無職転生- 異世界行ったら神様に会った - (月猿)
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プロローグ

第一話

 

 

 

 

 あの小さな少女を、尊敬しよう。

 

 

 そう心に誓い、俺はロキシーの背中が見えなくなるまで見送った。

 

 手元には、ロキシーにもらった杖とペンダント。

 そして数々の知識だけが残った。

 

 

 

 

 

 そうして旅立っていくロキシーを見送った日の夜、

 俺は返し忘れてしまったロキシーのパンツを握りしめ、

 彼女に思いを馳せながらベッドの中で眠りについた。

 

 

 

 ふと、まどろみのなかで意識が浮上する。

 目を開けてみると、真っ白い空間に俺は居た。

 何もない空間だ。

 すぐに夢だとわかった。

 時々ある、夢の中でそれを自覚するやつだ。

 明晰夢、と言うのだったか。

 

 

 

 それにしても体が重い。

 

「…………え?」

 

 

 俺はふと自分の身体を見下ろし、驚愕で目を見開いた。

 34年間見慣れた、あの姿だった。

 

 それと同時に、前世の記憶が蘇ってくる。

 後悔、葛藤、卑しさ、甘えた考え。

 この10年間が夢のように思え、俺の中に落胆がこみ上げてきた。

 

 戻った。

 と、直感的に悟った。

 そして、その現実を俺は簡単に受け止めた。

 やはり夢だったのだ。

 

 長い夢だと思ったが、俺にとっては幸せすぎた。

 

 温かい家庭に生まれ、溢れる才能に恵まれ、可愛い師匠と出会い……

 夢なのだとしたら、もっと楽しみたかったが。

 

 そうか。

 終わりか……。

 

 

 夢なんて、覚めてみるとあっけないものだ。

 

 何を期待していたのだか……。

 あんな幸せで順調な人生、俺に送れるはずがないのにな。

 

 

 

 

 

 

 

 ふと気づくと、変なやつがいた。

 

 

 

 のっぺりとした白い顔で、こちらをじっと見ている。

 特徴は無い。

 こういう顔の部位だと認識すると、

 すぐに記憶から抜けていった。

 覚えることが出来ないのだ。

 

 そのせいか、まるで彼全体にモザイクが掛かっているような印象を請ける。

 ただ、どこか憔悴したような陰鬱な空気を纏っていると感じた。

 

 

 

「やあ、初めまして。こんにちは。ルーデウス君」

 

 落胆に暮れていると、

 卑猥なモザイク野郎が話しかけてきた。

 中性的な声だ。男か女かわからない。

 モザイクかかってるし、女だと考えたほうがエロくていいかもな。

 

「…………」

 

 そいつは挨拶を発した後、黙ってこちらを見ている。

 返事を待っているのかもしれない。

 ちょっとよくわからん唐突な状況だが、相手から挨拶されたんだ。

 こちらも挨拶を返した方が良いだろう。

 

 こんにちは。

 

「うん、こんにちは」

 

 声は出なかった。

 だが、相手には通じたらしい。

 ならこのまま会話することにしよう。

 

 貴方は誰ですか?

 

「うん、ボクは神様だよ。ヒトガミと呼ばれている」

 

 ヒトガミ……。

 

「そうだよ、信じられないかい?」

 

 信じられるかどうかといえば、そりゃあ鵜呑みには出来ません。

 けれどこういう真っ白な夢の中みたいな空間で自称神様と出会うのは定番とも言える。

 しかし、それならちょっと遅くないですか?

 普通は転生する直前とかに現れるものなんじゃ。

 

「普通はって、君の世界ではそんなに頻繁に転生したり神様がでてきたりするものなのかい?」

 

 ……いえ、そんなことはないです。

 創作上の話の定番みたいなものですから、気にしないでください。

 

「そうかい、わかったよ」

 

 まぁ貴方が神様だと言うのは鵜呑みにはできませんが、

 過剰に疑ってもしょうがないと思うので、半信半疑と言うことで良いでしょうか。

 

「うん、それでいいよ」

 

 それで、そのヒトガミ様が僕に何か御用ですか?

 

「……実は、君にお願いしたいことがあるんだ」

 

 お願い……なんですかね?

 

「僕には敵がいる。

 そして、僕はそいつに勝てない。

 負けて、しかし殺されもされずに永遠に封印されることになる」

 

 永遠の封印か……よくある話だが、実際にされるとなると想像するだけで辛そうだ。

 

「ああ、そんなのことになるのは絶対にゴメンだ。

 だから君に、僕を助けて欲しいんだ」

 

 ……いや、チョット待って欲しい。

 そもそもなんで神様なのに敵がいて封印されたりするんですかね。

 相手は世界征服を狙う魔王か何か?

 

「そういうわけじゃないよ。

 アイツが僕を狙うのは、僕が仇だからだ。

 親、一族、世界の、仇だからだ」

 

 仇……仇討ちか。

 

 

 ……ん?

 今、一族とか世界とかって言いました?

 

「言ったよ」

 

 え、それってつまり、

 一つの一族を皆殺しにしたりとか、

 あまつさえ世界を滅ぼしたりとかしたってことか?

 

「ああ、やったよ。

 過去にね」

 

 邪神じゃねーか!

 それじゃ封印されて当然だろ!

 

「言い訳するつもりはないけど、

 今の人族の感覚で僕を責めるのは止めて欲しいな。

 あれは君たちからしたら、神話の出来事だよ。

 幾つもの世界があって、何人もの神がいた。

 僕は他の神と世界を殺して、今のこの世界を生み出した」

 

 ……創世神話みたいなものか。

 そう言われると、確かにそれっぽく聞こえる。

 じゃあその敵って言うのは敵だった神々の末裔ってことか?

 

「そうだね」

 

 ……けど、そんなスケールの戦いで俺が力になれると思えない。

 

 第一、神話の出来事だとは言っても、

 それじゃ恨まれて当然だと思うし、俺が味方する理由も感じられない。

 

「だろうね。でも僕だって黙ってそんな未来を受け入れる訳にはいかない。

 それに、見返りは用意するとも」

 

 ……それでか。

 

「ん、何がだい?」

 

 それで、あんな焦がれるような夢を見せたのか。

 自分に協力すればあの世界に転生させてやるぞって寸法か?

 

「いやいや、勘違いしないでくれよ。

 君が転生したのは夢じゃなくて現実だし、僕は関与していないよ」

 

 ……俺は転生している?

 じゃあこの姿は?

 

「君の精神体だよ。ここには肉体は持ち込まれないからね」

 

 精神体。

 

「もちろん、肉体は無事だ」

 

 なら、これはただの夢?

 目が覚めても、このクソみたいな身体に戻るわけじゃ……ない?

 

「ただの、ではないけれど夢なのは間違いない。

 目が覚めれば、君の身体は元通りだ。

 安心したかい?」

 

 安心した。

 そうか、夢か……。

 

「正確に言えば、夢を介して僕が君の精神に直接語りかけているんだ。

 君の精神と肉体にそんなに違いがあると言うのは僕も驚いてる」

 

 精神に直接ね。

 最初にそれを説明してほしかったけど、まぁそれは良いや。

 それで、見返りがあるって話だったっけ?

 

「そうだよ」

 

 じゃあ聞こう。

 俺があんたを助けるとして、どんな見返りが貰えるんだ?

 

「そうだね……三つ、君の願いを叶えよう」

 

 ほう!

 それは凄い、願いを叶えると来たか。

 しかも三つ、三つの願いか。

 まるでランプの魔人だな。

 

「ランプの魔人?」

 

 俺の世界のお伽噺さ。

 魔法のランプに住む魔人が、

 持ち主の願いをどんなものでも三つだけ叶えてくれるんだ。

 

「へぇ、面白そうな話だね。

 でも僕のほうは残念ながらどんなものでもとは行かないかな」

 

 そりゃそうか。

 しかしそれだと何が願えるのかよくわからないぞ。

 

「正確に言うと叶えるというよりは導く、助力するって感じかな。

 僕には強い未来視の力があるんだ。

 何かの目的に対して、どう行動すればそれを達成できるかを探ることができる。

 この力を君の為に三度、使おう」

 

 なるほど……それで三つの願いか。

 確かにそれは凄そうだ。

 でもそういう力って人の手に余るとかそんな感じで、

 結局身を滅ぼしたりするのがお約束だよな。

 

「だろうね。

 何、アフターフォローサービス付きさ。

 その願いが叶えた後に何か問題が発生するようなものであれば

 僕が事前に警告してあげよう」

 

 事前なのにアフターなのか?

 

「そこは言葉の綾さ」

 

 例えば王様になりたい、とかだったら?

 

「そうだね。

 王権を得た後に隣国と戦争が起こるとか、

 国があれて反乱が起きるとか、

 そういう問題が起きるようなら願いを叶えようとする前に警告してあげよう」

 

 それは助かるな。

 でもそういう問題が起きないように王様になる方法とかは教えてくれないのか?

 

「あれば教えるよ。

 でも僕の力だって全能って訳じゃないんだ。

 なんでもかんでもは無理だよ」

 

 そりゃそうか。

 じゃあ大金持ちになりたいけど商売とか身分とかそう言うしがらみは嫌だ、とかだったら?

 

「社会の中で生きるなら、しがらみはなくせないんじゃないかい?

 まぁ、でもそうだね、

 誰にも知られていないけど簡単に掘り出せる埋もれた財宝の場所とかなら

 すぐに教えられるよ」

 

 なるほど、そういう手もあったか。

 徳川埋蔵金だな。

 

 ……報酬が大きいのはわかった。

 けど別に金に困っているわけじゃないし、

 大それた野望があるわけでもないから、

 あまり魅力を感じないな……。

 

「今はそうかもね。

 でもこの対価はいつでも使うことができる。

 生きていれば何か難しい望みを持ったり、

 困難に見舞われて解決法を望む事もあるんじゃないかな?」

 

 確かに……。

 平和に生きたとしても、災害みたいな避けようのない困難はあるもんな。

 そういう時にどうしたら良いか教えて貰えるのは助かるか……。

 

 それじゃあそのお願いの内容の方を詳しく教えてくれ。

 敵に負けて封印されるって話だけど、俺に具体的に何をして欲しいんだ?

 まさかそいつを俺に倒して欲しいとかじゃないよな。

 

「いや、お願いしたいのはそれだよ。

 僕の敵を、君に殺して欲しい」

 

 マジかよ。

 パウロにすら勝てないって言うのに。

 

「それは今の話でしょ?

 これから強くなってくれれば良いんだよ」

 

 そうか。

 そう言えば未来視があるって話だったな。

 じゃあ敵に負けて封印されるって言うのは将来の話なのか。

 

「そういう事さ」

 

 なるほど……。

 でもなぁ。

 

「まぁ待ちなよ」

 

 ……ん?

 

「今早急に決断はしないでいいんだ。

 そもそも今の話だけじゃ、君は僕の頼みは引き受けられないでしょ?」

 

 そうだな。

 断るって言うよりは受けられないって表現がしっくりくる。

 いくら報酬が大きくても、事情もよくわからない争いに首を突っ込みたくはない。

 仮に実害とかなかったとしても、恨まれたりするのは嫌だしな。

 

「でもね、そもそも僕とアイツの争いに君は無関係じゃないんだよ」

 

 ……どういうことだ?

 

「それも含めて、君には事情を一度把握して貰いたい。

 そうじゃないと受けるか断るのかの判断もできないでしょ?」

 

 それは良いけど、どうも長い話になりそうだな。

 

「そうでもないよ、一晩で済む話さ。

 それじゃあまた明日の夢で会おう」

 

 なんだって?

 

 

 疑問を頭に浮かべるが、ヒトガミと名乗ったモザイク神はそれに応えずに薄れて消えていく。

 いや、消えているのは自分の意識の方か。

 夢の中なのに変な話だが、俺は猛烈な眠気に襲われて、意識を失った。

 

 

 

 

 

 夢を見ていた。

 ルーデウス・グレイラットと言う男の夢。

 その生涯を、追体験するように見る夢だ。

 

 本当に自分か?

 そう思うような決断もたくさんあったが、

 ああ、確かにこれは自分だ。

 そう思うような行動もたくさんしていた。

 なんでそこでそんなことをするんだ。

 そんな風にやきもきするような判断もたくさんあった。

 

 けれど、全力で人生を生き抜いて、

 最後はたくさんの家族に囲まれて、

 大団円の中で往生する。

 それを俺は、素直に羨ましいと思った。

 

 長い長い夢だった。

 ハッピーエンドの夢だった。

 

 けれど、目覚めた俺の気分はちっとも良くなかった。

 

 

「どうすりゃ良いんだ……」

 

 

 

 

 



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プロローグ 2

 

「どうすりゃ良いんだ……」

 

 俺はベッドの上で頭を抱えた。

 何が事情を把握して貰う、だ。

 これはそう言うレベルじゃないだろう。

 

 俺は自分の人生、と言うかその可能性の様なものを夢に見た。

 ヒトガミの未来視の力だろう。

 未来の俺がヒトガミが封印される夢を見させられていたりもしたしな。

 

 まぁそれは良い。

 問題なのは夢の内容の方だ。

 確かに事情は把握できた。

 ヒトガミの事も、オルステッドの事も。

 そこに俺の子孫が関わってくることも。

 

 その上で素直に言わせて貰うなら、

 関わりたくない。

 

 未来の俺は龍神オルステッドに対して恩義や仲間意識を持っていたようだが

 今の俺はそうじゃない。

 追体験をした、と言ってもあくまで夢で、

 例えるなら凄く臨場感のある映画をみたようなものだ。

 

 登場人物として好感が持てる奴だったり、逆に嫌悪を感じる奴はいたとしても、

 自分の家族だとか仲間だという風には思えない。

 あくまで未来の俺と今の俺は別人なんだ。

 

 そりゃあオルステッドは良い奴だと思う。

 呪いや境遇も不憫だと思う。

 ヒトガミもクズ野郎だと思う。

 

 だけど俺はただの情けない男だ。

 転生者で、魔術の才能だってあるのかもしれないが、

 ついこの間外に出れるようになったばかりの元引きこもりだ。

 未来の、歴戦の魔術師だった俺とは違うんだ。

 

 あんなスケールの争いに関わるのは、荷が勝ちすぎている。

 

 将来的に戦えるようになればいい、と言う話ではない。

 そもそもそんな風になりたくないのだ。

 

 今生では本気で生きると決めたが、

 それは戦士や兵士になるって事じゃあない。

 死線を潜らなければ本気で生きていることにならないとは俺は思わない。

 真剣に農家をやったり、全力で商人をしたり、

 人生をかけて魔術を研究したりとか、そういう生き方だって十分に立派な筈だ。

 

 魔術や剣術の鍛錬はしていたし、自分や周囲を守る程度の実力は欲しいと思っていたが、

 自分から荒事に首を突っ込むつもりも無ければ、ましてやそれを生業にするつもりもなかった。

 

 なのによりにもよって世界最大級の争いに巻き込まれている。

 運命とやらのせいで。

 

 

 思わずガリガリと頭をかきむしる。

 

 

 

「ルディ、ごはんよ~」

 

 ゼニスの声が聞こえる。

 いつのまにか朝食の時間になっていたようだ。

 急いで着替えて居間へと向かうと、リーリャがテーブルにパンやサラダを並べていた。

 パウロは既に席についている。

 

「おはようございます、ルーデウス坊ちゃま」

「おはようございます、リーリャ、父様」

「おう、おはよう。

 なんだ酷い顔だな……珍しく起きるのも遅かったし、

 夜更かしでもしたのか?」

「ちょっと夢見が悪くて……」

 

 実際にはちょっとどころではないが。

 正直今も頭の中は悩みでいっぱいで、会話もおぼつかない気がする。

 

「そうだ、父様。

 剣の稽古なのですが、今日はおやすみしても良いでしょうか?」

「ん……どうした?

 体調でもわるいのか?」

「いえ、ちょっと考えたい事がありまして……」

「なんだ、悩み事か?」

「ええ、そんな所です」

「そうか……まぁ構わんが、

 体調に問題がないなら体力の訓練だけは一通りやっておけ。

 悩んでいる時は、体を動かしたほうが良いこともあるからな」

「……そうですね、わかりました」

 

 たしかに剣の稽古は別にしても、

 部屋で悩むよりちょっとランニングでもしたほうが気分が切り替えられそうだ。

 

「ところでルディ」

「なんでしょうか?」

「その悩みは父さん達には相談できないのか?」

「……えっと、どう相談したらいいか考えがまとめられたら、相談させてください」

「……そうか」

 

 俺の答えに、パウロは全面的に納得がいったわけでな無い様子だったが、

 ひとまずは追求せずに居てくれるらしい。

 ありがたいことだ。

 

 

 朝食を済ませた後、午前は基礎体力訓練にあてることにした。

 ストレッチ、筋トレ、ランニングをこなしていく。

 その後、魔術で温めのお湯を作り出して汗を流し、さっぱりしたところで昼食をとった。

 

 

「……ふぅ」 

 

 部屋にもどり、椅子に座り込んで腕組みをする。

 今日の夜までに、できるだけ考えをまとめておかなくてはならない。

 

 なにはともあれ、

 ヒトガミから持ちかけられた話をどうするか、だ。

 

 ……正直、断りたい。

 だが、そうすると未来の俺のようにヒトガミに命を狙われるのではないだろうか。

 最悪の場合、既に闘神バーディガーディとかが村の外で待機していて、

 俺が断ったら即座に踏み込まれて惨殺される可能性すらある。

 もしそうだったら、抵抗する手段はない。

 

 むしろ、なぜヒトガミはそうしないのだろうか。

 態々俺に未来の記憶なんかをあたえて、警戒させる理由がわからない。

 あいつは俺に子供をつくられたら困るはずだ。

 

 逆に、俺の子孫さえいなければ、

 自分はオルステッドに勝てる、と言っていた筈。

 なら、今無力な俺を始末するのが一番なんじゃあないか?

 

 わからないな……。

 そういえば、俺は強い運命を持っているから殺しにくい、と言うようなことは言っていた気がする。

 もしかして俺が強いとか弱いとか、大人だとか子供だとかは余り関係ないのか?

 俺の元々の生存率が100%だとしたら、ヒトガミが干渉することで死亡率50%の強制イベントを起こせると言うような……。

 

 言ってみてなんだけど、やっぱりおかしい気がするな。

 弱いんだから、その分簡単に倒せそうな物だ。

 でも、強さで言うならそれこそロキシーは未来の俺よりずっと弱かった。

 

 ヒトガミが動いていたのが転移事件の時からだとすると、時間の猶予もたっぷりあった筈だ。

 さっさとロキシーに闘神をぶつければ簡単に殺せそうなものなのに、ヒトガミはそれができなかった。

 ヒトガミはロキシーも運命が強くて、思い通りにならないと言っていたが……。

 

 ……運命か。

 運命が強いとか弱いとか、よくわからない概念だ。

 仮に生死や勝敗がそれで決まってるんなら、剣術や魔術を鍛える意味ってないのか?

 じゃあ運命を鍛えるとか?

 それこそ雲をつかむ様な話だ。

 

 ロキシー……。

 ヒトガミによると、俺とロキシーはどうやっても結ばれる運命にあるらしい。

 おかしな話だ。

 

 ロキシーみたいな美少女と赤い糸で結ばれている、みたいな軽い話なら大歓迎だが、

 自分の未来が最初から決まっていると思うと理不尽な気分になる。

 

 そりゃあ、わけもわからずロキシーには近づくなとか、

 彼女と結婚したら殺すぞとか脅されただけなら、従わなかったかもしれない。

 けれど今の俺は事情を知っている。

 

 俺が彼女と結ばれれば、ヒトガミが敵に回る。

 あの未来から来たらしい……ややこしいな、老人の俺の話によればロキシーはそれで一度は殺されている。

 そして未来の俺の人生でもヒトガミの使徒と何度も争っていて、どこで負けていてもおかしくなかった。

 

 既に俺とロキシーが恋人同士だったら、

 二人の仲を引き裂こうとするやつには全力で立ち向かうかもしれない。

 でも今はただの師匠と弟子の関係だ。

 確かに俺は彼女を敬愛してる。

 異性としてもとても魅力的だと思う。

 

 でもそれだけだ。

 何が何でも彼女と結婚しなきゃいけない理由はない。

 と言うか俺と一緒になると確実に命を狙われることになるのがわかってて、

 付き合ってくださいとか言えないだろう、普通。

 

 ロキシーとは結婚しない。

 彼女のことは可能な限り避ける、

 というのはどうだろうか。

 

 俺の子孫は全員オルステッドの呪いがきかないみたいだったけれど、

 たぶんそれはそこまで大きい問題じゃあない。

 

 未来の俺は別れの時になるまで気付いていなかったみたいだが、

 客観視してみれば、ララって娘の特異性はあきらかだ。

 彼女が時折口にしていた不思議な話は、ヒトガミとの戦いに関してのものだろう。

 

 オルステッドがヒトガミを倒す為に仲間が必要だというのなら、

 たぶん彼女がキーパーソンだ。

 ヒトガミも、ロキシーを特別視した言動をしていた。

 

 だから、俺が彼女さえ避けると決めたならば、

 ヒトガミもそれで手を引いてくれるのではないだろうか。

 なんならシルフィやエリスだって避けても良い。

 

 彼女たちとは俺はまだ出会っていない。

 俺にとって彼女たちは、あくまで間接的に知っていて好感が持てる人物であると言うだけの相手だ。

 不幸になって欲しくはないと思うが、自分の結婚相手として執着するほどではない。

 

 オルステッドには……申し訳ないとも思うが、

 元々、彼とヒトガミとの争いなのだ。

 俺がどちらかに助力しなければいけない理由はない。

 彼が独力でヒトガミに勝てないのであれば、それはしょうがないことだろう。

 

 とにかく、

 ロキシー他指定される一部女性とは結ばれないようにするから、

 自分とは関わらないでくれるよう頼む、と言うのを第一案としよう。

 流石にロキシーだけに関わらず、生涯誰とも結婚するなとか言われたら嫌だが、

 最悪それで済むなら良しとすべきかもしれない。

 

 それでもだめなら……ヒトガミに従わざるを得ないかもしれない。

 何しろ、俺にはアイツに対する対抗手段がない。

 従わなければ俺も家族も殺すぞと言われたら、それで終わりだ。

 

 オルステッドに保護を求めるとしても、今どこで何をしているのか情報が全くないし、

 ヒトガミだって当然その手段は想定しているだろうから、危険すぎる。

 

 もしそうなったら俺はあいつの鉄砲玉になるために、

 ひたすら自分を鍛えて、いつかオルステッドに向かって発射されるために生きる事になるのか。

 ……憂鬱だ。

 そんなことにならないことを祈ろう。

 

 

 ……いや、余り後ろ向きになるな。

 もしそうなったとしても、ヒトガミは将来俺が強くなったらと言っていた。

 今すぐじゃないんだ。

 

 全力で自分を鍛える、と言うのは元々するつもりだったことだ。

 それにちょっと目標が加わるだけだ。

 ちょっと相手が世界一強くて負けると死ぬ可能性が高いだけで……。

 まぁ自分の人生設計としちゃ好みじゃないが、世界最強を目指すと言えば浪漫はある。

 

 その時までに誰とも結婚していなければ、

 負けた後にヒトガミに家族になにかされると言うこともないだろう。

 どうせ一度は死んだ身だ。

 もしそうせざるを得なかったとしても、前向きでありたい。

 

 

 

 

 

 ……けどやっぱり、もっと他に選択肢が無いかは考えておこう。

 

 

 

 



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プロローグ 3

 

 気づけば、白い場所にいた。

 真っ白い空間。

 何もない空間。

 

 

 何かいい手がないか夜遅くまで頭を捻っていた所までは覚えているんだが、

 いつのまにか眠ってしまったのか。

 

 結局、特に良い手は思いつかなかったな。

 まぁ最後の方はただの逃避みたいなものだった。

 ここに来るのが嫌で寝るのを先延ばしにしていたが、結局耐えきれなかったな。

 

 二度目だが、ここにくると本当に嫌な気分になる。

 

 昔の体。

 前世の体。

 

 結局自分の本当の姿はこうなのだと、突きつけられた様な気持ちになる。

 この体に染み付いた後悔や葛藤、甘えや醜さが俺を責め立てる。

 

 

「やぁ」

 

 俺が苦虫を噛み潰したような心地でいると、いつのまにかそいつが現れていた。

 ヒトガミだ。

 相変わらずのモザイク顔。

 

「随分、悩ませてしまったみたいだね」

 

 悩ませてしまった、だって?

