変わらず、俺は速水奏にからかわれる。 (花道)
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プロローグ 夏の始まり。
♯1 二人の関係。


タイトルは仮です。
良いのが思いついたら変更するかもしれないです。
物語は中学生からスタートです。


 

 

 

 窓の外では女子達がグラウンドで汗を流していた。

 俺はその様子をなんとなく眺めていた。外の女子達が一年か三年かは分からないが、野球をしている事だけは分かった。窓は締め切っているので外の声は聞こえないが、女子達の様子を見る限りでは盛り上がっているようだ。

 その様子をしばらく眺める。

 教卓に視線を戻せば190センチ近い巨体の先生が少しかがんで黒板に数式を書き込んでいた。その数式をノートに書き写して、俺は再び窓の外に視線を向けた。

 パサーーーと俺の机に紙の切れ端が投げ込まれる。それはノートの紙だった。それをつまみ上げ、飛んできた方向を見る。ロングヘアーの女子はまっすぐ黒板を見つめているが、飛んできた方向からしてこいつ以外ありえない。

 俺は折られた紙切れを開いて中を確認する。中には『ジロジロ見過ぎ』とただ一言だけそう書き込まれていた。その紙切れには俺が書き込める分のスペースがなかったから、鞄から新しいルーズリーフを一枚取り出して、一行目に『何が?』と返信を書き、折りたたんで隣の女子へ投げる。

 「今日は15日だから……」と出席番号15番の男子が先生に指名される。彼は黒板前に移動する。窓の外に再び視線を向けると塁は全て埋まって満塁となっていた。

 再び投げ返されたルーズリーフを手に取って開く。二行目に『体育してる女子のことジロジロ見てるでしょ。変態』と書かれていた。まさかそんな事で変態扱いされるとは思わなかった。三行目に『見てたけど野球を観戦してただけだから。変態じゃないから』と書き込み、もう一度投げる。

 15番の男子はその間に問題を解き、自身の席に戻っていた。気づけば攻守交代していて満塁は結局どうなったのか分からなかった。

 また帰ってきたルーズリーフを確認するの、『どうだか。鼻の下伸びてるわよ?』

 

「伸びてねーよ!」

 

 思わず声に出してしまった為、クラスメイトが俺の方へ一斉に視線を向ける。

 くそ、やられた。

 

「どうした(たい)()?」

 

「いえ、なんでもないです。大丈夫です」

 

「そうか。授業中だ、静かにしろよ」

 

「はい」

 

「じゃあこの公式を……大河、お前やってみろ」

 

「え?」

 

 予想外の矛先に変な声を出してしまった。

 

「え? じゃない。この公式を解いてみろと言ったんだ」

 

 どうやら先生は見逃してくれそうにない。

 

「あー、えー」

 

 考えるが、全く分からない。

 

「……」

 

「すいません分かりません」

 

 俺がそう言うと先生はため息を吐いて頭に手を当てる。

 

「……お前な、ちゃんと授業訊いてたのか?」

 

「すいません」

 

「もういい、野球も良いが授業にもちゃんと集中しろ。じゃあ(はや)()お前解いてみろ」

 

「はい」

 

 俺が椅子に座るのと同時に隣の女子ーーー(はや)()(かなで)が立ち上がり、黒板まで一直線に進むと黒板にスラスラと数式を書き込んでいく。なんでお前は俺と遊んでたのに解けるんだよ。

 

「うん、うん。よし、正解だ。よく勉強してるな」

 

「ありがとうございます」

 

 そう言ってこっちに戻ってくる速水の口元は僅かに笑っていた。

 口元の笑みを隠す事なく、速水は自身の席へ戻る際に新しい紙切れを俺の机に落としていく。開いて確認すると『覗きなんてしてるから解けないのよ』と書かれていた。余計なお世話だ。隣を見ると顎に手を当てて笑みを浮かべながら俺の方を見ている速水と眼が合った。

 

「恥かいた?」

 

 笑顔で速水は言う。

 なんでお前はそんなに嬉しそうなんだよ。

 

「かいてない」

 

 その問いに俺は無駄な強がりを見せる。

 

「嘘言いなさいよ。恥ずかしかったって素直になっても良いのよ」

 

「別に恥ずかしくねーから!」

 

「大河……?」

 

 先生が額に青筋を浮かべながら、今にもブチ切れそうな表情で、俺の方をジロリと見る。その顔怖えよ。あとクラスメイトもその『またか』って目線止めろ。男子どもシャーペン投げようとすんな。投げ返すぞ。女子どもヒソヒソ話すな。お前らが考えてるような事は何もないから。

 

「すいません」

 

 隣には机に突っ伏し、笑いを我慢する速水。

 

「く、……くく! 駄目……死にそう」

 

 楽しそうで良いなお前は。

 

「駄目……! ふふ」

 

 いつまで笑ってんだよお前は。

 

「笑いすぎたから」

 

「……あー、死ぬかと思った」

 

 そう言って胸元を撫で下ろす速水。

 速水奏とこのような関係になったのはいつの頃だっただろうか。今ではそんな事も思い出せない。というよりは思い出したくない。あの出来事さえ無かったら今の関係にはなってなかっただろうな。今からでもやり直せるなら過去に戻って全力で自分を止めてやりたい。

 こいつと関わってからいつも遊ばれてるような気がするのは俺の気のせいじゃない筈だ。絶対、うん。

 

 

 ここで、チャイムが鳴り響く。

 

 

 先生はチョークなどを片付け、黒板を消し終わると俺に「昼休みに職員室に来い」とだけ告げて教室を出て言った。

 また俺だけかよ。なんでいつも速水は無事なんだよ。

 ぽん、と速水が俺の肩に手を置く。

 

「ご愁傷様」

 

 くそ。殴りてえ。めちゃくちゃいい笑顔しやがって。無駄に可愛いんだよいつも。

 

「半分くらいお前のせいだからな」

 

「あら、心外だわ。授業中に女子の体育を見て鼻の下伸ばしてたのは、一体どこの誰かしら」

 

「だから伸ばしてねーって」

 

「わたしから見たら伸びてたのよ」

 

「なにその理不尽」

 

「理不尽じゃないわよ。女子だからこそわかる事があるのよ」

 

「なんだよそれ」

 

「あなたには一生わからないかもね」

 

 そう言うと速水は手をひらひらと振りながらウィンクを残して教室から出て言った。

 俺はため息をこぼす。

 ルーズリーフをくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てて俺も教室を出ていく。

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

  変わらず俺は速水にからかわれる。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

 二人が居ない教室にてーーー。

 

 

「今日も仲良いなあの二人」

「やっぱり付き合ってるのかな」

「いや、それはねえだろ」

「そうかな。側から見たらイチャイチャしてるカップルにしか見えないよあの二人?」

「ペットで遊んでるだけだろアレは」

「ペットかー。じゃあ俺が速水に告ってもチャンスあるかな」

「ねーんじゃねえか?」

「即答かよ」

「いや今のままで良いよ。速水可愛いし。このまま大河には犠牲? になってもらおう」

「そうだな。速水の笑顔見れたらそれでいいか」

 

 

 

 

 そんな会話がいつも行われている事を二人はまだ知らない。

 

 

 

 プロローグ 夏の始まり

 

 

 ♯1 二人の関係。

 

 

 




大河翔平のウワサ①
「最速135キロのストレートを投げれるらしい」


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♯2 お昼時。

 

 

 

 

 

 色々あって昼休み。

 数学の先生に言われた通り職員室へ向かう。正直行きたくはないが、行かずにめちゃくちゃ怒られるくらいなら、行って軽く怒られて宿題や教室の掃除を受けた方がまだましだ。

 今頃購買は賑やかな戦場と化してるんだろうな。

 

 

 職員室で10分程の説教を受けて宿題を渡され、急いで購買へ走る。もともと弁当を忘れた人達への救済処置として設置された購買だが、ここはいつも人で溢れかえっている。弁当を持ってきてる奴らも当然この購買を利用する。だから人気の弁当や飲み物なんかは本当に一番早く教室を出て行かないとすぐに売り切れるし、売れ残りの商品は、「あぁ……、売れ残るなコレ」といった感じの商品しかない。飲み物はまだ良い。問題は食い物だ。せめて食べれるパンでも余ってればいいんだけど。この時間帯だと期待するだけ馬鹿らしい。スマートフォン(校則違反)をズボンのポケットに突っ込み、一直線に購買へ走る。

 

 

 戦場跡地と化した購買には予想通りまともな商品は置いてなかった。なんだよコレ、納豆パンとか誰が買うんだよ。レーズンパンも俺食えねえし、昼飯我慢するか? 水だけで良いかな。……あ、珍しくコーラ残ってる。もうこれだけで良いかな。炭酸だからそれなりに腹も膨らむと思うけど……でもそれだと練習持たねえだろうし……どうしよ。

 購買の前で腕を組んで悩んでいると、背中に平手が急襲してきた。

 

「って!」

 

 紅葉ができるほど痛くはなかったが、それでも結構な威力だったので変な声を出してしまった。背中を抑えながら振り返ると、速水奏が笑顔で焼きそばパンを持っていた。こいつ、大人気商品の焼きそばパンを手に入れるとは一体どんな手を使ったんだ。

 

「お疲れ。どうだった? 怒られた?」

 

「怒られた。宿題出されたし」

 

「あら、残念ね」

 

「半分くらいお前のせいだからな」

 

「そんな言い方しなくてもいいじゃない。せっかく翔平のために焼きそばパン買っといてあげたのに」

 

「え、マジで?」

 

「マジよ」

 

 そう言って笑いながら焼きそばパンを俺の前でヒラヒラさせる速水。

 

「流石神様仏様速水様だわ」

 

「すごい切り替えの早さね。まあ本当にあげるつもりだったから良いけど」

 

「いやーやっぱり持つべきものは友達だなー」

 

「こんなので友達扱いされても嬉しくないわね。はい」

 

「マジでサンキューな。昼飯どうするか本気で悩んでたんだよ」

 

 焼きそばパンを速水から受け取る。小さな見た目なのに重量は結構ある。素晴らしい。

 ついでだから珍しく売れ残っていたコーラも買った。

 

「どこで食べるの?」

 

「教室かな」

 

 購買のおばちゃんからコーラを受け取りながら俺は答える。

 

「じゃあ一緒に食べましょ。わたしもお昼まだだから」

 

 言いながら速水は今まで後ろに隠していた左手を俺に見せる。指の先には青系の布に包まれた小さなお弁当が握られてきた。

 

「別に良いけど」

 

 そう言うと速水はニコッと笑い、一歩踏み出した。

 

「早く教室に戻ろ」

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 変わらず、俺は速水奏にからかわれる。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

 昼飯を速水と食う事になった。焼きそばパンと買ったばかりのコーラ片手に速水の後について行く。速水の手には青系の布に包まれた手作りのお弁当が握られていた。

 教室に入ると大半の奴らが昼飯を食べ終え、スマートフォンや携帯ゲーム機で遊んでいた。バレたら連帯責任で宿題増やされるのに勇気あるなこいつら。

 窓際最後尾の自分の席に戻り、速水と机をくっつける。

 指を弾き、タブを開け、コーラを一口飲む。速水は水筒からお茶を飲む。小さな弁当を開けて、速水は手を合わせ、卵焼きをつまみ上げた。俺は焼きそばパンを一口頬張る。

 うん、安定と安心の美味さだ。

 速水が友達で良かった。

 男ならすぐに食べ終える程度の大きさだから、五分とかからず食べ終えた。別に速水が食べ終えるまで待つ必要はないけど、暇なのでコーラを飲みながら速水を眺めていたら、ふと速水と眼があった。俺は慌てて視線を外す。

 

「別に視線逸らす必要ないわよ」

 

 そう言い、笑いながら速水はご飯を食べる。

 

「また変態とか言われそうだからいい」

 

「言わないわよ」

 

「嘘だ。絶対言う」

 

 ため息をこぼし、速水は身を乗り出して俺の顎に手を当てて無理矢理視線を合わせる。

 

「ほら、なにも言わないでしょ?」

 

 ニッ、と微笑みを浮かべる速水。

 

「分かったから離して」

 

「ふふ、本当に分かったの? ()()()()()()()が?」

 

「分かった分かった」

 

 そう言うと手は離れていき、速水は食事を再開させる。顎に手を当て、視線を外す。

 

「外れてるわよ視線が」

 

「見て欲しいのかお前は?」

 

「そうね。翔平だったらいいかもしれないわね」

 

 挑発的な笑みを浮かべる速水。そう言う発言は誤解を招くので、人がいないところで言って欲しい。あと勘違いしそうになるから控えてほしい。……なに言ってんだろ俺。

 コーラを一気に飲み干して、言われた通り速水を見る。長い黒髪。長い睫毛に縁取られた大きな瞳。彫刻みたいに整った顔立ちは見ているだけでなんか恥ずかしくなってくる。速水は顔色ひとつ変えずに、食事を続ける。こいつの精神力はどこで鍛えたんだ? 食べ方だけ見ても綺麗だし、容姿だって俺が今まで出逢ってきた女子達の中じゃダントツで美人だし、本当なんでこいつは俺にちょっかいかけてくるんだろう。

 開けられた窓の外では何かスポーツでもやっているのか歓声と熱狂が聞こえる。

 空では雲が退屈そうに浮遊している。

 太陽は変わらず俺達を照らしている。

 野球をするには絶好の日だ。

 早く放課後にならないかな。

 

「ねぇ」

 

「ん?」

 

「わたしがこんな事言うのはーーー、」

 

 机から身を乗り出して速水は俺の耳元でただ、一言だけ呟く。

 

 

「ーーー君だけだよ」

 

 

 と。

 

 

 その台詞を聞いて、俺は椅子を転がして立ち上がり、教室から一目散に逃げた。

 

 

 

 

 ♯2 お昼時。

 

 

 

 




速水奏のウワサ①
「高校生に間違われたらしい」


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♯3 今はまだ……

 

 

 

 

 

 屋上は基本的に解放されていないが、去年の夏ごろに三年の先輩が勝手に屋上に侵入しようとした時、ドアの鍵が壊れている事が解った。その事を知ってからは、俺を含む少数の人間が利用するようになった。今のところまだ見つかっていないが、誰か一人でも見つかったら、多分屋上の鍵は変えられるので、細心の注意を払って侵入している。見つかるよりも先に新しい鍵に変えられるかと思っていたが、一年も経っているのに変えられる様子は全く無い。

 その屋上で、大の字になって寝転がる。

 青空が眩しい。太陽は相変わらず遠い。雲は自由に飛び回っている。6月という事もあり、なかなかのポカポカ陽気だ。

 スマートフォンを取り出して、小さな音で音楽を流す。

 時間的にはもう午後の授業が始まっているのだが、戻りづらい。あれだけ人前で何かやっといて今更だけど、やっぱり俺だって男だ。それなりにプライドもあるし、近づいてきたら勘違いする事だってある。速水は美人だ。多分学校で一番美人だ。そんな奴がなんで俺に構ってくるのか解らない。

 理由も目的も解らない。

 俺自身は友達だと思ってるし、これからも関係が続くんだったら友達でいたいと思っている。

 別に特別な存在になりたいわけじゃない。

 なのに、どうしてだろう。

 胸の奥底にあるこの感情は。

 

 

 いつからだろう。

 

 

 いつから俺は速水と関わりを持つようになったんだろうーーー?

