悪いでしょ」

「ハロウィンなんだからそれくらいいいじゃない」

「それでも夕食がかぼちゃとお菓子ばかりじゃ……」

 

 私は意見を言うことはできない。口の中がかぼちゃとポテトで一杯なのだ。

 もぐもぐしながらパーバティとラベンダーの言い合いを見守るしかなかった。

 

 例の飛行訓練から、グリフィンドール生たちは、簡単に言えば過保護になった。

 私が小さすぎるのが悪いのか、同級生ですら妹のように接してくる。

 

 特にラベンダーとパーバティがつよい。

 今日は特にそうで、ハロウィンのお菓子に目を輝かしたらこんなことになった。

 

 原作ではひとまとめにされることの多かった彼女たちだけど、ここ数週間べったりしていれば、嫌でも人となりが見えてくる。

 パーバティは実際にお姉ちゃんで、わりとしっかり者。姉御肌という感じだ。

 ラベンダーは姉ぶりたいというか、小さいものを愛でたいお世話したいという感じ。

 どちらにせよ面倒を見られている……同い年だよね? てか精神年齢は私のが上だよね?

 

 どうしてこうなったし。

 

 

 

 

 この2週間くらいで、ネガティブスパイラルに陥っていた私の思考はだいぶ落ち着いた。

 時間が経って、だんだんと周りの人たちを知ることができたからだと思う。

 原作に出てこなかった人もいるし、知らなかったこともたくさんたくさんあった。

 逆に言えば、今までどれだけ見ていなかったのかと凹む。

 見ていなかったというか、全て原作というフィルタを通して見ていた。

 

 最近は、ただ生活するだけの日常が、きらきらして感じる。

 この学校で、友人に囲まれて、自由に生きられたら、それはどんなに――。

 

 

 だけど、その道を選ぶことはできない。

 

 原作を放棄する、ということ。

 それはつまり、最低保証のグッドエンドを蹴飛ばして、未知のゾーンへ突入するということだ。

 

 「ハリー・ポッター」の位置にいる以上、ヴォルデモートを倒すのは私の役目だ。

 私の、楽しさとか、幸せのために、大勢の人を危険に晒すことはできない。

 だって、グリフィンドールの人とかみんなすごい良い人ばっかりだもん。

 

 

 まだ、軌道修正はできると思う。

 ハリーってほとんど巻き込まれ体質だし。

 

 事件のトリガーは、来年は父フォイがジニーに日記を渡すことだし、再来年はウィーズリー家が新聞に載ったのをシリウスが見ること。その次はウィーズリー家と一緒にワールドカップを見に行くことで、その次からは……大体ヴォルデモートの陰謀かな。

 

 こうして見ると真の巻き込まれ体質を持つのはウィーズリー一族なのかもしれない。

 

 つまり、ロンとその兄弟と仲を深めていけば問題ない。たぶん。

 

 

 そう決めた上で、私はどう行動するべきか。

 

 ぶっちゃけ「賢者の石」編では、私は何もしなくてもいいと考えていた。だって私が仕掛けを突破してみぞの鏡のところに行かなければ、クィレルは何もできないのだから。

 

 でも、原作をなぞっていく道を選ぶのなら、私はヴォルデモートと対峙しなければならない。

 

 

 そして、今日はハロウィン。

 原作ではハリー、ロン、ハーマイオニーが親友になる超、大事なイベントがおこる日だ。

 クィレルが招き入れたトロールに襲われたハーマイオニーを、ロンとハリーが救うのだ。

 

 

 ちらり、とレイブンクローの方の席を見る。

 ハーマイオニーが居る。パドマ・パチルと話しながら普通に夕食を摂っている。

 

 続いて、上座を見る。

 スネイプ先生の隣に、クィレルが居る。席を立ちたがっているように見えるけど、スネイプ先生が執拗に話しかけてそれを許していないようだ。かなり嫌そうな顔で対応している。

 うん。

 

 

 

 結論!

 ハロウィンは平和です!

 

 いやだがしかし油断大敵! これが最後の平和と思え。

 私はハリー・ポッターになりきるのだ。そう、例え私の精神を殺しても……!

 

 私は壮絶な覚悟を決めたのだった。

 

 

「ハリー、キャラメルアップルは?」

「食べるー!」

 

 

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 

 

 11月に入って、かなり寒くなった。毎日霜が降りて、学校を囲む山も全部、灰色に凍りついた。

 薬草学の授業へ向かうため城の外にでるときなど拷問のようだったので、「ルーモス・ソレム(太陽の光よ)」の呪文で小さな太陽を作り出し、それに当たりながら行くのが流行った。

 流行ったと言うか、その呪文は私しか使えなかったので、皆で私の太陽に当たりながら行くのが流行った、と言った方が正確だろう。護送態勢がデフォルトになりつつある。

 

 変身術は1年生でやることくらいならできてしまうため、マクゴナガル先生に上級の本を借りて読んでいたり、わからない同級生に教えてあげたりしている。

 変身術はハーマイオニーまで聞きに来ることもあるので、ちょっと鼻が高い。

 逆に魔法史や天文学は教えてもらうことの方が多いんだけど。

 

 魔法薬の時間は少し変化があった。

 スネイプ先生は相変わらずだけど、ドラコと……マルフォイ君と呼んでいたら気持ち悪いからそう呼べと言われた……仲良く、ではないけど、少しはましな関係になった。見かければ挨拶するくらいはする。

 魔法薬を作るとき、いろいろあってドラコと二人ペアになったのがきっかけだった。

 やっぱりロンは面白い顔しないし、ロンの話題を出すとマルフォイも面倒そうな顔をする。この二人はもう、魂レベルで相容れないのかもしれないとも思ったけど、とりあえず関わらなければ問題はない、くらいにはなった。

 

 

 そんな感じで、時は過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

「ハリー、クィディッチ見に行こうぜ!」

「スリザリンとだ!」

 

 朝食の時、ロンとシェーマスとディーンがスクラムを組んでやってきた。

 

「絶対楽しいから!」

「うーん……」

 

 正直、あまり乗り気ではない

 

「ほら、私箒アレだし……」

「乗るのと見るのは違うって!」

「そうかなあ」

「ハリー、ほら、サッカーだって自分ができなくても見るのは面白いでしょ?」

「……一理ある」

 

 そういうことになった。

 

 

 飛行訓練は例の事件の後も何回かあったけど、ネビルも私ももう事故は起こさなかった。けれど最後まで、どう頑張っても、私の箒は地上50センチくらいまでしか浮いてくれなかった。

 ネビルも含めて青空の中を飛び回る下で、私だけリニアのような挙動だった。

 

 こいつぁ……トラウマになってやがる。 

 いいし。自由に飛べるのは確かに羨ましいけど、無理して飛びたいとは思わんし。

 

 

 競技場に行くと、相当混んでいたけど、1年生は小さいので観戦席の前の方に入れて貰えた。

 決して私だけが小さいからではない。

 

 グリフィンドール対スリザリンの試合はグリフィンドール優勢で始まった。

 シーカーは別の上級生が務めているが、その他のメンバーは変わらない。

 ラフプレーが多いスリザリンに対して、アンジェリーナやアリシアが得点を決め、ウッドが見事なセーブを見せる。双子のウィーズリーもブラッジャーをばこばこ打って味方を護り、敵を妨害していた。さすが人間ブラッジャー。

 

 うーん。

 思っていたより、すごい楽しいスポーツだった!

 今まで見てきたマグルのスポーツとは、何よりスピード感が段違いだ。

 目まぐるしく行き交う選手と3つのボール。息をも吐かせぬ攻防。

 

「がんばれー! そこ! いけいけいけー! あーおしい!」

 

 私もいつのまにか無意識に、点が入れば喜び、入れられれば落胆し、グリフィンドールチームに声援を送っていた。

 

「ハリーもすっかり、クィディッチの虜だな」

「ああ、僕は正直、最初からこうなると思ってたよ」

 

 隣で何か言っていたけど、今の私には聞こえーん。

 

「あっ、フレッドかジョージ! どっちかわかんないけど頑張れー!」

「フレッドだよ」

「フレッドか。フレッド頑張れ!」

 

 フレッドが近くに来ていたので、声を張った。

 フレッドはちらりとこっちを見て、ひょいと棍棒を掲げて見せた。

 声援やら口笛やらが飛ぶ。

 そうしている間に、またしてもアンジェリーナが得点を決めた。

 

 

「ね、ねえ、ブラッジャーがこっちに来てない?」

 

 不意に、隣でネビルが不安そうな声を出した。

 

「ネビル、ブラッジャーは魔法で選手だけ追うようになってるんだ。フレッドを狙ってるんだよ」

「でも、こっちに来てる……! ここを狙ってるよ!」

 

 ロンの答えに、ネビルが悲鳴のような声を上げる。

 確かに、競技場の右端で飛び回っていたブラッジャーが、急に獲物を見つけたかのように飛んできている。選手の傍も通り過ぎているのに、一直線に向かってくる。……念のために杖を取り出しておこう。

 

「ま、まさか……フレッド!」

 

 ロンが叫ぶ前にフレッドは気づいていて、ブラッジャーを見事に打ち飛ばした。

 

「ナイスだ!」

 

 打たれたブラッジャーは、大きく弧を描き……またしてもこっちへ向かってきた。

 

「ひええ!」

 

 一旦安堵したネビルが再度震えだす。

 フレッドがまた打ち返す、戻ってくる、打ち返す、戻ってくる、打ち返す……。

 一人でラリーをしている。

 逆に安定感が出てきた。ネビルも落ち着いてきた。

 うん、そのうちマダム・フーチが気づいて止めるでしょう。

 それにしても、うーん、狂ったブラッジャーは1年ばかり早いような気がするんですが。

 

「このっ! しつこいな!」

 

 フレッドが苛立たし気に叫んで一際大きく吹っ飛ばす。

 それでもまだ、諦め悪く向かってくるようだ。

 

「ロン、あれって……」

「ハリー! 危ないッ!!!」

 

 フレッドの叫び声が()から聞こえた。

 

 思考に空白。フレッドは私たちの右側に今も見えている。

 

 すぐに答えは出た。

 これはジョージの声。振り向いた目前に、()()()()()()()()()()()()が迫っていた。

 

 反射的に杖を振った。

 使えたのは最も得意な魔法――変身術。

 薄いヴェールが現れ、それを通り抜けたブラッジャーは水の球へと姿を変える。

 ブラッジャーの勢いを保ったままに。

 

 

 盛大な水しぶきが上がり、会場は静まり返った。

 

 

 ぽた、ぽた、と雫が落ちる。

 私周辺のグリフィンドール生たちは皆濡れネズミのようになっていた。

 

 私はほっと息をついて杖を仕舞い、ぶんぶん頭を振って雫を飛ばした。

 

「わっ、ハリー! やめろよ!」

「いやでも、ハリーが止めてくれたのか?」

「え、今のってハリーの魔法だったの?」

「杖抜いてるのハリーだけだし……」

「恐ろしく速い魔法、オレでなきゃ見逃しちゃうね」

 

 ざわざわしだす観客席。

 先生方もこんなことは初めてのようで戸惑っているようだ。

 

 ん、スネイプ先生が杖を抜いている。杖の先を見れば、フレッドが相手していたブラッジャーが粉になっていた。

 また目があった。頭を下げておこう。

 

 そして私は、世にも珍しいものを見た。

 私に目を向けたスネイプ先生が……噴き出した。

 それは見事に噴き出して、自分のローブに顔を埋めて震え出した。

 

 へ?

 

「うわ、ハリー何だよこれ……髪!?」

「あー、これか」

 

 説明しよう!

 私ハリエット・ポッターの髪の毛は、水を含むと異常に膨張するのだ!

 その大きさ、実に当()比3倍!

 

「え、ちょっと、その髪……ぶはっ」

「うわあ、ハリー、鳥の巣みたい」

「や、止めろよネビル、ぶっふふふふ……」

 

 ふん、笑いたきゃ笑うがいいさ。

 しかし鳥の巣とは……若干傷ついたぞネビルよ。

 

「ちょっと男子! 女の子の髪を笑うなんてサイテー! ほらおいで、ハリー」

「ラベンダー!」

 

 救世主だ。ラベンダーの後ろに走って隠れる。

 

「ハリーに助けて貰ったんでしょう? まったくこれだから男子は」

「いや、ごめん、ありがとうハリっぶはははは!」

「わかってるんだけどっ、面白くてっ、すまんハリー……!」

「こらー!」

 

 段々と笑いが伝播していく。

 静かだった競技場に賑やかさが戻って来た。

 まあ、少しでも役に立ったならこの髪も本望だろうさ。

 ラベンダーとパーバティに杖から温風を出してもらって髪を乾かした。

 試合も仕切り直しになるようだ。

 

 

 ブラッジャーを変えて再開した試合は、スニッチをスリザリンに獲られ、80対160という結果に終わってしまった。

 ブラッジャーの異変は原因不明とのことだった。まあ多分、クィレルのせいだと思うけどね。

 

 負けちゃったし、アクシデントもあったけど、初めてのクィディッチ観戦はかなり面白かった。

 そういう意味では、ロンたちに感謝だ。

 

 笑った恨みはいずれ返す。

 

 

 

----------------

 

 

 

 シャワーを浴びて温かいパジャマを着て、布団に潜り込んだ。ぬくもりに包まれながら、ぼんやりとここ最近を思い返して、気づいた。

 

 

 ……あれ?

 なんかものすごい普通に過ごしてない?

 

 

 壮絶な覚悟、とは一体。

 

 

 

 

 




ふーちとかぽんふりーって字面だとかなり可愛い名前ですよね。


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第9話 初めてのクリスマスと森番

長かったので分けました

後でもう1話あげます


 結局のところ、今までは中途半端だったのだ。

 ゆらゆら揺られながら、私はそう思った。

 

 こんなことではだめだ。もっと自分を律しなければ。

 そう言い聞かせた。

 

 

 今まではちょっと楽しすぎた。

 いやだいぶ、いやかなり、いや凄く楽しすぎた。

 ホグワーツで、ただのハリエットとして生きることはあまりにも楽しかった。

 私は前世の生活の記憶はないけど、一般的な生活のイメージはちゃんとある。そのせいで、ダーズリー家での扱いの酷さがはっきりわかってしまうし、ここでの楽しさもひとしおだ。

 

(というかこんな環境で自分を律することができる精神を持っているなら最初からあんな失敗はしないと思うんですけど)

 

 

 城の中を運ばれていく私の目に、華やぐホグワーツが映る。

 雪で真っ白になった中庭には、そこかしこに飾り付けがしてあり、何人かの生徒たちが雪玉を飛ばし合って遊んでいる。もちろん、魔法でだ。

 クリスマスパーティにもすごく期待してる。例年ご馳走もすごいとの噂だ。きっとケーキや、お菓子なんかもたくさんあるだろう。

 生徒たちも、先生たちも浮かれてきて、全体的に城の中が賑やかになってきた。

 

 私は元日本人(多分)だけど、クリスマスの雰囲気は好きだ。恋人はいたか知らないけど。

 今世では良い思い出はまったくない分、今年のクリスマスを迎えるのがとても楽しみ。

 「ジングル・ベル」の鼻歌なんか歌ってしまう。

 ふんふんふん、ふんふんふん、ふんふんふん、ふふん……

 

 

 ――はっ!

 いかん、また雰囲気に流されて楽しい生活を送ってしまった。

 

 むむむ。

 滝行でもしたほうが良いかしらん。

 

 

 でも今の状況を考えると、クリスマスソングを歌うというのは割と役割に合っているような気もする。

 

 大広間に運び込まれていく。

 広間はすばらしい眺めだった。ヒイラギやヤドリギが綱のように編まれて壁に飾られているし、クリスマスツリーは十二本もそびえ立っていた。小さなツララでキラキラ光るツリーもあれば、何百というろうそくで輝いているツリーもある。

 マクゴナガル先生とフリットウィック先生が忙しく飾りつけを続けている。

 マクゴナガル先生が気づいた。

 

「あぁ、ハグリッド、最後の樅の木ね――あそこの角に置いてちょうだい。おや、何か毛玉のようなものがついていますよ」

「そうですかい?」

「ええ、ほら、ここに……」

 

 私なんだよなあ。

 マクゴナガル先生とばっちり目が合った。

 

「………」

「………」

 

 無言の空間があった。

 見たことない顔しておられる。

 

「……ミス・ポッター、何をしているのですか」

「地下牢から出た所で攫われました。先生、申し訳ないのですが、解いていただけませんか。髪が知恵の輪状態で」

「……エマンシパレ(解け)」

 

 ものすごく何かを言いたそうな顔をされたけど、飲み込んだのか杖を振って髪を解いてくれた。ついでに自動で梳かしてくれるおまけつきだった。流石です。

 

「こりゃおったまげた、まさか生徒が引っ付いてたとは。悪かったな、嬢ちゃん」

「ハグリッド、彼女がミス・ハリエット・ポッターですよ。ミス・ポッターは……」

「会うのは初めてです」

 

 先生は頷いて続けた。

 

「彼はルビウス・ハグリッド。ホグワーツの森の番人です」

「オーッ! お前さんがハリーか!」

 

 吠えるような声で、ハグリッドが言った。

 

「最後にお前さんを見た時にゃ、まだほんの赤ん坊だったなあ。母さんにそっくりだ。特に目は瓜二つだ。でも髪は……父さんだな」

「えへ、みんなそう言ってくれるよ」

 

 最近は両親に似てるって言われるのが嬉しくなってきた私である。

 ハグリッドが差し出す大きい手を握って、ブンブン振られる。大振りすぎて身体が持って行かれた。

 

「もっと早く会いたかったもんだ……そうだ、ハリー、この後は授業か?」

「いや、今日はもう無いよ」

「じゃあちぃーとお茶でもせんか? 俺の小屋へおいで」

 

 校庭の方指さすハグリッドの言葉に、少し考える。

 

「じゃあ、うん、ご招待に預かります」

「なんでそんなへりくだっとるんだ?」

 

 打算というか、計算を挟む後ろめたさがありまして。

 

 

 ハグリッドに伴って城の玄関へ歩く。

 ここだけの話、私とハグリッドの間には実に2メートル以上の身長差がある。屈んでもらわなきゃ顔が見えないし、単純に話すのも大変だ。

 ひとつ思うんだけど、私ハグリッドの小屋の家具は使えるのかな?

 椅子に登れるかわからないぞ。

 

 そんなしてもしょうがない心配をしながら歩いていたら、前から妙に息を切らしたスネイプ先生が早足で歩いてきた。

 なんか最近、結構な頻度でスネイプ先生に遭遇する。先回りされているのかもと思うほどだ。

 先生はハグリッドを見て、その後隣の私に気付いてピタリと止まった。

 

「ポッ、ポッター、なにか、攫われた、とか聞いたが」

「え? あ、はい、ハグリッドの樅の木に絡まって、攫われました」

「……………………」

 

 黙ってしまった。相変わらずの無表情だけど、なんだか今はいつにも増して怖い。

 

「……ミス・ポッター」

「はい」

「紛らわしい噂で教師を惑わせた罰で5点減点」

「!?」

 

 そう言ってスネイプ先生は来た時のさらに倍の速度で去って行った。

 この間僅か30秒。

 ぽかん、とした私とハグリッドがその場に残された。

 

「お前さん、スネイプ先生に嫌われとるのか?」

「そうでもないと思ってたけど、そうなのかも」

 

 

 

 雪を踏み踏み、校庭を横切って行く。

 ハグリッドの小屋は、禁じられた森の端にあった。

 

 小屋に入ると、やっぱり何もかものサイズが大きい。椅子には座れたけど、当然足はつかないし、ほとんど首から上までしか机から出なかった。

 まあ、そんな状態でもさっきより話しやすいのは確かだ。

 大きなヤカンから、これまた大きなティーポットにお湯を注いで紅茶を淹れてもらった。マグカップも巨大だったけど、お茶はおいしい。

 ロックケーキを勧められたけど、文字通り歯が立ちそうになかったので、遠慮した。

 

 

 いろいろな話をした。

 学校に来てからの4ヶ月間のこと、授業や、できた友人や、失敗したこと。

 

 言葉は乱暴なところもあるけど、ハグリッドは表情豊かで聞き上手だった。私が喋りたがりなだけかもしれないけど。

 

 ついでに入学前の話まで少ししてしまった。

 スネイプ先生とダイアゴン横丁に行ったことや、ダーズリー家の愚痴などだ。

 それを話すと、ハグリッドはウーンと唸った。

 

「お前さんは覚えとらんだろうが、赤ん坊のおまえさんをあの家へ連れてったのは俺なんだ」

「うん、そうらしいね」

「だがまさかそんな家だったとはなあ。俺の見た中でも最悪の、極めつきの大マグルの家で育てられるなんて、おまえさんも不運だったなあ」

「……まあ、運が良くはないよねえ」

 

 ほんとに、唯一の親戚があれとは、運がない。

 ハグリッドはお茶を飲み終えて、ヤカンに水を入れて暖炉の火にかけた。

 

「手紙のときもな、本当は俺が迎えに行きたかったんだが、なんだ、ちょっくら用事があってなあ。スネイプ先生に取られちまった。まあ、そんときは先生しか空いとらんかったんだが」

「そうだったんだぁ……」

 

 丁度いい高さにあるので、顎を机に乗せてハグリッドの言葉を聞いていた。

 先生が自分から言い出したとは思ってなかったけど、そういう理由があったのか。

 

 暖炉の火はパチパチと勢いよく燃えて、暖かくて少しだけ眠たくなってきた。

 じんわりとした温もりに包まれた気分になって、ふと言葉か口から零れた。

 

「スネイプ先生が嫌だったわけじゃないけど、ハグリッドにもっと早く会えてたら良かったな。悩みとか、相談できたかもしれないのに」

「? お前さん、何か悩んどるのか?」

「んー、まあ、ちょっとだけ」

「話しちまったらどうだ。話しちまえば楽になることもある。俺も退学になったばっかのときは……いや、何でもねえ」

 

 話の後半は聞かなかったことにしておこう。

 話せば楽になる、か。

 そうだなあ、何かに置き換えて話せば大丈夫かな。

 

「例えばさ、ハグリッド。ドラゴンとアクロマンチュラだったらどっちの方が欲しい?」

「そりゃドラゴンだったが」

 

 即答だった。

 ……なんか違うな。

 

「えと、どっちもおんなじくらい欲しかったら?」

「そうさなあ、それでもドラゴンだったろうなあ。なんせ子供の頃からの夢だったからな。……悩みってのはそれか? アクロマンチュラ1匹くらいなら俺が」

「いや待って待って待って」

 

 勢い込んで話し始めるハグリッドを両手を挙げて制止する。

 んー。駄目だ。

 なんとなく知ってたけど、私例える才能ない。

 

「えっとね、ごめん。今の話は一旦なかったことにしてもらって」

「そうか……」

 

 残念そうなハグリッドをよそに、どうしたら現状をオブラートに包めるか考える。

 

「つまり、悩んでるのは、ふたつのやりたいことがあったときに、どっちを選んだらいいかなってこと」

「そういう意味か……フーム、どっちともお前さんのやりたいことなのか?」

「うん、まあ、そんな感じ」

 

 答えながら、なんってぼんやりした悩み相談だ、と思った。あまりに抽象的すぎる。

 真面目に考えてくれているハグリッドに申し訳ない。

 

 でも、私がやっぱり大丈夫、と声をかける前にもう、ハグリッドは答えていた。

 

「それも結局、さっきと変わりあるめえ」

「やっぱり……どういうこと?」

「俺はドラゴンのほうが欲しかった。おまえさんも、やりたい方をやりゃあいい」

「それは、そうかもしれなけどさ」

 

 それがぱっと決められればこんなに苦労はしてない。

 

 楽しいほう、楽なほう、幸せなほう、なら考えるまでもない。

 だけど、そのために多数の人間を危険に晒すのは私が望むことではない。

 そうすると、私が本当に望んでいるのは「ハリー」として生きていくことなのかもしれない。

 

 でも、それでは救えない人物もいる。

 全員を救うのが一番いいんだろうけど、私にできるかと聞かれれば、自信がない。

 

 

 結局私はまだ、わからない。私がどう生きたいのか。

 

 

 明日はクリスマスで、ダンブルドア先生から透明マントが届くだろう。

 先生はきっと、それを使ってみぞの鏡の仕組みを知ってほしいと思っている。

 

 みぞの鏡。

 心の奥の、本当の望みを映す鏡。

 私が見れば、きっと、本当に私がしたいことが映るんだろう。

 

 そこに「ハリー・ポッター」に成りきって生きている私の姿が映るかもしれないと思うと、とても見に行く気にはなれないのだった。

 

 ハグリッドが心配そうなひげもじゃの顔を近づけてきた。

 

「ハリー? 大丈夫か?」

「……大丈夫。悩みを聞いてくれてありがとう、ハグリッド」

「よくわからんかったが……力になれたか?」

「うん。お礼に私もハグリッドの悩みを解決してあげる」

「な、なんのこった?」

 

 暖炉を指さした。

 炎の真ん中、ヤカンの下に黒く大きな卵があった。

 

「ドラゴン。友達のお兄さんがルーマニアで研究してるから、引き取ってもらおうね」

「そ、そんな……なぜバレた」

「むしろなんで気づかれないと思ったのさ……」

 

 透明マントの出番はありそうだった。

 

 

 

 



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第10話 移ろう季節と異変の始まり

本日2話目です。


 クリスマスの朝、目を覚ますと足元にたくさんのプレゼントがあって、幸せな気分になった。

 今までで一番のクリスマスプレゼントは硬貨3枚だったから、大幅更新と言える。

 

 内訳は、大半がお菓子とか甘いものだったけど、ヘアーブラシが3本も来ていたあたり、私の髪はまだまだ徹底抗戦の構えのようだ。

 でもお菓子は見たことのない魔法界のお菓子の目白押しだった。ドルーブル風船ガム、歯みがき糸楊枝型ミント、黒胡椒キャンディ、ブルブル・マウス、ヒキガエル型ペパーミント、綿飴羽根ペン、爆発ボンボン――。

 

 むむむ。

 決めました。今日から3食お菓子にします。

 パーバティも新学期まで帰って来ないし、鬼の居ぬ間に何とやらだ。 

 

 太らないかだけが少し心配だけど、まあいっか。年齢的には成長期だし、横じゃなくて縦に大きくなってくれるでしょう。

 するよね、成長……?

 

 

 ハグリッドのドラゴンは、ロンが学校に残っていてくれたのでとんとん拍子に話は進み、年末にチャーリーが来てくれて引き渡すことができた。

 ハグリッドは泣いていたけど、普通に違法だから是非もないね。

 人が少なかったこともあって見つかるようなへまもせず、減点も罰則もなく首尾よく終わった。

 

 1年生は大体みんな帰省してしまっていたので、休暇のその後も主にロンと過ごした。

 誘われて魔法使いのチェスもやってみたけど……結果はお察しで。

 

 

 休みが明けてから、帰ってきたパーバティに当然のように叱られた。残当。

 

 すぐにクィディッチのハッフルパフ戦があって、スネイプ先生が審判をしていた。でもブラッジャーが暴れるような事態は起こらず、いたって平和な試合観戦ができた。

 

 

 

 しかし、平和な時間は長く続かないものだ。私はそれを魔法薬学の時間に気付いた。

 明らかに宿題が増えている。

 この時期から既にもう、先生方は学年末試験に向けて準備を初めていた。

 

 イースター休暇の前には、全ての教師から、これでもかというほど宿題がどっさり出た。

 

 レポートは苦手だ。私は図書館に駆け込んだ。

 

「つらいです」

「あなたって、書き物系と暗記系は本当に苦手ね」

「素直に実技しか取り柄が無いって言っていいんですよ……」

「実技が得意なのは良いことでしょ。ほら、頑張る」

「うう、助けてハーえもん」

「なに、ハー……?」

 

 この世界にもドラえもんはあるのだろうか。

 いつかはこの世界の日本にも行ってみたいなあ。

 

「ところでハリー、あなた、スネイプ先生になにかした?」

 

 羊皮紙から目を離して、ハーマイオニーが尋ねた。

 ハーマイオニーにしては珍しく、すごく漠然とした質問だ。

 

「なにかって」

「だってここ最近、急にすごく関わるようになったじゃない」

「あーうん、ドラコにも言われた」

 

 ここのところ、よく授業後とかに荷物持ちや研究室の整理を頼まれる。

 今までそんなことを生徒に頼んだことがないらしく、噂になっているようだ。

 多分、護衛をしてくれているんだと私はわかっているけど、他の生徒からすれば異常だろう。

 

「ウィーズリー家の双子がロリコン疑惑を広めて罰則を受けたらしいわね」

「重めのね」

 

 ほんとに、あの二人は怖いもの知らずにもほどがある。

 

「まあドラコにも言ったけど、今年一杯で終わると思うから、見ない振りしといて」

「そう、それならいいけど……ハリー、本当に何もないの? 私といる時も異常なくらいスネイプ先生と会うでしょう? 私はね、先生があなたを護っているように見えるの」

 

 相変わらず鋭い。

 賢者の石のことも、ヴォルデモートのことも何も知らないはずなのに。

 

「ありがと、ハーマイオニー。今は大丈夫」

「……それならいいけど。何かあったら言うのよ? 絶対よ?」

「うん……なんかハーマイオニーまでお姉ちゃんになってきたね」

 

 本当に今は大丈夫だ。

 

 ことが起こるのは、学年末試験の最終日。

 私の本当の試練のときだ。

 

 

 

 

 そう思っていた。

 

 イースター頃から傷痕が痛みだしたのも、こんな早くからだったのか、としか思わなかった。

 

 ハグリッドがドラゴンを受け取ったのが早かった時点で、考えるべきだったかもしれない。

 

 

 いつもと変わらない夕食。

 何気なく、癖で教員テーブルを見た。大体の先生方がいる。スネイプ先生もいる。クィレルと、ダンブルドア先生はいない。

 人選がちょっと引っかかったけど、まあ時間がずれて居なかったことはこれまでにも何回かあったし、特に気にしなかった。

 

 いつものように、1年生で固まって食べた。メインが終わって、そろそろデザート(別腹)に行きますか、と思った、そのとき。

 

 

 バターンと広間の戸が大きな音を立てて開き、クィレルが全速力で部屋にかけこんで来た。ターバンはゆがみ、顔は恐怖で引きつっている。

 みんながぎょっと見る中、叫んだ。

 

「トロールが5体、地下室に! ……お知らせしなくてはと思って」

 

 クィレルその場でバッタリ倒れ、気を失った。

 

 

 多くね?

 

 

 という感想を抱いたのは、私だけかもしれない。

 

 広間はパニックになった。

 マクゴナガル先生が杖から緑の爆発を何度かさせて、ようやく静かになった。

 先生は喉に杖を当て、広間に居ない生徒にも聞こえるように声を響かせた。

 

「監督生はすぐさま自分の寮の生徒を引率して寮に帰るように。広間に居ない生徒も全員、寮に戻りなさい。先生方は地下室へ。トロールと言えども5体もいれば油断はなりません」

 

 パーシーが水を得た魚のように引率を開始するのを尻目に、私は教員席を見た。慌ただしく皆立ち上がっているけど、ダンブルドア先生は、いない。

 私は足早に通り過ぎようとするマクゴナガル先生に尋ねた。

 

「先生! ダンブルドア先生は」

「ポッター、今は……」

「お願いします」

 

 一旦は通り過ぎようとした先生だったけど、見上げる視線に折れてくれたようだ。

 

「魔法省から緊急のふくろう便が来て、すぐにロンドンに飛び発たれました。もう良いですか? 私も地下に向かわねば」

「はい、ありがとう――」

 

 ございます、と言い終わる前には風のように去って行ってしまった。

 

 

 考える。

 

 考えるのは苦手だけど、考えなきゃ。

 

 これって、罠だよね。原作で試験最終日に起きた、偽の魔法省の手紙。一年に何回も校長が出向くレベルの緊急事態が起きることはないだろうし、計画を前倒しにしてきたのか。

 でも同時にハロウィンの振り替えでもある。しかも何かトロール多い。

 かなりの本気度が窺える。

 

 や、でも大丈夫だろう。

 地上や地下でどんなに周到な用意をしても、賢者の石は絶対に安全だ。

 例えダンブルドア先生がいなくても、みぞの鏡の仕組みが解かれない限り――。

 

 

 引っ掛かりを覚えた。

 みぞの鏡の、仕組み。

 ハリーにそれを知らせることで、ヴォルデモートと賢者の石を賭けて対決させる権利を与える、というのがダンブルドア先生の思惑だったはず。よくわからんけど。

 

 でも私は、結局みぞの鏡を見に行っていない。

 もし、原作の通りなら、まだみぞの鏡は城のどこかの部屋にある。

 

 なら、賢者の石は?

 鏡の中に既に入っているなら、鏡がその辺に放置されてようと誰かの姿見に使われてようとどうでも良い。

 

 もし、まだ鏡の中に入っていなかったら。仕掛け扉の最奥に置いてあったら。

 簡単に盗られてしまうんじゃないか?

 

 

 いや、それよりも。

 これはハロウィンの振り替えだ。

 原作ハロウィンと同じなら、スネイプ先生が止めに行くはずだ。

 一人で。

 

 ところどころに本気が見える以上、クィレルだけじゃなく、ヴォルデモートも力を使うことを躊躇わないかもしれない。

 先生は原作でも足を怪我している。

 

 賢者の石自体は、ダンブルドア先生のことだ。こう、何かうまくやって取られないようになってるかもしれない。

 でもそれでも、スネイプ先生はクィレルを止めに4階に向かうだろう。

 

 危ない。

 スネイプ先生が。

 

 

 

「……リー! ハリー!」

 

 パーバティが肩を揺すっていた。

 

「もう皆行っちゃうわよ! しっかりして!」

 

 周りを見ると生徒が順に避難を始めていた。

 先生はみんなもういない。スネイプ先生も、倒れていたはずのクィレルも、いない。

 

「パーバティ。悪いんだけど、先生たちに石のところに行きますって伝えて」

「えっ、は、ハリー!?」

「トロールがうろついてるかもしれないから、透明マントを使って。カバンの中にある」

「あなたは!?」

「行かないと。ううん、私が行きたい」

「ハリー!」

「ごめんね」

 

 目くらまし術を使って透明になる。

 ほんとにごめん。でもみんな優しいから、絶対付いてくる。

 それはダメだ。

 

 私一人で大丈夫かはわからない。

 恐怖もある。

 無謀かもしれない。

 

 でも、私は、死んでほしくはない。

 誰にもなんて大きなことは言えないけど。

 

 私が知る、私が好きな人には生きていてほしい。

 それが私の本当の望みだ。

 

 

 本物のハリーとは全然違う形だけど、私も闘いに向かっていく。

 

 



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第11話 仕掛け扉の先と私の闘い

 走る。

 廊下を走り、階段を駆け上がり、4階の廊下を目指す。

 

 走りながら気づいたけど、地下室への階段は完全に城の逆方向だ。

 クィレルがわざわざトロールを地下室まで持って行ったのはそれが理由か。

 

 走っているうちに目くらまし術は解けてしまった。

 まだまだ精度が足りてないけど、今は気にしない。

 

 これからのことを考える。

 先生たちの張った罠を突破する方法はずっと考えてあった。予想より早く実践することになったけど!

 

 

 4階までの階段を昇りきった。

 扉が半分開いている。やはり、誰かが……クィレルは少なくともここを通っている。

 

 躊躇ってる暇はない。一気にドアの中へ身体を滑り込ませた。

 

 

 天井まで届く3つの頭と、黄ばんだ6つの眼が飛び込んだ私を見た。思っていたよりも大きくて、一瞬立ち止まってしまった。

 低い低い唸り声が、3つの口からパノラマで聞こえる。

 

「っ……!」

 

 右の頭の口元から血が滴っている。床にも血が点々と、仕掛け扉に続いている。

 そして扉には、黒いローブの切れ端が挟まっていた。

 

「っエイビス!(鳥よ)」

 

 杖から小鳥が立て続けに5羽飛び出し、部屋を飛び回り歌い出す。

 目論見通り、三頭犬はたちまちとろんと微睡みだした。ちょっろ!

 

 魔力も大して込めてないから、小鳥はすぐに消えてしまうだろう。問題ない、すぐこの部屋からは居なくなる。

 仕掛け扉を引っ張って開けようとして、重くて無理だったので魔法で開けた。

 

 底は見えない。真っ暗だ。

 深呼吸。

 

「よし、いくぞっ!」

 

 飛び降りる。

 同時に下に向けて呪文を唱えた。

 

「ルーモス・ソレム! 太陽の光よ!」

 

 太陽の光が杖から飛び出し、蠢く悪魔の罠を照らす。その熱と光が植物を一斉に後退させた。

 潮が引くように空いた穴に突っ込み、突破! でもこのままじゃ床に激突する。

 立て続けに、落ちる先の床へ向かって叫ぶ。

 

「スポンジファイ!(衰えよ)」

 

 石の地面が柔らかく変わる。

 お尻から落ちたけど、うまく衝撃は吸収されてぼよんと跳ね上げられる。何度かぽよんぽよんしてから止まった。

 呪文を解いて硬く戻った石の床で立ち上がって、一本道を走り出す。

 ルーモスの光がついてきて、行く先を照らしてくれた。

 

 道を抜けると広いアーチ状の部屋に出た。天井は高く、無数の鍵が空を飛んでいる。

 光を天井近くまで上げて、部屋を昼間のように照らす。そうして目を凝らしても飛んでいる鍵の判別は難しい

 箒も置いてあるけど、私には関係なかった。

 よし。

 杖を挙げて叫ぶ。

 

「イモビラス!(動くな)」

 

 魔力が部屋中に広がって行き、それに触れた鍵たちはピタリとその場に停止して漂った。

 でも1匹だけ、ふらふらと不安定に落ちてくる奴がいる。

 大きな銀色の鍵。一度捕まって無理やり鍵穴に押し込まれたかのように、片方の羽が折れているせいで上手く飛べていない。

 

「アクシオ(来い)」

 

 呼び寄せ呪文で鍵を手元に引き寄せ、そっと手に取った。

 走って部屋の反対の扉の前に行き、鍵を差し入れた。かちゃりと開く音がする。

 

「……エピスキー(癒えよ)」

 

 呪文を唱えてから放してやる。銀の鍵は元気になって飛んで行った。

 もう捕まるんじゃないぞー。

 

 見送りもそこそこに扉を開ける。

 

 次は、マクゴナガル先生の魔法使いのチェス(Lサイズ)。これだけは、どうしても正攻法で突破できないだろうと思う。

 最悪全部レダクト(粉々)にするか、とも考えていたけど、部屋に入った瞬間、予想とあまりに違う光景が目に入り、固まった。

 

 既にレダクトされている。

 機関銃の撃ち合いでもしたかのように、大小さまざまな白と黒の瓦礫が、チェス盤の部屋一面に広がっている。

 そして、その中でもはっきりわかる、真新しい血の跡。

 出血が多い。これがクィレルのなら万々歳だけど……。

 急がなきゃ。

 

 もはや動かなくなった駒の残骸の中を走り抜けて、次の扉を開いて飛び込んだ。

 たちまち入口と出口の両方に紫の炎が燃え上がり道を塞ぐ。目の前にはテーブルがあって、その上に形の違う7つの瓶が1列に並んでいた。

 その脇には紙が置かれていて、正解を示すヒントがある――

 

 

前には危険後ろは安全

君が見つけさえすれば2つが君を救うだろう

7つのうちの1つだけ君を前進さ

 

 

「そんな暇はなーい!!」

 

 とりあえず右から全部飲む!

 もちろん毒薬も混ざっているでしょう。そんなときのために、スネイプ先生の研究室整理のときにくすねておいたこれ、ベアゾール石! なんとこれ、大抵の毒薬に対する解毒剤になるのです!

 萎びた肝臓のようなその石を頑張って飲み込んだ。

 

 身体が氷のように冷たくなる。これは正解の薬の効果。それ以外は……

 大丈夫だ、問題ない!

 

 躊躇う時間も、覚悟する時間もない。

 行くぞ。

 杖をしっかり握りしめて、炎を通り抜けた。

 

 

 

 

 入った先は一際広い空間だった。 

 

 予想通り、そこにはクィレルとスネイプ先生がいた。

 部屋はあちこち砕けたり燃えたりして闘いの激しさを物語っているけど、まだ二人とも生きて、15メートルほど離れてお互いに杖を向け合っている。

 でもスネイプ先生は片膝をついて、足からダラダラ血が流して顔色が真っ青だ。

 クィレルが杖を振り上げ、今まさに魔法をかけようとしている!

 

「先生!」

 

 思わず叫んだ。

 私の登場は予想外だったらしく、駆け込んだ私に一斉に視線が向く。

 

「ポッター! 何故来た!」

「私も戦います!」

「馬鹿者! 今すぐ戻れ!!」

 

 聞いたことない程の大声で叱り飛ばされた。でも、ここから逃げる気はない。

 杖を構える私を見て、クィレルはせせら笑った。

 

「頼もしい援軍だな、セブルス?」

「彼女には手を出すな! これは私とお前の闘いだ」

「おや、セブルス、君にはそのような――」

「エクスペリア―ムズ!」

 

 私の呪文は不意を突いて、防がれたけどクィレルをよろめかせた。

 心臓が脈打つ。今までになく自分の呪文が強いのを感じる。

 ここまではっきりとした感情を持って魔法を使うのは初めてかもしれなかった。

 

 クィレルが忌々しそうに私に杖を向ける。

 

「礼儀がなっていないな、ポッター!」

 

 何処からともなくロープが現れ、私に巻きつこうとする。

 

「ととっ!」

 

 落ち着いて杖を振る。ロープは大蛇へと変わり、クィレルに牙を剥いた。

 

「この私に蛇とは!」

 

 シューシューという空気の掠れたような声が聞こえて、蛇は弾かれたようにスネイプ先生に飛び掛かる。私にははっきりと、「男を襲え」と聞こえた。それと同時に、額の傷がずきりと痛んだ。

 

「蛇語だと……! ヴィペラ・イヴァネスカ!(蛇よ消えよ)」

 

 先生の呪文で燃え尽きるように蛇が消える。そのときには既にクィレルは杖を振っていた。

 辺りにあるたくさんの瓦礫が浮き上がり、スネイプ先生に向かって一斉に飛んでいく。

 呪文を唱えたばかりの先生は対応できない、でも私が間に合った。

 先生の前に転がるように走り込んで、横凪ぎに杖をスーっと振るうと、瓦礫が全部綿に変わる。ぽふぽふ身体に当たるけど、害はない。

 

「エクスペリアームズ!」

 

 逆に綿を目くらましにして、武装解除を撃つ。が、防がれた。

 でも同じタイミングでスネイプ先生も無言で呪文を放っていた。これには対応できず、クィレルの心臓辺りに恐ろしい威力を持った赤い閃光が突き刺さった。

 クィレルが吹き飛び、弧を描いて壁に激突し、ズルズルと沈んだ。

 

「やた! さすが先生!」

「………」

「先生?」

 

 先生はその青白い顔のまま、クィレルを睨んだままだった。

 そうしなければならない気がして、気絶したはずのクィレルを見た。そして、思わず悲鳴を上げそうになった。

 

 まるで操り人形のように、ギクシャクとクィレルが立ち上がろうとしていた。

 顔は白目をむき、泡を吹いている。どう見ても気絶しているのに、それでも、ふらふらと、不安定に立ち上がった。ぶっちゃけかなりキモい。

 

「なんで、気絶したはずなのに!」

「……そう思うかね?」

 

 掠れた声が聞こえたけど、それはクィレルの声じゃなかった。もっともっと、おぞましい、声だった。傷痕が、未だかつてないほどの熱と痛みを持った。

 カクッと腕が振り上げられ、杖から禍々しい炎が噴き出し、蛇の形を取った。

 悪霊の火! こんな地下で!

 

「退がれ! ポッター!」

 

 足を引き摺りながら先生が前に出て私を押しのけた。

 杖を上げると同じ火が噴き出し、それはキメラの形を取って蛇に噛みつく。

 余波だけで火傷しそうなほどの呪いの炎の応酬。

 蛇とキメラは互いに喰い合い、お互いの制御を離れ炎が爆発を起こした。

 

「アグアメンティ! プロテゴ・マキシマ!」

 

 全力で水の盾を張って、熱と爆風を防ぐ。

 

 何とか防ぎ切った私の隣で、先生ががっくりと膝をついた。

 

「スネイプ先生!」

 

 顔が青を通り越してシーツのように白くなっている。

 息も絶え絶えで、足の血も止まっていない。

 

 それでも立ち上がろうとしていた。

 それでも私の目を見ていた。

  

「逃げろ、ポッター」

「嫌です」

「私が相手を、できるうちに、逃げろ」

「嫌です!」

「……逃げてくれ……頼む」

「……ごめんなさい、嫌です」

 

 逃げることだけならできるかもしれない。

 それで逃げて、スネイプ先生が死んでしまったら、私は二度と、心から笑うことができない。

 

「逃げません。私がこれまで、10年頑張ってきたのは、きっと今日のためだから」

「………リ、リー」

 

 ふっと力が抜けた先生の身体を何とか受け止めて、そっと地面に横たえた。

 

 

「胸を打たれるねえ」

 

 クィレルじゃない声がした。

 

 立ち上がって、向き直る。

 

「ヴォルデモート」

 

 人々が名前すら恐れるその理由がわかる。

 切り刻まれた魂の、その残り滓でさえ、これほどの重圧がある。

 

「気づいていたのか……なかなか頭も回ると見える」

 

 すいませんカンニングです。

 

 白目をむいたままのクィレルがターバンを外し、後ろを向いた。

 後頭部には、見覚えのある顔があった。蝋のように白い顔、ギラギラと血走った目、鼻孔はヘビのような裂け目になっている。

 

「ハリエット・ポッター……」

 

 顔が喋った。

 

「見ろ、この有様を……ただの影と霞に過ぎない……誰かの身体を借りて初めて形となれるのだ。賢者の石さえ……命の水さえあれば、俺様は自分の身体を創造することができる……。退くが良い。セブルス・スネイプの持つ石をいただく」

「……さっ、させると思う?」

 

 糊で付けたように口が強張っていたけど、やっとそれだけ言った。

 

「くっくっく……愚かな真似は止せ。さもないとお前の両親と同じ目に会うぞ……二人とも命乞いをしながら死んでいった」

「それは、嘘だって知ってるし」

 

 ヴォルデモートはニヤリと笑った。

 

「俺様はいつも勇気を称える……そうだ、お前の両親は勇敢だった。俺様はまずお前の父親を殺した。だが母親は死ぬ必要はなかった」

 

 そう言ってちらりと、私の後ろに目を向けたようだった。

 

「抵抗しなければ生かしてやったものを。お前を護るために死んだのだ。母親の死を無駄にしたくなければ、退け、小娘」

「………」

「それとも、俺様の側に付くか? お前は才能がある。その年にしては見事な魔法だ。俺様と来れば、より強い力を手に入れられるぞ。この世で最も優れた――」

「ステューピファイ!」

 

 撃った魔法は、いとも簡単に逸らされた。

 許されざる呪文を練習しなかったことを後悔したのは初めてだった。

 

「よくも……よくもそんなことが言えたな! 私の父さんと母さんを殺しておいて!」

「……礼儀を知らぬ小娘だ。魔法使いの決闘というのはまずお辞儀からと決まっているのに」

 

 ヴォルデモートはつまらなそうに言った後、短く告げた。

 

「ならば死ね」

 

 

 

 防戦一方だった。

 全盛期とは程遠いはずだし、自分の身体ですらない。

 それなのに、攻めに転じることさえ難しい。

 魔法は強く、速く、多彩で、防御が間に合わず、転がって避けることも多い。

 身体はあちこち傷ついてじくじく痛むし、頭もどこか切って血が流れている。

 

 それでもいい。

 こうして耐えていれば、耐えることさえできていれば、誰か来てくれるはずだと信じる。

 援軍が来るか、均衡が崩れて私が死ぬか、どちらが先か。

 いいよ。この程度の我慢比べならいくらでも付き合ってやる。

 

 そう、決意したとき。

 不意に、ヴォルデモートが手を止めた。

 

「思った以上に粘ってみせるな。だが、あまり時間をかけるのは良くない。お前がそれを目的としているのも、俺様は既に見抜いている」

「っ、どうしたヴォルデモート! 杖なんか捨ててかかってこい!」

「挑発には乗らぬ。ふむ、こういう手はどうだ?」

 

 ヴォルデモートは私に向けていた杖をふいとずらした。

 その先には……倒れているスネイプ先生。

 

「お前のような奴には、かなり有効な手だとかつて学んだのだ」

「やめっ……!」

「アバダケダブラ」

 

 身体が動いていた。

 杖を放り投げ、身体を引き摺って飛び込み、死の呪文を胸に受けた。

 

 額の傷跡が焼けるように痛い。

 ヴォルデモートの高笑いが聞こえる。

 

 それが最後の記憶だった。

 

 

 走馬燈とか、感慨とか、心残りとか、そういうことを考える余地もなしに。

 私の意識は闇に呑まれたのだった。

 

 

 

 

 



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エピローグ 私ハリーはこの世界をまだ知らない

 目が覚めた。

 

 横を見れば、白いベッドが並んでいた。見覚えがある……また医務室スタートか。

 

 ここはホグワーツで、私はハリエット・ポッター。

 記憶の混濁もない辺り、前回より調子がいいと言える。

 どうやら、まだ死んでいないらしい。

 

 首を巡らして、反対側を見れば、半月形のメガネをかけた、長い銀色の髪と髭のおじいさんが座って微笑んでいる。

 どこかで会ったような……。

 

「……って、ダンブルドア先生!」

「目が覚めたかい、ハリエット」

「スネイプ先生は大丈夫ですか!? それから、クィレルは、ヴォルデモートは……!」

「落ち着きなさい、ハリエット。そうでないとわしがマダム・ポンフリーに追い出されてしまう」

 

 立ち上がりかけた身体をベッドに押し戻された。

 

 深呼吸をする。

 ダンブルドア先生がここまで余裕を出してきているし、多分、悪いことは起きてないんだろう。

 

 周りを見れば、サイドテーブルが3つも置かれていて、お菓子の山ができていた。

 

「地下で起きたことは『秘密』でな。秘密ということはつまり、学校中が知っているというわけじゃ。それは君の友人や崇拝者からの贈り物じゃな」

「こんなに……先生、私はどのくらい眠っていたんですか?」

「4日間じゃ。君は随分愛されておるのう。グリフィンドールの生徒たちが代わるがわるお見舞いに来ておった。それと、ミス・グレンジャーも。ミスター・マルフォイは顔だけ覗いて帰って行ったかの」

「……そ、そっすか」

 

 ………細かく知りすぎてて怖い!

 藪をつついて蛇を出したくない、本題に入ろう。

 

「え、えぇっと、先生。それで、どうなったのでしょうか? 諸々……」

「一つずつ答えよう。スネイプ先生は無事じゃ。じゃが足の怪我はともかく血を流し過ぎての、聖マンゴ魔法疾患傷害病院に緊急搬送された」

「そう、ですか」

「そして1日で退院なされた」

「早すぎぃ」

 

 まあ入院って柄じゃないよね、あの人。

 

 ……無事で良かった。

 

 

「クィレルは――死んでもうた。それに伴って、ヴォルデモートは身体を失い、行方を眩ました。誰か乗り移る身体を探しておることじゃろう」

「じゃあ、ひとまず危機は去ったってことで良いんですね?」

「そういうことになるのう」

 

 ダンブルドア先生が頷くのを見て、私は全身から力が抜けていくのを感じた。

 

 乗り切った。

 怪我人は出ちゃったけど、何とか死者を出さずに、この1年を乗り切ることができた。

 

「よかったぁ」

 

 枕にずぶずぶ沈んだ。達成感とかはあまりなくて、ただ安心感が身体を満たしていた。

 

 

「教えてくれて、ありがとうございました、先生」

「……あー、ハリエット。他に何か、聞きたいことはないかの?」

「え。他にですか?」

 

 なんかあったっけ?

 んー………。

 

 あ。

 

「そうでした。私、確か死の呪文を受けたと思うんですが、なんで生きてるんでしょう?」

「真っ先に出てきてもよい質問だと思うんじゃがの? 前にも言ったが、母上の護りの魔法のお陰じゃ。ヴォルデモートから君を護ろうとしたその愛が、またしても死の呪文を跳ね返した」

「……やっぱり、そうですか」

 

 対ヴォルデモート特防を持っているらしい、この身体。そうじゃないかとは少し思っていたけど、試す気はなかった。確証なんてなかったし。

 それに生きてはいても4日も寝込んでるし、ぽんぽん死にに行っていいものじゃないだろう。

 

 ……結局、今回も自分から命を投げ捨てにいってしまった。怒られるかと首を竦めてみたけど、先生は何も言わない。アルカイックスマイルを浮かべて座っている。

 

 耐えかねて、自分で聞いてしまった。

 

「……あの先生、怒らないんですか?」

「はて?」

「私、いのちをだいじに、を守れなかったなと思って」

「おや、ハリエット。ハリエット、わかるじゃろう? あの時とはまるで違う」

 

 諭すように、ダンブルドア先生は言った。

 

「君はなぜ、地下へ向かおうと思ったのじゃ?」

「それは、スネイプ先生が、危ないと思ったから……」

「そう、彼を思う感情が、君を地下に向かわせた。それこそが、4日前も君を救ったものでもあり、ヴォルデモートが全く理解しようとしないものじゃ」

 

 ダンブルドア先生のブルーの眼が、眼鏡の奥で細められた。

 

「君には自分を大切にしてほしいのは確かじゃ。だが、人を想って危険に踏み入る勇気を褒めこそすれど、怒ることなどあろうはずがない」

 

 長い手が伸ばされて、私の頭に置かれた。

 

「以前はここで、君はまだ何者でもないと言ったが」

「……はい」

「今回君は、君にしかできぬことを成し遂げてみせた。君がどう生まれたか、どう思われているかに関わらず、君はスネイプ先生を救い、ヴォルデモートの復活を遅らせたのじゃ。全ての魔法族が君に感謝するじゃろう。本当に、良くやってくれた。……わしは、君が誇らしい」

 

 どきん、と胸が震えた。

 

 初めて、何かができた気がした。

 この世界に居ていいんだと、許された気がした。

 

「先生」

「何かね?」

「先生、私は、私として、生きて、良いんでしょうか?」

「……ハリエット。人はどう生まれたかではなく、どう生きるかじゃ。君は君自身が、生きたいように生きてよい。君の自由じゃ」

 

 詳しい悩みとか、全然打ち明けてないはずなのに、まるで私が欲しい言葉を知ってるみたいだ。

 

 気づかないうちに、堪える間も無くぽろりと、涙が零れた。

 

 

「ありがとうございます。ダンブルドア先生」

 

 

 

 

 パーバティにめっちゃ怒られた。

 ラベンダーにわんわん泣かれた。

 グリフィンドールの同級生はさらにお菓子持ってきてくれたし、フレッドとジョージはトイレの便座を持ってきてマダム・ポンフリーにシバかれていた。

 

 身体の怠さが取れなくて、結局1週間くらい入院することになったけど、その間中、みんなが入れ代わり立ち代わりにお見舞いに来てくれて全然寂しくはなかった。

 ここ1年で「大丈夫」が口癖になったくらい、みんな心配してくれる。

 ありがたいやら、申し訳ないやら。

 

 小さいから仕方ないのかもしれないけど、来年の目標はみんなに心配をかけないことにしよう。

 

 

 

 明日退院という日、ハーマイオニーが何度目かのお見舞いに来てくれた。

 彼女も最初は「何かあったら言ってねって言ったじゃない!」とかなり怒り心頭で、宥めるのに時間がかかった。

 

 今日の授業についてハーマイオニーが話すのを聞いているとき、もう一人お見舞いが来てくれた。

 ロンだった。

 

「おーい、ハリー、起きてるかい?」

「ロン、うん、起きてる」

「来週のクィディッチだけどさ、っと……」

「あっ……」

 

 ハーマイオニーと、お互いに似たような、気まずい表情になっている。

 汽車の中で会ったことは覚えているみたいだった。

 

「お話し中に悪かったね、えーっと、君は確か、ハーミー……?」

「ハーマイオニー・グレンジャーよ。ロナルド・ウィーズリーさん?」

「……悪かったよ、あー、グレンジャーさん?」

「あら、別に――」

「ねえねえ」

 

 声をかけた。

 二人が怪訝そうにこっちを向く。

 

「せっかくだし、ちゃんと紹介していい? 二人とも、私の友達だから」

 

 そう言うと、何が面白かったのか、二人して笑い出した。

 

「ええ、どうぞ、ハリー」

「ああ、そんな顔されちゃあね」

 

 どんな顔かは知らないけど、君たちのその顔は私知ってるぞ。ちっちゃい子を見る顔だ。

 その顔をよく見る私って……いや、考えまい。

 

 コホンと咳払いして、ハーマイオニーを指した。

 

「こちらハーマイオニー。私の友達で、学年1番の秀才」

「私が秀才ならあなたは天才なんだけど……」

「ハリーほど天才って言葉が似合わない奴も珍しいよな」

「ほぼ初対面なのに何その息の合いよう」

 

 続いてロン。

 

「こちらはロン。ウィーズリー家の末の弟で、学年1番の……1番の……」

「1番まで言ってから考えるのやめろよ!」

「……えっと、うん、1番良い奴だよ」

「何も思いつかなかったわね……」

「あ、1番背が高い」

「いいよ! 無理して捻りださなくてもいいよ!」

 

 思った以上に和やかに、話は弾んだ。

 まだ少しぎこちないけど、自然とお互いに、ロン、ハーマイオニー、と呼び合っている。

 原作とは違う関係だろうけど、うん、これでいい。

 

 

「ところで、君たちは何の話してたんだい?」

「今日の授業の話よ。ハリーはずっと休んでるし。大変でしょう? 来週から」

「え、来週から何かあったっけ?」

 

 ハーマイオニーは信じられないものを見る目で私を見た。

 

「何言ってるの! 学年末試験よ!」

「「う、うわああああああ!!」」

 

 完全に忘れていた現実が襲ってきて、頭を抱えてシーツに突っ伏した。

 妙に授業の解説をしてくれてたと思ったら、そういうことかー!

 やばい! どうしよう!

 隣でロンも叫んでたけど、大丈夫か!

 

 

 

 

 

 試験期間中、3徹くらいして気合で乗り切った。病み上がりに何やってんだ。

 

 実技試験は問題なかったけど、筆記試験は……。

 試験前の追い込みは圧倒的に足りてないけど、継続して勉強はしてたし、何とかなったよ、多分。

 

 最後の科目の魔法史が終わって、1年生で固まってぞろぞろ廊下を歩いた。

 私は眠たくてふらふらだったけど、テストの終わった解放感でテンションが上がっていた。

 

「ハリー、まさか昨日も徹夜してないでしょうね」

「まさか!? こんなに元気なのに!」

「深夜ハイだよこれ。ハリー、今日はもうご飯食べずに寝ましょう?」

「えー」

 

 デザートが私を待っているというのに。

 でも、さすがに限界かもしれない。ここはラベンダーの言う通り、寮に戻ってベッドにダイブするのが良いかもしれない。

 そんなことを思っていたとき、ぬっと前に黒い人影が現れた。

 

「へ」

 

 見上げれば、スネイプ先生が私を見下ろしている。

 

「ミス・ポッター。ついて来たまえ」

 

 余りにも突然の襲来に、周りが騒めいた。

 

「せ、先生、私も付いて行っていいですか?」

「用があるのはポッターだけだ」

「でも、そんないきなり……」

「大丈夫、先に寮に戻ってて」

 

 心配そうなみんなに手を振って、先生の後を付いていく。

 

 どこへ行くのかと思ったら、いつもの研究室だった。

 先生は私を木の椅子に座らせ、薬棚から瓶を取り出し、コップに注いだ。

 

「飲みたまえ」

「あ、はい。いただきます」

 

 グイッと一気に飲み干す。たちまち身体の疲れや眠気が抜け、頭がすっきりした。

 何の薬だろ。効きすぎて怖い。

 

「ありがとうございます」

 

 返事はない。

 先生は自分の椅子に腰かけ、無言で私を見ている。

 

「………」

「………」

「………先生?」

「………試験は、どうだったかね」

 

 世間話だと!?

 しばらく会ってないお父さんか!