 あぁそりゃ悩んださ。

 勘弁してくれよ、本当。

 

「そんなつもりはなかったんだけどね」

 

 へぇ。

 そんなつもりはなかったか。

 じゃあどういうつもりだったんだ?

 

「現状を理解してもらうためには、あれが一番だと思っただけだよ」

 

 理解してもらうために、ね。

 そりゃあ自分の現状は嫌って言うほどわかったけどな。

 それで、俺は何をしたら良いんだ。

 とりあえずロキシーと子供を作るなって言われれば従うつもりはあるぞ。

 

「おいおい、僕は君にそんなことを言うつもりはないよ?」

 

 ちっ。

 やっぱり駄目か。

 じゃあやっぱりお前の使徒になってオルステッドを殺せってことか?

 そりゃやれと言われればやるしかないが、これから真面目に修行したとしても勝てる保証なんかないんだ。

 俺が負けてもその時に文句をいわないでくれよ?

 

「いやいや、待ってくれよ。

 そんな風に強制されてしかたなく従ってますみたいな事は言わないで欲しいな。

 僕は君と交渉がしたくてこうして話しているんだよ?」

 

 交渉ね……脅迫の間違いじゃないのか?

 

「だからそんなつもりはないって……。

 誓って言うけど僕は君を脅すような事をするつもりはないよ」

 

 でも、お前に従わなかったら俺はお前の敵になってしまうんだろ?

 今お前と敵対したら、俺にはどうすることもできない。

 だったらその気があろうとなかろうと、脅迫と一緒じゃないか。

 

「……いや、たとえ頼みを断られたとしても、

 僕は君に危害を加えたりするつもりはないよ」

 

 ……なんだって?

 

 でもそれじゃあお前が困るんじゃあないのか?

 俺の子供がオルステッドに協力して、お前を倒してしまうんだろ?

 

「そうだよ」

 

 それなのに、俺を自由にさせていいのか?

 

「あぁ……無駄だからね」

 

 そう言ってヒトガミはため息をついた。

 随分と覇気がない。

 思えば最初からそうだった。

 人を小馬鹿にするような態度の未来の俺と会っていたこいつと違って、

 今俺の目の前にいるヒトガミはまるでブラック企業のサラリーマンのような諦観した空気を纏っている。

 

 しかし無駄だからって……。

 それも、運命ってやつか?

 

「……まぁ、そうだね」

 

 それはおかしくないか?

 お前はその運命を変えたくて俺に接触してきたんだろ。

 なのに運命が変えられないから諦めるんだったら、

 こうして話すこと事態、意味がないってことにならないか?

 

「うーん……どうも運命という言葉に対して語弊があるみたいだね」

 

 ……どういうことだ?

 

「世間一般で言う運命ってやつはただの泣き言だろう?

 不本意におわった結果に対して、そういう運命だったんだって自分を慰めるためのさ」

 

 随分穿った見方だな。

 

「だからなのか、僕みたいに未来視を持った存在から運命だって言われると、

 それがまるで自分たちを支配する強制的な流れの様な物だと思ってしまうみたいだね」

 

 違うのか?

 

「違うよ。

 確かにそういう面が無いとは言えないけど、

 そもそもその流れって言うのは個々人の意思によって出来ていく物なんだから」

 

 運命を作っているのは俺たち自身みたいな話しか。

 ……でも結局、自分の結婚相手すら選べないんだろ?

 

「あぁ、未来の君にどうやってもロキシーと結ばれると僕が言ったことを気にしているのかい?」

 

 そうだよ。

 

「なるほどね、でもそれは誤解だよ。

 君は相手を選べないんじゃあない。

 君が強い意思で相手を定めているから、それを覆せないんだ」

 

 でも俺はロキシーのことは避けるつもりになっていたが。

 

「それは、彼女と結ばれると僕が敵に回ると思ったからだろ?」

 

 それはそうだが……。

 

「君は本音では彼女と結ばれたいと思っている」

 

 ……いや、そんなことはない。

 ロキシーはかわいいと思うし尊敬はしているけれど、そこまで深刻に懸想してるわけじゃないぞ?

 

「今はそうだね」

 

 …………。

 

「けれど将来そういう選択の場面が訪れたなら、

 君は彼女と結ばれたいと思うはずさ」

 

 でも、そういう場面そのものを避けることはできないのか?

 

「出来ないよ。

 君が避けようとしても彼女の方から迫ろうとするからね」

 

 ロキシーが?

 

「うん……ロキシー・ミグルディアは強い結婚願望を持っている。

 しかも恋愛に対して理想が高く、そのくせ相手には恵まれない」

 

 ロキシーって結婚願望強かったのか。

 

「どうも君の家にしばらく滞在していたことで、

 夫婦生活や家庭に憧れをもったみたいだね」

 

 そうだったのか。

 それにしても相手に恵まれないと断言されるとは。

 

「殆どの場合、彼女が好意を持った相手は彼女に靡かないし、

 逆に彼女に好意を寄せる人間は、彼女自身が良いと思わない」

 

 ……なんというか、不憫だ。

 その変な間の悪さがロキシーらしいが。

 

「その少ない例外が君だ。

 君が真っ当に成長すれば、彼女は君に惹かれる事になる」

 

 それは……嬉しいな。

 

「そうだろう?

 だから彼女にもそれが気付かれる」

 

 なんだって?

 

「脈がある、と思えばロキシー・ミグルディアは躊躇わない。

 すぐに君にアタックをかけるだろう」

 

 でもそれを俺が避ければ……。

 

「意味がないね。

 君は彼女を嫌うわけじゃなく、避けるだけだろ?」

 

 そりゃそうだが。 

 

「彼女は聡いよ。

 君がそんな風に振る舞えばすぐに何か事情があると気付かれる」

 

 ……そうかもな。

 

「彼女はそんなことじゃ身を引いたりはしない。

 事情があるならそれを話して欲しいと、話すまでは納得しないと言うだろう」

 

 それなら、俺と一緒になればお互いに危険になるって事を伝えれば良いんじゃ?

 

「そんなことで彼女は諦めたりはしない。

 それどころか、逆に君を勇気付けるだろう」

 

 俺を?

 

「それでも構わない。

 自分も精一杯頑張るから、二人でその危険に立ち向かおう。

 もしそれで駄目だったとしても自分は後悔しない。

 だから自分と一緒になって欲しい。

 そんな風なことをロキシーに言われたら、君、断れるのかい?」

 

 それは……。

 もしロキシーにそんな事を言われたら、難しいかもしれない。

 と言うか想像すると顔があかくなりそうだ。

 この場に居ないのに口説かれたような気分になるとは……恐ろしい師匠だ。

 

「結局、君と彼女が結ばれるのは君たち自身がそう望む先にある結果だ。

 運命に強制されているわけじゃあないし、

 もし君が彼女を嫌うなら、その未来を回避するのは容易い」

 

 でも、どうやっても変えられないって言ったじゃないか。

 

「僕には変えられない。

 結局、僕が言う運命って言うのは、あくまで僕の視点でのものにすぎないんだよ」

 

 どういうことだ?

 

「個々人の持った意思や環境、時の運などが相互に影響を及ぼし合って未来は形作られていく。

 僕はその流れを大まかに読み取って、任意に影響を及ぼして望むように改変することができる。

 けれど元々の強いながれを変化させるのは難しい」

 

 未来の俺にも、そんなような説明をしてたな。

 

「それが僕にとって干渉が容易な事柄なら弱い運命と表現してきたし、

 むずかしければ運命が強いと表現してきた。

 僕の言う運命っていうのは、だたそれだけのものさ」

 

 えっと……つまり、それが本人の意思によるものかどうかもお前には関係ないってことか?

 

「そうだよ。

 例えば君が誰か強敵……オルステッドと戦って殺されるとしよう」

 

 嫌な事言うなよ。

 

「君がどうやっても勝てないし、僕が干渉してもそれを覆せない場合、

 僕はそれを運命だと表現する。

 これは、君にとってもそうなんじゃないか?」

 

 まぁ、まさに俺の考える嫌な運命そのものだな。

 

「それとは別に、君の目の前で家族に何か不幸が迫るとする。

 その場合、君はそれを助けようとするよね」

 

 そうだな。

 それができる人間でありたいとは思っているよ。

 

「君のその意思は強い。

 そうなった場合、その行動を翻させるのは僕にとっても困難で、

 だから僕にとって、君が家族の不幸を助けようとするのは運命だ。

 でも、君にとっては違うだろう?」

 

 そう、だな。

 それは運命とかじゃなく俺がそうしたいからってだけだ。

 なるほどね、なんとなく言いたいことはわかったよ。

 

「そして君の運命は強い。

 それをどうにかしようとあれこれ頑張った場合、

 僕は負けることになるのさ」

 

 そうなのか。

 なんだか自分が特別な人間だと勘違いしてしまいそうだ。

 

「なりふりかまわず君自身を始末することは出来るさ。

 そのために無謀な手をうってオルステッドに負けることを許容するならね」

 

 ああ、そうか。

 お前の敵は結局オルステッドだもんな。

 俺に手が出せないっていうのは、単にその余力がないってことか。

 

「そう。

 例えるなら君は盤上遊戯で相手に置かれた布石だ。

 取り除くのは難しく、そのために無理をすれば結局負ける。

 かと言って無視すればいずれ致命的なことになるのもわかってる」

 

 なるほどね。

 俺はチェスとか将棋とかにそれほど詳しいわけじゃあないが、

 ヒトガミが言いたいことはなんとなくわかる。

 

 でも、それならなんで俺に何をさせたいんだ?

 オルステッドとの戦いなんて、俺がやりたいことじゃないぞ。

 

「でも逆にあいつの味方をしたいわけでもないだろう?

 僕にとって致命的なことになるのは君の間接的な影響であって、

 君自身は僕にもオルステッドにも味方でも敵でもない存在だ」

 

 まぁ、そうだな。

 未来の俺だって、もしヒトガミから干渉されなかったなら、

 二人の戦いに関わることもなく、ただ家族と平和に過ごして一生を終えて居たかも知れない。

 

 でもそうすると、俺の子孫がオルステッドに手を貸してお前は負けるんだろう?

 

「そうだよ。

 あれこれ試した結果、その流れをくい止めて僕が勝つのは無理だと判断した」

 

 じゃあどうするんだ?

 まさか諦めるってわけじゃあないだろう。

 

「当たり前だろ……あんな未来、認められるもんか。

 だから、こうして君に接触してるんだ」

 

 どういうことだ?

 

「君は優れた魔術師になる。そして世界に大きな影響を与える。

 友と家族を大切にして、愛した妻と子供をつくる。

 それを僕の干渉によって覆すのは困難だ」

 

 へぇ……。

 たとえ相手がヒトガミでも、

 仮にも神様から未来の保証をして貰えると、ほっとするな。

 なんだか気が抜けて鍛錬とかをサボってしまいそうだ。

 

「それはやめてくれよ?

 とにかく僕はその流れに逆らわない、むしろ逆に助長するんだ」

 

 ほう。

 そうするとどうなるんだ。

 

「君に力を貸し、君をより優れた魔術師にしよう。

 君と君の周囲にかかる不幸を妨げ、君の幸福を守ろう」

 

 ちょっと待ってくれ。

 俺はお前にそこまで施しをされる謂れはないぞ?

 

「もちろんこれは取引さ。

 君が僕を助けてくれるなら、対価として僕は君に三度助力しよう。

 それを適切に使えれば、君はより幸福に生きていくことができる」

 

 そういうことか。

 でもそれでオルステッドとの戦いに駆り出されるなら、

 トータルで考えるとどう考えてもマイナスの方が大きい気がするが。

 

「いや、その心配はいらないよ。

 何しろ僕が力を貸してほしいのは、君の人生が終わった後だからね」

 

 ……なんだって?

 

「人族の寿命は短い。

 君は大きな影響を世に与えるけれど、君自身はたった80年程で亡くなることになる」

 

 享年80前後か。

 まだ10歳にもなってないのに死期を予告されるなんて妙な気分だな。

 まぁそこまで幸せに生きることができれば十分かも知れないが。

 

「だけど僕なら、その死を先送りに出来る。

 人族の老化を緩やかにして、寿命を伸ばすことが出来る秘薬のありかを知っているからね」

 

 そんなものがあるのか。

 

「君にお願いしたいことは簡単さ。

 その秘薬を飲んで、寿命を伸ばして欲しい。

 その後は僕は干渉しない。好きに生きて好きに子供だって作ればいい。

 そして本来の寿命を迎える頃に、表舞台からは引退してその後……

 時が来たら、僕に力を貸して欲しい」

 

 ……なるほどね。

 本当ならとっくに死んだ後のはずの、

 おまけの寿命で冥土の土産に一度だけ戦ってくれってことか。

 確かにそれなら抵抗はすくない気はするが。

 

「どうだい?

 僕としては精一杯いい取引を用意したつもりだよ」

 

 まぁな。

 けどそれだと、俺は自分の子供や孫と戦うことにならないか?

 

「それは申し訳ないけど飲み込んで欲しいね。

 それに君は子供が小さい間は守ろうとするけれど、

 成長した後に自分で兵士や騎士なんかの道を選ぶなら、止めたりはしないだろ?

 それで君自身と敵対することになる可能性があったとしてもね」

 

 わからないよ、そんなこと。

 子供とか孫とか、その将来とか……今の俺にとっては実感がなさすぎる。

 でもまぁ、そうかもしれないな。

 親元を離れて独り立ちしたら、その後はどんな風に生きるかは自由であって欲しい。

 

「君と君の子孫が、僕とオルステッドの陣営に別れても、

 そういう風にわりきってくれないかい?」

 

 それは……わからないよ。

 そうするつもりでも実際にそうなってみたら、やっぱり子供は手にかけられないかも知れない。

 

「そうだね……そうかもしれない。

 けれどいいさ、割り切るつもりで契約してくれるなら、

 結果はどうなっても文句は言わないよ」

 

 ……やけに優しいな。

 そもそも俺に色々情報を与えたり、聞いたこともスラスラ説明してくれたり、

 色々と親切すぎないか?

 お前ってそういうキャラじゃないだろ。

 

「まぁね……でもそうじゃないと取引としてフェアじゃないだろ?」

 

 フェアって……。

 

「うるさいな。

 ガラじゃないのはわかってるよ。

 僕だってこんな事するのははじめてなんだ」

 

 フェアな取引が始めてって……酷い話だな。

 

「だからうるさいよ。

 君との取引は誠実にするつもりなんだから、それでいいだろ?」

 

 そりゃまぁ、俺にとってはそれでいいけど。

 でもなんでだ?

 お前なら、いつもやってるみたいに俺を騙して誘導することもできたんじゃないのか?

 

「僕の力が及ぶ範囲であれば、そうしたよ」

 

 ……?

 

「だってそうだろう?

 信用とか信頼とか、それは相手を自分にとって都合よく動かすためにあるものじゃないか

 商売でも駆け引きでも、信用があったほうが結局うまくいくだろうからね」

 

 まぁ、そうだな。

 それで?

 

「でも僕には未来が視える。

 信用されるためにあれこれ話して、そのせいで結局取引が成立しないことがわかってたら

 信用を得ようとする事自体が無意味じゃないか」

 

 ……確かに。

 未来が視えると、そう言うこともあるのか。

 だからといって相手を騙して良いってことにはならない気はするが。

 

「いいんだよそんなこと。

 僕が視える範囲のことなら、そのなかで僕にとって一番良い結果になる手段を取るのは当たり前だろ。

 ……でも君との取引ではそうはいかないんだ。

 僕の力の及ばないところで、君に動いて貰いたいんだからね」

 

 どういうことだ?

 

「君に戦って欲しいのは……僕がオルステッドに負けて、封印された後だからさ。

 僕は力を失うから、その先の未来を見ることはできないんだ」

 

 なんだって?

 てっきり、俺が先に一人で挑んでオルステッドの力を削るか、

 そうじゃなくてもお前が戦う時に一緒に戦うとかだと思ってたんだが。

 

「それじゃあだめなんだ。

 仮にそれでオルステッドに勝てるとしても……意味がない」

 

 ……オルステッドが時間をループしているから、か?

 

「そう。

 あの術がある限り、僕に勝ち目は無い」

 

 そうなのか?

 オルステッドは今までずっとお前に負けてたみたいだし、

 今回もそうすることはできないのか?

 

「できないよ。

 あの術はオルステッドの主観では時間をループしているように見えるかもしてないけど、

 僕等にとってはそうじゃあないんだ。

 だから僕がアイツを倒したらアイツは次のループへ行って、

 僕はその後アイツのいない世界で好きなように……って言う風にはならないのさ」

 

 そういうものなのか。

 

「そうだよ。

 詳しい原理も聞きたいかい?」

 

 いや、それはいいや。

 話を続けてくれ。

 

「ま、だから僕はオルステッドに勝てない。

 因果は収束し、どんな手を打ったとしても最終的に僕は敗北する」

 

 …………。

 

「けどね、あの術の効果はそこまでさ。

 僕が敗れ、封印された時点であの術はその力を失う。

 それはオルステッド自身にも止められない……だったら、僕はその先に手を打つことにしたのさ」

 

 それで俺なのか。

 

「そうさ。

 僕が全力で抗えば、たとえ勝てたとしてもあいつらだって無事じゃすまない。

 そこに君が襲いかかれば、勝機は在るはずさ」

 

 なるほどな。

 だから、取引なのか。

 

「僕だって本当はそんな不確実なものに頼りたくなんかないさ。

 でも、もうこれしかないんだ……」

 

 ……でもなんで俺なんだ?

 今の話なら、その役目は俺じゃなくてもよさそうだ。

 例えばバーディガーディとかさ。

 

「そもそも、別に君だけじゃあないよ。

 君に断られても、受けて貰えても、他にも動かせる相手は探すつもりさ」

 

 なんだ。

 他にも使徒を用意する予定で、俺はそのなかの一人ってことか。

 それは気が楽だな。 

 

「けど、できれば君には引き受けて貰いたいね」

 

 その理由は?

 

「まず実力の問題がある。

 僕とオルステッドの決戦の場に乱入するためには、

 たとえオルステッドが龍族の秘宝で結界を緩めている間で、僕が助力したとしても、

 かなりの魔力量と、魔術師としての力量が必要になる。

 その条件を満たせる存在は世界でもごく僅かだ」

 

 ふむ。

 

「それに加えて、契約を遵守してくれるかどうかの問題がある。

 動いてほしいのは僕が封印された後だからね

 対価だけ受け取って、そこで裏切ったとしても何のリスクもないんだ」

 

 それは……そうかもしれないけど、

 だからといって契約を蔑ろにするやつばっかりじゃあないだろ?

 お前なら、人格的にも信用できそうな相手だって見繕えるんじゃないか。

 

「そうは言ってもなかなか難しいのさ。

 性格だけなら良いけど、実力と併せ持ってなきゃならないんだ。

 そうなるとそもそも選択肢が少なすぎる」

 

 そうか。

 最低でも七大列強に準じた強さは必要になるもんな。

 

「それに……僕はこの世界で人間とされる存在には無条件で信用される呪いを持っている。

 この呪いは僕の意思で効果を止めたりすることはできないんだ」

 

 そういえば、そんな話もあったな。

 どっちも俺には実感できないんだろうけど、オルステッドの呪いとは逆なんだな。

 

「そう、君にはこの呪いが効かない。

 君を騙して操ろうとするなら、厄介な性質さ。

 でも今回はそれが逆になる」

 

 逆?