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 変わらず、俺は速水奏にからかわれる。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

 中学一年の時、俺は初めて速水と出逢った。まぁ、出逢ったって言っても一方的に俺が知ってただけだ。

 入学式の時、男子達が視線を送っていた先にいたのが速水奏だった。その時から全生徒の注目の的になっていた速水は、当時男子と全く関わりを持とうとしなかった。

 一年の時は速水とは別のクラスだったが、遠くで見てた限りではあいつの周りには女子しかいなかった。

 近づく男子もいたらしいが、速水に相手にされず、全員が撃退されたらしい。

 実を言うと俺もその一人だった。ただの罰ゲームだった。浮ついた気持ちなんて一つもなかった。野球でヒット一本打たれて、その罰ゲームで話しかけた。全く相手にされなかったげどな。

 なんで俺はあの時あの賭けに乗ってしまったのか。

 理由なんて分からない。

 他は相手にされないけど俺なら相手にされる、なんて事も当然思ってもいなかったし、そんな自信も無かった。

 ただ、速水のその後ろ姿は綺麗だった。一度その背中を見ただけでその姿が俺の瞼に未だに焼きついている。

 惚れたわけじゃない。憧れたわけでもない。説明出来ないなにかが俺の中にあって、その衝動に素直になって、その後も何度か話しかけた。全く相手にされなかったけど。

 結局何が原因だったのかはわからない。

 話しかけた事が問題なら、他の連中にはどうしていかないのか。

 そんな謎だけがずっと残っている。

 

 いつからだろう。

 いつから速水と話すようになったんだろう。

 どうして俺はそんな些細な事も思い出せないんだろう。

 

 

 わからないまま、時間だけが流れていく。

 

 

 屋上のドアが開く音がした。足音は近づいてくる。怒鳴り声は無いから多分先生じゃない。じゃあ俺と同じサボりか?

 

 

「やっぱりここにいた」

 

 

 声のした方を見ると速水が両手を後ろに組んで俺を見下ろしていた。まだ授業中なのになんでここにいるのか一瞬理解出来なかった。

 

「なにやってるのよ貴方は」

 

 その場にしゃがみ込んで俺の顔を見下ろす速水。

 

「お前こそどうしたんだよ授業?」

 

 顔を背ける。

 

「早退してきた」

 

「おい」

 

「良いのよわたしは。素行がいいから」

 

 まあ問題なんて起こした事がないから良いといえばいいのかもな。今しっかり校則違反してるけど。

 

「それよりなんで出て行ったの?」

 

「……別に……」

 

「恥ずかしいから?」

 

「違う」

 

「じゃあ、なに?」

 

「……わかんねえよ」

 

「わからないの?」

 

「あぁ」

 

「どうして?」

 

 どうして? どうしてだろうな。

 

「……何でだろ。やっぱりわかんねえや」

 

「……」

 

「……、」

 

「ねぇ、翔平はわたしと一緒で楽しくない?」

 

 楽しいさ。校内一の美人とそれなりに馬鹿やって、それなりに友情を感じらる程には、楽しいと思ってる。

 でも、どうしてだろう。

 一緒にいたら、俺が速水の隣にいるのは間違ってる気がする。

 速水の隣には俺よりも相応しい人がいるんじゃないかって思う事だってある。別に俺は速水の彼氏じゃないし、特別な存在でも無い。

 なのに、何でこんな事で悩んでんだろ。

 

「わたしはさ、翔平と一緒で楽しいし、これからも友達でいて欲しいって思ってる」

 

「……」

 

「それじゃあ駄目?」

 

 駄目じゃない。嬉しい話だ。学校一の美人にそこまで言ってもらえるのは、男として当然嬉しいし、誇らしく思う。

 

「……良いんじゃねえか。それで」

 

 だから、まだ……このままで良い。

 

「そ。良かった」

 

 そう言って速水は俺の隣に寝転がった。

 

「良いのかよ授業は?」

 

「いいのよ。今は貴方の隣にいたいから」

 

 またそうやって勘違いさせようとするだろお前は。

 

「そうか」

 

「えぇ、そうよ」

 

「じゃあそれで良いか」

 

 それだけ言って俺はスマートフォンで流していた音楽を止める。

 静寂がその場を支配する。

 

 

 30分程会話も無く、ただその場でボーッとしていた。

 チャイムが鳴り響き、授業の終わりを告げる。

 俺は起き上がって速水に話しかける。

 

「そろそろ帰ろうぜ」

 

「家に?」

 

「違えよ。教室にだよ」

 

「わかってるわよ」

 

 本当にわかってるなかねぇ。スカートをはたいて制服を正し、速水は俺の隣を歩く。

 特別な事は何もないかもしれないが、今はそれでも幸せだと思える。

 太陽から目を逸らして俺達は屋上から教室に戻った。

 

 

 

 教室に戻ったらめちゃくちゃ先生に怒られた。

 

 

 

 

 ♯3 今はまだ……。

 

 

 

 

 二人が戻るちょっと前。

 

 

「速水さん早退とか大丈夫かな」

「それも心配だけどさ、大河どこ行ったの?」

「知らね」

「屋上でサボってるんじゃね?」

「……あー、そういう事か」

「? どういう事だってばよ?」

「速水さん、大河を探しに行ったって事」

 

 

 



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♯4 自宅 速水奏①

 

 

 

 

 速水奏の部屋には一枚の写真がある。

 それは特に意味のない写真だ。

 奏が中学一年の時の写真。何故か引きつった笑顔をしている奏の後ろをユニフォーム姿の大河翔平が歩いている姿が写っていた

 部屋着でベッドに倒れていた奏は天井を見つめていた。

 今日、奏は初めて授業をサボった。屋上にも初めて侵入した。それらは奏にとって初めての経験で、少し楽しかった。

 スマートフォンを操作して、さっきダウンロードしたばかりの最新曲を流す。

 長い髪の毛をいじる。最近髪の毛が邪魔だと感じる事が多くなってきた。伸ばし続けて腰を超えるほどの長さになっていたが、もうそろそろ短くしようかと考える。

 考えるだけで、いつも実行はしない。

 だけど。

 今回はやってみようかな、と奏は思っている。

 いきなり髪の毛を切って登校したら、君は……翔平はどんな反応をしてくれるのか。そんな事を考えると自然に笑みがこぼれる。

 毎日は楽しい。

 それなりに刺激もある。

 仲の良い友達だっている。

 勉強も運動も程々に頑張っている。

 来年からは受験勉強が始まる。

 全員が同じ高校を受けるわけじゃ無いので、今の友達のほとんどが必然的に離れる事になる。それは寂しい事だ。少なくとも奏はそう思う。

 

 

 ーーー翔平とも離れるのかな。

 

 

 翔平と奏には学力での決定的な差がある。二人が同じ高校に通う為には奏がランクを落とさなければならない。もちろん、そんな事を先生達が許すとは思えない。

 それに、

 

 

 ーーーもしかしたら翔平は東京以外の高校に行くかもしれない。

 

 

 野球をやっている翔平は全国大会にも出場出来るくらい強いチームにいる。エースで四番でそのチームを引っ張っている。

 普段の翔平からはそんな姿全く想像できないが、試合では別人みたいになる。

 東京以外の高校からスカウトが来たって噂が流れた事だってある。

 もしも、翔平が野球を続けて甲子園を目指すのだったら、もしかしたら、翔平とは本当にもう逢えないかもしれない。逢えても観客席かテレビから見る姿かもしれない。

 それは少し嫌だ。

 胸元を強く握る。

 心の奥底にあるこの気持ちの正体には興味が無い。

 ただ、翔平と離ればなれになるのは寂しい。

 特別な事なんて、特別な気持ちなんて無い。

 今のこの日常が気に入ってるから、多分、この現実が受け入れられないだけ。

 それは多分、子供のわがままなのだろう。

 誰もが通る道なのだろう。

 それでも受け入れられない現実だってある。

 自分の本当の気持ちなんて、とうの昔に気づいてる。

 それでもその答えに辿り着かないように、心の奥底に深く沈めた。誰にも触らないように。誰にも気づかれないように。

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 変わらず、俺は速水奏にからかわれる。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

 ーーー♪

 

 一通のLINEが届く。

 

 翔平

 『お願い助けて』

 

 そのLINEを見て、奏は笑みをこぼす。

 

 

 奏

 『どうしたの?』

 

 答えなんて解っているのに、LINEを返す。

 

 翔平

 『数学教えて下さい』

 

 やっぱり、と奏は思う。

 

 奏

 『いいわよ』

 

 続けてLINEを送る。

 

 

『キスしてくれたらね』

 

 

 

 

 ♯4 自宅では 速水奏①

 

 

 

 



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♯5 自宅 大河翔平①

 

 

 

 

 

 5年前、好きだった野球選手がメジャー挑戦を表明した。個人的にこの選手は日本球界最高のピッチャーだと思っている。俺の目標であり、一番好きな選手だ。

 一昨年、その選手が靭帯を損傷していると発表した。それは俺にとって衝撃過ぎて、どうなってしまうのかハラハラしてニュースを追っていたのを覚えている。その選手は「今年一年を捨てて手術を受けしっかりリハビリして必ず復帰する」とテレビで言った時は泣きそうになった。

 そして昨日、6月26日。

 ついにその選手が約1年に復帰登板を果たした。自己最速159キロを記録し、自己最多の18奪三振で勝利し、完全復活を果たした。

 嬉しすぎて泣いた。泣きすぎて姉にひかれた。

 

 

 その興奮もつかの間だった。

 

 

 俺の目の前には数学の宿題が広がっていた。

 そう。速水奏のせいで与えられた宿題だ。

 俺は頭を抱えていた。

 数学なんて解んねえよ。こちとら数学なんて小学校の時に習ったやつで止まってんだよ。自慢出来ねえけど。

 シャーペンを投げ捨てて、ベッドに倒れる。

 スマートフォンでYouTubeを開いてその野球選手の動画を再生する。昨日の試合の奪三振集だ。全ての球種が勝負球になるなんて凄いけど、実際はどうなんだろう。この選手でもよくホームランは打たれてるし、バットにさえ当てられたら全部意味無いのかな。

 左手で野球ボールを天井に向けて投げる。

 スマートフォンを置いて、白球を見る。

 来年から高校受験が始まるのに、こんな問題も解けないんじゃ絶対あいつと一緒のところなんていけないよな。

 俺とあいつの間には絶対に変えられない学力の壁がある。

 あいつは頭が良い。この前の中間テストで学年7位とかにいたし。

 

「はぁ」

 

 ため息がこぼれる。

 野球ボールを左手で強く握る。

 あいつとは多分高校は別になる。

 まだ家族と話し合ってる段階だが、もしかしたら俺は東京以外の高校に進学するかもしれない。大阪、広島、岩手の高校からスカウトだって来てる。甲子園を目指すならやっぱり強いところに行くのが一番良い。でもそれをするとあいつと……速水と離れる事になる。それは少し嫌だ。せっかく友達になれたのに、これでバイバイなんて俺は嫌だと思っている。あいつがどう思っているかは知らないけど。

 LINEも知ってる。電話番号も知ってる。でも、それだけじゃあ足りない気がする。

 あいつの隣に立ちたい。立っていたい。

 相応しい男にくらいなりたい。

 前にも言った通り、別に俺はあいつの彼氏でもなんでもない。ただの友達だ。それでも抑えられない感情くらい抱く時だってある。

 今から勉強して間に合うのか。

 あいつが行く高校が弱かったら?

 甲子園に行けなかったら?

 プロに入れなかったら?

