空の狭間に唄う (HOT PEPPER)
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一 龍を夢見る

皆さん初めまして。
あの異次元過ぎるあらすじを見ておきながら、この作品を読む気になって頂き、誠にありがとうございます。あのあらすじは、近いうちに消えるかもしれませんw
だって全然あらすじになってないし。何あのポエム。何が乗り移った。あらすじというか、ネタバレ?

ご想像のこととは思いますが、内容もちょっと異次元です。
世界各地の辺境に点在するといわれる、竜人族の隠れ里。
そこから抜け出した、竜人族の少年を中心に話が進んでいきます。
マイナーですが、隠れ里云々は独自設定ではなく公式です。その民族性は完全な妄想ですが。
まあ、俺でなければ考えつかないぜ!、というほど異次元ではありません(笑)
自分なりに世界観を壊さないように頑張ったので、どうかお手柔らかにお願い致します。

それではどうぞお楽しみください。
……楽しめる保障はしませんが。いや、楽しんでほしくて書いたんですけど。


 明日、また明日、また明日と、時は小きざみな足どりで一日一日を歩み、ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく。

 

 昨日という日はすべて愚かな人間が塵と化す、死への道を歩いてきた。

 

 消えろ、消えろ、つかの間の燈火!

 

 人生は歩き回る影法師。

 

 あわれな役者だ。

 

 舞台の上でおおげさにみえをきっても出場が終われば消えてしまう。

 

 白痴のしゃべる物語だ。

 

 わめき立てる響きと怒りはすさまじいが、意味はなに一つありはしない。

 

 

 

From Macbeth

――William Shakespeare

 

 

 

 

 

少年は駆け抜けた。

青々と繁るシダの葉を踏み越え、うたた寝しているモスを飛び越え、太古の森を。

色の濃い草木が、あるいは落ち葉で湿った大地が吐き出す淀んだ空気を切り裂き、風のように。

少年は身軽だった。

象形的な紋様が縫われた白い外套を身に纏い、手にするのは細く強靭な竹槍のみ。

獣の如く敏捷な動きで、彼は木々の間をぬって疾走する。

新雪を思わせる銀色の髪が風に揺れ、褐色の肌は深緑の陰に溶けこんでいる。

少年は焦っていた。

鼻腔をくすぐる焦げっぽい臭い。前方より響きわたる咆哮。

そして何より、時折聞こえるヒトの叫び声。

急げ。もっと早く。

彼は自分に言い聞かせていた。

 「……ちょ、ちょっと待て……!」

追い風に混じって耳に届く、かすれ声。

呼び止められたことに気づき、少年は足を止める。

振り返ると、そこには小さな人影があった。

そのなで肩を大きく上下させ、荒い息を吐き出している。

それはアイルーだった。

 「……バカ野郎……」

おおよそ獣人とは思えぬ低い声で、そのアイルー、コショーは悪態をつく。

紺色の毛並みに、左目を覆う黒い眼帯。鋭い目つき。

声色だけでなくその佇まいからも、どことなくハードボイルドな雰囲気を漂わせている。

 「……真っ正面から飛び込むつもりか?」

 「そのつもりだったんだけど」

戸惑う様子もなく、少年は頬をかく。

 「……ダメ?」

 「ダメだ!」

眼帯アイルー、コショーは声を荒げる。

丈の長い草が彼の鼻先をくすぐるが、気にならないようだ。

 「やはり危険すぎる!ド素人のお前が、ヤツの注意を引くなんて!」

 「命が危ないのは、あの人だって同じだよ!」

少年はそう叫び、もどかしげに後ろを振り返った。

言い争っている時間が惜しい。

こうしている間にも、あの人は食べられてしまうかもしれないというのに。

彼はコショーに向き直ると落ち着いた声で、しかし、早口に言った。

 「絶対大丈夫だから。信じてよ」

 「……作戦でもあるのか?」

目を細め、静かにコショーがそう言った。

 「ある」

即答する少年。

 「だから任せて」

 「ホントかよ……?」

溜め息混じりにコショーが呟く。そのときだった。

 「ひぃぃ~~!!」

どこの誰とも知らぬ、一際大きな悲鳴が響きわたった。

続けて辺りに木霊する、甲高い咆哮。

耳を突き抜けるその音に少年は思わず耳を塞ぐが、獣人は静かに前方を睨み、己の武器に手をかけていた。

迷っている暇はない。

 「ちっ、しゃあねえか」

憎々しげに舌打ちすると、コショーは少年の膝をべしっと叩く。

 「尻拭いは期待すんなよ」

 「うん、大丈夫」

そう言って微笑むや否や、少年は彼に背を向けて走り出す。

 「そっちはよろしく!」

 「おうよ」

「無理はすんなよ」と遅れて付け足したコショーを尻目に、少年は跳躍した。

幹の窪みに足をかけ、さらに上へと飛び上がる。

木から木へ、枝から枝へ。

風を味方につけたモモンガのように、その身体は加速する。

そうして開けた台地に出たとき、彼はピタリと動きを止めた。

痩せ細った木々が密集していて、視界はあまり良くない。

しかし目を凝らさずとも、一目で現状が把握できる。

目の前で事は起きていた。

 「た、助けてくれ~~!!」

男が追われている。

両腕を振り回し、迫りくる怪物から必死に逃げている。

棒切れのような木々を薙ぎ倒し、男を執拗に追いかける飛竜。

その全身は、紅い甲殻によって包まれていた。

飛竜にしては細めの足に、頭部を飾る、えりまき状の立派な耳。

鮮やかな黄色をした、インパクトのある巨大なくちばし。

アルワ・ピナフ――『大きなくちばしを持つ者』と、彼の部族では呼ばれていた。

都会のヒトには何と呼ばれていたっけ。

少年は考え込む。

街での呼び名は……確か、そう、『イャンクック』だ。

彼は密かに、自分の記憶力に感心していた。

 「だ、誰かぁ~~!!」

男が涙と鼻水をまき散らしながら逃げている。

そうだった。あの人を助けないと。

少年は木から飛び下り、岩の上に難なく着地した。

まずは意表をつく。

少年は立ち上がり、バサッと外套をマントのようにひるがえす。

そして目を閉じると、息を大きく吸い込んだ。

密林の濃い空気にむせかえりそうになりながらも、肺いっぱいに空気を溜め込む。

想像しろ。

天高く舞う力強い翼。喉元深く喰らいつく牙。

そして獲物を見据える、あの絶対強者の眼を。

少年は咆哮した。

それはまさに、龍の咆哮であった。

気迫に満ち、全てを威嚇する、生命の頂点に君臨する龍。

……少なくとも少年は、それだけ気合いを入れて演じた。

イャンクックの動きが止まる。

まるで猫に睨まれたネズミのように、ピクリとも動かない。

やった!上手くいった!

今まで猛獣避けに使うことしか許されなかったこの特技。飛竜相手に使ったのは初めてだった。

少年は飛び跳ねたい気持ちを抑え、相棒の名を叫ぶ。

 「コショー!」

 「上出来だ」

それだけ言うと、獣人は前に走り出る。

そしてへたりこんでいる男の肩を掴み、揺さぶった。

 「おい、逃げるぞ!」

男はイャンクック同様、目を見開いたまま固まっている。

コショーは彼の頭をひっぱたいた。

 「聞いてるか、オイ!」

それでも反応がないと見るや、彼はポーチをまさぐり、男の顔面にモンスターのフンを叩きつけた。

 「聞けコラ!」

その尊厳なき扱いに、ようやく男は我に返る。

コショーに腕を引かれるまま、その場からよたよたと駆けだした。

 「よし……!」

少年は小さく拳を握る。あとはもう少し、時間を稼ぐだけだ。

彼は岩の斜面を滑り下り、湿った地面の上に降り立った。

暖かく柔らかい腐葉土が、じんわりと足を包み込む。

彼はイャンクックと対峙した。

充分な距離を取りつつ、油断なく竹槍を構える。

飛竜はすでに、正気に戻っていた。

その落ち窪んだ黄色い眼を少年に向け、ゆっくりと首をもたげている。

……襲ってこないのか?

そう思い、僅かながら気を緩める。

その一瞬の隙が、彼の反応を鈍らせた。

突然、イャンクックが猛々しく咆哮したのだ。

 「うっ……!」

耳を突き抜け、頭蓋を揺さぶる高音。

少年は耳を塞いだが、すでに遅かった。

激しい耳鳴りに思考が停止し、目からは涙が滲み、視界がぼやける。

少年は竜人であった。

白髪からちらりと覗く尖った耳が、それを物語っている。

中でも彼の部族は大自然に身を置き、その五感を研ぎ澄ましてきた者たちだ。

その優れた聴覚ゆえ、度を過ぎた大きな音には弱い。

 「み、耳が……」

呟きながら、少年は竹槍に寄りかかった。

平衡感覚を失い、視界までがグラグラと揺れている。まともに立つことすら難しかった。

飛竜が大きく翼を広げ、小刻みに飛び跳ねる。

その目は怒りを湛え、少年を睨みつけていた。

屈辱。

一時でも、こんな小さき者に怯えてしまったなんて。

飛竜の中では最弱と呼ばれる彼であったが、そのプライドは今、猛っていた。

動けない。

少年の身体は硬直していた。

飛竜の全身から発せられる殺気を一身に受け、身体中の筋肉が麻痺している。

膝をついていないのが不思議なくらいだった。

イャンクックは地面を踏みしめ、押し潰さんと迫りくる。

鼻腔から煙を吹き出し、草木を踏み潰し、薙ぎ倒しながら。

 「気をつけろっ!」

切羽詰まったコショーの声が遠くから響く。

そうだ、しっかりしろ。

少年は自分に言い聞かせる。

コショーたちが安全な場所に隠れるまで、こいつを引きつけておくのが役目じゃないか。

自分で決めたことなんだ。やり通せ、なんとしてでも。

目元をぐいっと拭い、彼は駆けだした。

揺らぐ視界を、そして湧き出る恐怖を、気力で抑えつけて。

迫りくる飛竜に向かって、一直線に。

 「バカッ!何トチ狂ってやがる?!」

コショーの罵声が耳元をかすめる。

 「横に逃げろ!横に!」

これでいいんだ。心の中でそう呟く。

横に逃げれば、彼らに狙いが移るかもしれない。

それになにより、試したい。

この怪物相手に、どこまでやれるのか。

湧き上がる好奇心が、内から恐怖をことごとく排除する。

彼は知らず知らずのうちに――玩具で遊ぶ子供のように――その空色の瞳を輝かせていた。

 「はああっ!」

竹槍の柄を地面に突き立て、少年は飛び上がった。

重みを受け、弓のようにしなる槍身。

その反動は力強く、使い手の身体を空高くへと跳ね上げる。

少年の身体は、イャンクックを悠に飛び越した。

 「おおっ!」

コショーの驚嘆の声が彼の耳に届く。

さっきから近くで声が聞こえてるけど、ちゃんと避難してるんだろうか。

そんなことを考えながら、少年は地面に降り立つ。

そして槍をくるりと逆手に持ちかえ、素早く後ろを振り返った。

目の前には木の根に脚をとられ、無様に倒れ伏したイャンクック。

敵を見据えるや否や即座に、少年は得物を振りかぶった。

 「ああああぁぁぁぁ!!」

野獣の如き咆哮。

そしてその手から放たれる、渾身の一撃。

槍は閃光の如く一直線に飛び……あっけなく、鱗に弾かれた。

 「……あ?」

口を半開きにしたまま、少年は固まった。

くるくると空中を舞う竹槍。

彼の頭上を通り越し、背後の大木に突き刺さる。

飛竜の鱗には傷はおろか、窪みすらできていなかった。

鋭く強靭といっても、しょせんは竹。飛竜に一矢報いる牙には、到底なりえなかった。

 「やっぱり無理か……」

存外あっさりした調子で、少年は呟いた。

イャンクックはゆっくりと身体を起こし、彼の方を振り向く。

目を爛々と光らせ、大きく開けたくちばしからは、黒々とした煙を吐き出していた。

 「そいつを喰らうな!!」

コショーがあらん限りの声で叫ぶ。

 「火炎液だ!」

なんだろう、カエンエキって。

その答えを求める前に、少年は身を投げていた。

直後、爆発と震動。

身を起こすと、さっきまで彼が立っていた場所には、赤々と炎が立ち昇っていた。

吹きすさぶ熱風に灰と化した落ち葉が宙を舞い、草木がよじれ、頭を垂れる。

……なるほど、これか。

少年は思わず、ブルッと身体を震わせた。

当たったら痛そうだ。

 「曲芸は終わりだ!隠れてろ!」

相棒の声がどんどん近づいている。有無を言わさぬ厳しい口調だった。

 「そいつは俺がやる!」

見れば、コショーは茂みの陰から飛び出し、彼の方へ四つ足で駆けてきていた。

少年ほどではないにしても、その動きは敏捷である。

 「こっちを向け、しゃくれ野郎!」

背中の武器に手をかけ、吠えるコショー。

その鋭い目は怖れを知らず、真っ直ぐ敵を睨みつけていた。

 「耳まわりをすっきりさせてやるぜ!」

彼の挑発を理解したのだろうか。イャンクックは身体を傾け、迫るコショーをじっと見据えた。

翼を大きく広げ、迎え撃つ態勢までとる。

その隙に、少年はじりじりと後ろに下がり始めた。

コショーの邪魔をしてはいけない。

竜との戦闘経験が浅く、連携も知らない自分がしゃしゃり出ても足手まといだ。

 「耳を塞げ!」

コショーは叫び、ポーチから取り出した何かを投げた。

ヒトの拳ぐらいはあるその何かはゆっくりと孤を描き、イャンクックの頭上へと飛ぶ。

それを見たとき、少年は背筋に妙な寒気を感じた。

あれは何かヤバいと、本能が告げていた。

少年は言われた通り、耳を塞いだ。言われなくとも塞いでいただろう。

そして、断末魔を思わせる高音が響きわたった。

 「……ッ!」

空気を裂き、耳を抉るような不快な音だ。

耳の良いイャンクックと彼には、最善手の牽制だろう。

少年の視界は、再び涙でグニャグニャになる。手の位置を微妙に間違え、音を遮断し損ねていた。

しかし耳を塞ぐすべを知らない飛竜は、もっとひどかった。

目を回した人間のように首をグラグラと揺らし、奇妙なステップを踏んでいる。

 「そのまま踊ってな!」

鬼のような形相でコショーは草木の間を走り抜け、背中の武器を抜いた。

それは蒼く透き通った、細長い剣だった。

大きさからして本来は獣人用ではない、『ハンター』の武器だろう。

その蒼い金属や精巧な銀細工は、少年の知識を超えた技術の結晶だった。

コショーはその剣を手にくるりと身体を反転させ、敵の苦し紛れの攻撃をかわす。

反動を利用した横薙ぎの一閃は、奴の鱗を容易く引き裂いた。

噴き出す鮮血。密林に漂う紅い霧。

あの剣の切れ味はすごいが、コショーもすごい。一瞬の身のこなしだ。

体勢を崩し、下がったイャンクックの頭部を踏みつけ、空へと躍り上がる。

車輪のように回転し、勢いをつけて振り下ろされる、蒼い剣光。

彼の宣言通り、その立派なえりまきが大きく千切れ飛んだ。

奇声を発するイャンクック。

 「痛えか?そいつは悪かったな」

暴れる飛竜の頭上で、再び刃を振り上げるコショーの瞳は、殺気にぎらついていた。

 「今楽にしてやるぜ……!」

頭蓋めがけ、振り下ろされる刃。

会心に見えたその一撃は、しかしとどめにはならなかった。

 「うおっ!」

彼の身体は、あまりに軽すぎた。イャンクックが軽く首を振っただけで、飛ばされてしまうほどに。

 「くそっ!」

悪態をつきながら、彼はボールのように地面をバウンドする。

 「俺がアイルーじゃなけりゃ……」

十分過ぎるほど地面を転がり、身体に泥と落ち葉をくっ付けたコショー。

愚痴りながら起き上がろうとするのと、イャンクックが大きく口を開けるのは、同時だった。

やつの鼻腔から、細い煙が吹き出している。

まずい。

少年は落ち葉を蹴り飛ばした。

ケルビのようにピョンピョンとジグザグに跳ね、樹木や岩をかわしながら、乱雑な地形を一気に駆ける。

飛竜のくちばしから放り出された、燃え盛る炎の塊。

それが当たるか否か、ギリギリのタイミングで、少年はコショーを抱えて離脱した。

背後で炸裂した熱風が雑草を薙ぎ、羽虫たちの命を散らす。

 「てめえ、何しやがる!」

少年の脇に抱えられ、コショーはご立腹だった。

己の矜持とキャラを忘れ、ニャーニャーとわめきだしそうな勢いだ。

 「隠れてろって言ったろうが!俺はあんなのの一発や二発、どうってことねえんだよ!」

彼はわめいたが、少年は相手にしなかった。

暴れる相棒をしっかり抱え、走りながらも、時折後ろを振り返る。

音で分かってはいたが、確認せずにはいられなかった。

追いかけてきている。

首を左右に振り乱し、翼をばたつかせながら、猛然と走ってくる。

火炎をまき散らしながら、一心不乱に迫るその姿。

それは彼にとって恐怖であると同時に、少しシュールだった。

 「おい小僧!何クスクス笑ってやがる!」

目を剥いてコショーが怒鳴る。

 「必死こいて逃げるか、俺を放すか、どっちかにしろ!」

それには答えず、少年は突然身体を傾け、真横に飛びのいた。

押し潰さんと倒れこんできた飛竜の身体を、余裕をもってかわす。

 「おーい、こっちだ!」

大きな声に振り返ると、ブナの大木の向こう側で、一人の男が両手を振っていた。

あれはさっきのヒトじゃないか。少年は首を傾げる。

あんなところで何をやっているんだろう。死にたいのだろうか?