 

「えと、なんとか乗り切れました。入院してたんで、ギリギリだったんですが」

 

 眉間に深い皺が寄った。

 

「あっ! あの、先生のせいじゃないです! 私が勝手にやったことなので!」

 

 慌てて言ったけど、皺が消えることはなかった。

 むしろ深くなった。

 

 苦虫を噛み潰したような顔のままで、スネイプ先生は話し始めた。

 

「……今年1年、私はお前を護ろうとしてきた」

「はい、なんとなく、気づいてました」

「しかし、あの地下で……お前は無謀にも自ら死地に飛び込んできた。お前はあの父親と同じだ、危険に首を突っ込みたがる愚か者だ!」

 

 先生は吐き出すように声を荒げた。

 

「もう、あのような真似はせんと約束しろ、ポッター……!」

 

 部屋に静寂が訪れた。

 

 恐ろしい形相だったけど、私は怖くはなかった。

 心はもう、決まっている。

 

「ごめんなさい、先生」

「ポッター……!」

「私は皆が好きです。クラスメイトも、先生たちも。みんなが危険な目に合っているなら、私はきっと助けに行きます」

「それを止めろと!」

「逃げたら後悔します!」

 

 先生の声より、さらに大声で言った。

 

「一人で逃げて、私だけ助かっても、後悔します。それから笑って生きていけない。私が誰かなんて関係ない、私がそうしたいんです。そうやって、生きていきたいんです」

 

 先生の眼を見つめた。

 

「私はこの1年で、そう思えるようになったんです。スネイプ先生」

 

 またしても、静寂が満たす。

 今度は長かった。数分間も、私と先生は睨みあっていた。

 根負けしたのは、スネイプ先生だった。

 

「……ならば勝手にしろ!」

 

 乱暴に立ち上がり、後ろを向いた。会話は終わり、という合図だろう。

 立ち上がって、扉に向かった。

 

「失礼しました」

「ポッター」

 

 振り返っても、先生は部屋の奥を向いたままだった。

 

「地下で私の命を救ったことには…………………………………………礼を言う」

 

 長いわ。

 

 

 

 

 クィディッチがあって、スリザリンが優勝して。

 学年度末パーティがあって、私の得点もあってグリフィンドールが寮対抗杯を取った。

 みんなに揉みくちゃにされながら、私は感じていた。

 

 1年が終わる。

 

 入学するときはひとりだった私は、1年終えてたくさんの仲間に囲まれていた。

 

 

 ホグワーツ特急に乗り、コンパートメントで話した時間はあっという間に感じた。

 マグルの街を通り抜け、汽車は9と4分の3番線に到着する。

 

 連れ立ってプラットホームから改札を出て、マグルの世界へと戻る。

 何人かがバーノン叔父さんに呪いをかけようとするのを止めなくてはならなかった。

 

 

 代わる代わる、別れを告げる。

 

「お菓子ばかり食べちゃだめよ、ハリー」

「マグルのところでもしっかりね、ハリー! ふくろう便を送るわ!」

 

 パーバティとラベンダーに手を振った。

 

「じゃあ、またねハリー」

「「9月に合おう、我らが小さき女王様」」

 

 ウィーズリー一家に会釈する。

 

「ハリー、楽しい夏休み……あの、そうなれば良いけど」

 

 心配顔のハーマイオニーに笑顔を向ける。

 

 

 

 人も、その関係も、起こった出来事も。

 私の知る「原作」とは、もはや大きく違う。

 でもそれでいいんだと思えた。

 

 私が知っていることなんて、表面もいいところだ。

 本当のことは、私が経験して知っていくしかない。

 

 私はこれからも、この世界で生きていく。

 

 いろいろなことが起こるだろう。大変なこともあるだろう。

 でも、楽しいことも、幸せなことも、きっとたくさんある。

 

 だって、この1年がそうだったから。

 

 楽しみだ。

 

 

 私ハリーは、この世界をまだ知らない。

 

 




なんとか賢者の石を終えることができました。
御都合主義や強引な展開などあったかもしれませんが、沢山の人に見ていただけて嬉しかったです。
感想、評価、誤字報告ありがとうございました!

正直こんなに見て頂けると思わなかったので、続編は考えていなかったのですが、もし良いものを思いつけば投稿したいと思っています。

ひとまず、ここまでお付き合い頂きありがとうございました!


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閑話 S.S. の日記

7月〇日

 

 昔からスピナーズ・エンドの家で良い朝を迎えたことは少ない。

 今日もまた、何か嫌な予感を朝から感じていた。

 

 その予感を裏付けるように、朝食を食べ終わった頃にふくろうが手紙を運んできた。

 

 校長からの手紙で、どうやら新入生の買い物の付き添いに行かねばならないらしい。

 まことに偶然ながら私以外の全ての教員に予定が入ってしまった、とか。

 

 かなりの胡散臭さを感じるが、ダンブルドアのやることだ。気にしても仕様がなかろう。

 

 面倒なことは早くに済ませてしまうに限る。

 外出用のローブを着ながら、もう一枚同封されていた羊皮紙を開いた。

 

 

 

生徒の名前と住所を記しておく。 

 

サリー州リトルウィンジング プリベット通り4番地

ハリエット・ポッター

 

頑張っての。

 

アルバス・ダンブルドア

 

 

 

 あの狸……!

 

 

 

 

 

 

7月×日

 

 

 昨日あったことを記しておく

 

 ハリエット・ポッター。

 顔を隠すほどの鬱陶しい黒髪だった。父親が思い出される。

 

 しかし、別行動の後、なぜか顔が見えるようになっていて、

 

 その顔はリリーによく似ていた。

 特に目は、彼女そのものだった。

 

 

 まあ、だからなんだという話だ。

 いくらリリーに似ていようが、ジェームズ・ポッターの娘であることには変わりない。

 

 不本意ながら父親に借りがあるから今年1年は護る。

 それで終いだ。

 

 ホグワーツで命が脅かされることなどまずないだろう。

 つまり、ポッターの娘など気にする必要は無い。

 

 

 

 

 

9月△日

 

 

 入学早々、ハリエット・ポッターが飛行訓練で言いつけを守らず怪我を負ったらしい。

 

 やはり父親と同じく傲慢で、規則破りで、教師に敬意を払わないに違いない。

 箒の才は遺伝しなかったようだが。

 

 

 怪我というのは結構な大怪我だったようだ。

 聞けば、首の骨まで折ったらしい。

 大丈(消されている)

 

 こちらの都合もある故、早々に死にかけるのは止めていただきたいものだが。

 

 広間で見かけたとき、気丈に振舞っているようだったが、表情に陰りがあった。

 リリーが空元気を見せるときを思わせた。

 

 いい教訓になっただろうし、もうこのようなことは起こさないで欲しいものだ。

 

 あやつのことなど、気に留めて置くことすら煩わしい。

 

 

 

 そんなことよりもクィレルだ。校長の言う通り注意していれば、なるほど怪しい動きを見せる。

 より警戒せねばなるまい。

 

 

 

10月31日

 

 

 クィレルが実にわかりやすく不審な動きを見せていた。

 妨害しておいたが、何をするつもりだったのか……。

 

 ポッターが友人の介護を受けていたが、これは両親のどちらにも見たことがない光景だった。

 

 

 

 

11月◇日

 

 

 近ごろ、よくリリーのことを思い出す。

 

 忘れたことなど一度たりとてないが……あやつを見るにつけては、在りし日のリリーの顔が浮かんでくる。

 

 魔法薬を調合する真剣な顔。

 甘味に目を輝かせる顔。

 友と一緒に笑う顔。

 水を被って髪が膨れた間抜け面――いや、これはない。

 

 あのときは不覚にも噴き出してしまった。

 声を上げて笑ったのなど何年振りだったろうか。

 

 

 

 しかし、ブラッジャーに錯乱呪文をかけたか。

 ここまで直接的にポッターを狙うとは。

 

 予想に反して、今年のホグワーツには危険が潜んでいた。

 

 借りを返すためにも、これからは多少強引にでも守護(まも)らねばなるまい。

 

 

 

12月ж日

 

 

 ポッターが攫われたという偽の情報に踊らされた。

 ウィーズリーの双子、許さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月★日

 

 

 

 またしても、ポッターに命を救われた。

 

 いや、父親とあやつ……ハリエットが違うことは、もうわかっている。

 似た所もあるが、やはり違う。

 

 リリーとも外見は似ていようとも、その性格はまるで違う。

 

 

 ハリエット・ポッターは、一人の人間だ。

 

 強い目だった。11歳とは思えぬほどに。

 生まれがそうさせているのか。

 

 間違いなく、あやつは周りの者が危機に陥れば自分を省みずに助けに行くのだろう。

 そしてその周りの者には、私すら入るという。

 

 愚かだ。

 愚かしい程に、優しい。

 

 しかしその周りの者からすれば、彼女ほど危うい存在もいまい。

 常に人に囲まれているのもわかるというものだ。

 

 実技の成績は良いようだが、まだ11歳。

 幼い故の無茶を見守り、補助してやるのも教師の務めだろう。

 

 不本意ながら、だが。

 

 

 

 

 

 

 

 とはいえ、今年は特別だったか。赴任してから1、2を争う危険を味わった。

 そんな年に入学するなど運がない。

 

 然るに来年度は、平和な、普通の1年となることだろう。

 

 

 

 



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秘密の部屋
プロローグ 私ハリーの去年と今年



第二章です


秘密の部屋終わるまでは毎日投稿出来たらなと淡く思っています。


 

 私の名前はハリエット・ポッター。

 みんなにはハリーと呼ばれている。

 

 何を今更と思うかもしれないけど、少しだけ、私のこれまでの人生を振り返ってみたい。

 

 

 

 私がこの世界で目を覚ましてから、もうすぐ11年が経とうとしている。

 

 11年前、1歳と数ヶ月のときに私は突然目覚めた。

 物心がついたとかではなく、その瞬間にはっきりと自我を得た。

 それまでの記憶は無かったし、それからの記憶は今に至るまでずっとある。

 

 目覚めて最初の光景は、見覚えのあるハゲが塵と化していくというものだった。

 

 自分の姿を確認すると、まだ歩くのも覚束なさそうな、言葉を喋れるかもわからない赤ん坊。

 でも私には、前世の記憶があった。

 後から考えるに、前世の記憶というよりもほとんど「この世界の物語(ハリー・ポッター)の記憶」だったんだけど。

 

 現状をなんとか理解して、さっきの塵がヴォルデモートで、自分がハリー・ポッターになっているという現実を受け入れた。

 人生ハードモードが内定してる未来に軽く絶望したけど、それから10年は来るべき日のために自分の力を養うことに費やすことにした。

 つまり、魔法の特訓だ。

 

 思えばあの10年はよくあんながむしゃらに頑張れたものだ。

 まあ、前世では魔法は存在しなかったし、魔法を使うこと自体が楽しかったからあれだけ続いたんだろうね。

 1歳から頑張っていったお陰で、それなりに魔法に慣れることはできたと思う。まだまだ学ばないといけないことも多いけど。

 この人生、どれだけ力をつけても安心できない。

 

 あと成長の過程で自分が女の子だったことに気づいたけど、私前世の性別も覚えていないし、誤差だよ誤差。

 

 

 

 そして去年。

 夢にまで見たホグワーツへの入学。同時に始まるぼっち生活。

 当てにならない原作、次々起こるイレギュラー。

 

 人間関係も原作イベントやらも全然違っていて、私はようやくこの世界が物語(フィクション)ではなく、全ての人がそれぞれに生きている現実だと理解したのだった。

 

 うん、まあ本当に色々あったけど、なんとか無事に1年を終えることができた。

 痛い目にあったり、辛い思いをしたりもしたけど、楽しいこともたくさんあった。

 最後の戦いは正直死んでもおかしくなかった。原作ハリーも凄いけど、私も頑張ったよ。

 よく頑張った私!

 

 それと、最初はぼっち生活だったけど、友達もできた。

 なんか友達というか、面倒を見られてる感じもあるけど……。

 早く会いたい。

 

 

 

 さて、新学期まであとひと月ちょっと。

 今年度もなかなかにヤバい事件が起こるはずだ。

 

 ここらでおさらいをしておこう。

 原作『ハリー・ポッターと秘密の部屋』では、今年度はタイトル通り秘密の部屋が開かれる。何人もの生徒がバジリスクによって石にされ、最後は力をつけた分霊箱(ホークラックス)「リドルの日記」との直接対決が待っている予定だ。

 

 冗談じゃない。

 こないだのヴォルとどっちが強いか知らんけど、こんなん回避一択だよ。

 それに私以外の人にも被害が及ぶ分、昨年度よりも危険かもだし、秘密の部屋自体が開かれないのが一番いい。

 

 事件の発端はルシウス・マルフォイがジニー・ウィーズリーに日記をこっそり渡すことだ。

 ジニーのことを考えると妨害したいけど、私がそこに居合わせられるかはわからない。

 もし無理だったら、学校で早いうちに手放してもらおう。

 危険なものだとわかってもらえればきっと渡してくれるはず。

 

 

 原作がそのまま再現されると思い込むのは危険だ。

 でも去年を見る限り、ある程度は参考にできる。

 私が関わらないことであれば、例えばネビルは箒から落ちるし、シェーマスは羽根を爆発させるし、そしてヴォルデモートは賢者の石を求める。

 

 2年生は私だけが危険なわけじゃない。一歩間違えば、誰かがバジリスク本来の能力で命を落とすかもしれない。

 みんなの安全を守るためにも、この知識を生かしていかなきゃ。

 

 原作を鵜呑みにはせずに、要所要所は自分の目で確かめつつ、なんとか穏便に、この1年を乗り越えていきたい所存です。

 ハリーがんばる。

 

 

 

 

 

 

 ただ、最近少しだけ。

 

 原作を考えるたびに、毎年の事件の大きさとか、過酷さに音を上げそうになる。

 これ(原作知識)があるから事を有利に運べるのはわかっているんだけど。

 もし、これがなければもっと純粋に、私はこの世界で生きられるんだろうなあ、と。

 

 そんな絵空事を思うことがある。

 

 

 少しだけね?

 

 



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第1話 しもべ妖精と訪問者

本日2話目です。
プロローグからどうぞ。


 

 

 

 サンサンと照り付ける穏やかな陽の光。

 暑くもなく寒くもない、心地良い気温と、穏やかに通り抜けていく風。

 実に平和なプリベット通り4番地、ダーズリー家の小さくとも整えられた庭。

 私はその整えられた芝生や茂みに素早く目を走らせていた。

 

 私、ハリエット・ポッターは今、ネズミを探しています。

 

 

 

 魔法界では両親のお陰で英雄扱いされてる私だけど、ここダーズリー家では中々に過酷な扱いを受けている。

 

 学校から帰ってきた瞬間に、トランクとか杖とか全部物置に入れられ鍵をかけられたし、ヘドウィグの鳥籠も南京錠を付けられて、手紙のやり取りができないようにされた。

 

 ヘドウィグさんはそれはもう不機嫌なので、私は毎日ぺこぺこしながら餌を献上している。

 といっても、ダーズリー家から貰える餌は僅かだ。最近はそんなものでは足りぬわと嘴を鳴らすので、一度ネズミを持って行ったら大変満足そうに膨れた。ありがたき幸せ。

 

 ただ、やっぱり長い間飛んでいないストレスが溜まっているようで、今日もけたたましい鳴き声で一家全員が起こされた。

 ここ最近ピリピリしている叔父さんに、次ヘドウィグがうるさくしたら焼いて食べると脅されたから、何とかご機嫌を取らなきゃいけない。

 

 

 そんなわけで、庭に出てタンパク質を探しているというわけだ。

 しかし奴らもこの辺で仲間が乱獲されていることに気付いたのか全然見つからない。

 まずいぞ、このままではディナーにふくろうの姿焼きが追加されてしまう。

 

 不意に、見つめる芝生に太陽を遮って大柄な影が差した。

 

「おい、何してるんだ?」

 

 この声は、ダドリーか。

 目を上げずに答える。

 

「ネズミ探してるの。リスとかでもいいんだけど」

「はっ? ……そ、そう」

 

 あ、引かれてる。まあ、いいや……今更だし。

 無視してネズミ探しを続けていると、ダドリーは気を取り直したようにさらに近づいてきた。

 仕方なしに見上げると、私より頭一つか二つか三つ分くらいでかい。

 

「なにさ?」

「今日が何の日か知ってるか?」

 

 にやにや笑いが浮かんでいる。これはいつも私に嫌味を言ったりからかったりするときの顔だ。

 ちょっとうんざりしながら答えた。

 

「何の日だっけ?」

「お前の誕生日だ」

「あーそうだったそうだった。なに? プレゼントでもくれるの?」

「まさか」

 

 即答された。

 まあ、くれたらくれたで裏とかありそうで怖いし。別にいいし。

 

「お前、カードすら1枚も来てないじゃないか。あのヘンテコな学校では友達が一人もできなかったのか?」

「そんな訳ないでしょ! 友達できたし……できたよね?」

「いや、知らないけど………でも、できたとしたら随分薄情な友達だな?」

「ダドリー。私のことは馬鹿にしようがサンドバックにしようがリアルに5倍やり返すから良い。でも私の友達を馬鹿にすると許さないぞ」

 

 下から睨んでやる。威圧感は皆無だろうけど。

 案の定、鼻で笑われた。

 

「どうするってんだ?」

「そうだね、電車に乗ったら必ずお腹が痛くなる呪いをかける」

「や、やめろよ……」

「それか一生異性にモテなくなる呪いが良い?」

「それは嫌だ……」

「さあ、どっちにする? 早く選ばないと両方かけるぞ」

「く、それなら電車の方がまだ……って、選ぶか! どっちも嫌に決まってるだろ!」

「ふはは騙されたなばかめ!」

 

 怒りで顔を赤くして腕を伸ばしてきたので、掻い潜ってちょこまか逃げた。

 ドスドス追いかけてきてるけど、私もダドリーに捕まるほど鈍くはない。

 割と頻繁に追いかけられているから、彼はそろそろ痩せてきてもいいと思う。

 

 

 

----------------

 

 

 

 私が昔から魔法を使っていたからか、ハグリッドに豚の尻尾を生やされなかったからか、ダドリーの魔法に対する恐怖はほぼ無いようだ。呪いとか魔法とか言っても、別に怯えもしない。

 今はなんか、トムとジェリーみたいな関係である。

 魔法云々はバーノン叔父さんの方が敏感だ。あの人は魔法のまの字でキレる。

 

 あと、叔母さんの方は少しだけ優しくなった気がする。

 たまーに、叔父さんにフォローを入れてくれることとかあるくらいだけど。

 まだほとんど、顔を合わせても話すことはないんだけど……この調子でいつか普通に話すことができるようになればいいなあ。

 

 こんな感じで、原作よりはまだ良い関係が築けていると思う。

 

 

 が。

 そんな少しのプラス要素なんて吹き飛ばすくらいの厄日が来てしまった。

 

 私の誕生日、はこの家ではイベントじゃないから置いといて。

 今日は叔父さんの商談&ディナーの日。

 最近叔父さんがピリピリしているのはこの商談があるからだ。

 

 ダドリーが言った通り、手紙は来ていない。

 友達ができたことが私の妄想だったという悲しい現実が存在しない限り、屋敷しもべ妖精のドビーが手紙をストップしているのだろう。

 

 今日、ドビーがこの家に来る。

 よりにもよって叔父さんの超重要商談の真っ最中に。

 原作では、ドビーが使った魔法で商談はおじゃんになって、私は窓に鉄格子までつけて軟禁されることになる。

 ドビー的には学校に戻って欲しくないだろうから、それが狙いなのかもしれないけど。

 

 気持ちは……ほんとに気持ちだけはありがたいけど、私も戻らないわけにもいかない。

 屋敷しもべ妖精ってかなり強いし、魔法が無かったら多分止められないから、商談中に事件が起こっちゃうのはもう仕方ないかもしれない。止めるけど、無理だったらごめん叔父さん。

 そうなったら鉄格子で部屋に閉じ込められるのも甘んじて受け入れます。

 新学期になっても学校に行かなかったら、誰かが迎えに来てくれると信じる。

 だからそれまであと1ヶ月、主に精神的に頑張ろう。

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 

 そして夜が訪れた。

 どうやら直前まで私をウェイトレスにする案があったみたいだけど、採用されなかったようで一安心だ。

 家の隅々まで叔父さんの入念な最終チェックが入り、私は豪華なディナーとは無関係のサンドイッチを数枚渡されて部屋に帰された。

 

 休み中は友達に会えないのも寂しいけど、ご飯が満足に食べられないのもかなり悲しい。

 しかしこれも天の恵みだ、感謝して食べよう――と悟りを開いたような心でサンドイッチを食みつつ階段を昇り、部屋の扉を開けた。

 

 当然のように先客がいた。

 ベッドの上に、コウモリのような長い耳をして、テニスボールぐらいの緑の目がギョロリと飛び出した小さな生物が立っていた。まあつまりドビーなんだけど。

 その大きな目が、部屋に入った私を見てさらに見開く。

 

「ハリエット・ポッター!」

「あ、ごめん、静かにお願いできる? 今下に大事なお客さんが」

「ドビーめはずっとあなた様にお目にかかりたかった! とっても光栄です! とっても!!」

「聞いてください」

 

 慌ててドアを閉めて、机にサンドイッチのお皿を置いた。

 その辺からハンドタオルを引っ張り出し、それを渡しながら言った。

 

「とりあえず、ベッドにでも座ってよ」

「す――座ってなんて! これまで一度も!」

「ハイ泣かないで! 静かに、静かに」

 

 泣き出してしまった顔にタオルを押し付ける。

 しゃくりあげたままだけど、何とかベッドに座らせた。

 

「ありがとうございます、ハリエット・ポッター。ありがとうございます」

「いいよ、気にしないで、ほんとに……君は?」

「ドビーめにございます。ドビーと呼び捨ててください。『屋敷しもべ妖精』のドビーです」

「ドビー、よろしくね。私はh」

「ハリエット・ポッター! 存じておりますとも! 私どもの救世主!」

 

 ドビーは手を組んで耳をはためかせた。

 

「あなた様が『名前を呼んではいけないあの人』を打ち倒したことで、私どもしもべ妖精がどれだけ救われたか!」

 

 ものすごい尊敬の眼差しで見られているけど、私がやったことではないから、曖昧に笑い返すことしかできない。その反応をどう勘違いしたのか、ドビーは「謙虚なお方です……」と感動したように呟いている。

 

「まあ、その話はまたにして。私に何か用があって来たんでしょう?」

「はい、はい。ドビーめは聞きました。ハリエット・ポッターは闇の帝王と二度目の対決を、ほんのひと月に……」

「う、まあ、それはそうだね。でも私だけの力じゃないから」

 

 まだひと月しか経ってないのか、て感じだけど。

 ドビーは興奮したようにベッドの上に立ち上がった。

 

「ハリエット・ポッターは勇猛果敢! もう何度も危機を切り抜けていらっしゃった! でも、ドビーめはハリエット・ポッターをお護りするために参りました。警告しに参りました。あとでオーブンの蓋で耳をバッチンしなくてはなりませんが、それでも……。ハリー・ポッターはホグワーツに戻ってはなりません!」

 

 ドビーは必死な顔で言った。

 

 こう言われることはわかっていた。

 もしここで真面目な顔をして、「わかった戻らないよ」と言えば、きっとドビーは信じて帰るんだろうと思う。叔父さんの商談もうまくいくのかもしれない。

  

 だけど私は嘘をつくつもりはない。

 単純に、ホグワーツに戻らないなんて嘘でも言いたくないってのもあるけど。

 ドビーが騙しやすい妖精だからという理由で嘘をつくような真似をしたくない。それは結局、ヴォルデモートの時代と同じように、妖精を自分よりも下に見ていることだと思う。

 それにやり方はともかく、私のためを思ってくれていることだし。それを嘘で丸め込もうとするのもどうかと思うのだ。

 

「ごめんね。忠告はありがたいけど、私はホグワーツに戻るよ」

「そんな……!」

 

 ドビーは激しく首を振った。

 

「罠です、ハリエット・ポッター! 今学期、ホグワーツ魔法魔術学校で世にも恐ろしいことが起こるよう仕掛けられた罠でございます! ハリエット・ポッターは危険に身をさらしてはなりません。ハリエット・ポッターはあまりにも大切なお方です!」

「罠があっても、危険があっても、私は戻るよ。その危険から友達を助けるのも、私がやらなくちゃいけないことだもん」

「手紙もくれない友達をですか?」

「………ああ、そうだったね。うん、たとえ本当に手紙をくれなくても」

 

 ドビーはしばらく私の目を見ていたけど、やがて観念したように俯いた。

 そして悲しげに言った。

 

「ハリエット・ポッター、それでは、ドビーはこうするほかありません」

 

 予備動作なく急加速して矢のようにドアに飛びつき、パッと開けて部屋を出ていった。

 

「ちょ、速っ! 待って待って魔法だけならこの部屋でも……ああもー!」

 

 なんとか被害が止められないかと考えながら、私も階段を駆け下りた。

 

 

 

 

 なんともなりませんでした。

 

 1階に降りたら大きなケーキが浮いて、商談相手のメイソンご夫婦に向かって行っていた。

 もう魔法はドビーが使ったのだから同じだと半分開き直って、せめてお客さんの頭に落ちないように、私も素手で浮遊術を使って押し返そうとした。

 どっかのジェダイばりに手を向け合ってフォースの闘いが繰り広げられたけど、間もなくケーキが耐えられず爆散した。

 ついでに商談も爆散した。

 

 魔法省から警告文が来て、未成年が魔法を使ったらいけないことが叔父さんにバレた。

 

 ドビーが来たのも間接的には私のせいだし叔父さんに謝ったけど、まるで聞いていないように狂ったように笑いながらスムーズに部屋の窓に鉄格子を嵌められ軟禁された。

 扉の餌差入口から日に3回少ない食べ物が差し入れられて、私とヘドウィグはそれで生活することになった。

 

 

 

 

 3日経った。

 

 私はベッドに膝を抱えて座ってぼーっとしている。動かないのが一番お腹が空かない。

 

 私、このまま1ヶ月生きられるのかな。

 

 ロンたちが空飛ぶ車で迎えに来てくれないかと期待したけど、多分、それはないんじゃないかと思う。

 仲が悪いわけじゃない。でも、原作ほどずっと一緒にいたわけでもないし、命懸けの冒険をしたわけでもない。

 それに私女の子だし、連れ出しにくいんじゃなかろうか。

 

 今来てくれたら正直、白馬の王子様って感じで好感度激上がりなんですけど。

 ちんちくりんの囚われの姫(笑)だけど。

 

「はあ……」

 

 溜息を吐く元気はまだある。

 

 

 ブー、と下で玄関のチャイムが鳴った。

 誰か来たらしい。今日は日曜日だし郵便はないはずだけど。

 

 今何時だろ。時計が無いからわからない。

 まだ今日のご飯が1回だから、朝と昼の間ではある。

 お昼まだかな――。

 

「……ん?」

 

 言い争うような声が耳に入ってきた。

 下から叔父さんが唸るような低い声を荒げているのが聞こえる。

 お客さんと揉めているみたいだ。また珍しい。

 対する声は……随分若い。子供の声かな?

 どうしたんだろう。久しぶりに外界に興味が湧いたぞよ。

 

 話の内容を聞いてみようと耳を傾けたとき、叔父さんが一際大きな声で何か叫んだ、次の瞬間。

 

 ――バーン!

 

 何かが破裂するような、大きな音がして声が止んだ。

 一転して、静寂が訪れた。

 

 え、何? 何が起こったの?

 

 誰かが階段を昇ってきた。誰だろう、知らない足音……。

 それは部屋の前で止まって、そして勢いよく扉が開かれた。

 

 ホワイトブロンドの髪に、尖った顎、灰色の目。

 いつも青白い顔には血が上っている。

 彼は私を見つけて、唐突に言った。

 

「出るぞ。こんなところには居るべきじゃない」

「あ――」

 

 ドラコ・マルフォイが、憮然とした表情で立っていた。

 

 

 



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第2話 今年の黒幕と経緯

 前回までのあらすじ。

 

 ドラコ・マルフォイ、襲来。

 

 

 

 

 

 「出るぞ」と言われたけど、何がどうなったのか全然わかってない私である。

 近づいてきたドラコをベッドに座ったままぽかんと見上げる。

 

「ドラコ? 久しぶり――なんでここに?」

「説明は後だ。行くぞ」

「行くぞ、ってどこに? さっきの音は……?」

「……あれは魔法だ。思わず壁に穴を空けた」

「えっ、魔法? 壁? 使ったの? 休み中は……それに私1回警告受けてて」

「父上がいるから問題ない。良いから、来い!」

 

 強引に手を引かれてベッドから引っ張り出された。

 いくつもの疑問が頭の中を浮いては言葉にならずに消えていく。

 ん? ていうか父上って……。

 

 引かれるがままに階段を下りると、バーノン叔父さんが玄関で尻餅をついていて、怯えた表情でこっちを見てきた。

 リビングに続く扉からは、叔母さんとダドリーが顔だけを覗き込ませている。

 

 そして玄関先には……父フォイ、もといルシウス・マルフォイが立っていた。

 

 うん。

 今年度の黒幕キター!

 

 とりあえずぺこりと会釈をするけど、マルフォイさんこれを華麗にスルー。ドラコに顔を向けて話しかけた。

 

「ドラコ、その娘を連れ出してどうしようというのだ」

「一ヶ月くらいなら家においてやればいいじゃないか」

「……えぇ」

 

 マルフォイ氏、ものすごく微妙な表情。

 ですよね! そういう顔なりますよね! かつてのボスの仇だもんね!

 

「しかしドラコ、我が家は、あー……その子にとって居心地が良いかどうか――」

「ここよりは100倍マシだ、そうだろ?」

「………」

 

 反論できないマルフォイ氏。

 え、ていうかそういう流れですか? 急過ぎてついて行けてないんだけど。

 

「ポッターもそれでいいな?」

「あ、うん。え? えーと、良いんですか? マルフォイさん」

「…………うむ、まあ、よかろう」

 

 しぶしぶって感じだけど……いやでも正直に言って、私もここで後ひと月過ごすのは御免だ。精神的に頑張るとか言ってたけど、もうギブアップ寸前でした。

 

「すみません、お世話にならせてください」 

「ポッター、荷物は?」

「そこの物置に……でも鍵がかかってる」

「父上」

 

 マルフォイ氏がゆったりと、悪く言えばノロノロと懐から杖を取り出し物置に向けた。

 

「アロホモラ」

 

 問題なく鍵が開き、かつての私の部屋が開かれた。

 そこからトランクを引っ張り出す。必要なものは全部ここに入ってる。

 

「おい、ふくろうは?」

「あ、取ってくる」

 

 危うく置いていくところだった。

 二階の部屋に戻って、ヘドウィグの鳥籠をそっと持った。

 不機嫌そうにピィー! と鳴くヘドウィグに「もうすぐ出られるよ!」と言って玄関に走って降り、マルフォイさんに見えるように頭の上に持ち上げてみせた。

 

「マルフォイさん、この鍵も開けてもらえませんか? もうずっと飛んでないので」

 

 南京錠が外れ、実にひと月ぶりにふくろうが解き放たれた。

 魔法使いのふくろうは住所を教えればそこまで飛んでいける。マルフォイ屋敷の住所を聞いて、ヘドウィグはプリベット通りの空を風に乗って優雅に飛んで行った。

 良かった。飛べるか少し心配だったけど、完全に杞憂だった。

 流石でございます。

 

 これでもう、忘れ物はない。

 

「ありがとうございます。もう大丈夫です――」

 

 そう言ってから思い出した。

 玄関から顔だけ見せている二人に呼びかける。

 

「えーと、そんな感じで、ひと月お世話になって学校には直接行くから。また来年、です」

「い、行かせんぞ……!」

 

 地獄の底から聞こえるような声を出して、顔を赤くしたバーノン叔父さんが壁に手を突いて立ち上がってきた。

 しぶといなこの人。

 

「もう魔法だのなんだのは終わりにすると誓ったんだ! 二度とその下らん学校には戻らせん!」

「叔父さん――」

「どうせ皆貴様らのような、頭のおかしい、イカれた連中ばかりなんだろう!」

「……叔父さん」

「ぱ、パパ……!」

 

 ダドリーが心配そうに叫んだが、耳に入っていないようだった。

 

「そこの子供なんぞ、礼儀もなにもあったものじゃない! 間違いなく碌な育ち方をしてきて……」

 

「叔父さん――やめて」

 

 ビクッ、と、叔父さんが私を見た。

 

「私の友達を馬鹿にするな」

 

 めこっ、と近くに立っていたランプが潰れた。

 花瓶が砕けて水が飛び散った。

 物置の戸が、階段の手摺が、ひしゃげて地面に這いつくばった。

 

「ひ、ひいぃぃ!」

「わ、しまった、やっちゃった。ごめん、魔法使う気はなかった。ほんとに」

「あわわわわ……」

 

 叔父さんは壁に寄りかかって、ずるずると滑り落ちた。

 泡を吹きかけた顔を見るに、もう立ってくることはないだろう。

 

 いや、でも本当にこんなことする気はなかったのに。

 魔法力の暴走って初めてだったけど、抑えられないのも問題だ。

 学校にいるうちになんとかしよう。

 

「あのー、すいません。お手数なんですがマルフォイさん、直していただけませんか」

「あ、ああ……レパロ・トタラム」

 

 すーっと杖を振ると、潰れた物たちがひとりでに直っていく。ごめんなさい。

 

 振り返ると、ドラコが妙な顔で私を見ていた。

 

「ポッター、お前……」

「なに?」

「い、いや、何でもない」

 

 おっと。これはもしや、ドラコのために怒った私へデレかなこれは。

 ふふふ。

 お礼なんて良いんだよドラコ。私が怒りたかったからそうしただけなんだからね!

 

 

 今学期、ホグワーツで「ハリエット・ポッター、怒るとかなり怖い説」が広まり、このときの見当違いを悟るんだけど、それは先の話である。

 

 

 

 

 

 

 叔父さんが介抱されているのを尻目に、ダーズリー家を出た。

 

 マルフォイ邸までは姿現わしで行くものと思っていたけど、なんと移動(ポート)キーが用意されていた。魔法省に顔のきく父上は、移動キーの認可を得るくらいなんでもない、と得意顔のドラコが説明してくれた。

 

 移動の心地は……うん、姿現わしとどっこいだったかな。

 

 

 転んで土だらけになった髪を叩きながら、ついに私はマルフォイ邸に侵入を果たした。

 予想通りといえばそうなんだけど、実際に来てみるとやっぱりものすごく大きい。ダーズリー家の何十倍もありそうな庭には、たくさんの草木が全て完璧に整えられていた。門から続く石畳が整然と道を作って、中央には当然のように噴水があり、勢いよく水を吹いていた。

 あとなんか塀の上に白い孔雀がいた。

 孔雀て。

 

 屋敷自体も当然大きく、エントランスの広さに数秒ぽかんと立ち止まってしまった。

 通された客間も何十人も入れそうなほど広く、クリスタルガラスのシャンデリアが天井から下がり、暗紫色の壁にはたくさん肖像画がかかっていた。

 

 正直に言って、今まで体験したことがない豪華すぎる屋敷に圧倒されて、敵地とか一切考える余裕なかった。

 いやあ、文字通り住んでる世界が違いますわ。

 

 

 客間では母フォイことナルシッサ・マルフォイが迎えてくれて、お茶を淹れてくれた。

 このお茶もダーズリー家での私の何食分だろう、とか考えて味がよくわからなかった。

 発覚。私、貧乏性。

 

 ちなみにナルシッサさんは、原作では最後にヴォルデモートを裏切った印象がほとんどだけど、実際に会ってみた印象は「超美人」だった。まさに美魔女……いや魔女なんだけど。

 

 

 長い食卓の端に4人で座って、一息ついてようやく、今回の件、何がどうなったのか経緯を聞くことができた。

 

 

 

 

「今日の朝、玄関ホールで何かが崩れるような音を聞いたんだ」

 

 向かいに座ったドラコが言う。

 

「見に行ったら、なぜか大量の手紙と菓子の類がばらまかれていた。宛名を見てみれば、全部お前宛てだ。なぜ我が家に届いたのかわからないが……」

「あー、うん、なんでだろうねえ」

「とにかくお前に送ろうと思ったが、量も量だ。ふくろう便で送るのも面倒だから、直接持って行ってやろうとしたわけだ」

「え、じゃあ手紙を持ってきてくれてたの?」

 

 ドラコは脇に置いてあった小さなカバンを取り、机の上でひっくり返した。

 明らかにカバンの容量を超えるほどの中身がざぱあー、と波のように机に広がり……

 

「……わーお」

 

 手紙とお菓子で堆い山ができた。

 

 うん、どうやらこれは……贈り物の量がドビーのキャパを越えたか。

 運悪く――私にとっては運よく、バラまいてしまったところをドラコが見つけたようだ。

 

「わざわざごめんね。でも、なんで連れ出してくれたの? や、私は嬉しかったけど」

「別に、深い意味はない――」

 

 ドラコは言いづらそうに目を逸らした。

 

「ただ、あんな、鉄格子なんか付けられた部屋で……まるで奴隷か囚人じゃないか。あれじゃあ余りにも……」

「ドラコ……」

「……かっ、勘違いするんじゃないぞ! 魔法族が、あんなマグルごときに虐げられているのが気に入らなかっただけだ!」

「ドラコ……!」

 

 ツンデレっ・・・・!

 圧倒的ツンデレ・・・・!

 

 いやだがしかし、私は精神が大人であるからして、ここでドラコをからかって遊ぶような真似はしないのだ。素直にお礼だけ言っておこう。

 

「そうなんだ、でもありが――」

「まあドラコ。お前は本当に優しい子ね」

 

 お母様!?

 

「は、母上!? なんのことか――」

「恥ずかしがらなくていいのよ、私にはわかっていますから。可哀想に思ったのでしょう? そんな扱いを受けた友人を。立派よ、ドラコ」

「母上ェ……」

 

 母は強し……。

 

「ポッターさん、あなたも災難でしたわね。そのようなマグルの元で暮らさなくてはならないなんて」

「いえ、息子さんのお陰でその災難も終わりましたから。本当に、優しく勇気のある方です」

「ポッター、お前まで――」

「まあ、どうもありがとう。新学期まで、寛いでいって頂戴ね」

「ありがとうございます。お世話になります」

 

 おほほと笑い合う女たち。

 困った顔の男たち。

 

 うーん、和やか! 敵対していたとは思えません。

 

 

 

 

 

 ひとしきりガールズ?トークを終えて、ドラコに案内されて二階へ向かった。

 

「この部屋を使ってくれ」

 

 空けてくれた部屋は、またかなり広い客室だった。一人だと持て余しそうだ。

 大きなベッドと、暖かい陽が差し込む雰囲気の良い部屋だ。

 荷物は既に隅に置いてあって、鳥籠にはヘドウィグがもう着いていた。お早い。

 

「ありがとう、良い部屋だね」

「僕は隣にいるから、何かあれば言え。――それか、こうだ」

 

 ドラコはパン、と手を叩いて、宙に呼びかけた。

 

「ドビー!」

 

 ぱちん! と音がして、数日前に見た妖精が頭を垂れつつ現れた。

 

「お呼びでしょうか、坊ちゃま」

「ああ、今日から滞在する客人だ。呼ばれたら応えてやれ」

「畏まりまし――は、は、は、」

「は?」

「くしゃみだね! 初めまして! ハリエット・ポッターだよ!」

 

 テニスボールのような目を真ん丸に見開いたドビーに、先手を打つ。

 知らない体! 知らない体!

 

「は、は、はははr、は初めましてにございますドビーめにございます、ご用件があればなんなりとお申し付けください」

「うんうん、よろしくね」

 

 隣でドラコが怪訝そうな顔をしていたけど、これ以上ボロが出る前にドビーは一礼してばちん、と姿くらましをして消えた。せふせふ。

 

「屋敷しもべ妖精は見たことがあるのか?」

「ほ、本でね、本で……」

「……ふん、まあいい。それじゃ僕は行くぞ。夕食は7時にさっきの客間だ」

「うん、いろいろありがとう」

 

 ドラコは頷いて、ドアノブを掴み、ふとこっちを振り向いた。

 

「言い忘れていたが」

「ん?」

「この屋敷の中なら魔法を使っても問題ない。父上が使ったことになるからな」

 

 それだけ言って今度こそ、ドラコは部屋を出ていった。

 

 

 

 

 しばらく、ドラコの言葉を反芻していた。

 

 ここでは、魔法が、使える。

 思う存分。

 

「ぃやたーーーーっ!!!」

「うるさい!!」

 

 一瞬で戻って来たドラコに叱られた。

 

 

 

 

 



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第3話 残りの休暇と煙突飛行



皆さん感想評価誤字報告ありがとうございます。
全話が第3話になっていたとご指摘を受けたので修正しました。

これが真の第3話です。


 

 

 ドビーが事あるごとに、背後霊のように「ハリエット・ポッターは学校へ戻ってはなりません……なりません……」と囁くことを除けば、マルフォイ家での暮らしはかなり快適だった。

 部屋は広いし、魔法は使えるし、周りは自然が多くて空気が美味しい。

 何よりご飯が普通に食べられる!

 

 今までの待遇に涙が出そうになった。

 

 

 落ち着いてからまずやったのは、手紙の返事を書くことだ。

 軽く100通はある手紙の山を仕分けてみると、仲が良かったラベンダーやパーバティ、ハーマイオニーからは10通以上も手紙が来ていた。どうやら友達は幻想ではなかったらしい。

 それにしても、去年終わりに2年生では心配をかけないようにしようと決心していたはずなのに、学校が始まる前からこのありさまである。

 でも、心配が綴られている手紙を読むのは嬉しくてニヤけてしまった。

 一方お菓子の山は誕生日プレゼントだった。

 私にはとりあえずお菓子送っとけという風潮があるような気がする。

 実際正しい。みなさんありがとう! いただきます!

 

 

 さて、やらなければならないことは済ませた。

 次はずっとやりたかったことをしよう。

 おわかりでしょう、そう魔法だ。

 

 去年一年で、自分の得意不得意はだいたい理解した。

 やっぱり変身術が得意なのは変わらない。クィレル戦を経てより自信がついた。

 次いで呪文学。こちらも問題なく扱える。

 逆に呪いや防衛術は比べてちょっと威力や精度が落ちる気がする。

 気持ちとか根性とか大事になってくる魔法だと思うし、そのせいかなあと思う。

 実際、スネイプ先生を助けに向かったときは自分でも驚くほどの呪いが撃てた。

 

 でもそんな火事場のバカ力に頼りきりになるのは怖い。

 ピンチのときに都合良く普段以上の力が発揮できるほど現実は甘くない。私自身そんなタイプじゃないと思うし。

 むしろ下手にそういうのを当てにしていると大ゴケするタイプ。

 

 原作でも、戦闘には結構変身術が使われてたと思うんだよね。マクゴナガル先生が決闘で強いみたいな話もあったし。

 強くなることが目的ではないけど、戦闘力の強化は必要だ。

 休み中も魔法が使えるのはありがたい。

 

 そんなわけで、部屋にいて暇な間はずっと魔法漬けだ。

 小物くらいの変身はもう朝飯前だから、伸ばすべきは魔法の速さと規模。

 

 速度は簡単だ。同じ物をくるくると、様々なものに変えていく。

 一個一個のイメージをすばやく明確にしないといけない。

 対応力を上げるために、なるべく同じものには変身させないように注意しながら、だんだん回転率を上げていく。

 マグカップ――スリッパ――棒付き飴――ぬいぐるみ――レインコート――チョコレート――メガネ――ケーキ――クッキー――サブレ――クレープ……

 

 お菓子が多いのはご愛嬌。

 

 続いては規模。

 まず個数。ひとつじゃなく複数のものを同時に変身させる。数もだんだん増やしていく。

 現状では同時に8個くらいが限界みたいだ。ただし、同時だと同じものにしか変化させられない。

 一度教科書を一斉に小鳥に変えてみたら、部屋の中に散らばって行って捕まえるのに苦労した。

 魔法を解けば良かったと気づいたのは、どったんばったんして捕まえた後だったけど。

 ドラコにうるさいと怒られた。(2日ぶり2度目)

 

 次に単純な大きさ。部屋自体を変身させる。

 例えばハロウィンっぽい部屋、とか廃墟っぽい部屋、とかコンセプトを決めて変身させるのだ。イメージを細かく持っていない分、少し適当になるところもあるけど、干渉する範囲を大きくするには良い練習だ。

 

 ちなみにだけど、いくら変身呪文をかけても元に戻せなくなるなんてことはない。

 自分がかけた魔法は解くことができるからだ。

 万が一、私がマルフォイ邸の客間がどんなんだったか忘れても問題ないということだ。

 

 

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 

 

 もうひとつだけ、やらなければならないことが残っていた。

 学校の宿題だ。

 まだ2年生だし、量もそんなにないし特に難しいところもない。サクサク終わらせていき、残すは魔法史のみとなった。

 

 でもそれも今日で終わることができそうだ。

 魔法は好きとは言っても、宿題から解放されるのは嬉しい。晴れ晴れとした気分で取り掛かった。

 

「む」

 

 変わり者のウェリンデン、って誰だっけ?

 教科書のどこかにはいると思うんだけど、探すのも大変だ。

 早いとこ索引を付けるべきだよこれ。

 

 仕方ない、こういうときは……

 

「ドラコ~」

「……またか」

 

 ノックして部屋の戸を開けると、ドラコは箒を磨いているところだった。

 めんどくさそうな顔を隠そうともせずに私を見た。

 

「変わり者のウェリンデンって何した人かわかる?」

「……変わり者のウェリンデンは14世紀くらいの魔法使いだ。火あぶりマニアと言われている。……【炎凍結術】は知っているか?」

「うん、炎が熱を発しなくなって、触ってもくすぐられるくらいしか感じなくなるんだよね?」

「その通り。ウェリンデンはその呪文を使い、魔女狩りに捕まっては焼かれて死んだふりをして、また顔を変えては捕まって……と、まあ火あぶりを楽しんでいた」

 

 いつの間にやら箒も脇に置いて、本格的に解説をしてくれるドラコ君であった。

 魔法界でずっと生きてきただけあって、さすがに魔法史はかなり詳しい。

 これまでにも何度か聞きにきたけど、なんだかんだ言いながら結局得意げに教えてくれる。

 教えたがりなのかもしれない。だとしたら私も助かるし、win-winだ。

 

「同じ顔で火あぶりを受けたこともあったせいで、ウェリンデンのいた地域は魔女狩りが盛んだったらしい。まあつまり、マグルを馬鹿にして遊んでいたんだろうな。僕には理解できないが」

「そうなの?」

「マグルなんて相手にする価値もないだろう?」

「ふーん……あれ、でも叔父さんには――」

「うるさい! あれは気まぐれだったと何度言ったらわかるんだ! お前も母上も何度も何度も飽きずに……!」

「わあ、ごめんごめん」

 

 地雷を踏んでしまった。

 

 でも、少し意外だった。

 別にドラコはマグルを嫌ったり憎んでいるわけではない。どちらかと言うと無関心の方が近いのかも。

 まあ、ドラコがマグルと関わる機会なんて今までなかっただろうしなあ。

 

 まあ、今のところはこれ以上怒らないうちに退散しよう。

 

「じゃ、ありがと! これで宿題終わるよ!」

「待て、ポッター」

 

 肩を掴まれた。

 

「教えてやったんだから箒の練習に付き合え」

「えー、またぁ?」

「い、い、な?」

「はぁーい……」

 

 顔が怖い。大人しく従っておこう。

 

 

 

 

 

 今年からは箒の持ち込みが許されるし、ドラコはクィディッチチームに入る気らしい。

 結構な頻度で家の裏庭を飛んでいる。

 私はそれに付き合わされるけど箒には乗れないから、ドラコがゴールに向かって投げたクアッフルを魔法で放り返すという作業をさせられている。

 有り体に言えば球拾いです。

 最初は浮遊術だけでやっていたけどそれだけだと退屈なので、今日は見えない手を作り出して操っていたりする。

 

 何十分か経ったか、ふと、ドラコが明後日の方を見て止まったので、私もクァッフル投げ返すのを止めてそっちを見た。

 

「ふくろうだ」

 

 大きな灰色のコノハズクがすいーっと滑空して飛んできて、まずドラコの元へ飛びさっと封筒を落とし、次に私の方へ降りてきてもう一通の封筒を伸ばした手に落としていった。

 Hの文字を象った校章。ホグワーツからだ。

 蝋印を解いて中の羊皮紙を引っ張り出した。

 教科書のリストだ。

 

 

 

二年生は次の本を準備すること。

 

基本呪文集(ニ学年用)ミランダ・ゴズホーク著

泣き妖怪バンシーとのナウな休日ギルデロイ・ロックハート著

グールお化けとのクールな散策ギルデロイ・ロックハート著

鬼婆とのオツな休暇ギルデロイ・ロックハート著

トロールとのとろい旅ギルデロイ・ロックハート著

バンパイアとのバッチリ船旅ギルデロイ・ロックハート著

狼男との大いなる山歩きギルデロイ・ロックハート著

雪男とゆっくり一年ギルデロイ・ロックハート著

 

 

 

 

 おおっと、そうだった。

 怒涛の名前の並びに少し目眩がした。

 

「見たかい?」

 

 ドラコが手紙をヒラヒラ振りながら、もう片方の手で箒を操って降りてきた。

 

「見た。びっくりだね」

「新しい教師は魔女だな。ロックハートのファンだろう」

「……本人かもよ?」

「まさか。だとしたら母上が黙っちゃいないぞ」

「ああ、お母様、ファンなのね……」

 

 なんか気が抜ける。もし夢を壊してしまったら申し訳ありませんお母様。

 

「父上に言いに行こう。すぐにでも買い物に行けるぞ。ニンバス2001を買ってもらう約束なんだ」

 

 

 

 

 書斎をノックしてマルフォイさんに手紙が届いたことを伝えると、マルフォイさんは頷いてパン! と手を叩いた。

 

「ドビー!」

 

 もはや見慣れたもので、ぱちんと音がして頭を下げたドビーが現れる。

 マルフォイさんは短く言った。

 

「手筈通りに」

「……かしこまりました」

 

 ドビーはのろのろと一礼して消えた。

 明らかに命令を嫌がってそうだけど、地味な引き延ばし方が主人と似ている。

 

「父上、今のは?」

「気にするな。さて手紙が来たのだったな。遠くないうちにダイアゴン横丁へ向かおう。ノクターン横丁にも用があるからついでに済ませてしまわんとな」

「今から行かないの?」

 

 ドラコが眉をひそめて聞いた。

 

「ああ、まあ明日か、明後日か、その辺りだろう」

「ニンバスを買ってくれるって言ったじゃないか」

「もちろん買ってやるとも、ドラコ。だが今は駄目だ」

「どうしてさ――!」

 

 ドラコが声を荒げようとしたとき、その言葉はまたパチン! という音で遮られた。

 

 沈んだ顔をしたドビーが現れ、小声でマルフォイさんに何事か告げた後、ちらりと何か訴えるように私を見てからまた消えた。

 マルフォイさんは腕を広げて振り返った。顔には満足そうな笑みが浮かんでいる。

 

「安心しろドラコ。すぐに行けることになった。部屋へ戻って支度をして来るといい。ミス・ポッター、君もご一緒に」

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 部屋から追い出されるように返されて、ドラコと二人部屋に歩く。

 

「どうしたんだろう、父上。何か変だった」

「そうだねえ」

 

 生返事を返しつつ、私は考えていた。

 

 

 ルシウス・マルフォイの目的は、ジニ―に日記を渡して秘密の部屋の事件を起こさせて、父親であるウィーズリーさんを失脚させるというものだった。

 原作ありきの考えだけど、今、ドビーにウィーズリー家を見張らせていたんじゃないだろうか。ダイアゴン横丁に買い物に行くタイミングを知るために。

 原作で鉢合わせしたのは偶然だと思っていたけど、どうやらちゃんと計画的な犯行だったらしい。

 

 言っちゃ悪いけどそこまでします?

 しかもヴォルデモートの日記まで使ってさ。

 

 

 でも、状況は悪くない。

 ジニーがリドルに操られるのは止められないと思っていたけど、私がマルフォイサイドにいることでそれも妨害ができるかもしれない。

 お世話になった手間少し気が引けるけど、事件が起こらないに越したことはないもんね。

 

 

 

 支度をして客間へ向かうと、マルフォイさんが大理石の暖炉に火を入れているところだった。

 隣にはお母様も立っている。

 

「父上、準備できました。……母上も?」

「来たかね」

 

 私たちを見て、マルフォイさんは暖炉の上の杯を手に取った。

 

「私は夜の闇(ノクターン)横丁に少しばかり売るものがあってね。お前たちにはナルシッサに付いて行って貰うことにした。フローリシュ・アンド・ブロッツ書店で落ち合おう」

 

 マルフォイさんは暖炉飛行粉(フルー・パウダー)を掴み暖炉に投げ入れた。

 たちまち、火は明るいエメラルドグリーンに変わる。そこに足を踏み入れて、マルフォイさんが言った。

 

夜の闇(ノクターン)横丁」

 

 姿がふっと消えた。

 煙突飛行か……魔法界の移動手段はこれでほとんど最後だ。

 箒、姿現わし、移動キーと、今までのやつはあんまり心地が良くなかった。

 

 正直、これもあんまり期待はしてない。

 

「さあ、ポッターさん、どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 杯から粉を一握り取って、炎に投げ入れる。

 

「行き先は……」

「ダイアゴン横丁」

「合点です」

 

 緑の炎の中に踏み入って、深呼吸した。

 原作ハリーは失敗して例のノクターン横丁に出ていたけど、私はそうはいかない。するとわかっている失敗をするわけないんだよ。

 

 ……フラグじゃない。フラグじゃないったらフラグじゃない。

 

「すー、はー……ダイアゴン横丁ッ!」

 

 巨大な穴に渦を巻いて吸い込まれていくようだった。高速で回転している。普通に気持ち悪い。

 轟音が響き、いくつもの暖炉がぼやけて通り過ぎ、やがてゆっくりになり止まった。

 

 目が回ってくらくらする。魔法界は人の三半規管にもう少し気を配るべきだと思う。

 

 ふらふらと暖炉の外に出た。賑やかな、明るい建物の中だった。周りには暖炉がたくさん詰まっていて、どうやらここが煙突飛行の出入り口らしいとわかった。

 眩しさに目を細めつつ視線を上げれば、大きく標識があるのが見えた。

 

~ようこそ、ダイアゴン横丁へ~

 

「……まさか普通にうまくいくとは」

 

 絶対何か起こると思ってたのに。

 

 

 



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第4話 男の戦いとフラグ管理

 

 煙突飛行、まさかの成功。

 

 いいんだけどね? なんか腑に落ちないというか……。

 いやいや、何が悪いことがあるんだ。問題ないに越したことはないし。

 

 

 ともかく、無事に合流した私たちは、グリンゴッツへ向かった。

 マルフォイ家の金庫はさすがで、見通せないほど遠くまで金貨が山と積まれていた。

 将来は私も稼ぎたいものです。

 

 次いで私も金庫から硬貨を取って、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店へと向かった。

 

「なんてこと!」

 

 店の前まで来たとき、お母様が悲鳴を上げてウインドウへ駆け寄った。

 

 

サイン会

ギルデロイ・ロックハート

自伝「私はマジックだ」

本日午後一2:30~4:30

 

 

「私としたことが、チェックを怠っていたわ! でもギリギリまだ間に合うわね、行くわよ!」

「母上……」

 

 想像以上にファンだった。

 げんなりした顔のドラコと三人で店に入る。

 

 その瞬間、私たちは熱気に顔を叩かれた。

 

 そこには熱い闘いがあった。

 飛び交う野次と声援。交差する拳と拳。

 一方が優勢になったと思えば、もう一方がやり返す。

 人の輪はさながら即席のリングだ。大の男と男の意地と誇りをかけた真剣勝負。

 

 が、本屋で行われていた。

 

 ごめん、原作で知ってたんだけど言っていい?

 何してんのさ。

 

「「やっつけろ! パパ!」」

 

 双子のウィーズリーが叫んでいるのが見えた。

 争っているのはさっき家で別れたマルフォイさんと、もう一人の男……多分、アーサーさん。

 

「ルシウス! 何を……」

「アーサー! ダメ、やめて!」

 

 当然お母様が止めに入る。と同時に、モリーさんだと思われる恰幅の良いおかんも叫んだ。

 

「ロックハートの前で!」

「そうよ、彼がどう思うか……!」

 

 その瞬間、二人の奥方の目が合った。

 彼女たちは確かに、お互いを歴戦のロックハートファンとして認め合い、また通じ合っていた。

 どちらからともなく歩み寄り、握手を交わした。

 

 いや何してんのさ。

 

 

 そんな母親二人を余所に、父親二人はようやく公衆の面前ということを思い出したのか、お互いを睨みながらもパッと離れた。

 マルフォイさんは頬を腫らしているし、ウィーズリーさんは鼻血を流している。

 

「止めてくれるなモリー。こいつは私の家族を侮辱したんだ」

「手を出したのはこいつが先だぞ、ナルシッサ!」

 

 あの、奥様たちもうこっち見てません。

 

 一触即発な空気が漂い、杖が抜かれるのも時間の問題かと思われた。観客たちも固唾を飲んで見守る。

 しかし! なんとも都合の良いことに、ここには空気を読まないことにかけては他の追随を許さない男が存在した!

 

「おやおや、これは何事ですか? 皆さん」

 

 人垣をかき分け、ロックハートが乱入だ!

 母親二人が本気の眼をしてサイン用色紙を高速で構えた。お母様そんなん持ってましたっけ?

 

「おっと、喧嘩ですか? 熱心なファンは大歓迎ですが、行き過ぎは困りますね! 安心してください、この店の品揃えなら私の本が取り合いになることはありませんよ!」

 

 多分、初めて二人の父親の心が一つになった。

 ――何言ってんだこいつ。

 

 ロックハートは自分の言葉をまるで疑っていないようで、ぽかんとした顔の二人に華麗にウインクして見せていた。

 

 

 まったく、どうやったらここまで都合よく現実を認識できるのか、理解に苦しむところだ。

 ……盛大なブーメランが過去の私に直撃した気がするけど。

 

 

 とそのとき、自分の登場に沸き立つ観客を満足そうに眺めていたロックハートの視線がふと、私で止まった。

 やばい――

 

「おや、もしや……ハリエット・ポッターでは?」

「人違いです!」

 

 人混みに飛び込もうとしたけど、飛び込んだところから私を取り残してモーゼのように人垣が割れた。

 

 いーやー!

 

「恥ずかしがることはない」

 

 本気の勢いでロックハートがダッシュして来て、二の腕を強く掴まれた。

 

「カメラマンの、ああ君だ。ほら、撮ると良い。さあハリエット、ニッコリ笑って!」

 

 ロックハートが輝くような歯を見せながら言った。

 

「一緒に写れば、君と私とで一面大見出し記事ですよ」

「いたい、いたいです!」

「おっと失礼」

 

 腕は離してくれたけど、そのまま肩にがっちり手を置かれて逃げられない。

 注目はすっかり、マルフォイさんたちから私たちに移ってしまった。

 ロックハートはそのまま演説でもするように高らかに話し出した。

 

「みなさん! 彼女、ミス・ハリエット・ポッターが私の自伝を求めてこの店に来たことは明白であり――私はこの小さな少女に、サイン入りの自伝を喜んでプレゼントしましょう、もちろん無料で!」

「ほんとに要らない」

 

 私の声は周りの拍手にかき消された。

 「私はマジックだ!」と書かれた分厚い本を無理矢理押し付けられた。

 

「今日は喜ばしい日です! みなさん、ここに、大いなる喜びと、誇りを持って発表いたします。この九月から、私はホグワーツ魔法魔術学校にて、『闇の魔術に対する防衛術』担当教授職をお引き受けすることになりました!」

 

 人々が爆発的に沸き、拍手が雨のように振り、口笛が飛び交い、あれよあれよと言う間に、私はいつの間にかギルデロイ・ロックハートの全著書をプレゼントされていた。もちろんサイン入りの。

 

 私は重みでふらふらしながらも、何とかロックハートの隙をついて傍から逃げだした。

 

「有名人だねえ」

 

 店の片隅に転がりるように座り込むと、ドラコが近づいてきてにやにやしながら言った。

 

「ちょっと書店に行くのでさえ、一面大見出し記事だ。良い気持ちだったかい?」

「そんな訳ないでしょ!」

 

 ぐいと本の山を押し付けて睨んだ。

 

「おい、自分で持てよ」

「うっさい!」

 

 私は怒っているのだ。

 「生き残った女の子」としてちやほやされるのは好きじゃない。それくらい、ドラコもこの休み中にわかってるはずなのに。

 本を押し付けたまま大人たちの元へ足早に歩き出すと、ドラコが肩を竦めてついてくるのが視界の端に見えた。

 

 

 

  父親たちの闘争はロックハートの登場で有耶無耶になったらしく、多分彼が唯一役に立ったことだった。

 そして、私が戻ったときがちょうど、マルフォイさんが手に持っていた擦り切れた「変身術入門」をジニーの大鍋に突き出しているところだった。

 よし! 気を取り直そう。

 問題の場面に立ち会うことができた。

 あとは私がどれだけ自然に、リドル日記が混ざっていることを指摘できるかにかかっている。

 

「ほら、チビ――君の本だ。君の父親にしてみればこれが精一杯だろう」

「あれれー? おかしいぞー? ……マルフォイさん、別の本が重なってませんか?」

「っ!?」

 

 弾かれたように、マルフォイ氏がこっちを見た。

 私は「単に見たことを言っただけですよよよ」という顔をした。出来てるかはともかく頑張った。

 

「何だと、ルシウス! 私の娘に何を渡そうと……!」

「っ失礼! 誤って私の本が紛れたようだ。行くぞ、ドラコ!」

「待て! まだ話は――く、逃げ足の速い男だ!」

 

 マルフォイさんは風のように去って行った。

 ドラコが私を見て、どうする、という様に首を傾げた。

 

「お母様もまだいるし、ちょっとロンたちと話してく」

「そうか。じゃあ屋敷でな」

「うん」

 

 手を振ったけど、ドラコはひとつ頷いただけで去って行った。

 

 その姿が消える前に、すぐ後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「ハリー!」

「ロン、久しぶり! 元気だった?」

 

 振り返ると、2ヶ月会わないうちにさらに背が伸びたロンが立っていた。

 

「君の方こそどうなんだよ! 手紙が止められてたなんて……ここだけの話」

 

 ロンが屈んで声を潜める。

 

「フレッドとジョージと迎えに行こうかって話してたんだ。実はさ、うちの車が……」

「おっとロン、そいつは禁則事項だ」

「親父さんの首が飛んじまう」

「フレッド、ジョージ」

 

 こちらはあまり変わらない、グリフィンドールの名物双子がロンの肩に腕を組んで現れた。

 

「ハリー聞いたぜ、マルフォイの家にいるんだって?」

「どんな感じだ? 変なことされてないか?」

「大丈夫だって」

「さあお前たち、もう……おや、君は」

 

 さらにもう一人、さっき見たウィーズリーさんがジニーを伴って歩いてきた。

 

「ハリエット・ポッターさんだね? 息子たちがよく話してくれるよ。小さいとは聞いていたが……いや失礼、アーサー・ウィーズリーだ」

「ハリエットです。ハリーって呼んでください」

 

 おじさんと握手をする。

 みんな一様に、背が凄く高くて赤毛だ。巨人の国に迷い込んだ気分。

 あ、でもさすがにジニーよりは……あれ?

