インフィニット・ストラトス/沈黙の空 (MonteCarlo)
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第一話 覚醒/awakening

 目覚めると、私は白い海に漂っていた。

 柔らかなシーツの感触。

 

 白い布地が陽光に照らされていて、

 眩しさに開きかけた薄目を閉じる。

 

 おそらくはいつもと同じ、平和な一日の始まり。

 おそらく今日もいい天気。

 

 窓から差し込む光が、

 まぶたを閉じてもなお眩しい。

 

 だけど、ベッドから抜け出すにはまだ早い。

 

 --だって、聞きなれた呼び声が、

 まだ、私の耳には届いていないから。

 

 

「つうっ……」

 

 

 天国のように幸せな気分から一転、脳に何かが突き刺さる感覚で彼女――水無月 空は飛び起きる。

 両手で頭を抱え込み、少しでも痛みを和らげようとする。リボンでツーサイドアップに結った明るく長い髪が不規則に揺れた。前髪の隙間から覗く赤い目をギュッと閉じ、眠る直前の記憶を呼び覚ます。

 

 そうだ、作戦中に衝撃を受けて昏倒。

 部下――桐島レインと隠れ家に使っていた安宿に泊まろうとしたら、記憶に一時的な障害が出て……。

 

 

 安宿。

 その言葉に、ふと空は違和感を覚えた。

 

 清城市で一番プライバシーを保障されるのが、その手の毒々しいラブホテルだからという理由で隠れ家に使っていた。

 就寝前に部屋の点検を怠りでもすれば、落ち着いて眠ることすらできなかった。

 

 

 だがこの部屋は違う。

 ベッドの質感、照明のちらつき、調度品の室、窓から見える景色。

 違う箇所をあげればきりがない、真逆の存在だ。

 

『レイン、どこにいるの?』

 

 直接通話(チャント)でレインに語りかける。

 軍事行動には必須のツールであり、軍事関係者の脳チップには当然のようにインストールされている。

 第二世代電脳化処置者である空の脳にもネットに接続する為のチップ移植処理は施されているから、傍受されず秘匿性の高いこのコミュニケーションツールは重宝していた。

 

『……応答しなさい、桐島少尉!』

 

 語気を荒げて呼びつけても応答がない。

 極めて優秀なサポートであるレインが応答できない状況にあると言うことは、考えられる現状のパターンは絞り込める。

 だがどのパターンにしろ、現状でレインの補助が受けられないことは確定していた。

 ダメ元でネットへの無線接続を試す。網膜に直接情報が投影されるが、当たり前と呼ぶべきか繋がらない。

 

 ベッドから起き上がり、ネットワークの端末がないか壁際を探る。するとフロアスタンドに電源を供給しているコンセントの脇に、見慣れない挿入口を発見した。

 挿入口を塞いでいるカバーをずらし、規格を確かめる。

 

「RJ45って……いったいいつの時代なの、ここは」

 

 いつか見た情報ネットワーク関係の書籍に記載されていた。ネットワークの黎明期に存在したコネクタ規格。

 部屋の豪華絢爛な様に反するその存在を前に思わず苦笑する。

 空のような第二世代電脳化処置者の首筋には神経接続子(ニューロジャック)と呼ばれるネットへの接続ジャックが二つ存在する。

 そして大抵の建物にはネットへの接続用のケーブルがあり、それを神経接続子に挿入することでネットへの接続が可能だった。

 そういう意味ではネットワークへの万全な保護を施した部屋であるとも言えた。

 

「この部屋にいても仕方ないか……」

 

 室内での情報収集手段が皆無な以上、いつまでもこの部屋で無為に過ごすよりは、危険を承知で室外を散策した方がいいように思えた。

 窓ガラスは薄く簡単に割ることができる。部屋の扉も木製の上、蝶番は内側にある。室外へ出る方法は幾らでもあった。

 試しに扉を引いてみると、すんなりと開く。これで何者かに拉致監禁されたと言う可能性は低くなったが、とはいえ油断は出来ない。

 油断大敵なんて言葉は油断してからでは遅いのだ。

 