 「あそこまで走れ!」

突然のコショーの言葉に、ますます少年は混乱する。

しかし身体は、自然と動き始めていた。

倒れた木々を足場に大木を駆け上がり、黒光りする大岩に飛び移った。

苔むした垂直な岩面を滑り落ち、反対側に危なげなく着地する。

岩のまわりを大きく迂回するイャンクックを尻目に、彼は一気に駆けだした。

 「あのヘナチョコ野郎、まさか加勢してくるとはな」

少年の腕から、するりと抜け出したコショーが呟く。

 「あんまり俺らが不甲斐ないんで、心配になったか」

 「どういうこと、コショー?」 

少年は彼と並走しながら、首を傾げた。

 「なんでこっちに逃げたの?」

 「さあてね」

ぶっきらぼうな返答に、少年は頬を膨らませた。

水気のある泥に足をとられ、思うように走れない。地響きはどんどん近づいてきている。

こんなところで死んだら、化けて出るからね。そう言おうとした直後。

その地響きが、突然奇声へと変わった。

 「かかったか!」

嬉々とした表情で後ろを見るコショー。

つられて振り返れば、そこには不思議な光景があった。

 「止まってる……?」

身体を痙攣させながら、イャンクックが停止していた。

まるで何かに耐えているように四肢をこわばらせ、くちばしの隙間から荒い息を吐き出している。

鼻腔から細々と漏れる煙が、助けを求める狼煙のようだった。

どうしたのだろう。足でもつったのかな。……いいや、違う。奴の足元だ。

黒い円盤のようなものが、青白い光を放っている。

見たのは初めてだ。ハンターの罠か。

どういう原理なのか全く分からないが、とにかく飛竜の動きを止めている。

そういえば、何もないところでコショーがジャンプをしていた。あれを避けていたのか。

 「いい場所に仕掛けたじゃねえか、兄ちゃん!」

 「ど、どうも」

罠を仕掛けた男は、軽く頭を下げる。

その顔は、茶色いものがこびりついたままだった。

……この人はもっと、コショーに怒っていいと思う。

 「このまま逃げ切るぞ!」

男の膝を通り過ぎざまに叩き、コショーは森の奥へと走る。

 「ここを突っ切ればベースキャンプだ!おうちに帰れるぜ!」

 「近道なのかい?」

 「ああ、商会連中が使ってる抜け道だ!」

霧が立ち込める木々の陰に、一人と一匹が消えていくのを見ながら、少年は立ち止まる。

 

彼は振り返った。

そして、空を見上げるイャンクックを見た。

 

ハンターの罠はその役目を終えて砕け、黒煙を上げている。

解放された飛竜は何をするでもなく、ただぼんやりと空を見上げていた。

風になびく千切れた耳が、見ていて痛々しい。

つられて上を見て、彼は目を見開く。

そこにあったのは、透き通った青色だった。

どこまでも広く、深く染みわたっているそこは、別世界の入り口に見える。

少年は、竜に向かって小さく笑った。

踵を返し、闘いの森に別れを告げるべく、大地を蹴り、飛んだ。

 

彼らは自由を夢見ていた。

 

 

 

 

 





クック先生「やれやれ、新人の教育は骨が折れるぜ……」

先生、お疲れ様でした。
猫とトーシロの子供が相手だったので生存しましたね。良かったですね。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

「悪魔猫」とタグをつけていますが、原作ほどの猛威は振るいません。しかし随所で、アイルーの戦闘能力を超えたスペックを発揮させる予定です。
……悪魔猫を知らない人は聞き流してください。知らない方が幸せです。ええマジで。

更新は一週間おきで頑張る予定です。まあ、大丈夫でしょ。夏休みだし。
次回もよろしくお願いします。


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二 災厄の痕

あの電波で奇怪なあらすじをくぐり抜け、二話目をも読まんとする勇者なあなたに、この話を捧げます。

……捧げられても困るわ(笑)

この前書き忘れてましたが、前回の舞台は『メタぺ湿密林』でした。旧密林ってやつです。
新しい方の密林との違いを出すため、「淀んだ空気」とか「湿った地面」など、若干じめじめ感を強調しています。ゲームでやってる限りだと、なんか旧密林の方が湿気があるイメージがあるんですよね。
空気が揺らいでるっていうか。……画質が悪かっただけ?

今回ちょっと長めですが、お楽しみいただけたら幸いです。


 雲一つない青空だ。

照りつける日差しの下では、植物たちが生き生きと輝いている。

真っ赤に咲き、青空の下で輝く南国の花に、そよ風になびき、大きな葉を自慢げに揺らす若木。

それらを脇に見ながら、竜車はゆったりとした速度で進んでいる。

謎めいた霧とともに、太古の息吹が渦巻くかの魔境――メタぺ湿密林を抜け出してから、すでに一日が過ぎていた。

遠くの丘では、アプトノスたちが日向ぼっこをしている。

近くの木陰では、何が面白いのかブルファンゴが熱心に木の根をほじくり返していた。

 「あんた、顔くせーぞ」

オトモアイルーのコショーは座席にふんぞり返り、葉巻に火をつけている。

 「メタペタットに着いたら、石鹸つけてよく洗うんだな」

 「はははは……」

その向かいの席では、男がぎこちなく笑っていた。

ファッションなのか、額に巻いたゼブラ調のバンダナが特徴的な青年だ。

逆に言えば、他に印象に残るものがない。顔立ちが平凡というか、モブ顔だ。

行商人と名乗っていたが、向いてないんじゃないか。

その手の仕事は、どれだけ顔を覚えてもらえるかがキモだ。

 「さっき川でメチャクチャ洗ったんだけど……落ちないか」

心なしか彼の視線からは、少しばかり殺気が感じられた。

コショーは面倒くさそうに肩をすくめる。

 「悪かったよ。んな目で見んなって」

 「いやいや、怒ってるわけじゃないんだよ」

男は表情を変えずに言う。

 「ただ……さ、落ちないんだよ。いくら洗っても」

 「だから悪かったって言ってんだろが」

面倒くせえ野郎だな。コショーは無意識に舌打ちしていた。

助けてやったってのに、土下座までさせようってのか。

 「今度同じことが起きたら、こやし玉にしといてやるよ」

 「ねえ、コショー」

不穏な空気を感知したのか、隣にいた少年が話しかけてくる。

 「メタペタトって、何?」

 「メタペタットな」

目を細め、訂正するコショー。

そのとき、竜車の手綱を握っていたアイルーが口を挟んできた。

 「メタペタットは、ハンターたちが切り開いた村だニャ。アルコリス地方の陸路での移動では欠かせない、交通の要所としてじわじわ栄えてるニャ。ジォ・クルーク海に面した港もあって、つい最近、東シュレイドへの定期便が大幅に……」

 「誰がてめえに話しかけた?」

この一言で、コショーは御者を黙らせた。

竜車を引くアプトノスが鼻を鳴らしたのが、やけに大きく響く。

 「黙って前見てろ、マヌケ」

 「……酷いニャ」

御者アイルーはそれきり黙ってしまった。

コショーは葉巻を口から離し、細く煙を吐き出す。

 「俺や、俺の仲間のハンターどもの拠点だ。つい最近、ギルドの支部ができたんだ」

 「へえ、そうなんだ」

少年は空色の瞳を輝かせ、コショーにすがった。

 「そこでハンターになれる?」

 「そのつもりでここまで来てんだろ」

葉巻の灰を外に落としながら、彼は小さく頷いた。

 「俺が紹介状を書いてやる。もしかしたら、めんどくせえ手続きとかすっ飛ばせるかもな」

 「やった!ありがとう、コショー!」

あまりに嬉しかったのか、少年はコショーに抱きついてしまった。

 「今すぐ離れろ、小僧」

額に皺を寄せ、コショーは静かに、しかしドスのきいた声で言う。

 「そのきめ細やかな肌に、根性焼きを刻まれたくなきゃあな」

 「あ、ゴメン」

慌てて彼から離れ、席に座りなおす少年。

石にでも引っかかったのか、竜車が大きく跳ね上がった。

 「気ぃ引き締めろ」

バランスを崩しかけた少年の腕を、コショーは強く掴んで支える。

 「甘ったるい覚悟で、ハンターになんかさせねえからな」

彼の言葉に、少年ははにかむように笑った。

 「えへへ、肝に銘じます」

 「そうしろ」

 「坊やは、ハンターになりたいのかい?」

先ほどまで一人と一匹をぼんやり眺めていた男が、首を傾げて言う。

 「……もしかして、さっきのイャンクックとの戦いは、初めて?」

 「うん」

 「すごいねそれは」

男はあごに手をやり、少年を真っ直ぐ見た。

 「君にはハンターの素質があるよ」

 「本当?」

 「バカ言え。あんまり乗せんなよ」

コショーは腕を組み、男を睨みつける。

手にしていた葉巻は、とうに道に投げ捨てていた。

 「こいつのは曲芸だ。棒高跳びを見ただろ?」

 「いやいや、ハンターにだって立体的な動きは必要だ」

男は得意げに話しだした。

 「新大陸には、『操虫棍』という武器があってね……」

 「知るかそんなこと」

コショーは溜め息を吐いた。

 「俺が言いたいのは、トーシロに調子こかせても、ろくなことがねえってことだ」

 「それは……まあ、確かに」

 「俺はむしろ、あんたに才能があるように思うがな」

コショーは男を睨むように見る。

 「ギャアギャアわめいて逃げてたくせに、あのシビレ罠の絶妙な配置。見事だぜ」

 「いやあ、たまたまさ」

男は頭をかいて笑ってみせる。

 「商品の扱いには慣れてるけどね。命がけだったよ」

 「助けられて良かった」

少年はにこにこ笑って言う。

 「ずっとやってみたかったんだ、ヒト助けって」

 「最後は逆に助けられたけどな。完遂じゃねえぞ」

 「それでもいいんだ」

彼はへこたれずに、明るく言いきった。

 「『ヒト助け』っていう行為がしたかったんだよ。結果はどっちでもいいんだ」

 「……ああ、そう」

そう返事をしながら、内心コショーは訝しんだ。

こいつ今、さりげなく酷いこと言ってなかったか?

どっちでもって……。

 「それは何だい?」

少年の言葉の他意など気づかず、男は少年の耳を指さした。

 「え?」

一瞬ドキッとしたような表情をし、すぐに真顔に戻る少年。

 「ああ、これ?」

彼が指でつまんだのは、貝殻のようなもので作られたピアスだった。

大きさはイチゴ程度だが、耳たぶの下をプラプラしているその様子は、なんだか見ていて邪魔くさい。

 「見せよっか?」

そう言いながら彼が耳元に手をやった瞬間、男の目が丸くなる。

 「あ、あれ?」

男はそう洩らし、席から腰を浮かせた。

 「君の耳……尖ってる?」

指でどかした髪の間から、竜人特有の耳が露わになっていた。

 「座れボンクラ。竜人族なんて、珍しくもなんともねえだろ」

 「いや、まあ……ね」

コショーの低い声に、男は煮え切らない言葉を返す。

 「行商でずいぶん遠くまで来て、竜人とは何度か会ったけど……子供は珍しいかなあ」

 「いつバレるかな、って思ってたけど、わりと早かったね」

少年は無邪気に笑うと、手の平をパッと広げ、掲げて見せる。

親指がない。指が四本しかないのだ。一度気づけば目が釘づけになる、人間との決定的な違いだった。

 「この耳飾りは、一人前の証なんだ」

少年は、自慢げにピアスを揺らして見せた。

貝殻の表面が太陽に照らされ、虹色に光っている。

その光沢は光の加減によって、様々な紋様が浮かび上がっては消えを繰り返しているように見えた。

 「ヒトの住みかから離れた場所に、竜人族の集落があるんだ。僕はそこの生まれなんだよ」

 「人里離れた場所に集落かい?」

 「うん」

 「隠れ里ってやつか。噂には聞いていたけど、本当なんだね」

 「どんな噂?」

 「それほどぶっ飛んだ話じゃないよ。若い竜人族たちが暮らす、隠れ里が何処かにあるってね」

 「へえ、知られてるんだ」

 「いや、まあ、竜人っていうと、不思議と小さなお年寄りのイメージがあるからね。みんな不思議に思うわけだよ。若い竜人は、どこにいるんだってね」

コショーは内心ひやひやしながら二人の会話を見守っていた。

自分のこと、アホみたいにペラペラ喋りやがって。

アレのこと訊かれたら、どうするつもりだよ。

 「ところで、一つ気になってるんだけど」

男はあごを触りながら言った。

 「イャンクックの反対側から聞こえた、飛竜の咆哮……。あれ、君だよね。どうやったの?」

ほら来たよ。

コショーは黙って肩をすくめる。

行商人の好奇心なんざ、ろくなもんじゃねえ。こいつらが早死にする理由は、これに尽きる。

 「……ああ。あれはね、簡単だよ」

少年は自分の喉を指さした。

少し力を入れてみせると、その表面が著しく隆起し、幾重にも筋が走る。

喉の裏に潜んでいた、常人にはあるはずのない筋肉のかたまりが顔を出していた。

 「単純な声マネなんだ。小さいときから訓練すれば、誰だってできるようになるよ」

……なるほど、そうきたか。

コショーは小さく笑った。

6割話して、4割は隠す。詐欺師とチンピラの常套手段だ。

実際、何一つ嘘はついちゃいない。声マネ。ただそれだけのことだ。

 「な、なるほど……」

呆気にとられた様子の男は、適当に頷いた。突如出現したグロテスクなコブに、若干引き気味だ。

 「いや、すごいよ。誰にでもできることじゃない」

 「そう?ありがとう」

少年は機嫌よく頭を下げる。

顔を上げたときには、コブは跡形もなく消えていた。

 「おい、お客さんたち。ちょっといいかニャ?」

突然響いた御者ネコの言葉。全員が振り返り、彼の方を見る。

 「何だぁ?道でランポスどもが通せんぼでもしてるか?」

コショーの問いに、御者は黙って首を横に振る。

彼が指さすその先には、見渡す限りの大海原が広がっていた。

微かな潮風に揺られ、波打ち、日の光を受けて艶やかに輝く、巨大な宝石。

波は穏やかに、時に強く、黄金色の砂を奪い取らんと浜を抉る。

贅沢な輩だ。

その群青はあまりに満ち足りているというのに、まだ何かを奪おうとしている。

いつの間にか、竜車は雑木林を抜けていたのだった。

 「ジォ・クルーク海だニャ」

御者ネコは、何の感慨もなさそうな目で前方を眺めて言う。

見慣れすぎて、鬱陶しくさえあるのだろう。

 「ここから南に二時間も走らせれば、すぐにメタペタットだニャ」

 「そいつはけっこう。急ぎで頼むぜ」

コショーの声に、御者は「あいニャ」と返事し、手綱を弾く。

コショーが視線を戻すと、少年は無言で目を細めていた。

 「眩しいね」

彼の視線に気づくと、そう一言呟いた。

 「意外だな。もっと喜ぶと思ったぜ」

新しい葉巻を咥えたコショーの言葉に、少年は小さく肩をすくめる。

 「海は初めてじゃないんだ」

 「なんだ、そうだったのかよ」

どこか拍子抜けしたようなコショーを見つめ、彼は小さく笑った。

 「わあーい!すごーい!海だー!……これでどう?」

 「別にてめえのリアクションを楽しみにしてたわけじゃねえよ!」

顔を歪めて怒鳴るコショー。

ちらりと横を見れば、彼らを微笑ましげに見ている男がいた。

 「なにニヤニヤしてやがるんだ、このウンコ野郎!」

 「な、なんだって?」

虚をつかれた男は、裏返った声で叫んだ。

 「ウンコ被ったのは君のせいだろ!」

 「騒々しい客だニャ……」

御者のアイルーは呆れ顔で、手綱を巧みに操っている。

海を遥か下に見下ろす断崖の上を、彼らの竜車は進んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 その者は大地を揺らし、山を崩し、街を薙ぐ。

 

かつて、山脈にも匹敵する巨体を持て余した龍が、突如この地に現れた。

龍は岩を突き破り、山を崩し、何処へと消えたという。

 

現在、そこには街があった。龍が岩盤を抉り、突き進んだ道は、そのまま街道となっている。

竜車が十台以上横に並んで、ようやく塞がる大通り。竜車の通行数は、西シュレイド一といわれる。

巨竜が残した災厄の痕跡は、皮肉なことに、アルコリス地方発展の要となっていた。

メタペタット。この街の名前だ。

 「君たちと一緒にいられて楽しかったよ。ありがとう」

額にバンダナを巻いた男が、一人と一匹に手を伸ばす。

 「また会えるといいね」

少年は差し出された手を、穴があくほど見つめた。

 「……握手だよ、バカ」

 「あ、そっかそっか」

コショーの声にハッとした少年は、慌ててその手を握る。

まったく、このガキはなんなんだ。

コショーは眼帯に手を触れながら低く唸った。

「外の世界の教育は最低限受けている」とか豪語していたが、今になって疑わしい。

 「そういえば、まだ名乗ってなかったね」

男は自分を親指でさした。

 「僕はルナーク。夢は世界を股にかける大商人さ」

へっ、おめでたいこった。コショーは腹のなかで呟く。

……もっとも、本気で言ってるんだとしたらの話だが。

 「君の名前は?」

男の問いに、少年は意味ありげに微笑んだ。

その笑顔は喜びや不安よりも、何か根源的な感情が潜んでいるように見えた。

 「僕の部族ではね、ルナーク。名前は特別な意味を持つんだ」

 「うん?そうなのかい?」

首を傾げたルナークの言葉に、少年は「そうだよ」と返す。

 「だから簡単には教えられない。名前は人の『個』を縛り、支配してしまうから」

 「そうなのか……」

肩を落とすルナークを横目に、少年は肩をすくめる。

空色の瞳が、面白そうに笑っているようだった。

 「でもいいよ。教えてあげる」

 「あ?いいの?」

 「うん。ルナークにならしょうがない」

少年はにっこり笑って、自分の名前を囁いた。

 「……そうか、いい名前だね」

行商人ルナークは、胸の前でギュッと拳を握った。

 「誓うよ。君の名前は他言しない」

 「本当?約束だよ」

無邪気に笑う少年に、「約束する」と真面目な顔で返すルナーク。

 「それじゃあ、またいつか!」

荷物を背負い、片手を振りながら遠ざかっていく行商人。

少年は彼が人混みに消えるまで、ずっと手を振り続けていた。

 