 

 

 ……。

 

 

 スマートフォンを操作して、一枚の写真を見る。

 その写真には速水と俺が写っている。速水が悪戯で俺のスマートフォンで撮った写真だ。速水が笑顔なのに、俺は間抜けた面をしている。試合後で疲れていたので、消し忘れてて今まで残っていた。消すつもりは今のところ無い。

 腕を下ろす。

 

 

 なんで俺はこんな真剣に悩んでんだろ。

 

 

 俺はベッドから立ち上がって机に向かい、数学のプリントをもう一度見る。やっぱり解らん。そこには不可解な数字が並んでいるだけだ。教科書を開いても全く解らない。

 この手はあまり使いたくなかった。

 スマートフォンからLINEを起動して、速水に助けを求める。

 

 

 翔平

 『お願い助けて』

 

 

 と。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 変わらず、俺は速水奏にからかわれる。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 ーーー♪

 

 何度かのやり取りの後に返ってきたLINE。

 

 

 

 奏

 『キスしてくれたらね』

 

 

 

 何送って来てんだこいつ……。

 そんなに勘違いさせたいのかお前は。

 

 

 




ダリュシュ=優

高校時代は三回甲子園に出場。ノーヒットノーランを達成するなどその名を全国に轟かせた。
その後ドラフトで北海道セイコーハムファイターズに単独一位指名され、日本球界最高の投手と呼ばれるまでに成長。
5年前、ポスティングシステムを行使してメジャーリーグ挑戦を表明。
約5280万4411ドルの落札金額でテキサス・ダイヤモンドドッグスに移籍。
2年連続200奪三振以上、15勝を記録するなどその実力をメジャーでも発揮し、メジャーにも通用すると証明した。
三年目の7月には右肘内側側副靱帯の損傷と発表し、トミー・ジョン手術を受ける
約一年のリハビリ期間を経て、無事に完全復活をはたした。


NPB7年の通算成績は以下の通り。
防御率1.98
96勝36敗
1320奪三振
MLB5年の通算成績は以下の通り
防御率3.16
43勝27敗
743奪三振

5280万4411ドル。
日本円で約58億円。


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♯6 女の子の変化には。

 

 

 

 

 

 月曜日を好きな人は多分存在しないと思う。

 速水奏もその一人だ。奏自身、月曜日はそんなに好きじゃない。夜更かしした土日のせいで、眠たい目をこすりながら一階に降りて10分ほどぼーっとしているのがいつもの奏なのだが、今日は違った。

 いつもより20分も早く起きて鏡の前に立っていた。

 既に制服に着替え終えており、今は新しい髪型をいじっていた。

 伸ばし続けた髪をバッサリと切り落とし、ショートヘアとなった奏。ワックスを掌に伸ばして、髪に馴染ませていき、外ハネを作っていく。最後にセンター分けを作って完成。

 ジト目で鏡に写る髪の毛を凝視する奏。

 似合っていない気がする。今までこんなに短くした事なんてないから、これで良いのか少し不安になる。

 頬を引っ張って笑顔を作る。

 新しい自分。

 新しい髪型。

 ここまで変えたら嫌でも気づくだろう。

 鞄を持って奏は部屋を出た。

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 変わらず、俺は速水奏にからかわれる。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 二階から降りてきた奏は歯磨きをしつつ、スマートフォンをぼんやりと眺めていた。昨日届いたLINEの返信。話を合わせる為に野球ニュースの確認。最後に適当にニュースを読んで歯磨きを終える。

 水を飲みながら、お母さんが作ってくれた朝ご飯を小さく「いただきます」と呟いてから食べ始める。

 

「あ」

 

 炊飯器の中を見たお母さんが変な声を出した。

 

「どうしたの?」

 

 その声を聞いて奏は食パンを食べながら訪ねた。

 

「ごめん、昨日ご飯炊くの忘れてたからお弁当作れないわ」

 

 あぁ、そんな事か。と心の中で呟き、食事を再開する奏。

 

「しょうがないわね。今細かいの無いから今日はこれ持って行って」

 

 そう言って出された千円札を受け取り財布の中に入れる。

 

「全部使っちゃダメよ。五百円までね?」

 

「わかったわ」

 

 

 

 朝ご飯を食べ終えて、登校時間までゆっくりして、奏は家を出た。

 家を出る直前に、お母さんから「奏、新しい髪型可愛いわよ」と言われて嬉しかったのは内緒。

 六月ももうすぐ終わる。

 七月には夏休みが始まる。奏達にとってはこれが実質最後の夏休みだ。翔平を巻き込んで、たくさん思い出を作ろうと奏は考えている。夏休みが終われば体育祭がある。体育祭が終われば、文化祭がある。こう見れば冬休みまで結構イベントがあるなと奏は思う。

 鞄を背負って歩き慣れた道を歩く。

 眩しい太陽の光をおでこに手を当てて遮る。

 

 

 信号待ちの先で見慣れた背中が見えた。

 口元に笑みがこぼれる。

 赤から青に変わるのをじっと待つ。

 

 青に変わり、小走りで彼の背中へ向かう。

 パァンっと背中を叩く。

 

「おはよう、翔平」

 

 変化に気づいた翔平は目を丸くして奏の髪の毛を見つめる。金曜日の時点では長かった髪の毛がいきなり短くなったら誰でも驚くだろう。まして奏は一年以上も髪の毛を伸ばしていた。その変化には当然すぐに気づく。

 

「お、おう。……おはよう」

 

 鞄を後ろに回し、背筋を伸ばし、首を傾げた奏は翔平に挑発的な笑みを浮かべる。

 

「おはよう、の前に言うことがあるんじゃない?」

 

「えっと、宿題ありがとう?」

 

 ガッと翔平の足を踏んだ。

 

「そうね。それも受け取るわ。でも今は……そうじゃないの」

 

 そう言って奏は翔平を見つめる。

 

 

 解っている。

 ここまでアピールされなくても嫌でも気づく。

 ずっと見てきたのだから。

 

「……髪の毛、切ったのか?」

 

 そう言われて本当に笑みをこぼす奏。

 

「えぇ。切ったわよ」

 

「その、なんだ」

 

 頬をかきながら、翔平は視線を逸らして小さく呟いた。

 

 

「似合ってる」

 

 

 望んでいたセリフを聞いて奏は笑顔を浮かべたまま、

 

「ありがとう」

 

 と言った。

 158センチの奏を173センチの翔平が見下ろす。

 顔を赤くして翔平は、

 

「もう行くか」

 

 と言い、

 

「そうね」

 

 小さく奏も返す。

 二人で並び、他愛ない会話をしながら、学校へ向かった。

 

 

 

 

 ♯6 女の子の変化には。

 

 

 

 

 

 二人が一緒に教室に入ってすぐの奏ファンクラブ公式LINEでは、

 

 

 

 康太

 『やばい、速水さんめっちゃ可愛い』

 山中祐介

 『なにあれ、反則だろ』

 Daisuke

 『結婚したい』

 翔一

 『黙れ、俺が結婚する』

 晋太郎

 『お前らじゃ無理だ。ここは大人しく俺に任せろ』

 晴人

 『お前ら落ち着け。お前らじゃ大河には勝てん。俺に任せろ』

 

 

 

 めちゃくちゃ盛り上がっていた。

 

 

 

 

 



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♯7 キャッチボール①

 

 

 

 

 

 ピッチングフォームを確認しながら、壁に向かってボールを投げる。セットポジションの構えから右足を上げて、ゆっくりと下ろしていき、右手で壁を作るイメージで、タメを作ってから左腕を振り抜く。

 壁に当たり、跳ね返ったボールを拾い上げ、もう一度動作を確認しながら投げる。

 跳ね返ったボールは左方向へ飛んでいく。

 流れていったボールを追いかけると、先には右手で流れてきたボールを受け取った速水がいた。

 

「教室にいないと思ったら……お昼休みも練習してるのね」

 

 そう言って山なりの軌道でボールを返す速水。グローブで飛んできたボールをがっしり握る。

 

「おう、試合近いからな」

 

 俺は汗を軽くタオルで拭いてそう返す。

 もう一度同じ動作でボールを投げる。

 速水はその様子を眺めていた。

 何度か繰り返して俺は速水を見る。

 

「?」

 

 俺の視線に速水は首を傾げる。

 

「キャッチボールしようぜ」

 

「え?」

 

 突然の提案に速水は目を少し開いた。腕を組んで数秒考え、

 

「いいわよ」

 

 と微笑みながら言った。本当はグローブを貸したいんだけど、俺が使ってるのは左利き用だから貸す事は出来ない。貸したとしても上手く左手で投げれないだろうし。

 二人で五メートルくらいの位置に立ち、速水の胸元目掛けボールを投げる。

 素手でのキャッチボールは結構痛いんだが、速水は痛そうなそぶりを見せず、綺麗な山なりの軌道でボールを返した。

 受け取ったボールをまた投げる。

 ボールはすぐに俺の元に返ってくる。

 俺はボールを投げながら速水に話しかける。

 

「なぁ」

 

「なに?」

 

 ボールを受け取りながら、速水は返事をする。

 

「高校ってさ、どこ行くの?」

 

 その質問には特に意味がない。ただ速水がどこの高校に進学するのかずっと気になっていただけだ。そんな質問を速水にする。

 ボールを受け取り、また投げ返す。

 

「翔平はどこに行くの?」

 

 逆に質問を返してきやがった。

 

「まだ分かんねえよ。速水は?」

 

「わたしも翔平と同じよ。まだ分からない。これからどうしたいのかもまだわたしは決めてないわ」

 

 返ってきたボールを受け取って、また投げ返す。

 

「翔平はどうなの? 東京から出て行くの?」

 

 ボールを握り、速水はそんな事を言ってきた。

 東京から出て行くって俺が東京以外の高校からもスカウトが来てるの知ってるって事だよな。なんで速水がそんな事知ってるんだ? 速水にその事を話した記憶はない。誰が言った。

 

「去年、大阪の(とう)(えい)高校が甲子園春夏連覇したわね」

 

「そうだな」

 

「そこからも来てるんでしょ?」

 

 その言葉を聞いて少し驚いたが、多分俺と同じチームに所属している誰かが話してるところでもたまたま聞いたんだろう。

 

「翔平は行くの? 桐英に」

 

 その質問に対して俺は頷けず、視線を逸らした。

 

「どうだろ」

 

 手を構えてボールを要求する。

 返ってきたボールを両手で受け取り、下を向いて唇を軽く噛んだ。

 正直まだ決めていない。桐英出身のプロ野球選手が多い事も知ってる。最近は必ずと言っていいほど甲子園に出てるし、そこに行けば高い確率で甲子園には出場出来る。

 誘いは確かに来たが、まだそれだけだ。「行く」とは一言も言っていない。「考えさせてください」とは言った。

 

「嬉しくないの?」

 

「嬉しいよ」

 

 俺は言葉を続ける。

 

「去年全国に行って二回戦で負けたのに、桐英の監督から声をかけてもらえるなんて思ってなかったし、めちゃくちゃ行きたいって思った」

 

「……」

 

「でも、東京を離れるのはちょっと怖いんだ」

 

「怖い?」

 

「あぁ。強豪校に行って俺はレギュラーになれるのか。一軍に上がれるのか。スタンドから応援するだけで終わってしまうじゃないか。そんな事で不安だった。強豪校に行ったらそんな事当たり前なのにな。全国からすごい奴らが集まってくるのに、そんな事で不安になって馬鹿みたいだよな」

 

 もう一度ボールを速水目掛けて投げる。

 

「そんなことないわよ」

 

 ボールを受け取りながら速水は言葉を紡いでいく。

 

「誰もが行けるところじゃないところから声が来てるんでしょ。それだけで翔平は充分すごいわよ」

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 変わらず、俺は速水奏にからかわれる。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

 奏はそう言って言葉を続ける。

 

「ねぇ、翔平」

 

 受け取ったボールを投げながら奏は翔平に言葉のキャッチボールを続ける。

 

「わたしはね、夢がないの」

 

 奏は続ける。

 その発言は翔平にとって驚きだった。

 だって奏は勉強も運動も出来て綺麗で、悩む事なんてないと思っていたから。

 

「だから、夢がある翔平のことがいつも羨ましいって思ってた」

 

 ボールを受け取る翔平。

 

「わたしも〝なにか燃えるような夢〟が欲しいわ」

 

 青空に重なるボールを見つめる。

 夢はまだ見つからない。

 小さなボールほどの夢すら出てこない。

 憧れがあるとすればそれはーーー。

 

「わたしにもいつか見つかるのかしら」

 

 掌でしっかりとボールを受け取りながら奏は言う。

 

「将来の夢が」

 

 今まで一番高くボールは投げられた。

 翔平は取るのに失敗して、ボールを落とす。

 転がって行くボールを追いかけて拾い上げて、ボールを見つめる。

 

「俺さ、速水に出逢えて良かったって思ってる」

 

 いきなりの発言に奏は驚く。

 

「なんか、一緒にいて楽しいし、そんな事まで話してくれて……なんだろ。……嬉しいって言うのかな」

 

 見つめたまま、翔平は続ける。

 

「去年さ、まだあんまり仲良くない時さ、全国大会の応援に来てくれたじゃん」

 

「そうね。行ったわね」

 

 友達に無理矢理連れていかれたのは言えない。

 

「その時さ、マウンドから速水の姿を見つけた時スゲー嬉しかった。ほかの奴らも一緒に来てたけど速水がいたのが一番嬉しかったんだ」

 

「そ、そう」

 

 少し頬を赤くした奏は目を背ける。

 

「まあ結局負けたんだけどな」

 

「一失点で負けたのよね」

 