 部屋の外は、中と変わらない雰囲気の装飾で彩られた廊下だった。

 同じ作りの扉がいくつも並んでいることと、そこに書かれた4桁の番号から察するとホテルのようにも見える。

 人の気配がしないのが不気味ではあるが、監視カメラの類も見当たらない。ここは素直に状況を探りやすくなったと考えることにした。

 一先ずは非常階段を探し出し、1階まで駆け下りた。

 非常口の扉をゆっくりと開けながら、扉の外へ耳を欹てる。

 

「……ここにも誰もいない」

 

 非常口の外は先ほどまでいた階とほぼ同じく造りであり、やはり人影はない。

 ホテルだとしたら一階はロビーだと考えていたが、そうではなかった。

 その代わりに別棟へと続く廊下を見つける。遠目で見る限りではこちらとは内装がまるで違うように伺えた。

 周囲の警戒を継続しながら、一気に別棟へと駆け抜ける。短期間でのダッシュと静止を繰り返したせいか、それともこの不可思議な状況のせいか、心臓の鼓動が早まるのを感じた。

 こちらの建物は先ほどまでとは打って変わって、鉄やコンクリートの比重が多く感じられる。

 上を見上げると案内表示板に「整備室」と書かれている。空は迷わずその方向へと走り出し、目的の部屋に飛び込んだ。

 

 廊下よりも更に無骨で、更に暗い。壁にはいくつもの傷跡が残っている。

 整備室であれば流石にネットワーク端末や、欲を出せば操作席(コンソール)位はあるだろうと考えていた。

 だが見当違いだった。

 灯りがぼやけて薄暗く、いまいち詳細な判別は出来ない。思い違いだろうとも考えたが、その無骨な金属の塊は空の商売道具に似通って見えた。

 

戦闘用電子体(シュミクラム)……!?」

 

 似通っているだけで戦闘用電子体《シュミクラム》と判別できたわけではない。記憶と違う箇所も多い。

 

 一つ目に、大きさ。

 戦闘用電子体《シュミクラム》の大きさは10m前後だが、これはせいぜい人間大の大きさしかない。

 

 二つ目に、空白。

 頭部や胴体に当たる部分に不自然な空白が存在する。まるで人間がそこに乗り込めるかのような。

 

 最後に、現実。

 戦闘用電子体《シュミクラム》への移行(シフト)はインターネット上の仮想空間でのみ、インストール済みのユーザーが使用できるプログラムを実行することで体を置き換える。

 当然現実世界であるこの場所では、戦闘用電子体《シュミクラム》は存在できないはずだった。

 

 仮定とした認識が間違っていたのだろうか。実際にはここは仮想であり、現実の世界では監禁されているとしたら?

 由々しき事態だった。まずはこの状況から脱さなければならない。

 更なる情報をかき集める為、この戦闘用電子体《シュミクラム》もどきに触れようとして――

 

「……そこまでだ。一歩でも動けばその首を刎ねる」

 

 首筋に当たる冷たい感覚と共に浴びせられる言葉で行動を封じられる。

 触れようと上げかけた片手を、もう片方の手と共にゆっくりと上げて抵抗の意思はないことを示す。

 銃でも突きつけられるならまだ分かるが刀で脅している以上、恩師でありテロリストの久利原直樹同様に腕が立つことはハッキリしている。腕に自信がないならこんな馬鹿げた真似はしないはずだ、と推測した。

 

「それは軍服だな? 見慣れない装飾だ、所属と名前を言え」

 

 男のような物言いをする女性の、その言葉に違和感を覚える。この服は電脳将校になる為、傭兵の訓練所に入った折に貰った支給品だ。多少のデザインの違いがあれど、見慣れないはずがない。

 ましてやこのような施設を持つ組織が、だ。

 そして今、空に日本刀を突き付けている女性は戦いなれている。戦地で、市街地で、幾らでも傭兵を目にする機会はあるはずなのに……。

 

「……水無月 空。今はフリーランスの電脳将校、階級は中尉よ」

 

「電脳将校だと?」

 

 大人しく要求に応えるも、返ってくるのは疑問の声。

 