 

 

 

 

 

 メタペタットのハンター集会所は、大通りを挟んで見下ろす街の高台に位置していた。

抉られずに残った岩盤の、大通りとの標高差は約20メートル。高台と呼ぶには十分な高さだ。

そこに建つ住居や商店は、どれも豪奢なものが多い。

この街に住む富裕層にとって、高台に家を持つことこそが最高のステイタスだからだ。

並び立つ建物はどれも品があり、あるいは成金趣味であるが、かの建物は例外だった。

巨大な岩を掘り、削り、そのまま建物の形に見立てたそれは、ギルドの赤い天幕がなければ、原始人の家そのものだろう。

一人と一匹は、集会所の大きな扉の前に並んで立っていた。

 「入る前に確認だ、小僧。ハンターになるための鉄則」

コショーは少年の方に振り返り、厳しい表情で言った。

 「喧嘩は買うな。いいな」

 「……?」

少年は首を傾げた。

 「よく意味が分からないんだけど……」

 「言葉通りだ」

コショーは不機嫌そうに言った。それ以上説明する気はなかった。

向き直ると、どっしりとしたギルドの扉を軽々と押し開けた。

熱気。

中に立ち込めていた熱っぽい臭気が、蒸気のように吹き出してくる。

コショーは顔を歪ませ、少年は小さく息を呑んだ。

次に飛び出てきたのは、怒声だった。

誰かが怒鳴り、わめき、笑い、罵り、それらが混ざり合い、混沌のハーモニーを奏でている。

 「耳が……」

少年は苦痛に顔を歪め、耳を抑えていた。

 「我慢しろ。慣れろ」

コショーはそれだけ言うと、扉の奥へずんずん進んでいく。

相変わらずひどい臭いだ。

彼は髭をピクピクと動かし、鼻の頭にしわを寄せた。

集会所というのは大概の場所で、酒場としての機能も果たしていることがほとんどだ。

いつ死ぬとも分からないハンターたちにとって、酒は最良の友となりうる。

粋なはからい、と言えないこともないが、正直失策だと俺は思う。

中は惨劇だった。

床には酒ビンや食器の破片、その他よく分からないものが散乱しており、足の踏み場もない。

視界に入る限り、テーブルには必ず何かしら突き刺さっており、壊れたタルからは酒が滝のように流れ落ちている。

だが人々はそんなこと気にもせず、狂喜乱舞のお祭り騒ぎに興じていた。

まるで子供向けの物語に出てくる、不思議の国のような有様だった。

 「すごい所だね」

後ろに立つ少年の声には答えず、コショーは真っ直ぐ奥に歩いていく。

何人かの男たちは彼を見るなり、耳を塞ぎたくなるような罵声を吐いたが、全て無視していた。

普段の彼なら嬉々として殴りかかるところだが、少年の手前、手本を示すべきだと決めていた。

 「ハーイ、坊や。かわいいわねぇ」

妖艶な雰囲気を纏った一人の女が立ち上がり、おぼつかない足取りで少年に近づいていった。

やたらと露出の多い、ビキニのような鎧を着ている。

一歩踏み出すたびに、そのたわわな胸がぷるんぷるんと揺れた。

 「ここは初めて?」

 「うん、そうだよ」

 「そぉ……。綺麗な顔をしてるわねぇ」

少年の頬に手を添え、色っぽく溜め息を吐く美女。

ウェーブのかかった金髪がランタンの明かりを受け、官能的に輝いている。

きょとんとしている少年に顔を近づけ、悩ましげな声で言った。

 「わたしと楽しいこと…………オエエエッ!」

飲み過ぎが祟ったのか、言い切らないうちに彼女の口からゲロが舞う。

少年は並外れた反射神経で、それを完璧にかわしていた。

 「おい、クライシア。ほどほどにしとけ」

コショーは振り返り、青白い顔で床にうずくまる彼女にそれだけ言った。

 「あのヒト大丈夫?」

心配そうに振り返る少年に、コショーはフンッと鼻を鳴らす。

 「大丈夫じゃねえよ」

 「ここのヒトたちは、みんなハンター?」

 「いや、街のチンピラもいるぜ」

コショーは石造りの床の上を、倒れた椅子、テーブル、人などの障害物を避けながら進んでいく。

床に飛び散った血痕が生々しかった。誰のかなんて知りたくもない。

 「お祭り騒ぎが好きな連中は、みんなここに集まってる」

 「ギルドはどこでもこんな感じ?」

 「まあな。だが、ここは特別ひでえ」

額にしわを寄せ、コショーは鼻をつまんだ。

近くの席で、とても口に出しては言えないものをまき散らしている男がいたからだ。

その目は血走り、白目を剥き、とても正気とは思えない。

 「ここ数年で、この街は海運利権目当てのやくざ者で溢れかえった。品のねえ連中の巣窟ってわけさ」

 「ふーん」

頷く少年を尻目に、コショーは大きく溜め息をついた。

数年前、ここは街とはとても呼べないような、人の少ない場所だった。

しかしゴミクズ連中が、怪しい交易品とともにミナガルデから大量に流れてきて、全てが変わった。

メタペタットは、奴らが大きくした街なのだ。

言うまでもなく、ハンターの拠点としては底辺だ。田舎ではあるが、隣のココット村の方がずっとましだ。

なるべくならドンドルマに連れていってやりたかったが、仕方ない。

近年、ハンターの『質』の低下が問題視され、大都市を筆頭にハンター認定時の見直しが行われた。

増えすぎた犯罪者紛いのハンターたちに、ギルドがとうとう対処しきれなくなった結果だった。

出身も身分も経歴もうやむやに、どさくさ紛れでハンターになれるのは、俺の知ってる限り、もうここしかない。

ある程度奥まで来ると、目当てのものが見えてくる。

床や壁同様、灰色の岩を削りあげて作られたカウンター。

そこではギルドの制服に身を包んだ少女が、ぼんやりと頬杖をついていた。

エプロンとワンピースを併せたような、可愛らしいデザインだ。

彼女は物憂げな表情で、何をするでもなくただ静かに座っていた。

 「おい、ナヅナ」

コショーが声をかけると、少女はハッと我に返る。

短く切り揃えられた黒髪のおかっぱが、さらさらと涼しげに揺れた。

 「はい!ここはハンターズギルド、メタペタット支部です!」

 「んなこと知ってんだよ、バカが」

悪態をつくコショー。

少女は首を傾げると、カウンター越しに彼を見下ろし、あっと声をあげた。

 「コショーさんじゃないですか!」

 「よう、しばらくぶりだな。地獄の底から舞い戻ってきたぜ」

彼はそう言いながら、カウンターに飛び乗った。

 「ババアと話がしたい。奥にいるか?」

 「もうっ、心配してたんですよ!」

黒髪の少女、ナヅナは頬を膨らませて言った。

 「討伐失敗の報告を受けて、ミシーさんは大ケガしてたし、あなたは帰ってこないし……!」

言いながら、彼女の黒い瞳がうるうると光り、顔は赤みを帯びてくる。

 「ぼんどうにじんばいしたんでずからねっ!」

 「はいはい、悪かったな」

コショーはハエでも払うように、ひらひらと片手を振った。

 「そいつはともかく、ババアはいるか?」

 「ぐすっ、ぐすっ……、ひっく!じんじゃったと思ったじゃないれすかぁ……」

 「ババアはいるかって聞いてんだよ、このアマ!」

すすり泣く彼女に、思わず声を荒げるコショー。

彼らの背後の席では「うわ~泣かせた~」「いーけないんだーいけないんだー」と囃し立てる者たちまでいる。

黙ってろこのチンピラども。コショーはそう怒鳴りそうになった。

 「コショー、謝りなよ」

珍しく厳しい表情で、少年はコショーを睨んで言った。

 「こんなに心配してくれてた人を、そんなぞんざいに扱っちゃいけない」

 「てめえは黙ってろ」

くっそ面倒くせえな。コショーは舌打ちした。

こちとら人間じゃねえ。ネコだぞ。そう簡単に死ぬかい。

たかが一週間やそこら留守にしてたくらいで、大げさなんだよ。

……やむを得ぬ事情があったとはいえ、報告が遅れたことに関してはこちらに非があるが。

 「……怒鳴って悪かったよ。泣きやんでくれ」

ナヅナのおかっぱ頭を、ぎこちない手つきで撫でるコショー。

後ろでニヤニヤ笑うチンピラたちの視線にさらされながら、何気なく振る舞うのに必死だった。

 「好きで心配かけたわけじゃねえ。戻るに戻れなかっただけなんだ」

 「ゴジョーずあぁぁん!」

キラキラ光る涙を飛ばしながら、ナヅナがコショーをきつく抱きしめる。

彼の身体に頬をこすりつけながら、思いっきり泣きだしてしまった。

 「コジョーざんのがらだ、ぬいぐるみみだいにふわふわじでるぅぅ~~!」

「放せ、コラ!」と言って暴れるコショーを見て、爆笑するチンピラたち。

 「うらやましいなぁ。俺が行方不明になったってあの娘、あんな心配してくれねえぜ?」

 「飼い猫がいなくなったときを思い出せよ。無事に帰ってきたら、誰でもああなるさ」

 「おお~コショーちゃ~ん!心配ちてたんでちゅよ~~!ギャッハッハッハッハ!!」

チンピラたちと一緒になって、少年もクスクスと笑いだす。

こうなることを予期していたような笑い方だった。

ようしお前ら、覚悟できてんな。コショーは肉球を握りしめる。

全員切り刻んで、プーギーのエサにしてやるぜ。

 「ぐすっ、くすん。……いえ、すびばせん。ちょっと取り乱しまじた」

コショーを解放し、彼女は目元をゴシゴシと拭う。

何事もなかったかのような真顔に戻り、奥の扉に向かって声を張り上げた。

 「おばさーん!コジョーさんが用事があるぞうでーす!」

 「はいよ~」

間延びした声が響き、ゆっくりと近づいてくる足音。

カウンターの奥にある扉が開かれ、中から中年の女性が顔を出した。

太り気味の、小言の多い近所のおばさん。

そのイメージを余すところなく具現化したような、そんな外見をしている。

ただ一つ、その頬から首筋にかけて走る一本の刀傷だけが、女性がカタギでないことを主張していた。

彼女はタルのようにずんぐりとした体格を引きずり、コショーの前までやってくる。

 「なんか用?ん?」

 「新しいハンター志望者を連れてきたぜ」

 「あ?そうなん?」

彼女は尻をボリボリ掻きながら、懐から紙とペンを取り出した。

従来の羽ペンとは違い、振るだけで内側からインクが滲む、優れものの高級品だ。

 「んで、誰?」

 「はい!僕です」

手をあげた少年をいちべつし、女性は「あ、そう」と言った。

ペンをクルクル回しながら、目を細めて紙を凝視する。

 「よそ者ね。出身はどこ?」

 「…………」

 「なんでそこで黙るの?」

女性は少年を睨みつけた。溜め息を吐くと、手元の紙に視線を戻す。

 「性別は?」

 「男!」

少年は元気に答えた。女性はペンを動かしながら、次々に質問を投げかける。

 「身長は?」

 「140センチ……くらい」

 「体重は?」

 「60キロくらい、です」

随分自分の身体情報を把握してるな。コショーは首を傾げた。

奴の集落でも、身体測定みたいなものがあったのだろうか。

 「見た目より重いね。年齢は?」

 「13?14?……12?」

年に関してはアバウトだな。口頭筆記だけで済ませようとするババアもそうだが。

 「それくらいね。で、出身は?」

 「…………」

 「だから何でそこで黙るの?」

女性がどんなに睨みつけても、少年は口を引き結んだままだった。

彼女はコショーに視線を移し、片方の眉を上げる。

 「コショー、このガキ何?」

 「お察しの通りだ。とっくに情報は来てるだろ?」

コショーの言葉に、女性は黙って腕を組んだ。機嫌の悪いモスのような顔をしていた。

 「頼むぜばあさん。借りを返してくれ」

コショーは鋭い笑みを浮かべている。

 「綱渡りはお手のもんだろ?」

 「はいはいはい。やりゃあいいんでしょー」

女性は悪態をつきながら、紙をナヅナに手渡した。

紙が油に濡れて光っている。奥で何か食べていたのだろう。

 「これ。あんた、書いといて」

 「え?」

彼女は目をぱちくりさせる。

 「おばさんは?」

 「あ?あたしゃね、他に書くものあんの」

それだけ言うと、彼女はどかどかと足音を響かせ、扉の奥に戻っていく。

ドアは開けっ放しだった。

 「ちゃんと閉めなきゃダメですよ!」

奥にいる女性に向かって大声を出しながら、ナヅナは足を高く上げ、扉を蹴って閉める。

はしたない奴だ。コショーは顔をしかめた。

向こうから見たら、パンツが丸見えだろうに。

 「さて、と」

ナヅナはペンを手にとると、少年に視線を移した。

彼が年下だからだろうか。やけにお姉さんぶった、優しげな微笑みを浮かべる。

 「ハンターとして登録するから、名前を教えてもらえるかな?」

 「はい!」

少年は堂々と自分の名前を名乗った。

商人に名乗ったときとは違い、こういう場合は仕方がないと割り切っているのだろう。

 「僕はアステル。アステル・エインガナです!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜の牙と焔が支配する世界。

荒々しくも荘厳なる聖域を侵し、大地を駆ける者たちがいた。

 

彼らの携える刃は牙。鎧は鱗。

纏いし竜の片鱗を武器に、強者たちは試練に挑む。

 

彼らは狩人。

竜を狩り、その力を糧とし生きる、一匹の獣だ。

 

ある者は栄誉を求め、ある者は血肉を求め、またある者は、虚無を求める。

人は彼らを、こう呼んだ。

 

 

 

 

 

            -- MONSTER HUNTER --

 

 

              The Forbidden Sky Play

 

 

 

 

 

 




二話目を完読していただき、ありがとうございました。
ウケるかどうか、限りなく微妙なギャグを連呼するのが好きなんですよね。どうかご理解ください。

感想や疑問など、喜んで受け付けいたします。
文法的な間違いなど、指摘してもらえたら嬉しいです。
……「受け付けいたします」って、文法的にあってる?