「あぁ。でも負けて良かったって思ってるよ俺」

 

「なんで?」

 

「だってーーー」

 

 なにかを言おうとした翔平だったが、ここで予鈴が鳴り響き会話は無理矢理終わらされる。

 二人の間に風が通る。

 

「やっぱいい。何でも無い」

 

 最後に翔平は白球を奏で目掛けて投げた。

 

「ボールやるよ。またキャッチボールやろうぜ」

 

 そう言って同じクラスなのに翔平は走り去っていった。

 夢はまだ無い。

 でも、いつか見つかると信じている。

 それがいつになるのかはまだ解らない。

 受け取った白球を高く掲げる。

 胸元を強く握る。

 決意はまだ出来ない。

 溢れ出した想い。

 この心は誰のものでもない。

 

 

 いつか、いつか自分にも必ず見つかると信じている。

 燃えるような将来の夢というやつが。

 

 

 

 

 

 ♯7 キャッチボール①

 

 

 




大阪桐英高校
史上7校目の春夏連覇を達成した大阪の強豪校。
毎年多くのプロ野球選手を誕生させ、ほとんどの選手が活躍している。
昨年もピッチャー、岩浪駿太郎がドラフトで4球団から一位指名され抽選の結果、大阪タイガースに入団する。


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♯8 いつか見つかる夢へ①

何度も使うサブタイトルには数字を付けています。
あと大阪タイガースはなにかいい名前が思いついてから変更するので、しばらくはこのまま行きます。


 

 

 

 

 

 放課後になり、誰も居なくなった教室で翔平から受け取った白球を高く掲げる。白球は思ったよりも軽い。完全下校時間まであと少し。

 

「……」

 

 白球を掲げたまま奏は考える。

 中学生で将来の夢を持っている人が一体どれだけいるのだろう。将来プロ野球選手になりたいだとか、漫画家になりたいだとか、アイドルになりたいだとか、そんな夢を奏は今まで一度も抱いてこなかった。その事に対して何も思わなかったし、それが普通だと思っていた。逆に将来の夢を持ってる人の方が珍しいとさえ思っていた。

 子供の時の夢を叶えられた人が一体どれだけいるのだろうか。

 夢というのは大きければ大きいほど難しい。低過ぎるパーセンテージ。どれだけ努力しても壊せない壁があり、才能という残酷な差がある。

 夢なんて叶わない。

 なのに、大人達は夢を見つけろと言う。

 努力をしろと言う。

 勉強をしろと言う。

 奏には解らない。

 勉強して将来何の役に立つのか。

 どうしたら夢を見つけられるのか。

 自分は一体何をすればいいのか。

 

 

 掲げていた腕を下ろして瞼を下ろす。

 

 

 昨日と似たような繰り返しの毎日が嫌なわけじゃ無い。

 翔平と一緒に居るのは楽しい。

 嫌なのは夢が無いという事。

 将来自分が一体なにをしているのか想像さえ出来ない未来が見てみたいだけ。

 歩くのは下手じゃない。

 勉強も運動も先生達の期待以上の結果は出しているつもりだ。

 なのに、燃えるような夢が見つからない。

 

 

 焦る必要は無いのに、勝手に焦ってしまう。

 

 

 友達に夢があるから、自分も持たなくてはいけない。

 そんなルールなんてどこにも存在しないのに、奏は夢を求める。

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 変わらず、俺は速水奏にからかわれる。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

 テレビには去年桐英高校からドラフト一位で大阪タイガースにプロ入りした岩浪駿太郎が3勝目をあげ、ヒーローインタビューを受けていた。身長198センチの長身だから隣に立っている人とは随分と身長差がある。

 この人はいつから夢を持っていたのか。

 小学生の時からプロ野球選手になりたいと思い続けた人なのか。

 この人は夢を叶えた人なんだ、とそんな事を思いながら奏はテレビをぼんやりと眺めていた。

 濡れた髪の毛をかきあげる。髪の毛を乾かさないといけないのに、そのままベッドに倒れる。

 天井を見つめる。

 瞼を下ろす。

 去年、奏は生まれて初めて野球の試合を観に行った。

 友達に誘われてついて行った試合だったが、これが思ったよりも面白かった。三振を量産する翔平。ピンチを凌いだ時のガッツポーズが印象に残っている。ホームランを打たれてベンチに下がっていく翔平の後ろ姿が瞼の裏に焼き付いている。試合は1対0で翔平達が負けた。それでも桐英高校という大阪の強豪校の監督から声をかけられた。翔平は自分の夢に一歩近づけたんだ。

 胸元を強く握る。

 奥底に沈めた筈の感情が這い上がろうとしている。

 どうしてこんなにも翔平の事を考えてしまうのか。

 翔平は夢を持ってる。奏には無いものを持っている。そんな理由で惹かれた理由にはならない。なにか、特別ななにかがある筈だ。

 鼓動は早い。

 翔平は言った。

 

 

 「負けて良かった」と。

 

 本当はそんな事思ってないくせに、強がりでそんな事を言ったとわかってる。

 言いかけていた言葉の先もなんとなく分かる。

 だって、それがきっかけで二人は仲良くなれたから。

 

 

 ーーー♪

 

 

 体を起こして、スマートフォンを取り、届いたLINEを確認する。

 

 

 翔平

 『7月8日って暇?』

 

 奏

 『どうしたの?

  なにかあるの?』

 

 翔平

 『チケット貰ったから野球観に行こうぜ』

 

 

 ーーーえ、もしかしてデート?

 

 

 勝手にそう思い、みるみるうちに赤く染まっていく奏。

 夢について悩んでいたのに、一瞬で吹き飛んでしまった。

 

 

 ーーーいや、でも……え?

 

 

 口元を押さえ、文字を打とうとしたら、丁度翔平からLINEが届いた。

 

 

 翔平

 『なんかみんなその日は予定あって行けないっていわれたからさ、それで速水はその日暇?』

 

 

 ーーーあれ。わたし最後に誘われたの?

 

 

 勝手な思い込み。

 真顔になりながらも奏はすぐに笑みを浮かべる。

 翔平がデートに誘う度胸が無い事なんてとっくに知ってる。

 二人で遊んだ事なんて数えるくらいしかないし、基本夜は野球の練習してるか寝てるかのどっちかだし、お互いの都合が合う日なんてテスト期間くらいしかない。

 ため息ひとつはいて、奏はLINEを送る。

 

 

 奏

 『いいわよ。一緒に観に行きましょうか』

 

 

 見つからないものを求めてもしょうがない。

 焦る必要は無い。

 自分に出来る事を一つずつやって夢を見つけよう。

 この心は自分のものだ。誰の指図も受ける必要は無い。

 ただ今は、この時間が愛おしい。

 

 

 

 

 

 ♯8 いつか見つかる夢へ①

 

 

 

 



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♯9 LINE①

 

 

 

 

 

 文字を打ち込んでは消していく。

 何度も書いては消してを繰り返す。

 普段使い慣れているはずのLINEにこんなにも苦戦する日が来るなんて思ってなかった。同じクラスの女子を遊びに誘うのがこんなに難しいなんて思わなかった。

 スマートフォンをベッドに投げて机に置かれているチケットを手にとる。これは野球の観戦チケットだ。座席は外野指定席。値段は1枚2200円。2枚合わせて4400円。中学生の俺にとっては決して安くない値段だ。一ヶ月の小遣いより1400円も高い。三ヶ月かけて貯めた。

 2枚ある理由は速水を誘いたかったからだ。

 だけど、その事を正直に言うのは恥ずかしかった。なにか適当な理由をつけて誘おうと決めて、文章を考えてもうどれくらい経っただろう。ちらりと時計を見上げる。気づけば俺はこの問題に直面して、1時間も戦っていたらしい。

 普通にいつも通り誘えば良いと姉には言われたが、それが恥ずかしいから聞いたんだよ。少しは分かってほしかったが、怖かったので、なにも言い返さなかった。

 それに速水のやつは多分普通に誘ったら、俺をからかう筈だ。絶対あいつはからかってくる。そうに決まってる。あいつはそう言うやつだ。それもあって正直に言いたくない。

 投げたスマートフォンに手を伸ばして、もう一度文章を考える。

 どう書けば普通に見えるのか。どう書けば恥ずかしくないのか。

 思いつく限りの文章を書いていくも、全てに納得できず全部消す。

 難しい。

 頭を抱えて文章をひねり出そうとするも、いい文章は全く思い浮かばない。

 ……いっその事デートだと開き直るのはどうだ。

 いや、駄目だそれじゃあ俺が恥ずかしすぎる。女子をデートに誘うなんて無理だ。絶対無理だ。

 速水と二人で出かけてるところをクラスの誰かに見られたら恥ずかしくて俺は死ぬ。最悪速水奏ファンクラブにバレて殺される。どっちにしろ死んでしまう。

 そういや俺……女子と遊んだ事ってあんまないな。

 ずっと野球をやってきたから当然と言えば当然かもしれない。

 ベッドに頭を傾けて天井を見つめる。

 結局、速水がどこの高校に行くのか聞けなかったな。

 東京からは、まあ、あいつは離れないよな。俺が大阪に行ったら、もう逢えないのかな。桐英の野球部は確かスマートフォン持つの禁止にしてた筈だし、逢えても一年に数回逢えるかどうかだ。もしかしたらもう逢えないかもしれない。

 それはちょっと寂しいかな。

 俺には夢があって、速水は自分には夢がないと言った。

 俺がプロ野球選手になりたいって思ったのもつい最近の事だ。それまではただ楽しくて野球を続けてた。でも、桐英や他の高校からもスカウトが来て、遊びから本気に変わった。

 二年になって三年を抑えてエースと四番をやらせてもらっているって事も知ってる。その事に対して納得がいってない先輩がいるのも知ってる。だからプレーで引っ張って納得させろって言ってた監督のことも理解できる。

 だけど、それはそれでまた難しい。

 ピッチャーやってて今まで一度も負けた事がない奴なんていないし、運が悪ければ大量失点してしまう事もある。こっちが抑えても打線の援護がなければ勝てないし、運の要素が大きい。3点取ってくれたら死ぬ気で抑えるんだけどな。

 まぁ、結果は次の練習試合で分かる。

 たかが一試合程度で認められるなんて思ってないけど、第一歩ならそれで十分だろ。

 

 それより今はこのLINEだ。

 スマートフォンを掲げる。

 浮かんでは消える文章を追っていく。

 書き込んでは何度も消していく。何回この作業を繰り返すんだろう俺は。

 出てこない言葉を無理矢理引き出そうとする。

 国語ちゃんとやっとけば良かったな。

 もっと勉強しよう。

 そう決心して俺は再び文章を打ち込んでいく。

 

 

 翔平

 『7月8日って暇?』

 

 結局打ち込んだ文章は普通の言葉。カッコつけても良いの思い浮かばないんだから、もう普通で良い。

 そう思いながら、速水からの返信を待つ。

 待っている間に、テレビをつける。

 テレビには今季3勝目を挙げた、岩浪俊太郎がヒーローインタビューを受けていた。その様子を眺めながら、返信を待つ。

 俺と違って身長もあって、ずっと注目され続けた男。

 春夏連覇という偉業を成し遂げてプロ入りした怪物。

 俺に、同じ事が出来るだろうか。

 

 

 ……いや、俺にはーーー。

 

 

 

 ーーー♪

 

 

 思考はLINE通知によって遮られる。

 頭を振る。伸びた髪の毛を見て、そろそろまた坊主にしないとな、と思いながら返ってきたLINEを確認する。

 

 

 奏

 『どうしたの?