「ええ、ドレクスラー機関を追ってるの。アセンブラ流出の真相について問いただす為に」

 

「……手を頭の上に。そのままこっちを向け」

 

 ――顔を見ながら話がしたい、というわけね。

 顔を見れば表情が分かり、表情が分かれば感情が分かる。圧倒的優位に立つ向こうからすれば妥当な判断だろう。

 そんなことを内心で考えながら、ゆっくりと言われたとおりに向き直る。

 相手は若い女だ。空と年齢はそう変わらないだろう。だが女性にしては長身で、身にまとうスーツが随分と似合っている。

 値踏みするように睨み付けるその視線は、その手に握られた刀同様に鋭く、今にも突き刺さりそうだ。

 

「薬でもやっているのか? それとも妄想の産物か?」

 

「ドレクスラー機関を知らない方が、私としてはどこの片田舎で育ったのか気になるところだけれど」

 

「嘘は言っていないように見える。正気を失っているようにも見えない。いったい何者だ、貴様」

 

 ここまでの質問を統合すると、彼女は空を拉致した一味ではない。ドレクスラー機関やアセンブラが知られていない、つまりは統合政府の管理下ではない辺境の地。

 そうして導き出された結論は、意味が分からないだった。

 

「そちらこそ、ここは何処なの? ここは現実のはずなのに、あの戦闘用電子体《シュミクラム》は何?」

 

「本気で言っているのか?」

 

「本気も本気よ。目が覚めたら知らない部屋で、状況を探ろうとしたら刀を突きつけられて、挙句の果てには薬物中毒(ジャンキー)扱い。こんな状況で本気にならない人間なんているはずないわ」

 

 濁流のように言ってのける空。対するスーツの女性の目は少しだけ見開いた。

 互いに睨みつけるかのように見つめあう時間が続く。

 ほんの数秒の間だったかもしれない。あるいは数分経過していた可能性もある。

 時間の流れさえ曖昧になる緊張感の中、先に沈黙を破ったのはスーツの女性のほうだった。

 

「お前を信用したい。だがその話を信用するに足る証拠が欲しい」

 

 光明が見えた。

 ネットに頼らず証明出来る物理的なものを空は考える。

 ふと思いつき、体制をそのままに再び背を向けると、長い髪を掻き分けて首筋のある一点を指差した。

 

「これが神経接続子(ニューロジャック)よ。これで証拠になればいいけど」

 

 証拠になればそれでいい。神経接続子(ニューロジャック)の存在を知っていれば、またそれもいい。

 スーツの女性は刀をあてがったままだ。だが黙り込んでいるということは、少なくとも神経接続子(ニューロジャック)を観察しているのだろう。

 空の額に薄っすらと汗が滲む。

 

「――山田君、警戒を解かせろ。……あぁ、分かった。面会に行かせると伝えてくれ」

 

 刀を下ろすと同時に耳へ指を当て、山田という人物に指示を出す。一先ずは信用されたと思っていいだろうか。

 

「水無月 空。お前に会いたいという人がいる」

 

「それは、私を拉致した人物?」

 

「いや、今の会話を聞いて興味を持ったそうだ」

 

 それだけ言い残すと彼女は踵を返し部屋を出ようとする。出る直前に一度だけ空を見た。まるで着いてこいというかのように。

 先ほどの話から周りには何かしらの武装をした者が警戒態勢を取っていた。選択肢は残されていない。

 その後スーツの女性につれられて、空はある一室に通された。

 特に豪勢なその部屋は、権力者がいると一目で分かる内装だ。

 部屋に入ったと同時に太陽の光が目に突き刺さり、反射的に目を閉じた。

 一瞬の間をおいて片目を開けて、もう一度光が注しこむ方を見ると人間の影があった。

 顔は見えない。太陽の光が逆光となって、陰となっていた。よほど見られたくないのか、それともまだ信用されていないのか。

 勘ぐる空をよそに、その人物は話し出す。

 

 内容は、この場所がIS学園と呼ばれる場所であること。

 

 

 そして、この学園に入学して欲しいということだった。

 



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