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三 畏怖する空

更新がすごく遅れたこと、深くお詫びいたします。

え?誰も待ってねえって?……ああ……そう……





 「はい、これで登録完了です!」

カウンターにペンを置き、ナヅナはにっこりと微笑んだ。

 「おめでとう!君も今日からハンターだよ」

 「はい、よろしくお願いします!」

勢いよく頭を下げるアステル。

声が少し裏返っている。顔色もいつもより赤い。

よっぽど嬉しいらしいな。コショーは肩をすくめた。意外に単純な奴だ。

 「敬語じゃなくっていいよ?」

相変わらず大人ぶった笑みを浮かべながら、ナヅナは少年の頭を撫でる。

 「ナヅナって呼んでね。これからよろしく!」

 「うん。えっと、よろしく!」

アステルは顔を上げ、笑顔で答える。はにかんだような笑みだ。

 「喜ぶのはまだ早いぜ」

水を差すようなコショーの言葉に、二人は同時に振り返った。

どちらもキツネにつままれたように、きょとんとしている。まるで双子だ。

目をパチクリさせて、ナヅナが首を傾げた。

 「まだ何かありましたっけ?」

バカが。てめえは受付嬢だろ。そのくらい把握してろ。

その言葉を飲み込んだあと、コショーは低い声で答える。

 「登録が済んだら、あとは訓練と試験だ。推薦状があるから訓練はパスだろ」

 「試験?試験って何やるんでしたっけ?」

だから何で俺に訊くんだよ。コショーは舌打ちした。

また泣かれると困るので、下手に怒鳴れないのがもどかしい。

 「そんなのは、人によってまちまちだ。でかいコネがあれば、それすらパスできるだろうが」

 「でかいカネ?」

アステルが真顔で訊き返す。

 「コネな。言っとくが、俺のコネはでかくねえ。オトモだからな」

 「オトモって?」

再びアステルが訊き返す。三歳児かてめえは。

彼は顔をしかめ、頭を掻きながら言った。

 「オトモは俺だよ。とにかく、てめえは試験を受けなきゃならねえはずだ」

 「正解」

予期せぬ声に、全員がそちらを振り返る。

カウンターの奥から、中年の女性がのしのしと歩いてきていた。

口のまわりが黒くなっている。また何か奥で食べていたのだろう。

 「ちょうどいいクエストがあんのよ。あんた、やってみる?」

 「クエスト?どんな?」

アステルの弾んだ声に、女性の目がすっと細くなる。

 「『ドスランポス』の討伐」

 「……何だと?」

コショーは驚きに目を丸くする。そして次には、訝しむように細めた。

 「ド素人だぞ。分かってんのか、ババア」

 「分かってるよ」

女性はコショーの目をじっと見つめる。何かを上から貼り付けたような表情をしていた。

 「でも見込みあんでしょ?だからこその推薦状」

コショーは顔を歪め、チッと舌打ちした。

クソババアが。やるとしても、せいぜいランポス5頭くらいがセオリーだろうが。何が狙いだ。

 「私は反対です、おばさん。訓練も受けてないし、この子の年齢にはまだ……」

ナヅナが言いかけたが、彼女はそれを片手で遮った。

 「質問!」そう言ってアステルが手をあげる。

 「『討伐』って、殺すってことですか?」

 「そうだよ。期日以内に殺せばいいだけ」

女性の言葉に、アステルは「ふうん」と頷いた。

 「分かった。ドスランポス、やってみます」

 「おい待て!」

コショーは思わず声を荒げる。

ナヅナがビクッと肩を震わせた。その程度には怒気を含んでいた。

 「勝手に了承すんな!てめえ一人にはまだ早い!」

 「一人……?」

彼の言葉に、少年は目を見張った。女性の方へ向き直り、首を傾げる。

 「一人なの?」

 「まあね」

 「そうなんだ……」

アステルは腕を組んだ。難しい表情で、床を見つめている。

しかしそれも、ほんの数秒のことだった。

 「いいよ。頑張ります」

 「おいコラ!てめえは……」

コショーが何か言おうとしたが、アステルは彼の口元に人差し指を押し付け、黙らせた。

 「大丈夫だよ、コショー」

少年は誇らしげな表情を見せた。

 「僕は一人前の戦士なんだ。心配しないで」

コショーは黙って彼を睨みつけ、歯ぎしりした。

ガキが。何にもこなせてねえうちから、そんなドヤ顔かましやがって。

いままでてめえが磨いてきたスキルとは、勝手が違うんだよ。

 「……勝手にしやがれ」

結局彼は、こう呟くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

埃と薄闇に包まれた、小さな部屋の中で。

黒縁の窓から差し込む微かな黄金色の光が、男の横顔を照らしだす。

個性的な顔ではない。

どこにでもいそうな平凡な目鼻立ちで、一度会っただけでは忘れてしまうだろう。

額に刻まれた、×印状の十字の傷痕。唯一それだけが、彼の個性を主張するものだった。

 「お久しぶりです、先生」

十字傷の男は、軽く会釈をする。穏やかな微笑みを浮かべていた。

 「お変わりありませんね」

 「そうでもないさ」

彼の向かいのソファには、初老の男が座っている。

彼はうんざりしたような顔で、小さく肩をすくめた。

羽根つき帽子に赤いマント、ロングブーツといういで立ちに、口髭がよく似合っている。

 「近頃はダメだね、ホント」

 「そうなんですか?」

 「うん。小石とかあるとね、蹴つまづいちゃうんだよ」

十字傷の男は苦笑した。

よく言うものだ。まだまだ現役だろうに。その制服を見事に着こなせる体格が、何よりの証拠だ。

だいたい、誰だってつまづくときはつまづく。

初老の男は咳払いすると、懐に手を入れる。

取り出したのは、えんじ色の小さな封筒だった。

 「早速だけど。はい、コレね」

 「……コレ?」

受け取りながら、十字傷は首を傾げる。

 「例の件についての報告書だ。ほら、君が接触した坊やだよ」

初老の男は、羽根つき帽子を壁にかけながら言った。

 「名前は『アステル・エインガナ』というらしい」

 「へえ、そうなんですか」

十字傷の男は感心したように相槌を打つ。出来るだけ自然な声を出したつもりだった。

しかし彼の上司は、その態度から何かを嗅ぎとったらしい。

振り返るや否や、その丸眼鏡の奥の目がキラリと光るのを彼は見た。

 「知ってたね」

 「え……」

 「坊やの名前、知ってたでしょ」

初老の男は指を組み合わせ、彼を睨みつける。

責めているというより、呆れているといった様子だ。

 「は、ははは……」

彼は誤魔化すように笑う。

笑いながらも、両手を上に上げていた。降参の合図だった。

 「いやはや、敵いませんね。あなたには」

 「敵いませんね、じゃないよ~?」

上司は溜め息を吐き、眉間にできた皺を揉んだ。

 「なんで報告しなかったの?でなきゃ、わざわざ集会所に人遣る手間が省けたでしょうに」

 「仕方なかったんですよ」

十字傷は頭を掻きつつ、苦笑していた。

 「なにせ、男の約束でしたからね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 見通しの利きにくい闇の中、竜車はガタゴトと音を立て、川沿いの道を進んでいた。

小石が多く散らばっているせいで、時々車体が跳ね上がる。

御者のアイルーは振り落とされまいと、座席の端にしっかり掴まっていた。

川を轟々と流れる濁流が、獲物を飲み込まんと待ち構えているようだった。

 「ドスランポスかニャ?」

客席の方を振り返った御者ネコは、小さく鼻を鳴らす。

栗色の毛並みをしていて、若そうなアイルーだ。

 「そんなの楽勝だニャ。オイラでも倒せるニャ」

 「ホント?……良かった」

白い外套に身を包んだ少年は、明るい表情を浮かべる。

 「友達が脅すから、どんな凶暴なモンスターかと思って」

 「しっかり実力が出せれば大丈夫ニャ」

御者ネコは知ったように話しながら、アプトノスの尻を手綱で打った。

竜車が速度を上げる。

鬱蒼とした森に隠れた東の空が、淡い桃色と蒼に染まりはじめている。

夜明けがゆっくりと近づいてきていた。

 「でも、友達の気持ちも分かるニャ。用心に越したことはないからニャ」

 「そっか」

アステルは頷いた。

毛布代わりにくるまっていた外套を脇に退け、上体を起こす。

彼は鉄と革で作られた、初心者用のハンター装備を着ていた。

出発のときに、ナヅナから渡されたものだった。

 「大船に乗ったつもりでいるニャ」

御者ネコは自分の胸を、ポンと肉球で叩く。

 「いざとなったら、オイラのダチが出撃するニャ」

 「ダチ?」

 「そうだニャ。新人ハンターさん御用達ニャ」

彼はまるで自分のことのように、得意げに胸を張った。

 「瀕死になったら、命がけで駆けつけてやるのニャ」

 「へえ。頼りにしてるよ」

微笑むアステルに「任せろニャ」と御者ネコが言う。

少年は大きく伸びをした。

ネコが顔を洗うように目元をこすりながら、夜明けの森を眺めた。

もうこんな時間か。興奮してて、ぐっすり眠れなかった。

彼は一つ欠伸をすると、腕を伸ばし、足元の得物に手を触れた。

骨を削り、剣と盾に加工した武器『ボーンククリ』。これもカウンターで支給されたものだ。

一見頼りなく見えるが、その素材には頑丈なモンスターの骨が使われている。

切れ味も十分だ。少なくとも、この間の竹槍のようにはならないだろう。

アステルはその刀身を指でなぞり、小さく頷いた。

一筋の血が流れる指先。それをぺろりと舐め、前方に視線を移す。

森のあちこちから顔を出した古代の遺跡の残骸が、朝日を受けて微かに光っていた。

獣の牙に似ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 メタぺ湿密林。

メタペタットからほど近い狩猟許可区域。

枯れ木や泥を押し流す濁りきった川に、岩山にぽっかりと開いた、藍色の霧を吐き出す横穴。

大木や蔓に養分を奪われ、棒のように痩せ細り、立ち枯れした若木が折り重なる森。

そこには無造作に、頑固親父を彷彿とさせる面構えの岩が置かれている。

誰が何のためにこんなひょうきんな彫刻を置いたのか。今やそれを知る者はいない。

その苔むした親父岩の横を、毒々しいまでの青と黒が通り過ぎる。

木々の陰の中で光る、貪欲な黄色い眼。

群れの長であることを主張する、真っ赤なトサカ。

獲物の肉を深く抉るナイフのような鉤爪も、鮮血のように赤い。

ドスランポスは立ち止まり、辺りをキョロキョロと見回す。

湿気に混じって漂う臭いの元を辿ろうと、必死に鼻を利かせていた。

仲間たちの血の臭い。

しかし痕跡は、いつも途中で完全に途絶えている。

何者かが、群れをかきまわしていることは明らかだった。

何故隠れるのだ。出てこい。

受けて立ってやる。

ドスランポスは薄闇の中で、静かに殺気を研ぎ澄ませる。

突然、大気を裂く気配を感じた。

彼は振り返らずに、横に飛ぶ。

群れの長となるまでの長い歳月の間に培われた勘が、飛び道具の存在を告げていた。

樹上から垂れ下がった蔓を切り裂きながら飛来したそれは、ドスランポスの身体をわずかにかすめる。

そして大きく孤を描きながら、森の奥へと消えた。

あれは何だ。どこから来た。

答えを求め、それが飛んできた方向を見つめる。

頭上に生い茂る深緑を朝日が貫き、一筋の光を投げかける。

そこに浮かび上がったのは、一人のニンゲンの姿だった。

この辺りでよく見かける連中より、いくらか小さい。纏った長い衣と髪が、白銀に輝いている。

二本足で堂々と地を踏み、こちらを静かに見返していた。

なぜ今まで気がつかなかった。あんなにギラギラしている奴を見逃すなんて。

彼は己を罵倒した。そしてその逞しい脚部に力を込めた。

一息に飛びかかり、奴の細い首に喰らいついて、ねじ切ってやる。

青き狩人の眼が鋭く光った、そのとき。

仲間の声が響いた。助けを求めるような、かすれた鳴き声。

声は、目の前のヒトから発せられたものだった。

その小さな口から洩れる、消え入りそうな呼び声。

ドスランポスは一瞬、動きを止めた。貪欲な獲物への執着が、消え失せていた。

目の前にいるのは間違いなく敵だ。白い衣はわずかだが、同胞の返り血に濡れている。

しかし奴の口からは、儚い鳴き声が聞こえてくる。

どういうことだ。

狩人としての本能が消え、混乱が迷いを生む。

その一瞬の隙が、命とりだった。

突如、彼らの真横から飛来する飛び道具。

それは先ほど、森の奥へと消えたはずのものだった。

胴を切り裂かれ、悲鳴をあげるドスランポス。

焼けつくような痛みに身をよじりながらも、カッと目を見開き、己が身を裂いた者の正体を確かめようとした。

血の軌跡を描きながら、飛び道具が地面に突き刺さる。

乳白色の長い棒状のもので、真ん中からくの字に曲がっていた。

対峙している白いヒトは、あの場から一歩も動いていない。

なのに、あの棒は全く別の角度から飛んできた。まるで使い手の元に戻ってくるかのように。

もう一人いるのか。隠れているのか。

目玉だけを動かし、素早く辺りを見まわしたが、それらしい影はない。臭いもしなかった。

裂かれた傷口は深いが、急所ではない。

ドスランポスは倒れこんだが、すぐに起き上がった。

地に伏しているヒマなどない。あのニンゲンが、すぐそこまで迫っている。

彼は後方に飛んだ。

飛びかかってきた敵の手に握られた、野獣の牙に似た得物を紙一重でかわす。

こちらの番だと言わんばかりに奇声をあげ、鉤爪を振り下ろした。

ニンゲンはそれを盾で防ぎ、反動を利用して後ろに飛んだ。

風に舞う木の葉のようにくるりと舞いながら、牙による追撃をかわす。

身軽な奴だ。だが逃がさん。真っ先にこいつを始末してやる。

ドスランポスの猛追。

立て続けに大きな鉤爪を振るい、獲物を追い続ける。

敵はそれを盾で防ぎ、受け流し、脇に避けながら、反撃に転じる。

しかし段々と、両者の筋力の差が見え始めた。

ニンゲンは幼かった。幾ら技量があるとはいえ、モンスターと正面から戦い続けるのは、無理があった。

仮に成熟したハンターであっても、そんな戦い方をする者は稀だろう。

骨格や筋肉、なにからなにまでが、ヒトと規格が違うのだ。

 「ぐっ……!」

弾かれた盾が地面を転がる。

敵は後ろに倒れ、尻餅をついた。

その隙を逃すまいと、ドスランポスは鉤爪を素早く振り下ろす。

その鋭利な赤い刃は、獲物の頬をわずかにかすめた。

奴は這うように移動し、あっという間に茂みの奥へと滑りこみ、消えてしまう。

彼の知る、どんなニンゲンの動きとも違っていた。

眩いばかりの白を闇に覆い、黒いヘビへと姿を変えたかのようだった。

静寂。

辺りに再び訪れた沈黙に、ドスランポスは苛立つ。

やけに身体が重い。敵が再び現れるまで、じっと待つのが億劫だった。

弱い奴め。さっさと出て来るがいい。

決着をつけてやる。

感情に任せ、ドスランポスは吠えた。

それに答えるように、後ろの茂みから小さな鳴き声が響く。

仲間の鳴き声。弱々しい、命乞いのような声だった。

もう騙されるものか。

彼の黄色い眼が冷酷に光る。

自身と仲間を侮辱された怒りに身を焦がし、声の方に飛びかかった。

茂みを切り裂き、獲物の肉をえぐる、後ろ足の蹴爪。

彼は確かな手ごたえを感じた。

勝利の雄叫びを上げ、敗者に喰らいつかんと鎌首をもたげる。

そのときになって気づいた。

違う。敵じゃない。

足元で血まみれになっていたのは、同胞の亡骸だった。

まだ温かい。さっきまで、辛うじて生きていた。

とどめを刺してしまったのだ。自分が。

何故だ。何故気づかなかった。

喉元の裂けた仲間の死体を見下ろし、ドスランポスは立ち尽くす。

呆然としていた彼は、後ろから迫る殺気を感知できなかった。

気づいたときにはもう遅い。

その左前足の上に、牙のような剣が突き立てられていた。

身体が熱い。燃えるようだ。呼吸も苦しい。

ドスランポスはやみくもに鉤爪を振り回す。

わずかにヒトの白い衣をかすめたが、それだけだった。

青々とした草木が、まだらに紅く染まっている。

それが己の血だと知るのに、そう時間はかからなかった。

左前足の上。そこは全ての動物にとっての急所、心臓の位置だった。

噴き出す鮮血は留まることを知らず、日差しを受けて艶やかに、黒々と輝く。

ドスランポスは恐怖を感じた。

殺される。逃げなければ。

今は生き残ることが先決だ。勝利はその後でいい。

なけなしの力を振り絞り、彼はよろよろと走り出す。

傾いた木々の間をすり抜け、闇に身を潜ませる。それでも足を止めずに、駆け続けた。

密林の影となり、気配を消し、静寂を抱けば、そこは自分たちの領域だ。

一度闇に紛れれば、どんな飛竜相手でも逃げきれる自信がある。ましてやニンゲンなら、尚更だ。

足取りは重く、出血は酷い。徐々に視界も霞んでいくが、反対に頭は冴えてきていた。

待ってろニンゲンめ。

生き残った同族たちを集めて迎え討ち、骨の髄まで喰らってやる。

ドスランポスは闇の中で、針のような歯を剥き出しにした。

ふらついた拍子に、足元の小枝を踏みつける。

パキッという小さな音が、やけに大きく響いた。

そのときだった。

闇の中で、何かが煌めいた。

風が奇妙な音を立て、枯れ葉が蒼い空を舞う。

そして、ドスランポスは血溜まりに伏した。

身体が小刻みに痙攣していた。

その胴には、かのくの字形の棒が突き刺さっている。

心臓も貫かれていた彼にとって、最後の追い討ちとなった。

飛び道具には、麻痺毒が塗られていた。

ドスランポスはあがこうとした。しかし身体は動かず、視界は闇へと沈んでいく。

動けない。奴が来る。息ができない。

落ち葉と泥と、血の中でもがく彼を、ヒトは静かに見下ろしていた。

青い瞳が光っている。空を思わせる、透き通った水色だ。

ニンゲンはおもむろに手を伸ばし、胸に刺さった剣の柄に手をかける。

その唇が動き、何か言葉を紡いだ。

しかしヒトの言葉であったため、彼には理解できない。

そして腕に力を込めると、ドアノブのようにくるりと回し、心臓を引き裂いた。

濃紅の泉が湧き出る。

ドスランポスは同胞たちのように、か細い鳴き声を上げ、眼を閉じた。

 

あの色が、ずっと怖かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




こいつは臭えェーーーッ!ドブの匂いがプンプンするぜーー!