 ……気づかなかったことにしよう。

 

「末娘のジネブラだ。さっきは助かった。ルシウスめ、きっと呪いの品だったに違いない」

「いえたまたまみえただけですから。……えっと、よろしくね、ジニー?」

「……よろしく、あの、さっきは、ありがとう」

 

 私が声をかけると、大鍋の陰から顔だけ出して答えてくれた。

 何この子かわいい!

 

「さっきは恥ずかしい姿を見られてしまったね。あー、何と言ったらいいか、私と彼はその、職場での仲があまり良くない」

「パパ、それ僕もだ。グリフィンドールであいつと話すのはハリーくらいのもんだよ」

 

 そんなに悪い奴じゃないんですよー、と言いたいけど、マルフォイさんが実際やっちゃった手前、庇いづらい。

 このまま続くと居た堪れない、と思ったけどジョージが話を逸らしてくれた。

 

「でもさ、どうやらママ同士は仲が悪くないみたいだぜ」

 

 指さす方を見れば、何事もなかったように再開したロックハートのサイン会の列に並びながら、マルフォイ夫人とウィーズリー夫人が盛り上がっている。

 180度タイプが違うと思うんだけど、意外と相性は悪くないのかもしれない。

 共通の話題があるのも大きいだろうけど。

 

「マルフォイの母親もロックハートなんかにお熱ってわけだ」

 

 ロンが呆れたように言う。残念ながらこれには反論できない。

 

「夫の微妙な気持ちをルシウスも感じているなら、もう少し仲良くできるかもしれないな……」

 

 アーサー叔父さんの物悲しい呟きが耳に残った。

 

 

 今度は我が家にも来てくれ、という招待を受けつつ、お母様と一緒に屋敷へ戻った。

 

 

 

 

 休みの残りはあっという間だった。

 マルフォイさんとはより微妙な関係になったけど、それもわりと元からだったし。

 そんなカビの生えたパンがとうとう腐ったみたいな変化よりも、ジニーに日記を渡すことを阻止できた方が大きい。

 ウィーズリー家の人に渡さなければ、マルフォイ氏的には意味がないはず。これで『秘密の部屋』の事件自体が防げたはずだ。

 

 勝ったッ! 第二部完!

 

 

 

 そんなわけで、私は残り僅かになった休みを満喫したのだった。

 具体的には、魔法の練習したり、ニンバスの自慢をしてくるドラコの相手をしたり、ニンバスに乗ったドラコの練習を手伝ったり。

 授業の予習もしたけど、ロックハートの本には手を付けてない。

 

 実際会って思ったけど、私苦手だ、あの人。

 学校でも絡まれるようなら一回正直にびしっと言う必要があるかもしれない。

 撮影会だろうがサイン会だろうがやってくれて構わないけど、私に関わらないところでお願いしますって感じ。

 

 

 まあロックハートはともかく、この夏は今までになく充実した休みだったことは間違いない。

 連れ出してくれたドラコには本当に感謝感謝だ。

 

 でも相変わらずドビーの忠告は絶えなかったから、もう危機は去った! と宣言しておいた。

 そうしたら納得してくれたのか、忠告はなくなった。

 

 よしよし。

 2年生はもはや、私が普通に学校生活を送るだけのお話なのだよ。

 

 もちろんこれも、フラグじゃない。

 

 

 

 

 

 

 ――ガッシャアン!

 

 派手な音を立てて、カートが転がる。

 

「おい、何だってんだ!」

 

 ドラコが怒鳴る。

 辺りに荷物が散らばり、ヘドウィグがピギィー! と鳴く。

 トランクの留め金が外れてガパッと開き、インクの瓶が割れたのか黒い液が荷物にぶちまけられた。

 

「最悪だ!」

「全くです……」

 

 はい、すいませんフラグでした。

 ドラコ、巻き込んでしまって申し訳ない……。

 

 ていうか結局やるのか、ドビーよ。

 



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第5話 見えない鎖と帰還

 

「どういうことだ!」

「落ち着いて、ドラコ。マグルが見てる」

 

 床に散乱した荷物、ふくろうのケージに本や羽ペンやローブにインク。

 駅員さんが近づきたくなさそうな顔で近づいてくる。

 

「あのー、どうかなさいましたか?」

「話しかけるな――」

「いえいえー! 大丈夫です! カートが言うこと聞かなかっただけで!」

「そ、そうですか……? 気をつけてくださいね」

 

 関わらずに済んでほっとした顔で駅員は去って行く。

 

「どうして止めるんだ!」

 

 視線を戻すと、不満そうな顔でドラコが突っかかってきた

 

「揉め事起こさない方がいいでしょ!」

「マグルごときに遠慮する方がおかしいね。揉め事になったら魔法で片付けてやればいい」

「私たち未成年だよ? 魔法使ったらダメじゃん」

「マグルの方から手を出されればその限りじゃない。そうでなくとも父上がどうにでもしてくれるさ」

「…………とにかく、荷物を仕舞っちゃおう」

「ああ、全く――クソッ、新しい教科書がインク塗れだ!」

 

 散らばった荷物をつまんで雑にトランクに詰め直した。

 9番線と、10番線の間の3本目の柱。

 一応確認するけど、突進する柱を間違えてるわけではない。

 ぺたぺた触ってみるけど、通り抜けられる雰囲気はない。

 ただの壁だ。

 

「11時だ」

 

 ドラコが呻いた。

 

「汽車が出てしまった! どうするんだ!」

「落ち着いて、ドラコ。すごい見られてる」

「チッ、マグルめ――見世物じゃないぞ!」

 

 ドラコの一喝で、大体の見物客はわらわらと元通りに流れ始めた。

 

「とにかく今はここを離れよう」

「離れてどうしようって言うんだ! ここで父上たちが戻ってくるのを待つべきだ!」

「この壁じゃ戻れるかもわからないし、ホグワーツに手紙を書こう。ヘドウィグもいるし」

「手紙……なるほど、その手があったな」

 

 感心したような目を向けないで、これカンニングだから。

 

 この1ヶ月で高級ふくろうフーズを食べてちょっと太ったヘドウィグは、億劫そうにこっちを見ていた。

 

 とりあえずカートをごろごろ押して駅の外まで出て、一応物陰に隠れてヘドウィグを飛ばした。少しマグルに見られちゃったけど、これはもうしょうがない。

 その後はマルフォイ夫妻が戻って来たのがわかるように、駅の出入り口の脇に立っていた。

 

 2つの大きなカートに空の鳥籠を乗せた私たちはやっぱり目立って、通りすがる大半の人がじろじろ見て来るし、中にはひそひそと声を潜めて話したり笑ったりするような人もいた。

 

「マグルめ……」

「しょうがないよ。こんなカートなかなか見ないし」

「だとしてもだな……」

 

 隣でぶつぶつドラコが苛立つのを宥めていたけど、1時間もしたころには立っているのが疲れてしまって、カートの隣に座り込んでしまった。

 もうお昼だ。おなか空いた。

 今頃はホグワーツ特急の中でお菓子を買いあさっているはずだったのに。

 

 ドラコも疲れて来たのか無言になり、二人で駅の喧騒から取り残されたようだった。

 ふと、眉を寄せるドラコを見上げて聞いた。

 

「……ねえ、ドラコはさ、マグルが嫌いなの?」

「ああ、今嫌いになりそうだよ」

 

 こっちを指さして何か話している若い男女を睨みつけながら、ドラコは答えた。

 

「それじゃ今までは?」

「マグルなんて僕たちの下等種族だろう。好き嫌いを考えるだけ無駄だね」

「じゃあ、マグル生まれの魔法使いは?」

「……あいつらは、マグルの血から生まれた出来損ないだ。僕ら純血からすればやはり下等な連中さ」

 

 そのマグル生まれのハーマイオニーに全教科負けている件について一言。

 それはまあ私もほぼそうなんだけど……。

 

 あの子は魔法に触れたのは1年前が初めてのはずなのに、理論、実技共にトップを走っている。

 もちろん本人が努力家なのもあると思うけど、少なからず才能もあったはずだ。

 そういう意味では、純血もマグル生まれも関係ないと言える。

 

 

 だけど、そんな風に反論して、私はどうしたいというのだろう。

 君は家族や友人を思いやる心を持っているんだからもう少しマグル生まれとか他の人にも心を砕いてあげなさいよ、と上から目線でお説教する?

 そんなこと、私には言えない。言いたくない。

 

 私は少しばかり未来のこととか、他人の人となりやプライバシーに関わることを知ってしまっている。

 でもそれを元にして決めつけて、他人にあれこれ言うことはできない。

 

 原作が見えない鎖となって、私を縛る。

 

 

 結局私は、「そっか」とだけ答えて、また人混みに目を戻した。

 

 

 

 

 

「ん? 何だ?」

 

 膝の間に顔を突っ込んでウトウトしていたら、不意にドラコが声を上げて現実に引き戻された。

 顔を上げると、何時間経ったのか、日の光はオレンジに変わりつつあった。

 

 隣のドラコを見上げれば、怪訝そうに人混みを睨んでいる。

 

「……なに、またなんかあった?」

「急にマグルがこっちを気にしなくなった。それに……なんだ? 妙に近づいて来ない」

「んー……?」

 

 眠たい目を擦りながら見れば、確かにドラコの言う通り。人が不自然なほどにこっちを見ないし、私たちの前のスペースがぽっかりと空いている。

 まるで見えないバリケードがあるかのよう。

 

「何が――」

 

――バシッ!

 

 突然、破裂するような音がして、空いたスペースのちょうど中心に黒いローブを着た男が現れた。

 

 姿現し! なるほど、あらかじめマグル避けの呪文を張った上で……というか――

 パッと立って駆け寄った。

 

「スネイプ先生!」

「むっ、ポ、ポッター、か。そうか、お前もいたのか。あの狸め……」

「へ、狸?」

「いや気にするでない。……それでもう一人は――ドラコか」

「先生! お久しぶりです。先生が迎えに来てくれたのですね!」

 

 スネイプ先生、空前のモテ期である。

 私とドラコのきらきらした目に気圧されたのか、スネイプ先生は少し仰け反った。

 

「うむ、そうだ、私が校長から仰せつかった。付き添い姿現しで連れていく」

 

 ゲェーッ!

 

「城にかかっている『姿現し防止呪文』も一時的に解除されている……なんだポッター、その顔は」

「いえ、あまり得意ではないので……」

 

 またしても姿現しか……魔法界の移動手段はそれぞれダメージが来る部位が違うけど、姿現しが一番苦手だった。

 いや、ぐずっていても仕方ない。覚悟を決めよう。

 ここだけの話。私も身長が伸びたのだ。なんと、0.003メートル! 3ミリだね。

 

 私が一人で勝手に落ち込んでいる間に、スネイプ先生はひょいと杖を振って、私たちのトランクを手のひらサイズに縮めた。もう1度振ると、カートが勝手に動き出して、カート置き場へ戻って行く。

 ミニチュアトランクを私たちに手渡しながら、スネイプ先生は言った。

 

「ポケットの奥にでも入れていたまえ。落とすとどこへ飛んでいくかわからん」

 

 言葉に従ってトランクをポケットの底に押し込む。

 すぐに前と同じように右腕を差し出されたので、できる限りしっかり握った。

 ドラコは反対の腕を持っている。

 それを確認してスネイプ先生が頷いた。

 

「では行くぞ。ひとつ、ふたつ、みっつ」

 

 掛け声と同時に勢いよくゴム管に詰められるような感触を味わい……一瞬後には、見覚えのある大広間に立っていた。

 ホグワーツ城だ。広間にこんなに人が居ないところは見たことが無いけど。

 

 ……あれ? 今回は転がってない。

 そういえば前回と違って先生の腕もしっかり握れていた。先生が縮んだのでなければ、腕を低く構えてくれたのだろう。それに姿現しするときの合図も出してくれていた。

 

 なるほど。

 1年前より、少しは仲良く……かどうかはわからないけど、気を使ってもらえるようにはなったのかも。

 それは、うん。嬉しいことだな。

 

「……へへへ〜」

「ポッター、教師に対する無礼な笑いによってグリフィンドール5点減点」

「!?」

「おっと、まだ新学期が始まる前であったな。残念無念」

 

 こ、この人は……!

 無礼な笑いはどっちだと思うほどのにやにや笑いを浮かべている。

 

「さて、君たちはここで待っていたまえ。他の生徒が到着するまでまだしばらくかかるだろう」

 

 ローブを翻して、スネイプ先生は去って行った。

 

 

「随分先生と親しいんだな、ポッター」

 

 ドラコが素直に驚いたという顔をして聞いてきた。

 

「グリフィンドール生なのに」

「ああ、うん。……母さんと仲が良かったから、かな」

「ふぅん」

 

 興味があるのかないのか、気のない返事が返ってくる。

 

 なんとなく沈黙が降りた。

 

 ドラコが窓に目をやったのにつられて見ると、いつの間にか日は沈んで夜が始まっていた。

 

「ああ、それにしても腹が減ったな」

 

 唐突にドラコが言った。

 

「うん、お昼食べてないしね。……でもその分ご馳走が美味しく食べられるよ!」

 

 目の前の長いテーブルには今はまだ空のお皿が並んでいる。

 厨房では屋敷しもべ妖精たちがせっせと料理を作っているのだろう。

 

「お前は本当に食べ物のこととなると目の色が変わるな……」

 

 白い目で見られた。

 なによいいじゃないの。1年前までは満足に食べられる方が少なかったんだし。

 

「あ、そうだ。お前、学校にいる間あまり話しかけるなよ」

「えっ、なんで?」

「なんでって……わかるだろう? 他のスリザリン生がどう思うか」

「ああ……勘違いされちゃったら恥ずかしいもんね」

「違う! グリフィンドール生と仲良くしてるところを見られたくないだけだ!」

「あら! 仲良くだってお母様!」

「ポッタァァァ!!」

 

 ドラコの叫びが、城に響いていきました。

 

 窓の外を、たくさんの灯りが並んで城に向かっている。

 きっと、みんなが乗った馬車の灯りだ。

 

 ホグワーツ特急に乗って来なかったからなんとなく意識がズレていたけど、今ようやく実感した。

 

 

 帰ってきたんだ。

 



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第6話 ロックハートとロックハート

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


 

 新入生歓迎会が始まるまでに、久しぶりに会った同級生や先輩たちからもみくちゃにされて質問攻めにあって若干ボロボロになったけど、それはそれとして。

 新入生が並んで大広間に入ってきて、組み分けの儀式が始まった。

 緊張した様子の1年生が順に組み分け帽子を被り、帽子が寮の名を叫んでいく。

 

 ちらほら聞き覚えのある名前もあった。

 ジニーはもちろんグリフィンドールで、ウィーズリー兄弟が揃って立ち上がり歓声を上げていた。

 

 

 最後の一人が終わって賑わいが残っているうちに、ダンブルドア先生が立ち上がって声を張り上げた。

 

「おめでとう! 新学期おめでとう! さて皆にひとつふたつ、お知らせがあるから聞いてくれるかの。まず新任の先生に、空席じゃった『闇の魔術に対する防衛術』を担当してくださるギルデロイ・ロックハート先生じゃ」

 

 それまでの余韻をかき消すように黄色い悲鳴が爆発した。

 ロックハートがにこやかに立ち上がる。

 やっぱり学生にも人気が高いのか。でも彼の授業を受けた後はいくらかは落ち着いてくれるでしょう。

 そういえば原作では初回の授業しか書かれていなかったけど、その他はどうなんだろう……。

 

 不意に、生徒を見渡している青い眼が細められ、私を見た気がした。

 ……あ、なんかデジャヴ。

 

 まさかと思ったけど、あろうことかこの場で、ロックハートは笑みを深めて、私に向けて手を振りやがった。

 

 全校生徒の視線が一斉にこちらを向く音すら聞こえた気がしたけど、一瞬前に私は机の下に滑り込むことに成功した。

 

「キャーちょっと! 今こっちに向かって手を振ったわ! ロックハートせんせー!!」

 

 テーブルの下から猛烈に両手を振るラベンダーを見上げてため息を吐く。

 幸いにも、ダンブルドア先生はすぐに次の話題に移ってくれた。顔半分だけ覗かせて様子を窺うと、もう誰もこちらに注目している様子はない。

 さり気なく席に座りなおした。

 

「ハリーはロックハート先生のファンじゃないのね」

 

 パーバティが後ろから耳うちしてきた。

 

「うん、実はそう。パーバティも?」

「ええそうね。私もあんまり好きになれないわ、ああいう浮ついてそうな人」

「……ラベンダーはダメみたいだけど」

「この子はミーハーだしね。放っておいたらそのうち落ち着くわ」

「だといいけど」

 

 教員席に座るロックハートを見て、私は楽しいホグワーツ生活に暗雲が立ち込めるような気がしたのだった。

 

 

 

 

 今学期最初の授業は薬草学だったけど、その時に早くも悪い予感が当たっていたことがわかった。

が当たっていたことがわかった。

 原作でもそうだったけど、なぜか温室に行くとロックハートがスプラウト先生と話していて、私を見つけるなり手を広げて近づいてきた。

 

「ハリー! 君と話がしたかった――スプラウト先生、ハリーがほんの2,3分授業に遅れることになっても差し支えありませんね?」

 

 スプラウト先生はどう見ても「あるに決まってんだろタコ」という顔をしていたけど、ロックハートは答えを聞かずに私の腕を強く引いて温室の陰へ引っ張って行った。

 温室の壁を背にして見下ろされる。

 

「ハリー」

「ハリエットです」

「ハリー、ハリー、ハリー」

 

 聞けや。

 と突っ込みそうになったけど、ぐっと感情を抑えて、できるだけ事務的に答える。

 

「なんの御用ですか」

「良くないですね。まさか学年初日からとは――もっとも、みんな私が悪いのですがね。自分を責めましたよ」

「仰ってる意味がわかりかねます」

「ハリー、惚けなくてよろしい!」

 

 ロックハートは腹が立つほど完璧な笑顔で私を見た。

 

「有名になるという蜜の味を、私が教えてしまった。そうでしょう?『有名虫』を移してしまった。新聞の一面に私と一緒に載ってしまって、君はまたそうなりたいという思いをこらえられなかった」

「いえ全く違います」

「隠さなくてもいいんだよ。ハリー、私の前ではね?」

「ハリエットです」

 

 私、相当つれない態度を取っていると思うのだけど、なんでこの人笑顔なの。

 ロックハートは両腕を伸ばしてがっしりと私の肩を掴んだ。

 なんとか無表情は保ったと思う。

 

「こう思ったのでしょう? 汽車に乗って他の者と一緒に学校へ向かうなんて相応しくない! 自分のような特別な人間はもっと特別に扱われるべきだ……と」

「いやできることなら私も」

「気持ちはわかりますよ、ハリー! 気持ちはね。でも私も君くらいのときは無名だった。むしろ、君の方が有名とさえ言えるかもしれない。ほら『例のあの人』とかなんとかで?」

 

 耳ついてる?

 

「もちろん、君が尊敬して止まない私のように――」

「先生」

 

 私ははっきりと、ロックハートの言葉を遮った。

 

「もう5分は経ったので、授業に行きたいんですが」

「おっと、もうそんな時間かな? でもハリー、これだけは言っておくよ。焦らずとも良い。『週間魔女』の『チャーミング・スマイル賞』に五回も続けて私が選ばれたのに比べれば、君のはたいしたことではないでしょう――でも、初めはそれぐらいでいい。ハリー、初めはね」

 

 ばちこーん! と思いっきりウインクして去っていった。

 

 私はたっぷり30秒はその場にぽかーんと突っ立っていたと思う。

 

 

 

 温室に入るとラベンダーに猛烈に手招きされてこと細かに話の内容を聞かれた。

 正直思い出すのも馬鹿馬鹿しいけど、聞いてくる勢いがあまりにも強すぎて、適当に答えてしまった。

 

「そう、そうなのよ。彼ってとっても優しいの……」

「ソーデスネ」

 

 夢見るような顔で上の空だったラベンダーは、耳あてをしっかりしていなかったせいでマンドレイクの叫びを聞いてぶっ倒れた。

 

 スプラウト先生に医務室に運ばれていく彼女を尻目に、私たちは何事もなかったかのようにマンドレイク植え替えを続けるのだった。

 

 

 ちなみに4人1組のチームで、あとの2人はハッフルパフのパーバティの妹のパドマと、ジャスティン・フィンチ=フレッチリーだった。

 4人体制でやっても植え替えはかなり大変で、私は何度かマンドレイクと格闘する羽目になった。

 まあ、1勝2敗といったところ。

 

 

 

 

 ロックハートの侵攻は終わらない。

 

 「闇の魔術に対する防衛術」の授業で最初にやったペーパーテストは記憶の通りくだらないものだった。好きな色がライラック色だったことだけなぜか覚えていたけど、それを書くのも釈然としない。

 

 結局グリフィンドールには碌に答えられた生徒はいなかったらしく、大層ご不満顔だった。

 ラベンダーも微妙なあたりミーハー感がある。

 

「チ、チ、チ。皆さんもっとしっかりと予習をしないといけないようだ」

 

 一部女子を除いて白けたムードに気づいているのかいないのか、ロックハートは気にした様子もなく授業を続ける。

 次に取り出したのはピクシー妖精が大量に詰まったケージ。

 うぞうぞ蠢いていて、正直気持ち悪い。

 

「さあ、それでは」

 

 ロックハートが声を張り上げる。

 

「君たちがピクシーをどう扱うかやってみましょう!」

 

 妖精を解き放とうと籠の戸に手をかけるのを見て、私は慌てて立ち上がった。

 

「先生!」

 

 ロックハートと、クラスメイトたちも怪訝そうに私を見た。

 

「ん? どうかしたのかね、ハリー?」

「あの、呪文というか、対処の仕方くらい教えて頂かないと、私たちもどうしようもないと思うのですが」

 

 やってみましょう! じゃ完全に丸投げだし。せめて呪文くらい教えてくれれば、原作のようにネビルがシャンデリアに吊られることもなくなるかもしれない。

 

「なるほど、一理ありますね」

 

 あら、思いのほか素直に頷いてくれた。

 でも良かった。これで無駄な被害を防げるだろう。

 

 私が笑みを浮かべると、ロックハートも応えるように輝く笑顔を浮かべた。

 

「ハリー、そんなに怖がらなくて大丈夫! 私がいるから安心しなさい。狼男に立ち向かったときに比べれば、ピクシーなど物の数ではありませんよ! それでは、君たちのお手並みを拝見しましょう!」

「はーー!?」

 

 これが原作の強制力か!

 ごめんネビル、私は無力だ――って諦めるかい! 

 妖精が飛び出して部屋中に広がる前に私は立ち上がって杖を向けた。

 

「イモビラス!(動くな)」

 

 やる気満々に飛び出して教室に広がっていく妖精たちが、呪文の効果でぴたりと止まる。

 

「戻って」

 

 杖を振ると、来たときの軌道を辿って全てのピクシーが高速で籠に戻り、最後にぱちんと扉が閉まった。

 なんとかなったと息を吐いたとき「わあ!」とネビルが叫んで、それを皮切りに教室に拍手が起こった。

 

「こらこら! 皆さん静かに!」

 

 ロックハートが大声を出して、大袈裟に腕を広げて私を見る。

 

「ハリー! 他の生徒の学ぶ機会を奪ってはいけない」

「すみません、ですがこのままではピクシーが暴れて惨事になると思ったので」

「そうはならない。なぜなら私がその前に止めるからだ。この私がね」

「じゃあ私たちは、生徒はそれを見ているだけですか?」

「ハリー。君は――」

 

 そこまで言ったとき、終業のベルが鳴った。

 

「おっと、今日はここまでのようだ。今日はその――あまりうまくいかなかったが、次回からは目の覚めるような体験を君たちに約束しましょう! では今日は解散! ……ああ、ハリー、君は少し残って」

「…………」

「キャーッ、ハリー! 何てこと! ねえ、どうかしら、私も一緒に……」

「ホラ行くわよラベンダー。ハリー、食堂で待ってるわ」

 

 パーバティにラベンダーが引き摺られて出て行って、教室は静かになった。

 振り向くと、相変わらず笑みを浮かべたロックハートがゆっくり近づいてくるところだった。

 

「ハリー、ハリー……少々おイタが過ぎましたね」

 

 ロックハートが見上げる私にぐいっと顔を寄せて囁くように言った。

 

「君の気持はわかると言いましたが……私の授業では控えてくれないかな?」

「別に目立ちたかったわけじゃないです。ただ、本当に意図がわからなかったので」

「ハリー、確かに君は優秀な生徒だったと聞いているよ? しかし、この授業の教師は私だ。この私、ギルデロイ・ロックハートだ」

 

 ロックハートは机の上に置いてあった「バンパイアとバッチリ船旅」を取り上げた。表紙と同じ顔が同じように笑っている。

 

「勲三等マーリン勲章、闇の力に対する防衛術連盟名誉会員、そして、『週間魔女』五回連続『チャーミング・スマイル賞』受賞――君が少しばかり有名だからって調子に乗ってはいけない。特に、そう、私のように数々の輝かしい成果を残してきた物の前では――」

「借り物の成果ですか?」

 

 ぴたり、と時間が止まったように、得意げだった顔が凍りついた。

 私は無感情に、目の前の男の百面相する顔を眺めていた。

 

「は、ははは――ど、どういうことかな、私には、さっぱり……」

 

 ああ――しまった。言ってしまった。

 いや、もう、いいや!

 

「いえ、他意はないです。言葉の綾です気のせいです。すみません先生」

「そ、そうかね? それなら――」

「ですけど、言っときますけど! 私先生が思う以上にいろんなこと知ってますから! だから私にあんまり関わらないことをお勧めします! それじゃっ!」

 

 脱兎のごとく逃げ出した。

 

 

 

 

 階段を降りるまで走って逃げて、息を切らして立ち止まった。

 ロックハートは追っては来ていない。

 一安心だけど、勢いで言ってしまったことにため息を吐いた。

 

 「原作知識」に関連することを人に話したのは初めてだ。

 いや直接的なことを話してはないんだけど、知ってることを仄めかしたことも、多分今までなかった。

 

 大丈夫かな。ちょっと……かなり心配になってきた。

 軽率だったかな……我慢が足りなかったのかなあ。うーんでもなあ。

 うー。

 …………。

 

 

 あー、もう考えない!

 あいつに脳使ってもいいことないし!

 なるようになる!

 

 気にしない気にしない。

 ご飯食べに行く!

 お腹空いた!

 

 そうやって思考を放棄して、私は大広間に向かって歩き出した。

 

 

 

 心で渦巻く、もやもやとした不安を見ないふりをしながら。

 

 

 

 



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第7話 懐かしの再会とファンクラブ

 

「ハリー!」

 

 廊下を歩いていると、突然後ろから弾んだ声で名前を呼ばれた。この声は……!

 

「会いたかったわ!」

「わっ」

 

 振り返った瞬間勢いよく飛びついて来てハグされた。

 

「ふぁーまいおにー?」

「そうよ、久しぶりね!」

「うん、ひさしぶり」

 

 予想通りハーマイオニーだ。

 久々の再会に私も嬉しくなって抱きしめ返した。

 ……背伸びたなハー子。

 

 

 二人で大広間に向かって歩く。

 

「元気だった? 休みは……あんまり楽しいものにならなかったみたいだけど。手紙をストップされてたんですって? それって然るべきところに訴え出た方が良いんじゃない? 調べたんだけど、魔法省に魔法生物規制管理部っていう部署があって……」

「まあまあハーマイオニー、本人……本妖精と話もできたし、あんまり大ごとにはしたくないしさ」

 

 久々のハーマイオニー節で思わず顔がにやけてしまった。

 この一息で延々と言葉が出てくる感じ、懐かしい。

 

「そう? あなたがそう言うならいいけど」

 

 ハーマイオニーは心配顔だったけど、とりあえず納得はしてくれたみたいだった。

 

「それはそれとして」

 

 と思いきや、息つく間もなく次の話に移る。

 

「酷いわね、あなたの叔父さんって! まさか鉄格子なんて……ほとんど監禁じゃない! それって然るべきところに訴え出た方が良いんじゃない? 調べたんだけど、地方児童保護委員会っていう自治体が設置してるシステムがあって……」

「まあまあハーマイオニー、一応育ててくれた人たちだし。私は大丈夫」

「そう? でも本当に辛かったら休み中私の家にも来てくれていいのよ? パパもママも歓迎してくれると思うわ。この休みも手紙が届いていれば迎えに行ったのに……」

「ありがと。でも、早いうちにドラコが訪ねてくれたから、彼の家でお世話になってたよ」

「ああ……ドラコ・マルフォイね」

 

 そういえば、ハーマイオニーはちょうど1年前くらいに、汽車の中でドラコと険悪になっていた。

 私はもう昔のことだと思っていたけど、まだわだかまりがあるだろうか?

 そう思って顔色を窺ったけど、別にマイナスな表情はしていなかった。むしろスッキリとした顔をしている。

 

「ハーマイオニー、ドラコと何かあった?」

「何かってほどじゃないけど。あの人最近、合同授業の度に張り合ってくるのよ」

「……張り合ってくる?」

「先生に質問されたときとか、課題とかね。口は悪いけど真剣に予習もしているみたいだし……正直言って、私も張り合いがあるわね」

「へー」

 

 そういえば休み中マルフォイさんに小言を言われていた。

 魔法族でもなかった少女に全教科負けるなど情けない、みたいな。

 奮起したのかもしれない。

 

「でも、試験総合1位の座は譲らないわ。彼もいずれ100点の壁を越えてくる存在……油断はしないわ。もちろん全教科1位も狙っていくわよ」

「おー」

 

 拳を握って宙を睨むハーマイオニーに向かってぺちぺちぺち、と胸の前で手を叩く。

 素晴らしいモチベーションだ。

 

 するとハーマイオニーが私を見て眉尻を下げた。

 

「気が抜けるわね。ハリー、あなたにも言っているのよ?」

「え」

「去年の変身術の試験、忘れてないわよ。私は138点って聞いて間違いなくトップだと思ってたのに……何、203点って。何をどうしたらそんなに加点されるの」

「ああ……」

 

 変身術は得意科目だけあって筆記は文句なしだった。

 問題は実技で、ねずみを嗅ぎたばこ入れに変えるというものだったけど。

 徹夜続きだった私は、ぼけーっとしたままとりあえず合格すれば良いやと全霊の全力を注ぎ込んだ。

 

「いや、あのときはちょっと余裕なくてやりすぎたんです」

「……余裕ないからやりすぎるなら普段はどうなのよ。意識して抑えてるってこと?」

「はははそんなまさか」

 

 完璧な誤魔化し方をする私をハーマイオニーはしばらくジト目で見ていたけど、やがて諦めたようにため息を吐いて腕を組んだ。

 

「いいわよ、いつか本気のあなたに勝ってみせるわ。変身術も目下練習中。ちょっと止まって」

「なに?」

「いいから」

 

 立ち止まったハーマイオニーは、しゃっと杖を抜いて、私の髪に向けた。

 

「動かないでね……レクータ(真っ直ぐ)!」

 

 杖から閃光が走り、私の髪に当たる。

 

「お、おおおー?」

 

 髪の毛がうねうねと触手のように蠢き(キモい)、しかし徐々に、根源に根差しているとさえ思えたしつこい捩れが取れ、サラサラストレートの髪に変わっていく――かに思えた。

 

 ――バチィン! と髪の毛がゴムのように戻ってきて頭で弾けた。

 

「いっだぁーっ!」

「くっ、強敵ね。ごめんなさいハリー、大丈夫?」

 

 何度か頷きつつ、じんじん痛む頭を抑えながら杖を摘んで「エピスキー(癒えよ)」と唱える。

 

「ごめんなさい、ハリー……ハンカチ、使って?」

「な、泣いてないし。もう痛くないから大丈夫……わ、縦ロールだこれ」

「今回は敗けを認めるけど、また来年挑戦するわ。楽しみにしていて」

「うん……できれば痛くない感じでお願い」

 

 その日1日縦ロールでなかなか好評だったけど、翌朝にはいつものもじゃもじゃに戻っていた。

 もしかしたらこいつがラスボスなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 大広間に入ると、もうお昼の時間も終わりかけで人はまばらだった。

 ハーマイオニーは後輩と食べる約束をしているらしく、「また図書館で」と言って別れた。

 

 私も出て行く人波に逆らってグリフィンドールの席へ向かって歩いて行く。

 

「お、ハリー、久しぶり」

「どーもです」

「ハイハリー、元気だった?」

「超元気ですよー」

 

 すれ違う上級生たちと挨拶を交わしつつ、ラベンダーのピンクのリボンを見つけて近寄っていく。

 パーバティと、あとロンとジニーが一緒にいた。

 

「おまたせー。あーお腹すいた」

「ハッリィー! あなたどれだけロックハート先生に目ぇかけられてるのよちょっと!」

「あーもー、パーバティー!」

「はいはいラベンダー、ハウス!」

「ちょっと、犬じゃないわ!」

「あ、あっちにロックハート」

「マジで!? ちょっと行ってくる!」

 

 息の合った漫才を横で聞き流しつつ、私はパスタをもっさり取って食べだした。

 

「災難だな、ハリー」

 

 ロンが向かい側から心底同情したように言った。

 

「ママと代わってやってよ。僕らも一日中ロックハートの話でうんざりだったんだ。まさか本人の方がタチ悪いとは思わなかったけどさ」

「ははは――」

 

 乾いた笑いが出てしまった。いやまったくですわ。

 半ばヤケになって聞いてみる。

 

「ジニーもロックハートのファンなの?」

「あ、ううん。私は……」

 

 ジニーは私をちらりと見て真っ赤になった。

 えっ。

 

「ジニーは君のファンなんだよ」

「ロン!」

「なんだよ、こっちはこっちで休み中話をせがまれて大変だったんだぞ。君とロックハートのツーショットでも撮れば我が家の家宝に――あ痛っ! ジニー!」

 

 ジニーは顔をさらに赤くして私をチラッと見ると、勢いよく立ち上がって走って行ってしまった。

 

「いったた、あいつ、足踏んでったぞ」

「ロン、ふぁ、ファン、ってどういうこと?」

「どういうこともなにも、そのままだよ。ハリー、君――」

「あの、すみません……あの、もしかしてハリエット・ポッターさんですか?」

 

 急に横合いから話しかけられて振り向くと、薄茶色の髪をした小さな少年がカメラを持ってこっちを見ていた。

 小さいと言っても私よりは以下略。

 

「そうだけど」

「やっぱり! ツーショットと聞こえたのでそうだと思いました。あの、僕、コリン・クリービーと言います」

 

 おっと。

 

「僕も、グリフィンドールです。あなたのこと、本でたくさん読んだし、みんなにも聞きました。ファンクラブも入ったんです――あの、もし、かまわなかったら、写真を撮ってもいいですか?」

「お、早くも我が家の家宝ができるのかい?」

「やめてロン、ていうか、ていうか……」

 

 コリンの時点で若干嫌な予感したけど、絶対原作にない言葉が聞こえたぞおい。

 

「ファンクラブって何ー!?」

「フレッドとジョージがリー・ジョーダンと組んで立ち上げてたよ。なんだかんだグリフィンドール生はだいたい入ってる」

「当たり前みたいに言わないで! 聞いてないんだけど!!」

「他の寮生もチラ、ホラ」

「だから聞いてねえ―!」

 

 あの双子! 去年から小さな女王様とかアホなこと言ってたけど悪乗りしすぎだろ!

 何がファンクラブだ! 私なんかでできるなら私だってセブルス・スネイプファンクラブでもつくるわ!

 

「ハリー、どうでしょう、写真? それで、後で現像したのを持ってくるのでサインくれると――」

「写真はNG! サインとかないから! サイン欲しいならロックハートのところでも行ったら良いじゃん」

「いえ、あの人は僕の魂に響かないので」

 

 何言ってんだこの11歳。

 

「とにかくダメなもんはダメ! ロナルド・ウィーズリー!」

「は、はい!」

「双子にファンクラブとか解散させるよう言っといて!」

「サー! イェッサー!」

「誰がサーだ馬鹿!」

「イエスマム!」

 

 私は肩を怒らせて大広間を出た。

 

 大広間で騒ぎ過ぎたこの一件によって新たなファン層を獲得した、とは後のフレッドの言らしい。

 

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 

 

 ファンクラブ云々の騒動は1ヵ月ほど続いたけど、結局解散させるには至らなかった。

 アホ3人が写真とかグッズを作って売りさばこうとしていたのはなんとか交渉(魔法)して止めさせたけど。

 ファンクラブのことを揶揄う男子にはシャーッ! と威嚇を繰り返していたら、最近は猫っぽいと噂されてると知った。去年はハリネズミだったから大幅な巨大化である。

 

 コリンは事あるごとに写真とサインを狙ってきた。私もそれを避けようとするんだけど、何故か行く先々にカメラを構えて立ち膝でスタンバイしているコリンが居て若干怖くなった。

 

 

 それとは打って変わって、ロックハートは大人しいものだった。

 流石に演技はお手の物なのか、私の前でも不審な動きをすることもなく、笑顔も絶やさなかったけど、これまでから一転して私に関わらなくなった。

 少し不気味だけど、私としてはありがたい。

 

 

 平和だった。

 なんとなく落ち着かない感じもするけど。

 友達と過ごす騒がしくも充実した魔法学校生活こそが私が本当に望んでいたものだったはずだし。

 

 来年はまた別の事件が起こるんだし、今年くらい、ただの学生として過ごしても罰はあたらないだろう。

 

 そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 ――それが嵐の前の静けさだったと知るのは、ハロウィンの日だった。

 

 

 

 

 

 

 水浸しの床。

 壁に吊り下げられた石になった猫。

 その上に大きく血で塗りつけられた文字。

 

 松明でちらちらと照らされて鈍い光を放つその文字が、私を釘付けにして離さなかった。

 

 

 

 『秘密の部屋は開かれたり』

 

 

 

 

 

 

 





当小説初のオリジナル魔法

直線魔法「レクータ」です。



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第8話 シューティングと決闘クラブ

 

 広い部屋に石が砕ける音だけが響いていた。

 

 

 だだっ広い部屋の中央、私はひとり立っている。

 周りからは何処から湧いてくるのか、様々な形をした石像が次々と現れて私に近づいてくる。

 そいつらに私が杖を向ける度に、向けられた石像が砕けたり燃え上がったりしていた。

 

 これは対応力と呪文のスピードを上げる練習。

 一体一体に適した呪文を当てなければならない。

 

 例えば人型の石像には「ステューピファイ」

 蜘蛛型には「アラーニアエグズメイ」

 植物のようなやつには「インセンディオ」

 大きな爪やハサミを持った奴には「エクスペリアームズ」

 

 などなど。他にもまだまだ種類がある。

 実戦を想定したものなので、もちろん基本無言呪文だ。

 ……困ったときはレダクト(粉々)で良いのは秘密だ。

 

 シューティングのゲームみたいに、だんだん石像の出現が早くなるようになっていて、石像が私の身体に触られるまで何体倒せたかをカウントしてくれる。

 

 

 石像が身体に触れたのはそれから3分後くらいだった。

 記録、56体。ベストではないけどまあまあのスコア。

 

「よし」

 

 次は杖を仕舞って同じゲーム……もとい特訓だ。

 杖無しの場合はより深い集中とイメージ力が要求される。

 

「スタート」

 

 声に反応し、またどこからともなく石像がガコンガコンと湧きだした。

 

 

 結果は37体。まだまだ杖ありの精度と速さは遠い。

 でも記録は徐々に伸びてきているから、成長はしてる。

 

 

 

 いつもは他にも難しい呪文の練習とかもしているんだけど、今日はこれでお終い。

 片付けをして部屋を出た。

 

 向かいの壁には大きなタペストリーが掛かっていて、バカなバーナバスがトロールにバレエを教えようとしている絵が描いてある。

 

 ここはホグワーツ城8階、必要の部屋。

 5巻以降頻繁に使われるようになる、本当に必要としているものが出てくる文字通り魔法のような部屋だ。

 

 最初は「闘いの練習ができる場所が必要」と念じて入ったらただの広い空間だったので、「一人でも! 闘いの練習ができる場所が必要」と念じたら今の部屋ができた。

 

 2年生になってから重宝している。

 

 

 

----------------

 

 

 

 ハロウィンの日、ミセス・ノリスの石化した姿と壁に書かれた血の文字は、多くの生徒が目撃することになった。

 

 ダンブルドア先生が猫を調べている間、生徒たちも石になったかのように静まり返り、誰も声を上げなかった。

 私は第一発見者でもしかしたら疑われていたのかもしれないけど、あのときはかなり混乱していて、どうやって解放されて寮に戻ったか覚えていない。

 

 

 何とかものを考えられる頭を取り戻した私は、真っ先にジニーに詰め寄った。

 記憶の欠落や混乱が無いかを確認したけど、不自然な様子は見うけられなかった。

 ジニーじゃない。

 「強引なのも……良い……」とか言ってたけど、それは記憶からすっ飛ばした。

 

 じゃあ誰なのか? いったい誰が、リドルの日記を持っているの?

 

 ――わからない。

 

 とりあえず今できることを考えて、ハーマイオニーやコリン、ジャスティンとかの知っている限りのマグル生まれに、何かの気配を感じたら手鏡で確認するようにきつく言っておいた。

 怪物の仕業なら視線で石化させるような伝承が多いから、と説明したけど、どこまで信じてくれるだろう。

 

 それに私もマグル生まれを全員知っているわけじゃない。

 原作で襲われた人にはとにかく伝えたけど、襲われる人が変わらないとも限らない。

 日記を持っている人間が違うのだ。

 

 

 城の雰囲気は、はっきりわかるほどに暗くなっていった。

 「秘密の部屋」とはなんなのか、中にいると言われる怪物とはなんなのか。生徒全員がそれを知りたがり、図書館中の「ホグワーツの歴史」が貸し出された。

 寒さと共に、得体のしれない恐怖が城を覆っていくような気がした。

 

 

 

 そしてそんな雰囲気とか空気を読めない、ある意味安定しているのがこの男。

 

 ご存知、ギルデロイ・ロックハートだ。

 ミセス・ノリスのときにはペラペラと適当なことを喋り散らかして場を和ませていた。

 事件の後も何事も無いかのように笑顔を振りまいて、根拠のない自信を持っているように見えるので、何も知らない人からすればそれこそ英雄っぽく見えるのがまた腹立たしい。

 

 そんなロックハートの自己顕示の一環として「決闘クラブ」を開催すると告知した。

 

 ……ちょっと、彼に対して当たりが強すぎるような気がするな。

 原作知識で何をしたかわかっているし、個人的に会って苦手になったけど、それでも行動ひとつひとつをわざわざ否定的に見る必要はないか。

 

 今回のことも、生徒の不安を払拭するのに一役買うかもしれない。

 うん、わざわざマイナスに考えることはない。

 

 

 ラベンダーに誘われたから私も行くけれど、それ以外にももう1つ、私にも目的がある。

 ドラコに、お父さん――ルシウス・マルフォイの動向を聞きたい。

 リドルの日記がルシウス・マルフォイから誰かに渡ったことは間違いない以上、彼を調べることは日記の行方に繋がる……と思う。

 

 わからないけど、聞くだけ損ではあるまい。

 

 原作ではこの決闘クラブでドラコと闘ってたはず。しばらくスリザリンと合同授業もないし、行かない手はない。

 

 

 

 

 

 大広間の4つの机は全て撤去されて、中央に金色の模様が入った決闘台が据えてあった。

 

「私の決闘クラブへようこそ! さあさあ皆さん、集まって!」

 

 ロックハートの登場と共に歓声が上がる。

 後ろに、10人いたら10人が機嫌が悪いと断言する顔をしたスネイプ先生を連れているけど、ファンに手を振るそのパフォーマンスに陰りはない。

 

 すぐに模擬戦でスネイプ先生に景気良く吹っ飛ばされていたけど。

 

 

 その後、生徒同士でペアを組み始めた。

 私はドラコを探さなきゃならないけど、こういう時は自分の背の低さが恨めしい。

 うんと背伸びをしてきょろきょろ探していたら、ぬっと背後にスネイプ先生が現れた。

 

「ポッター、お前はこっちだ」

 

 連れてこられたのは決闘台の端っこに置いてある椅子。ぽつんと座らせられた。

 え、どういうこと?

 

「はっきり言うが、お前と他の生徒では勝負にならん。大人しく見学していたまえ」

「えー」

「文句を言うな」

 

 まあ、決闘が目的じゃないしいいですけど。

 ここからならドラコも探しやすいし。

 なんだかんだ言いつつさっきまで決闘に向けて仕上げて来てたんだけど、別にいいし。

 

 頬杖をついて膨れる私を余所に、ロックハートが声を張り上げる。

 

「いいですね! 杖を取り上げるだけですよ! それでは――始め!」

 

 合図と共に広間のあちらこちらで、明らかに武装解除じゃない火花や爆発音が巻き起こった。

 まともに武装解除を使おうとしている人の方が少ない気がする。

 

 ロックハートが止めるまで時間はかからなかった。

 

「やれやれ、まったく……非友好的な術の防ぎ方を教える方が良いようですね」

 

 ロックハートは頭を振って言った。

 

「誰か進んでモデルになりたい人は………おや?」

 

 ロックハートの目が、ひとりで座っている私を捉えた。

 またかい。

 

「これはこれは、ミス・ハリエット。高みの見物とはいいご身分だが、この会場に来たからには決闘に参加してもらわないとね。いくら君が決闘に向いていないとしても!」

 

 なぜか勝ち誇ったように高々と名指しされた。

 確かに言ってることは尤もだけど、見学の理由は逆です、先生。

 

「丁度いい。君には私が直々に魔法使いの決闘というものを教えてあげよう!」

 

 答えも聞かずに、決闘台の反対側の端へ意気揚々と歩いて行った。

 ちらりとスネイプ先生を見ると、カッ! と勢いのある親指でロックハートを指していた。完璧なGOサインだけど、いいんすか。

 ……ま、私も正式な決闘って一回してみたかった。

 

 ぴょんと椅子から飛び降りて、ローブから杖を抜き取った。

 

 周りの生徒はいつのまにか静まり返って、私たちの一挙手一投足を見守っているようだった。

 

「互いに礼を」

 

 スネイプ先生が中央に立ち、落ち着いた声で言った。

 

 私とロックハートは杖を胸の前に当ててお辞儀をする。ヴォルっちも満足だろう。

 

「それでは。1、2……」

 

 先生の朗々とした宣言の間に、私の意識は深みに潜る。

 イメージと集中力を一気に高めて、魔法を使う段階に持っていく。

 原作でろくに魔法が成功しないロックハートと言えど、この学校で7年学んで卒業したことは確かだ。油断はしない。

 

「……3、始め!」

「エクスペリアームズ!」

 

 気取った感じの呪文と共に、オレンジの閃光が飛んでくるのがハッキリ見えた。

 威力、速度、共に問題なく対処可能。

 

 イメージするのは盾。

 どんな攻撃もいなして防ぐ、堅牢でありつつも柔軟な盾。

 現実にはそんなもの存在しないけど、これは魔法。私のイメージで不可能は可能になる。

 

「――プロテゴ」

 

 一音一音噛んで含めるように言葉を放つ。

 眼前の空間が薄く紫の光を帯びて、六角形の盾が何重にもなって現れた。

 ロックハートの呪文はそれにぶつかり、私を外れて虚空へと消えていった。

 

「盾の呪文とは、さすが学年一の秀才と言ったところですね! ですがどうやらギリギリ逸らすので精一杯のようだ!」

 

 弾んだ声でロックハートが叫び、次々と杖を振って呪文を連射してきた。

 大丈夫。この盾は逸らすための盾だから。

 

「みんなちょっとだけ離れて貰える? 流れ弾が当たるかもしれないから」

 

 盾の横の生徒たちに言うと素直に空けてくれた。

 

 ロックハートの呪文は順に盾に突き刺さるけど、ぬるりと滑るようにいなされて私の後方へ飛んで行く。

 うん、この分ならまだまだ保つ。

 この決闘は呪文を連射するロックハートと最初以外ぼーっと立ってる私を見るだけの決闘です。

 

「ブラキアム・エンメンドー! はっ、はあっ、なぜだ! なぜ破れない!? たかが盾の呪文ごときが!」

 

 ちょっと今の呪文骨抜くやつじゃん! なんで攻撃として使ってるの!

 

 しかし、どうしよう。

 盾が壊されれば次の行動の取りようもあるけど、耐久力まだ半分くらい残ってるんだよね。

 このまままたロックハートの独り相撲を見ているのも忍びない。

 

 またちらりとスネイプ先生を見ると、無表情で親指で首を搔き切るジェスチャーをしていた。

 あ、やっちゃえって? 合点です。

 

「エクスペリアームズ、武器よ去れ」

 

 呪文の隙間を縫って放った私の武装解除呪文は、スネイプ先生のときの焼き直しのようにロックハートを吹っ飛ばした。

 

 今回は呪文連射で体力を使っていたせいか立ってくる様子がない。

 

 スネイプ先生がさっと様子を確認して宣言した。

 

「ギルデロイ・ロックハート戦闘不能! よって勝者、ハリエット・ポッター!」

 

 わっと周りから歓声が上がった。

 

 私は大きく息をついて集中を解く。ただの武装解除だけどロックハートは大丈夫だろうか。

 近づこうとしたら、既にスネイプ先生が蘇生を施していた。

 目が覚めてしばらくは何が起こったかわからないようにあたりを見回していたけど、やがて私を見つけて自分が負けたことを理解したようだった。

 

 一瞬、どきりと心臓が跳ねた。

 私を見るロックハートの顔が、普段からは考えられないほどに恐ろしく歪んだ気がしたのだ。

 

 瞬きした後には、いつもの完璧なスマイルがその顔にはあった。

 

 

 なんだ、気のせいか。

 ……いや、そんな鈍感主人公みたいなこと言わない。

 

 よく考えなくても恨まれることばかりしているよ私。ほとんど逆恨みだと思うけど。

 それに、勢いでロックハートの秘密を知っていることを話してしまっている。

 

 何かされてもおかしくない。

 客観的に見て、多分実力的には私の方が上だと思うけど、用心しよう。

 

 

 私の方を見ることなく、ロックハートが手を振りつつ退場していく。

 絶対に笑顔を崩さない姿は少し尊敬に値するかもしれない。

 

 

 でも、あの端正な顔が歪んだときの歪さは、しばらく私の脳裏に焼き付いて離れなかった。

 

 

 

 

 

 

 2週間後、コリン・クリービーが襲われた。

 

 

 

 

 



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第9話 失敗と忘却

 

 

 決闘クラブが終わって2週間。

 その日は今年初のクィディッチの日だった。

 

 

 

 城はどんどん冷え込んできていたし、決闘クラブも(半分は私のせいだけど)今ひとつな空気で終わってしまった。

 でも、そんな空気を吹っ飛ばしてくれそうなパワーと人気がクィディッチにはある。しかもカードはグリフィンドール対スリザリン。

 グリフィンドールチームはウッドが駆けずり回っていたけど、有力なシーカーは発見できなかったらしい。それでもチーム全員が昨年の雪辱を晴らそうと燃えていると聞いた。

 ライバル寮同士のこの一戦はやはり盛り上がる。他の2寮の生徒もたくさん観戦に向かって、試合場は全校生徒がいるんじゃないかというほどの大混雑だったらしい。

 

 らしいというのは、私は行かなかったからだ。

 例によってロンたちに誘われたけど、今回は断った。

 狂ったブラッジャーにまた突進された上、骨抜き(物理)になるのは勘弁願いたい。

 残念だけど、今年は城でおとなしくしていよう。

 

 ドラコがチーム入りしているはずなので、それを応援したい気持ちはあったけど……ごめん、来年以降で許してください。

 

 

 

 競技場の歓声を遠くに聞きながら談話室の暖炉の前で待っていると、次第に生徒が帰ってきた。

 みんな笑顔だ。どうやらグリフィンドールが勝ったらしい。

 

 さて、私の勝負はここからだ。

 クィディッチの試合の日は、原作ハリーが腕の骨をまるっと抜かれる災難な日である。と同時に、コリンがバジリスクに襲われる日だ。

 

 なんとかコリンを護れないかと考えて、私は単純な結論に達した。

 基本的に一人きりになったところを襲われていたはずだから、今日はとにかく一緒に行動すればいいのだ。

 普段は避けようとしても1日に3回は会うし、こんな簡単なこともない。

 ……冷静に考えてストーカーかな? まあいいや。

 

 でも、そもそも原作ではハリーのお見舞いに行ったときに襲われていた。今回私は入院してないし、何もしなくても大丈夫かもとは思うんだけど……やっぱり今日は目の届くところにいてくれると良い。

 クィディッチの写真を撮りに行ったと聞いたから、待っていれば戻ってくるだろう。

 そう思って暖炉の前のソファに陣取って寮の扉を見張っていた。

 

 

 ――帰ってこない。

 

 人数とかは数えてないけど、もうほとんどの生徒が帰ってきたはずだ。

 休日だしどこかで遊んでいるのかもしれないけど、普段は平日だろうと朝昼晩と1回ずつは写真を撮ろうとスタンバイしているのに。今日はもうお昼も過ぎて夕方に差し掛かってる。

 

 まさか輝きか? 私に輝きが足りないから撮りに来ないのか?

 

 ありえない苦悩をしていると、ジニーが談話室に入って来るのが見えた。

 

「ジニー!」

「あ、ハリー……どうしたの?」

 

 ジニーは赤くなってもじもじと髪を弄りだした。

 そんな可愛い反応されても。

 

「あー、あのさ、コリン見なかった?」

「え、コリン? 朝なら2階の階段の前でカメラ構えてたの見たけど……」

「2階……ガーゴイルの下の?」

「そう。またハリー待ちだと思ってそっとしといたわ」

「……お気遣いどうも」

 

 目撃証言は得られたけど……朝のことか。 

 誰か他に、と思ったとき、ちょうどよくロンとシェーマスが連れ立って帰ってきた。

 

「ロン、シェーマス。コリン見てない?」

「君から探すなんて珍しいな。とうとう進んで撮られる気になったの?」

 

 シェーマスが茶化してきたので睨んで威嚇しておく。

 ロンが答えた。

 

「コリンなら2階の階段の前でカメラ構えてたの見たよ。お昼だけど」

「え。ガーゴイルのとこの?」

「そう。またハリー待ちだと思ってそっとしといた」

「……お気遣いどうも」

 

 兄妹だよ君たち。

 ――って、朝からずっと?

 

「ちょっと行ってみる」

 

 談話室を出た。

 

 さっきから言っているガーゴイルは、原作で校長室の入り口だったはず。

 ちょいちょい迷いながらも、なんとか目的のガーゴイルまで辿り着いた。

 

 階段を降りていくと……いた。

 もはや堂に入った構えで片膝を立て、ぴたりとカメラを構えたコリンがいた。

 

「探したよ、コリン。朝からそうしてるんでしょ」

 

 階段を降りる。

 ……どうしたんだろう、コリン、返事しない。

 

「ほら行こう? そんな格好でずっと居たら固まっちゃうよ」

 

 近づいて、ぽんと肩に手を置いた。

 

 それは思ったより冷たく、そして硬かった。

 そう、まるで石のように――

 

「石化してるじゃん!」

 

 そういうことになった。

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 

 

 ギャグっぽく発見してしまったコリンだったけど、彼が石化していると気づいたとき、私はものすごく恐怖を感じた。

 

 コリンが助かったのは、たまたまカメラを構えていたからに過ぎない。

 下手をすれば――。

 

 他のみんなもそうだ。いくら鏡で見るよう注意していても、巨大な蛇に不意打ちで出て来られたらそんな余裕はないかもしれない。

 

 それに原作とも展開が変わってきている。

 コリンが石化した場所も時間も違う。それに、どうして気づかなかったんだろう、決闘クラブはこの後の話のはずだった。

 

 原作がどこまで当てになるかわからない以上、私がひとつひとつ確認していくしかない。

 

 確かめにいこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 城の地下へ地下へと、パイプを滑り落ちていく。

 

 間違いなくクィレルと戦ったところよりも深い。

 顔が切る空気もどんどん冷たくなっていって、これ以上勢いがついたらヤバいと思い始めたころに、パイプから放り出された。

 盛大に音を立てて転がる。

 

「うわぁ、湿ってる」

 

 ハリエット・ポッター、秘密の部屋に侵入成功――。

 

 

 コリンが襲われてから2日。

 何度か鋭いパーバティに止められたり、嘆きのマートルに因縁つけられたりして失敗してきたけど、透明マントでベッドを抜け出してようやくここに入ることができた。

 

 とはいっても、今からバジリスクを倒しに行こうなんて無謀なことは考えていない。

 目的はあくまで秘密の部屋の確認。

 蛇語を使う勘も掴んだし、パイプも多分安全に降りられることもわかった。

 もし、ここに誰かが連れ去られるような事態になっても、助けに来ることができる。

 

 もちろん、そうならないに越したことはない。連れ去られる「誰か」を探し出して、手遅れになる前に無理矢理にでもリドルの日記を奪って、ダンブルドア先生のところに持っていく。

 その過程で原作知識がバレたり怪しまれたりしても、それは仕方ないだろう。

 私の正気が疑われようが人命には代えられない。

 

 あんまり長い間いなくなっているとパーバティやラベンダーが気づいてしまうかもしれない。

 私は踵を返した。

 

 

 身体浮遊魔法を使って、滑り降りてきたパイプの中をゆっくり昇っていく。

 結構制御が難しい。原作でヴォルが飛んでたのはまた別の魔法なのかもしれない。

 

 ……あーダメだ、こんなことを考えている場合じゃない。

 魔法のことを考え出した頭を振って、雑念を追い出す。

 

 今、事態はかなり逼迫している。

 私がするべきことは? とにかく、日記の持ち主を探すことだ。

 というか持ち主が見つかりさえすれば万事収まる。

 

 うん、ドラコに会いに行こう。お父さんの動向を聞くんだ。寮を訪ねてでも。

 

「結局、聞きに行くことになるんだ」

 

 原作との奇妙な共通点に少し可笑しくなる。でも原作と違うのは、私とドラコが友達だということだ……ドラコは認めようとしないだろうけど。

 

 パイプを潜り抜け、マートルの女子トイレに出た。

 

「よっ、と」

 

 魔法を解除して地面に降り立った。

 

 ようし。行動方針も決まったし、頑張りますか。

 事件が起きるのは止められなかったけど、まだ死者は出てないんだ、大丈夫。

 去年も乗り越えられたんだ。今年もきっといける。

 

 そう自分に言い聞かせて、決意も新たに、私は足を踏み出そうとした。

 

 

 

「動くな」

 

 女子トイレで聞こえてははならないはずの低い声が、すぐ真後ろから聞こえた。

 後頭部に固く細い……たぶん、杖が当たる感触。

 

「やれやれ、なぜこんな辺鄙なところにあるトイレに行くのかと思えば……まさかまさかだね、ハリー?」

「……何でここに―――ロックハート」

「先生と呼びなさい。おっと、動いてはいけないよ」

 

 頭に杖を強く押し付けられる。

 気づかれたか。こっそり上げようとした杖を、後ろから伸びてきた手が捥ぎ取っていった。

 

「はは、これで君はもう何もできない。ただの小さな女の子だ」

 

 からんからん、と杖が転がる音がした。トイレに投げられた。

 

「『生き残った少女』も形無しだな。さあ、振り向いて」

 

 言葉に従って、ゆっくりと振り向く。

 ギルデロイ・ロックハートが、月明かりに照らされて立っていた。

 

 笑みを浮かべていた。

 でもその笑顔は、普段浮かべているような爽やかなものではなかった。

 なんというか、もっと、邪悪な――

 

 

 不意に。

 恐ろしい想像が頭を過ぎった。

 目の前の邪悪な顔と、持ち主がわからない日記。

 そしてそうだ、ナルシッサさんがこいつのファンだった……!