 

「僕が封印された時、この呪いも効力を失う。

 そうなると、それまで僕に従っていた相手がどう動くのか予想ができないんだ」

 

 そうか。

 たしかにそれはどうなるかわからないな。

 

「たとえ僕が騙すようなことをしなかったとしても、

 この呪いが在る限りどうしても相手を強制的に操っている要素は生まれてしまう。

 だからこの呪いが効く相手とは、完全に公平な取引はそもそもできないんだよ」

 

 そうだな。

 それまで自分の意志で取引をしていたつもりだったとしても、

 最初から呪いで無条件に信用させられていたんなら、

 それが無くなったらそんな取引は無効だと言われても仕方ない。

 

「だからこのお願いには、君が一番適任なんだよ」

 

 俺が裏切る心配とかはしてないのか?

 

「してるよ!

 だからこうやって裏切られないように、

 できるだけ君に対してよくしてるんだろ!」

 

 あぁ……そういうことか。

 結局こいつは徹頭徹尾、自分のためなんだな。

 信義とか誠実とか、こいつにとっては道具にすぎないんだ。

 今回はそれが必要だからそうしてるだけで、いらなくなればそれも投げ出すに違いない。

 

「それが悪いのかい?」

 

 悪くはない。

 俺が騙されたりするるんじゃなければ。

 

「だったらどうでもいいだろ?

 それより僕と取引してくれるかどうかを考えて欲しいね」

 

 そうは言ってもな。

 こんな風に誠実に話を持ちかけてくれた事に感じ入るものはあるけど、

 事が大きすぎてすぐには決められないよ。

 

「だろうね。

 僕も今すぐに決めろとは言わないよ。

 10年でも20年でも、君が決めるまでいくらでも待つさ」

 

 そんなんでいいのか?

 

「良くはない。

 でも僕は、君に何も強制しないと決めたからね」

 

 そっか。

 まぁ、なんだ……真剣に考えはするよ。

 受けるにしろ断るにしろ、ないがしろにはしない。

 

「僕はないがしろでも良いから受けてほしいけどね」

 

 そんな軽い考えで受けたら、

 土壇場で投げ出すかもしれない。

 

「それは困るな。

 じゃあゆっくり考えてくれ」

 

 そうするよ。

 

「契約する気になったなら、寝る前に心のなかで僕を呼ぶんだ。

 それで僕には通じるからね」

 

 お前と心が通じているだなんて、なんか嫌だな。

 

「変な言い方はやめてくれ。

 ……良いかい、忘れないでくれよ。

 三度、君に力を貸す。

 それが僕が君に払う対価だ」

 

 ああ、わかってる。

 

「僕の力は大きい……大抵の事はできる。

 君だって、この先何もかも順風満帆に生きていけるわけじゃない。

 きっと僕の力を借りたくなる時が来る筈さ」

 

 確かに、そうかもしれないな。

 

「それでも、僕に頼らずなんとかするっていうならそれでいいさ。

 でも、僕はいつでも契約を受け付ける。

 そして対価を受け取ったなら、君にはその時が来たら戦って貰いたい」

 

 ……わかったよ。

 俺だって報酬を踏み倒したりはしないさ。

 お前の力を借りたなら、俺もお前のために戦うよ。

 

「うん。

 それじゃあ次に会うとしたら、君が僕を呼んだ時。

 君が僕との契約を望んだ時だ」

 

 ああ。

 

「それじゃあ、またね」

 

 

 その言葉を聞くと同時に、俺の意識は薄れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝起きた俺は、思わずベッドの上でため息をついた。

 

「……とりあえず、人生設計をやり直さないとな」

 

 

 

 

 

 



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将来の悩み

 

 

 

 

 とりあえず、ヒトガミとの話し合いは終わった。

 思っていたよりも穏便な話ですんでほっとしている。

 あいつとの取引に応じるかどうかも、好きな時に決めていい様だし、

 それに甘えてとりあえずは棚上げさせて貰うとしよう。

 

 それより先に考えたいことがある。

 ヒトガミとの交渉の副産物と言って良いのか、図らずも未来の知識を手に入れてしまったことについてだ。

 遅ればせながら、これも神様転生特典と言っていいのだろうか。

 

 しかし良いことばかりではない。

 少なくとも夢で事前に知っている相手に対して、初対面の時と同じように接することはむずかしいだろう。

 特に、関係の深かった相手には。

 

 それが必ずしも良いことだとは思えない。

 むしろ悪影響の方が心配だ。

 

 ロキシーであれば、既に親交を結んでいることもあるし大丈夫だろう。

 将来彼女と結ばれるかも知れないと言う話は気にしてしまうだろうが、そもそも俺が成長した状態で彼女と会えば、未来知識なんて無くてもどうせ異性として彼女を意識するだろうしな。

 

 でも、まだ出会ったことの無い筈の相手。

 シルフィやエリス、ザノバやクリフであればどうだ?

 未来の俺が彼らと良い関係を築けたのは、俺なりに精一杯考えて真摯に彼らと向き合っていたからだろう。

 

 それを最初から妻になる相手、友達になる相手だと気を緩めて……悪く言えば舐めてかかった言動をすれば、

 それが良い結果を生むとはとても思えない。

 

 そもそも俺の妻は彼女たちで、友人は彼らだという固定観念自体が良くない。

 未来の俺と今の俺はあくまで別人だ。

 彼ら彼女らとは出会わないで一生を終える可能性だってある。

 そして全く別の、夢に出てこなかった相手と関係を深めて友情や愛情を育む可能性だってある筈だ。

 

 未来の夢にでてこなかったから自分にとって重要な相手ではない。

 そんな先入観を持っていたら、きっと周りと良い関係を結ぶことはできないだろう。

 夢の知識はあくまで知識であってそれ以上のものではない。

 少なくとも人間関係においては、それに振り回されないようにしたい。

 

 

 例えば……そう、リーリャだ。

 確か、この後すぐリーリャの妊娠が発覚するんだよな。

 

 ……いや、すぐっていう感覚はおかしいな。

 時間にしたらまだ1年以上先のことだ。

 未来の夢はあくまでダイジェストのようなもので、重要なイベントだけが抜き出されたものだ。

 だからといって俺の人生から日常がなくなるわけじゃないし、そういう意味でも夢の記憶に振り回されないようにしないとな……。

 

 まぁそれは横に置いて、リーリャのことだ。

 

 未来の俺は彼女を助けた。

 とっさの事態にうまくアドリブをきかせて、ゼニスの怒りを宥めて彼女を家族の一員として受け入れられるようにした。

 素晴らしいことだ。

 我ながら未来の俺を賞賛したい。

 

 だけど俺に同じことができるか?

 夢で見たとは言え、細かいセリフや状況なんて覚えていない。

 いや、そもそも完璧な台本があったとしても、それをなぞれば同じ結果になるとは思えない。

 

 あれは未来の俺が、その時の自分なりに頑張って話を丸く収めようと努力したからできたことだ。

 ただ台本をなぞればいい、なんて気持ちで同じように人の気持を動かせるとはとても思えない。

 

 まぁゼニスはなんだかんだで心根の優しい人間だし、リーリャとも仲が良いから、俺が何もしなくても最終的にはリーリャを追い出すなんてことはせずに彼女を許していた可能性もあるけど。

 

 でもゼニスがリーリャを許したのは、彼女の妊娠が発覚していて家を追い出すことはあまりに酷い仕打ちだったからと言う面もあるだろう。

 

 俺はパウロが浮気することを知ってしまっている。

 仮にその俺の言動から、妊娠前にゼニスに浮気がばれてしまったら?

 リーリャは足を怪我しているとは言え、普通に旅をすることぐらいはできる。

 身重や子連れでなければ、家を追い出されても新しい仕事を探すことだってできるだろう。

 

 その場合、ゼニスはリーリャを許さないかもしれない。

 そもそもリーリャ自身が、浮気がばれて気まずい状況だったら職を辞して自分から出ていこうとするかもしれない。

 

 もしそんなことになってしまったら……俺は自分のせいだと思うだろう。

 

 普通に考えたら、そうなってもそこまで悪い話ってわけじゃない。

 リーリャだって、次の職場でまた別の幸せを見つけるかもしれない。

 俺が自責の念を持ってしまうのは、

 未来を知っていて、それを自分が変化させてしまったと思うからだ。

 

 常識的に考えればそうなったとしても悪いのはパウロでしかありえないのだが……やはり未来を知っているというのは重荷だ。

 まるで変化した状況の全ての責任が自分にあるように感じてしまう。

 

 パウロも、ゼニスも、リーリャも、皆それぞれの思惑や意図があって行動している。

 そしてその行動でどんな結果が起きても、彼らそれぞれに背負うべき責任がある。

 

 自分が皆をコントロールする立場で全ての責任は自分に在るという様な思考は、彼らを蔑ろにする考え方だ。

 自重しなければならない。

 

 

 とは言えこれから先未来が変化したことで何か悪いことが起これば、

 俺が苦い思いをするのは避けられないだろう。

 それは未来知識を持ってしまった代償だと飲み込むしかない。

 

 はぁ……想像すると憂鬱だ。

 

 

 

 

---

 

 

 

「ルディ、悩みはまだ続いているみたいだが、今日の稽古はどうするんだ?」

 

 俺が朝食の時も難しい顔をしていると、パウロにそんな風に声をかけられた。

 気を使って貰ったのだろうか。

 

「そうですね。もう少し考えたいと思うので、今日も稽古はおやすみしてもよろしいでしょうか?」

 

 俺はパウロの気遣いに甘えることにした。

 

「あまり良くはないんだが、仕方ない。

 どうやらよっぽどの悩みみたいだからな。

 でも父さん達はいつでも相談にのるからな」

「そうよルディ。いつでも母さんに相談してね?」

「ありがとうございます、父さま、母さま」

 

 

 俺は二人に礼を言って、今日も考え事に集中させて貰うことにした。

 

 

 

 

---

 

 

 

 

 人間関係のことを考えるのは、一旦終わりにする。

 

 一つ、なるべく先入観を持たずに真摯に対応する。

 一つ、変化を受け入れる。過剰に自分の責任だと思わない。

 一つ、未来の台本ではなく、目の前の相手と向き合うようにする。

 

 とりあえずこれを指針として行くことにする。

 完全にはできないだろうけれど、自分への戒めとして意識しておきたい。

 

 

 具体的な人生設計について考えてみよう。

 未来の俺は、それについてはかなり無計画だった。

 と言ってもこの世界のことが全然わからなかったし、情報の流通のない社会だからしょうがないんだが。

 今の俺は世界のことも自分の状況のことも、ある程度はわかっている。

 なら、将来どうするかということを考えるのに早すぎるということはないだろう。

 

 とりあえず時系列で夢の記憶を思い出してみるか。

 細かい所は覚えきれていないが、大まかな流れはわかるはずだ。

 

 えっと、今の俺はロキシーと別れた直後か。

 ……つい一昨日のことなのに、なんだかかなり前の事のように感じる。

 あんな夢を見たせいで時間の感覚がおかしくなっているな。

 まぁそれはいいや。

 

 えーっとこの後は……家の外に遊びに行って、シルフィと出会ったのか。

 シルフィ……シルフィエットか。

 

 まぁ彼女の事に関してもさっきあげた方針の通り、

 事前にあれこれ考えるより実際に出会ったら、目の前の相手に向き合ってどうするか決めたい。

 

 けど、彼女は村の子供に虐められていたんだよな。

 正直他人事とは思えない。

 引きこもりを継続するつもりはないし、どうせ家の外に出ていればどこかで彼女とは接触することになるだろう。

 

 それなら、もし今も虐められているならなるべく早く力になってやりたい。

 

 

 それで……えっと、その後にリーリャの妊娠騒動があって……で、またしばらく後にエリスのところに家庭教師に行ったんだよな。

 なんでそうなったんだっけ?

 

 えーっと……あれはパウロに無理やり送り出されたからで……そうなったのは……シルフィと一緒に魔法大学に行きたいって話をしたからか。

 きっかけは、伸び悩みを感じてた時にロキシーから手紙がきたからか。

 

 ロキシーはシーローンに行くんだったよな。

 シーローン……ザノバがいる国か。

 ロキシーはザノバの弟のパックスの家庭教師をしてたんだっけか。

 

 ……パックスか。

 夢であいつの事を見た時、正直に言うと俺はあいつに共感した。

 夢の中の自分。

 成長し、成功し、仲間や妻に恵まれて、困難に立ち向かう自分よりも。

 努力が空回りし、自制が効かなくて、周りにも認められず、失意のなかで命を絶ったパックス。

 

 防げることなら防ぎたい。

 ただ、どうしたらいいのかわからない。

 

 そもそもパックスがああなったのはヒトガミとオルステッドの争いの結果と言う面もある。

 未来の俺も、ヒトガミに誘導されてシーローンに影響を及ぼしている。

 今回は、それがないからあんなことにはならないのか?

 

 ……だめだな、また未来の知識に振り回されそうになっている。

 関係ないのにあれこれ干渉するのも余計なお世話って気もする。

 

 ただ、ロキシーが今のままパックスの家庭教師をやるのはよくないみたいだよな。

 これは間接的に俺の影響もあるみたいだし、それだけでも何かすべきかもしれない。

 ちょっと考えておこう。

 

 

 

 魔法大学のことに戻ろう。

 行く必要があるのかどうか。

 

 意味はあるよな。

 独力で魔術を勉強していくのは難しい。

 未来の自分と同じように、俺もそのうち伸び悩むことになる筈だ。

 

 確かに未来の夢によって色々な事を知ることはできた。

 それをヒントにして魔術の鍛錬に活かしたり、未来の成果を先取りすることもある程度はできるだろう。

 でもそれだけだ。

 夢で未来の自分を見たからって、俺自身が成長したわけじゃない。

 

 例えるならノーベル賞科学者の半生を追った長編ドキュメンタリーを見た感じか。

 当然、それを見たからっていきなり科学者になれたりはしない。

 ただその後で自分も研究者の道に行ったなら、そのドキュメンタリーが未来のものだったなら自分の研究へのヒントにはなるだろう。

 

 つまるところ魔術師として成長するなら、やはり基礎的な鍛錬や知識の勉強はかかせないし、そのためには魔法学校へ行くという選択は十分に有効だ。

 個人的にも行ってみたい。

 

 それで、学費がないんだよな。

 それをパウロに相談して、結果として家庭教師の仕事を斡旋されると。

 でも、学費の事はなんとかなるかもしれないな。

 

 今の俺は五歳にして水聖級魔術師となった。

 それも無詠唱技術のおまけ付きだ。

 未来の俺は当時それがどのぐらいの凄さなのかはわかっていなかったが、今の俺にはその意味がある程度理解できる。

 

 師匠のロキシーが大学出という縁もある。

 ジーナス等に掛け合って特待生として迎えてもらえないか交渉することも可能だろう。

 そうすれば学費の心配はない。

 

 第一、エリスのところで家庭教師をやっても結局大学には行けな……い……のか。

 

 

 …………そうか。

 大事な事を考えていなかった。

 

 転移事件だ。

 

 あれを無視するわけにはいかない。

 大災害だからな。

 人道的にも感情的にもそうだし、そもそも家にもこの村にも取り返しのつかない被害がでる。

 なんとかしなくちゃならない。

 

 でも、どうしたらいいんだ。

 そもそも今回もあれはおこるのか?

 

 くそ、ヒトガミに聞いておけばよかったな。

 あいつも、それぐらい言っておいてくれればいいのに。

 ……いや、それは甘えか。

 

 あいつに頼るなら、それこそをあいつと取引すればいいのだ。

 それをしないのに助言だけはして欲しいなんてのは、だめだろう。

 だからあいつも何も言わなかったに違いない。

 取引のために必要な説明はするとしても、それ以上のことをすれば公平さを欠くことになる。

 無償の善意なんて疑いの元だからな。

 あいつがやれば特にそうだ。

 

 

 ……未来の話だと、ヒトガミが俺に干渉を始めたのは転移事件の後って事だったよな。

 ってことはそれまでは俺が行動を変えない限り同じことがおこる可能性が高い。

 

 転移事件は起こる。

 そう思っておいたほうがいいだろう。

 

 ナナホシがあれについて色々と考察していたが、あれはおこった現象に対する考察であってどうやったら防げるかと言うようなものじゃあない。

 第一、この世界にはまだナナホシはいない。

 彼女には頼れない。

 

 そもそも、あの転移事件で彼女がこの世界に現れるのか。

 じゃああれを防いでしまうと、彼女の存在が消えてしまったりするのか?

 ……ダメだ、頭が混乱してきた。

 余計な事を考えている。

 

 

 ナナホシのことはどうあれ、あの事件は放置できない。

 できることを探すべきだ。

 しかしとっかかりがなさすぎるし、独力ではほとんど何もできそうにない。

 

 精々、家族を避難させるぐらいか。

 それ以上となると、信じてもらうのは難しい。

 俺が何をどう言っても子供の戯言としか受け取って貰えなさそうだ。

 詐術的な手段をとったとしても、この村の人達ぐらいが限界だろう。

 

 誰か協力者が必要だ。

 あんな超常現象に対して力になれそうな人物。

 そうなると、思いつくのはオルステッドとペルギウスか。

 

 しかしオルステッドはどこに居るかわからないし、ペルギウスにも接触できる伝手がない。

 それに、オルステッドにはそこまで頼れない気がする。

 

 彼はあらゆる技術や知識に通じているが、それらは戦うために身につけたものだ。

 未来の夢で見ていてもそうだが、既存の技術については教えてくれるが何か新しいものを生み出す時にはあまり力になってくれない。

 本質的に彼は戦士であり研究者では無いという事なのだろう。

 未知の現象である転移災害について、どこまで力になるかは怪しいところだ。

 

 ペルギウスならまだ可能性はある。

 彼は優れた文化人であると同時に、知識の探求者を称する優れた研究者でもある。

 ナナホシと共に異世界転移魔法陣の研究もしていた。

 

 ……なんとか、ペルギウスに接触できないか。

 居城があの空中要塞では、直接訪ねるという事は不可能だろう。

 何か正規の訪問ルートが必要だ。

 しかし、ペルギウスと関係の深いアスラ王国の王女であったアリエルですら、ペルギウスに会うにはナナホシを通じなくてはならなかった。

 

 そうなると俺の知る限りオルステッドを通じてしか、ペルギウスに接触できるコネは無いということになる。

 もしかしたら現アスラ王、もしくは王室であれば何かペルギウスに対する連絡手段があるのかもしれないが……その為には国を動かすような力が必要になる。

 それが無いからペルギウスの助力が欲しいのに、これじゃ堂々巡りだ。

 

 ……わかっている。

 俺にはもう一つ選択肢がある。

 

 ヒトガミに頼ることだ。

 

 あいつは未来を見ることが出来る。

 そして俺の提示した目的に対して、どうすれば最高の結果が得られるか助言してくれると言っていた。

 転移事件の被害を減らすことだけを考えるなら、おそらく最も頼れる手段だろう。

 それでも無理なら俺にはどうしようもないということだ。

 

 くそっ、何がいつでも良いからゆっくり考えてくれだ。

 あいつは俺がこのことに気付いて悩むのがわかっていたんだな。

 だから俺に未来の夢を見せたのかもしれない。

 自分の力が一番頼れるとわかっているからだ。

 嫌な奴だ。

 

 ……落ち着け。

 ヒトガミが悪いわけじゃあない。

 転移事件はあいつのせいで起こるわけじゃないし、俺も取引を強制されているわけじゃない。

 

 事前にあの事件の危険性に気付いて、どうするか悩めるだけ贅沢な話だ。

 むしろ感謝すべきだ。

 しかし、ヒトガミの性格が悪いことには変わりはない。

 

 

 どうすべきなんだ。

 

 ヒトガミに頼らなくても、なんとかなるかもしれない。

 ペルギウスらと協力して対処することはできるのかもしれない。

 でもそのために時間をかけて、なんとかペルギウスと接触して、それからあの赤い珠について研究したとして……。

 結果、転移事件は止められないなんて結論がでたらどうしよう。

 

 そうなってからヒトガミを頼っても間に合わないかもしれない。

 対処を始めるなら、当然だが早い方がいい。

 ヒトガミを頼るのだとしたら、一番良いのは今夜すぐに助力を求めることだ。

 

 ……しかし踏ん切りがつかない。

 転移事件がおこる、と言うのはあくまで予想にすぎない。

 ヒトガミに聞いた結果、そんな事件はおきないから心配いらない、が一つ目の助言ではやりきれない。

 

 せめてあの赤い珠があるのかどうかだけでも確認したい。

 だけど、いきなりロアに行きたいと行ってもどう理由を説明したらいいか。

 ……いや、そのぐらいなら説得は無理ではないはずだ。

 

 けどあれはボレアス家の館の中庭の上空にあるんだよな。

 館の外からでは確認できないかもしれない。

 そうなるとボレアス家を訪問するなり、忍び込むなりしなければならない。

 

 それもなんとかできたとして、結局珠があったらどうするんだ。

 ヒトガミを頼るのか。

 それとも頼らずになんとか頑張ってみるのか。

 

 くそっ、なんでいきなりこんな決断を迫られているんだ。

 ヒトガミとの交渉を乗り切って、しばらくゆっくり出来ると思っていたのに。

 

 

 やっぱりアイツは性格が悪い。

 邪神に違いない。

 

 

 

 



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相談

 

 

 

 朝、ベッドの中で目が覚める。

 俺は夢を見なかった。

 

 ヒトガミは、呼ばなかった。

 

 

 助けを求めるなら早い方がいい。

 それはわかっている。

 けれど、数日、数週間ですぐどうなるという物でもない。

 決断の先送りかもしれないが、もう少し考えたいと思った。

 

 ただ、あの事件が起きるのは単なる時間経過ではない可能性は考慮する必要がある。

 未来の俺は、10歳の誕生日にエリスとベッドで致しそうになった。

 ナナホシの仮説に従えば、それがあの事件の最後の引き金になっていたかも知れない。

 

 10歳の誕生日の夜になにがあったか。

 未来の俺とエリスは将来の約束をかわした。

 俺が成人したら……15歳になったら結ばれようという約束だ。

 つまりあの時点で、将来俺とエリスが結婚するのが確定的になったと言える。

 

 エリスは強くなるための才能がある。

 元々の気性、戦闘センス、身体能力、どれをとっても抜群だ。

 そして彼女がひたむきに剣の修業をしたのは、未来の俺のためだ。

 オルステッドの言う元々の歴史では、たしかアスラ王国の騎士になったんだっけか。

 強さも聖級止まりだったという。

 

 もし、俺と彼女が結ばれてその子孫が生まれたら、きっとオルステッドの力になるだろう。

 実際ヒトガミに見せられた最後の戦いの後っぽい夢のなかでは、成長したエリスによく似た娘が居た。

 彼女の誕生の可能性が開けたことが、最後の引き金か。

 

 

 では転移事件を防ぐためには、エリスと仲良くならなければ良いのか?