JOJOの奇妙な冒険、面白過ぎる。何故今まで読まなかったのか不思議なくらい。
おかげで小説は久しく書いてませんでしたが……いいよね、若いんだから。
好きなこと好きなだけやっていいのって、若いうちだけですよね。

でも個人的に一番好きなのは、ピューっと吹くジャガーかな……。


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四 狩人の心得

前回の後書きに致命的な間違いがありましたので、訂正します。
「ドブの臭い」ではなく、「ゲロ以下のにおい」でした。

スピードワゴンさん、すいませェん……。
にわか以下のにおいをプンプンさせてしまいました……。


 呆気なかったな。 

アステルは溜め息をついて、足元を見つめた。

血の海に抱かれ、穏やかに眼をつぶっているドスランポスは、眠っているように見えた。

戦っているときはもっと大きく見えていた。しかし今では、ひどく小さく感じる。

勝利を確信した瞬間、まるで目の前で、シュルシュルと縮んでいくように見えるのだ。

不思議なことだな、と胸の内で呟いた。

彼は腰を落とすと、獲物の死体からボーンククリを引き抜いた。

手近にあった雑草の葉で刀身を拭き、腰の後ろにある留め具に納める。

小細工が多すぎたかもしれない。アステルは大きく伸びをしながら思った。

麻痺毒を吸わせた竜骨のブーメランに、茂みに隠した瀕死のランポス。

それに加え、恐らく敵は気づかなかっただろうが、盾の裏に隠した毒針まで使った。

モンスターハンターの戦い方でないことは確かだろう。

支給品として現地にあった道具のほとんどは用途が分からず、まともに使ったのは砥石だけ。

アステルは小さく笑った。あとでコショーに教えてもらわないと。

あの小さな友人は、悪態をつきながらも懇切丁寧に教えてくれるはずだ。

彼は腰の鞘から、ナイフを一本抜き取った。

防具と一緒に支給されたもので、剥ぎ取り専用のナイフらしい。

ランポスの剥ぎ取りは、集落にいたころに習っている。

同じような要領で、ドスランポスにもできるだろうか。

アステルは死体の前に屈みこみ、素材の剥ぎ取りにかかろうとする。

何かの鳴き声を聞きつけたのは、その直後だった。

 「……!」

ハッと驚き、慌てて右手を腰の後ろにやった。剣の柄に手をかけ、肩越しに振り返る。

褐色の岩の陰から現れたのは、一匹のランポスだった。

足を止め、彼に向かって臨戦の態勢を見せている。

びっくりした。ランポスか。

ほっとすると同時に、アステルは気を引き締めた。

敵との距離は、目測で十歩ほども離れていない。

ここまで接近されるまで気づけなかったのは、油断していた証拠だ。

こんなことじゃいけない。一人前の戦士が、戦場で隙を晒すことは許されないんだ。

彼は自分を戒めた。改めて敵を観察すると、面白いことが分かった。

今まで狩った、どのランポスよりも一回り大きい。

鉤爪の大きさや脚の筋肉などは、ドスランポスにも引けを取らない。

なにより特徴的なのは、背中を中心に紅い線が走っていることだった。

稲妻を思わせる模様で、ひっかき傷のようにも見える。

こんなランポスは見たことがない。あの模様は何なのだろう。

アステルの思考はそこで途切れた。

突然、ランポスが肉薄してきたのだ。

 「っ!」

目の前で弾ける、紅い閃光。

下からすくい上げるように振り上げられた鉤爪を、辛うじてかわしていた。

地面すれすれの死角を利用した、完璧な不意打ちだった。

論理で挑んでいたら、避けきれなかったに違いない。

アステルは動物的な反射神経のみで、瞬速のアッパーに対処していた。

 「危なっ……!」

思わずそうもらし、彼は後ろに飛んだ。

のけぞった反動を利用した宙返りを披露しつつ、着地と同時に剣を抜く。

アステルは額の冷や汗を拭った。

まさかあんなに速く、ジャンプも使わずに距離を詰めてくるとは思わなかった。

何をしたのかは分からない。とにかく気づいたときには、目の前にいた。

これでは一瞬たりとも敵から目を離せない。

追撃に備えたつもりだったが、ランポスは襲ってこなかった。

黄色い眼を細め、こちらをじっと見つめている。品定めをしているような眼だった。

何かがおかしい。

さっきは威嚇のそぶりすら見せず、いきなり攻撃してきたのに。

それにあの眼。

群れのリーダーを殺された怒りとか、獲物を狩る喜びとか、そんな純粋な感情がない。

もっと底の知れない何かが映っている。根拠はないけど、そんな気がする。

ランポスが飛んだ。

後ろ足の蹴爪を警戒し、アステルは横に飛びのく。

想像よりも遥かに速く、敵は頭上に現れた。

しかしアステルの方が一瞬速く、後ろ足の爪は空を切る。

ランポスは着地するや否や、足にくっついた土くれを蹴り飛ばした。

鉤爪を振りかざし、追い討ちをかけるべく飛びこんでくる。

アステルは後悔した。

こんなことなら、盾を拾ってくるんだった。

 「わっ、わっ、わわっ!」

縦横無尽に繰り出される紅い刃を、彼はギリギリのところでかわし続ける。

鼻先をかすめ、鎧がえぐられ、ヤケクソで突き出した剣が弾かれた。

さっきのドスランポスほどの力はないが、とにかく速い。

鉤爪をナイフのように振り回し、その型は変幻自在だ。

普通じゃない。

アステルは、背中に嫌な汗が噴き出すのを感じた。

奴は振りかざした左の鉤爪を突然引っ込め、その影に隠れていた右のを一閃した。

フェイントだ。こいつにはフェイントの概念がある。

アステルは大きく後ろに飛んだ。少しでも距離を置きたかった。

レギンスにこびりついた、泥や落ち葉が重い。

ランポスはまたもや追い討ちを止め、その場で立ち止まっていた。

インターバルのつもりなのか。鉤爪を舐めるその顔は、笑っているように見えた。

黄色い眼を愉しげに細め、喉の奥を小さく鳴らしている。

アステルは呆然とした。首筋が熱を持っている。

触ってみると、固まりかけた血がこびりついた。鎧を裂かれ、首に一筋の傷がついている。

かすり傷だが、あと数センチ深ければ死んでいただろう。

頸動脈だ。鉤爪を斜めに振り上げ、そこを狙ったのだ。

まさかと思っていたが、気のせいじゃなかった。

あいつは人間の急所を知っている。

どこをどの角度で狙えば、人間を楽に殺せるかを理解しているのだ。

手ごわいな。アステルは舌を巻いた。

戦闘術は、本来非力なニンゲンたちがモンスターに対抗するために編み出したもの。

それをどういうわけか、あのランポスは手に入れてしまっている。

まさに一石二鳥、というわけだ。

……ん、何か使い方が違う気がする。まあいいか。

アステルは小さく息を吸った。

喉がおかしな形に歪み、収縮するのを感じる。

細く吐き出された息は、か細い声となって発せられた。

ランポスの鳴き声。仲間を呼ぶ声を、敵に向かって投げかける。

奴はそれをきれいに無視し、甲高く吠えながら飛びかかってきた。

やっぱりおかしい。仲間の声に関心を示さないなんて。

前転して敵の足元をくぐり抜け、素早く起き上がるアステル。

その場で背中越しに剣を振り抜くが、当たらない。

ランポスはヘビのように身をくねらせ、その刃をかわしていた。

 「……!!」

アステルは悲鳴をあげそうになった。

その針のような牙が、ガントレットに食い込んでいる。

しまったと思ったのも束の間、ランポスは全身の筋肉を使って、彼の身体を宙へと放り投げる。

腕の肉が裂かれる感触とともに、アステルは空を舞った。

 

刹那の狂気に踊る、青き狩人の黄色い瞳。

 

無防備な彼の腹部に、ランポスは身体を回転させ、足の裏を叩きつけた。

 「ぐはっ……?!」

アステルは地面に落ちる前に、大木に背中からぶつかることとなる。

3メートル弱の距離を、彼はランポスの『蹴り』によって飛ばされていた。

ズルズルと音を立て、大木の根本に沈むアステル。背中を預けたまま、動くことすらできずにいた。

指に引っかかっていた剣が、手の平から落ちる。そのまま木の根の上を滑り、落ち葉の下に消えた。

アステルは歯を食いしばり、立ち上がろうとする。

しかし足に力が入らず、尻もちをついてしまった。

彼は顔をしかめ、震える拳を握りしめる。

いろんな攻撃を予測していたが、まさか蹴りが来るとは思わなかった。

笑うところなのか。残念ながら当事者だから、ちっとも笑えないけど。

飛竜の突進などに比べれば、大した威力はないのだろう。

しかし受けた位置がまずかった。完璧に鳩尾だった。

手足が思うように動かず、頭もぼんやりとしている。肺が酸素を求め、うるさくわめいていた。

それでも敵は待ってはくれない。陽光を受けて妖しく輝く爪が、目の前で高々と振り上げられる。

こんなものなのか、僕の力は。

アステルは迫る自分の死を、ぼんやりと眺めていた。

それならそれで、仕方がない。この世界は、力がすべて。

僕は弱い。弱者は死すのみ。それだけの、単純なことだ。

彼は死を覚悟し、ゆっくりと目を閉じる。

そのときだった。

金属の擦れるような音が、近づいてきていた。

 「……え?」

アステルは目を見開く。

茂みを切り裂き、突然横から飛び出してくる何かを、彼の瞳は捉えた。

全身を黒一色の鎧に包んだ一人の男。ハンターの姿だ。

肩や頭には威圧的な角がこしらえてあり、武骨で重そうなシルエットだ。

その全身から醸し出される風格は、ベテランハンターのそれだった。

 「よっと!」

男は助走の勢いに任せ、鉄製の槍を勢いよく突き出す。

ランポスは軽く後ろに飛びのき、槍の射程距離から悠々と抜け出した。

 「大丈夫か?」

角付きヘルムの奥から響いた声に、アステルは少し驚いた。

印象から勝手にシブい中年の男を想像していたが、思ったより若そうだった。

 「はい、なんとか」

 「そいつはなにより」

アステルの返答に、男は小さく頷いた。

 「俺の後ろにいなよ。あのトカゲは、俺が追っ払ってやるから」

言うや否や、男は大きな盾を掲げ、アステルを守るように立つ。

少年はホッと息を吐いた。同時に、少し不安だった。

彼は理解しているのだろうか。あのランポスが、普通じゃないことを。

少年の心配をよそに、男は颯爽と走り出した。

 「シッ!」

気合いの息をもらし、大型の槍を連続で突き出す。

ランポスは左右にピョコピョコと飛び跳ね、それらを軽くいなした。

 「……あれ?」

男は槍を引きながら首を傾げる。

 「当たらねえな……」

さらに深く踏み込み、速い突きを繰り出そうとした。

瞬間、ランポスの眼が鋭く光る。

 「危ない!」

アステルの警告は、一歩遅かった。

一気に眼前まで飛び上がったランポスの蹴りが、男の顔面に決まっていた。

槍を後ろに引いた際の隙を狙った一撃。

男は悲鳴一つあげずに、無言でヨロヨロとあとずさった。

 「……痛え」

蹴りの威力に耐えきれず、わずかにへこんだ角兜。

それを投げ捨て、男は吐き捨てるように言った。鼻血が出ていた。

 「チョー痛えよっ」

彼の様子を見て、アステルは胸を撫で下ろす。思ったより元気そうだ。

 「大丈夫?」

さっきとは逆に男に訊いた。

 「大丈夫だって?ご機嫌なもんさ」

男は眉間にしわを寄せている。

 「ランポスから初めて『蹴り』をもらったハンターにしては、だけど」

血こそ出ているが、鼻の骨は折れていないようだ。

盾を前に突き出し、敵の追い討ちを牽制している。

短く切った茶色の髪に、形の整った眉。

健康的に引き締まった横顔は、精悍な雰囲気を抱かせている。

やっぱり、最初の印象よりもずっと若いようだ。

 「この身で喰らわなきゃ、信じなかったね」

男は左肩を軽く回しながら言った。

 「ただの蹴りならともかく、ローリングソバットだからね」

 「あいつは普通じゃないんです」

アステルは背中にぶら下げた、剥ぎ取りナイフに手をかける。

残っている武器と呼べるものは、もうこれしかない。

 「僕も戦いましょうか?」

 「いや、いいよ。君は後ろにいな」

男はそう返し、槍を構えなおす。

標的の動きを盾ごしに警戒しつつ、安心させるような口調で続けた。

 「なんとかなるでしょ。……たぶん」

アステルは黙って頬を掻いた。

安心させたいのか、心配させたいのか分からない。

 「……よし……行くぜ」

呼吸を整えたあと、男が地面を蹴った。

どっしりとした分厚い盾で正面を守りつつ、ランポスに向かって走り出す。

踏みつけられた落ち葉が砕け、塵になって舞った。

速い。あれだけ重装備なのに、こんなに速く走れるのか。

ランポスとの距離は、あっという間に詰められた。腕を大きく引きながら、標的に肉薄する。

彼の手の銀色の槍が、木漏れ日を受けて蒼く瞬く。雲間を刹那に駆ける、稲妻のようだ。

 「よっ!」

突進の速さを加算した、高速の突きだ。

アステルは目を見張った。それでも敵の眼は笑っている。

そして、辺りに不思議な音が響いた。金属の鳴くような音だった。

 「ぃっ?!」

くぐもった悲鳴を上げ、男が槍を取り落とす。

突き出した左肩の、装甲の一部が吹き飛んでいた。露出した肌からはうっすらと血がにじんでいる。

 「くっそおおぉ!危ねえし!怖いし!」

槍を拾う間もなかった。

男は後ろに飛びのき、ランポスの追撃を逃れる。

槍使いの優れた脚力に任せた、連続のバックステップ。

泣き言をわめきながら、彼はアステルの近くまで退避した。

 「なんなんだよもう、あの野郎は!」

男は泣きべそ顔で言った。

 「俺の槍をあっさりかわした上に、サマーソルトキックまで披露しやがった!」

やっぱり元気だ。アステルは溜め息を吐いた。さすが大人のヒトはタフだ。

肩の鎧が飛ばされるだけで済んだのは、恐らく身をよじったからだろう。

あのランポスなら、きっと剥き出しの頭を狙ったはずだ。

回避判断が早く、逃走にも無駄がない。

若く見えるしベソかいてるけど、このヒトの狩猟経験はきっと長いはずだ。

 「ダメだねあれは。手に負えないよ」

男は肩をすくめて言った。早くもさっきの冷静さを取り戻している。

何かを切って捨てたような、ある種の清々しさすら感じられた。

 「退くのも勇気だ、ってね。さっさと逃げよう」

アステルは無言でコクリと頷いた。

ベテランのヒトが言うのなら、そうすべきなのだろう。

迅速な判断は、時に生死を分かつという。

 「俺はこっち」

木々の向こうを指さし、男は小さな声で言った。

 「君はあっちね。どっちを追いかけてきても、恨みっこなし」

 「分かった」

アステルは頷いた。

確かにそれが最良な気がする。こちらを追ってくる確率も、半分になるのだ。

これ以上、見知らぬヒトに守ってもらうわけにもいかない。

 「お先に!」

重そうな盾を投げ捨て、男は全速力で逃げ出した。

鎧の揺れる音が、ガチャガチャと賑やかに響く。

アステルもきびすを返すと、男の指した『あっち』の方向に飛び上がった。

ほぼ垂直な幹を駆け上がり、枝の上に飛び移る。

太陽を遮る天幕の、深緑の影から影へ。

闇と静寂を身にまとい、アステルは森の天井、梁のような大枝の上を飛び回った。

ここなら安全だ。彼は一人安堵する。

ランポスに木登りは難しい。いくらあいつでも、ここまで来ることはできないだろう。

枝から飛び降り、蔓にぶら下がる。

身体を振り子のように動かし、曲芸のように蔓から蔓へと移動した。

あと少しでベースキャンプだ。このまま逃げ切れる。

アステルは目的地の方向を見据える。

そして、思わず顔をしかめた。

視界に映ったのは、獲物を待ち受けるランポスの姿だった。

背中を紅い稲妻が走っている。さっきのヤツだ。

爪をこすり合わせ、こちらを睨みつけている。さっさと降りてこいと言わんばかりだ。

アステルは唇を噛み、左右に視線を走らせる。迂回できる道はない。

どちらにしろ、もうぶら下がれるような蔓も枝もなかった。

あと一息だったのに。必ずここを通ると踏まれ、先回りされていたのだ。

 「しつこいなぁ……」

苛立ちを込めて彼は呟いた。蔓から手を離し、片膝をついて地面に降り立つ。

日の光で固まった泥が、パキパキと音をたてて割れた。

 「そんなにかまってほしい?」

彼の言葉に、ランポスはくちばしを突き出し、牙を剥くことで答えた。

アステルは剥ぎ取りナイフを抜くと、素早く構えをとる。

噛みつかれたガントレットはボロボロだったが、右腕は動かせる。

蹴りつけられた鎧の腹部は金属が一部めくれただけで、ただ動くぶんには支障がない。

不思議な高揚が、彼の心を包んでいた。

こいつの眼。初め見たときは、何も気づかなかった。ただ得体の知れない何かを感じ取っただけだ。

でも今、やっと分かった。こいつは僕と同じだ。試したいんだ。自分の力を。

だから強い。自分の強さ以外何も見えてないし、考えていない。

狩りを楽しみ、生を謳歌する。

それこそが、生きとし生ける者たちにとって最も根源的で、純粋な感情なのだ。

アステルは唇をぺろりと舐めた。

いいよ。一緒に遊ぼう。

彼は大きく息を吸った。湿った植物の、どこか苦い味のする空気。

 

個を捨てよ。

己の本能に身を委ね、恐怖も渇望も、生への執着を捨てよ。

 

少年は、咆哮した。龍でもランポスでもない、人間の咆哮だった。

恐怖か動揺か、ランポスの体が硬直する。その一瞬の隙を逃さず、彼は敵へと飛びかかった。

足を狙った一閃を、ランポスは後ろに跳んでかわす。

地を這いずるような動きで追いかけ、喉元めがけて見舞われる追撃。

鋭く迫る切っ先が、ランポスのくちばしをかすめた。

ランポスが笑う。獲物の逆襲を楽しんでいる。

戯れにナイフを鉤爪で受け止め、力で押し返そうとした。

しかし、少年は動かない。彼の力は、ランポスの力と拮抗していた。

それどころか、ナイフはゆっくりとランポスの喉めがけて進んでいる。

力負けしている。ランポスは悔しそうにうなった。

刃を捌き、少年の顔面に蹴りを打ち込む。

少年は首を横に傾け、これを軽くかわした。

最低限の動作でかわしたことで、生じるチャンスは大きい。

アステルは外套に手をかけ、バサッとランポスの眼の前に広げた。

ランポスの視界から獲物が消え失せ、白一色の世界へと変わる。

彼は小さく鼻を鳴らすと、鉤爪を斜めに一閃した。

邪魔な目眩ましを引き裂くつもりだったが、無駄だった。

不可思議な象形が描かれた白の外套は、ただの布で織られていなかった。

外套は切れずに爪に絡みつき、ランポスは苛立たしげに真横に放り投げる。

そのときには、少年はすでにランポスの背後をとっていた。

 

直線に迸る、一筋の閃光。

 