 

「まさか」

 

 声が震えた。

 

「まさかあなた、なんですか? ……あなたが『スリザリンの継承者』?」

 

 邪悪な笑みが深まるかと思った。

 無表情になって静かにラスボス感を出すとか。

 突然リドルの人格に取って代わられる、なんてことも想像した。

 

 でもどれとも違って。

 

 

 

「何を言っているんだ?」

 

 ロックハートは、心の底から不思議そうに、首を傾げた。

 

「『スリザリンの継承者』は君じゃないか。ハリエット・ポッター」

 

 

 

「は?」

 

 

 

「ここが秘密の部屋なんだろう? 誰も知らないはずの部屋の入り口をついさっき、君が開いて見せた。動かぬ証拠だ」

「…………………」

 

 

 確かに!!!

 側から見たら思いっきり私がスリザリンの継承者じゃん!

 

「え!? いやえっと、でも、そんな、えぇー……」

「反論の余地はないようだね?」

 

 鬼の首を取ったように笑うロックハート。

 

 い、いやいやいや大丈夫、大丈夫、落ち着け。問題ない。

 一瞬パニックになりかけたけど、少し考えれば大丈夫だ。

 例えばこのままダンブルドア先生の前に連れていかれたとしても、理由はつけられる。例えばバジリスクの声を追っていったらたどり着いた、とか。

 嘘だと見抜かれるかもしれないけど、私は悪いことをしているわけじゃない。

 堂々としていればいい。

 

 そんなことより私が考えなきゃいけないのは、真の継承者が誰かだ。本当にロックハートじゃないのなら――

 

「ハリー、ハリー、ハリー」

 

 妙に甘い声が、私の思考を遮った。

 

「こう考えているんだろう? 自分はハリー・ポッターだ。継承者などと言われたところで、いくらでも言い訳が立つ、と」

「………」

 

 く、あながち間違いでもないあたり癪な……。

 

「私も考えましたよ。君をこのまま告発したところで、継承者を捕まえた英雄になれるかは疑わしい。確かに君はこの小さな学校で一定の信用を得ているらしい。私より君の言い分が信じられてしまうかもしれない」

 

 顔が、いつもの綺麗な笑みに戻っているのが少し不気味だったけど……私は段々、別にこいつの話を聞かなくてもいいんじゃないかと思い始めた。

 

「それに君は……どうやったのか知らないが、私の秘密も握っている。君を告発すれば、醜くも――腹癒せに私の秘密も暴露されるかもしれない」

 

 ロックハートは上機嫌な様子で話し続けている。

 よし、いける。

 深呼吸して、杖なしで魔法を使う集中に入る。

 もう私は杖を持っていない、無力な少女だと思われているはずだ。つまり、不意打ちにはもってこいだ。

 

 視線が逸れる。よし、今!

 私は手のひらをロックハートに向けようとした。

 

 

 

 その瞬間、パチン、という聞き覚えのある音とともに、身体が一切動かなくなった。

 

 

 

 え?

 

 

「ですから、忘れてもらうことにしました」

 

 ロックハートのその言葉が、突然はっきりと意味を持って私の脳に刺さった。

 

「こう見えても忘却術は得意中の得意でね。安心して、命までは取らない」

 

 身体が動かない。

 目と耳だけが働いている。

 

「そうだな……私ロックハートは聡明な頭脳で秘密の部屋を発見し、勇敢にも一人乗り込もうとした。しかし目立ちたがりで英雄願望のある愚かな生徒がこっそりと着いてきてしまった。怪物を見て恐怖で何もできず、あわや命を落とすところを私が救い出した。だが哀れにも! 生徒は恐怖で正気を失ってしまった……こんな筋書きはどうだい?」

 

 動け、動け、動いてよ、私の手。

 魔力を、練らなきゃ。

 どうやるんだっけ、そう集中、集中、集中集中集中――

 

「恐怖で口もきけないようだね、可哀想に。でも君が悪いんですよ? 言ったでしょう? 少々おイタが過ぎましたね、と」

 

 集中、しゅう、ちゅう……できない、できない!

 嫌だ、嫌だ、こんなところで、こんな終わり方――

 

「それでは……ハリエット・ポッター。記憶に、別れを告げるがいい」

 

 ロックハートの歌うような声が最後の記憶だった。

 

「オブリビエイト」

 

 

 蒼い閃光が私の身体に突き刺さった。

 

 

 

 



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第10話 ある意味当然の解雇と楽しい学校生活

 

 

「……リー、ハリー! さあ、そろそろ起きなさい」

 

 身体を強く揺さぶられる感覚。

 次に頰に衝撃。

 

「う、あ……」

「やっと起きた」

 

 見上げてみれば、爽やかな笑みを浮かべた男の人の顔がある。

 

「手間を取らせないでくださいよ、ハリー?」

「………」

「おっとすまない、そうだった。君の名前だよ、ハリエット・ポッター。私はギルデロイ・ロックハート。君を危険から救った者だ。実に危ないところだった……まあ、君には何のことかわからないだろうがね」

 

 腕を掴まれて立たされた。

 

「さ、しっかりしなさい。君には私の新たな伝説の生き証人になってもらわなければなりませんからね!」

 

 そのままぐいぐいと腕を引っ張られて連れ出される。

 どこだろう、ここ? トイレ?

 

 廊下を階段を、えっちらおっちら運ばれて、連れてこられたのは……ひとつの部屋の前。

 

「ミネルバ! 失礼しますよ!」

 

 扉を開けて入った先。厳格な顔をしたエメラルド色のローブを着ている女が、デスクで書類から顔を上げた。

 

 

 

 

 

 私の肩を掴みながら、延々と話す男。

 彼の冒険小説のような語りを、私と目の前の女性は黙って聞いていた。

 場面は彼が怪物に見つかり、倒すことを決意するクライマックスに入っていた。

 

「そして! 私は考えましたよ。どうすればあの世にも恐ろしい怪物を倒せるのか……!」

「ギルデロイ」

 

 唐突に、女性が話を遮った。

 

「もう結構です。それ以上はあなたの書物でご存分に」

 

 きっぱりとした口調だった。

 

「私が知りたいのは事実です。そこまで言うからには丸きり嘘ではないのでしょう? どこで、何があったのか。秘密の部屋を見つけたというのは本当ですか? そしてこのポッターは? なぜ彼女も一緒に?」

「ああっ! ミネルバ!」

 

 芝居かかった仕草で、男は片手で顔を覆った。

 

「何という悲劇! 女性である貴女にお伝えするのがどんなに心苦しいか! どうかご理解を」

 

 女性の眉が30度ほど吊り上がるのが見えた。

 

「彼女は……ミス・ハリエット・ポッターは勇敢な少女でした。そして実に優秀だった……だがそれが徒となった! 私が秘密の部屋に乗り込むことに気づいた彼女は、在ろう事か単身乗り込んで来たのです。しかしそれは……」

 

 男は眼をきつく瞑り、悼ましげに頭を振った。

 

「蛮勇でした。彼女の悲鳴を聞いて私が駆けつけたときには、時、すでに遅し……。彼女は恐ろしい怪物を見て、正気を、失ってしまっていた」

「まさか、そんな」

 

 初めて、女性が取り乱したように見えた。

 弾かれたように私を見る。

 

「確かに普段からは考えられないほどに静かでしたが……でもまさか! ほ、本当なのですか、ポッター!」

「ミネルバ! 悲しいですが現実を受け止めなくては。正気を失った少女に何を聞いたところで――」

 

「いいえ、嘘です」

 

 私は答えた。

 ごく普通に。

 

 男――ロックハートが凍りついた。

 

「い、今のは誰、かな?」

「私しかいないでしょう。ギルデロイ・ロックハート先生。ハリエット・ポッターです」

「まさか、そんな……」

 

 図らずもさっきの女性――マクゴナガル先生と同じ反応をするロックハート先生。

 マクゴナガル先生が椅子を蹴って立ち上がって私に近づいた。

 

「ポッター! 無事なのですね? この男の言ったことは……」

「100パーセント嘘ですよ、マクゴナガル先生。私は大丈夫です」

 

 むん、と右腕で無い力こぶを作ってみせる。

 そうすると先生はやっと安心した顔になった。しかしすぐに表情を引き締める。

 

「それは良かった。ええ、本当に……ですがそうなると疑問が残りますね」

 

 マクゴナガル先生は私の隣に立って、ロックハート先生を睨みつけた。

 

「ギルデロイ、なぜこのような嘘を?」

「いや、そんなまさか……私は確かに……」

「確かに? 確かに何です?」

「ぐっ、いや……」

「私が答えましょう」

 

 私も少し悪ノリしてビシ! とロックハートを指差した。

 

「彼はこう言いたかったのです。『私は確かに、忘却術で全て記憶を消した筈なのに』と」

 

 マクゴナガル先生が目を見開く。

 

「忘却術! 生徒に! ……これは由々しき告発ですよ、ポッター!」

「そ、そうだ! 証拠はあるのか、証拠は!?」

 

 絵に描いたように泡を食っていたロックハート先生が唾を飛ばして叫んだ。

 

「私はギルデロイ・ロックハートだ! この私に向かって――!」

「もちろん、証拠はあります」

 

 ロックハート先生の口が、ネジが外れたようにぱっかりと開いた。

 

「最後にその杖が使った魔法が何か、調べる魔法がありますよね、マクゴナガル先生?」

「……直前呪文。ええ確かに、それなら誤魔化しはききません。ギルデロイ、杖を渡して――」

 

 マクゴナガル先生がそう言った瞬間、ロックハート先生が部屋の扉に飛びついた。

 咄嗟に私は杖を抜き取り叫んでいた。

 

「コロポータス!(扉よくっつけ)」

「ぐぎゃっ!」

 

 ロックハートは開かない扉に強烈に衝突して弾かれた。

 

「見事です。ミス・ポッター」

 

 マクゴナガル先生が素早く杖を振ると、ロックハートにどこからか縄が飛んできてぐるぐるに縛り上げ、ついでに失神させた。さらにその胸元から杖が宙を飛び、マクゴナガル先生の手に収まった。

 目を見張った。もの凄い早業だ。今の一瞬で3つ呪文を使った。

 

 私がえらく感動している間に、マクゴナガル先生は奪ったばかりの杖をピタリと構えて唱えた。

 

「プライオア・インカンタート!(直前呪文)」

 

 杖から大きな黒いもやのようなものが出て、私に向かってきた。

 

「危険はありません、動かないで」

「はい、先生」

 

 言われた通りじっとしていると、もやは私の頭にわらわらと絡みつき、何かを奪ったような動きをして宙に溶けていった。

 

「逃げ出そうとしたことで、もはや明白でしたが……」

 

 マクゴナガル先生の声は怒りに震えていた。

 

「これで確定。こんなことは初めてです! 生徒に危害を加えるなど!! アルバスもまったく、このようなことがあるかもしれないから反対だと………」

 

 先生はしばらくぶつぶつと呟いていたけど、すぐに頭を振って私に振り向いた。

 

「ポッター、あなたは本当に大丈夫なのですね? 記憶はしっかりしていますか?」

「はい。私はハリエット・ポッター。ホグワーツ魔法魔術学校2年生、グリフィンドール所属。住所はサリー州リトルウィンジングプリベット通り4番地……えっと、他には?」

「いえ、もう結構です。例によって、あの者の呪文が上手くいかなかったようですね」

 

 マクゴナガル先生は鼻を鳴らした。

 

「ではもう行ってよろしい。このことはあまり口外しないように」

「はい。失礼します」

 

 私は一礼して、踵を返した。

 部屋を横切って扉に手をかけたところで「ああ、ポッター」と呼び止められた。

 

「念のために聞いておきますが、体調はどうです? 何かおかしなところは?」

「大丈夫です、マクゴナガル先生」

 

 私は出口で振り向いて笑った。

 

「なんだかとっても、気分が良いんです。今までになかったくらい」

 

 ぽかんとする先生を残して、私は副校長室を出て寮に走った。

 

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 

 

 実際、晴れ晴れとした気分だった。

 かと言っても、なにか楽しいことがあったとか、心配事が解消されたとか、そういうことはない。

 ただ何故か漠然と気分が良い。不思議だね。

 学校に入学してから一番調子がいいかもしれない。

 

 

 

 翌朝は前日遅かったこともあって寝坊してしまって、パーバティに起こされた。

 そして隣のベッドでわんわん泣いているラベンダーを見つけた。

 

「わあああん!」

「え、何事?」

「ロックハートせんせぇえええええ!!!」

「あ、はい」

 

 ラベンダーを見ると肩を竦めていた。

 どうやらロックハート解任の噂は早くも城中に知れ渡っているらしい。

 この学校は本当に噂が伝わるのが早い。

 

 ロックハートは生徒に呪いをかけた。その生徒はハリエット・ポッターだった。

 これまでの本も功績も全てでっち上げだったらしい。

 ダンブルドア先生は全て知った上で彼の悪事を明るみに出すために、教師として雇い入れた。

 

 そんな噂のようだ。

 概ね正確なあたり、何か作為的なものを感じなくもない。

 

 

 

 ラベンダーとパーバティはもう朝ご飯を食べてきた後らしい。

 安らかな顔過ぎて起こすのが忍びなかった、とパーバティに言われた。そんなにかな。

 気遣いはありがたいけど、気にせず起こしてほしかったかもしれない。

 

 朝ご飯を食べないという選択肢は私にはない。大急ぎで着替えて、うるさい髪の毛の相手もほどほどに、大広間に向かった。

 

 

 大広間の前で、ハーマイオニーを見つけた。

 誰だろう、濁り色が混じったブロンドの女の子の手を引いている。

 

 走って近づくと、ハーマイオニーの尖った声が聞こえてきた。

 

「だから早くしなさいって言ったのよ! こんな時間になっちゃったじゃない!」

「パパがしわしわ角のスノーカックがいるって手紙を送って来たんだよ。読むしかないもン」

「しわしわ角の……何?」

「スノーカックだよ」

「……聞いたことないわね。それってどんな――あらハリー。おはよう」

 

 こっちに気づいたハーマイオニーに、手を振って挨拶を返す。

 

「おはよ、ハーマイオニー。えっとあなたは……」

 

 その子を正面から見ると、なかなかにおかしなポイントが多かった。

 なぜか左耳に杖を挟んでいるし、首にコルクを繋ぎ合わせたネックレスをしている。

 どこか浮いたような声で、その女の子が答えた。

 

「ルーナ・ラブグッド。あんた、ハリエット・ポッターだ」

「うん、知ってるよ」

 

 ハーマイオニーがくすくす笑った。

 

「なあに、それ。ハリー、この子、見ての通り変わってるけど、悪い子じゃないわ。仲良くしてあげて」

「もちろん。よろしくね、ルーナ」

「よろしく」

 

 ぽやぽやと握手をした。

 何と言うか、浮世離れしたような子だ。あまりハーマイオニーと仲良くなるタイプには見えない。

 そう思って見ていると、

 

「私、『おかしなルーニー』って男の子に呼ばれたの」

 

 ルーナが突然そんなことを言った。

 

「そのときハーマイオニーがやめさせてくれたんだ」

「ああ、そういうこと」

 

 さっきの疑問が顔に出ていたのかもしれない。

 ハーマイオニーを見ると、ちょっと恥ずかしそうに喋り出した。

 

「別に、他意はなかったのよ? ただ単純に、倫理的にどうかと思っただけで……そ、それにルーナといると、たまに意味がわからないこともあるけど、今まで知ろうとしなかったことばかりで楽しいのよ」

「なるほど? 仲が良いんだ」

 

 にやにや笑う私に、ハーマイオニーは膨れてしまった。

 

「じゃあルーナ、今度私にも聞かせてよ。しわしわ角のスノーカックのこととかも」

「うん、いいよ」

 

 ルーナも嬉しそうにキュッと笑った。

 笑うと普通の女の子だ。きっと私も仲良くなれそうだとぼんやり思った。

 

 そのときふと、ハーマイオニーが不思議そうな顔をしているのに気がついた。

 

「ハリー、何かいいことでもあった?」

「え?」

「なんだかとっても……楽しそう?」

 

 うーん、人から見てもわかるほどなのかな。

 

「いや、別に何もないはずなんだけど、何故か気分が晴れ晴れしてるんだよね。なんでだろ?」

「私に聞かれても……でも最近怖い顔をしてることが多かったから、良いと思うわ」

「そうだった? 別に悩みとかあったわけじゃないんだけど」

「……まあ、今は城中が良い雰囲気じゃないしね」

「ああ、確かにそう、だね」

 

 明るい話題から一転、沈黙が降りてしまった。

 

 確かに、城の中はどことなく、暗い雰囲気が流れていた。

 クリスマス休暇のホグワーツ特急は予約でいっぱいだった。

 みんながこの城に居たくないと思っているのは、悲しい。

 

 でもそれも仕方ないのかもしれない。

 秘密の部屋が開かれて、生徒が襲われた。

 部屋がどこにあるのかも、生徒が何に襲われているのかもわからない。

 そうだそれに、ハーマイオニーが狙われる可能性が高いんだった。

 早く、早く――

 

 

「ねえねえ」

 

 ルーナの声ではっと我に返った。

 ルーナを見ると、柱時計を見上げている。

 

「私が思うに、もうすぐ授業が始まるんじゃないかな」

「あっ……そうだったわ! ハリー、ルーナ、もう朝ご飯は――」

「食べる。これは絶対」

「私も。朝食は1日の活力の源ってパパも言ってたもン」

 

 ハーマイオニーは「バカ! ほんとにバカ!」と叫びながら寮に走って行き、私とルーナは全力で朝食を掻き込んだ。

 授業にはタッチの差で間に合わなかった。

 

 

 



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第11話 仮初の日常と声

更新が滞ってしまいすみません。

書き溜めはしていたので、2章終わりまでは毎日更新できるかと思います。




 

 

 広い部屋に石が砕ける音だけが響いていた。

 

 

 だだっ広い部屋の中央、私はひとり立っている。

 周りからは何処から湧いてくるのか、様々な形をした石像が次々と現れて私に近づいてくる。

 私が杖を向ける度に、向けられた石像が砕けたり燃え上がったりしていた。

 

 これは対応力と呪文のスピードを上げる練習。

 一体一体に適した呪文を当てなければならない。

 

 例えば人型の石像には「ステューピファイ」

 蜘蛛型には「アラーニアエグズメイ」

 植物のようなやつには「インセンディオ」

 大きな爪やハサミを持った奴には「エクスペリアームズ」

 

 などなど。他にもまだまだ種類がある。

 実戦を想定したものなので、もちろん基本無言呪文。

 ……困ったときはレダクト(粉々)で良いのは秘密ね。

 

 何かのゲームみたいにだんだん石像の出現が早くなるようになっていて、石像が私の身体に触られるまで何体倒せたかをカウントしてくれる。 

 

 

 石像が身体に触れたのはそれから3分後くらいだった。

 記録、68体。ベストスコアだ。

 

「よし!」

 

 次は杖を仕舞って同じゲーム……もとい特訓だ。

 杖無しの場合はより深い集中とイメージ力が要求される。

 

「スタート」

 

 声に反応し、またどこからともなく石像がガコンガコンと湧きだした。

 

 

 結果は50体。こちらもベストスコア。でも杖ありの速さにはまだ及ばない。

 記録は徐々に伸びてきているから、成長はしてる。

 

 

 

 

 ここはホグワーツ城8階。必要の部屋、と私は勝手に呼んでいる。

 心から望むものが現れる、文字通り魔法の部屋だ。

 便利な部屋もあるものね。

 2年生になってから、週に何度かはここで特訓をしていて、もう習慣になってしまった。

 

 

 ところで私、なんでこんなことしてるんだっけ?

 

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 

 

 ロックハートが解雇され、闇の魔術に対する防衛術は担当教師がいなくなってしまい、しばらく休講が続いた。

 やっと再開されると掲示があって、誰が授業を見るのかと思えばなんとスネイプ先生だった。

 

 この職を熱望していたという噂はどうやら真実だったみたいで、第一回目の授業はかなり上機嫌だった。

 グリフィンドール生は良い顔をしない人が多かったけど、個人的には嬉しい。

 また睨まれていたので、元気です、とアピールしておいた。

 二人してニッコニコで気持ち悪かった、と後でロンに言われた。

 

 いいじゃん。それにロックハートの授業の100倍良かったでしょ。

 0に何をかけても0だけど。

 

 ハーマイオニーもファンだったらしくしばらくは落ち込んでいたけど、そこは流石学年1位、すぐに切り替えていた。最近はドラコが台頭してきたとかで予習を更に綿密にしているそうだ。

 

 ついでに言うならラベンダーも1週間経つ頃には、案の定ケロッとしていた。

 「過去の男は引き摺らない主義なの」だそう。

 1週間、散々気を遣った私とパーバティは、顔を見合わせてため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなでクリスマスも目前に迫った土曜日。

 私はなぜか早く目が覚めてしまい、まだ皆が寝ている横で、ぼんやり髪を梳いていた。

 

 そのときふと、今日はクィディッチの日だったことを思い出した。

 慌てて時間を確かめて、まだ試合が始まってないことを確認する。ばたばたと談話室に駆け下りると――よかった、いた。ロンが暖炉の前の安楽椅子で羊皮紙と格闘している。

 慌ただしく駆け寄る。

 

「ね、ね、ロン」

「やあ、おはよう。そんなに急いでどうかした?」

「うんおはよう! ねえ、クィディッチ見に行かない?」

「クィディッチ? 今日はグリフィンドールの試合じゃないよ。スリザリンと……ふあぁ~ッフルパフ」

 

 眠たそうに欠伸をしながらロンが答える。

 

「それはそうなんだけどさ」

「なんだ、知ってたのか」

「うん、でも……」

 

 ローブの袖で顔の下半分を隠してロンの様子を窺う。

 

「怒らない?」

「? どうしてさ?」

「その、ドラコを応援しに行こうと思って」

 

 ロンとドラコはあまり仲が良くない。いい顔はされないだろうから、あんまり言いたくなかったんだけど……。

 

「は、マルフォイ? なんでさ?」

 

 予想に反して、ロンは眉をひそめて怪訝そうな声をあげた。

 

「あいつ、チームになんて入ってないよ」

「えっ、そうなの? あれぇ?」

「2年生でチーム入りできるほど甘くないよ、ホグワーツのクィディッチ・チームはね」

「ほえー……」

 

 なぜか得意げに語るロン。

 変だなぁ、何故かチームに入っていると思い込んでいた。休みの間に入るって宣言していたからかな。

 まあ、単純に選抜試験に受からなかったのかもしれない。また来年頑張ってほしいな。

 

 ……なんか、ドラコに聞かなきゃいけないことなかったっけ?

 

「んー、そっか。じゃあ応援はいいや」

「そうしとけよ。それにハリー、今年はクィディッチに行かない年なんじゃなかったのか? 前の試合のときそう言ってたじゃないか」

「……確かに、そうだったねえ。なんでだっけ?」

「いや僕に聞かれても」

 

 去年のブラッジャーのことがあったからだっけ?

 いやでもあれからは試合前にしっかりチェックが入るようになったしなあ。

 うーん……。

 

「それよりハリー、宿題手伝ってくれない? 変身術のレポートがまだ8センチも残ってるんだ」

「あ、うん。いいよー」

 

 ――まあ、そんな気分のときもあるよね。

 

 そんな風に雑に結論付けて、私はロンの向かいに座った。

 ドラコには今度会ったときに、来年頑張れって言おうっと。

 

 

 

 ロンの宿題を片付けるのに1時間もかかった。

 変身術に関してだけは、実技ありきで理論を理解できるから、宿題でも苦労したことがない。

 昔の私に感謝だね。

 

 やってるうちにパーバティたち他の2年生も起きてきて、せっかくだしみんなでご飯を食べに行こうということになった。

 久しぶりの、私をみんなが囲んで歩くハリエットフォーメーション。

 私の背は変わってないのにみんなは各々伸びてるから、去年よりさらに周りが見えない。

 ……来年入学してくる1年生よりは高くなりたい。

 

 

 

 

 

 

「みんなは来年の選択科目何にするか決めた?」

 

 パンにバターを塗りながらパーバティが聞いた。

 そういえばついこの前、希望調査の張り紙がされていた。

 

「締め切りもうすぐだっけ?」

「まだ先よ。でも、みんなどうなのかなって」

「僕はできるだけ難しくないやつがいいな……」

 

 ネビルが小さくなって言った。

 ディーンは科目の一覧を見ながら首を捻っている。

 

「数占い、古代ルーン文字学、魔法生物飼育学……うーん、どれもよくわからない。お、マグル学ならいい点取れるのかも」

「ああ、それなら私もそうだねえ」

 

 私もディーンもマグル育ちだ。

 それでテストの点数が取れるのかはわからないけど。

 

「点が取れるかどうかで選ぶのは、あまり良いとは思えないわよ」

 

 パーバティがぴしゃりと言ったので、私たちは首を竦めた。

 

「ねえ占い学ってロマンチックじゃない? 女の子は占いをやるべきよ!」

 

 ラベンダーが勢い込んで言った。

 

「ハリー、パーバティも一緒に取りましょうよ!」

「ロマンチックかどうかはともかく……確かに私も占い学には興味があるわね。担当のトレローニー先生って、超有名な予言者の子孫らしいし」

「…………」

 

 なぜだろう。

 もの凄く嫌な予感がする。

 占いなんて新聞の占い欄くらいでしかお目にかかったことないはずなのに。

 ほんとに嫌な予感がする。

 はっ、もしやこれが予言……!

 

「ねっ、ハリーも!」

「無理強いはしないけど、良かったら一緒にどうかしら?」

 

 ピュアな目をしたラベンダーとパーバティの勢いに呑まれて、私は頷いてしまった。

 

「う、うん。わかった、取る」

「「やった!」」

 

 笑顔で喜ぶ友人たちを見て、これで良かったんだと自分に言い聞かせる私だった。

 

 

 

 

 ご飯を食べ終わり、男の子たちとは別れた。フレッドとジョージが巨大なスノーマンを造っているというので、それを見に中庭に行くらしい。

 私もちょっと見に行きたい気持ちもあったけど、ラベンダーとパーバティに寮の暖炉であったまろうと誘われたので、そっちに付き合って帰ることにした。

 くすねたプティングを持ちながら、寮へ歩く。

 クリスマス休暇はどう過ごすのとか、そんな話をしていた。何でもない日常の一幕。

 

 

 それを切り裂いて、『声』は訪れた。

 

 

――引き裂いてやる……八つ裂きにしてやる……殺してやる……

 

 髪の毛がブワッ、と逆立つのを感じた。

 意志と関係なくその場で足が止まって、ポケットの杖に手が伸びた。

 いつでも抜けるよう構えて、低く辺りを見回す。

 

「ハリー? どうかした?」

「……なに、今の声」

「え?」

「声?」

 

 不思議そうな表情。彼女たちには聞こえていない、あの声が。

 冷たい、冷たい、殺意に塗れた声だった。

 

 でも目の前の二人以外、この廊下には誰もいない。

 空耳だったのか、と思いかけた時――

 

 

――空腹だ……殺してやる……殺すときが来た……

 

 

「っ……聞こえない!?」

 

 顔を見合わせて、揃って頷く二人。

 聞こえたのは、私だけか……。

 

「でも、空耳じゃない。あんな幻聴を聞くほどおかしくなってもない。多分」

「ハリー、なんのこと? 私全然……」

 

 散発的に聞こえる声は、だんだんとどこかへ移動していく様子だ。

 ……殺す、と言っていた。このホグワーツで?

 

 普段なら捨て置いていたかもしれない。でも今、この学校でまさにそういう事件が起こっている。

 

「ふたりとも、寮に戻って!」

「ちょっと、ハリー?」

「ハリー! もう! ラベンダー、追うわよ!」

 

 ふたりの声を背中に走り出した。

 

 

――殺す……血の匂いだ……

 

 

 声はどうやら、壁の中をどんどん進んで行く。

 速い……私の足じゃ追いつけない。

 

「はっ――はっ――はっ!」

 

 耳を澄ましながら全力疾走と言うのは結構辛い。

 何人かすれ違う生徒が驚いたように私を目で追っていた。それでも、なんとか聞こえてくる声を頼りに、廊下を走り抜ける。

 ――いや、これは本当に声? なにか、もっと違う……

 

 気を取られていて、廊下を曲がった瞬間、()()に気づくのが遅れた。

 足元の何かに躓いて、大理石の廊下に身体を強かに打ち付けた。

 

「ったぁ……」

 

 何に躓いたの? 痛い――

 身体を走る痛みに耐えながら立ち上がってまた走り出そうとして、私は目を見開いて固まった。

 

「ハリー、あなた、走るの、速い、」

「はぁっ……意外な才能ね。さあ、説明して――」

 

 ラベンダーとパーバティが追いついてきて、同じように目の前の光景に絶句した。

 

 

 ジャスティン・フィンチ=フレッチリーとほとんど首無しニック。

 二人が恐怖の表情を顔に張り付け、石となった姿がそこにあった。

 

 

「うそ、またぁ……?」

 

 ラベンダーが泣きそうな声を零した。

 

「ハリー、あなた、どうして」

 

 パーバティが私に聞いているのはわかったけど、私も答えを返せなかった。

 

「ごめん、パーバティ、先生を呼んできて。私はふたりを見てるから」

「……ええ、わかったわ。でもあとでちゃんと説明してよ!」

 

 説明、できるだろうか……。

 

 さっきの声が一連の事件に関わっていることは間違いないと思う。

 でも、壁の中から声が聞こえたなんてあまりに突拍子がない。

 その上私にしか聞こえないなんて。

 そんなの、魔法界でも異常者扱いされる。

 

 通りがかりのピーブズが大声で喧伝しようとしたのを片手間に呪いを撃って阻止しながら、私は独り悩んだ。

 

 

 

 

 

 結局、私は何も言えなかった。

 

 パーバティが先生を引き連れて来れば、この狭い城の中、当然生徒たちも様子を見に来る。

 たくさんの生徒と先生に囲まれた中心で、私だけ声が聞こえた、なんて話すことはできなかった。たとえばダンブルドア先生と1対1なら言えたかもしれないけど……。

 

 ジャスティンとほとんど首なしニックは医務室に運ばれて行った。生徒たちも寮に帰るようにきつく注意されたけど、それがなくても多分、みんな真っ直ぐ帰ったと思う。

 

「大丈夫だよ! マンドレイクが育ち切れば、石化を治す薬を作れるんだ。そうでしょ?」

 

 重苦しい雰囲気の中、ネビルが珍しくポジティブなことを言っていた。

 

 うん、そうだ。

 石化が治れば、彼らが何に襲われたかも聞くことができる。

 そうすればきっと先生たちがなにか対策を施すか、根本から解決する手段を考えてくれる。

 私は何もする必要はない。

 

 

 

 ――それでいいの? という声がどこかから聞こえた気がした。

 

 いや、「どこかから」じゃない。それは私の中から聞こえた。

 

 



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第12話 覚えのない記憶とそれについての考察

 

 クリスマスは、去年ほどの華やぎもなく過ぎ去っていった。

 

 新学期が始まってそろそろふた月経つ。ホグワーツでは「マンドレイクが思春期に入った」というよくわからないニュース以外はなにも起きていない。

 つまり、ジャスティンとニック以来、誰も襲われていなかった。

 先生たちの厳重な警戒に恐れをなしたのか、はたまた別の理由があるのか。 

 わからないけど、前者だと信じたい。

 

 ホグワーツに暖かな陽が射す時期になるのに合わせて、城の雰囲気も少しだけ明るくなってきた気がする。

 

 必要の部屋の特訓は、ジャスティン達が襲われてから警戒が厳しくてしばらくはできなかったけど、最近ようやく再開できるようになった。

 どうしてこんなことをしているのかは、わからないままだけど。

 

 常に、何かにせっつかれているように落ち着かない。

 なにかをしなければならないという焦りと、なにもできるわけがないという理性がせめぎ合って、時折頭が痛む。

 

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 

 

「ハリー、クィディッチ見に行かないか!?」

「行こうぜ!」

「ああ、行こう!」

 

 談話室の暖炉の前にあるソファで本を読んでいると、例によって例の三人がスクラム組んでやってきた。

 

「今日はグリフィンドールなの?」

「そうだよ。ハッフルパフと」

「うーん……」

「ハリー、サッカーと一緒さ。見るのは楽しい」

「それは去年も聞いたけど」

 

 この間は私から誘っといて申し訳ないけど、今は行楽に興じられる気分じゃない。

 思ったより押しの強い誘いにぐずぐずと返事を濁していると、しばらくしてシェーマスが諦めたように肩を竦めた。

 

「なあ、もういいじゃないか。ハリーは行きたくないって言ってるんだし」

 

 ディーンも同意するようにロンの肩を叩く。

 

「ああ、そうだよロン、ムリに連れ出す必要ないさ」

「ロン? がどうかしたの?」

 

 聞きながらロンを見ると、ロンはバツが悪そうに赤くなった鼻の頭を掻いた。

 

「最近ハリーが元気ないから誘おうってロンが言い出したんだ」

 

 シェーマスがにやりと笑いながらロンの背中を叩く。

 ロンはその手を払いながら怒ったように言った。

 

「うるさいな、いいだろ」

「うん、全然いい。ありがと、ロン。気を遣ってくれて」

 

 素直に嬉しい。笑みを浮かべてお礼を言うと、ロンは顔を髪のように赤くして、誤魔化すように勢い込んで聞いてきた。

 

「それで? どうするんだよ?」

「うん、行くよ」

 

 無下に断るのも嫌だし、いい気分転換になるかもしれない。

 図書館から借りてきた本をぱたんと閉じて、部屋に戻しに立ち上がった。

 

 

 

 

 談話室を出て、4人で開けた廊下を歩く。

 麗らかな日の光と暖かい風が程よく入ってきて気持ちが良い。うん、誘いに乗って良かった。

 歩きながらロンを見上げて聞いてみる。

 

「今日は勝てそうなの?」

「うーん、どうだろう。やっぱりシーカーがネックかな。うちはチェイサーの中から捻りだしてる状態だし……」

「一方相手の方は優秀だ。セドリック・ディゴリーは悔しいけどかなりうまい」

「……セドリック・ディゴリー?」

 

 妙に、その名前が頭に残った。

 

「そう。ハッフルパフのシーカーさ。知ってるのか?」

「………いや、知らない」

 

 知らないはず。自信を持って断言できる。今初めて聞いた名前だ。

 それなのに、昔から私は何度も何度も、その名前に思いを巡らしていた。そんな気がする。

 

「ねえ、その人って――」 

 

 暗い水底から掬いあげようとした記憶は、私の手から零れていった。

 

 思考を凍りつかせるあの声が、またしても聞こえたのだ。

 

 

――殺してやる……引き裂いてやる……!

 

 

「ッ!!」

「ど、どうしたハリー?」

「おい、急に止まるなよ……何かあったのか?」

 

 聞こえていない。3人とも驚いているけど、これは突然身構えた私を見て驚いているだけだ。

 

 私にしか、聞こえない、声。

 背中を這い上る恐怖を堪えて、必死に耳を澄ませた。

 

 もしこの声が秘密の部屋の怪物のものなら、唯一と言っていい程の手がかりだ。

 

――す……ころ……て……

 

 声は不気味な響きだけ残して、あっという間に聞こえなくなってしまった。

 どっちに行ったのかもわからない。

 

 でも、前回と、今回で確信が持てたことがある。

 持っていた疑念が、今確信に変わったと言うべきか。

 

 あれは「蛇の声」だ。

 さっき私の耳は、蛇語である空気が漏れるような音を聞いていた。そして同時に、頭でその意味を理解していた。

 私は、蛇と話ができる。そしてそれは他の人には無い能力だ。だからこそ、声は私にしか聞こえなかった。

 

 

 でも、ここでひとつ、不可解な点が生まれる。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 考えたことすらなかった。

 それなのに、どうしてだろう。蛇と話したのは初めてじゃない。

 注意深く記憶を辿ってみれば、何年か前にダーズリー家の庭で蛇と話をした記憶がある。

 

 ここ最近、頻繁に覚えていた違和感。もやもやした思い。記憶をつつかれる感覚。

 その正体がわかった。

 

 「知識の記憶」と「経験の記憶」がちぐはぐなんだ。 

 以前の私は明らかに、私が知らないはずの知識に基づいて行動していた。

 行動した記憶はあるのに、その理由が付けられないことがたくさんある。

 

 「記憶」と来れば……心当たりはある、というか一つしかない。

 なんとなく、どうしてこんな状態に陥っているかは察しがついた気がする。

 

 

 

「――リー、ハリー! 大丈夫かい?」

「……え?」

 

 声に、思考の海から引き上げられた。

 ロンが心配そうに除きこんでいる。

 後ろで、シェーマスとディーンも似たような顔をしてこっちを見ていた。

 

「急に黙っちゃって、どうしたのさ。それに、凄い汗だ」

「……わ、ほんとだね」

「やっぱり、嫌だったかい? 無理に連れてきちゃったから……」

「や、そんなことは全然ない! ほんとに、嬉しかったから」

 

 顔を青くするロンに向かって慌てて両手を振る。

 

「ごめん、大丈夫。さ、行こう。もう始まるよ」

 

 ロンに悪いし、考えるのは後にしよう。

 あの声を追おうにも、もうどこに行ったかもわからない。もし被害が出るにしても死ぬことはない、はず。

 

 そう思って歩き出す私を、ロンたちが慌てて追ってくるのを背中に感じた。

 

 

 

 

 

 

 そして、予定調和のように、クィディッチは中止になった。

 

 私はマクゴナガル先生に呼ばれて医務室へ行き、石になっているレイブンクローの5年生と、

 ハーマイオニー・グレンジャーを見た。

 

 

 見開いた目はガラス球のようだった。

 手に触れると、いつもの暖かさはない。氷のように冷たい。

 そりゃそうか、石なんだから。

 それでも私はその手をそっと握っていた。

 

「ハリー」

 

 後ろから声をかけられた。

 振り向くと、私と同じようにマクゴナガル先生に連れてこられたルーナがいた。

 

「……ハーマイオニー」

 

 ルーナはふらふらと、石になった身体に縋りつくように触れた。

 

「冷たい。……死んじゃった、わけじゃないんだよね?」

「そうだよ、大丈夫。あとひと月もすれば薬ができて、戻って来るよ」

 

 自分の言葉が、変に空虚に聞こえた。

 

「二人とも図書館の前で発見されました」

 

 マクゴナガル先生が感情を押し殺した声で言った。

 

「二人とも、これが何かわかりますか? 二人の傍に落ちていたのですが……」

 

 見ると、先生は小さな丸い手鏡を持っていた。見覚えはない。

 私は首を振ろうとしたけど、その前にルーナが答えた。

 

「私、知ってるよ」

「ミス・ラブグッド! 本当ですか?」

 

 ルーナは頷いて、私を見た。

 

「あんたが持つように言った鏡でしょ?」

「……私?」

「うん。ハーマイオニーは廊下を曲がるときとか、よく見てたよ」

「それは……どういうことですか、ポッター?」

 

 マクゴナガル先生が鋭く聞いてくる。

 

 そうだったっけ? 記憶を辿る……。

 ……そうだ。確かに、私が言ったんだ。

 

「ミセス・ノリスが襲われた後に」

 

 のろのろと答えた。うまく思い出せないないのもあって、自分の言葉に自信が持てない。

 

「怪物と鉢合わせしないために、鏡で確認したら、と、言ったと思います」

「なるほど、そういうことでしたか……」

 

 マクゴナガル先生の声には落胆が滲んでいた。

 手がかりになると思ったのだろう。

 

「結果的に襲われてはしまいましたが……友人を想うその行動は立派ですよ、ポッター」

「……ありがとう、ございます」

 

 ――本当にそうだったっけ?

 わざわざ鏡なんか使わなくても、魔法があれば十分じゃないか。ハーマイオニーなら敵を発見する魔法くらい、唱えることができただろう。

 どうして私は鏡で見ろって言ったんだろう?

 

 また思考の渦に飲み込まれて行きそうな私を、先生の声が断ち切った。

 

「ポッター、ラブグッド。名残惜しいでしょうが、そろそろ寮に戻らねば。私があなたたちを送って行きます」

 

 

 

 

 学校の中はまさに厳戒態勢といった感じだった。

 

 生徒は全員、夕方六時までに各寮の談話室に戻り、それ以降は寮を出ることは固く禁じられた。

 授業間の移動や、授業中トイレに行くときさえ必ず先生の付き添いが付いた。

 クィディッチの練習も試合もすべて延期となった。再開の予定はない。

 

 犯人が見つからなければ学校の閉鎖もあり得る、とマクゴナガル先生は言った。

 

 生徒たちはみんな衝撃を受けていた。

 上級生たちにとっても、こんなことは初めてらしい。

 

 

 混乱したまま一夜が明け、目覚めた私たちをさらに衝撃的なニュースが待っていた。

 ハグリッドが容疑者としてアズカバンに送られた。

 そしてダンブルドア先生が、一連の事件の責任を取らされ停職させられたという。

 

 ハグリッドと1度でも話したことがあるなら、誰もハグリッドが犯人だとは思わない。

 事件が終わると考えているのは余程の楽観主義者か、ただの馬鹿だろう。

 

 そして、ダンブルドア先生――当代最高の魔法使いがいることは、私たちにとって最も安心できることの一つだった。その先生が去ってしまった今、次の犠牲者は石化では済まないかもしれない。

 死人が出るかもしれない。

 

 マグル生まれの生徒は怯えて、中には部屋から出なくなってしまった子もいた。

 そうでない生徒たちも、誰も声を上げずにひっそりと過ごしていた。

 

 

 ホグワーツは、今までにない程暗く、暗く、落ち込んでいた。

 あったはずの活気は、影もなく消え失せていた。

 学校の閉鎖も時間の問題だと思われた。

 

 

 

 

 私は――。

 

 

 

 

 考えていた。

 一人、寮の寝室。窓から、雨が降る校庭を眺めながら。

 

 私の、この1年の、記憶と行動について。

 考えることは苦手だけど、今、そうしなければならないと思った。

 

 

 まず前提。

 

 「私の記憶はロックハートによって消されている」

 

 前に確認した通り、私の知識と経験がズレている。

 全く知らないはずのことを、知っていた記憶がある。

 できないはずのことを、やっていた記憶がある。

 

 例えば、蛇語を話せること。

 必要の部屋についてもそうだ。あんな部屋のこと、なんで私は知っていたんだろう? 偶然見つけたにしては、使い方を熟知しすぎている。

 『部屋の前で望みを強く思いながら3往復』なんて細かい条件を突き止めるには、2年生はあまりに早すぎる。

 かと言って誰かから聞いたわけではない。それは覚えている。

 

 記憶はちゃんとある。なくなってなどいない。

 多分、私は人より記憶力は良い方だと思うけど、辿って行っても不自然な切れ目は殆どない。

 ――ないことが、おかしい。

 

 ここまでのことを考えて、私はひとつの結論を出した。

 

 つまり、知っていたのだ。過去の私は。

 魔法だか占いだか予言だかはわからないけれど、知るはずのないことを知る手段があった。

 そしてロックハートの十八番、忘却術によって、その記憶だけをすっぽり抜かれた。

 

 そう考えれば辻褄が合う。

 

 苦しいかな? 的外れな推理だろうか?

 でも、これがしっくりくる。胸の内で燻る違和感が、それが正解だと示している気がする。

 

 

 それなら自問してみよう。

 私は、過去の私は。

 今年ホグワーツで起こる秘密の部屋に纏わる一連の事件、その詳細すらも知っていたのか?

 

 答えはイエスだ。

 知っていただろう。

 

 ルーナの言葉が気づかせてくれた。

 鏡を配って歩いたのはミセス・ノリスが襲われた直後。

 その時点で私は、秘密の部屋に何が潜んでいるのか知っていた。

 まだ殆ど情報がない段階から、私は石化が怪物の視線によるものだと決め打って鏡を持つよう促していた。

 魔法で探ったとしても、()()()()()()()()()の化け物が学校を跋扈するとわかっていた。

 

 「怪物」は、その視線で相手を殺す。そして蛇語を話す……つまり「蛇」である。

 そんな生物は、魔法界と言えど1種しかいない。

 

 秘密の部屋の怪物は、蛇の王バジリスクだ。

 

 誰も死んでいないのは、直接目を見ていないからだ。

 ミセス・ノリスは水浸しの床を見た。

 コリンはカメラ越し……カメラ構えてて助かるならいくらでも撮ってほしい。

 ジャスティンはほとんど首なしニック越しで、ニックは――よくわかんないけどゴーストだしそういうこともあるでしょう。

 そしてハーマイオニーとレイブンクローの先輩は、手鏡に映った奴を。……これはほんとによくやった、昔の私。ファインプレーだ。

 

 

 まあ、そもそも知ってたんなら事件が起こる前に止めてほしかったけどさ。

 いや、何かやったような気もするな……。学校が始まる前に、ドラコか、ジニーか――その辺りにも釈然としない記憶がある。

 まあ、昔の私でも私だ。素直に反省しとこう。

 

 

 

 さて。

 大体の私の行動に、帳尻合わせの理由がついてきた。

 

 残る疑問は、あとひとつだ――。

 

 

 

 

 踵を返して、寝室を出て談話室に降りる。

 階段を降りきる前から、普段は聞こえないくらいの喧騒の気配が聞こえた。

 

 談話室は何やら騒がしく、寮の生徒たちが全員居るかのようにひしめき合っていた。

 なにやらニュースがあったみたいだけど、聞き損ねたようだ。ただ、良いニュースでないことは皆の表情を見ればわかった。

 

 部屋の隅で、ジニーに寄り沿って立つロンを見つけて近づいた。

 

「ロン、何かあったの?」

「ハリー! 今までどこに居たんだ?」

「寝室。考えごとしてた」

 

 それで? という促す私の視線に頷いて、ロンが話し出した。

 

「リーが聞いてきた話なんだけど……とうとう、攫われたらしい」

「攫われた?」

「ああ、生徒が一人、秘密の部屋に連れ去られたって話だよ。ホグワーツの閉鎖も、避けられないだろうね」

「――誰?」

 

 囁くような私の問いに、ロンは大きく息を吸った。

 

「聞いて驚くなよ? 君は少し、ショックを受けるかもしれないけど……マグル生まれじゃないんだ。それどころか純血も純血さ。僕もまさかと思ったけど、どうやら確からしい」

 

 前振りも盛大に、ロンはその名前を言った。

 

「ドラコ・マルフォイ」

 

 

 

 ああ、なるほど。

 

 そう繋がるのか。

 

 うん、逆にすっきりした。

 

 

 残る疑問はひとつ。

 私は、過去の私は。

 秘密の部屋の入口がどこにあるかを知っていたのか?

 

 答えはイエスだ。

 知っていただろう。

 

 

 さあ、助けに行こう。

 

 

 

 



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第13話 止める者と進む者

 

 談話室の生徒たちはみんな怯えたり、沈んだり、逆に騒いだり、とにかく落ち着いている生徒は殆ど居なくて……つまり、こっそり抜け出すのは簡単だった。

 

 廊下は静かだった。 

 最近は常に先生たちが見回りをしていたはずだけど、その姿もない。一応透明になって走った。

 

 

 目的地はわかっている。

 嘆きのマートルのトイレだ。

 

 ロックハートが解雇された日、私はあのトイレに居た。

 でも、なぜそこに行ったかが思い出せない。多分唯一の、不自然な記憶の途切れがそこだ。

 覚えているのは、友達の眼を盗んでトイレに行ったところまで。次の記憶はロックハートにビンタで起こされるところだ。

 どうしてその部分だけ記憶が消えているかはわからないけど。

 

 何か目的があって私はそこへ向かったはずだ。用を足すためではない、何かの目的が。そうでなければ、わざわざ談話室から遠く離れた、しかもゴーストが棲みついているトイレに人の目を盗んで行きはしない。

 

 言ってしまえば、あそこが秘密の部屋の入口だろうと思っている。

 確証があるわけじゃないけど、私が事件の詳細を知っていたのなら、それ以外にそれらしい候補がない。

 まあ外れていても死にはしない。むしろ当たっていた方が死ぬ可能性はあるだろう。

 

 物騒なことを考えながら、口には笑みが浮かんでいた。

 階段をぽんぽんぽんと3段飛ばしで駆け下りる。

 不思議なことに、気分が良い。身体が羽が生えたように軽い。

 やるべきことと、やりたいことが重なった。そう感じる。

 

 最後の5段を一気に飛び降りて、きゅっと踵で方向転換してまた走り出そうとした。

 

 

 

 パチン、と音がして。

 金縛りにあったように、身体が動かなくなった。

 

 

 

「どうか、どうか、ハリエット・ポッター……」

 

 細く震える、甲高い声が聞こえた。

 

「行かないでください……行かないでください……!」

 

 すう、と枕カバーを着た妖精の姿が、溶け出るように廊下の先に現れた。

 その姿を見て、私は素手で金縛り術を解除する。

 

「――君が止めるなら、私はこの道で正解ってことみたいだね、ドビー」

「正解だなんて!」

 

 ドビーは大きな眼に大粒の涙を光らせていた。

 激しく頭を振って、涙が飛び散った。

 

「この先は秘密の部屋です!」

「そうだろうね」

「間違いなく危険が溢れています!」

「わかってるよ」

「なぜ、どうして!? 汽車に乗り遅れた! 記憶も失ったはずなのに! ハリエット・ポッターは自ら危険へ飛び込もうとする!」

「記憶を失ったのにも、君が噛んでいたの?」

 

 抜けている記憶の部分だ。でも言われてみれば、あのパチンという音、聞き覚えがあるような。

 首を傾げて見つめていると、ドビーは両手を組んで小さくなって私を見上げた。

 

「ハリエット・ポッターは優秀過ぎるお方です。あんな早くに秘密の部屋を見つけるなどドビーめは思いもしませんでした。……それで考えたのです、記憶を失って病院にいる方が、今よりは安全だと。ばつとして両手の指にアイロンをかけなくてはなりませんでしたが――」

 

 確かに全部の指に包帯が巻かれている。もうかなり前のことなのに、まだ治っていないようだ。

 

「でも、ドビーはそんなこと気にしませんでした。これでハリエット・ポッターは安全だと思ったのです。それなのに……」

「悪かったね、ピンピンしてて」

 

 客観的に見れば私は怒ってもいいような気もするけど、怒りは湧いてこなかった。

 ドビーを見ていて、1から10まで私のことを想ってしてくれたことがわかってしまったからかもしれない。

 

「気持ちは……ほんとに気持ちだけはありがたいよ。でも、これは私がやりたいことなんだよ。わかって、ドビー」

「ダメです!」

 

 ドビーはまた激しく首を振った。

 

「ダメです! ハリエット・ポッター! あなた様が私どものように、卑しい奴隷の、魔法界のクズのような者にとってどんなに大切なお方なのか、どうかおわかりください! あなた様が闇の帝王を倒してくれたことによって、私どもがどんなに救われたか!」

「うーん」

 

 それは私の成果ではないけど、それを言ったところでなあ。

 どうすれば説得することができるだろう。オンオン泣いている妖精を見て、私は考えた。

 

「ドビー」

 

 近づいて、しゃがんで顔を合わせて語り掛ける。

 妖精はしゃくりあげながら、大きな目で私を見た。

 

「君がどんなに止めても、私はこの先に行くよ」

「ダメでございます! このドビー、死んでも通しません! 一日に10回は殺すと脅されておりますので!」

「いやいや、違う」

 

 私はゆっくり首を振った。

 

「例えば私がここで君の言う通り帰って、結果ドラコが死んだら、私は多分、死にます。後悔の果てに塔の上から身を投げるよ」

 

 ドビーは大きな目をさらに見開いた。

 瞳に私の笑顔が映っている。どんな風に見えているのだろうか。

 何を言っているんだと思われてるかも。でもこれは紛うことなく、私の本心だ。

 

「別に、自分の命を蔑ろにしたいわけじゃないよ? パパとママから貰った大切な命だもん。でも、使いどころは決めてるの」

 

 記憶を失う前の私も同じようにするだろうか?

 わからない。けど、少なくとも今の私はこうする。

 ハリエット・ポッターという『私』の在り方。

 

「私が行けば助けられるかもしれない。無理かもしれない。でも可能性がある以上、私は行かないといけない。いや、行かないといけないじゃないや、私が行きたいんだよ」

「それは、ですが……!」

「行って普通に死ぬか、行かずに『私』としての在り方が死ぬか。どっちにしろ死ぬなら、私は前のめりに死にたい。友達を助けて死にたい。だからドビー、お願い。ここを通して」

 

 これでも通してくれないなら、無理矢理逃げるしかない。

 でもその必要はなさそうだった。

 ドビーはしばらく目を泳がせたり口をあわあわ動かしたり、挙動不審の極みといった感じだったけど、やがてがっくりと肩を落とした。

 

「……ハリエット・ポッターはずるいお方です」

「……うん」

「そして優しく、勇気のあるお方です。ドビーめが願うのはもう、たった一つです」

 

 ドビーは私のローブの端を強く握りしめた。

 見上げる顔は悲痛なほどに必死だった。

 

「どうか、どうか無事に帰ってきてください。死ぬなんて言わないでください。それだけが、ドビーの願いです」

「――がんばるよ」

 

 頷いて、立ち上がる。ドビーの手が離れた。

 

「私は『生き残った女の子』らしいから」

 

 私の強がりに、ドビーは深々とお辞儀を返して見送ってくれた。

 

 

 

 

 

 

----------------

 

 

 

 

 

 

 

 女子トイレに入った瞬間、私の足はまっすぐに、手洗い台のひとつに向かって歩いていた。続いて私の口が、得体のしれないシューシューと言う空気の漏れるような音を発する。

 自分で言ったことなのに変な話だけど、その音を聞き取るに、どうやら「開け」と言っている。

 パーセルタング。蛇語だ。

 次の瞬間にはその手洗い台が動き出し、沈み込んだ後には、大人が入れるほどのパイプがぽっかりと口を開けていた。

 

 まるで予習してあったかのような手際の良さ。

 ……いや、実際に予習してたんだろうね、前に来た時に。

 こんなにパッと見つかるのは嬉しい誤算だ。

 

 

 さて。

 

 目の前の奈落へと通じる穴を見る。

 当然のように底は見えない。安全に降りられることだけ謎の確信があるけど、言ってしまえばそれだけだ。

 降りた後は、本当の未知の世界になる。

 

 深呼吸――はトイレだし気分が悪くなりそうだから、ただ目を閉じて心を落ち着かせた。

 集中よし。杖あり、杖無し、問題なく魔法が使える。

 気力、体力共に満ちている。

 

「よし」

 

 飛び降りた。

 

 

 

 

 

 城の地下へ地下へと、パイプを滑り落ちていく。

 

 間違いなく、去年クィレルと戦ったところよりも深くまで来ている。あれももう、丁度1年前くらいのことになる。

 顔が切る空気もどんどん冷たくなっていって、これ以上勢いがついたらどうしよう、と思い始めたころに、パイプから放り出された。

 ガラガラと盛大に音を立てて転がる。

 

「うわぁ、湿ってる……」

 

 ハリエット・ポッター、秘密の部屋に侵入成功。

 べたべたするローブにあまり触らないように立ち上がった。視界は不良――真っ暗だ。

 

 無言で杖先に光を灯し、ついでにもうひとつ呪文をかけておく。

 照らされるじめじめとした床、ぬるぬるした壁、それに一面に散乱している動物の骨。

 ……これを部屋と呼ぶなんて、スリザリンは随分良い趣味をしておられる。

 

 トンネルは蜘蛛の巣のようにパイプの分岐があるけど、中央の太い道はずっと一本だ。

 できるだけ音を立てないようにして進む。

 バジリスクがいつどこから出てくるかわからない。音が聞こえたらとりあえず目を瞑って音の方に攻撃呪文をぶっぱなそう。

 

 そう思って歩き続けていたけど、バジリスクどころか生き物一匹さえ出てこない。

 聞こえるのは、私一人の湿った床を進む足音と、小さな呼吸音。

 城の何十、下手をすれば何百メートルも地下で、真っ暗闇のトンネルの中を杖先の灯りだけを頼りに、歩く。

 

 去年は勢いで突破した感じがあるけど、地下を一人で歩くのは、正直言って怖い。

 この奥には何が待っているのだろう。スリザリンの継承者とバジリスクは、ヴォルデモートよりも恐ろしい敵だろうか。

 わからない。

 でも、ドラコが居る。それだけは確かだし、それだけで十分だ。

 友達を助けるためなら、この怖さを乗り越えられる。

 

 

 途中で巨大な蛇の抜け殻があったけど、その主はとうとう現れなかった。

 ただその大きさは私が予想していたよりもかなり大きかった。

 脱皮をしたってことは、本体は抜け殻よりも大きいはず――うん、考えたくない。

 

 歩き続けて、トンネルの終点まで辿り着いた。

 壁の行き止まりかと思いきや、中央に扉があった。2匹の蛇が絡み合った彫刻が施してあって、目には大きなエメラルドがはめ込んである。

 

『開け』

 

 自然と、掠れた空気のような声が口から漏れだした。エメラルドの眼がきらりと光ったように見えた。

 絡み合った蛇が金属質な音を鳴らしながら解け、扉がするすると2つに割れて開いていく。

 

 

 生唾を飲み込んで、足を踏み入れた。

 

 

 

 

 



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第14話 スリザリンの継承者と私

 

 

 踏み入った先、そこは確かに部屋だった。

 薄暗いけど、魔法の光が灯っている。杖先の灯りを消して、また歩き出した。

 

 左右に蛇が絡み合う細工が施された柱が立ち、見えない暗闇の天井に溶けて続いている。

 柱の間を、ゆっくりと進んでいく。

 

 

 部屋の奥には、サラザール・スリザリンの巨大な石像が重々しく立っていた。

 ここがこの部屋の終点のようだ。

 

 髭を蓄えた厳つい顔から、その足元に目を移して、見つけた。

 

「っ、ドラコ!」

 

 思わず駆け出していた。

 ホワイトブロンドの髪に、尖った顎。スリザリン像を見上げている。

 ドラコだ、間違いない。立っている……立っている!

 生きていたんだ。ああ、良かった!