  なにかあるの?』

 

 

 返ってきたLINEを見て、また文章を打ち込んでいく。

 

 

 翔平

 『野球のチケット買ったからーーー』

 

 とまで打ち込んで止まる。

 このまま打って送るのは恥ずかしいな。

 文章少し変えるか。

 

 

 翔平

 『チケット貰ったから、野球観に行こうぜ』

 

 そう打ってまた返信。

 他にも何か送っとくか。

 俺が誘いたいっていうのさえバレなけりゃ良い。

 そう、これは必要な嘘だ。

 自分に言い聞かせ、また文章を打ち込んでいく。

 

 

 翔平

 『なんかみんなその日は予定あって行けないって言われたからさ、それて速水はその日暇?』

 

 

 これくらいで良いだろ。うん。

 

 

 ーーー♪

 

 

 奏

 『いいわよ、一緒に観に行きましょうか』

 

 

 

 その返信を見て、俺は静かにガッツポーズした。

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

  変わらず、俺は速水奏にからかわれる。

 

 

 

 

  ♯9 LINE①

 

 

 



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♯10 その気持ちに。

 

 

 

 

 

 今でも夢に見るんだ。

 全国大会二回戦であいつに打たれたたった一本のホームランを。

 悔しさはないなんて本当は違う。

 ただ、受け入れられなかった。たった一回のミスが敗北に繋がるのが。

 全国大会やその予選はたった一回の敗北すら許されない。

 シニアに入って、数ヶ月でそれを経験した。そんなの前から知ってるつもりだったのに、今更思い知った。

 プレッシャーを感じないわけがない。

 後悔がないなんて、負けて良かったなんて、そんなの嘘だ。

 あいつの前では弱音を吐きたくなかっただけだ。

 先輩は泣いていた。

 みんな本気でやっていた。

 あの時、一年の俺にはどうして泣くのか分からなかった。

 だってまだ甲子園もあるし、大学に行っても野球が出来るのに。

 でも、今なら分かる。

 先輩達にとって、あれがラストチャンスだったんだ。

 強豪校に行けば、熾烈なレギュラー争いに勝たなければならない。全国から引き抜かれた野球エリート達に、上級生に勝たなければならない。多分、先輩達は分かってたんだ。自分達が強豪校に行ってもレギュラーになれるかどうか分からない事を。だから、あれがラストチャンスだったんだ。

 多分、試合に負けた悔しさで純粋に泣いてる奴もいたと思う。

 でも、ラストチャンスがなくなって泣いてた奴もいると思う。

 どっちにしろ一年によってぶち壊された。

 全員が強豪校に行けるわけじゃない。全員がレギュラーになれるわけじゃない。全員が甲子園に行けるわけじゃない。全員がプロ野球選手になれるわけじゃない。本当にほんの一握りの人しか行けない世界だ。

 先輩達は本気でそこに行こうとしてた。

 毎日遅くまでバット振って、走って、投げて、汗を流して、やっと掴んだ切符を俺がぶち壊した。

 俺はエースの器じゃない。ただチームで一番球が速いだけでエースに選ばれた。

 他の人は反対してたらしい。それでもキャプテンが強く推薦してくれた。

 

 

 ーーー大河、これからはお前がエースだ。プレイでチームを引っ張れ。プレイで信頼を勝ち取れ。お前ならそれが出来る筈だ。任せたぜエース。絶対優勝しろよ。見てっからな。

 

 

 合わせた拳を、叩かれた胸をまだ覚えてる。

 忘れられない。忘れられるわけがない。

 もう、あんな思いはごめんだ。

 もう二度と負けねえ。

 先輩、あんたが果たせなかった夢は俺が果たす。

 俺がエースになるから。

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

  変わらず、俺は速水奏にからかわれる。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

 七月に入り、最初の練習試合が行われた。

 速水奏は別に呼ばれてなかったけど、なんとなく翔平の投げてる姿が見たくなって応援に来ていた。

 でも速水奏はその試合を、その姿を見て言葉を失った。

 自己最速を更新した138キロの伸びのある直球がバットにかする事なく、三振を量産していく。

 練習相手は確かに格下の相手だが、ここまで一方的な試合になるなんて思ってなかった。

 五回を投げて僅か二安打。アウトは全て三振。

 打では一本のホームランを放ち、先制点を奪った。

 翔平は絶対的なエースになろうとしていた。

 ただの練習試合なのに、高校のスカウトみたいな人も何人かいるし、なんだか、翔平がどんどん遠い人になっていく感じがした。

 試合は3対0で翔平達が勝った。

 試合が終わり、奏は翔平のところへ駆け寄った。

 

 

「ーーー是非うちに来てほしい。連絡待ってるよ」

 

 

 スカウトされてる翔平を見て、奏は思わず木に体を隠した。

 

 

 ーーーまた、スカウトされてる。

 

 

 翔平が凄いことなんて分かってる筈なのに、スカウトされてるところを見るたびに、胸が痛くなる。

 唇を噛みしめ、嫌でも実感してしまう。

 やっぱり離ればなれになるんだなって。

 手を強く握る。掌に食い込む爪が痛い。

 

 

「何やってんだお前は」

 

 

「え?」

 

 木に右手を当てて翔平は奏を見下ろしていた。

 左手にはスポーツドリンクが握られている。

 一歩離れて奏は手を後ろに組んだまま翔平に話しかける。

 

「……試合、勝ったね」

 

「……あぁ」

 

「おめでと」

 

「サンキュな」

 

「ねぇ、翔平」

 

「ん?」

 

「さっきスカウトされてたの?」

 

「……あぁ」

 

 どくん……と心臓が強く鼓動する。

 

「とこから?」

 

「神奈川の……横浜大附属高校から」

 

 横浜大附属高校……神奈川の王者で甲子園常連校。

 そんなところからもスカウトが来てる。

 それは嬉しい事だ。

 それは喜ぶべき事だ。

 でも、だけど……心のどこかではまだ受け入れられていない。大阪と神奈川、それ以外のところからも来てるスカウト。でもこれは翔平の人生だ。奏がどうこう言える事じゃない。

 出来る事なら、一緒にいたい。

 だけど、奏には何も出来ない。出来る事がない。

 どくん……と強く鼓動する。

 隠していた感情が溢れてくる。

 深く深く沈めていた感情が浮上してくる。

 その感情を必死に押さえつけて、もう一度深く深く沈めていく。

 押し殺すように、何度も何度も繰り返す。

 

「……」

 

 小さく開いた口から言葉は出てこない。

 力を失われたみたいにどんどん消えていく。

 翔平は夢に向かって一歩ずつ進んでいってる。それに対して奏はまだ夢すら見つかっていない。

 燃やせる情熱すら無い。

 自分達は対等ではない。

 いくら勉強できても、運動ができても、全然追いつけない。どんどん差は開いていく。

 

「速水」

 

 名前を呼ばれて翔平の方を見る。

 

「約束覚えてる?」

 

「……約束?」

 

「明日、野球観に行く約束」

 

「……うん、覚えてる」

 

「こういうのさ、初めてだからなんか緊張するけど、俺楽しみにしてるから」

 

 胸の鼓動はやはり強い。

 

「じゃあ俺あいつらの所に戻るから」

 

 ぽんぽん、と頭を軽く叩かれる。

 奏は笑みを浮かべた。

 

「翔平」

 

 奏の声を聞いて、翔平は振り返る。

 

「私も楽しみにしてるから」

 

 精一杯の笑みでそう言いった。

 その笑顔を見て、翔平も笑みを浮かべる。

 

「……おう」

 

 そう言って翔平は右手に持っていたペットボトルを奏に投げる。

 投げられたペットボトルを奏は受け取る。

 

「やるよ。お前試合中何も飲んでなかったろ。熱中症になるぞ」

 

 それだけ言うと翔平は走ってチームメイトの元へ向かった。

 一人残された奏は受け取ったペットボトルを見つめる。

 

「っていうか間接キスだし」

 

 頬は少し赤い。

 

「まだ、時間はある」

 

 卒業まで一年と少し。

 まだ一年以上もある。

 胸元を強く掴む。

 

「私もちゃんと向き合わないといけないわね」

 

 

 ペットボトルのキャップを取って、スポーツドリンクを飲む。

 

 

 ーーーねぇ、翔平?

 

 

 

 

  ♯10 その気持ちに。

 

 

 

 



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♯11 デート①

最近タイトル詐欺みたいになってますね。
後もうすぐプロローグが終わります。


 

 

 

 

 

 7月8日。

 速水奏は東京駅前の広場で腕を組みながら立っていた。

 待ち合わせ場所である。

 

「……来ない」

 

 待ち合わせ時間は午後16時。現在、16時32分。完全に遅刻だ。

 周りの人達が友人なり恋人なりと合流して広場から離れていく中、一人だけ待ち続けるのは少ししんどい。

 一通、奏の方からLINEを送ったのだが、既読すらつかない。

 そっちから誘っといて、遅れるとはどういう事なのか、軽く1時間くらい問い詰めたい。

 息を吐きながら、少し傾いた太陽に視線を向ける。

 昨日の練習試合を見て、少し遠いところへ行ってしまった翔平の背中に追いつけるように、なにか自分に出来る事はないか考えたが、たかが一日ではなにも浮かばなかった。

 だけど、焦る必要はない。

 それ以上に奏はこの瞬間が楽しみだった。

 翔平はどう思ってるか分からないが、奏の方はデートだと思って今日は気合を入れてお洒落してきた。

 それなのに遅れて来るなんて。やっぱり2時間くらい問い詰めないといけない。

 

「ねぇ、なにしてるの?」

 

 いつのまにか二人組のナンパ男が奏の前に立っていた。

 ナンパされる事には慣れてるが、今はそんなのに構ってる暇はない。というより中学生をナンパするってどういう事なんだろう。確かに奏はよく高校生に間違われる。多分、この人達も奏の事を高校生くらいに見てるんだろう。それでもどうかと思うが。

 さて、どうあしらうかと奏は考える。

 ふと、視線の奥にこちらに走ってくる影を見つける。

 ナンパ男達の奥から1人走ってくる影に薄く笑みを浮かべて、奏はその方向を見つめる。

 その事にナンパ男達は気付かない。

 

「暇なら俺たちと遊ぼうよ」

 

「悪いけど、ナンパなら他を当たってくれないかしら? ねぇ、翔平?」

 

『え?』

 

「悪い、遅れた」

 

 自分達の後ろから声が聞こえて、2人は振り返る。

 

「遅いわよ。翔平」

 

『……』

 

 2人は顔を見合わせる。翔平の事を彼氏とでも思ったのか、素直にどこかへ行った。

 離れる2人を見ながら、翔平は奏に話しかける。

 

「ナンパされてたのか?」

 

「えぇ、誰かさんが遅刻したからね」

 

 悪戯的な笑みを浮かべて奏は言う。

 

「悪かったって」

 

「LINE送ったのに見てないの?」

 

「え? 送ってたの? ……あ、マジで来てる」

 

 その反応を見て、奏はため息を吐いた。

 野球やってる時はあんなにカッコいいのに、どうしてそれが普段出来ないのか。

 まぁ、今はそんな事もういい。

 奏は人差し指を立てて、ウィンクしながら、

 

「遅れたからアイス一本ね?」

 

 そう言った。

 

「おう、良いぜ」

 

 翔平は笑いながら答える。

 今はただこの瞬間を楽しもう。

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

  変わらず、俺は速水奏にからかわれる。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 電車に揺られる事約9分。

 最寄駅に到着した俺達は約束通りアイスを買いにコンビニに来ていた。

 

「どれにする?」

 

 俺はポケットに手を突っ込んだまま、速水に問い掛ける。

 速水は端から端まで一通り見終わると、バニラ系のアイスを一つ取った。

 

「これ」

 

奢りだからてっきりハーゲンダッツみたいな高いの買わされるって思ってたけど、速水が選んだのは、一番安いアイスだった。

 

「それで良いのか?」

 

 速水からアイスを受け取って、確認する。

 

「うん」

 

「じゃあ買ってくるけど、他になんかいる?」

 

「大丈夫よ」

 

 俺も速水と同じアイスを持って、レジに向かい、会計を済ませる。どうせすぐ食べるので、袋は断った。

 コンビニから出て、速水にアイスを渡す。

 

「ほら」

 

「ありがとう」

 

 スマートフォンで時刻を確認する。

 16時50分。試合開始は確か18時からだから、もう少ししたら、もう中に入ろう。

 袋を破いてアイスを食べる。

 2人でベンチに座る。

 アイスをぺろぺろ舐めて食べてる速水と違い、俺はかじりつく。甘い。なんか、平和だな。

 俺達の間に会話は無かった。でも不思議と悪くなかった。

 通り過ぎる群衆を眺める。

 

「翔平」

 

 名前を呼ばれて速水を見る。

 

「わたし達って出逢って結構経つわよね」

 

 アイスを食べながら、速水はそんな事を言ってきた。まぁ、そうだな。中1から知ってるしな。あの時仲良くなかったけど。確か10月辺りから仲良くなったから、大体9ヶ月か。もうすぐ一年経つのか。

 

「そろそろわたしの事名前で呼んでも良い頃だと思うの」

 

 いや、お前……名前って、奏って呼べって事か? 無理恥ずい。

 

「翔平はどう思う?」

 

 なんでお前は笑顔なの?

 

「別に今のままで良いだろ」

 

 アイスを食べながら答える。

 速水は少し頬が膨れてる。

 何だ、その顔可愛いなお前。

 

「そ。じゃあわたしが勝ったら名前で呼んで」

 

 こいつ、どうしても呼ばせたいのか。そんだけ俺に死んでほしいのか。てか勝ったらってなんだよ。勝負でもする気か?

 

「勝負の内容は翔平は決めていいわよ」

 

 どうやら本当に勝負する気らしい。

 いやそんな事言われても困る。ただこうなると速水は頑固だ。

 

「……、」

 

 内容を決めても良いと言われても、男の俺が決めるのはなんか気がひける。

 

「速水が決めて良いよ」

 

「え?」

 

「だから、速水が決めて良いって」

 

「本当にいいの?」

 

「良いって言ってるだろ」

 

「そう。じゃあ今日の試合どっちが勝つかで勝負しましょう」

 

 意外と普通の勝負で驚いた。そして次のテストの合計点数で勝負じゃなくて良かった。本当に良かった。

 

「それなら公平でしょ?」

 

 首を傾げて言う速水。公平かな……? 若干俺の方が有利な気がするけど。

 

「まぁ、良いけど」

 

「決まりね」

 

 残りのアイスを口の中へ放り込み、噛み砕いていく。

 

「あと翔平が勝ったら、なんでも言う事聞いてあげるわ」

 

「はぁ?」

 

 何言ってんだこいつは。なんでドヤ顔なんだ。

 

「いや、俺は良いから」

 

「それだと公平じゃないでしょ?」

 

 まぁ、そうだけどさ。

 

「なんでも良いのよ? 宿題やって欲しいとか、わたしの手作りお弁当が毎日食べたいとか、そんなので」

 

 正直どっちもかなり魅力的なんだけど、どうしよう。

 宿題の方は友達に借りたら何とかなる。弁当は……やばい、かなり魅力的だ。速水の弁当。やべえ、どうしよう……食べてみたい。

 

 

「どうするの?」

 

 

 俺の事を微笑みながら見つめる速水。

 ……俺はーーー。

 

 

「俺が勝ったら、勉強見てほしい」

 

「……、」

 

 速水は少し驚いた表情をする。

 あれ、俺なんか変な事言ったか?