少年は、思わず笑みをもらした。

急所を狙った一撃は、身をよじってかわされた。呆れるほどに速い反射だ。

あらかじめ予測していなければ、死角からの攻撃にあんな反応は無理だろう。

しかし敵の体勢は崩れた。

ここで押し切って、仕留める。

 「あああああああぁぁ!」

野獣の如き咆哮が、密林を揺らした。

少年の右腕は隆起し、歪に膨らんでいる。

竜人の内に潜み、彼らの血脈に受け継がれる『竜』。

それが少年の猛りによって目覚め、外へと現れた結果だった。

ナイフをくるりと回し、中指と薬指の間に柄を挟み、拳を握りしめる。

柄頭を掌で支える、突きに特化した握り。竜人族の手の形を生かした、特殊な型だ。

そして、嵐のように乱舞する白刃。

牙獣種のそれのように肥大した腕から、息つく間もない、突きの連打が繰り出される。

ランポスは眼を見張った。そして次の瞬間には、狡猾そうに細めた。

捉えきれない速さではない。見切ってやる。彼の眼は悠長に語っていた。

しかし捉えられることと、防げるということは別だった。

眼前にかざした鉤爪が一瞬で砕かれる。いなすことすら不可能な、圧倒的な力。

優れた『技』は、それを上回る『力』をもって凌駕する。少年が持つ唯一のカードだ。

ランポスは恐怖を感じた。

体勢は崩れ、鉤爪も失った彼にできるのは、ただ死を待つことだけ。

少年のナイフは寸分違わず、その喉元に突き刺さる。

そう見えたのは、ほんの一瞬だった。

鉄が弾けたような、耳に障る音が響く。

少年のナイフは、真ん中から砕け散っていた。

元々は、獲物から素材を剥ぎ取るための道具だ。鋭さは申し分ないが、耐久力に難があった。

キラキラと光る銀色の破片。それが地を転がるより先に、ランポスが吠える。

次の瞬間、くちばしから覗く鋭い牙が、再び少年の利き腕を捕えた。

 「うぐっ……!」

うめき声をあげつつ、少年は空いている方の腕をあげ、敵の眼めがけて肘を打ち下ろす。

痛みに耐えかね、顎を離したランポス。大きく跳躍し、少年から距離をおいて着地した。

 「つッ……!」

少年は痛みに顔を歪めた。

咬みつかれたからではない。

人としての、それも子供の肉体の限度を超え、眠れる竜を引き出した結果だった。

彼の右腕の筋肉は今、内側でズタズタに裂ける一方、骨を軋ませるほどの速さで再生している。

早い話が、ものすごい筋肉痛を起こしていた。

どうする。武器がない。右腕ももう使えない。

アステルは歯を食いしばった。

さっきのハンターの言葉を借りるなら、チョー痛えよ、だ。

生死をかける戦いの享楽から目覚めた少年は、再び頭を回転させていた。

蹴りか。左腕で殴るか。どちらもあまり効きそうにない。決定打を与えるには、やはり刃物が必要だ。

心臓を突き刺しても、しばらく動けるほどの生命力。そんな相手に、ヒトの格闘がどれだけ通じるだろう。

ランポスは眼を細め、少年を見つめている。その黄色い眼は不運なことに、無傷だった。

少年の最後の悪あがきを、心待ちにしているらしい。

……どうする。

アステルが再び自身に問いかけた、そのときだった。

彼とランポスの間に、黒い影が立ち塞がる。

いつの間に近づいていたのだろうか。彼は音もなく現れた。

 「あ……」

アステルは小さく声をあげる。

大きな黒い鎧に身を包んだ青年が、目の前に立っていた。捨てたはずの槍と盾が、その手に握られている。

 「よくよく考えたんだけど」

男の声は落ち着いていた。

 「やっぱあのまま逃げたら……俺、人でなしじゃね?」

 「助けに来てくれたんですか?」

アステルが明るい笑顔を向けると、男の肩がピクリと震えた。

 「いや……まあ、ね」

男の声はかすれている。

 「っていうか、俺も帰り道こっちだったっていう……」

 「来てくれてありがとう!」

 「……どういたしまして」

男は口のなかでモゴモゴと呟いた。

また性懲りもなく現れた乱入者に、ランポスは完全に興を削がれていた。

黒い鎧の男には、すでに興味を失っているらしい。

カリカリと地に蹴爪を立てるランポスをいちべつし、男は口を開いた。

 「俺の好きな……マンガにさ」

友達に話しかけるみたいな口調だ。

 「お前みたいに、鉤爪で戦うヤツがいるんだよ。シブくてワイルドで、カッコいいんだぜ」

ランポスは吠えた。そして消えた。

そう思わせるほどの、素早い動きだった。

出会い頭に使ってきた、あの歩行法だ。傍目に見て、初めてその原理に気づいた。

態勢低く、敵の視界から外れつつヘビのように、一瞬で距離を詰める。

何のことはない。自分もたまに使う技術だ。ただしあちらの方が、明らかに完成度が高い。

もはや瞬間移動と形容しても差支えない動き。

しかし男は、それにしっかりとついてきていた。

 「ほっ!」

盾を掲げ、真正面からの蹴りを受け止める。

反撃を警戒したのだろう。ランポスは地面を蹴り、これもまた一瞬で遠ざかり、男から距離をおいた。

 「……こっちの番だぜ」

男は宣言し、疾駆する。

盾で前面を守りつつ、槍を大きく後ろに引いた。

突進の速さを乗せた、高速の突き。さっきとまったく同じ攻撃だ。

ダメだ。すでに見切られている。勝ち目はない。

敵の反撃の蹴爪が、今度こそ彼の首をえぐるだろう。

しかし少年の心配は杞憂だった。

男は槍を突かなかった。

 「そおいっ!」

掛け声とともに突き出したのは、右腕の盾だった。

カウンターを狙っていたランポスは、対応が遅れた。

標的めがけて叩きつける。分厚く幅広い鉄の塊を、突進の威力そのままに。破城槌さながらだった。

鋼が重苦しく鳴り響き、ランポスは吹き飛んだ。

敵の武術概念を逆手に取ったフェイントだった。

 「お。当たった」

男は嬉しそうに呟いた。

泥を巻き上げながら突進の勢いを殺し、その場で立ち止まる。

ランポスは跳ね起きると、男を鋭く睨みつける。

一矢報いられた悔しさからか、その眼は血走っているように見えた。

折れた爪を振りかざし、鳴き声で威嚇する。

対して男の方は、つとめて冷静だった。

盾を掲げ、槍を後ろに引く。あごを引き、腰を落とす。

騎士の彫像さながらに、そのまま微動だにしなかった。

アステルは息を潜め、彼の背中を見つめた。

彼は守りに徹することにしたらしい。重心低く構えるその姿には、隙がない。

彼は今、一つの城塞と化していた。鉄壁で守られた、不動不落の要塞。

逃げることを勧めたあのときとは違う、全く別の覚悟。おぼろげながら、アステルはそれを感じ取った。

その覚悟こそ、彼の城塞たる最も根幹を成していた。

刺し違えてでも止める。後退はない。

それは、逃げることを放棄した覚悟だった。

アステルは息をのむ。

男の覚悟を、肌で感じ取った。野生生物が殺気を感じるように。

――モンスターハンターだ。

 「襲いかかるなら、早めに頼む」

男は低い声で言った。

 「この体勢……足とかけっこうキツイんだよ……」

ランポスは黄色い眼を光らせ、うなった。しかし飛びかかりはしない。

なまじ戦術を見切る眼を持っているだけに、今の彼に隙がないことがよく分かっていた。

たとえその蹴爪で致命傷を与えても、一撃決殺の反撃を返される。

二歩、三歩と、ランポスが後ろに下がった。

とどめとばかりに、その頭上に何かが降り注ぐ。

朱色の羽を煌めかせる矢だった。

 「ひえっ!?」

男は奇声をあげ、慌てて飛びのいた。

わずかに遅れて、地面に長く鋭い猟矢が突き刺さる。

あのままあそこにいたら、巻き添えを喰っていただろう。

次から次へと飛んでくる朱色の雨に、ランポスは大きく後ろに跳んだ。

木々の陰の奥へと躍り、闇に姿を消す。

そして、何も聞こえなくなった。

逃げてしまったのか。アステルは耳をすましたが、辺りは静まりかえっている。

どこか遠くから、小鳥のさえずりが聞こえるだけだった。

 「無事かしら?」

誰かの声が響き、茂みがガサガサと揺れる。

小枝を分けて現れたのは、金髪の女性だった。

桜色の弓と矢筒を背負っている。このヒトもハンターだろう。

しかし、その鎧は鎧と呼ぶには、あまりに露出が多かった。

というより、ほとんど水着だ。ちょっと引っぱったら、簡単にこぼれてしまうだろう。

彼女は紅いルージュの引かれた口元を緩め、悪戯っぽく笑った。

 「相手はランポス?ずいぶん手こずってたじゃない」

 「いやいや、ただのランポスじゃないんすよこれが」

男は片手を左右にブンブンと振った。

 「あれは間違いなくG級でしたね」

 「そう?大変だったわねぇ、二人とも」

女性はアステルに視線を移すと、優しげに微笑んだ。

包み込むような優しい笑みだったが、なぜか少年にはそれが、どこか危険なものに思えた。

 「助けてくれてありがとう」

アステルがペコリと頭を下げる。

女性は彼に歩み寄ると、腰を少し落として目線を合わせた。

 「お礼なんていらないわ」

 「そうなの?」

 「そうよぉ。だって、何かで払ってもらうつもりだから」

彼女の顔が近い。頬にかかる金髪から、微かな甘い香りがした。

食虫植物が獲物を誘う香りに似ていると、彼は思った。

 「僕、何も持ってませんよ」

 「持ってるわよぉ」

アステルの頬に甘い息を吹きかけ、女性は囁くように言う。

 「あなたのハジメテを……私に……」

 「はい、そこまで」

重装備とは思えない軽やかな身のこなしで、男が彼らの間に割って入る。

 「とりま落ち着こう。ね、姐さん。犯罪だから」

 「なによぉローラン。邪魔しないで」

女性は不満げな声を出し、黒鎧の男に詰め寄る。

あのハンターさん、ローランっていうのか。アステルは密かに名前を覚えた。

 「それともぉ……あなたが代わりにしてくれる?」

 「……え」

 「この子に妬いちゃったんでしょ?」

 「いや……あの……」

ローランは退こうとしたが、首に腕を回されてしまう。

彼の顔色は真っ青になった。

女性はゆっくりと目を細め、ローランに唇を近づける。

そのときだった。

 「オエエエェェェ!」

 「ギャアアアァァァッ!!」

突然ゲロを吐きかけられ、ローランは断末魔の叫び声をあげた。

 「何をするだァーーーーーーッ」

 「あら……ごめんなさい」

女性は口元を拭い、すっかり青くなった顔をしかめた。

 「変ねぇ、何でかしら……。さっき食べたコゲ肉が当たったかな……?」

 「勘弁してくださいよ……」

 「うっ、エエエエェェェッ!」

 「ギャアアッ!こっち向くなあぁぁ!」

モンスターハンターだ。

彼らから十分距離を置いて、アステルはそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ハイスペックランポスと、ゲロ以下のにおいのお話でした。

格闘術を身につけたランポス。身につけたというより、覚えているという言い方の方が適切か。
人間が編み出した格闘術を、鳥竜種の筋力で打ち放つ。
サルが銃の扱いを覚えたら手に負えねえ的な話の、ランポスバージョンでした。
ローランが「間違いなくG級」と言ってますが、しょせんランポスなので、飛竜には勝てないでしょう。クック先生あたりならいけるか……?

クック先生「なめんなよ。MH4の俺も、ハイスペックなんだぜ?」


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五 腐臭の街

 前回が三ヶ月空けて、今回は六ヶ月空けて……。
きっと次の更新は半年後ですね(ドヤッ

しかし時間をかけただけあって、今回は俺の全力が出し切れたと思います。
俺の全力っぷりをどうぞご覧あれ!!


 

 

 「その腕はどうした?」

コショーの質問に、アステルは目を丸くする。

振り向くと、彼は眉間にしわを寄せていた。

 「……何のこと?」

 「とぼけんじゃねえ。こいつだよ」

コショーはアステルの右腕を掴み、持ち上げてみせる。

 「見ろ。こんなに真っ赤じゃねえか」

さすがコショー、めざといな。アステルは思わず微笑んだ。

メタペタットに戻るまでの間にすっかり腫れは引いたが、それでも彼の目は誤魔化せない。

 「ちょっと岩にぶつけただけだよ。折れたりしてない」

 「……本当か?」

 「ウソじゃないもん」

 「ならいいけどよ」

コショーは葉巻片手に、長い溜め息を吐く。

 「外傷もほとんどなく戻れたってのは、奇跡だな」

 「言ったでしょ?大丈夫だって」

ニコニコ笑うアステルを見て、コショーは肩をすくめた。

 「たかがドスランポス一匹くらいで、調子こくなよ。軍じゃ『初陣で活躍するヤツほど早死にする』って言われがあるんだぜ」

 「こかないよ」

アステルは首を振り、テーブルに肘をつく。

オーク材の冷たさが、未だ熱の引かない右腕に心地良かった。

 「もっと強いヤツと戦ったから」

 「強いヤツ……?」

訝しげに眉をひそめるコショー。

何やら思い当たったらしく、ガラリと表情を変える。

 「まさか、飛竜種か?」

 「違うよ」

 「じゃあ何だ?」

コショーの問いに、アステルは肩をすくめた。

 「ヒミツ」

 「……なんだそりゃ。キメエな」

額にしわを寄せるコショーを見て、アステルはただ悪戯っぽく笑うだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 壊れた椅子やテーブルが、腐り落ちた屍のように散乱している。

夕暮れ時も近いが、集会所の喧騒は相変わらずである。

窓から射し込む光が酒場全体を染め上げ、赤と黒の奇妙な陰影を刻んでいた。

 「いいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

奇声を上げながらテーブルの上に仁王立ちし、とても口に出しては言えないものを撒き散らす男。

周囲の男たちが群がり、彼を床に引きずり降ろし、殴りつける。

荒くれ者どもの日常だった。

 「コショーさーーんッ!」

眼帯アイルー、コショーは目を白黒させた。

突如死角から現れた、小柄な少女が彼にすがりつき、すすり泣いている。

色の薄い金髪をおさげにした、線の細い少女だった。

目元には可愛らしい顔立ちに似合わぬ、黒々としたくまが浮かんでいる。

 「無事だったんですね……!良かった……良かった……!」

 「また泣かれてる。二人目だ」

隣の席に座るアステルは、ワケ知り顔で頷いた。

 「罪な男だね、コショーは」

 「黙ってろ。ブン殴るぞ」

威圧的な目で少年を黙らせ、コショーは華奢な少女に向き直る。

 「離れてくれ。俺はこの通り、五体満足だ」

 「……本当ですか……?」

かすれた声でそう言うと、彼の身体をあちこちペタペタと触りだす少女。

「ええい、やめねえか!」と振り払われるまで、約三十秒のラグがあった。

 「いつまで撫でまわしてんだ、このハゲ!」

 「ご、ごめんなさい……」

尻餅をついたまま縮こまる少女を一睨みすると、コショーは大きな溜め息を吐いた。

精神面はともかく、肉体面は健康そのものらしい。

最後に別れたときに見たケガは、そこまでひどくなかったようだ。

とりあえずは一安心か。

 「小僧、この女はミシェル。ミシーって呼んでやれ」

 「よろしくね、ミシー」

差し出されたアステルの片手を、「ど、どうも」と言って握るミシー。

慌てて立ち上がると、気まずそうに笑った。

 「よろしく。なんだか、恥ずかしいところお見せしちゃったみたいで……」

 「気にしないで。コショーが大好きだってこと、よく分かったから」

アステルの言葉に、ミシーはますます恥ずかしそうに縮こまる。

コショーは鼻を鳴らすと、アステルを横目で睨んだ。

 「……で、どうする」

 「何が?」

 「名前だよ。こいつに教えるのか?」

 「もちろん。コショーの友達なんでしょ?」

 「……ああ。まあな」

ミシーに小声で自分の名前を教えるアステルを見て、コショーは小さくうなった。

どうにも理解し難いヤツだ。

名前を教えたら個が支配するとか、されるとか言ってたくせに。

名前を教えてもいい基準があやふやだ。民族宗教ってのは、大体そんなもんなのか?