 

 駆け寄る私にドラコはゆっくりと顔を向けた。

 その表情は――

 

「!!」

 

 反射的に杖腕を跳ね上げた。

 

「プロテゴっ!」

 

 ギリギリで間に合った盾の呪文が、()()()()()()()()()()緑の閃光とぶつかり拮抗する。

 

「くうっ……!」

 

 強い……! 間に合わせで作った盾では抑えきれない。

 バチン! と盾ごと私の身体は弾き飛ばされて、尻餅をついた。呪文は私をギリギリ掠めて、背後に逸れて行った。

 

 恐ろしく強い呪文の威力、しかも無言呪文だった。

 どこで習得したのとか、いつの間にとか、疑問に思うことはいくらでもあったけど――私の頭は、どうして、という言葉で埋め尽くされていた。

 呆然とドラコを見る。ドラコも私を見て、口を開いた。

 

「よく防いだな……ポッター」

 

 どきん、と心臓が鳴った。

 吐き捨てるような呼び方。

 何の感情も浮かんでいないような顔。

 

「さすが学年一の天才だ」

 

 友達を不意打ちで撃って、それが当然と言わんばかりの表情。……友達って私が言ってるだけなんだけど、それでも、休みの間に、少しは通じ合えたと思っていた。

 何より違うのはその視線。あんなに冷たい彼の目を、私はきっと見たことない。

 

「ほ、本当に、ドラコ?」

 

 馬鹿馬鹿しい問いが口から零れてしまった。 

 震える声を、ドラコは鼻で笑い飛ばした。

 

「正真正銘、僕はドラコ・マルフォイだよ。お前の知る通り……とは、少し違うか」

「違う?」

「そうだな、例えば――」

 

 ドラコが、私に呪いを撃ったということ。

 気持ちでは認めたくなかったけど、頭の冷静な部分で理解していたみたいだ。

 

 だから、ドラコが再び杖を振り上げたとき、私の身体は意識せずとも杖を握り、立ち上がった。

 精神の動揺は魔法の精度を下げる。混乱とか、痛みとかは胸の奥に押し込まれて、魔法を使うためだけに頭が加速する。

 無言呪文の盾で受ける。解析――失神呪文。……威力はやはり強い。少なくとも、ロックハートの比じゃない。

 

「無言呪文か……」

 

 冷静に対処した私をドラコは面白くなさそうに見ていた。

 

「ふん、まあ今のでお前もわかっただろう。僕は力を得たんだ。お前や、あのグレンジャーにだって負けないほどの力を!」

 

 激情に駆られたように叫んだその眼には、炎がちらちらと蛇の舌のように映りこんでいるように見えた。

 

 警戒は解かずに、浅く呼吸を繰り返して、頭を整理する。

 ドラコが私に向ける目は、感情は、正直に言ってきつい。歯を食いしばって堪えていなければ、目が潤んできそうだ。

 でも、思うままにわめいたり闘ったりしても、きっとどうにもならない。

 

 考えて、落ち着いて、静かにドラコに語り掛けた。 

 

「……ドラコ、帰ろう? みんな心配してる。ここバジリスク来るらしいし」

「はっ、バジリスクなど恐れるに足らない。それにそもそも――」

 

 ドラコは上機嫌に、私に杖を向けたまま歌う様に言った。

 

「あいつは呼ぶまでは来ない」

「……どうしてわかるの?」

「どうしてかって? それは、この僕が、スリザリンの継承者だからさ」

 

 誇らしげに、宣言が、部屋に響いた。

 ドラコは笑って私を見ていた。

 

「僕こそが、この秘密の部屋を開いたんだ」

「………」

「ハロウィンの日、壁に脅迫の文字を書いたのも僕だ」

「………」

「バジリスクを四人の『穢れた血』やフィルチの飼い猫にけしかけたのも――僕だ」

 

 

 

「なるほど。で、どうしてそんなことを?」

「………は?」

 

 私の至って普通の質問に、ドラコは一瞬ぽかん、と口を開けた。

 

「言い方が悪かったかな? わかりやすく言えば、僕が生徒を」

「聞き方が悪かったかな」

 

 私は言葉を遮る。

 

「言い直すね。()()()()()()()()()()()()()()()()? もっと言うなら――ローブの右ポケットのそれ、何か関係ある?」

 

 私の言葉にドラコは目を見開き、すぐに憎々しげに細めた。

 そして私を睨んだままゆっくりと、ローブのポケットに手を入れ、一冊の本のようなものを取り出した。

 

「察しが良すぎるのも嫌われるぞ、ポッター」

 

 そう吐き捨てるドラコに、私は答えることができなかった。

 

 さっきから、ドラコのものではない禍々しい魔力を感じていた。注意深く辿れば、ドラコのポケットから発せられている。

 しかし取り出された本は、予想よりも遥かに邪悪な気配を放っていた。

 まるで私の言葉に反応するかのように、その気配を濃くしていた。もう隠す必要はないとばかりに。

 

「確かに、始まりはこの本だった」

 

 本から目が離せない私を余所に、ドラコは説明を始めてくれた。

 ボロボロの黒い表紙の本を片手に掲げる。

 

「父上から渡されたものでね……秘密の部屋を開く道具と聞かされていた。でも、それだけではないことに僕は早々に気づいたよ。ある意味、お前のお陰かもな、ポッター」

「私の?」

「ああ」

 

 ドラコは杖を振って羽ペンを出現させると、開いた本にさっと線を引いた。それがじわりと滲んだように見えた、と次の瞬間には、線は本に吸われるように消えていった。

 

「見ての通りさ。ホグワーツ特急に乗るとき、なぜか通れなかっただろう。あのときトランクの中がインク塗れになったが、これだけは綺麗なままだった」

 

 確かに、あのときインクが零れたとぼやいていた。

 

「秘密の部屋を開くための道具がただインクを吸うだけとは思えない。僕はこれを研究して……そして知ったんだ。この日記の本当の意味を」

 

 ドラコはくっくと笑って本をパタリと閉じた。

 

「この本は言わば……指南書だ。秘密の部屋を開く『スリザリンの継承者』に相応しい力を与えてくれるのさ」

「指南書……?」

「そう! 魔法について書き込めばなんでも答えが浮き上がるのさ。初歩の妖精の呪文から、学校では決して習わないはずの闇の魔術まで……そして、その知識と、力を、瞬く間に手に入れられるんだ――」

 

 囁くようにドラコが言って、目にも留まらない速さで杖を複雑に振った。

 部屋の中に赤と黒が入り混じった炎が立ち上り、あまりの熱量に私は腕で顔を覆った。

 

「ははは……はははははっ!」

 

 轟々と鳴る炎の向こうで、ドラコが嗤う声が聞こえた。

 

「これが、これが僕の力だ! お前も、グレンジャーももう遥かに突き放した! いや、もうこの学校で僕に勝てる者なんていないかもな!」

 

 

 その言葉は炎越しにも私の耳にしっかりと届いた。

 冷静であろう、冷静であろうと言い聞かせていた私の努力を水泡に帰した。

 

 わかりやすく言うなら、わかりやすく怒ったのだ、私は。

 

「そんなことのために……!」

 

 砕けろとばかりに杖を握りしめる。

 渦巻く炎に杖を向けた。

 

「パーティス・テンポラス!!(道を開けよ)」

 

 見えない巨大な手が火を分かち、道を開く。

 正面に驚いた顔をしたドラコがいた。残り火を踏みつけながらずんずんと歩み寄る。

 

「そんなことのためにっ!」

「っ! ああ、そうだよ! そのために生徒たちを、グレンジャーを!」

「違う!」

 

 爪先がくっつくほどに近づいて喚きたてた。

 

「っどう考えても呪いの品でしょこんなの! なんでこんなものに手出したのバカ!!」

「は?」

 

 純血の生まれなのに、生まれてからずっと魔法界にいるはずなのに、なんでこんなことに気づかないかな!?

 

「操られてるよ! 今年一年! 間違いなく!」

「は、何を馬鹿な……操られてなどいない」

「いいや操られてる! いつものドラコならこんなことしないもん!」

「僕はスリザリン生だぞ? スリザリンの継承者である行動を取るのに何の不思議がある」 

 

 呆れたように首を振るドラコ。

 

「いや、スリザリン生だからとか関係ないし! ドラコだからだよ!」

「そこまでに――」

「だってドラコ優しいじゃん」

「……は?」

 

 ぴたりと動きが止まった。

 

「勉強教えてくれたし、なんだかんだ言いながら宿題手伝ってくれたし、魔法の練習も付き合ってくれたし、人参食べてくれたし」

「いやまてまてまて……」

 

 後退して額を押さえるドラコにまたずんと近づく。

 

「ね?」

「い、今それは関係ないだろ!」

「あるよ! 優しいし面倒見が良いし、あなたは人を想う心を持ってるんだから。意味もなくこんなことするはずない」

「い、意味ならある! グレンジャーはマグル生まれのくせに、僕よりも成績が良かった、だから――」

「だから襲ったって? まさか」

 

 休み中も、学校が始まってからも、ドラコは努力を続けていた。自分の力で勝ってやるんだと、授業のときも張り合ってきたと言っていた。

 彷徨っている片手を私の両手で捕まえて、しっかり目を見て話す。ドラコは合わせようとはしてくれないけど、私は見ている。

 

「ドラコだって、ハーマイオニーの実力は認めてたんでしょ? 自分でそれを認めていなかっただけで」

「……うるさい! さっきからわかったようなことばかり!」

 

 張り詰めた糸が切れたように怒鳴ったドラコに、乱暴に手を振り払われた。

 たたらを踏んで後ずさった私に、杖先が向いていた。

 

「僕の気持ちも知らないで! 穢れた血や半純血のお前に負けて、父上の失望に僕がどれだけ悩んだか!」

「その言葉は使わないで!」

「うるさいうるさいうるさい!」

 

 ドラコは片手で頭を掻きむしって叫んでいた。 

 碌に狙いも定められずに、ドラコの杖から呪文が乱れ飛ぶ。こんな軽い呪文には当たるもんか。全て逸らして防ぐ。

 

「全て僕の意志だ!」

「嘘だ!」

「嘘じゃない! 全員殺してやるつもりだった! 穢れた血なんて――」

「嘘だよ!! 私は信じてる!!!」

 

 喉が裂けそうなほどに叫んだ言葉に、ドラコの呪文が止まった。

 お互いに肩で息をしながら、お互いを見ていた。ドラコの瞳も、私を捉えていた。

 

「ドラコ、今年の初めに私に何をしてくれたか忘れたの?」

「………」

「私は覚えてる。助けてくれたんだよ。あの牢獄みたいな家から、連れ出してくれた……あのとき、どれだけ私が嬉しかったか、ドラコこそわかってない……!」

 

 家に来たのは偶然かもしれない。でも私の現状を知って、怒ってくれて、あそこから出してくれたのは、他の何でもなく、ドラコの優しさだった。

 ローブの袖でぐいっと目じりを拭ってもう一度しっかりと、彼の顔を見た。

 酷い顔だった。多分、私以上に。

 

「私は信じてる。他のグリフィンドール生がどれだけ悪く言おうと、私の知るあなたは意外と世話焼きで、説明好きで、何だかんだ面倒見が良くて、優しくて……そして誇り高い魔法使い、ドラコ・マルフォイだってこと。そんなあなたが、自分の意志でこんな事件を起こしたなんて、私は! 絶対に! 信じない!」

 

 叫び声が高い天井に響いた。

 ドラコは俯いていた。

 表情は見えなかった。

 

 

 長く、沈黙が続いたような気がした。

 静寂を破ったのは、()()が床に落ちる音だった。

 

 ドラコが左手にずっと持っていた『本』が、その手から滑り落ちた。

 

「ドラコ……!」

「……うるさいぞ、ポッター」

 

 上げた顔には、さっきまでの狂気的な笑みではなく、変わらない仏頂面があった。

 

「僕も……」

 

 口ごもり、視線をあちらこちらにやり、瞑目して、また開き、話し続けた。 

 

「僕も、お前を信じてみることにした。やってしまったことは変わらないが、こんなところまで来た……来て、くれたお前を、信じてみようと思う」

 

 段々声が小さくなっていったけど、ここには静寂しかない。最後まではっきりと聞こえた。

 私も小さく応えた。

 

「うん。ありがとう、ドラコ」

「でも、お前やグレンジャーに負けて悩んでいたのは、僕の本心だ。これだけは、きっと、本当のことだ。単に父上の期待に応えられないせいじゃない。負けて悔しかったんだ、僕は」

 

 泣きそうに歪んだ顔で、ドラコは言った。

 

「僕は、お前よりも上に行きたいんだ……お前がどこまで上に居るのかわからない。わからないけど、お前の居るところまで、登って行きたい……!」

「……うん」

「頼む、決闘を受けてくれ。今言うべきことじゃないのはわかってる。でも、お前がどこにいるか知りたい。僕だけの力で、お前と闘いたいんだ」

 

 その眼を見て、言葉を返すことはできなかった。

 

 数歩、離れた。

 お互い向き合い、身体の前に杖を構え、お辞儀をする。

 

 ぴたりと剣のように杖を向け合った。

 心音が重なる。

 

 ひとつ、ふたつ――

 

 ――みっつ。

 

「エクスペリアームズ!!!」

「―――っ!」

 

 決着は一瞬だった。

 ドラコが呪文を唱える間に、私は無言で盾の呪文と失神呪文を放っていた。

 

 ドラコが自分だけの力で放った武装解除。技術的には多分、さっきまでの方が上だろう。

 でもその力は、重さは、その比じゃない。矢のように飛んだ赤い閃光は、私の盾と拮抗し――砕いて消えた。

 

 砕ける音と共にそれを確認したであろうドラコも、次の瞬間には失神呪文が胸に当たり、糸が切れたように崩れ落ちた。

 その顔は、思っていたよりも安らかだったと思う。

 

 

 

 

 

 



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第15話 日記の正体とトム・リドル


感想、評価感謝です。
誤字報告もありがとうございます。
誤字が多くて本当に申し訳ない……。


 

 ばったりとドラコが倒れて、私は駆け寄った。

 容体を確かめる……うん、大丈夫。気絶しているだけだ。 

 

 自分で放ったのは失神呪文だったから当たり前と言えばそうなんだけど、一安心してため息を吐いた。

 

 後は蘇生させて、帰るだけ……だったらよかったんだけど。

 

「愚かな男だ」

「……!」

 

 誰もいないはずの部屋に、後ろから男の声が響いた。

 しゃがんだまま振り向いて、ドラコを背に杖を構える。

 

 ドラコが落とした本の傍らに、男子生徒が立っていた。

 4年生くらいだろうか。かなり整った顔立ちをしている。でもそんな高評価を消して有り余るのは、その全てを見下したような表情と、一目で闇の魔法使いだとわかる禍々しい気配だった。

 

「思ったより驚いていないようだね」

 

 男は薄く笑いながら喋った。

 

「……当然でしょ。ドラコを操ってた奴がいるのはわかってたから」

「おや、じゃあさっきのは、嘘や方便でなく本音かい? はは――」

 

 爽やかとすら言えるのに、はっきり人を見下している笑みだった。

 

「これはまた、随分とおめでたい頭をしているんだな、ハリエット・ポッター」

「……うるさいな」

 

 バカにされているのはわかったけど、心は揺るがない。

 

「どうして私の名前を知っている」

「そこで倒れているマルフォイ君が教えてくれたんだ。どうしても勝ちたい奴がいると」

「やっぱり、お前がドラコを……!」

「そうだとも。力を求める類の者はこの世で最も御しやすい。そう思わないか?」

 

 男は背後のドラコに侮蔑の視線を向ける。

 視線を遮るように手を広げて、床を踏みしめて立ち上がった。

 大丈夫、大丈夫だ、この程度じゃ揺るがない。

 

 だって私は、最初から、

 友達を利用したこの男に、これ以上ない程に怒っている。

 

「……御しきれてなかったみたいだけど?」

「ああ、だから愚かな奴だと、そう言ったろう」

 

 事もなげに言う男を歯を食いしばって睨みつけた。

 気にした風もなく、得意げな調子で男は続ける。

 

「流石に最初は警戒心が強くてね。何時しかそれも薄れて、この本……正しくは日記だがね、まあつまり、日記()をマルフォイ君が完全に信じ切ったとき、僕は彼に魂を注ぎ込み始めた」

「魂を、注ぐ? そんなことが」

「そうさ。故にマルフォイ君は僕の力のほんの一部を使うことができた。彼は自分の力だと思いたかったようだけどね。同時に僕も、彼の魂を得て力をつけていったのさ」

 

 心底おかしそうに笑う男を見つめながら、私の頭は怒りとは別に目まぐるしく回っていた。

 そんな、そんなことが可能なのか?

 あの本は……日記らしいけど、外見は本当にただの古ぼけた本だ。あんなものが意志を持って、人を操り、あまつさえ魂を持つだなんてこと――知る限りの魔法界の常識に当てはめても、あり得ない。

 

「お前は……」

 

 何と言っていいかわからず、言い淀んだ。

 

「……お前は、何だ?」

「つまらない質問だけど、答えよう。僕は『記憶』だよ。50年前にこの部屋の秘密を解き明かし、その入り口を開いた……その生徒の記憶が、あの日記には封じ込められていたのさ」

 

 男は足元に転がる日記に目を向けた。

 秘密の部屋を開いた生徒……つまり。

 

「お前が、本当のスリザリンの継承者」

「いかにも」

 

 望んでいた答えだったのか、男は満足そうにうなずいた。

 

「50年前は穢れた血を一人殺しただけで部屋を閉じなくてはならなくてね。しかし部屋を見つけるのに費やした苦労の対価が生徒一人では割に合わない。だからこそ、日記を残して、十六歳の自分をその中に保存しようと決心した。いつか、時が巡ってくれば、誰かに僕の足跡を追わせて、サラザール・スリザリンの崇高な仕事を成し遂げることができるだろうと」

「成し遂げられていない!」

 

 私は思わず叫んだ。

 

「生徒どころか、猫だって死んでない! みんな石になっただけだ!」

「はは――そうだね、それは確かに誤算だった。偶然にしてはあり得ない……でも、もうそんなことはどうでも良いんだ」

 

 男は滑るように歩き近づいてきた。

 私は後ろに下がりかけた足を踏みとどまって、男の顔を強く見上げた。

 

「マルフォイ君が話してくれたよ。君のすばらしい経歴をだ……憎まれ口を叩くようだったけど、君の功績を羨んでいたようだ。本当は彼は……」

「――それ以上彼のことを好き勝手喋るな」

「おっと失礼。まあ彼はともかく、君に聞きたいことがあるんだ。さっきまで君の問いに答えていたんだ。君も答えろ」

 

 ほんのすぐ近くまで近づいた男は、ギラギラした目で舐めるように私の額を見ていた。

 額の傷を。

 

「僕が聞きたいのは――」

 

 囁くような声だった。

 

「これといって特別な魔力も持たない赤ん坊が、不世出の偉大な魔法使いをどうやって破った? ヴォルデモート卿の力が打ち砕かれたのに、君の方はたった一つの傷痕だけで逃れたのは何故だ?」

 

 予想外の問いに、私は眉をひそめた。

 

「……どうしてそんなことを聞くの? お前とヴォルデモートに、何の関係があるのさ」

「ああ、ヴォルデモートは僕の過去であり、現在であり、未来なのだ」

 

 静かな声で男は言った。

 

 

「自己紹介をしようか。僕はトム・マールヴォロ・リドル。またの名を――ヴォルデモート卿」

 

 

 その名前はずしんと、私の心臓を打ち鳴らした。 

 脳がゆっくりとその事実を受け止めた。

 ヴォルデモート。闇の帝王。最も邪悪な魔法使い。

 目の前の男が、この後大人になり、多くの魔法使いを、そして私の両親を殺すのか。 

 

 仇への怒りはあった。

 でも、もうひとつ。自分でも意外なほどに、悲しみが心に溢れた。

 

 記憶の中の異形の姿のヴォルデモートも、元々は私たちと変わらない普通の生徒だったのだ。

 この端正な顔立ちの少年が、化け物へと変わっていく年月を視た気がして、数秒目を閉じた。

 道を間違えても、人はやり直せる。さっきのドラコのように、自分で間違っていると気づくことができるはずなのに。

 

「……私が生きているのは」

 

 いつの間にか怒りとか憎しみは、消えてはいないけど、遠く離れた所に感じた。

 

「母さんのおかげだよ。お前が私を殺そうとするのを、母さんが命を懸けて助けてくれた」

「……なるほど。それは呪いに対する強力な反対呪文だ。はは――結局君自身には特別なものは何もないわけだ」

 

 さっきまでの狂気的な雰囲気は消えて、最初の方の余裕がリドルに戻ってきていた。

 私が恐れるに足る存在ではないと確信したんだろう。

 身軽に踵を返して、上機嫌に右に左に歩いた。

 

「君には少し期待していたんだけどね。ほら、僕たち似た所があるだろう?」

「………」

「混血で、孤児で、マグルに育てられた。蛇語を話せるのも、かのスリザリン以来僕ら二人だけだろう」

「さあ?」

「だが蓋を開けてみればなんだ、ただ運が良かっただけか。やはり、この世界で最も偉大な魔法使いは、僕を措いて他にはいない」

 

 ……楽しそうなところに水を差して悪いけど。

 

「それは違う」

 

 ぴたり、とリドルは立ち止まってぎょろりと私を見た。

 その眼には、何の感情も浮かんでいないようで不気味だった。

 

「世界一偉大な魔法使いはダンブルドア先生だよ」

「……ダンブルドアは僕の記憶にしか過ぎないものによって追放された」

「どうかな。あの強かなお爺ちゃんが何もせず放ってこの学校を去ると思う?」

「……!」

 

 絶句したところを見るに、暗躍者ぶりは昔から変わっていないらしい。

 50年も前のことなのに。いつから狸爺なんだろう、あの人。

 

「しかし、そこの生徒は何の妨害もなくここまで来た!」

「ドラコが死んだらお前も困るんでしょ? 生徒が本当に助けが欲しい時は、あの人はきっと与えてくれる。そう思うよ――」

 

 

 私がそう言った瞬間、心を震わせる不思議な旋律が部屋高くに鳴り響き、中央に白鳥ほどの大きさの真紅の鳥が炎と共に現れた。

 

 不死鳥だ。初めて見るけど、どうしてか味方だと信じられる安心感があった。

 孔雀の羽のように長い金色の尾羽を輝かせて、優雅に滑空してきた不死鳥は、私の手にボロボロの包みを落とし、ひゅうっと重さなく私の肩に止まった。

 

「ほら、こんな風に」

「な――」

 

 図ったかのように、完璧なタイミングだった。

 気圧されたようにリドルが1歩、後ろに下がる。

 

「貴様、何が――いや、関係ない」

 

 何か言いかけたけど、リドルは首を振って唇を歪めた。

 

「例え貴様が言った通りでも、ダンブルドアの送ってきた援軍はなんだ? 歌い鳥に古い組み分け帽子だ。そんなものが何の役に立つ?」

 

 私はぎゅっと組み分け帽子を握りしめた。

 確かになぜこんなものを送って来たかはわからない。でも、あの人は意味のないことはしない。それだけは信じられる。

 

「聞きたいことはもう聞いた。これ以上の会話は必要ない!」

 

 リドルは蛇のような瞳孔を私に向けた。ゾッとするような魔力が身体から放たれていた。

 私は恐怖を飲み込んで、改めて杖を強く握ってリドルに向けた。

 まさか二年連続でこいつと闘う羽目になるとは思ってもみなかった。でも、私がハリエット・ポッターとしている以上、避けて通れないことなのかもしれない。

 深呼吸をした。

 

「戦う前に一つだけ聞いていい?」

「……ああ、遺言くらいは聞いてやろう」

「トム・リドル……お前は、どうしてヴォルデモートになってしまったの? 引き返すことだって、きっとできたでしょう? ――手を差し伸べてくれる人は、いなかったの?」

 

 喉の奥から零れた問いに、リドルはあっさりと、呆れたように肩を竦めた。

 

「何を言うかと思えば……下らないな。このヴォルデモート卿にそんな言葉を吐いたのは君で2人目だよ。答える意味もないし、意義も感じない」

「……そうだね。意味のないことだった」

 

 ただ、私の自己満足だった。感じてしまった気持ちを、言葉にしたいだけだった。

 過去のこいつに何を言っても、現在(いま)が変わるわけじゃない。

 

 2,3秒目を瞑って、開く。

 意識を闘いに切り替える。遠のいていた怒りに空気を入れ燃え上がらせる。

 魔法においては、強い感情も燃料だ。

 

「さて、では揉んでやろう。スリザリンの正統なる後継者、ヴォルデモート卿と、かの有名なハリエット・ポッターの闘いだ」

「有名なのは私の力じゃない。母さんの力だよ。それでも――」

 

 大きく息を吸って、気炎と共に吐き出した。

 

「私はお前に打ち勝ってきたんだ!」

 

 闘いの合図のように、不死鳥が肩からパッと飛び立った。

 

 

 



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第16話 完璧な計画と誤算

 

 魔法の灯りに照らされて、不気味に揺れるぼんやりとした影だけが動いていた。

 今や完全に決裂し、いつ闘いが始まってもおかしくないはずの私とリドルは、10メートルほど離れて対峙して動かない。

 

 お互いに相手を見ていたけど、私は強く睨むのに対して、リドルの方は笑みさえ浮かべているような顔で蛇のような目を細めていた。

 空気が張り詰め、思考が加速し、杖を握りしめた手は小刻みに震えていた。

 

 平静を保て、私。相手は無策で勝てるような相手ではない。何せ、今世紀最悪の魔法使い、ヴォルデモート卿なのだから。

 去年は借り物の身体でありながら、恐ろしく多彩で強力な魔法を使ってきた。

 『記憶』である目の前のこいつと、どちらが強いか――なんて、余計なことは考えない。

 いつ、どんな攻撃をされようと対応して見せる。

 

 そんな覚悟を持って集中を高めていた私には、彼の取った行動にまるで反応できなかった。

 

 リドルはくるりと私に背を向けて、鼻歌を歌いながら散歩でもするかのように足取りも軽く、スリザリンの像の元に歩いて行った。

 

 

 ???

 

 

 高速回転していたはずの思考が、歯車に異物が詰まったかのように固まり、私は疑問符を浮かべて目で追うしかなかった。

 そんな私をリドルは肩越しに見て、薄く笑ったかと思うと、像に語りだした。

 

『スリザリンよ。ホグワーツ四強の中で最強の者よ。われに話したまえ』

 

 蛇語で。

 

「は!? 卑怯だぞお前!」

「やったもの勝ちさ」

 

 天下のヴォルデモートがそんな卑怯くさいことしないでよ!

 勝ち誇ったように笑う顔に腹癒せ交じりに呪いを4,5発撃ちこむ。しかしそれはリドルを突き抜けそのまま背後に抜けていった。

 

「おっと、残念だが呪いは効かない。僕は記憶の残像に過ぎないからね、あくまでも()()だけど」

「ふぁっく」

 

 ドラコの魂が潰える時、リドルは完全に復活するのだろう。

 クィレルといい、他人に寄生するのは一緒か。

 ちらりと足元に横たわるドラコを見ると、普段から良いとは言えない顔色がさらに悪く、シーツのように白くなっている。呼吸も浅く、胸が動いているのが辛うじてわかるくらいだ。

 あまり時間はかけられない。

 

 ごごご……と重たい岩が擦れ動く音。スリザリン像の口が開き、奥から這いずる音が聞こえてくる。

 蛇の王、バジリスク。ついに対面……したら、駄目なのだけど!

 

 滑り出てきた姿を確認する前に、私は踵を返して走っていた。

 ぼんやり見ていて何かの拍子に目が合ったらそれで終わりだ。

 石の床を通して、背後で巨大な蛇がとぐろを巻く様子が嫌にはっきりと分かった。

 

『あいつを殺せ』

 

 再びのリドルの蛇語に、バジリスクは歓喜の声を上げて真っ直ぐに私の方へ這い滑り出す。

 抜け殻よりもさらに大きい気がする。

 

 巨大な毒蛇を倒せってだけでも無謀なのに、私は敵を見ちゃいけないというハンデまで背負っている。普通ハンデは不利な方につける物でしょうに!

 毒づきながら走る。後ろから、弄ぶように右、左と蛇の這う音が近づいてくる。

 

 しかし! 敵がバジリスクだとわかっていたからには、無策で飛び込むような私ではない。

 あらかじめ作戦を考えてきてある。

 

 古来より、目から石化光線を出す敵は、鏡を見て自分が石化すると相場が決まっているのだ。

 つまり、壁際まで逃げおおせ、変身呪文で壁を巨大な鏡に変える。鏡を見たバジリスクは自分の目のビームで石化して死ぬ。

 うむ、完璧な作戦だ。今追いつかれつつあることを除けば。

 

「ちいっ……!」

 

 無駄かもしれないけど、肩越しに杖を振って妨害の呪いを飛ばす。正直効果がある気はしないけど、何でもいい、少しでも足止めになってくれ!

 

 そのとき、目の端をさっ、と赤と金が横切った。

 さっきの不死鳥――蛇を見ないように、薄目でその姿を追う。

 鋭く、でも優雅に飛ぶ不死鳥は、バジリスクの顔の周りでひらりひらりとからかう様に飛び回る。蛇は狂ったようにシューシューと叫び、不死鳥を排除せんと宙に噛みつき始めた。

 

「やめろ! 目障りな鳥め! くそっ――『鳥に構うな! 小娘を殺せ!』

 

 リドルが叫ぶと、不満げながらもバジリスクは私の方に向き直った。

 また追いかけてくるつもりだ。そう思って再び目を逸らそうとしたとき、不死鳥がその隙をついて急降下したのが見えた。

 鋭い爪がバジリスクの顔に突き刺さり、ずぶりずぶりと嫌な音を立てた。

 

 はっきりと苦痛の声を上げて、バジリスクがのたうち回った。

 身体がぐねぐねと暴れまわり、柱に2,3本ぶち当たり、大小の破片が降ってきた。

 

 それを避けることもせず、私は初めて、バジリスクと正面から向かい合っていた。

 

 体長は15メートルもあるだろうか。緑かかった黒の鱗は、確かにスリザリン寮を思わせた。

 大きく裂けた口、その中のたくさんの牙は黄色く濁り、鋭く尖り、ボタボタと毒が滴り落ちていた。

 

 そして、その両目は潰れていた。

 心なしか誇らしげに上空を飛ぶ不死鳥の下で、私はちょうど3秒、バカみたいにぽかんと口を開けて思考停止した。

 

 どうしよう、作戦が使えなくなった。

 

「不死鳥が……! 目は潰されたが、まだ匂いでお前の居場所はわかるぞ!」

「はっ!」

 

 正気に戻った。

 大丈夫、大丈夫。ハリーは強い子。突然の作戦変更にも動じナイ。

 

 いやほんとにどうしよう、正面からやりあっても勝てる気がしないから搦め手を考えてたのに。

 とにかく立ち止まっているのはまずい。また後ろを向いて駆け出す。とは言っても部屋の端はもうすぐだ。追い詰められるわけにはいかない。

 柱の陰に隠れたり、急な方向転換を入れたりしながら、何とか追い込まれないように走る。目が潰れたのもあってか、追いつかれはしない。けど、このままじゃジリ貧だ。私の体力が尽きて終わる。

 

 蛇越しにリドルが見える。

 ドラコのすぐ横で爽やかに笑いながらこっちを見ている。間違いなく、さっきよりも輪郭がはっきりしてきている。

 先にあいつを何とかした方が良いか? でも、それでバジリスクが止まる保証はない……って言うか十中八九止まらないだろう。それにそもそも片手間で何とかできる相手でもない。

 

「となると……」

 

 走りながら左手に持った古い帽子を見る。

 もうこれにすがるしかない。(多分)ダンブルドア先生からの救援物資だ。何かは起こる、はず。起こってください。お願いします。

 

 半ば祈りながらぐいっと帽子を被った。

 お願い、どうか……!

 

 走り続けで息が切れる。上げる足が普段の何倍もの重さに感じる。筋肉が限界だと悲鳴を上げているのがわかる。

 リドルの笑い声が聞こえる。

 ふらふらになりながら、古びた帽子を被って蛇から逃げる私はさぞかし面白いんだろう。

 

 それがなんだ。

 ぐいと目の端をぬぐって、両手で帽子をぎゅっと押さえた。

 私は今、正しいことをしているんだ。ドラコを、友達を助けて、地上に帰るんだ。笑いたければ笑え。

 惨めな思いなんて慣れっこだ。どれだけ無様でも、どれだけ怖くても、私が躊躇する理由にはならない。

 最後に笑ってやれば、私の勝ちだ。

 

 そう思ったとき、不意に帽子が暖かくなり、ぎゅっと縮んだ。

 そしてすごく重たいものが帽子の中に降ってきて、私の頭に激突した。

 

「いっだぁぁぁ!!」

 

 目から火花が散ったかと思うほどに視界が白黒に点滅して、足がもつれて盛大に転んだ。

 

「ぐう、いたい、でも……」

 

 重たく床に落ちた帽子の中に、眩い光を放つ銀の剣が見えた。柄には卵ほどもあるルビーが輝いている。

 一目見た瞬間に、ひやりとするほど素晴らしく出来が良い剣だとわかった。

 

「これなら……!」

 

 一筋の希望が灯った。

 杖を持っていない左手でその剣を掴み持ち上げようとして―――がくん、と止まった。

 

「は?」

 

 重い。

 

「うそぉ」

 

 灯った希望がふっと消えるのが見えた気がする。

 

 い、いやいや、それでもこれに頼るしかない!

 杖を仕舞って両手で踏ん張って、何とか腰のあたりまで持ち上げる。

 ……いや振れない振れない。

 

 もたもたしている間に、バジリスクが追いついてきてしまっていた。チャンスどころかピンチにしかなってない!

 はっと気づいた時には、恐ろしい速度で大蛇の顎が迫っていた。

 

「きゃっ!」

 

 尻餅をついた私の頭の上を、恐ろしい勢いでばくんと牙が閉じた。

 なんとか振った、というか置いておいただけという感じの剣は、当然のように弾き飛ばされて、部屋の隅へガランガランと転がって行く。

 でもその直後、ギイィ! という悲鳴がバジリスクから聞こえた。

 見れば、剣が当たったらしい顔の辺りから、新たにどす黒い血が流れている。

 使い手の私には刃がどっちに向いているかさえわからなかったのに、あの硬い鱗に傷をつけるとは、なるほど確かにあの剣は相当な業物だったのだろう。

 

 重すぎたがな!

 両腕がぷるぷるしておる。

 

「最後の希望もお終いのようだ」

 

 リドルの明らかに嘲弄する声が届く。

 いやまったく、いつから魔法界ってこんな体力勝負の世界になったんですか。

 

「幕を引こう……『もう少し下だ』

 

 直接指示を始めた!

 再び巨大な貌が、傷の恨みとばかりにさっきより増した速度で迫る。ふらつく身体に鞭を打ってなんとか転がった。

 

『右だ。もっと、もっと!』

 

 転がる私を、ばくん、ばくんと顎が追う。

 太い牙は私の腕ほどもある。捕まればあっという間に天国だ。

 転がりながら杖を抜いた。

 

「コンフリンゴ!」

 

 地面が爆発し、欠片が四散する。バジリスクにもあたるけど、大したダメージになっていない。それはいい、とにかく爆風で離れることができた。

 柱の一本を支えにして立ち上がる。どこか切ったのか、左目に血が入って見えない。

 癒しの呪文(エピスキー)を唱えたいけど、今は無理だ。

 

『奥、柱の前だ』

 

 リドルは容赦なく、蛇語で私の位置を伝える。

 バジリスクも素直に従い、一直線に私の方へ這いずって来た。

 

『行け!』

 

 忠実な猟犬のように声に従って、バジリスクは大口を開いて、私を噛み殺さんと突進してきた。

 今までで一番速い――でも、当然噛まれてやるわけにはいかない!

 

 射出魔法の力も借りて、勢いよく飛び退いた。片手を突いてバランスを取りながら、石の床を滑るように勢いを殺して顔を上げると、予想通りの光景があった。

 

 バジリスクが、柱に噛みついて離れなくなっている。

 胴体だけでもがいているけれど、ほとんどの牙ががっちりと……というか()()()()()柱に食い込んで抜けなくなっているのだ。

 

衰え呪文(スポンジファイ)か、小癪な……」

「その通り。ここまで予想通りいくとは思わなかったけど!」

 

 柱を背にしていたとき、無言で背中の柱に唱えておいたのだ。

 しばらくは抑えておけるだろう。でも、私の作戦はまだこれで終わりじゃない。

 剣を見つけなきゃいけない。確か、部屋の隅に転がって行ったはず……

 

「あった!」

 

 予想よりもかなり近くにあってくれた剣に嬉しくなって、私は一歩踏み出した。

 

 

 

 

 

 ――ぶん、と。大きなものが風を切る音がした。 

 

 

 

 

 痛みを感じたのは、左半身から柱に叩き付けられてからだった。

 

「あ゛っ、がっ……」

 

 肺が潰れたように呼吸ができない。ガラスに張り付いた蛙が落ちるようにべしゃりと、私は地面に崩れ落ちて、お腹を押さえて小さく丸まった。

 

「いたぃ、い゛、ぃ……」

「はははははははははははははは!」

 

 哄笑が遠くからガンガンと聞こえる。

 視界は濁って、耳もおかしい。痛みで正気を保っている。

 

 何が起きたかわかった、尻尾だ。

 ああ、そうだね。そりゃあ、あれだけ大きい蛇なら、尻尾を振るうだけで質量の攻撃になるだろうね。

 

「あは、ぐ、ぅ、」

 

 あまりの迂闊さに笑いそうになって、痛みで縮こまった。

 

 ずるり、ずるりと、地面を這う音が床を伝わって聞こえる――大きくなってくる。

 濁った視界を無理矢理凝らす。奇跡的に、杖は手放していなかった。

 骨が折れたのか、経験したことのない痛みが胴体のどこかを襲っている。それでも、このまま寝ていれば死ぬ。痛みに呻いていれば死ぬ。

 

 お腹を押さえたまま、ゆっくりと、肘をつき膝をつき、頭で身体を起こして、

 

 最後に見上げた目の前に、蛇の頭があった。

 

 息さえかかるこの距離で、毒の雫さえ数えられるこの距離で、目のない蛇と私は見つめ合っていた。

 

「さようならだ。ハリエット・ポッター」

 

 リドルの声が遠く聞こえた。

 

『やれ』

 

 その声に一瞬、反応しないかに思えた蛇は――次の瞬間大口を開けて、勢いをつけて私を、飲み込んだ。

 

 

 

 



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第17話 銀の光と命の魔法

 

 

「はははははははは!!」

 

 部屋に笑い声が響いていた。

 

「はははは! あはは! ああ、ああ、なんて滑稽な終わり方だ! 世に聞こえたハリエット・ポッターの最期の、なんとあっけない!」

 

 よほど可笑しかったのか、トム・リドルはしばらくの間一人で笑い続けた。

 やがてはそれも収まり、呼吸を整えるように息を吐いた。

 

「さあ……これで僕を邪魔する者は居なくなっただろう」

 

 当然、答えはない。ここに居るのは死にかけた少年と大蛇だけだ。

 

「身体を手に入れたら、そうだな、未来の僕が成し遂げられなかった偉業の続きを始めよう」

 

 敵を倒した達成感からか、饒舌に独り言を呟く。

 

 あと数分もすれば、足元のドラコ・マルフォイは衰弱して死に至り、その力を奪った自分は若い肉体を得る。折もよく、ホグワーツにはダンブルドアが不在。手始めに、この学校を手中に収めて、魔法界に知らしめるとしよう。

 

 ヴォルデモート卿の復活を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「さて……『バジリスクよ、一度戻れ』

 

 蛇語の指示に、大蛇はずるずると重たげに身体を引き摺り始めた。

 そして、スリザリン像の足元で、不意に動きを止めた。

 

『……どうした?』

 

 多分、リドルは予想もしてないだろう。

 牙に噛み砕かれるのを避けるためとは言え、自分から大蛇の口に飛び込む莫迦がいるなんて。

 初めて、小さい身体に感謝した。

 

 蛇の表情を窺うことはできないけど、今はきっと驚愕に彩られている。

 身体の中から失神呪文をダースで打ち込まれれば、蛇の王と言えど動きくらいは止まるらしい。

 

「まさか――!」

 

 リドルの焦った声が聞こえるけど、今更気づいても遅い。

 生暖かく、ドロドロとした粘液に塗れた蛇の口の中、私は次の呪文を撃つため杖を振る。

 唱えるは呼び寄せ呪文。対象は尻尾でぶっ叩かれる直前、位置を確認した銀の剣。

 浮遊呪文で操る予定だったけど――下手に操作しなくていい分、今の方が楽だろ!

 聞こえてもいい。今までこれほどに強く唱えたことはないってほどの大声で、私は叫ぶ。

 

「アクシオ!!!!」

 

 打ち捨てられていた剣が、弾かれたようにカッとんでくるのが呪文越しにわかる。

 輝く剣は過たず、大蛇の喉元に一直線に迫る。

 

「やめろ!!」

「っあああッッ!!」

 

 力一杯振り上げる右腕――目の前を彗星のように閃き翔け昇る銀の光。

 剣が天井に突き刺さる甲高い音は、その一瞬後に響いた。

 

 ほんの少しの静寂の後、バジリスクの喉と脳天から血が噴き出したようだった。ドロリと赤黒い血が口内にも滴り、むせ返るような匂いが充満した。

 そしてすぐに、ギュィ――というあまりにも軽い断末魔を遺し、大蛇は横ざまに倒れた。

 拍子、口から石の床にべしゃりと投げ出される。

 

「あぐっ、うっ……!」

 

 激痛に呻くけど、それよりも今はぜえぜえと、新鮮な空気をただ貪った。

 床に這いつくばったまま目端で見れば、バジリスクは倒れてヒクヒク痙攣している。起き上がる気配は、ない。

 

 倒した――なんとか、ギリギリだったけど。

 安堵した瞬間激しく咳き込んで、身体中が無数の針で刺されたように猛烈に痛んだ。

 

 一際酷いのが、左腕の傷。これはもう穴だ……毒の牙で貫かれた大きな穴。身体を小さく丸めて飛び込んだけど、躱しきれなかった。

 上腕を「インカーセラス(縛れ)」できつく縛っているけど、毒の巡りは止められていない。頭からバジリスクの血に塗れているけど、自分の出血も止まらない。視界も霞んできたし、身体中がぶるぶると小刻みに震えている。

 

 こうしている間にも、私の生きていられる時間が減っていくのがわかった。

 

 でも、まだ、ここでは死ねない。

 あの亡霊……生き汚い悪霊はまだ、死んでいない。

 倒れ伏したまま、歯を食いしばって荒くなる息を飲み込んで、震える手でそっと魔法を使う。

 

 ――命が、杖を通して流れ出ていくような感覚。

 次で最期だ。

 

「……バジリスクを倒すとはね」

 

 リドルの声が近づいてくる。

 その表情は――もうあまり見えない。……構うもんか。私だってお前の顔なんか見たくない。

 

「だが、ハリエット・ポッター。代償が大きすぎた。君は死んだ。もうすぐ、『穢れた血』の恋しい母親の元に戻れるよ、ハリエット……」

 

 言っていろ。

 残った力をかき集めて見えているのは、地面に放ってある日記と、ドラコの顔だ。

 それだけでいい。力が湧いてくる。

 杖を握りしめて、痛みに抗って、震える脚に力を入れて、ゆっくりと、ゆっくりと立ち上がる。

 

「まだやる気かい? 驚いたな……そんな力が残っているとは。なぜそこまで――」

 

 憐れみを含んだような声音は――ああ、ありがとう。ここにきても最高に油断してくれている。

 口の端から垂れる血を感じながら、致命的に軋む身体を動かしながら、私は薄く微笑むことができた。

 

「――愛だよ、リドル」

 

 囁くように言った言葉に、リドルの顔が醜悪に歪むのが手に取るように分かった。ざまあみろ。

 歯を噛み締めて右手を振った。単純な浮遊呪文。もう動かないバジリスクの身体が砕いた像、その石の欠片をできるだけ――もうほんの数個だけど、浮かべて、射出――。

 それで全て尽きた。降った腕の勢いを堪えることもできず、バチャリと前のめりに倒れた。首を上げて石の行方だけを目で追う。

 飛んだ石片を、リドルは避けようともしなかった。

 

「魔法が無理なら物理攻撃なら効くと思ったかい? 残念だっ……ね、そ……ば、――」

 

 ああ、耳も聞こえなくなってきた。

 でも、やるべきことはやった。

 

 

 リドルを狙ったと思わせた石片、その一つが日記に突き刺さっている。

 

 たかが石の欠片が分厚い紙束を貫くことができるのか? 

 そんなわけない。

 

 うつ伏せに倒れたまま、震える右手だけ挙げてふっと杖を振った。

 自分の魔法を解くのに、力は要らないから。

 

「これ以上何を――」

 

 私が言う前に、答えは目の前に現れた。

 飛ばした石片……石に変身させられていたものが――バジリスクの牙へと戻る。

 

 

 

 私にもはっきりと聞こえるほどの、耳をつんざくような悲鳴が長々と響いた。

 日記からインクが迸って、亡霊はのたうち回り、叫び続け……そして消えた。

 

 

 

 静寂が訪れた。

 私の、自分でも恐ろしく浅いと思う呼吸だけが聞こえていた。

 

 私はきっと、助からないだろう。

 でも、ドラコは助かるだろう。

 私が助けたんだ。

 

 そう思うだけで、激痛に苛まれる身体を余所に笑みが浮かんだのがわかった。

 自分の成すべきことを成せたという達成感と、満足感があった。

 

 気のせいか、傷も不思議な温かみを持って、痛みが薄らいできた。

 身体全体もじんわりとした温もりに包まれているような気さえする。

 これが死ぬということなら、そんなに悪くない。

 

「おい……おい!? ポッター!」

 

 ドタバタと近づく足音が聞こえた。

 

「ふ、不死鳥……!? く、今はいい! おい、ポッター! 返事をしろ!」

 

 ごろりと仰向けに転がされた。目の前にドラコの顔があった。なぜか反対には不死鳥の顔もあった。

 傷を見たのか、ドラコの表情が悲痛に歪む。

 

「ドラコ……」

「そうだ、しっかりしろ!」

「あは……友達に看取ってもらえるなんて、私は幸せだったよ」

「不吉なことを言うな! 待っていろ、今、呪文を――!」

「無理だよ……バジリスクの、毒だもん」

「っ……!」

 

 絶句された。まあ、12歳が相手にするものではないよね。おまけ(ヴォル)もついてたし。

 

「僕の、せいだ……」

 

 歯の隙間から零れたような声だった。

 

「僕が、あんな本に手を出したから……! 今ならはっきりわかる、僕はどうかしていた!! あんなものに頼ったばかりに!」

「反省なんてドラコらしくない、けど――気づけたんだね」

 

 右手を伸ばした。はっと気づいたドラコが握ってくれる。

 あ、こんなシーン、いつかどこかで見たことがある気がする……。

 

「気にしないで、私がやりたくてやっただけ。その結果命を落としても、後悔はないよ」

「でも、こんな……!」

「がふっ」

「ポッター!!」

 

 口の中に溜まった血を吐く。

 それでも私は、ドラコを安心させようと微笑んで見せた

 

「ハリエットって呼んで、ドラコ……」

「ああ、ハリエット! 生きてくれ!」

「これからは、もっと人を思いやって……血筋に拘らず実力を認めてあげて……ハーマイオニーは、凄い子、だから――がふっ」

「わかった、わかったからもう――」

「好き嫌いなく、変な上から目線はやめて……」

「ああ、もちろん……ん?」

「下級生にも優しく、あと、テストで負けても拗ねないように……」

「…………」

「あと、今度お菓子奢って……」

「……………おい」

「バタービールとか……」

「おい、お前元気だろう」

「あ、バレた?」

 

 ぺい、と手を投げ捨てられた。酷い。

 

「よい、しょっと」

 

 上体だけ起き上がってみた。うあ、少しくらくらする。血が足りてないのかも。

 

「や、それにしても不死鳥の涙は凄いねえ。あんな傷でもこんな綺麗に治っちゃうなんて」

 

 左腕をしげしげと眺めてみる。直径3センチ程もあった穴は痕もなく消えていた。

 不死鳥の涙には癒しの力がある、とは聞いていたけど、こんなに強力なものだったとは。

 リドルが消えてからすぐに()()()いてくれたんだろう。

 ありがと、と言って傍らの不死鳥を撫でてみると、「構わんよ」と言う感じで美しく鳴いた。

 

「さ、帰ろうか、ドラc」

「待てえええ!!」

 

 大声に驚いて身を竦ませると、顔を真っ赤にしたドラコが詰め寄ってきた。

 

「おいお前ふざけるなよお前!」

「いやごめんごめん、つい出来心で」

「どれほど心配――いや、その……」

 

 この期に及んで言葉を濁すドラコに少し笑ってしまった。

 

「心配してくれたのはわかってるよ。ありがと。貴重な経験だったから、少し長めに体験したくて。ごめんね?」

「く、このっ――ああもう! 無事だったならいい!」

「うん。一件落着だね」

 

 顔を背けて拗ねてしまった。

 ……本当に、死ななくて良かった。ドラコに責任を感じさせないですんだ。

 

 とは言っても、全部紙一重だったのは間違いない。ぶっちゃけバジリスクの毒でリドルを倒せるかどうかも確証はなかった。なぜか()()はなくても()()はあったんだけどね。

 それに特に、この不死鳥が居てくれなかったら、間違いなく助からなかっただろう。作戦を一回お釈迦にされたけど、それ以降は本当にお世話になりました。実に都合よくバジリスクの解毒もできたしね! 

 ――いやほんとに、全部お見通しなんじゃないかと思うよ。

 

 とにかく、去年に引き続きハードだったけど、なんとか生き延びた。

 ギリギリの死の淵から生還したせいか、私もフラフラだ。帰ってお風呂入って寝たい。

 

 そんなことを思いながら立ち上がって、捨て置かれていた組み分け帽子と、インクが滴る日記を回収していると、ドラコが近づいてきた。 

 

「おい、ポッター」

「ん、ハリエットって呼んでくれるんじゃなかったの?」

「う、煩いな! いいから、どうやって帰る? 地下だろう、ここ。箒なしに飛ぶ魔法なんて使えないぞ」

「あ、私も、今は無理かも……お腹も空いてるし」

「そこなのか……いやそこだよな、お前は……」

 

 困った。最後の最後でこんなことで悩みたくない。

 

 と思っていると、ふわりと不死鳥が私たちの前を飛び、金の尾羽を振った。

 「掴まりな、嬢ちゃんたち」という感じだ。

 

 私たちは顔を見合わせて、何となく笑い合って、運んで行って貰うことにした。

 

 

 

「あ、忘れてた」

「何だ?」

 

 不死鳥に掴まる前に、杖を天に向けて唱える。

 

ディセンド(落ちろ)

 

 シュラッ、という金属の軽やかな音。そしてすぐに、天井から銀に輝く剣が降ってきた。

 手元に浮かべて見れば、たくさんの血糊に塗れても、その銀は美しかった。

 ドラコも興味深そうに覗き込む。

 

「こんな物も使ったのか……何で天井に刺さってたんだ?」

「今度話してあげる。私の武勇伝だよ」

「ふーん……持つよ」

「あら、ありがと。でも、すっごい重いよ?」

「おっと――そうか? そこまででもないが」

「………へえ~」

「何だよ」

「いや、ドラコって男の子だったんだぁと思って」

「今まで何だと思ってたんだ……」

 

 

 さっきまでの闘いが嘘のように。

 軽口を叩きながら、私たちは帰路についた。

 

 

 

 

 



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第18話 事後説明とパーティ

 

 秘密の部屋から脱出した私たちは、そのまま寮に帰るわけにもいかないようだった。

 不死鳥がついて来いとばかりに私たちを見ている。

 

 身体中、蛇の様々な粘液に塗れて歩くのも嫌だったので、「スコージファイ(清めよ)」で少しは身なりを整えてからトイレを出た。

 

 

 少し歩いて、校長室についた。

 

 強張った表情のドラコと顔を見合わせて、ノックをして入室する。

 部屋の中の全員が私たちを見た。

 そしてすぐに、暖炉の前の椅子から一人がパッと立ち上がり、ドラコに飛びついた。

 

「ああ! ドラコ! 無事なの? 無事なのね!?」

 

 ナルシッサさんだった。綺麗な顔が涙でぐしゃぐしゃだった。

 あまりの勢いにドラコはよろめいている。

 

 部屋には暖炉の前にルシウスさんとスネイプ先生、それにマクゴナガル先生が立っていた。中央の大きなデスクには――ダンブルドア先生がにっこりと笑っている。いつの間に帰って来たのやら。

 

「ああ、ハリエットさん!」

 

 と思っていると、私までナルシッサさんに強く抱きしめられた。

 

「あなたがドラコを救ってくれたのね!? ありがとう! ありがとう! 一体、どうやって!?」

「我々が皆、それを知りたいと思っているでしょうな」

 

 スネイプ先生が無表情に言った。無表情だけど、怒ってないあれ?

 ナルシッサさんの肩越しに目が合うと明らかに睨んできてるのですが。

 

「ミス・ポッター。話してくれますね?」

 

 マクゴナガル先生の言葉に頷くと、ナルシッサさんはようやく解放してくれた。

 注目が集まって少し気後れしたけど、私が話さないといけないことだ。中央のデスクに歩いて行き、日記と組み分け帽子、そしてドラコから受け取った剣をよいしょと置いた。

 

「えっと……」

 

 どう話せばいいかな、と考えたときにふと、思い出した。

 無くなった記憶のこととか話していいのかしら?

 ……本能が話すな話すなと煩い。前の私は多分、この知識のことをひた隠しにしている。

 しかたないな。

 

「あー。その、最初はクリスマス休暇のときに声を聴いたことで――」

 

 大体は本当のことを話しつつ、秘密の部屋の入り口はバジリスクの声を追って行ったら見つけたということにしておいた。流れで蛇語が話せるとバレてしまったけど、そのインパクトで多少の不自然さは隠せたかもしれない。

 

蛇語(パーセルタング)とは……信じがたい。本当に――」

「まあ、まあ、ルシウス。今は先を聞くとしよう」

 

 ダンブルドア先生が話を逸らしてくれたおかげで、下手に突っ込まれずに済んだ。

 

「入口を見つけたのはわかりました。ですがポッター 、一体全体どうやって、二人とも生きてその部屋を出られたというのですか?」

 

 マクゴナガル先生に促され、地下での戦いを簡単に語る。

 もちろん、ドラコの話を省いてだ。

 部屋に行くとドラコは倒れていて、日記からリドルが現れて闘ったことにした。

 後頭部に視線を感じるけど、無視無視。

 

「――という感じです。不死鳥が居てくれなければ危ないところでした」

 

 ――沈黙。

 誰も喋らない。きょろきょろと顔を見回すけど、みんな固まっている。

 え。何かまずいこと言ったかな。

 

 しばらくして、スネイプ先生がようやく口を開いた。

 

「こ、校長、念の為聖マンゴで検査を受けさせた方が良いのでは?」

「奇遇じゃのう、セブルス。わしもそう思っておったところじゃ」

「え、いや、大丈夫ですよ。今は元気ですって」

 

 と言うか元気じゃなかったらここには帰って来れませんて。

 両手を上げてぴょんぴょんジャンプして元気をアピールしてみた。

 

 再び流れる沈黙。えー。

 どうします? どうしようかのう? みたいなアイコンタクトのし合いを遮ったのはルシウスさんだった。

 

「本人が言うなら良いだろう。それよりもだ、ダンブルドア!」

 

 ルシウスさんは机越しにダンブルドア先生に詰め寄り、拳をデスクに叩き付けた。

 

「どう責任をとるつもりかね? 私の息子は殺されるところだった!」

「………」

 

 先生はその姿を黙って見ていた。心なしか、その視線は冷たい気がした。

 

「助かったから良いものの……犯人も見つかっていない始末! 生徒を預かる校長としていかがなものですかな」

「しかしのう、ルシウス」

「しかしも何も――」

 

「ぼっ、僕がやったんだ!!」

 

 大声の叫びに、部屋は水を打ったように静まり返った。

 声の主は、ドラコだった。

 

「……ド、ドラコ、何を言っているの? そんなことを――」

「ごめんなさい、母上」

 

 母の腕から抜けて、ドラコは前に進み出た。

 驚愕の顔で固まっているルシウスさんには何も言わず、校長の顔をしっかりと見た。

 

「僕が、やりました。壁に字を書いたのも、マグル生まれの生徒にバジリスクをけしかけたのも僕です。秘密の部屋には、自分で入りました。全て、僕の過ちです」

 

 ドラコの握りしめた拳が、ぶるぶると震えているのがわかった。

 この告白をするのに、どれほどの力が要っただろう。

 

 このまま誤解させるわけにはいかない。確かにドラコの想いに端を発するかもしれない。でも、彼に罪があるとは私には思えない。

 私は日記のことを話そうとダンブルドア先生を見て、はっとして固まった。

 

 半月型の眼鏡の奥、ブルーの瞳から涙が一筋、流れていた。

 

「素晴らしい」

 

 そう、先生は言った。

 

「素晴らしく、勇気のある行いじゃ、ドラコ」

「……当然のことです」

「当然と思える心が尊いのじゃ。己の過ちを認めることができる者は、あまりにも少ない」

 

 ダンブルドア先生は右手の指で涙をぬぐった。

 

「じゃがの、偏に君の過ちであると信じているものはおらんじゃろうて。ヴォルデモートがいかにして君を操ったか、聞かせてくれんかの?」

 

 そう言って微笑んで、私を見た。このお見通し感がここまで心強いのは初めてだ。

 

「この日記だったんです」

 

 机に手を伸ばして日記を取る。

 

「心を許した者の魂を奪い、操るんです。リドルは16歳のときにこれを書いて、自分の記憶を封じ込めたんです。ドラコは年度初めからずっと、これに操られてきたんだと思います」

「見事な、しかし恐ろしい魔法じゃ。どうかね? ドラコ」

「え、ええ、確かに、そうですが――」

「馬鹿者!」

 

 突如怒鳴ったのはまたしてもルシウスさんだった。

 今度はドラコに怒りの表情を向けている。

 

「ウィ……人に渡せと言ってあっただろう! なぜさっさと渡さなかっ――」

「ルシウス」

 

 凍えるような声に、ルシウスさんの表情が凍りついた。

 

「それ、どういうことかしら?」

 

 ナルシッサさんだった。

 

「い、いや……」

「まさかとは思うけど、ドラコが危険に晒されたの、あなたのせいじゃないでしょうね?」

「忠告しておくがの、ルシウス」

 

 ダンブルドア先生がのほほんと言葉を挟む。

 

「ヴォルデモートの昔の学用品をばらまくのは止した方が良いぞ」

「は?」

「校長!?」

 

 般若のような顔になったナルシッサさんに壁際まで追いつめられるルシウスさん。

 右、左と見まわして、味方がいないことに気づいたようだった。

 

「わ、私は一足早く帰らせていただこう! 校長、良い教育を頼みますぞ!」

「逃げんなコラ!!」

 

 ダッシュで追いつ追われつつ、退場していくマルフォイ夫妻でした。

 

 何度目かの無言が支配する校長室で、ドラコが呟いた。

 

「いいのか、こんなので。僕がやったこと流されそうなんだが」

「もっと年上の、もっと賢い魔法使いでさえ、ヴォルデモート卿にたぶらかされてきたのじゃ。そろそろマンドレイクの薬も完成し、被害はゼロじゃ。何も責められることはない」

 

 ダンブルドア先生の優しい言葉に、ドラコは戸惑いながらも頷いた。

 

「さてセブルス、ドラコを医務室へ。安静にして、それに、熱い湯気の出るようなココアをマグカップ一杯飲むがよい。わしはいつもそれで元気が出る」

「承知した。ドラコ」

「はい……じゃ、また」

「うん、またね」

 

 ドラコはスネイプ先生に連れられて出ていった。スネイプ先生には最後にまた一睨みされた。

 心配してくれてるんだろうけど、怖い。

 

「ミネルバ」

 

 続いてマクゴナガル先生に向かって話しかけた。

 

「これは一つ、盛大に祝宴を催す価値があると思うんじゃが。キッチンにそのことを知らせに行ってはくれまいか?」

「わかりました」

 

 マクゴナガル先生はキビキビ答え、ドアの方に向かった。

 と、出る直前に、思い出したように振り向いた。

 

「そういえば、ポッター」

「? はい」

「生徒の何人かが血眼になって探していましたから、早めに会いに行った方が良いでしょう」

「………。はい……わかりました」

 

 心配をかけたのは私なんだけど、そのときを思うと気分が重い。

 

 マクゴナガル先生は踵を返して出ていった。

 部屋には私と、ダンブルドア先生が残された。

 

 

「さて、ハリー。お座り」

 

 先生がそう言うと、いつの間にかすぐ後ろにふかふかの椅子があった。

 なんとなく胸騒ぎを覚えつつも座る。

 

「そう警戒せんでも良いよ。お説教をするわけではないのじゃから」

「い、いや、警戒なんてしてないです」

 

 校長先生と一対一は緊張するだけです。

 ダンブルドア先生は意に介していないように話し出した。

 

「まず事務的なことからいこうかの。君には『ホクワーツ特別功労賞』が授与される。それに、そうじゃな――うむ、300点をグリフィンドールに与えよう」

「あ、ありがとうございます」

 

 たしかにそうだけど、事務的なことって。

 そう思っていると、先生は表情を和らげた。

 

「そして、ハリー、わしからも君にお礼を言いたい」

「先生から、ですか……?」

「そうじゃ」

 

 ダンブルドア先生はゆっくりと頷いた。

 

「『秘密の部屋』の中で、君はわしに真の信頼を示してくれたに違いない。それでなければ、フォークスは君のところに呼び寄せられなかったはずじゃ」

 

 机の横の止まり木に不死鳥――フォークスが優雅に止まっていた。

 

「……私の方こそ、ありがとうございました。この子……フォークスがいなければ、きっと――」

 

 死んでいましたから、とは言い辛かった。

 先生はお見通しのように、目をきらりと光らせた。

 

「ハリー。君も、君を心配する者、君の危機に心痛める者が居ることはもう、言わずともわかっておるな? おそらくこの後、君の友人たちからも散々言われるじゃろう」

 

 優しい口調だった。

 全くその通りで、何も言い返せない。

 

「だからわしが言いたいのは別のことじゃ。君が助けたい者が居るように、君をこそ助けたい者も居る。それを覚えておいて欲しい」

「助けを借りろ、ということですか」

 

 ダンブルドア先生はまた頷いた。

 

「若いうちは人は何でも一人でやりたがる傾向がある。君には一人でできることは多いじゃろう。だが、一人ではできないこと、難しいこともある。それが二人ならば、三人ならば、できるやもしれぬ」

「………」

 

 助けを借りる。

 意識してみれば、確かに、今回も人の手を借りるという選択は最初からなかった。

 一人でできると確信してたわけじゃない。

 ただ、友達を、大切な人を危険に晒したくなかった。

 危険があるとわかっていて、そこに連れていくことはできなかった。

 

 私自身は突貫していったんだけど。

 

「今すぐそうあろうとせんでもよい。今は、そのことを覚えておいて欲しい。そして、君が壁にぶつかったときに、思い出して欲しいのじゃ」

「……わかりました」

 

 私が頷くのを見て、ダンブルドア先生の表情は朗らかな笑顔に変わり、ぱんと手を打った。

 

「お説教はここまで! ハリー、君には食べ物と睡眠が必要じゃ。お祝いの宴に行くがよい。わしはアズカバンに手紙を書く――森番を返してもらわねばのう」

「……はい、失礼します」

 

 結局お説教だったんかい、というのは胸に留めた。

 でも、今の先生の言葉はちゃんと覚えておこう。疲れが取れたら、また考えよう。

 

 それで思い出した。

 

「あの、校長先生」

「なにかの?」

 

 先生に一つのお願いをして、了承をもらい、私は校長室を後にした。

 

 

 

 

-----------

 

 

 

 

 くたくただったけど、宴会には頑張って出ようと思った。

 無事な姿を見せなければならない。

 

 大広間のテーブルにつくと、あっという間に囲まれた。

 みんな心配してくれたらしく、あと少しでグリフィンドール生総出で探しに行くところだったらしい。マクゴナガル先生が身体を張って止めなければ行ってた、とはロンの言葉だ。

 先生にも後で謝っておこう……。

 

 ラベンダーとパーバティは予想通りかなり心配してくれていた。

 ラベンダーはともかく、パーバティも泣かせてしまったのは申し訳なかった。静かに涙を流す姿は痛々しくて、罪悪感で潰されそうで、手を伸ばして抱きしめて謝った。冷やかすアホな男どもは強めに叩いておいた。

 でも、怪我が完治していたから良かったけど、また入院でもしていたらこれ以上の心配をかけることになっていただろう。もう一度フォークスに感謝しておいた。

 

 それにしても、確か今年の目標「あまり人に心配をかけない」だったような気がするけど……。

 来年に期待。努力する気はあるんです……。

 

 

 ひと段落してご飯を貪っていたら、石になっていた生徒たちが次々に戻ってきた。

 

 ハーマイオニーが「あなたが解決したのね!」と叫びながら駆け寄って来て押し倒された。

 コリンが「いくらでも撮って良いという電波を受信したのですが」とカメラ片手に近づいてきたので錯乱の呪文をかけてハッフルパフのテーブルに押し込んでおいた。

 

 それから私の300点で寮対抗杯を取ったり、期末テストが無しになったり、先輩とかに褒められたり、無事を喜ばれたり……嬉しいやら慌ただしいやらで目が回った。

 

 宴会は夜通し続いて、いつしか限界が訪れた私は広間のテーブルで寝落ちたようだった。

 

 アズカバンから帰ってきたハグリッドが寮に運んでくれたと、翌日聞いた。

 

 

 



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エピローグ 私ハリーの今年と来年

 

 

 学期の残りはあっという間に過ぎた。

 今年もホグワーツ特急に乗って、帰るときが来た。

 

 パーバティとハーマイオニーがハリエット保護同盟なるものを設立したらしく、二人とラベンダー、ルーナ、私という少し珍しい面子でコンパートメントを独占した。

 私への心配性同士、気が合ったのかもしれない。

 まあ、私が仲いい子同士が仲良くなるのは嬉しいけど……。

 

「ハリー、蛙チョコレートは?」

「今は大鍋ケーキの気分よ。そうでしょう?」

「そんなにたくさんは身体によくないわよ。虫歯になっちゃうわ」

「ハリーはいつもこのくらい食べるわ。ね?」

「そうなの? 栄養偏ってない? 背が伸びないのもそのせいかも」

「……確かに、そろそろ危機感を覚えてきたわね。小さいままなのも可愛いけど」

「来年までに栄養学を勉強して、献立作ってこようかしら」

「………」 

 

 なぜ私の食事の話をしているの。

 

「ねえ、あんたってほんとに同い年?」

 

 ルーナの雑誌越しの視線が痛い。

 うーん、保護と言うか、過保護同盟じゃないのこれ。

 

「結局ハリー、どっちを食べるの?」

「両方です」

 

 ラベンダーの問いには即答した。

 夏休みに向けて少しでも蓄えないとだし。

 あー栄養がー! と騒ぐ二人を余所に、お菓子を頬張る私だった。

 

 

 

 

 

「少し、いいか?」

 

 汽車から降りたとき、声をかけられた。

 ドラコが一人で立っていた。

 

 皆に一言断って、誰もいない待合室に入った。喧騒が阻まれて、二人きりになる。

 しばらくドラコは何もしゃべらず、眉を寄せて思案しているようだった。私も何も言わないで、しばらく時間が過ぎた。

 やがてドラコは、意を決したように顔を上げた。

 

「改めてになるんだが、やはり言っておこうと思う。……この間は、助かった。それに校長室でも、庇おうとしてくれて――ありがとう」

 

 そう言ったドラコの顔を思わずぽかん、と見てしまった。

 

「……何だよ」

「いや……そんな素直になる?」

「うるさいな! 今だけだ! 今だけだぞ!」

 

 顔に血が上るドラコを見て、本人だと確認する。

 

「よかった。また操られてるのかと思った」

 

 冗談めかしてそう言ったら、ふと、顔に影が差した。

 

「……そうかもしれない」

 

 あ、あれ? そんな深刻に受け取るの?