 少し考えてみたが、それはたぶん違う。

 俺とエリスとの関係と言うのはあの事件の発生に影響する要素ではあっても、たぶん決定的な要素ではない。

 未来でのヒトガミの敗北。

 根本的にはそれがあの事件の引き金だ。

 

 サウロス爺さんはあの珠を俺が5歳ぐらいの時にみつけた、と言っていた。

 丁度、今だ。

 ヒトガミが俺に接触してきたのも、今。

 

 偶然とは思えない。

 

 俺がロキシーと師弟関係を結んだことで、彼女との縁が生まれた。

 俺と彼女と結ばれることが確定に近くなったことで、ヒトガミの敗北の可能性が生まれる。

 それによって赤い珠が生まれ、ヒトガミもまた俺に接触を始めた。

 今後、俺やオルステッド等が行動することでヒトガミ敗北の可能性はより高まっていくとする。

 その可能性がある一定のラインを超えた時に、ナナホシの存在が必要になり転移事件が発生するのではないか。

 

 ……辻褄は合う。

 

 という事はエリスと仲良くなる以外にも、結果的にオルステッドにとって将来有利になるような影響を俺が発生させた場合、同じように転移事件のきっかけになりかねない。

 そうすると、下手にオルステッドやペルギウスと接触するのは危険かもしれない。

 

 では、俺が何もしなければ?

 それも、望み薄だろう。

 ヒトガミは自分は負けると言っていた。

 だから負けた後の逆転に賭けることにした、と。

 

 それでも遠い未来だからなのか、今この時点ではそれは確定していないのだろう。

 ヒトガミとは無関係にオルステッドがラプラスとかにやられてしまう可能性だってあるしな。

 でもあいつが既に決戦後の逆転に賭けている以上、時間がたつほどヒトガミ敗北の可能性は収束していく筈だ。

 オルステッドは今こうしている間にも、その可能性を高めるために色々と動いているだろうしな。

 

 という事は俺が何もしなくてもいずれ転移事件は発生する可能性は高い。

 ヒトガミがオルステッドへの妨害工作を既に止めているとしたら、早まる可能性すらある。

 

 

 全ては仮説だ。

 

 本当の所はわからない。

 ただ、検証することはできる。

 まずは赤い珠がボレアス家の館に発生しているのかどうか、確かめるべきだ。

 そしてもし赤い珠があったなら、それが俺の行動によって変化するのかどうかも確かめたい。

 その為にはどうするか……。

 

 

 

---

 

 

 俺は家族が揃ったタイミングで、話を切り出した。

 

「父さま、母さま、相談があります」

「ああ、聞こう」

 

 パウロがこちらを見て頷く。

 その横に座っているゼニスも、真剣な表情でこちらを見ていた。

 

「はい……相談というのはロキシー先生のことです。

 色々と考えたのですが、僕はまだ彼女に教えを受けたいと思いました。

 つきましては、彼女を再度雇い直すという事は可能でしょうか?」

 

 色々と考えた結果、俺はロキシーを頼ることにした。

 まず彼女は自由に動きやすい立場にあること。

 また、優れた魔術師であること。

 異常な現象に対しても柔軟に物事を考えられる発想や思考力をもっていること。

 彼女と俺との関係性が、赤い珠、ひいては転移事件の発生に影響を及ぼす可能性があることなどが理由だ。

 

 彼女はまだブエナ村を旅立っていったばかり。

 足取りを探しながら急ぎ旅で追いかければ、追いつける可能性は高い。

 それにここからどこへ行くにしても、乗合馬車の中継点であるロアの街を経由している筈。

 彼女を追いかければ、その最中にボレアス家の館を確認することも出来る。

 おまけに、パックスの家庭教師に収まるのを防げるかもしれないと言うのもある。

 

「そうか……」

 

 俺の言葉を聞いて、パウロは深く頷いた。

 

「あなた……」

「あぁ……」

 

 そしてゼニスと見つめ合って、何やら二人で納得しあっている。

 どういうことだ?

 それほど無理なお願いはしていない……と思う。

 そもそもロキシーが旅立つ時、パウロもゼニスも彼女のことを引き止めていた。

 だから再度彼女を雇い直すことになっても、さほど問題は無い筈だ。

 

「なぁルディ」

 

 パウロが真剣な目で俺を見てくる。

 

「はい、父さま」

「お前……そこまでロキシーのことが好きなのか?」

 

 ……なんだって?

 

「ロキシーちゃんが出ていってから、ルディはずっとふさぎ込んで居たものね……」

 

 ゼニスは俺を気遣うように声をかけてくる。

 これは……。

 

 

 

 

---パウロ視点---

 

 

 息子が深刻な表情で俺たちに相談があると言うので、話をすることにする。

 生まれた時からめったに動揺を見せなかった息子だ。

 年齢に不相応……どころか、下手な大人顔負けのこの子が、豹変したように暗く思い悩んでいた。

 こんなルディは始めて見た。

 余り頼られる事のない父親として、なんとか力になってやりたい。

 

 だがルディの悩みには想像がついている。

 十中八九、つい先日まで家庭教師としてルディに付けていたロキシーのことだろう。

 何しろ、彼女が旅立って行った次の日からルディは突然悩みはじめた。

 そうとしか考えられない。

 ゼニスにも相談したが、彼女も俺と同意見だった。

 

 

 ゼニスと二人でルディの言葉を待つ。

 そしてその口から出てきたのは、やはりロキシーの事であった。

 俺はゼニスを見て、二人で頷きあった。

 

 

 ルディは5歳。

 性の目覚めと言うには早いが、初恋と言うことであれば珍しくもない年齢だ。

 

 若い乳母、世話を焼いてくれるメイド、厳しくも優しい家庭教師や幼年学校の先生。

 男の初恋は大抵そういう親身になってくれる年上の女性と相場が決まっている。

 ルディにとって、ロキシーはその条件に完全に当てはまっている。

 リーリャと比べれば容姿はちょっと子供っぽすぎるが、逆にそれがルディにとって手の届く相手に感じさせたのかもしれない。

 

 それにロキシーは魔族だ。

 勿論魔族と言っても色々らしいが、今あの見た目ってことは人族よりずっと老化が遅い種族なのは間違いない。

 だとすると、たとえば10年後。

 ルディが15歳で成人した時、隣にロキシーが立てば十分釣り合うだろう。

 聡い息子だ。

 そういう可能性にも頭が回ってもおかしくはない。

 

 そんなルディが、ロキシーを呼び戻し、雇い直して欲しいと頼んできた。

 この頼みはゼニスと相談し、予想していたうちの一つだった。

 だがルディがこういう事を言ってきた時にどうするかと言う事に関しては、俺とゼニスの意見は異なってしまった。

 

 俺は、ルディがこれを頼んできた場合断るべきだと思った。

 こういう初恋と言うのは実るものではない。

 年齢の壁というのは厚いものだ。

 10年後なら釣り合うかもしれないと言ったって、ロキシーにルディを10年間待たなきゃいけない理由なんて無い。

 

 俺にも覚えがある。

 まだガキだった俺を甲斐甲斐しく世話してくれた一人のメイド。

 彼女は美人だった。

 当時うちにいたメイドの中ではたぶん若手で、今にして思えば結構新人だったのかもしれない。

 俺はそんな彼女のことが大好きだった。

 しかし彼女は程なくして結婚し、うちのメイドを退職することになった。

 

 俺は荒れた。

 別れの挨拶に来た彼女に、なんで辞めるんだ、自分とその結婚相手とどっちが好きなんだとつめよったりもした。

 馬鹿なクソガキだった。

 しかし男のガキなんてそんなものだ。

 俺みたいに喚くかどうかは別にしても、身の丈に合わない恋をして、何も知らない間に失恋している。

 年上への初恋ってのはそういうもんだ。

 男はそうやって成長していくんだ。

 ここでロキシーを呼び戻したとしても、それは初恋の終わりを先送りにするだけだ。

 良いことだとは思えない。

 

 だがゼニスは、息子の恋を応援してやりたいらしい。

 なにしろ、ルディは天才だ。

 とても5歳とは思えないほど大人びているし、魔術の腕はなんとこの歳にして水聖級だ。

 剣術だって、筋は悪くない。

 頭で考えすぎている部分はあるが、鍛錬はとても真面目だ。

 このまま鍛錬を続けて、闘気さえ纏えるようになれば一端の剣士にはなれるだろう。

 こんな優良物件はそうはいない。

 

 それにロキシーの寿命は長い。

 長寿の種族の連中は自分達より短命な種族が相手でも、その相手が成人していれば年齢差を気にしないで対等に振る舞うことが多い。

 昔の仲間に耳長族がいたが、そいつは夜の相手に年齢なんかお構いなしだった。

 だからロキシーがルディの成長を待っても良い、と考える可能性もゼロではない。

 

 しかしルディは俺の息子……すなわち、ノトス・グレイラットの血筋だ。

 俺はもうノトスの家名は捨てたが、その血が流れていることまで否定はできない。

 すなわち好色にして巨乳好きの血だ。

 俺は胸が小さいのはそれはそれでイケるが、結局最後に選んだのはゼニスだった。

 しかもそれまでどれだけいろんな女の間をフラフラしたかわからない。

 

 ロキシーの胸は残念ながら平坦だ。

 と言うか今のルディから見れば彼女は綺麗なお姉さんかもしれないが、成人した人族から見れば彼女の容姿は幼い。

 ルディが成長に伴って彼女への興味を失うということは十分に考えられる。

 何年もまたされたあげく、もういいですと捨てられる。

 それではロキシーに対して余りに不義理だ。

 

 逆にロキシーにその気がないのにただ家庭教師として雇い直したとしよう。

 何年も側に居てもらって思いをつのらせた挙句に、結局仕事を終えて彼女が旅立つのであれば、ルディのとってはただ残酷なだけだ。

 ルディのお願いは跳ね除けるべきだと俺は思った。

 

 だがゼニスは、ロキシーは見た目がどうあれ一人の大人なのだからそれは彼女が自分で判断することだという。

 たしかにそれはその通りだ。

 彼女が見た目通りの子供であれば俺達が気にかけてやるべきだが、そうではない。

 ルディを将来の見込みが大きい先物物件だとして、待つことにするもしないも。

 それで成功するも失敗するも彼女の判断であって、自己責任だ。

 

 しかしルディの方はそうじゃないと俺が言うと、ゼニスはそもそもルディの思いがどんなものかはまだ分からないという。

 今は思い悩んでいるみたいだが、そのままロキシーへの思いは胸に秘めてその初恋を静かに終わらせる可能性もある。

 そうせずに俺達に何かを願い出たとしても、それがどのぐらい強い思いなのかは聞いてみなければわからない。

 お気に入りの先生と離れたくなくて、ただなんとなくもっと一緒にいたいという程度のものなのか。

 異性としてはっきり意識していて、彼女を求めるものなのか。

 将来のことまで考えた真剣なものなのか。

 

 俺としては、本人がどれだけ真剣なつもりだったとしても、あくまで子供の考えだ。

 ここは俺達が厳しくしなければならないと言ったのだが、

 ゼニスはルディの思いが真剣なものであれば、自分たちが頭ごなしにその思いを否定するのは良くないと言った。

 初恋が実らないとしてもせめて告白ぐらいはさせてあげるべきで、自分たちは応援する立場であるべきだという意見だ。

 

 なので、俺たちはまずはルディの気持ちを確かめるということで同意した。

 

 

「お前……そこまでロキシーのことが好きなのか?」

 

 俺が問いかけると、ルディはキョトンとした表情に変わった。

 こちらの言葉が予想外という反応だ。

 たぶん、自分の思いに気付かれていないと思っていたんだろう。

 傍から見たらバレバレなんだが、こういうところは子供らしいんだなと思った。

 

「えっと、好きかと言われれば勿論好きですが」

「そうか……それはどのぐらいだ?」

「どのぐらいと言われましても……」

「一緒にて仲良くしたいだけか? それとも彼女をみてキスしたいと思うか? それとも彼女とベッドで痛っ!?」

 

 ゼニスに殴られた。

 

「あ~……えっと、それとも、彼女と将来結婚したいとか思っているか?」

 

 俺はそう言って息子の反応を伺う。

 ルディはもごもごと口をうごかして答え辛そうにしていたが、やがて観念したのか口を開いた。

 

「……そうですね。

 今父さまに聞かれたような事は全部思ってはいますが……」

 

 やはりか……。

 

「そうか……だがな、ルディ。

 お前はとても聡いがまだまだ子供で、ロキシーは見た目は小さくても立派な大人だ。

 その溝はお前が思うよりもずっと大きく深いものだ。

 それでもお前は彼女に側にいて欲しいと―――」

「いや、ちょっと待って下さい父さま」

 

 俺の言葉をルディが慌てた様子で遮り言う。

 

「ロキシー先生の事は確かに好きですが。今はそういう意図で彼女を雇い直すようにお願いしているわけではありません」

「なんだと!?」

 

 では何だと言うのだろうか。

 

「今回のお願いは純粋に魔術の弟子としてのものです。

 確かに僕は水聖級の魔術を使えるようになりました。

 魔力量や無詠唱の事も考えれば、覚えた魔術を使うだけならロキシー以上かもしれません」

 

 ルディの言葉通りだ。

 そんなわずか5歳の子供に追い抜かされて、ロキシーは持っていた自負をかなり傷つけられてしまった様子だった。

 我が息子ながら空恐ろしい才能だが、そんなルディが好意以外にどんな理由でロキシーを必要とするのか。

 

「ですが言ってしまえばそれだけです。

 ロキシー先生がいなくなってわかったのですが、僕はここからどうしたら更に魔術を勉強できるのか全然わかりません。

 それに覚えた魔術もただ発動できると言うだけなんです。

 どんな時に使うべきなのか、どうすればうまく使えるのか、そういうこともさっぱりです」

「なるほど……」

 

 息子の言葉には確かに頷かされるものがある。

 俺も冒険者時代に覚えがあるものだ。

 魔力量やら、使える魔術の位階だとか、そんなものばかり自慢する魔術師がどれだけ役に立たないか。

 逆に使える魔術は少なくとも、必要な時に必要な援護をしてくれる魔術師がどれだけありがたいか。

 

 ルディは本当によく考えている。

 この歳で水聖級魔術師になっておきながら、有頂天になるどころかその力の正しい活用法についても考えられるとは……。

 

「だ、だがなルディ。

 それなら何も必ずしもロキシーである必要はないだろう?

 誰かまた別の家庭教師を探しても良いんじゃ……」

「そうですけど、ロキシー先生はとてもいい師匠でしたよ?

 代わりに来てくれる人が王級以上の魔術師だったり、

 先生以上に教師として素晴らしい人でないなら、別の人にする意味がわかりません」

「まぁ、そりゃそうか……」

 

 俺は魔術の事はわからないが、ロキシーが熱心にルディに教えていてくれたのは知っている。

 家庭教師と言ってもその質は当たりハズレが大きい。

 ロキシーは門外漢の俺の目から見ても、良い家庭教師であったというのはわかる。

 それにゼニスとも仲が良かったし、住み込みだとそういう人間関係も大事だ。

 

 そして王級以上の魔術師となると、これはもう輪を掛けて無理な話だ。

 聖級ですら個人の家庭教師としては破格なのだ。

 王級にもなると、もう一国の宮廷魔術師とかそういうレベルだ。

 とても個人が家庭教師に雇えるような相手ではない。

 

 ルディの話には淀みがなく、とても嘘をついているようには思えない。

 純粋に魔術の教師として、と言う話なら断る理由は全然ないのだが……。

 

「じゃあルディ。

 今回の話には本当にロキシーへの好意とは関係がないんだな?」

「はい。

 もちろん先生とまた一緒にいられたら嬉しいですけど、そのために引き止めるわけではありません。

 もう一度家庭教師をして貰ったとしても、教わるべきことを教わった後でなら、改めて先生が出ていくのを止めようとはしないつもりです」

「そうか……わかった。

 しかしロキシーはもうお前を卒業させたつもりで出ていったんだ。

 改めて名指しで募集をかけても来てくれるかどうかはわからないぞ?」

「それなのですが、先生はまだ旅立ったばかりですし今から急いで足取りを追えば追いつけないでしょうか?

 先生にあえたなら、説得は僕自身でするつもりです」

「なんだって!?

 お前、ロキシーを追いかけていくつもりなのか!?」

「はい」

 

 なんてことだ。

 つい先日始めて家の敷地を出たばかり、と言うルディがそこまでの覚悟を既に固めているとは……。

 本当にロキシーへの好意は関係ないのだろうか?

 

「そうか……お前の思いはわかった。

 だが当然だが一人で行かせるわけにはいかない」

「もちろんです。

 なので父さま、僕を連れて先生を追いかけて貰えないでしょうか?」

「それは……」

 

 息子の初めてのわがままだ。

 叶えてやりたいという思いはある。

 だが俺はこの村付きの下級騎士で、あまり村を離れるのは良いこととは言えない。

 特に、フィリップに頼み込んで貰った立場だからな。

 俺が離れている間に村になにかあっては申し訳がたたない。

 

 しかし、村を離れるのが完全に禁止されているというわけでもない。

 緊急時でもなければ、ある程度の外出はできる。

 ただ、今日急いで準備をして明日出たとしてもロキシーとの時間差は3日だ。

 こちらが急いだとしても、追いつくのにどれだけかかるのかはちょっとわからない事を考えると安請け合いはできない。

 

「うーん……」

 

 俺が唸っていると、横から袖を引かれる。

 

「ねぇパウロ……私がルディを連れていくんじゃだめかしら?」

 

 と、ゼニスがこんなことを言い出した。

 反射的にだめだ、と言いそうになるのをなんとか堪える。

 ゼニスは考えなしにこんなことを言い出したりはしない。

 

 ゼニスとて元は高ランク冒険者だ。

 旅慣れているし、荒事の経験だってある。

 だがパーティでの役目は治癒術師であり、彼女自信の単独の戦闘能力は決して高くない。

 しかも、若く美しい。

 

 そんな彼女が足手まといの小さな子どもを連れて旅をすれば……いや、待て。

 よく考えればルディは水聖級魔術師だ。

 実戦経験こそないが、ただの無力な子供では決して無い。

 それを考えれば大丈夫だと言う気もするが、しかし実力に関わらず子供連れの若い女と言うだけで悪人の目を引き寄せやすい。

 

 悩む俺を、ルディとゼニスが見ている。

 

 ……決めた。

 

 こんな時に父親の頼り甲斐を見せてやらなくてどうする。

 

 

「よし、わかった。

 なんとか仕事の都合はつける。

 家の事はリーリャに頼もう。

 ゼニス、ルディ……俺も一緒に、始めての家族旅行といくか!」

「あなた!」

「父さま!」

 

 二人が笑顔になる。

 この笑顔のためなら、俺が頑張る価値はあると感じる。

 

 ふふ……俺、今かなり頼れる良い父親してるよな?