 

「そう。一緒に勉強したいって事ね」

 

「まぁ、そうだな。分かる範囲で教えて欲しい」

 

「良いわよ。好きなだけ教えてあげるわ」

 

 速水はケラケラ笑いながらアイスを食べる。あ、やべ。変なスイッチ入れちゃった。

 俺は速水から視線を逸らす。

 スマートフォンで、時間を確認する。

 17時7分。

 速水ももう少しでアイスを食べ終える。

 俺は今日の先発を確認してスマートフォンをポケットに突っ込んだ。

 

 

 

  ♯11 デート①

 

 



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♯12 デート②

あまり文字数増えないです。
自分はこの文字数が書きやすいみたいです。
少しずつ増やしていきます。


 

 

 

 

 

 17時30分。

 試合開始の時間が近づいてきた。

 俺たちは焼きそばとお茶を購入して、自分達の指定席を目指す。

 いきなり始まった速水との賭けだが、勝てば問題は無い。

 そうだ。勝ってしまえば良いだけだ。

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

  変わらず、俺は速水奏にからかわれる。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

 東京ドームの座席はかなり埋まってきた。ビール片手に来てるおじさん。またはカップルで来てる人達。家族で来てる人達。友達同士で来てる人達。ちなみに俺たちは友達同士のグループに入る。

 グラウンドでは選手達が守備の練習をしている。

 俺たちの手には焼きそばがある。それを食べながら試合開始まで暇を潰す。

 

「今日の先発は誰なの?」

 

 焼きそばを食べながら、速水は俺に尋ねて来た。もう少ししたら先発の発表があるけど、別に隠すことじゃないから教える。

 

「多分タイガースは岩波、ジャイアンツは(すき)(さか)だと思うけど」

 

 何か問題……怪我とか寝違えとかがあって変えられてなかったら、多分この二人が先発だと思う。

 岩波はドラ1のゴールデンルーキーで背番号は19番。杉坂はFAでジャイアンツに移籍してきた選手で18番というエース番号を背負ってる。実力的には長くやってる杉坂の方が上だと思う。でも野球の勝敗はそれだけじゃ分からない。試合の展開によっては岩波が勝つ可能性も十分ある。

 

「ふーん、翔平はどっちに賭けるの?」

 

「タイガース」

 

「どうして?」

 

「個人的に岩波が好きだから」

 

 桐英の卒業生だし、甲子園春夏連覇してたし、ドラ1だし。

 

「じゃあわたしはジャイアンツね」

 

 言いながら、焼きそばを小さな口で頬張る速水。

 どっちが勝つかなんて正直言って俺にも分からない。杉坂が打たれて5回持たずに交代する可能性だって十分あるし、その逆も十分ありえる。勝敗に関しては本当に分からない。最後の最後で逆転ホームラン打たれたりもあるからな。あれはマジで辛い。一週間くらい立ち直れなかった。

 

 

 スタメンの発表も終わり、後20分程で試合が始まる。

 試合を観に行くのは久し振りだった。野球は球場まで観に行かなくても、テレビで放送してくれるから、あまり観に行く機会がない。

 食べ終えた焼きそばをコンビニ袋に捨てて、ペットボトルのお茶を出して飲む。

 

「そういえば翔平っていつから野球やってたの?」

 

 そろそろ終わる練習を眺めながら、速水がそんな事を聞いてきた。

 

「あれ、言ってなかったっけ?」

 

「うん」

 

「……小二の時に友達に誘われて始めた」

 

「へー、自分からじゃないのね」

 

「まぁ、あの時はそんなに野球が好きじゃなかったし」

 

 初めから野球が大好きで始めたわけじゃなかった。両親が特別野球好きというわけでもなかった。仲の良い友達に誘われて、流されるまま野球を始めた。今じゃ大好きだけど、あの時は嫌々やってたな、うん。

 

「なんで好きじゃなかったの?」

 

「ピッチャーしかやらしてくれなかったから」

 

 そう言うと速水は少し笑った。

 

「エースなのにピッチャー嫌だったの?」

 

「あぁ」

 

「どうして?」

 

「負けたらほぼ全部自分の責任になるじゃん」

 

「……そんな理由で?」

 

 黙って俺は頷く。

 そんな理由っていうが、当時の俺はすごいプレッシャーだったんだぞ。打たれないようにしても打たれる時は打たれるし、何回も途中も降ろされてめちゃくちゃ嫌だったし、何より悔しかった。

 

「じゃあやりたいポジションはどこだったの?」

 

「ショート」

 

 左利きが原因で無理だったけどな。なんで左利きで生まれて来たんだろう。左で出来る他のポジションもファーストと外野くらいしかないし、右に比べて選択肢少なすぎだろ。

 

「意外」

 

「なんでだよ。かっこいいじゃん」

 

「かっこいい……かな」

 

 ショートって言ったら運動神経が良い奴がやってるイメージが強い。後守備が上手い奴。

 

「かっこいいよ。ショートで好きなプロ野球もたくさん居るし」

 

「へー、たとえば?」

 

「ジャイアンツの(さか)(がみ)とかイーグルスの(まつ)()とか」

 

「2人しかいないじゃん」

 

 笑いながら速水は言う。

 

「他の好きなショート引退したし」

 

 ドラゴンズの(いな)()も引退したしな。WBCは熱くなったぜ。姉にうるさいって蹴られたけど。

 

「そう」

 

 興味なさそうに焼きそばを食べる速水。

 

「じゃあさ、いつから野球好きになったの?」

 

 今日はやけに聞いて来るな。

 

「いつから? いつからだろうな」

 

「……」

 

「日本代表に選ばれて……」

 

「え!? 日本代表だったの?」

 

 隣で驚く速水。

 

「おう。小6の時な」

 

「……すごいじゃん」

 

「いや、全然ダメだったよ。結局優勝出来なかったし。試合にもほとんど出してもらえなかった」

 

 日本代表に選ばれたのも、周りより身長があって、左でそれなりに速いボールを投げてたからだ。実力で選ばれてたわけじゃない。

 

「俺ってさコントロール悪いんだよ」

 

「……そう?」

 

 首を傾げる速水。たまに試合を観に来る速水はあんまり信じてない様子だった。

 

「うん。すげー悪い。調子いい時はスピードと球威でなんとか抑えられてるけど、高校に行ってそれが通用するとは思ってないし、俺より速いボール投げる奴なんかゴロゴロいるしな」

 

 俺は天井を見上げながら続ける。

 

「日本代表になった時もさ、全然使ってもらえなくてめちゃくちゃ悔しくてさ、なんで使わないのに選んだんだよって思ってた」

 

「……」

 

「そっからかな。本気で野球やろうって思ったのって。それから高校のスカウトとかも来るようになってさ、もっと練習しようって思えたし、あの経験があったから今の俺があるって思う」

 

 ずっと言うことはないと思っていた言葉が溢れてくる。

 弱いところは見せたくない。そんな思いで速水の前ではずっと頑張ってきた。

 

「来年さ、また世界大会があるから、もしまた選ばれたらその時には絶対先発で使わせてやるって思ってずっと練習してきた。後キャプテンにもチームを託されたしな」

 

 俺は笑いながら速水に言う。

 

「そっか」

 

 速水も静かに笑う。

 

「じゃあカッコいいところ期待してるわ」

 

 

 

 

 

  ♯12 デート②

 

 

 

 

 試合が始まる。

 熱狂が東京ドームを包む。

 岩波の第一球はーーー。

 

 

 

 



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♯13 「奏」。

プロローグが終わりました。


 

 

 

 

 

 結局試合は5対2でジャイアンツが勝利した。まさか初回から満塁ホームランを打たれて、3回持たずに岩波が降板するなんてな。いやー、ほんとなにが起こるかわからないな野球って。

 なんて現実逃避しても、ジャイアンツが勝利したという結果が変わる事はない。俺は賭けに負けた。負けたという事はこれから俺は速水の事を奏と呼ばないと駄目だという事だ。

 正直恥ずかしいから呼びたくないけど、負けてしまったから、なんの言い訳も出来ない。出逢って約1年と7ヶ月。仲良くなって約9ヶ月。色々あったが、確かに良い機会かもしれない。

 でもな……。やっぱり男としては恥ずかしいんだよ。女の子のことを名前で呼ぶのって。

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

  変わらず、俺は速水奏にからかわれる。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

 翌日。

 まだ寝ぼけてる頭に手を当てながら、通学路を歩いていた。

 もうすぐ夏休みだ。期末テストを乗り切れば、全国大会の予選もすぐに始まる。やれる事は全部やったつもりだけど、少し不安だった。

 夏の日差しに照らさせながら歩いていく。

 目の前に見慣れた背中を見つける。

 少し駆け足で追いかける。

 追いついて、奏に声をかける。

 

「おはよ」

 

 俺の声を聞いて、奏は立ち止まり、首を傾げて笑う。

 

「おはよう。珍しく遅いじゃない。寝坊でもした?」

 

 言いながら笑う奏。

 

「あぁ、誰かさんのせいでな」

 

 そう言って俺は歩くのを再開させる。

 俺の隣を歩く奏に速度を合わせる。

 

「あら、心外ね。約束通り勉強を見てあげているのに」

 

「奏さ、どっちが賭けに負けたかちゃんと覚える?」

 

「もちろん覚えてるわよ。翔平でしょ?」

 

「そうだな。それで俺がお前のことを奏って呼ぶ事になった。ここまでは良いか?」

 

「えぇ」

 

「じゃあなんで勉強見てくれんの?」

 

 賭けの勝負には俺が負けた。これは紛れもない事実だ。だからこれから奏と呼ぶ事にも納得がいく。だが、奏が勉強を見てくれようとしているのは賭けに負けた身としては、なんか違う気がする。

 昨日家に帰ったらいきなりLINEで『これ明日までにやって来なさい』って送られてきた数学の問題集には驚かされた。お陰で全然眠れなかった。

 

「そうね」

 

 歩きながら奏は考える。

 視線の先にはよく晴れた青空がある。

 

 

「わたしがやりたいから……かしらね」

 

 

 俺の方へ振り向き、笑いながら言う奏。

 

「……」

 

 奏は意外と頑固なところがある。多分、やめろと言ってもやめないだろう。

 

「はぁ、まぁ良いか」

 

 そう言って自分を納得させる。

 不意に、奏は俺の手を握り、前へ駆け出した。

 

「ほら、急がないと遅刻するわよ!」

 

 笑顔を浮かべる奏に手を引かれる。

 引かれながら、考える。

 まさかこのまま学校まで行く気じゃないよな? と。

 

「ちょっ、奏ストップ! 自分で歩けるから! 取り敢えず止まって!!」

 

「なに恥ずかしがってるのよ。ここまま行くわよ!」

 

 

 手を離すどころか逆にスピードを上げた奏。

 結局学校まで手を引かれたままだった。

 恥ずかしくて死にたい。

 

 

 

 

 一限目を終えての休み時間。

 俺と奏は昨日LINEで送られてきた数学の答え合わせをしていた。

 

「なぁ、この問題なんだけど」

 

 わからなかった問題を奏に見せるも反応がない。それどころか視線すらこっちに向けない。

 

「なぁ、聞いてる?」

 

 再度呼びかけるも反応はない。

 

「……」

 

 隣に座ってる奏の机にスマートフォンを置いて、昨日のLINEを見せるも反応はない。どうやら学校でも奏と呼ばないと応答してくれないらしい。正直学校ではなんとか誤魔化しながら奏に話しかけようと思っていたのにな。

 

「……はぁ」

 

 しょうがないよな。約束だし。賭けに負けた俺が悪いんだからな。

 

 

「奏」

 

 

『!?』

 

 約束通り、速水の事を奏と呼ぶと、クラスの連中がほぼ一斉に俺達の方へ視線を向けた。お前らどんだけ耳良いんだよ。その視線やめろ。付き合ってないって何度も言ってんだろ。

 

「なに?」

 

 奏は笑いながら俺の方に振り向いた。

 狙ってやってるんだったら大した奴だよお前は。

 

 

 

 

 

  ♯13 「奏」。

 

 

 

  プロローグ 夏の始まり  終

 

 

  次章

 

 

  第一章  夏休み 始

 

 

 

 

 

 二人が教室に入って大河が名前を呼んだ後の奏ファンクラブ公式LINEでは、

 

 

 

 

 康太

 『大河がついに速水さんの事を名前で呼び始めた事について』

 

 晋太郎

 『まさか付き合ったのか?』

 

 安田

 『そういえば朝も手を繋いで学校に来てたよなあの二人。大河の奴思いっきり腕引っ張られたけど。』

 

 Daisuke

 『嘘だろ…』

 

 晴人

 『あの野郎、野球しか興味ないと思ってたのに…』

 

 亮平

 『うろたえるな小僧ども!! 俺が確認してくる!!』

 

 翔平

 『おぉ!! 勇者がいたぞ!!』

 

 Daisuke

 『任せたぞ。もうお前しか頼れる奴はいねぇ!』

 

 

 

 その後、大河と奏が付き合ってない事を知った彼らは歓喜に沸き、大いに盛り上がったらしい。

 

 

 

 






 Profile最新。

 名前/大河翔平
 誕生日/5月5日
 年齢/14歳
 身長/176センチ ←4月の健康診断より4センチ伸びてる。
 体重/62キロ 4月の健康診断より2キロ増えてる。
 血液型/A型
 利き手/左利き
 ポジション/ピッチャー
 尊敬している野球選手/ダルシュ有。


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夏休み
♯14 現実。


 

 

 