 

「いやいや、もちろん嘘だよ……?」

「でも、少なくとも今年の初めの僕だったら、さっきみたいなことは言わなかっただろう?」

「それはまあ、そうかもだけどさ」

「あれから、たまに怖くなるんだ」

 

 ドラコは静かに、でも思いつめた瞳で私を見た。

 

「僕が僕なのか。していることが本当に自分の意志か、わからなくなる」

「ドラコ……」

 

 私もドラコを見つめた。

 

 そして、頭にチョップをかました。

 

「考えすぎです」

「……え?」

「ドラコはドラコ。いつもみたいに偉ぶって、やりたいことをやればいいと思うよ」

「偉ぶってって、そんな風に見えてたのか……」

 

 むしろ自覚がなかったのか……。

 怒って奮起してくれればと思ったけど、溜息しか出てこない。かなり重症みたいだ。

 

 少し、考えた。

 元気づけたい、ってのもあるけど、多分ドラコは今、悩まなくていいことで悩んでいる。

 ドラコの知らない、当たり前のことを言おう。

 

「ええとね、この間私が助けに行ったのは、ドラコがドラコだったからだよ」

「……?」

「操られてたドラコじゃない。今のしおらしく落ち込んでるドラコでもない。休みのときの、私が知ったドラコだから、私は友達になりたかったし、助けに行きたいと思ったんだよ?」

「そうなのか……?」

 

 ぼんやりと相槌を打つドラコに、強く頷く。

 

「当然でしょ! 大丈夫、安心して。もしまた操られても、何度だって止めに行ってあげるから」

 

 そう言ってにっこりと笑って見せる。

 

「……はは、そうか。そうだな、うん――」

 

 私を見て、ドラコもようやく笑ってくれた。

 その笑みは、今まで見たことのないような、清々しいものだった。

 

「お前がそう言ってくれるなら、僕も自分を信じられるかもな。ハリエット」

 

 

 

 何かしてほしいことがあったら言え、とドラコは言った。

 

「別に見返りを求めて助けたわけじゃないよ」

「見返りじゃない。僕だってお前を助けたいんだ」

「……ありがと。じゃあ、とりあえず、ちょっとでいいからドビーに優しくしといて」

 

 私の為に指にアイロンとかかけてくれたし。まあ、散々苦労もさせられたけど。今度助けてくれるときはもう少し穏便な方法を取って欲しいところだ。

 ドラコはかなり怪訝そうな顔をしていたけど了承してくれて、それで私たちは別れた。

 

 

 

 

 

 また一年が終わる。

 

 友達と別れて、魔法界に背を向け、石の壁を抜けてマグルの世界へと戻る。

 そういえば、ここを通れなかったのが始まりだった。

 

 あのときは、今年がこんなに大変なことになるとは思っていなかった。

 この調子で毎年事件が大きくなっていったら、来年はどうなることかと今から怖い。

 

 いつか、私の手に負えなくなるときがくるだろうか。

 もしそうなったとき、私は私の生き方を変えられるだろうか。

 

――僕だってお前を助けたいんだ

――今は、そのことを覚えておいて欲しい。そして、君が壁にぶつかったときに、思い出して欲しいのじゃ

 

 声が蘇る。

 泣いていた友達を想う。

 

 私が来年に、あるいはこれからずっと、考えていかないといけないことなんだろう。

 

 

 人混みの奥で、相変わらず不機嫌そうなバーノン叔父さんが睨んでいるのを見つけてしまった。

 軽く息を吐いて、荷物の積まれたカートを押す。

 

 考えないといけない、けど。今この時くらいは、今年を想っていてもいいだろう。

 友達を助けられたことを。無事に帰って来れたことを。

 

 それと、不機嫌な叔父さんと過ごす夏休みの生き方についても。

 

 

 今年と来年に想いを馳せて、私は歩いた。

 

 



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閑話 G.L. の獄中

 

 

 イギリスの西。北海の中央にある魔法使いの刑務所、アズカバン。

 絶海に囲まれ、マグルからは見つからないよう呪文がかけられている。

 

 イギリス魔法界で罪を犯した者は概ねここに収監される。

 吸魂鬼(ディメンター)が看守を務めており、囚人は生きる喜びや幸福を吸い取られ、次第に食べる気力さえ失うようになる。

 

 ギルデロイ・ロックハートが、魔法の不適正使用の罪に問われアズカバンに入獄したのは、ほんの半年ほど前のことだ。しかし、彼の精神はお世辞にも、ディメンターに抵抗できるほど強靭ではなかった。

 気力を失い、惰性で少ない食事を摂り、眠る。

 かつてチャーミング・ロックハートと呼ばれた微笑みはそこには無く、疲れ切った男がそこにはいた。

 

 看守も、囚人たちも、あるいは彼自身でさえも、想像しえなかった。

 この男が、魔法界で初めて、アズカバンを脱獄した男になろうとは……。

 

 

 

 

 物語の導入としてはこんな感じか。

 と、ギルデロイ・ロックハートは考えた。

 

 暗い灰色の石の壁と鉄格子。

 魔法界唯一の監獄にしては特別な設備はない。

 だがここにはディメンターがいる。脱獄をしようという気力さえも奪われるここで、まともな思考能力を持っていられる者は少ない。

 基本妄想に籠ることでそれを成しているのは彼くらいだろうが。

 

 周囲は呻き声や悲鳴、嘆きや怨嗟で満ちている。泣き声のバリエーションも豊富だ。

 正気でいてもいいことがない。ロックハートはもう一度、自分の英雄譚に逃げ込もうと意識をぼやかしたとき。

 

「なあ、起きているんだろう?」

 

 壁越しに男の声が聞こえた。

 顔が見えるわけでもない。だがロックハートは、それが自分に呼び掛けられたものだとわかった。

 ここ最近、うんざりするほど何度も聞こえた声だったからだ。

 

「……またかね。もう話せることは話したよ」

「いいやまだだ。まだ彼女の私生活については聞いてない」

「なぜ知っていると思った?」

「なんだ、知らんのか」

「知らん」

 

 隣の囚人が言う「彼女」とは、ハリエット・ポッターのことだ。

 ロックハートが監獄にぶち込まれる原因を作った少女である。

 そのことは話していないが、世間話でホグワーツに居たことを話した途端、男は目の色を変えたようにハリエットのことを根掘り葉掘り聞いてきたのだ。

 さてはロリコンか。

 

「なら友達の話でもいいぞ! あの子がどんな子と付き合っているか知りたい!」

「13歳は犯罪なので、よしておいた方がいいと思いますよ」

「違うと言ってるだろう! 急によそよそしくなるんじゃあない! 私は純粋に彼女をだな――」

 

 さて、またこの話は長くなるぞと、ロックハートが聞き流す態勢に入ろうとしたときだった。

 

「KY391番! 面会希望者が来ている。出ろ!」

「また面会か! お前多すぎないか!」

「なぜ君が怒るんだ……」

 

 理不尽に怒りだす隣人に呆れながら、開かれた鉄格子を潜って独房の外に出た。狐の守護霊(パトローナス)を浮かべた看守が厳しい顔で立っている。

 

「いいか、帰ってきたらまた話をするぞ! 語り切れてないことも聞いてないことも山のようにあるはずだ!」

「静かにしろ!」

 

 バーン、と威嚇の呪文を看守が放ち、ようやく男は静かになった。

 

「さあ、歩け」

 

 促されるままに歩く。

 守護霊の近くにいることで、久しぶりに一息つくことができた。

 両親や二人の姉が頻繁に面会にやってくるのも、ディメンターの影響から束の間でも逃れられるようにらしい。ありがたいと思う反面、こんな自分に構ってほしくないという葛藤もあった。

 

 それにしても……隣の囚人はなんなのだろう、と考えた。ロリコンなどと言ったが、ロックハートも本心ではそうは思っていない。

 どちらかと言えば、娘を心配しているような感じを受けていた。

 しかし、彼女の両親が例のあの人に殺されたというのは子供でも知っていることだ。

 ただの異常者か、それとも……

 

 考えた所で頭を振って思考を追い出した。

 なぜあの少女のことで頭を悩ませなければならない。まだ出所後に出版する予定の本の内容を考えていた方が何倍もましだ。

 

 いつの間にか面会室についていた。

 看守が扉を開き、中へと促す。

 

 さて、今日は姉か母か。予想しながら入ったロックハートを――

 

「お久しぶりです。ロックハート先生」

 

 予想外の人物が迎えた。

 

 ハリエット・ポッターその人だった。

 肘掛け椅子に小さな身体がちょこんと収まっている。

 その背後、部屋の隅に、アルバス・ダンブルドアがゆったりと座り、ブルーの瞳でロックハートを見ていた。

 

「……もう先生ではないはずだがね。君のお陰で」

「あれは自業自得って言うんですよ」

 

 平然と毒を吐く姿に少し驚く。学校で過ごしていたときは、そんな印象はなかった。

 

「先生はお疲れみたいですね」

「ここに居れば誰だってそうなる――世間話をしに来たわけじゃないだろう?」

 

 ロックハートとしては、彼女と話をしていたい理由はない。

 用意されている椅子に座ろうともせず、話を急かした。

 

「わざわざ校長に頼んでまで、何をしに来たんだ?」

 

 ハリエットも長話をする気はなかったようで、頷き、すぐさま用件を言った。

 元々予期せぬ訪問、しかしそれはロックハートにとって、さらに予想外のものだった。

 

「記憶を返してください」

「――なんだって?」

「あなたが忘却術で消した私の記憶を返してください、と言いました」

 

 眉を顰めた。錯乱している様子はない。ちらりとダンブルドアの方を見ても、何も言う気も無いようだった。

 意味が分からない。

 

「何を言っているんだ? 記憶は消えてない。だからこそ私はここに居るのでは?」

 

 もしや当てつけか? とあり得ない想像まで浮かぶ。

 ハリエットは横に首を振った。

 

「いいえ、消えてます。それはあなたが一番よくわかっているでしょう?」

「……」

 

 身を乗り出しはっきりと断言する姿にロックハートは押し黙った。

 確かに、あのときの呪文(オブリビエイト)は成功した感覚があった。自分の最も得意分野の呪文だ。それくらいはわかる――はずだった。しかし実際、彼女の記憶は完璧に保持されたままだった。

 

()の記憶が消える前に、別の記憶が身代わりになったんです。その記憶を返して欲しい」

「……嫌だと言ったら?」

「無理やりにでも」

 

 即答だった。

 強い目をしている。本気であることは一瞬で伝わってきた。だが――

 

「君はそれでいいのか?」

「……どういう意味ですか」

「君が一番わかっているだろう? 今の君は、昔の君より自由に生きている」

 

 これでも人を見る目はあるのさ、と嘯く。

 半分カマかけだが、実際に以前の彼女と違うのはわかっていた。自らそれを捨てようとしていることも。

 だからこれは、ちょっとした意趣返し。嫌がらせだった。

 

「のびのびとした今の自分を捨てて、元の自分に戻ってもいいのかい? ハリエット」

「構いません」

 

 またしても、即答だった。

 

「私にはその記憶が必要ですから」

「……そうか」

 

 ならば何も言うことはない。

 

「私の杖は用意してくれているのかな?」

「ここじゃ」

 

 いつの間にかダンブルドアが近くに立っていた。

 手にはビロードの上に置かれた懐かしのマイ杖がある。

 

「これはどうも」

 

 手に取った。懐かしい手触り。

 ロックハートはしばらくその感触を楽しんでから、少女に杖を向けた。

 隣からの圧力が高まるのを感じた。下手な動きをすれば、目にもとまらぬ速さで呪いが飛んでくるだろう。

 

 小さな顔と肩をこわばらせて、少女はロックハートを見ていた。

 まあ、呪いをかけるつもりもない。

 

「フィニート・インカンターテム」

 

 呪文がハリエットの頭に吸い込まれ、彼女は反射的に目を閉じた。

 そのまま、30秒ほどもだろうか。眠ってしまったかのように動かなかった。

 

「……ああ」

 

 やがて、ふっと脱力し、ため息ともつかぬ声を漏らした。

 

「うん、ありがとう。ロックハート先生」

「もう先生ではないよ」

「そうだった。ごめんなさい――おっと」

 

 ハリエットは薄く笑って立ち上がり、よろめいて校長に支えられた。

 

「ハリー?」

「ありがとうございます、ダンブルドア先生。眩暈がしただけで………帰って記憶を整理したいです。連れてきていただいて、ありがとうございました」

 

 そう言って、ハリエット・ポッターはふらふらと面会室を出ていった。

 

「大丈夫なのか」

「あの子は強い子じゃ」

 

 思わず零した言葉に、ダンブルドアが素っ気なく答えた。

 

 杖を回収して、校長も早々に帰って行った。

 

 

 看守に連れられ来た道を戻りながら、来た時と同じようにハリエットのことを考えた。

 

 ほんの少しだけ、憐れみを感じていた。

 隣人の露骨なハリエット上げはうんざりしたが、ただそのおかげと言うべきか、そのせいと言うべきか、ひとつ、自分が間違ったことに気づいた。

 

 彼女は望んでいなかった。

 名声も、特異性も……両親の死も。

 自分とは違う。運命に巻き込まれるように有名になってしまった、闇の帝王の犠牲者。

 

 謝れば良かっただろうか、とちらり思ったが、すぐに打ち消した。

 自分も彼女のお陰でこんなところにいるのだからお相子である。

 

 もちろん心の底では、彼女の言う通り自業自得であったことは理解している。しかし気持ちはそう簡単には割り切れないものだ。

 

 

 自分の独房にたどり着く。

 

「帰って来たか! さあ――」

「静かにしろ!」

 

 懲りない隣の男が犬のように吠え、またしても威嚇の呪文が放たれていた。

 今の面会は忘れてしまおうと思ったが、隣の男がいる限りそれも無理かもしれない。

 

 そうでなくとも、少女のあの目はしばらく忘れられそうにない。

 

 

 

 

 

 数日後、その男が魔法界で初めてアズカバンを脱獄した男になろうとは、ロックハートには想像しえなかった。

 

 




以上、第二部完!
長かった……物理的に中弛みさせてしまいすみませんでした。
今後は章完結までは途切れないよう頑張ります。

とはいえアズカバンはまだほぼ何も無いので、何か思いつけば続きを書きたいと思います。
ひとまず区切りです。たくさんの感想、評価、誤字報告感謝です。大変励みになりました。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。



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アズカバンの囚人
エピローグ 私ハリーの終わりの後悔



 前回投稿から3分の1年経ってしまいました。
 ようやく一通り書き溜めができたので投稿です。


 

 

 また今年も一年が終わろうとしている。

 

 原作『ハリー・ポッター』の知識を持って生まれた私、ハリエット・ポッターが、魔法界に足を踏み入れて3年が経つ。

 

 

 1年目、「賢者の石」

 一昨年、私はホグワーツに入学した。

 いろいろと問題を起こした後で、自分と、あるいは原作と向き合い、私自身が何をしたいのかを考えた。

 その結果として、一人の命を救うことができたと思う。

 

 2年目、「秘密の部屋」

 去年だ。去年は生徒たちに直接被害が出るかもしれない、恐ろしい年だった。

 まあそれに怯えていたのも中盤までだったけど。私は途中から原作の知識を失っていたのだ。

 原作の記憶が無ければ、怯えるも何もない。気楽ではあった。

 でもそんな不安定な状態で、よく死者を出さずに切り抜けられた。

 

 

 入学から2年間、危ない場面はいくつもありつつも、なんとかやってきた。

 

 

 

 

 じゃあ、今年は。

 3年目、「アズカバンの囚人」

 

 私、ハリエット・ポッターのホグワーツ3年生のこの1年はどうだったか?

 

 

 去年、一昨年に及ぶべくもない。

 

 

 

 最悪の年だった。

 

 

 

 結局のところ、油断していたんだと思う。

 

 去年、一昨年に比べれば、危険のない年だろうと。

 ヴォルデモート卿が教師に憑りついているわけでもない。

 遭えば即死の怪物がうろついているわけでもない。

 

 今までよりも安心して、一年を終えられる。

 もしかしたら、原作より良い結果を求められるかもしれない。

 そんな風に考えていた。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

 勘違いしてしまっていた。

 今まで2年間を乗り越えてきたのだから、今年も大丈夫だと。

 その成功が、どれだけ危うい薄氷の上に乗っていたかを忘れていた。

 

 人生は階段のようで、うまくいくときは一歩一歩、ひとつずつ。

 でも、悪いことが起こるときは転げ落ちるように連鎖する。

 一歩でも足を踏み外せば真っ逆さまだ。

 

 今年、私が足を滑らせたのはいつだったか。

 思い返してみれば、いくつか心当たりがあるような気もする。

 私は神様じゃないから、正確になんてわかるわけないけど。

 

 あのときああしていれば、なんていうありきたりな後悔を抱いても、もう遅い。

 

 

 原作なんてとっくに崩壊してるんだから、もうこんなことを考えるのは馬鹿馬鹿しいかもしれない。

 

 それでもあえて言うなら、原作の「アズカバンの囚人」

 その結末を、私は迎えることができなかった。 

 

 後悔と、苦しさと、悲しみと、とにかく私の胸を裂けんばかりに締め付ける感情たち。

 そして何よりも、自分への怒り。

 

 

 過程は色々、違いはある。

 

 結果だけを言ってしまえば――

 

 

 

 シリウス・ブラックが命を落とした。

 

 

 

 



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第1話 今年度の方針と怒りの1週間

 

 みなさん、ご機嫌麗しゅう!

 ハリエット・ポッターだよ!

 

 本日7月30日。時刻は間もなく深夜0時を迎えようとしています。

 さて、問題。私は今何をしているでしょう?

 

 答え:布団の中で必死に音を殺して宿題をしています。

 

 なんだかなー。

 魔法の宿題をしているなんて叔父さんが知ったらそれはもう怒るから仕方ないんだよね……もう半ば諦めの境地に足を突っ込んでます。

 あと十何分かで13歳だっていうのに、中々に悲惨な私だ。

 

 叔父さんの魔法アレルギーはまだまだ健在のようで、休暇で帰って来るなり杖から教科書から下の物置に押し込まれた。

 まあその日の夕方にダドリーに取ってきてもらったんだけど。

 

 ダドリーとの仲は悪くない。

 ただ一つ危ないのが、最近ボクシングを始めたらしい。

 見た目大デブが中デブくらいになり、かなり筋肉質に。そしてパンチのキレが増した。

 ベタベタのインファイターをまともに相手はできない。身軽な身体を生かしてどこまで攪乱できるかが勝負のカギになる。

 蝶のように舞い、蜂のように刺す……モハメド・ハリと呼んで欲しい。

 

 

 まあ、そんな冗談は置いといて。

 手は動かしつつ、少し今の状況を整理しておきたい。

 

 私ハリエット・ポッターは、原作ことハリー・ポッターシリーズの知識を持ってこの世界に生まれた。

 今年は第3巻、「アズカバンの囚人」の事件が起こる年だ。

 それを踏まえた上で、今年私がどう動くべきか。

 

 何せ、その「原作」を思い出したのがつい先日のことなのだ。

 

 

 

 

 

 去年の暮れ、私はロックハートとかいうアホに忘却術をかけられて、原作の記憶をまるっと失った。

 アホは捕まってアズカバンに入れられたんだけど、そいつに面会に行って魔法を解いてもらったのが、ちょうど1週間前のことだ。

 半年間、原作を知らない純粋な「ハリエット・ポッター」として生きたのは気楽ではあったけど、一歩間違えば記憶が全部吹っ飛んでたことを思えば、アホに感謝する気は起きない。

 それに、死亡フラグ満載のこの世界。原作知識無しに無事に生きられる気がしない。

 

 記憶が一気に戻ってからは数日混乱の極みで、頭痛と眩暈に苛まれた。

 でもその結果、この謎の知識についてわかったことがある。

 

 どうやら「原作知識を持った私」と『この世界で生まれた私』は別のものである、ということ。

 生まれた時から既に両方の私がいたから、ふたつは殆ど同一の人格だ。でもこの半年は「原作知識の私」は消えて、『この世界の私』が純度100パーで生活していた。

 

 そのせいか、記憶が戻ってからは二つの人格が今までより区別できるようになった。

 区別といっても、今まで一本の紐だと思っていた精神が、よく見れば二本の編み紐だった、くらいの誤差だ。ほとんど同一人格だし、前と何かが大きく変わったわけでもない。

 思考の分割が楽になるかも、とかその程度のものだ。

 そう考えればむしろメリットかもしれない。

 

 

 ……私のことは置いといて、今年のことを考えよう。

 「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」……原作を思い起こしてみると、去年や一昨年に比べればかなり気が楽だ。

 人が死に得る要因が小さく、少しの介入で排除することも可能だろう。

 欲を言ってしまえば、去年の内に解決できる話だったんだけど。ロンのペット、スキャバーズ……ピーター・ペティグリューを校長につき出せば、それだけで多分、今年の事件は起こらなかっただろう。

 

 だというのに! いくらでもチャンスの合った去年、記憶を飛ばされていたのだ。

 頭の中でアホがウインクしてきたので、パンチを入れておく。

 

 その拍子に羽ペンを持つ手に力が入って、羊皮紙に穴を空けてしまった。

 

「うわ、まずい……」

 

 慌ててパジャマの袖でインクが付いたシーツを拭うけど、伸びて余計目立つようになってしまった。

 ペチュニア叔母さんに怒られる……。

 溜息を吐く。

 

 今年の事件の引き金は、「ウィーズリー家を映した新聞に載っているスキャバーズをシリウスが見ること」だったはず。

 つまり、記憶が戻った時点で、もう始まってしまっているのだ。

 

 起こってしまったのはもう、仕方がないけど、やるべきことは変わらない。

 ペティグリューを捕まえてしまえばいい。

 

 もちろん問答無用というわけではない。原作ではロンがスキャバーズ関連で相当荒れていたし、今後の展開がどうなるかわからないから、少し様子を見つつ。

 まあ最悪放っておいても問題ない気もするし、余裕を持ってやっていこう。

 

 うむ。

 勝ったッ! 第3巻完! も遠くはない。

 我々の勝利は目前である。

 ふあーっはっはっは!

 

 ……なぜだろう。何も安心できない。

 フラグじゃない! フラグじゃないからね!?

 

 

 

 独りで誰に向かっているのかわからない言い訳をしながらふと時計を見ると、いつの間にか0時を回っていた。

 13歳になってもう10分も過ぎてしまった。

 この家ではわたしの誕生日は存在しないも同然だけど、またひとつ歳を重ねられたことは素直に嬉しい。

 

 小声で「ハッピー・バースデー」を歌いながら、今年に想いを馳せる。

 来年の今日を無事に迎えることができるかは、今年一年の私の頑張りにかかっている。

 頑張ろう。 

 

 

 明日から、原作第3巻が動き出す。

 今年度の始まりを告げるイベントは、そう――マージおばさんの来襲である。

 

 

 

 

 

 

「第一に。マージに話すときは、いいか、礼儀をわきまえた言葉を話すんだぞ。第二に、マージはお前の異常さについては何も知らん。何か――何かキテレツなことはマージがいる間いっさい起こすな。行儀よくしろ。そして、第三に。マージにはお前が『セント・ブルータス更生不能非行少年院』に収容されていると言ってある。おまえは口裏を合わせるんだ。いいか、小娘。さもないとひどい目に遭うぞ!」

「ふーん」

 

 翌朝の朝食の席で捲し立てられた言葉に、私は気のない返事を返した。

 寝起きで頭が働かないのもあるけど、単純に聞いても意味のないことだからでもある。

 生返事が気に入らなかったのか、叔父さんの赤ら顔がずいと近づいてきた。

 

「わかったかと聞いているんだ!」

「わかってるって。ヘドウィグにもどっか行っててもらうし、変な真似もしないよ。そのセント何たらって施設の名前だけもっかい教えて」

「む、ん、お……?」

 

 予想外の物分かりの良さに目を白黒させた叔父さんだったけど、すぐに頭をぶんぶん振って、肩を怒らせ直した。

 

「『セント・ブルータス更生不能非行少年院』だ! お前が何を企んでいるのか知らんが……」

「企みなんかないって。あ、でもひとつお願いがあるんだった」

 

 ポケットからホグズミード行きの許可証を取り出して、叔父さんに見せた。

 

「なんだこれは?」

「学校から外出する許可証。叔父さんのサインが要るの。大人しくしてたら、これにサインしてくれる?」

「なぜわしが………いや、わかった、いいだろう。その代わり忘れるな! 『セント・ブルータス更生不能非行少年院』! 復唱!」

「せんとぶるーたすこうせいふのうひこうしょうねんいん」

「フン!」

 

 差し出した許可証を引っ掴み、ポケットにねじ込む叔父さん。苦虫を嚙み潰したような顔だけど、案外素直にお願いを聞いてくれた。

 私も素直にしていたのが良かったんだろうか。相変わらず疑いの眼差しは感じるけど。

 

 でも間違いなく私は、最初から大人しくしているつもりだったのだ。その結果サインをしてくれるなら、マージおばさんに更生不能非行少女だと思われようがどうでもいい。

 原作ハリーは忍耐力が足りずにキレ倒していたけど、何、来るとわかっているものに怒りはしませんよ。

 

「それじゃお前は、上に行って忌々しいふくろうをなんとかしろ。わしはマージを駅に……」

「あ、叔父さん」

 

 朝食を食べ終え、車のキーを取った叔父さんを呼び止める。

 

「なんだ、今度は……」

「マージおばさんに、私の両親のことわざと悪く言ったりはしないでね。それは怒るから」

 

 おばさんが言うのは諦めるけど。と付け加えると、叔父さんは返事はしないで少しだけ青くなって出ていった。

 去年の怒った私を思い出してくれたのかもしれない。

 もちろん学校の外で魔法は使っちゃいけないし、怒っても制御できるよう訓練もしているけど、それは叔父さんは知らないわけで。

 

 ふふふと笑う私に、ダドリーがベーコンをもごもご頬張りながら目線を向けてきた。

 

「お前……去年よりもなんか、手際? が良くなったな?」

「そう? そうかな」

「ああ。しっかりというか、ちゃっかりというか」

 

 そうだとしたら、私の中でも『この世界の私』の方だろう。

 去年の後半は、正直前世の私が意識に居たときよりしっかりしていた気がする。

 生きてきた年数は少なくとも、前世がある分今の私の方が長いはずなんだけどなあ。

 腑に落ちない。

 

「さあ、私たちも準備するわよ!」

 

 ペチュニア叔母さんがピシャリと言ったので、私達は慌てて朝食を掻き込む。

 叔母さんはそんなダドリーに笑顔を向けて、

 

「ダディちゃんはおめかししなくちゃね。素敵な蝶ネクタイを買っておいたのよ」

 

 と言った。そしてついでのように、私をちらりと見て付け加えた。

 

「あんたも、その髪を何とかおし。……ブラシくらいなら貸してあげるから」

 

 食パンをごくりと飲み込んだ。

 

「うん、ありがとう。頑張るよ」

 

 

 だが、この父さん譲りの髪は普通のブラシでは歯が立たない。

 思いっきり歯の欠けたブラシを返すことになった。叔母さん、ごめんなさい。

 

 

 

 

 誤算だったのは、滞在期間だった。

 だって、まさか1週間ずっといるとは思わなかったの。原作でもそんなに長い間居たっけ?

 

 

 マージおばさんがやって来て、顔を合わせた第一声は「ふん、お前、まだここに居たのかい!」だった。

 あはは、まあ、予想の範疇ですね。

 

 その後も事あるごとに、むしろ何事も無くても、私が何たら少年院に入れられて当然だとか、ダドリーと比べていかに劣っているかとか、役立たずの穀潰しだとか、嫁の貰い手なんてあるわけないとか、上げればキリがない豊富な貶し方を披露してくれた。

 あははは、まあ、罵詈雑言のボキャブラリーが増えたと思っておきましょう。

 

 ていうか用も無いのに呼びつけてまで言わないといけないですか、その嫌味?

 嫌いなら放っておいて欲しい。

 あとお尻を蹴らないで欲しい。地味にダメージが蓄積されていってる。

 

 それも別にいいのだ。1日とか2日ならば。

 さすがに毎日毎日そんな扱いをされていれば、私の気も滅入ってくる。

 対策として、頭の中でお菓子や魔法のことだけを考えに考えて、現実をシャットアウトするという手法を編み出した。13歳にもなって、頭の中がお菓子と魔法でいっぱいのメルヘン少女になってしまったことは、この際考えない。

 ただこれをすると、「ぬ」と「ね」の区別がつかなそうな顔になるらしく、マージおばさんはそれもまた気に食わないようだった。 

 

 

 4日ほど経って、とうとう私への暴言が思いつかなくなったのか、両親について貶しだした。

 暴言を思いつかなくなったら、言わなければ良いと思います。

 

「ブリーダーにとっちゃ基本原則の一つだがね、犬なら例外なしに原則通りだ。牝犬に欠陥があれば、その仔犬もどこかおかしくなるのさ」

 

 とか、

 

「お前の父親は無職で文無しで穀潰しで、自動車事故で死んじまったのも当然の報いだね。むしろ世の中のためだよ」

 

 とか。

 

 いやーあはははは。まあまあまあまあ、このくらいの暴言は想定内――

 

 

「なわけないだろー!!!」

 

 部屋の枕を全力で殴った。

 

 人って人のことこんなに悪く言えるの!?  もうなんか、びっくりしたー!!

 原作ハリーごめん! これはキレていい。忍耐力足りないとか言ってごめんなさいでした!!

 私は我慢するけどね! 約束だしね!!

 バーノン叔父さんも一応、両親のことは知らぬ存ぜぬで通してくれてるし? 挙動不審だけど!

 ペチュニア叔母さんも、やんわりと話題を避けようとはしてくれるし? ほぼ意味ないけど!

 ダドリー? あいつはお小遣い欲しさにすり寄っていくだけだから知らん。

 

「ハリー、おばさんが呼んでるぜ」

「いーやー!!」

 

 もう数えるのも億劫になった呼び出しに、私は頭を抱えて悶えた。

 

 

 

 とにかく、何を聞いても、反論はしない。反応もしない。

 こんな奴のためにホグズミードに行けなくなるなんてバカげている。

 

 むしろもう一人の『私』の方が激怒していて、終盤はずっと私は宥める側だった。何度あの(自主規制)ババアを破裂させようと言い出したかわからない。

 膨らませる、じゃなくて破裂とは。発想が過激で怖い。

 

 

 

 

 まあそんなこんなで、やっと一週間が経って、叔母さんは意気揚々と帰って行った。

 私は遠巻きに青くなるダーズリー一家に見向きもせず、幽鬼のような足取りで、無意識に壁にヒビを入れながら部屋に戻った。

 

 その後休みが明けるまで3週間、9割部屋に籠って過ごすのだった。

 

 



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第2'話 漏れ鍋と再会の友人

 

 

 起きたら、髪が伸びていた。

 そして荒れていた。森がジャングルくらいになっていた。

 

 さてはストレスか。

 ストレスで禿げる人は沢山いるだろうけど、ストレスで髪が伸びるのは私くらいのもんだろう。

 世の男性の怨嗟の声が聞こえた気がする。

 

 ベッドから立ち上がって、背中を鏡に映して肩越しに見てみた。

 今まででも腰の上くらいまであったのが、お尻を半分隠すくらいにまで来ている。しかもくせ毛の状態でそれだから、ピンと伸ばせば足まで届くかもしれない。

 ばっさり切っても良いけど、天パなのもあって髪だけでゴミ袋を一袋埋めそうだ。ご近所さんに事件性を疑われて通報されてしまう。

 魔法的効果を持った髪だからか、この長さでも邪魔にならない。今回はもうこのままでいいか。

 ……もっと気を使えという内なる意志を感じる。

 後で適当にまとめておきます。

 

 あくびをしながら窓に近寄って外を見ると、電車が走っていた。

 ここはロンドン。「漏れ鍋」の一室だ。

 

 

 夏休みの残りをダーズリー家で籠っているのももったいない。そう思った私は昨日のうちに、原作ハリーに倣って夜の騎士(ナイト)バスに乗り、ロンドンにやってきたのだった。

 バスの乗り心地は予想の3倍最悪だった。運転が荒いのと速いので、そこら中の窓ガラスにビッタンビッタン打ち付けられて、降りるころには身体中のお肉が柔らかくなっていたと思う。

 

 漏れ鍋に着くと、コーネリウス・ファッジ魔法省大臣が待っていて、原作同様お叱りを受けた。

 シリウスが脱獄している今、家出なんてのはもっての外、危険もいいところだったわけだ。実際には危険じゃないんだけど。

 そうでなくとも、こんなことに国のトップに出向いてもらって申し訳ない。つくづくこの身は特別扱いされている。二重の意味を込めて謝っておいた。

 

 まあそんなわけで、昨日からここに泊っている、というわけだ。

 時計を見ると、針は正午過ぎを示していた。だいぶ寝坊してしまった。 

 とりあえずいつもの手癖で、ベッドの脇に置いてあるブラシ(マダム・マルキンから貰ったやつ)を取って、ベッドに座って髪に当て始めた。

 

 このブラシ、丸2年使っていて、まだ壊れてはいない。とはいえ最近、髪を梳くたびに「オォーン、オォォーン」と悲痛な泣き声が聞こえるようになってきた。

 「もうあっしにゃ無理です姐さん……!」みたいな。

 貰いものだし大事に使っていたけど、流石に替え時なのかもしれない。丁度いいタイミングだし、新しいのを買っちゃおうか。

 

 そんなことを考えながら、私は着替えるため、ベッドの下のトランクに手を伸ばした。

 

 

-----

 

 

 漏れ鍋での残りの休みは快適なものだった。

 懐中電灯で毛布の中で宿題をする日々と比べればどんな所でも天国だろう。それでもここは、想像していたよりもずっと素敵なところだった。

 

 何よりも、興味を惹くものが尽きないダイアゴン横丁に好きな時に行けるのが良い。

 残っていた(大部分の)宿題も早々に片付けて、私は毎日ダイアゴン横丁に繰り出しては、魔法界の不思議な店を見て回って過ごした。

 

 大きなガラス球に入った動く銀河系の模型に心惹かれたり、純金の魔法薬調合セットの誘惑に必死で耐えたり、『怪物的な怪物の本』の扱いに困っていた書店の店主に扱い方を教えてあげたり、ファイアボルトが売られているクィディッチ専門店は早足で素通りしたり……。

 

 毎日ぶらついているとお店の人に顔を覚えられて、何だか出会うとお菓子をくれるようになった。笑顔で「持って行きな」と言ってくれるから、ほくほくと貰っては食べて、頭を撫でられたりしていた。

 もしかしてすごくちっちゃい子扱いされているのでは? と気づいたのは、道端でぽけっとキャンディを齧っているときだった。

 

 ホグワーツの知り合いにもちょくちょく遭いもした。

 残念ながら、仲の良い女の子たちやウィーズリー家やマルフォイ家の皆さんは見つけられなかったけど。

 

 

 

 そうこうしているうちに、あっという間に休みも終わり、学校に向かう時が来た。

 夏休みが終わるというのは、学生なら残念がるべきなのかもしれないけど、私は全然そんなことはない。

 友達にも会えるし、魔法も解禁される。懐かしのホグワーツに帰ることができる。

 もう3年目だっていうのに、新学期前日はなかなか眠れなかった。

 

 やっぱり私は、あの森と湖に囲まれた城が大好きなんだ。

 

 

 

 

 キングス・クロス駅までは過保護にも魔法省の役人さん2人が車で送ってくれた。

 荷物をカート乗せてもらうまでしてもらって、お礼を言ってから9と4分の3番線のホームに向かった。

 

 柱に偽装した改札を抜けてホームに入り、しばらく歩いていると懐かしい顔を見つけた。

 

「パーバティ!」

 

 双子の妹のパドマと一緒に歩く彼女を見つけて、ジャンプして手を振った。

 パーバティも気づいてくれたみたいで、パドマに断って笑顔でこっちに歩いてくる。

 私も駆け寄って、パッとハグをして再会を喜んだ。

 

「ハリー! 久しぶりね。休みはどうだった? ダイアゴン横丁に居たんでしょう?」

「そう! そうなの! 実はさあ……」

 

 手紙ではダイアゴン横丁に居ることしか伝えていなかったから、詳しい話はしていない。思わずマージおばさんの愚痴が溢れそうになったけど、久しぶりなのに最初からその話をするのも楽しくない。

 

「んー、また後で話す!」

「そう? 私は良いんだけど。……あら?」

 

 ニコニコ笑顔を浮かべていたパーバティが、不意に神妙な顔になった。

 

「ハリー、あなた……」

「え、え、何?」

「ストップ」

 

 顔を急に近づけてくるパーバティに、たじたじとなる。

 割と長い時間私を見ていたパーバティは、やがて言葉を漏らした。

 

「……やっぱり。随分伸びたわね」

「あ、髪のこと? まあ、これは……」

「いいえ、髪はもはや気にしないわ。身長の話よ」

「身長! え、ほんとに?」

「ええ。私の予想の2倍は伸びているわね」

「マジで!?」

 

 なんと。

 パーバティが言うなら間違いはない。気づかないうちに私も成長していたようだな。

 何となく、背筋をピンと伸ばしてみる。

 

「見違えたわ」

 

 真面目腐った顔で手を叩くパーバティ。

 

「ふへへ……それで、どのくらい伸びてるの?」

「そうね、1センチといったところかしら」

 

「…………え?」

「1センチ」

 

 私は頭の中で1センチという意味を考えたけど、どう考えても1センチは1センチだった。

 

「ご、誤差……」

「待って、ようく考えて。ハリーは元が小さいんだから、1センチの価値は他の人とは違うわ」

「言いたいことはわかるけど」

 

 身長でその考え方はどうなんだろう。

 

「というかよく1センチでわかったね」

「あら、当然よ」

「当然ですか」

「ちなみに私は3センチ程伸びたわ」

「ねえ、その情報今言うことだったかな? もう少し後に、こう、さりげなく伝えてほしかった」

 

 パーバティ予想は5ミリだったってことか……。

 私のポテンシャルにまるで期待されていない。

 

 半眼を向けても楽しそうにニコニコしていたパーバティが、不意に私の後ろを見て顔色を変え、一歩横にずれた。後ろ?

 ドタドタした足音が聞こえた、と思い振り向いたときには、視界いっぱいにピンクの大きなリボンが迫っていた。

 

「――――ハッリィィィ!!」

「ラべぶっ」

 

 勢いを殺すことなく突撃してきたたラベンダーに、そのまま抱きしめられた。

 

「久しぶり! 元気してた!? おばさん大丈夫だった!? 誕生日プレゼント送れなくてゴメンね! 今日持って来たから! 来たからぁ!!」

「ぐえぇ」

「はいはい、その辺で。ハリーが窒息しちゃうわよ」

 

 呆れ顔のパーバティが止めるまで、もみくちゃにされた。

 

 

 

 3人で入れるコンパートメントが運よく空いていて、私たちはそこに乗り込んだ。

 会わなかったのは2ヶ月くらいだけど、いろいろ話題は尽きなかった。

 

 新しい防衛術の先生は誰かとか、ロンたちがガリオンくじに当たったこととか、夏休みの話とか。

 

 ちなみにラベンダーのプレゼントは砂糖羽ペン(味替わり100種セット)だった。

 

「これで授業中もお菓子が食べられるわね!」

 

 と笑顔で渡してくれた。

 なんか、最近お菓子しかもらってない気がする。しかも授業中って……そんなに食い意地張ってるイメージかなあ、私。

 いや嬉しいんだけどね? 授業中舐めるんだけどね?

 

 車内販売でまたご飯やお菓子を買って、みんなで分けて食べた。

 

 列車は、のどかに遠く広がる小麦畑を過ぎて、山あいの線路を走っている。陽が沈んで、夜の帳が降りてきた。

 ホグワーツ特急はまだ3度目だから、外の景色もまだまだ目新しい。

 

 原作でも、この登校は事件の導入になっていることも多い。ホグワーツ特急の中でも、何度かハリーは……。

 

 

 ………。

 ………………。

 

 いや、違うんだよ。忘れてたわけじゃない。

 ちょっと学校に着いてからのことで頭がいっぱいだったといいますか。……つまり忘れてたんだけど!

 本当はこのときのために、2年生の内に覚えておこうと思ってたんだよ?

 『守護霊の呪文(パトローナス・チャーム)』。

 あー、ここでびしっと守護霊出して、吸魂鬼(ディメンター)を追い払えたらかっこよかったのになあ!

 

 私の中のもう一人の『私』が心底呆れたと嘆いている。

 いや君も同罪だから! 同一人物だから!

 だから一緒にトラウマ思い出して盛大に気絶しよう! ね?

 

 

 駅に着いてもいないのに、電車は速度を落としつつあった。

 

 

 

 

 



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第3話 昏倒!吸魂鬼(ディメンター)!とロンの憂鬱

 

 

「……リー! しっかりして!ハリー!」

「揺さぶってはいけない……大丈夫、すぐに起きる」

 

 ぼんやりと声が聞こえる。

 瞼越しに灯りを感じた。一時暗くなっていた列車内に、また灯がともったようだった。

 

「起きたのなら、これを食べさせておいてくれ。必ずだよ。私は運転手と話をしてこなければ」

 

 コンパートメントを離れて行く足音が聞こえる。ゆっくりと、私は目を開いた。

 

「ハリー!」

「大丈夫?」

 

 パーバティとラベンダーが心配そうに覗き込んでいる。

 盛大に気絶したらしい。列車はもう動き出してるようだった。

 

「あなた、急に気絶したの! 覚えている? 私がわかる? あなたの姉だけど!」

「……隙あらば偽の記憶植え付けようとしないで、ラベンダー」

「はぁ、何バカなこと言ってるの」

 

 軽口に安心したようにため息を吐いて、パーバティは四角い銀紙の包みを差し出してきた。

 身体に力が入らないけど、頑張って受け取って、まだ心配そうな顔を見上げる。

 

「チョコレート?」

「そうよ。さっきまでいた……先生?から貰ったの。私たちが騒いでたら来てくれて」

「名前も聞く間もなく行っちゃったね。新しい防衛術の先生かな」

 

 まず間違いなくルーピン先生だろう。話す間もなく行ってしまったようだけど。

 

 二人の腕を借りて危なっかしく座席に座る。

 チョコレートは吸魂鬼による鬱状態を緩和する効果がある。

 流石に食欲はないけど、包みを破いて無理矢理食べる。少し、身体に熱が戻ってきた。

 

「パーバティとラベンダーは? 食べなくて大丈夫?」

「私たちは大丈夫。ハリーが食べて。あなた、顔が真っ青だから」

 

 確かに、重たい風邪をひいた時のような身体の重さだ。傍から見てもかなりヤバいらしい。

 私から見る二人は特に変わった様子もない。今までに、トラウマになるような体験はしていないらしい。うん、良いことだ。

 

 チョコを食べながら思い返してみるに、私の感じたのは両親が殺された時のトラウマではなかった。

 何と言うか、「全てを失敗したとき」のトラウマというか、恐怖を思い起こさせられた。

 あの底なしの恐怖……()()()()()()()()()()()、また気分が悪くなってきた。

 思わず嘔吐きそうになって、口を押さえる。

 

「ハリー……!」

 

 ラベンダーが手を握ってくれて、パーバティが背中をさすってくれる。

 何度か無理矢理に大きく呼吸して、気持ちを押し静める。

 大丈夫、大丈夫だよ。

 残ったチョコレートを勢いよく全部口に押し込んだ。

 

「いやあ、情けないなあ! 1人だけ気絶しちゃうなんてさ」

「ハリー、無理してない?」

「大丈夫。感情なんて、実際に起こることに比べたらなんでもないわい!」

 

 少し強がって言ってみるけど、強がりだっていうのはバレバレみたいだった。

 困った子供を見るように眉を下げたパーバティが言う。

 

「少し休んだら着替えないといけないわ。もうすぐ駅に着いちゃうから」

「そうなのね。どうする? 手伝う!?」

「いや、それはホントに大丈夫」

 

 少し過保護すぎると思ったけど、そういえば彼女たちからすれば、秘密の部屋の事件もまだ記憶に新しいんだろう。

 年度早々、また心配をかけてしまった。

 

 でもこの年になって、友達に着替えさせてもらうのはさすがに恥ずかしい。

 

 

 

 

 

 ホグズミード駅に到着してからは、セストラルの牽く馬車に乗って城へ向かう。

 夜風を浴びながら馬車に揺られているうちに、気分も大分楽になって来た。

 校門の前に到着して、馬車からぴょんと飛び降りると、ドラゴンのような翼を揺らして引き返して行く。何台もの馬車でぐるぐるローテーションしているみたいだ。

 

 3人で歩き出そうとしたとき、聞き覚えのある声に呼び止められた。

 

「ここにいたのか!」

 

 振り向くと、ドラコ・マルフォイが立っていた。

 2年生のときより、背がかなり伸びている。少し声変りもしたようで、声の印象がかなり違った。

 ラベンダーとパーバティは、ドラコを見ると「あらあら」と口に手を当て、「あとは若いお二人で」と言い残してすたこら先に歩いて行った。仲人か何か……って、あれ? こんな展開あったっけ?

 

 ドラコはニヤニヤ去って行く二人に構わず、私にずんと近づいてきた。

 思いがけない剣幕にじりっと後退りする。

 

「おい、もう平気か? 気分はどうなんだ」

「えっと、元気だけど……」

「チョコレートは食べたか? あれは吸魂鬼の症状によく効くんだ」

「うん、食べた。防衛術の新しい先生がくれたから」

「そうか………ふん、ようやくまともな教師が見つかったってわけか」

 

 取ってつけたように憎まれ口を叩くドラコを見て合点がいった。

 私が気絶したことを聞いたのだろう。それで心配してくれたと。待っていてくれたと。

 

 ……や、優しい!

 優しすぎる。原作とは一体――!

 何だか感動してしまって、両手を握ってぶんぶん振った。

 

「ありがとう……ありがとう、ドラコ!」

「とっ、突然倒れられたら誰だって心配する、だろ!」

 

 ぺっ、と手を投げ出される。

 そのまま踵を返して、学校に向かって歩き出してしまった。と思うと立ち止まり、肩越しに私を見た。

 

「おい、早く行かないと宴会に遅れるぞ」

「あ、うん!」

 

 早足で歩くドラコを、小走りで追いかける。

 

「ねえ、休みはどうだった? どこか旅行とか行った?」

 

 後ろから話しかけると、面倒そうに眼の端で見つつも答えてくれた。

 

「……行ってない。去年のこともあるしな。大人しくしていたよ、父上も」

「ああ、そっか――」

 

 2年前の騒動を引き起こしたのがルシウス・マルフォイだと、知る者は知ることになった。その直後に豪遊していることが知られれば、印象は良くないだろう。

 

「ルシウスさん、私のこと怒ってた?」

「まあ、最初はな。でも、母上がお前の味方だからな……父上は勝てない」

「勝てないの?」

「ああ、勝てない」

 

 女が強いのは魔法界でも同じのようだ。

 しばらく黙っていた後、ドラコが付け加えるようにぽつりと呟いた。

 

「母上がお前をまた連れてこいと煩いから……またそのうち招待することになるかもしれないが」

 

 わお。

 

「それは、ええと……お呼ばれさせていただきます?」

「ああ」

 

 思っていたよりナルシッサさんに気に入られたみたいだ。

 意外、だけど……全然悪いことじゃないよね。

 

 

 いつの間にか校庭を抜けて、開け放たれた玄関に差し掛かった。

 この辺りに来ると人も集まってきて、ドラコがちょっと離れようとするのが面白かった。

 

「そういえば」

 

 大広間に入る前、ふと思い出したように、ドラコが言って立ち止まった。

 私も立ち止まってその顔を見た。悩んでいるような、迷っているような顔だった。

 

「どうしたの?」

「いや、お前は――」

「ポッター! 話があります。おいでなさい」

 

 不意に呼ばれて、ビクッとして見回すと、マクゴナガル先生がこっちを見ていた。

 多分、汽車で気絶したことについてだろう。原作でも呼び出されていた。

 

 ドラコを見ると、「行ってこい」という様に手で払われた。失礼な。

 

 まあ、何を言いたかったのかは想像がつく。シリウスのことだろう。私の両親の仇だってことをルシウスさんに聞いているはずだし。

 

「また今度ね」

 

 そう言って手を振って、先生の元へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 マクゴナガル先生と話してから宴会に戻ると、組み分けの儀式は終わってしまっていて、校長先生の話が始まるところだった。

 私はこっそりと生徒の間をすり抜けて、パーバティの隣に滑り込んで落ち着いた。

 

 ダンブルドア先生は、吸魂鬼が学校の入り口や抜け道に配備されるから十分注意すること、そして新任のルーピン先生とハグリッドを紹介した。

 

 私自身、吸魂鬼対策をしておかなきゃならない。とんでもないポカミスで忘れてしまっていたけど、守護霊の呪文は覚えておかなければいけない。来年以降に必要になる可能性も高いし。

 

 それから食事タイムが始まって、私は久しぶりの寮生たちと話したり、いつも通りドカ食いしたりした。

 

 宴会が終わると、生徒たちは寮生ごとに大広間を出て各々の談話室に向かった。

 私も疲れと満腹感でちょっとだけうとうとしながら廊下を歩く。

 このままベッドにダイブをしてしまえばどんなに気持ちいいかと思うけど、それはまだお預けだ。頭を振って眠気を追い払う。

 今回は開幕速攻。ロンを探さないと。

 周りはみんなグリフィンドール生だけど、見回しても見当たらない。

 男の子に聞けばわかるかな?

 

 

 「フォルチュナ・マジョール」とパーシーが唱え、太った婦人の大きな肖像画が開いた。

 目を輝かせた新入生たちがの後を付いて談話室へ入る。

 新入生の人数を数えて「おかしいな、一人多いぞ……?」とか言っているパーシーの脛を強めに蹴飛ばしてから、男子寮への階段に向かおうとしているシェーマスに小走りで駆け寄った。

 

「シェーマス!」

「やあ、ハリー。休みはどうだった?」

「後半はずっと『漏れ鍋』に……って、ごめん、その話はまた今度でいい? ずっとロンを探してるんだけど、上にいる?」

「いや、いないよ」

 

 シェーマスは考える素振りすら見せずに首を振った。

 

「まだ談話室に来てないはずだよ。大広間出たところで別れたから」

「あ、そうなんだ……どうして?」

「それは――ほら、本人に聞きなよ」

 

 シェーマスが私の背後を指さした。振り返って見れば、話題のロンが談話室へ入ってきたところだった。

 

「そうするね。ありがと、おやすみ! また明日」

「ああ」

 

 忙しなくロンの元へ向かった。

 初日から夜更かしする生徒は少なく、談話室も閑散とし始めている。

 

 ロンに近づくにつれて、その表情が沈んでいるのがわかった。心配事でもあるかのように顔をしかめて歩いている。

 近づく私にも気づかない様子だった。

 決して小さいからではない。

 

「ロン?」

「……ん、ああ、ハリーか。ごめん、気づかなかった」

「うん」

 

 上の空だったからね。ハグリッドにだって気づかないだろうね。

 まあ今はいい。とにかくスキャバーズのことを――

 

「……何かあったの?」

 

 ――聞こうとしたけど、見るからに落ち込んでいる顔を見て、思わずそう尋ねてしまった。

 困っているなら力になりたいし、それを放っておくような人でなしにはなりたくない。

 

 うん。ネズミのことは、一旦横に置いておこうじゃないか。

 

 私の言葉に、ロンはのろのろ頷いて短く答えた。

 

 

「スキャバーズが逃げた」

 

 

 置けてなかった。

 直球ど真ん中の話だった。

 

 

 



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第4'話 ネズミの行方と授業風景オムニバス

 

 

「スキャバーズが逃げた」

 

 そう言われてから、たっぷり数えて10秒は口を開けて絶句していた。

 

「…………あ、そうなの」

 

 そっかー。

 逃げちゃったか。

 

 ……こんな序盤だっけ?

 

 

「最近、なんだか元気がなかったんだ」

 

 ロンは暖炉の前のソファにどさっ、と身を投げ出して、大きくため息を吐いた。

 私は何となく手持無沙汰で、その前に立って髪先を弄る。

 

「ペットショップに診せに行ったりもしたんだけど。そのときは不細工な猫に追っかけられてまた散々で……スキャバーズ、かわいそうに」

「ああそれはしんぱいだねえ」

 

 ごめん。今、ここ数年で一番心が籠ってなかった。

 そんな私の適当の極みのような相槌にも、ロンは深く頷いた。

 

「ああ、心配だよ。でも、もう12年もうちで飼ってるんだ。きっと戻ってきてくれるさ」

「……なるほど?」

「明日になったらひょっこり枕元に居るかもしれない……僕、もう寝るよ。おやすみ」

「うん、おやすみ」

 

 ロンは疲れた顔をして立ち上がり、男子寮へ上って行った。

 

 それを見送って姿が見えなくなると、私はロンが座っていたソファにぽすんと腰を下ろした。

 図らずも、さっきロンの再現のように溜息を吐いてしまった。

 

 どうやら私という人間の物語は、最初も最初から思い通りになっていないようだ。

 この広大な城の中から、20センチも満たないネズミを探さなくちゃいけない。

 

「……いや無理でしょー」

 

 単純に広いのもあるけど、ここはホグワーツ。抜け道、横穴、動く部屋に階段と、なんでもござれだ。しかも壁の中にはネズミが何百匹も棲んでいる。もしかすると何千匹かも。

 指が欠けているってのは知ってるけど、それも捕まえて調べてみないとわからないわけだし。ネズミの群れの前では何の役にも立たない。

 

 ……まあ極端なことを言ってしまえば、ペティグリューを捕まえなくたって問題はない。だって原作でも結局は戻ってこないわけだし。

 シリウスが()()()学校から去れば、それで私は何も言うことはない。

 

 そのままペティグリューも去れば原作通り。ロンの元へ戻って来るなら、それこそ捕まえてやればいい。

 あるいは、もう既に城から去っている、ということも考えられるけど……

 

 それはないだろう。

 

 ペティグリューが12年前にウィーズリー家を選んだ理由はわからない。でも、12年もの間安全に暮らした宿をあっさりと捨てるのは惜しいはずだ。次もそんな良い家が見つかる保証もない。

 実際原作では、事故物件もいいところのヴォルデモートさん家に転がり込んでいる。

 シリウスが掴まるまでの辛抱だ――そう自分に言い聞かせて、意地汚く下水道かどこかに潜む姿が目に浮かぶようだった。

 

 つまり、まだ時間はある。チャンスがある。

 状況は最高ではないけど、最悪にも程遠い。

 ハリエット・ポッターの第3巻は、まだ始まったばかりなのだ。

 

「よしっ! やってやるぞ!」

「騒がしいぞ! 早く休みたまえ!」

「……はーい」

 

 監督生(パーシー)に叱られて、私もすごすごと女子寮へ上って行った。

 

 

 

 

 

 

 新学期初めての授業は……占い学だった。

 

 ………。

 出鼻を挫いてくるチョイス!