 

 

 

 

---ルーデウス視点---

 

 

 

 まさかロキシーへの恋煩いで悩んでいたと思われるとは。

 

 なんとか説明したが、パウロもゼニスも完全に納得した感じではなかったな。

 まぁロキシーのことは好きだと正直に言ってしまったからしょうがないが。

 

 しかし、俺は両親に嘘は付きたくなかった。

 ロキシーからまだ学びたいことがあるというのも本当のことだ。

 未来の俺もこの後すぐに伸び悩んでいたし、魔法大学には行けるとしてもかなり先の話だろうしな。

 

 転生のこと、ヒトガミのこと、未来のこと。

 今話せないことはたくさんある。

 でもそれは今話しても、二人を混乱させるだけだと思うからだ。

 

 自分の都合で、二人を騙して利用するのでは無いと思いたい。

 だからいつかは話すつもりだし、それ以外の事でもなるべく嘘は付きたくなかった。

 

 

 パウロはいい父親だ。

 ゼニスもいい母親だ。

 そりゃあ聖人君子ってわけじゃない。

 問題は色々ある。

 それでも良い両親だ。

 

 俺は転生者だが、それでもこの二人を自分の両親だと思っている。

 未来の俺の夢をみてから、その思いは以前より強くなった。

 

 だからこそ、あんな風にはなって欲しくない。

 転移事件をなんとかしよう。

 

 そのために、まずはロキシーに会いに行こう。

 

 

 



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城塞都市ロア

 

 ガラガラと地面を走る車輪の音が鳴っている。

 俺は今、小さな荷馬車の荷台部分に座っていた。

 二頭立ての幌なし四輪馬車と言えば良いのか。

 

 御者はパウロがやっている。

 馬車を牽いているのは我が家の愛馬カラヴァッジョに加えて、パウロが借りてきたもう一頭の栗毛の馬だ。

 なんでもブエナ村の共有馬で、普段は村長が管理しているらしい。

 今回はそれを拝借させて貰ったという事だ。

 

 しかし実は両親に加えて子供の俺一人ぐらいならカラヴァッジョで引くこともできるらしい。

 ロキシーと俺ならともかく、かなりがっしりした体格のパウロを含めた三人分。

 しかも馬車付きと考えるとかなり大変そうに思ったが、意外にもそうでもないのだとか。

 車輪の力と言うのは俺が思っていたよりも凄いらしく、馬+直で2人乗りよりも、馬+馬車に3人乗りの方が歩いて進むだけなら馬は楽なんだとか。

 もっとも一頭立てでは歩くだけが限界で、走らせることは流石にできないらしい。

 ロキシーの説得が上手く行けば、帰りには乗員が一人増えるであろうことも考慮し、今回は二頭立てにしたとのことだ。

 

 ブエナ村から城塞都市ロアまでは急がなくても半日程度とのことだが、ロキシーを追って更にそこから街道を進む事も考えて、荷台には食料や野営道具なども準備してある。

 おかげでガタガタと揺れる荷馬車だが、尻の下に野営用の分厚い防寒布を強けるので多少は乗り心地も楽だった。

 そういう旅立ちまでの手際の良さを見ると、流石にパウロもゼニスも旅慣れているのだなと実感する。

 

 そう言う旅に必要な知識をあれこれ説明してくれる時に俺が感心の目をむけていたことに、パウロは機嫌がよさそうだった。

 あれか。

 父親らしい頼り甲斐とか威厳を見せれて満足ってやつか。

 確かに俺は中身こそ子供ではなくてもアウトドアに関してはさっぱりどころじゃないので、パウロの余裕そうな様子は頼もしい。

 

 そういえばアメリカには父親が息子に教えるべき3つのこと、みたいな格言があった。

 キャンプと、釣りと、キャッチボールだったっけ?

 確かに家の中では邪魔者になりがちな父親が、息子に良いところを見せるにはぴったりだな。

 パウロも満足そうだ。

 そんな夫の様子を、ゼニスは呆れた目で見ていたが……。

 

 そんなゼニスは今、荷台で俺の横に座っていてあれこれと話しかけてくる。

 俺はロキシーのどういうところが気に入ったのか。

 彼女のどんなところが好きなのか。

 ロキシーの好みはどんな男性だと思うか。

 彼女と恋人関係になったなら、浮気はしてはいけない。

 一途に、そして節度ある付き合いをしなければならない等々。

 

「あの……母さま。

 僕は別に愛の告白をしたりするために先生を追いかけているわけではないんですよ?」

「やーねぇ、ルディ。

 勿論わかってるわ。

 ところでロキシーちゃんはもっとオシャレをしても良いと思うんだけどルディはどう思うかしら?」

 

 全然わかっていない。

 が、別に問題もないので俺はゼニスと会話を続ける。

 

 ロキシーは一見野暮ったく着飾ることに興味はありませんみたいな風体だが、

 実は細部の違う5枚のパンツを履き分けているのを俺は知っている。

 見えない所にこそ気を配る……粋ってやつだ。

 彼女は隠れオシャレさんなのだ。

 

 そうして俺は彼女に似合うであろう服装などをゼニスとあれこれ話し合ったりしていた。

 彼女はとても楽しそうであった。

 

 

 

 

---

 

 

 

 ロアの街に到着した。

 時刻は昼過ぎ。

 朝早くにブエナ村を出て、少し駆け足気味に馬を走らせてこの時刻だ。

 

 門を抜けてすぐの所、パウロが馬車を止める。

 

「よし、予定通りだな。

 この時間なら今日はまだ余裕がある。

 ロキシーの足取りがすぐにつかめればそのまま追う事も考えて行動するぞ」

「はい」

「えぇ」

 

 パウロが御者台を降りるのにあわせて、俺とゼニスも荷台から石畳へと足を下ろす。

 ずっと座っていたので足が強張っているし、尻もちょっと痛い。

 俺は立ったまま足を少し動かして、筋肉をほぐしながらパウロに問いかける。

 

「父さま、先生の足取りを追うにはどうするのが良いと思いますか?」

「そうだな……とりあえず二手にわかれるか」

 

 そう言ってパウロは自分の後ろにある建物を顎で指し示した。

 

 

「俺はここの馬屋に馬車を預けて馬を休ませる。

 それから乗合馬車の待合所なんかでロキシーが利用した形跡がないか聞き込みをしておこう」

「なるほど……ロキシーがロアから更に移動する場合それらを使う筈ですもんね」

 

 ロキシーは自前の馬などは持っていなかったし、

 乗合馬車が使える街道をわざわざ徒歩で移動する可能性も低いだろう。

 

「お前はゼニスと一緒に冒険者ギルドに行ってこい。

 ロキシーも冒険者だ。

 ここのギルドで何か仕事を受けるなり、した可能性もあるからな」

「わかりました」

 

 さすがに元冒険者だ。

 こういう捜索も手慣れている。

 俺が頷くと、ゼニスが口を開いた。

 

「ふふ、冒険者ギルドに行くのも久々ね」

「あー、そうだな。

 ゼニスはもう6年近くになるか。

 ひさびさだからってはしゃぐなよ?」

「馬鹿ね、大丈夫よ。

 貴方じゃないんだから」

 

 そう言ってパウロとゼニスが笑い合う。

 

 そうか。

 俺が生まれるから二人は結婚して冒険者を引退したんだものな。

 パウロは騎士の仕事の関係で、今もたまに冒険者ギルドにも行くらしいが、ゼニスは基本的にブエナ村からでないからな。

 出発を決めた時、パウロは家族旅行なんて表現をしたが案外ゼニスもその気で楽しんでいるみたいだ。

 

 道中特に危険があるわけでもなし、ちょっとしたスパイスのある小旅行気分と言うところか。

 二人共俺の頼みを軽く考えていると言うわけではなく、単に余裕があるって事だろう。

 それに、こういう理由でもないと中々家族揃って村の外にでることもないだろうしな。

 

「それじゃ、行きましょルディ。

 街は人が多いから、はぐれないように手を繋いでおきましょう」

「わかりました、母さま」

 

 俺は素直にゼニスの手を取る。

 こういう行動を俺は躊躇しない。

 

 子供というのは大人ぶるものだ。

 だから周りにボクちゃんはママが一緒なんだね、とからかわれたりするのを嫌がる。

 そして恥ずかしさから反発して、お母さんはついてこないで! 等と言ったりするのだ。

 俺は子供の頃、そういう振る舞いをして母を寂しがらせた記憶がある。

 

 だから俺は今その反省を活かすのだ。

 特に、普段なかなか歳相応に振る舞えない分、こういう所で子供っぽさを出していく。

 誰も得しない無意味な反抗はしないのだ。

 大人だからな。

 

 

 

 

---

 

 

 

 

 

 結論から言ってしまうと、ロキシーの足取りは拍子抜けするほどあっさりと掴むことが出来た。

 冒険者ギルドで聞き込みをした所、彼女はロア近隣の別の村から出された依頼で魔物の討伐に向かったそうだ。

 その為何事もなければ近日中にロアの冒険者ギルドに報告にくる筈だった。

 

 ゼニスが冒険者ギルドの受付でロキシーに対して伝言を頼んでくれた。

 これでロキシーが依頼の報告をした時、俺たちが彼女を訪ねてロアに来ていることが伝わるだろう。

 後は、待つだけだ。

 行き違いは避けたいので、こちらから依頼があった村へ行ったりはしない。

 街道は一本道だが、ロキシーが既に街へ戻ってきていて報告前に一旦宿で休んでいるだけと言うケースも考えられる。

 

 だから、このまま数日はロアの街に滞在してロキシーと接触できるのを待つ。

 それ以上掛かるようであれば、冒険者ギルドで再度言伝を頼んでブエナ村へ戻ると言う方針で決定した。

 

 

「それでは父さま、ここで宿を取るのですか?」

 

 俺は内心でボレアス家の事を気にしながら、素知らぬ顔でパウロにそう尋ねる。

 

「いや、ルディには言っていなかったがこの街には親戚がいてな。

 すぐ戻るならともかく、ここに滞在するなら挨拶はせにゃいかん。

 歓迎してくれるかはわからんが、ロアにいる間は泊めて貰うぐらいはしてくれるだろうしな」

「こんな近くに親戚がいたのですか。

 わかりました、失礼のないように気をつけます」

「ああ、それが良い。

 なにしろ相手はこの街の領主、ボレアス・グレイラット家だからな。

 街の中心に壁で囲まれてる所が見えるだろう?

 あれが丸々ボレアスの館だ」

「それは驚きました。

 うちにそんなに凄い親戚がいたんですね」

 

 俺は自分でも白々しく思ったが、驚いた振りをする。

 

「あんまり驚いたようには見えないが、ルディはそう言うの顔に出ない性質なのかな……」

 

 パウロが言葉をこぼす。

 演技が下手ですまん。

 ヒトガミに変な夢を見せられなければ、ここで盛大に驚いてやれたんだろうが……。

 

「まぁいいや。

 そういうわけで礼儀正しくするにこしたことはない。 

 ああ、年頃の近いお嬢様もいるって話だから、うまくすりゃ仲良くなれるかもしれないぞ?」

「そうなのですか。

 では、仲良くなれるよう頑張ります」

 

 未来の夢での俺とエリスの関係は抜きにしても、

 彼女はかわいい親戚の女の子だ。

 険悪な関係にはなりたくはない。

 

「ちょっとパウロ!

 純粋なルディに浮気を勧めないで頂戴」

「おいおい。

 別にルディはロキシーと付き合ってるわけじゃないんだから、まだ浮気とは言えねえだろ」

 

 まだ浮気とは言えない。

 つまり誰かと正式に付き合う前は何をやってもおっけー。

 そんなパウロの考えが透けて見える。

 案の定ゼニスの目が釣り上がる。

 パウロよ、何故そんな迂闊な発言をしてしまうのだ……。

 俺はフォローにまわることにした。

 

「えっと、母さま。

 僕はその子と仲良くなってはいけないのですか?」

「あら、そんなことはないのよルディ。

 でもね、女の子とは節度を保った関係を心がけなきゃだめよ?

 こういう事は父さまの言うことは聞いちゃいけないからね」

 

 異性関係に関しては、ゼニスはパウロの教育に全く信用を置いていないようだった。

 今のゼニスに逆らうのはまずい。

 

「わかりました、母さま」

「おいおい酷いな……」

 

 パウロが顔を引きつらせる。

 

「まぁでもボレアスのお嬢様は相当な乱暴者だって話だからな。

 ルディがその気でも仲良くなるのは難しいかもしれん」

「あらそんなことないわ。

 ルディならきっと仲良くなれるわよ」

「ゼニス……お前はルディとお嬢様に仲良くなって欲しいのか? なって欲しくないのか?」

「貴方の言う様な意味で仲良くじゃなければ、勿論仲良くなって欲しいわよ」

「あのな、俺だって5歳の息子にそんな意味で―――」

「そんな意味で言ってなかったかしら?」

「…………」

 

 おいパウロ。

 そこで言葉に詰まっちゃダメだろう。

 ゼニスの目が冷たい。

 

 しかしゼニスは俺なら彼女と仲良くなれると自信満々だが、それは親の贔屓目ってものだ。

 エリスと言う子は夢で見た限り、最初ジャイアンが可愛くなるレベルの物凄い乱暴者だった。

 暴力ヒロインと言うジャンルはあるが、流石に俺もリアルで相手をする女の子にそういうものは求めていない。

 彼女に根気よく付き合っていた未来の自分は凄いと思う。

 出会ってすぐの誘拐事件のせいで、関係が改善したのも良かったのだろう。

 そういう物が期待できない自分が、同じように彼女と仲良くなれるかは正直自信がない。

 

 だけど彼女は可愛い女の子だ。

 欠点がいっぱいあっても、一途で格好良くて、良い所もいっぱいある。

 未来の俺と同じである必要はない。

 俺は俺で、これから出会う彼女と仲良くなれたら良いな。

 

 

 

 

 

---

 

 

 

 馬屋から馬車を引き取って、街の中心へと向かっていく。

 進んでいくと、一定区間毎に建物の雰囲気が変わっていく。

 奥へ行くほど建物も大きく綺麗になっていく。

 

 俺は荷台の上から変化していく町並みを眺めていた。

 ゼニスが俺の目が向いたものに対してあれこれ解説してくれる。

 実にファンタジックな光景だ。

 特に武器屋、防具屋と言った店や、道を歩く冒険者や街の兵士らしき武器を持った人達がその印象を強くしている。

 ゼニスに連れられて冒険者ギルドに行った時もそうだったが、

 俺はこのロアに来て初めて異世界情緒とでも言うべき感覚を味わっていた。

 

 思えば俺はずっと家からでなかったし、

 窓から見える風景もヨーロッパの田舎の農村とそれほど大差はない。

 転生した後も庭でパウロが剣を振ってたり、それに驚いて転んだ俺にゼニスが治癒魔術を使うまで、単に外国のど田舎に生まれたのかと思っていたぐらいだしな。

 ロキシーに連れられて村の外へ出た時も、特別それっぽい光景には合わなかったし。

 

 しかしこのロアの大通りで見る光景は完全に異世界だ。

 勿論頭ではわかっていた。

 夢で見た知識を加えればパウロやゼニス以上にこの世界のことを知っているとも言える。

 しかし知識はあくまで知識、夢はあくまで夢でしかない。

 俺自身の体験とは違う。

 

 こういう光景を見せられると、流石に年甲斐もなくワクワクしてくるな。

 よーし、オラ冒険者になっぞ! とか言いたくなる。

 危険は嫌だという考えはかわっていないが、確かに浪漫を感じる光景だ。

 

 

 俺が異世界情緒に浸っている間にも、馬車はどんどん進んでいた。

 少しずつ、ボレアスの館を囲む壁の門が近付いてくる。

 

 俺は思わずその向こうの上空を見上げた。

 そこには青空が広がるばかりだった。

 不自然な物は何も見つからない。

 

 ……ここからでは遠すぎるのか。

 それともあの赤い球は、ないのか?

 もしかして、この世界では転移事件は起きないのだろうか。

 そうだとしたらすごく気が楽になるのだが。

 いや、楽観すべきではない。

 少なくともあの塔に登って、近くから見て確かめるまでは安易に考えてはだめだ。

 

 

 俺が表情を固くしていると、ゼニスが声をかけてくれた。

 

「ルディ、緊張しているの?

 安心していいのよ。

 ボレアス様も5歳のあなたにそんなに厳しい礼儀作法を要求したりはしないわ」

「あ、いえ……そういうわけでは……」

「挨拶さえしっかりできればそれで大丈夫。

 それだってとっても簡単だから。

 いい、こうするの」

 

 そう言ってゼニスは右手を胸にあてて、わずかに頭を下げる。

 

「初めまして、ルーデウス・グレイラットです……ってね」

 

 ゼニスが顔を上げてこちらに微笑んだ。

 

「えっと、こうですか?」

 

 俺も見よう見まねで、同じように挨拶をしてみる。

 

「うん、とってもいい挨拶だわ。

 それができれば、あとはいつものルディで平気だからね」

「はい。

 わかりました母さま」

 

 そんな俺達を見て、御者台のパウロが慌ててこちらを振り返る。

 

「お、おぉ。

 うちも一応貴族の端くれだからな。

 貴族同士の挨拶ってのはそうやるんだ。

 覚えておくといいぞ」

「なぁにその反応。

 覚えておくといいぞ、じゃないわよ。

 まさかルディに何も言わずにこのまま館に入るつもりだったの?」

「ま、まさか……そんなわけないだろ?

 挨拶ぐらいちゃんと教えるつもりだったさ……」

 

 

 ……そう言えば、余りに細かいことなんで忘れていたが、

 未来の夢の中の俺はここに来た時挨拶の仕方で怒られていたな。

 

 俺はゼニスと一緒にパウロを白々しい目で見つめる。

 

「さ、さぁもう館に着くぞ。

 先に人を雇って訪問することは伝えて貰ってあるから、門は素通りのはずだ。

 な、段取りがいいだろ?」

 

 ははは、とパウロの乾いた笑いが響く。

 俺は思わずため息をついた。

 まるで城の様な作りのボレアスの館を見上げる。

 

 

 初めての親戚付き合い。

 エリス。

 ロキシー。

 そして赤い珠。

 

 

 ……頑張ろう。

 

 

 

 



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ボレアス家にて

 館につく。

 執事のような人に応接間のような場所に通されると、二つ並んだソファの片方を示される。

 

「そちらにお座りください」

 

 俺達は三人でそのソファに腰掛ける。

 パウロ、俺、ゼニスと言う並びだ。

 三人並んで座ってもまだ余裕がある、座り心地も良いし、きっとお高いんだろうな。

 

「若旦那様は職務で只今不在であられますので、大旦那様がお出迎えなさるとのことです。

 まもなくおいでになりますので、こちらでお待ち下さい」

 

 執事っぽい人はそう告げた後、高級そうなカップに紅茶っぽいものを注ぎ、入り口脇に控えた。

 湯気を立てるそれを飲む。

 味も紅茶っぽい。

 まぁ俺が飲んでた紅茶なんてほとんどティーバッグとペットボトルだから、微妙な違いなんてわからないし。地球から紅茶好きが来ることがあれば、これは紅茶じゃない! みたいに思うのかもしれないが。

 とりあえずまずくはないし、香りは良い。

 なんとなく飲むと落ち着く気もする。

 

「フィリップは不在か。

 サウロス伯父さんと会うのも久々だ」

「そうね。

 私も結婚の時に少しご挨拶しただけだから、ちょっと緊張しちゃう」

 

 パウロとゼニスがサウロスについて話をはじめたので、俺もちょっと聞いてみる事にした。

 

「その方はどんなお人なのですか?」

「ん? サウロス伯父さんは、そうだな。

 俺の伯父……母様の兄に当たる人だ。

 お前から見ると、大伯父ってことになるな」

「大伯父様ですか」

「俺も小さいころから何かと世話になったな。

 ま、お前からしたら爺ちゃんみたいなものさ、気楽にしていいだろ」

「初対面なのにいきなり気楽にはなれませんよ」

「そうか?

 後はそうだな、ロアや俺達の住んでるブエナ村も含めたフィットア領の領主で、ボレアス・グレイラット家の当主でもある」

「偉い方じゃないですか」

「ま、そうだな。

 でも堅苦しい人じゃないから、あんま気にするな」

「えぇ……?」

 

 無茶を言う。

 親戚と言ったって偉い人相手だ、緊張はする。

 まぁパウロからしたら子供の頃から知っている自分の伯父さんだものな。

 気楽なのも当然か。

 俺からすると大伯父か。

 未来の俺は仕事で来たこともあって、雇い主相手と言う態度を余り崩さなかったようだが、

 俺はパウロが言う通り、自分のお爺さんのような気持ちで接してみても良いのかもしれない。

 

 そんな事を考えていると、部屋の外から大きな足音が聞こえてきた。

 

「ここか!」

 

 乱暴に扉が開かれて、筋骨隆々とした大柄な男性が部屋に入ってくる。

 夢で見たのとほぼかわらない印象。

 サウロスだ。

 

 しかもそれだけではなかった。

 傷だらけの筋肉質で濃い褐色の肌に、露出度の高いレザーの服。

 獣っぽい耳と尻尾、眼帯をつけたいかにも姉御っていう雰囲気の女戦士。

 ギレーヌだ。

 彼女ももうボレアス家に滞在していたのか。

 

「お久しぶりです、伯父さん」

「うむ。

 よく来たなパウロ!

 それにゼニスか!」

「ご無沙汰しております」

 

 パウロとゼニスは立ち上がってサウロスに挨拶をしていた。

 俺も慌てて立ち上がる。

 言葉が途切れ、サウロスの視線が自分に向いたのを感じて、胸に手をあてて軽く頭を下げる。

 

「初めまして、ルーデウス・グレイラットです」

 

 教わったとおりに挨拶をする。

 うん、特にミスはしていないはずだ。

 

「ルーデウスか、儂はサウロスだ!

 儂の事は知っておるか?」

「えっと、父様の母様のお兄様。

 僕にとっては大伯父様にあたる方だと聞いています」

「その通りだ、よろしい!

 楽にするが良い」

 

 よくわからないがよろしいらしい。

 とにかく挨拶はちゃんと出来たようだ。

 俺がほっとしている間に、サウロスは視線をパウロに移していた。

 

「パウロよ、お前の息子は幾つだったか?」

「今年で5歳ですね」

「ほう。

 その若さでなかなかしっかりとした様子。

 お前にしてはきちんと教育をしているようだな」

「自慢の息子ですよ」

 

 目の前でそういうことを言われるとむず痒い。

 しかしパウロの口からそう言う言葉が出ると、思ってたより嬉しく感じるな。

 そうか、自慢の息子か。

 

「受け答えだけじゃなく、

 なんとこの歳にして水聖級魔術師ですからね。

 ちょっとした物でしょう?」

「なに?

 それは本当か、パウロ」

「ええ」

「ほう……」

 

 サウロスが感心した様子で顎髭をなでながらこちらを見る。

 魔術に関しては余り苦労して身につけた感じではないので、そこまで誇らしいと言う気分にはなれないのだが。

 

「おじいさま、水聖級魔術師って?」

 

 ん?

 

「おお、エリスよ。

 水聖級魔術師とはな、水魔術が聖級まで扱える魔術師と言うことだ」

「ふぅん……それってどれぐらい凄いのですか?」

「そうだな。

 剣の腕にするとギレーヌより一つ下と言うところだ」

「えっ!? 本当にそんなに凄いの!?