……そもそも、竜人族には信仰がないってのが通説なんだが。

 「……う、うん、分かった」

ミシーは青い顔で、しきりに頷いている。

額から冷や汗を流し、ブルブル身体を震わせていた。

 「きき、君の名前は誰にも言わない。や、約束するから」

……一体何を言ったんだ、あの小僧は。

コショーは呆れ顔で肩をすくめる。

そのときだった。

 「よおよお、コショーさんよお?」

耳にひどく残る、不快なだみ声。

コショーがそちらを向くと、一人の男が歩いてくるのが目に止まった。

夕日を鮮やかに反射する、ツルツルのスキンヘッド。

そして眉の上下を貫通したピアスが特徴的な、悪人面の男だった。

汚い歯を剥き出しにした、邪悪な笑みを浮かべている。

 「ちょっとツラ貸せよお?なぁ?」

 「用事があるなら、ここで言え」

 「あぁ?ツレねえなぁ、おい!」

冷たく言い切ったコショーに対し、男はゲラゲラと笑う。

 「まあ用事を言うとよぉ?俺がバイトしてる工房の、看板ネコやってくれって話なんだよぉ」

またその話か……。

コショーは舌打ちすると、苛立ちを隠そうともせずに言った。

 「前に断わったろ。客に媚びるなんざ、趣味じゃねえんだよ」

 「いいじゃねえか、おぉ?テメエはかわいいから女子にウケんだよぉ」

な……に……

切れた。彼の中で、決定的な何かが。一瞬で頭に血が昇り、全ての思考が飛んだ。

彼はその瞬間、全てから自由だった。

 「誰がかわいいだ、このアホンダラぁ!!」

鬼のような形相で、コショーはスキンヘッドの男を殴り飛ばす。

彼は大の字で床に倒れ、白目を剥いて伸びてしまった。

 「永遠に眠ってろ、クソッパゲ!」

怒鳴り散らしながら、コショーは男に唾を吐いた。

 「コショー、乱暴じゃない?」

少年は立ち上がり、倒れたままのスキンヘッドの呼吸と脈を確かめる。

 「このヒトが一体何をしたの?かわいいって言われたくらいで……」

 「言うな」

コショーが穏やかな声で呟く。

しかし目だけが爛々と光り、控える地獄の悪鬼のようだった。

 「次言ったら、たとえ誰であろうと……殺す」

アステルは無言でコショーを見つめ、ぶるっと身体を震わせる。

ミシーは倒れたテーブル越しに、彼を震えながら見つめていた。

 「禁句なの?」

少年が小声で尋ねると、ミシーはこくりと頷いた。

 「わたしも何かの拍子で言っちゃったことがあって……酷い目に……」

 「女の子にも容赦ないんだ。コショー、鬼だね」

 「悪魔って言ってほしいね」

少年の呆れ声に、コショーは鼻を鳴らした。

 「ここいらじゃあ、そっちの呼び名で通ってる」

 「よおよお、悪魔猫さんよぉ」

 「……?」

後ろから響くだみ声に、コショーは訝しげに振り返る。

汚い歯を剥き出しにして笑うスキンヘッドが、そこに立っていた。

 「早えな!もう起き上がんのかよ!寝てろよ!」

あまりの復活の早さに、コショーは思わず叫ぶ。

あごに決まっていた。普通なら、あと一時間は昏睡しているところだ。

 「いや、実はもう一つ用事があってよぉ」

男はギラついた目をコショーに向けた。

思わせぶりに、ゆっくりと懐に手を入れる。

 「……言っとくけどな」

コショーは背中の青い剣に手をかけて言った。

 「そんなもんで俺を殺せるとは思うなよ」

 「あ?……いやいや、銃とかじゃねえよ」

彼が懐から取り出したのは、一枚の紙だった。

細かく文字や数字が記されているのが見て取れる。

 「……ビビらせやがって」

コショーは悪態をつきつつ、武器から手を離した。

片手でその紙を受け取り、気だるげに目を通していく。

預けていた武器の、修理代金の請求書だった。

 「アレができたか」

 「おうよぉ。んで親方が、おめえに取りに来いってんだよ。おぉコラ?」

 「そうか」

彼は小さく頷くと、ちょこちょこと急ぎ足で出口に向かい始めた。

 「どこに行くの?」

 「鍛冶屋だ」

アステルの問いに、コショーは振り返って言った。

 「すぐ戻るから、大人しくしてろ」

 「うん、わかった」

少年は素直に頷いたが、ミシーは怯えた子犬のような目でコショーを見返していた。

緑色の瞳が、うるうると光っている。何か漠然とした不安を訴えていた。

んな目で見んじゃねえよ。

出口の扉に手をかけ、コショーは小さく呟いた。

年頃の娘だろうがなんだろうが関係ない。お前もハンターなら、いい加減この街にも慣れろ。

留守番一つこなせないようじゃ、この先ここでやっていく資格はない。

 「後輩の面倒を頼んだぜ、ミシー」

肩越しにそう言うと、コショーは集会所の外に出た。

沈みかけの夕日が、眼下の大通りを鮮やかに染めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やってらんねえなあ。

ローランは心のなかで悪態をついた。

メタペタットの集会所は、他所の大半と同じように、二つの区画に分かれている。

一つはハンター御用達のクエスト受注エリア。もう一つは、バカがよく群れる酒場だ。

ギルドと酒場の経営は独立しているわけではないので、明確な区切りがあるわけではない。

だがどちらにも一つずつ石造りの、というより、ただ石を四角く削っただけのカウンターがある。

その酒場の方のカウンター席に、ローランは一人で座っていた。

短めに切られ、無造作にまとまった茶髪。形の整った眉に、気だるげな灰色の瞳。

カウンターに立てかけられた、安物の鉄槍と盾。

手入れを怠け、赤錆と泥で薄汚れたディアブロスの黒鎧。

ローランはワイングラスを傾けつつ、チラリと横を見る。

カウンター近くのテーブルには、椅子に太刀を突き立て、バカ騒ぎしているゴロツキたちがいた。

やかましい連中だ。騒ぐにしても、もっと上品な騒ぎ方があるはずなのに。

ここは酒を飲むところであって、ケンカをするところではない。

ましてや椅子は、座るものであり、武器をブッ刺して遊ぶものではない。

ワインだってそう。

本来なら芳醇な香りを楽しむためにあるそれは、ここでは床に散った血を隠すために使われる。

彼は溜め息をつくと、グラスに新しいワインを注いだ。

ここに住み着いて既に半年。

都会育ちの洗練された感性を持つ俺には、連中のノリはどうにも理解しづらい。

いつになっても慣れる気がしなかった。勝手に離れられないと思えば、尚更である。

 「オーイ。兄ちゃんよぉ?」

ほら、またこれだ。

ローランはうんざりして顔を上げる。

目の前に、目も覚めるような色彩のモヒカンヘアーの男が立っていた。

 「さっきから僕たちにガンつけてっけど、何かご用ですかあぁ?」

狂気に顔を歪め、指をパキポキ鳴らすモヒカン男。

背後には彼の取り巻きが数人で辺りを囲み、逃げ道を塞いでいた。

さっきまでグラスを磨いていたバーテンは分をわきまえ、カウンターの陰に身をひそめている。

この辺りの飲食店のマニュアルには必ず載っている、トラブル回避法だ。

刃物や流れ弾から、ひとまずは身を守れる。

ローランは舌打ちしたい気分だった。

目の前で騒がれれば、誰だってそっちを気にするだろうに。

俺は食後の運動にもってこいと判断されたらしい。

見た目から察するに、ハンター崩れのチンピラといったところか。

ここのギルドがあと少しだけ仕事熱心だったなら、帽子に羽を付けた素敵なお兄さんたちの討伐対象になりうる連中だろう。

 「オイオーイ兄ちゃん、何とか言えよぉ?あーん?おーん?」

顔を近づけ、息を吐きかけてくるモヒカン男。

そのあまりの臭さにむせかえりそうになりながらも、ローランははっきりとした口調で返した。

 「すいません。貴殿方があまりにも男前なもので、つい」

 「……おぉ……?」

呆れたような、さもすると困ったような表情でローランを見返す男たち。

 「ふざけてんのか?オイオイオーイ!なめてんじゃねえぞ!」

 「いやいや、全然マジっすよ。マジマジ」

ローランは爽やかな笑顔を浮かべながら、相手のモヒカンを指さした。

 「特にそのハードモヒカン。ガチでキテますよね~」

 「……おぉ」

モヒカン男は、振り上げていた拳を下ろした。

 「オイオイオイオーイ……。お前、なかなか見る目があるじゃねえか」

頬を紅く染め、恥ずかしそうに頭をかくモヒカン男。

キモイ。

 「この間ドンドルマに行ったとき、カリスマ美容師ネコに一発キメてもらったのよ」

男は素敵すぎる髪型の経緯を、身振り手振りを交えて熱く語りだす。

ローランは力なく息を吐いた。

女もこれだけチョロければ、俺はメタペタットでモテモテになれただろう。

しかし現実はどうだ。

バカで単純なのは男ばかりで、ここの女は一部のラリったヤツを除き、異常にガードが堅い。

しつこい男のあしらい方をマスターしている、無粋な連中ばかりなのだ。

あ~あ、ヤリてえなぁ。

一回でいい。一回でも生身の女の子とヤれれば、すっきりするのに。

すっきりすれば、ここでの不満なんて忘れられるだろう。

でも変な病気とか移されたくないから、ビッチはパスで。

ローランは物思いに沈みながら、モヒカン男の自慢話に耳を傾けるフリを続けていた。

そのときだった。

 「いいじゃんいいじゃん。俺と遊び行こうよ~」

彼らのいるカウンターから少し離れたところで、男がナンパをしていた。

軽薄な雰囲気の男で、それなりに遊び慣れてるように見える。

 「一時間くらいで済むから。ね?フツーに楽しいからさ?」

見かけない顔だった。

若い男だ。俺より歳は下かもしれない。

恐らく染めているであろう、目も覚めるような青色の髪を刈り上げ、前髪はサイドに流していた。

流行りの『ネオ七三分け』というやつだ。髪を原色に染めること自体は、それほど珍しいことじゃない。

特にハンターの間では、モンスターへの威圧になると一時期本気で信じられていた。

しかしこの男は、ハンターではない。

優男風の顔立ちだが、その耳にはいかついピアスがされている。

大きく開けたアロハシャツの胸元には、シンプルなシルバーアクセサリーが光っていた。

ローランは背筋を固くする。あれは間違いなく、そっちの筋の人間だ。

人懐っこい笑みを浮かべてこそいるが、よく見ればその瞳の奥からは、底の知れない闇が覗いている。

この街にチンピラは沢山いるが、こいつは正真正銘ガチモンだ。

そういう類のヤツは身なりよりも、目で分かる。殺しを屁とも思っていない。

しかしバカだな。彼は鼻で笑った。そんな下手な誘いでオトせるわけがない。

この街の女を知らないとは、恐らく来たばかりのよそ者だろう。

相手の女は誰かな、と何気なく視線を移したとき、ローランは硬直した。

 「あ、あの……その……」

ミシーは恥ずかしさと困惑が入り混じったような表情で縮こまっている。

何てこった。彼女か。ローランは片手で、顔の上半分を覆った。

よりによって知り合いがあんな目に遭っているなんて。

いつもあの娘のそばにいるナイト、もといヤクザの用心棒のようなコショーさんもいない。

彼女たちとはよくパーティを組む仲だ。もっとも、簡単なクエストに限るが。

ミシーは清楚でおしとやかだ。おまけに若いし、顔もそこそこいい。

自分にないものに引かれる人の性か、彼女のここでの人気は高かった。

ボディガードがいないとくれば、誰かが食いつくのも不思議ではない。

しかし、まさかよそ者とは。それもあんなヤバそうな。

 「……」

ローランは無言で彼女から目を逸らし、グラスに視線を落とした。

自分の身は最優先。

それがライフスタンスの俺としては、こういったトラブルは極力避けるに限る。

焦ることはない。カツアゲでもレイプでもなく、ただのナンパだ。

そのうちきっと、親切な誰かが助けてくれるだろう。

ローランが見ないフリを決め込んだころ、彼の思惑通り、ミシーとナンパ野郎の間に割り込む人影が現れた。

 「オイオイオイオイオーイ、そこまでにしとけやコラ」

いつの間に動いていたのだろうか。ハードモヒカン男が、ナンパ野郎の前に立つ。

調子づいたよそ者の前に、ローランに絡んでいたことなどすっかり忘れてしまったらしい。

 「誰に許可得て女漁ってんだ、おぉん?この街の女は、みんな俺様のもんなんだよ」

いつお前のものになったんだ。

 「……ん~?」

優男は相変わらず、人懐っこい笑みを浮かべたままだ。

軽く首を傾げ、モヒカンに視線を移す。

黄色い瞳が、悪戯っぽく光っていた。

 「おたく誰?」

 「オイオイオイオイオイオーイ!俺を知らねえのか!よく聞けモグリ。俺はこの街を支配する……」

モヒカン男は、最後まで言うことができなかった。

何かが視界を煌めいた。稲妻のような、一瞬の輝きだった。

 「ギャアアアア!」

悲鳴をあげ、モヒカン男が地面に倒れ伏す。

その左手の指が二本ほど、根元からすっぱりなくなっていた。

 「オイオイオイオイオイオイオーイィッ!ぉ俺の指がああああぁぁぁ!!」

泣きわめき、よだれを垂らしながら床を這いずるモヒカン男。

傷口から血が飛び散り、ランタンの明かりを受けて深紅に輝く。

 「ごめんねぇ。俺ってほら、人見知りだからさあ」

右手でナイフをくるくると回しながら、優男はモヒカンを見下ろして笑った。

 「知らない人に話しかけられるとパニクってさ、わっけわかんなくなるんだよねぇ」

酒場の沈黙は、そう長くは続かなかった。

 「おどれぁ!何すんじゃいワレェ!」

 「よくも兄貴を!覚悟しろやオラァ!」

飛び交う怒声。数人の男たちが立ち上がり、次々に武器を抜いた。

狩猟用の、対モンスター用の太刀だ。

対人戦、しかも人であふれた酒場で振り回すには、いささか長すぎる。

ハンターの武器を人様に向けるのはご法度、なんて咎める優等生は、もちろんこの街にはいなかった。

われ関せずといった感じの者もいれば、血の臭いに息巻き、興奮する者もいる。

野次馬たちは彼らをぐるりと取り囲み、応援や罵声を浴びせ始めた。

 「あ~あ、邪魔が入っちゃったよ」

優男は物臭そうに辺りを見渡したあと、ミシーに向かってウインクする。

 「ちょっと待っててね彼女。すぐ終わるからさ」

余裕淡々とした言葉にミシーは答えることができず、ただ青白い顔で彫像のように立ち尽くしていた。目の前で起きたことを、脳が処理しきれていないようだ。

それはこっちも同じだが。

 「……へえ?」

突然、酒場の隅の椅子から立ち上がった人影があった。

その顔には大小数十本の傷あとが走っており、興奮気味の高い声で優男に話しかける。

 「なかなかイケるねえ、お兄さん」

顔の半分を覆う黒い髪は長めで、腰のあたりまで伸びている。

一見すると男か女か分からない。中性的な顔つきだ。それがかえって不気味だった。

ヤク漬けにでもなったような恍惚とした瞳も、それに拍車をかけている。

 「大したナイフ捌きだね?あの目にも止まらぬ速さ、シビレるよぉ」

耳元で囁くような声で語りかけながら、彼は優男に近づいていく。

群衆は我先にと道を開けた。興味半分、気味悪さ半分といった調子で。

 「何?あんたもこいつの仲間?」

床をのたうつモヒカン男を指さした優男の言葉に、彼は「いいやぁ?」と首を横に振る。

 「でもねぇ、君とヤリたくなっちゃったの。ねえ、ヤろうよぉ?このメタペタット在住の殺人鬼、八つ裂きベティとさあぁ?」

言うや否や、八つ裂きベティは背中に背負った、赤褐色の双剣を引き抜く。

そして天井をふり仰ぎ、白目を剥いてガタガタと震えだした。

 「ホラアァ!もう興奮してきちゃったのお!いいいいいいいいぃぃぃぃぃ!!」

のっぴきならない状況だ。ローランは逃げる準備を始めていた。

最早、ただのケンカでは収まりそうもない。

現代社会において暴力とは、単なる交渉手段の一つに過ぎない。

だがこの奇妙な興奮に満ちた空間では、そんなルールは、野暮なカカシだ。

おまけに、おかしな勘違い野郎まで乱入してしまった。

次は間違いなく死人が出る。巻き込まれるのはご免だ。

 「はいはい、そこまで!」

ハキハキとした口調で、彼らの間に受付嬢の少女、ナヅナが割って入った。

ヒラヒラした制服姿で腰に手を当て、厳しい表情で男たちを睨みつける。

 「続きがしたいなら、外出てやりなさい!」

頭は足りないが、度胸は十分だ。

 「あぁ!?黙ってろ、このビチグソがぁ!」

 「ケガしたくなかったら引っ込んでろ、ジャリぃ!」

 「お呼びじゃねえぞ、Aカップ!」

 「なんですって~~?!」

モヒカン男の子分たち、そして野次馬たちの罵りを受け、ナヅナは頬を膨らませる。

拳を振り上げて何かを叫ぼうとした、そのとき。

 「あった!」

酒場全体に、場違いな少年の声が響きわたった。

テーブルがガタゴトと音をたて、下から褐色の肌の少年が顔を出す。

こいつもよそ者か。ローランは眉をひそめて少年を見た。

歳は十代前半に見える。サイドが長めな白髪に、耳の下で揺れる大きめのピアスが目立っていた。

この子供は……確か、この前の。

 「見つけたよ、ほら」

少年はモヒカンの子分たちに近づくと、手の中のものを見せる。

訝しげにそれをちらりと覗き、彼らはギョッとした。

少年の手の中にあるものは、ここからだとよく見えない。

しかし男たちのリアクションから察するに、恐らくモヒカン男の指だろう。

 「ガキがっ!ビックリさせんじゃねえ!」

 「この状況で、指が何だってんだ!」

やっぱり指か。

しかしわざわざテーブルの下にもぐっておきながら、このタイミングでのこのこ出てくる理由にはならない。何を考えているんだ。

 「もう一本あったはずなんだけど、見つからないんだ」

 「知らねえよ!人食い人種かてめえは!」

 「食べないよ」

何か含んだような笑みを浮かべ、少年はそう返した。

 「ただ、斬られた指を持って医者に行けば、繋いでもらえると思って」

 「ええぇ……?」

子分たちはあんぐりと口を開けた。

 「つ、繋がんの?くっつくの?」

 「うん。切断面はきれいだし。あんまり時間も経ってないから。……急いだ方がいいよ」

少年の言葉は、子分たちに大きな衝撃を与えたらしい。

ここ数年の医学の発達は、彼らの想像をはるかに上回っていたということだ。

 「さ、探せ!残りの指も急いで探せ!」

 「おうどこいったコラ。ここか?」

 「おいベティ!てめえも探せ!」

優男を除き、その場の全員が床に這いつくばり、もう一本の指を探し始めた。

薄暗く、散らかった酒場の中での捜索は困難を極めたが、「あったよぉ」と言って八つ裂きベティがそれを掲げたとき、辺りは歓声に包まれていた。

やはりこいつらのノリは理解しかねる。ローランはあらためてそう感じた。

そしてしばらくしてから気づいた。

あの大人しい少女と白髪の少年が、いなくなっていることに。

 