 

 

 そのボールは一段と高く伸びていき、ライトを置き去りにしてーーー。

 

 

 

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 

  変わらず、俺は速水奏にからかわれる。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

 7月18日。

 奏に教えてもらって頑張って勉強したがボロボロだった期末試験を終えた今日。

 全国大会の予選、決勝。

 ここまで順調に勝ち上がってきた。あと1回勝つだけで良い。それだけで全国に行ける。

 もうすぐ去年の借りを返せる。

 俺は前回の試合投げていないが、先輩たちが相手チームを完璧に抑えて勝ってくれた。試合後先輩たちから「後は頼んだからな」と言われて背中を叩かれたのが凄い嬉しかった。

 手が震える。

 緊張は当然している。

 負けるのは、もう嫌だ。

 もう、負けは許されない。

 大丈夫、大丈夫、大丈夫。

 勝てば良いだけだ。

 スタメン全員で円陣を組む。

 全員練習してきた。

 絶対に負けねえ。

 キャプテンを見つめる。

 

 

「行くぞ」

 

 

 キャプテンが小さく呟き俺たちを射抜くような視線で見つめる。

 全員がキャプテンを見つめる。

 

「絶対勝つ!!」

 

『おう!!』

 

 キャプテンの全力の掛け声に俺たちも答えるように全力で叫ぶ。

 俺たちは整列に向かう。

 柄にもなく、緊張してる。

 それは多分相手チームも同じだろう。

 主審の前に立つ。

 

「選手整列!!」

 

『よろしくお願いします!!』

 

 帽子を取ってお辞儀する。

 18人の多声が重なり、大合唱を奏でる。

 まだ緊張してる。

 何度も経験してる筈なのに、胸が痛いな。

 空気を吐く。

 空気を吸う。

 空を見る。

 大丈夫だ。

 俺たちは負けない。

 

 

 

 

 

  ♯14 現実。

 

 

 

 

 

 軽い投球練習を終えて、主審が「プレイボール!!」と叫ぶ。

 1番バッターが頭を軽く下げてバッターボックスに入り、構える。キャッチャーのサインを見て、頷き、足をゆっくり上げていく。右手で壁を作り、ギリギリまで力を溜めて、一気に振り抜く。コースはインロー。全力のストレートにバットは動く事無く、俺の球を見つめていた。

 

『はえー』

『いくら出た?』

『137キロ』

『去年より速いな』

 

 ……。

 初球から振ってこないか。

 帰ってきたボールを受け取り、捕手のサインを待つ。って言っても俺の場合三種類しかないけど。

 キャッチャーはバッターを少しだけ見て、カーブのサインを出す。

 俺は頷きカープを投げるが、カーン! とバットに簡単に当てられるもファールゾーンに転がっていった。これで2ストライク。

 遊び球は要らないとアウトローを要求。サイン通りストレートを投げると、迷わずフルスイングしてきた。だが、バットは空を切る。キャッチャーミットにボールか収まり、『ットライク!! バッターアウト!』と主審が叫ぶ。

 よし、まず一人だな。先頭バッターを抑えれたのは大きい。次も集中しないと。

 2番バッターがバッターボックスに入る。左か。

 キャッチャーのサインは高めのストレート。今日はストレート主体で行く気みたいだな。

 全力で投げる。

 カァアン!! と初球からフルスイングされて、ボールは見事に跳ね返された。幸いな事にそこまで力が無かったのか、ボールに勢いはなく、センターフライだった。

 続く3番バッターも初球から思い切り振ってきたが、これも詰まってセンターフライでスリーアウトになった。

 スタメンと軽くハイタッチしながらベンチに戻る。

 取り敢えず1回が終わった。7回までは投げたいな。

 さっきのイニングは5球か。70球超えたら監督に強制的に降ろされるから、出来るだけ球数は抑えたい。

 

「翔平」

 

 バッテリーを組んでる晋太郎が俺に声をかけながら隣に座る。

 俺は水を飲む。

 

「チェンジアップも今日は投げるのか?」

 

 チェンジアップは今練習してる変化球の中で一番自信がある球種だ。まだ試合では一球も投げてないが、あの時からずっと練習してきた。

 

「まだ実戦で投げてねーからな。自信はあるけど、ピンチに使えるかどうかは分かんねぇぞ」

 

 そんな俺の言葉に晋太郎は、

 

「自信はあるんだろ? じゃあ十分だ。使うぞ」

 

 と言ってきた。

 俺はその言葉に頷く。

 俺たちが話してる間に一番バッターは初球から狙っていってセンターの頭を超え、塁に出ていた。続く2番バッターは送りバンドをきっちり決め、先輩を二塁に進める3番バッターはフルカウントまで粘るも見逃し三振。

 これで2アウトか。

 相手ピッチャー球速はそんなに出てないけどコントロール良いな。変化球はスライダーとカーブか?

 俺はバットを持ってネクストバッターサークルから左のバッターボックスに入り、構える。初球はなんだ。相手ピッチャーは頷き投球フォームに入る。足を高く上げるダイナミックなフォームから投じられた全力のストレートにタイミングを合わせてフルスイング。カァアン!! と甲高い音を響かすも、センターの足が速く、この打球に簡単に追いつきアウト。

 やっぱり簡単には取らせてくれないか。

 塁から戻ってきた先輩の隣に立つ。

 

「すいません、返せなかったです」

 

 そう言うと先輩は俺の背中を叩いて、

 

「気にすんな。次点取るぞ。お前は抑える事だけ考えろ。点は俺たちが絶対取ってやるから」

 

 と言った。

 

「うす」

 

 先輩はショートにつく。

 俺は受け取ったボールをグローブの中で転がす。

 次は4番か。注意しないと。

 サインはストレート。コースはインハイ。俺は頷き、構えて投げる。ガッキィィン!! と快音を残して、白球をライトが追えず、まさかのホームラン。マジかよ。先制点奪われた。腕を高らかに上げてダイヤモンドを一周する4番。

 続く5番、6番、7番は、3人とも三球三振に倒れ、ここで攻守交代となった。

 その後、先輩達が一点を返して試合は再び同点となった。

 

 

 均衡は5回まで続いたが、一番のピンチこの回に来た、

 

 

 5回、ツーアウト、満塁。

 もう点はやれねえ。キャッチャーのサインはチェンジアップ。俺は頷き、チェンジアップを投げる。

 カアァン!! と甲高い音が響く。

 振り返り、打球を探す。

 高い。

 

 

 頼む。先輩、取ってくれ。

 

 

 やめろ。

 

 

 やめろ。

 

 

 やめてくれ!!

 

 

 そのボールは一段と高く伸びていき、ライトを置き去りにして、ミットの頭上を通過した。

 転々と転がる白球を急いでセンターが拾い上げてショートに投げる。ショートが受け取り、振り返り、キャッチャーに投げるが、もうすでに2人帰ってる。1塁ランナーもホーム目指して走ってる。だが、キャッチャーへの返球は間に合わず、この回一気に3点も奪われた。

 

 

 俺はここで代えられた。

 

 

 結局俺たちは3点の点差をひっくり返せず、点差はさらに広がり9対2で負けた。

 

 

「ごめん」

 

 

 試合後、俺はメンバー全員に頭を下げだ。

 誰も何も言わなかった。

 いっそボロクソに文句を言われた方が楽だった。

 現実は非情だ。

 どれだけ努力をしても届かない結果がある。

 誰にも負けるつもりはなかった。

 〝あいつ〟と再戦して去年の借りを返すつもりだった。

 それだけの練習も、努力も皆してきた筈だった。

 全国大会の結果はまさかの予選負け。

 受け止められない現実にショックを隠せなかった。

 全国でもそれなりに名前を知られるようになって、いろんな強豪校から声をかけられて、俺は調子に乗っていたのか?

 予選なんかで負ける筈がない。

 心のどこかでそんな事を思っていた。

 絶対なんてどこにもないのに、負けないと思っていた。

 

 

 生まれて初めて涙が止まらなかった。

 

 

 



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♯15 自覚と嘘の約束。

 

 

 

 

 

 

 7月18日に行われた全国大会の予選決勝戦で、翔平のチームは9対2という大差で負けた。

 翔平は負けない。

 心のどこかで翔平だったら当たり前のように全国大会に出場して活躍しているものだと奏は思っていた。

 でも現実は違った。

 この世界に必ずや絶対は存在しないのに、そう思ってた。どれだけ努力しても負ける時はあっさり負けるのに、奏はそう思っていた。

 奏が知る限り翔平は才能に恵まれている。努力もしている。身長も同年代では大きい方だ。大阪、広島、岩手、神奈川の強豪校からスカウトだって来ていた。だから絶対負けないと思っていた。

 進む足を止めて、空を見上げる。

 夏のギラギラした空が広がっている。

 こういう時、なんて声をかけたらいいのか奏にはわからない。興味があれば少し練習しただけでなんでも出来てしまう奏にとって、今まで人生をかけてなにかに打ち込んだ事なんてないし、負けを経験する事がどういう事かも、この短い人生からでは想像さえしにくい。偉人達の言葉はこういう時全然役に立たない。

 きっと、奏のような素人ではわからない悲しみがあるのだ。負けを経験して悲しいというのは当たり前。悔しいと感じれるならそれは素晴らしい才能だ。今の翔平はおそらくどっちの感情も持っている。だから大丈夫。必ず、もう一度、翔平なら立ち上がれる。

 もし、立ち上がれない時はーーー。

 

 

 ーーーその時はわたしが隣にいるから、頼ってほしい。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

  変わらず、俺は速水奏にからかわれる。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

 7月21日。

 今日は終業式だ。

 今頃みんな体育館で校長先生の長い話でも聞いてる頃だと思う。

 俺は終業式には出席せず、来てすぐ屋上に忍び込み、寝っ転がって空を見上げていた。別に大きな理由なんて特にない。ただ忘れたい記憶があるだけ。だけどそんな簡単には忘れられないから、こうして空を眺めて忘れようとしているだけ。

 負けたのに次のキャプテンに指名された。正直に言えば俺より適任がいると思う。

 あの試合の後、先輩達は泣いてた。多分理由はあの時と同じ。後輩は泣いてなかった。多分理由はあの時の俺と同じ。

 もう二度と仲間が泣いてるところは見たくなかったのに、また見てしまった。

 チームを勝たせる事が出来ないエースなんてエースじゃない。きっと本当のエースはチームを日本一に導けるような奴のことを言うんだ。俺にそんな力はない。

 先輩との約束は果たせなかった。

 桐英の監督は変わらず熱心に声をかけてくれる。

 「負ける時は負ける、だから気にするな」と言っていたけど、心のモヤモヤは取れないままだ。

 勝負に絶対はない。それはプロ野球選手でさえそうだ。プロで無敗のまま生涯を終える人なんていない。シーズン無敗はいるらしいけど、もう何十年も出て来ていない。負けないことがどれだけ難しいのかそれだけでわかる。それは他のスポーツでもそうだ。海外のサッカーやバスケのトッププレイヤーですら負けを経験するというのに、なんで俺は……そんな当たり前のことで悩んでんだろ。

 事実、あの試合から俺は自分に自信が持てなくなってしまった。

 このまま桐英に進学してもエースになんてなれないまま終わってしまうんじゃないか。レギュラーなんて取れないまま終わってしまうんじゃないか。スタンドで応援するだけで終わってしまうんじゃないか。そんな事ばかり考えてしまう。

 俺に野球の才能なんてあるのか。

 プロ野球選手になんてなれるのか。

 こんな思いをもう一度経験するくらいなら、諦めた方が楽なんじゃないか。

 小6の時、俺がU-12のメンバーに選出された時も監督はあまり使ってくれなかった。それって俺に才能がないから使わなかったって事だったのかな。

 それじゃあなんで俺をメンバーに選出したんだろう。

 空に向かって持っていた白球を投げて、受け止める。

 ギイ……と扉が開く音がした。

 影が俺に落ちてくる。

 見慣れた顔がある。

 髪の毛が風に揺れている。

 喋りづらそうにしながらも、奏は真っ直ぐ俺を見据えていた。

 

「終業式、終わったわよ」

 

「……そっか」

 

 その視線に耐えれなくなって視界から外す。

 俺の予想より早く終業式が終わったらしい。

 

「みんな、教室に戻ったわよ」

 

「……奏は戻らなくていいのか?」

 

「……うん」

 

 そう言って奏はわざわざ俺の視界に入る位置に移動して隣に座る。

 会話はなく、ただ時間だけが流れていく。

 7月なのに、俺たちの間に通り過ぎる風が冷たく感じる。

 

「試合、残念だったね」

 

 ズキリと心の奥でなにかが反応する。

 

「……」

 

 俺の顔を見ながら、そう呟く奏とは別の方向へ視線を向ける。

 逃げ出したい気持ちで心が支配されていくのを感じる。

 なんて答えたらいいのかわからない。

 「あぁ」、「うん」、「おう」。ありふれた言葉はたくさん出てくるのに、そのどれを口にしていいのかわからない。難しくない質問なのに、言葉が溶けていく。消えていく。なくなってしまう。

 気づけば静寂に包まれる。

 奏はなにも言わない。

 俺の返答を待っているのか、次に喋る言葉を考えているのか俺にはわからない。

 風が吹く。

 雲が流れる。

 時間だけが過ぎていく。

 答えは出ない。

 正解はわからない。

 わからないけど、気づけば奏の名を呼んでいた。

 