 ちょっとあんた! ほんとにその水聖級魔術師ってやつなの?」

 

 突然こちらに声をかけられる。

 

「え、えぇ……本当ですけど」

 

 いかん、思考がフリーズしていた。

 改めて見ると、サウロスの足元に鮮やかな赤毛の少女がいてこちらを見ている。

 ペロっ……これは、エリス!

 残念ながら実際に舐めて確かめた訳ではないが、間違いないだろう。

 小さい。

 と言うかサウロスとギレーヌがでかいのか。

 その上二人はオーラというかプレッシャーと言うか、存在感も凄い。

 そのせいですぐに目が向かなかった。

 

「伯父さん……その娘は?」

 

 パウロが俺たちを代表して問いかける。

 

「よし、エリス。

 挨拶をしなさい!」

 

 サウロスに促されてエリスが一歩前に進み出る。

 そして腕組みをして俺達の前で小さな胸をはり、宣言した。

 

「エリス・ボレアス・グレイラットよ!」

 

 ばばーんと効果音がつきそうな名乗りだ。

 パウロもゼニスも苦笑している。

 

「初めまして、ルーデウス・グレイラットです」

 

 俺は折角なので改めて彼女に名乗り返した。

 

「うむ。

 エリスよ、ルーデウスはお前の弟のようなものだ。

 仲良くしてやりなさい!」

「わかったわ、おじいさま!」

 

 どうやら仲良くして貰えるらしい。

 折角なので、その流れに乗ってみよう。

 

「それじゃあ僕の姉様ですね。

 エリス姉様、よろしくおねがいします」

 

 そう言って笑いかけてみと、

 エリスは頬を紅くして、小鼻を膨らませた。

 どうやら満更ではないようだ。

 

「ふん!

 良いわ、私がめんどうをみてあげる!

 こっちに来なさい!」

 

 俺はエリスに腕を引かれてソファからはなされる。

 

「ギレーヌも久々だな!」

「本当よ、元気にしてた?

 パーティが解散した後、貴方はどうなるか心配してたんだから」

「ああ。

 パウロもゼニスも、久々だな。

 あの後は……大変だった。

 が、今はサウロス様に厄介になり、なんとかやっている」

 

 後ろからはそんな会話が聞こえてくる。

 挨拶も終わって歓談タイムに移った感じだ。

 それで子供は子供同士、仲良くさせておこうってとこか。

 

「ルーデウス!

 あんたは魔術師って言うけど、どんなことが出来るの?」

「そうですね……水や火を出したり、風を起こしたり怪我を直したりとかでしょうか」

「へ、へぇ……ちょっとやってみなさいよ」

 

 そう言われたので、ご要望にお応えする事にした。

 右手を持ち上げて魔力を操作し、手のひらの上に小さな水球を生み出した。

 そのまま水流を操作して、ゆったりと水球をうねらせる。

 

「へぇ~~」

 

 エリスは目をキラキラさせて俺が出した水球を見つめている。

 かわいいな。

 思っていたのと違う。

 7歳だとまだそこまで乱暴ではなかったのか、それとも出会ったシチュエーションの差なのか。

 

 そんな彼女を微笑ましい目で見つめていると、

 俺の視線に気付いたエリスは魔術に夢中になっていたのをごまかすようにごほんと咳払いをする。

 

「こ、これだけかしら?」

「いえ、その気になれば何十倍も大きいのを出して打ち出すことも出来ますよ」

「そ、そう……中々凄いじゃない。

 でも、私だってギレーヌに剣術を習ってるんだからね!

 前に行った学校でだって、私が一番強かったわ!」

「そうなのですか……。

 エリス姉様は強いのですね。

 僕も父様に剣術を教わっているんですけど、まだまだなんです。

 良かったらエリス姉様の剣術を見せてください」

「し、仕方ないわね!

 ギレーヌが良いって言ったら、見せてあげるわ!」

 

 エリスは得意げな様子でそう言う。

 なんだろう。

 家庭教師じゃなく、弟分と言う立場で接したのが良かったのか。

 上には反抗するけど下には面倒見の良い不良みたいな。

 それに、今回俺はエリスの嫌いな勉強をさせにきた人間でもないしな。

 なんにせよ、友好的にファーストコンタクトが出来てほっとした。

 彼女との接触はかなり不安の種だったからな。

 このまま仲良くなれるように頑張ろう。

 

 そう考えていると、パウロに呼ばれる。

 

「なんですか? 父様」

「おお、ルディ。

 エリスちゃんとは仲良くできそうか?」

「はい。

 そうして貰えたら嬉しいと思います」

 

 俺がパウロにそう答えるのを聞いて、エリスは腕組みしながら満足げにしている。

 

「そうか、良かったな。

 それじゃあ父さん達はまだ話をしてるから、エリスちゃんに館を案内して貰ったらどうだ?

 夕食までは自由にしていていいそうだ。

 その時にはフィリップも帰ってくるそうだしな」

「わかりました、父様」

 

 そう答えた所で、エリスが早速俺の腕をつかんだ。

 

「決まりね!

 行くわよルーデウス!」

「わかりましたから、引っ張らないでくださいエリス姉様」

 

 その後、俺は夕方まで時間いっぱい館の中を連れ回された。

 しかし広い。

 本館だけなら大きな館で済むかもしれないが、庭を含めると本当に広い。

 離れがいくつも有り、高い壁に囲まれている。

 その壁も単なる壁ではなく内側にある階段から上に登れるようになっていて、上部は通路上になっている。

 ジグザグの胸壁もついていて、壁というより城壁だ。

 全体でみるとまさにヨーロッパの小城と言う感じで、子供の探検にはもってこいだろう。

 

 本館にある尖塔にも登りたかったが、エリスはあそこには余り近寄らないように言われているからダメだと断られた。

 彼女を口先でそそのかして連れて行ってもらうことも考えたが、やめておいた。

 交渉でも詐術でも、そういう事をするならサウロスやフィリップを相手にするべきだ。

 まだ子供の彼女をそんな風に利用したくはない。

 

 俺を連れ回すエリスは、終始楽しげだった。

 これで良いのだ。

 

 

---

 

 

 夕食の席。

 改めて、エリスの両親であるフィリップやヒルダに挨拶をした。

 

 ヒルダはこちらを見て複雑そうな表情をしていた。

 今回は客人という立場で来ているので、余り邪険にも出来ず心中複雑そうだ。

 事情は知っているけど、どうすることも出来ないからな……あまり刺激しないようにしよう。

 

 フィリップとも少しだけ話をした。

 

「ふむ。

 パウロの言う通り、良い子だね。

 エリスとどうか仲良くしてやってくれ」

「はい。

 こちらこそ、エリス姉様に仲良くして貰えたら嬉しいです」

 

 夢で見た通り腹の底の読めない曲者と言う感じを受ける。

 とりあえず悪く思われてはいないと思いたい。

 

 ギレーヌとも話をした。

 パウロ、ゼニス、エリスも交えて冒険者時代の思い出話なんかを聞かせて貰った。

 その時ギレーヌの冒険者時代の仲間と知ったからか、パウロとゼニスに対してもエリスは一定の敬意を持った様子だった。

 

「冒険者として稼ぐんなら、北方か南方だな。

 魔物や盗賊が多くて討伐や護衛の依頼が多い」

「東部も仕事は多いけど、あそこは紛争地帯で内容も冒険者と言うよりは傭兵の仕事ばっかりね」

「ああ、んで西部。

 俺たちのいるこのアスラ王国だが……ここはダメだ。

 国がしっかり治安を守ってるせいで、逆に冒険者の仕事は碌なもんがない」

「そうだな……アタシはパーティーが解散したあと、中央大陸を転々として最後にアスラにきたが、そのせいで行き倒れる羽目になった」

「行き倒れって……いくらなんでもそこまで酷くはならないはずだぞ、何をやったんだ」

「王都で仕事を探したが、討伐依頼がまったくなかった。

 アタシは戦う事しかできないから、他の細々した依頼はできないしな。

 そのくせ物価が高かったせいで、蓄えはすぐに尽きた」

「よりにもよって王都に行ったの……まだこっちみたいな辺境領ならそれなりに討伐依頼もあったのに……」

「あの時アタシはそこまで頭が回らなかった。

 失敗だったな」

 

 Sランク冒険者で、剣王でも行き倒れか……世知辛い。

 しかしなるほどな。

 国がしっかりしてるほど、冒険者の仕事はへるのか。

 まぁそりゃそうか。

 しかしそうなると冒険者としてやっていくには必然的に治安の悪い国をメインに活動しなきゃならないのか。

 それは嫌だな。

 そう俺が溢すと、パウロが他の選択肢をあげてくれる。

 

「ギルドで依頼を受けるだけじゃなく、迷宮の探索をメインにするって手もある。

 俺らもパーティーを組んでた時はこっちがメインだったしな」

「そうだな。

 アタシも最初一人で迷宮探索を続けようと思っていたが、食料やアイテムの管理がどうしても出来なくて諦めた」

「ギレーヌ、貴方そんな危ないことをしようとしてたの?

 いくら貴方が強くても、一人で迷宮探索なんて無謀よ。

 罠の対処に、マッピング、怪我や毒の治療なんかはどうするつもりだったの」

「やってみれば、なんとかなるだろうと思っていた……」

「はぁ……断念してくれてよかったわ。

 そうじゃなきゃ再会できなかったかも知れないもの」

「そうだな」

 

 ゼニスがギレーヌを窘めている。

 ギレーヌも静かにそれを受け入れていた。

 

「まぁ、ゼニスが言うように迷宮探索は色々とやらなきゃならんことが多い。

 だから滅多にソロでやるやつはいない」

「もしやるなら、前衛が出来る戦士や剣士、魔術師と治療術師、これは兼任でも良いけど。

 あとは罠の発見や解除なんかが出来る人が必要よ」

「それって、シーフとかですか?」

「そうだが、専業のシーフって呼ばれるようなのを加えるのはあまり勧められねえな」

「何故です?

 そういう人がいたほうが便利そうに思いますが」

「そうだが、結局は腕っ節稼業だからな。

 なるべく戦える奴をいれたほうがいい」

「なるほど……」

「北神流の剣士なんかは、罠や探索に強いやつもいるからな。

 仲間にするならそういうのがおすすめだ」

「そうは言っても結局は相性よ。

 腕だけあっても寄せ集めじゃ碌なことにならないわ。

 ルディも冒険者をするなら、気の合う仲間と一緒にやりなさいね」

「そうですね。

 冒険者をする時は、そう言う仲間を探します」

 

 俺がそう言うと、エリスが腕組みをして胸をそらした。

 

「私が剣士で、ルーデウスが魔術師だから丁度いいわね!」

 

 冒険譚に聞き入って、エリスはすっかりその気になっているようだ。

 

「そうですね。

 将来冒険者になった時は、よろしくお願いします」

「ふふん。

 仕方ないわね、その時はパーティーに入れてあげる!

 私はそれまでに強くなるから、ルーデウスもしっかり魔術を勉強しておくのよ!」

「ええ、任せてください」

 

 そんな俺達のやりとりを聞いて、大人組は笑みを零した。

 

「あら、良いわね。

 ルディは治癒魔術も使えるし魔力量も大きいから、そうなったら二人でもパーティーが成り立つぐらいになるかもだわ」

「エリスお嬢様には天稟がある。

 もしそれを望んで厳しい鍛錬をしたなら、アタシ以上の使い手になるかもしれない」

「なに、そりゃまじか。

 ギレーヌ以上って相当なもんだぞ……。

 おいルディ、魔術もいいけど剣術も負けないように鍛えろよ?」

「ん……ルーデウスは剣術もやっているのか?」

「はい。

 まだほとんど基礎だけですけど、父様に見て貰っています」

「その歳で既に水聖級魔術師だと言うのに、剣術にも力を入れていくつもりなのか?」

「はい。

 どれだけ身につけられるかはわかりませんが、

 もし魔術師として身を立てることになっても剣の修業は無駄にはならないと思っています。

 父様にもその時は剣神流の斬撃をしのげるような魔術師になれ、と言われました」

「なるほどな……確かに間合いを詰められても魔術師がある程度自分の身を守れるなら、前衛にとってもありがたい。

 そういう事なら、ここにいる間は私がルーデウスの剣を見てやろう」

「……父様?」

「おぉ、見てもらえ見てもらえ。

 剣王に指導して貰えるなんてなかなか無い機会だ。

 俺も、剣神流はギレーヌに折を見て教わりながら冒険者をやっていたしな」

「そうなのですか……それではギレーヌさん、よろしくお願いします」

 

 俺は彼女に頭を下げた。

 

「ギレーヌで良い。

 では明朝、庭でお嬢様と鍛錬をするからそこに混じると良い」

「……ねぇギレーヌ、ルーデウスも貴方の弟子になるの?」

「まぁ、一時的にな。

 エリスお嬢様にとっては弟弟子と言うことになるか」

「へぇ、弟弟子!

 剣術でもルーデウスは私の弟なのね。

 いいわ、私も面倒を見てあげる!」

「ありがとうございます」

 

 エリスのテンションは更にあがったようだ。

 その後も、夜が更けるまでエリスと一緒に三人の冒険者時代の話を聞いてその日はすごした。

 彼女は目を輝かせ、興味深そうにギレーヌ達の話を聞いていた。

 

 

 

 その後は、滞在中に宿泊する客室に案内されて就寝する。

 そのベッドもフカフカで寝心地がよく、高そうだ。

 俺はすぐに寝ることにする。

 

 そして次の日の朝。

 まだ皆が寝静まっている早朝を狙って俺はベッドから起き出した。

 まだ寝ている両親に、トイレに行くと告げて部屋を抜け出す。

 もちろんトイレと言うのはカモフラージュで、真の目的はあの塔に登って赤い珠の有無を確認することだ。

 

 外はまだ薄暗らかったが、使用人は既に仕事を始めているものが居るらしく、時折メイドさんとすれ違ったり物音が聞こえてきたりする。

 朝から大変なことだ。

 貴族の使用人も楽じゃないな……頭が下がる。

 

 大まかな場所はわかっているので、俺はどんどんと例の塔がある方向へと歩いていく。

 特に警戒はしていない。

 別に扉の閉まっている誰かの私室や執務室などに忍び込むわけではないし、あの塔はサウロスがヤリ部屋にしているからあまり近寄らないようにと言われているだけで、立入禁止と言うわけではない。

 エリスに館を案内してもらった時にダメだと言われたので、気になったから探検していた。

 もし誰かに見咎められたら、そう言い訳すれば大丈夫だろう。

 

 

 実際、特に誰かに注意されることもなく塔の根本部分までたどり着いた。

 扉もないので、そのまま中に入り階段を上がっていく。

 何事もなく最上階にたどり着いた。

 誰もいない。

 

 俺は一度深呼吸をした。

 そして最上階の小さな小部屋にある出窓から、外を見る。

 

「…………あった」

 

 俺は目をつむり、息を吐いた。

 目を開けてもう一度窓の外を見る。

 ある。

 見間違いではない。

 そこには確かに、小さな赤い珠が空中に浮いているのが見えた。

 

 

 転移事件は起こる。

 残念なことに、それは間違いないようだった。

 

 

 



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今後のこと

 

 

 ボレアスの館の上空に、赤い珠が浮いていた。

 

 まぁ確認はしに来たがあれが無いという可能性は低かったんだ。

 むしろ見つかって良かった。

 何しろ、ここであれが見つからなくても転移事件が起きないという保証にはならない。

 赤い珠の発生地点がちょっとずれただけ、という可能性は残る。

 その場合、いつか災害が起こるかもしれないという疑いをずっと抱え続けることになる。

 そうなるよりははっきりと予兆を捕まえられたのは良かったと言える。

 

 そんな風に考えてみたものの、流石に落胆する。

 表面上の安心でもなんでもいいから、あんなもの無い方が良かった。

 俺がいる世界では、何かの要因で転移事件は起きず何事も起こらない。

 そんな都合のいい可能性を心の何処かで期待していた。

 

「はぁ……」

 

 思わずため息が漏れる。

 

 見てしまったからには、対処を考えなければならない。

 朝から憂鬱な気分になってしまった。

 部屋に戻る前に、顔を洗って少しでもリフレッシュしておこう。

 流石に今日、明日に転移事件が起こるということはないだろうしな。

 

 

---

 

 

 朝食の後、庭でエリスやギレーヌと剣の稽古をする。

 ついでにパウロもついて来た。

 ギレーヌの指導。

 と言っても、特別なことはしない。

 相変わらずの基礎訓練だ。

 

 しかしギレーヌはそこに説明や指摘を添えてくれる。

 型や打ち込み、足運びや体重移動。

 その意味を明確にしてくれるのだ。

 

「……ルーデウス、それではダメだ」

「何故ですか?」

「この足運びは、右側面からの攻撃を避けつつ体の正面に相手を捉えて有利な態勢を作り出すためのものだ。

 その為に右足から踏み込む……こんな感じだ」

 

 そう言ってギレーヌは目の前で足運びを実践してくれる。

 指導のためゆっくりとした動きでやってくれているのに、実際以上に素早く感じる。

 無駄のない流麗な動きだ。

 動きが終わった時、正面にいたギレーヌが俺の右側に回り込んでいた。

 しかも、上中段に剣を持って斬りかかるための態勢がきっちりと整えられている。

 

「だから、ただ踏み込みの順番だけを気にしていてはだめだ。

 一歩目から相手の攻撃を外しに行くつもりで、終わりにはそのまま正面の敵に斬りかかるつもりでやるといい」

「わかりました」

 

 基礎の訓練でも、一つ一つに意味がある。

 勿論パウロもそれなりに説明はしてくれていたのだが、ギレーヌはその理解が深く明確だ。

 適当に済ませている部分が全くない。

 動きの一つ一つに、何のためにそう動くのかという自覚がある感じだ。

 流石に剣王の称号を持っている人間は違う。

 自分が水王級の魔術を会得しても、こんな指導が出来るようになるとはとても思えない。

 

 

 エリスと模擬戦とかはしない。

 まだ俺はそういうことをする段階ではないそうだ。

 その代わり型の合わせはする。

 これが結構大変だった。

 

 型の合わせとは、攻める型と守る型に分かれて交互にそれをこなすものだ。

 例えば前者が踏み込んで上段だからの振り下ろし、後者はそれに対して頭上で剣を斜めに構えて正面からの振り下ろしを受け流す。

 どう攻めてどう受けるかは決まっているので、きちんとこなせば危険はない。

 だがそれはつまり、きちんとこなさなければ危険なのだ。

 ましてや相手はこのエリスである。

 

「ハッ!!」

 

 エリスが剣を振り下ろしてくる。

 

「ッ!」

 

 俺は必死でそれを受け流す。

 その打ち込みの強さに、手が痺れて剣を取り落としそうになった。

 

 エリスは全力だ。

 俺が守りの型に失敗した時に怪我をさせないように、なんて考えは微塵もない。

 むしろ俺の防御ごと叩き潰そうという気迫が感じられる。

 いくら事前に攻撃の型がわかっているとはいえ、これは怖い。

 

「ルーデウス、手がしびれるのは受け流しが上手く行っていないせいだ。

 原因は体に余計な力が入り、動き出しがスムーズに行かずに守りの型が綺麗に作れていないからだろう。

 もっと余裕をもって対処しろ」

 

 そう思っているとギレーヌにダメ出しをされた。

 

「すみません。

 エリス姉様の打ち込みが鋭くて……」

「ふふん。

 ルーデウスはまだまだね!」

「それは理由にならん。

 今のお前でも、きちんと合理に従って動けばこなせるからこの型稽古をやらせているんだ」

「はい。

 頑張ります」

 

 難しいが、慣れるように頑張ろう。

ギレーヌの指導は的確だ。

 

「お嬢様は受け流されるのを嫌って力が斜めに入っているが、それではダメだ。

 実戦では相手がどう守るかはわからない。

 後ろに退くか、横に躱すか、力で押し返してくる場合もある。

 だから打ち込む段階では余計な事は考えず、自分の一撃を最高のものにすることに集中せねばならない」

「でも、防がれるのがわかってるとどうしてもムキになっちゃうのよ……」

 

 エリスがそう言うと、ギレーヌは言葉を続けた。

 

「だが最強の一撃を最速で放ち、全てを両断する、それが剣神流の目指すものだ。

 まずは一撃の速さと強さに力を集中することを学ぶ。

 それが完璧にできれば、結果的に相手の防御ごと断ち切る一撃を放つ事ができるようになる」

「わかったわ!」

 

 断ち切られちゃ困るんですがね?