 

 

 

 

 

 「災難だったね」

酒場の出口を背に、アステルは小声でミシーに言った。

中は相変わらずバカ騒ぎが続いていたが、それが功を奏した。

二人はどさくさに紛れ、簡単に抜け出すことができた。

 「あの……ありがとう」

ミシーはかすれた声でお礼を言った。

 「ゴメンね。年上なんだから、私がしっかりするべきなのに……」

 「気にしないで」

アステルは微笑みつつ、扉を後ろ手に閉めた。

 「女のヒトって大変だね」

 「え……?」

 「ミシー、モテモテじゃん」

 「いや……そんな……」

ミシーは小さく首を振った。

普段の彼女なら、もっと全力で否定するところだ。だが今は、そんな気力すら湧かなかった。

 「あんなこと誰にでも……あることだから」

 「ふうん」

アステルは彼女の前に出ると、そっとその手を取った。

 「行こう」

 「……へっ?」

とっさのことだったので、ミシーは間抜けな声を出してしまった。

 「休める場所、探そう?」

 「う、うん……」

人混みをかき分け、アステルは彼女の手を引いて前を歩く。

先刻の出来事に、動揺している様子が全くない。自分を気遣う余裕すら見せている。

不思議な子。

彼の背中を見つめ、ミシーはそう思った。

 

 

 

 

 

 

 ヒゲが重い。湿気が多いせいだ。

コショーは鼻をピクピクと動かした。

天井の低い部屋の中は、ボイラーの蒸気で満ちている。

ねじれた花瓶のような形をした、琥珀色に光る溶鉄炉。

口から漏れる橙色の光が、渦巻き立ち昇る煙を鮮やかな色に染めていた。

燃えるような夕焼けの色から、くすんだ紫、血のような赤。

その微細な火加減によって、様々な色を投げかけている。

 「あちーんだよ、ハゲ」

コショーはヒゲを震わせて言った。

 「俺が蒸し焼きになるまで、ここで干しとくつもりか?」

 「まあまあ、ちょっと待てよコショーさんよぉ」

立ち込めるもやの向こう側で、人影が机に向かっている。

カチンッと、なにかをはめこむような音が響いた。

 「よし、できたぞワレェ」

人影はそう呟き、コショーに近づいてくる。

もやの向こうから現れたのは、凶悪なツラのスキンヘッドの男だった。

きめの細かい布でくるまれた細長い何かを、コショーの元まで運んでくる。

 「お待たせしましただコラァ、おぉ?」

 「ご苦労だったな」

コショーはそれを受け取ると、その場で包みを乱雑にほどく。

中から現れたのは、艶のない黒い銃身だった。

見た目はボウガンというより、対人戦のライフルに近い。地味で特徴のないフォルムだ。

構造も--少なくとも外観においては--単純で、大きさはアイルーが取り回せる程度に小型だった。

それでも銃身の先からグリップまで含めると、コショーの身長の倍近く長さがある。

コショーはそれを手に取ると、クルッとバトンのように回転させた。

次にグリップを握り、構える。架空の獲物を睨みつけ、引き金に指をかける。

獲物は飛び回っているらしい。その銃口が目まぐるしく動く。

重さやバランスを苦にする様子もなく、さも体の一部であるかのように扱っていた。

しかし彼は眉間にしわを寄せ、愛銃の状態を隅から隅まで、舐めるように調べ始めた。

 「直ってるなあ」

数分が経過したとき、コショーはぽつりと呟いた。

 「……外装だけはな」

 「言ったろ?古代文明の機構までは、手が出せねえのよ」

スキンヘッドはバツが悪そうに頭を掻いた。

 「ドンドルマとかよぉ、技術も知識もそろってるような都会に行かねえと」

 「ま、仕方ねえな」

コショーは肩をすくめると、愛銃を二つに分解し、大きなケースに入れた。

そのときになって、コショーは目を細めて辺りを見渡す。

工房の様子の違和感に気づいた。

 「親方とかはどうしたんだ?てめえ以外、誰もいねえじゃねえか」

 「ああ、それはよぉ」

スキンヘッドの男は頭を掻く。

 「さっき熱中症で倒れてよぉ。病院送りなんだよ、おぉ?」

 「またかよ」

コショーは顔をしかめて言った。

 「つい先週もそうだったじゃねえか」

 「先週は脱水症状で倒れたんだよぉ」

 「……同じことだろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうしよう。

ミシーはアステルの陰で縮こまった。

大通りから外れた、すすだらけの狭い脇道。

立ち並ぶ石造りの住居から、好き勝手に突き出たパイプの煙突。噴き出す煙が空を覆うように、頭上で渦を巻いている。

彼ら二人は、数人の男たちに囲まれていた。

 「探したんだぜ、お嬢さん」

前と後ろに二人ずつ。ファッション誌から抜け出してきたような風貌の男たちが、道を塞いでいる。

ガラの悪そうな雰囲気を持っているが、この街の人間ではなさそうだ。

この街の悪い人たちは、あんなにオシャレじゃない。

そのうちの一人、ストローハットをかぶった男が、薄ら笑いを浮かべて言った。

 「こいつは確かに上玉だな」

 「君カワウィーねぇ~~っ!」

マッシュボブヘアーの男が片目をつぶって叫ぶ。

 「俺らと5Pしなぁい?」

 「5、5P……?」

ミシーは困惑気味に訊き返す。

すると、舌にピアスをした男がヒュッと口笛を吹いた。

 「おぉい!5Pの意味が分からねえってよ!」

 「ガチで?そぉ~そられるねぇ~!」

 「教えてやんよお嬢さん。大人の階段、のぉ~ぼっちゃう~?」

 「そっちのキミもカワイイじゃん?一緒にDo~?」

 「……バカ。そっちは野郎だろ」

 「まさかのぉ~~!?」

口々にわめき立て、爆笑する男たち。

とても通してくれそうにない。

今日は厄日なのか。ミシーは頭を抱えた。

助けを呼びたいところだが、ここには人気がなく、また、そんな大声を出す勇気も出ない。

彼女は恐怖で、卒倒寸前だった。

辛うじて倒れずにすんでいるのは、隣で手を離さずにいてくれる、少年のおかげだ。

ミシーは彼の横顔をチラッと見る。

アステルは不思議そうな表情で、男たちを見つめていた。

 「おい、ガキ」

舌ピアスの男が、あごを上げて少年を睨む。

本性を露わにした、威圧的な瞳だった。

 「いつまでそこにいんだよ。さっさと消えろ」

どうやら、彼のことは無傷で返してくれるらしい。ミシーは安堵の溜め息を吐いた。

しかし同時に、頭の中が真っ白になった。

でも私はどうなる。私がピンチだ。

私は私を守れるのか。

 「大丈夫だよ」

彼女の不安を感じ取ったのか。アステルは彼女に顔を近づけ、囁いた。

 「ミシーを置いていったりしないから」

 「……アステル……君」

ミシーの心は感動で震えた。なんて心優しい子なんだろう。

その瞳は天使のように純粋なのに、芯はとても強い。

危うく惚れてしまいそうだ。

 「おいガキ。聞こえてっぞ」

ストローハットをかぶった長身の男が、自身の耳を指さして言う。

恐ろしく耳が良い人だ。

 「ここに残るってこったな。どういう意味か分かってんのか?」

 「分からない。どうなるの?」

何の混じり気のない瞳で、アステルが訊き返す。

ストローハットの男は舌打ちすると、無言でハットを目深にかぶった。

 「俺たちと喧嘩するってことだよねぇ~~!」

その隣に立つ真っ赤な長髪の男が、歯を剥き出しにして言った。

懐から取り出した刀身が孤を描くナイフを、指先で自在に操ってみせる。

それは指から指へ、くるくると回りながら、目にも止まらぬ速さで動いた。

 「頑張ってみるかぁ?ヒーロー気取りの坊ちゃんよぉ!おぉ!?」

男の言葉に、アステルは困った顔になった。

喧嘩に自信がないのだろうか。

それはそうだ。ミシーは一人頷いた。

こんなに優しい目をしているのだ。きっと虫だって殺せないのだろう。

 「さっさと家帰れや」

ストローハットの男が諭すように言った。

 「俺たちチンピラは喧嘩慣れしてんだ。いわば喧嘩のプロさ。意地張ったって、いいことねえぜ」

 「やさしぃーねージミー君は」

舌ピアスの男が卑しい笑みを浮かべる。

 「けどチンピラっておかしくね?俺ら全然フツーだろ」

 「フツーなヤツは、ナイフ振り回したりしねえんだよ。舌にピアスもしねえし」

 「そりゃそうだ!あんちゃんカッコイィ~!」

 「フツーだぜフツー!だから怖がんなくていいぜ彼女ォ~」

男たちのよく通る声が通りに木霊する。

ミシーは今更ながら、自分たちを置いていったコショーのことを恨めしく思い始めた。

 「一つ提案があるんだけど」

突然、アステルが片手を上げて言った。

大きくはないが、よく響く声だ。

 「僕は友達から、喧嘩はするなって言われてるんだ」

 「そうなの~ボク?そりゃ良識ある良い友達だ!大事にしなよ~!」

 「黙れ」

マッシュボブの男の声を遮り、赤髪の男がアステルに向き直る。

眉間に筋が走り、威圧感に拍車がかかっていた。

 「何が言いたいのかなあ……?」

 「喧嘩はやめて、ゲームしようよ」

 「……はいぃ?」

赤髪の男は眉をひそめた。

 「悪いんだけど、もういっぺん言ってみてくんない?」

 「ゲームしようよ」

 「何で君とゲームしないといけないのかなぁ?!」

赤髪の男は片方の眉を上げる。

血走った目でアステルに近づいていき、胸ぐらをグイと掴み上げる。

 「そこんとこ……お兄さんに教えてくんなぁい?」

 「みんなが通してくれないけど、僕は喧嘩ができない。だから、ゲームしよう?」

 「そこがよく分からないんだよねぇ~~!」

赤髪の男は、少年の顔に唾を吐きかけるように怒鳴った。

 「何で君とのゲームにさぁ、俺らが付き合わないといけないわけ?」

 「僕が喧嘩できないから」

 「こんのクソダラァ!」

男が拳を振り上げた。

 「やめてっ!」

ミシーは悲鳴をあげ、思わず目をつぶる。

しかし、それが振り下ろされることはなかった。

誰かが彼の腕を、後ろから掴んで止めていた。

 「落ち着けよ、ルド君」

その腕を掴んでいたのは、青い髪の男だった。

 「面白そうじゃん、ゲームとか。俺ら好きだろ?」

 「ッ……!」

ミシーは思わず息をのんだ。

あの人だ。あの悪戯っぽく光る瞳。見間違いようもない。

確かジャックと言っていたか。私に声をかけたとき、そう名乗っていた。

ここまで追ってきたというのか。

 「ジャック君、チャ~ッス!」

舌ピアスの男が嬉しそうに言った。

 「言われた通り、女捕まえといたよ」

 「ああ。ありがとな、ヤー君」

青い髪の男--ジャックも笑って答える。

さきほど酒場で暴れた人とは思えない、爽やかな笑顔だった。

彼はミシーに視線を移すと、悲しそうに顔を歪める。

 「ヒドイじゃん彼女ォ。俺を置いていくなんてさぁ」

絡みつくようなその声に、ミシーはたじろいだ。

彼の目は、ちっとも悲しそうじゃない。

むしろ何かこれから起こる楽しいことに、心を弾ませているかのようだった。

 「わ、私たちに……」

ミシーはせいいっぱい勇気を振り絞り、かすれた声を出す。

 「私たちに……構わないでください……」

 「あ~~?」

赤髪の男は耳に手を当てて、首を傾げた。

 「ゴッメ~ン。全然聞こえないわ~!」

 「ギャッハハハハハ!」

男たちの間に、再び爆笑の渦が起こる。

ストローハットの男を除き、全員が腹を抱えて笑った。

ミシーはその間、顔を真っ赤に染め、必死に涙をこらえていた。

 「悪いね、彼女。あんまりカワイイもんだから、ついね」

笑いの虫が収まったころ、ジャックが機嫌を取るように言った。

少年の方に向き直り、鋭い笑みを浮かべる。

 「……で?ゲームだったっけ、坊や?」

 「うん」

アステルが無表情に言った。

 「僕が勝ったら、黙って行かせてくれる?」

 「オーケーオーケー」

青い髪の男は、面白そうに目を細める。

 「でも俺が勝ったら?」

 「ミシーを好きにしていいよ」

 「ちょッ……!」

冗談じゃない。ミシーは慌てて両手を振り回す。

この子今、さらっと自分を売り渡してしまった。

 「まさかのぉ~?!」

叫び声をあげ、その場でクルクルと踊り出すマッシュボブ。アゲアゲだ。

 「坊やが負けたら、俺が彼女をパックンする」

青い髪の男が静かに言った。

 「そんなカンジでいい?」

 「うん、いいよ」

少年はキッパリと言い切った。

ミシーは口をパクパク動かしたが、まるで言葉にならない。

もはや自分にとって誰が敵か味方か、分からなくなっていた。

 「か~らのぉ~?か~らのぉ~?」

マッシュボブの男はまだ踊っている。

ジャックはアステルに、ゆっくりと歩み寄った。

 「ゲームの内容は、こっちで決めていいわけ?」

 「うん」

 「そう?いいんだ」

彼はアステルの目の前まで近づいた。

少年は目を細め、向かいに立つ男を見上げる。

 「じゃあさぁ、坊ちゃん。二人で楽しく……」

仰々しく腕を広げ、ジャックは言った。

 「刺しっこしようぜ……」

一瞬だった。いつの間にか彼の両手には、大振りのナイフが握られていた。

まさか、少年をここで殺す気なのか。

そう思って真っ青になったが、よく見ればその二本とも、しっかり鞘を被っている。

あんなものをどこから取り出したのか。早すぎて、全く見えなかった。

 「刺しっこ……」

アステルは首を傾げた。「……って、何?」

 「いい質問だねえ」

ジャックはナイフを手玉に説明を始める。

 「プレイヤーは二人。お互いナイフを手に向かい合う。あらかじめ決めた枠のなかで……」

一旦言葉を切り、彼は笑った。

ミシーは思わず身震いした。

子供のように無垢でありながら、残酷な死神のような笑みだった。

 「刺しあうのよぉ、坊ちゃん。気ィ持ちいいぜぇ~……?」

その笑みを向けられた当人は、困惑したような表情をしていた。

 「それって……喧嘩よりもタチ悪くない?」

 「全くだぜ。ブッ飛んでやがる」

ストローハットの男が吐き捨てる。

 「やめとけジャック。相手はガキだ」

 「やめるかどうかは、俺の決めることじゃないっしょ」

ジャックはふんぞり返って言った。

 「ただ、賭けてもいいぜジミー。こいつは絶対降りないね」

振り返ると、アステルを真っ直ぐに見下ろす。

 「そうだろ、坊ちゃん?」

 「うん」

アステルはあっさり頷く。

ミシーはとても黙っていられなかった。

 「ダメだよアステル君!」

彼女は必死に彼の腕を掴む。意識せず、泣き叫ぶような声を出していた。

 「絶対ダメ!殺されちゃう!」

 「ミシーがそう言うなら降りるけど」

振り返ったアステルの顔には、何か含んだような笑みが浮かんでいた。

 「いいの?ミシーが食べられちゃうんだよ?」

 「そんなことはいいの!」

ミシーは怒ってもいないのに、怒っているかのように怒鳴った。

さっきまで声がかすれていたのが、嘘のようだ。

 「君が大ケガするより、百倍マシだよ!」

しばしアステルは、放心したように彼女を見ていた。

 「ゴメン、ミシー」

アステルは申し訳なさそうに言った。

 「でも、もう返事しちゃったから」

彼はミシーの手をやんわりと払う。

「ケガで済めばいいけどな」というストローハットの呟きが、やけにはっきり耳に届いた。

 「質問!」

アステルが片手をあげる。

 「枠内から出たら、その場で負け?」

 「負けだね。あと、ジャンプも禁止」

ジャックはナイフの一つを彼に投げて渡した。

 「必ずどちらかの足は、地面についていなくてはならない。ルールなわけよ」

 「いろいろうるさいね」

 「ゲームってのはそういうもんさ。それにこれは、救済措置でもあるんだぜ」

ジャックが指をパチンと弾く。すると彼の後ろで、地面に石灰が引かれ始めた。

 「逃げるのもアリってことよ。負けはするが、命は助かる」

 「やめんなら今だと思うね」

ストローハットがアステルの後ろで、囁くように言う。

彼の背後に、石灰でラインを引いている最中だった。

 「腕にどれだけ自信があるのか知らんが、殺されやしねえって考えてるなら、甘いぜ」

 「やめないよ」

そう一言返したアステルは優しげに微笑んでいた。

 「心配してくれてありがとう」

 「……ぺッ」

ストローハットの男は唾を吐き、黙ってその場を離れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




全力かけるベクトルがおかしいと思う。モンスターが一匹も出ねえ。
変なチンピラとケンカしかフューチャーしてねえよ。
だがしかし、これぞモンハンだとも思います。

いいですか皆さん。チンピラはケンカするものです。それは自然の摂理です。
自然の摂理と言えば即ち、モンハンなのです。
だからチンピラのケンカこそ、モンハンの真骨頂なのです!


クック先生「……??」









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