 去年パーバティとラベンダーの勢いに押されて受講すると言ってしまったし、授業を受けなくてはならない。

 朝からテンションが高い友人たちに引き攣った笑いを返しつつ、のろのろ北塔に向かった。

 

 授業内容は驚くほど変わらなかった。

 トレローニー先生が戦慄きながら、「私はそのうち死ぬ」と予言してくれた。あとついでに、何人かにも不幸が訪れると言って回っていた。

 まるで悪徳商法のようだ。壺とかを買わせたがらないだけまだ良いけど……いや、むしろ壺を買ったら止めてくれるだけ悪徳商法の方がまだマシだよ。そうに違いない。

 そんな支離滅裂なことを考えていたら、いつの間にか授業は終わっていた。

 

 初回終わりの時点では、パーバティはまだ半信半疑(でも赤毛に気を付けろと言われて露骨にロンから距離を置いていた)、ラベンダーは8割5分信じかけている、というくらいだった。

 まだ完全にのめり込んではいない。なんとか手遅れになる前に占い学の沼から引き揚げなきゃ。

 私とトレローニー先生の、壮絶な洗脳バトルが始まろうとしていた……!

 ネタバレ:負けます。

 

 

 

 次からはラベンダー達は選択していない授業だった。

 数占い――別名「数秘術」の授業だった。数占いは、「占い」と付いてはいるけど、占い学と違ってかなり体系的(システマチック)な教科だ。

 初回は手始めに、自分の誕生日から占いをしてみた。こちらの結果は可もなく不可もなくと言った感じだったけど、その方が本物っぽく思える。

 今後は姓名から表される数字や、過去の日数のデータに基づき……どうのこうの。

 講義になると開始数分で眠気が襲ってくる。正直私には向いてない教科だけど、もう一人の『私』が熱心に聞いていたようだから、きっと大丈夫大丈夫。

 

 

 

 数占いが終われば、今度はマグル学。

 私としては、こっちの方が興味が持てる。

 前世の半端な記憶もあるし、今世の10年間もある。マグルについてはよくわかっているんだけど、「魔法使いから見たマグル」というのが絶妙にズレていて面白いのだ。

 基礎知識は元々あるのだから、そういう視点に立って授業を受けたり、レポートを書いたりするのも悪くないと思う。

 

 

 

 マグル学が終わったら……何だっけ?

 頭がごっちゃになって来た。廊下の端で時間割を引っ張り出して確認する。そうそう、変身術だった。

 早足で歩いて、北塔から歩いてきたラベンダー達を見つけた。

 

「ハリー! 探したわよ! 目の届かないところに行かないで、死んじゃったらどうするの!」

「そんな大げさな」

 

 城の中を歩いているだけで危険なのは去年で十分だ。

 と、ラベンダーに右腕をがっちり掴まれる。

 

「トレローニー先生の先祖、カッサンドラ・トレローニーは有名な『予見者』よ。注意するに越したことはないわ」

 

 パーバティに左腕をロックされる。

 

「はは、そんなまさか。そうそう死ぬようなことなんて起こりっこないって」

「あなたがそれを言うの?」

「説得力皆無ってわかってる?」

 

 そのまま引きずられて行く私。

 連行される宇宙人の図だった。

 

 

 

 変身術では、マクゴナガル先生が「動物もどき(アニメ―ガス)」の実演を見せてくれた。

 猫に変身した先生が、あっという間に再び人の姿に戻る。相変わらず見事な変身に、私はやんややんやと拍手を送る。

 

「ありがとうミス・ポッター。ですが、私の変身がクラスでたった一人からしか拍手がもらえなかったのは、これが初めてです」

 

 何か理由が? と生徒たちを見るマクゴナガル先生。

 磁力でもあるかのように、一斉に私を見る生徒たち。 

 私の左をカバーし続けるパーバティが、そろそろと手を上げた。

 

「あの、私たち、占い学の授業を受けてきたんです」

「ああ、そういうことでしたか」

 

 先生が顔をしかめた。

 

「それ以上は結構です。今年は一体、誰が死ぬことになったのですか?」

「はい! 私です、先生!」

「………なぜあなた一人が逆に元気なのか、理解に苦しみますが、今回ばかりはそれでよろしい」

 

 私をジト目で見ながらも、マクゴナガル先生は言った。

 

「シビル・トレローニーは本校に着任してからというもの、一年に一人の生徒の死を予言してきましたが、いまだに誰一人として死んではいません。死の前兆を予言するのは、新しいクラスを迎えるときのあの方のお気に入りの流儀です」

 

 ほとんどはっきりと、「気にするだけムダ」と言い切ってしまわれた。

 それでも何人かの生徒たちはまだ不安そうだったけど、当の私がケロッとしているものだから力が抜けたようだった。よしよし、そのまま忘れて欲しい。

 

「ポッター、私の見るところ、あなたは健康そのものです。ですから、今日の宿題を免除したりいたしませんからそのつもりで。ただし、もしあなたが死んだら、提出しなくても結構です」

 

 さすがにこれには何人かが吹き出した。

 私に気を遣ってくれたのかもしれない。

 

 

 

 変身術が終わって、ようやく昼休みになった。

 まだ1日が半分しか終わってない……。授業自体久しぶりなのもあって、体力的にも精神的にも夕方くらいに思える。

 

 

 昼食が終わって、次は「魔法生物飼育学」だった。

 雨上がりのうす鼠色の空の下を、しっとりとした草を踏み踏み、ハグリッドの小屋へ向かう。

 

 授業はスリザリンと合同だった。

 ハグリッドの小屋の前で待っていると、後からドラコたちがやってきた。そのとき一瞬私を見たけど、直ぐに目を逸らされてしまった。さすがにクラッブやゴイルたちの前で話しかけてくる気はないみたいだ。

 

「今日はみんなにいいもんがあるぞ! みんな来たか? よーし。ついてこいや!」

 

 上機嫌なハグリッドは森の緑に沿ってどんどん歩いて、皆を放牧場のようなところに連れてきた。

 「怪物的な怪物の本」の宥め方を私が書店の店主に伝えていたお陰で、大体の生徒が教科書を開くことができていて、ハグリッドは満足そうだった。

 今日の題材はヒッポグリフ。誇り高く、侮辱されると怒り、接するにはお辞儀をしないといけないという、どこぞの闇の帝王のような魔法生物だ。

 

 生徒たちが一人ずつお辞儀をして撫でさせてもらう。

 ドラコも面白くなさそうな顔をしながらも、普通にお辞儀して触っていた。

 

 触ってみればけっこうふわふわだし、見た目もかっこいいかもと思うけど、その後ヒッポグリフに乗せてもらうのは全力で遠慮した。

 高いの、嫌いだし。絶対振り落とされるし。

 

 結局、身代わりにロンと、なぜかドラコが連れて行かれて相乗りさせられていた。

 

「「ああああああああ!!!!」」

「何ちゅうバイブスだ。聞いてみい、あの雄叫びを!」

 

 ハグリッドがそんなことを言っていたけど、どう聞いても悲鳴でしかなかった。

 南無。

 

 

 それにしても、薄々期待していたとはいえ、ドラコが問題を起こさないでいてくれたのは嬉しかった。ハグリッドの授業も成功で終わったし、バックビークの処刑騒ぎも起きない。いいこと尽くめだ。

 

 あと余談だけど、ロンとドラコがこれをきっかけに少しだけ仲良くなったらしい。

 

 めでたしめでたし。

 

 

 



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第5話 まね妖怪とホグズミード

  

 

 

 初週の最後の授業は「闇の魔術に対する防衛術」の授業だった。

 

 ルーピン先生の初授業だ。

 先生の先導に従って、職員室へ向かった。職員室の端の棚がガタガタと生きがいい。

 スペースを空けてみんなを集めて、ルーピン先生が話し始めた。

 

「今日は実地訓練だ。この中にはボガート(まね妖怪)が入っている。ボガートが何かわかる人、いるかな?」

 

 周りを見て誰も答えないようなので、私はピッと手を挙げた。

 

「ハリー?」

「えーと、形態模写妖怪(シェイプシフター)です。私たちが一番怖いと思うのはこれだ、と判断すると、それに姿を変えることができます」

「……レイブンクローにも、一言一句同じ完璧な回答をしてくれた子がいた。さすが、学年首席を争う二人ということかな」

 

 そうか、ハーマイオニーの方が先に授業を受けたんだ。

 先生は笑顔で褒めてくれたけど、ごめんなさい、私の方はカンニングです。

 

 でもさあ! 原作のカンニングだって、覚えていたらもう私の知識じゃないですか!?

 私の情けない心の叫びを余所に、ルーピン先生は説明を続ける。

 

「ボガートが本当はどんな姿をしているのかは誰も知らない。私たちが目にするときは、もう変身した後の姿なんだ。つまりこの状況は既に私たちが大変有利だ。ロン、なぜかわかるかな?」

 

 突然指名され、ロンは欠伸を引っ込めたようだった。

 

「へぇ、っと……僕たちの方が何人もいるから、何に変身したらいいかわからない、とか……」

「素晴らしい、その通りだ」

 

 ロンは自信なさげだったけど、ルーピン先生は力強く肯定した。

 

「ボガートが混乱するからね。首のない死体に変身すべきか、人肉を食らうナメクジになるべきか? 私はボガートがまさにその過ちを犯したのを一度見たことがある――一度に二人を脅そうとしてね、半身ナメクジに変身したんだ。どう見ても恐ろしいとは言えなかった」

 

 みんなその光景を想像したのか、笑い声が湧く。

 

「さて、ボガートを退散させる呪文は簡単だ。だが精神力が必要だ。こいつを本当にやっつけるのは笑いなんだ。みんなで言ってみよう。『リディクラス』!」

「リディクラス!」

 

 ルーピン先生は満足そうに頷いた。

 

「そう、とても上手だ! でも呪文だけでは足りない。怖いものを想像して、その姿が滑稽なものに変わるようイメージするんだ。さあ、ネビル、君の出番だ」

 

 ネビルの呪文で、ボガートスネイプ先生が女装させられて、それを皮切りに演習が始まった。

 みんなが次々に恐ろしいものを面白おかしく改変していく。

 

 ロンは蜘蛛、パーバティはミイラ、シェーマスはバンシー……。

 私も早く考えないと。

 

 私の怖いもの……なんだろう。

 真面目に考えるなら「友人の死」とかだけど、そんな本気なものをこの雰囲気の中にぶっこむのも良くない。

 原作通りにヴォルデモートや吸魂鬼を想像すれば、原作通り妨害されてしまうかもしれない。

 折角だし、自分で倒してみたい。

 

「さあ、次はハリー!」

「えっ!?」

 

 考えているうちに、いつの間にか順番が回ってきてしまっていた。

 やばい、何も思いついていない……このままだとろくでもないものに変身してしまいそうだ。

 怖いもの……怖い人……怖いこと――

 

「あっ」

 

 果たして、ボガートは――

 ぽん、と軽い音を立てて、一本の箒に変身した。

 

「ん?」

 

 身構えていたルーピン先生が固まる。

 一斉に噴き出すクラスメイトたち。仏頂面の私。

 

「あーもう! リディクラス!!」

 

 途端、バーン!と爆発したように箒のお尻から火が噴射されて、ロケットのように部屋の中を狂ったように飛び回った。生徒たちが慌てて頭を抱える中、最後には盛大に床に突き刺った。

 しばらくは頑張って抜けようと震えていたけど、やがて力尽きたのか、ボフンとたくさんの煙の筋のようになって消えて行った。

 

「よくやった!」

 

 みんなが笑いながら拍手する中で、ルーピン先生が声を張り上げた。

 

「ハリー、素晴らしい! みんなもそう笑うものじゃない……。ボガートと対決した生徒につき5点! ハリーとロンは10点だ。私の質問に正確に答えてくれたからね。宿題は、ボガートに関する章を読んでまとめを提出してれ……月曜までだ。今日はこれでおしまい!」

 

 がやがやと笑いを含んだ空気のまま、私たちは職員室を後にした。

 私は仏頂面のままである。先生も言ってたけど、そんなに笑わなくてもよかろうに。

 

 ……前向きに考えれば、あの事故が笑い話になっているってことではある。首が180度折れたらしいあの大事故が。

 相変わらず私の箒は地上60センチまでしか浮かないけどね!

 

 

 

 

 

 

 しばらく防衛術のことでからかわれたけど、その度にフーッ!と威嚇していたらいつしか収まった。

 最近の生徒たちの話題は、もっぱらホグズミードのことで持ち切りだ。ハロウィンの日に、ホグズミード行きが解禁となったのだ。

 クラスメイトたちはワイワイと、ハニーデュークスでお菓子を買い込もう、三本の箒でバタービールを飲もう、などと話している。

 原作ハリーはそれを寂しそうに聞いているだけだったけど、私は違う!

 許可証に燦然と輝く「バーノン・ダーズリー」のサイン。もはやポケットに持ち歩いているほどに、私もホグズミードを心待ちにしていた。

 

 

 

 しかし。

 なんの因果か、あるいは強制力か。

 ハロウィン前日の夜になって、私はマクゴナガル先生の事務室に呼び出された。

 

 ノックして部屋に入れば、デスクに座って手を組んでいたマクゴナガル先生が、無言で前の椅子を示した。

 

 下手をすればいつも以上に厳しい顔の先生。私も無言で椅子に腰掛け、ちらりと部屋の隅を見た。

 スネイプ先生が、これまた無言で佇んでいる。2人の先生を交互に見るけど、どちらもスネイプ先生がいる理由を説明する気は無いみたいだった。

 無言の時間が少しあって、謎のプレッシャーに押し潰されそうな私だった。

 やがて、マクゴナガル先生が口火を切った。

 

「ポッター」

「ひゃいっ」

「落ち着きなさい」

 

 水を勧められた。黙って飲む。

 先生は一呼吸おいて続けた。

 

「度重なる職員会議の結果。やはりあなたがホグズミードに行くことは許可できない、という結論に達しました」

「――え?」

 

 意味を汲むのに浅くひと呼吸、ふた呼吸……時間がかかった。

 

「行けないって――で、でも先生、ほら! 許可証にサインだってちゃんとここに――」

「シリウス・ブラックが目撃されたのです。ポッター、もはや隠すときではないと判断します」

 

 許可証を掲げた両手が萎れた。

 

 マクゴナガル先生がシリウスが私を狙っているんだと力説してくれている。

 原作でウィーズリー叔父さんがしてくれていた触りだけの説明だ。

 

 でも私は心ここに在らず、まだ見ぬおじさんに恨み言を発信していた。

 

 シリウスおじさん……そんなのってないよ〜。

 「おじさん犯人じゃないんで大丈夫でーっす!」ウインク!ピース!ポーーーズ!!! で心から叫びたい。

 

「あなたを無防備にも一人でホグズミードに行かせることはできない、という判断です」

 

 マクゴナガル先生がそう締めくくった。

 当然叫ぶわけにもいかない。ピースだけふにゃっと出かかっている右手を左手で押し戻した。

 

 まあ、仕方ないか。そういうこともあるよね。

 ふっと息を吐いて、先生を見上げて言った。

 

「わかりました……今年は部屋で大人しくしておけば良いんですね」

 

 無意識に、かなり沈んだ声が出て驚いた。

 自分で思っていたより、ホグズミードが楽しみだったみたいだ、私。

 つん、と、鼻の奥が熱くなる。

 

「違う」

「……えっ?」

 

 予想と真逆の返答が、マクゴナガル先生――ではなく、部屋の隅に佇んでいたスネイプ先生から聞こえた。

 

「一人で行かせることはできない、と言っただろう。ならば一人でなければ良い。護衛が付くのなら認める、というのが我々の判断だ、ポッター」

「まさか」

 

 また先生たちをきょろきょろと交互に見てしまう。

 マクゴナガル先生は渋い顔だった。

 

「私はあまり賛成できないのですが……セブルスが付いているのなら安全でしょう」

「先生……!!」

 

 ぱっと立ち上がって、スネイプ先生に向かって頭を下げた。

 

「ありがとうございます!!!」

「偶然手が空いていただけだ」

「……よく言います」

「ミネルバ、何か?」

「いいえ、セブルス。何も?」

 

 謎のやり取りが行われているけど、私はホグズミードに無事行けることがわかってスキップでもしたい気分だった。

 

「明日は10時に玄関ホールだ。遅れるな」

「よろしくお願いします!」

 

 来た時と正反対で、意気揚々と寮への道をスキップして戻った。

 

 

 

 

 

 翌日。

 

「スネイプせんせい、今日は引率、よろしくお願いしますっ!」

 

 スネイプ先生は10時ぴったりに玄関ホールに現れた。

 私と言えば6時には起きて、邪魔な前髪をせっせとかき分け、お菓子を楽しみに朝食は控えめに、9時半には待機していた。

 10時にもなればほとんどの生徒はもう出発していて、ホールは閑散としている。そんな中で勢いよく頭を下げた私を、先生は眉をひそめて見た。

 

「ポッター」

「はいっ」

「なぜグレンジャーがいるのだ」

「なんか1人で行きそうな雰囲気を出していたので」

 

 二人でもう一人……ハーマイオニーの方を見る。

 

「べ、別に友達がいないわけじゃないんです。ただ、同学年に反りの合う子がいないだけで……」

 

 なぜか聞いてもいない弁解を始めるハーマイオニー。

 まあ、どんな言い訳をしようと一人でホグズミードにとぼとぼ向かおうとしていた事実がある。

 ちなみに私も一人なのは、私から同行を遠慮したからだ。グリフィンドールの友達も、スネイプ先生がいたら窮屈だろう。

 

 そんなわけで一人寂しく先生を待っていた私が、同じく一人寂しく歩くハーマイオニーを見つけて、ぼっち同士が融合したのである。

 ハーマイオニーはレイブンクローだからか、原作のようにスネイプ先生と反目しあっているわけでもないようだし、丁度いい。

 

「あの、ご迷惑でしたか?」

 

 ハーマイオニーが上目遣いで尋ねる。スネイプ先生は表情を変えずに答えた。

 

「……一人も二人も変わらん」

「いいってさ」

「あ、ありがとうございます!」

 

 速報。セブルス・スネイプ、両手に花。空前のモテ期到来か――!?

 あ、ごめんなさい、変なこと考えません。

 一瞬で睨まれた。一流の開心術士の前では頭の中でも迂闊にからかえない。

 

 まあともかく、そんな感じで私たち3人のパーティが完成した。

 いざ、ホグズミードへ。

 

 

 

 私とハーマイオニーが並んで先を歩き、数メートル後ろをスネイプ先生が影のように付いてくる。

 何度か後ろを振り返っていたら、気にするなという風に睨まれてしまった。

 それならと、ハーマイオニーと計画を立てながら歩いた。

 

「17時には戻らないといけないから、16時半に発つことにしましょう。お昼は三本の箒で食べるとして、他に行ってみたいのは叫びの屋敷ね。イギリスで一番怖い幽霊屋敷なんだそうよ。魔法界の幽霊屋敷ってすごく気になるわ。中に入れたりするのかしら? ハリーはどこか行きたいところはある?」

「そうだね。ハニーデュークスのお菓子の店とか、いかがでしょう」

 

 「とか」とか言ってるけど、当然そこが本命だ。

 この日のために検知不可能拡大呪文が掛かったポシェットまで下げて来ているのだ。これがあれば大型のトランク分くらいは持ち運びができる。

 ちなみに去年必要の部屋で見つけたものだ。元々は中に明らかに違法だろという物が詰まっていたから焼却しておいた。

 

 輸送体制は万全。資金も十分だ。普段は大して使わないお金だから、こんな時ぐらい盛大に散財しちゃっても良いだろう。

 ククク・・・豪遊・・・! 圧倒的豪遊っ・・・!

 

「……お菓子は3シックルまでね」

「えええええ!? なんで?!」

「太るからよ」

 

 当然でしょとばかりに言われた。

 おかしい……こんなことはあってはならない。私の豪遊が……夢が……こんなにあっさり……。

 愕然と目を見開く私の横で、スネイプ先生がハーマイオニーの肩に手を置いて深く頷いていた。

 どういうことなの……。

 

 

 棚という棚には、くどいほどに甘そうなお菓子がずらりと並んでいた。

 ねっとりしたヌガー、ピンク色に輝くココナッツ・キャンディ、蜂蜜色のぶっくりしたトッフィー。手前の方にはきちんと並べられた何百種類ものチョコレート、百味ピーンズが入った大きな樽。

 壁際には魔法界らしい奇妙な効果がかかったお菓子たちが並ぶ。浮上炭酸キャンディ、フィフィ・フィズピー、ドルーブル風船ガム、歯みがき糸楊枝ミント、黒胡板キャンディ、ブルプル・マウス、ヒキガエル型ペパーミント、綿飴羽ペン、爆発ボンボン――

 他にもまだまだ、店の奥まで続いている。

 

 こんなに、こんなに沢山あるのに……!

 

「選べと!?」

「いや、選びなさいよ」

「こっからここまで全部ください! ってやりたかったの……」

「食べ切れないでしょう? またクリスマスくらいに来れるはずだし、健康的に食べられるくらいにしときなさいよ」

「ママ……」

「誰がママよ」

 

 言ってることが尤もなのはわかってるんだけど……むむむ、しかたない。

 ここのお菓子は大体が量り売りだ。私はかつてないほど真剣に、3シックルギリギリの量を見極める作業に入った。

 

 

 

 

「ハリー、3シックルまでっていうのは、それ以上の値段を3シックルにまけて貰うってことじゃないと思うのよ」

「2クヌートだよ。これくらいは許してよ」

「まったくもう……」

 

 文句を言われながらホグズミードの通りを歩く。

 ちなみにハーマイオニーは歯磨き糸ようじミントを買っていた。両親に送るらしい。そういえば歯医者だったなと思い出した。

 

 お昼も少し過ぎて、お腹が減ってきた。ふくろうで埋め尽くされている郵便局や、ゾンコの悪戯専門店を冷やかしながら、当初の予定通り三本の箒へ向かった。

 スネイプ先生がまた外で待っていようとしたので、お昼くらいは一緒に食べましょうと言って引っ張り込んだ。

 

 学生で遊んでいるところに厳しい教師が出くわすようなもので、店内にいた生徒たちはゲッ、という顔を見せた後に、両脇の私たちを見つけたのか、(ハテナ)マークを浮かべていた。

 厳しい教師に出くわしたと思ったら女子生徒を2人も連れていた……世が世なら完全にアウトだ。

 

「ローストビーフのランチをひとつ!」

「昼から重たいわね……サンドウィッチひとつ」

「ギリーウォーターを」

 

 注文してしばらく座っていれば、周りの生徒たちも慣れたみたいで、騒がしさが戻ってきた。

 相変わらず先生はまるで喋らない置物と化しているけど、私もハーマイオニーも無理に話しかけもしなかった。多分その方が良いだろう。

 

 食事が運ばれてきて、いざ食べようとしたとき、ハーマイオニーからストップがかかった。

 

「ハリー。恒例のアレ、やらせてもらうわよ」

「恒例のアレ?」

 

 ハーマイオニーは杖を抜いていた。

 

「何をする気だ、グレンジャー?」

「大丈夫です、危ないことはしません」

「……」

 

 真剣な目をしたハーマイオニーに黙するスネイプ先生。

 私もちんぷんかんぷんである。

 

「え、何? 何の話?」

「もう、しっかりしてよ。あなたの髪の話に決まっているでしょう?」

「決まってるの!?」

「食べる時に邪魔そうだし、丁度いいわ」

 

 確かに、最近伸びてきて邪魔だなあとは思っていたけど。

 というか今年でまだ2回目なのに恒例とは……来年以降へのやる気が見える。

 

「残念ながらまだ直毛呪文完成には至っていないのは、私の不徳の致すところ」

 

 政治家みたいなこと言いだした。

 

「だから今年は方針を変えてみたわ。名付けて『髪除けの呪文』。あなたの行動に合わせて、さりげなく邪魔にならないように動いてくれるわ」

「ついに自立行動しだすの、私の髪?」

 

 いつかしそうだとは思っていたけど、ついに。

 

「危険性はないと思うわ。去年みたいに、失敗もしないと思う……どうかしら?」

 

 杖を両手で持って聞いてくるハーマイオニーに、私はばっと両手を広げて答えた。

 

「ばっちこい!」

「いくわよ! 『ネメンス・キャピルム( 髪除け )』!」

 

 私の髪が徐々に、うねうねうね、と形容しがたい――敢えて言うならタコのような動きを始めた。根元から毛先までそれが伝播していき、それが徐々に、徐々に収まって行く……そして。

 

「おおおお!」

「成功ね」

 

 満足げに笑うハーマイオニー。

 私の髪は、見事に、なんかこう、良い感じに邪魔にならなくなっていた!

 ……説明しづらいくらいに地味! 地味なんだけど、私からすれば大違いなんです!

 

「グレンジャー」

 

 スネイプ先生が重々しく口を開いたので、私たちは驚いて見つめた。

 先生はハーマイオニーの肩にぽんと手を乗せ……深く頷いた。

 

「その調子だ。直毛魔法の一刻も早い完成を期待している」

「? は、はい、頑張ります……?」

「変身術の観点からアプローチしているようだが、魔法薬学の観点から言えば――」

 

 ……まあ、お母さん、ストレートだったからね。仕方ない。

 激励するスネイプ先生と戸惑うハーマイオニーを何とも言えない目で見ながら、ご飯の食べやすくなった私はローストビーフを頬張るのだった。

 

 

 

 



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第5'話① 変身術と再びシューティング

感想、評価ありがとうございます!
返信はしていませんが、いつも嬉しく思っています。


 

 

「変身術の話をしよう」

 

 私は畏まった口調で言った。

 博士帽に似非眼鏡をかけて、杖を指示棒のように持って、教卓の前に立っている。

 

「変身術とは、その名の通り、物体を違う何かに変身させる魔法のことだ。いわゆる「おとぎ話に出てくるような魔法」っぽい魔法。ネズミを馬に、かぼちゃを馬車に、ぼろの服をドレスに変える」

 

 話しながら右に左に歩く。気分は変身術の教授だ。

 

「でも、実際この世界では、力量に対して現れる結果が最も小さい魔法だと思う。

 わかりやすくいえば、地味な魔法だってことだね」

 

 チョークを手に取って、黒板の中ほどに「地味」と黒板に書いた。

 それに続けて、さらに書き殴っていく。「柔軟」「応用」

 

「だけど同時に、最も柔軟(フレキシブル)で、応用の幅が広い魔法でもある」

 

 ぽん、とチョークを投げて、眼鏡を押し上げた。

 

「この世界の魔法にはイメージ力が大切だけど、変身術は特にそれが顕著だ。杖の動きや呪文で補助がかかるとは言え、術者は変身後の姿を正確にイメージする必要がある」

 

 ローブのポケットを漁り、取り出したのはマッチの箱。

 中にはぎっしりマッチ棒が詰まっている。

 

「1年生、最初の授業は、マッチ棒を針に変えるというものだった」

 

 マッチ箱を閉めて掌に載せて、杖を一振り。ずん、と重みを増す。

 もう一度開けてひっくり返せば、中からは、金色の針がバラバラと教卓に零れ落ちた。

 

「なぜこれ(マッチ棒)から始めるか? それはイメージのしやすさが理由だ。変身前と変身後の形が似ていればいるほど、イメージがしやすいのは当然だよね。あと、小さいものほど楽っていうのもある」

 

 この大きさの難易度が結構な曲者で、大きさが倍でも難しさは倍では効かない。

 1年生だと、最大でもねずみ程度の大きさまでしか扱わない。

 

「2年生になると、『生き物の変身』に入る。例えば、初回はこれ」

 

 私の前の教卓を、どこからか来たコガネムシがぞろぞろと行進して横切っていく。

 先頭からなぞる様に杖をスーッと滑らせると、杖に合わせて色付くように、グラデーションのボタンに変わっていった。

 

「無生物から無生物への変身から、生物から無生物への変身にレベルアップしたわけだ」

 

 続いてポケットを探ってヤマアラシを取り出し、机に置いた。

 杖を振るとヤマアラシは同じ色の針山に変わる。ついでにビューンヒョイと杖を振って、教卓に散らばっている金の針を針山に刺してみる。

 綺麗に並んだ。頷いてから話を続ける。

 

「コガネムシをボタンに、ヤマアラシを針山に。形は似ていても、中身が全然違うという固定観念があるから、無機物同士よりもイメージが難しい――2年生では、その感覚を掴む事を目的とする。……全員が掴みきれるかはともかく」

 

 教卓から離れ、端に置いてある机に近づいた。

 上に置いてあったティーポットを取り、傾けてカップに紅茶を注いで、ティーポットの中が空になったことを確かめる。

 それを持って教卓に戻った。

 

「3年生ごろになってようやく、生き物への変身を学ぶ。

 生物()変身させるんじゃなくて、生物()変身させるんだ」

 

 机に置いて杖を振ると、ティーポットの模様はそのままに、リクガメに変身した。カメが今起きたかのように周りを確認して、のろのろと歩き出すのを見ながら紅茶を傾ける。

 

「生き物はその姿形だけでなく、『どのように行動するか』もイメージしなければならない分、難易度がうんと跳ね上がる。そのイメージが曖昧だと――」

 

 顔を顰めて杖をぐるぐる振ると、教卓が震えて、ぼふん!と破裂したように煙が起きた。

 それが晴れると――ひよこの頭をした犬が立っていた。「ニャーン!!」と鳴いた。

 

「……こんな訳のわからないものができる。あ、今は教卓を使ったけど、3年生も大きさはティーポットまでだね」

「ニャーン!!」

「………」

 

 なんか精神衛生に悪そうなので、杖を振って謎の生物の姿を消した。

 

「今の『消失呪文』とかもあるけど……ここまでが大体変身術の基礎、と言えると思う。4年生、5年生まではずっと、今言った基礎を物を変えては練習するんだ」

 

 大きさもだいたいイグアナ程度まで。変身術が地味と言われてしまう所以だ。

 

「6年生になってやっと、次のステップ「人間を変身させる」に入る。と言うのも、人間の変身は、何か間違えば命を落としかねないほどには危険が伴うからだ」

 

 傍に立っていたマネキンに杖を振ると、みるみる縮んで、既視感のあるトゥーンチックな顔が付いた燭台に変わった。

 

「例えば誤って燭台に変身してしまえば、それで終わり。真実の愛によって魔法が解ける、なんてのはそれこそおとぎ話。何も思考のできない燭台としての余生を過ごすことになる。誰かに解いてもらわない限りはね」

 

 もう一度杖を向けると、ル〇エールはパチン、とマネキンに戻った。

 

「だからこそ、十分に魔法の制御ができるようになって初めて、人間の変身が解禁される。もっともこれも、初めは眉の色を変えるところから始めていくけど。全身の変身なんて、やろうとしても中々できるものじゃないから」

 

 最後にまとめだ。

 紅茶を飲んで一息入れる。

 

「……ホグワーツ魔法魔術学校における、変身術の授業の大まかな流れはこんなところかな。確かに最初は地味かもしれない。でも地味って言うことは、いずれ自由自在な変身術を学ぶための地力を詰んでいると思ってほしい。

 いきなり難易度の高いことに挑戦せず、しっかりと階段を踏んでいくことこそが、安全だし、結局はイチバンの近道になると思う。そうすればいつか、ネズミやかぼちゃを立派な馬付きの馬車に変身させることができるようになる!」

 

 そう言い切って、大きく息を吸って、頭を下げた。

 

「以上です! ……ご清聴、ありがとうございました――」

 

 拍手と歓声が巻き起こる。

 わーわー、ぱちぱち、ひゅーひゅー、きゃー天才、変身術の申し子。やんややんや。

 

 

 

―――――

 

 

 

「いやははは、どーもどーも……あーごめん、アンコールはありませんよ――ハァ……」

 

 はい。

 

 以上、「私が変身術の先生になったら」の妄想でした。

 

 率直に現実逃避です。

 

 

 10月最後の休日。一日暇になった私が「必要の部屋」に籠って早2時間。

 私は柔らかな肘掛け椅子にぐでーっ! と沈んで、死んだような顔で妄想に浸っていた。

 

 どうしてそんな妄想をしていたか。

 それは、「動物もどき(アニメーガス)」という魔法の難しさを再確認したからだった。

 

 

 

 動物もどき。

 今世紀にはなんとたった7人しか使い手がいないという超激レア魔法。(大嘘)

 

 「それなりに大きい自分自身」を「大きさも形も全く違う生き物」に変身させる魔法だ。

 ……言葉にすれば簡単だけど、この魔法がどれだけ難しいかわかってもらえただろうか?

 

 自分自身の変身は、危険だということもあって今まで試したことがなかった。

 つまり、これまでのように貯金が無いのだ。だから感覚を掴むのにものすごく苦労している。

 マクゴナガル先生はあんなに軽々とやっているのにぃ。

 

 

 しかも、単純な変身だけでも難しいというのに、もう一つ問題がある。

 さっきのルミエ〇ルの例と同じように、下手に完全変身してしまえば、人間としての思考力を失ってしまう。そうなれば畜生として生きていくしかない。

 

 動物もどきは守護霊と同様に、本人の意志で何の動物に変身するか選べない。何となく本人の気質に準じた動物になることが多いらしい。

 これは、余程相性の良い動物でないと、思考能力を保つことができないからだと言われている。

 

 でも漠然と「私にぴったりな動物になーあれっ♪」ではダメ。

 なぜなら、「変身術において、術者は変身後の姿を正確にイメージする必要がある」からだ。

 

 つまり、イメージするべき変身後の姿が何かわからない、という矛盾が生まれてしまうのだ。

 

 だから動物もどきを目指そうと思ったのなら、まずはその、「自分と相性の良い動物」を見つけるところから始めないといけない。

 失敗して思考ができない動物に変身してしまえば、誰かに魔法を解いてもらうしかない。試行錯誤を何度も何度も繰り返して、自分だけの動物を見つける。

 その上で、次はその状態で安定して思考能力を保てるようにならなければならない。

 

 一人ではできない訓練を、長い時間かけて行わなければならないのだ。

 

 ――まあ、こちらの方では少しだけ、()()ができる、かもしれないんだけど。

 一人でも、比較的安全に練習ができるし。真面目に習得した先人達にはちょっと申し訳ない。

 

 

 とか言ってみても、変身術の技術に関してはどうしようもない。

 難航に次ぐ難航。目印のない嵐の大海原を進んでいる感覚だ。行く方向が合っているかもわからないのに。

 

「これ1年じゃムリー……」

 

 泣き言を吐いて、クッションの中にずぶずぶ沈んでいくのだった。

 

 

――――― 

 

 

 動物もどきの練習は深い集中が不可欠だ。失敗は即、人生とのお別れになる。

 だから無理に根を詰めることはしないで、素直に息抜きを入れよう。

 

 というわけで、息抜きに去年から始めた石像に適切な魔法を当てて壊すシューティング……もとい特訓だ。

 

 来年は原作通りにいけば「三大魔法学校対抗試合(トライウィザード・トーナメント)」にエントリーさせられることになる。

 魔法の腕を磨いておくに越したことはない。

 

 部屋の中央に立った私に向かって、周囲からいろんな形の石像がそれぞれ違うスピードで迫ってくる。

 それを次々に無言呪文でテンポよく撃退していく。

 杖を向ければ石像が砕ける、燃え上がる、水に浸る、彷徨う、萎びる、潰れる、吹き飛ぶ。

 

 かなり安定している。

 最近はコンスタントに100体を越えられるようになってきた。

 最早無双ゲーだ。ぶっちゃけストレスの解消になる。

 

 まあそれはいいんだけど、100体ともなれば終わるまでに時間がかかりすぎるし、カウント用に並べられるミニチュア石像を数えるのもかなり面倒くさい。しかもミニチュア石像も当然動くから数えにくいことこの上ないのだ。

 

 爽快感を得るための特訓じゃない。うん、次回からは難易度を上げよう。

 呪文の難易度を上げるか、種類を増やすか、石像の強度を高めるか……。まあ、その辺りの調整は必要の部屋先生が上手くやってくれるでしょう。よろしくお願いします先生。頼りにしてますよ!

 

 

 一息ついてから、続いて杖無しのシューティング。

 見かけはジェダイがフォースで石像を次々と破壊している図だ。

 いや、赤い閃光は出ているから、どちらかと言うとシスかも。

 

 こちらの記録は71体。去年後半のスコアとあまり変わらない結果だ。

 

「うーん」

 

 部屋の中央で胡坐に頬杖を付いて考える。

 

 かの原作者J.K.ローリングは、「杖無しの魔法は地震の中を手離しで自転車に乗るようなものだ」と言ったらしい。

 やっぱりどれだけコンディションが良くても、杖ありに比べて制御力は及ばない。一発一発に深い集中が要求されるから、呪文の切り替えにタイムラグが出るのだ。

 

 切り替えのスピードは、この辺りが頭打ちな気がする。それよりも、同じ呪文の連射や、単純に呪文の威力を強化していこう。

 

 杖というのは、言ってしまえば制御装置だ。その制御を取っ払って荒れ狂う力を一点に向けられれば、より強力な魔法が放てる。さっきの例で言うなら、地震の揺れに乗ってブースト、スピードアップだ。

 もちろん現実的には難しいどころの話じゃない。タイミング、ベクトル、全てが適切でなければいけないし、失敗すれば威力が落ちたり、予期しない方向へ飛んだり、暴発したりする。

 

 今のところ、その超威力が成功したのは73体の内、4体。撃った呪文は暴発やノーコンも含めてもっとあるから、大体100発くらい。成功確率は100発中4発、4%といったところ。

 

 4%かぁ。

 とてもじゃないけど、実戦で使える数字じゃない。

 それでも、実戦で使えたらと思うほど、威力は申し分なかった。

 「エクスペリアームズ(武装解除)」や「ステューピファイ(失神呪文)」なら敵を壁や天井まで吹っ飛ばす。

 「レダクト(粉々)」ならまるで風化したかのように崩れ去る。

 「インセンディオ(燃えよ)」や「アグアメンティ(水よ)」は巨大な怪物が口から放っているのかと思うほどだ。

 

 地震で自転車は練習できないけど、魔法はいくらでも練習することができる。

 ひとつひとつ感覚も違うけど、それならひとつずつ身体に覚え込ませるまで。

 

「よし、もう一回!」

 

 パッと立ち上がって部屋に向かって言うと、部屋の端からがこん、と大きな蜘蛛の形をした石像が現れた。

 それに右手をパッと向け、自分の内部に深く潜る。

 集中――魔力の流れを意識して魔法を、放つ――!

 

 

 息抜きということも忘れて、時間を忘れて没頭したのだった。

 

 

 

 




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第5'話② 潜むカメラマンとルーピン先生

 

 必要の部屋では、いつもついつい熱中してしまう。

 一通り終えた所で時計を見ると、もう14時を回っていた。どうりでお腹が空くわけだ。

 必要の部屋を出て、昼食を食べに大広間に向かった。

 

 

「おっと」

「ハリー!」

 

 大広間の入り口で、丁度出てきたコリン・クリービーにエンカウントした。

 マグル生まれにも関わらず、なぜか入学当初から魔法のカメラを持っていて、なぜか隙あらば私を激写しようとしてくる謎の後輩。

 ……あれ? そういえば今年はまだ一度も撮られてないな。年度初めに今年も写真を撮って良いか聞かれて、去年の申し訳なさもあって苦渋の許可を出してしまったのに。

 なんか不気味だけど……まあ撮られないに越したことはないか。

 

 コリンは純粋な笑顔で駆け寄ってきた。うん、こうして見れば可愛い後輩なんだけどね。

 

「どうしたんですか?」

「どうしたって……お昼食べに来たんだよ」

「なるほど、相変わらずよく食べるんですね! そんなところも良い! 一枚良いですか?」

 

 言ってる傍から来た。

 

「……一枚だけね」

「ありがとう!」

 

 嬉しそうにカメラを構えるコリンに、曖昧に笑顔を浮かべて手を振っておく。

 魔法界の写真は動くから、撮られる方はある程度は動いても良いらしいけど。どういう顔や動きをしたらいいかわからないんだよね。コリンはこんな私を撮って楽しいんだろうか?

 バシャリ! とフラッシュが瞬く。

 

「オッケーです! ついでにサインも!」

「それはだめ」

「50枚ほど!」

「だめだって――え、50枚書いたら何する気?」

「会員の貢献度に応じて分配します!」

「待って」

 

 聞き捨てならない言葉が聞こえた。

 

「ごめんなんの話?」

「ファンクラブですよ! 僕、広報兼下級生代表なので!」

 

 何かカードを取り出して突き出してくるコリン。

 「ハリエット・ポッターを介護し隊 会員証」とか書いてある。

 

「ま、まだ解散してなかったのか……! いや役職ができてる! 解散どころか規模拡大してる! 貢献度って何!?」

「お、落ち着いてください……あとそのまま視線ください

「おい、撮るな。一枚って言ったでしょ」

 

 カメラを防ぎながら深呼吸する。落ち着け、落ち着け私……!

 ファンクラブって言ってもファンクラブ(笑)みたいな感じだし? 入っている人もほとんどはふざけ半分みたいなところがあるし? それに対してムキになって怒るのもね?

 去年一昨年は何だかんだ目立ってしまったけど、今年大人しくしていればブームも過ぎて自然消滅するでしょう。するよね?

 

「どうなさいますか? 解散せよとのお達しでしたら即刻解散しますが」

「そんな畏まらないで……」

 

 はあ、とため息をついた。

 

「私の知らないところでなら、もうお好きにどうぞ」

「ありがとうございます!」

 

 コリンは羽根ペンを取り出して、会員証に大きく【公認】と書き出した。

 あれ? 今のってそういう感じだった? ……いやもう何でもいいや。

 

「まあ、コリンも去年みたいに行く先行く先で待ってるようなことはないしね」

「ええ、今年は気づかれないように撮ってますんで、そのあたりは大丈夫ですよ」

「……えっ」

 

 カメラのレンズを拭きながら何ともなしに言うコリン。

 つーっと冷や汗が流れた。全然気づかなかったんだけど……。

 ていうかそれって盗撮―――い、いや、止そう。後輩をアズカバン送りにはしたくない。

 

「ちちちなみに今まで何枚くらい撮ったのかな?」

「去年のように数撃ちゃ当たるでは写真家(プロフェッショナル)として成長がありませんからね、今年はかなり厳選してます。今年度はまだ14枚ですね」

「あ、そんなもんなら……」

 

 いや、2ヵ月で14枚は多い、のか……?

 わ、わからない……去年で感覚が麻痺して私わからない……!

 もしかしてファンクラブのラスボスって双子とかじゃなくてこいつなんじゃ――!?

 

 葛藤する私をパシャリと映して、「ゴチです!」と言ってコリンは去って行った。

 

 原作ではコリンのカメラ系統の話は出てこなかったから、バジリスクのショックか何かで収まったのかと思っていたけど、実は6年間、ハリーはこのカメラ攻撃に耐えていたのかもしれない。

 それかウチのコリンが変なのか……真相は闇の中。

 

 しかし、12歳であのプロ意識は末恐ろしいものがある。

 

 

 

 

 1,2年生たちの物珍し気な視線に晒されながら、お昼ご飯を食べ終えた。

 年度始めのこの時期は注目されやすいけど、いつも以上に見られている気がする。ぼっち飯のせいかな。

 居心地の悪い昼食だった。

 

 

 

「ハリー?」

 

 必要の部屋へ戻る廊下の途中、横合いから声をかけられた。

 見れば、ルーピン先生が自分の部屋のドアのむこうから覗いている。

 

「ルーピン先生」

「一人かい?」

「ええ」

 

 ルーピン先生は、じっと私を観察しているようだった。

 何となく居心地が悪い。

 

「ちょっと中に入らないか?ちょうどつぎのクラス用のグリンデローが届いたところだ」

「水魔ですか?」

「そうだ。よく知っていたね」

 

 先生に促されて部屋に入った。部屋の隅に大きな水槽が置いてあって、中に鋭い角を生やした気味の悪い緑色の生き物がいた。ガラスに顔を押しつけて、百面相をしたり、細長い指を曲げ伸ばししたりしている。

 ルーピン先生は、何か考えながら屈んで水槽を眺めていた。

 

「こいつはあまり難しくはないはずだ。なにしろ河童のあとだしね。コツは、指で締められたらどう解くかだ。異常に長い指だろう? 強力だが、とても脆いんだ」

 

 防衛術の授業でこうやって実物が出てくると、やっぱりすごく楽しい。ルーピン先生は前二人に比べてその回数がとても多く、生徒皆に人気だ。

 

 私が水槽に近づくと、グリンデローは緑色の歯をむき出し、素早い動きで隅の水草の茂みに潜り込んだ。

 それを見て頷き、ルーピン先生は立ち上がって私の方に振り向いた。

 

「紅茶はどうかな? 私もちょうど飲もうと思っていたところだが」

「いただきます」

 

 先生が杖でデスクに置いてあるポットを叩くと、たちまちポットの口から湯気が吹き出した。

 縁が欠けたティーカップふたつと紅茶の缶を棚から取り出して、机に並べられた。

 

「座ってくれ。すまないが、ティーバッグしかないんだが――しかし、お茶の葉はうんざりだろう?」

「あはは……そうですね、割と本気で」

 

 友人二人がドはまりしていることも含めて、占い学はかなり面倒くさい学問になっていた。

 テストで点を取る方法がわかりやすいのはいいけどね。基本私がひどい目に合えばいいのだ。

 

 先生と話していると、自然と防衛術の授業の話になった。

 

「ボガードの演習は、止めてしまって悪かったね。ヴォルデモート卿になると思ったんだ」

「えーと、確かに最初はそう思ったんですけど、汽車でのことを思い出して。あのときはルーピン先生が助けてくれたんですよね? ありがとうございました」

「大したことはしていないよ」

 

 ルーピン先生は、最も恐れているのが「恐怖そのもの」だということは賢明だ、と褒めてくれた。

 

 先生は穏やかで話しやすく、そのまま流れで実は箒も怖いことも話してしまった。

 首の骨を折った話をすると、ルーピン先生は眉を上げて驚いていた。

 

「それは大事故じゃないか! 助かったのは幸運だった」

「はいそれはもう、身に染みて……しかもそれ以降私の箒、60センチしか浮かないんですよ」

 

 ルーピン先生は声を上げて笑った。

 笑顔になると、普段よりずっと若く見える。

 

「いや、失礼。そうか、そんなことがあったんだね。しかし意外だな。君のお父さんはそれは優秀なシーカーだったんだが」

「……ええと」

 

 原作知識で知っていることをどう答えようか少し迷った。

 その沈黙をどう取ったのか、ルーピン先生の表情が少し陰った。気を遣わせたくはない。

 

「あの! 先生は、お父さんと知り合いだったんですか?」

「……ああ、そうだね。親友だった」

 

 努めて明るく聞いた私に先生はそう答えて、懐かしむように宙を見上げた。

 

「よく一緒に過ごしたものだよ。もう20年以上前のことだが……それに、ちょうど同じ学年に――」

 

 とそのとき、ドアをノックする音で話が中断された。

 

「どうぞ」

 

 がちゃりとドアが開いて、入ってきたのは……。

 

「スネイプ先生?」

「………」

 

 黒髪に黒いローブ。スネイプ先生だった。手にした杯からかすかに煙が上がっている。

 私の姿を見つけると、一瞬足を止めかけたけど、何事もなかったように近づいてきた。

 

「ああ、セブルス。どうもありがとう。ここに置いていってくれないか?」

 

 スネイプ先生は煙を上げている杯をデスクに置き、私の方を見ないで言った。

 

「ルーピン、すぐ飲みたまえ」

「はい、はい。そうするよ」

「一鍋分を煎じた。もっと必要とあらば」

「たぶん、明日また少し飲まないと。セブルス、ありがとう」

「礼には及ぼん」

「君も一杯、どうだい?」

「面白い冗談だ」

 

 スネイプ先生はニコリともせず言って、素早く踵を返して出ていった。

 バタン! とドアが閉まる。最後まで私の方は見なかった。

 

「スネイプ先生とは、やはりあまり話さないのかい?」

 

 出ていった扉を見つめながらルーピン先生が呟いた。

 

「あまり大きな声で言う話じゃないが、学生時代、君のお父さんも含めて私たちは、その――彼とはあまり仲が良くなかった」

 

 相当マイルドに言ってくれていることがわかったので、曖昧に笑ってしまった。

 

 でも心当たりはある。

 昨日わざわざ護衛を申し出てくれたのを断った私が、よりによって「あまり仲が良くない」ルーピン先生と談笑していれば、気分は良くないだろう。

 別に悪いことはしていないんだけど、少し無神経だったかもしれない。

 遊びの誘いを断ったのに、別の人と遊んでいるところを見つかった、みたいな気まずさだ。大人しくどこかに籠っていればよかった。

 

 そんなことをルーピン先生に話すと、

 

「それ、誰のことかな?」

 

 と真顔で聞かれてしまった。

 

「スネイプ先生ですよ。こう見えて私は仲良いんです」

「……初めて見たときから、君はお母さんによく似ていると思っていたが」

 

 先生は呆れたように首を振った。

 

「いやまったく、その通りだった!」

「お父さんに似てるとこもありますよ、髪とか」

 

 両手で髪の毛をもふっと持ち上げてみせると、ルーピン先生は私を見て、優しい眼をして微笑んだ。

 

「ああ……そうだね。髪はジェームズ譲りだ」

 

 

 

 

 



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第6'話 阿鼻叫喚のクィディッチと忍びの地図

 

 

 その日は宴会があって、パーバティやラベンダーと共にお腹がいっぱいになるまで食べた。

 でも、生徒たちが出払った裏で、シリウスおじさんがグリフィンドールの談話室に押し入ろうとして、太った婦人の絵画を切り裂く事件が起こっていた。

 今日のことだったっけ。もっと遅いと思っていた。

 

 ただ、おじさんの目的のペティグリューはもう行方不明だから、グリフィンドールに侵入する意味は実はない。

 唯々、捕まる危険を冒しているだけである。おじさーん!

 

 いや、原作に準じてくれるなら捕まらないとは思うんだけどさ、何があるかわからないから。

 

 

 

 

 おじさんの騒ぎも収まった土曜日。

 

「ハリー、クィディッチ、見に行く……?」

 

 例によって例のごとくロン、シェーマス、ディーンがスクラムを組んでやってきた。

 と、なんか元気がない。

 

 読んでいた本を机にポンと置いて、肘掛け椅子から飛び降りた。

 

「スリザリン戦でしょ、行く行く」

「そうか、行くか……」

「……なんでそんなにテンション低いの?」

 

 ストレートに聞いてみた。

 

「だって、この天気だぜ?」

 

 シェーマスが窓の外を指した。

 確かに、まるで天が今日に向けて調整してきたかのように最悪の天気。

 バケツをひっくり返したかのよう、とはまさにこのことだ。この嵐の中、クィディッチ観戦が本当に楽しいのかは微妙なところだ。

 

「でも、3人は行くんでしょ?」

「ああ、行くよ。でももう一つ心配があってさ」

「毎回君を誘うと何かが起こる。一昨年はブラッジャーが暴れたし、去年は中止になった」

 

 ロンが神妙な顔をしてそんなことを言うので、私は腰に手を当てて睨んだ。

 

「そんな言われても、私のせいじゃないし」

 

 いや、間接的には私のせいなんだけど、そんなところまで責任を負っていたら生きていけない。

 ロンも本気では言ってなかったようで、肩を竦めた。

 

「わかってるよ、冗談さ。今年まで何か起きたら、流石に疑い始めるけどな」

「…………あっ」

 

 

 

 

 30分後。

 クィディッチ競技場は阿鼻叫喚の渦に呑まれていた。

 大嵐の中、混乱する生徒、飛び交う怒号、飛び回る吸魂鬼。

 

 まさに地獄のような様相を呈してきた。

 

「悪いけど! 君はもうクィディッチに誘わないぞ!」

「これこそ本当に私のせいじゃないから!」

 

 ガチガチ震える歯を堪えて、何とか叫び返す。

 虚勢を張っておかないと、今にも倒れそうだった。

 

 幸福な思い出なんてまるで浮かんでこない。過去と未来の恐ろしいことだけが頭に浮かんで、果てしなく気分が沈んで行く。

 

「おい、大丈夫か、ハリー!?」

 

 嵐に負けない大声でロンが呼びかけてくれている。

 答えようとしたけど、それももう無理そうだった。

 身体中から力が抜けて、視界が眩む。現実が遠のいて、今にも意識がちぎれ飛びそうだ……ダメ、まだ、まだ気絶するわけには――

 

 

「エクスペクト・パトローナム」

 

 

 声が轟いた。

 

 心臓の鼓動のように、銀の波紋が広がる。

 その光に包まれた瞬間、突然熱湯を浴びたかのように、私の意識も叩き起こされた。

 

 中心には、銀色に輝く巨大な美しい不死鳥――守護霊(パトローナス)

 大きな羽ばたきとともに、銀の光が生まれる。競技場の中をゆったりと、それでいてすさまじい速さで翔け巡り、吸魂鬼を追い払って行った。

 

 

 

 不死鳥の守護霊は競技場を大きく1周、2周と廻った。その主の元へ戻るころには、いつの間にか雨さえも止んで、雲の切れ間から白く日の光が差し込んだ。

 天候の変化は偶然のはずだ。でも、それすらも引き起こしたんじゃないかと思うほどの強さがその守護霊にはあった。

 

 競技場は静寂に満ちていた。

 不死鳥は観客席の一角まで来るとスピードを落とし、一際大きく羽ばたいたかと思えば、宙に溶けて消えていった。

 その下には予想通り、ダンブルドア校長が杖を掲げて立っていた。

 

 先生は自分の喉に杖を向け、拡声器を通したように響く声で話し出した。

 

「この試合は没収試合とする。生徒たちは速やかに寮へ戻りなさい。気分の悪いものはマダム・ポンフリーが面倒を見てくれるじゃろう――」

 

 これが見たかった。

 あれが、本物の守護霊。本物の「守護霊の呪文」。

 たった一人が生み出したとは思えない程、強大な守護霊だった。

 

 守護霊を「作るだけ」なら難しくない。本当に必要なのは、吸魂鬼を前にしても守護霊を作り出せる心の強さだ。

 私も、あんな守護霊を作りたい。雄大で、力強い、どこまでも安心できるような守護霊を。

 それは遠い目標かもしれないけど、だからこそ目指し甲斐がある。

 

 吸魂鬼の前で守護霊を作る練習は、ボガートを使うとしても1人では危ない。

 失敗したときにどうなるかわからないからだ。

 

 やっぱり、ルーピン先生にもう一度頼んでみよう。前と違って引き受けてくれるかもしれない。

 

 

 

 

 クィディッチの試合から、またしばらく城内はざわついていた。

 今年は平和な年だと思っていたけど、こうして体験してみると騒ぎの絶えない年だ。

 ダンブルドア先生の怒りによって吸魂鬼は影も見えず、クィディッチの騒ぎも落ち着いて行った。

 ちなみに私はルーピン先生に守護霊の特訓をお願いして、承諾してもらえた。休暇後に時間を作ってくれるらしい。

 

 どんどん気温が下がっていって、今ではすっかり、クリスマスとその前のホグズミード行きの話題に染まっていた。

 城中がクリスマスの色に飾り付けられていく様子は、子供のようにワクワクしてしまう。

 

 が、その中でひとつ、悲しいお知らせがあります。

 

 

「私は残るよ。いつも通り」

 

 ある日の夕食時、クリスマス休暇の予定の話になって、私は肩を竦めてそう言った。

 

「二人は帰っちゃうんでしょ?」

「ええ。家族旅行に行くのよ。パドマと一緒に帰るわ……って、ラベンダーも?」

「ママが絶対に帰って来なさいって……この前のブラックの話をしちゃったせいかも。ごめんね、ハリー」

「いいよー」

 

 かぼちゃジュースをストローで混ぜながら言った。わかってたことだし。

 

「でも休暇中一人きりになっちゃいそうだから、ちょっと寂しいかなってだけ。……ちょっと早めに帰ってきてくれたら嬉しいかも」

 

 いひひ、と歯を見せて笑ってみせると、ラベンダーとパーバティが何やらこそこそ話し出した。

 

 「誰か残れる人……」とか、「ファンクラブの連絡網で……」とか言っていたみたいだけど、詳しくは聞こえない。趣味が悪いから、わざわざ耳を欹てるようなことはしなかった。

  

 それにしても、本当に怖いものは人間とでも言いたいのか、去年のバジリスク騒ぎのときより今年の方が、家へ帰る生徒が多かった。

 

 クリスマス休暇はグリフィンドール塔を占有できてしまいそうだ。

 

 

 

 

 ホグズミード行きの許可が出たのは、学期の最後の週末だった。

 例によって皆を見送った私は、前と同じように必要の部屋に向かった。

 

「ハリー!」

 

 四階の廊下の中ほどで、呼び止められた。フレッドとジョージが背中にコブのある隻眼の魔女の像の後ろから顔を覗かせている。

 どきん、と心臓が鳴った。平静を装って答える。

 

「何してるの? ホグズミードに行かないの?」

「行く前に、君にお祭り気分を分けてあげようかと思って」

 

 フレッドは意味ありげにウィンクした。そしてマントの下から仰々しく何かを引っ張り出して、机の上に広げて見せた。

 大きな、四角い、相当くたびれた羊皮紙だった。何も書いてない。

 

「これはだね、ハリー、俺たちの成功の秘訣さ」

「君にやるのは実におしいぜ。しかし、これが必要なのは俺たちより君の方だって、俺たち、昨日の夜そう決めたんだ」

 

 ジョージとフレッドが言った。

 

「「我、ここに誓う。我、よからぬことを企む者なり」」

 

 すると、ジョージの杖の先が触れたところから、細いインクの線がクモの巣のように広がりはじめた。線があちこちでつながり、交差し、羊皮紙の隅から隅まで伸びていった。

 そして、一番上に花が開くように、渦巻形の大きな緑色の文字が、ポッ、ポッと現われた。

 

 

  ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズ

  われら「魔法いたずら仕掛人」のご用達商人がお届けする自慢の品

 

    忍びの地図

 

 

 それはホグワーツ城と学校の敷地全体の詳しい地図だった。

 地図上を動く小さな点で、一つ一つに細かい字で名前が書いてあり、誰が、何処を歩いているのかが一目でわかる。

 

「忍びの地図……」

「そうさ。君には必要なはずだ。ホグズミードに行けないんだろう? これを使えば直行さ」

「ロンに聞いて驚いたぜ。サインが貰えなかったのか? とにかく、一足早いクリスマスプレゼントだ」

「うん、うん……すごい、これ……すごいよほんとに」

 

 私の想像していた「忍びの地図」よりもずっと綺麗で細かく書かれていた。

 私の驚きように、双子はニヤッと笑って見せた。

 

「ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズ……われわれはこの諸兄にどんなにご恩を受けたことか」

「気高き人々よ。後輩の無法者を助けんがため、かくのごとく労を惜しまず」

「ああ、使ったあとは忘れずに消しとけよ――呪文はこうだ『いたずら完了』」

「「じゃないと、誰かに読まれちまう」」

 

 フレッドとジョージは颯爽と去って行った。

 私はしばらく、地図を持って突っ立っていた。

 原作通りなのに、何故だろう。忍びの地図を手に入れられたことが信じられなかった。

 

 はっと我に返ると、私は走り出した。

 目的地は、当初と同じ――必要の部屋だ。

 壁の前で乱暴に3往復して扉を開けると、低めのデスクと椅子、手元用のランタンが置いてあった。ありがたい――。

 

 座って、羊皮紙を広げ、杖で叩いて早口で唱える。

 

「わりぇっ!……我、ここに誓う。我、よからぬことを企む者なり」

 

 じわり、と地図がにじみ出てくる。

 一瞬、「プロングズ」の文字に気を留めたけど、その横の「ワームテール」の文字を見て、意識を地図に引き戻した。

 

 ホグズミードに行けるように、とこれを譲ってくれたフレッド、ジョージには悪いけど、これを手に入れたら絶対にしようと思っていたことがある。

 探すのは、「ピーター・ペティグリュー」の文字だ。

 

 

 

 3時間をかけて、目を皿のようにして地図の隅から隅までを探した。

 

 結論から言えば、見つからなかった。

 城から出てしまったのか、「必要の部屋」のように地図に映らないところに居るのか――いくらこの地図でも、下水道の中は表示されない。

 それか単純に、この複雑に入り組んだ城を精査しきれなかったのか。

 

 解決への第二の近道も、当てが外れた。

 でも、この地図を貰えたのは大きな前進だ。時間があったら確認して、ピーター・ペティグリューの名前を探すようにしよう。

 

 

 

 



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第7'話 クリスマスぼっちとサプライズ

 

 

 クリスマスイブの宴会は楽しかったけど、それだけに一瞬で終わっちゃったように感じた。

 パーバティやラベンダーが、ロンたちも、「良いクリスマスを」と言い残して寮を去って行った。

 

 クリスマスの朝起きると、グリフィンドール塔には私一人になっていた。

 なんだか世界に取り残されたような気分だ。

 一瞬謎のテンションになって、普段入らない他の人の部屋を覗いてみたり、談話室のソファの上を飛び跳ねてみたりしたけど……飽きてしまった。

 

 肘掛け椅子に腰かけて、高い天井をぼんやり眺める。

 しん、と静まり返り、暖炉の火がはぜる音だけが聞こえた。

 

「寂しい」

 

 思わず口から言葉が出た。

 でも仕方ないじゃん。いつも賑やかな談話室がこの有様だ。

 クリスマスだから、煌びやかに飾り付けがされているけど、それも何だか色あせて見えた。

 

 鐘の鳴る音が聞こえる。もうお昼時だ。

 随分寝坊してしまったみたいだ。

 

 着替えて寮を出て、少し迷ったけど大広間に向かうことにした。

 お腹はそんなに減ってないけど、夜まで何も食べないのも良くない。

 

 人気のまるでない廊下をコツコツと歩く。

 階段を4つ降りて、大広間の前のホールに繋がる廊下に差しかかった時だった。

 柱の陰から、誰かが結構な勢いで飛び出してきた。

 

「あ、あら、ハリー! こんなところで奇遇じゃない!」

「……ハーマイオニー?」

 

 顔を赤くしたハーマイオニーだった。

 ぽかんとしてその顔を見つめた。

 

「帰省しなかったの?」

「え、ええ、図書館でどうしても借りたい本があって。別にあなたが一人で残るって聞いたからじゃないから」

「……なるほど」

 

 なんて本を借りたのか聞いてみたい衝動に駆られたけど、そんなことはまあ、どうでもいいや。

 にっこりと笑って、手を差し出して言った。

 

「じゃあ、ご飯食べに行こう? 生徒は殆どいないし、きっとご馳走が食べ放題だよ」

「ええ……そうね!」

 

 ほっとしたように頷いて、ハーマイオニーは私の手を取った。

 

 プラプラと手を振りながら廊下を歩いて、大広間の扉に差し掛かった、そのとき。

 柱の陰から、誰かが結構な勢いで飛び出してきた。

 

「お、おや! ハリエット、こんなところで奇遇じゃないか!」

「んー」

 

 目を泳がせたドラコだった。

 また奇遇か。奇遇ってなんだ。

 

「ドラコ、帰省しなかったの?」

「あ、ああ、図書館でどうしても借りたい本が……って」

 

 そこでドラコは、ハーマイオニーの存在に気づいたようだった。

 

「グレンジャー!? 何故お前が!」

「あ、あなたこそ、どうして残っているのよ?」

「二人とも図書館で借りたい本があったんだって。奇遇だねえ」

 

 聡明な二人はそれで理解したようだった。

 お互い気まずそうに、ハーマイオニーは窓の外に露骨に視線を逸らし、ドラコは顔に手を当てて天を仰いでいる。

 

 私と言えば、二人が見ていないのをいいことに、「うへへ」と1人で笑っていた。

 二人が本が借りたいというならそれでいいや。私はただ、クリスマスが独りきりじゃなくなったことを誰かさんたちに感謝しよう。

 

 ドラコのもう片方の手を取って、ハーマイオニーの手と一緒にぐいっと引っ張った。

 

「お、おい……」

「ハリー?」

「行こう? 私、とってもお腹が空いてきた!」

 

 私を見て何を思ったのか、素直じゃない友人たちも、ハーマイオニーは困ったように、皮肉気に笑った。

 

「お昼終わったら3人でなんかしよーよ。チェスとか」

「チェスが3人でできるか……母上から菓子が大量に送られてきたからな、処理を手伝ってくれ」

「あら、学年主席から三席まで揃ってるのよ? やることは決まってるでしょう――」

「「それはない」」

「――勉きょ……まだ何も言ってないでしょ!!」

 

 ちなみに生徒は私たちを含めてわずか5人で、昼食は一つのテーブルに先生共々、全員が集まって食事をするという珍イベントだった。

 

 

 

 クリスマスの間は、ハーマイオニーとドラコと主に過ごした。もちろん四六時中3人、というわけではなかったけど。

 片方ずつと過ごすことも多かったし、1人で必要の部屋に行くこともあった。

 

 ドラコとハーマイオニーが仲良くできるかは少し不安だった。でも、思っていたより普通に二人が話しているのを見て、拍子抜けしてしまった。

 原作の悪感情はマグル生まれだからと言うよりも、仲の悪いハリーと一緒に居たからというのが大きかったのかもしれない。それとも、去年の約束を律義に守ってくれているのかも。

 だから、そこそこには3人で遊んだり、魔法の練習をしたり、あと勉強もやった。宿題多いしね。

 ハーマイオニーが言った通り、奇遇なことに私たち3人で、学年の首席、次席、三席を担っている。

 勉強も嫌いじゃないのだ。お互いの得意分野を教え合うのも楽しい。

 

 ある日なんかは、空き教室で決闘の模擬戦をしてみようということになった。

 去年の決闘クラブより断然有意義だっただろう。

 去年が有意義じゃなさ過ぎたというのも、もちろんある。

 

 

 今日はドラコと私の模擬戦の日だった。

 

 赤い閃光が迫る。

 練習を始めた頃に比べれば、ドラコの武装解除は威力も速さも上がってきている。

 

 必要の部屋では攻撃面は練習できても、防御の方はあまりうまくいかない。盾の呪文は練習できる。でも実際は呪文に当たらなければ良いわけだから、避けた方がいい場面も出てくる。

 何しろ、呪文の攻撃範囲は点一個分だ。呪文の速さも力量によって変わるけど、どうしたって拳銃ほどには速くはならない。

 戦闘で変身術がよく使われていたのが、この点一つ分の攻撃範囲を広げるためだったと思う。

 

 と、考えている場合じゃなかった。

 パッとその場でしゃがみこんで、呪文を掻い潜る。

 

「的が小さい!」

「失礼な!」

 

 ドラコに叫びかえして、床を凪ぐように杖を振る。

 石のタイルが一枚ふわりと浮かび、回転し円盤のように空を切ってドラコに迫る。それは途中で網に姿を変え、遠心力で広がりながらドラコに襲いかかった。

 

「っ、ディフィンド(裂けよ)!」

 

 2度、3度と放たれた切り裂き呪文で、私の網はバラバラになって落ちる。でもその隙を見逃しはしない。

 

「エクスペリアームズ!」

 

 私が撃った武装解除は、寸前で横様に飛び退いたドラコに躱された。

 でも急なジャンプで体勢が崩れている――畳み掛けられる。

 

「エクス――!」

サーペンソーティア(蛇よ出でよ)!」

 

 足をもつれさせながらドラコが放ったどこか懐かしい呪文。

 でもその威力は記憶とはまるで違う。全長1メートルを超えていそうなほどの大蛇が杖先から飛び出して、不意を打たれた私の腕に絡みついた。

 まずい、()腕に付かれた!蛇が目の前で大口を開けて威嚇してくる……牙が鋭い!