「奏」

「なに?」

「俺さ、決勝で戦ったチームに負けないって思ってた」

「……」

「去年勝てた相手だから今年も普通に勝てるって思ってた」

「……うん」

「みんなあれだけ練習したんだから、今年も絶対全国に行けるって思ってた」

「うん」

「でも負けた」

「……」

「俺、多分あいつらのこと格下だと思って舐めてた」

「……」

「だから……だから」

 

 吐き出された言葉に心が締め付けられる。

 本気でやってるつもりだった。舐めてたつもりはなかった。でも、多分俺は心のどこかであのチームを見下してたんだ。いろんな高校からスカウトが来て、調子に乗ってた。知らないうちに天狗になってた。

 だから、負けた。

 負けるのはやっぱり悔しい。

 できるなら経験なんてしたくない。

 でも、それは不可能だとわかっている。

 だからみんな負けないように努力している。

 俺もそのつもりだった。

 

「翔平……?」

 

 知らず知らずのうちに溢れ出した涙が視界を歪ませる。

 溢れ出した涙を止める術を俺は知らない。

 時間が経つのを待つしかなかった。

 

「ねぇ、翔平」

 

 ぽつり、と奏が小さく俺の名前を呼ぶ。

 

「わたしは翔平が野球をしている姿が好き」

 

 ……それは知ってる。

 

「投げる姿が好き」

 

 それは知らない。

 

「三振を奪ってガッツポーズしながら叫ぶ姿が好き」

 

 それも知らない。

 

「野球の話をしてる翔平が好き」

 

 それは知ってる。

 

「だから……わたしね、翔平と同じ高校に進学しようと思ってるの」

 

「え?」

 

 突然の告白に驚いて変な声を出して起き上がってしまった。

 俺と同じ高校に進学? 意味わかってるのか。東京から離れるんだぞ俺は。

 奏は真っ直ぐ俺を見つめながら言葉を続ける。

 

「同じ高校に行って野球部のマネージャーになりたいの」

「……」

「わたしにはまだ夢がないわ」

「……」

「これは多分夢とは違うものたと思う」

「……」

「ただ、わたしが翔平の近くにいたいだけ」

「……」

「翔平がもう立ち上がれないと思った時にわたしを頼ってほしいから、近くにいたいから……だから、だから……」

 

 伸ばされた右手が俺の頬に触れる。

 

「そんな顔、しないでよ」

 

 親指で俺の頬に流れた涙を受け止めながら奏は言う。

 自分がどんな顔をしていたのか、想像しかできないが、ひどい顔だったのだろう。

 ドクンーーーと心臓が強く打つ。

 何CCかの血が全身に送られる。

 脳裏に浮かぶ。

 色が弾ける。

 瞬きの回数が自然と増えていく。

 自分は今、なにを思っているんだろう。

 この気持ちにまだ気づいてもいないのに。

 いや、本当は気づいている。気づかないふりをしていただけ。

 握る力が自然と強くなる。

 自然と口元が緩む。

 笑顔が出来上がる。

 

「ありがとう。奏」

 

 そう言うと、奏は太陽みたいな眩しい笑顔を浮かべた。

 あぁ、見慣れた笑顔だ。

 わかってる。わかってるよ。自分の本当の気持ちなんて、とうの昔からわかってる。でも、まだだめだ。まだ遠い。届かない。今のままの俺じゃあ、ダメなんだ。

 もう負けは経験したくない。

 負けるのなんて嫌だ。

 だからもっともっと練習して、今より上手くなりたい。あの人みたいに、甲子園でノーヒットノーランを達成したら、言おう。

 だから今は。

 今は……。

 

「なぁ、奏」

「なに?」

「ウソ、ついていいか?」

「……」

「……、」

「いいよ」

 

 

 

 

  ♯15 自覚と嘘の約束。

 

 

 

 



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♯16 後悔しないように。

 宿題は何一つ終わっていない。
 夏休みは始まったばかりだし、まだしなくてもいいか。



 

 

 

 

 

 

 速水奏は毎年夏休みの宿題を1週間以内に終わらせているのだが、今年は5日と経たずに終わらせてしまった。残っているのは読書感想文と美術の宿題と自由研究だけだ。今年は思ったよりも早く終わったなと、感想を抱きながら両腕をグッと大きく天井に向かって伸ばす。

 充電していたスマートフォンを拾い上げ、そのままベッドに仰向けに倒れる。

 スポーツニュースでは大阪タイガースのドラフト1位投手、岩浪俊太郎が5勝目を挙げてニュースに取り上げられていた。これで確か今シーズンの成績が防御率2.40、5勝2敗、奪三振が61だっと思う。新人にしては驚異的なペースじゃないだろうか。個人成績のランキングにも上位で載っているし、今年の新人王はもしかしたら岩波が取るかもそれない。

 奏はあらかた野球のニュースを読み終えると今度はLINEを開き、来ていたメッセージを確認する。

 LINEは数件友達から来ていたが、どれも急ぎで返信するような内容ではなかったから、ゆっくりと文章を考えてから返信した。

 翔平からは1通もLINEは来ていなかった。奏からも夏休みに入ってからはまだ一通も送っていない。

 奏は悩んでいた。

 翔平と遊びに行くかどうか。

 正直な話をすれば、遊びに行きたい。

 遊びに行けるのなら海でも、プールでも、夏祭りでも、隣町の映画館でもなんでもよかった。

 ただ誘うきっかけがなかった。

 奏から遊びに誘った事は、記憶を振り返っても片手で数えるほどしかない。逆に翔平からはたった1回しかないから、ここは自分から誘わなかったら、多分誘いはずっと来ないと思った方がいいだろう。

 さて、どうやって翔平を誘うか。それを考えるのが1番難しい。

 この夏休みは翔平といっぱい遊んで、馬鹿みたいに騒いで、たくさん思い出を作りたい。

 そして夢を見つける。

 終業式で宣言した通り、翔平と同じ高校に行き野球部のマネージャーになることは夢とは違う気がする。あれは奏が翔平と一緒にいたいだけだ。翔平が立ち上がれない時に頼ってほしいだけだ。

 夢とはなにか。努力しても叶えられないことを夢と呼ぶのか。それとも叶えられた事を夢と呼ぶのか。そんな難しい話は奏にはまだわからない。多分この答えは大人になってもわからない。

 机にはまだあの写真がある。

 大きな入道雲が窓から見える。

 呼吸するたびに胸が痛い。

 胸の高鳴りはいまだ鳴り止まない。

 胸元を強く掴み、瞼を下ろす。

 後悔だけはしたくない。それだけは絶対にしたくない。

 じゃあ答えなんてもう決まっている。

 

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

 

  変わらず、俺は速水奏にからかわれる。

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 

 リビングで麦茶を飲みながら野球を見ていたら、姉が帰宅してきた。いつも部活が終わったらまっすぐ帰ってくるのに、珍しく20時を過ぎての帰宅。まあだいたい予想はつく。部活の人たちとマックにでも食べに行ってたのだろう。俺も連れて行け。

 タンクトップにショートパンツというラフな格好でリビングに戻ってきた姉は1人で遅めの晩飯を食べていた。どんだけご飯食べるんだよ。マックじゃなかったのかな。

 スマートフォンを操作しながら飯を食べていた姉が不意に俺に声をかけてきた。

 

「ねぇ翔平」

「なに?」

「あたし見たい番組あるんだけど」

「今いいところだからちょっと待って」

「あんた昨日も野球見てたじゃない。今日はあたしに譲りなさいよ」

「自分の部屋で見ればいいじゃん」

「ご飯食べてるでしょ。それにでっかいテレビで見たいのよ。あんたこそ部屋に戻りなさいよ」

「俺だってでかいテレビで見たいっつーの」

「あ?」

 

 あ、やばい。これ以上は俺の命が危ない。ここは素直に譲ろう。

 

「チャンネルは?」

「6」

 

 素直にチャンネルを変える。

 歌番組か。出ていたのは最近アイドルデビューしたばかりの高垣楓だった。この人は知ってる。めっちゃ綺麗だし、歌も上手いからなんか記憶に残っていた。今歌っているのはデビューシングルのこいかぜという歌。

 このまま部屋に戻って野球を見てもいいけど、この人の歌は聞きたい。

 

「ところで翔平」

「ん?」

「例の子とは付き合えたの?」

「ぶは!?」

 

 いきなりなんて事聞いてくるんだ。思わず麦茶を吹き出してしまった。

 

「デートに誘ったんでしょ? キスくらいしたんでしょうね?」

「するわけねえだろ!」

「え、してないの?」

「なんですること前提なんだよ!」

「はぁ、つまんないわね」

 

 こぼれた麦茶を拭く。

 くそ、好き放題言いやがって。

 

「彼氏できた事1回もねぇクセに」

「あ? 今なんつった? もう一回言ってみろ? 逃げ腰の翔平ちゃん?」

「あ? 誰が逃げ腰だって? バレー馬鹿」

「お前だよ、野球馬鹿」

 

 お互いに睨み合うが、怖い。めちゃくちゃ怖い。俺が姉と喧嘩して勝った事は一回もない。だから怖い。

 

「ごめん、言い過ぎだわ」

 

 そう姉は呟いて食事を再開した。

 俺は立ち上がって部屋に戻る。

 

「ねぇ」

 

 ドアノブに手を差し出したタイミングで、姉から声をかけられる。

 俺は何も言わずに、振り向く。

 

「後悔だけはしちゃダメだよ」

 

 姉貴は自分の()に手を置きながら、俺にそう言った。

 

「……」

「それだけは絶対にしないでね」

「……、」

「返事は?」

「うん。頑張るよ」

「うん、頑張れ」

 

 

 

 

  ♯16 後悔しないように。

 

 

 

 

 部屋に戻り、スマートフォンを払い上げると、1通のLINEが来ていた。奏からだ。

 文面は至ってシンプル。

 

 

 奏

 『明日遊ぼ』

 

 翔平

 『いいよ』

 

 

 

 夏が始まる。

 一年間で最も暑く、少し短い1ヶ月が始まる。

 

 

 

 






 小さくガッツポーズをして、頬を少し赤らめて、はにかんで、ベットの上で奏は悶えた。



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#17 キャッチボール②

 

 

 

 

 速水奏は寝不足のまま、翌日を迎えてしまった。

 鏡に映る目元には大きなクマがある。

 だけど。

 口元には笑みが溢れていた。

 この日を待ち望んでいた。

 長い長い夏休みが始まる。

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

  変わらず、俺は速水奏にからかわれる。

 

 

 

ーーーーー

 

 

 

 

 寝不足だ。

 軽く頭痛を感じるほどの寝不足。

 今日を楽しみにしすぎてあまり寝れなかった。

 そんな状態で俺は目的地に向かって走っていた。

 遅刻するのはダメだ。前回やってしまった失敗を繰り返さないために、グローブとボールを持って少し早く家を出た。

 毎日走っているから体力には自信がある。

 目的地は近くの公園。

 今日は奏と遊ぶ約束をしている。

 朝、奏からキャッチボールがやりたいというLINE(ライン)が届いていた。

 奏とキャッチボールをやるのはこれが2回目だ。

 あいつが野球好きになってくれるのはすごい嬉しいし、少しでもあいつと一緒にいたい。

 だから、あいつが俺と一緒の高校に行くって言ってくれた時は嬉しかったけど、それは本当に正しい選択なのか、今ではそんなことも考える余裕も出てきた。

 奏は夢がないと言っていた。

 俺の夢はプロ野球選手になること。

 それが実現するかは当然まだわからない

 それでもその道を進むと決めたから、なれなかったとしても後悔だけはしないようにと決めている。

 だから全力でやる。

 でも奏は違う。

 それは奏も言っていた。

 じゃあ奏にとっての正解はなんなんだ?

 

 そんなことを考えていると、公園に着いた。

 中に入って奏を探す。

 

「今日はちゃんと遅れずに来てくれたのね」

 

 後ろから声が聞こえて振り返る。

 

「遅かったか?」

「ううん、わたしも、今来たところよ」

 

 そう言いながら奏は黒のグローブを俺に見せてくる。

 

「買ったのか」

「えぇ、これでいつでもキャッチボールができるわね」

 

 やる気は十分そうだ。

 

「じゃあ始めるか」

「えぇ、始めましょう」

 

 お互いに少し距離を取る。

 グローブを右手に。

 奏が満足そうにボールを要求してくる。可愛い。

 奏が構えたところにボールを投げる。

 受け取ったたけで、ドヤ顔する奏。可愛い。

 何回か投げ合って、ふと考える。

 甲子園に行きたいって、思っていたけど俺一人の力じゃ絶対に行くことはできない。

 強豪校に入ったからといっても、三年間甲子園に行くことができないかもしれない。それでも、みんな諦めずに、毎日きつい練習に耐えて、バットを振って、投げ込んで、走っている。

 甲子園を目指しているのは、俺だけじゃない。

 この日本にいったいどれだけ野球をやっている奴らがいるのかは、正直言ってわからないし、実際興味もない。

 ただ全員に共通して言えることは野球が好きだということだ。

 今は、それで良いと思う。

 だから、叶うかも分からない約束を今交わす。

 あの時の嘘が現実になるように。

 今度ははっきりと言う。

 

「奏」

「なに?」

 

 首を傾げながら、奏は俺を見る。

 

「連れてってやるよ」

「……」

「甲子園に」

「……、」

「絶対に」

 

 そう言って、俺は奏に向かって、ボールを投げる。

 受け取りながら、奏は小さな笑みを浮かべて、静かに笑っていた。

 

「うん」

 

 ただ一言、そう呟いて、奏はもう一度ボールを投げ返す。

 

 

 

 



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