 ギレーヌは守りも教えてくれるが、攻め側にも指導してくれるので結局楽にならない。

 しかもエリスの方が上達が早そうだ。

 これはきつい。

 頑張らねば。

 

 

 パウロとギレーヌの模擬戦も見せて貰った。

 こっちは型の合わせのような約束稽古ではない。

 使うのは木刀で防具も付けているが、なんでもありのガチンコだ。

 負傷したら、俺が治癒魔術で治す。

 

「シィッ!」

 

 パウロの動きは変幻自在。

 自分から果敢に攻め掛かる。

 かと思いきや守りを固めカウンターを狙う。

 攻撃がこなければトリッキーな動きで相手を惑わす。

 

 対してギレーヌは動かない。

 静かに剣を構え、相手の攻撃を捌きながら鋭い目でパウロを捉え続けている。

 

「ちっ!」

 

 業を煮やしたパウロがまた攻めへと転じる瞬間、ギレーヌの剣が奔った。

 

「ぐあっ!?」

 

 どんな攻撃をしたのかは早すぎて見えないが、パウロが苦悶の声を上げながら吹っ飛ぶ。

 決まった。

 そう思ったがギレーヌは構えをとかず、更に滑るように間合いを詰めた。

 

「あっ!?」

 

 エリスが驚きの声をあげる。

 パウロが地面を転がりながら、剣を投げたのだ。

 破れかぶれではない。

 ふっ飛ばされた勢いに対して受け身をとりながら体を回し、その動きをそのまま剣を投げる動作に繋げている。

 以前聞いた、北神流の技だろう。

 

 だがギレーヌはその攻撃を予測していたのか、投げられた剣を綺麗に弾いた。

 そして倒れ無手になったパウロに剣先を突きつける。

 

「参った」

 

 パウロが両手を上げて降参する。

 俺はパウロに駆け寄った。

 

「父様、治療は必要ですか?」

「あぁ、頼む。」

 

 パウロはそう言って防具を外し、上着をまくり上げた。

 脇腹に一筋、赤黒く線が走っている。

 俺は患部にさわって怪我の具合を確かめた。

 

「いちち」

 

 この感じだと折れてはいないが、ヒビぐらいは入っているかもしれない。

 俺は中級の治癒魔術を使うことにした。

 

「母なる慈愛の女神よ、彼の者の傷を塞ぎ、健やかなる体を取り戻さん『エクスヒーリング』」

 

 淡い光がパウロの脇腹を覆っていき、赤黒く走っていた内出血が綺麗な肌色に戻っていく。

 

「おー、治った治った。

 サンキューな、ルディ」

「いえいえ」

 

 治療が終わった所で、パウロはギレーヌを見てため息をついた。

 

「ったく……相変わらず容赦ねーな」

「当然だ。

 無意味に容赦などしていては稽古にならん」

「ギレーヌも実戦からだいぶ遠ざかってるだろうし、意表を突けば勝てるかと思ったんだがな」

「そんなわけがあるか。

 アタシはそう簡単に剣を鈍らせるつもりはない。

 パウロ、お前の方こそ動きが悪くなっているぞ。

 きちんと稽古をしているのか?」

 

 ギレーヌにそんな心配までされてしまっている。

 哀れパウロ。

 

「ゲッ!? マジかよ……こっちは駐在騎士で一応今でも魔物狩りの仕事はしてるんだがな」

「魔物と言ってもこの辺りに出る相手ではたかが知れているだろう。

 そんな相手に勝てれば十分という気持ちでいれば、剣も鈍る」

「はぁ……ちょっと鍛え直さないとダメだな。

 くそ、ベッドの上でなら負けねーんだがな」

 

 ナチュラルに屑発言をしていくパウロ。

 

「父様、その言葉は母様にお伝えして良いのですか?」

「うおっ!? 待て待てルディ、冗談だ冗談。

 だからゼニスに伝えるのは止めてくれ」

「まったく相変わらずだな……」

 

 ギレーヌが呆れたようにつぶやく。

 そこにエリスが声をかけた。

 

「ギレーヌ、凄かったわね!

 パウロ……さんも。

 でも、剣を投げるなんて卑怯じゃないかしら?

 それも勝負がついた後なのに!」

 

 エリスの言葉にパウロが苦笑を浮かべる。

 

「パウロで良いよ。

 あー、剣を投げたのはだな、その、なんつーか……」

 

 パウロが受け答えに悩んでいると、ギレーヌがその言葉を引き継いだ。

 

「お嬢様、それは違う。

 さっきのアタシの一撃は真剣でも致命傷にはならなかった。

 それにたとえ致命傷を負わせても最後の力で反撃してくる奴も居る。

 決着がついていたとは言えない」

「でも、これは稽古でしょ?」

「稽古だからこそ、実戦の心構えでいなければならない。

 さっきの型稽古と同じだ。

 どうせ相手が受け流しをしてくるから、そうされないようにしよう。

 どうせ一撃をあてたら終わりだから、その後は何も気にしなくていい。

 そういう考えで稽古をする者は、実戦の時だけ気を引き締めることなど出来はしない」

「むぅ……そうかもしれないけど……」

 

 エリスはそれでも納得いかなげにしている。

 

「それにパウロも試合でああ言うことは偶にしかしない。

 奇襲、騙し討ちも鍛錬は必要だが、そればかり鍛えていると真っ当な立ち会いの強さが疎かになるからな」

 

 確かに、暗殺者とかであればそれだけ鍛えれば良いのかもしれないが、

 剣士なら地力をつけなきゃならないからな。

 パウロも普段は北神流の技は余り使わないようにしているみたいだし。

 

「今のは技の鍛錬と言うだけではなく、お嬢様やルーデウスに見せる意味もあったのだろう。

 稽古での油断を戒めるのと、北神流を相手にした時はああ言う技にも気を付けろとな」

「へぇ……そうだったんだ」

 

 ギレーヌの説明で、エリスが感心したようにパウロを見た。

 

「そ、そうそう。

 北神流だけじゃなく、魔物とかもそうだぞ。

 あいつらだって、動けるうちに諦めたりはしないからな。

 模擬戦や型稽古でも、いつでも相手が予想外の反撃をしてくるってつもりでやるんだよ」

「そうね、わかったわ!」

「はい、わかりました」

 

 エリスに習って俺も返事をする。

 しかしパウロはそれっぽいことを言っているが、本当にそんなつもりでやったのだろうか?

 ただたんにギレーヌに一泡吹かせたかっただけのような気もするが。

 ……でもまぁ言ってることが間違っているわけではない。

 俺も稽古だからと気楽にならず、これからはもっと実戦のつもりを心がけるようにしよう。

 練習は本番のように。

 本番は練習のように。ってやつだな。

 

 そうこうしているうちに、昼食の時間が近付いてきたので今日の剣の鍛錬は終わりとなった。

 

 

---

 

 

 剣の鍛錬の後。

 一旦解散し、各自で汗を拭いたり流したりした後でまた食事の時に集まることになった。

 

 俺も部屋で汗を拭うための布を頼んだのだが、それを持ってきたメイドさんが―――

 

「よろしければお体をお拭きいたしましょうか?」

「あ、はい。

 お願いします」

 

 こんな事を言われたので、思わず反射的にお願いしてしまった。

 魔術でお湯を出し、メイドさんが持ってきたタオルを湿らせてから軽く絞る。

 その後、上着を脱がせてもらい、そのままメイドさんに体を拭いて貰った。

 

 若いメイドさんだ。

 獣族で、猫耳と尻尾がついている。

 結構かわいい。

 こう言うのって、割りと夢のシチュエーションかもしれないな。

 

 ……そう言えば、獣族は嗅覚が鋭くて人間の発情の匂いとかもわかるんだったか。

 まだオトコノコの日が来ていないので助かった。

 もしその日を過ぎていたら今頃冷たい視線を浴びていたかもしれない。

 

 

 体を拭いてもらったら、メイドさんにお礼を言って部屋を出る。

 もうすぐ昼食だが、俺は先に一度庭へでた。

 そして館との位置関係を確かめながら庭をうろうろと歩いていく。

 

 ……このあたりか。

 真上を見上げる。

 特に何も見えないが、ここはあの赤い珠があった場所の真下あたりのはずだ。

 

 横に立っている塔を見る。

 高さが目算だが30mはありそうだ。

 マンションで言えば10階ぐらいか。

 赤い玉は野球の球より少し大きいぐらいに見えたから、あの高さだと地上からは見えないか。

 

「ふぅー」

 

 俺は上を見上げていた首を元にもどし、ゆっくりと息を吐いた。

 足元に両手を向ける。

 

 集中。

 魔力を両手に集めていく。

 

 俺は魔術で足元に岩塊を生み出した。

 更に魔力を込めていき、それなりの丈夫さを確保しながらどんどんと大きくしていく。

 自分の体が持ち上げられていく。

 横に倒れないよう裾を広げながら、それなりの太さの岩山を高く伸ばしていく。

 

 横の塔より少し低いぐらいの高さで魔術を止めて、あたりを見渡す。

 あった。

 あの赤い珠だ。

 魔術で更に岩山を成形し、赤い珠の目の前に立てるようにする。

 

 眼前で見るそれは、なんとも奇妙な代物だった。

 赤い光を放っている。

 だがそれそのものが赤いわけではない。

 赤い魔力光を発する複雑な文様が、複雑に絡み合みあいながらうねっている……そんな感じだ。

 

 物質ではない。

 未来の夢でナナホシとペルギウスが立体型の巨大な魔法陣を作っていたが、あれの発動時の光を離れてみたらこんな感じかもしれない。

 それとも単に俺がそれと関連付けて連想してしまっただけだろうか。

 ただ、これは魔法陣とは言えない。

 

 発する光は時折一部が意味のある図形を描くように見える時もあるが、全体としては酷く歪んでいて意味をなしていない。

 まるで魔法陣を力任せに小さく圧縮したようにも見える。

 しかも、魔力光の様な光を発しているくせに近くに来ても魔力を全く感じない。

 むしろ魔力が少しずつ吸われていくような感覚がする。

 

 寒気にも似たその感触に俺は身震いをした。

 思わず露出した肌を掌でさする。

 なんだか鳥肌が立ちそうだ。

 

 しかし間近で見てみてもやはり訳がわからない。

 やはり俺の知識ではこれ以上観察してもどうすることもできなさそうだ。

 そう思って珠の観察を打ち切り下を見ると、

 庭師の人や使用人の人などが集まってこちらを見上げていた。

 

 俺は魔力制御で足元の岩山をゆっくりと消失させる。

 目線の高さがどんどんと下がっていく。

 地面まで降りきると、周りで戸惑っている使用人の人達に声をかけた。

 

「お騒がせして済みません。

 上空に少し奇妙なものを見つけたので、近くで観察するために魔術で足場を作っていたんです」

 

 俺がそう説明すると、彼らは戸惑いながらもそうなんですか、と頷いていた。

 

「見つけた物については俺からフィリップさん達に説明しておこうと思います。

 もしかしたらまた足場を作ることがあるかもしれませんが、何か不都合があるでしょうか?」

 

 そう聞いてみると、彼らはお互いの顔を見合わせて困った顔をしている。

 自分では判断ができない、と言う様子だ。

 

「すみません、許可自体はフィリップさんたちに取るつもりです。

 今みなさんが特に不都合があるという事がないのであれば、気にしないでください」

 

 彼らはそういうことなら……と一応の納得を見せてくれた。

 

「それではお騒がせして失礼しました」

 

 俺は軽く一礼をしてその場を立ち去った。

 

 

 

---

 

 

 

 

 皆で昼食を済ませる。

 皆と言ってもフィリップとサウロスは居ない。

 何やら職務上の用事で外出しているらしい。

 

 一緒に食事をとったのはヒルダ、エリス、パウロ、ゼニス、俺、それからギレーヌだ。

 ギレーヌは普段食卓は一緒ではないらしいが、パウロとゼニスの友人と言う事で俺達が滞在中はお客さん枠で食事に同席するらしい。

 

 食事の後はパウロ、ゼニスと一緒に再度冒険者ギルドを訪ねて、ロキシーが戻っていないかどうか確認をする予定だ。

 俺達がそんな話をしていると、エリスが自分もついて行きたいと言い出した。

 良いとも悪いとも言えないので、両親がヒルダにお伺いを立てる。

 彼女は仕方ないとため息をつきながらも、おねだりをするエリスを見て微笑み、許可を出してくれた。

 

「でも、ギレーヌの側を離れないようにするのですよ。

 いいわねエリス」

「はい、お母様!」

 

 

 そう言うわけで食後、喜色満面のエリスと一緒に街にでることになった。

 

「待ってて! すぐ用意してくるから! トーマス! トーマスー!」

 

 エリスが大声で執事のトーマスを呼びつける。

 

 ……トーマスか。

 そう言えば未来の夢の中で、彼はエリスの誘拐事件の首謀者だった。

 どうにかしたほうが良い気もするが、さりとてどうしたものか。

 現時点では彼は何もしておらず、ただの執事でしかない。

 変態貴族……ダリウスとの繋がりが既にあるのかどうかも謎だし、仮にあったとしてもそれが罪と言えるかは微妙だ。

 何しろ特に実行に移した行動がないのだから。

 

 エリスの誘拐事件にしてもな……。

 あれは未来の俺の提案した偽の誘拐事件が引き金となっている。

 それが無くてもトーマスがエリスの誘拐を企てたのかどうかはわからない。

 外出時、エリスは常にギレーヌが護衛しているからな。

 案外あれがなければトーマスは何事もおこさずおとなしく執事を続けていたのかもしれない。

 

 例えば日本では、犯罪捜査において囮捜査は基本的に無効とされていた。

 それは囮捜査そのものが犯罪を誘発する要素をもっているからだろう。

 わざわざ誰もいない所に財布を放置して隠れて監視する。

 そしてそれを盗んだら逮捕する。

 これじゃあ捕まった人は納得しないだろう。

 

 俺だって、前世で美少女に向こうから迫られて、良いことしない? って誘われたらホイホイついていっただろう。

 それで手を出したら条例違反で捕まるのだ。

 これは酷い。

 やばいと思ったが、性欲を抑えきれなかったって奴だ……まぁこの場合は囮捜査ではなく普通に有罪になってしまうのだが。

 

 ……それはともかく。

 トーマスは、簡単にエリスを誘拐できそうな状況を目の前にぶらさげられていた。

 だから魔が差した、と言う面はあるだろう。

 そう考えると、まだ何もしていない内に問答無用で始末したりする気にはなれない。

 かと言って穏便に辞めてもらうのもむずかしい。

 フィリップやサウロスに言うとしても、説明できる理由がない。

 予知夢で見たので、では流石に信じてもらう自信がないしな。

 

 

 俺は少し考えて、結局、彼の事は一旦放置することにした。

 収まりの悪い気持ちにはなるが、緊急性も低いし他に考えなきゃいけないこともある。

 少なくとも夢ではこの先2年間は何もしなかったのだ。

 ギレーヌがエリスをきちんと護衛して居る限りは大丈夫だろう。

 とは言っても、余裕ができたらなんとかしたいところだ。

 

 

 

---

 

 

 

 そうして、皆で連れ立って冒険者ギルドを訪ねた。

 

 受付で話を聞いてみるが、残念ながらロキシーはまだ戻ってきていないそうだ。

 しかし、じゃあこれで帰りましょう、では流石にエリスが可愛そうだ。

 急いで戻らなければならない理由も無いのでロアの街を観光することにする。

 

 冒険者ギルドで依頼の張り紙なんかを見て回ったり、

 武器屋や防具屋であれやこれやと見繕ってみたり。

 元冒険者の大人三人組があれやこれやと解説をしてくれて、興味深い。

 

 しかしそう言った冒険者エリアを抜けて、商業区の雑多なエリアに入ってくると解説も言葉を濁すことが多くなってきた。

 現在は雑貨屋で旅道具のあれこれについてエリスが質問をしているのだが―――

 

「へ~、外で作るご飯ってこういうので作るんだ。

 ねぇギレーヌ、これでどんな食事をつくるの?

 それって美味しい?」

「う……む……、美味しくできることもあるし、そうでないこともあるな……」

 

 飯盒炊爨セットのような……いや、形が違うな。

 まぁ米を炊くわけじゃないもんな、野外用の調理鍋セットか。

 それをみてみたり。

 

「天幕? これで外で屋根を張るの?

 でも寒そうね、寝心地も悪そうだわ」

「そうだな。

 まぁちゃんと野営地を選んで寝具をうまくつかえば、それなりになる筈なんだが……」

 

 とか。

 

「これが松明?」

「そうだ。

 迷宮の中や月の無い夜の戦いなんかは、こいつを片手で持つことになる」

「……片手が塞がれるのは、イヤね」

「そうだな。

 あたし達剣神流にとっては特にそうだ。

 だから代わりに松明を持ってくれる仲間がいると、とても助かる」

「へぇ……ギレーヌがそんな事を言うなんてね」

 

 ギレーヌのその発言にゼニスが感心したように口を挟んだ。

 横ではパウロも同じような様子だ。

 

「ああ、そうだな。

 昔のあたしにはその有り難さがわかっていなかった。

 一人になった後、それがわかった」

「ふふ、あのギレーヌがね……」

 

 ゼニスはなにやら嬉しそうにしている。

 その横でパウロは松明を持ってエリスに話しかけた。

 

「そうそうエリス嬢ちゃん。

 松明ってのは良し悪しも激しくてな。

 出来の悪いやつだと明るくないしすぐ燃え尽きちまうし最悪なんだ。

 だから冒険者になったらちゃんとしたやつを買うんだぜ」

「そうなんだ!

 じゃあ、ここに売ってるのは良いの? 悪いの?」

「えっ!?

 えーっと、そいつは……まぁ、普通なんじゃないか?」

「なによそれ。

 はっきりしないわね……」

 

 こんな風に歯切れが悪くなったりするのだ。

 この状況に俺はピンと来るものがあった。

 たぶん、あれだ……。

 

「父様、冒険者をしていた頃は誰がこういうアイテムの仕入れをしていたんですか?」

「それはあいつが……」

 

 言いかけてパウロが苦虫を噛み潰したような顔になった。

 そして大きくため息をつく。

 

「そうだな。

 ギレーヌに余り偉そうな事は言えねえや。

 こういう事は俺もあいつに任せっきりだったな」

「そうだな。

 あいつはなんでも出来たからな」

 

 項垂れたパウロにギレーヌが同意する。

 

「ギレーヌ、あいつって?」

「あたしらパーティーにいたシーフだ。

 戦うことは出来ないヤツだったが、それ以外の大体の事は任せて間違いはなかった」

「ふぅん……でも戦えないやつが仲間にいるなんて足手まといじゃないの?」

「普通のパーティーなら、そうかも知れない。

 そう、普通は雑事は全員で分担してやるのだろうな。

 でもあたしらは皆そういう事は苦手だった。

 そう云うのが得意なのはあいつとエリナリーゼぐらいだった」

 

 ギレーヌが記憶を振り返るように遠くを見てそう言うと、

 ゼニスがそこに言葉を重ねる。

 

「そうね……二人共、今どこでどうしているのかしら?」

「さぁな。

 どちらもそう簡単に死ぬやつでは無いと思うが」

 

 猿人の盗賊ギースと、エルフの戦士エリナリーゼか。

 それにドワーフの魔術師タルハンドを加えた6人がパウロ達のパーティーだったな。

 

「お嬢様ももし将来冒険者になるなら、

 こう言う物の良し悪しの見極めや金の管理も出来たほうが良いと思う」

「えぇ……物の善し悪しはともかく、お金の管理ってさんじゅつのお勉強ってことでしょう?

 もしそうなったら、私もギレーヌみたいに誰かにやってもらうから良いわよ」

「そうだな。

 誰かに頼れるならそれでも良い。

 けれどそれに甘えていた私は、一人になって苦労することになったからな」

「うっ……。

 ル、ルーデウスは私と別れたりしないわよね?

 任せていいでしょ?」

「エリス姉様、それは約束できませんよ。

 僕だって父様みたいに誰かと結婚するかも知れないんですから」

「そんなぁ……」

 

 エリスがショックを受ける横で、

 パウロ達は過去を思い出してちょっとしんみりした様子だった。

 

 

 

 

 

 

---

 

 

 

 

 

 夕食の席の後。

 

 俺はフィリップに声をかけられた。

 

「君、なんでも昼間に庭で妙なことをしていたんだって?」

「……ああ。

 はい、そうですね。

 妙な事というかなんというか」

「中庭で巨大な石柱のようなものをだしていたそうだが、

 いったいどうしてそんなことをしていたんだい?」

 

 フィリップの問いに、俺は少し考えをまとめてから口をひらく。

 

「ご質問を返すようで申し訳ないのですが、中庭の上空に……館にある塔の最上階のちょうど真横あたりですね。

 そこに妙な赤い珠が浮いているのを、ご存知でしょうか?」

 

 俺がそう問いかけると、フィリップは怪訝そうな顔をした。

 

「赤い珠?

 なんだいそれは」

「ふむ……それなら儂が知っておる」

 

 そこへサウロスが口を挟んでくる。

 

「お父様?

 ルーデウスの言う赤い珠とは、一体なんですか?」

「知らぬ!」

「…………えっと」

 

 サウロスの答えに、フィリップは頭痛を堪えるように頭に手をやった。

 

「あれが何なのかは儂にはわからぬ。

 だがそれがあることは知っておる。

 つい一昨日だったか、あの塔からふと窓の外を見た時、あれが中に浮いておるのを見かけたのだ……」

「ふむ……」

 

 その説明に、フィリップもそれについて考え始めたようだ。

 

「ルーデウスよ。

 お前はあれがなんであるか知っているのか?」

 

 サウロスが俺を見て問いかけてくる。

 

「いえ、わかりません。

 魔力的な何らかの現象だとは思うのですが……。

 興味を引かれて魔術で足場をだし、近寄って観察してみたのですが、それ以上のことは」

 

 俺がそう言うと、フィリップが苦い顔をした。

 

「うちの上空にそんなものが……。

 当家に敵対する何者かの魔術的な攻撃か何かかと思うかい?」

 

 まぁ、そんなわけのわからないものが自分の頭上にあったらそりゃ不安だよな。

 

「はっきりとは言えませんが、人為的な魔術ではなく自然発生した魔力現象のように思えます」

「ふむ……」

 

 フィリップは、俺の言葉に逡巡を見せた。

 ……押して見るか。

 

「僕もあれには興味をひかれます。

 どうもすぐに何が起きるという様子ではないようでしたし、

 僕にあれを調査させて貰えないでしょうか?

 そうすれば、少なくとも何かが起きそうなら事前にわかると思います」

 

 僕の言葉に、横で聞いていたパウロやゼニスがぎょっとした顔をした。

 

「おいルディ!?」

 

 驚くパウロ達を見ながら、フィリップが俺を見る。

 

「君の提案はありがたいが……君がここに滞在するのは長くて後数日だろう?