 去年のバジリスクを思い出す。顔を仰け反らせながら、手首と指を精一杯曲げて杖を蛇に向けた。

 

レラシオ(放せ)!」

 

 蛇に呪文が当たった瞬間、シュルシュルル!と音を立てて一気に腕を巻いていた蛇が解ける。ぼとり、と蛇が床に落ちると同時に、また赤い閃光が飛んできて、慌てて防御を張った。

 

 これじゃまた最初の状況に戻ってしまう。

 でも、最初と違う要素がひとつ。ちらりと下で伸びている蛇を見てから、タイミングを合わせて防御魔法に力を入れる。

 飛んで来たボールを弾き返すイメージ。

 

「プロテゴ!」

「くっ」

 

 跳ね返った閃光をドラコが躱す。これは想定通り。

 杖を摘んで下に向けて、くるりくるりとかき回す。蛇がじわり溶けるように消える。かと思いきや、そこからポンポンと煙と音を立ててカラフルな猫が飛び出した。

 

「は!? なん、なんだこれ、うわっ!」

「ニャー「ニャー「ウニャ「ニャンニャー「ウニャウニャ「ニャゴ「ナー「ウニ「ナーゴ「ウナー「ナーーオ「ギャバベロ「ウニャラ「ニャル「ラト「ホテ」

 

 ぷー。

 私が宙をかき混ぜ続ければ、猫はどんどん増えていく。

 ぽぽぽぽぽぽぽぽ――と無限のように湧き出た猫の群れが部屋を埋め尽くし、一気にドラコを飲み込んだ。

 

「…………」

 

 猫の波が引いていく。

 カラフルな猫たちはどこかへ消えていき、後にはボロ雑巾のようになったドラコが残された。

 

 部屋の隅で審判をしていたハーマイオニーが近づいて来て、私の右手を掴み、掲げた。

 

「勝者、ハリー」

「おかしいだろ!」

 

 がばっと身体を起こしたドラコが詰め寄って来た。

 

「意味が分からない! 何をどうしたら僕の出した蛇が大量の猫に変わるんだ! あとなんか変なのも混ざってなかったか!」

 

 横で見ていたハーマイオニーも首をかしげる。

 

「確かに、変身術はある程度大きさに融通が効くけど、蛇の大きさに対して余りにも多すぎたように思うわ。ハリーが得意だから、って言われたらそれまでだけど」

「先に小さい猫に変身させてから肥大呪文(エンゴージオ)で大きくしたんだよ。あと、蛇自体が大きかったしね」

「……なるほどな」

 

 実際には存在しない「ミニチュアの猫」とかにも変身させられる。この辺りが変身術の醍醐味、センスが求められるところだ。

 

「それにしても……認めるのは癪だが、決闘においては負けなしだな」

 

 ドラコがボヤくように言った。ハーマイオニーも同意するように頷く。

 

「ええ、何というか、発想の柔軟さもあるけど、それを可能にする引き出しが驚くほど多いわね」

「え、あ、ありがとう……」

 

 曲がりなりにも3年近く特訓をしてきたけど、その成果がしっかり実になっていたみたいだ。それに人を相手にするのは、機械的な動きの石像を相手にするのとは違う。

 でもそれよりも、急な褒めそやしに頰が熱くなった。

 

「……そ、そういえばさ、ハーマイオニーって猫飼ってたよね」

 

 目を窓の外に向けながら聞いた。

 ただ話題を反らすための質問で、大して意味はないはずだった。

 

 

「何言ってるの、私猫なんて飼ってないわよ?」

「……あれれ~?」

 

 悲報。クルックシャンクス、買われてなかった。

 大丈夫、きっと良い飼い主に巡り合えるさ。

 心の中で幸せを祈りつつ、謎の原作乖離に動揺するまいと笑顔を浮かべた。

 

「そうだっけ?? 他の人のことだったかな……」

「そうだと思うわよ。私はペットが欲しいとは思ったことないし……周りに飼ってる人もいないしね」

「ああ、なるほどね」

 

 ロンの存在……というかスキャバーズの存在が、それなりに影響を及ぼしていたわけだ。

 

「買うならふくろうかしらね。それも今は学校のを借りればいいから、やっぱり今は必要ないわ」

「ちなみにドラコの家は孔雀飼ってるよ。真っ白の」

「ええ……」

「あれは父上の趣味だ! 正直あれは僕もどうかと……」

 

 

 

 

 

 

 新学期が近づくにつれて生徒たちが学校に帰ってくるようになる。

 そうしたら何となく予想していたけど、ドラコは会いにきてくれなくなってしまった。

 もう少し堂々と仲良くなれるといいけどね。

 

 でも、2年生の夏ぶりに時間を取って話すことができた。

 ハーマイオニーも残ってくれて、寂しいと思っていたクリスマス休暇は今までで一番楽しいクリスマスになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第8話 2年ぶりの試験と――

 

 

 休暇が明けてからは、特に事件もなく過ぎていった。

 去年の今頃はバジリスクのせいで惨憺たるムードだったけど、今年はそうでもない。

 大体みんな、明るい表情で過ごしている。

 

 あ、そうそう、ひとつだけあったのは、シリウスおじさんがロンの寝込みを襲っていた。

 こういう言い方をするとアレだけど、まあとにかく、スキャバーズ目的で飼い主の部屋まで侵入したわけだ。当然見つけられず撤退していったけど。

 今回も捕まらないで良かった。お疲れ様です。

 

 ……私? 私は何も気づかず寝てたよ。ごめんね!

 

 というか、特に事件もなく、とか言っちゃったけど、これって結構な事件だよね。

 私からすれば危険を感じる要素が無いから、他の生徒に比べて気が抜けてしまっているのだ。

 そういえば、シリウスが私を狙っていると思っている先生たちからすれば、なぜ女子寮じゃなくて男子寮に侵入しようとしたのかは謎だろうなあ。

 

 

 

 たくさんの授業を受け続ける毎日。

 適量以上の宿題を熟して、暇を見つけては必要の部屋。

 たまにルーピン先生との特訓もある。

 

 かなりハードな日常生活だけど、キャパシティギリギリで何とか回していく。

 

 後に振り返ってみれば、この頃の月日の流れは、ものすごく速いように感じた。

 

 

 

 

 

 

 テストも近くなってくると宿題の量が倍にも増えて、本当に目が回ってしまいそうだった。

 いくらイルカ作戦で『私』と教科を分担しても、単純に時間が足りない。私は元々、そんなに要領がいいわけでもない。実技ならともかく、理論を真面目に理解しようとすれば人並みに時間がかかるのだ。

 その点で言うなら、今年の闇の魔術に対する防衛術は、実技の比率が高くてありがたい。

 

 気温は暖かくなってきて、天気も気持ちの良い晴れが続いている。

 そんな外でのんびり過ごしたいような日々、だというのに、生徒たちは永遠に続くとすら思えるテストの追い込みをしている。

 

 ちなみに、ホグワーツのテストは1限3時間もある。

 テスト初日、私は数占い、変身術、呪文学、古代ルーン文字学の4教科を受ける。

 つまり12時間。丸一日の、半分。

 ……………。

 

「うがががががが」

「いけない、ハリーがまた壊れた!」

「取り押さえろ!! また池に飛び込みに行っちまうぞ!」

「誰か甘いものを! 甘けりゃ何でもいい!」

「糖蜜ヌガーならポケットにあるわ!」

「早く口に突っ込め! 口に!」

「がばぼぼ」

「やばいデカすぎた」

 

 脳の糖分が足りなくなると暴走するらしい。

 テスト前だけど、何だかんだそれも含めてみんな楽しそうだった。

 

 

 

 そんな騒ぎも試験が始まってしまえばなりを潜めた。去年は学期末試験が無くなったから、実質2年ぶりの試験だ。生徒全員が張り詰めたように緊張していた。

 

 数占いとかいう訳わからん教科はもう一人の『私』にお任せしておいて、変身術は私の出番だ。

 筆記は上々。実技はティーポットを陸亀に変えるというどこかで聞いたような課題だったので、力を込めて体長130センチほどのガラパゴスゾウガメに変身させた。

 机がぶっ壊れた。

 マクゴナガル先生にものすごく冷たい目で見られた。

 テストの点には反映されないと思いたい。プラスはされてもマイナスはされないはず……。

 

 呪文学は「元気の出る呪文」でロンのやりすぎで小一時間笑い続けた以外は首尾よくいったし、ルーン文字学も多分問題なかったはずだ。 

 

 疲れてふらふらしながら夕食を食べ終われば、みんなそそくさと談話室に戻り、明日の試験の復習。

 明日は魔法生物飼育学、魔法薬学、それに夜に天文学の試験がある。

 

 科目は多いとはいえ、勉強は真面目にしてきたし、実技には一日の長がある。

 3年生はまだまだ暗記が多いし、集中が得意な私はそれは苦手じゃない。今回はハーマイオニーにだって勝てるかもしれない。いや、これだけハンデがあっても競り勝ってくるハーマイオニーが凄いんだけど……。

 それでも、「勝負したい」と言ってくれた彼女に応えるべく、全霊を持って取り組む所存です。まる。

 

 

 

 

 最後の試験は占い学にした。

 「した」というのは、マグル学との二択だったからだ。

 難しいことを考えなくていい分、こっちを後にした方が気分的に楽だと思ったのだ。

 

 マグル学を受け終わってから八階へと昇って行くと、生徒たちがみんな教室への螺旋階段に腰かけていた。

 原作通り、一人ずつ呼ばれる形式らしい。筆記すら無いってのはほんとにどうなってるんだろ。

 

 順々に呼ばれて行って、私の前に試験を受けたパーバティは、満面の笑みで帰ってきた。

 

「私、本物の占い師としての素質をすべて備えてるんですって! とぉっても色んなものが見えたわ!」

 

 嬉しそうに手を組んでくる彼女に、私は曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。

 この沼から引っ張り出してあげるのが、真の友達なんじゃないだろうか。いや、本人が幸せそうだしそれでいいのかな……。

 キャイキャイとお互いの試験を報告し合うラベンダーとパーバティを前に、私は真剣に悩んだ。

 丁度そのとき、上の教室からお呼びがかかった。

 

「ハリエット・ポッター!」

「ハリー、頑張ってらっしゃいね!」

「ファイト! きっと未来を見通せるわ!」

「う、うん。いってきます……」 

 

 割とかつてない程の激励を受けて、螺旋階段を昇った。

 

 トレローニー先生の教室は、窓もカーテンも閉め切られ、雰囲気づくりのためかこんな時期に火が焚かれ、謎のお香の匂いで満たされていた。

 咳き込みながらがたがたと机の前の椅子に腰を下ろす。トレローニー先生は笑顔を浮かべて水晶玉を示して、霧の向こうから聞こえてくるような声で言った。

 

「この玉をじっと見てくださらないこと……ゆっくりでいいのよ……それから、中になにが見えるか、教えてくださいましな……」

 

 まあ当然見えない。一応頑張って目を凝らすふりをするけど、水晶玉の中には綿あめのような白いもくもくが浮かんでいるだけだ。

 しゃーない、でっち上げよう。

 

「えーと、私が見えます」

「貴女が!」

 

 トレローニー先生は膝の上に乗せた羊皮紙に羽ペンを走らせた。

 

「よーくご覧になって……どうなさっている? 泣いている? 苦悩している? 悲しんでいる? あるいは……」

 

 選択肢に悪意しかないんですが先生!

 と言いたいのをぐっとこらえる。今年一年言われてきたんだ、今更どうってことはない。

 

「えーと、そうですね……多分悲しんで、います?」

「泣いては?」

「……泣いてます、はい」

 

 泣きたくなってきた。

 というか、ノリノリだ先生。程よいところで止めないと、水晶の中の私がどんなことになるかわからない!

 

 この試験は、実質先生が(いろいろ酷いけど)答えを提示してくれるから、楽ではある。でもこんなに精神に悪い試験もなかったし、段々お香の匂いと暑さで気持ち悪くなってきた。

 最終的に私は、「詐欺師に騙され無一文になり、信じていた友人から裏切られ、人生最大の賭けに失敗し開拓地に送られ嘆き悲しむ」ことになった。

 どうやって騙されたかとか、どうして裏切られたとか、人生最大の賭けって何だとかはわからない。『結果』だけだ!!『過程』は消し飛び……『結果』だけが残るッ!

 

「いいでしょう!」

 

 30分ほどして、やや興奮したトレローニー先生がやっとそう言ってくれて、私は椅子に崩れ落ちた。

 

「ミス・ポッター、貴女はきっと素晴らしい占い師になることができましてよ。わたくしが保証いたします!」

「ありがとござます……」

 

 私はカバンを引っ張り上げてよろよろと立ち上がった。

 疲れた……疲れました私。これで試験は最後だし、もう夜まで寝よう、うん。

 そう心に決めて、ふらつきながら部屋を出ていこうとした、そのときだった。

 

 

「ことは今日に起こるぞ」

 

 

 その荒々しく太い声が後ろから聞こえてきたとき、私は呆けていて、一瞬反応ができなかった。

 

 慌てて振り返った。トレローニー先生が、うつろな目をして、口をだらりと開け、肘掛椅子に座ったまま硬直している。

 と思えば、目がギョロギョロと動きはじめ、再び荒い声が口から漏れだした。怖い。

 

「闇の帝王は、友もなく孤独に、朋輩に打ち捨てられて横たわっている。その召使いは12年間鎖に繋がれていた。今日その召使いは自由の身となり、ご主人様の元に馳せ参じるであろう。闇の帝王は召使いの手を借り、再び立ち上がるであろう。以前よりもさらに偉大に、より恐ろしく。召使いが……そのご主人様の……もとに……馳せ参ずるであろう……」

 

 トレローニー先生の頭がガクッと前に傾き、胸の上に落ちる。

 うめくような音を出したかと思うと、先生の首がまたピンと起き上がった。

 

「あーら? ごめんあそばせ……今日のこの暑さでございましょ。あたくし、ちょっとウトウトと……」

「……いや、暑くしてるの先生じゃないですか」

 

 辛うじてその突っ込みだけはしておいた。

 

 

 

 

 休むことはできない。

 トレローニー先生の予言は――普段はともかく――必ず当たっている。

 ペティグリューが逃げるのは避けられないことかもしれない。

 でも、だからと言って抗うのを諦める理由にはならない。

 

 ラベンダーとパーバティと談話室に帰る間も、私の頭は目まぐるしく動いていた。

 

 今日までペティグリューはまだ見つけていない。

 原作ではどこかですれ違っていたと思うんだけど思い出せないのが痛かった。

 何の手がかりも無しに、この広大な城で、沢山のネズミの中から特定の一匹を見つける。そんなのは魔法があったって不可能だ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 窓の外を見ようとしたとき、ラベンダーに肩を叩かれた。

 

「ねえ、ハリーもそう思わない?」

「……え? あ、ごめん、聞いてなかった」

「あら大丈夫? 試験疲れ?」

「うん、そうかも」

 

 疲れているのは事実だ。でも、休むことは許されない。

 

 窓に近寄って外を見た。

 太陽の橙が、校庭を照らしている。

 温室、暴れ柳、そして奥に広がる禁じられた森。

 

 人の姿は見えず、動くものは何もない、静かな景色だった。

 ……静かすぎるほどに。

 暴れ柳の更に向こう、森の傍らに建っている小屋を見た。

 ハグリッドの小屋だ。

 

 今まで見つからなかったペティグリューが、今、この時だけはあそこにいるはずだ。

 

「私、夕食まで寝てくる!」

 

 返事を待たずに談話室に走った。

 

 寝室に入り、誰もいないことを確認すると、トランクから透明マントを引っ張り出した。

 忍びの地図があればすぐに確かめられるけど、残念なことに私は貰えていない。

 多分、私がホグズミードに行ったからだろうと思う。フレッドとジョージも、楽しそうにホグズミードで遊ぶ私を見て、わざわざあげようとは思わなかったんだろう。

 

「無いなら無いで頑張るしかないよね!」

 

 そう言い聞かせて、マントを頭から被った。

 

 

 

 校庭を横切って、ハグリッドの小屋へ急ぐ。

 原作では、ハーマイオニーがハグリッドの小屋でスキャバーズを見つけていた。

 どうしてハグリッドに会いに行ったんだっけと考えて、思い出した。ヒッポグリフのバックビークが処刑されるんだった。

 でも今はドラコが怪我をしていないから、バックビークも処刑されない。

 地図は貰えなかったのは残念だけど、同じ原作からの変化でも、こっちは嬉しい変化だ。 

 

 扉をノックすると、ハグリッドが出てきた。

 左右を見回した後に、下に目を落として私を見つけたようだった。

 

「ハリー?」

「うん、ハグリッド。聞きたいことが――」

「お前さんなにしちょる!」

 

 突然の大声に飛び上がった。

 

「ブラックがうろついとるかもしれんちゅうのに! 一人で出歩くなんぞ!」

「え、あ、ごめんなさい」

 

 ハグリッドは私の背中をぐいぐい押して小屋から追い出した。

 

「俺が学校まで送っていく!」

「あ、待って、待って……」

 

 何をしに来たか忘れかけていた。

 

「ハグリッド、ロンのネズミ、知らない?」

「ネズミ? 何のことだ? そんなのはいいから、ほら――」

「待って、お願い!」

 

 背中を押されるのを戸口で踏ん張って堪えた。肩越しに何とか訴える。

 

「ロンがすごい落ち込んじゃっててさ! ちょっとだけ、小屋の中探させてくれない?」

「そりゃ別にええが……なんで俺の家なんだ?」

「あ、えーっとね」

 

 当然の疑問だ。理由を考えた末に出てきたのは、割と最悪の答えだった。

 

「そのぅ、占いでそう出て……」

「占い」

 

 ホグワーツでトレローニー先生の評価はある意味安定している。ハグリッドの困惑顔は当然だと思う。私もできればもっとマシな答えを言いたかった……。

 

 ハグリッドは少し迷ったけど、結局は家に入れてくれた。

 私は真っ先に、ハーマイオニーがスキャバーズを見つけたミルク入れに飛びついた。

 重さがある! 一気にひっくり返した。

 

 

 ミルクがダバ―、と床に零れた。

 それだけだった。

 

「え……」

「ほれ見ろ、占いなんぞ当てになんねえ。お前さん、試験で疲れとるんだ。さ、もう帰ろう」

 

 ミルクまみれの床を前に立ち尽くした。

 何度見てもミルク以外何もない。ネズミの影も形もない。

 

 それでも、肩に大きな手を添えて出口に促すハグリッドに逆らって、杖を抜いた。

 

ホメナム・レベリオ(人現れよ)!!」

 

 影のような靄が私を中心に広がって行く。人の反応は……ハグリッドだけ。

 杖を掲げたまま動けなかった。

 そんな私を、ハグリッドがもう一度外に促した。

 

「さ、ハリー」

「…………うん。ミルク、零しちゃってごめんなさい。……スコージファイ(清めよ)

 

 床に撒かれていたミルクが消えた。

 

 

 ハグリッドと一緒に、いつの間にか暗くなっていた校庭を歩く。

 

 私は、唯一あった手がかりが消えてしまったことを、ゆっくりと受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局のところ。油断していたんだと思う。

 

 去年、一昨年に比べれば、危険のない年だろうと。

 ヴォルデモートが教師に取り憑いているわけでもない。

 遭えば即死の怪物がうろついているわけでもない。

 

 だから今までよりも安心して、一年を終えられる。

 あるいはもしかしたら、原作より良い結果を求められるかもしれない。

 そんな風に考えていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 学校に帰ってきたときには、全てが終わった後だった。

 

 

 城に入った私は、玄関ホールに人だかりができているのを見つけた。

 不思議に思って近づくけど、人混みのほとんどは私より背が高いから、その中心で起きているだろう騒ぎは見ることができない。

 背伸びをしたりジャンプをしたりしてみても意味はなかった。

 

 諦めて帰ろうとしたそのとき、人混みの中の生徒の一人が私を見つけた。

 「ハリー・ポッターだ」と、その男子生徒が言うと、それを聞いた周りの生徒たちが驚いたように振り返って私を見た。

 そこからは連鎖するように、次々と私を振り返って見る生徒たち。

 

 こんなに見られるのは1年生のとき以来だ。

 動揺して、後退りして逃げようかと画策していると、人垣が割れた。

 皆して、私を見ている。通れってことだろうか。

 

 いつの間にか静まり返った人垣の道を、恐る恐る歩き進む。

 心臓が耳の辺りで大砲のように聞こえた。

 呼吸が荒くなって、身体中が凍ったように冷たくなっていくのを感じた。

 

 何か、取り返しのつかないことが、この先に起こっているのが、わかった。

 

 

 輪の中央。初めに目に入ったのは黒いローブ、スネイプ先生だった。

 いつになく爛々と目を光らせて、吐く息は荒く、右手は降ろしてはいたけど、強く杖を握りしめているようだった。

 次にルーピン先生。

 5,6歳老け込んだような、疲れ切った顔をして、何かに目を落としていた。

 

 何に?

 

 その視線を追って、私も目線を床に向けた。

 

 人が倒れていた。

 汚れ切った黒いもじゃもじゃとした髪が投げ出され広がっていた。

 痩せこけた血の気のない皮膚が顔の骨にぴったりと張りつき、まるで髑髏のようだった。

 まるで死体のようだった。

 違う、まるでじゃない。

 

 それはまさしく、ただの死体だった。

 

「シリウス――?」

「ッ!ポッター!」

 

 私の声は静まり返ったホールに響いた。スネイプ先生が興奮冷めやらぬように叫んだ。

 

「ハリー……君は喜ぶべきなのかな……ご両親の敵の一人だ――」

 

 二人の先生が喋っているけど、内容は当然のように入って来なかった。

 

 シリウスを凝視して、莫迦みたいな疑問だけが、頭の中を飛び交っていた。

 

 なぜ、シリウスが? なぜここに? いつ起こった? どうやって? なぜ今? 誰がやった? なんで起きない? どうして? どうして、どうして、どうして――?

 

 

 

 

 失敗した。 

 

 疑問符の嵐の中、唐突にそれを理解した。

 途端、猛烈な吐き気を感じて、しゃがみ込んで口を押さえた。

 

「――ハリー、大丈夫かい!? ハリー!」

 

 ルーピン先生が目の前で喋っている。答えられない。

 

 頭がどんどん熱くなってきて、視界が揺れ出した。

 周りから聞こえる声もどろどろと変わっていき、平衡感覚がなくなる。

 

 あのときああしていれば? もっとこうしていれば?

 現実逃避のように、あり得なかったIFが頭の中でぐるぐる回る回る回る回――

 

 

 

 低い私の視界の端に、動くものが映った。

 

 仰向けに倒れたシリウスの身体の下、その背中の辺りから這い出してきたのは、

 

 ネズミだった。

 

 どくん、と心臓が脈を打つ。

 私の身体の感覚全てが、そのネズミに集中した。

 

 ネズミは一瞬こっちを見て、私が見ていることに気づいたのか、慌ててシリウスの脇を通って走り出した。

 

「あのネズミは――?」

「ああ゛ッ!!」 

 

 『走れ!捕まえろ!殺せ!』 内から聞こえるそんな声にぶん殴られたように、私の身体は跳ね上がった。

 凍りついたようだった身体は、今は燃え上がるようだった。

 潰れても構わないとばかりに両手で飛び掛かる。逃げられる、くそ――!

 

 逃げた方向を睨みつけると、沢山の脚が見えた――その間を、ネズミはするすると逃げていく。

 

「待て! 待てぇ! どけッ、どいて!! お願い!」

 

 人混みを力任せに押しのけようとする。でも、私の小さな身体では無理だった。

 生徒たちは混乱したように慌てふためくだけで、動かない。

 

 杖を抜いた。

 

パーティス・テンポラス(そこを退け)!」

 

 見えない巨人の手にかき分けられたように、がばっと人が無理矢理に圧されて、隙間ができる。その間を走り抜けた。

 

 先は階段、左右に廊下、いくつかの部屋の入り口………いない、見えない、見えない!

 どんなに目を凝らしても、茶色いネズミは見つからない。

 

「そんな――!」

 

 見失った。

 

「――――ッ!!」

 

 床に崩れ落ちて、頭を抱えた。呻くような唸り声が喉から漏れ出た。

 掻きむしりたくなるような怒りが頭を埋め尽くした。

 

 ペティグリューへの怒りではない。私自身への怒りだ。

 自分で自分の首を絞めてしまいたかった。死んでしまえと思った。

 

 

 

 シリウス・ブラックが命を落とした。

 

 それは決して偶然じゃない。

 油断に楽観を重ねた愚か者――

 

 この私の怠慢のせいだと、そう理解したのだ。

 

 

 



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第8'話 ――と1年ぶりの再戦


本日2話目です。
お気をつけください。



 

 

 「ことは今日に起こるぞ」

 

 

 その荒々しく太い声が目の前から聞こえてきたとき、ついに来たかと身構えた。

 元々異様な風体のトレローニー先生が、輪をかけて異常な様子で語る予言。

 内容は()と変わらない。ということは、同じことが起こるはずだ。

 

 

 

 ラベンダーとパーバティと談話室に帰る間も、私の頭は目まぐるしく動いていた。

 

 今日まで、忍びの地図があってもペティグリューを見つけられていない。

 この城は広いうえに自由度が高い。階段は動くし、部屋も消える。そしてそれは地図にも正確に反映されるから、一度調べたと思ったところが実は調べていなかった、なんてことはざらだ。

 加えて、奴が主に潜んでいると思われる下水道は表示されない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 わかるはずなんだ。

 

 

「ねえ、ハリーもそう思わない? ……ハリー?」

「ごめん、ちょっとやることがあるの」

 

 肩を叩かれたけど、何かに突き動かされるように談話室に急いだ。

 そのついでにちら、と窓の外を見た。

 

 太陽の橙が、校庭を照らしている。

 温室、暴れ柳、そして奥に広がる禁じられた森。

 

 人の姿は見えず、動くものはいつも通り、暴れ柳だけ。

 

 その暴れ柳が突如として、ピタリと動きを止めた。

 

「っ――!」

 

 パシリと右目を手で覆った。

 掌の下で、最近習得した魔法を発動する。

 

 手を放して、右目だけで暴れ柳、その根元を見た。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 根元のこぶに、見覚えのある茶色いネズミが見えた。

 キョロキョロと周りを見回して、暴れ柳の根元の穴へと潜って行った。

 

 

 見つけた。

 

 

 見つけた!

 やっと見つけた。

 なんという偶然、見るのが一瞬でも遅かったら、間違いなく見逃していた。

 

 この機会を無駄にはできない。

 

 合言葉を唱えて、談話室に駆け込んだ。

 たむろしている生徒たちの横を駆け抜けて寝室に飛び込み、枕の下から地図を引っ張り出した。

 

「我、ここに誓う。我、よからぬことを企む者なり!」

 

 この地図は学校の敷地内までしか表示されない。だから暴れ柳の根元の穴の先……叫びの屋敷の様子は見ることができないけど、そう遠くないうちに、あいつは必ず帰ってくるはずだ。

 今日まで逃げだしていないのがその証拠だ。何度かホグズミードなどに行っても、絶対に戻ってくる。

 ここにはダンブルドア先生がいる。

 脱獄犯から逃げるのに、ここよりも安全なところはない。

 

 ()と同じなら、どこかの抜け穴を通って戻ってきて、玄関ホールに行くはずだ。

 でもできるだけ、玄関ホールに辿り着く前に捕まえたい。

 生徒に囲まれると危ないし、前と同じ展開はできるだけ避けたい。

 

 そうすると問題は、どの抜け道を通って帰ってくるかだ。

 ホグズミードから繋がる抜け道は全部で7本。そのうち1本は崩れて使えないらしいから、6本……いや、ネズミなら通れるのかも?

 

 とにかく、見るべき場所がわかっているなら、こんなに頼りになる地図は他にない。

 7箇所程度ならずっと見張っておくことができる。

 

「ハリー? おーい、いる?」

 

 扉の向こうから声が聞こえる。

 チラッと地図でグリフィンドール寮を確認すると、ラベンダーが女子寮への階段を昇ってきている。

 扉を開く音がして、顔を覗かせる気配があった。

 

「夜ごはん食べに行かない? 少し早いけど、頭使ったしお腹すいちゃった」

「んー、ごめん」

 

 地図から目を離さないまま答える。

 

「私ちょっと眠いから二人で行って――、」

 

 

 息が止まった。

 

 

「そう? あなたが食事以外を優先するなんて珍しいわね」

 

 声は耳を素通りしていった。

 私の視線は一点、地図上の暴れ柳に吸い寄せられていた。

 

 名前が飛び出してきたのだ――「ピーター・ペティグリュー」

 かなりの速さで移動している。

 ……思った以上に早いお帰りだ! 

 

 勢いよく立ち上がって、二段ベッドの上段に頭をぶつけた。痛い!

 でもそれで少し、冷静になった。疑問が浮かぶ。

 出ていったばっかりの抜け道をなぜ引き返してきた? 何か理由が――

 

 その疑問は刹那の内に解消された。

 

 ペティグリューを追って、同じ抜け道から飛び出してきた名前。

 「シリウス・ブラック」

 

 

「は?」

 

 二度見、三度見。

 

「は?」

 

 大量殺人の脱獄犯が?

 平日の?

 まだ明るいうちから!?

 生徒も教師もわんさかいる正面玄関に向かって!!

 一目散に走ってくる!!

 

「無謀すぎるでしょおあーー!!!」

「えっ、何なに!?」

 

 動揺しているラベンダーを余所に、地図上の玄関ホール付近をサッと流し見る。

 生徒は沢山いるとして、先生は……大広間にルーピン先生、玄関ホールに向かう廊下にスネイプ先生、くらい。ルーピン先生はともかく、スネイプ先生に見つかったらヤバい!

 

「ごめん! やっぱりご飯食べに行ってくる!」

「え、それなら一緒に――えぇ……」

 

 ぽかんとしたラベンダーの脇を掠めて、階段を駆け下りて談話室を突っ切った。

 

 寮を飛び出して……動く階段を待つ時間も惜しい! 廊下の手すりを乗り越えて8階40メートルの自由落下を敢行。

 幾重にも重なる階段と驚く生徒たちの顔がビュンビュン上に流れていく。遠かった床が恐ろしい速度で迫ってくる。

 杖を取り出し構えた。

 

 まだ、まだ、まだ――今!

 

モリアーレ(緩めよ)ッ!」

 

 唱えたのはクッション呪文。床ギリギリで速度を殺し、ふわりと猫のように音もなく降り立つ。

 かなりドキドキだけど、休む間もなく地面を蹴った。

 

 先の大階段を降りればもう玄関ホールだ。尋常じゃないショートカットをしたはずなのに、もう人だかりができかけている。

 

「間に合ってよ……!」

 

 階段を飛び下りて、人混みに躊躇する。

 パーティステンポラス(道を開け)でこの密集を無理矢理に退かせば、怪我してしまうかもしれない。

 

 

「っ、ソノーラス(響け)!」

 

 反射的に自分の喉に杖を当て、思いついた呪文を唱えていた。

 

「通してください!!!」

 

 力が入りすぎたのか、喉から轟くような大声がでて顔が熱くなる。

 でもその甲斐あって、みんなが私に気づいてくれたようだった。

 

「ポッターだ」

「ハリー・ポッター?」

「開けろ開けろ! 女王のお通りだぞ」

「女王とかじゃっ――クワイエタス(静まれ) ……女王とかじゃないから

 

 ともあれ、道は開けた。

 突っ込みもさておき、割れた人垣の間を駆け抜けた。

 

 

 

 輪の中央。

 人が倒れていた。

 

 汚れ切った黒いもじゃもじゃとした髪が投げ出され広がっていた。

 痩せこけた血の気のない皮膚が顔の骨にぴったりと張りつき、まるで髑髏のようだった。

 まるで死体のようだった。

 

 

 でも、死体ではなかった。

 手足と口を縛られ床に倒れていたけど、落ち窪んだ目の光は消えていなかった。

 

「ハリー! 来てしまったのか……」

「ッ!ポッター!」

 

 ルーピン先生とスネイプ先生がシリウスに杖を向けて立っていた。

 

「先生、私は……!」

「――――ッッ!!」

「おっと。シリウス、動かないでくれ。何かを待つまでもなく、君を撃たなくちゃならない」

 

 暴れ出そうとしたシリウスをルーピン先生が止めた。その眼には、旧い友人を見るような温かさはない。ただ殺人鬼を見る冷たい目だった。

 ルーピン先生も、シリウスが無実だと気づいていない。

 原作で気づくきっかけとなる忍びの地図を私がずっと持っていたのだから、当然と言えばそうなんだけど。

 

「待つ必要はない!」

 

 目を爛々と光らせてスネイプ先生が言った。

 

「捕らえた所で吸魂鬼のキスが待っているのだ!」

 

 シリウスの喉元に突き立てるように杖を向ける。

 

「セブルス、生徒たちの前では――」

「構うものか! ………復讐は蜜より甘い。ポッターもそれを望んでいるはずだ」

 

 スネイプ先生が囁くように言った。

 皆の視線が一斉にこっちを向いた。

 

「それは……」

 

 やめてくれと叫びたい。でも今ここで闇雲に否定したところで、根本的な解決にはならない。

 わき目も降らず止めに入るのは、最後の手段にするべきだ。

 

 ルーピン先生はそんな私をどう思ったのか首を振った。

 

「セブルス、彼女は真実を知らない」

「だったら後で教えれば良い……必ず、そう思うはずだ……!」

 

 食いしばった歯の隙間から漏れ出るような声だった。

 その狂気的に歪んだ顔は、シリウスのことしか見ていなかった。

 心の内の、何かが決壊しそうなことがわかった。

 

 暴走している。

 先生の唇が震えて、今にも呪文が溢れてきそうだ。もしそうなれば、その呪文は――死の呪文に他ならないだろう。

 

 ルーピン先生を見た。スネイプ先生を見ているけど、最悪止める気はなさそうだった。

 

 周りを見回した。様々な表情をした生徒。他の先生が来る様子もない。

 

 シリウスを見た。

 シリウスも私を見ていた。

 

 私を見ている。

 何かを伝えたがっている? 動きも、言葉も封じられて、でも残されたその強い眼が、必死に何かを訴えている。

 

 下手に動けば、危ういバランスで均衡を保っているスネイプ先生が決壊する。

 それでも、わずかに身動ぎをして――身体の下から何かを――

 

「動くなと、警告はした」

 

 凍るような言葉が、スネイプ先生の口から吐かれた。

 取り返しのつかない呪文が唱えられる。

 

「ア バ ダ――」

 

 同時に、私は見た。シリウスが後ろ手で、見覚えのあるネズミを放り投げるところを。

 今にも死の呪文が飛んでこようかというのに、シリウスは私しか見ていなかった。

 

 スネイプ先生を止めないといけない。ネズミを捕まえないといけない。

 同時には、できない。

 

 シリウスはペティグリューを捕まえて欲しいんだろう。でも、私はそれを選べない。

 スネイプ先生を止める。ペティグリューが逃げてしまっても。

 私は自分の喉に杖を当てようと――

 

 

「セブルス、やめて」

 

 

 拡大された私の声が響き渡った。

 

 場は静まり返った。

 

 スネイプ先生は止まった。

 呆然としたように、私の方を見ている。

 

「……リリー?」

「ッ、レベリオ!」

 

 硬直からいち早く立ち直り、私は呪文をネズミに向かって撃ち込んだ。

 これは気づかれている。偏差射撃――走っていく先を予測して撃ったから、立ち止まってやり過ごされる……でも、これでいい。足さえ止められれば!

 

「あのネズミは――?」

「っ!」

 

 止まったネズミに一足飛びに飛び掛かる。

 潰すまいと注意したせいか、勢いが弱かった。間一髪、手の外に逃げられた。

 逃げた方向には沢山の脚――生徒たちの人垣。

 

 そこへ逃げれば安全、と思っていたんだろう。でもそれは前までの話だ。

 

 私は魔法を使う。

 変ずるは猫。何故猫の変身を練習したか――それは、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 動物もどき(アニメ―ガス)。ちなみに黒毛の長毛種だ。

 

 変身が終わったときには、もう私の意識は完全に猫に成り代わっていて、思考するのは『私』の役割だ。気まぐれな()の思考を『私』が操作して、目の前のネズミを捕らえることだけに集中させる。意識が二つあるからできる、変則的な動物もどき。ちょっとしたズルだ。

 

 脚の林を同じように駆けていく。

 まさか『私』が猫になって追って来るとは思っていなかったんだろう。ネズミは後ろを見て、驚いたように動きが鈍る。

 突然足元でトムとジェリーをが始まり、慌てた生徒たちが何とか踏まないように退いてくれる。

 ありがたい。機動性ではネズミには勝てない。でも、単純な速度なら圧倒的に『私』が早いんだから!

 

 人混みを抜けて、走るストロークを全開に大きく! もうネズミは目の前だ。

 ぐっと後ろ足に力が入り、一際飛んだ私が右前足(ネコパンチ)を繰り出した。素早い前足は正確にネズミを捉え、爪が毛皮に喰い込む。

 キー! と悲痛に喚くペティグリューを、爪に引っかけた勢いのままに振り回す――瞬間。

 

 『私』は変身を解く。

 (前足)を振った勢いをそのままに、身体ごとくるりと、ネズミを背後高くに放り投げた。

 

「ルーピン先生!!」

「ッ、ああ!」

 

 ルーピン先生の理解が早くて本当に助かった。無理な体勢でネズミを投げた私は床に転がるけど、その行く末を目で追った。

 

 「レベリオ(現れよ)」は、変身や身を隠しているものの正体を暴く呪文。先生の杖から放たれたそれは宙を飛んでいたネズミに過たず命中した。

 

 空中で、動物もどき(アニメーガス)が解かれる。

 

 その結果。

 小柄な禿げた男が、生徒たちの輪、その中央に放り出された。

 

 

 

 

 ピーター・ペティグリューが、その姿を白日の下に晒されたのだ。

 

 

 



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エピローグ' 私ハリーの終わりの決意

 

 

「それで? あの後、どうなったの? 私こっそり逃げたから見てないんだけど」

「ペティグリューは言い逃れしようとしてたよ。スネイプ先生も気持ち的にはシリウスを捕まえたかったみたいだけど……どう考えてもあいつが犯人だしね。しぶしぶ納得してくれてた」 

 

 一連の騒ぎから数時間。

 夜も更けて、もう深夜近くだろうか。

 満月の下、城の陰。誰もいない校庭の隅で、私は()()と話していた。

 彼女に向かって言う。

 

「そういえば、あのときスネイプ先生を止めてくれたの、あなたでしょ? 助かった」

「うん。上手くいってよかった」

 

 あのアシストが無ければ、シリウスは助けられてもペティグリューを逃がしていただろう。

 彼女がぺちぺちと手を叩く。

 

「じゃあこれでペティグリューはアズカバン送り、シリウスおじさんは晴れて潔白、自由の身と」

「……それがねえ」

 

 私は大きくため息を吐いて、お手上げ!という様に両手を上げた。

 

「逃げられた」

「え……なんで? あそこまでお膳立てして」

「ルーピン先生」

「……ああ、なるほど」

 

 たった一言で察してくれた。

 

 あの後、さあペティグリューを連行しよう、という段になって、窓から月の光が差し込んだ。

 ルーピン先生は何かを言う間もなく、ぬるっと狼人間に変身した。

 

 当然生徒たちはパニックになった。

 殺人鬼だと思っていた人が無実だったし、ネズミだと思っていたら真犯人だったし、先生だと思っていたら狼人間だった。もう散々だ。パニックにならない方がおかしい。

 全員がわっとバラバラに逃げ出して、何をする間も無かった。慌てて目を向けたときにはペティグリューは忽然と消えていた。

 

「いや、うっかりしてたわ」

「いや、うっかりで済ませるんじゃない! 大事件じゃん!」

「や、でも被害はなかったんだよ?」

 

 原作と違い、ルーピン先生は忍びの地図に気を取られることはなく、脱狼薬をちゃんと毎日服用していた。

 逃げ惑う生徒たちを見て途方に暮れたように天を仰いだ後、「縛ってくれ」という様に両手を突き出した。スネイプ先生が容赦なくぐるぐるに縛った。

 まあ安全だというパフォーマンスだろう。他意はない。

 

「それにさ、絶対自分の番になったら何かうっかりするよ、あなたも」

「……そ、そんなことないし」

「ある。だって私だもん」

 

 満月が()()の顔を照らし出した。

 その姿は私と瓜二つ……いや、少し背が低いし、髪も短いか。

 なにせ『1年前の私』だ。

 不満そうに唇を尖らせている。

 

 

 逆転時計(タイムターナー)

 時間旅行をするための魔道具だ。成績優秀な生徒はこれを使って全ての授業を受けることができる。

 原作ではハーマイオニーが使っていたし、パーシーなんかもそのはずだ。

 

 そしてこの世界では、私ハリーも使っていた。

 夏休みに記憶を取り戻して最初にしたのが、マクゴナガル先生に勉強への熱意をしたためた手紙を送ることだった。(大臣が私に甘くて、あっさり許可が出たと先生はぼやいていた。)

 新学期の宴会の前に、マクゴナガル先生から受け取ったのだ。

 

 逆転時計を貰えるタイミングとしては、授業科目が増える3年生の始めしかない。貰えるかどうかは賭けだったけど、うまくいった。

 貰うことを決めた理由は「保険」のためだったことは否めない。でも単純に『私』と取りたい科目が違ったこともあったんだけど。

 結局、こうして使っちゃったから、言い訳にしかならない。

 

 この1年ホグワーツで生活していた私は、1年後から逆転時計で戻ってきた私だった。

 

 シリウスが死んだあの夜から、マージおばさんが帰った夜へ。

 不貞寝をしようとしていた過去の私に接触し、()()()()()()。14歳の私が、2周目の3年生を過ごしていた。

 身体ごと時間旅行(タイムトラベル)する逆転時計で、無理矢理に時間跳躍(タイムリープ)の真似事をしたわけだ。

 過去の自分に接触してはいけないというルールがある中で、世界を外から覗いたことがある私だからこそできた力技だ。

 

 つまり正しい時間の私には1年間、雲隠れしてもらおうとしたわけなんだけど。

 どこか外国とか……それこそ日本とかに行っていると思ったら、まさかの1年間、ホグワーツに潜伏していたらしい。

 

「いや……何してるのさ! 助かったけど!」

「だって、魔法使いたいんだもん」

「あ、わかるー」

 

 同意しちゃった。

 それなら仕方ない。そうだよね、私だもんね。

 

「そういえば、そもそもどうやって学校まで来たの?」

「普通に汽車で来たよ。ドラコと乗ってた」

「そうだったの!?……あっ、気絶は?」

「したよ」

「だからかー!」

 

 だからドラコがあんなに心配してくれたのか……! そりゃ目の前で倒れられればねえ!

 

「学校始まってからは大体必要の部屋で過ごしてたかな。ちょくちょく外に出て話したり遊んだりご飯食べたりしてたけど」

「よくバレなかったね!」

 

 ……い、いや、ちょっと待てよ。

 恐る恐る聞いてみる。

 

「もしかしてだけど、何回か鉢合わせそうになってない? 何となく心当たりがあるんだけど」

「まあ、案外気のせいで済むよね。それか『まあハリーだし』で流されるか」

「り、リスキーすぎる……」

 

 私の人物評に文句をつけたいところでもあるけど、今まさに自分のぶっ飛び具合を傍から見ているから反論ができない。

 慄いていると、13歳の私がジト目を向けてきた。

 

「リスキーって言うなら自分(あなた)でしょ。1年丸々戻ってやり直すなんて……ねえ、なんでわざわざ1年も戻ったの? 今日のことを止めるなら、1時間くらいで十分だったでしょ?」

「………確かに!」

「おい」

「や、冗談冗談」

 

 彼女もわかっていたようで、腰に手を当てたまま答えを待っている。

 理由はいろいろある。軽く息を吐いて話し出した。

 

「細々した黒歴史を消したいってのもあったけど。ひとつは、余りにも原作から離れちゃったことでできなかったことがあるから、その修正」

「忍びの地図とか?」

「そう。たぶんホグズミードに行っちゃったから、前の私は貰えなかったんだ」

 

 わざと貰うために行動するのは気が引けたけど、万全を期すためには絶対に必要だと思い込んでいた。今となれば、無くても何とかなったかもしれないと思うけど。

 

「あとルーピン先生、前のときボガートを吸魂鬼にしなかったら、守護霊の特訓してくれなかった」

「そうなんだ。……過保護?」

「さあ、多分?」

 

 真に恐怖を感じているとわかって、今回は練習を引き受けてくれた。

 

「もうひとつは、動物もどき(アニメ―ガス)覚えたかったから」

「動物もどき? なんで?」

「前回と同じ状況になったときに、打開策が欲しくて」

 

 これも今となっては、他にももっと簡単なやり様はあったと思うけど……でも、苦労して覚えた魔法だ。これからの大きな財産になる。

 

「でも一番は……」

 

 少しひんやりとした夜の空気を吸って、吐いた。

 

「一番は、『この一年、何か根本的なことを間違えたから失敗したんだ』って思っちゃったからかな。あのときは混乱というか……シリウスを死なせちゃったっていうショックが大きくて」

 

 それから自分への怒りも。

 かきむしるような激情の中、逆転時計の針を回した。

 

「……でも、戻って良かったとも思ってるよ」

 

 気持ちを落ち着けることができたし、時間遡行の良いところも悪いところも、知ることができた。

 それにしたって1年は長すぎたかもだけど。

 

「ふうん」

 

 気のないように、13歳の私は相槌を打った。

 

「でもどうせなら、マージおばさんが来る前に入れ替わって欲しかったけど」

「本当はマージおばさん来る前にはそっちに居たんだけど、まあ隠れてたよね」

「こいつ……!」

 

 「私も絶対そうしてやる」と彼女は呟いていた。次の私、南無。

 

「そんなところかな」

「なるほどね。まあ過程はどうあれ、結果的にシリウス助けられたんだし、それは喜んでいいと思うよ」

「うん。ありがとう」

 

 自分にお礼を言うのは変な感じだ。自分にお礼を言われるのも変な感じのようで、13歳の私も微妙な顔をしている。

 

「まあ、1年お疲れ様、私」

「うん、1年付き合わせちゃってごめんね、私」

「いいよー。それなりに好き勝手出来て楽しかったし」

 

 彼女はそう言いながら私に近づいて、ローブのポケットに手を突っ込んだ。

 取り出したのはきらりと輝く金の鎖と、きらきらした小さな砂時計――逆転時計(タイムターナー)だった。ちょっとツマミのところが拉げて壊れてしまっているけど。

 本来の3年生の初めに――つまり体感的には2年前に貰ったものだ。

 時計をちらっと見てから、彼女は私に手渡した。

 

「はい、入れ替わったときに預かってたやつ。そういえば、なんで壊れてるの?」

「……そりゃ、魔法の道具とは言え道具だし、壊れることもあるよ?」

 

 私もポケットからもうひとつの逆転時計を取り出した。こっちのは私が2周目――今年の初めに貰ったもの。完品である。

 

 彼女はそれをじっと見つめて、続いて私を見上げた。

 何を言いたいかわかったから、首を振って答えた。

 

「……多分、もう使わないよ」

「そっか。あなたはそう思ったんだ」

「うん」

 

 今年1年、逆転時計で2周目を歩んで思った。

 生きている人間の行動を望むように変えようなんて、余りにも現実を蔑ろにしている。

 今年だけで十分だ。

 もう、この時計を使うことはない、と思いたい。

 

 そうならないように、私が頑張るのだ。

 

 

「来年は三大魔法学校対抗試合(トライウィザード・トーナメント)かぁ」

 

 不意に、彼女が夜空を仰いでそんなことを言った。

 首を傾げながらも頷く。

 

「うん。どうなることやらだね」

「大変だねー……頑張って!」

「他人事だなあ。明日は我が身だよ……ホントに」

 

 正確には来年は、だけど。

 そう言うと彼女は肩を竦めた。

 

「その前に、私は私で3年生やらないといけないからね! 1年戻って、プリベット通りに行って入れ替わればいいんだよね?」

「そうそう。シリウスを助けられれば、私の一年をなぞる必要も別にないと思うけど」

「あ、そっか。……ふふ、私はもう一人の私がホグワーツに来ること知ってるからね。私が2人いるってわかってれば、なんか面白いことできそうじゃない?」

「す、好きにすればいいと思うけど、バレないようにね……?」

 

 彼女は彼女で波乱の多い1年になりそうだ。

 

 私に続くハリエット・ポッター達は、皆この1年を二周することになる。

 でもきっと、それは一つとして同じものはない。

 彼女(わたし)たち一人一人が、彼女(じぶん)たち自身の世界を、平行(パラレル)に紡いでいくのだろう。

 

 

 

 さて。もう、言うべきことは言っただろうか。

 彼女も聞くべきことは聞いたと思ったのか、私を見て頷いた。

 

「じゃ、お互いに」

「おー」

 

 ハイタッチをする。

 ぺしゃ、と間の抜けた音が出た。まあそれも私たちらしいか。

 

「じゃあそろそろ……って、そういえばどうやって戻ったの? その逆転時計1時間のタイプだよね。月単位のタイプとか、何処で手に入れたの?」

「え?」

「え?」

 

 まったく……何を言っているんだ、私ともあろう者が。

 

「回すんだよ。7200回転」

「は? ななせん?」

「大体300日×24時間で7200だよ。いやあキリが良いね」

 

 ぐい、と壊れていない方の逆転時計を手に押し付けた。

 ぽかんとしていた顔にみるみる血が上った。

 

「いや、あんたやっぱり馬鹿だよ!」

「私はあんたですー。ほら、キリキリ回した回した」

「ふざけんな! あ、壊れたのってあれでしょ! シンプルに耐用限度超えたからでしょ!!」

 

 深夜の校庭ということも忘れて、ぎゃあぎゃあ騒ぐ私たちだった。

 

 

 

 

 

 

 10分ほど半泣きでツマミをくるくるしていたけど、魔法を使って回せばいいということを思いついてからは速かった。

 私も思いつくのに10分かかったから、やっぱり同一人物だなあと思う。

 

 宙に浮いて高速回転する砂時計はそれでもあと5分ほど時間が必要で、きっちり回し終わると、13歳の私はすうっと溶けるように消えた。

 

 

 見届けて、私は大きく息を吐いた。

 ペティグリューやシリウスのこと、あと動物もどきのこととか、色々説明したりされたりしないといけないことは残ってるけど、今年の山場は過ぎたと思っていいだろう。

 

 

 1周目から戻ってきたこの1年、過ごしてみて思ったことがある。

 それは、原作でハリーが通ったルートは、多分ほとんど正解に近いルートだったということだ。……薄々わかっていたけどね。

 もちろんそれは、物語の都合上のことかもしれない。でもだからこそ、原作と違う行動をとるのは当然リスクが伴うし、それでより良い結果を得ようとするのは、多分考えていた以上に難しい。

 

 1周目は、失敗した。

 2周目は、できるだけ原作に沿わせて行動した。

 

 その結果、原作とは大きく変わったことが2つある。

 ひとつは、シリウスの無実が証明されたこと。

 もうひとつは、『ハリーがペティグリューの命を救わなかった』こと。

 

 運命という大局から見たら、この結果はプラスマイナスゼロなのかもしれないけど、私からすればもちろん、1周目よりもずっとずっと良い結果だ。ペティグリューに恩を売るよりも、シリウスが自由の身になれたことの方がよっぽど嬉しい。

 

 この結果が、先にどう影響してくるのかはわからない。

 不安はある。でも、先がわからないなんて、普通の人生じゃ当たり前だ――

 

 なんて、そんな甘いことは言ってられない。

 

 逆転時計に頼らないのなら、私はもっともっと真剣に、一度きりの人生をがむしゃらに進んでいかなければならない。

 

「―――」

 

 月を見上げる。

 

 大変だ。

 大変だろう。でも、もう私の意志は揺らぐことはない。

 去年、やり直しを決意した時点で、覚悟は決まったんだ。

 

 零れていく命を、一つ残さず拾っていこうと決めたから――。

 

 

 

 

「こんばんは、ハリエット」

 

 

 

 

 柔らかな声が、後ろから聞こえた。

 

 冷水を浴びせられたように、頭と体がさあっと冷えていくのを感じた。

 目を瞑って、大きく息を吸って、吐いた。

 落ち着こう。とにかく落ち着こう。

 魔法を使う時のような、雑念を考えないナチュラルな思考状態に持って行く。

 

 山場が終わったなんて何の冗談? むしろここが究極の修羅場だ。

 

 何せ相手は、当代最高の魔法使いにして、超優秀な開心術士でもある。

 

 

 振り向いた。

 

 大きな満月の下。一体いつからいたのだろう。

 最初からそこにいたと言われても驚かないほどに自然に、

 アルバス・ダンブルドアが、そのブルーの瞳を輝かせて立っていた。

 

「話を聞かせてもらっても良いかの?」

 

 優し気な口調の中に、有無を言わせぬ強い意志を感じる。

 下手なごまかしは許されないらしい。

 

 

 

 

 さあ――どうしよう?

 

 

 

 

 

 

 

 




ということでアズカバンの囚人終了です!
気づかれた方も多いと思いますが、今回ちょっとしたギミックを仕込んでみました。
メタ的なネタバレをしますと、サブタイトルに「'」が入っている回が2周目となっています。
伝わるか伝わらないか、ややこしすぎるんじゃないかなどかなり迷った章でしたが、何とかまとめられてほっとしています。

長い間更新していなかったのに、沢山の感想、評価感謝の限りです。
いつも励みになります。
次回炎のゴブレットはまた少し時間がかかるかと思いますが、気長に待っていただけたら幸いです。
でも少なくとも3分の1年よりは早く投稿します。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
それではまた。


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