 それとも、すぐにその調査というのは終わるものなのかね?」

「いえ、終わらないと思います」

「では、どうするつもりだい?」

「はい。

 ブエナ村からここまでは、馬なら数時間で着く距離ですので、誰か付き添いがいれば気軽に来ることが出来ると思います。

 なので、今後もちょくちょく遊びに来させて貰えたら嬉しいです。

 エリス姉様と遊んだり、ギレーヌにまた鍛錬を付けて貰ったりもしたいですし」

 

 俺がそう言うとエリスが反応した。

 

「ッ……お父様!」

 

 彼女は興奮した面持ちでフィリップに期待の目線を向ける。

 

 

「そうだね。

 こちらとしては君が遊びに来る分には全く構わないよ。

 エリスも喜ぶしね。」

 

 その言葉を聞いて、エリスはぐっとガッツポーズを見せた。

 

「でもパウロ達は良いのかい?

 付き添いといっても君たちの方はそこまで暇じゃあないだろう?」

 

 そうフィリップが問いかけると、パウロとゼニスは困った様子を見せた。

 

「そうね……ルディがここに遊びに行きたいなら、叶えてあげたいけど……」

「あのなルディ。

 今回の事は特別なんだ。

 俺もゼニスも、そんなに頻繁に村を離れるわけには……」

 

 二人の言葉に、エリスがはらはらとした様子だ。

 俺はそんな彼女を横目に、二人の言葉を遮った。

 

「父様、母様、僕はそんなに考えなしじゃありません」

「じゃあ、どうするつもりだ?」

「付き添いはロキシー先生にお願いするつもりです」

 

 俺が彼女の名前を出すと、二人は得心がいったようだった。

 

「なるほど……だがまだ彼女を雇い直せたわけではないぞ?」

「はい、頑張って説得します。

 もしそれがダメだったら一旦ここに遊びに来ることは考え直しますし」

「そうだな……そういう事なら良いだろう。

 ゼニスもそれでいいよな?」

「ええ、そうね。

 ロキシーちゃんなら私も安心だわ」

 

 そんな二人を見てフィリップが俺に問いかける。

 

「そのロキシーと言うのは誰だい?」

「僕の魔術の師匠で、家庭教師です。

 一旦卒業したのですが、まだ学ぶことがあるのでこれから雇い直す予定なんです」

「……なるほどね。

 そういうことなら問題はないか」

「それじゃあ、赤い珠の調査に関してはどうでしょうか?」

「ああ、私は問題ないと思う。

 父上はいかがですか?」

 

 フィリップが、そう言ってサウロスにお伺いをたてた。

 

「儂はそれで構わん!」

「はい……じゃあ、その珠の調査も君にお願いするよ」

「はい、わかりました」

 

 フィリップに対して頷く。

 

「ただ、危険がありそうであればすぐに教えてくれ。

 その場合はこちらでも調査する人員を用意するからね」

「はい、勿論です」

 

 と言うのは嘘だが。

 既に核爆弾級に危険なのだが、今それを言うことはできない。

 とは言え他に手がなさそうならフィリップに相談することも考えよう。

 

 

 とりあえず赤い珠を調査することと、

 ロアを気軽に訪れる許可を得ることはできた。

 転移事件の対処に一歩前進したと思いたい。

 

 そんな考えを知らずに、俺がまた遊びにくることを無邪気に喜んでいるエリスが眩しかった。

 

 

---

 

 

 その日の夜。

 借りている寝室のドアがノックされた。

 

「ん、なんだ?」

 

 パウロがドア越しに問いかけると、相手はメイドのミーチャと名乗った。

 

「夜分遅くに失礼します。

 グレイラット家の皆様に、お客人が訪ねに来ておられますが如何なさいますか?」

 

 その言葉に思わず俺達は顔を見合わせた。

 思わず、パウロに代わって俺が問いを発する。

 

「あの、その人のお名前は?」

 

 どきどきする。

 

「ロキシー・ミグルディア様でございます」

「すぐに会います!」

 

 

 やっとロキシーに会える。

 俺は自分の唇の端が緩んでいくのを感じたのだった。

 

 

 



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師匠

 

 

 メイドのミーチャさんによると、ロキシーは外門で止められて待たされているそうだ。

 それを聞いて、俺は思わず立ち上がった。

 

「ロキシーを説得してきます」

 

 パウロ達にそう声をかけ、部屋を出る。

 そのまま足早に玄関へと足を進めた。

 

 館を出ると、外は真っ暗だった。

 この世界は基本的に夜が暗い。

 燃料である薪や油は貴重だし、火を使うので誰かが番をしていなければ火災の危険があるからだ。

 魔道具の明かりとなると更に貴重で高価だしな。

 もちろんこの館には魔道具の明かりもあるが、ランニングコストが魔石か使用者の魔力になるので通常利用はできない。

 

 俺は魔術で明るさを重視した炎を掌に生み出して照明代わりにして中庭を進むことにした。

 しかし温度はそれほど高くしていないとは言え、あくまでも炎なので制御に気を使う。

 こういう事があるなら、純粋に光だけを発する魔術も習得しておきたくなるな。

 

 火魔術の制御に神経を使いながら暗い中庭を歩いていると、ふとロキシーとの会話を思い出す。

 あれは彼女が俺の先生になってまだ間もなかった頃のことだ。

 

 ロキシーに戦闘用ではない魔術は存在しないのかと尋ねた時、彼女は生活用の魔術が発展しないのは明かりが必要ならロウソクやカンテラを使えばいいからだと言っていた。

 しかし、こうしてみるとそれには疑問を感じる。

 もちろん今はちょっと館に戻って誰かに頼めばカンテラを借りてくることは出来る。

 だがそれが出来ない時だってあるだろう。

 迷宮の探索中とかに灯りを失ったりとかな。

 そう考えると純粋な照明用の魔術があったら便利じゃないだろうか。

 少なくともあって困る事はない。

 現にと言うと未来なので変だが、夢ではナナホシが作った灯の精霊の召喚魔法陣はヒット商品になっていたしな。

 いや、作ったのはペルギウスだっけか?

 ……まぁそれはどっちでもいい。

 

 ともかく魔術による照明には需要があるということだ。

 他にも俺は小さく水やお湯を出したり、皿や鍋、椅子など道具や家具をつくったり何かと魔術を活用している。

 でもそれは無詠唱で出力等を調整している俺だから出来ることで、皿を作る魔術なんてものは正式には存在しないから詠唱も存在しない。

 あったら便利だと思うんだが……魔力消費の問題なのだろうか。

 確かに、規模や精度の細かい魔術は魔力消費が大きい。

 俺は気にならないが、普通の魔術師にとっては辛いだろうか。

 しかしやはり出来て損になる事は無いはずだ。

 それに魔力を使うかどうかの選択肢すら無いと言うのは不便じゃないだろうか。

 

 そんな事を考えている内に、外門の内側へとたどり着いていた。

 ここには灯りが付けられているので、火魔術は一旦停止させる。

 備え付けられた燭台の灯りに照らされた門は、当然のように閉まっている。

 

 基本的にこの館は夜になると外門を閉じ、朝になるまで開門はしないらしい。

 ただ夜の間は外部と連絡不能になると言うわけではなく、門の横には小さな小窓があり緊急の連絡などはそこを通して番兵の耳に入るようになっているんだとか。

 ロキシーはそこで来訪を告げて、こちらに連絡が行くようにして貰ったのだろう。

 俺は門の内側の城壁に作られている守衛室のような部屋を訪ねた。

 

「すいません、ロキシー・ミグルディアと言う方が訪ねてこられたとお聞きしたのですが」

 

 俺がそう声をかけると、中にいた門番の人が驚いたような表情でこちらをみた。

 

「あんたは……パウロ様のところのルーデウス坊っちゃんじゃねえですか。

 何故お一人でこんな時間にここへ?」

「それは、ロキシー先生は僕のお客だからです。

 彼女が訪ねて来たと聞いて来たのですが?」

 

 俺がそう言うと、門番の人は慌てたように奥の小窓へと腕を向けた。

 

「あ、あぁ、そうですかい。

 わかりやした、お客さんとはその小窓越しに話せますぜ。

 それと、先に断っておきやすが門を開けるのは旦那様か大旦那様のご指示がないと無理ですぜ」

「わかりました」

 

 融通がきかない、とも思ったが警備上の決まりなら彼を責めるのは理不尽だ。

 それに彼がここで詰めてくれていたから、ロキシーの来訪がわかったのだから感謝すべきだ。

 それにしても彼一人の仕事ではないのだろうが、毎夜誰かがこうして門に詰めているわけか。

 機械やコンピューターなんか無いこの世界では、なんでも人力だ。

 頭が下がるな。

 

 俺は彼に一礼してから壁に開いた小窓へと近寄った。

 覗き込んでみたが、向こう側が暗くて何も見えないな。

 なのでこのまま声をかけてみることにする。

 

「先生、ロキシー先生、いらっしゃいますか?」

「えっ!?」

 

 壁の向こうから驚いた声が聞こえてくる。

 

「今のはまさかルディ?

 貴方がそこに来たのでしょうか?」

「はい、そうです」

「そうですか……驚きました。

 緊急の用事の可能性も考えて、念のためこうして訪ねては見ましたが、

 てっきり明日また来るように返事がくるものかと思っていました」

「先生が夜遅くにわざわざ来てくれたのに、そんなこと出来ませんよ」

「いえ、別に明日またくるぐらいはなんでもないので、気にしなくてよいのですが……。

 この小窓越しでは会話も大変ですし」

「あ、そうでしたね。

 今そっちに行くのでちょっと待っていてください」

「えっ!?」

 

 ロキシーの驚き声を背に守衛室を出ようとすると、門番の人に呼び止められた。

 

「おいおい、坊っちゃん、どうするつもりなんです。

 門は開けられませんぜ?」

「わかっています。

 魔術で足場を作って壁を乗り越えるだけです。

 すぐに崩すので問題はないと思いますが構いませんね?」

「は、はぁ……魔術で足場ですかい?」

 

 門番の人はぽかんとした様子だったが、問題は無いということにして俺は部屋を出た。

 

 軽く息を吐いて、城壁を見上げる。

 館の外壁は都市そのものを囲う物より少し低く、高さは5~6m程だろうか。

 生身で乗り越えるには十分困難だが、昼間に作った足場と比べればなんてことはない。

 俺は土魔術で階段状に足場をつくり、城壁の上に上がる。

 そして内側の階段を崩し、同じように向こう側へ階段を生成して外へと降りた。

 

 そこには水色の三つ編みの上にとんがり帽子を被り、杖とカンテラを持った少女が立っていた。

 我が愛しの師匠、ロキシー・ミグルディアだ。

 相変わらずとても可愛い。

 

「先生、お久しぶりです」

 

 俺は彼女に軽く一礼した。

 

「久しぶりという程時間は経っていないと思いますが。

 はい、こんばんは、ルディ」

 

 そう言って彼女は俺をみて微笑んでくれた。

 いかん、胸にじんわりくる。

 言われてみれば彼女の言うとおり、別れてからまだ一週間も経っていないのだが

 あんな夢を見たりそのせいで色々あったせいで、こうして彼女と再会できるとほっとするな。

 

「それで、どうしたのでしょうか?

 態々三人でロアまで来て……私が何か村に問題を残してきたりしてしまいましたか?」

「あぁ、いえ、そういう事は全然ないです」

「あ、そうですか」

 

 ロキシーはそれを聞いてほっとした様子だった。

 確かに、無事に仕事が終わったはずなのにこうして追いかけられたら不安にもなるか。

 ロキシーが旅立った後、何かがなくなったりして盗難を疑われているかも……とか。

 ギルドにした伝言は事情を何も説明していなかったので、ちょっと申し訳ないことをした。

 

「実はこうして先生を追いかけてきたのは、もう一度僕の教師をお願いしたいと思いまして」

「え……またですか?

 貴方は既に卒業としたはずですが」

 

 俺の言葉に彼女は眉をひそめた。

 

「魔術の種類で言えばそうなのですが、

 僕は他にまだまだ先生に教わるべきことはある、と思っています」

「そうでしょうか……」

 

 そう言って見たものの、ロキシーは訝しげだ。

 

「確かに僕は水聖級までの魔術を会得しましたが、それはただ使えるようになっただけです。

 それを実際に活用する方法を僕はまだ知らないままですから」

「それは、それぞれが自分で考えるべきことですよ。

 私だって覚えただけで実際には殆ど使っていないと言う魔術はいくつもあります」

「でも、ロキシーは既に魔術の活用を実践しているでしょう?

 それなら、僕にそのやり方を教えて欲しいです」

 

 そう言って彼女を見つめる。

 ロキシーは少しの間視線を下げて思考していたが、やがてこちらを見つめ口を開いた。

 

「いえ、それは私には教えられません」

 

 その彼女から出てきたのは、断りの言葉だった。

 しかしそれくらいの事で落ち込みはしない。

 断られるのは想定内だ。

 ロキシーだって色々考えた上で俺の卒業を決めたんだからな。

 それをそう簡単に覆すはずがない。

 

「何故でしょうか?」

 

 まずは理由を聞いてみる。

 俺がそう尋ねると、ロキシーは少しだけ微笑んだ。

 そして持っていたランタンに火を付けて、暗くなっている道を照らした。

 

「少し歩きながら話しましょう」

 

 ランタンの灯りに照らされたロキシーの横顔を見つめながら、俺は頷いた。

 

「……はい」

 

 

 石畳の上に、俺とロキシーの足音が響いている。

 

 館の門についていた灯りから離れ、

 ロキシーがもった小さなランタンの光だけを頼りに俺達は緩やかな坂道を登っていた。

 暗い道のさなか、ロキシーは口をひらく。

 

「まず前提として、魔術と言うのは基本的に戦闘のためのものです。

 日常での用途はブエナ村で私がやっていたような小遣い稼ぎぐらいは出来ますが、それだけで食べて行くことは難しいですし」

「はい」

「なので魔術師の主な仕事は兵士、冒険者、傭兵、護衛などになります。

 更に実力や名声があれば、軍事顧問や研究者、家庭教師等を兼ねる宮廷魔術師として国に仕えることも望めます」

「……なるほど」

 

 とりあえず才能があったからと深く考えずに魔術を鍛えていたが、就職先は想像以上に物騒なものしかないんだな。

 この中だと研究者が一番平和そうだが、国に雇われると結局軍事用の魔法研究をすることになるんだろうし。

 まぁ魔術が基本的に戦闘用のものしかない時点で察するべきだったな。

 

「私であれば、冒険者の魔術師という事になります。

 その私の魔術の活用法を教えるとなれば、それは冒険者としてルディを鍛えるという事です」

「いけませんか?」

「はい。

 主な理由は……四つ程でしょうか」

「理由が四つ、ですか」

 

 俺は彼女に話の続きを促した。

 

「まずは、ルディの年齢です。

 冒険者としての鍛錬を始めるには、ルディはまだ幼すぎます。

 魔力は十分でも、体力が足りていませんから今から冒険者として動くのは無理があります」

「……はい」

 

 反射的に対案を出したくなるが、まずは話を全部聞こう。

 

「二つ目は危険性です。

 冒険者として、戦闘を含む活動を行えば安全は保証できません。

 ルディに何かあれば私では責任がとれませんし、また私自身も未熟な相手に戦い方を教えながら冒険者をやる、と言うことには身の危険を感じます」

「はい」

 

 俺は再度頷く。

 

「三つ目はその有効性への疑問です。

 冒険者をやる魔術師の戦闘スタイルと言うのは千差万別で、個々人が自分に合ったやりかたを試行錯誤して作っていくものです。

 魔力量や得意な魔術も人によって違いますし、特にルディは無詠唱の使い手ですから私のやりかたがどこまで参考になるかは疑問ですよ」

「……なるほど」

 

 確かに夢の事を思い返しても、

 剣士であれば流派が同じだと似通った部分があったが、魔術師は共通してこれというスタイルはなかった。

 未来の俺の戦い方も特殊だと言われていたし、列強クラスの戦いになると魔術のみではついていけない感じもしたしな。

 それでも、ロキシーの戦闘スタイルからも学べることは十分にあるとは思うが。

 

「最後は、私自身の都合です。

 前述の二つの理由だけであればそれを踏まえた上で危険度のごく低い簡単な討伐依頼などで、ルディの年齢に合わせてゆっくりと経験を積ませていくと言うことは出来ます。

 それなら仕事としては楽ですし、お給金も悪くないです。

 私が教えたスタイルが結果的に役にたたなくても、それは私の責任じゃないですし……」

「それでは駄目ですか?」

 

 安全に楽して儲かるなら、とてもいい仕事だと思うのだが。

 

「はい、それでは私自身が成長できませんから」

 

 ロキシーは俺の目を真っ直ぐに見つめて言葉を続けた。

 

「私はルディに魔術を教えたことで、自分の未熟さ、思い上がりを知りました。

 ですが、創意工夫を重ね、更に努力をしていけば、自分もより優れた魔術師になれるのではないかとも思いました。

 その為に私はもっと自分を鍛える環境に身を置きたいのです」

 

 言葉とともに、彼女の足音が止まる。

 左右にあった木々と壁が曲がり、道の先に開けた空間があった。

 ロキシーはランタンを持ち上げて、その中を進む。

 彼女について後を進むと、その先にはロアの街の夜景が広がっていた。

 

 たぶんここはボレアスの館の裏手にある、丘になっている場所だろう。

 夜景を見下ろす、と言っても前世であったような綺羅びやかなものではない。

 灯りはごく限られた場所、大通りや城壁の一部、それから歓楽街にしかなく、全体としては夜の暗さに包まれている。

 しかしいつの間にか晴れていた空から月明かりが差し込んで、青白く浮かび上がった街の輪郭は、とても綺麗だった。

 

「世界は広いです、ルディ。

 長く旅をして来ましたが、慣れたつもりになる度に新しい出会いにそれを思い知らされます。

 一番新しいのは、貴方と出会って鼻っ柱を折られたことですね」

「先生は、僕なんかよりずっと立派な人ですよ」

「ルディにそう言って貰えるのはむず痒いですが、嬉しいですよ。

 ……でも、ルディももっと広い世界に目を向けて見るのはどうでしょうか。

 更に何かを学ぶなら、私ではなく新しい師匠を探すべきです。

 以前話した様にラノア魔法大学の門をたたくのが私としてはおすすめですが、誰か高名な魔術師を探して弟子入りするのも良いでしょう。

 そう言った人は大抵気難しいですが、ルディの才能と実力があれば無碍にはされない筈です」

 

 ロキシーはその一見眠そうな瞳に、しかし確かな熱気を込めてそう語ってくれる。

 月明かりの下、ロアの街を一望する長めを背に語る彼女はとても綺麗だった。

 

「……わかりました」

 

 俺がそういうとロキシーは静かに微笑んだ。

 そんな彼女の笑顔を見て、俺は口を開いた。

 

「やっぱりロキシー師匠は素晴らしい人なので、もう一度先生になってください」

「…………え?」

 

 俺の言葉にロキシーの笑顔が固まる。

 

「あの、ルディ……今なんと?」

 

 聞こえなかったのであれば何度でも言おう。

 

「やっぱりロキシー師匠は素晴らしい人なので、もう一度先生になってください」

 

 俺はもう一度繰り返した。

 

「いやいやいや……。

 あの、ここは私の言葉に感動して、ルディは師の導きに従い新しい道を行く決心を固める。

 そう言う場面ではないでしょうか」

「先生……あんなに師匠と呼ばれるのを嫌がっていたのに、都合のいい時だけ偉大な師、みたいな振る舞いをしようとするのはやめてください」

「うぐ、しかしですね……」

「大丈夫です。

 さっき先生が上げていた問題点は全部解決できるプランは立ててありますから」

「えぇっ……でも、その……私なりの決意がですね……?」

「それはわかりましたが、だからと言って良い話風にまとめて終わらせようとしないでください。

 大事なことだからこそ、きちんと話し合って決めましょう」

「そ、そうですね……それは、その通りですが……」

 

 ロキシーはバツの悪そうな表情で、帽子の裾をひっぱって自分の顔を隠そうとする。

 俺が雰囲気に流されなかったことで、今更ながら自分のした演出が恥ずかしくなったらしい。

 

「それに、さっきの理由は嘘ではないですけど表向きの理由です。

 それとは別に、あまり吹聴できないけど重要な理由で先生の助けがどうしても必要なんです」

「え……重要な理由、ですか?」

「はい、それは今から説明します。

 ちょっと荒唐無稽な話なんですが誓って嘘は言いませんので、

 まずは話を聞いて貰えないでしょうか?」

 

 俺はそう言ってロキシーの顔を伺った。

 彼女は帽子を引っ張るのはやめて、戸惑った様な表情でこちらを見ていたが、俺を見てやがて静かに頷いてくれた。

 

「わかりました。

 元よりルディが無意味に嘘や作り話をするとは思っていません。

 何か事情があるのなら、まずは話を聞きましょう」

 

 そう言ってくれたロキシーに感謝を抱きながら、俺は大きく深呼吸をした。

 どう話したら伝わるだろうか。

 あれもこれも全てを話すのでは時間がかかりすぎるし、話が脇道にそれすぎるだろう。

 とにかくなるべくわかりやすく、俺の事情をわかってもらえるように……。

 俺は頭のなかで言葉を選びながら、口を開いた。

 

「まず、そうですね。

 先生は人神と龍神について、何かご存知ですか?」

「人神と龍神……太古の七神ですか?

 それとも、現代でそう名乗っている者たちのことでしょうか」

「どちらとも言えますね。

 先生は、後者のことはどれくらい?」

「どちらとも然程詳しくはありません。

 そうですね、龍神であれば魔人殺しの三英傑の一人龍神ウルペンが有名でしょうか。

 七大列強にも数えられていますね。

 彼はもう亡くなった人物の筈ですが、誰かが龍神の称号を襲名しているのでしょうか?」

「……そうですね、俺の話に関わるのは主に今代の龍神です」

「はぁ……ルディが龍神と関わりが?

 えっと、人神についてはそう名乗っていると言う人は聞いたことはありませんね」

「……わかりました。

 実は先生が旅立った夜、夢で人神を名乗る相手に出会ったんです」

 

 

 このあと滅茶苦茶説得した。

 

 

 



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